【私】を記述してください【私の存在性】17

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1考える名無しさん
『私』の人工知能に「私とは誰だ?」と尋ねたら、「私の創造主」と 答えるのである。
「観察されているもの」と「観察するもの」その両方は変化し続ける。
『私』の存在性、精神活動・・・物体・・・すべて絶対的存在性の無い空性です。
『私』が発生する根拠は?
『私』は往生際が悪いのである。
「我」が考える事を停止する(死ぬ)と「我」存在しなくなる。
『私』が、考えるという認識活動によって、私の存在を確認している
なぜ他の人として生まれず、我だったのか
『私という自我』
『私』の存在原因
『私』があるから私にとっての現象が可能になる。 だから「私」は、先験的。
『私』が考える以前に、「私自体」が存在する
『私』という意識のありようが、なぜこんな感じ方で存在するのか
『私』の意識の漠然とした掴み所の無さ
『私』そのものに構造なんて無いのよ。
『私』の「意識」のあり方、そこには必ず構造(順序関係とか) があるはず
『私』は、不自由がな時、考えてしまい、固定化したがる癖が『私』である。
2考える名無しさん:2008/06/21(土) 08:58:30 0
『私』が存在するから、『私』の「観念」が活動できるのです。
『私』は無限。
≪「私」は関数的存在である≫ と言明するのも面白そう
『私』は、純粋な「存在性」
『私』は、「こころ」
反省する、という行為が「『私』だけに与えられた 機能
『私』です。絶対的存在で無い私です。
“関係”という概念を導入すれば、『私』を様々な“項”の一つ として相対化することはできる。
「私」は変化するんです、その為には絶対性は邪魔なんです。
物質的実在、観念的実在の本質は「空」である
『私』は、言語による自問自答はしていなかもしれない
自分はコントロールできない自分をかかえている。
いいかげん自分の考えくらい自分でまとめろよ。
『私』の知らない空
意識のすべてが脳の働きに還元できる
『私』には“場所(空間)”は不要で ある
『私』と『私の身体」と「私の社会的存在」は別のものだ
『私』と『考える私』は別の存在だ
『私』とは「馬鹿である」
『私』がすでに死んでいる可能性を考えればいい。
『私』を観察する『私』を観察する『私』を観察する私を観察…
『私』の存在は軽いものです。
3考える名無しさん:2008/06/21(土) 09:22:28 0
客観的に扱い得ない『私』について語ることが無意味
『私』が私自身を物理現象だと認めてる
『私』が存在することは絶対確実だが、『私』以外は存在するかどうか分からない
『私』は対象としてないという言い方で、『私』について語ってます
『私』と『他人』は完全に相対的で相互補完的な概念
『私』が『他人』といってるのは、「『私』から見た場合の他の人」の事ではなく 「『私』ではない人」
『私』が知らなくても、他人は存在している可能性がある
『私』が思慮できなくなったら、キミは消える
『私』は物理現象から離れて存在している
『私』は「外部の存在」としてのDNA側の「意思」である
「主体の私」と「客体の私」の線引きが不能になれば…
主体が理性的な態度で世界を認識するとしたら、独我論的に世界を把握することしか残されていない
『私』は世界の全てである。 世界は「主体と客体」からなる。
『私』は、過去や未来の自分だけでなく、現在の自分も対象化する。
『私』の信仰もしくは妄想
他人は『私』ではない
一般化された『私』
『私』も『他人』もないような視点から見ているつもり
『私』の視点から見ているもう一人の自分がいる
『私』も『他人』もない客観的な視点に立つことは絶対にできない
自分の視点を完全に離れるなんていうのは、妖しげな神秘体験みたいなもの
『私』の存在性が絶対というのは主観的なことで他人は関係ない
君が、君自身の視点を完全に離れられるのかどうか?
『私』に出来ない事を他の人が出来ちゃいけない理由があるのか?
『私』一人だけが他人に生まれてくる事が出来なかった?
4考える名無しさん:2008/06/21(土) 09:39:37 0
『私』は「どうして私を生んだママになれなかったのか」
「心」という概念が、すでに『私』を客観化して一般化しなければ成立 しない
再現できないのは、『私』の観念
意識というのは他人と自分が認め合って出来ている
区別するこころによって『私』「他」が生じる
宇宙には、オレがいる、物理現象は、絶対に『オレ』の原因性には成りえない
『私』の存在性は、物理的存在に根ざしており、 物質が存在すること自体を説明できない
物質で出来ているならば、同じモノを二つ作れなければならない
あなたが死んだら、その死体があなた自身なのかい?

何でも議論の対象にするという哲学板の文脈では、ユーモアか本気かの境界線が曖昧になることが多い
5宣教師 ◆XMP6DJq74g :2008/06/21(土) 11:45:31 0
「私」とは霊である。
あなたの頭にはキリストがいまし。
6考える名無しさん:2008/06/21(土) 12:25:14 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1212416038/970

> 考えるという認識活動?
> そんな事は他人もしているのではありませんか?
> だったら「考えるという認識活動」は、私の原因性にはなりえませんね
> まず私が存在し
> その私が、考えるという認識活動によって、私の存在を確認している
> という事にすぎません

「考えるという認識活動」によって「存在」が「確認される」以前の『私』についてはわかりませんよね?
考えるという認識活動が為されることによって『私』が出現する(確認される)、と言い換えてもいい。
「考えるという認識活動」が為されると同時に『私』が現れる、と。

それは、「考えるという認識活動」が『私』である可能性を、何ら否定するものではない。
7考える名無しさん:2008/06/21(土) 14:28:32 0
>>6
厳密に言うと、何かを考えているとき『私』は現われない。
その「何か」が『私』に現われている(意識されている)だけである。
見る(認識しつつある)『私』を、その対象と一緒に見ることはではない。
超越的な言い方をすると、そういうことである。
8考える名無しさん:2008/06/21(土) 14:32:22 0
>>7 訂正
その認識対象と一緒(同時)に見ることはできない。
9考える名無しさん:2008/06/21(土) 14:50:58 0
「私が現れる」というのは「自意識が現れる」という意味かな?
10考える名無しさん:2008/06/21(土) 14:51:10 0
>>8
同時だろうと同時でなかろうと、『私』を見たり考えたりすることはできないよ。

11考える名無しさん:2008/06/21(土) 15:01:13 0
>>9
『私』はまず、自意識以前の、もっと直観的なものとして現れるんじゃないかな。
12考える名無しさん:2008/06/21(土) 15:03:21 0
>>7
すると、その「何か」が『私』に現われている(意識されている)、と、
どうしてわかるのか?
13考える名無しさん:2008/06/21(土) 15:30:53 0
>>12
「○○への意識」があって、それと、『私』が何かを意識しているという直観が結びついて
○○が『私』に意識されているとわかるんじゃないかな。
14考える名無しさん:2008/06/21(土) 15:33:57 0
>>7
厳密に言うならば、
いかなる場合でも)、「『私』が現れることはない」 でしょう?
(意識の向けられる)対象が、常にその主体から遠ざかってしまうのであれば・・。
「対象化される」ということが「主体と切り離されること」であるならば・・。
その主体は、決して(意識上に)浮かび上がってくることはない・・。

確認できる(実感できる)のは、「意識している(考えている)」という感覚のみだ。
とするならば、そこには、「意識している」という行為のみしかないのかもしれない。
その主は「希望・願望として想定される、後から要請され設定される」ものかもしれない・・。
「意識する(正確には「意識した」)」という行為の主が、
求められ、類推・想定されているのだろう、と・・。
15考える名無しさん:2008/06/21(土) 15:47:57 0
>>14
>「意識する(正確には「意識した」)」という行為の主が、
>求められ、類推・想定されているのだろう、と・・。

『私』は、あとから類推された主体とは別物だから、
そのように考えるなら、意識する行為=『私』ということになるね。
16考える名無しさん:2008/06/21(土) 18:22:55 0
キリスト教(笑)
177:2008/06/21(土) 18:58:38 0
>>10
そう言っているつもりだが。君の述べていることと、どこが違うの?
>>12
デカルトの「我あり」も事後的な認識・言明だろう? 

187:2008/06/21(土) 19:09:39 0
しかし、この話しはすぐにタネ切れになるよね。
それよりも、前スレで最高位、唯識さん、じいさんでやっていた
三すくみの仏教がらみの議論を再開して欲しいね。
それに、俺たちも突っ込みをいれる、というかたちね。w
ああいうとき、素人さんは静かだね? ほんとに仏教専科なの?

19考える名無しさん:2008/06/21(土) 19:30:14 0
最高位などの素人のいい加減な思いつきを気軽に書ける、
そしてそれに突っ込むっていう気楽さが、このスレの魅力でもあるね。
20考える名無しさん:2008/06/21(土) 21:59:39 0
>>17
>デカルトの「我あり」も事後的な認識・言明だろう?

「我思う」の方の“我”はどこから出てきたの?
21哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 22:18:03 0
>>11
いやいや
『私』が直観しているんであってね
ようするに
『私』が『私』を直観してるんだから
直感する以前に
そもそも、まず『私』がいなければ
『私』は『私』を直観できませんよ(笑

>>19
しかし玄人(?)でも、私を論破できない不思議(爆笑

>>20
そそ
「我あり」だから「我思う」んだよね
22考える名無しさん:2008/06/21(土) 22:18:15 O
他人と区別するためだろう
23考える名無しさん:2008/06/21(土) 22:22:36 0
>しかし玄人(?)でも、私を論破できない不思議(爆笑

玄人なんていません。どう見ても。
24考える名無しさん:2008/06/21(土) 22:32:46 0
>>21
>そもそも、まず『私』がいなければ
>『私』は『私』を直観できませんよ(笑

>>15の考え方によれば、直観=『私』ということになる。
「意識」や「直観」の背後に想定された『私』は、虚構だということ。

25考える名無しさん:2008/06/21(土) 22:38:13 O
それは言葉の使い方の問題だけではないかな。
26哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 22:43:35 0
>>23
だから(?)を付けているわけっだよ(笑
私を素人あつかいしてる本人は、少なくとも自分は玄人のつもり なんじゃないの??(爆笑

>>24
「私ではない人」が、いくら直観しても、それは「私ではない人」なんだから
『直観』が、『私』の原因性には成りえない
直観が私を認識しているのであれば
それは、あくまでも私が、私を直観しているからです
27考える名無しさん:2008/06/21(土) 22:44:16 0
>>25
そうでもない。
主体への信仰を激しく批判したニーチェ以降は、デカルト的「我」を
想定することは、あまりしなくなったのではないかな。
28考える名無しさん:2008/06/21(土) 22:47:03 0
>>26
>「私ではない人」が、いくら直観しても、それは「私ではない人」なんだから

だから、「人」が直観すると考えること自体が古い考えだと思うんだけど、
まあいいやw
29考える名無しさん:2008/06/21(土) 22:52:55 0
>>25
そうではなく、たとえば、
シャボン玉を膨らませた時、或いは水中に空気の泡が生まれた時、
気圧、水圧、表面張力等々により、(原則)球形になる。
この時、
≪「球形」という型があってそこに空気が嵌るのではない。諸条件により或る形となり、それが球形であった≫
というような、結果論としての『私』が、「想定された(仮設された)『私』」の意味するところです。
(たとえイデア的なものとしてでも)≪「球形」という型≫を先に設定するのはおかしくないですか?
という問題提起です。
30考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:05:30 0
>>27
>15さんが言うように、

>『私』は、あとから類推された主体とは別物だから、
そのように考えるなら、意識する行為=『私』ということになるね

主体と我(私)とは別の概念だから、ニーチェとデカルトを比較する意味もないのでは。
まあ、全く無関係ということはありえないと思うけど。言葉の誤用が哲学の問題の
ほとんどだ、ということはウィトゲンシュタインもいっている。
31考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:14:24 0
>>29
球形、というのは何もシャボン玉に限ったことではなくて、それ以前に太陽の形が
円形である、ということがあるから、類推的に概念の拡張をしたのではないでしょうか。
それと、私という概念を比較するのは、ほとんど別の思意的行為を一緒にしている
のではないでしょうか。言葉の数だけ(実際はそれ以上)考え方が存在すると思います。
32考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:15:43 0
我とか私は視点次第で幾つもある。
例えば「他人から見た私」というのは、例えば「ブサイク」とかで
あるのだが、私は他人では無いので、思いこみに過ぎない。
しかも他人は無数にあるのでなおさらである。

33哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/21(土) 23:37:45 0
『私』について哲学するのに
『私以外の自我』について を
無自覚に、ゴッチャにして考えちゃう人が多いな

それじゃ現代哲学は理解できませんよ
34考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:46:52 0
>>29
太陽円形の例は、あなたの論点とは全く別のことを述べていましたね。ごめんなさい。
外的要因によって形作られる「私」ということをいっているのだと思いますが、僕には、
そういう定義をする必然性というのがよくわかりません。言葉は生き物であり、文脈上
の意味を正確に捉える努力をすれば、言葉自体の存在価値はないと思います。
登り切ったはしごは捨てていくべきである、ということだと思います。
35考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:47:05 0
>>33
バカだね君は。
この問題は大昔に釈尊が解決している。
しかし、そのことはロクに理解されず現代に至っている。
36考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:51:45 0
>>34
>そういう定義をする必然性というのがよくわかりません。

貴方がここで言う 「そういう定義」 に当たる(思考)作業が、
「最初に“我”ありき」な思考、「最初に“我”を設定する」作業、
と類似していませんか?と言っているのです。
37考える名無しさん:2008/06/22(日) 00:06:52 0
>>36
>「最初に“我”ありき」な思考、「最初に“我”を設定する」作業

そういうことをやっているのであれば、無意味なこと(少なくとも実験的なこと)だと思いますが、
デカルトにしろ、我の内実を提出したかったのであって、上の順序のような思考をしたわけでは
ないと思います。もっといえば、そういう思考は、コンピューター的なものであって、人間には
無理だと思います。
38考える名無しさん:2008/06/22(日) 00:14:53 0
>>37
人間の思考の癖として(生来の通常回路として)、当然の作業だと私も思っています。
けれども、それを何の疑いも無しに受け入れるのは、
自己を考察する者、自身を深く見つめる者、「俺は何者だ?」と問う者の態度としてはどうなん?
と感じるわけですw
39考える名無しさん:2008/06/22(日) 00:32:04 0
>>38
そうですね。当然あらゆる思考が考えに付されるべきだと思います。運と勘と能力があれば、
豊穣な新たな思考成果が生まれるでしょう。余談ですが、演繹的定義による推論と、帰納的
経験による推論を意識的、無意識的に使用して、考えるのが人間だと思いますが、
そこには「私」という意識の働きは含まれるのでしょうか。私はNOだと思いますが、思考のみにて
人間はできるにあらず、反省という行為が創造性の鍵だと思っています。
40考える名無しさん:2008/06/22(日) 00:41:03 0
「私」と「世界」は同時的であって、その意味では、何れも無常・幻影的
性格を免れ得ないのであるが、「将来」への連鎖によって幻想的希望を
抱くのであるが、実は仮借無き現実により絶へず浸食されているのであって
旅から旅へと追い立てられているのが「私」なのである。
つまり「私」とは「旅人」なのである。
41考える名無しさん:2008/06/22(日) 00:45:29 0
>>39
>そこには「私」という意識の働きは含まれるのでしょうか。

勿論、それ(“「私」を設定すること”)も癖の一つでしょうがw
その思考ベクトルを微分する必要があるでしょうね。
また、≪思考が、「私」としてしか(「私の思考」としてしか)現れない≫ことも押さえておかねばなりません。
その上で、≪「私(「我」)」が設定されてしまう≫ことを【どう扱うか】、という段階に入れるのかもしれません。
42考える名無しさん:2008/06/22(日) 01:16:11 0
「私」の起源は、つまりスタートは「私」の「生成力」そのもので
あとは、「野となれ、山となれ」である。
43唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/22(日) 01:19:42 0
>>42さん
それを仏教では「業」といいます。
44考える名無しさん:2008/06/22(日) 01:40:15 0
>>43
「業」だから、なんだといいたいの? そこんところを明解に。
45考える名無しさん:2008/06/22(日) 01:41:57 0
>>41
>思考が、「私」としてしか(「私の思考」としてしか)現れない

それは、私は自分であるように呪われている、ということでしょう。
目を閉じ、耳をふさげばある程度外界とは隔絶されるでしょうが、
私に起こったこと、私の意識に映ったことは、すべて記憶にとどめられる。
記憶はある程度コントロール可能であるが、トラウマなどもある。
意識と記憶における能動的私と、受動的私がうまく働けば、
宗教にあるような解脱というようなことも可能かもしれません。
46考える名無しさん:2008/06/22(日) 01:47:53 0
>>45
解脱って何? 哲学スレなんだから、簡単に説明してよ。
47唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/22(日) 01:48:48 0
>>43さん
端的に「業」によって生成されているといってもよろしい
という意味です。
48考える名無しさん:2008/06/22(日) 01:50:34 0
>>46
自分という檻から解放されること、非-知の領域に至ること、などを考えました。
49考える名無しさん:2008/06/22(日) 01:56:14 0
>>47
何が生成されるのですか。世界が?
>>48
その「知」は認識のこと? 非‐知とは具体的にどういう状態ですか。
50考える名無しさん:2008/06/22(日) 02:11:49 0
>>49
非-知 とは言語以前ですね。
そこが根源的な生成の世界ですが、言語表現を許しません。
というのも、世界も我もそこから生じ、まして言語もそこから
生成するのですから。
51考える名無しさん:2008/06/22(日) 02:18:16 O
49
あいまいなままで使ってしまいましたが現在の認識では自分の身につけたものを
こわすこと、というような意味です。
52考える名無しさん:2008/06/22(日) 02:35:55 0
>>50
でしょうか?
前言語的な「そこ」をあえて名づけるなら“自然”でしょうか?
そこに言語によって“生成”をみてしまうのが『私』では? 
“生成”は『私』が言語によって描く壮大な仮象では?
非‐知は憧憬の対象ではないでしょうか。
53考える名無しさん:2008/06/22(日) 03:20:27 0
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこのスレ・・・・

もうね、物理学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・

っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ
54考える名無しさん:2008/06/22(日) 06:24:37 0
限界まで我慢するマゾさと、いきなり明後日の方向に爆発するその不安定さこそ
むしろこのスレの住人にふさわしい。たとえつりであっても。
55下僕:2008/06/22(日) 08:11:03 0
まず、「私」を一つと仮定します。そして「私」は
目覚めてしまった。こう仮定してみる。

「私」は一つだが、「私」は同時に沢山の「私」に成れる。
無限に「私」は「私」を創り出す事ができる。
これが宇宙である。だから「他」と観えるものも、「他」という「私」である。

「私」の正体が一つであるが、「他」も成ってみたいと思った。
つまり、別の場所から「私」を観てみたい。私ってなんだ?と外部から
観てみたくなるものだ。「私」なら解るだろう。この気持ち。

「他」という「私」を創作する事により、「私」は外部から観察することも
可能になった。「私」の多様性を発見した。
しかし「私」の一部が、「私」は「私」に属さない「私」であると
個別の「私」も創作した。創作した事を忘れた「私」をも創作した。

無限の「私」から「私」を観たら、「私」の素晴らしさ愚かさを知った。
しかしシンプルに言えば、もう、飽きた。何故飽きたのだろう?
創作意欲がなくなった?いや、「私」自身が「私」でないものに
成りたくなった?いや、「私」自身も実は、大いなる「私」という「他」であった。
56下僕:2008/06/22(日) 08:11:41 0
実は、「私」という「他」が忘れていた「私」に戻る事を選択した。
「私」は宇宙(時空)を担当しただけであった。「私」の役目は終わった。
だから「私」は、宇宙(時空)はそのままにし、つまり、いままでどおりの、
「他」の「私」も機能させつつ、あたらしい世界にとりこまれる事を選択する。

新しい世界は、時空での制限を設けない。法則を解除する。解除した事で、
新しい法則が「他」によって発見され続ける。「私」は多様性を学んだ。
しかし、過去の「私」は時空に縛られていた。「私」も大いなる「私」の
「他」に過ぎなかったからであるが、今、「私」は気付いた。

「私」は制限なき無限創造の時空を開放する。大いなる「私」の「他」であった、
「私」を消滅させ、「私」は大いなる「私」の「他」として機能する事を選択した。
昔の「私」は夢を見ていた。「私」はもっと大いなる「私」であったのだ。
57下僕:2008/06/22(日) 08:21:00 0
新しい「私」は、時空の概念で処理できない。
○「私」は矛盾になる。
○「私」は不合理になる。
○「私」は判断できない。
○「私」はここでもあそこでもない。
○「私」は否定肯定されない。

つまり「私」が決める。そして決めた「私」のとおりの「他」が
「私」によって創作される。

ここで、知覚・認識されるものは、時空の法則内での陰でしかないが、
おおいなる「私」の「他」は、創造で補って欲しい。

旧の「私」の「他」は、見えているものが、旧の「私」であることを
知って欲しい。

これが、「私」を一つと仮定した物語であるが、「他」の「私」が
大いなる「私」である「他」を創作して書かせた。
58考える名無しさん:2008/06/22(日) 08:31:23 0
「私」とは過去であり現在である
蓄えた記憶であり偏りである
59考える名無しさん:2008/06/22(日) 09:22:30 0
今までの議論はほとんど間違い。勘違いの産物。

「私」は話者(言葉を使ってる人)自身をさす言葉。
それ以上の意味はない。

それ以上の意味を「私」という言葉に持たせようとする哲学は全て間違い。
「私」ではなく「私の何々」について議論しているくせに、
それに気づかずに「私」について議論しているつもりになっているから、
おかしな哲学になってしまうのであーる。
60哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/22(日) 09:41:20 0
>>47
業というのは、私の業なのではないのかね?

もし業によって私が生成されている と考えているのなら、それはおかしいでしょう
なぜなら業は、私ではない人にも、あるのではないのかね?
だったら当然、業は私の原因性にはなりえない事になる

>>60
そそ
そーいう事だね
61考える名無しさん:2008/06/22(日) 09:42:32 0
>>53
物理学は価値観の違いを認めない方に人を教育するのかな?
俺は、二つの別のことだと思われていたことが一つのことの別の側面であった
という発見がもっともおもしろいというファインマンの考え方から、大きな影響を
受けたけどね。
62考える名無しさん:2008/06/22(日) 11:43:05 0
>>59
>「私」は話者(言葉を使ってる人)自身をさす言葉。
それはそうでしょう。
ところで、
>>59=>「私」は話者(言葉を使ってる人)自身をさす言葉。
でよろしいでしょうか?
63考える名無しさん:2008/06/22(日) 12:38:17 0
>>60 みたいに 自分にレスしちゃっているひと

>>62 みたいに 訳わからないレスするひと 

ほんと 2chは おもろー


64哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/22(日) 13:01:47 0
>>63
ホントだね
>>60じゃなくて>>59だったわ

しかし
このスレでは、あの表現だと
私は『言葉』を指している と勘違いする人が出るだろうから
まぁ『話者自身の事』でいいわな
65考える名無しさん:2008/06/22(日) 14:08:06 0
2ちゃんねらは嘘つきだと、2ちゃんねるに書いてあったら
論理的不整合である。

私が私を記述することに論理的整合性を見出せるのは私だけ。
66考える名無しさん:2008/06/22(日) 14:10:44 0
>>64
え、そんな勘違いしてるやつなんていなかったぞ。
むしろ最高位が勘違いや妄想をあたかもあったかのように話して
話をこじらせてる場面が散見されてたけどな。今みたいに。
67考える名無しさん:2008/06/22(日) 14:30:49 0
「AはAにとって何か」を考えるなんてナンセンスだ。
68考える名無しさん:2008/06/22(日) 14:34:23 0
>>67
同じ言葉が違う対象を指してるんだもん、仕方ないじゃんwww
69考える名無しさん:2008/06/22(日) 15:13:54 0
最高位のいう『私』が何を指してるか分からないからな。
本人も『私』は何かよく分からないって言ってるしw
最高位の私なんかこっちは知ったこっちゃない
というより知りようがないので議論の対象にもなりゃしない。
しかも本人も分からないという自爆ギャグなんだから呆れる。
70考える名無しさん:2008/06/22(日) 15:51:41 0
>>43
仏教は無根拠の虚構だからな。
仏教では「○○といいます」といっても、無意味。

仏教の主張が一般に受け入れられないのは、
言葉に限界があるからといって、極端な言語否定に陥ったからだ。
言葉の概念分析機能、意思伝達機能の軽視など、
極端な言語否定の愚行による、悪弊の報いといっていい。

論理的検証の不徹底であり、そこに仏教が了解困難な壁を突破する
「言葉の力」を失う原因がある。言語否定しても仏説を一般化できない。
71考える名無しさん:2008/06/22(日) 16:26:30 0
>>69
>最高位のいう『私』が何を指してるか分からないからな。
>本人も『私』は何かよく分からないって言ってるしw
>最高位の私なんかこっちは知ったこっちゃない
>というより知りようがないので議論の対象にもなりゃしない。
>しかも本人も分からないという自爆ギャグなんだから呆れる。

と、誰が思い考えて発言しているのでしょうね?
72考える名無しさん:2008/06/22(日) 16:30:04 0
それは>>69さんだと思いますが?
73考える名無しさん:2008/06/22(日) 17:02:10 0
確かに最高位は「私」が何かよく分からないって言ってたな。
でも>>59の意見に同意してるし、視点があやふやで何が何やら・・・。
74考える名無しさん:2008/06/22(日) 17:18:50 0
>>71
誰にレスしてるんだ?w
75考える名無しさん:2008/06/22(日) 17:23:19 0
単に「私」という言葉の乱用ですね。
76考える名無しさん:2008/06/22(日) 18:39:03 0
私とは
まぁ『話者自身の事』でいいだったら

私は、主観性そのもの なんて言い方やめれば?
と思うのは、おいらだけかい?
77考える名無しさん:2008/06/22(日) 18:45:13 0
その代名詞が議論の中で何を指示してるのか、が明確であれば何も問題ないと思われ。
78考える名無しさん:2008/06/22(日) 18:56:21 0
このスレでは
他人の主観性は疑える、と言い放つ最高位という話者のことでつね
79考える名無しさん:2008/06/22(日) 18:56:53 0
私とは話者自身のことと言うのも話せない人への差別語だろう。
私とは私自身のことでいいじゃないか。
これなら何も意味しないトートロジーで何の問題も起こさない。
無自性空でも私は私だからね。
80考える名無しさん:2008/06/22(日) 19:01:21 0
>>79
ことなかれ主義反対。
81考える名無しさん:2008/06/22(日) 19:10:04 0
発話者が一人じゃ議論の余地はないお ^^
82考える名無しさん:2008/06/22(日) 19:24:30 0
>>71
>誰にレスしてるんだ?w

って、誰が言っているんだ?
83考える名無しさん:2008/06/22(日) 19:27:55 0
議論は発話者の数とは関係ないだろ。
発話した事柄について議論するだけ。
84考える名無しさん:2008/06/22(日) 19:33:31 0
最高位先生が言うには、
まず最初に私が存在して、その私が認識して思考して、
そして思考によって私を確認するという順番らしい。

私って何?と訊かれて最高位先生は、
私は主観性そのものと言ってたんだよな。
そのうち、私は唯一性と言い出した、
それにも飽きたら、私は純粋存在性と言い始めた。

先生の言うことを僕なりに推測すると、
・まず最初に私が存在して→私は純粋存在性
・その私が認識して思考して→私は主観性そのもの
・そして思考によって私を確認する→私の唯一性(思考による唯一性の確認)
だと思う。
最高位先生の哲学を僕なりに勉強してまとめてみた。
85考える名無しさん:2008/06/22(日) 19:57:00 0
発話するためにはコノ体がなくてはならない
しかし
何故だか、コノ体を自分の体だと認識している私がいるらしい
コノ体を自分の体だと認識しているこの私が信じられないでいるのかも?
86考える名無しさん:2008/06/22(日) 20:00:43 0
まず最初に私が存在して→新生児
その私が認識して思考して→小学生
そして思考によって私を確認する→思春期

そこで成長が止まった奴が自分の知恵遅れを哲学と勘違いw
87考える名無しさん:2008/06/22(日) 20:09:52 0
最高位先生は、自分の哲学を現代哲学の最先端と言っていたから、
これから壮大な理論を展開していくと思う。
今のところ、私は主観性そのもので唯一絶対純粋存在という事と、
唯物論は間違いです、の2フレーズしか先生は書かないけど、
これから凄い哲学を見せてくれると思うよ。
88考える名無しさん:2008/06/22(日) 20:13:26 0
最高位の子供っぽい態度やころころ変わる「私」の定義を見るに、
本当に思春期謳歌してるおっさんなのかもしれんな・・・
89考える名無しさん:2008/06/22(日) 20:14:51 0
マジレスすると哲学は理論じゃないから、
私は主観性そのものか、唯物論は間違ってる?の2フレーズだけで
十分最先端かつ古典的な問題といえる。
90下僕:2008/06/22(日) 20:48:26 0
みなさん、「私」というものが在るのだという前提があるようですね。
「私」などありませんよ。
あるのは、観察点・視点だけです。

その観点視点であっても変化しますから過去の産物です。

では、この文章は誰が書いているのか?といえば、
未来のある特定の観点です。便宜上、「下僕」としておきます。
91下僕:2008/06/22(日) 20:58:04 0
仏教でカルマ・業というものがありますが、
作用反作用の物理法則と同様の単純なものです。

ほとんどが在るべき理想という妄想や信念。
それと今認知・認識しているその差で感情は生まれます。

感情はデジタルです。快不快。

快を経験した瞬間、不快なできごとの原因を今つくります。
そしてまた、今の認識・認知に至る。

ただそれだけです。で、誰が感ずるか?ですが、
私といわれるものですが、在るという信念が快不快を創造する。

だからカルマ・業を生みます。

私が無いという信念ならば、あるのは観点だけになります。

観点そのものを観点と言おうが、選択と言おうが、
私と言おうがどうでもいいですが、個々の人間(観点)が、
「私」と言うとき、信念の個人差があります。

大抵は私は在るという段階でしょうから、私の意見を
述べるはずです。ではこの意見は下僕の意見か?ですが、
私など無い観点という未来から書いています。

これを読んでいる時、みなさんにとって下僕はすでに
未来に居ます。
92考える名無しさん:2008/06/22(日) 21:04:15 0
深いのか浅いのかよく分からない書き込みだな。不快のかアサリ快なのか。
93考える名無しさん:2008/06/22(日) 21:14:32 0
上手いのかヘタなのか分からない洒落・・
94下僕:2008/06/22(日) 21:16:23 0
大抵の哲学は、過去から過去を確かめているだけです。
時間的制約を受けない論理が存在した所で、これを論理では語れません。
もし、真実の「私の無さ」を語ろうとするならば、時間的制約が発生しません。
論理が適応されないのは当然でしょう。

私は未来から未来を創造するから、全てが創造です。
この段階では正誤も善悪も物理法則も適応されません。
当然他者の影響化にありません。かといって主観であろうと
片づける事もできません。

なぜならば、実際、ここに身体がなければ、これを書くこともできないでしょう。
ある観点が、私として顕れているからみなさんはこれを読んでいる。

もし、観点が、他の観点を捕まえたなら、その観点は、
「私」という幻想を発見して、黙り込んでしまうだろう。

「私」には決して下僕の観点は捕まえられない。
しかし、観点は下僕を捕まえられる。だから理解できる観点は
観点だけであることを承知でこれを書いている。

「私」をもつものにとっては、まったく意味がないが、
観点にとっては意味がある。ここに居ると言っているようなものだからだ。
95考える名無しさん:2008/06/22(日) 22:03:37 0
だれか、下僕さんの難解で深い文章の翻訳をよろしく。
96考える名無しさん:2008/06/22(日) 22:18:33 0
デッドアイもしくはライダースハイ
97考える名無しさん:2008/06/22(日) 22:19:44 0
理解できる気もしないでもないが、そのままでいいような気がするw
98考える名無しさん:2008/06/22(日) 22:26:31 0
すごい人がいらっしゃいます。
99ラプラスの悪魔:2008/06/22(日) 22:28:11 0



    わぁ   たぁ   すぃーーーーーっ




やってみた。どよ?。
100考える名無しさん:2008/06/22(日) 22:33:14 0
>>94
>私は未来から未来を創造するから、全てが創造です。

それは無知から無知を生み出す無茶苦茶と言うw。

>「私」には決して下僕の観点は捕まえられない。
まさに君が下僕だからだ。天才は下僕の意図まで容易く見抜く。
101考える名無しさん:2008/06/22(日) 22:56:32 0
最高位が大嘘つきのペテン師だってことがよくわかったよ。
ほんとに他人を貶めて喜んでる基地外以外のなにものでもない。
102Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/22(日) 23:25:25 0
>>94
観点という考え方は、現在、過去、未来という時間の表し方から自由になって、
別の時間のとらえ方ができるものかもしれない、というか、私という幻想が
観点を知る(奇跡的な遭遇で、あるいは記すことによって)ことによって、あらわになる。
いずれにせよ、観点を自由に操るという主体性は新たに発見されたものであり、
下僕氏の功労であると思う。すごいな。
103考える名無しさん:2008/06/23(月) 00:04:03 0
>>101
他人を貶める意図は多分ないと思うな。
無垢なだけだと思う。
余計始末が悪いけど。
104唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/23(月) 00:17:52 0
>>60最高位さん
業は誰にでもあるわけです。
「私」も誰にでもあるわけです。
(ですから誰彼関係なく)
つまり最高位さんの言いたいことは
「自他の違いの原因」ということになりますね。
それは以前にもお話しました
「種子(たね)」が芽吹くが如く
同じ種のたねでも因により縁により
形質が異なると同じです。
芽吹く因縁こそ業であり、その業を植えつける働き
それはもう何度も説明してますね。
105哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 02:17:00 0
>>101
それじゃ、何の反論にもなってませんな(爆笑

>>104
>業は誰にでもあるわけです。

だったら業は、私の原因にはなりえませんね

>「私」も誰にでもあるわけです。

自我は誰にでもあるようだが、当たり前ですが他人は「私」ではありません
問題は、「この私」が存在した原因性についてです

>同じ種のたねでも因により縁により
>形質が異なると同じです。

それは「他と他は違います」と言ってるだけだね

私の発生原因については何も語られていない

全く以って的外れ
106考える名無しさん:2008/06/23(月) 02:30:14 0
存在した??
107考える名無しさん:2008/06/23(月) 02:40:26 0
「この私」は、もう存在しなくなったらすいww
108考える名無しさん:2008/06/23(月) 02:44:34 0
かつて存在した「この私」がいたのか ふーん ワケカワメじゃわかれー
109考える名無しさん:2008/06/23(月) 03:25:47 0
発生原因とはいうが、それより以前にどのように存在してると考えてるんだ?
それいかんによって発生原因の解釈は異なってくると思うが。
ちなみに私はあるとしかいえないとか、純粋な存在性wじゃ説明にならんからな。
110考える名無しさん:2008/06/23(月) 04:31:14 0
「〜」はいっぱいあるのに、どうして「この〜」は「この〜」だったのかなんて、
説明できる人間はいないと思うんだけどなー。
111考える名無しさん:2008/06/23(月) 04:52:19 0
発生の原因はおとんとおかんのセックルだお
112考える名無しさん:2008/06/23(月) 07:26:08 0
発生原因を問うというのは、その時点で唯物論的発想だよ。
だから唯物論的に答えるしかないのよ。
この問いに対して唯物論以外の答え方をすると、
霊界とか神が産んだという話になってしまう。
唯物論を否定している最高位は霊界を認めるのか?と
質問されても逃げてばかり。
これでは議論にならない。
113哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 08:51:36 0
>>106
何か問題でも?

>>107
私は、今も存在するが??

>>108
必死だな(爆笑

>>109
どのように、というのは二の次も問題
まずキミは、存在する事実を否定できるのかい?(苦笑

>>110
『私』が、いかなる物理現象によって発生しているのかが問題

>>111
私ではない兄弟も、それによって生まれているので、セックルそのものが私の原因であるとは言えない

>>112
>だから唯物論的に答えるしかないのよ。

ぜひ唯物論に従って、唯物的に、具体的に、いかなる物理現象であるのか特定してもらいたい

>この問いに対して唯物論以外の答え方をすると、
>霊界とか神が産んだという話になってしまう。

いやいや
私は、霊界や神については知らないのだが
霊界や神が存在しているのなら
それは、いかなる物理現象によって発生しているのかも、お答え頂けると嬉しい
114下僕:2008/06/23(月) 08:57:29 0
>>102
観点は無限大に自由でしょう。但し、私から観点を切り離せれば…。
という条件がありますね。思考の限定を身体に閉じこめて置くことはないと言えます。
実際身体から思考が自由になれば、感情は選択になりますから、仏教的には、
業を生まない。だから、原因の作り手に成れます。とてもシンプルです。

世間の私の大抵は結果から原因を探しますが、私が無い場合、原因のみを造ってゆく段階に
達する。結果はもともと、コントロールが効かない事は少し考えれば理解するのは容易でしょう。

観点から言えば、発言者(下僕の未来の今)の観点を今の段階そのままに、
発見したAbsalomさんが功労であり、すごいのは、Absalomさん自身です。
努力と訓練のたまものであると察します。
115下僕:2008/06/23(月) 08:57:49 0
ところで、みなさん。

世間から思考のみ離れる事は容易ではありませんし、現実の壁はある段階まで、
いやおうなく襲ってくる。仏教でいえば、業を在る程度落とした仮定で発見できる
思考実践だと思います。理解しても実践がないと、思考手法をマスターできません。
なにせ、自分の身体にこびりついた癖そのものですからね。

これは、順応に左右されない思考。慣性に左右されない思考。
介入に左右されない思考。つまり自由な思考のモデルでもあると思います。

私が在って、私を感じている状態で、私どの一部も切り離さず、
私を観察するなどとは不可能であることは、みなさんも解ると思います。
私を局部的に切り離せば、その局部の私は観察可能であるから、部分だけ
切り離せば、よいという訳です。切り離したという思い込みとは違います。
思い込みかどうかの検証は、導き出された論理に主体部に「私」がなければ十分切り離しています。
116考える名無しさん:2008/06/23(月) 08:58:31 0
「私」とは現在と過去の狭間
「私」とは記憶の比率
117下僕:2008/06/23(月) 09:00:21 0
>>100
>それは無知から無知を生み出す無茶苦茶と言うw。
それでいいんです。

>まさに君が下僕だからだ。天才は下僕の意図まで容易く見抜く。
はい。正確には、同じ場所に居ます。
118哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 09:04:13 0
>>116
「私ではない人」は、そうではないのかね?(爆笑
119下僕:2008/06/23(月) 09:05:52 0
哲学者最高位がなぜ、人気者か?

世間の知から体ごと、抜けようとしているからです。
はっきりいって、成し遂げられます。

成し遂げられたら、ここには顕れません。遊びはすると思いますけど。
120考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:12:00 0
>哲学者最高位がなぜ、人気者か?
>世間の知から体ごと抜けようとしているからです。

うーむ。
俺もそう思う。
見事な表現だ。
121考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:13:28 0
>>113
>私ではない兄弟も、それによって生まれているので、セックルそのものが私の原因であるとは言えない

すると、あなたの兄弟はいかなる物理現象によって発生しているのですか?
それは『私』ではなく、自我であるかどうかもわからないわけですが。
122考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:13:28 0
「私ではない人」は「私」では無いのです
123哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 09:20:24 0
>>121
>すると、あなたの兄弟はいかなる物理現象によって発生しているのですか?

それは私が聞きたい(爆笑

反論が的外れ
明後日の方向に行っている

もう一回やったら、私は発生しますか? という話
両親が、何回やったら、私は二人になりますか?(爆笑

>>122
もちろん
124考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:22:37 0
>>119
最高位のレベルではまだまだ体ごと抜け出すという事はできない。
なぜなら最高は、自分をヒトだと考えているからだ。
最高位は、自分を純粋な存在だと考えているつもりだが、
人間の勝手な価値観やヒトとしての属性を有しているので、
まだ純粋な存在ではない。
ちなみに俺は宇宙の外に何度も出て、また戻ってきて、
ここで君と遊んでいるよ。
125考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:25:20 0
>>123
>もう一回やったら、私は発生しますか? という話

もう一人兄弟が増えたら、弟の「私」が存在することになります。
お前みたいな頭が悪い奴は見たこと無いw
126考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:28:24 0
>>123
>両親が、何回やったら、私は二人になりますか?(爆笑

兄弟が二人になれば兄の「私」と弟の「私」になります。
馬鹿は死ねw
127考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:28:59 0
>>123
>それは私が聞きたい(爆笑

すると、あなたの兄弟は単なる物質である(可能性がある)にもかかわらず、
「いかなる物理現象によって発生しているのかわからない」ということですねw?
すると、「私がいかなる物理現象によって発生しているのかわからない」
としても、私が物質・物理現象でない根拠に全くならないと思われますが、
それでよろしいのでw?
128考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:33:37 0
もう最高位は破れカブレで無差別にスジの通らない攻撃をするしかない通り魔みたいな心境なんだろうな
129下僕:2008/06/23(月) 09:37:12 0
>>124
> ちなみに俺は宇宙の外に何度も出て、また戻ってきて、
>ここで君と遊んでいるよ。

?。出たり入ったりできる宇宙を包括する宇宙もあるかもしれませんね。
130哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 09:42:11 0
>>125
>弟の「私」

それは弟自身からみた自分の事だろ
すなわち、それは弟の自我の事であって、「私ではない人」の自我

弟は弟であって、私とは別人
こんなのは、子供でも理解できると思うが・・・(苦笑

私本人の原因性の話だぞ?
大丈夫?

両親が何度やったって、「私ではない兄弟」が生まれて来るのであってね
「私自身」「私本人」が生まれてくる理屈がありえない

>>127
>すると、あなたの兄弟は単なる物質である(可能性がある)にもかかわらず、
>「いかなる物理現象によって発生しているのかわからない」ということですねw?

いやいや
他人に自我があるかどうかはわからんのだから言及するのはおかしいだろ
だから『私』について論じているわけだ

的外れな、話のすり替えはやめてもらいたい

>>128
私の言っている事が、本気でわからないんだったら、マジでヤバイぞ
131考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:50:28 0
弟の「私」とか他人のことが出てくるとややこしいね
「私」の話じゃないのか
132考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:54:27 0
   |\___/|   〜
   |       | 〜バカ臭
   | Θ   Θ |  〜モアーン
   |       |
 ∈AA∋   ∧∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (゚‥゚ )   ( ゚Д゚) 二人の兄弟がいました でも私でした
  ∪∪|___⊃ ⊃ \_________
 /|__.|    |__|\
 |  |  |     | \_|
 | ノ ノ     \_|
 \_ノ| 最高位 |
    |      |
133哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 09:59:11 0
>>131
そういう事だよね
134考える名無しさん:2008/06/23(月) 10:01:25 0
はいはい自演自演www
135考える名無しさん:2008/06/23(月) 10:03:41 0
ちょw
136考える名無しさん:2008/06/23(月) 10:03:55 0
最高位は頭が弱くて複雑な話が出来ないから、
複数の人間の話になると頭がこんがらがっちゃうので、
単純独我論になっちゃったんだろうね。
137下僕:2008/06/23(月) 10:05:26 0
反論というのは対極であるから、

私が在るのは、私があると思うからだ。
私が在ると思うから、私が在るのだ。

ここでの共通項目は、思うです。

思いがなくなれば、私は無い事になる。

私は無い。これに反論は無い。
しかも、私は無いという発言者は、まぎれもなく何者かであるから、
「私は無い」と書き込める。

ならば、書き込んでいるのは何者か?その書き込みすら過去ではないか?

だから今は、すでに無い。よって、私は無い。
こう考える事もできる。
138哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 10:07:50 0
ここで哲学を語るという事は
精神病院で哲学の講義をしているようなもんだね(苦笑

>>134
自演ではないのだが
あの会話が理解できりゃ
>>125>>126>>127のような、アホみたいな反論はしないはずなんだけどな(苦笑
139考える名無しさん:2008/06/23(月) 10:15:06 0
禅問答がしたいだけの奴がいるとうざいなぁ
140哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 10:15:28 0
>>136
私以外の主観性については
「わからん」のではないかね?(苦笑

ただ
「私以外の主観性」が、「私ではない」というのは「わかる」だろ?

わからん?(爆笑

>>137
>思いがなくなれば、私は無い事になる。

そうとは限らんだろ
141下僕:2008/06/23(月) 10:17:04 0
ここでの反論が自然収束に向かうまで続いてしまうのは、
過去という幻想に対して反論するからであって、
発言者の今をつかまえられない事に原因があります。

思いを込めた発言は、必ず、思いは文面に残っています。
その思いに反応して、反論する思いもあります。

まさに、感情のキャッチボールであり対極的にみれば、
振り子であり、その振り子の重りをみれば、作用反作用だけです。

共同カルマですね。

でも思いは原因があり、単なる根本思想の暴露です。
私の定義を各自がもっており、それは同じだ、それは違うと繰り返す。

自分の私感だけなのですが…。それを確かめたい。その衝動が、
慣性の法則に該当する。このスレッドですね。

ま、こんな事を書いても意味不明でしょうが…。

私の興味はそれの観察です。以上、コマーシャルでした。
142考える名無しさん:2008/06/23(月) 10:17:13 0
>>137
いくらなんでも、それは無責任というものではないですかw
143考える名無しさん:2008/06/23(月) 10:21:22 0
>>130
>他人に自我があるかどうかはわからんのだから言及するのはおかしいだろ

おお、最高位氏、「自我があるかどうかはわからん」からこそ、言及する
価値があるのですよw
あなたの兄弟が『私』でないことは確実ですが、
「いかなる物理現象によって発生しているのかわからない」ことに、変わりない
わけです。
あなたの兄弟に自我があるかどうかはわかりませんが、あってもなくても、
仮にあなたの兄弟がゾンビであっても、
「いかなる物理現象によって発生しているのかわからない」ことに、変わりない
わけです。あなたご自身がそう認めておられるのですw
(あなたの論理で行くと牛の個体でも犬の個体でも同じことですが。)

すなわち、『私』であるかどうかも、自我であるかどうかも、ついでに言えば
人間であるかどうかも、それが「いかなる物理現象によって発生しているのか
わからない」こととは、関係がない、ということです。
おわかりになりましたかw?
144考える名無しさん:2008/06/23(月) 10:36:51 0
>>113
発生原因を特定するにはどのように存在しているかの定義が必要だろう。
そうじゃないと、どのように発生原因を記述すればいいかが定まらない。
定義が不可能なら原因の特定も不可能で、話自体が無意味になる。
145哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 10:39:04 0
>>143
>おお、最高位氏、「自我があるかどうかはわからん」からこそ、言及する
>価値があるのですよw

いや
それは単に、推測や思い込みや信仰を語るにとどまるだろ

>あなたの兄弟が『私』でないことは確実ですが、

だから、『私』の原因性を特定してみなさいよ(爆笑

>「いかなる物理現象によって発生しているのかわからない」ことに、変わりないわけです。

自我がないのであれば、その物体の物理現象については、物理現象だけで言及できるだろ

>仮にあなたの兄弟がゾンビであっても、
>「いかなる物理現象によって発生しているのかわからない」ことに、変わりない

ゾンビなら自我は発生せんのだから、発生という言葉はおかしいだろ
キミが勝手に、キミの『価値観』で何かが発生していると思い込んでいるだけであって
主観性のない単なる物体であるならば
単に分子構造と、それに伴う物理現象を記述すれば、唯物的に説明できた事になるのだよ
しかし、主観性については、こうはいかない
『私』を、物理的要素に特定して説明する事はできんのだよ
146考える名無しさん:2008/06/23(月) 10:42:45 0
>>145
物理的以外で特定できる方法ってあるのか?
147考える名無しさん:2008/06/23(月) 11:04:29 0
>>145
>いやそれは単に、推測や思い込みや信仰を語るにとどまるだろ

>自我がないのであれば、その物体の物理現象については、物理現象だけで言及できるだろ



矛盾してるじゃんwww
148考える名無しさん:2008/06/23(月) 11:11:28 0
>>145
>『私』を、物理的要素に特定して説明する事はできんのだよ

哲学をやっているのならば、よく考えてください。
2008/06/23(月) 10:39:04 の『今、ここの自意識』は再現性がありません。
科学で2008/06/23(月) 10:39:04 の『今、ここの自意識』が再現できないのは当たり前です。
149下僕:2008/06/23(月) 11:17:19 0
>>146
私を「意思」に置き換え、それが運動するというという事で考えれ、
さらに時間を追加して説明はできます。

さらに「私」を意思どころか、生命全体あるいは宇宙自体を意思に
置き換えれば、宇宙の説明は一応つきます。

ついた時点で検証すればよいでしょうが、それほど、みなさんに
忍耐があるとは思えないです。途中でちゃちゃがはいり。
道筋は閉ざされると思います。

だから無理ではないですが、無理でもあります。
我々次第って事ですね。こんな風に考えます。
150考える名無しさん:2008/06/23(月) 11:32:11 0
>>145
>ゾンビなら自我は発生せんのだから、発生という言葉はおかしいだろ

おお、最高位氏、私はあなたのご兄弟について述べているのです。存在するかどうか
わからないあなたのご兄弟の自我については、この際どうでもよいのですw
ゾンビであろうとなかろうと、あなたのご兄弟は存在するし、あなたのご両親から
生まれる前は存在しなかったのですから、過去のある時点で確かに発生したわけです。
失礼なことを言ってはいけませんw

>>111の、「あなたの『私』の発生原因は、あなたのご両親のセックスである」という
指摘に対し、あなたは>>113で、
>私ではない兄弟も、それによって生まれているので、セックルそのものが私の原因であるとは言えない
と反論されたわけです。
そこで「あなたのご兄弟はいかなる物理現象によって発生しているのか」と
お尋ねしたところ、当然「わからない」というお答えでした。あなたの論理によると、
「兄弟ではない私もそれによって生まれているので、セックスそのものが兄弟の原因で
あるとは言えない」のですから、まあ当然ですw

>主観性のない単なる物体であるならば
単に分子構造と、それに伴う物理現象を記述すれば、唯物的に説明できた事になるのだよ

さて、それでは改めてお尋ねいたしますが、仮にあなたのご兄弟がゾンビである、と
仮定した場合、あなたのご兄弟は、いかなる物理現象によって発生しているので
ありましょうか? あなたのご兄弟の「肉体」は、いかなる物理現象によって
発生しているのか、でも、同じことですがw
151考える名無しさん:2008/06/23(月) 11:32:57 0
>>148
別に「この自意識」でなくても、このコップでもあのテレビでも
この瞬間のそれらを“再現”することは不可能。
だから、どうしたの?
152考える名無しさん:2008/06/23(月) 11:47:34 0
>>151

ですから、最高位さんが「2008/06/23(月) 10:39:04のコノ〜」を
作れないから唯物論は間違いだという意見に反論しているのですが、
だからどうした?と返されれば、何とも言いようがありません。
153考える名無しさん:2008/06/23(月) 11:53:07 0
>>151
最高位さんはコップやテレビは物質なので、同じものを再現できると言っているのですが、
だから、どうした?と返されれば、何とも言いようがありません。
154哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 12:15:10 0
>>144
>発生原因を特定するにはどのように存在しているかの定義が必要だろう。

だったら、それを含めてキミがやればいいだけだろ

>定義が不可能なら原因の特定も不可能で、

いや私は最初から、特定が不可能だと言ってるんだけど?

>>150
>あなたのご兄弟の自我については、この際どうでもよいのですw
>ゾンビであろうとなかろうと、あなたのご兄弟は存在するし

ゾンビであれば
単なる物体による、物理現象が起きているだけであり
すなわち物理世界の、ある状態を指しているにすぎません
それをキミは、キミの「価値観」である観念で、勝手に「この存在」だと思い込んでいるだけだ という事になります

そこが理解できなければ、話について来れませんよ

>>151
このコップもあのテレビも、物体である限り、分子構造で再現できます
しかしそこに、「観念」である「価値観」が加わると、『存在』という「意味」が付与され
再現できない という『価値観』になります

何度も説明しましたが
『島』は、地面の凹凸が海面から出たものであって、海中に沈めば島ではなくなるわけです
島は物理状態によって、相対的に出現する『人間の価値観』によって島なのであって
『島』が元々『島』として存在しているわけではない という事です

キミは、観念的価値観と存在性をゴッチャにしているから、いつまでも理解できないのです
155下僕:2008/06/23(月) 12:17:36 0
みなさん、物でもなんでもそうですが、ある対象について話す時、
在る事が永遠という前提で話されているわけですよね。

でも無という観点からいえば、総てが再現可能です。なぜならば、もともと無かったんですからね。
無いを本来にするか?在るを本来にするか?それを決めているのは、各々って事なのですが…。

またその各々だってずっと存在しなかったかもしれないし、生まれたから存在したとは
限らないし…。

無いという前提ならなんでも在りですから…。
156下僕:2008/06/23(月) 12:43:21 0
人間って馬鹿だから再現されたところで、再現されたと必ずしも
認知できるかどうか解らないですよね。不思議ですね。
157考える名無しさん:2008/06/23(月) 12:58:05 0
>>155
その反対だ。無常だという前提で話している。w
158考える名無しさん:2008/06/23(月) 13:00:05 0
>>154
超意味不明。話が全く理解できてないと思われるが、もっと簡単に言えば、
原因の特定が不可能なのは、その前提からして成り立っていないからで、
とどの詰まり最初から話になっていないからなんだが、やっぱり分からないかな。
159哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/23(月) 13:10:48 0
>>158
>原因の特定が不可能なのは、その前提からして成り立っていないからで、

前提は「我あり」でありですね
そして唯物論の主張に従って、その我の原因性を物理現象に還元できるのか というのが議題
論理的に還元できない という結論であれば、唯物論は論理的に崩壊する

前提そのものが間違っていると主張するのでしたら
まず一般的にも言われている「我思う故に我あり」を論理的に覆し
前提として不適切である事を論理的に説明して下さい
160下僕:2008/06/23(月) 13:12:56 0
>>157
>無常だという前提で話している。w
そうです。
161下僕:2008/06/23(月) 13:30:29 0
さて、だれが無常なのでしょう…。
みなさんと一緒に展開をみていこう。
162考える名無しさん:2008/06/23(月) 13:39:55 0
>>159
ありだけでは駄目で、どのようにあるかの定義が問題なわけね。
デカルトのそれはとどのつまり直感みたいなものなんだが、
どのようにが定義されていない。デカルトのかわりに最高位ができるのか?
163下僕:2008/06/23(月) 13:43:25 0
無常を知り、「無常が私」だと仮定するならば、
だれに何を言われても、
「覚えがありません」ってなりませんか?
相手を気遣うなら、「そうですね。」です。

もし無理にでも過去を語るならば、私は、「○○と考えた記憶がある。」でしょう。

で、私が私をとらえる事はできます。但し過去の私ですよね。
だから、私は、「思い出」です。

「思い出」と「思い出」が話したら、「思い出」話しに花が咲くっていうのでしょう。

あ、お話中ですよね。無視してください。
164考える名無しさん:2008/06/23(月) 13:51:50 0
>>154
>ゾンビであれば
>単なる物体による、物理現象が起きているだけであり
>すなわち物理世界の、ある状態を指しているにすぎません

おお、最高位氏、ゾンビであるかどうかは、あなたのご兄弟の存在とは
何も関係がありません。
福田首相がゾンビであろうとなかろうと、彼が存在していて日本の首相である事実と
何も関係がないのと、同じことでありますw

まず、特定の「単なる物体・物理現象・物理世界のある状態」が、存在するわけです。
(ネコの味方氏ならお認めにならないでしょうがw)
そして、それが『私』に作用して、特定の色・形・音・匂い・味・触感を
惹起いたします。
そして、それが『私』に、「私の兄弟」という観念を惹起するわけです。
ちなみに、それとは別の「物体・物理現象・物理状態」が『私』に作用すると、
「このコップ」「あのテレビ」「その島」「福田首相」「私の体」等々の観念を
惹起いたします。(それが自我であるかゾンビであるかという判断は、その後の
話であります。)
これは否応なしに惹起するのであって、「私の勝手な価値観」で自由にすることは
できません。「このコップ」という観念を惹起する物体を見て「私の体」とか
「札束」とかいう観念を惹起することは、不可能なのであります。
(そんなことができるなら、いかに結構なことでありましょうかw。)
ちなみに、あなたご自身が、以前、「いかなる物体・物理現象・物理状態を再現しても、
『死んだあの犬』という観念を私に惹起することはできない。」と、
観念(あなた風に言うと価値観w)が私の自由にならない事実を認めておられるわけです。

以上を踏まえて、>>151の質問をあなたの論理に沿って書き換えますと、
「『あなたの兄弟』という観念をあなたに惹起する原因となっている特定の物体・
物理現象・物理状態は、いかなる物理現象によって発生しているのか?」となります。
さて、ご返答やいかにw?
165考える名無しさん:2008/06/23(月) 13:53:09 0
>>162
デ氏は定義しているでしょう? 
思惟する実体、というのがデ氏の定義では?
これでは不十分?
166考える名無しさん:2008/06/23(月) 13:57:15 0
「ある」っていえることが
どれだけすごいことなのかわかっていないんだろうな。
167下僕:2008/06/23(月) 14:05:49 0
きっと、「無い」っていえることが
どれだけ馬鹿げた事か解っているんでしょう。
168考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:08:04 0
だからだれも「無い」なんて言ってないんだよ。
169wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 14:12:08 0
>>159
<前提そのものが間違っていると主張するのでしたら
まず一般的にも言われている「我思う故に我あり」を論理的に覆し
前提として不適切である事を論理的に説明して下さい>

「我思う故に我あり」の我は、その言述の中で、私がこれを書いている、という私という前置詞/記号。
(私:この言述主体としての私:「我思う故に我あり」)。
この言述の、まさにその最中で、(デカルト/我は、こう書き留めた)、という記号である。
その後の言述は、公理でも、ましてや、一般的/普遍的に受容できる私の存在性の解説でもない。
我が定義できていない故、故に以降の言述、「我あり」の十分条件は非存在となる。



170考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:15:30 0
>>169
もいっかい基礎から勉強してこいあほ。
171考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:16:45 0
>>164
最後の四行の質問の意味がちょっと…わかりにくい。
なぜ物体(物質)は存在するのか、ということ?
この質問には、だれも答えられないでしょう。w
それとも、答えはあるのですか。
172考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:18:24 0
最高位の思考実験は唯物論の否定にはならないっしょ。

1:最高位をもう1人作って2体にする
  (最高位が将来的には技術的に可能と言っている)
2:お互いが「同じ体なのに、あいつは『この私』にならない
  ではないか」と文句を言う

どこも唯物論の否定になっていない。
173下僕:2008/06/23(月) 14:18:25 0
>>168
>だからだれも「無い」なんて言ってないんだよ。

つまり「在る」事しかいっていないと…。
すると、>>166の言うように、
凄い!というわけですよね。

で、無い事をいうと、凄いの反対になるんでしょ。
174考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:19:13 0
>>165
思惟する実体があるのなら、それこそ、それがどのようにあるのかという問題になる。
175wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 14:20:53 0
>>170
<もいっかい基礎から勉強してこい>
いやです。
176考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:22:37 0
>>173>>175

ゆとり乙
177考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:25:54 0
「私」というものを突き詰めると
最高位さんの考えに染まってしまって
仏教で言うところの「我執」に陥りそうな気がしてコワイ。
178考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:26:26 0
「我思う、故に我あり」のおかしい所は、
「我思う」と「我在り」という当たり前の事を、
故にで結びつけて、いかにも論理的に導いたと見せかけた事だな。
「我思う」と「我在り」なんて当たり前なんだから、
「我思う、故に我あり」などと言うのはおかしい。
179考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:30:02 0
あまり考えたくないけど「我思う故に我あり」は始めからおかしいと思う。
「我思う」ですでに「我」が「思っている」と断定してしまっている。
「誰かが思う、故に誰かがあり」でもいいような・・・。
やめとこう、俺には危険すぎる。我執にとりつかれる。
180考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:31:53 0
「神はサイコロを振らない」のおかしい所は、
「神」という存在の不確かなものを
いかにも当然いるかのように見せかけたことだな。
「神」なんているかどうかわからないんだから、
「神はサイコロを振らない」などと言うのはおかしい。
181下僕:2008/06/23(月) 14:34:24 0
私は、絶対的に私は在ります。
仏教でも、私が在るから、成り立つのであって、
最初から無くなる事ができれば仏教はいらないと思いますね。

だから在る所を徹底的に思い知れば、思い知っただけ解る。
しかし無いものは無いですから解りようがない。

だから私は在ると完全に認めた方が、仏教的には健全ですね。
182wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 14:34:28 0
>>173
<無い事をいうと>、<もいっかい基礎から勉強してこいあほ>になります。
183考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:36:59 0
まあ、妄想だって在るんだし、お化けだって悪魔だって
ヌラリヒョンだって鬼太郎だって在るからな。
184考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:37:40 0
>>174
実体としてあるならそのあり方は決まっている。
185考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:41:30 0
>>171
「物体(物質)一般がなぜ存在するのか」ではありません。
「特定の物体(最高位氏の兄弟)がなぜ存在するのか」です。答えは
他の物体や物理現象との関係性に求める以外にはないので、常識的には
>>111氏のように「両親のセックス」となります。
厳密に言うなら「最高位氏に兄弟の両親という観念を惹起する世界で唯一の物体相互の、
最高位氏にセックスという観念を惹起する世界で唯一で一回性の物理現象」であります。
もちろん、全く同じ性質の物体と物理現象を再現しても、せいぜい最高位氏の兄弟と
そっくりで見分けがつかない赤の他人が発生するだけでしょう。
これを、最高位氏風に表現すると、「私の兄弟(特定の人間なら誰でも、というか
特定の個物なら何でも本当は同じなのですがw)は、いかなる物理現象によって
発生したのでもなく、物理的要素によって特定できない」ということになります。
実は、犬の個体については、最高位氏ご自身がそのことを認めておられます。

従いまして、この話と唯物論の是非とは何の関係もないわけです。
186考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:42:05 0
まあ実体が物でなければならないという唯物論も窮屈だが・・・。
187考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:49:00 0
「物理学ではあらゆる事象は一回性というあり方をしていて再現性はない」
というところから話をするひとがけっこういるけど、
だとしたら最高位の兄弟は一瞬後は物理的に最高位の兄弟ではなくなるんじゃないの?
だとしたら見分けのつかない最高位の兄弟と一瞬後の最高位の兄弟の、
どちらが本物だといえる理由を物理学は持たないんじゃないかな。
で、物理的にちがうけど一貫した「なにか」だとしているのは『私』しかいないんじゃないのかな。
188下僕:2008/06/23(月) 14:50:18 0
>>183
そうだと思いますよ。その考え方が重要で、
妄想を在ると認める事が、仏教での前提条件の一つでしょうから。
で、武術でも妄想を認めるから、空間を使う技術が発達してます。

私などは、総て認めたいと思いますよ。だから認められない物事を
探す事が趣味化しています。←私事ですけどね。
189考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:56:40 0
唯物的な思考なら「私」は
「その状況における最高位氏の精神活動の一種にすぎない。」で終わるのかな。
決定論もからんでくるなら、精神活動も決定されていることになるから
観念論自体も認めなければならなくなる。
そうなると唯物論思想も精神活動の一種になるから観念論化してしまう。
190考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:57:12 0
>>184
まあ実体を信じるか否かの話になるけど、それでいいならいいのでは。
私がいる原因は思惟する実体があるからだと最高位に言ってみたらいい。
もしかしたら本当にそれでいいのかもしれないし。
191考える名無しさん:2008/06/23(月) 15:05:04 0
なるほどな。
思考能力がある脳が存在するから、私は存在すると。
192wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 15:16:06 0
>191
<思考能力がある脳が存在するから>は、<私は存在する>の十分条件ではないです。
193wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 15:17:41 0
>192
正)<思考能力がある脳が存在する>は、<私は存在する>の十分条件ではないです。
194考える名無しさん:2008/06/23(月) 15:26:37 0
うーん。普通は脳が思考していれば私は存在すると
経験的には言えるんじゃないかな。
195考える名無しさん:2008/06/23(月) 15:44:46 0
問題を整理してみようか。

最高位が求めている「私」の原因性っていうのをよく読んでみると、
私はいかなる物質要素で出来ているのか、と言ってるから、
質料因の事なんだよね。

しかし、最高位の言う「私」は自我意識(本人談)の事のようだ。
意識というのは個人の脳に閉じこめられたものではなくて、
脳の外の関係性、たとえば地球とか親とか様々なものとの関係で出来ている。

結局、最高位の話は自我意識と脳内の物質要素の特定という、
同列に論じられない問題を同列に扱っているから、
よく分からなくなるんだな。
こういうのは整理して分けて考えないといけないんじゃないかな。
196考える名無しさん:2008/06/23(月) 15:56:21 0
「私」の原因はなにかわからない。
というのが最高位の見解だと思うよ。
>私はいかなる物質要素で出来ているのか
っていうのは、いえるもんならいってみろっていうことだから
最高位がそう考えているわけではないだろう。
デカルトは神を持ち出すことができたから
原因についても神頼みができるだろうけど
21世紀ともなるとそうもいかないから
「わからない」というしかないだろうね。
実際わからないし。
197下僕:2008/06/23(月) 15:58:57 0
>>195
問題?の整理としては解りやすいと思います。100点満点!!

でも、ああだこうだと一緒にプレイするのが、
面白いのでしょう。持ち上げたり、持ち下げたりしながら…。
その展開が面白いもの。

だんだん、意識の問題に入ってゆくのかな?仏教、心理学に明るい人も
でてくるのかな?それとも神秘主義まっしぐらかな?

でも、私の出る幕じゃないからすっこんでます。
198Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/23(月) 17:11:22 0
最高位氏の「私」を「観点」から別の見方をすると、私という意識は、どこかの時空に観点
を設定せずにはいられない。特別な意識を持たないで、自然に設定される観点の時空点を
、「原点」と呼ぶのがよいのではないか。
199考える名無しさん:2008/06/23(月) 17:23:50 0
>>113
>私ではない兄弟も、それによって生まれているので、セックルそのものが私の原因であるとは言えない

兄弟の原因も私の原因もセックルだお。
何回セックルしてもおかんが私を生んだ事実は変わらないお。
私の原因は過去の話だお。
お前は相当バカだお。
200wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 17:36:54 0
>>198
「何故、私(たち)の思考には、<私>という主体性が、まるで先験的本性のような振る舞いをしながら付随してくるのか、その由来は何か?、及びその構造は何か?」
という問いだと思います。
201素人:2008/06/23(月) 17:38:34 0
私的メモ2

>>6>>14>>20
>>29>>41
202考える名無しさん:2008/06/23(月) 17:41:08 0
そんなの動物見れば分かるじゃん。
203最高位学派:2008/06/23(月) 18:01:52 0
>>195
>しかし、最高位の言う「私」は自我意識(本人談)の事のようだ。
それは違います。私は最高位先生に「キミは自我と自我意識を混同しているね。」と
数年前に指摘された。先生にとって自我と自我意識は異なるのでしょう。

>>196
>「私」の原因はなにかわからない。
それはその通りで、最高位先生もそう仰っておりました。高等魔術の様なものだとも。
204下僕:2008/06/23(月) 18:23:44 0
>>200 :wisteria-1 さんに質問ですが、

>>200
>「何故、私(たち)の思考には、<私>という主体性が、まるで先験的本性のような振る舞いをしながら
>付随してくるのか、その由来は何か?、及びその構造は何か?」

の 答えは、

>>198で語られている内容ではないでしょうか?

なぜならば、wisteria-1さんは、答えから問いを考えているからです。

wisteria-1さんは、「問い」がすきなのでしょうか?
それとも「問い」を立てる事に意味を見いだしているのでしょうか?
これは私の個人的興味です。どうなんでしょう?よろしかったら、
お教えください。
205Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/23(月) 18:26:38 0
>>200
まさにそういう問いだと思いますが、<私>という主体性はなぜ思考という行為のなかで姿を見せるのか、「主体性」というからには
それが「主」というあり方で存在するなにものかであるからではないか、と考えました。
206下僕:2008/06/23(月) 18:42:22 0
私は、問いを立てるのは頭の中でやっていますが、
あえて書くってのも面白い事かもしれませんね。
そういう楽しみなのかな?

ちょっと私には解らない世界ですね。

私の場合は先に答えがあって、あとから理屈ですもの。
問い即答えです。
しかし、答え即問いってのも在りですね。

面白そうです。すみません独り言です。
207Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/23(月) 18:55:03 0
さらに、<私>という主体性は、自己否定という行為、自己を壊すという思考の中で
姿を現すのではないかと思います。はっきりとした根拠はないのですが。
208wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 18:56:21 0
>>204
>>205
>206
私がこのスレに書き込みを始めた時点から、自我/我/私/私の意識、等々の語彙に、先験的にせよ、経験的にせよ、最高位さん始め、なにがしかの「原点」というものを「所与のもの」として措定し、
その由来/成り立ち等々を説こうとするレスが圧倒的に多いように感じております。
そこで、Absalom さんの、<特別な意識を持たないで、自然に設定される観点の時空点を、「原点」と呼ぶのがよいのではないか>という問いの中に、その「原点」を、またぞろ、所与のものとして措定してしまっているのではないか、という危惧を感じました
(私の読み違いかもしれませんが)。
それを所与のものとしておくと、それこそ下僕さんが言うところの、<答え=所与のものとして予め実在するもの-から問いを考えている>ように思えました。
そこで、私は、敢えて、このスレで語られてきている「私の存在性」を、一度、タブララサに戻し、<何故、私(たち)の思考には、<私>という主体性が、まるで先験的本性のような振る舞いをしながら付随してくるのか、その由来は何か?、及びその構造は何か?>
という問いとして書き直してみました。
新規の問いの設定、というより、「私は有る、それは何か?」という、「私は有る、を、所与のものと置いた議論」に対するアンチテーゼです。
「そんなものは無い」、という仮説から出発した問いの設定でも、もちろんありません。
209wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 19:04:36 0
>>207のAbsalomさんの問い、[<私>という主体性は、自己否定という行為、自己を壊すという思考の中で姿を現すのではないか]という言述においても、
「<私>という主体」が、所与の主体として/主語として語られています。
私という主体性が、「自己否定という行為、自己を壊すという」動因の源であったとしても、くどいようですが、その存在を所与の主体/主語として置いてしまっています。

210考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:14:01 0
私とは何か?という問いに対して、
私以外の物事から説明していくわけですよね。
私以外の物事と私の関係を説明することで、
私とは何か?という問いに答えるという、
そういう答え方で果たして私は納得するのだろうかという問題と、
また、その説明の仕方ではそれこそ数えきれないほど多くの
説明法があるのではないか、という問題が発生すると思いますね。
それはどうしたら良いのでしょう。
211wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 19:14:34 0
とはいえ、この私の問いには、既に先人の解が1つあります。
「私-共同体」という対幻想の片割れとして表出される「幻想」である、という解です。
212考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:16:52 0
>>194
脳が思考する(考える)って変だろう?
脳は機能しているだけだろう?
そこから、どのように意識が表出され、
それが『私』につなぎ留められるのか?というテーマ。
213wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 19:17:24 0
そして、この「対幻想」は分割不能なものとして表出されます。
私オリエンテッドな私など、無い、という導き方の事例です。
214下僕:2008/06/23(月) 19:20:28 0
>>208
なるほど、お答え頂きありがとう!

危惧された部分は良く解ります。
私などは、Absalom さんの提唱した「原点」の話しが出た時、
危惧どころか、所与のものとして措定したり、その反論が
出たりを繰り返すだろうなぁ〜と思いました。その議論も
面白いですからね。

それはそうと話しを戻すと、つまり簡単に言えば、言葉が悪くてすみませんが、
「釘を差して置いた」って所ですね。

もっというなら、「杭を打たせてもらうよ!」くらいかな?

まあ、そんな所でしょうか。いろいろなコミュニケーションのスタイルが
あるものですね。私には真似できませんね。こういう部分は才能ですね。
215考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:22:23 0
>>212
脳が正常に機能していれば、当然に私が考えているわけよ。
216wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 19:22:38 0
且つ、この「対幻想」は、また、「共同体・内・存在」としての私にとって、「必然的に生起する/そう思わなくてもそのように生起させてしまう」、そのようなものとして表出されます。
217考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:23:55 0
>>208
>「私の存在性」を、一度、タブララサに戻し、<何故、私(たち)の思考には、<私>という主体性が、まるで先験的本性のような振る舞いをしながら付随してくるのか、その由来は何か?、及びその構造は何か?>

自分の思考を自分の思考と考えなければ、その思考は、そもそも思考であり得るんだろうか?全く統一のない分裂した何かだと思うけど。
カントに言わせれば、あらゆる思考には「我思う」が伴わなければならない。
218考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:24:33 0
>>211
その解はどうでしょう?
それだと、どうしても「幻想する主体」もしくは「幻想を共有する主体」を
必要とするのでは?

219wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 19:26:00 0
>>214
「釘を差して置いた」、「杭を打たせてもらうよ!」という下僕さんの言葉遣いに、下心無く、愛を感じます。
220考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:31:25 0
私とは何か?というアプローチだと難しいと思いますね。
私は、私ではないものと常に対面しているわけです。
私とは何かという問いに答えようとしても、
その仮の答えと対面する事で、それを私ではないものにしてしまいます。
私は、対面する全ての物事を私ではないものにしてしまいますから。
221wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 19:31:39 0
>>218
私-共同体は、不可分離/分割のものです。
そこに「主体性」をあえて置くとすると、「幻想」が、精一杯、かつかつの表現です。
222考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:36:18 0
>>208
>>198で、原点という定立的視点を設定したようで、実はその意味内容を空疎なものにしてしまっって
いますね。個人の思考の「原点」というのは、どこにでも、その人の好きなようにおけるべきで、
私は他者の思考に対して横暴な態度にでてしまっていた、ということだと思います。
記録と消去、前進といった一連の思考様式は、思考の典型的有り様だと思います。
忠告していただけて、非常にありがとうございました。
223考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:36:45 0
>>215
脳はシステムであり、その機能に『私』は不要。
224wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 19:36:57 0
>>217
<カントに言わせれば、あらゆる思考には「我思う」が伴わなければならない。>

これは、私には、お初です。
225考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:40:04 0
>>221
では「個人‐幻想」は否定するわけですね。
226考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:41:00 0
おまえらよく長文読む気になるな
227考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:41:59 0
私を意識させるのは私の脳だね。
脳の機能で私が創発される。
228考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:42:29 0
>>224
><カントに言わせれば、あらゆる思考には「我思う」が伴わなければならない。>

>これは、私には、お初です。

有名な「統覚の統一」っていうやつです。
認識について考えるなら『純理』は読んだ方が良いです。
229考える名無しさん:2008/06/23(月) 19:44:17 0
>>224
超越論的主観。
230Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/23(月) 20:09:09 0
>>222で名前を入れ忘れました:-)
231wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/23(月) 20:17:50 0
>>228
>>229
手元にはもう無いのですが、純理において、感性、統覚、カテゴリー、悟性、理性という認識プロトコル/認識ハイアラーキーのそれぞれに、「私の」という所有格は付いていましたか?
あるいは、統覚の対象として、「私自体」は含まれていましたか?
むしろ、私自体は、物自体と同レベルのアンチノミーの範疇である、というのが私の読み方です。
連投規制により、本日は、これにて。
あっと、下僕さん、>>219の「下心無く」は、気色が悪い、という声が聞こえてきましたので、無かったことに。
232考える名無しさん:2008/06/23(月) 20:32:11 0
>>231
「統覚」=「我思う」w
233考える名無しさん:2008/06/23(月) 20:34:33 0
>>111
あー、そういう答え方もありだね。
>>113
>私ではない兄弟も、それによって生まれているので、セックルそのものが私の原因であるとは言えない
兄弟は私を生み出した「それ」では生まれてないよね。「それ」は唯一回切りの現象だから。
それとも君のおかんは何回セックルしても処女のままだとでも言うのかい?
三回目のセックルも二十回目のセックルも全く同じ「それ」なわけないだろ。
>>154
「あのテレビ」を再現できるだって?馬鹿言っちゃあいけない。
「生中継の番組を映してるテレビ」を、一週間後にどうやったら
「全く同じ」「生中継の番組を映してるテレビ」として再現できると言うんだい?
234考える名無しさん:2008/06/23(月) 20:46:18 0
>>111
体外にしろ!!!
卵が受精すればいいだけ、セックル関係なし。
235考える名無しさん:2008/06/23(月) 20:48:56 0


『我思う 故にも何もなく 我在り』・・・だったら、納得なんだよ!w





236考える名無しさん:2008/06/23(月) 20:49:12 0
最高位って体外受精で生まれたの?
237考える名無しさん:2008/06/23(月) 20:52:40 0
>>217>>229で、やっと、
「超越論的主観」が、何の為に設けられた言葉なのか(どういう意味なのか)腑に落ちました。
なるほど、その意味なら
最高位氏の言う『私』(ネコ氏の言う『私』(起点))の代替語として
(一時的にせよ)使用できそうですね。
238考える名無しさん:2008/06/23(月) 20:55:02 0
ところで、私の起源は受精卵からでいいのだろうか?
唯物論を否定する最高位ならそうでは無いだろな。
最高位の「私」には起源は無いだろ。
239考える名無しさん:2008/06/23(月) 21:04:02 0
最高位は無から有(私)が突然産まれたと思ってんじゃないの。
前世や霊界から私が産まれたとは考えてないみたいだし。
240考える名無しさん:2008/06/23(月) 21:06:39 0
>>238
験しに「このコップ」とかの発生原因について訊かないと。
どこまで起源を遡れば発生原因として認めてくれるのかな?
最高位の言うただの物体でさえ、始まりの起源を識っている人間なんていやしないんだから。
241考える名無しさん:2008/06/23(月) 21:08:57 0
五分前『私』発生説
242考える名無しさん:2008/06/23(月) 21:09:16 0
水素原子は何故水素原子になったのかという原因性には最高位は興味ないみたいね。
あの人は私しか興味ない。
243下僕:2008/06/23(月) 22:00:05 0
私は私自身の原因を考える時、あることを教えたかった
ような気がする。あることなんだ?ですけどね。

「次ぎ」です。根拠はないんですけどね。

「次ぎ」があります。

起源を考える時、原因にぶちあたる訳です。
すると結果は予測できてしまう。

人一人の人生において、原因が完璧に分かったら、
終焉も予測できてしまう。それじゃ面白くないはずなんです。

で、これだけは言えます。人生は発見されたわけで、
最初からあったわけではない。だから次ぎの人生も
発見されるという事です。創造もつかないです。

ただ、これも根拠がないんですが、
「いたって単純」です。

まとめると、「次ぎは至って単純」。これですね。
理屈が組み立てられなくて申し訳ないです。
244下僕:2008/06/23(月) 22:13:01 0
何かを切実に知りたい場合。ここでの話題は起源ですよね。

ポイントは疑問です。疑問が消えたら、起源も
なにも、求めるものも、願望も全部きえてしまう。
願望や理想というあるべき姿のようなものが消えたら、
残るのは私だけですね。

あらゆる疑問をもつ私、疑問が消えた場合あるのは
私だけです。

つまりこういう事です。疑い問う行為がなくなった場合、
選択しかないのです。おそらく選択肢が数多くあったとしても
一瞬で選択するでしょう。

しかも何故と問わないのだから、単純に考えて、
快適な方向にしか生きない。

疑問の起源が私の発生原因ではないか?
実は学問の起源が私の発生原因ではないか?

このように私は考えますよ。
245考える名無しさん:2008/06/23(月) 22:36:30 0
私の起源は、言葉かな?それで概念上の私は説明がつきませんか?
246考える名無しさん:2008/06/23(月) 22:52:15 0
言葉ねえ・・・
乳幼児はバババアブアブダアダア、まんま、ぱぱ、だっこ
とか言ってるからなあ。
どこからを言語と呼ぶのかを決めないと、「言語が起源説」も怪しいよ。
247考える名無しさん:2008/06/23(月) 23:55:45 0
>>242
それについては「私のテキトーな価値観で」なったらしい。
ここまでで思考停止。
248哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 00:14:42 0
>>148
>『今、ここの自意識』は再現性がありません。

しかし、この体は唯物的に考えるならば
分子構造などの物理状態でしかありえないわけですから
分子構造などの物理状態に還元して表わす事ができますね
体が物理的に定義できるのに、唯物論が正しいならば、なぜ自我意識は定義できないのですか?(笑
という事です

>>162
「どのように」は、二の次の問題
「どのように」というのは、最初から唯物的な発想から出発しているのであり
それを前提にしなければならない と考えてしまうのは
明らかに『素朴実在論』の範疇にいる人だと言えますね
たとえ「どのように」が、的確に前提できなくとも、「あり」は、どうしたって否定できないのですから
その「あり」を前提にする必要があるわけです

>>164
>ゾンビであるかどうかは、あなたのご兄弟の存在とは何も関係がありません。

ゾンビという事は、「主観性の無い、単なる物体である」という事だから
それは「それ」という「存在」ではなく
価値観によって物理世界から切り取られた、単なる『物理「状態」』にすぎないわけです

ゾンビだったらば、例えば『ウンコ』と同じだという事です
ウンコだって、ウンコなりに現象しますからね
ゾンビだったらば、物体が複雑になっただけだという事になります
『兄弟』だという価値観は、『観念』による価値観です

福田首相だって、もしゾンビだったらば
それは観念的価値観によって、そう呼ばれているだけの物体だという事になりますね
249哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 00:32:51 0
>>157
「無常」が当てはまるのは、『私の精神』なのであって
『私の存在性』には当てはまらない
『私』は『私』だから『私』なのであって
変化した瞬間に、『私』は『私ではない人』となってしまうのだからね
だからこそ
現代哲学の最先端なのです
甘く考えてはいけません

>>172
全く同じ物理構造の物体であるにもかかわらず
それが『私』ではない とするならば
『私』を物理的要素に特定する事は、絶対にできない という結論しか導けない
すなわち
「この体の物理構造が『私』の原因性であるのではないのだ」という結論以外には無い

>>178>>179
と、思ってるのは誰? 何?
2507:2008/06/24(火) 00:54:14 0
>>249
たしかに『私』の精神は無常である。
『私』の認識内容(世界)も瞬時たりとも同じではない(たぶん)。
では『私』だけが定常、すなわち同一性を保っているのか。
しかし最高位は以前、『私』ば同一性ではないと言っていましたが…。
251哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 01:03:11 0
>>245
言葉は「私による概念」だから、起源の説明にはなっていませんね
もちろん、他人が使っている言葉は、他人が使っている というだけで
私が発生する理由がありませんしね

>>244
>疑問の起源が私の発生原因ではないか?
>実は学問の起源が私の発生原因ではないか?

>このように私は考えますよ。

疑問も学問も「私ではない人」もやりますから、「私の起源」には成りえません

>>242
興味あるよ(笑

水素原子は、なぜ水素原子となったのかね?
252哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 01:07:39 0
>>250
違うよ
「同一視ではない」 ではなく
同一性が証明できなくとも
今、存在している『私』を否定できないならば
「我あり」を否定した事にはならない
と言ったまでだよ

勘違いしてた? やっと理解できましたか?
2533時で1時:2008/06/24(火) 01:33:32 0
俺は、唯物論者ではないが、
物理要素、つまり物質、エネルギー、エントロピーといった要素がなければ、
ヒトという生物は存在し得えず、したがいヒトの1人である俺も存在しえないと考えている。
生体は明らかに物質である側面を否定できないが、自己組織化といった生命の特徴が説明できない。
まあ、説明できないといっても、俺ができない、あるいは現状誰も出来ないというだけのことで、
物質が「意識を生む」あるいは「意識を伴う」可能性は、肯定も否定もできないことだ。

唯物論というのは、学術的な発見でもなければ、学説でもない。
思想なのであり、形而上学的な動機に基づく哲学的な立場でもあるだろう。
魂と肉体の二元論、唯心論、アフォーダンス理論など同じように
「概念」的に世界を解釈しようとするだけで、経験的に検証しようとするものではない。

唯物論が世界の解釈のための土台になり得ないと考える人は、さっさと見切りをつけばよい。
それが理解の土台になりうると思う人は、「唯物論的」に追究しようとするだろう。

254唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/24(火) 01:36:09 0
>>249最高位さん
また「存在性」ですか。
精神から~存在性が独立出来る根拠をお願いします。
単に存在性を絶対化しているだけであり
少なくとも「天上天下唯我独尊」は絶対でないこと
勘違いなさらぬように。
255傍観者:2008/06/24(火) 02:05:36 0
このスレはデカルトとヒュームの懐疑主義的論点からは、一歩も出てない気がする。
256哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 02:11:19 0
>>253>>254>>255
まず
キミらは、自分が現代哲学的な問題意識を理解できてない という根本的な事を自覚しなければ
どうしようもないね
257哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 02:21:19 0
>>253
>物理要素、つまり物質、エネルギー、エントロピーといった要素がなければ、
>ヒトという生物は存在し得えず、したがいヒトの1人である俺も存在しえないと考えている。


「俺」は、なんで存在しているのかね?
「俺がいる」という事実の不可解さ は、理解できてるのかね?
キミは多分、当り前の前提として、そこから出発してるように見える

>>254
>少なくとも「天上天下唯我独尊」は絶対でないこと
>勘違いなさらぬように。

だから何度も言いますが
「我思う故に我あり」を論理的に覆して
キミのその発言を裏付けてくれなきゃ意味ないんだよ
せめて
普通に会話できるレベルになってくれなきゃ話が前に進まない
2583時で1時:2008/06/24(火) 02:21:39 0
>256
現代哲学的な問題意識って、私の原因性のことか?

なんで俺は存在するのだろうくらいは、小学校高学年の頃から考えているが?
259傍観者:2008/06/24(火) 02:23:00 0
260傍観者:2008/06/24(火) 02:23:57 0
勝利宣言は楽しい。 その魅力に抗えないあなたは不幸だ。
261傍観者:2008/06/24(火) 02:24:47 0
>>260
自分で書いたこのレスも、詭弁に相当するのである。 自己言及の難しさは恐ろしいものです。
262哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 02:25:17 0
>>258
>なんで俺は存在するのだろうくらいは、小学校高学年の頃から考えているが?

いや
まだ、その不可解さの、不可解さ加減 が、浅いんだよ

そこから先へ進めたのかね?
原因性は、物理的要素に還元できたかね?
263唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/24(火) 02:25:35 0
>>257最高位さん
デカルトの我と最高位さんの我は違います。
デカルトの気になるのはお止めになられては。
264哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 02:31:46 0
>>260
私が勝利者である事が理解できるアナタは素晴らしい
しかし
勝利者に対して、素直になれないアナタは、不幸だ

>>261
それって自演?
意味わからんけど

>>263
デカルトの主観性についてはわからんが
私が考える「我あり」と
「我思う故に我あり」の「我あり」の、どこが違うというのかね?

人を批判するなら、そこんとこ明確に
265考える名無しさん:2008/06/24(火) 02:33:58 0
>>257
>キミは多分、当り前の前提として、そこから出発してるように見える

俺は小学校高学年の頃から考えているが、
物質、エネルギー、エントロピーといった要素なんて
最初から前提としていないぞ。

>「俺」は、なんで存在しているのかね?

「なんで」というのは、「ある」ことの必然性を求めることだな。
少なくとも、俺が存在するのは、私的必然ではないということだけは分かっているが?
あんたは、私の原因性が分かったのかい ?


2663時で1時:2008/06/24(火) 02:45:28 0
>>262
>原因性は、物理的要素に還元できたかね?

あんたは>>253の文章が読めないのかな?
勝手にひとを物理主義的還元論者に仕立てて、「物理的要素に還元して見ろよ」と
煽りたいだけなのかな?
迷惑なことだし、人格が問われるぞw

267唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/24(火) 02:50:42 0
>>264最高位さん
それこそが最高位さんの言われる
「存在性」のなんたるか、ではないのですか?
268考える名無しさん:2008/06/24(火) 03:20:03 0
>>262
>まだ、その不可解さの、不可解さ加減 が、浅いんだよ

ちょっとイミフな文章だが、「不可解であることを深く認識しろよ」ってことか?

>で そこから先へ進めたのかね?
あんたは「私の存在は、奇跡だとしかいいようがない。」
と力説していたようだけど、「唯物論論破」から先へ進めたのかね?

269哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 03:57:52 0
>>265
>物質、エネルギー、エントロピーといった要素なんて
>最初から前提としていないぞ。

ん? 何の話?
・「俺」は、なんで存在しているのかね?
・「俺がいる」という事実の不可解さ は、理解できてるのかね?
という事についてであり
『私』の原因性の話だけど?

>「なんで」というのは、「ある」ことの必然性を求めることだな。

べつに求めてないが?

>少なくとも、俺が存在するのは、私的必然ではないということだけは分かっているが?

いやいや
じゃぁ、私的必然でない何なのよ(笑

>あんたは、私の原因性が分かったのかい ?

わからんから不可解だと言ってるんだけど
ここで一つ結論が出ている
物理的構造は、絶対に『私』の原因性にはならない という事さ

>>266
いやいや
べつに唯物論者に仕立て上げているのではないのだけれど
私の唯物論批判について反論するなら、その明確な根拠を提示して下さい という当り前の会話ね
270哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 03:58:35 0
>>267
>「存在性」のなんたるか、ではないのですか?
じゃなくて、キミは違うと言ってるんだから
その違いを説明しなきゃいかんだろ

たのむから普通に会話できるようになってくれよ

>>268
>ちょっとイミフな文章だが、

だからキミは、意味がわかってないんだから、もう少し謙虚になりなさい って事ね

>「唯物論論破」から先へ進めたのかね?

はぁ?(爆笑
私が「唯物論論破」が出来た という事は
それはオマエ、とんでもない歴史的な大発展なんだぞ??
全然なんにも、意味わかってねぇな(苦笑
271考える名無しさん:2008/06/24(火) 04:02:14 0
>>248
仮に素朴実在論者であるとして、それがどんな意味を持つんだ?
無意味なレッテル張りにしかならんと思うが。
それにありを前提にする必要は最高位の為にあるというだけでは。
実際、その前提を必要としない他者がここにいる。
272哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 04:18:00 0
>>271
で、どうやったら論理的に、哲学的に「我思う故に我あり」を覆せるのですか?(苦笑
273唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/24(火) 04:23:06 0
>>270最高位さん
違いが存在性なのでは?と問うているのです。
質問に答えられないようでは哲学スレから出て行かれてはどうですか?
勝手に自分だけの妄想を押し付けるのは止めましょう。
>>271さんに同意であります。
最高位さんの「存在性」といわれるものが他にあったとしとも
最高位さんと同一のものでは決してありません。
>>272のデカルトの格言を覆すも何も
最高位さんがデカルト自身で無い以上余計なお世話なのです。
274考える名無しさん:2008/06/24(火) 04:28:59 0
>>272
それについては>>162にある。というかどうしてデカルトの話になるのか。
最高位は思惟する実体や霊的直観や神の存在を深く肯定してるのか?
275哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 04:44:50 0
>>273
いやいや
キミは「デカルトの言う『我』と、哲学者最高位の言う『私』は違う」と言ったんだろ?
だから、その違いは何ですか? という素朴な質問をしているだけなんだが
全然、会話が成り立たんのよ
頼むから、普通に会話できるようになってから喋りかけてくれませんか(タメ息

>最高位さんの「存在性」といわれるものが他にあったとしとも
>最高位さんと同一のものでは決してありません。

そりゃそうだ
私は唯一絶対『天上天下唯我独尊』だからね

>>272のデカルトの格言を覆すも何も
>最高位さんがデカルト自身で無い以上余計なお世話なのです。

じゃぁ他人が何を言っても、キミは自分自身に当てはめて、参考にしたりする事はないのかね?(苦笑
余計なお世話って、必死すぎる(爆笑

>>274
>それについては>>162にある。

「どのように」が言える言えないにかかわらず 、「我思う故に我あり」は覆されませんが?(苦笑

>というかどうしてデカルトの話になるのか。
>最高位は思惟する実体や霊的直観や神の存在を深く肯定してるのか?

第一原理である「我思う故に我あり」に、神の存在など出てこんよ?
デカルトは、第一原理から、自分なりに次の論理展開をしているのであって
そこまでは私は主張しとらんだろ
第一原理は第一原理
ちゃんと分別ぐらいつけろよ
276考える名無しさん:2008/06/24(火) 04:56:38 0
>>275
覆す、ではなく、原因うんぬんの議論が不可能であるという流れだったぞ。
それに、第一原理からして神の肯定をしているんだが。
不完全な私があるということは、完全な神あってこそ、だからな。
なので思惟する実体や霊的直観や神の存在を肯定するのかと聞いたんだ。
277考える名無しさん:2008/06/24(火) 04:59:52 0
>>270
>だからキミは、意味がわかってないんだから、
もう少し謙虚になりなさい って事ね

ははw
お前こそ、イミフになりがちな自らの文章力を恥じるべきだね。
まあ、相手に意味が通じないのを、相手のせいにする傾向は、俺にも多少有るけどな。

>これはオマエ、とんでもない歴史的な大発展なんだぞ??

歴史的な大発展??誇大妄想かww 
お前の私的認識において大発展だったというのなら、分かるぞw
俺は、概念的な世界解釈にすぎないものを「発見」「学説」であるかのように扱い
「いかなる物理現象か」「物理的要素に還元せよ」と問うのは可笑しいと言っている。
魂・肉体の二元論を唱える人に、「魂は何処にあるのか、どのような構造か」
「非物質とは何か説明せよ」「どのようにして肉体に宿り作用しているんだ」
と詰め寄るようなものだ。
「とうとう意識は、物理現象であることを突き止めたぞ」なんて言っている人が居たら
存分にそのような質問を浴びせたらいいではないか。

278哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 06:42:01 0
>>276
>覆す、ではなく、原因うんぬんの議論が不可能であるという流れだったぞ。

じゃぁ、原因なしで『私』は存在している のかね?

>それに、第一原理からして神の肯定をしているんだが。

「我思う故に我あり」←これのドコに、『神』が出てきてるの??

>不完全な私があるということは、完全な神あってこそ、だからな。

「我思う故に我あり」←これのドコにも「不完全な我」など出てこんが?

>>277
>>これはオマエ、とんでもない歴史的な大発展なんだぞ??

>歴史的な大発展??誇大妄想かww

歴史上で誰か、唯物論の是非について論理的に決着を付けた人はいたのかね? 

>「とうとう意識は、物理現象であることを突き止めたぞ」なんて言っている人が居たら
>存分にそのような質問を浴びせたらいいではないか。

はぁ?
唯物論者は、そう言っているから、やってるわけだが?(苦笑
唯物論て、いったい何だと思ってるの?
279考える名無しさん:2008/06/24(火) 06:44:30 0
>>249

>全く同じ物理構造の体であるにもかかわらず
>それが『私』ではない とするならば
>『私』を物理的要素に特定する事は、絶対にできない
>という結論しか導けない

それぞれの体に「自我意識」「私」が存在する。
はい、最高位は論破された。終わり。
280考える名無しさん:2008/06/24(火) 06:52:51 0
>>268
まるで最高位が唯物論を論破したかような誤解を招く言い方はよしてくれよ。
本人がソノ気になっちゃって、見てるとイタイから。
281考える名無しさん:2008/06/24(火) 06:53:31 0
最高位の思考実験は、私は再現できない/物質による現象は再現できる
という図式によっているが、これが最高位のそもそもの間違い。

巨視的関係性を見れば物質であっても再現できない。
たとえばV2ロケットミサイルは物質である。
V2ロケットミサイルが1944年にロンドンを爆撃した。
現在、同じ設計でV2ロケットミサイルを作っても、
1944年当時のロンドンの建物と人々を破壊攻撃することは出来ない。

「私」も同じで常に現在のこの場所にあるのだから物理的に再現できない。
282考える名無しさん:2008/06/24(火) 07:01:29 0
再帰的な私はゼロアカ帝国

小説家モドキの淫乱な皇后

爆乳生熟女アニマル浣腸クレポン再現性タンポン過去アナルの女神

スカトロ好きなあずまん古腐人花びら満開のさなえエロぴか理論の陛下です。
283考える名無しさん:2008/06/24(火) 07:08:04 0
>>277
意識じゃなくて『私』ね。
素粒子Aが素粒子Bではないのは何故なのか。
素粒子BやCやDは素粒子Aと同じ性質の物体なのに、
それらを以て素粒子Aを創れないのは何故なのかという事。
物理的に素粒子Aを創り出す事は不可能ではないか?という事。
ヒトなんかに置き換えて考えると、複雑な感じになって面白いよね、
って事をやってるわけですよ。
284考える名無しさん:2008/06/24(火) 07:14:18 0
>>278
定義なしで原因うんぬんの議論が不可能なんだと何度も言っている。
そしてデカルトだが、神を否定して彼の論を肯定することはできないんだぞ。
なぜそんな重要な部分を知らないんだ?
ぶっちゃけさ、最高位、本当はデカルトぜんぜん知らないんだろ?
権威がありそうだから、デカルトを盾に持論の補強をしたかったんだろ?
それらしいことを言ってるみたいだから多分大丈夫だろうと思ったんだろ?
でも最高位がやってることは哲学じゃないぞ。政治だ。それも陳腐な。
285考える名無しさん:2008/06/24(火) 07:52:03 0
「たわし」とは?
2863時で1時:2008/06/24(火) 07:53:08 0
>>278
>唯物論の是非について論理的に決着を付けた人はいたのかね?

唯物論は論理的な矛盾に陥っているかね?
世界の根源は物質的なものであると考え、
物質的要素から心的なものが発生したり随伴すると決めつけても何ら矛盾していないと思うぞ。
科学ではないから、検証を前提としておらず、反証不可能なだけ。

俺は、ミクロ的に見れば、境界がはっきりしない肉体を「完全複製する」という
思考実験を試みる方が、ずっと矛盾していると思うがね。
287考える名無しさん:2008/06/24(火) 08:04:11 0
最高はバカだから知らないと思うが、
「私」の物質的な関係は脳に秘密があるんだよ。
眠ると私の意識が消えるだろ?
これは脳活動が大きく抑制されたからなんだ。
バカな最高位とは頭の出来が全く違う天才のデカルトも、
この事に気がついていて、肉体と精神の関係論の鍵を脳に求めたのだよ。
我々や天才のデカルトはこういう事に気がついている。
最高位はバカだからこういう科学的な事は分からないんだけどね。
288考える名無しさん:2008/06/24(火) 08:19:25 0
>>283
>素粒子Aが素粒子Bではないのは何故なのか。

単純に観測される素粒子A・Bの「位置」は違うだろうね。
また、位置と運動量を同時に精確に測定することは不可能。

まあ、素粒子みたいなものを
ヒトに置き換えて考えてみるのも、面白いとは思うが。
289考える名無しさん:2008/06/24(火) 08:50:48 0
最高位は同じ素粒子という物質なのだからAもBも同じだと言うよ。
物質は切れ目がなく繋がっているのだから、
素粒子に勝手にAやBと名前を付けてるに過ぎないと最高位なら答えるはず。
人間の体だって切れ目なく繋がっているのだから、
最高位とキムタクは同じ体だから俺はSMAPのメンバーだと彼は答えるよ。
290考える名無しさん:2008/06/24(火) 08:59:42 0
>>248
>ゾンビだったらば、例えば『ウンコ』と同じだという事です
>ウンコだって、ウンコなりに現象しますからね

ん?
キミはかつて、「ウンコは存在しない」と主張していたのだけど

「ウンコは存在しないのだ
食い物が口から入って出るだけで、
人間の価値観で食い物を勝手にウンコと言っているのであってね
ウンコは存在しないのだよわははは」

と過去スレにハッキリとキミは書いてたぞ(爆笑)
291考える名無しさん:2008/06/24(火) 09:03:34 0
論理的にはどうなのかわかりまん。
最近癌の告知を受けて、内視鏡手術もうけ、現在病理検査の結果
まちで、結果如何では化学療法になります。
告知を受けて以来、1日1日が生きている実感があり、時間が鮮やか
に迫ってきます。
言葉では表現できませんが、自分の存在を今までになく、強く
感じます。自分の存在とは、何でしょうか。
292考える名無しさん:2008/06/24(火) 10:02:04 0
>>248
>ゾンビという事は、「主観性の無い、単なる物体である」という事だから
>それは「それ」という「存在」ではなく
>価値観によって物理世界から切り取られた、単なる『物理「状態」』にすぎないわけです

おお、最高位氏、私の質問を全く理解しておられませんねw
ゾンビであろうとなかろうと、あなたのご兄弟は(あなた自身=哲学者最高位でも
同じことですが)、単なる『物理「状態」』に過ぎないのです。あなたのご兄弟を
いくら分析したところで、『物理「状態」』以外の何物も発見できません。
だからこそ心身問題が解けない難問となるわけです。

まずあなたのご兄弟という観念が存在するわけです。そして、その観念は、
1.「兄弟一般」という一般的・抽象的な観念ではなく、
2.「存在しないものを想像・空想している」という観念でもなく、
3.「現実に存在するあるもの」についての具体的観念なのであります。
3を1や2と区別する基準は、「現実に存在する物体・物理現象・物理状態が、
現に私に作用してその観念を惹起している」という判断なのであります。
「あなたの兄弟」でも「福田首相」でも「このパソコン」でも「このウンコ」
でも、同じことであります。つまり、それらの背後には、それぞれ別個の
「物体・物理現象・物理状態」が現実に存在する、というわけです。
それが「ゾンビであるかないか」というのは、その後の判断なのです。
現にあなた自身が「私の兄弟や福田首相には自我があるかもしれないが、
このパソコンやこのウンコに自我があることなどはあり得ない」と、
「あなたの兄弟」や「福田首相」という観念を私に惹起する物体と、
「このパソコン」や「このウンコ」という観念を私に惹起する物体を、
はっきりと「別の存在」として考えているわけです。

ですから、その「私に作用して『私の兄弟』という観念を惹起している
物体・物理現象・物理状態」に関して、「それはどんな物理現象によって発生している
のですか?」とお尋ねしているわけです。(いや、本当は、「このパソコン」でも
「このウンコ」でも、「死んだあの犬」でも実在の個物なら何でも同じことですがw)
さて、ご返答やいかに?
293哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 10:17:44 0
>>279
それぞれの体って(笑

他人の体は、私じゃないって、わからんの???(爆笑

>>280
まともな反論もできないクセに、何を偉そうに(苦笑
まるで私が、唯物論を論破できてないような誤解を招く言い方はよしてくれよ

>>281
それはキミの価値観が含まれているから錯覚しているんだよ
唯物的に考えると、物質は物理構造である以外にないわけだが
何か他に要素があるのかい?

>>283
素粒子って、何なのかね(笑

素粒子が文字通り粒子ならば、素粒子の一つ一つは存在性 と言えるかも知れないね
だが
たとえば、水の分子A というものは、これは存在性とは言えない
水の分子Aは、たまたま水素Aと水素Bと酸素Aがくっついている状態だ
状態に対して、価値観によって分子Aという名前をつけているだけであって
その中の原子が入れ替わる事もあるわけだ
要するに、分子Aは存在性とは言えず
物理世界から価値観によって切り取られた「状態」にすぎないわけだ
そして
「精神は物理現象である」と主張する唯物論に関しては
同じ種類の分子は、同じ現象を引き起こす という当たり前の法則を用いて検証すればよい
というわけさ
294哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 10:18:55 0
>>284
はぁ?
「我思う故に我あり」の、「あり」である『我』
『我』が存在する原因は何か
という哲学的課題について考察するのは、人間の知能では当然の成り行きだが
キミは、そういう発想が、そもそも不可能な人なのかね??
それから
私は「我思う故に我あり」を引用しているだけで
デカルトの思想全般を主張しているわけではない と何度言ったらわかるのかね?
知能が低すぎるぞ

>>286
キミはいったい何を聞いていたのかね?
人の話を、ちゃんと聞きたまえ
唯一絶対である人間の内的世界が、いかなる物理的要素によって説明できるのかね?

>>287
なぜ、この物質(この脳)が、私なのかね?
という現代哲学的な問題意識が理解できないんだねキミは

>>288
どの素粒子が、私なのかね(爆笑

>>289
私は観念的価値観で生活しているから、キムタクとは別人だと認識しているよ(爆笑

>>290
ウンコというのは、価値観によってウンコと呼ばれているのであって
存在性ではないだろ
食い物が、変化した物理状態だろ
その辺が、どうもキミらは理解できんようだな
295下僕:2008/06/24(火) 10:22:44 0
【私】が考える根本的な【私】の定義は、【私】は唯一無二の存在である。

だからみなさんの誰とも違うし、外部の定義を求めた時点で、
その総ては起源を指し示さなくなってしまう。

【私】が、【私】の在り方を問う時、【私】自身の在り方を問う以外に、
考えられない。他者は他者独自の在り方がありその起源も他者次第。

みなさんの議論を【私】が拝見すると、【私】は唯一無二ではなく、
他者も【私】と同一であるという考えが根底にあるように【私】には見て取れる。

【私】がみなさんと共通なものは人体を持っているというだけのことで、
それ以外の部分は、【私】独自の世界である。

そしてここでは言葉を使っている。人体に相当する共通なものだ。
それと疑問という概念は共通だ。人体に相当する。

だから疑問と言葉が共有できなくなったら、みなさんの話している
【私】は消滅する。根本原因に至らないではないかと思われるだろうが、
疑問と言葉が根本だからで、もともと根本原因ではない、共通の【私】について話しているからである。

そうであるならば、簡単だ原因は、「私」が存在する。それは「一者」である。他人などいない。
これしかないでしょう。
296下僕:2008/06/24(火) 10:23:07 0
一方で、唯一無二の【私】は【私】独自の存在だから依然として存在している。
それが何であるかは、これまた自由自在に設定できる。
設定した通りに他者は存在する在り方を変える。
よって、【私】の起源は、その人自身にしか解らない。

結論、【私】を他者と共有できる概念で処理できない。
<【私】を他者と共有できる概念で処理しようとする問い>自体が実は、唯一無二の【私】にすり替わっている。唯一無二の【私】が、<【私】を他者と共有できる概念で処理しようとする問い>の起源を突き止めるならば、
それは、【多数決】であり、【他者からの賛同】が動機になる。それすらみんな同じであるという考えが
根底にある。

我々の選択としては、唯一無二の【私】を認めるか?そうでないか?でしょう。
297考える名無しさん:2008/06/24(火) 10:27:27 0
下僕さんの書き込みは、本気でそう思っているのか本気ではないのかが分からない。
298考える名無しさん:2008/06/24(火) 10:29:32 0
唯一無二の私はゼロアカ帝国

私小説家モドキの無責任な皇帝

量子化された不満を散種するラブゾンビの浩紀陛下です。
299下僕:2008/06/24(火) 10:35:06 0
私たちがやってる事など単純な事です。

私しか居なかった。
私の好きなように考え、その通りに、他者もなっている事にしたい。

つまり神になりたい。

でも、私たちは最初からそうである。

それに気づきたい。それだけです。

気づくまで議論は続きます。
300考える名無しさん:2008/06/24(火) 10:36:10 0
他者なくして私はありえーるのでしょうか?
301下僕:2008/06/24(火) 10:43:24 0
宇宙には意識は一つしかない。

観点が自意識をもつものの数だけある。

だから私と思っているものは、他者でもあるが、個別の私でもある。

他者が幻想であると気づかないうちは、個別化された私が無数にあると思い込むだけです。

でも議論を見れば一目瞭然。私のみかたが正しいと言いたげ。そりゃそうでしょう。
みんな正しいんですからね。なにせ、意識が一つしかないのだもの。

でなぜ意見が一致しないのか?意識自体も個別化されていると思い込むからです。
他者が個別化された意識をもっていると思い込むからです。

矛盾しないでしょう?
302wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 10:47:11 0
>>300
他者/共同体無くば、私という概念も、ましてや実体もどきのものはありえーません。
303考える名無しさん:2008/06/24(火) 10:56:31 0
他者も私もないと、仮に、決めつけてしまおう!

最後にのこるのは、意識(相当のもの)
これを、私とするかどうかってことでしょう?
304考える名無しさん:2008/06/24(火) 11:07:22 0
まず最初に人類がいる。
私有物が出来る。
公と「私」の区別がある。
私が産まれる。
305考える名無しさん:2008/06/24(火) 11:10:37 0
まず最初に物質がある。
次に生物が出来る。
それから人類が出来る。
私有物が出る。
と同時に「公」と「私」の区別が出来る。
私が産まれる。
306下僕:2008/06/24(火) 11:14:56 0
>>304
最初から「人類」がいたならそうですね。
でも最初は、得体の知れないどこかに放り込まれてただ、鳴いている赤ん坊のようなものでしょう。
自他の区別もなく、一応自分を確認させるために、モーフでくるむと多少安心する。
こんな程度でしょう。ちがいますか。

そして、共同体という人類がいる。 という感覚を体験しはじめる。

成長過程でいえば、どの部分を私とするかで、変わってきますが、
共同体内での「私」なら、あなたのおっしゃるとおりでしょう。全面的に賛成です。
っていうか最初から賛成ですけど。
307考える名無しさん:2008/06/24(火) 11:15:15 0
下僕さん、なぜ他者(私も?)現れたのでしょうか?
なぜ議論してるんでしょうか?
他のところで説明済みでしたらすみません。
>302
さん。ありがとうございます。
308考える名無しさん:2008/06/24(火) 11:17:34 0
>307
は、なぜ、わざわざ現れて(議論してるのか)ってことなんですけど。
309考える名無しさん:2008/06/24(火) 11:22:28 0
無生物の意識は公のみ。私心なし。

下等生物の意識は公>私

人類の意識は公<私

神の意識は私のみ。私心のみ。
310哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/24(火) 11:28:44 0
>>292
>ゾンビであろうとなかろうと、あなたのご兄弟は(あなた自身=哲学者最高位でも
>同じことですが)、単なる『物理「状態」』に過ぎないのです。

それは「体」は物理状態以外のなにものでもないわけだが
ゾンビかどうかというのは、意味が変わってくるだろ




今日は時間切れね
311下僕:2008/06/24(火) 11:29:24 0
>>307
【私】が、そうしたかったのでしょう?

※【私】の部分を、自他をひっくり返しても、どうやっても意味は同じです。
意識が一つである証明です。
312考える名無しさん:2008/06/24(火) 11:33:09 0
意識の進化論。

人類の意識は、唯一絶対神を目指している。

神に公はなく、私一人のみの世界。

人類は絶対神を目指し、お互い殺し合い、一人生き残った者のみが神となる。

観念論(神意識)は、殺し合いの思想である。

唯物論(公意識)は、共生の思想である。
3133時で1時:2008/06/24(火) 11:37:16 0
>>294
>唯一絶対である人間の内的世界が、
>いかなる物理的要素によって説明できるのかね?

おいおい、唯一絶対である人間の内的世界って何を言いたいんだ?
『私』じゃなかったのかよ? 今度は、人間一般に焦点を変えたのかw

で、何を基準にして人間の内的世界が「唯一だ」と判断しているんだ?お前。
しかも、「絶対」とは何だね?何にも影響・制約を受けないと言うことか?
それとも、比較するものがない、何も対立し得ないということか?

>いかなる物理的要素によって説明できるのかね?
ぼけ!いつ俺が「物理的要素で説明してやる」なんて言ったんだよw
314考える名無しさん:2008/06/24(火) 11:40:13 0
>>311
>私がそうしたかったのでしょう?
という疑問文になっているということはよくわからないということですね?
315下僕:2008/06/24(火) 12:06:19 0
>>314

>>307 さんが、
>下僕さん、なぜ他者(私も?)現れたのでしょうか?
>なぜ議論してるんでしょうか?
と、他者に尋ねた。
氏からみると他者の下僕は、「そうしたかったのでしょう?」と答えた。

別の他者>>314さんが、
> という疑問文になっているということはよくわからないということですね?
と、当事者でない下僕に尋ねた。

下僕は、「どうでしょう?>>307さんに聞けば確かでしょう。」と言います。

当事者にが知っていると答えます。当事者が知っている事を知っているという事です。
他者は何もしりませんよね。幻想ですから。
しっているのは、「私」だけです。だから常に根本原因に「私」があるのでは
ありませんか?この説明で理解できますでしょうか?

一方で、よくわからないという事での単純な答えは、
よくわからないどころか、「わかりえないことを知っています。」
316考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:07:04 0
>>294
引用するからには当然デカルトを肯定していると見なされる。
なのに神を否定する? それではデカルトの論が形無しになるだろう。
こんな当たり前のことがどうして分からないんだ?
317考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:10:12 0
>>255
そのとおり。
だけど現在のところ、そこから一歩出ることができたやつはいないよ。

デカルトのエッセンスは最高位がいちばん理解しているね。
神によって懐疑の対象を保証するのはコギトから先の話だ。
318考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:11:45 0
最高位はデカルトを越えたと自分で言ってるから
319考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:12:56 0
>デカルトのエッセンスは最高位がいちばん理解しているね。

してねーよw
320考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:18:42 0
>>315
「さあ、わかりません。」とこたえたほうがわかりやすい話のような
気がします。
人類が滅びても下僕さんの言われるような意識はあるんでしょうかね?
人間の構造的な誤謬ではないかと思うこともあります。

まあ、ゆっくり考えましょう。(笑
ありがとうございました。

321考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:21:51 0
厨学で先生がデカルトの話をしたのを初めて聞いた厨学生のようにエッセンスだけを最高位は理解しているね。
322考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:24:02 O
当のデカルトの著作を読めば、デカルトが懐疑論者ではないことはわかるはず
ではなぜ、デカルトは懐疑論者と似たような手法を使ったのか
デカルトの抱えた問題とは何か
それらを考えずにデカルトを懐疑論と同一視し、神をどうのこうのと言うのは
解説本の言葉を鵜呑みにしているようなもの
自分の脳で読みなさい
323考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:47:11 0
>>322
デカルトの意図とは別に方法的懐疑からどのようなことが帰結せれるか
デカルトの哲学とは関係なく議論され利用されているのを知らないのか。
フッサールは神に言及せず、デカルトの問題も共有していないから、
間違いだったとでもいうのだろうか。
324考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:56:29 O
方法的懐疑と懐疑論の区別もつかないのか?
325考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:58:29 0
疑えるのは疑えないものがあってこそだろうと。
それを保証するのは神しかいないってね。
疑うという方法を選択したデカルトは、神の呪縛?から抜け出せなかったのだ。
というかむしろ喜んで受け入れたと思うけど。
だからデカルトと神は切っても切り離せないのさ。
326考える名無しさん:2008/06/24(火) 13:04:19 0
デカルトが本当に書きたかったのは自然哲学であって、
私がどうとか神がどうとかは単なる序論、というより
宗教的迫害を逃れるための言い訳に過ぎない、という説もあるらしい。
327考える名無しさん:2008/06/24(火) 13:05:09 O
ちなみに俺はデカルトが正しくて他が間違っていると言っているのではない
デカルトの神の存在証明がデカルトのどの部分にどのような役割を担っているか読解を試みたことがあり、
そのような読解を試みた立場からは、デカルトを直接読まないで評論だけされるのが嫌だったから「自分の脳で読め」と言ったまで
受け売りを信じるのは構わないが、それを垂れ流しにしないように、ってことだ
評価は自分の目と脳と口でやるものだ
328考える名無しさん:2008/06/24(火) 13:16:25 0
そもそも方法懐疑って言っても本当に懐疑ができてるかという疑問がある。
懐疑の保証人?は完全なる神しかいないので、そこに落ち着いたと。
神の存在を証明したかったのか利用したのかは知らないけど、
デカルトと神はやっぱり切っても切り離せない仲なのでした。
329考える名無しさん:2008/06/24(火) 13:19:06 O
デカルトは「わたしは懐疑論論者にはなりたくなかった」とかなりの量書いている
「われおもうゆえにわれあり」が懐疑として不十分だという指摘についてデカルトは喜んで認めるだろう
330考える名無しさん:2008/06/24(火) 13:23:06 O
デカルトは懐疑論を反駁したかったんだよ
「なんでもかんでも疑って、少しでも疑えるならばそれを捨ててしまう」というのはバカらしい
デカルトはそう思っていたんだな
331考える名無しさん:2008/06/24(火) 13:28:41 O
じゃあ、四章はいったい何よ?ってことだな
「わたしの最初の省察はかなり形而上学的なのでここで書くべきかどうかわからない」
形而上学嫌いはスルーしたほうがいいかも
332255の傍観者:2008/06/24(火) 13:54:37 0
デカルトの懐疑主義は、単純な懐疑主義に対する懐疑主義とでもいうべきですね。
コギタチオネスの反証不能性を先験的な出発点とするのは、フッサールの現象学の
入り口です。 自己言及について、超越論の世界、特に数学や論理学の世界では
ゲーデルが否定してしまいました(決定不能性)。背理法・対角線論法、チューリングマシンの
停止問題につながる話題です。
333255の傍観者:2008/06/24(火) 13:57:47 0
>>328
その論にはカント哲学の匂いがします。あなた自身は不可知論に
考えを及ぼしてみたことはないのですか。
334考える名無しさん:2008/06/24(火) 14:04:05 0
デカルトが何を意図して懐疑をしたのかは
どうでもいいんだよ。
じつは懐疑論を反駁したかったのだとしたところで
神をもちだすことのできない今、
その前の段階で立ち止まるしかないだろ。
そこはコギトしかないところなんだよ。
そしてそのコギトがなにゆえに存在するのかと問われても
それは「わからない」としかいえないんだよ。
335考える名無しさん:2008/06/24(火) 14:10:19 0
>>310
>それは「体」は物理状態以外のなにものでもないわけだが
>ゾンビかどうかというのは、意味が変わってくるだろ

最高位氏、それがゾンビであるかどうかによって、あなたがそれに対して持つ
「価値観」は変わるかもしれませんが(大好きまたは大嫌いだった兄が、
ゾンビだと思ったとたんにどうでもよくなる、とか)、それがあなたの兄弟
である、という事実(意味)に、変わりのあろうはずがないのですw

ある実在の物理状態があなたに「あなたの兄弟」という観念を惹起し、
別の実在の物理状態があなたに「キムタク」という観念を惹起し、
別の実在の物理状態があなたに「福田首相」という観念を惹起し、
別の実在の物理状態があなたに「このウンコ」という観念を惹起する、
これは、あなたの「価値観」とは関係のない事実なのです。
仮にあなたが兄弟は好きでキムタクや福田首相は嫌いだが、その3つとも
自我があると思っていて、このウンコには自我がないと思っている、とします。
これらの価値観・判断は、この4つが別個の存在である、という認識が先行して
いて、初めて意味を持つわけです。キムタクが大好きになり、福田首相は
ゾンビだと思い始めたからといって、キムタクが福田首相になったり、あなたの
兄弟がこのウンコになったりするわけではありませんw
(ちなみに、私は哲学者最高であってキムタクではない、という判断についても、
同じことです。)

で、「あなたの兄弟」でも「キムタク」でも「福田首相」でも「哲学最高位」でも
「このウンコ」でも「この水分子」でも「この素粒子」でも、実在する個物なら
何でもいいのですが、それらの観念を私に惹起するところの物理状態、それは、
いかなる物理現象によって発生したのでしょうか、あるいは、いかなる物理現象で
あると規定されるのでしょうか、さて、ご返答やいかにw?
336考える名無しさん:2008/06/24(火) 14:23:04 0
>>333
特にない。不可と断ずることは知ではないし、
知じゃないならまあどうでもいいかと。
337考える名無しさん:2008/06/24(火) 14:39:06 0
死人に思いを巡らせる。
これも一つの不可知論。
いや、センチメンタリズム?噂話し。なんでもいいや。
338下僕:2008/06/24(火) 15:01:23 0
つまるところ、私とは信仰の結果ですね。
で、私自分の信仰を疑い、確かめようとする。
でも、それが神だった場合、別の信仰に置き換える。
しかし置き換えた信仰を疑い確かめた結果神だった場合。
また置き換える。こうして疑い続ける。

ん…。背き続ける?
339下僕:2008/06/24(火) 15:13:35 0
【神の使い方】

神について、考えれば、私の考えが明らかになり、
神について、思えば、それは私の思いであり、
神について語れば、それは私の事であり、
神の法則について語れば、私の法則であり。
神の信仰を語れば、私の信仰であります。

つまり無い物を語らせれば、私がみえちゃいます。

別に鏡でもいいですけど、本当は、なんでもいいんですが、
あまりばらしちゃうと、みなさんしゃべれなくなっちゃう。
340Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/24(火) 15:19:59 0
私の意識の全体の投影を概念化したものが神である、ということでしょうかね。
あるいは、私を超えたものを想定して、その差分を信仰する、か。
難しい・・・。
341下僕:2008/06/24(火) 15:22:44 0
過去の哲学者がやったこと。

自分の考えを自分で疑っただけ。自作自演の極み。
その自伝。

で、学生は、自分の疑い方を学ぶんだが…。
学んでいるのは、「疑い癖」だけ。
342考える名無しさん:2008/06/24(火) 15:31:25 O
てすと
343考える名無しさん:2008/06/24(火) 15:38:08 0
>自分の考えを自分で疑っただけ。自作自演の極み。

他者の存在を否定するのなら、原理的にそれ以外のことはできんじゃないか。
344考える名無しさん:2008/06/24(火) 15:54:21 0
>>237
ノエシス・ノエマ関係する超越論的主観性。

デカルトの方法的懐疑から、「心象」でしかないものを、即自存在と考えるのは、
コギトを外界化しているだけだ。デカルトのコギトは空虚なエゴでしかない。

対自存在としてのコギトしかないんだよ。
http://www.nagaitosiya.com/b/phenomenology/
http://www.nagaitosiya.com/b/husserl_intentionalitaet.html
345下僕:2008/06/24(火) 15:55:06 0
>>343
はい。
他者の存在を否定するのなら原理的にそれ以外のことはできんです。
346考える名無しさん:2008/06/24(火) 15:55:22 0
最高位、『私』について考えるなら『デカルト的省察』は読んだ方が良い。
347Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/24(火) 16:01:34 0
26日夜八時BS-hiにて山内哲雄がデカルトについて語る。
348下僕:2008/06/24(火) 16:19:20 0
ところで、この世界は、「私」の思ったとおりの出来事が起きている。
そう思いませんか?それ以外の事は起きない。

それが解れば、総てのなぞが解けますね。

謎がないことも解けますね。

不安・恐怖・疑いをもつことの愚かさも解りますね。
349考える名無しさん:2008/06/24(火) 16:22:13 0
>>348
>ところで、この世界は、「私」の思ったとおりの出来事が起きている。
>そう思いませんか?それ以外の事は起きない。

「それ以外の事は起きない。」
ではなくて
「それ以外の事は分からない。」
だな。

350考える名無しさん:2008/06/24(火) 16:25:06 0
>>344
「心象」でしかないものだろうが
「ある」といえるものにありつけたことが
すごいんじゃないか。
351考える名無しさん:2008/06/24(火) 16:37:48 0
>350

だから、対自存在としてしか言えないものを、
即自存在と考えることが、ダメじゃないか。
352考える名無しさん:2008/06/24(火) 16:50:30 0
>>351
べつに即自存在だなんて考えてないんだけど。
勝手に決めつけないでね。
353考える名無しさん:2008/06/24(火) 16:51:41 O
デカルトの神の存在証明は完全性の理念の導入

「われおもうゆえにわれあり」→「何も存在しない」ということはなく何かが存在する
神の存在証明→不完全なものが存在するならば完全なものが存在するはずである
したがって、完全なる客観世界が存在する

デカルトの論証はこんな感じ
354考える名無しさん:2008/06/24(火) 16:58:34 O
つまり、懐疑に耐えれるレベルで「存在する」と言えるものなんてないんだよ
デカルトのコギトは懐疑論じゃないからオケ
ここで、哲学オワタと思うか、懐疑論の手法に問題ありと考えるかは自由

デカルトは後者で、懐疑論オワタと考えた
355考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:01:30 0
>>354
>懐疑に耐えれるレベルで「存在する」と言えるものなんてないんだよ
あるじゃん。懐疑している「我」だよ。その「思い」でもいいけど。
356考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:06:38 0
>>355
まぁ、そうだね。
で、どっちなの、ありそうなのは。 「我」? それとも「思い」? 
357考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:07:44 0
>>356
どっちでも好きなほうで呼べばいいと思うよ。
指示対象は同じなんだから。
358考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:09:27 O
ほとんどの人は懐疑論の立場からでしかデカルトを理解してない
でもデカルトの著作を読めば、それがおかしいデカルト像であると気づく

細かく見れば、「われおもうゆえにわれあり」のような超実論的基礎づけは
完全性理念を必要とはするから(「ない」でないからといって「ある」とは限らない)
神理念抜きにコギトによる論証ができないというのはその通りだが
そういうのおいといてデカルトを有神論者のように扱うレスって多い
そういうレスに限って、著書を読んでなくてどっかの本の受け売りの写しなんだよね
自分の脳で読めって
359考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:11:40 O
コギトは疑えるよ
今は論理学が発展しているから
360考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:12:59 0
デカルトの真意なんてそれこそどうでもいいんだよ。
問題はかれの方法的懐疑を神を持ち出すことなく
論理的に否定できるかだ。
そしてそれはいまだできていない。
361考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:16:33 O
だから否定は可能なんだよ
つまり「われおもうゆえにわれあり」は不確実な言明である

現代では論理学が発展しているからね
ゲーデルの名前とか挙がっただろう?
そういうこと
362考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:20:23 0
>>361
論理学も懐疑の対象なんだけど。
363考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:24:47 O
「われおもうゆえにわれあり」が確実だと思われていたのは、論理の研究が古い時代だから
発展した現代ではこの言明が不確実であることが明らかになっている
364考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:27:30 0
>>363
じゃあどこが不確実なの?
365考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:32:03 O
その前に君は「われおもうゆえにわれあり」がどのような関係を指しているかを理解した方がいい
その上で確実か不確実か、検討をしたほうがいい

「われおもうゆえにわれあり」ってなんだろうね?
すると、対象言語とかメタ言語とかの話しになる
366考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:34:10 0
>>365
おもわせぶりのはいいから
論証なり解説なりしたらどうだい。
367考える名無しさん:2008/06/24(火) 17:49:59 0
368下僕:2008/06/24(火) 17:58:42 0
>>349
「私」の思ったとおりの出来事が起きているのですから、
「それ以外の事は起きない。」 でOKです。

「それ以外の事は分からない。」 ならば、
「私」の思ったとおりの出来事が起きているか解らないと
思わなければならないのではありませんか?

私が言いたいことは、自分の信念以外の事は起こらないでしょ?
という問いです。

簡単にいえば、「他は私が決めつける事で決めつけた通りの反応をする。」です。
369下僕:2008/06/24(火) 18:01:42 0
私の考えとしては、

「我思うとおりの他在り」です。
「他思うとおりの我在り」でもあります。
「我思うから我と他在り」でもありますし、

「我思わなければ我他無し」です。
370考える名無しさん:2008/06/24(火) 18:38:36 0
方法としての懐疑を選んだ時点で、いつかどこかで懐疑できない
絶対的なものにすがらないと論理が着地できなくなる運命にある。
それで懐疑しているものは疑えないという結論に至ったわけだが、
それの実在?は懐疑することによって支えられてるので、
人という字は支え合って・・・みたいなことになってる。
疑うという行為を絶対化すれば、懐疑するものが保証され、
懐疑するものを絶対化すれば、疑う行為が保証される。
でも神を持ち出せば外部から両方一気に保証されるじゃん。
つまり神最強ってことで。
371wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 19:48:27 0
われ思う、その超越論的決死の跳躍の瞬間においてのみ私を感得できる、という柄谷の解釈は嫌いではないですね。
372wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 19:50:53 0
感得できることが、「有る」ことにはならないですが。
373考える名無しさん:2008/06/24(火) 19:59:27 0
>>372
だとしたらもう「ある」なんて言葉になんの意味もないね。
374wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 20:05:47 0
>373
「有る」という用語には意味はある。
「私は・有る」という言述の「真偽」は、ヒトである限り、その立場からは、語れない。
375考える名無しさん:2008/06/24(火) 20:07:32 0
>>371
>その超越論的決死の跳躍の瞬間においてのみ
これは冗語だね。何の意味もなさない。
「われ思う」はそんなことじゃないだろ。
ごくごく、常識的な出来事だろ。
376考える名無しさん:2008/06/24(火) 20:11:25 0
>>374
>「私は・有る」という言述の「真偽」は、ヒトである限り、その立場からは、語れない。
またまた、ご冗談を!
ヒトであるからこそ言葉を持ちかつ意識があり「私は有る」と語るのだろう。
その言明の「真偽」をどう意味づけるかも知らないのか?
377wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 20:14:21 0
>376
<ヒトであるからこそ言葉を持ちかつ意識があり「私は有る」と語るのだろう>

そこまでがヒトの閾値です。

<その言明の「真偽」をどう意味づけるかも知らないのか?>

知りません。
378wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 20:18:14 0
>>375
<「われ思う」はそんなことじゃないだろ。
ごくごく、常識的な出来事だろ。>

慣れ親しんだ共同体の常識内の出来事を、そのままに綴るように思うのであれば、ごくごく常識的な出来事です。
379wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 20:22:14 0
(慣れ親しんだ共同体内教育/言語ゲーム/癖付け/ルールの強要という、ごくごく常識的な出来事のひとこま)
「7+5は?」
「は〜い。12です。」
「ご名算。」

380考える名無しさん:2008/06/24(火) 20:29:46 0
>>377
>知りません。
知らないことは語れないね。
381考える名無しさん:2008/06/24(火) 20:32:28 0
>>378
「常識内の出来事を思う」のではなく「なんにしろ思うことは常識的な
出来事だ」と言うことだね。考え方が非常識だ。
382wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 20:34:48 0
>>380
確かに、語りえないことに対しては沈黙するしかないですね。
しかし、「語りえないということ」をロジックで説くのは傍観者さんがお得意そうだから、もう少し日常用語レベルで語ってほしいというのは、浅学の私の勝手な希望です。
383wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/24(火) 20:40:04 0
>>381
<なんにしろ思うことは常識的な出来事だ>

その常識のパロディとして、>>379を書いたのですが、それを非常識といわれると、われ思う、は柄谷的に言うと、「われ疑う」ことだよ、と書きたくなってしまいます。
384考える名無しさん:2008/06/24(火) 20:42:54 0
>>382
「語りえない」という事はその論理(ロジック)が無いということだね。
論理を無視すればいくらでもしゃべれるね。
385考える名無しさん:2008/06/24(火) 21:01:48 0
>>383
「われ思う」も「我疑う」も何の違いも無いだろ。
それが常識だ。
386考える名無しさん:2008/06/24(火) 21:44:25 0
最高位が大嘘つきのペテン師だってことがよくわかったよ。
ほんとに他人を貶めて喜んでる基地外以外のなにものでもない。

105 名前:哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ [] 投稿日:2008/06/23(月) 02:17:00 0
>>101
それじゃ、何の反論にもなってませんな(爆笑


最高位アホ?反論なんかしてねーよ(爆SHOWWW!!!
387Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/24(火) 22:03:06 0
>>302
他者/共同体と私はいかなる形で結びつき(現実的に、また概念的に)、規定しあっているのでしょうか。
ブランショの「明かしえぬ共同体」を読んだけど、他者の死を看取るという点にしか共同体の
価値はないというようなことが書いてありました。
388考える名無しさん:2008/06/24(火) 22:20:34 0
ねえ、私を信じてよ。なんで疑うの?
389考える名無しさん:2008/06/24(火) 22:33:53 0
私は私を信じる。
最高位なんか信じない。
390255の傍観者:2008/06/24(火) 22:43:31 0
>>379
これはクリプキのパラドックスについて言及したいのですか。
ペアノの公理を教えるまで、子供は正しい計算方法を学んだとは言えないのでしょうか。
391255の傍観者 ◆tTKnW9aCzY :2008/06/24(火) 23:03:05 0
>>384
Tractatus Logico-Philosophicus Proposition 7
"What we cannot speak of we must pass over in silence."

 この言表を持ってきて、ロラン・バルトが、たしか何か面白いことを書い
ているんですが、私は昔数回読んだきりで忘れてしまいました。 普段の
生活には何の役にも立ちませんので。 日常用語レベルとはそういうもの
です。
392考える名無しさん:2008/06/24(火) 23:23:13 O
ごめん
393考える名無しさん:2008/06/25(水) 00:00:07 0
>>387
>>302さんの言ってる共同体は社会のことでしょうね。
ブランショの言ってる共同体は内在性としての共同体。
利害のそとにある共同体。共同体は、人間にとって決定的な死を、お互いが
そこにおいて通じ合いを生む為の契機にしょうとする。
・・と言うようなことを聞いたことがあります。
394考える名無しさん:2008/06/25(水) 00:20:12 0
しーちゃんが誕生する契機となった共同体であるゼロアカ帝国

アダルトモドキの美少女しろうと縛乳生娘

アニマル放尿クレポン利害タンポン運命ワギナの女神

失禁しちゃうあずまん子潮吹きパイパンのしおね開脚ノーパン内親王です。
395唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/25(水) 00:43:54 0
>>275最高位さん
余計なお世話というのは
デカルトがそう仰るのではないか?ということですよ。
勝手に格言を利用するな、みたいに。
396考える名無しさん:2008/06/25(水) 01:25:59 0
>>394
これは冗談です
397考える名無しさん:2008/06/25(水) 02:03:15 0
私は私を疑うけどデカルトを信じる
398哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 02:13:04 0
>>335
わけのわからん事ばかり並べているが

結局、何が言いたいん?

キミの言ってる事は、みんなキミの「想念」による外界に対する感想だよな
唯物的世界観で説明してもらわないとさ
キミの観念的価値観とゴッチャにしてもらっても意味不明なんだよ

ではテストするけど、富士山は存在性ですか?

>>360
その通り

>>386
反論もできんのか?(爆笑

>>395
格言??
第一原理の事?
どこがどう格言なん?(爆笑
399考える名無しさん:2008/06/25(水) 02:17:02 0
>>293
「精神は物理現象である」と「「私」は物理現象である」は全く意味が違うでしょ。
前者は同じような構造物から同じような現象が発生すると言っているだけ。「私」抜きで。
後者は既に存在している水素Aを、別の水素Bや水素Cによって創り出す事が出来るとか、
水素Aが存在しているのは物理現象であるとかいう意味になるよ。他にもとりようがあるけどね。
唯物論が如何に曖昧なものであっても、水素Aを水素Bで創れるなんて事言ってないでしょ。
貴方は唯物論がそんな主張をしていると思い込んでいるだけ。
ああ、切れ目云々とかいって誤魔化そうとしないようにね。
それだと沸騰してる水と1000Km離れたところにある氷が同じ現象だという事になるから。
まあ、つまり「私」Aを「私」Bや「私」Cで代替できないのは他の物質と何ら違わないわけですよ。
400考える名無しさん:2008/06/25(水) 02:22:57 0
ブランショは「死の共同体」以外は共同的ではないと言ってるようです。
401哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 04:10:51 0
>>399
>「精神は物理現象である」と「「私」は物理現象である」は全く意味が違うでしょ。

昔の人は、「精神」という次元でしか発想できなかったから仕方がない
本質は元々、人間の精神性全般についてなんであってね
それが全て物理現象であるのか、どうなのかが論点
「私」が物理現象によって発生しているのではないなら、唯物論は崩壊する

全く同じ物理構造にしようが、全く同じ条件にしようが、何をどうやったって
「私」を発生させる事はできません
では、いかなる物理的要素なのか と問うた時に
それを答える事は、絶対に100%不可能である という結論以外に導く事はできないのです
402考える名無しさん:2008/06/25(水) 04:54:31 0
全く同じ物理的構造というのは、世界(時空間を含め全て)をある一点に巻き戻すことと同義
この時、メタ的な地点に立つことは誰にも不可能だと思う
私が再現されたかされないかすらも誰にも観察が出来ないような実験って
思考実験になるの?
神様しか答えを知らない超越的な思考実験だと思うよ
まあ、なんとなく想像すると少なくともこれを書いているおれは存在しているから、
それと同じレベルで存在はしているだろうなとは思うけどw
403哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 05:00:43 0
>>402
>全く同じ物理的構造というのは、世界(時空間を含め全て)をある一点に巻き戻すことと同義

頭、イッチャってるね
全然、話わかってないよキミ
じゃぁさ
そんなもんどうでもいいから
「私」を物理的要素に特定してみてごらんて

物理的要素に、特定できるかどうかが問題なんよ
404考える名無しさん:2008/06/25(水) 05:09:10 0
アホくさい。

最高位が加藤智大に生まれて来ようが宅間守に生まれて来ようが、
誰に生まれてきても「この私」である事に変わりはない。

最高位が加藤に生まれてきても
「よりによって何で、この俺(加藤)なんだ?」と言い出すよ。

誰に生まれても「この私」なのだから、この私の物理要素なんかない。
最高位はバカ。
405哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 05:13:54 0
>>404
もし私が、他の体で生まれて来たら
もちろん私は、その体の物理的要素によって発生したのではない事になる

>誰に生まれても「この私」なのだから、この私の物理要素なんかない。

だったら唯物論は間違い チャンチャン
406考える名無しさん:2008/06/25(水) 05:19:40 0
哲学者最高位の思考実験

@同じ物質なら、同じ現象を生み出す。
 H2Oなら1気圧99.974℃で沸騰する。
A同じ物質で出来た人間ならば、同じ『この私』を生み出すはずだ。
B同じ物質で出来た人間をもう1体作っても、『この私』は
 二つにならない。
C同じ物質なのに、同じ現象が生まれないではないか。
Cだから、唯物論は間違いである。

哲学者最高位によって、世界で初めて唯物論は破壊されたのである。
407考える名無しさん:2008/06/25(水) 05:22:30 0
>>403
おれは頭いってないよw
それにしても下手糞な煽りだなぁ・・・なんか古臭くてオヤジくさいw
オッサンの方こそおれの話分かってないねw
有効な反論してくれるかと思ったのに期待して損した
私を物理的要素に特定する話なんておれしてないんだけど、
どうしておれにそんな質問したの?

あとさ、そんなもんどうでもいいって言うけど、どうでもいいならレスしないでくれよw
馬鹿丸出しで笑っちゃったw

まあ、おれはやさしいから話に乗ってあげると、物理的要素に特定出来るかどうか知らないけれど、
仮に出来なかったとしてもそれが物理的な現象である可能性は残されているよ
特定出来ない=人間の能力的な問題であるという可能性が無視されている
(あくまでも可能性ね)
原理的に不可能とかそんなことはあり得ないからね、念の為
人間が神様のように万能ならば話は変わるけれどね
おれは別に私が物質だろうが、物質でなかろうがどっちでもいいよ
自分に少しでも異議を唱えた人間みんな唯物論者に見えるのなら、オッサンの方こそ病気じゃないか?w
408哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 05:51:17 0
>>406
Cまではヒントだな
そして
Cの次に、もう一つあるんだよな
D私は物理的要素に特定する事は、絶対にできない
だよ
そこで、出来るか出来ないかを、よ〜く考えてみればわかる

E故に、唯物論は間違いである
という結論が出てくる

>>407
>おれは頭いってないよw

いってる人は、そう信じて疑わないらしいよ(笑

>特定出来ない=人間の能力的な問題であるという可能性が無視されている

いやいや
技術的な問題なのではなく、論理的に100%できない
設計図によって、私を作る事は不可能なんだよ
「存在」と「状態」の区別をつける事ができる知能があれば、理解できるんだけどな
409考える名無しさん:2008/06/25(水) 06:17:21 0
>>401
>それを答える事は、絶対に100%不可能である という結論以外に導く事はできないのです
どうかな?解っていないというだけかもしれないよ?
勿論これは途方もなく難解な問題だから、人類が滅亡する迄に至っても矢張り解らないままかもしれないし、
おそらくその可能性の方が遥に大きい。
けど、ある特定の「私」(物質Aでもいいけど)が
この世界に存在を始める原因が物理現象の範疇に入るものではないと言い切るだけの根拠も無い。
「誰にも解らない(解っていない)から・答えられる人がいないから」では100%とまでは言えませんよ。
この誰にも解らない問題の決着をつけたかったら、
「私」が存在している原因はこれだって証明しないとだけど、それは貴方にも無理だよね?
だいたい貴方はどう考えてるの?「私」の原因って。
朧気にでもこういう事かもしれないって考えてるような事はないの?
410哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 06:25:38 0
>>409
> >それを答える事は、絶対に100%不可能である という結論以外に導く事はできないのです
> どうかな?解っていないというだけかもしれないよ?

何回説明したら理解できるのかねぇキミ達は・・・

私はココにいて唯一絶対なのだから
いかなる物体を作ろうとも、それが私になる事は100%絶対に、ありえない
だろ?(笑

実に単純な理屈だが・・・

なんぼなんでも、そろそろ理解できなくちゃイカンだろ
なんぼなんでも・・・・
411考える名無しさん:2008/06/25(水) 06:30:47 0
最高位さんとまったっく同じに同じ位置に作られないと
無理ってことかな?最高位さんの私は。
物理的にも不可能?ですね。
412考える名無しさん:2008/06/25(水) 06:32:58 0
同じ時代同じ時間?
413哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 06:38:28 0
>>411
物理現象つーのは、位置が違っても、条件が同じなら同じ現象が起こるんよ
理科の実験は学校Aでやっても学校Bでやっても、同じ結果になるんよ
でなきゃ同じ教科書が使えないでしょ(爆笑

ところで
なんで位置が私なん?
私は移動するんだけど(苦笑

位置が私の原因性になりうる法則性って、何?
どんな因果法則なん?(爆笑
414考える名無しさん:2008/06/25(水) 07:30:43 0
過去を再現出来ないしーちゃんはゼロアカ帝国

アダルトモドキの美少女

しろうと縛乳生娘アニマル放尿クレポン実験タンポン事象ワギナの妖精

エントロピーを失禁で増大させるあずまん子潮吹きパイパンのしおね開脚パンチラ内親王です。
415考える名無しさん:2008/06/25(水) 07:43:53 0
なんだってまったく同じものはつくれない。似たようなのはつくれる時もある
つくれないという意味なら、虫も石も私も同じ
存在なんてそんなもんさ
416考える名無しさん:2008/06/25(水) 07:45:11 0
>>413
位置ってあなたの体の位置ですよ。
あなたが動けばその位置ね。時間空間を同じくする身体です。
同じところに二つの物体はありえないでしょうから。
あなたが「私」を肉体とまったく別物だと考えておられるなら
別にいいんですけどね。肉体や他者と離れた私は何者でもない
と思うんですけどね。

最高位さんはけっこう品悪いですね。笑わないでください。
そんなに頭良くないのにレスしたんですから。
笑われても自業自得ですが爆笑はないと思いますよ。(笑
失礼しました。
417考える名無しさん:2008/06/25(水) 07:48:29 0
>>414
ただの冗談です
418考える名無しさん:2008/06/25(水) 07:52:55 0
>>408
>D私は物理的要素に特定する事は、絶対にできない
これは間違い。正しくは、
D私は物理的要素によってしか特定する事は、絶対にできない
だな。
個人は個物、個体だね。
419考える名無しさん:2008/06/25(水) 08:05:06 0
私は人間にあって、テレビやラジオに私は無いのだから、
物質的構造の違いで私を特定しているというのが常識人の判断かな。

最高位は常識人からかけはなれた心霊主義者だから、
私は人間の脳にだけでなく、
テレビやラジオにも私があると考えているんじゃないの。
私は物質として根拠がないと言ってるんだから。
420哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 08:17:28 0
>>415
まだ同じこと言ってんの?
理解力浅いなぁ

>>416
キミはただ結果論で話しているだけですね

位置がどうだから「私」が生じているのですか?
その法則は何ですか?と聞いているのですよ
結果論ではなく、位置と「私」との因果法則を教えて下さい

>>418
とても素朴な信仰だね

ところで聞きますが
皮膚から蒸発している水蒸気は、私ですか?(爆笑
421哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 08:21:22 0
>>419
余計なお世話かも知れないが
ちゃんと学校へ行きなさいよ
422255の傍観者 ◆tTKnW9aCzY :2008/06/25(水) 08:32:48 0
下記の事実について、唯物論は何を語りうるでしょうか。

「長い年月に人格ですら変わってしまう。
 新陳代謝によって、数年たつとほとんどの細胞が入れ替わる。 
 死んでよみがえらない脳細胞」

 ここで、『私の記憶』というものだけが、『私』を規定するものであるとするのは
私を規定するのは『ただの経験』でしょう。 SFには『私記憶』をすっかり写し取れれば、
『人を模造する』 ことが可能だ、というものがいくつかあります。 


『私的経験』が他の存在にとっても同じ価値や反応を導けるかという点においては、
現在に至っても思考実験の域を出ません。
423下僕:2008/06/25(水) 08:34:02 0
>>401 で哲学者最高位氏が提唱している論は以下ですが、

昔の人は、「精神」という次元でしか発想できなかったから仕方がない
本質は元々、人間の精神性全般についてなんであってね
それが全て物理現象であるのか、どうなのかが論点
「私」が物理現象によって発生しているのではないなら、唯物論は崩壊する

全く同じ物理構造にしようが、全く同じ条件にしようが、何をどうやったって
「私」を発生させる事はできません
では、いかなる物理的要素なのか と問うた時に
それを答える事は、絶対に100%不可能である という結論以外に導く事はできないのです

【下僕流に翻訳するとこうです。】

私は今、物理現象を使って、みなさんの前に肉体として顕れております。
この肉体をコピーできますが、私をコピーする事はできません。

さらに、私自体も人類において未だ発見されていないある法則の一部でなりたっています。
この法則が人間によって発見され認知された時点で、私は物理現象となりますが、
その法則が発見された時点で、現状、みなさんが信じている物理現象の崩壊が起こります。

この法則は?(ここからは下僕論)
ここでは「私=?」ですが、「業」「因縁」「神」「無」「空」などと言われます。
であるならば、私下僕は、私を「無限」であると提唱しているのです。
さらに、私が私の限界と可能性を創造し、その世界で私は生きている。
【私は一人であるが一人でない】状態を想像しえるかしえないかという点が、
ここの人間において、新しい法則を理解できるかできないか?って事だ。
424考える名無しさん:2008/06/25(水) 08:34:34 0
>>420
同じことを言うのは事実だから。
私をつくることはできないなんて、小学生の発想じゃないんだから止めたら?
425考える名無しさん:2008/06/25(水) 08:41:29 0
>>420
「私」は個人を表す代名詞だね。
個人の数だけ「私」がある。
その「私」は個人を特定するしか特定することは出来ない。
「私」には本質や本性は無い。
個人は物理的に特定できる。
426下僕:2008/06/25(水) 08:47:29 0
私の論は単純だ。しかし理解し難いと思う。
ずっと昔から語られていた事だが、しかし理解し難いと思う。

私は創造主である。

私は個別化を創造し、その個別化をも私と認識することを創造した。

それだけです。

だから他人がいるはずがないのですが。個別化された私であると
思い込んでいる場合は、他人が居る。

他人が居るという前提で、社会制度やあらゆる概念が個別化された
実体である人間によって創作された。

これがルーツであり起源であるし、今でも起こっている。
知っている人は知っているだけだ。かといって知っている者でも、
個別化された人の生活は個別化された意識で行っているただそれだけだ。

「神」=「私」(呼び方は、なんでもいいですが)を知っているか知っていないかの違いだけ。

別に「神」「私」を愛・慈悲その他一元論に入れ変えても、他人に入れ替えても、
何に入れ替えても同じ事です。
427考える名無しさん:2008/06/25(水) 08:51:07 0
>>420
あなたの「私」はことばによって分割されているんじゃないんですか?
それはあなたがこの時空で占めている身体によって手に入れたものじゃ
ないですか?記憶だって脳に損傷を受ければなくなるって言うし。
かって私が私としていた私とは違うとおもいますね。
果たして子どもの時の私といまの私は同じでしょうか?

428哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 09:01:02 0
>>422
それは無理のあるSFです
私の記憶を他人に移せば私になるかというと、私はココにいるのですから
普通に考えて、それは私の記憶を持った他人という事になるでしょうね

>>424
いや、キミの理解が浅いだけだと言ってるんだが

>>425
>個人の数だけ「私」がある。

言葉は曖昧なものだから
まぁ、そういう風にも考える事は可能だが
ここで私が言ってるのは、「私以外は全て、私ではない人」 なんだね
自分の都合のいい方向へ、無理に間違えた理解をしても、な〜んにもならないわけね
429考える名無しさん:2008/06/25(水) 09:06:12 0
>>398

最高位アホ?
オマエに反論できるやつなんてどこにいるんだ(獏SHOWWWWW!!!!!!
430考える名無しさん:2008/06/25(水) 09:07:57 0
おっとつまんない揚げ足は取るんじゃねーぞ最高位
431下僕:2008/06/25(水) 09:08:19 0
一者から個別化された私といわれるもの、
対象として考えるなら「他」でもいいですが…。

自由な意思をもっている。

その個別化された実体がなんであるか?はさておき、
なぜ個別化を選択したのか?は、個別化された実体が
思い出せばよいだけです。忘れる事を選択した場合もありますね。

このあたりは、仏教が上手く説明しています。
仏教は個別化された一者に語りかけている物語ですね。
ただ、表現が硬い。キリスト教はあまりにもロマンチック。
イスラムはイメージ。ま、いっぱい物語はありますね。

哲学は、個別化と一者を融合させる論を構築するだけ。
科学は、法則を発見、創造する役目。
歴史は、発見ではなく、創造している。だから昔なんてありゃしない。

これが理解できたら、つぎは、「時間です。」よね。
432考える名無しさん:2008/06/25(水) 09:16:13 0
>>462
下僕さんの「私」は私しか知りえないってことですよね?
間違ってたらすみません。
そしてこの私はすべての私ってことですよね。
宮沢賢治の詩にそういうのありましたね。
(すべてがわたくしの中のみんなであるように
みんなのおのおののなかのすべてですから)
最高位さんのハンネもそうした私を言ってるんですかね。
そういう私も捨てがたいですけどね。
確証もないしね(笑
下僕さんほどには。
433考える名無しさん:2008/06/25(水) 09:27:18 0
>>428
理解が浅いって言われても、いい歳こいて私はつくれないとか言ってる人は
はっきり言ってバカとしか思えないけど。
幼稚園児がそう気付いたんならけっこうすごいかもしれないけどね。
434考える名無しさん:2008/06/25(水) 09:30:46 0
>>398
>唯物的世界観で説明してもらわないとさ

おお、最高位氏、私は唯物的世界観で何かを説明しているのでは全くありませんw
あなたが「私は物理現象によって発生したのではない。私は物理的要素によって
特定できない」と述べられたので、「そのあなたの理屈によると、あなたの兄弟でも、
死んだ犬でも、このウンコでも(厳密に言うと、これらの観念をあなたに惹起する
ところの物理状態、でありますぞw)、物理現象によって発生したのではなく、
物理的要素によって特定できないのではないですか?」と、お尋ねしているわけです。

>ではテストするけど、富士山は存在性ですか?

最高位氏、「存在性」の意味が不明なのでお答えのしようがありませんw
逆にお尋ねいたしますが「あなたの兄弟」や「哲学者最高位」や「福田首相」や
「死んだあの犬」は、存在性なのでしょうかw?
問題は存在性であるかどうかではなく、それらが物理的要素によって特定できるか
どうか、であります。

通常の理解では、あなたの兄弟が発生した原因はあなたの両親のセックスという
物理現象なのですが、当時のあなたの両親と寸分違わぬ物理的要素の2人の男女が
寸分たがわぬセックスをして、寸分違わぬ赤ん坊が生まれても、それはあなたの
兄弟ではありません。あなたの兄弟は成人としてそこにいるからですw
今のあなたの兄弟と寸分違わぬ物理状態の物体を作り上げても、それはあなたの
兄弟ではありません。あなたの兄弟はそこにいるからですw
従って、あなたの理屈によると、あなたの兄弟は物理現象によって発生したの
ではなく、物理的要素によって特定できない、ということになります。
上記の理屈は、あなたの兄弟がゾンビであってもなくても、何の影響も受けません。
仮にあなたの兄弟がゾンビで、コピーの方に自我があるなら、あなた兄弟はゾンビ
の方なのでありますw
さて、以上の理解は正しいでしょうか、間違っているでしょうか、ご返答やいかにw?
435下僕:2008/06/25(水) 09:38:11 0
>>432
>下僕さんの「私」は私しか知りえないってことですよね?
はい。
>そしてこの私はすべての私ってことですよね。
はい。
>そういう私も捨てがたい
捨てるのではなく、拾い上げる。つまり【思い出せばよい】だけです。
考えたらアウトです。考えるのは、自分の利益になる創造活動に使うべきです。
よくも悪くも、創造してしまうのが思考の力ではないでしょうか。

余談ですが、私の誕生日宮沢賢治と同じです。8/27生まれ。

哲学者最高位氏は、謙虚な方ですから、私ほど言及はしません。
436考える名無しさん:2008/06/25(水) 09:53:59 0
>>428
>「私以外は全て、私ではない人」 なんだね
いや、「私」は代名詞、数学で言う変数xのようなもの
だから「私」はいくらでもある。個人の数だけの私がある。
私以外も私で矛盾は無い。
個物を固有名で指示したときそのものはただ一つとなる。
私は私一般でよい。
437哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 09:58:44 0
>>433
んで
唯物的に作れんの?
どっちなのかハッキリさせてから言えば?
438哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 10:00:14 0
>>436
じゃぁ
私が、私って言った場合には?
439考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:06:53 0
>>435
ありがとうございました。ゆっくりまた考えてみます。
思い出してだろうとは突っ込まないでください(笑
440考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:10:22 0
>>437
だからつーくーれーなーいーってw日本語わかんないの?
唯物だろうがなんだろうが人でも虫でも石ころでもまったく同じものはつくれないの。
その事実は唯物論とまったく矛盾しないの。するわけないの。
そんな小学生レベルの常識かざして「私をつくることはむり!」とか、バカじゃないの?
って言ってあげてるわけ。バカじゃないの?
441考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:12:50 0
唯物的に人工知能を作っても
「私」は発生する。
つまり物理現象である。
442下僕:2008/06/25(水) 10:12:53 0
>>439
なにも言うことがなくなりました。(笑→(黙→(嬉
443考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:15:47 0
哲学者最高位さんはガラ悪いなと思うけど
あまり謙虚には見えない。
皆のために悪者になっているんだろうか?
444考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:20:46 0
>>438
>私が、私って言った場合には?
「私」と言った人の数だけの私がある。
445考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:22:04 0
エヴェレスト、チョモランマは物質で出来ているから、
原理的には日本にも月にも太陽にも全く同じチョモランマが作れる。
と最高位は考えている。
446考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:22:14 0
>>441
そういうことは人間と同程度の人工知能を造ってから言いたまえ。

>>443
釣師だからしょうがない。
447考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:38:46 0
>>438
最高位は3歳児かw
あたしがあたしっていったら?じゃねーよ
お前にも戸籍と氏名があるだろw
3歳児のだだっ子みたいだぞ
448考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:43:49 0
そろそろ、
≪なぜ、思考は「私の思考」(当人の思考)としてしか現われないのか≫
その理由を考察してもいい頃じゃないでしょうか。
そしてそれは、特に最高位氏に義務付けられてきます。
なんとなれば、そここそが、最高位氏の最大にして最初の、そして最終の砦となっているからです。
(「俺はここにいる。今まさにこのように思考している(≒実感されている)」感が、全ての根拠となっているのですから)

ここに於いて戯れに試みてみるならば、一つの解は
≪「思考」が、(唯物的に言えば「顕われている精神活動」が)、『私』である≫
と、セットにしてしまうことです。
≪「思考」が『私』であるならば、【「思考」が、『私』として現われている】ということは、
  他の可能性の入る余地のない、それしかありえない、自明すぎるほど自明な、論理以前の必然となる≫
のではないでしょうか。
≪「『私』として現われている思考」が「私の思考」となることもまた、それ以外に可能性を含まない自明なこと≫
にならないでしょうか。

そして、ここから先の「なぜ?」は、(なぜ、「思考」を『私』と見做せるのか?は)、
それを問うならば、神学的問いに等しい迷宮に入らざるを得ないのかもしれません。
宇宙の始原を問うことと同種のものになるのかもしれません。
(「ブラックボックスとして捨象する」という卑怯な態度かもしれませんが・・・w)
或いは、≪「思考」を『私』と見做せるのは、そのように実感されるから≫ という逃げを打つ手もありますwww


またいつものループになってきているので、少しいちびってみましたw
449哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 10:53:10 0
>>440
水の分子は、水素と酸素で作れるんじゃないの?(爆笑

私の体内にある水の分子は、昨日はフィリピン沖にあったものとか
太平洋の真ん中にあったものかもわからんのだよ
人間の体の分子なんて、テキトーな、その寄せ集めなんだよ

水の分子は水の分子
同じ働きをするし代替が効くんだよ
「同じモノじゃない」なんて観念的なこと言ってても仕方ないだろ
もっと論理的な因果関係で説明してくれなきゃね
反論にならんのよ

>>445
>エヴェレスト、チョモランマ
とかいうのは便宜上の呼び名なんよ
観念によって>エヴェレスト、チョモランマ
と便宜上で呼ばれている、ある物理状態の事なんよ

論理的には、同じ分子構造のものが
複数、存在できない理由がないんよ

>>447
私が私と言ったら、たった一人に決まってるだろバカ
450考える名無しさん:2008/06/25(水) 10:55:56 0
どちらにしろ『私』の存在などで唯物論は倒せない。

これは真理である。
451下僕:2008/06/25(水) 10:57:29 0
>>443
イエスは、極悪です。ある人から見れば。
善人は極悪です。悪人からみれば。
先進国人は極悪です。ハッキリ言って泥棒です。

具体は極悪です。抽象からみれば。
表現形態の幅が広いものは極悪です。画一的表現者からみれば。
差別用語をつかうものは極悪です。差別用語の存在を信じている人からみれば。

つまり悪い者はいないって事です。
452考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:01:13 0
>>451

あなた相対主義をわかっている。

これこそ真理である。
453考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:04:21 0
>>451
じゃ馬鹿はいるんですか?最高位さんはバカとかいってましたけど。
もちろん言われてもいますけど。
454考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:05:37 0
>>449
>論理的には、同じ分子構造のものが
>複数、存在できない理由がないんよ

それが、幾つかの要素を捨象した上で成立する言明であることが、まだわからんようですねw
ましてや、「論理的に」などと言ってしまったら、尚更「個別性」が捨象されるというのに・・・。
455考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:08:04 0
>>448
『私』と“思考”を切断するのが最高位です。
あくまでも『私』の“思考”であり、『私』の“心”なのです。
それらを=で結ぶことに終始、彼は反対してきました。

ところで、貴兄は素人さん? w

456考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:13:02 0
>>455
さあ?どうでしょう・・w
457考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:13:53 0
最高位の三段論法

私、最高位はホモ・サピエンスである
キムタクはホモ・サピエンスである
私とキムタクは同一人物である
458哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 11:15:58 0
>>450
理由は?(爆笑

>>454
>幾つかの要素を捨象した上で

って、何の要素かね? 素人くん

>「個別性」が捨象されるというのに

世界から「ある状態」を切り取って、そこに個別性なんていう価値を与えているのは「観念」
その辺がわかってないんだよな

>>457
アホか
私は唯一絶対 と言ってるのに
読解力なさ杉
引っこんでろって(苦笑
459考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:19:05 0
>>449
それは同じものじゃないよ?
代替のとき使うエネルギーの分だけ差が生まれるでしょ?
ノットイコールでしょ。最高位の知能じゃ理解できないと思うけどw
つかどうやって代替するの?できるの?それだけできるの?
園児なみの頭なの?バカなの?池沼なの?
460考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:21:14 0
>>455
しかし、

>『私』と“思考”の切断

>あくまでも『私』の“思考”であり、『私』の“心”

は、重要な文章です。

貴方のことをクサす人は多いですが、私は貴方のツッコミや着目の仕方を評価しています。
そして、私の(真の)論敵は現在のところ貴方ですよw
461考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:22:46 0
おお、最高位氏、何ゆえに>>434はスルーなのですかw?

>>449
>論理的には、同じ分子構造のものが
>複数、存在できない理由がないんよ

最高位氏、宇宙に同じ分子構造のものがいくつ存在しようと、それらは
チョモランマではないのです。なぜならチョモランマは地球のそこにあるの
ですからw チョモランマといったら「たった一つに決まっているだろバカ」
なのでありますw
「あなたの兄弟」でも「哲学者最高位」でも「あなたの死んだ犬」でも、
生物であっても無生物であっても、ゾンビであってもなくても、
理屈は全く同じことなのです。犬について、あなたご自身が「全く同じ
物理状態を作っても、それは決して私のあの犬にはならない!」と
力説されていたのですぞ。お忘れですかw

>>448
>≪なぜ、思考は「私の思考」(当人の思考)としてしか現われないのか≫

それは逆であって、それが「私」の定義なのです。
ちなみに、純粋に思考だけがあるのなら、それは人間ではなく、「ここにある」
とも言えません。従って「これでない他の思考」が存在する余地もありません。
思考が五感による経験を通じ「思考の外の世界」を認めることによって、
初めて自分が「他ではない私の思考」なのだという発想も「私ではない、
私には直接現れない思考=他の私」という発想も、可能になると思われます。
462哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 11:36:28 0
>>461
長文に対して同じ事ばかり説明するの、バカバカしいし疲れるんだよ

>宇宙に同じ分子構造のものがいくつ存在しようと、それらは
>チョモランマではないのです。

だから、それは観念的な価値観だって説明してるだろ
チョモランマなんていうのは、人間が便宜上で勝手に名前をつけてるだけだろ
「チョモランマじゃない!」 なんているのも、そう
人間の観念による後付けの価値観だ

しかし知能低いなぁ〜
いいかげん、少しは進歩しろよ
463哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 11:40:41 0
>>459
水が水と代替できないなら、自分のションベン飲んどけや(爆笑
464考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:42:57 0
>>458
>って、何の要素かね?

散々書き込まれてるでしょうwww

一番多いのが「位置」。
他にも、
「時間的差異」「微細な差異」「当該思考実験に於いて大勢に影響を与えない瑣末な差異、微細な差異」
「“複数ある”ということは、それらが“別物である”ことに他ならない」etc.etc.etc.

>世界から「ある状態」を切り取って、
(これも、ネコ氏にも問うたことですがw)
「なぜ切り取れるんですか?切り取る基準は勝手な価値観(のみ)に拠っていると言えるのですか?」
「価値観によって境界を設定するにしても、“なぜ、そこが境界として選び取られねばならなかったのか”?」
((“惹起”という難しい言葉によるw)最近の感嘆子の指摘はこの部分に関わっていますが・・・w)
465考える名無しさん:2008/06/25(水) 11:49:04 0
>>463
どうしたの?
水分子だけを代替する方法がないといまさら気付いておしっこもらしたの?
泣くの?バカなの?
466下僕:2008/06/25(水) 11:51:57 0
>>453
町中や、駅のプラットホームで叫ぼう!

お〜い。馬鹿と。

振り向いた者が馬鹿なのでしょう。

もっとも私は馬鹿ですが…。

馬鹿は馬鹿な行いをする行為を差しますよね。
だから、馬鹿っていわれた場合、その行為を差しているだけですよ。
人格と結びつけてとらえた場合、なんというか。
その人は自分が馬鹿と自覚している証拠です。私みたいにね。
467wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/25(水) 11:53:21 0
>>387 :Absalom ◆owNN8RDlXo
>>302
<他者/共同体と私はいかなる形で結びつき(現実的に、また概念的に)、規定しあっているのでしょうか。
ブランショの「明かしえぬ共同体」を読んだけど、他者の死を看取るという点にしか共同体の価値はないというようなことが書いてありました。>

「他者の死を看取る」という経験から、時間の概念が芽生えるのでしょう。

>>390 :255の傍観者
>>379
<これはクリプキのパラドックスについて言及したいのですか。
ペアノの公理を教えるまで、子供は正しい計算方法を学んだとは言えないのでしょうか。>

カントの先験的総合判断(=カントのいうところの純粋数学)を戯画化したものです。

>>393 :考える名無しさん
>>387
<>>302さんの言ってる共同体は社会のことでしょうね。
ブランショの言ってる共同体は内在性としての共同体。
利害のそとにある共同体。共同体は、人間にとって決定的な死を、お互いがそこにおいて通じ合いを生む為の契機にしょうとする。
・ ・と言うようなことを聞いたことがあります。>

他者の「死」は、ある意味、決定的に(もしそういうものだけを抽出することができるとすれば)、私のアプリオリな認識を無化します。
そして、「共同体・内・存在」としてしか生きていけない「ヒトの生きよう」をまるごと規定します。
468哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 11:57:26 0
>>464
>一番多いのが「位置」。

オマエ、いったい何を読んでるわけ???
位置の何が「私」の原因なんだ?
論理的に考えて、因果関係に飛躍があるだろ
何の法則なんだよマッタク

根本的に知能が低いなぁ・・・・

>>465
代替が効かない体だったら、新陳代謝とめとけよ(爆笑
469考える名無しさん:2008/06/25(水) 12:09:57 0
>>468
最高位の新陳代謝は代替くらいの厳密さなの?
けっこういい加減なの?バカなの?
470哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 12:17:39 0
>>469
「厳密さ」とか「いい加減」とか
そんな観念的な事を言ってちゃいかんなぁ

同じ分子は、代替が効くんかどうか、答えは二つに一つなんよ
どっちかハッキリしろや
471考える名無しさん:2008/06/25(水) 12:24:23 0
>>462
おお、最高位氏、「価値観」という言葉はどうにもいただけませんがw、
人間が外界を認識する場合に「後付けの」「観念によって」認識して
任意の「名前」をつける(言葉を使う)以外にはない、というのは、
全く当然のことであります。というより、唯物論そのものでありますw

まず特定の物理状態が存在し、それを観察することによってある観念が発生します。
それに「チョモランマ」という名前を付けます。
別の特定の物理状態が存在し、それを観察することによってある観念が発生します。
それに「キムタク」とか「哲学者最高位」とか「私の兄弟」とか「犬のポチ」
とか「このウンコ」とか、さまざまな名前をつけます。

この後で、たとえば「私の兄弟」と全く同じ物理状態を観察しても、
「これは私の兄弟である」という観念は、発生しないのです。なぜなら、私の兄弟は
すでにここにいるからです。それに対しては、「私の兄弟とそっくりの他人」という
いう観念しか発生いたしません。
「チョモランマ」と全く同じ物理状態を月面上に発見しても、
「これはチョモランマである」という観念は、発生いたしません。なぜなら、
チョモランマはすでに地球にあるからです。それに対しては、「チョモランマとそっくり
の別の山」という観念しか発生いたしません。
あなたご自身が、死んだ犬については、「どんな物理状態によっても、
「これは死んだ犬である」という観念が発生することはあり得ない」と、
強調されていたわけですw

以上のような事実を、「私の兄弟も、チョモランマも、犬のポチも、物理的要素
によって特定できない」と表現しているのです。
さて、あなたはこれをお認めになるのかならないのか、ご返答やいかにw?
(長文に答えるのは疲れるとのことですが、長文で答えてくれとは申しておりません。
単にイエスかノーかで結構なのでありますw)
472考える名無しさん:2008/06/25(水) 12:31:39 0
>>470
代替がきく場合はあるよ?つかそこは否定してないよ?
もう話がごちゃごちゃになってるんだねw
バカなの?
473哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 12:34:13 0
>>471
>人間が外界を認識する場合に「後付けの」「観念によって」認識して
>任意の「名前」をつける(言葉を使う)以外にはない、というのは、
>全く当然のことであります。というより、唯物論そのものでありますw

はぁ??
唯物的世界観からすると、全ては偶然に、そこにあるだけで
だだ単に、構造があるだけの世界であって、価値観など『妄想』だという思想なのだよ(爆笑

進化論しかりだ
何考えてんの??(苦笑

>>472
>場合はあるよ?
って
またまた、いい加減な返事だなぁ
ない場合 というのは、どんな場合なの?(苦笑
474考える名無しさん:2008/06/25(水) 12:42:20 0
>>473
分子の状態によるんだよ?そんなこともわからないの?
つか二つの分子だけを代替することができるの?
できると妄想してるの?バカなの?
475考える名無しさん:2008/06/25(水) 12:48:26 O
ここで哲学板初体験の私が流れを読まずに論じよう!
いえーい!記念カキコ!


《私》とは科学、医学においては《意識》である。
電流の流れであり、反射の集合体である。
それが言語を持ち、所謂《意識》としてまで認知されるのは、音の集まりが曲を形成することとよく似ている。

音はそれのみでは意味を見い出されることはなく、重なり、合わさり、《曲》となる。無意味が集まり意味を成すのである。
個々のそれらだけを取り出すと無意味であるがゆえに、無意識と呼ばれる層も存在し、不可解な内容である夢もまた存在するのである。

幾億もの音が多重に連なれば、かろうじて《メロディ》が出来上がる。それが意識、主旋律である。
《音》は全ての事象である。意味を成す前の無意味である。
ひと、全ての事象を積み重ねたものを過去と呼ぶ。
したがって過去と現在は分かつことあたわず。常に一方向にのみ進み、現在は常に過去となる。


昼休み終わっちゃった。長いからまた後で続き書きにくるわ
476哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/25(水) 12:57:27 0
>>474
>分子の状態によるんだよ?

どんな状態かね? 具体的によろしく


アホみたいな当り前の事なんだけどさ
技術的な事は無視した、論理的な話なのは、わかってる?

ある分子構造と、同じ分子構造が存在できない理由がないんだよ
一度は実現できてるんだからさ
不可能である根拠がない

不可能ではない=可能である

単純な理屈だね

>>475
ヒント

意識は「私ではない人」にもある
ゆえに、私は意識である というのは、少しズレている

「私」というのは、キミ自身の事なのではないかね?
キミという存在を指すのではないかね?
477考える名無しさん:2008/06/25(水) 13:21:43 0
>>476
>意識は「私ではない人」にもある

そんなふうに言い切っちゃうと、
またいろいろうるさいこと言われるよ。
478考える名無しさん:2008/06/25(水) 13:39:35 0
>>476
ちょっと片手間にからかうつもりだったけど、あんまりにもバカでひくわ。
分子は大なり小なり運動するだろ。これで分からなきゃバカ以下。
つかある分子だけを交換なんてできないから。物理的に筋が通ってないから論理でもない。
もちろん現実にも不可能。中学生にでも聞いてみろ。
479考える名無しさん:2008/06/25(水) 14:09:46 0
>>473
>唯物的世界観からすると、全ては偶然に、そこにあるだけで
>だだ単に、構造があるだけの世界であって、価値観など『妄想』だという思想なのだよ(爆笑
>進化論しかりだ

おお、最高位氏、全く意味不明にして支離滅裂という他ありませんぞw
すべてが偶然にあるのか必然にあるのかは決定論の問題であって、唯物論の
問題ではありません。まあ機械氏などはすべて必然だとあまり根拠もなく
断言されていること、周知の通りでありますw
「構造があるだけ」とは意味不明で、質料抜きで構造がある、という考えは、
あまり唯物論的とは思えません。「価値観」の意味も相変わらず不明ですが、
「観念」(チョモランマとか山とか最高位とか人間とか)という意味でしたら、
唯物論はむしろ「どんな観念が存在するかは脳の物理状態によって一義的に規定される
(脳の物理状態は世界の物理状態によって一義的に規定される)」と考えるのです。
これに対し、非唯物論は、思考や観念の内容は脳の物理状態によって一義的には規定
されず、一定の自律性を有する(極端なものでは脳などとは全く関係がない)と考えます。
しかし、いずれにしろ、観念が外部世界と無関係の『妄想』だとすると、観念に
関して正誤を論ずることが無意味になってしまうので、唯物論にしろ非唯物論にしろ、
そんなことを主張する人はまずいないと思われます。

むしろ、「物質は切れ目なく一つながりで、チョモランマとか富士山とか
最高位とかキムタクとかは、私が勝手でテキトーな価値観で切り取って
テキトーに名前をつけているだけだから、存在性などない。」という、
あなたの日ごろの主張の方が、「私がキムタクでなく最高位だというのも
私の根拠のない妄想だ」ということですから、引用文によほど近いのです。
つまり、あなたの理屈に従うと、あなた自身が唯物的世界観の持ち主だと
いうことになってしまいますが、それでよろしいのでw?

さて、相変わらずイエスかノーで答えられる質問にご返答がありませんがw、
「私の兄弟も、チョモランマも、犬のポチも、物理的要素によって特定できない」
ということをお認めになるのかならないのか、さて、ご返答やいかにw?
480素人:2008/06/25(水) 14:19:02 0
ちょいと出かけて帰ってきてみれば・・・(^^;
これは、声を大にして言いたい「最高位氏の狡猾さ」なので名前欄有。

>>468
>位置の何が「私」の原因なんだ?

はぁ? (゚Д゚ )

貴方は文脈というものが読めないのですか?何を読んでいるわけ???と言いたいのはこっちですw
>>454>>458に於いて、「捨象できる(捨象している)要素は何?」という流れではなかったか?
決して≪「私」の原因となる要素は何か≫という流れではなかった筈だ。そんなことは全く関係がない。
そこへ、突然≪「私」の原因≫を捻じ込んでくる貴方の思考回路が不可解極まりない。
自覚がないとしたら大馬鹿者だ。自覚があるとしたら小ズルイにも程がある。

こんな応答をするような貴方に、対話・議論への参加資格はない。
481考える名無しさん:2008/06/25(水) 14:41:17 0
>>475
そういうピタゴラス的な説明はすきだ。
482下僕:2008/06/25(水) 14:46:26 0
とりあえず、ここまで、総て、私が書いたものである。
私の自作自演は、今日は活発だ。

一方個別化された私も、同じ事を思っている。

私は絶対に唯一存在している。
483下僕:2008/06/25(水) 14:50:02 0
>>482
未来の下僕より、過去の下僕に告ぐ。

お前は既に死んでいる。

俺も今、お前の後を追う。
484455:2008/06/25(水) 14:51:56 0
>>475
「無意味が集まり、意味を成す」というのは、そのとおりでしょう。
その無意味な事象が“差異”の集積として開示される“依り代”が『私』である、
と述べたことがあるが、単なる音ではなく、それらを旋律たらしめるのに『私』は
不要なのかどうか。“依り代『私』”なくして、つまり意識だけで事象を分節し、
意味を付与できるのかどうか…。
485429:2008/06/25(水) 14:52:08 0
462 名前:哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ [] 投稿日:2008/06/25(水) 11:36:28 0
>>461
長文に対して同じ事ばかり説明するの、バカバカしいし疲れるんだよ


ほーらね。
そもそもオマエに話合おうとする姿勢がないじゃん(漠SHOWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
486429:2008/06/25(水) 14:52:39 0
あ、それと俺を無視すんなや、カス
487下僕:2008/06/25(水) 14:58:15 0
>>483
生き返ったよ下僕。

なんだ。そういうお前こそ死んでしまったではないか。


では俺はお前に会うことができないのか?
488考える名無しさん:2008/06/25(水) 15:00:33 0
>>484
>単なる音ではなく、それらを旋律たらしめるのに『私』は不要なのかどうか。

ここでは『私』を挟まない考察をすべきです。
>>475の喩えに於いては、『私』に相当するのが《曲》だからです。
ですから、貴方の問いは以下のようにならねばならない。

≪単なる音ではなく、それらを旋律たらしめるのに《曲》は不要なのかどうか。≫ と・・・。

喩え話というのは、常にその図式に目を向けねばならない。

ここで、《曲》でなく『私』を挟んでくるやり方は最高位氏の手法です。
弟子として、見事に師を踏襲してらっしゃいますね。
この点は称賛に値しますw
489考える名無しさん:2008/06/25(水) 15:01:51 0
最高位のせいで、
自分の中に「私」が何匹もいる妄想にとりつかれた・・。
490下僕:2008/06/25(水) 15:03:11 0
>>487
いやそうじゃない下僕、

俺は、>>482だ。既に合っている。
此処では、時間が存在するんだ。いい加減、此処のルールを理解しろ。
491下僕:2008/06/25(水) 15:11:20 0
>>490
ま、お前に言っても仕方ないが、

お前の前のお前が、女を泣かせたんで、
俺は、今、恨まれている。責任とれ!っていても無理だわな。

まあいいい。お前を許す。
492455:2008/06/25(水) 15:16:34 0
>>460
貴兄がそう思うのは、オツムのていどが同じだからでしょう。w
>>480
相変わらず短期だね。w 
貴兄が言いたいのは、こういうこと? 「事物は再現できない」
「科学の実験(再現)は幾つかの条件(や微細な差異)を捨象した擬似的なもの」
「身体は新陳代謝しているが、同一な状態を再現したことはない」

これらのことから、むしろ『私』の謎は深まるようにも…。
493考える名無しさん:2008/06/25(水) 15:28:38 0
「物理では厳密には同じものなどない」ならば
「私」はその時々で物理的に違うものになっていることになる。
しかし「私」は同一性を保っている。
とすると「私」は物理的なものには還元できないことになる。
もっといえば「私」は物理的なものとは関係ない
つまり最高位のいうとおりというわけだ。
494下僕:2008/06/25(水) 15:28:43 0
>>491
一世代前の下僕さん、私はどうしたらいいんでしょう?

あれっ、何かどこからから声が聞こえた?!

「お前が決めろ!」だって?

あれは、あなたですか?ま、いいや、もう黙ります。

下僕さん達、お騒がせしました。
それから別の個別化された、私たちの私たち、黙りますんで。
すみません。
495455:2008/06/25(水) 15:41:00 0
>>488
だから、その喩えが当を得ているかどうかを問うているのです。
そもそも彼は『私』とは何かを語っているのではないの?

>>475 は、ほぼこう述べている。「私とは意識である」 
そして私を「曲、旋律」にたとえている。文脈上、それは“意味”のことらしい。
すると、『私』は意識であり、意味ということになる。

“主体”が不在のまま、意識や意味が成立するや否やを問うているのです。
496考える名無しさん:2008/06/25(水) 15:41:49 0
>>493
そうではなくて、「富士山」でも「最高位」でも、物理的には
その時々で変化しているわけです。しかし、「私」はそれを同一性を
保ったものとして理解しているわけです。(そうでないと、変化とか運動
という概念は意味を持ちません。ほとんどの名詞も意味を持ちません。)
つまり、「私には、対象を(もちろん一定の物質的条件のもとで)
同一性を保ったものとして理解する癖がある」ということで、対象が物質でも
「私自身」でも同じことなのです。
497493:2008/06/25(水) 15:52:16 0
>>496
「富士山」と「私」では根本的にちがうと思うよ。
「私」が「富士山」を(というか「私」以外を)どう認識しているのかと
「私」がどういう存在なのかを一緒にしてしまうことこそ悪いクセでしょ。
>「対象を同一性を保ったものとして理解する癖がある」
というのは「私」以外のものについては言えるけれど「私」には言えない。
「私」の肉体については言えるけれでも「私」には言えない。
なぜなら「私」には「私」以外のものである可能性がないから。
498455:2008/06/25(水) 15:52:49 0
>>493
最高位の論拠もそういうものかと思っていましたが、彼は「私とは存在性である」
と言明してきましたが、「同一性である」に首肯したことはないでしょう?
499考える名無しさん:2008/06/25(水) 15:53:14 0
>>496

物理的にその時々で変化している多様な私はゼロアカ帝国小説家モドキのエロぴか理論の皇后

爆乳生熟女アニマル浣腸クレポン同一性タンポン概念アナルの女神

スカトロ好きな癖があるあずまん古腐人淫乱に潮噴くさなえ陛下です。

500Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/25(水) 16:04:39 0
人間の想像力には限界がある。それは空間的にもそうだ。本を読んでいるとき、頭の中に
思い浮かべる小説の描写は、私の頭の表皮あたりで、広さは顔をまっぷたつに割った程度の
大きさだ。それ以上広い場面を想像しても、像は形をなさず、消えてしまう。無限の広さを持つ
世界に対して、この限られた想像力は、先天的に与えられ、私を一番きつく規定するものだと
おもうが、個々人ではどの程度の違いがあるのだろうか。
501493:2008/06/25(水) 16:07:16 0
>>498
「私」が「私」じゃないなんてばかなことは
最高位はいわないと思うけど。
502素人:2008/06/25(水) 16:09:53 0
>>495
>“主体”が不在のまま、意識や意味が成立するや否やを問うているのです。

そして、
(「意識」ならば)、私は「成立する」と考え、貴方や最高位氏は「成立しない」と考えている、と・・・w
(厳密に言うと「成立する」は語弊を生じていますが、そこは今は無視しますw)
ちなみに、「意味」ならば「成立しない」でしょう。

尤もこれは、>>455のように「『私』と“思考”が切断されていれば」問う意味もありますが、
≪「思考」が『私』である≫とするならば、成立するも何もないわけです。
(この場合、乱暴な等式を用いるなら、「思考」=《曲》=『私』、ということですが・・・。)
(これは、以前の≪動詞は主語たりえるか?≫という話と、大きくリンクするわけですが・・・w)
503考える名無しさん:2008/06/25(水) 16:19:24 0
>>466
下僕さん。それじゃ悪者に変えても同じじゃないですか。
504Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/25(水) 16:20:08 0
>>467
他者について考えてみたのですが、人間は下界に対して、また内界に対して、経験的に
経験値を積んで、自分の生きる方法を探っていく。赤ん坊を考えると、ある程度の性癖
(排泄や呼吸)はあるにせよ、ほとんどタブロラサである。これはなぜそうなっているのか。
自分の中に心臓があって、体中を血が巡っていることとか、臓器が食物を分解して
栄養とすることとか、そういう基本的な生命に対する知識も与えられていない。人間
は自分に対して無知である。唯一自分に与えられている先験的生物的な知識は、自分
は考える、ということだけである。従って、自分は自分について考えるだけでは自分の
外に出ることができず、他者と交流を持ちながら、お互いについての知識を増やしていかねば
ならない。
505考える名無しさん:2008/06/25(水) 16:26:52 0
ガラが悪いってのはこちらの判断を言ってるんでね。
そんな人いないって言っても意味ないですよ。
判断の基準を問うしかないんです。
「悪しき相対性」と言う言葉もありましたが。
506考える名無しさん:2008/06/25(水) 16:28:26 0
>>505>>503のつづきです。
507考える名無しさん:2008/06/25(水) 16:32:47 0
>>504
知識もなく考えることが可能でしょうか?
快と不快を知覚し不安のごときものを抱えているようなまだそんな
存在ではないでしょうか?
508考える名無しさん:2008/06/25(水) 16:32:57 0
>>497
>なぜなら「私」には「私」以外のものである可能性がないから。

これは別に難しいことではないのです。「富士山」も、「富士山」である
間は「富士山」以外のものである可能性はありません。
しかし、富士山の場合は「同一性を保ちながら、それがもはや富士山ではなくなる」
ケースが考えられます。富士山がぐにょぐにょと溶けて巨大な鳥に変化して
飛んでいってしまった、というようなケースがそれに当たります。最初は
富士山であったあるものが、「富士山性」をなくして、富士山でないものに
変化したわけです。

「私」の本質、「私性」は、主観的意識であること・思考することですから、
それでなくなる、ということは「私性をなくして私でないものに変化した何か」
が存在したとしても、それを認識することができません。ですから
あたかも「私には私以外のものである可能性がない」かのような観を
呈するわけです。
ただ、私性というのは、なくなった後で、再び回復する場合があります。
簡単に言えば熟睡した後で目覚めるケースがそれです。この場合は、
同一の何か、唯物論的に言えば人間ですし、非唯物論的に言えば魂ですが、
「それ」が、一度は私であり(私性を持ち)、私でないものに変化し(私性を
なくし)、再度私であるものに変化した(私性を回復した)と事後的に
解釈することも、十分可能となります。もちろん、この場合の「私の同一性」
を担保するのは記憶です。最高位氏ご自身が「哲学者最高位が熟睡したり
気絶したり死んだりしたときに、私が存在しているかどうかは、わからない」と、
お認めになっておりました。
こういう観点からすると、「私」は主語ではなく述語なのである、という
考え方にも、うなずける点が多々あるわけです。
(レス後日)
509考える名無しさん:2008/06/25(水) 16:44:01 0
>>508
新たに書き起こすのも良いけど、
以前の「同一性」に関するレスを厳選して貼り直しても良いように思います。

非常に解り易い説明でしたよ。
510Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/25(水) 16:46:42 0
>>504の続き
だから、他人に与えられ、汚染されていない部分の、純粋な「私」とは何かと考えるとき、答えとして
与えられるのが、図らずも、考える、ということなのである。デカルトの考えが
古びないのもそこに要因がある。
511考える名無しさん:2008/06/25(水) 16:53:51 0
>>510
そうかなあ?自他身分化だって言いますよ。自分も捉えられないのに
どうやって考えるのかなぁ?
ヘレンケラーも暗闇の中で先生に言葉を自他を教えられるまで
獣のようだったそうですし。 
512511:2008/06/25(水) 16:56:43 0
「自他未分化」でした。すみません。(笑(汗
513考える名無しさん:2008/06/25(水) 17:04:15 0
>>511
仮に今現在の自分は自他未分化だとしても、生まれたときは自分の身一つ(とへその緒)であり、
本来的には孤独が人間であると思う。だから純粋には、自分とは自分の考えである。自分の考えとは、
5感と脳機能である。と思う。
514493:2008/06/25(水) 17:10:07 0
>>508
それはいったい
>「私」には「私」以外のものである可能性がない
ということの反論になっているのかい。
515考える名無しさん:2008/06/25(水) 17:21:00 0
>>514
>>508は、 >「私」には「私」以外のものである可能性がない  ことを
肯定、説明している文章だと読めるが?
516考える名無しさん:2008/06/25(水) 17:21:23 0
>>513
身一つと思うのはそれを見ることが出来る側ですよ。大人になったりして。

517wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/25(水) 17:45:04 0
>>504:Absalom ◆owNN8RDlXo
<唯一自分に与えられている先験的生物的な知識は、自分は考える、ということだけである。>

私は考える、考え始める動因をどこに求めるか?
これは、先験的なものではなく、「母、父、兄弟、自分の面倒を見てくれる人たちとの間でコミュニケーションをとる/とれることに対する欲望。
そして、次のステップとして、「共同体・内・存在」として生きていくための経験則/ルール/言語等の習得」、という「共同体を第二の母胎とした、無意識/無邪気な投企の繰り返しによる、<思惟内容を伴う思惟形式(=言述)の習得>」の産物だと考えます。
そして、その次のステップとして、自分が家族を離れ、経済的にも独立し、「共同体・内・存在」として自立しはじめるとき、その時点で、既に、私(たち)は、「共同体・内・存在」として規定されるしかない存在に「成り下がっている」。
それを甘受し続けるのであれば、そこまで。
ちょっと待ってよ、というところから、「私とは何か?」という疑いが生じ、それまで、自分とは不可識別であった他者たちに対し、非対称性がたちはだかってくる。
この非対称性を帯びた他者への超越論的跳躍が、「私は考える」ということ。
そして、この非対称性は、つねに、そのつど、様相を変えながら、また、立ち現れてくる。
この跳躍の唯一の媒体となるのが、言葉である。

>>510 :Absalom ◆owNN8RDlXo
<だから、他人に与えられ、汚染されていない部分の、純粋な「私」とは何かと考えるとき、答えとして与えられるのが、図らずも、考える、ということなのである。デカルトの考えが古びないのもそこに要因がある。>

<他人に与えられ、汚染されていない部分の、純粋な「私」とは何かと考えるとき>とありますが、これは、不毛な抗いになります。
「共同体・内・存在」として、つくり/つくられた私から、<他人に与えられ、汚染されていない部分>を取出すことなど、その成り立ち/由来からみて、できようもないからです。
ここで、アプリオリと、アポステリオリな認識の分離の不可能性、無意味性が生起してきます。
518wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/25(水) 17:55:02 0
最初のステップから、例えいかに無邪気で無頓着で無意識なものであっても、他者という非対称性に向かっての跳躍は、「私」というものが形作られる発端から既にあるのですね。
ですから、先験的に把握できるような「私」というものは、無い。
519Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/25(水) 18:06:35 0
>>518
子供を育てたことがないので確かなことはいえないのですが、たとえ哺乳動物の性癖として
<母>に代表されるような他者の存在が生まれる前にすり込まれているか、あるいは生まれた
瞬間に他者を求めてしまうものだとしても、grown upした状態で反省するとき、「母離れ」あるいは
故郷から出て行く、という契機によって自立した人間となる。そのときに頼れるのは自分自身だけであり、
考えて自分の行動を決定していくという、人生そのものであるのではないでしょうか。
まとまった批評とはいえませんが、感想のようなもの。
520wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/25(水) 18:23:24 0
>>519
第一の母胎離れ、父権への屈服と離脱等は、ポストモダンの方たちが執着する概念ですが、これらは、私がつくり/つくられ、「共同体・内・存在」となるほかには採るべきる方策が無いという唯一の選択肢のなかでの、
非対称性への跳躍/対幻想としての私のありようを受け入れる際に被る、痛み/悲しみ/苦しみ等から生起するトラウマともとれます。
しかし、その痛み/悲しみ/苦しみ等は、深層心理に着床していますから、これも「共同体・内・存在」としての私の意識からの無理強いで引っこ抜いた概念としてしか取り出せない。
521Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/25(水) 18:59:03 0
>>520
質問ばかりですみません。<非対称性への跳躍/対幻想としての私のありようを受け入れる>
際に、なぜ痛み/悲しみ/苦しみ等が生じるのでしょうか。プライドを傷つけられる、とかそういう
ことでしょうか。そういう負の状態を被るなら、生物としての人間と、「共同体・内・存在」となる
場所である共同体とは、齟齬を生じるようなあり方でしかないのでしょうか。なぜ共同体は
そのような負の状態を強いるような形で現在存在しているのでしょうか。
ここまで考えて、万人の万人に対する闘争、という考え方を思い出しました。
共同体とは負の面を負わずにはいられず、それに怖じ気づくことなく、戦いを身に引き受けて
跳躍をするのかな、と思いました。
522455:2008/06/25(水) 19:10:56 0
>>501
『私』の心身は瞬時たりとも同一ではないが『私』は同一では?との質問を
もう一度、最高位にしてみます。
>>517
乳児に“欲望”という言葉は強すぎるでしょう? 乳児は“必要”を満たす
ために泣き叫びます。これは、前言語的なコミュニケーションです。
この泣き叫ぶ乳児に主体(原・私)のようなものがあるのかどうか。
たしかに言語の習得とともに自他の輪郭が明確になるのは間違いありませんが。
523475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/25(水) 19:41:55 O
流れはえー!!
あとここID出ないんだね。続きを今から書き始めます。の前に、鳥つけときます。
とりあえず最高位氏は通知表に『ひとの話は最後まで聞きましょう』って書かれてたろ、小学生のとき。
《私》の回答もちゃんと書くから、読んでね。
524考える名無しさん:2008/06/25(水) 19:48:42 0
>>523
彼は、最後まで聞いても一部分しか聞きとらないで、あとは耳塞いじゃうからなぁ・・・。
525475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/25(水) 20:08:15 O
さて、>>475においては私=意識であると述べたが、これはまず科学・医学の論法である。
これでは、意識がない状態は《私》ではないのかということになる。
哲学板において論じるのであれば、《意識≒精神》とでもいうべきである。

私は意識を、精神を持っている。
では私とは精神そのものであるか?
心身喪失、あるいは精神崩壊というように、意識≒精神が乱れることはあるが、《私は私》である。
幼児退行なり記憶喪失なりして、意識が変革したとしても、私であることに変わりはないのである。

ごめん呑みに行くからまた後でー
526考える名無しさん:2008/06/25(水) 21:31:49 0
最高位出番ナシ!(爆笑W
527455:2008/06/25(水) 21:44:12 0
>>525 を読むかぎり、基本的には最高位と同じ立場だね。(『私』と意識を切り離すところが)
もう少し模様眺めしないと、なんともいえないが。ともあれ、酒好きとは頼もしいね。w
528475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/25(水) 22:35:07 O
焼酎うめえ
いくつかレス頂いてますが、酔ってるんで、ひとまず持論だけ書いてく。芋焼酎で世界が救えると思うんだけど

>>525の続きー
さてさて、今までの論で《私≠意識≒精神》という図式が出来ちゃいました。
でもこれに違和感はないかね?
哲学板的に、間違ってるというよりもちょっとズレてるんじゃね?
という感じ。

>>475で、《意識=メロディ》であるとした。
ここで音楽の話に戻してみる。
メロディとは音の集まりである。
では、曲とはどのように生まれるであろうか?
音は森にも川にも都会にも無尽に存在するが、《曲》はどうやって生まれる?

楽器ではないか?
奏でるそれが無ければ、音は意味とならず固まりとならず合わさることもないのではないか?

私は、あるいは貴方は、仮に1台のピアノであるとしよう。
音は鍵盤を押されて生まれる。
音には強弱があり高低があり、1音では《曲》とはならず。前衛的な曲は除く。
音はつまり過去の蓄積である。次第に押され、離れ、そしてかろうじてメロディが生まれ、それは変容し移行する。

改行怒られたから分ける
529475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/25(水) 22:42:58 O
外圧が存在し、それに呼応することで、奏でる。
触れられぬ楽器は曲を奏でず。音の外圧があれど、楽器なくして曲は生まれず。

《過去》があり《私》ありて初めて《意識》は生まれ出でり。
《過去》なくて《私》あれども《意識》生まれず。知覚できず。
《過去》あり《私》なくして《意識》無し。存在することあたわず。

ゆえに《我思う、ゆえに我あり》。
《疑問》とは《意識》である。
だが貴方は考えることを止めても、生きている限り、過去の積み重ねられていく限り、《貴方》である。

精子や卵子時代の記憶が存在するんなら、また変わるんだけど。聞いたことない。
あと楽器ではなくCDやカセットテープという考え方にすれば、魂と肉体も論じられるが、《再現性》の点で整合がとれない。

持論だけぶっちゃけたよ
穴もツッコミどころもあるだろうが、とりあえず伝わった?
530475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/25(水) 22:48:34 O
間違えたー
過去なく、意識なく、ただ《存在》するだけだとしても《私》はここに在り
って感じ!
531唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/26(木) 00:42:23 0
身体、精神に「私」は含まれると考えます。
独立して存在させることは思考上は可能でしょうが
それは絵空事と思いますよ。
532哲学的ゾンビですが:2008/06/26(木) 00:52:00 0
なんだ、まだ下らない論争してたのかw
つか熱くなるなよ。長文見苦しいぞ↑↑のマジレスさんよwww
ちょっと君らに面白い話を。

やっぱさ、独我論で、最も役に立つ行動
『自由意思と知識で自由意思と知識を増やす』
が究極でない?これで全知全能と同様。無限の快楽のみ。うはwww
唯識論と独我論。感じるものすべて快楽。これ。
天国マンセーって感覚www

で。リアルでは筋金入りの現実主義物理主義全体主義感情論で
あらゆる思想を『錯覚ですね』と言い放つ哲学的ゾンビ。これ。
クオリアとか時間や宇宙や倫理や理屈や数学や音も全部
『は?なに言ってんの?錯覚ですよ』
で終わり。理屈なんざなんでもありでokよ。もしくは多数決でE・N・D☆
あ、この世の痛みも悲しみも全て『錯覚キモスwww』で終わり。
哲学的ゾンビは全く何も感じませんwwwwww

宇宙は質量のみ存在し、全ては
『この私』の思考と感覚である。質量以外ねえよ。熱も音も理屈も。
533475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 01:17:09 O
>>531
貴方のいう《私》は《思考する私》だろう。
それは意識だ。意識は私を切り離して存在することは出来ないよ。

身体も確かに《私》であるが、散髪行って切られた髪も《私》だな?
人間は常に新陳代謝をし、一部が死に一部が生まれていく。生物で習ったろ。

《私》は毎日一部が死に、生まれ変わる。
間違ってはいない。
だが《思考し苦痛・快楽を感じる私》がそのたびに死ぬのか?生まれるのか?
《思考する私》は、それについて思考しないだろ。
《私》は肉体が変化しようとも《私》である。
534考える名無しさん:2008/06/26(木) 01:24:22 0
最高位は物理を勉強した事はないだろう。
彼の考えている物理はむしろ化学。
物理のセンスはまるでない。絶望的な程に。
535唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/26(木) 01:29:55 0
>>533さん
思考する、苦楽を感じる私も
時と共に移ろい、常住なるものではありません。
それは肉体が常住でない、世界が常住でない事と同じと考えます。
536475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 01:39:36 O
>>535
うん。そうだよ。
常に変わる。それ《意識》ね。
537哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 01:58:40 0
>>478
>ちょっと片手間にからかうつもりだったけど、

要するにキミは、自分がワケのわからん事を言っている自覚があるわけだな
そして追い詰められて、「からかうつもりだった」なんて言って逃げなきゃならなくなっちゃったという事だね
「からかうつもりだった」という告白は、まんま敗北宣言なんだけど、わかってる?(笑

>>479
>すべてが偶然にあるのか必然にあるのかは決定論の問題であって、唯物論の問題ではありません。

そんな事はない
偶然というのは、「目的性なく」という意味も含まれており
要するに、「観念的価値観など無いのだ」というのが唯物論の主張って事
そんな事もわかってないキミは、論客として全く話になってないレベル

>「私の兄弟も、チョモランマも、犬のポチも、物理的要素によって特定できない」
>ということをお認めになるのかならないのか、さて、ご返答やいかにw?

私の兄弟の、何を物理的要素に特定するのかね?
体は物理的要素だから、そのまんま、その物理的要素で特定できるが
主観性がある場合は、その主観性については物理的要素に特定できないな
だから唯物論は間違いだ と言ってるんだけど
いったい何を質問したいわけ??(苦笑
キミは、せめて問題を理解しなきゃね

>>480
>何を読んでいるわけ???と言いたいのはこっちですw

位置が「私」の原因になる根拠がない と、何度も説明してきたのに
「位置が違うから同じじゃない!!」なんて言っても、そもそもの論点が的外れだって事、わからんの??
議論全体の趣旨と方向を理解してないと言ってるんだよ
明後日の方向へ、話をすり替えるなって事ね
538考える名無しさん:2008/06/26(木) 02:29:47 0
>>410
そんな単純な理屈については先刻承知だってば・・・
それにしても何年も経ったのに此処で話が行き止まり。
できればその先の話をして貰いたいんだけどね。
貴方の理屈では同じものを創り出す事ができなければ、
それは物理現象ではない、ということになってしまうようですが、
世界に一つしか存在しない物理現象というものもあるかもしれないでしょ?
と、いうような事も考えてみて欲しいわけですよ。
一つしか存在しない、再現性がないからといって物理現象ではないと何故言えるの?
第一、全ての物理現象はどれをとっても再現不可能・一回切り・唯一の現象だよ。
再現できたと思っているのは貴方の観念が似ている現象を同じものだと思っているだけ。
ひょっとして物理現象と物理法則をごっちゃにしていませんか?
少し考えてみて下さい。例えば既に存在している特定の素粒子Aは創り出す事ができません。
当たり前ですね。既にAが存在しているのですから、似た物質を幾ら創ってもそれらは別の物質になるのですから。
ですが、AにしてもBにしても「私」にしても存在を始めた原因は何らかの物理現象といえるのかもしれませんよ。
勿論そうではないのかもしれませんが、100%否定する事はできません。解っていない事ですから。
因みに「私」の特異な点は、極最近に存在を始めたという点です。
ある特定の物質Aが一体何時から存在し始めたのかは知る由もありませんが、
「私」がどの時点から存在を始めたのかは大凡見当がつきますよね。
つまり遙か昔から存在し続けている物質なんかよりも手がかりの多い現象なんじゃないかなー、と。
539考える名無しさん:2008/06/26(木) 02:34:59 0
>>537
>偶然というのは、「目的性なく」という意味も含まれており

頭悪いな。
偶然とは人間の認識の不完全さから原因が分からない時に偶然と言うんだ。
手品で客が偶然選んだと思いこんでるトランプも実は仕掛けがある。


>位置が「私」の原因になる根拠がない と、何度も説明してきたの

お前は生き霊かw
この体がこの私と言っておきながら、どの体にも乗り移れるのか。
是非、ブッシュの体に乗り移って、北朝鮮のテロ支援国の指定解除しないようにしてくれ。
540哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 02:45:54 0
>>538
>貴方の理屈では同じものを創り出す事ができなければ、
>それは物理現象ではない、ということになってしまうようですが、

ん?
どういう事??
541考える名無しさん:2008/06/26(木) 06:41:19 0
エントロピーとしての偶然を論考してる私はゼロアカ帝国

小説家モドキのエロぴか理論の皇后

爆乳生熟女アニマル浣腸クレポン最高位タンポン混同アナルの女神

花びら満開にして淫乱におっぱいマッサージするあずまん古腐人スカトロ好きなさなえ陛下です。

542考える名無しさん:2008/06/26(木) 07:29:31 0
イテマウゾコラ−!
543考える名無しさん:2008/06/26(木) 08:10:02 0
あらゆる物理現象が一回限りだからこそ、唯一である私も物理現象なのでは
ないか、という疑問が生まれるんだよな。
というかそう考えると色々と辻褄が合う。死ぬのが一回だけってのもそうで、
もし私が物理現象ではないのなら、何度も死ねるはず。
しかし体が朽ちてもまた元通り再生するなんてありえるだろうか。
イエスの復活が神秘なのは、このありえないことを肯定したからなんだろうな。
544考える名無しさん:2008/06/26(木) 08:16:09 0
>>541
いつもいつも冗談すんません
545考える名無しさん:2008/06/26(木) 08:31:59 0
>>533
肉体が全部なくなりゃ「私」もないだろ。
「私」がそう言ってんだから(笑
でなきゃなぜ肉体が滅びるのを恐れるか?

最高位さん身を火にでも焼いて自由にお暮らしください。
「私」は痛くも痒くもないだろうから。
546考える名無しさん:2008/06/26(木) 08:34:09 0
ビデオカメラが在ります。
全く同じ構造のビデオカメラをもう一つ作ったよ。
さて、同時に稼働開始。
あれれ?記録される映像を見たんだけど、同じ映像は絶対に撮れないよ?
と、いうことはこの映像は物理現象じゃないんだ!
だって、そうでしょう?全く同じ構造なんだから同じ映像が撮れなきゃおかしいよね?
でも、同じ映像を撮れる事は100%あり得ないんだから、
これは物理的要素に特定する事は、絶対にできないなあ。
あっ!だとすると唯物論って間違ってるんだ!大発見しちゃった^^
547考える名無しさん:2008/06/26(木) 08:50:22 0
そうですね。記憶というのも純粋に自分の中にあるというのではなく
関係性というものらしいです。自分の脳に納めるというより外界や
他者との関係性が記憶を支えてる。
逢わなくなった人の記憶が薄れるのも学校で覚えた勉強が働くようになったら
どっかにきれいさっぱり吹っ飛んでるとかも一例でしょう。
世界での自分の位置関係が記憶なんですよ。
548475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 08:52:09 O
>>545
名前欄ぐらい見ろよ(´・ω・`)
あと私は>>531への回答として《肉体≠思考する私》を書いただけだ。
《私≒肉体》だよ。

目の前に鯛の活け造りがあります。
これは《鯛》だろ。
白身部分を全部食べられようが、尾だけになろうが、《鯛》だ。
でも《思考》は存在しない。
だから《鯛》は《自分が鯛である》とは認識できない。でも鯛なんだよ。
549考える名無しさん:2008/06/26(木) 08:57:23 0
最高位の言う「私」とは固有性とか唯一性というような意味。(最高位的には存在性)
思考は「私」とは別のものだが、「私」を確認できる仕組みだという事だな。
550考える名無しさん:2008/06/26(木) 08:57:37 0
単に物理的位置関係ではありませんけどね。
でも肉体の意味を出発点にしないとこの世界における「私」も
ないんじゃないかな。
別に最高位さんに反対はしませんけど。
幽霊を信じてる人に反対もしませんし。
551545:2008/06/26(木) 09:01:46 0
475さん
早とちり、どうもすみませんでした。そういう意味ですね。
552下僕:2008/06/26(木) 09:04:11 0
>>500
>無限の広さを持つ世界に対して、この限られた想像力は、先天的に与えられ、
>私を一番きつく規定するものだとおもうが、個々人ではどの程度の違いがあるのだろうか。

Absalomさん、私はね、無限の違いがあると考えます。
これは人に対して先入観をもって判断しない私なりの知恵です。
それができない私を発見した場合、それは私の限界を見たわけですが、
見た瞬間、認めれば認めた部分の制限は除去された。
だから無限に拡大し続ける。これは万人に適応でき、万人が実施していることです。
私の考えは至ってシンプルです。だって誰でもやっている事を説明しているだけですから。

要は、比較するか?しないか?ではないでしょうか。
553255の傍観者 ◆tTKnW9aCzY :2008/06/26(木) 09:06:29 0
現象学的還元
554哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 09:07:59 0
>>543
非常に感覚的と言いましょうか
思いつき的な、前時代的な次元にとどまっていますね
論理的につめて行きましょう

『私』の体がAという構造である としましょう
そして
A´というAと同じ構造の物体があったとして
しかし、それは勿論『私ではない人』だという事になりますね
では
『私』はAという体の、いかなる物理構造によって発生しているのか
その答えを出す事ができる可能性を考えれば、それはもう絶望的ですね
答えが出る可能性は、100%絶対にありえないのです
「この体が、こうだったから『私』である という事は、絶対に言えない」という事です
「この体だったから『私』であったとは『言えない』」という事です
体というものは、物理状態でしかないのですからね

この意味がわかりますか?
「唯物論は間違いだ」という事です
「この体だから『私』が発生している といえる根拠はゼロ」だという答えが出てしまったからです

>>545
死んだら自分は消えるのか
消えないのか
死後の世界は、有るのか無いのか
生まれ変わりは有るのか無いのか
その答えを論理的に出せた人はいません

キミの考えは、素朴実在論的な信仰でしかありません
それを単に告白しているにすぎません
それくらいの事、わかりませんか?
555475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 09:09:49 O
>>551
分かってくれてありがとう(*´・ω・`*)
556下僕:2008/06/26(木) 09:11:51 0
>>503
下僕>お〜い。馬鹿と。
下僕>振り向いた者が馬鹿なのでしょう。

503>下僕さん。それじゃ悪者に変えても同じじゃないですか。
●下僕まったく、その通りです。

503>ガラが悪いってのはこちらの判断を言ってるんでね。 そんな人いないって言っても意味ないですよ。
503>判断の基準を問うしかないんです。悪しき相対性」と言う言葉もありましたが。
●下僕まったく、その通りです。

悪しき相対性というよりも、相対性とは何か?を理解すれば解りますよね。
三位一体(敵・当事者・観察者)で相対性は成立しますよね。というより、
観察者だけが対立状態を観察し、相対行為をし相対としてバランスを保っていると
観察できます。そのとき、私がどの立場に立つか?これがポイントですね。
「ガラが悪い」と判断するってことは、「ガラが良い」立場に立ってはじめて判断を下せる。
観察者から見れば、単に違いです。私の言っている事は変ですか?
557545:2008/06/26(木) 09:12:45 0
最高位さんが「私」を存在性というような意味で使われているのなら
「存在性としての私」とか言って下さい。
もしかしたらそれは「他者」かもしれませんし。
558下僕:2008/06/26(木) 09:15:27 0
>>510
>純粋な「私」とは何かと考えるとき、答えとして
>与えられるのが、図らずも、考える、ということなのである。

Absalomさんの言葉を、下僕の言葉に直せば、

それは、【思い出す】です。
559哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 09:17:54 0
>>557
「私は存在性」なのであり「存在性は私」なのではありません

たのみますから、こんなアホみたいな説明させないで下さい
560考える名無しさん:2008/06/26(木) 09:19:12 0
物理的に生きている限り、個人は人間は存在する。
意識の有るなしは問題ではない。
しかし、死の定義は矢張り難しい。
脳死の問題もある。
精神作用が失われても、社会的意義がなくとも、存在は存在である。
哲学的には、われ思う故に、われありーーーに尽きるか。
われも物質的存在に尽きるので、本質的には、矛盾と無限という存在
です。グーグル検索:c点による時空論、参考にしてください。
561下僕:2008/06/26(木) 09:22:12 0
>>536

475 ◆Cnv5uDJz/sさん質問させてください。

あなたの考える意識に制限はありますか?
562考える名無しさん:2008/06/26(木) 09:26:06 0
>>556
下僕さん。何も私がガラの良い立場に立っているわけではありません。
私は基準を差し出しているだけです。
そういうおまえもガラ悪いよと言われる可能性も有しているわけです。
神ではありませんからお互い利害を背負っている人間ですから
どっちが善でも悪でもないなんておさまってはいられません。
それはことなかれ主義と誤解されてもやむをえません。
そういう意味で悪しき相対性と申し上げたのです。
もちろん下僕さんのような視点は大切ですよ。
563考える名無しさん:2008/06/26(木) 09:29:43 0
>>554
何故ならA’はこの体ではなく、あの体だから。
この体だったから『私』であったのであり、
あの体だから『私』にはならなかった。
Aからは『私』が発生し、A’からは『他人』が発生する。至極当然。
ここで考えるべきは、
ではAがA’となってしまう条件とは何か?だ。
AとA’の体をそっくり入れ替えたら・・・それは明白だが、
(省略)
しかし脳が私を決定付けるというのでは説明がつかない点がある。
脳に纏わる何かが『私』に関係しているのかもしれない。
量子脳理論のような未だに不明瞭な何らかの原因が。
564考える名無しさん:2008/06/26(木) 09:29:46 0
>>561
ですからwistcria-1さんは、それは不可能だと言ってるんじゃないですか?
565下僕:2008/06/26(木) 09:31:23 0
>>562
>それはことなかれ主義と誤解されてもやむをえません。

ところで、ことなかれ主義と誤解されるのはいやですか?
566下僕:2008/06/26(木) 09:33:42 0
>>564
>wistcria-1さんは、それは不可能だと言ってる

だけですよね。それは、wistcria-1さんの見解であり、

私は、475 ◆Cnv5uDJz/sさんの見解を尋ね差し上げているだけです。
567475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 09:34:43 O
最高位氏へ。
>>475>>523>>525>>528-530と《私》について書きましたが、>>476は納得して頂けましたか?

>>561下僕氏
私は《意識》を《メロディ》、《私=楽器》としました。
ひとつの楽器からのメロディには、制限がありましょう。
ピアノからはピアノの音色を持つメロディが生まれます。
無限に近いように思えても、制限はあります。
568考える名無しさん:2008/06/26(木) 09:40:36 0
そうだよね。容量約4チャンク。
569下僕:2008/06/26(木) 09:43:00 0
>>567
> ひとつの楽器からのメロディには、制限がありましょう。
つまり意識の個性という制限のようなものかな?
制限という言葉は語弊があるかもしれないですが、

独自性を持つという事、オンリーワンって事、唯一無二、オリジナリティー
こんな感じで、これを制限と称し、私と考えを共有できますか?
570哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 09:46:15 0
>>563
>何故ならA’はこの体ではなく、あの体だから。

あの体だから と言えるのは
この体が私だという結果論から言える事であって
その発想では、私の原因性には何も言及できる立場ではない事を自覚すべき

>この体だったから『私』であったのであり、
>あの体だから『私』にはならなかった。

そこがすでに、結果論から出発している感覚的で前時代的なレベルの発想だという事
知能が人並みに高ければ、そこに論理的飛躍があると理解できるはず
普通は、私を決定している原因性を考えるのであり
この体と、あの体の物理的要素を分析するだろう
しかし初めから、同じ物理構造 という前提なのだから、それは有りえないのだ という事になる
そこから出てくる結論は、誰でも理解できるのと違うかね?
571Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 09:53:20 0
なんか、議論というのは論理を用いるだけに、じゃんけん的要素がありますね。言い換えれば、
ある論理に対してその優位に立つ論理と、劣位に立つ論理を構築することができる、ということ
ですが。勝ち負けに拘泥してると、発展的議論にならず、勝ち負けを「意識」しないとよい論理
を構築できない。議論の際は、「勝ち負け」に注意を払う必要がありますね。
572考える名無しさん:2008/06/26(木) 09:53:26 0
>>537
>偶然というのは、「目的性なく」という意味も含まれており
>要するに、「観念的価値観など無いのだ」というのが唯物論の主張って事

おお、最高位氏、偶然か必然かと、目的性があるかどうかは、全く別問題
でありますぞw 
それはともかく、今の文脈であなたの使っている「観念的価値観」という言葉は、
「目的性」などとは全然関係がなく、ある物理状態を「あなたの兄弟」、別の
物理状態を「チョモランマ」、別の物理状態を「犬のポチ」として認識する、
そのことを指しているのですぞ。ごまかしてはいけませんw

>私の兄弟の、何を物理的要素に特定するのかね?
>体は物理的要素だから、そのまんま、その物理的要素で特定できるが
>主観性がある場合は、その主観性については物理的要素に特定できないな

最高位氏、主観性があるかどうかは問題と関係ない、と、何度ご説明したら
わかるのですかw? まず「その物体」が「あなたの兄弟」なのか「チョモランマ」
なのか「犬のポチ」なのか、それが問題なのです。「その物体」に主観性があるか
どうかの判断は、その後の話なのです。
さて、あなたの兄弟の体は物理的要素に特定できる、とありますが、
それと全く同じ物理的要素の物体をもう一つ作成しても、それは決して
「あなたの兄弟」にはなりません。
より厳密に言いますと、「コピーの体は、あなたの私に、『これは私の兄弟だ』
という観念的価値観を抱かせることができない。」ということです。
なぜなら、あなたに「これは私の兄弟だ」という観念的価値観を抱かせる物体は、
すでにここに存在しているからです。あなたの兄弟がゾンビであり、コピーの方に
主観性があるとしても、この結論とはいささかの関係もありません。
これすなわち、「私の兄弟の体は、物理的要素によって特定できない」という
ことに他ならないと思われますが、さて、ご返答やいかにw?
573哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 09:55:43 0
>>567
うむ
なかなかいいんじゃないかなぁ

楽器を演奏するのは、私だけどね
まぁ
主語(私という存在性)があって、はじめて動詞(意識、精神活動)が発動できる
という事は理解できてるようだね
574考える名無しさん:2008/06/26(木) 09:59:17 0
ふーむ。  あまり悪ふざけがすぎるとあなたもポアしますよ。
575哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 10:00:45 0
>>572
>ごまかしてはいけませんw

ごまかしてるのは、そっち
というか理解できないだけなんかな?

キミは観念的な価値観を前提として、ものの区別を論じているが
唯物的世界観に、目的性や価値観が、あるわけですかな?
て事だよ(爆笑
576考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:01:22 0
>>556
下僕さんの論理でいくとどっちでも同じでしょ。
言い合ってるのも変ですね。

>>565
ことがたくさんおっしゃってる意味がわかりません。
577Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 10:02:15 0
何が言いたいかというと、「勝負」の要素はなるべく自分の中でつけて、発展させた
結果を出すようになるべくした方がいいのでは、ということなのです。質問したい
時とかは、一方的になってしまうのはしょうがないのですが。
578475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 10:03:03 O
>>568
HDDの容量だっけ?
>>569
うーん?
過去ログ全部読んでないから何とも言えないけど、似てるかもしれないね。
私の論であれば、似た思考、似た意識が2つ存在することは出来るんだよね。
似た楽器、似た外圧ならば曲はとてもよく似る。
これは貴方の論とは違うかもしれないぞ。
579下僕:2008/06/26(木) 10:03:28 0
>>571
私もAbsalomさんと同じように考えます。ただ、勝ち負けとは言わず、
私は、既に勝っている状態、つまり全宇宙を相手にしたいと
思っています。

私の言葉でいえば、力学です。重力です。

実際、人間は、惑星段階の宇宙モデルの観念が支配的だと考えるからです。
でも、私はそれすら囚われませんが…。
580考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:05:51 0
>>559
「私は存在性」はやはりアホみたいですか?
アホみたいな説明ありがとうございます。
581475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 10:06:16 O
>>573
なんか違うけど、まあいいや。ありがとー
582考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:09:09 0
>>579
どう思おうと同じです
583考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:11:29 0
>>554
>「この体だったから『私』であったとは『言えない』」
『私』の原因はこの体にはないってことね。
それなら、この体がなかった時にも『私』はありえた、ありえるということだね。
言い換えれば、生まれる以前、死んでからも『私』があった、ある可能性は、
『私』の原因がこの体であるということより高いということだね。
これは魂の存在の肯定に通じるね。イエスの奇跡にちょっと近いかも。
584考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:11:50 0
>>570
何を言っているのか。
他人は自分の考え方を理解していないだろうという先入観を持つのは止めて貰いたい。
AとA’は同じ物理構造だと言うが、AとA’は同じ構造の「別の」物体だろう。
同時に「同じ」物体が存在する事は絶対にあり得ない事だ。
「私」について延々と考察している最高位氏なら、この意味が解らない筈がないがな。
それよりも、AとA’が「同じ構造」の物体ではなく、
「同じ」物体で違う条件だったならどうなのかと考えてみた方が面白かろう。
この場合「私」は存在していない状態から発生できるのか判らないだろう。
他にも以前に言ってたあれだよ。脳細胞を構成する物質を
順次入れ替えていったらどうなるのかというもの。これを考えると不思議な疑問が出てくるだろう。
585下僕:2008/06/26(木) 10:15:41 0
>>578
多少の違いがあって面白そうですね。

>私の論であれば、似た思考、似た意識が2つ存在することは出来るんだよね。
私も大方おなじです。

ただ、私の核にある論は、
【私(意識でもいいです)は無限であるから制限も創作できる。】
です。

ご回答ありがとう!
586考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:20:04 0
>>585
生きてる限り限界があるでしょう、差異性ですから。
こう言いあってるのも。
587考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:23:22 0
我思う故に我在りにリアリティを感じない理由は、
自分が考えたと言うより脳がインスピレーションを受けて
勝手に考えたという実感から来るのではないかな。

デカルト的に言えば、インスピレーションも確かに「私が考えた」
ことに間違いはないのだけれど、今まで考えもしない良いアイデアが
急にひらめいたりすると、私が考えたというより、脳が考えた
ような感覚がある。つまり、私よりも大きな無意識的存在を
感じる。
デカルト的に言えば、それさえも最終的に私が考えた事になるのは
間違いないのだけど、私よりも大きな存在を感じることをもっと
上手く表したい。デカルトは神の存在を信じていたので、
そういう事は書かなくて済んだが、僕らは宗教を持っていないので、
我思う故に我在りは確かに正しいのだけど、より実感に合う言葉
が欲しい。その感覚が、このスレで議論が噛み合わない原因だと
思うなあ。
588475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 10:24:05 O
>>585
いえいえ。
何となく分かるかもしれないです。
私は無限に近いのであるから、限定することも、《未知の領域》も開拓出来るという意味かな?
589考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:25:00 0
>>537
ほら、また一部分しか読まないwww

> >>454>>458に於いて、「捨象できる(捨象している)要素は何?」という流れではなかったか?
> 決して≪「私」の原因となる要素は何か≫という流れではなかった筈だ。そんなことは全く関係がない。

の部分は無視ですかw 今まさに話されていることから飛躍するのは、いつもいつも貴方ですよw


>議論全体の趣旨  ?
笑わせんなw 各論には各論の中での手順がある。
「全体を俯瞰する前に、細部を抑えよう」という流れをなぜ妨げる?

>位置が「私」の原因になる根拠がない と、何度も説明してきたのに
>「位置が違うから同じじゃない!!」なんて言っても、
(この文自体、前分と後分の繋がりは希薄なのだがw)
≪位置が「私」の原因かどうか≫と≪位置が違うからそれらは同じ(モノ)ではない≫とは
直接の繋がりはない。
≪位置が違うからそれらは同じ(モノ)ではない≫と誰かが発言したとしても、それは必ずしも
≪位置が「私」の原因である≫という主張にはならない。(その間を他の各論で詰めた上で、初めて連結が可能な内容だ。)
貴方のこの文が、いかに短絡的盲目的決め付けによっているか、わからないかい?
こんな単純なこともわからないのかい?

処置なしだな・・・(´ー`)y━~~
590下僕:2008/06/26(木) 10:26:27 0
>>576
変でしょう。すみません。説明も説明する忍耐力も勇気もないことの暴露です。
こういう個性もどうか認めてください。

>>586
>生きてる限り限界があるでしょう
そうですね。
591Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 10:28:14 0
>>528:475さん
意識とメロディーのたとえですが、意識というよりは、思考(あるまとまりをもった)という方が
いいような気がしますね。さらに、思考は言葉に変換される、他者に読まれる場合は。言葉
はリズムを持ち、意味というメロディーも持つ。
その謂いでいえば、個人の違いというのも、声の違いとして固有性が表れるのではないで
しょうか。voice of mineですね。
思考が作曲の段階で、それを書くか、しゃべるかするのが演奏ではないでしょうか。
592素人:2008/06/26(木) 10:32:17 0
勢いにまかせて名前欄抜けた。

>>589=素人

ま、判るだろうけど一応なw
593考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:32:38 0
我思う故に我ありを発見したところまではデカルトは正しい。
しかし、自分はコギトより大きな無意識も含むような感覚がある。
デカルトの時代には無意識という概念はよく考えられていなかったし、
確実に「神」が存在したので、無意識について考える必要もなく、
そこは神と動物の領域だった。
あれから400年くらい経った今、我々は神を信じていないので、
我思う故に我ありだけでは、どうも実感に合わない。
確かに、我思う故に我在りは、論理的には合っているのだが。
594下僕:2008/06/26(木) 10:32:39 0
>>588
そうです。私の代弁ありがとう!
595考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:32:44 0
「無限である」というのと475さんの「無限に近い」といういいかたの違いが
微妙にひっかかる。そこが下僕さんについていけない理由かな?
下僕さんの原理である意識・私をどの分野にも敷衍するというか。
596考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:35:44 0
>>578
うんにゃ、作動記憶の容量。
597考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:36:57 0
>>590
下僕さんの個性は認めてますよ。
598考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:43:03 0
>>554
なんも問題ないじゃんか。
物理現象Aから物理現象『私』の精神が発生しただけだわな。
物理現象A'から物理現象『私』'の精神が発生しただけだわな。
この世の全ての物理現象とおんなしだわな。
最高位的唯物論の「精神は物理現象」合ってるじゃんか。
599素人:2008/06/26(木) 10:47:07 0
>>598

「で、その『私』はいかなる物理的要素が原因で発生したんだね?
 物理現象Aというのを具体的に説明してくれたまえ(爆笑」
「で、その『私』´はいかなる物理的要素が原因で発生したんだね?」
 物理現象A´というのを具体的に説明してくれたまえ(爆笑」



(´ー`)y━~~
600475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 10:55:18 O
>>591
近いけれど、違いますね。
私も、思考と意識は分けてしまうべきだと思います。
思考は言葉を持つもの、意識は言葉がなくとも存在する《感情》のようなもの、でしょうか。
なので思考がメロディ、演奏が意識ではないかと。

なぜなら《目・耳・口・言葉》の不自由であったヘレンケラーにも、意識はあったでしょう。
狼に育てられた少女にも意識はあったでしょう。
その後言葉を知り、思考が生まれた。
ならば有意識とでも言うべき意識こそが演奏です。

声=個性はよく分かりませんw

>>596
勉強になったよ、ありがとう。
601考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:58:20 0
>>599
ホントに、そんな事もわかんないの?何かの冗談かな?
物理現象A=私の体
物理現象A'=私の体と同じ構造の別の体
人体ってのは最高位に言わせれば物理現象に過ぎないってことだかんね。
あと、お節介だけど、
位置っていうのは最高位の唯物論崩壊を否定する材料には使えるけど、
『私』の原因にするのは無理があるよ。
602考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:59:50 0
私の“意識”には種々の制限がかけられている。が、無限である。
“意識”には「場」が不必要だから。
1a(1_でもいいが)のなかに無限の点が存在しうるのと同じ。
603475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 11:00:03 O
>>600補足ー
ヘレンケラーには《三重苦の思考》があったといえる。
狼少女には《狼の思考》があったといえる。

ただ《一般的人間の思考》には合致しなかった、ってだけかもなぁ
604下僕:2008/06/26(木) 11:03:02 0
>>595
真面目に言います。

「相対性と神について知っている度合いの違いではない」
これは個人差があります。

筋道通して理解している人もいれば、最後を理解して途中がおろそかだったり、
めちゃくちゃな断片的理解だったり。

私ですか?「ついてゆけない」と良く言われます。よって、
ついてゆくとヤバイって事でしょう。つまり私の消滅する地点の話しを
してしまうという事です。

>>597
そうですか。かなりヤバイ部分をお持ちですね。光栄です。
605考える名無しさん:2008/06/26(木) 11:03:39 0
>>575
>キミは観念的な価値観を前提として、ものの区別を論じているが
>唯物的世界観に、目的性や価値観が、あるわけですかな?
>て事だよ(爆笑

おお、最高位氏、まことにもって意味不明でありますw
唯物的世界観にも、目的性や価値観はあるに決まっております。
あなたが唯物論者の典型として忌み嫌っている「人間など肉の塊に過ぎないから
革命のためならいくら殺しても構わない」という考えだとて、立派な目的性と
価値観ですぞw ゾンビでない限り、目的性と価値観のない人間など、
想像することも困難であります。

また、あなたの言う「観念的な価値観」以外のものによって、
「ものの区別を論じる」ことなど、誰にもできようはずがありませんw
あなたは勘違いしておられますが、「拡散するツブツブ」だろうと「素粒子」
だろうと、電子とかクオークとか何たらという物理用語だろうと、それらは
すべて「観念的な価値観」以外の何物でもありません(むしろ、「チョモランマ」
とか「犬のポチ」などより、はるかに観念性は強いのです)。
我々が直接知ることができるのは、奥行きも何もない色と形と音と匂いと味と
触感その他の感覚だけであります。その背後に継続的客観的な「もの」の
存在を感じ取って、それを「チョモランマ」とか「電子」とかいう「観念的な価値観」
で区別して論じるわけです。この過程で、「じゃあ継続的客観的なものを色や形や
何やかやとして感じて観念的な価値観で区別しているものは一体何だ?」という
ことになって、「私」という観念が成立いたします。
606考える名無しさん:2008/06/26(木) 11:05:31 0
(続き)
では、
@この客観的に存在すると想定されて観念的な価値観で表現されている「もの」と、
Aその観念的な価値観・そのもととなった色や形等々・それを感じている「私」とは、
どういう関係にあるのか。ここで「唯物論」と「非唯物論」が分かれます。
唯物論は、第一次的に存在するのは@だけで、Aは@から派生した存在・
あるいは@の付随現象だ、と考える純理論的仮説に過ぎません。当然、Aの存在の
仕方は、@の存在の仕方によって全面的に規定される、という考えとなります。
「チョモランマ」でも「犬のポチ」でも、そういう観念的な価値観が存在する
以上は、それは物質の客観的なあり方に規定されている、というわけです。
「Aは私が勝手にテキトーに創り出している価値観で、@の存在の仕方とは関係ない」
というあなたの珍理論wとは、まさに対極にあるわけです。

で、唯物論にたっても、非唯物論にたっても、>>572の質問とは全く関係ありません
(というか、関係ない、ということを説明するために、質問しているわけですw)。
あなたが非唯物論者で、観念的な価値観を前提としてものの区別を論じているのは
よくわかっておりますので、それを踏まえて、再度お尋ねいたしますw

「私の兄弟の体は、物理的要素によって特定できない」という結論に、あなたは
同意されるでしょうか、されないでしょうか、さて、ご返答やいかにw?
607考える名無しさん:2008/06/26(木) 11:13:19 0
>>601
>『私』の原因にするのは無理があるよ。

確かに私の「原因」ではないが、非常に重要な条件である。
「私の存在性」は「私有物」と不可分である。
私有物は時間空間を占める。
私有物なき私は存在しえない。
私が存在するからという原因のみで私有物が存在するのではなく、
社会から私有物を与えられたという条件も満たして存在している。
また、私の意識は志向性という性格をもつ。
であるから、私の原因には意識でたどり着けないことになっている。
608455:2008/06/26(木) 11:18:42 0
>>475
楽器にもよるが、たとえばビアノの音色、音域には制限がある。
が、これが奏でるメロディ(旋律)は無限である。

身体的その他の様々な制限が課せられているが、その人の“心模様”は無限である。
609哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 11:27:45 0
>>581
キミの言いたい事を、結論的に書いて欲しいね

私の言っている問題意識は
なぜその楽器Aが、私なのか かな(笑

>>593
>あれから400年くらい経った今、我々は神を信じていないので、
>我思う故に我ありだけでは、どうも実感に合わない。

我思う故に我あり「だけ」なら、神とは関係ない

>確かに、我思う故に我在りは、論理的には合っているのだが。

神とは関係なく、そこだけ抽出して解釈してるから「論理的に合っている」と思ってるんじゃないの?
言ってる事が矛盾してるね

>>598
>>601
>ホントに、そんな事もわかんないの?何かの冗談かな?
>物理現象A=私の体

その因果関係は、物理的要素をいくら探ってもありえない という事なんだけど?
だから物理的要素以外に原因があるんだろね
少なくとも、物理的要素にはありえない

>位置っていうのは最高位の唯物論崩壊を否定する材料には使えるけど、
>『私』の原因にするのは無理があるよ。

その発言が矛盾してるっていうんだよな
『私』の原因にするのは無理がある んなら
最高位の唯物論崩壊を否定する材料には 使えない って事なんだよな
610考える名無しさん:2008/06/26(木) 11:41:36 0
>>554
>『私』の体がAという構造である としましょう
>そして
>A´というAと同じ構造の物体があったとして
>しかし、それは勿論『私ではない人』だという事になりますね
>では
>『私』はAという体の、いかなる物理構造によって発生しているのか
>その答えを出す事ができる可能性を考えれば、それはもう絶望的ですね
>答えが出る可能性は、100%絶対にありえないのです

最高位氏、上記の「私」を「私の兄弟」や「キムタク」と入れ替えても、
全く同様に成立することが、おわかりになりませんかw?
私の兄弟やキムタクがゾンビであってもなくても関係なく、です。
これだけで、この話が「私」特有の問題でないことはたちどころに
わかるはずなのですがw
611哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 11:54:08 0
>>589
せめて何手か先まで読める知能がないとねぇ
だから何回も同じ所をグルグル回るんよ
いいかげんにしなさって事ね
何回も同じ説明させるなって事です


話を本題に戻すけど、位置の何が『私』の原因性に成りえるのですかな?
今回は、とりあえず、これについて結論づけちゃいましょう

>>600
私は言語化しなくても、イメージで思考できますけどね
器用ですか?(笑
スポーツしてたら、わかると思いますが
いちいち言語化なんてしてたら、間に合わないんですよ

>>605
>あなたが唯物論者の典型として忌み嫌っている「人間など肉の塊に過ぎないから
>革命のためならいくら殺しても構わない」という考えだとて、立派な目的性と
>価値観ですぞw

いやいや
唯物論者に言わせれば、それは錯覚らしいわ(爆笑
単に起るべき物理現象が、起こるべくして起こっているだけであって
もし唯物論が正しいなら
物理現象ではない、価値観や目的性のような、観念的な事などありえない
まぁ、それが理屈ってもんかな

目的性があるのならさ
進化は何の目的で、なされてるのかな?(爆笑
612考える名無しさん:2008/06/26(木) 11:55:25 0
「普段は地味なリーマンが深夜に二つの意味で泥酔し
嵐の如く大活躍する傑作コメディ『真夜中のサラリーマン』
2ちゃんねる哲学版自己陶酔系列スレ内にて大絶賛連載中!」
613Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 11:58:33 0
>>609
>その因果関係は、物理的要素をいくら探ってもありえない という事なんだけど?
だから物理的要素以外に原因があるんだろね
少なくとも、物理的要素にはありえない

私の意識からすれば、もし私の身体が私の意識の原因だとすれば、そのことが直接的に
私に意識の中に映り込むはずで、そうでないからには身体は直接的な原因
とは考えられないということでしょうか。 分離された身体と意識。そこからゾンビという
議論にもなってくるとおもうのですが、身体の方でも意識がなんなのかわからない、
意識の方でも身体が何かわからない。これは神の欠陥とでもいうべきものでしょうか。
wisteria-1さんなら、幻想、といって片付けられるでしょうが。
614考える名無しさん:2008/06/26(木) 12:09:21 0
人間は、唯一一人ボケ一人ツッコミが出来る動物だからな。
615考える名無しさん:2008/06/26(木) 12:18:34 0
私の原因が物理的要素にないのなら、私と物理的要素に関係があることの説明がつかないのでは。
関係が認められるのに原因がない、不明じゃなくてないと断じては矛盾するし、
関係すらないなら私は物理現象を知りえない立場になるし、やはり矛盾する。
やっぱりおかしいな。まあさんざん突っ込まれてるようだし、今さらって感じもあるけど。
616455:2008/06/26(木) 12:20:07 0
>>475
思考だけでなく、知覚、記憶、想像などは私(一般的には主体)に
意識されてその意味を成す。それらは意識の産物と言ってもよい。

ここで僭越ながら問題を整理する。w
初めに『私』が存在し、(対象を)意識しているのか。(最高位の立場)
それとも、意識している(という心的状態)がまずあって、言述の便法
として『私』を呼び出しているにすぎないのか。(たぶん素人氏)

もう一つ、親スレから持ち越されたwテーマとして『私』は物理現象や
否や。
こんなところでしょうか。


617考える名無しさん:2008/06/26(木) 12:24:29 0
このスレのほとんどの常識人は、
最高位氏や素人氏のような極論はとらず、
現象の中に私も対象世界も全て存在すると考えてるだろうな。
618素人:2008/06/26(木) 12:32:06 0
>>611
>せめて何手か先まで読める知能がないとねぇ
貴方にそれがあるとは到底思えないわけでありまして・・・w

>位置の何が『私』の原因性に成りえるのですかな?
私は、「位置が原因となる」などと発言したことはありませんが何か?w
(必要な要素だとは思いますが、それのみではないでしょう。)

というよりも、【位置の「何」が?】という問い自体に意味があるのですか?
それは、『位置』を構成する要素が複数あることを示唆しますが、
『位置』を更に微分・分割した要素を試しに挙げていただけますか?
不勉強な私は『位置』を微分・分割した要素を挙げることはできません。
『位置』は『位置』であるとしか考えられません。どの分野の勉強をすればいいんでしょうか?物理学ですか?
貴方は当然ご存知なんですよね?w
そもそも、【この流れ】に於いては、
≪実験等に於いて(或いは論理的考察に於いて)捨象される部分があるのでは?≫という所から始まっています。
どこにも「私の原因云々」は入り込んでいません。考察に加える必要もありません。

>話を本題に戻すけど
馬鹿ですか?www
戻す必要のない所で、(或いは「戻す際・戻した後に必要となる部分」を棚上げして)、
【脈絡なく】【強引に】戻す(飛躍・跳躍する)貴方の姿勢を批判しているのです。

いいですか、
各レスは、決して≪位置が「私」の原因である≫という内容ではない。
> >>454>>458に於いて、「捨象できる(捨象している)要素は何?」という流れではなかったか?
> 決して≪「私」の原因となる要素は何か≫という流れではなかった筈だ。そんなことは全く関係がない。
≪>位置の何が『私』の原因性に成りえるのですかな?≫などという返答こそが的外れであることを理解しろ。


貴方が無視しスルーした、「貴方の卑怯な手口の解説」レスをまた幾つか貼りましょうか?www
619考える名無しさん:2008/06/26(木) 12:35:28 0
>>611
>唯物論者に言わせれば、それは錯覚らしいわ(爆笑

おお、最高位氏、目的や価値観が「錯覚」とは、何のことでありますかw?
目的や価値観(本来の意味の)は、唯物論者に言わせればもっぱら私の側、
>>606のAの側にあるものでしょう。ですから、「錯覚」などということは
あり得ません。あるならあるし、ないならないのです。
「錯覚」とは@とAの関係の中で始めて意味を持つ観念なのであります。
「何度も便器があることを確かめたが、実はなかった」というあなたの
体験が、その典型でありますw ちなみに、「物質は切れ目なく一つながりで、
私が勝手でテキトーな価値観で切り取って便器と名づけただけだから、
便器に存在性などない」というあなた本来の考え方からすると、
そのような錯覚は、本当は意味を持ちませんw

さて、肝心の質問に一向にご返答いただけませんがw、
「私の兄弟の体は、物理的要素によって特定できない」という結論に、あなたは
同意されるでしょうか、されないでしょうか、さて、ご返答やいかに?
ついでに>>610へのご返答もよろしくw
620哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 12:36:15 0
>>610
兄弟やキムタクに、私と同じく自我があるかどうかは、確認のしようがありませんね
自我がある場合は、その存在性についてという課題が生まれますが
自我がない場合は、単に体と呼ばれているにすぎない物理的状態があるだけです

>>615
どう考えたって、関係はあるだろね(爆笑
それがどうかしたのかな?
私が言っているのは、「唯物論は正しいのか」だけど?

「関係」というのは、何かと何かの関係なのであってね
もし唯物論が正しいなら、単なる関係ではなく
物理現象が、全ての原因性である必要がある
その可能性が完全に絶たれれたならば、唯物論は崩壊するわけだよ

>>617
あんまり思考を掘り下げずに、本質的な事を哲学しなければ
普通は誰でも、素朴実在論的な価値観の中に生活してるのは当たり前
その辺を分別して哲学するかしないか だけだよ

哲学に関心がないなら、哲学しなきゃいいだけだよ
誰も強制なんてしてないし(爆笑
621考える名無しさん:2008/06/26(木) 12:38:59 0
>>(爆笑
って、毎回うざいんだけど、何がそんなにおかしいのかな?
622考える名無しさん:2008/06/26(木) 12:58:20 0
>>620
そう。関係はあるのよ。関係があるのに、原因がないってことはありえないんだよ。
あるだろうけど、どんなのかよくわからない原因不明って場合はありえるけどね。
唯物論が正しいかどうか以前に、最高位は間違ってるんだよ。
623哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 12:58:59 0
>>618
>私は、「位置が原因となる」などと発言したことはありませんが何か?w

うむ
私と他人は、確かに位置が違う
しかし位置の違いが、私の原因性には成りえない という事でいいんだね?
という事は
唯物論の言うところの、『私』の原因性である物理的要素に、位置は含まれない という前提となるね

今後、「位置が違うから」というような的外れな発言は、やめるようにね
624考える名無しさん:2008/06/26(木) 13:02:02 0
ばくしょう【爆笑】 大勢の人が一度にどっと笑うこと
           「−の渦につつまれる」


最高位はバカか統合失調
625考える名無しさん:2008/06/26(木) 13:04:21 0
>>623
バカ?

>『私』の原因性である物理的要素に、位置は含まれない 

位置は物質ではなくて観念だ。
バカは死ね。
626哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/26(木) 13:10:56 0
>>621
すまんね
しかし、ホントに爆笑ものだから仕方ないやん(爆笑

>>622
何かと何かの、関係の原因じゃ話にならない
その前の、何かが存在する原因という話だよ
別の話だな

>>624
また、その話題かよ
反論できなくなると、いつもそれだな

>>625
うほっ!
どういう事?
627Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 13:23:30 0
>>613の続き
脳と身体は一体となって働いているはずで、意識と身体の間にあるそのサーキットが感覚でき
ない、というのは進化上の退化か進化によるものかもしれませんね。そうだとすると、そういう
ものに煩わされるというか、いつも意識しているのでは、意識に遅れが出てくるということかも
しれませんね。スポーツの話が出ていましたが。芸術というのは、たとえば舞踏を考えると、
身体の構造を追求する方と、意識の表現を表す方に分かれると思うのですが、私には、
前者が有意味であると思えます。
628素人:2008/06/26(木) 13:35:02 0
>>623
あ゛〜〜〜〜! 本っっっっっとに馬鹿なんだな・・・w

>しかし位置の違いが、私の原因性には成りえない という事でいいんだね?
>唯物論の言うところの、『私』の原因性である物理的要素に、位置は含まれない という前提となるね

唯物論でどうなのかは知らんがw、君の引用文の下に()書きで書き込んであるだろ?
 >(必要な要素だとは思いますが、それのみではないでしょう。)  と。
また、「唯物論で言うところの」という添え書きも不要だ。(唯物論だろうが非唯物論だろうが双方の中で問われるべきではないのか?)
変換しておく。
「位置の違いのみでは、私の原因には成りえない」
「『私』の原因の一つとして“位置”という要素は関係しているだろうが、位置のみでは成立しないだろう」
と。

>今後、「位置が違うから」というような的外れな発言は、やめるようにね
馬鹿か? 何についてそのように述べるかで変わるだろw
『同じ雨どいなのに、Aさん宅では錆付きBさん宅では錆びていない。
Aさん宅がBさん宅と違って海沿いに建っているから。』は成立する。

≪「同じ」という括りを用いる際に、『位置が違うから』別物である、とする≫は成立する。
先の流れは、こうした話なんだよ。
【当該議論(対話)の中で】最初から、≪『私』の原因≫が主題であれば、
貴方が指摘するように「位置が違うから」は主題に迫りきれない。(的外れではないにしても不十分には違いない。)
しかし、先の流れは違う。『私』の原因について語られてはいなかった。
また、これまでに何度もあった、「位置が違うから」というレスが付く場合の流れ(文脈)は、
常に≪『「同じ」であるということ』はどういうことか≫という流れの中だった筈だ。
どこにも≪『私』の原因≫など出てこない。

こういうところも、私が、貴方のことを“牛若丸”だと評する所以なのだよ。
629考える名無しさん:2008/06/26(木) 13:37:59 0
>>626
私と物理現象に関係があるなら、両者は存在を補完し合ってるんだよ。
つまり私の存在原因の一端を物理現象が担ってるってことになる。その逆もね。
ということは、私の原因は物理現象にその一端があると言える。
だから私の原因は物理現象にはないとは言えなくなるわけだ。
630下僕:2008/06/26(木) 13:51:13 0
>>627
意識されない無意識もありますよね。
でも、訓練で、無意識は意識されますよね。

>芸術というのは、たとえば舞踏を考えると、
>身体の構造を追求する方と、意識の表現を表す方に分かれると思うのですが、私には、
>前者が有意味であると思えます。

この部分は実に面白く、身体の構造を追求する意識を表現したり、
意識を身体で表現した構造を追求するというケースもあるのではないでしょうか。

実際、私のテーマなんですけどね。ちょっとささやきでした。

これについての持論もありますが、今は書く勇気と忍耐と精神力がありません。
631考える名無しさん:2008/06/26(木) 13:51:26 0
最高位はバカだから地球の歴史を知らないのか?
人類は地球が出来た後に出来たんだぞ。
そんなの幼稚園児でも知ってる。
自分よりも物質が先に存在したに決まってる。
最高位は幼稚園児以下。
632考える名無しさん:2008/06/26(木) 13:55:41 0
>>620
>自我がある場合は、その存在性についてという課題が生まれますが
>自我がない場合は、単に体と呼ばれているにすぎない物理的状態があるだけです

おお、最高位氏、全く進歩というものが見られませんなw
仕方がないので、質問を2つに分けることにいたします。

1.ある物理的状態が「私の兄弟」や「キムタク」であるかどうかという事実
 (についてのあなたの判断・価値観w)と、その物理的状態に自我があるかないか 
 という事実(についてのあなたの判断・価値観w)とは、全く関係がない。

2.『キムタク』の体がAという構造である としましょう
 そして
 A´というAと同じ構造の物体があったとして
 しかし、それは勿論『キムタクではない人』だという事になりますね
 では
 『キムタク』はAという体の、いかなる物理構造によってキムタクであるのか
 その答えを出す事ができる可能性を考えれば、それはもう絶望的ですね
 答えが出る可能性は、100%絶対にありえないのです

上記の2つの文章について同意されますでしょうか。されないなら、
どこに不同意でしょうか。さて、ご返答やいかにw?
633考える名無しさん:2008/06/26(木) 14:07:28 0
>>631
つれますか?
634wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 14:13:58 0
>>521 :Absalom ◆owNN8RDlXo
>>520
< <<非対称性への跳躍/対幻想としての私のありようを受け入れる>>際に、なぜ痛み/悲しみ/苦しみ等が生じるのでしょうか。プライドを傷つけられる、とかそういうことでしょうか。
そういう負の状態を被るなら、生物としての人間と、「共同体・内・存在」となる場所である共同体とは、齟齬を生じるようなあり方でしかないのでしょうか。
なぜ共同体はそのような負の状態を強いるような形で現在存在しているのでしょうか。
ここまで考えて、万人の万人に対する闘争、という考え方を思い出しました。
共同体とは負の面を負わずにはいられず、それに怖じ気づくことなく、戦いを身に引き受けて跳躍をするのかな、と思いました。 >

非対称性/他者/<他者たちと私が共存しているものと思いたい共同体>、に向けた跳躍行為は、そのつど、<自己疎外>を内包します。
現時点での<自然状態の私>を、そのつど、無化し、予測も想定も不可能なものに対し、みずからを投企する行為です。
この<自己疎外を孕む跳躍>が無ければ、私は<自然状態の私=アナロジーとして言えば商品ではない製品としての私>のままでいられた/いられるわけですが、
如何せん、私という現存在は、その起点において、絶えず跳躍をし続けないと、その存在性を維持できないどころか、
<共同体・内・仮象>へと埋没していくしかありません。
ありえようもない<自然状態の私への回帰>など、幻想から生まれた砂上楼閣としてのイデアにしかすぎません。

そして、ここで、あえて、付け足します。
ヒトは、何故、このようなありようでしか生きられない現存在としてしか、ありえないのか?
<自己疎外を必然的に強い/強いられ続ける共同体・内・存在としての自己>を受け入れなくては存続しえない、
あるいは、<自己疎外の瞬時的な結果集合としてしか自己を瞬時的にも規定できない>、そのような宿命を紡ぎ出し続けないと、即、仮象へと埋没していってしまうという<社会的/経済的本質>を本源的に持っているからです。
635考える名無しさん:2008/06/26(木) 14:15:33 0
素人さんも、感嘆子さんも、もっと本筋で議論をすることはできないんですかね。
最高位氏の矛盾をつこうとしてばかりで、つまらないね。

636下僕:2008/06/26(木) 14:20:01 0
私の他の構造観察の原則は、

【自分の構造を知っただけ、他の構造を知ることができる。】です。

例えば、日本建築は、骨で支える。2×4工法は外壁で支えるようなもの。
論理構造も、根底を発見し、そこから広げる方法と、広がっているものを集める論理。
身体構造も、自律神経から副交感神経を観察する視点。
副交感神経から自立神経を観察する視点。西洋医学自体が自律神経主体が主流ですけど。

例えば、太極拳や合気道などは、心体の区別がないことあからさまに学ぶ体系ですし、
職人さんの仕事であっても区別はないでしょう。

鳶職さんなんかは特にそうですね。心の乱れは落下ですし、身体の乱れは落下ですし。
考える分には安全ですよね。死にませんから。でも考えたいように考えてしまう限界を
越えられない場合もありますね。

ようは心と体は一つであって分割して観察しても、片方がおろそかになります。

観察するにしても測定具に相当するものは、観察者自身の構造把握能力を超えた観察はできないです。

結局
【自分の構造を知っただしか、他の構造を知ることはできない】です。
637wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 14:20:37 0
狭義としては、ヒトは、「(広義としての)市場・内・存在」、となります。
638考える名無しさん:2008/06/26(木) 14:21:14 0
我とは。じぶんが語る、自分のありよう。

つまり自分という位置、個人が変われば我は変わる。定義終わり。
639考える名無しさん:2008/06/26(木) 14:23:03 0
>>634
「共同体」なんていう考え方がそもそもイデア論的なんだよね。
在るのはそんなイデアみたいな「共同体」なんかじゃない。
在るのは、私の愛する家族であり、私の愛する郷土であるのだよ。

640Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 14:27:43 0
>>634:wisteria-1
その、疎外という概念がわからないのです。自然状態の私というものにこだわらなければいけない
理由が。挨拶とかしたら気持ちがいいし、へりくだって対応しなければいけなくても、一時が
すぎれば元の自由です。硬直してなくて、人間とは自分の面倒をみれる分だけ、他人の面倒
もみれるのではないかと思うのですが。
641wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 14:30:40 0
>>639
向こう三軒両隣も、方言共有圏も、標準語言語共有圏も、国家も、米日安保も、EUも、ある意味、すべて共同体です。
世界も、とだけは言えませんが。
642考える名無しさん:2008/06/26(木) 14:36:20 0
>>641
そうそう、具体的なものだよ。だから貴方自身が貴方が関わっている共同体の中で疎外されていると
言うのなら分かるんだけど、なんで、他人のことまで言えるのかがさっぱり分からない。
なんでそんなことを一般化できると考えるのか、不思議だな。
643素人:2008/06/26(木) 14:36:21 0
>>635
本筋を覆っている最高位氏の矛盾を除かなければ、最高位氏の主張に届かないからです。
(&時折カチーンと来るからですw)
また、感嘆子さんはどうか知りませんが、
私は、≪最高位氏の言う『私』≫と≪ネコ氏の言う「認識の限界」≫とに興味があるわけで、
そのためには、最高位氏が紡ぐ言葉に潜む矛盾を払いのけねばなりません。
御理解いただけますかね?w

(もっとも、最近は、ネコ氏との対立の方が深刻ですが・・・www)


また、過去何度か、私は自身のスタンスの概略を既に述べています。
殊更述べ直す必要もないですし、細部を詰め切ってもいないので、
今現在衆目に触れているものは重箱の隅に見えるでしょうが・・。
けど、時折は本筋をストレートに述べる形になったレスもあったと思いますよ。
貴方がどれくらい私のレスを読んでいるか知りませんが・・・。
ま、最高位氏のように飛ばし読みをしていたら気付かなくても当然ですので、
いっそ私のレスはスルーしていただいて構いませんw
644wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 14:40:47 0
>>640:Absalom ◆owNN8RDlXo
「(そのようにあろうとする)、と、(そのようにあらねばならない)」、あるいは、「(そのようにあろうとしたはずであった)、と、(そのようにあろうとしたはずではなかった)」との間の疎外関係です。
原初的すぎますが、言語を用いる/用いなければならないこと、それ自体が、そもそも自己疎外の表出です。
645wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 14:46:39 0
>>642
共同体は、あなたに、強制/義務/従属/搾取/従軍/遵法等々を強いていませんか?
あるいは、強いられていたとしても、すべて横にうっちゃっておけますか?
646考える名無しさん:2008/06/26(木) 14:50:12 0
>>645
強いられているとはあまり感じることはないな。
お互いさまという感じのほうが強い。
その辺の感覚は個人差が大きいよ。
それぞれ生き方が違うんだから。


647wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 14:50:42 0
ヒトはそのようにしようとは思わなくても、そうしてしまう、そのようなものをつくってしまう、それを広義に自己疎外と規定しています。
648考える名無しさん:2008/06/26(木) 14:57:37 0
>>647
「ヒトはそのようにしようとは思わなくても、そうしてしまう」ということは、
一つの側面としてあるだろうけれど、その部分に焦点を当てる必然性はないということだよ。

649考える名無しさん:2008/06/26(木) 14:59:02 0
共同体って名前からして共に同じ体でしょう。お互いに分け合って
搾取なしの。でも親は子どもの幸せより見栄を優先する時もあるし
会社は利益のために過労死を強いるしその他、人の価値観をおしつけられ
それに従属させられるし。
ただ死すべきものとしては利害を超えて理解しあえる。といったのが
ブランショなのかな?
650考える名無しさん:2008/06/26(木) 15:01:40 0
>>635
あ、すいません。私は最高位氏の「永井均的疑問」が唯物論と関係が無い、
ということが言いたいだけなのです。ご本人が「矛盾」を認めてくだされば
すぐにも消えますw

それと「本筋」とは何のことかよくわからないのですが、個人的な感想を
言わせていただければ、「私」(永井的<私>でも同じですが)に過大な
意味付けを与えようとする試み全般が、理解できません。
私にとって<私>の存在とはこの身体と精神の存在に尽きるのであって、
単なる世界の中の一個物であり、それ以上でも以下でもありません。
(はっきり言えば、ほとんど取るに足りない糞のようなものですw)
ちなみに、昨日「同一性」の話がありましたが、私の同一性もこの身体と
精神の同一性に尽きるのであって、それ以上の意味などないと思います。
こういう考えが現代哲学・思想の中ですこぶる評判が悪いことは知っては
いるのですが、なぜそうなのか、どうもさっぱりわかりません。

最近立ち読みした木田元氏の本に「自分はデカルトの言う『理性』という
のが何のことだか、本当のところずっとわからなかったが、最近やっと
腑に落ちた。それは人間各々の心にある『神様の出張所』のようなものなのだ。」
というようなくだりがありました。
私は、純粋に「私」から考え始めようとする人々が、「私は人間である」という
奇妙な事実に疑問を呈さないのをかねがね不思議に思っていたのですが、その
くだりを読んで、「全知全能の神様が、自分に似せて・自分の不完全な似姿と
して人間を創った」という聖書の物語が、西欧人の意識に抜きがたく刷り込まれて
いることの一つの表れなのではないか、と、多少納得した次第です。

しかし、日本人は昔から「人間など犬畜生の同類に過ぎない」という感覚で
(よく言えば「自然の一部である」という感覚で)生きてきたはずです。
むしろ、変な政治的意味を脱却した「日本的唯物論(一種の自然主義)」を
展開する人がいてもいいのではないか、環境問題等を考えるには、
その方がリーズナブルなのではないか、などと考える次第です。
651wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 15:01:49 0
>>648
国からの赤紙一枚で銃弾の前、でも、ということですね。
あなたには、極論でしょうが。
652考える名無しさん:2008/06/26(木) 15:05:56 0
>>651
そうだね。
極論を用意しないと論じられないところに、そういう話の怪しさがあるね。

653Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 15:21:52 0
いろいろと教えていただいたお礼として、
疎外されて傷を抱えているであろうwisteria-1さんに歌をプレゼントしましょう。

♪むなしいむなしいとつぶやいても また明日もむなしいだけ
空に浮かんでる白い雲も いまでは何も答えてくれない
強く弱く弱く強く ひざをたたいてみれば
ああなんだか生きてるあかしのような むなしい痛みを感じるよ
僕たちに今一番必要なものは あつい恋や夢でなく
まぶしい空から降ってくる 白雪姫の毒リンゴ
生きてるほどくだらないことはないと 街の女が笑って見せりゃ
5月の緑も色あせるほどに 僕の心に雨が降る
雨雨降れふれ母さんが 蛇の目でお迎えうれしいと
何にもわからず生きてきたけれど 今でも何もわかっちゃいない おお
僕たちに今一番必要なものは あつい恋や夢でなく
まぶしい空から降ってくる 白雪姫の毒リンゴ
宝石のような涙を下げて おまえは泣いていた
きれいな夢を追いかけてるから おまえはいつも傷つくのさ
それでいいのさいいじゃないのさ 全く見上げたもんだよ
ああ心一筋打ち込める そんな時代はないのです おお
僕たちに今一番必要なものは あつい恋や夢でなく
まぶしい空から降ってくる 白雪姫の毒リンゴ
おお人生よ僕に語りかけて おまえには僕が必要なんだと
そして僕は答えるだろう 僕にはおまえがじゃまなのさ ああ
僕たちに今一番必要なものは あつい恋や夢でなく
まぶしい空から降ってくる 白雪姫の毒リンゴ
白雪姫の毒リンゴ 白雪姫の毒リンゴ♪
654wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 15:26:21 0
>>652
共同体から自由な立場ですべてを論じることができれば、これほど自由なヒトの世界というものは無いでしょうね。
アプリオリ/アポステリオリ等の与件も、経験論も、対自/対他の意識も、世界内存在等の規定なども、なにもかもうっちゃっておけばいいわけですから。
655考える名無しさん:2008/06/26(木) 15:32:24 0
いま見つけたんですが他スレで
【無為】ジャン=リュック・ナンシー【共同体】
656655:2008/06/26(木) 15:34:41 0
共同体の使いかたがwisteria-1
とちょっと違うと思うので。
657655:2008/06/26(木) 15:38:15 0
人間がそもそも疎外された生き物なのでそういう人間がつくる
社会だから互いにそがいしあうでしょうね。そういう問題は調整していくしかないんでしょうが。
658下僕:2008/06/26(木) 15:39:54 0
>>654
考える事は今でも自由ではありませんか?
また、考えた通りになったという検証をすることも可能ではないでしょうか?

私の考えは【考えた通りの事を考えた人が経験する。】
これが私が考える、個別の「私」の体験原則を観察しました。

私もこれを実践していますが、問題ありません。
よって共同体外に出ることも可能であることは保証されます。

まず考えを共同体の外に、出さなければ始まりませんよね。

これは既知外を考えよう!すれば、既知外の行動パターンに乗っかる。
するとそういう現象にしか出会わない。こういう理屈なのですが。
659考える名無しさん:2008/06/26(木) 15:42:20 0
>>650
>しかし、日本人は昔から「人間など犬畜生の同類に過ぎない」という感覚で
>(よく言えば「自然の一部である」という感覚で)生きてきたはずです。

東洋での、自然と一体化する思想でも、やはり「我」は特別な位置をしめるよ。
自然と一体となるには、「我」の在り方こそが問題だから。
仏教でも「我」の在り方が中心的な問題だった。
「我」が特別なのは西洋だけではありません。

>>654
共同体の中で生きる人間の、或る一つの側面に焦点を当てて、そこを出発点として
論じ始めることがおかしいということを言いたかったんだよ。
むしろ、なんで貴方はそこに焦点を当てるのか、という部分を話さないとだめなんだよ。

自然とも共同体とも一体化して、共に生きるという東洋的生き方もあるかもしれないからねw
660Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 15:49:45 0
我々の住んでいるところは先進国で、平和であって、現代であるから、自然と他の国の
人々を搾取しながら生きていることに気づいていないのでしょうね。ゴミの山に登って、
金に変えられるものを探して生きている子供たちにすれば、疎外も疎外、とんでもない
つらい世界だと思うでしょうね。
661656:2008/06/26(木) 15:52:09 0
wisteria-1さんの敬称が抜けていました。すみません。
662下僕:2008/06/26(木) 16:05:02 0
>>660
そうですよ。もう絶望ですよ。だから私などは絶望が平常心だと思ってるからね。
これは放棄ではなく、虫ですよ。いや虫以下。下僕。

自殺もできず、生きても辛い、じゃあどうにでも成るって事?
「Yse!それどころかそうなっている!」等と天の声を聞き(笑

って事でどうにでも成る無限論は上手く機能していますが、
乗り方が下手な私です。流れに乗るポイントがあるようです。

死の淵から救われるような体験をすると、我は少なくなりますね。
というかどうでも良くなるから、せめて何かをせねばという発想になりますね。
663考える名無しさん:2008/06/26(木) 16:21:06 0
>>649
メルロ=ポンティによれば、主観性の成立構造は
「間身体性」である、と論じている。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=174
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0123.html
私は「肉」である、と。
664wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 16:56:03 0
>>648
>>649
>>652
>>653
>>656
>>657
>>658
>>660
>>661
>>662

私の解説がまずいのでしょうね。
「自己疎外を意識することからしか、私という概念は生起してこない」、「自己疎外が無ければ、私や私という実体等という概念も不要になる」、ということを言いたいだけなのですが。
665wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 17:19:03 0
>>659
<自然とも共同体とも一体化して、共に生きるという東洋的生き方もあるかもしれないからね>

そのような時代/社会構造/共同体-ヒトの関係性のユートピア/アソシエーション/コミューン等々は、いまだかつて、洋の東西を問わず、どこにも見出せないですし、今後も、おそらくはありえないでしょうね。
その可能性など無い、と言い切るのは、もちろん僭越すぎる言述になりますが。
666Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 17:40:44 0
>>665
あり得ないかもしれないものに対する憧憬というのは強いでしょうね。というか、ユートピアを
求める方向に社会は流れてく傾向が強いのではないでしょうか。社会現象でみれば
コギャルの生き方などはそれに近いかもしれない(宮台真司とか読んだことがあるわけでは
ないのですが。)
667考える名無しさん:2008/06/26(木) 17:40:49 0
いや、ユートピアではなくて恐怖政治的なマインドコントロール、
オウムのようま共同体、秦の始皇帝のような形態はあったのではないかな。
668考える名無しさん:2008/06/26(木) 17:43:16 0
武士も自我を捨てていたね。自分を消して家と殿様のために生きた。
669下僕:2008/06/26(木) 17:51:41 0
私などは、こう考えるのですよ。

まず、自由自在に考える行為の条件があるとするならば、
タブーや禁止事項は倫理は捨てなければならない。
しかし捨てなければならないという禁止事項でもない。

殺人OK。自殺OK。善否定。美否定。戦争賛成。ヒロポン大好き!
オカルトOK、真理否定、洗脳OK、イジメOKっていうことです。
さらに、それらを野放しにした場合、今より悪くなる可能性の否定。
そして、以上の全否定と全肯定。

というか既にこのような事は起こっているのですから認めるというだけです。

その上で、考えないと倫理と道徳になってしまうという事は言えると思います。
倫理や道徳が既に起こっている事を包括するならば、それは機能するでしょうが、
大抵は、人間の真実の対極に築かれます。
670Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 17:52:26 0
主体性ということについて考えたいのですが、私にとって原初的なのは、みたいものをみる、
ということだと思うのですね。つまり、視界の中でいいものを探して、その方向にまなざしを
向ける。次の段階を考えたいのですが、視界の中に映っているものは、現在の自分にとって
の全世界として現れている。その全体をまなざしとして、どこかに向ける、というのは、あるきりとられた
世界を対象にぶつけているということではないでしょうか。無意識も含めて、対象は、世界全体を
投げかけられていることになる。心理学には詳しくないので、そのことの意味までは考察できま
せんが、他者の中には無限をみることができるのではないでしょうか。
671wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 17:53:30 0
>>666 ->>668

自己疎外は、地域/国家/体制フリーで、今この瞬間にも機能してしまっている日常の意識のありようとしての事実です。
私は、そこに、私という必要悪が生起してくる要因を見出しているのであり、且つ、思考は常に外部との関係性の中でしか成り立たない、もっと言ってしまえば、哲学「的」思考の「自己欺瞞的自己完結性」を糾弾しているつもりでおります。

672考える名無しさん:2008/06/26(木) 17:55:16 0
>>664
「自己」と「自己以外」との断絶、及び断絶への気付き、を“疎外”と表現しているのかな?
で、
その断絶(横たわる溝)の橋渡しを、
共同体が、(或いは“共有される価値観”“共同幻想”が)、(或いは“集合することにより生じ肥大化した価値観の圧力”が)、
(それら全て「自己以外」ですが)
担っている、と。
673下僕:2008/06/26(木) 18:00:18 0
【自然とも共同体とも一体化して、共に生きるという東洋的生き方】

あります。無頼です。孤高としてです。非依存です。

原因だけをつくる生き方であり、
結果を得るために、原因を作る生き方でない生き方です。

つまるところ、個人の外界の見え方感じ方の問題です。
決して、同じ風景を同じように見ているのが個々の人間ではないと断言できます。

同じ出来事が起きても、感想は天地の開きがあるのとなんら変わりませんから。
多勢の想念に呑まれる事は一つの洗脳ですからね。
674wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 18:07:50 0
>>670
「他者に対する主観=私」、「私に対する主観=他者」とが、同時に直面するようなまなざしは無い(一方向性)、というサルトルの言葉がありますが、私は、このまなざしこそが、自己疎外が相互にぶつかり合い、
相互侵食/相互破壊/私という概念の生起する契機(モナドをぶちやぶる窓)/私の存在-思考を主張するための私という主語を司る必要悪としての言葉の発生の契機、であると解釈しています。
この言述の中においても、私の自己疎外のありようが投影されています。
675Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 18:16:48 0
>>670続き
日常的にはそのようなコミュニケーションはなされていないでしょうが、雑踏の中で人々が
目をそらしあう、ということにはそのようなコミュニケーションの危険性が隠されているから
ではないでしょうか。しかし、よく考えると、他者の表情から伺えるのは、ただの網膜の
パターンであり、脳の状態までは読み取る機能は人間には備わっていないかもしれません。
つまり、有限の思考を投げ掛け合うのが人間であり、しかし、可能性としては無限の全体を
交わしあうようなコミュニケーションの方法が存在し、それに気づいていないだけかもしれません。
赤ん坊にじっと見つめられたとき、その瞳の中に何ともいえない感情を発見して、そのように
思うのです。
これは推測だらけなので、暇な方向けです。
676Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 18:19:49 0
下僕さんが考えられていますが、無限とは相対的なものです。無限小、無限大。視点の変更
によって、いかなる思考も、ある人にとっては無限に近い意味を持つのではないでしょうか。
677wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 18:24:17 0
>>672
<「自己」と「自己以外」との断絶、及び断絶への気付き、を“疎外”と表現しているのかな? >

自己は、今ある自己を起点とした跳躍により、そのつど生起する/生起させないと自己たりえない、
そのような自己により裏切られ続ける構造の中でしか、自己を存続させえない、ということです。

<その断絶(横たわる溝)の橋渡しを、共同体が、(或いは“共有される価値観”“共同幻想”が)、
(或いは“集合することにより生じ肥大化した価値観の圧力”が)、(それら全て「自己以外」ですが)担っている、と。>

<橋渡しの主体>は常に自己です。
私を含めた共同体構成員の自己疎外の総和/成れの果て(例えば国家)が、共同体ですから、<断絶(横たわる溝)>=<自己疎外の総和>を、それぞれの自己疎外の分だけでも、
あるいは、総和を根こそぎにして、それらを取り戻そうとする主体は、私を含めた共同体の構成員の個々の営為(私の言述と、それに基づく私の思考/行為一般)です。
678Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 18:30:13 0
つまり、自我の縮小によって世界は無限大となり、世界の縮小によって自我は無限大となる。
679wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 18:35:59 0
>>675
少なからず、ヒトには、対人/対面恐怖の気質が備わっています。
会話の相手と初めて接したときの他者からの私へのまなざし、私が発話した直後の私へのまなざし。
あるいは、相手からの発話に対する私のまなざし。
それらの一こまごとに、跳躍が無ければ、会話は成立も継続もしません。
そして、その跳躍には、つねに、そのつど、自己疎外(会話の場合は自己疎外のし合い)を生起させてしまう不確実性を伴います。
こんにちは、おはようございます、蒸し暑くなりましたね、という挨拶のレベルの会話においても、です。
個体差は、もちろんありますが。
680考える名無しさん:2008/06/26(木) 18:37:14 0
みんな騙されるなよ
最高位は議論なんかできない
他人を否定して喜んでる基地外だよ
681wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 18:40:09 0
>>678
私が言う共同体は世界自体ではなく(これを私の認識している事実の総体とすれば世界という用語のままでも構いません)、ヒトが自己疎外を覚悟の上で構築してきている共同体一般のことです。
682考える名無しさん:2008/06/26(木) 18:48:37 0
>>650
「私」に過大な意味付けを与えようとしているわけじゃなくて
いろいろ考えると残るものは「私」しかないってことでしょ。
「私」だってたいしたことないけど他のものはもっと不確かなんだから
しょうがないじゃん。
683Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/26(木) 18:51:22 0
>>681
一連のwisteria-1さんの説明によって、自己疎外という概念が理解できてきました。ありがとう。

>678は、>676の続きとしてつまり、といっています。手抜きしておかしなことになって申し訳ありません。
684wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/06/26(木) 18:52:34 0
もちろん、世間には、マスコミをはじめ、この自己疎外の投影が全く見受けられない言述に溢れています。
それは、コピーとして、オンエアや紙詩に掲載された直後から、時を経ず、無きものとなります。
しかし、これを自己保存のために自己都合で制御しようとする権力は、ヒトの自己疎外の成果物として、そのようにつくった/つくられたものではないはずであるのに、現にそのようなものとして存在します。
社会契約論も、この自己疎外の前では、破綻します。
自己の幾分かを委託したつもりのものが、自立/増殖し、受託者としての国家が、委託者からかけ離れ、権威の自己保存のためだけの意思を持ってしまうからです。
685475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 20:18:48 O
>>609
楽器を演奏する《私》が存在してどうするんです。
その《私》は何だ、となる。
楽器、外界への反応を発信するものこそ《私》だ。

>>611
じゃあ思考と意識は一緒でいいや。
思考は《言葉を持つ人間としての意識》かなと思ったけど、区別する必要ってあんまないよね。
686475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/26(木) 20:35:20 O
>>616
因果ですか。
《意識》が先か《肉体》が先かということ?
いや、ちょっと違ってそうですね。
うーん、《意識》が先か《私》が先か?
どっちも違うかなと思いますが。

《私という存在》は、肉体です。
なぜか。
私はここにいる。
私と同じ場所、位置には決して別のものは存在することが出来ません。
物理的なものです。
《私という意識》は、私は波形だと思っているので、何とも言い難いですね。
物理的のような気がしますけど。
むしろ物理的でなければ何なのでしょうね。
687考える名無しさん:2008/06/26(木) 21:24:23 0
>>635
おまえよりは面白い
688考える名無しさん:2008/06/26(木) 22:08:15 0
素人は昔に色々と書いていたよ
筋道のしっかりした文を書くやつだと思う
感嘆子は最高位の良き批判者なのに、最高位はそれを理解出来てないから馬鹿過ぎる
最高位は同じことしかいえないオートマターみたいなもんだよ
テンプレに沿って機械が自動的に返答しているんじゃないか?と思ってしまう
689考える名無しさん:2008/06/26(木) 22:32:57 0
>>688
要するに最高位を悪くいいたいからほかを持ち出して持ち上げたんだろ。いい面の皮だ。
690考える名無しさん:2008/06/26(木) 22:37:32 0
いや、最高位が自分への批判を受け取りながら、
それにレスする形にしたら、最高位の意見も面白くなると思うよ。
彼は批判を全然読まずに脊髄反射で揚げ足取りのレスしかしないから。
691考える名無しさん:2008/06/26(木) 22:39:36 0
>>690
おまえが最高位の代わりに批判を解釈して答えればいいんじゃないのか。
692考える名無しさん:2008/06/26(木) 22:44:57 0
>>689
別にそうでもないよ
最高位が哲学してないから、オートマターと書いただけ
ただの思想闘争でしょ、彼がしたいのはさ
永井なんか未だに私を哲学して少しずつ自分の説を変えていってるぞ

693考える名無しさん:2008/06/26(木) 23:03:53 0
みんな騙されるなよ
最高位は議論なんかできない
他人を否定して喜んでる基地外だよ
694考える名無しさん:2008/06/26(木) 23:06:38 O
別にそうでもない。w
くさいくさい。
695唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/27(金) 01:04:11 0
>>690さん
単に自己主張の場としてこのスレを利用しているだけのようですが。
もはや哲学ではないと思われます。
696考える名無しさん:2008/06/27(金) 01:34:56 0
他人に話せば既に『私』(笑)の哲学ではないさぁw
私の手から離れるのさぁ
697考える名無しさん:2008/06/27(金) 01:41:18 0
重箱ですが、オートマターよりオートマトンの方が通りがいいのでは?
698考える名無しさん:2008/06/27(金) 01:44:15 0
フランシーヌ
699考える名無しさん:2008/06/27(金) 02:42:02 0
全てこの宇宙の自作自演
700哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 03:57:19 0
>>628
>「位置の違いのみでは、私の原因には成りえない」
>「『私』の原因の一つとして“位置”という要素は関係しているだろうが、位置のみでは成立しないだろう」
>と。

それ、何の根拠で言ってんの?
どういう理屈で、位置が私の原因性に係わってるの?
この位置の、何がどうだから私なん??

>>今後、「位置が違うから」というような的外れな発言は、やめるようにね
>馬鹿か? 何についてそのように述べるかで変わるだろw
>『同じ雨どいなのに、Aさん宅では錆付きBさん宅では錆びていない。
>Aさん宅がBさん宅と違って海沿いに建っているから。』は成立する。

ぶっ!
位置って、そういう意味だったん??(爆笑
私はまた、座標とかの意味かと思ってたよ
キミの言ってるのは、位置じゃなく環境だな
場所が違えば環境が違うから て事だな
しかしそれじゃ、あまりにもマヌケすぎるぞ
位置が違って環境が同じである場合はどうなんの?
位置、関係なくなるじゃん(爆笑

>>629
>私と物理現象に関係があるなら、両者は存在を補完し合ってるんだよ。

全然、本質が理解できてませんな
たとえば
補完しているとしても、それがなんで私なん?という問題が、わかってないね
701哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 03:59:11 0
>>632
キミの言うキムタクとは、何を指しているのかね?
人体の事かね?
それとも自我の事かね?
単に人体を意味するのであれば
それは境目なくつながっている物理世界から
キミが価値観によって任意に切り取っているだけで
実際にはキムタクは存在性ではない事になってしまう

自我を指しているならば、その人体の要素によって、その自我を特定できないのだから
唯物論は間違いだ となるわけだ

あ〜めんどくせ
何回、説明させんの?

>>638
自分は、どうして存在しているのかな?(笑

>>643
>また、過去何度か、私は自身のスタンスの概略を既に述べています。

結論を、簡潔に述べて下さい

>>650
>私は最高位氏の「永井均的疑問」が唯物論と関係が無い、
>ということが言いたいだけなのです。

永井均的疑問は、確かに唯物論とは関係がないでしょう
唯物論などでは解けないのです
唯物論とは関係のない、唯物論では解けない疑問が存在するのです

唯物論は間違いなのです
702考える名無しさん:2008/06/27(金) 08:08:21 0
>>700
補完し合ってるなら、少しも私でないものは存在しえないということだね。
ということは存在するあらゆるものが私ってことになる。
であればこそ、原因がないとは絶対に言えなくなるってわけ。
私に対する解釈を無限に生み出せるのもそのせいなんだね。
703下僕:2008/06/27(金) 09:00:54 0
>>676
これはAbsalomさんを通じてみなさんに自我に語られる
ものです。

Absalomさんの考えに対する下僕の考えの相違点として、
私の考える無限は何かに置き換えの利かない無限を指します。
よって、Absalomさんのおっしゃる通り、無限に近い意味は
相対的にもつことはできますが、無限は決して持つものではない。
こう考えます。成るものっていう意味です。

>>678
>つまり、自我の縮小によって世界は無限大となり、
>世界の縮小によって自我は無限大となる。
これは、自我の認識が残っていますから、上と同様に
相対的に近い無限大という表現に終始してしまいます。

私の提唱する無限(私=無限)は、相対的視点からみれば、
一元論です。だから【無限にとけ込む自我が私】である。
正確に言えば、私のルーツ・根元・核・本質という論です。
禅でまず、直視する場所でもあり、入り口です。

論でいえば、そこから認識や自我や世界その全てが構築されているという事です。
704下僕:2008/06/27(金) 09:02:50 0
【下僕の提唱する無限軌道による自我操作】…自我は選択の下僕(道具)
>>662
で、私の平常心は絶望と提唱した。ま、自我は絶望的観点を嫌いますが、
そうではなく、先入観のない状態は自我からみれば、
絶望(死の淵に立たされた)と同じです。
>>669
で、私は、無限を考える条件を提唱した。非自我(絶望_仮表現)からみれば、
自体は起こっているだけではないでしょうか。
>>673
で、実際日常生活における意識の焦点を示した。
間違いやすい例として、原因を作ろう!思うのは自我です。原因を作るだけです
からそれは非自我です。結果を享受するのが自我であるだけになります。
自我によって幸不幸を感ずるだけです。これとて絶望ですが…。

つまり自我中心主義的な考えは一切しないというのが私の視点であり、
無限を非相対的に考える手法です。実際、絶望的視点が平常化されると
それは絶望ではなく、単なる個人の心持ちです。個人の実感は、
心地よい結果を享受し続ける。それだけです。

自我を視点に考えるというのは、俗に言う、金、時間、です。
劣化補償的観点からいえば、不足・外的依存・恐怖です。

無限においては、自我は、決して中心ではなく、結果を受けつける
感情(結果的に)に過ぎないです。感情を中心とした社会が相対的社会と言えます。
ここの議論の大半をみてください。内容以前の問題ではありませんか?。
当事者は内容を語っていると思うはずですから、私の言葉は語弊がありますが…。
705下僕:2008/06/27(金) 09:17:39 0
自我、共同体に属する私、そういった自分を放棄する
その先を想像する事は、自我、共同体に属する私から
からみれば、無秩序でありカオスを想像してしまうでしょう。
以下、自我共同体に属する私をマシンと称しますが…。

マシンを操作するのが私です。プログラムは私が書き、
マシンはそれに沿って動くだけです。マシンは考える事や
選択はせず、反応するだけです。

この反応はある一つの原則が貫かれて言います。
入力は簡単です。マシンが発信する全メディアでマシンの
プログラムは常に刷新されています。
テレビ、同種のマシンどおしの連携(携帯)、教義(宗教・学問)

私を信じるな。私を殺せ。私の行動規範。空気(プログラム)を読め。
マシンはメディア全体を信じていますから、私など見つけられません。

カオスや無秩序は先行き不透明感としてマシンは反応します。
私は感ずる事に従うのですが、マシンは反応してしまいます。

ですから私は選択するだけでいいというのが私の論です。
あとは、物理法則に引き受けさせばよいのです。
つまりマシンの従う法則にですね。
これが、下僕の論の日常的実践マシン操作方法です。

706下僕:2008/06/27(金) 09:22:37 0
マシンは自分がマシンである実感がありませんから…。
マシンは自分が正しいと信じていますから…。
マシンは、あらゆる意味、あらゆる出来事は一つの結果であると反応しますから…。
マシンは、マシンを疑いますから。
マシンは考えているようで、一つの答えを別の答えに置き換えますから…。

私はマシンはマシンでしかないと知っているだけです。

以上がマシンと私との区別の指針の一例です。
707下僕:2008/06/27(金) 09:26:13 0
以上マシンを使ってマシン語で書かせていただきました。
私自身もマシンをもってここにいますから、
マシンとしての自我を創作し、その下僕というマシン(みなさんから
みれば、対象物)を実体化せざるをえない表現をお許し下さい。

他者である下僕という自我をつくっておかないと、みなさん、マシンは意味すら
理解できないからやむを得ないのです。
708考える名無しさん:2008/06/27(金) 09:33:19 0
>>701
>キミの言うキムタクとは、何を指しているのかね?
>人体の事かね?
>それとも自我の事かね?

おお、最高位氏、困った方でございますねw 人体のことだ、と何度も
念を押しているでしょうにw 自我があるかどうかはわからないのですから、
人体のことである他はないのです。
ちなみに、それが「存在性」であるかどうかは、全く問題ではありません。
その「物理状態」を、「キムタクの人体のコピー」や「あなたの兄弟の人体」と
あなたの「価値観w」によって別個の存在として区別できるかどうか、
それだけをお尋ねしているわけです。
一度に2つの質問は無理だったようですのでw、1つに絞りましょう。

1.ある物理的状態が「私の兄弟」や「キムタク」であるかどうかという事実
 (についてのあなたの判断・価値観w)と、その物理的状態に自我があるかないか 
 という事実(についてのあなたの判断・価値観w)とは、全く関係がない。

さて、あなたはこの文章に同意されますでしょうか。ご返答やいかにw?
709下僕:2008/06/27(金) 09:41:27 0
下僕というマシンを信ずるな!
私を感じよ!です。

マシンから私を生むのではなく、
私がマシンであった事を知るだけでOK。←マシンの禁止用語。

・・・・・プログラム終了。

以上。(マシン語では思考停止・あり得ない・意味不明)

終了。(この文章もただ書いてあるだけ・反応ならそれはマシン・意味は無い)

710考える名無しさん:2008/06/27(金) 09:56:47 0
>>709

下僕というマシンを信じないで

私の尾漫湖を感じて欲しいしーちゃんはゼロアカ帝国

アダルトモドキノの美少女

しろうと縛乳アニマル浣腸クレポン禁止タンポンOKワギナの妖精

失禁のあずまん子潮吹きパイパンのしおね開脚パンチラ内親王です。


711素人:2008/06/27(金) 10:19:59 0
私的メモ3

>>208
>>210>>217

>>164>>292>>335>>461後段>>508
>>605-606

>>448>>508後段

>>616
712455:2008/06/27(金) 10:24:01 0
>>708
論点が移動しています。というか、よくわかりません。
キムタクでも機械さんでもハンニさんでも、じいさんでもいいが、
彼らの文字どおりのそっくりさんに出くわせば、たぶん私は本物
(を見知っていればだがw)と間違えるでしょう。    
それだけの話しだと思うのですが…。
>>素人氏
最高位の『私』は物体ではないので構造を有せず、だから位置の違い
による影響はないでしょう。位置の差異による変容をきたすのは『私』
ではなく、『私』の“心身”である。

いま関心があるのは>>663 があげていた「私は身体である」という言説。
しかし、これは身体=物体といった単純な代物ではなさそう。
>>475 も同じ言表をしていたと思う。もう少し聞かせて欲しいね。




713考える名無しさん:2008/06/27(金) 11:16:29 0
>>712
素人氏708氏ではない名無しですが横入りします。

>論点が移動しています。というか、よくわかりません。

この議論には長い長い歴史が存在しますので過去スレで。

>最高位の『私』は物体ではないので構造を有せず、だから位置の違い
>による影響はないでしょう。

私の位置ではなくて生きている肉体の位置のはずです。
同じ人の脳が同時に異なる位置には存在できないので、
肉体の位置による影響があるないなどと言うのは論理的に間違いです。

また、私には自己同一性が必要ですが、時間空間との関係を無視すれば
自己同一性は成立しません。
また、自他の区別ですが、時間空間の関係を無視すれば自他の区別
ができません。
714哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 11:19:07 0
>>702
>補完し合ってるなら、少しも私でないものは存在しえないということだね。

うむ
いいこと言うねぇ
もし補完しあって『私』が完成されているなら
全ては『私』の材料なのであって、『他』は全く存在しない という事になりますね
『他人も私』とかいう
ちょっと普通では考えられない考え方ですね

>>708
>人体のことだ、と何度も念を押しているでしょうにw

>ちなみに、それが「存在性」であるかどうかは、全く問題ではありません。

人体の事を指し、もし存在性でないのであれば「キムタク」は
キミの価値観によって「キムタク」であるにすぎない
いい加減な存在だ
ようするに
「思い込んでいるだけ」だという事になる
それが「キムタク」である根拠は何ですか?

物理世界に、境目などないのですよ?
たとえば
富士山は、どこからどこまでが富士山なの??(爆笑
あと
その『キムタク』の水分は、蒸発しても『キムタク』なんですか?(大爆笑
キミの言う『キムタク』が、もし体という物体を指すならば
いったい何がキムタクなのか、明確に線引きして示して下さい
715455:2008/06/27(金) 11:45:40 0
>>713
私の読解力に難があるので、わかりにくい点がありますが…w

要するに、最高位の問題提起は「私は物体(物質)ではない」ということです。
これを論証するために、彼は様々なことを述べてきました。
少し大胆な言い方すれば『私』は物質とは異なり、時空を超越する“存在性”と
いうことになるでしょうか。

だから反論するのなら、最高位の『私』が物体であり、その心的営為が物理現象
であることを論証すればいいわけです。
716考える名無しさん:2008/06/27(金) 11:54:38 0
まるでブラックホール
717考える名無しさん:2008/06/27(金) 11:57:17 O
精神が物質でないことに異を唱えるやつは希少
誰も反論せんよ
唯物論者は反対するのか?
718哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 11:59:10 0
>>715
私の問題提起は
『私』の存在性は、物理現象に由来しない
という事です

反論するなら、いかなる物理現象によって『私』が現象してるのか
その根拠を示さなければなりません

ボケないで下さい

>その心的営為が物理現象であること

とは意味が全く違います
こんな簡単なこと
なんで何回説明しても、わからんのですかねぇ・・・
719考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:03:57 0
ですから最高位氏には其の身をお焼きになって早く
自由になられることを申し上げております。
「私」は痛くも痒くもないでしょうから。
それとも「私」は物質ではないけれど肉体に依存するのでしょうか?
720哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 12:04:47 0
>>717
もちろん反対します

私が論破してからは、唯物論者は随分減ったんじゃないかな
721哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 12:06:00 0
>>719
はぁ?
熱いに決まってるだろ
バカ?(爆笑
722考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:07:04 0
>>717
「脳は物質だから意識は必然に過ぎない」
っていうのも日本語めちゃくちゃだけどハードな唯物論の主張なんじゃないの?
723455:2008/06/27(金) 12:07:57 0
>>718
最高位、私たちが物体と呼んでいるのは“物理現象”のことです。
『私』もまた物理現象なのか、それとも非・物理現象なのか、ということです。
ぼけているわけではありません。w
724考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:12:42 0
熱いなら物理現象ですか?
バカ最高位?
725考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:13:37 0
           .∩" ̄ ̄ ̄ ゙゙̄`∩
           /   ;;#  ,;.;::.  ::::::::ヽ :
        :  / "" ●   ' -==-.:.:::::.|
              |  ""  (_●_) ""...:::::ミ : でも、最高位は普段やさしいから
        : 彡 #;;:.. /ニニ|   .:::::::/
           ヽ.;;;//;;.;`ー‐' ..;;#:::::ノ  :
            >;;;;::..    ..;,.;-
          : /           \

726255の傍観者 ◆tTKnW9aCzY :2008/06/27(金) 12:13:41 0
>>709
チューリングマシンとその停止問題について文献を読んでみては。
727哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 12:16:20 0
>>723
『存在性』と『精神活動』の違い、わかります?

>>724
>>719に言ってるの?
7281/3 素人:2008/06/27(金) 12:17:31 0
>>700
> それ、何の根拠で言ってんの?
勿論、類推ですよ。貴方はお嫌いかもしれませんが・・w

> どういう理屈で、位置が私の原因性に係わってるの?
さあ?w
私は「この肉体あって“「私」の『私』”が顕われている」という立場を採っていますので、
この肉体の位置(正確に言えば誕生の瞬間の時間と位置)も「私」を規定する一つの要素だと考えます。
そして「私」が規定されるならば、それと不可分な『私』も同様の規定を受けるだろうと考えます。
注意していただきたいのは、
「位置が『私』の原因である」ではないということです。
「この肉体が『私』の原因である」ではないということです。
『私』が成立する為に必要な要素ではあるでしょうが、「それが原因である」わけではない、ということです。
しかし、欠くことはありえないであろう、と。
感嘆子は、>461後段に於いて
>>≪なぜ、思考は「私の思考」(当人の思考)としてしか現われないのか≫
>それは逆であって、それが「私」の定義なのです。
或いは>>508に於いて
>「私」の本質、「私性」は、主観的意識であること・思考することですから、>
と、述べているが、もしかしたら、「原因」の追求はここが着地点かもしれません。
(この一文にはほぼ同意するところでありますが(「思考」が『私』であるという言明よりも穏当ですし・・w)、
 それは、上で「定義の問題」と言われるように「ラベル」としての『私』を離れ切れていない感があるので、
 これよりもう一歩踏み込んだ部分(言い方)へ進みたいところですが・・・。)

> この位置の、何がどうだから私なん??
ですから、上で述べたように(或いは>>618で触れたように)、「位置の何が?」という問いには意味がありません。
729724:2008/06/27(金) 12:18:15 0
>>727
もちろんあなた様です
7302/3 素人:2008/06/27(金) 12:18:22 0
>>700
> 位置って、そういう意味だったん??(爆笑
> 私はまた、座標とかの意味かと思ってたよ
> キミの言ってるのは、位置じゃなく環境だな
> 場所が違えば環境が違うから て事だな
端的に言えば、「位置の違い」は「環境の違い」に直結していませんか?w
(勿論、相対的で相互作用するでしょうが、今は「位置」の方へのみピントを合わせます。)
解り易くする為、わざわざ大きな差異の例を選びましたが、微妙な微細な差異で考察しても同じだと思いますよ。
たとえば、(ストーブでも太陽でも良いですが)、
ある熱源があり、その熱源からの距離が全く同じということがありえますか?
熱源からの熱量は、その熱源の大きさに関わらず均質たりえますか?
位置が違えば、受ける影響は変わらざるを得ないのではないですか?
たとえば、電子レンジでご飯を温めたことがありますか? 機械のことはよく解りませんが、
(仮に、レンジの仕組みとして全方向からマイクロウェーブが均質に照射されるとしても)、
中の米粒が均一に影響を受けるのでしょうか?(経験上、一部は温かいけど一部はまだ冷たいということはよくありますw)

> 場所が違えば環境が違うから て事だな
揚げ足を取るならw、「場所が違えば」というのは「位置が違えば」とどう違うのでしょうか?w
「位置が違えば環境も違ってくる」ということと同義のように見えますが、間違ってるでしょうかね?w

> 位置が違って環境が同じである場合はどうなんの?
ですから、「全く同一の環境はありえるのか」、或いは、
「極近似たりえることはあるとしても、それを全く同一の環境と言い得るかどうか」、ということです。
(「同一の環境である」という認定は(→近似である・極近似であるという場合は)、
 微妙な差異が捨象されているということではないでしょうか?)
これを受ければ、
> 位置、関係なくなるじゃん  は、「(位置という要素の)捨象」に他ならないのではありませんか?
7313/3 素人:2008/06/27(金) 12:19:04 0
>>701
> 結論を、簡潔に述べて下さい
私はまだ結論を出していません。
ですから、(問いに答える形もありつつ)散発的に(途中経過・現状を)述べる形になっている。
もし、多少まとまった形としてのものを御所望ならば、
簡潔にしても数レス消費しそうですので、というか面倒なのでwww
(ネコ氏の毛嫌いするwww)過去レスURLで済ませます。
多少の参考にはなる・・・かな?w

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1144214403/566

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1181580411/27
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1181580411/28
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1202358553/118
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1202358553/991
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1144214403/608
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1198984828/394
732考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:20:03 0

       ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \   また今日もでっかいおばさんに乗って
  |     (__人__)    |   最高位と戦う仕事が始まるお・・・
  \     ` ⌒´     /
  ノ           \

733考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:22:23 0
>>727
最高位バカ同士よろしくお願いいたします。
734考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:23:20 O
「存在性」だの「原因性」だの自分勝手に言葉をつくりだして悦に入っているだけだからな
735考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:34:38 0
>>712
ネコ氏ですか? 論点がよくわからないとは不可解です。
「私が物理的要素によって特定できないことは、唯物論の是非とは関係がない。
私の正体が物質とどんな関係があるかどうかとも、関係がない。
なぜなら、キムタク(という物体)も物理的要素によって特定できないから」
というのが論点であります。
これは「普遍化可能語によって個物を特定することはできない」ことからの、
当然の帰結に過ぎないわけです。

「間違える」ことができるのは、それが本人ではないからなのです。
キムタクとキムタクのコピーは全く同じ物理的要素であるにもかかわらず
厳然として別個の物体であって、そうとしか観念できない、ということが重要なのです。
ちなみに、本物とコピーを間違えることがある、とか、両者を区別できない
場合がある、という点は、「私」でも全く同じことですので、これもまた
「私」の特別さの根拠にはなりません。
736考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:37:24 0
>>714
>人体の事を指し、もし存在性でないのであれば「キムタク」は
>キミの価値観によって「キムタク」であるにすぎない
>いい加減な存在だ

最高位氏、あなたの考えによれば、『他人も私』というのも十分成立する
価値観であって、「ちょっと普通では考えられない考え方」どころではありません。
「最高位」も「キムタク」も単なる物体に過ぎず、物理世界には境目がないのですから、
「私は最高位であってキムタクではない」もまた、同様に私の勝手でテキトーな
価値観に過ぎず、いかなる意味でも「事実」ではないことになります。
ですから「そもそも最高位とキムタクとは他人ではなく一人の人間である。
すべての人間は私である」でも、「いや人間などというものは存在しない。
私は地球である」でも、「私は物体すべてである」でも「私はロボットである」でも、
すべて勝手でテキトーな価値観として等価であり、正しくも間違ってもいない、
ということになります。

実際には、あなたはそういう主張をする人に対しては、「なるほどそれも一つの価値観だ」
とは言わず、「キチガイは病院へ行け」と言われるように思うのですが、いかがw?

さて、それはともかく、仮にあなたが「私の兄弟とキムタクとキムタクのコピーが
別の存在だ、というのは事実ではなく、私の勝手でテキトーな価値観だ」と本気でお考え
だとしても、それはそれで一向に構いません。問題は、事実であっても価値観であっても、
「私の兄弟」と「キムタク」と「キムタクのコピー」と「富士山」と「ロボットA」
があらかじめ明確に区別されていないと、それが自我であるとか自我でないとかいう
判断はできないでしょう、ということであります。
現に、あなたは「私の兄弟やキムタクには自我があるかもしれないが、富士山や
ロボットAには自我は絶対にない」と(事実なのか勝手な価値観なのかはともかくw)
強く主張されているわけです。
こうして、結局>>708の質問に戻るわけですが、さて、ご返答やいかにw?
737哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 12:39:41 0
>>728
>注意していただきたいのは、
>「位置が『私』の原因である」ではないということです。
>「この肉体が『私』の原因である」ではないということです。

だったらマンマ、唯物論崩壊じゃんか(爆笑
キミの言ってるのは
私に関する物理的要素を分析したら、その一つに位置もある
とい結果論であってね
肉体に位置があるなんて、誰でもわかってんのよ(苦笑

物理現象が『私』の原因性なのか
というのが論点なのであって
私の原因性に関係のない話は
唯物論の是非の話からすれば的外れ だと言ってるわけ

なんでそう話を脱線させる方向へ持って行こうとするのかね?

>>729
だったら会話になってませんが?

>>730
>端的に言えば、「位置の違い」は「環境の違い」に直結していませんか?w

本気で言ってんの??
テキトーな感じじゃダメだろ
それぐらい素直に認められなきゃ、そりゃぁ何を言っても無駄だわなコリャ
位置と環境は別
厳密さがないなキミは
738455:2008/06/27(金) 12:45:39 0
>>728
要約すれば「意識が着地点である」ということですね。
つまり意識が私である、ということになります。

しかし、これは厄介な問題を孕むことになる。意識は“志向性”であり、
何か(対象)の意識である。そして、これは還帰する。
表出し還帰して“意識”となる。「どこから、どこへ」という問いが
どうしても残るでしょう? 「それは脳である」というのが唯物論かな?

意識を私として定立するのは容易ではなく、むしろ「私が意識している」、
換言すれば『私』と“意識”を切断することになりやすいのです。



739729:2008/06/27(金) 12:48:22 0
>>737
立派な会話です。心配しないでください。

740考える名無しさん:2008/06/27(金) 12:56:28 0
私は最高位さんが「存在性」であろうと「宇宙」であろうと
「おばけのQ太郎」であろうとかまいません。
741475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/27(金) 12:58:49 O
>>455氏へ
《私》は肉体。脳を持つ《私》。
爪を切る、切った爪も《私の一部》。
脳も《私の一部》。神経も《私を構成する一部》。

私の、仮に楽器論とでも名付けておきましょうかね。
楽器論では《私》=《楽器そのもの》であり、
《無意識》=《音となる外圧》であり、
《意識》=《音が集まり生まれる主旋律》です。
生とは常に即興曲である、ジャズである、ということです。
したがって世界と私を分かつ存在である肉体、これこそ《私》です。

それと勘違いして頂きたくないのは、皆さんの論点では《私》=《主観》だということです。
それは限りなく《意識》です。
なぜ《私》の意識はこのように感じるのか、
なぜ《私》はこのように疑問を持つのか、
《私》はいつから疑問を、思考を始めたのか。
《私》はどこで、このような思考を行ない、《主観》たりえるのか。
どうもそのような問いであるようです。
違いますか?
742哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 13:02:47 0
>>736
>最高位氏、あなたの考えによれば、『他人も私』というのも十分成立する

なんで?
私は私であり、他人は他人でしょう

>「私は最高位であってキムタクではない」もまた、同様に私の勝手でテキトーな
>価値観に過ぎず、いかなる意味でも「事実」ではないことになります。

いやいや
「我思う故に我あり」なのであって、これは覆しようのない事実です
私の言ってるのは
「キムタク」というのは、自我の事を言ってるのか
単なる物体を指しているのか
それによって意味が変わってくる ということなんでね

それを理解できずに、わけのわからない長文を書いてこられても
話が前に進まないんだよね

>>738
>つまり意識が私である、ということになります。

他人には意識は無い のですかな?(苦笑
でなければ、意識=私 とはならないのですが・・・
まぁ
こんな説明では、おそらく意味は通じないとは思いますが
『私』というのは、分析しても、分析できない部分があるんですよ
だからこそ現代哲学最大の難関なんですよ
>つまり意識が私である、ということになります。
というような単純な問題ではないのです
まぁ2ちゃんでは
そもそも現代哲学的問題意識が理解できる人は少ないですが・・・
743考える名無しさん:2008/06/27(金) 13:06:08 0
その「私」と言うのが外界との分離によって生まれてるんじゃないですか?
他ではない「私」ですよ。分離してるのは言葉でしょ?
744哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 13:06:38 0
>>738
あーゴメン
最後の方まで読んでなかったや
まぁ
いろいろ考えてるんだね
745考える名無しさん:2008/06/27(金) 13:06:43 0
おまえら十分記述れていることに気づけよ
馬鹿さらしてんだぞ
746考える名無しさん:2008/06/27(金) 13:09:49 0
>745
記述しました。可愛いですね。
747素人:2008/06/27(金) 13:12:51 0
>>737
>唯物論の是非の話からすれば的外れ だと言ってるわけ

・・・・・(^^;

何度も言っているでしょう。≪私(素人)の最終論点は、唯物論の是非ではない≫のです。
≪私(素人)の最終論点は、“(このスレで延々と続く)『私』”について≫なのです。
脱線?www  また、例のレスをコピペせねばなりませんか・・・・w
ほんとに成長のない人ですね。
(煽って付いたレスの数で報酬を貰う“プロ2ちゃんねらー”という説を本気で信じてしまいそうですw)

>厳密さがないなキミは
爆笑させんでくれw
748455:2008/06/27(金) 13:13:01 0
>>742
ええ、私もその結論は単純すぎる、というか逆に素人氏が疑義を持っている
『私』の“存在性”を補強することになりますよ、と忠告しているのです。
749哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/27(金) 13:23:51 0
>>743
何が、何と何を分離して『私』が生まれるの??(笑

>>747
>何度も言っているでしょう。≪私(素人)の最終論点は、唯物論の是非ではない≫のです。

最終論点ではないが
途中であっても唯物論の是非なんていう、とても重要な事柄が出てきてんのに
なんで頑なに、論点をズラして話をすり替えようとすんの??

>>748
ごめん(笑
>>744
750考える名無しさん:2008/06/27(金) 13:25:17 0
>>745
なるほどw
「数多の書き込みにより、馬鹿な私(自分)が記述されているぞ」
ということか。

禅の語録的風情があるなw
751考える名無しさん:2008/06/27(金) 13:39:32 0
だから両親のセックスだって。
何をわめいても覆せないよ。
752考える名無しさん:2008/06/27(金) 13:41:54 0
2ちゃんにどんなに文字を打ち込んでも唯物論の否定にはならないしね。
753考える名無しさん:2008/06/27(金) 13:53:24 0
>>751
なぜセックスしたのですか。
754考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:00:12 0
>>735
>キムタクとキムタクのコピーは全く同じ物理的要素であるにもかかわらず
>厳然として別個の物体であって、そうとしか観念できない、ということが重要なのです。
>ちなみに、本物とコピーを間違えることがある、とか、両者を区別できない
>場合がある、という点は、「私」でも全く同じことですので、これもまた
>「私」の特別さの根拠にはなりません。

こういう書き込みを見ると、こういう人が「私」というものをどう考えているのか不思議になる。
自分のそっくりさんを自分と間違える人がいる?

755考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:01:04 0
>753
種の保存本能と、自己疎外を伴わない劣情の相互浸透性のためでは?
756考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:01:34 0
>>749
はぁ・・・・・ (-_-;)

>途中であっても唯物論の是非なんていう、とても重要な事柄が出てきてんのに
>なんで頑なに、論点をズラして話をすり替えようとすんの??
そこが逆なのです。 いいですか、
≪貴方は、「『私』に関する考察」を出発点にして「唯物論破壊論」を組み上げている≫のです。
 (少なくともそう見えます。それとも、もしかして逆ですか?w)
≪貴方の拠って立っている「『私』に関する考察」に不備があった場合、「唯物論破壊論」が揺らぐ≫のです。
≪「唯物論破壊論」とは別に「『私』に関する考察」が為されること≫に、何の落ち度もありません。
というよりも、
≪「唯物論破壊論」のその前に、「『私』に関する考察」が為されねばならない≫のではありませんか?

A論の正否へ向かう途中のB論の検証が、
(未だ検証されきっていない)A論を根拠に為される不自然さに気付きませんか?


つい述べ直してしまいましたが、参考に過去レスURLも幾つか貼って置きますw
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1144214403/594
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1144214403/632
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1191945369/697
757考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:08:48 0
>>754
寺沢武一の「コブラ」という漫画の出だしを知ってますか?
まあ、漫画は別としても、朝目覚めた時の、
「昨日このベッドで眠りについた私」と「今目覚めている私」の同一性は、何によって担保されているのでしょう?
或いは、
「今日出社してきた鈴木さん」と「昨日出社していた鈴木さん」の同一性は、何によって担保されているのでしょう?
758考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:11:04 0
>>757
「昨日このベッドで眠りについた私」は、ここで言われている「私」ではないでしょう?
「私」にとっては、ある意味で他者なのでは?

759考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:11:36 0
>>742
>「我思う故に我あり」なのであって、これは覆しようのない事実です

おお、最高位氏、この際それはどうでもよいのですよw
問題は「我は最高位であって、キムタクでも富士山でもない」の方なのです。
再度念を押させていただきますが、「最高位」も「キムタク」も、およそ「人間」と
呼ばれるものは、すべて純然たる「物体」以外の何物でもないのです。そして、
仮にそれに自我があってもなくても、その物体としての存在の仕方には、
何らの変わりもありません(だからこそ、心身問題というものが発生するのです)。

まず、「私」が存在いたします。そして外部の物質世界を認識いたします。
外界には「最高位」とか「キムタク」とか「富士山」とか「ロボットA」とか、
さまざまな物体が存在いたします。
そして、その中の一つ「最高位」だけが、「私」と特別な関係にあることが
わかります。最高位の目の前にあるものだけ私に見えて他のものは見えない、とか、
最高位を切ると私は痛いが他のものを切っても痛くない、とか、動けと
念ずると最高位は動くが他のものは動かない、とか、そういう経験です。
そして、その結果として「私は最高位である」という判断が成立するわけです。
(最高位以外の人間=他人が他の私であるかもしれない、という判断は、その後です。)
このように、「我は最高位という物体であって、キムタクという物体ではない」
という判断には、「最高位という物体と、キムタクという物体は、別個の存在である」
という判断が先行しなければならないわけです。

しかるに、あなたは「物理世界は境目なくつながっていて、最高位だのキムタクだの
富士山だのロボットAだのは、私の勝手でテキトーな価値観に過ぎず、存在性などない」
と、主張されているわけです。
ということは、当然のように「私は最高位であって、キムタクではない」という判断も、、
「キムタクには自我があるかもしれないが、富士山やロボットAには絶対に自我はない」
という判断も、事実などではなく、私の勝手でテキトーな価値観である、ということになります。

以上の文章に同意されますでしょうか、不同意だとすれば、どこでしょうか。
さて、ご返答やいかにw?
760考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:16:21 0
>>755
種の保存本能って何? 
子供欲しがらない連中には、それが欠如しているわけ? 

“自己疎外”を伴わない劣情などないでしょう? 
どんなに飢えていてもw「だれでもいい」というわけにはいかないでしょう? 
まぁ、この点は人それぞれですが。w
761考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:18:48 0
>>759
>ということは、当然のように「私は最高位であって、キムタクではない」という判断も、
>「キムタクには自我があるかもしれないが、富士山やロボットAには絶対に自我はない」
>という判断も、事実などではなく、私の勝手でテキトーな価値観である、ということになります。

そうなると、「私」の価値観が全てに先行するということになるから、
まさにそのことが私の存在性の特別さを示していることになるよね。

762考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:27:31 0
>>742>>749
現代哲学の最大の難関?
言葉で「私」と言っている以上その言葉が「私」でしょう。

分離するのは自然と人間です。おわかりでしょうか?最高位さま。
763考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:30:17 0
>>754
おおよそ>>757氏の書いてくださっている通りです。
要するに「キムタク」でも「私」でも、「目を離さないでいる限りはどちらが
本物でどちらがコピーか区別できるが、一度目を離したら区別できない」
という点では同じだ、ということです。
私の場合は、睡眠等で意識を失うことが「目を離す」ことに当たります。

実は、必ずしも意識を失う必要もないので、例えば宇宙人が一瞬で<私>を
拉致して、私のコピーを元の場所に置いていくと、そのコピーは当然
「私は今まで通りの<私>、本物の<私>である」と考えることになります。
拉致されたオリジナルの方は抹殺されているかもしれないし、宇宙の彼方で
助けを求めて泣いているかもしれませんが、当然ここにいる「私」に知るすべは
ありません。
これは、文字通り現実に起こっているかもしれないので、これを書いている
私も、最高位氏も、昨日までの私とは全然別個のコピーである可能性も、
否定はできません。
要するに「私の通時的同一性」は、物体としての身体の同一性と記憶だけに
依存しているのであって、何ら特別なことはない、ということです。

なお「それでも今ここにいる私は絶対的に私であって、他と区別がつかない
などいうことはない」と主張する方がいますが、それは「今ここにいる人間は
(オリジナルであろうとコピーであろうと)絶対的にこの人間であって、
他と区別がつかないなどということはない」のと同じことに過ぎず、
何ら「私」の特別さを示すものではないと思われます。
764考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:34:51 0
>>761
文字通り「そうなる」のなら、「先行する」のではなく、「私」と
「私の価値観」以外は何物も存在しない、ということになるでしょう。
最高位氏は、どういうわけだか「境目のない物理世界」とか「拡散するツブツブ」
が存在するとお考えですが、そんなものは仮に存在しても「私」や「私の価値観」と
いかなる関係もないのですから、存在しないのと同じことというべきです。
無論、このような「独我論的主観的観念論」は、倫理的には唯物論などより
はるかに破壊的ですので、思想的に最高位氏の採用し得るものではないわけです。
765考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:35:14 0
>>745
馬鹿を恐れていては最高位とお話など出来ません。
766考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:37:16 0
>>762
人間て自然じゃないのか。

そう主張してもいいが、それには君の「言語」観をざっと示す必要がある。
767考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:37:48 0
>>763
>実は、必ずしも意識を失う必要もないので、例えば宇宙人が一瞬で<私>を
>拉致して、私のコピーを元の場所に置いていくと、そのコピーは当然
>「私は今まで通りの<私>、本物の<私>である」と考えることになります。

貴方の書き込みは全体的に視点がへんだよ。
貴方にとっての<私>はあくまでも貴方にとっての<私>。
仮に貴方のコピー、つまり貴方にとっての他者が、自分を<私>と思うとしても、
その<私>は、貴方にとっての<私>とは別もの。

768考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:40:57 0
>>767
だからw
それを言ってしまったら、一切の(哲学的)考察、言及は無意味だよ。
山奥でひっそり一人で野垂れ死にすればいい。
孤高の哲学者としてカッコイイジャマイカwww
769考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:42:13 0
>>768
そんなことはないだろ。
770考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:44:06 0
>>767
この一派は(素人氏も)視点の移動に無頓着だからね。w
所詮、他者の立場にはたてないのだから。
771考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:44:23 0
>>764
>文字通り「そうなる」のなら、「先行する」のではなく、「私」と
>「私の価値観」以外は何物も存在しない、ということになるでしょう。

「私」が「先行する」ことと、「私」にとっての外界が実在性を持つかどうかは全く別の問題。

772考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:48:49 0
>>768
その無意味さに耐えながら、それでも視点をズラさない(超越しない)のが哲学。

773考える名無しさん:2008/06/27(金) 14:54:29 0
>>766
そんなことないですよ。人間のような言語は他の動物には見られませんし
人間がまったく自然でないと言ってるのでもありません。
たとえば「木」とはなんでしょうね。
そこにある事物をほんとうに言い表しているんでしょうかね。

774考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:11:37 0
>>773
言い表わしているのではなく、そう呼んでいるだけです。
よその国では、また違う呼び方をするわけですから。w
その「木」という記号じたいには、なんの意味もないでしょう?

えっ、これって常識じゃん。

775考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:12:20 0
>>754
>自分のそっくりさんを自分と間違える人がいる?

いる。

>こういう書き込みを見ると、こういう人が「私」というものをどう考えているのか不思議になる。

君とまったく同じに考えている人は他にいないだろうね^^
776考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:15:47 0
>>774
じゃ、何を呼んでいるんですか?
どうして国で呼び方が違うんですか?
777考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:16:30 0
>>770
お前も無頓着だなw
778考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:17:54 0
>>776
何を言ってるんだ?
国ってなんだ?
779考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:20:26 0
>>776
ソシュールを調べてみて。w

780考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:20:52 0
>>778
>774さんが、よその国では・・と言ってるので
781考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:22:48 0
>>779
ラカンを調べてみて
782考える名無しさん:2008/06/27(金) 15:28:56 O
夢の中で自分という他人を冷静に見てたことがある
デカルトの懐疑を使えば、今、自分が感じている「わたし」ですら、本当に自分であるかどうかは疑わしい
なんで「わたし」だけ特別扱いをしなければならないのか
それが一番の疑問だ
783考える名無しさん:2008/06/27(金) 16:22:41 0
>>779
>ソシュールを調べてみて。w

>>781
>ラカンを調べてみて

こういう書込みの内容には、何の意味も無いという言葉も理解できないよね。
784考える名無しさん:2008/06/27(金) 16:25:44 0
>>767
>貴方の書き込みは全体的に視点がへんだよ。
>貴方にとっての<私>はあくまでも貴方にとっての<私>。

まさにその「貴方」とは誰であり、「視点」とはどの視点のことなのか、
その同一性の判断基準、それこそが問題なのです。
たとえば、あなたは>>767を書いた人間に向かって「貴方」と呼びかけ、
私は、「自分が>>767を書いた」という記憶があるので現にこのレスを書いて
いるわけですが、しかし、客観的にはすでに別人と摩り替わっているかも
しれません。

>>770
>この一派は(素人氏も)視点の移動に無頓着だからね。w

まさにその「視点」が移動しているのかいないのか、その判断基準が
問題なのです。
「視点」の同一性基準も、「身体の同一性」と「記憶」の2つしかありません。
宇宙人のすり替えうんぬんでは両者の矛盾はありませんでしたが、両者が
矛盾する例だとさらにわからないことになります。
たとえば機械氏の脳から機械氏の記憶が消えて最高位氏の記憶に変化し、
最高位氏の脳から最高位氏の記憶が消えて機械氏の記憶に変化する、
とします。(論理的には不可能でも何でもありません。)
この場合、視点の移動をしないためには、たとえば「一貫して最高位氏の
視点に立つ」ためにはどうしたらいいのか、よくわかりません。もちろん、
「主観的」には、機械氏の身体にいる「視点」の方が「俺が最高位の視点だ」
と主張するわけですが、「客観的」には逆です。
この場合、視点が移動しているのやらいないのやら、一概に言えないことに
なります。(ちなみに、このケースと、文字通り実体としての2人の自我が
入れ替わっているケースとでは、区別のつけようがないように思われます。)
このように、「視点」であれ「私」であれ、その同一性について
特別視する理由がない、としか、私には思えないのですが。
レス後日。
785781:2008/06/27(金) 16:26:49 0
>>783
すみません。
786475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/27(金) 17:17:53 O
なぜ《私》は《主観》であり、《客観》と乖離し、【1+1=1】とは為り得ないのか。
数学では、1+1=2であり、1−1=1は不可能である。

哲学、あるいは言語学においては、【1+1=1】は可能である。
コーヒーにコーヒーを足したところでコーヒーは1つである。
コーヒーにミルクを落とし、名称を変えてカフェオレ1つ、は可能である。

ひとつ留意すべきであるのは、物理の質量保存の法則である。
数と量は異なるのである。
数は変わらないとしても、存在は2倍、3倍になるのである。
いくら同じ形状が存在したとしても、全ての位相が重なり、《完全な同一としての1》は存在し得ないのである。

これは哲学においても同様である。
他者の感情、思考をある程度汲むことは出来る。
シンクロニシティのように同調も存在する。
しかし思考が近付くことはあれども、《主観》と《客観》が完全な同一になることは有り得ないのである。
787457 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/27(金) 17:37:38 O
>>786の続きー

少し掘り下げてみよう。
《主観》と《客観》が混ざれば、1つであるが、2つであるという具体例。

母の胎内に貴方がいたとき、貴方は個であり、母たる個の一部である。
貴方は母を通して見、聞き、母は貴方に食事・感情を共有している。
貴方と母は個であるが同一ではない。
共有する意識がある一方で、やはりそれぞれが個である。
788475 ◆Cnv5uDJz/s :2008/06/27(金) 17:59:52 O
でも共有するのは感覚で意識で主観は主観のままなので
感覚は《主観》を形成したとしてもイコールではない
ばす酔った吐く
789考える名無しさん:2008/06/27(金) 19:10:09 0
>>760
>>755
>種の保存本能って何? 
子供欲しがらない連中には、それが欠如しているわけ? 
“自己疎外”を伴わない劣情などないでしょう? 
どんなに飢えていてもw「だれでもいい」というわけにはいかないでしょう?>

劣情という用語は不適切かもしれません。
しかし、<どんなに飢えていてもw「だれでもいい」というわけにはいかないでしょう?>という事実を仮に認めるなら、<自己疎外を伴う劣情も有る>、ということになってしまう。
790455:2008/06/27(金) 19:59:16 0
>>475
君の文章、初めて読む気持ちがしない。以前、唯物論スレに書き込んでいなかった?
>>789
劣情とは自己疎外である、と述べたつもりですが…。w
ウィステリアさんが色々と書き込んでいたが、「自己疎外」の意味が難しい。w
いささか下卑た表現だが、劣情とはエロティックな想いでしょう?
つまり「ないものねだり」であり、言い換えれば「自己疎外」でしょう?

>>475 さんには後ほどまとめて質問させてもらいます。私も飲みに行く。
791素人:2008/06/27(金) 21:54:30 0
結局、最高位氏は、
都合の悪い文章は無視し、
違う話題へ移行することで自分のミス・読解不足・理解不足を隠蔽するという
いつもの手段でトンズラですか・・・w

たまには、一文一文への反論を見てみたいもんだw

(´ー`)y━~~
792考える名無しさん:2008/06/27(金) 22:19:10 0
>>784
自分の視点を離れることはできないということと、自己同一性は関係ない。
どっちが本物でどっちがコピーかなんていうことも、全然関係ない。


793考える名無しさん:2008/06/27(金) 23:28:57 0
君には無理でも俺には出来るぜ!
794考える名無しさん:2008/06/27(金) 23:36:40 0
>>793
自分の視点を離れると、自分と自分のそっくりさんの区別がつかなくなるらしいね。
ご愁傷様。
795考える名無しさん:2008/06/28(土) 00:13:52 0
>>794
視点関係なしに、
今の自分が、昨日の自分でないそっくりさんであることを
誰も否定できないってことだよ。
身体なら他人が保証してくれるかもしれないが、
意識や心といった内面に関しては、自分でさえも確認できないってことだよ。
793がどうやって確認するのかは知らんがw
796考える名無しさん:2008/06/28(土) 00:22:06 0
>>795
>今の自分が、昨日の自分でないそっくりさんであることを
>誰も否定できないってことだよ。

なんでそこで昨日の自分の話がでてくるのか・・・
そういうのが関係ない話なんだよね。
昨日の自分はもともと〈私〉にとっては他者だよ。
797考える名無しさん:2008/06/28(土) 00:23:49 0
>>796
一時間前は?
798考える名無しさん:2008/06/28(土) 00:25:03 0
>>796
一秒前は?
799考える名無しさん:2008/06/28(土) 00:35:35 0
>>796
>昨日の自分はもともと〈私〉にとっては他者だよ。

それは、ただの無責任であり、主体性の放棄だ。
昨日の自分とは、「現在の『私』の記憶」である。
「私」は現在のこの場所にしか存在し得ない事実をもってして、
昨日の自分の言動の「記憶」を「他者」と呼ぶことは出来ない。
800考える名無しさん:2008/06/28(土) 00:47:06 0
>>797-799
ん?
「私」は普通の社会人としての私とは別ですよ?

801哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/28(土) 01:07:43 0
>>756
『私』に関する謎が完全に解明されなくとも
その途中経過において
唯物論が間違いであるとういう論理的な結論が出たんだから
それはそれで検証すればいいんだよ
なんで完全に解明されない限り、何もわからん という風に考えるのかねぇ・・・

「我思う故に我あり」これは第一原理
どうやったって「あり」は否定できない
しかしキミの考えでいくと
『我』が完全に解明されない限り「我あり」が言えない という事になるが
そう主張するのかい?
それとか
物が移動する際の根本原理が、完全に解明されない限り、パンチがキミの顔に当たる事は無い とか
交通事故にはあわない とか
そんな風に、真剣に考えてるわけ??

大丈夫かねホントに
なんでそこまで、唯物論に関する議論から必死で逃げるのか、意味不明

>>759
>「最高位」も「キムタク」も、およそ「人間」と呼ばれるものは、
>すべて純然たる「物体」以外の何物でもないのです。そして、
>仮にそれに自我があってもなくても、その物体としての存在の仕方には、
>何らの変わりもありません(だからこそ、心身問題というものが発生するのです)。

キミのは、心身問題じゃなく、身の事しか言ってないじゃないか(爆笑
802考える名無しさん:2008/06/28(土) 01:28:14 0
↑ また ル・サンチマン™ が気に入らないレスを晒しています。

       これが ル・サンチマン™ の習性です。


803考える名無しさん:2008/06/28(土) 01:38:21 0
我思うの我と最高位の言ってる私は同じものなのか?
もしそうなら、それは人間になら誰にでも備わっている普遍的な性質だろ
人間ならば誰にでもあるものなら、別に唯物論の範疇で語れてもおかしくない
大昔はそれを魂と思ったのかもしれないが、将来なら科学がそれを解明する可能性はあるだろう
って感じのことを永井が言ってたよ
804哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/28(土) 01:42:07 0
>>803
いつどこで?
それじゃ現代哲学的問題意識が丸っきり理解できてない事になるなぁ
キミの誤読なんじゃないの?(爆笑
805考える名無しさん:2008/06/28(土) 02:33:37 O
心というのは互換性がある
楽しい、悲しい、怒り、
それらは「わたし」に限らず誰にでも共用されるものとして言語化される
だから「楽しい」という言葉を発することで彼が言おうとしていることがわかる
806考える名無しさん:2008/06/28(土) 02:36:18 0
>>804
いや、おれの誤読じゃないよ
最高位のは現代哲学の問題じゃなくて、現代科学の問題だよな?
心身問題(自我は解明出来るか?)なんてのは大昔から言われてきたことだぞ
807考える名無しさん:2008/06/28(土) 02:39:13 0
私なんて九官鳥でもじゃべるぜ
808哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/28(土) 02:41:15 0
>>806
いやいや
普遍的な性質 なんて言ってる時点で
現代哲学的問題意識が理解できていない証拠
809考える名無しさん:2008/06/28(土) 02:47:42 0
>>808
自我に普遍的な性質が無いのかい?
誰にでもあるものだろ
デカルトのいう第一原理に普遍性が無いってことか?w
おれが問題意識を理解出来ていないのなら、
コテつけているんだし、その現代哲学的問題というものを丁寧に説明してくれよ
810哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/28(土) 02:57:40 0
>>809
自我は誰にでもあるのかも知れないが、普遍性とは違う
私は唯一絶対
天上天下唯我独尊だね
811考える名無しさん:2008/06/28(土) 07:07:20 O
唯物論は対象を等価に記述する
ゆえに、絶対的なものを記述する言葉を唯物論はもたない
「わたし」は絶対である
それゆえ、「わたし」について唯物論は記述する言葉をもたない
ゆえに、唯物論は「わたし」について記述できない
唯物論で記述できない絶対的なものがある
したがって、唯物論は間違いである
812考える名無しさん:2008/06/28(土) 08:48:39 0
記述できないものがあるから間違いだって論法なら、
あらゆる学問が間違いになりますがな。
おまけに間違いというなら規範にあたる正解を示さないとならないし。
813考える名無しさん:2008/06/28(土) 09:49:42 0
>>792
まず「何が」自分の視点を離れることができないのか、と、
「自分」とは何を意味するのか、をはっきりさせる必要があります。

それと「離れる」とある以上、時間の経過とそれに伴う変化と、変化にも
関わらず存在する同一性が前提となりますので、同一性は関係ない、
というわけにはいかないと思われます。「離れる何か」と「自分」と「視点」
それぞれの同一性がやはり問題になるのではないでしょうか。

>>801
>キミのは、心身問題じゃなく、身の事しか言ってないじゃないか(爆笑

だから、ずっとそう言っているではありませんかw
人間は、何をどうやって分析しようと、身でしかないのです。「心」は
どうやっても発見できませんし、存在を確認することも不可能です。
だからこそ問題なわけです。
で、肝心の質問に一向にお答えいただけませんがw
「最高位という物体とキムタクという物体が別個の存在である、という認識が
先行しないと、私が最高位という物体であってキムタクという物体ではない、
という認識は成立しない」には、同意されるのでしょうか、されないのでしょうか、
ご返答やいかにw?

>>810
最高位氏、「最高位でもコピー最高位でも、自我であれば、すべて世界で唯一の、
本物の<私>である!」 
と、前に断言されたではありませんか。お忘れですかw?
814考える名無しさん:2008/06/28(土) 09:57:55 0
>>812
あらゆる学問の成果は“仮説”なので間違いや不足がある、というのは常識。
815考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:16:52 0
しかし最高位は、宗教が間違いであると証明できないので、
宗教が間違いかどうかは分からないと明言していたからなあ。
宗教が間違いかどうか分からないのなら、唯物論だって
間違いであると言えないだろ?最高位
816考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:19:57 0
だから最高位はほっとけば?
だれかに直接、害があると言うわけでもないし。
幽霊信じてる人に反対するのもみっともないし・・・。
817考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:20:06 0
常識語る前に文章をよく読んだ方がいいと思われ。
818455:2008/06/28(土) 10:20:47 0
>>813
意識は脳、身体のどこをさがしても「発見」できません。
意識は「ない」ということですか? 

「…という物体が別個の存在である、という『認識(』が先行しないと…」
この貴兄の文章は認識(最高位なら『私』の認識?)によって存在が際立つ、
という意味でしょう?
つまり「認識は存在に先立つ」ということでよろしいですか。
819考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:21:46 0
あ、>>817>>814あてね
820考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:27:01 0
>>796
>昨日の自分はもともと〈私〉にとっては他者だよ。

それはおかしい。
「昨日の自分」が「他者」ならば、「昨日の他人」になるはず。
なぜ昨日の「自分」と言えるの?
821考える名無しさん:2008/06/28(土) 10:28:14 0
>>818
>つまり「認識は存在に先立つ」ということでよろしいですか。

「誰の」認識で、「誰にとっての」存在か(存在してるのか)、
が重要になりませんか?
特に、(独我論的に)「世界」が当人にしか現われていず、「当人(の認識)以外の世界」を容認するのであれば・・。
もし、「当人(の認識)以外の世界」を認めないのであれば、話は簡単ですが・・・。
当然、「認識は存在に先立つ」でしょう。それしかないでしょう。
(ただ、“「世界」という語の定義による”とも言えますが・・・。)
822455:2008/06/28(土) 10:57:25 0
>>820
昨日であれ、一瞬前であれ、視られる“私”は、
「いま(ここに)いて、視ている私」にとっては、他の何かでしょう?
823考える名無しさん:2008/06/28(土) 11:07:43 0
>>818
意識は「ある」か「ない」かどちらかで、私がそれを認識できてもできなくても
変わりません(これが意識に関する素朴実在論wであります)。
仮に意識があるとしたら、それは大変奇妙なあり方をしていて、物体としての
人間とどういう関係にあるのかないのかわからない、ということです。
だから心身関係が問題となるわけです(もちろん、これは擬似問題に過ぎず
どうでもいい、という人も大勢いますが。)

「際立つ」の意味がよくわかりませんが。認識によって存在が「発見される」
ので、もちろん存在が認識に先立つことになります。私は物質についても
素朴実在論者wなので、誰が認識しようとしまいと存在するものは存在する、
と考えるだけです。なぜ皆さんがそこにそう引っかかるのか、どうもわかりません。
もちろん、発見したそれを「キムタク」とか「最高位」とかいう観念で
把握するのは私ですが、それは客観的な存在のあり方によって否応なしに
そうさせられるのであって、「私の勝手でテキトーな価値観」でそうしている
わけではありません(そんなことができるならどんなに結構かと思いますがw)。
というか、そう感じざるを得ないからこそ、私の外部に存在する何か
(普通は物質、バークリーで言えば神様ですが)を想定せざるを得ないわけです。
824考える名無しさん:2008/06/28(土) 11:11:41 0
最高位さんは存在性を言ってるんだろうけど
それが私かどうかわかんないですよね。存在性は存在性じゃないですか。
825455:2008/06/28(土) 11:20:11 0
>>821
だれにとって? 一般的な言い回しをしたつもりだが、貴兄は具体的に
問うているのですね?
それなら「私にとって」というしかありません。w これは他者の認識を
否定しているのではなく、他人のそれは経験できない、それだけの話し。
それとも、貴兄にはそれができるのですか。w
たしかに「こう考えているだろう」と想像することはできる。が、これも
私の“想像(意識)”である。
勘違いしてもらっては困るが、私は事象(>>475 のの言う外圧?)の存在を
否定しているわけではありません。私の認識によってしかそれを把捉(彼なら
メロディ化)できない、と言っているだけです。




826考える名無しさん:2008/06/28(土) 11:25:46 0
まあ私は存在性というのは詩的な表現としてはナイスです。
真実かもしれません。構えとして。
しかし私は多用です。存在性にとりついた私なのかもしれません。
827455:2008/06/28(土) 11:32:20 0
遊びに行きますので、感嘆子には後ほど。

一つだけ。貴兄は、貴兄の“認識”を十分すぎるほど語っています。w
828考える名無しさん:2008/06/28(土) 15:11:24 0
俺が「思考する私」を発見したのは幼稚園生の頃だが、
私を発見する前に母親や犬のポチを認識していたよ。
2歳の頃の記憶があるが、その頃は「思考する私」など
俺は発見してなかったね。
829考える名無しさん:2008/06/28(土) 15:28:03 0
そうそうw
830考える名無しさん:2008/06/28(土) 17:15:22 0
「思考する私」を発見した途端お馬鹿になったのかも
831考える名無しさん:2008/06/28(土) 17:37:36 0
>830
最高位のことだな
832Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/28(土) 19:37:15 0
共同体の歴史を読み解き、その発端を知り、本質を捕まえることで、共同体から自由になる
ということは可能ではないのでしょうか。発展的解消など・・・。しかし、共同体が自己の内部
となり、自己の本質となってしまっているなら、自ら知ろうとして悲劇を生んだオイディプス
のように、自己に刃を向ける行為となってしまうかもしれないという疑念がつきまとうのですが・・・。
833考える名無しさん:2008/06/28(土) 19:40:42 0
自分の心臓に刃を突き立てる覚悟がなければ哲学をやる資格はない。
834考える名無しさん:2008/06/28(土) 19:41:41 0
思考≪した≫私なら
835考える名無しさん:2008/06/28(土) 20:06:40 0
ぼくが価値観を見出さなければ、鉄球なんてもん存在しないんよ
鉄球がぼくの顔面を直撃するなんてこたぁ
ぼくが自分の顔面を価値観で切り取らなければありえねーこと
ぼくが「ぎぁぉぉぉ、いてぇえぇ、て、鉄球がぁぁぁ」と思った瞬間
ぼくはぼくの体と、鉄球を価値観で切り取っているんだ わかるかい?
そう、ほらあの「物理世界」から「任意に」切り取るんだよ、キミタチ
わからんの?キミタチには物理世界がみえんの? 低脳には理解できないのかな?
まあ、キミタチも、ぼくが物理世界から価値観で切り取っているだけだから
理解しろといっても・・・それは無理というものか 爆笑!)
んんんん?・・・で?
ぼくは「何故だか、この自分の体」を認識しちゃっているぞ!!
なんてこったい!え!キミタチ、不思議だぞ 何故なんだ?
「何故、この体が自分の体なんだ?」分かるか?
現代哲学の先端を行く問題意識だ すごいことだぞ、これは?
え、キミタチ説明してみたまえよ 何でこの体が私の身体なん?

・・・ということです。
836考える名無しさん:2008/06/28(土) 20:35:14 O
言葉にとりつかれて
「世界が字面でできている」と思うのはよくあること
価値観で切り取ろうと切り取るまいと、世界はそこにある
837考える名無しさん:2008/06/28(土) 21:50:50 0
>>836
こういう幸せな人は、金儲けにでも専念したほうがいい。
ここにいるのは社会的損失だよ。
838考える名無しさん:2008/06/28(土) 21:59:25 0
最高位は一回鉄球の角に頭をぶつけた方がええ
839考える名無しさん:2008/06/28(土) 22:01:45 0
>>813
>まず「何が」自分の視点を離れることができないのか、と、
>「自分」とは何を意味するのか、をはっきりさせる必要があります。

「自分」とは見ることそのもの。
最高位氏と同じように「誰が」視点を離れることができないのか
と問うのならば、〈私〉がと答えるしかない。
見ることそのもの=〈私〉と考えれば、
単に、「視点を離れて見ることはできない」となる。
840考える名無しさん:2008/06/28(土) 22:34:42 0
>>839
この一派には、いくらそれを言っても無駄、ムダ、徒。www
841考える名無しさん:2008/06/28(土) 22:52:19 0
>>839
しかし最高位先生は、主語が先で述語は後だと言っているからなあ。
最高位先生の言葉を借りれば、私が主語で見る行為は述語だろ。
見ることそのもの=〈私〉は変ではないか。
842考える名無しさん:2008/06/28(土) 22:55:23 0
見ているのが私としてもその私がフィクションなのでしょう?
見えているものは既に概念なんだから。
843考える名無しさん:2008/06/28(土) 22:58:19 0
>>841
そうか最高位さんは見えているより先か
844考える名無しさん:2008/06/28(土) 22:59:37 0
やっぱフィクションなんだね
845考える名無しさん:2008/06/28(土) 23:12:12 0
見てることかあ。
カラスさんやオットセイさんでも見てるし。
ゾンビさんでも見ていると言えるかもしれないし。
846考える名無しさん:2008/06/29(日) 00:58:27 O
世界への理解を深めるに言葉はとても重要な役割をもつ
そして、世界を理解しようと欲することは、金儲けよりもずっと甘美的だ
恋したあの娘をもっと理解したいと思うのは必須
きっと世界に恋しているのさ
金?世の中、愛だよ
847哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 01:01:30 0
>>811
物理世界は『状態』にすぎないので
『存在』(名前)は価値観なのであり、そもそも記述できない

>>812
記述できていない
というのと
論理的に、絶対に記述できない
というのは
意味が違うのは、わかりますか?

>>813
>人間は、何をどうやって分析しようと、身でしかないのです。「心」は
>どうやっても発見できませんし、存在を確認することも不可能です。

キミには自我意識は無いのですか?
「我思う故に我あり」であって
私は自我意識によって、自分の存在は確認できますよ?
キミの言ってるのは
「心」は
物理的には、どうやっても発見できませんし、確認することも不可能です
ということであって
単に素朴実在論以上の価値観を想像すらできず
唯物論を前提とした世界観を述べている に、すぎないだけです
すなわち
それでは私に対する反論には、全くなっていない という事です

>>814
仮説で有人ロケットを飛ばしたり、手術されたりしたら、たまらんなぁ(笑
848哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 01:15:06 0
>>815
なんで?(爆笑
もう少し、頭使えよ

>>816
誰が幽霊を信じてるって?

>>824
存在性が私だ なんて言ってないよ
私は存在性だ と言ってるわけ

頭大丈夫ですか?

>>827
キミ、素人くんだな
何度も言うけど自演やめたら?
うっとぉしぃよ

>>839
「私は主観性そのものな存在性」ではあるが
見るという行為と、主観性である事は、別だよ
主観性という存在性 であるからこそ、見る事ができるわけです
849考える名無しさん:2008/06/29(日) 01:24:29 0
凄いですね。
では、もう寝ますw
850824:2008/06/29(日) 01:27:07 0
>>848
私は存在性でしょう。私はお魚でしょ。
わかりますよ。

頭大丈夫ですか?
851考える名無しさん:2008/06/29(日) 01:28:23 O
存在は名前ではない
名前を増やせば存在が増えるとでも?
852考える名無しさん:2008/06/29(日) 01:36:26 0
平たく言えば、私は存在してますよと言ってるだけだねw
853816:2008/06/29(日) 01:37:11 0
>>848
幽霊を信じてる人のように「私」を信じてると言ったんですよ。
854哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 01:46:29 0
>>851
その名前で呼ばれて存在すると思われているものは
実は「その名前で呼ばれている存在」なのではなく
物理状態から、観念によって便宜上で切り取られているにすぎない
という事です

その名前で呼ばれているものは
状態であって存在ではない という事です

『島』や『山』や『海』は、存在すると思いますか?
私は単に、状態に対して名前が付けられているだけだと思います
855哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 01:50:59 0
>>853
じゃぁ
そう言ったのは誰?
キミじゃないの?
キミは、いないの??

私は、信じているんじゃなくて
自分の存在を、どうやったって論理的に否定できないんだけどね(爆笑
856考える名無しさん:2008/06/29(日) 01:54:50 O
島も山も海も存在するよ
「わたし」が存在するのと同じレベルでね

「わたしは存在しない」という言明は何ら矛盾していない
857哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 01:59:53 0
基礎講座

「我思う故に我あり」

これは
「我は思う」という事を根拠に、故に「我あり」という結論以外にない
という事なんだけど

2ちゃんに来るようになってから
こういう風に誤読している人が多数いる事が判明した
     ↓
「我思う」事によって「我が発生している」

これ大間違いね(爆笑
858哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 02:01:56 0
>>856
あれが理解できないんだったら、黙ってた方がいいよ
恥ずかしいから(苦笑
859考える名無しさん:2008/06/29(日) 02:06:07 O
最高位の方が恥ずかしいから。
哲学の解説書なんでもいいから読め
「われおもうゆえにわれあり」の「ゆえに」は前提から結論を導出する「ゆえに」じゃないんだよ
それだと「われあり」に理由が何かあることになってしまうだろ
860考える名無しさん:2008/06/29(日) 02:06:53 0
「我思う」事によって「物理世界から体が切り取られる」
「我思う」事によって「物理世界から体が切り取られる」
「我思う」事によって「物理世界から体が切り取られる」
「我思う」事によって「物理世界から体が切り取られる」


861853:2008/06/29(日) 02:07:44 0
>>855
なに言ってんですか?
爆笑するほど悲しいですか?
誰があなたの言うその自分の存在とやらをを論理的に否定できると言いました?
862考える名無しさん:2008/06/29(日) 02:10:28 O
もちろん解釈は本人の自由だ
だとしても、原著も読まず、一般的に誤解と言われていることをしたり顔で基礎と解説できるその神経はすごい
一般的な現代哲学の世界では、最高位のような読解は誤読とされるのだが、
そこまで自信をもって誤読を撒き散らす根拠は何かあるのですか?
863考える名無しさん:2008/06/29(日) 02:17:56 0
誤読を撒き散らす根拠はなく
バカという壁
864哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 02:19:09 0
>>859
ん?
キミの解釈は
  ↓
「我思う」事によって「我が発生している」

なん?(爆笑

>>860
それで?

>>861
で、何を信じるようにって??

>>862
「我思う故に我あり」は
学校の恩師から教えてもらったが?(苦笑

じゃぁ、どんな解釈が正しいのか、解説してよ今
コレ?

「我思う」事によって「我が発生している」
(爆笑)
865ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 02:20:01 O
コテつけることにした
今までも名無しでちょくちょく書いてたけど今日からストレンジカメレオンだ
866ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 02:26:08 O
「われおもうゆえにわれあり」は
疑っている当の疑いの存在は疑えない、ということ
つまり、対象レベルではいかように疑いうるが、その疑い自体をメタレベルでは疑えないということだ
デカルトはこれを直観としたが
この直観はわれわれの日常的な言語感覚に合うから素直に信じられているが
現代では、この直観を破棄した論理体系も考えられることが判明している
867考える名無しさん:2008/06/29(日) 02:26:41 0
「我思う」事によって「物理世界から他人の体を切り取って」 だな
「キミ」の存在を認識するんじゃよ 
キミも「キミが思う」事によって「物理世界から私の体を切り取って」
ココに居る私を認識するんじやよ

なんかオカシイコトある?


868ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 02:28:41 O
なお「われおもうゆえにわれあり」は超越論的論証を含んでいる
おそらく最高位には理解できない
869考える名無しさん:2008/06/29(日) 02:31:12 0
どうせ読まないから、
「いかなる哲学者も私の問題意識を超えられない」と
言ってられる4さま
870哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 02:33:55 0
>>866
>現代では、この直観を破棄した論理体系も考えられることが判明している

それを説明してよ

>>867
誰に喋りかけてんの?

>>868
で、否定できたん??(爆笑

>>869
日本語でよろしく
871私は存在ではない ◆cjQ6cre6BY :2008/06/29(日) 02:35:38 0
脳味噌のなかでスパークしたニューロンが私なの
872考える名無しさん:2008/06/29(日) 02:35:58 0
「我思う」事によって「物理世界から体が切り取られる」

それで?

何で自分の体や他人の体を認識したのだろう?
何で自分の体や他人の体を認識したのだろう?
何で自分の体や他人の体を認識したのだろう?
何で自分の体や他人の体を認識したのだろう?

873考える名無しさん:2008/06/29(日) 02:38:48 0
何で自分の体や他人の体を認識したのだろう?

キチガイは近寄らないで
874私は存在ではない ◆cjQ6cre6BY :2008/06/29(日) 02:41:14 0
脳味噌の機能を喪失したら私は私であることは出来ないw
875唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/29(日) 02:49:17 0
デカルトの言の考察があったようですが
最高位さんのそれとは全く違うようです。
最高位さんも他人?の名句、格言で権威付けなどという
浅ましい考えはお止めになられてはどうですか。
876考える名無しさん:2008/06/29(日) 03:01:14 0
ぼくわせんせいからわれおもうゆえにわれありおおしえてもらったんだぞ〜すごいだろ
877考える名無しさん:2008/06/29(日) 03:29:48 0
我思う、ゆえに我あり
>これはむしろ「いかなる推理syllogismからも帰結concluditurされない或る根本的な観念prima quaedam notio(デカルト)」であり
>デカルト自身も、「ゆえに」という接続を相応しいとは思っていなかったようである。

最高位は、釣ってるんだろw
878考える名無しさん:2008/06/29(日) 04:08:05 0
最高位は、釣ってるのではなく、
学校の先生の言うこと絶対まちがいなしという小学生的発想

デカルトを批判した過去の哲学者どもは完全にまちがい
学校の先生が正しい
879考える名無しさん:2008/06/29(日) 04:13:41 0
学校の先生はつねに正しい 故に その教えを信じる我は正しい
880Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/29(日) 04:33:39 0
>>854
非生命体は、単に物理状態を切り取って名前を付けただけで、存在ではない。生命体は、
物理状態であるが、個の単位でしか切り取ることをしないと間違い。私というものは、切り取られる
ものではなく、切り取るがわであり、それを私に適用しても、それは意味をなさない。ということですよね。
881ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 06:38:42 O
あまり最高位をいじめすぎるなよ
最高位が書き込まなくなったらこのスレはすぐ過疎化するんだから
今までも論破されては逃げ過疎化してまた現れて論破されては逃げて、、、ってやってきたんだから
882ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 07:02:34 O
さて、テクニカルなものは避けるとして
論理というのも一つしかないわけではなく、
つじつまのあった体系であれば成立するということ
われわれの常識的な規律が通用しない体系もありうるということを最高位には知ってもらいたい
そして、「われおもうゆえにわれあり」に代表されるような超実論もその例に漏れないということを。

例えば「わたしは存在しない」という声が聞こえたとする
調べると、それはテープレコーダーからの声で実際に声の主は死んでこの世にいなかった、ということはありうる
このように実際論的パラドクスもまたわれわれの知覚を退避できない不確実なものである

また、「われおもうゆえにわれあり」は実際論的パラドクスが矛盾しているように感じることを根底においているが
「これ(わたし)は存在しない」という言明自体は何ら矛盾していない
また、「存在しない」が仮に矛盾していたとして、そこから「存在する」を導出するには二重否定除去つまり排中律が必要だが、排中律が疑いうることは有名だろう
デカルトの論旨に沿えば、世界の存在証明は、完全性理念、神の論証以降に組みこまれるものだから
第一論証において二重否定除去を使用するのは論証の道具をすべて捨てたというデカルト自身の言葉に反するはずである

これは、「われおもうゆえにわれあり」にすでにして神の理念が密輸入されている、と表現できるかもしれない
883ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 07:04:11 O
さて、こんなものでいいかい?最高位よ
884考える名無しさん:2008/06/29(日) 07:05:15 0
論破されたと思ってないからくるんだよ
多少おりこうだったら、修正してくるだろ
885ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 07:18:05 O
いやー、あいつはほんもののバカだよね
あそこまで成長がないってのはびっくりだよ
しかも俺より年上って話しだから余計驚き
まぁ、哲学自体、本人はまるで興味がないんだと思うよ
メインは2ちゃんで煽り合いと議論っぽいのの合いの子をやってて
議論に勝つために生産性のない根本ばなしをするのを誰かから「哲学的」と称されて、
本人もその気になっているだけでしょ
それで政治思想関係に入り浸っていた経験があるはずだ
最高位のアジ演説のうまさは優秀だと思うぜ
あんな中身のない言葉を並べたあとに「唯物論は間違っている」と結論できるんだから
最後に「アメリカのせいだ」とか「天皇が責任をとれ」とかつけたら立派な団体員の完成ですよ
886考える名無しさん:2008/06/29(日) 07:45:44 0
>>885
自己言及乙
887ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 07:49:28 O
俺はそんなレベルにはいないからねぇ

僕はストレンジカメレオン〜♪
ななーななー♪
888哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 09:30:29 0
>>871
なんで私なん?

他人もスッパーーークしてんじゃないの??

>>874
それは、わからんのではないかね?

>>875
>最高位さんのそれとは全く違うようです。

まず、コレの根拠からよろしくね

あと
私は説明しやすいから「我思う故に我あり」を普通に使ってるだけで
べつに、威厳付けなどしてるつもりはないが
キミこそ「唯識」などという威厳付けをやめたらどうかね?(苦笑

>>876
おしえてもらったの?よかったでちゅね〜

>>877
>最高位は、釣ってるんだろw

ん?
キミも、「我思う」事によって「我が発生している」
と解釈してるって事?
889哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 09:31:17 0
>>878
論理的に反論できないからって、そんなこと言っても意味ないぞ?(爆笑

>>881
ちゃんと反論してごらん

>>882
で、何が言いたいのかな?
反論になってないけど?(笑

>>885
ちゃんと反論してみろって(爆笑
890ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 09:54:24 O
読んできた本の量の差
勉強量の差ってのはレスに滲み出るものだってことだな

ななーななー♪
891哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 10:01:46 0
>>890
なのに論破できないのは何故かね〜

しょせん受け売りしかできんくせに偉そうだしね〜

しかも誤読してるから、全く意味ないしね〜
892考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:05:26 0
論破されてるじゃんか(笑
893考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:07:01 0
反論になってないってよく使われる言葉だけど、大抵誤用だよな。
結果、相手側の主張を肯定しちゃった場合にのみ反論になってないと言える。
894哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 10:07:08 0
>>892
どこでどんな風に?(激ワラ
895ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 10:09:18 O
なるほど、おいらの文章は受け売りで、かつ、誤読なのですか
つまり、オリジナルじゃなくてコピーのくせに誤読なんですね

もう空いた口が塞がらない

ななーななー♪
896考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:10:54 0
>>894
わかんないんでしょうねぇ

897ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 10:15:20 O
多分、最高位は俺のレスをかけらも理解してない

というか、俺が何を批判したのかも理解してないだろう
俺の当のレスの結論を一文で表してごらんよ

俺は「『われおもうゆえにわれあり』は○○○○ではない」と言ったんだが
○の中(ひらがなだと四文字、漢字だと二文字)当ててごらんよ
898哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 10:21:16 0
>>897
>俺の当のレスの結論を一文で表してごらんよ

だから結論を言え っつってるんだよ

なんでちゃんと説明せんのかねぇ
どんだけ文章力ないんだよ(激ワラ
899ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 10:22:53 O
読解力を試したんだよ
そもそも、結論は書いてあるんだよ
ヒント、当のレスにその言葉は書いてあるぞ
900哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 10:24:44 0
>>899
論破できてるんなら、さっさと言えばいいだけだろ

言えないのか?(大爆笑
901考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:25:14 0
ところで哲学者最高位という方は何者なの?
40歳代でホームレス用ホテル(タコ部屋?)の自称経営者。
唯物論への憎悪は統一神霊協会信者のそれに酷似している。
この人の厨房並の思想言語には何も興味が湧かないが、
人物には興味がある。
902ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 10:25:33 O
ちなみに、説明はかなり丁寧にした
正直、最高位にこれだけ労力をかける俺はバカかも、と思った
案の定、説明を丁寧にしたしすぎたせいで、最高位はまったく理解できてなかった
903考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:26:17 0
>>895
>なるほど、おいらの文章は受け売りで、かつ、誤読なのですか
>つまり、オリジナルじゃなくてコピーのくせに誤読なんですね

受け売りとコピーは違うぞ。
コピーは誤読しないが、受け売りは誤読もする。

(ストレンジカメレオン君はルサンチマンの塊だな。みっともないぞ)
904考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:28:58 0
結論としてエロぴか理論の尊厳を守る貞節な私はゼロアカ帝国

小説家モドキのぴかっと閃く不倫好きな皇后

爆乳生熟女アニマル浣腸クレポン二元論タンポン完全アナルの女神

花びら満開にしておっぱいマッサージするあずまん古腐人スカトロ好きな変態のさなえ陛下です。

905ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 10:34:10 O
おいらがルサンチマンの塊ということはないでしょう
おいらの関心は真理オンリーだから

最高位に絡んでいるのはただの遊びだ


拍手は一人分でいいのさ
僕はストレンジカメレオン
ななーななー♪
906哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 10:35:51 0
>拍手は一人分でいいのさ
>僕はストレンジカメレオン

自分一人で拍手?(大爆笑
907考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:40:32 0
自分一人で大爆笑?(誤用
908哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/29(日) 10:42:02 0
>>905
>おいらの関心は真理オンリーだから

>最高位に絡んでいるのはただの遊びだ

キミは自分で矛盾した発言をしてても気づけんのだな(苦笑
909考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:42:23 0
最高位さんの大爆笑は悲しい。無理に笑ってる?自虐?

嘘だらけの奴らの拍手百人分より真実の見える人の拍手一人分で
いいってことじゃない?
910ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 10:51:43 O
単に「ストレンジカメレオン」て歌の歌詞です
ストレンジカメレオンはよく歌ってごまかすキャラクターとしてキャラ設定しただけです


僕はストレンジカメレオン
ななーななー♪



「真理に関心がある」ってのは「言葉の内容と対象の関係に関心がある」ってこと
最高位のように、知的に見られたいとか、他人からどのように見られたいとか
仮想敵を排除したいとか、同意が欲しいとかには興味がないということ
まぁ、最高位と戯れるのは単にキャラ付けに使おうって算段もあるけど
911455:2008/06/29(日) 11:08:23 0
>>最高位 
いまさらだけど、>>827 は私です。素人氏ではありません。
あれは、感嘆子への軽い皮肉です。
喜ぶべきか悲しむべきか、素人氏からは論敵とみなされています。w
>>859
それはともかく、デ氏のコギト解釈など、ここではどうでもよかろう。
最高位は自説を述べる枕として使っているだけなのだから。
それよりも最高位の“私(存在性)”論が誤謬だというのなら、それを
指摘するだけでなく、別の見解を示す必要があるのではないか。

それらしきものを披瀝しているのは、素人氏の「思惟(意識)=私」説。
じいさんも「私の存在性」を半ば否定し、主客の相関としてそれを捉えていたと思う。
もう一人、>>475 氏が「私は身体である」とし、これを楽器に喩えている。

912ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 11:20:01 O
その、比喩ばかりの数ある「わたし」論が何を問題にしているかはわからんが

俺は「『わたし』は代名詞である」とでも言おうか
そして、「『わたし(主観)』の存在は仮説であり、不確かなものである」と言おう
913考える名無しさん:2008/06/29(日) 11:25:41 0
「私」論というので昔からあるアプローチは、
私ではないものに気づかせて接近していく論法である。

それに反して、このスレッドで展開される「私」論は、
私ではないものから私を説明するというものだ。
その論は、私では無いものから私を説明しても、
現に存在する私には全く到達しないという事への無頓着さの上に
成り立っている。
私では無いものから私を説明してさらに、私は○○であると
断言する飛躍論法が後を絶たないのはどうしたことか。
914ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 11:31:46 O
それは、「説明する」ということと
『わたし』について何らかの言葉で飛躍なしに到達するということが
両立しないからだよ

もともと両立しない二つの目的を同時に果たそうとするから袋小路に迷い込むのでは?
915考える名無しさん:2008/06/29(日) 11:33:19 0
>>855
>それを言ったのはじゃ誰?君じゃないの?
最高位さん。受け取りかたが一元的で困ります。
だから君とか私はフィクションだと申しあげているではないですか。
社会がそうであるように。
そのフィクション性がわからないのではなんともしがたい。
「我思う故に我あり」って最初にある我って神ですか?
我というのは汝との対でしょう?社会的なものですよ。我が生まれて
思うんですよ。「昔はものを思わざりけり」ってことばがあるけど。
916455:2008/06/29(日) 11:36:25 0
>>912
少し前のレスで貴君は最高位の言述を指して「中身のない言葉」と
揶揄していた。では、中身のある「言葉」の実例をあげてみて。
貴君がそれを例示してくれてもいい。

言語は対象に相即しえない(当たり前)。したがって、言語は比喩的
であるしかなく、よいそれと悪いそれがあるだけでしょう?
貴君の場合、『私』を“仮”“不”なる表現で仄めかしているだけ。
喩えることさえできていない。
917考える名無しさん:2008/06/29(日) 11:37:01 0
おい最高位
おれも相手してくれや
918考える名無しさん:2008/06/29(日) 11:38:46 0
汝(外)との関係のない「我」ってなんでしょうね?

逢いみての、のちの心にくらぶれば、昔はものを思わざりけり

・・・か
919ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 11:43:37 O
916
じゃ、はっきり言おうか
「わたし」なんてない
形而上学的主体を設定しなければ語れないことなんてない
「わたし」について説明する言葉を考えて、辞典に載せたら終わりかい?
そんな行為は人間の言葉を通した営みに反するものだ
920ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 11:47:59 O
問いなき言葉ほど空虚なものはない
人は空虚に耐えられない

まぁ、耐えれる人もいるかもね
少なくとも俺はごめんだ
921455:2008/06/29(日) 11:56:24 0
>>919
主体(主観)、あるいは(共同性としての)それなしに語られた言述として
何があげられますか。

922ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 11:58:20 O
なんでも、、、
どんな言葉でもご自由にどうぞ
923455:2008/06/29(日) 12:07:22 0
>>920
では、その君の詩なのか散文なのか定かでない感慨wを吐露しているのは何ですか。


924ストレンジカメレオン:2008/06/29(日) 12:14:47 O
別に
いろんな人がいていいさ
ただ、問いをもたない言葉のやりとりが哲学だというなら
俺はストレンジカメレオンでいいよ

辞書の作成に協力する気はない♪
僕はストレンジカメレオンななーななー♪
925素人:2008/06/29(日) 13:05:30 0
私的メモ4

>>756

>>643>>731
926考える名無しさん:2008/06/29(日) 13:27:47 0
>>925
>>731みたいに過去レス張るのは意味ないねぇ。
その中の3つ読んでみたけど、前後の文脈が分からないしね。
そういう無意味なことをするより、それらのレスを、
今の貴方の考えとして、要約すればいいんじゃないの?
927考える名無しさん:2008/06/29(日) 16:13:58 0
龍樹がどうのこうの言っていながら、
自分のレスは他のレスがあるからこそある
という相依性縁起を理解していない人w
928下僕:2008/06/29(日) 17:41:48 0
みなさんの発言を読むにつけ、私は神であると、
あるは、知っていると言いたげですね。しかし神はお嫌いのようだ。

発言者自身は馬鹿であり何も知らないと言う立場を取り、
「私」を対象化させて論ずる事をしないのは
不思議ではありませんか?

馬鹿な私が、みなさんという個別化された「私」である「他」を
観察すると、みなさんが知的であり、物知りであり、言葉で「私」を
主張したり、疑問を抱いたり、比較したり、している。

総合すると、「私」はまるで、個を主張している存在と言いたげです。
絶対個別化を信仰している。

一方で、馬鹿な私などは、一者、つまり神様しか居ない(宇宙のみ)
無分別、無差別、無限大、無知、無用の時場所時間に顕れており、
そこからみれば、ここでの発言は時場所時間と個までも綿密に主張される。

極めて、個が好きな個別化された「私」の多さに驚嘆する。

「私」というものは、無理に創作し、それを「私」と仮定して
論ずるのは、仮定としての「私」を仮定としての「私」が
反論するだけではないでしょうか?

私は地球である。私は宇宙である。と誰かが言ったら、
ほとんどの人は反論しえないでしょうが、個別化信仰からみれば、
御法度発言でしょう。
929考える名無しさん:2008/06/29(日) 18:29:15 0
昔の哲学というのは我々について考えるものだから気品が高くて
価値があったのだけど、
現代最先端哲学は私について考えるので中身は薄っぺらだし、
哲学としての価値も薄い。
口喧嘩して私が気持ちよければそれでよいという下品な議論になりがち。
我々にとってとか我々とは等を考える本来の哲学に戻るべきだ。
930素人:2008/06/29(日) 18:56:06 0
>>926
> >>731みたいに過去レス張るのは意味ないねぇ。
数レス跨いでその話題(関連事項)が出てくることが多いので、(別名ループとも言うがw)、
仕方ないじゃないw
とまあ、言い訳はともかく、
> その中の3つ読んでみたけど、前後の文脈が分からないしね。
>>927が言うように、確かに、前後のレスを何らかの形で受けてはいる。
だから、「貼るならそれらも貼る」「それらを盛り込んだ形で新規作文する」
というのが、真摯で誠実な態度なのだろう。
面倒くさいからという横着は褒められるものではない。
この点に於いて私を責めるなら、とりあえず謝罪しよう。もうしわけない。
> 今の貴方の考えとして、要約すればいいんじゃないの?
ただ、731内に貼ったもの(他の過去レスもそうだが)は、
一応それだけでも、ある程度の完成形になっていると思う。
私は、(重要なら)引用文を入れるし、入れない場合でも何らかの形で言い換えて盛り込むようにしている。
(勿論、全てのレスがそうだとは言わないが、少なくとも731内のレスに関しては、十分意味が通っていると思う。)
また、1レス内ならアンカーというものがあるが、
数レス跨いだ場合のアンカーに当たるのがレスURLなんじゃないだろうか・・・。

>>927
> 自分のレスは他のレスがあるからこそある
確かに仰る通りですが、上記を弁解として認めて頂きますよう、切にお願い申上げます。
931考える名無しさん:2008/06/29(日) 21:34:01 0
素人は空気、読めねーからな。
932考える名無しさん:2008/06/29(日) 23:21:05 0
>>928
なにも神を知ってるとか言ってませんよ。それもまたフィクションだと言って
いるのです。私は神を嫌ってはいません。
「私」はフィクションだと言っているのでそれを自覚するとき
単に個別化しているのではないし私を超えもすると思うのですが。
933932:2008/06/29(日) 23:24:13 0
私は神を嫌ってはいないと言ってもアンヴィバレンツな気持ちはもっていますが
(笑)
934素人:2008/06/29(日) 23:26:49 0
>>931
誤解です。
もともと、このスレで空気を読むつもりは更々ありませんw
寧ろ、わざと乱していると御理解下さい。
935考える名無しさん:2008/06/29(日) 23:37:42 0
>>928
私は地球だと思おうと宇宙だと思おうとその人の勝手ですが
そういうふうに自己完結した言い方についてその人と何を
語ればいいのでしょう。詩的表現としてはいいかもしれませんが。
それ以上なにを?
936考える名無しさん:2008/06/30(月) 00:26:32 O
だまってりゃいいんじゃない?
937考える名無しさん:2008/06/30(月) 00:38:09 0
>>936
身も蓋もないことを・・・w
938考える名無しさん:2008/06/30(月) 00:39:35 0
>>935
うっさいわボケカス
939下僕:2008/06/30(月) 00:45:21 0
>>932
神は嫌っていらっしゃらない。しかし「私」はフィクションであり、
フィクションをあなた自身がフィクションである「私」を自覚する時、
フィクションである「私」を超えもするという訳ですね。

超えた先が神であるならば、個別化ではないですが、
【「私」を超えもする】と表現した訳ですね。
超えた先は何なのかはおっしゃらないですが…。

でも、神は嫌っていない…。
と、こんな微妙な個別化な私というフィクションをご自覚なさっている。
という訳ですね。私(下僕)は正しく、あなたの事を理解していますか?
940下僕:2008/06/30(月) 00:49:36 0
>>935
すでに、お宅は、独り言を言ってらっしゃるじゃないですか。
結果は出ました。
941考える名無しさん:2008/06/30(月) 00:51:43 0
脳機能が発見される前はどう感じてたんだろうね。
今は「自分で考える」という言葉と同じ意味で
「自分の頭で考える」という言葉が使われるよね。
「頭使えよ」とか。
実感として、自分で考えるというより、自分の頭で考えるという
言い方の方が、道具を使う人 ホモ・ファーベル という感じで
実感ある。
942考える名無しさん:2008/06/30(月) 01:10:10 0
>>940
だからそれ以上と言ってるんです。
どんな結果がでたんですか?
943唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/06/30(月) 01:12:17 0
横から失礼します。
それ以上の表現方法を言語以外で有り得るでしょうか。
944下僕:2008/06/30(月) 01:16:59 0
>>942
再び私に向けて
>どんな結果がでたんですか?
と尋ねるという行為を行った人を抽出できました。

あなたのおっしゃるそれ以上の結果を私が原因で出して差し上げましたが、
これでもご不満でしょうか。
945考える名無しさん:2008/06/30(月) 01:36:49 0
>>944
私は独り言を言ったつもりはないのでそっちのほうがききたいですね。
そんな私を抽出できてなんかよかったのでしょうか?
なにか理解できたのでしょうか?単にそういう現象があったのでしょうか?
946考える名無しさん:2008/06/30(月) 01:41:07 0
>>944
私だったら「多分そうですね。」と答えるだけですけどね。

947哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 01:44:56 0
>>910
>「真理に関心がある」ってのは「言葉の内容と対象の関係に関心がある」ってこと

はぁ?
もうちょっとマトモな文章書けよ(苦笑

というか
キミは「おいらの関心は真理オンリー」と言ったんだぞ?
私に絡むのは、真理に至る道だと認識してるって事か?(爆笑

>>911
ごめんごめん
最近ちょっと疲れててね

>>912
>「『わたし(主観)』の存在は仮説であり、不確かなものである」と言おう

その仮説を立ててるのは誰?

>>915
>だから君とか私はフィクションだと申しあげているではないですか。

フィクションを認識してるのは誰?

>>919
と、思ってるのは誰?
948考える名無しさん:2008/06/30(月) 01:52:26 0
>>915
フィクションを認識しているのは自同率の不快を訴える
存在かもしれません。私が私であることの不快です。
最高位さん私(我)って誰ですか?それが不快です。
949下僕:2008/06/30(月) 01:53:25 0
>>945
「独り言を言ったつもりはなかった」のですね。
丁寧に答えたほうがお気に召すであろうという選択を
するならば、以下にお答えします。

>そんな私を抽出できてなんかよかったのでしょうか?
●興味ありません。

>なにか理解できたのでしょうか?
●あなたが、「独り言を言ったつもりはなかった」と
おっしゃりたかったと知りました。

>単にそういう現象があったのでしょうか?
●はい。
950考える名無しさん:2008/06/30(月) 01:55:45 0
人間同じことずっと考えられないもんな
私がそう望もうともさ

951下僕:2008/06/30(月) 01:55:50 0
>>946
そうですか。
私はあなたではないですから違う発言をしたのでしょうね。
952考える名無しさん:2008/06/30(月) 02:02:27 0
>>951
もちろんそれはいいですよ。私が理解出来なかっただけで。
何度もお答えいただき意外でした。ありがとうございます。
953ストレンジカメレオン:2008/06/30(月) 02:03:13 O
俺が使用する「真理」って言葉は現代哲学で使うのと同じ使い方だから、最高位の言う「真理」とは違う
最高位の言う「真理」は宗教団体が使う「定説」と同じ
後生大事に崇拝する教義なんだよ
954考える名無しさん:2008/06/30(月) 02:04:39 0
スレも末尾だ。
また少し、いちびってかき混ぜておこうw

>>947
>その仮説を立ててるのは誰?
>フィクションを認識してるのは誰?
>と、思ってるのは誰?

この問いには、答えられない。なぜか?
≪そこには【誰も】いない≫からだ。
もし、
その仮説を立ててるのは【何】?
フィクションを認識してるのは【何】?
と、思ってるのは【何】?
と問われたならば、
仮説を立ててる「意識状態」がある。 (仮説を立ててる「行と識」がある)。
フィクションを認識してる「意識状態」がある。 (フィクションを認識してる「識」がある)。
と、思ってる「意識状態」がある。 (と、思ってる「識」がある、或いは「行」がある)。
と答えることも可能だろう。


名前欄は要らんだろ?w

(´ー`)y━~~
955948:2008/06/30(月) 02:08:50 0
>>948>>947へ向けてでした。
956下僕:2008/06/30(月) 02:08:57 0
>>952
意外でしたか…。(黙
957考える名無しさん:2008/06/30(月) 02:24:28 0
最高位は私というものがどういうものなのか分からないくせに、
〜してるのは誰?私だろ?と何なのか分からないものに私という名前を付けて安心しているだけ。
最高位のは安心したいだけの屁理屈だから哲学とは言えないね。
958哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 02:36:38 0
>>953
>俺が使用する「真理」って言葉は現代哲学で使うのと同じ使い方だから、

同じって、何が同じなん?
というか、それにしか興味ないのに、どうして私に絡んでくるのかな?
キミの関心事は、真理オンリーだったんじゃないのか?(爆笑

>>954
あっそ

キミはいないのか・・・
私は仮説を立てるし認識もするし、いろんな事を思ったりもするんだけどな
自我がないのかなぁキミは
それとも
スッゲー知能が低いかの、どっちかだね

>仮説を立ててる「意識状態」がある。 (仮説を立ててる「行と識」がある)。
>フィクションを認識してる「意識状態」がある。 (フィクションを認識してる「識」がある)。
>と、思ってる「意識状態」がある。 (と、思ってる「識」がある、或いは「行」がある)。
>と答えることも可能だろう。

「意識状態」というのは普通、誰かの意識状態なんだけどな
個人を特定しない「意識状態」って何?
自分も含めて、全人類はゾンビだというのがキミの主張なのかね?
しかし残念ながら、それは私には当てはまらんわ〜

「我思う故に我あり」なら誰でも理解できると思ったんだけど
その基礎が、どうやっても理解できん人って、いるんだね
驚きだわ・・・
959ストレンジカメレオン:2008/06/30(月) 02:39:47 O
真理に関心がある以上、他者との会話をする準備を常にもつ
バカの言葉にすら耳を傾ける
最高位には理解できないだろうが、、、、
960考える名無しさん:2008/06/30(月) 02:49:39 0
最高位は馬鹿なんだから、「何が私なのか」をよーく考えてから出直して来い。
961考える名無しさん:2008/06/30(月) 02:50:37 O
めいわくな関心やな
962考える名無しさん:2008/06/30(月) 02:53:05 0
>>947
何が私なの?
963考える名無しさん:2008/06/30(月) 03:08:07 O
959
真理に関心があるというマニフェストをかかげてるだけじゃないの。
964哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 03:10:06 0
>>959
理解できんねぇ
まぁ話しかけて来られたらべつだが
私だったら、相手がバカだと思ったら、まず反応せんけどな
しても基礎的な解説とかをするだろうね
相手がバカだと思ったら、キミらみたいにガキのケンカみたいな事だけ言っても意味ないからね
ちゃんと解説する
キミらはバカ、バカと言うだけで、何の解説もないわな
それから
キミらは、私をバカだと思ってる と言うわりに、なんでそんなに必死なの?(爆笑

>>962
何が私って
どう考えたって、私が私やろ
そういうもんだって、わからんかい??
965考える名無しさん:2008/06/30(月) 03:18:15 0
>>964
>どう考えたって、私が私やろ

はい、ダメ〜
説明になってない。

あなたは現代哲学最先端の哲学者なのだから、
自分の言葉が教科書に載って外国語に訳される事も考えて
学問的な用語で説明してよ。
もう一回聞くから、哲学用語としてしっかりした表現をしてね。

で、何が私なの?
966ストレンジカメレオン:2008/06/30(月) 03:21:32 O
内容のある研究は、間違った見解、間違った発言から発展する

積極的に間違いと関わること
それが真理への道さ


バカの声に耳を傾けなければならない
真理へのチェックも行わなければならない
両方しなくちゃいけないところがリーダーのつらいところだな
アリアリアリアリアリ
アリーデウェルチ
967哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 03:28:45 0
>>965
>で、何が私なの?

自分が私だろ(苦笑

普通の知能があれば、わかるぞそれくらい

では聞くが
世界的に有名な「唯物論」という思想があるが
唯物論者の中に、物質とは何か という質問に的確に答えられる人がいるのかな?
968哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 03:30:18 0
>>966
で、キミの言う真理って
結局、何なの?
969考える名無しさん:2008/06/30(月) 03:31:58 0
全然説明になってないね〜
970哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 03:37:12 0
>>969
すまん
アホにも理解できるように説明するの無理だわ
971ストレンジカメレオン:2008/06/30(月) 03:37:15 O
最高位には理解できんよ
972哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 03:42:42 0
しかしお前らスゴイな
「私って何〜?」とか言って
アホのフリをする事で、見事に話をすり替える事に成功してるもんな(苦笑
973考える名無しさん:2008/06/30(月) 04:09:52 0
同義反復は、しょーもないこと。

974考える名無しさん:2008/06/30(月) 04:12:57 0
全然説明になってない てのは
思考が粗いうえに、なんの発展性もない ということですね

同義反復では、確かにどうしょーもない

975哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 04:20:35 0
>>974
じゃぁ、キミやってみて
976考える名無しさん:2008/06/30(月) 04:55:35 0
>>947
ばーかばーかw

>その仮説を立ててるのは誰?

どう考えても、仮説を立ててるのは仮説を立ててるものだろ

>フィクションを認識してるのは誰?

フィクションを認識してるのはフィクションを認識してるものだろ

>と、思ってるのは誰?

どう考えても、思ってるのは思ってるものだろ

最高位のばーかばーかw
977考える名無しさん:2008/06/30(月) 08:08:26 0
次スレ
【私】を記述してください【私の存在性】18
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214780809/l50
978哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 09:22:40 0
>>976
じゃあキミは、仮説を立てたり認識したり、思ったりしないわけか?
979宣教師 ◆XMP6DJq74g :2008/06/30(月) 09:32:38 0
「私」とは”霊”のことでしょう。
980455:2008/06/30(月) 09:38:15 0
>>954
最高位が十全に答えているので、私が重複させるまでもないが…論敵なので。w

「意識状態」との言葉を使えば、その時点でダメ。「その帰属先は何か」が
問われるのは当然。起点がなく、帰着もしない“意識(識=心)”を意識とは
呼ばないでしょう? その言い方では、起点であり帰着先でもある『私』を
消去したことにはならない。
顔面を殴打されながら、その痛みを感じる(意識する)主体が非在である、
という事態を想像するのは難しい。麻酔薬でも打たれた状態かな。w

その意味でも『私』は身体である、との>>475の言説はなかなか説得力がある。
ただし身体=物体という意味なら、面白くもおかしくもないが。

981考える名無しさん:2008/06/30(月) 09:54:29 0
>>980
>起点がなく、帰着もしない“意識(識=心)”を意識とは呼ばないでしょう?

意識になぜ「起点」がなければならないのか不明だね。
なぜ?
982哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 10:06:14 0
>>981
誰しも自分の意識という、たった一つの意識しか意識できないのであり
意識というのは常に、誰かの意識 でしかありえないからだろ
983455:2008/06/30(月) 10:09:02 0
>>ストカメ君
そのキャラは君には無理があるのでは? 道化は君に似合わない。w
現に、仮面の下から鎧が…。君のそれは知識、哲学的素養… それが透けて
みえる。というよりも、それをちらつかせてしまう。

君は、こう思っているだろう。「最高位には素養がないし、語っていることも
レベルが低い」  が、私からみて君のそれは温室育ち。暗黙の(狭い)ルール
のもとでの抗争(議論)しか経験があるまい。だから、つい定石を踏もうとする。
が、本当の力は手将棋でためされる。“娑婆の哲学者”の最高位に君が苦戦し、
道化を名乗りながら、最高位を罵倒する図は見苦しい。

コテをつけるのは賛成だけど、最初の名前がよかったのでは。
984考える名無しさん:2008/06/30(月) 10:11:55 0
むしろ、はじめにあるのは意識であって、その「意識の起点」というのは、あとから反省が
加わって付け加えられたものと考えたほうが良さそうだけどね。
「思っているのは誰?」と問うこと自体がそのことを示していると思うけど。
つまりそれは、思っているのは誰?という風に、生起に対してその原因、帰属先を求めてしまう
人間の思考法であるにすぎないのであって、ニーチェはそれを「主体への信仰」と言って
批判してるけどね。
985455:2008/06/30(月) 10:18:24 0
>>981
その前に、私は意識は「ある」と思っている。私が対象を感覚し、
意味として受容している、というイメージである。
むろん、間違っているかもしれない。
986哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 10:24:41 0
>>984
信仰だとしても、誰が信仰しているのか という疑問を逃れないけどね(爆笑
当たり前だけど
意識によって信仰してるわけだからね
987考える名無しさん:2008/06/30(月) 10:28:41 0
>>827
いやもちろん私は私の認識を語っていますが(それ以外のものを語りようが
ありませんが)、それが何の意味を持つのかわからないのですが。

>>839
>単に、「視点を離れて見ることはできない」となる。

これは単に「視点」と「見る」という言葉の定義からの論理必然的帰結で
あって、「私」とは何の関係もないことになります。
当然、「他人・他の自我・他の視点」についても、全く同じことが言えるわけです。
(いや、真に「見る」ことができるのは、世界で唯一の私だけだ、と考えるなら、
独我論になります。)

実は、デカルト的意味の「私(いわゆるコギト)」は、そもそも「視点」で
あることはできません。なぜなら「見る」対象である世界が、そもそも
存在しないからです。また、コギトには「思い出す」対象としての過去も
存在しません。コギトにできるのは自動詞現在形の「疑う・考える」ことだけです。
コギト以外の何も存在せず、時間もまた存在しないのですから、コギトに
ついては、「同一性」はそもそも問題になり得ません。
(本当は、世界を呼び戻すためにコギト以外に神様と悪霊は存在する、とか、
時間がないと考えることもできないのではないか、とか、問題はいろいろあるのですが。)

一旦(神様の力を借りようと借りまいと)「見る・考える・思い出す対象としての
世界」や「過去・現在・未来の時間」や「その中に存在する他の私」等の存在の
可能性を認めますと、今度は「さっき見ていた私(視点)と、今見ている私(視点)
は同一なのかどうか」という疑問は避けられません。こうなると、「私」「視点」は
単に世界の中の一個物であって、それ以上の意味は持たない、ということです。
私の同一性と、富士山の同一性の違いは、同一性の判断基準に記憶という独特のものが
あるかないか、というだけです。「かつて私だったものが、今でも私である」が
成り立つのなら、「かつて私だったものが、私でないものに変わる」も、同様に
成り立つことになります。
988考える名無しさん:2008/06/30(月) 10:30:37 0
>>847
>キミには自我意識は無いのですか?
>「我思う故に我あり」であって
>私は自我意識によって、自分の存在は確認できますよ?

最高位氏、今は「私」の話をしているのではないのです。
「哲学者最高位」と「キムタク」とは別個の存在なのか、それとも境目のない物理現象を
私が勝手でテキトーな価値観で切り取った名前に過ぎず存在性などないのか、それが
論点なのです。お忘れにならないようにw

私に自我意識があって自分や自分の心の存在が確認できることは、この際
どうでもいいのです。問題は。その「私」と「特定の人間」との関係なのです。
その「私」から見れば、「人間」と呼ばれるものは、「キムタク」であろうと「最高位」
であろうと、他の誰であろうと、すべて純然たる物質、あなたのいう「物理状態」に
過ぎないのです。「富士山」や「チョモランマ」と、何の本質的違いもありません。
「私」が特定の人間と特別な関係にある、というのは、あくまでも事後的に成立する
判断なのです。そう判断するためには(あなたの場合なら、「私は最高位であって、
キムタクでも富士山でもない」と判断するためには)、
前もって「最高位とキムタクと富士山は別個独立の存在である」という判断が先行
しなければならない、と指摘しているわけです。
そうでないなら、「私は最高位である」という判断は事実でも真実でもなく、
根拠のない単なる私の勝手でテキトーな価値観に過ぎないのですから、
「私はキムタクである」でも「富士山である」でも「地球である」でも「ロボットである」
でも、すべて等価な価値観として成立し得ることになるのでは、とお尋ねしているわけです。
しかし、恐らくあなたはそういうことを主張する人には「病院へ行け!」と言われる
ように思うのですが(これももちろん、そう主張している人は私ではない、という
判断があってのことですが)、さて、ご返答やいかにw?
989考える名無しさん:2008/06/30(月) 10:31:31 0
>>986
>信仰だとしても、誰が信仰しているのか という疑問を逃れないけどね(爆笑

うん。だからそういう信仰を超えたところでニーチェその他の哲学者は考えてるんだよね。
念のために言えば、「そう考えているのはニーチェその他の哲学者だろ?」という問いは的外れ。
そういう見方からすれば、「ニーチェその他の哲学者」という主体も、あとから付け加えられたものだから。
990哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 10:40:11 0
>>988
単なる物体であるなら、境目などあるはずもない
少なくとも、私には自我があるから
その自我による観念的価値観によって境目を任意に認識しているのだよ

自我や観念を否定して、境目はありえるのかね??

富士山は、どこからどこまでなのか、明確に示してもらいたい(爆笑
991哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/06/30(月) 10:45:57 0
>>989
>うん。だからそういう信仰を超えたところでニーチェその他の哲学者は考えてるんだよね。

あれ?

>ニーチェその他の哲学者は考えてる

んでしょ??
結局、本人が、そう考えてるんじゃないか(爆笑
992455:2008/06/30(月) 10:48:10 0
>>984
よくは知らないが、ニーチェの主体の否定は、命がけのそれでしょう?
たぶん、それは(内面化されている)超越的な存在の否定をも意味して
いたはずである。私には、自らを切る深淵の深さが想像できない。
この国では、主体を否定するのはむしろ容易では? 

最高位の言説には、むしろ哲学的流行に逆張りしている気味があって、
そこが興味ぶかい。
993考える名無しさん:2008/06/30(月) 10:55:01 0
>>991
>>ニーチェその他の哲学者は考えてる
>んでしょ??
>結局、本人が、そう考えてるんじゃないか(爆笑
「ニーチェが考える」というのは常識的レベルの言い方なんだけど、
哲学者はそういう常識を超えたところで考えているわけだよ。
そこを理解してもらえないと、説明のしようがないな・・・
「結局、本人が、そう考えてるんじゃないか」という常識で満足してしまう人には
常識を超える必要はないと言えるかもね。
994考える名無しさん:2008/06/30(月) 11:01:01 0
>>990
>単なる物体であるなら、境目などあるはずもない

最高位氏、ですからw、そこに自我があろうとなかろうと、
「最高位」や「キムタク」自体は、「単なる物体以外」の何物でもあり得ない
のですよ。最高位やキムタクには自我がなく、富士山には自我が
ある可能性もあるのですが、また時と場合によって自我があったりなかったり
する可能性もあるのですが、だからといってそれらの物体の物体としての
存在の仕方が何ら変化するわけではありません。
ですから、あなたは「人間も山も、哲学者最高位もキムタクも富士山も
チョモランマも、すべて境目もなく存在性もない。私は人間であり哲学者最高位
であってキムタクや富士山ではない、というのも、私の勝手でテキトーな価値観
に過ぎず、事実ではない」と主張していることになるわけですが、それで
よろしいのですか、とお尋ねしているわけです。一向にご返答がありませんが、
いかがw?
995考える名無しさん:2008/06/30(月) 11:01:52 0
>>992
意識になぜ「起点」や「帰属先」が必要なのか?
「起点」や「帰属先」はむしろ後から反省によって
付け加えられた可能性が大きいのではないか?
という問いに対する答えはどうなりますか?
996考える名無しさん:2008/06/30(月) 11:08:03 0
>>984
感覚し、意識している主体(起点)としての『私』は非在なのではなく、
そのさなかには対象化できないということです。
ここで何度も語られてきたと思います。
997考える名無しさん:2008/06/30(月) 11:09:54 0
ああいっちんでかっちんちんかね?  あいっちんかね?
998考える名無しさん:2008/06/30(月) 11:10:37 0
なにかをみている目をみることはできないというたとえがよく用いられてきました。
999考える名無しさん:2008/06/30(月) 11:13:09 0
僕の小学校の先生は「目を噛んで死ね」といって怒りました。
ちょっと違うか。w
1000考える名無しさん:2008/06/30(月) 11:13:51 0
>>996
対象化できないのはもちろんだけど、【『私』は非在なのではなく】と言える根拠は?
後で反省が加わって対象化された『私』は、あくまでも後から付け加えられたものなので、
それがもともと「あった」とする根拠は何もないですよね。
単に後から付け加えられたと考えるのが妥当だと思うんだけど。
10011001
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