【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】7

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1832/3 初代スレ7
スレも序盤。燃料投下も兼ねて、ある意味不遜な暴論を吐いてみましょう。(どうせ外道の戯言だしwww)
私が今考えているのは、
「業報思想の不完全さ」及び「輪廻(生まれ変わり)は、その不完全さを補完する」ということです。
別の言い方をすれば、
《「輪廻(生まれ変わり)」により補完されることによって「業報思想の完全性」が保たれる》 ということです。
肯定論者の方たちの骨子は、まさにこの点にあり、
このスタンスであれば当然、《「輪廻(生まれ変わり)」を欠いたならば、「業報(思想)」が崩壊する》
という考えしか導けません。(端的に表れている直近のレスが>>37>>20)となります。)
勿論、カラス氏が言うような「根源」や「第一原因」(或いは「世界の始原」)とも絡んできます。

そして、私が各論として掘り下げていければと思うのは、
「不完全さ」の内容である
《「スパンの切り取り基準」や「知覚認識の“際(きわ)”・“限界”」、「“果”の抽出・“因”の抽出及びその基準」、
 「“因”や“縁”の(直接に)及ぶ範囲」、「“果を受ける”主体が仮設されてしまうこと(≒>>37>>20))」》 などです。
  ※(或いは、
    《「“果”からの逆算」(その帰納的・経験的積み重ね)により、「“因果”の確実性」は見出された(≒担保されている)》
    という点も加えるべきかもしれない。)
そして、
《「輪廻(生まれ変わり)」を導入することで、そうした「不完全性」を隠蔽している形になっていないか?
 不問に付し、見て見ぬふりになっていないか?》 という点です。
1843/3 初代スレ7:2009/01/25(日) 16:17:58 ID:s1aNasNV
この吟味(「この不完全性」を明確にし解体・解決すること)は、
≪ 《「輪廻(生まれ変わり)」が抱える問題点は、実は「業報思想」が抱える問題点と被っている
(→だから補完要素として採用される)》ことであり、「業報思想の不完全性」を明確にし解体・解決することは、
すなわち「輪廻(生まれ変わり)」の不完全性を明確にし解体・解決すること ≫
となるのではないかと思っている。
また(―それが、「結局(輪廻以外の)他の要素による補完」になるのか、
「不完全に見えるだけで、完全であったことが確認される」のか、
「註釈(細かな補足説明)付で為されるものとなる」のかはわからないが――)、
業報思想の不完全性を昇華し、業論者・行為論者(kamma vAdin)と呼ばれた釈尊の言う
「行為とその果」に於ける真意に近付くこととなるかもしれない・・・。

そして、ここに於ける説明が、
仏教外からの(特に哲学(や認識論?)や生物学的視点の側からの)批判・指摘に対する答えとなるだろう、と・・・。
(個人的には、「“宗教”なんだから違って当然。解らなくて当然。」という形は避けたい・・。)

以前「作文中」と書いたが、実際は「考え中・吟味中」と言った方が正確だ。
その意味では、(近似した価値観・スタンスばかりで構成される)狭い仲間内のコミュニティより、
雑多な意見が飛び交う2chという場は、楽しいし有意義だw
このスレも、建った当初は(さて、どういう方向へ向かうやら・・・)と思ってたが、
聡明な、知識豊富な論客が多く出入りするようになった。
特に最近のレスは簡明で解り易い。有難いことです。