【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】9

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1神も仏も名無しさん
---論題---
 業道輪廻転生を否定する、これで仏法者か
  http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/02_02_04.html
 死後の世界や輪廻転生の邪説を厳しく批判
  http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/04_11_25.html

仏陀から約2500年を経たが、現代日本においてだけ見解が二分しているこの問題。
もう、そろそろ決着をつけませんか?
子供たちに教える場合にも困るので、仏陀は説いたのかそれとも説かなかったのか?
肯定派と否定派、両者からの屈託のない活発なご意見を是非、宜しくお願いします。
決着の暁には見解を誤っていた側は、男らしく女らしく、スッキリとこれまでの姿勢について清く改めましょう!

*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。

過去スレ
スレ8 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/
スレ7 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/
スレ6 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/
スレ5 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1231408379/
スレ4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230651094/
スレ3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/
スレ2 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/
スレ1 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1226102674/

*カルトは出入り禁止

「2ch DAT落ちスレミラー変換機」http://www.geocities.jp/mirrorhenkan/ による過去スレ
2神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 21:11:00 ID:TCKNPIOR
>>671
>法境では、来世「そのもの」を感知するという根拠にはならない

それは五感でも同じこと、もっとも確か有部は外界を直接感知すると主張しますが。

> 他世がある、などは、「世間の正見」、つまり、世俗の人にとって、ということになりますね。

世俗の人というよりは、世俗諦ということでしょう。勝義では当然、輪廻も現世もないのですから。

>ダンマパダ154に「心は形成作用を離れて」とありますが、最古層(スッタニパータの4章、序を
>除く5章、1章3)には、その「形成作用」(サンカーラ、行)という語は、全く出てきません。
>ですから、金口直説そのままという訳ではないだろうと考えられます。

「金口直説そのまま」というのは、語形変化のことですね。
それは、古代語形を保存しているかどうかの問題ですね。
それと出てこないという証拠は、積極的な証明になりませんよ。

>** 395>解脱なんていうが、一体、何からの離脱 >>396>>395 その通りです。
>  (神の問い)「人は何ものから解脱しないのであるか?」(仏の答え)「苦悩から(dukkhA)
>解脱しない(na parimuccati)のである。」(『ブッダ 神々との対話』84ページ)

これは酷い。なぜ、その直前を読まないのかな〜。曲解、断章取義の典型w
Satto saṃsāramāpādi, dukkhā na parimuccatī’’ti.
「生存するものが、輪廻に堕している。人は、苦悩から解脱しないのである。」
明らかに輪廻と苦悩は同義でしょう。
3神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 21:17:47 ID:T+KUVlYi
>>1

全部大文字IDとは珍しいなwwwwww
4宝珠愚者:2009/02/07(土) 21:18:12 ID:TGNmxFjG
スレ建てごくろうさまです。
(どうもエラーで建てられませんw)


スレ8/689
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/689
はい、最古層の経文です。

 「(ブッダが答えた)、《ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する
欲や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。》」(スッタニパータ1086)

 「〜ような」では困ります。不滅といったら「不滅」です。これは仏教が目指す境地ですから、いい加減で
は困るのです。無常なる世界からの解脱は不滅の境地です。
 不滅とは意識の状態であり、それは死後で終了するというものではない。その意識境は肉体が崩壊した
以をも永遠に続くものです。

 「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解
脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)

 “一切の相が滅びてなくなり、没することなき”といってる。これでも分らないのであれば、説明のしようが
ない。
5宝珠愚者:2009/02/07(土) 21:19:16 ID:TGNmxFjG
スレ8/704
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/704
>ならスレ立てしなけれが良いでしょw 
>撤回して頂きたい!! (^O^)/

私は、人それぞれの見解はそれはそれで尊重するということをいってるのです。
また、個々の違いを明らかにすするということに意義があるとみるので、
議論の場を無意味とはみなさないのです。
当然、あなたの意見も尊重されます。
それがどれだけの人々(このわたしにも)に認められるかどうかは、
また別問題です。
6宝珠愚者:2009/02/07(土) 21:28:05 ID:TGNmxFjG
スレ8/693、696、706、711
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/693-711
 まず、基本的なことを押さえておくことをお奨めします。

 第一に、「仏教界」にはアートマン存在を肯定する姿勢はありません。これは仏陀が説いた「無我」の教
えが、バラモンとは決定的な違いであったとして見なされており、これが“アートマン存在の否定”であると
して一般に見られてきたからです。
 これによって、アートマンが無いならば輪廻する主体もないと見なされ、輪廻転生すらもないという見解の
立場と、輪廻する主体の説かない業力そのものによる輪廻転生を説く立場とに大別されるのです(主体の
ない転生に満足しない仏教者は後に阿頼耶識やその他を想定していく)。
 しかし、経典のどこを読んでも「アートマンはない」などと説かれた教えはなく、「五蘊のいずれもアートマン
ではない(五蘊無我)」としか述べてはいないのです。つまり、「アートマンではないものを自己と同一視する
な」といってるのです。このことは裏を返せば、アートマンをアートマンと見なすことは正しい見解であること
を暗に命じているのです。実に、「それらはアートマンではない」という「非我」(我/アートマンに非らず)の教
えが後代の仏教者たちが誤って、「無我」(我/アートマンは無い)と解したのです。
7神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 21:28:24 ID:U4OSPUAv
前スレ672へのレス

生命については五感での知覚が成り立たないということですから、
生命は五感では知覚できないということになりますね。

>>653 にはこうあります。
> 人間にとっては、その五感で知覚できる「仮設」が、
> 「本質的実在」であると言い換えてもよい。仮に、人間の五感を離れた「本質
> 的な実在」があるとしても、それは「人間には無関係」です。

結局、生命は人間には無関係ということになると思うのですが?
8宝珠愚者:2009/02/07(土) 21:29:21 ID:TGNmxFjG
 私の摂る見解はつまり、「アートマンは存在する」が様々な誤解を避けるべく仏陀は積極的にその解説を
避けたというものです。
 理由として上げられる幾つかの点としては、一般大衆は普段、自分で意識している自己(低我)がそのま
まアートマンであると考えており、それが死後をも永遠に存続するものとみているのです。そのことをバラモ
ンの叡智は示していると思っています。しかし、これは間違いであって、低我は五蘊なので消滅するものな
のです。またバラモンの説くアートマンも本当はそのまま永久不滅ではなく、ニルヴァーナ境に到達した段
階で消滅するのであり、アートマンとて縁起で生ずる媒体でしかないのです。ニルヴァーナに到達した意識
だけが永久不滅のものであり、これが古代インドの説く「真我」にして、唯一なる実在なのです。
 常見とはアートマン(我)ではないものを我=自己(アートマン)であると見なして、それが永久不滅である
する誤った見解をいうので、アートマンを正しく見なすことはこれには当てはまりません。

 あなたが、アートマンを肯定するにせよ、否定するにせよ。または、そのいずれにも無関心でいるにせよ、
すべて自分で判断することです。
 それにはまず、なるべく偏見と決め付けを捨てて幅広く見聞きし、いろいろと調べることからお奨めします。
そうしたとき、もしもその結果としてそれが間違いがあったとしても、それは他人にせいではなく、すべて自
分が判断した結果であるとして納得することができるからです。これが自己責任というものです。誰がいって
たから騙されたといって他人のせいにしないことです。
9神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 21:42:08 ID:TCKNPIOR
>>3
そう、お気に召したw
10神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 21:45:16 ID:TCKNPIOR
>>4
どういたしまして。

少なくとも言語形態としては『ウダーナヴァルガ』は最古でないことはたしか。
意味からすれば、最古とか論じるのは無意味と思われます。
11初代スレ7:2009/02/07(土) 21:45:43 ID:zsBZXt6B
>> http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/702
何人か、同様の作業をしてらっしゃいましたが不十分ですか?
 (ま、私も100%同意なものではなかったですが・・・w (分類枠が少な過ぎでしたし))
試みてみることも吝かではないですが、より主観的色合いが濃くなりそうですよ?w

このスレの(或いは2chの)登場人物は、大概このような感じですかね。
(とりあえず、とっさにできるのはこれが限界w   てか、急に振られても困るがなwww)

まずは、《外野から見た場合の》スタンスによる分類

○純オカルト系
  神秘・神通・奇跡・聖者系
  実体験系
  宝珠系
  カラス系

○原典依拠系
  原典至上主義系
  肯定的原典批判系
  上座部系
  追体験系
  カラス系

○空・中道・無記系
  禅系
  心経系
  中観系
  机系
  電波男系
  石飛信者系
12初代スレ7:2009/02/07(土) 21:46:34 ID:zsBZXt6B
○文献学系
  懐疑的原典批判系(初スレ5氏?)
  電波男系

○勝義一辺倒系
  机系
  カラス系
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(○文化史系(人類学・社会学系))
○自然科学主義系
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○唯物・物理・科学系
○御隠居系(五感至上系)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○哲学系
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○七師外道系

────────────────────

他、
用語の解釈の姿勢、文意・文脈の解釈の姿勢、
個々の概念に対する立場の取り方、等での分類も可能。
ただ、上と同様、多岐に亘りそうだが・・・。


気が向いたら他にもやってみるよw
13神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 21:57:11 ID:UvgoliwF
>>6>>8
アートマンに関する説明に感謝します。
改めて中論を読めば、竜樹はアートマンを否定していないようですね。
おそらく釈迦も否定していなかったのでしょう。 
アートマンが存在するとすれば輪廻も転生もありそうです。
 
14神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 22:03:24 ID:TCKNPIOR
>>13
『中論』も釈尊もアートマンは認めませんよ。
アートマンがなくても輪廻転生するのが、
仏教で、その根拠が『勝義空性経』『因縁心論』です。

宝珠さんの説は、神智学説なので仏教というよりヒンドゥーに近いものです。
15神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 22:17:54 ID:UvgoliwF
>>14
竜樹が語っていない、アートマンの可能性は、
アートマンが五蘊の相を持っていないということです。
アートマンは、物質ではない、別次元の存在だということです。
16神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 22:27:54 ID:29eoezdJ
(´ー`)y━~~ (仏教は宗教ではないんだぜ)=スレ違い
17神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 22:34:05 ID:URIPouFc
>>4
>
>  「(ブッダが答えた)、《ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する
> 欲や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。》」(スッタニパータ1086)
>
>  「〜ような」では困ります。不滅といったら「不滅」です。これは仏教が目指す境地ですから、いい加減で
> は困るのです。無常なる世界からの解脱は不滅の境地です。
>  不滅とは意識の状態であり、それは死後で終了するというものではない。その意識境は肉体が崩壊した
> 以をも永遠に続くものです。

よく見てください、『この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する
欲や貪りを除き去ること』が「不滅の境地」なのですよ。

『この世において』とはっきり書いてあります。内容も、全て現実的な話です。ですから「不滅の境地」も、論理的に、
永遠の意識や永遠の命のことではなく、絶対的な安らぎ、気持ち、のことだということがはっきりしているではないですか。
この文面を見て、どうして「永遠に続く意識」のことだと読めるのか、全く理解できません。
解脱とは「意識境は肉体が崩壊した 以をも永遠に続くものです」というようなことを(誤字か何かでよく分かりませんが
妄信している深い洗脳状態にあるのでなければ、このような読みは不可能でしょう。

あと、最古層の言葉の意味を後世の経文を使って解説しようとしても無駄です。
どんどん離れていくだけですから。
18神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 22:54:11 ID:UvgoliwF
アートマンは五蘊とちがう。別次元である。だとすれば、
釈迦が、一方で空を語りながら、他方で善きことや清らかさを語ることも
理解できないではない。
 
アートマン、それはそれ自体が清らかであるか、
アートマンの存在する場が清らかであるか、そのどちらかであるか、両方である。
だからこそ仏典において、清らかさが先験的に語られるのではないだろうか。
そして善きことも同じではないだろうか。
 
スッパニパータやダンマパダを読んでいて、
善いことや、清らかなことや、正しいことなどを先験的に語っているのが
気になった。それでは空にならいのではと。
19神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 22:56:45 ID:TCKNPIOR
>>15
『中論』18-9 が真実を説いていると思われますが、
それがアートマンとは言わないでしょう。なぜなら、

アートマンであるのでもなく、
アートマンでないのでもなく、
アートマンであり、且つアートマンであるのでもなく、
アートマンあるのでなく、アートマンでないのでもないのでもない。

この四句分別が真実、つまり表現不可能な境地。
これが『中論』でしょう。
20神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 23:06:29 ID:TCKNPIOR
>>15
ちなみに、釈尊は五蘊が一切と仰られております。
そして、中観派では、そのような言語習慣、あるいは因果縁起以外に
何か実在を想定するのは妄想とされます。
中観の破邪顕正で断たれるのは、アートマンなどの構想された実在です。
21神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 23:19:02 ID:URIPouFc
>>19
つまり一言でいえば、くだらない戯言だということですな
22神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 23:26:45 ID:TGNmxFjG
>>17
>『この世において』とはっきり書いてあります。

この世が永久に続くわけではありませんよ。
それはこの世における姿勢のことてせあり、方法論のことを述べているのです。
その結果として不滅の境地に到達するのだと。
不滅という言葉、意味わかります?
23神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 23:27:16 ID:T+KUVlYi
>>17

横レスだけど、この世という言葉を日本語的概念で勝手に規定するのは
いかがなものかと。
24宝珠愚者:2009/02/07(土) 23:28:57 ID:TGNmxFjG
>>22
 わたしの投稿です

訂正
 ×それはこの世における姿勢のことてせあり
 ○それはこの世における姿勢のことであり
25神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 23:29:51 ID:TCKNPIOR
>>21
いえ、全く違います。言葉で全てが表現可能だという発想が全く間違いです。
この四句分別は、言葉で表現不可能なものを論理的に表現した美しい形式です。

あなたのように自分の理解領域に釈尊を無理矢理押し込めようとして、
いったいどんな意味があるのか?
なんどもその誤解・無知を指摘されてるのに。
26神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 23:33:44 ID:UvgoliwF
>>19
中論を見てたら難解で眠くなってきました。
またいつか参戦しますね。
27神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 23:35:59 ID:TCKNPIOR
>>26
石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』を読まれることをお勧めします。
28如来不説:2009/02/08(日) 00:08:12 ID:T1e0LKPg
>>前スレ653

>>生命教というのは、つまりナルシストの変形種と分析しました。
>>自己陶酔のなかに自己のアイデンティティーを見出す。
>
>生命「教」と呼ぶのはおかしい。「生命」とは、「観念」ではなく、ただ
>「今、ここにある」だけのもの。生命を以って、生命を観念することは出
>来ません。観念主体と観念対象とが同一ですから、観念そのものが成立せず、
>ナンセンスだからです。「定規は自分で自分の長さは測れない」。観念、宗教、その他人間
>の「すべての営み」は、生命の機能に過ぎません。死者には、一切不可能。

ああ、なんと、生命とか常識とかいう用語で、唯物主義かと誰もが受けとるのは
仕方がないのですが、ここの文章からすると、ヤージュニャヴァルキヤのアート
マン論と同じことを言ってるみたいですね。それにしても、言語は他者との共通
認識で成り立つということは、あなた自身の考えからしたら重視されるべきだと
思いますが、どうしてこのような主観的な用語をされるのか……。
29如来不説:2009/02/08(日) 00:20:20 ID:32TLLtph
>>8
まだ最後の段階で、その見解を捨てられていないようですね。

宗教観としてはバラモン教も仏教も基本的に一致します(そもそも宗教「観」はサー
リプッタ尊者に属する属性であり、ゴータマ仏陀の感知するところのものではなかっ
た)。

実践に関する「ある姿勢」がゴータマ仏陀の肝です。

そこで決定的に違っていたのが、「無我」という姿勢です。
それで当時のバラモン達も指導者たちからしてこぞって帰依して、ニルヴァーナに実際
に到達しました。
30神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 01:59:15 ID:S6HFZ5W3
>>25
あのね、言葉で表現できないもの、説明できないもの、それは他人に言葉では伝えられないのだから、
どのように言葉を駆使しても意味ないの。言葉で伝えられないものなんてのは、子供が並べたただの意味なし
単語と同じこと。

むいてもむいても終わりのないラッキョウが世界の真理である。なんて偉そうに適当なことを言ってみても同じこと。
私が適当に言ってみたことが世界の真理ではなく、四句分別が世界の真理だという保証が何処にある?w
31神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 02:01:30 ID:S6HFZ5W3
>>22
では、「境地」という言葉の意味分かります?
「ベートーベンの境地」に達したと言ったら、実際に私はベートーベンではないということです。
「不滅の境地」ということは、実際は不滅ではないということです。

一切は無常なのですから、不滅のものなどありません。
32神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 02:05:25 ID:S6HFZ5W3
>>23
その他の概念も、勝手に自分の妄想で規定するのはいかがなものでしょうか?
全体の文脈の中で把握すべきです。
で、「この世」は普通に「今時分が生きている世界」と解して何も問題ないでしょう。
「この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲や貪りを除き去ること」が涅槃であり、
「見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲や貪り」はリアルタイムで私たちがやっていることですから。
33神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 02:15:54 ID:VzzSCM0c
>>28
>どうしてこのような主観的な用語をされるのか……。

具体的に、どこが主観的なのか、教えてください。

仏陀や仏教には、「主観的な言葉」はありませんか。「主観的でない」
とは「万人共通」だということだと思うが。「清い」「正しい」「悟り」
などの観念語は、まさに主観的以外の何物でもありません。
34机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/08(日) 07:36:10 ID:nQKaBiQi
>>13
アートマンについて拙者のスタンスを書きます。

基本的には>>19に同意ですね。
中論は非常に難解ですけど、これを平易に解説いたします。

例えばアートマンが赤色かと仮に設定します。
そうしますと宇宙全体が赤色で全て統一されますね。
この時点で、もはや「色という意味あいが抹消されます」。
つまり相対(赤以外)する概念がありませんと、
赤であると認識することもできませんし、
またその意味と、名称、形態すべてが無に帰すのです。

これが
>アートマンであるのでもなく、
>アートマンでないのでもなく、
>アートマンであり、且つアートマンであるのでもなく、
>アートマンあるのでなく、アートマンでないのでもないのでもない。
この意味ですね。

お解りになられたでしょうか?
35机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/08(日) 07:42:13 ID:nQKaBiQi
>>11>>12
乙です。
大変参考になります。
36神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 08:47:49 ID:zvNHDqyt
>>30
保証は、解脱した聖者たちが支持してきたことと、
石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』による論理と文献学による論証です。
37神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 08:50:35 ID:zvNHDqyt
>>31
そんな意訳語を別の文脈に置き換えて分析してもなにも分からない。
原語にあたるか、固定した漢訳で論じるかしかないでしょう。
なんで分からないかな?
38神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 09:12:18 ID:f/dEPTTA
くだらない権威主義を放棄すれば、仏教徒といえるだろう。
39神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 09:21:08 ID:zvNHDqyt
>>38
仏教徒の条件は三宝帰依ですね。
単純明快にみえますが、これがまた、深い意味があるんですね。
40神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 09:42:22 ID:LM3VXofJ
>>31
それ多分勘違いだよ。(煩悩などを)滅し尽くした後、
もう滅するものがなくなった状態のことを
不滅といっているじゃないか?
41神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 09:49:18 ID:f/dEPTTA
三宝はくだらなくありませんよ。
伝統を無視した、我見をくだらないというのです。
ここで議論して、既存の教義に意を唱えることが
僧に帰依しているとは思えないのですが。
42神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 09:53:03 ID:f/dEPTTA
これこそが、釈迦が言ったことだ、だから、あの人は間違っているんだと
いうのを私は、権威主義といいたいのです。
自分、または自分に属するものに権威をつけるのは無意味です。
43神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 09:59:16 ID:zvNHDqyt
>>40
そうです。だから、意訳を解釈する場合に、その言語記号の意味を現代語の用法で解釈しても仕方がないということです。
原典の意味、原典の用法で解釈しないと。
単純に言えば、例えば中村訳で「不滅」と訳されている意味を、
国語辞典に記述されている「不滅」の意味で解釈しても何も分からないということです。

>>41
仰るとおりですが、それでしたら謙虚に伝統を尊重すれば仏教徒といえるだろう、と仰った方が適切ではないでしょうか?
44神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:01:41 ID:BE5TzeoH
スレ8/485
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/485
>原始仏典に親しんでいる人ならわかってもらえるかもしれませんが、仏陀を・・・

↑ これはオウムなどが報道で騒がれ出した時にも記者たちに出家信徒が「本を読んでみて下さい」
と言っていたことと似ています。つまり、自ら物語だと証明してるのです。(笑

■原始仏典や聖書を読んで初めてその世界が分かるということは、単なる物語・本・・と変わらない。
  読まなくても<万人>に悟らせる力があるのが本物の神仏でしょう!!■

スレ8/490
>宗教を攻撃することが、世の中をよくすることかな?

あはは・・・攻撃とは又、被害妄想なw 野放しの布教はいろいろと危険性がありま〜す。
宗教を一生懸命に布教することが世の中をよくすることかな?

スレ8/500
>仏教の悪魔というのは決して、一神教における悪魔のイメージとは異なるものです。他化自在天という欲天
最高位のとても幸せな境地にいらっしゃる神様のことです。

ほんとの話〜?・・まぁ、言葉のお遊び・物語だけなら何とでも言えて楽しいねン(笑
45神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:03:05 ID:f/dEPTTA
私は、何十年もかけて、生涯をかけて本気で仏道を追求した
過去の僧侶をここの人達が凌駕しているとは思えませんね。
どの宗派でも、ちゃんと極めようと思えば一生物ですよ。
46三代スレ170:2009/02/08(日) 10:04:37 ID:easky3I/
前スレの方へ…
(机さんへの質問でしたが横入り)

>白隠は、カルトのお気に入りです。キリスト教・親鸞・カント・ユング・
>原始仏教・エリアーデ・臨在禅などが、カルトのいつもの「お気に入り
>リスト」です。何故だか、道元は絶対に出てこない。
道元自身が超絶カルトだからでしょう。
下手に触ると火傷します。
机さんは痛覚が麻痺しているっぽいですが…
(だから平気で良寛を讃えられる。机さんみたいな人を全否定しているのに)
47神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:06:03 ID:zvNHDqyt
>>42
ああ、なるほど。それはごもっともです。
釈尊は、外道に対して間違ってるとはいいませんね。
私は、そうは言わないとしか。

しかし、仏教徒に対しては間違っていると言います。
例えば、サーティに対して悪見であり、誤解であり、愚者と断言しておられます。
また、律制定の時も同様です。
48神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:06:34 ID:BE5TzeoH
>>5
生まれた時は誰でも無宗教なのに、カルトの勧誘・書籍にあった為に嵌り宗教被害・犯罪
にあった人達は沢山いるのですょw 自己責任では虫が良すぎて地獄いきでしょw
オチ
49神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:08:55 ID:zvNHDqyt
>>45
全く同意します。私も始めからその立場です。
ただ、そういっても納得されないので文献的証拠を出しているだけです。
証拠を出しても納得していただける場合は、少ないのですが。
50神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:11:16 ID:BXIiWxbN
>30.31
横スレですが有為法と無為法の区別をつけた方が良いと思います。
いろは歌をご存じですか?

言語では表せないものがあるからこそそこに悟入する道(maarga)があります。
あなたは道諦を否定するつもりですか?
51三代スレ170:2009/02/08(日) 10:13:39 ID:easky3I/
41さんへ

>三宝はくだらなくありませんよ。
>伝統を無視した、我見をくだらないというのです。
>ここで議論して、既存の教義に意を唱えることが
>僧に帰依しているとは思えないのですが。
「仏陀は転生(再生誕)を説いたかどうか」について議論するのに、
僧に帰依する必要はありませんよ?
私の見るところ、宝珠さん、カラスさん、机さん、生命教の方、その他このスレに常駐する方
の過半は仏教徒ではありませんから、この手の忠告は無意味でしょう。

52神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:14:36 ID:LM3VXofJ
僧というのは、悟りを開きたいと願う心のことを指すのでは?
53神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:15:01 ID:zvNHDqyt
>>50
その方には仏教体系の用語は通じないと思います。
ただの常識教の方、現法ネハン論者ですから。
54神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:16:11 ID:zvNHDqyt
>>52
違いますよ。一体誰がそんなこと言ってるんですか?
55宝珠愚者:2009/02/08(日) 10:16:54 ID:RTPcX/x2
>>29
>それで当時のバラモン達も指導者たちからしてこぞって帰依して、ニルヴァーナに実際に到達しました。

 当時、解脱した覚者など他には誰もいなかったからです。

>実践に関する「ある姿勢」がゴータマ仏陀の肝です。
>そこで決定的に違っていたのが、「無我」という姿勢です。

 勿体つけずに解説を存分に提供して下さい!私だけでなく、皆さんの勉強になります。
56宝珠愚者:2009/02/08(日) 10:19:20 ID:RTPcX/x2
>>30-31
>では、「境地」という言葉の意味分かります?
>「ベートーベンの境地」に達したと言ったら、実際に私はベートーベンではないということです。
>「不滅の境地」ということは、実際は不滅ではないということです。
>一切は無常なのですから、不滅のものなどありません。

 境地とは修行者の状態、場所やステージであり、ここでは「意識の状態」のことをいうのです。不滅の意
識とは肉体と共に消滅するのものではなく、それ故に、これは無常と対極にある世界を指すのです。
 仏教の目指す境地は、その無常なる世界からの解脱なのです。無常ではない自己ということは、それは
不死であり、永久不滅の意識境なのです。

>「この世」は普通に「今時分が生きている世界」と解して何も問題ないでしょう。

 それは問題ない。ただし、この世における在り方において、その結果としてニルヴァーナに至るのです。
“無常なる縁起・空の世界”から脱するために生涯をかけて修行するのです。

 死を恐れないことが不死であるとか、そういうことではない。それならインドの出家行者の大多数はとっく
に達成している。不生の境地といえば、そりゃ〜転生などは最初からない。それを悟ることだ・・などと愚か
なことをいう人も多い。単に死を恐れないとか、輪廻転生などは迷信であるとして悟ることとか・・全くそうい
うことではない。6年麻麦の行では、ゴータマは何度も死んだと噂されたという。ゴータマは、そんなことを知
るために命懸けの苦行をしたわけではない。
 ネット検索しても、仏教の目的が不死であり、それは「永久不滅の境地である」と、はっきりと示したもの
は見つからない。どうやら〜皆んな自信がないんだなぁ・・誰も分ってない。

 私は個人的には仏像に関心がありませんが、唯一、自分の心が惹かれるのはこの苦行像だけです。こ
の姿にこそゴータマの思いがすべて込められ、それが表現されている。仏教は何故、修行するのか?何
のために?その目的とは?その基本に立ち返る必要がある。
http://www.ukima.info/meisho/kawaguti/seikouin/kugyo.htm
57宝珠愚者:2009/02/08(日) 10:19:41 ID:RTPcX/x2
 『諸のつくられたものは無常である。生じては滅びる性質のものであり、生じては滅びる。それらの静まる
ことが安楽である。』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ6:10、テーラ・ガーター1159、
サンユッタ・ニカーヤ1-5etc.)」

 あなたは無常から外れるものはないものと思っている。いや、あなただけでなく、輪廻を否定する実に多
くの自称仏教徒たちもそうみなしているのです。ではこの経文の、“無常の性質が静まる”境地とは一体、
何か?あなたの理解だとそんなものはないことになるのです。いいでしょうか、ゴータマがここで示そうとし
ているのは、無常なる世界からの解脱なのです。

 『解脱した人には現世も来世も存在しないということは、インド一般に諸宗教を通じての理想であり、ジャ
イナ教や叙事詩にも説かれているが、原始仏教はそれを受けているのである。原始仏教で解脱というの
は、《この世における生と死とを捨て去ること》(スッタニパータ:1097)である。解脱の境地においては、生
死が存在しない。修行を完成した者は《生死を明察せる者》(スッタニパータ:484)である。この究極の境地
は、「不滅の領域」、「不滅の境地」といい、あるいは単に「不死」とも称する。また単に「不老」ともいうので
ある。
 そして仏教はこのような最高目的に達することを教えているものであるから、仏教は「不死の門」、「不死
の獲得」であり、修行者は「不死の境地を見る」のである。
 生死を超越するということは、また現世も来世も超越するということである。修行者は《この世をも、彼方
の世をも希求することなし。》(スッタニパータ:779)といい、したがって現世のみならず来世にも執着しないの
である。・・・
 《人々は渇にたとえられる妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われている。故につとめて妄執を捨てよ。
そして再び生存状態に戻らないようにせよ。》(スッタニパータ:1120-1123) 』
(『原始仏教---その思想と生活』中村元著)

 残念ながら、今の私にはこれ以上の説明をする術がありません。認めたくない人にはその自由もあるで
しょうから、どうぞ好きにして下さい!
58神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:20:44 ID:LM3VXofJ
>>54
じゃあ、つるつるにして袈裟きてるという形の方に意味があるの?
坊さんを敬うのは、その精神性に敬意を示したいからじゃないの?

一休さんとかは
袈裟だけ座布団の上に置いて、自分は家に帰っちゃったりしてるけど、
そういう意味なんじゃないの?
59神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:21:44 ID:LM3VXofJ
原始経典でも、行いが正しい者は物理的に遠くにいても釈迦の近くにいる、
行いが悪い者は物理的に近距離にいても釈迦の遠くにいる、みたいな言葉なかったっけか?
60神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:23:18 ID:LM3VXofJ
大体、二宝に帰依するのに、もういっこの宝には帰依する必要がないという時点で、
もう宝じゃないでしょう。
61神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:27:32 ID:+zTlIpZG

ブッダは有無(輪廻、アートマンなど)の二辺に捕らわれず、メタコードたる中道を説く
したがって、ブッダは「これ」を説くということがない

上記を無分別直覚し得ればこのスレを厭離せよ

62宝珠愚者:2009/02/08(日) 10:27:46 ID:RTPcX/x2
>>51
170さんは、
仏典の記述においては輪廻転生が説かれていると素直に受けて入れており、
その教えにも矛盾はないと見なしているようですから、
私は170さんとは特に議論の必要は感じてはいません。

ただ170さんは、どうも人の投稿の批判だけであり、
これまで何も、自らの論を展開されていないように見受けられます。
何故、自ら説明のために投稿されないのでしょうか?
その点は如何ですか?
63神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:32:56 ID:zvNHDqyt
>>58
誰が言ってるか教えていただきたいのですが。

「悟りを開きたいと願う心」これは菩提心と言われます。

僧というのは、本来お坊さん個人のことを指すのではなく、
教団を指します。サンガといいます。釈尊の定義は、このように。
「仏の弟子サンガは、妙行をそなえ、質直行をそなえ、如理行をそなえ、
正行をそなえている。すなわしそれは四双八輩である」

四双八輩というのは、アルハットなど八種類の聖者です。
つまり、本来サンガは、仏教の悟った聖者の集団という意味です。
64神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:35:28 ID:+zTlIpZG
これを説くことがないブッダが分別経典を残す愚をするわけがない。

愚かしい議論だ

上記を無分別直覚し得ればこのスレを厭離せよ


65神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:36:26 ID:zvNHDqyt
>>62
いや、 宝珠さんと170さんは違うでしょう。
170さんはアートマンを認めるとは思えないし、
神智学を仏教と同じとは言わないでしょ。
もうちょっと、自覚してくださいよ。

神智学を仏教ということに賛成する可能性があるのはカラスさんぐらいでしょう。
66神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:37:33 ID:LM3VXofJ
いやぁ、ほんとに教条主義の人なんだね。
サンガの意味とかは知ってるよ。
ただ、そこまで文献学路線とは思わなかっただけ。
自分も大学で文献学やってたことはあるから、その思考自体は理解できるよ。
あんまり先がないけど、整理するのには必要な思考だね。
67神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:37:48 ID:BE5TzeoH


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


いくら古文献に基づいて議論してみても、釈迦の真意は絶対に確認する
方法はないのだから無意味。

釈迦自体も無意味。重要なのは、釈迦が発見した、「現代にも通用可能」な

「普遍の法則」のみ。☆★

いい加減で「根拠も定かでない古文献漁り」や、それに基づく「観念の
遊戯」は止めて、釈迦が発見した「現代にも通用する普遍の法則」のみ
を語ったらどうかね。 ★☆

「一度きりの人生の貴重な時間」の壮大な無駄以外の何物でもない。 ☆

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


68神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:39:02 ID:LM3VXofJ
人生が一度きりかどうかは分らないけどね。
69神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:40:42 ID:+zTlIpZG
解脱したとするものは解脱していない

解脱は説きようがない

上記を無分別直覚し得ればこのスレを厭離せよ
70神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:47:32 ID:zvNHDqyt
>>66
そうですか。文献学にしろ伝統仏教にしろ、
僧の意味は、基本中の基本でしょう。
仏法僧をよく認識して帰依することから仏教が始まるわけですから。

もちろん、信仰の立場ではただひたすらありがたいという法もありかと
思いますが、ここは議論・分析の場でしょう。
71三代スレ170:2009/02/08(日) 10:47:40 ID:easky3I/
宝珠愚者さん(62さん)へ

>仏典の記述においては輪廻転生が説かれていると素直に受けて入れており、
普通に仏典を読む限り、そうとしか言えないでしょう?
実は初代スレの時点で決着はついています。
並川さんや松本さんにすがって、悪あがきをしようとする奴らがいるだけかと。

>その教えにも矛盾はないと見なしているようですから、
さあ、それはどうでしょうね?
実は意図的に触れないようにしています。
「仏陀は転生(再生誕)を説いたかどうか」は、
「私が輪廻についてどう考えているか」とは関係ないですからね。
ただ、お釈迦さんは好きだとは言っておきましょう。

>ただ170さんは、どうも人の投稿の批判だけであり、
>これまで何も、自らの論を展開されていないように見受けられます。
>何故、自ら説明のために投稿されないのでしょうか?
「仏陀は転生(再生誕)を説いたかどうか」の議論については、
名無しの皆さんが既に詳細な議論をしています。
有益な学術論文の紹介とか実に助かります。
あえて、私が口をはさむ必要はないかと…
…ただねえ、確信犯的にデタラメ(「仏教は流血とは無縁だ」とか)を垂れ流す奴や、
私の愛するキチガイ連中(道元とか良寛とか)を卑小な野狐禅の枠に押し込めようとする
奴を見ると、我慢できなくなりましてね。まあ、忍耐が足りないやつと思ってくだされば結構です。
72宝珠愚者:2009/02/08(日) 10:47:57 ID:RTPcX/x2
>>65
誰もそんなこと(同じであるとか)は述べてませんよ。
170さんが、アートマンや神智学を肯定してるわけではないことくらい、
この私は承知しておりますが・・何か?

神智学を仏教と同じとはこの私もいってはいません。
目指す境地は同じですが(私の立場から見れば)。
73神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 10:54:05 ID:zvNHDqyt
>>72
>目指す境地は同じですが(私の立場から見れば)。

これが同じだということです。
仏教徒でそれを認める人は、まずいないでしょう。
たぶん、ヒンドゥーからも文献学者からも軽蔑されているように見受けられますが。

クートフーミ導師とモリヤ導師とか、
74宝珠愚者:2009/02/08(日) 11:02:50 ID:RTPcX/x2
>>71
>普通に仏典を読む限り、そうとしか言えないでしょう?
>実は初代スレの時点で決着はついています。
>並川さんや松本さんにすがって、悪あがきをしようとする奴らがいるだけかと。

はい、同意します。
全くその通りだと思います。

 ま〜これまで、度々170さんに叱られながらも脱線しながら投稿してきたというのも、170さんのいうように、
「普通に仏典を読む限り」では、決着はとっくについてしまってるからですよ。
 しかし、それでは本当にただ終了してしまうので・・。すぐに終了したのでは、これまで通りと同じになってし
まう。

 「悪あがきをしようとする奴らがいるだけ」というのも、やはり納得できない人がいるということであり、議論
の場としては在った方がよい、と思うからです。次々の新しい人も読み、そして投稿してくるわけだし・・。
 ご存知の通り、この私はもう、出てくるのは辞めようと思ったのです。決着はついてるからでした・・。
今回の再登場は、限定的な投稿枠を脱して、もっと自由な観点から様々な意見を上げようと思い直したから
です。

 170さんの正直な見解が分ってよかったです。

>実は意図的に触れないようにしています。
>「仏陀は転生(再生誕)を説いたかどうか」は、
>「私が輪廻についてどう考えているか」とは関係ないですからね。
>ただ、お釈迦さんは好きだとは言っておきましょう。

 なるほど納得しました。
ありがとうございました!
75宝珠愚者:2009/02/08(日) 11:12:34 ID:RTPcX/x2
>>73
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/303-304
http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/all/index.html
大アジア思想活劇--仏教が結んだもうひとつの近代史/佐藤 哲朗

日本仏教の中には神智学を取り入れた派もある・・。

まっ、わからない者には言われたくもありませんね。
このスレでは神智学について解説する意図はありません。
76宝珠愚者:2009/02/08(日) 11:19:39 ID:RTPcX/x2
>>73
>仏教徒でそれを認める人は、まずいないでしょう。

わたしから見れば、
ゴータマの教えすら理解できないのが、あなたがた自称-伝統仏教徒です。
であるから、私はこのスレを立てそして投稿してるのです。
あなたがた伝統仏教徒に任せておけないからです。
77神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 11:23:43 ID:zvNHDqyt
>>75
それは一時の流行で、派ではなく人でしょう。
しかも、日本仏教は、明治の廃仏以来、ほとんどなんでもありですから、
日本仏教の一部の行動は、なんの根拠にもなりません。
78神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 11:29:22 ID:zvNHDqyt
>>76
そうですか? あなたの誤解は文献的にきっちりと何度も指摘してきたのですが、
あなたは自覚しようともしないだけでしょう。
79宝珠愚者:2009/02/08(日) 11:42:03 ID:RTPcX/x2
>>77
まっ、それについては否定はしません。

昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年に神智学の影響を受け鞍馬弘教を開宗。
1949年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E9%A6%AC%E5%AF%BA


 神智学徒といえども原始仏典を読む人は多くはいない。私は仏教界の状況に憂いを感じるから、こう
して投稿してるのです。葬式仏教との批判も出てから、すでに久しいが、この迷信的な日本の惨状はど
うなのか?
 あなたは自称、伝統の正統仏教徒なのでしょう?もちろん輪廻転生くらいは認めるんですよ?でないと、
話にもならない。もし、続けて投稿されるのであれば、コテハンにして頂きたい。
 どこがあなたの意見なのか分り難い・・。
80神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 11:42:41 ID:EuZeioyn
>>71
>普通に仏典を読む限り、そうとしか言えないでしょう?
>実は初代スレの時点で決着はついています。
>並川さんや松本さんにすがって、悪あがきをしようとする奴らがいる
>だけかと

そのような言い方は、キリスト教崩れの超オカルト宗教である神智学教徒
の宝珠愚者氏の洗脳を強化するだけではないかね。現に彼はすっかり
舞い上がっている。

並川氏の近著は、従来の見解をすべて検討した上での最新の成果のはず
ですよ。現代のすべての非宗教者にも、十分に説得力を持っています。
それに反発して「悪あがき」しているのは、まさに宝珠愚者、カラスな
どの一握りキリスト教崩れのカルトだけではありませんか。若しかして、
あなたも同類?あなたには、イエス批判という踏み絵が踏めますか。

キリスト教に比べて、仏教による流血が圧倒的に少ないのは事実でしょう。

道元は超カルトだと言われるが、それはカルトを破壊する要素を持っている
ということではありませんか。だから、カルトが、こぞって敬遠して
いるのです。

あなたの意見では、現代人の視点からの「仏教の中心思想」は何ですか。
81宝珠愚者:2009/02/08(日) 11:49:50 ID:RTPcX/x2
>>80
>そのような言い方は、キリスト教崩れの超オカルト宗教である神智学教徒の宝珠愚者氏の
>洗脳を強化するだけではないかね。現に彼はすっかり舞い上がっている。

なにを・・。
この私は並川氏のような研究は必要であるといったではありませんか!
あなたもこのスレが、そんなにお気に入りであるなら、そろそろコテハンにして下さいよ。
まっ、あなたの文章は独特な異彩が放ってるから、すぐに分りますが^^
82神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 11:54:03 ID:zvNHDqyt
>>80
>並川氏の近著は、従来の見解をすべて検討した上での最新の成果のはず
>ですよ。現代のすべての非宗教者にも、十分に説得力を持っています。

並川さんの著作は、和辻説に荒巻説を足して、しかも「最古層は輪廻に否定的」という詭弁を使用したもので、まっとうな学者は誰も取り上げない酷いものです。

優秀な学者で釈尊は輪廻を説かないなどと言う方は、もういませんよ。
83机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/08(日) 12:02:22 ID:nQKaBiQi
>>46
>道元自身が超絶カルトだからでしょう。

道元というのは、頭が良くて権力へ取り込むのが上手い。
明智光秀や神秀とキャラは似てますね。
(始祖・達磨は、たとえ権力が寄ってきたとしても拒否してたんですが)
禅というのは、権力とは融合しない。ってのが元々は法灯だったのです。
(道元はあまり魅力は感じない)

>(だから平気で良寛を讃えられる。机さんみたいな人を全否定しているのに)

良寛というのは自己投影なのですよ。
これは禅に関心がない御仁であっても、そこは一応のコンセンサスはあるかと思いますね。
人生の哀愁であったり、歓喜であったり・・・
“大愚”というのは、そういった人間として感応する部分が惹き付けるのです。
(良寛というのは、その生き方そのものが菩薩道ですね)
良寛に学ぶところは沢山ある。
84神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 12:25:02 ID:EuZeioyn
>>82
>優秀な学者で釈尊は輪廻を説かないなどと言う方は、もういませんよ。

並川氏は、原始仏典が(釈尊ではない)、「なぜ輪廻転生を説かざるを
得なかったか」の背景と理由を、分析しているのですよ。あなたは、並川
氏のその著書を、すでに熟読されましたか。

仏教を「現代人の視点から見ることができる」優秀な学者にとっては、
並川氏の見解が、今後は主流になるはずですよ、いつまでも「輪廻転生」
では、現代人には通用しません。

>>83
>(道元はあまり魅力は感じない)

魅力を感じる感じないではなくw、その思想と、カルトが道元を敬遠する
理由についてお伺いしているのです。

85三代スレ170:2009/02/08(日) 12:37:21 ID:easky3I/
>禅というのは、権力とは融合しない。ってのが元々は法灯だったのです。
私は権力に対して冷淡な道元、大好きです!
世俗にす擦り寄る野狐禅の徒は、道元の反権力な立場を見習うべきですね♪

>良寛というのは自己投影なのですよ。
>これは禅に関心がない御仁であっても、そこは一応のコンセンサスはあるかと思いますね。
>人生の哀愁であったり、歓喜であったり・・・
野狐禅の徒に対する、良寛の憤怒についてはどう思われます?
私は深く深く共感するものです。
86神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 12:41:06 ID:S6HFZ5W3
>>40
>>43

(スッタニパータ)
453 真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。

やはり「不滅」という言葉は、「もう滅するものがない」、ということではなく、「滅しない」、「永遠」という意味で、
使われているようだが。
87神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 12:46:33 ID:S6HFZ5W3
>>50

言語で表せないものは、妄想と区別できないのです。
人間は自分の脳の中で推論することにおいても、
言語を用いなければ論理的な判断は不可能です。
逆に、そのような判断は全て言語化できます。

あなたが何か神秘的体験をして、何かを悟ったつもりになったとして、
それが錯覚や妄想でないという保証はどこにありますか?


88初代スレ7:2009/02/08(日) 13:00:36 ID:6JRrOz2o
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230651094/520
※「認識の限界」については、肯定否定双方を(同時に)批判する視点・考え方が存在する。
  肯定派否定派それぞれがそれぞれに反論を用意すべき面もある。
  どちらも、ヒトの知覚認識に関わることであり、
  (人の“知覚の制限・限界”或いは“考察の限界”を極限まで突き詰め)
  五感の入力そのものをも懐疑の対象に据える時、
  確かなものは「今ここに、この思惟がある」ただそれだけとなる。
  その「“思惟内容”を担保するもの」は何一つない。 (その“思惟するもの(者)”もまた担保されない。)
89神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:03:39 ID:Fzh4VOh1

あきらかに釈迦はあの世を肯定している。
肯定できないのは釈迦以下だから。
90神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:09:34 ID:S6HFZ5W3
>>56

>  境地とは修行者の状態、場所やステージであり、ここでは「意識の状態」のことをいうのです。

ステージである点はいいでしょう。物理的に実在する場所ではありません。

>不滅の意> 識とは肉体と共に消滅するのものではなく、それ故に、これは無常と対極にある世界を指すのです。
仏教の目指す境地は、その無常なる世界からの解脱なのです。無常ではない自己ということは、それは
不死であり、永久不滅の意識境なのです。

そう言い張っていますが、その根拠、証拠かどこにあるのでしょうか?

> >「この世」は普通に「今時分が生きている世界」と解して何も問題ないでしょう。
>
>  それは問題ない。ただし、この世における在り方において、その結果としてニルヴァーナに至るのです。
> “無常なる縁起・空の世界”から脱するために生涯をかけて修行するのです。

ニルヴァーナはこの世において人間が到達する精神のレベルのことです。そもことは仏典の最古層から読み取れます。
「不滅」や「過去世」という言葉だけを見て、それが実在する、現実の話である、と思うのはナイーブすぎます。
誰かが「お化けを見た!」と大騒ぎしているのを聞いて、やはりお化けは存在するんだ、と思い込むのと同じです。

>  ネット検索しても、仏教の目的が不死であり、それは「永久不滅の境地である」と、はっきりと示したもの
> は見つからない。どうやら〜皆んな自信がないんだなぁ・・誰も分ってない。

誰も言っていないようなことを主張するなら、証拠、根拠を提示して説明しなければなりません。
それができないのであれば、ただの妄想です。
91神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:10:41 ID:zvNHDqyt
>>84
>並川氏は、原始仏典が(釈尊ではない)、「なぜ輪廻転生を説かざるを
>得なかったか」の背景と理由を、分析しているのですよ。あなたは、並川
>氏のその著書を、すでに熟読されましたか。

熟読したのは、和辻、木村、荒巻などですね。
並川さんの『ゴータマ・ブッダ考』は一度読みましたよ。
もちろん。その上で、酷いと判断したわけです。
ところで、あなたは和辻、木村、荒巻、村上、水野、榎本などの
他の学者の諸説を読んだ上で、並川さんの著作を判定してますか?

>仏教を「現代人の視点から見ることができる」優秀な学者にとっては、
>並川氏の見解が、今後は主流になるはずですよ、いつまでも「輪廻転生」
>では、現代人には通用しません。

まさに、そう思ったのが和辻、増谷などですが、現代の優秀な学者は、
増谷はもちろん、和辻の輪廻や無明解釈を支持する人はいませんね。
文献学的にあまりに無理がありますから。

松本、山口、袴谷などを優秀と思う人は少ないですね。
92神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:14:47 ID:S6HFZ5W3
>>57
あなたが引用した中村氏の文章の意味は、来世などはインド一般の信仰としてあったということであって、
来世が実在するということではありませんよ。
93神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:16:10 ID:EuZeioyn
>>68
>確かなものは「今ここに、この思惟がある」ただそれだけとなる

それがデカルト(西洋哲学)の誤謬。人間界は、徹頭徹尾、共同体だから、
他の不特定多数の成員が、我の身体を知覚しない限り、「我は、ない」。
単なる幽霊。我がなければ、思惟も不可能。

正しくは、「我あり。故に我思う」である。
94机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/08(日) 13:16:46 ID:nQKaBiQi
>>84
>魅力を感じる感じないではなくw、その思想と、カルトが道元を敬遠する
>理由についてお伺いしているのです。

道元の時代に破壊僧がおりまして、その僧を口実に布施を拒否する檀家があったのです。
このために道元が在家向けに書いたのが、現成公案、四摂法、道心、の三巻です。

道心には、こんなことが書かれている。
>死んで中有の状態になっても唱え続けなさい。
>ふたたび人間として母親の胎内に宿ったときもひたすら三宝を唱え続けなさい。
中有ってのは、つまり「此の世」と「彼の世」の中間です。→つまり死後49日間のこと。

これはあくまでも在家向けですよね。
まあつまり、どんな理由にせよ布施をしたなら福徳がある。
ってことを示唆するものですね。
(この記述がカルトなどの利用されているんじゃないですか?)

道元は頭がいいですから、策略的には秀でたと思われます。
(ただ、それだけですね)
あまり禅師としては魅力がないです。
95神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:19:36 ID:zvNHDqyt
>>92
そう、解釈できる根拠はなにもありませんね。
釈尊も過去世を体験したという証拠は、他の原始経典に沢山ありますが。

来世も現世も実在すると仏教徒は言いませんよ。
96神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:26:34 ID:S6HFZ5W3
>>91
>増谷はもちろん、和辻の輪廻や無明解釈を支持する人はいませんね。

とする根拠はどこにあるんでしょうか?中村元氏なども、生まれ変わりの思想は
民衆の信仰が紛れ込んだものだと言っていますよ。
97神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:27:03 ID:zvNHDqyt
>>88
その通り。ですが、仏教本来の立場からすればなにも問題ありません。
知覚するものは、縁起だけで、それは実在とは考えないからです。
その縁起によって苦があり、その苦が死を契機として終息せず、輪廻するというのが仏教です。

それは実在ではないが、縁起し苦をもたらす現れ、知覚である。
本来、幻のようなもので、無明による煩悩によって業を造る。
それによって縁起し、苦として縁起しているだけ。
98初代スレ7:2009/02/08(日) 13:41:01 ID:6JRrOz2o
>>97
だからwww

それが個人的妄想・幻想・夢物語でないことは、何によって担保されているんですか?
99神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:43:31 ID:EuZeioyn
>>91
>熟読したのは、和辻、木村、荒巻などですね。
>並川さんの『ゴータマ・ブッダ考』は一度読みましたよ。
>もちろん。その上で、酷いと判断したわけです。

少なくとも、並川氏の最新著「スッタニパータ」(岩波書店)は、購入
して読むべきでしょう。その後の新しい思索の展開や発見が、あるかも
知れないのだから。古い文献ばかり読むのでは、批判はもとより、理解も
不可能でしょう。
100神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:47:14 ID:zvNHDqyt
>>96
中村先生は、和辻の弟子ですから。

経典を読めばあきらかですよ。釈尊が輪廻を体験したと自ら述べています。
『ダンマパダ』153は、成道後、最初の釈説と伝えられるし、
過去世の記憶が結果として知られる宿命通などが、長部経典など、
ちょっと長い体系的に教えを説いた経典に必ず見られる。
サンユッタ・ニカーヤの古層経典と呼ばれる『神々との対話』は、
過去において釈尊と兄弟弟子だった神々が出てきて、
自ら釈尊に我々はかつて兄弟弟子だったと言うと、釈尊もそれを認める。
もちろん『スッタニパータ』四章五章も当然輪廻を前提としてます。


ハッキリと和辻説に反対している方は、水野弘元、津田真一、下田正弘、
宮元啓一、石飛道子、村上真完などがいて、私は、これらの方の方が、
明らかに並川、松本、袴谷、山口などより優秀だと評価しますよ。
ちょっと、勉強した人なら誰でもそう思うでしょう。
まあ、そのなかで津田先生は、ちょっと問題あるかもしれませんが、
101神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 13:51:04 ID:zvNHDqyt
>>99
勘弁してくださいよ。あんなもの読むのは時間の無駄。
あなたは、学者間に学力や能力の差が歴然とあることが分からない。
私は、そのぐらいは分かります。

>>98
それは仏説を信じるかどうかです。
世俗で確実なことは、いつか死ぬことぐらいでしょうw
102初代スレ7:2009/02/08(日) 14:06:22 ID:6JRrOz2o
>>101
>それは仏説を信じるかどうかです。

なるほど。
結局、(理由・根拠云々は関係なく)、ただ「信じるか」「信じないか」のみが問題なわけですねw

ところで、一応聞いてみますが、
>>97一言目のように)>>88がその通りであるなら、
仏説が信じるに足る理由は、どこにあるんでしょうね?w



ノシ
103神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:08:04 ID:EuZeioyn
>>101
>勘弁してくださいよ。あんなもの読むのは時間の無駄。
>あなたは、学者間に学力や能力の差が歴然とあることが分からない。
>私は、そのぐらいは分かります。

並川氏は仏教学者だから、仏教については、神智学信者のあなたより
はるかに調査も思索も重ねられていることは確かでしょう。

神智学のあなたの考えに合致するのが、「優秀な仏教学者」とはw。
むしろその逆ではありませんか。

学問とは、従来の見解を比較検討し、それから一歩進めることですよ。

あなたは、少なくとも、仏教については、何も語る資格はありません。
104如来不説:2009/02/08(日) 14:10:15 ID:32TLLtph
>>75-76
その本に書かれてあることは、全体をしっかり読めば、神智学会とは最終的にスリラ
ンカ仏教界が離れていったという話のはずですよ。

オルコット会長(もちろん、ブラヴァツキー夫人も)は三帰依したそうですが、
そもそも宝珠愚者さんは三帰依しているのでしょうか?
105神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:13:28 ID:zvNHDqyt
>>102
縁起と知覚のみということに矛盾がないと思いますが、違いますか?

>>103
>並川氏は仏教学者だから、仏教については、神智学信者のあなたより
>はるかに調査も思索も重ねられていることは確かでしょう。

あの、私は神智学と仏教は違うから一緒にしないでくださいと、
ずっと宝珠さんに言ってますよ。
私は伝統的仏教徒です。一応、梵パ蔵漢は、読めます。
106神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:13:42 ID:S6HFZ5W3
>>100
>経典を読めばあきらかですよ。釈尊が輪廻を体験したと自ら述べています。

経典で釈尊が輪廻を体験したと自ら述べていたらそれが事実になるのですか?
では、私が新しい経典を書いて、釈尊を主人公にして、「私が過去に説いたとされる輪廻の話は全て事実無根です」
と言わせれば、それが事実になるのですか?

>もちろん『スッタニパータ』四章五章も当然輪廻を前提としてます。

4章5章には「輪廻」という言葉はただの一度も出てきません。それでなぜ輪廻が前提だなんて言えますか?
輪廻という言葉だけではなく、生まれ変わりの概念自体が見られません。

>ハッキリと和辻説に反対している方は、水野弘元、津田真一、下田正弘、
宮元啓一、石飛道子、村上真完などがいて、私は、これらの方の方が、
明らかに並川、松本、袴谷、山口などより優秀だと評価しますよ。
ちょっと、勉強した人なら誰でもそう思うでしょう。
まあ、そのなかで津田先生は、ちょっと問題あるかもしれませんが、


それぞれが仏教についてどう述べているかということと、ブッダについてどう述べていることは分けなければなりません。
仏教については輪廻を説いていると述べていても、それはブッダについても同じとは限らないからです。
また、水野弘元さんも「元来業報説は仏教の教学からすれば、低い立場の通俗説にすぎない。…従って業報説は当時の正しい常識説にすぎず、
それから進んで仏教本来の立場に入らせるための予備的な前段階のものにすぎなかった。」
と著書で述べておられますよ。
107神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:23:30 ID:zvNHDqyt
>>106
あれ、ここの問題は、釈尊が輪廻を説いたかでしょう?

私は、輪廻が科学的検証に耐えるかなどといった問題には興味もないし、
またそれをなす素養もありませんからw

>輪廻という言葉だけではなく、生まれ変わりの概念自体が見られません。
それは事実と違いますね。いつも繰り返しですが、
801-803, 836, 864, 865, 1009 がありますね。
たとえ、ニッデーサで註釈されてないとしてもあることは事実です。
また、ニッデーサで註釈されてないものを除いても、生まれ変わりを前提としていることは明らかでしょう。
ニッデーサでも、生まれ変わりと註釈してますし。
それを、あなたは素直に読まずに強引に曲解しているだけです。
108神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:34:57 ID:S6HFZ5W3
>>107
ですから、釈尊自信が輪廻を説いたかどうかの話です。
輪廻の科学的検証の話などしましたか?

スッタニパータ最古層で、来世という言葉が出てくるのはわずか三箇所です。
801、854, 865です。
そして前世という言葉はわずか一箇所、1009だけです。
また内容を見ても、さらっと前世、来世の言葉があるだけで、その内容については全く踏み込んでいません。

これではとても、ブッダ自信が説いたことだなどという確証は得られません。
むしろこれだけ少ないのだから、少なくともブッダの中心思想ではない、あるいは
ブッダ自信の教えにはなかったと解釈するのが自然でしょう。
109神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:42:07 ID:S6HFZ5W3
>>108
そして内容を見れば、たとえば801の前後は、

800 かれは、すでに得た(見解)[先入見]を捨て去って執著することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。人々は(種々異なった見解に)分かれているが、かれは実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。
801 かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、かれには何も存在しない。
802 かれはこの世において、見たこと、学んだこと、あるいは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも構えていない。いかなる偏見をも執することのないそのバラモンを、この世においてどうして妄想分別させることができるであろうか?

つまり「来世」について「願うことがない」「断定を下して得た固執の住居は、かれには何も存在しない」と言っているのであり、
「来世」などというのは妄想、(間違った)断定、なのだから「願うことがない」と言っていることが分かるでしょう。
つまり「来世」という言葉があるからといって、「来世」の実在を説いているのではなく、全く逆で、「来世」など願うな、と説いているのです。
どこにも「来世は実在します」などという表現は最古層にはありません。
110神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:43:55 ID:9AlhyLS6
>>108

スッタニパータ
661 嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながら゜わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。
両者とも行為の卑劣な人々であり、死後にはおの世で同じような運命を受ける(地獄に墜ちる)。
111神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:51:08 ID:zvNHDqyt
>>106
>経典で釈尊が輪廻を体験したと自ら述べていたらそれが事実になるのですか?

なるほど、これは私が誤読しました。失礼。
それじゃ、スッタニパータを検証しても無駄ですね。
テキストを離れて何か客観的な証拠でもあるのでしょうか?

>>108
>スッタニパータ最古層で、来世という言葉が出てくるのはわずか三箇所です。
>801、854, 865です。
>そして前世という言葉はわずか一箇所、1009だけです。
>また内容を見ても、さらっと前世、来世の言葉があるだけで、その内容については全く踏み込んでいません。

先ず、あなたの前言とは違いますね。
>輪廻という言葉だけではなく、生まれ変わりの概念自体が見られません。

次に『スッタニパータ』は短い核心的な経典です。
そして高度な行者からの問答から構成されています。
輪廻のような行者の共通認識が問題になることはないのは当然です。

112神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:51:24 ID:9AlhyLS6
ダンマパダ

15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。
かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。

16 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。
かれは、自分の行為が淨らかなのを見て、喜び、楽しむ。

17 悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。
「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦悩のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。

18 善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。
「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。
113神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:52:08 ID:zvNHDqyt
>>108
>むしろこれだけ少ないのだから、少なくともブッダの中心思想ではない、あるいは
>ブッダ自信の教えにはなかったと解釈するのが自然でしょう。

複数の人がいうように誰も輪廻が仏教の中心思想などと思ってません。
必然的前提だとみな主張しているのです。
それから、ウパニシャッドで成立し、苦行者文学の中で受け入れられた
輪廻が、釈尊だけ受け入れず、
ジャイナも仏弟子も釈尊の意図に反して輪廻を導入したとするのは、
あまりにも不自然でしょう。

なぜ、そう考えるのがあなたにとって自然だと思えるかといえば、
それはあなたに論理性がなく、思いたいように考えてしまうからです。
114神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:56:23 ID:zvNHDqyt
>>109
>つまり「来世」という言葉があるからといって、「来世」の実在を説いているのではなく、全く逆で、「来世」など願うな、と説いているのです。
>どこにも「来世は実在します」などという表現は最古層にはありません。

あの〜、仏教徒でもジャイナでもヒンドゥーでも「来世は実在します」とはいいませんし、
「来世」を願うことは否定されます。
それは輪廻だから、苦だから、幻だから。
これは、仏教以前の、インド宗教の根本原則ですよ。

あなたは、こんなことも分からない、つまり基本的知識を欠いていることを自覚してくださいよ。
115神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:58:18 ID:S6HFZ5W3
>>111
テキストしか手がかりはありませんよ。
テキストしか手がかりがないのであれば、その文献学的、考古学的研究を行って史的ブッダに接近するしかないのです。
そして、最も古い部分には見られない概念が後世に増えてきたということが分かれば、その概念は史的ブッダが説いたもの
ではなく、後世に挿入されたものだろうということが十分類推できるのです。

>>先ず、あなたの前言とは違いますね。
>輪廻という言葉だけではなく、生まれ変わりの概念自体が見られません。

生まれ変わりを現実の事象として説いた概念としては、ということです。言葉足らずでした。

>そして高度な行者からの問答から構成されています。
輪廻のような行者の共通認識が問題になることはないのは当然です。

根拠のない憶測です。低レベルな質問もたくさんあります。
仮に輪廻が共通認識だったとしても、それは単に信仰としての共通認識であり、ブッダがそれを事実として説いたなどという
証拠はどこにもありません。
116神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 14:59:53 ID:S6HFZ5W3
>>114
いや、だから、それがインド宗教の根本原則であることは、
ブッダ自信が生まれ変わりを「事実として説いた」という根拠にならないと言っているのです。
117380:2009/02/08(日) 15:06:17 ID:BXIiWxbN
>87/108/109
あなたに何を言っても、あなたが理解できないのは十分理解しております。
さて、それにしてもあなたに賛同する人が居ないのはどうしたわけでしょう?
常識的に考えどう思われます?
恣意的にテキストを読み替えても、自身の曲解をますます堅固にするだけですが?
あなたはSPを唯一の仏説だと信じているようですが、
律蔵をぜんぜん参照していませんね。
所詮、他人の借り物の知識では説得力はありません。
学術的に陳べたいのなら、少なくとも仏教のみならずインド思想史全般の基礎知識と
語学力を身につけることが先決だと思います。
118神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:08:25 ID:zvNHDqyt
>>116
>いや、だから、それがインド宗教の根本原則であることは、
>ブッダ自信が生まれ変わりを「事実として説いた」という根拠にならないと言っているのです。

「事実として説いた」に主張がシフトしましたねw
少なくとも生まれ変わりを説いたことは認めるということですか?

また、「事実」とは仏教でどのように説かれる概念ですか?
119神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:09:43 ID:9AlhyLS6
来世が無いのなら、来世を願うな というのはおかしいですね。
来世を願う故に来世がある。と普通に解釈できませんかね?
120神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:10:02 ID:S6HFZ5W3
>>117
仏教史について学びたいのであれば、あなたのおっしゃるとおりです。
そして一時期私も専門的に学んでおりました。
また、SPを唯一の仏説だと信じているわけでもありません。
しかし、SPの最古層にない部分、最古層の教説と矛盾するような部分一切は、「史的ブッダの思想」としては
疑ってかからなければならないと思っております。

>さて、それにしてもあなたに賛同する人が居ないのはどうしたわけでしょう?

全くいないとも思いませんが、このスレで賛同者が少ないのは、伝統的ドグマに毒されている人が多いからです。
121380:2009/02/08(日) 15:14:00 ID:BXIiWxbN
>ブッダ自信が生まれ変わりを「事実として説いた」という根拠にならないと言っているのです。
かなり論点が後退していますが・・・・
あなたはsamsaaraは生まれ変わりを意味しないと言い、
ブッダは生まれ変わりである「輪廻」を説いていないと断言してましたよね?

しかし、まあその通りですが?
ブッダのみならずインド哲学は輪廻を無明を原因とする夢幻である、と説いていますが?
それがどうしました?
122神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:16:15 ID:S6HFZ5W3
>>118

> 少なくとも生まれ変わりを説いたことは認めるということですか?

「生まれ変わりを説いていない」と表現すれば、通常「事実として説いていない」という意味であることは分かるでしょう。ここで誤解されるとは
思いませんでした。

例えば、ガリレオが「天動説を捨てなさい」と説いたとして、それをガリレオが「天動説を説いた」と表現しますか?


> また、「事実」とは仏教でどのように説かれる概念ですか?

意味が分かりません。事実は事実です。ブッダの考察の対象は、人間に知覚できるもの(=一切)です。
123神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:18:28 ID:S6HFZ5W3
>>119
>来世を願う故に来世がある。と普通に解釈できませんかね?

ではあなたは永遠の命を願ったら、永遠の命があるのですか?
亡くなったペットが生き返ることを願ったら、生き返りがあるのですか?
銀行口座に1億円あるといいなあ、と願ったら、そこに一億円あるのですか?

願うことと、事実は無関係です。
124神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:20:12 ID:zvNHDqyt
>>122
>意味が分かりません。事実は事実です。ブッダの考察の対象は、人間に知覚できるもの(=一切)です。

これを事実とすれば輪廻は事実でしょう。
釈尊は、心の対象として輪廻を直接知覚したと、
さまざまな経典で説かれてます。
125神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:20:17 ID:S6HFZ5W3
>>121
その通りと認めるなら、それでいいのです。

このスレにはブッダは生まれ変わりを事実として説いたと主張している人がたくさんいるのですから、
それへの反論です。
126神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:22:30 ID:S6HFZ5W3
>>124
輪廻の定義が曖昧です。生まれ変わり現象の意味で使っているのなら、
そんなものはブッダの思想ではありません。後世の経典にいくらそう書いて
あってもです。
127神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:23:15 ID:9AlhyLS6
ダンマパダ
第二十二章  地 獄 
306 、いつわりを語る人、あるいは自分でしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人、
     ___この両者は死後にはひとしくなる、___来世では行ないの下劣な業をもった人々なのであるから。
307 、袈裟を頭から纒っていても、性質(タチ)が悪く、つつしみのない者が多い。
     かれらは、悪いふるまいによって、悪いところに(地獄)に生まれる。
308 、 戒律をまもらず、みずから慎むことがないのに国の信徒の施しを受けるよりは、
     火炎のように熱した鉄丸を食らうほうがましだ。
309 、 放逸で他人の妻になれ近づく者は、四つの事がらに遭遇する。
     ___すなわち、禍をまねき、臥して楽しからず、第三に非難を受け、第四に地獄に墜ちる。
310 、 禍をまねき、悪しきところ(地獄)に墜ち、相ともにおびえた男女の愉楽はすくなく、
     王は重罰を課する。それ故にひとは他人のなれ近づくな。
311 、 茅草でも、とらえ方を誤ると、手のひらを切るように、修行僧の行も、誤っておこなうと、地獄にひきずりおろす。



128380:2009/02/08(日) 15:23:25 ID:BXIiWxbN
>しかし、SPの最古層にない部分、最古層の教説と矛盾するような部分一切は、「史的ブッダの思想」としては
>疑ってかからなければならないと思っております。
あなたの信仰、信念などどうでも良いことです。

今後インドの考古学が進んで、上座部所伝のSPよりも遡る碑文が出土しても
どうぞ、信じ続けて下さい。
「史的ブッダの思想」などと大上段に構えなくても、100年も前から言われていることですが
未だだれも成功していませんし、そもそもあなたがする仕事でもないでしょう。

>全くいないとも思いませんが、このスレで賛同者が少ないのは、
>伝統的ドグマに毒されている人が多いからです。
あなたの言うところの「伝統的ドグマ」の定義が不明ですが・・
憶測と妄想を掛け合わされても、答えようがありませんね。

まあ、あなたも論が後退しているのはよく分かります。
それに対し、我々は一向に主張はぶれておりません。
129神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:23:55 ID:9AlhyLS6
312 、その行ないがだらしなく、身のいましめが乱れ、
     清らかな行ないなるものもあやしげであるならば、大きな果報はやって来ない。
313 、もしも為すべきことであるならば、それを為すべきである。
     それを断乎として実行せよ。行ないの乱れた修行者はいっそう多く塵をまき散らす。
314 、 悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。悪いことをすれば、
     後で悔いる。単に何かの行為をするよりは、善いことをするほうがよい。なしおわって、後で悔いがない。
315 、辺境にある、城壁に囲まれた都市が内も外も守られているように、
     そのように自己を守れ。瞬時も空しく過ごすな。時を空しく過した人々は地獄に墜ちて、苦しみ悩む。
316 、 恥じなくてよいことを恥じ、恥ずべきことを恥じない人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。
317 、恐れなくてもよいことに恐れをいだき、恐れねばならぬことに恐れをいだかない人々は、
     邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。
318 、 避けねばならないことを避けなくてもよいと思い、避けてはならぬ(必ず為さねばならぬ)ことを避けても
     よいと考える人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。
319 、遠ざけるべきこと(罪)を遠ざけるべきであると知り、遠ざけてはならぬ(必らず為さねばならぬ)ことを
     遠ざけてはならぬと考える人々は、正しい見解をいだいた、善いところ(天上)におもむく。
130神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:24:54 ID:zvNHDqyt
>>126
この時点で輪廻を生まれ変わり以外に私が使うとでも、そういう詭弁だけだからw
131神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:26:39 ID:Zch8PI/d
あら?

仏教の最終目的って、輪廻からの解脱じゃないんですか?

当然、輪廻について説かなければ、輪廻からの解脱について、説けるわけがないと思います。
132神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:26:46 ID:zvNHDqyt
>>128
>今後インドの考古学が進んで、上座部所伝のSPよりも遡る碑文が出土しても
>どうぞ、信じ続けて下さい。
>「史的ブッダの思想」などと大上段に構えなくても、100年も前から言われていることですが
>未だだれも成功していませんし、そもそもあなたがする仕事でもないでしょう。

きついですねw
133神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:27:59 ID:S6HFZ5W3
>>128

> まあ、あなたも論が後退しているのはよく分かります。
> それに対し、我々は一向に主張はぶれておりません。

あなたの主張は知りませんが、私の主張は一貫して、ブッダが「輪廻を生まれ変わりを(現実の現象として)説いたという明確な証拠は無い」
ということです。そして、最古層などを見る限り、「ブッダは生まれ変わりを説いていない可能性が高い」ということです。

もちろんもっと古い碑文が見つかり、生まれ変わりを積極的に説いているような内容が見つかれば、結論は変わります。
しかし現時点では、私の主張は上記の通りです。全くブレても、後退してもおりません。
134380:2009/02/08(日) 15:28:10 ID:BXIiWxbN
>125
あなたは「生まれ変わり」の概念すらないと主張していましたが、
SPの最古層でわずかではあるが言及される、
来世や前世は何だと思います?
135神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:29:23 ID:S6HFZ5W3
>>130
あなたがどういう意味で使うかは問題ではありません。関係ないことです。
経典の中でどのような意味で使われているかが重要です。
136神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:31:08 ID:S6HFZ5W3
>>131
> あら?
>
> 仏教の最終目的って、輪廻からの解脱じゃないんですか?

一部の人の勘違いです。

> 当然、輪廻について説かなければ、輪廻からの解脱について、説けるわけがないと思います。

解脱というのは、この世において、快楽や苦への執着を完全に滅することです。

1085 聖者さま。あなたは、妄執を減しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り越えましょう。」
1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り越えているのである」と。

137神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:31:09 ID:zvNHDqyt
>>135
では、仏教経典で輪廻が生まれ変わり以外の用例を
あげてください。
138神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:33:36 ID:9AlhyLS6
ダンマパダ
423 、 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、
     直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。

139神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:34:33 ID:S6HFZ5W3
>>134
> >125
> あなたは「生まれ変わり」の概念すらないと主張していましたが、

それはあなたの誤解です。私の説明不足かもしれません。

> SPの最古層でわずかではあるが言及される、
> 来世や前世は何だと思います?

当時の人々が漠然と信じていた前世や来世か、あるいは、最古層といってもブッダの死後数十年か100年は経っているようですので、
後から紛れ込んだものかもしれません。時代が下れば、このような紛れ込みはどんどん増えていきます。
140神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:35:44 ID:S6HFZ5W3
>>137

> では、仏教経典で輪廻が生まれ変わり以外の用例を
> あげてください。

そもそも最古層には「輪廻」という言葉自体ありません。
そして輪廻という言葉の原義は「流転する」ということです。
141神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:36:54 ID:9AlhyLS6
曲学阿世。
142神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:37:54 ID:S6HFZ5W3
ID:9AlhyLS6

長々と神話のご紹介ご苦労様です。
143380:2009/02/08(日) 15:39:42 ID:BXIiWxbN
>ブッダが「輪廻を生まれ変わりを(現実の現象として)説いたという明確な証拠は無い」
>ということです。
あなたの言う「現実」「事実」が何を指すのかよくわかりませんが
これは明らかに間違いです。
まず、無自性を説く仏教は客観的事実や現実というものを認めない。
かかる意味で、あなたの言う現実も輪廻も同じレベルで妄分別である。

しかし、ブッダは「輪廻」、それが神話や空想の所産だとしても、現実に衆生の苦しみの原因と
なっていたからこそ、「輪廻」を超える道を示した。

あなたは「お金」が好きですか?
信用によってのみ成り立ち、何の保証も裏付けもない紙切れを、
現実に大切に思っているでしょう?
人様からその金をいただいて生きているわけでしょ?

輪廻も社会的に機能しているなら、十分妄「分別としての現実」です。
夢の中の出来事も、夢を見ている限りにおいて、現実です。
144神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:56:22 ID:S6HFZ5W3
>>143
>客観的事実や現実というものを認めない。

そんなわけないでしょう。それでは現実と妄想の区別の無い精神病です。
客観的事実がないなら、何でも言い放題ですね。
バルタン星人は実在すると言い張っても、誰にも否定できません。
客観的事実や現実というものを認めない教えは事実か否かも関係ないのですから、
何の役にも立ちません。
もちろんそんなものがブッダの教えだという証拠などありません。
145神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:57:40 ID:S6HFZ5W3
>>143
後半については、
「人々が輪廻を妄信している」ということが事実なのであって、
輪廻そのものが事実なのではありません。

この区別がものごとを分析する上で大事です。
146380:2009/02/08(日) 15:58:48 ID:BXIiWxbN
>そもそも最古層には「輪廻」という言葉自体ありません。
>そして輪廻という言葉の原義は「流転する」ということです。
また同じことの繰り返しですか・・・まさに輪廻を体現なさっていらっしゃる。
SP最古層信者さんには申し訳ありませんが
SPの最古層にのみブッダの思想すべてが陳べられている訳ではありません。
三宝の帰依も古層になって初めて現れますが、三宝の帰依も仏教ではないと言うのですか?
サンユッタニカーヤ、サガータヴァッガの韻文も最古層に属するものですが、
もうそろそろご覧になってはいかがでしょうか。

147神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:00:04 ID:MvRc5ijM
専門学者でもなく、徳の高い修行僧でもない、アマチュアの机上のキモヲタ達が、
便所の落書きで、あーでもないこーでもないと排他的論議しても、
何の解決にもならんだろうなw
148神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:01:20 ID:S6HFZ5W3
>>143

> あなたは「お金」が好きですか?
> 信用によってのみ成り立ち、何の保証も裏付けもない紙切れを、
> 現実に大切に思っているでしょう?
> 人様からその金をいただいて生きているわけでしょ?

お金の価値は、それが具体的な「もの」やサービスと交換可能である、ということにより
保証されます。そしてそれは現実のものです。
幻や妄想(たとえば私が紙に鉛筆で書いて作ったお金)とは明確に区別されます。
私の妄想のお金は、現実の商品と交換不能ですから。
149神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:03:33 ID:S6HFZ5W3
>>146
そうではありませんよ。
SPの最古層が全てなどと言っていません。しかしそこにないこと、それと矛盾する内容などは、
仏典にあるからといって、それだけで「ブッダが現実に説いた教え」とは断定できないと申し上げているのです。
150神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:06:54 ID:LM3VXofJ
SPに書いてあるじゃん。どーみても輪廻前提じゃん。
だからって本人の発言とはいえなくね?

この繰り返し。
151tibyaku:2009/02/08(日) 16:07:46 ID:DZePpt4y
輪廻はあの世の導きの指導霊にこの世に生まれ人生の課題をカルマ刈り取りのため

クリアしなさいと命令されてこの世に生まれることは輪廻から解脱していないことになります。

解脱は霊的人生観の確信を深めていくことが出発点であります。

自らの意思で心をコントロールの持続して六大煩悩からは離れていればやがて

解脱を迎えます。神仏の心が手にするように解ってきます。

死後この世からあの世に行くとき真直ぐ如来界へ参入し自由自在の境地になり

もはや人間としての形はとっていません。大きな光のエネルギーを無限に発散

しています。

解脱した如来は真理の法ごのようにといたら良いか研究し法の高みを目指しつ

大教育者として大指導者としてこの世とあの世に光を降ろしてこの世のユートピアと

あの世のユートピアを考えています。

そして千年くらいしてあの世の高次元から救世の情熱で自分で人生設計をして自分で

課題を立て(解脱をしているとカルマはありません)親を選んでこの世に生まれてま

いります。そしてこの世で真理の法を説法して使命を遂行してまいります。

輪廻解脱の説明を終えます。
152380:2009/02/08(日) 16:10:45 ID:BXIiWxbN
>そんなわけないでしょう。それでは現実と妄想の区別の無い精神病です。
仏教を常識か科学だと思っているかたには信じられないでしょう。
しかし、あなたの好きなSP最古層でブッダは世間一般の「世界観」を
妄想であると断じております。
あなたの言う五感によって認識できるものを真であるとは見なしておりません。
五感による意識作用から離れろと説かれています(974.975)。
だからくりかえし出家、遊行を勧めるのです。
残念ですが在家のままで良い、などとは一言も説かれておりません。
ましてナンマンダブでは解脱できません。
SPがお好きなのはよく分かりますが、先入観無しに読まれた方が良い。
153神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:19:13 ID:S6HFZ5W3
>>152
> 仏教を常識か科学だと思っているかたには信じられないでしょう。

どちらも私の考えではありません。

> あなたの言う五感によって認識できるものを真であるとは見なしておりません。
> 五感による意識作用から離れろと説かれています(974.975)。

ちゃんと自分で読みましたか?

974 またさらに、世間には五つの塵垢がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触れられるものに対する貪欲を抑制せよ。
975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

五感によって認識できるものは真で無いとか、五感による意識作用から離れろ、などと一言もありません。
「五感を制しなさい」と言っているのであり、それは「貪欲を抑制」することです。
「五感によって認識できるものは真で無い」でも「五感による意識作用から離れる」のでもなく、
「貪欲を抑制」することがブッダの教えです。

> くりかえし出家、遊行を勧めるのです。

それは事実です。

> 残念ですが在家のままで良い、などとは一言も説かれておりません。

在家のままでよいなんて私は一言も言っていませんよ。
また、出家しなければ悟れないといういことも、ブッダは言っていません。
そのような限定は一切しないのです。

> SPがお好きなのはよく分かりますが、先入観無しに読まれた方が良い。

先入観をもって読んでいるのはあなたです。SPに触れる人はおそらく皆事前に別の場所で仏教用語を刷り込まれた人たちで、
皆先入観を持って読んでいます。子供のように先入観なしに読めば、勘違いしていたことが分かるはずです。
154380:2009/02/08(日) 16:20:53 ID:BXIiWxbN
>仏典にあるからといって、それだけで「ブッダが現実に説いた教え」とは断定できない
>と申し上げているのです。
その通りだが、なんでその条件を自説に適応しないのですか?
ある意味あなたの解釈もバルタン星人なみでしょう。
現象としてバルタン星人が存在するのは認めるが真ではない。
円谷プロダクションにはバルタン星人の着ぐるみが現に存在し
社員はそれをバルタン星人と呼んでいます。
これが現実です。
通貨と同じです。
>お金の価値は、それが具体的な「もの」やサービスと交換可能である、ということにより
>保証されます。そしてそれは現実のものです。
あなたも楽天家ですね。
ちなみにあなたの「妄想の通貨」はそれを使おうとすれば、病院か通貨偽造で刑務所という
厳しい現実が待っています。
けして夢だから人畜無害というわけではありませんから。
155380:2009/02/08(日) 16:28:07 ID:BXIiWxbN
>153
>ちゃんと自分で読みましたか?
そのお言葉そっくり返します。
dhammmaをただの物質的「もの」と読み違えていては話になりません。
なんども言いますが他人の訳ではそれまでですよ。
あなたの好きな原義でなぜ読まないのですか?
例の都合が悪いと適応外でしょうか?
156神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:28:53 ID:S6HFZ5W3
>>154
> >仏典にあるからといって、それだけで「ブッダが現実に説いた教え」とは断定できない
> >と申し上げているのです。
> その通りだが、なんでその条件を自説に適応しないのですか?

私の説は、さっきも書きましたが「ブッダが「輪廻を生まれ変わりを(現実の現象として)説いたという明確な証拠は無い」
そして、最古層などを見る限り、「ブッダは生まれ変わりを説いていない可能性が高い」
ということであり、何かを証拠もなく肯定的に断定するような内容ではありません。

> ある意味あなたの解釈もバルタン星人なみでしょう。
> 現象としてバルタン星人が存在するのは認めるが真ではない。
> 円谷プロダクションにはバルタン星人の着ぐるみが現に存在し
> 社員はそれをバルタン星人と呼んでいます。
> これが現実です。

それを普通「バルタン星人が実在する」とは言いません。ただ「バルタン星人の着ぐるみを着た人間がいる」と言うのです。
言語を正しく使いましょう。輪廻肯定派は、わざと誤魔化しているのか、意識していないのか、言語は価値が低いと思っている(そういう人多いですね)のか、
曖昧な言葉遣いで誤解を助長しているケースが多いのです。

> 通貨と同じです。
> >お金の価値は、それが具体的な「もの」やサービスと交換可能である、ということにより
> >保証されます。そしてそれは現実のものです。
> あなたも楽天家ですね。

楽天家なんかではありませんよ。お金はある日突然価値を失うことがあります。しかしそれはどうして分かるかと言うと、
それが具体的な「もの」やサービスと交換不能になるからです。これも現実の現象です。

> ちなみにあなたの「妄想の通貨」はそれを使おうとすれば、病院か通貨偽造で刑務所という
> 厳しい現実が待っています。
> けして夢だから人畜無害というわけではありませんから。

「夢だから人畜無害というわけではない」ということは、生まれ変わりなどの妄想についても言えます。
157神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:29:39 ID:zvNHDqyt
>>136
>解脱というのは、この世において、快楽や苦への執着を完全に滅することです。
>
>1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
>1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り越えているのである」と。

先ず、上はネハンであって解脱ではありません。

1086 Idha diṭṭhasutamutaviññātesu, piyarūpesu hemaka;

Chandarāgavinodanaṃ, nibbānapadamaccutaṃ.

1087 ‘‘Etadaññāya ye satā, diṭṭhadhammābhinibbutā;

Upasantā ca te sadā, tiṇṇā loke visattika’’nti.

アッタカター
Diṭṭhadhammābhinibbutāti viditadhammattā, diṭṭhadhammattā,
rāgādinibbānena ca abhinibbutā. Sesaṃ sabbattha pākaṭameva.


diṭṭha を中村先生は「現世において」と訳してますが、
これは「見られる」が原義で、「体験した」という意味でしょう。

diṭṭhadhamma の漢訳が「現法」だからそのように訳したと思われますが、
アッタカターも知覚された法と言い換えてるから、体験した法が消滅した人、
知覚が消滅した人と書かれているのであって、「この世において、快楽や苦への執着を完全に滅すること」
ではないと思うが、どう?
158神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:30:08 ID:S6HFZ5W3
>>155

> dhammmaをただの物質的「もの」と読み違えていては話になりません。
> なんども言いますが他人の訳ではそれまでですよ。

私は一度も『dhammmaをただの物質的「もの」』と読んだことはありません。
終に、相手が言ってもいないことを妄想するようになりましたか?


159神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:44:47 ID:S6HFZ5W3
>>157

> diṭṭha を中村先生は「現世において」と訳してますが、
> これは「見られる」が原義で、「体験した」という意味でしょう。

「体験」するのは現実の人間です。

> diṭṭhadhamma の漢訳が「現法」だからそのように訳したと思われますが、
> アッタカターも知覚された法と言い換えてるから、体験した法が消滅した人、
> 知覚が消滅した人と書かれているのであって、「この世において、快楽や苦への執着を完全に滅すること」
> ではないと思うが、どう?

英語でも次のように訳されています。
Here, Hemaka,
with regard to things that are dear
? seen, heard, sensed, & cognized ?
there is: the dispelling of passion & desire,
the undying state of Unbinding.
Those knowing this, mindful,
fully unbound
in the here & now,
are forever calmed,
have crossed over beyond
entanglement in the world.

と、"in the here & now"と、現実の今のこととして説いていることが分かります。
これが一般的な訳だと思いますが。
160神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:46:16 ID:S6HFZ5W3
>>159
英訳中の?は―の記号が化けてしまいました。疑問分ではありません。
161神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:50:07 ID:S6HFZ5W3
”fully unboundin the here & now”
は「この場で現在において完全に執着を滅した」という意味で
中村訳の「この世において、快楽や苦への執着を完全に滅すること」とぴったり一致します。
中村訳は完全に正しいと思いますよ。
162神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 16:57:37 ID:zvNHDqyt
http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/snp/snp.5.08.than.html
テーラワーダの訳ですね。
へ〜、輪廻を信じてる彼らの訳でも自分の意見に合致すると正しいわけですか?

現法には、「今、ここの」という意味があるから、私はその可能性も否定しませんよ。
でも、アッタカターは、そう解釈してないのではないかということ。
いずれにしても、訳からそんな強気に言われてもね。
163神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:03:16 ID:S6HFZ5W3
>>162
訳が正しければ十分です。
思想は関係ありません。

>現法には、「今、ここの」という意味があるから、私はその可能性も否定しませんよ。
でも、アッタカターは、そう解釈してないのではないかということ。

私が言っていることは、そう読める可能性があるなら、
「ブッダが生まれ変わりを(現実の現象として)説いたという明確な証拠ではない」
ということです。そしてそのような明確な証拠はどこを探しても見つかりません。
さらに、「今、ここの」という解釈が自然で、前後関係とも辻褄があうなら、
やはりそれがブッダの真意であった可能性も高いということになるでしょう。

また、アッタカターがどう解釈したかは別問題です。注釈は後世につけられたものですから。
164神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:11:07 ID:zvNHDqyt
>>163
>訳が正しければ十分です。
>思想は関係ありません。

正しいとは限らないでしょう。

>私が言っていることは、そう読める可能性があるなら、
>「ブッダが生まれ変わりを(現実の現象として)説いたという明確な証拠ではない」
>ということです。そしてそのような明確な証拠はどこを探しても見つかりません。

いや、別に輪廻に関係ないでしょう。逆にいうとだから、テーラワーダの人たちもそう訳してるという間接証明になりますね。

>さらに、「今、ここの」という解釈が自然で、前後関係とも辻褄があうなら、
>やはりそれがブッダの真意であった可能性も高いということになるでしょう。
>
>また、アッタカターがどう解釈したかは別問題です。注釈は後世につけられたものですから。


現法が「いま、ここ」という意味も、後世の解釈である可能性もありますが、
私は知りませんが、あなたにそれを確認する能力がないことはハッキリしてます。
165神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:16:42 ID:nh6GuZPD
>>161
その教えは、あくまで、生者に対して「今ここ」の苦を取り除くことを
教えているのだから、「現世」であることは明らか。「一切皆苦(生・
老・病・死)」も「現世」の苦である。

転生すれば、「来世」には、恐らく現世とは違った苦もあるわけだが、
その「来世の苦」の除去について、仏陀はどう教えているのかね。
教えていなければ、明らかに、仏陀の片手落ち。釈迦にいささかの慈悲
があるのなら、来世の苦の除去についても、教えるべきだった。

「誤解された仏教」という本(秋月さん?)には、釈迦は「後有を追わず」
と言って、「来世」など認めていなかったことが、述べられている。

輪廻転生のバラモン社会の真っ只中にあって、「心ならずも輪廻転生を
説かざるを得なかった」、釈迦の苦しい立場に、少しは同情してあげる
べきではないのかね。
166神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:24:29 ID:LM3VXofJ
釈迦の立場が苦しくて、同情を必要としていたとは思えないわけだが。
167神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:25:08 ID:zvNHDqyt
>>163
>私が言っていることは、そう読める可能性があるなら、
>「ブッダが生まれ変わりを(現実の現象として)説いたという明確な証拠ではない」
>ということです。そしてそのような明確な証拠はどこを探しても見つかりません。

ちょっと分かりにくかったので、補足しときます。
『スッタニパータ』1086-1087で「現法」が「いま、こここ」という意味だとしても、別に輪廻を説いたことと何も矛盾しないでしょう。

そして輪廻を説いた明確な証拠は、今まで言ってきたように経典に沢山見つかります。
それを認めず『スッタニパータ』IV-Vのみにテクストを限定するとしても、
『スッタニパータ』IV-Vでも輪廻は前提になっています。
輪廻を望まないのは、通仏教、通インド宗教に共通のことです。
ということで、あなたのいうことは、無理です。
168神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:26:26 ID:LM3VXofJ
>>165
何考えてるかしらんが、輪廻というのはただ苦しいだけというのが
一般的な受け止め方なわけですよ。
無限ループって怖くね?の世界。
苦しいから輪廻から解脱することを説く必要がある。

私は釈迦が輪廻からの解脱を説いたかどうかについて断定しないけど
仏教的にはわりとそういう思想になっている。
169神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:26:41 ID:wXRR1alh
前スレでの書き込み読んで、(「ウパデーシャ・サーハスリー」シャンカラ著/前田専学訳-岩波文庫)この本欲しくなりましたけどプレミアなんですね。
170神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:32:25 ID:zvNHDqyt
>>165
>「誤解された仏教」という本(秋月さん?)には、釈迦は「後有を追わず」
>と言って、「来世」など認めていなかったことが、述べられている。

そう秋月さんです。それは秋月さんの誤読です。
「梵行已立所作已弁不受後有」という定型句は、
解脱した聖者が、述べる言葉です。
輪廻から解脱したから、もう来世に輪廻しないという意味の勝利宣言です。
171神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:33:19 ID:S6HFZ5W3
>>164
輪廻を肯定しているテーラワーダの人たちですら、「今、ここ」と訳しているということは、
その訳が正しいという可能性が高いということです。

輪廻を肯定している人たちでも、最古層の部分には輪廻や生まれ変わり肯定のニュアンスは含めていないのです。
172神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:35:07 ID:/cPOGkE0

ID:S6HFZ5W3氏の論は、冷静かつ知的考察で非常に参考になってます。

■ブッダはそもそもアートマンやブラフマンなど、知覚できないもの、人間の認識の及ばない事柄については、
  「愚かな考えである」と、無為な論争を繰り返すだけであると、退けたのです。

  人間の認識の及ばないことについては無視し取り合わないのがブッダの姿勢です。 ■
 

■ 私にとって仏教は、あなたたちが話しているようなオカルトなものではありません。■


173神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:35:21 ID:S6HFZ5W3
>>164

> 現法が「いま、ここ」という意味も、後世の解釈である可能性もありますが、
> 私は知りませんが、あなたにそれを確認する能力がないことはハッキリしてます。

別にそれでもかまいません。何も確認できなくても、「疑わしい」ということさえ分かっていただければ
私としては十分です。「ブッダが生まれ変わりを事実として説いている」ことは疑いようの無い明白な事実だ、
と主張している人たちに対して、そうではない、十分疑いがある、というのが私の主張です。
174神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:35:21 ID:nh6GuZPD
>>166
>釈迦の立場が苦しくて、同情を必要としていたとは思えないわけだが。

「苦しんでいる人に同情して救う」のが、釈迦の教えではないのかねw。
175神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:36:38 ID:zvNHDqyt
>>171
凄い解釈ですね。もう、笑うしかないわ!

いや〜、まいった。まいった。
176神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:36:41 ID:/cPOGkE0

■ 経典に書いてある、というだけでそれが「本当のことだ」となる理由を説明したほうがいいね ■
177神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:39:12 ID:S6HFZ5W3
>>167
>『スッタニパータ』IV-Vでも輪廻は前提になっています。

それのどこを見て、ブッダが輪廻を説いたという証拠になるのですか?

「輪廻は前提」ということと、「生まれ変わりを説く」ことは全く別のことですよ。
もしかしたら弟子の中には来世の存在を信じていた人(前提としていた人)がいたかもしれませんが、
ブッダが「輪廻、生まれ変わりは事実です」と述べた箇所が一つでもありますか??
178神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:40:23 ID:9AlhyLS6
病気という状態にいることは肯定できませんが、
病気の存在は肯定できます。
179神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:40:32 ID:wXRR1alh
ブッダも弟子みんなに無記で通した訳ではないと思うけど、成長著しい親しい弟子にはアートマンの話してたと思う。おそらく
180神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:41:04 ID:S6HFZ5W3
>>168

> 私は釈迦が輪廻からの解脱を説いたかどうかについて断定しないけど
> 仏教的にはわりとそういう思想になっている。

これが正しい見解です。

私はもう一歩踏み込んで、テキストから「ブッダが生まれ変わりを説いていない可能性が高い」と述べていますが、
少なくとも、ブッダが生まれ変わりを説いたことは明白な事実である、と断定するのは間違いです。
181神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:47:06 ID:9AlhyLS6
生まれ変わりの解脱のためにやるこことと、
今ここにある苦を脱する為の方法とは、仏教的に違いがあるのかね?
182神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:47:15 ID:S6HFZ5W3
>>172
ありがとうございます。論理的に考えれば、ブッダの教えとして辻褄が合うのは、

「人間の認識の及ばないことについては無視し取り合わないのがブッダの姿勢」

ということで間違いないでしょう。
183神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:48:23 ID:S6HFZ5W3
>>181
> 生まれ変わりの解脱のためにやるこことと、
> 今ここにある苦を脱する為の方法とは、仏教的に違いがあるのかね?

もともと後者がブッダの教えですが、それが時代が下るごとに拡張され、神秘主義が入り込み、前者になったのだと思われます。
184神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:50:06 ID:9AlhyLS6
空の思想は神秘主義とは正反対ですよ。
何をもって神秘主義といわれるのか?
185神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:51:38 ID:nh6GuZPD
原始仏典に「書いて」あっても、それが仏陀の言葉である「保証」はゼ
ロである。

従って、「仏陀は輪廻転生を説いたか」ではなく、あくまで、「原始仏典
に輪廻転生が肯定的に書かれているか」とすべきである。

開祖の「個人崇拝」は誤り。
186神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:54:11 ID:S6HFZ5W3
>>184
空の思想ではなく、生まれ変わりについてです
187神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:55:42 ID:S6HFZ5W3
>>185
>原始仏典に「書いて」あっても、それが仏陀の言葉である「保証」はゼ
ロである。

その通りですが、誰かの教えではあるわけで、その教えを説いた人物を仮に「ブッダ」と呼んでいると理解すれば
問題ないでしょう。
188神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 17:57:20 ID:S6HFZ5W3
で私は、ゴータマと呼ばれ、最古層の教えを説いた人物と考えられている人を「ブッダ」と呼んでいるわけです。
189コピペ:2009/02/08(日) 18:03:45 ID:Tco2eo7K
次からこれをテンプレに入れて欲しい。

469 名前:第7追加 :2007/11/04(日) 00:32:50 ID:XEKQFTGg
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
 反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
    死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
 反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
    必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
 反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
    タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
    つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
 反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
    それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
 反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
    原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
    それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。
6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:常識論
 反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
    始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。
7.輪廻や神々、地獄、餓鬼などは譬喩または、象徴表現としてとかれた。主要論者:望月海慧
 反証:方便説のヴァリエーション。仏典では譬喩は、かならず譬喩と説かれる。
    古今東西の文献・口伝の両伝承に譬喩であるという解釈はみつけられない。

190神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 18:07:56 ID:nh6GuZPD
>>187
原始仏典を「書いた」のは、仏陀では絶対になく、そのはるか後世の
弟子であることには間違いない。

弟子はあくまで「伝聞」で書いたのだから、原始仏典の証拠価値は
「ゼロ」。弟子たちの考えを書いたに過ぎない可能性は、大いにある。

ならば、「仏教」ではなく、「原始仏典」の作者である弟子たちの
名を冠するべきだろう。

いずれにせよ、原始仏典の「言葉」を「釈迦の言葉」として拘るのは、
全く無意味。
191神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 18:08:11 ID:LM3VXofJ
>>174
釈迦のおしえがどうとかより、
釈迦は解脱してるんだし、立場が苦しいとか
そういう情けない状況にはないだろ。

そもそもヴァルナ制度を否定してるのに
輪廻くらい否定するのにストレスかかるとも思えん。
192初代スレ7:2009/02/08(日) 18:09:12 ID:6JRrOz2o
>> http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/127
やはり、その方向で読みましたか。
創作絵本でもあるので、読みとり方受け止め方は種々あっていいわけですが、
 (―私も、「とらねこが二度と生き返らなかったこと」を涅槃に比する読みは面白いと思っています―)、
私が提示したかった方向は少し違います。
あの世界で、何度も生き返り、何度も「生」を経験しているのは、とらねこ只一人(一匹?w)です。
とらねこの心を動かした白いネコは、只一度の「生」を生きている最中でした。
小学校の国語的に、物語内で重要と思われる要素をピックアップすれば、以下のようになるでしょう。

1・とらねこは、何度も「生」を受け、様々な経験をしている。
2・他のネコ(及び登場人物)は、只一度の「生」である。
3・とらねこは、その多くの「生」の中で、ただの一度も、自分や自分の境遇を好きだったことは無かった。
4・とらねこは、そのように幾度もの「生」を受けてきたこと(その中で身につけたこと)及びその回数を自慢にしていた。
5・白いネコは、そんなとらねこに冷やかであった。
6・とらねこは、白いネコに影響され(倣い?)、幾度もの「生」を口にしなくなった。それを思うことをやめた。
7・二匹は、普通に暮らし、子を産み、育て、そして年老いていった。
8・とらねこは、初めて《今のこの「生」》を大切に思った。自分を好きになった。自分の境遇(とりまく環境)を好きになった。
9a・とらねこは、二度と生き返らなかった。(次の「生」を受けなかった)。
9b・白いネコも、その(只一度の)「生」のみであった。

そして、最重要であろう点が、[ 3(及び4) / 7&8 / 9 ] となるでしょう。
3は、『とらねこは、それぞれの「生」に於いて、そこに「価値」や「意味」或いは「喜び」を見ていなかった』こと。
    『(他者は自分を利用しているが)、自分がそこにいる意味を【自分自身は見出していなかった】』こと。
4は、『各「生」の中身をまったく考慮していなかった』こと。(だから、白ネコは相手にしなかった。)
7と8は、(3の裏返しとして)
   『「自分がここにいる意味」、「今のこの「生」の価値、意味」に気付いた、それが見えた』ということ。
と言い換えることができます。
193神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 18:09:24 ID:LM3VXofJ
>>190
証拠価値はゼロでありながら、経典としての価値はあるの?
194初代スレ7:2009/02/08(日) 18:09:58 ID:6JRrOz2o
そして、それらを踏まえた上で、
9は、『「充実した「生」」「これ以上の価値を想定できない“今ここの(白ネコと共にある)「生」”」
    を全うしたからこそ(≒満足したからこそ)、とらねこは次の「生」を受けなかった。
    →次の「生」の必要がなかった(!)。(白ネコも当然同様。)』と言い換えることができます。

   ※ここから敷衍させれば、《「只一度の生を最初から最後まで全うし、それしか見ていなかった白ネコ」をこそ
    釈尊に比すことができ、「白ネコの死」をこそ「般涅槃」に比する》 という大胆な読みも可能となるw ※
   ※勿論ここで、《そのような充実した「生」に出会う為に、とらねこは何度も生き返った(何度も生きねばならなかった)》
    と読むこともできます。《真に充実した、価値ある「生」を生きるには、回数が必要だ》と。
    が、同時に、《白ネコが只一度の「生」であったことから、回数ではない、何度も生きることが重要ではない》
    と見ることもできます。《白ネコは、何度も生きる必要が無かった》と・・。二人の(二匹の)違いは何か?と・・・。

だから、読み方の一例として
『今あるこの“いのち”、一回きりのこの「生」の充実度が大切で、意味のあること、見つけねばならないこと』
という読みも可能となる。
「生きる」ということが主題であり、「どう生きるか(=どう生きたか)」が主題となり、
「「生」は、【何度も繰り返す必要のないもの】」、「一度でも十二分である」という読みが・・・。
(だから、タイトルが「101万回死んだねこ」でなく「100万回生きたねこ」でなければならないのだろう。)

もし、このスタンスを許容するなら、許容した者は、「一度きりの人生」に対して、
「不道徳だ」とか「倫理基盤の欠如」とか「享楽主義・刹那主義の元」とか「今ある生の軽視&自殺の推奨」だとか、
決して言えない筈なのだが・・・。
195神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 18:17:46 ID:nh6GuZPD
>>191
>輪廻くらい否定するのにストレスかかるとも思えん。

冗談じゃない。バラモン社会で「輪廻転生」を否定するのは「命がけ」
の仕事。

キリスト教を批判したニーチェ(アンチクリスト)も、ユダヤ教を批判
したフロイト(モーセと一神教)も、「命がけ」だった。それらの作品
は、いずれも著者の「死後」に出版されている。
196初代スレ7:2009/02/08(日) 18:19:24 ID:6JRrOz2o
で、以下
>> http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/128
> 転生を繰り返しているのは自らの意志による渇愛(タンハー)が原因であると説かれている。
> しかし、この二度と再生しないこの境地というのは、繰り返し転生経験を経て、修行を積んで初めて達成できるのです。
> 頭の中でいくら、「自分が望もうとしなければ再生しないんだ。わかった!」など思考を巡らせたところで、
> そして「二度と再生はゴメンだ」「この世に未練は一つない」としても無理なのです。
> 何故なら、凡夫は意識的に悪行から離れようとしても、必然的に悪しき業を積む行為をしないではいられないから
> 意識が低我に留まって要る限りはこれから逃れることはできないのであり、いくら低我で以って、
> 「低我が本来と自己ではない」などと思考したところで、それは低我の中での活動に過ぎないからです。
> 意識が低我から離れ、高我に向かうには修行が必要なのです。それは一定の時間(期間)を要する。
> 積んだ悪業は非情に作用するので、その力が強制的に来世へと転生に導くのです。
>  ねこの悟りが低我によるものではなく、自己意識が高我と直結することで感受できない限りは、
> ただの思考の産物で終る。凡夫は低我でしか思考できないのです。
> いくら仏教書を読みそれを悉く理解しようと、「輪廻なんかないんだ。わかった!」としたところでダメなのです。
> ただし「転生を繰り返しているのは自らの意志による渇愛(タンハー)が原因である」と知り、
> それを理解することはいいことです。
>
>  勝義が不要ということではない。勝義は必要です。
> しかし、勝義を知りそれを理解しても、我々の意識はそれを超えられないのです。
> 肉体は空だからといって放置できならして下さい。
>  しかし、食べ物や病気な様々なことについて肉体を世話しなければならないのであれば、
> ねこの死(二度と再生せず)を知的に理解したところでダメなのです。

は、先の絵本とは全く関係ないですね。
197神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 18:23:56 ID:nh6GuZPD
>>193
>証拠価値はゼロでありながら、経典としての価値はあるの?

「皆無」だね。その経典としての価値が皆無な「原始仏典」を至上の
価値として議論しているのが、このスレの姿。

作者が明らかな大乗仏典のほうが、原始仏典よりもはるかに信頼できる
ことは、明らかだろう。
198神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 18:31:06 ID:nh6GuZPD
>初代スレ7さんへ

ねこの話の詳細な説明と分析多謝。

しかしそんなことは、圧倒的多数の生活者はみな悟っていること。

悟っていないのは、宗教者だけ。
199初代スレ7:2009/02/08(日) 18:42:37 ID:6JRrOz2o
>>105
>縁起と知覚のみということに矛盾がないと思いますが、違いますか?

解っていらっしゃらないようですね・・・。
その「知覚」が信じられるのはなぜか、ということです。
『その「知覚」が正しいものである』ことは、どのように担保されるのですか?
幻肢なる言葉もあるようですが、そのように『貴方のその「知覚」が妄想・幻覚・個人的夢物語でないこと』は
何によって担保されるのですか?
>>88に引き当てるなら、(105に於ける)「縁起」は「思惟内容」になるかと思うので一先ず措くとしても・・。)

別の言い方をすれば、>>88をその通りとするならば、
「世界五分前創造説」を、仏教は(或いは“唯識は”と言い換えてもいいですが)どう切り崩すのか、ということです。
輪廻を前提とするなら、五分前はマズイですよね?w
200神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 18:50:39 ID:nh6GuZPD
>>199
>何によって担保されるのですか?

その担保は、「人間の生物的生存に、役立つか否か」である。
201神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 18:51:24 ID:nh6GuZPD
>>199
>何によって担保されるのですか?

その担保は、「人間の生物的生存に、役立つか否か」である。
202初代スレ7:2009/02/08(日) 19:00:01 ID:6JRrOz2o
>> http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/629
> 輪廻転生を認めなければ、ゴータマの壮絶な修行の意味は何かを説明し得ない。
意味不明ですw
なぜ、釈尊の修行の厳しさ・激しさ(→釈尊の出家の動機)が、輪廻転生と直結されねばならないのか?
(それとも、《「何度も生まれ変わりたくない!!!」というのが理由だった》という記述が
 仏典内に頻出するのでしょうか?)

> 死期が近い者にとっての仏道修行ではどのように解脱成仏を説くのか?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/125内の問いと同じなので、後回しにします。

> そこ(輪廻)だけ否定的に受け取るという姿勢は、随分とゴータマに対する信頼性が足りないのではないか?
意味不明www
恋人が鉄ヲタとかブランド好きだからといって、その人の魅力が失われるわけでもなかろう?w
時には怒り、時には呆れ、時には愚痴り、時には小言を言いながらも、寄り添っているカップルは沢山いるw
203神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:05:51 ID:nh6GuZPD
>>199
>>縁起と知覚のみということに矛盾がないと思いますが、違いますか?
>解っていらっしゃらないようですね・・・。
>その「知覚」が信じられるのはなぜか、ということです。

むしろ、よく解っている方だと思うよ。
釈迦も、五感の知覚を肯定するからこそ、それは「色」で、実は「空
(縁起)」なんだ、と教えているのだから。

知覚が信じられないのなら、「空(縁起)」の教えは、初めから必要ない。
「色」という言葉も出てこない。
204初代スレ7:2009/02/08(日) 19:09:49 ID:6JRrOz2o
>>203
だからwwwwwwwwwwwwwww

>五感の知覚を肯定するからこそ

五感の知覚が肯定できる理由は何ですか?ということだw
205神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:11:36 ID:ZbF38Mzy
>世界五分前創造説

そうした懐疑は、六分前を前提せずに可能ですか?

徹底した懐疑をする場合、その懐疑行為が何を前提しているかを
常に問わないと話にならないですよ。
206初代スレ7:2009/02/08(日) 19:14:15 ID:6JRrOz2o
>>205
別に、五分でも六分でも十分でも、一時間でも一秒でも変わらない。
>>88が単純な書き方過ぎて理解不能か?w
207神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:16:36 ID:nh6GuZPD
>>204
だから言ってるでしょw。

「人間の生物的生存に役立たすか否か、直接関係するか否か」です。

前方からやってくる自動車の知覚を信じなければ、衝突するだけですw。

襲ってくる猛獣の知覚を信じないで逃げなければ、食われて死ぬだけ
です。

ご自身で、試して御覧なさいw。

208神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:20:59 ID:nh6GuZPD
>>205
>>世界五分前創造説

バートランド・ラッセルのその説は、時計を5分間眺めていることにより、
簡単に論破できるなw。
209初代スレ7:2009/02/08(日) 19:21:15 ID:6JRrOz2o
>>207
>食われて死ぬだけ

マトリックスのネオみたいに、
水槽の中で、 ハッ! ( ゚д゚)Σ と目を覚ますのかもしれませんねwwwww
210神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:21:29 ID:ZbF38Mzy
>>206
こちらも、「別に、五分でも六分でも十分でも、一時間でも一秒でも変わらない。」
君が「五」分前説を言い出したから、それに合わせて「六」分前と言っただけ。
「徹底した懐疑をする場合、その懐疑行為が何を前提しているかを
常に問わないと話にならないですよ」と言ったんだけど、「単純な書き方過ぎて理解不能か?w」
211初代スレ7:2009/02/08(日) 19:25:52 ID:6JRrOz2o
>>210
(大多数ではないだろうがw)人口に膾炙しているだろうと思うから引用しただけで、
「5」という数字に意味はない。それくらい解ってるんだろう?
なぜ、数字に咬みついてくるんだ?www
212神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:29:00 ID:LBjfdxx5
机さんの、赤いアートマンの話は、闇夜のカラスのように読めました。
しかし、アートマンは、周囲とのちがいを認識できるのではないでしょうか?
アートマンには、認識する力があるので、自分と周囲とを区別するということです。
 
さらには、それを見ることになる観測者(自分)の視点からも、
アートマンと<場の背景>を区別できるのではないかとも思うのですね。
なぜなら、観測者とアートマンは離れているけど一体であり、
観測者と、アートマンのいる<場の背景>は、別のものだからです
213神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:29:33 ID:ZbF38Mzy
>>211
やれやれ、一人称と二人称の区別はついてるか?
「なぜ、数字に咬みついてくるんだ?www」

やっぱり、「単純な書き方過ぎて理解不能」だったみたいだな。
214机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/08(日) 19:31:09 ID:jrivfXNY
>>198
>しかしそんなことは、圧倒的多数の生活者はみな悟っていること。
>悟っていないのは、宗教者だけ。

貴殿は我見が強いだけで、「悟り」と勘違いしているだけですね。
我見を破壊しませんと悟入は無理です。
215初代スレ7:2009/02/08(日) 19:34:26 ID:6JRrOz2o
>>213
日本語で桶。
216神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:41:23 ID:nh6GuZPD
どんなに偉い哲学者でも、「あなたの眼に前にPCが実在するのは、それをあなた
が知覚しているからだ」と言われて、論理的な反論が出来る者はいないと思うよ。

現代の西洋哲学でも、このような観念論(唯識)が主流になってきているらしい。

宗教者は、存在論を徹底的にやる必要があるね。現在の状態では、教えられも
しないのに、生まれるとすぐ母親のオッパイにしゃぶりつく赤ん坊の存在論
にも及ばない。
217神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:41:27 ID:LM3VXofJ
>>195
話きけよ。ヴァルナ制度を否定してるって書いてるだろ。
輪廻とかいう抽象的な教義の問題以前に、
バラモン教に基づく社会秩序の否定をやっちゃってるわけ。

あと、本題はそこじゃなくて、
釈迦は解脱してるのに、立場が苦しいとか書いてるけどナニソレ?
ってことですよ。
218神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:43:26 ID:LBjfdxx5
知覚なるものは、生きるために必要なものとして用意されている、
ということでしょうか。知覚は手段に思うのですね。
知覚のために生きているわけではない。
219神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:44:20 ID:LM3VXofJ
>>203
知覚が信じられないなら、「空」は必要ないって書いてるけど、
そうじゃないよ。
唯識と中観は両方「空」から始まっていて、
どちらもお互いを否定しない。
220神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:45:16 ID:nh6GuZPD
>>217
釈迦が解脱しようとしまいと、その「生命の危険」には関係ないw。

釈迦が殺されていれば、仏教は存在しない。
221神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 19:46:22 ID:LM3VXofJ
>>220
バカだなぁ。生命の危険があろうとなかろうと、
立場が苦しいなんてことになって、同情が必要ってことにはならないんだよ。

生命の危機に振り回されているのも迷いの状態でしょ。
222机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/08(日) 19:56:01 ID:nQKaBiQi
>>212
>周囲とのちがいを認識できるのではないでしょうか?

闇夜のカラスは黒だから、認識はできないですね。

>アートマンには、認識する力があるので、自分と周囲とを区別するということです。

仮にアートマンが認識する力があったとして、同時に自分も認識する力があったとする。
この場合は「同質同士は認識不可」ですね。
つまり、対象化できないのですから「認識という対象はない」ことになる。
(これが中論の骨格ですね)
あっても、ないことになる。
なくても、あることになる。

>観測者とアートマンは離れているけど一体であり、
観測者と、アートマンのいる<場の背景>は、別のものだからです

縁起において「別のもの」というのは有り得ないのです。
五蘊皆空であり、「別のもの」というのは観念の領域になります。
(あくまでも中論というのは、自分に依存(縁起)したものが論法の骨格です)
223神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 20:00:26 ID:PYLrqx6l


☆*****************************☆***************★*****************************☆


☆ いい言葉ですね。 ☆ ↓


./)/)    ■ 「ただよく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、 
(・ー・)ノ      自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
゚L-J          その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。」 (カラマ・スッタより)


この言葉を、世の神秘家さんたち、仏教を誤解している人たちに知ってもらいたいです。



☆*****************************☆***************★*****************************☆


224神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 20:02:38 ID:LBjfdxx5
知覚の目的は何? 解脱の目的は何? ニルヴァーナとは?
225初代スレ7:2009/02/08(日) 20:07:52 ID:6JRrOz2o
>>217
サンガの指導・教導・統率・レベルの維持等に関して「如来に煩わしさが生じる」という一節があったような・・・。
探してるんだけど見つからないwww (どこだったけかなぁ・・・。)

大般涅槃経には、
「それを人が死ぬ度に、そなたたちが如来に近づいて、この意味を問うならば、アーナンダよ、
 これこそ如来にとって煩わしいことです」という記述があるが・・。
226神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 20:20:05 ID:LBjfdxx5
>>222
対象化できないのは、五蘊の中で考えるからではないでしょうか?
かりに、五蘊の外にアートマンがいて、五蘊の内に自分がいるならどうでしょうか?
つまり、自分が、アートマンと分裂していたらどうでしょうか?
 
これは、竜樹が考慮外に置いたケースです。
自分が分裂すると、自分で自分を計測することが可能になります。
227神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 20:32:27 ID:PYLrqx6l
>>216
>どんなに偉い哲学者でも、「あなたの眼に前にPCが実在するのは、それをあなた
が知覚しているからだ」と言われて、論理的な反論が出来る者はいないと思うよ。

↑ 勿論同意〜(笑

>>214
>貴殿は我見が強いだけで、「悟り」と勘違いしているだけですね。我見を破壊しませんと悟入は無理です。

悟った人というのは、何をもって他の人に証明できるのですか?
又、現実社会にはどんな力があり、実際に社会にどのように具体的に貢献できるのですか?

オチ
228神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 20:38:32 ID:PYLrqx6l

∧@∧  
(,, ・∀・)ヾ〜o  ☆ドーン!!! 


■一方、生まれ変わりについては一切手がかりがありません。今後それが観測可能になるという望みも全くありません。

方法論自体が存在しないのですから。もし本当に前世があるなら、確かめることは簡単です。

前世が見えるという人を複数人読んで、誰かの前世を見てもらえればいいのです。
細かいところまで証言がきっちり一致すれば(もちろん口裏合わせられないことが前提)、
それは考慮する価値が生まれます。

しかしこんな簡単な確認方法があるのに、確認されたことは一度もありません。■

229神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 20:46:18 ID:LBjfdxx5
スッパニパーダとかダンマパダとかウダーナヴァルカとかで思うのは、
一方で空を説きながら、他方でなぜ、清浄や正義や善を説くのか、ということです。
清浄や正義や善も、依存するものであり、縁起であり、無自生であり、空です。
絶対的なものではなく、相対的なものにすぎません。
ならばなぜ、清浄や正義や善を、これらの経典は根拠もなく持ち出すのか?
230神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 20:57:55 ID:zvNHDqyt
>>199
縁起といっても、現れといっても、知覚といっても、
その中で、因果はあるが、苦であり、幻であることは同じでしょう。
別に、それがどうであれ、苦、因果から抜ける方法は同じと思いますが。

>>225
それはコーサンビー事でしょう。

>>226
想定内で、もちろん否定されてます。
231初代スレ7:2009/02/08(日) 21:06:02 ID:6JRrOz2o
>>230
>縁起といっても、現れといっても、知覚といっても、
>その中で、因果はあるが、苦であり、幻であることは同じでしょう。
>別に、それがどうであれ、苦、因果から抜ける方法は同じと思いますが。

いや、そういうことではなくて、
「仏説が胡蝶の夢でない」と言い得るのかどうか? ということです。
232三代スレ170:2009/02/08(日) 21:08:40 ID:easky3I/
机龍之介さんへ

94の書き込み見たけど、あなた変わりませんねえ。
また、過去スレみたく、道元は嘘つきだとの主張をするんですかい?
自分の哲学サロンの維持費を得るために、在家に自分の信じていない
教えを説いて布施を巻き上げた卑劣漢だと。
まあ、あなたは良寛に痛罵されるタイプですね。
233神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 21:16:52 ID:zvNHDqyt
>>229
善というのは、楽果をもたらす行為という意味です。
本来、空ですが、因果・輪廻の中に生きている我々が
楽をもたらす行為をし、苦をもたらす行為をしないようにすることが、
心を集中させる前提になるからです。つまり、戒ですね。
心を集中させることが、三昧、定です。
その定、三昧が深まった状態で、縁起観をすると、
無我・空が悟れる、これが慧です。
これを深めることで解脱します。
その解脱したという認識があり「後有を受けず」と宣言します。

以上が戒・定・慧・解脱・解脱智見と言われます。
234神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 21:21:21 ID:zvNHDqyt
>>231
というか全て「胡蝶の夢でない」で、ブッダのみがその夢からさめたと。
例えば、夢の中でどんな証拠を出してもそれが夢のなかでの出来事ですから、
ゲーテルみたいなものでしょう。 信じるかどうかでしょう。
235神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 21:32:33 ID:nh6GuZPD
>>221
>生命の危機に振り回されているのも迷いの状態でしょ。

生命の危機さえ気にしない釈迦が、何故、生・老・病・死をそれほど苦にした
のかねw。普通の人間でも、それらは人生には付き物で、不可避であることを
悟っているから、それほどまでは気にはしないぞw。

236如来不説:2009/02/08(日) 21:45:07 ID:32TLLtph
>>235
>生命の危機さえ気にしない釈迦が、何故、生・老・病・死をそれほど苦にした
>のかねw。

あなたは、真面目に経典を読もうとしていないから、そのような愚かな誤読をする
ことになるのです。
解脱する前は苦であったが、それが一切皆苦という着眼によって、逆に苦の根本原
因に気付くことができ、そのことによって、涅槃解脱という絶対的な楽を得たのです。
生命の危機さえ気にしなくなったのは、解脱して阿羅漢になった時以降の状態です。

阿羅漢は、走ってくる車にも猛獣にも、何の生命の危機を感じることはなくなりま
す。仏教をちゃんと勉強すれば、それは知ってて当然の知識です。

あなたは、凡夫のもの凄く卑近な苦とか楽の観念で仏教の一切皆苦の考えを理解し
たつもりになって、それで普通の人間も悟ってるとか主張しているのです。批判の
前提が間違っています。
237神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 21:51:13 ID:nh6GuZPD
>>229
全く同意。スッタニパータを初めて読んだ時の印象。最後まで読むに
耐えなかった。

さかんに「正しい」とか「真理」と言うが、「正しさ」「真理」の定義
は何らなされていない。全体的に、観念と「自我」にまみれている。

釈迦って、何でこんなに我が強く、観念的な人間なのかと思ったよ。

極言すれば、スッタニパータは、「読むに耐えない代物」。

しかし、竜樹には感心した。宗教などを超えた大哲学である。原始仏典の
「空」の一言から、これだけの哲学を打ち立てたのは、やはり釈迦の
「空の原理の発見」という功績だろう。
238神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 21:54:16 ID:E4kt0B+T
2500年前のインドの生活実態を考えれば生が苦であることくらい、
容易に想像がつく。
平均寿命80歳を超え、衛星的かつ飽食日本と同じのはずがない。
239如来不説:2009/02/08(日) 21:55:53 ID:32TLLtph
>>199
>「世界五分前創造説」を、仏教は(或いは“唯識は”と言い換えてもいいですが)どう切り崩すのか、ということです。
>輪廻を前提とするなら、五分前はマズイですよね?w

「無数の輪廻の記憶とともに五分前に世界が創造された」ではだめでしょうか?
240初代スレ7:2009/02/08(日) 22:01:00 ID:6JRrOz2o
>>234
>信じるかどうかでしょう。

やっぱり、(内容云々関係なく)「信じるか」「信じないか」、ただそれだけってことですねw
241如来不説:2009/02/08(日) 22:02:25 ID:32TLLtph
>>238
いいえ、現代日本よりは社会生活ははるかに楽だったでしょうね。

これは中村先生も述べていることですが、当時のインドは、食料が増産され
て非常に豊かになったので、都市部の富裕層が力を持ち、伝統的なバラモン
教よりも、革新的な自由思想者である沙門たちが百花繚乱の状況だったとさ
れています。

また、現在のインドは、大英帝国の非常に罪深い行為の爪痕によるもので、
そのインドからそれ以前のインドの状況を考えるのは、浅はかです。
242神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:05:55 ID:nh6GuZPD
>>238
それは当然考えたが、だからと言ってインドの生活者が皆、釈迦ほど
苦にしていたのだろうか。苦しい生活の中にも、ささやかな喜びを
見出していたのではないか。苦しみが大きければ大きいほど、喜びも
大きいのである。苦しみだけなら、インド人は消滅していたはず。

このことは、現代でも同様であろう。どんなに恵まれた人でも、苦
しみはあり、どんなに苦しい生活をしている人でも、喜びはあるの
である。人間の「生の営み」は、何時の時代でも、本質的な相違は
ない。
243神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:08:42 ID:E4kt0B+T
甘い。インド逝ってこい。
244神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:13:16 ID:nh6GuZPD
>>241
要するに、釈迦の「苦」とは、恵まれすぎた故の苦だな。うらやましい
話だ。それは「本当の苦」などではない。やはり、釈迦のうつ病の症状
と見るべきだろう。
245初代スレ7:2009/02/08(日) 22:32:49 ID:6JRrOz2o
流れに乗って、横から駄レスを加えれば、

私は、
もし、釈尊が楽天的で、豪放磊落な性格で、且つ実母を亡くしていなければ、仏教は誕生しなかったろうと思う。
その意味では、御隠居の言い分に些かの同意をせざるを得ない。
仏教の誕生は、釈尊のバックボーン・性格抜きにはありえないであろう、と。

これを、
「幾度もの前生故の必然的事象だ」、「ゴータマ・シッダッタの時に機が熟し、出家という果が生じ、転法輪が為された」、
「幾度もの前生故、あのような境遇にあり、あのような性格となった」のだ、と言われた時、
それに対する反論は何一つできないけれど・・・。
246神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:33:37 ID:nh6GuZPD
>>218
>知覚のために生きているわけではない。

しかし、知覚に100%頼らなければ、絶対に生きられない。その意味では、
五感の知覚は、生命そのものと言ってもよい。


247如来不説:2009/02/08(日) 22:44:12 ID:32TLLtph
>>244
だから、そういう生活レベルの相対的な苦とか楽とは別の話なんです。

まあ、症状としては、別に鬱病と唯物主義的にはカテゴライズしても構いま
せんが、原因が単純に「恵まれすぎた故の苦」であったのならば、仏教は誕
生しえませんよ。苦行で、悦に入っている、恵まれたバラモン出身の苦行者
たちと同列だったでしょうね。
248神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:46:08 ID:nh6GuZPD
>>245
釈迦は、前世の悪業故に、うつ病になったのか。そんなことは言えんだろw。

しかし、輪廻転生肯定説では、必然的に、そう言わざるを得ないのでは。

統合失調症のイエスとは異なり、釈迦には人格の崩壊はない。
うつ病は、「感情障害」だから、人格の崩壊は伴わない。それが、仏教
とキリスト教との、本質的な相違の原因だと思う。
249神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:51:47 ID:zvNHDqyt
>>248
鬱病者が何千人もの行者や、何人もの王を魅了するのw
250神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:54:08 ID:RPrhKptV
>>237
清浄、正義、善、真理などが、なぜ根拠もなく、頭から語られるのか? 
これは経典を理解する土台であり、まずここから説明してほしいですよね。
これを糸口に、隠されている真実が明らかになるかもしれない。
   
>>230
中村先生の「竜樹」によれば、竜樹は中論で、アートマンを五蘊の話として
語っているという。別次元を想定していない。
251神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 22:58:18 ID:nh6GuZPD
>>247
どんなに恵まれた人でも、苦はあることの一例。家庭の問題(母が義母)
も大きかったのだろうね。

釈迦が、苦行がアホらしいことを覚り、止めて、スジャータのミルク(?)
で一息ついたのが、ハイライトだね。

「修行」ばかりしている仏教者は、アホなことをやってることになる。
252神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:03:24 ID:zvNHDqyt
>>250
それは、スッタニパータやダンマパダという達人のための要義経典を読むからです。
長部とか律の大品を読めば断片ではなく、体系として説かれているから分かりやすいのですが。

それ以前にやっぱり水野弘元『仏教要語の基礎知識』あたりを読んでからの方がいいでしょう。
253初代スレ7:2009/02/08(日) 23:04:48 ID:6JRrOz2o
>>249
あり得ないことではないでしょう?w
254神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:16:44 ID:nh6GuZPD
>>249
>鬱病者が何千人もの行者や、何人もの王を魅了するのw

精神病は感染します。精神医学では、「感応精神病」と呼ぶ。宗教関連が
圧倒的に多い。

「あの人の傍にいると、気が滅入る」などとと言うでしょ。

キリスト教は、イエスの統合失調症の集団的一大感染です。シュワイツアー
は「イエスの精神医学的考察」という論文で博士号を取ったが、その中で、
イエスを精神分裂病(現在では、統合失調症)と診断している。聖書でも、
イエスを身近によく知る家族、郷里の人々、ユダヤ教徒たちは、イエスを
「基地外」と証言している。

統合失調症は、進行すると、人格の崩壊に至る。「神の声が聞こえる」
という「幻聴」や、「この世界が崩壊して、神の国が来る」などという
「世界没落体験」が、典型的な症状。御釈迦さんは、そんなことは言わ
なかったと思う。
255如来不説:2009/02/08(日) 23:18:25 ID:32TLLtph
これ

>釈迦が、苦行がアホらしいことを覚り



>「修行」ばかりしている仏教者は、アホなことをやってることになる。

どう結びつくのですか? 仏教の修行は、瞑想という苦行に対する楽行なんですが。
256如来不説:2009/02/08(日) 23:27:48 ID:32TLLtph
>>254
むしろ説法を聞いた人々は歓喜して帰依するわけなんですが、鬱病が感染すると
ハッピーになれるのなら、現代日本人は、幸せな社会ということになります。そ
うは思えないですが。
257神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:29:20 ID:nh6GuZPD
>>255
まあ、自分から進んでやる修行は、苦とはいえないがね。むしろ、趣味か
娯楽だろう。

他から押し付けられる修行が、本当の苦である。その意味で、生活や職場
は「大修行」である。

道元さんは、たしか、「生活そのものが修行」と言ったが、これは当た
っている。
258如来不説:2009/02/08(日) 23:35:07 ID:32TLLtph
>>257
それでその「生活や職場の大修行」は、何か報われることがあるのですか?
その「大」修行に見合うだけの「大いなる」報いが?
259知ってほしい:2009/02/08(日) 23:37:57 ID:vylnOwad
道元は臨済宗ですか?
禅天魔
260神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:39:32 ID:RPrhKptV
>>252
問題なのは、清浄や正義や善などが、どこから流れ込んでくるのか、
ということです。この世なのか、あの世なのか。
空である、この世ということはありえないから、この世以外ということ。
それではそれは、ニルヴァーナであり、アートマンではないかと
推測しているわけです。
261神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:40:35 ID:ERTJtPrI
輪廻再生って、記憶の問題じゃないの?
「前世」とは記憶でしかない。
輪廻から自由になるとは、記憶から自由になることでしょう。
262神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:42:12 ID:nh6GuZPD
>>256
最新の精神医学では、鬱病という言葉は使わず、「双極性障害」と
言います。つまり「鬱状態」と「躁状態」とが、交代して現われます。

「歓喜して帰依する」のは、「宗教的躁状態」です。「輪廻転生」を
恐れ、それから「解脱」するために修行に励むのは、「鬱状態」という
ことでしょう。そして、ニルヴァーナという「躁状態」「多幸状態」に
到るのです。
263神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:52:08 ID:nh6GuZPD
>>259
道元は、日本における曹洞宗の開祖。日本における臨済宗の中心人物が
白隠。

このスレに来る方は、それくらいは知っててねw。
264神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:55:17 ID:RPrhKptV
>>261
記憶ではなく、記憶以前の<無明>があって輪廻する。
釈迦の教えでは、空を悟ることによって、輪廻から解脱する。
265如来不説:2009/02/09(月) 00:02:39 ID:AkCWMshG
>>262

それは苦行主義で涅槃解脱を得ようとする考え方ですね。
つまり、あなたの言いたいことは、仏教も苦行主義の一派だったということになります。

私はそうは思いません。
266神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 00:05:45 ID:qXb3Cdyz
>>258
子供を育てて、人類という種を維持でき、自己の家族の生存のための
収入が得られ、自分を含む社会の維持を可能にする。そして、何よりも、
他者と係わりあうことにより、「人間の成長(他者の苦を理解し、それ
に共感する能力の向上)」という、大きな報酬が得られる。自分の苦は、
自我を離れ、家族などの身近な他者に心を移すことにより、軽減され、
除去される。
267初代スレ7:2009/02/09(月) 00:08:35 ID:zTZaWA0i
>>258
そこで「100万回生きたねこ」なわけですよw


おやすみ  ノシ
268神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 00:10:25 ID:my+uZgg2
>>264
記憶とは意識に浮かぶ過去の像で、「前世」もそのような像の一つでしょ?
<無明>というのが意識とどう関わるのかはわからないけど。。
269如来不説:2009/02/09(月) 02:12:42 ID:AkCWMshG
>>266

なるほど。凄まじい、生への執着ですね。おそらくゴータマ仏陀は、そのような代々
積もり積もった先祖伝来の「怨念」を浄化(梵行)すべく、出家したのでしょう。

>>267

ちょっと、>>258に対する答えとしては、意味がわかりません。その本を読んでいな
いせいもあるかもしれませんが、初代スレ7さんのその本に関する書き込みを読んだ
限りでは、あまり納得が行きません。特に何か強いて反論があるというわけでもない
のですが、疑問に思ったことは以下のようなところです。

「現実の人生に満足する」ということが基準であれば、その白い猫はたまたま満足す
る結果に至ることができたのかもしれませんが、もしそうでない場合、「不満」が残
ります。すると、むしろ現実の生活を基準に人生の充実を図ろうとすることに、危難
があることがわかります。実際に、現世主義が中道で否定され、出家主義をとってい
ることの説明がつきません。経典的にも、白い猫よりも100万回生きたねこの方がブッ
ダであるべきで、その物語では白い猫を理想的な存在として描いているのかもしれま
せんが、その作者の価値観自体が、単に、俗世間的なものに過ぎないのではないでし
ょうか。出家して悟ろうとすることなんてやめてしまって、人生を楽しみなさい、と
いうバラモンや悪魔の忠告をにべもなく断わる場面が初期仏典にはよく登場するのは
ご存知ですよね。
270神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 02:55:01 ID:sA1R3lTG
>>269
>なるほど。凄まじい、生への執着ですね。

ちっとも凄くない。圧倒的大多数の生活者が、意識的・無意識的に生活の基盤
としていることに過ぎません。

仏陀の八正道も、「『生』の障害となる苦や煩悩の除去」が目的なのではあり
ませんか。あなたは仏教を、何か勘違いしているのでは?
271神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 02:56:56 ID:Ion5C6Mx

こりゃまた小乗仏教の権化みたいなヤツが来てるなww
272机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/09(月) 05:50:39 ID:36fIMB8A
>>226
>対象化できないのは、五蘊の中で考えるからではないでしょうか?
>かりに、五蘊の外にアートマンがいて、五蘊の内に自分がいるならどうでしょうか?
>つまり、自分が、アートマンと分裂していたらどうでしょうか?

結論から言いますと、
アートマンと分裂していても、アートマンと融合していても同じなんですね。

それは、分裂でも融合でも「想念として分裂であったり融合であったりしている」。
想念ですから縁生したり縁滅したりで、常住ではない。→直ぐに消え去るもの。
(つまり分裂でも融合でも一切皆空)→五蘊皆空であります。

>これは、竜樹が考慮外に置いたケースです。
>自分が分裂すると、自分で自分を計測することが可能になります。

思念ではそういうことになりますね。
これも思念の範疇でして、そう縁生したり縁滅したりする。→これが縁起ですね。
273机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/09(月) 06:12:12 ID:PSGdPewU
>>227
>悟った人というのは、何をもって他の人に証明できるのですか?

その人物の資料(論書とか)を拝見すれば分りますね。
(これを慧眼という)

>又、現実社会にはどんな力があり、実際に社会にどのように具体的に貢献できるのですか?

悟った人物が、なにかの力があったり、社会に貢献したり、そういうことはないですね。
(悟りとは、そういう働きかけをすることではない)
基本的にはそういうことです。
しかし、悟った人物個人の裁量で社会になんらかの貢献するのは
本人の勝手ですね。

悟った人物と縁することにおいて、縁した人物(他者)が救われる場合が多い。
(これが本来の菩薩の意味です)
274机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/09(月) 07:50:18 ID:PSGdPewU
>>232
三代スレ170どのへ

>自分の哲学サロンの維持費を得るために、在家に自分の信じていない
>教えを説いて布施を巻き上げた卑劣漢だと。

道元と良寛は、同じ哲学サロンだとしてもポジションが違いますよね。
道元は僧院を管理する立場ですし、
良寛は自由人であって、なんら差し障りがない。
(この違いは大きい)

>また、過去スレみたく、道元は嘘つきだとの主張をするんですかい?

法名を付けるのだって、あれは道元の弟子(出家)として許可する。という意味ですから、
それを「嘘」というなら、現存の僧侶は全部嘘つきになる。

前にも書いたけど、思想・宗教というのは
土着の風土・慣習などと密接な繋がりをもって発展していくもんですね。
49日法要というのも、
あれはインドの六道輪廻思想から端を発して日本の文化として発展してきた。
そういった仏教文化を大切にしていくのも道元の仕事だろうよw

ただ拙者は、僧院管理者の道元にはあまり興味がない。ってこってすw
ただ、正法眼蔵における在家向け三巻の理解は、
そういったバックボーンを納得のうえで解釈して頂きたいですね。
275神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 12:56:12 ID:tbsvTnw+
仏陀は、「苦の除去のために煩悩を去ること」と唱えた。しかし、苦は人生
には不可避なもの。煩悩は、生きていることの証。煩悩を去れ、というのは、
死ねということ。生きた人間が、そんなことを言っても始まらない。

仏陀のように、苦をことさらに意識し、それから「逃れよう」とするよりも、
むしろ、苦を真正面から受け入れるほうが、苦は軽減されるのではないか。

注射を「痛い」と初めから恐れていれば、却って痛い。どれほど痛いか試して
みる積りで注射を受ければ、たいした痛みではないはずだ。そして、注射が終わった
後は、大きな安堵感が得られる。

それに、自分が苦を感じなければ、他人の苦の理解や、それに共感・同情する
能力(これを、人間の成長と呼ぶ)が育たない。

苦を逃れようとせず、それを真正面けら受け入れられる覚悟。これが、「悟り」
と言うものではあるまいか。
276神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 13:12:30 ID:tbsvTnw+
>>274
仏教でも、ポジションとか、管理者・非管理者、自由人・不自由人など
の「世俗の概念」に拘るのですかねw。

それに、僧も、お布施がなければ生存できない。道元さんも、なりふり
構わず、まず「生きること」が第一だったのでしょう。なかなな人間的
で良いではありませんか。
277机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/09(月) 13:35:43 ID:PSGdPewU
>>276
>「世俗の概念」に拘るのですかねw。

道元が世俗の概念に拘ってるかどうかは分りません。
ただ、無分別智だけでは生きて逝くのは困難ですね。
生きて逝くのは、無分別と分別の二相です。
これを「無分別の分別」という。

>なかなな人間的 で良いではありませんか。

そうですかね?
拙者が人間的に好感が持てるのは盤珪などはいいですね。
で、貴殿は道元が気に入ってるんですかw
まあ、道元というのはインテリゲンツィア・タイプには好まれるようです。
278神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 14:03:56 ID:cZAA5bA4
>>277
>まあ、道元というのはインテリゲンツィア・タイプには好まれるようです。

というより道元禅師好きに多いタイプは、科学信仰者
279神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 14:57:19 ID:5mlzVxGh
>>275
> 仏陀のように、苦をことさらに意識し、それから「逃れよう」とするよりも、

仏陀は逃れようとはしてないと思います。

> むしろ、苦を真正面から受け入れるほうが、苦は軽減されるのではないか。

こっちが仏陀のいってることです。
仏陀は苦から解脱するといってるのであって逃れるとはいってません。
むしろ「逃れることができない苦しみ」として四苦を説いています。
280神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 15:04:40 ID:5mlzVxGh
>>262
ニルヴァーナは多幸状態とは違います。
他の宗教の神秘体験はしばしば多幸状態のことを指しますが。
仏教で多幸感のある状態というのは歓喜地とかの方が近いんじゃないでしょうか。
281神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 15:06:18 ID:5mlzVxGh
>>266
キリスト教がいっていることとずいぶん似ている気がしますが、
内容的には正しいような気がします。
282神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 15:10:55 ID:5mlzVxGh
> 苦を逃れようとせず、それを真正面けら受け入れられる覚悟。これが、「悟り」
> と言うものではあるまいか。

大体合っていますが、その覚悟はちょっとしたストレスですぐ崩れてしまうものです。
決して後退することのない覚悟に至った時点で不退転の状態になります。
でも、不退転の状態になるには、相応の精神的熟成が必要になります。
悟りはそのもう少し先です。
283神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 16:06:46 ID:WshoFxBL
ここにも向こう側に行ってしまった人が居るんですねw
284神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 17:29:47 ID:FEDlj+ZP
>>214
>貴殿は我見が強いだけで、「悟り」と勘違いしているだけですね。
我見を破壊しませんと悟入は無理です。

ご隠居氏は我見が強いなどの批評は当たっているとは到底、思えません。
現実世界の人間をあるがままに人間の出来ること出来ないこと・関係性・共同体・・等の本質を
観念を入れないで正しく見つめどう生きたら良いかを深く洞察された目覚めた方だと思います。

万人に理解できる事実のみを語り、宗教の経典・聖書などの方が観念だらけでずっと難解で
信じる信じないの範疇でしょう
285神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 17:51:19 ID:5mlzVxGh
しばしば反対意見が出ていますから、万人に理解できる事実のみを語っているというのは
事実に反していると思います。
286神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 18:19:20 ID:7GH2sQj7
>>278
>というより道元禅師好きに多いタイプは、科学信仰者

科学は、「信仰」ではない。

「ある」ものを「ある」と認め、「ない」ものを「ない」と認める
のが科学。そして、科学は、常に自らの「不完全性」を謙虚に自覚し、
観察と実験により「検証」に努める。だから、いかなる宗教の奇跡も及
ばない巨大な進歩を遂げ、人類の生存に大いなる利便をもたらすことが
可能になったのである。

一方、宗教(信仰)は、「ある」ものが「ない」、「ない」ものが「あ
る」という「倒錯」に陥った状態であり、最初から「完全である」とい
う「傲慢さ」「無明」に基づいているから、数千年間、何の「進歩」も
なく、果てしない争いの原因となっているだけ。「現実界」という万人
に共通な、厳然として実在する、正誤・正邪の判断基準が「皆無」だか
ら、何千年間議論しても何の合意にも到達できず、何の発見もない。
「堂々巡り」「水掛け論」の典型である。

自然科学における「真理」に対しては、全人類的合意が容易に到達できる
が、宗教における「真理」は、当該宗教・宗派内のみに通用するに過ぎ
ず、全人類的合意どころか、当該宗教・宗派内においてさえ、常に紛争
の原因になっているのは何故かを、考えてみて欲しい。

宗教を含め、人間の「すべての営み」の根源は、その生物的生命である。
そして、その生命は、現実界に100%依存しない限り、一瞬たりとも
維持できないのである。

宗教は、古代人の生存のための「手段」として発生した。その「手段」
を「目的」とするという倒錯に陥っているのが、例外なく開祖の精神
障害から発生した、現代の「創唱宗教」なのである。
287机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/09(月) 18:24:27 ID:36fIMB8A
>>284
>万人に理解できる事実のみを語り、

>>しかしそんなことは、圧倒的多数の生活者はみな悟っていること。
>>悟っていないのは、宗教者だけ。 >>198

これ↑が万人に理解できますかね?
そしてこれが事実ですか?
そんなことはないですね。

「圧倒的多数の生活者が悟っている」。というのは我見でしかない。
こういう我見が強いのは大川隆法とかがおります。
あれほど我見の強い御仁はあまりいませんが。

ご隠居氏はこの類に属し、カリスマ願望があるだけです。
(心理分析は略します)
これが高じてきますと、
いつか自分が「救世主だ」と、名乗りを上げるようになる可能性もある。
288神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 18:39:31 ID:5mlzVxGh
>>287
支持。
289神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 18:42:09 ID:B0SvB9hH
>>273
>その人物の資料(論書とか)を拝見すれば分りますね。(これを慧眼という)

しかし、愚者氏が押す経典のように、大昔の誰が書いたか不明で抽象的観念的内容のものに
判断の基準というものがあるのでしょうか? → 観念は百人百様です

我見が強い強くないという区別は何を持ってするのですか?→慧眼ですか?
慧眼に我見が入っていないことは何で証明するのですか?

『天動説』『地動説』・・・等々のように【慧眼】も時代と共に変化していくのが当たり前でしょう

個人的には、沢山のレスの中で【慧眼】は正にご隠居氏のレスに現れていると思ってますが。

彼のレスは現実世界から離れない現実肯定論で観念の入る余地の無い万人に理解出来る
ごく平凡な当たり前の今・ここの<青い鳥>に着眼された優れたものだと感じています。
誰でも今・ここの現実世界しか生きられませんから・・それ以外に生きられると主張される
方は霞を食べて生きることが出来ることを万人に自ら実証されるか ↓

■ 「生物的生命が、人間のすべての営みの根源である」という事実に異論のある者は、「死者にも
  
  書き込みが可能である」ことを立証しなければなあらない。どなたか出来ますか?■

ということになるでしょう。
290神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 18:45:16 ID:5mlzVxGh
>>286
> 宗教は、古代人の生存のための「手段」として発生した。その「手段」
> を「目的」とするという倒錯に陥っているのが、例外なく開祖の精神
> 障害から発生した、現代の「創唱宗教」なのである。

この書き方ですと、現代の新興宗教を批判しているようにしか読めませんが、
本当は仏教やキリスト教を新興宗教扱いしつつ、
批判したいのではないかと思うのですがどうでしょうか?

もしそうなのであれば、もう少し書き方を工夫して一般人にも理解できる形にしなくては
ならないと思います。
291神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 18:47:52 ID:5mlzVxGh
> 生物的生命が、人間のすべての営みの根源である」という事実に異論のある者は、「死者にも
>   書き込みが可能である」ことを立証しなければなあらない。

何故立証しなければならないのかについて、理由が示されていません。
鍵カッコで括られた二つの文章の関連性が不明です。
292神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 18:51:39 ID:B0SvB9hH
>>286
>一方、宗教(信仰)は、「ある」ものが「ない」、「ない」ものが「ある」という「倒錯」に陥った状態であり、
最初から「完全である」という「傲慢さ」「無明」に基づいているから、数千年間、何の「進歩」もなく、
果てしない争いの原因となっているだけ。「現実界」という万人に共通な、厳然として実在する、正誤・正邪
の判断基準が「皆無」だから、何千年間議論しても何の合意にも到達できず、何の発見もない。
「堂々巡り」「水掛け論」の典型である。☆★

↑ 正に正しく深〜い洞察力。物事の本質を見抜く鋭い眼力 → 【慧眼】で〜す!!

ヽ(^。^)ノ


293机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/09(月) 18:54:34 ID:36fIMB8A
>>289
>■ 「生物的生命が、人間のすべての営みの根源である」という事実に異論のある者は、「死者にも
>  書き込みが可能である」ことを立証しなければなあらない。どなたか出来ますか?■

これは、拙者が読んだ瞬間に既に心象はお見通しですね。→これを慧眼という。

この書込みは生死に迷っておるんですよ。
迷っておらん御仁は、こういう書込みはしないですね。

294神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 18:59:41 ID:B0SvB9hH
>>273
>悟った人物が、なにかの力があったり、社会に貢献したり、そういうことはないですね。
(悟りとは、そういう働きかけをすることではない) 基本的にはそういうことです。

会ったばかりでは悟った人物には、清浄な雰囲気も何のインスピレーションも無いわけですね?
何も働きかけをしないのならば観念の言葉のお遊び・現実逃避・・ということも言えますがw

>悟った人物と縁することにおいて、縁した人物(他者)が救われる場合が多い。
救われるとは、どういうことでしょうか?やはり観念で何の実証もない只、信じることですか?

>>287
>ご隠居氏はこの類に属し、カリスマ願望があるだけです。
全くあなたの目は節穴としか言いようがありません。残〜念!!(笑
295神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:00:00 ID:7GH2sQj7
>>290
「古代人の」という言葉に対応して「現代の」という言葉を入れてしまったが、
言わんとする対象は、「例外なく開祖の精神障害から発生した創唱宗教(啓示
宗教、神懸り宗教、教義宗教、世界宗教)」です。その典型は、勿論、キリスト
教です。仏教は、そうではないことを願っている次第です。

なお、現代のカルト宗教も、すべて伝統宗教を母体として発生し、伝統宗教の
テクニックを利用している点で、伝統宗教とは「原理的な相違」はありません。
「反社会性の程度の差」だけです。
296神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:00:35 ID:WshoFxBL
>ごく平凡な当たり前の今・ここの<青い鳥>に着眼された優れたものだと感じています。
そんなことにも今まで気づかなかったのですねw
もっとも「青い鳥」などと言っているようじゃ、未だ幻覚から醒めやらず・・・
297神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:07:39 ID:B0SvB9hH
>>275
>苦を逃れようとせず、それを真正面から受け入れられる覚悟。これが、「悟り」と言うものではあるまいか。

生きる方法は、残念ながらそれ以外はどこにもないようですね。皆、知っていて確かに宗教などに
逃げないで一生懸命自分で働いて生活してるのだから悟ってるといえるのかもしれない。
宗教の教義を信じても、苦や痛みを除いてくれる力があるわけではないし、それどころか財産を
巻き上げられたり犯罪に関わり人生を狂ってしまい不幸になった人達も沢山いるのですから・・

「円天」同様、<上手い話は無い>と自己防衛に努めましょうか(笑
298神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:12:08 ID:B0SvB9hH
>>296
>もっとも「青い鳥」などと言っているようじゃ、未だ幻覚から醒めやらず・・・

<涅槃・永遠の命>・・・等を追い求めている宗教がそれに該当しそうですね(笑

自覚はありませんか?
299神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:14:39 ID:7GH2sQj7
>>291
「2chへの書き込み」は、「人間のすべての営み」のうちの1例として挙げ
ただけw。
300机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/09(月) 19:16:09 ID:36fIMB8A
>>294
>会ったばかりでは悟った人物には、清浄な雰囲気も何のインスピレーションも無いわけですね?
>何も働きかけをしないのならば観念の言葉のお遊び・現実逃避・・ということも言えますがw

悟った人間が、特別な働きかけは基本的にはしない。
場合によってはする時もあるかも知れませんが、それは自由ですよね。

>救われるとは、どういうことでしょうか?や

救われる。というのは、禅師の生き方に学ぶべきところがある。ってことです。
これは一方的に拙者が学んでいるんですが。

>全くあなたの目は節穴としか言いようがありません。残〜念!!(笑

そうですか?
ご隠居氏のような書込みは初めてですね。
(氏の、心理分析には興味があります)→宗教板でアンチを表明する理由とか。
301神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:18:23 ID:5mlzVxGh
>>297
> 皆、知っていて確かに宗教などに
> 逃げないで一生懸命自分で働いて生活してるのだから悟ってるといえるのかもしれない。

それは悟りとは違います。

> 宗教の教義を信じても、苦や痛みを除いてくれる力があるわけではないし、それどころか財産を
> 巻き上げられたり犯罪に関わり人生を狂ってしまい不幸になった人達も沢山いるのですから・・

そのことと、生活=悟りということとは関係がないと思います。
302神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:19:47 ID:5mlzVxGh
>>299
文意について質問しなくても
万人に理解できるような日本文での記述をお願いします。
303神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:23:55 ID:B0SvB9hH
>>301
>それは悟りとは違います。

↑ 最初から「完全である」という「傲慢さ」「無明」に基づいているから、数千年間、何の「進歩」もなく、
果てしない争いの原因となっているだけ。「現実界」という万人に共通な、厳然として実在する、正誤・正邪
の判断基準が「皆無」だから、何千年間議論しても何の合意にも到達できず、何の発見もない。

「堂々巡り」「水掛け論」の典型である。☆★
304神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:29:01 ID:B0SvB9hH
>>293
>この書込みは生死に迷っておるんですよ。 迷っておらん御仁は、こういう書込みはしないですね。

では、どういう書き込みをするのが【慧眼】ですか?

>>300
>(氏の、心理分析には興味があります)→宗教板でアンチを表明する理由とか。

あなたは既存宗教は、<完璧>だと信じておられるのですか?
305神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:34:31 ID:5mlzVxGh
>>303
中観ひとつとってみても、前期から後期まであって進歩しています。
争いの原因になっているだけという記述は間違いです。
306神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:39:50 ID:B0SvB9hH
>>291
文章読解力ありますか?意味不明
307永遠の哲学:2009/02/09(月) 19:42:03 ID:2VHgOn0u
永遠の哲学とはあらゆる民族と文化に共通の真理であるとされる思想。

この語は16世紀に Agostino Steuco が
著書 'De perenni philosophia libri X (1540) で初めて使用した。
17世紀にはゴットフリート・ライプニッツがすべての宗教の基礎となる
思想を示すのにこの言葉を用いた。オルダス・ハクスリーは
1945年に『永遠の哲学』 (The Perennial Philosophy) を出版し、
永遠の哲学を有名にした。ハクスリーは永遠の哲学を以下のようにまとめている。

・物質、生命、心の世界の実体を成す神的リアリティを認識する形而上学
・神的実在に類似する、もしくは同一の何かを人間のなかに見出す心理学
・あらゆる存在に超越すると同時に内在している根拠を知ることを究極目的とする倫理学

永遠の哲学の主義によると、古今東西で様々に異なる文化と時代に
生きた人々は、現実、自己、世界、存在の本質に関して共通する知覚を
記録しているという。この知覚はあらゆる宗教の共通の基盤を形成する。

物理的世界は唯一の現実ではなく、それを超越した現実が存在している。
物質界は感覚を超えた現実の影である。人間は現実の2つの側面を反映している。
人間の物質的側面は生成消滅という自然の法則の支配下にあるが、
人間のもう一方の側面である魂、叡智はそれを超えた究極の現実(リアリティ)に
通じている。そして人間には究極的なリアリティを認識する能力が備わっている。

宗教は人間をこの究極的リアリティと結びつける。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などでは神こそがこの究極的リアリティである。
仏教などの無神論的宗教でも空や無が究極的リアリティとされる。
308神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:46:47 ID:B0SvB9hH


沢山のレスの中で【慧眼】は、正にご隠居氏の沢山のレスに現れていると思ってま〜す!!【>>286

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


人間も生物の一種である、という自明の事実を自覚することが、<悟り>の第一歩。
宗教、思索、修行を初め、「すべての人間の営み」は、生物的生命の機能。死者には、一切不可能。

「快楽は苦の原因」というのは、言語矛盾。ならば、修行や解脱による「快楽」も、「苦の原因」となり、
無意味ではないか。☆

生命という基盤を離れた形而上を排したのが、釈迦の比類の無い偉大さだと思うのだが。☆
そして、生命は、<関係性>においてしか、絶対に存在できないのである。★

釈迦は冷厳な唯物論者・無神論者・科学者だと思う。万人に共通する真理は、百人百様の「観念」からは
生じ得ない。だから、キリスト教とは全く異なり、仏教が2500年間、殆ど人を殺さなかったのである。

小乗は、原始仏典から一歩も踏み出せず、釈迦の「無」の思想を発展させる努力を怠ったから、各地で
紛争の原因となっている。それは、釈迦の真意ではないはずである。

(*^。^*)

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


309初心:2009/02/09(月) 19:47:11 ID:atNniIK1
仏教の真髄は、慈悲でしょうか?
  
それとも空でしょうか?
310神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:48:59 ID:5mlzVxGh
>>308
書き込むIDを間違えたのではありませんか?
311神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:52:15 ID:5mlzVxGh
>>309
そういう真髄はないです。

強いていえばあなたの場合は、
真髄を求める心の中にあります。
312神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:57:09 ID:B0SvB9hH
>>310
あはは・・・(笑
あなたの心が煩悩で一杯なんでしょw お気の毒〜

ヽ(^。^)ノ


313神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 19:59:23 ID:B0SvB9hH
神も仏も名無しさん 投稿日:2009/02/08(日) 18:23:56 ID:nh6GuZPD

>証拠価値はゼロでありながら、経典としての価値はあるの?

■「皆無」だね。その経典としての価値が皆無な「原始仏典」を至上の

 価値として議論しているのが、このスレの姿。 ☆★

■作者が明らかな大乗仏典のほうが、原始仏典よりもはるかに信頼できる

  ことは、明らかだろう。 ☆


お先におやすみン〜☆

314神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 20:00:57 ID:yM7KoJqM
>>307
>物理的世界は唯一の現実ではなく、それを超越した現実が存在している。

物理的世界を離れたら、人間は一瞬も生存できないのだから、永遠の哲学も、
宗教も、真理も、ヘチマもないよw。

あなたが今存在している地面が陥没したら、あなたは一瞬にして死ぬw。
315初心:2009/02/09(月) 20:21:35 ID:atNniIK1
>>311
中村先生は、「仏教の真髄」を語る、という著書で、
スッタニパータ、ダンマパダを引用し、
仏教の根本倫理として<慈悲>を取り上げています。
  
竜樹が整理した<空>は、仏教の真髄ではないのですね? 
316神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 20:29:59 ID:zQ+yL67A
諸仏の法印は人に従って得るに非ず。

心+吾=悟り

前持って得た知識というのは仏道において障害になることが多いです。

317神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 20:51:47 ID:cZAA5bA4
>>309
両方です。本質は同じです。分別するから別だと思う。
まずは、慈悲からいってみましょう。菩提心、菩提心。
そのうち、空もついてくるかも(^^)
318初心:2009/02/09(月) 21:01:02 ID:atNniIK1
>>272  机さんへ
>結論から言いますと、
>アートマンと分裂していても、アートマンと融合していても同じなんですね。

>それは、分裂でも融合でも「想念として分裂であったり融合であったりしている」。
>想念ですから縁生したり縁滅したりで、常住ではない。→直ぐに消え去るもの。
>(つまり分裂でも融合でも一切皆空)→五蘊皆空であります。
 
アートマンは想念とは別次元という設定です。
次元がちがうので、縁起は無関係です。
  
>思念ではそういうことになりますね。
>これも思念の範疇でして、そう縁生したり縁滅したりする。→これが縁起ですね。
 
次元を異にして、アートマン(自分の実体)と、自分が別々に存在するから、
自分の感覚で、アートマンを見ることが可能かもしれません。
319神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 21:28:35 ID:yZ3Wnigl

仏教とは是、自由自在にして融通無碍。

釈迦はなぜ生老病死があるのかという
疑問を持ち、そこから修行がはじまった。

そしてその答えを見つけて悟った。

それに答えられるのが仏陀であるということ。
320神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 21:35:53 ID:cZAA5bA4
>>318
初心さん、仏教ではそうは説きません。
その考え方は、ヴェーダーンタやサーンキャです。
321神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 21:39:24 ID:vNxxyMs1
>>317
何でもごちゃ混ぜにするアホを分別の無い奴という。
322神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 21:49:12 ID:cZAA5bA4
>>321
勝義では分別はありませんね。机さんではありませんがw
323初心:2009/02/09(月) 22:08:44 ID:f21gA/Ip
>>320
サーンキャは因中果説、ヴェーダーンタはアートマンを肯定ですね。
 
経典などを読んでいて疑問に感じたのは、
慈悲を重要なものと認めた場合、その根拠がいまひとつ腑に落ちないのです。
善いことや正しいことなどは、何を根拠にして語られているのでしょうか。
 
(中論の)空から導かれないのは明らかだと思うのです。
なぜならそれは、この世の縁起しか、語っていないからです。
この世は空であり、空がニルヴァーナでしょうか。
殺されても、傷つけられても、空であり、ニルヴァーナでしょうか。
<慈愛>とは言えないと思うのです。
324神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 22:10:28 ID:zQ+yL67A
自我を離れた行為主体はどこを見るのでしょうか?
325神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 22:22:21 ID:5mlzVxGh
>>323
空に重きを置くのは、空を観ずることによって仏性が見えるからです。
わかりにくいかもしれませんが般若心経にもそのラインのことが書いてあります。
仏性に従って生きると自動的に慈悲が生じます。
326初心:2009/02/09(月) 22:24:52 ID:f21gA/Ip
>>324
自分(アートマン)が置かれている<場>を見ているのだと思います。
 
それが経典で説かれている、絶対的な清らかさではないでしょうか?
そうであれば、経典の、先験的な清らかさも理解できます。
327神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 22:34:06 ID:ykvTbSB1
>>293
>この書込みは生死に迷っておるんですよ。
>迷っておらん御仁は、こういう書込みはしないですね。

生死に迷っても無意味ではありませんか。「死とは、すべての人に、不可避的
に、極めて公平に訪れる大自然の摂理。死ねば、すべては無。死が無であるか
らこそ、一度きりの生が輝く」。これを「悟り」という。

座禅をしっかりやれば、この「悟り」が得られるのではないですかw。

そもそも、生命を以って死を思考するのは、矛盾ではありませんか。

生死に執着して、生死一如、永遠の生命、死後の世界、輪廻転生、涅槃、天国・
地獄などにやたらと拘るのが、宗教。これらはすべて、「死の恐怖」から逃れ
ようとする逃避の心理、生を貶めることにより死の恐怖を低下させようとする
「自己欺瞞」に過ぎないのです。

その意味で、最も悟っていないのが、まさに宗教者だと、申し上げているの
です。
328初心:2009/02/09(月) 22:34:25 ID:f21gA/Ip
>>325
空観を否定しません。
この世が空であることは認めています。
しかし空がめでたいかどうかは疑問に思うのです。
釈迦はさらに奥深いのではないかと。究極は慈悲だろうと思います。
329神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 22:35:28 ID:zQ+yL67A
私は答えをいいません。
それは、あなたの普段の生活(所縁のある状態)から答えを出して下さい。
机上の空論ならいりません。
330神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 22:40:29 ID:5mlzVxGh
>>327
> 死が無であるからこそ、一度きりの生が輝く

死が無でなければ生が輝かないということはありません。

> 生死に執着して、生死一如、永遠の生命、死後の世界、輪廻転生、涅槃、天国・
> 地獄などにやたらと拘るのが、宗教。これらはすべて、「死の恐怖」から逃れ
> ようとする逃避の心理、生を貶めることにより死の恐怖を低下させようとする
> 「自己欺瞞」に過ぎないのです。

それ以上の意味が自分に見いだせないからといって、
他の人にとってもそうだと断定するのは早計です。
331神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 22:47:47 ID:ykvTbSB1
>>328
「慈悲」とは、「自分が独りで存在しているのではなく、もろもろの
縁起(空・関係性)の中に存在していることの自覚」である。即ち、
「自は他であり、他は自である(自利利他)」。
332神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 22:53:53 ID:5mlzVxGh
>>328
人による部分は若干だけありますが、基本的にその考え方でいいと思います。
よく見ると空の中には慈悲の砂が敷き詰められています。
経典に清らかさを感じるのは経典の中に慈悲があるからです。
333神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 22:53:56 ID:Ion5C6Mx
>>327

死を受け入れるのと悟りは全然別の話だろwwwwww
334神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 23:00:43 ID:ykvTbSB1
>>330
>死が無でなければ生が輝かないということはありません。

生が無制限であれば、それは貴重ではありません。ダイアモンドが無制限
に存在すれば、それは単に邪魔な石ころに過ぎません。

「永遠の生命」とは、「地獄」の別名です。

空気が貴重なのは、その供給が途絶える可能性があるからです。
335tibyaku:2009/02/09(月) 23:07:34 ID:yyMARvwi
仏教の祖であるお釈迦様は無神論・唯物論でもありません。

何処の国か知りませんが、権威ある坊さんが、食べていけないので、檀家達

の無神論・唯物論に妥協し、諸行無常の行間のみを権威ある坊さんが解説し

たり、あるいは仏説の後に(ということはありません。)を入れたら

正しい仏説の後の否定語になり、後代に見た権威ある坊さんがお釈迦様

は「無我は我が無いので死後はないのであの世がない」とか「転生輪廻がない」

と説かれたと、真実なる意味がまったく反対になってしまいます。玉石混交で

「玉」を捨て「石」ばかり拾って、お釈迦様の仏説は末「玉」を否定し「石」

を肯定しているみたいなことになっているのが唯仏が唯物になって石だらけの

唯物論・無神論仏教になって西洋でも「仏教は唯物論を説いている間違った

教えだ。」となってしまう事に、後代の権威ある坊さんは保身にこだわり

大きな罪を犯したものです。


336三代スレ170:2009/02/09(月) 23:11:23 ID:hrlQ51gC
机(274)さんへ
>道元と良寛は、同じ哲学サロンだとしてもポジションが違いますよね
「哲学サロン云々」は机流(野狐流)道元理解だと、そういうナンセンスに陥る
と揶揄したものだってのはわかりますよね?それともわかっててトボケてる?
もちろん道元は(通常の理解では)「仏教」をやっていたのであって
「哲学サロン」をやっていたのではありません。もちろん良寛もね。

>道元は僧院を管理する立場ですし、
もし道元が机流理解の範囲に収まる俗物(二枚舌の卑劣漢)であれば、
僧院の管理なんぞしなくてもいいから、弟子ともども飢えて死ぬ、
(あるいは還俗して働いて食う)のがふさわしいと思います。
(過去スレでも言いましたよね?嘘つきに施しをする義理はありません)

>良寛は自由人であって、なんら差し障りがない。
…どうも、机さんの言う良寛と自分の言う良寛は別人のような気がしてきた。
机流仏教における僧侶は、良寛の言うところの「犬」だってのはわかりますよね?
337三代スレ170:2009/02/09(月) 23:13:13 ID:hrlQ51gC
(続き)
>現存の僧侶は全部嘘つきになる。
机流理解では、そうなるのかも知れませんね。

>そういった仏教文化を大切にしていくのも道元の仕事だろうよw
机流理解における仏教文化など、二枚舌の産物ですから滅ぶべきです。
またそんなものを大事にすることなど、仕事にすべきではありません。

>ただ拙者は、僧院管理者の道元にはあまり興味がない。ってこってすw
>ただ、正法眼蔵における在家向け三巻の理解は、
>そういったバックボーンを納得のうえで解釈して頂きたいですね。
机流解釈だと在家向け三巻は僧院維持のための「嘘」だとなるわけですね。

まあ、「道元は大乗仏教を本心から信じており、在家にもそれに基づく説法をした」
とするならば、机流のねじれた解釈は必要なくなるわけですが。
338神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 23:14:14 ID:cZAA5bA4
>>323
>善いことや正しいことなどは、何を根拠にして語られているのでしょうか。

あれ、前にも善とは楽をもたらす行為だと言ったのですが、
読まれてないのでしょうか?

龍樹菩薩の慈悲は説いてますし、空から慈悲を論証する論書もありますが、
かなり長くなるので、徒労ではやる気が失せます。さすがに(^^)
339初心:2009/02/09(月) 23:20:02 ID:f21gA/Ip
>>331
自覚では弱い気がします。わたしは欲張りなのかもしれません。
>>332
その清らかさの起源を知りたいのです。
340brown:2009/02/09(月) 23:21:56 ID:qMBRbgfL
>>318
(議論をちゃんと追ってないので出鱈目を言うかも知れませんが,
申し訳なく)

私は,ついにアートマンを見た。(アートマンというのは真我ということ
でよいのでしょうか?)としましょう。

さて,この場合に,「普通の私」と「真我」とが同一なのか?別異なのか?
ということが問題になります。

もし同一だとすると,どうしてわざわざ,「私はアートマンについに到達」
する必要があるんでしょうか?同一なのに。同一なら到達しなくても
既にそこにあるのに。普段から真我のままで,探しに出かける必要ないですね。

もし別異だとすると,真我でない「普通の私」,はっきり言えば「偽りの私」
が「真我」に到達したということになるが,どうして「偽りの私」を信頼
できるのでしょう?真我に到達したのは,真の存在ではなく,信頼できない
はずの「偽りの私」なのに。「偽りの私」では信頼できないから,もっと
信頼できる拠り所である「真我」を求めたのに,どうしてその信頼できない
私が到達したことを信頼できるのでしょうか?

表現上,厳密でないというか,あなたの思考パターンに即応しないかも
しれませんが,そこは言葉やパターンを変えていただいて,ともかく
このように,厳密に考えていくと,アートマンと日常の我の間の関係性は
理解されます。
341初心:2009/02/09(月) 23:33:20 ID:f21gA/Ip
>>338
最近パソコンをはじめたので失礼してます。
<善>を定義してもらえたら感謝です。
342神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 23:54:14 ID:cZAA5bA4
>>341
善は、先ず二種に分けられます。
煩悩のある善と煩悩のない善です。
煩悩のない善は、悟り、解脱、涅槃など聖者のものです。

煩悩のない善は、楽をもたらす行為です。
具体的にいうと、十善です。
殺さない。盗まない。邪淫しない。
嘘をつかない。悪口をたたかない。
無駄話しない。仲違いさせるようなことを言わない。
怒らない。愛着しない。正しい見解を保つ。

正しい見解を保つというのは、本来は無我・空・縁起の見解を保つことですが、
初心者は、無我・空・縁起などの仏法を信仰するということになります。

343初心:2009/02/09(月) 23:59:06 ID:f21gA/Ip
>>340
日常の自分と真我は同一ではないと思います。
 
別異であることがわかるのは、
自分とアートマンが同一になっているからだろうと思います。
アートマンは<場>を知覚している。それゆえ
偽りの自分を信じるのではなく、アートマンこそ自分であると信じるのでは?
344神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 00:05:27 ID:U2C7/8vy
>>343
>日常の自分と真我は同一ではないと思います。

日常我と別に真我があるという説は、『梵網経』で美しく論理的に否定されています。
『中論』の「不一不異」は『梵網経』などの説を受けたものです。
これについても既に、あなたに石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』を読んでくださいと言ったと思います。
345初心:2009/02/10(火) 00:17:32 ID:lnCaaGks
>>342
ありがとうございます。
ふたつの善、ここに重要な問題があると思うのです。つまり
経典は絶対的な善を語るけど、それを読む人たちは相対的な善しか
行えないということです。読者は、ほんとうの善とは何か、という疑問です。
超えがたい壁に行く手を阻まれてしまうでしょう。
それは経典への懐疑です。懐疑ではなく信仰でしょうか?
346神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 00:24:11 ID:U2C7/8vy
>>345
>>233 で既に、多分あなたに答えています。
347初心:2009/02/10(火) 00:25:25 ID:lnCaaGks
>345
× という疑問です。 → ○ という疑問で、
酔いが回ってきたのでオチ。
 
348初心:2009/02/10(火) 00:32:08 ID:lnCaaGks
>>346
そうでしたね。しかし納得できなかったのだと思います。
微妙に、<絶対的な>善を定義していなかったのではないかと。
せっかく教えてくれたのに失礼しました。
349宝珠愚者:2009/02/10(火) 00:34:10 ID:8UMdmftD
>>104
>オルコット会長(もちろん、ブラヴァツキー夫人も)は三帰依したそうですが、
>そもそも宝珠愚者さんは三帰依しているのでしょうか?

はい。
お二方、共に仏教については、
特にゴータマの教説により忠実にあろうとする伝統的な教派については、
心から敬意を示していましたからね。

私も、もちろんそうです。


>>169
古書店から探すか復刊を願う他はありません。
(ベストセラーだから良書とは限らず、名著ほど絶版していくパターンも見られる・・)

復刊ドットコム:
 http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=34271
350宝珠愚者:2009/02/10(火) 00:34:57 ID:8UMdmftD
>>80
>そのような言い方は、キリスト教崩れの超オカルト宗教である神智学教徒
>の宝珠愚者氏の洗脳を強化するだけではないかね。現に彼はすっかり舞い上がっている。

そういう発言はとんでもない誤解を産みますから、どうか勘弁願いします。
170さんは別に、私を特別に支持し、賛同されているというわけではありませんよ。
経典の記述は「輪廻転生を説いている」ことは明らかだ、と述べているに過ぎません。

それはつまり、
---経典編纂で改変、挿入されたものではなく---ゴータマが本当に説いたものなのかどうか?
もしもゴータマが説いたものとしても、それは真実であると見なしてよいのかどうか?
これについては、またその次の段階ということになる。

まず、あなたが認識しなければならない根本的な点は、
輪廻転生を説く姿勢にあるものが伝統仏教であるということです。
経典に書かれてあれば正しいといえるのかどうか?
後代の付加挿入ではないのか?
または、ゴータマは方便として説いたのではないか?
といった見解というのは、伝統に対する新しい批判的な姿勢ということになるでしょう。

あなたが輪廻転生の教えをどのように捕らえようともご自由ですが、
伝統仏教をカルト呼ばわりするのは全くの的外れですから。
これに疑いの異を唱える姿勢にある側こそが異端的なものなのです。
どうぞ、まず己れの立場をわきまえて下さい!

あなたの場合はそれからです。

>>103
>あなたは、少なくとも、仏教については、何も語る資格はありません。

それをあなたに言われたくはないですねぇ^^
少なくとも、私も仏教を学んできた一人であり、ゴータマを心から尊敬している。
351宝珠愚者:2009/02/10(火) 00:37:09 ID:8UMdmftD
>>194
>『「充実した「生」」「これ以上の価値を想定できない“今ここの(白ネコと共にある)「生」”」
>    を全うしたからこそ(≒満足したからこそ)、とらねこは次の「生」を受けなかった。
>《白ネコが只一度の「生」であったことから、回数ではない、何度も生きることが重要ではない》
>    と見ることもできます。《白ネコは、何度も生きる必要が無かった》と・・。

>>196
>は、先の絵本とは全く関係ないですね。

 194で7さんが仰りたいことは理解しますが、この引用部分の心境に達していても凡夫は輪廻(再生)か
ら免れません。そのことを述べたものが196で引用して頂いた私からの返答内容なのです。
 何故なら人は、誰一人として「行為せずには生きられない」からです。そこから業力が作用し、それは強
制的に来世へと人を再生させるのです。つまり、凡夫から見れば、外的には行為していると見なされるも
のであっても、「解脱者のそれは無行為」なのです。無行為で生存できる人間は解脱者だけです。「行為すれ
ば、必ず業報がある。」
 「この世で満足した」「再生を望まない」「来世について想いもしない」としたところで、その人は再び再生し
ます。仏典が謳っている輪廻の恐ろしさとはそういうことです。
352神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 01:34:52 ID:zS7XEMu2
百丈野狐を地でいく人だな。
353神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 03:53:26 ID:IZr5lG6n
>>341
「善悪」とは、人間の共生のための「行為」の「技術的概念」。

他者の生存を助ける行為が、善であり、他者の生存を害する行為が、悪で
ある。

「行為」を離れた「観念的善悪」など、どこにも存在しない。
354神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 07:22:07 ID:leAX27tw
>>352
六師外道でも、凡夫よりは優秀。
野狐でも、似非禅者よりは優秀。
355神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 07:30:13 ID:BJsqVU8S
長文書けば、いいってもんじゃねえんだよ、タコ。
反論さえすれば、勝ったと思う勘違いヤロウも多いし。
ああいえば上祐ばかりだな。
実践を伴わない仏教何のいみがある?
356神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 07:34:15 ID:BJsqVU8S
ここにいる一部の人間が長文書くのは、たくさんの真実の中に、
自分の嘘を巧みに紛れ込ませるためです。
惑わされないよう。
357神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 07:48:24 ID:BJsqVU8S
外道を行うくらいなら凡夫が万倍ましである。
時間の無駄だ。
358神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 08:00:55 ID:U2C7/8vy
>>354
仰る通り。

>>357
『梵網経』の釈説と正反対ですよ。
凡夫がいいとか、常識のままでいいという仏教は現代日本の一部以外にありません。
359初代スレ7:2009/02/10(火) 09:57:36 ID:qeQ568SB
>>269
なるほど。
そこまで出家中心比丘中心梵行中心の価値観でいくなら、267は忘れて下さい。
(意味がわからなくて当然でしょう・・・。)
仏教スレでのことでもあり、宝珠氏の読みにも倣い、(※印部分付で)仏教と関連させて書きましたが、
仰る通り、作品自体は、純粋に「世俗的価値観」の物語でしょう。
また、あの本の名前を出した理由も、「“一回限りの生”の無意味さ」への、
世俗的立場からの(≒唯物的・断滅的姿勢からの)悪あがきですしwww

(涅槃に資さない)娯楽作品は、仏教では無用の長物ですからね。貴方の姿勢は全く正しい。
267共々、192・194も忘れて下さい。
貴方の理想通りの、
人類皆、他の価値観を捨て、非生産的仏教徒となり比丘となり、涅槃を目指し、解脱し、
見事な仏国土が建設されることを祈念申し上げます。
360初代スレ7:2009/02/10(火) 09:58:41 ID:qeQ568SB
>>351
>  194で7さんが仰りたいことは理解しますが、
はい。おそらく解ってはいただけてると思っています。
一応確認でまとめておけば、>>359(及び>>194)内で少し触れたように、
≪「断滅的世界観」は、「諸悪の根源」・「倫理基盤の欠如」・「享楽主義・刹那主義の元、温床」・「自殺推奨思想」であり、
 「転生という世界観」【のみ】が、「倫理基盤」であり「刹那的・享楽的生き方を防止」し「自殺を思いとどまらせる」≫
という論調に対する疑義ということです。
「転生という世界観」しか、倫理基盤足りえないのでしょうか?
「転生という世界観」を持たない価値観・世界観・思想は、劣った、(人の成長・成熟に)役立たないものなのでしょうか?
「転生という世界観」に満たされた社会には、犯罪や不道徳、或いは自殺等は無いのでしょうか?

(勿論、御隠居系の極論に対する刃としての位置付けはあると思いますが)、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230651094/376
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230651094/386
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230651094/491
で述べるように、極論である点では同じです。(カラス氏は結局煙に巻くだけでしたが・・・w)

「転生という世界観」も、倫理道徳面でのブレーキ・方向舵足りえるし、
それを、心底恐れ、信じる者にとっては、強力な歯止めとして機能することでしょう。
しかし、それだけで十分かどうか、それ以外にブレーキ・方向舵はないのか、とは別問題だと思うわけです。
(おそらく、仏典中でも、転生と直結していない倫理道徳面での教戒は散見されるのではないでしょうか・・。)
 ※参:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/72 から
    . http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/93 まで (特に82・87)
     (及びhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/106

この件はこれで終わりにしましょうか・・。私も、もう目くじら立てないようにしますw

ノシ
361机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/10(火) 10:00:26 ID:KYWY0LR/
>>327
>生死に迷っても無意味ではありませんか。「死とは、すべての人に、不可避的
>に、極めて公平に訪れる大自然の摂理。死ねば、すべては無。死が無であるか
>らこそ、一度きりの生が輝く」。これを「悟り」という。

貴殿は生命に執着があるようですので、拙者が仏教の触りの部分だけ御説明します。
そもそも覚者というのは、生死のことは殆ど考えないんですよ。
それは、考えてもどぉにもならんことが既に解っておるからなんです。
こういいた不合理的なものが全て寂滅してしまうのです。
(まあ、これは簡単な説明ですけど)

では、余計なものが脳から除去されるとどうなるか?
これは除去されんと解らんもんでしょ?w

ある者は除去された瞬間に、明けの明星が体内に入るとか、
そんなことうを言う御仁もおりますけど、
これは比喩で言ったもんで、つまりは開眼の一瞬なんですね。

こういうことがありますから、仏教は2500年も続いてきたわけで、
仏教を志す者が、生命がどうだ?とか言う御仁はそもそもおらんですね。
自己への洞察が仏教なんですから、
つまり自己に問うことなくば、その本懐には到らんわけです。

#、では、また暇なときにROMります。
362神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 10:13:27 ID:eoninCGz
>>229  >>348
相対的なものでしかない、という考え方は
愛情とは何か、慈悲とは何かということにハッキリと思い当たった時、
一段上の価値観に止揚されます。
空は「仮初めの意味」を解体整理する見方ですが、
悟りは意味のみによってできています。そこは絶対的な善です。
むしろ、慈悲に至る前に必要な、邪念をクリアにする段階として空観があります。

仏教はこのプロセスの部分の記述が甘いのは確かですが、
大乗経典では、さまざまな菩薩の物語の中にそれがあります。
363神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 10:17:22 ID:eoninCGz
少し用語が不適切でした。
× 悟り
○ 仏性
364神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 10:41:31 ID:U2C7/8vy
>>362
『入菩提行論』に美しい論理による慈悲の修習があります。
365神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 11:32:58 ID:HMgeXsqJ
>>344
梵網経って、5世紀頃に中国で成立した
偽経じゃん。典型的な大乗経典。それに中論。
中論なんていうのは、せっかくゴータマが、縁起でしかない
無自性な空でしかない、この現象世界(物質)への解脱の境地を
説いたのに、肝心な縁起世界からの解脱の境地を省いて、
ゴータマが解脱しなさいと説いた縁起世界だけで仏教を語り、
そこから解脱しなさいと説いた縁起世界だけで仏教を完結させてしまった、
仏教を後退させてしまった、とんでもない偽典じゃない。
これのおかげで、仏教は、末法の時代へとまっしぐら。こんな
出来損ないの屁理屈論文、よくありがたがって自分達の主張の根拠に
できるものだな。しかもそれを語っているのは、ゴータマの仏教とは程遠い、
南無阿弥陀仏の、浄土真宗系の人達。なんでこいつらが我こそは、
ゴータマの原始仏教だといわんばかりに、こういう掲示板で幅を利かすのか
意味不明だが、宗教界では、本物は隅にやられ、まがい物が本流になるのは
よくある話。この世界は悪が支配するとはよく言ったもんだな。
366神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 11:42:00 ID:eoninCGz
> 浄土真宗系の人達。なんでこいつらが我こそは、
> ゴータマの原始仏教だといわんばかりに、こういう掲示板で幅を利かすのか
> 意味不明だが、

蓮如の影響じゃないかと思われ。
367神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 11:42:07 ID:U2C7/8vy
>>365
この場合『梵網経』はパーリのディーガニカーヤの『梵網経』ですよ。
それも知らずに騙らないでください(^^)

『中論』が原始仏典に基づいていることはもはや常識ですが。
368神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 12:23:27 ID:eoninCGz
>>364
ありがとう。
369カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 12:34:38 ID:HMgeXsqJ
>>367
あ、そ。長部経典の、『梵網経』ね。
あれは、死後常駐普遍の我は無いという見解であり、
死後にアートマンは無いとはいっていない。
死後の常駐に存在する我を否定する一方で、断滅論をも
否定する話になるわけだ。俺から言わせれば、
これもゴータマがこの経の中で否定した、詭弁論に近いものだと
思うのだが、要は、死後に何も残らないというのは誤りで、
やはり、我のようなものは残るが、それも常駐ではないということだ。
おまえらは、自分の都合のいいようにしか解釈しないし、
自分の都合のいい部分だけ引用して、自説に合うようにここでのたまう。
いいか、そこの経では、死後に常駐の我は無いと説いた傍ら、
断滅論も否定しているんだよ。あのさ、真我といえども、それは常駐ではない。
なぜなら安息するからだ。話はなにもそんなに難しいものではない。
仏典はこれに見られるように、あえて
簡単なことを、持って回った言い回しで、わざと邪見を生むような、編集を
されているようにしか思えない。ところで、梵網経には、
はっきりと、記弁論は外道だと言ってるわけだ。君らの中論からきた、
中道を使った不可知論でしかない能書きは、典型的な記弁論論だな。
370神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 12:58:57 ID:BKaWhDw9
>ゴータマの仏教とは程遠い、
>南無阿弥陀仏の、浄土真宗系の人達

偉大なる現実肯定、常識主義(日々是好日)と在家主義、修行無用論こそ
良くも悪くも日本仏教の特色です。
371カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 13:00:56 ID:HMgeXsqJ
ゴータマが実際に仏典にあるような
簡単なことをもったいぶって、聞き手にあえて
混乱を招くような言い回しで説法をしていたとすれば、
こいつもたいしたことない。仏典を見れば、こういう勿体つけた、
簡単なことを持って回った言い回しでもったいぶって話している
説教のオンパレードだ。おかげで後世には、邪見のオンパレードだ。
俺はゴータマは単にその境地を知っただけの人だと
思う。彼はその境地を知っても、己のエゴイズムを捨てられなかった。
自分の悟った内容を勿体つけて誰にでもわかる簡単な言葉で
ストレートに語ることなく、こういう混乱を招くような言い回しで自ら外道
と称した不可知論に近い説法で話す。ま、本論は、明確な解があるので、
不可知論ではないのだが、説法の内容は、不可知論に近いものだ。
こいつは、自分の悟った内容を、皆に簡単に伝えることを惜しいと思い、
こういう簡単なことを小難しく語り、勿体つけたんだよ。
しかも、あの布施に対する教義だ。こいつは、僧団を引きいりながら、
自分達の食い扶持は在家の信者にたかり、在家には、自分達を供養することにより
自分達は救われるようなごときの教義を示した。しかも在家に向ける説法は、
原始経典に見られるような、簡単なことを持って回った言い回しで煙に巻き、
聞き手の解釈によりどうとでも取れるような混乱を招くような糞みたいな
説法ばかりだ。後に、この布施に対する教義はカルト達の自分達の、だました在家の
信者の財産を巻き上げる、いい口実(道具)となる。
本当の布施とは、こういう僧団にただ飯を食わせることじゃなく、アフリカなどの
飢えて、今にも餓死しそうな子供達に食わせてやるなど、目の前の本当に
困っている人達に、無償で助けてやることを言うのだ。ゴータマの布施に対する
アプローチは大変卑しい。自分達の食い扶持は、自分達で何とかしろって。
そして、自分達を供養しろという前に、自分達から即戦して、困っている人達をみれば、
身銭をを切ってまで、無償で助けてやれって。ゴータマは結局、在家からたかった
布施による食料を食って、食中毒に当たって、苦しんだ挙句、死んだ。これぞ因果応報だ。
案外ゴータマは、次の生として、イエスとして生まれ、そして初めて、涅槃に入ったんじゃ
ねぇの(苦笑)

372カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 13:01:47 ID:HMgeXsqJ
隠居ちゅうのは、案外サロメだろ。
おまえ、本当、いい加減にしとけよ。
373カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 13:20:15 ID:HMgeXsqJ
>>370
善の修行を完成させない者に、涅槃は無いよ。
善の修行。それは己の心に巣食う、エゴイズム(利己心)を
滅ぼすことだ。それは肉の自我を滅ぼす道でもある。
あなたは、目の前の善良な困っている人達の人の為に、自分の命(肉の命)
を捨てることができるか?

我々に問われていることはそういうことなんだよ。
374神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 13:24:40 ID:vJshCssN
>>361
>仏教を志す者が、生命がどうだ?とか言う御仁はそもそもおらんですね。

「生・老・病・死」に拘ったあまり、それからの離脱を説くのが、釈迦であり、
仏教ではないのですかねw。こだわりがなければ、そんな言葉は、初めから
使わない。

それに、何を考え、何をしようとも、それは自己の「生命」の機能に過ぎない
という肝心なことを、覚者は自覚できているのでしょうか。

>自己への洞察が仏教なんですから、

自己を洞察するのも、自己ですよ。自己が自己を洞察しようとする限り、
永遠に自己からは逃れることはできない。自己を判断できるのは、他者だけ
です。
375カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 13:32:43 ID:HMgeXsqJ
アーメン。善の修行とは、利己心を滅ぼす道。
それは、あなたと私とを別ける、肉の自我を滅ぼす道に他ならない。
この理を知る者は、幸いである。
376神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 13:40:32 ID:vJshCssN
>>375
利己心を滅ぼそうとする執着こそ、まさに利己心の塊であることを理解され
たし。
377カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 13:42:18 ID:HMgeXsqJ
>>376
そういうのを、屁理屈だというんだよ。

君は可哀想な人だね。
378神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 13:56:24 ID:vJshCssN
>>377
可哀想なのは、ひたすら、「自分の救い」「自分の解脱」「自分の涅槃」を追
い求める、「エゴの塊」の宗教者ではないのかね。

利己心を捨てようと思えば、「自分」から「他者」へ心を移す以外には、方法
がないではないか。それが「縁起・空」を知ることである。

それから、何かを語るときは、必ず「現実との関連」において語ってくれ。
さもなければ、すべて単なる「妄想」である。
379カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 13:59:22 ID:HMgeXsqJ
>>376
>(スッタニパータ)
>453 真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。

(マタイ)
>35)天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。

(ヨハネ)
>63)人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。
>わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

言葉は命だ。それは霊でもある。「言」は「人」を殺したが。この「言」による知恵
こそが、死人である我々を、再び生かす。不滅の言葉とは聖霊と呼ばれる。
それは、一つのものを、私とあなたの、二つに別けた我々を、再び一つにする言葉。

「あなた方は互いに愛し合いなさい」

この言葉は聖霊である。また。「利己心を滅ぼしなさい」というのも聖霊である。

>>376よ。人の子や、全ての根源である父(自性)を貶す者は許される。
だが、聖霊を貶し、聞き従わない者は決して許されない。

「あなた方は互いに愛し合いなさい」

この言葉に、聞き従わない者は、決して許されないんだよ。
380カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 14:07:14 ID:HMgeXsqJ
>>378
おまえは、仏典に出てくる、悪魔バービマンの言ってることと
全く同じなので笑える。おまえはある意味可哀想な人だな。
ま、これだけは言っといてやるよ。おまえがどんな価値観で生きるのも
勝手だが、お前が聖霊を汚すのなら、おまえは決して許されない。
ここの末法仏教者にはいくらスッタニパータにある不滅の言葉について
説明してもわからないだろうが、イエスの残した言葉は、聖霊だ。
彼の言葉に言い逆らう者は決して許されない。それだけは良く覚えて置いたほうが
いいだろう。ま、おまえのような下らない引きこもりの暇つぶしの相手に
なるのも時間の無駄なのでこの辺で。
381神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 14:11:21 ID:vJshCssN
>>379
手垢のついたイエスや聖書は、クリ板でやってくれ。

ナンセンスなイエスで、仏教を汚すな。

「聖霊」とは、神がすべての人間に吹き込んだ「ルーアッハ」「空気」「生命」
のことだよ。「人間のどこか外部から、鳩のように舞い降りてくる物体w」で
はない。旧約聖書読め。
382神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 15:00:50 ID:eoninCGz
>>379
> 「あなた方は互いに愛し合いなさい」
> この言葉に、聞き従わない者は、決して許されないんだよ。

じゃあまずご隠居とカラスさんが愛し合ったらよろしいでしょう。
それもある意味菩薩行。
383神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 15:52:02 ID:ePVg5WzP
ヨーロッパの歴史は史実を見れば、キリスト教の歴史としても見ることが可能でしょうが、
キリスト教の広まりに拠って公衆衛生が悪化してペストの大流行に繋がったり、
異教破壊や魔女狩りに代表される宗教裁判・異端審問、天道説地動説等の科学否定、十字軍、宗教戦争、
さらには布教と一体となった植民地主義など数々の問題を引き起こしてきた。

自分達の神のみが唯一とうそぶき、原住民の宗教を破壊し、強引に改宗させるのがキリスト教。
列強国の植民地支配の先頭にはいつもキリスト教の伝道者がいた。
日本でも、スペインは宣教師を送って、それから軍隊を送る計画だった事が判明。
秀吉が激怒してキリスト教を禁教にしてしまった。
これは秀吉の快挙である。
384神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 15:54:45 ID:ePVg5WzP
ユダヤ教聖典「タルムード(律法)」とは
ユダヤ教のほぼ全ての宗派において至上の聖典であり、
神がユダヤ民族に与えた言葉そのものとされている。
よって当然、この神の言葉を遵守することはユダヤ人の良識である。 曰く

 「ただユダヤ人だけが人類である(ただ汝のみ人として選ばれたり)」
 「異邦人の子供は動物である(豚である)」
 「異邦人の女は動物(豚)として選ばれた(造られた)」
 「異邦人に律法(この場合はタルムード)を教える事は禁じられている」
 「他の民の資産はなべてユダヤの民に属し、必然的にいかなる良心の咎めもなく占有する権利がある」
 「もしユダヤ人が異邦人の落とし物を見つけた場合、返す必要はない」
 「法廷においてユダヤ人が異邦人を騙す事は差し支えない」
 「ユダヤ人は異邦人を罠にはめるために虚をついても良い」
 「ユダヤ人が ゴイ(豚=異教徒)の土地に鍬を入れれば、その土地全部の所有者となったのである」
 「もし異邦人がユダヤ人を蹴ったら、彼は殺されなければならない。ユダヤ人を蹴ることは神を蹴ることと同じである」
 「すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を殺すことを許さる」
 「汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり」
 「ゴイ(非ユダヤ人)、ノアの子等、異教徒はイスラエル人にあらず 」
 「ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず」

以上は事実であり誇張もでまかせもない。タルムードの真実である。
この宗教的選民思想ともいうべきタルムードこそが、我々異教徒がユダヤ人を
理解する上でもっとも大切な教義なのである。

「ユダヤ人は我々を人間としてすら認識していない」ということを知らなければならない。
はっきりいう。ユダヤ人に言わせれば、お前は豚だ。その事実を知れ。
385神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 16:02:51 ID:ePVg5WzP
イエスは、下層民や仲間はずれ、犯罪者たちをあおって、ユダヤ教が支配する社会を攻撃しました。
言ってみれば、イエスはというのはアナーキスト(無政府主義者)なんですね。
「聖書」に書いてあることが本当だとしたら、
今の時代では政治犯として刑務所に入れられるようなことを言っている。
(中略)
要するにあらゆる種類のガラクタが集まってできている。
言ってみればキリスト教は「人間のあらゆるダメな部分」の集合体なのですね。
キリスト教によって、社会のくずやガラクタが権力にありつこうとするわけです。
(中略)
頭の悪い下層民たちがキリスト教に染まっていった時代でも、ローマ帝国の中にはそれとは正反対の、
高貴で、美しく、成熟したタイプの人間がおりました。
しかし、多数者が支配するようになってしまった。キリスト教と同じ本能を持っている民主主義が勝利を占めてしまったのです。
それではなぜ、不健康なキリスト教が勝利を占めたのか。
それはキリスト教が「国民的」ではなかったからです。
キリスト教は一つの民族だけが信じる宗教ではなく、不健康でろくでもないあらゆる種類のものに取りつく宗教なのです。
それで、いたるところににたくさんの同盟者を持つことができたのですね。
386如来不説:2009/02/10(火) 16:02:58 ID:Wx4kv7LD
>>359
>また、あの本の名前を出した理由も、「“一回限りの生”の無意味さ」への、
>世俗的立場からの(≒唯物的・断滅的姿勢からの)悪あがきですしwww

そこ(“一回限りの生”)に意味を持たせようとするところからいろいろな煩悩や
妄想が発生するのでしょうし、それを無明というのではないでしょうか?

>貴方の理想通りの、人類皆、他の価値観を捨て、非生産的仏教徒となり比丘となり、
>涅槃を目指し、解脱し、見事な仏国土が建設されることを祈念申し上げます。

この「人類皆」というところに初代スレ7さんの仏教に対する姿勢が表われている
ように思われます。涅槃は目指したい人だけが目指せばいいのであって、つまり、
仏教の出家による解脱への道は、解脱を求め、その機根のある人に対して説かれて
いるのであって、「宇宙の真理はこうだから、否応なく従うしかない」とか、「絶
対神の定めたルールだから従わないと罰がある」とかそういったことではないと思
います。私自身在家に過ぎず、在家としての人生にとって合致し有益な部分を受け
入れ実践する者に過ぎません。皆が比丘出家する必要も、そのように勧めているわ
けでもないと思います。

先の発言では、ゴータマ仏陀自身の話としては、無数の転生を経て、それ(人生)
に何がしかの意味があるのかとずっと探し求めてきたが、その無明の正体が明らか
になったので、そこから解脱するという究極の答えに至った、という初期仏典の数
々の言葉に基づいて、むしろ百万回転生したネコの方が仏陀に立場た相当するので
はないかと、いうだけの話です。
387神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 16:03:39 ID:eoninCGz
>>383
スレを間違えているのでは?
388神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 16:03:52 ID:ePVg5WzP
反対に、キリスト教はローマの巨大な業績を一夜のうちにぶち壊しました。
キリスト教は世界を破壊しつくしてしまった。
キリスト教と無政府主義者は両方デカダンスです。
解体したり、害毒を与えたり、歪曲したり、血をすう以外には何の能力もありません。
立っているもの、持続するもの、 未来を約束するもの、すべてに対する恨みと呪いの固まりなのです。
(中略)
ところがそこにパウロが現れたのです。ローマに敵対し「世界」に敵対する下層民、恨みつらみの天才、
ユダヤ人の中のユダヤ人、選りぬきの永遠のユダヤ人であるパウロが登場したのです。
パウロはこう考えました。ユダヤ教から離れたキリスト教の小さな宗派運動を利用して、
世界を焼き払ってしまおうと「十字架にかけられた神」というお話を使って、人々をダマしてやろうと。
ローマ帝国の中でねじ伏せられている下層民、反乱を起こしたがっている連中、
陰謀を持っている無政府主義者など、全てのものの巨大な力を利用してやろうと。

キリスト教がどこで誕生したのかを考えることは大切なことです。
キリスト教がユダヤ民族から生まれた宗教であることは、皆さんご存知だと思います。
たしかにイエスはユダヤ教の諸制度には反対しましたが、
キリスト教は、ユダヤ民族の持っている本能に反発したわけではなく、
むしろその性質を徹底させているのです。
(中略)
現在のキリスト教徒は、自分たちがユダヤ的なるものの最終形態な姿であるのに気づかず、
「自分たちは反ユダヤ的だ」だどと思っているのですから始末におえません。

F・W・ニーチェ「キリスト教は邪教です」アンチクリスト現代語訳
389如来不説:2009/02/10(火) 16:08:45 ID:Wx4kv7LD
>>349 宝珠愚者さん
それであれば十分です。たとえ、神智学徒とかけもちであっても、三帰依されている
仏教徒であれば、あなたには仏教について真摯に意見するに値する理由があると考え
ます。神智学徒であることは表明されていても、仏教徒であると表明されていなかっ
たので、外道がどうして他の外道のことを批判できるのだろう、と勘違いしていまし
た。もちろん、私一人は納得しても、他の方はどうかわかりませんが……。
390神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 16:36:38 ID:sQjXJ4k7
>>389
「人は、二人の主人に仕えることはできない」(by イエス)w。
391神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 16:44:59 ID:U2C7/8vy
>>369
もちろん。輪廻があることが明解に説かれていて、断滅論や常識に基づく凡夫は低く評価されてます。
そしてあなたのような何か実体を三昧体験か推理で設定しそれを真実とする見解も美しくそれは解脱をもたらさず、相当の来世に輪廻するとされてますね。
392神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 17:22:17 ID:8MGoooHE


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪


聖書や聖伝も経典も、「人間」が書いたものであり、「人間の生命」の機能に過ぎない。

その意味で、全ての神仏概念は、人間に生命の前にひれ伏し、それに従属するという
「根源の基盤」に、イエスもクリスチャンも思い至っていない。

神を知らなかったのである。 ★☆

その意味で、最も神を知り、神に近いのは、神を語らず、専ら人間の生命と
それを支える自然とに最大の価値を置く<無神論者>である。

■ 真の信仰は、無神論を経由しなければ得られない。

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪

393カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/10(火) 17:38:13 ID:HMgeXsqJ
>>381
聖霊がルーアッハ??
おまえ、いつも言ってることがちんぷんかんぷん
なんだよ。仏教を汚しているのは、どうみても、お前達
のほうなんだがな。ま、おまえらは報いを受けるよ。
イエスを呪う者は、自分自身を呪っているのも知らないで
おめでたい。真理から遠い者ほど、イエスを呪うものだ。
彼らは本能的に、自分達は悪い存在だと明かしているのを
知っているからだろう。

この隠居とかいう引き篭もりを見ろ。
ハンドルをつけろといってもつけず、ろくにアンカーも付けない。
書いてる内容は、宗教板で最も下らない単なる唯物論。
凡夫の知恵でしかないおよそ、凡夫ならだれでもいいそうな能書きしかしゃべれない
癖に、自分は、イエスやゴータマより優れているなどとのたまう。
みんな、俺が、俺がの典型だ。こいつの我の強さを見ろよ。
他人から指図されるのが我慢できないので、社会に出ることなく引き篭もり、
2chなどで、毒を撒き散らすしか能の無い屑がよ。
ま、今から仕事だ。せいぜいキャンキャン吼えてな、屑。
394初代スレ7:2009/02/10(火) 17:41:20 ID:v6d1SkG8
>>386のレス内容に関しては100%同意です。
私の立場も全く同じです。(>>269が、机風味の勝義レスだったのでカチンときてしまいましたw)

>涅槃は目指したい人だけが目指せばいいのであって
まったくその通りですね。

>解脱を求め、その機根のある人に対して説かれているのであって
まったくその通りですね。
(おしえは、求める者に対して開かれている。(「ehi bhikkhu」の重みは伊達じゃないと思うわけで・・w))

>在家としての人生にとって合致し有益な部分を受け入れ実践する者に過ぎません。
>皆が比丘出家する必要も、そのように勧めているわけでもないと思います。
了解。

>先の発言では、・・・・・・・・・・・・いうだけの話です。
勿論、その読みもアリだと思っています。
395初心:2009/02/10(火) 18:34:55 ID:eDAyllin
>>346>>233
>善というのは、楽果をもたらす行為という意味です。
>本来、空ですが、因果・輪廻の中に生きている我々が
>楽をもたらす行為をし、苦をもたらす行為をしないようにすることが、
>心を集中させる前提になるからです。つまり、戒ですね。
>心を集中させることが、三昧、定です。
>その定、三昧が深まった状態で、縁起観をすると、
>無我・空が悟れる、これが慧です。
>これを深めることで解脱します。
>その解脱したという認識があり「後有を受けず」と宣言します。

>以上が戒・定・慧・解脱・解脱智見と言われます。
 
話は善からスタートして空に至るのですが、そうすると最初に戻って
善も空になるわけです。「本来、空ですが」と断ってますが、
そういった善はやはり相対的であり、絶対的な善とは言えないと思います。
396宝珠愚者:2009/02/10(火) 18:42:36 ID:8UMdmftD
>>389
恐縮です-ありがとうございます!

私自身の霊性の歩みはすべて、仏教/原始仏典(ゴータマの教説)により始まったのです。
これは伝統的仏教者の方は全く同意されないかもしれませんが、
私個人の見解としては、どうも残念ながら仏典の教えは随所に穴が開いており、
どうしてもそこに補完が必要だと感じるですよ。

無我の教えでもそう、どうしても言葉足らずな不明瞭さが感じられるわけです。
三十七菩提文法(八正道含み)にしても、仏典の記述のみでは実践の理解には限界を感じるわけです。
やはりゴータマの姿勢というのは、恐らく実践哲学的なものであって直接指導の教えだったと思うわけです。
つまり、残念ながら詳細部分については仏典の記述にならなかったのです。
それゆえ、師に付いて口伝で学ぶ世界なのかもしれません。
しかし、私にはそのような存在はいない(南方にはいるのかもしれませんが・・)。

そういうことで、
私にとっての神智学とは、その不足を補完するものなのです。
397神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 18:53:25 ID:eoninCGz
>>396
同意しますね。
398初心:2009/02/10(火) 18:55:41 ID:eDAyllin
>>340 brownさんへ
前の話>>343が少しわかりづらいので補足したいと思います。
 
逆観の十二支縁起において、最後のかんぬきは無明です。
そして無明の先に何があるのか 、という問題です。
 
無明におおわれたアートマン、無明が脱落したアートマン(真我)
このちがいです。
まったくちがうと言っては語弊があるし、同じだと言っても語弊がある。
しかし、知覚のレベルでは、まったくの別次元だろうと思います。
相対と絶対、それは黒と白ほどのちがいではないでしょうか。
399初代スレ7:2009/02/10(火) 19:11:24 ID:v6d1SkG8
>>396
最初から、その宣言をしてスレを建てれば良かったのに、
なぜ、そうしなかったんですか?w

(個人的にw)弁明が欲しい所ですね・・w

( ̄ー ̄)ニヤリ
400初心:2009/02/10(火) 19:12:55 ID:eDAyllin
>>353
>「善悪」とは、人間の共生のための「行為」の「技術的概念」。

>他者の生存を助ける行為が、善であり、他者の生存を害する行為が、悪で
>ある。

>「行為」を離れた「観念的善悪」など、どこにも存在しない。
 
そう定義してしまうと、すこし狭すぎるように思います。
ウダーナヴァルガには
身について慎むのは善い。言葉について慎むのは善い。心について慎むのは善い。
とあります。ここで語られている<善>、これが問題なのです。
401神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 19:20:26 ID:52ZTxQmc
中論 第二十四章

一六 もしも、それ自体(自性)にもろもろの事物の実有であることを認めるならば、
    もしもそうであるならば汝はもろもろの事物を因縁なきものとみなすのである。
一七 汝はすなわち結果、原因、行動主体、手段、作用、生起、滅亡および果報を破壊する。
一八 どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。
一九 なんであろうと縁起して起こったものではないものは存在しないから、
    いかなる不空なるものも存在しない。
二〇 もしもこの一切のものが空でないならば、【何ものかの】生起することも無いし、
    消滅することも無いであろう。【そうして】汝にとっては四つの真理が存在しないということになるであろう。
二一 縁起したのではない苦しみがどこにあろうか。無常は苦しみであると説かれている。
    それ【無常性】は自性を有するものには存在しないからである。
二二 それ自体として存在するものが、どうして再び(J註:自律したものとして)生起するだろうか。
    それ故に<空であること>を排斥する人にとっては、苦しみの起こる原因【の真理】(集諦)は存在しない。
二三 それ自体として存在する苦しみが消滅することは、存在しない。
    汝はそれ自体を固執するから、苦しみの消滅【の真理】(滅諦)を破壊する。
二四 もしも道がそれ自体として存在するのであるならば、それの修習(実践)は成立しない。
    しかるに道は修習される。汝の説くそれ自体なるものは、存在しないのである。
二五 苦と集と滅とが存在しないときに、苦しみを消滅させるものであるからとて、 
    いかなる道が【ニルヴァーナを】得させるであろうか。
二六 もしも【苦しみが】それ自体として完全に熟知されないならば、それではどうしてそれを熟知しうるであろうか。
    それ自体(【自性】、本体)は確立しているものであると伝えられているではないか。

402神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 19:20:57 ID:52ZTxQmc
二七 完全に熟知することと同様に【煩悩を】断ずること、【ニルヴァーナを】直接に体得すること、
    道を修習することも、四つの果報(四果)も、このように理に合わないことになる。
二八 それ自体(自性)を固執する人にとっては、それ自体としては証得されない【四】果を、どうして証得することができるであろうか。
二九 【四】果が存在しないならば、果に安住している人々も、果に向かっている人々(四向)も存在しない。
    もしもそれらの八種の人々(八輩)が存在しないならば、修行者のつどい(サンガ)も存在しない。
三〇 また四つの真理(四諦)が存在しないが故に、正しい教えもまた存在しない。
    法とつどい(サンガ)が存在しないのに、どうして仏が存在するであろうか。
三一 汝には、さとりに縁らないでも仏があるいう欠点が付随して起こる。
    また汝には、仏に縁らないでもさとりがあるいう欠点が付随して起こる。
三二 また【汝の説によると】、それ自身として仏でない人は、求道者の実践(菩薩行)において、
    たとえさとりに向かって努めても、さとりを体得することはないであろう。
403初心:2009/02/10(火) 19:32:40 ID:eDAyllin
>>362
>相対的なものでしかない、という考え方は
>愛情とは何か、慈悲とは何かということにハッキリと思い当たった時、
>一段上の価値観に止揚されます。
そうだろうと思います。
 
>空は「仮初めの意味」を解体整理する見方ですが、
そう思います。
 
>仏性は意味のみによってできています。そこは絶対的な善です。
ここは理解できませんでした。

>むしろ、慈悲に至る前に必要な、邪念をクリアにする段階として空観があります。
そう思います。

>仏教はこのプロセスの部分の記述が甘いのは確かですが、
そう思います。
 
>大乗経典では、さまざまな菩薩の物語の中にそれがあります。
求道者は、物語ではなく、絶対的な善を体験したいのではないでしょうか?
404神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 19:57:32 ID:97CQC8P5
>>400
>そう定義してしまうと、すこし狭すぎるように思います。

それ以外に何があるのでしょうか。

「善悪」とは、あくまで他者の存在を前提とします。独りで生きているのなら、
自分が何を考えようと、何をしようと、「善悪」の観念など生じ得ないのでは。
その人にとっては、「自分がやりたいこと」がすべて「善」ではありませんか。
405神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:01:10 ID:eoninCGz
>>403
このスレで入菩提行論をおしえてもらったので引用します。

善と悪を越えている、菩提心に依処として、
初めて、大いなる悪が、大いなる善に変わる。
逆境を物ともしない、勇者の如き大徳に変わる。

要約すれば、菩提心は、二つの段階がある。
前の段は、菩提心を望む、菩提を得る前の心。
後の段とは、菩提心で臨む、菩提を得た後の心。

確かに、菩提心を得ようと考えるだけでも、
この苦界、輪廻の世界に大いなる果報がある。
しかし、菩提心で救うことには、遠く及ばない。

輪廻の大海に臨んで、衆生の済度を望めば、
彼は、菩提心を発して、天の導きに守られる。   ←ここの領域が仏性に該当
これは、如来自らが、善臂問経に説かれている。

衆生を、病苦から解放しても、果報がある。
ましてや、輪廻から解放すれば、如何ほどか。
菩薩の外に、これ程までの大願は、持ち得ない。

これ程の願いは、利己の為にさえ持たない。
それにも拘わらず、利他の為に持とうとする、
菩薩という者は、殊勝な宝にして、衆生の鏡だ。

大きな欲を持たず、仏陀を供養するよりも、
大いなる欲を持って、衆生を済度するといい。
一切の衆生の中に、仏性を見とめられるだろう
406神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:01:51 ID:U2C7/8vy
>>395
つまり、あなたは質問しているのではなく、
質問の形で、何か自分の見解を主張したのですね。

これは、気づかなかった。やられました。
407神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:02:03 ID:eoninCGz
>>404
唯識とかそういうのを読んだことはありますか?
408神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:09:59 ID:97CQC8P5
>>405
徹頭徹尾、「現世」での話ですね。「輪廻」は、付け足し。
409神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:25:41 ID:97CQC8P5
>>395
>そういった善はやはり相対的であり、絶対的な善とは言えないと思います。

「空」語るなら、「善悪」「修行」「輪廻転生」「解脱」「涅槃」「悟り」
など語ることは矛盾だということですね。

仏教徒の皆さんは、どう答えますか。


410神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:35:59 ID:U2C7/8vy
>>409
空だからこそ、縁起するし輪廻し、修行することで悟り、解脱しネハンがあると何度も言ってます。
根拠は、『勝義空性経』『清浄道論』『中論』『因縁心論』
もちろん『入菩提行論』もです。
411神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:40:31 ID:52ZTxQmc
仏道が矛盾して見えるのは、その人の境地のより、説かれるべきことが
変わるからである。
1つの見解に対して固執するということは無い。
412神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:45:32 ID:U2C7/8vy
>>411
確かに仰る通り、それぞれの境地で同じ言葉でも別の意味になるように
重層的に説かれる面も多いのですが、輪廻とかアートマンとか無我、縁起・空に対して
基本的な認識はあるでしょう。それを外したら仏教ではないような。
413神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 20:49:59 ID:52ZTxQmc
順序的にいえば、煩悩(物質への執着)を解くのが先で、精神への執着を解くのが後か。
後者のみならば外道しか生み出さない。
414初心:2009/02/10(火) 21:01:11 ID:eDAyllin
>>406
そんなことはありません。
わたしはアートマンを認める立場から質問しています。
はたしてアートマンを認めない考え方が成立するのかどうか、
そこを知りたいのです。
 
質問の意図は、>>409 さんと同じです。
415初心:2009/02/10(火) 21:08:12 ID:eDAyllin
>>410
もろもろの事物は、縁起し、無自性だから空である、
という順序だったと思いましたが・・・。
空であるから縁起し、輪廻するとは言わないのではないでしょうか?
まちがっていたら失礼。
416初代スレ7:2009/02/10(火) 21:10:04 ID:v6d1SkG8
さて、
おもしろくなってきたなw


初心さんの活躍に期待w
417初心:2009/02/10(火) 21:20:21 ID:eDAyllin
>>416
期待に応えられるかどうか? 般若湯しだいかもです。
418初心:2009/02/10(火) 21:39:37 ID:eDAyllin
もう千鳥足になってきたかも
409さんは、 わたしの質問の意図を説明してくれたのですね。
 
>>401
さしあたり、中論の、十六から二十が気になりました。
この部分は、この世には、アートマンが存在しない、と読めました。
419神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 21:41:26 ID:U2C7/8vy
>>415
『中論』24.14
空なれば全てが成り、空ならざれば全ては成らず。

中観は、全てこと立場です。
空を縁起に置き換えても同じこと。
縁起・空で無常だから全ては成り立つというのがその趣旨ですね。
420神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 21:42:24 ID:U2C7/8vy
>>416
おもしろい?
421神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 21:44:51 ID:U2C7/8vy
>>414
なんども出してますので過去ログを見てください。

今、結構、集中してるので、暇がありません。
422神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 21:50:11 ID:KI11XdtI


★彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆★彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆★彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡★


■まあ、自分から進んでやる修行は、苦とはいえないがね。むしろ、趣味か
  娯楽だろう。 ★☆

■他から押し付けられる修行が、本当の苦である。その意味で、生活や職場
  は「大修行」である。☆★

■道元さんは、たしか、「生活そのものが修行」と言ったが、これは当た
  っている。☆


(。・_・。)ノ


★彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆★彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆★彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡★


423初心:2009/02/10(火) 22:11:05 ID:eDAyllin
>>405
>善と悪を越えている、菩提心に依処として、
菩提心はどこからやってくるのですか?

>初めて、大いなる悪が、大いなる善に変わる。
大いなる善は、大いなる悪に変わるのですか? 

>輪廻の大海に臨んで、衆生の済度を望めば、
再度、その思いは、どこからやってくるのですか? 
 
>彼は、菩提心を発して、天の導きに守られる。   ←ここの領域が仏性に該当
天の導きとは、神の導きということでしょうか?
424初代スレ7:2009/02/10(火) 22:13:36 ID:v6d1SkG8
>>420
私にとっては、ということですよw
他の人が面白いと思うかどうかは知らないwww

少なくとも、この流れの中、
>>409を拾い上げている視線は興味深いw
425神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 22:16:52 ID:U2C7/8vy
>>424
>私にとっては、ということですよw
>他の人が面白いと思うかどうかは知らないwww

上はいわずもがな。下を面白いと思うことが分からないんです。

>少なくとも、この流れの中、
>>>409を拾い上げている視線は興味深いw
426初心:2009/02/10(火) 22:22:03 ID:eDAyllin
>>404
>それ以外に何があるのでしょうか。

>「善悪」とは、あくまで他者の存在を前提とします。独りで生きているのなら、
>自分が何を考えようと、何をしようと、「善悪」の観念など生じ得ないのでは。
>その人にとっては、「自分がやりたいこと」がすべて「善」ではありませんか。
 
他者に依存したり、共同体に依存することが縁起であり、
そういった関係から語られる善悪は相対的であり、空です。
 
ひとりでも成立するような、絶対的な善がないと、
サイの角のごとく歩めないでしょう。
427初代スレ7:2009/02/10(火) 22:25:18 ID:v6d1SkG8
>>425
机氏やカラス氏の発言、面白いと思いませんか?w
428神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 22:37:22 ID:eoninCGz
>>423
> >善と悪を越えている、菩提心に依処として、
> 菩提心はどこからやってくるのですか?

如来蔵から。

> >初めて、大いなる悪が、大いなる善に変わる。
> 大いなる善は、大いなる悪に変わるのですか? 

変らないです。悪は智慧によって解体整理されると善に還元されますが、
善は解体されないので。

> >輪廻の大海に臨んで、衆生の済度を望めば、
> 再度、その思いは、どこからやってくるのですか? 

彼岸から。

> >彼は、菩提心を発して、天の導きに守られる。
> 天の導きとは、神の導きということでしょうか

そういうことだと思います。
ただ、仏教のいう諸天のことではないです。
(そういうのも含むかもしれませんが、究極的には)
ダルマに近いものだと思います。
429初心:2009/02/10(火) 22:41:41 ID:eDAyllin
スッタニパータやダンマパダの、清らかさや正しさや善いことなどについての
これしかないという断定、これは空を根拠にしていないと思うのです。
 
そうではなくて、たとえばウダーナヴァルカの26章 ニルヴァーナ
ここらあたりに根拠があるのではないかと思うのですが。
430tibyaku:2009/02/10(火) 22:44:17 ID:c2ttbr2y
私たちは永遠の生命をもって永遠の輪廻転生を繰り返し、あの世(天国)から

この世に生まれそして死後あの世へ還るわけでありますが、ここでは理論的解

釈として、まず前提として、霊的段階論として認識して「空」がなければ善悪

なし、修行なし、輪廻転生なし、解脱なし、涅槃なし、悟りなし、ただ根本仏

のみ存在する。根本仏は法によって「空」を創造し、私たちを創造した。

故に「空」を創造し私たちを創造した根本仏が「空」の場を消滅するこ

ともでき私たちも消滅することもできます。





431神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 22:47:57 ID:U2C7/8vy
>>427
432初心:2009/02/10(火) 22:50:28 ID:eDAyllin
>>428
話として、だいたい了解できました。問題は如来蔵とか神ですね。
>>427
カラスさんの話は興味深いのだけど、話の中に多くのテーマがありすぎ、
どう絡んだらいいのか迷ってしまう。テーマを絞ったほうがいいような気がする。
433初代スレ7:2009/02/10(火) 22:53:54 ID:v6d1SkG8
>>431
生真面目な人だなぁ・・・w

俗諦について語っているようで、実は勝義にしか触れていない方々のことです。

で、そのような言辞についての疑義(≒批判)及び【勝義が世俗にどのように関わるのか?】
という問いが、>>409ということです。
434初代スレ7:2009/02/10(火) 22:57:18 ID:v6d1SkG8
>>432
>カラスさんの話は興味深いのだけど、話の中に多くのテーマがありすぎ

そこが、彼の(作文に於いての)狡猾な所ですよw
熟読して、(必要な)ポイントを拾い上げなければ、言い包められてしまうでしょうね。
435神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:01:54 ID:hJLaZUoa
釈迦は普通に悟った覚者でしょう。ただ神通力とか保有した常人ではないために誤解されたりして仏教が難解になってるだけ。
そこはイエスも同じだったと思うけど。
436神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:05:57 ID:52ZTxQmc
>>409
大乗は、空を理解していながらも空の実践をしていない
菩薩という存在で解決されてますね。
437神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:06:47 ID:97CQC8P5
>>426
>他者に依存したり、共同体に依存することが縁起であり、
>そういった関係から語られる善悪は相対的であり、空です。

依存(縁起)は「相互的」ですよ。その「相互性」こそが「絶対」であると
考えることが出来る。
 
>ひとりでも成立するような、絶対的な善がないと、
>サイの角のごとく歩めないでしょう。

「他者との相互依存」という絶対性を前提としない限り、「絶対的な善」など
絶対に出てこない。善とは、具体的状況に応じた他者に対する「行為」の属性
であり、その内容は具体的状況に応じて常に変動する。「具体的状況に応じた
行為」を離れた「絶対的善」は、単なる百人百様の抽象観念であり、どこにも
存在し得ない。

宗教者は、常に「善悪」を語りながら、その具合的内容は全くわかっていない
という感じですね。
438神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:16:26 ID:U2C7/8vy
>>426
>ひとりでも成立するような、絶対的な善がないと、
>サイの角のごとく歩めないでしょう。

こう考えるのが実在論的思考で、有身見とも我見とも言われます。
この考えを壊さない限り、縁起も空も分からない。
分かったつもりで、なにか別の基盤を設定するのです。
この前提に立つ限り、仏教は厳しいけれど、そのうち分かる日がくるかもしれません。
439神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:17:08 ID:52ZTxQmc
>>437
>依存(縁起)は「相互的」ですよ。その「相互性」こそが「絶対」であると
>考えることが出来る。

それが法であり仏なのです。

>「他者との相互依存」という絶対性を前提としない限り、「絶対的な善」など
>絶対に出てこない。善とは、具体的状況に応じた他者に対する「行為」の属性
>であり、その内容は具体的状況に応じて常に変動する。「具体的状況に応じた
>行為」を離れた「絶対的善」は、単なる百人百様の抽象観念であり、どこにも
>存在し得ない。

それこそが空を表してますね。
440神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:17:25 ID:U2C7/8vy
>>433
そうですか。それはどうも。
441神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:28:39 ID:97CQC8P5
「空」を、単に「何も無い」とか「一方的で逐次的な依存関係」などと考える
と、「空」そのものが否定されてしまう。

「相互的、同時的な依存関係(関係性)」と考えることにより、「空」が初めて「絶
対的な思考基盤」となり得る。
442神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:35:07 ID:97CQC8P5
「善」と「縁起・空」との論理的関係の把握・理解こそが、仏教者がま
ずやるべきことだと思う。
443神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:37:11 ID:97CQC8P5
カラス氏からは、キリスト教以外のものは、何も出てこない。
444brown:2009/02/10(火) 23:38:53 ID:uiuKAFwd
>>398
なかなかの卓見かと思いますね。

元,無明に覆われた私が,無明を晴らしたアートマンに変わるというんで
しょう。それらは同一とも別異とも言えないが,実際にあり方が違うだろうと。

まあ,そのとおりですね。論理として矛盾してるんだけど。そのとおりですよ。

同様に,実際同じものだとも言えますけどね。つまり,無明に覆われた私
そのものがアートマンになるんだよね。でなければ,無明を晴らした際,
アートマンと別に無明の私も居ることになってしまうし,逆に言えば,
無明の私から分裂して,アートマンが発生することになってしまう。

すると,論は元に戻って,どうして,その無明の私がアートマンを
「無明を晴らしたものである」と正しく認知できるか?ということになって
しまう。

つまるところ,無明の私と独立してアートマンというものが別異に発生したり
有るということはないということですよ。要するに,アートマンとは,
他ならぬ,今,ここにいる私のことですよ。
445初心:2009/02/10(火) 23:40:55 ID:eDAyllin
視点を変え、釈迦はなぜ、あの世のことを「無記」としたのでしょうか?
(・・・ただしこれの出所を知りません。)
それゆえに、後世の人は迷い、錯綜し、紛糾しているのです。
 
アートマンが実在するなら、あの世どころか、輪廻も転生もありえるのです。
釈迦はどうして、そこのところを語らなかったのか?
個人的には、危険だから、と推測しています。

446神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:41:22 ID:eoninCGz
>>442
自分の内部にある悪意に気づくことが先決なような気がしないでもない。
447興味津々の女の子:2009/02/10(火) 23:41:24 ID:2GE/lJmt
単純な疑問。
「生まれ変わった後」のチンポコと、「前世」のチンポコは、
形もサイズも感度も違うの?
448興味津々の女の子:2009/02/10(火) 23:42:47 ID:2GE/lJmt
単純な疑問。
「生まれ変わった後」のチンポコと、「前世」のチンポコは、
形もサイズも感度も違うの?
449神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:46:39 ID:52ZTxQmc
>>442そこは禅では冷暖自知といいまして、自ら体験して得る以外無いとしています。
もっと仏教一般についていえば、縁覚乗、サイの角のようにひとりで歩めというとこでしょうか。

450興味津々の女の子:2009/02/10(火) 23:47:16 ID:2GE/lJmt
単純な疑問。
「生まれ変わった後」のマンコと、「前世」のマンコは、
形も色も感度も違うの?
451神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:49:26 ID:97CQC8P5
>>444
無明だの、アートマンだのという余計な「観念」を持ち込むから、「いまここ
にいる私」とそれらとの関係が再び問題になり、「堂々巡り」「水掛け論」に
なってしまう。いまここの私とは、それらの観念をすべて排除した後に残る
「究極の実在」、言い換えれば「生命」ということである。
452神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:50:32 ID:52ZTxQmc
>>446
それは縁覚乗の前の聴聞乗ですね。
師について煩悩を取り除くことについて熟達するのがベストなんですが、
一般の人は経典を読むことで良いかも。
453神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:54:03 ID:eoninCGz
>>451
生命は五感では知覚できない。
存在と実在とは違う。
生命は現象として存在しているが実在はしていない。
生命の存在を証明する方法はない。

五感で知覚できず観測もできず証明もできないものは
人間とは関係のないものである。

と、大体この辺がいままでの意見だったと思いますが?
454神も仏も名無しさん:2009/02/10(火) 23:54:16 ID:52ZTxQmc
>>450
生まれ変わるまでも無く、10年もすれば違ってきます。
455神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:02:42 ID:sYg17opD
>>446
>自分の内部にある悪意に気づくことが先決なような気がしないでもない。

自分の心の中でなにを考えようとも、他者には知りえないのだから、
何の意味も無い。それが、他者に認識可能な「行為」によって表現された
場合にのみ、善意・悪意が初めて意味を持つ。

心の中に殺意を生じても、それを実行に移さない限り、殺人罪にはなら
ない。

「淫らな気持ちで女を見たら、姦淫の罪」だなどと言ったイエスは、
その点を全く理解していなかった。

心の中で何を考えようとも、それを「実行するか否か」が、善悪の分水嶺
であり、倫理道徳の原理なのである。
456神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:09:33 ID:GCUEga8R
>>455
仏教の考え方はそれよりは大分進んでいて、
意・口・行の三つを慎むようにと言われています。

特に意は、口や行いの元になるものなので、
意を慎むことはとても重要なこととされています。
457初心:2009/02/11(水) 00:13:35 ID:oVo7mGXe
>>444
わたしという意識はひとつであり、連続していることが前提です。
アートマンである時は、肉体の私は脱落しています。
アートマンは、自分がアートマンであることを意識していないのであり、
ただ存在しているだけです。
しかし、肉体の私にもどった時、アートマンであった体験を自分のものとして
感じています。なぜなら、意識の連続があるからです。
 
意識は、肉体の私 → アートマン → 肉体の私へと
連続した一直線で動いていくでしょう。
ふつう、自分の意識を疑うことはしないかと思います。以上推測です。
458神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:13:38 ID:sYg17opD
>>453
全く理解できてないw。

証明も観測も、生命の機能だから、生命を以って生命を証明・観測する
ことは、証明・観測主体と対象が同一であるため、ナンセンスで不可能。

証明・観測の対象になるのは、外部に認識可能な「生命現象」のみ。

従って、生命そのものは、如何なる証明・観測・思考も拒むもの。ただ、
いまここに「ある」だけ。唯一の「究極」であり、「すべて」である。
459神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:13:50 ID:GCUEga8R
>>455
キリスト教の話はここでは関係ないのですが、
イエスが言った罪はsinのことで、
殺人罪や姦淫罪はcrimeのことで、
概念として全く別のものです。
460神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:15:48 ID:GCUEga8R
>>458
理解もなにも、いままでの記述をまとめただけで、
私の意見では全くありません。

もし前述の記述を覆すなら、そのように言えばいいわけですが、
現状では相互の発言内容が矛盾していますね。
461brown:2009/02/11(水) 00:27:30 ID:V8FZ/MYt
>>457
なるほど。なかなか明確になってきていますね。

そこで,
肉体の私@ → アートマンA → 肉体の私B
のBは,肉体の私なわけですが,その肉体の私が「アートマンであった体験」
を自分のものとして感じることがどうして真実だと言えるのですか?
「肉体の私」なのに。
元々,@で「肉体の私」には欠点があるので,「アートマン」経験を
わざわざしたのに,「肉体の私」でしか意識できないんですよね。
「アートマンは意識しない」わけだから。

はっきりいうと,意識の流れは,@→A→Bですが,実際,Aのところは
意識しないのであって,意識の連続が飛んでるんですよ。断絶してるの。
寝て醒めてというようなあいまいな断絶ではなくて,意識の流れが完全に
断たれるんですよ。厳密に。完全な無になる。だから,連続しないんです。
だから,その厳密性においては,@とBはつなげられないんです。同一の
続いた流れとして。

別の言い方をすると,「ふつう、自分の意識を疑うことはしない」という
部分を疑うことになる。そのあいまいさがはっきりとしてくるということです。
462brown:2009/02/11(水) 00:29:40 ID:V8FZ/MYt
それが「無我」の意味です。
463神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:30:26 ID:sYg17opD
>>456
心の中にさまざまな意(想念)が生じるのは、生きていることの証。
想念そのものを抑制したら、善意さえも抑制されてしまうではないか。

「他者の生命の認識」により、その他者の生存を害する想念からの
「行為」を抑制するのが、まさに意の力である。

性的に成熟した女性を見て生じる「淫らな心」を抑制したら、人類は
滅亡するw。イエスは、「目玉をくり抜く」と言ったが、それでは
目玉がいくつあっても足りないw。
464神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:38:39 ID:GCUEga8R
>>463
> 想念そのものを抑制したら、善意さえも抑制されてしまうではないか。

悪思念とそうでないものを区別できていないとそうなります。

> 性的に成熟した女性を見て生じる「淫らな心」を抑制したら、人類は
> 滅亡するw。イエスは、「目玉をくり抜く」と言ったが、それでは
> 目玉がいくつあっても足りないw。

あなたの場合は、人類滅亡の心配をするより、
自分自身の煩悩で自分自身が足をすくわれないように心配する方が賢明でしょう。
465神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:43:26 ID:sYg17opD
>>460
すべての人間に共通する唯一の普遍の事実である「生物的生存本能(生命)」
を思考の基盤とすれば、如何なる矛盾も生じ得ない。矛盾しているように
思えても、それは矛盾ではない。

人間のすべての営みは、この生命の「応用問題」に過ぎない。
466神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:46:47 ID:GCUEga8R
>>465
どう矛盾してないのか説明できない以上は、矛盾でしょう。
467初心:2009/02/11(水) 00:49:03 ID:oVo7mGXe
>>461
brownさんはすごい。ポイントをついていますね。
おっしゃるとおり、まず、@とAは完全に断絶しています。
しかしAには意識があります。ここがbrownさんとのちがいでしょうか。
<場>が変わっても意識はひとつです。
そしてAとBは、断絶して、かつ連続(記憶に残る)しています。
468神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:51:54 ID:GCUEga8R
意識は断絶するとのことですが、
マナ識とアラヤ識については断絶していると考えていますか?
469神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 00:58:11 ID:sYg17opD
>>461
アートマンも、肉体の私から生じる「観念」。肉体の私を分断することは絶対に
不可能。Aが無なら、@とBとは直結する。
470初心:2009/02/11(水) 01:02:16 ID:oVo7mGXe
>468
連続してます。阿頼耶識とアートマンは断絶しているように思います。
ヴァスバンドゥーの解説書を読もうかと考えています。
471神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:02:48 ID:sYg17opD
>>461
「無意識」を意識すれば、それはもはや「無意識」ではなく「意識」で
ある。

従って、「無意識」を「論じる」ことは矛盾。
472brown:2009/02/11(水) 01:04:57 ID:V8FZ/MYt
>>467
そのとおりですね。

AとBの関係,つまり連続性は,「記憶」のレベルの連続性です。
厳密には断絶しているんだけど,記憶のレベルでは連続している。
(「厳密」と言うのは分かりにくいと思うんだけど,簡単に言うと,記憶
の一致のレベルの確度は認めないと言う意味です)

輪廻や転生もこれと同じです。
「記憶」のレベルの確からしさでは,意識が連続し,輪廻していることは
疑いないことだし,厳密な確からしさでいうと,意識は断絶し,輪廻
していないんです。

補足すると,記憶のレベルの確からしさで真理を認定することを,世俗諦
といい,厳密なレベルの確からしさで真理を認定することを,勝義諦と
いいます。

更に補足すると,仏陀のおっしゃることによると,世俗諦とは縁起の法
であり,勝義諦とは無です。
473神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:10:19 ID:sYg17opD
>>472
言ってることが、証明不可能な「観念の遊戯」。人前で語るときは、「証明
可能なこと」を言ってくれ。

仏教では、縁起と無とは、別物なのですか。
474初心:2009/02/11(水) 01:17:50 ID:oVo7mGXe
>>472
残念ですが、肝心なところで、決定的にちがうようです。
 
<厳密なレベル>の基準がはっきりしていないように思います。
475神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:18:22 ID:GCUEga8R
>>473
では生命が存在するということが「証明可能なこと」でないなら、
生命について話さないようにしてください。

自分ができないことを他人に要求しないように。
476brown:2009/02/11(水) 01:20:07 ID:V8FZ/MYt
>>468
唯識の論はよく勉強していないんだけど,
マナ識は,通常意識の背後にある自我意識,アラヤ識は,前刹那の縁起が
次の刹那の縁起に,関係性を持ったものとして影響を与える種子,あるいは
それを蓄えた総体であるとすると,
上の論の意識に包摂されているのであって,厳密に言えば断滅,記憶のレベル
(唯識では阿頼耶識のレベル)で言えば連続ということになります。

「厳密に言えば」というのは,サマディで直接体験される知のことで,
その直接知によると,心身や物事の現象の連続性,連関性,法則性を
説明できないので,阿頼耶識というものを立てたものであって,
サマディで直接知られる内容ではないんですね。
サマディから立った後得知として,後で思い返して知られる,つまり
記憶のレベルの知識です。つまり,厳密にいえば,阿頼耶識も断滅です。
477神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:20:24 ID:sYg17opD
>>459
>イエスが言った罪はsinのことで、
>殺人罪や姦淫罪はcrimeのことで、
>概念として全く別のものです。

イエスは、両者をきちんと定義・区別できてるかね。
478神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:21:15 ID:GCUEga8R
>>471
お気持ちは分りますが、世の中には心理学という学問が存在していて、
無意識について論じられています。
479神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:21:57 ID:GCUEga8R
>>477
イエスがどうかというより、あなたが区別できていなかったことが問題です。
480初心:2009/02/11(水) 01:23:37 ID:oVo7mGXe
>>471
一瞬であれ、無明や無意識を超えた、ということです。
481神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:25:31 ID:sYg17opD
>>475
君の書き込みという「生命現象」により、君の生命の存在は、少なくと
も「推測」できる。

宗教は、証明どころか、推測さえ出来ないことを、饒舌に語っている
ではないか。
482brown:2009/02/11(水) 01:27:21 ID:V8FZ/MYt
>>474
「<厳密なレベル>の基準」は,厳密には,三昧の境地に現実に至らなければ
知ることはできない知覚の確からしさなので,その経験がなければ直接には
わからないんです。

しかし,記憶が連続している,一致していることが,必ずしも厳密でない
ことは分かるでしょう。とはいっても,通常の人間の知識にとって,
記憶の連続,記憶の一致,人と人との意見の一致以上に真理探究の,確からしさ
の決定のしようがないので,そのレベルが知られていないだけです。
この点「証明不可能」というのはそのとおりだと思います。

しかし,世俗諦でも,中論に示すように,厳密な論証法で,その結論を
論証できることを示しています。ただ,それを理解するには,能力と
努力が必要です。
483神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:30:06 ID:GCUEga8R
>>481
さっきまで証明といっていたのに
今度は推測でもOKなように基準を下げたのですか?
自分の都合に合わせて。
484神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:30:52 ID:sYg17opD
>>478
だから、フロイトさんに疑問を呈している。フロイトの「精神分析」は、
心理学的に、何ら証明されたものではない。
485神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:34:07 ID:GCUEga8R
>>484
残念ながら心理学というのはフロイトだけではありません。
486神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:37:25 ID:sYg17opD
>>485
だからフロイトは、どの心理学によっても、フロイト自身によっても、
「証明」はなされていない、と言っているのだよ。
487神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:39:53 ID:aKNa0bK0
はたして証明されることが、そんなに重要だろうか?
愛とか善とか、大切なものというものは、えてして証明不可能なものだ。
488初心:2009/02/11(水) 01:42:19 ID:oVo7mGXe
>>476
要するに、マナ識もアラヤ識も無関係なところにアートマンがいる
ということですよね。
 
それはどこなのだ? という疑問が湧くのだけど、答えは「無記」
そこで後世の人たちは、いろいろと推測するわけです。
489神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:43:15 ID:GCUEga8R
>>486
もう一度、485をお読みになられた方がよろしいのでは?
心理学にはフロイトに否定的な人々も携わっているのです。残念でした。
490神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:43:24 ID:sYg17opD
>>487
万人に認識可能な「行為」によって(のみ)、証明できる。
491神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:46:54 ID:GCUEga8R
>>487
全くその通りなのですが、五感や証明に拘る人々もいますね。
492神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:53:07 ID:sYg17opD
>>491
少なくとも、人前では、証明も、推測もできないことを饒舌に語るな、
ということだよ。

それは、本人の「観念の遊戯」「妄想」に過ぎず、読者の労力や時間を
不当に奪う行為だからだよ。
493神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:54:49 ID:GCUEga8R
>>470 >>476
レスありがとうございました。参考になります。
494神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 01:56:22 ID:GCUEga8R
>>492
少し前まで証明といっていたのに
推測でもOKなように基準を下げたのですか?
自分の都合に合わせて。
495机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/11(水) 07:17:51 ID:JR8LRg7I
>>374
ご隠居氏へ

>それに、何を考え、何をしようとも、それは自己の「生命」の機能に過ぎない
>という肝心なことを、覚者は自覚できているのでしょうか。

そもそも貴殿が勘違いしてるのは、仏教では「生命」という言語は殆ど使わない。
「生命」に該当する言語だと「五蘊」になる。

それは生命?というものが、それ自体で存在?しているのか?
という脈絡では到底、仏教を語ちるのは困難だからだ。
(空では無自性という立場をとる)

だから貴殿の書込みは論理矛盾になる。
>「生・老・病・死」に拘ったあまり、それからの離脱を説くのが、釈迦であり、
>仏教ではないのですかねw。こだわりがなければ、そんな言葉は、初めから使わない。
これ↑なんかはイイ例。
「四苦」から離脱なら、もはや生命を語ちることは意味ないだろ?
意味ないもんを掲示板で語ちても説得力がない。
そういうことなんです。
496神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 07:56:52 ID:+h8X4nOD
>>495
衆生、有情、含識、群生あたりが生命でしょ。
いつもながらw
497机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/11(水) 08:02:29 ID:Df5z/j6q
>>336
三代スレ170氏へ

そもそも道元が、宮中直参などの経緯から推測しますと、
道元が権力に迎合しようとしてたのは明白ですね。
(直参における、牛車や袈裟の豪華さとか)
禅の歴史で、こういうタイプの僧は珍しいです。

始祖にしても独立独歩型ですし、権力に接触する機会があったとしても、
まったく無視してますから。
この脈絡は、始祖〜五祖、五祖より慧能、慧能以降〜と、
こういった反権力といいますか、そういう流れはあったのです。

ですから、道元が日本に禅を導入した時点において、
それは既に日本ナイズされた「日本禅」であったわけです。

鎌倉時代から室町時代にかけても、禅宗というのは権力に融合しながら発展して逝ったのです。
一休宗純(または良寛とか)が僧院に反抗してたのは、こういった流れが既にあったからです。

それから戦国時代になりますと、利休とかの出現において禅は新たな発展を遂げるんですが、
あくまでも鎌倉・室町時代というのは、禅においては過渡期であったことを
どうかご理解のほど宜しくお願いいたします。

で、拙者は、どちらかというと中国禅に傾倒してます。
死後について、グダグダ書く禅僧は殆どいませんし、
日本だったら盤珪の「不生禅」がいいですね^m^
498tibyaku:2009/02/11(水) 09:29:18 ID:SwhwAmtB
自分の心の内にある満月のような仏性(性善説)を前提として悪意に気付くは

満月が欠けていることを知ることにつながり、悪意は反省を通して悪意の原因

を自己責任として突き止めて教訓を智慧として変えて、次回は悪意を持たないと

仏陀に誓い、善念の思いを心に満たし悪意を心の川に流し去ることです。善なる

思いを心に満たして世のため人のために生きて行くことが寛容であります。

悪意は他者の介在によって何回も悪意は心にわいて気付き自己嫌悪になられる方

もおられると思いますが、仏陀に「今後、悪意をいだきません」と誓いを立てて

教訓を智慧に変えて悪意は心の川に流し去る事が大事で他者の悩みを解決する力

になります。

499神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 10:43:45 ID:22zY4tgy
>>498
あなたは悪意を持ったことはあるのでしょうか?
500神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 10:48:24 ID:22zY4tgy

つまり悪意のない人は智慧がなく、人の悩みが解決できなくて、
悪意があればあるほど、反省すれば智慧がつくというわけだ。
501神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 10:50:35 ID:ftmZzl49
>道元が、宮中直参などの経緯
>(直参における、牛車や袈裟の豪華さとか)

横スレですが、宮中直参・・・たぶん宮中参内のことだと思いますが
経緯を詳しく教えて下さい。
502神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 10:55:41 ID:22zY4tgy

解脱をすることが前提なんだが、
心を天上界にいたころの心にすることが大事らしい。
503カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/11(水) 12:21:11 ID:/LSCXKq+
昔の人は言った。
殺すな。殺す者は裁かれる。
だが私は言っておく。創造の自然の法則に
従って正義を行うものは、倫理に適った判断ができる。
理不尽に人殺す者は、捌きを受ける。
だが、創造の自然の法則に適った正義は、倫理に適ったものである。
貴方方が正しく、裁判官が裁くであろう不実な者に、
貴方方は従順であってはならない。
私は貴方方によく言っておく。貴方方が真実の自己を発見し、
隣人を理解することが出来て、初めて創造の掟に合致した正義を理解するのである。
昔の人は言った。偽りの誓いをするな。誓ったことは神に対して果たせと。
だが私は言っておく。一切誓ってはならない。貴方方の誓いは無常なものであるからである。
人や想念。また、物等に誓ってはならない。全ては無常であるからだ。
貴方方は、ただ、然りなら然り、否なら否とだけ言え。それ以上のことは掟を犯すものである。
貴方方は目には目を。歯には歯を。と聞いているだろう。だが私は言っておく。
貴方方は、創造の自然の掟に合致した正義を行うべきである。そうすれば貴方方は
正しい判断ができるだろう昔の人は、隣人を愛し、敵を憎めといった。
だが私は、貴方方に言っておく。創造の理解と、創造の掟に沿った愛を施しなさい。
そうすれば正しい倫理と、判断が出来るであろう。
正直に願いを言う者には無償で与えてやれ。不正直に貴方に求め、借りようとする者には
背を向けてやれ。真実の自己を知らず、隣人愛を理解せず、
利己心を満たす為の悪を行う者は、罰せられる。それが、創造の掟である。
創造の掟に沿った愛を示しなさい。貴方方は、そうすれば正しい判断ができる。
創造の掟に従った愛を施しなさい。愛は正義だからです。
貴方方は賢くなれ。そして知識を学びなさい。貴方方は貴方方を生んだ創造のように、
霊において完全になりなさい。貴方方は永い輪廻の間に精神を磨き、完全にならなければならない。
そうして貴方方は、創造と一体となるのです。

これはイエスの言葉である。
504カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/11(水) 12:22:00 ID:/LSCXKq+
これはイエスの言葉だ。中論に毒されているおまえら馬鹿者共には、この世において
なにが善であり、なにが悪であるかも理解できない。この世において、なにが善で、なにが
悪かも理解する以前に、二元世界であるこの世において、中論に毒された挙句、
この世に善悪など無いなどと、のたまうおまえらアホ仏教徒は、凡夫以下だ。凡夫ですら
最低限の道徳感を持ち合わせている。いいかい、ゴータマはおまえらのように、この世は相対である
空であるとは言えず、空ともいえる。また、無自性であるともいえ、自性ともいえる
中道だ!なんてちんぷんかんぷんな不可知論でしかない詭弁を言ったのではなく
あくまで、現象世界であるこの世は、相対から成る無自性な、空だと言ったんだよ。
中論に毒されたおまえら末法断滅唯物似非仏教徒達は、おわっとる。おまえらの頑迷さを
観察すると、まさに救いよう無しだ。おまえらは間違いなく、今生を無駄に生きるだろうよ。
おまえらは死人のままだ。
505神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 12:26:14 ID:QKCvkoiW
>>504

無駄な罵詈雑言を書かなければ10倍、意味の通りやすい文章になるであろう。
他者に憎悪の矛を向ける者は、その矛によって己を殺してしまうのである。
506神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 12:33:25 ID:+h8X4nOD
>>505
この人が仏教について分かってるのは、輪廻が前提であることぐらいかな。
現象は空はいいとしても、実在がこともあろうに自性というのは笑うは。
誤読と指摘されても改めないし。
507神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 13:15:45 ID:tU9n8aIn
>>503
それはイエスの間違い。

創造とは、「あるがままの人間と自然」のことだよ。創造は、その中に「既に」
実現されている。創造は「完全」である。イエス如きから「教えられる」いわ
れは無く、「教えられてはならないもの」。

イエスは「自分(イエス)が創造を成就する」などと言った。これは、「創造
は不完全」と言っていること。創造に対するこれほどの冒涜があるかね。

イエスが「誓うな」といったのは、その誇大妄想故に「自分が神になった積り」
のイエスが、「自分以外の神に誓うな」ということ。

イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間を』愛せよ」とは、口が裂けても
言えなかった。イエスにとって、隣人とは、「自分(イエス)を信じる者」
のことであり、信じない者は、「裁かれるべき存在」であったからである。

イエスの、「我のみ良しの思い上がった独善性」と「創造(あるがままの人間
と自然)に対する畏敬の欠如」が、如実に証明されている。
508神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 13:27:01 ID:2MxVXHPv
ご隠居とかいう唯物論信仰者の言っている「生命」とは
事実上アートマンのことさw
509神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 13:48:27 ID:tU9n8aIn
>>495
あなたのその書き込みも、仏陀の説教も、その「生物的生命」の機能である
という、単純な話ですよ。死ねば、一切不可能。

生命を、生命の機能によって否定することこそ、矛盾ではありませんか。

仏陀の教えも、究極的には、ことごとく「生命に対する慈しみ」にほかなり
ません。
510神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 14:01:20 ID:uuqbojr6


■ 宗教者を初め、人間がいくら思考、議論、信仰しようとも、それは<人間の生物的生命の機能。>※
■ 死者には、いかなる営みも不可能である。生命を以って、「死後の生命」など思考することは、矛盾の塊。※


■ カルトは き・え・ろ!!



          || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
          || 輪廻転生・   。    ∧_∧  いいですね。
          || 罪・・は有害!★ \ (゜Д゜,,)
          ||________  ⊂⊂ |  |
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧   | ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |    |
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧_( ∧ ∧  は〜い、先生。
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ  〜(___ノ


■ http://video.google.com/videoplay?docid=1431037135738418803


511神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 14:12:03 ID:uuqbojr6


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪


御釈迦さんの知恵は、「人類が生き残る(即ち、ゼロにしない)」ための知恵なのですよ。

☆★ 非信者さえ納得させる知恵が、<普遍の真理>なのです。★☆

「宗教内部」だけにしか通用しない真理は、真理ではありません。☆★

こんなことを考えついた西洋の思想家は、唯の一人もいないはず。

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪

512神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 15:11:09 ID:ozhMGtbR
>>361
>貴殿は生命に執着があるようですので・・・

ご隠居氏が生命に執着されてるとは、到底思えませんねw(笑

仏陀が「生・老・病・愛・死」・・の人生・生命の苦から<離脱>しようと修行に入った
のに対し、彼は生命をあるがままに捉え肯定し勇敢に<受容>しているのでしょう。

その過程で<宗教の本質>を鋭く洞察されそこから人生をどのように生きたら良いか
を説かれているのでしょう。

>>374のレスは【慧眼】でしょう!!ヽ(^。^)ノ

オチ〜
513机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/11(水) 15:14:50 ID:Df5z/j6q
>>501
道元は、宮中から参内の許可がおりますと、
牛車を誂えそれは豪華であったと記録にはあります。
牛車というのは、平安時代からそれは身分の違いによって様々なシキタリがございます。
(牛車の形態によって、身分が分るようになっている)
宮中ですから礼儀としても、「身だしなみ」以上の配慮が道元にあったと推測される。
袈裟も同様ですね、それは絢爛豪華であったらしい。

まあ、禅者で絢爛豪華というのはあまり似合わない。
大燈国師や盤珪は、京都で乞食行をするくらいだから、
禅者は、どちらかというと乞食が似合う。

鎌倉時代から室町時代へ、それから戦国時代になりますと、
絢爛豪華(安土・桃山文化)と対極にあります「わび・さび文化」が興隆する。
これの仕掛け人こそ利休です。
(利休はアンチ体制を鮮明にして逝きます)
その後、利休の自刃を切っ掛けとして世は、関が原と突入して逝く。
514tibyaku:2009/02/11(水) 15:23:22 ID:6QtMWKhh
499>

私も含めて悪意を持たない人間はいません。

悪意のままにしないで善なる思いに心を切り替えることも大事です。


515机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/11(水) 15:36:42 ID:Df5z/j6q
>>512
>彼は生命をあるがままに捉え肯定し勇敢に<受容>しているのでしょう。

なんか論理的にオカシイですね。
(ご隠居氏も論理矛盾がありますけど)
「あるがまま」でしたら、肯定することもないし、また否定することもない。
受容することもない。受容しないこともない。

「あるがまま」というのは、作為がない。ってことですから。

で、ご隠居氏がいう「生物的生命」というのは、
「生物的生命」以外の「生命」の意を含んでいる訳で、
これが>>508に書いてありますとおり、
事実上のアートマンということになる。
(生命の執着=アートマンの執着)
516神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 16:41:53 ID:+h8X4nOD
>>515
そうかな本能とか生きんとする盲目的意志で突き動かされているものといった意味だと思うのですが。

517神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 16:45:50 ID:ZXyxun5P
>>344

『中論』8.12等に基づき、ナーガールジュナにおいては、
縁起とは可逆的相依であると考える立場がありますが、
これについて、どのように思われますか?
石飛先生も可逆的相依には批判的だと思うのですが。
518神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 16:46:52 ID:0Z9cud0K
>>515
>「あるがまま」でしたら、肯定することもないし、また否定することもない。
>受容することもない。受容しないこともない。

その通りですが、特に宗教者は、あるがままを否定し、専ら観念に走られるから、
「注意的」に付け加えたままです。あるがままなら、宗教は、ことさらに「生
死」や「解脱」や「修行」や「転生」などを論じる必要は全くない。

このスレでも、宗教者は、「あるがまま」を離れた「観念まみれ」の「観念の
遊戯」ばかりではありませんか。

> で、ご隠居氏がいう「生物的生命」というのは、
>「生物的生命」以外の「生命」の意を含んでいる訳で

これも同じく「注意的」な付加。生命には「生物的生命」以外にはない。
宗教者は、生物的生命に対し、わざわざ「いのち」と言ったり、「永遠の
生命」「輪廻転生」などと言ったりするから、「注意的に」付け加えただけ。

宗教者は、「生物的生命」と言わないで、何故「いのち」などと仮名を使用
するのですか。それは、明らかに、生物的生命以外の生命があるような印象
を与える。誠に異常であると言わざるを得ない。
519初代スレ7:2009/02/11(水) 16:49:44 ID:BWjJhXGP
>>518
>何故「いのち」などと仮名を使用

ヒント:人形供養、針供養、刃物供養etc.etc.
520神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 16:57:43 ID:0Z9cud0K
>>517
>縁起とは可逆的相依であると考える立場がありますが、
>これについて、どのように思われますか?
>石飛先生も可逆的相依には批判的だと思うのですが。

横レスだが、仏陀は「これがあるからあれがある。あれがあるからこれ
がある」と言ってると思うし、また言うべきである。これはまさに
「可逆的相依」である。単に「これがあるからあれがある」という
「一方方向」だけに固定したら、それはもはや「空」とはいえない。
「これ」が、固定した原因としての実在になってしまうではないか。
521神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:08:15 ID:0Z9cud0K
>>519
>ヒント:人形供養、針供養、刃物供養etc.etc.

ご指摘多謝。

「生物的生命」の維持に役立つ対象を、生物的生命に「喩えて」いるの
でしょう。

しかし、「人間の生命」をわざわざ「いのち」などと言い換えるのは
やはりおかしい。「人間の生命そのもの」は、「喩え」の対象には
ならない。そもそも、「喩え」という行為自体が、生命の機能なのだから。
522神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:09:30 ID:ZXyxun5P
>>520
>仏陀は「これがあるからあれがある。あれがあるからこれがある」と言ってる

何処で?
こちらは出典付きで発言しているのであるから横レスするなら同様にされたい。
ちなみに、『中論』10.8-13をどう思う?
523初代スレ7:2009/02/11(水) 17:11:17 ID:BWjJhXGP
>>521
ついでに、昔、他スレで感動した(そして意義深い)レスを挙げておこう。
────────────────────
162 まい sage 2007/07/20(金) 22:40:21 ID:yk5dlGwc
話の発展が面白いネ。いい顔ぶれだなぁ。
発展も衰退もありえるから、関わりあうこと、共に時間を過ごすことの面白みがあるのだ。

<旅人がおむすびを持っていました。旅の途中でトイレに入ったら、トイレにおむすびを落としてしまいました。
「ま、いいか。結果は同じだし。」
同じではない。おむすびとしての関わりをまだしてなかったのに。。。>

何が絶対かはわからないけど、何かやるべきことはあるような。。。
今(時間軸)、ココ(空間軸)で。

179 まい sage 2007/07/22(日) 21:17:46 ID:rN0WOPuN
>> 173
努力と言う言葉が出ると言うことは、決定的な運命論者じゃないと言うこと?

おむすびの話しダケド、「ま、いいか」と言うせりふを、おむすびが言うか、旅人が言うかでは
意味合いが大きく違う。
ワタシはどちらかと言えば、つい殺人した人が言っちゃいけないセリフだろwと言うような意味合いが
含まれてるように思う。
おむすびとしての生き方、バナナとしての生き方、コーヒーとしての生き方。
それぞれ味わいや、旅人に与えるエネルギーがあっただろうなと思うんだよね。
────────────────────
で、ここで重要だと思われるのが、
【 >おむすびとしての関わりをまだしてなかった 】の部分と、
【 >「ま、いいか」と言うせりふを、おむすびが言うか、旅人が言うかでは意味合いが大きく違う 】
という一文だろうね。 (特に後者は、このスレ的にはね・・・w)
524初心:2009/02/11(水) 17:11:21 ID:+sF9oJXA
brown さんへ
昨夜は遅くまでありがとうございました。
 
今日改めて読み直しましたが、後半、わたしのレスは乱れていました。
しかし、読み直したのに、brown さんの話が,
いまひとつわかりませんでした。機会あれば再度教えてください。

525神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:18:45 ID:0Z9cud0K
>>522
だから、「(釈迦がそう言っていないのなら)、言うべきである」と述べ
ている。

大昔の出典だけに依存することには、何らの合理性もない、単なる
「思考停止」である。「思考」の方法論としては、「逆方向」で誤り。
526初代スレ7:2009/02/11(水) 17:23:10 ID:BWjJhXGP
>>520
確かに、「関係性」や「相互に(互いが、その存在基盤として)依存し合う」側面を捨て置くわけにはいかないだろう。
が、そのような「無時間的相互依存の縁起」は、危険性やデメリットを持たないのかな?

(´・ω・`)
527初心:2009/02/11(水) 17:27:13 ID:+sF9oJXA
今日、ヴァスバンドゥの唯識三十頌の、解説書を読みました。
中論より、わかりやすかったです。
 
ただ、ここに出てくるアラヤ識については同意できませんでした。
断滅し、汚れた種子をもつアラヤ識が、アートマンであるはずはありません。
528神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:33:33 ID:GCUEga8R
>>527
個として認識されうる一番抽象度の高いレベルの層をアラヤ識というのではないでしょうか。
仏性や神の領域という意味では、アラヤ識よりも抽象度の高い精神の層があるように思います。
個としてあるが故にどうしても幾分の汚れがあるのではないかと。
529初心:2009/02/11(水) 17:43:15 ID:+sF9oJXA
唯識では、アラヤ識がアートマンという理解をしているようです。
しかしわたしには、そうは思えないのです。
  
マナ識はアラヤ識に執着しており、それゆえに汚れている。
アラヤ識は汚れてはいないけど、<汚れた種>を宿している。
 
だから輪廻し、転生しているのですが、
アラヤ識で終わりなら、再び輪廻することになると思うのです。
つまり、解脱というのは、もうひとつ先があり、
それがアートマンではないでしょうか?
530神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:47:08 ID:0Z9cud0K
>>523
そのオムスビが、旅人の生存にはまだ関わっていなかった、ということ
だろう。

人形も、針も、刃物も、人間の生存に既に関わったものである。新品を
供養するのではなと思う。

なお、オムスビの気持ちは、人間には判らない。ここで語っているのは、
「人間」としての旅人であることを忘れてはならない。

しかし、トイレの喩えは、あまりにも臭すぎ。もっとマトモな喩えは
なかったのかねw。

>>526
>が、そのような「無時間的相互依存の縁起」は、危険性やデメリット
>を持たないのかな?

危険性やデメリットがあっても、それが「あるがまま」だから致し方ない。
「あるがまま」には、危険性やデメリットとともに、安全性やメリットも
あり、「自動制御」を行っている。後者は、前者の存在を絶対的前提と
する。危険性やデメリットを除去したために、却って新たな危険性やデ
メリットが生じる恐れがある。これは「改革」という言葉についても同
じである。

「最善は、最悪を生む。」(ヒューム)

531神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:49:00 ID:22zY4tgy

事実上「アートマン」と呼ばれている、称されているものは
「ない」ということであって、「机」はあるかないか、空である、
自性はない、ということで、実際「机」はあることはある。
よって、中道が真理となる。
「ない」の解釈が空という解釈を含んでいる以上、
魂=アートマンにも「ない」という解釈が発生し、
形而上学的に「我思う、ゆえに我ある」という
必然的に釈迦仏教も魂の存在があるがゆえに、
中論、空が論じられるのだ。
532神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:51:13 ID:0Z9cud0K
>>528
>個としてあるが故にどうしても幾分の汚れがあるのではないかと。

その「幾分の汚れ」を判断するのは、どこのどの部分?w


533神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:53:18 ID:ZXyxun5P
>>525
>だから、「(釈迦がそう言っていないのなら)、言うべきである」と述べている。

おいおい、出典を挙げられないからといって、>>520で言っていない
「(釈迦がそう言っていないのなら)」等という言葉を後から付け足すなよ。
君が自分で「仏陀は「これがあるからあれがある。あれがあるからこれ
がある」と“言ってると思う”」と断言したから出典を求めたのだが。


>大昔の出典だけに依存することには、何らの合理性もない、単なる
「思考停止」である。「思考」の方法論としては、「逆方向」で誤り。

都合が悪くなって、後から言葉を付け足すのは、「何らの合理性もない」。
こちらは、10.8-13を挙げたが、可逆的相依と連呼している割には、
未読で意味が分からなかったようだな。

君もしかして、あの唯物論カルト?
534初心:2009/02/11(水) 18:01:31 ID:+sF9oJXA
三十頌の定義
アラヤ識は、汚れてはいないし、善でも悪でもないものとされます。無覆無記
マナ識は、無明に汚されているが、善でもあくでもないものとされます。有覆無記
 
しかしわたしの推測では、
アラヤ識は、死の本能であり、甘美なものであり、死体のようなものです。
そこにある種子は、すでに業のつきた、再生のエネルギーのない、死んだもの、
すなわち善でもない悪でもないもの、ではないだろうかと。
535初心:2009/02/11(水) 18:19:42 ID:+sF9oJXA
死の本能・・・これについては晩年のフロイトが語ったかと。
536...:2009/02/11(水) 18:25:12 ID:O6x5dQ9P

シャカ、シャカとシェイクしてできたカクテル。

 レシャーカモンハートゴールドスペシャル。( ^ω^)
537神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 18:29:38 ID:0Z9cud0K
>>533
私は、原始仏典(釈迦の言葉であるという保証は皆無)の「言葉」だけ
に執着する「思考停止者」ではない。

「これがあるから、あれがある」だけなら、それが論理的に誤りである
理由を説明したのだよ。
538机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/11(水) 18:35:12 ID:JR8LRg7I
>>518
>このスレでも、宗教者は、「あるがまま」を離れた「観念まみれ」の「観念の
>遊戯」ばかりではありませんか。

どうも論理矛盾がありますね。

「あるがまま」でしたら、「観念まみれ」も「観念の悪戯」も一切が「あるがまま」ですよね。
「あるがまま」というのが別にあるのではなく、
今の位相が「あるがまま」ですね。

貴殿は「あるがまま」から離れることが出来ますか?

禅では喫茶去などという。
意味は別にない。
「あるがまま」です。
539初代スレ7:2009/02/11(水) 18:43:15 ID:BWjJhXGP
>>538
なんだw
茶を飲んでればいいのかwww

禅てのは簡単だなw 道場行く必要も、師匠を探す必要もないなw
540神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 19:04:29 ID:6jXwouNI
キリストのメッセージ 
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。
その代わりに、わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://nowaksvd.nanzankyokai.net/jiai/jiai02.htm

ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm

煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
http://www.sanpaolo-shop.com/product/4359

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm

キリストの受難を目撃し体験した女性 アレキサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.newsalesian2007.com/reisei/2007/saintspdf/adcosta.pdf
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html

病を患いながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html

カトリック書店/日本国内にあるカトリック教会の住所と地図
http://www.donboscosha.com/
http://www.sanpaolo-shop.com/
http://shop-pauline.jp/
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm
541神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 19:13:56 ID:ftmZzl49
机さん

>道元は、宮中から参内の許可がおりますと、
>牛車を誂えそれは豪華であったと記録にはあります。

済みませんどういう記録ですか?
出典を教えて下さい。
542神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 19:18:20 ID:GCUEga8R
>>529
私も同意見です。
ただ仏典ではその辺分らないですよね。
543初心:2009/02/11(水) 20:46:16 ID:+sF9oJXA
>>542
ご存知かと思うのですが、ウダーナヴァルガ26章23から27に、
不思議な情景見ている記述があります。
 
「そこでは月も照らさず、太陽も輝かない」
月も照らさず、だから、そこでは夜がないということであり、
太陽も輝かない、だから、太陽がなくても明るいということであり、
これを見ている主体こそ、アートマンではないかと。
しかし確かに、はっきりはしませんね。
544神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 20:46:50 ID:+h8X4nOD
>>517
検討したことがないので現時点では分かりません。
石飛先生の説は、有力だと思います。

>>>520
>>仏陀は「これがあるからあれがある。あれがあるからこれがある」と言ってる

これは此縁性の誤読でしょう。此縁性が二句並記されるのは、
生因と了因のためと思われますが、どう思います。
545神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 21:00:41 ID:ZXyxun5P
>>544
御返答ありがとうございます。

『中論』10.8-13を考えますと、可逆的相依には疑問があるのではないか、
と考えるのですが、如何でしょうか。

「此生故彼生」が生因、「此有故彼有」が了因ということでしょうか。
…ただ「生因、了因」を『アーガマ』に持ち込むことが出来るのでしょうか。
この辺りのこともあり、『宝行論』1.48-49について質問させて頂きました。
546神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 21:21:25 ID:RADp5QKT
>>538
>「あるがまま」でしたら、「観念まみれ」も「観念の悪戯」も一切が「ある
>がまま」ですよね。
>「あるがまま」というのが別にあるのではなく、
>今の位相が「あるがまま」ですね。

まず、「あるがまま」の意味から確定する必要があるようですね。

「あるがまま」の「ある」とは、「実在する」という意味です。人間にとって
「物が実在する」とは、人間の五感で知覚できることです。なぜなら、あるか
ないかを判断しているのも、人間の生命の機能であり、その生命は、「実在物」
に100%依存しない限り、一瞬も維持できないからです。

「あるがまま」を観念で否定するのも「あるがまま」などと言うのは、「ある
がまま」自体が無くなることであり、論理矛盾です。

「あるがままのこの世界」という場合、その言葉は、「空想上の世界」「観念
上の世界」「仮想の世界」との対比において使用されていることは明らかでし
ょう。

いくら「目に見える物が実在ではない」などと考えてみても、その考えは、
「生きている」からこそ可能なのですから、何をどう考えても、考えている
者自身の生命だけは、否定できません。
547初心:2009/02/11(水) 21:21:57 ID:+sF9oJXA
>>437
>依存(縁起)は「相互的」ですよ。その「相互性」こそが「絶対」であると
>考えることが出来る。
 
この世ではどこまでも相互的なのでしょうね。
神でさえ、この世・対象・他者を必要としているようなので、
ましてや人間はそうなのかもしれません。
 
>「他者との相互依存」という絶対性を前提としない限り、「絶対的な善」など
>絶対に出てこない。善とは、具体的状況に応じた他者に対する「行為」の属性
>であり、その内容は具体的状況に応じて常に変動する。「具体的状況に応じた
>行為」を離れた「絶対的善」は、単なる百人百様の抽象観念であり、どこにも
>存在し得ない。
 
サイの角 のようにただ独り歩め、とは、スッタニパータ3章47の言葉です。
絶対的なものは、アートマンとかニルヴァーナとか・・・
釈迦の話は、そういったものを想定しないと理解しがたいのです。
 
神でさえ依存関係に住むのに、絶対的な価値が存在している?
しかしこの矛盾は、実際には、精妙に回避されていると推測しています。
548神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 21:32:01 ID:RADp5QKT
>>544
>これは此縁性の誤読でしょう。此縁性が二句並記されるのは、
>生因と了因のためと思われますが、どう思います。

ならば、生因と了因とは、実在なのですか。それでは「空」ではありま
せん。

「相互依存」でない限り、「空」「無自性」とは絶対に言えません。
お互いに依存し合っているため、単独では存在できないから、「空」と
いい、「無自性」といい、「縁起」というのです。

石飛先生など「他人の見解」に頼らずに、ご自分で論理構成してください。

549神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 21:49:35 ID:RADp5QKT
>>547
>絶対的なものは、アートマンとかニルヴァーナとか・・・

釈迦は、「バラモン教のアートマンを否定して、空の原理を発見した」と、
一般には考えられているのではありませんか。さもなければ、仏教は、バラモン
教とは特段の相違の無い宗教」に堕してしまいます。

ニルヴァーナとは、「相互依存性(空)を悟った状態」を言うのでしょう。
550神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:24:42 ID:+h8X4nOD
>>545
可逆的相依、パラスパラ・アペークシャー、相依相侍は、
月称菩薩によって導入されたとされる説が有力なようですが、
私は検討してないので分かりません。

そうです。生因・了因という言葉はありませんが、
どうなのでしょう? これもほとんど思いつきで、
ちょっとだけ検討したことがあるのですが、確信できません。
二句並記に意味はないという論師もいらっしゃるぐらいで。
551初心:2009/02/11(水) 22:32:55 ID:nKlzzcdg
>>549
釈迦自身は、バラモン教徒であり、仏教を開いたわけではないらしいです。
 
さらに、アートマンについては、肯定も否定もしなかったのではないでしょうか。
 
それではなぜ積極的に話さなかったのか、については、
 
そこに危険なものが含まれているからではないだろうかと思います。

その危険を避けるために、少しづつ段階を追っていく必要があるのです。
 
たしかに空の発見は釈迦の功績です。しかし空はまったくの道具であり、
 
目的はアートマンの体験ではないかと思うのです。
552神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:47:21 ID:QKCvkoiW
>>550

>仏教は、バラモン教とは特段の相違の無い宗教に堕してしまいます

仏教は、思想体系的にはバラモン教の一派だろ。つーか、古代インドの
あの素晴らしい森羅万象の宇宙観に背を向けた、矮小な人間主体の
宗教なら、仏教なんかハナクソほどの価値もないわ。釈迦の教えが
そんな卑しいモノなら、こんなに長い間、その教えが世界を駆けめぐる
わけがない。
553神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:53:23 ID:aKNa0bK0
「ペルソナそのものは必ずしも病的な構造ではなく、
社会相互作用を円滑にするために着用しうる”よそゆきの顔”
ないし”社会的仮面”のようなものだという点である。
それはさまざまな務めの円滑化を助けるために特別に
あつらえられた役割であって、人は――父親のペルソナ、
医者のペルソナ、夫のペルソナ、妻のペルソナなど、
何種類かのペルソナをもつことができるし、またもつべきだ
ともいえる。その人のもちうるすべてのペルソナの総和が
自我の全体であり(わたしの定義)、自我そのものが、
種々のペルソナの学習と、それらを統合された自己概念に
結び合わせることによって作り上げられている。
   (中略)
これを、一般的な、いくぶん単純化した公式にすると――
ペルソナ+影=自我ということになる。」

(ケン・ウィルバー 『アートマン・プロジェクト』  P74)
554神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:54:19 ID:+h8X4nOD
>>552
一応、つっこんどくと。じゃ、なんでバラモン教は世界を駆けめぐらないの?
ヒンドゥーもバラモン教だとしても、東南アジアにちょっとだけ影響を与え、
現代でもほとんど外国に信者ないでしょ。
555553:2009/02/11(水) 22:54:28 ID:aKNa0bK0
かなりの数の禅の師家の方々などにお会いすることができ、
よく考えればあたりまえのことだが、そこで確認したのは、
深い覚りを開いたとされる人であっても、「外界からの知覚をまとまりの
あるものとして認識し、さまざまな記憶をまとまりのあるものとして
思い出し、思考し、意思決定をし、特定の立場や役割や所有権をもって
行動する、特定の名前を持った主体」といった意味での<自我>は
かならずある、ということである。

そういう意味での<自我>なしには、どんな人でも日常生活を
行うことはできない。「自我がない」という意味での<無我>になって
しまったら、人間は正常な生活をすることはできないのである。
もちろん、仏教の目指すものは、覚りといういわば「超正常」な人格の
あり方であって、そうした社会不適応の「異常」な人格状態ではない。
556553:2009/02/11(水) 22:55:37 ID:aKNa0bK0
さらに仏教の学びが深まるにつれて、原始仏教からインドの大乗仏教に
かけて<無我>の本来の意味は、「自我が無い」ということではなく、
あらゆるものが「実体ではない」という意味だった、ということに気づいた。
<無我>と漢訳された言葉のサンスクリット語の原語は、
カタカナ表記すると「アナートマン」で、「アートマン」に否定の接頭辞「ア」が
付けられたものである。「アートマン」は、@他の力を借りずそれだけで
存在することができる、Aそれ自体の変わることのない本性・本質を
持っている、B永遠に存続する、という三つの性質を持ったものを意味し、
西欧哲学の「実体」の意味とほぼ重なっている。したがって、
「アナートマン」は「無我」というよりも「非我」であり、「非実体」と約すことが
適切である、とインド学・仏教学の権威・故中村元先生なども言っておられる。

もちろん、あらゆるものが実体ではないのだから、自我も実体ではないの
だけれど、それは先に述べたような意味での人間の生活に不可欠な機能
としての現象的な自我が無いとか、そういう意味での<自我>を無くして
<無我>になることが仏教の目標だということではなかったのである。

ところが、従来、日本仏教の流れの中では、存在すべての無我性=非実体性
=空性に目覚め、自己絶対化・自己中心性を克服した結果、不要なこだわり
がなくなった、高度に成熟したパーソナリティの状態のことを<無我>と
呼ぶことが多く、そのために本来の<無我>の意味が曖昧になり、
<自我>と対立する意味での「無我になること」が仏教の目標であるかの
ように考えられ、語られてきたため、理論的にも実践的にも不毛な混乱が
あった。
557神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:56:48 ID:RADp5QKT
>>552
「素晴らしい森羅万象の宇宙」も、「卑小な人間」の生命が認識するからこそ
存在している、存在し得ることに、思い至る必要がある。

人間を「卑小」呼ばわりする君は、何という動物?
558神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:58:26 ID:QKCvkoiW
>>554

まさしくユダヤ教とキリスト教の関係そのまんまだね。あちらは
教義の問題だったが、バラモン教は難解すぎて一般人に理解
されず、釈迦によってそれに実践理論が加わった、と。マジで
その程度の違いだと思うよ実態は。
559553:2009/02/11(水) 22:58:28 ID:aKNa0bK0
「あなたは「魂」という言葉が今や本の題名として
最も話題になっていることに気づいているに違いない――
けれども、そうした本の多くにおいて、「魂」が実際に意味することは、
単にのろのろ歩いている自我にすぎない。
「魂」は、次第に激しくなる翻訳/変換的な貪欲さの狂乱において、
あなたの内側の無時間ではなく、
時間の中で最も騒々しく手足をばたつかせることを意味するようになった。
そして、「魂の世話」とは、不可解なことに、
あなたの燃えている分離した自己に対して強く焦点を当てることを
意味するようになった。」

(ケン・ウィルバー 『ワンテイスト』 P57)

「さて、<永遠の哲学>の伝統の大半によれば、
魂には明確な基本的特徴が2つあるとされている。
第1に、魂は人の「徳ないし徳の欠如――すなわち、
よいカルマと悪いカルマの両方」の貯蔵庫であるということ。
第2に、魂とは自覚の「力」であり、執着や嫌悪をもたずに、
現象界を「目撃する」ことのできる能力であること
(ちなみに、この能力は「智慧」としても知られている)。
徳と智慧、この2つの蓄積が、
転生する唯一のものである魂を構成する。   
   (中略)
魂には無時間的な性質があり、
それが次第にまったく明白なものとなっていく。すなわち、
人は魂の不死性を実際に「味わい」、魂がある程度、
時間や歴史、生死をこえていることを直観しはじめるのだ。
こうして人は徐々に、魂が身体や心とともに死ぬものでないこと、
身体や心が存在する以前にも魂は存在していたし、
以後にも存在するだろうということを確信するようになる。」

(『死を超えて生きるもの』からDeath,Rebirth,and Meditationより。 P246)
560神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 22:59:29 ID:QKCvkoiW
>>557

>「素晴らしい森羅万象の宇宙」も、「卑小な人間」の生命が認識するからこそ
>存在している、存在し得ることに、思い至る必要がある。

それお前の思い込みだから。大前提として話をしないようにw
561553:2009/02/11(水) 23:02:03 ID:aKNa0bK0
「それは慣習的かつ世俗的な世界を超越する雰囲気を
呼吸することに始まる超―個人的な自己の感覚である。」

(ケン・ウィルバー 『ワンテイスト』 P71)

「ヒューストンに関して驚くべきことは、多くの人々が<永遠の哲学>
について聞いたこともなかったずっと以前から、それに取り組んでいることだ。
それ――多文化的な知恵の諸伝統、世界の宗教的な遺産、
スピリチュアルな多様性とスピリチュアルな結束の儀式――
が流行する以前から、ヒューストンはその仕事をやっていたのだ。」

「ヒューストン・スミスは伝統的に”高さ”とはコスモスに関して、
”深さ”とは個人に対して使われてきた、という興味深い観察をしている。
たとえば「天国は高み」にあり、「彼女の魂は深い」というふうに。」

(ケン・ウィルバー 『進化の構造1』 p97)
562神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:17:17 ID:RADp5QKT
>ケン・ウィルバー

すべて、現実上の根拠皆無な、口から出任せの「妄想」に過ぎない。
563初心:2009/02/11(水) 23:18:16 ID:nKlzzcdg
553さんにお尋ねします。
魂は感じるものですか。それとも体験するものですか。
564神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:24:01 ID:RADp5QKT
>>558
>まさしくユダヤ教とキリスト教の関係そのまんまだね。

キリスト教は、ユダヤ教から発生したカルトだが、その内容は本質的に異なる。

ユダヤ教は、民族の生存のための「骨太の行為規範」だが、キリスト教は、
「甘ったれた精神規範」。

その哲学的深さにおいては、両者の間には格段の差がある。

バラモン教と仏教とでは、どうだろうか。
565神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:30:27 ID:GCUEga8R
カルト 【cult】
〔宗教的な崇拝の意〕
既成の社会から正統的とは見なされない宗教的集団。
三省堂提供「デイリー 新語辞典」より

従ってカトリックなどはカルトに含まれない。
566神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:30:40 ID:RADp5QKT
>>560
>それお前の思い込みだから。大前提として話をしないようにw

君は、宇宙が、人間の認識に関係なく「実在」するとでも思っている
のかね。それでは、まさに、極端な「唯物論者」ではないかw。

「目の前にPCが存在するのは、あなたが五感で知覚してるからである」
と言われて、論理的に反論できる哲学者は「皆無」だと思うよ。
567神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:35:42 ID:QKCvkoiW
>>566

>君は、宇宙が、人間の認識に関係なく「実在」するとでも思っている
>のかね。それでは、まさに、極端な「唯物論者」ではないかw。

お前は間違った知識を前提に話をして他人を煙に巻くことを問答と
勘違いしてないか?www
568神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:39:02 ID:GCUEga8R
>>566
> 論理的に反論できる哲学者は「皆無」だと思うよ。

リー・スモーリン『宇宙は自ら進化した』(野本陽代訳、NHK出版、2000年)
 『論座』2000年12月号掲載
569神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:49:55 ID:RADp5QKT
>>568
どんな「論理的な反論」をしたのか、極く簡単でもよいから、ご紹介いただけ
ませんか。
570神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:51:11 ID:ZXyxun5P
>>550
御返答ありがとうございました。


>>537
懲りないやつだな…。せっかくスルーしてやったというのに。

>私は、原始仏典(釈迦の言葉であるという保証は皆無)の「言葉」だけ
に執着する「思考停止者」ではない。

問題は、「原始仏典」かどうかではない。君自身が>>520において、
「仏陀は「これがあるからあれがある。あれがあるからこれがある」と
“言ってると思う”」と断言したことが問題なのである。
このように都合の悪いことを無かったことにすることを「思考停止」と言い、
こうした「思考停止」的言動を繰り返すのを「論理的な誤り」と言う。


>「これがあるから、あれがある」だけなら、それが論理的に誤りである
理由を説明したのだよ。

だから、君のこうした見について、疑問の余地が有ることを、
極めて「論理的」なナーガールジュナの10.8-13で示しているのだよ。
更に、石飛先生も極めて「論理的に」発言しておられる。
571神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 00:13:04 ID:56Sdq73B
>>570
>「仏陀は「これがあるからあれがある。あれがあるからこれがある」と
>“言ってると思う”」と断言したことが問題なのである。

私は、仏教者ではないから、「言っていると『思う』」として、慎重に、「断言
を避けた」のだよ。「思う」とは、「断言はしない」という意味。

君が仏教者なら、原始仏典の出典を示して訂正してくれればよいだけのこと。
原始仏典には、正確には何と「書いてある」のかね。

石飛先生の「極めて論理的な発言」とやらも、教えてくれ。
572如来不説:2009/02/12(木) 01:26:34 ID:5ub2S/lZ
>>564

あなたに、(キリスト教に対しては否定的なのはわかっていたのですが)、ユダヤ教
についてはどう思うか聞きたいと思っていたところでした。

「生命」という言い方から、通常は、自然科学的生物学的な生命を主張していると
受け取るのが普通なので、唯物主義かと思いました。しかし、実際のところは宗教・
思想的な世界ではそれは「アートマン」という用語で一般的に呼ばれているもので
す。バラモンのヴェーダは哲学的な思惟の粋であり、そのようなアートマン論とし
て結実しました。いうなれば認識主体のことです。

そうするとあなたの立場は、唯物主義というよりは、唯識主義と分類するのが、こ
のスレにおける他の方々との位置付けで考えた場合には一番適当に思われます。

バラモンも、アートマン哲学の一方で、社会面においてはきわめて保守的民族主義
的で、ユダヤ民族と近しいものがあります。というより私は個人的には、元々全く
同じ民族を指していたのが地域毎に歴史の進路を異にしていった結果と考えている
くらいです。
573如来不説:2009/02/12(木) 01:36:54 ID:5ub2S/lZ
>>572 訂正と補足

「主義」ではなくて「論」の方が適切でした。以下のようになります。

>そうするとあなたの立場は、「唯物論」というよりは、「唯識論」と分類するのが、こ
>のスレにおける他の方々との位置付けで考えた場合には一番適当に思われます。

そしてあなたの意見は
【唯識「論」に基づく、唯物「主義」または現世主義】
と形容すべきではないでしょうか?
574神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 01:51:15 ID:56Sdq73B
>>555
>深い覚りを開いたとされる人であっても、「外界からの知覚をまとまりの
>あるものとして認識し、さまざまな記憶をまとまりのあるものとして
>思い出し、思考し、意思決定をし、特定の立場や役割や所有権をもって
>行動する、特定の名前を持った主体」といった意味での<自我>は
>かならずある、ということである。

その自我自体が、他者・自然等の無数の要素との「関係性」「相互依存性」に
おいてのみ存在していると考えれば、「空」の意味や、無我と自我との間の問
題や疑問は氷解する。

この「関係性」「相互依存性」の原理は、人間界だけでなく、自然界の如何なる
場面や状況においても通用する「永遠・不変の真理」である。

縁起・空を、「一方的依存」「経時的関係」などと解釈すれば、絶対に解決し
ない問題である。

仏教が、2500年間、殆ど人を殺さなかった原因は、この「関係性」という
「空」にあるのである。

キリスト教系やバラモン教系の信者が、このように「空」を「関係性」として
絶対に解釈できないのは、そのような解釈により、彼らの信じる神が一発で吹
っ飛んでしまうからに他ならない。
575如来不説:2009/02/12(木) 01:56:01 ID:5ub2S/lZ
そのような観点から考えてみますと、(初期仏典から浮かびあがる)仏教というの


・きわめて唯物「論」的

で、それに基づく在り方としては

・きわめて唯識「主義」的または遁世主義的

であるということが、ここで対比的にわかります。
(そして正確かどうかはわかりませんが、これは特に空を観念的なレベルにまでも
思惟を進めて強調する一部仏教者の立場と端的に重なりやすいことがわかります)

ちなみに私の主張ですと、これは初期仏典そのものがバラモン階層出身者中心にま
とめられたものなので、バラモンの【唯識「論」に基づく、唯物「主義」または現
世主義】という、偏った思想による「執着」というものを「対治する」側面がどう
しても目立った結果、仏典の構成がそのようになったのだ。ゴータマ仏陀自身には
これといった見解はなく、ただ何らかの執着に捉われないよう、イデオロギーは何
であれ持つことのないよう、そのとらわれのない在り方を諭したのだ、というもの
です。
576如来不説:2009/02/12(木) 02:04:04 ID:5ub2S/lZ
>>574
ID:56Sdq73Bさんは前日のID:RADp5QKTさんと同一人物でしょうか?
>キリスト教系やバラモン教系の信者が、このように「空」を「関係性」として
>絶対に解釈できないのは、そのような解釈により、彼らの信じる神が一発で吹
>っ飛んでしまうからに他ならない。

とありますが、バラモン教とヒンドゥ教を混同されていると思います。
577如来不説:2009/02/12(木) 02:07:40 ID:5ub2S/lZ
>>572 補足
ヴェーダはヴェーダでも、神学もあり哲学もありで、哲学のみを指す場合は、
文献的には「ウパニシャッド」と言った方がより正確かもしれません。
578机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/12(木) 07:09:30 ID:tSk6T6pu
>>539
>茶を飲んでればいいのかwww
>禅てのは簡単だなw 道場行く必要も、師匠を探す必要もないなw

可もなく、不可もなく。ですよ。
(無可無不可)
579神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 09:11:41 ID:X3xoEnEd
>>576
>バラモン教とヒンドゥ教を混同されていると思います。

「バラモン教『系』」と言っています。
580神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 09:30:09 ID:X3xoEnEd
>>573
>そしてあなたの意見は
>【唯識「論」に基づく、唯物「主義」または現世主義】
>と形容すべきではないでしょうか?

「論」や「主義」ではなく、「人間とは、生物的生存本能(生命)を
中核とする動物の一種である」という、すべての人間に共通する唯一の
普遍の事実を思考基盤として、その生命を維持するために不可欠な現実
界に還元した、ぎりぎりの事実について語っています。

宗教・思想を含む人間のすべての営みは、その生命の機能以外の何物
でもないのですから。

現実界から離れた思考は、百人百様であり、その正誤・正邪を判断する
基準は「皆無」ですので、何百年間、何千年間「論じても」、何の結論
にも達し得ず、無意味で、時間の浪費に過ぎないからです。
581神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 09:38:09 ID:aF3fCC4l

また主体思想が始まったかwww
582神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 09:50:51 ID:X3xoEnEd
>>581
宗教者は、現実界に還元できない単なる観念や妄想は絶対に語らないよ
うに注意すること。さもなければ、中東で毎日続く殺し合いだけでなく、
下記のような被害が常に生じ得る。

霊感商法「神世界」を賠償提訴へ、被害者20人が1億円余求め
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090212-OYT1T00097.htm
583神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 09:52:04 ID:KINbcR95
>>573
現世主義というのは当たってると思いますが、
本質的には快楽主義なんじゃないかとも思います。

あと世界中で自分だけが真理を知っており、他の人間は
誰も気づいていない豚どもだと思っている部分がある気がします。
その点では独善的排他主義だとも思います。

論理的であることを支えにしているように一見見えますが、
前のレスを見る限りはご都合主義です。

ただ、実際にはたしかに主義といえるほどの段階にはなく、
ただ自分のことも世界のことも精神のこともよく分らない
原始的段階に止まっているだけのように見えます。
584神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 09:57:35 ID:X3xoEnEd
>>583
論理的に反論できなくなると、すぐに感情まみれの人格批判にしか走れ
ないのは、仏教徒としてのあるべき姿ですか。

ここは、クリスレではないのですよ。
585神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:01:14 ID:KINbcR95
ただ事実と思われることを書いているだけで
特に人格批判はしていませんが、
そう感じるのはたぶんそう思う要因があなたの内部にあるからでしょう。
586神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:03:24 ID:KINbcR95
未熟であるというのは衆生である以上は仕方のないことで、
私もあなたも未熟さから逃れることはできません。
ただその未熟さを真っ直ぐに見据え、直すべきところを直していくだけです。
587神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:08:55 ID:X3xoEnEd
>>585
あなたの書き込みのどこに、「現実界に還元可能な事実」がありますか。
すべて「主観的な抽象観念」ばかりではないですか。

宗教者の最大の「欠陥」です。あなたもキリスト教系?

あなたは、前レスで、「・・・と思う」を「断言である」などと解釈し
た方?
588神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:16:28 ID:KINbcR95
>>587
主観的な抽象観念とおっしゃいますが、主観的だろうと客観的だろうと
発言内容に関しては大体当たっているのではありませんか?
そうでなければ、反論してくればよろしい。

反論できないから、観念や定義の話に戻して無効化しようとするのは、
よくあるパターンですが、そんなことをして議論だけ避けてみても
あなたが未熟であるとうい事実は変りません。

私は「と思う」「断言である」という系の会話には参加しておりません。
589神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:19:29 ID:X3xoEnEd
>>586
あなたは、何を基準として「未熟」だと判断しているのですか?

そのような抽象的観念語は、使う人によって百人百様の意味を持ち、
具体的内容は空虚で、意思伝達の機能は「皆無」ですよ。単にあなたの
「主観的感情」以外の何物でもありません。

釈迦や竜樹の、極めて優れた現実性・論理性を見習ってください。

あなたがキリスト教系なら、何おかいわんやです。
590神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:32:03 ID:CiIM/GOM
では外野から客観的を。
>>589よりは>>588の方が冷静で説得力がある。
>>589は心の乱れが見て取れる。
その意味では彼の方が未熟と見える。
591神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:33:50 ID:X3xoEnEd
>>588
>観念や定義の話に戻して無効化

現実界に還元できず、定義も出来ないような議論は、初めから「無効」
ですよ。「無効」とは、「初めから無効」ということであり、「無効化」
などという概念はない。法律学では、「初めから無効でないもの」は、
「取り消す」と言います。

あなたは、>>580に対して、「現実に立脚した」「論理的反論」は、一切
出来ないではないですか。単なる「感情まみれの人格批判」だけです。
592神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:33:50 ID:CiIM/GOM
訂正
では外野から客観的意見を。
593神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:34:19 ID:KINbcR95
>>589
ではひとつひとつ質問していくことにしますが
>抽象的観念語は、使う人によって百人百様の意味を持ち、

これは何を基準としてそう判断しているのですか?
主観的な妄想ではないのですか?
「現実界に還元できる事実」を提示してみてください。
594神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:36:36 ID:KINbcR95
>>591
> 「感情まみれの人格批判」

こう判断するに至った「現実界に還元できる事実」の提示をお願いします。
595神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:42:47 ID:X3xoEnEd
>>590
「冷静」「心の乱れ」「未熟」が、「客観的意見」ですかw。

そんな言葉は、使う人によって百人百様の意味を持ち得る、従って、
論理伝達の手段としては全く無意味で内容空虚な、主観語ですよ。

仏教者なら、もっと「修行」して、「悟って」ください。
596神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:46:54 ID:S3x7jGc/
>>595
>仏教者なら、もっと「修行」して、「悟って」ください。
へ〜、あなたが修行や悟りを語るとは思わなかった。
あなたは、修行や悟りをどう考えてますか?
597神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 10:59:41 ID:X3xoEnEd
>>593
例えば、宗教者が好きな「善」と言う言葉は、キリスト教とイスラム教
で同じ「現実的行為」を意味しますかw。「正反対」ではありませんかw。
「正義」という言葉についても同じです。

>>594
あなたご自身のレスの中の「現実界に還元できない事実」「感情性」
「人格批判性」を、ご自分で判断してください。

「感情的」「観念的」議論は一切無意味ですから、止めます。
598神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 11:04:03 ID:X3xoEnEd
>>596
本当の修行や悟りとは何かについては、前レスから何度も語っていますよ。

名無しでも、該当スレは判断できるはずです。
599神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 11:05:09 ID:X3xoEnEd
>>598の訂正
×該当スレ
○該当レス
600神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 11:06:46 ID:KINbcR95
>>597
> 例えば、宗教者が好きな「善」と言う言葉は、キリスト教とイスラム教
> で同じ「現実的行為」を意味しますかw。「正反対」ではありませんかw。
> 「正義」という言葉についても同じです。

この文のどこに「現実界に還元できる事実」があるのですか?

> あなたご自身のレスの中の「現実界に還元できない事実」「感情性」
> 「人格批判性」を、ご自分で判断してください。

いえ、自分で判断するのでは意味がありません。
あなたの発言が「現実界に還元できる事実」に基づいているのかどうか
を疑っているので、あなたの判断を聞く必要があるのです。

>「感情的」「観念的」議論は一切無意味ですから、止めます。

つまり、あなたは自分の発言が「感情的」「観念的」であり、
ご自分の発言が一切無意味であると認めるわけですか?
601カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 11:08:52 ID:/nZompec
>>506
おまえよ、自性というのは、ここで議論にもなっている
アートマンのことだ。おまえそのことわかってて、言ってんの?
でだ、ここでも議論になっているように、
ゴータマはアートマンを説いたのか?説いていなかったのか?
少なくとも五感で感じられるこの世界。それを認識している
この意識(二つをひっくるめて、一切)は、縁起でしか成り立たない、
主体性の無い空(無自性)だと言っているようだが
では一切以外のことはどうか?ゴータマは一切以外のことは名言を避けた(無記)
としたと、おまえら仏教を知らない似非仏教徒達は得意げに語るが、
ウダーナルヴァルガの一文を見てもわかるように、ゴータマは
この無常であり、無自性なこの現象世界は苦であるるが、縁起によらず、形成された
ものでもなく、有せられたものでもなく、生ぜられたものでもない、この現象世界とは
真逆なせかいがあるからこそ、苦である現象世界からの解脱は可能だと、はっきりと
言ってるんだよ。これは理屈に合う話だ。言ってる意味わかる?中論に毒されて
なんでも不可知論にしてしまい、ただの言葉遊びで、現実には糞の役にも立たない
中論を使った詭弁を仏教だと勘違いしている、クルクルパーが。誰に向かって
ものを言っている。
602神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 11:19:38 ID:S3x7jGc/
>>598
本人は、分かっても似たような人が何人かいるから分からないのです。
もう一度、簡潔に言ってください簡単でしょう。
603神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 11:24:48 ID:S3x7jGc/
>>601
その一切も自性も佐倉さんのサイトの誤読であると論証しましたね。

『ウダーナヴァルガ』もあなたの言っている意味ではなく、
『中論』と同じ意味だと論証しました。

その時、あなたは何も答えられなかった。
いつも、ループですね。

それとこのスレは、輪廻否定者で仏教徒と考えるものは、
机さんと名無し二三人です。それに7さんが入るかな?

輪廻肯定の仏教徒がほとんどだということを無視して、
適当に全て断見としないように。
604カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 11:33:25 ID:/nZompec
〜ウダーナ
8・1  比丘たちよ、その場所(処:認識対象)は存在する。まさしく、地なく、水なく、火なく、
風なく、虚空無辺処(虚空のように終わりはない、という瞑想の境地)なく、
識無辺処(心意識に終わりはない、という瞑想の境地)なく、
無所有処(いかなるものも断片的対象物として存在しない、という瞑想の境地)なく、
非想非非想処(想う者でもなく想わない者でもない、という瞑想の境地)なく、この世なく、
他世なく、月と日の両者ともに〔なき〕所――比丘たちよ、その〔場所〕は、
わたしには〔存在する〕。〔わたしは〕その〔場所〕を、まさしく、帰る所(現世)と説かず、
赴く所(来世)と〔説か〕ず、止住と〔説か〕ず、死滅と〔説か〕ず、再生と〔説か〕ず、
依拠なきものと〔説き〕、〔対象の〕転起なきものと〔説き〕、まさしく、
〔転起の〕対象なきものと〔説く〕。これこそは、苦しみの終極[おわり]である。

ここにはっきりと、涅槃とは、縁起なきものとはっきりと説いてある。ゴータマ以前の
覚者は真我の領域のことは語れたが、全ての完成である、静寂の境地をセットに
語れなかったのだろう。ゴータマは、真我と、それに続く静寂の境地を発見した。
それを非常に持って回った言い回しで説法したものだから、皆が混乱することになる。
この、あえて誤謬を招くような持って回った言い回しの説法には、悪意すら感じるものである。
まるでわざと、後世に誤謬を招き、末法の時代を起こすような、ものだ。
真我とは、あくまで縁起で成るものであり、見方を変えると縁起によらずとも成るものである。
静寂の境地は、それは無とも言えるが、見方を変えると、有でもある。
あくまで中道とは、勝義であり、それは真理の領域のことである。真理ではない
この現象世界のことを言うのではない。真理ではないこの現象世界は、あくまで、縁起でしか
成り立たない、そこに何一つ主体性のない幻。空であると断言するのが正しいのであり、
ゴータマもそういった。ここの中道に毒された、詭弁で頭の中が凝り固まっている、
クルクルパーのいうように、この現象世界は、縁起で成り立つが、縁起でも成り立たない
中道だべ〜なんていう詭弁は言っていない。あくまでこの現象世界は、縁起でしか成り立たない
無自性な、空だといったんだよ。
605カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 11:44:43 ID:/nZompec
>>603
答えてんだろ、タコ。
佐倉の能書きなどどうでもいいんだよ。
おまえらは自性とはどういう意味かを知らないので、
俺は自性とはどういうものかを、佐倉のHPの文を引用して
説明したに過ぎない。ちなみに自性とは、言葉では性格に判断できない
ものだ。それを自性と表現すると、それは自性とはならないからだ。
なぜなら、自性とは、無自性の反語であり、識別からなる観念であるからである。
自性とは本来識別され得ないもの。ゆえに、識別智である、「言」では
正確には表現できない。ただ、それを説明するにあたり、便宜上、自性と言葉で
表現しているだけである。

”それ” を、それは自性ですか?と聞くと、
いやそれは自性ではない。ではそれも無自性なのですね?いや、無自性でもない。
ゴータマの説法は全てこの調子だ。たしかに言ってることは間違いではないのだが、
一言足りないばかりに、皆が混乱し、どうとでも取れる説法のおかげで、
後世は邪見のオンパレードだ。
606カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 11:52:01 ID:/nZompec
>>603
>『ウダーナヴァルガ』もあなたの言っている意味ではなく、
>『中論』と同じ意味だと論証しました。

>その時、あなたは何も答えられなかった。

だから、何度も答えてるんだよ。お前らの見解は間違いだ。
中道とはあくまで、真理の領域のことであり、この現象世界はあくまで、
縁起でしか成り立たない、無自性な空だとね。ゴータマはそういった。
そういった舌の根も乾かぬうちに、い〜や、そうはいったが、実はこの世(現象世界)
は、縁起で成り立つ無自性な空でもあり、縁起によらずとも成り立つ
自性でもあるんだべ〜。などとおまえらお得意の詭弁でしかない
不可知論はいっていないんだよ。ゴータマはあくまで、現象世界であるこの世は
縁起でしか成り立たない、無自性な、空だといったんだよ。わかったかい?
中論中毒の、詭弁が仏教だと思っている、クルクルパーさん。
607神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 11:53:34 ID:S3x7jGc/
>>604
ネハンが寂静で、縁起の還滅門、つまり「これなきときこれなし」であることは別に異論はありませんよ。

だけど、それを自性とかアートマンとは決して言いません。
>>605

だから、ネハンを自性という経典を見せてください。
そんなものないでしょうがw
608神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 11:59:36 ID:S3x7jGc/
>>607
あるいは、あなたの言う意味の自性を説くパーリ経典を示してくれても結構。
パーリ経典というのは、律蔵と経蔵を指し、論蔵や蔵外は含めません。
もちろん、翻訳で結構です。
609カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 12:07:14 ID:/nZompec
>>507
よぉ、我の強い真理とは真逆にいる隠居とか言う引きこもり。
キリスト教ときくと、思考停止して、なんでも必死で否定してんじゃねぇぞ。
おまえの能書きは、仏典で言う、悪魔ナムチであり、悪魔バービマンそのものなんだよ。
あのよ、ゴータマはあくまで、おまえが現実だとする、五感による認識できるこの世界。
それを認識しているこの意識は全て幻だと説き、そんな者に執着するなと説いたんだよ。
おまえが第一とする、この世の命さえ、執着するなと言ったんだよ。この世と、この世の命を
マンセーしているおまえの能書きとは正反対だ。
つまりおまえは、ゴータマの仏教を何一つ理解していないどころか、ゴータマとは
真逆のことをいいながら、仏教をマンセーしている。

おまえアホやろ。

おまえさ、凡夫の知恵でしかないくだらに能書きを得意げに語り、仏教の思想とは
真逆なことをいいながら、さながら仏典に出てくる、悪魔ナムチ。悪魔バービマンそのものの
価値観を得意げに語りながら、仏教をマンセーしているおまえは。宗教板でで、いい物笑いの種だ。
おまえは宗教板でのピエロなんだよ。
610カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 12:17:21 ID:/nZompec
>>607
だからみせてんじゃん。

>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
>『ウダーナ』8章3節<不生不滅>

堂々巡りの無限ループなのはこいつのことだ。
この文言は、素直にこのまま読めばそれでいい。縁起でしか成り立たない、主体性の無い
無自性な空であり、いつかは滅びる無常でしかないこの現象世界は苦である。
だがそうではない世界(境地)がある。その世界(境地)があるからこそ、苦しみでしかない
この現象世界からの解脱は可能だとね。何度も何度も言うけどさ。ゴータマは、
あくまでこの現象世界は、縁起でしか成り立たない、無自性な、空だといったんだよ。
おまえらのように、この世は無自性な空であるといった、舌の根も乾かぬうちに、い〜や、
そうはいったが、実はこの現象世界は、無自性な空であり、無自性でもない自性である
中道だべ〜。なんてなことはいってねぇんだよ。何度も同じことを言わせるなよ、クルクルパーさん。

おまえ、アホやろ。

611カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 12:23:40 ID:/nZompec
>>608
逆に聞くが、おまえらの言うように、ゴータマが
この世は無自性な空であるといった舌の根も乾かぬうちに、い〜や、
そうはいったが、実はこの現象世界は、無自性な空であり、無自性でもない自性である
中道だべ〜。と説いたパーリ経典を示してください。
パーリ経典というのは、律蔵と経蔵を指し、論蔵や蔵外は含めません。
もちろん、翻訳で結構です(苦笑)

さぁ、答えてみろや。
612カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 12:37:18 ID:/nZompec
隠居とかいう、我の強い引きこもりの屑。
おまえさ、ことあるごとにイエスを眼の敵にしているが、
おまえの大好きな、親子愛などの肉親に対する愛への執着は
ゴータマも否定したんだよ。おまえそのこと知ってて、仏教マンセーしてんの?
宗教板では、宗教的な思想を知らずに、闇雲に凡夫の常識を振りかざして
仏教や、キリスト教を批判する唯物論者はいるが、ゴータマの教えを何一つ知らずに
ゴータマの仏教とは真逆の価値観を歌いながら、仏教をマンセーしている。
もちろんイエスの教えを何一つ理解もしていないのに、イエスという言葉を聴くと
条件反射で、のろいの言葉を吐く。
おおよそ宗教板ではおまえほど痛い奴はいない。

皆、層化などのカルトに洗脳されると、こういう奴のようになる。こいつは
無知無能。カルトに洗脳されたら、こういう偏見の塊になるという、いいサンプルだよ。
613神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 12:43:59 ID:S3x7jGc/
>>610
自性とはどこにも書いてないですね。

>>611
私はそんな説を言ったことはありませんが。
私は、パーリでは『梵網経』『象跡喩小経』『縁経』を出しました。
さらに私は別に原始仏教に拘っていないので
『勝義空性経』と『清浄道論』を自説の根拠としてます。
主体なき輪廻、アートマン説が否定される根拠です。
614机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/12(木) 12:55:32 ID:GwMKnrir
>>541
>済みませんどういう記録ですか?
>出典を教えて下さい。

道元の生涯を記録したものですね。
タイトルは「道元禅師の生涯」とか「道元禅師伝」とかには書いてあるかと思いますね。

まあ、それとは別に、いま道元をモチーフとした映画が上映されてます。
タイトルは「禅zen」。
これなどご覧になったら如何でしょう?

北陸の永平寺は、やはり冬の白黒(モノクロ)のイメージがあります。
その中でも、中央に釈迦牟尼仏を配した三尊像は絢爛豪華です。
(この一角だけは世俗的美感覚ですね)
宮中参内も、この感覚とご理解なされては如何でしょうか?
615カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 13:00:21 ID:/nZompec
>>613
生じえず、生成されず、元から在るもの。
それを自性というんだよ。おまえは自性とは何かを知らないようだから
もういちど佐倉氏のHPのURL挙げてやろうか?(苦笑)
こいつを代表する、現実には糞の役にも立たない、詭弁でしかない中論仏教者の
頑迷さは、観察していて恐れ入る。いいかげん自分達の中論詭弁仏教は、
単なる言葉遊びでしかない、現実には糞の役にも立たない偽論だってことくらい
気づこうや。
616カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 13:10:15 ID:/nZompec
>>613
縁起も元から在るものではなく、はじまったものだ。
始まったものには、根源があるものだ。根源があるからこそ、
始まりもある。俺はその根源の話をしているんだよ。
始まりも無ければ、終わりも無い。元からある根源(自性)がなければ
宇宙の始まりも、ではその始まる前はなにがあった?そのまえに在ったものは?
と堂々巡りになり、結論なき偽論として終わる。全ての基点に、
生じなければ、滅しもしない。元から在る存在をおかないと、縁起も、ビックバーン
理論も、うまく説明できないんだよ。おまえ頭悪いから、言ってる意味わかんねぇんだろうな。
まさかおまえ、ビックバン理論をも否定するおつもりで?
どのみち偽論とは、こいつらの中道を使った、現実には糞の役にも立たない
ただの言葉遊びでしかない、中論仏教だろ。こいつらの仏教はただの言葉遊びで、
現実には、糞の役にもたたない。
617カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/12(木) 13:17:40 ID:/nZompec
>>613
おやおや、人にパーリ経典での引用を根拠に出せといいながら、
自分は、『勝義空性経』と『清浄道論』。あと『中論』をこんきょですかいZ?
詭弁家の能書きなど、所詮この程度。

まぁいい。おまえの『勝義空性経』と『清浄道論』などのパーリ語経典における、
自性否定の根拠となる文言を、ここに引用してみろよ。暇なときに、じっくりと論破
してやるからよ。

おれは、それは自性ともいえ、自性ともいえないといった。また、識別智である
「言」では、正確に ”それ” を、表現できないとも言った。ただ便宜上、自性と表現している
ともいった。さぁ、おまえの自説の根拠となる、パーリ語仏典の一文を、ここに引用
してみろよ。今から寝るが、ちゃんと起きるまでに書いとけよ、クルクルパーさん。
618神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 14:32:08 ID:KINbcR95
>>606
空の概念は大乗であって、初期仏教(ゴータマ)にはないと思うんですが
そうでも無いんですか?
619神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 15:37:13 ID:CiIM/GOM
下らない…。
あなた方が宗教者だとしたら、絶望的ですね。
620神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 16:43:25 ID:0BABZzO3
>>618
横レスだが、空の概念は、原始仏典で発見されたその萌芽を、大乗仏教が、無数
の人々の2000年近くの努力によって、育成・改良・発展・確立したものです。

いわば、原始仏教がライト兄弟の最初の手作り飛行機とすれば、大乗仏教は現
代のジャンボジェット機。その性能は比較になりません。
621神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 17:02:48 ID:KINbcR95
>>620
そうですよね。十二因縁くらいまでの縁起は初期仏教にもありますが、
空は大乗にならないと出てこないですよね。

飛行機のたとえは面白いと思いました。どうもありがとう。
622神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 17:16:37 ID:S3x7jGc/
>>615
はいはい、『大ビバシャ論』のだったかな? だからそれは部派仏教の概念で、
しかもあなたの言う意味ではない。

>>616
輪廻は無始のない時とされますね。パーリ、サンユッタ・ニカーヤでは、
無始相応という章がありこのように説かれます。

比丘たちよ、この輪廻には始めがない。無明に覆われ、愛欲にしばられて、
流転しつづけ、輪廻しつづけている衆生の始源は知られない。(浪花宣明 訳)

>>617
あなたにパーリ経典で根拠を求めたのは、
あなたが原始仏教しか認めてないからですよ。

ところが自性という概念は、部派仏教で始めて出てきたもので、
原始仏典では説かれません。説かれないものを原始仏典で否定できないでしょう。
『勝義空性経』と『清浄道論』は主体なき輪廻の根拠です。
自性否定の根拠ではありません。

623初心:2009/02/12(木) 18:00:37 ID:peXb97tX
アートマンを話すなら、中論より、唯識のほうがわかりやすいと思う。
624初代スレ7:2009/02/12(木) 18:03:05 ID:22LD6HEy
・世界の始まりがある。 (「生成と破壊が繰り返される」世界観との関連は不明)
・縁起するこの現象世界(≒一切(一切諸法))もまた、そこから始まっている。

・縁起するこの現象世界は、厭離し、脱し、離れるべきもの。
・涅槃は、縁起するこの現象世界を離れている(≒離れたところにある)。

・「涅槃」は、縁起するこの現象世界(≒一切(一切諸法))のことではないので、
 不生であり(縁によって生じたのでなく)、不滅であり(縁によって滅することもなく)、
 他によらず、自らそこに自立し、「ある」もの。だから「自性」と呼ぶべき。

・ブッダは、それを示し、体現し、推奨した。

と、
(カラス氏は余分な罵詈雑言が多いがw)まとめると、こんな感じでしょうか?
625初心:2009/02/12(木) 18:10:02 ID:peXb97tX
>>624
まとめてくれて感謝です。わたしも同じように読みました。
626初代スレ7:2009/02/12(木) 18:13:30 ID:22LD6HEy
>>625
カラス氏との付き合い(≒見かけてから)もそれなりになるからね・・w
627初心:2009/02/12(木) 18:27:51 ID:peXb97tX
唯識については唯識三十頌を読んだだけですが、読んですぐに、
これはすごい話だと思いました。
ここではアートマンのありかを具体的に語っています。
 
ただ疑問に思ったのは、八識であるアラヤ識に汚れた種子があることです。
歴史的には、これを理由に八識を超える九識を想定する流れもあり、
法相宗は八識、天台宗は九識、真言宗は十識をたてるそうです。
628神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 18:31:28 ID:pmxk8cna
キリスト教の天国とやらもビッグバンではじまったのでしょうかねえ?
629神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 18:37:20 ID:pmxk8cna
三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい
630初心:2009/02/12(木) 18:38:05 ID:peXb97tX
フロイトに関しては、読み流しだけですが、だいたい読みました。
そこでフロイトとの関連で整理してみました。
 
<唯識>は、意識 > マナ識(アラヤ識への妄執) > アラヤ識
<フロイト>は、意識 > 無意識 = 快感原則 > 死の本能
 
つまり、マナ識は快感原則に、アラヤ識は死の本能に対応しています。
631神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 18:43:16 ID:rxyPsNr0
縁起をコントロールできるのが涅槃ではないだろうか
632初心:2009/02/12(木) 18:54:06 ID:peXb97tX
かりに、アラヤ識をフロイトの言う死の本能だとすると、
マナ識は<死>を妄執していることになります。
 
北欧の巨人、スエデンヴォルグは、
魂が救われていない人たちのことを、死んだものと表現しています。
死んだものとは、死を妄執している状態をいうのではないかと思いました。
 
生きようと思っているのに、それは実は死を望んでいることなのだと。
死は甘美です。それがアラヤ識です。
633神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 19:00:03 ID:g4KXexin
>614
机さん
いい加減な知識でものは言わない方が良いですよw
道元の宮中参内などどの歴史書をひもといても出てきませんが?
例によっておたくの勘違いですかw
まあ何と勘違いしているかは、自分で調べればすぐ分かることですが

どうせそんなモンだろうとは思っていましたが、
その程度の誤認なら、語録すらろくに読めてないでしょう?
私はあなたは居士かと思ってましたが、完全に居士ではないですね。
とんだ勘違いしてましたわw





634神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 19:10:44 ID:pmxk8cna
どんな宗派でも三年以上かけないとその本質はつかめないな。
ほとんどの人は一生かかっても無理。
635初心:2009/02/12(木) 19:11:21 ID:peXb97tX
わたしは瞑想(座禅)もするので、その関連でも整理しましょう。
 
瞑想は、意識がある状態・・・魔境へ・・・
唯識は、意識        マナ識  アラヤ識
 
いわゆる魔境は、マナ識とアラヤ識に対応しているようです。 
636初代スレ7:2009/02/12(木) 19:22:39 ID:22LD6HEy
縁起の話をされてる方もいらっしゃるようなので参考に。
────────────────────
「友よ、釈迦族から出家した偉大な修行者がいます。
 私はかの世尊を仰いで出家したのです。私の師はかの世尊です。私はかの世尊の“おしえ”を奉じているのです」
「では、貴方の師は何をどのように説かれるのですか」
「友よ、私はまだ未熟で、出家して日も浅く、この“おしえ”(と律)を奉じたばかりです。
 私は貴方に“おしえ”(の全て)を(詳細に)説き示す事ができませんが、(略義として)要点をお話ししましょう」
「構いません。友よ、多少なりとも話して下さい。要点のみを語ってください。
 要点こそが私にとっては意味あるものです。多くを語ることが何になりましょう」
そこでアッサジは次の偈(自らが知り、解した“おしえ”の要諦)を唱えた。
 『諸法は因によって生じるものである。
.  如来はそれら(諸法)の因を説く。
.  又、それら(諸法)の止滅を説く。
.  偉大なる沙門はこのように説くのです』と。

‘atthi, Avuso, mahAsamaNo sakyaputto sakyakulA pabbajito,
 taM ahaM bhagavantaM uddissa pabbajito, so ca me bhagavA satthA,
 tassa ca ahaM bhagavato dhammaM rocemI’ti.
‘kiM vAdI pana, Ayasmato satthA, kiM akkhAyI’ti.
‘ahaM kho, Avuso, navo acirapabbajito, adhunAgato imaM dhammavinayaM,
 na taM ahaM sakkomi vitthArena dhammaM desetuM, api ca te saNkhittena atthaM vakkhAmI’ti.
atha kho sAriputto paribbAjako AyasmantaM assajiM etadavoca,
‘hotu, Avuso, appaM vA bahuM vA bhAsassu, atthaM yeva me brUhi;
 atthena eva me attho, kiM kAhasi byaJjanaM bahuM’ti.
atha kho AyasmA assaji sAriputtassa paribbAjakassa imaM dhammapariyAyaM abhAsi.
‘ye dhammA hetuppabhavA,  …(hetu-pabhavA)
 tesaM hetuM tathAgato Aha;
 tesaM ca yo nirodho,
 evaM vAdI mahAsamaNo’ti.
637初心:2009/02/12(木) 19:23:10 ID:peXb97tX
中論の空にもどれば、その空は意識レベルの話のように思うのです。
もともと、空(実体がない)を論証することは、
悪魔の証明と言われるものであり、不可能の話であり・・・要するに詭弁です。
 
いま問題になっているのは、マナ識、アラヤ識、そしてその先です。
638初代スレ7:2009/02/12(木) 19:23:30 ID:22LD6HEy
PTSのコピーがヤサの辺りまでしかないので、連声のほどき方は不正確な所があるかも。
(勿論、意訳ですwww ベースは「旧版中村元選集11巻」の訳。南伝の訳もカッコイイよねw)

個人的には、
縁起が語られる際に、アッサジのこの偈に触れられることが無いのが不思議でしょうがない。


これは、このスレでの『三世に跨る因果(≒業果)』にも大きく関わると思うのだが・・。
そしてまた、
「仏教らしさ」→《何が仏教なのか?》《どこが、何が、仏教を仏教たらしめているのか?》
にも通ずるだろうに・・・。
────────────────────
なんか、スレ的には停滞気味(このスレらしくないマターリ感でいっぱいw)なので“ネタ”としてどうぞ。
639神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 19:26:24 ID:pmxk8cna
意識の作用が肉体にまで及ぶのが仏教の眼目だろうな。
640初心:2009/02/12(木) 19:32:47 ID:peXb97tX
>>639
マナ識とアラヤ識をわすれちゃってますよね。
641初心:2009/02/12(木) 19:53:46 ID:peXb97tX
>>636
仏教は専門用語(漢語)が多くてなかなか理解できないのですが、
因の止滅とは、縁起・無自性・空を悟ることでしょうか?
642神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 20:01:48 ID:S3x7jGc/
>>624
>・世界の始まりがある。 (「生成と破壊が繰り返される」世界観との関連は不明)
>・縁起するこの現象世界(≒一切(一切諸法))もまた、そこから始まっている。

輪廻に始まりがないことは、引用したように通仏教的なこと。
世界は有限か無限かは、無記です


>・縁起するこの現象世界は、厭離し、脱し、離れるべきもの。
>・涅槃は、縁起するこの現象世界を離れている(≒離れたところにある)。
>・「涅槃」は、縁起するこの現象世界(≒一切(一切諸法))のことではないので、
> 不生であり(縁によって生じたのでなく)、不滅であり(縁によって滅することもなく)、
> 他によらず、自らそこに自立し、「ある」もの。だから「自性」と呼ぶべき。
>
>・ブッダは、それを示し、体現し、推奨した。

現象と実在(アートマンやカラス説実在)の対立と考えるなら違います。
この考えは『梵網経』できっちり否定されています。



643机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/12(木) 20:16:01 ID:GwMKnrir
>>633
>道元の宮中参内などどの歴史書をひもといても出てきませんが?
>例によっておたくの勘違いですかw

いや、勘違いではありませんね。
貴殿は「教えてくれくれ」だから、拙者も詳しいことは書かない。

まあそれよりも、貴殿は永平寺へ逝ったことがありますか?
隅から隅まで、よくご覧になったらいい。
なにかヒントはある。

あのですね、
「教えてくれくれ」は、もうレスポンはしないことにしました(苦笑
644初心:2009/02/12(木) 20:26:18 ID:peXb97tX
>>643
仏教の真髄は利他行、慈悲だと思うのですが・・・
645初代スレ7:2009/02/12(木) 20:31:03 ID:22LD6HEy
>>641
う〜ん・・、
そういう言い方もできるけど、卑俗な喩え方をすれば、

「二日酔いという朝の苦を滅する」為に
「夜更けに飲む酒の量を控えるという行為を為す」(或いは「夜更けに大量の酒を飲むという行為をしない」)

ようなものですw

※「tesaM ca yo nirodho」の tesaM が、
  dhamma を受けるのか、hetu を受けるのかで、若干意味合いが変わってくるかもしれませんが・・・。



さあ、皆さん、ツッコミ宜しくw
646神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 20:32:17 ID:S3x7jGc/
>>643
机さんのデマカセ、自信たっぷりにいうから知らない人は信じちゃうんだよね。

647机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/12(木) 20:32:29 ID:GwMKnrir
>>633
>その程度の誤認なら、語録すらろくに読めてないでしょう?

あと、道元だけが禅ではない。
(勘違いしないように)
中国と日本で一番読まれているのは臨済録。
あと中国では碧巌録など。

以外なのは、無門関は中国ではあまり人気はない。
648机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/12(木) 20:34:43 ID:GwMKnrir
>>646
でまかせではないよw
永平寺建立の経緯など調べたらいい。
菊とは縁があるw
649初心:2009/02/12(木) 20:38:54 ID:peXb97tX
>>645
人生、楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。
空なんて、食べないで便所に落っことしたような人生であり、むなしい。
650初心:2009/02/12(木) 20:48:37 ID:peXb97tX
落っことしたのは、おにぎりでしたね。
自分が落っこちたら大変ですね。
651初代スレ7:2009/02/12(木) 20:54:20 ID:22LD6HEy
>>650
ですね。

だから、
【 >「ま、いいか」と言うせりふを、おむすびが言うか、旅人が言うかでは意味合いが大きく違う 】
んですねw
652初心:2009/02/12(木) 21:06:42 ID:peXb97tX
>>651
おにぎりの話は空の話を連想させておもしろいと思ったけど、
実はこわーい話なのですね。便所に落ちないように気おつけたいです。
653初代スレ7:2009/02/12(木) 21:08:47 ID:22LD6HEy
>>652
解って頂けてるのか不安ですが、まあ、良しとしときましょう・・・w
654神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 21:13:28 ID:xZzP5WYk
>>652
落ちたおにぎりのことはどう思う?自分さえ落ちなければ構わないの?

それに、旅人がおにぎりを食べても、同様に便所に排泄されるが、この
場合は?
655初心:2009/02/12(木) 21:32:21 ID:peXb97tX
>>653
もしかして十二縁起のほうであり、
無明の先、順観に、二日酔いがあるという話でしたか?
 
十二縁起は、かなり気になっています。
これは唯識の起源であり、特に逆観にこそ、アートマンの秘密があるだろうと
考えています。
656初心:2009/02/12(木) 21:36:22 ID:peXb97tX
>>654
どちらも空です。しかしわたしは落っこちないように気おつけたいです。
そしてわたしが気おつけていることも空です。実体はありません。
657初代スレ7:2009/02/12(木) 21:43:49 ID:22LD6HEy
ちっ!w

小奴も(勝義マンセーの)痛い奴だったか・・・w


( ゚听)、 ペッ
658神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 21:44:27 ID:xZzP5WYk
>>656
落っこちるのも空だから、気をつけることもあるまい。

自分だけ助かりたいと思うのは、慈悲ではない。
659初心:2009/02/12(木) 21:49:38 ID:peXb97tX
いやです。絶対に助かりたいです。慈悲ではないけど空です。
それにおにぎりに慈悲をかけるなんて行き過ぎでしょう。
空こそはめでたいニルヴァーナ。
660神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 21:54:09 ID:xZzP5WYk
>>659
おにぎりを他者に喩えなければ、意味の無いたとえ話だ。

自分だけ助かりたいという「煩悩」があれば、ニルヴァーナには、ほど
遠い。
661初心:2009/02/12(木) 21:57:11 ID:peXb97tX
>>660
煩悩即菩提
662神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:06:01 ID:xZzP5WYk
>>661
>煩悩即菩提

いい言葉だw。ならば、修行も、解脱も、涅槃も、仏教そのものも不要。

圧倒的大多数の生活者は、既に悟っているだけでなく、他者に対する
慈悲もある。そうでないのは仏教者だけ、ということになる。
663神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:14:31 ID:1L5Iiliq
>>515
遅レスですまそw それにしても進むのが早いですねぇ(笑
充分にロムる時間がありません〜、残〜念!!

>「あるがまま」でしたら、肯定することもないし、また否定することもない。
受容することもない。受容しないこともない。

↑ あなたもなんか論理的にオカシイですね。(笑

仏陀が「生・老・病・愛・死」・・の人生・生命の苦から<離脱>しようと修行に入った
のは、苦を否定し滅したかったのでしょう?

■あるがままなら、宗教は、ことさらに「生死」や「解脱」や「修行」や「転生」などを論じる必要は全くない。■

目の前のPCが存在しないと言われたのは多分?あなたではなかったでしょうか?
↑ あるがままに見てないでしょうね、当〜然!!

>(ご隠居氏も論理矛盾がありますけど)
彼には論理矛盾があるようには思えません。宗教に嵌った人達が反論のために
ことさら彼の言葉に拘り執拗に絡んで、自説に取り込みたいだけw

>事実上のアートマンということになる。
(生命の執着=アートマンの執着)

宗教者のエゴ= こ・じ・つ・け〜

664神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:16:02 ID:1L5Iiliq
>>590
>では外野から客観的意見を。

あはは・・・やり方が汚いなぁw
宗教擁護の為には宗教者は何でもありーーー★☆

君とはまるで正反対〜、残〜念でした!!ヽ(^。^)ノ 

>>588よりは>>589の方が冷静で説得力がある。
>>588は心の乱れが見て取れる。
その意味では彼の方が未熟と見える。

>>597
>「感情的」「観念的」議論は一切無意味ですから、止めます。

本当にそうですょン!スルーが一番、何の意味も成果もありませんw
意地悪な言いがかり、文句付け、撹乱戦術、三毒の煩悩まみれ〜
頭が悪いか、知っててやってるのですぅw

>>619
>あなた方が宗教者だとしたら、絶望的ですね
ほんとw
詭弁を弄しても汚い手を使っても美辞麗句を並べても、本物のレスは、分かる人には分かりま〜す!!
665神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:18:07 ID:1L5Iiliq


☆*****************************☆***************★*****************************☆


● 昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。

● 私(ブッダ)の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。

   先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから。
 
./)/)    ■ ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、 
(・ー・)ノ      自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
゚L-J          その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。 (カラマ・スッタより)■



☆*****************************☆***************★*****************************☆

666初心:2009/02/12(木) 22:20:09 ID:peXb97tX
煩悩即菩提は、世俗諦ではなく、空を悟った勝義諦に属します。
大衆は迷っており世俗諦に生きているだけであり、
大衆の慈悲は世俗諦に属します。
667神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:26:24 ID:k2ExaOJg
>>2 >それは五感でも同じこと、もっとも確か有部は外界を直接感知すると主張しますが。
 「物自体」とかのことではなく、単に法境の「概念」との対比で色境などを指したものです。要は、
天「眼」通とかの言葉もあるし、意根などに割り当てることもないのでは、という話なんですけど。

>世俗の人というよりは、世俗諦ということでしょう。勝義では当然、輪廻も現世もないのですから。
 出世間と対比して、「福徳の分野に属する(puJJa-bhAgiya)」というのですから、法門を
福徳門と智慧門に大別した場合の、世俗的な「福徳をもたらす」正しい見方と考えました。
 パーリ小部経典『ウダーナ』8.1では、大四十経で「邪見」とされていることが、「涅槃の境地」
として説かれていますね。  この世はなく、他の世はない(nAyaM loko na paraloko)

>語形変化のことですね。
 SN5.9にも似たような表現もあり(註のattabhAvaが同じ)、Dhp.153-154の中核となる伝承は存在し
ていたのでしょうが、全体が完成していて後に語形だけが変化したのだ、とは考えにくいかと。
 最古層に他の四蘊は全て出てくるが行だけは出てこないし、また古層に有為が行の意味で使われる
例(SN4.2.6)があり、古層の段階でも行の用法が定まっていた訳ではないようですから。

 ところで、ウダーナ・ヴァルガ31.6では、主語が二人称になっている点はどうお考えでしょうか。

>輪廻と苦悩は同義でしょう。
 「解脱」と直接結びつくのが「苦悩」ですから引用したのですが。

  taNhA janeti purisaM  渇愛が人をして生じさせる。
  cittam assa vidhAvati 彼の心が走り廻る(輪廻する/sandhAvatiと同じ語根)。
  satto saMsAram ApAdi  衆生が輪廻に至った。
  dukkhA na parimuccati 苦悩から完全解脱しない。(SN1.6.6)

 これは同じ趣旨を四たび繰り返した内容とも読めますね。そうすると、ここでの「輪廻」とは、
「心が走り廻る」ことをも意味して、生理的な生死とは限定できなくなりそうですが。
668神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:32:02 ID:1L5Iiliq
>>582
>宗教者は、現実界に還元できない単なる観念や妄想は絶対に語らないよ
うに注意すること。

同意。 宗教者って単なる観念や妄想以外に何か語ってますかねぇ?

■ 霊感商法「神世界」を賠償提訴へ、被害者20人が1億円余求め ■
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090212-OYT1T00097.htm

弁護団によると、原告は2004〜07年末、神世界系列のヒーリングサロンなどに通い、
「心身の不調は先祖の霊のせい」と脅されるなどして、「ご霊光」と呼ばれる高額の祈とう料や
仏画などの霊感商品代としてそれぞれ200万円以上を支払ったとしている。がん闘病中にサロンへ通い、
「薬を使ってはいけない。ご霊光でがんは治った」などと指示され、症状を悪化させた人もいるという。

 神奈川県警などによると、神世界は有限会社で2002年3月からこの名称で活動を始めた。07年12月、
県警は霊感商法を行っているとして、山梨県甲斐市の本社や都内のサロンなど100か所以上を詐欺容疑で捜索。
弁護団によると、会員数は5000〜6000人、被害額は直近の3年間だけでも100億円を超えるとみられる
669神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:34:07 ID:1L5Iiliq


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


■ 原始仏典に「書いて」あっても、それが仏陀の言葉である「保証」はゼロである。

■ 原始仏典を「書いた」のは、仏陀では絶対になく、そのはるか後世の<弟子>であることには間違いない。

■ 弟子はあくまで「伝聞」で書いたのだから、原始仏典の証拠価値は「ゼロ」。
   弟子たちの考えを書いたに過ぎない可能性は、大いにある。

■ ならば、「仏教」ではなく、「原始仏典」の作者である弟子たちの名を冠するべきだろう。

■ いずれにせよ、原始仏典の「言葉」を「釈迦の言葉」として拘るのは、全く無意味。

■ 「証拠価値はゼロだから、経典としての価値は皆無」。その経典としての価値が皆無な「原始仏典」
  を至上の価値として議論しているのが、このスレの姿。

  作者が明らかな大乗仏典のほうが、原始仏典よりもはるかに信頼できることは、明らかだろう。■


(*^。^*)

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お先に、オヤスミン〜☆
670神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 22:35:09 ID:xZzP5WYk
>>666
勝義諦と世俗諦とを区別する「基準」と「意味」は、具体的に何?

生活者は、「他者との係り合いにおける生存の努力」という、はるかに
大きな「修行」によって、すでに悟っているのだが。
671三代スレ170:2009/02/12(木) 22:45:57 ID:0W9c8Iaz
497(机)さんへ
>そもそも道元が、宮中直参などの経緯から推測しますと、
>道元が権力に迎合しようとしてたのは明白ですね。
>(直参における、牛車や袈裟の豪華さとか)
おっ!話をずらした。
宮中に行くのにTPOをわきまえた格好をすることと、
権力に迎合することとは別のことだと思うのですが。
たぶん机さんの頭の中では、北条時頼に招かれて
鎌倉に行ったことも「権力に迎合」の証拠になるの
でしょうね。

道元が権力に迎合する気があるのなら、時頼からの
寺の寄進を受け、上皇からもらった紫衣を着て歩くで
しょうに。

>で、拙者は、どちらかというと中国禅に傾倒してます。
>死後について、グダグダ書く禅僧は殆どいませんし、
本当か?「臨済録」を読んでこんなことを言うのか?
どうも机さんのいう良寛と自分のいう良寛が違うように、
机さんのいう中国禅の連中も、現実に存在した奴らで
はなく、都合のいいところのつまみ食いに見えるね。

>日本だったら盤珪の「不生禅」がいいですね^m^
盤珪も可哀そうに…
672tibyaku:2009/02/12(木) 22:55:10 ID:PU+SofG9
668>言論統制しないでください。

言論の自由が崩壊します。

唯物論者はすぐ言論統制してきますね。邪教もそうですが。

誹謗中傷・悪口・不平不満・悪口などの言論は控えたほうが良いですね。
673三代スレ170:2009/02/12(木) 22:57:04 ID:0W9c8Iaz
633さんへ
机さんに対して
>その程度の誤認なら、語録すらろくに読めてないでしょう?
>私はあなたは居士かと思ってましたが、完全に居士ではないですね。
と言ってますが、「読めてない」というより「読みたくない」んでしょうね。
「臨済録」も都合の悪いところは目に入らないようですし…

674初心:2009/02/12(木) 22:59:41 ID:peXb97tX
>>670
空を悟る前は世俗諦、空を悟った後は勝義諦
空を悟れば、慈悲も無慈悲も関係なく、やりたい放題です。
つまりニルヴァーナでしょうか。
675神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 23:00:35 ID:Uwx+9b6A
日本においてフロイトがやたらと支持されているのは、彼の極端な反オカルト的態度のせいであろう。

676神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 23:00:56 ID:S3x7jGc/
>>667
>天「眼」通とかの言葉もあるし、意根などに割り当てることもないのでは、という話なんですけど。

まあ、どちらにしろ凡夫の五感を超えた、所謂、超感覚的認識能力をお持ちということで、問題ないですね。

> パーリ小部経典『ウダーナ』8.1では、大四十経で「邪見」とされていることが、「涅槃の境地」
>として説かれていますね。  この世はなく、他の世はない(nAyaM loko na paraloko)

それは勝義でしょう。パーリ的表現で虚妄ならざる法ですね。
なにも、問題ありません。ネハンですから当然のことです。

> ところで、ウダーナ・ヴァルガ31.6では、主語が二人称になっている点はどうお考えでしょうか。

検討してませんが、『入菩提行論』八章で、自我が敵として対象化されているように感じます。

>「心が走り廻る」ことをも意味して、生理的な生死とは限定できなくなりそうですが。

それは断章取義としか思えません。なぜ、そのような無理な解釈をするのでしょうか?
677神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 23:10:14 ID:xZzP5WYk
>>672
思想、信条、表現の自由を最も制限するのが宗教。信教の自由を認めない
のは、宗教自体。

「誹謗中傷・悪口・不平不満」が最も多いのが、宗教者同士。
678初心:2009/02/12(木) 23:23:57 ID:peXb97tX
>>675
科学者であるフロイトが、唯識に近い考えにいたったことは興味深いです。
679初代スレ7:2009/02/12(木) 23:49:20 ID:22LD6HEy
>>676
素朴な疑問なんですが、(仏教という枠組みに於いて)、
六根六境以外に、(人が)「感受するということ」はあるんでしょうか?
六識以外に、(人が)「認識するということ」はあるんでしょうか?

>どちらにしろ凡夫の五感を超えた、所謂、超感覚的認識能力をお持ちということで

それは、《意根による法境の認識》(それのみ)に於いて、ということですか?
凡夫には(凡夫の意根に於いて感受し、意識するところの法境としては)、
感受、認識し得ない法境が、神通や涅槃である、ということでしょうか?
如来・阿羅漢・解脱者のみが、意根に於いて感受し、認識し得るもの(≒法境)、
ということでしょうか?
680神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 23:57:03 ID:u8BCufIP
ユングとの論争では、
フロイトは心霊的要素を認めない立場であったので、
フロイトは超心理の反対者であるような印象である。

ところが、後年、
経歴をやりなおせるのであれば心霊研究をやりたいと、
カーリントンへの手紙に書いているくらいなのだ。

フロイトの超心理学関連主要論文は、以下にある。

「精神分析とテレパシー」1921年
「トラウマとテレパシー」1922年
「トラウマとオカルティズム」1933年
邦訳:続精神分析入門第三講「夢と神秘主義」
681神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 00:08:34 ID:EJ6aM3Nh
>>679
私は《意根による法境の認識》を述べました。
彼は意根に割り当てなくてもいいと述べました。
その意味でどちらにしても聖者には超感覚的認識があるという意味です。

私は本来、アビダルマ的分類の主要な部分は別にして些末な辻褄合わせの
部分は無意味と思ってます。
アビダルマ的体系構築の過程で出てきた、自性とか自相といった概念、仮設を
中観派が否定したのがもっともだと思っております。
682初代スレ7:2009/02/13(金) 00:15:06 ID:NHHOEujH
>>681
意味不明w
「何でもアリ」というレスにしか読めませんが?w
(っていうか、679についての返レスになってるのか???)


おやすみ  ノシ
683神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 00:33:20 ID:/JQArD/S
,i´    l、__   _,.....、
             l   ‐-/´ `y‐'´  ヽ__
             !、__,...-'!、__,ノー     ノ ``ー 、_  ,
          /      ヽ、   ノ‐- 、__   `く-、
         /         `ー‐'´`-、   `ー-、 |
          '--、__________,.........-----‐‐'ー、_    `ー、
          ,i ,-、‐‐-- 、ニ二`ー‐- 、  ,l´ ` 、  ヽ)     輪廻転生は無用!
         /.´,-!      7`i_ー  |    ヽ __ )  
      _,.-‐‐ (   __    `i      ヽ  _,i'´ ヽ
     i´   -‐'_フ'´ノヽ、____,i´       ヽ'´ ,く  |     これでいいのだ
     !、_______,.......,--、_`  ヽ、    、 、      ノ
    (\(\ !、_____|    ̄`ー-、___   ,ヽ ヽ -、-'´ i´`i , ^,
  ⊂ニ メ'  \\        |___ ``7'´ | ヽ  ,l   | `' 、r''´)
  ⊂ニ(   / `、 `ー、_  ,- 、  __ ̄   /     ノ,-'´|´   ヽ‐'、
   ⊂ -―/  `ー-、.`ー!、 Y ´ )_,.i'´   ノ   |    '‐く
       `ー、  ,  `ー、-、___    ___,.-‐´    ヽー-‐'`ー´
         `ー/    /ー-ュ‐' ̄ ̄      _,-‐'´
          /-、_   l_ 8 /      _,..-‐''´
      ,.-‐-、/  /`ー-、 ̄        _/
    ,/ `ー、,l`i /__   / ̄``7ー-‐'´/____
  ,i'´``ー-、 ノ_,/‐'´ `ー、     /   /‐--、`ニ‐、_
  ,!``ー- 、 ノ /        `、___/_______/i    ̄((`、ヽ
. | `ー-、/ ,!        ヽ    ,i' `ヽ__     ヾ .)`i
  `ーt_´ ,-f,.--‐‐'´`ー、___   _,i'´   ヽ`ー==ニ-'_ノ
684神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 00:36:32 ID:YqIb7dxi
執着は無用!
これでいいのだ。
685神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 01:05:20 ID:CFPHT3Ij
素粒子物理学的な輪廻(循環)ってのことなら納得するんだがね・・・苦だのなんだの
と精神世界のことは、誰がどう言ったからなんだっての?ってかんじだなw
686神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 05:23:04 ID:XQ/BoEpi
>>680
同じユダヤ人でも、マルクスには狂信者が無数に発生し、無数の大虐殺・大粛清
の原因となったが、フロイトにはそれがなかったのは何故かを考えてみる必要
がある。これは、極めて巨大な相違である。

その理由は、フロイトが無神論者で、専ら現実と向かい合う優れた臨床精神医学者
だったからだろう。フロイトの無意識も、仏教からのヒントであることは、充分に
考えられるね。

一方、ユングはクリスチャンで、しかも総合失調患者であり、多くのカルト
の発生源となった。

このスレに来て、仏教も、カルトであり、精神的オナニーに過ぎないことが
解った。仏教者は、誰も空を本当に理解しているようには思えない。空を
「関係性」として理解すれば、逆に、彼らの宗教や開祖を否定することになる
からだろう。関係性は、開祖や教義の「絶対性」との対極にあるものだから
である。

これでは、オウムと全く同じ。オウムの反省はまったくない。今後、同様の事
態が発生する可能性は充分にあるので、厳重な警戒と排除が必要だろう。
687神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 05:42:08 ID:ib7a55Y0
>>669
2500年も前のことだからね。
688神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 05:46:48 ID:ib7a55Y0
>>669
同じ事を繰り返し書いてるところは釈迦の言葉である信憑性高いけどね。
かなり頑張って後世に書き残していると思うけどなあ〜
689神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 05:50:42 ID:WoAnxzrw
>>686
統合失調は
同じことばかり連呼しつつ 他人とまったく交流できないあなただよ
宗教を憎まないと意識を統合できないんでしょ?
かわいそうだと思うけどこんなこと続けてると絶対病気は寛解しないからね
690机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 06:49:20 ID:bRP/RdC/
>>671
三代スレ170どの

>たぶん机さんの頭の中では、北条時頼に招かれて
>鎌倉に行ったことも「権力に迎合」の証拠になるのでしょうね。

貴殿は、面白いことを言う御仁ですね。
北条時頼は執権ですから、インテリの道元はそこまでは思わんでしょうね。

>道元が権力に迎合する気があるのなら、時頼からの
>寺の寄進を受け、上皇からもらった紫衣を着て歩くでしょうに。

いや、そんなことはせんでも、もっと道元は具体的なカタチとして後世に残してある。
書籍とかで情報を集めるよりも、先ず現場(本山)に登ること肝心なり。
(ネットでは詳しく書けない)

>>日本だったら盤珪の「不生禅」がいいですね^m^
>盤珪も可哀そうに…

評価は人それぞれ。
(機微なるが故、ネットではこれ以上書けない)

#、また、後でゆっくりロムります。
691机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 07:04:04 ID:YRjIWa7D
>>671
三代スレ170どの

あの、素人にはあまり詳しいことは書けないのですが、
一見、権力に迎合しているかのように見せかけて、
その本心はアンチ権力だったりする場合がある。

素人に誤解を与えてしまうので、拙者も情報はあまり流せない。

まあ、例として、
利休は秀吉と迎合してましたけど、これは戦略的要素もあったわけで、
時系列的に追っていかないと、その本意は見えてこない。

貴殿にそれを読み込むスキルがあるのか?
って話になる。
まあ、ネットだから限界も押して図るべし。
692神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 07:11:47 ID:YqIb7dxi
>>686
>のスレに来て、仏教も、カルトであり、精神的オナニーに過ぎないことが
>解った。仏教者は、誰も空を本当に理解しているようには思えない。空を
>「関係性」として理解すれば、逆に、彼らの宗教や開祖を否定することになる
>からだろう。

空というのは執着を脱することと同義であって、釈迦の教義となんら矛盾しない。

>関係性は、開祖や教義の「絶対性」との対極にあるものだから
>である。

その絶対性をもってカルトを定義しているのだが。開祖の絶対性こそまさにオウム。
または、キリスト教原理主義や十字軍の依って立つものである。
693神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 07:14:58 ID:YqIb7dxi
>これでは、オウムと全く同じ。オウムの反省はまったくない。今後、同様の事
>態が発生する可能性は充分にあるので、厳重な警戒と排除が必要だろう。

一方的な思想の排除は残虐な共産党の宗教弾圧や、凄惨な中世魔女狩りと共通している。
694神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 07:18:16 ID:EJ6aM3Nh
>>691
>素人に誤解を与えてしまうので、拙者も情報はあまり流せない。

机さん、面白い!
695神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 09:01:32 ID:ShBtEHu2
>691
完全に妄想の世界ですねw
それなら、道元が宮中参内したソースを出してみw
それが本当なら大発見だぞw
「健えん記」にも記載がない。
鎌倉下向ですら「吾妻鏡」に言及されていないから疑問視する学者もいると言うのに
どんな新資料があるんですかw


>先ず現場(本山)に登ること肝心なり。
あんた勅使紋の菊紋みて妄想したんだろw

とにかく自信たっぷりに「ウソ」を言わないように。
まあ、あなたの虚言癖は有名だが、確かに初心者には害毒以外の何モノでもない。
696神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 09:14:36 ID:ShBtEHu2
「健えん記」じゃなくて
「健撕記」でした。
697机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 09:56:30 ID:YRjIWa7D
>>695
>あんた勅使紋の菊紋みて妄想したんだろw

では貴殿に伺いたいのですが、道元は勝手に菊紋を使ったのですか?
天皇に内緒でw

菊紋を使うのは、それなりの経緯がございます。
参内がない。と仰せなら、
(参内というのは宮中に上がること)
天皇が直々に道元のところに参上しまして、
「どうか菊紋を使ってくだされまし」。と、
かように請願したのですか?

まあ、拙者はあまり素人には語ちりたくはないのですが、
少しでしたら、語ちる用意はございます。

             <かしこ>
698神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 09:58:30 ID:EJ6aM3Nh
>>697
机さん、語らずにテキストを出せばいいじゃないですか。
699机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 10:05:00 ID:YRjIWa7D
>>698
教外別伝もありますから、すべてアカラサマに情報を垂れ流している訳ではない。
内情というのは丁寧に説明せんと素人が誤解する。

拙者は、懇切丁寧に説明する用意はございます。
700神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 10:19:37 ID:EJ6aM3Nh
>>699
宮中参内したって教えじゃないでしょう。ただの歴史じゃないんですか?

だいたい、道元禅師が政治通なんて発言こそ「素人」である机さんの「誤読」の結果としか思えません。
それによって少なくとも二人が疑心を抱いている、これが人を迷わすこと以外のなんなのですか?

誤りを認めるか、自説を貫くなら証拠をだすかすることが
人を迷わさないための行動でしょう。

まあ、ここでは誤りが指摘されてるからもう誰も信用しないでしょうけど。
仏教では生命を説かないとか、五蘊が生命だとか。
五蘊は自我の要素ですよ。あると思ってる自我が、五蘊が縁起しているだけのものであると教えるための法です。
701机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 10:32:52 ID:YRjIWa7D
>>700
>だいたい、道元禅師が政治通なんて発言こそ「素人」である机さんの
>「誤読」の結果としか思えません。

ほらほら、素人は直ぐに誤解する。
政治権力に近いのは、どちらかというと曹洞宗より臨済宗です。
(道元は政治通ではありません)
ですが、時の政治情勢は的確に掴んでおりました。
(これが非常に重要です)

ですから、こういった微妙なことは段階的に説明しなくては無理なんです。

>それによって少なくとも二人が疑心を抱いている

拙者は、あまりIDは確認していない。面倒くさいからw
よって「名無し」は誰でも同じ。

鎌倉時代というのは武家社会ですから。
政治権力というのも、当時の政治力学から把握して逝きませんと・・・
誤解しやすい。
702机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 10:45:06 ID:YRjIWa7D
今日はサービスで、少し参考になる書込みをしておきます。

利休は秀吉と接近することにおいて、
秀吉以上の統率力を獲得した。

これは結果的に秀吉が惨敗に終わるのだが・・・
アンチ権力といっても、まるっきし権力に接近しない訳ではない。
(時の政治情勢はチャンと見極めてる)
703695:2009/02/13(金) 10:52:56 ID:ShBtEHu2
>697
また悪い癖ですね・・・虚言癖。
先ずは資料を出して下なさなwあなたの脳内妄想は証拠になりませんw

>菊紋を使うのは、それなりの経緯がございます。
『永平寺史』によると現在の勅使門ができたのは56世雲居代天保10年3月。
勅使門の扉に菊紋をつけたのは明治に入って、明治天皇より「承陽大師」号を賜った
時だそうだよw
>参内がない。と仰せなら
これって、「宮中参内はなかった」ということを認めるってこと?
それなら「鎌倉下向を誤読しました、済みません」とはっきり言いなさい。
あなたは子供ですか?
誤りを改むるに躊躇することなかれ。

>政治権力に近いのは、どちらかというと曹洞宗より臨済宗です。
あんた道元ほど権力に禅僧も珍しいと言ってただろ?
自分で書いた文章まで誤読ですかw
704神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 11:17:59 ID:EJ6aM3Nh
>>701

>83 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
>道元というのは、頭が良くて権力へ取り込むのが上手い。
>明智光秀や神秀とキャラは似てますね。

これって政治通という意味じゃないんですか。
机言語は、難しいですねw
705机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 12:26:55 ID:YRjIWa7D
>>703
>勅使門の扉に菊紋をつけたのは明治に入って、明治天皇より「承陽大師」号を賜った
>時だそうだよw

扉の紋とは違いますね。
もっと頑張って調べてくださいまし。
(ヒント:明治期より以前)

>それなら「鎌倉下向を誤読しました、済みません」とはっきり言いなさい。

拙者は京都の話をしております。
牛車では鎌倉まで逝くには至難です。
つうか、牛車というのは京都限定です。
田舎にはないです(笑)。理由:道路が悪いため。
706机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 12:33:15 ID:YRjIWa7D
>>704
>これって政治通という意味じゃないんですか。
>机言語は、難しいですねw

利休は「政治通」ということになるかと思うが、
結果的に「政治通」であったわけで、
故意に政治を動かしていたわけではない。

まあ、これと同じような意。

707神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 12:47:04 ID:fxCdil9a
宗教が、いくら「反世俗」を説いてみても、結局は、世俗(お布施)や
世俗権力に縋らなければ絶対に生存は出来ない。

イエスは、「皇帝のもとは皇帝へ、神のものは神へ返せ」などと大見得を
切って見せたが、彼は皇帝(世俗)に頼らないで一体どうやって生存する
積りだったのか。

宗教より、まず生存ありき、である。人間の中核としての生物的生存本
能を証明するものであり、別に非難すべきものではない。非難すること
自体が異常であり、却って、生存に無関係な観念的争いを招く。
708神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 12:50:14 ID:WoAnxzrw
>>705
官位の宣下とか下賜とか勅使で住むんじゃ?
709695:2009/02/13(金) 12:58:45 ID:ShBtEHu2
>705
進退に窮しウソにウソを重ねるつもりですか?
まったく子供だw
謝れるか謝れないか、あなたの真価が問われると思ったのですが、
残念・・まあ、その程度なんでしょうねw

で、牛車に乗って豪華な袈裟きて宮中直参?ですか・・・
早く資料を出して下さいよ。
で道元は何時どこの内裏に入ったわけ?

>では貴殿に伺いたいのですが、道元は勝手に菊紋を使ったのですか?
>天皇に内緒でw
これの根拠も教えてくれる?
道元が菊の紋を永平寺で使用したという根拠を?

どうせ、「逃げ道」は自分だけが知っている秘密秘伝のたぐいだろうね。
さて子供のウソがどこまで続くやら、楽しみですねw
現実問題あなたのウソにつきあう周りの人は大変でしょう?
710神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 13:17:28 ID:HMkzbC9P
>>707
「皇帝のものは皇帝へ、神のものは神へ」って
コインに皇帝の肖像がプリントされてるのを見ての発言で、
「素直に皇帝に税金払った方がいいよ」って話だろ。
ったく、批判するのは構わないが、
無知なくせに偉そうに批判したあげく、
まったく見当外れなのはどうかと思うね全く。

小学生以下の知識で何をいっても説得力ゼロ。
いやはや恥ずかしい限りである。
711机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 13:19:21 ID:bRP/RdC/
>>708
勅使だけではないですね。
少し簡単にお話し致します。

寺を建立するのは、それは莫大な金が必要です。
ですから莫大な金の寄進者には、それなりの待遇?があります。
菊紋がある。ってことは、それなりの寄進がある。ってことです。

今現在においては、勅使門に菊があったことが解明されてます。
他に菊はないか?
(門以外です)
それが大問題ですね。
そのうち検索でもすれば見つかるかも知れませんね。

まあ、見つかったとしても・・・
この板に書き込むことは先ずないでしょう(笑

712机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 13:31:55 ID:YRjIWa7D
>>709
>これの根拠も教えてくれる?
>道元が菊の紋を永平寺で使用したという根拠を?

参考までに書込みしますが、
末寺であっても今現在、菩提寺を建立するとなると、
檀家あたり数百万単位です。→平均ですが

それも、既存の檀家制度を前程としてです。

新寺院を建立する。となると、
それは大変な努力と、バックアップが必要ですね。
(これがヒントです)
713神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 13:43:25 ID:EJ6aM3Nh
>>711-712
おもろい人だ。
714神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 13:51:42 ID:fxCdil9a
>>710
だったら、「神のものは神へ」とはどういう意味かね。これは蛇足ではないか。
神殿へは献金は不要の意味か。それとも「神殿にも、献金はちゃんと支払え」
の意味か。献金も「皇帝のコイン」で支払うのだが。彼が仮想した「神の国」
ではどうなるのかね。

彼は、「神殿にもきちんと支払え」と言いたかったのだろうが、その支払い
も「皇帝のコイン」である。

イエスは、まずしいやもめが、その全財産を神殿に献金したのを「賞賛」して
いる。やもめの明日からの生活の配慮もしていない。

この章句については、キリスト教内部でも解釈は大いに割れているはず。
715695:2009/02/13(金) 15:31:33 ID:ShBtEHu2
>712
だから資料出せって言ってるの、日本語読めません?


614 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/12(木) 12:55:32 ID:GwMKnrir
>>541
>済みませんどういう記録ですか?
>出典を教えて下さい。
道元の生涯を記録したものですね。
タイトルは「道元禅師の生涯」とか「道元禅師伝」とかには書いてあるかと思いますね。

これを聞いているんだよ?でもあんた
>教外別伝もありますから、すべてアカラサマに情報を垂れ流している訳ではない。
矛盾してるだろ?分かるだろ?

であなたの妄想では、道元は永平寺の建立資金を得るために、宮中に参内したわけ?
悪いが、道元が帰朝した1227年は禁裏は焼けて内野という野原になってたわけw
朝廷も金がなくその後再建されなかったというのにw

ちなみに永平寺のスポンサーは波多野氏という御家人だからw



716695:2009/02/13(金) 16:23:27 ID:ShBtEHu2
机さん
あんたの一言居士には困ったもんだが、ろくに資料も読まずウソ書いちゃだめでしょw
想像なら「想像です」って一言言えば済むのに、ウソのために更に新たなウソをつく。
机と名乗っているあんた、完全に機を逸したね。
実生活もお里が知れてるなw

永平寺の伽藍や勅額見て邪推したんだろうけど、現在の伽藍はみな新しく
道元の時代の永平寺じゃないんだよw分かるでしょ、そのくらいw

717神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 16:24:53 ID:HMkzbC9P
>>714
蛇足かどうかより、自分の無知を恥じるのが先。

「神殿にもきちんと支払え」という意味だとか、
また我流に解釈しているけど、勝手に解釈するのは後にして
まずは自分が無知なことを恥じて、まともに読んだらいいと思うよ。

正直いって聖書なんて読む暇があったら仏典でも読めよという気がするけど
スレ違いなこと書いた上に、聖書の読みもトンチンカンとか
もうお話にならない。

しかも恥じるどころかトンチンカンの上塗りですよ。もう末期。
718695:2009/02/13(金) 16:26:44 ID:ShBtEHu2
武士の情けだ。
「謝れ」とは言わん。
その代わり、知ったかぶりと虚言は直しなw

皆様には机の虚言癖のため流れを切断したことを、
机に成り代わりお詫びいたします。
719神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 16:29:38 ID:EJ6aM3Nh
>>715
まあ、明らかに机さんが、思いつきで適当なこと言っちゃって、
その後で適当に言い訳して誤魔化そうとしてるだけですね。

>>614
>タイトルは「道元禅師の生涯」とか「道元禅師伝」とかには書いてあるかと思いますね。

「には書いてあるかと思いますね」という言葉にハッキリ表れてますね。
要するに確かなことは知らない、思いつきで言っちゃった。
ここまで突っ込まれるとは思わなかった。

不運なことに今日は、ほとんど書き込みがなかった。
720神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 16:32:05 ID:WoAnxzrw
>>714
シュケルは神殿用の通貨で皇帝の貨幣じゃないですw
やもめの銅貨もいわゆる資産であって 日々の糧ではありません

田川にかぶれずきちんと聖書読もうねw
721695:2009/02/13(金) 16:50:49 ID:ShBtEHu2
>ここまで突っ込まれるとは思わなかった。
>不運なことに今日は、ほとんど書き込みがなかった。

いつもなら、他の書き込みに紛れてうやむやにできたんでしょうねw
わたしもいつもなら無視するんですけどね・・・
思いの外、言い訳のうえ反抗してきましたからね・・・つい悪ガキを叱るように
追い詰めてみましたw
722神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 17:20:01 ID:gqTOscBV
宗教の経典を初め、大昔の文献で現代人が争うのは無意味。それらの大昔の
文献の信憑性については、何らの証明もなされていないのだから。

現代の裁判において、裁判所があらゆる証拠を調べても、真相は闇の中である
ことが多い。両当事者が納得する事実認定と判決は皆無に近い。
723机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 17:20:29 ID:YRjIWa7D
>>715
>ちなみに永平寺のスポンサーは波多野氏という御家人だからw

よく調べましたね。
難儀でしたでしょ?

で、参内の話なんですが、道元の出生はご存知ですか?
それをネットで調べてくださいまし。
(どうして参内したのが、それで明白なるやに思います)
もし難儀でしたら、少しなら拙者が解説してもいいです。

殆どは、上記で解決です。
724神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 17:21:55 ID:EJ6aM3Nh
>>721
ですね。
ですが、予想するに机さんは、何事もなかったかのように登場するでしょう。
725神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 17:24:07 ID:EJ6aM3Nh
>>723
ほらほらw
726神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 17:24:24 ID:WoAnxzrw
>>722
裁判のほとんどは結審してますよ
727机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 18:00:13 ID:YRjIWa7D
>>721
>思いの外、言い訳のうえ反抗してきましたからね・・・つい悪ガキを叱るように
>追い詰めてみましたw

おそれいります。
散々追い詰められてしまったですよ(笑

で、件の「道元の出生」なんですけど、
調べましたか?
どうか回答、宜しくお願い致します。

           <かしこ>
728初心:2009/02/13(金) 18:02:03 ID:O9Sn9RjR
>>657 初代スレ7さんえ
>ちっ!w

>小奴も(勝義マンセーの)痛い奴だったか・・・w
 
昨夜は、般若湯が効きすぎたようです。失礼しました。 反省してます。
729初心:2009/02/13(金) 18:13:23 ID:O9Sn9RjR
>>680
>ところが、後年、
>経歴をやりなおせるのであれば心霊研究をやりたいと、
>カーリントンへの手紙に書いているくらいなのだ。

>フロイトの超心理学関連主要論文は、以下にある。

>「精神分析とテレパシー」1921年
>「トラウマとテレパシー」1922年
>「トラウマとオカルティズム」1933年
>邦訳:続精神分析入門第三講「夢と神秘主義」
 
フロイトが心霊に興味を持っていたことは知りませんでした。 
ユングやフロムも読みたいのですが、時間がなくて思うようにいきません。
730初心:2009/02/13(金) 18:28:54 ID:O9Sn9RjR
八識(アラヤ識)について
アラヤ識は、死の本能ではないかと思いました。その例をいくつか。
 
西行・・・桜が満開のころ、桜の下で死んでしまいたい、でしたっけ?
葉隠・・・武士道とは死ぬことと見つけたり
三島由紀夫・・・華麗な文章の底に死の美学がひそんでいる
法華経・・・死の美学、そんな匂いを感じています。
731神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 18:36:03 ID:gqTOscBV
>>729
別に「心霊に興味を持っていた」のではなく、心霊を「精神医学的に研究した」
のではないですかw。

それにしても、フロイトが唯識に接触していたとすれば、「アラヤ識」は
「無意識」そのものではないですか。フロイトよりはるか以前に「無意識」
に思い至った仏教は、大したものだと感心します。
732神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 18:40:15 ID:WoAnxzrw
>>731
おやぁ
無意識否定してたじゃないですかwww
733初心:2009/02/13(金) 18:41:05 ID:O9Sn9RjR
>>731
そんなあー 怒らないでください。
確かに仏教はたいしたものですね。同意します。
734神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 18:52:32 ID:gqTOscBV
>>732
残念ながら、フロイトの無意識は、現代の心理学では「証明」は一切な
されていないということですよ。

無意識を意識すれば、もはや無意識ではなくなるが、フロイト先生は
この批判に対してどう答えるのでしょうかね。
735神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 18:53:30 ID:WoAnxzrw
>>734
はぁ?
仏教の無意識は?www
736初心:2009/02/13(金) 18:58:27 ID:O9Sn9RjR
>>734
無意識を意識する、それが解脱ではないですか?
737初心:2009/02/13(金) 19:09:58 ID:O9Sn9RjR
唯識を理解するポイントは、夢、魔境を土台にした理論だということです。
738神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 19:14:25 ID:gqTOscBV
>>730
Thanatos(死の本能)は、証明されていないばかりか、完全に反証され
ていますよ。

どんな小さな生き物でも、捕らえようとすると懸命に逃げるのは何故
ですか。自殺志望者でも、殺されようとすると、必死で抵抗するのは
何故ですか。

フロイトは、「生の欲動(libido)」を、「人間のすべての営みの根源」と
しているのだが。

死が本能なら、そもそも、38億年前に発生した生命が、現在まで存続
している訳が無い。折角死んだのに、転生する訳も、なおさらありませんねw。
739初代スレ7:2009/02/13(金) 19:14:50 ID:NHHOEujH
(人は)過去しか認識できない。認識されたものは全て過去のこと。

「(以前)無意識であったもの」を意識する。

と考えればノープロブレムw
どうせ「今」は認識できないのだから・・・w
(強いて言えば、「今」は、”(おそらく)こうであろう”と類推想定されるのみ。)

 (※ま、《「今」というスパンをどうとるか?》次第でもあるが・・・。)

さて・・タイムラグのない知覚認識はありえるのか?


って、仏教と関係ねーか?www
740神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 19:18:16 ID:WoAnxzrw
>>738
殺される時に抵抗しない人なんていくらでもいますよ

思い込みじゃないのwww
741初心:2009/02/13(金) 19:32:01 ID:O9Sn9RjR
>>739
タイムラグを小さくできるかどうか・・・
生きてる間は、肉に覆われているのだから、般若の知恵にも
タイムラグがあるのだと、それが長くても我慢しなくてはならないかと。
742神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 19:35:23 ID:HMkzbC9P
>>738
フロイト読んだことあるんだろうか・・・
743初心:2009/02/13(金) 19:56:06 ID:O9Sn9RjR
>>738
>Thanatos(死の本能)は、証明されていないばかりか、完全に反証され
>ていますよ。
 
人がエデンの園から追放されたのはなぜですか?

>どんな小さな生き物でも、捕らえようとすると懸命に逃げるのは何故
>ですか。自殺志望者でも、殺されようとすると、必死で抵抗するのは
>何故ですか。
 
時間がなくて、反省する余裕がないからです。
七識であるマナ識のほうが、行為に近い識だからです。

>フロイトは、「生の欲動(libido)」を、「人間のすべての営みの根源」と
>しているのだが。
 
その後に、死の本能を語っています。
 
>死が本能なら、そもそも、38億年前に発生した生命が、現在まで存続
>している訳が無い。折角死んだのに、転生する訳も、なおさらありませんねw。
 
輪廻し、転生するのは、業です。
744神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 20:08:03 ID:5eU+WzCB
>>689
>統合失調は、 同じことばかり連呼しつつ 他人とまったく交流できないあなただよ

>>686氏に反論できないので宗教者お決まりの「感情的な人格批判」の返レス!

↑ 正に宗教の教義〔同じことばかり〕・・を何千年も前から連呼してる宗教者・
   宗教団体のことですね。(笑
   同じ宗教団体内の信者同士の交流ばかりでしょうにw

>>686
>このスレに来て、仏教も、カルトであり、精神的オナニーに過ぎないことが
解った。仏教者は、誰も空を本当に理解しているようには思えない。

同意。

■ 宗教が、いくら「反世俗」を説いてみても、結局は、世俗(お布施)
や世俗権力に縋らなければ絶対に生存は出来ない。→(>>707 ) ■

■ 宗教より、まず生存ありき、である。人間の中核としての生物的生存本
能を証明するものであり、別に非難すべきものではない。非難すること
自体が異常であり、却って、生存に無関係な観念的争いを招く。→(>>707 )

745 ◆4yy3YEx6Zc :2009/02/13(金) 20:11:18 ID:93TqKsD9
>>739
あるがままに見る とは 今にある ことで

あまりにも 今にある と 何も出来なくなる んです。

だから 唯識 が必要とされたわけ。
746如来不説:2009/02/13(金) 20:13:11 ID:11pm3QJK
悟ってしまえば(この場合、預流果を指しますが)、現実主義も神秘主義も、同じ
くらい、馬鹿らしく思えるのでしょうね。悟りに至る道程としては、おそらく、本
来その人が持っていた偏向性に応じて、対治的に、現実主義的な姿勢を強調したり、
神秘主義的な姿勢を強調したりしたのだと思いますが(そしてその対機説法の結果
が経典の、表面上は矛盾する説を併呑する実態へとつながった)。

私の場合もこれは情報を組み合わせた推論に過ぎないのですが、多分、預流果で消
失するという「有身見」が、人に応じて、現実主義という形の執着となったり、神
秘体験に対する執着となったりするのでしょう。どのみち有に対する執着が、表面
上は様々な形をとりつつも、理性的な否定に対して生き残りをかけてなおもしがみ
つき抵抗した結果なんじゃないでしょうか。

だから、道程としては現実主義を持つことも、神秘主義を持つことも、かまわない
し、むしろとことん追求するべきだと思うのですが、問題は、その道程として自分
が選んでいる道を他の道を歩んでいる人と引き比べ、他を非難し、これのみが正し
いと主張し、他に自分の道を押し付け、押し付けようとすることでしょう。こうい
った人は、結局、仏道では経典に述べられていて、道程の在り方として推奨されて
いることに、形式上、合致し、そのように主張していたとしても、その人は、聖道
を歩んでいるとは言えない、ただの凡夫・愚人に違いありません。同じ、現実主義、
神秘主義を歩んでいる人でも、他に押し付けないで、自分自身の人生の追求にいそ
しんでいる人こそが、聖道を歩んでおり、いわゆる預流道にある人なのだと言える
と思います。
747如来不説:2009/02/13(金) 20:21:02 ID:11pm3QJK
○○主義。なんらかの見解にこだわり、執着していること。
なんであれ、イデオロギーは、馬鹿馬鹿しい。
そんな風になるのが悟りなのかもしれません。
748神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 20:21:44 ID:5eU+WzCB


■ とにかく宗教は、<観念>ですから何とでも屁理屈をつけられるので<有害>☆

■ 分からないものは、分からないでおいておけばよいのにw


☆**************************☆***********************************☆************☆


>真理の検証には時間がかかるんですよ。

  _
  /〜ヽ プルルン♪    >仏陀もイエスも普通の人間、大昔の一地域で教えを垂れただけで
(((。・-・))) プルルン♪     ■ 万人に布教できたわけではない。だから、真理とは言わない ■
  ゚し-J゚    プルルン ルン♪    宗教団体が担ぎ上げ神格化してどんどん広めただけでしょw


■ http://video.google.com/videoplay?docid=1431037135738418803

☆**************************☆***********************************☆************☆


749神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 20:24:28 ID:YqIb7dxi
と観念まみれの人が言いましたとさ。
750神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 20:27:20 ID:YqIb7dxi
非難を恐れるというのは所詮その程度。
汚そうとしても汚されない境地に達したいものだ。
751初代スレ7:2009/02/13(金) 20:32:06 ID:NHHOEujH
>>746も、ほぼ同意するレスですが、
痛い台詞ですね・・・w

真摯に読ませていただきました。


おやすみなさい  ノシ
752三代スレ170:2009/02/13(金) 20:52:15 ID:q1nxSUYn
机(690〜691)さんへ
>(ネットでは詳しく書けない)

>(機微なるが故、ネットではこれ以上書けない)

>素人に誤解を与えてしまうので、拙者も情報はあまり流せない。
え〜と…そんな無理に物知りな振りしなくてよいですから。

695さん、頑張ってますね♪
机さんの言う道元の宮中参内には、大した根拠がないようですね。
机さんの言うことは、今後、眉に唾をつけて聞くことにします。
まあ、宮中参内したからって道元の価値が下がるとも思わないんですが。
(道元が朝廷の金で豪遊したってんなら話は別ですが、そんな事実無いし)
(道元在世時の永平寺が、稀に見る大伽藍だったっていう話も聞かないぞ)

725さんへ
>ほらほらw
ふふっ、懲りない人です。



753如来不説:2009/02/13(金) 20:53:20 ID:11pm3QJK
>>751
「痛い」というコメントに私自身も我ながら痛く感じる、ということは、私自身に
もあてはまるからでしょうね(結局人は自分にとって痛切なことを思惟する傾向が
ある)。情報のみのヴァーチャル預流果の証ですw
754初心:2009/02/13(金) 20:58:04 ID:O9Sn9RjR
さて、般若湯が利いてきたかな・・・
意識が連続しなければ、神秘体験も記録に残っていないのではないですか?
なぜなら、神秘体験をしても、その記憶は忘却の深淵に沈みこむ。
つまり、体験しても忘却するのでは、あってもないがごとくでしょう?
755神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 21:02:29 ID:YqIb7dxi
神秘体験こそが最も恐れるべき執着。
たやすい方法で願望が叶えられる「それ」を信じてはなりません。
756初心:2009/02/13(金) 21:11:17 ID:O9Sn9RjR
>>755
執着とはなんでしょうか?
757神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 21:14:20 ID:YqIb7dxi
執着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
執着(しゅうじゃく、abhiniveza ???????? (sanskrit))とは、仏教において、
事物に固執し、囚われる事。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きと考えられている。

執著とも書く事がある。仏教術語というより、一般的な用語であり、現代語の執着(attachment)によく似た意味で、
煩悩の術語としてのraaga(愛)あるいはlobha(貪)に近い。

サンスクリット原語は、abhinivezaの他に、sakti、aasakti(没頭する事)、
parigraha(摂取、所有)などよ良い味でも使われる語が同時に執着の意味を持ち、
graaha(にぎる、理解)、adhyavasaaya(決知、判断)など認識にも関わる語が執着の意味で用いられる。


758机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/13(金) 21:16:28 ID:YRjIWa7D
>>752
>え〜と…そんな無理に物知りな振りしなくてよいですから。

拙者が物知りなのではなく、695氏はあまりにも道元について「基本的情報」がなさ過ぎ。
まあ、そういったことを鑑みまして、
明日は「道元の生い立ち」などを書込みしていこうかと思います。
(ただし暇があったら)

これは道元の名誉に関わりますからねw

道元の生い立ちを知れば、おのずと「参内」の件は氷解せり。
では、おやすみ。
           <机龍之介・花押>
759三代スレ170:2009/02/13(金) 21:30:04 ID:q1nxSUYn
机(758)さんへ
>明日は「道元の生い立ち」などを書込みしていこうかと思います。
>(ただし暇があったら)
おやおや、「書けない」とか言って語る気満々ですな。
ただ、忠告しとくと「暇がなかった」ということにして、
書き込まない方が良いと思いますよ?
きっとボロがでるから。


760初心:2009/02/13(金) 21:37:50 ID:O9Sn9RjR
>>757
それでは、神秘体験はなぜ、修行の障害になるのでしょうか?
761神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 21:40:42 ID:YqIb7dxi
自分は偉いものになったぞという慢心を起こしやすいからです。
そうなると、エゴを絶つことを目標とする仏道どは逆行してしまうからです。
762初心:2009/02/13(金) 21:44:23 ID:O9Sn9RjR
>>761
それでは、あらゆる神秘体験が否定されてしまうではないですか?
どんな神秘体験なら肯定されるのですか?
763神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 21:49:14 ID:YqIb7dxi
修行の結果は、現実に現れるべきものです。
神秘体験という幻を追わなければ満たされない
弱い心をこそ見つめるべきです。
764初心:2009/02/13(金) 21:52:58 ID:O9Sn9RjR
>>763
763さんは満たされているようですが、
満たされるとは何? 763さんは何によって満たされていすのですか?
765神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 21:55:13 ID:YqIb7dxi
満たす器を壊しています。
766神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 21:55:48 ID:YqIb7dxi
壊そうとしているかな?それを自我といいます。
767神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 21:58:22 ID:YqIb7dxi
神秘的なこと全てを否定するものではありません。
おそらくそれは途方も無いもので、私一人の手にはおえません。
768宝珠愚者:2009/02/13(金) 22:00:10 ID:hr1JfCbM
>>618>>620-621
原始仏典の説く「空」について紹介!


『かれは(このようで)ある。
 「空であるものは、この想いにあるもので、欲の煩悩としてあるものである」と知る。
 「空であるものは、この想いにあるもので、生存の煩悩としてあるものである」と知る。
 「空であるものは、この想いにあるもので、無明の煩悩としてあるものである」と知る。
 「あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、(それは)命を縁とすることによっている、こ
れだけが、空ではないものである」と(知る)。

 アーナンダよ、今現在、清浄であって最高にして無上な空性に達して住している沙門やバラモンたちは、
みなすべて、まさしく、清浄であって最高にして無上な空性に達して住しているのである。
 それ故に、アーナンダよ、ここにおいて「清浄であって最高にして無上な空性に達して、わたしは住しよう」
と、このように、アーナンダよ、学習すべきである。』
(マッジマ・ニカーヤ121/小空経)
 http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html


 「一切の形成されたものは空である」と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。
これこそが人が清らかになる道である。」(ウダーナヴァルガ12-7)


 「 (ブッダが答えた)、《つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そ
うすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがな
い。》」(スッタニパータ1119)
769宝珠愚者:2009/02/13(金) 22:00:40 ID:hr1JfCbM
>>761-762
 神通はニルヴァーナの境地として、またそこに到る経過としての必然的な結果であろうかと思います。
ただし、精神的な成長がそれに相応しい状態にまで達しない内に神通に目覚めたり、神秘体験をしてし
まうと魔道(左道)に逸れやすくなるのは間違いないのではないでしょうか。
 仏典においても、神通は自然な発達の結果として身に付くものとしてると思います。オウム教団のよう
な意図的な神秘能力の開発に着手する行為などは破滅(破壊)への愚行でしょう。
770初心:2009/02/13(金) 22:01:12 ID:O9Sn9RjR
>766 
それが死の本能です。その意味は、精神の物質化です。
771神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 22:07:10 ID:YqIb7dxi
>>766
死ではありませんよ。自我を放棄することで
逆に守られるのです。それを知っているからこそ
「安心して」放棄できるのです。


772神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 22:09:53 ID:YqIb7dxi
自我を欲しいままにした典型例が犯罪でしょう。
自分で自分を過剰に守ろうとした結果、周りが守ってくれなくなる。
773宝珠愚者:2009/02/13(金) 22:20:54 ID:hr1JfCbM
-----【お願い】-----

このスレも、そろそろエラーで投稿不可になる頃です。
次のスレ建て10 は、
 何度か要望のあった>>189の内容もテンプレに追加お願いします。
 輪廻転生の仏典における根拠が旨く纏められており、議論をスムースにすると思います。

また、過去スレのアドレスはこちらのミラー変換機アドレスをお願いします
スレ8 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/
  ″ http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1233/12333/1233367815.dat
スレ7 http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1232/12327/1232767495.dat
スレ6 http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1232/12321/1232162229.dat
スレ5 http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1231/12314/1231408379.dat
スレ4 http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1230/12306/1230651094.dat
スレ3 http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1229/12297/1229771174.dat
スレ2 http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1228/12286/1228627644.dat
スレ1 http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1226/12261/1226102674.dat
お奨め-「2ch DAT落ちスレミラー変換機」
 http://www.geocities.jp/mirrorhenkan/
774神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 22:47:22 ID:ZMvbJqQC
サイエンス界では唯物論者はマイノリティー!
こぴP
今日の科学は、過去の科学的プロパガンダが誤りであることを立証している。
デイビッド・ブルックスは最近のコラム記事で書いている――「がちがちの唯物論のかつての勢いは消滅してしまった。
脳は冷たい機械のようには見えなくなった。脳はコンピュータのようには作動しない。
そうでなく、意味や信念、意識が個性的なニューロンの発火現象のネットワークから、神秘的に創発するように見える。」

ダニエル・デネットよ、よく聞くがよい(注:デネットは有名な唯物論者)――人間というものは、
キリスト教の伝統が仮定してきた通 りの存在と考えてよいのだ。我々は単なる物質ではない。
我々は特殊なやり方で生命を与えられた物的材料なのだ。
我々は顕著な変化と発展が可能な、理性的な魂をもった動物なのだ。
人間の魂は不安定で、影響を受けやすく、時間とともに硬化するものだが、まさにその性質のために、
キリスト教の伝統では、正しい感情・思考・決断を導くことができるようなネットワークを「固定化する」ための、
道徳的でスピリチュアルな訓練を非常に重要視してきた。
現在の脳科学は、道徳的でスピリチュアルな訓練を強調してきた伝統が、実際に正しいものであったことを示している。
http://www.dcsociety.org/id/information/090105.html
775神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 23:14:11 ID:lUXrsSf9
 There is no better work than promoting the welfare of all the people
 and whatever efforts I am making is to repay the debt I owe to all beings
 to assure their happiness in this life, and attain heaven in the next.
   ---THE FOURTEEN ROCK EDICTS, rendered by Ven. S. Dhammika

このアショーカ王の碑文にあるように、当時の人々も
この世とあの世(天国)での幸せを願っていたんですね。

出世間の道を行く沙門たちは、そのどちらをも求めなかった。

 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、
 (煩悩の)矢を抜き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。 スッタニパータ 779
776神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 00:08:02 ID:cSfhKiuK
>>768
> 「あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、(それは)
>命を縁とすることによっている、これだけが、空ではないものである」と(知る)。

「身体」と「生命」だけは「空ではない」と言っており、また、「空を悟れば、
死の王は見ることが無い」と言っているのだから、あきらかに、「死」では
なく、「生」を説いている。転「生」さえも、「生」である。
777神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 00:27:27 ID:cSfhKiuK
「タナトス(死の衝動)」の説明:

「フロイトにおいては、快感希求的なリビドーに対する自己破壊への衝動。
マゾヒズムを説明するために考え出された概念。生物学的観察からは、この
概念を裏付ける証拠は提出されず、これを認める分析家は少ない。」

マゾヒズムという「異常心理」「精神病理」についての説明であり、健常者
には関係ない。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BF%A5%CA%A5%C8%A5%B9
778神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 00:29:25 ID:QReHiuI8
自殺志願者で実際に死んでく人間って多いよね。
779神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 00:30:36 ID:QReHiuI8
なんか生命に異常に執着しているやつがいるな。
生命なんて力まなくても生きているんだから、
ことさら強調することでもあるまいに。
780神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 00:42:29 ID:cSfhKiuK
>>778
他人から殺されそうになると、必死で抵抗するはずだ。

>>779
生命は、宗教を含む「人間のすべての営みの根源」だということだよ。死者には
一切不可能。執着も悟りも、生命の機能に過ぎない。
781神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 00:57:35 ID:5dDIXOaL
>>777
> マゾヒズムという「異常心理」「精神病理」についての説明であり、健常者
> には関係ない。

死の欲動は誰にでもあるとされる。
死の欲動自体を認めない立場をとるのは自由だが、
定義自体を勝手に書き換えるのは異常。
782神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 01:06:07 ID:5dDIXOaL
>>780
>他人から殺されそうになると、必死で抵抗するはずだ。

そういうケースもあるが、そうでないケースもあるよ。
なんでそんなことも知らないのか。知らなかったとしても気づかないのか。
思いこみって恐ろしいな。
783神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 01:09:39 ID:cSfhKiuK
>>781
その文章は、書き込み者自身のコメント。他人の文献や見解をコピペするだけ
では、2chの貴重なスペースの無駄。書き込みには、必ず、自分の頭で考えた、
独自のコメントをつけること。

死の欲望が動物にあるかどうか、自分で公園に行って、小動物を観察してご覧。
どんな動物でも、懸命に生きている、生きようとしているではないか。
784神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 01:18:45 ID:cSfhKiuK
>>779
すべての人間は、「生きるために」、毎日一生懸命働いているのだがw。

僧侶も例外ではない。僧侶も、神父も、牧師も、占い師も、「職業」の
一つ。「職業分類」を参照されたし。
785神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 01:47:30 ID:5dDIXOaL
>>783
水族館の魚がガラスに猛スピードで突進して自殺したことがある。
水が濁ってきて、住環境がよくなかったことがストレスになり自殺に至ったと
言われている。

母親とはぐれた子ライオンは、体力が落ちてくるとやがて生きることを諦めてしまう。

シロナガスクジラなどはシャチに追われると年老いた一頭がわざと群れから離れて
シャチの餌食になり、群れを逃がすための時間稼ぎをする。

トルコでは1500頭の羊が次々に崖から飛び降りて集団自殺したことがある。
飼い主はその様子を見ていたが「為す術がなかった」という。

レミングスなどは集団自殺でよくしられている。

人間に従順であるとされる犬や馬が主の死後、墓の側から離れずに餓死したり、
餌を食べることを拒否して、死に至ったケースも多い。

イルカやクジラは自殺する。
http://www.irukakujira.com/theDolphin_01.htm
786神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 03:12:57 ID:sJyUBz7y
PCデータの何割を移し替えられたら、新しいPCは古いPCの生まれ変わりと
認定できるだろうか?
787神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 03:18:29 ID:cSfhKiuK
>>786
そんな例外的な少数例ばかり考えないで、圧倒的多数例についても考えるべき。
それが「大人の良識」「バランス感覚」というものだ。極端から極端へしか走
れず、その間に存在する無数のニュアンスについて考えることが出来ないのが、
すべてのカルトに共通する著しい特徴。

人間と同様、生存本能が破壊された極く少数例は、どの生物にも生じ得る。

しかし、やはり、自然を離れた人間に最も多いのではないか。それは「病気」
として、治療の対象になる。

レミングスの集団自殺は、否定されている。
788神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 03:25:49 ID:cSfhKiuK
>>765
それらの例は、積極的な死の衝動というより、むしろ、動物側の錯覚
や、生きる体力の枯渇、他を生かすという自己犠牲、利他の本能ではな
いかな。

それらの動物を人間が捕まえようとすると、やはり必死で逃げるはずだ。
789初心:2009/02/14(土) 06:08:09 ID:JgYLMbMo
>>746>>747
わたしも如来不説さんと同じように考えています。
各個人は各個人の人生を生きており、その人生の責任を取ることになります。
無責任な第三者が、その人に対し、ああしろ、こうしろ、というのは誤りでしょう。
それをわきまえた上での、意見交換であり議論でありたいと思います。
790初心:2009/02/14(土) 06:20:41 ID:JgYLMbMo
>>771 
>死ではありませんよ。自我を放棄することで
>逆に守られるのです。それを知っているからこそ
>「安心して」放棄できるのです。
 
自我を放棄した境地とは具体的にどんな味でしょうか?
791初心:2009/02/14(土) 06:46:32 ID:JgYLMbMo
>>769
>神通はニルヴァーナの境地として、またそこに到る経過としての必然的な結果であろうかと思います。
>ただし、精神的な成長がそれに相応しい状態にまで達しない内に神通に目覚めたり、神秘体験をしてし
>まうと魔道(左道)に逸れやすくなるのは間違いないのではないでしょうか。
 
わたしも同じように思います。ただ、魔道にそれるかどうかは、
体験にもより、真理の体験であればそれるはずがないのではないでしょうか。

>仏典においても、神通は自然な発達の結果として身に付くものとしてると思います。オウム教団のよう
>な意図的な神秘能力の開発に着手する行為などは破滅(破壊)への愚行でしょう。
 
大麻などによる幻覚は、神秘体験ではなく、異常体験でしょうね。
薬に頼るのは、根本的にばかげた考えだと思います。
神通力に関しては、そういった能力がないので、まだよくわかりません。

792初心:2009/02/14(土) 07:00:36 ID:JgYLMbMo
>>788
人間の<自我>なるものは通常、自分のことしか考えないものであり、
それは周囲の人間にとって迷惑であり、危険な代物にすぎません。
これによって、死の本能が証明されないでしょうか?
他人は基本的に、自分にとっての死神である、ということです。
 
ある人間の自我は
793初心:2009/02/14(土) 07:09:35 ID:JgYLMbMo
>792
最後の一行は消し忘れでした。
 
それから、スレの中に登場する経典からの引用にも、
考えさせられることがあり、参考にさせてもらっています。
794机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/14(土) 07:10:27 ID:pjlhSoQm
>>759
>おやおや、「書けない」とか言って語る気満々ですな。

695氏が、拙者に熱いラブ・コールを発信しておりますので、
拙者も引くに引けんのですよw
これから少しづつですか、695氏のリクエストにお応えして逝く所存であります。

>ただ、忠告しとくと「暇がなかった」ということにして、
>書き込まない方が良いと思いますよ?
>きっとボロがでるから。

おそれ入ります。
拙者は未達ゆえ、いろいろ御教示くだされまし。

では、道元の「生い立ち」の前に、遺偈から。
【口訳】
五十四年、我が生涯をあげて、この世界を仏法の光で照らしてきた。
吾我の跳梁跋扈を打ち砕き、言葉で仮構された全世界を突き破ってきたのだ。
いいか、大悟に入る究極のところを言おう。
おのれの身心のすべてを挙げて、求むるところなしとなるのだ。
そして生きたまま死ぬことなのだ。」
                     (つづく)
795机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/14(土) 07:11:27 ID:pjlhSoQm
(つづき)
道元の遺偈についてですが、これはどういう印象があるか?
拙者が思うに、やはり道元の人柄が如実に表れておりますね。
勤勉実直、模範解答、品格、育ちの良さなど・・・
率直に言いまして、優秀すぎてあまり面白味もない。
これで連想するのが神秀。

ではこれから、この遺偈(道元・享年54歳)にみる道元の生涯について書いて逝きます。

道元は育ちが非常に良かったことが想像されます。→これがキーポイント
ちなみに、
盤珪は腐った味噌でも食べる。
(また、盗人の疑いを掛けられ袋叩きに遭ったりする)
やはり育ちというのは、以後の人格形成に多大な影響を与えるのは必定であろう。

では「育ちが良かった」ことと「宮中参内」がいかに結び付くのであろうか?
このことに関して、
机が懇切丁寧に解説して逝きます。

(また、暇なときに書込みします)
796神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 08:45:13 ID:RZNoEcMi
>>794-795
自分だけを騙すための書き込みですね。悲しいものがあります。
797三代スレ170:2009/02/14(土) 08:50:56 ID:Iiy/Rghg
机さんへ
>道元は育ちが非常に良かったことが想像されます。
「想像されます」とか何を勿体ぶってるんだろう。
道元が貴種の生まれだっって言いたいんだろうけど、
「それが何?」って話だよね。
まあ、思わせぶりでない「衝撃の新事実」が出るのを待ちますか。


798机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/14(土) 08:53:21 ID:pjlhSoQm
(つづき)
前に書込みしてありました、
「牛車に乗って鎌倉に下向したんじゃないか?」。とかありましたが、
これについて解説いたします。

これは絶対に有り得ないのです。
そもそも「牛車」というのが理解されてない証左ですね。

京の都はご存知のとおり道路が整備されてまして、現在の舗装道路とまでは逝きませんけど、
牛車に乗れます。
(牛車に乗れるかどうか?は道路事情が関係してきます)
また最も肝心なのは、牛車に乗るのは公家なんです。
(まあ、この書込みを読んだ時点においてビックリなさるでしょうけど(大笑)

じゃあ、牛車に乗った道元は公家なのか?
って話になる(笑
まあ、普通はそこいらへんでピンと来るわけなんですが・・・

まあ、こういう話は誤解がないように、おいおいと粛々と語ちらねばなりません。
(また、暇な時に書込みします)
799初心:2009/02/14(土) 09:08:05 ID:JgYLMbMo
死の本能について
倶舎論の解説書を読んでいたら、持息観(数息観)と不浄観という修行が
重視される、とありました。ここで不浄観ですが、これを唯識で解釈すれば、
心の中の話であり、意識がマナ識とアラヤ識を観察する話です。
 
ところで、マナ識はアラヤ識を自分だと思い、アラヤ識に執着する識です。
つまり、不浄である究極はアラヤ識ということになります。
 
不浄とは死の汚れです。死体です。
言い換えれば、自分が自分の死体を愛していることになります。
これが<自我>と言われるものの正体です。
800初心:2009/02/14(土) 09:29:31 ID:JgYLMbMo
ヴァスバンドゥが、持息観と不浄観を重視したことから、
つぎのようなことが推測されます。
 
不浄なるものは死体、ゆえに清浄なるものは生命。
そして清浄なるものは、アラヤ識を超えたところに存在する。
それは持息観によって体験される。
そしてその清浄なるものこそ、アートマンである。
801695:2009/02/14(土) 09:48:18 ID:hWpreLyg
>793
おまえの妄想は聞き飽きたw
去ね。
802神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 10:14:36 ID:RZNoEcMi
>>800
『クシャ論』は唯識的韜晦も含まれと言われますが、
基本は、有部のアビダルマ教学をまとめたもので、
唯識理論は、表面的には現れません。

そして不浄観というのは、『クシャ論』では五停心観の一つとして行われます。
つまり、心を集中させる三昧のための準備行です。
不浄観というのは、性欲の対象を綺麗なもの、美しいもの、気持ちいいものとする習慣、本能を断つための方法です。
なぜ、断つかというとそれらに意識が散乱して集中できないからです。
それで、例えばあるスーパーモデルに執着しているなら、
その美しい肉体の皮を剥がし、人体解剖図のような醜い姿を観想し、
さらに内臓や血、排泄物、骨などから成り立っていると観想するなどして、
その執着を断つことをいいます。

持息観は、呼吸に意識を集中することで意識の散乱を断つ方法です。
両者ともアートマンとか自己愛といったこととは無関係です。
803神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 10:17:13 ID:RZNoEcMi
>>801
アンカーちがってませんか?
804初心:2009/02/14(土) 10:40:32 ID:JgYLMbMo
>>802
ありがとうございます。非常に参考になりました。
 
わたしの推測は無知からくる、まったくの個人的なものでした。
わたしの考えのようなものでした。訂正します。
805神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 11:13:33 ID:5dDIXOaL
>>787
> そんな例外的な少数例ばかり考えないで、圧倒的多数例についても考えるべき。

生の欲動があることは既に認められている。そのことはもう考慮済。無視しているわけではない。
そんな当たり前の例ばかり考えないで、少数のものにある意味についても考えるべき。

>レミングスの集団自殺は、否定されている。

ソース。

>人間と同様、生存本能が破壊された極く少数例は、どの生物にも生じ得る。
そう。どの生物にも生じる。
特定の生物にのみ発生する特例的現象ではないということ。.

> それらの動物を人間が捕まえようとすると、やはり必死で逃げるはずだ。

「はず」ばかりじゃないですか。
ウサギを電極の上にのせた実験では、もう人間が捕まえようと、
麻酔もなく手足を切断しようと、逃げるという気持ちすら起こらなくなることが
知られている。
806神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 11:40:23 ID:YZcafd1k
ホント毎日毎日仏教談義ご苦労様ですw



良寛さんなら呆れてそのヒマに子供たちと手毬をついておられるでしょうね。

ここには悟りにつながるひとつの言葉もないからです。
一句を持するに如かず

             では頑張ってお迷いください

                      草々
807神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 12:03:28 ID:8W3vp7FV
現在に釈迦と同等の覚者がいれば、古い経典に頼らなくていいから、
なんの問題も無い訳だけど、私はいると思っている。だけど、それには相当な見極めが必要。
808神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 12:13:00 ID:8W3vp7FV
よくよく考えたら人口は圧倒的に釈迦の時代より多いからね。おそらく何人かは覚者いるよ。日本に居るかどうかは知らないけど
809机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/14(土) 12:16:27 ID:AiJYNNWB
>>798のつづき
>じゃあ、牛車に乗った道元は公家なのか?
>って話になる(笑

公家の出身である可能性はありますね。
公家でしたら、普通に宮中への参内はあります。
しかしここはそう断定するには早計です。

もっと確信的要素がありませんと、机の虚言で終わってしまう。
一番の疑問は
「豪華な牛車を誂え」の部分ですね。
(しかも豪華な袈裟もありました)
公家であっても、なにも豪華である必要性はない訳ですから。
やはりここは机の虚言なのか?

暇なときに、牛車について詳しく解説します。
どうか楽しみにして下さいまし。
810神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 12:20:03 ID:B7st/EgO
>>805
>>レミングスの集団自殺は、否定されている。

>ソース。

ttp://www.skept.org/yota/lemming.html
811神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 12:27:05 ID:5dDIXOaL
>>810
目次しかないけど、これってレミングスの集団自殺神話の系譜について書いてあるだけで、
レミングスが集団自殺するのかしないのかという論文ではないのでは?
812神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 12:35:24 ID:5dDIXOaL
>>811
http://books.google.com/books?id=YIfEO4nvvLUC&pg=PA39&dq=Lemming%E3%80%80Suicide&lr=&as_brr=0&hl=ja&sig=ACfU3U3xF1QkpoykbYOTrr68Y5TereB6tA#PPA46,M1

自己レスですが、こっちに一応ソースあるね。レミングスの集団自殺は間違いでした。
ありがとう。
813机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/02/14(土) 12:38:22 ID:pjlhSoQm
>>809のつづき
>公家であっても、なにも豪華である必要性はない訳ですから。
>やはりここは机の虚言なのか?

貧乏人からすれば豪華でも、公家からしたら普通。
ってのはよくあることですから。
ただ、公家でもいろいろです。
名家でしたら、それなりの格式があって当然です。

では、道元の出生を調べねばなりませんね。
(また暇なときに書きます)
814神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 12:56:52 ID:gIiyxukU
>>789
>各個人は各個人の人生を生きており、その人生の責任を取ることになります。
>無責任な第三者が、その人に対し、ああしろ、こうしろ、というのは誤りでしょう。
>それをわきまえた上での、意見交換であり議論でありたいと思います。

あなたが、宗教者として、カルト被害の悲惨さに少しでも知識と関心を持って
おられれば、そんな「甘ったれたきれいごと」は言えないはずですよ。

人は、独りで生きているのではありません。先人を含め、無数の他者と事物
によって「生かされている」のです。その意味で、あなたの自我は「無」なの
です。

「個は、他との関連においてのみ存在し得る」。この「関係性(縁起・空)の
原理」こそが、釈尊が発見した、仏教全体を通じて流れる、比類の無い、偉大
な中心思想だと思いますよ。このことを知るのが、悟りであり、その悟りは、
「引きこもった、修行や神秘体験」などという「自慰行為」からではなく、
あくまで、「他者との係わり合いにおけるひたむきな生」という「一大修行」
からのみ得られるものです。

仏教の「空」をつきつめて考えれば、結局は「相互依存性・関係性」という
ことになります。

先にどなたかが引用された原始仏典でも、「身体と生命」のみは空ではないと
断言していますね。この「身体と生命」が、それ自体では存在し得ず、無数の
他者、他の事物に依存している状態が「空」なのです。

仏教者に、この肝心の「関係性としての空」の意味を、ちっとも理解しておら
れない方がいるのは、残念なことです。
815神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 13:11:45 ID:KytkXw4k
ほとんどソフィストの議論と変わらんくだらなさだな。
816神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 13:25:37 ID:gIiyxukU
>>815
くだらなかったのは、実は、ソフィストではなく、ソクラテスであった
ことに思い至ることが必要。

ソクラテスは、当時の有識者に対して、「勇気や正義や美とは何か」
について聞いて回ったが、みな、具体的な例を挙げるだけで、その定義
が出来なかったから、彼らを「無知」であるとした。

しかし、無知だったのは、ソクラテスの方。彼には、それらの「観念語」
は、「具体的な行為や事物」の属性に過ぎず、それらを離れては存在しえ
ないことに、思い至らなかったのである。

西洋思想の倒錯は、ソクラテスに始まる。彼は、精神異常の宗教者であった。
817神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 13:34:10 ID:hIyVcxM2


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪


輪廻転生など大真面目に説いている法門は、カルトだけ。教養ある現代人から
は相手にされない。カルトは「輪廻転生」で信者を「脅迫」「洗脳」しなけれ
ば、「営業」が不可能だからである。あるお坊さんに、信者が「来世は本当に
あるのでしょか」と聞いたら、「死んでみなくちゃ分らん」と答えたそうだw。

■すべての苦は、実は、生命を維持するための努力であり、必須のものである
ことを、理解しなければならない。

■ 釈迦は、何故苦を克服しようとしたか。「生きるため」である。 ■

「子供たちに教える場合にも困るので」とか言う前に、宗教板ではカルト・宗教

指導者達の宗教犯罪・被害・・等を失くすことの方が優先するでしょう!!☆

(*^。^*)


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪

818神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 13:36:53 ID:hIyVcxM2


■ 仏陀の時代は、脳科学も、生理学も存在しなかったから、無理も無いこと。
  これらの無知は、釈迦の責任ではない。しかし、その無知を正すのは、現代人の責任である。 ■


☆***************************☆****************★*****************************☆


./)/)     ■ ブッダは合目的的方便にせよ輪廻転生を物語ったということになっている。
(・ー・)ノ        しかし、ブッダ自体があるいは<壮大な物語>かもしれぬのだ。■
゚L-J      宗教の教義は<観念>で実証できず信じるだけということが問題!
              ニルヴァーナ・解脱・輪廻転生・・・を実証してね!


☆*****************************☆***************★*****************************☆


819神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 13:46:37 ID:7woe127h
>>816 >>817 >>818
いつもの隠居のワンマンショー。
あんたの下らない能書きに同意する人はいないよ。

自作自演は楽しいか?

あんたの書き込みには狂気を感じる。
あんたを総合失調症だと感じてる人は多いと思うよ。
あんたの病状は、だいぶと深刻なようだね。
気の毒に。
820695:2009/02/14(土) 13:49:35 ID:hWpreLyg
>813
>695氏が、拙者に熱いラブ・コールを発信しておりますので
あんたにラブコールなんて送っていないのだが。。。w
とにかくあんた、一般向けの本でもいいから一冊くらい道元の本でも読みなよ。
ネットの検索ばかりしてないでさ。
吉川弘文館『日本の名僧9 孤高の禅僧 道元』なら最新の研究も含まれているから。
金があるなら同朋舎出版『道元思想大系』全巻買って読め。

>では、道元の出生を調べねばなりませんね。
なんだ、自分の無知を告白しながら、同時に知ったかぶりをするのか・・・
あんた、あれだなw
道元の出自なんてもったいぶらなくても法蔵館の『日本仏教人名辞典』ですら載っているw
永平寺の寺紋がなんで久我竜胆なのか良く調べて報告しなさい。

>(また暇なときに書きます)
いつも暇なくせにw

それはそうと、「豪華な袈裟着て牛車に乗って宮中直参?」をまだ主張するつもりか?
次回までに資料出せなければ、あんた「妄想でした」と宣言することになるよw


821695:2009/02/14(土) 14:04:55 ID:hWpreLyg
机さんラッキーだね、もうすぐこのスレも終わりで
あんたの望む、「うやむや」だよw

しかし、今回の件でよく分かった
あんたが正真の障害者であることを、
それなら、追い詰めたことは謝らなければならないねw
俺も永平寺スレに戻るよw

最後に御山に3年居た俺の方が永平寺や御開山様については
あんたより遙かに知っている。
そんなに永平寺について知りたければ、『永平寺史 上・下』を読め。
非売品だけどな。

822初代スレ7:2009/02/14(土) 15:52:18 ID:k/W+MaUH
>>753
「情報のみの」「ヴァーチャル」預流果。。。

これまた痛いフレーズですねw


> (結局人は自分にとって痛切なことを思惟する傾向がある)。
確かにw
居酒屋とか(でなくてもいいけどwww)で、愚痴ることって、大抵、印象に残った・記憶に残った嫌なことだもんなw
一年365日考えたら、嫌なことって、そのうちのどれだけなんだ?と・・・。 いいことはなかったのか?と・・・。
嫌なことの方が憶えてるし思い出し易いよね・・・(^^;  (←日常的一般論ね)
(これも、「我見故に」思い出し易く・いつまでも憶えてるわけだが・・・。)


で、シッダッタにとっては、『この世界の、苦なる在り様』が痛切に感じられることであった、と・・・。
その意味で、御隠居の主張を100%否定はできないわけで・・・w
我々としてはまさに、「お釈迦さん、悩んでくれて有難う!」なんだが・・・。

そして、
『痛切に、現状を(今の、この自分の想いを)打破したい!と願う者に対して、法門は広く開け放たれている』。
そして、
『門をくぐる者を選ばない』。
『審査したり、基準に満たない者の入場を拒んだりはしない』。
そして、
『その門を必要とする者だけがくぐればよい』のだ、と・・・。
『くぐるだけで安心(あんじん)できなければ、私の所まで来なさい』と・・・。

だから「 ehi bhikkhu 」なのだ・・・。
823宝珠愚者:2009/02/14(土) 15:53:02 ID:QO7AWosA
次スレ建てました。10代目
こちらがいっぱいになりましたら、次スレでお願いします。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1234594095/l50
824初心:2009/02/14(土) 16:52:23 ID:KDMTIc++
>>823
新スレに感謝します。
 
宝珠さんが紹介してくれた小空経を読んでみました。
竜樹の空に比較したら、ずいぶんわかりやすいのですが、
最後に身体と生命が残っていて、それはどうなるのかと気になりました。
 
あと、繰り返される清浄という言葉ですが、大げさな印象を受けました。
不安が消えただけで、どうして清浄なのかと。
825神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 17:13:39 ID:BjMrpozi
>>822
>『痛切に、現状を(今の、この自分の想いを)打破したい!と願う者に対し
>て、法門は広く開け放たれている』。

仏陀の思想自体は、すでに「全人類に対して広く開け放たれている」。しかし、
仏教者が、仏典の片言隻語や余分な詳細の「言葉」に拘るあまり、現代人と
して、「全体に流れる中心思想」を理解できていないだけではないのかな。
826初心:2009/02/14(土) 17:24:33 ID:KDMTIc++
もう少し、唯識からアートマンを探ろうと思います。
ただ、唯識どころか、仏教の知識はほとんどありませんので、
まちがっていたら訂正のほど、よろしきお願いします。
 
アラヤ識は、輪廻を担い、業(輪廻の原因)は新しい生を誕生させることで、
業のエネルギーを使い果たします。
しかしエネルギーのなくなった業は一切種子と呼ばれ、アラヤ識の中に温存されます。
だから、アラヤ識は、まったくのゼロではなく、ひからびた業の温床、
とでも言うべき識なのです。
エネルギーを注ぎさえすれば、ゾンビのように生き返るのです。

827神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 17:27:29 ID:2jjUZcR4
>>826
言葉の中で考えているならば、永遠に壁は越えられない
828神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 17:32:52 ID:BjMrpozi
>>826
初心さんの、宗派はどこですか?
829初心:2009/02/14(土) 17:36:14 ID:KDMTIc++
>826 ×よろしき → ○よろしく
 
ところで、識の転変(展開)はアラヤ識から始まるので、
アラヤ識にエネルギーがなければ、マナ識・意識にもエネルギーはなく、
結局のところ人間が誕生しないことになります。
では、このエネルギーはどこからやってくるのか?
その答えがアートマン(魂)です。
830初心:2009/02/14(土) 17:40:34 ID:KDMTIc++
>>828
わたし個人は特にないのですが、菩提寺は曹洞宗です。
831神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 17:41:52 ID:BjMrpozi
>>829
アラヤ識やマナ識は、魂(精神、心)ではないのかねw。むしろ「そのもの」
ではないか。

証明できないことは、一切語ってはならない。単なる「空想」「妄想」
にしか過ぎないのだから。

君は、どこかのカルトだな。
832初心:2009/02/14(土) 17:54:23 ID:KDMTIc++
>>831
ご隠居さんでしょう? 考えていることが似ている気がします。
833tibyaku:2009/02/14(土) 18:08:50 ID:T/OlpYmQ
824>「不安が消えるだけで、どうして清浄なのかと。」の質問に
お答えいたします。

不安にかられた心は不安定で心が混濁すると心の奥底が見えません。
人の心を湖に例えてみますと不安や怖れは、豪雨や強風で湖面が波立
っている状態をさします。波立った状態では、湖の底が見えません。

人の心の奥底には真理の叡智の宝庫がございますが心が清浄でないと
見ることはできません。

例えば湖面が清浄で凪いだ状態ですと、湖面の底が透けて見えてまい
ります。日が射してきて清浄な透明な湖であればこそ、湖底まで見え
てまいります。

灰色の小石や黒い小石などがあり、そこに大きめの砂金の塊がキラキラ光
るのが見えてその砂金の塊をとることができます。

ゆえに人の心も清浄な透明感ある明鏡止水の境地の維続は悟りの醍醐味
を知るうえで清浄な心の持続の大切さを強調しています。
834初心:2009/02/14(土) 18:16:56 ID:KDMTIc++
アラヤ識の性格(相)が明らかになるにつれ、
 
アートマンの性格(相)もしだいに明らかになるのではないでしょうか?
 
まずアートマンは人間存在の究極である。
 
それは善悪を判断しない。無記である。
 
それはアラヤ識(汚れた識)を排除しない。
 
それゆえアートマンは反省・判断のない識である。
 
それはまったく汚れがない。アラヤ識が汚れ(業)を担っている。
835初心:2009/02/14(土) 18:29:01 ID:KDMTIc++
>>833
なんと読むのでしょうか? チビャクさんでしょうか?
言っていることは何となくわかります。砂金の塊は魂ですよね。
 
わたしが疑問に思ったのは、小空経で清浄さが何重にも積み重ねられることです。
積み重ねられていく清浄さは何か変だぞ、ということです。
なぜなら、前の清浄さは後の清浄さに劣るからです。
836初心:2009/02/14(土) 19:23:56 ID:KDMTIc++
このようにアラヤ識とアートマンを区別することで解脱が可能になります。
 
解脱とは意識・マナ識・アラヤ識を脱落させることです。
 
業の集まるところ、アラヤ識を脱落させないと解脱はありません。
 
脱落させた後に、アートマンになります。
 
しかしここで、困難な問題に直面します。
 
アートマンは自分を自分だと認識しないので反省がなく、
 
もとの体にもどってこないのです。その結果は、死です。死にます。
 
だからアートマンを体験しようと試みることは危険なのです。
 
837初心:2009/02/14(土) 19:39:52 ID:KDMTIc++
さらに妄想をたくましくすれば、
  
アートマンには識があります。見ることができ、触感もあります。
アートマンには想像を絶するような繊細さがあります。
嗅覚は不明です。言葉はないようです。
 
問題は、このアートマンをどうやって地上にもどすのか、ということですが、
それは抜け殻になった、意識・マナ識・アラヤ識の仕事です。
かれらがこだまのようにアートマンを呼び戻すのです。
 
結果、アートマンはもどってくるのですが、
ここから逆に推測するに、アートマンには聴覚があるということです。
こんな体験は自分から進んでやるものではないでしょう。
838初心:2009/02/14(土) 19:47:36 ID:KDMTIc++
アートマンは、呼びかけてもどるのだから、聴覚があるばかりでなく、
言葉も理解できるのかもしれない。
839宝珠愚者:2009/02/14(土) 20:04:52 ID:QO7AWosA
 『初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している。
・・・更にアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥られているのであるから、アートマンをア
ートマンと見なすことは、正しいことなのではないだろうか。聖典自身は明らかにこの立場を認めており、
原始仏教においては自己を自己として追求することが正しい実践目標として示されている。すなわち真実
の自己を求むべきことを勧めているのである。
 ところで《自己を(アートマン)を尋ね求める》ということは、実はジャイナ教においても説くところであり、
表現の文句まで一致している。のみならず歴史的に遡って追求すると、このような思想は、少なくとも表現
の文句の表面に関する限りは、ウパニシャッドにおいて「アートマンが探求せらるべきなり」と説かれている
のと全く軌を一にしている。「このブラフマンの都(身体)の内ある小さい蓮華の形をなす一住居----その
内部に小さな空処がある。その内にあるもの(アートマン)、それを尋ね求むべし。実にそれを知ろうと欲す
べし。」(チャーンドーギア・ウパニシャッド[.1.1) 
 ウパニシャッドにおけるこのような表現を原始仏教は継承したのである。そして原始仏教においては、「自
己を知る人」が尊重されているのである。
 「自己の利を知って常に自己に専念せよ。たとえいかに大事であろうとも、自己ならざる他のものの利の
故に、自己の利を捨て去ってはならぬ。」(ダンマパダ:166) 
 こういう表現は、古ウパニシャッドにおけるアートマン論と著しく類似している。』
(原始仏教---その思想と生活/中村 元著)


う〜ん、なかなかエラーでないね^^
840宝珠愚者:2009/02/14(土) 20:16:56 ID:QO7AWosA
参考:
「イーシャー・ウパニシャッド」--シャンカラの註釈
http://www.ne.jp/asahi/hindu/vedanta/upanishad/upa_top.html?=upa_body.html
841初心:2009/02/14(土) 20:31:40 ID:KDMTIc++
>>839
中村先生は、釈迦がアートマンを肯定していた、と考えていたわけですね。
竜樹は不明ですが、世親は肯定しています。
842神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 20:45:24 ID:RZNoEcMi
>>841
どこでですか?
843宝珠愚者:2009/02/14(土) 20:56:43 ID:QO7AWosA
>>841
はい!

 「無我=アートマンは存在しない」は後代の仏教者の間違いです。そのように述べた記述は実際、仏典
には一つも見つからないです。これは正しくは「非我」と訳されるべきものであり、「それら(五蘊)はアート
マンには非(あら)ず」としか述べてはいないということ。
 つまり、“アートマンでないものを自己と同一視することなかれ”と、ゴータマは教えたのです。我々の苦
悩の原因は、「自己(及び自己のもの)でないものを自己のものである」として固執しているところから生じ
ている、と。ゴータマがこのことを繰り返し説いているところから、非我の教えの重要さがわかります。

 このことは裏を返せば、アートマンをアートマンとして正しく見なすことは正見となるのです。ただ我々、凡
夫の問題は、アートマンを(正しく)知ることができないところにあるのです。
 ただし、ゴータマはアートマン性質については一切、語らなかったものと思います。それは、バラモンの説
くアートマン論には完全に同意しないからでしょう。そのことが「常見」(外道)の意味に含まれている。
844宝珠愚者:2009/02/14(土) 21:08:48 ID:QO7AWosA
 このように述べると、今までの仏教概念と相反するように映ります。

 もう少し脱線すると、近代ヒンドゥーのアヴァターラ、ラーマナ・マハリシの教えによれば、「輪廻転生は
真実か?」という問いに対しては、「無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生な
どまったく存在しない。いまも、いままでも、そしてこれからも。これが真理である。」
(あるがままに--ラーマナ・マハリシの教え/ナチュラルスピリット刊)

 とも、いっています。おそらく私は、ゴータマも同じ見解なのだろうと見ていますが・・。

 しかし、我々凡夫の問題点は、「輪廻はない」などと頭で思考したところで、来世への転生からは免れない
ということにあります。
845宝珠愚者:2009/02/14(土) 21:16:29 ID:QO7AWosA
 真実は、「輪廻はない」との見解は、シャンカラも同じことを述べています。

 『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性に
立ち帰るわけですが、その明智とは何なのでしょうか」と尋ねた。
  師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言っ
て、正反対に理解している。また行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、
(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)存在しない》(と、正反対に考えている)。-----
これが無明なのです。」』(シャンカラ/ウパデーシャ・サーハスリー:U散文篇.第2章.49-50)
846初心:2009/02/14(土) 21:31:29 ID:KDMTIc++
>>840
紹介してくれたイーシャーを見ました。難しいですね。
 
ざっと<見た>感じでは、アートマンを外側から描写しており、
 
内側から描写していないようですが・・・?
 
それから決定的なのが、アートマンの形ないものとしているようですが・・・?
847宝珠愚者:2009/02/14(土) 21:41:45 ID:QO7AWosA
 私にも理解は困難です。おそらく思考の範疇を超えた内容を示そうとしているわけですから、言葉にでき
ないのでしょう。読んでも難解です。

 アートマンは限定されないものであるから、「それは地でもなく、水でもなく、火でもなく、風でもなく、虚空
でもなく、それらの属性のいずれでもない。それは感覚器官でもなく、統覚機能でもない。」(シャンカラ)と
いうことで・・この表現の行き着くところは「空」の概念にも近づくものだと思います。
848初心:2009/02/14(土) 21:50:55 ID:KDMTIc++
>>842
世親がアートマンを肯定していた、のではなく、
アラヤ識による輪廻を肯定していた、のまちがいでした。訂正します。
 
解深密教には「我(釈尊)、凡愚に於て開演せず。彼れ、分別して執して
我となすを恐れればなり。」とあるそうです。
アラヤ識は輪廻を担っており、凡愚はこれをアートマンだと誤解するらしい。
わたしもその一員でした。
849神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 21:59:05 ID:RZNoEcMi
>>848
ですよね。初心さん、以下四冊をお勧めいたします。

水野弘元『仏教要語の基礎知識』
石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』
ポー・オー・パユットー『仏法』
ダライラマ『智慧の眼をひらく』
850神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 22:04:32 ID:hWpreLyg
>しかし、我々凡夫の問題点は、「輪廻はない」などと頭で思考したところで、来世への転生からは免れない
>ということにあります。

仏教的にはまったくその通りですね。
夢から覚めない限り、それが夢だとは気づかない。
たとえそれがどんなに非常識な夢だとしても。
夢の中で、それを夢と知るものは聖者である。
聖者は夢を菩提に変容させる。
851初心:2009/02/14(土) 22:08:20 ID:KDMTIc++
>>847
アートマンに形がなく、感覚がない、ということは奇妙ですね。
 
なぜなら、感覚がないなら、かりに自分がアートマンになったとしても、
自分がアートマンであった、という記憶が残らないからです。
 
あるいは、心の中にしても、自分の外側にアートマンを見ても、
形がないのだから、それを見ることはできないし、かりに見えたとしても、
感覚がないので、それが自分であると判断できないからです。
852宝珠愚者:2009/02/14(土) 22:09:42 ID:QO7AWosA
>>850
はい、全くその通りです。

やっぱり、「輪廻はない」のか〜。つまり、来世などはないのだ。とはいかない・・・。
その(輪廻からの解脱する)ために修行の必要を説くです。
その完成者のみが輪廻を止む。
853初心:2009/02/14(土) 22:14:43 ID:KDMTIc++
>>849
紹介していただき感謝です。
たしかに仏教用語辞典がないので難儀しています。
そのほかについても時間の余裕があれば検討してみたいと思います。
854宝珠愚者:2009/02/14(土) 22:15:34 ID:QO7AWosA
>>851
アートマンではない自己(低我)とアートマン(高我)との関係は、
1度、アートマンに自己意識が常住すると、
もう、アートマン以外のものは存在しない世界として認識されるのです。

その世界では、
 「自分がアートマンであったという記憶」や
 「自分の外側にアートマンを見ても」といったことすらもない。
ということなのでしょう・・。
855宝珠愚者:2009/02/14(土) 22:19:05 ID:QO7AWosA
>>849
さすがにしっかりと勉強してますね。

水野弘元『仏教要語の基礎知識』は、
20数年前に購入したのでしたが・・不徳の至りで消失しました(笑)
856神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 22:31:38 ID:RnTuwYE5
>>849
それらは、最新の研究書ですか。

「岩波仏教辞典」と並川氏の最近刊の「スッタニパータ」(岩波書店)
が抜けているのは何故ですか。学問では、「自分の意図」だけに合わせて
無責任な選択をしてはなりません。
857初心:2009/02/14(土) 22:42:38 ID:KDMTIc++
>>854
>アートマンではない自己(低我)とアートマン(高我)との関係は、
>1度、アートマンに自己意識が常住すると、
>もう、アートマン以外のものは存在しない世界として認識されるのです。
 
アートマン(高我)であるときは、アートマン以外のものは存在しない
状態です。しかしその状態が続いたら、日常生活はできなくなるので、
すぐにでも日常の意識にもどる必要があるわけです。
 
しかし、アートマンに感覚がないなら、
アートマン体験は記憶にまったく痕跡が残らないのではないですか?
たとえば熟睡しているときの記憶がないように。
だとすれば、そのアートマン体験は無意味ではないでしょうか?
そんな体験があったことさえも意識できないのだから。
858神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 22:53:40 ID:RZNoEcMi
>>856
研究書は一冊もありません。三冊は、入門書です。
文献学者と、テーラワーダ、大乗仏教の入門書です。
石飛先生の本は啓蒙書ですが、最新の優れた研究成果で、
中観と釈尊の正しい理解に繋がり、記述も平易だから加えました。

入門書の内、二冊は索引も充実していて辞典がわりとして使えます。
初心さんが文献学的研究を求めているとは思えないからです。

そして、文献学的研究のためにも並川さんの本は、決して薦めません。
その内容なら、荒巻典俊、榎本文雄、村上真完などの諸先生の本を薦めます。
「岩波仏教辞典」は読みやすいので始めはいいかもしれませんが、
『仏教学辞典』か織田得能先生の『仏教学大辞典』をお勧めします。
859初心:2009/02/14(土) 23:04:51 ID:KDMTIc++
アートマンに視覚があることは、
ウダーナヴァルガ26章26、27に書かれていませんか?
 
そして釈迦がそれを語れるのは、アートマンであったときの体験を
はっきりと覚えているからだろうと思うのです。
860神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:11:53 ID:RZNoEcMi
>>859
26-28,9 を見れば解脱の境地を表現していることが分かるでしょう。
そして、カラスさんお気に入りのウダーナ8-3も類似表現ですが、
それはネハンの境地と書かれています。
また、それらがどのような意味かが石飛先生の本に明解に書かれています。
861神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:16:13 ID:RnTuwYE5
>>858
>そして、文献学的研究のためにも並川さんの本は、決して薦めません。

輪廻転生に否定的だからですか。それは、学問的態度ではない。

昨日、超大型書店に行ったが、石飛先生の本は見当たらなかった。

文献学者でも、文献の言葉に固執するだけなら、文献の理解も期待しがたい。
そもその、古代の文献に、信憑性を前提とすること自体、研究の方法論として
誤り。

ダライラマが、大乗仏教の入門書?チベット仏教は、一般の大乗仏教とは、大幅
に異なっていて、オウムの精神的指導者として非難されている中沢新一が嵌った
カルトなのだが。
862初心:2009/02/14(土) 23:23:52 ID:KDMTIc++
>>860
石飛先生の解釈を簡単に紹介していただけませんか?
 
月や太陽がないと言う以上、これは目に見える光景ですよね。
それとも何かを象徴しているのでしょうか?
863神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:32:43 ID:RZNoEcMi
>>861
>輪廻転生に否定的だからですか。それは、学問的態度ではない。

並川さんの研究が優れていないからです。

>ダライラマが、大乗仏教の入門書?チベット仏教は、一般の大乗仏教とは、大幅
>に異なっていて、オウムの精神的指導者として非難されている中沢新一が嵌った
>カルトなのだが。

あの、なにも知らないなら評さないことです。
864神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:34:19 ID:RZNoEcMi
>>862
石飛先生の解釈は、論理の積み重なりが多くて簡単に書けないので、
本で読んでください。
865神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:40:40 ID:RnTuwYE5
>>863
>並川さんの研究が優れていないからです。

「優れていない」などと、主観的判断ではなく、客観的に、ぢこが優れて
いないかを指摘してください。学問の生命は、好き嫌いの感情ではなく、
客観性です。

あなたは、並川氏以上に仏教を研究された研究者の方ですか。

チベット仏教、オウム、日本の大乗仏教との相違点を、教えてください。
866神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:47:16 ID:RnTuwYE5
>>865
×ちこが優れていないかを
○どこが優れていないかを
867初心:2009/02/14(土) 23:52:05 ID:KDMTIc++
>>864
残念です。わたしは福袋を買わない主義なのです。
868神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:55:24 ID:RZNoEcMi
>>865
>あなたは、並川氏以上に仏教を研究された研究者の方ですか。

ちょっと学べば、誰が優れていて誰がだめかぐらいは、
研究領域が多少ことなっても分かるものです。

>チベット仏教、オウム、日本の大乗仏教との相違点を、教えてください。

チベット仏教と日本の大乗仏教、特に南都六宗と天台真言は基本的に変わりません。
違いといえば、チベットが論理学と中観を重視することと、
日本の大乗は、シナで発展した天台と華厳教学を重視すること、
そして密教で無上ユガがあることぐらいでしょうか。

オウムとの違いは、根本的に伝統的な聖者を師としていること、
三宝に帰依していて、シヴァに帰依してないこと、
縁起・空・無我の観法があって、アートマンを悟ると考えないこと。
以上の三つが根本的違いだと考えます。
もちろん、挙げればきりがありませんが。
869神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:57:48 ID:RZNoEcMi
>>867
別に買わなくても結構です。立ち読みなり、図書館で借りるなりして読んでください。
まあ、無理にとはいいませんけど。
870神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 00:20:54 ID:6MffNhoM
>>867
あれは福袋じゃなくてゴミ袋

あのオバハンのクズ本はカルトのプロパガンダ部門しか刷らなくなってる。
871tibyaku:2009/02/15(日) 00:35:16 ID:hcbHxOJz
835>初心さん 「砂金の塊は魂ですよね」鋭い認識力ですね。
そうです。砂金の塊は魂の仏性の輝きです。悟りが深まると仏性が輝いて
観えてきます。自他ともに仏性の輝きが観えてまいります。
清浄な心を継続して行く中で、清浄な満月の心に塵やホコリが付くと満月が
欠けて観えます。反省修法(八正道)で本来の清浄な心に戻して清浄なる心を継
続し日々積み重ねてまいります。

名前は気にしなくていいですよ。
872神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 00:37:52 ID:5mIuDQXR
>>870
そういう評価は、たぶん西洋論理学を無謬なものとする立場からでしょうが、
それはあまりにも浅薄するぎる見方と言わざるえない。

873神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 01:05:38 ID:M1YJ+yfc
まだ書き込める?
874神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 01:14:45 ID:6MffNhoM
>>872
何宙を斬ってんのw
カタギの版元軒並みボツのトソデモ本以下のゴミクソが東洋も西洋もあるもんか(プゲラ
875カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/02/15(日) 01:22:23 ID:6UlGGnDJ
>>860
だから俺もそれは境地だといってるんだよ。理解力の無い男だ。
ちなみに、初代スレ7氏の>>624の見解は間違いな。
聖書には、天と地ははしごで繋がっているという表現があってな。
涅槃とは、現象世界であるこの世と離れたところにあるのではない。
天も地も、表裏一体なんだよ。そしてその後、静寂がある。
初代スレ7よ。おまえも理解力が無い。
とにかく、自分は仏教を全く理解していないで、中論などのかぶれて
実は糞の役にも立たないただの言葉遊びで悦にはいっている
似非仏教徒達が絡んでくるのは不快だな。南無阿弥陀仏のどこがゴータマノ
仏教なんだよ・(大爆笑)おまえらこそ迷信でしかないじゃねぇかよ。
ま、せいぜい、中論を使ったただの言葉遊びと、南無阿弥陀仏と、無意味な念仏だけ
唱えて今生を無駄に生きるがいいさ。
876873:2009/02/15(日) 01:24:39 ID:M1YJ+yfc
ヴェーダーンタでは、個人は五つの「鞘(コーシャ)」(層)で構成される。
タマネギのように外側から剥いで自己の本質に迫っていく。

 ●粗大領域
  アナマーヤコーシャ(物質的な身体)
 ●微細領域
  プラーナヤーマコーシャ(情動的身体:活力、生気、生エネルギー)
  マノーマーヤーコーシャ(合理的、言語的な心的領域)
  ヴィジナーナマーヤーコーシャ(微細、高次の心的領域)
 ●元因領域
  アーナンダマーヤーコーシャ(スピリチュアル、超越的至福)

ヴェーダンタでは、この三つの存在領域を、

 ●日常的な覚醒
 ●夢
 ●深い夢のない眠り

に対応させている。こうした状態を超えて、絶対のスピリットがあり、これは、
粗大、微細、元因の三つの顕現領域ないし意識状態をすべて包摂し、かつ超越する。
ヴェーダンタの五つの鞘は、ユダヤ−キリスト−イスラームの、
物質−身体−心−魂−精神にほとんど対応する。
ここで魂は、私たちが成長できる最高のレベルであると同時に、
完全な覚醒、悟り、同一性に至るまえの最後の障壁である。
魂は、目撃される一切の対象から超越して立っているが、
いったんこの目撃者の位置を通過すると、魂(目撃者)はそれ自身は溶解し、
そこに非−二元的(ノンデュアル)意識の戯れだけがあり、
意識は対象を見ず、対象と一つになっている。
877873:2009/02/15(日) 01:25:03 ID:M1YJ+yfc
大乗仏教の中心的な心理モデルは八識である。

 ●最初の五識(五感)
 ●末識(感覚経験によって差業する意識)
 ●マナ識(切り離された自己という幻影の中心)
 ●アラヤ識(超個人的意識)

マナ識がアラヤ識を眺めると、それを分離した自己ないし実体のある魂と間違える。
こうした八つのレベルを超え、その源泉ないし基底として、
アーラヤないし純粋の空なるスピリットがある。

もちろんこれ以外にも、ホロン階層を教える、成熟した智慧の伝統はたくさんある。
最後の仏教モデルはもちろん唯識のモデルであるが、純粋の空なるスピリットは、
アマラ識に対応するといってよい。
ここに輪廻転生の主体とは何かという大問題を解くための鍵がある。

(ケン・ウィルバー 『統合心理学への道』 春秋社、2004年)
878宝珠愚者:2009/02/15(日) 01:42:57 ID:u1bhppBs
>>859
要するにそれは、
「光も闇も無い」といっており、これが視覚を意味することになるのかどうか?
879宝珠愚者:2009/02/15(日) 01:44:48 ID:u1bhppBs
この書籍の推奨はID:RZNoEcMiさんによるものであり、
もし、他にも推薦できる良書があると見なす人は、
(できれば理由を添えて)それを挙げれば良いだけではないのですか?
880神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 02:01:05 ID:gCd7mYet
視覚・聴覚そのものがあるというより、あらゆる情報が抽象化されて入っており
それらを構造体として認識することで視覚・聴覚的な情報を引き出しているにすぎない。
881神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 03:02:28 ID:Vi6avKZx
>>868
>縁起・空・無我の観法があって、アートマンを悟ると考えないこと。

やはり、アートマンを認めたのが、犯罪の原因の一つですね。ここのアートマン
信奉者も、本質的には、異ならない。
882神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 03:20:49 ID:Vi6avKZx
>>880
意味不明。
883神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 05:37:12 ID:p5kgHt/8
>>868
>ちょっと学べば、誰が優れていて誰がだめかぐらいは、
>研究領域が多少ことなっても分かるものです。

並川氏は、文献も踏まえた上で、原始仏典を、現代に適合するよう、合理的に
解釈しようと努力しているのですよ。あなたは、その目的のために、どのような
努力をしていますか。

輪廻転生をそのまま認めるなら、それはヒンドゥー教と全く同じで、仏教の意味は
ありません。従って、ここの、輪廻転生肯定者は、仏教徒ではなく、ヒンドゥー
教徒に過ぎず、オウムと同様、シバ神やイエスに帰依しているのです。

ヒンドゥー教は、宗教学的には事実上の「一神教」であり、一神教に次いで、殺
戮行為と争いが絶えません。「解放の虎」をごらんください。

バラモンの梵我一如も、極めて一神教的です。人間は、自然・宇宙の一部で
あり、すでに梵我一如の状態にあるのですから、ことさらそれを唱える必要は
ありません。

一神教とは全く異なり、仏教が2500年間殆ど人を殺さなかったのは、仏教
の「空・縁起・関係性」の思想と、釈迦が、「神や霊など、人間が考えても無意味
なものは考えるな」と戒めたことです。ここに、釈迦の前人未到の偉大さがある
のではありませんか。

忌むべき一神教概念を取り入れて仏教を汚染することは、現代人として、絶対に
赦されることではないのではありませんか。
884神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 06:31:13 ID:1mIsC+bs
日本の武士は神道よりは仏教に傾倒していたよ
密教系は戦勝祈願やるし
戦時の軍事教育は禅のスパルタ教育の影響はあるね
中国モンゴル日本人仏教全盛で殺しまくり
885神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 06:39:08 ID:1mIsC+bs
多神教はもちろん神道が殺戮を繰り返した
一神教のキリスト教徒は戦争拒否して自分を犠牲にした
日本の場合、一神教は平和志向、殺人拒否
886神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 06:47:07 ID:1mIsC+bs
日本は一神教がベストになってしまうなw
887神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 07:16:23 ID:X0Yv3WzM
中東情勢知らない馬鹿がいるな。
888神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 07:23:45 ID:1mIsC+bs
日本って言ってるだろうw
日本人には一神教ベストw
889神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 07:29:54 ID:1mIsC+bs
中東も多神教だった古代はもっと収集がつかない殺戮やってただろう
兵器が発達してたら悲劇だ
890神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 07:42:57 ID:5mIuDQXR
>>883
私は聞思修を中心として文献研究は二次的に行ってます。

>輪廻転生をそのまま認めるなら、それはヒンドゥー教と全く同じで、仏教の意味は
>ありません。従って、ここの、輪廻転生肯定者は、仏教徒ではなく、ヒンドゥー
>教徒に過ぎず、オウムと同様、シバ神やイエスに帰依しているのです。

不当な前提による判断です。なんども言うように輪廻を認めるのが仏教です。
あらゆる時、あらゆる地域です。現代日本の一部の学者のみが輪廻を認めないだけです。
あなたはただ輪廻を認めたくないから並川さんを支持してるだけでしょう。

>>189 に対して反証を出してください。

>の「空・縁起・関係性」の思想と、釈迦が、「神や霊など、人間が考えても無意味
>なものは考えるな」と戒めたことです。ここに、釈迦の前人未到の偉大さがある
>のではありませんか。

ただのあなたの思い込みです。釈尊は何度も神霊と対話してますし、
説法のなかにも神霊が出てきます。
関係性というのも、縁起そのものを捉えているのではなく、
あなたの妄想を投影してその枠で語っているだけであることは何度も論証したはずです。

テクストに基づかない常識教の宣伝はいいかげんに止めていただけないでしょうか。
891神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 08:11:38 ID:X0Yv3WzM
>>889
可愛そうな子。もう少し社会情勢や世界の歴史を勉強しましょうね。
892神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 08:25:11 ID:1mIsC+bs
くどいな日本語の読み方の勉強しろよ
日本人には一神教がベストだね
多神教神道と曹洞宗の規律が混入すると最悪

中東が一神教キリスト教でまとまればまた違う方向に進むだろう
中東は宗教問題というより民族問題


893神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 08:54:25 ID:X0Yv3WzM
猿のブッシュと同レベル(笑)
894神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:02:18 ID:1mIsC+bs
日本人の歴史上
一神教キリスト教徒が戦争暴力を拒否し
多神教神道、仏教徒が戦、戦争を繰り返した事実
ブッシュ関係ないだろうw
895神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:10:52 ID:gCd7mYet
韓国なんかにはキリスト教が浸透して国民の半数くらいがキリスト教化されたけど、
日本には結局それほどなじまなかったという現実はあるね。
GHQの政策でも音楽教育を通じてキリスト教化しようという話があったとかなかったとか
いう話があるけど、いずれにせよ日本はそれほどキリスト教化はされていない。
現実としては韓国ほどには向いていなかった、と考えていいと思う。
日本には古来の神道と、そしてそれに合った仏教の形が合っていたということ。
896神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:18:16 ID:1mIsC+bs
話の筋道をずらしてごまかしてはいけない
仏教は殺しをやらなかった
多神教は平和的
これは日本に限っては誤りだという話
897神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:24:49 ID:gCd7mYet
>>896
話をずらしてるのはそっちで、こちらは日本人にとって
ベストではなかったという事実について指摘しているわけですよ。
898神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:28:11 ID:gCd7mYet
大体、完全にマイノリティで人口自体ほとんどなかったキリスト教徒は
日本史に登場できるほどの力さえなかったのに、戦争してなかったとかいって
仏教と比較してくるのはちょっとおかしくね?
899神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:35:39 ID:X0Yv3WzM
ヨーロッパの歴史を知りませんね。殺しとかいうレベルじゃない。
民族丸ごと皆殺し、ジェノサイドの歴史ですよ。
最近ではナチスドイツかな。
900神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:41:12 ID:1mIsC+bs
話の筋道をずらしてごまかしてはいけない
仏教は殺しをやらなかった
多神教は平和的
これは日本に限っては誤りだという話
キリスト教徒は戦争拒否
901神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:47:42 ID:1mIsC+bs
要は一神教だけ戦争するなんて誤りということ
902神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 09:58:50 ID:X0Yv3WzM
一神教がたいして広まっていない現在の日本は平和です。以上。
903神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:03:57 ID:1mIsC+bs
仏教、神道の影響が強かった頃の日本は平和じゃなかったです
904神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:13:04 ID:5mIuDQXR
>>903
仏教は暴虐な王を寛容に変えるというのは事実。
アショーカ王、カニシカ王、石勒、石虎、
チベットやモンゴルの仏教が定着する前後を見ればあきらか
905初心:2009/02/15(日) 10:20:04 ID:67lmI6+f
>>878
>要するにそれは、
>「光も闇も無い」といっており、これが視覚を意味することになるのかどうか?
 
それではアートマンをもう少し検討しますね。
アートマンは、アラヤ識の先にある、究極的なものです。
 
かりに究極的なアートマンに識がないとしましょう。
そうすると、アラヤ識もマナ識も識を持たないことになります。
そんなことはありません。識を持っています。
 
それゆえアートマンに識があることが推測されます。
つまりアートマンは、実際には、識と呼ばれるべきものだということです。
 
究極的な、根源的な識を持つ。それがアートマンです。
それゆえアートマンには、視覚・聴覚・触覚などがあります。
 
906神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:32:03 ID:sZKQ5/if
>>900
>キリスト教徒は戦争拒否

彼らの「母国」であるキリスト教国を擁護しただけの話。日本の国土をキリスト
教国に「献上」しようとした、イエスで狂わされたキリシタン大名たちの姿を
見よ。
聖書をいささかでも批判的に読めば、イエスの「我のみ良しの思いあがった
独善性」「あるがままの人間そのものに対する愛の欠如と人間差別」「自分を
信じない者に対するあくなき憎悪・批判・排斥」、「創造(あるがままの人間
と自然)に対する畏敬の欠如」が、彼以降の世界のすべての大殺戮の背後に
あることがわかる。
新旧両派間の血を血で洗う殺し合い、ヨーロッパの人口の三分の一が失われた
30年戦争、十字軍、魔女裁判、南米の原住民の皆殺し、アイルランド紛争、
旧ユーゴでの、一神教入り乱れての陰惨極まりない殺し合い。皆、「自分が
して欲しいこと(イエス信仰)を、他にもなせ」という、イエスの誤った
「エゴの押し付け」の「教え」がその最大の原因。イエスが、口にすべきでな
い愛を口にしたため、肉体的本能としての愛が観念化、抽象化、精神化されて
破壊され、偽善となってしまったからである。
アラブの自爆テロリストたちも、キリスト教からの改宗者が多いと、現場で調査
を行ったジャーナリストが、その著書で述べている。
マルクス、ヒットラー、スターリン、皆クリスチャン。現代のアフリカに
おける大虐殺の主導者も、皆キリスト教のリーダー。先の大戦も、日本が
キリスト教諸国の武力による威嚇に耐えかねて「やらされた」ものだと解する。
日本が中国で手こずったのも、クリスチャン宋美齢が米国の協力を取り付けた
から。
輪廻転生肯定者が大好きな中村元博士も、その著書で、一神教を極めて激しい
口調で非難している。
このスレは、キリスト教の影響を受けた者たちによる、仏教をカルト化し破壊する
目的のためのスレだと思われる。
907初心:2009/02/15(日) 10:33:26 ID:67lmI6+f
さらに、アートマンに感覚があるということは、
アートマンに形があるということです。
 
なぜなら感覚は、自分以外のものを識別する能力です。
自分以外の、認識されるべき対象を、前提にしています。
 
つまり、アートマンの周囲には、何かしらの場があり、
アートマンは形を持って、その場の中にいる、ということになります。
 
アートマンには、形があり、感覚もあります。 
908初心:2009/02/15(日) 10:41:20 ID:67lmI6+f
ではその場は何か、ということになります。
 
究極的なアートマンが存在する場とは、
アートマン以上に究極的なものでなくてはなりません。
そんなものは神以外になく、神の領域である、ということです。
 
つまるところ、アートマンだけでなく、神が存在し、
アートマンと神とは別の存在だということです。
 
アートマンは神を見ているのです。
909神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:47:02 ID:5mIuDQXR
>>907
私があの四冊を勧めたのは、基本的な仏教の全体像を知った方がいいですよという意味です。
そこに書かれてあるような基礎知識なしに仏教を考察しても誤解するだけですよ。
どれか一冊だけでいいですから、読んでください。
910神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:49:02 ID:sZKQ5/if
>>908
釈迦は、「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな。涅槃に
到らず」と戒めていますが。

あなたも、キリスト教の影響を受けているのですか。他の宗教でも、キ
リスト教の影響があると、「例外なく」カルト化します。
911初心:2009/02/15(日) 10:54:04 ID:67lmI6+f
では神とは何か?
 
それを表現したものが、夜もなく昼もなくという釈迦の境地です。
そこには神しかいないので、アートマンは神ではないのですが、
アートマンの内容は神的なもので満たされます。
 
その心的なものが生命です。つまりアートマンは生命です。
そして、アートマンとは別の存在である、神も生命そのものです。
つまり神は<形のない生命>そのものです。
912神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:56:49 ID:sZKQ5/if
>>909
「基本書」としては、かなり偏っているのでは。あなたの主張に合う
ものだけを、意図的に選択した感じ。仏教の入門書・概説書としては、
他にも多数あるはずだが。
913神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:58:19 ID:QNICoND+
>>908
>アートマンは神を見ているのです。
アートマンと神が“ある”(実在とは限らない)ことをまず実証してから語れや。
どこの馬の骨が書いたか、正確性の保証もない経典(如是我聞フレーズでOK)に書かれているでは
何の実証にもならん。

妄想に付き合うのはムダで迷惑だ。


914神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 11:00:10 ID:5mIuDQXR
>>910
十/十四無記にそんな内容はありませんし、
そのような文を述べた経典、論書を見たことがありませんが、
引用していただけますか?
915初心:2009/02/15(日) 11:01:17 ID:67lmI6+f
では生命とはどんなものか?
 
これが経典で言われる、清浄なるもの、とい形容でしょう。
ひたすらな清浄さであり、底抜けの清浄さということでしょう。
 
これが経典で、なぜ清浄さが繰り返されるのかという答えです。
アートマン、ニルヴァーナの境地は清浄なのです。
916神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 11:02:51 ID:5mIuDQXR
>>912
石飛先生の本だけは、特殊ですね。
他三冊は極めてオーソドックスです。
特に水野弘元先生の本は、識者なら誰もが認める最高の入門書です。
917神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 11:14:27 ID:sZKQ5/if
>>914
釈迦は、この世界さえ無だと言っているのだから、「神や霊」の実在
など認めたら、彼の論理は一発で破綻しますね。
918初心:2009/02/15(日) 11:19:33 ID:67lmI6+f
ニルヴァーナという清浄なる場所に、
この世のような、粗雑な月や太陽があるはずがないのです。
 
汚れたアラヤ識の不浄さと、まったくの正反対である清浄な場所。
これが経典で言う彼岸ではないでしょうか?
 
では死を超えて彼岸に行く、と語られるところの<死>とは何か?
死とはアラヤ識です。
919初心:2009/02/15(日) 11:24:12 ID:67lmI6+f
>>913
理証です。簡単に言えば、推測であり推理です。妄想かも。
920神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 11:36:32 ID:5mIuDQXR
>>917
仏教は自分自身の実在も認めません、神霊も実在とはいいません。
縁起するものです。世間的言い慣わしに従って「私」とか「ある」というだけです。

無ともいいませんね。いつもながら全くなにも理解してないし、
なんの進歩もない方ですね。
921神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 11:39:00 ID:5mIuDQXR
>>919
理証を行うためには、最低限の知識が必要だと思います。
誤認を前提に導かれた結論が誤りなのは明らかなことです。
922神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 11:40:11 ID:sZKQ5/if
>>919
推測、推理でも、その「事実上の根拠」は常に必要ですよ。仮説でさえ、一応
の根拠を必要とします。

あなたの場合、100%の妄想なのでは。
923初心:2009/02/15(日) 11:42:39 ID:67lmI6+f
>>910
>釈迦は、「神や霊など、人間が考えても無意味なものは考えるな。涅槃に
>到らず」と戒めていますが。

>あなたも、キリスト教の影響を受けているのですか。他の宗教でも、キ
>リスト教の影響があると、「例外なく」カルト化します。
 
仏典も聖書も参考書のようなものではないでしょうか?
 
たしか孟子が、体験しただけでもだめだし、学んだだけでもだめだし、
考えてばかりいるのもだめだし、とか言ってたような。
924神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 11:45:04 ID:sZKQ5/if
>>920
あなたの考える、「仏教の中心思想」とは何ですか。現代の常識人に
分る言葉で、ご説明願います。

このスレでは、さっぱり分らないし、議論さえなされていません。
925初心:2009/02/15(日) 11:54:08 ID:67lmI6+f
>>917
>釈迦は、この世界さえ無だと言っているのだから、「神や霊」の実在
>など認めたら、彼の論理は一発で破綻しますね。
 
小空経では、空でないものとして最後に、身体と生命が残るようです。
926神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 11:57:52 ID:5mIuDQXR
>>924
縁起、空、無我です。

このスレで中心課題でないのは明らかでしょう。
テーマが違います。ですが、何度か論じられてきたと思います。
その問いもあなたなのではないでしょうか?
それに何度答えてもあなたは、自身の憶説以外に目を向けようとしないから
目に入らないか、覚えてないか、それともただ詭弁を述べるだけなのか分かりませんが。
927神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 12:08:28 ID:sZKQ5/if
>>926
>縁起、空、無我です。

これらも、現代の常識人に理解できる言葉で、ご説明お願いします。

解釈について、仏教界では、異論はないのですか。

「輪廻転生」という言葉は、「仏教の中心思想」には含まれないのですか。

928神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 12:12:27 ID:rtltrdtn
>>908
神?w アートマンは「個の根源」
ブラフマンは「宇宙の根源」

この二つは等価とされるが、理屈で言えばアートマンはブラフマンの
内(場)にあると解することも出来る。
929tibyaku:2009/02/15(日) 12:24:59 ID:/nOKkJ27

あの世の天上界は霊太陽があります。この世の太陽ではありません。

私たちの心の内に満月があります。この世の月ではありません。

 
930神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 13:01:26 ID:gCd7mYet
>>901
誰もそれ否定してないから心配するなよ。
なに必死になってるのかしらないけど、
多神教世界でも戦争はしてるよ。安心しな。

ただ一神教がベストってのはおかしいね。
それだけの話。
931神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 13:05:00 ID:s7P4d19y
仏教は確かに争いごとが少ない印象があるね。総人口が少ないからかな?
932初心:2009/02/15(日) 13:08:18 ID:FfSyuasz
>>928
ヒンズー教では、ブラフマンは宇宙真理を意味していたかと。
宇宙真理はこの世の真理であって、生命ではなく、
生命を本質とするアートマン、神とは異なる概念ではないでしょうか?
 
シャンカラの不二一元論は誤りだと思っています。
933初心:2009/02/15(日) 13:12:24 ID:FfSyuasz
>>929
月もなく太陽もなく、という意味は、
霊的な月と太陽があるという意味なのでしょうね。同意します。
934神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 13:18:58 ID:gCd7mYet
>>931
東アジアで見ると、少なくとも唐代なんかでは仏教の総人口は多かったと思う。

仏教も各派に分かれてもだからといって宗教裁判や異端審問のようなことは
比較的起こりにくく、各派があるていど仲良く共存していることが多い気がする。

要は悟りに向かうのが目的だから、
どういう経路で悟りに行こうとしてもいいと思ってるんだよね。
悟りに向かうものは全部仏説という認識だね。

神道とか道教とかあっても、そのことが悟りに向かうことを妨げるわけじゃないから
特に排撃する必要もないんだろうしね。
935初心:2009/02/15(日) 13:19:12 ID:FfSyuasz
小空経では、なぜ身体と生命を、空論の外に置いたのでしょうか?
 
これは相当に重要なことかもしれません。
 
これはもしかして、空論の射程を語っているのではないでしょうか?
 
つまり、空論は道具である、ということです。
936神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 13:21:02 ID:gCd7mYet
>>932
宇宙真理 万物の法則
アートマン 生命の本質の構造

生命の本質の構造は、万物の法則によって成り立っているが、
万物の法則自体はアートマンの構造を成り立たせているのと同質の
叡智によって成り立っている。
937初心:2009/02/15(日) 13:28:23 ID:FfSyuasz
空論の射程は、言葉の世界・・・主として意識の世界に止まるのでは?
 
しかし実際には、意識の先に、マナ識、アラヤ識が存在するのです。
 
これが空論と唯識の関係ではないでしょうか?
938初心:2009/02/15(日) 13:32:24 ID:FfSyuasz
空論の最大射程は、言葉(意識)が消えるところ。
939神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 13:35:01 ID:gCd7mYet
空によって、縁起によるもの、無常のものを破壊していくと
破壊できないもの「金剛」が残る。
空の経典にはそのことの示唆はある気がします。
940初心:2009/02/15(日) 13:41:20 ID:FfSyuasz
>>936
何か、わたしと似たような話のような気もしないではありません。
 
生命は作ることのできないものであり、
その構造を明らかにすることは永遠にできません。
しかしこの生命を叡智と呼ぶなら、似ていないでもないです。
941初心:2009/02/15(日) 13:53:20 ID:FfSyuasz
>>939
この話は参考になりました。
>>929
霊的な月と太陽とは適切な比ゆだと改めて感心しました。
942神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 13:55:22 ID:Q96Aw3rM
>>939
空を破壊することは出来ない
943神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 14:19:17 ID:rtltrdtn
>>923
もう少し頭のいい人かと思ったが・・・残念。
分からないなら、まず調べろ。頓珍漢な返答をするな。
944神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 14:40:09 ID:p5kgHt/8
>>935
>小空経では、なぜ身体と生命を、空論の外に置いたのでしょうか?

確かに、「すべては空」と言いながら、例外を設けたのでは、もはや「空」
ではない。

しかし、「空」を考えているのは「身体とそれに内在する生命」の機能に過ぎず、
その「身体と生命」が、万物との相互依存・関連においてのみ存在している
状態を「空」とすれば、すべての矛盾は解消する。
945神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 15:06:06 ID:p5kgHt/8
>>944への追加

そして、その身体自体も、無数の分子、原子、電子及び多数の器官の相互依存
と関係においてのみ成立・存在している。従って、無自性・無我である。
946神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 15:45:14 ID:gCd7mYet
>>883
> ヒンドゥー教は、宗教学的には事実上の「一神教」であり、一神教に次いで、殺
> 戮行為と争いが絶えません。「解放の虎」をごらんください。

解放の虎というのはタミルイーラムのことでしょうか?
スリランカの独立運動の組織としてそういうものがあることはわかりますが、
だからといってこれがヒンドゥー教を代表しているようにも思えません。

ヒンドゥー教は民俗宗教、典型的な多神教として一般には知られているように思います。
シヴァ、ビシュヌに対する信仰は厚く、最低でも二柱の神は重んじられているように思いますが
宗教学的に事実上の一神教であるとされているのであれば、その事情についてご説明願います。
947初心:2009/02/15(日) 16:33:01 ID:RevJtCcT
>>936 
ブラフマンとアートマンの一致を説く、
シャンカラの不二一元論をあれから考えていました。そして見えてきたのは、
シャンカラの話の根底には関係性があり、縁起があり、
空があるのではないかということです。
 
真実と現象を一体に見る、華厳経の不二一体は、
シャンカラの不二一元論によく似ているのではないでしょうか?
華厳経の場合は当然、空論に基づく不二一体ですよね。

948初心:2009/02/15(日) 16:38:31 ID:RevJtCcT
>>944>>945
ご隠居でしょうか?
すべてを関係性でとらえる視線は、シャンカラや華厳経と同じであり、
煩悩即菩提ではないでしょうか?
949神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 16:43:20 ID:6MffNhoM
隠居って暇人とかいう鼻摘み物の腎虚の淫嘘のこと?
950初心:2009/02/15(日) 16:44:28 ID:RevJtCcT
>>943
申し訳ない。基本的スタンスとしてアバウト、無責任です。
あとで訂正することにしています。
951初心:2009/02/15(日) 16:50:08 ID:RevJtCcT
>>949
ここでは無自性空の旗頭です。
952神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 16:52:52 ID:gCd7mYet
>>947
シャンカラは縁起・空はふまえていると思います。
953初心:2009/02/15(日) 17:01:35 ID:RevJtCcT
>>952
そうですよね。シャンカラは竜樹などより後世の人ですから。
疑問が解けました。それなら不二一元は理解できます。
954宝珠愚者:2009/02/15(日) 17:48:41 ID:u1bhppBs
>>947>>951
 シャンカラは「隠れ仏教徒」とも評されている方であり、シャンカラは仏教も学ぼうとして仏教徒に変装し
て精舎に入り込んだことがあったといわれています。もちろん“当時の仏教徒”の主張は把握しています。

---面白い書評を紹介
 『シャンカラの論では、仏教思想は大きく三分される。一切は実在すると説く「説一切有部派」、識別作用
のみがあるとする「唯識派」、すべてが空であるとする「空論派」である。
 シャンカラ自身の思想はというと、『ウパデーシャ・サーハスリー』(岩波文庫)などに書かれていることから
すると、「唯識論」に近いと思われるだけに、みずからの思想に近似している仏教の学説を批判していくあ
たりは、実に微妙で、しかも論理のたたかいが最高度に洗練されている観があり、読んでいて手に汗にぎ
るほどスリリングでチャーミング。その前の実在派否定は、カントがあっさり実在論を論駁した手つきにも似
て、冷やかでクール。さて、次の「空論派」となると、インド論理哲学史上、シャンカラに匹敵する高峰たるナ
ーガルジュナ(龍樹)批判になるはずで、これは見逃せないと思ったところが、シャンカラは「空論派はそもそ
も最初から矛盾しているので批判に値しない」と一行で退けて、直接たたかうことを避けている。これはうが
った見方をすれば、最大の強敵のナーガルジュナだけは、サウザーとのたたかいを避けたラオウのように(?)
回避したと見ることができる。しかし、すべてが空であると言明したときに、その言明もまた空ではないかと
反撃されて、空論派はそもそものよりどころを持たないという初歩的な弱点があるため、シャンカラはそこを
突けばよしとしたのかもしれない。』
http://homepage2.nifty.com/kkomori/doku0402.htm
955神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 18:00:02 ID:QNICoND+
 ほんとに、根拠のない妄想、推測ばかりだな。
カルトそのもの、、またはカルト一歩手前だ。
戯論=ケロンパばかりだ。
だから、宗教人はバカにされる。

ご都合主義的妄想ならいくらでも語れる。

俺もカルト教をでっちあげるか。
儲かるぜ。
活動休止中の宗教法人を安く買い叩けばOKだ。

とくに密教系はやりやすい。
ご利益満載の約束手形なんていくらでも切れる。
ご利益実現がなければ、輪廻業からの解脱のための修行とお布施が足りんでごまかせる。

ホント、いい商売だ。
956神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 18:01:17 ID:X0Yv3WzM
いや、これ仏教じゃないから・・・・
957宝珠愚者:2009/02/15(日) 18:24:19 ID:u1bhppBs
>>927
 仏教の独自性と特徴としては、「縁起・空・無我」に異論なしです。ただし、これらは仏教辞典を開いて、
ただ知的に理解するというのが仏教の目的ではないということ。
 仏教の目指す目的は、あくまでも業報輪廻からの解脱です。「縁起・空・無我」はその目的についての説
明なのです。その業報輪廻とは、来世の生まれ変わりを当然この中に含むので、どうか誤解の無きように
お願いします。仏教の目指す目的は、---輪廻転生からの解脱---です。目的を見失うことのないように!

 従って、仏教はバラモン/ヒンドゥー共にその目的は同一なのであって、若干の理解と方法論の違いがあ
るだけです。輪廻(転生)を説いたらヒンドゥー同様の外道だ!などというのはとんでもない暴論です。基本
的な前提について確認を宜しく。

 あなたのいう「現代の常識」なるものは仏教が否定する「無知」のことです。どうしても輪廻転生を迷信とし
て排除する主張を説くのであれば、私からも>>189 対するあなたからの具体的な反証を希望します。
958宝珠愚者:2009/02/15(日) 18:50:59 ID:u1bhppBs
追記:
 仏教の目指す境地は、輪廻からの解脱であるところのニルヴァーナです。この仏教の教えから輪廻転生
だけを排除しようなどという主張は、一切まかり通らないということ。どうしてもそれが納得できないという人
は、「仏教は迷信を説く妄想であるから信奉しない」と主張すべきです。それはその人の自由ですから。
 仏教徒も仏教の教えで世界征服を目論んだりはしない。納得した個人が修行に入るだけのことです。
959宝珠愚者:2009/02/15(日) 18:57:27 ID:u1bhppBs
 ゴータマはそれ(輪廻転生)を説かなかったのだが、後代の仏教者が経典中に盛り込んでいった・・。という主張をする方については、どうぞそれを論証して下さい。
 スッタニパータの最古層、以外はまるで無意味であるかのような意見にも同意しかねます。他の経が偽経だとするなら証拠を提出して下さい。輪廻を説く記述が後代になって増加するという意見も、証明にはなっていません。

以上、宜しくです。
960初代スレ7:2009/02/15(日) 19:08:32 ID:7IYeOjwf
宝珠氏よ。
それらは、本来次スレに書き込むべきだな。
すぐにDAT落するだろうスレに書き込んでもしゃーないw
辿るのが面倒になるだけだ。
(ワシは専ブラだから「“レスの”URL」で無問題だが・・・w)
961初代スレ7:2009/02/15(日) 19:25:49 ID:7IYeOjwf
老婆親切で補足しとくか・・。

今現在、既に次スレは建っている。
スレに勢いがあったとしても、しばらくはもつだろう。

もし、読んで欲しいと思う相手が、
数日或いは長期間スレを覗けない状況にあったらどうする?
彼等が戻ってきた時、君が書き込んだスレがDAT落ちしていたら、
たとえ彼らが専ブラを使用していても、気付かないだろう。ログを保存する前にDAT落しているのだから。

勿論、流れや巡り合わせのことだから、次スレすら見失うことも2chでは茶飯事だ。
だが、今は既に次スレが建っている。
始まったばかりのスレに書き込んでおけば、閲覧される可能性は飛躍的に上がる。(100%と言ってもいいくらいだw)
気付かせるにしてもアンカーを記すだけで済む。

この辺の機微というか心遣いも、ねらーのスキルだぜw
「ねらー」はオーバーにしてもwww、ココ(2ch)で議論を続けたいなら、気にしていてもいいポイントだと思う。


気付かれなくても(読んでくれなくても)構わない、すぐに流れてしまって構わないレス、
(寧ろ気付いてほしくないレス)であるならば、話は別だが・・・w
962初心:2009/02/15(日) 21:46:17 ID:rR1c08R5
>>954
シャンカラの話、勉強になりました。
わたしは不勉強で、不二一元論という言葉に反応しただけです。
華厳経の不二一体に関しても同様です。
背景に空論があるというレスがトンチンカンでなくて安心しました。
963初心:2009/02/15(日) 22:34:14 ID:rR1c08R5
生まれ変わり・・・アートマンとアラヤ識の関係
 
1 アラヤ識は業を担っており、それは汚れた不浄な識である。
 
2 アラヤ識は、新たに誕生することで、業のエネルギーを使い果たす。
  すなわち断滅する。
 
3 しかし新たなアラヤ識が業の受け皿として誕生する。
  そしてここに古い業の一切種子が蔵される。
 
4 アラヤ識はこのように、生滅しながら、輪廻を繰り返していく。
 
5 アートマンは、アラヤ識のこの生滅を、断絶することなく支える。
 
6 アートマンこそ、根本の識であり、清浄なる真我である。
 
7 生まれ変わりは、アラヤ識(死)とアートマン(生)によって支えられる。
964初心:2009/02/15(日) 22:48:17 ID:rR1c08R5
アートマン体験の難しさ
 
意識・マナ識・アラヤ識の先にアートマンが存在する。
したがって、これらの識を脱落させないとアートマンを体験できない。
脱落させること、これが死の河を渡る、と表現される。
 
これは死を体験するようなものである。
それゆえ、ほとんど不可能な体験であり、あまり語られない。
965宝珠愚者:2009/02/16(月) 00:51:47 ID:TPBZVIdM
---訂正---
>>954
でのレス番は、>>947>>952 でした。
966宝珠愚者:2009/02/16(月) 01:09:14 ID:TPBZVIdM
>>961
>気付かれなくても(読んでくれなくても)構わない、すぐに流れてしまって構わないレス、
>(寧ろ気付いてほしくないレス)であるならば、話は別だが・・・w

そそう!
実はさりげな〜い場所にこっそり投稿しておいて、
「ほーら、やっぱり反論がこないじゃーん♪」(でも、おいらは間違いなく述べてた !!)
ってのを狙ったのだったが--バレタの?(笑)

---んでは、
次スレから再び熱き法戦に期待します(転載済)。
7さんの他にも、ID:sZKQ5/ifさん、ID:sZKQ5/ifさん(はて?同一人物??)などは
まだまだ言い足りないようですし・・。

967宝珠愚者:2009/02/16(月) 01:20:29 ID:TPBZVIdM
>>923
>仏典も聖書も参考書のようなものではないでしょうか?

私もある意味においては同意します。
ただ、ゴータマが何を述べたのかを知る唯一の拠り所は、
やはり、現存している経典群しかないわけです。
従って、これを無視することは当然、ご法度となります。

その上で、自分自身の判断と理解において考え、
正直な感想なり、独自の見解を主張するのは、それはそれで在りだと思うわけです。
---鵜呑みや洗脳が---ゴータマの望むところでもないでしょう。
尚、その内容が人々の賛同と同意を得るかは、また別問題ですが・・。
968宝珠愚者:2009/02/16(月) 01:29:53 ID:TPBZVIdM
>>964
私は、
「アートマン体験」をしたので、私はアートマンについて語ることができます。
などいう主張の殆ど全部は嘘八百とみてもまず間違いがない。
アートマンを見てくる、体験してくる・・といったことは無理なのであって、
それは最終ゴールか、或いはそこに極近い境地だからです。

従って、ヴェーダーンタ哲学/ウパニシャッド、シャンカラの教説などをどんなに読んでも、
やっとなーんとなく、アートマン性質の片鱗がおぼろげながら見えてきたような気がする程度です。
969神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 01:38:12 ID:JhsJkcUE
>>968
「クレタ人は嘘つきだ」と言っているのがクレタ人の場合、
どう考えたらいいんでしょう。

968はどう見てもアートマンの境地について語っているように思います。
970神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 02:01:03 ID:HrSOCGUB
>>957
>お願いします。仏教の目指す目的は、---輪廻転生からの解脱---です。目的
>を見失うことのないように!

そんなことではないだろ。このスレは「原子仏典に輪廻転生が書かれているか
どうか」だろ。原始仏典の言葉が、釈迦自身の言葉であるという保証は皆無な
のだから、「釈迦が説いた」というのはおかしい。また、仏教の「目的」の
話ではない。

「原始仏典の一部には、輪廻転生のことが書かれているが、それは、現代の
進歩した科学では一切認められないものだから、現代人は、輪廻転生などを
絶対に信じたりしてはならない。科学が存在しなかった古代人の多くの誤り
の一つであることが明らかなのだから」ということである。

しかし、君を見ていると、宗教によるマインドコントロールの恐ろしさを
つくづく感じるね。現実上の根拠皆無な話を、それ程固く信じ込めるとは。

精神医学者は、最近の論文でも、「宗教上の信念と妄想とを、実質的に区別
することは不可能」と言っている。

やはり、キリスト教と、キリスト教崩れの神智学の影響が、極めて大きいの
だと思われる。
971神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 03:49:02 ID:HrSOCGUB
宗教者も、現実界において生存しているからこそ宗教をやることが可能なの
である。若し我々が存在している地面という現実が存在しなかったら、一瞬
にして奈落の底である。従って、宗教者は、自己の発言が現実によって支持
されているかを、常に確認しながら語ることが必要である。さもなければ、
その発言は「妄想」になってしまうからである。

現実によって維持されている生命を以って、非現実や死後の世界を語ることほど
の矛盾はない。非現実においては、その生命は一瞬たりとも維持できないので
あり、また、死とは、生命の機能としての知覚作用、認識作用の不可逆的喪失
のことだからである。いくら死後の世界を語っても、死ねば、その世界の知覚
も認識も不可能なのだから、「死後の世界を認識する」ということ自体が、言
語矛盾ではないか。

未だかつて、火葬中に「熱い」と叫んだ「死者」はいない。死後の世界を知覚
認識できるのなら、火葬も埋葬も一切してはならないことになる。死者が、火
葬の熱を知覚できたとしたら、何が起きると思うか。
972宝珠愚者:2009/02/16(月) 05:21:36 ID:TPBZVIdM
>>969
ふーむ。
「クレタ人は嘘つきだ」といったパラドックスとはちょっと違うと思いますw

私がいった、「私はアートマンについて語ることができます。
などいう主張の殆ど全部は嘘八百とみてもまず間違いがない。」は、
ウパニシャッドの哲人たち及びシャンカラを指したものではありません。

彼らはそれを体験した上で述べたのであり、
それが記述として残されたのです(と、私は理解し信じています)。
ただし、彼らといえどもアートマンそのものを言葉や文字で完全に示すことは不可能である、
ということが、まずいいたいことの一つです。
そして、私自身の理解はそれらの一部を読んだり聞いたりしたものであり、
尚且つ、それが正しい理解であるという確信も確証もなく、
ただ単に、それは私の漠然とした理解に過ぎないということ。

私からのアートマン性質に関する内容の投稿とは、
つまり、おおよそ不確かながらも私なりに理解するものについてを述べた事柄だということです。
973宝珠愚者:2009/02/16(月) 05:23:42 ID:TPBZVIdM
>>970-971
これはこれは〜
深夜(いや超早朝?)に熱き投稿、ご苦労さまですw

>原始仏典の言葉が、釈迦自身の言葉であるという保証は皆無なのだから、
>「釈迦が説いた」というのはおかしい。

私は説いたと見なしていますが、その証拠とになると確かに困難かもしれません。
まっ、仏典の記述としてはどう読んでも、「説かれている」ことだけは否定のしようはない。
まず、この点は認める以外にはないと思います(若干名、これも認めない人もいるようですが・・・)。

>それは、現代の進歩した科学では一切認められないものだから

はい、すみませんが、
この私は、その科学の見解とやらは「まだ未発達な学問による間違いだ」と見なしています。
何故なら、非科学的とみなされる諸現象は実在する(実際に起こっている)からです。
私自身もその一端を垣間見ており、ただそれを第三者に客観的に証拠を提示できないだけのことです。
それは、あなただって明日にでも体験があれば、否定のしようなどは皆無となるのです。
あなたもその時になれば分ります。これをどうやって第三者に提示できるのか?と。
「まだ証明できないものはイコールで間違い」などとはいえません。
974宝珠愚者:2009/02/16(月) 05:24:37 ID:TPBZVIdM
>非現実においては、その生命は一瞬たりとも維持できないので
>あり、また、死とは、生命の機能としての知覚作用、認識作用の不可逆的喪失
>のことだからである。いくら死後の世界を語っても、死ねば、その世界の知覚
>も認識も不可能なのだから、「死後の世界を認識する」ということ自体が、言
>語矛盾ではないか。
>
>未だかつて、火葬中に「熱い」と叫んだ「死者」はいない。死後の世界を知覚
>認識できるのなら、火葬も埋葬も一切してはならないことになる。死者が、火
>葬の熱を知覚できたとしたら、何が起きると思うか。

元々、死後の世界(神とか死後の意識/生命)とは、そういうものではないといっているのであり、
従って、あなたのいうこれらなどは何の反証にもなりませんよ!
宗教者の一人も納得して鞍替えする人は皆無ですw

元々、宗教とは非科学なのですよ。
現代においてもこれが存続し、今だに熱心に支持を集めているというのは、
現代科学の説明では納得がいかないからであり、その実際的な現象な個人体験が続いているからです。

仏教もその宗教の中の一つです。
その仏教から、いわゆる神秘性なる部分を排除したら(一部の文献学者が取りたがる方向性ですが)、
それは宗教ではなく、また仏教としても崩壊するのです。

あなたが「ご隠居」さんですか?
(まっ、ご隠居でもなんでもいいですが、あなたも己れの信に基いて投稿を続けたいと思うなら、
そろそろコテハンにしてはどうです?読む側があなたの意見がどれどれか判別しやすくなります)
また、あなたの論でしたか?いくら超常現象の実例を挙げて紹介しても何の意味もないといったのは?
もしも、この私に余裕があれば、私は多くの事例(知ってる話)について挙げることができます。
転生実例から、その他の奇跡現象の数々について。。。
975神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 05:33:45 ID:tlrPUrcR
>>964
> アートマン体験の難しさ

インドは伝統音楽でそれを体験させているらしい、一定のリズム・音色・音階を最初から最後まで
繰り返し、それにまとわりつくようにメロディーやハーモニーを重ねるんだ。この音楽の聴き方は
前述した一定の繰り返し音(シーケンシャル)のみに集中して、その他メロディーやハーモニーが
時々意識に入ってくるように聴く。

この音楽がイギリスでテクノになり日本に渡ってYMOになった、YMOのライディーンの
チャッチャカ・チャッチャカと終始鳴ってる音のみに集中して聴くとアートマンとブラフマンの
意味が体験的に理解できる。試しに皆も体験してみると良いよ。

ライディーン
終始反復するチャッチャカ・チャッチャカ音に意識を集中して聴こう
http://players.music-eclub.com/?action=user_song_detail&song_id=167
976神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 05:47:36 ID:1jWsVr70
輪廻があるかどうかについて結論を下せるほど科学は発展していない。
アホな文系ほど科学を盲信する。理系は科学の限界をわきまえている。
977神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 05:55:51 ID:1jWsVr70
科学が信用できないからといって、似非科学のようなものに頼るのは愚の骨頂である。
978宝珠愚者:2009/02/16(月) 05:57:23 ID:TPBZVIdM
>>976
激しく同意!!!


>>975
これは面白い投稿に感謝!!www
しかも私の好きなYMOライディーンでしたか(今でもYMOアルバムは愛聴中です)

>インドは伝統音楽でそれを体験させているらしい

確かになるほどね^^
どうやらこれは、そういう趣向らしいですよね!
私も昔、そういうインド系グループに参加して、
実際にインドの伝統音楽に合わせてインド楽器を鳴らしたり、
ジャパ(インドの神々の名や偉大さを繰り返す)歌ってみたという体験があります。

それがアートマン体験の片鱗?かどうかは分りませんが、
古代から宗教とシャーマニズムでは太鼓などの響き(バンブレーション)とかの繰り替えしリズムが
人の意識の覚醒/変成において重要視されていますね。
シヴァも踊る神とかいう話だしw
979神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 06:00:18 ID:1jWsVr70
我々は詐欺師どもの構成する理論の土台を遡り、破壊するべきだ。
前提がそもそも間違っているのだと。
980宝珠愚者
>>977
「似非科学」ではダメかもしれませんが、
科学者による精神世界へのアプローチである、
いわゆるニューサイエンスといった部類の研究の価値は?
彼らの提示したものが無意味ともいえないのでは・・

フリチョフ・カプラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%A9
http://www.weblio.jp/content/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%A9

ライアル・ワトソン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%BD%E3%83%B3
http://www.php.co.jp/fun/people/person.php?name=%A5%E9%A5%A4%A5%A2%A5%EB%A1%A6%A5%EF%A5%C8%A5%BD%A5%F3&p=MTU4Ng==


>>979
つまり、我々は騙されると??