【即位1500年記念】 継体天皇の謎 【応神五世孫】

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934日本@名無史さん:2008/06/30(月) 12:45:47
>て言うか継体天皇が応神天皇の五世孫とかではなく、
単なる北陸の馬の骨だという可能性が高いんじゃないの?


でも当時だと血統がものをいうだろ。
935日本@名無史さん:2008/07/01(火) 20:19:44
>当時だと血統がものをいう

そうでもない
936日本@名無史さん:2008/07/06(日) 10:05:31
北陸と半島との交流を考えたら、普通にオホト王は在日のオヤジじゃないのか?
937日本@名無史さん:2008/07/06(日) 10:31:30
黒岩重吾さんは継体に新羅人の血が混じっていると推測している。

母方は半島系か?
938日本@名無史さん:2008/07/07(月) 22:42:09
書紀の曖昧な記述と僅かな二次資料しか残ってない現在で継体朝の真実知るなんてムリムリ。ダメ元で今城塚掘り起こしてみっか?
939日本@名無史さん:2008/07/07(月) 23:01:18
五世代後だと、数千人は子孫居るんじゃね?
って事でかなり薄いし遠いけど、血族だろう。
だと俺は思う。
後の源氏とかも同じだろ?
940日本@名無史さん:2008/07/08(火) 13:05:57
継体の出自を伝える『上宮記』の成立が
推古朝に遡る可能性が指摘され(黛弘道「継体天皇の系譜について」
『律令国家成立史の研究』吉川弘文館、1982年)、
傍系王族説が再び支持を集めるようになった。
『上宮記』逸文が載せられている『釈日本紀』の記述内容は
「上宮記曰一伝」という文章があり、
『上宮記』の作者が別の史料を引用していることが判る。
ただ単に継体即位から1世紀後の推古朝の伝承を書いたものではなく、
さらに古い資料に基づき系譜を載せている。
941日本@名無史さん:2008/07/08(火) 20:25:01
薄いながらも大王家と血縁関係にはあったんだろうな。
942日本@名無史さん:2008/07/09(水) 04:17:33
継体(26代)は中継ぎだろ…
欽明(29代)が継体の子供と言うのはあやしい!
今の天皇家は欽明からだと思っているが…
943日本@名無史さん:2008/07/09(水) 08:43:16
欽明もなんとなく存在感が薄い人だよね。

欽明についての研究ってどうなっているんだろ?
944日本@名無史さん:2008/07/09(水) 13:47:45
その当たりから蘇我が出てくる。そして蘇我一族と天皇家との婚姻が頻繁化する。
しかし、実態は蘇我一族の近親婚だった…
945日本@名無史さん:2008/07/09(水) 18:02:54
黒岩重吾さんは

蘇我氏=百済の王族

説だったなあ。
946日本@名無史さん:2008/07/09(水) 23:51:06
欽明『天国押波流岐広庭天皇.アメクニオシハルキヒロニワノスメラミコト』この名に込められた意味は?書紀に記された業績とどうしても釣合わないと思うのは俺だけ?あと百済本記の辛亥年の「天皇及太子皇子倶崩薨」これに欽明はどう関わってるの?要は政変起こしたって事?誰かナイスな答ヨロシク。
947日本@名無史さん:2008/07/10(木) 07:53:21
>天皇及太子皇子倶崩薨


これが史実なのか伝聞に尾ひれがついたのかが判定できない。


欽明と蘇我の関係も詳細にはわかっていないと思う。
948日本@名無史さん:2008/07/10(木) 13:09:27
〜太子皇子倶崩薨、の後に続く「後勘校者知之也」こんな文章で結ぶなんて…書紀編者も相当引っ掛かってたというのは伝わる。
949日本@名無史さん:2008/07/10(木) 13:37:51
欽明朝に入り急に百済との通交が活性化し仏教が伝来し蘇我氏が急浮上するね。書紀編纂時には既に抹消された何かが継体崩御前後にあったのは間違いないが、これ以上は「後に考察した者が知るだろう」って言われてもねぇ
950日本@名無史さん:2008/07/10(木) 22:27:24
欽明の出自そのものがあやしいのかもしれないが、
今となってはわからないだろ。
951日本@名無史さん:2008/07/11(金) 03:14:31
>>946
「天皇及太子皇子倶崩薨」
やはり、継体・安閑・宣化の三人が同時に亡くなったと考えるのが落ちつくな。
そして欽明が擁立される。蘇我を後ろ盾として…
継体は息子2人と共に其処で途絶えたと見るのが自然かと…福井から樟葉、ヤマトに出向いて結局中継ぎの役割で終わったのではないかな。
952日本@名無史さん:2008/07/11(金) 03:34:52
>>947
>天皇及太子皇子倶崩薨
何故、継体親子を其処で途絶えさせたか?継体には王家の血統では無いという認識がやはりあったのでは(応神から引っ張るには無理が…)
欽明にその血統を意味付けさせたのが蘇我(深読み)
953日本@名無史さん:2008/07/11(金) 04:15:53
>>948
>「後勘校者知之也」
〜欽明が誰の子供か(手白香皇女が母だとしても)〜この秘密を永遠に隠す為には645年が必要だった。
954日本@名無史さん:2008/07/11(金) 04:32:17
ゆえに継体!
955日本@名無史さん:2008/07/11(金) 09:43:10
「元興寺伽藍縁起」「上宮聖徳法王帝説」で記されてる欽明の即位年って、書紀では継体崩御の翌年なんだよね。但し二書も何らかの作意を見る事も可能だが…
956日本@名無史さん:2008/07/12(土) 18:51:13
渡来人なのか
957唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/07/12(土) 19:06:42
墓標 袁本杼命/継体天皇 辛亥年2月7日82

西暦531 辛亥年継体は52才(82−30)位で死亡 
958日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:01:34
「手白香皇女」がこの場合は、王家の血統の鍵を握っていた事になるよな。
女系にて繋がっている貴重な事例ですね!
959日本@名無史さん:2008/07/28(月) 16:21:53
継体天皇は古事記の日本神話が全く関係ない事になるわけか!
桓武天皇5世の平将門みたいなものだな。
960日本@名無史さん:2008/07/30(水) 02:19:00
稲目と欽明は兄弟だとしたら面白いな!
稲目(506生)、
欽明(509生)。
継体の息子としても欽明は手白香皇女の子供、稲目は葛城一族との子供であれば尚面白い!
しかも稲目は欽明に2人の娘を妃にする。聖徳太子もそこからでてくるし、もち馬子も!
蘇我の系図は後作りだろし、あのタイミングで蘇我が欽明と一体になって、何故かそれは…継体の腹違いの息子説(遊び心です)

961日本@名無史さん:2008/07/30(水) 02:57:29
継体の即位が507年だから合わない。しかし当時はいつ生まれたかいい加減だから…
一層の事506年に18で亡くなった武烈の隠し子が稲目だった(公式には後継ぎは居なかった事になっているが)
〜蘇我は皇統より分かれたり〜
継体も宣化も無視できなかったので大臣に起用…
962日本@名無史さん:2008/07/30(水) 18:25:32
〜蘇我は皇統より出でたり〜
継体→欽明より蘇我の方が倭の五王の系統に近かったかもね!だから大伴や物部に対する怨みも尚更。
963日本@名無史さん:2008/07/30(水) 18:50:10
出でたりは推古の言葉だったね!〜朕は蘇何より出でたり〜
蘇我は皇統より分かれたりが本当がどうか!難しいな。
964日本@名無史さん:2008/08/01(金) 01:28:54
継体→欽明の謎は蘇我の謎!
それは日本史の謎。
965日本@名無史さん:2008/08/01(金) 13:32:04
>>948
百済本記が書紀の注釈でしか遺らぬ今では真相は霧の中‥
いや、書紀編纂時に既に霧の中だった様だな‥
966日本@名無史さん:2008/08/01(金) 14:05:49
注目しなければいけないのは

継体天皇の即位前後でも
大和王朝内部の権力構造は全く変わってないこと。
あいかわらず、大伴氏と物部氏が権力を保持している。

継体天皇から新王朝が誕生したのなら
こんなことは有り得ない。

つまり、継体天皇は、前天皇の傍系のものが継承したと
考えるべき。
967日本@名無史さん:2008/08/01(金) 15:06:44
>>966
解釈の問題だが
雄略時代に勢力を拡大した大王の直属の伴造系豪族(大伴、物部)が
それを維持するために大王にふさわしそうな豪族を旧大王家の女婿に
迎えたともできなくはない。
あの時代の大王の有資格者は記紀の系譜記事を信ずるか倭の五王系譜を
信ずるかで、そもそも畿内だけでも複数あったと考えられなくもないし。
武烈紀の平群粛清なんかは王位をめぐるどさくさでのものかもよ。
968日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:07:46
>>960
もう少し発展させて
「欽明=稲目同一人物説」
というのはどうだろう?
つまり「継体の直系」こそが蘇我氏(中大兄皇子なんかは傍流)で
大化の改新のクーデターを正統化するために蘇我氏を
歴史の片隅においやったと考えてみる。
969日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:31:05
なんか久しぶりにきたら
根拠らしきものさえ示せない妄想だらけになったか
970日本@名無史さん:2008/08/08(金) 02:40:30
羅生門(藪の中)
971日本@名無史さん:2008/08/14(木) 21:08:30
ここ進歩ないなー

 478年に、倭王武が南朝に漢の大将軍として表を送って
その宋が翌年崩壊したんだろ。 つまり、ここではじめて
呉越の帝のいない王国 倭が 生まれたわけだよ。
大変な混乱のなかで、 継体帝が出たんだな。
で、 越出身の王が 倭王として迎えられてまとまった。

こういうこっちゃな
972日本@名無史さん:2008/08/16(土) 02:02:16
甘いな!
973日本@名無史さん:2008/08/18(月) 19:21:32
継体の前の武烈って暴君と呼ばれているが10歳で即位して
18歳で崩御した子供に対して暴君呼ばわりはちょっとカワイソス。
むしろ周りの大人達のせいじゃないか?
974日本@名無史さん:2008/08/21(木) 03:01:24
武烈は消された!
〜死人に口無し〜
975日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:07:13
武烈が暴君とされたのは
継体の即位を必然化する方便ではないの?
976日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:02:29
本を読んで勉強したいのですが、
今の時点で最も信頼できる本はどれでしょう?
とりあえず、文春新書のやつを読んでみようと思うのですが、他にありますか?
977日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:45:27
>>976
基礎知識を得たい初心者にはおすすめだよ。>文春新書のやつ

上宮記系譜に関する部分はあまり鵜呑みにしないほうがいいと思うけど。
978日本@名無史さん:2008/09/02(火) 18:42:10
そろそろ次スレを。
979日本@名無史さん:2008/09/04(木) 11:09:32
次スレ

【珍説開陳】継体天皇に関する真実【定説打破】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220494008/
980日本@名無史さん:2008/09/05(金) 08:54:56
じゃぁ、こっちは埋めよう
981日本@名無史さん:2008/09/05(金) 10:03:56
>>967
そりゃ、桓武の時代でさえ、あの有り様ですからねえ。
継体の頃はもっと直接的なゴタゴタがあっても不思議はないでしょう。
982日本@名無史さん:2008/09/05(金) 10:26:57
どの有り様?
983日本@名無史さん
>>981
井上内親王と他戸親王の死去に伴う天武系の断絶。
光仁天皇を呪詛の嫌疑→廃后&廃太子→幽閉→死去。
その後山部王(桓武; 天智系)の立太子。