-----前5さんへ
>>105 >しかし歴史的事実に関する事柄を実証するにおいては恣意的
>な主観はできるだけ排除するのが常識です。主観に基づき取捨選択するのなら
>それなりの客観的合理性がなければなりません。
おっしゃる意味は理解しますが、それは私の仕事(任務)ではないでしょう!
--この私はすでに道にある者です。私はジャーナリストでも科学者でもない。
>六道輪廻を方便とした理由に「人間は人間のみに輪廻する。」というご自身の
>信念以外に合理的理由があるのであれば、お聞かせください。
輪廻転生は意識の進化のための自然法則なのです。下等生命への生まれ変わりはない。仏典に
動物への転生の話はごく少ない--それは戒め程度の方便ということです。ゴータマの輪廻に言及する
説法をみても、基本的に人間としての生まれ変わりの話で満ちていることが理解される筈です。その
他に理由はありません。
>>107 >「過去の業により、現世において起こるいくつかのイベントが決まっている?」
>これは「自己選択により新しい未来を切り開く」 と明らかに矛盾しますね。
>そのイベントが起こる以前に自己選択で死を選んだ場合、イベントは起こりようもありません。
必要な受けるべき果報は避けられない。その前に死んで避けるということはできない。死ぬ前にイ
ベントが起きて避けられないか、もしくは仮に死んで逃げたとしても無駄であり、次の転生の機会には
再びイベントの機会が巡ってきて確実に逃げることはできない。ですから、この避けられないのが業
報の作用なのです。これはゲームではないのです。