つうか箸墓、骨の欠片ぐらいは残ってるよね?
分析すりゃあ性別ぐらいは一発で分かるべ?
(ヒ○コかどうかは別にして…)
それとも宮内庁が待ったをかけるのかな?
ぶっちゃけ宮内庁は考古学の癌
>>932 来年度ってことは今年(2008)の4月ぐらいか?
まぁ何にしても国がやっと金出す気になったのは嬉しいことだ
古代史研究もこれで少しは進むかな
936 :
日本@名無史さん:2008/02/09(土) 23:30:37
>>933 >骨の欠片
盗掘されていたら、確実に残ってないだろうね。
6世紀の未盗掘でも残ってないんだから。
甕棺や濠から出てきたのって、あれ奇跡的なことなんだよ。
なんで骨なんか取ってたんだろうな盗賊さんは
>>936 えええっ!
んじゃあ文字通りものけのから?遺物はゼロ?
いや実は壁が二重で…って事はないかw
骨は盗らないよ。
盗掘抗が開くと内部環境が劣化して腐敗等が進み何も残らなくなる。
現代版の「盗掘」として高松塚を見ればわかるでしょう。
予算を掛けていろいろと対策を講じてもあーなっちまうんだよ。
うーん、、、ネアンデルタールの化石からDNA抽出したり
最近じゃあ北朝鮮から送られてきた火葬済みの骨の灰からでもDNA情報取れたって聞いたが…
腐敗ってそう言う情報自体破壊されるんかね?
941 :
ローガン:2008/02/10(日) 00:12:26
土壌的に、奈良県では骨は難しいのではないでしょうか?
よっぽど条件が揃わないと残らないって思います。
942 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 02:03:10
そう言えば「○○媛陵」ってされた全長200m以上の前方後円墳とかも
幾つかあったと思うけど…
被葬者が女性って確認された事例ってあるんですか?
944 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 03:08:01
>>943 ありがとうございます。
でもやっぱ畿内のだと宮内庁の認可とか降りなくて事例無いんでしょうかね。。
邪馬台国=大和国。首都は纏向遺跡のあたり。
もう、すでに決着はついているけど、
邪馬台国論争が沈静化すると、発掘資金を捻出できなくなるから
そういうことは言えないわけで。
邪馬台國=やまと国=大和國
卑弥呼=媛命=倭迹迹日百襲媛命(7代・孝霊天皇の皇女)
台与=豊=豊鍬入姫命(10代・崇神天皇の皇女)
狗奴國=この国=許乃國(京都の宇治)
卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命(8代・孝元天皇の庶子)
拘右智卑狗=こうちひこ=河内彦(武埴安彦命の生母が河内彦の娘)
>>911 極端な意見だな。鉄を軽視し過ぎだよ。
貴重で、のちには貨幣として使用されたくらいなんだから。
ヤマト朝廷が半島に拘り続けたのも、半島の鉄を重要視したからに他ならない。
鍛造技術が稚拙で武器としてはまだまだでも、日常生活や土木工事には
重要だっただろうし。
卑弥呼が公孫氏に属したり、魏に遣使したりするのも、要は半島の鉄を安定的に入手するためであった
と考えるべきだろう。
マキムク王権にしろ、運河やら大規模古墳に鉄器は使用しただろうし大幅な需要増。
ホケノの鉄器副葬などからも、マキムク成立のおおきなファクターとして「鉄」を考えるべきかと。
鉄で筑紫>大和が古墳時代以降も続くのはそうだが、ヤマト王権は鉄ルートに
存在する首長たちに三角縁を配布したりしてるし、また庄内以降、画文帯など
大陸系の文物が畿内で沢山見つかることからも、ヤマト王権は対半島ルートを押さえていたと
考えた方がいい。ただ筑紫から奪取した訳じゃなく、共存したと考えるべきだろうけど。
947 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 00:51:59
卑弥呼は三輪で太陽祭祀をやっていた巫女でマチガイナイ!
三輪に神坐日向神社(みわにいますひむかいじんじゃ)と言うのがあるが…
みわにいますひむかいじんじゃ
↓
三輪に居ます ひむこ 神社
↓
三輪に居ます 日の巫女 神社
↓
三輪に居ます卑弥呼神社
↓
バンザイーイ!バンザーイ!
>>947 そんなこというと日向国が…といってみるw
949 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 02:28:34
>>911及び
>>946を読んで…
確かに鉄の重要性は変わらないだろうけど
あまりに過大評価と言うかそれのみで他のファクタ考えないのも不味いかなと反省w
考えてみりゃ鉄を知らずに巨大帝国築いた文明は幾らでもあるし
古代ヒッタイトはエジプトを滅ぼす事はなかったわけでwww
じゃあ大和の勢力拡大は如何なるファクタによりなし得たのか?
俺みたいなのには良く分からないけど、、、
『 三輪朝に無くて河内朝にあったもの 』がその答えのような希ガス。
まあスレチガイだけどw
>>949 そうだよなw 古代ヒッタイトは
それを武器に世界を征服したわけではないしなw
結局、古代ヒッタイトよりも鉄の導入が遅かった国に
逆に消されていったわけだしw
951 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 03:23:42
オオヒルメムチムチ
ムチってどういう意味?何語なの?
貴という字をあてるね。おそれおおいとか、えらいとかいう意味じゃないかな。
でも「ムチムチ」は違うだろう
ムチムチってなんかエロいな
>>947 「ひむか」っていうのは、宮崎の古代の呼び名。宮崎の北・中部辺りをさしてる。
その後「ひゅうが」に変わり、「宮崎」になる。
ちなみに「宮崎」っていうのも「宮」がある場所って意味だが。
古来から近年まで朝廷も政権も日本書紀を信じて宮崎のほうを神の来た場所と
あがめてたんだよ。だから手近い場所につくるんだよ。
日向市の海岸に「伊勢」という地名があり、大御神社というのがある。これが
鎌倉時代から歌われたさざれ石の石群があり、伊勢神宮の元になった宮では?
と地元ではいわれているが。
>>946 >ヤマト王権は対半島ルートを押さえていたと考えた方がいい。
>ただ筑紫から奪取した訳じゃなく、共存したと考えるべきだろうけど。
それはそうだろう。
「畿内が筑紫から交易権を奪取した」とか極端な話ではなく、
畿内も、筑紫と同じように、半島との交易を行なうようになったということ。
イメージとしては、室町期の堺(細川)vs博多(大内)みたいなものか。
956 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 00:18:34
鉄器の所有数の逆転があって畿内と九州の勢力の逆転があったというより
むしろその逆なのか…
勢力の逆転があってその結果畿内に鉄が大量に流れ込んできたと…
なんか「鶏が先か卵が先か」みたいな話だけどw
考古学の調査じゃあそうなっちゃうんだね。
鉄が軍事・国力にそれほどの決定力を持つのなら、逆に九州が西日本の大半を押さえる
一大帝国築いていなきゃならん訳だしw
(まあその考えが東遷説って奴なんだろうけどw)
957 :
ローガン:2008/02/13(水) 00:47:11
素人の考えですが、大和や河内は、「遺跡」になる前にすぐ後から後から人が住んだため、良好な遺跡が比較的少ないのではないでしょうか?
私は大阪ですが、地元では以前、ほんの5cm掘っただけで土師器が出たそうです。
もし、鉄製品であれば、他に流用された可能性が他の地域より多いのではないか?なんて考えたりします。
根拠のない孟宗竹ですが。
958 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 03:12:54
しかし、もし箸墓から倭人伝の言う殉死者100人(奴婢百余人)の骨とか出たら
…たいていの日本人ドン引きだろうなwww
墓の周りに人を生き埋めにするのは古代中国の風習だろ。
古墳の周りから人骨がゾロゾロっていうのは
九州の古代の古墳ほうがありそうだ。
畿内勢力が大陸との交易を行なう場合、瀬戸内海航路の安全を保障し得るような、
大きな権力の存在が必要となってくる。
平清盛、足利義満、豊臣秀吉などがその例。
マキムク王権は、そういった時代の要請により誕生したと考えるべきだろう。
巻向には水洗トイレの跡があるってほんとかい?
962 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 23:44:11
搬入土器の中に入っていた物って何なんですか?
ぶっちゃけ西から東へは半島・大陸の鉱物資源等想像し易いんですが
逆に東から西へ流れた物資ってなんだったんだろう?
東海系が突出して多いそうだけど・・・うーん海産物(干物)系?
963 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 23:47:12
食器、炊飯器の類がほとんど。
後期になると一部祭祀系土器も混じる。
964 :
962:2008/02/18(月) 01:06:17
>>963 ありがとうございます。
そっか出張か出向みたいだなw
>ALL
それはそうと自分みたいな初心者に
「巻向についてこれだけは読んどけ」
ってお勧めの本てありますか?
>>963 >食器、炊飯器の類がほとんど。
そんなんでは、わざわざ遠方から搬入する意味がないのでは?
966 :
日本@名無史さん:2008/02/19(火) 00:42:14
>>965 ある程度は身分の高い人物らが移動したって事じゃない?
食器等まで運ばせるんだからそれを運搬する従者(?)みたいなのが居たんじゃ…?
持ってきたんじゃなくて作ったんだと思うよ。
>>967 どうなんでしょ。
弥生の頃から土器は結構運ばれてますし。
それら全てが外来系在地生産、ってわけでもないでしょう。
そうすると、弥生土器の地域性を否定することになりますし。
「土器はなぜ運ばれる」って疑問が素直にあります。
話の流れ無視で悪いけど、研究が進めば「弥生・古墳・飛鳥」といった時代区分も変わってくるのでしょうか?
塩、酒、油脂類なんか運ぶのに薄地の壺などを使うことはあるでしょう。
また、生活土器なんかは、適当な土と簡単な窯があれば作れます。
外来集団が、出向先で出身地の様式の土器を作ることも不自然ではないかと。
971 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 00:50:38
使用された粘土の成分でそこらへん解からないの?
てか現地巻向で造られたなら「搬入土器」じゃないしw
972 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 00:54:51
>>969 うーん、どうなんでしょ?
そう言った時代区分の名称は変わらないんじゃね?
ただその時代が何時に始まったかと言う絶対年代(暦年代)が変わるんじゃね?
弥生→土器、古墳→墳墓、飛鳥→都を名に冠した時代名に
そもそも無理がある
古墳までは考古学的区分、飛鳥から江戸までは政治センターの区分
らしいな
>>973 それを言うなら縄文→土器特徴、弥生→遺跡名
だから最初から無理を承知で使っているんだろう。
>>970 庄内式以降は、その薄さが画期的なわけだから
それまでの簡単な窯では作れない。
土師器になると、さらに専用の窯と知識が必要になる。
>>971 解っているものと、調査中のものがある。
それと注意深い人は、搬入土器ではなく外来式土器と表記する。
纏向で出土した東海系などにも、搬入もあれば現地生産も外来式もある。
じゃ、仏教伝来までは弥生時代継続で、以降は平安遷都までを大和時代。
そもそも飛鳥時代って区分が無理ある気がするな。
何でわざわざあそこで分けるの?
○○は弥生土器か土師器か?
みたいな議論は今現在はどうなっているのでしょうか?
>>977 あれは飛鳥・白鳳という仏教文化の伝来が顕著になって
それまでとは明らかに変化したから。
その結実が平城京であると言う見方は普通だと思う。
平城にしても、新文化勢力の支配が磐石のものになったと見えて
そこから50年も経たずに、さらに新しい文化に侵食されるけど。
980 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 21:51:48
>>970 >また、生活土器なんかは、適当な土と簡単な窯があれば作れます。
>外来集団が、出向先で出身地の様式の土器を作ることも不自然ではないかと。
あくまで出向なんでしょうか? 移住ではなくて?
982 :
日本@名無史さん:
奈良女子大学COEで都市の成立っていうシンポジウムがあってマキムクの話もあったらしいけど、誰か行った人いる?