普通にお礼なんだけどな
すぐ自演とか書く奴の神経がわからん
大勢としては6世紀中頃(欽明朝)をニギハヤヒ神話の成立期とみなす説が有力なんだな。
大伴氏が失脚して、大連は物部氏だけになって勢力を増したとか、
そのあたりの事情を勘案してるんだろう。
石上麻呂といえば、むかし直木孝次郎が、壬申の乱の最終局面で大友皇子の首を刎ねて
天武に従ったのが、神武東征の最後に長髄彦を殺して神武に帰順したニギハヤヒに似ているとかで
壬申の乱の麻呂の行動をもとにニギハヤヒ神話も作られたとかいってたような気がする。
あまり支持を得られなかったみたいだけど。
篠川の説もどうなんだろうな。
去年の歴史読本旧事紀特集とか読んでると、国文学の研究者も頑張ってるみたいだし、
史学だけの成果では限界もあるような気がする。
729 :
日本@名無史さん:2009/07/19(日) 20:46:51
ながすねひこ ⊂ シュメール
ニギハヤヒ ⊂ ユダヤの一種族
ニニギ ⊂ ユダヤの別種族
うましまじ(物部) = シュメールとユダヤの混血
ユダヤは母系社会、母親がユダヤ人であればその子はユダヤ人
壬申の乱はユダヤと中国系との戦い
藤原は中国系
730 :
728:2009/07/19(日) 21:41:23
ごめん、直木説は壬申の乱じゃなくて、継体天皇の大和入りだったわ。
やはり反映説はダメだな。類似点さえあれば何でも有りになる。
もっと伝承の形成過程を段階的に分析するようなやり方じゃないと…
物部氏は偉大な建国御三代(スサノオ→ニギハヤヒ→ウマシマジ)の直系であるため電波は常に沸いているが、古代史最大の電波は古事記・日本書紀であることを忘れずに。
記紀は信用できない、といいながら
記紀に載ってる神(人)でしか古代史を再構築できない人って
なぜ多いんだろう?
まぁ文献に出てこない神様をオリジナルで命名したところで、
誰も話を聞いてくれないのだろうけれども。
言う者は知らず、知る者は言わず。
734 :
日本@名無史さん:2009/07/22(水) 21:17:00
高句麗の建国者朱モンの子はオンソとフル、オンソは百済を建国、
石上神宮のご祭神はフルの御霊
735 :
日本@名無史さん:2009/07/23(木) 16:47:43
>>728 記紀は16世紀に成立説はどうだろうか?
祟神は織田信長の焼き写しで四道将軍は
北陸: 大彦=柴田勝家
山陰:丹波道主=丹羽長秀
山陽:吉備津彦=羽柴秀吉
東海:武淳川別=滝川一益
秀吉→サル→桃太郎のサル(前田→犬千代→イヌ、雉が坂→キジがさか→キジ)→吉備津彦
滝川→たきがわ→たけかわ(武川)→たけぬなかわ→武淳川別
徳川家康→建埴安彦
明智光秀→吾田媛
徳:TOKU
母音を一つずらす(A→I→U→E→O→A)
健:TAKE
建=徳川
『いへ』やす=《はに》やす
『い』ろ《はに》ほ『へ』 『いへ』→《はに》
埴安=家康
明智 あけち
吾田 あたひめ
本能寺の変=建埴安彦の乱
神武東征神話の成立期は幕末〜明治と見なす説が急浮上
徳川氏が失脚して、薩摩長州の勢力を増したとか、
そのあたりの事情を勘案してるんだろう。
せめて現存する写本よりも古い時代でやってください。
豪族が殺された事に関して触れないの?
739 :
日本@名無史さん:2009/08/18(火) 23:22:06
>734
2文字の洒落はヨシモトでもやらんぞ。
せめて3文字は入れろ。
741 :
日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:46:48
>>740 内容は知らんが、
物部氏は4世紀以後からだろ。
それ以前に物部氏がどうしたこうしたと書いてる本は信用に足らん。
アラハバキ
鉄のプロもののべ
ニギハヤヒもアラハバキもトンデモ電波のオモチャにされて気の毒。
みんなの頭の中で物部守屋ってどんなイメージ?
大阪府八尾市の大聖勝軍寺にある守屋公木像は非公開だし、まんがイメージ(長身痩せ型のロマンスグレー⇔蘇我馬子は太ってて醜い)しかない。
漏れ的にはアンドロメダ艦長↓を痩せさせた感じ。
http://www.youtube.com/watch?v=7o329kcZQEI 時代遅れの大艦巨砲主義と、伝家の宝刀・拡散波動砲発射!【物部の布都御魂大神(スサノオ)の矢!】と叫んで、最終的にやられてしまうところもそっくりな希ガス。
746 :
日本@名無史さん:2009/10/12(月) 17:50:42
>>744 物部氏の氏神、石上神宮(奈良県天理市)の御祭神
主祭神=【布都】御魂大神…スサノオの父(フツ)
【布都斯】御魂大神…スサノオ(天王)
【布留】御魂大神…スサノオの子(ニギハヤヒ)
宇摩志麻治命…スサノオの孫(山王)←物部氏初代
原田常治も自分の妄想がこんなに広まるとは思っていなかっただろうな・・・
物部守屋「(刀を腰に下げた太った馬子を見ながら)まるでふくら雀を刀で串刺しにしたようだw」
VS
蘇我馬子「(緊張で震える守屋を見ながら)あの刀に鈴を付けたら、さぞいい音がするにちがいないw 振るべ振るべゆらゆらと振るべとw」
後に天下をとった天皇家や藤原氏が、厩戸に「日出ずる処の天子」(九州王朝の大王)や馬子の「憲法十七条」「冠位十二階」という他人の功績を被せて、「聖徳太子」と喧伝しているのは、
蘇我入鹿を悪役に仕立てるためと言われてるけど、本当は厩戸が(自分たちにとって目の上のたんこぶだった)物部本家(守屋)を滅ぼしてくれたからジャマイカ?
その後、物部大王家ほどのブランドバリューがない新興の蘇我大王家(入鹿)を消して、まんまと王権を手に入れることに成功したわけだし。
だから自分たちの天下取りの前準備をしてくれた厩戸を聖徳太子として粉飾。
「聖徳太子」の子孫を名乗る者が皆無なのがその証拠と。
そうなると天皇家は蘇我氏から皇位簒奪したことになるなw
>>750 おお、サンクス。宝田守屋の七支刀(E)。レプリカ欲すぃな…
754 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 20:40:25
ふうん
>>717 大和土着の長脛彦族に婿入りしたのは、先発天孫族ニギハヤヒの方だろ。そして四世紀なかばに
後発天孫族の天皇家の協力者というか臣下になったのだろ。
”物部氏の本拠地は、纏向の北方石上にあった。かれらは、大和朝廷成立以前から
その地を治めていた豪族であった。四世紀なかばに物部氏は大王に従った。そして
大和朝廷の全国支配の有力な協力者となった。
物部氏と大王が結びついたときに、「鎮魂」という祭祀がつくられた。「みたま」と
呼ばれる三輪山の神の力は、太陽の光が最も弱くなる冬至に・・・・・”
地図で読む日本古代戦史 平凡社新書272 武光誠 2005/05 p51
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=85_272
とりあえず鉄を握っていた
日本のヒッタイトなんだろ?
757 :
日本@名無史さん:2010/02/21(日) 09:36:54
ほほー
758 :
日本@名無史さん:2010/02/21(日) 19:12:23
中世の長門国守護、厚東氏が物部守屋の末裔だったらしいけど、どの程度、信憑性があるのかね?
759 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 20:44:30
スピリチュアルとか言って既存の信仰を歪めていくのって
気持ちが悪いよね
761 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 00:00:19
へえ
762 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 22:18:15
まじかよ
763 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 22:25:23
海部、尾張、吉備、宇佐、
これらは物部氏族らしい。
越智もそうかも知れない。
764 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 22:34:14
【聖徳太子は蘇我馬子であり、
物部の大王であった】
聖徳太子は天の(海部)タリシヒコである。
日本建国の秘密を封印し、自らの存在も封印した。
765 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 02:58:52
箸墓=卑弥呼の墓としよう
何故、ハシ墓などと呼ばれている?
ハニシからきたものではないのか?
何故菊花紋が使われている?
何故土師は河内(物部とお隣)を陣取り、何故岡山、北九州を陣取っている?
彼らは天皇同族、あるいは古来の王だった可能性は?
河内は天皇の近親者もしくは非常に強大な勢力が陣取るものだと思っていたが?
家紋も本来斧付菊花紋だったようだが?
あまり注目されていない氏族だけに、おもしろいかと思い今調べ中です
土安彦との関連性はあるのだろうか?
何故、卑弥呼の墓とも言われるハシ墓古墳はハシと名づけられているのか?
何故、出雲臣と同じく天孫に分類され天穂日命が祖とされているのか?
なぜ菅原道真は左遷させられたか?
物部と土師は似たような地域に分布している
筑後川流域、吉備、河内を押さえている
どちらも同族しか携われないだろう天皇祭祀に関わっている
武系天皇までの活躍が目立つが、武系=古来からの正当な王家=出雲系、中大兄系が国譲りを称し祟りを恐れる半島系
同族でもない乗っ取り半島系を祭れないわな
この視点新しいだろ
祭りに関わる者から、系統がすげかわったことを間接証明する方法
766 :
日本@名無史さん:2010/04/27(火) 13:13:18
11月22日、宮中で天皇陛下自らが行う鎮魂祭は、物部系の物部神社(11月24日)、石上神宮、弥彦神社でも行われてる。
この「鎮魂」こそが、天皇制を理解するキーワードとなる。
現在、「鎮魂」という単語は、鎮魂歌(レクイエム)ですっかりおなじみのように、「慰霊」という意味で使われているが、
初代・宇摩志麻遅命が創始し、現在に至るまで物部氏が司っている「鎮魂」というのは全然違う意味で、
死者の魂を生者の肉体に鎮める(注入する)という意味なのである。
具体的にいうと、大和朝廷初代大王&物部氏の始祖であるニギハヤヒ(大歳、布留御魂大神、大国魂大神…etc)の霊魂(天皇霊)を、
天皇陛下の身体に鎮める(注入する)という意味なのである。
鎮魂=天皇霊を天皇陛下の身体に注入すること
天皇陛下=ニギハヤヒの霊の肉体的な憑代(よりしろ)
鎮魂祭=天皇陛下がニギハヤヒになりすます祭
国民は天皇陛下の肉体を通してニギハヤヒに平伏しているわけである。
つまり毎年鎮魂祭をやらなければ、天皇霊(ニギハヤヒの霊魂)を注入されていないのだから、天皇陛下はただの「ニコニコおじさん」なのである。
767 :
日本@名無史さん:2010/04/27(火) 13:25:57
逆に言えば、
おまいらでも、世間が認めてくれて、十種神宝で鎮魂祭さえやってもらえば、11月23日から天皇陛下なのである。
ニギハヤヒの天皇霊を身体に宿してるわけだからw
前方後円墳の上で行われていた首長霊の継承儀式も、先代首長の霊魂を若君の肉体に宿らせるためのものなのかな?
後円部で取り出した首長霊を、前方部で待つ若君の身体に移すための祭祀、それが物部古神道の本質、みたいな?
ヤマト朝廷を6段階に分けるとすると、物部氏の歴史はこんな感じ?
祖王朝(ニギハヤヒ)→王権中枢
先王朝(神武朝)大和→初代ウマシマジが臣籍降下、古墳(王権)祭祀を担当する物部氏を創始。
古王朝(祟神朝)三輪→朝廷の軍事も担当し始める。本拠地・石上神宮=朝廷の武器庫となる。
中王朝(応神朝)河内→?
新王朝(継体朝)近江→九州筑紫磐井を平定→守屋、蘇我馬子に敗れる。
現王朝(天武朝)→石上氏(分家は穂積、鈴木など)と改称する。
学者先生たちの言ってるのをまとめると、物部氏の歴史はこんな感じ?
五世紀前葉→河内で氏として組織される
五世紀中葉→大和に進出。石上神宮の祭祀はじまる。
五世紀後葉→雄略朝下で執政官を出すようになる。
六世紀前葉→磐井を平定。九州などに部を多数設置。瀬戸内海沿岸に分布を残す。
六世紀中葉→大伴金村の失脚により全盛期。
六世紀後葉→蘇我氏と権力闘争。敗れて衰退。
七世紀前半→依網氏がマエツキミとなるも低迷。
七世紀中葉→孝徳朝に宇麻乃登場。復興物部氏。
七世紀後葉→麻呂登場。このころ穂積氏が同族化。石上氏の時代へ。
>>741 >物部氏は4世紀以後からだろ・・・・
称した時代以前にも、その氏族の先祖は実在していたのだから、
その有り様を考察するのは別段不適切ではないと思うがね。
前スレでニギハヤ族と仮称しようみたいなことを言い出した人がいたけど、
誰一人として賛同しなかった。
あのころは住人も大勢いたのに。
ちなみに今一番有力な見方だと、部民制の成立は六世紀前半だから、
「物部」の呼称もそれと同時に生まれたとされるはず。
どうせはっきり線引きなんてできないんだから、
五世紀も物部氏と呼んでいいんじゃない?
四世紀は原集団自体が存在していたかどうかが立証されていないから何とも…
北九州・邪馬台国傘下の奴姐国(現在の大分県)出身の神武・祟神朝の歴代大王は、物部氏から后を貰っていた。
このことは、大和の大王ニギハヤヒと物部氏が王権中枢を担っていたことを示すのではないか?
物部氏ってニギハヤヒの落胤?直臣?どっち?
物部氏が崇めていた神が祖先化した
776 :
日本@名無史さん:
蘇我が物部たたきつぶした戦いって信貴山?