【古墳から】畿内王権生成史の謎【律令まで】3

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409日本@名無史さん:2008/03/24(月) 23:07:42
ちなみにこの寺があったとされる奈良市狭川町と同じ狭川がはいる上狭川城と下狭川城という城もあった
410日本@名無史さん:2008/04/21(月) 22:53:45
あげ
411サガミハラハラ:2008/06/13(金) 22:34:08
貴重なのであげ
412日本@名無史さん:2008/09/02(火) 16:55:58
んもお
413日本@名無史さん:2008/10/12(日) 07:17:49
面土国(吉野ヶ里)東遷なんてのを言ってるやつは居ないのだろうか
414サガミハラハラ:2008/10/13(月) 09:06:30
倭面土国は、糸島から博多にかけてあった国です。
倭は古くはイと発音していました。よってイメンドが正しいです。土は古くは奴の字で表記されましたが、この時代(AD107)には土で登録されたようです。(よってイメンド国の成立は新しい)
ドは国をあらわす言葉ですので、国名はイメンです。
メンは博多訛で前の転訛です。お前、手前がオメエ、テメエとなるわけです。
イは倭のことで、イマエは倭の前にあたる国ということになります。
中国中心ですから、中国に向いているところが前となり、糸島博多がうまく合います。
国王の元帥升はシュセンと発音します。これも博多訛です。サシスセソはシャシィシュシェショと訛ります。
よってスセン王となります。糸島に周船寺(スセンジ)があり、このスセンはこの王の名が地名として残ったものです。
415サガミハラハラ:2008/10/13(月) 09:21:52
上記の元帥升は帥升の誤りです。
かれは、記紀に登場するホスセリ命です。(ホは美称であるから、スセリであり、訛ってシュシェリで通訳はシュシェンといったのを中国の記録者はシュセンと聞き取った。)
このことから、天孫降臨は1世紀の出来事であったといえる。
416夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/10/13(月) 22:13:14
>>414
お久しぶり。
個人的には、あくまでも倭面土国は「倭の面土国」。
吉野ヶ里遺跡を王都とする国だったと考える。
後の「米多国」。
417日本@名無史さん:2008/10/14(火) 21:56:00
「倭面土」は「ヤマト」ではなく、「イツメト」である。
「倭」を「ヤマト」と読むのは「ヤマト」が倭国の代表になったからで、
昔はかつての倭国代表「伊都国」にちなみ「イツ(Itsu)」と読んだ。
「倭面土」は「倭の面土」つまり「イツメト」である。
伊都国との勢力争いに勝った面土国は、のちに今の大和へと東征する。
そのとき引き続き「イツメト」を国名とし、それが訛って「ヤマト」となった。
つまり「倭面土」が大和なのではなく、それが訛って大和となったのである。
418日本@名無史さん:2008/10/16(木) 16:29:49
大和王権の重層構造

前方後円墳を見ると良く分かるのだが、
古墳の周りに周溝を掘っている、これは大和に昔からある
方形周溝墓を踏襲している。
葺石、これは出雲の四隅突出型墳丘墓の影響。
鏡・剣・玉等の副葬物、これは筑紫の影響。
突出部と埴輪、これは吉備の大型墳丘墓の影響。
古墳時代中期からの副葬物の武具馬具化は百済の影響かもしれない。
日本神話を見ると、
もともと長髄彦が大和に国を築いていた所へ、
出雲系とも伝えられる饒速日が来て王になる。
その次には九州から神武天皇が。
崇神朝は吉備を平定した。
応神天皇は九州から大和入りしている。
一部には「応神天皇以前は全て架空だ」とする人間もいるが、
こうしてみると、そういう事は無い。
419日本@名無史さん:2008/10/16(木) 17:05:38
別に征服した地域のよいと思った技術風習取り入れていっただけだろ
420日本@名無史さん:2008/12/26(金) 13:44:09
畿内王権、特に大和を中心に考えた時、

唐古・鍵、坪井
纏向・柳本・大和
佐紀盾列、巨勢山
百舌鳥、古市
明日香

こういった遺跡群の時代変遷は何を物語っていると思いますか?
421日本@名無史さん:2009/02/01(日) 22:12:08
422日本@名無史さん:2009/04/17(金) 07:09:50
上に参ります。
423日本@名無史さん:2009/05/14(木) 22:46:22
創価大学
424日本@名無史さん:2009/05/31(日) 09:00:39
前方後円墳=男性器ってのは
なんかタブーなのか
425日本@名無史さん:2009/06/29(月) 02:32:01
そもそも皇族が埋葬された事が確定してる古墳ってあるの?
古墳を築造した文化を持つ豪族達と、
それを征服した後の大和政権につながる勢力って別系統だよね?
426日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:19:20
んなあこたあない。
427サガミハラハラ:2009/10/14(水) 23:53:43
>>424
タブーどころか全然関係ありません。
>>425
いいえ古墳築造は大和政権がはじめたことです。
428日本@名無史さん:2009/10/15(木) 00:11:26
>>418
それらの地域を畿内勢力が征服して文化を吸収しただけ。良いものを取り込むのは日本人の気質なのだろう
出雲のスサノオは古代出雲が楽浪郡とつながっていたからむしろ征服を強調するためのものだろ
新羅に天下った、つまり高天原である葛城から一旦移動したのも新羅がやはり倭人の影響を強く受けた国で
ある証左なんじゃないか
429サガミハラハラ:2009/10/15(木) 00:16:53
確かに新羅は倭人の影響を強く受けた国ではあるが、スサノヲは新羅にいったがおいだされたようであるが。
430日本@名無史さん:2009/10/15(木) 09:08:56
古墳=前方後円墳っていう狭義の「古墳」用法はやめて欲しい。
431日本@名無史さん:2009/10/15(木) 22:44:52
430と同じ。
古墳には、上円下方墳とか、双円墳、帆立貝式とか、四隅突出墳とかあるのにねw

八角墳とか、古墳じゃないと思う。7世紀中頃だろ。
432日本@名無史さん:2009/10/18(日) 05:37:06
新羅でろくに仕事をしないスサノヲが倭に追い出され、近江の女王の屋敷きに転がりこんだ
スサノヲが初めこそ大人しくしていたものの、女王に手を出し、その子供のうち女の子の所有権
を主張するようになった。女王の亭主面を始めたスサノヲは我儘が通じると思い狼藉をし出す。
自分の言うことを聞かない連中に獣の生皮を投げ込んだり糞尿を撒き散らしたりしたため
その苦情を寄せられた女王は鬱状態になり政務を放棄、結果スサノヲは袋叩きに会い出雲に追放された
進退極まったスサノヲは出雲では素直に国津神の命令に従い、治水・土木業務に回されたが
国津神はスサノヲの血筋を慮り、地位と居住区と姫を保障した。幸い治水・土木業務は大きな
成果を治めたためその功績をスサノヲのものとし、自然(=神)と渡り合ったスサノヲは神格化される。
同時に既に幾多もの荒くれ現地人たちの親分格となっていたスサノヲは居住区を城砦化、
絶大な政治的影響力を持つ存在となった。
433日本@名無史さん:2009/10/18(日) 08:32:34
小説におかきになったらよろしいかと。
434日本@名無史さん:2009/10/18(日) 09:03:00
>>433
記紀が小説ならこんな感じで現代語訳されるわけで
国譲りの内実もこの辺りから明らかにしていかないとスレタイに申し訳ないwww
435日本@名無史さん:2009/10/18(日) 11:35:28
小説でいいのなら帥升は九州の豪族であり九州の王にしか過ぎなかった。中国も
半島南部から九州までしか認識していなかったため倭人最初の王とされたが畿内
では物部氏の治める勢力が着々と規模を拡大しており日本海側に基盤を築いて
いった。その権力構造は比較的地方分権的で意思決定は有力豪族の長老会議
で決められた。そしてあるときその勢力下の越から半島に移った人が有力者を補佐
して国を作らせたのが新羅だが?婁との権力争いに敗れ日本に戻る。そのご山陰
方面に攻め込み意宇の地に熊野大社を作り征服を強調した
436日本@名無史さん:2009/10/18(日) 18:22:32
>>435
誰が いつ どうして を入れろよ。
可哀想な独り言になってるだろ。
437日本@名無史さん:2009/10/23(金) 14:00:14
物部王朝ってほんとにあったのか
438日本@名無史さん:2009/10/23(金) 20:37:19
ニギハヤヒがそうなんじゃね
そうじゃなきゃ大物主系列か
439日本@名無史さん:2009/10/24(土) 11:50:37
宗教権力が世俗権力を凌駕することは別段特別なことではない。弥生人が渡来してきた
時点で縄文人国家が成立していたのなら弥生人が女性のDNAしか伝えていない事の説明
も付く。稲作の技術を吐き出させられた後集団に取り込まれて消えていったのだろう
440日本@名無史さん:2009/10/24(土) 15:06:44
誤爆が多い時間帯
441日本@名無史さん:2009/10/24(土) 19:38:19
437 あったんじゃない?
442日本@名無史さん:2009/10/24(土) 21:38:05
どっちなんだよ!
こんな研究で金貰ってる奴いたらマジ氏ね
嘘つき!
443日本@名無史さん:2009/10/24(土) 22:37:27
今のとこ神武東征の神話でニギハヤヒが先に天下りしているってことになっているだけで考古学的証拠もない
444日本@名無史さん:2009/10/24(土) 22:52:33
ナガスネヒコは本当に足が長かったのかな
オレ的には凄くカッコ良い存在になってるんだが
445日本@名無史さん:2009/10/25(日) 00:13:56
【岡田外相】 民主党"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる


植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40

1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」

2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。  陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」

3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね? 
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」

4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」

5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)
446日本@名無史さん:2009/11/02(月) 23:50:06
そもそも弥生人ってほんとにいたのか。紀元前に渡来してきて玄界灘周辺に定住した
大陸難民はいただろうが彼らが何かを日本に伝えたのだろうか。稲作も縄文中期から
陸稲の栽培が行われていたわけでその延長の技術に過ぎないわけだし弥生式土器
ってのも生活習慣が変わったためにおきたトレンドの変化によって成立したものに過ぎな
いんじゃないか
447日本@名無史さん:2009/12/11(金) 17:59:18
448日本@名無史さん:2009/12/27(日) 11:11:27
>>446
弥生人が渡来したのは、近畿・山陽地方を中心に北部アジア系の外見種が現代でも
主勢力として分布している点で明らかだろ。
何を日本に伝えたかって、鉄器をお忘れのようだね。
449日本@名無史さん:2010/03/06(土) 20:15:45
そうか。
450日本@名無史さん:2010/03/22(月) 20:48:27
そうよ。
451日本@名無史さん:2010/04/21(水) 14:01:16
>>446
日本人はアイヌとか北海道の少数民族を除いて、全て弥生系の人種だよ。
琉球人も薩摩による征服以前から日本語と同系統の琉球語を喋っていたようだし
琉球民族形成の中核は弥生人か大和民族だろうね。
縄文人が中核になって民族が形成されたなら、アイヌ語と同系統の言葉を喋ってるはずだし。
452日本@名無史さん:2010/07/26(月) 13:22:16
素人の素朴な疑問なんだけど誰か教えてくれるかしら

出雲の大国主神って古代大和の側からみれば御先祖の天孫一族に負けて退場したローカルな神ですよね?
その田舎もので負け組の大国主神がなんで大和一番の聖地である三輪山にまつられて大きな顔するなんてことになるの?
453日本@名無史さん:2010/08/11(水) 02:07:19
>>452

つ【別の神である】

全国の神社の祭神を冷静に見れば分かることで、
大国主を祭る神社は、近畿どころか東日本の太平洋側に濃密に分布している。
(典型例は、埼玉県の氷川神社。氷川神社は、東京都内にも実に多い)
ところが、これらの地域は、島根県とは考古学的特徴を全く共有しない。
氷川なんて、島根県の川の名前(斐川)まで共有しているように見えるが、
その実、掘り出しても何も出て来ない。
この非共有は、もちろん三輪山も同じ。

つまり、先住民の信仰していた神々を指す一般名詞扱いと考えたほうがいいのだろう>大国主・スサノオ

454日本@名無史さん:2010/08/11(水) 07:30:52
つうことは、初期大和朝廷は土人の神を崇め奉ってたってこと??
455日本@名無史さん:2010/08/11(水) 14:07:44
つか。
神話を融合させるとか信仰が融合するなんて事例は珍しい話じゃない。
日本に限ったことではないよ。

融合のしかたから見ると、戦争による征服よりは、どちらかというと平和的な融合に見えるがな。
456日本@名無史さん:2010/08/11(水) 16:02:16
>>451
おいおい、センズリこくなや。

お前が大和言葉喋る大和民族かよw時代背景的にもこの大和民族気取り
なんとかしろ。
457日本@名無史さん:2010/08/11(水) 22:04:27
>>454
そう。崇神記を読めば、そのことが明確に読み取れる。
崇神帝といえば、奈良盆地を超えてはじめて広く征服した「征服王」。
ところが、「疫病がはやって」、これは困ったとなったら、
三輪山に大物主を祀れと御神託があったとある。
要するに、征服の過程で生じた、被征服者の怨嗟を鎮めなければならなかったということ。
三輪山は、「被征服地の在来の神々の鎮魂の山」といったほうがいいのかもしれない。

そういえば、三輪山の麓は、
全国津々浦々からの遺物が出てくることで有名な巻向遺跡だ。
そして、考古学の語るところによれば、
巻向遺跡が出来てから、三輪山信仰が始まる。(順番に注意)。
三輪山は、征服に伴い、巻向に集まっていた全国各地の被征服民が、
それぞれ祀っていた各々の神々を、まとめて合祀した山と言えるんじゃないかと思う。
結果として、まさに国土の神々を祀る「日本最古の神社」になるのも当然の理。
458日本@名無史さん
日本人って昔から宗教に関してはなんでもありってことだな