>>628 これはまた古いお題ですねぇ^^
いや、無視するつもりではありませんが・・ちょっと、うまい返答を思いつかなかったのですよw
これは簡単にいうと、確かに7さんのご指摘の通りであり、特に弁明の余地はありません。それでは、私
のいうものと7さんのいう姿勢には違いがないのに、私は一方的に7さんの見解を否定してるというかもしれ
ません。これについての理解は時間を要するといか、こちらとしてはいいようがないのです。
7さんがもし、輪廻転生が事実かどうかは自己確認できないから、それについては自分は特に関わらない。
仏道はその歩みにおいて等しく結果が付いてくるというのだから、それで別にいいじゃないか!というなら、
それはご自由にどうぞということなのです。
ただ私がいっているのは、輪廻転生を認めなければ、ゴータマの壮絶な修行の意味は何かを説明し得な
い。また、死期が近い者にとっての仏道修行ではどのように解脱成仏を説くのか?といった問題については
解消されない、といっているのです。
また、そこ(輪廻)だけ否定的に受け取るという姿勢は、随分とゴータマに対する信頼性が足りないのでは
ないか?ということをいいたい。それだけです。
>貴方にとっての○○は、【Aを補完(≒権威付け)する為の素材】に過ぎないのでは?
何かこの文章は、まるで私がゴータマを権威付けに利用しようとしているかのような言い回しですが、私は
理解できない者からの中傷など屁でもないです。ご自由にして下さいな。
真理に到達した存在は等しく輪廻転生を説くと私は理解します。それはゴータマであり、ヒンドゥーであれ、
イエスであれ、神智学であり同じです。
それでは輪廻転生がないと説く聖者とは誰なのか?輪廻転生がないと説く仏教諸派(阿弥陀信仰の他の)
とはどれなのか?それを提示して欲しいと、私はいってるのですよ。