ヒミコ様 ご子孫 倭王武 あげ
368 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 17:09:39
大倭・大和王ヤマタイ王 武
369 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:05:48
騎馬民族雄略は朝鮮人よろしく殺人鬼
370 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 04:16:21
nn
371 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 12:27:33
即位のときに殺した兄貴の名前が白彦、黒彦で対になってたり、
雄略関連の記事は、史実というよりはおとぎ話や神話のレベルだよな。
文字史料で信を置けるのは宋書倭国伝と稲荷山鉄剣だけ。
記紀は、参考程度にしかならない。
うむ
373 :
日本@名無史さん:2010/03/09(火) 20:18:29
大体、武王の方が南朝に朝貢していたのに、雄略紀を見る限り、
呉国(南朝)と対等につきあってたような書きぶりだもんな。
むこうから機織り工女が来倭した記事はあっても、こっちから朝貢したような記事はない。
さすがに推古朝の遣隋使の記事だと、編纂当時から近すぎてごまかしようがなかったのか、
隋の国書(皇帝、倭王に問う)が引用されていて、倭国が朝貢国扱いだったのが丸わかりだが。
374 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 07:44:56
落ち目の南朝と、勢いある隋では違ってくるでしょ。
375 :
日本@名無史さん:2010/03/18(木) 04:30:09
7発は凄いな。
376 :
日本@名無史さん:2010/03/18(木) 21:21:27
誇張だろ。
377 :
日本@名無史さん:2010/03/20(土) 21:58:53
子毛予 美子毛知 福下予
378 :
日本@名無史さん:2010/03/20(土) 23:02:19
二倍暦年を応用すれば3.5発になって
これなら現実的と言えよう
>>359-360 武内宿禰を同祖とするのだから、少なくとも同族を名乗っていたことになるんだけど
蘇我氏が現れるのは氏族制度が整う前後の話だから、「改名」というよりも、
元々葛城氏内の本家に近い分家筋が氏族制度の成立と共に蘇我を名乗るように
なったんじゃないかなって気がする。
渡来人系かもと言われているけれど、そんなのがあれだけ天皇家と通婚できるものなのかな。
私としては葛城本家が百済の武寧王/聖王あたりの姻族になっていて、本家が滅ぶと
蘇我氏が百済利権を引き継いで台頭、朝鮮半島絡みの紆余曲折を経て専横するに至ったと。
380 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 06:49:41
>>379 > 渡来人系かもと言われているけれど、そんなのがあれだけ天皇家と通婚できるものなのかな。
黒岩重吾さんは「蘇我=百済王族」説を主張していた。
王族なら通婚できるでしょ。
蘇我は葛城族の分家だよ。
本家が無くなって殆ど本家扱いになったけど
彼らが発言力を持ってたのは葛城系天皇の末裔だから。
それに、海部系図によると『日女命』という祟神の叔母がいたらしい
日女命はのちのヤマトトヒモモソヒメなんですけどね・・・卑弥呼?
382 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 18:41:17
ヤマトトヒモモソヒメ=卑弥呼 説ってのはイマイチ賛同しかねる。
383 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:29:54
雄略に本宗家を滅ぼされた後、葛城系の顕宗・仁賢の時代に
葛城氏が復活できなかったのはなぜだろう?
蘇我氏は入鹿が韓人に殺された後も壬申の乱までは政権のトップに
一族を送っていたというのに。
あと皇族の系図をみると蘇我氏と並んで名門の扱いを受けてる
息長氏が日本の歴史に血統以外の活躍した記録が出てこないのは
なぜなんだろう?
384 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 20:00:38
>>383 鋭い指摘だが、いずれも史料が少なすぎて本当のところはわからないでしょ。
それは息長氏の血統が捏造だからだよ。
386 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 21:10:46
継体天皇が息長系だっけ?
仁賢武烈継体安閑宣化の時代は連・臣たちの対立が激しかったようだからなー
抗争のなかで葛城氏らは消え、息長氏は表舞台に引っ張り出されただけの氏族だったのかも。
南北朝時代の祖形?元を正せば仁徳以降からだと思うんだけれど、あの雄略天皇が(ry
388 :
日本@名無史さん:2010/03/30(火) 21:54:47
>>383 葛城氏の傍系って誰がいたんだっけ?
葛城円が雄略朝に滅んでからすっかり消えてしまっている。
蘇我と葛城の関連性は昔から言われることだけどね。
蘇我馬子が祖先の土地だからと言って推古天皇に
葛城県を蘇我氏に呉れるように言っているし。
389 :
日本@名無史さん:2010/03/31(水) 00:08:41
武内宿禰は紀・巨勢・平群・葛城・蘇我氏などの中央諸豪族の祖とされており
自身は実在が疑わしいけど、当時これらの氏族は同族と見られていたのだろうか?
雄略朝の葛城氏衰退後の平群氏や蘇我氏の台頭は葛城氏とも関係あるのだろうか?
>>389 逆に考えるんだ。
抗争の中で「その同族/別族意識が芽生えたからこそ、氏姓制度が定められた」と考えるんだ。
391 :
日本@名無史さん:2010/04/09(金) 22:14:20
>>389 >当時これらの氏族は同族と見られていたのだろうか?
もともと同族でなくても、幾重にも婚姻関係があったのではないか?
392 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 19:39:02
雄略天皇の雄膣を攻めたい
393 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 20:43:26
394 :
日本@名無史さん:2010/05/16(日) 06:23:56
保守
395 :
日本@名無史さん:2010/06/09(水) 07:04:04
この人の皇居跡は現在どうなっているの?
397 :
日本@名無史さん:2010/06/09(水) 10:50:47
当時は皇居といっても「でかい神社を木柵と警備兵で囲んだ」程度の
ものではなかったか?
>>397 烈しく同意!!
WikiPediaでも皇居で統一されちゃってるけどさ、古墳時代の大王の宮殿は
「皇居」というより、「御所」と言った方がベターだね。
なにしろ現代人のイメージでは、皇居=江戸城だからw
399 :
日本@名無史さん:2010/07/19(月) 22:03:59
「大王宮殿」と呼ぶとかっこいいぞ。
400 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 16:09:54
401 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/07/20(火) 16:18:07
>>371 JRの東京山の手線の駅には目白駅、目黒駅がありますが、これは神話では
なく現実にこの駅がありますぜ。
また東京には中央大学白門というのと黒門町の黒門というのもあったと
思いますが、これも神話じゃぁないですぜ。東京大学は赤門でしたな。
402 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/07/20(火) 16:30:42
>>400 雄略の代は通常暦法をメインとして行使していました。
古事記はこの天皇の寿命は124歳と為し日本書紀ではその丁度半分の62歳と
なってますから雄略は2倍年暦行使の時代のように想うでしょうが、これ
は2倍年暦をメインでなく側面的の補助で一部行使していたことを、この
両者の記載年齢は意味しています。主体は通常暦であり、先々代の允恭の
時に、允恭が病弱で新羅の医者に治してもらったことで、回復の縁起担ぎ
のためか、この代に2倍年暦を行使していたことを同代の途中でこれを廃
し、允恭元年に遡って通常暦法の書き替えて以後武烈の世まで通常暦法を
メイン暦法として行使したということです。
403 :
日本@名無史さん:2010/07/20(火) 17:02:17
404 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/07/20(火) 17:06:21
雄略は武王ではないですよ。後者は九州王権とかの王だね。
また倍暦キチガイが
うんこ垂れてんのか
406 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/07/21(水) 14:20:48
オマエもたらふくクソをするだろう。www
407 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 20:32:04
関西(あくまでも、名古屋〜三重〜奈良〜京都〜大阪〜兵庫までを示す。岡山はセーフ。和歌山はアウト、残念!)
自己顕示欲が強すぎて嫌い!
あのイントネーションが大嫌い!
関ヶ原の戦いで負けたんだから、
東京弁で話してほしい
(・ω・)
関西は犯罪と貧乏な地域だから、日本から
きり離してほしい。
唯一、日本の汚点。言わばゴミ。
関西人は書き込まないでほしい!
関西人からパソコンを取り上げてほしい!!
もはや生きる価値無し!
とりかく関西は犯罪者の巣窟。
(゜Д゜;;)
オソロシイ
408 :
日本@名無史さん:2010/07/26(月) 23:15:34
履中天皇の子供の市辺押歯王を雄略は殺してしまった。
一族を殺し過ぎて最後に身内がいなくなる、源頼朝みたいな人ですね。
子孫に子供が出来ないのも似てるし。
この時代の人物の名前は、体の特徴を捉えているのが多いですね。
押歯ってどんな歯の生え方なのだろう?
ソトオリヒメ なんて見てみたいですね。今で言うとどんな感じだろう?
夏目雅子とか。
雄略が盛んに南朝に使いしたのは、国内統一よりも韓半島経営のためでしょう。
きっと国内では権力の頂点を極めたのでしょうね。だからこそ後継者が重要で、
それが結局、君主制の限界なんでしょうね。
409 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:31:26
>>408 > 押歯ってどんな歯の生え方なのだろう?
デッパなんだろうか?
410 :
日本@名無史さん:2010/07/28(水) 00:32:57
>>408 > 雄略が盛んに南朝に使いしたのは、国内統一よりも韓半島経営のためでしょう。
ただ南朝が弱体だったので、期待したほどの効果はなかったと思う。
押歯って八重歯だろ?
412 :
サガミハラハラ:2010/08/26(木) 23:12:28
雄略天皇の子の清寧天皇はミュータントであったようである。
その様態の不気味さのために、皇后や妃になるものは皆無であった。
それが祟りのように当時の人には思われた可能性はありますね。
雄略は敵対する人間を殺し過ぎたから。
結局雄略の血筋も絶えてしまうばかりか、継体というわけのわからん
他人のような人を迎える羽目に。
414 :
サガミハラハラ:2010/08/26(木) 23:36:13
そうですね、けど、星川皇子様ちとあせりすぎましたね。数年待ってれば
皇位がころがりこんできたのにね。
415 :
日本@名無史さん:2010/09/02(木) 16:31:07
吉備勢力がせっかく水軍持っているんだからそれをうまく使えばいいのに、
宮廷クーデターみたいな せせこましいこと やったのがまずかったね。
記紀であれだけ暴君扱いなんだから720年の時点から見れば何の関係もない傍流なんだろうな