♪邪馬台国 ドンと来い♪ 22

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1日本@名無史さん
おひさしぶりに、
        ________ ノ`-、_,-一ー- ,_ _____________
                    _)  r'´ ,____ `★、
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九州も畿内も四国も朝鮮も沖縄もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 21
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180694455/l50
2日本@名無史さん:2007/07/21(土) 01:05:46
(関連スレ)
邪馬台国
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1184409173/l50
   魏志倭人伝を読む   ???
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1176782486/l50
君は邪馬台国はどっちにあったと思う?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1175338741/l50
日本書紀紀年法がついに解明されました[part5]
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1177904768/l50
「2倍念暦」の真実
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1166152776/l50
【ヤマト】纏向は王権の礎の地か【マキムク】その2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1177791246/l50
【古墳から】畿内王権生成史の謎【律令まで】3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1108738717/l50
畿内王権の成立とその前後の過程
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1160892510/l50
謎多き存在、物部氏について語るスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1106979203/l50
☆雄略天皇について語ろう☆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1133415130/l50
【即位1500年記念】 継体天皇の謎 【応神五世孫】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1182189737/l50
任那日本府説
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1090513470/l50
3日本@名無史さん:2007/07/21(土) 01:33:50
今度こそ邪馬台国に関係する話題に集中しようよw
4日本@名無史さん:2007/07/21(土) 10:13:49
わーい
5日本@名無史さん:2007/07/21(土) 18:58:27
300年以降で実年代が確定できる最も古い事件は何だろう?
候補としては以下が考えられる。

1、没年干支。崇神没年318年(258年)?
2、七支刀。秦和四年(369年)に製造して、372年にもらった?
3、広開土王碑文。391年の朝鮮への侵攻
4、倭の五王の記事
5、稲荷山の鉄剣の銘文

古いほど確実性が低くなる。
5の辛亥年が471年でワカタケルが雄略ということはほぼ確実。
3、4の年代は確実としても対応する天皇に争いあり。
2は表と裏で銘文に違いがあり、表は百済が中国から下賜されたものの写し
とみる考えもあって、年代の確実性が少し劣る。
1は確実性がかなり劣る。
6日本@名無史さん:2007/07/21(土) 20:26:27
            \     _n               /
              \   ( l    _、_ グッジョブ /
               .\   \ \ ( <_,` )    /
                 \   ヽ___ ̄ ̄  ) /
   _、_  グッジョブ       \    /    / /   _、_   ガンバレ!
 ( ,_ノ` )      n        \∧∧∧∧/   ( <_,` )     n
 ̄     \    ( E)       < .  .す >   ̄     \    ( E)
フ     /ヽ ヽ_//        < 仕  ば >  フ     /ヽ ヽ_//
─────────────< 事 . ら >────────────────
    ∩          .     < !  し  >
    ( ⌒)     ∩ good job! <    .い >.      |┃三
   /,. ノ      i .,,E      /∨∨∨∨\.     |┃   ガラッ  話は聞かせて
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 ヽ      |     /   \(uu     /     uu)/ \
7太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/07/21(土) 22:23:15
>>5
辛亥の471年は倍暦算定から
ワカタケル(雄略)即位の翌年の 雄略元年 と判明。
8日本@名無史さん:2007/07/22(日) 14:12:20
>>7
それは確定じゃなくて算定だろ
倍暦スレへ(・∀・)カエレ!
9日本@名無史さん:2007/07/22(日) 15:24:53
【ワイ族の居住地域】

 天日矛命の国=志羅紀と、ワイ族(朝鮮人)の国である新羅は、3世紀の中頃から戦争していた。
戦争の原因は、ワイ族の志羅紀侵略である。ワイ族は、もともとはカラ半島・東北部に住んでいたが、
ワイ族の一部が、3世紀の前半頃に志羅紀領の北部地方に侵入し、そのまま住みついたため、先住民である
志羅紀人(倭人)とワイ族(朝鮮人)の間で領土紛争が起きたのである。
 
 下の図は、ワイ族(朝鮮人)が居住していた地域を簡単に図形化したものである。
△部分が、ワイ族が住んでいた地域だ。黒い▲は新羅であり、ここもワイ族の居住地だった。
◆部分は倭人が住んでいる志羅紀。■部分は同じく倭人国の任那。
 
  高句麗(フヨ族が建てた国)
    ↓
○○○○○○○○○○○△▽△▽△
○○○○○○○○○○○▽△▽△▽
○○○○○○○○△▽△▽△
○○○○○○▽△▽△▽△▽
○○○○○○△▽△▽△▽←ワイ州
○○○○○△▽△      (ワイ族の居住地。国ではなかった。高句麗の支配下)
○○○○○▽△▽
■■■■■▲▼▲←新羅(ワイ族国。元は志羅紀領で別名・秦韓。秦氏の祖国か)
■■■■■▼▲▼
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆    【日本海】
■■■■■◆◆◆
■■■■■◆◆◆←志羅紀(別名・弁韓。倭人国。天日矛命の国)
■■■■■◆◆◆
  ↑
 任那(馬韓。日本名・クタラ。任那領=北部に百済<コマ>があった)
埼玉県の高麗神社に祭られているコマ王=玄武若光は、百済人。
10震えだしたのが恥ずかしくて 実はサガミハラハラ:2007/07/23(月) 00:04:02
馬韓南部は東テイ人が住んでいましたよ。
倭人は半島南岸の東3分の2に居住していました。
11九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/23(月) 15:40:43
あら?また性懲りも無くNO.22ですか〜。
12九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/23(月) 16:02:28
現在ではフヨ人は中国系であるという主張は
あまり支持されていないと何かで読んだが。
倭人が朝鮮半島にも住んでいたというのはちょっと無理かも。

13日本@名無史さん:2007/07/23(月) 17:52:03
倭人が朝鮮から鉄、銅を輸入する際の拠点になるような「倭人町」のようなものは
あったと思う。倭人が朝鮮に行く際に立ち寄る港町のようなものがないと、鉄や銅の
入手も難しい。

しかし、今の県や市に相当するレベルの倭人の領土があったとは思えない。
倭人の領土と言えるほどの考古学的裏付けがない。

のちの任那でも韓人の居住する地域を一時的に倭人が支配していた地域は
かなりの広さがあったとしても、倭人の居住していた地域は広くない。

たしか、広開土王碑文でも伽耶の一部に倭人の居住する地域(任那)がある
という書き方になっていたはず。
14日本@名無史さん:2007/07/23(月) 21:44:09
   ♪ ♪   \\ ♪  僕ら〜はみんな〜 生〜きている〜  ♪.// ♪  ♪
  ♪        \\ ♪  生き〜ているけど >>10は氏ね〜 ♪// ♪
       ♪    ∧ ∧     ∧ ∧   ∧ ∧     ∧ ∧    ∧ ∧     ∧∧  ♪
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        (゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧
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15日本@名無史さん:2007/07/23(月) 21:44:54
   ♪ ♪   \\ ♪  僕ら〜はみんな〜 生〜きている〜  ♪.// ♪  ♪
  ♪        \\ ♪  生き〜ているけど >>11も氏ね〜 ♪// ♪
       ♪    ∧ ∧     ∧ ∧   ∧ ∧     ∧ ∧    ∧ ∧     ∧∧  ♪
   ♪    ∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*) ♪
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      ♪ ∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)∧ ∧(゚0 ゚*)♪
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16九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/24(火) 07:00:00
>>14>>15
あんただってそのうち天災かなんかで死ぬかもよ?

悔しかったら真面目にレスしなさい。
くだらない絵ばかり描いてないで>>10>>12>>13について思うところを述べなさい。
答える頭脳も持ち合わせていないでしょうけど一応待ってます。
見識があればの話だけど・・・。
17日本@名無史さん:2007/07/24(火) 07:09:37
>>12 :九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/23(月) 16:02:28
>現在ではフヨ人は中国系であるという主張は
>あまり支持されていないと何かで読んだが。

中国系というよりも厳密には満州系でしょう?
少なくとも韓国系とも違う。
おそらく、扶余系というのは中国と韓国の両方に吸収されたが
圧倒的に吸収された人口が多いのは中国のほうだろうね。
18日本@名無史さん:2007/07/24(火) 07:10:45
>>13
>たしか、広開土王碑文でも伽耶の一部に倭人の居住する地域(任那)がある
という書き方になっていたはず。

広開土王碑文には、そんなこと書いていない。、
ちゃんと、史書の原文を読め。
19九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/24(火) 08:12:45
>>17>>18
答えようと思えば真面目に答えられるじゃないの!
変な絵なんか描かないで最初からそういやあいいのに。
「満州系でしょう」というのがまたややこしい言い方。
満州人の元になった北方民族も中国人に同化したのは(漢人にという意味じゃないよ)
一世紀頃かな?随分昔の事だと思う。
中国人になっていたといっても差し支えないんじゃないかな?
だからフヨが中国系でないという定説は、北方民族は外れるんじゃないかと思うんだが、
だとすると何人?という事になる。
20日本@名無史さん:2007/07/24(火) 23:52:45
>>18
広開土王碑には、倭の軍が「任那加羅」に敗走したとある。
解釈の仕方として、「任那加羅」というのは加羅諸国のうちの、任那の国
という意味とすると、任那は加羅の一部に過ぎないという考えになる。
金官加羅は加羅のうちの金官の国ということになる。
21日本@名無史さん:2007/07/25(水) 05:51:57
とりあえず九州にあったのは間違いないでしょ。
畿内にはありえないね。
22九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/25(水) 12:29:44
畿内説者がいう土器編年などの考古学的事実もこれから日進月歩で研究が進み、
改定されることはあるにせよ、今現在の時点である程度真実といえる部分も多いだろう。
ただ、畿内と邪馬台国を結びつけるものが何もないことを除いては。
23日本@名無史さん:2007/07/25(水) 20:20:17
邪馬台国の首都をおせーてくだたい
24震え出したのが恥ずかしくて 実はサガミハラハラ:2007/07/25(水) 23:09:33
佐賀県小城市荻町三日月町甘木です。両町にまたがっています。
25九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/25(水) 23:21:21
やはり福岡県甘木市辺りが有力なんではないでしょうか。
26日本@名無史さん:2007/07/26(木) 00:09:14
福岡県八女市山内と北杉田です。両方にまたがっています。
27日本@名無史さん:2007/07/26(木) 00:32:14
福岡県八女市山内と北田形です。両方にまたがっています。
28日本@名無史さん:2007/07/26(木) 02:48:07
時代によって九州の中でも移動している。のちの畿内と同じ。
奴国→伊都国(平原)→甘木→豊国→(宮崎→)東征かな。
29日本@名無史さん:2007/07/27(金) 12:28:47
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏からもらった鏡ですか。
30日本@名無史さん:2007/07/27(金) 15:02:45
現在三角縁神獣鏡魏鏡説は完全に否定されています。
肯定する発言をする人も内心では「行きがかり上肯定するしかないじゃないか」と
思いながら発言しています。
31日本@名無史さん:2007/07/27(金) 19:39:03
何の義理があって魏鏡説に追随するのかな。
日本で500枚、中国で0枚の状況で舶載と主張することは
学者としての自分を否定するようなもの。
32九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/27(金) 19:47:17
三角縁鏡は死者の足元に30枚ほど無造作に並べてあったりして
卑弥呼が魏王に貰った大切な鏡だというイメージが無い。
後漢鏡の方が被葬者の頭付近に置かれていたりする。
なにはさておき中国で一枚も発見されていない事が
三角縁鏡が卑弥呼の鏡だという説を退ける第一の理由となっている。
33日本@名無史さん:2007/07/27(金) 22:28:17
>>25
>やはり福岡県甘木市辺りが有力なんではないでしょうか。

時代が違う。
甘木朝倉は6世紀後半〜7世紀初頭
34日本@名無史さん:2007/07/27(金) 22:29:20
35日本@名無史さん:2007/07/28(土) 15:10:44
>32
古墳に置いては、鏡は蔽邪物
日本神話に置いては、依り代 というギャップはあるわな
36九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/28(土) 21:04:37
>>33 「時代が違う。 甘木朝倉は6世紀後半〜7世紀初頭 」

とはどの遺跡を言っているのか知らないけど平塚なら
(引用)
平塚川添遺跡(甘木市文化財調査報告・第29集より抜粋)
福岡県甘木市大字平塚字川添及び公役(くやく)。
1991年8月、「平塚工業団地」造成に伴う事前調査で発見された。甘木市北部から段丘として南伸する福田台地の西側、小石原川
の伏流水が湧水となって南流する低湿地、基盤は小石原川の氾濫原で堆積と侵食が繰り返されている。
<時期>
弥生時代中期前半に形成され、中期中頃に一時中断、後期になって再び形成され、多重環濠を伴って拡大発展し、古墳時代初めまで存
続した。古墳時代初めには環濠の大半は埋没し、建物、竪穴住居が造られている。それ以降の遺物は全く出土しない。
37九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/28(土) 21:12:36
>>33 さらに平塚川添遺跡ではこのようなコメントの数々。

ここは全国でも珍しい、と言うかここしかない、6重の環濠を持った弥生遺跡である。しかも、工業団地になってしまった部分も含めると
吉野ヶ里より大きい遺跡ではないかと言われている。(福岡県教育庁文化課、柳田康雄文化財保護室長)
このHPでも紹介している、静岡県の伊場遺跡が3重の環濠を持っているが、これまで4重以上の環濠をもつ遺跡は発見されていない。

国立歴史民俗博物館館長の佐原真氏は、「学術的には吉野ヶ里に匹敵する遺跡」と述べている。(朝日新聞)

「300軒以上の住居を持ち、物見やぐらも備え、環濠の幅は最大15mもある大規模な遺跡で、5重(後6重と判明)の環濠は日本で初めて
の発見。邪馬台国と同時期に堅固な防御態勢を敷いていたことがうかがえる。」(1992.12.15読売新聞朝刊一面)

3833:2007/07/28(土) 23:06:48
>>36
平塚川添遺跡を卑弥呼の居城と見なしているのですね。
39九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/29(日) 00:44:52
>>38
まあそこまで断言するわけではないけど「300軒以上の住居を持ち、物見やぐらも備え、
環濠の幅は最大15mもある大規模な遺跡で5重(後6重と判明)の環濠は日本で初めて 」
という事実はかなりの重要性のある遺跡だったのではないかと思う。
倭人伝の記述に照らしても卑弥呼が厳重警戒の宮殿をここに構えていてもけしておかしくない。
40名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:27:47
>39
5重=結界ですね
41名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:36:11
>>39
>環濠の幅は最大15mもある大規模な遺跡で5重(後6重と判明)の環濠

低湿地性の大規模集落にしかすぎない。
唐古、登呂、その他類例と同類。
「城柵嚴設」とは言えないね。
吉野ヶ里の様な台地性とは性格が異なる。

吉野ヶ里も卑弥呼の居城ではないと思うが。
>>40

> 5重=結界ですね

何重だろうが結界のつもりなら同じだろうw
43名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 13:43:37
>>40
河川の水を引き込んだその多重環濠が何度も氾濫して、結局集落放棄してるんだが。
まさに結界ならぬ決壊だな。
44名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:08:24
環濠集落は職住近接。
低湿地にある水田の真ん中に居住するのが合理的。
環濠は傾斜の無い地域での利水と排水が目的。
環濠は衛生保持が最大の目的。
集落人口が多いほど多重環濠が必要。
45名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:20:05

低湿地農業の運輸交通は田船(小舟)がないとね。
田船は現代の軽四トラックのようなものだね。
46九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/29(日) 16:20:32
>>44さんに同意かな。それにこのような遺跡が九州に存在する事が何より重要。
倭人伝の伊都国、奴国までくらいはほぼ北部九州で確定。
その先の比定地は無いも同然。
47日本@名無史さん:2007/07/29(日) 22:28:04
>>41
>唐古、登呂、その他類例と同類。

登呂に6重の環濠はあったのかな。
唐古等の畿内の環濠集落と九州の違いは、環濠の規模、実用性にある。
九州では、深くて傾斜度の高い多重構造の環濠が作られている。
「城柵嚴設」に当てはまる候補は九州の方が得やすい。
4841:2007/07/30(月) 00:34:53
>>47
低湿地性集落においては、>>44に言う様に大きな集落ほど多重環濠が必要となる。
集落規模は、登呂 < 唐古 < 平塚川添であることを示しているのではないのかな?
特に登呂は、安部川に隣接していて水路の水の流れも速いから、
環濠とはいえないような水路で十分でしょう。

九州では、深くて傾斜度の高い多重構造の環濠のある台地性集落が多いから、
「城柵嚴設」に当てはまる候補は九州の方が得やすいでしょうね。

ちなみに、「城柵嚴設」に当てはまる「吉野ヶ里」や「安徳台」のような場所は、
筑後川東岸にあるのではと思っています。
4941:2007/07/30(月) 22:25:02

平塚川添の6重環濠は、濠を造っては廃棄し、廃棄しては造りで、
結果的に6重環濠に見えても、実際は単環濠か精々3重環濠までではないのかな。
50日本@名無史さん:2007/07/30(月) 22:43:17
>49
つまり集落の拡大と?
パリ市の城壁みたいに
51日本@名無史さん:2007/07/30(月) 22:47:53
>>49 >平塚川添の6重環濠は、濠を造っては廃棄し、廃棄しては造りで

これはだいたいの環濠集落がその繰り返しだよね。
ほとんど埋まるまで放置して、その後にまた掘る(しかも前のものよりしょぼい)の繰り返し。
たしか平塚川添もその類似系で、地盤や水流の関係で前の濠を掘り返すことが技術的に困難だったため
別の濠を掘ったというだけで、6重が同時代にあったとは考えられていないはずだよね。
52日本@名無史さん:2007/07/30(月) 22:53:19
でもって、無計画に濠を掘りまくったせいで地盤が緩み
また残った細かな水路が災いして、増水時にたびたび水没を繰り返している。
衛生面から見てもこれは最悪の人災だったろうし、最終的にはそのせいで集落放棄に至ったというのが大方の見方ですな。
53日本@名無史さん:2007/07/31(火) 01:15:17
水はどこから引き込んだんだろ?
54日本@名無史さん:2007/07/31(火) 12:59:52
小石原川か佐田川から引水したとしか考えられない。
55九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/07/31(火) 21:51:39
邪馬台国と同じ時期に防衛の為に有効な高地にではなく低地に集落を造っていた事に意味がある。
攻められ易い低地に水田と一体となって発達したクニは相当防衛力に自信があったのではないか。
攻撃力にも秀でていたのかもしれない。「人は石垣人は城」で城を築かなかった武将もいる。
インダス都市ハラッパーはインダス川河畔に造られ度々洪水に見舞われた。
その度に石垣を高くして対応しその上に都市を築いたが都市が過密になり放棄される。
川の氾濫で肥沃な土壌となり穀物がよく実る為、人が集まり都市が発達する。
平塚川添遺跡は、その様なクニだったのだろう。
56SOY:2007/08/01(水) 23:53:31
しばらく見ないうちに邪馬台国関係のスレが増えていてびっくりです。

面白い記事を見つけたので、
とりあえず環濠つながりということでここに書き込みます。

伊都国に環濠集落跡を初確認
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kyushu/20070801/20070801_003.shtml

三雲八龍遺跡の方を期待していたけど、意外にこっちの方が先でした…
 
57日本@名無史さん:2007/08/02(木) 11:55:46
>>56
伊都国にもやはり環濠はあったのか。
内行花文鏡の時代観はつかみにくそうだ。
58子供ができたいまでさえ、あの頃は忘れない 実はサガミハラハラ:2007/08/02(木) 19:48:47
今宿というとかの倭面土国王の出身地周船寺の近くです。案外倭面土国の重要な都市(まさか都では?)のようです。
弥生後期ということですね。西暦100年から299年の間に存在していたということですね。この範囲のどの時期なのか関心があります。
卑弥呼の即位が西暦183年ですから、それよりずっと前からということになります。
ニニギノ命がこのあたりに降臨したのが42年頃で、倭面土国王帥升の貢献記事が107年となると、
帥升の時代の遺跡ということになります。倭面土国が邪馬台国に攻め滅ぼされるのが121年頃です。その後もこの遺跡が存続していたのかどうかは、発掘の成果によります。
4日だとちょといけないのは残念です。
59オーオージョニー それだけが 実はサガミハラハラ:2007/08/03(金) 07:53:53
同じく倭面土国の範囲であると思われる福岡県志摩町小金丸の一の町遺跡での出土品の中に、
大型建物の付近で青銅鏡の破片や石製剣把頭飾り、管玉がみつかったという。
これらは権威の象徴で尊重されるものであり、それが破壊され地べたにうちすてられているということは、
この集落が敵の攻撃により破壊されたもいのであることをしめしている。
とするなら、今回の発掘での鏡の出土はどのような状態であったのだろうか。
それらのようすが、この集落がどのような経緯をたどったかがわかるものである。
見学された方是非ご報告ください。
60九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/04(土) 21:22:43
九州の地図をしげしげと見たがやはり倭人伝記載のクニの比定地は
福岡、特に大分県に集中していると思う。中でも、
{やまくに、耶馬溪}=ヤマ国。 {玖珠、九重}=くじこく。
の可能性はきわめて高いのではないか。
かつて海図を手掛ける人が、倭人伝の方向を海図の歪みなどから精査すれば
驚く事に女王国の都は大分県になったとレスしてきた事がある。
まことに信憑性のある研究成果ではあった。ヒマともとれるが。失礼。
自分としては甘木説は捨てがたい。
61日本@名無史さん:2007/08/04(土) 22:19:05
>>56  地味なようで実はかなり重要なニュースではないかと思う。

従来は、北中部九州の広域で環濠集落が発見されたが肝心の伊都国は
環濠が不十分という前提で、伊都国が興隆期を迎えた頃には、環濠集落は
終末期にあり、環濠のないマキムクとの同時代性の根拠にもなった。

しかし、伊都国が環濠集落となれば、
1、環濠のある九州の拠点集落と環濠のないマキムクとの同時代性が否定される。

2、環濠集落では環濠内部や近接地に墳丘墓が作られていて、古墳とは同時代性がない。

3、九州で環濠集落が終焉してしばらくして、畿内で環濠のないマキムクが作られ、九州でも、
環濠のない居住区と古墳が同時代となるという流れになる。

4、古墳時代には伊都国は衰退していて、九州のなかでの重要性も低くなっているので、
伊都国を重視する魏志の記述は古墳時代には合わない。

5、よって、古墳時代を魏志の「邪馬台国」の時代に遡上させることが、より困難となる。
62日本@名無史さん:2007/08/05(日) 00:18:48
最近、海部氏系図の本(金久さんの本?)だったかを見たが

要するに

祭祀は、兄のホアカリの子孫である尾張氏・津守氏・海部氏
政事は、弟のホノニニギの子孫である神武皇統
が握っていたみたいだな。

これが、どうも、欠史八代の真実のようだ。
63日本@名無史さん:2007/08/05(日) 00:23:56
>>58
ホノニニギの降臨は、紀元元年前後のような気がする。
64日本@名無史さん:2007/08/05(日) 00:27:40
吉野ヶ里付近である佐賀平野は

旧事本紀では、筑志米多国という国だった。

米多国=面土国 だろう?
65日本@名無史さん:2007/08/05(日) 00:32:01
吉野ヶ里付近である佐賀平野は

旧事本紀では、筑志米多国という国だった。

米多国=面土国 だろう?
66九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/05(日) 01:24:00

米多国=面土国と思う。

サガミハラハラ氏の見解はいかが?
67日本@名無史さん:2007/08/05(日) 06:22:52
おまえら、海部氏系図って、どう思う?
あれが、事実だと
ニニギとかホアカリって、紀元元年前後の人物になる。
そして、アマテラスが、
元々はアマテルという男の神として祭られていたというのも分かる。
ホアカリの別名は、アマテルだからね。
68オーオージョニー それだけが 実はサガミハラハラ:2007/08/05(日) 09:53:35
筑志米多国は、肥国(肥前)はよく肥えた国から来たということをもとに、
肥えている、即ち米の多い国ということで書いたものでしょう。

アマテラスとアマテルは元は異なる神だったようです。
アマテラスは高天原の神でアマテルは下照姫に対になる神で出雲系です。
69オーオージョニー それだけが 実はサガミハラハラ:2007/08/05(日) 09:56:07
訂正  よく肥えた国から来たをよく肥えた国という意味でつけられたに訂正します。
70日本@名無史さん:2007/08/05(日) 11:17:01
>>68
アマテルも、天津系だろう?
男の太陽神・アマテルは、アメノホアカリが祭ってある。
71日本@名無史さん:2007/08/05(日) 11:31:31
>>69
そして、米多国が
中国語では
面土国になったと。
72オーオージョニー それだけが 実はサガミハラハラ:2007/08/05(日) 13:16:18
スサノヲの命のタキリ姫と大國主命の間にうまれたのが下照姫であるから、おそらく
アマテルも大国主命の子であろう。となると、高天原系と出雲系どちらにもぞくすようにもみられる。
しかし父が出雲系なのであるから、シタテル姫アマテル命とも出雲系とみていいであろう。
アマテルが男であるというから、天照大神男性説は、アマテラスオオミカミとアマテルカミを混同した結果生じたものであろう。・
ここに古代の謎がまた一つ解決いたしました。
73日本@名無史さん:2007/08/05(日) 14:17:43
>>72
というか、ホアカリ(アマテル)は
アメノオシホミミの子供だろう?
たしか、播磨国風土記逸文に、大国主の子供って書いてあるんだよな?
でも、他の大多数が、ホアカリはアメノオシホミミの子供とし
彼の兄弟には、天皇家の先祖であるホノニニギが存在している。
74オーオージョニー それだけが 実はサガミハラハラ:2007/08/05(日) 14:50:08
うーん。ともかく、アマテルはアマテラスオオミカミではないということは
確かなようであり、天照大神男神説はなりたたないということであろう。
問題はホアカリがだれのこどもであるのかということであろう。
75オーオージョニー それだけが 実はサガミハラハラ:2007/08/05(日) 15:17:11
「魏志倭人伝を読む」のスレでもこのことを論じているね。
混同説、私が最初ではなかったんですね。(がっかり)
76日本@名無史さん:2007/08/05(日) 18:15:50
古代海部氏の系図 (単行本) 金久与市 (著)
學生社
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/50387296.html
77オージョニー ただ嬉しくて 実はサガミハラハラ:2007/08/06(月) 08:19:43
米多国が面土国になったとするには、米多し国を米多国と倭人が表記したとすれば、当時(3世紀)の倭国では相当高度に
漢字をつかいこなしていたことになります(平安時代並)。
しかし3世紀の日本では倭人が漢字を使っていたとの痕跡は全くありませんので、
其の点をどのように解釈するかという問題があります。
78オージョニー ただ嬉しくて 実はサガミハラハラ:2007/08/06(月) 08:30:54
訂正 当時(3世紀)を当時(2世紀)に訂正いたします。

79オージョニー ただ嬉しくて 実はサガミハラハラ:2007/08/06(月) 12:54:36
ホアカリはアマテルであるとのソース、教えてください。
80花 ◆PfZ6nXw0Y. :2007/08/06(月) 16:04:46
最近、邪馬台国はやはり畿内なのではないかと思うようになりました。

記紀にそれらしい女帝が見当たらないため、
畿内は違うかと今まで考えていましたが、
やはり「ヤマト」の韻は無視できません。

で、統治者である女王ですが、
これは記紀の記録の錯綜を吟味してみるべきです。
たとえば、卑弥呼の伝承が時代を誤って残されてしまっているとか。
そうなるとアマテラスはやはり卑弥呼の伝承の断片をもとに
不足を創作された人物であるとも言えなくもないですね。

また勉強しておきます。
81あなたは稲妻のよ〜うにい〜♪ じつは130:2007/08/06(月) 21:33:52
魏志倭人伝では、「対馬国→末ら国-(東南)→伊都国-(東南)→奴国-(東行)→不や国」
となっています。ちなみに距離の表記はここまでが「里」です。
このうち、対馬国=対馬、末ら=松浦半島、伊都国=糸島半島、奴国=福岡平野
までは、ほぼコンセンサスが得られていると言って良いのではないでしょうか。
とすれば、(東南)は(東北)の間違い(魏使は東南と考えた)と考えるべきでしょう。
ちなみに私は、不や国は、津屋崎ではないかと考えています。

次に、不や国-(南へ水行20日)→投馬国-(南へ水行10日&陸行1月)→邪馬台国 ときます。
ここから、地名、距離ともいっぺんに怪しくなります。
魏使はおそらく、不や国までしか行かなかったのでしょう。
魏では、距離を表すのに「里」をつかい、倭では距離を表すのに「日」を使ったのでしょうね。
「里」は客観性がありますが、「日」はそうではなく、魏と倭の文化程度の差が伺えます。
魏使は九州北岸をどんどん東へ進んでいるわけですから、この投馬国は津屋崎
(福岡としてもいいですが)より東の事を記載していると考えるのが自然ではないでしょうか?
しかし、「南」へ逝ったところへ投馬国はあります。私は遠賀川へ入ったのだろうと思っています。
遠賀川は南北に流れており、太陽に向かって川を遡る事になり、倭人といえども「南」に向かって
いる事は解ったでしょう。遠賀川流域〜洞海湾(旧大渡川)に広がる平野に投馬国はあったのでは
ないでしょうか?
さらに倭人は遠賀川をさかのぼり、飯塚〜田川あたりに上陸、陸路「福岡県甘木市」を目指したのでしょう。
これが「水行10日&陸行1月」ではないかと思っています。
82日本@名無史さん:2007/08/07(火) 08:12:43
42 :本当にあった怖い名無し:2007/08/07(火) 07:36:16 ID:9rlUPCRn0
中国政府の研究機関が、日本の稲作の伝来を科学的に照明した。
諸外国の研究機関も納得している。
韓国だけが感情的に反対しているがw
日本の歴史教科書や世界の教科書も大きく書き換えられるかもな。
遺伝学的、農学、植物学、生態学でみて、
稲の伝来は、中国南部→日本列島→朝鮮半島
詳しくはここ。


日本から朝鮮半島への米の伝播
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html
>日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、
>水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明している。
83日本@名無史さん:2007/08/07(火) 21:40:02
邪馬台国は、大和国。
狗奴国は、許乃国(このくに)・・・宇治のあたり(山城国風土記逸文より)

魏志倭人伝は、
最初の北九州の国の漢字名については、
漢の時代の上古音をもとにつけられた名残があって
後の北九州以外の国の漢字名については
魏の時代の中古音をもとにつけられた名残がある。
つまり、伊都国・奴国などと邪馬台国・狗奴国とでは
中国人がこれらの地域と交流を緊密化させる時期が異なっていて
伊都国・奴国などは、57年の金印の頃の上古音時代につけられた可能性が高い。
しかし、邪馬台国・狗奴国などは240年前後の卑弥呼の時代につけられた漢字名で
魏の時代の中古音でつけられている。

よって、魏志倭人伝には、20数カ国の戸数を記していない国が多く列挙されているが
その殆どに、「奴」という字がつくが、これは中古音で「の」と呼ぶ。

狗奴国=許乃国(このくに)=山城の宇治
ここは、日本書紀の崇神期に武埴安彦命が謀反を起こした地域である。
武埴安彦命は、河内と山城の両方に拠点を持っていて
彼は、甥の崇神天皇や伯母のモモソヒメを
山城と河内の両方から、大和を挟み撃ちするように攻めた。
こういう二方向からの攻撃だから、魏志の方角観も混乱したのだろう?

狗奴国=許乃国(このくに)=山城の宇治
狗奴国男王・卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命
狗奴国官・狗右智卑狗=河内彦
の可能性が高い。
84日本@名無史さん:2007/08/08(水) 09:31:12
狗奴国は許乃國(山城の宇治)
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/34476515.html

85日本@名無史さん:2007/08/09(木) 03:58:40
>>77
米田(めた)地から
米多に移行したのかもしれないし...
86日本@名無史さん:2007/08/09(木) 04:00:49
>>80
卑弥呼は、ひめみこ
ヤマトトトヒモモソヒメミコ(孝霊天皇の皇女のこと)
87日本@名無史さん:2007/08/09(木) 04:21:26
>>79 :オージョニー ただ嬉しくて 実はサガミハラハラ:2007/08/06(月) 12:54:36
>ホアカリはアマテルであるとのソース、教えてください

そんなもん、グーぐったら一発だろう?
日本書紀のホアカリの正式名称は天照国照彦火明命
また全国の天照(アマテル)御魂神社は天火明命を祀るところが多い。
88オージョ二− ただ嬉しくて 実はサガミハラハラ:2007/08/09(木) 07:13:47
ありがとうございました。
となると、謎が謎を呼ぶことになるか?
89日本@名無史さん:2007/08/09(木) 21:39:03
紀の本文と異伝との関係って、なんだろう。
本文は有力な氏族の言い伝えで、異伝はその他の氏族の言い伝えか。

執筆者は、本文が「絶対に正しい」と考えていなかったから異伝も書いた。
その上で「どっちが正しいかは後の時代の人が決めよ。」などと書いている。
いずれにせよ、当時それらの言い伝えが存在したことは、間違いなかろう。
90日本@名無史さん:2007/08/10(金) 00:12:21
記紀が天皇や一部の豪族のために捏造された歴史ではなく、書かれた
当時に存在した各種の言い伝えをそのまま書いたとしても、一つのストーリ
にするために付け加えた部分が存在するだろうか。その範囲は?

出雲の興隆の記載は考古学が証明しているので、少なくともその頃からの
言い伝えが存在している。

とすると、記紀で出雲と同時代以降とされるアマテラス〜神武東征までの
ストーリも実際にそのような言い伝えが存在したことは、ほぼ確実。
異伝が豊富なのも言い伝えが各種存在したことの裏付けになる。
91曲学の徒:2007/08/10(金) 22:25:55
卑弥呼の系譜
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/7-1himikokeifu.htm

卑弥呼の兄弟について
http://www.progoo.com/rental/tree_bbs/bbs.php?pid=21922&mode=p&no=1729&mode2=tree

金久与一氏は海部系図研究の第一人者である。しかしその考察は概略を追ったにとどまる。
もし勘注系図を研究するなら、 『神道大系古典編13』を見てください。ただし高価な本ですので図書館で借りてコピーする。
系譜をコピーしてつなぐと4mを超える。
そのまま見ても全体像が見えてこない。この系譜を理解するには『先代旧事本紀』の尾張氏系譜と対応させると理解できる。
もし金久氏も尾張氏系譜と対応させ研究されていたら、もっと研究は深まったであろうと残念である。
92太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/10(金) 23:15:26
日女命は卑弥呼でないな。日女命が比売大神の可能性は相当あろう。

 卑弥呼≠比売大神
93征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/08/11(土) 00:01:12
比売大神でもないのですが、読み方に工夫が要るのですよ
94九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/11(土) 11:13:13
比売というのは現代の「姫」に通じる。
他にも比売と名づける女性がいるので音が似ているからといって
卑弥呼を比売大神と断言する事は出来ない。
95日本@名無史さん:2007/08/11(土) 16:35:54
皆に質問

九州地方の人は邪馬台国九州説支持が多いの?
そして畿内地方の人は奈良説支持が多いの?

ここで九州説支持を訴えてる住人は現在九州居住者、又は実家が九州なの?
ここで畿内説支持を訴えている住人は畿内地方に親戚でもいるの?
96日本@名無史さん:2007/08/11(土) 18:21:28
一概には言えない。
俺の主観としては、文献史学派は九州よりで考古学派は畿内よりに思える。
97日本@名無史さん:2007/08/11(土) 21:11:12
>>96
そうなんだ。有難う。地元贔屓が一員にもなってるのかなと思ったから聞いた。
良ければ>>96の田舎はどこか教えて欲しい。
人に聞く前に自分も名乗ったほうが良いと思うから書くね。
私の田舎は父方が長野で母方が横須賀。

他にも知りたい。
昔の様に今も東大教授派・京大教授派の対立は続いているの?
元々は左翼は神武天皇の東方遠征を否定したい為に畿内主張派が多かったって本当なの?
日本の左翼は西欧の左翼と捩れ現象が起きて反日・売国左翼(愛国左翼はいない)と化してしまっているが、
左翼勢力(愛国左翼勢力じゃ無いよ)にとって邪馬台国はどちらの方が悔しいの?
そして左翼勢力にとって、卑弥呼の邪馬台国は現天皇家の祖先の一人だった説と
別の勢力で天皇家の祖先の一人じゃなかったとする説のどちらが悔しいの?
ここでの左翼とは愛国左翼でなくて、在日含む反日左翼勢力の事。
98日本@名無史さん:2007/08/11(土) 21:42:44
私は東方遠征が事実として存在したなら嬉しいよ。
理由は二つ。
日本書紀も事実を基にして書かれたと信じているから。
九州の町興しになる。奈良、京都は今のままでも十分観光事業でやっていけるけど、
九州は(福岡は除く)観光だけじゃやっていけなさそう。
神話じゃなく、本当に日向・高千穂から遠征があったのなら全国から観光客が訪れて地元の人も潤いそう。

邪馬台国は現実問題として、学会ではどちらが有力なの?
そして何が発見されたら、誰が見ても邪馬台国の決定打になるの?
九州派にとって、これが決めてだ(どうだ、○○が発見されたんだ。畿内派哀れ、ご愁傷様)。
畿内派にとって、これが決めてだ(どうだ、○○が発見されたんだ。九州派哀れ、ご愁傷様)。
※魏から貰ったとされていた三角鏡は国内産だと判明したので、畿内説の決め手にはならないんだよね。
99日本@名無史さん:2007/08/11(土) 22:09:00
>>98
学会では、邪馬台国=大和国が圧倒的に有利。
最近では、文献史学的にみても、考古学的にみても
大和が有利になっている。
100日本@名無史さん:2007/08/11(土) 22:23:01
>>99
そうなら、纏向遺跡が卑弥呼の墓で殆ど決まってるんだね。
でもここでは九州説支持が多いよ。
それと神武天皇の東方遠征は学会ではどういう立場なの?
日本書紀によると、日向の分家の神武天皇が、跡取りの途絶えた本家に婿養子に入ったんだよね。
本家の系図では何代前まで遡れるんだろうか。

本職の考古学者もこの板にいるのかな。
101日本@名無史さん:2007/08/11(土) 22:46:55
>>100
考古学とかは、文献のことは語りたがらないんだろう?
102日本@名無史さん:2007/08/11(土) 23:06:45
>>101 いえ、邪馬台国はどこだと文献上の話をしていますよ。
しかも、魏志倭人伝をろくに研究もしないで聞きかじりで。
ずいぶん度胸のいいことです。
103日本@名無史さん:2007/08/11(土) 23:14:44
>>102
貴方はどちらだと考えてるの?
邪馬台国九州説は松本清張が一般人に広めたと聞いた事がある。
それまでは学者の世界では声が挙がってはいた物の一般人はそれ程でもなかったらしいね。
104日本@名無史さん:2007/08/11(土) 23:19:45
>>100
神武の話は継体の話なのだ
105日本@名無史さん:2007/08/11(土) 23:31:00
>>103魏志倭人伝を読むと、候補地は北部九州であると見ます。
106日本@名無史さん:2007/08/12(日) 00:23:10
戦後、歴史学会は左翼勢力が支配し続けてきて、古代史から現代史に至る
学会の左翼支配は現在も同じ。

古代史では、戦後、皇国史観の徹底否定が行われ、神武東遷を認めるのは
軍国主義であり、欠史8代の実在を認めない、神功皇后の朝鮮出兵は史実
ではない、万世一系を否定して王朝は何回も交替したとしてきた。
学会は、左翼勢力が一枚岩で支配し続けてきて現在に至っている。

左翼支配の学会では、弥生時代の九州が鏡、鉄器、絹などの出土量で畿内を
圧倒している統計的事実は、認めてはならないものとされ、50年近く否定、無視
されてきたが、さすがに左翼学派内でも批判が大きくなり、15年ほど前からは、
弥生時代の九州優位を認めたうえで、「実は古墳時代は200年以前に遡る」
とする年代遡上説に学者が大移動して、畿内説を維持し続けている。

・・・学界での名誉欲・金銭欲を満足させるための行動の見苦しさ。
107日本@名無史さん:2007/08/12(日) 00:47:32
現在の左翼学派の拠り所である年代遡上は、実は、確たる根拠は存在しない。
弥生時代の九州優位を認めた以上、年代遡上が必然の結果という以上のものではない。

年輪年代は、基礎データーが公表されず、検証もされていないため、これを正面から
認める学者は少数に留まる。また、木材を伐採直後に使用したという確証もない。

三角縁などの鏡の紀年を根拠にする学者もいるが、日本で500枚、中国で0枚出土という
状況で舶載説を支持する苦しさは否定しがたい。三角縁を全部国産とすると、画文帯の
大半や獣文鏡、画像鏡などにも国産と推測されるものが多数出てくるという事情がある。
それらは古墳時代以降に日本国内での同型鏡の系譜が存在する。

土器編年の遡上も、土器は相対年代しか裏付けないものであるため、無意味である。
しかし、年代遡上の主流は土器に年代を当てはめるものであるというのが現状。
なぜその年代になるのかの説明はない。

ただし、一方では、年代論に言及することを避ける学者も存在する。
108日本@名無史さん:2007/08/12(日) 00:54:56
やっぱり邪馬台国は奈良だ。これが全てを物語っている。
             ↓
http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai27-kawaruyayoi.html
109日本@名無史さん:2007/08/12(日) 08:41:06
卑弥呼の墓は箸墓古墳だろうな
110日本@名無史さん:2007/08/12(日) 10:50:21
>>107

> 三角縁などの鏡の紀年を根拠にする学者もいるが、日本で500枚、中国で0枚出土という
> 状況で舶載説を支持する苦しさは否定しがたい。三角縁を全部国産とすると、画文帯の
> 大半や獣文鏡、画像鏡などにも国産と推測されるものが多数出てくるという事情がある。
> それらは古墳時代以降に日本国内での同型鏡の系譜が存在する。

三角縁がだけが国産で画文帯等には国産が無いなどと言うことはあり得ないんだから当然。
違うのは片方が大陸での出土状況から顕かに舶載のものもあるということ。
111唐松山:2007/08/12(日) 13:01:38
こんな事で宜しいんでしょうか??。
倭迹迹日百襲姫の歴史

孝霊天皇 西暦140年 19年間
孝元天皇 西暦159年 19年間
開化天皇 西暦178年 8年間
崇神天皇 西暦186年 25年間

西暦141年 孝霊天皇二年倭迹迹日百襲姫生まれる
崇神天皇九年 祭墨坂神。大坂神。
西暦196年 崇神天皇十年  56才
 九月壬子 於是天皇姑倭迹迹日百襲姫命。聡明叡智。能識未然。
 是後。倭迹迹日百襲姫命為大物主神之妻。
 則箸撞陰而薨。乃葬於大市。故時人号其墓。謂箸墓也。
故運大坂山石而造。則自山至于墓。人民相踵。以手遞伝而運焉
十月丙子 将軍等共発路。
十一年 異俗多帰。国内安寧。
ホ34079 アキタタネコに をれがれの オとくマツリを
ハシヅカに なせばかかやく ノリのイチ

崇神十年 大物主の初子がタタネコですので 大物主の年齢 推定30才
トトイモモソ姫56才と結婚 ほどなく ホドを突いて亡くなる(当時のミモロ山が仰ぎ見える宮)。
この時 四道将軍が発路直後で 大和には 殆ど人が居ません
それでも 塚を作る 喪主は大物主として 女、子供、老人が主体となり 大阪山の石を手越に運ぶ 
11年  春夏は 田の季節ですので 塚造りは有りません 秋 箸塚にてタタネコが法事
祭主 崇神かな? 喪主 大物主は?。

添削 歓迎
112日本@名無史さん:2007/08/12(日) 13:57:27
箸墓古墳が倭迹迹日百襲姫が卑弥呼だったと確定したら、宮内庁は記者会見で発表するのかな。

その場合当然歴代天皇に加えるんですよね。
今上陛下は125代目から126代目へと改めるのですよね。
そして醍醐天皇、後白河天皇の様に新天皇名が授けられるのですか。

台与も確定したら今上陛下は更に127代目へと改められますね。

歴代天皇に加えられた場合邪馬台国の読み方は、
「やま台(たい)こく」から「やま台(と)こく」へと変化しますか。

邪馬台国畿内派にとっては約何年後に新歴代天皇発表になると考えてますか?


九州派の人は、ドラえもんの「もしもボックス」に参加したつもりでお願いします。
邪馬台国は九州だからありえないと茶々を入れないで。

113日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:16:58
もう一つ聞きたいけど
左翼って昔は東方遠征を認めたくないから、畿内説支持派が多かっただよね。九州説は東方遠征を肯定するから
絶対に厭だと。これは現在でなくて、昔の話だよ。現在は一概に言えないらしいが。
そうなると分からないんだけど左翼は卑弥呼・台与が皇室の祖先の一人だと認めているって事なの?

左翼・・西欧・米国の愛国左翼でなく、日本独特の反日左翼の意味。愛国左翼じゃない。
114日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:20:36
左翼にとって
日本書紀の東方遠征を認めるくらいなら、卑弥呼が皇室の先祖の方が良いのかと言う意味です。
115花@九州説 ◆PfZ6nXw0Y. :2007/08/12(日) 14:30:31
>>112

1、2…歴代にはならないでしょう。
モモソヒメはあくまで巫女かと思います。

3…そうなると「ヤマト」が妥当かもですね。

4…物証があれば早いですが、考証のみでは断定は難しいです。
まだ何年も紛糾するでしょうね。
116日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:37:48
>>106-107
歴史学会は常に、天皇家を批判しなければいけない
という前提に立っているからな。
これは憎しみの何者でもない。純粋な学問ではなくなっている。
117日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:39:44
>>114

君の言ってる意味がわからない。
「東方遠征」ってなに?九州の邪馬台国が「東方遠征」して大和朝廷になったとかいう説のこと?
日本書紀にはそんなこと書いてないよ。まさか、神武東征のこと?時代が違いすぎて論外。

武光誠っていう人は九州説だけど「東方遠征」なんて考えてない。
卑弥呼・台与は九州の女王で、畿内の大和朝廷とは無関係。後に大和朝廷に滅ぼされたという説。

君の言う左翼ってのは、武光誠のことを言うのかい?


118日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:40:09
左翼の最後の拠り所は
欠史八代の時代では
天皇家はあくまでも政事の最高位であって
祭祀の最高位は、尾張氏・海部氏の先祖のほうだったというところを
指摘することだな。
119日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:42:13
日本書紀の崇神10年=魏志倭人伝の247年
は、同じ出来事。

狗奴(この)国の乱は
武埴安彦命の乱だということ。
120日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:43:38
>>118

というか、左翼とか右翼ってなに?
レッテル貼りするなら、まず、定義を教えてくれ。
121日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:52:00
>>113-114

ちょっと考え方が違うと思うよ。

昔のサヨク=畿内説って定義が変。
皇国史観では卑弥呼=辺境の女酋と解される。
(畿内説では皇室の遠祖が蛮夷の王扱いされて
あり難がっていたと言うことを認めることになる)
だから、先ずは「昔のウヨク=九州説」って言う本線があって、
それに対する畿内説は相対的に左だったってだけだろう。

別に、邪馬台国が大和朝廷の基盤で有った方が
マル流唯物史観が説明しやすいわけでもあるまい。

あと、これは思いつきだが、
貴方が考古学者の物言いを聞いて「サヨクっぽい」と感じるのであれば、
それは社会学の分野から流用される用語が多いからだろう。
文献史学風の物言いに慣れていると他分野の用語は耳障りだ。
特に古代国家論などで使われる用語は(本来、右も左も無いのだが)
唯物史観でも多用されるので特にそう感じるのかな。

夏休みもあとわずかだ。
頑張るんだよ。
122日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:59:30
>>117
東方遠征とは神武天皇です。邪馬台国が大和朝廷になった意味での東方遠征では無い。
あくまで日向の分家の神武天皇が、跡取りのいない本家へと婿養子に入り遠征した意味です。
江戸時代光格天皇(現皇室の直接の先祖)が跡取りのいない本家の娘と結婚して皇位に就いたのと一緒。

武光誠氏は江戸時代の国学者本居宣長と同じ考えですね。
卑弥呼は皇室の先祖じゃ無い。本居宣長は左翼じゃないと思う。
123日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:00:14
>>121

邪馬台国論争に詳しいみたいだから教えてくれないか?
ときどき現れる「右翼」とか「左翼」ってのは、
具体的に何のこと?

そういう用語を持ち出す人は右翼なんだろうということはわかるけども。
何に怒ってて、何に対して反発してるのか、よくわかんない。

「記紀に書かれたことは全て天皇家にまつわる真実だ」と言いたいなら、
神武東征は紀元前の話で、邪馬台国の卑弥呼は、天皇家とは関係ない九州の女酋で、
神功の九州遠征で滅ぼされたと考えるのがスジだろう。日本書紀に書いてあることが真実ならな。


124日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:01:12
>>121
本居宣長も卑弥呼と皇室の先祖は無関係だと江戸時代に言っていたのは知ってます。
125日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:06:38
神武東征ばかり注目されているけど
問題は、神武の4代前のアメノオシホミミが何者か?ということだな。
この「ミミ」がつく名称は出雲系の名称だな。
アメノオシホミミは高天原とか天上にいたらしいが
彼の名称は出雲の一官僚の名称だ。
その長男(三男?)のホアカリが畿内へ、
次男(長男?)のホノニニギが日向へ降臨した。
126日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:08:13
>>124
本居宣長は、卑弥呼が中国に朝貢したのが
許せなかったと言われている。
だから、卑弥呼と皇室を分断する必要があった。
127日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:35:42
>>123

>ときどき現れる「右翼」とか「左翼」ってのは、
>具体的に何のこと?

ここでは基本的には自分と異なる意見への蔑称として使われる。
まあ、右と左の使い分けは「皇室の権威」に対する考え方でいいでしょう。
128日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:49:09
>>122
卑弥呼は皇室の先祖じゃないと書いたのは、私の意見ではありません。
本居宣長と同じ考え=先祖じゃない
という意味で書きました。私はどちらでも構わない。

>>126
その本居宣長と武光誠氏が、卑弥呼と皇室は無関係へと至る道筋はどうあれ結論は同じ。
私は武光誠氏を知らないので、どんな考えで無関係としたか分からないが。
しかし下した結論は同じ。

>>125
129日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:58:35
>>125
畿内へ向かったとされるホアカリらしきお墓はあるのですか?
神武天皇にとって義理の父親系列のお墓ですよね。本家への婿養子。
130日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:03:58
>>129
そうではない。
そこんとこが複雑だな。
131日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:09:57
卑弥呼の墓は箸墓古墳だろうな
132日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:11:31
>>129
神武が畿内でもらった嫁さんは
畿内の神である大物主の娘。
この畿内の大物主は、出雲の大国主と共に国づくりをした神様。

ただ、最近分かったことだが、この大物主とは関係なしに
ホアカリ(ホノニニギの兄貴)とか、ニギハヤヒとかの降臨伝説もあって、
なんか、ややこしいことが畿内で起こっていたことがわかってきたんだな。
133日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:19:43
出雲の大国主が、大和の大物主の協力で日本全国政権を作る。

その後、出雲から、ホアカリとホノニニギの兄弟が派遣される。
ホアカリは畿内へ、ホノニニギは高千穂(九州南部)へ派遣される。

まず、ホアカリ・カグヤマ親子が、出雲を倒し、大和朝廷を創始。
ホアカリはアマテルと言われる。

それから3代の後、ホノニニギの曾孫の神武が畿内へ移住、
大和朝廷は、祭祀はホアカリの子孫、政事はホノニニギの子孫が
受けもつ、政教分離体制がはかられる。
神武の子孫は初期は、大和の地元の神である大物主の子孫を妻にむかえる。

やがて、欠史八代のいずれかで、ホノニニギ・神武皇統は
兄の家系であり大和朝廷の創始家系であるホアカリから
祭祀の長の座を奪ってしまう。
134日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:26:15
>>133
中世の南北朝争いの様なのが起きたって事ですか?
135日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:29:22
>>112

> 箸墓古墳が倭迹迹日百襲姫が卑弥呼だったと確定したら、宮内庁は記者会見で発表するのかな。
> 1 その場合当然歴代天皇に加えるんですよね。
> 2  台与も確定したら今上陛下は更に127代目へと改められますね。

多分加えないと思うよ。
天皇の地位って別に中国王朝の認証と関係ない。
公的には具体的行事として「即位の儀」を行ったかどうかで判断される。
百襲姫が卑弥呼だとしても即位したことの証明にはならない。

> 今上陛下は125代目から126代目へと改めるのですよね。
> そして醍醐天皇、後白河天皇の様に新天皇名が授けられるのですか。

明治3年の弘文の時は、太政官会議で「追号」だけ決めて、
代数問題はばっくれたんじゃなかったかな?
で、その後の皇統譜令ではしっかり歴代に入っていた。
明治44年の南北正閏問題の時は、ちゃんと布告を出したはず。

> 3 歴代天皇に加えられた場合邪馬台国の読み方は、
> 「やま台(たい)こく」から「やま台(と)こく」へと変化しますか。

これは宮内庁の所管じゃないよ。
どう読むかは個人の勝手、と統一する必要があるなら通例だと新聞協会か何かが決めますね。
136日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:33:33
よく、朝鮮人が、
「古代日本に高句麗人が移住した。埼玉県の高麗郷には、高句麗人が建てた神社がある」
と主張するが、三国史記=高句麗本紀には、高句麗人が古代日本に移住したという記録は無いね。
埼玉県の高麗神社は、百済移民が建てた神社であって、高句麗とは無関係。
百済の旧名はコマ。百済と書いてコマと読む。
韓国の首都ソウルの辺りに、最初の百済は建国されたのだが、あの地域の古名がコマだった。
楽浪郡(コマ国)が滅びた後、楽浪郡の漢人たちが帯方郡(今のソウル地方)に百済を建てたので、
百済は、楽浪郡の日本名=コマを受け継いで、コマの名で呼ばれた。

【高句麗本紀】
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sangokushiki/nf_koukuri_menu.htm

高句麗人が日本に来ることは不可能だな。
途中で唐軍に捕まるし、船で日本に着いたとしても、
沿岸部で待ち構えている大和朝廷軍の弓兵が、矢を射るからね。
殺されてしまうから。
そもそも、事前に使者を送って移住許可をもらわずに、いきなり他人様の国に上陸しようとしたら
敵だと思われるのは当然。
おまけに日本語とは異なるミョーな言葉を話すから、よけい警戒されるだろう。
137日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:47:05
箸墓古墳で、高松塚古墳やキトラ古墳の様な壁画が発見される可能性はあるのですか?
発見された場合に現状のままの色彩を保ち続ける技術は確立されているのですか?
高松塚古墳は、カビで絵の具が剥げ落ちてしまったので残念です。
138日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:57:45
>>137
箸墓のような前期古墳には、彩色壁画を描くような壁をもった墓室はありません・
139日本@名無史さん:2007/08/12(日) 19:31:11
>>122
>114 :日本@名無史さん:2007/08/12(日) 14:20:36
>左翼にとって
>日本書紀の東方遠征を認めるくらいなら、卑弥呼が皇室の先祖の方が良いのかと言う意味です。

だから、↑の意味がわからないっていってるの。

神武東征を認めることと、卑弥呼が皇室の先祖かどうかってのが、どういう関係なわけ?

140日本@名無史さん:2007/08/12(日) 19:42:09
>>107
今の畿内説の年代観の根拠は、よく分からんね。
141日本@名無史さん:2007/08/12(日) 22:23:36
やっぱり邪馬台国は奈良だ。これが全てを物語っている。みんな見てみろ。
             ↓
http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai27-kawaruyayoi.html
142太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/12(日) 22:30:43
奈良には女王国はないですな。そこなら記紀に一節つけて書かれますよ。
143日本@名無史さん:2007/08/12(日) 22:53:33
西暦220年から300年に栄えた纏向遺跡は、少なくとも北九州から愛知までの範囲を勢力圏(あるいは埼玉県まで)としていたことになる。
卑弥呼が日本に君臨していたころ、纏向遺跡の統治者は九州北部から愛知までの西日本を統治していたのである。このことは、卑弥呼を
当時の日本最大の統治者とすると、卑弥呼は、纏向遺跡のどこかに居住していたとみることができる。後世
政治は「大和」、祭祀は「伊勢」というような政祭分離の習慣が見られるが、当時はその習慣にはなかった。
普通に考えて、纏向が、当時の中心的な都市であったならばその国の統治者は纏向で政務を執っていたものと思われる。逆に
卑弥呼が九州地方あるいは纏向遺跡以外の統治者であったとしたら、それは日本の地方の統治者であり
魏に使いを送ったとしても歴史的意味合いは小さくなる。たとえば、卑弥呼が南九州の一国の統治者であったならば
卑弥呼の存在の意味は小さくなる。なぜなら、このとき、これより遥かに大きな(愛知から北九州まで勢力範囲としていた)国が
存在していたからである。
144日本@名無史さん:2007/08/12(日) 23:08:53
>>143
>西暦220年から300年に栄えた纏向遺跡は、

この部分の根拠はいつも不明。
145太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/12(日) 23:15:56
日本人のことが日本の古文献に載っておらず、日本から遠い外国に
日本人の詳細が多大に載っていることを考察すれば、大陸に近い九州
は大陸に情報が行きやすいから、九州の日本人のことが大陸の古文献に
詳細が書かれていたことは、畿内より九州に卑弥呼がいたとするのが
合理性ある考えなのだ。
146太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/12(日) 23:19:25
>>145
眠くなって来たのでちょっと文がおかしくなったか? 失礼。
>>143
220〜300年。倍暦計上からだいぶ真に近い。
147日本@名無史さん:2007/08/13(月) 03:17:47
>>144

栄えてないという根拠も無いよな。

九州説の人は、すぐに考古学に難癖つけるが、
纏向が3世紀から興り、九州の邪馬台国を衰退させたと考えた方が、
魏と通じていたほどの邪馬台国が、その後の歴史から消えた説明がつくというもの。

結局、本居宣長の考察が一番正しかったということ。
148日本@名無史さん:2007/08/13(月) 03:29:29
邪馬台国は、九州山門県。
卑弥呼の後の台与は、日本書記では田油津姫と呼ばれ、神功皇后に討たれた。

江戸時代から答えは出ている。いったい何を論争しているのか?
149日本@名無史さん:2007/08/13(月) 05:01:05
山門と邪馬台は発音が違う。
また、記紀には、山門は神功皇后の時代に
つけられた名称だといわれている。

また、纏向遺跡の年代は
180年〜340年ごろである。
150日本@名無史さん:2007/08/13(月) 10:12:32
魏志が訪れた時代は
1、伊都国が重要視されていた時代
2、環濠が存在した時代
3、倭人は入墨をしていた時代

1、2の時代には、畿内ではマキムクは存在しない。
マキムクは環濠集落ではない。環濠集落の時代が終わった後に
始まった集落である。300年頃以降の遺跡である。
151日本@名無史さん:2007/08/13(月) 10:21:41
魏志では、伊都国は特に優位にある国として書かれている。
しかし、伊都国は、古墳時代には九州で優位な地位にはない。
平原の頃が伊都国優位の終末である。
よって、九州の古墳時代は300年頃以降になることが確定する。
無理して早く見てもせいぜい290年頃。

畿内マキムクの初期古墳と同型のものが西都原などに存在するので、
畿内マキムクの古墳築造開始は300年以降となる。
152日本@名無史さん:2007/08/13(月) 11:38:01
>>149
>山門と邪馬台は発音が違う。

でたらめを言うな。
発音が違うのは、山門の門(音甲)と、大和[夜麻登]の登(乙音)であって、
山門と邪馬台の発音が違うなどという根拠は無い。
153俺は奈良人だ:2007/08/13(月) 13:36:42
>>144

纏向(まきむく)遺跡は奈良県桜井市の三輪山の北西麓に所在する広大な遺跡で、 その広さは300万平方メートルにも達します。 現在発掘されたのは
遺跡全体のごくわずかですが、 発掘された遺物はどれも超一級であり、 今後さらなる大きな発見が期待されています。
この遺跡からは縄文時代や弥生時代の遺構、 遺物も多少見つかっていますが、 遺跡の最盛期は弥生時代終末期〜古墳時代前期にかけてであり、
これは邪馬台国が栄えた時代とちょうど合致していることから、 邪馬台国の最重要候補地でもあります。
纏向遺跡最大の特徴は、 出土した土器のうち約三割が大和以外の外来の土器である点です。 それら外来の土器は
南九州から南関東にいたる日本列島各地のものであり、 中でも東海地方の土器が最も多く、 朝鮮半島の韓式土器も
出土しています。 また吉備地方に起源を持つ「弧紋」という紋様を施した木製品や、 鶏形の埴輪や木製品など、
祭祀に関係すると思われる遺物が多く出土しています。 これは纏向遺跡が物資の集散地であった証拠です。
このような遺跡は全国でも纏向遺跡だけです。
154日本@名無史さん:2007/08/13(月) 13:57:16
3世紀の日本の中で、
最も広範囲に影響を及ぼした経済の中心地はどこか?と考えれば、
纏向しかないのが実情。

こうした事実は、事実と認めなければならないだろう。

なおかつ、纏向=邪馬台国とするか、
北九州に邪馬台国という独立した政権があったとするか、それはまだ議論の余地がある話だろう。
155太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/13(月) 14:06:24
とにかくそんな経済発展地で女王国が畿内ならば、崇神世なら朝廷の隣であり、
記紀に卑弥呼の記述が倭人伝以上に載るわ。載ってないのはそこじゃないから
で、譲って次代の垂仁景行世の女性でそこに住んでたならば、その二人の天皇
とベッタリじゃないか・・・。ww ならばなおさら記紀に卑弥呼のことが
記述される、二人の天皇の宮はそこにあった珠城宮と瑞垣宮だからな。ww

載ってないんだから女王国はそこにはない。九州だ。
156太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/13(月) 14:07:44
訂正  × 瑞垣宮    ○ 日代宮
157俺は奈良人だ:2007/08/13(月) 14:44:03
>>155
九州説もよく言われるが魏志倭人伝以外に証拠はあるのか?
少なくとも物的証拠(遺跡や出土品)は九州より奈良のほうが多い。
158太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/13(月) 14:57:29
反問するよ。そんな証拠があろうとは云えない。証拠のようで証拠にならん
物だろう? それでもなるなら、どんなモノなのかね?
鏡に「マキムクに卑弥呼が住んでた」とかの銘文があるのか?w
そういうんなら証拠になるがね。
159俺は奈良人だ:2007/08/13(月) 15:10:55
>>158
出土品や遺跡はれっきとした証拠だろ。しかも年代がピッタシ当てはまるとこは証拠以外のなにものでもない。
っていうかどこから九州説なんて誰が言い出したんだよ。
もう勝負はついてるのに。だって学校の教育は奈良説だというのに。俺も学校でそう習ったよ。
奈良説が世間一般では定説だろ。
160太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/13(月) 15:18:43
だからその出土品とか遺跡っていうのは垂仁景行の関係の物ばかりだろうが。w
161日本@名無史さん:2007/08/13(月) 15:49:40
そのまえに、唐子・鍵もありますが?
162定ちゃん改おにぎり梅ちゃん ◆uxE0/ELISE :2007/08/13(月) 16:29:47
  。。 
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    ●゜     < ちょっと通りますよ
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163日本@名無史さん:2007/08/13(月) 16:55:41
>>159
出土品って何?具体的に?(特に、古墳以外のものをどうぞ)
その年代観の根拠を聞きたい。
164春を愛する人は 心清き人 実はサガミハラハラ:2007/08/13(月) 17:25:21
邪馬台国の都の確定には文献史学上と考古学上の2通りがあるとおもいます。
文献史学上は魏志倭人伝をもとに行程を探りながらその指示するところに到達し、そこになんらかの遺跡があればそこが邪馬台国
の都であると確定します。
考古学上は、邪馬台国時代の遺跡遺物ばかりでなく、もっと具体的な、邪馬台国の都であると名指しするような考古学上の遺跡遺物がなければなりません。
現在、そのように名指しするような遺跡遺物(邪馬台国とか倭人伝に登場する人物のナとかが頻出する遺跡でなければ、認められないのです。
165日本@名無史さん:2007/08/13(月) 17:39:53
考古学の視点では、3世紀の日本の中で、
最も広範囲に影響を及ぼした経済の中心地はどこか?と考えれば、 纏向しかないのが実情。
しかし、纏向が邪馬台国と呼ばれていた証拠は無い。

文献史学の視点では、邪馬台国は九州内部としか読めない。
しかし、考古学では、3世紀の九州は衰退を始め、古墳時代では畿内の勢力下に入る。

導かれる論点は、3世紀の九州に邪馬台国が独立して存在できたかどうか?ということ。

九州説は、文献だけに頼る手法では答えにはならない。別のアプローチが必要。
畿内説は、纏向が交易拠点だと主張することはできるが、九州が独立してたかどうかまでは答えられない。

もっと、気の利いた意見を聞きたいね。

166春を愛する人は 心清き人 実はサガミハラハラ:2007/08/13(月) 18:00:48
倭人伝の記載どおりに東南に進み、ここが邪馬台国の都と思ったところに倭人伝の記述どおりの岡があれば
そこは邪馬台国となります。
丘の名は桜ヶ岡です。
別のアプローチとはこれでよろしいでしょうか?
167日本@名無史さん:2007/08/13(月) 18:02:47
>>166

多くの人が同意すると思えば、そのアプローチは正しいってことじゃないかな?
168日本@名無史さん:2007/08/13(月) 21:24:03
畿内説の最後の砦はマキムクの年代遡上だが、無理が大きすぎる。
環濠のないマキムクは九州〜畿内の環濠集落が終焉した後に始まっている。
故に、マキムクで環濠集落とは比較にならない土器の広域性が確認できる。

魏志に出てくる地名で位置がほぼ確実な、末盧國、伊都国、奴国には環濠集落
が存在し、環濠集落の時代に伊都国や奴国が九州内で優位にあったという事実
が存在する。魏志は卑弥呼の居城は環濠に囲まれていたとする。

画文帯の北部九州、特に伊都国、奴国での出土は少ない。つまり、画文帯が
流通を始めた時期には伊都国、奴国は衰退を終えていた時期である。

要するに、マキムクは300年以降の集落ということが容易に帰結できる。
根拠不明の年代遡上を念仏のように唱えているのが、今の畿内説。
169日本@名無史さん:2007/08/13(月) 22:09:46
>>168
>畿内説の最後の砦はマキムクの年代遡上だが、無理が大きすぎる。

纏向に先行する唐子・鍵遺跡があるから、年代遡上をしなくても無理でもなんでもない。
むしろ、環濠のある唐子・鍵のほうが邪馬台国の描写に近い。
楼閣を思わせる文様の土器も出土している。
交易の場としても、唐子・鍵の前期から、東海や吉備からの搬入土器が認められている。
170太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/13(月) 22:13:49
唐子ちゃんがあっても、記紀のそのへんの時代の条に大々的に書かれてないん
だから、そこん処には女王国はないな。
171九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/13(月) 22:30:26
考古学的にも巻向などの年代は徐々に明らかにされている。
それは事実として受け入れるべきなのだろう。
ただ、畿内と邪馬台国とは無関係である。
当時のスカスカの人口密度からいっても邪馬台国諸国が
北部九州から畿内まで点々と続いていたとは考えられない。
それに畿内の比定地設定は何ら根拠が無い。
172日本@名無史さん:2007/08/13(月) 23:37:00
>>171
いくらお盆だからって里帰りしてくることはないだろう。
173日本@名無史さん:2007/08/14(火) 00:24:38
>>169
邪馬台国時代に環濠集落の唐子・鍵遺跡が存在したことを認めれば、
環濠のないマキムクはそれ以降の時代に始まったことになります。

唐子・鍵遺跡の出土物は九州より劣位にあるので、唐子・鍵を邪馬台国と
するのは、苦しい。

唐子・鍵遺跡を邪馬台国時代とすると、その時代の出土物で圧倒している
九州に邪馬台国が存在したことになるので、マキムクを邪馬台国時代とする
というのが、今の畿内説ですよ。
174日本@名無史さん:2007/08/14(火) 00:46:43
>>173

ちょっとまった。
纏向の出土物は、九州よりも圧倒してるような言い方だな?
出土物で圧倒してるのは、4世紀になっても九州だろ。
175日本@名無史さん:2007/08/14(火) 00:47:34
九州邪馬台国の北部一派→東征→マキムク建設 だな
176日本@名無史さん:2007/08/14(火) 00:59:31
いままで、環濠に守られて暮らしてた九州の一派が、
遠くの見知らぬ地へ出かけて、環濠の無いマキムクを作りましたとさ。
177日本@名無史さん:2007/08/14(火) 01:31:59
環濠を作ることが、そんなに偉いことなのか?

だいたい、戦国〜江戸時代だって
巨大権力ほど、防御に適さない平地に街を作っただろう?
178日本@名無史さん:2007/08/14(火) 01:35:17
>>173-174
戦国時代だって、南蛮文化に一番最初に触れたのは九州の大名だよな。
日本に外国の文化が入ってくるのは
いつでも九州が最初である。
しかし、そんな時でも、彼らは日本の玄関口になっても
日本の中心になることは無かった。
179九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/14(火) 01:38:54
@「倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑」
 倭人の國の國邑名はどれか?

A「女王國」
どの國が女王國なのか?
伊都國は女國に含まれない。なぜなら「伊都國・・・皆統屬女王國」だから。
不彌國は女王國に含まれる。なぜなら不彌國はぴったり「自郡至女王國萬二千餘里」の位置にあるから。
邪馬壹國は女王國に含まれる。なぜなら女王卑彌呼が都としている国だから。

B「女王之所都」
女王が都としている場所は邪馬壹國の何処か?

C有明海沿岸の地形
3世紀の有明海沿岸地形はどのようだったのか?
A:佐賀市中心部は縄文前期中期に出来た南に張り出した泥州半島。
B:大川市中心部は縄文前期中期に出来た泥州島。
C:柳川市中心部は縄文前期中期に出来た泥州島。
D:有明海北部海岸線は目達原・吉野ヶ里の南側。
E:有明海東部海岸線はみやき町−千代田町−大川市−柳川市−高田町西部のライン。
F:筑後川の河口の位置は千代田町−大川市間又は大川市−柳川市間
G:低湿地帯(水稲生産地)は、みやき町−千代田町−大川市−柳川市−高田町西部−大木町−久留米市−みやき町に囲まれた範囲
180日本@名無史さん:2007/08/14(火) 01:58:48
>176
環濠という集落レベルの防衛→国が大きくなる→内陸の奈良盆地全体を防御ラインとする
という事だと思うけど
九州北部の港市国家が外洋から攻められやすいのに対してずっと安全
181日本@名無史さん:2007/08/14(火) 02:02:33
>>174
マキムクの出土物は古墳からの出土物を除くと大したことはないというのは、そのとおり。
日本各地の土器が出土とか、水路の整備とか、高床建物が多数あるとか、そんなことで
出土遺物の貧弱さをごまかすことはできない。
182日本@名無史さん:2007/08/14(火) 02:10:03
>>180

九州から東遷したとしたら、武器も持たずに来たってことだね。
纏向からは4世紀になっても鉄器も出てこないものね。
183日本@名無史さん:2007/08/14(火) 02:22:56
ぶっちゃけ、九州から東遷してきた一派が纏向を作ったと考えるには、
纏向の遺物は貧弱すぎるんだよ。

あるのは、広域から搬入された大量の土器だけ。

これで、鉄器や武器や中国鏡や絹やらが大量に出てきたら東遷説もアリかもしれないが、
そういう意味の豪華な出土物はありません。
184九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/14(火) 05:37:44
>>172
あのね、茶化したようなおかしなレスしてくんじゃないの!
お子様はせっせとこちらの問いかけに答えなさい。
夏休みもあと少し。宿題済んでないならすませてからね。
185九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/14(火) 05:43:12
巻向なんて言うトンチンカンな遺跡が邪馬台国なわけないだろう。
伊都国前原、吉野ヶ里、などと同じ集落の姿だった筈だ。
墳丘墓も環濠の中にあってこそ邪馬台国時代である。
どでかい前方後円墳が環濠の外に単独で存在するような遺跡は邪馬台国ではない。
186日本@名無史さん:2007/08/14(火) 10:44:43
>>185
お前の見方が間違っている。
187日本@名無史さん:2007/08/14(火) 13:35:58
整理するね。

卑弥呼の生きた時代の遺跡は、唐子・鍵。これは環濠ありの邪馬台国の描写に同じ。
台与以降の時代の遺跡は、纏向。卑弥呼の死んだ後に作られた墓を箸墓とするのは道理に合ってる。
広域からの搬入土器が、3世紀の日本では最大の経済圏を有していたことを示している。
この経済圏を連合国とすれば、邪馬台国連合の中心は纏向となる。

東遷は、あったか?
唐子・鍵、纏向ともに、鉄器は僅か。木製道具ばかり。
大量に出土する搬入土器は東海が最も多く、九州はごく僅か。
よって、東遷は考えられ無い。

九州は、畿内から独立してたか?
九州からの纏向への搬入土器の少なさ、鉄器の少なさが、
畿内の経済圏が九州まで及んでいないことを逆に証明している。
よって、朝鮮半島と鉄の交易していた邪馬台国は、九州の独立政権として存在しえる。
ただし、考古学から九州説を語る場合、東遷説は成り立たないと。
188日本@名無史さん:2007/08/14(火) 15:37:33
>>187 それが畿内説の袋小路

唐子・鍵と九州の環濠集落を卑弥呼の時代とするならば、邪馬台国は出土物で圧倒的に
優位にある北部九州にせざるを得ない。

そこで、マキムクを環濠集落期の末期からと開始を早めて、箸墓を280年頃まで遡らせる
方向をめざすが、マキムクの開発が始まってから箸墓が作られるまで50年以上は経過して
いるという難点がある。

そこで、遡上説はマキムクの開始を180〜200年頃、ホケノ山を230年〜250年頃、箸墓を
250〜280年頃とする。九州の環濠集落とは同時並行も想定する。

しかし、環濠集落の時代に環濠のないマキムクを並存させることは困難である。

魏志で倭国内の争いのため檄文を送ったとする時期に環濠のないマキムクの開発が始まったと
するのは困難であるため、マキムクの開始を260年以前に遡らせることは極めて困難。

マキムクの開発を260年頃からとすれば、箸墓を300年より古く見ることはできない。
189日本@名無史さん:2007/08/14(火) 15:48:01
九州では、環濠集落の時代に奴国、伊都国や吉野ヶ里近辺が隆盛を極めているが、
環濠集落の時代が終わった後は、南部九州の西都原などにも比重が移り、
古墳時代には、北部九州の優位が終わっている。
平原は、環濠集落の時代と古墳時代の中間期に位置すると考えられる。

西都原の古墳群は、マキムクの古い古墳と同時代性があるため、マキムクを環濠集落
の時代と並行させることは、この点からもできない。
そもそも、環濠集落の時代は環濠の内部や隣接地に墳墓が作られているため、古墳時代
と並行することはあり得ない。

魏志で伊都国が重要視されていることからは、その時代は環濠集落の時代であり、
マキムクと同時代性のある西都原の古墳群が作られ始めたのは、それからある程度の
期間を見ておくのが穏当である。

従って、マキムクの開発は280〜300年頃からと見たほうが良い。
箸墓は350年ころとする森浩一説に軍配が上がる。
190日本@名無史さん:2007/08/14(火) 16:44:07
環濠集落の時代に、環濠集落の無い集落(纏向)は並行しないというのはごもっとも。

ところが、纏向は「集落」ではない。
纏向が集落であるならもっと話は簡単だが、住居跡が無いことが纏向遺跡の解釈を悩ませている。
そこで「市」説が生まれた。

人が集まり住んでいた環濠集落と、纏向を同一に考えるべきではないのである。
191太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/14(火) 19:28:02
>>188
拙者の倍暦計上でピタリ、1年の狂いも無く

垂仁即位元年 260年 

垂仁の宮はマキムクの珠城宮だという。
192日本@名無史さん:2007/08/14(火) 21:43:17
纏向を3世紀中期とするか、4世紀初頭とするか?

3世紀初頭は遡上させすぎかもしれないが、
4世紀初頭に遅らせると、今度は九州が衰退した説明が出来なくなる。
370年頃には大和国が七枝刀をもらうまでに隆盛してることも考えないとね。

箸墓が350年ってのは、正気で言ってるとは思えないが。
193日本@名無史さん:2007/08/14(火) 23:05:31
箸墓が350年というのは、400年頃から普及したとされる馬具が
環濠から出土した事実からも裏付けられる。
馬具出土層の土器のみを特に新しく見ることはできない。

私は、崇神の在位が340〜360頃で、崇神稜が345頃完成、箸墓は
350頃に完成して、その頃にモモソヒメが亡くなり祭祀が行われ、360頃に
崇神が亡くなって祭祀が行われた結果、古墳形態では崇神の方が古く、
祭祀(特殊器台など)では、箸墓の方が古いという逆転が生じていると
考えています。
194日本@名無史さん:2007/08/14(火) 23:10:44
>>193

で、七枝刀は、どう説明するの?
195太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/14(火) 23:10:59
箸墓が350年はありえると思います。もう少し前かな?

倍暦計上で崇神即位237年を計上しました。この年は景初元年です。崩御259年。
次いで垂仁即位260年です。
196日本@名無史さん:2007/08/14(火) 23:32:19

箸墓を350年にしても東遷説は成り立たないのに。

きょうび、関裕二からも、安本は名指しでバカにされてるくらいだからな。
197太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/14(火) 23:39:55
七支刀は安康元年(468年)、稲荷山鉄剣は雄略元年(471年)を
倍暦で算出しました、これもともに元年です。
198日本@名無史さん:2007/08/14(火) 23:42:23
関裕二氏が安本氏を名指しでバカにしているソースを教えてください。
199唐松山:2007/08/14(火) 23:44:57
?(仲哀暗殺)なんて...

仲哀9年(神功元年)
適二是時一也。晝暗如レ夜。已経二多日一。時人曰。常夜行〔之〕也。
皇后問二紀直祖豐耳一曰。是恠何由矣。 間二舊老一時有二
一老父一曰。傳聞。如レ是恠謂二阿豆那比之罪一也。問二何謂一也。

 アズナイの罪(どこか他で見たような)
日食  西暦273年5月4日 食94% 17時頃 または
西暦301年4月25日 食75% 17時40分頃(新羅本記では、こちらか)等が考えられます。
(卑弥呼の記事が此処に挿まれたのも こんな事が合ったからでは?)
これで この頃の 人々は、日食をしらなかった(暦的には)


200唐松山:2007/08/14(火) 23:48:06
前がちぎれた こちらが先
今 住吉大社神代記を読んでいます
姫大神は やはり 卑弥呼 では?(景行時代)
そして 神功との秘め事は、住吉の神
新羅遠征後 住吉神
穴門豊浦、難破長柄泊賜、甘南備山等
亦大神宣賜。吾天野。錦織。石 川。高尾張。膽駒。甘南備山。等榊黒木その他諸処
膨大な土地、神域を 神功から賜う

当然 姫大神は霞んでしまう
住吉神の裏方として3筒男?(仲哀暗殺)なんて...

201日本@名無史さん:2007/08/14(火) 23:58:40
"図解「邪馬台国」の謎を解く" 関裕二著

p22
安本美典は〜〜邪馬台国の所在地は、福岡県甘木市付近で、ここから邪馬台国が東遷し、ヤマトが建国されたとする。
だが、最新の考古学は、九州の勢力が東に遷ってヤマトを建国したとするかつての常識を、もはや時代遅れとみなしている。

p54
(大宰府市付近に邪馬台国があったとしたら、敵に南北から挟み撃ちにされたら逃げ場がなく滅亡する)
〜したがって、邪馬台国=大宰府市説は、まずここで潰え去る。
安本美典が唱える「甘木説」も、じつに怪しくなる。

202日本@名無史さん:2007/08/15(水) 00:00:15
>>194  質問の意味が不明なのだが。

七枝刀については、解釈が分かれているから自分の立場を
言ってくれないと、反論のしようもない。
203日本@名無史さん:2007/08/15(水) 00:03:59
>>201わかりました。わざわざどうもありがとうございました。
204日本@名無史さん:2007/08/15(水) 00:23:05
関裕二は、本居宣長と同じく偽僭説だね。

彼の説は、大和から派遣されたトヨ(神功皇后)が、九州の邪馬台国卑弥呼を殺したというもの。

畿内の大和軍に九州の邪馬台国が滅ぼされたとするのは、大筋で同意できる。
205日本@名無史さん:2007/08/15(水) 06:22:06
安本美典も、関裕二も、
いわゆる在野の歴史愛好家であって
正規の歴史学者や考古学者ではないね。
206日本@名無史さん:2007/08/15(水) 07:17:52
関裕二さんって小説家ですよね。
つまり、フィクションが多いということですね。
207日本@名無史さん:2007/08/15(水) 07:56:03
しかしプロの学者より小説家の井沢元彦の方が俺には説得力あるのだが
文章力の高さの性だろうか?
208日本@名無史さん:2007/08/15(水) 08:15:23
中国の戦国時代、蓁の首都カン陽だけが城壁を持たなかった。
何故ならカコクカンという天然の要害に守られていたため
奈良盆地も天然の要塞だったのでは?神武も攻略できず、ハンニバルばりの
大迂回作戦を敢行したとされる
209日本@名無史さん:2007/08/15(水) 10:10:51
今では日本で500枚、中国で0枚の三角縁を国産と主張する者が、
学会主流派のなかには存在しない時代が40年ほど続いていた。

弥生時代の鉄器は九州が畿内を圧倒していることや、畿内のなかでも
ヤマト発祥の地の奈良県は特に少ないという事実も学会主流派は、
50年近く無視・否定し続けてきた。

安本、森浩一、奥野なんかは、学会主流派が、考古学的事実を
黙殺し続けた時代にそれを主張し続けた人達だから、重要だよ。
学会の翼賛体質は、学問の発展を阻害し続けている。

関や武光は、学会のタブーを巧妙に避けつつ書いているずるさがある。
210日本@名無史さん:2007/08/15(水) 11:12:25
>>209
流石にモリコーを詐欺師と無能の二人と同列に見るのはやめてくれんか
211日本@名無史さん:2007/08/15(水) 11:15:24
>関や武光は
この方たちはなんか?とおもっていたのですが、そうだったのですか。
212日本@名無史さん:2007/08/15(水) 11:46:14
>>210
安本や奥野が嫌いなんだね。
もしかして、考古学を無視し続けた側の人?
213日本@名無史さん:2007/08/15(水) 12:27:43
>>209=212

畿内説に立つ考古学を批判し、九州説の関や武光を批判して、安本を擁護するということは、
東遷説を支持してるってことだな。

おまえ、SOYだろ?

214日本@名無史さん:2007/08/15(水) 12:45:24
安本がバカなところは、畿内の鉄器の少なさを指摘するまでは良かったが、
調子に乗って東遷説を唱えたのが間違い。

古墳時代初頭になったとき、急に畿内から鉄器がじゃんじゃか出土してくるわけでなく、
鉄器の出土量に関しては北九州の方がなおも上回るのに、そうした事実には目を向けない。
215日本@名無史さん:2007/08/15(水) 13:00:43
考古学的でも歴史学的でもどちらでも構わないですがどれが近いのでしょうか?
1 九州出身神武天皇が畿内へ遠征して子孫が邪馬台国を作った。そして故郷九州を吸収した。
2 九州邪馬台国が確立された後、畿内へ勢力を伸ばして首都移転した。
3 畿内で自生した大和朝廷が別勢力の九州邪馬台国を吸収した(滅ぼした)。
4 その他

そして九州説の人は
1 九州発生邪馬台国が勢力を畿内へ拡大して、奈良へ首都移転した(中心地を移した)。
2 九州発生邪馬台国は勢力衰え、別の勢力大和朝廷に吸収されてしまった。
3 その他

そして畿内説の人は
1 九州出身の神武天皇が遠征して、子孫が邪馬台国を造り、後に大和朝廷となった。
2 皇室は元々畿内出身だ。その子孫が邪馬台国となり、大和朝廷となった。
3 その他

畿内説、九州説の人は邪馬台国所在地が同じ説でも細部に違いはないのでしょうか。
上の選択肢でも1と2では多少違いますよね。3のその他でもいいから教えて下さい。
216日本@名無史さん:2007/08/15(水) 13:09:52
>>214
>畿内の鉄器の少なさを指摘
この当たり前の指摘すらしてこなかった破廉恥な連中はスルーなの?

>鉄器の出土量に関しては北九州の方がなおも上回るのに
そりゃそうだ。鎌倉幕府ができた直後に鎌倉が京都を上回ったわけではない。
同様に、ヤマト政権が誕生した頃は、北部九州の方が上回っていたのは当然。
217日本@名無史さん:2007/08/15(水) 13:23:21
>>216

>同様に、ヤマト政権が誕生した頃は、北部九州の方が上回っていたのは当然。

ならば、3世紀の大和に鉄器が少なくても、九州を支配していなかったという根拠にはならないよね?




218日本@名無史さん:2007/08/15(水) 13:40:07
>>215

「神武東征は事実か?」「現在の皇室が何世代まで遡れて、どこの出身か?」
「邪馬台国は、九州か?大和か?」という問題は、それぞれ別の話。

全部絡めて説明しようとすると、安本みたいに、
邪馬台国は九州で、天照大神は卑弥呼で、神武東征は事実で、4世紀に大和政権が出来たとする
トンチンカンな東遷説になってしまうということです。

どうして東遷説本が売れるかというと、
全部のネタを絡めて一通り説明されると、素人は納得して騙されやすいからです。
そこが詐欺師と言われる由縁ですね。

「AとBは別の話」という冷静な観察眼を養ってください。
219日本@名無史さん:2007/08/15(水) 13:49:26
>>215
おもに考古学者が考えるモデルケースは、そのどれとも違う。
九州説、東遷説、畿内説と言った旧来の説は、どれもすでに返り見られない過去のものになっている。
220日本@名無史さん:2007/08/15(水) 13:58:06
>>218>>219
では、ここで九州説、畿内説を唱えている人達は何を主張しているのでしょうか。
仮に邪馬台国が九州だったと確定場合、畿内だったと確定場合そこで終わってしまうのですか。
そこから先は何も考えないのですか。
221日本@名無史さん:2007/08/15(水) 14:11:17

尋ね方が適切ではなかったかも知れません。

邪馬台国が九州だった。畿内だった。
それが確定したら、その延長線上としての続きはどんなターゲットになるんでしょうか。
次の興味の対象。探究心の行方です。
222日本@名無史さん:2007/08/15(水) 15:36:39
>>221
それがはっきりせずに、暗号パズルよろしく文献をいじるまくるだけの
目的と手段を取り違えてる人と
結論がまず先にあって、目的のために手段を選ばない人と
あとは人生のやり直しがきかなくなった人なんかが、ここに残っている(残されている)。
223日本@名無史さん:2007/08/15(水) 15:44:43
873 :日本@名無史さん :2007/05/04(金) 20:48:44
めんどいのでごく簡単に書く。
詳細を知りたければ3世紀について書かれた専門書を読まれたし。
3世紀の日本列島は、九州も四国も中国も近畿も、東海も中部も関東も
すべて独立した首長国家(クニ)が大同小異の通称連合化していたというのが畿内説なんだ。
もちろん面ではなく点と点のつながりであって、それに属さなかったであろうと見られるクニはいくつもある。
その中には2世紀まで玄界灘沿岸で栄えた奴国・伊都国などのツクシ連合も含まれている。
これは再三言われるように、機内王権がツクシ連合王権を支配下に置いたものではない。
当時は並列として存在していた可能性が高いとも考えられている。
もちろんキビ王権やサンエン王権の存在すら視野に入れている。

なぜ統一国家や支配といった考え方が廃れたのかは、とても書ききれないし
できれば専門書既読のうえで質問してほしいが、徐々にならば書けるかもしれない(それほど資料が膨大にある)

すごく大まかに言うと倭人伝の記述のうち、卑弥呼の即位がが「共立」という言葉で示されていながら
他の記述がまるで専制統一国家を思わせるような記述になっていることそのものが、もうすでに疑われており
さまざまな出土事実から推測される3世紀の列島情勢が、倭人伝にいう政治体制と一致しないというのが有力な見方となっている。
これが畿内説(実際は並列連合政権説)の基本的な考え方。

ただし未だに機内王権が鉄ルートを簒奪し、九州を支配下に置いたとする畿内自生説(樋口、白石など)も確かに学会には存在する。
両氏とも古代史の権威ではあるが、ほとんどの考古学者は同意していない。
北部九州や吉備の連合への影響などは、柳田や寺澤が提示しているように相当密接なものであった可能性が高い。
倭人伝記事との齟齬については文献史学も未だ明快な回答を提示し切れていない。
だが少なくとも協力な中央集権が畿内に発生し、それが他地域を3世紀初頭に圧倒したとする畿内説は、もうほとんど唱えられていない。
224日本@名無史さん:2007/08/15(水) 15:49:12
安本派最後の砦だなこの板はw
環濠集落云々って、実際は弥生後期でも拠点集落に環濠があったりなかったりする訳で。
マキムクが伊都国や奴国の環濠集落時代(?)より後とか嘘だよな。
土器の併行関係とか全く無視だな。奴国の須玖とか比恵とか「環濠」無いんだが、どうするんだ。
いまだに画文帯神獣鏡が4世紀とか笑える。洛陽漢墓にも神獣鏡あるのにね。建安年間の銘文の鏡が中国にたくさんある訳だが。
誰も相手にしないよ、そんなのw
225日本@名無史さん:2007/08/15(水) 15:49:33
ここでは有名なコピペだが、うまく要約しているので貼っておく。
これが考古学の基本的な考え。
たぶん邪馬台国厨はキーキーわめくだろうが、あとは君が判断すればいい。

要するに邪馬台国がどこにあったか、つまり卑弥呼がどこに居たかなんてのは
もうほとんどどうでもいいことになっちゃったんだ。
九州にあろうが畿内であろうが、四国でも東海でもいいが
どこにあったとしても、3世紀の日本列島の情勢にさしたる影響を与えない。
226日本@名無史さん:2007/08/15(水) 17:15:00
>>221

>邪馬台国が九州だった。畿内だった。
>それが確定したら、その延長線上としての続きはどんなターゲットになるんでしょうか。
>次の興味の対象。探究心の行方です。

考古学の場合、>>225のように、3世紀の状況がわかれば、それでOK。
邪馬台国がどこかとか、どこの地域がどんな国名で呼ばれてたかは関知しない。
九州や東海から「ここが邪馬台国なり」という木簡が出土したとしても、「あ、そう」ですむ話。
後は、地域ごとの隆盛・衰勢の様子を時間軸で探る研究を繰り返すだけ。

文献史学は、考古学と齟齬が無いかぎり、神話を史実として推理するのはいいが、
齟齬が顕著になれば、小説とかフィクション扱いになるだけ。
フィクションでも、あまり現実と乖離すると読者からバカにされるので、サジ加減を考えたほうがいい。
その点、関裕二はうまく立ち回ってる。安本は崖っぷち。武光は東大という立場だし。
227日本@名無史さん:2007/08/15(水) 17:29:00
>>225
>邪馬台国がどこにあったか、卑弥呼がどこに居たかなんてもう殆どどうでも良いことになっちゃった。
>どこにあっても3世紀の日本にさしたる影響を与えない

ならなんでこんなに論争してるんですか。
貴方が邪馬台国畿内説>>223の支持者だった場合、どうでも良いなら九州が邪馬台国だったとの結論でも
構わないんですか。さしたる影響も与えないし、卑弥呼がどこなんて殆どどうでも良い雰囲気なんですよね。
逆に貴方が邪馬台国九州説支持者だったとしても、畿内が邪馬台国だった説が主流でもどうでも良いのですか。
どちらの説の支持者も読む限り主張を引き下げない様な気がします。
貴方は>>223のコピペを選んだ限りでは畿内説だと見受けました。違っていたら御免なさい。
コピペの内容の立場が畿内説側に多くを裂いている感じがしたからです。

貴方は将来的には邪馬台国や卑弥呼と言う言葉はどうなると思いますか?
又、魏から金印を貰った邪馬台国の所在地は不明で統一されると思いますか。
さしたる影響を与えないと言っても、じゃあ、自分達の説とは反対の畿内でもいいよ、
九州でもいいよとはいかないと思います。
それと魏志倭人伝の記述と当時の倭の状態に齟齬があったとしても金印の授受は真実ですよね。
228日本@名無史さん:2007/08/15(水) 17:36:53

>>225>>223を同一人物として書いてしまったけど、間違いかも知れませんね。
違っていたら御免なさい。

>>226
要するに教科書には金印を貰った邪馬台国は実は東海だった、九州だったとの記述一行で終わりになるということですか?
学者の名前を書かれても私にはどういう主張の人なのか分かりません。
ところで箸墓遺跡から新発見品が見つかると思いますか?
229太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/15(水) 17:44:12
どうでもいいなんては思っていないと思う。強く関心はあるはずだ。
もし考古の方でそういうことを云っている方がいるなら、どっちだか説明
できないので逃げ言葉で肩透かしをしてるだけだろう。そうなら外れても
どうでもいいと云ってたとおりだと、とぼけられるつもりだろうから〜。
230225:2007/08/15(水) 18:08:04
>>227-228
いや同一人物でいいよ、判りやすく225としておこうか。
ただコピペは自分の作成じゃない。もともとこれは畿内自生説を否定して書かれたもので
現代のと言うか考古学見地の邪馬台国論とはどういうものかとの紹介だと思われるから。

主張はすでに226氏が簡潔に述べてくれた。
3世紀の状況がほぼ明らかになった今、金印も女王が実在したのかも、あとは考古事実に反しない限り好きにしてくれって感じだね。
付け加えるならもう邪馬台国論争なんてもの自体が、すでにほとんど存在していないんだよ。
厳しい言い方だが、九州説や東遷説はもう成立しないと言って良い。
理由はこれも>>224氏が概略を述べている。
ちなみにコピペにあるように、昔の畿内説も通用しない。

この辺りはスレでも散々議論し尽くされているし、結局ここに居残ったのは
「俺の邪馬台国」「ボクの卑弥呼」みたいな独善的なトンデモさんで
彼らは誰の意見にも耳を貸さず繰り返し同じことを掻いているだけなんだ。

考古学会でもまだ弥生終末期論争は活発に行われているが
どういうことが議論されているか、その現状を把握するのが先決だと思う。
夏休みだし、図書館に行って司書に寺沢薫の「王権誕生」とそれ以降に出た弥生関連の本をいくつか読んでみたらいい。
その中に安本や古田や関が含まれていても構わない。
なるべく多くの論文に目を通し、それからまたここに書き込めばいい。頑張れ。
231225:2007/08/15(水) 18:15:42
最後に箸墓について。
たぶん何も出てこないだろう。高い確率で盗掘されているだろうから。
ただ墓室の構造や、墳墓の工法などが判明すれば
相当に研究が進むだろうから、そちらの意義が高い。
行燈山、誉田山、大仙にしてもそう。大型墳墓からはたぶんろくなものが出ないよ。
232日本@名無史さん:2007/08/15(水) 18:33:10
貴方は考古学関係の仕事人てすか。それとも他の職業を持つ考古学マニアですか。
考古学等の専門家が2ちゃんねるに書き込みする事も有り得ますか?
考古学って科学的な作業もするんですよね。年輪を調べたり、顕微鏡の中からプレートを覗くんですよね。
テレビでは相変わらず畿内対九州だから、、、。
2ちゃんねる内だけならともかく、半年くらい前のNHKの邪馬台国特集での視聴者投票では九州説が多かったです。
何が学会と違うんでしょうかね。
233日本@名無史さん:2007/08/15(水) 18:43:46
>>232
仕事人ってどうよw
一般的には色々あっていいんだよ。皆が文献や考古資料に精通しているわけじゃないんだから。
今回の参院選で民主に投票した人が、民主の全てのマニュファストを理解しているかと言われればそうじゃないだろ。
学術的な問題ではなくテレビのはイメージ投票で、長澤まさみと川尻エリカのどっちが好きかって聞いているようなものだから。

そういう一般的な人気も、特に歴史学にとっては大切なんだ。
金を生んでくれないどころか、浪費するばかりの学問だからw
それと考古学は基本的に土木と建築、それに化学がメイン。みんな日焼けして逞しいアニキばかりだぞw
あと考古板に行ってごらん。明らかに関係者ばかりで笑ってしまうからw
伏字にしても判るってw
234日本@名無史さん:2007/08/15(水) 19:23:08
半年くらい前のNHK特集邪馬台国は何処だ。畿内対九州を観たんですか?

>金を生んでくれないどころか、浪費するばかりの学問だから
もし値打ち品を発見したら、誰のものになるんですか。
貴方がその職種の人で第一発見者だとしたら、貴方のものになるんですか。
金印を貴方が掘り出したら、貴方が国に寄付を申し出ない限り貴方のものですか。
それとも現場の掘り出した場所や時間によって違うんですか。
例えばロープで括られた枠外以外の場所や昼休み、仕事終了後。

ピラミッドのクフ王、王家の谷のカーナボン卿の様な資産家スポンサーは日本にはいないんですか?
もし居たら、カーナボン卿の様に、発掘場所をスポンサーの思い通りに指図できるんですか。
勿論、宮内庁が許可した範囲内でスポンサーが指図できる意味です。
235日本@名無史さん:2007/08/15(水) 19:26:14
>>234
そんな常識で考えて分かることをいちいち質問しているようじゃねえ・・・
5年後にまた鯉
236日本@名無史さん:2007/08/15(水) 19:26:31
>>227
>ならなんでこんなに論争してるんですか。

もうすこし好意的に解釈してもらってもいいんじゃないかな?
古代神話と史実をミックスして空想するのは楽しい。
個人の楽しみを邪魔するつもりは無いよ。

でも、明らかに考古学と違った解釈をしてると、デンパ呼ばわりされるだけ。
もっと考古学をきちんと踏まえた上で、空想してくれるならば、
こちらとしても刺激になる部分が無いわけでもないので耳を傾けることが出来るということ。
237日本@名無史さん:2007/08/15(水) 19:36:29
相変わらずkkkは、名無史で痛い自作自演をするなあwww

短時間で同じ考えの別人が連続して書き込むわけねえだろww
他人の長文をコピペするなんてめったにしねえだろww

コテハンは1個にしとけよ。論評人(598) ◆iHyWcPC65Eとか、老教授とか、
橿考賛助員とか、土建屋とか、何でもいいからwww
238日本@名無史さん:2007/08/15(水) 19:39:34
例えば、九州説では、九州の八女、山門、大宰府、熊本県は邪馬台国の舞台とされてるが、
記紀神話では、それらの地域はスルーされてる。

天孫降臨〜神武東征は、宮崎、大分、福岡の瀬戸内海側が舞台になっていて、
玄界灘側は舞台として登場しない。

考古学からみても、前方後円墳体制に早く加わったのは宮崎県、西都原など瀬戸内海側。
これは、玄界灘方面の北九州に、大和に従属したがらない勢力があったとも言える。
そこが「邪馬台国」で、前方後円墳体制に移行した段階で消滅した、という話なら有り得ると思う。
239太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/15(水) 19:52:06
>>230
畿内説はもう成立はしない。まぁあきらめるんだな。
もう何回も云ってるとおり、畿内にあるなら朝廷のお隣りさ。ならば記紀に
倭人伝以上に女王国のあからさまな姿が記載される。それが無いということは
畿内に女王国があるわけがない。卑弥呼の国は九州で畿内に情報が到達しにくい
場所にあったというのが正解なのである。
240日本@名無史さん:2007/08/15(水) 19:53:23
また、玄界灘側の女神である宗像三女神は、スサノヲ系であって、
もともとアマテラス系ではないことも、きちんと素直に解釈すれば、

アマテラス系=畿内・大和
スサノヲ系=玄界灘(邪馬台国)・出雲

と、無理なく解釈できるというもの。
しかし九州説の多くは卑弥呼をアマテラスにしたがってるから、破綻してしまうんだな。
241太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/15(水) 19:54:42
卑弥呼≠天照大御神 ←これが正解
242日本@名無史さん:2007/08/15(水) 20:07:41
記紀でも、出雲は大和に背き、九州と通じていたことが記されてる。
宗像三女神は、スサノヲから生まれている。
文献を素直に読めば、↓のように、単純に色分けされる。

アマテラス系=南九州・近畿
スサノヲ系=北九州・出雲

いままでの九州説は、卑弥呼をアマテラスに当ててるから成立できなかったのであって、
邪馬台国は北九州・スサノヲ系で、後にアマテラス系大和政権に屈したと、素直に解釈すれば、
文献からも考古学からも成立する。

しかし、どういうわけか、邪馬台国がスサノヲ系だと言及した九州説は無いんだよね。
誰か唱えればいいのに。

243日本@名無史さん:2007/08/15(水) 20:10:39
>>237
ようSOYもう退院したのかw
244太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/15(水) 20:16:56
北九州は大陸半島からの交易の拠点であり、そこから畿内へと情報はわりかし
行きやすい。ということは北九州に女王国があったならば、女王国の存在が
畿内へ伝わりやすいから当然記紀に女王国の記事が多く書かれるに違いない。

丁度百済等からの朝貢の記事がちょいちょい記紀にあるように、卑弥呼の国の
朝貢が畿内に行き、その記事が記紀に載るはずだ。

ところがそれが無いに近い。ということは北九州に女王国が存在しないことを
意味している。つまりだ、女王国は中九州以南にあった可能性が強い。
245225:2007/08/15(水) 20:24:26
>>237
なんだ、そういうのが流行ってるのか?
考古学見地の畿内説なんて、ひとつしかないんだから
誰が書いても概ね同じになると思うがね。

とまあ、当たり前のことを書くと当たり前じゃない人たちが火病るという好例だったね。
246YAP?:2007/08/15(水) 22:08:48
やや後代の本だが、隋書や通典などが証言しているように、列島は、倭(委)奴国以来、
帥升の王国、邪馬台国、倭の五王政権、大和朝廷と一貫した流れが在り、その間に
「易姓革命」を窺わせる物はない。
したがって、おそらく北部九州にあった、倭人諸国家の盟主(委奴国)が、どこかの時点で
「東遷」して、大和朝廷に成長したという理解が文献的には正しいだろう。

それを考古学的に否定するのは、論理的にあり得るが、文献史料上は、無理だろう。

まあ、倭の五王の時代には、大和に本拠地があったわけだから、東遷〜東征の時期は、
邪馬台国の前かあとかが、次の問題になる。
「戸数」を信用すれば、邪馬台国は近畿に設定せざるを得ないから、その次の問題は、
倭国王?帥升の時代の前か後かが東遷・東征の時期の論点になる。
どっちかは、私にはまだ決められないが。
247太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/15(水) 22:24:04
委奴国王とは九州王朝の準備的下積みの勢力。
戦国時代の大名の如くで、まだ九州の大半までに勢力が大きくはない。
248日本@名無史さん:2007/08/15(水) 22:39:43
>「易姓革命」を窺わせる物はない
とは如何なるお説にてか?
249太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/15(水) 22:43:15
易姓革命は中国の定番だもな。
250日本@名無史さん:2007/08/15(水) 23:07:09
>>248
天皇家には姓がない、故に「易姓革命」はあり得ない。
理論的には、間違っていないよねww
251唐松山:2007/08/15(水) 23:17:22
「東遷」したのは、神功時代 住吉大神と共に

河内、難波を支配し 大和を併呑

云わく「日本は乃ち小国、倭の并す所と為る。故、其の号を冒す」

住吉大神=倭   大和=日本

どうや?
252日本@名無史さん:2007/08/15(水) 23:57:38
>>224
マキムクと環濠集落の並行については、>>189でも述べていますが、西都原の古墳群が
マキムクと同時代性を有するので、その考えではマキムク、西都原、伊都国や奴国の
環濠集落が同時代ということになりますが、それはやはり無理でしょう。

画文帯が邪馬台国時代であるとすれば、伊都国、奴国での出土が僅少であるという
考古学的事実を説明できません。
出土状況からは、伊都国、奴国が衰退して、中南部九州の勢力が強くなった時期で、かつ
古墳時代(画文帯のほとんどが古墳から出土)に画文帯が流通していると言えます。

「比恵」と「環濠」は検索されたし。須玖については、議論の価値があるが、須玖のみを
根拠として、マキムクとの同時代性は難しい。環濠が未発見の可能性もある。

土器の並行関係という前提は結論の先取り。九州で環濠集落の末期に始まる庄内式が
畿内では古墳直前期〜古墳時代となるというのは、庄内式が九州で生じた可能性も
視野に入れる必要があります。
253日本@名無史さん:2007/08/16(木) 00:06:34
庄内式が九州で生じた可能性って、あるの?

たしか、安本がそんなこと言ってたな。
254日本@名無史さん:2007/08/16(木) 00:09:59
画文帯については、同向式のほぼ全部(約1枚が楽浪郡)から出土という
事情があり、出土状況からも国産が多く含まれていることは、明らか。

画文帯は、ホケノ山のように三角縁以前に流通を始めたことは確実。
画文帯は、5、6世紀の古墳からも出土するが、三角縁は一時期の古墳から
集中して出土する。

この状況で、5、6世紀の古墳の画文帯を伝世とすれば、画文帯を圧倒する
出土数の三角縁が一時期に集中することが説明できない。
また、5、6世紀の古墳から出土する画文帯を、200年頃に中国で製造された
ものが伝世したとするのも困難。これはほぼ確実に国産。

要するに、画文帯の多くは日本で作られており、画文帯の中国での流通時期
のみをもって、古墳の年代を決めるのは、もはや暴論の域に達するものです。
255YAP?:2007/08/16(木) 00:26:08
委奴国の「奴」は、「委」あるいは「倭」を貶めるために付加された文字だろう。
つまり「委奴国王」あるいは「倭奴国」は、本来の国名は「委」あるいは「倭」ということだ。
つまり後漢は、倭人諸国の盟主 あるいは、大倭王的存在に対し、「王号」を与えたわけだ。
そうでなければ、後漢の光武帝が、九州の一小国の首長に「王号」を与えるのかね?

それがたまたま、「伊都国」と音が類似していたり、「倭の奴(な、の)の国王」と解釈できるために
誤解が生じたわけだ。
「伊」は上代日本語に近い音を写したとすれば、ア行の「イ」(i)だ。
「委」「倭」は、ワ行音だ。つまり「ワ」wa、「ヰ」wiだ。
「奴」に無理に音かを与えるとすれば、上古音から、「ナ」だろうが。

「漢委奴国王印」はを、「漢の倭の奴国王」と三段国名で読むのは、明らかに、
おかしい。漢が、諸方の外臣に封冊して与えた王号は、匈奴を唯一の例外として、
全て「2段国名」だ。
仮に漢が、倭人諸国の一小国の首長に王号を与えれば、それら倭人の諸小国を束ねる
「大倭王」は、漢の皇帝とほぼ同格と認めたことになる。
そんな例外的存在は、匈奴大単于だけで十分だろう。
つまり、後漢が「倭奴国王」を冊封したということは、「倭人の諸国」全体に
唯一の王」として、承認したということだ。

そう考えて、始めて、歴代の中国の史書が、倭奴国以来を一系として
扱っていたということが理解できる。

で、日本側には、「神武東征」説話があるわけだ。
付き合わせると、倭奴国から、倭の五王の間のどこかで、東遷〜東征
下と言う事になる。
256春を愛する人は 心清き人 実はサガミハラハラ:2007/08/16(木) 00:39:18
>>255正論で実によく筋がとおっています。
ただし奴をナと読む以外は。奴はトまたはドと発音します。
257日本@名無史さん:2007/08/16(木) 02:28:25
『後漢書』
「建武中元二年、倭の奴国 奉貢朝賀す。 使人自ら太夫と称す。 倭国の極南界なり。 光武、賜うに印綬を以てす」

印綬をもらったのは、「倭の奴国」ですよ。
258日本@名無史さん:2007/08/16(木) 02:32:56
>257
「の」という助詞をつけて読むのは日本人だべ?
259日本@名無史さん:2007/08/16(木) 03:04:47
>>257
後漢書東夷傳原文

建武中元二年倭奴國奉貢朝賀
使人自稱大夫倭國之極南界也
光武賜以印綬

倭奴=委奴
260日本@名無史さん:2007/08/16(木) 03:40:27
[倭奴國]と、[倭國]があったということですか。
261日本@名無史さん:2007/08/16(木) 03:51:09
で、[倭奴國]は、「わな国」と読むんですか?「わと国」ですか?
262日本@名無史さん:2007/08/16(木) 07:04:42
>>255
それは、間違い。
奴國は、「なこく」と呼ぶ。
57年は、完全に中古音の時代だから。
263262修正:2007/08/16(木) 07:05:34
>>255
それは、間違い。
奴國は、「なこく」と呼ぶ。
57年は、完全に上古音の時代だから。
264日本@名無史さん:2007/08/16(木) 07:16:07
>>255
後漢側は、倭奴國(わなこく)
奴國側は、倭の奴國(わのなこく)
と解釈に違いがあったんじゃないのか?

ちなみに、「奴」という字は
後漢時代は、上古音で「な」と発音する。

神武東征と57年を関連付けることには反対。
265春を愛する人は 心清き人 実はサガミハラハラ:2007/08/16(木) 07:41:14
後漢書にいう倭奴国の倭は本来は委であったという説もあります。
何度も書写を重ねているうちに誰かが、「委は倭の間違いであろう」と気をきかして書き直したという説です。
その証拠が金印の委の字です。
266日本@名無史さん:2007/08/16(木) 09:14:34
>>264
つまり、
奴國が自分たちを倭の奴國と解釈していたということは、
57年以前に、奴國が倭国という大きなカテゴリに
属していたということを現しているということじゃないのか?
おそらく、57年以前に、出雲かどうかによって
倭国が大きな集合体に一度は統一して、
そこから戦国時代に突入したんじゃないのか?
267日本@名無史さん:2007/08/16(木) 09:43:14
倭の領域に属している国は全て属していることを自覚しています。
その中で金印をもらえるほどの国は倭を代表する国ということです。
ですから倭の奴国ではなく、倭国として朝貢するわけです。
なお群雄割拠の状態での朝貢では倭の代表国とはいえません。
268日本@名無史さん:2007/08/16(木) 11:25:36
「委」は説文で「於詭」切、
「倭」は説文で「於為」切なので
どちらも「ワ」と読むには無理がある。
269日本@名無史さん:2007/08/16(木) 11:57:34
中国の研究家は普通に
奴國は、倭の奴國で
那の県のことというふうに
理解しているんじゃないのか?

あと、最近の研究だと、纏向遺跡って
大きく二つの集落があるとか誰か言ってなかったか?
一つは祭祀上、一つは政事を司るところ?
270日本@名無史さん:2007/08/16(木) 12:08:28
「漢委奴国王」と『国王』という字が入っていることが異様なのだ
皇帝が周辺蛮族に与えた印綬は基本、「○○王」である
卑弥呼に下賜された「親魏倭王」ですら『国』の字は入らない
271日本@名無史さん:2007/08/16(木) 12:22:49
>>265
もしかして今回は「四季」ですか
春を愛する人は、心清き人、菫の花の様な、僕の恋人
夏を愛する人は、心     忘れた   僕の
秋を愛する人は、心     忘れた   僕の
冬を愛する人は、心深き人、○の花の様な、僕の母親

「我は海の子白波の〜」や「遠き山に日は落ちて〜」や
「月曜日に市場へ行って、火曜日に〜」も考えて見て下さい。

今時「四季」をパッと思い出せて名乗るなんて、失礼だが高齢者ですか?
私は若者ですが、母親が好きな歌だったので知ってます。「我は海の子」なんて母が良く歌ってました。
「遠き山に日は落ちて」は小学校の下向時に流れるテーマソングだった。

私はNHK「みんなの歌」の「回転木馬」と「グリーン・グリーン」が好きだった。
「ぐるぐる回る、ランララララララ〜回転木馬」
「ある日パパと二人で語り合ったさー、この世に生きる喜びそして悲しみの事を、グリーングリーン青空には」

若者ですが小学校時の懐かしさを込めて
272日本@名無史さん:2007/08/16(木) 12:52:16

[倭奴國]と[倭國]があった。
倭奴國≠倭國

原文
倭奴國:建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬
倭國 :安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見

AD57年 倭奴國:印綬あり
50年経過
AD107年 倭國 :請見すら無し、勿論印綬無し。

倭奴:ヰド(ト)
倭 :ヰ
273日本@名無史さん:2007/08/16(木) 14:37:10
>>265
原文に「倭奴國」って書いてあるのに、「委奴國」と読めって、どんだけアホなんだ?
金印の方が略字に決まってるだろ。

碑文や鉄剣の文字だって略字が多いぞ。
274横槍:2007/08/16(木) 19:06:42
ひらながの「な」の字の由来は「奴」とされる。
奴はnaと発音していた可能性が高い
275日本@名無史さん:2007/08/16(木) 19:58:54
すみません、
「な」の由来は「那」が有力でした。※奴の説も有
「ぬ」の由来が「奴」と言う説が有力です。
少なくとも「と」「ど」は絶対に有り得ません。例:委奴=イト
これは学者が自分の都合の為にわざと言っているだけ、嘘にだまされないように。
為にい
276横槍:2007/08/16(木) 20:00:54
すみません、
>>275は横槍です。夏バテです
277日本@名無史さん:2007/08/16(木) 20:20:24
奴隷(どれい)

漢音=ど
呉音=ぬ
278横槍:2007/08/16(木) 20:43:16
卑奴母離(ひなもり)があるのだから「な」もしくは「ぬ」でしょう。
同じ魏の国の人が書いたのだから。
逆にこのことからこの時代まで(五胡十六国まで)は華北も呉音だったとされて
いるはず。
    
279日本@名無史さん:2007/08/16(木) 20:47:13
「奴隷(どれい)」は中国の言葉で、
日本で初めて文献に登場した単語は「奴婢(ぬひ)」と訓ずる。

漢の時代に、漢音で話されていたわけではない。


280日本@名無史さん:2007/08/16(木) 23:17:45

黄河中流域古代国家(漢・魏・唐・等)は漢音だよ。
漢音は客家方言として辛うじて生き残っている。

長江下流域は呉音。
呉音は呉方言として現代まで生き残っている。
281日本@名無史さん:2007/08/16(木) 23:32:58
↑こいつ、脳みそ膿んでるぜ。

282日本@名無史さん:2007/08/16(木) 23:43:04
>>281
> ↑こいつ、脳みそ膿んでるぜ。

単なるゆとり脳だよ。
膿んでるわけじゃない。
283日本@名無史さん:2007/08/16(木) 23:53:24
じゃあ 奴国はドコクなのか?
卑奴母離はヒドモリなのか?
狗奴国はクドコク?

膿んでるは可哀想すぎ  虫が湧いているだけだろ?
284日本@名無史さん:2007/08/17(金) 00:12:14
それでは虫に申し訳ない。
285日本@名無史さん:2007/08/17(金) 00:17:46
「匈奴」の当時の発音は「フンヌ」、つまり、「フン族」。

とすると「奴国」の奴は「ナ」か「ヌ」だろうね。
286日本@名無史さん:2007/08/17(金) 00:38:48
呉音、漢音つーのは、
日本で日本語としての漢字を音読するときの分類なんだよねw
中国での方言分類で使える単語じゃないんだな。
287日本@名無史さん:2007/08/17(金) 02:10:08
福岡県前原市の平原遺跡では日本最大の内行花文鏡(5枚)が出土。
福岡県春日市の須玖岡本遺跡では同じく鏡・剣・勾玉の「三種の神器」の原型ともいうべき副葬品が見つかった。

奈良県では鏡・剣・勾玉の「三種の副葬品」は2世紀以降(平原遺跡はBC50年までさかのぼれる)にならないと出土しない。

逆に言えば、東遷があったとしたら、その王が生きてた頃の、1世紀末〜2世紀初頭ということだね。
288日本@名無史さん:2007/08/17(金) 02:34:13
>奈良県では鏡・剣・勾玉の「三種の副葬品」は2世紀以降
>(平原遺跡はBC50年までさかのぼれる)

具体的な遺跡、出土例と年代の根拠を言ってください。
言えるものでしたらねw
289日本@名無史さん:2007/08/17(金) 02:36:06
すいません。コピペでした。
290日本@名無史さん:2007/08/17(金) 08:00:24
呉音が先に日本に伝わって
漢音が後から伝わった。
呉音には濁子音があるのが特徴
漢音にもバ行とダ行の濁子音があるが
呉音のマ行とナ行のそれぞれ対応する。
バ行とダ行の濁子音以外の濁子音は呉音の目印。
すなわち漢音はザ行とバ行とダ行以外は子音が清音化している。
十 禅母ジフが呉音、シフが漢音。
万 微母マンが呉音、バンが漢音
熱 日母ネツが呉音、ゼツが漢音
捏 泥母ネチ、ネツが呉音、デツが漢音。

「神道」は現代ではシントウと清音化しているが
神 船母dz全濁 ジン
道 定母d全濁 ダウ

神西とかいてジンザイ。苗字の読み方には保守的なものが多く
大昔の読みを保存しているものがある。
291春を愛する人は 心清き人 実はサガミハラハラ:2007/08/17(金) 08:07:39
>>283狗奴国はクドコクで正解です。
熊本県の北部、宇土半島のウトはその名残です。
292日本@名無史さん:2007/08/17(金) 10:58:36
あのう、歴史に非常に疎いもんだからよく分からないのですが
三角縁神獣鏡が国産製だとすると
卑弥呼時代に魏から出土した鏡、それが下賜された鏡だという事になるのですが
そんな鏡はあるのですか?
293日本@名無史さん:2007/08/17(金) 14:40:04
>>292

日本国産の三角縁神獣鏡を、卑弥呼が魏に下賜したとしたら、
卑弥呼時代に魏から出土した鏡に三角縁神獣鏡があれば、そういうことになる。
294日本@名無史さん:2007/08/17(金) 14:53:22
>>293  質問の意味を勘違いしていると思われ。

>>292は、卑弥呼の時代に魏で流行していた鏡が魏志の「銅鏡100枚」と
いう前提で、その時代に魏で流行していた(魏の時代の墳墓等から出土する)
鏡は何かを聞いているのでは。
295日本@名無史さん:2007/08/17(金) 15:12:33
「銅鏡100枚」が、全部同じ種類の銅鏡という保障は無い。
わざわざ新しく造った鏡も無いとは言えないが、
倉庫で何年もストックされてた余剰品の中から、違った種類の鏡を何種類も詰め合わせたかもしれない。

魏で最も流行していた最新の鏡が下賜された鏡だという保障はどこにもない。
したがって、鏡の編年で卑弥呼の鏡を探る試みには疑問がある。
296日本@名無史さん:2007/08/17(金) 15:45:17
銅鏡100枚=他の青銅製品を作るための素材として欲したんだろ
297日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:00:39
>>296
それは考えにくい。
まず「これを臣下に配って、権威の証とせよ」という内容がわざわざ書かれていることと
後漢末から中国は貨幣経済が破綻して、物々交換に逆戻りしていることから
金品贈与としての意味も込められていると見られるから。

後漢鏡とそれ以降の有象無象の神獣鏡との決定的な違いは
この貨幣価値にあるといっても過言ではない。
三角縁が「すべて」国産かどうかはさておき、品質としては画文帯も含めてあまり大したものではない。
そういう意味では>>295氏のストックの中に後漢鏡が含まれる可能性は低くなる。
すでに魏ですら入手困難な状況になっていたのだから。

出土状況からも推測されるように、ほとんどカネとしての価値がないのが3類以降の三角縁だと考えたほうがいい。
2類は黒塚や椿井の例からすると、葬送具としてまだ金銭的価値があったのかもしれない。
1類の出土が少なすぎて、はっきりしたことは言えないのだけどね。
298日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:08:01
そういえば、銅の総量は九州より近畿のほうが1.5倍くらい上だったな。
近畿が、大量の銅を手に入れた経緯が不明だった。
東海ほど後期まで巨大銅鐸を作ってる。
299日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:17:34
>>298
畿内・東海の銅は『貨幣』としての意味合いも含んでいると考えられている。
つまり通貨をたくさん溜め込んでいる証として、豊穣の象徴となり、それが祭られた。
対して北中部九州の鉄は『貴金属』として重宝されている。
実用具としては当事は扱いが難しく、特に武器としては使い物にならなかった鉄だが
その希少価値から、保有することが権威の証だったのかもしれない。
300日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:26:47
思うに、日本に金属器が伝来したのは、鉄と銅も同時期。
九州では鉄を好み、近畿では鉄より銅を好んだのだろう。
近畿が鉄を欲しがっていたという前提には疑問を感じる。
実用価値として、両者にさほど違いはなかったのではなかろうか?

銅のほうが磨けば輝くし、鉄より融点が低いので加工も簡単。
しかし、巨大銅鐸を作るには、現代でも難しい技術が必要だった。
近畿が金属器の扱いに劣っていたわけでない。
301日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:27:05
>三角縁が「すべて」国産かどうかはさておき、品質としては画文帯も含めてあまり大したものではない
掘りの深さは、画文帯>>>三角縁 だと思うが
302日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:31:04
>300
鋳込みの難しさは、巨大銅鐸>>>三角縁 だと思う
そこには、青銅技術の退化か、モチベーションの低下が伺える
303日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:42:51
>>300
それはやはり地理的要因だと思う。
実用具としてはおそらく銅のほうが扱いやすい。
強度の低い当事の鉄は大型化できないし、加工具としての小鉄片は必要最小限なら東北にまで伝播していたと見られるから
やはり鉄は半島に近い北部九州における、富と権力の象徴であったのだろう。
近畿だけでなく、全国的に実用具としての鉄をそれほど欲してなかったろうと言うのと
扱いに劣っていたわけではないというのは同意。

>>301
後漢鏡に比べて通貨価値は、という話なので
肉彫鏡という工芸品的観点からはまさにその通り。
だいたい一口に500枚というが、様式も年代も出来映えもいっしょくたにして三角縁でくくるのは乱暴すぎると思う。
3類、少なくとも4類以降を下賜とする考えなど、最初からないのだから。
俺は1,2類については、正直今の段階ではなんとも言いようがないと思う。
304日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:52:58
>>302
そう何故か銅だけが技術劣化する。
これは推測だが、玉などがさらに精緻になるのとは真逆であることから
技術力そのものが失われたというより
銅を加工する、つまり国産品に磨きをかけるというモチベーションの喪失だと思う。
それは輸入品としての鉄装飾品が尊ばれるようになったという、価値観の変遷によるものだと思うし
国産の鉄装飾は、早くてみても5世紀末にならなければ瞠目すべきものはない。

だからといって北部九州の勢力が国内統一したなどというものではない。
文化的な憧憬と流行の問題だと思う。
305日本@名無史さん:2007/08/17(金) 17:06:05
青銅技術の粋を集めた大型銅鐸を最後に、ぷつりと忘れ去られる銅鐸
なんだか青銅文明の究極と終焉を象徴している物に感じられるのだが
日本列島で終焉を迎えた青銅文明か・・・・
306日本@名無史さん:2007/08/17(金) 18:25:35
>倉庫で何年もストックされてた余剰品の中から、違った種類の鏡を何種類も詰め合わせたかもしれない。

何を考えてるんじゃお前は
そんなお古を貰って有難がる馬鹿がいる者か!
貰う方も魏の最近の年号が入ったのをくれと要求するわ!
307日本@名無史さん:2007/08/17(金) 18:29:45
御下賜品に文句いうな
308日本@名無史さん:2007/08/17(金) 18:38:51
>>298
>そういえば、銅の総量は九州より近畿のほうが1.5倍くらい上だったな。

ソースある?
俺も、同じようなこと聞いた覚えはあるけど、手元にソースがない。
309唐松山:2007/08/17(金) 20:02:29
310横槍:2007/08/17(金) 20:10:16
少なくとも『作鏡』が『鏡作』になってる奴は倭製
311日本@名無史さん:2007/08/17(金) 20:23:52
鉄器と銅器の関係を調べると面白いよ。

前期古墳時代になると、関東で鉄器量が増えるけど、
中部地方は逆に減っていて、大型銅鐸を作るようになってる。
東海は、あきらかに鉄よりも銅を好んでる。
鉄器は東海を素通りして、越から関東に流れたように見える。

前期古墳時代に、奈良の鉄器量が増えるのは事実だけど、河内の鉄器量が減ってる。
弥生時代末期では、奈良の鉄器量は少ないが、河内の鉄器量が多かった。
古墳時代に急速に鉄器が近畿に流れてきたようには見えないんだけど。
312日本@名無史さん:2007/08/17(金) 22:24:38
お前アホか?
関東は蝦夷との戦いの最前線だから鉄器が多いのが当たり前だろうが!
313日本@名無史さん:2007/08/17(金) 22:54:38
>>311
古墳前期以前の鉄器が武器だとか思っている馬鹿は置いといて。

村上の主張とほぼ同じだね。だが
>前期古墳時代になると、関東で鉄器量が増えるけど、
>中部地方は逆に減っていて、大型銅鐸を作るようになってる

大型銅鐸は時代が合わんだろ
何か書き間違えたか?
314YAP?:2007/08/17(金) 23:40:17
倭(委)奴国の読みについてだが、
倭人諸国の国名が、わざわざ、中国南方の音で表記されたとは考え難い。
中国正史を編纂した史官(あるいは、著者)は基本的には、洛陽近辺の音を用いただろう。
勿論時代的な変化があり、上古音、中古音のいずれに近いかは、議論のあるところだ。

しかし、倭人諸国の名称が、倭人の用いた倭人語の「国名」(あるいは種族名)や地名の音写ならば、
当然、日本語の時代や地域による変異も合わせて考える必要がある。
倭(委)奴国の「奴」が、もし倭人語の音節を写したものであれば、t/d系の音ではなく、やはり「n」系だろう。
「な」「ぬ」「の」の音写と言う事になれば、いずれにしろ、上代日本語の「な(地)」それと母音交替形とされる「の(野)」、
あるいは「な(中)」が候補だろう。
『魏志倭人伝』の時代の「○奴国」の「奴」はおそらく「野」の意味に解するべきだろうが、三世紀の「奴」とAD57年ごろの
「倭奴国」の時代の「奴」は、この国が「倭人諸国」の代表国家として認められたのであれば、光武帝は「倭王」を承認したわけだから、
「奴」が、倭国・倭人を卑しめる目的で付加されたものでないならば、倭人側が、「奴」音をつけた国名を要求し、その国名が、
倭人諸国全体を表すのに適当だと倭人が考えた事になる。
その場合、「奴」の1世紀半ばの原音がどうであれ、上代日本語の「な(中)」を意味したと考えられる。
つまり、「倭の中心国」というわけだ。
「な(中)」は、後に「処(か)」が付いて「なか(中)」という語形になる。
315日本@名無史さん:2007/08/17(金) 23:40:20
>>313

箸墓の頃も、東海では近畿式銅鐸祭祀続いてなかったっけ?
316日本@名無史さん:2007/08/17(金) 23:53:13
銅鐸のなかには古墳時代またはその直前期とされるものが存在する
ことは事実ではあるが、終末期としての一般化は難しい。
古墳時代に埋納されたとしても、製造が同時代かは不明。
そもそも、銅鐸で年代が確実に分かるものは少ない。
ただし、古墳時代に一部地域で銅鐸を使用していた可能性はある。

>>313 鉄の矢じりも装飾具というのは無理だよ。
    刀剣の全部を装飾具とするのも無理。
317日本@名無史さん:2007/08/18(土) 02:02:07
>>316

>>313 鉄の矢じりも装飾具というのは無理だよ。
>    刀剣の全部を装飾具とするのも無理。

「武器」で無ければ「装身具」としてしか鉄を認識してないのか。
銅鐸についての考察とのギャップは何だろう?
318日本@名無史さん:2007/08/18(土) 03:46:33
>>317
じゃあ、鉄の矢じりが武器でないというなら何なの?
319日本@名無史さん:2007/08/18(土) 04:54:48
鉄器=鏃・刀剣などの武器しか思いつかないわけか。
320日本@名無史さん:2007/08/18(土) 08:53:28
野や原では国にならんのだよ。
321日本@名無史さん:2007/08/18(土) 08:56:02
まず倭奴国は倭の奴国(ワのナ国)だという呪縛から解き放たれるべきである。
322日本@名無史さん:2007/08/18(土) 09:19:00
あの当時、鉄は貴重な資源だったはずだ
そんな物を装身具として使うか
武器として使うか
答えは自ずと明らかだ
323日本@名無史さん:2007/08/18(土) 10:10:31
>>322

その二つしか鉄の利用法は無いのですか?
この「質問」の意味が解からないなら、マア、どうでもよいがw
324日本@名無史さん:2007/08/18(土) 11:20:03
>>322
武器として本当に役立つなら、武器として使うよ。
後世に製鉄技術が発達してからはそうしているでしょ?

古代の鉄に過大な幻想を持ちすぎなんですよ。
基本的に鉄の刃物は、小刀として農耕具作成や動物の解体なんかに便利な小道具として使用されており
それは大型化に適する強度がなかったため。
またいくら潤沢と言えども、大量消耗品であり、敵の手に渡る可能性の高い鏃に貴重な鉄を実戦では使わない。
これはちょっと考えれば分かりそうなものなのだが(狩猟では使った可能性がある)
というよりその実戦とやらの痕跡がまったくない。
例えば北部九州の鏃は吉備や出雲でも、ましてや畿内でも「副葬品」以外は出土例がない。これは逆も然り。
鉄は確かに溶けやすいが、青銅や骨にしても隣接地域でさえ環濠などから出土しないのに、戦争は想定できないよ。
325日本@名無史さん:2007/08/18(土) 14:27:07
吉野ヶ里から13本の鏃を受けた遺骨が出てますが、
あれは鉄ではありませんでしたなあ。
326日本@名無史さん:2007/08/18(土) 15:05:34
>>324
狩猟に対して使った鏃は回収できて、人に対して使った鏃は
回収できないという理屈?あんた真正のバカだろwww

鉄製斧があるのに大型化ができないってwwwwネタだろwww

鉄が敵の手に渡る可能性があるから使えないってwwwその理屈だと
青銅でも同じだろwwwwwwwww

鏃を飾りにするために何百本も作ったという理屈は無理無理www

ちょっと考えたら、それダメだよwwwww
327日本@名無史さん:2007/08/18(土) 15:17:43
文末にwwwをつけるあんたこそ真正のバカだろ
328日本@名無史さん:2007/08/18(土) 15:30:23
質の良い鉄製武器はすべて輸入品。

国産で鉄製武器を作るには、製鉄技術の発達する古墳時代以降まで待たなければいけない。

鉄を溶かして鍛え直してたような鍛冶遺跡が弥生時代にあるのか?
329日本@名無史さん:2007/08/18(土) 16:08:27
鉄の実用性が青銅よりはるかに勝っていたから、弥生時代の九州では鉄器が普及した。
農業用として実用性があるが、武器として実用性がないという理屈は難しいと思う。
そんな主張している学者はいるのか?

装飾具とするために大量の鉄器を作ったが、実用のものは作らなかったという理屈も難しい。

鉄器製造は、弥生中期以降に多種類のものが普及しているが、実用性のないものの製造
のために鉄器を作るはずがない。
330日本@名無史さん:2007/08/18(土) 20:01:01
九州は、銅矛文化圏なのは、よく知ってるだろ?

九州は、「矛」という武器を崇めてたし、
魏志倭人伝ににも矛は出てきた。

でも、武器としての鉄矛が実際にどれくらい出土してるか考えたことある?
もちろん、銅矛は武器として何の役にも立たない。
鉄がいっぱいあって、矛を崇めてたなら、
武器としての鉄矛がいっぱい生産されててもおかしくないはず。

さて、実用性のある鉄矛が九州からどれくらい出土してるか、語ってもらおうか。
331唐松山:2007/08/18(土) 20:14:41
鉄の鏃
倭国大乱の頃兵隊は、骨や石の鏃
大将クラスが一騎打ちの時のみ使った。

この程度の量ではないか?
この頃の鉄は全て輸入品
332日本@名無史さん:2007/08/18(土) 20:48:58
現在安本説ってどれくらい支持者がいるの?
333日本@名無史さん:2007/08/18(土) 21:21:46
安本はキチガイ認定だから論外
あいつの主張は始めに九州ありきだから問題外
334日本@名無史さん:2007/08/18(土) 23:36:54
じゃあ、関説支持者は?
335日本@名無史さん:2007/08/18(土) 23:54:01
>>332 >>333
答えに窮するとなぜか、怒りの矛先が安本に行くという法則w

鏃で論破されたら、矛ですかw
無限後退は畿内説の専売特許ですね。
336日本@名無史さん:2007/08/19(日) 01:03:41
答えに窮してるのはSOY君のほうだろ?
337日本@名無史さん:2007/08/19(日) 01:25:48
SOY・・・ハズレwwwww
お前が>>237で挙げたコテ野郎ということはガチ。
お前は「橿考賛助員」、「老教授」のときはマトモ風な口調だが、
名無史になるとウソ学説と安本叩きで憂さ晴らしだな。
寺沢門下生と名乗った前歴もあるが、本当か、名誉毀損の
犯罪書き込みを繰り返すクズがいるのか。
338日本@名無史さん:2007/08/19(日) 01:44:47
>>332

二人じゃね?
SOYと337
339日本@名無史さん:2007/08/19(日) 03:21:29
確かに、>333の内容は犯罪になる。通報しておく。
犯罪者とは議論する気にはならない人もいる。
>337の予想が正しいか結論が出るだろう。
340日本@名無史さん:2007/08/19(日) 04:23:04
卑弥呼の使いが魏に朝貢してもらったお土産は、「銅鏡百牧」。
それと供に「五尺刀二口」とある。

国中に配布して卑弥呼の威信をしらしめるために、
実用的な鉄剣より、銅鏡百枚が欲しかったらしいね。

邪馬台国連合では、
鉄製の武器よりも、銅製の魏鏡が好まれていたってことがよくわかりますね。
341日本@名無史さん:2007/08/19(日) 06:50:25
>確かに、>333の内容は犯罪になる。通報しておく。

お前マジでアホだろ?
早く死ねボケ!
342唐松山:2007/08/19(日) 12:20:28
貰う 事に固執せず
欲しければ 金?を払って買って来い。
銘入りの鏡はともかく 鉄材料は、売っているだろう。
343日本@名無史さん:2007/08/19(日) 12:40:40
道教の道士は(青)銅鏡を珍重する。
青銅は錆びたら青いけど、奇麗に磨くと金ピカ。
十円玉は亜鉛が少ないからRed Brass。
344日本@名無史さん:2007/08/19(日) 13:02:50
>>342
>鉄材料は、売っているだろう。

九州は、板状鉄素材という形で朝鮮から輸入している。
おもに、熱して叩いて伸ばして蒔きつけたり切ったりして、小刀や農具などにするためのもの。
せいぜい、板状鉄斧か、板状鉄戈に加工するのが限界。

独自に剣などの大型武器に加工するには、一度溶かして鍛えなおさないといけない。
そうした製鉄技術は、邪馬台国時代には無かった。
345日本@名無史さん:2007/08/19(日) 13:26:06
鉄は最加熱して鍛えなおすと、どんどん炭素分が抜けて軟鉄になっていく
丈夫な鉄の武器を作るには、大鍛冶の技術から持たないとダメなのだ
346日本@名無史さん:2007/08/19(日) 14:40:24
>>341 >>333は犯罪だよ。
犯罪書込みを繰り返すしか能のない哀れさがにじみ出ているね。
347日本@名無史さん:2007/08/19(日) 18:02:02
お前知障か?
>>333で犯罪になるのなら
下のスレなんかどうなる?

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1165684997/

警察も暇じゃないので、この手の事は『○○を爆破する』とか『○○を殺す』といった
書き込みでないと、通報してもスルーさ

某バレーの選手みたいに、誹謗中傷されたので管理人のひろゆきを訴えたが、肝心のひろゆきが損害賠償を支払う気がサラサラないので事実上の泣き寝入りさ
348日本@名無史さん:2007/08/19(日) 18:51:36





                              .
349日本@名無史さん:2007/08/19(日) 18:51:52
お願い!邪馬台国のお話をーーー。
350日本@名無史さん:2007/08/19(日) 18:55:32
ありとあらゆる角度から検証しても、もうマキムクで決定じゃん
351九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/19(日) 20:04:32
罵りあっても不毛よん。
九州邪馬台国説の証拠が出てくるまで適当に相手をしておく方が賢いかも。
>>56SOYさんがこのスレの始めの方で取り上げ、>>61さんが指摘しているように
伊都国の環濠の確定によって今宿は環濠の無い巻向と同じ時代であると思われてきたことの
根拠が失われたと言って良い。>61さんの主張は凄く正論だと思われ、読む価値あり。
さらに「伊都国には一大率がいて諸国を監視している」倭人伝からはそう読み取れるが
車も馬も無い時代に一大率が北部九州から遠く離れた畿内まで監視の目を広げるのはとても無理。
それであれば平安時代、上関、中関、下関があったように本州にも各地に監視機関があって然るべきなのに何もない。
倭人伝に何の記載もなく、いわゆる畿内説の言う「水行十日陸行一月」とさらりと述べられているだけ。
畿内に近づくに従い重要になる監視機関。それも外国からの入り口のような伊都国だけで済む話じゃなかった筈だ。
東西南北あらゆる敵がいたに違いない。それらへの監視は一体どうなっていたのだろうか?
謎が謎呼ぶ畿内説。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kyushu/20070801/20070801_003.shtml
352唐松山:2007/08/19(日) 20:24:22
みなさん かなり解かっていらっしゃる。

鉄を溶かすは 釜石の鋳物か

通常 和鉄の技術に 鉄を溶かす は、有りません。
たたら製法で得られる温度は、1300度位 溶かす には少し足りない

八ツカの剣
刃渡り30センチ つか、柄、持つ所 にぎり拳8個分 約80センチ
こんな 処じゃ無いでしょうか? 
鉄は、貴重品 初から刃渡り60センチ脇ざしクラスは、無理
353日本@名無史さん:2007/08/19(日) 20:25:06
だから三国志の不正確だろうがそれは
『倭人伝』以外の他の箇所を読め!
そしたらいかに誤りが多いか気づくだろう
なんで『倭人伝』のみが100%正確に誤りなく書かれてると言えるんだボケ!
354九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/19(日) 20:53:58
>>353
畿内説も倭人伝を拠所にしている筈。
「『倭人伝』以外の他の箇所」とやらに「伊都国には一大率がいて諸国を監視している」
のように畿内に監視機関が書いてあるとでも言うのか?
畿内について何の記載も無い倭人伝の伊都国の一大率こそ邪馬台国の証であろう。
異論があればその代わりとなる畿内の監視機関とやらを出してもらおう。
倭国大乱の後30カ国の同盟が出来、その保持の為一大率という監視が必要になった、というのは
全く理に適った現実味のある記載であり、間違っているとは思えない。
355日本@名無史さん:2007/08/19(日) 21:01:20
>>354
>畿内説も倭人伝を拠所にしている筈。

考古学から見れば、
「畿内に大きな交易の拠点が出来ました。 北九州は衰退してました。」という見解でしかないけど?


356九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/19(日) 21:09:42
>>355
それはそうでしょう。否定するつもりは無い。
畿内は畿内で勝手にやってくれという感じ。
でもそれは九州邪馬台国とは全く関係の無い無縁の世界。
「考古学から見れば、 畿内に大きな交易の拠点が出来ました。 
北九州は衰退してました」とそっちが自分で言ってるように考古学から見ても
伊都国などの邪馬台国繁栄時代と畿内の繁栄の時代は食い違ってると出てるんだろうね。
北部九州繁栄(邪馬台国)が終わる頃、畿内が繁栄し始める。なんとも納得いく話だ。
357日本@名無史さん:2007/08/19(日) 22:15:48
>>356

ようするに、九州ですがさんも、東遷説なんでしょ?

358日本@名無史さん:2007/08/19(日) 22:28:51
>>357
何で?
359日本@名無史さん:2007/08/19(日) 22:44:59

東遷説では無いなら、「東遷説では無い」って、言ってね♪
360日本@名無史さん:2007/08/19(日) 22:57:56
>>358
要するに>>357が言いたいのは、>>356九州ですがが
A・九州に存在していた邪馬台国が、近畿地方まで勢力拡大して後の大和朝廷の礎になったと考えているのかと。
これは、九州邪馬台国と奈良大和朝廷が繋がっていると言う意味。

提唱者・安本氏

だけどもう一つの可能性もある。
B・九州邪馬台国と奈良大和朝廷は繋がってない。奈良大和朝廷が勢力拡大して九州邪馬台国を傘下に治めた。
つまり、九州邪馬台国と奈良大和朝廷は繋がってない。別組織。

提唱者・武光氏

九州ですがさんは、どちらの説なんだろう。

因みに「昔は」左翼は東遷を否定したいので畿内説が多かった。特にAは絶対に認めたくない。
Bは左翼にも受け入れられる内容なので、九州邪馬台国派の人にも支持者が多い。
361九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/19(日) 23:00:36
その後の邪馬台国のことについては倭人伝の記載にも無く、
よく解らないというのが本音かな。
神武東征も記紀の記述。大和朝廷の文書だから
公平さに欠けたり、どこまで信じていいものやら。
でも想像でなら考える事もあるけど。
362日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:05:03

Bの九州邪馬台国と奈良大和朝廷は別組織。勢力をつけた大和朝廷に九州邪馬台国が滅ぼされたと
主張は江戸時代からあった。本居宣長。

私は東遷はあったと思う。私は「A」だ。
363日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:06:33
>>361

「東遷したかもしれんね」と、考えただけでアウト。論外ですから。
364日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:07:58
>>361
だったら、どちらかと言えば「B」に近いかもね。
365日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:08:26
>360
素人であれですが、
「皇室の直系といえる大和朝廷は、魏に朝貢して臣下の礼をとった邪馬台国の末裔である」と、
認めたく「ない」のが左翼なんですか?
A説を絶対否定したい立場なら、そう取れるんですが・・・・
366日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:10:53
>>365
そんな事ないよ。本居宣長も江戸時代に「B」を提唱しているから。
367太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/19(日) 23:12:22
卑弥呼の女王国は崇神のころに九州に存在し、そのころ畿内では崇神朝が
根を張ってますから東遷は無いと観てます。
368九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/19(日) 23:12:57
それで鉄器の優位性とかが問題視され、優位とされた北部九州が
畿内を征伐した時に畿内では環濠が埋められ銅鐸が廃棄されたのではないか、
などという説が出てくるわけね。その真偽はともかく
僕は邪馬台国自体は自滅したんじゃなかろうかと思うんだけど。
369日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:13:22
ドン来い♪らしい賑わいが出てきたね。スレの流れから鉄器の話で。

村上の『古代国家成立過程と鉄器生産』を読んでいるのだが、彼の文章は
慎重すぎる書き方でちょっと分かりにくい。

春成のように弥生早期を遡上させて、鉄器を弥生中期からとする考えに対して、
問題点を述べつつも明確には否定しない。
そうすると、弥生中期に一気に数種類の製造方法が始まるが、明確にそれ以前
に遡上する遺跡がないという春成の主張を覆す証拠もないが、全体としては春成
に否定的なニュアンス。

弥生中期は九州のみならず、四国、中国地方でも鉄器製造が始まるので、春成
の主張では、かなり広範囲にほぼ同時的に鉄器製造が普及したことになり、
その製造方法も画一ではないというのは、確かに疑問。
370太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/19(日) 23:14:58
自滅の可能性はあります。そこんところは九州王朝説論者でも主張が
違うようですね。
371日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:15:32
>>368

>僕は邪馬台国自体は自滅したんじゃなかろうかと思うんだけど。

だいぶ成長したじゃないか。

A説を唱えるなんて、安本の泥船に乗るようなもの。
372日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:21:44
文献では、古事記も日本書紀も先代旧事本紀も東遷を当然の前提にしている。
新撰姓氏録も800年頃の畿内の氏族の9割以上を九州の出身としている。

従って、700〜800年頃の支配層の人達が自分達が九州から東遷してきた
と信じていたということは、間違いない。
373日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:28:13
>>370大国は、どちらかと言えば「B」に近い考え?

それか変形の「C」かもね。
C・卑弥呼の時代の遥か前に、日向の神武天皇が近畿へ東遷して子孫が別組織の奈良大和朝廷を作っていた。
しかし別組織の同時存在の九州邪馬台国の方が当初は勢力があった。後に勢力をつけた奈良大和朝廷がそれを傘下に治めた。
九州邪馬台国は自滅かも知れなかったし、戦争に負けて傘下に入ったかも知れない。
どっちにしても奈良大和朝廷に九州された。
374日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:31:05
古事記、日本書紀での出雲の扱いについて、かつてはこれは後の時代
の創作であり、出雲が隆盛を極めた時代など存在しないとされてきた。

しかし、荒神谷などの大量の青銅器の発見で状況は一変し、ヒスイの
生産拠点であることも判明して、出雲が少なくとも重要拠点であったことは
否定できなくなった。

出雲を拠点とした王権が「国譲り」した結果、ヤマト王権では銅鐸が発見される
範囲内は当初から支配地域に組み込まれているという考古学的裏付けもある。

記紀での出雲の扱いは、歴史的事実が伝承された結果と考えられる。
375太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/19(日) 23:32:43
>>373
神武以前は卑弥呼の女王国は日本のどこにも無いですよ。
崇神の前後ころに九州王朝の始点たる国となったのが女王国です。
倍暦計上で

景初元年=237年=崇神即位元年
376九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/19(日) 23:34:50
>>370
各クニでは一大率を「大変恐れ煙たがって」いたようで
邪馬台国30カ国連合といっても一大率が監視していないと保てない弱い和睦のようなものだったのでは?
邪馬台国は連合が崩れて自滅したんであってとても軍隊を畿内に送るような余力は無かった。
そうすれば神武東征の説話は何を意味しているのか、という事になりますね。

377日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:40:47
>>375
そうか。
つまり、神武天皇が東遷して子孫が奈良大和朝廷の基盤造りをしていた。
それから何十年後に別組織・別勢力が九州に出来た。それが卑弥呼の邪馬台国だった。
邪馬台国は奈良大和朝廷より後発だった。しかし瞬く間に勢力をつけた。
しかし、台与の辺りから勢力が落ちた。内部崩壊による自滅かも知れなかったし、
奈良大和朝廷との戦争に負けたかも知れなかった。
とにかく、奈良大和朝廷の傘下に入ったと言う事?
378日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:43:00
>366
本居宣長は国学者で、どちらかと言えば右翼では?
379日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:45:01
>>376
>何を意味しているのかということになりますね。
要するに別組織の奈良大和朝廷に吸収されたと言う意味ですか?
どっちかと言えば「B」
380太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/19(日) 23:47:03
>>377
女王国の後釜は文武の時代まで苦し紛れに継続したようです。王朝の崩壊が
大和朝廷に滅ぼされたか自滅したかは定かとしていません。

欠史八代間は九州には王朝はなかったと観ていますが、その下積み的王群は
九州にけっこういて、帥升とか少しばかり大陸文献にその跡形が見えます。

zzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・・・
381日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:51:18
>>380
太国

私は邪馬台国は大和朝廷と繋がりがある。「A」支持なんだけど、現在は九州派は「B」支持が多いんでしょ?
382日本@名無史さん:2007/08/20(月) 00:15:48
>>372

そんなこと言ってるの安本だけだよ。
383日本@名無史さん:2007/08/20(月) 00:31:08
記紀では東遷ではなくて東征です。
384日本@名無史さん:2007/08/20(月) 01:05:49
>383
それに北九州にあまり縁が無さそう
385日本@名無史さん:2007/08/20(月) 06:08:18 BE:283506454-2BP(0)
>>382
安本は真正のキチガイだからな
本当に困った馬鹿だ
386太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/20(月) 07:27:30
>>381
各説主張者の割合なんぞは量ったことはないですから、それはわからん
ですな? 貴殿はA説ですか・・・。その説だと卑弥呼が神武以前の人物の
場合でなければ成り立たないでしょうが。紀の編者らは女王のことを神功39年
に挿入してますが、卑弥呼が同時代の人なら後代の應神仁徳の寿命がともに
百歳を超えることを肯定せざるを得なくなり、あとは紀が水増ししていたとか
の論しか成立しなくなります。かようなわけで神功は卑弥呼ではなく、後者が
別時代の人物だとなるわけで、紀の編者らの大陸半島との年代の調整に誤が
生じたための結果が神功39年に位置付けたということであります。

そういうことで、では卑弥呼がいつごろの女性なのか、なぜ紀の編者連が時代
の確定を間違えたかと問われれば、大陸半島と日本の暦法に根源的に大きな
相違点があったためで、当時日本側は倍暦を各時代に変則的に使用していたこと
にあり、双方の記録が同一長さの単位の時代経過で出来ているという前提で
やっていたから合わなかったわけということです。

倍暦計上から卑弥呼は崇神世前後の人物ですから神武以前ということはなく、
当時崇神が畿内に根を張ってますので畿内説東遷説は成り立たないです。

倍暦計上で 崇神即位元年=237年=景初元年 であり、畿内で見つかって
いる景初の鏡は崇神の同床共殿による配下、畿内住民へのお達しによる右へ
ならえ的祭政の結果の物で卑弥呼の鏡ではないようです。
387日本@名無史さん:2007/08/20(月) 13:39:13
>>385
やれやれ、寺沢信者は犯罪行為を止めないね。
388日本@名無史さん:2007/08/20(月) 14:10:54
「寺沢信者」だってさ。
389日本@名無史さん:2007/08/20(月) 14:37:34
じゃ、俺は村上信者。
390日本@名無史さん:2007/08/20(月) 15:41:10
論理では勝ち目がないから、犯罪(名誉毀損)や中傷に逃げ込む。
まさに負け犬人生。哀れだな。
391日本@名無史さん:2007/08/20(月) 16:33:37
>>390
お前も世間知らずのアホだな
2チャンでは名誉毀損で逮捕されたのは一件のみ
それも個人の事情を暴露したから
世間知らずの馬鹿は帰れ!!
392日本@名無史さん:2007/08/20(月) 18:37:11
>>391
犯罪者、バカ犬の遠吠えは続く。
393九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/20(月) 20:21:28
ともあれ安本さんは僕の愛読新聞である西日本新聞にも
歴史の専門家として大きく紙面を割いて掲載される程の人。{西日本新聞は一流です}
説の賛否はあろうけれども度を越した非難はやめといた方がいい。
それより正々堂々と論で挑むことだ。
ただ感情的になって罵倒を続けると本を出してる人は影響を受けてしまう。
394日本@名無史さん:2007/08/20(月) 20:44:11
自制のために「論評人(598) ◆iHyWcPC65E」、「橿考研賛助会員」の
ようなコテをつけたらどうか。名前を背負えば少しは変われるのでは。
395日本@名無史さん:2007/08/20(月) 21:51:38
>>393

なるほど、安本は偉い人なのですか。
そういう偉い人が、いまでも東遷説のサイトをどうどうと開いてるということのほうが、問題だろうね。
古代史に疎い人は騙されてしまいやすいし、本当だと思い込みやすい。

自分の発言に影響力があるという自覚があるなら、発言には責任も持ってもらわないと。
ひとことで言って安本は「無責任」なんだよ。

東遷説が間違っていたとしても、信じて本を買った読者がバカだったってだけで、
安本が本の印税を返上するわけでもないし、逮捕されるわけでもない。
396YAP?:2007/08/20(月) 21:58:04
倭奴国を「わな」という倭人語(倭・委はwa・wi・woのなんでもよいだろう)の音訳だとして、
もう一つ、この「な」(これも上代日本語の「な」(地)だろうが、「の」や「ぬ」の音価でも問題
ないだろう。倭人語段階では、意味がまだ未分化で、母音交替形の「の」(野)の意味もかねていただろう)
を「地」と解釈して「倭奴」=「倭地」の意味と、考えるよちはあるだろう。

即ち、「漢倭(委)奴国王」とは、「(漢の)倭地の国王」と読むわけだ。

これによって、「倭奴国王」は、倭地(倭人が主に居住する地域)全体の「国王」として認証されたと解釈できる。

更にその場合、「倭国王帥升(等)」のいくつもある「面」「面土」「面土地」「面上」などの内、
「倭面土地王」の「土地」「倭面土国王」の「土」も実は、倭人語の「な」(地)の「漢訳」語として解釈可能になる。
「面」の解釈が問題として残るが、。(「面上」の「上」は「土」の誤記でよいだろうが)
397日本@名無史さん:2007/08/20(月) 22:01:19
東遷説は安本だけじゃないよ。彼だけの功績にすることもない。
寺沢も「東征」は認めないが、「東遷」は認めるという立場だろ。

現在は、東征を否定しつつも、初期ヤマト政権に九州からの勢力が参加していた
ことは認めて、吉備や東海などの参画も同列に扱うなかで九州勢力の影響力を
相対的に低く評価するのが畿内説のなかでも多いんじゃね。

寺沢や石野も、基本的にはそのラインにいる。
マキムクを200年頃からとすることは、東遷とは別問題。
398日本@名無史さん:2007/08/20(月) 22:20:29
>>397

つまり、寺沢も、九州(邪馬台国)の権力者の「東遷」は認めるということ?
399日本@名無史さん:2007/08/20(月) 22:27:29
>>395
だから一部のアホマスコミがキチガイの安本を持ち上げるものだから
ついそれに惑わされて、馬鹿みたいな本を買わされてるわけなんだよ
そういう馬鹿げた事を繰り返さない為にも、警告の鐘を鳴らしてるわけです。
400日本@名無史さん:2007/08/20(月) 23:43:14
>>393
だからと言って、安本が古田をボロカスにけなすのは許される事か?
http://www6.ocn.ne.jp/~kodaishi/michikusa10.htm

結局安本も人の事をとやかく言えんのだよ
401日本@名無史さん:2007/08/20(月) 23:48:23
>>398
『王権誕生』では、部分的な「東遷」を認める記述がある。
畿内説でも、鉄器や鏡や装身具など九州由来のモノや技術が来ていることは
認めざるを得ない。

それをいかに他の地域との関係で中和するかというレベルで論述を競っている
というのが実情で、白石のような自生説は考古学的には支持でないので、
異端になりつつある。

いっそ安本のように自由になれたら楽なんだろうけど、そういう訳にもいかない。
学会では依然として『神武東遷を認めるのは軍国主義』という建前がある。
402日本@名無史さん:2007/08/21(火) 00:08:47
神武東遷は、邪馬台国とぜんぜん関係ないだろ。

邪馬台国東遷が、
おまえの本音じゃないのか?
403日本@名無史さん:2007/08/21(火) 00:12:09
>>400

>安本美典氏の本質は、「事実」や、「真実」ではなく、
>数理統計文献学なる手法を用いるに、コンピューターを恣意的に操るところにある。
>「科学的」という名の下に、これほどの悪態をつくコピーライターはいないと思わせる、
>「悪文」による「センセーショナリズム」である。

うわぁ! まさにコレだよ。俺のいいたいことは。
胸がスカっとしたな。

404日本@名無史さん:2007/08/21(火) 01:19:25
>>学会では依然として『神武東遷を認めるのは軍国主義』という建前がある。

だとしたら俺はそれでいいと思う。
記紀を利用した軍国主義政府は記紀に復讐されるべき。
神武当選もアマテラの天壌無窮のほにゃららも二度とあっては
ならない。もう一度ちゃんとそれを読めば元々はそんなことは
書いてないということがわかる。
405九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/21(火) 08:09:41
何故神武東征が無かったと言えるのか、も一つギャラリーによく伝わっていないのでは。
面倒でもそれをもう一度仕切りなおして論戦してみたらどうだろう。
鉄器に関してだけでなく、あらゆる面から。それは安本説がどうのの問題じゃないと思う。
東征の時期も含めて。困難かな?
406日本@名無史さん:2007/08/21(火) 13:02:13
だからいちいちキチガイの安本説なんか出すなよ
407日本@名無史さん:2007/08/21(火) 13:44:00
神武東征と、邪馬台国は関係ありません。

408日本@名無史さん:2007/08/21(火) 14:42:39
>>401
やっぱり左翼にとって神武東征を認めるのは屈辱なんだね。
これで日本書紀の神武東征が明らかになった時の左翼の悔しそうな顔を見れたらこんな幸せなことはない。
>>404

>>407
この主張が左翼の最後の砦?
409日本@名無史さん:2007/08/21(火) 15:13:05
>>404
>もう一度ちゃんとそれを読めば元々はそんなことは書いてない
では、なんと書かれているの?



410日本@名無史さん:2007/08/21(火) 15:22:25
>>401
質問するけど、
神武東征の可能性もある。それを認めないのは何故なの?
神武東征があったとして、それがあったと主張すると何が変るのか分からない。

なんか、一昔前の国会議員で憲法改正を口に出したものは軍国主義のレッテル張りを
マスコミにされていたのを思い出すんだよね。
411日本@名無史さん:2007/08/21(火) 16:22:28
ここにいる奴らは、かなり学会の最先端から取り残されつつある。

>>410
神武東征は卑弥呼よりも100年以上前の話です。

神武東征とは、
大和王権(ホアカリ系)の混乱で
大和王朝が九州で分家していた親戚の神武(ホノニニギ系)を呼び戻して
執権ナガスネヒコの横暴を討った事件です。

その後、
祭祀(権威)の長(大和王位)は大和王家(ホアカリ系)
政事(権力)の長(大和の宰相)は神武皇統(ホノニニギ系)が担当していました。

しかし、神武皇統の5代目・孝昭天皇が、
大和王家の皇女を妻にしていたのですが
その間に出来た第一子を大和王家の跡を継がします。
つまり、母系経由で大和王家を継がした。王位の横取りです。
それによって、大和王朝は大混乱し、大乱が起こります。

そこで、神武皇統は、7代目の孝霊天皇が、娘のモモソヒメを祭祀の長として
この争いを鎮めようとします。これが、共立された女王・卑弥呼です。
結局、モモソヒメによって、大和王朝は安定し、
大和王朝の宗家であるホアカリ系はただの豪族に没落し
神武皇統は、崇神天皇の代に完全な大和の大王になった。
412日本@名無史さん:2007/08/21(火) 16:45:08
>>408

>>407
>この主張が左翼の最後の砦?

どうして?
神武東征は、記紀では紀元前の話として書かれてる。
邪馬台国は3世紀。

神武東征が紀元前か1世紀か3世紀か、いつかは知らないが、否定するつもりは無い。
それと、邪馬台国が九州か畿内かは別問題。

畿内にあった邪馬台国が、南九州からの神武東征で滅んだかもしれないだろ?
413日本@名無史さん:2007/08/21(火) 17:16:45
>>411
要するに身内同士の争いでしょ。神武皇統とも同じ一族。
室町初期の南北朝時代の様なもの。
南朝側からすれば、北朝は皇位を奪われたともとれる。
しかし南朝天皇・北朝天皇は同門。
それと似たようなのが、大昔にも起きただけでしょ。
>親戚の神武を呼び戻して
光格天皇(現天皇家の直接の先祖)=神武天皇の様な感じなんでしょ。
跡継ぎの絶えた本家への養子なんて珍しくも無い。
>母系経由で
父系でも繋がるでしょ。貴方が親戚と書いてる(貴方の言う通りの事が事実だったとしたら)。
持統天皇・皇極天皇・推古天皇は母系と言ってるのと同じ。
厳密には母系でもあるが正解では?

>>412
そう言う意味ね。分かった。
それなら有るかも知れないね。畿内にあった邪馬台国が九州からの攻撃で滅んだ可能性もある。
逆に九州邪馬台国が畿内大和朝廷に滅ぼされた可能性もある。



414すみれの花のような ぼくの友だち 実はサガミハラハラ:2007/08/21(火) 19:37:47
神武は東征であって東遷ではありません。
時期は記紀の精密な検証により、131年橿原にて即位とわりだされました。
詳細は「皇国史観に基づいた正しい古代史」のスレの157あたりからお読みください。
415九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/21(火) 19:39:12
>>411
この文面からはなんか時代錯誤を感じる。それは神話が作られた後の話で
卑弥呼の時代のクニは吉野ヶ里遺跡や伊都国の今宿五郎江遺跡のようなインディアン集落のような形態。
それに畿内から北部九州まで縁戚関係で気楽に往来していた様子は倭人伝を読む限り窺われない。
倭人伝には「遠絶」している為、様子の分からない遠くのクニが多数あるとされており
畿内と北部九州が連携を持っていたような事がどうにも自分には納得いかない。
416日本@名無史さん:2007/08/21(火) 20:50:43
最近、日本国内外から、海部氏の調査に多く学者がくるらしい。
理由は、日本の皇室の創世記を知るため。
これが明らかになることは、物凄い大発見になるわけだから。

出雲から政権を奪った初代の大和国王は、アマテル(ホアカリ)。
このアマテル(ホアカリ)には、ホノニニギという兄弟が居て、
この系統は、出雲王朝時代に日向に派遣されていたわけだな。
畿内に派遣されたホアカリは大和で勢力を蓄えて、出雲を倒したわけだ。
一方、日向に派遣されたホノニニギの系統は、神武の代まで田舎で大人しくしていた。

しかし、ホアカリの曾孫の代くらいに、執政のナガスネヒコが専横を振るった。
そのために、日向で分家していた神武が、宗家の大和王家(ホアカリ系)を助けるために
大和へ駆けつけたわけだ。それを神武東征という。

その後、祭祀の長がホアカリ系、政事の長がホノニニギ系(神武皇統)が握った。
が、やがて、ホノニニギ系が祭祀の長の座も奪ってしまった。
このへんのことが
日本書紀の欠史八代であり、
魏志倭人伝の 元々は一人の男王→歴年争う→卑弥呼共立
なのであると。
417日本@名無史さん:2007/08/21(火) 20:55:05
>>415
時代に取り残されているのは、おまえだよ。
最近、日本だけではなくて、外国の研究者もこぞって
海部氏の研究をしているから。

少なくとも、大和で王位継承争いがあった時代は、
地方への統制力が大きくそがれた可能性が強い。
418横槍:2007/08/21(火) 21:19:36
>>416
なかなか面白い妄想

神話の解釈なんて如何様にでも出来る
419日本@名無史さん:2007/08/21(火) 21:25:17
>>416
>日本国内外から
つまり、外国もと言う意味ですか。外国が興味を持つんですか。信じられない。

だから南北朝時代の様な事が古代にも起きたんでしょ。
南朝・北朝交互に天皇を立てると決め事をしたが、破られてしまった。
南朝側からすれば乗っ取られたとも感じるが、同門同士の争い。
420日本@名無史さん:2007/08/21(火) 21:40:29
>>419

外国というのは、韓国のことだろう?
天皇の祖は朝鮮人だと思ってるからな。そら、興味を持つだろう。
421日本@名無史さん:2007/08/21(火) 21:44:13
>>420
気持ち悪い。南北朝鮮とは係わりを持ちたくない。
シッシッと追っ払いたい。
422太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/21(火) 21:44:20
>>419
外国にも大学があって日本史の学科とか神道の学科とかがあるんじゃないん
ですか? そこの教授連は調査をしたがるでしょう?
423九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/21(火) 22:09:51
卑弥呼の時代はまだ文字が無かった時代。
複雑な皇統争いは書簡などのやり取りで味方かどうかなどを探る
スパイなどを潜入させるなど根回しの戦いでもある。
果たして卑弥呼の時代にどうやって遠隔地と意思の疎通を図ったのか
その手段が知りたい。
424太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/21(火) 22:42:00
あれ〜?九州ですがさん
この前吉野ヶ里から前1世紀の漢字銘文入りの鏡が出土していますから、
少数は読めたと思います。 →「久不相見 長母相思」
425日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:49:54
マジレス。

海部氏の研究をしている外国の学者は
欧米、イスラエル、中国。

韓国系は、日本の歴史が長くなるような事実には眼を背けたいので、
海部氏の研究なんかしたがらない。
426日本@名無史さん:2007/08/21(火) 22:51:33
>>418
神話とかいっても、日本神話は何段階に分けられるから。

アメノオシホミミからは、わりと実在の人物を示しているんだろう?
427九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/21(火) 23:09:51
>>424
まあそうですね。
僕の知りたいのはどちらかと言うと後半の方なんですけども。
ある程度の人員を一堂に集めるような場合、やはり口伝えしか無かったのでしょうか。
当時、紙に変わる木簡のようなものが存在したのでしょうか。
428日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:09:59
>>416

普段なら「糞デンパ飛ばすなこの野郎!」と罵声を浴びせたいところだが、
わりとそのシナリオには共感する俺がいる。

429日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:12:15
>>425
イスラエル・・・失われた支族の手掛かりを探しているんでしょ。
欧米・・・分からない
中国・・・姫古公亶父(き・ここうたんぽ)の息子、姫太白・姫虞仲(き・ぐちゅう)兄弟との
関連で興味を持っているのかな。それか時代が下っての呉王夫差関係か。

欧米が興味を持つ理由って何?
教えて頂戴。

韓国は日本に関わらないで良いよ。纏わりつかれるとウザイから。
430太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/21(火) 23:14:09
吉野ヶ里から漢字入りの紀元前1世紀の鏡が出ているから、もうそのころは
九州のかなりに渡って漢字が広まっていた可能性がある。それも権力の中枢の
取り巻きの中へ引っぱられた解読に興味を持つ奴等がいて大陸から
の派遣者から意味を聞きこんで他の漢字の意味を知って読めていた筈である。

神武は倍暦で紀元前51年の誕生と計上したから、前1世紀なら神武の取り巻きに
も読めた者がいただろう。神武は九州から畿内へ渡ったわけだが、こうなると
畿内へ行っても文字が読めて記録も出来えたということになるだろう。
431太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/21(火) 23:23:08
>>427
古事記の場合は稗田阿礼からの口伝えだそうで・・・。紀の原書群のかなりの
量は群から外れて焚書となったんでしょう?
以前太安万侶の木碑が出土してましたね。木簡のが可能性は多いかと思い
ますが? 断定はできていません。
432日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:34:18
>>431
太国、そういえば稗田阿礼か太安万侶のどちらかの実在説が疑われた時期がありましたね。
理由は日本書紀だか古事記だかが信用出来ないと言う理由で。
結局「墓誌」が見つかって実在した結論になりましたが。
あれって私は稗田阿礼だったと記憶していましたが、>>431を見ると太安万侶だったんでしたっけ?

最近では聖徳太子が攻撃されてますね。
聖徳太子が実在しなかったら、彼の息子の山背大兄王も存在しなかった。
だから蘇我家が山背大兄王一族を滅ぼした事も嘘になるんでしょうかね。
433太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/21(火) 23:34:53
卑弥呼の当時、九州の一般大衆は殆んど文字が読めない状況ではあったろう?
読めたのはほんの少しだと思うが・・・?
434太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/21(火) 23:36:01
>>432
そうでしたか? 記憶が薄れました。すいません。
435日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:40:37
聖徳太子が捏造だったら、もろにキリスト教の影響によるものじゃん。

キリスト教系西洋人が関心持つだろ。
436日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:49:40
太国 ◆yVAs7uaYlY はアホ
437日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:52:35
>>434
太国、失礼しました。やっばり私の記憶違いでした。調べたら「墓誌」が発見されたのは太安万侶でした。
昭和54年に奈良で出土しています。

>>435
それよりも、息子の山背大兄王一族も存在しなかった事になるんですよね。
そして山背大兄王も存在しなかったから、蘇我家の山背大兄王一家殺害も無かった事になる。
山背大兄王の住居跡の遺跡が発見されたはずなのに不思議な事です。
438太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/21(火) 23:55:55
>>437
お調べありがとう。zzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・・
439日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:11:13
■9・15 リチャード・コシミズ東京講演会
 アジアの平和に必要なのは何か?
 911謀略を解明し、極東戦争を阻止する
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/9_15tokyo.htm 

■主  催 DAYA・SAGARA & 独立党
■日  時 07年9月15日 (土) 13:30〜16:30
■場  所 東京ウィメンズプラザ (東京都渋谷区神宮前5-53-67)

電話 03-5467-1711(代)   FAX 03-5467-1977
●交通:渋谷駅から徒歩12分、地下鉄表参道駅から徒歩7分。国連大学のとなり。
http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/

2月17日リチャード・コシミズ東京単独講演会ダイジェスト版
http://video.google.com/videoplay?docid=-7654256446381089725
440日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:11:41
>>430
飛躍しすぎ
漢字を漢字として把握する時期の根拠としては希薄
441日本@名無史さん:2007/08/22(水) 00:41:08
>>437
それは「聖徳太子」という超人的な人物像を否定するものであって、
父:用明天皇、母:穴穂部間人皇女(母父:欽明天皇)の人物(=「厩戸王」)の存在を否定するものではないぞ。
だからその子である山背大兄王の住居跡が発見されても無問題。
442日本@名無史さん:2007/08/22(水) 01:12:53
>>441
>超人的人物像〜
つまり、推古天皇の摂政を務めた聖徳太子は存在するが、空中浮遊して空間を歩いた聖徳太子は存在しないということですか?
それなら聖徳太子は居なかったと主張してる人は変だと思います。
超人的人物像(空中浮遊等)を信じてる人は誰もいません。人間は浮きません。

その論法だと「役小角」は存在したのか、してないのか。
彼も超人的伝説の持ち主でしょう。でも間違いなく「役小角」は存在しました。
オカルティック出来事は聖徳太子同様に嘘ですが。
「役小角」も「安倍清明」も存在しない事になりませんか。
彼等も超人的人物です。清明なんて母親が獣で人間との混血伝説の持ち主。
それに現実では漫画の様にに色神を飛ばすことは出来ません。
忍者も存在したのか、してないのか。

443日本@名無史さん:2007/08/22(水) 01:27:01

オカルティック伝説を除いた
島流しにされた修験道の開祖と言われてる、役小角は居た。陰陽道の職に就いていた、清明は居た。
間諜に勤しんだ、忍び・お庭番は居た。
冠位十二階制定の聖徳太子は居た→存在したとならないんですか。
冠位十二階制定をしてない、部下が行った、、、は無いですよね。名前だけ貸した。
この論法だと、奈良の大仏を作ったのは誰か。聖武天皇。→建設現場の人。聖武天皇は命令者だ。
安土城を作ったのは誰か。織田信長。→建設現場の人。織田信長は命令者だ。
こうなりますよね。

444日本@名無史さん:2007/08/22(水) 05:53:55
>>429
>イスラエル・・・失われた支族の手掛かりを探しているんでしょ。
>欧米・・・分からない
>中国・・・姫古公亶父(き・ここうたんぽ)の息子、姫太白・姫虞仲(き・ぐちゅう)兄弟との
>関連で興味を持っているのかな。それか時代が下っての呉王夫差関係か。

イスラエルはそうだよな。
欧米は、ただ単に学問としての探究心じゃないの?
中国共産党が日本の歴史を研究して、中国に併合するためでしょう?
特に中国とイスラエルは、政治的な意味合いが強い。

ただ、中国の日本の上古代を研究している人の推測では
卑弥呼はモモソヒメだから、姫太白と神武なんて全く繋がらない。
だから、中国は一応、学問どおりやっているんでしょう。
しかし、中国は農学系でも研究が凄くて、稲の遺伝子や伝播状況も調べて
東のアジアの稲の遺伝子は7つあって、日本はそのうち2つしかないとか。
これら諸事情を研究して、日本の稲作は中国南部から気候変動で伝わったとか。
そして、中国研究機関いわく、その後、水稲は
中国南部→日本北九州→朝鮮半島南部へ伝播したことを突き止めている。
つまり、稲作は、日本から半島南部へ伝わるという、近代以降の定説を覆す結果になってきているとか。
445太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 06:59:02
>>440
神武は九州から畿内へ孫悟空のキントウンの如く空を飛んで畿内へ行ったん
ではないんですよ。ちゃんと地に足をつけて歩行と船で畿内へ行ったんです。
飛躍の話ではないです。

大人数が当時読めたんなら確かに希薄ですよ。吉野ヶ里の有文字鏡は紀元前
1世紀ですから神武即位の100年手前ですから可能性は相当あるでしょう。

奈良東大寺古墳出土の鉄刀は大陸の靈帝の中平年間の銘文いりですが、倍暦
計算で日本では孝靈天皇の時代に当たりますから、干支も書かれており、
卑弥呼はその後の時代の人物ですから、漢字のひととおりは読めた奴はいると
観ていいと考えます。↓

「中平□□五月丙午 造作支刀 ・・・・・」
446日本@名無史さん:2007/08/22(水) 08:15:19
聖徳太子捏造説は蘇我氏の功績を太子の手柄にしたということじゃないか?
447太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 10:06:10
吉野ヶ里出土の有文字鏡は紀元前1世紀、神武即位は約100年後である。
一人、ジョン万次郎が英文の読み方を書いて100年ばかり過ぎるころには、だいぶ
日本人も英文が読めている。

神武の所にこの鏡を持つ大陸派遣者が来ていろいろ漢字を一人二人に教えれば、
100年も経てば神武の取り巻きのかなりの者らは漢字を読める。その九州から
飛躍なしに地について歩行しかつ船に乗り畿内へ行けば、読めてる奴が一人
いれば、あとは朝廷内に塾でも仮設するともう漢字は読める。一般大衆は殆んど
読めなかったろうがな?
448日本@名無史さん:2007/08/22(水) 13:37:13
たった百年で漢字が浸透するとは思えない。
現代の感覚で考えないほうがよい。

現代なら、我々は基礎教育を受けており、文字や語学に対する認識がある。
当時は、文字の定義すら曖昧だっただろう。文様の一種と見なされていたかも知れない。

そんな基本認識の人々が、まともなテキストもなく「外国語」を理解するのは困難だ。
「外国」という認識すらなかったかも知れない。

百年やそこらでは無理な話だ。
449日本@名無史さん:2007/08/22(水) 13:45:41
>>444
確かに姫太白兄弟とは年代が違いますね。
>>446
中国はその科学的作業・情熱を南京事件にどうして生かせないんだろうか。
全く日本の政治家のヘタレめ!!


450日本@名無史さん:2007/08/22(水) 13:54:50
我が国の漢字で一番古いのは、いつごろ何ですか?
邪馬台国の役人全員が漢字を読める必要はなかったと思います。
役人の中でも限られた一部の人間、記録係?、文書係?の数名が読み書き出来れば大昔はそれで良かったのでは?
素人考えだと、その数名で事が足りたと考えてしまいます。
だから漢字が浸透しなくても、上層部の中の一部で十分だったと。
451日本@名無史さん:2007/08/22(水) 13:57:43
>>449
間違えました。>446は無しです。
452日本@名無史さん:2007/08/22(水) 14:01:35
その「一部の人間」が漢字を理解するだけでも大変だ。
さらに、その一部の人間から次の世代に伝えていかなければならない。
そうなると、途中で断絶する恐れだってあるし
師よりも学識に劣る弟子が伝えることもある。
たったの百年では、あまりに底辺がなさすぎる。

ただし王族が半島人なら話は別。
453太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 14:13:56
数人読めれば、朝廷の取り巻きあたりは優劣あれど、読めますよ。

吉野ヶ里からB.C.1世紀の鏡が出てるんだから、当時の日本人が大陸からの
持ってきた者らに聞いて興味を覚え、もしくは向こうからこれはこういう意味
だとかで漢字を教え出すでしょう。教えたくないいなら無文字の鏡にすりゃぁ
いいことだし・・・。

あとは近代よりゆるいだろうが順次できるようになりますよ。1世紀もあれば
充分の時間だな。
454太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 14:32:42
月齢の計算多少読めたろう? 神武以前の人物『月読命』の名からそうも
思えるな。だとすごいね。w
455日本@名無史さん:2007/08/22(水) 15:06:23
>>452
こんな感じですか

現代日本人に馴染みの薄いアラビア文字・アラブ語を理解出来る人は少ない。
邪馬台国を現日本内閣、中国語、漢字をアラブ語に当てはめた場合、
一部の人間、役人、政府高官は安倍内閣では小池百合子(アラブ語)に相当する。
さて当時はネットもなく、書物も出回ってない。一部の人間の小池百合子から
次の世代へアラブ語を伝えなければならない。上手く伝わるか分からない

日本人は当たり前の様に漢字をしようしているから、ド忘れした漢字でも辞典で調べれば難なく思い出して
記憶できる。しかし漢字が一部にしか出回ってない当時は難しい。
私たちはアラブ文字をミミズが蠢いている様にしか見えない(アラブ語が堪能な小池百合子は違う)。
欧米人が漢字を見るのと同じ感覚に陥ってしまう。
456日本@名無史さん:2007/08/22(水) 15:16:24
というか、漢字が読めた読めないに、何か大きな意味があるわけ?

中国人の通訳が一人でもいれば用は足りるわけだが。
457太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 15:17:24
いまでも熱帯未開の原住民に一人二人優秀な先生がいれば、次第に彼らも
読めるとうになろう。そう考えると、当時大陸の派遣者が鏡の文字等から
興味を持たせ数人を集めて、塾のように王の取り巻きに教えこめは百年など
かからんな。
458日本@名無史さん:2007/08/22(水) 15:21:08
たったの百年ほどで漢字が浸透するのなら、
次の百年にもなれば当然「記録」が残されているだろう。
ところが、実際に記録されたと確認できるのは西暦600年ごろ、
聖徳太子の時代まで待たなければならない。
仏教が伝来し、経典などにより体系的に文字が教えられた時代という事だ。

それまでの500年をかけて、日本人は文字を習得する素地を培ったのではなかろうか?
459太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 15:38:57
4世紀(倍暦計上で381年)に千字文が伝来してると記紀にあろうから、
600年というのは考えが遅きに失する。

奈良東大寺古墳の鉄刀の銘文の靈帝中平年間と干支の記述から、当時は
日本の孝靈世(倍暦185年前後)と倍暦計算で判明するから欠史八代にも
畿内には漢字は浸透していたと言える。

孝靈世は富士噴火があったそうで、富士山南麓の大淵丸火公園にその
約1800年前の孝靈世と思われる溶岩樹型が残存している。拙者の倍暦
計算とほぼ一致している。
460日本@名無史さん:2007/08/22(水) 16:30:07
千字文伝来のあとなら、
日本でも石の碑文を残すことは出来るはず。

なんで無いの?
461日本@名無史さん:2007/08/22(水) 16:34:44
たまたま下賜されたものに刻まれた文字があるからといって
当時の日本人が漢字を理解し使用していたとは言えない。
渡来系知識人は理解し使用していたであろうが、
それを日本人が理解し使用するのとは別問題。

漢字には音訓がある。
日本人は漢字を音訓の2種で使用していたのである。
すなわち、音を訓に翻訳する作業を必要とする。
これには膨大な時間と労力を費やしたであろう。

なにもない、基礎知識の皆無な民族であることを念頭におかなければならない。
太国さん、英文を辞書片手に翻訳するのとは訳が違うのですよ。
462日本@名無史さん:2007/08/22(水) 16:40:37
あれれ
463太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 18:05:35
>>460
天皇基国記とかと一緒に焚書されたんでないの?
>>461
もうウジノワキイラツコは王仁からその教育を受けて読めますよ。
難しい=出来ない が君の論理だろうが、難しくても出来る奴はいますよ。
464太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 18:10:39
>>463 訂正
× 天皇基    ○ 天皇紀

そうするともう少し後代になると訳が違くても読めることに
なるのか? 漢字は君のいう難しくても実際は広がったんだから。
だから後の連中は書けるんでしょ? これ 矛盾でないの? ww Pu!
465日本@名無史さん:2007/08/22(水) 18:15:45
>>463
消失して現存しない理論。オカルト最強理論ですな。
金石文もきっと粉々に砕けたんでしょうねw
>>464
だから600年もかかったって、みんなが口を揃えて言ってるのが判らないの?
466日本@名無史さん:2007/08/22(水) 18:57:29
石碑が消失するわけないだろ。
6世紀以前の遺跡から文字のかかれた石碑はみつかってない。
467日本@名無史さん:2007/08/22(水) 19:00:39
>>461>>465
なんで在日が出入りしているの?
468日本@名無史さん:2007/08/22(水) 19:06:57
>>464

漢字が広まったわけじゃない。
片仮名平仮名が発明されたおかげで、庶民にも文字が広まったの。

漢字が使いこなせた人は、漢語が出来て漢字で書けるという知識層だけ。
「訓」が出来るまえに、万葉仮名で日本語を記録できるという段階も必要。
万葉仮名は、漢語が出来て漢字音をすべて知ってる人しか読み書きできない「暗号」と同じ。
簡単に広まるようなものじゃない。
469太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 20:08:26
>>468
だから言ってるじゃないか。読めたのは朝廷の取り巻きくらいまでだよ。
ウジノワキイラツコは当時皇太子の身分であったろうし王仁が読めるように
させてるさ。広まるが、一般にはお前の言うとおり簡単に広まるものじゃぁ
ないだろう。朝廷の連中以外はそんなに読めた奴はいないだろうから。

とにかく紀元前1世紀の漢字入り鏡の出土は間違いなさそうだから、大陸の
搬送派遣者が王とその取り巻きに説明して、次第に取り巻きは読めて行って
るよ。そうしないと大陸の奴らにいいようにされるだろうから、必死に研究
して少数は読んでるよ。ならば神武の取り巻きで読めるようになった奴は
いる可能性はある。飛躍せずに地であるいは船で畿内に行っても一人読めれば
あとはなんとでもできる。

そう、漢字は簡単にはいかんが、しかし結局は後代では広まるわけさ。
470横槍:2007/08/22(水) 20:37:01
>>450
>我が国の漢字で一番古いのは、いつごろ何ですか?

誰も答えてあげないのあえて
三角縁神獣鏡の鋳型に彫られた文字が
現在発掘された中で最も古い日本製の文字だと思われます。
つまり3世紀前半
それ以前の青銅器には文字が刻まれていません。
因みに、中国では周王朝以来、贈答用の青銅器には文字が刻まれいるものが多数有ります。

471日本@名無史さん:2007/08/22(水) 20:44:29
太国 ◆yVAs7uaYlYの低知能にはあきれ果てるばかりだ
こいつの頭には脳みそがまともに詰まってるのか?
472太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 20:45:48
ソウイウオマエハドウナンダ?
473太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 20:55:44
>470
そうなりますと200〜250年ころには日本人で読めた奴がいるな?
ただ大陸人らが来日して造った鏡の文字だというならそうではないようだが、
この場合でも日本人に漢字を教えられるしな?

200〜250年となれば、倍暦計上で孝元〜崇神世の相当している。つまり
この時代に日本人のごく少数は漢字を読めたと言えるな。
474九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/22(水) 21:02:23
確かに漢字を理解できる人がいなければ魏とのやりとりは不可能。
漢字は早くから倭国でもその存在を知られてはいたものの
知識階級はある程度それが理解していたとしても一般ではほとんどが文盲状態だったろう。
それは一つには倭人は言葉には言霊が宿るとして大切にする一方、
文字を疎かに考えていたからではないのか。
475九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/22(水) 21:38:41
>>474続き
というより元々文字を使う習慣が無かった。
それが文字を生み出した文化と文字を持たない文化の違い。
中国の影響で倭は文字を使う国へと変貌した。
世界でもポリネシアと日本語くらいしかないという母音の響く言葉であり、
漢字より平仮名,片仮名を生み出すといういいとこ取りの文化と言ってよい。
476日本@名無史さん:2007/08/22(水) 22:38:33
魏志倭人伝の研究で、中国人の学者が言うのには

日本は紀元前1世紀頃から漢字を知っていただろうということ。
じゃないと、中国と活発な外交なんて出来るわけないだろうと。

ちなみに、4世紀の楽浪王氏が漢字を伝えたというのは
あれは、当時の中国の漢字方式(宋の方式)を伝えたのであって
それまで、日本が漢字を知らないはずがないということ。
4世紀の時点で、日本は長らく中国との関係が断絶していたのであって、
日本の知っている漢字方式は、晋の時代で止まっていたと思われ。
4世紀は、日本が半島に介入した時代であり、同時に
宋に対外交渉をした時代でもある。
477日本@名無史さん:2007/08/22(水) 22:45:21
>>476

宋が4世紀て?
478日本@名無史さん:2007/08/22(水) 22:54:04
>>477
間違えた。5世紀だ。
479九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/22(水) 22:54:03
>>476
宋って5世紀じゃないの?
480日本@名無史さん:2007/08/22(水) 22:56:00
ポリネシアともさかんに交流していた縄文人は
ポリネシアの文字も熟知していたということですね。
481日本@名無史さん:2007/08/22(水) 22:58:54
日本が中国に使節を送ったのは、266年以降、410年代くらいまで、
約150年間、断絶していたわけだから。
その間、中国では少数民族による王朝などが何度も誕生し、
漢文の方式や音韻など、かなり変化が激しかったと思う。
楽浪王氏が日本にやってきたのは、400年前後だと思うから、
当時、日本は朝鮮半島への権益で、対中国が以降が重要になっていた。
倭の五王の時代だよね。
482九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/22(水) 23:03:36
>>480
元々縄文人は雲南だけでなく東南アジアのラピタ人やポリネシア人なども
混血していたという証じゃないでしょうか。
483日本@名無史さん:2007/08/22(水) 23:05:28
国書は当然持って行ったはずだよな
484日本@名無史さん:2007/08/22(水) 23:50:17
wikipediaで調べてみたよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%BC%A2%E5%AD%97

で、そこにあったリンクから抜粋
「漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にか
けてというのが通説である。その当時、土器や銅鐸に刻まれて
 『人』『家』『鹿』などを表す日本独自の絵文字が生まれかけ
ていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。」
485太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/22(水) 23:57:43
>>484
実際吉野ヶ里から紀元前1世紀ころの中国製有文字銅鏡が出土していうから、
それは修正記述を要するな。前漢時代の直径7.4cmの連弧文鏡で、文字は

 「久不相見 長母相思」

zzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・
486日本@名無史さん:2007/08/23(木) 00:07:54
>>485

「日本製」の土器や銅鐸つってるだろボケ
487日本@名無史さん:2007/08/23(木) 01:02:57
>>476 同意
1、倭国は紀元前から朝鮮半島と交易行っていた。
2、紀元前にも中国や朝鮮が渡来した人々がいることは、土器からも明らか。
  よって、漢字の知識を持つ人々が日本に来たのは紀元前に遡る。
3、日本の音読みのなかには、漢より以前の周や戦国時代の音とされるもの
が存在する。

488日本@名無史さん:2007/08/23(木) 03:38:54
>>486
太国 ◆yVAs7uaYlYは知的障害者だから、そうムキになるな
489日本@名無史さん:2007/08/23(木) 03:57:17
しかしフトクニさんは古代史関係のスレには登場回数最多だな
レスチェック、書き込みの繰り返しだと思う
もう少し相手のいうことを理解してから書き込みをすればいいと思う
まあ内容はアレーだが
490太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/23(木) 06:55:27
古神道の見地からお前達のデタラメ論を制御矯正するための目的で書きこん
だのだ。あまりにもそれが蔓延しているからだ。

あとは役に立つ話もあるので研究の糧にする目的だ。これのおかげで
随分自己の研究の栄養になった。真の目的は『卜事』の運用のためだ。
それだけのこと・・・。非関連スレにはよっぽどの理由がない限り行かない。
初心のときは練習で他のスレもいろいろ書きこんだがね。
491日本@名無史さん:2007/08/23(木) 08:31:18
そーゆー見下すような態度はいかがかと。
せっかく確個たる自説をお持ちなのに、誰彼かまわず敵に回すのは損ですよ。
492日本@名無史さん:2007/08/23(木) 09:24:12
太安万侶の墓誌を木碑と間違うような
惨めな記憶力しか持たない太国のアホのいう事など
誰も耳に貸さんよ
493太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/23(木) 09:29:16
耳を貸す奴はいるよ。お前は若いから記憶もいいだろうし、こっちは老齢マン
でそうは行かない。当時まだそんなに古代史に没頭していたのでもない。
そのうちお前も馬脚を現す時がもう〜目前に来ている。w
494日本@名無史さん:2007/08/23(木) 09:50:51
ではお前は耄碌のおいぼれジジイじゃねえか!
すっこんどれボケ!
495太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/23(木) 10:36:56
>>491
論敵が増えるのはいたしかたない。これは古代史の真を論議するためであり、
言い合いはそのへんにて留まるべきだ。

がしかし、論戦での勝ち負けは、結局感情というものがあり、負けた奴が
いろいろとその域を脱して相手の論を無理にも封じこめようとする。
このやり合いが強力な感情の起伏となり、論戦から喧嘩の言い合いに発展して
スレが大荒れに向かうわけだ。

負けた奴は相手にバカとかアホとかデムパとか、ひどいのになると被疑者だと
かの語を糊塗して死にもぐるいで相手を葬ろうとしてくる。

名誉毀損にも至りやすい。こいつは言ってくる奴のガラの、低劣な人格性を
物語っていると云えるだろう。だからそういう語を使う奴は負け犬であり、
負け犬の吐露でありww 通常の論戦では勝てっこない。まぁ青二才的野郎
だということになるわけだ。ww
496日本@名無史さん:2007/08/23(木) 13:49:41
草は相手の感情を逆なでするよ。
497日本@名無史さん:2007/08/23(木) 16:08:50
>>495
お前も相手にしてる時点で同じレベルってのを気づけ!
このクソジジイ!!
498日本@名無史さん:2007/08/23(木) 16:55:33
>>496-497
太国の目的は煽りで、議論する気などさらさらない。
ちなみに九州ですが、プラムなどはこいつの別ハンドルの可能性が高い。
わざとやってるんだから釣られるな。
なんなら過去ログアップするから、こいつがどれだけ痛い奴か確認しろ。
499日本@名無史さん:2007/08/23(木) 17:03:04
ではアップしてみて
500日本@名無史さん:2007/08/23(木) 17:37:03
501日本@名無史さん:2007/08/23(木) 21:01:39
しかしフトクニさんには興味がある
書き込む時間を見ると規則正しいし
タイピングを苦にしてるようには見えないし
本はよく読んでそうだし(でも原史料には暗い)
意外と若いのかな
502日本@名無史さん:2007/08/23(木) 21:33:36
そうか?
俺にはボケ老人の戯言としか思えないけどな
503日本@名無史さん:2007/08/23(木) 22:46:33
大乃国さんはそんなに歳はいってないとおもう
504日本@名無史さん:2007/08/23(木) 22:54:40
自称50過ぎだけどな。九州ですがは40代半ばって設定。
ただしその年代しか尻得ないようなことも多く書いているというか
アホだから筆を滑らせて書いてしまうので、大体その年代だろう。
505日本@名無史さん:2007/08/23(木) 22:58:24
大体、太安万侶の墓誌を木碑と間違うようなアホだから
この板に来る事自体が間違い
506日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:00:59
すくなくとも一人暮らしなのは間違いないね

タイムスタンプからすると、無職か新聞配達員もしくはゴミ清掃員
早朝と夕方のある一定時間だけ書き込みがない
50過ぎの生理のあがった毒女という説もある
507日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:12:59
女じゃ無いだろ
女で古代史の議論大好きなんてヤツ見たこと無い
508日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:15:34
>>506
さすがに言いすぎじゃねえ
50960代のおっさん ◆VtQlcKJeQw :2007/08/24(金) 01:05:04
>>501-508
太国 ◆yVAs7uaYlYさんは戦中世代の60代のおっさんだよ。
オイラより少し年上。オイラも戦中世代。
51060代のおっさん ◆VtQlcKJeQw :2007/08/24(金) 01:10:36
オイラはグラマン戦闘機の機銃掃射音を覚えている。
音がデカかったから機関砲音かもしれない。
511日本@名無史さん:2007/08/24(金) 01:11:38
そんな世代のくせに皇国史観か
よほどつまらない人生を送ったんだろうな
挙句の果てに人生の終着駅が2chの荒らしか

あんたも同世代ならこの馬鹿じじいをなんとかしろよ
生きてるだけで迷惑なんだから
512日本@名無史さん:2007/08/24(金) 01:13:02
>>509
太国=九州ですが=プラム
別ハンドル乙
513日本@名無史さん:2007/08/24(金) 01:20:16
>>509は、明らかに太国だなおい。
514日本@名無史さん:2007/08/24(金) 01:25:11
仲良くしろとは言わんが見苦しい罵りあいはやめれ
515日本@名無史さん:2007/08/24(金) 01:29:00
というよりお前ら構ってちゃんに釣られ杉

話し相手が猫しかいない淋しいじじいが
孤独に耐えかねて荒らしてるんだから
放っておけばそのうち死ぬ
516日本@名無史さん:2007/08/24(金) 01:44:32
俺は、ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼だと思うんだよ。
字も似てるしな。
51760代のおっさん ◆VtQlcKJeQw :2007/08/24(金) 01:46:35

オイラは「太国 ◆yVAs7uaYlY」さんじゃないよ。
「60代のおっさん◆VtQlcKJeQw」を検索してみな。
518日本@名無史さん:2007/08/24(金) 02:21:01
>>517
言い訳している暇があったらさっさと首吊れ
519日本@名無史さん:2007/08/24(金) 05:07:44
>>506
案外あたりかもしれない
指摘したとたんにレスがなくなったし
別ハンドルを使い出した
520日本@名無史さん:2007/08/24(金) 13:33:48
みんな気がついて無いだろうけど、
箸墓が卑弥呼の墓。
521日本@名無史さん:2007/08/24(金) 14:16:23
>>520
というか、今、その説が有力になっているんだろうが?
522すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/24(金) 15:18:36
いいえ、卑弥呼の墓は佐賀県小城市甘木小城公園内桜ヶ岡です。
523日本@名無史さん:2007/08/24(金) 17:14:56
卑弥呼の墓が竹島にあったら面白いんだけどなあ
524日本@名無史さん:2007/08/24(金) 19:23:50
>>523
> 卑弥呼の墓が竹島にあったら面白いんだけどなあ

面白くもなんとも無い。
そんなところにあっても観光資源として利用できないじゃないか。
525日本@名無史さん:2007/08/24(金) 19:52:15
>>524
>そんなところにあっても観光資源として利用できないじゃないか
このあたりが九州説の本音って訳だ。
纏向なんて地元は観光資源に使う気すらないからな。
526あ〜 明日の今頃は〜 僕は汽車の中〜♪:2007/08/24(金) 20:07:11
>>522
師匠、ちがいまんがな。
それはインコのピーちゃんのお墓やて何回ゆうたらわかりまんのや。
527伊勢神宮=邪馬台国と妄想中:2007/08/24(金) 22:12:01
>>525
いくら大和王朝起源の遺蹟といえど、歴史に興味のある人しか来ないだろう。
歴史的価値だけでは観光客来ないし。
そこで邪馬台国で卑弥呼の墓と確定したらどう出ることか。
インパクトも十二分にあり、歴史にそれほど興味のない観光客も誘引できる。
某銀山跡が何かの遺産に認定されたとたん観光客が増えたというし。
528日本@名無史さん:2007/08/24(金) 22:23:18
>>527
纏向遺跡の寂れたことw
奈良県も遺跡が多すぎて、やる気無しだなw
でも、纏向遺跡が完全に邪馬台国だと判明したら
ちょっとは頑張るんじゃないのかな?
529日本@名無史さん:2007/08/24(金) 22:38:09
>>527

おまえ、九州説じゃなかったっけ?
530九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/24(金) 22:38:25
あり得無いことだから諦めた方がいいんじゃない。
531日本@名無史さん:2007/08/24(金) 22:40:29
でもアレだな。
そろそろ、東海が邪馬台国だとネタばらししてもいい頃かもしれんな。
532523:2007/08/24(金) 23:17:49
議論が白熱しているところ悪いですがw
俺が「面白い」と書いたのはですねー、もし竹島に卑弥呼の墓があったら
竹島を今実効支配している連中がどうファビョるのか見てみたいてことなのよねー
だから畿内説とか九州説とかは関係ないのです。
ましてや竹島が島根県だということも、もっと関係ないです ←これは言ってないかw
533日本@名無史さん:2007/08/24(金) 23:26:39
>>532

「邪馬台国は朝鮮ニダ」で終了するんじゃね?
534日本@名無史さん:2007/08/24(金) 23:32:45
>>527
客寄せのための邪馬台国争奪戦をしてるバカ共は氏ね
535日本@名無史さん:2007/08/24(金) 23:43:49
なんだかだれてきたな、惰性はダセーって感じww・・・・

前みたく、テーマというものを決めようよ。
俺は最近出雲のことを色々読んでいるんだが。
536日本@名無史さん:2007/08/24(金) 23:47:18
うるせぇ、バーカ
537日本@名無史さん:2007/08/24(金) 23:55:20
>>535

で、いまさら出雲のことでなんかわかったの?
たぶん君の知ってることくらい、みんな知ってると思うけどね。
538九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/25(土) 01:17:15
>>サガミハラハラ氏 (前スレ>95より)

倭面土国発見
以下でしょうか?

筑志米多國(旧事本紀)・・・倭面土國王帥升(諸本)・・・倭國王帥升(後漢書)
米多の地名がありました。
吉野ヶ里遺跡の東南側、田手川・井柳川を挟んで、約3kmの低地に「米多」がありました。
2世紀には有明海北岸の海岸の位置になります。
筑志米多國は南に有明海に臨んだクニになります。
その後背台地は「目達原」です。
「メタ」の地名はこのあたりにある「○○ヶ里」より古い地名のようです。


以上のことが目達原・吉野ヶ里の地は不彌國であるとの思いを強くさせています。
539日本@名無史さん:2007/08/25(土) 09:02:27
>>538
不彌國は人口が少ないから
無いんじゃないのか・
540伊勢神宮=邪馬台国と妄想中:2007/08/25(土) 11:16:41
>>529
誰かと勘違いしているようですが、私は政治の大王とは別にシンボルとしての女王がいたと妄想しています。
で、その女王が居た場所こそ伊勢神宮だと思っています。
ま、本音は熱田神宮ならい〜なぁ〜と(笑)
541九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/25(土) 12:26:31
>>539
吉野ヶ里遺跡は1〜2世紀をピークに2〜3世紀には衰えていることを示しています。
かっての大国である倭(面土)國王帥升の国が衰え縮小し、
女王國の玄関国としての不彌國になったのは、相応しく思えます。

542日本@名無史さん:2007/08/25(土) 16:40:03
不彌國は地形から見ても、宇美町の可能性が高いように思う。
ちなみに、現在は博多湾の海岸線は、
宇美町の近くまで入り込んでいた。
543日本@名無史さん:2007/08/25(土) 16:44:38
歴史年表地図・邪馬台国所在地推定地図
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/34007829.html
544日本@名無史さん:2007/08/25(土) 18:04:48
クナ国は、毛の国じゃないのかなあ。
545日本@名無史さん:2007/08/25(土) 22:40:38
狗奴国は許乃國(山城の宇治)
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/34476515.html

546日本@名無史さん:2007/08/26(日) 03:01:13
不彌国と宇美町とか狗奴国は許乃國とかあるけどさ
それらのゴロあわせは上代特殊かな遣いの点からもまちがいないわけですか?
547日本@名無史さん:2007/08/26(日) 07:03:22
>>546
だからこそ、考古学とか文献史学とか農学とか
様々な学問を総合して体系的に見ないと駄目だということだろう。
548日本@名無史さん:2007/08/26(日) 07:30:04
>>546
考古学も文献史学も言語学も農学にしても、それらを総合しても
倭人伝に登場する国がどこにあったかなんてのは
すでに判明している奴国4つと、不彌国、邪馬台国、狗奴国以外は推測すら出来ない。
その他の国については語呂合わせにいそしんでいたのは、せいぜい明治の頃の東大京大論争までの話で
今では正々堂々と「わかりません」と言っている。
たとえ邪馬台国がどこだか変名しても判りませんってね。
アマチュアの中でもちょっと痛いヒトが、我こそは幻の・・・と言い張っているだけ。
549日本@名無史さん:2007/08/26(日) 08:00:27
>>548
そんなことはありませんわな。
学会とかでは、ほとんど、どこなのか分かってきているでしょう。
ただ、偉い学者さんは、後で間違っていた時のために、
断定したことは言いません。
しかし、彼らも内心は考えを固めつつあるわけです。
550日本@名無史さん:2007/08/26(日) 09:17:39
>>549
あんた内心が読めるんだねw
誰もそんなこと言ってないんだけど、やっぱりオカルトさん?

邪馬台国=ヤマト通商連合と考える学者は多いけど
連合内の30カ国が具体的にどこだとか、漫画みたいなことはだれも本気では言わないよ。
リップサービスでそれに触れることはあるけど
そいつは「シャチョーさん、アイシテルヨ」みたいな営業スマイルってもんだ。
551日本@名無史さん:2007/08/26(日) 09:41:54
通商連合とか連合とかの言葉をよく聞きますが、「特に一大率をおき、諸国を検察せしむ。諸国これを畏憚す。」
とありますが、連合とはこのような状態をいうのでしょうか?連合と聞くと私などは諸国はかなり対等な立場と思うのですが、
これでは従属のようによみとれますが、この時代の連合とはどのようなものなのかくわしく教えてください。
552日本@名無史さん:2007/08/26(日) 09:45:16
、「特に一大率をおき、諸国を検察せしむ。諸国これを畏憚す。」

まずこれが真実かどうか。
そこから疑うのが歴史学ですよ。
553日本@名無史さん:2007/08/26(日) 09:53:32
>>551-552
お前ら未だに『魏志倭人伝』を信じてるてるのかよ(ゲラゲラ

『宋書』『南斉書』『梁書』『隋書』『旧唐書』が日本(倭)について書かれてある事が滅茶苦茶なのに
なんでそれ以前に書かれた『魏志倭人伝』が正確と言えるんだ
何時までそんなクダラン史書に引きずられてるんだ?
本当に哀れな奴らだな
554日本@名無史さん:2007/08/26(日) 10:02:20
>>550
文献を最初から破棄するやつらって
歴史学の基本から間違っているだろう。
555日本@名無史さん:2007/08/26(日) 10:10:25
>>554
ではお前は記紀のみを信じておればよい
556日本@名無史さん:2007/08/26(日) 10:23:21
>>553
マルチ乙
557すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/26(日) 10:24:16
真実かどうか疑えって、これだけ具体的にかかれているものをどう疑えというのですか?
反する資料でもあるのですか?

連合についていかがでしょうか?
558日本@名無史さん:2007/08/26(日) 10:54:31
具体的にかかれていたら、疑う必要は全くないと?
お前の頭の中にはウジがいっぱい湧いてるんじゃねえか?
559すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/26(日) 11:01:06
逆ですよ。具体的なものを信じず具体性のないものを考えていくとそれは直ちに妄想につながり、頭のなかにどんどん蛆が沸いてきて
奇想天外な妄想世界へと浸ってしまいます。
560日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:08:33
だから魏志倭人伝はお前の言う具体的な物だから
書かれてる内容には疑う必要は全くないと、それを聞いてるんじゃボケ!
561日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:12:38
推定無罪みたいなもんだろ
562九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 12:50:19
倭人伝に書かれていることがそれほど信じられないのなら最初から比定地はどこだなど言わない事だ。
邪馬台国も嘘、卑弥呼も嘘、卑弥呼が貰った銅鏡100枚も嘘。と言ってるのと同じ事だからだ。
もし倭人伝などの文献が元々この世に存在しなかったとして考古学だけで弥生時代のクニの名や出来事が
知れようものならどの学者も文献の助けなど使わないはずだ。
実際は文献たる倭人伝に基づいて邪馬台国論争は起こったのだ。
563日本@名無史さん:2007/08/26(日) 13:34:53
>>553
つまり邪馬台国も卑弥呼もいなかったでFA?
564日本@名無史さん:2007/08/26(日) 14:54:30
>>562

違う。
魏志倭人伝でわかることは、3世紀の倭国に、
金印をもらえるほど成長した邪馬台国があったということで、
その部分は疑う必要は無い。

場所についても、本来は大和で疑う必要はなかった。
ところが江戸時代のトンデモ学者が九州だとか言い出したので論争が始まっただけ。
565日本@名無史さん:2007/08/26(日) 15:19:41
>>563
これは十分に考えられる
何故かって、その後の中国の史書の出鱈目ぶりを考えれば、否定できない
案外我々はクソ馬鹿馬鹿しい物に振り回されてるだけかも分からない
566唐松山:2007/08/26(日) 16:22:20
昔は、大川を国境としていた。

博多の町も川を挿んで2国に分けられないか?
567日本@名無史さん:2007/08/26(日) 16:23:18
桃太郎がイヌ、サル、キジを連れて鬼退治をした伝説がある。
そのイヌが柴犬なのか秋田犬なのか
ミニチュアダックスなのかを議論するのは確かに不毛。

でも、その桃太郎のモデルとなった人物や出来事はあったはず。
卑弥呼だって、卑弥呼じゃなくとも卑弥呼のモデルになった女性はいただろう。
568日本@名無史さん:2007/08/26(日) 16:27:26
>>567

まったくだ。
桃太郎のモデルはキビツヒコで、大和から西方を平定した人物。

普通に考えて、桃太郎が退治した鬼が島は九州のことだろ。
569日本@名無史さん:2007/08/26(日) 16:39:38
鬼ノ城の温羅やがな
570すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/26(日) 17:19:53
ところで、倭人伝には「牛馬なし」と書かれていますが、これは具体的な文でしょうか?

ところで推定無罪ってなんですか。法律にくわしくないもので。
571日本@名無史さん:2007/08/26(日) 17:23:56
>>567
桃太郎が事実を基にした寓話かどうかはおいといて、そういうことだね。
しかしみんな犬種議論が好きなんだよなw
しかも桃太郎本文から語呂あわせで、これに違いないとかやるのが楽しいんだろうね。

三国志の信憑性なんて、史学ではとっくの昔に通過した場所なんだから
私はこう思うとか言うよりも、先にどのような研究がなされてきて
その結果保留扱いになったのはなぜなのかを調べるのが普通だけど
そういう地味で当たり前のことは、妄想大好きなひとはしないんだな。
572日本@名無史さん:2007/08/26(日) 17:28:19
>>570
「牛馬なし」はおそらく正しい。倭国の範囲を東日本まで拡げて考えたとしても
今のところ飼育または牧畜されていたと見られる化石は出土していない。
少なくとも伊都国などの北部九州では行われていなかったと見られている。

>推定無題
ググレカス
573日本@名無史さん:2007/08/26(日) 17:36:33
●太国の倍暦論
古代の天皇は異常に長寿である。
これは、古代は半年を一年と計算していたためで、
古代日本は倍暦を使用していた証である。

●桃太郎のイヌ論
桃太郎が連れたイヌは、人懐っこく桃太郎に近寄りエサをねだった。
これは、このイヌが人懐っこいミニチュアダックスであるためで
古代日本にはミニチュアダックスがいた証である。



整合するなw
574九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/26(日) 17:45:48
>>572
ぐぐったけれど、推定無題の意味がわからない。
ユーモアセンスがないもので。
575日本@名無史さん:2007/08/26(日) 17:56:46
たぶん題名がないってことだw

推定無罪でググリナオセ
576九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/26(日) 18:05:39
>>575
推定無罪は知っている。
577日本@名無史さん:2007/08/26(日) 18:21:04
>>576
ハリソン・フォードだよね
578すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/26(日) 18:33:20
>>561は法的用語でつかっているのかね。それとも映画のことをいっているのかね。もっと具体的に述べていただきたい。
579日本@名無史さん:2007/08/26(日) 18:38:05
>>578
その程度の読解力もなくて
よくもまあ文献がどうしたとか言えるもんだwww
580すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/26(日) 18:41:14
なんだ、説明できないのか。だから自分で調べろといってにげるんだね。
581九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 18:47:45
人口数万人を抱えた紀元前のギリシャのポリスでさえ勢力範囲は大して大きくない。
北米インディアンのカナートに毛の生えたような弥生集落にどれほどのクニの範囲があったのか。
恐らく壱岐国、対馬国、マツラ国、伊都国、奴国、北部九州に並ぶこれらのクニグニが
一国の人口に耐え得る精一杯の大きさだったろう。
それ以上の大きさでは僅かな人口で支えきれない。他のクニから攻められる時に易々と侵入されてしまう。
畿内までの広大な西日本全体に西洋に比ぶべくも無いみすぼらしい弥生遺跡がポツンポツンと飛び地で点在し
「互いに通商」?を行っていたという。その間の広大な(空き地?)には何があったのか。
環濠で囲み、なるべく環濠から出ないように暮らす弥生人が、あのような広い領土を領有していたと言われても
にわかには信じがたい。
582日本@名無史さん:2007/08/26(日) 19:05:11
>>581 >なるべく環濠から出ないように暮らす
そんな君みたいなひきこもり状態で
農業や狩猟はどこでやってたんだい?
583九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 19:11:32
敵が来ればさっと環濠の中に逃げ込めるように、
集落からあまり離れてない場所に田畑を作っていたのではないでしょうか。
狩猟は縄文時代のようには盛んでは無く、遠方までは出掛けなかったと思いますが。
584日本@名無史さん:2007/08/26(日) 19:18:53
>>583
敵?まだ戦争とかの妄想が抜けないのか。
さっさと逃げこんだりしたら、畦道壊されて水田は一発でアウトになるだろ。
周辺だけで自分たちの食い扶持のみを作っていたわけでもあるまいし
様々な交易品はどうやって手に入れたの?
その財源は何だと考えているの?

行き当たりばったりに書く癖、いいかげん直せよ
585日本@名無史さん:2007/08/26(日) 19:38:53
九州ですが ◆UEukKMcVo2はアホすぎ
こんな馬鹿では知能指数は50もないだろう
586太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/26(日) 19:41:09
>>585
悪口はやめてだな、少しはましな論でも書きこめ!
587日本@名無史さん:2007/08/26(日) 19:59:08
>>586

おまえがいうな。
588九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/26(日) 20:15:06

「九州ですが ◆UEukKMcVo2」 さんが書いている通り、間違いない。
「七人の侍」を思い起せ。
畦道と泥田に守られた村は攻めきれない。
589日本@名無史さん:2007/08/26(日) 20:18:01
敵が人間だけとは限らないじゃないか!
590九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/26(日) 20:21:06
人間以外で敵となるものがあるのか?
最大の敵は旱魃と洪水だと思うが。
591九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 21:22:04
ね!>>581って同調するでしょ。
まるで戦国時代並みの領土を持って、僅かな手勢で守りおおせるわけがない。
出城をいくら作っても間に合わない。
倭国大乱を経た邪馬台国時代もクニの集落などの様相はあまり変わらなかったはずだ。
畿内説には決定的な無理がある。倭人伝が間違っているのではなく考古学のどこかが間違っているのだ。
土器編年辺りが・・・。そのついでに古墳の年代設定も・・・。
592九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/26(日) 21:26:09
「九州ですが ◆UEukKMcVo2」 さんが>>591に書いている通り、間違いない。
593日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:37:48
九州ですが ◆UEukKMcVo2=九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Yのアホ臭い自演
お前、小学生にもバレバレの自演なんかして楽しいか?
594九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 21:38:47
>>592
援護射撃ありがとさんに存じます。
595九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 21:42:16
おっ!とうとう>593は答えに窮したか。
全く質問に対する返答になっていないぞ。
596日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:42:19
倭国大乱がどの程度の大乱だったか分からないわな。

今や邪馬台国=大和国で、がちになりつつある。
597九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/26(日) 21:45:16
昨日は、
九州王朝大好き=太国
今日は、
九州ですが ◆UEukKMcVo2=九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
か!
598九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 21:48:22
「ヤマタイコク=ヤマトコクデ〜ス」と外国人に説明したんでしょ。
外国の学者も「日本人がそう言うのなら」とそれ以上は深入りしてこない。
599日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:51:46
718 名前:九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 21:36:18
ああ〜っ!これこれ。お昼のニュースで日本全国に放送。
>>717の中のこのレス面白いよ。

「76 :屑野郎:2007/08/21(火) 19:40:08 ID:Gli3xsf2
お昼のニュースで会社に攻め込んでる映像みた
壁のちょっと高いところにかけてある時計まで木の棒で叩いてた。

ああ、こーゆーのいかにも中国人だなぁ〜 とオモタ 」

掛け時計まで叩くなんて!時計は関係ないんじゃない?とワロタ


719 名前:名無的発言者 :2007/08/26(日) 21:38:50
>>718
面白がる内容か?クズ。

721 名前:名無的発言者 :2007/08/26(日) 21:41:08
>>718
おまえの地元の九州では、炭鉱の事故で数多くの犠牲者が出てるということさえ知らないのか?
600九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/26(日) 21:58:27
レス違いだろう!そもそもこのレスで面白いのは
「壁のちょっと高いところにかけてある時計まで木の棒で叩いてた」
のくだりだ。
601すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/26(日) 22:17:26
見直してみたら名無史さんでかいていたんだっけ。とんだところで正体を曝してしまった。反省。
602日本@名無史さん:2007/08/26(日) 22:23:16
>>591
>畿内説には決定的な無理がある。倭人伝が間違っているのではなく考古学のどこかが間違っているのだ。
>土器編年辺りが・・・。そのついでに古墳の年代設定も・・・。

年代設定に疑念を向けても無意味。

マキムクが4世紀であっても、鉄器が少ないことは事実なので、東遷説は成り立たない。

邪馬台国九州説の場合は、クニの外に、まったく敵がいないのに勝手に自滅したということになる。
しかも九州の中に豊富な鉄器を保有したままでだ。
どう説明するつもりなのかね?
九州王朝は別としてだ。

603日本@名無史さん:2007/08/26(日) 23:30:33
>>601
おまえな
自作自演は2chでもやってはいけないことなんだよ
ここは自演OKだとでも思ってるのか
元小学校の教師なんだろ、教え子に恥ずかしくないのか
辞めさせられて良かったよ、こんなやつ
604日本@名無史さん:2007/08/26(日) 23:32:37
>>592

弥生遺跡が点々と・・・

例えばコレ↓は、広島県での主要遺跡だけでもこんなもんだけど
      ttp://home.hiroshima-u.ac.jp/maibun/hirosima03.html

博多湾や吉備、河内なんかはもっと凄い密集状態だよ。
605すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/26(日) 23:42:07
自作自演はしていませんです。
606すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラ :2007/08/26(日) 23:53:48
ちなみに、今回のレス騒動での私のレスは、551,557,559,570,578,580,601です。
551だけが日本@名無史さんでほかは全部 すみれの花のような ぼくの友達 実はサガミハラハラです。
全て名無史さんで通すべきものをHNをつけてしまったのです。
無用な混乱を招き失礼いたしました。

それからやめさせられたのではなく、病気のためと早期退職奨励金がほしくて退職したのです。
607日本@名無史さん:2007/08/27(月) 00:01:53
>病気のためと

治る事のない精神病だからな
当然か
608日本@名無史さん:2007/08/27(月) 00:39:08
どうせ授業放棄して無断欠勤繰り返したとか
女児に手を出したとかで
穏便に済ますために形式上依願退職にしただけだろ。
本当に病気なら公務員は辞める必要ないからな。

退職奨励金も元はといえば血税だぞ。
それを騙し取って何を言ってるんだ。死ね。
609日本@名無史さん:2007/08/27(月) 01:58:08
女児に手を出したのかw
610九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/27(月) 03:48:02
>>602 「邪馬台国九州説の場合は、クニの外に、まったく敵がいないのに勝手に自滅した」

倭人伝には「邪馬台国連合は伊都国にいる一大率が監視していて諸国は大変恐れ煙たがっている」とあるが、
監視していないと成り立たない、つまり連合国家といっても緩やかな和睦のようなもので、
何時それが崩れてもおかしくないにわか作りのもの。
卑弥呼の死後男王が立ち内乱のようなものが起きる。その後トヨが立って再び平穏な日々が訪れたかに見えるが
倭人伝の記載はそこまで。トヨの死後再び連合は内輪もめの為に内乱が起き、諸国は分裂して
その後再び邪馬台国の名に歴史的に光が当てられることは事は無かった。
南の狗奴国(菊池}に滅ぼされた可能性もあるだろう。
まさに幻の邪馬台国の名にふさわしく消え去っていった。
けして邪馬台国が=大和になったわけではない。
例えばイタリアの国名ががローマに滅ぼされたエトルリアに因むように
イギリスがケルト人であるブリトン人の名をとってブリティッシュというように
札幌などアイヌの地名が好んで付けられている様に
カナダは元々カナート(インディアンの集落)に由来するように
ボーア人が自分達こそアフリカーナと呼ばわったように
九州邪馬台国の名を畿内が勝手に付けたのである。
倭を和と変え、大和{おおいなるわ}とし、ヤマト、と無理に読ませた
のは同じことである。
611九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/27(月) 03:57:39
ゴロどもへ
それからサガミハラハラさんをいじめるな!
病気の為退職したようなこんなけなげな人を悪く言うなんて人間やめてから言いなさい!
612九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/27(月) 04:13:18
以上、便所起きで物申す、でした。再びお寝すみなさい。フワ〜ッとあくびが。
613日本@名無史さん:2007/08/27(月) 08:56:55
「人間やめてから」
こんな罵声を浴びせるのもどうかと。
614日本@名無史さん:2007/08/27(月) 12:17:12
九州ですがへ
お前は今すぐ死ね!
正直ウザイ!
繰り返す
今すぐ死ね!!
615夏を愛する二とは 心強き人 実はサガミハラハラ:2007/08/27(月) 13:35:57
スレの趣旨とは関係ないのですが、一言二言述べさせていただきます。
わたしの病気は拡張型心筋症です。
また当時の公務員についても誤解があるようですので、述べさせていただきます。
授業放棄無断欠勤ぐらいでは免職になりません。まあ、やりすぎるといけませんが。
女児に手をだしたことはありませんが、かなり昔、女児に悪戯をした教員がいて騒ぎになりましたが、結局はその教員を担任からはずし教務主任
に昇格させて回避しました。ちょっとの不祥事では首になりません。ただしさすがマスコミにつたわるとアウトです。また飲酒運転も即首です。
確かに病気ならやめることはありません。病欠療休をくりかえしながら、なんとか定年までもっていけます。奈良市の職員でそうしようとされたかたがおられたようですね。
退職奨励金を貰ってやめるのと休みをくりかえしながら定年をむかえるのとでは、金額の上では定年までなほうがぐっと有利です。年金の支給額にも影響があります。
不利だとはおもいながらもここでいさぎよくと思い退職しました。
616夏を愛する二とは 心強き人 実はサガミハラハラ:2007/08/27(月) 13:55:27
とまあ、随分とスレと関係のないレスの応酬となり、無駄な手間暇を消費してしまいましたが、
できるだけコテハンをつけていただきたいと思います。
でないと、まともな人だろうと思って引っかかってしまいますので。
コテハンつけていただくとよけれますのでよろしくお願いいたします。
617日本@名無史さん:2007/08/27(月) 18:15:06
なんにせよ、妄想に取り付かれて人生を棒に振る人は多いってことだな。
618九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/27(月) 19:25:11
>>613「人間やめてから」

人間は人間をやめる事は出来ません。故にこの言葉は罵声などではなく
出来ない事の例えとして用いているのです。


619日本@名無史さん:2007/08/27(月) 19:41:43
>>618

「人間やめてから」 という言葉は、「死ね」と同じ意味と解釈されると思うが?

620日本@名無史さん:2007/08/27(月) 19:53:19
>>619
>>500にある過去ログ落として嫁
嘘をつき通す。屁理屈をこねまわすのが九州ですがのやり口だと嫌というほど判るから
621九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/27(月) 20:32:33
>>616まともな人だろうと

ごらんのようにまともじゃない相手のようだから
相手しないのが一番のようですよ。
622日本@名無史さん:2007/08/27(月) 21:54:27
>>621

で、3世紀に九州に存在した邪馬台国は滅び、
4世紀以後に畿内王権が出来たというわけね?

邪馬台国を滅ぼした九州勢力を、どうやって畿内王権が征服したの?
623日本@名無史さん:2007/08/28(火) 09:46:38
>>620
過去ログ落としたがボリュームありすぎ
見どころのまとめを激しく希望
624夏を愛する人は 心強き人 実はサガミハラハラ:2007/08/28(火) 10:16:27
つまり、邪馬台国を滅ぼした九州勢力は畿内勢力より弱かったということですよ。
邪馬台国は末期にはかなり弱体化しており倭国の盟主ではなかった(または名分だけ)のです。
625日本@名無史さん:2007/08/28(火) 10:34:45
それって鉄器をたくさん持ってて
環濠で防御して

それでも畿内にあっさりと負けたってことね

なかなか笑わせる戦争ですが
そんなのより経済戦争に負けたという連合説のほうが説得力あるよ
626日本@名無史さん:2007/08/28(火) 11:28:03
通貨・貨幣のない時代に通商連合?経済戦争?
627夏を愛する人は 心強き人 実はサガミハラハラ:2007/08/28(火) 15:48:46
壱与が貢献した266年頃は邪馬台国は健全であったとみてよい。
梁書ではその後男王がたったようである。このころも邪馬台国の権威はあった。
しかし288年に東夷30ヶ国がまとまって貢献している。邪馬台国がしっかりおさえているのであれば、貢献は邪馬台国だけでよいはずである。
つまり、このころには邪馬台国の権威は消失し、各国はかなりの独立性を持っていたものとおもわれる。
このような政変が武力衝突の果てになされたとするならば、北部九州諸国の各国力は相当衰弱していたものとかんがえられる。
その時に東方から大和王国がひた押しに勢力を拡大してきたとするならば、果たして団結して有効な武力対抗がとれるかといえば、内応者がでたりと
かするならば、必ずしも武力闘争に入るとはかぎらないであろう。
というよりも、大和王国の働きかけに対して和平を望み、連衡することにしたようである。
諸外国の資料にも記紀にも考古学的資料にも、3世末期(垂仁天皇世)大和と九州が大規模な武力衝突をした痕跡はないのである。
628九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/28(火) 16:05:12
>>626
なんかおかしいでしょ?僕もそう思うし。でも昨今考古学ではそう捉えるらしい。
九州説の学者がおとなしいのをいいことに畿内の学者は凄い時代錯誤を始めている。
>>620が過去ログの事を持ち出しているが、それはそっくり畿内説の事。
そして言論で負けそうになるとレスを荒らし始める。段々大物が出てきて
激しいコテハン叩きを始める。最後に自分達が被害者ぶってコテハンに罪をなすりつける。
と、この世の罪悪を全てかき集めたようなゴロツキどもなのだ。
629九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/28(火) 16:06:30
>>628続き
「貨幣が伴わなければ通商は成り立たないと思っているのか」と過去スレでも見下した物言い。
ただの物物交換を大そうな通商連合とでも呼びたいらしい。
弥生時代はインディアン部落みたいなみすぼらしい暮らし。
古代ローマなどとは比ぶべくも無い惨めな生活だった事実をどうやら変えたいらしい。
経済戦争とまで来た日にゃこちらも全身脱力感がある。
時代の変遷とともにまた何らかの理由で国の力が弱まり、
集落の発展が止まり没落していく、内輪もめなどは自らを滅ぼしてしまう。
クナ国に攻められ次第に弱まったのかもしれない。そう考えるのが自然。
「奴国が女王国の境」であって「それより北は遠絶して詳しい事情は解らない」
という倭人伝の記述は正しい。昔から土器のやりとりも僅かには行われていただろう。
しかし和国大乱で行き来が途切れ、さらに邪馬台国連合時代も一大率の厳しい監視下に置かれた。
諸国は自由な往来は簡単には出来ないはず。
畿内の様々な様式の土器が周辺に広がっていくのは特異な出来事であり、
それを通商連合と名づけるのは自由であるが、それはあくまで畿内のこと。
九州邪馬台国はそうではない。
630九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/28(火) 16:11:19
>>627
賛成です。
631日本@名無史さん:2007/08/28(火) 16:38:39
>>627
>諸外国の資料にも記紀にも考古学的資料にも、3世末期(垂仁天皇世)大和と九州が大規模な武力衝突をした痕跡はないのである。

デタラメはいけませんなあ。
景行天皇や神功皇后は、九州の首長を平定しまくってますが?
632九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/28(火) 16:59:04
>>631
でたらめではない。つい先日熊本の山鹿で「山鹿灯篭まつり」があったが
景行天皇が来られた時に地元の人たちがたいまつをかかげてお迎えした
それが灯篭に形を変えて未だに伝わっているもの。
また、景行天皇が船でおいでになった場所は御輿来{おこしき}海岸と呼ばれ、ゆかしい名が残っている。
地元の人たちが歓迎してお迎えした証だ。無駄に争ったのではなく、懐柔したのだ。
633日本@名無史さん:2007/08/28(火) 18:45:31
>>632

で、九州が大和に懐柔されたのが、3世紀末以後だという証拠は何?

634九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/28(火) 19:07:38
>>633
はあ?3世紀末以後?何時そんなことを言った?
635太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/28(火) 19:14:05
九州行幸したが争ってはいないだろう。倍暦計算で

景行即位 293年   同崩御 322年
636夏を愛する人は 心強き人 実はサガミハラハラ:2007/08/28(火) 20:18:22
垂仁天皇の時代に平和裏に連衡したのであるが、次の景行天皇の時代になると一部の九州勢が反抗したため景行天皇が武力討伐をしています。
成務天皇の世は安泰であったが仲哀天皇の時ふたたび反乱が起きたため天皇が遠征しています。
354年のことです。
637日本@名無史さん:2007/08/28(火) 20:25:52
で、その地名ができたのはいつ?
638唐松山:2007/08/28(火) 20:28:10
熊本の山鹿は 景行遠征時 まだ どんぐりを 主食にしていた縄文の生き残り。
639日本@名無史さん:2007/08/28(火) 20:32:20
>>634

3世紀末以後でなければ、邪馬台国の頃の九州は、大和に支配されてたことになるよ?
640唐松山:2007/08/28(火) 20:40:18
九州は、大和に懐柔されていません。

九州王朝に叛いた 連中は、 九州王朝公認の上 景行が
力比べで治めた。
この戦の後 熊襲の支配者は、大和
641九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/28(火) 21:19:24
>>639
太国さんの>>635でいくと卑弥呼が248年に没し、その後地男王になり、
トヨの時代が終わるか終わらないか、また男王となる頃の話だとすれば、無理は無い。

>>640
少なくとも熊本県では景行天皇が地元に戦いを挑まれたような足跡は見て取れない。
642日本@名無史さん:2007/08/28(火) 22:16:57
>>641

卑弥呼が248年に没した頃、九州に邪馬台国、畿内に大和国があった。

その後、九州の邪馬台国は自滅し、景行が九州行幸したと?

643九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/29(水) 02:42:35
おんなじことグルグル繰り返して。
邪馬台国滅亡後のことは文献にも無く枝葉だから誰が言うのも想像に過ぎん。
邪馬台国時代のことを論議すべきだ。
644日本@名無史さん:2007/08/29(水) 03:36:21

邪馬台国が九州にあったと仮定したら、その後の歴史に矛盾があるってことだよ。
645日本@名無史さん:2007/08/29(水) 05:12:48
邪馬台国=やまとのくに=大和王朝


やまたいこく って読むからバカなんだよ

んで確か2500年ぐらい前でしょ?
大和王朝の年号ともピッタリ合うじゃんよ


なんで やまたいこく ってよむの?
バカだから?
646九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/29(水) 06:51:00
>>644>>645
勝手にやってなさい!火星古代史を。
647太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 07:30:01
>>645
それでみんな騙されるんですよ。似てますが、京都は東京都ではないんです。
648日本@名無史さん:2007/08/29(水) 08:00:53
土佐と鳥栖もあるしね。
珍しく太国さんに同意w
649日本@名無史さん:2007/08/29(水) 09:37:10
邪馬台国=大和王朝

卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメ

終了...
650日本@名無史さん:2007/08/29(水) 09:42:12
邪馬台国=大和国
投馬国=出雲国
狗奴国=許乃国

卑弥呼=媛命=ヤマトトトヒモモソヒメ(孝霊天皇の皇女)
台与=豊鋤入姫命(崇神天皇の皇子)

卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命(孝元天皇の皇子)
拘右智卑狗=河内彦(武埴安彦命の外戚)
651日本@名無史さん:2007/08/29(水) 10:10:17
意外に思うかも知れないけど
邪馬台国の話が好きな人って、一度は九州説を通ってるんだよ。
でもそれが無理だとふつうはわかってしまうから、畿内説それも通商連合説にたどりついてしまう。
特にここの九州説は、大人になりたくないとばかりにしがみついている連中ばかりだから
それを絶対に認めようとはしないんだよね。
歴史のつながりや出土物との整合性が取れないよって指摘は
彼らにとっては現実をきちっと見て働きなさいって言われているに等しいんじゃないだろうか。

四六時中2chに貼りついて、自演を繰り返し平気で嘘をついて、罵詈雑言三昧。
挙句の果ては、ボクを認めて!見捨てないで!とばかりに構ってもらおうとする思考回路の元はこの辺りにあるように思う。

図星を突かれたコテハンが名無し自演や別コテで、それは畿内説のことだろとファビョるだろうから見ていると面白いのだけどね。
652日本@名無史さん:2007/08/29(水) 10:40:30
>>647-648

> それでみんな騙されるんですよ。似てますが、京都は東京都ではないんです。

その言い草の方がよっぽど騙しw

そりゃ、京都と東京は別の都市だが、名称としてなら語源は一緒、
天皇が移動してきた江戸を西の京都を意識して東京と呼んでるだけじゃん。
京都が無けりゃ東京も無いわさw
ご丁寧に制度を弄って後には「都」までつけてる。

それに地域名が移動することはよく有ること。
各地の御当地「銀座」のように有名な地名が拡散することもあるし、
ある地域の政治的主体が変ったため、既存の地域名を廃して、
新しい呼称を用いることもある。

日本での例で東京のほかにも博多に転封された黒田家が
出身地備前福岡の名称を用いたのが有名。
北海道などには、開拓者の故郷がそのまま字名となった例なんて
星の数ほどあるだろうね。

別に俺は東遷論者じゃないけどね。
653太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 10:41:13
>>651
畿内説は女王国の記事が記紀にネコの額ほどしかない不整合を説明できまい。
畿内にあるなら遠い外様の大陸の文献たる倭人伝以上に卑弥呼の詳細が朝廷の
記紀に必ず書かれる。何故か? それはそうだろう、地理上で大和朝廷の目と
鼻の先、つまり近距離に有るんだから大量に記紀に記事が載る。

それがないことは、畿内に女王国がないことを物語っている。それともそれが
合理性だとして説明できるのか?
654日本@名無史さん:2007/08/29(水) 10:41:24
>>651
まさに図星ですね。
655太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 10:46:54
>>852
考古学者もお前もまんまとひっかかっているんだよ。畿内説は

邪馬台国→ヤマタイコク→ヤマトコク→大和国

で、女王国は畿内にあったと考える。こういうんでは古代史の謎を解く
明智小五郎にはなれないんだヨ。お前は単純だな。ww

女王国は邪馬台国ではない。邪馬壹国だ。
656日本@名無史さん:2007/08/29(水) 10:48:03
>>651
つまり九州説ってのはUFOや幽霊を未だに信じているオカルト信者で
そういう時期を過ぎて大人になったのが畿内説ってことだな

まさにオカルトVS科学w
657太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 11:04:35
>>656
女王国は記紀の文では幽霊か? 舎人らが倭人伝から借りた神功39年等の記述
しか紀にはない。朝廷のお隣に女王国が無いからだよ。

女王国は朝廷の隣にあるUFOかね?ww
658日本@名無史さん:2007/08/29(水) 11:07:12
>>655
そろそろ古田の「邪馬壹」はやめにして、女王の都する国の名は「邪馬臺=邪馬台」という言い方に統一しませんか。

古田の屁理屈のように、魏志倭人伝の特定のバージョン(紹煕刊本)だけ参照して説を展開するなら「邪馬壹」とするのはありかもしれません。
でも、九州説では、多利思北孤が実在したと考えていますよね。
であれば、多利思北孤が記載されている書、つまり隋書俀國伝も参照することとなり、「邪馬臺」とすべきでしょう。
すなわち、「邪馬台」と表記しないと、資料を都合のいいとこだけツマミ食いしているだけの、一貫性のない論ということになりますよ。
659日本@名無史さん:2007/08/29(水) 11:34:43
>>658
一貫性のある論である。

倭(イ)→→大倭(タイ)→→俀(タイ)
: ↓
邪馬壹(ヤマイ)→→邪馬臺(ヤマタイ)
660日本@名無史さん:2007/08/29(水) 11:37:13
>>658
一貫性のある論である。

倭(イ)→→大倭(タイ)→→俀(タイ)
: ↓
邪馬壹(ヤマイ)→→邪馬臺(ヤマタイ)
661日本@名無史さん:2007/08/29(水) 11:41:13
>>658
一貫性のある論である。

倭(イ)→→大倭(タイ)→→俀(タイ)
::::::::::::::::↓::::::::::::::::
邪馬壹(ヤマイ)→→邪馬臺(ヤマタイ)
662日本@名無史さん:2007/08/29(水) 11:42:32
>>658
一貫性のある論である。

倭(イ)→→大倭(タイ)→→俀(タイ)
::::::::::::::::::::::::::::::::↓::::::::::::::::::::::::::::::::
邪馬壹(ヤマイ)→→邪馬臺(ヤマタイ)
663日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:31:09
>>659-662
何を言いたいのか分かりません。

隋書俀國伝には
「其地勢東高西下都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」
(その地勢は、東が高くて西が低く、邪靡堆に都する、すなわち、『魏志』のいわゆる邪馬台というものである)
と書いてあります。

つまり、多利思北孤が記載されている書物には、
「『魏志』の・・・邪馬台」と、書いてあるのです !!!
664九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/29(水) 12:42:38
>>651「意外に思うかも知れないけど
邪馬台国の話が好きな人って、一度は九州説を通ってるんだよ」

以外ではない。妄想を膨らましすぎて逸脱しただけ。船頭多くして船山に登る、ならぬ説の一人歩き。
九州の貧素な出土物より畿内のほうが豪華だからとか理屈にもならない事で移っていく。
また九州の田舎が日本のルーツという事に畿内はプライドが許さない事もあろう。
畿内では半島や、中国を討つという考え方はあっても、クナ国が攻めてこないように
どうぞ間に入って仲介し、お助けください、と魏に泣きつく神経は持ち合わせていない。
邪馬台国が魏に近く九州のそれほど強くない勢力だったからこそ魏に泣きつけた。
北部九州から畿内までの広範囲を通商連合として治めていたような畿内のいう邪馬台国なら
けして魏の使者に日本の懐深く畿内までまで入ってもらってまで小国クナ国との仲裁を頼むだろうか?
答えは否である。

665日本@名無史さん:2007/08/29(水) 13:55:05
>>664

そういうふうに、九州と畿内が隔絶してた時期はあっただろう。
しかし、後の大和朝廷が日本を統一したように、
ある時点で、九州は畿内に帰順した。

ここまでは理解できるだろ?じいさん。

九州が畿内に帰順した時期が、3世紀初頭か、3世紀末かってことなんだよ。
666日本@名無史さん:2007/08/29(水) 13:58:52
邪馬台国通用連合説というのも
左翼学者の攻撃に耐えるための方言に過ぎないからな。

最近の邪馬台国=大和説は完全に
徳川幕府のような強固な連合王権という図式だから。
667666修正:2007/08/29(水) 14:00:49
邪馬台国通商連合説というのも
左翼学者の攻撃に耐えるための方便に過ぎないからな。

最近の邪馬台国=大和説は完全に
徳川幕府のような強固な連合王権という図式だから。

この前のTVでの邪馬台国=大和説の印象は
完全にその後の大和朝廷と同じような解釈だ。
668日本@名無史さん:2007/08/29(水) 14:07:44
>>667
TVってその時歴史が動いたのあれか?
あれは判りやすくするために思い切り簡潔にしているだけだろ。
あの番組を信じるなら、九州説は吉野ヶ里ってことになるが
実際はそうではないだろ。

頭の悪い自演はやめろってw
669太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 14:09:52
>>659
邪馬臺国っていうのはこれまた九州の別の国だよ。それを後代の大陸の連中が
お前のように誤った解釈をしているだけのこと。卑弥呼の邪馬壹国とはこれまた
別だよ。さらに邪馬国とはこれまた別だ。
お前はダイヤモンド(台邪文土)→イミテーション・ガラスへと同一化をたくら
んでいるだけの話。
670日本@名無史さん:2007/08/29(水) 14:24:53
まず中国人による倭人伝ですが、日本の学者たちは、なんと中国の書物なのに皇国
史観に都合よく自由気ままに読んでる事実。さらに中国の学者に倭人読みと朝鮮読
みのチャンポン読みで、中国語(漢文)の文法をも間違えて、九州だの近畿だのと
やってる、「東大教授も漢文を読めず、論理力、読解力すらない。」と笑われて
います。まあ、受験馬鹿ゆえに暗記力はあるが・・・
狭い家に閉じこもらず世界に目を向けよう!日本以外では九州で結論でてるし、
日本を侵略して天皇制の日本国を建国したのは朝鮮民族(新羅・百済・高句麗)
であることは常識ですよ。
そんなことよりも庶民が奴隷状態であったことや、明治以降も庶民が奴隷のよう
にシャブリ尽くされてることを真剣に考えてください。


671日本@名無史さん:2007/08/29(水) 14:31:04
>>669
中国が古代日本の代表と認め、国名の発音が「ヤマ●」や「ヤマ●●」となるような国がいくつもあったということになります。
そんなトンデモな確率の偶然で、「邪馬壹」が実在したとこじつけるの?

自分たちが重視する文献に「『魏志』の・・・邪馬台」と、書いてあるのだから『魏志』に記されている中国と交流した国は、
「邪馬壹」ではなく「邪馬臺=邪馬台」とせざるを得ません。
672日本@名無史さん:2007/08/29(水) 14:38:09
>>670
「邪馬台国 ドンと来い」とどう関係があるのが明確な記述がない。

たぶん、「日本以外では九州で結論でてる」の主語が邪馬台国なのだろうが、関係ない話が多すぎて、そう読み取ることは困難。
漢文の読解力を論点にしながら、自分自身の文章力が低すぎる。
おそらく、頭が悪すぎて、スレの主題や、自分自身が主張していることを理解するだけの知能がないのだろう。
673太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 14:41:20
>>671
国名は倭人伝の重要部分だから『壹』と『臺』を陳寿が書き間違えることは
考えにくい。その二次的三次的文書なら間違えることが場合によってはあり
えよう。つまり倭人伝の女王国は『邪馬壹国』が正解。

お前より陳寿の文のほうが信用が大なのは言うまでもない。w
674日本@名無史さん:2007/08/29(水) 14:55:20
>>673 『壹』と『臺』を陳寿が書き間違えることは考えにくい

陳寿が書き間違えたと考える必要はありませんし、そんなことを主張している説も見たことがありません。
紹煕刊本(1190〜1194。陳寿より約900年も後)を刊行した人が書き間違えた可能性が、非常に高いのです。
この件での古田の珍設のすべては、紹煕刊本が絶対的に正しいとする、強引な屁理屈に拠っています。

古田の珍説は、こうした問題点を指摘するだけなら良いのでしょうが、
これを根拠に邪馬壹と邪馬臺が別の国と主張するにはそもそも論理的に無理が多く、
しかも説を立てた後にそれを補強するような事項が追随することもなく、
仮説と扱うにしても、もう死に絶えたとみなすべきでしょう。

邪馬台国論争史の片隅の1エピソードとして、アーカイブ行きの説ということで、もういいでしょ。
675サガミハラハラ:2007/08/29(水) 14:58:05
陳寿が書いた当初の文では邪馬壱国となっていたのは確かでしょう。
また写本でも壱を台(旧字)と書き間違えることはありません。
では何故倭人伝の写本の中に台となっているのがあるのかというと、写本する人が壱は台の間違いだろうと
かってにかんがえて、気をきかしたつもりで書きなおしたからです。
676太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 15:03:59
>>674
だから卑弥呼の国は陳寿が邪馬壹国なんだよ。書き間違いはお前
がしてるわけなのさ。原文に違えての主張がお前なわけさ。
邪馬臺国っていうのはまず倭の五王朝の国名だな。

>書き間違えた可能性が、非常に高い
 高い低いはお前の恣意的な論を満たすためのもので、お前の考えすぎ
 だよ。
677日本@名無史さん:2007/08/29(水) 15:22:02
【基礎データ】
これくらいは、前提にさせてくださいね。

隋書俀國伝、魏志倭人伝(紹煕刊本)、後漢書東夷伝について、日本関係の固有名詞の表記の比較例

隋書俀國伝:魏志倭人伝
俀    :倭     ⇒ 異なる
都斯麻國 :對海國   ⇒ 異なる
一支國  :一大國   ⇒ 異なる
邪馬臺  :邪馬壹國  ⇒ 異なる
卑彌呼  :卑彌呼   ⇒ 同じ
678日本@名無史さん:2007/08/29(水) 15:24:25
後漢書東夷傳:魏志倭人伝
倭     :倭    ⇒ 同じ
邪馬臺   :邪馬壹  ⇒ 異なる
拘邪韓國  :狗邪韓國 ⇒ 異なる(テヘンとケモノヘン)
奴國    :奴國   ⇒ 同じ
拘奴國   :狗奴國  ⇒ 同じ
卑彌呼   :卑彌呼  ⇒ 同じ
679太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 15:36:44
>>677
女王国は『邪馬壹国』だよ。
古神道的に時代の判別で数字が決まってるんだね。

四国 0
九州 1
畿内 2
東京 3
青森 4
函館 5
大陸 6

女王国は2の畿内主導権の時代、神代を再興させんがための例外的国で、
神代の1の数字に因みたく1の数字をつけて『邪馬壹国』というのだ。

だから「臺」の字の文献を女王国にするのは間違い。
数千年ご首都は青森に移る。お前の考えすぎ。改めたほうがいい。
現在は3の時代だ。
680日本@名無史さん:2007/08/29(水) 15:36:59
>>677-678
これらを見て、邪馬臺と邪馬壹の違いだけをことさら強調するのが、インチキくさいと思いません?
しかも、魏志倭人伝でも紹煕刊本以外のバージョンでは、邪馬壹という表記があるのでしょう。

>>676に対して、もう一度言います。
紹煕刊本(1190〜1194。陳寿より約900年も後)を刊行した人が書き間違えた可能性が、非常に高いのです。

この「可能性が、・・・高い」とは、
俀と倭、都斯麻國と對海國、一支國と一大國、邪馬臺と邪馬壹、拘邪韓國と拘邪韓國などがすべて別々に存在した可能性より、紹煕刊本が間違えた可能性が高いという意味であり、恣意的なものではありません。

邪馬壹国=邪馬壱国など、過去の珍説です。
681太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/29(水) 15:38:14
>>679 訂正
× 数千年ご    ○ 数千年後
682日本@名無史さん:2007/08/29(水) 15:51:58
古代では、固有名詞の表記は文献によって異なること珍しくはない。
例えば、同時代の古事記、日本書紀、万葉集などでも、固有名詞の表記は異なる。
昔から、そういう前提で文献を読むので、>>677-678 のようなことは気が付いても、何か他に根拠がない限り、あまり深い意味を持たせることはなかった。

ある日、Fというペテン師がそれに眼をつけ、ヤマタイコクはなかったと叫んで一儲けした。
しかし、そのときワコクはなかった、ツシマはなかった、イキはなかった、クヤカンコクはなかったとは言わず、そこは知らん振りした。
多くの人は、きちんと文献を読まないので、こうした大ゲサなペテンにひっかかった。それだけのことだ。

後に、トウホクの文献を持ち出したが、Yにコテンパンに偽書と証明されても、Wと結託することをやめずに一儲けしようとして、こんどは失敗した。
歴史は繰り返す、一度眼は悲劇として、二度目は喜劇として。

後の時代、同じようにショウトクタイシはいなかったと叫んで一儲けする輩や、ソガはクダラだと叫んで一儲けする輩が出た。
トンデモの歴史が繰り返された。
歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
683日本@名無史さん:2007/08/29(水) 15:59:46
>>682

一儲けしたやつは、勝ち組。

2ちゃんでくだまいてるのは負け組み。

684日本@名無史さん:2007/08/29(水) 16:01:57
>>679
これまったく意味不明だしあまりに唐突なのだが
この数字っていったい何?
古神道の数字とか聞いたこともないし
まじであんた何かの新興宗教の信者か?

だとしたら怖いんで、きちんとした説明を希望。
ニートやかまってくんなら相手にもしてやるが、マジ気違いだけは勘弁。
685日本@名無史さん:2007/08/29(水) 16:13:58
>>683
まっとうな稼ぎで一儲けするなら、結構なことじゃない。

良く読んで!!
>>682は、ペテンで一儲けするのは、いずれ破滅するというお話なのだが。
(まるで、イソップ童話か! ←欧米か!)
686日本@名無史さん:2007/08/29(水) 16:29:16

>>684
俺も昔、古神道とやらが何なのかを問い詰めたことがあるが、
太国脳内の新興宗教なので構わないほうがいい。
687日本@名無史さん:2007/08/29(水) 17:13:41
>>686
脳内の新興宗教って。。。
草生やす気にもならん
まじで気違いかよ
688九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/29(水) 17:47:07
>>677
【基礎データ】

隋書俀國伝、魏志倭人伝(紹煕刊本)、後漢書東夷伝について、日本関係の固有名詞の表記の比較例

隋書俀國伝:魏志倭人伝
俀    :倭     ⇒ 同じ
都斯麻國 :對海國   ⇒ 同じ
一支國  :一大國   ⇒ 同じ
邪馬臺  :邪馬壹國  ⇒ 同じ
卑彌呼  :卑彌呼   ⇒ 同じ

後漢書東夷傳:魏志倭人伝
倭     :倭    ⇒ 同じ
邪馬臺   :邪馬壹  ⇒ 同じ
拘邪韓國  :狗邪韓國 ⇒ 同じ
奴國    :奴國   ⇒ 同じ
拘奴國   :狗奴國  ⇒ 同じ
卑彌呼   :卑彌呼  ⇒ 同じ
689九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/29(水) 19:10:08
>>663
隋書俀國傳
「上遣文林郎裴清使於倭國度百濟行至竹島」
「竹島」は半島南西端の島

「南望[身冉]羅國經都斯麻國迥在大海中」
南に「[身冉]羅國」を見ながら、大海中の「都斯麻國」の近辺(西方)海上を通過した。

「又東至一支國」
「一支國」の沿岸を通過した。

「又至竹斯國」
唐津(松浦川河口)に到着。

「又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也」
「秦王國」玉島川河口付近

「又經十餘國達於海岸」
玉島川沿いに東行、観音峠を越え、神水川(嘉瀬川支流)に至る。
神水川沿い及び嘉瀬川沿いに南下。佐賀平野肥前国丁後あたりに出る。
東に進路を変え現みやき町南部のあたり(筑後川河口)で有明海北岸に到着。
(有明海は現在より北に入り込んでいた)

「其國境東西五月行南北三月行各至於海」
俀國の範囲は西日本全体。

「其地勢東高西下都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」
邪靡堆は久留米周辺。西は有明海、東は山。
「其」は「邪靡堆」を指す。
(魏志倭人伝「到其北岸狗邪韓國」の「其」と同じ使い方)
690九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/29(水) 19:31:12

中国では少なくとも7世紀以降は「倭(イ)」は「大倭(タイ)」(俀)として知られていた。
そこで紹煕刊本以外は、その当時の常識に従い翻訳して「邪馬壹國」を「邪馬臺國」と書き換えたのです。
691九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/29(水) 20:17:16
>>665
ごまかした物言いをするんじゃない!
畿内の邪馬台国が北部九州から畿内までの広大な領土を持ちながら
たかだかクナ国一国に攻められて苦しみ「クナ国が攻めてこないように
どうぞ間に入って仲介し、お助けください」と魏に泣きつくのかと聞いているのだ。
実際、魏が仲裁しているが、わざわざ遠方の畿内まで魏使に入って来られても
倭国の軍事的な安全管理は大丈夫だったのか。と聞いているのだ。
692日本@名無史さん:2007/08/29(水) 20:19:22
>>670

コイツ、悲しいほどに痛いヤツだなあ。
皇国史観とか言っちゃって意味を理解してるのかなあw
何か、世界中の邪馬台国学会に精通してるみたいらしいしw
693日本@名無史さん:2007/08/29(水) 20:31:27
邪馬壱国 ⇒正解?
壱與⇒イヨ? 日本で最初のイヨは松本のはずだが・・・・・・・
邪馬台⇒台與 ありがち
694九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/29(水) 20:42:13
>>677>>678のデータは当時の中国のある特定の地域でこれらの字が
何と発音していたのかを知らなければ無意味。
何と聞こえたかによって、また音写する人物によって違う。
中国は時代と地域によって発音が違っている。
よって字が違っている事にこだわるのは意味を成さない。
サンフランシスコは桑港と音写するがこれは当時「ソーホーシスコ」と聞こえたかららしい。
イギリスというのは聞き間違いによるものという。恐らくイングリッシュだろうが。
それを漢字で表記すればイギリス 英吉利、英国、英吉利亜、英吉利私、英桟黎、英格力斯 ...
と色々ある。
695九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/29(水) 20:50:20
でも>>670の言うように外国からは日本の学者は程度が低いと
もっぱらの噂のようですよ。今まで何度か小耳に挟んだことがある。
スレにも何度か書いてきたが・・・。
696日本@名無史さん:2007/08/29(水) 20:59:35
>>691

邪馬台国が九州だとしたら、クナ国は畿内王権ですか?
それとも、クナ国は、九州の中にあったとしますか?

北九州は鉄器がものすごく多いけど、南九州はそうでもない。
クナ国を九州だとするなら、
邪馬台国を甘木あたり、クナ国を菊池あたりにしないと勢力バランスが取れない。
そういうことでいいですか?
697日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:01:42
程度が低いのは確かである。素人のわたしでもわかる。
特に邪馬台国畿内説を唱える学者は日本の恥である。
698日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:36:19
>>695

>今まで何度か小耳に挟んだことがある。

kwsk!
699日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:36:52
>>695
チョンの工作員の戯言にまんまと乗る馬鹿発見!
700日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:42:03
朝鮮の学者はレベルが低いとは聞いた事がある
701日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:45:26
だってチョン吉だもの

評価が低いはずの日本の考古学者が
世界中で引っ張りだこなんだけど?
土器編年についても講義依頼が多すぎてさばけないで
悲鳴あげてるってのに
702日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:45:56
高句麗は中国の一部。
703日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:58:58
それは常識
704九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/29(水) 23:04:35
>>696
その通り。
705日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:29:35
>>704
チョン発見!
706九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/29(水) 23:30:48
>>696
クナ国は菊池川流域から緑川流域の範囲。
クナ国一国でヤマタイ国よりも強大な経済力を持つ。
辰韓の倭人から独自ルートで鉄を入れられる能力あり。
707日本@名無史さん:2007/08/30(木) 00:07:19
キーボードの練習だとかほざいて
フルボッコにされてたからな>チョン吉
708日本@名無史さん:2007/08/30(木) 00:43:20
で、邪馬台国を自滅に追いやったクナ国は、
九州王朝になったというわけかな?

>>704九州ですが ◆UEukKMcVo2
>>706九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y

709九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/30(木) 06:12:37
>>708
狗奴國が倭を統一し、九州王朝になったのではない。
狗奴國の王は3世紀前半の倭における邪馬台国の卑弥呼のような存在。
プレ九州王朝においては狗奴國が倭のリーダーとなった。
景行記の九州遠征話に出てくる前君と呼ばれる景行天皇は肥出身であると読める。
この話は前君の豊・長門・日向への遠征九州統一(大隈・薩摩は除く)について述べられている。
この九州統一時期は倭五王より1〜3代古く4世紀であると推定する。
倭五王も狗奴國出身者が母体。
6世紀の磐井は元邪馬台国出身か?
タリシホコは宗像出身。
710日本@名無史さん:2007/08/30(木) 06:39:58
景行天皇が九州出身?
711日本@名無史さん:2007/08/30(木) 09:02:51
古事記の大和王朝2600年は信じないくせに、邪馬台国って国の存在は信じる

バカなやつ多いな
712日本@名無史さん:2007/08/30(木) 09:07:07
全くだ
神宮皇后の三韓征伐と任那を抹消しておきながら、出鱈目ばっかりの魏志倭人伝を教科書に載せて
日本の考古学も落ちぶれ果てたもんだ
713日本@名無史さん:2007/08/30(木) 09:14:25
日本の歴史史にないんだからそんな国はじめから無いんだよ

邪馬台国
そもそもこれなんて発音するの?

いまの大和王朝以前にあって72代続いてたアガラなんとか王朝ってのなら古史古伝に記述はあるよ

あと東日本を大和王朝が納め、西日本を違う王朝が納めてたとされる地図とかはある


例えばバスコダガマは東方見聞録で日本の事を「ジパング」って表記してる

当然日本に「ジパング」なんて名前の王朝は存在しない
バスコダガマが勝手に日本の事を「ジパング」って表記しただけの事だから
714日本@名無史さん:2007/08/30(木) 09:19:33
>>712
日本の建国由来、建国年、建国者、王朝名、、
日本の義務教育では日本の事を一切教えない


それなのに中国の書物に倭って書いてあれば日本の事を倭って呼ぶ
もういっその事、日本って国名禁止にして「ジャパン」にしちゃえよ
715日本@名無史さん:2007/08/30(木) 09:25:39
そのうち日本の教科書で「日本人は昔朝鮮から渡来してきた朝鮮人で、、」 ってやれば?

日本の歴史書に邪馬台国なんてない
中国には表記してる


だとしたら中国の書物の表記が間違ってるんだよ
BC.600以降は日本は大和王朝だから
伊勢より西や東方にはアイヌのような原住民が統治してた国があった可能性はあるけどね
716九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/30(木) 10:31:23
>>710
>景行天皇が九州出身?

景行は畿内朝廷の天皇。
景行天皇の九州での事跡は九州大王の事跡の盗用。
717日本@名無史さん:2007/08/30(木) 14:02:54
>>716

実際は景行天皇の九州巡幸は無かったわけか。
718日本@名無史さん:2007/08/30(木) 14:24:42
>>713
>邪馬台国
>そもそもこれなんて発音するの?

そもそも原典に「邪馬台国」と書いてあるのかい。
書いてないだろう。
719日本@名無史さん:2007/08/30(木) 14:33:23
>>689
50km程度の距離の間に「十余国」があることになる。
卑弥呼の3世紀ならともかく、多利思北孤の7世紀では、距離感が一桁違う。

唐津湾から峠を越えて有明海へ抜けるらしいが、「達於海岸」が単に通過点の意味しかもたなくなり、貧弱な読解。
ここは、海路から陸路に切り替わるの意味に読み解くべき。
(なお、この逆はない。都に入るときは「二百余騎」を従えたとあるので、最後は陸路だ。)
また、博多湾を経由しないという不自然なコースなのは、「自竹斯国以東皆附庸於俀」が解釈不能になるからだろ。
御都合主義だな。
720日本@名無史さん:2007/08/30(木) 14:40:00
>>718
だから〜、
古田の好きなバージョン以外の魏志倭人伝には邪馬臺(=邪馬台)と書いてあるし、
後漢書東夷伝や隋書倭国伝にも、邪馬臺(=邪馬台)と書いてある。
>>677-678>>680

原典とか言うくせに、自分でちゃんと読まない奴は始末に悪い。(ふう)
721九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/30(木) 15:43:49
>>719
>50km程度の距離の間に「十余国」があることになる。
>卑弥呼の3世紀ならともかく、多利思北孤の7世紀では、距離感が一桁違う。

九州では小国乱立。
たとえば、畿内では「君」の尊称を持つのは「天皇」のみ。
九州では「君」の尊称を持つ王がぞろぞろいるよ。


>都に入るときは「二百余騎」を従えたとあるので、最後は陸路だ。

筑後川河口付近の海岸あるいは有明海東岸から、最後は東へ陸路。


なお、陸路観音峠を越えルートは魏使と同じルート。
このルートで佐賀平野への出口の肥前國庁跡は魏史倭人伝に云う伊都国。
722日本@名無史さん:2007/08/30(木) 15:54:34
狗奴国は、コノ国と呼ぶのが正解だ。

そして、その国は、現在の京都市の宇治にあった。

許乃国のことだ。

723日本@名無史さん:2007/08/30(木) 16:15:28
ここで、
魏志倭人伝と日本書紀・古事記のどちらが正しいかで
大喧嘩しているが、

そもそも、魏志倭人伝と日本書紀・古事記は
整合性が取れる史書同士なんだよ。
724日本@名無史さん:2007/08/30(木) 16:40:17
423 :日本@名無史さん:2007/08/08(水) 03:26:38
邪馬台国は、大和国。
狗奴国は、許乃国(このくに)・・・宇治のあたり(山城国風土記逸文より)

魏志倭人伝は、
最初の北九州の国の漢字名については、
漢の時代の上古音をもとにつけられた名残があって
後の北九州以外の国の漢字名については
魏の時代の中古音をもとにつけられた名残がある。
つまり、伊都国・奴国などと邪馬台国・狗奴国とでは
中国人がこれらの地域と交流を緊密化させる時期が異なっていて
伊都国・奴国などは、57年の金印の頃の上古音時代につけられた可能性が高い。
しかし、邪馬台国・狗奴国などは240年前後の卑弥呼の時代につけられた漢字名で
魏の時代の中古音でつけられている。

よって、魏志倭人伝には、20数カ国の戸数を記していない国が多く列挙されているが
その殆どに、「奴」という字がつくが、これは中古音で「の」と呼ぶ。

狗奴国=許乃国(このくに)=山城の宇治
ここは、日本書紀の崇神期に武埴安彦命が謀反を起こした地域である。
武埴安彦命は、河内と山城の両方に拠点を持っていて
彼は、甥の崇神天皇や伯母のモモソヒメを
山城と河内の両方から、大和を挟み撃ちするように攻めた。
こういう二方向からの攻撃だから、魏志の方角観も混乱したのだろう?

狗奴国=許乃国(このくに)=山城の宇治
狗奴国男王・卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命
狗奴国官・狗右智卑狗=河内彦
の可能性が高い。
725日本@名無史さん:2007/08/30(木) 16:59:14
>>723
>そもそも、魏志倭人伝と日本書紀・古事記は
>整合性が取れる史書同士なんだよ。
そのとおり。

日本書記は、魏志倭人伝と整合性をとるために、
実在性も疑われる神功皇后を3世紀と年代設定し、魏志倭人伝を引用した。

大和朝廷は、「神功皇后が卑弥呼ですよ」と明記してるも同じこと。
邪馬台国は大和国だという自覚がなければ、そんな記録は出来ない。
726日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:08:14
ところで誰もバスコダガマにツッコミは入れないのか?
727日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:09:38
>>725
神功皇后は、その件で逆に、実在性の可能性が出てきたんだけどな。

というのは、日本書紀の編纂者は神功皇后を卑弥呼にしているが、
この両者は、あまりにも経歴に違いがありすぎる。

もし、完全に架空の人物を作り出すのなら
卑弥呼や台与とそっくりの二人の女王を作り出すはずである。
しかし、日本書紀の編纂者は、神功皇后一人で、この二人の女王だという
苦し紛れの解釈をしている。
それは、すなわち、神功皇后は実在の人物だけど、生存年代は異なっていて
神功皇后の後の天皇の在位期間を引き延ばし改ざんした疑いがある。
728日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:20:57
>>727
それもありだし、依然として魏志倭人伝を無視できなくて神功皇后を捏造した可能性もある。

また実際は王位空白期間があって、それを書きたくなく
しかし倭人伝の記述もあまり都合がいいものではない。
それでも中国史書に対して正面切って間違いだとはいろんな意味で言いにくい。
その為ぼかした形で「もしかしたら魏さんは、神功さんのことをいってるんじゃないですかね?」
というような玉虫色の決着を目指したものだとも考えられる。
729日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:35:41
>>278
神功皇后が即位していたかどうかは微妙ですよね。
まあ、実在の人物だけど、女性天皇的な人物だったかどうかは分からない。
おそらく、武内スクネが実権を握っていたんでしょうけどね。

まあ、あまり中国の史書のことを気にしていない
古事記のほうにも、神功皇后が登場するから実在の人物だというのは確実だが
おそらく、応神天皇が産まれた直後から天皇だったんだけど、
また赤ん坊だから、実際の政治は彼女や武内スクネが行っていた可能性が強い。
まあ、神功皇后も武内スクネも父方が神武皇統ですけどね。
730日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:50:15
>>729
皇后なんだから王位空白期間であったことは明記しているに等しいんだけど
大和連合が分裂状態にあった時期だと見てもいいんじゃないかな。
あと古事記と書記は同じ政権下でほぼ同時作成されたものだから
互いに信憑性を高める存在にはなりえないと思う。

記紀には他にも中国史書を無視したくても出来なかった。
しかしはっきりとは認めたくないという意図が見え隠れする箇所がいくつもある。
倭の五王の一人とされる仁徳の息子たちが兄弟間で王位禅譲しているが
これが事実なら革命に近い一大事。
なんせ記紀的にはそれまでは父子禅譲しかなかったのだから。
これも宋書などを無視したくても出来なかったための辻褄合わせのひとつと考えられる。
731日本@名無史さん:2007/08/30(木) 18:03:06
>>730
倭の五王時代は、直系継承ではなくて
兄弟継承が増えた時期だから
おそらく皇位継承争いが熾烈を増した時期でしょう。
732日本@名無史さん:2007/08/30(木) 18:03:58
>>730
兄弟間での王位禅譲が普通で、
それ以前の父子禅譲が、捏造だという説が有力だけど?
733日本@名無史さん:2007/08/30(木) 18:06:26
>>730
古事記のほうは、編年体ではないので、
あまり細かい年代は関係ないから
わざわざ卑弥呼と神功皇后を合わせる必要は無いわけで。
また、古事記は国内向けだから、中国の顔色を伺う必要はない。
その古事記に神功皇后は登場するので、一応、実在の人物でしょう。
734日本@名無史さん:2007/08/30(木) 18:09:13
>>732
>兄弟間での王位禅譲が普通で、
>それ以前の父子禅譲が、捏造だという説が有力だけど?

有力ではない。現時点ではどちらとも言えない。
あと、欠史八代の時点は、
大和王朝において、神武皇統は政治的な権力ではあっても
宗教的な権威ではなかったという説が出てきている。
735日本@名無史さん:2007/08/30(木) 18:34:45
>>731-732
いや、つまりは>>732の内容が言いたかったわけ。
父子継承が何十代も続くなんて、生物学的にも確率的にもありえないのよ。
それを隠し切れなくなったので、仕方なく書いたと。
しかし>>734の言うように有力説ではない。と言うか今のところ有力とまで言っていい通説すらない。
要するに色々考えられるのでまだ分からんってこと。
>>733
元々は古事記が正式歴史書として作成されていたが
それが発展して日本書紀編纂事業になっている。
なので純粋に国内向けというわけではない。
記紀研究では、古事記作成班と書記作成班では同じ元資料を使っていたことが明らかになっているし
つまりは記は紀のプロトタイプであると見てよい。
736日本@名無史さん:2007/08/30(木) 18:44:21
>>735
>父子継承が何十代も続くなんて、生物学的にも確率的にもありえないのよ。

とかいっても、十代くらいなら、ありえるでしょう?
一応、成務天皇から仲哀天皇は、伯父から甥への継承だから
直系継承ではない。

きみは知らないかもしれないけど
アメノホアカリとホノニニギの秘密について勉強したほうが良い。
737太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/30(木) 19:35:43
出鱈目の百花繚乱だ。Pu!ww
738横槍:2007/08/30(木) 20:18:06
14代連続の直系の他の国の王朝、将軍家、会社等例があれば、教えてもらいたい。
捜しているので・・
739日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:55:05
>>ですが

時節柄、修学程度が同じくらいのお友だちがいっぱい来てくれて楽しいだろうw
740九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/30(木) 20:55:14
>>708
誰がクナ国が九州王朝になったなどと言った?
邪馬台国連合衰亡後もクナ国は細々とではあるが続いてやがて菊池一族の源流になっていく。
やがて大和朝廷に取り込まれ大和朝廷の出城、ククチ城が置かれる事となる。
741九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/30(木) 21:04:33
>>713「例えばバスコダガマは東方見聞録で日本の事を「ジパング」って表記してる
当然日本に「ジパング」なんて名前の王朝は存在しない
バスコダガマが勝手に日本の事を「ジパング」って表記しただけの事だから 」

なんちゅう無茶苦茶な歴史観なんだ。それを言うならマルコポーロだろう!
ジパングという名もまんざら出鱈目とは言えない。
ラテン語で「ジ・パング」とは黄金のことを指す。まさに黄金の国日本の意味だ。
また南中国の発音で「日本国」を「ジーペンクォ」という。これを聞いたポーロが
ジパングと表した、とも言う。
742日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:17:22
>ラテン語で「ジ・パング」とは黄金のことを指す。

なんじゃそれ?
743ゴジンム:2007/08/30(木) 21:31:52
神州ハ不滅ナリ
744日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:33:48
なんちゅうグダグダっぷり
745九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/30(木) 21:36:48
>>739
ああ、読んでない。>>722>>736まですっ飛ばしてきた。
以前からだけど読む気しないのは僕は読まんのよ。さっと目を通すくらい。
内容なんていちいち吟味しない。コテハンは丁寧に読むよ。
素性を隠さなきゃならない人の言葉なんてそんな真剣に読まないね。
コテハンにしてくれと頼んでるんじゃないよ。誤解無きよう。
746日本@名無しさん:2007/08/30(木) 23:47:56
>>736 >>738
江戸時代の大名をみるに十代連続嫡流(直系)相続した例は殆どない。
大体五〜七代までに絶えて傍系(長男でない子への相続も含む)や養子で繋がる。
ただ、嫡流でない父子相続ならあり得なくもない。

名族でも確実な資料の見つからない古い世代だと、実際の血縁のことは
書かれずベタに父子相続されているようにかかれることもあり得る。
それが相続の建前なのだから。

中国や日本の古記では、兄弟相続の例は特別に頁が割かれている。
つまり父子相続こそが正当であり、兄弟相続は「これもアリだった」と
いうだけのことに過ぎず、特に優先されていたわけではない。
少なくとも、記紀が整備されたころにはこれが常識になっていたのは確か。
我々が思うところの「家」として天皇が繋がっていったということだな。





747日本@名無史さん:2007/08/31(金) 00:49:11
>>741
>ラテン語で「ジ・パング」とは黄金のことを指す。

金はoroだろw
748日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:46:46
(゚Д゚≡゚Д゚) オロ、オロ!! ドゲンシタラヨカト
749日本@名無史さん:2007/08/31(金) 02:00:15
>>741
語源については、「日本国」を中世中国語で発音した音(現代北京語 /Ribenguo/ では「ジーベングォ」と発音)が語源とされ
ヨーロッパにはマルコ・ポーロがCipangu(あるいChipangu)として最初に紹介したと言われる。
なおアラブではジパングにあたる島(国)を、ワクワク(倭国?)と呼んでいる。

wikiにはこうあるが、ラテン語で黄金を指す意味ではない。
また中世の南中国では北京語は使用されてない。
でたらめにしても芸がなさすぎる。

750九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/31(金) 06:21:35
ずっと前に朝日グラフの歴史もので読んだの!ちょっと古いけど20年以上になるかな。
いろんな説があるんだからえらそうに言うものじゃない。
それにそんなこと枝葉だろこのスレじゃ。
ラテン系語のどれかというのはもっと前に読んだ記憶。
751九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/31(金) 06:24:08
>>749そんなこと突っ込むのだったらバスコダガマの方に言え!
完全におかしいものは言わないくせに。要するに知ったかぶり?
752日本@名無史さん:2007/08/31(金) 06:35:44
>>751
完全におかしいからこそ無視されてるんじゃないか?
文章もロジックもどうみても正常な精神状態のものじゃないよ。
真性は本人とその家族のためにも放置。
病状がすすんで悲惨な事件を起こす危険性があるから。
753日本@名無史さん:2007/08/31(金) 10:20:59
>>741さんよ
『ジパング』と表記したのはガマさんじゃなく>>741アンタや、今こうして書いてる俺や、日本人だよ。

その辺ごっちゃにすると、肝心な部分が見えなくなるぞ。
754昔々:2007/08/31(金) 10:31:12
なんだかスレ眺めているとこっちが頭変になるよ。
魏志倭人伝に登場するのは『狗奴国じゃなく狗奴國』で、全く意味が違っちゃうと感じる今日この頃。
755九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/08/31(金) 12:20:17
>>754
何故全く意味が違ってしまうの?
756昔々:2007/08/31(金) 12:52:28
>>755

貴方にだって
『國と国』は 違う文字である事ぐらいわかるでしょう?
757日本@名無史さん:2007/08/31(金) 13:01:18
國は国の旧字
字体は違うが、文字としては同じ
758日本@名無史さん:2007/08/31(金) 13:16:05
>>754
それもこれも、「邪馬臺と邪馬壹は別の国」「邪馬台国はなかった」なんぞと言いだした古田のペテンが諸悪の根源。

古代において、地名、人名、呼称、役職などなどの表記(「表記」だぞ、「表記」!!!)は厳密なものではない。
臺と壹という表記の違いを指摘するのはよいが、郡と評のように明確な根拠があるものでもない限り、ただの一つの仮設にとどめるべき。
ただし、一つの仮設とはいっても、邪馬臺と邪馬壹については、他文献から同じ国をさしている可能性が非常に高いので、正しい見込みがほとんどない仮説の部類とみなすべきである。

新たな資料などが発見されない限り、こういう場では「邪馬臺=邪馬台」という表記に統一すべきだろう。
759昔々:2007/08/31(金) 13:26:47
>>757

それは現代の人がそう解釈しているだけ
国の文字が使用され始めた当時、『或』から『玉』にしなければならない事情があるからだろう
760昔々:2007/08/31(金) 13:41:03
>>758

そもそも日本で邪馬臺=邪馬台とやるから変なんだよ『ヤマタイ』で統一しとけばいいのに
漢語表記は弄らない
761日本@名無しさん:2007/08/31(金) 13:42:19
あんたら纏めて言語学版にでも逝ったら?
もう歴史の話じゃないよそれ。
762日本@名無史さん:2007/08/31(金) 13:49:27
>>759
國の字体を国に変更した事情は何であれ、國と国は同じ文字であることに変わりはない。

これを別の文字と言い張るのは屁理屈。
そうすると、例えば、「日本国憲法」はこの世に存在しないことになる。
(原本(の写真など)を見てごらん。)
763昔々:2007/08/31(金) 13:56:22
>>762

それは話しをすり替えている。
憲法制定当時の日本人が、正しく漢語を使用していたとの前提の話しをしてはだめだよ
764日本@名無史さん:2007/08/31(金) 14:05:05
>>763 正しく漢語を使用していたとの前提の話しをしてはだめだよ

1940年代において、国という言葉は、漢語ではなく日本語でしょ。
正しく漢語を使用していたとの前提は、どうでもいいことですね。

重要なポイントは : 國と国は同じ文字である。
話しを元に戻して754に立ち返って : 狗奴国と狗奴國は同じものをあらわしている。
765昔々:2007/08/31(金) 14:07:24
国という文字は、漢語『國』を日本人が和風に合わせて『国』と言う文字を作った和製漢字なら話しは別だが
766日本@名無史さん:2007/08/31(金) 14:12:19
>>765
(文が正しい日本語になっていないので、読みにくいね。)

そんな脳内の空論ばかり言ってないで、國という文字が実際に使われている例を見てごらん。
最近の有名な例が、日本国(國)憲法なんだけど、ほかの例でも良いよ。
國が漢語ではなく、日本語であることは明らかでしょ。

重要なポイントは : 國と国は同じ文字である。
話しを元に戻して754に立ち返って : 狗奴国と狗奴國は同じものをあらわしている。
767昔々:2007/08/31(金) 14:46:42
>>766
三世紀当時『國』はどう転んでも漢語表記ですよ。
日本語ですか?
768日本@名無史さん:2007/08/31(金) 14:55:26
>>741
ごめん。マルコポーロだね


中国の書物に「邪馬台国」と書いてあるから日本に邪馬台国があったと言うのは

マルコポーロに「ジパング」と書いてあるから、日本にジパングと言う国があったと言う事にしてるのと同じ


日本の歴史上2600年遡ってもに邪馬台国やジパングと言う国が存在した史実はない
769昔々:2007/08/31(金) 14:58:59
すくなくとも1940年以降の感覚で、この問題取り組むつもりないので

失礼します。
770日本@名無史さん:2007/08/31(金) 16:04:32
>>767
文字の話をしているので、「國」が漢語か日本語かという区別は、およそ意味をなさないよね。

う〜〜〜ん、そもそも、文字のこと、特に魏志倭人伝で使われている文字のこと、ほとんど知らないようだな。
魏志倭人伝の内容は3世紀のことだけど、現代に伝わる資料は紹熙本など12世紀のもので、僕らが読む魏志倭人伝の文字の形はこれによる。
これは、原本(の写真など)を見ると分かるが、「國」という文字であることは間違いない。
この「國」という文字は日本でも古くから使われていて、1940年代にも使われていた。(使用例が「日本國憲法」の原本だよ。)
この「國」という文字が現代では「国」と表記されることは、辞典などに載っている。(旧字と正字という言い方も勉強してちょ。)
「1940年以降の感覚で・・・取り組む 」と言うよりは、「現代の字体で表記する」というほうが適切だね。(感覚の問題ではない。)
すなわち、12世紀の中国の文献に狗奴國と表記されているものを、現代の字体では狗奴国と表記する。
しかし、原本に戻って字形(字体ではなく、より広い概念の字形)を吟味することが必要なこともある。

重要なポイントは : 國と国は同じ文字である。 (字体の違い)
話しを元に戻して754に立ち返って : 狗奴国と狗奴國は同じものをあらわしている。
771日本@名無史さん:2007/08/31(金) 16:10:21
卑弥呼、邪馬台国なんてない

倭→和 はわかる
卑弥呼→日の御子 日の巫女 日の命


なんかその辺のいみでしょ
出雲の国とかもあるわけだし

邪馬台国 なんて表示する国は無いよ
ジパングやジャパンなどと表示する国が無いようにね
772日本@名無史さん:2007/08/31(金) 16:14:53
そもそも古事記にある大和王朝2600年の歴史を否定する目的で、弥生時代は邪馬台国が納めてたとか言ってるんでしょ?
戦後の歴史家はさ
773日本@名無史さん:2007/08/31(金) 16:16:39
>>770
ダダをこねたいだけのガキ相手に議論しても無駄ですよ
774日本@名無史さん:2007/08/31(金) 16:21:48
日本には皇記って言う暦があって少なくとも古事記がかかれた1300年ほど前から使われてるんよ

今は皇記2600年ぐらい


今使われてる西暦ってのも元々はローマ皇帝が即位した年からの暦だよ
途中でローマ国をキリスト教に改教した際の西暦400年頃にキリストの生誕年からの暦として7年ぐらい書き換えたものが今の西暦
775昔々:2007/08/31(金) 17:26:23
>>770

校勘なんて野暮ったい話しだすのよしましょうよ。
そんな事言われなくても、承知で書いているんだから。
第一、そのくらいの知識はこの問題語るときには幼稚園児の入門編だろう。
何時までも堂々巡りしてないで、もう少しレベルアップしましょうよ
776日本@名無史さん:2007/08/31(金) 17:36:42
>>775
はいはい、九州ですが乙
777昔々:2007/08/31(金) 17:57:16
>>776
まだそんな幼稚な事やってるのか?

ついでだから
『國』という漢字に最も近い漢字は、或を除けば『圀』だ。
これは則天武后の時代に創られた事は有名だね。しかし、『国の原形である(口+王)』の文字は、清の時代、康煕字典に『國』のぞく字として紹介されてるに過ぎない字であり、決して國の新字体とはしていない。

納得したかな?
今でも漢語正字は『國』
778日本@名無しさん:2007/08/31(金) 18:29:33
>>777
で、狗奴國の話は?
779昔々:2007/08/31(金) 18:38:28
>>778
もうどうでもいいよ
後は好きな様に解釈してくれ
780日本@名無史さん:2007/08/31(金) 20:05:25
人、それを荒らしといふ
781昔々:2007/08/31(金) 21:55:20
俺は『荒らし』だそうだからソロソロ消えます。


じゃぁっ
また何時の日かお会い出来る時まで

(^-^)/
782日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:16:25
ここの馬鹿ドモは、久しぶりに現れたまともな椰子を追い出しやがって。
783九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/31(金) 22:29:44
英語名JAPANの元は『ジパング』であり「日本国」を福建語でJih-pen-kuo(ジーペンクォ)と呼び
それをマルコ・ボーロが「世界の記述(東方見聞録)」でZipangu(ジパング)と記し、日本を紹介したことに由来している。

http://goma.moo.jp/k-kunimei.html

なお、ジーペンクォは南中国の福建語.北中国だとリーベンとなる。
ジーペンの古い発音はズーベンで、ポーロはそちらを聞いたのかも。

784日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:31:17
>>741
>ラテン語で「ジ・パング」とは黄金のことを指す。

このデタラメを修正しろよ。
785九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/31(金) 22:35:28
>>781
プラムさん。また来てくださいねっ!まってます。
このスレ最近は真面目な方が増えてるんですよ。
数日前からお邪魔馬鹿が一人入り込んでますけど。
そのせいで今はドンと来いマルコポーロになってます。
786九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/31(金) 22:38:55
>>784
だから色んな説がある!出鱈目ではない。それもその一つだ
何十年も前の資料を今から本棚ひっくり返して探せるか!
787プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/08/31(金) 23:10:04
>>785九州ですがさん
お久しブリブリざえもん。

>プラムさん。

あっはははは〜流石ですね>>777は久々のマジレスですよ 何かのお役に立てば幸です。


(^-^)/また何時の日か
788九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/08/31(金) 23:12:42
>>787プラムさん
暑い毎日が続きます。お互い健康で頑張りましょう!
789日本@名無史さん:2007/09/01(土) 00:10:12
流れをぶった切ってしまうが、8月20日に出た、
『理系の視点からみた「考古学」の論争点』(新井宏)は、かなり良かった。

他分野からの参入者は、無邪気に書きたいことを書けるという実例。
学会のタブーや、研究発表のマナー違反に対する批判なども正論を述べている。
・・・一方で、当たり前の議論や批判ができない学会の病根の深さを再認識した。
790日本@名無史さん:2007/09/01(土) 01:14:39
新井宏氏って、韓国国立慶尚大学招聘教授の方ですね。
それと邪馬台国の会に所属する安本一派の肩でもありますね。
著書には何らかのバイアスがかかっていると考えて、割り引いて読まれるべきかと思います。
791日本@名無史さん:2007/09/01(土) 01:15:45

>>789にだまされてアマゾンで注文するところだったぜ!
792日本@名無史さん:2007/09/01(土) 02:51:03
>>790  >安本一派

全然違うぞwww三角縁を日本製と行ったら安本一派かいww
となると、邪馬台国の会の講演に出た石野も安本一派か?

学会の連中には耳の痛い正論が随所に書かれている必読の書。
反対論者は焚書にでもしたい著書かもしれんが。

てゆうか、>>790>>791 だろ。連投が過ぎると肩を壊すぞww
793日本@名無史さん:2007/09/01(土) 02:54:33
>学会の連中には耳の痛い正論が随所に書かれている必読の書。

この書き方で、安本派とわかる。
794日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:02:45

「邪馬台国」を探しに探して捜し回わっても、どうにも見つからない。なぜか。

なぜなら邪馬台国なんてなかった。今で言えば、あれは後世の日本から見た願望・捏造の所産だよ。
「魏志倭人伝」の部分は官吏のいいかげんな作文で、特に後半はどんどん妄想の産物。
ちっとも辻褄あわないだろ。当然のことさ。嘘っぱちだから。

時の中国の国王?・側近?も騙されたんだから、おいらたちが騙されても、決して不名誉なことではない。
騙された、と素直に言えばいいのに、昔の解釈にこだわっているから、何も見えない・わからない・進まない。

どっかの島から出土したといわれる「金印」なんて、ありゃ江戸時代ころの偽作だよ。

・「魏志倭人伝」に出てくる朝鮮半島はともかく、九州 (・四国・本州) に関する記述は全部嘘っぱち。
・ 国宝の「金印」は後世の偽作。
795日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:40:43
>>794
そうでもないんだが。
考古事実は間違っているところと、正しい部分を冷静に分析している。
金印の話がしたいのなら、専用スレがあるからそこで思い切り妄想を語ってくれ。

>>792
石野は古代史に興味のある人を大切にしたいというスタンスだから
たとえどんなトンデモさんでも優しく接してくれる。いいひとだよねw
でも彼自身、東遷や九州説などありえないと明言している。
新井は本を書くより、それを論文化して学会に出さないのはなぜなんだろうね?
琉球大学の木村が、海底遺跡の論文を一切書かずにマスコミや著作だけで宣伝しているのを真似た手法なんだろうが
そういうセコい手口でだまそうとするのは、まさに『学者としてどうか』とキミは思わないの?
796日本@名無史さん:2007/09/01(土) 05:11:28
一瞬で見抜かれる安っぽい工作員ってw

安本も、使えねえ奴だなとあきれているだろうな、お前にはw
797日本@名無史さん:2007/09/01(土) 05:52:19
山本一太かよ。
798横槍:2007/09/01(土) 09:46:49
安本氏の学説は統計学を使った所が画期的
しかし、それを決定打としている所が歴史学から見れば信用度が低い要因だろう。
あくまで統計学は参考資料として使用すべき。
大体使っているデーターが少なすぎ、歴史は不確定的要素の集まりだから・・・
統計学で何百年前の歴史が遡れるなら、未来の歴史も粗正確に想定出来るはず。
799日本@名無史さん:2007/09/01(土) 10:16:12
>>795
新井は正規の論文を多数書いているが、知らないのか?

その上で、C14による年代遡上を学会での発表前にマスコミ発表した
やり方を批判して、学会での発表をちゃんとしようと批判している。

石野は、東遷や九州説は「ありえない」という言い方はしない。
彼は白石とは違って物言いが慎重。
800日本@名無史さん:2007/09/01(土) 11:11:28
>>783
だから、ジーペンクォなんて国は日本の史実上にない
日本の事をジーペンクォって勝手によんだだけだから
邪馬台国もそう
801サガミハラハラ:2007/09/01(土) 11:44:20
邪馬台国については、邪馬台国人の申告によって記したものだと考えます。
当時の中国人(一般人)は日本のことを倭(ヰ)とよんでいたはずです。
802日本@名無史さん:2007/09/01(土) 12:45:37
当時日本には漢字は無いので「邪馬台国」と申告する事はないな

そもそも邪馬台国の読み方がわからん
803サガミハラハラ:2007/09/01(土) 13:14:58
漢字はなくとも、というよりも倭人が漢字表記した国名をしめしても、漢人は
当て字で記載します。よって邪馬台は倭人の表示した字ではありません。
ヤマタイといったのに邪馬台国という当て字をしたのです。
倭人の使う意味では、ヤは屋(屋根の屋)のこと、マは間(客間土間の間)のこと、
タイ(ダイ)は大(大いなる)倭(イ)のこと。
つまり、倭国の中心の地域の大いなる倭奴(イト)国という意味です。

804花 ◆PfZ6nXw0Y. :2007/09/01(土) 14:25:57
ふつうに「ヤマト」と自称したのだと思います。畿内のヤマトです。
地政学的には九州かも知れませんが歴史の蓋然性としては畿内ですね。
805日本@名無史さん:2007/09/01(土) 14:39:39
そもそも「中国」なんて呼び方も戦後だしな
支那は国が変わりすぎて良くわからん
806日本@名無史さん:2007/09/01(土) 14:45:20
(現代)寒い→(平安)ちゃむし→(上古)ちゃっぷいちゃっぷい
(現代)ヤマト→→→(弥生末期の邪馬台国地方)なんと発音したかわからん
ただ、邪馬台国と漢人が音を当て字したのみ
807太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/09/01(土) 15:03:33
>>802
日本に漢字はありましたよ。
吉野ヶ里から紀元前1世紀の有文字(連弧文鏡)鏡が出土してます。
      ↓
 「久不相見 長母相忘」
808日本@名無史さん:2007/09/01(土) 15:20:47
>>805

>そもそも「中国」なんて呼び方も戦後だしな

ぷっ!
809日本@名無史さん:2007/09/01(土) 16:04:38
『大和』と書いて『ヤマト』と読む事が少し不思議
810日本@名無史さん:2007/09/01(土) 16:14:48
邪馬台国をジパングと同列に考えるのはどうかと思う、
たしかに、名前は眉唾物であるが、ただ倭人伝には
対馬のように、今も存在が確認されている地名がたくさん出てくる。
だからすごい困るんだけどね・・
811サガミハラハラ:2007/09/01(土) 16:22:24
それは太秦と書いてウズマサと読むようなものです。
ちなみにヤマトとは神武の生まれ故郷の福岡氏西区の山門のことであり、
ウズマサとは、秦氏が移住する前からの葛野(京都)一画のウズマサ(髷に飾りに挿したマサキカズラの意味 アメノウズメノ命が踊った時に髷にマサキカズラの花をさしていたという)
という地名です。
812サガミハラハラ:2007/09/01(土) 16:26:00
私は邪馬台国とジパングは同列に考えていません。
813日本@名無史さん:2007/09/01(土) 16:37:24
>>811
サガミハラハラさんサンクス。
字の意味としてデカイ和国としながら読み方は天皇家縁のヤマトのままにした。
という事ですね。
814サガミハラハラ:2007/09/01(土) 16:48:11
はいそうです。
815唐松山:2007/09/01(土) 16:50:05
こんな読み方も出来ます。
神武 東征時 ナガスネ の居た場所は、
山後川(やまあとがわ) 山(生駒山地)の裏から流れてくる。
やまあと が訛って ヤマト

816日本@名無史さん:2007/09/01(土) 16:58:20
>>811

>ちなみにヤマトとは神武の生まれ故郷の福岡氏西区の山門のことであり、

おまいは、上代の甲乙音の区別を否定するわけだね?
817日本@名無史さん:2007/09/01(土) 17:02:16

ナガスネって、「脛が長い」という意味ではないよね。
脛が長いっていうのは、言葉の遊び、ダジャレであって、
本当は、その土地に「長く」「住んでいる」というのが、
ナガスネの意味だろう。

ネはニ(土地)の意味でしょ。



818サガミハラハラ:2007/09/01(土) 17:27:02
いいえ否定いたしません。
言葉発音は地方や時代個人によって流動的なものです。
例えば、オとヲの区別は現代においては全くといっていいほどありません。
819唐松山:2007/09/01(土) 17:40:04
ホ29017 かれにナガスネ フネとゝむ ヲヲモノヌシが うたんとす
ホ29070 ナもナミハヤの ミナトより ヤマアトカワを
さかのぼり カウチクサカの アウヱモロ

くさか 日下 これも読めない

820唐松山:2007/09/01(土) 17:54:15
こんな 蜘蛛も 居るぞ
セヒひくて アシながクモの をゝちから

日下、 神武(日の皇子)が日に向かって戦をした だから負けた。

821日本@名無史さん:2007/09/01(土) 19:11:12
「枕詞」でググレ
822日本@名無史さん:2007/09/01(土) 19:25:20
>817
ナガスネ=長瀬根だろう
奈良盆地に入る際、
白潟洲(しろかたのす=現代の大阪府枚方市)→堅野(かたの=大阪府交野市)と、
北から侵攻しようとして失敗し、今度は大和川(旧長瀬川)を遡上しようとして失敗し、
最後に生駒山麓の盾津(たてづ=大阪府東大阪市)から正面攻撃して撃退されている。

823日本@名無史さん:2007/09/01(土) 19:30:25
神武弱いな。
大和軍に歯向ってんじゃねえよ。
824日本@名無史さん:2007/09/02(日) 15:30:49
もう夏も終わりだね。
825日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:14:47
>>817 どうなんだろう。

長州(ながす)の根の彦。・・・古代にあった内海と沿海の支配者
なんていう考えもあるかも。
826日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:31:21
長瀬根も、長州根も同じ意味だろ。

奈良盆地の大和川沿いで暮らしてた部族の長ってことでOK。
足の長さは関係なし。
827日本@名無史さん:2007/09/03(月) 01:56:45
「ネ」や「根」というのは、記紀の古い時代の地名や名前に結構多い。

これと似ているのが倭人伝で「奴国」の「奴」の文字を用いる国が多いこと。
これは紀元前後から強大化した「奴国」が発展拡大して、「奴」の名称を付した
土地へと領域を広げていったと考えると、説明しやすい。

「奴国」の「奴」は「ネ」にも通じると考えると、ナガスネ彦も「ナガス」の地域の
「奴」(ネ)の彦で九州から来た人間ということになるが、まさに記紀の設定は
そのようになっている。

神武より以前に「ナガスの根の国」に派遣された王族の系譜に属する人物が、
土着化して、神武に抵抗したというのが記紀の根底にあるストーリーである。
828日本@名無史さん:2007/09/03(月) 02:11:58
なんでもかんでも九州発祥かよ?
バカじゃないの?

九州以外の日本列島には、人が誰も住んでなかったとでも思ってるんだろうか?



829日本@名無史さん:2007/09/03(月) 08:43:11
神武は南九州出身だろう?
神武東征とは、
畿内王朝でナガスネヒコの横暴があったから
それを日向で分家していた神武が救援にいったにすぎない。
そこで、神武が頑張ったから
その後、畿内王朝の執政の座についたんだろう?
830日本@名無史さん:2007/09/03(月) 10:07:30
>>829
当時無名だった神武の業績が遠く時を経た時代に、どおして知りえる事が出来たの?
未来にはメジャーな貴い家柄かも知れないが、
831唐松山:2007/09/03(月) 12:25:55
キ=東
ツ=南
サ=西
ネ=北
832日本@名無史さん:2007/09/03(月) 15:56:49
>829
つまり黄幡と檄を携えた神武が狗奴国を平定に行った?
833唐松山:2007/09/03(月) 17:49:51
先に ナガスネを撃とうとした,大物主 の立場はどうなる?
834日本@名無史さん:2007/09/03(月) 19:05:29
そんな記事がどこにある?
835日本@名無史さん:2007/09/03(月) 22:32:20
>833
ニギハヤヒ?
836日本@名無史さん:2007/09/03(月) 23:56:48
ふ〜ん。

ニギハヤヒが大物主ですか。
837日本@名無史さん:2007/09/04(火) 00:27:36
ニギハヤヒがナガスネヒコを成敗したと記紀にあった気が
838日本@名無史さん:2007/09/04(火) 00:50:40
どうしてニギハヤヒが大物主なんだと。
839日本@名無史さん:2007/09/04(火) 02:55:23
鈴木宮司が言ってた 大三輪のカンナビを預かる人がね
840唐松山:2007/09/04(火) 10:58:48
ホ29017 と書いたでしょ 是は, ホツマ伝 の事
ホツマ29章 17行目
大物主=大王 とすると ニギハヤヒ=王 その下に ナガスネ
上記は、間違い
多分こちら
ニギハヤヒ=大王の子供 大物主=大王の執事 ナガスネ=ニギハヤヒの部下

九州大王が病床に在り,死亡直前
ニギハヤヒが畿内入植の為ナガスネに大王の暦を盗ませる。
冬ニギハヤヒ,ナガスネは、九州を抜け出る。
暦を盗まれた 大物主は,すぐ 軍を差し向ける。
この軍は、ナガスネ追討に失敗
そこへ 大王の喪のため 宇佐に来た神武等が 塩ジイに進められて 東征

大和で ニギハヤ、ナガスネと神武と対峙した時 
ニギハヤが観念して応じないナガスネを撃つ。撃ったのはニギハヤの子ウマシマジ
なお 大物主の差し向けた軍の一部は,大和や河内に残っています。
交通手段の少ない当時 負けた武士に 九州へ帰る 手立ては、無かった。

841日本@名無史さん:2007/09/04(火) 11:46:59
ホツマ伝って、偽書じゃん。
842唐松山:2007/09/04(火) 13:13:36
何処が?
843唐松山:2007/09/04(火) 14:23:44
ほつま伝を 偽書とする 人々

書紀等を読んで 今の考えに 固執する 人等
倍暦連
倍暦を否定しつつも 倍暦で年代を考えている 人等

崇神世=西暦247年 を支持する人等

こんな 感じかな?
844日本@名無史さん:2007/09/04(火) 14:30:10
>>843
そういう異常な人達じゃなくとも
普通に偽書だと誰もが知ってるから。
845唐松山:2007/09/04(火) 15:16:11
だから どの部分が 嘘 であるか指摘してくれ と言っているのです。

それとも 書紀に書いてない部分全部が 嘘 だと言うのか?
偽 と言うだけでは, 何をどのように曲解しているのか 解かりません

教えてください。
846太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/09/04(火) 15:31:48
>>843
247年は崇神世と計算しましたが、それがしは秀真伝を取りわけ偽書だとは
申しておりません。
847日本@名無史さん:2007/09/04(火) 15:35:33
>>845
全部がうそ。
まともな史書ではない。
それを信じているっては宗教であって歴史ではない。
世間では君みたいな人を除いて誰も信じていない。

でもがんばって君は独りで研究すれば良いじゃない。
他人は関係ないだろ?だから君は君の意思で人生を棒に振ればいい。
848太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/09/04(火) 16:47:54
>>847
全部がウソっていうのはお前の大ウソだな。そんなはずはない。偽札だったら
真札に対してそういうことは言えるがね。
お前は元々出鱈目の世界が大好きな人間のようだから、偽書だで、鶴の一声
で肩を持つ相当おめでたい野郎だな。
849唐松山:2007/09/04(火) 17:03:54
早い話が 書紀も嘘 という事か

殆ど同じことが書いてあるから
850サガミハラハラ:2007/09/04(火) 17:53:04
11月10日が11日に東アジアの古代文化を考える会の会員研究発表会があります。
私、今年もまた発表をさせていただきます。
851日本@名無史さん:2007/09/04(火) 18:07:42
>唐松山さん
ホツマツタヱについての見解は別スレを立てて、検証してみるのも面白いと思いますよ。
852唐松山:2007/09/04(火) 18:35:37
ほつま は 書紀より少し詳しく書いてある。
以外 殆ど変わらないので あまり盛り上がらないだろうな。

書紀に 書かれていない綾は、さらに盛り上がらない。
みんな 興味なさそ

ほつま の 成果は, 増し暦だけ 
本当の ポエー 無 に なっちゃいそう。
853横槍:2007/09/04(火) 20:13:23
唐松さんの秀真伝に着目した点はユニーク
これからも研究を続けてもらいたと思います
854唐松山:2007/09/04(火) 21:58:12
書紀に 引き伸ばされた 経緯が書いてないから
ほつま を読み始めた。 書いてあったね。
855日本@名無史さん:2007/09/05(水) 08:06:52
洋の東西を問わず、やけに詳しいのが偽書の特徴なんだけどね。
856日本@名無史さん:2007/09/05(水) 10:46:05
5母音で書かれてるってだけで、仏教が広まった後の資料だってことだな。
古くみつもってもカタカナが出来た後の文書だろ。
857日本@名無史さん:2007/09/05(水) 12:04:26
>>805
昭和15〜16年ごろ発行の岩波文庫増田渉訳の魯迅の「中国小説史略」(原題)は
岩波書店の都合により「支那小説史略」と題されている。

中国人が「中国」と書いても「支那」と書きかえる風潮が
日本には太平洋戦争の前からあったというべきだな。
858日本@名無史さん:2007/09/05(水) 12:30:45
>856
書かれたって・・・
本来これが丸暗記の口伝の物だとしたらどうだ?
稗田阿礼みたいなのが幼い頃より丸暗記して伝えていたのかもよ
859日本@名無史さん:2007/09/05(水) 17:22:33
>>858

そういう問題じゃないし。
860日本@名無史さん:2007/09/05(水) 17:35:47
語り部達の口伝を、まとめたものという可能性は、否定出来ないと思うのだが?
861日本@名無史さん:2007/09/05(水) 17:46:02
口伝であっても、5母音なのが仏教伝来後のカタカナ成立後からの口伝だということだよ。

意味わかる? わかんないだろうな。
862日本@名無史さん:2007/09/05(水) 18:14:53
邪馬台国女王・卑弥呼=媛命=倭迹迹日百襲媛命
邪馬台国女王・台与=豊鋤入姫命
邪馬台国大夫・難升米=梨津臣命
邪馬台国大夫・都市牛利=丹波大縣主由碁理

狗奴国男王・卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命
狗奴国官・拘右智卑狗=河内彦

邪馬台国=ヤマト国=大和国
狗奴国=コノ国=許乃国
投馬国=ヅマ国=出雲国

日本書紀・崇神天皇治世10年=魏書・正始8年(247年)
863唐松山:2007/09/05(水) 20:29:40
邪馬台国女王・卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命 是は,花杯
タケハニヤス の年齢を推定してください
殆どモモソ姫と同年
崇神10年の話では無い と思います.
最も若く見積もって 56才 鬼籍に入っていてもおかしくない年。
864唐松山:2007/09/05(水) 20:58:55
あ ほつまを読む時は, 漢字に直した物は,曲者
平仮名を 自分で漢字に直す事。
865日本@名無史さん:2007/09/07(金) 02:58:29
うーむ・・・・
日本書紀とか神話の記述を本気にしてる奴って
檀君朝鮮を馬鹿に出来んよな。
866日本@名無史さん:2007/09/07(金) 04:20:48
誰しも記紀にハマる(疑いつつ信じトンデモに至る)可能性は
あるのだけど、普通どこかで気づいて制御するもんだと思うけ
どね。

(気づく=過去の記憶、記録は途絶えていたということに)
867日本@名無史さん:2007/09/07(金) 08:28:54
考古学無視で文献だけでもおkなら
中国の夏王朝も実在決定だし黄帝もいます。
868日本@名無史さん:2007/09/07(金) 13:11:04
考古資料ということについて、
志賀島で金印が発見されました。これは考古資料です。しかしそこに彫られている
文は文献資料となります。
私の手元に岩波文庫版魏志倭人伝があります。これは文献資料です。
しかい、この元である紹煕本の原本(にもっとも近い写本)は考古資料である。
そのなかに書かれていることの解釈は文献学の分野となります。
文献とは書籍であり、それは考古資料でもあるといえるのです。
だから、邪馬台国の位置について、考古上の資料はといわれたら、魏志倭人伝であるといえるわけである。
その解釈はとなるとこれは文献学の分野なのである。
近頃、考古が主体となるような論がきかれるのであるが、失礼ながら、考古の方々はどのくらい文献について勉強なさっているのでありましょうか。
我々文献を研究するものは、膨大な書物を読み、郭講演会を渡り歩き日々研鑽をしています。
考古の方も根気の要る考古の研究のほかに漢文とか時代背景とか別の分野の研究も同じような労力をさいて研究しておられるのでしょうか。
なにかきいていると、邪馬台国に関しては聞きかじりで解釈し論じているようにしかきこえないのは残念で3す。
869日本@名無史さん:2007/09/07(金) 13:18:46
>我々文献を研究するものは、膨大な書物を読み、郭講演会を渡り歩き日々研鑽をしています。

それが本当なら、信用できる記述かどうかの判断がつきそうなものですが。
ちなみに『本物の』文献屋さんは、あなたのような迂闊なことは言いません。
邪馬台国だどうしたとかいう話に、首を突っ込んでこないのです。
勿論、自称文献研究者なら何故だか判りますよね。

それと文献研究者が、岩波文庫版魏志倭人伝ってギャグですか。
870日本@名無史さん:2007/09/07(金) 16:20:00
ジオンズム檀君はあにめにもなった実在の歴史れす
871日本@名無史さん:2007/09/07(金) 18:01:26
>>868
>近頃、考古が主体となるような論がきかれるのであるが、失礼ながら、考古の方々はどのくらい文献について勉強なさっているのでありましょうか。

森浩一みたいに、文献に興味をもつような考古学者は不用。

一次資料である遺物に、恣意的解釈が入りこむだけで、百害しかない。
考古学と文献を整合させたければ、おまえがやればいい。

872日本@名無史さん:2007/09/07(金) 18:24:47
>>868
考古資料に「邪馬台国」と書いてあるのかね。

字体も亦考古資料だよ。
873日本@名無史さん:2007/09/07(金) 19:17:19
邪馬台国は通称です。私のパソコンは旧字体がでてこないのです。
くわしいことは古田武彦氏の「邪馬台国」はなかった、にかいてあります。

>>869言ってる事が滅茶苦茶ですよ。
874日本@名無史さん:2007/09/07(金) 19:27:20
考古学=客観的というわけでもなかろう。

旧石器捏造事件では30年以上捏造が発覚しなかったという学会の体質がある。
マスコミ先行発表の泉屋博のスプリング8では、客観という体裁で我田引水の結論を出し、
批判があったのちは無視して議論がなされず、教訓にもなっていない。

C14による弥生時代遡上もマスコミ先行発表で、正規の報告書が出ていないために、
他の学者が反論のできない状態が続いていた。
古墳時代の年代遡上でも、マスコミ発表先行で、理論が伴っていない。

椿井大塚山では遺物、報告書の独占という状態での学説発表のため、原資料に接することが
できない他の学者からの反論が困難な時期が40年ほど続いた。
弥生時代の鉄器の九州優位を40年以上も無視し続けたという暗黒時代も存在した。

年輪年代では、今に至るも基礎データーの完全公表がなされていないという状況である。

学問に対する基本的姿勢に問題のある連中が多すぎるし、それを黙認する学会の体質は
絶望的に酷いとしか言いようがない。地位、名誉、金権、イデオロギーにまみれて、学問を
放棄した連中の言うことなど信用できんだろうに。
875日本@名無史さん:2007/09/07(金) 20:04:36
>>874

コテハンつけたら?
876日本@名無史さん:2007/09/07(金) 20:35:27
>>874は倭奴國さんでは?
877日本@名無史さん:2007/09/07(金) 20:46:31
コテハンつけたら散々叩かれるから嫌になったんだろ
878日本@名無史さん:2007/09/08(土) 17:45:23
アマテラスは伊勢の地方神という説が有力。

あの安本大先生も、この件では反論していない。
すこしでもこの件に触れようものなら、
アマテラス=卑弥呼とする、邪馬台国東遷説は破綻することを知ってるからだ。

アマテラスが天武紀に祭られた神だというのは、否定しようが無いからな。
いまだに安本に騙されてるやつがいるのは可哀想だ。
879日本@名無史さん:2007/09/09(日) 17:58:21
>安本大先生

正真正銘のキチガイが大先生だって
ブッ!
880日本@名無史さん:2007/09/09(日) 21:06:16
安本はキじゃなくて、ペテン師。

文献やってる人なら、天照大御神の成立年代が、
聖徳太子時代より前に遡れないという議論を知らぬはずはない。

九州説や日本神話を信じてる人に本を売って儲けるために、
天照大御神の成立年代問題を意図的にスルーし、
神話は事実だという前提に無批判に立っている。
それだけならまだしも、考古学に喧嘩を売ってるあたりが悪質なのだ。

881日本@名無史さん:2007/09/09(日) 22:01:45
でたらめ、妄想、恣意的にして、おのれの地位を守るために正論を排し、権威をひけらかすだけの
考古学界に喧嘩をうってなにが悪い。
882日本@名無史さん:2007/09/09(日) 22:34:22
喧嘩を売るのがメインテーマで、邪馬台国はダシというわけだな?
883日本@名無史さん:2007/09/09(日) 23:22:02
そうではない。邪馬台国がメインテーマで、喧嘩はやむを得ぬ必然である。
考古学界がかような状況では。
884日本@名無史さん:2007/09/09(日) 23:30:10
天照大御神は卑弥呼だなどという短絡思考については許されるわけ?
885日本@名無史さん:2007/09/10(月) 21:18:37
>>878
アマテラスは天武天皇の時代に祭られた神様。
それ以前は、大和王朝の祖神は男の太陽神アマテルだった。
そして、この神様の本名は、天照国照彦火明命。
神武天皇の曽祖父とされるニニギの兄とされる神様だ。

纏向遺跡のど真中にも、この神様が祭られている。
天照御魂神社。
886日本@名無史さん:2007/09/11(火) 01:29:14
天照大神=卑弥呼(プラス台与)は決して短絡的ではない。

倭人伝の卑弥呼と、記紀の天照大神の類似性は他の候補者の比ではない。

たとえば、魏から倭王と呼ばれた卑弥呼の地位と、高天原の主宰者である
天照大神の地位の類似性。倭迹迹日百襲姫なんかは単なる皇女に過ぎない。

女性で夫のいない類似性。

狗奴国との戦いの最中に死んだとも取れる卑弥呼の死に方と、須佐之男命の
乱暴に怒って岩戸に隠れたとされる天照大神の死に方の類似性。

台与の登場と天照大神が岩戸から出てくる状況の類似性。

梁書などに見られる台与と並存していた男王と、岩戸を出てからの天照大神に
付き添う高皇産霊尊の類似性。

などなど。卑弥呼は天照大神に比定するのが自然だと思うな。
887日本@名無史さん:2007/09/11(火) 01:50:03
>>886

卑弥呼が天照大神だとして、
それと、邪馬台国の所在地がどう関係するのかな?答えてごらん。
888日本@名無史さん:2007/09/11(火) 02:35:12
天照大神のあとに神武東征のような出来事を想定できるから、邪馬台国は
近畿地方では絶対にありえないということが言える。

まあ、近畿地方である時期に劇的な変化が起きたことは否定できない。
銅鐸の製造・祭祀の終了や大量の鏡の普及、鉄器の普及など。

そうなると、自ずから結論は出てくる。
889日本@名無史さん:2007/09/11(火) 02:39:07
>>888

高天原が、近畿地方ではないという根拠は何?
890日本@名無史さん:2007/09/11(火) 02:44:25
>>889
だから、卑弥呼のあとに神武東征のような出来事が想定できることになり、
後の勢力が近畿地方に移ったことになる。

卑弥呼が近畿地方にいるわけがないわけだから、卑弥呼=天照大神であれば、
近畿地方は高天原にはなりえない。
891日本@名無史さん:2007/09/11(火) 02:49:58
権力者にとって聖地が地上に存在したら色々と面倒じゃないかw
892日本@名無史さん:2007/09/11(火) 02:50:59
伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祭る多賀大社は滋賀県にあるの知ってますか?

高天原では、天照大神が、天の岩屋に入りましたね?

そのとき、八意思兼命・天手力雄命・天宇受売命が活躍しましたが、祭られてる神社は、
秩父神社(埼玉県)、戸隠神社(長野県)、鈿女神社(長野県)
すべて、近畿以東なんですよ。ご存知でしたか?

893日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:00:49
なぜ、高天原の神が近畿以東で祭られているのか?
もともと、彼らが地方神だったからですよ。

壬申の乱のあと、天武天皇が信濃に遷都しようとしたのを、ご存知ですか?

戸隠神社のある戸隠連峰の麓が、天の岩屋神話の舞台です。
つまり高天原は近畿以東の神話なんですよ。
それを天武天皇が気に入って日本神話に組み入れたってわけです。



894日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:03:33
記紀の登場人物が全部実在したと考えてるのかここはw
895日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:14:21
高天原は実在の場所ではない。日本書紀ではただ単に「天上」とされている。

当時の古代の精神世界・宗教観を理解しないといけない。
当時の人たちは、この世は

天上=高天原
地上・現世=葦原中国
地下=黄泉国

の縦軸に三つの世界があると信じていた。

そして、地上・現世の支配者であった出雲王権への革命を正当化するためには
皇室の先祖は、天上から宿命を背負って、出雲を倒したことにしないといけない。
じゃないと、今度は、皇室は自分たちの臣下から革命の対象にされる。

ちなみに、皇室の始祖であるアメノオシホミミは
出雲の大国主から国譲りを迫れなかった神様だが、
この「ミミ」という名称は、出雲神話の神様に多く登場する尊称で、
後の魏志倭人伝に登場する投馬国(出雲?)の官、副官の名称として
「ミミ」「ミミナリ」というのが出てくる。
としたら、皇室の先祖は出雲王朝に対して臣下の礼を取っていた可能性が高い。
896日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:16:17
>>874
弥生時代に対する定説は
ほぼ覆りつつあるよ。
897日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:18:42
>>892
伊邪那岐の尊、伊邪那美の命を祀っている神社はいくつもあるから。
たとえば、
http://www.kumaya.jp/atikoti36.html
これもそうかな。
http://www.kumaya.jp/atikoti38.html

898日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:27:39
日本神話のタネを明かせば、
壬申の乱で天武天皇に協力した氏族が持っていた神話の寄せ集めなんですよ。

だから、近畿以東で祭られていた地方神が、高天原の神になったわけです。

なぜ、九州の日向に天孫降臨したという神話ができたのか?
それも、南九州の地方神・ワタツミを祖神とした阿曇連に配慮したことなんです。
ワタツミの娘とニニギの子のヒコホホデミが婚姻していますね。

899日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:34:52
>>897
残念ながら、多賀大社のほうが由緒がはっきりしてますよ。

“古事記”で、「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」とあります。
社伝によると、神代の昔、伊邪那岐大神は本社東方の杉坂山に降臨され、
麓の栗栖の里でお休みの後、多賀にお鎮まりになったと伝わっています。
900日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:35:55
日向(宮崎)には、邇邇芸命や神武天皇に関連した神社がたくさんある。
神武天皇生誕の地とされる狭野神社。
http://www.kumaya.jp/atikoti35.html
同じく神武天皇を祀った宮崎神宮。
http://www.genbu.net/data/hyuga/miyazaki_title.htm
邇邇芸命を祀った霧島神宮。
http://www.kumaya.jp/atikoti26.html
など。
901日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:41:51
>>898
神武天皇以前の神話の部分は
多少はそういう寄せ集めの部分もあるが
必ずしも、寄せ集めだけではない。

天武天皇にとって、一番まずかったのは
大和王朝の創始者が、自分たちの男系先祖ではなかったこと。
大和王朝の創始者は、アマテル(ホアカリ)といって
日本書紀には、正式名称では、天照国照彦火明命である。
神武皇統の先祖は、このアマテル(ホアカリ)の弟・ホノニニギのほうだった。

だからこそ、天武天皇は生涯、熱田神宮の尾張氏(ホアカリ系の嫡流)から
草薙の剣の本物を奪おうとしたり、(皇室にある剣はレプリカ)
大和王朝の始祖・アマテル(ホアカリ)の存在を弱めて
アマテル(ホアカリ)とホノニニギの父方の祖母にあたるオオヒルメを
アマテラスとして祭ることにしたわわけで。
アマテルからだと、皇室はその男系子孫ではないから、
先祖をさかのぼらせて、尾張氏・皇室の共通の先祖を祖神としたわけだ。
902日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:46:22
>>901

なんにせよ、「高天原の概念」は、近畿の人々が持っていたということで、FAでしょう。

天孫降臨が事実でも、近畿から日向に王族が派遣されたということですな。
西都原古墳がその証というわけで。
つまり、天孫降臨の実年代は4世紀以後ということです。
903日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:49:49
「天照」と名のつく神社も近畿に集中してることからも、
「天照」(アマテルでも、アマテラスでも、大きな違いは無い)という太陽神信仰が、
近畿中心にあったということなんです。
904日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:02:57
したがって、天照大神を卑弥呼とするということは、
邪馬台国は近畿だというのと同じことなんです。

九州説を唱えるなら、天照大神を卑弥呼と同一視してはいけない。
景行天皇が九州を平定してるわけだから、
そのときに、九州の邪馬台国が滅ぼされたと考えた方が、ずっと筋が通るわけです。

景行紀には、ご丁寧に「八女津媛」という名前まで出てくるじゃないですか。
905日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:15:55
>>903
天照御魂神社。
これは、アマテルと読んで、そこの祭神は、火明命の場合が多い。
もともとは、女神アマテラスではなく、
男神アマテルだったといわれるのは、この火明命のこと。
神代系図をちゃんと調べること。
天皇家の先祖は、この火明命の弟のホノニニギのほう。
906日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:18:43
>>904 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:02:57
>したがって、天照大神を卑弥呼とするということは、
>邪馬台国は近畿だというのと同じことなんです。

同じではない。天照大神は卑弥呼とは無関係。
そもそも、天照大神は、元々は男の太陽神だった。
卑弥呼は、高い確率で孝霊天皇の皇女・ヤマトトトヒモモソヒメ。
907日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:30:28
>>905

否定はしてないよ。
アマテルという太陽神を、アマテラスという女性にしたのは、推古天皇か持統天皇からだろう。
「隋書」にある「阿毎多利思比孤」も、太陽神アマテルから付けた名だろう。
この倭王は、「日、出ずる国の天子」とか言って皇帝を怒らせた人だ。

天火明命は近畿で祭られているが、近畿系豪族の日下部氏との関係もあるだろうな。




908日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:50:29
>>906

卑弥呼がヤマトトトヒモモソヒメ、というのは同意するが、
ヤマトトトヒモモソヒメは、太陽神の巫女ではなく、三輪山の大物主の巫女だよね?
「卑弥呼は、太陽神の巫女ではない」ということも受け入れられるかい?

魏志にある「鬼道」は、祖霊信仰を意味するから、大物主信仰の方が、意味が近いんですよ。

「卑弥呼は、太陽神の巫女」というのは、長い間に信じられていた誤解だと思うわけ。
「鬼道」は太陽崇拝を意味しないもの。

909日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:57:13
つまり、崇神天皇時代には、アマテルという太陽信仰もあっただろうけど、
ヤマトトトヒモモソヒメは、大物主の祖霊信仰(鬼道)の巫女だったということですよ。

崇神天皇は、「太陽神の鏡」を畏れて別の場所で祭らせたりしてるからね。
その後、天皇家は、太陽神を祭っていないんですよ。

太陽神を祭り始めたのは、天武天皇からなんです。
天皇家が、代々太陽神を祭っていたというのは、誤解だと気づいて良い頃ですよ。
910日本@名無史さん:2007/09/11(火) 05:15:34
天火明命は、海部氏・物部氏、東海の尾張氏が祭っていた。
壬申の乱で、天武天皇が勝利できたのは、尾張氏らの天火明命系氏族のおかげだった。

本来は、天火明命を、最高神に据えるべきなんだろうけど、
そうすると、海部氏が天武天皇より格上になってしまう。

そこで、アマテラスを創作し、上位に設定して、天皇家の皇祖神とした。
海部氏の祖の天火明命は、それより格下にした。

というのが、真実だと思うね。

911日本@名無史さん:2007/09/11(火) 05:40:53
ちなみに、天武天皇の即位前の名は大海人皇子(おおあまのみこ)といい、
幼少期に養育を受けた凡海氏(海部一族の伴造)にちなむもので、
当時では養育者より幼名をとるのは慣例だった。

天武天皇は、海部氏一族に擁立されたともいえますね。
海部氏一族の祖神が、天火明命、またの名を天照という男性の太陽神。
その上に天武天皇が天照大神(アマテラス)を置いて皇祖神にしたわけです。

こうして日本神話の構造が解けてしまえば、
神武東征だの天孫降臨だのと日本神話を解釈して、
邪馬台国は九州だという説自体が成り立たなくなってくるわけです。

それでも、邪馬台国が九州にあった可能性は、まだありますよ。>>904のように。
912日本@名無史さん:2007/09/11(火) 12:42:48
>>900-901
そう、記紀や神話からすれば九州説は非常に考えにくくなる。
むしろ記紀によって抹消された神々という視点が必要となる。
九州説でありながら記紀神話のストーリーを流用すること自体が、考え方としておかしいわけよ。
では考古学見地からはどうかというと、これはもう可能性はほぼないといってよい。

考古学者、文献学者そしてアマチュア古代史ファンがこぞって九州説を唱えなくなったのは
完全に無理とはいわないが、成立が論理的に極めて困難となったため。
九州説を「心情的に」支持する人は、この矛盾を知りながら目をつぶっているか詭弁や逆ギレに走るかしか居ないので
自分がそうではないというのなら、論理的に整合した新しい九州説を提示すべきだね。
913日本@名無史さん:2007/09/11(火) 12:51:59
ただし畿内説もあまり記紀と神話を拠り所にしてはいない。
言われているように、編纂時の捨拾選択や改竄の可能性は十分に考えられるからだ。
同様に神社の位置関係や縁起書、伝承も鵜呑みにはできない。
なので文献方面からの古代史構築は、物的証拠の提示待ちという段階に入って久しい。
これはもう少なくとも30年以上前からそう。
そのくらい文献史学は仔細に検証しつくしている。

あとは考古学の成果待ち。
914日本@名無史さん:2007/09/11(火) 13:53:32
ヤマトトトヒモモソヒメ=問い百訴姫  神託を受ける巫女だよ
大物主という森羅万象を司る神に聞く

ちなみに天下り神話は、大和朝廷の東国進出を描いた寓話
915太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/09/11(火) 15:03:01
>>912
畿内にはあるわけがない。あるんだったら卑弥呼と天皇の交易等が記紀に
載る。その近所の付き合いの一言記載でもう論争は起きない。女王国が畿内に
あったことになる。遠い半島からの朝貢記事もちょいちょいある。ところが
記紀にはそういう記事はまるでない。せいぜい倭人伝の借用の神功39年等の
記事しかない。卑弥呼の記載ある遠い外国の倭人伝は畿内より九州のほうが
近い。

これは女王国が畿内から遠隔の九州にあったことを物語っている。
916日本@名無史さん:2007/09/11(火) 16:03:06
ちなみに、纏向遺跡のど真中に天照御魂神社がある。
天火明命(彦火明命)が祭ってある神社だ。
彼は別名・天照国照彦火明命という名を持っている。
つまり、男の太陽神・アマテルである。

初期大和王権(紀元1世紀〜2世紀)においては
尾張氏・海部氏の系譜が大和の最高権威であった。

神武皇統は、この天火明命の弟の火瓊瓊杵尊の子孫であり
天火明命が出雲の国譲りを実行した時は
出雲王朝から日向に派遣されていた状態だった。

しかし、その後、日向の火瓊瓊杵尊の子孫の中でも傍系のものが
他へ転属になっていて、神武東征戦争の直前は中国地方へ転属になっていた。
その時に、大和王権では、ナガスネヒコの謀反があったのである。
それを討つべき、援軍に駆けつけたのが、その転属になっていた火瓊瓊杵尊の後胤の
火火出見(神武天皇)だった。

ちなみに、この神武軍は河内上陸戦争では、ナガスネヒコに敗れて
命からがら、和歌山方面から大和へ侵入している。
が、大和へ付いたときは、ナガスネヒコの軍隊は大和王朝の本体に鎮圧されたところだった。
しかし、この戦争で、神武軍は、神武の兄を戦争で失うなど手痛い大ダメージを受けたが
その奮戦が評価されて、大和の磐余に所領をもらい、磐余彦を名乗るようになる。
その後、大和宗家(天火明命系・尾張氏)を最高権威として
神武皇統は、大和宗家の有力傍系として政事を行うようになった。
917916の続き:2007/09/11(火) 16:08:41
このように
最高権威・祭祀を行う:火明命系
最高権力:政治を行う:火瓊瓊杵尊系・神武流
で、大和王権が運営されていくことになるのだが
やがて、火瓊瓊杵尊系・神武流が、権力だけではなくて
権威にも手を掛けるようになる。
その結果、大和王権内部では内紛が勃発し、
神武皇統によるヤマトトトヒモモソヒメ(卑弥呼)の擁立なのである。
最終的には、神武皇統は、三巻入彦の代に権威も権力も両方を握る。
崇神天皇である。
918日本@名無史さん:2007/09/11(火) 16:17:43
最高権威・祭祀を行う:カムヤイミミ
最高権力:政治を行う:カムヌナカワミミ
919日本@名無史さん:2007/09/11(火) 16:18:39
古事記や日本書紀のあらすじはだいたい同じ。
それによると、天照大神は、伊邪那岐命から高天原を治めるように命じられる。
高天原の様子はみんな知っていると思う。

天照大神が岩戸から出てくると、高皇産霊尊(高木の神)が登場し、大きな
変化が起きる。出雲の支配、天孫である邇邇芸命の日向降臨。

邇邇芸命の子孫である神日本磐余彦(神武天皇)はやがて東征し、大和で
長髄彦を滅ぼし、初代の天皇になる。

このようにみてくると、高天原の位置はおのずからわかってくる。
出雲の平定や天孫の日向降臨があれだけ詳細に書かれているのに、どうして
古代に最も栄えた北部九州が登場しないのか。
それは、中北部の九州が高天原だったと考えると何の疑問もない。

つまり、記紀は、古代権力が西から東に移ったことを示唆している。
920日本@名無史さん:2007/09/11(火) 16:42:52
>>919
そうとは言い切れない。
むしろ、大和で誕生した思想だと考えたほうが良い。


>>895 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 03:14:21
高天原は実在の場所ではない。日本書紀ではただ単に「天上」とされている。
921日本@名無史さん:2007/09/11(火) 17:17:18
>>919

高天原は中国思想の影響による天上の概念だろう。

仮に、地上世界だとしても、高天原から日向に天孫降臨するときに、
サルタヒコが道案内をするが、サルタヒコは伊勢の国津神。
北九州から日向に降臨するのに、伊勢の神が出てくる必然性はどこにも無い。
つまり、天孫降臨自体が創作ということ。

北九州から朝鮮半島を結ぶ海上交易の神は宗像三女神だが、
宗像氏は、出雲神の嫡裔、大国主命の神裔として伝えられる出雲系。
北九州は、高天原から国譲りさせられた立場なんだよ。
922日本@名無史さん:2007/09/11(火) 18:33:00
ヤマトトトヒモモソヒメが祀った、三輪山の大物主は、大国主系の神様ですね。
大神神社の神主も祖を大国主としています。

大国主系の繋がりは、朝鮮半島〜北九州〜出雲〜畿内を結んでいます。
このネットワークは崇神天皇より前から出来上がっていたのは明らか。
大国主系は、天皇家とは別系譜です。

一方、天照という太陽神は、近畿中心で祀られていた地方神でしょう。
これは、天皇家の系譜です。

崇神天皇の頃は、大国主を祀っていたが、
壬申の乱の後は、太陽神を祀るようになった、というわけです。
ようするに、3世紀に九州〜畿内のネットワークを持ってたのは大国主で、
当時の天皇家は、大王ではなく、畿内中心の地方領主にすぎなかったわけです。

ここまでは、文献史学からもすでに判明してることです。
923日本@名無史さん:2007/09/11(火) 18:57:15
大国主は、出雲→古挑戦→チベット→タタール系 という悠久の歴史を経た古い古い神だろう
出雲系スサノオに関わる神話はアルタイ・オークニェフ文化のながれに関わりあると思う
924日本@名無史さん:2007/09/11(火) 18:59:10
3世紀の時代の邪馬台国が、大国主のネットワークに依存していたことは明らかです。
つまり、邪馬台国の範囲は、九州から畿内まで含まれていたはずです。

邪馬台国を構成する地方のクニが、
それぞれ大国主を祀る巫女を立てていたことは考えられるでしょう。
九州では、「卑弥呼」と呼ばれ、畿内では、「モモソヒメ」と呼ばれた。

「卑弥呼」は、九州の巫女だったか、畿内の「モモソヒメ」と同一人物か?
という研究が、今後の課題と言えるでしょう。
925日本@名無史さん:2007/09/11(火) 19:02:42

ということで、邪馬台国の所在地問題が、過去に終了してることを理解できましたかな?
926日本@名無史さん:2007/09/11(火) 19:09:46
>924
ネットワークとは具体的には何の共有もしくは伝達路を言ってるの?
927サガミハラハラ:2007/09/11(火) 19:17:46
>>925そうです。邪馬台国の所在地問題は佐賀県小城市甘木で終了しております。
928九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/09/11(火) 20:24:09
記紀は文字の無い時代の古代からの伝説伝承を基にして作り上げたもの。
どこまで信憑性があるか疑わしいまさに神話。ギリシャ神話などと似たり寄ったりの代物。
記紀に邪馬台国の記憶の片鱗も出てこないのは、邪馬台国が畿内とかけ離れて九州に存在していたから。
つまりこの二者は接点が何ら無かったからこそお互いに繁栄出来、そして畿内勢力が残った。
邪馬台国は滅ぼされたのではなく自然消滅だろう。ちなみに邪馬台国は甘木付近にあったと考えている。
929日本@名無史さん:2007/09/11(火) 20:27:26
>928
シュリーマンになって甘木の城壁を発掘してくれ
930九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/09/11(火) 20:44:23
シュリーマンのように金持ちのパトロンがいてくれればね。
931日本@名無史さん:2007/09/11(火) 20:46:35
東国原を動かせ
吉野ヶ里の様な遺跡が出ますよ、観光のメッカ宮崎がふかーつしますよ〜 って
932日本@名無史さん:2007/09/11(火) 20:50:16
>>928
いつのまに東遷説を捨てたの?
庄内式土器が北九州発祥だと涙目になってまでも強弁してたのにw
933日本@名無史さん:2007/09/11(火) 20:52:18
シュリーマンはトロイの遺跡なんか見つけてないんだけどね
闇雲にダイナマイトで爆破して、その上にあった重要遺跡を破壊して
トロイとは関係ない遺跡は見つけたが
934日本@名無史さん:2007/09/11(火) 21:00:10
「宋史日本伝」では神話時代を筑紫時代としている
記紀その他、知られている歴史書以外の資料も存在したはずである。
935日本@名無史さん:2007/09/11(火) 21:07:22
記紀は、大和にいる大和朝廷が作ったもの。
もし、高天原神話が事実を反映していないとすれば、思想的な創作であるとすれば、
天孫は大和に降臨するのが一番都合が良い。そこから全国に覇権を広げていくと
いうのが物語の筋としてもぴったり来る。

なのに、天孫は日向に天下る。そして、大和政権の発祥のために神武東征を
必要とする。これはいったいどういうわけか?

天皇家の先祖が西からやってきたことを示すことが、記紀の重要なモチーフに
なっているのは明らか。
936日本@名無史さん:2007/09/11(火) 21:26:30
「天皇家の先祖が西からやってきた」という仮説と、
邪馬台国の所在地は関係ありません。
937日本@名無史さん:2007/09/11(火) 21:42:41
>>936
皇室の祖先は西にいた。神日本磐余彦(神武天皇)以前の時代ということになる。
つまり、天照大神も西にいた。
天照大神=卑弥呼とすると、卑弥呼も西にいたということになる。
これについては、>>886を参照のこと。

日本書紀よると、大和にいた饒速日命は天神の子で、天磐舟に乗って高天原から
天下って来たとあるから、大和が高天原でないのは明らかだが。
938九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/09/11(火) 22:02:20
>>935
まあ、百歩譲っても「天孫は日向に天下る。大和政権の発祥のために神武東征を
必要とする」だけは削除できなかったのでしょう。
事情を知る長老とかに「しらじらしい!嘘をつけ!嘘を!」と、
大和起源を一蹴されたのかもしれん。

>>932 涙目はそっちだろう!
939日本@名無史さん:2007/09/11(火) 22:29:07
>>937

天照大神は、伊勢の地方神で、天武天皇が祀った神。
「天照大神=卑弥呼」という前提自体が根拠がありません。
高天原を九州とするなら、伊勢のサルタヒコが天孫降臨で道案内するのはおかしい。


反論できるものならしてみなさい。
九州説を唱えたいなら、もっと別な角度から文献を調べることだね。
940日本@名無史さん
「天照大神=卑弥呼」と主張する人は
日本書紀の神宮皇后のところに魏志が引用されてることについて
どう落とし前つけるのさw