【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】4
以下、表の下部に記した注を引用しておきます。
※完璧な一対一対応ではないが、それぞれに於いて、
「批判は利点(擁護)の、利点(擁護)は批判の裏返し」 のような様相。
※多少、仏教的価値観も混入しているが、大筋では「一般的対立点」と見做してよいと思う。
※解り易くする為に“簡易フレーズ”の項を設けたので、そこを見比べるとよくわかるが、注意してほしいのは(※1と被るが)
≪どちらも、批判される要素が利点要素に、利点要素が批判される要素になりうる≫ ということ。
※そして、最も重要なのが、★の項だ。ここに於ける解釈の仕方が、そのままそれぞれの批判・擁護に繋がっているということ。
※ま、種明かしをすれば、そのような構図――批判(の列記)に対する擁護(の列記)――を意図して作成したのではあるが・・・w
※「認識の限界」については、肯定否定双方を(同時に)批判する視点・考え方が存在する。
肯定派否定派それぞれがそれぞれに反論を用意すべき面もある。 どちらも、ヒトの知覚認識に関わることであり、
(人の“知覚の制限・限界”或いは“考察の限界”を極限まで突き詰め)五感の入力そのものをも懐疑の対象に据える時、
確かなものは「今ここに、この思惟がある」ただそれだけとなる。
その「“思惟内容”を担保するもの」は何一つない。 (その“思惟するもの(者)”もまた担保されない。)
本来はもっと複雑ではあるが、哲学素人でもあるし端的に短く言い切る語彙を持ち合わせていないので、
表現に不満は残るがこれが限界。 御容赦を願う。
※言い回し等、或いは類別そのものについて、多くの不備があろうことは自覚する。
が、(全体を俯瞰した時に見えてくる)対立構図の一端は提示し得たのではないかと思う。