【私】を記述してください。【私の存在性】 3

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287/7 素人
しかしながら、
たとえ『私』・『存在性』が、【現に思考しつつあるもの】であっても、
(経験的事実との整合性を無視できないならば)、
≪【ある条件によって、ここ(この肉体)に顕われている】≫という一文を、
『私』や『存在性』に付加することが不可能とは思われない。
そこで指し示される対象は在るであろう。が、その在り方から、不安定な危うさを払拭することはできない。
 ※(懐疑の果ての「その実感」は、どこまで確実なものとしてありうるだろうか・・・。)
そして、抽象的・具象的に関わらず、種々の条件の複合的結果ならば、場合や文脈によって、
「ない」とか「仮設されたもの」とか「不確かなもの」とか「泡沫の如し」とか「夢幻の如し」とか、
こうした言辞も可能となる。



久しぶりに、チラシの裏してみた。
あまりまとまってはいないが、かなり最高位サイドの視点を盛り込んである。
誤解している方も多いようだが、私と最高位氏は、まだ本格的対立には至っていない。
その前段階での齟齬(前提?)が、なかなか埋まらないだけです。

いつか、ポイントを網羅し、私と最高位氏の類似点、相違点をまとめてみたいとは思っている。
そしてそれは、
アートマンでもなく、一般的日常の自己でもなく、意識という主体としての自己でもない「自己」
について、仏教がどのような位置付けをすべきか・・
という、私の(この話題への参戦理由としての)興味を満たすものとなるだろうから・・・。
(本音を言うとそれこそ、「虚妄だw」と言い捨ててしまいたい所ではあるが・・・w (´ー`)y━~~ )