【初心者】スレッド立てる前に質問をPart17【歓迎】

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1日本@名無史さん
分からないことをスレッド建てて聞く前にこのスレで質問してください。
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回答に時間がかかったり、回答がもらえなくても怒らないでください。
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 ・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりすれば、速やかに誘導してください。
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日本史 ・ 世界史FAQ
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html

前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart16【歓迎】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1141491511/l50
2日本@名無史さん:2006/07/03(月) 19:45:07
3日本@名無史さん:2006/07/03(月) 20:40:53
いやしくも「教えて君」たるもの、努力をしてはならない!
過去ログを読んだり、検索(ぐぐる)してはいけない!
他力本願と言われようと、自分で調べたり思考錯誤せず他人の努力の
結果を搾取するのが正しい「教えて君」である!

では「教えて君」質問どうぞ!
4日本@名無史さん:2006/07/03(月) 20:58:01
なんでいきなり教えて君を増長させるようなこと書いてるの?
53です:2006/07/03(月) 21:25:33
>>4
よくある「反面教師」ネタなんだけど?
6日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:37:03
回答率低いし
このスレいらないと思う
7日本@名無史さん:2006/07/03(月) 22:18:47
>>6
回答率低いし=仕方ないでしょ(無料ですから!)

このスレいらないと思う=「教えてあげる君」卒業ですか?
8日本@名無史さん:2006/07/03(月) 22:40:33
善意で成り立つスレで教えてあげる君はねぇだろ。
無礼千万。
9日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:28:00
>>8
一人ぐらいいなくても、心配しなくて良いと思うけど。

(二八の原理)があるから大丈夫!

「教えて君」は、孤高の戦士である。相手の事を考えるようでは「教えて君」
失格と言うことだ!初心者であることを高らかに宣言し、初心者向けの分かりやすい
丁寧な説明を強要し専門用語の使用を禁じておくと効果的である!
「どうせ、お前らじゃ分からんだろう?」というカキコは高く評価できる!
自分は努力せず、相手に多大な努力させる事こそ「教えて君」の真骨頂である!
「そこまで初心者じゃありません。」などと言って、
回答者の神経を逆なでしておけば完璧である!
10日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:02:27
自分の憶測だけに基づいたトンデモ解答する馬鹿もいれば、
質問されてるからって調子に乗って答を教えないだけでなく、質問者を小馬鹿にした意見を言う阿呆もいる。
なんだかなぁって思うよな。
まぁ、質問者の態度にむかつくってのもあるだろうし、わからなくは無いけど。
スレタイに初心者歓迎って書いてある以上、ググレとか、教えて君とか小馬鹿にした言動を控えた方がいいんじゃね?
スレタイから見れば質問者を馬鹿にして解答もしない奴こそスレ違い半年ロムってろ!なんじゃないか?
11教えて君:2006/07/04(火) 02:08:10
関ヶ原で山内一豊が徳川軍につく経緯を教えてください。
12日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:13:26
捨扶持って、子孫に受け継がれたものなんですか?
それともその人一代の限定ですか?
13日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:19:59
>>12
基本的には一代限りです特殊例はあるかも知れないが知らない。
14日本@名無史さん:2006/07/04(火) 09:46:15
>>10
正論ですね!
15日本@名無史さん:2006/07/04(火) 10:05:12
どうせならスレタイを

【教えて君】スレッド立てる前に質問をPart17【歓迎】

て変えて欲しかったな。
そうすれば、少なくとも排他的なレスはスレ違いになるわけだし、
その側面では一掃することが出来る。

16日本@名無史さん:2006/07/04(火) 10:23:09
第二次大戦で米軍捕虜に慈悲でゴボウを食べさせたら、戦後に戦犯法廷で「木の根を食わされた」
として告発され死刑になったという有名な話がありますが、ネットでいくら調べてもソース及び被告、
原告名等固有名詞が発見できません。
執行刑も銃殺だったり、絞首刑だったり、懲役30年だったり、裁判の場所もサイトによってまちまちです。

以上を踏まえて、私の疑問は以下3つです。
1. 執行刑や裁判地等の枝葉が違う色々な話があるが、これは同時多発的な告発だったのだろうか?
2. その刑を執行されて然るべき他の告発もこれと一緒にあったのだが、それらを意図的に除外して
  ゴボウの件だけを取り上げて、それのみで断罪されたかのような情報操作はないのだろうか?
3. そもそもこの話自体、実は都市伝説ではないのか?
17日本@名無史さん:2006/07/04(火) 12:34:10
>>16
ttp://www.path.ne.jp/inukawa/hedgehog/info/%5B09%5D_01.html
ちゃんとソース元も明記されれるんで、一度当たってみてはいかがかな?
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167298066/250-0860289-4000206
18日本@名無史さん:2006/07/04(火) 12:41:51
ソース元なんていやな言葉。
19日本@名無しさん:2006/07/04(火) 12:56:33
>>16
長野県天龍村の満島俘虜収容所。
http://www.chunichi.co.jp/postwar60/050805T0951.html

あと、新潟県直江津の直江津俘虜収容所。
http://www10.ocn.ne.jp/~ma-san/page117.html

大森でも同様の資料があったと聞いたことがありますが、
広く知られるようになったのは「はだしのゲン」に
書かれていた話からのようです。

総覧しますとどうも同時多発的な告発ではなく、俘虜たちが
ゴボウの件を意図的に取り上げたわけでもないようです。

おそらく何らかの記事で取り上げられ、「捕虜虐待」という概念、
それも文化的誤解によるものの象徴として、ゴボウの件が
日本人に広く認知されるところとなったというのがこの話の
正体でしょう。

すなわち「意図的な情報操作」は俘虜や連合軍側の悪意ある
行為によるものではなく、むしろ日本人側の認識整理による
ものであると私には思えるのです。
20日本@名無史さん:2006/07/04(火) 13:05:16
>>17
>16ではないけどナカナカ面白いサイトですね。

21日本@名無史さん:2006/07/04(火) 13:36:05
教えてクンがたくさん来ても
教えることができる人が殆どいないじゃん
22日本@名無史さん:2006/07/04(火) 13:51:38
>>21
それは問題ないでしょ。
駄スレ建たないように隔離しておけばいいんだから、
それでレスさえ返ってきていれば役割は果たしているし、ことの真偽はそんなに重要じゃない。
23日本@名無史さん:2006/07/04(火) 18:36:46
>>17
>>19
詳細なソースありがとうございました。今度図書館で借りて読んでみようと思います。
告発理由の一つにゴボウの件があった事が、はだしのげんを経て、カルチャーギャップを象徴するネタ
話として巷間にひろまったっというのが事の本質のようですね。
24日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:50:27
>22
回答がなきゃ結局駄スレは立つよ
25日本@名無史さん:2006/07/06(木) 11:06:48
この問題がワカンネ
誰か答えplz

聖徳太子が憲法十七条、冠位十二階の制を制定した理由を説明せよ。
必使語句:第一回遣隋使、失態

携帯からスマソ。
26日本@名無史さん:2006/07/06(木) 11:08:01
age
27日本@名無史さん:2006/07/06(木) 18:22:01
>>25
おめーのテストのことなんざしらねーよ。
28日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:06:02
前スレでも質問したんですが答えを確認する前に終わってしまったようなので・・・

寛永通宝って珍しいんですか?
それとも結構その辺でごろごろ出てくるような程度なのでしょうか。
ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。
29日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:08:36
>>27
スレ違いか、誘導頼む。
30日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:11:16
>>29
甘ったれてねーで自分でやれよ
つーかそれ物を頼む態度か?
31日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:56:20
>>288
  _________________________
  |                               |  |
  |           [G]oogle               |  |
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  |   ( ´_ゝ`)  シェフの味!          |  |
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32日本@名無史さん:2006/07/06(木) 21:20:20
家臣である武士は君主から給料もらってたのに
臣民である大日本帝国民は天皇から給料をもらえないどころか
逆に天皇にケツの毛まで抜かれて自分や家族の命まで持っていかれたの?
33日本@名無史さん:2006/07/06(木) 21:29:22
臣民と呼ばれてはいたが実際には只の国民だった。呼び方の問題に過ぎない。
34日本@名無史さん:2006/07/06(木) 21:39:30
>>25
確か第一回遣隋使から冠位十二階の制の原案を持ち込んだようなキガス。
憲法十七条は地方豪族をまとめるためで、冠位十二階は出世の目安かな。
35日本@名無史さん:2006/07/06(木) 21:43:18
まぁ、当方聖徳太子架空人物説を採っているので
根本的に間違っているこの問題に対して答えることは出来ないと
書いておけば間違いはない。
36日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:03:01
(こやつ・・・鼻持ちならぬ歴史者・・・)
37日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:08:50
明智光秀の家臣で、斎藤利三以外の、家老クラスの武将を教えてください。
38日本@名無史さん:2006/07/07(金) 00:35:59
>>32
給料なんて生易しいものではないよ。
自分で領地からの上がりをやりくりして、自前で装備やら雑用係やら兵員やら用意しなきゃならん。
39日本@名無史さん:2006/07/07(金) 09:44:26
もしも日本が武装勢力や危険な集団にのっとられて
そいつらが明治維新の時のように天皇を引っ張り出して
自分たちを正当化したらやっぱり「勤皇の志士」としてその世界では賞賛されてしまうのでしょうか?
日本ではどんな手段を用いて主権をのっとっても天皇に承認させればみんな認めるの?
40日本@名無史さん:2006/07/07(金) 09:56:25
>>39

>もしも日本が武装勢力や危険な集団にのっとられて
前提からしておかしいです。
41日本@名無史さん:2006/07/07(金) 10:14:19
>>39
今は民主主義国家だから、選挙で勝たない限り認められないだろうね
42日本@名無史さん:2006/07/07(金) 11:44:02
>>34
d
43日本@名無史さん:2006/07/07(金) 19:30:21
質問です。
「律令時代の大学で学んだのは、貴族と東西史部の師弟」らしいんですが、
東西史部ってのが何者なのか調べてもよくわかりません。。。
知ってる人教えてください。
44日本@名無史さん:2006/07/07(金) 20:12:35
>>28
一番ポピュラーな古銭です。
45日本@名無史さん:2006/07/07(金) 20:37:29
>>39
武装勢力って北朝鮮?

万が一そんなことになって錦の御旗を手にしても人心が傾かないから大丈夫
46日本@名無しさん:2006/07/07(金) 22:01:16
>>39
朝廷と付き合いのあった戦国大名たちは、勢力を拡大しながら三位四位などの
高い官位を持つようになっていたのですよ。ですから少なくとも形式的には
君臣の関係にあり、京に入って禁裏の警護を行い政務の実権を握ったとしても
別に問題ないのです。

天皇を引っ張り出して正当化したら・・・といいますが、どこの馬の骨とも知れぬ
ヤクザ者など誰が支持しましょう。ましてや支持だけを武器とする朝廷が認める
わけはありません。そもそも「勤皇の志士」という呼称は、当時、全くの狂人
呼ばわり、テロリストの代名詞でした。尊王とは全く違う扱いです。

この種の元祖であるシナでもそうですが、君主と取り巻きの支持、民衆の
評判と、そして戦勝がなければ、認められるわけはないのです。
47日本@名無史さん:2006/07/07(金) 23:57:00
>>28
最近はあまりみかけなくなりましたが、
昔の古い家には1枚や2枚あったと聞いています。
48日本@名無史さん:2006/07/08(土) 20:43:10
>>44
>>47
ありがとうございます。
あと、昔の硬貨で灰緑色っぽいのってありますか?
調べてみたんですが見つからなくて・・・(単に変色しただけかもしれませんが
49日本@名無史さん:2006/07/09(日) 14:12:55
高3なんですが、
この日本史板を面白いと思い興味を持った大学進学希望の俺は
文学部史学科へ行けばいいのでしょうか?
皆さんは史学科へ行っている又は行っていたのでしょうか?
50日本@名無史さん:2006/07/09(日) 14:50:58
>>49
正しい日本史を知りたいなら神道を学ぶべきです
一般の大学では珍説が通説
51日本@名無史さん:2006/07/09(日) 19:27:11
満済准后日記が活字で載ってる本ってありますか?
52日本@名無史さん:2006/07/09(日) 22:25:03
>>25

麻布の中2乙
せいぜいガンガレwww


にしても毎回毎回この手のスレって麻布の厨2が湧くよなw
53日本@名無史さん:2006/07/09(日) 22:35:03
俺もリアル厨房だけど、自由に質問できるスレは
育ち盛りの厨房にとってはいい栄養になるんじゃないかと思う。
54日本@名無史さん:2006/07/11(火) 01:02:46
55日本@名無史さん:2006/07/11(火) 14:21:46
平清盛とか藤原道長とか苗字と名前の間に「の」を入れて読むのが一般的ですがなにか意味があるんですか?
鎌倉の北条氏あたりから「の」を付けずに読みますが源氏から北条氏へ権力が移る辺りになにかヒントがあるのでしょうか?
56日本@名無史さん:2006/07/11(火) 14:33:20
>>55
釣れる?
57日本@名無史さん:2006/07/11(火) 14:41:52
釣りじゃなくてマジで聞いてます
58日本@名無史さん:2006/07/11(火) 16:53:01
氏と名字は別物
北条時政も本来は平朝臣時政
59日本@名無しさん:2006/07/11(火) 18:37:27
>>55
日本史では常識なので釣りじゃないかと思ったが・・・

いわゆる源平藤橘らのウジ(中国式には姓)の場合、間に「の」を入れる。
「本姓」でググってみれば、どういうものかわかる。
名字(苗字)の場合は「の」を入れない。

頼朝の寵臣大江広元は、「おおえ」が本姓だから「おおえのひろもと」。
外戚の北条時政は「ほうじょう」が苗字だから「ほうじょうときまさ」。

ちなみに、豊臣秀吉は「とよとみ」が本姓だから「とよとみのひでよし」が
正しいとされる。名字はあくまで羽柴。


60日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:48:39
【初心者】 【歓迎】

61日本@名無史さん:2006/07/11(火) 19:05:50
自分も初めて知った

秀吉って苗字はずっと羽柴だったのか
秀吉が諸将に豊臣姓あげるけど羽柴はあげてないまたその逆は
特に意味はない…よね
62日本@名無史さん:2006/07/11(火) 19:17:05
スレタイにあるとおり初心者ですw
回答ありがとうございました!
63日本@名無しさん:2006/07/11(火) 19:54:59
>>61
>豊臣姓あげるけど羽柴はあげてない

ご存知だと思いますが、羽柴は秀吉が「丹羽」と「柴田」を合成して
拵えた名字ですから、羽柴○○と書かれている人は、皆、秀吉が
あげた格好になるのですよ。弟、甥、子、養子・・・みなそうです。

わかりやすい例としては、養子の羽柴秀俊(後の小早川秀秋)。
64日本@名無史さん:2006/07/11(火) 20:12:47
>>63
なるd

豊臣姓や筑前守は外交的な理由であげるものになるのですか?
てか豊臣姓や筑前守もらった人達って必然的に優劣わかっちゃいますよね…
65日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:59:47
日本史の通史的な雑学読み物でおもしろいのって何がありますか?
E.H.コンブリッチ「若い読者のための世界史」みたいなのが希望なんですけど
説の新しさや厳密さよりは文章のおもしろさ重視でおねがいします
66日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:16:10
>>64
秀吉の場合は、豊臣朝臣の姓と羽柴の苗字をどちらも諸大名に与えている。
但し前田利家や宇喜多秀家のように姓と苗字の両方をもらっている者もいれば、
片方しか貰っていない例もある。
また筑前守のような官途については、実質的には秀吉が与えているといっても、
形式的には与える主体は朝廷であり、手続き上は、秀吉は朝廷に諸大名の任官を
推挙するという形をとる。
67日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:26:30
また前田利家の場合は、秀吉が筑前守をやめたあとに変わって筑前守に
任官しており、この時期の利家の名乗りは羽柴筑前守、本姓は豊臣朝臣という
ことになる。

因みに関ヶ原以降になると、秀吉から貰った豊臣朝臣の姓や羽柴の苗字を
名乗る大名はほとんどなくなる。
江戸時代になっても本姓を豊臣朝臣としている家は、秀吉の妻の兄の子孫である
木下氏のみ、羽柴の苗字を名乗る家は大名・旗本クラスでは皆無となる。

なお江戸幕府の場合は、秀吉にならって松平の苗字を各地の大名に与えたが、
徳川氏の本姓である(と主張している)源朝臣を、源氏ではない異姓の大名に
与えた例はない。

前田利家の前田氏の場合、江戸時代にはそれ以前の羽柴の代わりに松平の苗字を
江戸幕府から貰っているが、姓のほうは豊臣朝臣から元の菅原朝臣に
復姓している。
68日本@名無史さん:2006/07/12(水) 11:08:15
>>66>>67
なるほどさんくすです!!

秀吉と諸大名の政治的な結び付きには重要なことだったのですね。それぞれの保身のためにも

あと個人的に好きな武将のひとりの利家のことが深く知れて嬉しいです^▽^!
ありがとうございました
69日本@名無史さん:2006/07/12(水) 11:41:59
太閤検地論争の歴史的意義について書くレポートがあります。

調べると、太閤検地の歴史的意義についてはネットなどでも見つかるんですが、
太閤検地論争の歴史的意義についてはなかなか見つかりません。

太閤検地論争の歴史的意義=太閤検地の歴史的意義

ではないですよね?
70日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:20:28
>>68
他の政権にはない秀吉政権の大きな特徴。
・苗字だけではなく氏(姓)も諸大名に与える対象として扱う。
・武家出身者をやたらと高位高官につける。(公卿補任に武家出身者が何人も出てくるのは、この時期以外では平氏政権期のみ)
71日本@名無史さん:2006/07/12(水) 13:13:25
成り上がりで一門がいないから本姓を分け与えて擬似的な一門衆にでもしてたんだろう
72日本@名無史さん:2006/07/12(水) 14:14:54
徳川家康個人の宗教的帰属は何宗になるんでしょう?
徳川将軍の墓が天台宗の寛永寺にあったり、浄土宗増上寺にあったり、
東本願寺を徳川家が援助して起ち上げたり、わけわかりません。
73日本@名無史さん:2006/07/12(水) 15:57:30
イナゴの食文化は信州から始まったと聞きますが、
江戸時代の次点で日本のどの地方にまで広がっていたのでしょうか?
北の方には広まっていたと聞きましたが本当でしょうか?
74日本@名無史さん:2006/07/12(水) 17:59:03
>>72
三河時代の松平家・徳川家の菩提寺は浄土宗の大樹寺。
75日本@名無史さん:2006/07/12(水) 20:51:57
>>72

厭離穢土欣求浄土なんて旗を出してたから、本人自身は浄土宗じゃないのか。
7669:2006/07/12(水) 21:07:30
ご回答お願い致します
77日本@名無史さん:2006/07/12(水) 21:22:45
唐突な質問ですみませんが、江戸時代における農民・町人が自己の社会的立場や経済活動を
正当化した思想的論理はどのようなものであったか、わかりますか?
78日本@名無史さん:2006/07/12(水) 22:54:10
平安時代、昌泰の変とかライバルを
有る事無い事で密告して左遷させて排除する方法は
普通だったんですか?
と、いうかアリなの?
79日本@名無史さん:2006/07/12(水) 23:29:27
幕藩制構造論について教えて下さい
論ってところが肝みたいです
お願いします
80日本@名無しさん:2006/07/13(木) 04:22:07
>>69
つ 【安良城盛昭】

「あらきもりあき」と読みます。
この人が『太閤検地の歴史的意義』を発表したときに巻き起こったのが「太閤検地論争」。
1950年代のことです。複雑な階級史論なんで説明しませんが、要するに、この人の概説、
史学的業績を書けというレポートなのでしょう。
81日本@名無しさん:2006/07/13(木) 04:28:33
>>80
しまった、こう言ったら乱暴に過ぎますね。
前近代史の時代区分を巡る、戦後の近世史研究を語る上で外せない論争です。
入試でも実は取り上げられる論なのでして、史学研究の本から見いだすのは
難しくないでしょう。
82日本@名無史さん:2006/07/15(土) 10:18:24
夏休み突入に備えてageとく
83日本@名無史さん:2006/07/16(日) 21:31:06
2度の元の侵略を台風で退けたことから日本が○○の国って呼ばれたのですが
その○○の部分を忘れてしまいましたorz
わかる人お願いします
84日本@名無史さん:2006/07/16(日) 21:55:50
黄金
85日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:40:50
>>83
宿題は自分でやろうね。
86日本@名無史さん:2006/07/17(月) 09:07:55
半七捕物帳に出てくる半七老人って実在の人物なんですか?
87日本@名無史さん:2006/07/17(月) 09:19:53
大日本史って出版されてないんですか?
88日本@名無史さん:2006/07/17(月) 10:52:15
89日本@名無史さん:2006/07/18(火) 16:07:21
江戸時代に、地方の藩で税率が四公六民だとして、家臣がその個人的な知行地で、
藩の税率に従わず、無理な取立てをしたというようなことはあるのでしょうか?

90日本@名無史さん:2006/07/18(火) 18:19:13
徳川時代の政体って何と言うのですか?
91日本@名無史さん:2006/07/18(火) 19:29:34
>>90
その質問に答えるのはとてもむつかしい
スレがなければ新スレ立てたほうがいいかも?
92日本@名無史さん:2006/07/19(水) 11:37:36
受験で日本史が必要なのですが、日本史の大まかな流れが分かりやすく載っている参考書があれば教えてください
93日本@名無史さん:2006/07/19(水) 12:22:40
94日本@名無史さん:2006/07/19(水) 15:04:48
時々目にするのですが、
事詳安房国疏證・河内錦部疏證のように、
○○疏證と言う本があったのですか?
95日本@名無史さん:2006/07/19(水) 19:33:16
>>89
「知行地 年貢」とかでぐぐったら。家臣が勝手に税率を変える例はなさそう。

小説ネタだが、海音寺潮五郎の親子鷹だかに、勝小吉が隣家の岡野家の依頼を
うけて岡野の知行地(兵庫の方)へ行き、名主百姓から500両だかの借財を
して来る話がある。
96日本@名無しさん:2006/07/19(水) 19:38:21
疏證って(箇条書きの)注釈書・解説書のことじゃなかったけ?
97日本@名無史さん:2006/07/20(木) 04:56:17
日本史の良書についてのスレを探しています。
「本」で検索しても日本がヒットしてしまうし・・・
98日本@名無史さん:2006/07/20(木) 13:26:35
1690年ごろにエンゲベルト・ケンペルという
ドイツ人外科医がいたそうなんですけど、
彼はロシア語を含むヨーロッパの7ケ国語に通じてたそうです。
その7ケ国語ってどこなんですか?
99日本@名無史さん:2006/07/20(木) 19:34:01
桜田門外の変が起こって以降、京都が政治都市になる理由を教えてほしいのですが。誰かわかりますか?
100日本@名無史さん:2006/07/20(木) 20:54:24
幕府の権威が弱まって公家の権威が強まったからじゃね?
101日本@名無史さん:2006/07/21(金) 09:33:24
今、A級戦犯が靖国神社に奉られてる事を昭和天皇が快く思っていなかった
という事が話題になっていますよね。で、その根拠とされる侍従長のメモの信憑性が問われてます。
なんでも、メモにある「参拝」という言葉がありえないというのです。
天皇陛下自らが参られるのなら「御親拝」でなければならず
「参拝」であれば天皇陛下以外を指す事になり、メモの内容と言葉が矛盾してしまうと。
だから捏造では?という話があるのですが、この御親拝でなければというのは本当なんでしょうか?
102日本@名無史さん:2006/07/21(金) 10:37:59
靖国参拝を正当化するための言い訳でしょ。
メモだから人に見せるための文章ではない。
確かに天皇の場合は御親拝なのだが、誤用されていたとしてもメモそのものを否定するほどの
決定的な証拠にはならないだろうね。
103日本@名無史さん:2006/07/21(金) 11:34:36
御親拝って皇族が○○された、って時に使う言葉じゃないの?御静養みたいに。
自分で「今年は靖国に御親拝しない」って言うか?
104日本@名無史さん:2006/07/21(金) 11:46:39
続きはこちらで

靖国神社・護国神社総合スレッド Part.6
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1150007474/
105日本@名無史さん:2006/07/21(金) 11:47:57
天皇は今でも自敬表現使うのかな?
まあ自分の身近にいた人間でしか判断できない昭和天皇らしいけどな、行かない理由
107日本@名無史さん:2006/07/21(金) 12:09:51
捏造発覚後の朝日記事予想
「しかしここで考えてみて欲しい。
メモの真偽はともかくとして、昭和天皇が永久戦犯の合祀に反対してたのは有名な事実である。
小泉首相は15日の参拝は控えるべきでは無いだろうか?
慎重な判断を世界中の人が求めている。」

翌日、紙面の右隅くらいに3mm程度の文字で
※昨日の紙面に誤りがありました
永久→A級
108日本@名無史さん:2006/07/21(金) 12:18:19
チョンがスレ荒らし中なのでダイジェスト貼っとく

http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060720181150.jpg

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=3&nid=2389685

【重大な疑問】
★「昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてあった。 
★白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?
★「それが私の(本)心だ。」文末でわざわざ総括(笑)する不自然極まる文章。
★日記のページは黄色く変色しているにもかかわらず、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
★ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたせず、綺麗なままである点。


こりゃネタの真贋を確かめる必要があるなw
109日本@名無史さん:2006/07/21(金) 12:20:00
メモの日付だかの時期にちょうど、前任者の徳川侍従長氏が
その職から退かれるので、引き継ぎと言うか色々お話を伺って
いたようですね。
(メモ4/28 徳川氏引退4月末日)
メモの「私」が誰なのかさっぱりで、そこへ昭和天皇をはめ込んでも
発言に違和感があり、逆に徳川氏の言葉だとすればそのままです。
なぜ先の天皇のお言葉を記したメモ帳に、このメモが「貼り付けられて」
いるのかは不明ですが。
110日本@名無史さん:2006/07/21(金) 12:21:53
・ 朝日:A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉
http://www.asahi.com/paper/editorial20060721.html#syasetu1
・ 読売:[A級戦犯合祀]「靖国参拝をやめた昭和天皇の『心』」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060720ig90.htm
・ 毎日:社説:昭和天皇メモ A級戦犯合祀は不適切だった
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060721k0000m070160000c.html
・ 日経:社説1 昭和天皇の思いを大事にしたい(7/21)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20060720MS3M2000220072006.html
・ 産経:【主張】富田長官メモ 首相参拝は影響されない
http://www.sankei.co.jp/news/060721/morning/editoria.htm

…産経以外全部「政治家は天皇陛下のお言葉に逆らっちゃダメ」
って、いつから日本は絶対専制君主制になったのでしょう?
111日本@名無史さん:2006/07/21(金) 12:52:19

日経新聞本社では今パニックらしい。
どうやら1988年4月28日に富田宮内庁長官は 昭和天皇に会っていない模様。
前のレスで「私」=徳川侍従長説があったけど
徳川侍従長とは打ち合わせの記録があるとか。

昭和天皇の靖国メモは実は徳川侍従長の発言だった?
朝日新聞の清水建宇の書いた記事に出てくる徳川侍従長からの取材内容と、
今回突然出てきた天皇発言メモが酷似しているとのこと。

次に偶然発見される天皇メモの予想
1 竹島は韓国領だった
2 尖閣、沖縄は中国領だった
3 外国人にも参政権を
112日本@名無史さん:2006/07/21(金) 14:46:44
>>108
問題には挙がってないけど筆跡はどうなんだろうね?
113日本@名無史さん:2006/07/21(金) 15:02:49
富田メモの真贋について。

1、張り付け・紙質・インクの経年劣化について。

現物を見ないで、映像だけをもとに、
その真贋を云々することはできません。

2、文脈のおかしさについて

メモのその他の部分と、筆跡・文脈等さまざまな点を比較しないで、
映像だけをもとに、その真贋を云々することは
できません。
114日本@名無しさん:2006/07/21(金) 17:59:58
>>111
ああ、どっかで見たことのあるセンテンスだと思っていたら、
徳川侍従長のだったのか・・・
115日本@名無史さん:2006/07/21(金) 18:14:39
高橋紘ねえ…
皇室制度研究家の肩書きのヤツが率先して
天皇を政治利用するんだから世話ないな。
もとは共同通信の皇室担当記者だったらしいが。
116日本@名無史さん:2006/07/21(金) 20:30:22
時々目にするのですが、
事詳安房国疏證・河内錦部疏證のように、
○○疏證と言う本があったのですか?
117日本@名無しさん:2006/07/21(金) 20:52:55
>>116
96 名前: 日本@名無しさん [sage] 投稿日: 2006/07/19(水) 19:38:21
疏證って(箇条書きの)注釈書・解説書のことじゃなかったけ?

ひょっとして・・・またあいつが来たのかな・・・
118日本@名無史さん:2006/07/21(金) 21:17:06
|ω・`)
119日本@名無史さん:2006/07/22(土) 03:36:39
落語を聴いていたら、大工の棟梁を「とうりゅう」と呼んでいました。
徳川時代は「武家のトウリュウである・・・」という呼び方をしていたのですか?
120日本@名無史さん:2006/07/22(土) 06:00:54
江戸弁です
121日本@名無史さん:2006/07/22(土) 21:35:31
農業史について調べています。
米俵の中身を一つ一つ確認しないで、中に米ふぁ詰まっているかどうかを
確かめる、昔ながらの方法をご存知ないですか?
122日本@名無史さん:2006/07/23(日) 00:41:42
>米ふぁ

ってなんだか知りませんが、小さな竹筒を差し込んでそこに入り込んだ米を検査してたようですが。
123日本@名無史さん:2006/07/23(日) 16:38:03
というか、歴史板に聞かれなくても、ウチの爺さんがやってたよ。
田舎育ちでスマンが。w
124おっ察しください:2006/07/23(日) 19:02:51
米ふぁ →komefa ×
米が →komega ○
125日本@名無史さん:2006/07/23(日) 21:17:55
>おっ察し

ってなんだか知りませんが。

どうやら致命的にタイピングが下手な上に,確認もせず投稿する慌て者のようだな。
126日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:19:17
>>125
タイピングが下手なのは明らかに明白的事実。
おまけにパスコン初心者。
127日本@名無史さん:2006/07/23(日) 23:12:18
                ,,,iiiii,,、        ,,,,,,iiiiiiiiii,,,,,,、
   ,,,         ,,,,,,,,,,iiiiiiiiilllllllllllllllll、         ,,iilll!!!゙゙゙゙゙゙゙!!!llllliii,、
   llliii,,,iiiiiiiiiillll!!!!!!lllllll!!l゙゙゙”`.,,,,,,、       .,illl!゙      ゙lllllllli、
   .゙゙!!!!!!!゙゙゙″ .,iilll!゙° ,,,,,_゙゙!!llllii,,      lllllllllii、    lllllllll 
         ,iillll°  .゙゙!lllliii,,゙llllll|      ゙!lllllllll    ,,illlllllll`
            ,llll″    .゙!llllll ゙゙゙゙`       ̄`  .,,,iillllllll!!゙゜
            llll|       ゙゙゙゙`            ,,llllll!!l゙゙″
            lllli                       llll!゙ 
            'lllll,、                      l!!l 
            ゙llllli,,_                  _  
             ゙゙!llllllii,,,,_、             ,illllllli 
           ゙゙゙!!llllllllllllli             ゙lllllll!゙
128日本@名無史さん:2006/07/23(日) 23:33:34
現在の回答者のレベルは日本史全国偏差値で50以下と思う
通説の日本史で失敗した人ほど正しい知識が邪魔しないから事実無根の皇国史観に染まりやすい
高望みしなければ誰でも大学なんて入れるのに入れる大学がないと苦労するやつ
そんなヤツが入れるのが日本では神○系の某学館
ここでは通説が否定され珍奇な妄想が生み出される
129日本@名無史さん:2006/07/23(日) 23:40:18
俺は現在の回答者のレベルは日本史全国偏差値で63ぐらいだと思う
130日本@名無史さん:2006/07/23(日) 23:55:53
鎌倉幕府の歴史的評価解る人居る?
131日本@名無史さん:2006/07/24(月) 00:14:39
朝廷の軍が前進本営基地において、初めて経済的な自立を果たしたこと
が意義だと思うんですが。
それまで自分の地盤の資金力で朝廷の戦をしていた武士が、守護、地頭
という経済的システムによって、道具から政権たる軍隊に地位を引き上
げて、逆に朝廷を監視(六波羅探題)したりして…
どなたかつないで
132日本@名無史さん:2006/07/24(月) 00:16:00
>>130
それは前田のテストですか?
133日本@名無史さん:2006/07/24(月) 12:00:40
大日本帝国の対外貿易収支について知りたいのですが、
どんな本を読んだらいいでしょうか?
134日本@名無史さん:2006/07/24(月) 15:45:09
高村直助とかかな。
135日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:19:27
神武天皇が前660年に即位したのは事実ですよね?
136日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:22:26
事実だよ
137日本@名無史さん:2006/07/25(火) 01:25:52
「日本」と言う名称が国家の国号として使われ始めたのは
大宝律令が制定された年、西暦701年の頃ですから、
日本の歴史って正確には1305年ですよね?
神武天皇が即位した年を根拠に日本の歴史は2600年以上あるって言う人が居ますけど、
天皇が即位する事と国家が作られる(建国される)事は関係があるんですか?
と言うか神武天皇が実在していた時は、
当然、日本なんて国は無い訳だから、
2600年以上と言うのは間違いですよね?
138日本@名無史さん:2006/07/25(火) 01:54:57
>>137
貴方の言ってることは正しいんだけど、
既に貴方の心の中で結論が出ているようですから、わざわざ質問するまでも無いと思うのですが。
質問というより主張に見えますよ。
139133:2006/07/25(火) 15:41:36
>>134
ありがとうございます
140日本@名無史さん:2006/07/25(火) 23:22:13
すみません、教えてください。下世話な話なんですけど。
戦国時代あたりからいる、児小姓を始めとする寵童についてなんですが。
よく、「伽をさせる」とか言いますけど、これって男色ってことですよね?

で、聞きたいのは、実際に寝床に入ってやることはどんな内容なのか、を聞きたいのです。
かなりきわどいとは思うのですが、現在のゲイのようにおしりの穴を使ってするんでしょうか。
また、当時はオーラルセックスは普及していなかったと思いますが、こうした場合、裸でいきなり突いて、おしまいといった形だったんでしょうか?
ひっじょーうに下世話なんですが、そのヘンをご教示願います。
141日本@名無史さん:2006/07/26(水) 00:26:26
僧侶のほうが先達
142日本@名無史さん:2006/07/26(水) 15:11:36
>>137
低能に構うなよ低能
143日本@名無史さん:2006/07/27(木) 15:32:52
で,下世話な話を詳しく教えてもらって同人誌に描くと。腐女子乙。
144日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:39:28
質問です
諸藩によって違いはあるでしょうが「組頭」「番頭」「奉行」「物頭」の違いがよく分かりません。

特に「物頭」は平時の職種にはありませんよね?でも、時代小説なんかには「我が家は代々物頭の家柄で〜」とか出てくるんですが家格的にはどれ位のもんなんでしょう?また「奉行」は家柄ではなく職名に思えるのですが、その場合どういった家格の人が就任するのでしょうか?
ついでに上記の家格の序列と合わせて教えて頂けたら有り難いです

うまく説明出来ているか分かりませんが、よろしくお願いします
145日本@名無史さん:2006/07/27(木) 23:12:52
福島県福島市に在住の者ですが、伊達家家臣の羽田氏について詳しくご存知の方がいらっしゃいましたら、出自等ご教示願います。

伊達成実の家臣に羽田実景という人物(大河 伊達政宗にも登場)がいたり、摺上原の合戦の記録(成実記)にも登場してくるなど、戦国期の活躍はある程度分かるものの、その他にはインターネットでは全く出てきませんでした。
146日本@名無史さん:2006/07/28(金) 00:43:20
>>145
【羽田実影】で調べればかなりヒットしますよ!
>>1←押す
で、何が聞きたいのですか?
147日本@名無史さん:2006/07/28(金) 01:55:34
>>140
あなたなら、どうされたい?

「武田 鉄矢の今朝の三枚おろし」で「菊花の契り」について
ふれてました。
148日本@名無史さん:2006/07/28(金) 10:51:48
下衆な質問で悪いが1つ教えてくれ。
戦国武将で掘られる方が好きだったのっている?
149日本@名無史さん:2006/07/28(金) 14:53:31
>>148
下衆な質問は下衆板で
150日本@名無史さん:2006/07/28(金) 17:17:31
>>148 言語無視
151日本@名無史さん:2006/07/28(金) 23:36:00
今の学説では、古代に朝鮮半島に日本が領土としていた出先機関を何と呼ぶのですか?
任那でいいのですか?
152日本@名無史さん:2006/07/29(土) 07:58:55
「任那」でぐぐれ。
153日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:06:47
__|__  __|__      
__|__   _|_     
 __|    /  |/ ヽ   
(_ノ\   ヽ__|  ノ  ヽ 

    /. ─┼─   _/_ \    | \    ヽ      |       ─┼─┼─  ___
  /|  ノ | ヽ    /  ヽ \  |      ──    ̄|  /\     |  ノ       /
    |  |三|三|    /   /      |/ ̄ヽ  二     |/   |.    |         (
    |    |_,    /   /       _ノ   | ̄|    /|   /.   └──       \
                             ̄

  _|_    | \     \      | __|_ \\ 
  _|_    |        ̄/     |    |   
   |     |/ ̄ヽ    /⌒!  .   |  __|      ,・・・・・・・・・・・・・・・
    ヽ_ノ     _ノ    /  \ノ   レ \ノ\  
154日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:26:30
基本的な事なんだが、度忘れして思い出せない。

応仁の乱の西軍の主将って誰だったっけ?
155日本@名無しさん:2006/07/29(土) 21:12:23
>>154
山名宗全(持豊) ⇒ 山名政豊
156日本@名無史さん:2006/07/29(土) 23:50:29
大正時代の壱円札は今の貨幣価値に換算するといくら位になるのでしょうか
157日本@名無史さん:2006/07/30(日) 05:55:26
戦国史って海外では人気あるんですか?

158日本@名無史さん:2006/07/30(日) 08:36:15
古代豪族の子孫と江戸期の藩士の子孫と
明治に爵位をもらった新政権に貢献した人の子孫では
どいつが一番スゴい?
159日本@名無史さん:2006/07/31(月) 07:17:39
どうしても思いい出せなくて気になって仕方がないので教えてください。
大名行列を横切った外人を斬ったら大問題になり、切腹を命じられた。
これ、何という事件でしたっけ。

よろしくお願いします。
160日本@名無史さん:2006/07/31(月) 07:39:03
>>159
生麦事件じゃないかな。
161159:2006/07/31(月) 10:10:04
>>160
ありがとうございます。
それでググってみます。
162日本@名無史さん:2006/07/31(月) 22:14:41
漢字以前に文字はありませんよね?
神代文字って、当然、後世の人間の創作ですよね?
163日本@名無史さん:2006/07/31(月) 23:02:07
ごく一般的な定説ではもちろんYES。
164日本@名無史さん:2006/08/01(火) 16:07:23
>>162
神代文字は偽物です
165日本@名無史さん:2006/08/02(水) 19:49:22
最後の遣随使ってだれですか?
166日本@名無史さん:2006/08/02(水) 23:20:24
後奈良天皇のように、前に名乗っていないのに「後」をつける天皇がいるのはなぜ?
167日本@名無史さん:2006/08/03(木) 17:12:29
奈良→平城の別称
確か柏原→桓武、西(院)→淳和、深草→仁明、水尾→清和、小松→光孝の筈。
168日本@名無史さん:2006/08/04(金) 00:04:28
ありがとうございます!やっぱ前例をふまえた諡号なんですね。

天皇関聯ですが、小谷野敦という人が、ブログで皇統が大きく変わったら、
諡号に「光」が入るといってましたが本当でしょうか?
また、今上天皇という呼び方は重複と書いてましたが、前近代にそう呼んでましたか?
169日本@名無しさん:2006/08/04(金) 00:54:21
>>168
宮内では「お上」「今上」だけだったものな。
一般市民は「今上陛下」「天皇陛下」だったが。

〇〇天皇の系譜に書き連ねるとき座りが悪いので、
敢えて今上天皇と書いているんだと、私は思っていた。
170日本@名無史さん:2006/08/04(金) 14:27:10
>>163-164
これだから正史派は…w
171日本@名無史さん:2006/08/04(金) 16:05:44
柳生十兵衛の出身地が奈良って本当?
山田風太郎のイメージで、てっきり兵庫出身だって思ってたけど・・・
172日本@名無しさん:2006/08/04(金) 16:49:04
>>171
柳生家の本拠地は、もともと大和国柳生荘だぞ。
爺さんのとき取り上げられていたが、
親父の宗矩が関が原の戦いの戦功で再び貰い受けた。
十兵衛はそれから7年後の生まれ。大和国(奈良県)
生まれだといっても、全くおかしくない。
173日本@名無史さん:2006/08/05(土) 01:41:44
安康天皇が7歳のガキに殺されたっていうのは本当ですか?
174日本@名無史さん:2006/08/08(火) 18:40:46
プラムが東広島に住んでるって本当ですか?
175日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:07:31
すみません、質問です。
秀吉の九州出陣で討ち死した長曾我部信親に嫡男はいたんでしょうか?
176日本@名無しさん:2006/08/11(金) 18:31:26
信親の妻は明智光秀の家臣だった石谷頼辰の娘。

ちなみに、頼辰の義理妹(養父石谷光政の実娘、斉藤利三の義妹でもある)は
元親の妻で信親の母だから、義理の従兄弟結婚になる。

信親は二十二で戦死したが、娘が一人いただけ。
その娘は信親の弟盛親に嫁ぐ。叔父姪の結婚だ。
五人の男子に恵まれたが、大阪夏の陣後、盛親と共に全員処刑された。
177日本@名無史さん:2006/08/12(土) 06:05:54
延暦寺や興福寺といった、寄進地形荘園を多数保有していた
寺院は鎌倉期や室町期に大規模な日宋貿易や日明貿易をしてたんですか?
178日本@名無史さん:2006/08/12(土) 09:28:22
日宋貿易での主な輸入品は銅銭、絹織物、書籍。
日明貿易での主な輸入品は銅銭、生糸など。

日宋貿易のときは、織物は輸入しても生糸は輸入してなかったの?
あと、日元貿易の輸入品は日宋貿易と同じものと考えてOK?
179日本@名無史さん:2006/08/12(土) 16:43:20
生糸は国産できるやん。

日元貿易のときは殆ど海賊だから何でもあり
180日本@名無史さん:2006/08/13(日) 10:56:44
武田信玄の言葉で、人は城、人は生垣とかいう言葉がありますけど、
これって、すごく失礼な言葉じゃないでしょうか。
人を物に例えるなんて。
 
どうして、この言葉がもてはやされているのでしょうか。
181日本@名無しさん:2006/08/13(日) 12:53:20
>>180
そういう見方をするのは現在人だけなんだが、
あまり感心できたものではないな・・・
182日本@名無史さん:2006/08/13(日) 17:54:45
今の大人たちが学校で受けていた謝罪教育とはどのような教育でしょうか?
父も母も知らないと言いますしある特定の年代の方が受けていたのかもしれません。
謝罪教育を受けた体験者の方教えてください。
183日本@名無史さん:2006/08/13(日) 22:05:15
質問します。

秀吉が征夷大将軍にならなかった理由を教えてください。
184日本@名無史さん:2006/08/13(日) 22:46:47
質問です。
函館戦争で、病院を攻撃させないように命じた、薩摩藩の隊長山下喜次郎って実在する人物なのですか?
実在する人物ならその後どうなったのかご存知な方はいらっしゃいませんか?
185日本@名無史さん:2006/08/13(日) 22:59:51
>>183
ならなかったんじゃなくてなれなかったんです。
秀吉の出自は農民でこれは知られていた事実。
征夷大将軍は源氏長者がなるものと思われる風潮があったため当然只の農民の子から成り上がった秀吉には就任する機会はなかった。

あと1つの理由があってまだこの時には足利義昭が生きてた為。
彼は死ぬまで源氏長者の地位を捨てず、秀吉も義昭の猶子となり将軍職を目指すんですが断られてしまいやむを得ず関白・近衛前久の猶子となり関白職についたそうです。
186日本@名無史さん:2006/08/13(日) 23:08:37
謝罪教育といわれる教育はありません
ネットで調べても出てきませんし聞いたこともない
日本が悪かったんだと教える教育のことを言いたいのかと推察されますが
身近な戦争についてはスルーが日本的教育です
事なかれ主義こそ日本的な文化だからでしょう
187日本@名無史さん:2006/08/13(日) 23:10:11
>>186>>182へのレス
188日本@名無史さん:2006/08/13(日) 23:11:20
やたがらすが家紋の有名な鉄砲侍って誰でしたっけ?
189日本@名無史さん:2006/08/13(日) 23:19:24
>>188
雑賀孫市じゃなかったけ?
190日本@名無史さん:2006/08/13(日) 23:27:44
>>189
それです!ありがとうございます!
191日本@名無史さん:2006/08/14(月) 03:12:49
東北地方で昔から継がれてきて、今なお地元で勢力のある家系?なんてあるのですか?
192日本@名無史さん:2006/08/14(月) 04:41:18
>>185ありがとうございます
193日本@名無史さん:2006/08/14(月) 13:00:23
>>191
昔っていつよ?
194日本@名無史さん:2006/08/14(月) 13:04:27
>>191
会津松平家
195日本@名無史さん:2006/08/14(月) 13:31:29
質問です。
1 日本において貴族でも貧しい人がいた原因・理由をいくつか列挙していただければ幸いであります。

2 貴族が「せめて腹いっぱい芋粥を食べたいなあ。」とぼやくと、それを聞いた豪族が「よし、食わせてやろう。」
  で、貴族の前に山盛りの粥が用意されるとなぜかその貴族は一杯も食べきらないうちに「もうけっこうです。」

  こんな話を聞いたのですが、実話でしょうか? 実話だとしたら貴族が粥を一杯も食べきらないうちにもう結構
  と言ったのはなぜでしょうか?多分、平安時代の話だとは思うのですが。
196日本@名無しさん:2006/08/14(月) 15:09:44
>>195

つ 芥川龍之介『芋粥』
  ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html

  短いので、この際全文読んでおくといい。
  元ネタは平安時代末期成立の『今昔物語集』。それより少し後の『宇治拾遺物語』にもある。
  これらは説話集であってドキュメンタリーではない。つまり、話それ自体はフィクション。

  話を変えるが、「サンピン」という言葉を知っているかな。
  「三俵一人扶持」の略称で、傘貼りアルバイトばかりしている貧乏侍の代名詞。
  乞食一歩手前のこんな人々でも、江戸幕府(徳川家)直属の家臣、立派な武士だったんだよ。

  貴族だって同じこと。ゴージャスな生活ができたのはトップだけ。
  都の下級貴族は、豪華な世界の片隅で用務員のように雑事をこなすのみ。
  土地(荘園)もサラリーも無きに等しい。副職と下賜と賂(まいない)が主な収入。
  その点地方はいいよなあ。商売でも開墾でもやって食い扶持を確保できるん
  だから・・・というのが、上に書いた芋粥のおはなし。

  世の中のシステムがわかっていれば、貴族が貧しかった原因・理由の説明
  なんて要らないだろ。ましてや、アレが実話であろうとなかろうと、そんなことは
  どうでもいいことなんだ。
197日本@名無史さん:2006/08/14(月) 17:28:52
>貴族が貧しかった原因・理由の説明
>要らないだろ。

いや分からない。
198日本@名無史さん:2006/08/15(火) 00:11:09
>>197
バカ者を称して、タワケって言うのを知ってるか。

タワケは、田分けとも言う。後は考えれ。
199195:2006/08/15(火) 11:16:42
>>196 レスありがとうございました。あの話自体はフィクションでしたか。

>>198 たわけとは、昔はは多くの田んぼを抱えていた有力な一家が、代替わりのたびにに子供たちに田んぼを
 分割相続させていった結果、何代か後の子孫一人当たりがもらえる田んぼはすごく少なくなってしまった=貧乏化・没落
 ってやつですよね。

皆さん、分かりやすいレスありがとうございました。
200日本@名無しさん:2006/08/15(火) 12:43:28
>>199
あの話のオチは狐に化かされていたというものだから、もうこれだけで
フィクションとわかるだろう。ただ、こういうフィクションを作るには
「貧乏な都貴族と豊かな地方」という世界が作者の頭にあることが
前提だわな。
201日本@名無史さん:2006/08/15(火) 23:08:44
>謝罪教育といわれる教育はありません

自衛官の子供を吊るし上げるような「教育」はあったけどな
202日本@名無史さん:2006/08/16(水) 08:43:57
どこかの高校では修学旅行先に韓国を選び
生徒に土下座させて戦争責任を謝罪させているそうだが

どう考えても逆効果です。本当に(ry
203日本@名無史さん:2006/08/16(水) 08:53:12
今の高校生に戦争責任はないでしょ
身分にうるさい封建社会じゃあるまいし、先祖の罪が子孫にも及ぶなんて考え方は、
とても愚かだと思います。
204日本@名無史さん:2006/08/16(水) 10:16:09
>>203
それは土下座させたアカ日教組のアカ教師に言ってやれよ
205日本@名無史さん:2006/08/16(水) 10:59:20
目覚まし時計が普及する以前の日本人はどのようにして起きていたのでしょうか?
仕込みだの仕入れだので早朝から起きなければならない人もいたと思います。
朝日が昇ってきたからといって必ずしも目覚めると言うわけではないですし。
206日本@名無史さん:2006/08/16(水) 10:59:56
広島のアカ教師は自分の子供を公立には行かせないからねw
207日本@名無史さん:2006/08/16(水) 11:01:00
>205
つ体内時計
208日本@名無史さん:2006/08/16(水) 14:43:49
結局謝罪教育といわれるものは一般的に行われていたのではなく
一部で起きた出来事でしかなかったってことだろ
謝罪教育を受けた世代がが見当たらない
209日本@名無史さん:2006/08/16(水) 17:28:17
>>205
朝日が昇る → 雄鶏が鳴く → 寺の坊主が起きる → 朝の鐘つきゴ〜〜〜ン〜〜 →
長屋のジジィが起きる → 「おい、ハチ。とっとと起きやがれ!」
210日本@名無史さん:2006/08/16(水) 17:53:39
>>209
近所の寺で聞いたが、最近は鐘は週一くらいにしないと近所から五月蝿いと苦情
が出ると。
211日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:03:43
昔の人里離れた山寺も今は住宅地のまんまん中ってか…
212日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:25:42
>>178-179
古代から絹の生産が行われていたけれど、日本では高級生糸や精巧な織物は貴族の衣装に充てるための税として徴収するものが主だったために貴族社会の没落とともに生産されなくなり技術そのものも衰退。
そんな状態が数百年も続いていたため、中世中期の文化興隆とともに再び精巧な絹織物が作られるようになっても日本国内には綿専用の絹か劣悪な質の生糸しか生産出来なくなってしまった。
日本でも江戸時代に収入増大のために幕府や諸藩が養蚕や織物生産に力を入れ出した関係で、再び絹の製品水準が高まって自給が出来るようになったのは江戸時代も中期に入ってからでそれまで高級生糸は中国からの輸入に頼っていた。
213日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:42:18
なるほど。
要するに平安末期〜鎌倉期は、「精巧な織物」を生産する技術がなかったので、
わざわざ生糸を輸入する意味がなく、絹織物だけを輸入していたわけか。
214日本@名無しさん:2006/08/16(水) 20:54:33
>>210
実家では修道院の鐘を聞き、勤め先では朝晩二回山寺の鐘を聞いたものだが・・・
215日本@名無史さん:2006/08/16(水) 23:35:29
ウチの田舎では、6:00, 12:00, 17:00 にまだサイレンが鳴る。
戦争中は、空襲警報、空襲警報解除も出していた。川もあるから洪水注意とかも
あるんだろうが、どう鳴ればそれなのか知らないな。
216日本@名無史さん:2006/08/17(木) 00:20:15
>>213
西陣織なんかも江戸時代前期になって初めて国産の生糸を利用するようになった。
それ以前は輸入生糸からしか作らなかった。
217日本@名無史さん:2006/08/17(木) 13:58:07
>>208
軍事知識全否定教育なら
ある一時期たしかにあったと思う。
218日本@名無史さん:2006/08/17(木) 17:49:14
>>217
謝罪教育ってどの世代が受けたの?
219日本@名無史さん:2006/08/17(木) 17:54:31
日本は原爆の被害者だと教える授業はあったが日本が加害者だと教える教育は日本ではなかった。
日本が加害者だと教える国はどこの国か考えれば謝罪教育があったと言っている人の国が判る。
220日本@名無史さん:2006/08/17(木) 18:14:52
オカルトからの誘導なんですが、
俺の実家はど田舎で、我が家の専用の墓地があるんです。
中にはとても古い墓もあって、文政、文化、嘉永、延享の年号のものもあります。
200年以上前ですね。

そこで、一番古いとおじいちゃんから聞かされてた墓があるのですが、
年号が「神武元年」となっているのです。
私がぐぐった限りでは神武という元号は無いみたいです。
初代天皇が神武天皇ですが、それと関係あるのでしょうか?
詳しい人、感想をお聞かせください〜。
221日本@名無史さん:2006/08/17(木) 18:20:35
>>220
まずは検証の為にも写真をうpしてください。
話はそれからです。
222220:2006/08/17(木) 20:20:25
>>221
今日はもう暗くなってしまったので撮れません・・・。
お墓を撮ったりするのはちょっと気が引けるんですが。

何を知りたいですか?
結構古いお墓で、普通の墓石ではなく塔になっています。
223日本@名無しさん:2006/08/17(木) 20:35:40
>>222
その「神武」と彫られている面全体。
できることなら、字が彫られている面全ての写真が欲しい。
文章の一部として「神武」と彫られているだけの可能性が
高いと思われるから。また、建立年号は他の面に彫られて
いるかもしれないので。
224日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:04:31
>222
古い墓石(なのか?)を撮るのなら
マクロレンズ(モード)で
F8ぐらいまで絞って
昼間でもストロボを焚いて
内蔵ストロボでは無く、多灯で撮影してくれれば完璧
225220:2006/08/18(金) 00:40:26
わかりやしたー。
明日雨が降らなければ撮ってきます(`・ω・´)
そんなにいいカメラじゃなくて、携帯になりますが・・・。

神武元年○月△日って書いてあったので、文章じゃないと思うんですが。
文字もかなり見づらくなってましたねー。
226日本@名無史さん:2006/08/18(金) 10:05:31
>>225
面白いと思うけど、神武の時代に日本に文字があったんか。
227日本@名無史さん:2006/08/18(金) 14:27:25
弘毅2600年記念がらみだったりして・・・
228日本@名無史さん:2006/08/18(金) 14:28:00
おっと、皇紀2600年ね。
229日本@名無史さん:2006/08/18(金) 19:48:33
教科書に載ってるようなザビエルの画像ってありますか?
230日本@名無史さん:2006/08/18(金) 21:13:08
筑前黒田家の家紋は「藤」と「黒餅」を所有しているようですが、秋田・佐竹家も扇子と源氏香紋を使っていますよね?
いくつも家紋を持つというのは、名門では当たり前だったのでしょうか?
231日本@名無しさん:2006/08/18(金) 22:43:15
>>230
それが普通でした。
下賜されたり、姻戚関係を結んで貰ったり、敵を倒して奪ったり、あるいは
手持ちの紋をお好みにアレンジしたりなどなどで。今でもそうですが、
家紋は複数持っても構わなかったし、使うのも自由でしたから。

大体以下のような種類に使い分けていました。

(1) 氏族を示すために使うもの(表紋、代表紋)
(2) 特定の個人や家を示すもの(定紋、本紋、正紋)
(3) それ以外の、専らプライベートで用いるもの(替紋、裏紋、副紋、別紋)
(4) あまりにポピュラーになってしまって貸衣装などに使われたもの(通紋)

賜姓を名乗る会合だと氏族の共通の紋(1)、同姓や一門での会合だと
当主や本家分家を示す(2)、お好みアイテムにお好みの紋飾りをつけるなら
(3)でよし、とりあえず無紋だと寂しいのでお飾りのためだけに(4)と。

家紋は本来自他の区別あるいは差別化を図るために重要な紋章であったの
ですが、次第にただのアートとしての使い方も広まりました。このような用途の
広がりから、複数の紋を持つ(というか、使う)ほうが何かと便利だったのです。




232日本@名無しさん:2006/08/18(金) 23:07:47
>>229
教科書に載っているお馴染みの絵は、「聖フランシスコ・ザビエル像」(神戸市立博物館蔵)です。
同博物館で観覧できるそうです。作者は不詳。江戸時代初期に日本で描かれたものという説が
有力で、あまり知られていませんが、下段に日本文の解説や九州が描かれています。
ttp://reimeikan.pref.kagoshima.jp/kgs02_s6_5.htm

特別展覧会でこの模写(だったと思いますが)を観たことがあります。
随分大きな絵で、色使いやタッチなどからして、当時の西洋で描かれたものという印象を
受けなかったように記憶しています。

あまり知られていないことですが、当時の西洋でもザビエルは超の字がつく有名な聖者でして、
実にたくさんの肖像画があります。ルーベンス、ヴァン・ダイク、プッサン、ゴヤもザビエル像を
描いているとか。
ttp://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/topics/9902/murata/murata.html
233日本@名無史さん:2006/08/18(金) 23:27:34
>>231さん、迅速に、的確な答えをありがとうございました。

日本史研究者で、家紋の研究を専門にしている方というのはいますか?
花押はちらほらいますよね。
234日本@名無しさん:2006/08/19(土) 00:17:07
>>233
紋章学の大家に、学士院賞を受けた故沼田頼輔博士がいます。

詳しくは知りませんが、日本の家紋研究はヨーロッパの紋章と
氏族の対比や変遷の体系である「紋章学」の転用で、日本史
研究としては比較的新しい分野のような気がします。ただ
氏族研究の一部として紋章の研究はなされているようです。

235日本@名無史さん:2006/08/19(土) 13:58:06
>日本が加害者だと教える教育は日本ではなかった。

あったよ。高度経済成長期から。
例えば「今度はアジアを経済的に侵略している」という、
当時の日教組の好んだフレーズは、
先の戦争を侵略戦争だと決めてかかってのものだろ?
236日本@名無史さん:2006/08/19(土) 14:07:49
言いたい事を言わせて満足させてやれば良いものを・・・
質問スレが基地外粘着のせいで荒れたら
削除依頼やその他諸々の後始末は>>235が責任もってやれよ
237日本@名無史さん:2006/08/19(土) 16:54:57
>>235>>236
そんな教育があったかどうかなんてここで議論すべきことじゃない、
それに自分自身が受けた教育は自分が一番知ってること。
自分自身の経験と信頼できる身近な人に聞いた話を信じればいい。

『基本的に2チャンネルは匿名で発言も無責任な言いたい放題の遊び場』

238日本@名無史さん:2006/08/19(土) 17:01:20
質問なんですけど、日本の初めてのお金の名前って何ですか??和同開珎よりも前なんですけど…
教えて下さい。
239日本@名無史さん:2006/08/19(土) 17:08:34
>>238
富本銭
240日本@名無史さん:2006/08/19(土) 17:09:14
富本銭
241日本@名無史さん:2006/08/19(土) 17:22:02
ありがとうございます!!富本銭ですね☆助かりました♪
242日本@名無史さん:2006/08/20(日) 08:21:36
>>237
間違った回答があればそれを正すのは回答者の良心だよ。



【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 すでに時効迎えた「過去」への贖罪
産経朝刊 08月03日
ttp://www.sankei.co.jp/news/060803/morning/seiron.htm

(略)
 そもそも、反日日本人が倫理のネタを西洋革命思想と東アジアへの贖罪から密輸入してき
たのは、1950年代末のことであった。それまでの日本人は戦争の災禍が甚だしく、自らを
被害者としか認められなかった。
 当時彼らは、社会主義による近代化を信じていたので、中国は戦禍をこうむったがそこから
建設のエネルギーを汲(く)み取ったと見た。それに引き替え、日本はこれまでの資本主義に
よる近代化を惨敗として自覚せず、戦争のおかげでアジアは独立を勝ち得たのだと、侵略の
過去を合理化してしまったと考えたのである。
 そこで商業誌を中心に、日本こそが戦争の加害者で、贖罪すべきであると猛烈な宣伝戦を
展開した。その後50年間の教化の成果として、今日の「贖罪大国日本」がある。
(略)
243日本@名無史さん:2006/08/20(日) 11:52:52
司馬遼太郎が読まれたのはそのせいだな。
244日本@名無史さん:2006/08/21(月) 01:50:59
お城とか日本家屋によく見られた
横長の和室に襖、これをいくつも越えていくと家長や殿様の部屋。
こんな感じの構造でこの中間にいくつもある小部屋?には
どんな意味があるんでしょうか?
245日本@名無史さん:2006/08/21(月) 02:35:04
襖を閉じておけば、それぞれ個室として使えます。
(プライベートは無きに等しいが)
襖を取っ払うと、大部屋として広く使えます。

あと夏は襖を開けとけば、風通しがよくなり、湿気も逃がせます。
冬は襖を閉じとくと、それぞれの部屋が空気の壁になって、
外の寒気が奥まで入らなくなります。
246日本@名無史さん:2006/08/21(月) 04:35:08
平清盛と常盤御前の間に生まれた娘って、壇ノ浦で兄貴に捕まってしまったそうですが、その後ってわかっているのでしょうか?
頼朝にとっては赤の他人の平家の娘でしょうが、義経にとっては一応妹ですよね。
何か特別は計らいとかは無かったのでしょうか?

後上の人が昇進したその人がやっていた官職を引き継ぐというのは名誉なことなのでしょうか?
ぶっちゃけると豊臣秀吉が関白になった後筑前の守の地位を前田利家に与えたそうですがこれは利家にとって名誉なことですか?
247日本@名無史さん:2006/08/21(月) 15:16:41
>>245
?????????????????????????????????????????????
248日本@名無史さん:2006/08/21(月) 17:06:52
>247
245が元の質問意図をはき違えてると思う。
ってか244の質問も、何聞きたいのかよくわからんが・・・

意味と言うなら、部屋は部屋ですとしか答えようがない。
どんな風に利用したかというなら、必要に応じて色々。
殿様の部屋の隣室なら、身の回りの世話をする家臣などが、
護衛を兼ねて控えてたりします。

大きな部屋を襖で間仕切りし、それぞれを小部屋として
他用途に使えるようにしてるのが昔の日本家屋です。
現代のイベント会場などで、大ホールをパーティションで区切って利用するのと同じ発想です。
必要なら、襖を取っ払い、大人数を一部屋に集めることもできます。
時代劇で、家臣がずらっと座って並んでるシーンとかあるでしょ。
あれは広い部屋が別にあるのではなく、襖を取っ払い、
部屋を広くして並ばせてるんです。個人宅でも同じ。
245が言ってるのはそゆことかと。
249220:2006/08/21(月) 18:25:01
遅れましたが、お墓の写真を撮ってきました。

神武の部分のアップ
http://www.uploda.org/uporg486767.jpg.html

神武「○○」の部分
http://www.uploda.org/uporg486769.jpg.html

年号じゃないんですかねぇ。
おのお墓自体は五輪の塔で、
全面の日付の後には戒名が掘られていました。
珍しい名字なのでそこはうpしないことにしました。
右側面に「大日如来」と掘られており、他の面には何も掘られていません。
ご意見をお聞かせください〜。
250日本@名無史さん:2006/08/21(月) 19:04:39
湿気がありそうなのに全然傷んでねえし、50年も怪しいよ。
あんたのジイさんが手で掘ったんじゃないのか? w
まず自分の家族を問い詰めろ。
251244:2006/08/21(月) 20:42:03
>>245,>>248
レスありがとうございます。
そして意図がよくわからない文になってしまってすみませんでした。

和風ホラーゲームをやっていてその舞台になっている廃屋に
質問であげた感じの部屋が出てくるんですが
こんな狭くてど真ん中を人が行き来する部屋の
使い道がよくわからん、と思い質問させていただきました。

襖を取っ払うという発想が無かったもので目からウロコでした。
とてもわかりやすいお答えをありがとうございました。
252日本@名無史さん:2006/08/21(月) 21:35:07
>>249
文字がぼやけてても良いので、
全体写真がほしかったです。

そうすれば、その様式(屋根の部分の形など)
で制作年代がわかりますので
253220:2006/08/21(月) 23:00:06
>>250
もちろん家族には聞いてますよ〜。
他のお墓の年号を見る限り、200年くらい前かと。

>>252
あ〜、屋根の形で年代が分かるというのは聞いたことがあります。
また撮ってきますね。

「神武元年」の「年」の漢字が怪しいんですよね。
よく読めないですが・・・。
254日本@名無史さん:2006/08/21(月) 23:18:42
>249
>ご意見をお聞かせください〜。

情報が断片しかないので全て妄想ですが(^^;
オリジナルはあったと思います
ただ、神武云云の文字を見て専門の職人からは字を刻むのを拒否されたのではないでしょうか
それ故素人が字を刻んだのでは?
その際(箔をつけようとしたのか)余計な事をアレコレと付け加えたようですね

>253
全体を撮影してから画像を加工しては如何?
もっとも特に新しく分かるような事は何も無いと思いますが・・・
255日本@名無史さん:2006/08/21(月) 23:35:24
安土桃山から江戸時代までの「傾き者」について詳しい本がありましたら教えてください。
できればフィクション以外でお願いします。
256日本@名無史さん:2006/08/21(月) 23:42:27
>>249

ネタとして面白そうなので、再upきぼん
257日本@名無史さん:2006/08/22(火) 06:34:23
城下に住んでなくても藩主の分家の家臣とかなら藩士になるの?
258日本@名無史さん:2006/08/22(火) 12:49:23
今高二で、大学受験を考えているんですが、
9月から予備校で日本史をとろうか古文をとろうか迷っています。
どちらをさきにとった方がいいと思いますか?

予備校の講師に相談したら、それはもうあなた次第だ。
といわれました。
古文と日本史のどちらが苦手かといわれたら、
どっちもどっちなんですよね…。
でも、日本史の方が覚える量が多いし、点数も大きいので、
日本史の方がいいんでしょうか?

日本史内に関係することじゃなくてすみません…。
よかったら、アドバイスお願いします。
259日本@名無史さん:2006/08/22(火) 12:54:56
20世紀はじめ頃に日本へ亡命して来ていたというコンデ侯(亡命名・阮福民)
という人物に関して教えて下さい。
植民地支配者フランスによってヴェトナムの王位を約束されながら、
独立運動の為に日本に亡命して来た、という事ぐらいしか知りませんので
どうか宜しくお願いします。
名前からして阮王朝の一員だったのでしょうか?
教えて下さい。
よろしく。
260日本@名無史さん:2006/08/22(火) 13:33:09
>コンデ侯
阮朝初代のザロン帝の皇太子(早世)の直系子孫。
261日本@名無史さん:2006/08/22(火) 21:22:36
>>259
コンデよりクオンデで調べた方が良いよ。
クオンデ又はクオンデ侯でググるべし。
262日本@名無史さん:2006/08/23(水) 03:56:15
質問なんですけど。
平清盛と常盤御前の間に生まれた娘は、壇ノ浦の合戦で義経に捕まったそうですが、義経は妹に何か特別な計らいってしなかったのでしょうか?
263日本@名無史さん:2006/08/23(水) 12:58:07 BE:77940623-2BP(310)
大分昔になりますが、大河ドラマの豊臣秀吉(竹中直人主演)のなかで歌われていた歌が非常に耳に残り、
その歌が実在するのか、また正確な歌詞はどのようなものなのかを知りたくていろいろ調べています。
ですが、覚えている歌詞が一部で、しかもあいまいですのでいくら検索しても見つかりません。
歌われていたのは、劇中のお酒の席で非常に楽しそうな調子の歌です。
歌詞は、あっているかは微妙ですが「おんけらか(おんけだか?)」といった言葉が何度も繰り返されていました。
どなたかご存知の方いませんでしょうか?
264日本@名無史さん:2006/08/23(水) 13:34:53
>>259
維新会
いしんかい Viet Nam Duy Tan Hoi

20世紀初頭のベトナム民族運動組織。1904年ファン・ボイ・チャウらを中
心として組織された。盟主には皇族クオン・デ(彊鹸)を推戴し,ベトナム
の独立回復と立憲君主制の樹立を綱領とした。05年にはチャウが渡日し,
日本への留学運動(ドンズー運動)を組織した。06年にはクオン・デも渡日
し,活動の中心は日本におかれたが,国内でもドンズー運動のための資金
捻出,留学青年の送り出しのための活動と共に,抗仏武力闘争の準備活動
が進められた。
しかし国内外での活動は 日 ・ 仏 両 当 局 の 弾 圧 によって
09年までにはいったん頓挫した。チャウらが運動の再興を試みるのは,
12年広東に光復会を組織する時になってからである。
                        白石 昌也

(C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.

クオン・デのようだね
265日本@名無史さん:2006/08/23(水) 14:04:17
>>263
テレビのことはテレビ板で聞けよ夏厨
ここは高尚な学問を扱う板だ
266日本@名無史さん:2006/08/23(水) 14:39:51
>>264
日露戦争後、アジアに希望を与えた日本だが、
実際の行動は、フランスに協力した帝国主義的行動だった。
アジアのがっくり具合は大きかった。
267日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:31:45
>>262
尼さんにでもしたんじゃねえ
268日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:46:59
このスレは現在回答者のレベルが低くソースも示さず思い付きを書き殴るだけです。
皇国史観、差別思想、軍国賛美についての質問には同調し回答しますが
そんな人は日本史については不得意な人が多く日本史の質問には罵声を浴びせます。
269日本@名無史さん:2006/08/23(水) 16:05:50
称光天皇も男色ばかりにて女犯に身を穢すことは無かったと聞くが、
一説に「二女史を儲けた」とも伝えられている。
ただし、「皇女」だというのに、二人とも名前すら分かって居ないし
養女だった可能性もあるのではないかと思われますのう。
詳しい方々、教えて下さらぬか。



270日本@名無史さん:2006/08/23(水) 17:45:28
北白川宮能久親王が独逸留学中にドイツ貴族の息女と「結婚した」
という話を、竹田宮の孫息子の書いた本で読んだことがあります。
この相手の女性は何という名前の何家出身の人物だったのでしょうか。
おそらくは正式の婚姻関係ではなくして、内縁的なる愛情関係でしか
無かったかと思われますが、その後二人は無理やり別れさせられたと
いう風に記されていたと記憶致して居ります。
このあたりの経緯に就いて詳しい方々の御教示を願い上げます。
宜しく。
271日本@名無史さん:2006/08/23(水) 18:36:14
>>268
で、質問は何かな?
272日本@名無史さん:2006/08/23(水) 21:00:40
>>271
あなたの日本史の偏差値は?
神武は実在していましたか?
273日本@名無しさん:2006/08/23(水) 21:08:15
>>269
称光帝生来病弱にてご危篤あそばされしことしばしばと聞く。
仏法に深く帰依し腎虚を避けるべく女犯を避けたまいしこと容易に推察されども、
数え十二で帝位に就きたまいし御身、男色に身を耗すなど許されるものかは。
そもそも男色は身旺じておらざれば勤まらぬ。風説に過ぎぬと考える。

皇女は新内侍との間に数え十八でお一方、別当局との間に二十六でお一方あると。

養女と考えられなくもなし。
しかれども、称光帝生来病弱ならば身辺まま壮健たる親王が相応の年を以って
迎えらるるが道理。ならば名もあり残るはず。何ゆえに女を迎えたるや。

そもそも、当時の政治背景からしても称光帝に養女を迎えることあらんや。
先の後小松帝健在にて足利家との確執も多し。迎えるならば御自らになされるはず。
事実、彦仁王を迎えたる。これを如何考える。

先の皇女お二方は早く身罷られたと思われ。


274日本@名無史さん:2006/08/24(木) 07:19:04
>>271
偏差値は忘れました。
神武は実在していません。
275日本@名無史さん:2006/08/24(木) 13:46:31
>>274
そこまで真面目に回答するなら、
偏差値なんて日本史の質問じゃないんだから答えるなよw
276キィウ:2006/08/24(木) 18:52:27
645年、中大兄皇子や中臣鎌足らは、蘇我氏をたおし「大化の改新」とよばれる政治の改革をはじめた。
どうして中大兄皇子たちは改革をしようと考えたのか。その謎を解決するためには、聖徳太子が目指した政治や、
当時の国際関係(とくに中国・朝鮮との関係)、そして「大化の改新」によって中大兄皇子たちが実現しようとしたことを総合的に考えなければならない。
下図のクーデターが起こった場面に、それらがすべて含まれるよう台詞を考えてみよう。

夏休みの宿題。ちなみに中学生。
台詞はいいんですが関係の方を教えてください。
お願いします。


277日本@名無史さん:2006/08/24(木) 20:47:08
明治時代になるまでの日本の政体って、基本的に何なのですか?
明治以前の日本で、デモクラシーだった時代はありますか?
278日本@名無史さん:2006/08/25(金) 09:40:44
>>277

幕藩体制 or 封建体制

>デモクラシー   あるわけないw
279日本@名無史さん:2006/08/27(日) 18:41:02
江戸時代の武士は家督相続を成立させるには藩主、或いは将軍に御目見えをしなければならないと本で読んだのですが、
御目見え以下の御家人や下士もこのときのみ許されたのでしょうか?それと、藩主が不在のときはどうしたんでしょうか?
待つにしても場合によっては一年以上不在のときもありますよね。
280日本@名無史さん:2006/08/27(日) 19:17:41
エタと非人の待遇って違ったのですか?
281日本@名無史さん:2006/08/27(日) 20:16:26
鎌倉時代などの荘園はお寺などが持ってましたが
このお寺は何宗でしょうか?
282日本@名無しさん:2006/08/27(日) 22:05:50
>>279
>藩主が不在のときはどうしたんでしょうか?
 次の機会を狙い、登城します。

>御目見え以下の御家人や下士もこのときのみ許されたのでしょうか?
>待つにしても場合によっては一年以上不在のときもありますよね。
 そのとおりです。君主は多忙ですから。

 これを知る上で、朝日重章「鸚鵡籠中記」という日記があります。
 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B8%9A%E9%B5%A1%E7%B1%A0%E4%B8%AD%E8%A8%98
 それによると「家督相続の予定の者は城内の庭先のあちこちにしゃがんで待ち、
 殿様がその前の廊下を通り過ぎれば、御目見え完了というもので、言葉はおろか、
 意識すらされないといったものだった」のだそうです。

 鸚鵡籠中記の解説書として神坂次郎「元禄御畳奉行の日記〜尾張藩士の見た浮世〜」
 (中公新書刊 ISBN 4121007409) があります。

 その抄(つまりダイジェスト)
 ttp://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/nonfc/kosakajiro02.html

 筆者重章も元禄七年五月十七日から御目見えするまでは大変で、御目見え同士に
 流れたデマに引っかかったり、願い書を提出したが名を呼ばれなかったりで、
 御目見えできたのは十二月十日だったと。
283日本@名無史さん:2006/08/28(月) 00:07:23
そうですか、本当に辛抱強く待ったんですね。
ご丁寧にありがとうございました。
284日本@名無史さん:2006/08/28(月) 00:35:42
>>278
江戸時代にも住民自治はそこそこ進んでいて「入札」と呼ばれる選挙もあった。
むしろその事実を必死に抹殺したのが明治政府。
285日本@名無史さん:2006/08/28(月) 00:48:21
地位は、城代家老>次席家老であってますか?
286日本@名無史さん:2006/08/28(月) 02:23:17
スレ違いどころか、板違いかもしれないのですが
第二次大戦中の国民のスローガンになっていた
「撃ちてしやまん」という言葉は、一体どういう意味なのでしょうか?

攻撃の手を緩めることはないぞ、という意味なんでしょうか?

検索したら、現代もいろんなところで使われているみたいなんですけど
意味が分からず。。。
287日本@名無史さん:2006/08/28(月) 08:20:40
撃たずにいられようか、という意味では?
288日本@名無史さん:2006/08/28(月) 11:18:59
>>286
「古事記 うちてしやまむ」でぐぐると、使われている歌と和訳がある。
289日本@名無史さん:2006/08/28(月) 15:28:40
皇国史観板でも作って
>>284みたいなやつを隔離して欲しいな
290日本@名無史さん:2006/08/28(月) 16:45:06
286です。
287さん、288さん、ありがとうございました。
なかなか勇ましい言葉なんですね。
291日本@名無史さん:2006/08/28(月) 17:49:04
地位は城代家老>次席家老であってますか?
292日本@名無史さん:2006/08/29(火) 00:56:43
>>289
入札(いれふだ)で村役人や町役人を選んでいたというのは、江戸中期の名主制崩壊以後の農村部やそういった伝統的な地域の仕組みがなかった都市部では普通に行われていたわけだが。
法制史の世界じゃむしろ常識だろ。
293日本@名無史さん:2006/08/29(火) 13:08:50
奥州水沢って江戸時代は留守氏の所領で良かったんでしたっけ?
294日本@名無史さん:2006/08/29(火) 13:49:45
>>292
その程度の事を指してデモクラシー扱いするのが痛いって気づけw
295日本@名無史さん:2006/08/29(火) 14:14:31
>>294
そう思ってるのがお前だけだと言うことに気づけw
296日本@名無史さん:2006/08/29(火) 14:24:19
>>294
そうだな。人民の、人民による、人民のためのって条件に照らせば
分かることだな。>>292 は矮小化すれば、請負だな。
297日本@名無史さん:2006/08/29(火) 14:45:45
>>296
日本語でおk
298日本@名無史さん:2006/08/29(火) 14:46:02
撃ち滅ぼしてやる
299日本@名無史さん:2006/08/29(火) 15:28:43
城代家老、次席家老、江戸家老で、一番偉いのはどれでしょうか?
300日本@名無史さん:2006/08/29(火) 16:53:48
>>294
中世の惣村も否定でよろしいんですよね。

そもそもお前さんの言う所のデモクラシーの定義に当てはめれば、
古代ギリシア・ローマは勿論、政治参加は納税者の権利とされてきた制限選挙制下の英米仏あたりの制度も全部デモクラシーじゃないだろう。
301日本@名無史さん:2006/08/29(火) 18:45:13
587年頃について質問です。
穴穂部皇子は
蘇我側の方が優勢なので寝返ろうとしたが過去の事件のため殺されたという文献と、
天皇の座の勢力争いのため(邪魔なので)殺されたという文献があるのですが
どちらが正しいのでしょうか?
302日本@名無史さん:2006/08/29(火) 21:06:45
>>299
城代家老>江戸家老>次席家老
303日本@名無史さん:2006/08/29(火) 23:12:01
日本でキリスト教が禁止されるまでの経緯が、イマイチ分からないんで教えてください
九州の大名が転んだ後も、秀吉やその他の大名は黙認してましたよね
島原以後、危険視されたのは分かるんですが、それ以前に何か問題でもあったのでしょうか
304日本@名無史さん:2006/08/29(火) 23:29:31
よく見たらテンプレにあるでやんの
テロ活動と人身売買か……
スレ汚しスマンです
305日本@名無史さん:2006/08/30(水) 01:21:38


    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしっすよー
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ
この絵を良く見かけますが、いったい誰なのですか?


マジレス求む!

306日本@名無史さん:2006/08/30(水) 01:52:52
徳川幕府は自分の家の繁栄を願い、鎖国をし大型の船の建造を
禁止しましたが、参勤交代によって国内のインフラが整備され
日本独自とされる芸能や大衆文化が発展しました。
307日本@名無史さん:2006/08/30(水) 09:46:42
age
308日本@名無史さん:2006/08/30(水) 09:49:14
>>305
痛い違い

>>306
>国内のインフラが整備
過大評価
309日本@名無史さん:2006/08/30(水) 11:12:00
>>300
じゃあまずお前さんの考えているデモクラシーの定義を言ってみろ。
310日本@名無史さん:2006/08/30(水) 13:01:32
>>309
人に聞く前にまず自分から言うのが礼儀だろ
311日本@名無史さん:2006/08/31(木) 11:38:58
>穴穂部皇子 ?‐587

欽明天皇の皇子で,母は欽明妃で大臣蘇我稲目の女小姉君(おあねのきみ)。
敏達天皇の没後大連(おおむらじ)の物部守屋と結んで天下をとろうとし,
これに反対する敏達の寵臣三輪逆(みわのさかう)を殺した。用明天皇の没後,
のちの推古天皇,蘇我馬子らに攻撃され,587年6月に殺され,守屋もまた
7月に滅ぼされた。
皇子は皇位継承問題で蘇我氏と対立し,蘇我対物部の政争の犠牲となった。                     

原島 礼二
(C) 1998-2002 Hitachi Systems & Services, Ltd. All rights reserved.
312日本@名無史さん:2006/08/31(木) 18:04:06
薩長同盟がなぜ結ばれたかわかりません。教えてください。
313日本@名無史さん:2006/08/31(木) 21:25:45
倒幕で利害一致以外でまだ何か知りたいことが?
314日本@名無史さん:2006/08/31(木) 22:50:12


    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしっすよー
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ
この絵を良く見かけますが、いったい誰なのですか?


マジレス求む!


315日本@名無史さん:2006/08/31(木) 23:53:48
>>313
薩長盟約は倒幕同盟ではない
最近の研究で言われていることです
316日本@名無史さん:2006/09/01(金) 15:02:41
>>310
おまえがどんなふうに考えているのかが聞きたいんだよ
なんかすげー勘違い、おまえはしてそうだからな
317日本@名無史さん:2006/09/01(金) 15:56:34
318日本@名無史さん:2006/09/01(金) 16:52:57
紀州徳川藩の参勤交代の経路は?
大阪湾岸を北上し堺から竹内街道を東進して奈良、鈴鹿と進む?
紀ノ川沿いを東進し五条→奈良→鈴鹿と進む?
紀伊半島を海沿に回って海路を志摩→伊良湖と進む?
大坂まで北進し淀川沿いに京へ上り琵琶湖に沿って関ヶ原→岐阜→名古屋?
どれが近い?
319日本@名無史さん:2006/09/01(金) 16:56:24
>>310
>>316
取りあえず、ウィキの民主主義の項目を見てみい。
民主主義の概念が一つだと言うのは単なる思い込みに過ぎないことが分かる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9
320日本@名無史さん:2006/09/02(土) 10:41:51
日本で短足はカッコ悪いという美意識が生まれたのはいつですか?
南蛮人が渡来して彼らと比べてからですか?
あと和服は短足を目立たせず着こなせる衣類だと言われてますが
やはり日本人は短足を気に病んでたのでしょうか?
321日本@名無史さん:2006/09/02(土) 13:57:34
>>319
概念が一つではないからと言って
およそそうとは見なせないようなものまで「民主主義」と言い張る姿勢はどうかと思われ
322日本@名無史さん:2006/09/02(土) 17:48:21
日本には言論の自由があり国民が主権者として国政を監視するためにタブーがあってはいけないのに
何で「天皇」はいまだにタブーなの?
皇国史観を批判したり記紀や天皇の過去に疑問を持ったら暴力で黙らせようとする人達は誰に養われてるの?
匿名の掲示板で天皇に都合の悪い事実を書くと嫌がらせのコピペが貼られるのは誰が張ってるの?
323日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:42:09
>>322

妄想、乙

324日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:43:54
ここは大丈夫なのか
325日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:44:43
>>322
世阿弥の『風姿花伝』に「秘すれば花」とあるでしょう。
神社の御神体は公開しないからアリガタイのです。
天皇に関するタブーを安易に無視すれば、日本の伝統はダメージを受けるでしょう。
伝統には因習というマイナス要素が必ず付きまとうけれど、
マイナスを無くすために、良いものも全て切り捨てるわけにはいきません。

君が「天皇に関してタブーが存在する。そのタブーはあってはいけないものだ。」
というふうに考え出したのはいつから?
子供の頃の君は、そんなことを考えもしなかったはず。
誰かが言ったこと、どこかで読んだことを、なんとなく鵜呑みにしていないか?
本当に、自分自身の思索の結果として、その価値観を確信したのだろうか?
326日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:47:55
>>322

右翼のスクツたる2ちゃんねるに、わざわざ書き込むアンタの気が知れん
左翼雑誌にでも堂々と、記名で書けば???

327日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:54:05
>>322

>皇国史観を批判したり記紀や天皇の過去に疑問を持ったら

おそらく、どんな人間も相手にしない「超低レベルな妄想」であると思う

論理の通ったものであれば相手にされない筈がない
精神科へ行くのが早道である
328日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:02:10
>>327

また、例のあれか? 先祖がナニマロとか呼ばれてたとか、
証拠の提灯と下駄があるから、俺が正当な天皇だとかいう
基地外ですか?

329日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:09:22
>>328

ソレダ。定期的にやって来るねえwwwwwwwwww

330日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:21:23
そんなことより、五島勉はいつになったら「聖徳太子の未来記」を見つけるのさ?
悪いのはウヨ? それともサヨ?
331日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:28:01
疑問を持つな!自分の頭で考えるな!
政府の言うことに従っていればいいってこと?
日本の話で北朝鮮や大日本帝国の話じゃないのに…
332日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:28:46

君はトンデモ・ノストラダムス氏に何を期待しているのかねw?

333日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:31:01
>>331

まず、薬でも飲んで落ち着きたまえ
それとも、薬が切れるのを待ちたまえ、かな?

334日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:34:06
>>331

政治板へ池! さもなくば
駅頭で吠えまくるもよし、国会の前で怒鳴るもよし
335日本@名無史さん:2006/09/02(土) 23:24:15
消防署の前がいいんじゃない? 救急車の出動が手短。
336日本@名無史さん:2006/09/02(土) 23:27:24
こいつら同一人物っぽ
337日本@名無史さん:2006/09/03(日) 07:00:28
質問です。チョンマゲって風習は何のためにあるんですか?
338日本@名無史さん:2006/09/03(日) 11:04:09
>>337
人名・用語について調べたい時はここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。

■インターネット検索
 Google  http://www.google.co.jp/
 Yahoo!  http://www.yahoo.co.jp/
 Goo   http://www.goo.ne.jp/
339日本@名無史さん:2006/09/03(日) 12:10:45
桶狭間の合戦や、義経の一ノ谷の合戦は、
たまたま成功したから良かったけど、愚策なの?
340日本@名無史さん:2006/09/03(日) 15:46:51
桶狭間の合戦は単なる遭遇戦だから
上策も愚策もない。
奇襲とか言うのは後世の創作。
341日本@名無史さん:2006/09/03(日) 18:16:18
>>339
信長にとっての最上策は「今川軍の倍以上の兵力を集めて叩き潰す」だから、そこから見ればいちかばちか今川義元の首を直接狙うというのは上策ではないな。
342日本@名無史さん:2006/09/03(日) 19:14:43
信長の出撃は義元の首を狙うことが目的ではないわけだが
343339:2006/09/03(日) 20:58:10
>>340-342
桶狭間の合戦が奇襲じゃないとすると、
質問自体が間違ってたみたいですね。
NHKのその時歴史が動いたでやってたんだけど。
344日本@名無史さん:2006/09/03(日) 21:01:09
江戸時代なんですが、寺請制度と寺壇制度(壇家制度)の違いを教えていただけませんでしょうか
345日本@名無史さん:2006/09/03(日) 22:42:07
>>343
以前にNHKの歴史番組で
「桶狭間は奇襲ではない」説もやったはずなんだけどね。
最近のNHK(に限った話じゃないが)は番組の劣化が激しいから。
346日本@名無しさん:2006/09/03(日) 23:11:53
>>339
では訊くが・・・
そなた、あの時の信長や義経が手勢に加わりたしと思うや。
347日本@名無史さん:2006/09/04(月) 11:40:52
タブーはあってはいけない。
天皇に当たり障りのない発言しかないのは、
マスコミが右翼の妨害を恐れているため。
348日本@名無史さん:2006/09/04(月) 13:01:04
小早川秀秋が片倉小十郎の尻を追いまわしたという衆道史話の出典を
教えて頂き度く存知まする。
文献名と典拠となった箇所(章、節、段、等々)を包まず御教示下さりませい。
よしなに頼み参らせます程に。
349日本@名無史さん:2006/09/04(月) 14:28:34
天皇陵掘ることもタブー
おかげで日本史の解明が阻害されている
350日本@名無史さん:2006/09/04(月) 16:05:58
桶狭間の戦いは信長公記によれば情報戦。
351日本@名無史さん:2006/09/04(月) 16:28:12
>>349
全くだ。古代史にとって致命的。
宮内庁は何とかしろ。ボケ。
352日本@名無史さん:2006/09/04(月) 16:30:58
>>350
街道先を事前に詳しく調べ、今川の休憩地点を調べておいたらしい。
探査員も各地に配置しておいたようだ。
ま、でも相手にとっては奇襲かなw
353日本@名無史さん:2006/09/04(月) 20:34:46
 二つ教えて下さい。宜しくお願いします。

戦国時代の戦争は織田信長以外、農民がかり出されてた様ですが、
その当時の戦争って、戦闘民が大陸の様に戦場における非戦闘民への虐殺や強奪はあったのですか?

 江戸時代そして山口かなんかで、西洋の軍艦と戦争して、日本の非戦闘民が西洋人を手伝って日本の大砲を
かたづけたってなんて戦争ですか?
354日本@名無史さん:2006/09/04(月) 21:07:38
日本語でおK
355日本@名無史さん:2006/09/05(火) 00:51:03
>>352
勝ちさえすればそれでいい。
356日本@名無史さん:2006/09/05(火) 06:41:14
>>350
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
マジ?
357日本@名無史さん:2006/09/05(火) 07:55:30
桶狭間の戦いは大河ドラマ「武田信玄」によると、
信玄が裏で暗殺を画策した。
358日本@名無史さん:2006/09/05(火) 09:20:08

ドラマの話は別板で

359日本@名無史さん:2006/09/05(火) 09:38:38
でもやっぱ武田の仕業じゃねーの?
なんかすげーそんな気がする
360日本@名無史さん:2006/09/05(火) 13:28:53
北白川宮能久親王が独逸留学中にドイツ貴族の息女と「結婚した」
という話を、竹田宮の孫息子の書いた本で読んだことがあります。
この相手の女性は何という名前の何家出身の人物だったのでしょうか。
おそらくは正式の婚姻関係ではなくして、内縁的なる愛情関係でしか
無かったかと思われますが、その後二人は無理やり別れさせられたと
いう風に記されていたと記憶致して居ります。
このあたりの経緯に就いて詳しい方々の御教示を願い上げます。
宜しく。
361日本@名無史さん:2006/09/05(火) 19:49:52
五月蝿いよ
死ねよ
362日本@名無史さん:2006/09/05(火) 23:34:17
徳川家光の弟・忠長の子孫は、どのようにして幕末を迎えたのでしょうか?
363日本@名無史さん:2006/09/06(水) 14:45:35
戦国時代で、源平や藤原の子孫を名乗ってる家はたくさんありますが、源のなにがし、藤原のなにがしっていう武将を聞かないのはどうしてなんでしょうか?
マイナーなだけでちゃんといたんでしょうか
364日本@名無史さん:2006/09/06(水) 17:45:54
>>363

氏と名字と姓(カバネ)は別だから。

例えば、織田信長だったら
織田三郎平朝臣信長で織田が名字、三郎が通称、平が氏、朝臣が姓。
ちなみに信長は諱(イミナ)と言って本名の事。
徳川家康なら、
徳川次郎三郎源朝臣家康で徳川が名字、次郎三郎が通称、源が氏、
朝臣が姓、家康が諱。

ちなみに氏は朝廷から賜るもの、名字は自分たちが勝手に名乗るもの。
なので、氏は勝手に変える事は出来ない。
365名無し募集中。。。:2006/09/06(水) 19:00:48
今年大佛次郎の天皇の世紀の普及版が出たけど本人はどのあたりまで執筆したかったんでしょうね
西南の役?明治天皇の崩御?
366日本@名無史さん:2006/09/06(水) 19:32:39
>>364
なるほどね、ありがとうございます!
朝臣っていう姓ってのはどういう意味なんですか?
367日本@名無史さん:2006/09/06(水) 19:34:07
というと、源頼朝とかも別に名字あったんかな?
368日本@名無史さん:2006/09/06(水) 19:51:19
>>366

いくらなんでも、それくらいググれ
369日本@名無しさん:2006/09/06(水) 21:57:32
>>367
無い。
苗字(名字)を名乗るものが急速に増えるのは、彼前後の世代。
朝廷の臣だし、朝廷を向いている立場なら別に要らないし。
武田や足利みたいに既に地盤を持っていたなら別だが、
頼朝は地盤のない人だったから、苗字(名字)をつけるネタもない。
370日本@名無しさん:2006/09/06(水) 22:18:06
>>363
>>364にもうちょっと付け足す。
信長も家康も、公文書や宮中での行事では「源のなにがし、藤原のなにがし」って名乗っていた。
>>364がいうとおり、この「源」や「藤原」は氏(ウジ)・・・つまり、朝廷から与えられた血統名。
だから、天皇や朝廷側にとっては彼らをこれで呼ぶのが正しい関係だし、彼らにとっても、
氏を名乗らず名字で通すのは朝廷に叛く行為だといわれても仕方が無いわけで。

でもこれは、あくまでこれは朝廷の中での呼称。
血縁のある一門同士で「源」「源」言い合っても無意味。
どこの土地の家かとか、本家分家を区別することが大切になる。
ここで苗字(名字)が使われる。

>>366
ちなみに姓(カバネ)というのは、単純に言うなら氏(ウジ)のクラス名。
「やくさのかばね」という単語でググってみればいい。
朝臣(あそん)はその最上位クラスの呼称。

371日本@名無史さん:2006/09/06(水) 23:46:45
八色の姓なら「あそみ」だと思ってた

「あそん」は名字朝臣かと思ってたけど
そうでもないんだね
372日本@名無史さん:2006/09/06(水) 23:51:24
> 氏を名乗らず名字で通すのは朝廷に叛く行為だといわれても仕方が無いわけで。

ソースきぼん
373日本@名無史さん:2006/09/07(木) 00:02:37
皇子っていつごろまで使われていたものなんですか?

皇子と皇太子の違いがわかりません。 いつごろから皇太子にかわったんですか。

教えてくださいお願いします
374日本@名無史さん:2006/09/07(木) 00:08:54
>>373 いまでも両方とも使う

皇子=皇帝(天皇)の子供全員を指す。親王と同じ
皇太子=皇帝(天皇)の子供のうち跡取だけを指す

375日本@名無史さん:2006/09/07(木) 00:56:28
天皇の血筋を引いておられる方も代を経るに従って血縁関係が
薄れていくものだと思うけど、宮様は何代経っても宮様という
のは本当ですか?
376日本@名無史さん:2006/09/07(木) 01:00:03
> 皇子=皇帝(天皇)の子供全員を指す。親王と同じ

親王は帝の子でなくてもなれますが
377日本@名無史さん:2006/09/07(木) 01:37:38
逆に親王宣下がされなければ天皇の子といえども親王にはなれませんが。
378日本@名無史さん:2006/09/07(木) 01:40:34
だよね
つまり皇子≠親王
379日本@名無史さん:2006/09/07(木) 01:40:44
>>377
以仁王・・・・か?
380373:2006/09/07(木) 01:44:13
>>374ありがとございます。
381日本@名無史さん:2006/09/07(木) 02:02:48
皇子は天智・天武の皇子の途中まで。あとは親王。
大津、高市、草壁くらいまでは皇子。
川島、磯城、志貴、刑部、長、新田部、舎人、穂積などは、皇子から
親王への過渡期で、両表記が混在。
内親王・皇女も同様。
大宝令の施行が関係しているのだろう。
382日本@名無史さん:2006/09/07(木) 02:45:48
その意味の皇子なら
帝の子でない者もいるから
>>374の定義とは合わないね
383日本@名無史さん:2006/09/07(木) 09:10:55

>>374の答えは>>373のレベルに合わせた明回答じゃん。シロートに講義してどうする?

2ちゃんねらは本当に、揚げ足とりが好きだなあ
ていうか、ふいんき読めな杉


384日本@名無史さん:2006/09/07(木) 09:27:11
>>375

代々親王を名乗ることの許された親王家と
代々王を名乗ることの許された王家があります
385日本@名無史さん:2006/09/07(木) 14:17:01
レベルに合わせることと間違いを教えることを
混同してもらっちゃ困りますよ
雰囲気でなんとなく流そうなんて言語道断
正しい知識を平易に伝えるために工夫している
世の教育者・研究者に失礼です
386日本@名無史さん:2006/09/07(木) 14:30:10
>>385
2ちゃんでナニ気取ってんの?w
387日本@名無史さん:2006/09/07(木) 14:43:19
2chでは?
正しい知識×
自分の信仰している知識○
388日本@名無史さん:2006/09/07(木) 18:29:19
このスレは日本史苦手な天オタの自作自演スレだから当然ソースは無い

事実の日本史は理解できなかったから馬鹿な神○大学でオカルト日本物語を習った

389日本@名無史さん:2006/09/07(木) 21:27:44
足利尊氏って何で後醍醐天皇の冥福を祈るために天竜寺を建てたんですか?
390日本@名無史さん:2006/09/07(木) 21:51:08
>>389
高氏は稀代の謀反人として人心が離れたため
尊王の志であることを天下に示さなければ自分が殺される寸前だったため

これは某高氏の配下が日記に記していることでその直径子孫が証言している
391日本@名無史さん :2006/09/07(木) 23:09:55
我が国の現在の国名である「日本」という言葉はいつ頃から使われ始めたのでしょうか?
また、その由来は?

よろしくお願い致します。
392日本@名無史さん:2006/09/07(木) 23:39:07
> このスレは日本史苦手な天オタの自作自演スレ

なるほどよくわかりました
393日本@名無史さん:2006/09/08(金) 00:11:32
>>390
はいはい、そもそも吉野に行った後の吉野朝の討伐命令も普通に「尊氏」あてに出されているんだがね。
394日本@名無史さん:2006/09/08(金) 03:48:15
なぜ戦国時代ばかりが人気あるんですか?
395日本@名無史さん:2006/09/08(金) 05:05:05
「日本全土」で大河ドラマ級の話が作れるのは戦国時代だけだし。
396日本@名無史さん:2006/09/08(金) 05:39:38
大阪の「天下の台所」はなんとなく分かるのですが
江戸の「将軍のお膝元」と言う言葉の含みがイマイチ
分かりません。教えて下さい。<(_ _)>
397日本@名無史さん:2006/09/08(金) 05:53:21
天下の台所=経済の中心
将軍のお膝元=政治の中心、諸国の大名が将軍様にアタマを下げに来る。それが
庶民にとっても愉快(優越感に浸れる)
398日本@名無史さん:2006/09/08(金) 06:03:36
>397
ああ、なるほど。これですっきりしました。
ありがとうございました。
399日本@名無史さん:2006/09/08(金) 13:15:42
↓は本当ですか?

323 :文責・名無しさん :2005/11/01(火) 16:40:11 ID:PnZgda5k
   今日書店で新しい奴を立ち読みしたが、ひでー教科書。
   特に中世や近世ですら天皇マンセーのオンパレード。勘弁してほしいやね。
   明らかな間違いはいろいろあるが、一つだけ古代のところで気になった部分を指摘しとこう。
   この教科書では、天皇の称号が7世紀初頭から現在まで途絶えることなく続いたと
   記しているが、これは明確な間違い。天皇号は10世紀中頃に村上天皇が追号されて
   から19世紀中頃に光格天皇が天皇号を送られるまで、約900年間使用されなかった。
   900年ぶりに天皇号が復活した際には、あまりにも仰々しく、なおかつ聞きなれない
   「天皇」という名前に対し、川柳まで作られたほどだった。
400日本@名無しさん:2006/09/08(金) 14:01:27
>>399
本当。
そもそも「○○天皇」という言い方は漢風諡号。
本家本元の中国では「光武帝」「宣統帝」とか言うだろ?あのパターン。
原則死後贈与。だからご存命当時は勿論、その900年間○○天皇という
言い方はしなかった。じゃあどういっていたのかというと「白河院」のような
○○院パターン。

でもねー
中華風教育が無茶苦茶発達してこの言い方が広まってきて、その最後の
明治時代に大整備されこの○○天皇パターンになってしまったんだし、
教育上はこちらのほうが断然判りやすい。
だから、こういうケチをつけるのは歴史や教育のセンスが絶無な奴と思われ。
事実だけが重要じゃないのよ。
401日本@名無史さん:2006/09/08(金) 15:02:52
うちの日本史の教師は
武士は元々ヤクザと同じと言っていたのですが
そういう解釈でいいのですか?
402日本@名無史さん:2006/09/08(金) 15:26:42
>>401
オッケーです
403日本@名無史さん:2006/09/08(金) 15:27:40
>>401
Wikipedia でもぐぐれ。

1.ゴキブリにも目がある。人間にも目がある。人間はゴキブリと同じ。
2.ゴキブリは昆虫、人間は霊長類。ゴキブリと人間は違う。
どっちの論を受け入れるかだ。
404日本@名無しさん:2006/09/08(金) 15:30:33
>>401
時代劇を見ればわかるかもしれませんが、
いわゆるヤクザが武士とはかけ離れた
存在であったことを、どう思います?
405日本@名無史さん:2006/09/08(金) 15:43:19
>>404
実際にやくざかどうかを問題にしてるんじゃなくて、
武士には今で言うやくざと本質的に共通する面があるんじゃないか?って
事だとおもいます。
406日本@名無しさん:2006/09/08(金) 16:07:56
>>405
ケンカ屋か、裏家業か、武芸で食う芸人か、武士かというのは、
それぞれ全く別次元の話になると思うんだが。
407日本@名無史さん:2006/09/08(金) 17:00:26
>>406
天下を治めてるか、治めてないかだけの違い。
408日本@名無史さん:2006/09/08(金) 18:13:27
意識的に日本史を好きになるにはどういう方法が良いでしょうか?
 自分では、史跡に行ってみたり、歴史漫画を読んでみることを考えたのですが
それ以外に何か良い方法はあるでしょうか?
409日本@名無史さん:2006/09/08(金) 18:25:48
>>408
まず敵と見方に分けて考えると好きになりやすいと思う
面白いドラマは必ず敵見方がわかれるからね
日本の歴史は創世から関わってるのは天皇だけだからどうしても天皇中心になる
よく馬鹿で低脳な捏造の自虐史観をありがたがる連中が皇国史観批判するが日本史は天皇中心でなければ理解しようがない
天皇以外で神代から日本史に関わっていた存在はないから武士中心では日本史の理解はできない
そして思いをこめて歴史を辿ると日本人であれば日本と日本史がすきになり愛国心と忠誠心が生まれる
敵の立場で日本史を読むと自虐的になり電波を発信しだすw
410408:2006/09/08(金) 19:22:49
レスありがとうございます。参考にさせていただきます
411日本@名無史さん:2006/09/08(金) 21:13:12
>>409
随分と偏った歴史観ですね。
412日本@名無しさん:2006/09/08(金) 21:39:06
>>411
偏っているとかいないとか言ったところで、教えたことにならん。
そんなものは空念仏。「日本の歴史」を「好きになる」ために、何を教える
べきかを考えると、>>409的なアプローチが一番。
歴史の面白さは、王道覇道を俯瞰すること。藤原氏なり、源氏なり、信長なり。
見方を固定してからざっと追いかけると興味が持続するし、会得もはやい。
そうしたら逆の道、裏道を行ってみたくもなる。
一通り歩いてみたら、偏りなんてどうせなくなる。
413日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:26:04
> このスレは日本史苦手な天オタの自作自演スレ
414日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:11:05
>>412
だったら、最初からそういえば良いのに。
>>409的なアプローチだと、そのまま一通り歩かずに一直線に
という事も大いにあり得る。
ただ、王道覇道を俯瞰するという考え方も偏っている。
政治家を志すという観点では、テクニックみたいな事例には
なるかも知れないが。
本当に大切なのは、今、我々が何故かくあるのかを知ること。
愛国心はまだともかく、忠誠心が生まれることを期待した発言
であり、その偏りはアプローチの域を超えている。
415日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:46:17
だから日本史理解してない奴に>>409みたいなことを言う資格はねえって
416日本@名無しさん:2006/09/09(土) 02:35:17
>>414
歴史とは森羅万象を時系列的に列記しただけのものじゃない。
まず初めに、歴史はその世界を導き変えていった勝者の記録であり、
その勇気と能力と知恵と闘いを学ぶ大系なんだ。
だからどうしても偏りが生まれる。空気のように当たり前のことだ。
だが、偏りを恐れ上記の最も重要なことを見失うのは、学問を志す
者なら別として、教える側の態度として正しいことか。否だ。

大体、国家への忠誠心を持つことは罪悪なのか。
はっきりいうが、これを否定する奴は民主主義の敵だ。
417日本@名無史さん:2006/09/09(土) 03:50:34
>>408
とりあえず電波は放っておくと、やはり歴史好きなみなさんの出発点は
歴史における「物語性」なのではないでしょうか。それは英雄物としてであったり、
軍記物としてであったりしますが、そうしたものにまず接した上で、
よりディテールに踏み込んで行く、さらには、小説的な世界をある程度振り捨てて
より客観的な知識を拡充していく、ということになろうかと思います。

そういう意味で、歴史漫画から入るというのは取っつきやすい良い方法かもしれません。
ここで偉そうに語っているみなさんだって、出発点は小学校のときに読んだ
学研や小学館の漫画だったりする人も多いわけですから。
418日本@名無史さん:2006/09/09(土) 04:31:15
>408
俺は意図的に歴史を好きになった経験がないんで、正直わからんが
ようは歴史に興味を覚えるきっかけを見つけることなんじゃないかと。
歴史を別にして、408の個人的な趣味はないかい?
その趣味、たとえばスポーツなら、その発展史を調べてみるとかがいいんじゃないかな。
歴史は点ではなく、線から面に広がっていくので、発展史を調べてくうちに、
思いもかけない事柄が出てきて、さらに興味を広げてけるかも。
あとは、その知的欲求に任せて、突き詰めていくだけ。

409などが言うような方法がいいのか悪いのかはシラネ。
高校くらいの頃、416が言うような歴史にも興味あったが、

ぶっちゃけそういうの ア キ タ

年がら年中、同じような事叫んでる輩は、右寄りだろうが左寄りだろうが、
いつの時代にでも腐るほどいるってことを、歴史で学んできたよ。
419日本@名無史さん:2006/09/09(土) 05:46:18
賢明なる>>416様のおっしゃる通り、
第二次大戦の勝者の記録としての歴史を教えていこう!
420日本@名無史さん:2006/09/09(土) 07:36:24
>>416
忠誠心は罪悪ではないが、容易に一部の人間に利用されてしまうものなので
要注意ということなんです。
私も小学生の頃、歴史を漫画で読んで、まず興味を持ちました。
歴史学者和歌森太郎氏が監修しているしっかりした内容のものだったようで
す。意外と大人でも読める内容だと思います。
中学のときは、興味を持った延長で、いろいろな歴史ものの書籍を読みまし
た。
高校のときは、和歌森太郎の弟子である東京教育大学(現筑波大学)出身の
教師から日本史を習ったので、かなり客観的な歴史観に触れることが出来ま
した。
私は理系の人間でしたので、それから先はもう、専門的な教育は受けません
でしたが、今でも歴史に対する興味や考え方を持ち続けています。

「歴史」=国家とか、天皇という考え方を見るにつけ、何で歴史という
誰でも興味が持てる良い素材を、そんな風に利用して、誘導するんだろうと
いう傾向が残念でなりません。
421日本@名無史さん:2006/09/09(土) 09:02:39
> このスレは日本史苦手な天オタの自作自演スレ
422日本@名無史さん:2006/09/09(土) 14:02:00
>>400
夢枕獏が「安倍清明」で「おかみ」とか連発してくれているから
今に「お上」でも「みかど」でも「あの男」でも通用するようになるかもよ。
423日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:24:13
409だが重要な仕事に追い回されている間に無能な自虐史観信奉者どもが電波で汚してくれたものだな
敵と味方に分ける考えは人間なら当然の考え方
サッカーの日本対韓国をみるとき韓国の立場に立つか日本の立場に立つかは国籍が決める
日本人なら日本が正義として応援し、韓国は悪になる
馬鹿で売国奴の自虐史観者は中立や韓国の応援しろと言うが日本を応援し天皇陛下を崇拝し命をかけて戦う気持ちは抑えられない
もちろん韓国人なら韓国が正義で日本が悪だろうがお互いさまで関知しない
つまり日本を正義としないのは日本人ではないし日本の象徴が天皇陛下である以上天皇陛下のために命をかけないのは日本人じゃない
自分や自分の所属が悪役だと考えろと日本ではアカ教師が洗脳している
文部省認定の教科書も自虐史観で書かれていてそれで受験をしなければならないから自虐史観の馬鹿が社会にでてくる
自虐史観を覚えこんだ馬鹿は新しい歴史教科書に反対するアカになる
かくして日本は自分が悪役だと思う人間ばかりになり外国で相手にされなくなる
自分や自分の所属団体は正義だ、敵も同じ事を思っているからこれが対等なんだよ
俺達が悪と決め付けるオウム信者だって向こうからすれば俺達が悪で向こうが正義なんだよ
424日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:40:07
>>423
オウムからしたら悪いことをしたと思うことは自虐思想?
425日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:52:29
>>424
俺達日本人はオウムの被害者、戦争被害者の中韓と同じ
日本もオウムも法による裁きをうけ、一部は受けつつある
法による裁きを受けた以上謝罪の強制や罪悪感の強制はできない
心にまで刑罰は及ばないし思想信条は自由だ
俺達日本国民はオウムの被害者だからといって麻原を崇拝するなとは言えないし
靖国や大日本帝国への愛情もとやかくいわれる必要がない
心に強制はできないからだ
加害者は永遠に加害者ではない、裁かれた後は加害者ではない
永遠の謝罪はない、永遠の被害者もいない
謝罪や反省は被害者が加害者に強制できる刑罰ではない
426日本@名無史さん:2006/09/09(土) 19:08:19
初心者質問スレって
何時から演説スレになったんだ?
427日本@名無史さん:2006/09/09(土) 19:31:56
425だが誰も反論できないようなので仕事に行く
後から反論書いていい気にならないように
不在の間の反論は認めないし卑怯者
428日本@名無史さん:2006/09/09(土) 19:35:31
>>427
ごめん、もう反論しない。
429日本@名無史さん:2006/09/09(土) 19:37:12
>俺達日本国民はオウムの被害者だからといって麻原を崇拝するなとは言えないし

評論家やジャーナリストがさんざん
あんなの崇拝するなと言ってるじゃねえか
430信長:2006/09/10(日) 00:25:41
マンジュシュリーミトラは加害者?被害者?
431日本@名無史さん:2006/09/10(日) 04:14:58
何が言いたいかすらわけのわからないものに対して
反論もへったくれもないよ
432日本@名無史さん:2006/09/10(日) 04:56:08
微妙に日本史じゃない気もしますが、
元寇のときに朝鮮の残党が元に攻撃を加えていたのが効いて元は日本を攻めきれなかったとか小和田哲男って言う学者が言っているのですが、
元寇のときに朝鮮での抵抗ってそんなに大きかったのでしょうか?
433日本@名無史さん:2006/09/10(日) 08:51:38
朝鮮が煽ったのが元寇の1要因だったような気がするが。
434日本@名無史さん:2006/09/10(日) 11:33:20
>>432

北朝鮮や中共が、日米戦で日本が負けたのは自分たちの抵抗運動が主要因だと教科書に書いているようなもの。
435日本@名無しさん:2006/09/10(日) 13:45:02
>>432
しかし現実に元は日本に攻め入ったんだから、攻めきれなかったも何もないだろ。
>>434が言っているように、あいつら(とそのシンパ)の言い訳に過ぎない。
436日本@名無史さん:2006/09/10(日) 16:53:39
國體←これなんて読むか分かりますか?
437日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:01:41
国体の旧字
438日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:13:45
「ここでボケて!」って書いとかないとわからんか
439日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:27:23
ありがとうございます
440日本@名無史さん:2006/09/10(日) 20:13:17
>>423
> 馬鹿で売国奴の自虐史観者は中立や韓国の応援しろと言うが日本を
> 応援し天皇陛下を崇拝し命をかけて戦う気持ちは抑えられない
 私は自虐史観者ではないが、そんな主張をするなら、お前だけ命かけて
戦って死にやがれ。
 骨を拾う奴もいないだろう。
441日本@名無史さん:2006/09/10(日) 20:18:45
まるでドン・キホーテだね。
442日本@名無史さん:2006/09/10(日) 20:54:12
本多忠勝と結城秀康はどっちがつおかったの?
443日本@名無史さん:2006/09/10(日) 22:42:35
戦国最精鋭の軍人を率いた信玄に
その武勇を「家康に過ぎたるもの」と評され
九州・四国・関東と全国に討伐軍を送って
日本全国の将兵を使役あるいは対戦するという
経験をもつ秀吉にも「西の立花、東の本多」と評された
本多忠勝の方が当時の評価は高そう。
444日本@名無史さん:2006/09/10(日) 23:09:33
>>443
やっぱりそうなんか
dクス
445日本@名無史さん:2006/09/10(日) 23:13:05
「西の立花、東の本多」も、所詮は大名の家来に過ぎない小物
446日本@名無史さん:2006/09/11(月) 00:11:26
>>432-435
ヒント:まともな国には必ずウヨとサヨがいる。
447日本@名無史さん:2006/09/11(月) 00:31:34
つまり

ZとBで構成されるなんちゃってウヨと
売国が信条のサヨしかいず

諸外国なら必ず常備されている
右翼と左翼が(死に絶えた)この国は

まともでは無いと?
448日本@名無史さん:2006/09/11(月) 01:31:03
武家でも公家でも双子が生まれてたりしたらどうするんですか。
449日本@名無史さん:2006/09/11(月) 13:03:07
後から生まれた方が、長男、長女となります。
450信長:2006/09/11(月) 20:38:18
うしろから生まれる?;´Д`)ハァハァ
451日本@名無史さん:2006/09/11(月) 20:49:33
双児は畜生腹と言われ、忌み嫌われてた。
特に男女の双児はバツ。なので女の子の方がお寺にやられてた。
たいてい保育器の無い時代なので2人とも育つことはむずかしい。
一時期、高松宮だったかの双児の妹と言われる門跡が話題となっていたが、
あれはかなり信ぴょう性があるらしい。
452日本@名無史さん:2006/09/11(月) 23:22:24
池波正太郎の『堀部安兵衛』に出てくる
中津川祐見って創作?
453日本@名無史さん:2006/09/12(火) 13:51:21
醍醐天皇の出生時の名前源繊城て何て読むの?
454日本@名無史さん:2006/09/12(火) 13:59:08
源維城の間違い
455日本@名無しさん:2006/09/12(火) 15:20:27
コレシロ? コレキ(コレギ)?
456日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:05:00
信長の桶狭間における迂回奇襲攻撃説は学会やヲタの間ではもう否定されて
いるの?
457日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:41:27
普通に考えて、小瀬甫庵の信長記より、太田牛一の信長公記のほうが遙かに信頼性が高い
そして信長公記を読む限りは迂回攻撃説は読み取れない
458信長:2006/09/12(火) 18:48:34
途中よ、今池のパチンコ屋に寄っただけだがね
459日本@名無史さん:2006/09/12(火) 19:04:41
>>457
結局、普通に正面攻撃だとして信長はなんで勝てたの?
460日本@名無史さん:2006/09/12(火) 20:58:06
重慶爆撃と旅順口虐殺事件は中国人の捏造ですよね?
461日本@名無史さん:2006/09/12(火) 21:11:24
>>460
大日本帝国ファシズムや軍国主義自体がシナ畜の造語
日本が軍事国家だった証拠もなく米帝の侵略に対抗した事実だけしかない
国立国会図書館で資料を貪るように読みあさってきたが軍国日本はどこにもない
詳しく知りたい人は国立国会図書館でしらべるといい
462日本@名無史さん:2006/09/12(火) 21:22:44
>>460
重慶爆撃自体はあった。
議論の的となっているのは国際法違反か否か。
463日本@名無史さん:2006/09/12(火) 21:27:06
重慶爆撃で国際法云々なら、東京大空襲や原爆投下はどうなんだって思うんだが。
464日本@名無史さん:2006/09/12(火) 21:46:49
日本を戦争に巻き込みたかったドイツが
日本の航空機に偽装して重慶を爆撃したとアメリカは解釈していた痕跡がある
もしもドイツが国民党に武器を売っていた資料でも見つかれば日本が戦争に巻き込まれたプロセスが分かるだろう
465日本@名無史さん:2006/09/12(火) 23:06:03
桓武天皇の母親は渡来系だと聞いたのですがどうなんでしょうか?
466日本@名無史さん:2006/09/12(火) 23:11:34
関裕二氏の著作はトンでもですか
467日本@名無史さん:2006/09/12(火) 23:12:27
>>
本当
弓月君の子孫だとされている
468日本@名無史さん:2006/09/12(火) 23:45:13
今の天皇が何年前かの誕生日のコメントで語ってたね。
先祖は朝鮮から嫁がきて・・・ってことを。いつだったかなあ。
469日本@名無史さん:2006/09/13(水) 00:21:42
ウィキみたら、韓国の血が日本の天皇にも!っていうコリアンの主張を全否定してるのがワロス。
470日本@名無史さん:2006/09/13(水) 00:55:49
島津義久が隆達節の名手で、細川幽斎の尺八?で吟じたそうですが、戦国大名・武将で、音楽・楽器をたしなんだ人はいますか?
471 :2006/09/13(水) 02:36:51
マンセーってなんですか?
472日本@名無史さん:2006/09/13(水) 09:03:44
江戸時代の人ってみんな、時代劇みたいなしゃべり方だったんですか。
どの時代あたりで、ござるとか言わなくなったんですか。
473信長:2006/09/13(水) 09:15:49
>>471
マムコをしろ
474日本@名無史さん:2006/09/13(水) 10:32:46
一人妄想厨がいるようだね。
475日本@名無史さん:2006/09/13(水) 10:47:13
万歳←マンセーって呼びます。
お礼よろしく。
476日本@名無史さん:2006/09/13(水) 11:21:21
武功夜話を創作した人って吉田龍雲って人と津田応助って人だと聞きました。
これは本当の話なんでしょうか?
477日本@名無史さん:2006/09/13(水) 11:44:46
第113代東山天皇の幼名"五宮"の読み方と
その読み方の根拠となる文献等ってあるか?

ごのみや?
いつのみや?
478日本@名無史さん:2006/09/13(水) 16:48:43
もし男系天皇を維持したとして悠仁様がうまれなかったとしたら、秋篠宮
の次の天皇はどの天皇の系統になるのでしょうか。
479信長:2006/09/13(水) 20:59:42
今上天皇の弟君
480日本@名無史さん:2006/09/13(水) 21:01:31
>>476
今のところ真偽は不明。
しかし、愛知県史の織豊期部会が調査したところによると、
近世後期の著作の可能性があるらしい。
481日本@名無史さん:2006/09/14(木) 11:23:17
>>478
第102代後花園天皇
約600年前に分かれた系統。

信長、なんも知らんのだろ。
482信長:2006/09/14(木) 11:27:38
皇位継承順位ではなく系統か?
知らんな。その時に考えるしかないな。
お前、そいつを連れて来い。
483日本@名無史さん:2006/09/14(木) 12:48:01
信長さあ、普通に考えて常陸宮と秋篠宮どっちが長生きすると思う?
484信長:2006/09/14(木) 12:51:03
順番ではそうなってるからなぁ
わしに言われても
485日本@名無史さん:2006/09/14(木) 13:22:41

老少不定
人間かならず年齢の順に死ぬなら苦労はない罠
486日本@名無史さん:2006/09/14(木) 14:31:51
橋龍が大勲位より先に死ぬなんてマジで思わなかったしな。
487日本@名無しさん:2006/09/14(木) 15:33:45
>>486
大勲位は「要領がよい」・・・うまく怠けられる男だったそうだからそりゃ長生きするよ。

対して橋龍はそういうこととは縁遠い性格で、酒煙草はやるし、就任当初から
住専で叩かれ、閣僚で叩かれ、消費税アップ、ペルー大使館事件と散々。
しかも引退しても歯科医師会献金の話などなどあって。
こりゃ体を壊すよ。
488日本@名無史さん:2006/09/14(木) 16:32:19
先送りは最悪の選択>皇室典範
489信長:2006/09/14(木) 19:11:54
秋篠宮の親王なので、お早く結婚されて、たくさんお子様を。
今度は、欧米以外は病気になる香具師を待ったりせんでもええだでよ。

ネズミーランド、相撲等。

遊び以外は、病気だでよーーーーーーーーーーーー!!!
490日本@名無史さん:2006/09/14(木) 19:41:22
戦国武将で、泣き上戸だった人は居なかったんですかね?
プレッシャーが掛かったら奥の間に行って泣いてすっきりしてから会議に出るとか・・・
491日本@名無史さん:2006/09/14(木) 19:59:27
信長しねや
492日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:04:04
なぜ日本では自虐史観が蔓延しているのですか?
493日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:10:56
>>492
俺は教師だが文句のある奴は学校に来るなと思う。
受験が自虐史観(我々の組織ではもちろんこんな呼び方はしない)を採用しているのが理由だろ。
俺も受験のために自虐史観を覚えた。
494日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:36:32
お伺いします。
10年ほど前に図書館で借りた本で、ハードカバー、
日本の歴史をいくつかのジャンルに分けて刊行したシリーズものの中に
性風俗について扱った一冊がありました。
その本を読んで巫女が売春の原型だったとか大奥でつかっていた張型の写真とかが
載っていたのですけど、どこの出版社のものだったか思い出せません。
思い当たる方やご存知の方がいらしたら教えて下さい。
495日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:04:33
???????????????????????????
496日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:16:59
耶蘇暦1600年代に在世した「まつら のぶまさ」なる人物に関して
教えて下さい。
九州の松浦家の連枝だそうですが、系図上では誰の息子ないし弟にあたる
のでしょうか?
 なお、徳川時代初期の人物「松浦信丕」は何と訓む可き
名前なのでしょうか?
よろしくお願いします。
 
497日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:18:42
498信長:2006/09/14(木) 23:24:20
>>492
増田都子
499日本@名無史さん:2006/09/15(金) 12:22:57
>>492
鎌倉幕府は平氏を否定する。
徳川幕府は豊臣を否定する。
薩長政権は幕府を否定する。

戦後は戦前を否定する。ま、そんなもんだ。
500日本@名無史さん:2006/09/15(金) 15:01:19
自虐史観が入試に出る学校なんかあるか?
たまにあるから話題になるという程度じゃね?
501日本@名無史さん:2006/09/15(金) 15:19:41
戦中戦後の歴史なんて実際に学校で教えてないんだから、日本史の入学試験には出せん。
ついでに言えば、戦後60年も経ったから、今度は戦後民主主義を否定する動きが強くなった。
これまでと同じことを繰り返しているだけだよ。
502日本@名無史さん:2006/09/15(金) 15:27:43
自虐史観かどうか知らんが、中国では前の王朝の最後の皇帝を自分達を正当化
するためにぼろくそに暴君よばわりするそうじゃない。

劇的に政治状況が変わって時って前のやりかたを否定するもんなんじゃないの。
503日本@名無史さん:2006/09/15(金) 16:52:08
高校入試には、沖縄返還や日中平和友好条約あたりまででるよ。
年表程度の簡単な問題だけど。5・15事件はなぜか良く出る。
504日本@名無史さん:2006/09/15(金) 17:42:12
日本の皇室でもあるぞ。
武烈・陽成残虐説
称徳淫乱説
505日本@名無史さん:2006/09/16(土) 00:50:22
歴史観の踏み絵か?
大問3 問4
「Dの文章は日本の民族について述べたものである。アジア太平洋戦争の性格と内容を、
この「日本民族観」と関連させて述べなさい。」

興味のある方は以後↓のスレへ移動してください
一橋大06年入試:「アジア太平洋戦争の性格は何?」
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1146519992/l50
506日本@名無史さん:2006/09/16(土) 11:47:14
「松浦信正」は肥前平戸の大名・松浦久信の女婿だそうですが、
彼自身の父母や兄弟姉妹などの系譜関係が分かりません。
松浦家の分家筋の出身なのでしょうが、彼の系図に関して教えて下さい。
どうかよろしくお願いします。

507日本@名無史さん:2006/09/16(土) 14:02:46
>>506
こん中から自分で探せ

松浦党有浦文書(福田以久生他編,清文堂出版,2001.4)

松浦党関係史料集 第1 第2 第3(瀬野精一郎編,続群書類従完成会,1996.8〜)

松浦党研究(松浦党研究連合会編,芸文堂)

松浦党戦旗 正/続(神尾正武著,新人物往来社,1988.9〜)
508日本@名無史さん:2006/09/16(土) 19:03:48
吉田兼好の本姓は卜部ですが、卜部兼好の読みは「うらべのけんこう」ではないのですか?
多くは「うらべけんこう」となっているのですが…
509日本@名無史さん:2006/09/17(日) 17:29:31
>>508
「本姓」は「藤原」じゃないのかな?
510日本@名無史さん:2006/09/17(日) 20:07:09
菅原道真みたいな、怨霊になって出てきた香具師を知ってるだけ教えて下さい。
あと、どんな災いを引き起こしたのかも教えて下さい。
511日本@名無史さん:2006/09/17(日) 20:18:54
戦前のナンバースクール「第七高等学校造士館」の略称「七高」(鹿児島)。

これの読み方は、「ななこう」「しちこう」のどちらなのでしょうか?
512日本@名無しさん:2006/09/17(日) 21:42:45
>>511
ななこう・・・でよいと思われ。
そこを出た知り合いの爺さんが、確かそう呼んでた。
513日本@名無史さん:2006/09/18(月) 00:58:07
>>510
「怨霊」ってのでぐぐると↓のようなものが出る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A8%E9%9C%8A
この記事で出てきた言葉で次々にぐぐれば、大抵のことは分かろう。
これで足りなければ、またここで聞いて。
皆がうんざりするほどの書きこみがあるかも知れない。
514日本@名無史さん:2006/09/19(火) 03:28:47
>>511>>512
http://www18.ocn.ne.jp/~g9077pw1/nikki.htm
によると、「しちこう」だそうだ。
ほんとはどっちなんだろ??時代によって違うとか?
515日本@名無史さん:2006/09/19(火) 08:33:00
>>514
鹿児島に住んでいたことがあり、その学校(鹿児島大学)出身者
としては、「しちこう」と言いますね。学校関係者、地元民とも
にです。
516514:2006/09/19(火) 08:35:16
追いかけ自己レスですが、
七高を「しちこう」と読むんですが、旧制第七高等学校は
「きゅうせいだいななこうとうがっこう」と地元民放局が
読んでいたような気がする。
517信長:2006/09/19(火) 08:39:46
神州男児は知覧へ行け
518515:2006/09/19(火) 08:44:22
>>516は515の追いかけです。失礼しました
519日本@名無史さん:2006/09/19(火) 12:05:31
最近この板のぞくようになったのですが「信長」という人のくだらない
ジョークにもならない書き込みがめだちますが、この人はスルーですか?
520日本@名無史さん:2006/09/19(火) 12:26:14
答がわかるまでROMってなさい
521日本@名無史さん:2006/09/19(火) 16:49:45
>強い方に付く、勝った方に付く、事大主義で
>生き延びてきた、それが天皇家の歴史。


って大雑把に言ってあってますか?
522日本@名無しさん:2006/09/19(火) 17:15:02
>>521
天皇個人の廃位譲位を企てる者は山ほどいたし、偶に天皇家を乗っ取ろうとする
奴もいはしたが、天皇制や天皇家自体を滅ぼそうとする奴はいなかった。
だから天皇家には強い方につく勝った方につくとなどという歴史などない。ありえん。
こういう態度は、負けたら即刻打首にされる社会からしか生まれん。

過去を遡っても、力あるものの方から天皇(家)に擦り寄ってきているだけ。
こんな土壌から天皇に事大主義など発想できるものか。
523日本@名無史さん:2006/09/19(火) 17:35:00
>>509
ん?本姓が藤原?
それは初耳だけど。本姓は卜部じゃないの?
524日本@名無史さん:2006/09/19(火) 17:46:01
>>521
天皇のことはこのスレで訊かないほうがいいです
アホな天ヲタが飛び掛ってくるから
525日本@名無史さん:2006/09/19(火) 18:45:17
奈良時代に帰化したペルシア人は何人ぐらいで
どのような姓を名乗ったんでしょうか?
526信長:2006/09/19(火) 18:58:29
真面目にそれは知らんかった。
詳しく教えてください。

「絨毯に乗って来た。山は越えれない」はやめてください。
527日本@名無史さん:2006/09/19(火) 21:54:11
江戸時代を舞台にした小説とか読んでて気になったんですけど
麻酔使って開腹手術を出来るようになった近代以前は
盲腸になったらどうしてたんでしょうか?
現代と同じで結構な確立で発生すると思うのですが
ただ痛みに耐えた挙句死んでしまうしかなかったのでしょうか?

一応ぐぐってみたんですが「アヘンと下剤を与える」そうで
こんな方法では助からないんじゃないかと思いまして。
528日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:03:15
以前どこかのレスで、天皇の御所は京都にあり、
東京の皇居は仮御所ってのを見たのですが、
それは正しいのですか? 

だとしたら、天皇陛下は京都御所にちょくちょく
泊まられたりはしているの?
529日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:25:42
一応、動座しておられるから、東京も御所なんだが、
明治に移る時に、動座に必要な儀式をしていなかったというのは
よく言われているね。
明治維新の中心だった田舎侍達が、儀式に詳しくなくて
きちんとできていなかったそうだ。
そういう意味では、京都が未だに御所というのは間違ってはいない。
だが、京都の御所は既に寝泊まりできるようにはなってないな。
一度特別拝観の時にでも行ってみてみるといいよ。
530日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:46:40
>>528
東京へはあくまでも行幸というかたちをとっている状態が続いているので、
手続き上は仮の御所ということもできる。
理由は遷都に加えて天皇が東京に遷座されることへの京都市民への配慮などがあった。

事実、大正天皇および昭和天皇は即位の礼を京都御所で行っている。
天皇の即位の際に必要な高御座はその後も京都御所内の紫宸殿にあり、
そういった意味も含めて本来の御所としての機能(在所というよりも儀式を行う場所)は
京都御所であったと言える。

しかしながらすでに4代の天皇が東京に住まわれ、さらに今上天皇は歴代天皇で初めて
東京の皇居にて即位の礼を行った。宮内庁によると京都での即位の礼は警備上の理由
からも行うことは困難であるとの判断であるが、これをもって正式な遷都が完了したという
考え方の人もいる。実際、宮殿やその他儀式に必要な施設を有する皇居をもはや
仮御所という位置づけにするのは難しいであろう。

531530:2006/09/19(火) 23:53:30
ただし高御座については解体して空輸にて東京に運び、
儀式終了後は京都御所に戻され現在も京都御所紫宸殿にある。
という事実からも京都御所の位置付けは遺産としての御所ではなく、
機能としての御所として捉えることができる。

昭和天皇は戦前は京都滞在の際は京都御所を普通に利用していたそうだ。
しかし、戦後の皇室の位置付けの変化と現皇族が全て洋式の生活スタイルに転換されて
いることからも京都御所を宿泊所として利用されることはない。
外国からの貴賓をもてなす時に周るくらいであろう。

なお御所は一般公開だけでなく、事前申し込みがあれば全ての平日に参観できる。
その時に紫宸殿の高御座も遠巻きながら見ることができる。

ちなみに現在の皇族は京都宿泊の際は京都御所に泊まるのではなく、
同じ京都御苑内にある大宮御所に宿泊される。
大宮御所は江戸時代初期に皇后の御所として建造されたもので、
その内部を一部洋式に改造して現在利用されている。
こちらは参観はできないが、その南側の仙洞御所は庭園が残るのみであるが参観できる。
532日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:53:50
>527
>江戸時代を舞台にした小説
年代や地域を特定してくだされば話易いのですが・・・
幕末の蝦夷地などでは露西亜人の医師が活躍したそうですw


という回答では(おそらく)納得されないでしょうから一般論として薬草です(;^_^A
『快風丸記事』によると熊胆でなんでも治ると、真面目に説いています
オランダ医学の普及による影響と財政難の為でしょうか
十八世紀には薬草や鉱物その他を採取するために(海外からの輸入に頼らず)
蝦夷地に何度も幕吏が派遣されています。
エブリコは古くからアイヌ人に重宝されていましたが、蝦夷地蔑視の風潮からか
国内では顧みられることはなかったようです

>525
如宝のことですか?
それとも南方熊楠の言でしょうか?

>511
某地域の方は「しち」と発音できないそうなので(ry
533日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:00:00
あ、あと加えると近畿方面での公務の場合はたいてい京都にも立ち寄るので、
天皇・皇后両陛下、皇太子殿下が京都大宮御所を利用される機会は結構多い。
御所→烏丸丸太町→烏丸御池→堀川御池→京都駅というルートで移動されることが
一般的なようだ。

というわけで御池通や堀川通ではかなりの至近距離で、かつ特に人ごみもない場所で
天皇陛下や皇太子殿下を拝顔することができる機会が1年に1回くらいはあるかしらん。
534日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:15:30
戦前の軍隊の公式な呼称では「七」を「ナナ」と読むこと!と決まりがありました。
ナントカ典範令みたいなので。

学校ではどうでしょうね。
535日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:19:58
さすが初心者スレだね
536527:2006/09/20(水) 00:21:38
>>532
レスありがとうございます。
疑問そのものの盲腸で苦しむ場面が出てくる話を
読んだわけでもないのですが医師が出てくる場面で
ふと疑問が浮かびました。
読んでいたのは時代が特定されていたかは定かではないのですが
主に八丁堀や江戸の下町を舞台に庶民や下級侍とかを題材にした
宇江佐真理さんの作品数冊です。

やっぱり薬草とかしか無いのなら
死んでしまう確立は高かったんでしょうね。
537日本@名無史さん:2006/09/20(水) 01:03:06
>>523
卜部、吉田は藤原氏です。
藤原氏の「氏」の祭祀を司るので、本来公職には就きません(その原則は
後に崩れますが)。あくまで氏の中での祭祀役なんですね。
ですから、藤原氏一族の祭礼があるとき以外は、

ヒマ

なんです。吉田兼好はだから徒然草なんて書いてたのでしょう。
兼好は、高師直が横恋慕した女性(家臣筋の妻)に恋文を書く
際にも代筆を頼まれて、それを引き受けたりしている。
経済的には、藤原氏の中で互助的に扶助されているはずだけど
貧乏だったのか、本当に暇な余り、文才を持て余してそんな事を
したのかは定かではありません。
「卜部」も「吉田」も、朝廷から賜った訳ではないと思います。
だから、本姓は「藤原」でしょうね。
538日本@名無史さん:2006/09/20(水) 01:19:30
応仁のらんについて質問です。
細川勝元や山名持豊が死んだだけでどうして乱は収まったのでしょうか?
斯波対畠山の相続争いはどうなったのでしょうか?
539日本@名無史さん:2006/09/20(水) 02:10:14
>>537
社家卜部氏が藤原氏の氏神祭祀を司っていたのは事実だけれども。
そもそも卜部氏のルーツは大中臣氏で、藤原氏のルーツと根は一緒ではあるが、
平城天皇の頃に大中臣平麻呂が卜部姓を賜姓していると言うのも事実だと思われ。

実際、公卿辞典などでも卜部氏というのは藤原氏とは別の氏として収録されていて、
堂上では錦織家がある。

吉田はもちろん名乗りであるから言うまでもないにしても、社家系吉田家は
卜部氏賜姓によって大中臣氏から改姓というこでないかい?
したがって吉田兼好の本姓は「卜部氏」で本来の読み方は「うらべ の かねよし」でFA?
540日本@名無史さん:2006/09/20(水) 02:22:48
>>539
 ルーツの部分は、私の方が不正確なようですね。出典が・・・?
 吉田兼好辺りの話は、信じられそうだが。
 勉強になりました。有難うございます。
541日本@名無史さん:2006/09/20(水) 02:30:16
斎藤竜興って誰?
542日本@名無史さん:2006/09/20(水) 02:40:47
543日本@名無史さん:2006/09/20(水) 03:17:12
どうして福島正則はわざわざ一国一城令を破って城を終築したのですか?

福島はドキュソ(◎o◎)
544日本@名無史さん:2006/09/20(水) 03:26:00
福島が触れたのは武家諸法度。
端的に言えば幕府にはめられた。
545日本@名無史さん:2006/09/20(水) 03:43:30
僕も福島正則さんとハメたいです。
546日本@名無史さん:2006/09/20(水) 04:15:14
江戸時代の寺院ってなんだったのでしゃうカ?
547日本@名無史さん:2006/09/20(水) 05:44:54
近衛天皇の生母が二条天皇と崇徳天皇の子供を用紙にしたという話を聞いたのですが、
つまり、近衛天皇の母親に育てられたってことでしょうか?
548信長:2006/09/20(水) 08:44:45
市松はノリの良さが命。
どんなビートでもいける。
549日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:20:49
>>546
お役所です。
戸籍管理や、冠婚葬祭もやってました。
身の上相談や駆け込み受け入れもやってくれる所もありました。
今のお役所より、とっても便利で親切。
その上で有り難いお話も聞かせてくれたみたいです。
550日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:36:10
>>549 補足!
寺と言う漢字自体が、
漢字では、役所と言う意味もあるそうです。
551辻小姐:2006/09/20(水) 21:53:38
>>506
松浦蔵人佐信正を語らせたら、わたしはうるさいですよ。信正は久信の父親
の鎮信が、朝鮮から拉致してきて側室にした小麦様に生ませた子供です。つ
まりハーフだったわけですね。久信の娘を妻にしたとしたら、姪を娶ったわ
けですが、いとこ同士ならともかく、叔父と姪の結婚は、中世では珍しいで
すね。
552日本@名無史さん:2006/09/20(水) 22:40:36
選挙などの民主的な手段を用いず暴力で政権交代を行うクーデターがタイでありました
国王は黙認し暴力を肯定したようです
これでは国王が暴力の正当化の為の機関となることの証明であり民主主義に反するものだとなります

そこで天皇を考えると明治維新のような成功したクーデターにはお墨付きを与え226のような鎮圧が見えるときには鎮圧に手を突っ込む
強者の傀儡の性質がみえます
ところが光秀のクーデターについては天皇を光秀が使った形跡がありません
光秀の命令があれば天皇は従ったと思います

なぜ光秀は天皇を使わなかったのでしょうか?
553日本@名無史さん:2006/09/20(水) 22:46:43
そんな初歩的な問題どーでもいいけど・・・

物知り博士は、世の中の役に立たない!
教訓博士は、よしあしあれど、人々の心を動かす!
554日本@名無史さん:2006/09/21(木) 01:10:38
ここで教えていただきたいことがあるんですがいいでしょうか?
日本史の問題なんですが。
555日本@名無史さん:2006/09/21(木) 02:53:46
宿題は自分で!
556日本@名無史さん:2006/09/21(木) 08:46:13
>>552
天皇やタイ国王は、基本的に「陰謀」に予め乗ることはありません。
そんなことする必要性がないからです。野心とか謀りごと等一切不要です。

成功した「陰謀」を「承認」するのです。

ただし、過渡的な近いケースはあります。「鹿ケ谷の変」などは上皇が
絡んでいます。ただし、上皇は権力者であり野望家ですが、だからこそ
わざわざ「天皇」を辞めてまで自らをそうした位置づけにしたのだと思
います。天皇のままでは出来ないことがあるのです。権力争いなど、天
皇のすることではありません。

光秀が本能寺の変で、信長を打倒を完了した時点で、朝廷≒天皇は、そ
の行為を追認しています。
557日本@名無史さん:2006/09/21(木) 08:56:36
誤解を予防するために、ちょっと逸れますが敷衍しておきます。
「では、後醍醐天皇は、どうなんだ?」と出るかも知れないからです。

これは失敗例でしょう。天皇の本質を、後醍醐天皇は理解できなかっ
たのでしょう。
天皇は、為政者の頂点から、それをも超越する存在へと変貌したのに
も関わらず、むしろ逆行してしまった訳です。結果的に失敗していま
す。
558日本@名無史さん:2006/09/21(木) 20:51:13
>>550
補足どうもです。
サムライは「侍」って書くけど、むべなるかな。
559日本@名無史さん:2006/09/22(金) 00:06:09
株仲間ってなんなんですか?
カルテルみたいなものですか?
560日本@名無史さん:2006/09/22(金) 01:53:26
南北朝と室町時代は別けて考えるのが定説ですか?
561日本@名無史さん:2006/09/22(金) 15:00:17
>>559
許認可制の商売。
562日本@名無史さん:2006/09/22(金) 16:06:47
株仲間 今のプロ野球や民放テレビ局が近いかな。
563日本@名無史さん:2006/09/23(土) 14:46:00
江戸城の建物がないのはなぜですか?
第二次大戦の東京空襲で焼けたことが、アメリアによって隠蔽されてるのですか?
564日本@名無史さん:2006/09/23(土) 16:28:27
とりあえず皇居に行ってこい。櫓ならある。天守は江戸時代にすでに燃えてる
565日本@名無史さん:2006/09/23(土) 20:46:35
質問です

江戸時代に、お上に直訴するとき紙に書いて出していたと思いますが
そのとき表紙に書いた文字って「申」でしたっけ、それとも「上」でしたっけ?

何かの画像で見たことがあるんですが、記憶があいまいなので
ご存知でしたらどうぞご教授ください
よろしくお願いします
566日本@名無史さん:2006/09/23(土) 20:56:17
殿から家臣に下されるときは「上意でござるぞ!」って、書状に「上」って書いてるよね。たしか。
567日本@名無史さん:2006/09/24(日) 02:54:13
秀吉はハゲねずみと呼ばれたそうですが
ちょんまげではげた頭が普通だった当時、
ハゲねずみと呼ばれた秀吉はどんなヘアだったのか、
頭側部、後頭部の毛まで薄かったという事でしょうか。
568日本@名無史さん:2006/09/24(日) 08:04:48
日本における、身体障害者・知的障害者の扱いはどうだったのでしょうか?
隔離や間引きの対象だったのでしょうか?
569日本@名無史さん:2006/09/24(日) 11:09:37
>>566
ありがとうございます

ということは、下から上にの時は「申」なのかな?
それでいってみます
570日本@名無史さん:2006/09/24(日) 13:10:56
江戸末期、飛び道具は卑怯と言う考えはあったのでしょうか。
隠し剣鬼の爪でも、ラストサムライでも、
飛び道具は卑怯と言う話が出てきたのですが。
571日本@名無史さん:2006/09/24(日) 13:21:14
軍事板で板違い言われたのでこっちで聞きます

質問です。
岸信介は東條が行おうとした内閣改造に閣僚辞任を拒んで抵抗し
東条内閣を総辞職に追い込んだのに
なんで戦犯に問われたんですか?
572日本@名無史さん:2006/09/24(日) 22:47:48
大野藩家老の内山家について調べていたのですが、
「内山七郎右衛門良休」さんの名前の読み方が、
いくら調べても出てきません。
知っている方が居たら教えていただけるとありがたいです。
573日本@名無史さん:2006/09/25(月) 00:46:54
>>571
満州国建国・統制経済体制樹立への関与、対米英開戦詔書への副署など山ほどある。
574日本@名無史さん:2006/09/25(月) 03:15:27
アベチャンを叩く材料が欲しいのでないなら、質問はきちんとした文章で。句読点も忘れずに>>571
参院選で自民が惨敗するまで、この種の質問が続きそうな悪寒・・・
575日本@名無しさん:2006/09/25(月) 12:12:09
>>572
ここできけばいいのに。

■■「人名の読み方」問い合わせスレ■■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1123501362/

普通に読めば「うちやましちろうえもんよしやす」だろう。
難度は高くない。本人や家族の手紙で確認できれば完璧だが。
576日本@名無史さん:2006/09/25(月) 12:36:41
>>568
有名な上杉鷹山の正室は確か障害者だったと思う。
9代将軍もそんな感じだったでしょ。
高貴な方はそれなりに扱われてたようだね。庶民は知らんが。
江戸幕府は盲人を保護してたよ。
577日本@名無史さん:2006/09/25(月) 17:37:47
よく歴史に「たら・れば」(もし〜だったら、〜が〜していれば)は『禁句』と
言われますが、なぜ『無駄』とか『野暮』とか『妄想電波』というような言い方でなく
『禁句』なのでしょうか?
なんだか「たら・れば」話をしたら時空警s

あっ なんでもないです
たとえ厨でもウケないから書かないよなこんなオチ・・・
578日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:23:58
>>529>>530>>533
528ですが、詳しい説明どうもありがとうございました。
よくわかりました。
579日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:30:33
>>577
歴史にIfは禁物ってよくいうけどなんで?と私も思います。
歴史番組やら歴史本では、まったく普通にたらればを使ってるように見えますしね。
たらればで結論を主張するのがダメって事なんですかね。
「〜〜してたら○○はこうなっていた!」って感じに。
じゃあ「〜〜してたらは○○はこうなっていたかも?」って程度ならいいのかな?ってことかな。違うか。
580日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:32:21
>>579
おそらくですが、歴史とは「必然性」を解明するものだからなのでは
ないでしょうか?
確かに条件や人の行動が一歩違っていたら、異なる結果を齎していた
かも知れませんね。ただ、そういった事も「コミ」で、結果はひとつ
なんです。
では、そのただひとつの結果を齎した(もたらした)ものは何だった
のか? が大切だからでしょう。
ただ、私は「If」を考えるのも「あり」だと思います。それは、
必然性を説く上でも、その周辺事情を考察することには意味があると
思うからです。ただし、Ifに囚われ過ぎると、本末転倒になるから
気をつけましょう、という認識で良いのではないでしょうか?
581理系技術者:2006/09/25(月) 23:45:05
>>577
>>580ですが、「禁句」なのは、それを「結論」に持ってくること
です。
過程がおかしいと、『無駄』とか『野暮』とか『妄想電波』?に
なるのかも知れませんが、考察の過程ではむしろ「もし」を考える
事は重要なプロセスです。ただし、目的は「必然性」の解明なので
実際に起こらなかった事を結論に持ってくるのは無意味な論議に
なってしまいますね。現実を否定し、架空を肯定する事を禁じ手に
しているのは、そういった事情によるものだと考えられます。
582信長:2006/09/26(火) 06:09:46
583日本@名無史さん:2006/09/26(火) 20:08:49
質問です。

土州といえば土佐藩
薩州といえば薩摩藩
とすると、長州の正式名称は、
1・防長藩
2・長門藩

どちらになるのでしょうか?
584理系技術者:2006/09/27(水) 00:54:04
>>583
根拠に乏しいので、どなたかフォローお願いしたいのですが、
長門藩?
理由は、藩主の居城「萩城」があったから。でも自信なし・・・
薩摩藩も「薩摩」「大隈」二国持ってますからねぇ。
普通「長州藩」というのがピンとくるのですが。
そう言えば「紀州藩」も、あんまり「紀伊藩」て聞かないな・・・
尾張藩は「尾州藩」ともあんまり聞かないし。
何か、傾向があると、興味深いのですがね。
ちょっと調べてみよ。
585日本@名無史さん:2006/09/27(水) 02:31:22
江戸時代に飢饉のとき餓死した武士っていますか?
586日本@名無史さん:2006/09/27(水) 02:38:03
質問です。
飛鳥時代から平安初期の皇族の忌み名は「有間皇子」、「大津皇子」、
「大炊王」「長屋王」、「白壁王」「山部親王」などのように、一見苗字のような
ものですが、平安中期以降は明らかに「名前」的なものが多くなり、
そして現代に連なる「〜仁」に連なっていきます。

このような変換が起こったのはなぜですか?
そして古代皇族の名は、どうして現代人の苗字に似たものだったのですか?
587日本@名無史さん:2006/09/27(水) 03:36:34
教えてください。
日本書紀の大系本では、数多くの漢字に読みがなが付けられていますが、
本文に訓注があるもの以外で、“なぜこう読むの?”と思うことが多々
あります。

凡例では、「なお、固有名詞の訓みは、すべて奈良時代風に統一した」と
ありますが、その根拠となる文献はなんでしょうか?
たとえば「弘仁私記」などでしょうか?

よろしくお願いします。
588日本@名無史さん:2006/09/27(水) 04:07:02
580 :ひよこ名無しさん :2006/09/22(金) 00:31:31 0

     愛知県警「こんなもんかよ」
     愛知県警「うわさの中国人ってのは―――」
     愛知県警「こんなもんかよッッ」
    竹石圭佑「ヒィ……」
     愛知県警「逃がすかバカッッ」
    竹石圭佑「……救命阿ッッ」

588 :ひよこ名無しさん :2006/09/22(金) 00:53:41 0

         ★竹石圭佑の名言集☆

 蒲田署「…………… な… な… なにものだ………」
竹石圭佑「とっくに ごぞんじなんだろ!? オレは名古屋から
     きさまらをたおすためにやってきた 中国人……… 
     わずかな理性をもちながら はげしい性欲によって目覚めた 伝説の戦士…超中国人 竹石圭佑だ!!!!!」

竹石圭佑「植草の敵を討つんだ!!!あいつは二度捕まった!!!もう言い逃れできない!!!」

竹石圭佑「植草はいいヤツだった…ホントにいいヤツだった…一番の仲間…
     つ…捕まえやがって………」

 蒲田署「あのミラーマンのように!!!!」
竹石圭佑「あのミラーマンのように?…
     植草のことか… 植草のことかーーーーっ!!!!!」

竹石圭佑「ざ い に ち 波ーーーーーっ!!!!!」
589日本@名無史さん:2006/09/27(水) 07:21:54
>>584
薩摩は日向も持っています。
590日本@名無史さん:2006/09/27(水) 08:10:01
邪馬台国って、違う読み方すると「ヤマト」になるじゃないですか。
どう考えても大和朝廷と邪馬台国は同一のものとしか考えられないですけど
やっぱそうなんですか?
591日本@名無史さん:2006/09/27(水) 10:36:18
賛否両論ある。
卑弥呼=天照なのかどうかも。

それが100パーセント解明される証拠でもでれば日本の歴史上最大の発見になるな。
592日本@名無史さん:2006/09/27(水) 12:46:07
>583
「藩」「長州藩」でぐぐってみましょう。
593日本@名無史さん:2006/09/27(水) 14:42:16
>それが100パーセント解明される証拠でもでれば

よおし、この俺様ちゃんのゴッドハンドで「発見して」やるぜ!
594日本@名無史さん:2006/09/27(水) 14:54:13
こっそり撮らせていただきまつ
595日本@名無史さん:2006/09/27(水) 17:14:44
「日本は小中華主義だった」
ってのはどういう意味ですか?
596日本@名無史さん:2006/09/27(水) 17:43:57
597日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:13:09
この板本格的に・・・・・アホ100%目前
598日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:22:43
自分は日本史をよく知らない高校生なんですが
大奥についての番組で、徳川家康の子孫の
家宣が病死して、その子供家継も幼少で亡くなって
血のつながりのないところから吉宗を擁立したと聞いたんですが
家康の子孫はこの時点で事実的にいなくなってしまったんでしょうか??
それとも正式な子孫が切れただけで他にもたくさんいたんでしょうか??
あと、テレビで信長の末裔の人が出ていたんですが
家康の子孫はどのくらいいるんでしょうか?
599日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:40:52
597ときて598とくる 

600日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:45:52
すいません
よく知らないというか、全くわかりません^^;
601日本@名無史さん:2006/09/27(水) 21:54:37
アンタ誰? 何を言いたいの? 私もまったくわかりません
602日本@名無史さん:2006/09/27(水) 22:23:48
>>598
>血のつながりのないところから吉宗を擁立したと聞いたんですが

吉宗は家康の玄孫だよ。
思いっきり、血がつながってるだろ。

玄孫とは、曾孫の子だからね。念のため。

>家康の子孫はどのくらいいるんでしょうか?

遺伝子の調査でもしないと、分かりませんね。
603日本@名無史さん:2006/09/27(水) 22:33:01
それが100パーセント解明される証拠だね
604日本@名無史さん:2006/09/28(木) 11:23:03
幕府の政治って
天皇から蛮族を討伐するための将軍に任じられ、陣営(幕府)で軍政を引いている
という建前で行われたんですか?
605日本@名無しさん:2006/09/28(木) 13:33:34
>>587
『日本書紀』は漢文で書かれています。(当時、かなりのハイレベルな漢文だそうです)
『古事記』は日本書記と重なる話を変体漢文で書かれていますが、固有名詞や古語、
謡では一字一音表記で表しています。『万葉集』では、いわゆる万葉仮名。

ここから「上代特殊仮名遣」という、当時の漢字の訓(よ)みの体系がわかったのです。
606日本@名無しさん:2006/09/28(木) 15:14:39
>>598
家系の建前の問題なんです。
家系の建前というのはあくまで、親→嫡子→そのまた嫡子(以下略)。
つまりその事例は「正式な子孫が切れた」。徳川「本家」の血のつながりを
持つものがいなくなったと・・・いうことです。
吉宗は家康の男系子孫(玄孫)ですが、徳川本家の継承権を
持つ家に生まれそこの主になったので迎えられただけ。

>>604
ぶっちゃけ、そういうことです。
軍事権はもちろんのこと、いわゆる「現場の判断」という
司法権や行政権も有していましたから。
607日本@名無史さん:2006/09/28(木) 15:38:28
>>794
哲学者じゃなくていいならほい
ttp://en.wikipedia.org/wiki/God's_utility_function
608日本@名無史さん:2006/09/28(木) 15:39:46
誤爆すみません
609日本@名無史さん:2006/09/28(木) 16:04:01
>>604
大体はその通りです。坂上田村麻呂以来のひとつの権限といって
良いでしょう。
ただ、軍政というより、平定後の地域の一般行政も込みで、言っ
てみれば「天皇の代理」であり、単なる司令官ではないのです
ね。

源頼朝は、自分の祖先(源頼義・義家)が、それを目指して
(≒憧れて)、奥州進出を図って、藤原氏に取って代わられた
ので、奥州藤原氏を滅ぼした後、征夷大将軍への就任を意識し
ています。
ただし、奥州藤原氏を滅ぼした時点での頼朝は、西国から奥州
までを軍事的に制圧してしまっているので、制圧した地域の
軍事最高司令官兼天皇代理という事になり、この時点で征夷大
将軍に就任すれば、事実上の日本の支配者と言っても良いでし
ょう。

1190年に頼朝が上洛したとき、頼朝は征夷大将軍への就任を
要求したと推測されますが、さすがに後白河上皇に拒否された
と考えられます。源頼朝が征夷大将軍になれたのは、後白河
上皇が亡くなった年である1192年の事です。
610587:2006/09/28(木) 17:33:49
>605
お答えありがとうございます。
総論としての上代特殊仮名遣の成立は分かるのですが、
各論ではそれで説明できない読み方が多く、悩んでおります。

たとえば、
・紀の初っぱな、第一段本文の「神聖」や一書第三の「神人」、
 また一書第五の「人」を、なぜすべて『かみ』と読むのか?
・神武即位前紀で、椎根津彦が魚釣りをしていた「曲浦」は記にはなく、
 該当地も分からないのになぜ『わだのうら』なのか?   などなどです。

これらは、後にそう講読されてきたからなのだろうと、漠然とは
思っていますが、納得がいかないものが多く、質問させて頂きました。
私の漢字能力が低いことも大きな原因ですが・・・・・。
611日本@名無史さん:2006/09/28(木) 18:46:48
>>606
そういう理屈だと天皇家も
例えば光格天皇のときに「切れた」ことになるよ。
612日本@名無史さん:2006/09/28(木) 18:52:41
「子」のつく女性名の変遷について質問させて下さい。
↓自分で検索してみて近代に至るまでの経緯はなんとなくニュアンスとしては解りましたが、
ttp://homepage2.nifty.com/osiete/s647.htm
ttp://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/ktb015.htm
ttp://homepage1.nifty.com/forty-sixer/josimei.htm
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4336047456
‘明治になって解禁されたから「子」名前が増えた’みたいな記述をみると、
じゃあそれまではどの辺の身分までなら「子」をつけてよかったんだろうと疑問に思います。
歴史は全然詳しくないんですが、聞いた事のある範囲だと大名家の女性でも
「○姫」とか「お○の方」みたいな一字名前で、「○子」だとどうしても公家の女性のイメージなのですが…。
武家の女性でも朝廷へ上奏する書類に名前を記す必要がある時は体裁をととのえるために称号みたいな形で
「○子」とつけたんでしょうか?
たしか徳川吉宗の生母の於由利の方が「紋子」の名前で従二位の位を贈られたと聞いた事がありますけど…。

あと上にはURLを載せきれませんでしたが、本場?のはずの中国では「子」は男性限定の尊称で、
女性は人妻の場合は主に実家の姓で○氏・○夫人、複数姉妹が居る場合は特に○大嬢・○二嬢のように
呼ばれていたとありました。日本では例が無いわけでは無いみたいですが(例・坂上大嬢)
このタイプの呼称があまり定着しなかったのは、やっぱり日本の親族のシステムになじまなかったのが原因なのでしょうか?

まとまりの無い長文で申し訳ありませんが、長年の疑問なので教えていただけたらとても嬉しいです。

613日本@名無しさん:2006/09/28(木) 21:42:58
>>611
全くその通りですが、それが何か。
614日本@名無しさん:2006/09/28(木) 22:00:48
>>613
とはいっても、光格天皇は先代後桜町天皇の遺児欣子内親王と縁組をしているから
婿養子の形。二人の皇子を儲けます。徳川本家のように、7代家継の死で完全に
血が断絶するのとはまた違うのです。

でもこの皇子は夭折しているので、結局、中御門天皇からの皇統は途絶えてしまう
のですが。
615日本@名無しさん:2006/09/28(木) 22:02:20
>>614
×後桜町天皇
○後桃園天皇
616日本@名無史さん:2006/09/28(木) 23:43:38
結局、神武天皇は何年に即位したと考えればいいですか?
617日本@名無しさん:2006/09/29(金) 00:05:34
>>612
「子」を女性の名の一定形と考えるよりも、××号や○○丸のような漢文体の書に
用いる女性名の接尾語のように考えるべきです。

元々は、検索されているページにある大名兒(おおなこ)のように、「△△コ」という
呼び方があって、それが△△子に変わっていったのでしょう。平安時代の唐風文化
の普及と共に頻用されたことに注目してください。

でも、そんな彼女たちでも和文体の手紙ではしばしば「△△」と書きますし、
口語では目上からは「△△」、他人からは「お△△さん」と呼ばれる。
宮城(きゅうじょう)では「△△子」と呼ばれることもありえはしますが、
まず以って称号や通称で呼ばれる人たち。

元々は、あくまで中国式の書の中での名前だったということです。

ですから、「子」をつける区分けの本質的なところは、身分によるわけではない。
(漢文体であった)公文書に名が記される人たち、(漢文体の)書をしたためる人たち、
そういった人たちが書の中で「△△子」と残しているというだけです。極端に言えば。
ですから、農民や平民でも漢文なんて書かない女性は「子」がつかない。
使わないからです。

庶民にも広まるのは、宮廷文化が市井に広まる江戸時代以降。
維新後、姓名が一人一形式に定められ、さらに皇民意識が高められていく
明治後半、后妃にあやかった一種の流行として「△△子」は爆発的に普及
していくことになるのです。
618日本@名無史さん:2006/09/29(金) 21:02:25
切腹というのは何時ごろから始まったんですか?
619612:2006/09/29(金) 22:08:30
>>617
たとえ「○子」と記されていても、それは書面の上での体裁であって
その女性の「呼び名」ではないということですね。

>庶民にも広まるのは、宮廷文化が市井に広まる江戸時代以降。
江戸時代にすでに庶民に広まり始めていたというのは以外でした。

>ですから、「子」をつける区分けの本質的なところは、身分によるわけではない。
名字帯刀の類と違い、「名乗っちゃいかん!」という規制があったわけではないんですね。
どうもありがとうございました。
620日本@名無史さん:2006/09/29(金) 22:59:19
戦国末期、日本人が奴隷として輸出されていたと聞きましたが、
どういう訳で(借金返済とか?)何処に売られていたのでしょうか?
621日本@名無史さん:2006/09/30(土) 10:34:00
>>620
戦で勝った戦利品。雑兵たちの小遣いかせぎの面もあった。
ヨーロッパにも売られたらしいが行き先はよくわからん。
622日本@名無史さん:2006/09/30(土) 15:22:05
日本史板の初心者スレが
世界史板の初心者スレに比べて
もんのすげー低レベルなのは何故?
623日本@名無史さん:2006/09/30(土) 20:45:13
>>622
そういうのを
「どんぐりのせいくらべ」
っていうんだよw
624日本@名無史さん:2006/09/30(土) 20:57:22
関ヶ原で勝った家康がなんで豊臣家に対してでかいツラできたの?
家臣同士のいざこざで勝っただけでしょ?
625日本@名無史さん:2006/09/30(土) 21:24:54
つ軍事力
626日本@名無史さん:2006/10/01(日) 03:40:08
>>620
キリシタン大名、つまりスペインかポルトガルあたりの支配下になったつもりあたりの大名が、
地元民を売っていたとかだっけか?
でこんなことがあったんで秀吉が怒ってバテレン追放例をだしたんだっけか?
奴隷にされた人はスペインかポルトガルあたりに売られたのかもね。
そういえばスペインあたりには日本人の子孫がいるって話を以前テレビでやってたが
これってサムライと言うよりはこうして連れていかれた奴隷の子孫なのかななんて思っちゃうね。
627日本@名無史さん:2006/10/01(日) 07:18:13
>>624
「でかいツラ」というのが具体的に、いつのどの態度の事かという
問題がありますが、大坂の陣までに至る過程での家康の豊臣家に対
する態度と解釈して考えてみることにします。
(違うよ、ということならまたそういってね)
関ヶ原の戦いは、形式的には、共に豊臣家を正義とし、互いにその
正当性を主張しながら東軍と西軍が戦っています。ご存知のように
実質的には豊臣政権が徳川政権へと変わっていく転機となった
「天下分け目」の戦いだった訳ですが、問題はその「形式」「実質」
がいつ合致したか、ということの筈なんですね。

それだけなら、「徳川家康が征夷大将軍に補任された」時点で武家の
棟梁の地位を得ている事、一方では豊臣秀頼は別に関白である訳でも
ないので、ここから逆転、という風に考えられるところです。
ところが、日本人の興味深いところは、「既成事実」に基づいて「な
し崩し」的にものごとを推進していってしまう、というところです。

関ヶ原の戦いは、それ自体ではまだ事態(東西の対立)は収拾されて
おらず、収拾されたのは大坂城の毛利輝元との講和が成立し、家康が
大坂城に再び入城した時点です。この段階では、家康は、秀頼・淀殿
に対し臣下の礼を形式的には取っています。ただし、実質的にはもう
家康の独断による論功行賞と処罰が行われています。ただ、この程度
の専横ぶりは、秀吉が死んだ直後から既に始まっています。家康は五
大老の筆頭という、豊臣政権の重鎮だからです。ただ、関ヶ原以前は
石田三成を始めとする反発があったが、関ヶ原の戦いにより、それが
なくなった、というのが「違い」です。
そして征夷大将軍の補任。それにより公的な地位も逆転(家康は豊臣
家に臣従する立場ではなくなった)した訳です。それまでは、家康は
形式的に臣従しながら、実質的には独断専行している「既成事実」路
線だったと考えられます。
628日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:06:36
日本神話って、やっぱりギリシャ神話みたいに実際の人物・事件を神や神通力に
置き換えて説明されてるんですか?
629日本@名無史さん:2006/10/01(日) 12:25:21
>>628
そういう話がよく言われますね。
基になった事実は、おそらく日本列島内がひとつの国にまとまっていく
過程だと考えられます。
ただし、置き換えられたのは、実際の人物・事件→神や神通力だけでは
なく、様々な小国家や場合によっては「王朝」があったかも知れない
中で、「万世一系」の皇統を前提にしたストーリーという変換作業も
あったようです。
630日本@名無史さん:2006/10/01(日) 13:13:06
歴史物の小説やテレビで、大和守や武蔵守などの官位というか位階という役職みたいなので
呼ばれてますが、太守でもないのに何故この様な呼ばれ方をするのでしょうか?
権中納言の様に、代理でしたら大和権守や権大和守とはならないのですか?
あと、淡路守や伊予守は、格式が非常に高いと聞いたことが有りますが、これは古代神話で
最初にイザナギが作ったからでしょうか?
631日本@名無史さん:2006/10/01(日) 23:49:48
日本人は戦国時代に南蛮人がやって来たとき、鉄砲はすぐ真似て作りましたが、
洋式の帆船は真似できなかったのでしょうか?
南蛮との交易があった16世紀後半〜17世紀前半にかけて(鎖国以降は別として)
日本の造船技術が飛躍的にアップしたようには思えないのですが。
632日本@名無史さん:2006/10/02(月) 00:42:17
>>626
以前こんなレスがあった。

129 :世界@名無史さん :2005/06/04(土) 00:41:25 0

テノチティトラン(現在のメキシコシティー)郊外のサン=クリス鉱山で1592年に起こった奴隷反乱の指導者は
鉱山の労務管理に従事してたサシチと伝えられる人物

ほかにも反乱鎮圧後処刑された指導者層の中に
シゲベイとかヨイチとかの名前も見える。

全部連れて行かれた日本人奴隷と見られる
633日本@名無史さん:2006/10/02(月) 01:47:27
コピペにマジレスつーのもアレだが・・・

カトウなら日本人
キムなら朝鮮人てか?

中途半端な書き込みはyose
634日本@名無史さん:2006/10/02(月) 02:31:45
中国のヌルハチとかコロンブスが会ったキューバの人はマタハチとか言ったっけか?
彼らは日本人くさい名だな。
ジェロニモは次郎衛門という日本人だったとの説があるらしいし。
ということはインディアンって太平洋を渡った日本人の末裔だったのかとかね。
635日本@名無史さん:2006/10/02(月) 09:52:26
>>633
たとえば地球の裏側の鉱山にキムとかチョンとか名前が現れ始めたら
供給源を推測する目安にはなるだろう。

インディオや黒人奴隷がそういう名前を持っていたという可能性もなくはないが。
636日本@名無史さん:2006/10/02(月) 15:09:59
アーネスト・サトウのことを日系人だと思っていた
リアル厨房時代の俺…
637日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:09:56
伊勢神宮にはなぜイスラエルのマークがあるんですか?
638日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:29:02
六芒星の持つ強い魔力に気付いた人が
日本にもいたしイスラエルにもいたからです。
片方の国がもう一方の国に影響を与えたわけではありません。
気圧が下がるから気圧計が下がるし雨が降るのであって
気圧計が雨を降らせているわけではない、というのと一緒です。
639日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:39:21
かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる よあけのばんに
つるとかめがすべった うしろのしょうめんだあれ
640日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:34:18
>>639
こわいうただね
641日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:43:05
>>639
それ旧約聖書の予言の歌だね。
642日本@名無史さん:2006/10/03(火) 00:18:15
東漢直駒(蘇我馬子の刺客で有名なやつ)の親父って東漢直磐井っていうらしいんだけど
磐井の乱の磐井とは何の関係もないの?直駒の父親の世代ならちょうど乱が起こってた時代だし…
縁者かなにかで、朝廷に不満を持っていて馬子の口車にのった…とか
643日本@名無史さん:2006/10/03(火) 00:52:16
偶然の一致。
644日本@名無史さん:2006/10/03(火) 17:29:27
福島正則や加藤清正は
その最期になって
関が原で家康に味方したことを悔やんだんでしょうか?
645日本@名無史さん:2006/10/03(火) 18:11:29
福島は悔やんだ。
加藤はよくわからん。大阪の陣の前に死んだからね。
646日本@名無史さん:2006/10/03(火) 21:01:42
>>641
預言?
647日本@名無史さん:2006/10/03(火) 23:55:04
>>645
結果論からするとそう推測できるんだけど、
実際に悔やんだということがわかる文献ってある?
648日本@名無史さん:2006/10/04(水) 00:25:37
>>647
両人とも息子が藩を継ぐことになってるのに、
そんなことを文章に残すほどの馬鹿じゃない
649日本@名無史さん:2006/10/04(水) 01:56:18
何故藤原純友スレがないのでしょうか?
650日本@名無史さん:2006/10/04(水) 08:09:58
>>645
大坂の陣と書くときは「大坂」の方が良いです。
「大阪」と書くようになったのは明治時代からです。

例えば「新撰組」「新選組」は両方書かれている例があるから
どちらでも可、という風になるのですが、大坂→大阪は、明治
で変更されたものなので。
651日本@名無史さん:2006/10/04(水) 08:14:44
>>648
「三河物語」みたいに、外部に対して秘匿されていた
文書が出てきたら、興味深いのですが。
652日本@名無史さん:2006/10/04(水) 08:43:22
南北朝時代の村上水軍や松浦党が使っていた軍船について
詳しい本がありましたらご教示ください。
653日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:44:56
日本史を楽しむ上で、どうも古墳時代だけはとっつきにくい感じがあるんですが
この時代の王権を物語にした本とかありませんか?
磐井の乱の磐井の話とか…
654日本@名無史さん:2006/10/04(水) 15:52:41
文武天皇の、その「文武」という諡号は、
淡海三船以前にあった証がある、という文を見ましたが、
その証拠とはなんなのですか?
655日本@名無史さん:2006/10/04(水) 15:56:34
大和地方と福岡甘木周辺の地名に、
多くの一致が見られるということを、
最初に指摘したのは誰で、それはいつ頃なんでしょうか?
656日本@名無史さん:2006/10/05(木) 06:09:19
昭和天皇大正天皇の皇后への諡は「皇后」なのに明治天皇の皇后への諡が「皇太后」なのはなぜですか?
657日本@名無史さん:2006/10/05(木) 12:52:15
昭和天皇の奥さんも皇太后じゃなかったか。
658日本@名無しさん:2006/10/05(木) 20:05:19
659日本@名無史さん:2006/10/05(木) 23:52:47
歴代の皇太子で聖徳太子以外に天皇のような諡号を送られた人はいるのでしょうか?
660日本@名無史さん:2006/10/06(金) 03:35:07
>>658
ありがとう、皇后は皇太后よりも「宮中の序列」的には上だと思っていたけど、違うんだ。
661日本@名無しさん:2006/10/06(金) 09:59:01
>>660
後半の文章はアレだが、「間違いだけどかえようがないので」
ああなっているのは確かのようだ。
662日本@名無史さん:2006/10/06(金) 19:12:06
邪馬台国=大和朝廷
っていうのはなんでメジャーじゃないんですか?
日本書紀の最初はどう考えても九州の政権が中央に移動したとしか
かんがえられないんですが…
663日本@名無しさん:2006/10/06(金) 19:43:57
それは邪馬台国が九州にあったこと、邪馬台国勢力の後裔が
いわゆる神武天皇であったという仮説によって初めて成り立つ
ものだから。

邪馬台国が九州にあったという論に立つとしても、葦原中国
(神武天皇の国)=邪馬台国であるという説とリンクさせられ
ないとどうしようもない。
664日本@名無史さん:2006/10/06(金) 20:37:22
女性が長であった邪馬台国が大和朝廷であっては
男系云々を言う人間には都合が悪そうだな。
665日本@名無史さん:2006/10/06(金) 21:25:34
日本人なら女性天皇の名前の一つや二つ言えるんだけどねw
外国の方でつか?
666日本@名無史さん:2006/10/06(金) 21:42:06
だってまずいだろ?
租となる人物が女性だぞ?
最初が女性だったら男系の意味は?ってことになるじゃないか。
卑弥呼の弟の家系ってことにすればいいってか?
667日本@名無史さん:2006/10/06(金) 22:50:01
>>666
男系女系の問題は、おそらく「天皇」の称号や権威が確立し、かつ
「女系」が皇族以外のもの(藤原光明子=光明皇后辺り)が入って
きてから。
それ以前は近親結婚やってるから、男系でも女系でも問題ないんだ。
どちらも皇族だから。だから奈良朝の前半は女帝だらけだ。皇后が
ワンポイントで入ってるから。

天皇以前の大王の頃は、まだそこまで権威が確立していない。
男系男子の天皇という事が意識されたのは、聖武天皇の後継が孝謙
天皇(女帝)がワンポイントでないのに女帝を立てるしかなくなり、
道鏡事件のような皇統の危機があってから。それは光仁天皇を擁立
して何とかなった・・・・。

だからあなたの意見を貶めるつもりはないけど、よくそんな話を
確かに聞くから、卑弥呼の事と、天皇の皇統が男系男子という話は
ちょっと分けといた方が良いと思う。
668日本@名無史さん:2006/10/07(土) 06:42:08
Y染色体が云々とか言ってる馬鹿を相手に限定で、
「皇祖卑弥呼にY染色体はありませんでした」と言ってやるのは
可なんじゃないか。
もちろん卑弥呼が皇祖っていう664の仮定の上でだけだけど。

>>667
しかし男系論者からして、「万世一系」が男系だったという
前提で話をしてるでしょ。
それはあなたの言う「それ以前」を男系継承と見なせる(当時
男系女系の意識がなかったにせよ)ことが根拠になってるわけで、
666の理屈はその根拠まではくつがえすことが可能だと思うよ。
669日本@名無史さん:2006/10/07(土) 08:22:54
江戸時代、将軍のいみ名を貰うのって名誉ことだったのだろうけど、将軍の名前が決まる前から
家光の名が決まる前に「光」家綱の名が決まる前に「綱」の字なんかをを使っていた場合どうなるのだろう。
特に、吉宗の「宗」なんか結構使われていただろうね。
670日本@名無史さん:2006/10/07(土) 09:08:23
あれ?邪馬台国って基本的に多数の部族からの選出で王を決めるんじゃなかったん?
壱与は例外だとしても。
671日本@名無史さん:2006/10/07(土) 10:14:11
卑弥呼って子供いるの?
672日本@名無史さん:2006/10/07(土) 10:22:05
>>669
将軍の名前の一字とかぶってしまった場合、改名します。
仙台・宇和島の伊達氏の場合、「宗」の字が吉宗とかぶってしまったので
「村」の字に改めました。
673日本@名無史さん:2006/10/07(土) 12:03:32
>>672

やっぱ、そうなんだ。
伊達氏にとって「宗」の字は藩祖(宇和島なら秀宗)の名前だからなあ。
674日本@名無史さん:2006/10/07(土) 14:33:24
>>671
いないとされているね。
巫女さんだから。
弟がいて、それが予言を取り次いでいたと言われているが。
675日本@名無史さん:2006/10/07(土) 16:06:02
国ごとの石高がわかるサイトでいいの(データが豊富、分かりやすい等)を教えてください。
676日本@名無史さん:2006/10/07(土) 21:17:39
>>668
理屈を何に利用したいのかがあるのかも知れないが、大事なのは
正しいところを見極めること。
でないと、それなりに筋の通った反論が必ず存在してしまう。

女系女帝の話は、そんなに古代に遡って理屈を展開しても世の支
持は得られない。また男系論者というのも、極端な論者を倒し
たところで、正しい知識を持っている人の中にも数多くいる。

予定調和の考えで理屈を弄ぶことは止めた方が良いでしょうね。
677668:2006/10/08(日) 06:40:05
>>676
まあ理屈を弄んだことは認めるよ。
男系女系の「べき」論に史学として正しいもへったくれもないし、
天皇家の跡取りが誰になろうが別にたいしたことじゃないしね。
そういうわけで、理屈を何かに利用したいわけでもなければ
予定調和でもない。純粋に理屈を弄んだだけ。
678日本@名無史さん:2006/10/08(日) 09:06:15
男系支持論の極論を排することは必ずしも女系支持論ではない。
そういう予断を持って人の書いたものを読むのは良くない。
679日本@名無史さん:2006/10/08(日) 10:53:46
昔の武士はお互いを名前ではなく
官職等で呼び合っていたと聞いたのですが、
私称でかぶってしまったときはどうしていたのですか?
「やあこれは上総どのではありませんか、お元気ですか?」
「ええおかげさまで。上総どのはいかがです?」
みたいにあくまで官職で通していたのでしょうか?
680日本@名無史さん:2006/10/08(日) 19:34:33
>>679
知らんがな、そんなもん。
現代でも、同じ苗字の人が会話するときの事を考えてみたらよい。
役職ならば互いに「部長」とか「先生」でも何等紛らわしいところはない。

互いに同じ呼称の場合でも、実は障りはほとんどないんだよ。

3人以上いて、うち二人が同一の呼称を持っている場合、第三者がいずれ
かを呼ぶときに「織田上総殿」とかユニークになる工夫をするもんだ。

何でも質問するのではなく、まず自分の常識を働かせてみよう。
681日本@名無史さん:2006/10/08(日) 20:05:25
>>678
それは変だな。
>>666の場合だと、
>だってまずいだろ?
>租となる人物が女性だぞ? (租→祖だろうな)
と言ってる部分で、「まずい」とは何がまずいのか?

そして>>668では
>666の理屈はその根拠まではくつがえすことが可能
と言ってる部分で「くつがえす」目的は何か?

それくらいのことを他人の考えだからと言う理由で予断をしては、
ならないのなら、>>667の意見や、>>676の意見で、

>男系支持論の極論を排することは必ずしも女系支持論ではない。
>そういう予断を持って人の書いたものを読むのは良くない。
というのが「予断」でないと言える根拠を示して頂きましょうか。

でなければ、予断を持って読むなという当人が予断を持って読んでいる
事になり、>>678の内容は、破綻していることになるが。
682日本@名無史さん:2006/10/08(日) 20:36:46
ここは中学校のルームワークか?
683日本@名無史さん:2006/10/08(日) 20:45:23
加賀藩の初代藩主は利家だとされていますが、おかしくないですか?
金沢に入城したのは利家ですが江戸幕府が開かれる前に他界してますよね
つまり幕藩体制がないのに藩主も何もないでしょうと
684日本@名無史さん:2006/10/08(日) 20:49:05
それは定義が違うのかな?自慢がしたいのかな?
どうでもいいことだと思うけど・・・
685日本@名無史さん:2006/10/08(日) 21:35:01
松本の県庁が放火されたので長野県に併合された上、県庁を長野市に奪われたと言う松本の人がいるけど
放火されたという証拠はあるの?
686日本@名無史さん:2006/10/08(日) 22:05:44
そんなもん、チョンが強制連行を捏造したり、チャンコロが南京で30万人虐殺されたとか騒いでんのと同じだろ
県庁返せなんてのは竹島や尖閣諸島を馬鹿国家が領有権主張すんのと一緒だな
687日本@名無史さん:2006/10/08(日) 22:17:08
馬鹿臭いよ広島人
688日本@名無史さん:2006/10/09(月) 04:34:06
>>683
どうでもいいんですよ。
「幕藩体制」という呼び方は後世のものです。
「藩」は藩屏に由来し、江戸時代に儒学者によって命名され、明治
になって「廃藩置県」などの前に公称となったとされます。

だから、前田利家にせよ、利長にせよ、「初代藩主」などという
ものを称した人はいない訳です。
征夷大将軍というのは、公職として当時も(呼称は)存在していま
したが、そういうのと「藩主」は違いますから。
689日本@名無史さん:2006/10/09(月) 09:05:32
バカクサイ自作自演、初心者スレだけの事はある
690日本@名無史さん:2006/10/09(月) 12:44:59
幕末以前には、藩って認識持ってた武家は殆どいない。
武家の認識は、あくまで、御家であり、○○家中だ。
691日本@名無史さん:2006/10/10(火) 10:07:38
卑弥呼の弟って、イザナギのモデルなん?
なんかやらかして追放されたかして、巡りめぐって壱与になったとか。
692日本@名無史さん:2006/10/10(火) 10:38:19
その時代は、口寄せの出来る巫女が必要で、卑弥呼から壱与という流れになったと思う
口寄せできない弟はお呼びじゃなかったって事でしょ
693日本@名無史さん:2006/10/10(火) 20:59:28
でもそんなんいったら薩摩藩は江戸時代始まった時点で、藩主は既に何代目かになってるはずだが、そんな事にはなっていない
よって加賀藩初代藩主は利長
694日本@名無史さん:2006/10/10(火) 21:08:55
バカクサイ自作自演、太国の妄想だけの事はある
695日本@名無史さん:2006/10/11(水) 01:54:48
【あの戦争】ってなんですか?
【終戦記念日】ってなんですか?【敗戦】でないの?天皇が戦争を終らせた日?
696日本@名無史さん:2006/10/11(水) 02:33:05
京都では「こないだの戦争」と言えば
応仁の乱のことですが何か?
697日本@名無史さん:2006/10/11(水) 04:57:08
立花宗茂って婿養子のくせに本妻九州に残したまま東北に行っちゃったみたいだけど、周りから「婿養子のくせに」とか言われなかったの?
本妻から言われるのは覚悟の上、というか言われるのが怖いから残していったんだろうけど。
698日本@名無史さん:2006/10/11(水) 14:51:50
>>696
会津では前の戦争は戊辰戦争。
699日本@名無史さん:2006/10/11(水) 15:21:54
>>696
まだそんなこと言ってるやつがいる。
それは誇張が生んだお話。よそもの向けのネタ話だ。

信長は上京を焼き討ちにしたし、江戸時代にも何度か大火がおこってるし、
禁門の変でも相当の家が焼けたろ?ちなみに西陣付近は僅かだけど空襲を受けてる。
応仁の乱ごろから残ってる家系自体も京都には少ないよ。
700日本@名無史さん:2006/10/11(水) 15:41:58
ネタにマジレス
701日本@名無史さん:2006/10/11(水) 21:05:38
江戸時代以前の日本人は装飾品はかんざしぐらいしかなかったのですか?
702日本@名無史さん:2006/10/11(水) 21:39:33
根付
703日本@名無史さん:2006/10/11(水) 22:25:05
>>700
ネタレスにチャチャ入れ〜♪
704日本@名無史さん:2006/10/12(木) 02:15:19
カプッ!
705日本@名無史さん:2006/10/12(木) 03:28:19
内臓すぽーん
706日本@名無史さん:2006/10/12(木) 06:07:12
漢委奴国王印について質問です。
この印、金印紫綬だと書かれていますが、金印は見ての通りだから良いとして、
紫綬ってどうやって分かったのでしょう。発見された時に紫綬付きだったのですか?
707日本@名無史さん:2006/10/12(木) 12:28:49
>>706
漢王朝からは、日本の王は外臣扱いだから(王朝の直臣がその上の内臣)。
なので、金印紫綬となる。一番は金ではなく玉製。萌黄(もえぎ)の綟綬。
大陸の諸侯の場合は、内臣なので金璽綟綬。キマリだから。
708日本@名無史さん:2006/10/12(木) 14:49:06
太平着物の小説で一番面白いのは何ですか?
709日本@名無史さん:2006/10/12(木) 17:03:17
道鏡は信託を捏造し、宇佐八幡の信託と称して天下をとろうとし、称徳天皇は和気清麿呂にその信託を確認させにいかせたが、和気清麿呂が行ってみると、その信託がウソであることが判った


と書いてあったんですが、
ここで気になったんですが、「信託」って、具体的に何なのですか??
ただ単に宇佐八幡の坊さんが、「信託じゃ!!」と言いさえすれば、それは宇佐八幡の信託となるのですか??
710日本@名無史さん:2006/10/12(木) 17:04:04
道鏡は信託を捏造し、宇佐八幡の信託と称して天下をとろうとし、称徳天皇は和気清麿呂にその信託を確認させにいかせたが、和気清麿呂が行ってみると、その信託がウソであることが判った


と書いてあったんですが、
ここで気になったんですが、「信託」って、具体的に何なのですか??
ただ単に宇佐八幡の坊さんが、「信託じゃ!!」と言いさえすれば、それは宇佐八幡の信託となるのですか??
711日本@名無史さん:2006/10/12(木) 20:34:08
どーきょーのセガレ;´Д`)ハァハァ
712日本@名無史さん:2006/10/12(木) 23:45:10
>>710
わが国においては、信託法という法律によって、信託とは、「自分(委託者)の信頼できる人(受託者)に財産権を引き渡し、一定の目的(信託目的)に従い、ある人(受益者)のために、受託者がその財産(信託財産)を管理・処分する」制度として認められています。
神託ならば、巫女さんや宮司などから神の意思なるものを伺うことでしょう。
宇佐八幡は神道ですし、かつ神仏習合は、もっと後世の話なので、坊さんはいないでしょう。

二重投稿もですが、質問する前に推敲をお勧めします。
713日本@名無史さん:2006/10/12(木) 23:56:13
>>708
太平着物ってどんな着物なのでしょうか?
逆に質問したいですね。
714日本@名無史さん:2006/10/13(金) 00:01:18
「太平記もの」の誤変換くらい察してやれよ
715日本@名無史さん:2006/10/13(金) 00:58:11
察してやってるなら、答えてやれよ
716日本@名無史さん:2006/10/13(金) 01:20:00
>>675
石高 国別 でぐぐったら一発で出てきたが。もう見てないかな。

ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html
717日本@名無史さん:2006/10/13(金) 06:11:10
>>707
あ、そういう決まりになっていた事は知っています。

えと、「当時の中国の制度からは紫綬が与えられたはずである」ということであって、
紫綬の現物もしくは痕跡は見つかっていないということで良いのでしょうか?
718日本@名無史さん:2006/10/13(金) 11:14:17
紫綬が例外的に付与されていないと
強硬に主張したい根拠は?
719日本@名無史さん:2006/10/13(金) 14:39:05
後漢書に「印綬」と書かれているのだし「綬」がついていたのは
ほぼ間違いないと考えれば、紫綬が当然なんじゃないの?
もし例外として紫綬がついていなければ、その旨書くでしょ?
720日本@名無史さん:2006/10/13(金) 15:59:36
とりあえず確認しますが、『発見時に』紫綬は無かったんですよね?
まぁ、周囲が石で箱状になっていたとはいえ1500年以上も紐が残るのかは知りませんが。

>>718
別に紫綬ではないと強硬に主張してるつもりは無いんですが…。
文献上の根拠しかないのか、物的証拠があるのかと言う事が知りたいんです。

>>719の論で9割方間違いないとは思うのですが、単なる書き落としとかの可能性だってあるわけで。
より確実にするために科学的調査とか(そもそもそれで分かるのかは知りませんが)はしてると思うんですが、
したという話を聞かないので。
721日本@名無史さん:2006/10/13(金) 16:50:12
発見時に紫綬はなくなってました。

印に関する漢代の制度と、時代は下りますが、唐代の文献(名前忘れた)で「倭国は紫綬」といったような内容が記載されてる資料が現存していることが紫綬の根拠になってたはず。
722日本@名無しさん:2006/10/13(金) 16:53:01
>>720
科学的調査といっても、江戸時代に発見されたものだし
綬の一部があったのかどうかは、甚平の口上書ほか
いくつかの文献を当たってみたほうがいいと思うが…

記憶では、発見当初、綬はついていなかったらしいが。
723日本@名無史さん:2006/10/13(金) 17:06:38
素人考えですが、例えば、今でも紫綬が付いていたはずの穴の周囲を調査したら
染料とか繊維とかが付着してるのが見つからないかなと思うのですが。やっても何も出なかったんですかね。
724日本@名無史さん:2006/10/13(金) 18:56:22
あとはこちらで直接聞けばよろしいかと。
http://museum.city.fukuoka.jp/
725日本@名無史さん:2006/10/13(金) 19:55:09
>>716

このHPは知ってるけど、これ以上のは無いんだね。
726日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:21:38
>>723
史実上のお話については、HP案内も出たことだし、一段落ということで。
ついでですが補遺的に理系の人間がチャチャを入れます、知ったかぶりで。

紫が高位を表すのはその染料(植物のムラサキ、根から色を採る)が大変
貴重だったからです。ムラサキそのものの栽培が大変至難で、現在では
化学染料がありますので、染料目的でムラサキが栽培されることは、もう
ないといって良いでしょう。
ただ、なぜ紫色になるかといえば、意外と現在ではみんな良く聞くあり
ふれた物質、ポリフェノールなんです。ナスなんかそうですね。ただ、
自然の生態で紫色なんですが、これを染料として定着させるのはかなり
大変、そしてすぐに分解してしまうので、長期的には色素を維持するの
も難しいシロモノなんですね。
くだんの金印が志賀島から発見されたのは、江戸時代だと記憶していま
すが、おそらく、埋没状態では、ポリフェノールは分解してしまい、色
も成分も、跡形もなくなっているのでないかと想像します。
まぁ、雑学的に^^。
727日本@名無史さん:2006/10/14(土) 01:23:37
色を定着させるのが一番難しいのは緑
もっとも平易なのが青

古代では紫色の原材料の安定供給と色の定着技術は一定のレベルに達しているが面倒なので詳細は省く。
日本伝統色名の由来2↓
http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakamaki/yurai2.html









ガキの屁理屈に漏れも乗っかちまったorz
問題の根本はこんなところには無いのに・・・
728日本@名無史さん:2006/10/14(土) 01:44:37
>>727
でも、だから印綬の綬の色は綟(萌黄)、紫、青、黒、黄の順
じゃないのかな。
>>726は、「最高位」とは言ってないし。それに最初からチャチャ入れ、
最後は「雑学」と結んでいるし。問題の根本なんて話をしていないの
では? 「ネタにマジレス」って・・・。
729日本@名無史さん:2006/10/14(土) 02:22:51
ポリフェノールというより、アントシアニン。
その相互の色合いで「紫」になる。ポリフェノールだけじゃ、ちょっと
茶色い。いずれにしても染色としては色持ちが悪いし、確かに生体外で
は分解しやすい。
ま、いいんでないの? いろんな情報があると、それなりに役立つ。
この場合、「染料とか繊維とかが付着してるのが見つからないかなと」
いうのを受けての話だろうから、まったく無意味な話ではない。
730日本@名無史さん:2006/10/14(土) 02:38:22
ついでだから、緑はフラボノイド系。これも確かに分解しやすいんだ。
だから、>>727の言うことも理に適っているんだ。
歴史に自然科学の目が入ったっていいのでは?
731日本@名無史さん:2006/10/14(土) 09:23:09
戦国時代の徴兵の仕方について質問です
ゲームではお金を払って兵隊を増やすという表現がされていますが
これは傭兵に限りなく近かったという事なのでしょうか?
例えば支配下の村に10人兵隊を供出しなさいという命令と一緒に
10人分の支度金を村に渡すという感じで集めていた?
ここに詳しく書いてあるという情報でもOKです。よろしくお願いします
732日本@名無史さん:2006/10/14(土) 09:57:04
支度金は渡してないと思うよ。
義務だな。
733日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:39:03
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1150043527/l50

上のスレを見て欲しいんですが、
利休の後妻の子”少庵”は利休の娘”お亀”と結婚して”宗旦”
が生まれたと今まで思ってたけど、それは違うんですか?

よく知ってる人がいたら詳しいことを教えてください。
734転化の禿頭馬鹿将軍ニート:2006/10/14(土) 14:01:26
こんにちは私は
転化の禿頭馬鹿将軍ニートと申します。
他でもバカレスってますが、
1人で雅子スレ自作しています。
それで新曲作りました。
必死に握っている所をよく聞いてください。


「雅子スレで、シコシコ」


シコシコシコシコ・・・・・♪

俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪

皇太子にもったいない〜♪

太い眉毛にパッチリお目目〜♪

そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪

735日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:19:03
390年に応神天皇が即位したと考えていいんですか?
736転化の禿頭馬鹿将軍ニート:2006/10/14(土) 15:19:44






だめ!





737日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:41:07
カボァ!!
738月光仮面:2006/10/14(土) 17:08:49
新曲キャンペーンです!
妄想大スキな皆さんには、
最高の歌が出来上がりました!
血管浮き出る渾身の新曲です。



「妄想四股四股宴歌?」


四股四股〜僕は妄想が大スキだ〜♪

四股四股〜妄想中の右手が恋人〜♪

四股四股〜逝っちまう気持ちい〜♪

四股四股〜証拠は古代に必要無し〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股四股四股宴歌〜♪

四股四股妄想〜逝っちゃった〜ドピュ!!!♪



739日本@名無史さん:2006/10/14(土) 17:30:34
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/115246.html
新潮社のホームページに、

薩摩藩主の島津斉彬が、
「日本はこの外国の属領になるであろう中国大陸から大きな脅威をうけざるをえず、
 日本防衛のためにはすすんで中国大陸をかこむかたちをとらざるをえない。
 そのためには山陽山陰の大名に対してはオーストラリヤを制せしめよ。
 九州の大名には東南アジアをおさえしめ、東北の大名には沿海州から満州へ入らしめよ」と言ったとか、

肥前佐賀藩の鍋島閑叟が、
「九州の大名は西からくる外国の侵略から日本をまもらねばならない。
 このため国内防衛に任じ、東北の大名をして沿海州、満州をおさえしめるがよい。
 そのためには首都をおもいきって秋田あたりにおく必要がある」と言ったとか書いてありますけど、

斉彬や閑叟は、本当にこんな言葉を残しているのでしょうか?
出版社の公式サイトでわざわざこの部分を選んで公開したり、
著者もカギカッコ付きで書いていると言うことは、何か然るべき出典でもあるのでしょうか?
教えて下さい、お願いします。
740日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:03:55
北畠氏は南朝を支持して尊氏ともっとも敵対していたうえ、後南朝を支持して
幕府に反乱したりしているのに、なんで織田が滅ぼすまで室町時代を無事生き残れたんですか?
741日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:58:25
日本史初心者です。
地名を調べていて、「別所」ということにぶち当たりました。
別所という地名は各地にありますし、地名から名字にした(!?)別所氏もいますよね。
そこで質問です。
「別所」ってなんなんでしょうか?「本所」ってのは説明があったんですけども、なんか関係があるんでしょうか?
回答よろしくお願い致しますm(_ _)m。
7422度目のニート:2006/10/14(土) 21:04:47
おひさしぶりです
転化の禿頭馬鹿将軍ニートと申します。
このスレでもバカレスってますが、
1人で雅子スレ自作しています。
それで新曲の2度目のキャンペーンにやって参りました。
必死に握っている所をよく聞いてください。


「雅子スレで、シコシコ」


シコシコシコシコ・・・・・♪

俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪

皇太子にもったいない〜♪

太い眉毛にパッチリお目目〜♪

そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪


743日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:29:47
>>740
そんなもん、いくらでもいる。
理由は「滅びなかった」からというしかない。愚問。
744日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:35:43
>>741
諸説あるようだが、ググればある。
ttp://boat.zero.ad.jp/~zbd85319/nazo2.shtml

これくらい、自分でやれ。
745日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:45:41
>>739
それは、書いた司馬遼太郎が故人である以上、司馬遼研究者とかファンからでも聞け。
一小説家の書いたことだ。出典は本人が見たか、でっち上げたか、知ったことか。
746日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:50:41
>>735
年代と出来事に関することで「考えていいか」って何だ。
そういった事は、考えから導かれるものではない。
データとしてそうなのかというだけだから、人に聞かずに自分で探せ。
複数のデータがあり、真偽を特定できない場合のみ「考え」について
の問題となる。
747日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:59:32
>>740
全然無事じゃねーよ。散々討伐されたり内紛に介入されたり、
あるときは幕府内の内紛で一方に加勢を要請されたりしている。
いずれにせよ完全に潰せないほど、伊勢の地に勢力を保ってたということ。
748日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:04:29
このスレで質問するにせよ、スレ立てるにせよ、考えて欲しいこと。
それは「質問」は自己満足のみのうちは、自分で解き明かそうとまず
努力すること。または、それなりの支出をすることだろうな。

タダで人に聞く以上、余程の奇特な人でもない限り、労力をかけて
答えるなんて事はしてくれない。それに甘えることは、回答者を
「奇特な人」と当て込んでの行為なので、ある意味大変失礼な行為
とも言える。

だから、質問は、する人間だけでなく、それを見る人間も、共に
興味を持てるような内容や、共に考えてみようと思えるような
レベルにまで、質問者の方で上げる努力はした方が良い。それが
ある意味「回答を引き出す」テクニックであるとも言えるし、
知的好奇心を満たす人間として意義ある行為だと思われる。

自己満足で終わるうちは、他人の協力を、そう簡単に得られると
思わないで欲しい。
749日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:28:38
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
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ニートのレスは思い込みばかりなのに、証拠付き意見を凌ぐらしい!
750日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:31:56
>>744
ありがとうございましたm(_ _)m
やっぱり、どちらが正しいっていうのは断言できないんですね。日本史難しいっす。
751日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:38:48
>>749
そのレスを見て、たいていの人が思うのは、

「必死こいてコピペしているんだろうなぁ・・・」

ということだろうなw
752日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:41:21
>>751 

ニートの人以外は、向きにならないレスだよね。
753日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:03:47
>>752
ニートというのは職業のない人だが、>>751の職業、あんた分かるのかな?
754日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:06:26
>>744
日本史だから、という訳ではないと思う。
ものごと、一意に特定できないってのは良くあること。
755日本@名無史さん:2006/10/14(土) 23:07:22
>>754は、>>750へ。スマソ
756日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:04:31
>>751
そのレスを見て、たいていの人が思うのは、

「こいつはニートなんだろうなぁ・・・」

蔑視と供に・・・w


757日本@名無史さん:2006/10/15(日) 11:02:23
南朝正統論って、後醍醐天皇の偉業と歴史的にみた南朝の正統性のどちらが大事なんですか?
758日本@名無しさん:2006/10/15(日) 12:43:48
>>757
どちらが大事かという以前に、まず南朝正統論とは「歴史的にみて南朝が正統である」
という論に過ぎないということを認識してください。

いうまでもなく、このキーポイントは三種の神器の所有者が誰(の系統)であるかということ。
事実、当時神器を渡したり奪ったり奪われたりしてきたのは全てこの為ですし、
明治時代の論争で天皇がご裁断を下したときも、これが決め手になった。

そもそも、後醍醐天皇に偉業があろうとなかろうと南朝正統論の是々非々とはさしたる
関係がないことでしょう。偉業がなかったとしても、南朝(という亡命政権)を建てた
後醍醐は当時正式な天皇であったのですし、それから後、神器を渡したり奪ったり
奪われたりしてきたのですから、後醍醐天皇の後の正統性を言い出したら限がなくなる。
759日本@名無史さん:2006/10/15(日) 13:02:04
何言いたいんだかさっぱりだ
760日本@名無史さん:2006/10/15(日) 13:18:55
> 南朝正統論とは「歴史的にみて南朝が正統である」という論

って言ってんだから、そっちが大事だよ、ってことなんだろう
761日本@名無史さん:2006/10/15(日) 13:42:27
>>756>>749に対してでした。スマソ
762日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:19:17
正統…ヒント:禅譲

763日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:35:41
>>758 ヒッキーは馬鹿なんだから、答えちゃ駄目だよ!
764日本@名無史さん:2006/10/15(日) 15:45:34
>>758
> 明治時代の論争で天皇がご裁断を下したとき

厳密には、下してないけどね。
明治天皇は枢密院会議をボイコット。
765日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:00:57
そう言えば、勅裁の詔勅にも北朝の帝の待遇を落とすことはまかりならんとあった筈。
766日本@名無史さん:2006/10/16(月) 10:03:43
そーいや、水戸光圀は尊氏を逆賊だとケチョンケチョンに罵ってたくせに
尊氏末裔の喜連川氏断絶の危機に養子を出すなんてどういうポリシーしてんだろ?
767日本@名無史さん:2006/10/16(月) 16:28:43
ヒント:源氏の面目
768うっちー:2006/10/16(月) 16:35:05
難関私立大学向けの参考書でオススメ教えてくれ
769うっちー:2006/10/16(月) 17:49:47
難関私立大学向けの日本史の参考書でオススメ教えてくれ
770日本@名無史さん:2006/10/16(月) 18:05:29
徳川家康はどうして関ヶ原の戦いの後に、
豊臣家を220万石から65万石に大幅減封できたのでしょうか。
関ヶ原は少なくとも名目上は「豊臣家を守るための戦い」なのだから
主家の領地を勝手に削るのは道理が通らないと思うのですが。
771日本@名無史さん:2006/10/16(月) 18:15:27
秀吉も織田家の領地を奪ったように、ようするになしくずしだ。
772日本@名無史さん:2006/10/16(月) 18:39:04
しかし、織田→豊臣のときは、当初は信雄・信孝・三法師で150万石くらい与えて
後で信孝を滅ぼし、秀吉が関白に就任しという流れの中で徐々に削ったわけで、
関ヶ原では豊臣家が負けたわけではなく、家康もまだ幕府を開いていないのに
いきなり1/4近くに減封というのはいささか強引すぎる気がします。
加藤清正ら豊臣寄りの大名から異論はなかったのでしょうか?
773日本@名無史さん:2006/10/16(月) 18:51:22
家康は豊臣家の大老職にある。
関ヶ原の戦いは、豊臣家の軍勢に石田勢の私兵が戦いを挑んだわけ。
で、当然、功名を挙げた将兵に領地などを分け与えるわけだが…
豊臣家の軍勢に豊臣家の領地を分け与えたわけだ。
大老としては、何の問題もない処理だな。
だから減知減封ではない。
774日本@名無史さん:2006/10/16(月) 18:59:23
追記:220万石の中から分け与えたので、残りが65万石になった。

豊臣家の家宰が、主家より力のある家康なんだから…
好き勝手し放題だよな。
775日本@名無史さん:2006/10/16(月) 19:16:40
上杉が越後
武田が甲斐
甲斐って今で言うと何県ですか??
すみません。m(__)m
776日本@名無史さん:2006/10/16(月) 19:20:36
>>775
こらこら。
777日本@名無史さん:2006/10/16(月) 19:21:18
マルチだったorz
778日本@名無史さん:2006/10/16(月) 20:12:13
明智光秀について質問
・頭のいいイメージがあるが実際はどんな人間だったのか?
・信長につかえていた時はどんな武将とどんな付き合いをしていたか?(顔は広かったのか)
・信長を憎むようになったきっかけは?
・本能寺の変の作戦はいつ考えたか
・信長が死んだ後、秀吉に討たれるまでどう過ごしていたか



長くてスマソ
779日本@名無史さん:2006/10/16(月) 20:40:17
>>775
普通なら、ググレ、の一言で済むが、
特別に歌で教えて進ぜよう。

若狭、若狭て何だ
福井県南部さ
甲斐〜て何だ
山梨県のこ〜と〜さ〜

ありがたいと思ったら、カラオケで熱唱すること。
780日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:34:37
>>779
武田だから若狭と甲斐か。巧い!
781日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:27:24
>>773-774
なるほど、減封じゃなくて主家の領地を恩賞にした形をとったわけですか。
サンクス
782日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:38:56
>>780
本当ありがとうyo笑
783日本@名無史さん:2006/10/16(月) 23:42:45
理屈はそうだが、220万石がたった65万石になるってのは、
事実としては大幅減封ではあるな。
784日本@名無史さん:2006/10/17(火) 00:23:00
まあ、豊臣家にとっては石高減よりも、様々な関所や金山、貿易港からあがる金銭を家康に奪われたことのほうがダメージが大きい。
さらに頼りにしていた子飼いの大名逹が、頼りにならなくなったのがイタい。

もともと天下様の豊臣家は220万石しか無いわけだからね。
785日本@名無史さん:2006/10/17(火) 00:46:05
質問です

何で明治政府は太政官制から内閣制に変えたんでしょう?
名前の変更以外大して意味があったように思えないのですが……。
786日本@名無史さん:2006/10/17(火) 02:15:58
>>784
そだね。徳川が250万石だから、それ以下だった。金山銀山が豊臣家の
力だったからね。ただ、それも「払底」しかかってたのも実情。
佐渡金山みたいな、当時発見されてまだそんなに経ってないものを除け
ば実はチョイヤバな状況ではあったと思う。
で、それだけが原因ではないけど、大陸への進出(侵略)への一因と
なったんじゃないかな。

子飼いの大名については、元の徳川領から都までの間を子飼いで固め
たのに、ほとんどが関ヶ原では東軍。かわいそうに。
787日本@名無史さん:2006/10/17(火) 02:28:43
>>785
う〜ん、いろいろあって、それは他の人がアドバイスしてくれるかも
知れないけど、ふたつほど思うのは、
1)米・欧を見てきた首脳が、特にプロイセンの内閣制度や憲法・軍
制に興味を持ったこと。
2)太政官制では、どうしても旧朝廷のしきたりとか家柄のしがらみ
があり、明治新政府の中枢をなす人(薩長だけでなく、岩倉具視のよ
うな元貴族でさえも)が、そのしがらみを断ちたいと思っていたから。
(有体に言えば、三条実美とかが邪魔だったんでしょう、また、国内
残留組=西郷隆盛・江藤新平なども、外遊派とうまく行ってなかった
からそれを排除する目的も。それは征韓論等で片付いたが)
元々、この路線を進めたのは大久保利通だったから、暗殺されなけれ
ば、大久保が初代内閣総理大臣だったでしょうね。で、その側近の
伊藤博文が・・・。
788日本@名無史さん:2006/10/17(火) 17:02:45
宿題で女官と密通について調べてこいといわれたんですがまったくわかりません。
後深草二条の所を調べたらいいんでしょうか?時代は中世です。
だれか助けてください・・。お願いします。
789日本@名無史さん:2006/10/17(火) 17:45:32
>>788
どこの学校だ!!
790日本@名無史さん:2006/10/17(火) 17:49:52
>>789
  何でですか?
791日本@名無史さん:2006/10/17(火) 18:38:33
俺的に、女官との密通について調べてこいとかいう宿題を出す学校は
非常に興味があるな。
792日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:09:38
>>791
うちの学校の先生じゃないですよね?
そうならいってください。めっちゃ心臓に悪いですから。
793日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:11:01
>>792
俺はしがない大学生だよ('A`)
しかも理系
794日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:14:06
>>793
東海地方の大学です。  
本当に本当ですか?なんで理系の学生がここにきてるんですか?
  
795日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:43:40
・中原俊章「「中世の女官―主殿司を中心に―」(『日本歴史』643、2001年、
のちに『中世王権と支配構造』吉川弘文館、2005年)
が新しい女官研究かな?
そこの「はじめに」に研究史が載ってたはず

あと、密通については
「日本中世家族史文献目録」
とググってみて、出てくるサイトにいっぱい載ってるよ
796日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:33:34
>>795
  ありがとうございます。日本中世家族史文献目録って所みたんですがあまりよくわかりませんでした・・・。
  女官と密通の関係について載ってる本ってありますか?いくらさがしてもそれらしい本がないんですが・・・。

797日本@名無史さん:2006/10/18(水) 01:45:19
>>787
どうもです。

自分的には、「何故名前を太政官から内閣へ変えたのか」という趣旨の質問だったのですが、
これについてはどうも2が当てはまりそうですね。
公家の影響力を完全に除くためには、太政官という名前すら残しては置けなかったのでしょうね。
798日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:40:14
>>796
タイトル見ただけではわからないよ
新しい文献から手当たり次第に中味を見て行かなきゃ
こうやって先行研究を当たるのは良い練習になるから、やってみるといいよ
799日本@名無史さん:2006/10/19(木) 11:00:16
すみません、質問です。今、皇族の将来について真剣に考えてみたのですが、
今現在、皇太子殿下と秋篠宮様のお子様はそれぞれ愛子様と眞子様、佳子様、悠仁親王
で、天皇陛下の継承は男系しか駄目なので愛子様、眞子様、佳子様のご子息は
継承できない。では、悠仁親王の子供だけが継承できるんですよね?
そうだとすれば、今日本は平和ですけど、何が起こるかわからないので、
もう一人ぐらい男子は必要ではありませんか?しかし、雅子様のお年は40歳ぐらい
だそうです。個人的に、雅子様が
好きなので(芸能人みたいに見るんじゃなくて、ただ雅子様には幸せになって
欲しい、みたいな意味です。)雅子様が美智子様みたいになって欲しいです。
雅子様はもう一人生んでくれるでしょうか?それで、女の子なら諦めます。
800日本@名無史さん:2006/10/19(木) 11:04:44
>>797
そうですね。
あとは、「近代国家」として国際社会に認められるためには、近代的な
国家組織になる必要があったんでしょう。なら、大統領制か内閣制度。
日本には天皇がいますので、後者です。
名前はキャビネットを翻訳したのでしょう。
国際社会に認められたい、というのは、不平等条約改正が最も大きな
要素だったと思います。

太政官制は、律令ですから、これも古代において、日本が国際社会で
引けをとらない国家組織を持ちたい、というのが動機だと思われます
から、「歴史は繰り返す」のかも知れませんね。
801日本@名無史さん:2006/10/19(木) 11:14:34
>>799
そうですね。そうなればある意味良いのかも知れませんが、それは
生物学的な要素や、運命的な要素もありますので、何ともいえません。
ただ、皇室のありようは、良くも悪くも日本社会や日本人の家族の
ありようのひとつの反映であるとも思えますので、日本人が家族や
社会のありようを前向きに考えていくことが最も大切なのではない
でしょうか。皇室の人々が幸せなのかどうかは、その延長線上にある
ものだと思います。
802日本@名無史さん:2006/10/19(木) 11:50:56
>>801
僕達が幸せになれば、皇室の人々も幸せになるということですか?
お返事ありがとうございます。
803日本@名無史さん:2006/10/19(木) 12:34:39
>>799
大変申し分けないんですが、現代の皇族の話は板違いです。
適した板に書き込んでください。
事実に基づかない皇国史観のプロパガンダが、みんなに共鳴ではなく迷惑をかけています。
適した板で皇国史観のプロパガンダをすれば目論見が実るかもしれませんが
ここでやられても逆効果です。
人間心理を考えてください。場違いな狂信的記述は天皇嫌いを増やすだけだと思いませんか?
804日本@名無史さん:2006/10/19(木) 21:47:35
軽い質問です。
第一次若槻礼次郎内閣の時の片岡蔵相の失言により金融恐慌が起こりましたがどういった発言だったんですか?
805日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:25:36
>>804
現にけふ正午頃に於て、東京渡邊銀行がたうとう破綻を致しました。
806日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:17:52
米国債を売り払おうかとの衝動に駆られるw
807日本@名無史さん:2006/10/20(金) 14:56:30
太田牛一も書き下ろした官女密通事件。
後陽成天皇の女を公家数人が寝取り、一人は死罪、他は流罪。
天皇はショックで、退位。そんな流れかな。
808日本@名無史さん:2006/10/20(金) 15:06:15
>場違いな狂信的記述は天皇嫌いを増やすだけだと思いませんか?

だから天皇嫌いを増やしたくてやってるんだろ。
おまいみたいなおせっかいが相手するから
こういう愉快犯を付け上がらせるんだよ。
お前も共犯。

809pixie酒田市民 ◆nMSxJ8uKuU :2006/10/20(金) 15:08:38
正しい歴史教科書作りたいんですが、
協力してくれる方いませんか?
810日本@名無史さん:2006/10/20(金) 15:31:41
>>807
後陽成の退位ってそれが原因?
811日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:11:47
質問させてください。
譜代大名の留守番をしたり、いつも近くで刀を持っている人は
どのような役職でしょうか?御側用人か老中どっちかでしょうか?
812日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:44:27
小姓じゃないの?
813日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:45:24
太国さんが得意の古神道の事教えて欲しいってレス入ってるよ!
885のレス答えてやって
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1043927485/l50

814日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:51:59
譜代大名の留守番?留守居役のことかな?
御刀を捧げ持ってるのは、御小姓組だろね。
815811:2006/10/20(金) 21:36:31
>>812 >> 814
小姓ですか。ありがとうございます。
私のご先祖様が某譜代大名に仕えていて江戸時代に大きな土地をもらい
そこに住んでいたのですが、側用人、小姓どちらも土地をもらってもおかしくありませんか?
816811:2006/10/20(金) 21:38:54
すみません。留守居役も含めて知っていたら教えていただきたいです。
817日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:05:04
よく外国人が日本のクラブで接待受けて困惑したと聞くけど、(外国ではホステス≒売春婦だから)
日本でこういう風習ができあがったのは幕末の京都あたりからかな?
818日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:44:05
質問です。
「隋書」に登場する東夷たちは、「淫乱」「小ざかしい」などと散々な言われようですが、
そのなかで倭人のみは「温和で争いを好まない」、と好意的に書かれています。

実際に使者は日本人の性質をそのように受け取ったのですか?
それとも、突厥や高句麗と対立していた関係で、あえて倭人を持ち上げたのですか?
819日本@名無史さん:2006/10/21(土) 00:58:05
>>815
どこの譜代大名か教えてもらえないでしょうか。
小姓や側用人になる家柄は上士が多く、もともと知行地を多くもらってたと考えられます。まぁ藩にもよりけりですが。
留守居は、江戸藩邸などに藩主が不在の場合の留守番でした。幕府との交渉事や他藩との連絡などなど、してました。
820日本@名無史さん:2006/10/21(土) 01:51:30
>>818
「温和で争いを好まない」と書かれてるから…だから好意的?
あなたの思考は変ですよ。
821815:2006/10/21(土) 02:10:42
なるほど。
徳川四天王の一人だった人がいた譜代です。
幕末最後の藩主にだけ仕えたのか、代々仕えていたかはわかりませんが、刀は確実に持っていました。
822日本@名無史さん:2006/10/21(土) 06:07:14
小姓になるってのは出世コースですか?
823日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:01:10
>>822
出世コースといえば、そういった可能性もある、ということでしょうね。
田沼意次はその例かもしれません。ただし、小姓は多くが既に重臣であ
る者の子弟である場合も多いので、その子弟が将来重臣に列せられたか
らといって、「出世」と言えるのか、というのは微妙でしょうね。
824日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:06:00
>>820
「変」といっては変? 初心者スレだし。
敢えて言えば「迂闊」かも知れませんが。
825pixie酒田市民 ◆nMSxJ8uKuU :2006/10/21(土) 12:23:24
俺の質問には答えてくれないの?
826日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:16:05
>>825
それは質問ではなく、募集だろが。
827日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:18:15
天皇スレで爆撃中の馬鹿がいるのですがアク禁の方法は?
828イランジン:2006/10/21(土) 22:31:36
なんか文句あるんか!
829イランジン:2006/10/21(土) 22:32:46
だれやねん?
830日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:38:18
イランジン自作自演はやめれ、みんなが迷惑する。
831イランジン:2006/10/21(土) 22:41:36
んーーーーー。

>>827と、>>829がわたし。
832日本@名無史さん:2006/10/22(日) 08:06:53
終戦の玉音放送はラジオで流れたというのは有名だけど、何で開戦時は放送しなかったの?
実は誰も聞いてなかっただけ?そんなことねえよな。
833日本@名無しさん:2006/10/22(日) 11:50:41
>>832
開戦だろうが終戦だろうが、天皇陛下の御声を国民に曝す必要はないじゃない。
政府発表で済ませられること。実際、開戦のニュ−スは「臨時」として放送された

http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no109.htm
http://homepage3.nifty.com/webpress/index.51.htm など

でもあの終戦では方針が混乱し終始がつかない非常に危険な状態と考えられた
から、御声で終わりを知らせることになっただけ。
834pixie酒田市民 ◆nMSxJ8uKuU :2006/10/22(日) 12:57:56
どこで募集したらいいでしょうか?
835日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:30:45
土倉・酒屋が金貸しをやっていたと有りました。
この場合の利子ってどのくらいだったんでしょうか?
日銭なので日割りであるとぐぐったら出てきたのですが、一般的な利率についておしえてください。
836日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:57:35
コーエー歴史ゲームなどに「伊達の騎馬鉄砲隊」がしばしば登場しますが、このモトネタは
どのような経緯で発生したのでしょうか。

・後世、江戸期以降の完全な創作
・伊達家が非常に大量の鉄砲・軍馬を所有していた
・他所で考案された形跡があるが、それを元に
 「新しい物好きの政宗ならやるだろう」という思いこみで作り上げられた
・竜騎兵のような「乗馬歩兵」だった?単独兵科という概念がなかった
 日本の戦国期には考えにくい・・・・
・最前線で積極的に鉄砲隊を機動させた
837日本@名無史さん:2006/10/22(日) 15:09:16
pixie酒田市民 ◆nMSxJ8uKuU さんへ

ここはね、低脳ニートの自作スレでつよ!
朝から1人で握り締めて馬鹿ネタで遊んでいまつ、
たまには別の人も来るけど、
あんまし期待しない方がいいでつよ、
危険だから近寄らない方がいいでつね。

信用出来るスレはこの歴史板には、
僅かしかないでつから良く探つか、
自分で作って募集したらどうでつか・・・
838日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:09:16
>>836
騎馬鉄砲…伊達が大坂夏の陣に騎馬鉄砲組800を投入したらしいよ。
839日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:12:36
騎馬鉄砲組800
???
ge-muno
saityu?

bunnsyouga
yomenaiyo
840日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:30:29
悪い。800名を騎馬鉄砲として騎馬組の前面に置いて使用したという記事を読んだことがあるよ。
841日本@名無史さん:2006/10/22(日) 22:57:24
氏姓制度を誰かわかりやすく教えてくれませんか?
教科書や用語集ではうまく理解できないんです
842日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:02:34
ママレモンとかの台所洗剤がない時代は、どうやって皿に付いた
魚の匂いとかを落としてたのですか?
843日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:10:30
舐めた
844日本@名無史さん:2006/10/22(日) 23:16:32
だからママがレモンで洗ってたんだね。・・・・・・・・・・・・・なーんか違うね、中学校もう一度ご一緒しませんか?
845日本@名無史さん:2006/10/23(月) 00:22:28
いい臭いなのでほっといた。
846日本@名無史さん:2006/10/23(月) 00:33:22
847日本@名無史さん:2006/10/23(月) 01:19:30
>>836
>>838
・後世、江戸期以降の完全な創作
・伊達家が非常に大量の鉄砲・軍馬を所有していた
コレ・・・かな。

大坂夏の陣の伊達軍の編成は残っていて、そこには騎馬鉄砲なる集団は確認できない。
伊達軍の鉄砲の量はかなり多かったそうなので、そこから生まれた話と思われる。
講談の逸話からさらに方々の書物にそのまま書かれた結果、完成した伝説と思われる。

まぁ馬上筒とかは当時あったがね。
848日本@名無史さん:2006/10/23(月) 01:24:00
自分なりに探したつもりなんですが、分からないんで教えて下さい

戦国時代の篭城って食糧はどうしてたんでしょうか?北条は武田、上杉の攻めを凌いだという話を聞きましたが、守備一辺倒なら包囲されて負けてしまうんじゃないですか?
超初心者でスイマセン
849日本@名無史さん:2006/10/23(月) 01:35:39
>>848
籠城なら、食料は備蓄していますよ。その管理も行っています。
ただ、攻める側もいつまでも攻め続けられないのです。
武田や上杉だと、兵員の大半が農業にも従事しています。ですから田植えが始ま
るとか、稲刈りが・・・とかまでに、原則兵を引かなければなりません。続けるのは
勝手ですが、そうなると攻めている側は自領の田植えや収穫が出来ず、経済基盤
の根幹が揺るぎます。

ですから、冬場にせよ、夏場にせよ、攻城戦ができる時期は限られてたのです。

これで、「兵農分離」の重要性が解るでしょう?
兵農分離をすれば、そうした心配がないのです。ですから、補給さえ確保してしま
えば、いつでも、いつまでも攻め続けられるのです。
上杉や武田があれほど攻めあぐんだ、難攻不落の小田原城が、なぜ秀吉によっ
て陥落したのか、わかりますね?
850日本@名無史さん:2006/10/23(月) 01:49:00
>>849早レスありがとうございます

わかりました。兵農一体の相手だったからこそ篭城が有効だったんですね
851日本@名無史さん:2006/10/23(月) 02:00:26
結局、兵力で圧倒しなくても秀吉なら余裕で小田原城を落とせたんですかね・・・

そう考えると時代遅れの戦い方みたいだし、地元民としては落ち込みますorz
852日本@名無史さん:2006/10/23(月) 08:18:47
>>851
いえ、元々「城」とはそういうものなんですね。本来一定期間落ちない
設計になっているのです。運用ミスで負けることはありますが。北条氏
は決して運用ミスをしなかったのです。
その「常識」を覆したのが秀吉で、彼は中国征伐の苦戦の中でそれを会
得したのです。三木城、鳥取城、備中高松城での戦いで、「城を落とす」
という技術を磨いたのでしょう。
あと、小田原での攻防戦の段階では、もう屈するより他にはなかったで
しょう。「天下統一」という流れの中ですからね。
それほど城に精通した秀吉ですから、自分の居城である大坂城は、そう
した場合に長期籠城できる工夫がいろいろと施されていました。
(彼は、清洲城三日普請、墨俣一夜城という「伝説」でも解るとおり、
築城の名人でもあります:彼の一番弟子が加藤清正です)
 しかし、それでも、大坂の陣では結局落城してしまった訳で、やはり
時の流れの前にはいかなる万全策も通用しなかったと言えるのかも知れ
ませんね。
853日本@名無史さん:2006/10/23(月) 08:40:49
秀吉亡き後の大坂城は、何と城攻めが大の苦手であった徳川家康に
落とされています。これは、「大砲」により攻撃をかけられたこと、
謀略により「堀が埋められた」ことが大きいのですが、大砲の威力
に圧倒されて交渉に応じてしまったこと、堀をまんまと埋められて
しまった事、と考えれば、戦闘ではなく、「運用ミス」で負けてし
まっている訳です。大坂城に籠城していたのが北条氏なら、勝つと
は言えないまでも、もう少しマシな戦いが出来たかもしれませんね。
854日本@名無史さん:2006/10/23(月) 12:21:13
寄進地系荘園のいみがわかりません。
だれか、わかりやすく教えていただけませんか。
855日本@名無史さん:2006/10/23(月) 12:24:38
日本にキリストの墓があるという話をどっかで聴いた記憶があるのですが?
これは本当なのでしょうか?

もし詳細を知ってる人いたら、どこにあるのか、十字架にかけられたはずなのになぜ日本にあるのか教えてください。
856日本@名無史さん:2006/10/23(月) 13:46:29
考古学者の年俸は幾らぐらいですか?
特にヤマ大国関係者
857日本@名無史さん:2006/10/23(月) 15:16:13
大学教授なら1000マンくらいじゃね?
858日本@名無史さん:2006/10/23(月) 18:13:55
副教材使って授業するのって、どの程度認められてんの?

うちの高校の日本史教師は山川出版社の『詳説日本史ノート』で授業進めてるんだけど。
859日本@名無史さん:2006/10/23(月) 19:14:19
地位は、
大目付>目付>町奉行>その他の奉行で正しいですか?
860日本@名無史さん:2006/10/23(月) 19:35:03
>>859
町奉行よりは勘定奉行や寺社奉行、長崎奉行のほうが家格が上だから違うと思うが。
861日本@名無史さん:2006/10/23(月) 19:38:10
>>855
全くの嘘です。
気にしないでください。
862日本@名無史さん:2006/10/23(月) 19:38:16


2006年NHK大河ドラマ「功名が辻」4
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1153101848/
863日本@名無史さん:2006/10/23(月) 19:44:53
嘘かどうかは置いておいても、そういわれてる場所が日本にあるのは確か。

…ただし十個くらいwww
864日本@名無史さん:2006/10/23(月) 19:52:33
戦国時代の歴史は人並に知ってるつもりなんですが
戦国時代の戦いというのがよくわかりません。
例えば「○○城を○年間包囲した」という記述がよくありますが、1年以上も城を包囲するというのはどういう状態なんでしょうか?
当時の食糧事情で1年以上も城を包囲するというのは可能なのでしょうか?
包囲の途中に食料が無くなって領地へ撤退→また包囲→撤退→包囲の繰り返しを○年も続けたという意味でしょうか?
865日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:47:39
>>864
囲んでる側なら兵站さえしっかりしていれば補給しようと思えばいくらでも補給できるじゃないか。
866日本@名無史さん:2006/10/23(月) 21:03:35
その兵站を維持するのがどれだけ難しいか知ってるか?
867日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:03:08
>>864
>>849と矛盾しない、もしくは>>849の誤りを説明できる解答をお願いします。
868日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:21:22
>>859-860
・役高(享保8年以降)
大目付 3,000石、老中支配
目付 1,000石、若年寄支配 
町奉行 3,000石

寺社奉行 大名役
勘定奉行 3,000石
*評定所一座:寺社>町>勘定

遠国奉行 1,000〜2,000石(筆頭:長崎奉行)
869日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:23:23
>>867
1年以上も城を包囲するというのはどういう状態なんでしょうか?
870日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:28:59
数年も城の包囲を維持できるとは思えません。
日本史の副本に載ってる秀吉の兵糧攻め年数を見ると最長が10年というのがありました。
数年も包囲を維持できるほどの農業革新があったのか、それとも本当は包囲してなかったのか
どっちなんでしょうか
871日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:37:35
>>867
分らないから質問してるのに質問者に質問?解答とは?
872日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:19:18
2万石の大名家で、剣術指南役の禄高は、いかほどだったのでしょうか?
873日本@名無しさん:2006/10/23(月) 23:26:08
>>872
ここに詳しく載っているぞ。

もし小兵衛・大治郎が剣術指南役として仕官したら
ttp://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/kenzyutu/kensikan.htm
874日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:43:05
>>870
>日本史の副本に載ってる秀吉の兵糧攻め年数を見ると最長が10年というのがありました。
というのを具体的に書かないと答えようがないのでは?
本能寺の変が1582年、秀吉の全国統一完成が1590年でその間10年ありません。
秀吉が兵糧攻めを本格的に始めたのは中国平定の時で1577年からですから、そこから
本能寺の変までも10年ありません。
あなたの「最長10年」というのが、いつの何の兵糧攻めなのか具体的に示して
下さい。私は眉唾だと思っていますが。
875日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:49:30
織田信長が、石山本願寺と10年以上争っていたことがあるが、無論、ずっと
包囲していた訳ではない。
城を何年も囲めるのか、ということと、そこと10年争うかは全然違う問題で
すが・・・・何を聞きたいのでしょうか? 質問者は。
876日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:17:19
pixie酒田市民 ◆nMSxJ8uKuU さんへ

ここはね、低脳ニートの自作スレでつよ!
朝から1人で握り締めて馬鹿ネタで遊んでいまつ、
たまには別の人も来るけど、
あんまし期待しない方がいいでつよ、
危険だから近寄らない方がいいでつね。

信用出来るスレはこの歴史板には、
僅かしかないでつから良く探つか、
自分で作って募集したらどうでつか・・・


877日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:20:34
徳川家康と大坂城の争いも、解釈次第で十年以上になる。
征夷大将軍となって幕府を開く前後から対立は始まっているし、それを
考えると十数年。
しかし大坂城を囲んだのは、冬の陣の時だけで、数ヶ月。
夏の陣は、堀がないため城を囲む体裁にはなっていないが、この時落城
したので、これを冬の陣からの一連の流れと考えても1年に満たない。
包囲の際の攻守共に食糧事情を考えるのなら、争っていたうちの囲んで
いた時期という風に限定的に考えないと、おかしな誤解や疑問になって
しまうのでは。
当然>>849は、包囲の際のみに限定した話です。
878日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:53:22
>>863
どこにあるのか詳しく!!
879日本@名無史さん:2006/10/24(火) 06:10:50
日本三大夜戦って川越城の戦いと後二つはどこなんでしょう?
880日本@名無史さん:2006/10/24(火) 08:46:06
>>879
「三大夜戦」でググれば判ります。
881日本@名無史さん:2006/10/24(火) 09:38:59
日本史とは全く関係ないけど、普通に周順戦国時代のマンガ本には20年包囲したとか書いてるよなw
んなん普通に考えて無理だと思う。
882日本@名無史さん:2006/10/24(火) 13:19:38
アルメニアあたりの山城で、ティムール帝国軍に20年ぐらい攻囲されて
そのうちティムールが先に死んで助かった例があったような。
883日本@名無史さん:2006/10/24(火) 14:15:48
うろ覚えで恐縮なんだけど、死ぬ間際に
「さして面白くもない、しかしつまらなくもない人生だった」
みたいなことを言った人って誰だっけ?
新選組だったと思うんだけど、ググっても出ない。
というか細かいフレーズを覚えてないからググりようがない。
おせーて、エロい人。
884日本@名無史さん:2006/10/24(火) 14:21:11
高杉晋作の辞世の歌かな。

「おもしろき こともなきよを おもしろく
     すみなすものは こころなりけり」

下の句は別な人がつけたそうだが。
885日本@名無史さん:2006/10/24(火) 18:30:00
>>860>>868
どうもありがとうございました。
886日本@名無史さん:2006/10/24(火) 18:31:11
江戸時代って、死刑囚(首切り・磔)は年間どのくらいいたのですか?
887日本@名無史さん:2006/10/24(火) 20:49:00
新撰組の全員の名前を教えて下さい。
888日本@名無史さん:2006/10/24(火) 21:21:06
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。
889日本@名無史さん:2006/10/24(火) 21:26:32
>>887
・・・・・・(><)・・・・・・
890872:2006/10/25(水) 00:43:26
>>873
ありがとうございます。でも、そのサイトを見ることはできませんでした。

>>884
野村望東尼だな。

>>887
ググれ、バカ
891日本@名無史さん:2006/10/25(水) 01:33:35
山田朝右衛門って剣術の腕もよかったのですか?
892日本@名無史さん:2006/10/25(水) 04:27:16
>>891
斬首刑の執行は、奉行所役人の中で新人のお役目。
しかし、中には朝右衛門に金を払い、その代理をしてもらっていたのもいるそうな。
それゆえ、刀を佩いただけで腰がふらつくような者よりは、よほどに剣の腕が数段上であろう。
ちなみに、斬首刑をした後、その骸から肝臓を取り出し、「朝右衛門丸」という肝臓の薬として売っていたという。
893日本@名無史さん:2006/10/25(水) 07:02:21
試刀術は上手いが、剣術は?
894日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:19:48
小池一夫原作・小島剛夕画の「首斬り朝」というコミックを
読んでるのですが、その中に町方同心は、毎年の更新性で、
働きが悪いと解雇になるってな話があるのですが、そうなのですか?
必殺仕事人の中村さんを見てると、代々の世襲制って感じでしたが。
895日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:42:20
1492年って何があった年ですか?
896日本@名無しさん:2006/10/25(水) 15:56:02
>>873
ひょっとして、先頭の"h"を補完できないブラウザをつかっているのか?

ここの表をみると、大藩なら150〜400石くらい。
(丸目蔵人117石、東郷重位400石、田宮長勝800石)

千葉定吉(鳥取藩江戸詰め剣術教授、千葉周作の弟)は五人扶持と
銀十枚(計十五両三分)。どのくらいだろ。

松代藩の徒士扱いから昇格した中澤源蔵は六石五人扶持(三十六俵)
897日本@名無史さん:2006/10/25(水) 16:46:23
江戸時代って1年は360日で計算してたのですか?
898日本@名無史さん:2006/10/25(水) 21:45:07
>>897
それはきのこを食べると解るらしいよ
899日本@名無史さん:2006/10/25(水) 21:46:10
>>897
何人扶持とかの場合、360日で計算してました。
900日本@名無史さん:2006/10/25(水) 22:15:18
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。

901日本@名無史さん:2006/10/26(木) 01:39:23
漢訳洋書とは何でしょうか?

ネットで調べてみてもまったくヒットしませぬ・・・
902日本@名無史さん:2006/10/26(木) 03:03:44
松本晃太郎って知ってる?アゴがアントニオ猪木みたいに長くて、逃げ足が異常に速い生き物。
高校では「ポット」ってあだ名が付いてたけど…
奴ってまだ生きてんのかなぁ…


903日本@名無史さん:2006/10/26(木) 12:40:32
和訳洋書→洋書を和訳したもの。
→漢訳洋書→洋書を漢訳したもの。
904日本@名無史さん:2006/10/26(木) 22:13:00
905日本@名無史さん:2006/10/26(木) 22:45:41
>>904
ありがとう。なかなか面白い役職だったっぽいですねw
906日本@名無史さん:2006/10/27(金) 01:14:31
高校時代は世界史・地理選択で、日本史とは無縁な高校生活を送ってきました
大学生活にも慣れてきたことだし、今のうちに日本史を基礎からじっくり学びたいと思います
そこで、日本史を体系的に独習するのに適した本を推薦してください
907日本@名無史さん:2006/10/27(金) 02:05:19
江戸の裁判記録、事件件数について調べたいのですが
旧幕府引継書を参考にしようと思いまして
市中取締類集、御仕置例類集どちらを調べればいいでしょうか?
また調べる資料これであっているでしょうか?
908日本@名無史さん:2006/10/27(金) 07:08:20
>>906
同じく世界史地理だった。今は「日本の歴史」って本を読んでます。
政治的な偏向を除けば(左巻きな傾向)、入門にはいいかなと思いますよ。
909日本@名無史さん:2006/10/27(金) 09:34:05
>>894
町同心は抱え席ですが、記録によれば実際に一代限りになることは無く、子供が一定
の年齢に達すれば見習いとして召しだし、経験を積ませて世襲させていました。
つまり形式上は一代限りの一年契約だが、実際は世襲制。
よほとの事をしないと、一年で首になることはなかったようだよ。
なお、904のサイトでは町方同心を江戸の人気者のように書いてあるけど、人気が
あったのは与力のほう。
910日本@名無史さん:2006/10/27(金) 09:36:49
>>908
それって中公文庫のやつですか?
911日本@名無史さん:2006/10/27(金) 10:44:26
>>906
漫画日本の歴史とか意外とバカにできない。
912日本@名無史さん:2006/10/27(金) 13:39:06
>>909
そうですか、どうもありがとうございました。

重ねて質問させてください。
与力も同心も下級御家人ですよね、有能な同心から与力に
格上げってのもあったのでしょうか?
913日本@名無史さん:2006/10/27(金) 13:50:07
wikiに筆頭与力は230石以上の俸禄を受けって書かれてましたが、
筆頭与力って偉かったんですね。
高級御家人ですね。
914日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:23:59
>>912
与力・同心といっても、町方与力・町方同心はちょっと違う。>>909 は書き分けて
いることに注意。
http://www.viva-edo.com/yoriki.html
>>913 でいう与力はお目見え以上だが、町方与力はその資格がない。

といいつつ、江戸時代も時代が下がると、旗本株、御家人株の売買があって
ぐずぐずになっていた。
915日本@名無史さん:2006/10/27(金) 18:17:01
>>912
町方同心が与力になれる事は基本的には無い。
あっても極めてまれな話。
916日本@名無史さん:2006/10/27(金) 19:49:12
>>910
そうです。古いので、あくまでも入門として(こういう見かた考え方があるんだなと)。
で、いろいろ調べていくと面白いですよ。
917日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:14:56
>>914>>915
どうもありがとうございました。
918日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:50:52
質問です。今、印旛沼がある周辺に、昔、印旛藩と言うものがあったのでしょうか?
それと印旛沼(印旛村?)の戦いというのもあったのでしょうか?
あったとしたらどんな戦いだったのか知りたいです。

919日本@名無しさん:2006/10/28(土) 02:23:12
>>918
印旛郡の中心地は佐倉で、沼は佐倉藩の支配下。
920日本@名無史さん:2006/10/28(土) 06:11:33
>>911
小和田哲夫の?「南京で大規模強姦の痕跡がないことが大規模強姦殺人の証拠だ」とか書いてあるあれ?
921日本@名無史さん:2006/10/28(土) 09:21:12
それはきのこを食べると解るんだ
922日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:03:24
江戸時代のニートである浪人は、笠貼りなどのアルバイトで生計を立てていましたが、今のニートは何もしないで、何故ご飯が食べれるのですか?
923日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:04:31
日本国籍というものが法的に制定された(作られた)のは西暦で何時ですか?
924日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:06:58
>>922
それは是非スレ立てて欲しいよ
歴史的にみてニートが
現在の日本を悪くしている
ニートは害虫並に駆除しましょ
925日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:08:15
>>922
世の中間違っているから・・・
926日本@名無史さん:2006/10/29(日) 00:01:26
オレは43歳でニートだよ。
意欲がないってより、もう諦めてるんだけど。
記憶力も体力も睡眠も小便の切れも20年前とは
比較にならないくらい悪くなって、意欲も本当になくなる。
927日本@名無史さん:2006/10/29(日) 00:29:08
体の不調は倦怠が払拭されれば驚くほど改善する。マジで。
928日本@名無史さん:2006/10/29(日) 00:58:55
55歳で医学部に合格した人もいるというのに……
929日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:25:31
>>926
私は44歳で仕事していますが、あなたは生活できているようですね。
そしてPCをネットにつないで書いてる。
記憶力も体力も睡眠も小便の切れも、ってそりゃ良くはならないで
しょう。家族とかはどうしてますか。
私は家族がいるから、働く意欲が出ていますが。
歴史に興味をもつだけでなく、自分が生きているこの時代に、自分
が少しでも関わるようにしましょう。
930日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:37:35
他のヤツは気にならんのだが、やたら不比等って名前が気になるのですが、藤原不比等って名前にはどういう意味があるのでしょうか?

だって「比べ不(ず/ざる)」と「等しい」ってなんか漢文チックで意味ありげだし、もしくは不比等って不人=人にあらず(平氏か!)みたいな?
931ニート:2006/10/29(日) 02:45:39
>>926
あなたはニートではありません
なぜならニートは、30歳未満の無職の若者をさす言葉だから
つまりニート以下“ニートにもなれないニート”
932日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:46:37
何その偽善者にもなれない偽善者だ
933日本@名無史さん:2006/10/29(日) 03:21:01
>>926
松平定信「石川島池」
934日本@名無史さん:2006/10/29(日) 07:34:13
>>931
ニート擁護の君も、
ニートウニョウニョ時間にレスしているんだね。
今時50才でも60才でもニートだよppppppppppppppppp
935日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:17:50
ニートウニョウニョ時間はいつでしょうか?
936日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:29:38
ニートウニョウニョ時間=ニートばかり活躍する時間(私観)

毎日24:00〜日の出
平日9:00〜12:00
平日13:00〜17:00
937日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:43:01
昔から無職はいただろ?放置じゃだめなん?
938日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:50:51
926 :日本@名無史さん :2006/10/29(日) 00:01:26
オレは43歳でニートだよ。
意欲がないってより、もう諦めてるんだけど。
記憶力も体力も睡眠も小便の切れも20年前とは
比較にならないくらい悪くなって、意欲も本当になくなる。


ここに来る意欲も無くしてくれ
939日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:56:36
>>926
こんなボケ老人が、
通り多い道路の真ん中で、
わめき散らかせば、
誰でも邪魔だよ。

本人に罪が無いなんて・・・あるに決まってるよ!!!
940日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:39:41
>>930
藤原不比等の正確な名前の由来は、私も知りませんが、
>不比等って不人=人にあらず(平氏か!)
は意外と的を射ているかも知れません。
というのは、母(車持君与志古)が天智天皇の后妃だったことから天智帝の子であるという
説も確かにあるんです。竹取物語の「車持皇子」も不比等がモデルという説もあります。

また、平清盛は「日本書紀」を読む中で、藤原不比等を理想としていたということも言わ
れています。この平清盛も「白河上皇御落胤」という説もあります。

つまり、皇胤でありながら、それは公然の秘密、みたいな点で藤原不比等と平清盛はよく
似ているんですね。
941日本@名無史さん:2006/10/29(日) 12:46:22
藤原氏第二代の不比等→史でしょ。いい名前じゃない。
鎌足にしても、武智麻呂(睦つ?)や房前にしても豊作に関係する名前と見ることができるけど。
942日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:05:42
>>938
江戸時代とは次男・三男とかは、長男の保険だろ。
飼い殺しになるんだから、親や兄弟も食うぐらいの面倒は
みるだろう。そういう意味で江戸時代とかがうらやましい。

鎌倉時代の限界は、次男・三男とかにも遺産を分割したからなわけで、
やはり全員が働いて家庭を持つってのは社会の限界なんだよ。

>>939
943日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:47:01
猿VSニート
ニートが負けそうです。
役立たずで、社会的責任を感じない、
ニートの応援に回るべきでしょうか?

944日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:53:10
江戸時代の次男・三男とかは、長男の保険みたいなもんだろ?
飼い殺しになるんだから、親や兄弟も食うぐらいの面倒は
みてやっただろう。世間もそれが普通だったに違いない。
そういう意味で江戸時代とかがうらやましい。

鎌倉時代の限界は、次男・三男とかにも遺産を分割したからなわけで、
やはり全員が働いて家庭を持つってのは社会の限界なんだよ。

結局悪いの富国強兵と叫びのたまった明治軍事政府なんだよ。
オレらはその後遺症なのだ。ニートはいつの時代にもいて当然。
働きアリだって何割かはニートっぽいぞ。
945日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:54:59
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。

         どう読み取ればいいのでしょうか?
946日本@名無史さん:2006/10/29(日) 14:09:30
>>943
ニートは遠慮なく見殺しにしてください。
947日本@名無史さん:2006/10/29(日) 14:21:39
どうしてニートが日本史板にくるわけさ?
VIPいけよ愉しいぜ?
948日本@名無史さん:2006/10/29(日) 14:29:12
いやアホだから何処でも市民権を貰えないのよ・・・
ここもIDにして、ニート市民権を奪おうか?どうだ?
949日本@名無史さん:2006/10/29(日) 14:37:12
必殺仕事人とかを見てると、他藩の藩士は、町方同心などに対して、
かなり高圧的な態度をとったりしてますが、実際にそうだったのですか?
町方といっても、将軍家の直参なわけですよね。
950日本@名無史さん:2006/10/29(日) 14:39:12
お前らニートを舐めすぎ。
ニートは社会のアソビなんだよ。
ブレーキに必要なあれと同じ役割をしてるの。
だからお前らの血税で食って当然!

日本の歴史の真髄なのだよ。
951日本@名無史さん:2006/10/29(日) 14:44:08
まぁ確かに、「こころ」を読んでて思うんだが、先生はどう見てもニートだよな…

明治辺りにはああいうニート(…じゃないけど、財産食いつぶして暮らしてる人たち)
が多かったのかな?
952日本@名無史さん:2006/10/29(日) 15:52:42
>>922
ニートの定義をまず勉強して来い。話はそれからだ。

>>949
与力や同心は、大名から金もらってるからな。高圧的に言われることもあるんじゃね?
953日本@名無史さん:2006/10/29(日) 15:56:54
>>952
寒いなー
文章おかしいし
954日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:02:00
>>949
町方が出張ってくるのは、町方がらみの事件や事故が問題なわけで、幕府や藩の
政治がらみではないので、一種の治外法権状態があった。
とはいえ、高圧的というのは藩に管理能力などの力があるからで、力のない弱小
の藩は(外聞をはばかる話は別にして)町方の力を借りようとしていた。

佐藤雅美の、八州廻りの小説などを見ても、その辺の機微を描いている。

山本博文の、萩藩江戸留守居役の本を見ても、実際は町奉行とは懇ろに
していて、平素のモメゴトに齟齬がないようにしていた。
955日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:02:23
>>950
何肯定してるのニート君ったら
それで、どうして真髄なの?
956日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:13:30
>>952>>954
どうもありがとうござりました。
957日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:27:56
ニートはスルー汁!桶?


武家地は町方にとっては治外法権だけど、武家地から一歩出ると町人と同じ扱いだったって記事を読んだんだよ。
んなわけねーよな?

新撰組が浪人を切り捨て御免ってのも、かなり変な話だと思うんだが。
958日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:37:12
町奉行を検索して調べたのですが、北町奉行所も南町奉行所も、
それぞれ縄張りがあるのではなく、月当番でやっているとのことですが、
当番でない月は、パトロールはせず、当番の月に捕まえた下手人に関する
事務処理などをしたのでしょうか?
959日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:46:55
火付盗賊改方の長官って旗本がなるのですか?
火付盗賊改方長官ってどれくらいの地位だったのでしょうか?
町奉行>火付盗賊改方長官>町方与力っすか。
960日本@名無史さん:2006/10/29(日) 18:15:26

>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。

    どうしてこう云う文章になるのですか? 意味が理解できません。
961日本@名無史さん:2006/10/29(日) 19:33:02
質問です。江戸時代、田沼意次とか水野忠邦が印旛沼の開拓をしましたよね?
その時にになんらかの原因で印旛沼周辺住民たちの抵抗ってありましたか?
962日本@名無史さん:2006/10/29(日) 20:39:15
「日本」の語源ともなった、
↓の名文を著した人物は誰なのでしょうか?
推古天皇?それとも聖徳太子?

 日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す
 日出處天子致書日沒處天子
963日本@名無史さん:2006/10/29(日) 20:48:41
>>962
聖徳太子とされてる……けど詳しくは不明。
聖徳太子自体架空の人物だと主張する人もいる。

ちなみに、「日本」という言葉はもっと前から使われてた可能性がある。
隋(だったと思う)の都で、日本からの留学生の墓が発見された時、
それに「日本」という言葉が使われてた。
964日本@名無史さん:2006/10/29(日) 21:21:46
今、大河ドラマでも関ヶ原をやるところです。
そこで以前より9月14日ということはしってますが
これって旧暦でしょうか?であれば11月初旬くらいに
なりますが・・・・教えてください。^^;
965日本@名無史さん:2006/10/29(日) 21:59:19
もちろん現在のグレコリオ暦での年月ではない。
ただし、当時は宣明暦で現在のいわゆる旧暦ともまた別物。
966日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:08:35
>>964
マルチポストするな! 他スレでも見かけたぞ
967日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:12:53
マルチポストするな!
すいません。。以後気をつけます。。(><)
968964:2006/10/29(日) 22:14:15
ありがdです、宣明暦・・・・ですね^^
969日本@名無史さん:2006/10/30(月) 11:31:18
昔の資料(絵)の名前が分かりません。

カエルの仏様にサルのお坊さんが御供えをしている、という感じの絵です。


知ってる人いたら、この絵の名前といつごろつくられたものなのか、教えて下さい。
970日本@名無しさん:2006/10/30(月) 13:41:31
>>969
『鳥獣人物戯画』 京都高山寺蔵(国宝) 全四巻
平安末期から鎌倉初期(12世紀末から13世紀初め)の成立。
一般には『鳥獣戯画』の名で知られています。

鳥羽僧正覚猷の作と伝えられていますが、異なる時代の複数の作者の
手によるものとみられることから、当時の戯画集成とみてよろしい。
逆に、元はこの一部であったと思われる断簡も多数見つかっています。

あと、ご存知かもしれませんが、あの絵はかつてこの2ちゃんねるの
扉絵に使われていたとことがります。そのとき、デジタル映像の著作権に
ついてすこし揉めたことがありました。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%8D%A3%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%88%AF%E7%94%BB
971日本@名無史さん:2006/10/30(月) 16:35:28
余談だが
「超獣ギーガー」という漫画を
漫☆画太郎が書いている。
972日本@名無史さん:2006/10/30(月) 19:36:41
>>958
そう
973日本@名無史さん:2006/10/30(月) 21:14:42
鳥獣戯画か・・・手塚治さんが、西洋にも負けないって言ってたなwww
974日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:29:41
通史をおさえるためには
何を読んだらよろしいでしょうか?
やはり大学受験用の教科書参考書でしょうか?
975日本@名無史さん:2006/10/31(火) 01:17:46
>>974
目的によるのでは。
受験ならそうでしょう。基礎を理解するのにもそれで良いかも知れません。
批判も含めて考証したいのなら、井沢元彦の「逆説の日本史」と中公文庫
の「日本の歴史」シリーズを、併せて読んでみても良いかも知れませんね。
976日本@名無史さん:2006/10/31(火) 01:21:18
何故荒れそうなネタをふる?
977日本@名無史さん:2006/10/31(火) 01:24:26
>>975
受験じゃないです。
いろいろ本読んでると歴史の知識ないと
理解に苦しむところが多いと感じたので
それで‥。
978日本@名無史さん
山椒大夫、安寿と厨子王丸についてなんですが。
成立はかなり古いとあったのですが、
フランス語で天使を意味し、女性の名前にも使われるアンジュと
これまた山椒大夫での女性の名前・安寿(あんじゅ)とは
何か関係があるのでしょうか?
安寿というのは日本でも一般的な名前だったのでしょうか?
ずっと気になっていました、ご存知の方、お教えください。