【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】8
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宝珠愚者:
話としては仏教の教えと通じていますよ。転生を繰り返しているのは自らの意志による割愛(タンハー)が原
因であると説かれている。しかし、この二度と再生しないこの境地というのは、繰り返し転生経験を経て、修
行を積んで初めて達成できるのです。
それは何故か?それは頭の中でいくら、「自分が望もうとしなければ再生しないんだ。わかった!」など思
考を巡らせたところで、そして「二度と再生はゴメンだ」「この世に未練は一つない」としても無理なのです。
何故なら、凡夫は意識的に悪行から離れようとしても、必然的に悪しき業を積む行為をしないではいられな
いからです。意識が低我に留まって要る限りはこれから逃れることはできないのであり、いくら低我で以って、
「低我が本来と自己ではない」などと思考したところで、それは低我の中での活動に過ぎないからです。
意識が低我から離れ、高我に向かうには修行が必要なのです。それは一定の時間(期間)を要する。積
んだ悪業は非情に作用するので、その力が強制的に来世へと転生に導くのです。
ねこの悟りが低我によるものではなく、自己意識が高我と直結することで感受できない限りは、ただの思
考の産物で終る。凡夫は低我でしか思考できないのです。いくら仏教書を読みそれを悉く理解しようと、「輪
廻なんかないんだ。わかった!」としたところでダメなのです。
ただし「転生を繰り返しているのは自らの意志による割愛(タンハー)が原因である」と知り、それを理解する
ことはいいのことです。
勝義が不要ということではない。勝義は必要です。しかし、勝義を知りそれを理解しても、我々の意識は
それを超えられないのです。肉体は空だからといって放置できならして下さい。
しかし、食べ物や病気な様々なことについて肉体を世話しなければならないのであれば、ねこの死(二度
と再生せず)を知的に理解したところでダメなのです。