【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】11

このエントリーをはてなブックマークに追加
1神も仏も名無しさん
---論題---
 業道輪廻転生を否定する、これで仏法者か
  http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/02_02_04.html
 死後の世界や輪廻転生の邪説を厳しく批判
  http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/04_11_25.html

仏陀から約2500年を経たが、現代においてもまだ見解が二分しているこの問題。
もう、そろそろ決着をつけませんか?
子供たちに教える場合にも困るので、仏陀は説いたのかそれとも説かなかったのか?
肯定派と否定派、両者からの屈託のない活発なご意見を是非、宜しくお願いします。
決着の暁には見解を誤っていた側は、男らしく女らしく、スッキリとこれまでの姿勢について清く改めましょう!

*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。

過去スレ
スレ10 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234594095/
スレ9  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234008543/
スレ8  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/
スレ7  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/
スレ6  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/
スレ5  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1231408379/
スレ4  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230651094/
スレ3  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/
スレ2  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/
スレ1  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1226102674/

*カルトは出入り禁止

「2ch DAT落ちスレミラー変換機」http://www.geocities.jp/mirrorhenkan/ による過去スレ >>2
2神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 19:11:24 ID:suUWbyt0
3初代スレ7:2009/02/25(水) 19:32:03 ID:suUWbyt0
4初代スレ7:2009/02/25(水) 19:33:31 ID:suUWbyt0
あ・・・・・・・・・・・・ orz
5宝珠愚者:2009/02/25(水) 20:10:33 ID:scqmabOU
スレ建てご苦労さまでした^^
*繰り返し投稿を希望される方はできるだけコテハンの使用を推奨します。
(あなたの見解を明確に示しやすくするためです)

-----否定意見に対する解答-----
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
 反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
    死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
 反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
    必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
 反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
    タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
    つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
 反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
    それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
6宝珠愚者:2009/02/25(水) 20:11:27 ID:scqmabOU
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
 反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
    原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
    それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。
6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:常識論
 反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
    始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。
7.輪廻や神々、地獄、餓鬼などは譬喩または、象徴表現としてとかれた。主要論者:望月海慧
 反証:方便説のヴァリエーション。仏典では譬喩は、かならず譬喩と説かれる。
    古今東西の文献・口伝の両伝承に譬喩であるという解釈はみつけられない。
8.四聖諦で輪廻を説いてない。主要論者:2CHネラー(著名な主要論者をご存知の方はお知らせ願います)
 反証:経典は四聖諦を観じていない間は輪廻転生していたと明言している。『大品/第六薬助謫』
    『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』
7三代スレ170:2009/02/25(水) 21:47:57 ID:srQ5/4bY
ん…テンプレは張り終わりましたか(ご苦労様です)。
それではカキコ

※今スレから読む人のための、机龍之介さん(および道元) に関するおさらい
机さんという方は、前々スレ(第9スレ)において
「道元は豪華な袈裟を着て牛車に乗って宮中に直参?した」
というような内容を書いて、根拠をさんざん突っ込まれました(あたりまえですね)。
そして結局、前スレ(第10スレ)16において、下記のように回答しました。

>16 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/15(日) 14:46:06 ID:DwUDGvuz
>>>15
>もう「宮中へ参内」のお話しは終了ですよ。
>他に何か聞きたいことがあるのですか?
>それより、
>http://www.youtube.com/watch?v=ibtOshtX7T0
>こんなのはどうですか?
>某ヨーカドーグループでよく掛かってる曲です。
>
>http://www.youtube.com/watch?v=t16xMI29TPk
>こんなのもあります。
>渋いですよね。
>「ニューヨークの溜息」ですよ。
>ジャズはいいですよね。

「お話は終了」と書いていますが(前スレを読めばわかりますが)何も答えていません。
そして、その後、「知っているけれども回答しない言い訳」を、延々続けるのでありました。

そんなわけで今スレでもこの話題が多少、蒸し返されるかもしれません。
(まあ、机龍之介 さんがソースを示せば、収束する話題ではありますね)
8三代スレ170:2009/02/25(水) 21:49:50 ID:srQ5/4bY
机さんへ
前スレ757
>そんな簡単なものではないし、
机さんが無理に難しくしているだけだよ。
彼は尊敬すべき、立派なキチガイ大乗仏教徒。
(現代の常識からみて)常軌を逸した極端な言動が多い人だよ。
前にも書いたけど、死ぬ前に如来神力品を読むような御仁に、机流常識を当てはめても無駄だよ。

>このスレで語ちるには、少しテーマが重すぎる。
>(また、あげ足取りされたんでは困るんでな(苦笑)
前にも言ったけど、知ったかぶりはみっともないよ。
無理に物知りぶらなくていいんだよ。

前スレ758
>問題にするために、その前程となるものを書き込みしただろうよw
書いてないよ。ウソついちゃダメだよ。
道元に二面性があるというのは、
机さんの「豪華な袈裟を着て牛車に乗って宮中に直参?した」という憶測以外にはないよ。

9三代スレ170:2009/02/25(水) 21:51:38 ID:srQ5/4bY
机さんへ(続き)
前スレ783
763さんへの回答だけど横入り
>つまり、方便とするのは簡単なのですが、それで教義の根幹が崩れてしまう。
>というようなジレンマもまたあります。
「方便ではない」
「教義の根幹が崩れてしまうように見えるのは、机流道元解釈が道元の真意と違うから」
とすれば、何も難しくないのですよ。

前スレ912
>たしか初代7氏は、勝義諦と世俗諦の譬えとして「紙の表裏」として説明したことがあった。
>表が勝義諦として「無」。裏が世俗諦として「有」。
>
>一介の僧が、基本的教学をマスターしてないわけはないんで、
>僧であるとは思えんですね。
他人のことをどうこういう前に、机さんは基本的教養を積んだ方がいいですよ 。

10三代スレ170:2009/02/25(水) 21:53:42 ID:srQ5/4bY
机さんへ(続きの続き)

前スレ919
>原点回帰。これですよ、これからは・・・
>拙者はそういうわけで、中国禅を推奨しとるんです。
見栄張っちゃって♪
日本の禅僧の知識の無さを突っ込まれ始めてからでしょ。中国禅をむやみに称揚しはじめたのは。
(原点回帰で中国禅ってのも変な話だね。何故インドじゃあないのかね?)
机さん、煙幕の張り方が拙くなってきているよ。

前スレ931
>無闇に拙者から資料、ならびにヒントなどを提示することはない。
素直に「資料がない」or「勘違いだった」と言った方がよいよ。
11神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 22:15:57 ID:ZdUNjn5G
>>891
包丁を手に持って、自分の腹を切り裂こうと思っても、できません。
全て空ですか?

12神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 22:32:56 ID:bzVGdbXI
531 :神も仏も名無しさん:2009/02/22(日) 10:10:22 ID:Shzg9NHr
>516
日本語分かりますか?
ごまかさずにあなたがあると主張する
「道元が豪華な衣装をきて宮中直参」の記録を出せ。

出せないのであれば、あなたは虚言癖決定ですので、
あなたとの会話は不可能です。
だってそうでしょうw

あなたはそうやって借金も踏み倒してきたんですか?
仏教はあなたのような誤魔化し、その場しのぎの人生を送るかたの
玩具ではありません。
あなたの「自由奔放の嘘つき人生」と「自由闊達な禅僧の生活」を混同してはなりません。
かしこ


532 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/22(日) 10:19:20 ID:P5PvRQKB
>>531
了解しました。
では、絡むの止めましょう。

のど元過ぎれば熱さを忘れる。
机さんの忘却力に座布団一枚w
13神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 22:35:06 ID:bzVGdbXI
もう一つ

  雉も鳴かずば撃たれまい
14輪廻転生論の矛盾と罠:2009/02/25(水) 23:29:50 ID:mFZW2J5u
輪廻転生論は動機において『我執』による損得『取引』であり我執の刺激・増大を機能させるものであって、
輪廻転生論を信じている以上『苦』からの解脱は絶対に不可能だ。
実を言うとこれが輪廻転生論のアーリア=バラモン=ヒンドゥによる秘められた甘い釣り罠だ。
我執におもねる低級な奴隷教化政策であって、
根本において我執を排すべしとされるブッダの教えと矛盾することはもう一歩深く考えられる人には直ちに了解できるはずだ。

 ブッダの立教精神に鑑みるものは、俗論輪廻転生論を撲滅し、不生不滅の中道に建たねばならない。



というより輪廻転生論なんか子供だましの低級俗信であって、問題の端にもかからない程度のゴミなのですが・・・

15輪廻転生論の矛盾と罠:2009/02/25(水) 23:34:27 ID:mFZW2J5u
挿入

というより<現代日本人にとっては>輪廻転生論なんか子供だましの低級俗信であって、
問題の端にもかからない程度のゴミ<同然>なのですが・・・


16神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 23:39:35 ID:SfXZDtrL
唯物論者って大槻教授もそうだけどやたら感情的になるな。
17神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 23:48:37 ID:T9HL1spx
>>16
人間の生命に関係なく、前世・来世が実在すると考える輪廻転生肯定
論者こそ、「極端な唯物論者」であることを、自覚されたし。
18輪廻転生論の矛盾と罠:2009/02/25(水) 23:54:50 ID:mFZW2J5u
仏教は唯物論でも観念論でもない。
ブッダははるか以前に、そのような西欧的二元論を捨象した中道を示された。
もちろん、キリスト=ユダヤ、イスラム、ヒンドゥなどの一元論を捨象されるのは当然だ。

う〜む、俺様シンデレラのスリーピングタイムだ。
ウンコ200gして寝るわ。
19神も仏も名無しさん:2009/02/25(水) 23:55:47 ID:SfXZDtrL
機械論的唯物論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
機械論的唯物論(きかいろんてきゆいぶつろん、mechanical materialism)は、人間の意識や有機生命を自然的物質に還元し、全て力学的な法則によって説明する機械論に基づく唯物論の一つで、全ての存在に自然科学的方法論を適用しようとする無神論である。 
20神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:00:31 ID:x0nyYBsk
>三代レス170氏

宗教自体が、100%空想・妄想の産物なのだから、机師を非難する
のは筋違い。

ソース、ソースと言われるが、究極のソースである原始仏典も聖書も、
その信憑性は何ら証明されてはいない。

「神」や「前世・来世」のソースは「皆無」w。

古代のことは、本当の所は何も分らないのだから、むしろあくまで
「参考程度」に止め、現代人の視点から、取るべきものは取り、捨てるべき
ものは捨てるのが、方法論としては正しいのでは。

机師には、長年にわたる2ch切ってのカルトバスターとして、ご活躍いただき
たいものです。
21神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:01:22 ID:SfXZDtrL
機械論(きかいろん、英:Mechanism独:Mechanizismus)
とは天候や地形、生命などの諸々の自然現象を、霊魂などの概念を用いずに、
その部分要素の古典力学的で決定論的な因果関係の連鎖のみで解釈でき全体の振る舞いも予測できる、とした説、考え方や固定観念のこと。

機械論と唯物論
「霊魂」を考慮しないという点では、機械論と唯物論はほぼ同一だというのが、
一般的な評価である。ただ、「機械論」はどちらかと言えば暗黙裡に「霊魂」に言及するのを避け
あるのかないのか議論を回避することで、(まずは)己の科学的な方法論で分析できるだけ分析を
進めてみよう、とするところに比重が置かれているのに対して、「唯物論」のほうは(機械論が)
先鋭化したもので、「霊魂は無い」と先験的に断定し主張しているところに相違点がある、
といった指摘がなされることが多い。
22輪廻転生論の矛盾と罠:2009/02/26(木) 00:15:15 ID:5mUNcfcc
輪廻転生論はゴミ・ウンコ。
ウォッシュレット水流とともに去りぬ。

さっぱりしたところで、おやすみ。
23神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:21:44 ID:4ILahLzf
「霊魂」という言葉は、misleading。「霊」とは、英語で、"spirit""soul"。
即ち、「精神」のこと。「霊」という言葉は、「幽霊(ghost)」を連想させる
ので、誤り。

「霊魂」「霊」などという言葉は止めて、「精神」とすべき。

旧約聖書でも、「聖霊」とは、創造主がすべての人間に吹きこんだ「ルーアッハ」
「空気」「生命」のこと。新約聖書が、「人間のどこか外部から、鳩のように舞い
降りてくるもの」などと、意味を歪曲・捏造したに過ぎない。
24神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:30:22 ID:3VOLWstO
>>17
唯物論が何か分ってないことが明らかな状態で、
「自覚されたし」って、恥ずかしいね。
25神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:30:50 ID:fsXsgfaN
霊魂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
霊魂(れいこん)とは、一般に生物、特に人間が生きている間はその体内にあって、生命の源や精神そのものとされる、
人や生物の死生観の根源的な解釈のための概念の一つ。魂(たましい)ともいう。
生物について、その肉体以外の部分を言い表す概念であり、また、肉体・精神とともに生命の三要素のうちの一つとされる。
心と同一視される事もある。
死ぬと肉体から離れて「あの世」(死後の世界、霊界)へ行ったり、「この世」(生者の世界、現世)に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も存在する。
あの世に還った霊魂が、再びこの世に生まれ変わるという考えが、輪廻転生(転生輪廻)の思想である。
霊(れい、たま)もほぼ同一の概念だが、現代では死者の霊のことを指す場合が多い。
また、そこに何かいると感じられるが、実体としては捉えられない現象や存在(聖霊など)のことを指すこともある。
一方、大和言葉の魂(たましい)の方は、信念や思想、あるいはその心を表現する言葉としても慣用的に使われる。

多くの宗教においては、人は死んでも意識あるいはそれに近いものは霊魂となって残ると説く。
霊魂は生前暮らしていた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいう。
霊魂の存在は、しばしば道徳・倫理などと結びつけて語られる。
キリスト教などが説くように、生前の行いに応じて天国や地獄などに送られるともいわれる。
あるいはヒンドゥー教のように霊魂は生前の行いに応じて転生すると説く宗教も有る。
仏教の一部(大乗仏教)でも、六道の間を輪廻すると説く。
26神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:31:22 ID:fsXsgfaN
現代の懐疑主義

現代の懐疑主義者らは、主として心霊主義などの霊魂の検証の方法の不備などを指摘し、それを疑似科学だとしている。
そして霊魂はオカルトや迷信だとしている。
現代の懐疑主義は宗教が衰退した時代背景を反映して、無神論・無宗教に近くなっている一面がある。(そうでない人も居る)

霊魂と死生観・全人的健康

死生観の説明は世界観の根幹の一つであり、世界中の文化や信仰・宗教に見られるものである。
死生観、すなわち、わたしたち人間にとって「人は死ぬと(その意識は)どうなるのか」ということは、
人間が出現して以来文化・文明や学というものを手にしてもなお、我々に与えられた最大の問いである。
古来より多くの神話や宗教、哲学、芸術などの根本的な目的の一つは、これら人の生死を含む世界観や体系の説明であり、
為政者や宗教者にとって最も重要な課題そして概念であった。
現代においても、魂を肯定的にとらえることが、生きがいや健康といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている。
死に臨んだ人々に寄り添う看護(特にターミナルケア、死の準備教育など)の現場では、スピリチュアルなケアをすることも大切な課題となってきている。
また、ターミナルケアに限らず、日常においても人が本当の意味で健康に生きる上で重要である、ととらえられることも増えてきている。
世界保健機関(WHO)は1984年の第37回総会で決議された「西暦2000年までにすべての人々に健康を」の決議前文で、
健康が含むスピリチュアルな側面について言及した。さらに、1999年の総会においては、健康の定義文に以下の語も加えることを提案した。
健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない。
27神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:41:11 ID:KSJ5LNAp
>>24
色即是空・空即是色は、唯物論が唯心論か?

釈迦は、「霊魂」につぃては「無記」である。

「インドの関連術語が、「霊魂」や「魂」と訳された例は確認されて
いない。但し、「霊魂」の観念にもっとも近似するのは「命」「命者」
「寿者」「神(しん)」などと漢訳されたjivaである。この語は、身体
を支え、生き物を生かしめる命、を原義とする。」(岩波仏教辞典)

従って、「霊魂」「霊」ではなく、「生命」というのが正しい。
28神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:48:19 ID:fsXsgfaN
goo辞書

jiva

【名】
霊魂{れいこん}
29神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 00:53:40 ID:fsXsgfaN
当時のインドには「霊魂」という観念がなかったのに、
どうして、
>釈迦は、「霊魂」につぃては「無記」である。
なの?
30神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 01:01:47 ID:s788kfL4
私が物体だという思想が高等だとはとても思えない。
31神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 01:33:38 ID:BOwBPq2n
>>28
前レスで述べたように、「霊魂」とは、「精神」「生命」の意味。

>>29
生命を離れた「霊魂」などが存在すると信じる、無知な人々もいたからだろう。

>>30
「高等」「下等」は、何を基準として判断する?そういう君も、物体がなけれ
ば、一瞬も存在し得ないのだよ。その意味では、君にとって物体が最も高等な
ものではないのかね。

宗教者は、「霊」や「霊魂」という言葉を、「幽霊」と勘違いしているのでは
ないかw。「生命」「精神」と捉えた古代の哲人にもはるかに及ばない。
32神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 01:44:57 ID:Bm2y6/bl
アートマンの原義も、「呼吸」「生気」「生命原理」「自身」のこと。
これは、旧約聖書の聖霊とも、ピッタリと繋がる。

釈迦の大発見は、そのアートマンが、他との関連においてのみ存在している、
即ち「無自性」「空」「縁起」であるという真理である。
33神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 02:37:12 ID:3VOLWstO
>>27
> 色即是空・空即是色は、唯物論が唯心論か?

唯識は唯心論的ではあるが唯心論ではない。
中観は唯物論的に見えるかもしれないが唯物論とも違う。

般若心経は空について語っている側面がありながら、
その本質は悟りに向かう菩提心にある。
34神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 02:50:52 ID:3VOLWstO
>>27
> 「インドの関連術語が、「霊魂」や「魂」と訳された例は確認されて
> いない。但し、「霊魂」の観念にもっとも近似するのは「命」「命者」
> 「寿者」「神(しん)」などと漢訳されたjivaである。この語は、身体
> を支え、生き物を生かしめる命、を原義とする。」(岩波仏教辞典)
>
> 従って、「霊魂」「霊」ではなく、「生命」というのが正しい。

これ、ロジックの使い方に強弁が含まれているの分ります?

「従って」の部分は「JIVA」の語義に関して、特に「JIVAの原義」に関しての話にしか
本来適用できない内容なのにも関わらず、日本語の霊魂という概念に対して
霊魂ではなく生命というのが正しいと言っているわけです。おかしいでしょ?

JIVAは日本語じゃありませんから、JIVAに霊魂という日本語を当てはめるのが仮におかしいとしても
日本語の霊魂という言葉に対して、日本語の生命という意味を当てはめなければならないと
いうことにはならないわけです。

こういう強引なことはいけませんね。
35神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:18:47 ID:d3JxR8Wo
>>33
色即是空・空即是色は、極めて優れた「存在論」であると思う。存在(実在)
とは何かを、ぎりぎりまで突き詰めたものである。

「眼耳鼻舌身」と、存在を成立させる五感をはっきり捉えてている。現代の
生理解剖学でも、これ以外の感覚器官はない。なお「意」は、五感からの入力
を統合するものとして、五感の一部として捉えるのが正しい。しかし、「意」
を加えたことは、いささか誤解を招く恐れがあった。「意」を、五感から離れた
「意思」「心」などと誤解する者が生じるからである。しかし、五感と一体と
して述べられていることは、やはり五感からの入力の統合器官と解すべきで
ある。これも、現代の解剖生理学と完全に一致する。

その意味で、「究極の唯物論」とも言えし、「究極の唯心論」と言ってもよい。
要するに、完全な「心身一元論」である。

イエスには、存在論は全くない。すべてが「妄想」「霊肉二元論」である。

「この世界は、人間の眼に映じた世界に過ぎないから、『空』である。しかし、
その空の世界こそ、人間が現に生きている、そして生きるべき世界なのだ。」
この命題に論理的に反論できる哲学者が、唯の一人でもいるだろうか。

空(縁起・相互依存性・関係性)を覚ることが「悟り」である。その悟りから、
菩提心(大乗的意味)が生じる。「空」の悟りと「菩提心」とは、実は直結し
ているのである。

悟りのための菩提心では、更に、悟りの目的と内容を問う必要が生じるから、
無意味である。
36神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:29:37 ID:3VOLWstO
>>35
> 色即是空・空即是色は、極めて優れた「存在論」であると思う。存在(実在)
> とは何かを、ぎりぎりまで突き詰めたものである。

それ違うと思いますよ。存在しているかのように見えていたもの、
実在しているかのように見えているものが
実は縁起で成り立ってるだけだったといっているわけだから、
そういうのは実在論とは言わないでしょう。

> その意味で、「究極の唯物論」とも言えし、「究極の唯心論」と言ってもよい。
> 要するに、完全な「心身一元論」である

ここは意味不明です。究極とか完全とかいう言葉を使うことで
人に自分の意見をアピールしたい気持ちだけ伝わってきます。
37神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:34:40 ID:3VOLWstO
>>35
> 空(縁起・相互依存性・関係性)を覚ることが「悟り」である。その悟りから、
> 菩提心(大乗的意味)が生じる。「空」の悟りと「菩提心」とは、実は直結し
> ているのである。

縁起の説明を読んで空を理解するのも悟りのひとつかもしれませんが、
概念を把握するだけだと精神的には何も進んでないような気がしますから、悟りというのは
もうちょっと先に設定しないとダメなんじゃないでしょうか。

悟りから菩提心が生じるというのは、当たってると思います。

> 悟りのための菩提心では、更に、悟りの目的と内容を問う必要が生じるから、
> 無意味である。

いや、悟りのための菩提心でいいんですよ。
大悟するまでは、迷いながら進んでいくしかないんです。

そもそも悟りを求める心のことを菩提心と呼ぶのに
悟りのためじゃない菩提心って何です?という気もしますしね。
38神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:37:40 ID:7IUjERLd
>>34
「霊」「霊魂」「聖霊」の意味は、英語での意味や、旧約聖書における意味や
アートマンの原義に関連して、既に述べている。

旧約聖書のルーアッハもアートマンの語源も、同じく「呼吸」「空気」である
ことが、興味深い。人間の生命は、「空気」がなければ、忽ち消滅するから
である。その意味で、「空気」「呼吸」は、「生命」と同義である。そして、
精神は、生命がなければ生じ得ない。

これらが「精神」「生命」の意味でなければ、一体何かね。具体的に定義・証
明してくれw。
39神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:40:55 ID:3VOLWstO
>>38
ロジックのことを言っているのであって、
あなたの思想のことを言ってるわけじゃないんです。
ちょっと難しかったですかね。
40神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:46:12 ID:78k7w1BE
>>37
>悟りのためじゃない菩提心って何です?

「利他」に決まっているでしょう。「利他」でない菩提心って何?「利他」
でない悟りが、共同体としての人間社会で、一体何の役に立つ?単なる
「自己満足」「自己陶酔」では、全く無意味です。
41神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:48:13 ID:3VOLWstO
>>40
いやいやそういうことじゃなくてね。
菩提心というのはその定義として「悟りを強く求める心」なんですよ。
悟りのためじゃない菩提心って何です?というのは
質問文じゃなくて反語なんです。
反語ってわかります?
42神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:56:20 ID:2UV2GmSD
>>41
>菩提心というのはその定義として「悟りを強く求める心」なんですよ。

それは、小乗での定義に過ぎない。仏教徒なら、大乗もやってね。日本は、
大乗仏教の国ですよ。

それとも君は、東南アジアの国の人?
43神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 03:59:42 ID:3VOLWstO
>>40
一応、内容的なことにもレスしておきますが、
利他のための心はどちらかというと慈悲心とかの方が近いんじゃないでしょうか?
菩提心というのは菩提を求める心のことです。
菩提を求めつつ利他行に勤しむというのもあると思いますが、
菩提を求めない利他行であれば、慈悲心の方が菩提心よりはまだ適合性が高いように思います。

あと、利他でない悟りが共同体としての人間社会で一体何の役に立つかという話ですが、
これは役に立たないんじゃないかと思います。
ただ、共同体にとって役に立つことが必要かどうかはまた別の問題だろうと思います。

自己満足、自己陶酔では全く無意味というのは共同体にとっての話ですから、
本人レベルでは「真の満足」を得ることができれば、共同体は割とどうでもいいかもしれません。

釈尊は、釈迦族という「共同体」に対しては、王子としての責務を放棄して出家したあげく、
成道してからは、釈迦族の人々を次々に出家させてしまい、そのせいもあって釈迦族は
国を滅ぼされてしまいました。とても共同体にとって役に立ってるとはいえませんしむしろ逆ですね。

大乗仏教はもうちょっと利他性に重きを置きますが。
44神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 04:01:32 ID:3VOLWstO
>>42
大乗でも菩提を求める心のことを菩提心と呼ぶと思いますよ。
菩提を求めない菩提心とかって、ちょっとありえないです。
45机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/26(木) 07:11:26 ID:cAPZEkvE
>>9
三代スレ170氏へ

>>つまり、方便とするのは簡単なのですが、それで教義の根幹が崩れてしまう。
>>というようなジレンマもまたあります。
>「方便ではない」
>「教義の根幹が崩れてしまうように見えるのは、机流道元解釈が道元の真意と違うから」
>とすれば、何も難しくないのですよ。

貴殿は、拙者のファンらしいですから特別に説明してあげます。

例えばですが、歎異抄においても「浄土」という文言がいろんな意味に使われてます。
ですから安易に「浄土とはなにか?」を定義してしまいますと、
そこに論理矛盾が出てまいります。
(浄土の意味については、書くのは遠慮しておきます)

道元ですと、この矛盾がもっと顕著であります。
この矛盾性の背景にあります道元の思想なりを読み込むスキルがありませんと、
全く意味不明になってしまうのです。
(これは三時業などがイイ例ですね)

しかしながら、では「道元の言説の何が矛盾なのか?」。ってのが、
まるで分かっておらんかったら、
拙者が熱心に書き込みしても、これは「豚に真珠」ですね。
ですから拙者は説明を遠慮したんですよ。

まあ君達は、道元の言説である三時業なりを信じ切ってれば宜しいんじゃないでしょうかね?
46机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/26(木) 07:23:52 ID:wSbuierh
>>9
(つづき)
>「方便ではない」

これは実際痛いですね。

歎異抄においても正法眼蔵においても方便はあります。
というか、
方便なくして論書を書くのは不可能です。
(特に禅宗では不立文字だろうよw)

まあ、君達と絡む以前の、その前程そのものの構築がなされていない。
その証左であることは確定されましたねw

47机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/26(木) 08:10:32 ID:cAPZEkvE
【浄土について】

浄土というのは眼が開かんと解らん概念ですね、
ですから歎異抄では、この「達観したる浄土」の意味ではなく・・・
あくまでも「凡人の目線」における浄土の意味ですね。

これは先ず、凡人の先入観における「浄土」ということを前程として、
そして歎異抄は成り立つわけでして、
「浄土に行く」ということになる。
じゃあ何処に行ったらいいのか?って言ったら、
親鸞は「わからん」そうです。
また浄土というのが、あるかどうかも確証はないそうです。
「わからんけど行く他ない」。ってことですね。
(どうも論理的矛盾がありますが、この矛盾こそ悟入への登竜門です)

歎異抄では、衆生に解り易いように平易に書かれておりますが、
正法眼蔵になりますと、これがアカデミックな内容になってます。
(この説明は略させて頂きます)

「方便」というのは、方便であることは開示することはない。
何故なら、開示した時点で「方便としての意味がなさない」からです。
48神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 08:36:53 ID:9tFmkMyc
釈迦は形而上の問いに判断を示さず沈黙を守りました。
不回答の理由を、これらは無益で法に適合せず涅槃に導かないからと説明されました。
形而上の事柄を理解していても、真理として打ち立て他人と論争はしませんでした。
無用な論争の弊害からのがれ、苦しみからの解放という目的を見失わない為です。
自分の信じた道で悟りを得る事が重要であると考えたのです。

バラモン教は輪廻を既成事実として説き、脅し文句のように
虐げられた人々をさらに苦境に落とすようなことを言ったのです。
輪廻説に立つ限り、苦の現実を前世の因果として受け入れるか、救いを死後に託すほか道はありません。
釈迦はその思想から脱却することを説かれました。
輪廻は業の鎖で生れが問われたのですが釈迦は行いを問うことによって
輪廻の意味を転換しその迷信性を失わせたのです。
苦の根本的な超克と、真の救済を目指した釈迦は現世この身一身における救いを体現したのです。
49tibyaku:2009/02/26(木) 09:01:28 ID:8UfanofY
菩提心は法を求める熱意であり、法を求める探究心であります。悟りの段階
論はありますが、利他の念いがあってこそ悟りを高め魂の器を広げ、深めて
行けます。それは必ずや主の御手足として利他の救済ができものと信じています。
40>が正解です。
50道元:2009/02/26(木) 09:10:02 ID:5mUNcfcc
            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
        | ○。         l  
       ノノ)            从   
      ( i从 〓〓ノ   〓〓 从从   
     从从 -=o=-   -=o=- 从从  
     从从        l      从从) 
     (从:.|.∴ヽ    ∨    /∴从人)   <おいらは道元
    (人人| ∴!  ー===-' !∴.|从人)       舐めんなYO!
     (人人| ∴!  しw/   !∴|从人) 
    (人人| ∴!        !∴|从人)     いかなるばあいでも平然と生きること
    (人人人_______ 人人ノ          自受用三昧、これ悟りなり
51道元:2009/02/26(木) 09:18:00 ID:5mUNcfcc
>>49
自利だの利他だのの分別、これ迷いなり
不一不二、おのずからなる慈悲、これ悟りなり

中道にて調ふべし
52神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 10:10:12 ID:lOk6TQQ2
道元を余り知らない机はこんどは親鸞に逃げ込むw
真宗の教学に詳しい人どうぞw
53神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 10:12:56 ID:lOk6TQQ2
>48
あんたもコピペばかりしないで
(それが仕事なんだろうけどw)
>バラモン教は輪廻を既成事実として説き、脅し文句のように
>虐げられた人々をさらに苦境に落とすようなことを言ったのです。
これの論拠を出した方がもっと盛り上がるぞw
54神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 10:36:31 ID:3VOLWstO
>>49
> 必ずや主の御手足として

主というのはキリスト教の神ですか? 仏教ではないようですが。
55神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 10:40:51 ID:M1TZiK7W
キリスト教+仏教=ヒンドゥー教
56机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/26(木) 11:14:34 ID:wSbuierh
>>52
申し訳ありませんが、君達とは論争する気はありません。
三代スレ170氏には、拙者が特別にレスポンスしたものです。

君達には、拙者から一方的に情報を流すことはしない。

57tibyaku:2009/02/26(木) 12:16:29 ID:SY9UyHGO
「無記」はお釈迦様に修行者が形而上の質問をしました。しかしお釈迦様が
質問する修行者の心を霊視したところ、煩悩が燃えて心が黒くなって心の平
静心もない無反省な姿を見て、自らの心を統治できず煩悩のままの邪悪な醜
態をさらして、形而上の法話を学んだところでなんの意味もない。何も価値
も無い。豚に真珠、猫に小判です。
正しく反省し、心を平静心を取り戻し、心の王国を支配し悟りの探究者する
修行者であれば、お釈迦様も形而上の質問を的確に答えていくこととなれば
「無記」もなかったでありましょう。
「無記」はお釈迦様の法の限界ではなく、煩悩だらけの修行者の限界だった
のです。
心の王国を支配し明鏡止水の心境を維持できるものであれば、形而上の教えは
意味のあるものとなり、価値のあるものとなります。
心が煩悩で一杯なものは、まず応急処置として、悟りを求める修行者たるもの
自らの煩悩を正しい反省をして、明鏡止水の心境維持出来てはじめて、形而上
の転生輪廻とか霊界とか永遠の生命の話が価値あるものになっていくのであり
ます。心を静めることが、何にもましてなさねばならぬことであります。
師は弟子を選ぶのです。




58神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 12:52:55 ID:9tFmkMyc
インドの思想の元を作ったのはアーリア人でした。
彼らは先住民族を征服しインド社会にカースト制度をつくりました。
カーストの最上位に位置した王が支配した宗教をバラモン教といいます。
バラモン教国であった王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一しました。
王は神が転身して地上に姿を現したと宣言することで権力の絶対性を高めたのでした。
さらにバラモン教の選民思想も支配には都合がよく、
生まれついての身分を決めてしまえば国家が統治しやすいのです。
下から上への反乱は許されず、屈従を余儀なくされる大衆には輪廻転生思想を教え諭し
現世の不幸は前世での業の結果であり改善の手段はなく、
ただひたすら苦しい生活と苦難の道を乗り切って
来世での安穏とした日々を夢見て精進に励めと教え込んだのです。
59神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 13:06:45 ID:3VOLWstO
バラモン → 祭祀者階級
クシャトリア → 王族・武士階級
バイシャ → 商人階級
シュードラ → 賎民階級

クシャトリアよりバラモンの方が上位。
60神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 13:32:42 ID:9tFmkMyc
現在では、バラモンと王族は別れているが、初期バラモン教も別々か?
第二次世界大戦終結まで、天皇は現人神、国家元首だったはずだが。
61神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 13:38:37 ID:9tFmkMyc
古代国家においては、王の権力の由来は神話によって説明されることが多く
「王こそが神である」とする思想が生まれた。
特に国家の規模が拡大する上で、王が神聖であれば、それを打ち倒して権力を収奪する行為は、
神罰が当たる物として恐れられる事により、また人を使役する場合に於いては、理不尽な命令であっても、
やはり逆らえば神罰が下るとしておけば、それに逆らう者が無くなるといった効果が期待できる。
これらの文明系では、王は死後に神に戻るとされ、その遺骸は恭しく埋葬され、
また肉体は滅んでも精神(霊)は続くと考えられたため大規模な墳墓が残され盛大に祀られる傾向が見られる。
現人神 - Wikipedia
62神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 13:45:31 ID:lOk6TQQ2
>58
>カーストの最上位に位置した王が支配した宗教をバラモン教といいます。
>バラモン教国であった王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一しました。
カーストの無知はおいといて、その王とは具体的に何王朝の誰?
空想で歴史の話されてもね・・・・
キミがインドの歴史に無知なのが見え見えなんですけどw
63神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 13:50:13 ID:lOk6TQQ2
>56
君たち?論争?
勘違いしてません?

あなたとはもとより会話不能なので・・・・
それに妄想と虚言で作り上げた情報を誰が欲しがりましょうw

独り言と自作自演ご苦労様ですw
64tibyaku:2009/02/26(木) 13:53:02 ID:zvVTokuz
お釈迦様在世時、インドでは転生輪廻が常識になっていました。そしてお釈迦様
は、カースト制度に異論をとなえ、生まれ育ちに関係なく心の悟りの心境によっ
て身分はあるのであり、生まれ育ちの結果によって身分が定まるのはカースト制
度は間違いであると諭したのです。
バラモンの出だけで、煩悩多く反省なく真理も解しない凡人がバラモンを継ぐこ
とに問題があると説かれています。

65神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 13:53:41 ID:lOk6TQQ2
机さんをカルトバスターと呼ぶのはこの世でただ一人、机さん自身ですよねw
66神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 13:57:51 ID:9tFmkMyc
紀元前13世紀頃よりインダス文明を構成した肌の色の濃いドラヴィダ人を奴隷化して支配をして行く。
支配体制を強めるために階級制度を作り出し、自分達は僧侶階級のブラフミン(バラモン)として最高の地位に付く。
アーリア人 - Wikipedia

バラモンは最貴の位置を占め、その宗教祭儀を記したヴェーダは絶対に神聖視された。
ただし、当時宗教は科学であり文学であり、知識は宗教を離れて存在しなかった。
したがって、これにたずさわるバラモン階級が社会の指導権を握り、
かれらによって哲学・文学の上に特殊な発達をとげるようになったのである。
http://namgen.blogspot.com/2007/11/blog-post_4101.html
67神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 14:12:40 ID:5mUNcfcc
輪廻転生論は動機において『我執』による損得『取引』であり我執の刺激・増大を機能させるものであって、
輪廻転生論を信じている以上『苦』からの解脱は絶対に不可能だ。
実を言うとこれが輪廻転生論のアーリア=バラモン=ヒンドゥによる秘められた甘い釣り罠だ。
我執におもねる低級な奴隷教化政策であって、
根本において我執を排すべしとされるブッダの教えと矛盾することはいうまでもない。

業報輪廻転生論は戯論であり悪の謀略論理だ。

68神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 14:15:33 ID:5mUNcfcc
業報輪廻論はあなたの人格を破壊する。
69神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 14:21:43 ID:2Q3pSvfm
>>67

すこしでもマシな人間になりたいと願い努力することが、卑しい行為ならば、貴方のような引きこもりは、みな聖者だろう。

コピペに返事しても、しかたないが。
70神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 14:27:55 ID:9tFmkMyc
タイの仏教 徳を積む
現世で身に降りかかる出来事のすべては前世での徳の高低によって決定されていると考えるのがこのタンブン思想の原点だ。
タイの仏教徒は輪廻転生を深く信じている。徳は積めば積むほど高くなり、それは次の転生時まで持ち越すことができる。
また、転生は人間界だけに限ったものではない。タンブンを積む作業を怠ると徳は確実に目減りしていくし、
悪行を働くと逆の作用が働いて、下等動物への転生が待っている。
人々は施しを与え、それが僧侶の修行の糧となることによって徳を積む。
しかし、彼らの鉢の中には、とても残飯とは思えないほど立派な食品ばかりが詰まっている。
施しを希望する人はあとを絶たないし、早朝の市場に行くと 
「喜捨セット(米・おかず・飲み物が小さなビニール袋に入っている)」 まで売られているのだ。

どんなにすばらしいものを与えられても、僧侶たちは絶対に感謝しない。
それはあくまでも残飯であり、彼らに向かって捨てられたものだからだ。
人々は僧侶に捨てることによって徳を積み、喜びを得る。感謝するのは施された方ではなく、捨てた方なのだ。

タイにはひと月に4回の仏教日がある。この日は絶好のタンブン日となり、
各寺院では法要が行われ、喜捨寄進の品々が各家庭から山のように寄せられる。
ここでも、喜ぶのは徳を積むことができた一般の人々なのだ。

しかし、施しを与える余裕のない人々は、どうすればよいのだろう?
ここから 「施す人は偉い人」 というタイ人の基本思想が芽生えるてくる。
経済力のない人は積める徳の量も限られてくる。成り上がりのチャンスは少ない。
タイでは、「タンブンの金額」 が非常に重要視されている。
しかも喜捨することによって浄化されるので、金の出所は問われない。
さらに最近では子供を出家させるにも莫大な金が必要になっている。
それでも人々は熱心にタンブンに励む。それしか幸福に至る道はないのだから、励まざるを得ないのだ。
http://www.jyaaku.com/travel/thai/buddism/buddism05.html
71神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 14:28:43 ID:3VOLWstO
>>66
そうでしょ?僧侶階級のバラモンが最高位なんです。
そのバラモンでさえ自分のことを「神の化身」なんて大それたことは言わない。
まして「王こそが神である」なんてわけがないんですよ。
王族はクシャトリアです。
もし王が神の化身だったら神官に相当するバラモンより上になっちゃう。
72神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 14:33:40 ID:9tFmkMyc
王権強化のためにはバラモンたちの宗教的な補佐を必要としたのである。
バラモンたちは、『最高神が王を創造して、その王に人民の保護と社会秩序の維持を命じた』
とする王権神授的な説を唱え、バラモンによって王権の祭祀が行われなければ
王権の正当性は民衆に受け入れられなかったのである。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/5151/link_3224.html

王権神授説
王権は神から授けられたもので絶対不可侵である,
したがっていかなるものの反抗も許さないとの政治理論。
思想的系譜からいうと,支配者を神と同一視するか
神の代理人とみなす神政思想に由来する。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C170R200.HTM
73神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 14:41:51 ID:5mUNcfcc
>>69
>すこしでもマシな人間になりたいと願い努力すること

そのようなことは業報輪廻転生論という悪の戯論なくして成立する。
四諦八正道+三法印で仏教は成立する。

もし業報輪廻論が仏教の根本なら、四諦、三法印、十二縁起など
仏教を仏教たらしめるメルクマールに掲げられてるはずだ。

結局、業報輪廻論はブッダ没後のヒンドゥ汚染徒などによる歪曲付加概念にすぎない。

我執を増大させる反仏教概念だ。
74机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/26(木) 14:52:59 ID:wSbuierh
>>10
>日本の禅僧の知識の無さを突っ込まれ始めてからでしょ。中国禅をむやみに称揚しはじめたのは。

拙者は「机龍之介」のコテハン以前から、中国禅のスタンスはしております。
(2ちゃんで長い方は、拙者のことはご存知ですねw)

>(原点回帰で中国禅ってのも変な話だね。何故インドじゃあないのかね?)

禅者でインドまで遡る御仁は先ずいないですね。
それはどうしてなのか?
(この説明は省略させて頂きます)

で、貴殿は原点回帰が何故中国なのか?
それを拙者に聞きたいのですね?

#、また、暇なときに書き込みいたします。
75神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 15:08:56 ID:eIFX+qnb
負の業しか積まない者にとっては、

当に業論は煙たい存在なんだろうなあ。
76神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 15:26:46 ID:3VOLWstO
>>72
そのサイトにちゃんと書いてあるじゃないですか。
どうして下記の部分を引用しないのですか?

「クシャトリア(王族・貴族)階級は基本的に神の祭祀権を持たず、彼らのトップは部族の首長にすぎない。
王は神の子でもなく神の化身でもない。部族の集会で選ばれた指導者にすぎない。」

よってこの下↓の書込みは間違いです。

>カーストの最上位に位置した王が支配した宗教をバラモン教といいます。
>バラモン教国であった王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一しました。

王権神授説の説明文は、フランスの絶対王政などの場合の話ですから、
インドの場合は微妙に違います。引用文にあったように王権神授説「的」なのです。
インドの場合の特徴は、王の上位にバラモン階級がいるということです。
フランスの絶対王政ではそういうことはないわけです。ここのところが「的」がつくポイントです。

追記するならインドで統一王朝っていうのはマウルヤ朝以降です。
77業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 15:42:48 ID:5mUNcfcc
>>75
業報輪廻転生論はあなたの人格を破壊する。

動機においてよりマシな来世への我執を刺激増大させ、
悟りのベクトルとは正反対に導く謀略概念だからだ。
そこにあるのは、上位階級に対する妬み・渇愛と無抵抗虚脱感を助長させ
現在の人格を破壊させる機能がある。

78神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 15:49:33 ID:s/f6VkTG
>>77
負の脳内完結の理由は無知から起こるもの。
79業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 15:55:38 ID:5mUNcfcc
生まれたときから、お前は前世の行いが悪い、悪種の動物(人間ではない)だ、
生きてるときは奴隷でいることは決定されている。
このように思い込まされて、ロクな教育も受けずに育った人間をみたかったら、
インドの各都市の貧民窟へ行けばいい。
 不衛生な環境の明日をも知れぬ空ろな目つきの虚脱人間たちを見るだろう。

業報輪廻転生論のなせる機能だ。
80神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:03:20 ID:s/f6VkTG
>>79
始まったよw
悪口は無知の証明w愚者の最たる者w

業は自分自身が作るもの、己の生き様自信のない者は意味もなく錯乱する。
81神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:06:53 ID:9tFmkMyc
アーリア人のインド支配は紀元前13世紀ごろからの話。
バラモン教の体系が出来たのは紀元前5世紀頃で新しい。
今知られているバラモン教の教義とは別。
インドラ神の起源は、インド・アーリア人の王の可能性がある。



紀元前15世紀頃より、北西インド、パンジャブに徐々にアーリア人の氏族単位の移動が始まりインド・アーリア人となる。
紀元前13世紀頃より、肌の色の濃いドラヴィダ人を奴隷化して支配をして行く。支配体制を強めるために階級制度を作り出し、自分達は僧侶階級のブラフミンとして最高の地位に付く。
紀元前10世紀頃より、より東のガンジス川に向かって移動するにつれ、ドラヴィダ人との混血が始まり、宗教的な融合も始まる。
紀元前5世紀頃になり、ヴェーダが完成し、バラモン教の宗教的な形式が整えられる。
アーリア人 - Wikipedia

インド・アーリア人は、馬曳戦車を駆使し、青銅製の武器を使い、鎧を身にまとっていたため、戦闘においては強力で、さまざまな争いに打ち勝ったものと考えられている。
このような勝利の栄光は、「城塞の破壊者」の異名を持つインドラ神が敵に打ち勝つ物語に反映されているとされる。
インド・アーリア人 - Wikipedia
82神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:13:50 ID:s/f6VkTG
>>79
業によって新たな次生が確定する。
アタマの良し悪し、貧富の差異、人種の白黒、性別、性質など
全て洩れなく自分が決めてきた姿で生まれてくるという思想だ。
83神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:18:43 ID:s/f6VkTG
古代インドの転生思想と仏陀の思想は違うが。

いま、バラモンを持ち出すのは何の為かね?
84神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:20:46 ID:cTpze8NU
「カースト制度の維持」という、人間無視の稀代の悪業を長きにわたり
続けてきた輪廻転生論者の来世はどうなるかは、あまりにも明らかで
あろう。

宝珠愚者氏の来世は、既に決定w。
85神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:26:04 ID:3VOLWstO
>>81
> アーリア人のインド支配は紀元前13世紀ごろからの話。
> バラモン教の体系が出来たのは紀元前5世紀頃で新しい。

そうですね。ですから

>カーストの最上位に位置した王が支配した宗教をバラモン教といいます。

この書込みは間違ってるよね?
86業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 16:26:50 ID:5mUNcfcc
>>70
お馬鹿なキレイゴトはいい加減にしてもらいたい。
>徳は積めば積むほど高くなり、それは次の転生時まで持ち越すことができる。

なんの実証性もない妄想にすぎない。
善悪、徳・不徳などという時代によって変化する抽象的二項対立相対概念で
何万年あとのことやらわからぬ来世とやらが決定されるのは論理矛盾です。
誰が現世と来世の善悪、徳不徳を決定するんですか?

たとえば、吉良邸に住居侵入して殺人を実行し殿に殉じて切腹自殺した
赤穂浪士たちは来世ではどういう業報をうけるのか、
業報輪廻転生論者は『仏教的に』説明してくらはい。
87神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:30:27 ID:9tFmkMyc
>>48に対して、
釈迦が生きていた頃の宗教 バラモン教についてのレス >>53があった。
そこでバラモン教について説明 >>58 した。
そしたら、バラモン教では支配者や王が神を名乗ることはないとレスがついた。
そうとは限らないのではと、>>61 >>66 >>72 >>81 で説明した。
体系だった物が無い時代には、支配者が神を名乗ったのではという事。
ピラミッドのミイラなんかもそうなはず。
88業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 16:32:55 ID:5mUNcfcc
>>80>>82
インド各都市の貧民窟の膨大な人々にお前の言葉を投げつけて来い!

実際に行って体験して来い。俺は体験してきたうえで発言している。

89神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:38:26 ID:s/f6VkTG
>>86
アンタ大丈夫かね?
まるでアンタがカースト制度のど真ん中いるようだぞw

カーストと業とどういう関係があるのかね?
あれは、社会制度の問題じゃないのか、それもバラモン教の思想に基づいたもの。
仏陀は四苦八苦の解放を説いているのだが、クソも味噌も一緒にして
勝手に舞い上がっていたんではどうしょうもあるまい。
90業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 16:50:00 ID:5mUNcfcc
>>80
>業によって新たな次生が確定する。
>アタマの良し悪し、貧富の差異、人種の白黒

『人種の白黒』まで持ち出すとはお前の心の奥底にあるその残虐な差別思想は悪そのものだな。

このように業報輪廻転生論を支えているのは残虐な俗物差別思想そのものであって、
業報輪廻転生論が俗物害悪思想であることは一段と明白になった。
91神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:51:32 ID:9tFmkMyc
>>86
>>70はバラモン教の支配 (業、輪廻) と同じ仕組みで、人を働かせる現代の事例として載せたんだ。
92業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 16:56:23 ID:5mUNcfcc
>>89
アンタ大丈夫かね?
>カーストと業とどういう関係があるのかね?
業報輪廻転生論によってカースト制度という支配制度を合理化している。
>仏陀は四苦八苦の解放を説いているのだが
そのためには輪廻転生論は無用害悪、四諦八正道、三法印で成立する。
93神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 16:57:58 ID:s/f6VkTG
>>90
そうやって先入観の塊みたいに、全てをマイナス思考で捉えてしまうということが
誤認識のもとなんだろううな。
アンタのその思考の在り方じゃ物事の本質は見えんよ。
暫く離れた方がよかろう。
94業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 17:04:03 ID:5mUNcfcc
>>89
>まるでアンタがカースト制度のど真ん中いるようだぞw

もしそうなら、インドで社会革命運動を起こし、一生を捧げるだろう。
残念ながら、現状では不可能だ。
やはり彼らにとっては異邦人なのだ。
95神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 17:21:28 ID:9tFmkMyc
タイにニューハーフが多いのは仏教、輪廻のせいでは。
タイでは男子はすべて出家するのが社会的に望ましいとされていて、
出家費用は一般家庭の年収以上。
一度は出家しないと社会的な地位が得られないらしい。
男子が何人もいる家庭や、貧乏な家庭は大変。
そこで全員ニューハーフ、次男はニューハーフにしようという発想が出てくるのでは。
96初心:2009/02/26(木) 17:22:29 ID:jYlWiXF4
brown さんの考え方でわからない点をもう少し具体的にします。
 
空の境地を数字のゼロにたとえていましたよね。
そうしたら、その後の実践において、
輝かしい正義で立ち向かうのか、ヘドロのような不正義で向かうのか、
五分五分ではないですか?
そしていずれは、以前の、世間的な常識に舞いもどるのではないですか?
97神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 17:28:45 ID:sRGuMdI5
>>95
輪廻は関係ないでしょう。
確かに歪んだ形式的な仏教需要の反動かもしれません。

>>70
>タイでは、「タンブンの金額」 が非常に重要視されている。
>しかも喜捨することによって浄化されるので、金の出所は問われない。
>さらに最近では子供を出家させるにも莫大な金が必要になっている。

ここらへんも形式的で歪んだ形ですね。
テーラワーダなら、やっぱビルマでしょう。
しかしながらパユットー『仏教』はよい本です。
98初心:2009/02/26(木) 17:38:23 ID:jYlWiXF4
brown さんには空を体験しているような印象を受けました。
空を体験していれば、たぶん、世間の善悪から距離を保ち、
冷静でいられるのではないかと思います。
 
しかし空は、絶対的な基準ではないと思うのです。
それは常識を再検討する程度かもしれないし、
場合によっては空を理由に、
やりたい放題いいたい放題になる可能性も考えられます。
99神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 17:44:01 ID:3VOLWstO
>>87
> 体系だった物が無い時代には、支配者が神を名乗ったのではという事。

あなたが書いていたのはバラモン教の話だったはずです。
それがいつの間にか体系だった物が無い時代の話にすりかわっている。
こういうのはちょっとどうかと思います。

体系だった物が無い時代の話に関する憶測なら、最初からそう書けばいいんです。
でも、あなたが実際に書いたのは「バラモン教」についてです。

>インドの思想の元を作ったのはアーリア人でした。
>彼らは先住民族を征服しインド社会にカースト制度をつくりました。

ここまでは体系だった物が無い時代の話かもしれません。

>カーストの最上位に位置した王が支配した宗教をバラモン教といいます。
>バラモン教国であった王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一しました。
>王は神が転身して地上に姿を現したと宣言することで権力の絶対性を高めたのでした。

問題になっているのはここです。この箇所は、バラモン教についての記述以外の何物でもないし、
それ故にこの記述は誤りだといっているのです。
100神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 17:48:32 ID:9tFmkMyc
じゃあこれで。

カーストの最上位に位置した王が支配に用いた思想がバラモン教の始まりでした。
101神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 17:54:05 ID:3VOLWstO
>>100
すいませんがそれは違うと思います。
ご自分が引用したサイトの記述をよく読んでみることをお勧めします。

カースト最上位には王はいません。
司祭階級のバラモンが王より上にいたのです。

司祭階級のバラモンが祭祀によって王を任命し、支配させた。
その支配に用いた思想がバラモン教の始まりでした。が正解です。
102初心:2009/02/26(木) 17:57:12 ID:jYlWiXF4
中論は判読困難です。しかし中村先生の解説を頼りに、
アバウトに言えば、中論は言葉の世界を語っているのだと思いました。
<最初から最後まで言葉の世界です>
ここが中論に迫るポイントではないでしょうか?
103神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 17:57:19 ID:9tFmkMyc
>>66をよめ。 支配階級とブラフミンが同一であるという記述がある。
あと古代国家の現人神も >>61
104神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 17:59:20 ID:lOk6TQQ2
>このように思い込まされて、ロクな教育も受けずに育った人間をみたかったら、
>インドの各都市の貧民窟へ行けばいい。
>不衛生な環境の明日をも知れぬ空ろな目つきの虚脱人間たちを見るだろう。
まずインド人を馬鹿にするな、完全にスラムの人間を下に見ているだろ。
差別主義者め。
そもそもスラムの住人をヒンドゥーだと決めつけているが、一体どこのスラムだ?

>インド各都市の貧民窟の膨大な人々にお前の言葉を投げつけて来い!
>実際に行って体験して来い。俺は体験してきたうえで発言している。
で、インドのどこに行ったんだ?
どうせ大昔に北インドの数カ所観光で見ただけだろ?現在のインドの発展を見てから言え。
インドのスラム発生の原因をヒンドゥーの輪廻思想だとする社会学者は一人もいない。
さらに、12Cに仏教がインドからほぼ消滅したという歴史的事実より現代のスラムの
問題を仏教の輪廻思想のせいにされてもな・・・w

105神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:01:09 ID:3VOLWstO
>>103
あなたの指定した>>66のサイトに
「四種姓とはすなわち宗教・学問を司るバラモン種を最上とし、クシャトリアの王侯武人の階級がこれにつぎ、」と
はっきり書いてあるじゃないですか。

何度でも書きますが、バラモン教において王侯はカーストの最上位にはいません。
あなたの記述は完全に間違いです。
106神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:07:07 ID:9tFmkMyc
ちゃんとよめよ その話は紀元前5世紀頃の話だろ。


この時代は***ヴェーダ成立の時期である。
現在もなおインド社会の桎梏をなすカースト制度
すなわち四種姓の区別も、この時代に決定的になったのである。
107初心:2009/02/26(木) 18:08:57 ID:jYlWiXF4
中論は、のっけから変化を否定しています。
不去・不来・・・? 去ることもないし、来ることもない。
だから時間の流れに見られる、原因も結果もない。
そして時間もない。
 
だれがこんな話に同意しますか? 詭弁ではないですか?
ところが言葉の世界では成立するのですね。
ここが中論の味噌です。
108神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:09:50 ID:lOk6TQQ2
>103
横スレだが、ネットで検索でなく大学の図書館にでも行って
インド史関連の書籍を読まれることをお薦めする。
古代の年代記が存在しないインドの歴史はそう単純ではない。
ほとんどがヴェーダやギーターなどの神話より類推されたものでしかない。
それを裏付ける紀元前の碑文も考古学的遺物も現在の所ほとんど未発掘だ。
109神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:17:24 ID:9tFmkMyc
そもそも正確な歴史を探る為ではない。
釈迦がその時代の宗教に反発し、仏教を立ち上げたという所が大事。
多少、内容に違いがあっても良いんだよ。
ポイントは宗教 (輪廻思想を含まないといけないが) によって人々を支配していたという所。
110神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:17:58 ID:3VOLWstO
>>106

何がいいたいんです? あなたのこの記述が正しいとでも?

> >カーストの最上位に位置した王が支配した宗教をバラモン教といいます。
> >バラモン教国であった王は、自らを神の化身と称し、絶対権力を持って国家を統一しました。
> >王は神が転身して地上に姿を現したと宣言することで権力の絶対性を高めたのでした。

間違いだらけなんですけど。
111机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/26(木) 18:24:38 ID:wSbuierh
>>107
>不去・不来・・・? 去ることもないし、来ることもない。

中論は非常に論理的です。

「去る」というのは、なにかを起点とする概念でありますが、
去るというなら起点(原点)も同時に去ることになる。
ならば「去る」という意の消失です。

起点は去りつつあるから、もはや起点ではない。
これが現時の意の消失。

去りつつある、ということは、来つつある。ということですから、
去と来が同時にあるのが現時であって、
またそれは、同時にあるから現時は「ない」ことになる。
(現時の否定)

三時は否定されますが、
正法眼蔵においては三時業は肯定されてます。
(これはレトリックなのでありますが)
この説明は省略させて頂きます。

112神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:25:58 ID:3VOLWstO
>>109
> 多少、内容に違いがあっても良いんだよ。

多少ならいいでしょうが、ちょっと度を越してるように思いますね。
しかも過ちを素直に認めないのがいけない。
追求されたら、バラモン教以前の話にすりかえようとしたり、やることがいちいち姑息。
それでも追い詰められたら、開き直って「内容に違いがあっても良いんだよ」とは何です。
それなら最初から、過ちを認めてそう言えばいいんです。
あなた最低です。
113初心:2009/02/26(木) 18:27:42 ID:jYlWiXF4
竜樹が言葉の世界を語っていた、とすれば、
言葉の論理を明らかにすれば、竜樹の考えが明らかになるわけです。
 
言葉・・・そこに論理があるとすれば、
因果関係(時間)と相関関係空間)でしょう?
114神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:31:54 ID:9tFmkMyc
書き直したよ。


インドの思想の元を作ったのはアーリア人でした。
彼らは先住民族を征服し、インド社会にカースト制度の原型を作りました。
そこで用いられた思想がバラモン教のはじまりです。
アーリア人の支配者層は、自らを神の転身と宣言することで、権力の絶対性を高め国家をまとめました。
現世の不幸は前世での業の結果であり改善は出来ず、
苦しい生活と苦難の道を乗り切れば来世では安穏とした生活が出来ると教え込んだのです。
これにより下から上への反乱は許されず、生まれついての身分は決まり、大衆を屈従させることが出来たのです。
115机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/26(木) 18:34:39 ID:wSbuierh
>>113
>言葉の論理を明らかにすれば、竜樹の考えが明らかになるわけです。

そういうことです。
よくぞお気づきになりました。
言葉とは、あらゆる秘密のあっこちゃんです。

#、では、また、暇なときにでも書き込みいたします。

116初心:2009/02/26(木) 18:39:08 ID:jYlWiXF4
>113の訂正
○ 因果関係(時間)と相関関係(空間)
 
全27章の中論では、1章から25章が大乗の論理であり、
26、27章が小乗の批判であるらしいです。
 
大乗は、相関関係・・・空間
小乗は、因果関係・・・時間
117業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 18:59:32 ID:5mUNcfcc
>>104
ここで俺がどのように行動してきたかどう書こうが、
真実に対してそんな反発心をもっているなら信用しようともしないだろう。
徒労に終わるので書かない。

だから以下の本を紹介しておく。
「不可触民」山際素男 三一書房
「インド仏教の再生」堀沢租門 郁朋社
「アンベードカルの生涯」山際素男 光文社新書
「ブッダとそのダンマ」アンベードカル 山際素男訳 光文社新書
*とくに佐々井秀嶺師の『再刊に寄せて』
118宝珠愚者:2009/02/26(木) 19:00:50 ID:qoURY+Ia
>>84
>宝珠愚者氏の来世は、既に決定w。

もう、いい加減にすべきです。
一体、どこの誰が人間の差別(平等の否定)や「カースト制度の維持」を主張しました?

人間の個人による生まれの違いがあることは厳然たる事実です。
仏教というのはその現実を直視して、その原因について説くものです。
それを前世からの業による差異として説明するのですよ。

残念ながら・・
まず、あなたには全くといっていいほど
---仏典に対しても人様の投稿文についても---読解力というものがない!!
あなたのいってることは、男女の明確な性差(現実の事実)を無視し、
単に平等対等の権利を謳うだけの一昔前のウーマンリブ運動をしている女性陣らの姿と酷似している。
人間の生まれの違いを冷静に見つめることが仏教なのです。
あなたのような感情論(前世の業理論は差別だぁ〜自業自得の教えは可哀想だぁ〜)など無意味です。

*あなたが輪廻(転生)を否定するのは全く自由です。
しかし、それを仏教として主張するのであれば、どうぞ経典から根拠を提示して下さい。
経典に根拠が確認できない主張というものは、ただの個人思想にしか過ぎません。

「輪廻はバラモンの説く外道思想である。
その迷信から離れることが無明からの離脱である」という、
その主旨を明確に記述した経文とらやを、このスレ上にどうぞ提示して下さい!
あなたがどんなに足掻こうとも、それ以外には無意味(無価値)です。

四聖諦/八正道、三法印、十二縁起〜は、
輪廻の否定にはなりません。
119神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 19:02:44 ID:JnXfv2VL
>一昔前のウーマンリブ運動をしている女性陣らの姿と酷似している。

ワロタw
120初心:2009/02/26(木) 19:03:23 ID:jYlWiXF4
brown さんが言っていた目がまわるという意味は、
相関関係(空間)の中に、因果関係(時間)を見ようとすることから生じます。
121初代スレ7:2009/02/26(木) 19:16:52 ID:QW4kAOMN
>>118
> 人間の個人による生まれの違いがあることは厳然たる事実です。
> 仏教というのはその現実を直視して、その原因について説くものです。
> それを前世からの業による差異として説明するのですよ。

もし、お釈迦さんが、今の世に生きていたら、
ベトちゃんドクちゃんの事例に対し、「前世の業による」、などとは言わなかっただろう。
きっと、はっきりと、「米軍の撒いた枯葉剤による」、と言うだろう。

私は、そう【信じている】。
122神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 19:27:44 ID:JnXfv2VL
>>121

解ってるくせに往生際がわるいねw

お釈迦さんなら、困難な現実に負けずに強く生きている彼らの精神の力強さ素晴らしさは、前世の功徳の賜物だと褒め称えるだろう。
123神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 19:38:01 ID:9tFmkMyc
カルマと輪廻は、紀元前10世紀頃からあるという記述見つけた。

ヒンドゥー教 - Wikipedia
業はインドにおいて、古い時代から重要視された。ヴェーダ時代からウパニシャッド時代にかけて輪廻思想と結びついて展開し、紀元前10世紀から4世紀位までの間にしだいに固定化してきた。
124初代スレ7:2009/02/26(木) 19:38:11 ID:QW4kAOMN
>>122
だから、≪因果の拾い上げ方は、(誰がそれをしても)恣意的だ≫と言うんですよw
125業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/26(木) 19:44:21 ID:5mUNcfcc
輪廻転生論は動機において『我執』による損得『取引』であり我執の刺激・増大を機能させるものであって、
輪廻転生論を信じている以上『苦』からの解脱は原理的にに不可能だ。
実を言うとこれが輪廻転生論のアーリア=バラモン=ヒンドゥによる秘められた甘い釣り罠だ。
我執におもねる低級な奴隷教化政策であって、
根本において我執を排すべしとされるブッダの教えと矛盾することはいうまでもない。

もし業報輪廻論が仏教の根本なら、四諦、三法印、十二縁起など
仏教を仏教たらしめるメルクマールの先頭にに掲げられてるのが当然だ。

結局、業報輪廻論はブッダ没後のヒンドゥ汚染徒などによる歪曲付加概念にすぎない。

我執を増大させる反仏教概念だ。

よって、
『いま、われ、甘露の門をひらく。
 耳あるものは聞け、ふるき信を去れ!』(梵天勧請 相応部経典 6、1)

ふるき信とは(輪廻転生論×梵我一如論)=バラモンや俗信類を指すことは当然だ。
ブッダはアンチ・バラモンの自由思想家の一人だったのだから。
126神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 19:47:57 ID:2jD7bvdL
>>124

棒切れ一本もたせても、凡夫と御釈迦さんなら使い方は違うわいな。
輪廻説そのものに善悪は無いと言っているのよ。
それを、いつまでもこねくり回しているから、つい苛めたくなるw
127初代スレ7:2009/02/26(木) 19:54:14 ID:QW4kAOMN
>>126
けど、このスレに出会ったことで、
今まで無視していた「“輪廻や転生”と絡んだ業報」について考えるようになったんで、
感謝はしているよ。
128神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 20:01:04 ID:2jD7bvdL
>>127
わしなんか、めし食うときに食材がピチピチ生きてた時のこと思い出して、後ろめたいやら、感謝するやら・・・。
おまけにソレ等の前世が・・・・・。

そういうふうに考えることは、悪いことなのかな?
129初代スレ7:2009/02/26(木) 20:05:03 ID:QW4kAOMN
>>128
それを受けとめることが大切なんじゃないでしょうか?

聖者は、霞を食べて生きられるようですが(?w)、
それを目指すなら目指したらいい。 貴方に、その気概と覚悟があるならば・・。

けど、もし、もし、不可能なら、
受け止めて、次の善きことへ繋げてゆく姿勢こそが重要なんじゃないでしょうか・・・。
130神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 20:14:58 ID:sRGuMdI5
>>117
しょうもないもん、ばっかだな〜
131宝珠愚者:2009/02/26(木) 20:29:14 ID:qoURY+Ia
>>121
>きっと、はっきりと、「米軍の撒いた枯葉剤による」、と言うだろう。

それはベトドクちゃんが何故、その両親の元に生まれたのかの説明とはならない。
縁起を説くのが仏教ならば“偶然”などという説明は愚論。
およそ仏教者の説明とはいえない。

A夫妻ではなく、何故、B夫妻の元に生まれたのか?
因果無き事象を仏教は認めない!


まっ、信じるのは自由です。
個人思想です。
132神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 20:34:00 ID:sRGuMdI5
>>118
宝珠さん、「それは我(アートマン)ではない」という文についてパユットー『仏教』70頁以下は、こう述べています。

ヒンドゥーや西洋の多くの学者は、このことについて次のような理由をあげて説明しようとしている。
「ブッダは、我、あるいは最高のアートマンを否定されていない。
ただ、様々な現象である法だけを否定されているのだ。
例えば、この経などにあるように、五蘊のすべては我ではないと否定されたが、
これは、五蘊に我あると間違って思い込まないようにという説明に過ぎない。
というのも、存在する真の我は五蘊ではないからだ」
彼らは、そのほかの多くの仏語を取り上げて、
ブッダは様々な現象である法だけが我ではないと否定されたが、
最高の段階のアートマンを認められているということを示すために、
涅槃がアートマンと同一の状態である、
あついは涅槃こそ我である、と説明しようと努力している。
       (中略)
凡夫、特にアートマンに関する信仰体系を学び修習してきた者は、
何らかの色の中に自我があるという偏った考え方に固執し、あるいは求めて、
知らず知らずのうちに心の奥深くある望みに応えようとする。
ある色(五蘊の段階で)の中には自我があるという気持ちを失わなければ[なら]ないとき、
新しいものを考えるか、または固執しようとする。
しかし、仏法の原理に従えば、一つのものに固執するために一つのものを解き放つこと、
もしくはもう一度奴隷に陥るために一度の自由から逃げることはない。
今一度考えてもらうために、簡単に言っておこう。

自我のあるものは存在しえない。存在しうるものに自我はありえない。
133初代スレ7:2009/02/26(木) 20:46:31 ID:QW4kAOMN
>>131
>A夫妻ではなく、何故、B夫妻の元に生まれたのか?

それは、「仏教ではなく、哲学の範疇」だと思いますよw
それは、《「同一性」の問題》と《意識が(思考が)、なぜ、「自己」としてしか現れないのか》
という問題です。

参考コピペしときましょう。
134初代スレ7:2009/02/26(木) 20:47:34 ID:QW4kAOMN
526 1/3 sage 2008/08/27(水) 14:27:35 0
【私】を記述してください。【私の存在性】 3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1181580411/
196 考える名無しさん 2007/06/23(土) 09:44:54 0 (素人)
>> 195
863 考える名無しさん 2007/06/19(火) 10:37:34 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1180813863/
59 考える名無しさん sage New! 2007/06/18(月) 17:41:07 0
自分として実感・認識・自覚されるなら、それは「自分としてしか」ありえない。
他人であった場合などありえない。それは、(そこに於ける自己認識は)常に「自分」でしかない。
「なぜ自分は自分として・・・」など、問い自体がナンセンス。
それが、「これこれこういう肉体的特徴、環境・境遇に生まれたのはなぜか?」ならば、
問う意味も生じよう。
しかし、意識としての「自分」であるなら、自分以外を実感し、自覚することはない。
思惟自体は、常に「自分でしかない」。
思惟が他人であることはない。自己フィードバック的に実感・自覚・思惟された時点で、それは「自分」となる。

204 196 2007/06/23(土) 11:49:02 0
>> 195
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない92◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1177677748/
933 考える名無しさん sage 2007/05/11(金) 17:34:21 0 (名無し)
他人である事を経験した事のない私が他人の知にとやかく言うのは何故でしょうね
939 903 sage 2007/05/11(金) 18:10:51 0 (素人)
他人であることを経験するのはありえないでしょ。
「他人であることを経験している時」、それは(その時は)もはや「『他人』ではない」。
経験は、「私」のみにされる(知覚される)ものだろ?違う?
経験できてしまった時点で、すでに「その経験は『他人であること』ではなくなってしまう」。
135初代スレ7:2009/02/26(木) 20:48:23 ID:QW4kAOMN
527 2/3 sage 2008/08/27(水) 14:30:04 0
【私】を記述してください【私の存在性】17
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214006280/
448 考える名無しさん sage 2008/06/25(水) 10:43:49 0 (素人)
そろそろ、
≪なぜ、思考は「私の思考」(当人の思考)としてしか現われないのか≫
その理由を考察してもいい頃じゃないでしょうか。
そしてそれは、特に最高位氏に義務付けられてきます。
なんとなれば、そここそが、最高位氏の最大にして最初の、そして最終の砦となっているからです。
(「俺はここにいる。今まさにこのように思考している(≒実感されている)」感が、全ての根拠となっているのですから)

ここに於いて戯れに試みてみるならば、一つの解は
≪「思考」が、(唯物的に言えば「顕われている精神活動」が)、『私』である≫
と、セットにしてしまうことです。
≪「思考」が『私』であるならば、【「思考」が、『私』として現われている】ということは、
  他の可能性の入る余地のない、それしかありえない、自明すぎるほど自明な、論理以前の必然となる≫
のではないでしょうか。
≪「『私』として現われている思考」が「私の思考」となることもまた、それ以外に可能性を含まない自明なこと≫
にならないでしょうか。

そして、ここから先の「なぜ?」は、(なぜ、「思考」を『私』と見做せるのか?は)、
それを問うならば、神学的問いに等しい迷宮に入らざるを得ないのかもしれません。
宇宙の始原を問うことと同種のものになるのかもしれません。
(「ブラックボックスとして捨象する」という卑怯な態度かもしれませんが・・・w)
或いは、≪「思考」を『私』と見做せるのは、そのように実感されるから≫ という逃げを打つ手もありますwww

455 考える名無しさん 2008/06/25(水) 11:08:04 0 (ネコ)
>> 448
『私』と“思考”を切断するのが最高位です。
あくまでも『私』の“思考”であり、『私』の“心”なのです。
それらを=で結ぶことに終始、彼は反対してきました。
136神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 20:50:20 ID:9tFmkMyc
こんな人物がいた。

佐々井 秀嶺
師 アンベードカル
インド名 アーリア・ナーガルジュン

インドの仏教徒が最も尊敬する僧侶。
カースト以下の身分の不可触民の解放と仏教伝道を行うインド新仏教運動の中心人物。
インド政府が代表を任命するマイノリティ・コミッションの仏教代表に選ばれインド仏教で名実ともにその象徴として活躍している。
137神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 20:51:56 ID:sRGuMdI5
>>136
それは仏教ではなく仏教に仮託した社会運動です。
138神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 20:56:06 ID:m0/uxCkf
法華の行者は政治活動や民衆扇動と宗教を履き違えているふしがあるな。
139神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 20:59:26 ID:sRGuMdI5
>>138
法華というと、天台も入っちゃうので
ハッキリと日蓮と言った方がいいと思います。
日蓮も仏教に仮託した国粋主義宗教なので、政治的です。
日蓮の本質は、仏教より中世神道と比較した方が分かりやすいです。
140神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 21:11:37 ID:8JYmytXP
brownさんは空しってるの!!
やったー、うれしい、やっと分かるような仲間にあえた

質問でーす。
包丁を手に持って、自分の腹を切り裂こうと思っても、できません。
全て空ですか?

141神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 21:14:57 ID:9tFmkMyc
怪しさが株式アドバイザーの北浜流一郎と似てるな。
142初代スレ7:2009/02/26(木) 21:15:08 ID:QW4kAOMN
528 3/3 sage 2008/08/27(水) 14:30:57 0
【私】を記述してください【私の存在性】17
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214006280/
461 考える名無しさん sage 2008/06/25(水) 11:22:46 0 (感嘆子)

   〜 前段略 〜

>> 448
>≪なぜ、思考は「私の思考」(当人の思考)としてしか現われないのか≫

それは逆であって、それが「私」の定義なのです。
ちなみに、純粋に思考だけがあるのなら、それは人間ではなく、「ここにある」
とも言えません。従って「これでない他の思考」が存在する余地もありません。
思考が五感による経験を通じ「思考の外の世界」を認めることによって、
初めて自分が「他ではない私の思考」なのだという発想も「私ではない、
私には直接現れない思考=他の私」という発想も、可能になると思われます。

508 考える名無しさん sage 2008/06/25(水) 16:32:57 0 (感嘆子)

   〜 前段略 〜

「私」の本質、「私性」は、主観的意識であること・思考することですから、
それでなくなる、ということは「私性をなくして私でないものに変化した何か」
が存在したとしても、それを認識することができません。ですから
あたかも「私には私以外のものである可能性がない」かのような観を
呈するわけです。

   〜 後段略 〜
143神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 21:15:29 ID:3VOLWstO
>>140
包丁で腹が切れないというのがよく分らないんですが、どういう状況ですか?
144神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 21:25:16 ID:fsXsgfaN
「悪しき業論」を超えて教育者(国立大学教授)も動き出してます。

スピリチュアリティ教育のすすめ (単行本)飯田 史彦 吉田 武男 (著)

飯田 史彦
1962年、広島県生まれ。経営心理学者、いのち作家、音楽療法家。
本書初版時の肩書は福島大学経済経営学類教授(人事管理論・経営戦略論を専攻)であるが、
2009年3月で教授職を辞し、長年の夢であった、「誰のいかなる悩みに対しても、完全なる守秘責任のもと、
飯田自身が2時間以上をかけて無償でカウンセリング&スピリチュアル・ケアを行う」という、画期的な研究所を設立する。
長年にわたり、各地の医療・福祉・教育機関からの依頼に応じ、ボランティア&チャリティ活動として、
「人生の意味や価値」に関する講演を行ってきた。医師の学会や研究会、各地の看護協会での講演も多数にのぼり、
その講演会は、医師会の正式な単位認定講座にも指定された。ひとりの研究者として、あらゆる思想・宗教団体からの中立を守っている

吉田 武男
1954年、奈良県生まれ。筑波大学大学院人間総合科学研究科教授。博士(教育学)。専門は、道徳教育学。
大学院博士課程では道徳教育学関係科目を、大学では教育学類の専門科目および全学類向けの教職科目(道徳教育、特別活動)を担当している。
長年にわたって、シュタイナー教育についてマイペースで研究している。
最近は、現実の教育問題をすべて個人の心の問題に還元して解決を図ろうとする心理主義の風潮、別な言い方をすれば、
シュタイナー教育でいうところの「精神」ないしは「霊」(ドイツ語のGeist、英語のspirit)に当たる人間の本質的な部分を探究することなく、
表象的な心の諸相やその研究にただ振り回されている教育界の風潮に対して、警鐘を鳴らし続けている。
145初代スレ7:2009/02/26(木) 21:33:00 ID:QW4kAOMN
ほう・・・w

>>131
>まっ、信じるのは自由です。
>個人思想です。


その言葉、そっくりそのままお返ししておきますw
146宝珠愚者:2009/02/26(木) 21:59:44 ID:qoURY+Ia
>>125
>よって、
>『いま、われ、甘露の門をひらく。
> 耳あるものは聞け、ふるき信を去れ!』(梵天勧請 相応部経典 6、1)

都合のいい部分だけ抜き出そうとするのはどうでしょうか?
その経ならば、手元にあるので確認します。 

 まずその「甘露」とは、仏教が目指す境地であるところの“不死”を意味するのですよ。厳密には肉体の
ことではなく、これは意識の永続性を示すものです。それは、死んで終わりとなるような意識ではない。た
だ二度と再生しないことでもあるので、そういう意味ではもう二度と肉体上の「死」の経験もないことにもな
る。
 また、この経の中でその他どんなことが出てくるかというと・・「わたしが証り得たこの法は、はなはだ深く
して、見がたく、悟りがたい。静寂微妙にして思惟の領域をこえ、すぐれたる智者のみのよく覚知しうるとこ
ろである。」といっている。この「思惟の領域をこえ」た事柄とは、あなたのいうような見れば分るような話の
唯物的世界観のことではない。それを超えたものを説いているのです。

 「世尊が仏眼をもって世間を眺めると、そこには、人々の眼の曇りおおきものもあり、曇りすくなきもので
あった。利根のものもあり、鈍根のものもあった。善き相のものもあり、悪しき相のものもあった。あるいは、
教えやすいものもあり、教えがたいものもあった。またその中には、来世の罪のおそろしさを知って生きて
いる人々もあった。--略--またその中には、来世の罪のおさろしさに戦いて生きている人々もあった。
 そのような世間のありようを見おわって、世尊は、偈をもって娑婆世界の主たる梵天に答えていった。」と
いうことで、『いま、われ、甘露の門をひらく。耳あるものは聞け、ふるき信を去れ!』と述べたわけです。

 その捨てるべき「古き信」とは、ヴェーダ以来の祭祀や教条(ドグマ)に対する信仰を示しています。もちろ
ん、アートマンの絶対性に対する否定意をもこれには含みます。ただし、それは輪廻の否定ではありませ
ん。またヴェーダ以来のバラモン思想(教)の全てということでもないので、その辺りは誤解しないようにしま
しょう。ヴェーダの偉大さを讃える内容を示しているスッタニパータを見れば、そのことは瞭然です。
147神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 22:03:06 ID:sRGuMdI5
>>146
宝珠さん、その方を相手にしても無駄だと思います。
148神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 22:12:30 ID:8JYmytXP
相手にしても無駄というのはかわいそうなので、
読む程度ならいいと思います。
149宝珠愚者:2009/02/26(木) 22:34:57 ID:qoURY+Ia
>>147
はぃ、大きく了解ですw

ま〜あなたと議論しても、この私には最初から勝ち目は無い(笑)
私は神智学徒(個人の)であり、
私の支持する見解は必ずしも仏典の記述に根拠は見出されないからです。
まっ、とはいえ・・私は仏典に基いたご指摘ならば、それは大いに受けたいものと思っています。
こちらも勉強となるので遠慮せずに、ご教授のほど宜しく願いします。ペコリッ


>>132
その指摘内容はもちろん、意味は理解します。
そうでしょうね--アートマン肯定論と仏教を結びつける派はそういう論拠でしょう。

この私はやや異なります。
ゴータマの思想(記述にならなかった部分も含め)の理解、
及び個人的に信奉する神智学的な内容としては。

まず、簡潔にあなたの回答からもらえますか?(怒らないのでwww)
つまり、私が推奨するヒンドゥー世界のアヴァターラ存在方の境地は、
仏教が説くニルヴァーナではないと・・といっていますよね!
それが正しいとします。

その場合、あなたの見解(もしくは仏典の内容)では、
この境地はニルヴァーナにごく近しいものであり、
従って、ニルヴァーナ入りはもう時間の問題であって間もなくだといえますか?
それとも逆に、これはニルヴァーナであると誤解して、その境地に満足している状態を示しており、
そのことが我執となって、この近しい境地のままでニルヴァーナに到れず終いで時を過ごし、
従って、結果的にはニルヴァーナ入りを遅らせることを意味しますか?
150神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 22:43:29 ID:sRGuMdI5
>>149

お答えとして『梵網経』を再び引用します。
『梵網経』はブッダに対して賞賛と誹謗があることにビクが騒いだの因んで釈尊が説かれた教えです。

釈尊は賞賛に対して次のように仰られます。

> ビクたちよ、凡夫が如来を賞賛して語るとき、どのようなわずかなことのみを、
> 卑近なことのみを、戒のみを語るであろうか(浪花宣明 訳以下同じ)

この後、小中大の戒が説かれます。要するに凡夫でも見て分かることだけを賞賛するとしています。
そして、次に釈尊はこのように仰られます。

> ビクたちよ、このほかに、如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、
> 見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
> 微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある。それら〔を賞賛すること〕によって、
> 如来をあるがままに賞賛し、正しく語ることになるであろう。
151神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 22:44:02 ID:sRGuMdI5
この後、以下の六十二邪見が説かれます。
1.過去に関する説
 1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
 2.四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
 3.四有限無限論(世界が有限無限であるという三つの禅定体験と一つの推論)
 4.四詭弁論
 5.二無因生論(我と世界が原因なく発生するという禅定体験と推論)
2.未来に関する説
 1.死後の有我説
   1.十六有想論
   2.八無想論
   3.八非有想非無想論
 2.七断滅論(一つの無我断見と六つの有我断見)
 3.五現法ネハン論(一つの現世肯定論と四つの禅定体験)
これらを述べた直後と、最後に締めくくりとして釈尊は次のように仰られます。
152神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 22:49:30 ID:sRGuMdI5
> ビクたちよ、これについて如来は次のように知る。『このように執着され固執された
> 見解は、このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう』と。
> 如来はこれを知り、またこれよりも勝れたことを知る。ビクたちよ、
> しかしそれを知って如来は固執することなく、また固執がないから、
> 心の内に寂静があり、感受の〔生起する〕原因と消滅と過患と出離とを正しく知って、
> 執着を離れている。

「このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう」というのは、
以上の六十二見は、体験した結果の転生をもたらすという意味です。
「如来はこれを知り」ということは、釈尊が以上の禅定体験を全て経験しているという意味です。
つまり、ニルバーナには導かないものだと断言されています。
さらに釈尊は次のように続けます。

> ビクたちよ、これらのうちで、かれらシャモン・バラモンたちは、
> 過去の限界について考察し、未来の限界について考察し、
> 過去の限界と未来の限界とについて考察し、過去の限界と未来の限界とについて見解をもち、
> 六十二の根拠により、過去の限界と未来の限界とに関して種々の浮説を主張するが、
> それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、
> 〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために
> おののき狂躁したものにすぎない。

と釈尊は、結論付けておられます。いかがですか?
153神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 23:20:25 ID:9tFmkMyc
釈迦は形而上の問いに判断を示さず沈黙を守りました。
不回答の理由を、これらは無益で法に適合せず涅槃に導かないからと説明されました。
形而上の事柄を理解していても真理として打ち立てる事はありませんでした。
無用な論争の弊害からのがれ、苦しみからの解放という目的を見失わない為です。
釈迦は自分の信じた道で悟りを得る事が重要であると説いたのです。

インドの思想の元を作ったのはアーリア人でした。
彼らは先住民族を征服してカースト制度の原型を作ったのです。
そこで用いられた思想がバラモン教のはじまりです。
アーリア人の支配者層は、自らを神の転身と宣言し権力の絶対性を高め国家をまとめました。
現世の不幸は前世での業の結果であり、改善は出来ず、
苦しい生活と苦難の道を乗り切れば来世では安穏とした生活が出来ると教え込みました。
これにより下から上への反乱は許されず、生まれついての身分は決まって、大衆を屈従させることが出来たのです。

バラモン教では輪廻を既成事実として説き、脅し文句のように
虐げられた人々をさらに苦境に落とすようなことを言ったのです。
輪廻説に立つ限り、苦の現実を前世の因果として受け入れるか、救いを死後に託すほか道はありません。
釈迦はその思想から脱却することを説かれました。
輪廻は業の鎖で生れが問われたのですが釈迦は行いを問うことによって
輪廻の意味を転換しその迷信性を失わせたのです。
苦の根本的な超克と、真の救済を目指した釈迦は現世この身一身における救いを体現したのです。
154宝珠愚者:2009/02/26(木) 23:48:42 ID:qoURY+Ia
>>150-152
ありがとうございます!

はい、そうですねぇ〜
確かに、この私があまり把握してない内容の経(教え)です。
意味的には概ねは分りますが・・
(ただ、151については今後、更に時間を掛けないと把握しきれません)

まず、私が理解するゴータマによるバラモンの「我」思想の否定意とは何かというと、
これは民衆信仰の間違いについての指摘であり、
今、自覚している意識そのものがアートマンであると見なしている世間の迷信についての否定なのです。
これが無常の教えによって説かれるわけですよ。「それはアートマンではない」(非我)のだと。
もう一つの意味としては、バラモン教が説くアートマンとて永久不滅ではなく、
それすらも縁起によって生じているということです。

ただし、誠に解脱を果たしたアヴァターラ方というのは、
言葉でアートマンと語ってはいても、実質は神智学の説くモナッドを示すものであることが
内容からも理解されるのです。


すみませんが---こちらも読んで下さい!>>23
155宝珠愚者:2009/02/27(金) 00:01:27 ID:qoURY+Ia
(間違えました^^)
>>23宛のレス投稿を読んで欲しいということです

>>23
>「霊」という言葉は、「幽霊(ghost)」を連想させるので、誤り。
>「霊魂」「霊」などという言葉は止めて、「精神」とすべき。

 確かに一般的には、日本では混同と誤解を生むでしょうね。

 では、分類の明確化を求めた神智学によって、これを示したい思います。
 我々が普段、自分自身で自覚している意識はパーソナリティーの低我(低級我)であり、心理学ではこ
れを表層意識と呼んでいます。これは肉体の死を以って崩壊します(ただし、情緒的に異常な状態にあ
る場合には一定期間存続する/これが心霊存在)。

 転生の媒体は「魂(Soul/Ego)」です。尚、これは永久不滅ではなく、魂はニルヴァーナに至る最終段階
にて真我である「モナッド(monad)」に吸収され、我々が一般に理解するところの個性(つまり、自己と自
己以外のものとして認識する意識)は消滅します。肉体を物質と呼ぶ場合の対極としての呼び方が「霊
(Spilit)」であり、魂はその中間に位置する繋ぎの媒体です。
 我々、人間の本性は真我(モナッド)であり、これは輪廻しない。モナッドが魂を反映して、この魂が物質
を経験するために転生しているのです。そして一定の必要経験を得ると転生を止むことになる。その獲得
した経験はモナッドに全て帰するのです。
 シャンカラやラマナマハリシが、真実は「輪廻はない」と説くときには、実はこのモナッドの視点から述べ
ているのです。しかし我々、凡夫の意識の焦点はパーソナリティーの低我に置かれているので、田中とし
てのパーソナリティー消滅後には鈴木として転生する。田中だったときの記録は魂に刻まれているが、鈴
木として転生したときには低我はその情報を引き出すことはできない。しかし、転生した魂(前世の鈴木で
あったときのデータも含む)の指令は無意識に受けている。最終段階で転生を終了した魂がモナッドに吸
収されるときに、全ての過去世を想起することになる。
 また転生時には、前世のパーソナリティーを構成していたアストラル/メンタル/コーザルの恒久原子の各
1個づつが次の転生者の新しいパーソナリティーを形成する際に侵入して情報を提供する。
156宝珠愚者:2009/02/27(金) 00:02:00 ID:qoURY+Ia
 神智学の摂る立場と姿勢というのは、「仏教」といった特定の宗教だけを絶対視するものではなく、全て
の世界の諸宗教はそれぞれ真理の部分であるという見方をします(レベルの違いもありますが・・)。つまり
それぞれが、その時代と地域と人々に適合した霊的な教えであり、必要なものであったと。
 従って、神智学徒はあらゆる宗教と聖者存在なら真理について学ぶのです。

 私たちの視点からは、仏教徒の摂るアートマン否定意は誤解が起こっているものとみています。
157業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:03:51 ID:5mUNcfcc
>>146
>ただし、それは輪廻の否定ではありませ
>ん。またヴェーダ以来のバラモン思想(教)の全て

ほんと、笑っちゃうw ここまで御都合主義なの?w
古き信=全ての既成概念(業報輪廻転生論を含む)を捨て去れ!ということであって『輪廻の否定ではありません』なんて何の根拠も示さない御都合主義丸出しじゃんw
ホント姑息な奴だ。
>「思惟の領域をこえ」た事柄とは
世俗諦的論理・概念(業報輪廻転生概念を含む)・言語・共同幻想的俗習などの世俗分別思考の領域=「思惟の領域」、を超えた無分別智=空=中道を意味するのは当然だ。
『つねによく気をつけ、自我に固執する見解(=アートマン的業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。』
                           (スッタニパータ1119)                     
ちなみに、空=中道とはおたくらの一元論・二元論を超えたメタ・コードであることはいうまでもない。
 ちょっと、お宅らには難しすぎる?

ちなみに、
『輪廻転生論は動機において『我執』による損得『取引』であり我執の刺激・増大を機能させるものであって、 輪廻転生論を信じている以上『苦』からの解脱は原理的にに不可能だ。
実を言うとこれが輪廻転生論のアーリア=バラモン=ヒンドゥによる秘められた甘い釣り罠だ。 我執におもねる低級な奴隷教化政策であって、 根本において我執を排すべしとされるブッダの教えと矛盾することはいうまでもない。』
これに対する反論をドゾーw

う〜ん、俺様シンデレラのスリーピングタイムだ。業報輪廻転生ウンコ200g出して
寝よ。また、あさって。明日は出張、では!

158神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 00:06:55 ID:pbTHZhDg
>>154
>ただし、誠に解脱を果たしたアヴァターラ方というのは、
>言葉でアートマンと語ってはいても、実質は神智学の説くモナッドを示すものであることが
>内容からも理解されるのです。

その内容が本当に真実かどうかは、ブッダ、あるいは解脱者のみ知りうることでしょう。
そして釈尊は、『梵網経』でブッダでないのにブッダと勘違いする
62の見解を示し、それがブッダの境地、ニルバーナでないことを明言されました。

>>23
ちなみに、アートマンについては学者の意見は一致してないのですが、
有力な説が原義は「気息」だったというものです。
宝珠さんの見解とは逆ですね。


ここは重要な点なので、ゆっくり考えてください。
もし、余裕があればパユットー『仏法』を読まれるとよいと思います。
テーラワーダ仏教の格好の入門書です。
ただし、訳がもう一つです。

それと石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』も読むといいですよ。
この二冊は、宝珠さんの仏教の門を開くものになると思います。
159宝珠愚者:2009/02/27(金) 00:10:00 ID:f09Mwnee
訂正
 ×神智学徒はあらゆる宗教と聖者存在なら真理について学ぶのです。
 ○神智学徒はあらゆる宗教と聖者存在から真理について学ぶのです。
160神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 00:12:16 ID:pbTHZhDg
>>155
これを読む限り、サーンキャのプラクリティか、ヴェーダーンタのブラフマンを
ライプニッツのモナドをもって言い換えたものでしょう。

四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
に相当します。
161業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:14:10 ID:7QHz1K8L
目の前に食べられないニンジン(楽チン来世)を出された馬は、よだれ(執着)を
死ぬまで出し続けるんだよ。原理的に解脱は不可能だ。
 これが業報輪廻転生論の反仏教的機能なんだよ。

おやすみ、反仏教主義者たち。
162神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 00:14:51 ID:+SmwhLxW
>>149
>私は神智学徒(個人の)であり、
>私の支持する見解は必ずしも仏典の記述に根拠は見出されないからです

ならば、専ら「原始仏典の言葉」だけに執着するのは、全く矛盾している。

キリスト教崩れの神智学を完全に廃棄してから、仏教スレに出直せ。道元さん
の禅でもやって、君の「カルト的執着」から脱却せよ。

今のままでは、原始仏教、小乗仏教、ヒンドゥー教、チベット仏教、キリスト
教が化合してできた「化け物」としてのオウムそのまま。

オウムか、君の祖国である小乗仏教の国へ帰れ、カルトはお断り。カルトの
来世は「蛆虫」に決まっている。
163業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:21:13 ID:7QHz1K8L
『つねによく気をつけ、自我に固執する見解(=アートマン的業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。』
                           (スッタニパータ1119)    
164業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:22:20 ID:7QHz1K8L
『つねによく気をつけ、自我に固執する見解(=アートマン的業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。』
                           (スッタニパータ1119)    
165業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:22:55 ID:7QHz1K8L
『つねによく気をつけ、自我に固執する見解(=アートマン的業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。』
                           (スッタニパータ1119)    
166業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:24:34 ID:7QHz1K8L
『つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。』
                           (スッタニパータ1119)    
167宝珠愚者:2009/02/27(金) 00:24:36 ID:f09Mwnee
>ただし、誠に解脱を果たしたアヴァターラ方というのは、
>言葉でアートマンと語ってはいても、実質は神智学の説くモナッドを示すものであることが
>内容からも理解されるのです。>>154
とは、以下に示すような内容のことです(また再掲載)。


 『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性に
立ち帰るわけですが、その明智とは何なのでしょうか」と尋ねた。
  師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言っ
て、正反対に理解している。また行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、
(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)存在しない》(と、正反対に考えている)。-----
これが無明なのです。」』(シャンカラ/ウパデーシャ・サーハスリー:U散文篇.第2章.49-50)

ラマナ・マハリシ
 「無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生などまったく存在しない。いまも、
いままでも、そしてこれからも。これが真理である。」
(あるがままに--ラーマナ・マハリシの教え/ナチュラルスピリット刊)

 「真我は永遠であり、他に侵されることはありません。再生する自我は低い位置、すなわち想念に属し
ています。それは真我の実現によって超越されます。再生は偽りの支流のせいで起こるのです。それゆ
え、仏教徒はそれを否定するのです。今の状態はチット(意識)とジャダ(無意識)の混在によってできあ
がっているのです。」
(「南インドの瞑想」おおえまさのり訳編/大陸書房刊)


 ゴータマが否定したのは、当時の伝統(聖典)と当時の聖者(当時、知られている存在としての限界性)、
及び民衆のバラモン信仰(迷信)のことだと思います。
 シャンカラもゴータマ以降の存在であり、ラマナ・マハリシはごく近代に現存した方で、当時の神智学徒
もよく会いに行っています。


〜では、また^^
168業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:26:54 ID:7QHz1K8L
『つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。』
                           (スッタニパータ1119)  
169業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:27:41 ID:7QHz1K8L
『つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。』
                           (スッタニパータ1119)  
170神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 00:27:48 ID:HDQPYtDX
『つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。』
                           (スッタニパータ1119) 
171宝珠愚者:2009/02/27(金) 00:31:24 ID:f09Mwnee
>>163
やれやれ〜遂に荒し行為ですか?

「空」は輪廻否定にはありません。
それは、流転変滅する現象界の性質を意味したものです。
それを実体とは見なさいといい、「空」と呼ぶのですよ。
人間の流転変滅する姿が輪廻転生であり、それが無常ということなのです。
無常とは一定の姿で永遠に留まることではない。
つまりは、「死」という状態ですらも留まること認めないのです。

お・わ・か・り?
172宝珠愚者:2009/02/27(金) 00:37:39 ID:f09Mwnee
>>160
つまり、言葉や用語を変えても、所詮
「常住」論に過ぎないというご指摘ですよね!
そうであれば、私からの疑問です。

では、ニルヴァーナも言葉を変えた常住論ではないのですか?
それとも・・ニルヴァーナは永久ではない境地だとでも??
173業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/27(金) 00:38:29 ID:7QHz1K8L
輪廻転生論は動機において『我執』による損得『取引』であり我執の刺激・増大を機能させるものであって、 輪廻転生論を信じている以上『苦』からの解脱は原理的にに不可能だ。

永遠に食べられない我執馬のニンジンだ。

反仏教たる所為なり。
174初心:2009/02/27(金) 04:31:54 ID:3yUolHQi
中論 19章第7句
「心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。」
 
これが中論の核心です。この句を逆にすれば意味がはっきりします。
「言語の対象がなくなったときには、心の境地が滅することになる。」
 
何を言っているかといえば、心の中に言葉やイメージが浮かばなくなり、
その状態が安定すれば、心が滅した状態になるということです。
 
これが空です。空の境地です。
これは、シャンカラの境地と同じであり、非想非非想処にほかなりません。
そしてこれが竜樹の境地なのかと思います。
175初心:2009/02/27(金) 04:46:05 ID:3yUolHQi
言葉の世界を対象にしたときに、
 
そこにある論理は、因果関係(時間)と相関関係(空間)であり、
 
さらに言葉には実体がなく、それは消え去る想念にすぎないという
 
竜樹の難解きわまる結論は、
 
さめて眺めれば、最初から予想されていたことではないかと思います。
 
言葉や想念はそういったものです。当たり前ではないですか!
 
176初心:2009/02/27(金) 04:55:21 ID:3yUolHQi
竜樹は、全世界を言葉と見ているので、言葉や想念が消え去ってしまえば、
 
どこにアートマンがいて、どこに如来がいて、どこにニルヴァーナがあり、
  
どこに輪廻があるのかと、語ることになるでしょう。
 
竜樹の空砲、その最大射程距離は、言葉の途絶えるところ、ですね。
177初心:2009/02/27(金) 05:04:58 ID:3yUolHQi
竜樹は何か忘れているでしょう? 
 
小空経の釈迦は、想念が消えた後に、残るものがある。
 
身体と生命が残る、と言っています。これが釈迦のすごいところです。
 
わかりやすく説いて、竜樹を超える真理を語っていると思います。
178神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 07:37:45 ID:dzAm0j2X
実践を伴わない、誇大妄想ほど虚しいものはないな。
心が滅した状態というのはあくまで人が空に至る必要条件であって、
それが空の全てではない。

なぜならば、空は縁起の事を指し、法であるからだ。
179神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:18:09 ID:QdvoMnFD
仏教 = 悟りを開くための教え とするならば大乗仏教は仏教では無いことに気づいた。
宇宙の真理に因縁が含まれ、全ての物、事象は因縁により構成されるというのが、大乗仏教の教えでしょ。 
水や金属が液体、固体であるのは、周囲から影響によるもの。熱すれば、気体になるし液体にもなる。
物だけに限らず、人間の心や意識も同様に因縁から構成されたもの。
大乗仏教では、完全に輪廻は存在しないことになる。
人間を対象とするみみっちい教えではないのだから。
180神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:20:25 ID:pbTHZhDg
>>172
>つまり、言葉や用語を変えても、所詮
>「常住」論に過ぎないというご指摘ですよね!

そうです。釈尊は、そう仰られているということです。

>では、ニルヴァーナも言葉を変えた常住論ではないのですか?

そうです。ニルヴァーナは常住論ではありません。

>それとも・・ニルヴァーナは永久ではない境地だとでも??

それこそ如来滅後で無記です。
そして何度もいうように釈尊ご自身が、それら常住論ではニルヴァーナに到らないと仰っていることをよく考えてください。

>>167
これは大乗仏教ですが寂護菩薩が『中観荘厳論』や『真理綱要』で
きっちりヴェーターンダなどではダメだと論証されています。
ヴェーターンダなどの成立は遅いので、釈尊は直接言及されていません。
ですが、『梵網経』で明らかに否定されていると断言できます。
181神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:28:27 ID:pbTHZhDg
>>179
たぶん基本的知識の欠如からそう考えているだけでしょう。

>宇宙の真理に因縁が含まれ、全ての物、事象は因縁により構成されるというのが、大乗仏教の教えでしょ。 

縁起はどの仏教でも説きます。

>水や金属が液体、固体であるのは、周囲から影響によるもの。熱すれば、気体になるし液体にもなる。
>物だけに限らず、人間の心や意識も同様に因縁から構成されたもの。
>大乗仏教では、完全に輪廻は存在しないことになる。

なんで? 縁起は輪廻の説明でもありますよ。
伝龍樹菩薩著『因縁心論』がまさにそう。
そして清弁菩薩や法称菩薩以降大乗仏教徒は盛んに輪廻の論証を書きました。
単著で輪廻の論証、他世の論証と呼ばれる著作がたくさんあります。

>人間を対象とするみみっちい教えではないのだから。

大乗も人間が主な所化(導く対象)ですよ。
182神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:30:53 ID:XwluYE3S
大乗仏教は「常・楽・我・浄」でしょ?

これが世俗の言語用法ではないとするなら、ご隠居と同じ詭弁なの?
183神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:37:46 ID:QdvoMnFD
龍樹「中論」の説明をネットで調べた所、そういう考えになった。
本来の元祖の教えでは、自我・無我、輪廻など
個々の人間に関係する話題を無くすためのものと思う。
184神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:46:20 ID:QdvoMnFD
龍樹の教えでは、人間の思考や苦も、たとえば石が存在する、川が流れているという物や現象と大差無いでしょ。


龍樹 - Wikipedia
龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていることを論証している。
さらに、因果関係によって現象が現れているのであるから、自性はないことを明かしている。
これによって、縁起によってすべての存在は無自性であり、それによって空であると論証しているのである。

185神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:49:41 ID:pbTHZhDg
>>182
それは『大乗ネハン経』などの説ですね。
言葉になっていれば総て世俗の言語用法でしょう。
たしかに世俗の言語用法を用いて勝義を指す場合もありますが、
世俗の言語用法であることに変わりはありません。

大乗といってもいろいろ異説はたくさんありますから、
部派仏教に異説がたくさんあるように。
私は顕教としては、中観が最も釈尊の仏教に忠実に従い、
論理的にも見解も高くすっきりしていると思います。
186神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:50:37 ID:iPbHj7AG
ID:QdvoMnFDさんは『中論』= 機械的宿命論 と解釈したのかな?
187神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:51:36 ID:pbTHZhDg
>>183
『中論』は、梶山雄一先生と石飛道子先生以外の説は、読むだけ混乱するだけでしょう。
ましてや、ネットで理解しようというのは無謀です。
188神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 09:55:56 ID:HZxm0vGD
>>185

なるほど。
なら、如来蔵などは行き過ぎた説になるということでしょうか?
如来蔵など難しくて、簡単に答えを求めると物凄く勘違いしそうで怖いのですが・・・。
189神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 10:01:21 ID:QdvoMnFD
>>186
宿命論とおもってないですよ。 
行いを正すことで、因縁のあり方も変わるだろうし(周りの様子)、苦からの脱却(自分の様子)も出来ると思いますよ。
190神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 10:11:06 ID:23/rSL/B
『中論』読んでこうなったって仰られても。

>仏教 = 悟りを開くための教え とするならば大乗仏教は仏教では無いことに気づいた。
>宇宙の真理に因縁が含まれ、全ての物、事象は因縁により構成されるというのが、大乗仏教の教えでしょ。 
>水や金属が液体、固体であるのは、周囲から影響によるもの。熱すれば、気体になるし液体にもなる。
>物だけに限らず、人間の心や意識も同様に因縁から構成されたもの。
>大乗仏教では、完全に輪廻は存在しないことになる。
>人間を対象とするみみっちい教えではないのだから。

竜樹は大乗仏教八宗の祖なのですが・・・。(唖然)
191神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 10:21:48 ID:QdvoMnFD
初期教典では、ひとりひとりの人間が悟りを得る為の教えが多いはず。
しかし、個々だけで存在はせず、全ての事象は、他者、物、現象が影響しあった結果であるとすれば
他者救済という考え (大乗仏教の中心的な教え) が出てくるって事だ。
192神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 10:22:33 ID:t84tMrA1
空の視点では、輪廻という概念が空だということを知るのみ。
輪廻自体が存在するかしないか、ということは空からは分らない。

人間という概念は空だが、だからといってこの世界に人間がいるかいないか
ということは、空からは分らない。

ヌエという概念は空だが、だからといってこの世界にヌエが存在するか
しないかということは、空からは判断つかない。
193神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 10:25:50 ID:t84tMrA1
>>191
その可能性もあると思いますが、大乗の利他行推奨の激しさはちょっと尋常ではないので、
論理的帰結からくる「人を大事にしましょう」という感じとは違いますよね?
大乗の自己犠牲、自己破壊性はどこからくるのか?
冥想などによる、もっと内的なエネルギーとの接続が在るんじゃないでしょうか?
194神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 10:34:31 ID:2GNTnjTh
>>193
>大乗の自己犠牲、自己破壊性はどこからくるのか?
>冥想などによる、もっと内的なエネルギーとの接続が在るんじゃないでしょうか?

空+輪廻+業からでしょう。
195神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 10:37:13 ID:pbTHZhDg
>>193
主に無我と菩提心ですね。
196神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 10:39:38 ID:QdvoMnFD
仏教は釈迦と龍樹の直伝の教えだけで良いんだよ。 
バラモン教、ヒンドゥー教を加えた物は駄目ね。
197机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/27(金) 11:24:56 ID:Yy0OwiDY
龍樹の中論を理解するのは禅がいいかとおもいますね。
これも漸修ではなくて頓修がいい。
(これは簡単に言ってしまえば、国民性の変化です)

日本禅は六祖よりその脈絡は継承されているとしても、
かなり日本ナイズされてます。
それはいろんな理由がありますけど、簡単に言ってしまえば
それは国民性に依るもんでしょうね。
勤勉実直を旨とする国民は、やはり漸修がマッチングする。
ってことなんでしょう。
198神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 12:29:43 ID:LwC9WnmF
>>193
>大乗の自己犠牲、自己破壊性はどこからくるのか?

大乗のどこで「自己犠牲」「自己破壊」など教えているのですか。

「自利自他」「如来蔵」「悉有仏性」「本覚思想」。すべて「自分」を含む万
物への思いやりではないですか。つまり「あるがままのこの世」を大切にする
ことです。

それから、現代の仏教は専ら「在家中心」だから、「修行」や「瞑想」はもは
や関係ない。
199神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 12:36:24 ID:LwC9WnmF
>>198の訂正
×自利自他
○自利利他
200神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 12:36:45 ID:AEJ+x63C
>>198
中途半端にしんどい事したくないから結局そこに逝っちゃうんだよね。

お釈迦さんの後姿を追っかけて山道を辿っていたのが、いつの間にか自分のいる所までお釈迦さんを引き摺り下ろしてる。
201神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 12:43:48 ID:QdvoMnFD
龍樹の教えは良いとしても、現代の大乗仏教は変。
カルマと輪廻を取り込んだ時点で変な宗教になった。
タイの仏教 >>70 が良い傾向なのか。
202神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 12:46:45 ID:LwC9WnmF
>>200
大昔と現代とでは、社会は全く異なっているのだから、大昔の御釈迦さん
を「追いかける」のは誤り。現代と言う手元にお釈迦さんをおいて、
現代でも充分に通用することだけを「参考にする」ことが、方法論と
して正しい。それがむしろ御釈迦さん自身の本意でもあろう。

釈迦は、バラモン教の旧弊を否定し改革したのである。その釈迦が現代
に生きていたら、「大昔の文献の言葉だけに、盲目的に従え」などという
アホなことをいう訳がなかろう。
203神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 12:48:55 ID:LwC9WnmF
>>201
タイの仏教は、小乗仏教。だから、争いを起こす。
204神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 12:52:57 ID:ofw3I72M
>>202
なんだ、あんたか。
無駄口きいて損した気分。
205神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 12:54:38 ID:QdvoMnFD
タイの出家者は小乗でも、庶民がタムブンで徳を積むのだから、
庶民は大乗みたいなものとおもう。
206神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:05:37 ID:LwC9WnmF
>>204
これからも、無駄口は一切利くなよw。

宗教者は、現実上の根拠皆無な無駄口が多過ぎ。むしろ、すべて無駄口w。
207神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:09:07 ID:7sL6dlcA
メタ・コードっておいしそうだねw
208神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:10:25 ID:pbTHZhDg
>>198
>それから、現代の仏教は専ら「在家中心」だから、「修行」や「瞑想」はもは
>や関係ない。

それは日本の歪んだ姿ですね。

>>201
>カルマと輪廻を取り込んだ時点で変な宗教になった。

カルマと輪廻を説かない仏教は存在しませんよ。>>204

>204
LwC9WnmF は、コテつけて欲しいよね。スル〜できるから。
単文だと、別人だと思ってレスしちゃうんよ(^^)
209神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:15:43 ID:QdvoMnFD
カルマと輪廻が重要な位置をしめるっていう事。迦と龍樹の直伝だと重要でない。
210神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:16:52 ID:QdvoMnFD
カルマと輪廻が重要な位置をしめるっていう事。釈迦と龍樹の直伝だと重要でない。
211神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:20:21 ID:pbTHZhDg
>>209
重要ですね。釈尊はご自身で業論者と仰ってるぐらいなので。
きっちり、基礎知識つけてから発言してください。
212神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:22:56 ID:QdvoMnFD
これなら。
過去、未来のカルマと輪廻が重要な位置をしめるっていう事。釈迦と龍樹の直伝だと重要でない。
213神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:28:21 ID:LwC9WnmF
>>208
「他者との係わり合いの中での生活」という「一大修行」は放っておいて、
引き篭もって「自己満足」「自己陶酔」の瞑想や修行にふける宗教者の
姿こそ、外部者から見れば、大いに異様で歪んでいるのだぞ。ところで、
「日本の歪んだ姿」などとのたまう君自身は、どこの外国人か?

「カルマ」や「輪廻」などという言葉を聞くと、麻原の顔を思い出して
困るw。一切使わないでくれ。

コテを云々するより、書き込みの「内容」に対して、現実に立脚して論
理的に反論すべきだろう。反論できないからかw。
214神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:28:32 ID:pbTHZhDg
>>212
文意が不明ですが、つまり現在の業以外認めないというなら、
それは釈尊も龍樹菩薩も、そんなことは仰りません。
釈尊については、パユットー『仏法』
龍樹菩薩については、石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』
を読むのが一番、分かりやすくて手短だと思いますので読んでください。
215神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:33:45 ID:pbTHZhDg
>>213
何度、論破されても同じことをシュプレキコールみたいに繰り返してるだけだからですよ。
216神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:38:37 ID:LwC9WnmF
>>214
他人の文献からの「借り物の見解」ばかりに頼らないで、現代人として
の知識と理性で考えること。君は、何のために義務教育を受けたのかね。

文献を引用する場合は、自分に都合のよいものだけでなく、その反対論
も引用すること。さもなければ、学問とは言えないよ。
217神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:40:49 ID:QdvoMnFD
輪廻と前世のカルマは重要でない。 が正解だな。
現世のカルマは存在してて、
生きている間の近い未来と、死んでからの地獄行きに影響するという教えのはずだから。
218神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:44:01 ID:pbTHZhDg
>>217
それは誤解ですね。言うべきことは言ったので、これ以上は言いません。
219神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 13:51:55 ID:LwC9WnmF
>>215
現実に立脚して論破された例が、一度でもあれば上げてくれ。

輪廻転生や原始仏典や他人の見解を繰り返すことしか出来ないのが、
君たち宗教者の姿。少しは、誰も言っていない自分独自の見解を打ち立
てたらどうかね。それが出来ないから、「借り物の見解」だけを繰り返す
のかw。

自分自身の生活体験と思索に基づき、自分自身の見解を書き込むことに、
2chの意義がある。2chは「日本の実力」と言われている。既存の
見解、「借り物の思想」の羅列・オウム返しでは、2chの貴重なスペ
ースの無駄。
220神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 15:36:05 ID:t84tMrA1
>>198
捨身飼虎とかは、相当に自己犠牲だし
ある意味自己破壊的な感じがしますがどうでしょう。
221机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/27(金) 15:50:10 ID:602/Ye5H
>>219
>少しは、誰も言っていない自分独自の見解を打ち立
>てたらどうかね。それが出来ないから、

ギリシャ哲学に始まって、ドイツ観念論とか、古今東西において論者は語ちとるんですよ。
しかし、そんなもんじゃ〜ない。と
原始仏典をモチーフとして、新たに論を構築したのが龍樹。
まさににこれは、
誰も言ってない自分独自の見解を打ち立てた、斯く斯く各々方へのアンチを
燦然と表明するものであった。

その栄光を称え、こうして皆様方が感動の共有と
またその再確認のためですね、
書き込みしておるのです。
素晴らしいではないですか。

釈尊は入滅直前に
「なんとこの世はスバラシイ!!」。とか言ったらしいです。
まあ、そういうことなんですよ。
仏教を語ちるとは。

頓修とは、こういうことなんです。
222神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 16:50:40 ID:QdvoMnFD
この老師は、無我、空の理論に基づく気功の達人だろう。小周天から大周天に至るというのが一般的な修行らしい。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4044272.html
中国の気功の先生に学んだことがあります。
印象に残っていることで、気感が全くないという老師がいました。
気感を求めたら既に緊張のしすぎで拘りがある。
ましてやレベルを追い求めたり、小周天が出来たと言ってるようでは間違っている。
と言うのです。
そのとき、私は気感がなければ自分の進歩もわからないし
老師の話は、ある程度上達した段階の話ではないですか?と尋ねました。
そうしたら、そうではなく初めから捨てなくては駄目という話でした。
それでも、気功を学びたいとかどうやるかという意識や段階がなければ
話にならないと思いましたし、論理的でないと思いましたがそれ以上は質問できませんでした。
この老師に言わせると、あなたの質問も「質問そのものが間違っていることに気づきなさい」となるのかもしれません。

小周天
小周天は気功法の一つ。大周天を行する基礎になるため、築基の法とも呼ばれます。
煉己、調薬、採薬、封固、煉薬、採丹の工程があり、以降は大周天に移ります。
体の気を意識と腹式呼吸で丹田などに集めて燃え上がらせ、体中を巡らせます。
小周天ができるようになると、軽い意識の集中や呼吸で体の中が燃え上がり
体の底から本質的な意味での体力が湧き出し続ける様になります。
223神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 17:08:41 ID:OBd8TTXb
>語ちとる

>語ちる


なんで、いつもこんな変な書き方するのか。
224神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 17:13:06 ID:7sL6dlcA
>他人の文献からの「借り物の見解」ばかりに頼らないで、現代人として
>の知識と理性で考えること。君は、何のために義務教育を受けたのかね。

えらいねキミはw
キミの発言は人様の知識を借りることなく、自身で創造したものだと言うのかね?
人様の知識が無用なら教育なんて必要ないだろw

自分で言っておきながら矛盾に気づかないとは、どういう教育を受けたのか・・・嘆息
225神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 17:20:55 ID:7sL6dlcA
>「カルマ」や「輪廻」などという言葉を聞くと、麻原の顔を思い出して
>困るw。一切使わないでくれ。
文句があるなら麻原に言えw
226神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 17:33:42 ID:dzAm0j2X
>>222
小周天、大周天で終わるなよ。そんなもの3年以内で終わらせろ。
その先の錬神還虚、還虚合同で仏教の悟りレベル。
227神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 17:34:30 ID:dzAm0j2X
還虚合同→還虚合道
228神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 17:40:11 ID:2i9/C/bH
>>224
君たち宗教者とは違って、開祖や教祖やその他の先人と「同じこと」は
一言も言っていない。すべて、「現実と照合して」批判している。

どの「本」にも、書いてはないはずだ。
229机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/27(金) 18:07:09 ID:Yy0OwiDY
>>223
>なんで、いつもこんな変な書き方するのか。

拙者はジャズだけ聴いてるわけではなくて、いろんなことをやってるのですよ。
お茶などもやってまして、
たまに和歌などを詠んだりするんです。
そういう関係上、古語などもたまに散見するやにおもいますね。
230初心:2009/02/27(金) 18:29:54 ID:mKrCC3Qq
シャンカラと竜樹の境地を比較したいと思います。
ただしシャンカラはほとんど知りませんので推測でしかありません。
 
まず人間の思いは、インド人であれ日本人であれ、基本的に
変わることがないということを前提にします。
ましてや二人とも同じインド人です。
 
そして二人は同じ非想非非想処であった。つまり言葉や想念がなくなり、
心が滅した状態を体験したとします。
しかしかなりちがった印象を受けます。これはなぜなのか?
231初心:2009/02/27(金) 18:44:39 ID:mKrCC3Qq
シャンカラの場合は、ヴェーダの伝統の中にいて、この伝統から体験を
解釈しているように思います。仏教で言えば空の体験であっても、
そうではなくて世界の背後にブラフマンを見るということになるわけです。
 
これに対して竜樹は、空すなわち無我になってブラフマンという世界を見る
わけであり、二人が見たものは結果として同じものです。
ただ竜樹の場合、そこに到る方法論、プロセスにウエイトがあります。
 
二人とも、神ではなく、ブラフマン=宇宙真理を語ってます。
つまり同じ仲間です。伝統から語るか、方法論から語るかのちがいです。
そうすると、仏教はヒンズー教そのものではないか、という疑問が生じます。
どうもそのような感じがしています。
232神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 18:47:18 ID:ouJPDVOK
>>229
誰かに対して語りかける言葉に「言ちる」を用いるのを変な書き方と言っているのですよ。
古語が如何こうじゃなくて、そもそもの用法が変。
しかも、得意げにつかってるところが痛いです。
233初心:2009/02/27(金) 18:50:54 ID:mKrCC3Qq
ヒンズー教のカーストを問題にしたレスを見かけるのですが、
仏教も江戸時代には士農工商というカーストを支えていたように思います。
寺が管理していた人別帳はカーストの土台ではないでしょうか。
234初心:2009/02/27(金) 18:58:22 ID:mKrCC3Qq
誤解ないように追加しますが、
八宗の祖・竜樹の話であって、釈迦の話ではありません。
235神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 18:58:39 ID:dzAm0j2X
非想非非想処って、想念がなくなるんじゃなくて、
想念をなくすことを想いもしないってことですよ。
236神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:02:31 ID:7sL6dlcA
>228
>どの「本」にも、書いてはないはずだ
そりゃ確かに正しいね。
なぜなら極フツーの常識的理解だからねw
キミの考えが特別優れてるなんて誰も思っていない。
むしろ陳腐だ。
そんな誰でも考えつきそうな事、わざわざ上梓する意味がないw

で、キミの常識は誰の猿まねなんだ?
237神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:05:40 ID:QdvoMnFD
龍樹菩薩伝というのがあるみたいだけど、菩薩というのが正しければ悟りを開いてないだろう。
たとえば、観音菩薩は56億年後に現れて地上で悟りを開いて人々を導くんでしょ。
菩薩というのは、未来に仏陀になる(らしい)修行者。
238初心:2009/02/27(金) 19:07:15 ID:mKrCC3Qq
>>235
そうであるなら、シャンカラが、竜樹より優れていることになります。
239神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:09:17 ID:dzAm0j2X
>>235
なぜですか?
240神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:09:39 ID:dzAm0j2X
>>239
なぜですか?
241神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:12:36 ID:nTbQzedn
ここだけの話だよ。。。

料間法意、これが仏法の正体だよ。
http://senpou.cocolog-nifty.com/sousen/2008/02/post_2bc2.html
242机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/27(金) 19:12:51 ID:602/Ye5H
>>232
専門的になれば「パリー語ではどうも・・・」。ってのがあるのと同じですよ。
したら自然にサンスクリット語に馴染んでくるんであって、
拙者も職業柄、こういうキャラになってる訳でして、
その存在自体がスキル。ってことも実際にあるんですよ。
(世の中ってのは、狭いようで広い価値観もある)
詳細は語ちりませんけど。
243初心:2009/02/27(金) 19:16:21 ID:mKrCC3Qq
>>237
竜樹菩薩伝の中に、興味深い話がありました。
 
竜樹の力によって、神々と阿修羅が戦い、阿修羅が散り散りになった
ようすが地上からも見えたという。
 
しかしヴァスバンドゥー伝によれば、それだけでは阿修羅が再び
よみがえると言います。阿修羅の体を二つに裂いて、その間を、
行ったり来たりしなければ阿修羅を倒せないようです。
244神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:16:34 ID:7sL6dlcA
「独りごち」は古語だが「語ちる」という古語はない。
245神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:16:46 ID:QdvoMnFD
調べると、
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマは観音菩薩の化身。
チベット仏教2位パンチェン・ラマは阿弥陀仏の化身。

この様になっている。阿弥陀仏の方が格上では?
246神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:18:25 ID:dzAm0j2X
>>237
語るというのは、悟りから離れるということです。
竜樹は語るために「わざと」悟りから離れたということです。
自らの救いより他者の救いを優先することが大乗のポイントです。
実は、自らの救いを求めないというのは一番悟りに近い。
エゴから離れる一番効果的な方法です。
247神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:22:10 ID:QdvoMnFD
わかった 観世菩薩は既に悟りを得ていて、龍樹は偉いから菩薩と呼ばれた。


現世で活動するための菩薩
すでに悟りを得ているにもかかわらず、成仏を否定した菩薩も創造された。
これは仏陀自身の活動に制約があると考えられたためで、いわば仏陀の手足となって活動する者を菩薩と呼ぶ。
この代表者が、釈迦三尊の文殊菩薩と普賢菩薩である。
他にも、観世音菩薩、勢至菩薩なども、自らの成仏とはかかわりなく、活動を続ける菩薩である。

インドの大乗僧
中国では、インドの有様が詳細に伝わったわけではないので、ことに初期大乗仏教の学僧たちを
菩薩と尊称した。龍樹菩薩、世親菩薩などとするのがこれである。
菩薩 - Wikipedia
248神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:27:06 ID:nTbQzedn
続けるよ。

三蔵のともをつとめた猿、豚、河童は何を擬人化したのか。
http://www9.plala.or.jp/riversite/saiyuki/index.html
249神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:43:28 ID:nTbQzedn
地獄、畜生、餓鬼は何から派生したのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93
250神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 20:18:43 ID:nTbQzedn
わかった?
251神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 21:18:23 ID:BenUI0t+
>>236
>なぜなら極フツーの常識的理解だからねw

道元が7年間も中国に滞在して得た悟りは、「目横鼻直」という極フツーの
常識なのだがw。

常識的なことの悟りが、実は最も難しく、深いものであることが理解できなけ
れば、本物ではないよ。
252神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 21:27:57 ID:pbTHZhDg
>>251
>常識的なことの悟りが、実は最も難しく、深いものであることが理解できなけ
>れば、本物ではないよ。

こういったことを言う人は、仏教について何も分かってないことは断言できます。
253神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 21:50:19 ID:HDQPYtDX
悟ってると、マンガ仏教入門で仏教用語の意味をある程度覚えれば仏教なんて簡単。
254神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 21:51:45 ID:/TvHnfJn
>前スレ665 >苦の滅だけを論じるなら自殺だけで十分
 自殺願望は無有愛(vibhava-taNhA)という渇愛の一種であり、
そして、四諦では苦の集(原因)が渇愛とされています。
したがって、苦の滅のためには、(自殺願望を含めた)渇愛の滅が必要です。

 また、そもそも仏教では、楽受・苦受・不苦不楽受の中の苦受だけを苦と見るのではなく、
それら三種の受を含めた五取蘊すべてが苦である、ととらえます。

>前スレ496 >解脱者には見えるんですよね? >前スレ666 >はぃ、そうだと思います。
 多くの比丘たちが、【五神通は無い】が、最高の【智慧によって解脱した】。
ブッダ「スシーマよ、これが【われら】の成就したことなのである。」(SN12:70スシーマ経)

>前スレ684 >657-678, 801, 836, 1009 なども読んでください。
 657-678のコーカーリヤの地獄描写と一緒に、三十二相の部分も読み比べるべきでしょうね。
  「そこで師は、セーラ・バラモンが師の体の膜の中におさめられた隠所[馬陰蔵相]を見得る
  ような神通を示現した。次に師は舌を出し、舌で両耳孔を上下になめまわし、両鼻孔を上下に
  なめまわし、前の額を一面に舌で撫でた[広長舌相]。」(『ブッダのことば』123ページ)

>>35 >空(縁起・相互依存性・関係性)
 中論24‐18によれば、〈縁りて生起するもの〉は、(有見に対して)〈自性が空のもの、法体の
無いもの〉であり、しかしまた、(無見に対して)〈仮設の法として有るもの〉でもある。このように
知見することこそが、(世俗・外道の有見と無見の両極に偏しない仏教の)中道だ、と。
 要約すれば、(a)縁起するものは、(b)自性の無いもの(⇔有見)、(c)しかし仮設としては
有るもの(⇔無見)。(d)このことが有無中道。
 縁起は、空だけでなく、仮設とのペア。それでこそ有無中道となります。
255宝珠愚者:2009/02/27(金) 21:58:11 ID:f09Mwnee
>>217
今生限りの生だけで地獄行きかどうかが裁かれるのかな?
まるで、キリスト教みたいな薄っぺらもんです。
すぐに死去する幼児の裁きとは何んぞや??

>>245
ま〜役割的にみて恐らく、
観世音(観自在)菩薩というのは大日如来(法身)の衆生救済のための権化(変化身)とみるからでしょう。
阿弥陀は格としては如来ですが、浄土信仰という限定的で特殊な位置づけがあると思います。
仏像的に観音が阿弥陀の脇氏に置かれるようになったのは、浄土信仰の流行の影響らしい・・。

〜が、私の怪しい理解ですw
256宝珠愚者:2009/02/27(金) 21:58:38 ID:f09Mwnee
>>213
ちょっとだけ相手しま〜す(ホント.ちょっとだけね)w

 あなたの嫌いな神智学は、宗教的な瞑想やサーダナー(霊性修行)やタパス中心の道を説きません。
 この神智学の摂るスタンスというのは、あなたのいう「他者との係わり合いの中での生活」という「一大
修行」というのが中心となります。つまり、人生における人と人との正しい関係と自然との正しい関係を学
ぶべく、人生経験の蓄積と獲得において一定のゴールに達するまで人は転生を繰り返すと教えるのです。
1度の人生経験だけでは到底、学びきれないのです。そして転生を繰り返すことで人は成長していき、最終
段階としてその必要がなくれば転生は止むことになる。
 また神智学では特に献身(バクティー)や信仰の必要を説きません。導師(グル)に対する忠誠や献身も
説きません。まっ、よければ脳内の片隅にでも入れておいて下さいな!ばいばぃ

 「他者との係わり合いの中での生活」という「一大修行」〜については同意します。ただし、唯物主義は無
知/無明の証です。仏典を読んでる功徳でいつかは分る日もくるでしょう。いゃ、でも聖者を罵ったらマイナ
スとなるので気をつけましょうか!
257宝珠愚者:2009/02/27(金) 21:59:43 ID:f09Mwnee
>>158
>有力な説が原義は「気息」だったというものです。宝珠さんの見解とは逆ですね。

 中村氏による自己探求、自我についての比較宗教学の著作もあるので、「魂」(アートマン)の原義
「気息」というのは知っています。

>もし、余裕があればパユットー『仏法』を読まれるとよいと思います。
>それと石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』も読むといいですよ。

 はい、この推薦書パユットー『仏法』は取り寄せます。しかし、原始仏典とその注釈書さえあれば、龍
樹が必要だとは思えないのですが・・私は間違ってます?龍樹を読まないとゴータマの教えは理解でき
ないと??

>そうです。ニルヴァーナは常住論ではありません。

 それが分らない!仏教者の誤解ではありませんか?アートマンは不滅であるとして常住を説きますが、
それは間違いだとゴータマは説いた。そこまではいい・・私の理解によれば神智学の説く、魂がモナッド
に吸収され消滅する出来事と見解が一致するのではないかとみているからです。
 確かに、ゴータマは死後の如来については無記の姿勢でしたが、それは理解できない者に対してねり
であり、誤解を生むだけになるので説明を避けたということではありませんか?世俗の概念での「有無」
で示させるものではないからです。
 しかし、ニルヴァーナこそが究極の不滅の境地であることは間違いがないところでしょう!涅槃こそが
不死の門であり不生不滅の状態。これが永久不滅でなくてなんなのです?要するにゴータマの説いたニ
ルヴァーナに到達した意識こそが古代インドが理想としたところの「唯一なる実在」としての意識の筈です。
当時のインド社会においてゴータマだけがそれを現実に達成して示したのです。

>>167
>ヴェーターンダなどの成立は遅いので、釈尊は直接言及されていません。

 了解!
258宝珠愚者:2009/02/27(金) 22:03:00 ID:f09Mwnee
 このとき(下記--転載)対話したのはあなただったのでしょうか?
 これは、ゴータマが辞めたというバラモンのアーラーラカーラーマ、ウッダカラーマプッタの二大師匠の
瞑想の境地のことです。しかし、わたしが推奨する存在方というのは、瞑想時もそうでないときでもその
意識の高みと達成には変わりがないようです。尚、ラーマクリシュナについては、瞑想で深いサーマディ
ー状態に入ってしまうとなかなか戻って来難いようでしたが・・。

スレ5/307
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1231/12314/1231408379.dat
 「当時の梵我一如で涅槃に到達したといわれる方々とは誰々のことですか?
 この私は誰もいないと思っていますが・・。
 これはアーラーラカーラーマ、ウッダカラーマプッタの二大師匠のことですか?
 非想非非想処の境地をゴータマが悟りとしては否定したという話のことなのかな?
 ゴータマが否定したのは、
 彼らの瞑想の境地(意識)というのはその時だけのものに過ぎなかったからですよ。
 二大師匠の瞑想は思考の停止状態にあったともいわれていることから、
 瞑想を止めれば再びこれまでの思考活動が再開するだけだからです。
 正しい瞑想は思考を停めるのではなく、思考活動を「追わない」ことに鍵がある。
 そして、瞑想時だけの意識ではなく、常時、境地の意識が留まっている必要があります。
 上記に上げた覚者方は瞑想時だけでなく、常に連続したサーマディー意識を持たれているのです。

 当時のバラモン達がゴータマに帰依したというのは、それは当然でしょう。
 梵我一如の境地に本当に到達したという存在はどこにもいなかった・・。
 私は当時の大衆の眼前に出現した本物の達成者がゴータマであり、
 民衆に浸透するバラモン伝統の数々の迷信を指摘し排除されたものとして理解します。
 厳密にはウパニシャッド(一部、ゴータマ以前にもあった)の説く真理との違いはない。
 到達した者がいるかいないかというだけのこと。 」
259神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 22:06:55 ID:0EvM5z8C
仏教用語の「悟り」と生命教用語の「悟り」は別物です。
正しいかどうかという意味ではなく、内容が違うというだけの話です。
仏教における「悟り」と別物だったところで何を気にする必要があるのでしょうか。
未だに釈迦を自陣に組み込もうする動機がわかりません。
260神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 22:08:14 ID:0EvM5z8C
仏教用語の「悟り」と生命教用語の「悟り」は別物です。
正しいかどうかという意味ではなく、内容が違うというだけの話です。
仏教における「悟り」と別物だったところで何を気にする必要があるのでしょうか。
未だに釈迦を自陣に組み込もうする動機がわかりません。
261神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 22:21:36 ID:pbTHZhDg
>>257
> はい、この推薦書パユットー『仏法』は取り寄せます。しかし、原始仏典とその注釈書さえあれば、龍
>樹が必要だとは思えないのですが・・私は間違ってます?龍樹を読まないとゴータマの教えは理解でき
>ないと??

たぶん、宝珠さんには大乗の方があってると思いますよ。
石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』を勧めるのは、明解だからです。
そしてブッダゴーサより龍樹菩薩の方が正確に釈尊を理解されたと思われるからです。
もちろん、ブッダゴーサもすばらしいのですが。

この二冊を読めば「ニルヴァーナは常住論」でないことがよく分かると思います。
262神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 22:26:41 ID:t84tMrA1
>>260
内容が違う場合は用語を分けるか「生命教では」と但し書きがないと混乱するのでは?
ここは仏教のスレですから。
263神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 22:27:48 ID:pbTHZhDg
>>258
その方は、別人です。

そうですね。禅定中だけ本来の状態というのはまだ修行が足りないとされますね。
264神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 22:40:53 ID:0EvM5z8C
ミスって連投してしまいました。
>>213
>姿こそ、外部者から見れば、大いに異様で歪んでいるのだぞ。

他人がどう感じているか、と仏教的にはどうか、は別物なんですが。
それが正しいか、とう問題じゃなくてですね。

>「日本の歪んだ姿」などとのたまう君自身は、どこの外国人か?

キリスト教徒がキリスト教のことを批判できないことを誤りだとする貴方にとっては、
日本人でありながら日本でのことを批判できることは良いことにならないんですか?
>>262
以前のスレでもご隠居に但し書きしたら?と薦めた人はいましたが、
この通りです。
265机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/28(土) 07:54:57 ID:dbsQDNWr
>>251
>道元が7年間も中国に滞在して得た悟りは、「目横鼻直」という極フツーの
>常識なのだがw。

道元は「めよこはなちょく」と言った訳ではなく、
「がんのうびちょく」と語ちたわけですね。→眼横鼻直です。

この意とするところは、常識ということではないですね。
常識というのは絶えず変化するものです。
これもつまりは縁起でして、相互依存において無常である。
(法華経にある一念三千も、これまた理なり)

むしろ仏教というのは、こういった一連の常識というものの破壊なのです。
(これは禅における頓悟ですね)→自我の破壊

「眼横鼻直」というのは、こういった破壊における普遍性に到達した
その位相を言っておるんです。
これを道元は
「即心即仏、つまり円相」を顕しておるわけでして、

>常識的なことの悟りが、実は最も難しく、深いものであることが理解できなけ
>れば、本物ではないよ。

これは明らかに誤謬となります。
266神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 08:18:58 ID:MGTACbs8
>>265
そうとは限らないよ。今、どうして生きているか、どうやって生きているか、感じてる?
それも何も感じなければ、いろいろ難しいこと勉強したって、ほとんど無駄。

267初心:2009/02/28(土) 08:27:17 ID:3q0s667b
非想非非想処・・・仏教用語は難しいですね。
 
これを空の最高境地として理解したのですが、
小空経には、この上に、無相心三昧という境地がありましたね。
 
ただしこれは、非想非非想処が保たれている状態なので、
保たれているのか、そうでないのかを別にすれば、
境地の心的状態は同じ、つまり心が滅した状態のようです。
 
<非想非非想処>のほうが境地の内容をより示している、
と思うのですが、正確には<無相心三昧>かもしれません。
268神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 08:33:39 ID:DCCkWMR5
色々分別しても無駄なだけ。

仏教の最高境地は「如」。あるがまま。
269神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 08:42:06 ID:MGTACbs8
非想って?
仏教って知らないけど、そのまま解釈すると、
非を使ってるから、人間ってものは想うことができるんだけど、まずは、想うな
そして、非非想ってのは「非想」の頭に「非」をつけただけなので、
「非を使ってるから、人間ってものは想うことができるんだけど、まずは、思うな」ってことを想うな。
ってことなので、
これ自体思ってること自体、非想非非想でないので、しかも、非想非非想という言葉の前にうろちょろしてるようでは大したレベルでないなw

想わない
270神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 08:42:52 ID:DCCkWMR5
全ては如実にみるための手段にすぎない。
271神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 08:48:01 ID:MGTACbs8
非想非非想処についてネットで調べたけど、さっぱり分からん。
ただ、おもしろいのを見つけて、非想非無想とは同じって書いた記事みたけど、これは違うな。
272神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 08:59:56 ID:bjJ/BuIn
>>269
理解できてないのに「大したレベルではないなw」って書くのは
なんなんでしょう。

そういう人が「いろいろ難しいこと勉強したって、ほとんど無駄」といっても
ご本人にしか通用しないと思います。
273神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 09:08:25 ID:MGTACbs8
>>272
すまんかった。
あたなのことまで「想」っていなかった。
そして、ご本人のことも「想」っていなかった。「思」った、むしろ「考」ただけだった。
ごめんごめん。

ということで、
天気いいので、犬の散歩にいってきます。

最近ここ見つけたんだけど、この板はおもしろそうなところですね。
274初心:2009/02/28(土) 09:08:55 ID:3q0s667b
竜樹にもどれば、世界は関係性によって成立しているのだから、
その論理的な帰結として、
関係性を持たない、絶対的な善、慈悲などはありえないことになります。
 
しかし関係性を持った、相対的な善や慈悲などは、
この現実において、わたしたちを導く行動の基準になるのでしょうか?
 
そんな気はしません。関係性の中で考え、相対的な中で考えたら、
つい自分を飾り、苦しくなれば自分を逃がすことでしょう。
つまり、竜樹では足りない、ということです。
竜樹では足りない!
275神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 09:12:46 ID:DCCkWMR5
きみは人間だし人間以外の何者でもない。
過ぎた欲望はその身を滅ぼしますよ。
自分のおかれた状況から逃避することに何の価値がある?
276神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 09:17:25 ID:DCCkWMR5
眼前のことに目を背けるのでなく、
眼前のものを直視することにより苦を打ち破ることができる。
これが仏教です。
277神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 09:17:43 ID:bjJ/BuIn
>>273
いい人ですね。いってらっしゃい。
278初心:2009/02/28(土) 09:22:48 ID:3q0s667b
非想非非想は、心の状態を四つに区別した、その内のひとつのようです。
 
<想> <非想> <想 かつ 非想> 
<想の否定である非想 かつ 非想の否定である非非想>
 
非想非非想処とは、 
どのような意味においても存在しない想をいう・・・心が滅した状態をいう
279神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 09:30:00 ID:DCCkWMR5
悟りの状態が非で表されるのは、
悟りを想っている今の状況、これは悟りでは無いといっているにすぎない。
無ではなくあえて否定の非を使う。
280神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 09:44:06 ID:lZ7k54pV
>>274
悟り、仏陀にも違いがあるんだろ。 
釈迦と阿弥陀仏に得意分野に違いがあるように、
それは周りの関係性によっても変わるだろう。
悟り後も、行いによって、仏陀に差が出てくるのでは
281神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 09:59:54 ID:E2Pc/gHi
>>265
>「眼横鼻直」というのは、こういった破壊における普遍性に到達した
>その位相を言っておるんです。

眼横鼻直を破壊したら、人間は化け物になりますよw。やはり、「あるがままの
人間」という「常識」を言っているのではないでしょうか。それとも、仏教は、
あるがままの人間を破棄して「化け物人間」になることを教えているのですか。

眼横鼻直という「人間の基本的常識」は、変わることはありません。

>>274
>しかし関係性を持った、相対的な善や慈悲などは、
>この現実において、わたしたちを導く行動の基準になるのでしょうか?

万物は、関係性においてしか存在し得ません。善も慈悲も、「具体的状況に依存する
相対的」なものです。

それを忘れて、自分の一存で「絶対的な」善や慈悲を「作り上げる」ことこそ、
仏教が戒める「自我」「執着」「煩悩」なのです。キリスト教の「神」「愛」
「イエス」に相当します。

自己が、万物の関係内に存在していることを自覚することにより、初めて精神
の平安(ニルヴァーナ)が得られるのです。竜樹は、それを教えているのです。
282業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/28(土) 09:59:57 ID:8gJJHwSq
仏教上、悟りへ資する機能をもつものを善といい、
    悟りへ資さないまたは妨げる機能をもつものを悪という。
これは悪魔という言葉の使い方を見てもわかる。

『輪廻転生論』は動機において来世妄想による『我執』による損得『取引』であり
我執の刺激・増大を機能させるものであって、
輪廻転生論を信じている以上『苦』からの解脱は原理的にに不可能だ。
輪廻転生論は悪である。
したがって、『つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)をうち破って、
世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
このように世界を観ずる人を<死の王>は見ることがない。』
                           (スッタニパータ1119)   

283初心:2009/02/28(土) 10:01:01 ID:3q0s667b
>>275>>276>>279
すでに悟られた方とお見受けしました。
>>280
善悪という関係性から、善だけを導くとしたら、
やはりどこかに「ごまかし」があるのではないかという疑問です。
284神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 10:32:26 ID:i5npRCKH
三宝の発展形が五趣六道なんだよ。

仏   天
僧   人間
仏法 地獄、畜生、餓鬼
285机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/28(土) 10:34:31 ID:u+WmbcFR
>>281
>眼横鼻直を破壊したら、人間は化け物になりますよw。

拙者が>>265に書き込みしました「破壊」の意は、
前文における文意の脈絡を繋げておるので、
破壊の主語は「自我」ですね。

貴殿は「眼横鼻直」を主語にしておるようですが、
これはdでもない文意解釈です。
つうか、そもそも読解能力があるのか?
はなはだ疑問であります><

拙者の文意とは、常識(構築)以前の主客未分を言うておるんですが・・・
この意とするところは、
果たして貴殿に解することができるか?
はなはだ疑問であります><
286初心:2009/02/28(土) 10:37:14 ID:3q0s667b
>>281 
>万物は、関係性においてしか存在し得ません。
 
関係性が語られるのは言葉の世界であり、実際の万物は関係性の中に
吸収されません。この区別をすべきだと思います。
  
>善も慈悲も、「具体的状況に依存する相対的」なものです。
 
日常の多くの場面では、相対的な善や慈悲ですむでしょう。
しかし生死がかかる場面では、相対的な善や慈悲では役にたちません。
絶対的な場面がある以上、絶対的な善や慈悲もあると思います。
 
>自己が、万物の関係内に存在していることを自覚することにより、初めて精神
>の平安(ニルヴァーナ)が得られるのです。竜樹は、それを教えているのです。
 
関係性の中にニルヴァーナはありません。関係性は空です。
竜樹が説いたのは縁起空であり、竜樹を過大評価することは誤りです。
287神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 10:41:21 ID:i5npRCKH
じゃんけんみたいに回転することを、輪廻という。
では三悪趣とは何なのか?

餓鬼>地獄>畜生>餓・・・
288初心:2009/02/28(土) 11:02:01 ID:3q0s667b
>>282
>仏教上、悟りへ資する機能をもつものを善といい、
>    悟りへ資さないまたは妨げる機能をもつものを悪という。
  
竜樹の場合は、善と悪の関係性のなかに空を見ています。
善と悪を関係させ、その関係性を空と観じ、再び言葉として設定します。
悟りへ資するかとか、資さないということではありません。
善と悪の両方を視野に入れた話です。
289神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:04:14 ID:lZ7k54pV
善も悪もないだろ。 「善らしい」と人間が感じる物は
山、川、森、人間・・・とあらゆる物が関係した結果でしょ。
290神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:06:41 ID:lZ7k54pV
人間の存在も、地球の環境があって事。 
太陽に人間は居られないし、誕生もしない。
太陽へ出かけても近づく前に燃え尽きる。
291神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:18:33 ID:i5npRCKH
あと2つだよ

愛情
292神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:34:27 ID:i5npRCKH
わかったら教えて。
293初心:2009/02/28(土) 11:38:12 ID:3q0s667b
関係しているものは空。これを竜樹が説いたのです。
善と悪は相関関係にあり、善も悪も空であり、善も悪も実体がないのです。
どういうことかと言えば、空によって既成の概念を壊したのです。
  
しかし竜樹は、既成概念を壊すことはできても、その廃墟の中に、
新しい価値を創造できなかった。なぜなら、
関係性の中から、善や慈悲を導くことは、論理的に無理があるからです。
294業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/28(土) 11:38:19 ID:8gJJHwSq
>>288
経典の中でももっとも美しい節である『ダニヤ』で、こう詩的に表現されている。

三三.悪魔パーピマンがいった、
   「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。
   人間の執着するもとのものは喜びである。
   執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」
三四.師は答えた、
   「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。
   実に人間の憂いは執着するもとのものである。  
   執着するもとのもののない人は、憂売ることがない。」
                      (スッタニパータ)

 業報輪廻転生論は名称いかんにかかわらずアートマンに対する執着である。
295神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:40:15 ID:i5npRCKH
あと1つ。

恐怖
296業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/28(土) 11:42:10 ID:8gJJHwSq
訂正
× 憂売ることがない
〇 憂うることがない

× 名称いかんにかかわらず
〇 名称およびその論説いかんにかかわらず 

 
297神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:45:22 ID:j2y0QdFK
>>294
>三三.悪魔パーピマンがいった、
>   「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。
>   人間の執着するもとのものは喜びである。
>   執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」

悪魔は、世俗の常識的生活は素晴らしいという。

>三四.師は答えた、
>   「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。
>   実に人間の憂いは執着するもとのものである。  
>   執着するもとのもののない人は、憂売ることがない。」

釈尊は、そのような常識的な喜びは、苦でしかないというだけである。

いったい、どうしてそんな読みができるのか?
298初心:2009/02/28(土) 11:52:40 ID:3q0s667b
>>294
悪魔は現世への執着をすすめているわけですが、
これに対して釈迦は、ニルヴァーナの視点から、現世への執着を戒めている
と思います。そういう推測ができるなら、釈迦に執着がないのではなく、
釈迦はニルヴァーナに執着していることになります。
299神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:53:16 ID:i5npRCKH
最後だよ。

欲望
300業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/28(土) 11:56:56 ID:8gJJHwSq
>>297
三二.「妻もわたしもともに従順であります。
    幸せなひと(ブッダ)のもとで清らかな修行を行いましょう。
    生死の彼岸に達して、苦しみを滅ぼしましょう。」
    神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。
                 (スッタニパータ)
301神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:59:15 ID:5mKK+FC9
>251
>道元が7年間も中国に滞在して得た悟りは、「目横鼻直」という極フツーの
>常識なのだがw。
道元はあなたのような理解では満足できず入宋したんですけどw
そんな常識を得るだけなら入宋する必要もない。
出家もせず修行もしていないキミが理解できるレベルならねw
あなたの理解は道元が批判した本覚思想と同類です。
302神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 12:00:10 ID:j2y0QdFK
>>300
>    生死の彼岸に達して、苦しみを滅ぼしましょう。」

つまり、輪廻から解脱して苦を滅するということで、
輪廻が前提になっていることが明らかです。
あなたは自分の主張と逆の証拠を提出しているだけです。(^^)
303神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 12:02:52 ID:i5npRCKH
これが輪廻の正体だよ。

愛情>恐怖>欲望>愛・・・
304tibyaku:2009/02/28(土) 12:09:22 ID:Fyxt0Xva
愛着は執着で愛着一杯で手放せない状況は愛着の鳥もちがついて、愛着の執着から離れないと

自分の思うように行かない虚しさ辛さ悲しさとなって憂う状態は不幸であり、心の王国を支配

できず、いつも波立ちイライラしている状態は苦そのものです。故に愛着の執着から離れるこ

とで心も安心立命の心の王国を支配の継続ができて、幸福感に満たされイライラすることなく、

日々平凡の中にあって、非凡なる悟りの発見をする縁となるのであります。
305神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 12:11:15 ID:j2y0QdFK
>>301
>あなたの理解は道元が批判した本覚思想と同類です。

本覚を現状肯定とするのは、ただの誤解ですよ。
道元禅師は、残念ながらそれほど見解が高くなかったと言わざるえません。
306神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 12:14:27 ID:MGTACbs8
>>293
あなたが言ってる相関関係や空ってやつについて、もうちょっと面白い考え方教えてあげちゃう。
私が考えるのは、こうだな。

まず、なんか考えるんだな。それを仮に「善」言う。
それだけでは、当然、相関関係はないんだよね。
「善」を考えた瞬間、「善でないこと」も生じるんだよね。
その「善」と「善でないこと」とは明らかに関係があるんだよね。つまり、直接的に相関関係があるんだよね。
それで、その一方「悪」というのも「善」とは別に考えるんだね。
そして、当然「善でないこと」の中に「悪」が含まれているんだよね。
この場合、「善でないこと」=「悪」であれば直接的に相関関係あるけど、
「善」と「悪」とは間接的な相関関係はあるけど、相関関係ではないんだね。
あるけどないんだね。
つまり、空なんだよ。


307業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/28(土) 12:16:46 ID:8gJJHwSq
>>302
>輪廻が前提になっていること
ブッダが説かれたのは、無常=無我=縁起=空=中道。
「生死の彼岸に達する」とは、生死などの二項相対対立の世俗諦を脱し、
超越した空=中道の勝義諦を自得するということ。
輪廻論は世俗的執着です。輪廻など前提になっていません。
脱するのは世俗的執着であり、いわゆる世間であり、苦しみです。
前世・現世・来世などの妄想戯論ではありません。
 そもそも生死を超越する=「世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。」
                            (スッタニパータ1119)
308神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 12:17:25 ID:MGTACbs8
以上はあくまで私の考えね。
仏教全然知らんし、ましてや竜樹なんてものも知らんし、
真相はその人に聞いてみんと分からんけどね
309306:2009/02/28(土) 12:27:49 ID:MGTACbs8
言葉抜けてた。
この場合、「善でないこと」=「悪」であれば直接的に相関関係あるけど、
そうでない場合は、「善」と「悪」とは間接的な相関関係はあるけど、直接的な相関関係ではないんだね。
あるけどないんだね。なんか合わないんだよね。
つまり、空なんだよ。
310brown:2009/02/28(土) 12:32:00 ID:jEzd9f5C
>>140
>包丁を手に持って、自分の腹を切り裂こうと思っても、できません。
>全て空ですか?

痛そう,血がでそう,死にそうだからでしょう。
そういう予測が成り立つから。

「できません」と断言はできない。「できる」と確定することもない。
空といっても,無いわけではない。現実の痛みはあるし,その予測もある。
過去の経験や伝聞の知識もある。

あるからといって,それが確定的,絶対的でもないし,あるということが
絶対的でないからといって無いことが確定する訳でもない。
311brown:2009/02/28(土) 12:40:43 ID:jEzd9f5C
>>96 >>98 初心さん

そうですよ。だから,勝義も空だし,世俗も空。ただ一方向から物事を
見たいように見るのではなく,常に全体の視点から見ることで,固執した
価値観から自由に居られる。

「空だからなんでもいい」と言うことになっては困るでしょ?というご指摘
はとても大事で,仏陀のお教えになった最も重要な教えは,
「善をなし,悪をなすな」ということです。

しかし,その考えに固執すると,異なる価値観を持つ者を認められないし,
極端に逝くと,批判し,非難し,罵り,傷害し,殺してしまうということに
もなっていく。その点で,全ての価値観からフリーな空性を純粋に経験する
ことが必要です。そうでなければ,何を言っても,考えても始まりません。

とはいえ,「空だから価値観はない」という見解に陥るほど悪いことは
ありません。とんでもない偏執を生んだに過ぎないからです。
312初心:2009/02/28(土) 12:45:00 ID:3q0s667b
>>306>>308
ありがとうです。参考になりました。
竜樹の論証の仕方(四句分別)はかなりややこしいですね。
論議領域に漏れがないようにするためだとは思いますが・・・
313初心:2009/02/28(土) 13:06:50 ID:3q0s667b
>>311
brown さんの話は了解しました。
 
ただ竜樹の中論に、
後期密教に出現したような、退廃の芽があると思うのです。
中論から読み取れるのは
 
1 関係性に空を見、既成概念を破壊する
2 関係性からは新しい価値が生まれない
3 空論によって、道の外に迷いだす人々が生まれた
314机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/28(土) 13:31:20 ID:dbsQDNWr
>>305
>道元禅師は、残念ながらそれほど見解が高くなかったと言わざるえません。

そんなことはないですね。
ただ道元は、正法眼蔵におきまして「修証一等」という言い方をなされてますから、
これは正当?な南宗禅とは多少違います。

つまり坐禅することと、証(つまり悟り)を同一として位置づけしてます。
これは南宗禅の草創期にはなかったことで、
むしろこのベクトルを破壊するものが南宗禅の特徴でありました。
(前に拙者が書きました、自我破壊です)

道元は、殆ど北宗禅に近いものであります。
というか、
看話禅の臨済宗にしても、漸修がミックスされた修法です。

貴殿が吹聴しております「常識第一義説」とは
まったくもって次元が異なりますね。
315初心:2009/02/28(土) 13:35:06 ID:3q0s667b
それから執着についてですが、
執着のない人は枯れ木のようになるのではないでしょうか?
 
釈迦は多くの弟子を教え導き、弟子たちとともに旅をします。
とても枯れ木のような人だったとは思えません。
むしろ逆で、活力があり、ニルヴァーナに執着していた、と推測します。
執着のない人生は、目的を見失ったような人生では?
316机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/28(土) 13:41:50 ID:u+WmbcFR
>>315
>執着のない人は枯れ木のようになるのではないでしょうか?

白隠の弟子は
「枯れ木になんぞは、なりたくありません」。
と、白隠に言った途端に破門されましたね。

本来禅とは、枯れ木に花を咲かせる
花咲かじいさんが一番いいのです。
317神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 13:46:37 ID:j2y0QdFK
>>307
世間的執着が輪廻であり、それが苦だと釈尊は説かれてますが。

なんで、それから眼を背け、否定するのか?
スッタニパータ657-678, 1009 をどう読むのか?
『梵網経』や『ダンマパダ』153
318神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 15:29:55 ID:5mKK+FC9
>本覚を現状肯定とするのは、ただの誤解ですよ。
ちっとはものを知っているようだが・・・
キミの見解そのものが「道元の批判した」本覚思想だと言っている。
319神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 15:41:53 ID:j2y0QdFK
>>318
私は>>251ではありませんよ。>>251はただの現状肯定でしょう。
それを本覚と呼ぶことに抵抗があるだけです。
天台本覚論は、日本仏教で最も高い見解ですから。
320初心:2009/02/28(土) 15:48:28 ID:9JGJBAmk
机さんの話もおもしろいのだけど、もう少し竜樹を切らせてください。
 
竜樹はどこで倫理を捨てたのか、それが何となくわかってきました。
中論でしつこく攻撃され、切り捨てられたものの中に、倫理があるのです。
もちろんそれはアートマンです。
 
攻撃対象を、ブラフマンではなく、アートマンに的を絞ったのは、
注目していいと思います。竜樹が思い描いていたブラフマンは<空>です。
竜樹にとっては、アートマンだけが邪魔なのです。
321神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 15:56:52 ID:j2y0QdFK
>>320
倫理というか善悪を、世俗として捨ててませんけど。
322ASIMO ◆ASIMOFWePI :2009/02/28(土) 15:58:39 ID:LihLstgJ
にんげんっていいな 伊集院光Ver
http://www.youtube.com/watch?v=2iBDKImaoQM
323初心:2009/02/28(土) 16:05:29 ID:9JGJBAmk
中論18章第1句に、アートマン考察の前提条件があります。
 
「・・・もしも我が〔五〕蘊と異なるならば、
    我は〔五〕蘊の相をもたぬであろう。」
 
そして竜樹は、このケースを論じていないのです。カットしています。
それともどこかで論じていますか?
もし論じていたら、中論の何章何句かをご指摘ください。
324初心:2009/02/28(土) 16:16:14 ID:9JGJBAmk
>>321
善悪を、世俗の凡人は捨てませんが、竜樹は捨ててしまいます。
竜樹の場合、善悪を空であると認識するようです。
325神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 16:16:38 ID:5mKK+FC9
>私は>>251ではありませんよ
それは失礼しました。
>天台本覚論は、日本仏教で最も高い見解ですから。
その通りだと思います。
いわゆる「道元の批判した本覚思想」とは心常相滅論です。
326神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 16:26:44 ID:j2y0QdFK
>>324
それはただのあなたの誤読です。
勝義と世俗という二諦を考えずに読むからです。


>>325
誤解が解けてよかったです。
327初心:2009/02/28(土) 16:30:28 ID:9JGJBAmk
善と悪という二つのものが、空という悟りによって一つになるのですが、
これはシャンカラの不二一元論、華厳経の不二一体と、
構造的に同じではないでしょうか?
328初心:2009/02/28(土) 16:34:21 ID:9JGJBAmk
>>326
では最初にもどって、空とは何でしょうか?
329神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 16:45:56 ID:dpUPeQ2J
本覚思想を悟りの先物取引みたいに思ってるんだろう。
330神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 16:48:25 ID:dpUPeQ2J
初心氏は先ず、貴方の発言が、ほぼスルーされていることに気がつくべきです。

どのレスを読んでも「独りごち」
331神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 16:48:31 ID:lZ7k54pV
332神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 16:55:23 ID:lZ7k54pV
333神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 16:56:18 ID:j2y0QdFK
>>327
シャンカラのアドヴァイタというのは非二一元論です。
それはよく知りませんが、ブラフマンのみが唯一の実在という意味で、
多様な現象は、ただの幻であり、ブラフマンとは別の第二の実在ではない、
つまり、サーンキャ的二元論ではないという意味と思われます。

華厳経に不二一体という言葉はありません。「不二一体」は本覚論や日本密教で使われる言葉です。
華厳教学の相即相入とか円融無礙ということは、シャンカラの一元論とは全く違います。
これは縁起を高い見地から解釈したもので、般若心経の色即是空・空即是色などに通じる考えです。
ブラフマンなどの実在を認めることはありません。

そして中観で、そのような見解は双運や如幻と言われますが、
これは『中論』には見られない考えです。
『中論』は、きっちりと釈尊の説を祖述してますよ。

334神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 17:00:57 ID:j2y0QdFK
>>328
現象するもの、知覚するのも全てに中身がないことです。
本質がない、実体がない、アートマンがない。
そして逆にアートマンや実体を、何か想定してしまう思考形式、
思考方法、考える癖、習慣、それが根本的煩悩だということを、
破壊するための言葉です。
335初心:2009/02/28(土) 17:02:23 ID:9JGJBAmk
>>330
いいんですよ〜 だってぇ 大乗自体がスルーじゃないですか〜?
いまや仏教が消滅するかどうかの瀬戸際じゃないですか〜?
336初心:2009/02/28(土) 17:14:29 ID:9JGJBAmk
>>334
そうであるなら、善にも悪にも実体がないことになり、
善と悪とは溶け合って、なんだか区別がつかない状態になりますね。
泥とハスの花を分けたほうがいいのではないかと。
337机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/28(土) 17:15:44 ID:dbsQDNWr
>>327
>善と悪という二つのものが、空という悟りによって一つになるのですが、

空が「一つになる」ということは、有りえませんね。

初代スレ7氏が、色即是空について紙の表裏で譬えましたけど、
拙者がこれ(紙)について譬えるとしたら、
紙自体が世俗諦です。→表裏も善悪も相対としての概念です。

空というのは、紙が存在していても存在していなくても空ですね。
つまり「形態とされない」のが空です。
ですから、形態でないものは、一つとか二つとか勘定できない。
(存在⇔非存在とかも、表裏・善悪と相とすれば同じ)→これは勘定できる。二つです。

龍樹が言語に拘るのは、言語とした時点で相対してしまう、
というレトリックの証明です。
338初心:2009/02/28(土) 17:20:48 ID:9JGJBAmk
>>333
だいたい失礼しました。わたしは華厳経を読んだことはありません。
中村先生の「仏教の真髄を語る」が根拠です。
この中に、華厳経の話があり、「不二一体」の話があります。
339神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 17:25:49 ID:j2y0QdFK
>>336
そう考えるのは、あなたが縁起を理解してないからです。
縁起は基体なく、すべては流動的に因果関係を持って生成するという意味です。
仏教でいう善悪とは、楽をもたらす行為が善で、苦をもたらす行為が悪です。
そして、楽には世俗的楽と本質的楽があり、本質的楽とはネハンです。

ですから、考える前に基本的な知識を持ってください。

酒の肴のような世間話をなさりたいのでしたら、場違いだと思いますよ。
340神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 17:28:04 ID:L6njLatM
>>336
長空不礙白雲飛

善悪の区別が無いからこそ、間違いなく善悪業の果が実る。

341初心:2009/02/28(土) 17:37:43 ID:9JGJBAmk
>>334
たぶんアートマンが五蘊で構成されていると考えているのでは?
そうではないアートマンを考えたらいいと思います。
霊的な存在であるアートマンです。縁起が通用しない次元ですね。
342初心:2009/02/28(土) 17:45:45 ID:9JGJBAmk
>>339
似たような考えの方かと思いました。
しかし小乗的(上座部的)ですね。非難ではなく賛成という意味です。
343神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 17:50:45 ID:lZ7k54pV
中論は、なかなか優れてると思うけど、デカルトの方が確実だな。


デカルトは、まず目の前の世界が幻覚かもしれない、したがって本当には存在せず偽りだとして斥けた。
こうして世界には何もなく、天も地も精神も身体も存在しないと一切を否定した。
しかし、それでも存在を疑い得ないものがただ一つあることを発見した。
それは、疑っている私の存在である。
私はすべての存在を退けたが、疑っている私は存在する。
私とは何であるかを吟味し、私が身体も持たないと仮定することができ、
私がいかなる世界も、いかなる場所も存在しないと仮定することはできる。
しかし、だからといって私がまったく存在しないとすることはできない。
それに反して、もしも私が考えること止めていたら、私が存在しているという根拠も持たないことになる。
このことから、私というものは一つの実体であって、この実体の本質とは考えるということだけである。
そして、このような実体が存在するためにはいかなる場所も必要とせず、いかなる物質的なものにも頼らないものであること、
したがってこの私なるものは、身体とは別のものであり、たとえ身体がまったく存在しないとしても、
それは本来在るものであることを私は知ったのである。
344初心:2009/02/28(土) 17:57:03 ID:9JGJBAmk
>>340
何を言ってるのですか? 意味がワカメあるいは昆布ではないですか?
345初心:2009/02/28(土) 18:03:07 ID:9JGJBAmk
>>343
デカルトはほとんど知りませんが、
私なるものって、アートマンではないですか? 釈迦の流れですかね。
346神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 18:10:05 ID:lZ7k54pV
私 = 思考(考えること)です。 それ以外は一切無し。 
347神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 18:29:55 ID:lZ7k54pV
中論で説明されるのは悪、善や苦、楽など2対の縁起だけなんですか。
A-B ,A-C, A-D, B-C・・・など無数の縁起があると思うのですが。
348初心:2009/02/28(土) 18:45:24 ID:9JGJBAmk
>>337
>空が「一つになる」ということは、有りえませんね。
 
空が一つになるのではなくて、善と悪とがひとつになる、という意味です。  
 
>龍樹が言語に拘るのは、言語とした時点で相対してしまう、
>というレトリックの証明です。
 
言葉の限界があるのでしょうね。言葉は空間を語るか、時間を語るか、
そのどちらかでしかありません。現実は言葉を超えています。
349初心:2009/02/28(土) 18:54:15 ID:9JGJBAmk
>>347
すごくいい疑問だと思います。
結論から言えば、2対あるいは2項でいいのです。
なぜなら現実では、二者択一、やるかやらないかが問われているからです。
350神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 19:04:28 ID:fs5QFWaX
>>335

>いいんですよ〜 だってぇ 大乗自体がスルーじゃないですか〜?
>いまや仏教が消滅するかどうかの瀬戸際じゃないですか〜?

仏教は消滅しません。
全く心配後無用。

まがい物が増えるのが迷惑。
351初代スレ7:2009/02/28(土) 19:11:01 ID:kISeWRNp
>>350
宝珠氏のことですか?w
352業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/28(土) 19:19:10 ID:8gJJHwSq
>>348 おそらく真宗の僧侶の方ですが、
かつて他スレで以下の書き込みがあった。
参考にしてください。

ベロ ◆eOod7XM/js

『縁起を「空」であるとか「無相」だとかの言葉で張り紙をした瞬間に空では
なくなるのですよ。これを龍樹は戯論(プラパンチャ)と言ってますが、
縁起している真実の世界とは観るものであり、決して言語表現され得ない
ものなんですね。ですから実は縁起の世界を「空(シューニャ)」などという
言語表現になった時点で縁起の本質からは離れてしまってるんです。
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まずは言葉による仏説を信解してはじめて
深遠な「勝義諦(=言語表現できない世界が縁起している真実を観る)」に
頷く事が可能なのですね。ですから自分の達した境地が魔境かどうかは、
言葉で仮に表現された仏説を確かめることによって確認できるのです。

ただしそれはあくまで仮に表現されているものに過ぎないと言う事実を
腹に据えておかないと仮の言語表現にとらわれ、レッテル貼りをし、それを
元に論争をし、ますます真実から遠ざかってしまうのです。
ですから縁起、無自性、空を「真我」などと言葉でレッテル張りした時点で、
釈尊からも龍樹からも「あなたアフォですか?」と言われてしまいますよ。』

・・・・・・・・
多少、中段には異論もあるでしょうが、業報輪廻転生も言葉です。
353机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/28(土) 19:34:19 ID:dbsQDNWr
>>352
ベロ氏は真宗僧侶ですね。
(電波氏に傾倒してます)

>深遠な「勝義諦(=言語表現できない世界が縁起している真実を観る)」

空は世界とかではないですね。
世界というのは「色」です。
彼の世も、此の世も色ですね。

よく「空の世界」とかいう御仁がおりますけど、
そんな世界はないのです。

#、では、おやすみなさい。
354初代スレ7:2009/02/28(土) 19:43:00 ID:kISeWRNp
独り言氏は、このスレチェックしてるだろうか・・・。
355初心:2009/02/28(土) 19:43:21 ID:9JGJBAmk
>>352
言葉で張り紙してはいけないと言いながら、
仏説の言葉は丸のみですか?
356神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 19:50:31 ID:Gm1BEXvC
>>354
原始仏教まとめ
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html

↑は動いていないですね。
宝珠さん、ここもまとめられては如何ですか?
357神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 20:02:48 ID:lZ7k54pV
いま中論を全文よんでみたけど、これって釈迦の無記と縁起を説明してるだけの気がするが。
縁起は難しいから、説明したのかもしれない。
「私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く、悟り難いものである。」
358宝珠愚者:2009/02/28(土) 20:10:06 ID:C/0Nh8PT
>>335
>いまや仏教が消滅するかどうかの瀬戸際じゃないですか〜?

ある意味で同意します--ゴータマの法は不変でしょうが、
仏教界(信仰の現場)の現状については、この私も危惧しています(特に日本仏教かな)。
根本からその在り方を問う時期に来たものと見ています。
それを蔑ろにしてると本当に消滅/壊滅へと向かう・・。
359神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 20:18:17 ID:j2y0QdFK
>>357
なかなか、鋭いですね。
しかし、デカルトの方が優れているというのは全くいただけない。
360神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 20:29:48 ID:lZ7k54pV
釈迦が菩提樹の下で悟ったのは縁起の法であったとされます。
縁起の法は、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静からなる。
諸行無常 この世のすべてのものは同じ状態を保っていない。
諸法無我 この世のすべてのものは主体とも呼べる我がない。
涅槃寂静 無常と無我を自覚して煩悩のまったくない境地。
361宝珠愚者:2009/02/28(土) 20:32:24 ID:C/0Nh8PT
>>352
ベロ ◆eOod7XM/js さんは
私が原始仏教スレで6年前に絡んだことの在る方ですね。
この説明では「空」の教えとは、中身のない「空(からっぽ)」ってことですよ-愚かです。

>>353
>(電波氏に傾倒してます)

そそう!

>>356
>↑は動いていないですね。
>宝珠さん、ここもまとめられては如何ですか?

このまとめページの存在は知ってます(全部、読んでませんが・・)。
「ここもまとめられては如何ですか? 」とは、どういう意味?
このスレの毎回、このページをリンクで貼れということ?ではなくて、
このページに当輪廻スレも加えた内容で新リンク紹介ページを作成すべきだ、ということ?
362業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/28(土) 20:35:22 ID:8gJJHwSq
>>355
「あなたアフォですか?」
363宝珠愚者:2009/02/28(土) 20:41:07 ID:C/0Nh8PT
>>351
私は神智学徒です--「仏教徒」などとはいってない!
輪廻否定者にはいわれたくないなぁ〜^^
364神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 20:48:38 ID:hbVYk6L7
>>361
このページに当輪廻スレも加えた内容で新リンク紹介ページを作成すべきだ、ということ?

そうそう。
くだんのサイトも2〜3年に一人でも目を通す人がいて、何かのヒントになれば価値のあることではないでしょうか?
あるいは、その反対もありえますがw
365宝珠愚者:2009/02/28(土) 20:59:32 ID:C/0Nh8PT
>>364
ご意見としては大賛成ですが、
できればこのページの作成者/独り言さんに連絡がつけば、
あとはリクエストをするだけなのですが・・。
どなたか連絡方法は知らないのでしょうかね?

ヴェブページ作成はすぐにできますけど!
366神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 21:09:17 ID:lZ7k54pV
>>359
内容より、文書の明晰性という点についてね。
中論は他の教典と違って、科学的、哲学的な書き方になっていると思った。
そうしてデカルトと比較してみた。
ほとんど全ての文書は明晰でなくて、明晰なのはデカルトか、その流れをくむ人しかいないと思う。
367宝珠愚者:2009/02/28(土) 21:22:36 ID:C/0Nh8PT
独り言さんのページは、LastUpdate:2008/09/05ということになっており、
現行スレッド/原始佛教 その28となってて継続中ですね・・。

ウェブ制作の意図からして「原始佛教」の支持者ということであり、
当シリーズ-スレは、
原始佛教のスレ主/阿呆陀羅經さんからは嘲笑の対象のようですから、
おそらくリンクに付け加える意志はないのではないでしょうかね?

もしも、私がヤルとしたならば、
そのページを奪うような形式はやはり避けたいので、
当シリーズ-スレのリンク集ということで全く内容の異なるウェブにして、
その中に独り言さんのリンクページをリンクする形となるでしょう。
リンクフリーは表明されているので、これなら問題はないと思う。
368神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 21:23:13 ID:V3BX1cKg
想いの道: 仏教崩壊 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/mrikioh/archives/51292781.html

最近、「仏教崩壊」という本を読みました。
2003年3月に発売された本で今更ですが・・・。
著者は児玉修。テレビの宗教番組の制作にもかかわる映像作家。
文藝書房から出版されています。
二○二○年にすべての仏教教団が消滅し、日本の仏教は生まれ変わるという内容。
小説ながら、現在の仏教教団が抱える問題点を的確に指摘していると思う。
仕事がら葬儀に携わるものとして色々と考えさせれた。
一つには檀家料や葬儀のお布施など金銭的な問題。
地方と都市では、布施の金額に大きな開きがある。小説にも書かれていたけど、
「都会の檀家は寺と普段の付き合いがないので、高額になって当然」
というのが僧侶の発想。しかし、それは僧侶の一方的な論理だと指摘している。
都市に住む多くの人が不満を抱き、寺離れが起きていく。
最近、東京では寺も維持が大変になっていて、自ら斎場をたて、葬儀社に貸すということが増えている。12月号のフューネラルビジネスという業界誌にそんな内容で特集もされている。
いくら生き抜くのが大変とはいえ、ビジネスに走るのはどうかと思う。
僧侶ですよ。
僧侶が商売人になるなんて。。。
深刻です。
369神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 21:28:39 ID:6FIW2n0o
>原始佛教のスレ主/阿呆陀羅經さんからは嘲笑の対象のようですから、
>おそらくリンクに付け加える意志はないのではないでしょうかね?

まぁ、そういうことですわね(嗤)
370神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 21:31:55 ID:V3BX1cKg
だいぶ前のことだが、朝日新聞にのせられた、パナソニックの創始者・故松下幸之助氏のつぎのような文章があった。
《寿命を知る》という題であった。

 「過日、京都の真々庵で、あるお坊さんと歓談のひとときを過ごした。
そこでいろいろと話をかわしたのだが、その話のなかで、フト私はこの坊さんに、禅宗の今後はいったいどうなっていくのか、ということをたずねてみたのであった。
 禅宗だけに限らず、わが国の仏教というものは、現在、必ずしも興隆しているとはいえないように思う。
最近欧米諸国で、内容はともかく、禅ということばに興味が持たれるようになったとはいうものの、全体の趨勢としては、ますます盛んであるとは決して言えないように思うのである。
 そこで私は、禅宗のお坊さん自らが、これをどう考えておられるのか、なにげなしにおたずねしてみたのであった。
 答はまことに簡単であった。 『禅宗は自然消滅でしょうナ』
 正直なところ、私はおどろいた。ともかく、このお坊さんは高僧といわれるほどの偉い方なのだが、そのお坊さんが、自らここまで言い切られるとは、私は考えてもみなかったのである」。
371神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 21:32:55 ID:lZ7k54pV

もっとも単純なものから始めてそれを演繹していけば最も複雑なものに達しうるという、数学的な考えを規範にして以下の4つの規則を定めた。
明証的に真であると認めるものでなければ、どんなことも真として受け入れないこと。言い換えれば、注意深く速断と偏見を避けること、そして疑いの余地のまったくないほど明晰かつ判明に現れるもの以外は受け入れないこと。
考える問題を出来るだけ小さい部分にわけること。
もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、複雑なものの認識にまで達し自然のままでは互いに順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。
完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、見落としがなかったと確信すること。
デカルト 方法序説
372神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 21:33:59 ID:V3BX1cKg
 「私のおどろきを察しられたのか、その人は静かにことばを足された。『松下さん、それは寿命ですよ。諸行無常を説かれた釈迦の教えなんですよ』。
 私は“なるほど”と思った。いっさいのものが生々流転し、いっさいのものに寿命がある。大きな目で見れば、そこに真の生成発展の姿があるわけである。
だから禅宗といえどもその例外ではない。万物流転の法則に従って、やがては寿命がつきてゆくのである。
お釈迦さんが仏教のなかで自らそうお教えになっている。−−なるほど言われてみれば、まったくそのとおりではないか。
 しかもこのお坊さんご自身は、自分の信奉する禅宗が、やがては自然消滅するからといって、けっして悲観しておられるわけではない。
むしろそれを動かしがたい一つの哲理として承認されたうえで、何ものにもとらわれることなく、禅宗の寿命のつきるその瞬間まで禅の教えを説いてゆこう、と考えておられるように思う。
そして、そこにいわば非常な安心の境地を得ておられる、ということなのであろう。
 私はこれを聞いて非常に啓発されたのであった。結局われわれ人間の寿命も、また仕事や事業も、これと同じことがいえるのではないかと思う」。
373神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 21:41:14 ID:V3BX1cKg
ルネ・デカルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88

ルネ・デカルト(仏: René Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者・自然哲学者(自然学者)・数学者。
考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上でもっとも有名な命題の1つである。
そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、
信仰のうちに限定してではあれ、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。
デカルトが「近代哲学の父」と称される所以である。

初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)において、冒頭が「良識(bon sens)はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域における人権宣言にも比される。

また、当時学術的な論文はラテン語で書かれるのが通例であった中で、デカルトは『方法序説』を母国語であるフランス語で書いた。その後のフランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きい、ともいわれる。
374神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 22:23:33 ID:bjJ/BuIn
デカルトよりはカントの方がいいだろうな。
375神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 23:15:01 ID:E2Pc/gHi
何だか堕スレになってきたな。クリスチャンやキリスト教崩れが入り込んで
来たからだろう。

素朴な言葉氏はクリスチャンだし、カラスはもとより、宝珠愚者や初心氏にも、
キリスト教の臭いがぷんぷんする。

他の宗教でも、キリスト教の影響があると、例外なくカルト化する。

イエスは、「私を信じよ」のエゴの塊。「自灯明」などという言葉は、逆立ち
しても出てこない。釈迦の「自灯明」とイエスの「私を信じない者は裁かれる」
という「脅迫」とを比較してみて欲しい。

なお、仏教の「法」とは、釈迦の教えをいうのではない。「事物及びその構成
要素」、即ち、大自然の摂理、すべての力あるものをいう。もし、法が「ブッダの
教え」だとすると、「自灯明」という言葉が、宙に浮いてしまい、矛盾が生じる。

デカルトのコギトは、西洋哲学の誤謬の根源である。
376業報輪廻転生論は悪の論理:2009/02/28(土) 23:26:22 ID:8gJJHwSq
>>375
>デカルトのコギトは、西洋哲学の誤謬の根源である。
同意。
所詮、自他分裂の二元論的世界観は不一不二の中道とは相容れない。

一元論的世界観も当然同様。
377神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 23:35:50 ID:lZ7k54pV
自分は宗教やってないし哲学もやってないし信仰していない。
間違えや価値の無い文書はあるとおもうが、デカルトは明晰性という点では秀でていると思う。
378神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 23:44:43 ID:j2y0QdFK
>>377
明晰性は、分析哲学の方が上だと思います。
ですが、さらに釈尊、龍樹菩薩はより明晰簡潔だと思いますよん。
379神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 23:50:05 ID:E2Pc/gHi
>>377
デカルトは、「すべてを疑え」といいながら、結局、「神」だけは疑えなかった。
最も疑わしいのは「神」であるのにw。

デカルトが、いくら「我思う、故に我あり」と言っても、他者が自分の身体を
知覚してくれなければ、「我は無い」。単なる幽霊である。共同体性(関係性)
の概念が、全く欠如している。やはり、キリスト教の呪縛から抜けられなかった
だけだろう。
380神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 23:58:42 ID:lZ7k54pV
哲学や宗教は著者の言いたいように言わせて良いと思うが。
納得したり、信仰したりするのは自分が決めればいい。
明晰性は、分析哲学や論理学とか分野によるものじゃないよ。
分析哲学、論理学を専攻している人の文書がどれも明晰という事は無い。
381神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 00:04:06 ID:llXAfp9K
イマヌエル・カントはおそらく、近代の独白的な倒壊による均一化や弱体化と
戦った最初の大哲学者であろう。しかしながら、彼の仕事の最終的な成果は
――明らかに才能の劣った理論家たちの手によって――実証主義のヘゲ
モニー(主導権)を強化することになった。このことは、ほとんどの学者が同意
しているが、カント自身が望んだことではまったくなかった。
 (中略)
科学は次の二つのことが禁じられた。すなわち、(1)科学は<霊>(スピリット)
が存在すると言うことはできないが、(2)明らかに、<霊>が存在しないと
言うこともできないのだ! カントの論点は、彼自身述べているように、信仰の
余地を残しておくために、知識(「それ」の知識)の立場を突きくずしておきたい
ということだった。
 (中略)
カントが<ビッグ・スリー>の価値領域(芸術・道徳・科学、「私」・「私たち」・「それ」)
を明確に差異化し始めていたこと、そして霊的な知識を科学の単なる「それ」
領域から大胆に取り出し、それを堂々と道徳的推論や説望という、「私たち」の
領域に置いていることがわかった。彼は「それ」の科学(と「それ」の形而上)を
制限し、「私たちの-形而上学」や対話的理性や霊的な信仰のための場所を
空けておきたかったのである。科学でなく道徳が一番鮮明に<神>を志向して
いるのだ。

(ケン・ウィルバー 『宗教と科学の統合』)

どう評価するにしても、カントの超越的理想主義はたしかにどこから見ても
印象的です。そしてほとんどすべての現代の超越的思潮の、すこしでも聞くに
値するような遺産の多きな部分はカントまでさかのぼるでしょう――フィヒテ、
シェリング、ヘルダーリン、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ニーチェ、ブラッドリー、
フッサール、ハイデッガー・・・カントはトロールや穴居人たちとの高貴で
英雄的な闘いをした最初の重要な現代人だった、と言えるかもしれません。

(ケン・ウィルバー 『万物の歴史』)
382神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 00:19:41 ID:sk+m6m39
大学、大学院と数学専攻して論文をかなり読んだけど明晰なものはほぼ無い。
そもそも業績を作る為だから明晰さにこだわる必要はないけど。
しかし、他の出版物、教科書にも明晰な物はほぼ無い。
フランスの数学者はなかなか良いと思って、歴史をたどるとデカルトに辿り着いた。
カントは全く知らないけど文書は明晰なの? 
383神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 00:49:09 ID:sk+m6m39
明晰性のある文書は、脳の働きが極力抑えられたときに書かれていると思う。
下に羽生の脳波についての記事載せたけど、同じように瞑想の様な脳波の人が書いた物と思う。

かつて羽生と谷川の対局中の脳波を調べる科学的な実験が行われた。
お二人を比較すると、谷川さんが集中型なのに対し、羽生さんは瞑想型でした。
羽生さんの場合、非常にリラックスされていて、いわば座禅を組んで瞑想している高僧のような脳波が出ている。
アマチュアは論理脳の左脳、それも言語を扱う領域の周辺が活性化します。
これに対し羽生さんは言語領域の働きがむしろ抑制され、直観脳の右脳の視覚野が最も活発に働きます。
また、過去の対局の棋譜を思い出す時、羽生は脳波の周波数が安静時より下がることも観察された。
プロ、アマを含め、このような棋士はほかにいない。唯一相当するのが、高僧が瞑想に入る時だという。
http://hobby.nikkei.co.jp/shogi/column/index.cfm?i=20020722s3038s3
http://taichi-psycho.cocolog-nifty.com/adler/2006/01/post_20b7_2.html
384宝珠愚者:2009/03/01(日) 01:00:56 ID:PHl/CoqP
>>375
>なお、仏教の「法」とは、釈迦の教えをいうのではない。
>「事物及びその構成要素」、即ち、大自然の摂理、すべての力あるものをいう。

仏教においては同義扱いとなるのですよ。
それは、あなたに仏典の読解力がないからです。

>イエスは、「私を信じよ」のエゴの塊。「自灯明」などという言葉は、逆立ち
>しても出てこない。釈迦の「自灯明」とイエスの「私を信じない者は裁かれる」
>という「脅迫」とを比較してみて欲しい。

悲しいくらい聖書の読解力が皆無で、
ただクリスチャンたちの有様を見てるだけだからです。

>何だか堕スレになってきたな。

それは、
あなたに成長が皆無だからです。
385宝珠愚者:2009/03/01(日) 01:02:21 ID:PHl/CoqP
>>261
>石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』を勧めるのは、明解だからです。
>そしてブッダゴーサより龍樹菩薩の方が正確に釈尊を理解されたと思われるからです。
>もちろん、ブッダゴーサもすばらしいのですが。
>この二冊を読めば「ニルヴァーナは常住論」でないことがよく分かると思います。

そうですが・・それほどの推薦書であれば了解しました。
この2冊は取り寄せます。

>たぶん、宝珠さんには大乗の方があってると思いますよ。

うーむ。
しかし、大乗にはアンチ小乗の意図が感じられ、
随所にゴータマの教えに対してまで歪曲があるように思えるのですが・・。
因みに神智学の立場からは仏陀は最高ランクの存在です。
そして、神智学が仏教と呼ぶ場合には大乗を意味しません。

ていうよりは、
世界的にみても大乗はゴータマの教えではなく、
従って、仏教とは言い難いものです。
後世の弟子たちが説いたものだから、「派」ではあるとは思いますが・・。
弟子の思想体系ですね。ゴータマのではない。
386宝珠愚者:2009/03/01(日) 01:12:28 ID:PHl/CoqP
>>356>>361>>364-365>>367
早速、リンクページを作成しました。
(特にコンテンツはありませんw)

常時、更新していきますので、
良ければ、皆さんでご活用下さい!
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html

(もしリンクが見えない等々・・の不具合にお気づきのときにはお知らせ下さい)
387宝珠愚者:2009/03/01(日) 01:14:59 ID:PHl/CoqP
次スレからは、
過去スレとして、http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
と、「2ch DAT落ちスレミラー変換機」http://www.geocities.jp/mirrorhenkan/

を掲載するだけでこと足ります!
388不説:2009/03/01(日) 01:21:24 ID:J/W36lq6
>>258,>>263
それはコテハン使用以前の私ですよ。ジャイナ教も引き合いに出したりしていまし
たね。

真言宗徒さんの意見と重なるのはわかります。多分、お互いに、特に宝珠愚者さん
が典型的外道の邪見ではないかという疑惑についての批判的態度としては、パーリ
仏典的にある程度精通している観点からは同様のものとなるからです。

実のところ、私は早々に批判的姿勢からはドロップしたわけですが、後は真言宗徒
さんにお任せ(?)いたします。

私自身は、神智学的な観点(この点では、真言宗徒さんのおっしゃるように、明ら
かに、パーリ経典を保持する上座部の仏教思想よりも大乗の仏教思想の方が愚者さ
んには親和性は高いはずです)なども興味はある(私の場合、なぜか、救済思想的
な面では、大乗仏教やキリスト教やイスラーム教のような伝統的な救済思想の宗教
よりも、神智学の方が抵抗を感じないのです。おそらく歴史的に新しいのでイデオ
ロギー色が薄いからでしょう)ので、そちら方面の話も歓迎いたします。
389宝珠愚者:2009/03/01(日) 01:28:23 ID:PHl/CoqP
>>388
>それはコテハン使用以前の私ですよ。ジャイナ教も引き合いに出したりしていましたね。

なるほどそうでしたかぁ〜了解しました^^

>典型的外道の邪見ではないかという疑惑についての批判的態度としては、
>パーリ仏典的にある程度精通している観点からは同様のものとなるからです。

はい。たしかに批判的な意味合いとしては当然だと思っています。
(批判を受けるであろうことを)私も最初からそのつもり覚悟していました。


また、いろいろとご教授下さい。
宜しくお願い致します!ペコリッ
390科学と宗教の関係:2009/03/01(日) 02:00:20 ID:llXAfp9K
佐々木茂美氏に代表される「気の科学」という分野は、現在、人体科学会や、
国際生命情報科学会といった学会組織において研究がされている。それは
正規の科学的方法にのっとって行われている。

科学的方法論というのは本来、世界観に関してはニュートラルなものである。
科学は「唯物論」というパラダイムに基づかなければならない、というのは信念
のレベルにあることであり、それ自体は科学的に検証することのできない
命題である。ただ、科学的方法論というのは観察・測定に依拠するから、その
方法によって明らかにできることには限界がある、ということである。

佐々木茂美氏も「気の科学的研究」と「気の体験」の二面から話を進めている。
つまり、「気」そのものは体験のレベルにあることであり、これは研究すると
すれば現象学の方法が適切なものである。それに対して科学的研究は、
体験の現象学から抽出された「気」という概念を前提とすれば、さまざまな
観測データが説明可能となることを示す。つまり「気」を仮説として定立すること
自体は、科学的方法論ではなく、現象学的方法論に由来する。なお、「気」の
現象学については、現象学者の山口一郎氏が興味を示しているようだ。
この前の人体科学会の大会でもシンポジウムがあったらしい。

ケン・ウィルバーは、科学と宗教との関係について次の5つの立場を分類して
いる。

1.科学は宗教を否定する。(いわゆる科学教、科学至上主義)
2.宗教は科学を否定する。(宗教的根本主義)
3.科学と宗教とは、異なる存在領域においてそれぞれ有効であり、棲み分け
  をしている。互いにその存在領域の枠内においてはいずれも有効である。
4.宗教がこれまで主張していたテーゼ(宇宙根源や霊的な次元など)は、
  科学の進歩によってある程度証明可能となってきている。
5.科学は何ら真理性を担保されたものではなく、一つの解釈枠組にすぎない。
  その、物質世界を探求することの妥当性も不確実である。
391科学と宗教の関係:2009/03/01(日) 02:08:44 ID:llXAfp9K
ウィルバーは3の立場を取る。4は、最近ではラズロの本に見られるような、
ニューサイエンス系によくある論調である。5は、ポストモダニズム思想の影響
下にあるが、科学哲学の中でも急進的な「非共約性」の立場に立つパラダイム
論などはここに入る(池田清彦などもこれ)。

3の立場は、物質領域を探求する上においての科学の有効性に絶対の自信
を持っている。同時に、霊的領域を探求する上において、霊的伝統によって
保持されている技術(修行法)の妥当性に絶対の自信を持っていることでも
ある。それぞれにおいて妥当だから、棲み分けろというのである。これに対し
5の立場は、すべて人間が構築した知的秩序の「不確実さ」を強く意識した
思想である。

しかし、少しずつながら前進している「気」やスピリチュアルヒーリングについて
の科学的研究などを見ていると、この5つ以外の選択肢もありそうに思える。
つまり、体験的地平からの定立とともに、霊的次元と物質次元との相関について、
科学的方法で解明可能な部分については研究していこうという「非唯物論的
科学」の可能性はあると思う。上の3の立場だと、それぞれはまったく別である
とされるが、いわゆるサイキック現象(非物質次元と物質次元の相関現象)の
実在ということが想定されていないように思われる。そのあたりが、超心理学
などの研究領域でもある。

そもそも現在の唯物論的科学とは、自然というものを「物質である」という視点
から研究するものであるが、自然をどう見ていくのかについて、その立場のみが
正しいわけではないのはもちろんだろう。物質は非物質と相関しているのでは
ないか、というのは過去の自然哲学には多くあった思想だ。そういう相関的
パラダイムに基づいた科学研究が隆盛になればまた人類文化も変わっていく
だろう。たとえば波動医学的なものをエビデンスベースで(つまり統計的に
ということ)研究するようなことはそういう意義があるだろう。

なお、うえの4の立場において「科学と宗教の融合」を期待する向きがあるかも
しれないが、これは認識論的なカテゴリーエラーがあり、私には認められない
立場である。
392不説:2009/03/01(日) 02:12:02 ID:J/W36lq6
>>385
そうですね、上座部では、滅多なことで(ゴータマ)仏陀という存在を相対化して
扱いません。阿羅漢という呼称については、これは(ゴータマ)仏陀特有の属性で
はなく、相対化した一般名称として用いるのですが、その場合とは対照的です。

ゴータマ仏陀の言葉に最も近いとされているスッタニパータなどの古層の経典群で
すが、その古層をその古い状態で忠実に後世に伝えたのはそれらの経典群を一部と
して含むパーリ三蔵を保持する上座部なのです。その上座部におけるゴータマ仏陀
の扱いとしては、宝珠愚者さんの、他のヒンドゥ系聖者と同列に並べる扱い方は、
軽い扱いと受け止められても当然なのです。

一方、大乗の場合は、釈迦牟尼ゴータマ仏陀を数多の如来の一人として扱っており、
またそれ以上に、大日などのより上位の如来も設定したりしていて、そういう点で
は、むしろ神智学に近いと言えます。

もちろん、「滅多なことで」という点はポイントとして残ります。パーリ仏典でも、
ゴータマ仏陀は諸仏の中で最新の仏陀ということになっています。過去にも数多の
仏陀は存在したことにはなっています。ただし、この仏陀という存在が、上座部的
には、極めて貴重なので、そう簡単には現われない存在とされています。何せこの
劫でたった五人しか出現しないうちの、四人目です。だから、次の弥勒仏を除いて、
この劫ではもう二度と現われないレベルの聖者です。

もし愚者さんの言うように、それら何人ものヒンドゥ系聖者方が仏陀に比する聖者
だとするならば、
1.パーリ仏典は、ゴータマ仏陀を崇拝するあまりに、仏陀を過大に神聖化して語っ
ている。実は仏陀はもう少しありふれた存在である。
2.そのうちの一人が弥勒仏であり、あとの人々は、仏陀以下の聖者である。
のどちらかということになってしまいます。
もちろん、宝珠愚者さんの「覚者」という扱いが、仏陀ではなく阿羅漢を指すので
あれば、多少、話は違ってくるでしょうし、また、正自覚者ではない、独覚(辟支
仏)という概念もありますので、解釈の余地は色々と残されています。
393科学と宗教の関係:2009/03/01(日) 02:13:51 ID:llXAfp9K
一方で、「唯物論的に世界を理解すること(物質次元のみが存在し、非物質
次元と物質次元の相関はありえないとすること)の妥当性は、科学によって
『証明』されており、そのように考えることが『合理的』である」というような考え
方は、まだ一般の人々のレベルでは強いが、これについては、すでに世代間
ギャップがあるかもしれない。50代以上で高等教育を受けた人はそのような
パラダイムの影響を受けていることが多いのである。例えば、非唯物論的科学
=疑似科学、との単純な公式がインプットされている人がかなり存在する。

現実には、まだ少数派であるが、佐々木氏のような「非唯物論的科学」も存在
するのである。したがって、3の「棲み分け理論」ではなく、「科学的方法は、
世界観的にはニュートラルであり、物質次元と非物質次元との相関を、ある
程度明らかにできる可能性がある」とのとらえ方が、先の1〜5以外に可能で
あるように思われる。つまり、それは、存在の非物質次元と物質次元を包括
した広義の「自然哲学」によって基礎づけられることができる。3の立場では、
いつまでたっても相関が明らかになっていかないのである。
394宝珠愚者:2009/03/01(日) 03:45:15 ID:PHl/CoqP
>>160
神智学の説くモナッド(monad)/スピリット(Spilit)というのは、
サーンキャのプルシャ(Pursha)であり、イシュヴァラ(Ishvara)の断片(閃光)を意味し、
それはまた、ジーヴァートマー(Jiva^tma^)でもあります。

って、ま〜よく分りませんが・・(笑)


>>392
詳しい説明に感謝です。
うーん、そうですかぁ〜それはなかなか難しいです・・。

 ブっちゃけ神智学では、人の意識レベルを進化段階と呼び、イニシエーションの段階で表現/評価する
のですが、仏陀については8段階(惑星ロゴスの反映/サナートクマラが9段階)です。5段階で解脱した完
成者/覚者と見なすことから、この進化レベルの達成点というものは途轍もないものです(尚、弥勒は7段
階です)。
 ヒンドゥー世界のアヴァターラ方については5段階以上は間違いないのですが、進化レベルは非公開な
ので詳細は不明なのです。つまり個々により、5,6,7〜段階と様々であるということです。因みに神智学の
呼称としてはアールハット(阿羅漢)は一つ下の4段階と評価し、神智学での「一来」存在です。
 それに対して仏教(ゴータマの思想)では、ニルヴァーナかそれ以下しかない。あとは上座部の阿羅漢
の存在ですか・・。つまり、同じ解脱の境地であってもゴータマを更に特別視しており、もう一ランク上位と
見るのだろうと思います。この見解は神智学の5段階を覚者と見なすが、更に仏陀は8段階であると説明
するのと似てるものと思います。
395宝珠愚者:2009/03/01(日) 03:45:49 ID:PHl/CoqP
 真言さんは、以前はバラモン/ヒンドゥーの梵我一如も同じ境地と思っていたが、仏教の縁起を理解す
ることでこれらがニルヴァーナではなく、それより下位の段階であると理解したといっていますね(仏教的
には正統だろうと思いますが・・)。
 私は逆の流れということなのかな?私はたまたま仏教から入った人間だったので、これだけが唯一の真
理だと思っていました。これ以外の思想は全て外道、場合によっては邪教なのですよ。しかし、自分で近
代ヒンドゥーのアヴァターラ存在の教えに触れて、その見解が>>156のようなものへと換わったのです。
 これはもちろん、ただの伝統バラモン聖典を読むだけではそうはならなかったでしょう。でも結局は、最
終的にはこれらも自分自身の道とはしなかったのですが・・・。理由としては、やはりこれも信仰的であり、
献身(バクティー)と導師への忠誠の道であるということと、そこにはどうしても勝義的な姿勢が強くて、今
生だけで解脱できると説く部分が強く示されているからです。

 それにはやはり、出家が有利ということになるのであって、またどうしても今生だけで達成できるというの
には私は無理を感じるわけです。しかも社会とは関わりに対する意味の説明がとても弱い。それはまるで
出家を阻むような俗世の事柄全ては解脱を妨げる誘惑であるとさえも受け取れるものになってしまう・・。
 話は何でもいいのですが、例えば北朝鮮問題でもいい。このような出来事に対する関心をどう捉えるの
か?そんな世俗の出来事に意識を向けるな!という姿勢は、もろ出家した者にとっては適切かもしれませ
ん。しかし社会生活の中で普通に暮らそうとするものにとっては無関心でもいいのか?ということなのです。
どうもインド宗教は、何れも内面への精神集中を説くものであり、無関心の姿勢を理想とするものと思うの
ですよ。しかし、神智学はそれらの宗教とは全く違った・・。
396不説:2009/03/01(日) 04:41:12 ID:J/W36lq6
>>394,>>395
>私はたまたま仏教から入った人間だったので、これだけが唯一の真
>理だと思っていました。

そのとき、なぜ、そのように思われていたのでしょうか?

宝珠愚者さんの場合は、スッタニパータ等の中村先生が翻訳されている古層の経典
群以外のパーリ経典にはほとんど触れられていないように見受けられます。それら
の経典だけで、他を外道と判別する明確な根拠とできるような箇所があるのでしょ
うか?

私(や、おそらく真言氏)の場合は、一応、梵網経などの、「○○という邪見」と
いう一定の経典において、邪見であると判断する鋳型に則って、宝珠愚者さんの見
解もまた邪見の一種になってしまうのではないか、とそのように主張したわけです。
(今はとくにこの点で宝珠愚者さんを追求することに熱意はありませんが……)

あと、上座部(パーリ経典)にあまり詳しくないようですので、念のために説明さ
せていただきますと、涅槃に達するのは、阿羅漢だけではありません。阿羅漢は最
終解脱ですが、部分的な解脱として、以下、不還果、一来果、預流果があります。
また、阿羅漢果に到達した者でも、仏陀は当然別格ですし、仏陀の次に独覚が、独
覚の次に二大弟子(サーリプッタ尊者、モッガラーナ尊者)が、彼らの次に八十大
弟子が、通常の阿羅漢よりも抜きん出た存在として位置付けられています。
このあたりも、多少は、神智学のイニシエーションと対応付けが可能なのかもしれ
ません。それは別としても、パンテオン的には、ゴータマ仏陀の上にさらなる存在
を設定するあたり、大乗仏教とパラレルな関係があると考えた方が素直でしょう。
397不説:2009/03/01(日) 04:41:36 ID:J/W36lq6
あと、>>395の在家主義的な発想も、上座部よりは大乗の方が親和性は高いことに
なります。しかし、輪廻転生を主張する宝珠愚者としては、>>395は意外ですね。
むしろ、上座部の出家主義の方が、輪廻転生を積極的に肯定的に捉えたものだから
こそ社会的に成り立っているのだと思えるからです。つまり、過去生において、
出家して最後の修行を完成させるのに十分な波羅蜜を積んだから、今生で出家者と
しての人生を送るのだと考え、また、将来自分が波羅蜜を十分に積んだときは、そ
うなるのだとも思うから、在家もまた、出家者を支えようとするのです。それが、
上座部での考え方であり、もし宝珠愚者さんが、そういった上座部での仏教の在り
方を知らずに、日本仏教を通じて思い描いた仏教像だけに基いて、否定的な見解を
持ち、その反対に「神智学はそれらの宗教とは全く違った」という考えに至ったの
だとしたら、ちょっと残念なことです。
398不説:2009/03/01(日) 04:50:37 ID:J/W36lq6
>>395
ともかく、輪廻転生を主張する宝珠愚者さんが、今生での出家者との有利不利をそ
れほど気にかけられるのは、何か、矛盾のように思われます。逆に、輪廻転生を肯
定的に捉える立場を仮定してみれば、波羅蜜を十分に積めていないのに、出家者と
の差を無理に埋めようとする一種の“チート”的発想にはならないのでしょうか?
出家者としての人生に恵まれたか、在家者としての人生に生まれついたかという違
いもまた、輪廻転生論者の宝珠愚者さんにとっては、一つの前世の因縁だと、潔く
受け容れるわけにはいかないのでしょうか?
399不説:2009/03/01(日) 05:01:28 ID:J/W36lq6
>>395
詰問のつもりはありませんので、このあたりは、緩やかにお受け止めくださ
い。一つの可能性として、まだ、宝珠愚者さんは仏教の一面しか知らずに、
全体を判断してしまっていて、神智学「こそ」という思いに至っておられる
可能性があるかもしれないということです。
私としては、是非、パーリ経典にはある程度目を通されることをお勧めいた
します。中村先生の翻訳されている古層だけでは、偏っていると思うのです。

私自身も、大乗については、ほとんど知りませんし、神智学についても興味
があります。それで今は真言氏に勧められた龍樹本を読んでいたりしており
ます(それにしても難解ですね)。神智学についても何かお勧めの本があれ
ば都度ご紹介いただければと思います。もちろん、実際に食指が動くかどう
かは、私の好み次第ですが……w
神通力や天界のことを解明するには、神智学はかなり参考になると思ってい
ます。
400神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 07:17:22 ID:38JWWsBG
>>384

>悲しいくらい聖書の読解力が皆無で、
>ただクリスチャンたちの有様を見てるだけだからです。

聖書を「初めから有難がって」読むか、聊かでも知性と批判力を以って、現実界
と照合しながら読むか、の違いだろう。

「人間」としてのクリスチャンを批判しているのではない。彼らをそのような
状態に陥らせた原因としての、イエス(パウロ)の狂気を批判しているのである。

>それは、あなたに成長が皆無だからです。

君は、「妄想」を「成長」だと勘違いしているのかね。君の言ってることは、
現実上の根拠は「皆無」であることに気付かないのか。

仏教に、超オカルト、超妄想宗教のキリスト教や神智学など持ち込むな。

「法」に多様な意味があることについては、岩波仏教辞典を一読されたし。
法が、「釈尊の教え」だけだとすると、「自灯明」とは論理的に完全に矛盾
するではないか。 釈尊は「自分で考えなさい」と言いながら、一方では
「私を盲信しなさい」と言ってるのかね。君は、釈尊と、常に「俺が俺がの、
エゴの塊」であるイエス(パウロ)と混同しているのではないかね。

君の「輪廻転生」に対する執着と煩悩の強さは、異常と狂気以外の何物でも
ない。釈尊は、執着と煩悩を去ることを教えているはずだよ。「日本人なら
知っておきたい禅」(村越英裕著、河出書房新社)という文庫本が発売された
ばかりだから、一読してご覧。君が語っている「仏教」とは、180度違って
いることに眼が覚めるだろう。
401神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 07:56:22 ID:zQFK5Prr
仏陀にとっての「法」は、隠居にとっての
>「事物及びその構成要素」、即ち、大自然の摂理、すべての力あるもの
にあたる。
仏陀にとってそれは自分で頭で考え出したものではなく、
あくまで(真理)としてあったものを悟ったということ。
例えば「自由」が何の基準もないやりたい放題を意味しないように。
自灯明も法灯明と矛盾することはない。
402神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 08:04:31 ID:e/Dc8HSH
自分の気に入らない宗教に関しては「初めからありがたがって」という前提でしか考えず、
自分の思想に関しては真実と照合されていると信じていて、人の批判を一切受け付けない。
その点は「狂信的な」キリスト教の信者と同じ。

いつもこのパターンの繰り返しで同じことしか言わない。
他のコテの人たちとはこの辺が違う。
403机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/01(日) 08:07:28 ID:TcKaBR9C
>>361
>>(電波氏に傾倒してます)
>そそう!

ちなみに、真宗僧侶について私見を書かせて頂きます。

南宗禅に近い順から。
@けちゃっぷ氏(たぶん西山派)
Aベロ氏
BLB氏?(北陸の僧侶)→アルファベットは失念

けちゃっぷ氏は殆ど禅師に近い。
同じ真宗でも、LB氏とは全く考え方が違う。
(これはたぶん宗派の違いによる)

ベロ氏は性格の実直性から、電波氏に影響を受けてしまった。
これは残念でしたね。
(真宗と真言は違う)
404神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 08:28:34 ID:zld6OlAu
机は浄土宗と浄土真宗のちがいもわからんのか。
ど素人とか以前の問題だな。

一般常識が欠落。
405机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/01(日) 09:11:49 ID:+LZRPmM6
けちゃっぷ氏は、真宗という自己レスがあったかとおもうが、
その後、西山派じゃ〜ないか?とかのレスもあったんで、
そこは定かではない。

つうか、いちいち上げ足をとるんだねぇ(ニガ笑
>>404
そんなの、コテの身上なんか分からんよ。
匿名の板なんだから。
406神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 09:22:12 ID:qtXbKog5
>>405
およそ素直さ、というものが無い人だね。
407神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 09:30:07 ID:1BQwgZW1
>>405
>つうか、いちいち上げ足をとるんだねぇ(ニガ笑

机さんの言うことは一々、でたらめだから。
間違いを指摘されたら、素直に認めましょう。
知らないのにシッタカはやめましょう。
408神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 09:38:21 ID:YArYpket
>南宗禅に近い順から
なぜ南宗禅が基準なんでしょうか?
それなら百五鏤鶏子の話頭をよくよく吟味しないと何もなりません。
409机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/01(日) 09:38:26 ID:+LZRPmM6
君たちは、いいネタが出来たよぉだね(ニガ笑

さあ、これから浄土宗と真宗の違いについて淡々と、
あるいは粛々と語ちてください。

で、あの「宮中へ参内」の件は、まさかとは思うが
了解できたんであろうな(笑

410神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 09:43:25 ID:ry7JexvL
>>401
>自灯明も法灯明と矛盾することはない。

「法」の意味の多様性を考慮して、具体的・論理的に説明してくれ。

>>402
>自分の気に入らない宗教に関しては「初めからありがたがって」とい
>う前提でしか考えず

「気に入る、気に入らない」という感情論の前に、他人の言説は、常に
現実界と照合しながら、知性と批判力を以って読むことが必要。さもな
ければ、単なる盲信、又はブランド漁りに過ぎず、何の進歩も向上もない。
411神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 09:52:44 ID:7auR068q
>>410
>「法」の意味の多様性を考慮して、具体的・論理的に説明してくれ。

その必要は無い。仏教の教義という意味であっても
(説いている仏陀自身の視点では)矛盾しないというレスだからね。
『ブッダ最後の旅』での「自灯明、法灯明」が出た文脈を見るに
この場合の「法」は仏教の教義をさしていると見るのが自然。
412神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 10:13:53 ID:ry7JexvL
>>411
>その必要は無い。仏教の教義という意味であっても
>(説いている仏陀自身の視点では)矛盾しないというレスだからね。

結局、説明も批判も出来ないということか。それを単なる「盲信」と
いう。

「自灯明」は、どこへ行ったのかねw。
413初心:2009/03/01(日) 10:18:16 ID:d9DLnPEq
  アートマンは縁起しない存在である・・・前提
  
1 アートマンがいる・・・常見である
 
2 アートマンがいない・・・断見である
 
3 中道では・・・アートマンはいるとも、いないとも言わない
 
前提は別にして、これら三つを説明できればいいのです。
そうすれば、アートマンが存在する可能性が飛躍的に高くなるわけです。
414初心:2009/03/01(日) 10:24:01 ID:d9DLnPEq
混乱を防ぐために、アートマン(我)をふたつに区別します。
 
1 自我・・・日常の、思い浮かぶところの我
 
2 魂 ・・・縁起しない存在であるところの我

415神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 10:29:29 ID:7auR068q
>>412
隠居の言う自然その他、とか「自由」の用例を出したりして説明したはずなんだけど、わからなかった?

仕方無いからさらに並べてやるか。
・仏陀をはじめとする宗教者にとって、教義とは世界の在り様を説明するものでもある。
・「自灯明」が出たのは仏陀が死に近づいた時。
・『ブッダ最後の旅』によれば、言った相手は弟子のアーナンダ。

長年を共にし、教えを授けてきた弟子に対し、自分の死を見越して、
死後は自分が教えてきたことをもとに修行を励めと言っているわけだ。
老いもして死に近づいた自分の体をさらに引き合いにして、
それでも「相の無い心の統一に入って」いれば体は健康(快適)だということも語っている。
それから死ぬまでに仏陀が語ったことを考慮に入れれば、
この場合の「法」が宗教要素抜きの用法だったとする理由はない。
416初心:2009/03/01(日) 10:36:28 ID:d9DLnPEq
推理・推測・仮説

1 アートマンがいる・・・自我は滅びるから、これは常見になる。
2 アートマンはいない・・・魂は滅びないから、これは断見になる。
3 中道では・・・自我がある(常見)とも、魂がない(断見)とも言わない。
 
以上から、アートマンである<魂>は存在することになりそうです。 
417初心:2009/03/01(日) 10:52:50 ID:d9DLnPEq
あとは前提の検討であり、推測です。
 
アートマンである<魂>は、どこにいて、どうして縁起しないのか?
  
<魂>は<神のニルヴァーナ>にいるのであり、
絶対者<神>は、縁起を必要としない存在であり、<魂>に対し
一方的な流入という方法で関係します。
418初心:2009/03/01(日) 10:59:38 ID:d9DLnPEq
アートマンを自我と魂に区別すれば、
諸法無常、諸法無我、涅槃寂静も理解できるように思います。
419神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 11:21:44 ID:80fR19DD
昼間っから酔っ払いの気慰みか。
仏教語るより先に働けよ。
420神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 11:33:37 ID:ry7JexvL
>>417
>絶対者<神>

それは、キリスト教の概念に過ぎない。仏教ではない。

ニルヴァーナとは、「絶対」などという観念への執着を離れた、精神の平安の
状態である。

「神」など、「人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めたのが、
釈尊の比類の無い先見性、洞察力、偉大さなのである。
そのお陰で、キリスト教とは全く異なり、仏教は2500年間、大量に人を
殺すことはなかった。

この意味で、キリスト教は「殺人宗教」、そして「サイコパスの宗教」である。
421業報輪廻転生論は悪の論理:2009/03/01(日) 11:41:00 ID:0b2JRrIj
悟りの何たるかを感じたければ、
カペーQの演奏した
ベートーベン弦楽四重奏曲第14番嬰ハ単調作品131を聴け。

>>413
>中道では・・・アートマンはいるとも、いないとも言わない
お宅、決定的に「アフォですね?」


422業報輪廻転生論は悪の論理:2009/03/01(日) 11:51:23 ID:0b2JRrIj
弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 作品131 第1楽章:アダージョ・マ・ノン・トロッポ・エ・モルト・エスプレッシーヴォ
423神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 12:09:37 ID:1BQwgZW1
>>420-421
よ! シュプレキコール二人組!
424初心:2009/03/01(日) 12:11:14 ID:d9DLnPEq
>>420
仏教は切り捨てているようですが、
<神>を想定しないと<世界>が始まらないのです。
<神>がいなければ<世界>は無自性です。
425初心:2009/03/01(日) 12:37:03 ID:d9DLnPEq
一方的にせよ、絶対者<神>が、アートマンである<魂>と関係している。 
<神>が、善や慈悲などの源泉であり、それらの正体です。
だから<魂>を切り捨てたら、善も慈悲も登場しないことになります。
 
竜樹の中論は、アートマンを否定し、善や慈悲などを捨ててしまった。
空論を否定はしないけど、空論には限界があるということです。
 

 


 

 
426神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 12:44:15 ID:YArYpket
>409
「百五鏤鶏子」を経なければ今年は始まらないと思いますが?
仮にも、もしご意見が有れば賜りたい。
無ければ結構ですw

ちなみに何事でもそうですがネットで検索しても限界があります。
しかるべき師に就かなければ学べないことは多々御座います。
427神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 12:54:32 ID:3SLCCuo0
>>420
仏教が殺さないとかキリスト教が殺したとかとかいうのがおかしいのであって
仏教信者の武士農民は日本国内で殺しまくったし、日本軍はキリスト教徒でもないのに
大陸進出、大戦にも参加。
あなた自身がある観念に固執執着する精神の病気に見える。
428初心:2009/03/01(日) 12:55:58 ID:d9DLnPEq
中村先生によれば、中論は論争の書ということです。
話を難解にして、論争相手を煙に巻くことも必要だったのでしょう。
そうであればよけい、中論はどうでもいい本になりそうです。
 
空を理解するには、小空経のほうがいいでしょう。
煩悩が少しづつ消えていき、煩悩が消えるたびに清浄な境地に近づいていく。
そして心に想いというものがまったく消え、透明な心になる。
その透明になった状態が空ではないでしょうか?
 
しかし釈迦は、まだ身体と生命が残っている、と言っています。
たぶんここに、アートマンである<魂>がいる。
429三代スレ170:2009/03/01(日) 13:29:28 ID:HmvSvrNQ
うわっ!スレの流れ速っ!!
いつのまにか机さんのファンってことになってるし…

三時業について机さんが認めたくないのは良くわかった。
(まあ、仏教徒でなければ認める理由はないのだけれど)
秋月龍aさんみたいに「ついていけない」というのならわかるが、
道元はわかってて嘘ついたとするのは倒錯だと思う。
(あと、どさくさまぎれに親鸞巻き込むのはどうかと思う)

>で、あの「宮中へ参内」の件は、まさかとは思うが
>了解できたんであろうな(笑
あっ、風化しかけていたのに、自分から蒸し返した。
やっぱ気になってるのかね。
「了解」云々以前にソース明示したら?本山行けばわかるってやつでいいからさ♪


430神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 13:38:29 ID:wsZX2elM
>>427
キリスト教とは、殺戮の規模と態様が異なる。そして、仏教徒は、その宗教
のため、仏のために殺したのではない。即ち、宗教が主な原因ではない。

先の大戦も、キリスト教国の武力による威圧によって、日本は戦争を「やらさ
れた」のである。

その原因は、すべて聖書やイエスにあることを、見抜かなければならない。
431神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 13:43:29 ID:wsZX2elM
>>428
釈迦は、「身体と生命」と言っている。「魂」などとアホなことは
言っていない。
432机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/01(日) 13:46:15 ID:+LZRPmM6
>>429
>道元はわかってて嘘ついたとするのは倒錯だと思う。

いや、それは方便だと前記しました。
(嘘→方便→方法と、かようにご理解ください)
理解しやすいように歎異抄を引用しましたけど、
浄土門と禅門は、他力と自力の違いでありまして・・・本質的には同じです。

浄土門の阿弥陀信仰が二重構造になってますように、
正法眼蔵においても二面性(二重構造)にて構成されております。
(これは正法眼蔵理解において基礎となるものです)
これを解りやすいように、
阿弥陀信仰の矛盾性を指摘したまでのことです。
(正法眼蔵においての矛盾は、既に提示済み)
433机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/01(日) 13:55:18 ID:+LZRPmM6
>>429
>三時業について机さんが認めたくないのは良くわかった。

三時業を認めるか?認めないか?というのが道元の主張ではなくて、
その脈絡を通して悟入への道筋を付けるものですね。

仏教では、これを「嘘」とは言わない。
方便と言います。

ちなみに、方便なくば他力の場合は彼岸到達は困難でありますし、
自力においても、もちろん方便はあります。
世俗諦と勝義諦が違いますように、
自力・他力に関わらず、方便はある意味重要です。
434業報輪廻転生論は悪の論理:2009/03/01(日) 14:24:38 ID:0b2JRrIj
>>428
『つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。
そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
このように世界を観ずる人を<死の王>は見ることがない。』
                           (スッタニパータ1119)   
435神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 14:24:54 ID:e/Dc8HSH
> 先の大戦も、キリスト教国の武力による威圧によって、日本は戦争を「やらさ
> れた」のである。

極論ワロス。現実に照らして考えてみれば、日本が攻撃を仕掛けたのは事実。
戦争はいくらでも回避できたし戦争すれば敗戦に至ることも見えていたのに
開戦に踏み切ったのは日本の軍部の独走のせい。
当初は開戦に反対していた閣僚も沢山いた。
つまり日本の国内事情で開戦したわけで、ABCD包囲網だとかいう問題は
「理由付け」にすぎない。
436神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 14:26:58 ID:3SLCCuo0
>>430
キリスト教でない日本が他国に比べて殺戮の規模と態様において劣るということはない
日本は他のキリスト教徒の国とかわりばえしない動機をかかえて武力介入にむかっていることは
明白。その過程で他国と衝突したのが大戦
また武力が刀槍とはいえ暴力性にみちた国内戦乱を通過したのもキリスト教ではない
日本。
その原因は、すべて聖書やイエスにあることを、見抜かなければならない
という言い回しは神経症の症状といえる。
437机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/01(日) 14:35:45 ID:+LZRPmM6
>>426
>ちなみに何事でもそうですがネットで検索しても限界があります。
>しかるべき師に就かなければ学べないことは多々御座います。

百人の師家がおりましたら、百人の公案があります。
そしたら百の回答がございます。
回答が一律になるわけじゃ〜ないのは当然なのですが、
それが、一律を良し。とする現状こそが問題なのであります。

つまりそれが禅衰退の要因なるやに、拙者は結論つけてます。
438業報輪廻転生論は悪の論理:2009/03/01(日) 15:01:49 ID:0b2JRrIj
>>435>>436
日本は神人合一の現人神である裕仁天皇の司られる神道の国家であった。
第二次大戦は神々の戦争(その実体は我執に満ちた植民地帝国主義戦争)である。
日本の基地外地域長州山口の尊皇攘夷思想が日本を、漱石(三四郎)の予言通り、
滅亡へ導びいたのだ。
日本における最終責任は現人神の天皇にある。
(もっともヒロヒトは、戦争開始は軍部のせい、終了は俺の手柄といっているw)

神は無明残虐だ。
仏教においては物語の狂言回しにしか過ぎない。

 神が人間を創ったのではなく、人間が神を創ったのだ。
 だから、神に死ね!といえば、神は死ぬ。
 それは、ユダヤでも、キリストでも、ムハンドでも、ヴェーダでも、八百万でも同じだ。

 妄想戯論にすぎない。

 
439神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 15:23:22 ID:3SLCCuo0
ということは別に神が残虐ってわけじゃなくて人間のせいってことになるな
仏教徒になろうが戦争を止めることはできないのが人間
仏教神道国家日本も人間本性ではかわらないというだけ
440神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 15:31:59 ID:3SLCCuo0
仏様も死ねと言えば死ぬなw
441神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 15:44:45 ID:3SLCCuo0
業報輪廻転生がないとなればもう戦争殺戮やりたい放題でも別にいいかw

442業報輪廻転生論は悪の論理:2009/03/01(日) 15:48:43 ID:0b2JRrIj
>>439
>別に神が残虐ってわけじゃなくて人間のせいってことになるな

ヒロヒトも神様業廃業=人間宣言してるしね。インチキがバレたことを認めたわけだ。
キリストやその他の神より正直でまだマシだ。
権力にある人間が特に神の名においてする戦争は狂気に満ちやすい。
443初心:2009/03/01(日) 18:00:27 ID:gN7U6c4o
アートマンである<魂>が存在する、ということであれば、
霊の世界や輪廻もありそうですね。
 
しかし、霊の世界を語るより、輪廻を語るほうが困難でしょう。
なぜなら輪廻には、思い出したくないものがあるからだろうと思います。
そして、かりに思い出しても、必要ないものであるか、
それ以下のものだからです。
 
かりに輪廻があるとして、なぜ輪廻するかと言えば、
善くないもの、修行しなおさないといけないものがあったからでしょう?
そんなものは思い出しても何の役にも立たないのです。
444初心:2009/03/01(日) 18:15:16 ID:gN7U6c4o
輪廻よりも想像しやすいのは霊の世界です。
 
深く熟睡しても、何かが継続して再び目が覚めます。
全身麻酔したら、身体を切られても何も感じないで平気です。
 
身体と、アートマンである<魂>は分離するようです。
445初心:2009/03/01(日) 18:21:27 ID:gN7U6c4o
ところで、このアートマンである<魂>は、
不浄なアラヤ識をまとっているのですね。ここが問題なのです。
不浄なものが、清浄な世界に渡れるはずがありません。
 
ではどこに行くのか? それがたぶん霊界です。
446初心:2009/03/01(日) 18:32:41 ID:gN7U6c4o
聞いた話ですが、この霊界にいる高級霊には顔がないそうです。
体は見えるのだが顔がない、イスラムのムハンマドのようだったらしい。
現れたり、消えたりしていたそうです。
447神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 18:56:55 ID:YArYpket
>437
机さん
知らなかったら無理に答える必要はありませんw
これはいわゆる規矩ですから、ハッとしないのであれば
用は有りません。
用は百人百用でもそれは回互と不回互に関わるもの、重要では有りません。
それが分からないのが残念ですねw
448神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 18:57:08 ID:RX27lXnD
>>441
>業報輪廻転生がないとなればもう戦争殺戮やりたい放題でも別にいいかw

自爆テロリストたちは、「来世を信じ込まされている」からこそ、嬉々として
自他の生命を奪い続ける。オウムの犯行も同じ。

神や来世を信じ込まされた者たちは、「100%の善意で人を殺し、害する」
という恐ろしい結果を招来していることを自覚されたい。彼らも、「生来的
には」、すべて善なのである。
449宝珠愚者:2009/03/01(日) 19:00:45 ID:PHl/CoqP
>>業報輪廻転生論は悪の論理

業報輪廻転生論の否定こそ悪の論理なり!!

 「ブッダと同時代の自由思想家の中には、プーラナ・カッサパやアジタ・ケーサカンバリンのように、業
の因果応報を積極的に否定したものもあった。彼らは善悪の行為が後に安楽と苦しみの果報をもたら
すことはないと考えた。またマッカリ・ゴーサーラのように運命論を説く人もいた。さらに、業の因果応報
思想の中には、前世での行為(業)を宿命のようにみなす決定論的な考えもあった。現世での行いは、
善であれ、悪であれ、すべて前世の業によって規定されているというのである。この説によれば、意志の
自発による行為は認められない。
 これらに対し、仏教やジャイナ教は、このような人間の行為の効力を認めない説を行為否定論(akiriya
vAda, akriyAvAda)と呼び、道徳を破壊する説として非難した。
 仏教は、「世尊は業論者、行為論者、努力論者であった」(Anguttara NikAya I p.287)として、業思想を
容認しつつ、行為・努力に生存のあり方を変える効力を認める立場をとった。」
(インド思想史略説--第2節 原始仏教の教理/前提となる世界観-輪廻・業)
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/rinne.htm
450神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 19:05:28 ID:RX27lXnD
>>444
>全身麻酔したら、身体を切られても何も感じないで平気です。

麻酔薬は、「身体」に作用して痛みをなくす。「感覚(精神、魂)」
が、専ら「身体」から生じていることを、如実に証明している。

麻酔薬の作用を、生理学的、薬理学的に勉強されたし。
451宝珠愚者:2009/03/01(日) 19:18:45 ID:PHl/CoqP
更に
 これが最もゴータマが戒めた外道です。

 「彼は唯物論を説き、業・輪廻の思想を否定した。善悪の行為の報いはなく、死後の生れ変りもない。
人間は地水火風の四要素からなるもので、死ねば、四要素に帰り消滅する。死後存続することはない。
布施に功徳があるとは愚者の考えたことであるとする。
 だから、宗教的な行為は無意味で、この世での生を最大限利用して楽しみ、そこから幸福を得るべき
だという。
 この思想は宗教や道徳の根本を破壊するものと恐れられ、他のインド思想諸派から激しく攻撃された。」
(同---アジタ・ケーサカンバリンの唯物論)
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bukkyou1.htm#ch1.4
452宝珠愚者:2009/03/01(日) 19:19:49 ID:PHl/CoqP
>>434
デタラメです。

 「それはアートマンではない。アートマンではないものを自己と同一視することなかれ!」が誤った自我
の見解についてはゴータマによる戒めです。無我/非我の教えは輪廻転生の否定意ではありません。

 「無我説はこのように、我(自己)ではないものを我(自己)であると思いこだわることをやめよ、という教
えから始まる。当初の「諸法無我」は、無執着の立場から、「すべての事物は我(自己)ではない」と説か
れたものである。したがって、無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。
 原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつ
について「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説か
れる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。ここ
では、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」
という主張を含んでいると考えられる。』
(同---人間観と無我説)
453宝珠愚者:2009/03/01(日) 19:21:08 ID:PHl/CoqP
訂正
 ×誤った自我の見解についてはゴータマによる戒めです。
 ○誤った自我の見解についてのゴータマによる戒めです。
454机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/01(日) 19:32:06 ID:TcKaBR9C
>>447
>用は百人百用でもそれは回互と不回互に関わるもの、重要では有りません。

これは師家との相性があるのですよね。
例えば白隠だと、相性のいい弟子は限定されますね。
(これはどうにもなりません。相性ですから)
無理に答えますと禅病になります。
(既に白隠の弟子2名が自死してます)→相性の問題ですね。

白隠と対極的キャラなのが盤珪ですね。
(これはなかなかいいキャラですよ)

>それが分からないのが残念ですねw

そんなことは、拙者は既にわかっておるんですよw
ただ、ッハっとはしないですね。
なにかあっても、滅多にはッハっとしないですねw
庭前柏樹子。隠元ですよ。
あれ以来、ッハっとしたことはないですね。

#、では、おやすみなさい。
455三代スレ170:2009/03/01(日) 20:23:01 ID:HmvSvrNQ
机さんへ
432
>方便だと前記しました。
433
>自力・他力に関わらず、方便はある意味重要です。

「仏教」では方便=嘘とは限らない。
でも、机さんが過去スレで道元の三時業について語っているのを読むと、
「道元は在家向けに三時業という嘘をついた(布施目当てで)」としか読めない。

432
>浄土門と禅門は、他力と自力の違いでありまして・・・本質的には同じです。
まあ、両方とも「信仰」が無いと機能しないからねえ…本質的には同じですな。

業報輪廻転生論は悪の論理さんへ
442
>ヒロヒトも神様業廃業=人間宣言してるしね。
俗に「人間宣言」と呼ばれるものに神様業廃業の文言って何かありましたっけ?
自分の思い違いでなければ、その手のものは、なかったはずです。
昭和天皇は「自分は神だ」といったことはないから、廃業宣言する理由もないですからね。
「“人間”宣言」という俗称(レッテル)を考えた人間は、色々な意味で賢いとは思いますけれど。

456神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 22:18:27 ID:e/Dc8HSH
>>451
実に素晴らしい引用です。
仏教を騙る唯物論者にはいい薬でしょう。
457神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 22:19:27 ID:RX27lXnD
>>449
>業報輪廻転生論の否定こそ悪の論理なり!!

圧倒的大多数の人間は、生まれながらに、他者の生存を助けた時には「快」を
感じ、害した時には「不快」を感じます。これは、人間の生物的生存本能(生命)
から派生する、共同体維持本能という「肉体的本能」です。「善悪」「他者への
思いやり(愛)などという観念は、この肉体的本能に基づく共生のための技術概念
です。これが「善悪」「愛」の観念の肉体的基盤です。

人為的な「輪廻転生」概念や、イエスの「人工的愛(アガペー)」の観念は、
その「観念性」「脅迫性」「甘言性」により、むしろこの肉体的本能を制限・
変容・破壊します。

宗教者は、「善悪」や「愛」を唱えるが、その本質を徹底的に思考し、理解して
いるのではなく、むしろ、自分でも意味の分らないそれらの言葉に「自己陶酔」
しているだけです。

言葉の意味は、常に、「生物的生存本能(生命)」という、「生物としての人
間」に共通する唯一の普遍の基盤に還元して、決定する必要があります。さも
なければ、正誤・正邪の判断基準が皆無な百人百様の観念に過ぎず、「意思の
疎通」という言葉の機能を果たすことができません。宗教間の合意が絶対に到
達できないのは、これが理由です。
「宗論は、どちらが勝っても釈迦の恥w」。
458神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 22:43:38 ID:e/Dc8HSH
>>457
> 宗教者は、「善悪」や「愛」を唱えるが、その本質を徹底的に思考し、理解して
> いるのではなく、むしろ、自分でも意味の分らないそれらの言葉に「自己陶酔」
> しているだけです。

たぶんそう見えるのは、あなたがそう理解したいからそう見えてるだけだと思いますよ。
太平洋戦争だって日本に非がないわけないのに、
>その原因は、すべて聖書やイエスにあることを、見抜かなければならない。
こんなこと言うくらいですから。
どこが「その原因は、すべて」なんだかwww
そう思いこみたいだけじゃないですか。本当にすべてなわけなんてないんです。
459神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 22:44:18 ID:RX27lXnD
宗教間の合意の到達が絶対に不可能であり、常に争いが絶えないのは、思考や
観念の発生源としての「身体」「生物的生命」という「人間共通の基盤」を、
すっかり忘却してしまっているからです。

「宗教多元主義」についてさえ、宗教・宗派間で争いが絶えない。そのうち、
宗教多元主義を巡って、宗教・宗派間で戦争や殺し合いが発生する恐れさえ
あります。

宗教学者も、宗教多元主義については絶望的です。ある宗教学者は、解決策として、
議論の対象を「身体」に関する事項に限定することを提案しています。これは、
宗教の病理の本質を見据えた、興味ある見解であるといえましょう。
460神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 23:03:40 ID:e/Dc8HSH
>>459
ヨーロッパは無意味な宗教戦争を繰り返していたようでいて
実際は宗教多元主義の実現に向かって一歩一歩、後退することない
歴史を積み上げてきた側面を持っています。

たとえば、カトリックとプロテスタントの凄惨な争いの後、
「信教の自由」という理念が基本的人権のひとつとして確立されるに至りました。
法的な領域で完全に確立された概念として、信教の自由というものを発想し
確固たるものとして最初に実現しえたのは、キリスト教社会をおいて他にありません。

この信教の自由が確立している西欧社会においては、
生命や身体に限定することなく、キリスト教のままで、それぞれの宗派が
同じ社会に存在することを認め合い、お互いの価値を認めながら共存する形が
確立できているのです。

日本やインドでは西欧とはまた違ったやり方で、神仏習合や、他宗教との混交が行われ
結果としての多元性が確保される形をもっています。
この場合でも、身体に限定する必要などありはしないのです。
461神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 23:58:15 ID:45cOya9k
中山が飯島愛さんに別れ「また会おう」 (日刊スポーツ)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/n_hideyuki_nakayama__20090301_2/story/01nikkansfettp00903010027/

 昨年12月24日に自宅で死亡しているのが見つかった元タレント飯島愛さん(享年36)の「お別れの会」が1日、東京・芝公園の東京プリンスホテルで開かれた。
午前11時からスタートして芸能関係者700人、一般のファン1500人が参列して、飯島さんとの別れを惜しみ、冥福を祈った。

 タレント中山秀征(41)は「愛ちゃんは、みんなの心の中に生き続けている。僕は忘れない。美人薄命、あなたは日本のモンローです。ありがとう、また会おう」と涙をにじませた。

 女優大竹しのぶ(51)は「みんな、愛ちゃんを好きでした。私たちは別れるつもりはない。たくさんの人たちが飯島愛という聡明(そうめい)で美しく、とてつもなくチャーミングなタレントがいたことを決して忘れることはないでしょう」と話した。

[ 2009年3月1日17時50分 ]
462机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/02(月) 06:57:07 ID:F4Zx1YnY
>>455
>「仏教」では方便=嘘とは限らない。
>でも、机さんが過去スレで道元の三時業について語っているのを読むと、
>「道元は在家向けに三時業という嘘をついた(布施目当てで)」としか読めない。

貴殿にはモノゴトの本質というのを、さり気無く前記しましたけど、
再度、平易に御説明します。

@最初、在家が破壊僧を根拠にごねる。→布施の拒否
 (そもそも在家というのは、僧を良し悪しを批判するものではなく、
  この時点でモノゴトの本質から乖離してしまう)
Aとりあえず道元が、僧の良し悪しに関係なく、布施というのは自分自身の問題であると
  三時業(自身の問題)を説く。
Bこういった、在家の心象のあり方を、さり気無く本質に近づける手法を方便と言います。
 (これは歎異抄を例に御説明しました)
C道元は、その機根において三時業を説いたのでありまして、
 それはあくまでも悟入への切っ掛けに過ぎない。
Dつまり、こういった手法というのは浄土門にもあります。
 (これは前記しました)
E道元の在家向け三巻(道心など)を解釈するには、こういった道元の二面性も
 ある程度は認識しておりませんと、正法眼蔵の解釈は無理ですね。
Fで大事なのは、論書で勝義諦は書いてありません。
 すべて世俗諦であります。

どうか、こういったことを念頭に道元の思想に触れてください。
463机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/02(月) 07:09:52 ID:F4Zx1YnY
>>455
>まあ、両方とも「信仰」が無いと機能しないからねえ…本質的には同じですな。

「信仰」というのも「悟り」への道筋ですね。

ベトナムのナット・ハーンという禅僧が
「三法印とは、悟りへの道筋」とか本に書いてありましたけど、
これは拙者も納得しますね。

あらゆるものは道筋なのです。
自力も他力も、これは全く同じですね。
464神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 08:51:59 ID:TYIlaiX4
>そんなことは、拙者は既にわかっておるんですよw
>ただ、ッハっとはしないですね。
だから回互と不回互の先を示して居るんですが
庭前柏樹子とも関係有りません、同じ五文字で最後に子がつきますけどw
「ハッとしない」のはただの不回互です。
やはりそれが分かっていない・・・誠に残念です。
いま一度示しましょう。
「百五鏤鶏子」

あと勘違いしないように
私はあなたに教えを請うのでもなく、また教えを垂れているのでもない。
ここが重要であり老婆親切というものですw
465机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/02(月) 09:23:07 ID:F4Zx1YnY
>>464
既に拙者は貴殿の公案に回答済みですね。

>それが分からないのが残念ですねw

これが貴殿の分別の迷いですね。

>>そんなことは、拙者は既にわかっておるんですよw

これが分別から解脱しました相を顕しております。
(分からない→分ける必要はない。と暗に明示)

>ただ、ッハっとはしないですね。
>なにかあっても、滅多にはッハっとしないですねw
 
これは↑不道心です。
その相とは何か?
これが、蔵書を全て燃やしてしまった隠元の心境を表明しておるんです。↓

>庭前柏樹子。隠元ですよ。

>だから回互と不回互の先を示して居るんですが

どうか、二項対立から解脱しまして見性きぼんぬ。(合掌)
466神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 10:29:38 ID:Uh1fLA46
>>460
>ヨーロッパは無意味な宗教戦争を繰り返していたようでいて
>実際は宗教多元主義の実現に向かって一歩一歩、後退することない
>歴史を積み上げてきた側面を持っています。


これは宗教板に代々伝えたい名レスですね!
このレスだけでも大いに、この輪廻シリーズの価値がありました。
人間の営み全てに当てはめることが出来るのではないでしょうか?
やはり人間の根底には理想的な何かがあって(あるいは理想的になにも無くて)
理想的無意識の世界に回帰しようという目に見えない流れがあるような気がします。
467神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 11:21:08 ID:7fp/DEIp
>>466
ヨーロッパにおいては古代ギリシャで「イデア」という概念が確立されたのが大きいですね。
人類が迷いながら過ちを犯しながらでも、少しずつイデアを精製していくという
形をとれるようになるだけの礎が古代ギリシャの真善美という概念の中にあります。
ヨーロッパの歴史はずっと古代ギリシャに引っ張ってもらってここまで来た感があります。

東洋においては、悟りというのがその側面をもっている気がします。
悟りという概念があることで、人はもっと成長できるという確信と方向性を与えます。
そのために悟りとは何か?を問い続け、それは悟りに至る道なのか否かを問い続ける形を
人類に与えたといえると思います。

ただまたこれとは違うベクトルもあって、それが愛を中心とした発想ですね。
西洋ではキリスト教、東洋では大乗仏教の中に利他性があって、ここの側面は
古代から現代まで、少しずつ少しずつ、これまた進化しつづけています。

そしてまた最後にもうひとつ違うベクトルがあって、これはまだ人類には大きくは
開かれていません。それが密教とか霊とかその辺の領域です。
468神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:21:14 ID:iw94BLjm
>>466
それにしても、イエスを最も熱心に信じる新旧両教信者間の血で血を洗う殺し
合いは、眼を覆うばかりで、イエスの教えに根本的な欠陥があったことを、如
実に証明している。この争いは、アイルランド紛争、旧ユーゴの一神教教派入り
乱れての陰湿極まりない殺し合い等、現代に到っても根本的な解決には程遠い。

これだけ多数の人命を奪ったキリスト教の罪は、永遠に消えることはないので
ある。

それに、マルクス、ヒットラー、スターリン、現代のアフリカにおける大虐殺
の主導者、すべてクリスチャンである。ホロコーストのプログラムは、殆どその
まま、ルターが既に提示している。

他宗教との関係では、ブッシュは、911で失われた人命の数倍にも相当する
イスラム教徒の生命を「家畜のように」奪った。

イエス出現後、人間同士の殺し合い・争いは、飛躍的に増加した。すべての
大虐殺の陰には、イエスの「我のみ良しの思い上がった独善性」と「人間その
ものに対する愛の欠如」がある。
469神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:26:15 ID:7fp/DEIp
>>468
ヒトラーのことは知りませんが、マルクスとスターリンは社会主義者であって
アンチ宗教ですよ。キリスト教徒なんてことはないと思いますが、ソースあります?
470神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:36:36 ID:iw94BLjm
>>467
>人類が迷いながら過ちを犯しながらでも、少しずつイデアを精製していくという
>形をとれるようになるだけの礎が古代ギリシャの真善美という概念の中にあります。

本質を全く理解していない。本来、具体的な状況における行為や事物の属性を、
ソクラテスに始まるギリシャ哲学がそのように「観念化」「抽象化」「精神化」した
ことが、諸悪の根源なのである。その衣鉢は、キリスト教、マルクス主義と
伝えられ、史上無比の大殺戮の原因となったのである。これらの「観念」は、
百人百様の内容を持つことができ、その正誤・正邪を判断する、厳然として
実在する「現実界」という判断基準が「皆無」だからである。
471神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:39:21 ID:7fp/DEIp
>>470
そもそもギリシャ哲学がソクラテスに始まるとするのが間違いなわけですが。
472神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:42:12 ID:iw94BLjm
>>469
アホですか。ヒットラーは勿論、マルクスはユダヤ教からの改宗者だし、
スターリンは、グルジアの神学校卒業の聖職資格者ですよ。

マルクス主義は、現実には存在し得ない「共産主義ユートピア(神の国)」
という「観念信仰」の宗教の一種。「擬似宗教」と呼ばれている。
彼が、「宗教は阿片」と言ったのは、お決まりの宗教間紛争に過ぎない。
473神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:44:29 ID:7fp/DEIp
>>472
改宗したってことは、もう捨てたってことじゃないんですか?
元々ユダヤ教徒だったってことと、

> マルクス、ヒットラー、スターリン、現代のアフリカにおける大虐殺
> の主導者、すべてクリスチャンである。

このことと何の関係があるんですか?
マルクスがクリスチャンだという根拠を出してほしいのですが。
474神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:47:52 ID:7fp/DEIp
> 彼が、「宗教は阿片」と言ったのは、お決まりの宗教間紛争に過ぎない。

本質を理解していない、と言われると思いますよ。
475神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:53:47 ID:iw94BLjm
>>473
マルクスの父親は、弁護士資格を取るために、ユダヤ教を捨ててクリスチャン
になった。マルクスが影響を受けていないはずがなかろう。

マルクスの、富に対するあくなき憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、イエス
の思想そのままだし、彼の「ユダヤ人嫌い」は、キリスト教の陰湿な
「反ユダヤ主義」とぴったりと符合している。
476神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:55:06 ID:7fp/DEIp
>>475
父親がキリスト教徒だったりしたせいでキリスト教嫌いになる人なんていくらでもいるじゃないですか。
マルクスがキリスト教徒だというソースをお願いしますよ。
477神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:57:45 ID:7fp/DEIp
ttp://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda2/30oWFwANi6pvI91156.htm
「スターリンは、何度も宗教こそ我々の最大の敵である、と述べた。彼が宗教を嫌ったのには多くの理由があったし、
私もその点では同感する。宗教は、ずるがしこくて危険な敵である…。
スターリンは、すべての信仰者に対する最良の刑罰は、彼らから子供を引き離すことである、とも述べた…。」

スターリンについても一応ぐぐってみましたが、やはり宗教に対しては否定的としかいいようがないように思いますね。
神学校なんか行ったせいで心底キリスト教が嫌になったんじゃないかという気がしないでもありませんが、
とにかくスターリンがキリスト教徒とは思えませんよ。
478神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 13:58:54 ID:iw94BLjm
すべての人間を「罪人扱い」するキリスト教は、すべての人間に「仏性」
を認める大乗仏教の対極にあるもの。両者を絶対に混交してはならない。
479神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:06:34 ID:iw94BLjm
キリスト教とマルクス主義との相似性は、既に、バートランド・ラッセル
が明快に分析・指摘している。

マルクスの「下部構造」の概念には、「上部構造」であるはずの「価値観」
がたっぷりと含まれている。
480神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:07:11 ID:7fp/DEIp
>>479
相似性のことを聞いているんじゃなくて、彼らがキリスト教徒かどうかを聞いているんです。
481神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:16:32 ID:iw94BLjm
>>480
既に述べた状況証拠やラッセルの分析からも、少なくともキリスト教の
影響があることは明らかであろう。

イエス(パウロ)の影響がなければ、あれほどの大虐殺の原因にはなり
得ないということだよ。

同じく大量虐殺をやったモンゴルも、既に景教の影響を受けていた。

中国の「太平天国」も、紛れも無いキリスト教である。
482神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:20:36 ID:7fp/DEIp
>>481
おいおい、影響を受けていたらキリスト教徒なのかよ?
あなたはマルクスもスターリンもクリスチャンだってはっきり書いたんですよ?

全然逆じゃないですか。論理破綻してますよ。
483神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:26:52 ID:7fp/DEIp
> マルクス、ヒットラー、スターリン、現代のアフリカにおける大虐殺
> の主導者、すべてクリスチャンである。

結局、これは妄想ですよね?
484神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:31:08 ID:iw94BLjm
>>482
イエス(パウロ)の影響を充分に受けていれば、クリスチャンと呼んで
差し支えない。さもなければ、何と呼ぶのか?

現代でも、特にプロテスタントは、例外なく左翼である。両者の親和性
は極めて高い。聖書を批判的に読めば明らか。

要するに、「人間以外の存在(観念)」に最大の価値を認め、人間は、
「罪人」とする、「あるがままの人間の軽視・否定」という「観念にま
みれた」倒錯が原因なのである。
485神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:33:05 ID:7fp/DEIp
>>484
あなたは>>477を読んでもスターリンがキリスト教徒だっていうんですか?
キリスト教を毛嫌いしている人間のどこがキリスト教徒なんです?

そんなこといったら、あなた自身だって十分にキリスト教の影響受けまくっているじゃないですか。
あなたはクリスチャンなんですか?
486神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:35:34 ID:iw94BLjm
>>485
イエスを批判できれば、クリスチャンではない。クリスチャンとは、
「イエスは絶対に批判できず、すべての責任を、専ら他の「人間」に
押し付ける者」と定義できる。
487神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:36:48 ID:7fp/DEIp
>>486
それで?スターリンはキリスト教徒なんですか?
488神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:38:46 ID:iw94BLjm
>>487
神学校卒の聖職資格者が、キリスト教徒ではない、などとは言えまいw。
489神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:40:23 ID:7fp/DEIp
>>488
では、あなたの認識では、
大量殺戮をしている時点でのスターリンはキリスト教徒だということでいいんですね?
490神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:47:43 ID:iw94BLjm

仏教徒でありながら、何故その対極にあるキリスト教をそれほどまでに
必死で正当化しようとするのかね。誠に不可思議。このスレに、仏教徒を
騙る相当数のクリスチャンが入り込んでいる証拠。

同じユダヤ人でも、マルクスからは無数の狂信者が生じ、大殺戮を行った
が、フロイトには、そのような事実はない。これは、フロイトが常に現実
と向き合う優れた臨床精神医学者であり、かつ無神論者だったからである。
フロイトの一生は、宗教との闘いであった。
491神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 14:50:31 ID:7fp/DEIp
>>484
> 現代でも、特にプロテスタントは、例外なく左翼である。

ドイツキリスト教民主同盟ってどちらかというと保守とか右派じゃないの?
492神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 15:00:29 ID:7fp/DEIp
>>490
なんで仏教徒だからって妄想まで使ってキリスト教を否定しなきゃなんないのか
わけがわかりませんね。

事実でない事柄を利用して強引に否定しようとする。
そういう不正な手段を使ってまでキリスト教に粘着する方が気持ち悪いです。
あなたよりはキリスト教の方がマシだという風に今は思ってますね。
493神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 15:15:17 ID:iw94BLjm
>>492
>あなたよりはキリスト教の方がマシだという風に今は思ってますね。

本音を吐いたねw。仏教と比べてはどうかね。

初心氏も、アラヤ識は悪として、懸命にキリスト教の「罪概念」を
仏教に持ち込もうとしているw。
494神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 15:23:45 ID:7fp/DEIp
>>493
キリスト教の方がマシなのに、仏教とは大分遠いに決まってるじゃないですか。
そんなことより、>>489 に答えてくださいよ。
495神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 17:06:28 ID:tWD8Rfg5
>>494
イエス(パウロ)及びマルクスの「観念」による「心理操作」により、肉体的
能としての「愛」を破壊されない限り、「血の大粛清」など人間には不可能だ
ということだよ。

仏教にまで、キリスト教やマルクスを持ち込むのは止めなさい。

マルクスは、唯物論者などと自称するが、実は、ヘーゲル直系のドイツ観念論
者であることを、理解されたし。
496神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 17:59:02 ID:xkxtK08v
しかしまぁ、ID:iw94BLjmは嘘八百を並べて・・・。

ある意味、机より酷いな。
497神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 19:30:55 ID:mSBa0dlX
>>486
>イエスを批判できれば、クリスチャンではない。

その理屈で言えば、宗教を批判できれば宗教信者ではないということになる。
よってスターリンは宗教信者ではなく、キリスト教徒ではない。
>>488
>キリスト教徒ではない、などとは言えまいw。

過去に経験があるだけで、信者である、などとは言えない。
仏教からキリスト教に改宗した僧侶を「仏教徒」だとは言わないし、
イスラムに改宗した牧師や神父を「キリスト教徒」だとは言わない。
普通なら。
498神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 19:42:08 ID:hCd4fByO
>>497
スターリンは、キリスト教徒ではなく、イエス自身を批判できなのかね。
若しそうなら、彼はクリスチャンとは言えない。

スターリンが、イエス自身を批判できた事実があるかね。

また、たとえイエスを一部批判できても、その影響は残っている場合がある。

現地で調査したジャーナリストの著書によると、イスラムの自爆テロリスト
には、キリスト教からの改宗者が多く、貧困者というよりも、むしろ
「自分探し」の若者が多いそうだ。
499神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 20:19:51 ID:vXl+V6uu
>>495
説明原理だけ丸投げされてもね。
波動という言葉を使うだけなら、物理でなくても疑似科学でもできる。
説明するだけなら、フロギストンでも発火現象を説明できる。

>仏教にまで、キリスト教やマルクスを持ち込むのは止めなさい。

仏教徒から見れば、仏教にまで唯物論を持ち込むのは止めなさい、と言ったところか。
>>498
>その影響は残っている場合がある。

まさに万能の理屈。キリスト教圏やキリスト教の情報が
行っている可能性のある全ての地域の人間の悪行を
キリスト教のせいにできるというわけだ。
500神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 20:45:53 ID:hCd4fByO
>>499
キリスト教擁護に必死だな。

こちらは、キリスト教との対比において、仏教を擁護しているのだが。
501神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 21:13:21 ID:vXl+V6uu
>>500
内容をいじって自分の思想寄りにしている時点で、
純粋な意味での「擁護」と言えるのか怪しいな。
502神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 21:41:23 ID:hCd4fByO
>>501
時代も異なり、根拠も定かでない原始仏典を盲信するのでなく、あくまで
現代人の視点から、仏教に、現代にも充分通用する原理を見出すことこそ、
仏教の最大の擁護である。

唯物論とは、人間の生命に関係なく、前世、来世、涅槃、霊魂、神が「実在する」
と信じることである。これらはすべて「生命の機能」としての想像、空想、思考、
観念の産物だと考えることは、唯物論ではなく唯心論である。机師だけが見抜かれた。
まさに、色即是空、空即是色が意味するところである。空即是色の付加が、千金
の重みを持つことを理解していない仏教徒がいるのではないか。
503神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 22:07:49 ID:vXl+V6uu
>>502
だから、気に入った部分を取り出してるだけだろ?

だが持ち上られげてるのは結局、「悟り」の意味を常識のお話にしてみたりと
仏陀本人とみられる思想からかけ離れた、「仏教」のラベルのついただけのご隠居の考えでしかない。

共感する部分があるというだけなら、擁護だという主張にまだ説得力がある。
原始仏典を典拠にすることを嫌うなら、ただ信用できないとか確証がないと言って語ることを拒否すればいい。
文献に書かれてさえない独創を「仏教として」擁護するのは余計である。
仏教というラベルを貼らずに書くだけならスレ違いなだけで他に問題は無いけどね。
>唯物論とは、

わかってて書いてるんだろうが、念のため、とりあえず補足しておく。
自分の使った唯物論は辞書的な意味での、一般的な用法での「唯物論」だ。
ご隠居用語における、ある考え方に対する別名としての用法ではない。
504不説:2009/03/02(月) 22:59:56 ID:ylZRli4g
>>503
その方がそれほど宗教に対する偏見に凝り固まっていながらも、一方で「仏教徒」
というアイデンティティに徹底的に執着しているのは、政治的に(しかし宗教的で
はなく)仏教と関連する何らかの社会的バックグラウンドの持ち主だからなんでし
ょうかね? 仏教以外の異教(キリスト教など)に対する排他的な切り捨てるだけ
の態度は、単に、政治的イデオロギー的動機でしかなくて、何ら宗教的動機による
ものではないことがわかります(そのことがわかった時点で、私は政治論争をした
くてこのスレに参加しているわけではないので、相手にするのをやめました)。
505不説:2009/03/02(月) 23:18:53 ID:ylZRli4g
出家者を敬うことをせず、在家中心主義も、行き着くところまで行き着くと、この
ように(生活者皆既之覚者也と)なる。そんな好例じゃないでしょうかね?

どうして出家と在家を対置させてとらえるのでしょうか。出家者もあくまでも在家
者の延長にある、スーパースター選手のような存在だと思うのですが……。

富士山の裾野が在家で、その上の山体が出家という感じ。もちろん、三帰依してい
ない非仏教徒は、そのいずれでもありませんが。

いかがですか、宝珠愚者さん?(と、イキナリ振ってみましたw)
506不説:2009/03/02(月) 23:35:12 ID:ylZRli4g
まあ、一つの日本における現状分析としては、仏教の僧侶が、単なる職業化してお
り、それも世襲制が色濃くなっていることも、批判的意見の背景には挙げられるか
もしれません。世襲の場合は、カーストのようになってしまって、本来の出家、沙
門とは別物となってしまうからです。

ただし、東南アジアの仏教国のようなテーラワーダ仏教国においては、そのような
認識は当てはまるとは限らないので、日本における仏教の認識だけで、仏教そのも
の全体を不当に非難することは、許されないことだと思います。

私がテーラワーダにおける在家なので、どだいテーラワーダ寄りの発言になること
は、十分割り引いていただくといたしましても(また、テーラワーダが大乗に対し
て優れている面もあれば、その一方で劣っている面もあるでしょう。このあたりは、
神智学のように美味しいとこ取りで学んでいけばよろしいかと)、社会知識として、
日本の仏教が、仏教の全てではないことは踏まえていただきたいものです。したが
って、日本の仏教だけで仏教そのものを(良しにつけ悪しきにつけ)判断し切って
強弁してしまうのは、偏見に陥っているとの非難は免れないと思います。
507神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 23:50:29 ID:hCd4fByO
>>503
>だから、気に入った部分を取り出してるだけだろ?
それは、宝珠愚者、初心氏等の、仏教徒を騙るクリスチャンに対して
言ってくれw。
>だが持ち上られげてるのは結局、「悟り」の意味を常識のお話にして
>みたりと
禅宗などは、「常識」「あるがままの世界」に宿る非凡を悟ることだと
了解しているが。
>仏陀本人とみられる思想からかけ離れた、「仏教」のラベルのついた
>だけのご隠居の考えでしかない。
仏陀自身が書いた経典は皆無なのだから、仏陀の真意は確かめようがない。
仏陀に拘らずに、経典を仏陀の真意と「仮定」して、その仮定の中に、
現代に通用する原理を探るという態度が、方法論として正しい。
>唯物論
この世界は、人間を含め、物(物質)から構成されている。物に100%
依存しない限り、人間は一瞬も生存できず、従って、宗教も存在し得ない。
唯物論とは、物とは何か、物が存在するとはどういうことか、世界とは
何か、を探ることだから、薄っぺらな辞書の定義などでは到底カバーで
きない大問題である。色即是空、空即是色は、この物(世界)が存在す
るとは如何なることかを、突き詰めて考え抜いた上での結論である。

>>504
>宗教に対する偏見に凝り固まっていながらも、
私は、「人間に営み」の一つとしてのさまざまな宗教を、その基盤と
しての人間全体に還元して思考、検証している。「自分の宗教に凝り固
まっている」のは、むしろ、それら各宗教の信者自身でしょう。宗教信者
にとっては、「自分の宗教だけが正しい」のだから、それは「偏見」以外の
何物でもありません。
私は、「すべての宗教」の本質を探っているのだから、むしろ究極の宗
教総論であり、政治とは対極にあるものです。
508神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 00:01:16 ID:hCd4fByO
>>506
>日本の仏教が、仏教の全てではないことは踏まえていただきたいもの
>です

あなたとは異なり、私は「日本の仏教が悪い」などとは一言も言っていない。
「人間の営み」として、人間から一歩も逸脱すること無い日本の大乗仏教は、
世界に誇るべき、極めて優れた宗教だと評価している。「葬式仏教」などと
批判はしない。それなりの社会的役割を、立派に果たしている。
509神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 00:12:15 ID:az7BiIWG
>>507
>方法論として正しい。

スレタイは読めてるかな?その「方法論」とやらは、仏陀は転生を説いたか、という
という「事実かどうかを資料から判別する」というスレの趣旨から離れている。
その「仮定」が(仏陀が実際にそう考えていた、という意味で)正しいことの
保証が皆無な点で、原始仏典に拠るより当てにできるとは言えようもない。
むしろネオ仏教を作ろう、というスレ(誰かが立てればだが)にふさわしいもの。
>>唯物論

こちらがどういう意味で使っているのかを確認したのならそれで良し。
510神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 00:12:39 ID:hmpbYKya
>>506
あなたは、あの超カルトと呼ばれ、さまざまな問題を起こしている
寺和田の信者なのですか。ならば、あなたの書き込みに納得。
511神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 00:25:05 ID:hmpbYKya
>>509
ならば、「仏陀」は説いたか、というスレタイは、全くの誤り。
単に「原始仏典に書かれているか」とすべき。仏陀は無関係。「俺は
そんなことは言っていない」「そんな意味ではない」といわれたら、
一体どうする積りかねw。

512神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 00:32:57 ID:hmpbYKya
>>505
>出家者を敬うことをせず、

寺和田の出家者は、「敬われたい」ので出家したのかね。

出家は、家庭を破壊し、社会には何の貢献もしない、「悪業」である。
513業報輪廻転生論は悪の論理:2009/03/03(火) 00:38:54 ID:7t1ZxybD
>>449>>451
>業報輪廻転生論の否定こそ悪の論理なり!!

今は忙殺されているが、宝珠愚者の寝言にチョットだけかまってやるよ。
 要するに、宝珠愚者の>>449>>451のアジタの唯物論に対する批判の代行は「道徳を破壊する」に尽きる。
 ところが俺の諸説は@ブッダと同じく、唯物論と観念論の両極に偏しないメタ・コードとしての中道を説くから,
的外れなトンチンカン論難でしかない。顔を洗って出直してこい。
A仮にアジタの諸説に立ってみても、
(イ)アジタの思想からは、人間として生まれてきた以上今を共に幸せに生きる権利があるとする極めて現実的かつ現代的な「共生の思想」を読み取ることができる。
業報輪廻転生論のごとき何の経験主義的裏付け証拠のないインチキ差別主義的観念論ではない。
共に間違っている両形而上的言説なら、アジタの現実的な諸説のほうが人を幸せにするだろう。
鋭い階級社会革命論につながるからだ。
(ロ)共生の思想から、他者を害しない共に助け合って生きる趣旨の「道徳」を導き出せるのであって、
宝珠愚者の想定する空想宗教のインチキ観念論の空想「道徳」など豚に食わすことができる。

今は忙しいので宝珠愚者をはじめとする観念論諸雑派をかまっていられないが、
業報輪廻転生論なるものを原理的に破滅させる戯論(中道的に観て言論は戯論だ)をいずれ展開するYO。

514神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 00:41:28 ID:az7BiIWG
>>511
「ならば、」じゃない。
仏典の引き写しではなく、そこから読み取り、解釈をしていくという趣旨である以上、
文献から「仏陀は転生を説いた!?」かを議論していくのだから、スレタイに全く問題は無い。

>仏陀は無関係。

なんでそう言いきれるのかな?古代の記録なんて大抵引き写しだ。古事記も原本が残っているだけでなく
写本が残っているだけ。が、そこに使われた言葉や他の記録から古事記について研究が行われる。
本人が書いたものじゃない→じゃあ、無関係と短絡し、
「仮定」という名の思いつきだけで済ます、ということはされない。
515神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 01:01:56 ID:hmpbYKya
>>514
原典が全く当てにならないのに、「読み取り」も「解釈」もへちまもなかろうw。

古事記は、あくまで神話として読むべきもの。「事実」だなどと考えたら大間
違い。神話の神々も、当時における優れた「人間」の記憶からイメージ化だと
思う。即ち、神々とは、「人間」だったのである。大国主命も、当時の優れた
医療者だったのだろう。

そう考えて神話を読めば、「神々」ではなく、古代の「人間」の記録として、
極めて興味深い。
516神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 01:15:09 ID:az7BiIWG
>>515
>原典が全く当てにならないのに、

当てにならないと考えるのなら、その理由を論証していけばいいだろうが。
超自然(説法の内容ではなく、仏陀に変なパワーがあるとか)を抜くだけでなく、
その背景の価値観を読み取ったりとか、他の経典との異同を比べたりとかだ。
仮にもここは議論スレだろ。
「仮定」しかやることがないのなら、ROM以外にこのスレに用は無いはずだ。

>古事記は、あくまで神話として読むべきもの。

古事記は、本人(ら)の直筆が残っていないことの例として出した。
この場合、古事記本文の記述が経典に書かれた仏陀の説(の内容)に対応する。
517神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 04:10:55 ID:UwPefKBi
>>516
>その背景の価値観を読み取ったりとか、他の経典との異同を比べたりとかだ。
>仮にもここは議論スレだろ。

大昔の、あやふやな「仮定」に基づいていくら議論しても、「本当のこと」は
絶対に分る訳がない。ましてや、釈迦の真意など、彼に直接聞かない限り、
把握は不可能である。残された文献は、現実の事態の極く一部分についてだけ
である。文献に残されていない空白の部分に決定的なことがあるかも知れない。
その空白は、一体どうやって補うのかね。大昔の歴史は単に「参考程度」で
ある。見てきたかのように語るものではない。

キリスト教の2000年間の神学論争で、一体何が分ったか。「ゼロ」である。

2chでは、各人がその生活体験に基づき、その仮定の中の、現代に通用する
原理のみを議論すべきであろう。大昔の仮定から、現在の現実を作り上げるな
ど、方向が全く逆である。それは「仮想現実」「蜃気楼」に過ぎない。従って
「原始仏典が釈迦の真意に近い」などと考えるのは、全くのナンセンス。

それよりも、原始仏典の「空」を参考にして、無数の人々が、「その時代の現実」
に適合させるべく思索を積み重ねた、大乗仏教の膨大な体系こそ、より根拠ある
ものとして、現代人の参考にすべきものである。
518カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 05:10:46 ID:APHmUvq4
>>517
あほか、おまえ。
スッタニパータなどの、原始経典は、ゴータマの教えを
直接聞いた直弟子達が、彼の教えを後世に残そうという動機で
書かれたものだ。そういう書物の内容なのだから、そこに多くの
ゴータマ自身が、直弟子達に直接伝えた言葉、教えが
そのまま書かれているのは、ほぼ確実なんだよ、吉外。
ゴータマ自身が書いたものではないから、ゴータマの教えではないというのは、
こと原始経典に関しては、当てはまらない。おまえの詭弁だ、吉外。
それをいうならむしろ、ゴータマの教えを直接聞いたことも無い、
後世の仏教徒が書いた、大乗経典のことを言うんだよ。さしずめただの言葉遊び
でしかない、竜樹の中論などはその代表格だろ。ちゃうか?吉外。
ちゅうかこいつ、草加の人だから。なんでもこいつらの教祖、池田大作大先生は、
釈迦は間違っている。現代の常識とはそぐわない。仏教も時代とともに
進歩、発展しなければいけない。などとほざき、ゴータマオリジナルの仏教とは
かけ離れた、単なる唯物論に仏教をしてしまっている。昔は六道輪廻を謳っていたが、
これも今は、現代の常識だと彼らが思っている、唯物論的解釈をしているようだ。
たとえば、餓鬼道とは、現世においての、食い物に対して卑しい者。というようにね。
この隠居とかいう引き篭もりの屑の能書きは、まんま、層化そのものなんだよ。
こいつを観察していると、この層化の異常性をよく認識できるだろう。
こいつはみてのとおり、まともな会話が成り立たず、キリスト教など、自分達が勝手に
脅威と感じる宗教を、執拗に攻撃する。そして自分達の価値観の異様なしつこさでの押し付け。
こいつはどんなに論理的に貴方の話は間違っていますよと諭しても、
人の話を全く聞かず、壊れたスピーカーのように、同じことを繰り返し発言し、執拗に
自分の価値観を,他人に押し付ける。そして自分は典型的な層化のくせに、平気で自分は層化ではない
と嘘を付く。なんでも彼らは、嘘も方便と、嘘をつくことは推奨されるらしい。自分の宗教を
堂々と言い表せない、宗教っていったいなんなんだろうね。ま、こいつを観察していると、
層化という宗教は、カルトであり、この宗教の異常性がよく理解できるだろう。
519カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 05:22:44 ID:APHmUvq4
>>504
不説さんとやら。なんかお宅、気に入らないんだけど。
ゴータマの待機説法、無記の意味を理解していないあんたが
誰に意見しているんだ?ゴータマは、形而上のことは一切語らなかったんじゃなく
相手によっては、一切語らなかったんだよ。むしろスッタニパータなど読めば
大いに語っている。あんたの、「私は確かめようの無いものは、語らない」
という趣旨のスタンスは、多くの日本の末法仏教徒達が使う、詭弁だ。
聞いてて、虫唾が走る。
520神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 05:42:40 ID:tFjFrRhp
後世の大乗仏教徒が来世を語りたがらないのは、
あの世の天国ではなく、この世の天国について語りたいからだ。
521カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 05:48:08 ID:APHmUvq4
原始経典を見れば、ゴータマは輪廻転生を謳っていたのは、明らかだ。
それをゴータマは輪廻転生を説いたか?説いていなかった?などと論争になるのは、
単なる唯物論に過ぎない末法仏教がもっとも発展した日本くらいのものだろう。
たとえば、仏典に出てくる来世という言葉の解釈にしてもこいつらにかかれば、
それは現世の未来ということに曲解される。ゴータマは輪廻からの解脱を説いたら
こいつらにかかれば、それは輪廻思想からの解脱だと、曲解される。
仏教を唯物論にしてしまった、どっかのアホ仏教学者も、こいつら末法仏教徒達の
解釈は、どう考えても無理がある。それは少し賢い人が、原始仏典を読めば
すぐに見抜くだろう。
522カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 05:48:47 ID:APHmUvq4
>>521続き
この曲解はどこから生まれるか?それはこいつらのエゴだ。
こいつらは自分達の価値観を最優先しているので、仏典を読んでも、素直に読めず、
全て自分の価値観に合うように、捻じ曲げ、捻じ曲げ、曲解して、自分達の価値観に合う
ように解釈する。そして仏典を素直に読んで、素直な解釈をする者の、意見を封殺する。
そういえば、前前スレあたりに、生まれ変わりの実例集である「前世を記憶する子供達」
という本の内容と、臨死体験を扱った、立花隆著の「臨死体験」という本の
内容がテーマにあがったとき、どっかの大学の精神科医である
「前世を記憶する子供達」の著者は、どうもこれは生まれ変わりだろうという
事例もあるといっているのに、また「臨死体験」の著者、立花隆も、大半は脳内の生理現象
だと説明できるが、それだけではどうしても説明できない事例もあるといっているのにも
かかわらず、皆は読んでいないとたかをくくり、否定的な事例だけを引用して、
両著者とも、結論は否定的であり、それらの本の内容からも、生まれ変わりも、臨死体験も
否定的な結論しか導かれないなどと、ここの皆を、思いっきりミスリードしようとした
人もいたろ。こいつは相当悪質だ。こうやってある文献を読んでも、全体の内容からその書物の
内容を判断するのではなく、自分の価値観の都合のいいような箇所だけ取ってだし、
自説の正しさを主張するのは、やり口として非常に汚く、詭弁でしかない。
なんでこいつらがこういおう行動をするかというと、これもエゴなんだよ。ここの輪廻転生否定論者、
断滅外道仏教徒達も、そういう人はたくさんいる。というより、ここの否定論者は、そういう人ばかりだ。
どいつもこいつも、己のエゴにより、書かれている事実を捻じ曲げ、自分の価値観に合う
偽りを、事実のように伝えるエゴの塊であるこいつらは、真理から最も遠くにいる人達だ。
皆、吉外だよ。
523カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:01:23 ID:APHmUvq4
>>520
あの世の天国なんてねぇよ。
ついでにいうと、おまえの今の生。肉の自我による
天国。涅槃もねぇんだよ。

ゴータマは、五感に感じられるこの世界の快楽は全て否定した。
そんなものに執着するなといったんだよ。それをおまえら末法仏教徒達は
必死で、肉の自我による涅槃を探している。いっとくが、肉の自我による
涅槃、天国というものは無い。むしろ、肉の自我には執着するな。むしろ捨てろ
といったんだよ。ここの末法仏教徒の一人が、ワーグナーだかなんだか知らんが
クラッシックを聞いて素晴らしいと酔いしれ、この世の生は素晴らしいと言う様は
読んでて、腹の底から笑えた。そんなものは、ゴータマは否定したものなのに
このドメクラは、見事、耳から入る音声による快楽に執着し、己の肉の自我に執着し
愛している。こいつらは、ゴータマの仏教の教えとは真逆にいる人達なのだが
なぜか2chでは、原始佛教というタイトルのスレにいつき、我こそ原始仏教なりとばかり、
曲解無しに、素直に原始仏典を読み、輪廻転生を謳う者達を排除している。

断滅佛教を謳うおまえらはさ、典型的な外道なんだから、いいかげん
仏教を語るのはやめろよ、吉外。
524神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 06:04:20 ID:tFjFrRhp
己一身の天国を否定することで、この世の天国を作るというんだよ。
お前は甘い。
525神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 06:07:49 ID:tFjFrRhp
問題は経典に何が書かれていたとか、他人がどうこうしたかではなく、
己が今、ここで何を考え、何をしているかということだ。
天国に行ける条件は天国の存在を信じることか?
心正しいものでも天国の存在を信じなければ天国へいけないのかよ。
くだらない。
526カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:12:33 ID:APHmUvq4
おい、そこの層化の吉外。
あのよ、真理というのは、過去も現在も未来も、永遠に普遍のものだ。
時代時代の価値観によって、ころころ変わるなんていうのは、真理とはいわないんだよ。
わかったかい?吉外。吉外だからいってることが難しすぎてわからないか?

しかし、2chの宗教板で、得意げにゴータマの佛教を語っているのが、
エゴのまま生きる獣が悟っているなどとほざく、良心の著しく欠如した、反社会性人格障害
サイコパスが涅槃だと称する、ゴータマの教えのかけらもない、言葉遊びでしかない、
邪険の王様、禅宗と、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽焦土などと、ゴータマの佛教の
欠片もない、似非仏教と、カルトでしかない、これまた、ゴータマの佛教の欠片もない層化
てんだから、救いようがないやね。何でこいつらが、原始佛教を語るのか、理解に苦しむ。
527神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 06:15:05 ID:tFjFrRhp
君は、仏教徒としてもキリスト教徒としても十分恥ずかしいよ。
528カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:15:18 ID:APHmUvq4
>>525
おまえの理解している天国なんていうのは、おまえの思っている通り、
そんなものはねぇんだよ。キリスト教徒が思っている天国なんていうのは無い。

天も地も表裏一体だ。

おまえの思考も、俺の思考も、私とあなたも、本当の自分じゃ無い。
これを理解すれば、天と地を理解する。
529カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:18:19 ID:APHmUvq4
>>524
おまえの言っていることは正しい。だがおまえは理解していない。

利己心を愛する者は確かにそこには帰れない。だが、肉の自我を捨てない
者も、そこには帰れない。
530カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:22:26 ID:APHmUvq4
おまえらは仏教を知らないようだから、キリスト教徒の俺が
仏教を教えてあげよう。

四諦とは、苦とは何か?を知ることからはじまる。
それはこの世の生存だ。つまり、輪廻転生を止まない限り、苦の滅は
無いということなんだよ。四諦には輪廻転生のことは書かれていないからだの
なんだのといってる奴は、仏教の教えの根幹である、四諦の真理すら
理解していないんだから、笑える。
531カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:23:31 ID:APHmUvq4
なぁ、なんでおまえらそんなに馬鹿なの?
世の中、右を見ても、左を見ても、馬鹿ばっかりだ。
なぁ、なんでおまえら、そんなに馬鹿なんだ?
532神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 06:37:59 ID:tFjFrRhp
まあ、マスコミに作られた固定観念とか、
己で作り上げたちっちぇー価値感なんか見ずに、
自分という立場を離れた目で自分の身近なものを直に見てみろよ。
533カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:39:14 ID:APHmUvq4
>>525
そこに帰るのは、この世の生(肉の自我による)の間の行い
によるものだろう。この世において善の修行を完成させた者だけが
そこに帰れる。ではその善の修行とは何か?それは己の心に巣食う
エゴイズム(利己心)を滅ぼすことにある。でもそれだけではそこには帰れない。
真理を正しく理解することも必要なのだ。おまえ、迷子になった子供が、
帰る場所を知らないで、どうして自分の家に帰れるというのだ?
自分の帰る場所を正しく理解しない者は、いくら善行をしようとも、そこに
帰ることは出来ないんだよ。
534カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:41:28 ID:APHmUvq4
>>532
は?マスコミも糞も、世の中の大半は、馬鹿ばっかりだろ。

おまえも馬鹿だしな。
535神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 06:46:49 ID:tFjFrRhp
馬鹿で結構。
馬鹿をどうこうできないのに、馬鹿に煩わされる方がアホらしいわ。
536カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 06:58:52 ID:APHmUvq4
>>535
おまえらの中論をベースにした、ただの言葉遊びでしかない
糞の役にも立たない、似非仏教は、実にくだらないんだよ。
な、おまえらの言葉遊び仏教に、なんのいみがあるんだい?
賢い人は、すぐにおまえらの言葉遊びでしかない似非仏教は
全く意味が無いと見抜くぜ。そんなことも気づかないで、得意げに
糞の役にも立たない、言葉遊びを得意げに語る君らは、典型的な馬鹿だろ。
ちゃうか?おまえらは馬鹿なんだよ。

この世は善も悪も無い、中道だべ〜。
やりたい放題したもんの勝ちかよ。

この世は、痛いも、痛くも無い、中道だべ〜
おまえ一回、木刀でしばきまわしたろか?

この世は生も、死も無い、中道だべ〜
俺のじいちゃんは、この間死んだんだが、実は死んでいないんだな?

ただの言葉遊び。おまえらアホやろ。

あのよ、この世は相対世界だ。善と悪も、痛いも、快楽も、生も死もあるから
この世なんだよ。中道とはあくまで、真理の領域のことをいうのだ。
右の座に付く者は、永遠を手にし、左の座に着く者は、滅びる定め。そして
全ての根源である父は、中央に座している。本来人とは、一人だ。一人である限り、
善も悪も無い。ゴータマの説いた中道とは、そういうことなんだよ。
537神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 06:59:40 ID:tFjFrRhp
馬鹿を見るとき、自我があるから怒りが生ずるのであって、
自我を離れれば悲しみしか生じない。
538カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 07:03:08 ID:APHmUvq4
しかし世の中馬鹿ばかりだ。なんでこんな馬鹿ばかりなんだろう。

おやすみだ、馬鹿共。早く悟れよ。
539初代スレ7:2009/03/03(火) 07:04:18 ID:JL2J0A3z
>>536
ブラウン管やスクリーンの向こうに涅槃を設定しても(見ても、或いは探しても)意味ないよ。
せめて、劇場の舞台の上くらいなら可愛げがあるものを・・・w

君は、自分が、どこか遠いお空の向こうに涅槃を設定している、ということに気付いた方がいい。
いいかげん、夢物語から醒めたらどうだ?
540カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 07:23:12 ID:APHmUvq4
>>539
おやおや、外道さんが、俺様に意見かい。
別にこの世と遠く離れたところに涅槃など設定していないんだがな。
俺は天も地も、表裏一体だといっている。
おまえ達、外道末法仏教者達は、今の生存のうちに涅槃を探している。
ゴータマはよ、死んで涅槃に入ったんだよ。おまえ涅槃経も読んだこと無いんだな(苦笑)
そんなこと信じられなければ、おまえは仏教を捨てろ。おまえの似非仏教は、
仏教じゃないから。仏教の根幹である

ちなみにおれはこの世とは別の、あの世の話をしてるんじゃない。あの世なんていうのは無い。
あるのはこの世と、静寂だ。ちなみにキリスト教の、永遠の命とは、精神的な意味である、
直訳すると、魂という意味の、プシュケーという単語ではなく、あくまで動物という意味、肉の命
という意味のゾーエという単語を使い、ゾーエアイオノスという言葉で表現するんだよ。
この表現は、間違いではない。決して永遠の魂などとは謳っていない。
肉を離れて、命は無いんだよ。

「言」は沈黙しないと命は無いが、「言」こそが命である。そしてこの「言」こそが、「人」である。
ま、おまえらには難しすぎる話だろう。ま、せいぜい中論などとくその役にも立たない言葉遊び
に熱中して、迷っておれ。

ちゅうかおまえ、ゴータマは一切は皆苦だと説いたんだよ。まかりなりにも仏教徒なら、
仏教の言う一切とはなにかを理解してんだろ?なのに盲人のおまえは、この一切の中に
涅槃を探している。馬鹿な男だ。仏教徒でありながら、仏教の教えの根幹である四法印を
理解していないってんだから、日本の末法仏教徒達は、まことに笑えるよ。
541神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 07:25:51 ID:H1Qa/sR4
>カラス氏へ

君は、エゴ、エゴというが、「自分の」苦や輪廻を逃れるために修行する
ゴータマや仏教徒や、「自分の」死後の裁きを逃れるためにひたすらイエス
や神を信じるクリスチャンの姿こそ、まさに「エゴの塊」ではないか。

「ゴータマが言ったか言わなかった」を大層問題にしているが、「真理の言葉」
であれば、誰が言っても、横丁のご隠居が言っても、はたまたホームレスの
おじさんが言っても「真理の言葉」である。それが判断できないのは、頭が悪い
ということ。「有名人」であるゴータマやイエスだけを有難がるのは、ミーハ
ーのブランド漁りや、将軍様崇拝の北朝鮮と全く同じ心理であることに気付け。

「前世の記憶」は、人体のどこで蓄えられるのか、解剖生理学的に説明してくれ。
人間の記憶器官は、脳だけであり、脳は、受精後、かなり日時が経ってから
はじめて形成されるのだが。君は、母親の胎内で羊水飲んでいた時期の記憶が
あるかね。俺にはさっぱりないw。羊水はどんな味がしたか説明できるかw。

「生まれ変わり」であるというためには、前世の自分との同一性が必要で、
その同一性は脳内の記憶による。君の受精前の記憶は、どこにあったのかね。
542初代スレ7:2009/03/03(火) 07:28:31 ID:JL2J0A3z
そうだ。
この喩え方を宝珠氏にも捧げておこう。

前世や来世は、ブラウン管やスクリーンの向こうと同じだ。
前世や来世を設定する(或いは想像し怖れる)ことは、
ブラウン管やスクリーンの向こうを設定する(或いは想像し怖れる)ことと同じだ。



さて、
ブラウン管の向こうに居るのは、江原か、みのか、はたまたイチロー、松坂か・・・。
543カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/03/03(火) 07:33:47 ID:APHmUvq4
言葉は命だ。だが「言」は沈黙しなければ、命は無い。
識別智である「言」が命を生んだが、「言」が沈黙しなければ命は無いのだ。
男と女が一つとなり、「人」なのだ。ゆえに女は、男の前では黙っていなさい。

ま、おまえら末法仏教徒達には、難しすぎる話なんだろう。

>>541
屁理屈は楽しいか?吉外。おまえは一回病院に行ったほうがいいよ。
普通じゃないから、おまえ。ま、カルトである層化に洗脳されるとこうなるという、
いいサンプルだよ、おまえは。
544初代スレ7:2009/03/03(火) 07:34:25 ID:JL2J0A3z
>>542は繋いで書いたらいけないなw

また、ブラウン管の向こうを「直接知りえない世界(存在・事象・こと)」とした時、
ブラウン管の向こうに居るのは、江原か、みのか、はたまたイチロー、松坂か・・・。

とすべきだった。
545初代スレ7:2009/03/03(火) 07:44:24 ID:JL2J0A3z
>>510
不説氏は、2chの上座部系にしては珍しく(?w)穏健派ですよw


ノシ
546神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 07:54:07 ID:H1Qa/sR4
>>545
上座部は、日本の仏教ではない。さっさと東南アジアの祖国に帰ってくれ。
547机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/03(火) 08:37:42 ID:d1s1hWm9
>>531
>世の中、右を見ても、左を見ても、馬鹿ばっかりだ。

たしかに、馬鹿に見えてしまうことも多々ある。
財界ですと、奥田とか御手洗とか・・・
政治家ですと、麻生とか小沢(最近大失言?北鮮拉致問題について)
つまりアタマは良いんだろうけど、
コミュニケーションスキルの欠如なんだろうね。
(思った事をストレートに表現してしまう、その浅はかさ)

そこへいくと、さすがアナ出身だけあって、
小池百合子とか櫻井よしことか、そりゃ〜抜群のコミュ二スキルがある。
このスキルこそ、頭脳明晰だという印象を人に与える。
(ようは、経験におけるノウハウの蓄積なんだよ)

龍樹はコミニュスキルが良かったらしい。
女性を口説くのが得意。
つまり中論というのは、相手を説得する術(スキル)の延長線上にあるんだよ。
548神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 08:44:42 ID:H1Qa/sR4
>カラス氏へ

ゴータマが、生・老・病・死という「肉の苦」を逃れようとしたのは、人並み
に「肉の快」を求めたからだよ。

胎児が、子宮から産道を通って骨盤を潜り抜け、膣口から出てくるまでの行程
は、本当に苦しい作業なのだよ。胎児は、何度か巧みに回転しながら、頭を先
にして生まれる。足が先だと、途中で引っかかるからだ。

その胎児の苦しみが分る釈迦は、並みの産科医はだしだ。彼の妊娠期間の記述は、
現代の産科学でも全く同じ。

生・老・病・死は、すべて「肉の苦」であることに気付け。彼は、極めて冷静な
「物体としての肉体の観察者」だ。

色即是空、空即是色は、最も優れた「存在論」であることを、理解しなければ
ならない。この命題に論理的に反論できる哲学者は、唯の一人もいないはず。

彼は「世界は何と美しい。人の命は何と甘美なものか」と言ったそうだね。
フツーの人じゃんw。
549神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 09:15:49 ID:wl50X8MB
>>548
>ゴータマが、生・老・病・死という「肉の苦」を逃れようとしたのは、

で、その「仮定」は何を基にしてるのか。
仏典に書かれたエピソードなり教説だろうが。
550神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 10:40:41 ID:H1Qa/sR4
>>549
勿論、現在存在する仏典に書かれているだけという「仮定」であり、それが
仏陀の言葉であるという保証は皆無である。仏陀の滅後数百年間、その教えは
専ら記憶暗唱を頼りとして受け継がれて来たに過ぎないから、その間に無数の
変更や誤りが生じたことは、当然推測される。また、結集者の解釈と思想に
よる故意の改変もあるだろう。そのような原始仏典の一字一句に拘るのは、
滑稽そのもの。第一回の500結集も、伝承に過ぎない。

このように、極めて不確かな「仮定」を、「物語」として読んでいるのである。

聖書の3共観福音書の間にも、無数の食い違いがある。これも「物語」である。
大真面目に信じるものではない。
551神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 10:47:47 ID:9Pf5mFnS
>>550

貴方の言葉を借りるなら、誤謬や間違いだらけの物語である仏教に執着している貴方自身の姿こそ偏見と誤謬の塊だろう。
552神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 10:50:09 ID:Uc5tOO+v
>龍樹はコミニュスキルが良かったらしい。
>女性を口説くのが得意。
>つまり中論というのは、相手を説得する術(スキル)の延長線上にあるんだよ。

また机の茶飲み話がはじまった w
今度は「龍樹は女を口説くのが得意」だってw
道元の次は龍樹かよ・・・
553神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 10:55:45 ID:/OOh0wpe
仏教徒を自称しながら、釈尊や祖師を腐す輩のなんと多いことか・・・。
554神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 10:57:58 ID:H1Qa/sR4
初めて気付いたが、生・老・病・死は勿論、他の4苦も、肉体的本能や、
肉体による知覚、肉体から発する自然の感情である。

イエスとは異なり、仏陀は、単なる精神的悩みをすべて「苦」と看做す
ような、「甘ったれた精神論者」ではなかったのである。
555神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 11:00:55 ID:/OOh0wpe
>>554
あきれた事に、ID:H1Qa/sR4は初歩の仏典すら読んでいないことを自供。
556神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 11:02:27 ID:H1Qa/sR4
>>553
誤解してはならない。釈迦の、極めて冷厳な現実性と合理性に、感銘を
受けているのだよ。
557神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 11:03:28 ID:wl50X8MB
>>550
ここで「事実かどうか」と議論されているのは、
例えば(日本語で表現すると)「○○であり、輪廻はあるのです」なのか
「××であって、輪廻は存在する」のどちらの文面が
仏陀の実際に語った台詞なのか、ということではないことを理解するべき。

>勿論、現在存在する仏典に書かれているだけという「仮定」であり、

本人の直筆が残っているのは、人類の歴史から見ればごく最近のものだけ、
ということは当然のこと。その上で「ソクラテスは〜〜と語った」という事が言われる。
出典が何か把握されているなら、「〜〜と語った」には当然ある文献に書かれたことという含意が入る。

>専ら記憶暗唱を頼りとして受け継がれて来たに過ぎないから、

本人らにとって、どういうものだったかを考えれば、それはテストを前にやるような暗記とは異なることは知れる。
しかも個人ではなく同じ信念を持った集団での伝承ということは、誤りが見られれば
他から訂正させられる環境にあったことも意味する。当然、その中でも単語や文体の違いは出てくるだろう。
が、元の思想と正反対になることはあるか、と言えば怪しい。
人間はある状況を説明された時、その文面まで正確に覚えて無くても、その文面によって
語られた内容は、文面そのものよりも把握しているものだからだ。
558神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 11:05:36 ID:Uc5tOO+v
>>464
>既に拙者は貴殿の公案に回答済みですね。
あららやっちゃったw
何でも公案だと思いこむのが知ったかぶりの悪い癖ですね。
公案というのがそもそも方程式なわけで、何でもそれに当てはめれば
ハイ悟りのできあがりw
ただの条件反射は仏教では有りません。

あなたは100+5=105って書いてあったら公案だと思うんですねw

あと自分を机師なんて書かない方が良いよ。
バレバレだからw
559神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 11:23:06 ID:H1Qa/sR4
>>557
要するに、原始仏典は、完全な正確さや釈迦の真意など期待できない「物語」
であり、大真面目に一字一句に拘るのは滑稽だということだよ。聞き間違え、
書き間違えはもとより、書記による故意の改変や、写本作成時の写し間違い
もありうる。

聖書についても、聖書学者はこの旨を述べている。特に、宗教側の都合による
故意の改変も多いそうだ。聖書の日本語訳も、頻繁に改変されている。例えば、
「妬む神」では印象が悪いから「熱情の神」などという意味不明な言葉を使って
いるし、旧約の、神による神の自己定義も、本来は「全実在」の意味であるのに、
「わたしは、ある」などという日本語にもならない表現を使っている。神が
「全実在」なら、イエスの面目が丸潰れになるからだ。
560神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 11:37:09 ID:wl50X8MB
>>559
「要するに」じゃない。仏陀の言ったままの文面という意味での「完全な正確さ」はないし
それ以前の「概要」のレベル。「一字一句」「故意の改変」と言うが、
転生の話は、ごくわずかに残された少数の断片をどう解釈できるか、というレベルじゃなく
大量の仏典に散りばめられた話だ。一つの仏典のある写本にしか登場しないエピソードや名前ではないんだよ。
>故意の改変も多いそうだ。

イエスが無神論者になってしまったりと、真逆のキャラや思想になった例はあるか?

>旧約の、神による神の自己定義も、本来は「全実在」の意味であるのに、

隠居オリジナル英文法の捏造もあったよな。懐かしい。
561神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 11:46:27 ID:H1Qa/sR4
>>560
>隠居オリジナル英文法の捏造もあったよな。懐かしい。

また、しつこかった君かw。クリなのに、何故仏教スレに?

私の専攻は「英語学」だよ。
562神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 11:53:01 ID:wl50X8MB
>>561
主張するだけなら誰にもできるよな。
出典を聞かれても答えられず、中学生から英語の勉強をやり直せ
みたいなことを言われたもんで、こちらが実際に参考書を確認し、
やっぱり無かったことを書き込んだらその後はだんまりを決め込む。
大した「英語学専攻」だね。当然ながら結局出典が示されることはなし。

>クリなのに、何故仏教スレに?

キリスト教徒ではないが。まあ隠居にしてみれば「偶像崇拝者」や「カーフィル」みたいな
罵倒語みたいなもんだろうし、本気で書いてるんじゃないだろうが。
563神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 13:00:11 ID:HCB3uUkO
電波・机・隠居

妄想・捏造・誤謬 三兄弟
564tibyaku:2009/03/03(火) 13:00:53 ID:O3V7pKse
救世主イエス様は聖書の上では生涯独身を通している内容ですが、マクダラのマリア
を妻に迎えている内容がマクダラのマリア文書に書いてあるとのことです。
イエス様が亡くなられて数百年後枢機卿の信者がキリスト教のニーケア会議で聖書の
神格化に向けて削除されたり、追記されたりされているとのことです。

565神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 13:45:28 ID:JXxTuadK
グノーシス系の福音書の成立年代はさておき、

イエスをもっとも神格化したヨハネによる福音書で、
イエスが疲れた、と書かれるなど人間的側面が強調されてる。
キリスト教でのイエスは神であると同時に人間。
>同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。(カルケドン信条)
キリスト教では、イエスに人間的側面があることが、彼の神格化の妨げになるとは考えない。
もともと「正典」福音書に書いてあったのなら、マグダラのマリアとの関係の記述を削除する理由が無い。
566机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/03(火) 16:30:56 ID:d1s1hWm9
>>558
>公案というのがそもそも方程式なわけで、何でもそれに当てはめれば
>ハイ悟りのできあがりw

公案というのは方程式ではありませんね。
答えがないのです。
ない答えを相手(師家)にどう伝えるか?というのがテーゼです。

>あなたは100+5=105って書いてあったら公案だと思うんですねw

いえいえ、そうではありませんです。
「100+5」の問いがありましたら、
そのまま白紙で回答すれば宜しいんじゃ〜ないでしょうか?
(それが回答ですね。→これが公案の一例)

>あと自分を机師なんて書かない方が良いよ。
>バレバレだからw

そんなことを書いた記憶はありませんね。
貴殿はジサク・ジエンを疑っておるんでしょうけど、
そこまでやる程、拙者は熱くなってないですよ(笑
皆様の問いにも全て論破してますし、やる必要もありませんね。

#、今から「闇の子供たち」のDVDを観ます。
567神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 19:17:12 ID:Uc5tOO+v
>566
もう知ったかぶりばっかりなんだからw
かまかけたら案の定(嗤)

まず私は公案の話など一つもしてません。
あなたが勝手に公案だと思いこんだだけw
でたらめにでたらめをもって答えるのがいかにも机流ですよね。
それを「机流の公案」だと揶揄しているのが分かりませんか?

百五鏤鶏子を辞書で引いて見ました?
引いてませんよねw


568神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 19:18:45 ID:Uc5tOO+v
自分の誤りを認めない机さんが自作自演を認めるわけがないw
それがそのまま答えですw
569神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 20:34:02 ID:q4b03w1v
>>473
>マルクスがクリスチャンだという根拠を出してほしいのですが。

「マルクスの超素顔」(在田実著、2009年2月28日徳間書店発行)より
引用。著者は牧師である。

「少年時代の初め、カールマルクスはキリスト教への信仰を告白し、クリスチャン
として生きたとウォンブランド牧師は考えている。そしてマルクスの最初の著
書は、『忠実な信者たちとキリストとの融合』と呼ばれている。その中に、こ
のような美しい言葉が記されている。

『キリストの愛を通して、私たちは同時に、私たちの内に結び合わされ、キリ
ストがご自分を犠牲にされた兄弟たちに心を向けるのである。』

『キリストとの融合は、内なる向上、悲嘆の時の慰め、平静な信頼、そして、
人間の愛や、すべての高潔で素晴らしいこと、野心や栄光のためでなく、ただ
キリストのために敏感な心を与えることができる。』」

イエス、マルクス、ヒットラー、スターリンと、「悪魔の顔」が出揃ったな。

570宝珠愚者:2009/03/03(火) 23:41:38 ID:Mfhx9idO
>>492
>なんで仏教徒だからって妄想まで使ってキリスト教を否定しなきゃなんないのか
>わけがわかりませんね。
>事実でない事柄を利用して強引に否定しようとする。
>そういう不正な手段を使ってまでキリスト教に粘着する方が気持ち悪いです。
>あなたよりはキリスト教の方がマシだという風に今は思ってますね。

激しく同意 !!


>>478
>すべての人間を「罪人扱い」するキリスト教は、すべての人間に「仏性」
>を認める大乗仏教の対極にあるもの。両者を絶対に混交してはならない。

 お話になりません・・。

 私は原罪思想をそのままでは肯定しませんが、しかし、これは言い換えるならば、仏教の説く、人に
内在する生命の根元的な欲望(煩悩)であるところの「渇愛」(タンハー)とリンクするところがあると見な
すこともできるのです。

 また、あまりにも無知なので、再度いっておきます。原始キリスト教(本来のイエスが教えた内容)にお
いては、人は誰でもキリスト意識が内在(キリストの原理)しており、この意識の覚醒が説かれたのです。
これを封印したのが後の教会によって形成されたドグマでした。あなたの話は、全てキリスト教とイエス
(の教え)とを混同しておりメチャクチャです。
571宝珠愚者:2009/03/03(火) 23:42:42 ID:Mfhx9idO
>>513
>今は忙殺されているが、宝珠愚者の寝言にチョットだけかまってやるよ。
>要するに、宝珠愚者の>>449>>451のアジタの唯物論に対する批判の代行は「道徳を破壊する」に尽きる。
>ところが俺の諸説は@ブッダと同じく、唯物論と観念論の両極に偏しないメタ・コードとしての中道を説くから,
>的外れなトンチンカン論難でしかない。顔を洗って出直してこい。

<宗教も科学も、同じく「人間の生物的生命」の営み。君が死ねば、その書き込みさえ出来ないw。
未だかつて、火葬中に「熱い」と叫んだ「死者」はいない。>

といった話のどこが中道(の教え)なのか?
だから、あなたはカラスさんに、中道を盾にとった唯物論(外道)と非難されるのですよ!


>>541
>「前世の記憶」は、人体のどこで蓄えられるのか、解剖生理学的に説明してくれ。
>人間の記憶器官は、脳だけであり、脳は、受精後、かなり日時が経ってから
>はじめて形成されるのだが。君は、母親の胎内で羊水飲んでいた時期の記憶が
>あるかね。俺にはさっぱりないw。羊水はどんな味がしたか説明できるかw。
>「生まれ変わり」であるというためには、前世の自分との同一性が必要で、
>その同一性は脳内の記憶による。君の受精前の記憶は、どこにあったのかね。

 DNA的な生命としての太古の記憶は大脳辺縁系が握っており、おそらくは視床下部などが関連してい
て、そこに潜んでいる・・。脳内としては前世の記憶も同様でしょう。
 それらは深層意識〜集合的無意識の領域であって、表層意識(顕在意識)では、そのことを自覚する
ことはできない。
 しかし、人は無意識の内に無自覚で太古の生命記憶と前世情報から反応しているのです。人の好みを
形成する選択の意識はそれらによって形成されている・・。
 わ・か・る??
572宝珠愚者:2009/03/03(火) 23:46:03 ID:Mfhx9idO
>>559
 聖書の場合には原典写本からの写し間違いや、英語聖書の翻訳上の誤訳・・手入れ付け加えによ
る偽造・・。そしてニケア、コンスタンチノーブル、エフェソス〜といった汎カトリック教会宗教会議による
キリスト教としてのドグマの形成といった多くの事実が指摘されています。

 しかし、仏典は違う。原始仏典を聖書やキリスト教の場合と同じ扱いをするとは愚かにもほどがある。
原始仏典にそのような事実が確認されているのならば、どうぞそれを提示して下さいな!
 あなたのいってることは、ゴータマが自分で書いたわけではない、とそれだけの話です。それはゴータ
マの真実の教えとは違うという証拠にはなりません。
 それはただ、あなたの決め付けと個人的な願望を顕しているに過ぎません。
573神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 23:52:43 ID:7t1ZxybD
>>569
>少年時代の初め の話をしてどうするんですか?
>マルクスがクリスチャンだという根拠  には全然なっていませんよw

若いマルクスを論じるのであれば、せめて「経済学・哲学草稿」(1832以降)や「キリスト教の本質」(1841)を書いた当時以降から
問題にして欲しいw
 たとえ2ちゃんねるでも、あんまりトンデモ本を根拠にデタラメを吐いていたらマトモな人から軽蔑されますよw

574不説:2009/03/03(火) 23:56:11 ID:PwV7ujDR
>>519
カラスさんに気に入ってもらいたいと思って発言しているわけじゃないですよw

まあ、気持として、荒れる気持ちになるのも、わからないではないですが、ゴータマ
仏陀は、「人は行いによってバラモン(聖人)とも、犯罪者ともなる」というような
ことを述べています。いくら、あなたが、“真実”を知る人で、その“真実”に根差
した、元来は実に愛情深い人だったとしても、悪口という悪行を犯した段階から、台
無しです。原始仏典の理解者を自認されるのであれば、行い=業を重視したゴータマ
仏陀の言葉についても、是非、心に留め置いていただきたいです。
575tibyaku:2009/03/04(水) 00:38:38 ID:h+KRi36g
私見ですがナザレのイエス様は罪の子としたのは「一転語」のようなもので、余りにも自我我
欲の殺戮があって戦が絶えない状況にあって、「皆さんは神の子」ですとなれば、殺人が正当
化されしまう危険があったので、最初に「人間罪の子」と否定することで、殺戮多い御時世に
反省の機会を与えたかったのではないかと思います。その後平和な時代になれば「皆さんは神
の子」」ですと肯定する予定であったと思います。
576プロティノス:2009/03/04(水) 01:24:11 ID:NxCsQbS5
プロティノスは西洋人よりも東洋人のほうがわかりやすいという面がもある。
鈴木大拙などもプロティノスを評価していたようだし。だいたい、ギリシア哲学
というのは、西洋近代哲学の源流というよりも、インドや中国の哲学と同時代的
なものなのである。井筒俊彦は、「東洋思想とは、ギリシア以東の思想のこと
である」というようなことを言ったそうである。まさしくその通りであろう。さらに
いえばキリスト教もその初期においては "Neoplatonism with Jesus"だと
言っている人もある。プロティノスをマイナー扱いするのは、西ヨーロッパの
反神秘思想的バイアス(それは、ローマカトリック教会が人間の神性を否定
したことに由来しているが)による偏向的評価にほかならず、ギリシア思想を
その当時の地球文明的な視野において位置づけるならば、プロティノスは
当然、ギリシア的宇宙観の完成者としてとらえられることになる。

ともあれ、この宇宙、存在の世界を、理性で語りうるぎりぎりのところまで
語っている思想はプロティノスである。それが「永遠の哲学」というものの中核
をなすことは確かだ。それを補うものとして唯識〜現象学という「現実性とは
いかに生成するか」という分析ツールを使えばよいのではないか。華厳哲学の
無限重畳的宇宙も、プロティノスの中に含まれていると考えてよいだろう。
577プロティノス:2009/03/04(水) 01:25:45 ID:NxCsQbS5
ケン・ウィルバーの思想は、こうした永遠の哲学が「人間の理性で理解できる
限度においては、『真理』をある程度反映している」という前提のもとに、それと
近代心理学を接ぎ木して一つのシステムをつくろうとしているものだ。心理学者
で私が評価するのは、サイコシンセシスの技法を開発したアサジョーリを別に
すると、ジェームズ・ヒルマンである。ヒルマンの『魂の心理学』は、プロティノス
の思想をベースにしているという。つまり、「人間の中に魂があるのではなく、
まず魂があり、その中に人間はあるのだ」という考え方だ。これはまったく正しい。
だが、この基本的なことを完全に理解するのは、そんなに簡単なことではない。
わかってみればそんなに複雑なことを言っているわけではないのだが、近代
世界の常識から抜けだせないうちは、『魂の心理学』は何を言っているのか
さっぱりわからない本になるだろう。だがこれは面白い。名著である。私は三回
くらい読んだ。それから『世界に宿る魂』も、プロティノスの言う「世界霊」を
復活させようと言う試みでなかなか冒険的でよろしい。でもヒルマンにもかなり
限界はある。ヒルマンは「魂」をはっきりととらえた。その点はヒルマンの功績
なのだが、あろうことか、ヒルマンはそれ以上の、つまり魂というレベルを超える
宇宙領域があることを否定しているのである。これでは半分の真理である。

とにかく、超越的な「一者」とか「無」などと呼ばれる何かが、あらゆる現象世界
を含むものとしてあるというようなことは、知性ある東洋人には比較的理解しや
すい。だが、本当に宇宙や存在の基本構造ということを知的に理解するには、
「魂」というテーマとぶつかることが絶対に必要である。そうでないと、「人間は
死んだらどうなるのか」という根本的な問いにも答えていない(答えることを
回避する)思想になってしまう。そんなものは思想の名に値しない。魂ということ
はなかなかわかっているようでわかっていない。たとえば、よくある質問だが、
578プロティノス:2009/03/04(水) 01:26:51 ID:NxCsQbS5
「もし魂が転生するというなら、世界の人口が増え続けているということは
どのように説明するのか」という疑問があるとしたら、残念ながらそれは魂の
ことがまったくわかっていない証拠であるだろう。というのは、そのような問いは、
魂が「数えうるもの」であるという前提に成り立っているからだ。この点、
プロティノスははっきりと説明してくれている。魂は、人間の中に入っているもの
ではない。

たとえばプロティノスは、魂は死後にはどうなるのか、思いを残すと高い世界へ
は行けないことになるだとか、守護霊のことだとか(つまりこれは、ソクラテス
にもついていたといわれる「ダイモーン」のことであるが)、自殺をした魂の運命
だとか、そういったいまどきの霊的な書物に出ているようなこともかなりいろいろ
と語っているのだ。こういったことは、当然、大学の学者などはあまり重要視
しない。だが私などが見れば、こういった記述は、彼が実際に霊的な世界を
体験していたことのあらわれであることがわかる。こういった記述に驚くほど
一致する部分があれば、それは端的に言えば、それがかなり真実に近いことを
示していると思う。

だいたい、魂と人間という根本的なことが問題になっているのに、それと重要な
関係があるらしい臨死体験や体外離脱の経験をどう位置づけるかという問いを
回避するなど、哲学者の風上にも置けないというべきではなかろうか。体験に
基づいて考えるということが東洋哲学の伝統であるはずであり(その意味で
今の東洋学の大半は、東洋思想の西洋人的解釈のまねにしかすぎないが)、
その目でプロティノスを読めば、ヨーガや仏教の伝統との類似点も多く見えて
くる。というわけで、そのような東西霊性思想の統合的ヴィジョンを捉えることが
重要である。
579不説:2009/03/04(水) 01:44:29 ID:ULsw/HqR
「大王さま、そのとおりです、そのとおりです。わたしは理法をみごとに説きまし
た。しかしそれは、善き友、善き仲間、善き人々に取り巻かれている人のためのも
のであり、悪い友、悪い仲間、悪い人々に取り巻かれている人のためのものではあ
りません」中村元訳、サムユッタニカーヤより

このことから、(これこそ“小乗的”との謗りを受けてしまうかもしれませんが)
仏陀の教え=仏教というものが、敵対的な立場の論敵を打ち破るものではないこと
がわかります。仏教というのは、善人に語られる教説であり、善人でしか正しく理
解できないものです。悪趣者の心には届かないので、私は、無理に自分と対立する
見解の人を説き伏せようとは拘りません。悪趣者も含めた、万物救済の教えではな
いのです。ただし、それでも、一切生命に対する慈悲心を持つことは説かれていま
す。それでありながら、解脱に導く教えを説くべき対象としては、限られていると
いうことです。

この2ちゃんねるという場自体、善友を求めるのではなく、(互いに罵り合うとい
う)悪友を求めて参加している人が殆どのように思えます。現前した悪趣のような
ものかもしれません。
580神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 03:53:54 ID:nHHUG6Hn
>>579
あんた、ええかっこしぃやね。
581神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 04:38:28 ID:SaJdzxpR
>>579
そうやって、自分を善、相手を悪だと思う「思い上がった独善性」から、争い
が起こるのだよ。

相手も、人間としては善であるが、いろいろな事情と考えがあるのだろう、と
考えることが、争いを防ぐ唯一の方法。

イエスは、「敵を愛せよ」といったが、「敵」という言葉の中に、既にイエスの
「敵意」が表れている。イエスは、「すべての人間は神の子なのだから、本当の
敵などいない」と教えるべきだったのである。

まず敵意を起こさせておいて、「愛せよ」などと言われても無理な話。
「敵意」と「愛さなければならない」「愛さなかった」という葛藤から、
かえって憎悪、そして殺意まで生じるものである。これも、イエスの多くの
誤った教えの一例である。
582机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/04(水) 07:02:34 ID:aINAsZOg
>>567
>まず私は公案の話など一つもしてません。
>あなたが勝手に公案だと思いこんだだけw
>でたらめにでたらめをもって答えるのがいかにも机流ですよね。
>それを「机流の公案」だと揶揄しているのが分かりませんか?

師家が100人いれば、100とか200とかそれ以上の公案がありますし、
また四文字熟語(五文字熟語)なども、元はオリジナリティーなものです。
それを拙者が全て把握しているわけではないですね。
というか、
音楽でもなんでもそうですが、
100曲聴いて気に入ったというのは数曲くらいなもんでしょう?
(貴殿が言う「ッハ」とするような感動です)

だから貴殿が提示した五文字熟語を、拙者は「庭前柏樹子」と逝ったのです。
(この意味はメジャーですから、貴殿にも解せるんじゃないかと、かような推測からです)

公案でも五文字熟語でも、本質的なもは同じなんです。
ただ、月指す指の違いです。
100の指があったとしても、10000の指があったとしても、同じなんです。
ようは直指人心なのです。数の問題ではないですね。

>百五鏤鶏子を辞書で引いて見ました?

拙者には全く関心がありませんので辞書を引くということは有り得ないですね。
(本当に申し訳ありませんが、貴殿の嗜好と、拙者の嗜好が常に合致するとは限らない)
この意を込めて「庭前柏樹子」と、貴殿にレスを発信したのであります。
583机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/04(水) 07:03:26 ID:aINAsZOg
>>568
>自分の誤りを認めない机さんが自作自演を認めるわけがないw

今、「机師」で検索掛けたら、たしかにレスポンがありましたw
>>502です。
書き込みが多いものですから、殆ど読みきれてません><
502の方、失礼しました。
584hage ◆hage6/00M2 :2009/03/04(水) 08:14:50 ID:B8ZXUgD6
魂は、想像の世界と同じように自由に時空間を移動できるのかもしれない。
過去、現在、未来に広がる宇宙、世界、空間の中を意思、魂が通り過ぎているだけなのかもしれない。
585神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 09:26:54 ID:EYv/nB9G
>>569
出典が5次元文庫ってどうよ。
ttp://www.tokuma.jp/bunko/gojigen
586神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 09:31:58 ID:zeNx76OM
>>585
隠居の吉外ぶりには、宝珠氏のオカルト趣味も霞む。
587業報輪廻転生論は悪の論理:2009/03/04(水) 14:07:26 ID:C+a9xLed
>>571
やっとありつけた昼飯ついでにちょっとカキコ。

><宗教も科学も、同じく「人間の生物的生命」の営み。君が死ねば、その書き込みさえ出来ないw。
>未だかつて、火葬中に「熱い」と叫んだ「死者」はいない。>
おいおいまたまた誤解するなよw
上記のカキコは俺のカキコではない。おそらく 隠居 とかのカキコだろう。
隠居(唯物戯論)も宝珠愚者(観念戯論)も共に経験的に検証不能の形而上的論説であって、ブッダの教えではない。
経験的に検証できない「死後」(カッコつき)のことにはブッダと同じく沈黙(無記)が俺の立場だ。
生死という相対に立脚しない空=中道から当然だ。
・経験的に検証できる「一切」内には超越アートマンはない=無我。
 たとえば多数の痴呆症患者の進行検査でわかる。
・経験的に検証できない「一切」外についての超越アートマンに対しては沈黙=無記。

『つねによく気をつけ、自我(アートマン)に固執する見解(業報輪廻転生論)をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。
 そうすれば死を乗り越える(中道)ことができるであろう。
 このように世界を観ずる人を<死の王>は見ることがない。』
                           (スッタニパータ1119)

では、また。



588神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 14:18:07 ID:e4Bor0HL
>>585
この本は、ルーマニアの福音的キリスト教会の牧師で、ルーマニアの共産主義
刑務所で14年間拷問と迫害にあったRichard Wurmbrandの原著"Tortured for
Christ"を、日本人牧師の著者が要約し、自分の意見も加えたものである。

内容は、「悪魔」などの宗教性にまみれているが、しかし、マルクスの経歴や
その著書からの引用は、間違いないと思われる。マルクスがクリスチャンで
あったことを示す、彼の高校時代の通信簿まで引用している。
589神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 14:50:16 ID:e4Bor0HL
>>587
「肉体の死」や「唯物論」は、「唯一、経験的に検証可能な、形而下論」である。
590初代スレ7:2009/03/04(水) 16:12:53 ID:vZwKrdP8
>>589
問題は、『他者の死は検証可能』だが、(原則として)『自分の死は検証不能』ということだw
そして、「他者の死」でさえも、厳密に言えば「現時点では100%の検証とはならない」。
肉体の(各)機能停止により、そこに「彼という“存在”((外へ向かった)身体的行為・意識的行為)」の“死”が見られるのか、
“そこ”(肉体)から《何か》が抜けて、或いは《何か》が欠けることによって失われることによって、そこに「彼の死」が見られるのか、
最終決定できない。 その《何か》が、現時点では未発見・未測定の《何か》(力?霊性?魂?なんちゃらなんちゃら?)
であるという仮説を100%反証することはできない。
肉体に作用し(操り)、《或る何らかのきっかけで肉体を離れる何か》が存在しないことを証明し得ない。
できるのは、経験的に、帰納的に、《そのようなもの》の不在が、「確からしさ」として類推されるだけだ。

そして、『自身の死』に至っては何をか言わんや。


さて・・・我々は、
何を、どのようなことを、
確かなこととして、参考にし、信じ、依拠し、生きているのだろうか。
何を、どのようなことを、
確かなこととして、参考にし、信じ、依拠し、継承・伝承してきているのだろうか。
591神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 16:53:41 ID:ZPJ+nuQP
>>590
生物の「死」は、万人に検証可能である。死によって、感覚や精神活動を含む
一切の生命活動が停止し、精神活動の発生源である脳を含む身体は腐敗し、元
素に分解し、大地に帰るからである。さもなければ、火葬も、埋葬も、解剖も、
ましてや臓器移植も、一切できないことになる。ライフスペースが、その好例。

死後に生命が継続するのなら、釈迦は「死」を四苦に含める必要はなかったはず
である。死亡時の肉体的苦痛なら、それは「病」「病」に含まれうる。従って、
「死」は余計である。

自己の死後に意識があるか否かは、完全に死んでから生き返った人間は唯の一人
もいないのだから、死んで見なければ分らない。意識も生命現象であり、死とは
生命が喪失した状態だから、生命を以って死後の意識を考えるのは、全くナン
センスであろう。

自己の死後の無感覚、無意識は、全身麻酔や頭部強打等による失神状態の経験から、
充分に推測できる。自己の死後の火葬や埋葬を恐れて拒否する者が、一人でも
いるのかねw。
592神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 17:07:00 ID:Lcl7/+zr
苦からの解脱を体得したと言いながら、食中毒で苦しみながら
もその苦しみを紛らわそうと瞑想とかやったけど、結局
苦からの解脱などできてなくて、苦しみぬいて死んだのが釈迦wwww
ま、宗教の教祖なんて今も昔もこんなもんwww
593神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 17:15:56 ID:ZPJ+nuQP
>>592
「病気治し」を唱える宗教の教祖が、病気になると、真っ先に病院に
駆け込み、最新医学で治療を受けている。教団内の「病気治し要員」など
お呼びではないw。そんなものは何の効果もないことを、賢い教祖自身は
よーく知っているからである。知らぬは無知な信者だけw。
594神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 17:38:21 ID:10X3ssyp
>公案でも五文字熟語でも、本質的なもは同じなんです。
>ただ、月指す指の違いです。

だから、そういう脊椎反射ではない、仏教は・・と言っているんですが
理解できないようですね。
辞書も引かず、意味もわからない語の羅列を勝手に解釈されてもw
道理であなたは仏典が読めないわけだw

何が諦で何がそうでないのか、区別できないから、
味噌糞一緒なんですねw
そんな人が、どうして輪廻が仏説でないと主張できようw

それじゃ
「机はバカだ」、この聖なる教えである五文字熟語を
あなたに理解できますかな?
これは罵倒では有りません、ちゃんと甚深なる意味があります。
595宝珠愚者:2009/03/04(水) 18:22:43 ID:gmRlrxwJ
>>581
>イエスは、「敵を愛せよ」といったが、「敵」という言葉の中に、既にイエスの
>「敵意」が表れている。イエスは、「すべての人間は神の子なのだから、本当の
>敵などいない」と教えるべきだったのである。
>まず敵意を起こさせておいて、「愛せよ」などと言われても無理な話。

ホント・・あなたは大丈夫?

だから〜イエスの教えは、
「すべての人間は神の子なのだから、本当の敵などいない」という意味になるでしょうよ!

イエスは敵意なんて起こしてないでしょう!
あなた方が敵だと見なしている相手は敵ではない。
だから、「愛しあいなさい!」といってるのです。

これはなかなかできることではない。
このイエスの教えが守れないのがキリスト教徒たちなのです。

読解力の欠如というかぁ・・
その文意を捻じ曲げて解釈する偏屈ぶりは一体、どうなっているのか?
わざとそんなフリをしてるのかな?でないと・・とてもまともな神経とは思えませんね。
596机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/04(水) 18:32:58 ID:zLxxQEkl
>>594
>「机はバカだ」、この聖なる教えである五文字熟語を
>あなたに理解できますかな?
>これは罵倒では有りません、ちゃんと甚深なる意味があります。

「聖なる教え」とか「甚深なる意味」とか、書き込んでいるうちは
貴殿は、見性は無理ですね。
残念ですけど。こればかりは拙者にはどぉにもなりません。

拙者はいろいろとヒントは書いてまいりました。
http://www.youtube.com/watch?v=VZUxjrRPswM
パリは燃えているのか?そうでないのか?
そういう問題とは違うんです。

日本禅は、今一度原点回帰を模索し、
頓修を目指すべきです。
597神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 18:33:01 ID:86r4mgej
学問としての側面と宗教としての側面が相反するのなら、
どっちかに仮定しなければ話が進まない。
仏陀は宗教者として優れていたのか、それとも哲学者として
優れていたのか?
598神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 19:06:39 ID:SZzcaKAm
>>595
>このイエスの教えが守れないのがキリスト教徒たちなのです。

そうやって、イエスは絶対に批判できず、専ら「他の人間」に責任を押し付ける
ことになるのが、イエスの教えが根本から間違っていたことの証拠なのだよ。

「愛」とは、他人の窮状を目の当たりにして「初めて」生じる、助けるための
具体的行動の原動力となる自然の感情。人類の共生と存続のために、すべての
人間が有する「肉体的本能」だから、他人から教えられるいわれは無く、また、
教えられてはならないもの。

イエスが、口にすべきでない愛を口にしたため、肉体的本能としての愛が、観
念化、抽象化、精神化され、その実質を失って破壊され、単なる偽善となった
のである。

その意味で、イエスは、実は「人間の愛の、破壊者」であることを、理解する
必要がある。キリスト教の「血塗られた歴史と現状」が、そのことを如実に証
明している。
599宝珠愚者:2009/03/04(水) 20:02:23 ID:gmRlrxwJ
>>598
>イエスが、口にすべきでない愛を口にしたため

だったら、
「仏陀が口にすべきでない解脱を口にしたため」というのでも、同じく通じるわけだ?
苦滅諦という教えも、「他人から教えられるいわれは無く」ということになるわな。

もう、とても正気の精神状態とは思えないので、
今後、以降は〜あなたの投稿は一切、無視させて頂きます。
ボードを打つのも、ただ疲れるだけなのでw

ばぃばい
600神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 21:17:30 ID:Ivayzl6j
>>599
すべての人間が有する肉体的本能としての「愛」と、「解脱」などという「反
本能的」「精神衛生的」「技術的」概念とは違うだろ。

イエスで狂わされると、そんなことも分らなくなってしまうのかw。
601tibyaku:2009/03/04(水) 21:18:12 ID:HaqbC8kk
576>577>578>プロティノス哲学を勉強させていただきました。
西洋も東洋も色合いは違っても基本は同じであることが解ります。
ありがとうございました。
魂(心)は原初に人間の肉体を地球の地上に降ろす以前に高次元の霊天上界に
存在していたということですね。
602神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 22:07:52 ID:ZNPWNz/O
>>601
>魂(心)は原初に人間の肉体を地球の地上に降ろす以前に高次元の霊天上界
>に存在していたということですね。

仏教には、そんな思想はないよw。
603三代スレ170:2009/03/04(水) 22:23:30 ID:fmfa8FPj
462(机)さんへ

>@最初、在家が破壊僧を根拠にごねる。→布施の拒否
うむ、まったく問題がない。そもそもなぜ乞食で飯を食うのを当然と考えるのか?
虫の好過ぎる考えである。前にも書いたが「飢えて死ね」と言われても仕方ないと思う。
これに対する反論としては、「坊さんは福田であり、布施をするのは功徳を積むことになるから」
と説得するのが適切だろう(ただしこれは仏教徒以外には説得力を持たない)。

>Aとりあえず道元が、僧の良し悪しに関係なく、布施というのは自分自身の問題であると
僧の良し悪しに関係なく、自分自身の功徳積みの問題であると考えるのは良いだろう。
道元やそのまわりの仏教徒のように、三時業を信じているのなら布施に意義はあるといえる。

>B〜D
意味不明。布施が功徳積みになるかの問題が「心象のありかた」とか「悟入への切っ掛け」
の問題にすり替えられている。
(机流仏教においては、いくら布施なぞしても「悟入への切っ掛け」になんぞ、なりそうもないのだが…)
まあ、なんにせよ信仰を前提にしなければ、僧院で哲学遊戯にひたるボヘミアンが、
貧民に寄生して食いぶちにありつくための醜い屁理屈を捏ねているとしか見えない。

>E道元の在家向け三巻(道心など)を解釈するには、こういった道元の二面性も
>ある程度は認識しておりませんと、正法眼蔵の解釈は無理ですね。
机さんは「道元の二面性」を前提としているから、ねじれた読み方になる。
道元に関する著作、伝承等を読むに、彼は明らかに言行一致の愛すべきキチガイである。
これに反する伝承としては、机さんのいう「豪華な袈裟着て宮中へ出入り」くらいか?
まあ、なんにせよ机さんはソースを明示しない。

>Fで大事なのは、論書で勝義諦は書いてありません。
>すべて世俗諦であります。
机さんが「勝義諦」とか「世俗諦」とか言い出したときはとりあえず眉に唾をつけることにしています。
まあ、過去スレでさんざんこの言葉を乱用していたからねえ。
604三代スレ170:2009/03/04(水) 22:52:26 ID:fmfa8FPj
601さんへ
>601 :tibyaku:2009/03/04(水) 21:18:12 ID:HaqbC8kk
>576>577>578>プロティノス哲学を勉強させていただきました。

576〜578は、おそらく↓からの引用
ttp://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2005/05/post_6f33.html
変なバイアスがかかっているので、きちんとプロティノスの原典に当たった方が良いですよ。
全集は高いけど、今なら中公クラシックスで「エネアデス(抄)」が読めます。
ちなみに反グノーシスの理論武装として、プロティノスとオリゲネスは有益ですよ。
(でもこの二人、面の皮の厚いグノーシス信望者が、都合のいいとこだけ切り取って引用するんだよね)

605神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 23:14:00 ID:nHHUG6Hn
>>600
あんたは草加に狂わされたから、
そんな偏見の塊になったんだよね。
あんたのキリスト教に対する憎悪は、異常だよ。
あんたは、書き込みの内容から、まともな精神の持ち主とは思えない。
君はキリスト教徒のみならず、仏教徒からも相手にされていない。
退屈な、誰でも語れるただの唯物論しか語れないあんたは、相手にされるスキルもない。
あんたどっかいってくれないかな。邪魔だから。
あんたの、悪意のこもった書き込みは、仏教徒からみても、不快だよ。

606神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 23:38:51 ID:AApXDt/y
反キリスト=イルミナティー=悪魔崇拝=偽チャネリング=マルキスト=唯物仏教徒
607神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 03:49:26 ID:RgtNpgRH
>>695
釈迦とは対極にあるイエスを批判することは、前者をそれだけ評価していると
いうことだよ。

仏教板でイエスを批判して非難されることは、仏教徒を騙るクリスチャンが炙
り出されたということ。
608神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 05:37:27 ID:Ua/cX0Ye
>>606
意味不明。大本は邪神なのですよ。
キリスト教は邪教団のカモフラージュにすぎないし。

邪神→イルミナティ→キリスト教→共産党
609机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/05(木) 07:14:59 ID:nIoMRUJQ
>>603
>>@最初、在家が破壊僧を根拠にごねる。→布施の拒否
>うむ、まったく問題がない。そもそもなぜ乞食で飯を食うのを当然と考えるのか?
>虫の好過ぎる考えである。前にも書いたが「飢えて死ね」と言われても仕方ないと思う。
>これに対する反論としては、「坊さんは福田であり、布施をするのは功徳を積むことになるから」
>と説得するのが適切だろう(ただしこれは仏教徒以外には説得力を持たない)。

いやいや、全然違いますね。
「破壊僧」という見方というのは、そもそも自己と他者を分別した見方です。
これを道元は問題にしているわけで、僧の質を問題にしているわけではない。

>「坊さんは福田であり、布施をするのは功徳を積むことになるから」

小乗ではこういう考え方があるかもしれませんが、禅では全くこういうのはないですね。
坊主に布施しても功徳はありません。

破壊僧とか布施とか、こういった捉え方を自他分別に根拠を置くことが問題でして、
このベクトルを自己へと向ける方便として、かくいう三時業があるのです。
(つまり三時業というのは自己の問題ですから)
これを禅では直指人心といいますけど。
(悟入への切っ掛け。の意は、これで納得頂けたでしょうか?)

#、朝はちょっと忙しいものですから、また暇な時間がありましたら続きを書きます。
610神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 08:53:16 ID:+teBDETa
もし、「超越」アートマンなるものがあるとすれば、
我執を喪失している重度認知症患者から
その「超越」アートマンの「声」が聞えてこないのは何故か。
まあ、なんとでも検証不能のとってつけた妄想理屈はつけられそうだがw

そもそも業報輪廻転生論者は有我論で絶食自殺推奨のジャイナ教へ「転向」したほうがイイのではないか?
611机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/05(木) 09:36:28 ID:/ogD+tWM
>>603(つづき)
>>Aとりあえず道元が、僧の良し悪しに関係なく、布施というのは自分自身の問題であると
>僧の良し悪しに関係なく、自分自身の功徳積みの問題であると考えるのは良いだろう。
>道元やそのまわりの仏教徒のように、三時業を信じているのなら布施に意義はあるといえる。

そうですね、無功徳の禅でも方便として「功徳」はありますね。
これも機根において方便を使い分けたりする。
(これが、拙者が前記しました「正法眼蔵における矛盾性」です)

これは、即心即仏と非心非仏の矛盾性と同じです。
前者が世俗諦になりまして、後者は勝義諦になります。
つまり、三時業は世俗諦でして悟入への道筋ですね。
(心は明鏡台の如し時々払拭する段階の漸修の特徴です)

いずれも世俗諦には矛盾性があります。
これを気づいていく段階が開悟となりますね。
612神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 11:39:09 ID:KdB2pR5g
>>607
は?釈迦の教えとはまるで正反対のことを言っている
あんたが釈迦を評価??寝言は寝てから言ってくれないかな。
あんたは五感で感じられる世界こそが現実だと言っているが
釈迦は、互換に感じられるこの世界は幻であり、執着するなと
いっている。グノーシス文書を見れば、イエスも同じことを言っている。
釈迦とイエスとは対極にあるというのは、仏教を知らないあんたと、
層化の妄想。五感で感じられるこの世界こそ現時であり
この世界と自分の自我におもいっきり執着しているあんたや、層化が、
無知をさらけ出しているのも知らないで、とくいげに仏教を語る様は、
仏教を知る者からすれば、物笑いの種になってることも知らないんだね。
釈迦の教えと対極にあるのは、イエスよりむしろ、五感で感じられるこの世界
こそが現実だと謳い、現世利益を説く層化なんだよ。無知なあんたは
そんなことも知らないで、釈迦をマンセーしてるんだな。あんたは滑稽だよ。
だからここの仏教徒達に、まったく相手にされないんだよ。

あんた、2chなんかやってないで、病院にいったほうがいいと思うよ。
2chはあんたの病状をもっと悪化させるから。あんた、どうみても普通じゃないからさ。
613神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 11:44:32 ID:KdB2pR5g
真面目に言うけど、
断滅唯物論者で、現世利益最優先の人は、はっきりと釈迦の教えとは
対極にあるから、きっぱりと、仏教を捨てたほうがいいと思うよ。
釈迦は、君らのことをはっきりと、「私の教えとは違う外道」だと言っているんだからさ。
いいかげんそれくらい気付こうや。
614神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 12:03:10 ID:y8w/rTgj
>>612
グノーシス文書や外典福音書など、キリスト教が排除した文書を持ち出しても
意味が無い。それをしたいのなら、キリスト教は一旦解体して出直すべき。

五感に感じられないものが存在すると信じ込むのを「妄想」と呼び、精神病の
症状である。あなたは、釈迦を妄想患者にしたいのか。

般若心経が、色即是空に空即是色を並べたことの意味が判っているのかね。
あなたの言うとおりなら、色即是空だけでよいはずだが。

釈迦は専ら「五感で感じられる苦」及び「肉体から生じる苦」を除去するため
の「方法論」を語っている。キリスト教のような、根拠の無い「罪概念」では
ない。
615神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 13:31:03 ID:3S16C5T1
>611
>これが、拙者が前記しました「正法眼蔵における矛盾性」です
正法眼蔵を読んだこともないくせにw

>で、あの「宮中へ参内」の件は、まさかとは思うが
>了解できたんであろうな(笑
キミの脳みそ以外に資料を出しなさいw
「龍樹は女を口説くのがうまい」という妄想の根拠を出しなさい。
つまり、キミはどこの病院に入院しているの?
616机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/05(木) 15:04:43 ID:/ogD+tWM
>>615
>「龍樹は女を口説くのがうまい」という妄想の根拠を出しなさい。

龍樹というのは生来アタマが良く、教学といわれるものは殆どマスターしましたね。
で、人間というのは学業を修了しますと他のことに関心が向くものです。
それで彼は、快楽の限りを尽くそうと目論むのです。
あるときは王宮に偲びこみ、美女という美女を徹底的に口説きまして全て成功したそうです。
(注記:成功した、というのは犯しまくったという意のこと)

つまり、龍樹というのは「プレイボーイの極を極めた」。といっても過言ではありません。

>妄想の根拠を出しなさい。

龍樹関係の著書には書いてあるかと思うのですが、
なんせ昔のことゆえ、そのタイトルは失念しております。申し訳ありません。

>つまり、キミはどこの病院に入院しているの?

拙者は病院には入院しておりません。
女性の道にはマダマダ未踏ではありますが、一応は茶の心は心得ております。
617神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 15:27:13 ID:3S16C5T1
>616
出家前の龍樹の話だろw
知らないようだから教えてあげるが口説いたんではなく、
出家前、外道の神通で宮殿に忍びこみ女官を次々と孕ませたw
相変わらず不正確だねw

で道元の宮中参内はどうした?またまた沈黙か?
まあ、なにが矛盾か知らんが矛盾とか見性なんかに引っかかっているようじゃ
まだまだ分別の垢がこびり付いているようだ。

「キミはどこの病院に入院しているの」この質問は無視か?


618机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/05(木) 15:52:37 ID:/ogD+tWM
>>617
>出家前の龍樹の話だろw
>知らないようだから教えてあげるが口説いたんではなく、
>出家前、外道の神通で宮殿に忍びこみ女官を次々と孕ませたw

あ〜〜っはっはっは。
同じことじゃないか。

>相変わらず不正確だねw

まあ、そういうことにしておこうw
貴殿が正解で、拙者は不正解。これでいいだろw
これで了解、宜しくたのみますyo(笑
619神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 19:32:10 ID:3S16C5T1
>618
「不正解」でなく「不正確」と書いているんだが・・・
日本語もろくに読めんのか・・・哀れ。
龍樹の伝説はどうでもいいから「道元の宮中参内」の記録を出せよ。

一時は無視してやろうと思ったが、自分で寝た子を起こすんだもんなw
嗤うしかないw
都合の良い部分のみ答えて、難解な点ははぐらかすのが机流
それでいて「論破した」なぞとほざくんだから処置無しだ。
620神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 22:18:48 ID:dMsZU++p
>>619
君はしつこすぎ。仏教者ではないな。

大昔のことは、「本当には」絶対に分らない。「見てきたように」語るのは
滑稽だよw。

机師は、「髑髏仮面」のコテ時代から、多年にわたる、2ch切ってのカルト
バスター。机師に対する反感の程度によって、その者の「カルト度」が測定で
きる。
621宝珠愚者:2009/03/05(木) 22:29:13 ID:JQkLBKZj
>>396
 最初期の頃に、この私が仏教(ゴータマの教え)以外は全てダメなんだ、とみなしていた根拠というのは
単純なものでした。

 「比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著するとこ
ろなくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところなく、もろもろ
の煩悩より解脱してあることはできないであろう。
 それは何故であろうか。それは修習しないからであるといわねばならない。では、なにを修習しないのであ
るか。四つの熱心なる観想(四念処)を修習せず、四つの正しき精進(四正勤)を修習せず、四つの意志力
の修練(四如意足)を修習せず、五つの能力の修練(五根)を修習せず、五つの能力の実現(五力)を修習
せず、七つの観察(七覚支)を修習せず、また、八つの正しい実践(八正道)を修習しないからである。」
(雑阿含経10.8応説/相応部経典22.101手斧の柄)

 この経では、三十七菩提分法を修しなければ解脱はできないとハッキリ明言しています。アンチ小乗とし
ての大乗仏教では原始仏教の三十七菩提分法を軽視し、大乗独自の理論体系の中で修行していった。
 つまり、仏教ですら解脱できないものとなった・・と。仏教でも解脱できないのなら、六師外道はもちろんの
こと、他の諸宗教などでは到底、在り得ないものと見なしたのです。
 また、

 「スバッダよ。わたくしは二十九才で、何かしら善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してから
五十年余となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には『道の人』なるものも存在しない。第
二の『道の人』なるものも存在しない。第三の『道の人』なるものも存在しない。第四の『道の人』なるものも
存在しない。」(大パリニッバーナ経/スバッダの帰依)

 「これこそ道である。(真理を)見るはたらきを清めるためには、この他の道は無い。この道を実践する人々
は、瞑想を修して、悪魔の束縛の絆を捨て去るであろう。」(ウダーナヴァルガ11/ダンマパダ274-ほぼ同)

 といった経文でも、「これ以外にない!」と、ゴータマは宣言していました。
単純に私はそうみなしたのです。
622宝珠愚者:2009/03/05(木) 22:31:14 ID:JQkLBKZj
>>397-398>>505
 いや、おっしゃる意味はよ〜くわかります。上座部での出家とそれを支える在家の立場と関係についても
理解します。たしかに伝統宗教(仏教)的にとっては理想的な世界であり、理想国家のごとくでしょう。 
 しかし、私が最終的に最も納得できた世界観はそうではなかったのです。つまり、出家が優れており、在
家は出家に向けての積徳の準備期間であるとか、もしくは過去世のカルマにより、その機会が得られなか
った・・。といった見解のある世界を理想とするのではない。それは出家生活を最高の理想とはしないもの
であり、社会生活の営みそのものと人と人との係わり合いの中に霊的進歩の道を説くものでした(中には霊
的進歩の最終段階において、その個人によっては仙人のような人生を過ごす人もいるでしょう・・そのことを
否定するものではない)。

>>506
>まあ、一つの日本における現状分析としては、仏教の僧侶が、単なる職業化しており、

 このスレでは今後、仏教界の今の在り方や問題点、僧侶と社会の関わり方や葬式仏教と職業としての僧
侶・・といった事柄についても意見を交し合えたら・・良いスレになるように思います。
623宝珠愚者:2009/03/05(木) 22:31:56 ID:JQkLBKZj
>>399
>一つの可能性として、まだ、宝珠愚者さんは仏教の一面しか知らずに、全体を判断してしまっていて、
>神智学「こそ」という思いに至っておられる可能性があるかもしれないということです。
>私としては、是非、パーリ経典にはある程度目を通されることをお勧めいたします。

 どうも私には、仏教界にはゴータマ以降〜解脱者を排出することができなかったように思うのです(ゴータ
マ直弟子の阿羅漢たちの話は除く)。不説さんなのでしょうか?南方などには名前は出せないがいると述べ
た方は? もちろん、私は今後も仏典(パーリ経典)には関心の眼は向けていきたいと思いますので、その
点はどうぞ宜しくお願いします。

 ただ正直、私が個人的にインド宗教を中心視しなくなったのは、信仰生活に対する疑問視からなのです。
私は過剰な崇拝行為、導師(グル)や神(或いは神々)への献身と忠誠といった態度はもう時代にそぐわな
いと感じるからなのです。21世紀に突入し、もう読経の習慣や供物、祭壇(仏像)への礼拝、過剰な祈りも辞
める時期にきたと見なします---あくまでも新時代のあるべき理想スタイルの一つです。
 例えば、神智学の場合には経典の偏愛をしない。本尊とか特定の祭壇に対する礼拝を必要としない。自
己犠牲(奉仕)は神や導師(グル)にではなく、世界の必要に対するものだと見なします(神や真の大師は自
己に対する崇拝を求めない)。
624神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 22:33:26 ID:Q8qgWztL
高1男子、自宅で首つり自殺…いじめ?遺書に7人の名 (読売新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_suicide2__20090305_3/story/20090305_yol_oyt1t00477/

 三重県伊勢市の私立皇学館高校1年の男子生徒(16)が、クラスでいじめを受けていたとする遺書を自分のパソコンに残し、自殺していたことが5日わかった。

 同校によると、生徒が自殺したのは3日。期末試験を無断欠席したことから、担任が家族に連絡し、父親が午後、自宅に戻ったところ、2階で首をつっているのを見つけたという。

 遺書は、自宅にあった生徒のパソコンのUSBメモリー(外部記憶媒体)に残されていた。同級生の暴言や暴力などで精神的な苦痛を受けているとの内容で、かかわっていたとする同級生7人の名前が書いてあったという。

 同校の中村貴史教頭によると、生徒は陸上部に所属。これまで学校を無断で休むことはなかったという。いじめの事実を把握しておらず、同校では期末試験が終わる7日以降に全校集会で説明し、生徒らから事情を聞くとしている。

[ 2009年3月5日11時54分 ]
625宝珠愚者:2009/03/05(木) 22:38:48 ID:JQkLBKZj
>>399
>神智学についても何かお勧めの本があれば都度ご紹介いただければと思います。
>もちろん、実際に食指が動くかどうかは、私の好み次第ですが……w
>神通力や天界のことを解明するには、神智学はかなり参考になると思っています。

*『ヒマラヤ聖者の生活探究』/全5巻<函入り>(原著初版1935年/邦訳1969年)
 ベアード T.スポールディング著/霞ケ関書房刊 (¥10,500税込/在庫僅か)
 カラー画像 http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n67887757#enlargeimg

*『解脱の真理』―ヒマラヤ大師の教え(原著初版1950年頃/邦訳1971年)
 M・マクドナルド・ベイン著/霞ケ関書房刊 (¥5,250税込/在庫僅か)
 (古本¥2000) http://72.14.235.132/search?q=cache:VvSkFkHgTQkJ:www.kamo-books.co.jp/shukyou5.
htm+M%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%
83%99%E3%82%A4%E3%83%B3+%E3%80%80%E8%A7%A3%E8%84%B1%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%90%86&hl=ja&ct=clnk&cd=47&gl=jp
 
*『神智学大要』/全5巻(原著初版1925年/邦訳1981年〜)
 アーサー・E・パウエル編著/出帆出版刊-復刻(¥27,300+税)
 カラー画像 http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4915497682/sr=8-1/qid=1235916810/ref=dp_image_text_0?ie=UTF8&n=465392&s=books&qid=1235916810&sr=8-1
 絶版/たま出版刊(古本¥12,000〜) http://search.newgenji.co.jp/sgenji/D1/?000104237390/
 http://www5.ocn.ne.jp/~kittyomu/mind_cat/sinti_gaku.htm

*『マイトレーヤの使命』1.2.3巻(1巻-原著初版1986年/邦訳1988年)
 ベンジャミン・クレーム著/シェア・ジャパン刊(¥2,625〜3,150税込)
 カラー画像 http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5279/img/book_mitreya2.jpg

 しっかし、推奨書籍なんかをすぐにパ〜ンと紹介できる方は凄いなぁ〜と思います。私は実際、それを
聞かれると神智学に関しては幾つかの理由に拠り、かなり迷ってしまいます・・。今回、初めてという方に
神智学関係の書籍を奨めるとした場合について考えてみて、この私が是非、挙げたいという限定数冊と
いうことになれば、この上記の書籍にしてみたいと思いました。
626宝珠愚者:2009/03/05(木) 22:49:59 ID:JQkLBKZj
---軽〜く紹介(スレ違いスマソ)---
『ヒマラヤ聖者の生活探究』全5巻
 もうすぐ原著初版から80年を経ようとしており、この書はすでに11ヵ国以上で訳され、世界中で読まれ続
けてきた不朽の名著中の名著です。訳者の労作にて注釈も親切で充実しており辞書としての価値もある。
 この探検記の物語は生涯における座右の銘書となることを誠に請け合います。途中、やっと完成した水
上歩行の奇跡(能力)を身につけたという行者に、「あなたは随分と無駄な時間を費やした」と酷評を下す
ヒマラヤの大師の教えなど・・転生の話くらいで在り得ない、などといってる人は読まないで下さい。そういう
人は数ページで気絶してしまうかもしれません(笑)

『解脱の真理』
 解脱を得た覚者/大師存在に出会った探検記としては、スポールディングの「ヒマラヤ聖者の生活探究」と
双璧をなすのが、このマクドナルド・ベイン筆の「解脱の真理」です。それは何教でこれは何教・・といった区
分けしかできないドグマに縛られた人は読まないほうが良いでしょう。けれども宗教の教理/カテゴリーにつ
いての自己の固定概念を破壊したい人にとっては、この書との出会いが人生の一大イニシエーション(覚醒)
になることを保証します。
627宝珠愚者:2009/03/05(木) 22:50:54 ID:JQkLBKZj
『神智学大要』全5巻
 「神智学(セオソフィア)とは---神々のもち給う智識であるから、それは決して憶測でもなければ学説でも
なく、また、些少の人間の知慧が造り出した神学や教学でもない。それは宇宙の生成と人間の生成と両者
の関係(一言でいえば神の経綸とその行程)等の全事実に関する体系である。言いかえれば、それは神々の
側より啓示された、かつ不可視の世界より人類を霊導される、高位の存在方みずからが直接体験によって直
知された、宇宙生成学と人間生成学とである。故にそれは信仰ではなく信仰の次元を超えた智識である。」
(訳者はしがき)
 アディヤール神智学(ネオ神智学)--思想体系の解説書。この書は神、霊、魂、カルマ、転生、心霊、超能
力、霊的進化(インシエーション)といったあらゆるオカルト知識の集大成であり、現代においてもこれを超える
解説書は未だ出現していない。

『マイトレーヤの使命』1.2.3巻
 全ての情報がハイアラキーの覚者の確認のもとで書かれた世界に類を見ない貴重な書。H・P・ブラヴァツ
キー、アリス・A・ベイリー秘教、アグニヨガといった神智学の系譜を現代に継承する書。新時代のマイトレー
ヤの教えと使命、世界のイニシエートのリスト――光線構造と進化段階(世界初公開の情報)を網羅している。
内容的にもかなり膨大で奥が深い。把握には相当の時間を要する。

 以上
628宝珠愚者:2009/03/05(木) 23:10:42 ID:JQkLBKZj
 ゴータマが捨てたという「非有想非無想処」の境地---無色界の最高の天(有頂天)。これが真言さんか
らの批判根拠だと思いますが・・しかし、私が推奨しているアヴァターラ存在方は、これには該当しないと
思っているわけです。真言さんからの投稿は途絶えたのかな?

参考:
心にしみる原始仏典「小空経」『マッジマ・ニカーヤ』第121経/石飛道子
 http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html
仏教の開祖ゴータマ・ブッダ略伝/ゴータマ・ブッダの出家と修行
 http://www.geocities.jp/avarokitei/go-tamaryakuden/go-tama-shugyo.htm
苦楽中道---ゴータマ・ブッダは何を発見したか/宮元啓一
 http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/articles/kuraku.html
629初代スレ7:2009/03/05(木) 23:28:56 ID:WqH+KDU0
次スレタイトル案

【教えの】仏陀が説いたのは神智学だった【核心】
630神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 23:45:30 ID:JA7WQOPl
>>628
>>629

カルトは出入り禁止
631神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 23:48:20 ID:ENt7Yu63
もう仏教スレではないな。
632神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 23:58:55 ID:eLQ1vBh+
神や霊など、「人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めたのが、
釈迦の比類ない偉大さである。

仏教を、神智学やキリスト教のような「超カルト」で汚してはならない。
633宝珠愚者:2009/03/06(金) 00:18:26 ID:zSYMyJAw
訂正
>>627
 ×霊的進化(インシエーション)
 ○霊的進化(イニシエーション)
>>628
 ×非有想非無想処
 ○非想非非想処


たのむわぁ〜(涙)
ゴータマは神智学は説かない。ただ神智学には仏教の教えは含む・・
(しかし、だからといって神智学は仏教ではない)。

 「神智学と顕教仏教の大きな違いは、南方仏教で代表されている顕教仏教は次のことを全く否定する
ことです。(a)神の存在、(b)意識的な死後の生活又は人間の中の個性を保持し続ける自我意識。少なく
とも、今、最も純粋な形の顕教仏教と考えられているシャムの教派の教えがそうです。---このような、南
方仏教のあまりにも熱烈な正統派的思想のせいで、真理がどんなに死文字の犠牲に供せられたか分り
ません。しかし、たとえ死文字でではあっても、他のいかなる教会や宗派の教えよりも、どれほど壮大で、
高尚で、哲学的で、科学的であるか分りません。しかし、神智学は仏教ではありません。」
(『神智学の鍵』H・P・ブラヴァツキー著/竜王文庫)
634宝珠愚者:2009/03/06(金) 00:23:38 ID:zSYMyJAw
>>629
一般の大衆を神智学徒へ勧誘するという意味合いはありません。
それが望ましいともいえない・・。

ただ、仏像を前に読経をする世界はもう如何なものか?
というのは正直いってある---時代遅れです(悪いことではにないが・・)
635宝珠愚者:2009/03/06(金) 00:47:39 ID:zSYMyJAw
>>632
>神や霊など、「人間が考えても無意味なものは考えるな」と戒めたのが、

ハッキリというと、
そのことが---人々の関心と興味を奪ってしまったのです。
無関心な人にはいい・・しかし、関心と興味を持つ者にもそれを抑え付けた。
そのことによって無知が蔓延り、あまりにも何も知らない。
そのことが>>633の引用文です。

仏教徒はあまりに無知!!
もう時代遅れであり、不正確ながら多くの事柄を知っている一般大衆を
教化すらできない事態に陥っているのですよ。
その点は心開かれている不説さんはエライと思う。

仏教者は一般人の問いに対し、
「偶然だ」の「判らない」だの、知り得ないことには「無記だ」の、
確認できないから、「自己体験した事柄以外には認めない」だの・・しかいわない。
これでは現代の一般人は納得しない。
636初代スレ7:2009/03/06(金) 00:47:56 ID:XOoRhHFZ
>>634
>仏像を前に読経をする世界

「回向」という(実に大乗的な)豊潤な概念を捨てる必要もなかろう?w
もっとも、その萌芽は初期仏教時代からあるようだが・・・。

また、(回向せずとも)、
仏像に限らず、意識や思考、想いを拡散させない為の、或いは一点に集中させる為の
目印、誘導灯的なものを設定する・設置することは、有効な方法だと思われるが?


ノシ
637初代スレ7:2009/03/06(金) 00:50:04 ID:XOoRhHFZ
>>635
>これでは現代の一般人は納得しない。

すまんw 笑っちまった・・・w
貴方から、こんな台詞が出るとはね・・・。


おやすみ ノシ
638宝珠愚者:2009/03/06(金) 00:59:53 ID:zSYMyJAw
>>636
回向は美徳ではあるかもしれませんが、
本来のゴータマの教えにはなかったように思います。

>仏像に限らず、意識や思考、想いを拡散させない為の、或いは一点に集中させる為の
>目印、誘導灯的なものを設定する・設置することは、有効な方法だと思われるが?

そうですね!
もちろん、偶像崇拝という西洋信仰からの批判に対しては私もそう提示してきています。
しかし、これはあと何百年、続けるのでしょう?わたしは転換をはかるべき時期にきたとみています。
そうじゃないと、日本仏教は完全に衰退するのでは?
つまり、迷信的で信仰的な世界からの脱却です。

また、できれば、
日本の葬式仏教との批判に加えて、
現実的な仏教と社会の関わり、僧侶の職業化の問題とかについても、
いろいろな人の意見を私は伺いたいという想いです。

戒名と金額の問題とかもあるし、
不要な習慣や迷信の排除についての必要を私は無視できない。

では、おやすみん
639神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 01:02:17 ID:M5tYH8yA
仏像や読経という「具象及び身体的行為」により、精神の安定と平安がもたら
される。具象・身体を離れた「精神性」は、人間の狂気を招く。人間とは、徹
頭徹尾、具象的・身体的存在だからである。

偶像崇拝を禁じるイスラームでも、モスクは壮麗なステンドグラスで飾り、
クルアーンを朗読し、身体を動かして祈る。具象・身体を離れた「精神性」の
狂気から、人間を保護するための、本能的努力である。
640神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 01:07:09 ID:eFZS/jGx
最も無知で時代遅れなものは、科学が存在しなかった古代人の妄想の
遺物としての、人間を超越した「神・霊」概念だろう。
641神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 01:17:50 ID:0gFK1lqI
>>638
>僧侶の職業化

アホですか。僧侶も、神主も、神父も、牧師も、みな、職業ですよ。職業分類
を参照されたし。

何か「特別の存在」であると考えるほうが間違い。
642神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 01:39:17 ID:Onw3kMT7
>>639
どなた?

同感です。身体感覚が鍵=グラウンディングでありグラインディングですね。

グラインディングの意味は、、書かないでおきます(w
643神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 02:16:09 ID:Wq5Pj9lh
    H・P・ブラヴァツ キー(1831〜1891)
ロシアに生まれ1875年にニューヨークで神智学協会を設立する。
チベットに住むマハトマと呼ばれる超能力者集団からテレパシー
により教えを受けていたとされる。彼女に関する超常現象の主な
ものは
1. マハトマからのメッセージを記したメモが信者の頭上から降ってくる
2. ブラヴァツ キー夫人とマハトマの霊体が会見しているところを目撃
  した者がいる
3. 神智学協会の本部には「神殿」と呼ばれる戸棚があり、密閉された
  その神殿の中にマハトマからの手紙が大量に出現する
4. 壊れた陶器のお盆の破片を「神殿」に入れたら5分で元通りになった

などである。  そこでイギリスの超常現象研究団体SPRが1884年に
ホジソンというメンバーを派遣し、現地調査を行った。その結果は惨憺
たるものであった。
ホジソンは「ブラヴァツ キー夫人が、神智学協会のチーフアシスタント
であった、クーロン夫妻にあてた手紙を入手したが、その中に上記の「奇跡」
の演出を指示する詳細な記述があった。まず「神殿」に関するトリックで
あるが、これは非常に単純なもので神殿の後ろには、隠し扉があり、それは
ブラヴァツ キー夫人の寝室と繋がっていた。壊れたお盆が新品に換わったのも
大量のマハトマからの手紙も隠し扉から入れただけのもであった。また、
「マハトマの霊体」というのも、その正体は変装したブラヴァツ キーの
共謀者であった。頭上から降ってくるメモも、予め天井の梁にメモを仕込んでおき
それに天井と同色の糸をつけ、共謀者がタイミングを計って糸をひき、落下させる
という非常に単純なトリックであった。
ブラヴァツ キー夫人の信者は、そのホジソンが入手した手紙は偽造されたもので
あると主張したが、筆跡鑑定の専門家達により、その手紙は間違いなくブラヴァツ キー
本人によるもであると証明されてしまった。



 
644神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 02:17:13 ID:Wq5Pj9lh
SPRは調査の結果、ブラヴァツ キーを「歴史上最も成功した、巧妙で興味深い
『詐欺師』のひとりである。」と評している。

ブラヴァツ キー本人は、こうした暴露にもかかわらず、活動を続け1888年には
「シークレットドクトリン」を発表する。この中にはマハトマから見せられた
とする『ジャンの書』と呼ばれる書物が紹介されているが、これは、アトランティス
で編纂されたもので「失われた言語」でヤシの葉に書かれていたとされる。
しかし、この本を分析したウイリアム・エンメッテ・コールマンは
1・その内容は近代科学書やオカルト本の寄せ集めであること
2.超古代に書かれた「ジャンの書」から引用したとされる詩が、サンスクリットの
聖典リグヴェーダに出てくる詩とそっくりなこと
などを指摘している。  また、オックスフォード大学の比較言語学教授の
フリードリッヒ・マックス・ミュラー教授も
「容易に入手できるバラモン教や仏教の書物に、その出典が発見できなかった
ものは何ひとつなかった。」
「ブラヴァツ キーの密教は何かと問われれば、『誤解され、曲解され、
戯画化された仏教であると答えるだろう。」
とコメントしている。

これを信じるの????????? 
645ア? ◆MD/EX47MPk :2009/03/06(金) 02:36:20 ID:Onw3kMT7
スポーツジムが形而上ジムなら、

宗教センター??=形而下ジムでいいぢゃないか?

時間幾らで、仏教コース・イスラム教コース・キリスト教コース・ヒンドゥー教コースetc
で。

各教の聖典読み込むサーキットトレーニングと、単元ごとにヨガとか、祝詞とか、HYMNとかetc..で
ラマダンしたい人は、定時ミーティング開いてカウンセリングとか。
646ア? ◆MD/EX47MPk :2009/03/06(金) 02:41:48 ID:Onw3kMT7
ん?

こりゃ結構人件費かかりそうだぞorz

ん?まてよ、、清貧だろ?の観点で返せばいいなぁ。
647神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 09:43:32 ID:jDrYENCF
>>638
宝珠愚者さん江
>迷信的で信仰的な世界からの脱却です。











                   おまいがゆーな!
648神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 09:56:39 ID:jDrYENCF
エピクロス(Epicurus)
「もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。
力はあるが意思が無いなら邪神である。
力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。
力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう」

神は、全能ではないか、無能か、邪神か、存在しないかの四択になる。

全能の神なんて存在できないpart5
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235661574/l50
649神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 10:09:04 ID:4KILufbb
>>645
そこまでして、「宗教」をやる意味も価値もないと思うがw。

いずれにせよ、人間とは、基本的に具象的・身体的存在であり、それらを離れた
「精神性」は、必然的に人間の狂気を生み出すことを、片時も忘れてはならない。

ルターの「聖書のみ、信仰のみ」が、どれほどの狂気を生み出したかを、常に
想起する必要がある。この言葉が、「人間そのもの」にとって、一体如何なる
意味と価値があるのか。「ゼロ」であろう。

「自灯明」という言葉は、釈迦以外の宗教の開祖・教祖には、誰も言えなかった
言葉。勿論、イエスには、逆立ちしても言えなかった。この言葉の持つ巨大な意味を、
十二分に理解する必要がある。
650机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/06(金) 10:55:53 ID:INZszWdp
>>635
>仏教者は一般人の問いに対し、
>「偶然だ」の「判らない」だの、知り得ないことには「無記だ」の、
>確認できないから、「自己体験した事柄以外には認めない」だの・・しかいわない。
>これでは現代の一般人は納得しない。

南宗禅の祖といわれる慧能は、嶺南の生まれでしてもともと教育というものを受けてない。
こういう無知識なのを「無学」と仏教では言ったりするが、
これは世間一般でいう「無学」とは意味が違ってまいります。

この無学というキーワードは、釈尊にも通じる。
(これを仏教では「無の哲学」とか言ったりする)

こういう訳で、拙者は学問の府である大学で、仏教学があるのがそもそもオカシイ。
ってのが持論です。
駒沢は曹洞宗系だから、道元を中心にカリキュラムが設定されてる思うが、
道元というのは北宗禅に近いから、殆ど中国禅は学ばないんじゃ〜ないのか?
(南宗禅の祖が無学なんだから)

正法眼蔵は、インテリ向きだけど、けして一般向きではない。
だからといって大学で学ぶほどのもんじゃない。
あのですね、
南宗禅は「修証一等」ではない。無学です。
北宗禅は。今は殆ど中国にもありません。
(少林寺拳法くらい)→これも日本の少林寺とは関係なし。
651神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 12:00:14 ID:yu8LRXOX
>こういう無知識なのを「無学」と仏教では言ったりするが、
>この無学というキーワードは、釈尊にも通じる。
>(これを仏教では「無の哲学」とか言ったりする)

仏教に詳しくない方のようなので代わりに説明すると
仏教で無学と言えば有学に対比するもので、阿羅漢果のことを指します。
無学とは、学問をしていない、知識がないという意味ではありません。
「これ以上学ぶことがない」という意味で無学です。
652机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/06(金) 15:07:04 ID:INZszWdp
>>651
>仏教に詳しくない方のようなので代わりに説明すると

おそれいります。

>仏教で無学と言えば有学に対比するもので、阿羅漢果のことを指します。

対比することではないですね。

つうか、もう貴殿は拙者に粘着するのは止めたらどうですか?
>これは世間一般でいう「無学」とは意味が違ってまいります。>>650
で、すでに拙者が書いておろう。
なら、二度と説明はイランのクーデターですw

653神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 17:33:35 ID:yu8LRXOX
誤りを指摘されるのがいやなら、嘘は書き込まないことです。
以上
654机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/06(金) 18:27:24 ID:IdmbNk6V
>>653
>誤りを指摘されるのがいやなら、嘘は書き込まないことです。

おそれいります。

つうか、拙者は日本禅について再考しとるんですよ。
これは大スペクタルとして皆様に読んで頂きたいと、そう思っております。
まあ、こういう話は興味がある御仁は多々あるかとおもいますが、
拙者は気が向かんと掲示板には書き込まない。

しかし気が乗れば、淡々とあるいは粛々と語ちる用意はございます。
こういう訳ですから、
貴殿は、拙者の上げ足だけは取らんで頂きたいですね。
(話が前に進みませんので)

まあ、応援してくれなくてもいいから、
華麗にスルーしてください。
そうじゃないと、話の本筋がずれてきますので。

これはスレタイにも関係する、いたって重要なテーマです。
雑魚とはあまり絡みたくない。ってのが本心です。
(誰も絡まんでいいから、マイペースで書き込みするのが自分としてはやりやすい)
655宝珠愚者:2009/03/06(金) 18:29:23 ID:zSYMyJAw
>>643-644
そうです。
全部、大デタラメの誹謗中傷です。
今は時間がありませんが、後ほど軽〜く説明します
(ここで徹底、議論を交える意思はありませんが・・)。

>これを信じるの????????? 
もちろん、それはあなたの自由です。
656机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/06(金) 18:35:53 ID:IdmbNk6V
>>651
>仏教で無学と言えば有学に対比するもので

あと、こいいうインチキは書かないことですね。
これは拙者がスルーしようかと思ったものですが、
インチキで拙者を煽っても、ロムする御仁は本気にしますからね。

仏教は貴殿が考えてるほど甘くはないですよ。
657初代スレ7:2009/03/06(金) 22:03:53 ID:XOoRhHFZ
Sekha (& sekkha)
belonging to training, in want of training, imperfect,
one who has still to learn, denotes one who has not yet attained Arahantship,
definition.

sekha-paTipadA:the path of the student
sekha-sIla:the moral practice of the student

asekha:not to be trained, adept, perfect

See asekha.

Asekha (& Asekkha) [a + sekha]
not requiring to be trained, adept, perfect,
one who is no longer a learner, an expert,
very often meaning an Arahant.
658机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/07(土) 07:25:00 ID:qq/2VqhT
>これは世間一般でいう「無学」とは意味が違ってまいります。>>650

これについて説明いたします。

世間一般でいう「無学」というのは
>仏教で無学と言えば有学に対比するもので >>651
(つまり世俗諦の無学)
のことですね。
対比する。ってんなら分別の無学ですから。

仏教でいう無学(勝義諦)というのは、無分別の分別における無学です。
世俗諦→無学⇔有学
勝義諦→無学
つまり有無を超越した無学のことでありまして、
教学を全てマスターしました龍樹の無学と、
教育を受けなかった慧能の無知識の無学は、
仏教としては同義の無学であります。

でも、まあ、こんなことを説明するのはメンドイので、
これ以上はやりませんけど、
いちいち上げ足を取られたら、話は前に進みませんので、
また気が向いたら、日本禅と南宗禅について書き込みしてまいります。
659神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 15:08:13 ID:YJsHby+K
今月の大法輪は、輪廻転生が特集だね。
日本の各宗派の始祖により輪廻の見解など論じている。
660神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 17:42:24 ID:1wJMmlTK
般若心経が否定しなかったもの
ttp://d.hatena.ne.jp/ajita/20090306

面白かったので投下。
661神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 17:50:09 ID:UWei25G3
>658
横スレだが
西田哲学の絶対無とか何かを言いたいのは分かるが
仏教の基礎知識をまず身につけた方が良いな。
水野先生の『仏教要語の基礎知識』をよく読むと良い。

有学(शैक्ष)無学(अशैक्ष) 非学非無学(नैवशैक्षनाशैक्ष)の三学は基本だ。
そして無学は有学の対極にある。

たぶん無からの連想で無学を「学問知識が無い」と解釈したんだろうが
一般的な意味での無学は仏教では「非学非無学」の事だよ。
また龍樹の哲学であれば、たとえあらゆる二項対立を超えた「無」であっても
「無」と説いたとたんに世俗として否定される。
662神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 18:58:11 ID:+rVFJqrt
>>659
今月号の「大法輪」の「輪廻転生」特集を読んだが、論者によって賛否はまち
まち。宗教者自身が迷ってしまっている。しかし、どちらかと言えば、否定論の
方が多い。

これは、時代も全く異なる現代において、古代の仏典に依存し、それから「演
繹する」という、「方法論的誤り」が原因である。

現代人としての最も合理的な解釈は、肉体が死ねば元素に分解し、その元素が
自然界に循環することだろう。

クリスチャンの日野原重明氏は、医学者として、遺伝子の継続を輪廻転生と解
しているが、これは、子供が居ない場合は全く適用されないので、誤り。

輪廻転生は、「霊魂の存在」とは矛盾する。転生は、異なった「肉体」に生まれ
変わることである。霊魂が存在すれば、そのままで永遠に存続し、「他の肉体
に生まれ変わる」必要はないはずである。

これほど賛否両論のある輪廻転生論は、現代ではもは有効には存在し得ないので、
仏教としては無視すべき事項であろう。

仏教思想の現代的意義は、やはり「縁起・空・関係性」に限るべきだろう。
「これがあれば、あれがある」の「これ」と「あれ」は代名詞であるから、
容易に相互に置換でき、従って、明確な「相互依存・関係性」の命題となる。

ある論者は、「死に瀕した者への慰め」としているが、死に行く人を「騙す」
ことほどの悪行はあるまい。
663机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/07(土) 19:15:57 ID:qq/2VqhT
http://blog.livedoor.jp/wordroom/archives/50953885.html
<イカフルト消去できないメールがきました>
これは泣けますね。
現実でギリギリに生きていると、もはや死後まで考える余裕さえなくなるのでしょうか?
正岡子規もそうでした。

アウシュビッツに収容されると、もはや思考することもなくなるそうです。

経済的に余裕があると、共産革命を模索したりしますけど、
極度の経済的困窮に陥ると、
もはやそういう思考さえ衰えるらしいですよ。

そこまで思考が衰える段階において、急に眼が開いたりするらしいですね。
人生というのは摩訶不思議なもんです。
664机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/07(土) 19:23:15 ID:qq/2VqhT
×  イカフルト
○  イフカルト

訂正します。

2ちゃんで訂正するのは野暮なのですが、
また煽りでも入るとスレ汚しになりますので、
ここはあえて訂正とさせて頂きます。
6651/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 19:27:07 ID:MTHwq+9q
以前、この板に因果応報に関するスレが立っていた。(PART5くらいまで続いてたか?)
御想像の通り(?w)、そこでは
「理不尽な殺害、災害、事故等による死(死傷)は、如何なる因によるのか(≒悪業の結果なのか)?」
という問いが主軸であった。(意外なことに、どちらの意見も仏教色は薄目だったように記憶する。)
私はそこで、「仏教として」や「仏教では」という形でなく、
「人は、事象の中に見られる因果を“どのように拾い上げるのか”」という点でのレスを入れた。
「仏教という枠を設けずとも、人は事象に因果を見る」からだ。
乱暴に略記すれば
「或る事象に於いて、《何を因と見、何を(その)果と見るか(どこに因を見、どこに(その)果を見るか)》は恣意的なものである」と。
そこには必ず「(主観的)枠組み、基準が必要」だということでもある。
 ※実際には、《「或る事象」という切り取り》からして恣意的であり、分別の第一歩であるわけだが・・・。
ヒトという生物の“認識に於ける切り取りの基準”は(生物学的・文化的社会的制約を含め)哲学的考察の範疇ともなるので措くとしても、
いずれにしろ、「そこに線引きが為されている」ことに変わりはない。
その線引きの基準は(個々人の用いる枠組み、既得の(前例としての)基準、顕著な差異への着目、
知り得る範囲、考察・類推可能な範囲等)種々あろうが、因と果を拾い上げる際にどうしても要請されるものだ。
もっと言えば「拾い上げるという行為そのもの」が「線引き(取捨選択)」に他ならないからだ。
差異の捨象や無分別、一相、無相など、そのような包括的視線もあり得る。が、それは「現実的対処」には力不足だ。
我々は、何らかの基準で因果を拾い上げなければ日常生活を送れない。社会生活が成り立たない。
(それが、“世俗”というものであろうし、“世俗と接して生きる”ということでもあろう。)

  ※ちなみに、
    原始佛教 その23 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/
    の終盤、及び
    原始佛教 その24 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1177993402/
    の序盤には、このスレ的にも面白いレス群が散見されると思いますよw
6662/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 19:28:01 ID:MTHwq+9q
────────────────────────
仏典中、具体的に、明瞭に、因と果が結び付けられて語られている場面はある。(特に“修道”の面に於いては。)
が、「おしえの主軸として述べられる時は、抽象化・普遍化・一般化された形で述べられているのではないか?」
(まさしくアッサジが援用したように・・・。)
それは、場面場面で因果の拾い上げ方に幅が(違いが)生じることを含意してはいないだろうか。
勿論、絶対的基準は「涅槃に資するかどうか」「人道的にどうか」等ではあろうが・・。
・・・・・・いや、これはさすがに(現段階では)妄想が過ぎるな。忘れてくれw
────────────────────────

他、付随する形では(仏教的語義としてでなく一般的語義として)「直接因」と「間接因」の問題もある。
自動車事故という果を拾い上げた時、その因を
「スピードの出し過ぎ」と見ることもできるし「運転手のイライラ・焦り」と見ることもできる。
「昨夜の降雪で、路面が滑り易かった」かもしれない。「歩道を歩くお姉ちゃんのおっぱいに目を奪われた」からかもしれないw
「家族の危篤の知らせを聞き、運転の際に必要な自制をしなかった」と見ることもできる。
また、「イライラ」を因として『イライラしてたから事故を起こした』とするか、
イライラを引き起こした「恋人との喧嘩」を因として『恋人と喧嘩したから事故を起こした』とするか・・・。
どちらも、因果の拾い上げ方として成立する。
また、「事故という事象を果と見る」か「車の大破を果と見る」か「怪我を果と見る」か
「後悔や怖れ、今後への不安を果と見る」かによっても、その因の選定に違いが出よう。
これは仮定の話なのでどうとでも言えるが、尼崎の列車事故ともなれば事態はもっと複雑だろう。
たとえば、乗車位置によって生死が分かれたと見たなら(→「乗車位置が直接因(直近の因)であるなら」)、
その因は何か?「前世の悪業がその位置に立たせた」のか?他に理由はないのか?
或いはトリアージによって後回しにされたからかもしれない。「前世の悪業がトリアージの順を決めた」のか?
拾い上げだしたらキリが無い・・・w
6673/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 19:28:56 ID:MTHwq+9q
また、普段乗らない列車だった人もいるかもしれない。
『財布を忘れたことに気付き、一本遅れて事故電車に乗り合わせた』のかもしれない。その時の死の因は何か?
  →≪前世の悪業により、財布を忘れさせられたのか?≫
『途中、町内会長に話しかけられ、一本遅れて事故電車に乗り合わせた』のかもしれない。その時の死の因は何か?
  →≪前世の悪業により、町内会長に話しかけられたのか?≫
『余裕をもって早目に家を出たら、一本前の事故電車に乗り合わせた』のかもしれない。その時の死の因は何か?
  →≪前世の悪業が、早目に出かける気を生じさせたのか?≫
里帰りする孫を迎えに行くために乗ったのかもしれない。ライブを見に行く予定だったかもしれない。
  →≪前世の悪業が、“その日にその用事を生じさせ”“それを彼に履行させ”“事故列車に乗り込ませた”のか?≫
 (※「これらは全て《縁》である」と言うことも可能だ。そして、「《因》は《前世の悪業》である」と・・・w)

それにしても、
《或ること(果)》と《因》とを結びつける【文脈】は、果たしてどれほど決定的なのか?
スパンが長くなればなるほど、『文脈の重要性』は増す。

さて、『【文脈無しに拾い上げる】ことは可能だろうか・・?』


『三世に跨る業果・業報』を語る御仁達は、自分達の「因果の拾い上げ方の基準」について自覚はあるんだろうか?
6684/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 19:36:06 ID:MTHwq+9q
  ※反感を買いそうなw事例をもう一つ二つ挙げておこう。
    ・朝、いつもは左足から履く筈の「靴を右足から履いた」。
     .昼、職場の「段差で(右足から)つまずいた」。
     .夜、「右靴下の先が破れている」ことに気がついた。
    ・(昨日、友達と喧嘩した。)
     .朝、(腹いせもあって)通学途中、路駐してる「車を500円玉で擦った」。
     .昼、購買部の前に来て、「500円玉が無い」ことに気がついた。
     .夜、「家の車に硬貨で擦られたような傷が付いていた」。
   いずれも、ここに有意な関連性を設けるのは、荒唐無稽で、およそあり得ない考察だ。
   おそらく誰もが、このような『因果の拾い上げ』は却下するだろう。
   しかし、ここにも「因果を【見ること】は可能」だ。 そう。 【見ることだけ】は・・・。
   (もしかしたら、本当に全て連なって生じた事象群かもしれないが・・・www)
   人が、こうした関連性にさえも因果を見る癖があることは、「地鎮祭」や
   「赤子の初参り」「七五三」「厄落とし」等が今でも多く続けられていることからも推察できる。
   時代劇でよく見られる「外出前の火打石」も同様の側面を持つ。
   そう、「どちらの足から靴を履くか」と類似した側面を・・。
   「或る行為をすることによる、どのような果が期待されているのか」。
   「或る行為をしないことによる、どのような果が恐れられているのか」。

   私は、『三世に跨る業果』について、上の二つの例と同じ構図を見ているのだ。
   上の二つのような例と、ベトちゃんドクちゃんの例(→彼らが、前世の業によりあのように生まれたということ)と
   どこに違いがあるのか?
   こうした結び付け方が「同じ構図でない」というなら、その違いを、明確に、論理的に説明してほしいものだ。
   「上記二例のようなこと」と「前世の業&今生の果」が同じでない理由を・・・。
   (ロングパスとしても長過ぎやしないか?・・とw)
6695/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 20:04:05 ID:MTHwq+9q
おそらく一直線とはならず、枝のある形・複数経路の離散集束のある形かもしれないが、
これらを時系列的に(ドミノ倒し的にw)因果の連鎖として並べることは不可能ではない。
(勿論、その先頭(最初のドミノ)に「前世の悪業」を持ってくることも・・・。)
そして、このような時の因果の拾い上げ方が、
法律上の解決、保険制度上の認定基準、運行システム・体制・制度等鉄道会社の予防策、
“遺族の納得”等等、目的(行う作業)によって変わってくる。
当然、宗教的(仏教的)な拾い上げ方もあるだろう。(それが前世の業かどうかは別にして・・・。)
いずれにしろ、「並んだドミノの駒を、【どのように拾い上げるのか】」が肝となる。

この「拾い上げ方」を(枝の無い一直線のものとして)巧みに利用しているのが、霊感商法等の行為なのだろう。


  ※おそらく、これを ≪拾い上げるのでなく、並んでいるドミノを並んでいるままに、そのままに見る≫
   というのが、仏教的視座となるのだろうし、(いや、ここまで来たら、ドミノという捉え方からして顛倒妄想か?w)
   そのスパンを永く永く捉えれば、輪廻の中にある因果の連鎖ということになるだろう。
   (その意味で、今生のみを見て拾い上げ、輪廻を捨てる行為は、伝統仏教からすれば外道であり断滅でしょう。
    伝統的な仏教という枠で考えるならば・・・。)
   また、拾い上げる基準を、
   常に【善なること、良き未来へ繋がること、教訓となること、涅槃に資すること】という設定にするのが、
   仏教的な拾い上げ方なのかもしれない・・・。
    (※「善なること」とは、《自己・他者問わず「ためになること」「害とならないこと」「苦(の因)とならないこと」
      「(未来を志向する)向上(の縁)となること」》等と言えるだろう。)
6706/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 20:05:19 ID:MTHwq+9q
さて、
上(>>665)で、《「或る事象」という切り取り》もまた恣意的である、と述べた。
これは、スパンの取り方(区切り方)にも言い得る。
このスレで言えば、前世・今生・来世という区分がそれにあたる。
重要なことは、
【この区分の基準は“肉体に拠っている”、或いは“肉体の機能に拠っている”】
ということと、
【前世来世は、“通常”知覚され得ない、知り得ない】
ということだろう。
この2点をもってして、人は三世を区分する。(ドミノで言えば、目の前に見えている駒だけが判断材料となる。)
 ※(おそらく、これ以外に区分の方法はない。)
脳死(&臓器移植)の問題も、「死」という楔をどこに打ち込み、その人の「(生物的)生」をどう区分するか」
ということに他ならない。 『ヒトという生物は“いつ死ぬのか”?』。
前世・今生・来世という区分にしても、『(勝義に於いて)、そこに境目はなく、連続した一繋がりの「生」である』
と宣言したところで『そこに「肉体の滅」(肉体の機能の滅)が見られる』ことに変わりはない。この楔は強敵だ。
脳死・心臓死などよりも、はるかに明解だ。「受精・細胞分裂」から「肉体の滅(肉体の機能の滅)」までの区分は、
「今生」を切り出すに際し、もっとも解り易く、もっとも明解で、もっとも強力なものだろう。
 (※厳密に言えば、ここで「他者(の今生)」と「自身(の今生)」との別を考慮すべきだろうが、今は措く。)
いずれにしろ、
《「前世の業」は、このように切り出された“「今生」以前のもの”であり、それが、どのように「今生」に表れるのか》
 →(「或る今生の果」が「前世の業」によるものだとして、その関連性は『見い出せる(特定できる)』ものであろうか?)
《「来世の果」は、このように切り出された“「今生」以後のもの”であり、それが、どのように「今生」に表れるのか》
 →(「或る今生の業」が「来世に於いて結実する」ものだとして、その関連性は『見い出せる(特定できる)』ものであろうか?)
6717/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 20:06:34 ID:MTHwq+9q
スパンの取り方が恣意的なものでなく、(半ば強制的に)上記2点のような基準に拠っているとしても、
そのような三世に跨る(三世を貫く)作用とは如何なるものか。
「行為の潜在力」が、温存され、継続し、時を異にして(熟し)表れるとはどういうことか。
上の方で触れた「因果の拾い上げ方」と絡ませれば、
『或る行為Aの潜在力が、(それが“異熟し表われるもの”だとしても)A´という果を特定して表れるのはなぜか?
 そこに、どんな必然、“他の果とならなかった”どんな理由があるのか?
 〔朝、右足から靴を履いたから、右の靴下の先が破れた〕 ということと、どこに違いがあるのか?
 〔夜に爪を切ると親の死に目に会えない〕 などとどこに違いがあるのか?
 「A´という果」は、本当に「或る行為A(の潜在力)」によるのか?
 このような逆算、遡及は果たして正当なのか?
  (朝昼夜というスパンの取り方も、前世今生来世というスパンの取り方も、さほど変わりはない。
   「知覚し得ず、想定し得ず、因果の鎖を見出し得ない」点で、余計に性質が悪いw)
『釈迦国が瑠璃王に攻め滅ぼされた時、その理由は何だったのか?』
『オーストラリアの山火事で何百人も亡くなった、その理由は何だったのか?』

『「因果の拾い上げ」は、このスレで言われるような形で為されるべきものであろうか?
 そうではなく、(たとえそれが、自身の(心の)外のことであっても)、
 《「(注目すべき、見据えるべき)果」→「因・縁」→「因・縁」→「因・縁」→・・・・・・》という
 厳密な、理にかなった逆算・遡及が為されるべきではないのか?
 ベトちゃんドクちゃんの例等で言うなら、米軍による枯葉剤以外の因や縁を持ちだす“必要”がどこにあるのか?』
また、
『通常知覚し得ない前世来世について、そのように【個別に】、【具体的に】、
 【それ以外にない必然として】結びつけて語れるのはなぜか?
 お釈迦さんは、そのような具体的述べ方をしていたのか? もっと言ってしまえば、
 ゴータマ・ブッダが(=解脱者が)、《障害児は過去世の業により障害を持って生まれた》と弟子たちに説いていたのか?』
6728-1a/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 20:49:44 ID:MTHwq+9q
(※三世に跨る業果は、その全てが
  《「報復を期待・希望・切望するベクトル(想い・願い((『想』)『行』))」と、
  「現状の不満・不幸に蓋をし、対処法を放棄するという姿勢(ギブアップの意味の“あきらめ”)」》
  に端を発していないか? また、
  《因(縁)と果の間が空き過ぎていないか? 「異熟」という概念・考え方は、その間隙を埋め得ているのだろうか?》 )

このように考える時、以下、
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/55
  > >さらに、前スレ88 のときもスルーされてしまいましたが、「障害をもって生まれてきた子は、
  > >前世において、その子自身、またはその両親の悪業が原因であると断じるのですか?」
  >  ごめんなさい!無視するつもりではありません。しかし、他の方からの同様な指摘を受けた中で、
  > これは繰り返し述べてきたと思います。
  >  では、もっと正確にいうと、すみませんがそれは100%ではない。中には前世の悪業の報いではなくて、
  > もっと別の理由があってそういう苦難の中に生まれる場合も在り得るからです。それは分り易くいうと「試練」というものであり、
  > その人が成長するために必要な体験として課せられた困難苦難という場合がそれに該当します。意味は分りますでしょうか?
6738-1b/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 20:50:37 ID:MTHwq+9q
  >  しかしながら、もうこのような領域の話になってくると・・仏典からの判断ではどうしても限界がある。
  > 我々のレベルでは個々の事例に対して、つまり、その人のその過去世を見たり確認することができないからです。
  > これは仏陀のような境地に達した存在にしかできないのです。
  >  しかし、まず基本的理解として必要なこととは、業報による因果論と輪廻転生。
  > 自分の行為は必ず自分に返ってくるという基本的な真理についてです。それは死んで済むということではないのです。
  >  これが自分の行為に対する責任意識に繋がり、人と人との正しい人間関係の形成を生むものなのです。
  > 死んで終わりという発想は、「好きなことした者勝ち!」という地獄の理論(倫理)に他ならないのです。
   【>それは100%ではない】【>もっと別の理由があって】
   【>このような領域の話になってくると・・仏典からの判断ではどうしても限界がある】【>確認することができない】
   【>仏陀のような境地に達した存在にしかできない】
6748-2/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 20:51:36 ID:MTHwq+9q
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/140
  >必要な受けるべき果報は避けられない。その前に死んで避けるということはできない。
  >死ぬ前にイベントが起きて避けられないか、もしくは仮に死んで逃げたとしても無駄であり、
  >次の転生の機会には再びイベントの機会が巡ってきて確実に逃げることはできない。
  >ですから、この避けられないのが業報の作用なのです。これはゲームではないのです。
   【>必要な受けるべき果報は避けられない】【>次の転生の機会には再びイベントの機会が巡ってきて】
   【>この避けられないのが業報の作用】
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/141
  > >過去の業によって、その肉体が規定されるのならば、重度の障害をもって生まれてくる子は、
  > >その原因は過去世における悪行である。 このような結論になりますね。
  >基本的にはそうです。 >しかし、例外としては「試練」というのもある。
   【>基本的にはそうです】
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/142
  >個々のケースについて判定することは我々(解脱者でなければ)には不可能です。
  >しかし、地域の大災害の場合、その死傷者の多くは過去世の業ではない場合が多いと思います。
  >一つは当人にとっての試験の機会として、そこに巡り合わせられます。
  >また、自然災害の場合には、人類全体としての悪しき想念が自然界に作用したものであるケースが多いでしょう。
  >重要なことは、必ず全員が理由あってそこに居合わせているということ。偶然ということは在り得ないのです。
  >全ての出来事の背後には必ず理由が存在します。
   【>個々のケースについて判定することは我々(解脱者でなければ)には不可能です】
   【>その死傷者の多くは過去世の業ではない場合が多いと】
   【>必ず全員が理由あってそこに居合わせているということ】【>偶然ということは在り得ない】

 などの発言、考え方は興味深い。
6759/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 21:06:58 ID:MTHwq+9q
上(>>669末尾)で述べたように、区分の為の楔を打ち込むことなく、在り様をあるがままに見る姿勢こそが
仏教的には求められる視線であろう。それを総体的に言表したのが「輪廻」ということになるのかもしれない。
とどまらず、途切れず、【区分できず】、変転し続け、(業の)力が作用し続ける、
そのような「生存(存在)の在り様」を表したのが「輪廻」ということになるのかもしれない。
しかし、種々の言説(記述)は上記(>>6706)2点の区分に則って為されている。
もし、勝義としての輪廻に対する視線が上記のようなものであるなら、
《三世に跨る輪廻》は、「勝義としてでなく世俗の言辞として説かれている」ことを意味しないか?
また、「三世に区分され、過去の悪業が拾い上げられ、現在の果の説明(=因)とされる」ことも、
「輪廻」が世俗の言辞(価値観)に属することを意味しないか?
そして、≪仏教に限るものでなく、およそ「倫理道徳を説き、善を勧め、教誡・教訓を用意する価値観・思想」
全てが共用する言辞≫であることを意味しないか?
三世云々(過去世の)悪業云々等は(勝義に於いては)、
捨象されるべき「世俗の基準」「世俗の価値観」「世俗に於ける迷い」に他ならないのではないか?
──────────
(余談:「内縁起外縁起」という表現と絡んで。)
 個人的には、「おしえの根幹としては、(―“気付き”や“きっかけ”、“事例”として外縁起を見ることは必要だと思うが―)
 “内縁起こそが中心とされ、外縁起はその拡大・応用”というスタンスが保持されねばならない」
 と考えるわけだが、輪廻や《特に転生は、この構図で言えば「外縁起」を中心として語られている》と思うのだ。
 (いや、『外縁起しか語られていない』と言うべきか・・・。)
 それらは、あくまで「援用・応用」でしかなく、「本義ではない」(→「涅槃に資するものではない」)と思うのだ。
 だから、文脈により、状況により、「スパンの取り方」・「果や因の拾い方」に、
 個々別々の(→その場面場面で、より適切な、より良き未来へと向かうベクトルとしての)拾い方が許容されるのだ、と。
676神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 21:07:29 ID:mPIqkLCn
7氏大乗部会?
67710/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 21:15:34 ID:MTHwq+9q
──────────
さらにまた余談かもしれないが、
「宿命通」に関しては「記憶」との関連もある。
過去幾千の前生の詳細な想起は、如何にして可能なのか?
三世の区分が>>◆6で言うような2点に拠るものとすれば、肉体に(肉体の機能に)依拠するものではなさそうだ。
《「記憶」もまた「業」或いは「業の潜在力」である》という言辞が成立したとしても、(そうした側面は確かにあると思うが)、
「業が(業の潜在力が)継承される」とはどういうことか?
過去世の生存の【詳細】は、なぜ、知ること(見ること)ができるのか?
詳細(→微細な差異)は、如何にして保存され、継承されてゆくのか?
 (※物理・科学等の分野では4つの力」という括りがあるようだが、
   『同様な《力の存在の仕方》《成立の仕方》《作用の仕方》として、そこに(仏教的には)「業力」を加えるという手』もあるw
   霊魂等“別モノ”を設定することなく、(身口意問わず)行為の影響力の存続・継承・伝達を、
   無理なく成立させる為の有効な手法の一つかもしれない・・・。
   検証、確認は至難の業かもしれんが・・・w (けど、面白い試みだと思うが、誰かやってる人いるのかな?))

 (※仏典に於いては、回数こそ述べられていても、その【詳細な】記述・【必然たる理由】の記述は為されていない。
   それがされているのはジャータカ群のみではなかろうか。)
67811/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 21:16:38 ID:MTHwq+9q
────────────────────
これらを考察するには、(特に“仏教として”どう考察するかには)、多くの論書を参照せねばならないのでしょう。
代々の仏弟子達が、どのように考え、どのように解決してきたかの足跡が、論蔵、論書という集大成なのでしょう。

私個人が、「転生(或いは輪廻)」を信じることは吝かではない。
ブッダが、過去の弟子達が、そのように伝えてきているのだ。
それを継承してゆく姿勢は、三宝に帰依するならば必要なものではあろう。
だが、(宝珠氏を例に挙げるまでもなく)、世間には(このスレでも誰かが触れていたが)「悪しき業論」や、
カルトの脅し・商売に直結する「転生(或いは輪廻)」が蔓延している。
過去のものとなりつつはあるのかもしれないが、差別問題と直結していた面もある。
ただ単に「輪廻」や「転生」を口にするだけでは、そうした『負の輪廻思想』に飲み込まれ、現代人からは敬遠されるばかりだろう。
私は、ここに必要な言葉をまだ見つけられていない。だから、「転生(或いは輪廻)」には否定的・懐疑的姿勢をとっている。
(だから、「輪廻」や「転生」には殆ど触れずに仏教を語ってきたし、(今のところw)今後もこのスタンスは変わらないだろう。)
 (このスレで、そうした部分へメスを入れる《真に“涅槃にふさわしい”或いは“善き視線”としての「業報」の受け止め方》
  に出会えるかと思ったが、どちらかと言えば宝珠氏支持がメインストリームとなっていて、少しがっかりした。
  サンプル収集場としての2chの位置付けは変わらないが、些かゲンナリしないでもない・・。)
67912/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 21:17:36 ID:MTHwq+9q
また、多くの論書がその答えを記していたとしても、そのまま使うことはできない。
それが、勝義に於ける勝義の言葉で語られているならば尚更だ。
(それは、机氏的言辞を重ねることにしかならないだろう。また、そうした論書は、詭弁の謗りを免れ得るだろうか。
「勝義に於いては」という前置きは、どれほどの有効性を持ち得るだろうか。)
(個人的には、室内や提唱でない以上、そこには世俗への翻訳が必須だと思っている。)


現代に於いては、
“誤解されている『負の輪廻思想』やそれに纏わる言辞”との、
はっきりとした、峻別が可能な、明確な、力強い、説得力のある、業論・業報、そして輪廻を提示し得なければならない。
そこでなされる『負の輪廻』『悪しき業論』への批判・指摘が、批判者に返ってきてはならない。
同じ「輪廻」同じ「転生」であるが故に、批判の言辞はそのまま批判者の説への批判となって返って来ざるを得ない。
もし、負の側面が抜き難いものであるなら、(そのような冷酷さを仏教が内包しているなら)、
そこをフォローする言辞が必要だろう。
それがなければ、第三者から見れば≪どちらも同じ≫にしか見えないだろう。
68013a/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 21:25:21 ID:MTHwq+9q
────────────────────
私は、
≪「業報が三世に跨ら【ねばならない】」というのは「願望であり、ファンタジーである」≫
 (→≪「生物学的な“ヒトの誕生”」を認めるならば、「今生に於いて完結する業報」で十分である≫)
 ※≪併せて言えば「(世俗に於いて(凡夫に於いて))来世がなければならない」というのも「願望でありファンタジーである」≫
≪因(縁)と果は、(直接的にしろ間接的にしろ)連鎖を経ていなければならない。
 「たとえスパンを永く取るとしても、その際には」、その“間”は(確認された上での)省略であるべき。
 たとえそれが確認困難であっても、類推し、推定し、理に適った連鎖を見るべき。
 その意味で、直結の難しい(→スパンを永く取り過ぎ、因果としての影響力連結力が弱い)因と果のコネクトには反対する。≫
≪業報は(特に、果報或いは報復の意味を持つ業報は)、一個人の中でのみ考察・判定・結審されるべきであり、
 他者のそれへの当て嵌め・断定があってはならない。(類推による「助言」「異見の提示」は可。)
 また、その果の価値付けも、自身によらねばならない。決して他者が価値判断すべきものではない。
 ましてや、断定的に「貴方の今の《その果は》、過去世のコレコレが因である」などと言うべきではない。
 それは、(過去世であろうと今生のことであろうと)
 『自身が、見、観察し、「確かにそうである。確かに、これによってこの果がある」、と明らかに知られるべき』である。
 果が公平であるかどうかを第三者が判断してはならない。(類推による「助言」「異見の提示」は可。)≫
と考える。
68113b(終)/13 初代スレ7:2009/03/07(土) 21:26:23 ID:MTHwq+9q
━━━━━━━━━━━━━━━━
勢いも落ちてきて、スレ終了のお知らせが出そうな頃合なので、
満を持して、中学生の読書感想文を投下して区切りとしよう。
せめて高校生レベルまでは持って行きたかったが、所詮この辺が精一杯だw

これで、長文短文レス含め、今現在感じていることは、ほぼ言い尽した形となる。
あとは、宝珠氏の問いかけ幾つかと、少しツッコミたいもの幾つかが残るだけとなったが、
それも、もういいか・・という感じがしないでもない。
メモパッドには残しておくので、まだ暫くスレが続くようなら、また作文してみるかもしれない・・。

冷やかしのつもりが、いつのまにか住人になってしまっていて、なんともバツが悪い・・・w
これでまた冷やかしに戻れるかどうか・・・?w
682初代スレ7:2009/03/07(土) 21:40:07 ID:MTHwq+9q
>>676
もし、今回の私の書き込みを「顛倒だ」「理(理屈)に惑っている」と切り捨てるなら、
それは、
『仏教は、世俗(≒時代の変化、都度都度の“現代”)に対する言葉を持ち合わせていない』という敗北宣言と同じだ。

世俗へ(≒『今』へ)届く言葉のない仏教は、梵天勧請を断わったも同然であり、
釈尊が菩提樹下から立ち上がらなかったに等しい。
683初代スレ7:2009/03/07(土) 22:03:00 ID:MTHwq+9q
>>682に少し補足するなら、
『仏典(経)は(≒如是我聞で始まるものは)、出家者への言葉である(凡夫への(→世俗への)言葉ではない)』
ことも、頭の隅に留めておくべきだろう。




 ※〔 >>677中のアンカーは、>>670のこと。 校訂ミス申し訳ない・・orz 〕
684宝珠愚者:2009/03/07(土) 22:11:09 ID:GfgIGsns
>どちらかと言えば宝珠氏支持がメインストリームとなっていて、少しがっかりした。

全く、そんなことはないのでは? 
ただ伝統仏教としての立場からは業報輪廻が説かれるのは当然のことですが・・。
でもまぁ〜この私からの業報カルマ論についての非常に個人的な説明に対して、
特にその他の(伝統仏教者ら)からの「それはチト違うだろ!!」
という投稿は殆ど見られなかったように思う。
完全に同意はしないにしても、
特に積極的な意見投稿(解説を意図した)はなかった・・のは事実。

>だが、(宝珠氏を例に挙げるまでもなく)、世間には(このスレでも誰かが触れていたが)「悪しき業論」や、
>カルトの脅し・商売に直結する「転生(或いは輪廻)」が蔓延している。

この私から見ても、一部の僧侶たちによってなされている水子供養については疑問視。
生命の弔いという意味では了承するとしても、
中には(いや多くの場合には)水子の霊障という脅しによる商売なども
この世界では確かに存在している。

>>682
う〜む、さすがに上手な文句だと唖然としました(笑)
旨いなぁ.....


*私には無理なので、
もっと仏典の内容に詳しい方はこの7さんの提示する疑問符に対して
回答、説明してあげて欲しい。

仏典からの明確な引用を期待したい。
685神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 22:36:26 ID:pgomO3gM
>>仏典からの明確な引用を期待したい。

それが、方法論として誤りなのだよ。「大法輪」でも、君のように原始仏典
の「言葉」に執着している論者は誰もいない。皆、それぞれに、現実との対比
において論じている。イエスとは全く異なり、仏陀は「妄想患者」ではない。
現代にも充分に通用する「現実性・合理性・科学性」が、仏教の卓越した特長
であることを、忘れてはならない。超オカルト宗教としてのキリスト教や神智
学とは対極にあるもの。

君のように、仏教を、オカルトで汚そうとすることは、絶対に許されない。
686初代スレ7:2009/03/07(土) 22:37:45 ID:MTHwq+9q
>>682へ、もう一つ補足。

『仏典は、過去の弟子たちに対し、その都度その都度説かれたものであり、【(2009年の)現代の者に説かれたものではない】』
ということも、頭の隅に留めておくべきだろう。
それは言い換えれば、
『現代には、現代に即した言葉が紡がれねばならない』ということだ。
『現代の(世俗の)状況に関しては、“仏典に依拠しきれない”』ということだ。
『仏典に触れ、仏教の何がしかに触れた者は、
 それを【自分の力で、現代(=“今”)に生きる人に届く】形で翻訳しなければならない。
 それを伝え得る【言葉】を、(一人一人が)見出さねばならない』ということだ。

「お経には、こう書いてあります」なんてのは、猿でも言える。
しかし、それでは意味が無い。
それを、どう受け止め、(今後の人生に)どう活かしていくか、を提示できた時に、
その時初めて、その人は仏教者足り得るのだろう・・・・・・。
687宝珠愚者:2009/03/07(土) 23:09:34 ID:GfgIGsns
>>685
よくわからんが・・あなたがご隠居?(笑)

>「大法輪」でも、君のように原始仏典の「言葉」に執着している論者は誰もいない。

あっそ!買ってきて読んでるよ。

だから〜思想は自由。
しかし、仏典に基かないものは「仏教」とはいわないんだって!
何も、古代の文章を字一句一句そのままに適応するとはいっていない。
現代に相応しい解釈と教えの適応というのはあるでしょう。
ただし、それは本質的に同じである場合に限る。

あなたのような主張を
世の中では「歪曲」「デタラメ」と呼ぶのです。

>仏教の卓越した特長であることを、忘れてはならない。
>超オカルト宗教としてのキリスト教や神智学とは対極にあるもの。
>君のように、仏教を、オカルトで汚そうとすることは、絶対に許されない。

このような中傷など屁でもないが・・・。
私は仏教徒ではなく、ちゃんと神智学徒であるとして公言している。
ただし、神智学は仏意を反映している近代の教えです。
688宝珠愚者:2009/03/07(土) 23:12:28 ID:GfgIGsns
>>687
訂正
 ×あっそ!買ってきて読んでるよ。
 ○あっそ!買ってきて読んでみるよ
689神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 23:20:45 ID:WCKvSaVm
>>687
神智学のどこに、仏教のような「現実性・合理性・科学性」があるのかね。

神智学の創始者は、すべてクリスチャン崩れではないのかね。
690宝珠愚者:2009/03/07(土) 23:59:54 ID:GfgIGsns
>>689
 何も知らないにそんなことは云わないように!
神智学は仏教ではありませんが、解脱した存在の説く教えの本質は(仏教とも)同じです。

 ロシアで出生的にキリスト教の洗礼を受けるのは生活地域の伝統です。しかし、ブラヴァツキー自身は
幼少の頃からの反キリスト教精神の持ち主です。それは、まともな神経の者ならば当然のことですよ
--キリスト教は非科学的で非合理的で迷信的な信仰の世界ですからね。であるから、ブラヴァツキーはい
つもクリスチャンとしての洗礼を払拭し、“仏教徒としての洗礼”に対する憧れをいつも抱いていたのであり、
同じ協会創立者のオルコット大佐と共に仏教徒としての受戒を受けているのです。
 特に、晩年の大佐にいっては協会内の活動は他の者に任せて、自身はスリランカ仏教での自己修行
に専念する日々でした。
 ブラヴァツキー夫人と大佐はスリランカを訪問し、スリランカの抑圧されていた仏教徒たちの中で社会福
祉活動を活発に推進しました。大佐がスリランカでの著作『仏教教理問答』は大きな評価を得た。大佐は
スリランカの仏教復興運動の先駆者であり、現在でも大佐はスリランカの国民的英雄です。

福井日記 No.117 オルコット『仏教問答』を邦訳した今立吐酔
 http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/a9b3dcdd971c5da67a33143c14d5f0bd
『大アジア思想活劇』--仏教が結んだもうひとつの近代史/佐藤 哲朗
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/303-304
 http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/all/index.html
691宝珠愚者:2009/03/08(日) 00:02:16 ID:GfgIGsns
>>690
訂正
 ×大佐がスリランカでの著作『仏教教理問答』は大きな評価を得た。
 ○大佐のスリランカでの著作『仏教教理問答』は大きな評価を得た。
692不説:2009/03/08(日) 02:40:55 ID:T+ll8bj3
いいえ、それは私ではないです。もしかして真言氏ではないでしょうか?

ちょっと今、確定申告やら、微妙に締切が迫った物事が積み残されていて、ちゃんとした回答ができません。
あと、スレ的に、神智学関係は、このスレとは直接関係のない個人的な興味の面が強いので、直接メールな
りでやりとりした方がいいかもしれませんね(たしか過去スレでメアドを晒されていましたっけ?)。

このスレ的には、初七さんの話題の流れも(今はむしろそちらの方が)、引かれるものがあります。今晩、
家路の途中、偶然、交通事故現場に遭遇しました。事故の瞬間とは少し間があったのですけど、まだ救急
車も警察も到着しておらず、事故時に居合わせた通行人の女性が、看護婦さんらしいのですけど、救命活
動を必死になってされておりました。中年〜初老の夫婦が自転車の二人乗りをしていたところに、運送業
者のトラックがぶつかったようです。看護婦さんが心臓マッサージをしながら、婦人の方に呼びかけてい
ましたが、ちょうど心停止されたばかりのようでした。

半ば呆然と、憔悴しながら、電話して、立ち尽している運転手。口の周りを血で染めながら人工呼吸を行
う、二十代半ばの看護婦さんと、傍らにいるその彼氏らしき若い男。そして、数人の野次馬。

私にできたことと言えば、警察が到着するまでの間、脇を通り過ぎる車に徐行するよに注意を促すくらい
のことでした。

この場に居合せたそれぞれの人もまた、何らかのそれぞれの縁によるものなのでしょうか?

死に際する人に対して、我々はどのような態度を取り得るのでしょう?
また、この身も遅かれ早かれ、何らかの形で死ぬ身であり、それは妄想のような離れた物事ではなく、今
現在も内包している事実なのであります。それについて我々はどのように考えるべきなのでしょう?

ゴータマ仏陀はそういうことについて重要な教えを示してくれているのではないかと思います。
693不説:2009/03/08(日) 02:45:46 ID:T+ll8bj3
>>692の最初の部分は>>623の宝珠愚者さんの
>不説さんなのでしょうか?南方などには名前は出せないがいると述べ
>た方は?
このコメントに対する返答です。
694机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/08(日) 08:30:08 ID:1H9agFAc
>>693
>この場に居合せたそれぞれの人もまた、何らかのそれぞれの縁によるものなのでしょうか?

偶然にそこに居合わせてしまった。ってことなんでしょうね。
そして、各自経験的に状況判断をし、自分なりの行動へと移行する。
非日常的光景を周囲の人間と共有することになる。
これが縁なんでしょうね。

交通事故に遭遇しないのも縁ですし、
また遭遇してしまったのも縁。
悪果であれば、そこに不条理を感じて、何らかの合理性を求めたいのが人間。
(実際にはそういうものはない)
<花は紅、柳は緑>by沢庵

しかしそれでは納得がいかない。これも人間。
業報輪廻思想は、人間の理性が追及した合理的思想である。
(納得がいくための方法論)
695神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 09:09:09 ID:UNH4+vgF
>>692
>それについて我々はどのように考えるべきなのでしょう?

「考えるべき」ことなどありません。あなたを含め、現場に居合わせた数人の
方々が、被害者の「生命」を助けるべく全力を尽くされた。それがすべてです。
それ以外の「思考」を介入させてはなりません。これがまさに釈迦の「毒矢の
たとえ」です。

このような場合、普段から培った医学の知識が大いに役立ちます。宗教者を初め、
国民全員が、「大宇宙」などという「何の役にも立たない」ことを考えるのは
止めて、「人体」という「小宇宙」について充分な知識を得ることに努力すべき
です。人体に宿る生命が喪失すれば、その人にとってはもはや「大宇宙」も存在
しないのですから。
696初代スレ7:2009/03/08(日) 09:31:03 ID:k6ViyEwH
もう一つ校訂ミス。 orz


 >>670下から2行目訂正。

> 《「来世の果」は、このように切り出された“「今生」以後のもの”であり、それが、どのように「今生」に表れるのか》

 《「来世の果」は、このように切り出された“「今生」以後のもの”であり、それは、どのように「今生」と繋げ得るのか》
697机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/08(日) 09:34:10 ID:EFFufP0C
>>695
おはようございます。
ご隠居どの。

貴殿が何故ハンネなしで「ご隠居」と分かるのか?
そこが謎だったのですが、やっと拙者にも分かるよぉになりました。

いくつかにキーワードがあって、
そのキーワードの繰り返しを書き込みしとるんですね。
698神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 09:47:00 ID:AAT9gEi6
>>697
人生の、そして人間のすべての営みの根源は、「生存本能(生命)」と
いうキーワード1語しかありません。人生とは、ことごとく「生存本能」
の応用問題」です。他の如何なるキーワードも、「生命」から派生します。
699tibyaku:2009/03/08(日) 09:56:07 ID:IK/sLV94

「仏陀再誕」・・縁生の弟子たちへのメッセージより
 
 諸々の比丘、比丘尼たちよ。

 私の声を憶えているか。

 あなたがたは、かつて私の話を聞いたはずである。

 幾万年、幾十万、幾百万年の歳月のなかで、

 あなたがたは、私とともに地上に生まれ、

 実在界にあって、また我が弟子として、道を学んできたはずである。


 

@心の奥に刻みたる懐かしい響きを感じたるものは、真理の縁において学び
  正理を探究して来たもの達である。
  
  人生の大師お釈迦様の本仏エル・カンターレが超偉大な大川隆法総裁であ
  ります。本仏が再誕しています。「縁生の弟子たちよ集い来よ」

  仏陀の法による救済をベースにした東洋文明とギリシャのゼウス様以前に
  出られたヘルメス様の発展繁栄の愛の教えの西洋文明の流れを統合し、世
  界をリードし統合する世界価値基準となります。
  
700机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/08(日) 10:04:04 ID:EFFufP0C
>>696
>「来世の果」は、このように切り出された“「今生」以後のもの”であり、それは、どのように「今生」と繋げ得るのか》

なるほど、ではお題を頂きます。

因果の報いが来世に伝わり、来世では不治の病だったりする。
これでは生きていてもどうにもならんので自死する他手立てはなし。
と考え、次ぎの日には考えが変わったりする。

こういうこともあれば、
あるいは、生きて逝くのが単なる嫌になったという理由で、簡単に自死したりする輩も多い。

つまり因果応報で仮に悪果となった場合でも、心は目まぐるしく変化する。
(一念三千か?)

ようは、
住することもなく、生じては消え、あたかもそれは線香花火の如く
燃えては自らを死におとしめ、
またある時は、アトミック・ボーンの如しに恋に萌え、
その正体の、
不思議の国のアリスが問題なのかと思いますね。
701神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 10:04:42 ID:fiAShkxE
>>699
その「世界価値基準」なるものも、大川氏の生物的生命が生み出したもの。
従って、生命は、いかなる価値にも優先する。

そもそも、エルカンターレとは何語かね。西洋語らしいが、釈迦は西洋語を
しゃべっていたのかw。
702机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/08(日) 10:16:46 ID:1H9agFAc
>>699
> 人生の大師お釈迦様の本仏エル・カンターレが超偉大な大川隆法総裁であ
> ります。本仏が再誕しています。「縁生の弟子たちよ集い来よ」

仏道というのは、犀の角の如く一歩一歩自らの足で歩むもんだよ。
人に依っては何も見えてこない。
自らの目だけを信じる。これが大事。

「仏道といふ道はない。ただ足跡だけが残るだけである」。by道元
703宝珠愚者:2009/03/08(日) 13:28:21 ID:tkSEDOmZ
>>692
http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
ここにメールアドレスをリンクしています(ページの下部)。
私は個人的な対話もいつでも歓迎します。

>>693
了解しました!
704神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 15:04:55 ID:qVF5QTME
俺は>>643 >>644の書き込みをしたものだがね。
宝珠愚者よ、お前は>>655で俺の書き込みは「大デタラメ」であるとレスを付けて
いたが、人を公の場でウソつきと断定するからには
当然お前は俺の書き込みの何処がウソであるか証拠をあげ論証できるわけだな?さて、やってもらおうか。初めに言っておくが、論証は主観的な見解ではなく、客観性のある資料をもとに頼むぞ。
705神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 15:24:32 ID:3PYGMlVh
>>703
>私は個人的な対話もいつでも歓迎します。

オカルト宗教の布教は止めなさい。そのために、人格を変容され、現実
と社会常識からの逸脱を生じ、家庭を破壊された、どれほど多くの犠牲者
が存在するか、判っているのか。君の異常に執拗な輪廻転生説では、その
ような布教こそ最大の「悪業」であることは、明らかではないか。
706机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/08(日) 16:24:19 ID:1H9agFAc
>>701
>その「世界価値基準」なるものも、大川氏の生物的生命が生み出したもの。
>従って、生命は、いかなる価値にも優先する。

人間の細胞や、単体で行動したりする精子の数(数十億)がトータルとし「単体の生命」。
これを貴殿は「生物的生命」と名づく。→これを小宇宙とする。
ならば、小宇宙のトータルとして大宇宙があるのは必然。→これがアートマン?
と、考えておるんでしょうね。

原子構造は太陽系と動きが似てますから、
電子というのは、地球をミクロにしたもので、そこに生物なりが住んでいるんじゃ〜ないか?
とか、子供というのは誰でもそんな夢想はするものです。

でも、恥ずかしくてそんなことは誰にも言えない。
しかし、それ類の関連本を読んだりしていると、
自分と同じことを考えてる御仁もいるのを発見したりして、
チョッと嬉しくなったりする。

しかし、少しずつ物理の世界が分かってくると、
子供の頃の夢想も次第に消えていく。

貴殿のレスポンは、そういった子供の頃のファンタジーを
今に継承する少年の心と映りました。
ノスタルジーを感じますね。
ご隠居、つうくらいですから、ノスタルジーも年季が入ってます。
707宝珠愚者:2009/03/08(日) 16:30:49 ID:tkSEDOmZ
>>704
あなたを嘘つきといってるわけではない。
その元となっている根拠がデタラメであり、
神智学に懐疑心を抱く人々がそれをオウムのように連呼されているに過ぎない。

>さて、やってもらおうか。

私なりに反論します(時間をもらいます)。


>>705
カルト宗教(のやり口や悲劇)についてなら、私は詳しい。
輪廻転生を説かない高位の聖者などいない。
いるというのなら誰々なことなのか、その歴史上の人物を挙げて頂きたい。
708神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 17:15:12 ID:wQTNqOnn


■ >>695>>698>>701>>705のご隠居氏に大賛成!! (・∀・)ノ ■
         
 
            ,へ
        。 \/  ヽ    (  )   .   。  .  .゚o 。 *. 。 .. ☆ . +. .  .
  。 .  . . _/*+*`、    ( )  .       ■ 聖書の間違い
     ゚ 。 <_______フ    )  ゚  .  http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html  。  ゚.  .  .
  .   。  ゚  从*・ 。.・)   〜 。, .。o ☆  +   。   。 .    。 *
   ゚ .゚ ゚  。゚ / ゙゙゙lll`y─┛+ 。. +。 * 。゚。゚., ,+    。゚.    .   ,
  ゚。゚+゚`,    ノ.  ノノ |゚*  。゚   。 ☆+。。 ♪  ♪   。  .   ,
    ゚. o * `〜rrrrー′゚。 ゚。+ ゚ 。 ゚。  ゚ 。  ゚ ■ 「宗教撲滅」
      ゚     ._i|_(_  .  ゚   ,   。* . http://religion.bbs.thebbs.jp/1166805222/e40
   _,,..-―'"⌒"~ ̄"~⌒゙゙"'''ョ              http://religion.bbs.thebbs.jp/1188973384/e100
  ゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ      .  。 ゚。, ☆ ゚.  + 。 ゚  ,。 . 。  , .。
  T  |   l,_,,/\ ,,/l  |
  .-r '"l\,,j  /  |/  L,,,/         .゚o 。 *. 。 .. ☆ . +.
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /    http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_yhwa.html
  _V\ ,,/\,|  ,,∧,,|_/     http://religion.bbs.thebbs.jp/1188973384/500-599 ★



709宝珠愚者:2009/03/08(日) 17:38:25 ID:tkSEDOmZ
>>708
>>695には賛成します!
医学の貢献についても然り。

ただ西洋医学は発展途上であり、これの絶対視は古い概念です。
近年、代替療法の名の下で古代智恵(民間療法)を取り入れるようになりだしたことは意義深い。

「聖書の間違い」がたくさんあることは知っています。
「宗教撲滅」、霊性の教え(転生を含め)が当たり前のものとして浸透した暁には、
当然、「宗教」と「非宗教」という垣根は不要なる。その時には宗教というカテゴリーに意味は失います。
「真実」と「真実を含む割合」の問題ということになる。
710神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 18:20:49 ID:tEYycqHb
>>706
>貴殿のレスポンは、そういった子供の頃のファンタジーを
>今に継承する少年の心と映りました。

ファンタジーどころか、日常生活において極めてrealisticな問題ですよ。
不測の事故の際に、一片の医学的知識が、生命を救うことがある。

大宇宙が存在するのも、人間が、その生物的生命の機能により、それを知覚する
からです。

すべての人間が死に絶えたと仮定した場合、この世界は果たして存在するでしょうか。
その存在は、誰が、どうやって確認するのでしょうか。

アートマンと「空」との関係は、アートマンも万物との関連においてのみ存在
し得るのであり、従って、無自性ということです。
711神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 18:32:48 ID:wbF/QE+/
>>707
>輪廻転生を説かない高位の聖者などいない。

原始仏典に「書いて」あっても、「現代人の視点」からは無視すべきと
いうこと。輪廻転生で人間を「脅迫」することは、「悪業」の最たるも
のだからです。脅迫によって行う善は、「他者への思いやり」という、
人間の「自由意志」「自然の感情」から発したものではないから、無効
であり、偽善に過ぎず、むしろ悪そのものだからです。従って、「解脱」
には、何ら役立たないばかりか、むしろ解脱を妨げるものです。
712宝珠愚者:2009/03/08(日) 18:43:06 ID:tkSEDOmZ
>>711
ですから、
あなたが認めるという輪廻転生を否定する大聖者とは誰か?
と、私は聞いてるのです。

ただの唯物論者にゴータマ仏陀の教え(とされる経典の記述)から、
勝手にその部分だけ削除しようなどとは許されない!

あなた個人が否定するのは全く自由です。
しかし、経典の記述をあなたの任意で歪曲、
改編することなど断じてあってはならない!
713机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/08(日) 18:56:47 ID:EFFufP0C
>>710
>アートマンと「空」との関係は、

そういうことは有り得ないですね。
空というのが関係しあうことはないです。

宇宙が消滅したとして一切が無に帰した場合も、
宇宙が膨張し続けることも、これは
そういう位相であって、その理(ことわり)を空って言うんですから、
空が何かと関係し合う。ってことはないですよ。

第一義空ですから、存在論とかは二義的なものでありまして、
もはや論じるには値しない。
って立場を仏教では取っておるんですね。
この究極が無学になりますが、
盤珪の「不生禅」は、この脈絡がありますね。
インテリの道元とは違います。

江戸期に、こういった高僧が日本におった。
ということも記憶に置いて頂きたいものです。

では、おやすみ。





血まみれの自公民創価学会SGI、マスゴミらは、
毎年毎年、各1年毎に、一体、何万人を現実に虐殺しているのカナン?

715神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 19:54:48 ID:/giPeYYg
>>712
>しかし、経典の記述をあなたの任意で歪曲、
>改編することなど断じてあってはならない!

時代も異なる大昔の開祖や聖者や経典の「言葉」だけに執着し、固執するのを、
カルト・原理主義と言うのだよ。現代人なら、現代にも通用する真理を探究
することが、肝要である。

今月号の「大法輪」を見ても、輪廻転生を文字通りには認めない識者(仏教者
とは限らない)は、少なくとも半分はいるようですよ。

>>713
空が関係し合うのではなく、関係性自体を「空」と呼ぶのですよ。なぜなら、
関係性においては、「個」には自性がないからです。

宇宙自体が「空」なのですから、位相も理(ことわり)もへちまもないでしょう。
716tibyaku:2009/03/08(日) 20:07:52 ID:uumC0Uxz
>>702>人生の大師お釈迦様の本仏エル・カンターレが超偉大な大川隆法総裁であ
      ります。本仏が再誕しています。「縁生の弟子たちよ集い来よ」   
      仏道というのは、犀の角の如く一歩一歩自らの足で歩むもんだよ。
      人に依っては何も見えてこない。 自らの目だけを信じる。これが大事。

@自己責任でプライドの角をためて犀の角の如く独り一歩一歩自らの足で歩くのは、大衆の
 中の独りの認識として、同じく使命に生きる同士がいない時とか、認識の差が大きい
 場合代償の法則の観点としても、聖人や悟りの修行を目指している方々の特徴でもあり
 ます。犀の角の如く歩むのは、心の内面を見つめることに主眼があります。より研ぎ澄ま
 された心の純粋性を求めつつ、より良い利自利他ができないか考えるからであります。
 ある程度悟りとしての自分づくりが確立し、阿羅漢の解脱を成したとき小乗の幸福の確立
 をみるのであります。小乗の確立以前に利自即利他の念いの重要性に気づいてまいります。
 大乗の目覚めであり、聖人の修行であり、今まで心の内で犀の角のごとく生きていくばか
 りではなく、心の外の取り組みとして自らを利しその幸福観の余力でまわりに愛を与えて
 いく利他行があります。
 六波羅蜜多の「布施波羅蜜多」から六つの利自利他の実践項目はありますが、利他をベー
 スとした菩薩行が始まります。
 仏道は利自即利他であります。お釈迦様も悟りを開かれ、梵天勧請で本来の使命を知らさ
 れ、伝道され、拝火教のカーシャパー三兄弟の教団ごと伝道しました。いわゆる大乗とし
 て心の外向きの伝道であつても、心の内は犀のごとく一人歩むことになります。
 私も心の内を見る時より良い利自利他は無いか考える時も犀の角の如く独り歩みます。
 御解りでしょうか?
717隠れキリシタン:2009/03/08(日) 20:13:10 ID:Fvvh3r78
仏教の本来の目的って、解脱することらしいけど、
日本の仏教って、釈迦オリジナルの論理からは大分反れているような気がするのは自分だけ・・?
日本だと、
「成仏できない」「三途の川が」「お盆に帰ってくる」
「ご先祖様が」「生まれ変わったら」「いい戒名を付けてあげないと」
挙句の果てには墓の前で「○○できますように」
みたいな言葉が普通に出てくるけれど、
それって釈迦とは無関係などころか、全く180度逆方向の考えも入っているような気がするけど、
気のせいなんだろうか・・。
やっぱり、仏教伝来の伝言ゲームで、
オリジナルの発祥地から一番遠い場所に日本があったことが関係しているのかねぇ。

 ちなみに本来の仏教の解脱って、
「この世への執着を全て捨て去って、もう二度と生まれ変わらない方法を探して実践すること。」
らしいけれど、輪廻の輪から脱却したら、
脱却したものはその後どうなるかについて、釈迦って何か語っているのかな・・?
718tibyaku:2009/03/08(日) 20:26:14 ID:uumC0Uxz
>>702>利自即利他を目指して悟りの探求は、大悟されたお釈迦様の本体で
      ある本仏大川隆法総裁の仏法真理を学び仏法真理を物差しとし、法
      灯明の中にあって自灯明の確立を目指した方が悟りのステージアッ
      プがはかれます。
      自らの目だけ信じると林迷してしまいます。肉の目では悟りは高ま
      りません。また霊視ですと、魔の罠にはまりやすくなります。霊視
      は主観であって客観視はできないのであります。霊視に頼るのも危
      険であります。
      正しい真理の物差しが無いと悟りを高めることは難いと思います。
      御解りでしょうか?
719tibyaku:2009/03/08(日) 20:39:37 ID:uumC0Uxz
>>717ちなみに本来の仏教の解脱って、「この世への執着を全て捨て去って、もう二度と生まれ変わらない方法を探して実践すること。」
     らしいけれど、輪廻の輪から脱却したら、 脱却したものはその後どうなるかについて、釈迦って何か語っているのかな・・?
   
     @如来の解脱だと、輪廻から脱却しているので、この世への執着を全て捨て去っているので、人間として修行は終わっています。
      ですからカルマの刈り取りとして高級霊の命令でこの世に生まれて来ることはありません。
      それが輪廻から脱却している意味であります。
      如来の使命として如来の自由意志でこの世に生まれてまいります。お釈迦様が東の国に本仏として再誕すると言われています。
      それが現代の日本に仏陀が再誕されておられます。御解りでしょうか?
720神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 20:51:30 ID:Esc6bFXo
>>719
> それが現代の日本に仏陀が再誕されておられます。御解りでしょうか?

輪廻転生など認めると、このような超カルトが続々と発生することの
実例。

釈迦の最誕者は、世界中に一体何人いるのかねw。「早く言った者勝ち」
だなw。

釈迦はインド人だが、大川さんもインド人?
721宝珠愚者:2009/03/08(日) 21:25:45 ID:tkSEDOmZ
>>715
>現代人なら、現代にも通用する真理を探究することが、肝要である。

 まず科学は未完全であり、発展途上であるという事実。現状レベルの科学常識では説明できない現象が
現実にはいくらでもあるという事実をまず認めることです。話はそこから始まる!
 現状科学の未熟なレベルで以って、勝手に説明し得ない事象には眼を塞ぐ態度というのはとても科学的と
はいえない。まずは科学の未熟を認識すべきです。

>今月号の「大法輪」を見ても、輪廻転生を文字通りには認めない識者(仏教者
>とは限らない)は、少なくとも半分はいるようですよ。

 要するに、仏典を幾ら読んで詳しくても、非霊的な思考者には理解できないのです。科学常識を超える事
象を認知したら、その人は考え方を180度展開するでしょうね。


>>720
>輪廻転生など認めると、このような超カルトが続々と発生することの実例。

 まぁ、唯物論が正しいとして認知されているような世界においてでは、確かにこういうのも出ないだろう
ね(笑) しかし、それはカルトの登場もないかわりに、真実に目を塞いだ暗くて冷徹な社会が出現するで
しょうね。

 あなたがいくら声を高らかに叫ぼうとも、多くの人々は唯物論など真理とは見なさない。唯物論には何ら
の説得力もないし、それは人々の心の救いにもならないからね。

>釈迦の最誕者は、世界中に一体何人いるのかねw。「早く言った者勝ち」だなw。

 自分で主張したかどうかまで知りませんが、高橋信次などは側近の弟子たちから釈迦の再誕とみなされ
たようです。しかし元々からして、ゴータマには再誕の意志を示す話はないので、自称、再誕者やそう崇め
られている人はあまりいないように思います。キリストの場合には再臨思想があるので遙かに多い--そこが
仏陀再誕の話と違うところでしょう。
722神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 21:31:26 ID:8o3ouAGa
科学と唯物論に何の関係があるのか?
723宝珠愚者:2009/03/08(日) 21:40:43 ID:tkSEDOmZ
>>722
 エーとね、超自然的な概念に基礎を置くのが「宗教」で、
自然の観察と解明という立場が「科学」です。唯物論は科学を基盤にするもの。

 「唯物論は物質を基礎にしているので、それはまず自然の状態を解明していくことからはじめる。つま
り、宗教的・観念論的立場が、なんらかの超自然的なものを基礎にして世界を説明しようとするものとは
根本的に対立し、自然の科学的研究と当初から密接につながりをもっている。」
(『哲学事典』森 宏一編集/青木書店)
724神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 21:58:45 ID:8o3ouAGa
>>723
唯物論が自然科学と密接なのは当然だね
言い方が悪かった

ただ、一般に科学といえば自然科学だけを意味するのではない
宗教とて科学的手法は用いるはず
科学と唯物論がイコールであるかのような結び付け方はよくない
725神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 22:19:34 ID:aiJLyaGC
>>721
科学は、不完全であることを知っているからこそ、常に観察と実験による検証
を重ね、如何なる宗教の奇跡も及ばない進歩をとげ人類に巨大な利便をもたら
した。

初めから、すべてを分かった「積り」の宗教は、数千年間、進歩は「ゼロ」で、
常に争いの原因となっているだけ。

「知らざることを知らざるという。これ、「知る」なり。」(孔子)

唯物論や自然科学がそんなに嫌なのなら、「肉体」の苦の消滅を説く仏教や、神、霊、
前世、来世の「実在」や、「肉体の生まれ変わり」など一切語るな。

書き込みも、自然科学の成果であるPCは一切使わず、専ら「念力」でやって
くれw。
726宝珠愚者:2009/03/08(日) 22:20:57 ID:tkSEDOmZ
>>724
>ただ、一般に科学といえば自然科学だけを意味するのではない
>宗教とて科学的手法は用いるはず
>科学と唯物論がイコールであるかのような結び付け方はよくない

 唯物論という思想は科学に基盤を置き、その成果は絶対視します。宗教思想を支持する者が科学的事実を全面否定しているということは通常ありません。当然、一般の信仰者は科学の恩寵に預って暮らしており、科学の発展を良いことであると見なします。
 宗教思想の支持者が否定するのは、現状科学のレベルから説明し得ない現象を無いものとして、全て迷信扱いする姿勢を摂る唯物主義に対してなのです。彼らは己れの無知を知らずにそれを主張します。
727宝珠愚者:2009/03/08(日) 22:22:15 ID:tkSEDOmZ
>>725

>あなたがいくら声を高らかに叫ぼうとも、多くの人々は唯物論など真理とは見なさない。
>唯物論には何らの説得力もないし、それは人々の心の救いにもならないからね。>>721

 これに更に付け加えておきましょう!実際、学校教育の現場で子供たちに「唯物論」を説き、これこそ
が正しい(科学が証明している)などといって、一切の宗教的世界観を迷信として排除するような誘導が
許されていますか?

 はい、これは絶対に許されませんね。

 信教の自由は何ものによっても侵害されてはならないとして、その権利が国家によって保証されている
からです。言い換えるならば、科学常識ではまだ説明し得ない超自然の作用と力の存在が在るという見
解を、圧倒的多くの国民が支持しているからに他ならないです。国際的にはもっとハッキリそうなります。

 ただ誤解してはならないのは、科学の素晴らしさ恩寵に預っている事実は誰しもが認めます。ただし、未
解明な超自然の現象が在ることを多くの人々が知っているからですね。

 今時、極端な唯物論者など周囲にも見られませんね。そのピークは科学の発展に人類の未来を期待し、
ひたすら開発に陶酔していた産業革命の頃でしょう!日本におけるピークは印象としては、昭和40年代〜
50年代後半くらいまで。
728宝珠愚者:2009/03/08(日) 22:33:07 ID:tkSEDOmZ
>>727のレス番は>>715でした。
まぁ〜725でもいいんだけど(笑)

>>725
>科学は、不完全であることを知っているからこそ、常に観察と実験による検証を重ね、
>如何なる宗教の奇跡も及ばない進歩をとげ人類に巨大な利便をもたらした。

私は科学の業績を否定するものではありません。
科学の摂る客観的な観察の姿勢は評価に値いします。

>初めから、すべてを分かった「積り」の宗教は、数千年間、進歩は「ゼロ」で、
>常に争いの原因となっているだけ。

それはちょっと違う!
世界の諸宗教の発祥は古く、いずれも年月による歪曲を免れていません。
教えの歪曲と及び信徒らの無理解や誤解から争いが起こっているのです。
始祖の説いた教えが原因ではない。

>書き込みも、自然科学の成果であるPCは一切使わず、専ら「念力」でやってくれw。

誰もPCの便利さを否定していません
(ま〜未開の地の住人らは悪魔のシロモノとして恐れおののくかもしれませんがw)。
大丈夫です。念力で投稿できるようになったら遠慮せずそうさせて頂きます。
キーボード打つのも面倒なんでw
729宝珠愚者:2009/03/08(日) 22:42:34 ID:tkSEDOmZ
一つ残念なことは、

 この私にいわせるならば、輪廻転生の受け入れに抵抗があるのは、現状科学ではまだ説明し得ていな
い超自然現象が実際には在るという事実を知らないからです。私は実際、多くの現象についての情報や
記録のことを知っており、それについて提示したり論じることもできます。
 しかし、私と同じく輪廻転生を支持する立場である筈の伝統仏教者らは、それらについて何ら後押しする
術もなければ、どう対処すべきかも知らないことです。
 尚、私が学ぶ神智学ならその全てを説明することができます。
730tibyaku:2009/03/08(日) 22:43:58 ID:uumC0Uxz
>>720釈迦の最誕者は、世界中に一体何人いるのかねw。「早く言った者勝ち」
     だなw。
     釈迦はインド人だが、大川さんもインド人?

    @お釈迦様は八万四千の法門を説かれています。
     では、仏陀再誕の大川隆法総裁は法による救済で世界人類救済を
     本気に取り組み直説金口の説法等で500冊以上刊行しています。
     外の再誕の仏陀と称している方々は上記のように活動展開していますか?
     いたら教えてください。

     転生輪廻は色々な国に生まれ変わって生まれますので、仏陀様は同じ国一
     箇所で生まれることはありません。お釈迦様は「東の国に再誕します。」
     といわれています。インドから見て東の国です。現代の日本に仏陀が再誕
     してもおかしくはありません。実際インドのお釈迦様以上の本仏、大川隆
     法総裁として再誕され、「東の国に再誕する。」が成就し奇跡です。
     三千年に一度咲く優曇華の花の奇跡であります。 
731宝珠愚者:2009/03/08(日) 22:59:54 ID:tkSEDOmZ
>>730
前にも一人現れたから、大川さんの門弟と議論する気にはなれません。
反社会的で過激な活動さえしなければ、信仰については、
まぁ〜お好きにどうぞとしかいいようはありません。

ただ物事の認識の度合いとして、
こういう何気ない文句の一つ一つは多少は気に成ります。

>お釈迦様は八万四千の法門を説かれています。

こういう言葉は後の人間(大乗の徒)が勝手にいった言葉です。
(ゴータマがいわない)勝手な内容を盛り込み、経典制作に励んで数量を膨大に増やしたのです。
732神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 23:03:54 ID:aiJLyaGC
>宝珠愚者氏へ

君はまず、「物質」に100%依存しなければ、一瞬たりとも生存できない
ことを自覚して欲しい。「地球」という物資がなかったら、忽ち、奈落の底
だ。「空気」という物質がなかったら、数分間で死ぬ。死ねば、宗教もへちま
もない。

人間を初めとするすべての生物は、現実界のみにおいて生存するようにプログラム
されている。そのプログラムを狂わせ、人格を破壊し、生存の基盤としての家庭を
崩壊させる宗教など認めることは、人間の「自己矛盾」ではないかね。
733神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 23:50:36 ID:XSZQ0Upp
春先に

魍魎跋扈し

仏陀消え
734宝珠愚者:2009/03/09(月) 00:52:43 ID:O4RA4j9d
>>732
>「空気」という物質がなかったら、数分間で死ぬ。死ねば、宗教もへちまもない。

 何も誰も、(肉体死は意識の死ではないといって)だから「死んでもいい」などとはいっていません。死後
も意識は存続するという事実を述べているだけです。意識(存在)は肉体脳には依存しません。肉体脳の
レベルに固執し、肉体死で意識も消滅するとするのは単に無知の結果です。
 脳死判定後にも意識が続いているという実際の報告事例がイギリスだったか、ドイツの医療期間からき
ているのですが、今、それが手元にあった筈なのに、その後に見失ってからなかなか再発見できないでい
ます。私の手元にはあまりに膨大な資料が山済みであり、1度、見失ったが最後、再発見が困難なのです
よ(整理しなきゃ〜www)。
 変わりに〜これは臨死体験の研究35年というレイモンド・ムーディ博士(1976年に米国ジョージア医学大
学で医学博士号を取得)については、被験者が手術中に体外を抜け出ていた記憶を有しており、通常では
知り得る筈のないことを正確に覚えているという事例がたくさん確認されているのです(手術中の様子や何
がどこにあるといった情報など)。これは偶然で片付けることはできないとして、氏は更に研究を続けている
のです(氏は1975年に著著『輪廻転生についての思索』を出版している)。

 ヨガのメソッド(技法)に熟達すれば、通常の人間を遙かに超えた時間を無酸素でいることも何ら問題で
はない。彼らは心臓の鼓動すらもコントロールできるようになるので、つまり肉体のエネルギー代謝を意識
的に押えることができるのです。ヨギはそのようにして肉体の制御を学び、通常では変えられない筈の肉体
の維持に使用されているエネルギーを全て、自己の魂との連結に意識を向かわせることに当てるのです。
 インド宗教を学ぶなら、これくらいのことは常識として知っておきましょう!

>そのプログラムを狂わせ、人格を破壊し、生存の基盤としての家庭を
>崩壊させる宗教など認めることは、人間の「自己矛盾」ではないかね。

カルトではない正しい宗教はそんなことはないと思います。
特に神智学は出家生活を推奨するようなこともありませんしw
735宝珠愚者:2009/03/09(月) 01:24:34 ID:O4RA4j9d
>>699
>「仏陀再誕」・・縁生の弟子たちへのメッセージより
>諸々の比丘、比丘尼たちよ。私の声を憶えているか。
>あなたがたは、かつて私の話を聞いたはずである。

大川さんがどう主張しあなたがどう信仰しようともご自由ですが、
一応、1度だけいっておくことにします!(私は親切なのでw)


ゴータマ仏陀は、
教えの全てを説き終えた。説き残したことは一つもない、と明言した方です。
だから、私の残した教えに従い自分自身で修行しなさい、と言い残して亡くなった方です。
二度と生を受けないと繰り返し宣言した方であり、アーナンダの延命の願いすらも断ったような方です。

その方が一体、何を今更、この世に転生してくる必要があるというのか?
仏教(ゴータマの教え)には、そもそも---ホトケにすがれ---などという教えすらもないのです。
それが他の信仰宗教や新々宗教の諸教団と勢力を争い、
会員集めと組織の強化、力の誇示である宮殿のような施設の建設・・。
こういったものに励むとはね・・。

仏陀再誕はどうかとしても・・もっと別の手法を摂っている方であれば、
大川さんは立派に聖者の一人なのかもしれない、という関心を抱くとも思いますが・・。
736机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/09(月) 06:56:12 ID:jQbq6S1p
>>715
>宇宙自体が「空」なのですから、位相も理(ことわり)もへちまもないでしょう。

拙者の説明不足で申し訳ありませんでした。

「宇宙自体が空」ということは有り得んのです。
何故なら空とは、主語にも述語にもなりえない。ってのが根拠です。
それは、空とは主客未分であるからです。
ということは、
宇宙があっても、宇宙がなくても、空なんですね。
(宇宙が消滅する、ってことも、今の理論物理学では有り得ます)

色即是空において、空とは主客未分、色とは主客分別の意です。
宇宙という語義自体が、主客分別でなければ成立しない概念でありますから、
「宇宙」という段階において、それは主客分別が前程となりますね。
ということは、
主客未分においては、もはや「宇宙」それ自体の意さえなくなります。

こういうことで御理解の程、宜しく願い致します。
737神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 07:09:39 ID:mYO8cUoA
主なくて見聞覚知する人を、生き仏とはこれをいうなり

主ありて見聞覚知する人を、生き畜生とこれをいうなり

至道無難禅師
738机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/09(月) 07:54:53 ID:5le7qQgd
>>716
>私も心の内を見る時より良い利自利他は無いか考える時も犀の角の如く独り歩みます。
> 御解りでしょうか?

解ります。
拙者も某教団の洗脳を受けたことがありますから、お気持ちは理解できますね。
恍惚感と選民意識、これがなんとも言えません。
これを「愛のシャワー」というらしい。
人間というのは、こういうのは・・・確かに弱い部分はあります。
(人間は、なんでも経験してみるもんですね)
道端とか、駅構内にあるゴミなんかを進んで拾ったりしてねw
それだけでも恍惚感に浸れたものです。
(人間というのは、考えようによって何でも恍惚になれる)
しかし、果たしてこんなのでイイのだろうか?
とか自問もありますから、人間というのは1歩成長できる。

>仏道は利自即利他であります。

これは、つまり自他の分別がない。ってことですよね。
言葉ってのは言いようです。

自他の分別がないことに気づいた時に、
同時に自分の迷いに気づくのかと思います。
>私も心の内を見る時より良い利自利他は無いか考える時
これ↑が既に自他分別なんじゃ〜ないでしょうか?
(考える必要はないですね、自他不二なんですから)
739神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 09:04:25 ID:g6Rx+EsO
>>730
大川 隆法=魍魎の大川 末法さん江

________              /::::::/l:l
─- 、::::;;;;;;;;;`゙゙''‐ 、    __,,,,......,,,,_/:::::::::/: !|
  . : : : : : : `゙'ヽ、:::゙ヾ´::::::::::::::::::::::`゙゙゙'''‐'、. l|
、、 . : : : : : : : : r'":::::::::::::::::::::::::,r':ぃ::::ヽ::::::::ヽ!                 ,、- 、
.ヽ:゙ヽ; : : : : : :ノ:::::::::::::::::::::;;、-、、゙:::     rー-:'、                /   }¬、
. \::゙、: : : :./::::::::::::::;、-''"::::::::::   ,...,:::,::., :::':、            _,,/,,  ,、.,/   }
   ヽ:ヽ、 /:::::::::::::::::::::::::     _  `゙''‐''"  __,,',,,,___       /~   ヾ::::ツ,、-/
     `ヽ、:::::::::;;;、、--‐‐'''''',,iニ-    _|  、-l、,},,   ̄""'''¬-, '  ''‐-、 .,ノ'゙,i';;;;ツ
   _,,,、-‐l'''"´:::::::'  ,、-'" ,.X,_,,、-v'"''゙''yr-ヽ / ゙゙'ヽ、,    ,.'      j゙,,, ´ 7
,、-''"    .l:::::::::::;、-''"  ,.-'  ゙、""ヾ'r-;;:l  冫、     ヽ、 /    __,,.ノ:::::ヽ. /   またまたご冗談を
       l;、-'゙:   ,/      ゞ=‐'"~゙゙') ./. \    /  '''"/::::;:::;r-''‐ヽ
     ,、‐゙ ヽ:::::..,.r'゙         ,,. ,r/ ./    ヽ.   ,'     '、ノ''"   ノ  
   ,、‐'゙     ン;"::::::.       "´ '゙ ´ /      ゙、 ,'            /
  '     //:::::::::            {.        V           /
        / ./:::::::::::::            ',       /         /
.    /  /:::::::::::::::::.            ',.      /   ,.、     /


        ∧∧
       (д`* )
       (⊃⌒*⌒⊂)     バ〜カw
        /__ノωヽ__)




740神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 10:08:01 ID:dlJzuA8r
>>736
>「宇宙自体が空」ということは有り得んのです。
>何故なら空とは、主語にも述語にもなりえない。ってのが根拠です。
>それは、空とは主客未分であるからです。

難しいですねw。色即是空、空即是色において、「空」は、主語にも、述語
にもなっています。「色」についても、同じです。つまり、「空」と「色」
とが、「全く同じ比重」で論じられているということです。「色不異空」「空
不異色」についても同じです。つまり、「すべては空」などという無責任な
言い放ちはしていないように思うのですが。若しそうなら、空即是色は不要
だったはずです。

また、宇宙について「主客未分」ということは、釈迦が否定した「梵我一如」
の匂いがしますね。

更に、主客未分なら、「苦」を分別しなくても、「苦即是楽(苦あれば楽あり)」
でよかったはずです。

色即是空、空即是色は、簡単な言葉ではありません。私は、むしろ、「存在
(色)」の本質を突き詰めた、優れた存在論だと思う。そして、現代的意義に
おけるその核は、「万物の関係性(無自性)」です。

また、ご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。
741机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/09(月) 10:49:17 ID:5le7qQgd
>>740
>「空」は、主語にも、述語にもなっています。「色」についても、同じです。

宇宙というのは、観測するモノと観測されるモノの相関関係で成り立つ概念ですから、
この主客以前(相関関係以前)を空と言いますね。
(主客のない自然(じねん)無為が本来じゃ〜ないか)→これが空

しかしこの空というのは人間の言語習慣には馴染まない。
(言語習慣は相対を前程とするから)
よって仮設として、空という名称を付けたに過ぎない。
(そもそも空と色では論理基準そのものが違う)

>若しそうなら、空即是色は不要だったはずです。

いや、そうではないです。
色即是空では、まったく意味はないですし、またこれでは生きていくことも困難です。
色即是空に意味付与するのが般若波羅密ですから。

(つづく)
742机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/09(月) 10:50:19 ID:5le7qQgd
(つづき)
>また、宇宙について「主客未分」ということは、釈迦が否定した「梵我一如」の匂いがしますね。

いや、そうじゃ〜ないですね。
空即是色になってますから。それだけでは終わらんですね。

>更に、主客未分なら、「苦」を分別しなくても、「苦即是楽(苦あれば楽あり)」でよかったはずです。

これでしたら倫理の範疇ですね。
仏教は宗教ですから、それよりはhighレベルですよね。

>また、ご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。

いやいや、拙者も自分の理解の範疇を書いているだけのこと。
間違いがありましたら指摘してくらさい。
743神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 13:44:35 ID:dlJzuA8r
>>741
>宇宙というのは、観測するモノと観測されるモノの相関関係で成り立つ概念ですから、
>この主客以前(相関関係以前)を空と言いますね。
>(主客のない自然(じねん)無為が本来じゃ〜ないか)→これが空
その「観測するものと観測されるものとの相互関係」を、本質的に追求したのが、
色即是空、空即是色だと思いますよ。「主客のない自然」なら、「空」と「色」と
の概念そのものが不要。言葉上、両者を「全く同一の比重」で並置している
ことに注目されたし。
>よって仮設として、空という名称を付けたに過ぎない。
>(そもそも空と色では論理基準そのものが違う)
仮設や論理基準という「客体化」すれば、もやは「空」ではない。
>色即是空では、まったく意味はないですし、またこれでは生きていくことも困難です。
>色即是空に意味付与するのが般若波羅密ですから。
その「生きてゆくこと」を忘れなかったのが、釈迦の偉大なところw。「苦の
除去」も、「生きるための智慧」以外の何物でもありません。そのことは、
空即是色という「千金の重みの付加」によって、完全に意味付けされていると思う。

>>742
>いや、そうじゃ〜ないですね。
>空即是色になってますから。それだけでは終わらんですね。
あなたは、「梵我一如」を肯定されるのですか。
>これでしたら倫理の範疇ですね。
>仏教は宗教ですから、それよりはhighレベルですよね。
宗教も、人間の営みの一つに過ぎないのだから、「倫理・道徳に反する宗教」
は、そこで終わっています。highレベルとか、lowレベルなどという「観念」を
持ち込んだら、もはや「空」ではない。
744机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/09(月) 15:00:41 ID:jQbq6S1p
>>743
>仮設や論理基準という「客体化」すれば、もやは「空」ではない。

客体化すれば空ではない。というのは解りますが、
それだと般若心経のよぉに、全てが否定文でしか言えなくなりますね。

しかし言語習慣に倣ってそれなりに説明することは出来るかとおもいますね。
原始仏典には、それらを先達が説明した痕跡がありますし、
また龍樹は上手く説明してますから。

客体化せねば語ちれない訳で、
客体化した時点で空ではない。
このジレンマゆえに先達は多くを語ちりませんでした。

              (つづく)
745机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/09(月) 15:01:22 ID:jQbq6S1p
(つづき)
>あなたは、「梵我一如」を肯定されるのですか。

梵我一如は一元論ですけど、仏教は一元論を否定してますから、そこが違いますね。
似ているとこはありますが非なるものです。

>宗教も、人間の営みの一つに過ぎないのだから、「倫理・道徳に反する宗教」
>は、そこで終わっています。highレベルとか、lowレベルなどという「観念」を
>持ち込んだら、もはや「空」ではない。

レベルというか次元性の問題ですね。
仏教は四次元論ですし、倫理とか道徳は三次元論です。
746神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 15:51:04 ID:BImiaS4P
>>745
>梵我一如は一元論ですけど、仏教は一元論を否定してますから、そこが違いますね。
>似ているとこはありますが非なるものです。

梵我一如は、「梵」と「我」を前提とするから、むしろ二元論だと思う。
禅宗は、二元論ですか。

>レベルというか次元性の問題ですね。
>仏教は四次元論ですし、倫理とか道徳は三次元論です。

人間は、三次元の世界に生きています。四次元は、現実世界を離れた単なる
「観念論」なのではありませんか。

747神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 16:30:28 ID:g6Rx+EsO
>>745>>746
おまいら〇〇か?
〇「次元」などという△▼▽??*;、がイタイ。
■〇*}‘+;?を空と*‘^」だ〜よ。







             し〜〜〜〜〜〜ん▽■{}*<・=)
748机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/09(月) 16:49:27 ID:jQbq6S1p
>>746
>梵我一如は、「梵」と「我」を前提とするから、むしろ二元論だと思う。
>禅宗は、二元論ですか。

いや、梵と我が一如ということですから、
梵と我が不二ですよね、
で不二であって一如ですから、これは不二一元論ですね。

禅宗は基本的に般若心経が第一義経典になってます。
色即是空 空即是色で、不一不二ですね。不一元論であり、不二元論です。

>人間は、三次元の世界に生きています。四次元は、現実世界を離れた単なる
>「観念論」なのではありませんか。

三次元というのは、xyz(縦・横・高さ)の世界ですよね、それにt(時間)を足すと四次元になります。
ニュートンが三次元物理学だとすると、
アインシュタインは四次元物理学になりますね。
釈尊は2500年前に、既に相対性理論は発見していたのです。
けして現実世界を離れた話を、拙者は語ちてる訳じゃ〜〜ないんですよ。
749神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 17:16:10 ID:ulkbPDcr
>また、宇宙について「主客未分」ということは、釈迦が否定した「梵我一如」
>の匂いがしますね。

禅宗ではそういうブラフマンの体験を見性体験と言うそうですよ。
750tibyaku:2009/03/09(月) 17:27:42 ID:zhQdu5Sz
>>735ゴータマ仏陀は、
  教えの全てを説き終えた。説き残したことは一つもない、と明言した方です。
  だから、私の残した教えに従い自分自身で修行しなさい、と言い残して亡くなった方です。
  二度と生を受けないと繰り返し宣言した方であり、アーナンダの延命の願いすらも断ったような方です。

  その方が一体、何を今更、この世に転生してくる必要があるというのか?

  @「教えの全てを説き終えた。説き残したことは一つもない」
    教えの奥義を手に握ることはしない。すべての教えを握り隠すことはしない。
    全て仏弟子に教えを説いています。という意味です。

  @「私の残した教えに従い自分自身で修行しなさい、」と言い残して亡くなった方です。
   仏陀在世時は法灯明をよりどころとしなさい。仏陀亡き後は自灯明を灯して、自らの
   心の明かり(仏性)を拠り所としなさい。日々修行に怠ることなく修行を完成させよ。
   という意味です。

  @「二度と生を受けないと繰り返し宣言した方であり、アーナンダの延命の願いすらも断ったような方です。」
   仏陀は自らの死期は生前より知っていて、老いさらばえた肉体の牢獄に執着はしていないのです。
   仏弟子はインドに仏陀がずっと生きて欲しいと強く懇願しているので、仏弟子が執着しないように、
   あなた方が居るここインドに二度と生を受けることはない。まだ仏弟子が執着しているので、もう
   二度とここに生を受けることは無い。私はあの満月のように煌煌と輝いて、雲に覆われて見えなく
   なったとしても月は煌煌と輝いている。という意味です。
   仏陀は、「東の国(ケントマティ)に本仏として再誕する」と予言をしておられます。
   そして東の国、日本に本仏が再誕されています。     

751神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 17:45:10 ID:MYqCmsuO
>>748
>三次元というのは、xyz(縦・横・高さ)の世界ですよね、それにt(時
>間)を足すと四次元になります。

なーるほど。四次元の付加要素は時間だったのですか。

しからば、時間とは何か。自然界の「変化」のことでしょう。太陽が昇り、
沈み、再び登るまでが1日。新緑が萌え、紅葉し、やがて落葉するのが1年
です。

まさに「諸行無常」。アインシュタインは、仏教からパクッたのですかね。

イエスとは全く異なり、仏陀が、「妄想患者」「甘ったれた精神論者」などでは
なく、冷厳な合理主義者、科学者、唯物論者であると評価される所以です。
釈迦の現実観察は凄い。物の実在の成立要素としての「眼耳鼻舌身意」を
発見したのも仏陀です。これは、現代の解剖生理学と全く同じ。但し「意」
は、五感からの入力の統合器官として、五感の一部です。この「意」について
単なる「精神」「心」などと誤解している仏教者が多い。どこかのお経に
出てくる妊娠期間の計算も、現代の産科学と全く同じです。

ちなみにアインシュタインはユダヤ教徒。ユダヤ教は、キリスト教の母体ですが、
キリスト教とは本質的に異なる。彼は、「私は、科学で証明される限度において
神を信じる」「私は、スピノザの神を信じる」と言っています。

ユダヤ人教徒であり当代切っての哲学者であるレヴィナスは、神について考え
あぐんだ末、「一神教は無神論」「神とは、全実在」という結論に達せざるを
得ませんでした。
752神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 17:46:33 ID:l/m5FxqU
四次元などはただの仮説にすぎない。
物質、エネルギー、波動、光の3つの性質がそれぞれの宇宙論に対応している。
混在させるから、わからなくなるんだよ。

物質=ニュートン宇宙論
エネルギー=アインシュタイン宇宙論
波動=エーテル宇宙論
753神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 17:50:34 ID:MYqCmsuO
>>749
>禅宗ではそういうブラフマンの体験を見性体験と言うそうですよ。

若しそうなら、禅宗は仏教ではない。
754神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 17:58:30 ID:QZ3z6PB1
>>750
>仏陀は、「東の国(ケントマティ)に本仏として再誕する」と予言をしておられます。

出典は何ですか。
755神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 18:08:35 ID:mYO8cUoA
坐禅和讃   白隠慧鶴


衆生本来ほとけなり 水と氷のごとくにて
水をはなれて氷なく 衆生のほかにほとけなし
衆生ちかきをしらずして 遠くもとむるはかなさよ
たとえば水のなかに居て 渇をさけぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うにことならず
六趣輪廻のいんねんは おのれが愚痴のやみじなり
闇路にやみじをふみそえて いつか生死をはなるべき

それ摩訶衍の禅定は 称歎するにあまりあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 みなこの中に帰するなり
一坐の功をなすひとも 積みし無量のつみほろぶ
悪趣いずくにありぬべき 浄土すなわち遠からず
かたじけなくもこの法を ひとたび耳にふるるとき
讃歎随喜するひとは 福をうることかぎりなし

いわんやみずから回向して 直に自性を証すれば
自性すなわち無性にて すでに戯論をはなれたり
因果一如の門ひらけ 無二無三のみちなおし
無相の相を相として 往くもかえるもよそならず
無念の念を念として 歌うも舞うも法のこえ
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
このとき何をかもとむべき 寂滅現前するゆえに
当所すなわち蓮華国 この身すなわちほとけなり

756tibyaku:2009/03/09(月) 18:24:11 ID:zhQdu5Sz
>>702「仏道といふ道はない。ただ足跡だけが残るだけである」。by道元

     道元禅師は「人間は、『今』というものを、全力で闘って、つかみ取
     っていかねばならんのだ。」という考えであったし、「修行するのは
     他人ではないのだ。他人でなく、自分がやらなくて、どうするか。修
     行というものは自分がやらねばならんのだ。」という考えです。
     禅における悟りは感触でしかない。求道心はありましたが、肉体修行
     の感覚を悟りと思ったため、この世を越えた仏道の悟りはないとした
     のであります。
     仏道に到っていなかった道元禅の悟りの限界であったのであります。
757神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 18:31:57 ID:mYO8cUoA
禅の悟りは、熟練のヨーガ行者や、道教の最高の行者と同じものだ。
舐めんなよ。この妄想ヤロウ。
758机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/09(月) 18:33:07 ID:5le7qQgd
>>751
>なーるほど。四次元の付加要素は時間だったのですか。

拙者は、【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】のスレが立った最初の
「その1」において冒頭で「不去不来」を書き込みしました。
法珠どのは意味が解らんのか、拙者の書き込みを軽くスルー
その後に再度の「不去不来」の拙者の書き込みに、
法珠どのもやっと拙者に絡んだようでしたけど、
やはりこのレスポンにはあまり関心がなかったようです。

実は、このスレのタイトルにおいて最も重要なのは、
この時間の問題なるやに思いますね。
(死後の世界という、時間の経過を前程とするものですから)

で、xyz三次元が主客未分であるなら、当然にt時間も主客未分ですよね。
(この最も重要な部分を語ちらねば、法に触れたことにもならんのですよw)
まあ、拙者は叩き台のつもりで問題提起をした訳なんですが、
実は、ちゃんとt時間についても釈尊は悟っておったのですね。
ゆえに、スレタイにおいて重要なのは般若心経だと、
拙者は「その2」に書いた訳なんですw

道元も、そこのところは抜かりなく正法眼蔵に書いてますね。
書いてあったとしても、なかなか凡人には理解し難いですけど、
それが無明といわれる所以なんでしょうね。
759フラットランド化とは:2009/03/09(月) 22:19:42 ID:VYabykGU

    | 内面の意識         | 外面から観察できる形態
-----+-----------------------+-----------------------
個人 | 「私」/主観          | 「それ」/客観
    | 真実性・誠実性・信頼性 | 真実・対応・表象
    | <志向>          | <行動>
    | フロイト/ユング/ブッダ  | 経験主義/物理・生物学
-----+-----------------------+-----------------------
集団 | 「私たち」/間主観      | 「それら」/間客観
    | 公正さ・相互理解・正義  | 機能的適応・構造機能主義
    | <文化>          | <社会>
    | クーン/ウェーバー     | システム理論/マルクス
760フラットランド化とは:2009/03/09(月) 22:20:25 ID:VYabykGU
まず右側は外面・表面上の状態を分析する視点であり、左側は内面の
意識を分析する視点になる。右側は実験や定量化が比較的たやすいが、
左側は言葉などから意識を"解釈"する必要性がでる。

右上は、個体を分析するいわゆる自然科学。右下は集団を構造的に把握
する社会科学となるだろう。左上は個人の内面を分析する、フロイトやユング
の心理学や、様々な宗教・神秘体験があてはまる。左下では、人間集団/
コミュニティにおける心理や倫理といった問題が扱われることになる。

ウィルバーの問題意識は二つ。一つは、過去の統合理論の不完全な点に
ついて。ガイア理論にせよ唯心論にせよ、統合的と思われた理論のほとんど
は、どれかの象限しか扱っていない。もう一つは、「それ」「それら」の勢力が、
左側の意識に関する部分を覆おうとしている(=フラットランド化)点。四つを
論じ続けることを通じて、バランスの取れた世界観の確立をウィルバーは目指す。

「私たちが左側のアプローチと呼ぶ、内省と解釈と意識の研究(『私』と
『私たち』の領域)の持つ力にもかかわらず、西洋においては過去300年近く、
科学が猛烈な攻撃力でコスモスを完全な『それ』のかたまりに還元・縮小
してしまった。すなわち『私』と『私たち』の領域は、完全に『それ』の領域、
科学的な唯物論、実証主義、客観主義、経験主義に併合されてしまった」
(ケン・ウィルバー 『統合心理学への道』)
761主客未分VS不一不二:2009/03/09(月) 23:21:52 ID:g6Rx+EsO
>>758
主客未分VS不一不二・・・全然同一ではない。

主客未分なんて言っておさまってたら、チンケ西田哲学崩れ。 笑われるよ

>>760
ケン・ウィルバーとやらの輩には仏教は無理だから出すなって!
トンチンカンなマトリックスをやるなってw
762神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 03:58:08 ID:5UMyofF0
本年4月号の雑誌「大法輪」の編集後記で、編集者の一人が、輪廻転生肯定論
の弊害と危険性を、次のように要約している。肯定論者は、心して味合うべき
言葉であろう。

「経典や祖師の言葉は、説法者の思惟・体験を通して、字句そのままではなく、
時代と相手に応じた言葉で説くことが必要だと思う。そして輪廻の問題などは、
深刻な差別問題を起こしてきた過去や、現代の若者にどのような影響を与える
かを考慮に入れて扱わなければ、また悪い歴史を繰り返してしまうと、無神経な
発言やテレビ番組を見聞するたびに恐れる。」
763:2009/03/10(火) 04:55:29 ID:6r+7a8c/

「ケン・ウィルバーは国宝である。
東洋と西洋の叡智の文献の統合において、
彼ほどの知性と感情の深さと広さをもって取り組んでいる人物はいない」

ハーバード大学教育学大学院 ロバート・キーガン教授


「わたしの新たな愛読書のひとつ」

アメリカ合衆国元副大統領 アル・ゴア


ケン・ウィルバー アメリカの現代思想家。20以上にも及ぶ著作は世界中の
言語に翻訳され、専門家・一般読者の双方に幅広く読まれている。代表作は
『進化の構造』、 『宗教と科学の統合』、『万物の歴史』など。

著作活動以外では、インテグラル思想の研究組織であるIntegral Instituteの
主催、そして、2005年には総合大学であるIntegral Universityを発足、現在
同大学のPresidentとして運営の中核を担っている。
http://www.integralinstitute.org/
http://www.integraluniversity.org/
764ウィルバー語録:2009/03/10(火) 05:04:37 ID:6r+7a8c/
フロイトについて:

 「おそらくは西洋史上もっとも偉大な心理学者」

 「人間の潜在性拡大を探る組織的な探索は、西欧近代においては「ウィーン
 の神経医」――ジグムント・フロイト氏が単身で着手したといわれるが、
 それはおそらく当たっているであろう。フロイトによる諸々の発見こそ人間に
 隠されたさまざまな潜在性を探る西洋の科学的な、あるいは少なくとも高度に
 専門的な探索の舞台を設定したものだからである。フロイトの諸発見とともに、
 近代世界で初めて、人間研究(re-search)が開始された」

シュタイナーについて:

 「シュタイナーは傑出した開拓者の一人であり、彼の時代で最も包括的な
 心理学と哲学を見出した一人であった」
765ウィルバー語録:2009/03/10(火) 05:06:25 ID:6r+7a8c/
マハリシについて:

 「ラーマナ・マハリシはこの<目撃者>のことを<私-私>(I-I)と呼びました。
 なぜならそれは個的な私または自己に気づいているが、しかしそれ自身は
 見られないからです。ではこの<私-私>、この元因的<目撃者>、この
 純粋な観察する<自己>とは何なのでしょう?

 「私は、傑出したシュリ・ラマナ・マハリシの以下の言葉を読んでから、瞑想
 実践にきわめて真剣に取り組むようになった。「夢を見ない深い眠りの中に
 存在しないものはリアルではない」、これはショッキングな言葉である。
 なぜなら、基本的に、夢を見ない深い眠りには何もない――文字通り何も
 ない――からだ。それは彼の主張の核心であった。究極のリアリティ
 (あるいは、<スピリット>) とは、ラマナによれば、意識の中にちょっと入っ
 たり、また飛び出たりするような何かではない。それは不変であり、永遠であり、
 あるいは、もっと厳密に言えば、無時間であり、すべての瞬間に完全に存在
 しているものである。それゆえ、究極のリアリティとは、夢を見ない深い眠り
 において完全に存在することであり、夢を見ない深い眠りの中に存在しない
 ものは、究極のリアリティではない」

クリシュナムルティについて:

 「クリシュナムルティは、少なくとも時折は、最高の解放者である。この並外
 れた賢人は、たとえば『既知からの自由(邦題:『自我の終焉』)』といった
 本の中で、非二元の無選択の自覚(アウェアネス)の力が、空間、時間、死、
 二元性による束縛の苦悩から人を解放することを指摘している」

 「わたしはクリシュナムルティから禅に入り、数多くの師や老師の影響を
 受けました」
766関連書籍:2009/03/10(火) 05:15:11 ID:6r+7a8c/
『スピリチュアル臨床心理学』
http://www.amazon.co.jp/dp/4916109988/

臨床心理学やスピリチュアリティについて真剣に学びたい人にとって必読の書。
臨床心理学と霊性(スピリチュアリティ)に関するどうしても知っておきたい基礎
知識を108項目にまとめ、分かりやすく解説。アカデミックな臨床心理学の
確実性と、スピリチュアルな領域の質のよい知識を結合した、画期的な書。

臨床心理学とはなにか、心の病にはどのようなものがあるのか、心理テストとは
なにか、どんな治療法や修行法があるのか、などの幅広い基礎知識のポイント
がまとめて理解できます。

さらに、フロイト、ユング、マズロー、ロジャース、フランクル、森田正馬、
アサジョーリ、キューブラ・ロス、マハリシ、ウィルバーなどがなにを私たちに
残したのかがわかり、臨床心理学の全体像がつかめるでしょう。

従来のアカデミックな心理学の本には収録されることのなかった、ボディ
サイコセラピー、トランスパーソナル心理療法、前世イメージ療法、エネルギー
セラピーなどの最新の心理療法や、瞑想、変性意識、霊性、偽りの霊性、
臨死体験、輪廻転生、霊的エマージェンスなどについての良質で学術的な
基礎知識を平易に解説。

新時代に不可欠な、スピリチュアルな臨床心理学の入門書の決定版です。

●石川勇一 相模女子大学人間心理学科准教授。
767関連書籍:2009/03/10(火) 05:21:13 ID:6r+7a8c/
『魂のライフサイクル―ユング・ウィルバー・シュタイナー』
http://www.amazon.co.jp/dp/4130130838/
(東京大学出版会)

「わたし」はどこから来て、どこへ行くのか---人間の魂をめぐる永遠の問いに、
ユング、ウィルバー、シュタイナーはどう答えているのか。円環的ライフサイクル
の理論モデルを求めて、発達研究と輪廻思想を結ぶ論考を展開。

●西平直 父は心理学者の西平直喜。信州大学人文学部卒業。卒業論文
はハイデガー。東京大学大学院博士課程修了。フロイト、ユング、エリクソン
らの精神分析学、シュタイナー、ウィルバーらの人間学を基礎に、アイデン
ティティ、ジェネラティヴィティ、スピリチュアリティなどの問題群を研究課題
としている。立教大学助教授、東京大学准教授を経て、2007年秋より、
京都大学大学院教育学研究科教授。
768宝珠愚者:2009/03/10(火) 06:52:32 ID:Ah1P+q/h
>>762
心するも何も・・
仏教思想を破壊するバカモノにしか見えないな。
そういう輩は仏教信奉を辞めればよいだけのこと。

輪廻転生を否定するということは、業報理論を否定するということ。
それはつまり、善行善果/悪行悪果を求めず、
万人成仏道の可能性も否定することを意味している。
誤解も甚だしい。

それは差別ではない。
今生の生まれの境涯の違いとは
---仏教理論による---自覚の問題ということ。

人の過去世を解脱者は知るのであり、
己れ自身もいずれはその全ての記憶を想起体験すると教えたではないか!
それが信用できないなら、仏教から離れなさいな。
769宝珠愚者:2009/03/10(火) 06:58:53 ID:Ah1P+q/h
追加:

仏教徒が自信を以って語れないから〜
いつまでも仏教理想のユートピアが築かれないのだわ。
南方仏教国で、「差別だ!差別されたぁ〜」などといった社会問題がいつ起きたのか?
具体例を挙げて頂きたい。
770机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/10(火) 09:03:04 ID:hHYyUSkA
>>769
>仏教徒が自信を以って語れないから〜

拙者も全てが解ってるわけではないですけど、
なんとか法の光明くらいは見える気がします。

リンゴが落下する(ニュートン)ってのは、同時に地球も回転していたり
宇宙も膨張したりしている訳で、
いろんな縁の複合的相依性(これを葦束の譬えという)
を同時に認識するというのは、経験上はあまりない。
普通は一遍に偏って認識しているわけだが、
(人間の脳は、そのようなシステムが固定しているのが一般的)

釈尊の悟りというのは、これが同時に複数の動体観測ができるとか、
同時に複数の人間の話を聞くことができるとか、
その状況をトータルとして認識できる能力が備わったと解釈してます。
(これはあくまでも四次元論としての譬えですが)

釈尊の眉間にあるチャクラがその象徴的なもんでしょう。

ある一遍では正しくても、トータルとすると難あり。
ってのはいくらでもあって、
ただ一遍のみで結論はつけられない。
ってのが、これが無記に通じるわけです。
771神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 11:27:13 ID:sjWLxV3h
>これはあくまでも四次元論としての譬えですが)
>釈尊の眉間にあるチャクラがその象徴的なもんでしょう。

カルト臭プンプン!
幸福の科学と五十歩百歩。
772神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 12:00:04 ID:vVcNFc67
>>768
>輪廻転生を否定するということは、業報理論を否定するということ。
>それはつまり、善行善果/悪行悪果を求めず、
>万人成仏道の可能性も否定することを意味している。
>誤解も甚だしい。

輪廻転生の「脅迫」からは、善は生じ得ない。善は、すべての人間が生来的
に有する仏性から、具体的な状況に応じて「自然に」生じるもの。

輪廻転生による「脅迫」は、その仏性を変容・制限・破壊するものであり、最
大の「悪業」である。

輪廻転生は、すべての人間を「罪人視」し、「死後の裁き」で脅迫する、忌む
べきキリスト教の「罪概念」と同じ穴の狢である。いささかでも脅迫の要素が
あれば、それは仏教ではない。
773神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 13:49:36 ID:MHZ18Tcy
いずれにしても、誰もが納得できる実証性、検証性のあることを語ってほしい意ネ。
そもそも釈尊の姿勢がそうだったんだし、
検証はできなくとも、悟った特別な人間にだけ解かるのだから、とにかく信じろ(信仰)は仏教ではない。
また経典に書いてあるから事実だというのは、鰯の頭も信心の単純な盲目的信仰でしかない。
たとえばキリスト教の聖書の内容を全部信じている奴はいないだろう。

このスレで検証できない輪廻転生を主張しているお方は
自分は悟った超能力者だとでもと言うのかい?

検証性抜きの妄想はウンザリだ。

ところで、幸福の科学のお方の主張では、釈尊は輪廻を解脱してなかったから
大川隆法センセへ転生したんだよね?
検証性抜きだから何とでもヘ理屈はでっち上げられるだろうが・・
774初代スレ7:2009/03/10(火) 15:42:09 ID:U/gX9oa8
>>768
> 輪廻転生を否定するということは、業報理論を否定するということ。
> それはつまり、善行善果/悪行悪果を求めず、
そうとは限らないでしょう?
知り得る範囲内に於いては成立しているのですから・・。
知り得ない範囲のところに、どうして業報の自覚がありえようか。
知り得ない範囲のところに果を求めて何になろうか。
7751/2 初代スレ7:2009/03/10(火) 15:43:01 ID:U/gX9oa8
>>768
> 万人成仏道の可能性も否定することを意味している。
そんなことはないでしょう?
可能性はあくまでも「可能性」です。
「万人成仏」、実に大乗的な、素晴らしい考えです。前面に押し出すにふさわしい、慈眼に満ちた言葉です。
しかし、
何か「のちに仏となれる(→仏となるべく決定した)《“種”のようなもの》を内包している、【文字通り《備えている》】」
と見るのは如何なものでしょうか。
「悉有仏性」とは、そのようなものでしょうか?「可能性」とはそのようなものでしょうか?
諸行が無常であるということは、(因により)縁により果が生じる事を指し、
決して、《初めから何かが備わっている》ことを意味しないでしょう。
であるならば、(いや、そうであるからこそ!)「成仏の可能性」は万人に開かれているのではないでしょうか・・。
この『“可能性”を秘めている』という意味で、「悉有仏性」は捉えられるべきではないでしょうか。
(日常に於いても)、「秘めている」という言い回しが多用される裏には、このようなことが示唆されていないでしょうか。
  ※このことを、受けとめ方として(本覚思想的に)「既に種は植えられている」と見ることも可能ではあります。
   (“可能性がある”という言辞が、言い回しとしてそのような意味を含んでしまうのは致し方ない面もあり)、
   安心(あんしん)・希望として有効なものだとは思う。 だが・・・。

「可能性が否定される」のではない。「(今生に於いて)“実現しなかった”という果」がそこに見られるだけである。
ここに於いて、それ(「実現しなかった」こと)が、
『実現【されなければならない】ものである』、『実現されないということはありえない』、
という方向性には、“?”マークを付さざるを得ない。
それは、『如実に見る』ということを逸脱していないか?
 (※だから私は「願望」「ファンタジー」だと言った。)
7762/2 初代スレ7:2009/03/10(火) 15:44:20 ID:U/gX9oa8
>>768
勿論、貴方が、そこまでの意味合いで“可能性”を言っているのではなく、
≪【三世に跨った場合】に、【今生で逸した機会】が【来世に於いて】【用意されている】≫(べき)、
というものであることは理解しています。
≪いつか必ず成就する(報われる)時節が来る≫という意味で・・・。
そして、その道を開いているのが(それを可能とする、あり得る事とする理論立てが)「輪廻」である、と・・・。


《前世の業は「自覚」に資し、来世の果は「希望」に資する》。
貴方が主張するこの有効性を、問答無用に切って捨てるつもりはない。
だが、同時に、
《前世の業が「罪悪感」を喚起し・煽る》ものなれば、《来世の果が「餌・釣り針」として機能する》ならば、
それを防ぐ(最小化する)手立て・言辞は必要だろうし、場合によっては断固否定する言辞が必要な時もあろう。
「輪廻」を語る際に、これを併説できて初めて、『現代に通用する輪廻』となるだろう。



(余談):
貴方が、仏教だけでなく(―いや、仏教を補足理論として採り入れる形で―)神智学に足場を組む理由は、
≪貴方の理想(≒願望)に対して仏教が力不足≫だからではないですか?
≪貴方の理想(≒願望)の多くが、仏教では語られていない≫からではないですか?
≪貴方の理想(≒願望)に於いては、仏教は神智学の下位に位置づけられる≫のではありませんか?
もし、そうであるなら、貴方がこのスレを立てた理由は何でしょうか・・・?
仏典には、「説かれていないこと」が沢山あり、(神智学に比べて)不完全であるなら、
「最終決着」などと宣言せずともよいでしょう? 仏典を印籠として使う必要はないでしょう?
777宝珠愚者:2009/03/10(火) 19:37:48 ID:Ah1P+q/h
あなた方、否定論者のいいたことは概ね分ります。
しかし、どうにも納得がいきませんね。

それで・・・
>>762
>そして輪廻の問題などは、
>深刻な差別問題を起こしてきた過去や、現代の若者にどのような影響を与える
>かを考慮に入れて扱わなければ、また悪い歴史を繰り返してしまうと、

その差別問題を引き起こした過去(その悪い歴史)とは、
いつ何が起きたというのか?
具体的にどこで誰と誰とのどんな社会問題がいつ発生したのか?
知ってるという方はそれを提示願いたい。

できれば、それに合わせて南方仏教諸国では同様の問題が起こったのかどうか?
仏教史2500年間、ズーとその問題で困ってきたのか?
それとも最近の問題なのか???
778宝珠愚者:2009/03/10(火) 23:11:19 ID:Ah1P+q/h
>>770
机さんの
考え方的には共感する部分は多いです。

>釈尊の眉間にあるチャクラがその象徴的なもんでしょう。

ですね!能力の象徴です。
聖者とは常人を超えた存在であり、
仏陀の場合には更に、意識的に濃密物質の諸法則の制約を受けずに活動が可能です。

仏像の肉髻(頭頂の隆起した部分)は、
サハスラーラ・チャクラが完全に活動している状態を表しているし、
後光(御光)/背光はオーラの象徴です。
オーラは魂、メンタル体、アストラル体、エーテル体からのエネルギーの複合放射です。
洋の東西を問わず、聖者を示す絵画には描かれることが多い。
779神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 23:13:12 ID:BRh3HfZP
>>777
宗教、思想上の重大な問題点は、>>772に述べた通り。
輪廻転生は、現代における進歩した科学や理性の水準からは、到底通用しない
代物。
「大昔の仏典に書かれているから」という理由だけで、その実質を検討する
ことなく盲信することは、社会全体における「思考停止」という弊害の原因
となる。
「眼に見えない物が実在する」という「唯物論」は、「眼に見える物」に100%
依存して生存するようプログラムされている人間の精神を蝕む。特に、若者に
植え付けられれば、一生涯離脱することは、困難になる。義務教育における
科学教育との関係は、一体どうする積もりかね。
すべての人間の営みが「生存」の方向に向けられている現代において、宗教、
特に一神教のみが、果てしない殺し合いを続けている。まさに人類に巣食う
悪質ながん細胞であり、一刻も早く摘出すべきもの。その原因は、上記の、
「目に見えないものの実在を信じる」という、誤った「唯物論」が原因で
ある。
一神教の惨状に鑑み、仏教に期待している者は多い。その仏教の中心思想が
「輪廻転生」だとすれば、仏教とは一体何だね。
一神教の次に争いが多いのは、ヒンドゥー教、そして南方仏教の国々である。
それらの国の人々は、この「目に目ない物の実在の植え付け」の犠牲者なので
ある。
現代社会における最大の差別行為は、輪廻転生に基づくカースト制度である
ことは明らかだろう。これを放置してよいのか。更に、異教徒のあくなき殺戮、
排斥という、一神教の排他性も、「目に見えない物の実在の植え付け」が原因
である。
780神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 23:16:20 ID:BRh3HfZP
>>779の続き

「眼に見えない物」の実在を信じ込ませる悪しき唯物論により、眼に見える物、
即ち、現実の人間と自然の軽視・否定が生じる。
仏教の価値は、その現実性・合理性・科学性と、生きとし生けるものに対する
思いやり(慈悲)であろう。輪廻転生は、これらのすべての破壊する。
一旦、眼に見えない物の実在を信じ込ませれば、人間が人間を自由に操作できる
ことになる。多くのカルト宗教は、キリスト教の「唯一人格神概念」「罪概念」
と仏教の「輪廻転生」を最大の武器として、多くの若者の生来の人格を変容・
破壊し、現実と社会常識から逸脱させ、家庭の破壊を招いている。オウムの犯
行も、輪廻転生が最大の原因である。オウム事件の反省は皆無ではないか。
仏教の中心思想などではない輪廻転生に、あたかも中心思想である如く、そこ
まで執拗に執着する君の意図は一体何か。やはり、忌むべき一神教の呪縛以外
には、考えられない。要するに、キリスト教由来の神智学などによるマインド
コントロールの結果である。君の好きなWikiにも、神智学は「超オカルト宗教」
と記載されているではないか。若者たちの精神を狂わせ、破壊するカルト宗教
現代社会の最大の悪であり、即刻、撲滅すへきものである。君には、宗教の
「病理」の分析・解明が、全く出来ていない。
781宝珠愚者:2009/03/10(火) 23:32:41 ID:Ah1P+q/h
>オウムの犯行も、輪廻転生が最大の原因である。オウム事件の反省は皆無ではないか。

オウム事件がわかってないのはあなたですよ。
いゃ、ま〜以前にあなたが述べた終末観とかいった影響についてはかなり正解ではある。

>君の好きなWikiにも、神智学は「超オカルト宗教」と記載されているではないか。

「カルト」と「オカルト」とは意味が違うので勘弁して下さい。
神智学的にはオカルトと呼称されることは誇りとなります。
神智学の学徒の道は別名、オカルティズムというのです。

 『カルト(Cult)は、「崇拝」、「礼拝」を意味するラテン語 Cultus [1]から派生した言葉で、元来、「儀礼・
祭祀」などの宗教的活動を意味していた。現在では反社会的な宗教団体を指す言葉として使用される
ことが多い。』
 『オカルト(occult)とは元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来する表現であり、目で見た
り、触れて感じたりすることのできないことである。そのような知識の探求とそれによって得られた知識
体系は「オカルティズム」と呼ばれている。ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論
者の立場等により見解が異なる。』(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
782宝珠愚者:2009/03/10(火) 23:41:22 ID:Ah1P+q/h
オウム事件の原因が輪廻転生だって???

じゃ〜
視点を少し変えて
---オウム問題(事件)についてでも意見を出し合いますか?
その原因は何だったのか?
オウム問題に対する伝統宗教/伝統仏教者の取るべき態度とは?

783神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 23:41:31 ID:MHZ18Tcy
 少なくとも、ここで観念的論議に耽り、目の前にいる支援の必要な人々に
何もしようともしない君たちのおそらく大部分を軽蔑する。
 具体的に言えば、絆を失って生き続けるのが困難になっている多くの人々が目の前にいる。
 ホームレスの人たちだ。
本日のNHK「プロフェッショナル」でホームレス支援の牧師 奥田知志氏を特集していた。
俺もプライベート時間の多くを支援活動に割いている。

 彼らの多くは社会的矛盾によって没落し人間としての尊厳を失っている。
 彼らに暖衣飽食の君たちが観念的になんらの実証性もない前世の業による輪廻転生を説くのは容易い。
 彼らにますます人間の尊厳と誇りを失わせるだろう。

 君たちはそれこそ「悪業」を積んでいるとの自縛非難を免れないだろう。

 対症療法に過ぎないとはいえ、多くの人が自立へ向かっている。
 君たちも行動を起こしたらどうかね?

 なぜ日本の寺はホームレス支援に乗り出さない?
 ご立派なお庭や建物は本当は朽ち果て荒れ野になっていることに気がつかないのだろうか。

                      

 
784宝珠愚者:2009/03/10(火) 23:51:47 ID:Ah1P+q/h
>>783
あなたのその問い掛けには基本的に賛成します(ホームレスに限らず)。
私は仏像に礼拝する暇があったら、苦難に喘ぐ人々に手を差し伸べるべきと主張しています。
ホームレス問題だけが正しい奉仕であり、他がダメという問題ではない・・。

>観念的になんらの実証性もない前世の業による輪廻転生を説くのは容易い。
>彼らにますます人間の尊厳と誇りを失わせるだろう。

それはあなたの誤解というものです。
永い輪廻の生存の繰り返しにおいては、今の苦難など一時に過ぎないと諭すべきであり、
輪廻とは、いつか必ず輝かしい未来が約束されているという救いになるものです。
できれば、あなた(の本質)も至高の存在である光輝く魂である、
という想いを抱かすことができれば更にいうことはない。

>なぜ日本の寺はホームレス支援に乗り出さない?
>ご立派なお庭や建物は本当は朽ち果て荒れ野になっていることに気がつかないのだろうか

気持ち的には大賛成です。
785神も仏も名無しさん:2009/03/11(水) 00:04:50 ID:VO7N+j7O
>>781
>>782
カルトとオカルトは、多くの共通点がある。というか、カルトは例外なく
オカルトを「利用」して、信者の人格の変容、現実性と社会常識の破壊、
家庭の破壊を行う。

カルトは、すべて、伝統宗教を母体として発生し、その宗教的原理とテク
ニックを余すことなく「利用」している。従って、伝統宗教は、カルトを
「原理的に」批判することは不可能。すべて自分に跳ね返ってくるから
である。

その意味で、最大の伝統宗教であるキリスト教が、最大・最悪の超カルト
である。その荒唐無稽の教理からも、明らかである。
786神も仏も名無しさん:2009/03/11(水) 00:18:46 ID:VO7N+j7O
>>781
神智学的な、「眼に見えない物の実在の植え付け」が、すべてのカルトの基礎
となっているということだよ。
787神も仏も名無しさん:2009/03/11(水) 00:36:32 ID:VO7N+j7O
>>783
>なぜ日本の寺はホームレス支援に乗り出さない?

キリスト教とは異なり、まともな宗教は、イエスがやったように「人の弱みに
付け込んで」自分の宗教を布教するという、卑劣なことはしないからだよ。
788机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/11(水) 08:15:55 ID:N0ZVdzmW
>>778
>机さんの
>考え方的には共感する部分は多いです。

そうですか>^_^<ありがとうございます。
では>>770の続きを書かせて頂きます。

因果律ですが、これは時系列的観点ならば世俗諦として正しい。
(人間が経験上、会得している情報の範囲、ということです)
しかしながら空諦ですと違ってまいります。
主客未分の時空ということになりますね。→t(時間)は不去不来です。

これは例でいうと、種を蒔けばやがては花を咲かせ実を付ける。
(環境、条件が調えばそのとおりです)
というのは時系列的に変化をしている訳ではない。
経験則において、そのように思い込んでいる。
(この延長線上で因果律を解釈してしまうの、大変な間違いになる)

>ある一遍では正しくても、トータルとすると難あり。>>770
これですね。

空諦ですと、一瞬一瞬が変化しているだけです。→諸行無常
(その微妙な変化で、花や実を付けないこともある)
縁生・縁滅だけですね。
縁起は空諦であっても因果律は世俗諦の範疇です。
ですから、業報論も空諦には成りえん。ということですね。
789神も仏も名無しさん:2009/03/11(水) 13:45:28 ID:bw3gXSDR
>>788
>というのは時系列的に変化をしている訳ではない。
>経験則において、そのように思い込んでいる。
>(この延長線上で因果律を解釈してしまうの、大変な間違いになる)

そうすると、時間tの概念はなくなり、三次元となる。それから、空間的な
相互依存関係、即ち、今ここにおける万物の関係性が導かれ、時系列的な業報論
は否定されることになる。

生命とは、常に「今ここ」だけである。「今ここにおける万物の相互依存性、
関係性」を直感することが、「悟り」の本体であると言えよう。
790机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/11(水) 14:56:54 ID:N0ZVdzmW
>>789
人間が思考する。というのは、時間軸上でやる訳です。
ある目的意識をもつとか、それにおいて意味連関し、その方法を考えたりとか、
つまり人間の営みとは、
この意味連関の連続である。つうことが明白なるやに思いますね。

禅定というのは、こういった意味連関の断続を作為的にやるもんなんですね。
(これが禅については基本的テーゼです)
つまり、日常から離れた非日常ということです。

つまり、人間の時間の概念は、人間が生存していく為に繰み込まれた
人間の歴史が挿入して逝ったプログラムなんですね。

仏教とは、こういった有史以来の概念が、法を求めるには邪魔になる。
ってことを経験的に知っておったんですよ。
(これは古代インドの話なんですがね)
791机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/11(水) 15:06:46 ID:N0ZVdzmW
×  意味連関の断続を作為的にやるもんなんですね。
○  意味連関の断絶を作為的にやるもんなんですね。
792神も仏も名無しさん:2009/03/11(水) 18:52:12 ID:pI+4YizE
>>790
「悟り」とは、「生命とは、今ここのみに、万物との関連の中にある」ことを、
直感することではあるまいか。

その意味で、「悟り」を意識したり、意図的に追求することなく、他者との係
わり合いの中でひたむきに生きる日常においてこそ、「無意識な悟り」がある
のだと思う。悟りを意識し、意図的に追求することは、もはや悟りではない。
793神も仏も名無しさん:2009/03/11(水) 19:15:21 ID:6I7WzlH9
そおかなー。
確かに別に人間が悩んでいようが何だろうが万物全体として問題ないのかもしれない。
でも悩みが無いほうが楽しく生きられる。
794神も仏も名無しさん:2009/03/11(水) 19:19:25 ID:pI+4YizE
>>793
>でも悩みが無いほうが楽しく生きられる。

君はすでに悟ってるw。
795机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/11(水) 19:24:06 ID:N0ZVdzmW
>>792
そうですね、
通常、人間が考える存在論とかは空間軸における概念ですね。
これが時間軸上と同時に考えられるのは稀です。
(どちらか一遍に偏りますから)
説一切有部における刹那滅論は、途上ではありますが、ある意味的を得てます。

空間軸が諸法無我になり、時間軸が諸行無常になります。
この双方(時空)でもって涅槃寂静ですね。

禅者がいう即今即所というのは、まさにこれに的中している訳ですよ。
伊達で言ってる訳じゃなく、それなりの境涯に達している訳なんですが、
この延長線上において業報論も解釈しておるんですね。
これがつまり「空即是色」なんですよ。→還滅です

まあここまでが、だいたい般若波羅密の完成に近い。
ちょうど彼岸が見えてきた段階でしょうか?

#、では、おやすみ。
796初代スレ7:2009/03/11(水) 22:33:57 ID:X4gTmUcG
>>793
>>794はジョークにしてもw)、仏教の本質を突いた視線だと思いますw
797机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/12(木) 06:54:32 ID:3xQoJB7f
では、仏教の根本義たる諸行無常とは何たるや?
これですよ、これなくして仏教を語ちることにはならんのですよねw

時間とは恒常的に流れているんもんか?
いんや、そうじゃ〜ないですね。
それだったら無常になりえんですよ。
仏教とは、そんな甘いもんじゃ〜ないですね。
もっとシビアなもんです。

そもそも時間といふのは流れるものなのか?
それ以前に、果たして時間なるものがあるや?なきや?
これですね。この疑こそ悟入への登竜門になるやに思ひます。

まあ、こういった疑を己に向けて逝くのを、
禅では直指人心・見性成仏とかいうんですがね。

つまりキーワードしますと、時間といふ概念の論理構築以前です。
これを主客未分といふておるんです。

まあ、こういった話は長くなりますから、また暇がありましたら書き込みしてまいります。
798机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/12(木) 08:55:16 ID:3xQoJB7f
>仏教徒が自信を以って語れないから〜 >>769

仏教徒が自信を以って語ちれない訳じゃ〜ないのです。
(これは非常に大事なことなので書いておきます)

論理構築以前まで透過してまいりますと、それは語ちるのが非常に至難になります。
何故なら、語ちるとは論理構築そのものであるからです。

それでも仏教徒は、それなりに限られた語彙において語ちておりますよぉ〜
「世俗で生きる」とは、そういう智慧(スキル)も大事です。

仏教徒が明解に論理的整合性において語ちてる場合は、あれは世俗諦ですね。
正法眼蔵における、在家向け三巻というのも勿論、世俗諦です。

盤珪などは余計なことは言わんです。
「死後のことは、わからん」とか言いますね。
「わからん」というのは、盤珪は充分に解っておるんです。
「わからん」の意とは「分けられない」。つまり分別できない。
これこそがまさに勝義諦であります。
799神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 11:05:53 ID:odCWgfhd
>>797
>つまりキーワードしますと、時間といふ概念の論理構築以前です。
>これを主客未分といふておるんです。

時間とは、単なる「自然の変化」だから、論理構築には親しまない。「時間
とは何か」などを大真面目に「考えて」いる西洋哲学者がいるが、「自然の変
化」を離れては、結局は何も分らないはず。

冷厳な自然観察者であった釈迦は、自然の変化の観察から、「諸行無常」に
思い至ったのではないだろうか。このような「優れて科学的な発想」は、単に
頭の中の演繹からだけでは、出てこないであろう。
800神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 11:31:47 ID:PAHipShX
>>799
>時間とは、単なる「自然の変化」だから

というように、あんたは時間観を「論理構築」し言語によって分節化ているわけだ。
ここんところを掴まえないと、道元のいう現成も、仏教の何たるかも、ポイントを外してしまう。
801神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 11:43:42 ID:odCWgfhd
>>800
単に「自然の観察」であって、「論理構築」ではない。「時間」という言葉
を使わないで、「自然の変化」だけでも充分である。

太陽が昇り、沈み、また昇るまでが、1日。新緑が萌え、紅葉し、落葉し、また
萌えるまでが1年。古代人にとっては、これが「時間」だったのである。
802神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 11:49:26 ID:odCWgfhd
>>801
日時計、砂時計、水時計。すべて「自然の変化」である。現代でも、
確か、電子の振動という「自然の変化」のはず。

体内時計も、身体という自然の変化。
803神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 11:56:21 ID:odCWgfhd
>>801
単なる「自然の変化」を、脳内で、観念化・分節化して、本質を見失い、
ピントを外してしまっているのは、むしろ道元や仏教や哲学者のほうだろう。
804神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 12:03:05 ID:PAHipShX
やはり、世間的既成概念に凝り固まった頑迷な年老いた犬に新しい芸を仕込むのは無理だ。

805tibyaku:2009/03/12(木) 12:16:04 ID:eOZQQ6VQ
>>792「悟り」とは、「生命とは、今ここのみに、万物との関連の中にある」ことを、
      直感することではあるまいか。

正しい信仰のもと悟りを開いた未来ビジョンをありありと明確化し、利自即利他を含んだ

悟りの世界のビジョンの継続こそ重要な位置づけである。

日常の中に非日常の発見こそ「悟りの発見」にあります。小さな悟りの発見の積み重ねの

継続によって、能動的ではなく受動的無意識な明鏡止水の透明で純粋な心境によって安ら

いだ境地を楽しみ、その心境に応じた悟りが訪れるのである。得ようとして悟りは得るこ

とできないのであります。

悟りを体得したならば縁の法則により、意図的に追求することによって心境にあった悟の

世界に参入できます。

心の明鏡止水の透明で純粋な心の維持無くして悟りはありえません。故に反省無くして悟

りなしの意味があります。

ともに日々の修行に努力を怠ることなく修行に励んでまいりましょう。


806神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 12:21:08 ID:odCWgfhd
一見変化していないようにしか見えない自然でも、常に変化していること(諸行
無常)を、2500年も前に発見した釈迦は、まさにスーパー科学者。現代に
生きていれば、ノーベル科学関係賞は総なめだろう。勿論、平和賞も確実。

経済学賞は、どうだろうかw。「仏教資本主義」という本も出てるね。
807机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/12(木) 12:22:10 ID:3xQoJB7f
>>799
>「時間とは何か」などを大真面目に「考えて」いる西洋哲学者がいるが、

いやいや、西洋哲学とは違いますね。
時間そのものを問うておるんじゃ〜ないですよ。
拙者は論理構築を逝ってる訳じゃ〜ないですから。

まあ、簡単に説明しますと、
既に人間というのは、脳に既成として時間概念はインプットされているんですよ。
(どのくらいの経過においてお腹が空くとか、経験的に知っている)
インプットされてるもんにどんな講釈たれても・・・それは講釈だけですね。
(西洋哲学の限界、ってのはこれなんですよw)

仏教というのは、こういった一連の既成概念そのもののへの疑がありませんと
悟入は無理なんですね。
直指人心というのは、こういうことなんです。

既成としてある概念を根拠として語ちるのを、世俗諦といいますね。
(常識教というのは、この範疇です)
このベクトルで語ちても・・・それは戯論というのが仏教の立場です。

釈尊の悟りというのは、こういった既成概念としてある時間観こそが無明であった。
ということなんですね。
これからの解脱こそが、即ち不死ですよね。
生死一如にして不死とはこれなり。

          <机龍之介・花押>
808神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 12:37:01 ID:odCWgfhd
>>807
「腹が減る」「太陽が昇る」は、既成概念ではないよw。人類や自然の発生以
来、全く同じ。

その自然の摂理を離れた「観念の遊戯」こそ、まさに戯論であり、無明である。
809机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/03/12(木) 12:43:39 ID:3xQoJB7f
>>808
>「腹が減る」「太陽が昇る」は、既成概念ではないよw。人類や自然の発生以来、全く同じ。

貴殿は、既に論理矛盾がありますよ。
>人類や自然の発生以来、全く同じ。
なら、それが既成概念なんじゃ〜ないですか?

既成概念というのは、そういう凝り固まった概念を指すんですよw

まあ、常識教というのは、この既成概念をテーゼとしておるんでしょうけどw
810神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 15:00:02 ID:odCWgfhd
>>809
「概念」ではなく、「事実」「自然現象」と言うべきでしょう。

「常識」は、人類がその発生以来、気も遠くなるような長い年月をかけて築き
上げた生存(共生)のための叡智。基本的常識は、時代・地域を問わず、変わ
らない。人間の一挙手一投足は、この常識に支配されている。宗教者といえど
も、常識に従わなければ生存は不可能です。その意味で、1個人である開祖の
精神障害から発生した創唱宗教などとは比べ物にならない「大宗教」であるこ
とを、自覚してください。

いかなる常識であっても、何らかの意味で、生存と関係している。そもそも、
宗教の起源は、厳しい自然との闘いの中で、ひたすら生存に努める古代人たち
の、生存のための「手段」だったのです。彼らなりの、生存のための精一杯の
「現実性・合理性・科学性」の表れでした。創唱宗教とは異なり、古代人たち
は、生存の「手段」である宗教を、その「目的」とするなどという倒錯には陥
ていません。

禅が、生存に関係ない創唱宗教の「観念の遊戯」の結果としての「既成概念」
を破壊できるのであれば、それは大いに価値あるものでしょう。
811机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
>>810
>「概念」ではなく、「事実」「自然現象」と言うべきでしょう。

ならば、五蘊においても自性とか無自性とかヤヤコシイことは言わんで、
「それが事実」とか「それが自然現象」とかで済ませれば宜しい訳で、
何故貴殿は「縁起」とか「無自性」とか掲示板に書いておるんですか?

つまりは「縁起」とか「無自性」とかの意がそもそも解っておらんのでしょ?
解っておる人は、そもそも「事実」とか「自然現象」とかは言わんですね。

つまり、貴殿がおっさりたいことは、
「縁起で無自性だけど・・・時間は恒常普遍である」。と、
かようにおっさりたいのですね?

あ〜〜っはっはっは。
仏教においては、先ずそういうことは考えられませんね。
何故なら諸行無常だからです。
すべて普遍であるものはなく、無常であるのです。
これこそが本義でありますね。