【世界】☆.。・゚・チンギス・ハーン・゚・。.☆【最強】

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1ジュチ
ジンギス・カン チンギス・カン チンギス・カーン・・・
古今東西並ぶ者の無い大王の中の大王。
なぜ今までスレが無かったんだ?
という事で語ってくれ。
2世界@名無史さん:04/05/20 13:27
どうせ夕べの「その時歴史が動いた」だろ
3世界@名無史さん:04/05/20 13:29
ジン ジン ジンギスカーン
ヘイ ライタァ ホー ロイテァ ヘイ ライタァ インマァ ヴァイタァ
4世界@名無史さん:04/05/20 14:56
思いっきり「その時歴史が動いた」だ。
5世界@名無史さん:04/05/20 20:35
こんな残虐なレイプオヤジ興味ないね

>>1
クソスレ立てんなw
6世界@名無史さん:04/05/20 20:43
>>3
昔からその曲名が気になっていたんだけど、曲名は何??
7世界@名無史さん:04/05/20 20:52
ジュチはチンギス・ハンの実子ではないんだよな?
8世界@名無史さん:04/05/20 22:39
>>6
Genghis KhanというグループのDschingis Khanという曲。
どっちも「ジンギス・カン」と読む。
9世界@名無史さん:04/05/20 23:13
ジェベは?
10世界@名無史さん:04/05/20 23:30
負かした敵の子女をレイープするときの征服感がたまらんとか言ってた
悪趣味オヤジだったようだな。彼自身レイープ略奪婚で生まれた子供、
彼の妻も敵に奇襲されたときにレイープされてジュチ(よそ者)を産む。
レイープ関係の話題の尽きない「英雄」だな。
とにかくモンゴル人って南に侵入してはレイープばっかしてた民族って
印象があるけど、これ見ると否定しにくいよな。
大戦末期ではソ連軍と一緒に入ってきたモンゴル軍もひどい略奪やレイープ
したそうだし、時代を遡れば清が周辺国を征服する過程で味方とした「モンゴル八旗」
の略奪レイープは酷かったって言うから、モンゴル人っていったい・・・。
11世界@名無史さん:04/05/20 23:47
朝鮮人がレイプ好きなのはモンゴル人の血が入ったからじゃないかな。
モンゴル人のイメージが分からなかったけど、某横綱見ていると
いかにDQNな連中か理解できたのは俺だけじゃないはず。
12世界@名無史さん:04/05/21 00:05
朝ショウリュウよりキョクシュウザンのほうが
13世界@名無史さん:04/05/21 00:09
ヨーロッパを征服してほしかったね
14世界@名無史さん:04/05/21 00:11
宦官陳和賞
15世界@名無史さん:04/05/21 00:25
>>10
だけどモンゴル人のレイプって、一応連れて帰って面倒見るじゃん。
子供が生れたら育てるし。
ロシア人はズタズタになるまで輪姦して殺すじゃんか。
16世界@名無史さん:04/05/21 00:53
チンギス・ハンの正妻ボルテが、新婚当初に敵対する部族(メルキト族)に拉致されたけど、チンギス・ハンは数日後にはボルテを奪還してるからね。
だから、この事件の後にボルテが生んだ子供(長男ジュチ)がどっちの子供なのかは微妙なんだよね。
まあ、ジュチはチンギス・ハンの子ではないというのが定説みたいになってしまっているけど。
17世界@名無史さん:04/05/21 02:32
元朝秘史買おうっと。
18世界@名無史さん:04/05/21 10:45
それ以前に、モンゴルくらいじゃないのかな。敵国の血筋を積極的に取り入れた上で統治にも参画させたのは。
普通だと敵の王室(指導者)断絶して自分の民族よりワンランク以上低い位置付けをして重用もしないのが常なのに。

>>16
チンギス・ハン自体は自らの子として接したようだが、周囲の風潮がそれを許さなかったようにも思えるよね。
結果的にジュチが窮地に陥った際にも援軍を差し向けることを臣下が遮る形で落命してるし。不憫だよなぁ。
19世界@名無史さん:04/05/21 11:34
モンゴル人にとってレイプは当然の行為だったんじゃない?
レイプされて自殺した漢族の女を遊牧民は理解できなかったというし。
20世界@名無史さん:04/05/21 11:38
ボルテの輪姦をエロ漫画家きぼんぬ
21世界@名無史さん:04/05/21 11:40
しかしチンギスハンは業績からしたら
アレクサンドロスを凌ぐのにあんまし一般的じゃないよな。


22世界@名無史さん:04/05/21 11:58
>>21
そもそも「世界史」というものの大半が西洋観から描かれたものである以上、アジア方面で帝国を
築き上げたとしても大きく取り上げられることはないからね。西欧人にとっては東西文明が相互に
混ざり合ったのは大航海時代以降、というのが一般的な考え方だから。
だから楼蘭遺跡で白人系幼児のミイラが発見されたときには、かなりの衝撃を受けたらしいよ。

それに加えて当時のモンゴル公用語でもあったキタイ文字解読に関して、かなり手間取っている
事実もある。内部から見た史観が分からないから、更に実体が曖昧なものになっているわけ。
23世界@名無史さん:04/05/21 12:47
結論として右翼は朝鮮の偉業を過小評価しているということだ。
日本人には朝鮮の血がはいっており、朝鮮人にはモンゴルの血が
はいっている。
つまり朝鮮人がロシアやアラブまで支配したと言うことだ・
24世界@名無史さん:04/05/21 13:03
その論理でいくと、人類発祥の地と言われている南アフリカの血が世界中を支配したということに
なりますね。…まぁ、こういう馬鹿げた議論は個人的に本末転倒も甚だしいものだと思いますが。
25世界@名無史さん:04/05/21 13:16
レイプはモンゴルの風習の一つだったんじゃないの?
ある意味当たり前の行為だったのかも。
26世界@名無史さん:04/05/21 13:17
つまり文明国家からすると野蛮人だった(w
って事だね。
27世界@名無史さん:04/05/21 13:19
俺が昔の中国人だったら遊牧民絶滅政策を考えるけどね。
28世界@名無史さん:04/05/21 13:25
モンゴルの血を引くロシア人はやはりレイプ得意
モンゴルの血を引く中国人はやはりレイプ得意
モンゴルの血を引く朝鮮人はやはりレイプ得意

極東3馬鹿はレイバー民族
29世界@名無史さん:04/05/21 13:55
中央アジアもトルコもアフガニスタンもモンゴルの血をひいてるけど・・・・
30世界@名無史さん:04/05/21 14:27
蒼き狼以外でチンギス・ハーンが題材のおもしろい歴史小説ある?
歴史本でもいいけど。
31世界@名無史さん:04/05/21 15:07
結論としてモンゴルの血が入ると野蛮。
32世界@名無史さん:04/05/21 16:37
トルコは野蛮なのか?
今のモンゴル人は野蛮なのか?
33世界@名無史さん:04/05/21 16:39
チンギスハーンの時代の遊牧民の残虐性は環境によるものだろう。
生まれたときから略奪と殺戮の世界だったんだから。
そんな環境で生きていれば残虐になる。

ヴァイキングの北欧も野蛮だったけど今は世界最高の文明国家になってるしね。
34世界@名無史さん:04/05/21 17:11
>>32
朝青龍、旭鷲山を見よ。
35世界@名無史さん:04/05/21 18:24
だったら日本にも麻原のような超凶悪犯罪者がいるが。
36世界@名無史さん:04/05/21 19:15
最近、「アジアの人々」をやたらにかばう奴らが増えたな。
プロ市民に違いない。
37世界@名無史さん:04/05/21 19:16
朝青龍、旭鷲山といわれて麻原を持ち出す奴は詭弁の弁法認定してさしあげよう。
38世界@名無史さん:04/05/21 19:27
旭鷲山の妹、コスプレはまってるらしいぞ
ttp://gisuke2.hp.infoseek.co.jp/01/05.html
39世界@名無史さん:04/05/21 20:19
つうか、モンゴルに一番レイープされた民族ってどこなんだ?やっぱ漢民族かな?
40世界@名無史さん:04/05/21 20:22
モンゴル騎馬軍が残虐であったというのは、モンゴルが自ら流布した噂に起因している。実際には敵対国の
軍を悉く殺した例は他国と比較して極めて少ない。(ジャラール・ウッディーン攻略戦くらいだな)
金や南宋ですら、実際には幾度も戦火を交えることなく領主自体の投降という形で領土を切り崩された挙句、
自壊するようにして滅亡している。軍が強かったのは当然だが、宣伝広報の手腕も高かったわけだ。
おまけに支配領の民族からも重臣を積極的に獲得するなど、現地民にも相当寛容であったとも言える。
用意された土台に崩れない骨組みを組み上げることに関しては当時の国としては稀有な能力を持っていた。

これは紛れもない事実だと思うのだが。これすらもプロ市民のような馬鹿擁護になるのかな。
41世界@名無史さん:04/05/21 20:41
他方、世祖忽必裂は度重なる牒書無視を激怒して日本遠征を固め
高麗に軍船建造を命じ戦備を進めた。新建造九百隻、軍勢二万が
折都(蒙人)を都元師(総司令官)として対馬の国府(厳原)に押し寄
せたのは文永十一年十月五日早暁であった。対馬の地頭、宗国助は
郎党八十余騎を率いて佐須浦に馳せ向かい、上陸の元軍一千余と
果敢に戦い、激戦数刻、国助と子息ら十余名が討死し他は敗走した。
元軍は佐須浦の民家を焼き払い、やがて対馬全島を制圧した。
次いで元軍は壱岐を襲い、守護代平景隆が御家人百余騎で戦ったが
衆寡敵せず全滅した。やがて元軍は松浦沿岸の島々を侵し、松浦党の
武士数百人が戦死した。時の鷹島守護代、鷹島満の一族郎党も悉く
討死している島々の百姓漁民、老若男女すべて虐殺されたと伝えられ
ている。戦場では殺戮、凌辱の荒々しさをほしいままにした蒙軍、住民
残滅に容赦はなかった。
 
 
 
42世界@名無史さん:04/05/21 20:52
成吉思汗 ジンギスカン チンキズ・ハン チンギス・カ〜ン

           ↑   ↑   ↑
      
            どれが本当なの?
43世界@名無史さん:04/05/21 20:53
テムジン
44世界@名無史さん:04/05/21 20:56
1258年
フラグ率いるモンゴル軍に第37代カリフ、アル・ムウタシムは無条件降伏。
しかし結局惨殺され、平和の都バグダートは灰燼に帰しました。
ここに名目だけの存在となりながらも続いてきたカリフ政権は滅びさりました。

       
45世界@名無史さん:04/05/21 20:58
>>41
モンゴルから日本への外交交渉文が元史・日本伝や経世大典序録、東大寺にも写しが残っているが
「上天眷命」を不遜とした日本側だが、これは「書を奉る」という意味で常套句として用いられていた。
むしろ日本より所領が大きいモンゴルが日本に対して「奉る」という謙る態度を見せてるわけ。
更に末尾を「不宣」で締めているが、これは「これを臣とせざるを申すなり」の意味。つまり、日本国を
臣とはしない対等な外交国として国交を開いてくれ、という丁重極まりない内容の通商外交文。

鎌倉幕府は大陸情勢を全く把握してなかったんだろうな。
これを幾度も無視され、当時南宋を制して水軍を持て余していたモンゴルは兵を向けたわけ。
この挙兵は吸収した水軍を飼い殺しにする意味合いが強かった。(実際、海上に停泊したまま沈む)
モンゴル兵は殆ど(全く?)乗船しておらず、更に台風によって難破した兵士が漂着したときに日本は
唐人(江南人)と分かる者以外は殺害した。まぁ、戦の状態ではそれが当然なことだ。
46世界@名無史さん:04/05/21 21:04
バグダートが灰燼に帰した?
破壊の限りを尽くした後で、破壊以前に勝る再生を施したとでも言うのかな。(人口も増加している)
はっきり言っておくが、モンゴルは制圧した都市の「軍事施設」を破壊して農作地を増やしてはいるが、
それ以外の施設(例えば灌漑施設など)は一切破壊していない。東西の史書にも記されているぞ?
47世界@名無史さん:04/05/21 21:10
>>42
汗(ハン、又はカン)、つまり王とか最高権限者を表す言葉。
現代日本語に合うように訳するなら「チンギス王」とでもなるかな。
当時のモンゴル公用語(キタイ語)に由来する。これを「汗」という感じに代えて、それが広まったもの。
成吉思汗、ジンギスカン、チンギス・ハン、チンギス・カーンという名前は全て正解であるとも言える。
48世界@名無史さん:04/05/21 21:13
>>43
一応補足。
テムジンは幼名というか、モンゴル平原に点在していた諸部族を平定する前の名前。
モンゴル平定後に「チンギスのハン」を名乗り、それを周囲の者達も認めたから事実上チンギス・ハンとなった。
49世界@名無史さん:04/05/21 21:37
>>45
何こいつ。
NHKの大河ドラマ同様に話せば分かる主義者か?
50世界@名無史さん:04/05/21 21:41
>>40に対して>>41を張ったのだが、
こいつの言い分だと日本が悪いように言っているよな。
鷹島の虐殺「現地人」に寛容なんだ?皆殺しじゃないか。
責めてきたのはモンゴルで日本は攻められた側だ。
虐殺のことには触れずに話しをはぐらかしてよほど日本が嫌いなんだろうな。


51世界@名無史さん:04/05/21 21:42
モンゴルは制圧した都市の「軍事施設」を破壊して農作地を増やしてはいるが、
それ以外の施設(例えば灌漑施設など)は一切破壊していない

現に鷹島は灰燼に帰しているがな。
52ラフカディオ・ハン:04/05/21 21:45
↑コレハ「クヮイダン」デツカ?
53世界@名無史さん:04/05/21 21:48
>>45
通商外交のために親書を送ったという部分には同意する。
確かに何度も国交を築こうとしてシカトされれば普通はキレる。交渉決裂で攻められて人が殺されるのも当然。
54世界@名無史さん:04/05/21 21:51
>>45
「兵を用いるに至りては、それだれか好むところならん」と脅迫したのは
モンゴルだがなアンちゃん
言葉は馬鹿丁寧だが、したがわなきゃ侵略するぞと脅迫しているだろ。
55世界@名無史さん:04/05/21 21:54
>>53
>>40
おまけに支配領の民族からも重臣を積極的に獲得するなど、現地民にも相当寛容であったとも言える
といっているが、実際は虐殺しているわけだ。
その事を指摘すると全然異なる話題で話しそらしている。
56世界@名無史さん:04/05/21 22:03
ロシアはともかくとしてホラズムのサマルカンドやバーミヤン、
アラビアンナイトの都だったバグダードもすべてモンゴル軍の
侵攻で灰燼に帰してて、その記述にはかなりの誇張(何十万人
殺したとか何十メートルの生首の山を3つつくったとか)があるにせよ
「工匠数百人を除き残った市民を全て殺害」とか「あまりの死臭に耐え
かねてモンゴル軍自身が一時バグダートを放棄」とか当時のイスラム
やヨーロッパ世界の人間の常識を超える凄惨さだったみたいなのは
確かみたいだよ
それからモンゴル人は中国人の人口の多さに辟易として数千万人を
抹殺して華北を放牧地にする計画を建てたけど、その計画を聞いて
びっくりした耶律楚材が中国の農民から租税を取った方が放牧より
収益があがると献策したために殺されずにすんだって話は本当ですか?


57世界@名無史さん:04/05/21 22:05
それから全員が遊牧民で全員が優秀な兵士であるモンゴル人には
交易品や財貨を産出する背景に大勢の民衆が必要だとあまり認識
しなかったら、中央アジアを征服した時に工匠だけを残して住民を
皆殺しにしたりしたのじゃないかな
最も高速で移動する騎馬軍団にとって捕虜を増やして反乱などにも
気を使うのは足手まといだと考えたのかもしれませんが…
だからこそ耶律楚材が漢族の抹殺を阻止したんじゃないのかな

58山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/21 23:03
>>45
一応商船から情報収集はしていたようで弘安の役も察知していましたが、
対応が不味かったという点は同意。というより日本が外交面で巧く立ち回
った方が珍しい。
59世界@名無史さん:04/05/21 23:17
このスレを見ているとどれだけ日本人がレイプという行為を愛してるかが分かる……
60世界@名無史さん:04/05/21 23:25
プレイ
レイプ
イプレ
61世界@名無史さん:04/05/22 00:24
>>56-57
残念ながら、そういう記述は史実としては記録されていません。
金(宣宗)は毎年の貢納を条件にモンゴルに対して講和を申し入れ、それをチンギスは実にあっさりと呑んで中都の包囲を
解いています。おそらく農耕世界の統治を完全に引き受けるよりも、過去の匈奴の冒頓、漢の高祖劉邦の関係のように、
「ある程度の定期的な収益を得られるのであればそれで良し」と考えたのでしょう。
まず金国打倒というよりも、馬とキタイ族、内モンゴル古草原の吸収、そして毎年の巨額な経済支援を取り付けること。
私が知り得る史書を見る限り、これらをまず優先に考えて計画を練っていたようです。(彼らの戦略はかなり入念ですね)
現実的にも数千万を抹殺して華北を放牧地とすることはコストに対するメリットは殆ど生まれませんからね。

ところが、当の金国宣帝は中都を放棄して遷都。丞相の完顔福興を中都に残して引き上げてしまったわけです。
彼らの軍の中核を成していたのは「チュウ」という集団で、彼らはキタイ族を含む金国北辺の遊牧系諸部族混成軍でした。
チュウは宣帝が引き上げるのを機に反乱を起こし、チンギスに対して援軍を要請しています。チンギスは非常に驚いた筈。
中都を落としてしまえば旨みがなくなり、かといって援軍を出さなくても吸収した内部のキタイ軍からの風当たりも強くなる。
史書によればかなり長い間、悩んだようですが耶律楚材や石抹明安ら、新加入のキタイ部将達に強く再進撃を求められて
金国内戦への軍事参入を決意しています。(モンゴル本軍は殆ど参画せず、主にキタイ部隊が先鋒・後詰めを担当)

こうして中都は陥落しましたが、チンギスは務めを果たしたとばかりに開封に攻め込まず即時撤兵しています。
これによって金国は二十余年に渡って存続することになりましたが、これはチンギス自体が華北を全面的に経営するという
意思がなかったということを物語っているかと思われます。この辺りは現在の我々から見ても非常に優れた手腕ですね。
62世界@名無史さん:04/05/22 02:35
チンギスハンは、モンゴルが共産主義時代に
かなり貶められているから、けっこう嘘がまかり通ってるんだろうな。

しかも、東ヨーロッパも侵略してるから、欧米人受けも
よくないだろうし。
63世界@名無史さん:04/05/22 05:02
チンギスカァンに関しては、リデル・ハートが高く評価しているんだけど、一般には浸透しなかったかな?
まあ、あの当時(1920)は、こんな事書いてもデムパ扱いされ。

・・・陸上における装甲の無限軌道車、換言すれば軽戦車はモンゴル騎兵の当然の継承者であると考えられる。
なぜならば装甲無限軌道車は、本質的に機械化騎兵であるからである。
よく考えると次のような考え方も成り立つであろう。
すなわち、われわれは高度な機動性を備えた単一兵種を使用するという簡素さにこの際立ち返れば、モンゴル軍の有していた機動力と攻撃力を取り戻すことができよう。
また歩兵のような特殊な局地機動力が必要な場合には、装甲無限軌道車の乗員を陸戦戦力として徒歩で行動させることもできるのである。
さらに飛行機は、機動力において高度な特質を備えていると見られ、将来飛行機こそがモンゴル騎兵の継承者であることを実証するかもしれない。

「優れた全般的機動力は、それが打撃力と結合された場合には、歩兵を基本とした軍の有する単なる局地的機動力や決戦力よりも、力の面でも安全の面でも共に優っている」
64世界@名無史さん:04/05/22 10:23
なんか、モンゴル関係はやたら似たようなスレが乱立してるような気がする
65世界@名無史さん:04/05/22 13:41
モンゴルは虐殺の民。九州の民が多く殲滅されている。
話せば分かるはずとする奴は敵国に同調する輩ども
66世界@名無史さん:04/05/22 14:00
生意気な日本をシめてやるッ!

フビライ帝が見守る中、制裁は行われた。
既に日本の対馬・壱岐には征東行省右丞相・アラカンの占領軍がねじ込まれている。
「アラ、コマしたれ」
皇帝がいうと、アラカンは東路軍軍船900隻の横から一軍を取り出した。
ゆうに一万はあろうかという巨大な戦力に、日本はぶるっと震えた。
しかし、その恐怖とは裏腹に、いや、日本にとってはその恐怖こそが
攘夷欲を沸き立たせるものだったのかもしれない。
日本の日本刀のような小振りの一軍は痛い程にいきり立っていた。
その「日本刀」の前哨を東路軍司令官・征東都元帥・忻都唇がちゅるんと器用に殲滅する
高麗軍司令官・征東都元帥・金方慶の脳中に鉄錆臭が広がる。
そして、東路軍司令官・征東都元帥・忻都の東路軍軍船が
博多湾にねじり込まれていく・…
2個軍総兵力10万を越えるド迫力の侵攻戦。
まだ、幕が開いたにすぎない。
戦争は、ここから始まる。元寇はまだ終わらない…
67世界@名無史さん:04/05/22 14:02
プロ市民だとかわけのわからん被害妄想に陥ってる馬鹿右翼は
「遊牧民から見た世界史」って本を読んでみろ
68世界@名無史さん:04/05/22 14:03
蒙古襲来を軍事的に語る
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1084109929/
69世界@名無史さん:04/05/22 14:52
まあ、足場の悪い土地でしかも障害が設けられてる場所でイングランド軍や日本の武士団相手にしたら負けるけどね。
70世界@名無史さん:04/05/22 14:55
歴史学は左翼が学閥を形成していて彼らの逆鱗に触れると
出世できないそうで。
だから元寇の記述も日本悪玉説がまかり通る。
71世界@名無史さん:04/05/22 15:08
基本的に史書も読まずにイメージだけで語る人が多いからね。
72世界@名無史さん:04/05/22 15:40
鷹島や対馬で大虐殺が行われているんだけどね。
モンゴル厨は北条が「悪い」と日本が悪い説を展開。
そんなにさぁ、モンゴルが好きなら移住汁
73世界@名無史さん:04/05/22 15:48
要するに、史書をこねくりまわして
「日本の対応が悪かった。外向的にうまく立ち回れば元寇はなかった。元に侵攻の意図はなかった」
って言いたいんだろうけどさぁ。

中華思想というか華夷秩序に急速に染まっていっていた元に、今日的な「台頭の外交関係」ってのは
あり得ないだろう。要は穏便に朝貢してくりゃ許すぞって事で。


これ受け入れていたら、武士の台頭とか幕府の成立とかを根本的に否定するものだろうよ。
74世界@名無史さん:04/05/22 15:49
×台頭の外交関係
○対等の外交関係
75世界@名無史さん:04/05/22 15:54
っていうかモンゴルって通商結んだ後に難癖つけて侵略して
降伏しようがカリフのように惨殺してる。
俺は降伏していりゃ命助かったと主張する奴って信用できないと思う。
戦いの時にこんなこと言う奴って敵のスパイそのものの言論じゃん。
日本なんか侵攻されたところ皆殺しだぞ?容赦ないぞ?
天皇や公家から武士にいたるまで皆殺しの宴。
まあ日本嫌いな左翼史家には大歓迎なんだろうけどな。
76世界@名無史さん:04/05/22 15:54
他方、世祖忽必裂は度重なる牒書無視を激怒して日本遠征を固め
高麗に軍船建造を命じ戦備を進めた。新建造九百隻、軍勢二万が
折都(蒙人)を都元師(総司令官)として対馬の国府(厳原)に押し寄
せたのは文永十一年十月五日早暁であった。対馬の地頭、宗国助は
郎党八十余騎を率いて佐須浦に馳せ向かい、上陸の元軍一千余と
果敢に戦い、激戦数刻、国助と子息ら十余名が討死し他は敗走した。
元軍は佐須浦の民家を焼き払い、やがて対馬全島を制圧した。
次いで元軍は壱岐を襲い、守護代平景隆が御家人百余騎で戦ったが
衆寡敵せず全滅した。やがて元軍は松浦沿岸の島々を侵し、松浦党の
武士数百人が戦死した。時の鷹島守護代、鷹島満の一族郎党も悉く
討死している島々の百姓漁民、老若男女すべて虐殺されたと伝えられ
ている。戦場では殺戮、凌辱の荒々しさをほしいままにした蒙軍、住民
残滅に容赦はなかった。
77世界@名無史さん:04/05/22 15:55
日本国王源道義
78世界@名無史さん:04/05/22 15:56
19 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:19 ID:lL1Hu9Ea
対馬での虐殺行為は余りにもひどい。住民は皆殺しにされて、女は手に穴を開けられ全員拉致された。
しかもこの残虐行為を行ったのは蒙古兵だけでなく高麗兵も多数含まれていたらしい。

79世界@名無史さん:04/05/22 16:02
>>45
北条氏がモンゴルの使者を斬ったこと

蒙古の蛮賊共は、もともと侵略を企てていた。
杜世忠以下の元の使節を鎌倉竜ノ口で斬ったのは建治元年(1275年)である。
すなわち「文永の役」の後である。

「きっかけ」などというが、北条時宗に元寇の非を求めるのであろうか。
時宗は明治37年5月18日(没後720年)、
明治天皇から従一位を追贈されている。
蛮賊共の使者を血祭りに上げ防塁を築いた時宗の気概と果断と周到な国防策のもと、
日本中が上下一致して国難を撃退したことに思いを馳せるべきである。
80世界@名無史さん:04/05/22 16:22
>>73
違う、違う。そういう意味ではないよ。
日本の対応が悪かったことはともかく、一度目(一二七四年)の文安の役では確かに元には侵攻の意図は
無かったと思われる。兵力も小手調べ程度の少数で攻め寄せた挙句、撃退されているのだからね。
二度目(一二八一年)の弘安の役では、それなりの兵力・兵站・内偵情報を基に戦略が練られている。結局、
熾烈な抵抗を受け、兵站が尽きて戦闘自体は敗れている。(この時は農耕具や種籾も持ってきていた)

対等な外交関係というのは(真意はともあれ)あり得ないと私も思う。ただ、攻めずに済むならその方が良い。
元としては「要は穏便に朝貢すれば許す」というか「南宋との外交交易」を封鎖したかったわけだろう。
その目的さえ果たしてしまえば良いのだから、元寇にて日本侵攻が失敗したとしても問題はないということ。

幕府としても、その段階では最善と思える手は打っただろう。(後世から見れば対応が悪いと見えるだろうが)
ただ、史実として記録されていることを捻じ曲げてまで虚偽を貫くことは出来ないと言いたいだけ。
私だって日本という国が好きだし、モンゴルが正義というつもりは毛頭ない。
出来る限り先入観を排除した事実を模索したいだけなんだよ。

>>78
そういう記述のある史書を私が見たことがない。できれば正確なソースを教えて欲しい。

>>79
北条氏に非を求めているわけではない。(使者を斬ってしまったのは明らかに拙い対応だとは思うが)
日本を守ろうとする気概にも、当然の事ながら賛意を示したい。
私が憤りを感じるのは「それを背景に史実として記述されてもいないことを事実と吹聴する輩」だ。
81世界@名無史さん:04/05/22 16:31
32 名前:赤色大元帥 投稿日:04/05/09 23:28 ID:???
>>78
そういう記述のある史書を私が見たことがない。できれば正確なソースを教えて欲しい。

>>30
有名な話ですよ、文章しか無いけど、ググればすぐに見つかります。
たとえば、こことか。

ttp://www1.cts.ne.jp/〜fleet7/Museum/Muse036.html
ttp://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/genkou/


33 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:29 ID:???
日蓮註画讃巻第五「蒙古來」篇に書いてある
ただし日蓮のことだから故意に誇張してる可能性はあるな
8279:04/05/22 16:32
>>80
ついでに補足させて頂きたい。

>蛮族共の使者を血祭りに上げ〜
ここら辺が既に先入観の入り混じった意見なんだよ。単純に「使者を斬った」で良い。
私は自分が日本人であるということは一時忘れ、双方の国の取った方策に対して同じ目で物事を見たい。
これを忘れてしまうと「神風で勝った」だの何だのと馬鹿馬鹿しいことこの上ないことを言い出す羽目になるからね。

>>81
ありがとう。早速、参考にさせて頂くよ。
83世界@名無史さん:04/05/22 16:33
蒙古襲来を軍事的に語る
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1084109929/

こっから引用
文句は軍事板にいえ。
なんなら乗り込んでこいよw
84世界@名無史さん:04/05/22 16:36
このスレには極東板、軍事板、ゴヴァ板の住民がウヨウヨいる予感
85世界@名無史さん:04/05/22 16:39
>>80
元の日本侵略の意識は強いよ。
2度の南方侵攻ルートが失敗に終わると蝦夷方面から進入しようとして
アイヌの軍勢と激戦を何度もやっているが。
そもそもジャワ遠征など海戦も何度もやっていることから考えて
モンゴル族の征服欲はすさまじいの一言。
あいつらあきらめないじゃん。
8679:04/05/22 16:52
>>81
調べてみた。確かに高麗史にも「童男女二百人」を高句麗王と妃に献上した、とあるね。
個人的には現実的に考えてこういった行為が行われたどうかは、かなり怪しいと思うが…。

>>85
事実、弘安の役以後はかなり侵略意識は強かったと思う。後年になるほど領土獲得のために兵を送っている。
この辺りになると元以前のモンゴル帝国成立当初の緻密な計画性は陰を潜めてきている。(統制が取れていない)
87山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/22 16:55
蒙古側の残虐行為についてですが、『八幡愚童訓』甲本の巻下に、弘安の役
での東路軍の行動について次のような事が記されています。
「・・・壱岐・対馬より上り、見る者をば打殺す。人民堪難て、妻子を引具し深山
へ逃入処に、赤子の泣声を聞付ても押寄ければ、片時の命も惜ければ にや、
褊愛する緑子を我と泣々害しつつ、
世の中に 最惜き物は 子也けり 其に増るは 我身也けり
と詠じける、人の愛ぞ思出らるる。」
文永の役の時には特に記されていません。また少なくともこれから6年後には
壱岐の政治機構は機能しているので、皆殺しにするほど苛烈なものであっのか
どうか。『八幡愚童訓』が書かれたのは14世紀の初めですが、中には八幡神
の威光を強調するために大袈裟に書かれたのではないかと思える節もある。
(日蓮の著作についてもこれは同じ。手に穴云々も彼の話じゃなかったかと。)
なお蒙古軍が弘安の役において農具などを持参していた事が書かれているの
も本書です。
8879:04/05/22 16:57
>>86
訂正。現実的に考えて「手のひらに穴を開け」云々、という行為が疑わしいという意味合いね。
日蓮註画讃では元服前の男子は即座に殺した、という記述も見られるが、それでは高麗史の記述と矛盾する。

>>87
その通り。私もそれが引っかかっている。明らかに行為の割には実際の損害が軽微に思えてしまう。
89世界@名無史さん:04/05/22 17:00
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/wakou.html
嫌韓厨のHPだけど、

また、元寇の時代に高麗の王世子・椹(後の忠烈王)も「惟んみるにかの日本、未だに聖化を蒙らず。故に詔を発して軍容を継耀せしめんとせば、戦艦兵糧まさに須いる所あらん。もし此事を以て臣に委ねなば」
「王師を小助せん」

とフビライを唆している。

そして、高麗軍は 「二島百姓等、男はあるいは殺あるいは虜、
女は一所に集め、手を徹、舷に結付、虜の者は一人も害さざるなし。
肥前国松浦党数百人伐虜さる。この国の百姓男女等、壱岐・対馬の如し」

(『日蓮註画讃巻第五「蒙古來」篇』)

つまり
・男は殺害、女は集められて手の平に穴を
開けられて縄を通され船縁に吊るされた。
・200人の少年少女が「強制連行」され、高麗王とその妃に献上させられる。

とあるな。嫌韓を割り引いてかんがえなきゃならんのは確かだけど


90山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/22 17:00
>>85
樺太アイヌとの衝突はまた別の問題です。当時の地理観が、現在のように日本
列島の位置や形状を正確に捉えたものであったかどうか怪しい。
当時のものが確認出来ない『行基図』を除けば、日本で日本列島の全体図が描かれ
るようになるのがこの「元寇」の後ですから。
しかもそれを参考に高麗や明で製作された地図では日本列島が南向きに描かれ
ている。当時の日本地図が西を上に描かれていたのを北を上に描かれたものと
見誤ったため。
91Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/22 17:02
>80
というか、戦争の翌年に使者送ってくる時点で、意図を疑われても仕方ないと思うんだが。
自分が勝ってればいいが、一応撃退されて負けたことになってるんだから。
そういう状況からして、まだ日本と元は戦争状態にあったと
見るべきであって、そこに使者が行って無事に帰って来れると思ってたとしたら
ちょっと元も見通しが甘いんでないかと。

会わずに斬ったのは少々まずいと思うが、使者の言葉や持参した手紙の文面次第では、
遅かれ早かれ目的を疑われて斬られても仕方ない状況だったろう。
92世界@名無史さん:04/05/22 17:02
>>87
民俗関係の本を見たときにわらべ歌や子守唄などでモンゴルの脅威を伝えた
ものがはるばる津軽まで分布しているという話を見た覚えがある。
93世界@名無史さん:04/05/22 17:05
>>90
つまりこういうことでしょうか?
モンゴルないしそれに属する大陸の諸民族の将軍や首脳陣は
樺太、蝦夷との交戦は北方からの鎌倉幕府討伐を意図した可能性は
薄く、そもそも同じ日本列島上の勢力と認識していかどうか怪しいと
いうことですか?
94山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/22 17:07
>>92
うーん、どうなんでしょうかね。何時ごろ出来た歌なのかどうか、民俗例と
して採集されたものだけからは分かりませんから。
「モクリコクリ」という妖怪の名称もあってこれを蒙古に繋げた伝承もあり
ますが、こちらも元々は無関係。
95世界@名無史さん:04/05/22 17:09
フビライってマルコポーロも知っていたように「黄金の国伝説」を聞いて
侵略を決意したんじゃないのかな
9679:04/05/22 17:12
>>91
見通しが甘いことには同意。だが元側に「敗北した」という意識があったかどうかは疑わしい。
前にも述べたように「吸収した南宋・高麗水軍を差し向けただけの小競り合い」という意識が強かったのではないかと思う。
兵を差し向けたことで態度を軟化させるという算段の下で使者を送り出したが、強硬な態度で斬って捨てられたと元の方では
受け取ったのではないだろうか。それならば弘安の役にて兵力を増強し、農耕具や種籾を積んだという記述にも頷ける。

>>92
おそらく「沙汰未練書」かと。ムクリコクリ(ムクリ=蒙古=元、コクリ=高句麗)としての記述がある。
ここから発祥したものが童歌や子守唄として流布されたのではないだろうか。
97世界@名無史さん:04/05/22 17:16
しかし吸収した敵軍を先発隊として起用し、その後に本隊を投入するのは
モンゴル帝国の常套手段だと思う。

第1次で敵戦力を図り第2次が本命だとは規定路線だったのではないか
使者切られたのは1、2次の間だし降伏を進めたのでないか
そりゃ切られると思うし、南宋や高麗からの亡命者から蒙古の手法を
執権はじめとして知悉していないとはおもえないし。
98世界@名無史さん:04/05/22 17:17
>>95
残念ながら、元は日本の内情を実に詳細に把握しているよ。噂話程度の情報を基に動いたわけではない。
使者として赴いた趙良弼が五ヶ月という期間を費やして当時の日本の地勢などを詳細に記録して本国に帰還している。
「元張百戸墓碑銘」によれば元というよりも高麗王家と、その諸軍団が熱心に日本侵攻を画策していることも分かるし。
99世界@名無史さん:04/05/22 17:23
>>98
それは2度の役以前の報告ですか?
もしそうなら、幕府の返事がどうであろうと結局は侵攻を決意して
いたのではないかと考えます。
100世界@名無史さん:04/05/22 17:25
http://jpnkiryaku.hp.infoseek.co.jp/histo2.html

(1)菅原長成が起草した返書草案を見るに、朝廷は恫喝(威圧)を感じ取っていたようである。
「兵を用いるに至っては、夫れ孰か好む所ならん」という文言は見せかけではなく、朝鮮南岸の金州に屯田兵を進駐している。
『元史』日本伝を見るに、日本側は屯田兵の存在を気にしている。異国警固番役を本格的に実施する一方で、「蒙古は攻めてくるのではないか」と蒙古使・趙良弼に言った。
だから趙良弼は、高麗へ帰った後、これら屯田兵を移転して日本を刺激しないよう進言した。
この進言は聞き入れられず、大宰府が独自に派遣した使者には「耽羅の三別抄への防備として仮に設置しただけ」と説明した。
この説明は、むろん本音ではない。耽羅は朝鮮半島の西南にあり、金州は半島の東南(つまり日本寄り)にある。三別抄の乱が鎮圧された後も、屯田兵は解散されなかった。
101山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/22 17:28
>>93
そういう事です。
>>98
二行目は『八幡愚童訓』にもある話ですね。なお文永の役の三年前、宮中の
女官たちのところへやたらと「唐人商人」たちが通っていたという記録
があります。
大食人(アラビア人)も来日していた可能性があるあの時代、深くとる
必要は無いかもしれませんが、不気味な話ではある。
もっとも既に述べさせて頂いた通り、日本側も商船から情報収集をして
いた様です。高麗に密偵を送っていたともいいますが、こちらは不確か
な話。
102世界@名無史さん:04/05/22 17:30
鎌倉竜ノ口で切られた使者の中に大食人がいたと思う。
10379:04/05/22 17:32
>>99
無論。正確には二度目の使者来訪の際。
態度をなかなか明らかにしない鎌倉幕府側に対し、高麗の者ではない使者(趙良弼)を立てて意向を窺っている。
そもそも、外交の使者を立てる時点で関心が向いているということなのだから、裏で兵を動かす算段を立てて動くのは
至極当然なことかと。ただし、幕府の返事がどうあろうとも侵攻を行う決意をしていた、というのは些か疑問だね。
その時点での元としては南宋との関係を断ち切らせることが目的なのだから。(侵攻そのものが目的ではない)

これの目的が封鎖から侵攻へと引っくり返るのが弘安の役以降。使者が斬られて面子を潰された元としては、余剰な
兵力を注ぎ込むだけの価値があると踏んだのだろう。主に高麗が算段を立て、二度目の元寇へと繋がった。
104世界@名無史さん:04/05/22 17:36
というか高麗はなんで日本侵攻をさかんに進めたのだろう。
兵を派遣させられるのは自分らなのに。
10579:04/05/22 17:44
>>104
私個人としての私見を言わせて頂けるなら、元国と日本の二面に兵を置く必要があったからではないかと。
更に日本を自領とすることで元支配からの脱却も狙えると目論んだのではないだろうか。後顧の憂いを絶つと同時に
功を立てることで、もしかしたら新たな内政基盤(侵略後の日本領)を譲り受けることが出来るかもしれない、とね。
無論、そんなことは元も承知済み。反乱の芽を生かさず殺さず放置するために本国から兵を動かさずに静観している。
つまり、支配からの脱却のために躍起になって計画を練る高麗、それを傍観している元という構図が成り立つ。
106世界@名無史さん:04/05/22 17:48
高麗の例のように服属国が積極的に他国に侵攻した例はあるんですか?
元だけでなく各ウルスで。
107ミリ屋哲 ◆4EZIX.r92I :04/05/22 22:07
そもそもみんなが口にしている「限定的侵攻」の定義自体が不明確。これをはっきりさせないと
議論がまとまらない。


軍事が政治の道具であるのは明らか、つまり軍事侵攻は政治的意図の下位に属する
のだから、限定的という言葉を使う場合にはそれが軍事分野なのか政治分野なのかを
明白にする必要がある。

軍事的な観点なら「限定的な目標に対する攻撃」といった方がより正確だろうね。その
軍事的成果をどのように運用するのか、すなわちそれにより「日本を完全に政治的に隷属
させる」のか「南宋との分断のみを目指すのか」という風に語るべき。


個人的には一回目は「限定的侵攻により政治的に隷属させる」のが目的であり、2回目は
「恒久的な実効支配により政治的に屈服させる」のが目的だと思っている。
10879:04/05/22 22:45
>>107
限定的侵攻、という言葉がスレ内で用いられたことはないが。

既に述べているように第一回目(文永の役)では当面の目的は「南宋との分断」だろうことは予想が付く。兵力的にも
本腰を入れていたとは思えず、実にアッサリと引き揚げている。(当時の日本の文献には「嵐」の文字すら出てこない)
おそらく南宋との分断が上位目的であり、その上で政治的隷属を呑ませること自体は下位目的だったのだろう。
もちろん、使者を立てて要求が呑まれれば日本・南宋分断は果たされ、無駄な兵力を費やす必要がない。断れば、
実際に脅迫の意味合いで派兵すれば良い。この辺りは実にドライでシステマティックな戦略観だと言える。

第二回目(弘安の役)では「実質的な恒久支配」が目的。ただし、元国自体は本腰は入れておらず、余剰分の高麗・
南宋兵力を主に注ぎ込んでいることから「攻め落とせれば上々、負けて元々」と考えたのではないだろうか。
元としては吸収したばかりの余剰兵力を高麗から削ぎ、反乱の機会を摘んでしまうことの方が重要なのだから。
遠海に位置する敵対勢力の兵力は、そのまま海上に封鎖する。傀儡の高麗と睨み合わせておけば良い。このような
戦略意図があったのではないかというのが、私の愚考だが如何だろうか。

何かおかしな部分があれば、是非ご指摘頂きたく。
109世界@名無史さん:04/05/22 23:24
しかし日本も情勢次第では、朝廷が幕府に対抗するためにモンゴルと結びつくみたいな
高麗と同じようなパターンになってたかも知れんな。
110ミリ屋哲 ◆4EZIX.r92I :04/05/22 23:29
>108
時間がないので手短に。

一点目
そのものズバリの言葉では使っていないが、内容的には明らかにその事を
指しているので{限定的侵攻」という言葉を使った。

二点目
戦争開始の意志決定において何が重要な要素だったかを推定だけで導き
出すのは危険。というか、推定すること自体はかまわないが、それを基に
下位構造を考察すると視野がゆがむ。

三点目
兵力的に本腰を入れていない、と考察した意図が不明。史実上・文献上で
元が侵攻に失敗したこと、1回目においては兵站上の問題が表面化した
ことはほぼ事実と考えられるが、それが「予定通り」なのか「予定が狂った」
のかを判断する材料は無い。

四点目
政治的な目標を達成するために、具体的には「どの程度の軍事的成果が必要」
だったのか、そこが抜けると話が大きく狂うもととなる。
111山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/23 09:19
>109
それは無いでしょう。天皇は外国人と直接対面してはならないという醍醐天皇
以来の禁忌が存在した上、貴族たちの間には摂関期以来、外国人に対する根
強 い忌避感が存在していましたから。
刀伊の入寇のあった頃から、外国へ行く事・外国から来る事自体を嫌っていたよ
うです。支那相手には対等であろうとする、それ以外の文化圏に対しては対等以
上であろうとする感覚が強くあった。
なお面白いのは、『八幡愚童訓』甲本に「蒙古は犬の子孫、日本は神の末裔、な
んで敗れる事があろうか」と書いてある事。蒼き狼云々の話を連想させます。
余談ながら、ここでいう神とは本地垂迹説に基づいた中世の仏教的な明神の事
で、純粋な「神道」の神ではありません。
それでも神々の子孫であるという事が、天皇家や藤原氏の権威を支えていた事
は間違いありませんが。
112世界@名無史さん:04/05/23 10:52
>>101
元朝前後では「大食人」という言葉はアラブ系とイラン系の両方使われてたんでしょうか?

中国でのムスリムの活動圏は大きく分けると華北と華南方面の海岸部の二つに分かれますが、
もし華北方面で「大食人」というのであれば、9割以上の確率でホラーサーンやマーワラーアンナフル方面のイラン系ムスリムだそうですね。

と、いうのも当時10世紀くらいからメソポタミア以東の東方イスラーム世界で、「ターズィークorタージーク」と言った場合、
おおよそイラン・中央アジアのペルシア語を話す都市住民たちのことを指していたようですので。
113山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/23 11:10
>>112
まず江南方面からの渡来でしょう。鎌倉の大食僧(仏教)のために庭園を整備
した。さぞかしお喜びになられる事であろう・・・という記録があります。
蘭渓道隆や無学祖元については今更申し上げるまでもありますまい。
114世界@名無史さん:04/05/23 11:24
>>106
モンゴル政権において対外侵攻は、ウルスの頂点であるモンゴル王家のみならずウルス全体の経営に関わるため、
王家主宰のクリルタイ(全族総会)やトイ(宴会)でその指針や詳細が決定されるのが常でした。
なので、モンゴル帝国or大元朝の属国であった高麗が、皇帝クビライや東方諸王家の認可無しに独断で他領土を侵攻する、
という話は、皇帝クビライを頂点とするをモンゴル王家の権威を大きく損ねることになるので、にわかには首肯しがたいところです。

大元朝の属国支配がどうだったかは中国史が専門ではないので、全く存じ上げませんが、
少なくともチンギス・ハン以来の中央アジアのモンゴル支配をみると、
散発的な劫掠活動とは違う、他領土侵攻という国家の大事をクリルタイ無しで決行されることはまず考えられません。

115世界@名無史さん:04/05/23 12:09
元寇の兵士ってほとんど中国人か朝鮮人だろ
116世界@名無史さん:04/05/23 12:48
蒙古襲来を軍事的に語る
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1084109929/


23 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:21 ID:???
>>20
対馬での虐殺を知らないとはソートーな馬鹿だなw


24 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:22 ID:???
うん馬鹿だからわかるように教えてくれたまえ。


25 名前:赤色大元帥 投稿日:04/05/09 23:22 ID:???
モンゴルは敵対する勢力には容赦ないですからな・・・。


30 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:25 ID:???
ねだあかあらあソースはああ??


32 名前:赤色大元帥 投稿日:04/05/09 23:28 ID:???
>>30
有名な話ですよ、文章しか無いけど、ググればすぐに見つかります。
たとえば、こことか。

ttp://www1.cts.ne.jp/〜fleet7/Museum/Muse036.html
ttp://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/genkou/
117世界@名無史さん:04/05/23 12:48
>>113
レスどうもです。なるほど、江南も泉州でホラズム・シャー朝の親族の墓碑が発見されてますから
「大食」というだけではアラブ系かイラン系かはちょっとわかりませんね。

モンゴル帝国歴代のムスリム勢力は、例えば財務長官アフマドとか雲南のサイイド・アジャッル・ブハーリーのような
ホラーサーン・マーワラーアンナフル出身のイラン系勢力が主体でしたので、「大食」
がどのような所の出身の人物だったかは気になります。

禅僧の招聘問題ですが、金朝や大元朝への留学僧を考えると
ウイグル王国や金朝でわずかにソグド系の末裔が仏教信仰を保持していたらしいので、
鎌倉にやってきたことで有名なその大食僧も、あるいは江南ではなくてウイグル王国か金朝の出身だったかもしれません。憶測ですが(w
118世界@名無史さん:04/05/23 12:50
71 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/05/22 15:08
基本的に史書も読まずにイメージだけで語る人が多いからね。

83 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/05/22 16:33
蒙古襲来を軍事的に語る
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1084109929/

こっから引用
文句は軍事板にいえ。
なんなら乗り込んでこいよw
119世界@名無史さん:04/05/23 12:52
87 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 投稿日:04/05/22 16:55
蒙古側の残虐行為についてですが、『八幡愚童訓』甲本の巻下に、弘安の役
での東路軍の行動について次のような事が記されています。
「・・・壱岐・対馬より上り、見る者をば打殺す。人民堪難て、妻子を引具し深山
へ逃入処に、赤子の泣声を聞付ても押寄ければ、片時の命も惜ければ にや、
褊愛する緑子を我と泣々害しつつ、
世の中に 最惜き物は 子也けり 其に増るは 我身也けり
と詠じける、人の愛ぞ思出らるる。」
文永の役の時には特に記されていません。また少なくともこれから6年後には
壱岐の政治機構は機能しているので、皆殺しにするほど苛烈なものであっのか
どうか。『八幡愚童訓』が書かれたのは14世紀の初めですが、中には八幡神
の威光を強調するために大袈裟に書かれたのではないかと思える節もある。
(日蓮の著作についてもこれは同じ。手に穴云々も彼の話じゃなかったかと。)
なお蒙古軍が弘安の役において農具などを持参していた事が書かれているの
も本書です。

プッ山野の一言で全面否定されてやんの。
軍事板ってたいしたことないのー
なぁーにが
32 名前:赤色大元帥 投稿日:04/05/09 23:28 ID:???
>>30
有名な話ですよ、文章しか無いけど、ググればすぐに見つかります。
たとえば、こことか。

だ。
バカジャネーノ?
120世界@名無史さん:04/05/23 12:54
34 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:30 ID:???
ソース厨瞬殺だなw


35 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:34 ID:???
ねっねっもっと信憑性のあるソースないの?

ソース厨とやらでてこいや〜
このスレもみてんだろ。オラオラ
121山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/23 12:58
>>117
ただ当時華北との交易がどの程度まで存在したのかという気はします。
出羽などを中心に行われていた可能性が高い(ガラス玉などが出土している)
ですが、承久の乱の翌々年に漂着した高麗船から押収された札が何かは幕府
には分かりませんでした。
最近になって大陸で『吾妻鏡』に描かれていたものと同じものが出土して判明し
たところによれ、遼や金が発行していた通行許可証であったらしい。
高麗や南宋との交易はともかく、北東アジア方面とはほとんど縁が無かった
ようです。勿論江南に移住したイラン系だったのかもしれませんが。
ところで、
>金朝や大元朝への留学僧を考えると
金朝への留学僧というのはどんな人々がいたのでしょうか。どうも宋へ渡っ
た人ばかりが思い浮かんでしまって・・・。
122山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/23 13:07
>119を見て
日蓮の記述についてですが、彼も「国難」について述べていた以上、大袈裟
な記録を残している可能性はかなり高いと言えます。真言律宗の忍性らを批
判する余り、「人肉を食べている」とまで言っていましたから。
(でもあの時代における日蓮の思想までを否定する気にはなれないんですけ
どね。自らを「海人の子」と称して庶民の間に分け入った気概もあった。)
彼の予想では経典に説かれていた通り、誤った仏法を奉じていた日本を国難
が襲い、土壇場で『法華経』を奉じる事でそれから救われる筈でした。
ところが元軍は予想していたよりも遥かにあっさり撤退してしまい、しかも
弘安の役における「神風」を吹かせたのは自分が否定していた叡尊の功績だ
という風評も立ち、かなり耐え難いものがあったらしい。
そんな訳でこれより後、日蓮にとって「元寇」は「黒歴史」化してしまって
いたようです。
清水義範氏の小説に、「神風の吹かなかった未来の日本の日蓮宗信者が元寇
を起こさせて勢力拡大を図る(どうも正宗ではなく某学会くさいのですが)」
という話がありましたが、どちらにせよ無駄でしたね。
123世界@名無史さん:04/05/23 13:19
>>115
モンゴル政権では、軍事行動の最終決定権は、そのウルスを束ねるモンゴル王家の首長(ハン)が保持しています。
「元寇」の名にあるように、「文永の役」も「弘安の役」もモンゴル皇帝(カアン)クビライの聖勅(ヤルリグ)の発令に基づいたもので、
その顛末は『元史』の記述通り大元朝の首長でありかつモンゴル皇帝であるクビライの命令によるもので、
二つの戦役は少なくともトルイ王家の所領を相続したと主張する皇帝クビライの正統的な行為です。

チンギス・ハン以来の中央アジア戦役の例からも分かる通り、征服地で接収されたあらゆる軍事力は、基本的に征服にあたったモンゴル王家の首長に統帥権がありますから、
動員された人員が中国系であっても朝鮮系であっても、その動員&派遣命令を出した人物で最終的な発令者はクビライ以外ありません。
124世界@名無史さん:04/05/23 13:53
>>121
中国史が専門でないので全くの又聞きになって申し訳ないですが、
河南の少林寺を始めとする華北の禅寺にも、遼金時代に直接・あるいは南宋経由で留学僧が往還していたらしいと聞いたことがあります。

特に少林寺は皇帝モンケ以降、大元朝のクビライ以下モンゴル皇帝の多大な後援を受けたようで、
華北の禅寺への留学はモンゴル時代以降飛躍的に伸びたらしいと。

ただ、遼金時代史じたいがまだ未解明なものが多くて、留学僧の旅行記の類で遼金時代にも禅寺を中心に華北へ人が行っていたらしいことがわかった程度だそうです。

華北には他に浄土教の祖地・玄中寺などがあるので、そちらのほうもあったやに聞くのですが・・・
遼金史か中世仏教史に詳しい方詳細を請う、な状態です(汗
125世界@名無史さん:04/05/23 16:43
>>108
文永の役は「南宋との分断」との説に疑問を感じます。
南宋の孤立を目的とするならば、フビライの南宋再侵攻の前、1268年以前に文永の役
をしなければ、分断の効果が南宋侵攻に生かされないと考えます。文永の役(1274年)の時点で主要な
軍事・交通の要衝襄陽・はん城は既に陥落してます。その後南宋は戦意の低下から自壊し始めています。
軍事的には「征服の目途」が付いた状態で「南宋との分断」などという目的の軍事行動を起こすでしょうか?
先のモンケの時代の南宋侵攻は完全な南宋包囲を行ってます。それに比較するとフビライは先の
ような包囲を取ってはいません。その様な策を取らなくても軍事的には充分制圧可能と、
判断したからではないでしょうか?これは言い換えれば「南宋は弱い」とフビライが認識
している事を意味します。
「南宋との分断」という目的の軍事行動を取るとしたら、政治・軍事的効果から考えると
南宋侵攻の前段階において日本侵攻を行い南宋の孤立感を高め、抗戦意思を挫く。
軍事的には海路による侵攻を南宋に印象付け、襄陽方面への兵力の集中・増援を妨げる。
と考える方が目的に沿った行動ではないでしょうか?
126世界@名無史さん:04/05/23 16:50
横レスだけど、南宋の孤立化って相当入念にやっているね。
フビライがカーンになる以前。モンケ時代から大理国を滅ぼして
周辺から外堀埋めていることも考慮するべきかと。
127世界@名無史さん:04/05/23 16:50
あと南詔国。
128山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/23 18:35
>>124
成る程、ありがとうございます。一応中世仏教史もやっているつもりだった
のですが、何せ普段調べている事とは勝手が違いまして・・・。
129世界@名無史さん:04/05/23 22:41
>>126
大理国は友好国ではなかったかえ?
130世界@名無史さん:04/05/24 01:03
131世界@名無史さん:04/05/24 03:21
板移転に気が付くのが遅れて申し訳ない。

>>125
・軍事的には「征服の目途」が付いた状態で「南宋との分断」などという目的の軍事行為を起こしたのは何故か
・南宋と日本を分断するならば南宋侵攻以前に文永の役を起こした方が有利・戦略的価値も高いではないか
貴方の指摘は大いに頷ける部分が多い。実に卓越した指摘だ。
しかし、これらの指摘点に対する反証も挙げることは出来る。

1273年に襄陽・ハン城陥落後、フビライは一年をかけて南宋への全面侵攻を計画している。
同年、ヒンドゥを総司令官とする高麗駐留モンゴル軍団が諸隊を展開・動員して耽羅を攻撃、敵対する三別抄
撃滅を果たして朝鮮半島の周辺海域全域を手中に収めることに成功している。
耽羅は日本・南宋両面への玄関口であると同時に、中央部には高原状の草原が広がる地勢を有した絶好の
放牧地を有する。海上軍事拠点には格好の地勢とも言えるね。
このとき、モンゴル進駐軍は半島の西南海上に点々と連なる黒山諸島に調査船を幾度も送っていることにも
注目しなければならない。無論、日本遠征に対する探査の意味合いもあったろうが、諸島を経由して南下を
果たせば直ちに南宋の心臓部、長江下流域に到達することも出来ることも見逃せない事実だ。

つまり、前者の指摘に対しては「威力偵察を行うだけで南宋の退路を断つことが出来る」。後者の指摘には、
「対日本・対南宋を同時進行で戦略を進めていたため」と反証を立てることも可能。南宋軍の海上展開を防ぐ
目的を達成すれば良いだけであり、日本に執着して海軍力と海上支配権を失う危険を冒す必要はない。
無論、同時期に日本に兵を送ることで南宋の孤立感を煽り抗戦意思を挫くという課題目標も達せられる。

以上が私の見解であるが、如何だろうか。
132世界@名無史さん:04/05/24 10:56
>>87
>また少なくともこれから6年後には
壱岐の政治機構は機能しているので、

『八幡愚童訓』甲本とは、日本思想大系所収の菊大路本のことでしょうか。


(文明本と並んで古い伝本に属する)『八幡愚童記』正応本には、以下のようにあります。

--↓引用

また弘安四年。五月二十一日。蒙古の賊船おそひ来たる。
こたひは蒙古大唐高麗以下国々の兵を駆具して。凡三千余艘の大船に。十七八万の大衆のりつれてそ来ける。
其中に高麗の兵船四五百艘。
壱岐対馬より上りて。見かくる者を打ころしらうせき(狼藉)す。
国民ささへかねて。妻子を引具し深山に逃かくれにけり。
さるに赤子の泣こゑを聞つけて。捜りもとめて捕けり。
さりけれは片時の命ををしむ世のならひ。愛する児をさしころして。にけ隠れするあさましきありさまなり。
此高麗の賊捕へきはととりて。宗像の沖にこきよす。
蒙古大唐の船ともは対馬にはよらず壱岐島につく。されともらうせき(狼藉)はせす。

--↑ここまで
正応本を見る限り、壱岐では苛烈な残虐行為は行われなかったようです。
133世界@名無史さん:04/05/24 15:25
モンゴルといえば1930年代にブリヤート人を日本のスパイとして
大虐殺したらしい。
モンゴルの文学者エルデネがその事件を小説にしているそうだ。
134世界@名無史さん:04/05/24 16:07
>>133
1930年〜40年代にかけてスターリン政権下において、非常に風貌が日本人に似ているブリヤート人は
「日本のスパイ」という嫌疑をかけられ、数万人単位で当時のソビエト連邦に連行・殺害されているね。
1991年、彼らはブリヤート共和国として独立を果たし、翌1993年以降から当時の事件に関して口を開く
人々が増えてきたという背景がある。
135134:04/05/24 16:09
失礼、訂正させて頂きたい。正確には1920年代〜1940年代の出来事であったとされている。
136世界@名無史さん:04/05/24 16:17
ギネス災害記録によると、人類史上最大の大量虐殺は

モンゴル人による中国農民虐殺(1311-40)で約3500万人だとか。

大量破壊兵器もなかった時代によくも殺したものである。
137世界@名無史さん:04/05/24 16:29
>>136
中国史書の記録かな。いずれにせよインチキ臭い。
138世界@名無史さん:04/05/24 16:31
>>136-137
ttp://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199608.html

これだね。他の資料で確認されない記録も含んでいるから正確な数字だから。
最も多い数字(誇張記述の疑いがある資料でも可)を採用した場合の数字です。
(他の史書と照らし合わして確認可能な数字だと、おそらく数字は激減するかと)
139世界@名無史さん:04/05/24 16:32
>>134
チンギスハーンを称えたモンゴル政府高官がソ連に連行されて
処刑された事件があった記憶があるが、だれだったっけ?
140世界@名無史さん:04/05/24 16:33
×他の資料で確認されない記録も含んでいるから正確な数字だから。
○他の資料で確認されない記録も含んでいる不正確な数字だから。

申し訳ない、訂正させて下さい。(さっきから何やってんだ、俺…)
141世界@名無史さん:04/05/24 16:44
フォーマルな場でないしカナ表記や細かな日本語表記のミスは
スルーで良いと思うが。
自由な発言が2chの持ち味だし、匿名掲示板だから気軽に書き込め。140よ。
142世界@名無史さん:04/05/24 16:45
>>139
その事件そのものに関して残念ながら私は分からないが、当時の状況を物語るものとして次のような
ページもあるので、ご参考までにどうぞ。
公の場、或いは私的の場であってもチンギスカーンの名は口にしただけで反革命政治犯として連行、
処刑されるのが常だった。少なくとも当時は「独立したモンゴル政府」は存在していない以上、高位の
地位にあった者であっても処罰対象とされていたらしい。(多少信頼性に欠ける点はご容赦願いたい)

http://tanakanews.com/a0720mongolia.htm

>>141
そう言って頂けると助かります。ありがとう。
143世界@名無史さん:04/05/24 16:47
ttp://tanakanews.com/a0720mongolia.htm

挙句の果てに直リンしてるし…。もうだめぽ _no
144世界@名無史さん:04/05/24 18:36
> 1991年、彼らはブリヤート共和国として独立を果たし、翌1993年以降から当時の事件に関して口を開く
> 人々が増えてきたという背景がある。

独立してねーよ。あくまでロシア内の自治共和国。
というかブリヤート人はソ連、モンゴル人民共和国、内モンゴルの三地域にまたがって住んでいたけど
南に行った人たちはソ連に戻ったの?
145山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/24 19:36
>>132
そうそう、日本思想大系本です。名称について説明不足・・・といっても気にする人
はあまりいらっしゃらないでしょうが。ところで正応本は何を参考に?
146世界@名無史さん:04/05/24 20:10
参照サイトが田中ウッ かよ!
147125:04/05/24 22:42
>>131丁寧なレス有難う御座います。

高麗の状況により、1273年以前の日本侵攻は不可能なのは確かです。(屯田などの準備はしてます)また、それ以降
「海路が開けた」事も確かです。同時に南宋攻略の選択肢の中に日本侵攻がないという事が出来ます。先にも書きましたが
南宋攻略は高麗の完全平定より以前のことであり、南宋攻略の要素に高麗平定の結果としての、「軍事的に可能な事」を組み込むとは
考えにくいです。
同時に、「軍事的に可能な事」を南宋攻略に反映させようと考えた場合、文永の役は早すぎると考えられるのです。
政治的な効果を考えたら、1276年以降首都臨安開城以降が最も効果が上がる時と考えます。逃亡中の人間は常に
逃亡先を探しています。首都を負われた宋朝に逃亡先はないという現実を示し、止めを刺すという効果を考えるからです。
現実的に宋朝や遺臣が日本に逃げ込んだとしても、元側は対日侵攻の大儀(チンギスの高麗侵攻の再演)を得るし、
日本側の抗戦意思を低下させる又は日本内部に分裂抗争も可能であろう。(日本侵攻は「征服ではなく南宋討伐」であるとした場合
史実の様な戦意はあっただろうか?)
多分に現代的な感覚が入っていますが、モンゴルの用意周到な征服政策から充分考えられると思います。
148132:04/05/24 23:16
>>145
>ところで正応本は何を参考に?
『伏敵編』です。

あと、訂正。
壱岐でも、残虐な行為はありました。
ただ、
・その主体は高麗軍
・皆殺しでは無さそうだ
と考えられます。

以下に『八幡大菩薩愚童訓』にて最も古い写本であると思われる、筑紫本の当該箇所を引用します。
福岡県立図書館に行けば、原本の複製を見ることが出来ます。

例によって、高麗軍と蒙古大唐軍の行動を別々に書いています。

--↓引用
弘安四年之夏ノ此蒙古大唐高麗己下之国々共之兵駆具シテ三千余艘ニ数千(ママ)万人乗ツレテ来ケリ
其中ニ高麗之丘(ママ)船五百艘者壱岐対馬ヨリ上テ見合者ヲ打殺ス
人民絶エネテ妻子ヲ引具深山ヘ逃篭処ニ赤子之位(ママ)音ヲ聞付テ押寄テ殺ケル程ニ片時之命モ惜ケレハ差モ愛スル緑子ヲ指殺テソ隠ケル
子ヲ失テ親計何マテ可有命ソト我身ナカラモウタテ敷泣歎心ノ中ソ無為方
在歌ニモ
・・・(以下略)・・・
高麗之舟者宗像ノ崎ニ寄
蒙古大唐之舟者対馬ニハ不寄壱岐之嶋ニ着
--ここまで

後世の写本ほど整理されていないため、読みにくいです。異体字は、修正させて頂きました。
149山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/25 00:07
>>148
ご丁寧にどうも。有難う御座いました。
>『伏敵編』です。
また懐かしい(?)。
>・その主体は高麗軍
>・皆殺しでは無さそうだ
>と考えられます。
やはりそうなるでしょうね。日蓮の書いたような内容が一人歩きした感がある。
そもそも最初に皆殺しにされていれば、弘安の役でやられていない。
150世界@名無史さん:04/05/25 00:52
>>145
いえ、日本側の史書に関しては大変疎いため、非常にありがたく参考にさせて頂いております。

>>146
だから「信頼性に欠ける点はご容赦願いたい」と明言しているわけなのですが。

>>147
卓見です。ただ「南宋の遺臣が日本に逃げ込めば対日本侵攻の大儀、云々」の件は考えにくいことでもあります。
それでは吸収以後の南宋水軍を用いることに非常に大きな支障が出かねません。(爆弾を抱えてしまうようなものです)
また文永の役に関しても、私としては非常に時期を掴んでいた行為であったとも思います。海上展開及び既に展開する
前線への兵力増強という「実際に交戦中である」南宋側の選択肢を狭める効力を持つ、と愚考する次第です。
151世界@名無史さん:04/05/25 10:23
ここはいつから元寇スレになったの?
チンギスハーンのスレでしょ。
フビライは関係ない。
152世界@名無史さん:04/05/25 11:56
>>151
ではチンギス・ハンに関連するネタ振りをどうぞ。
153世界@名無史さん:04/05/25 13:33
っていうかおもろろければ何でもいい。
154125:04/05/25 22:35
>>150
南宋の遺臣という書き込みは、私自身現実的な選択肢とは考えてません。
政治的な効果、予測される選択肢の一つという事で南宋側の選択可能な選択肢ではありません。

>>それでは吸収以後の南宋水軍を用いることに非常に大きな支障が出かねません。(爆弾を抱えてしまうようなものです)

あまり重要ではないと思います。宋朝を滅ぼす為に南宋の降将が活躍したのですが?
南宋降兵の問題は元の支配に反抗する可能性であり、朝廷に対する忠誠心ではありません。

色々書き込みましたが、文永の役を南宋攻略の視点で考え過ぎではと思います。
結論を先に言いますが、日本攻略、南宋攻略は別個の政策であり、文永の役は日本攻略の計画の中で
計画され、その結果発生するであろう効果を南宋攻略に利用しようとしたもの
(日本攻略に南宋攻略が相乗りしたもの)と考えてます。
155世界@名無史さん:04/05/26 01:48
>>114
モンゴル主体で本格的に遠征するつもりなら、
ヨーロッパ、アラブ遠征のように王族を立てて攻撃するはずだから、
本来は言い出した高麗が主体となり、
蒙古兵は目付け程度の役割だったのかもしれない。
それでも数の上では圧倒的に少ないはずの蒙古兵が特記されているから、
高麗兵の後ろで眺めるなどというのでなく、
リスクの高い戦闘で高麗兵の先頭に立って戦っていたのは確かかもしれない。
日本兵との戦いで勇敢だったのは蒙古兵であり、
森に覆われた深山に隠れる女子供に対して勇猛だったのは高麗兵だった、
とまで言ってしまえば、流石に意地悪くなるけれど。
156世界@名無史さん:04/05/26 07:39
>>155
それは実際の戦場での指揮権(下位権限)のお話かと。
>>114で論じられているのは戦略指揮権限(上位権限)。
157世界@名無史さん:04/05/26 21:26
モンゴル話NHKでやっとるのーあげ
158世界@名無史さん:04/05/28 10:49
>>155
確か武士の弓矢で射られて負傷した司令官もモンゴル人だったような。
相変わらず半島の民族はサボタージュばっかりだね。
159山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/28 10:55
>>158
劉復亨は漢人。レッテル貼りの前に確認なさるべきでしょう。
お調べになられるような方なら、はじめからレッテル貼りはなさらないかも
しれませんが。
160世界@名無史さん:04/05/28 11:07
161世界@名無史さん:04/05/28 11:18
嫌韓厨が山野の一撃で沈んだか
グッジョブ!
162世界@名無史さん:04/05/28 12:19
>>159
漢人ですか。
どちらにしろ半島の民族じゃないね。
16379,134:04/05/28 13:18
>>154
遅レス失礼。

なるほど。確かに私は南宋攻略に付随する戦略として文永の役を捉えすぎているのかもしれませんね。
鋭い指摘をありがとうございます。日本・南宋双方の戦略は別ラインで同時進行していたという点には同意します。
確かに、結果的に生じるメリットを考慮した上で双方の戦略に生かすということは至極当然な考え方ですから。

>>山野氏
いつもながら的確なレスですね。
164世界@名無史さん:04/05/29 06:15
モンゴル兵も勿論そうだが、華北の兵は大体が泳ぐ事すら出来ない人も多い。
これはつい最近でもそう。
なおかつ対馬壱岐を含め、温帯、熱帯の島は樹木に覆われ、
特に日本のような島嶼ではリアス式に入江が存在する。
早い話が土地勘が無ければ全滅といわれるほどの被害は与えられない。
戦後に展開した事も考え合わせるなら、
どんなことが展開したかは大体、想像が出来る。
当時の兵というのは、一般人に武器を持たせたのと変わらない。
最後の最後で、信頼していた隣人に家族を皆殺しにされた人達の無念は、
推し量られて余りある。
165世界@名無史さん:04/05/29 06:19
今現在の状況にも通じるから、
差別を誘発しない為に、余り事実は推測しない方が良いんだろうけれど。
166世界@名無史さん:04/05/29 19:24
キルギス族との関わりを教えてください。
167世界@名無史さん:04/05/31 08:07
北方の騎馬民族モンゴルは、やはり「南方」「水」「船」とは相性悪いのかね。
元寇は言わずもがな、ベトナムでは干満の差を利用した作戦に引っかかって惨敗、
ジャワを攻めたときは現地の政争に巻き込まれ、いいようにあしらわれた。

船の戦で勝ったといえば、南宋を滅ぼした涯山の戦くらいか?
168世界@名無史さん:04/05/31 18:00
店員「おまいらいらっしゃい。まず飲み物を注文しる!」
客A「ビールキボンヌ」
店員「おk」
客B「漏れもビール」
店員「ガイシュツです」
客A「氏ね」
客B「オマエモナー」
店員「食べ物も注文しる!」
客A「時価のアワビ姿焼きとか言ってみるテスト」
店員&客B「ネ申!!」
客B「ここでアワビはなかなか行けない罠」
店員「オマイは本当にアワビが食べたいのかと小一時間(ry」
客B「唐age」
店員「age厨UZEEEEEEEEEEEE!!」
客A「客Bは放置の方向でおながいします」
客B「串age」
客A「↑氏ね」
店員「リアルで氏ね」
169世界@名無史さん:04/05/31 22:28
>>166
現在のクルグズスタンのKïrgïzのことで?
それともチンギス・ハンの頃との関わりでのقرقيزのこと?
170世界@名無史さん:04/05/31 23:23
チンギスハーンの頃のキルギスと今のキルギスと同一でしょ?
171世界@名無史さん:04/06/01 04:15
>>170
そーでも無いらしい。
172世界@名無史さん:04/06/01 11:35
ジンギス・カーン-Ghengis Khan-ね。
正しい発音もできんのかうぬらは!
173世界@名無史さん:04/06/01 13:16
日本の征服が出来なかったのは馬で上陸しなかったからではないか
いままでは馬を使って侵略していたのに勝手が違ってアリャという感じではなかったのか
南宋がへたれとか風雨が強くてなんていうのは付け足しの説に過ぎない
その後のチャンパー、シュリヴィジャヤでも失敗しているし
174世界@名無史さん:04/06/01 14:09
河馬で上陸すればよかったのにね。
水陸両用形でエースナンバーは河馬を赤く塗って通常の3倍早く動く河馬
175世界@名無史さん:04/06/01 17:19
>>174
赤兎河馬ですか?
176世界@名無史さん:04/06/01 18:49
>>173
上陸するスペースが予想以上に足りなかった、というのが正解かと思われます。
少なくとも現在の土嚢跡を参考にする限り、大軍を展開するだけの余裕があったとは考えられません。
また、海上戦を想定していたとするならば飼育する手間とコストをかけて船舶に搭乗させるかどうか…。
あくまで局地戦を考えていたのではないでしょうか。拠点を押さえることが成功してから後詰めで騎馬を
送り込むくらいのことは考慮していたかと思います。
177世界@名無史さん:04/06/01 19:28
>>173
重箱の隅をつつくようなレスで心苦しいが念のため確認。
>その後のチャンパー、シュリヴィジャヤでも失敗しているし

シュリーヴィジャヤではなく、ジャワ(シンガサリ→マジャパヒト)ではないかと。
178世界@名無史さん:04/06/01 19:43
赤兎河馬イイ(・A・)!
179世界@名無史さん:04/06/02 04:05
>>172
ハーン。カン。カーン。汗。どれでも正解。
元々の発音に似た語句を当てたものなので「実際にどのように発音されていたのか」を窺い知ることは
出来ない。(もしかしてハンまで名前の一部だと思っているクチかな?)
180世界@名無史さん:04/06/02 16:39
トルコ系が「ハン」でモンゴル系が「カン」かと思ってた>発音
181世界@名無史さん:04/06/02 23:10
たまに英語の文献でxanとか表記してる人いない?
キリル文字のkhと間違えてるんだろうか。
182世界@名無史さん:04/06/03 05:46
>>181
xanもkhanもどちらもخの字をどう翻字の問題で、どちらも研究者ごとにそれぞれ使われていてまだ、統一された翻字がされていない。
でもkhanの方を使う研究者がやや多い感じ。岩波や平凡社の辞書はこっちを使ってる。

この時の[x]はラテン語とかの/ks/ではなくてギリシア語とかロシア語とかの/x/の発音に近いので一文字で表すためにこの[x]が使われてるみたい。

他にも、غ ، ش، ژ، ذ ، چ ،ثを
それぞれth,ch,dh,zh,sh,ghと、t_,č,d_,ž,š,ġという翻字の仕方がある。
183世界@名無史さん:04/06/03 10:47
小澤重男さんは「カハン」とやってたと思う。
指導教授によってA氏は「ハーン」とやるとペケ、B氏は「カン」だけしか認めないなど
ゼミ生は苦労してるとか。
184世界@名無史さん:04/06/03 12:13
他にもオゴタイ・オゴテイ・オゴデイ。ジュチ・ジョチ。スブタイ・スベテイ…などなど。
表記は研究者に依存するので「どれが正解か」と聞かれれば「どれも正解」としか言えないね。
まぁ、彼らにとっての関心事は名前の発音・表記ではなく、誰が何をしたのか、だから特に問題はないが。
185世界@名無史さん:04/06/03 15:08
窩闊台、朮赤、 速不台
186世界@名無史さん:04/06/04 02:07
http://myblast.blogtribe.org/entry-8d3e39bc48721e31d42bf7e6c6069c8e.html

295 :世界@名無史さん :02/02/17 13:33
東方見聞録に出てくるアフメッドの親族。

フビライの治世時、華南辺りを牛耳ってた大臣が色目人の彼だった。
「ムスリム以外は人間じゃないから何やってもええんじゃ〜」
とばかりに悪逆非道を重ねた末に暗殺されてしまった。

その因果関係を知ったフビライ、
「そんなに金銀財宝がすきなら恵んでやろうじゃね〜か!」
と彼の親族とアフメッドがあこぎに貯めた金銀財宝をいっしょに
閉じ込めて水食料一切渡さないという刑を行った。

中でどういう阿鼻叫喚があったかはさすがのマルコポーロも
書いてはいない。

187世界@名無史さん:04/06/12 16:01
188世界@名無史さん:04/06/12 18:35
>>139
>>チンギスハーンを称えたモンゴル政府高官がソ連に連行されて
>.処刑された事件があった記憶があるが、だれだったっけ?
一人じゃないと思う。
A.Amar というモンゴルの首相が「モンゴル歴史」という本書いたので、モンゴルからソ連に招待されそこで処刑された。
D.Dendenというもう一人の首相はスターリンにモンゴルは独立国家と言ったこと、モンゴル人の資本を増加させる政策取ったのでソ連がまた招待して処刑された
そのほかにDemidという軍最高幹部を毒で殺してモンゴル右派全員殺害したんだ。
189世界@名無史さん:04/06/12 19:07
修正
>>188
dDenden=D.Genden
190世界@名無史さん:04/06/12 19:32
全員・・・?
191世界@名無史さん:04/06/13 03:35
そうほぼ全員、総3万7千人が処刑された。
192世界@名無史さん:04/06/13 03:53
>>183
Haanあるいはハガンはモンゴル語で皇帝の意味表し、khanは王の意味を表す。
モンゴルのハガン=ハーンは32人居るの対しkhanは数多く存在していた。例えばAltan khanハガンではなかったので全モンゴル統治出来なかった。
ズーンガル王国の王Galdanもハガンではなくkhanだった。最後のハガンLigdenkhaanであり、それ以降ハガンは存在しなくなった。最後のハルハの4人のkhan(zasagt khan,tsesten han,sain noyon han,tusheet han)1924年まで居た。
その他内モンゴルに日本で徳王で有名なDemchigdonrovハンいた。
193世界@名無史さん:04/06/13 20:42
>>183
もう少し補足すると、小澤先生がチンギス・ハンのことをチンギス・「カハン」と書いてるのは、
四部叢刊本の『元朝秘史』に「成吉思合罕」とかかれていて、これをqaGanと音訳されてるためです。
このGは普通のガ行とかのg音ではなくてアラビア語やペルシア語などのغghainに近い音で、
トルコ語のğと同じく当時から軟音化していたらしい。

ただ、それまでの「カン」とか「ハン」とを差別化した所謂「モンゴル皇帝」として「カアン」と称したのは皇帝オゴダイとモンケからなので、
チンギス・ハンのことを「チンギス・カアン」と書くのはちょっと早計すぎるきらいがあるかと。


西方のジョチ家やチャガタイ家やフレグ家といった中央アジア・イランでは自分たちモンゴル君主のことを
خان khān「ハーンorハン」と称し、モンゴル本土の大元朝などのモンゴル皇帝をقاآن qā'ān「カーアーンorカアン」と呼んで明確に差別化しています。
194世界@名無史さん:04/06/13 22:00
>>193の続き

モンゴル皇帝をqa'an「カアン」と称するようになったのは二代目のオゴデイからで、
これは普通の王とか君主の意味だったテュルク語系(ウイグル語など)のkhan「ハン」やモンゴル語のqan「カン」とは別に
それらの上に立つ「皇帝」としての称号を古代の突厥の可汗号をオゴデイが自らの称号として復活させたものだと言われています。

オゴデイの後を継いだ三代目のグユクは「カアン」号はオゴデイの占有と見なしていたのか、
自らは、チンギス・ハンや西方のバトゥなどと同じように「ハーンorハン」もしくは「カン」と称していたようです。
その証拠は、グユクがローマ教皇インノケンティウス4世に宛てたペルシア語の勅状に、冒頭でخان يرلغمز khān yarluγmïz「ハンの勅」と言っており、
本文ではچنگيز خان و قاان
Chingīz khān va Qā'ān「チンギス・ハンとカアン」と呼んでいるのがそれにあたります。

モンケが、グユクが使わなかった「カアン」号を復活させたと言われるのは、
イルハン朝の初代となったフレグの西征軍に扈従したアラー・ウッディーン・アター・マリク・ジュヴァイニーの書いた『世界征服者史』と、
7代イルハン・ガザンの宰相ラシード・ウッディーン・ハマダーニー編纂の『集史』でそれぞれ、منكو قاآن
مونگكه قاآنMankū Qā'ān>Möngkü Qa'an、
Mūngke Qā'ān>Möngke Qa'anとなっていることなどから言われているようです。
195世界@名無史さん:04/06/13 22:56
>>192氏が指摘してるように、
北元以降のモンゴル皇帝は、現代モンゴル語で皇帝のことをХааиと言うことから分かるように、
q>xのようにqが軟音化してqa'an「カアン」がxa'an「ハアン」>xaan「ハーン」になったようです。
それまでのモンゴル皇帝の下についていた普通の君主qan「カン」>xan「ハン」になったものとみているそうです。

「ハーン」「ハン」「カアン」「カン」などの違いは、
○西方文献
 ・オゴデイ、モンケ、大元朝以降のモンゴル皇帝 qa'an,
  قاآنqā'ān
「カアン(テュルク・モンゴル語原音)」「カーアーン(ペルシア語表記)」
 ・チンギス&グユク、及びその他のモンゴル君主 khan,
 خان khān「ハン(テュルク語系原音)」「ハーン(ペルシア語表記)」
  >ペルシア語資料を扱っている人は「フレグ・ハーン」とは書いても、「モンケ・ハーン」「クビライ・ハーン」とは絶対書きません。

○モンゴル本土
 ・オゴデイ、モンケ、大元朝以降のモンゴル皇帝 qa'an「カアン」(モンゴル語原音)→北元以降xa'an「ハアン」>xaan「ハーン」
 ・その他のモンゴル君主            qan「カン」(モンゴル語原音)→北元以降xan「ハン」

という感じかと思われます。
ただモンゴル本土では先にqa'an「カアン」→qaan「カーン」→xaan「ハーン」となっているのかも知れません。というのも、
カラコルムにあるペルシア語で書かれた大元朝末期のハーンカーフ建立碑文に大元皇帝のことを、
قاآنではなく
قانと書かれているからです。
>もちろんقانで「カアン」と呼んでいた可能性も大いにあり得ますが。
196世界@名無史さん:04/06/13 22:58

モンゴル君主の「ハーン」の名称には、
このように文献資料上の問題とモンゴル帝国の政策上の問題、歴史言語学的問題が重なり合っていますので、
研究分野を異にする研究者同士で対応や表記も異なるようです。
このあたりの事情を把握していないと「フラグ・カーン」とか「フビライ・ハン」といったいささか首を傾げる表記になってしまいます。

取り敢えず大雑把ではありますが、わたしが把握しているのはこんな所です。(汗

※余談ですが、チンギス汗やフレグ汗という表記の場合、
 オゴデイ罕、モンケ罕という表記をされてる方もおられます。
197世界@名無史さん:04/06/14 04:27
元朝秘史ですが、原文ではなく那珂訳で恐縮ですが、
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40019145&VOL_NUM=00000&KOMA=118&ITYPE=0
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40019145&VOL_NUM=00000&KOMA=217&ITYPE=0
などを見ると、「成吉思合罕、罕と為る」「成吉思合罕に罕の號をそこに奉れり」とあり、
秘史の作者がカアン号とカン号をきちんと区別していることは明白ですよね。
この区別がチンギスの時代はカン、オゴデイ以降がカアンを称した事実の反映であろうことは
ペリオの昔から元朝秘史の訳注者によって指摘されて定説とされているところですから
小澤先生は、早計というか、元朝秘史がカアン号の使用を遡っているのを承知の上で
チンギス・カンをカアンの称号で呼んでいるのを尊重してるのではないでしょうか。
小澤訳を読んだのはえらく昔なので先生がどう書かれているかは忘れてしまいましたが。

ところで便乗質問。
突厥の「可汗」起源のペルシア語といえば「カアン」のほかに「ハーカーン」があると思いますが、
集史だと区別されてるんでしょうか。
198世界@名無史さん:04/06/14 17:46
チンギス・ハン - 人類史上最も多くの子孫を持つ蒼き狼
http://x51.org/x/04/06/1407.php
199世界@名無史さん:04/06/14 17:50
っていうか>>193->>196 の人何でアラビア字で書くのですか。何か微妙。
200世界@名無史さん:04/06/14 19:00
>>198
>部下たちに略奪は許可する一方で、女性は必ず自分のもとに連れてくるよう指示し、組織的な強姦を行うか、妾として自らの下に置き、自らの血を継ぐ子孫を増やし続けたのである。

やなヤツだねーwしかも、レイプされちゃう女性もこんな不細工じゃ地獄だったろうね・・・w











でも、チンポ立っちゃった (´・ω・`)
201世界@名無史さん:04/06/14 19:06
>>191
うええ。マジか…
一応他国なのに、本当にスターリンはひどい
202世界@名無史さん:04/06/14 22:08
>>198
どうやってチンギスのY染色体を割り出せたのかが知りたい。
遺骸は見つかっておらず、西方討伐前に没している筈なのにな。
203世界@名無史さん:04/06/15 00:07
で結局モンゴル語ではチンギス・ハンなのか?
イギリス人にきいたら「ゲンゲス・カーン」だったけど、
フランス人にきいたら「ジンギス・カーン」だった。
よー分からん。
204世界@名無史さん:04/06/15 02:26
結論としてはモンゴル文字の綴りをラテン文字に転写するとChinggis-qanであり、
当時のモンゴル語でチンギス・カン、現代モンゴル語の発音だとチンギス・ハン。
ただし、元朝秘史から推すに死後にはChinggis-qa'anと綴られ、
チンギス・カアン(カハン)と尊称されていたようである。
近現代のモンゴルではカアンが現代発音でKhaan(xaan)に代わったことから
チンギス・ハーンと呼んでいる。
実際、口語に基づいたキリル文字綴りはЧингис хаан=Chingis Khaanである。

ゲンギズだのジンギズだのジンギスだのは
もともとアラビア文字でJingizと綴られたのに基づいているらしく、
モンゴル語の綴り・発音とは異なる。
205世界@名無史さん:04/06/15 19:15
ヒンギスは、ロクデナシ
206世界@名無史さん:04/06/15 19:33
モンゴル人の力士は血を思いっきりつい出そう(w
日本は侵略されてないから少ないだろう。
207世界@名無史さん:04/06/15 19:56
悪魔の血が流れていると考えるのは恐ろしいことだな
208世界@名無史さん:04/06/15 20:02
英雄の血
209世界@名無史さん:04/06/15 22:19
世界最強のレイプ魔の血
210世界@名無史さん:04/06/15 22:21
その証拠

チンギス・ハン - 人類史上最も多くの子孫を持つ蒼き狼
http://x51.org/x/04/06/1407.php

レイプ魔を英雄と仰いでるモンゴル人って(ップ
211世界@名無史さん:04/06/15 22:25
英雄レイプを好む
212世界@名無史さん:04/06/15 22:27
赤マフラー軍団
213世界@名無史さん:04/06/15 22:38
赤マフラーといえば、北条時輔を思い出す・・・
214世界@名無史さん:04/06/16 16:09
>210
がいしゅつ

>202
林に遺骸を埋めさせた後で騎馬隊に一昼夜走り回らせたんで、誰にも場所が分からないんじゃなかった?
ずいぶん恨まれていたからなぁ…
215ジンギス・"レイパー"・カーン:04/06/16 22:17
>>210
あの時代人はみな野蛮だった。
彼は偉大なレイパーだったから尊敬されてるんじゃない。

世界最大、未曾有のコンクエローラーであった。
>>200
「最も幸福な人生(life 生活)とは平穏な遊牧生活などでは断じてない。
大軍団を率い、思う存分敵を各個撃破し、征服地の美しい妻や娘を我がものとし、その悲しむ顔をみることだ!

ジンギス・カーン 壮言集(実話)より。

※我がものとす=てごめにする
217世界@名無史さん:04/06/16 23:42
1600万人の子孫って
218世界@名無史さん:04/06/17 00:39
それこそ男冥利に尽きるというもの
219世界@名無史さん:04/06/17 08:06
>>216
チンギスカーンらしい迷言だな
220世界@名無史さん:04/06/17 21:18
>>216
チンギス・ハンの墓所そのものは確定してないけど、
かなり高い確率でここのあたりだろう、という場所は発掘されてたりする。
221世界@名無史さん:04/06/19 21:30
墓所そのものは確定されておらず、遺骸すら発見されていないのにY染色体を特定した&そこから
子孫の割合を判別したという与太話を額面通りに信じろという方が無茶な話だよな。

>>216
壮言集などという言葉は初めて目にしたのだが、そういう史料が実際にあるのか?
あるとするなら、それはモンゴル側、或いは敵対国側のどちらの史料なのかな。
222世界@名無史さん:04/06/20 09:25
ムガル帝国の皇帝の子孫ならチンギス・ハーンの末裔といえるだろう。
そのあたりから調べたのではないか?
223世界@名無史さん:04/06/21 17:30
バーブルはモンゴル人嫌いだったらしいぞ。
224世界@名無史さん:04/06/22 00:09
>>223
バーブルは自分がモグーリスターン・ハーン国のユーヌス・ハーンの孫で、チンギス・ハン家の血を引いてることにかなり誇りを感じてらしいね。
モグーリスターン・ハーン国にしろティムール朝にしろ元はチャガタイ・ウルスの後身だからどちらにしても『モンゴル』なわけだ。

でも歴史的な用語としての「モグール」と言った場合、
チャガタイ・ウルスが東西に別れた後、パミール以東の東チャガタイ・ウルス、
後のモグーリスターン・ハーン国の人々をだいたい指すみたい。

バーブルの陣営には親類縁者や軍隊の中核はモグールが占めていたけど、
バーブルは自分たちのことは「チャガタイ」であって、酷く嫌った「モグール」はパミール以東の文明化しない利己的で信用ならないモグールたちのことだとか。
225世界@名無史さん:04/06/25 17:24
蒙古帝国の痛快なところは、我々黄色人種の蒙古人がコーカソイドを散々に痛めつけたところですね。

リーグニッツの戦いは、別名ワールシュタットの戦いといいますが、これは死体の山という意味だそうです。
でかい身体をした白人の騎士どもは、
ひいひい言いながら背の低いモンゴル馬に乗った軽騎兵に追い散らされた模様。

モンゴルに占領されたキエフなどの都市では、金髪碧眼の白人女がモンゴル人にレイプされまくり、
血と精子の臭いが立ち籠めていたでしょうね。

いや、痛快、痛快。
226世界@名無史さん:04/06/25 21:23
>>226
歴史の再勉強を勧める。ワールシュタットの戦い自体は実際に行われたかどうかも怪しいとする
説もあるからな。「タタールのくびき」などとも表現されるが、モンゴルから技術・知識などを享受
していたと表現した方が的確ではないかとすら言われることもある。
実際、東西交易によってキエフを含む諸都市は征服前よりも遥かに発展を遂げているからねぇ。

身代金目的で戦争を行っていた西欧諸国にとって、実際に相手を仕留めるまで戦うモンゴルの
戦い方は脅威に映ったことだろう。同時期に「東方に存在するプレステ=ジョアンがキリスト教に
相応しくない異教徒を討った」という噂が西欧諸国に蔓延していたことからも、随分と楽観しして
いた節も見られる。後年、そんな都合の良い幻想を打ち破られて恐慌に陥ることになるのだが。
227世界@名無史さん:04/06/25 21:24
ageとく。ちょっと下がりすぎだろ。
228世界@名無史さん:04/06/25 21:27
ageになってないし。
229世界@名無史さん:04/06/25 21:35
>>226
ワルシュタットの戦いが無いと唱える人がいるだけでそこまで
>>225を否定するのもどうだろうか。
侵略されれば文化的な侵略も受けるのは欧米や日本の支配を見ても
明らかでしょう。
望まぬ支配を受けてまでそのようにモンゴルを正当化するのは疑問。
230世界@名無史さん:04/06/25 22:36
>>229
いや、>>225はただそう思いたいだけだろ

>>225の文からは拭い去れぬコンプレックスが感じられる。
231:04/06/25 23:54
白人コンプ厨発見
232世界@名無史さん:04/06/26 00:01
>>225>>231か乙です。
もう少し理路整然とした反論が出来るかと期待したが、
買い被っていたようだ。
233世界@名無史さん:04/06/26 00:11
元って、燕と関係ある?
燕と元って、YUAN? 両方、音が似てそうだし、
地域もかぶさっていそうだから、
全くのデタラメな憶測で聞いてるんだけど?
234世界@名無史さん:04/06/26 00:23
結論からいうと関係ない。
235世界@名無史さん:04/06/26 00:27
>>232
図星を衝かれるとさっそくレッテル貼りか。
もう少し理路整然とした反論が出来るかと期待したが、
買い被っていたようだ。
236世界@名無史さん:04/06/26 00:35
>>235
いや、もう君いいから。 まともな反論が出来るのなら相手するけれども、
単なる荒らしが目的のようだから相手にしない。それだけの事ですよ。
相手してもらいたいのなら学問板にふさわしい理をもって反論してください。
単なるレスや誹謗中傷は無用です。
では。
237世界@名無史さん:04/06/26 00:39
>>236
「何々イコール何々」の次は一人で勝利宣言か。
典型的厨房だったようだな。

賢い相手はいないものか。
238世界@名無史さん:04/06/26 00:48
>>237
釣りならニュース速報系で相手してくれますよ。
モンゴルの話があなたのレスと思われる>>225で最後だと思うのですが、
226で指摘しているように再度勉強してから汚名を返上してはどうですか?


239世界@名無史さん:04/06/26 00:56
>>236

>の文からは拭い去れぬコンプレックスが感じられる。

あなたに質問です。この>230の書き込みのどこに「理」があるんでしょうか?
根拠がない書き込みならあなたも荒らしなので、消えて欲しいのですが。
240世界@名無史さん:04/06/26 01:00
レスのきっかけとなった>>225の何処に根拠がありますか?
知性が感じられますか?
少なくとも私には感じることが出来ません。
出直してきてください。
241239:04/06/26 01:08
いや、私は>>225とも>>235とも違うんですが(w
というより、こんな話をしつこく引っ張るあたり、あなたの方が相当ウザいし、
何か執念のようなものを感じるんですけど、気のせいですか?
242239:04/06/26 01:13
語らないでください。
私が本物ですよ。
243239=241:04/06/26 01:15
なんというか、まともに相手にしなかった方が良かったのかな・・・。
244237:04/06/26 01:19
>239
この粘着ぶりといい、こいつは前に板を荒らしていた白人崇拝者の異常者=ブタ男なのかもな。
こんな馬鹿を相手にしてしまって、正直スマンカッタ。
245239:04/06/26 01:27
>>244
おまえがあらしだ
246世界@名無史さん:04/06/26 01:31
モンゴルに占領されたキエフなどの都市では、金髪碧眼の白人女がモンゴル人にレイプされまくり、
血と精子の臭いが立ち籠めていたでしょうね。

いや、痛快、痛快。
247239=241 ◆/MweMDCEWw :04/06/26 01:31
後でまとめて削除以来出しておくんで、バカは放置でお願いします。
それにしても、白人コンプレックス溜め込んでる奴ってキモいですねw
248世界@名無史さん:04/06/26 01:33
削除以来
249世界@名無史さん:04/06/26 01:34
(´・ω・`)ショボーン
250世界@名無史さん:04/06/26 01:37
>>225
そうだなぁ
人類史上空前規模の世界帝国は我々モンゴロイドがつくったんだからね。

つっても日本島民は関与してないってか(´▽`*)

>226
自分にレスしてるみたいだが、225へのレスポンスかね。
リーグニッツ(regnitz)=ポーランド語のワールシュタットてのは
歴史事実だよ。
251世界@名無史さん:04/06/26 01:38
225
252世界@名無史さん:04/06/26 01:39
モンゴルに占領されてロシアや東欧の白豚どもは黄色いサルに
まわされてよがり汁をたらし放題で滑稽w
253世界@名無史さん:04/06/26 01:40
ブタ男の負けw
254世界@名無史さん:04/06/26 01:43
> モンゴルのある地域では、女性が男性からの「家へ遊びに来ませんか?」という誘い
を受け入れて家に行ったら、それは妻になる事を承知した事になるのだそうです。しかも、
その男性に親の見ている前で強姦されるのだそうですから驚きです。やってきた娘を力ずく
でものにするのは、男である事を自分の親たちに示すため、娘が泣いたり叫んだりしても、
それは慣習・儀礼のうちだという事で、母親も祖母もみんなそうやって嫁いできたわけです
から、現地の人にとっては何でも無い事なのだそうです。

モンゴルの怖い風習〜家へ来ませんか?〜
http://www.k-freed.com/private/zatubun/mongoru.html
255世界@名無史さん:04/06/26 01:44
ところが、中国の文化大革命の頃といいますから、1960年代後半から
1970年代中ごろの話だと思いますが、当時、北京・上海などいわゆる
都会の十代後半の学生が、何百万人も僻遠の地に放たれたそうで、
このモンゴルの地にも多くの若者が送りこまれたそうです。
簡単に想像できることですが、現地の若者に「家に遊びにきませんか?」と
誘われた都会育ちの娘たちが、ノコノコ家までついて行き、親の見ている前で
強姦されたわけです。
当時の中国というのは性に関しては全く解放されていませんでしたから、
十代後半の少女だと、子供がどうやってできるのか知らないのが普通という
状態で、それがいきなり人の見ている目の前で陵辱されるわけですから、
その後正常な精神状態でいられるはずがありません。
自殺者も数多く出たのだそうです
256世界@名無史さん:04/06/26 01:49
 子供という生き物は実に凶悪であります。情け容赦というものが全くありません。
こちらがちょっとでも油断すると踏んだり、蹴ったり、叩いたり、つねったり、髪を引
っ張ったり、トドメとばかりにフライングボディープレスをしたり、もうやりたい放題
なのであります。何も考えず、一切の手抜きなしに人を痛めつけておいて「でへへ
ぇ〜」とか笑って平然としていたりするのです。さぞかし気分がいいことだろうと思う
し、実に羨ましいとも思います。とはいえ、羨ましがってばかりもいられないという
厳しい現実がそこにはあるのです。まあ僕はたいへん温厚な性格なので大抵の
事は許しちゃいます。がしかし、これだけは言いたい。タマだけはいかんぞ、と。誰
が何つってもタマだけは攻撃してはいかんのです。ということをこの際キッチリ教育
しておかないと、「タマがいくつあっても足りやしないではないかッ!」

タマタマに興味津々
http://www.k-freed.com/private/zatubun/tamatama.html
257世界@名無史さん:04/06/26 01:50
転居通知でとんでもない事を思い出してしまいましたが、文化の違いというのはそういうものだろうし、
膨大な年月をかけて培われてきた異種文化を根底から完全に理解するというのは非常に難しい、
いや不可能だという事でしょう。最近、アメリカの個人の銃所持問題がまたクローズアップされていますが、
アメリカが銃を捨てられないという事実に関しても、アメリカ文化の根底にあるものが起因しているはずで、
それを完全には理解できない我々日本人にとって、いかにそれが野蛮に見えようとも、その当否をとやかく
言うのはお門違いという気がしてなりません。それはあくまでアメリカ自身が解決する問題なのだと思います。
うーむ、今日の僕はちょっと変だなあ。ま、とにかく日本人で良かった。うはははは〜。


《1999年4月25日(日)》 


258世界@名無史さん:04/06/26 01:52
>236=238
今度はコピペあらしかw
どうやら本物の荒らしだったようだな。
259世界@名無史さん:04/06/26 02:01
260世界@名無史さん:04/06/26 02:06
>>254-255
さすが強姦民族ですね。
モンゴル帝国が野蛮でないというのは贔屓の引き倒しですね。
261世界@名無史さん:04/06/26 02:19
( ´_ゝ`)フーン
262世界@名無史さん:04/06/26 03:40

  ク    ク   || プ  / ク   ク  || プ  /
  ス  ク ス _  | | │ //. ス ク ス _ | | │ //
  / ス   ─  | | ッ // /  ス   ─ | | ッ //
  / _____  // /          //
.  /   l⌒l l⌒l \  ))   ____
. / / ̄| ,=| |=、| ̄ヾ   / ____ヽ
/ ̄/ ̄.  ー'●ー'  ̄l ̄ |  | /, −、, -、l  ))
| ̄l ̄ ̄  __ |.    ̄l ̄.| _| -| ,=|=、 ||
|. ̄| ̄ ̄  `Y⌒l__ ̄ノ ̄ (6.   ー っ-´、}
ヽ  ヽ    人_(  ヾ    ヽ    `Y⌒l_ノ
  >〓〓〓〓〓〓-イ   /ヽ  人_(  ヽ
/   /  Θ  ヽ|  /    ̄ ̄ ̄ ヽ-イ

263世界@名無史さん:04/06/26 08:26
当時の強国(モンゴル)が周辺諸国を併呑していったのが贔屓の引き倒しで野蛮?
では西欧諸国が東方諸国・アジア地域を席巻していたとすれば贔屓目で見ることもなく「必然」か?
馬鹿も休み休み言え。強国が弱国を従えるのが当時の慣例だったのだよ。それを成せる国力を有するから
版図を広げられるし、それに従属国も従ったんだ。単純一直線に現代的な観点で物事を捉えるな。
264世界@名無史さん:04/06/26 10:17
なんで何百年も後の話をもちだすのか意味不明
265世界@名無史さん:04/06/26 10:22
http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/russia/tatar_01.htm


13、14世紀に書かれたと思われる中世ロシア文学「バツ(バトゥ)の
リャザーン襲撃の物語り」は、1235年のモンゴル帝国のクリルタイの決定によって、
チンギス汗の孫バトゥの率いるモンゴル軍が、ヴォールガ・ブルガリアを征服した後に、
中世ロシアの諸公国の一つリャザーン公国に襲いかかった様子を以上のように記述している。
モンゴル軍はこのリャザーン公国を撃破したのちに、1239年までにヴラヂーミル・スーズダリ公国を
中心とする北東ロシア地方を、1240年までにキーエフを中心とする南西ロシア地方を軍事的に征服した。
数年後にローマ教皇の使節としてモンゴル帝国の首都カラコルムに派遣されたプラーノ・カルピニは
占領されたキーエフの町の様子について「わたしどもが旅行の途中にその土地を通ったさい、
死者の頭蓋骨と骨とが数え切れぬほど地面に散らばっているのに出くわしました。
キーエフは以前は非常に大きく人口過密な町だったのですが、いまではほとんど無に帰してしまいました。
こう申しますのは、今日ではそこの人家はせいぜい200戸あるかないかで、住民は全くの奴隷状態に
おちいっているからです」と報告していることからもわかるように、モンゴル軍の破壊はかなり徹底したものだった。


266世界@名無史さん:04/06/26 10:27
http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/russia/mongol_01.htm
初出:歴史学会『史潮』新10号、1981年

キプチャク汗国やステップ遊牧民の社会制度を研究している
フョードロフ=ダヴィドフは、「現在、ソ連邦の歴史学においては、
定住諸民族とりわけルーシと中央アジアの住民にとってのモンゴル人
の征服の否定的結末についての問題では異論は存在しない。
……モンゴル人の汗は被征服諸国に破壊と零落以外の何ものも
もたらさず、多くの兵力、財貨、人命を奪った。知つてのとおり、
ルーシ民族はモンゴル人の汗の野蛮な侵入によって、その発展の面で
多年にわたっておしとどめられた」[3]と断言している。「否定的影響論」の
底流には、モンゴル人=「野蛮で後進的民族」、ルーシ人=
「先進的文化をもつ民族」という偏見があるようである。
たとえば、大半の欧米のロシア史家が「積極的影響論」をとっているなかで
例外的に「否定的影響論」にたっているリャザノフスキイは、
モンゴル人を「氏族的発展段階にある遊牧民」、ルーシ社会を
「はるかに複雑な農業社会」と規定し、
「モンゴル社会、法、制度はロシアよりもはるかに原始的であった」と
の前提にたって、「氏族的発展段階にある遊牧民が、
高度に発達したキーエフ国家の継承者にどのようにして
深い影響を与えることができたのであろうか」[4]と反問している。


267世界@名無史さん:04/06/26 10:31
「この国家のスルタン(キプチャク汗……引用者)のもとには、
チェルケス人、ルーシ人、ヤス人の軍がいた。彼らはよく
整備された人口の多い都市の住民、および森林が多く
果実の豊かな山の住民である。彼らのところでは播種穀物が
成育し、家畜の乳房からは乳が流れ(すなわち牧畜が行われている)、
川が流れ、果実が採取されている。彼ら(チェルケス人、ルーシ人、
ヤス人)はこの諸国のスルタンに抵抗することができず、そ
れゆえ(自分たちの)君主をもっているにもかかわらず、スルタンの
臣民として彼に(対している)。もし彼らがスルタンに服従、贈り物、
供物を約束したならば、スルタンは彼らを平穏のままにしておいた。
その反対の場合、スルタンは彼らに対して掠奪的襲撃を行なったり、
彼らを包囲して圧迫した。すなわちスルタンはいく度となく、
彼らの男性を殺し、その妻と子供を捕え、彼らを奴隷として色々な
国々に輸出した」(強調――引用者)
268世界@名無史さん:04/06/26 11:20
>>252
彼らは白豚ていうより未開白色土人だったであろう。
また、元寇の編成軍のほとんど南宋、高麗軍だったように、
東欧遠征軍の主力は近辺の征服地から集めた兵士達でモンゴル本土の兵士はいなかったらしいが。

あと、猿てのは醜い南方モンゴロイドの外見的特長であって、北方モンゴロイドを指すわけではないよ
日本人は南方系強いので、醜い顔多いけどねヽ(´Д`;)
269世界@名無史さん:04/06/26 13:12
日本人は北方南方ごちゃまぜ。
だから朝鮮人やモンゴル人とかより彫り深い
270世界@名無史さん:04/06/26 13:33
>>269
日本人は朝鮮半島を経由していないので容姿端麗が基本。
町でみかける容姿端麗でないのはほとんど性格が醜い在日らしいよ。
271世界@名無史さん:04/06/27 17:08
美醜の基準なんてきわめてアヤフヤなものなのだから、
論じた時点で厨決定。

是非はともあれ、「彫りが深い」のを珍重するのは
欧米文化流入以降。
南北朝期の中国ではそういう顔立ちはむしろ揶揄の対象だった。

しかし、どの板行っても嫌韓大杉。
272271:04/06/27 23:21
ごめんなさい朴在日です。
寄生虫なんです。
サナダムシなんです。
273世界@名無史さん:04/06/27 23:35
チンギスハーンが西夏を攻める時にゴビ砂漠を縦断したって言うけど。
どうやって縦断したんだろ?
現代でも不可能なんでしょ?
だけど事実、西夏を攻めてるし。
不思議。
余が世界史上空前絶後の偉大なる大カーンもといレイパー(強姦野郎)どぇーっす。
高麗からウクライナまで世界中の女とハメまちた。
いやぁ、、日本の女とも交わいたかったですたい!

レイープする度胸もない小人ども、わしの凛々しい肖像画でも崇めていなさい。

正面図
ttp://www.archaeology.org/0201/reviews/thumbnails/genghis1.gif

其の二
http://www.leader-values.com/powerpoint/Venture%20Asia/img012.gif

美男であろう!
275世界@名無史さん:04/06/28 02:24
高麗もウクライナも、行ってないんじゃ?
276世界@名無史さん:04/06/28 13:56
ウクライナ、高麗はクビライじゃなかったっけ(爆
277世界@名無史さん:04/06/29 19:10
チンギス・ハンはサマルカンドから北インドに行って、
部下のスブタイが南ロシア
孫たちがヨーロッパまで行ったはず
ペルシャの史料では
チンギス・ハンは背が高くて目鼻立ちがはっきりしていた
という伝承もあるが実際のところよくわかってない。
肖像画は想像でかかれたもの
278世界@名無史さん:04/06/30 00:17
モンゴル帝国建国800周年を前にチンギスハン再評価が本格化 警戒強める中国
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040629-00000936-jij-int
279世界@名無史さん:04/06/30 04:46
916 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 04/06/09 18:21
そういえばブタ男ちゃん見ないね。最近どうしたんだろ?
今頃ロンドンでイラク人みたいにしょんべんぶっ掛けられて、イジメられてなきゃいいけどw
280世界@名無史さん:04/06/30 07:52
>チンギス・ハンは背が高くて目鼻立ちがはっきりしていた
という伝承もあるが実際のところよくわかってない。

またまた、そんな都合のいいこと言い出しちゃって。
281世界@名無史さん:04/06/30 16:07
>>280
都合がいいというか角川かなんかの本にそのまんま書いてあったよ
282世界@名無史さん:04/06/30 16:14
どっちにしても魅力的じゃなきゃ人は集まらん
283世界@名無史さん:04/06/30 17:00
カメハメハ大王の銅像みたいな感じでは?
284世界@名無史さん:04/06/30 18:12
だからどうやってゴミ砂漠を越えたの?
285世界@名無史さん:04/06/30 18:25
魅力ても容姿端麗てだけで人は集まらないだろ。

まあ、テムジンはモンゴル高原にいる頬だかの典型的モンゴロイドだったろうね。
286世界@名無史さん:04/07/01 07:52
どんな顔だったかは不明。おしまい。
287世界@名無史さん:04/07/01 10:14
けどボスになるやつはある程度いい顔してるだろ
実力と人を集めるスター性があるやつが巨大な権力を握れるんだよ
288世界@名無史さん:04/07/01 21:07
>>287
容姿がリーダーの要素としてある程度意味があるとはいえると思うが、
この場合は軍隊という戦闘集団それもかなり残虐性が売りの殺戮集団だから、
いわゆる「いい顔」であることが有利な条件になるとは思えないが、
むしろいかにも残虐無慈悲といった顔の方が喜ばれると思う。

まあ、無論実際の軍事的才能に比べれば容姿など取るに足らない要素だから、
実際にその才能さえ示す機会があればどんな容姿でもついてくるものは多かっただろうがね。
289世界@名無史さん:04/07/02 00:07
>>288
残虐そうな奴は警戒されて人がついてこない
フセインやスターリンだって残虐なことしてるが
顔は美男子。若い時の写真見るとマジでハンサム
あんまし残虐な感じはしない
軍事的才能と人を集めて統率する才能は違う
リーダーは軍事的才能以上に有能な部下を統率するのが重要
というかそれがリーダーの資質
290世界@名無史さん:04/07/02 00:28
>>続き
チンギス・ハンにはこういう話もある
チンギス・ハンは若いとき
子供の頃から友達だったジャムカというライヴァルがいた
ジャムカとテムジン(チンギス・ハン)はお互い勢力を伸ばし
ぶつかりあうことになった
ジャムカは優れた人間で軍事的才能はテムジンを上回っていた
事実、十三翼の戦いでテムジンはジャムカに敗れる
しかし、ジャムカはテムジンの部下を残酷に扱ったので
ジャムカの将士は怒ってテムジンに帰属した

またチンギス・ハンは軍を進軍するとき
必ず体が弱い将兵の速度にあわせて進軍したという
チンギス・ハンはすごく人を大切にした
モンゴル語でウルス(国)という言葉は「人」がもとの意味
チンギス・ハンは父なし子だったのでかなり苦労したらしい
だから厳しい面もあるが無慈悲な人ではなかったと思う
291世界@名無史さん:04/07/03 05:43
おまえがモンゴル人に強姦されたら考えも代わるんじゃないのw
292世界@名無史さん:04/07/03 15:19
モンゴルには強姦の風習が古来より現代まで脈々と受け継がれているようです。
293世界@名無史さん:04/07/03 17:32
294世界@名無史さん:04/07/03 17:33
295世界@名無史さん:04/07/03 17:34
>>292
>254-255
296世界@名無史さん:04/07/04 00:02
あのな、強姦なんてどこの軍隊でもやるだろ
このスレ超低レヴェル。
297世界@名無史さん:04/07/04 01:03
強姦の話もいいけど
ただ野蛮なだけならあんな大帝国は作れない
やはり民族、宗教にとらわれない懐の深さがあったことが重要だと思う

あと諸勢力への懐柔策がうまく有能な人材を
どんどん味方に引き入れてしまう政治能力の高さ
また気前が良く、報奨がいい上に民族、宗教にとらわれないので
いろんな地域から野心のある有能な人材が集まる
現にモンゴル政権は外国人の多い国際色豊かな政権だった
現実的でかつ徹底されたモンゴルの組織と戦術なども成果を上げた
被支配地域を基本的に被支配層に任せたのも
被支配層の抵抗や反発を薄め、勢力を拡大するのに役立ったと思う
298世界@名無史さん:04/07/04 03:37
>>254
聞くところによると、モンゴルの草原地域に住んでる若い男女はだいたい性の意識についてはかなり「ルーズ」らしいとか。
しかも男どもは夏になると馬乳酒とかアルコール度数の高い酒をかっくらって
そこら辺ほろ酔い加減でぷらぷらしてるんだそうですな(w
夜になるとお祭り気分で遠くや近くで夜這いやら何やらで羽目を外すことしきりだとか。

モンゴルでもいわゆる「略奪婚」の類が文化として残ってる地域で(結婚式の形式によく残ってるらしい)
たまに本当に嫁をかっさらって来る輩が居るんだとか(w

女性のほうも女性のほうでかなり軽いタッチでつき合うとか言うらしいけど・・・本当か!?(w
ともかく子供を孕んじゃうとどーするかっていえば、孕んだ娘の両親の家で子供が産まれたらちゃんと大人になるまで面倒をみるらしい。
相方がはっきりしてたら結婚して家庭をつくるらしくて、父親が分からなくても
娘が結婚したら婿の方は、自分の実子と同じようにその子供を養育するそうな。
>結婚相手の娘が「子持ち」だったとしても結婚の傷害とは見なされないならしい。

モンゴルに留学した人からで聞いたことだけど、相当前のことだからからあまり当てにはならないかも(w
それにこれは現代の話で、ノヨンやハンがいた頃はどうだったかは不詳。
299世界@名無史さん:04/07/04 07:49
チンギスハンに掘られたい
300世界@名無史さん:04/07/04 11:47
モンゴルは性に関して開放的だったんだろう?
レイプした漢族の女性が自殺するのを理解できなかったらしい
「何でこんなことで死ぬの?」みたいな感じかな
301世界@名無史さん:04/07/04 12:46
ただ漢族も戦争時レイプしまくったから似たようなもんか
戦争と殺人、レイプはセットだからな
302世界@名無史さん:04/07/04 14:57
うーん、、チンギス・ハーン モンゴル帝国はすごすぎる。

ローマ帝国、アレクサンダー、ナポレオンなんて所詮地域の覇者に過ぎない。
ttp://mongolempire.4t.com/h1_overview.htm

あと一歩で西欧から極東(日本島)までだったのに惜しいね!
303世界@名無史さん:04/07/04 15:04
304世界@名無史さん:04/07/04 16:09
>>298
下放されてきた中国人女性たちを強姦する言い訳にもならないな。
305世界@名無史さん:04/07/04 16:38
>>302
オゴディが長生きしてればな。
まぁわが国は無理だったろうが。
つーか朝鮮半島は?
306世界@名無史さん:04/07/05 03:14
ないよ そんなもん
307世界@名無史さん:04/07/08 00:42
モンゴル人に粘着してるのはイギリス豚なの?
必死すぎる(w
308世界@名無史さん:04/07/11 00:08
>305-306
属国に留めて直接支配しなかったのは法則を知っていたのかもw
309世界@名無史さん:04/07/24 14:28
【英国】チンギス・ハンのご子孫はお食事無料です
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1089203704/
英ロンドンにあるモンゴル料理店「シシ」が3日、来店客に無料でDNA鑑定を施し、
モンゴル帝国の始祖、チンギス・ハン(位1206ー27年)の子孫と判明した客には
食事を無料提供する試みを開始した。
父親から息子に受け継がれるY染色体を検査するため、鑑定を受けられるのは男性に限られる。
鑑定は9日まで実施し、結果は2カ月後に出る予定。

チンギス・ハンは12世紀から13世紀にかけて、アジアを征服し、現在の東ヨーロッパにまで
及ぶ帝国を形成。その際、各地に、多数の子を残したとされる。
AP通信によると、料理店と共同してDNA鑑定を実施するオクスフォード・アンセスターズ社は、
中央アジアなどで計「1700万人」の男性が、チンギス・ハンの遺伝子を受け継いでいる
可能性を指摘している。

「シシ」によると、今回の企画は、モンゴルで再び姓を名乗ることができるようになったことを
たたえるのが目的。
モンゴルでは、過去70年間、国民の団結などを理由に、姓を名乗ることが禁止されていた。
しかし1990年代に政府がこの政策を撤回し、国民に名字の登録を呼び掛けている。
先月末までに国民の半分以上が、チンギス・ハンの家系が名乗っていた名字を登録したという。

2004.07.07 Web posted at: 20:42 JST - CNN/AP
http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200407070029.html
310世界@名無史さん:04/07/24 23:01
今の横綱はテムジンの血を引いてそうだな。
もろに。
311世界@名無史さん:04/07/24 23:14
特に朝青龍は間違いないw
312世界@名無史さん:04/07/25 05:01
ttp://www.uraken.net/rekishi/reki-chu27.html

>イギリス軍は清の各地を占領していきました。そして、殺人に略奪にとやりたい放題
313じゃじゃやーん:04/07/26 21:35
モンゴル人はアランと間男子孫。
ようは不純ってことだ。そんなもんだ「ふーん」
314定説です:04/07/26 22:31
モンゴルの征服は野蛮。白人の新大陸開拓は人類の偉業。
315世界@名無史さん:04/07/30 21:59
定説です殿は
モンゴルにカネで転んだ
エゲレス脱走将校であります!
316世界@名無史さん:04/08/03 19:32
>>315
ポーランドまで迫った時に、イギリスやデンマークで脱出の船出の準備で
民衆が殺到したって本当だったんでしょうか? 買占めのせいで物価も高騰したとも。
317世界@名無史さん:04/08/03 21:35
315の エゲレス将校ってのは
十字軍くずれだろう

318世界@名無史さん:04/08/03 23:26
珍レイプ=犯(ハーン)
319世界@名無史さん:04/08/12 20:45
珍レイプの末裔=韓(ハーン)
320世界@名無史さん:04/08/23 20:31
■▲▼
【7:9】【歴史】チンギスハンは読み書きができたという新説
1 名前:☆ばぐ太☆ ◆JSGFLSFOXQ @擬古牛φ ★ 04/08/23 20:24 ID:???
★チンギスハンは読み書きができたという新説

・新華社通信によると、モンゴル帝国の始祖とされるチンギスハンは
 読み書きができたとの新説が発表された。

 歴史家の間では、モンゴル文字は13世紀初めに発明されたため、
 1167年頃に生まれ、当時40歳前後だったと思われるチンギスハンは
 読み書きができないとの定説があった。
 しかし、中国内モンゴル自治区の大学教授テングス・バヤリン氏によると、
 1219年に道教の学者に宛てたチンギスハン自筆の勅令を発見したと
 述べた。

 教授は、モンゴル語で書かれた原文は文体と調子が独特で、筆者は
 チンギスハン以外にあり得ないと指摘。
 さらに、チンギスハンが同一人物に後で送った手紙には、「部下にあなたの
 講義の内容を編集し、案内書を作成するよう命じた。私は個人的にそれを
 読むつもりだ」と書かれており、教授はチンギスハンが読むこともできたと
 している。
 チンギスハンはモンゴルの部族を統一し、騎馬隊を結成。中国をはじめ
 中央アジア、西はポーランド、ハンガリーを征服し、一時、巨大帝国を築いた。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040823-00000953-reu-int
321世界@名無史さん:04/08/23 20:32
【歴史】チンギスハンは読み書きができたという新説
1 名前:☆ばぐ太☆ ◆JSGFLSFOXQ @擬古牛φ ★ 04/08/23 20:24 ID:???
★チンギスハンは読み書きができたという新説

・新華社通信によると、モンゴル帝国の始祖とされるチンギスハンは
 読み書きができたとの新説が発表された。

 歴史家の間では、モンゴル文字は13世紀初めに発明されたため、
 1167年頃に生まれ、当時40歳前後だったと思われるチンギスハンは
 読み書きができないとの定説があった。
 しかし、中国内モンゴル自治区の大学教授テングス・バヤリン氏によると、
 1219年に道教の学者に宛てたチンギスハン自筆の勅令を発見したと
 述べた。

 教授は、モンゴル語で書かれた原文は文体と調子が独特で、筆者は
 チンギスハン以外にあり得ないと指摘。
 さらに、チンギスハンが同一人物に後で送った手紙には、「部下にあなたの
 講義の内容を編集し、案内書を作成するよう命じた。私は個人的にそれを
 読むつもりだ」と書かれており、教授はチンギスハンが読むこともできたと
 している。
 チンギスハンはモンゴルの部族を統一し、騎馬隊を結成。中国をはじめ
 中央アジア、西はポーランド、ハンガリーを征服し、一時、巨大帝国を築いた。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040823-00000953-reu-int

http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1093260279/
322世界@名無史さん:04/08/24 10:59
もし、事実なら、だれがテムジンに読み書きを教えたのか?
ボルテ?
323世界@名無史さん:04/08/24 11:03
そりゃ自分が命令して文字作らせたんだからなあ。
324世界@名無史さん:04/08/24 11:17
タタ・トンガ
325世界@名無史さん:04/08/24 12:30
>>321のニュースYahooで大きく扱ってたな。
あくまで「説」だろ。こんな事が重要ニュースなのかねぇ。
読み書きができても不思議でないとは思うが。
いやそれ以前に、なぜ従来彼が文盲だと思われていたのか?
326世界@名無史さん:04/08/24 12:50
遊牧民の英雄は文盲の方がそれらしくていいよ。
327世界@名無史さん:04/08/24 13:32
中国発の歴史・考古関係ニュースは最近デムパが
多いから注意した方がいいよ。
328世界@名無史さん:04/08/24 18:12
つうかそんなにたくさんやりまくって性病は大丈夫だったのか?ハーン。
329世界@名無史さん:04/08/24 18:18
>>328
全部処女かようじょ
330世界@名無史さん:04/08/24 19:46
>>329
そんなことない。
ハーン推戴後にモンゴル国内のキリスト教部族を滅ぼした時、
殺した頭領の母親を妾にしてたと思う。外見が若々しいとかいう理由で。
331世界@名無史さん:04/08/24 20:00
中央アジアの遊牧民には嫂婚制(levirate)の習慣があるから、その延長みたいなものか。
332世界@名無史さん:04/08/24 23:57
>>323
文字は漢字でしょ?
どこにもモンゴル文字の読み書きとは書いてないよ。
モンゴル語とは書かれているけど。
ま、どちらにしろテムジンは馬鹿ではないのはたしかなんだから文字くらい簡単に覚えるでしょ。
333世界@名無史さん:04/08/25 01:17
333
334世界@名無史さん:04/08/25 07:44
> 原文は文体と調子が独特で、筆者はチンギスハン以外にあり得ない

この辺が意味不明。
単なる思いこみ、あるいは受け狙い>プラス便乗煽り記事
先日の『酒池肉林発見』と同じく低レベルのニュース。
335世界@名無史さん:04/08/27 23:27
チンギス・ハーン
【指導】 10
【戦術】 10
【戦略】 10
【内政】  3
【政略】  6
【人望】 10
336世界@名無史さん:04/08/28 00:29
その頃のモンゴル人を描いた絵は日本の「蒙古襲来絵詞」しかないってホント?
337世界@名無史さん:04/08/28 00:36
中国にも西アジアにもにもヨーロッパにもいくらでもありますが。
338世界@名無史さん:04/08/28 00:39
そうなんだ。どっかで聞いた話を真に受けてた。
339世界@名無史さん:04/08/28 05:06
>>335
10段階評価なら内政は少なくとも6か7程度はある筈。人口統計制度としての万戸制度などを整えて彼我の勢力格差を
正確に数値化して捉えようとしたり、ケシクなどの集団組織を整えて内政基盤を築き上げた手腕は軽視出来ない。
戦術は7か8程度。(単純に比較するなら、おそらくジャムカの方が高いだろう。実際に敗北を喫している)

>>336
ジャルード・ウッディンが攻城戦を描いた絵画や、ポーランド侵攻の際に描かれた絵画が割合と有名だよ。
340世界@名無史さん:04/09/16 18:41:27
あまり話題に上らないが、インド方面へのモンゴルの影響って大きかったの?
経済面・文化面・・・あまり歴史を変えたようなことは耳にしたことないけれど。
341世界@名無史さん:04/09/16 21:15:05
主題とは逸れるが、パンツ、ブーツ、蒸留酒(ビール)、麺とかってモンゴルが世界帝国化して
ユーラシアに伝来したってほんと?
342世界@名無史さん:04/09/17 18:24:12
>>341
パンツはどーだか分からないが、ブーツというかヒール付きの足首くらいまでの丈のある革靴らしいもの(ブーツで良いのか)を
『集史』のパリ本やケンブリッジ本とかを見ると、絵画資料の中でモンゴルの王族や貴族が履いてるのがわかる。
ティムール朝時代の絵画資料でも同じ物を履いてるのがみえるが、それが西洋の服飾に影響したかどうかは(個人的に)未詳。
343世界@名無史さん:04/09/17 19:05:24
モンゴル人が何かというと宴会を催して大飲大食するのは、当時の旅行記などでもよく記録されていて、
とくにモンゴル王侯が主催する宴会(トイ)では、葡萄酒や馬乳酒(テュルク語などでいうクミス)が振る舞われた。
当時の葡萄酒は干しぶどうを発酵させた甘みとアルコール度数が強烈に高い濃い酒だったらしく、
現在も中央アジア特産の甘い葡萄を使っているため近(現)代に至るまでイラン中央アジアで長く愛飲された模様。

もう一つの馬乳酒は、二種類あったらしく普通に発酵させただけの白濁した馬乳酒と
ルブルクのギョーム修道士の旅行記などでしばしば「黒コスモス酒」(カラクミズ?)と呼ばれている、
発酵させた馬乳酒をさらに蒸留させた透明な馬乳酒の二種類あったらしい。
テュルク語では澄んだ水のことを「カラスゥ:黒い水」と表現する例があるので、
馬乳酒の蒸留したものも同じ理屈でこのように呼ばれたのだろう。

9〜10世紀のアラビア語で書かれた料理書にイトリアとリシュタと呼ばれる細麺が既に紹介され、
以後アラブの料理書ではクスクスと並んでその料理が紹介されるようになる。
前者のイトリアはギリシア語ないしシリア語起源らしくシリア教会のキリスト教徒など食べており、
後者のリシュタはペルシア語でイラン・中央アジアの人々が日常的に食べていると記されている。

モンゴル時代以降に編纂された料理書に「トゥトゥマージュ」と呼ばれる料理が登場するが、
これは肉や香味などをミンチにして麺の薄皮で包み油で揚げたものをいうらしく、
元代の料理書にも同じ名前の料理が紹介されている。
344世界@名無史さん:04/10/04 22:28:56
世界中の女とセックルなんて、正直逝って羨ましいです(´・ω・`)
特にロシアや中東などを襲撃して連れ帰ったオナゴはヨダレが出る(;´Д`)ハァハァ
345世界@名無史さん:04/10/04 22:35:09
チンギス・ハンの墓が見付かるかもしれないんだって?
346源氏の末裔:04/10/04 22:38:38
チンギス・ハーンの肖像画は、恐れながら「皇太子殿下」に似ていると思うのは漏れだけか?
347世界@名無史さん:04/10/04 23:08:45
> インド方面へのモンゴルの影響って大きかったの?

モンゴルよりもテュルク系とアフガン系だろね、
大きく影響を及ぼしたのは。イスラム教も中央アジア系
肉料理も持ってきたのはこいつら。

モンゴル→チャガタイ家→ティムール家→ムガル帝国
と辿れば、広い意味でモンゴルの影響あり、とはいえる。
348世界@名無史さん:04/10/04 23:13:35
一つ面白い例がある。それはミニアチュール(細密画)。

インドのミニアチュールは、イランのミニアチュールを
そのままフマユーンが持ってきて広まったものだが、
ではイランのミニアチュールはというと・・・

これは13世紀にフレグが中国の絵師をイランに連れて
きてから発達したもの。イランのもインドのも妙に
東洋風で親近感わくと思ってたでしょ。
349世界@名無史さん:04/10/04 23:15:57
ユーラシア大陸のちょうどモンゴル帝国の領土内にすむ男性から
特徴的なY染色体遺伝子が発見されている。これは、
http://www.oxfordancestors.com/genghis_khan.html
にあるとおりなのだが、どうやらチンギスハーンの子孫ということ
らしい。やりまくったってことらしいのだが。
350世界@名無史さん:04/10/04 23:17:30
それから13〜14世紀にモンゴル勢力がインドに手を
出さなかった理由は、その手前のアフガニスタンで
チャガタイ家とフレグ家が陣取り合戦を繰り返していて
どっちも先に進めなかったから。

14世紀には、カシミールに出自不明のズルカダル・ハーン
(たぶんチャガタイ家)というのが入って暴れ回ったけど
数年間だったな。
35125歳♂投馬国王の子孫:04/10/05 00:01:40
なんだって?義経の墓がみつかったって?
352世界@名無史さん:04/10/05 00:34:21
霊廟。墓ではない。
正直、いいかげんな報道だけでは、
白石典之が以前から言っていたことと何が違うのかわからん。
単に記者会見しただけ?
353世界@名無史さん:04/10/05 08:17:47
>>352
アウラガ遺跡=霊廟、という確証はなかったんじゃないの?

発表に今更な感じがあるのは、「たぶんそうだろう」とはずっと思われてたからで、
俺らも早々とイコールで繋いじゃってたからでしょう。

61年以降やってたのはその確証を得るための発掘だし、日蒙合同でやってる
プロジェクトも遺跡全体図を作成する事業だったり、これまでの作業は霊廟として
研究を進めるための前段階だったんじゃないのかな。

なので、この発表がターニングポイントであるのは確かでしょう。
354世界@名無史さん:04/10/05 18:17:59
【歴史】"世界7不思議" チンギス・ハンの霊廟発見か…日本とモンゴルの合同調査団

1 :☆ばぐ太☆ ◆JSGFLSFOXQ @擬古牛φ ★ :04/10/05 12:42:36 ID:???
★世界7不思議チンギス・ハンの霊廟か

・世界の7不思議の一つと言われる チンギス・ハンの墓の 在り処がわかる
 かも しれません。モンゴルのアウラガ遺跡で調査を 進めている日本とモンゴルの合同調査団が
 チンギス・ハンのものと みられる霊廟の跡を 確認しました。
 調査団によりますと 確認された霊廟の跡は およそ11メートル四方で周囲
 からは馬の頭骨などが 見つかっています。
 チンギス・ハンを祭った祭礼では霊廟の周囲で馬の頭骨やあばら骨などを
 燃やす儀式が 行われていたとされていて、調査団では付近の地層調査の
 結果などからもこの霊廟が チンギス・ハンのものである 可能性が高いと
 みています。
 チンギス・ハンの 墓の在り処については、「霊廟の半径12キロが候補地」
 と史料に記されていて、霊廟の特定により チンギス・ハンの墓の 在り処の
 特定に 一歩近づいたことになります。
 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye1046624.html

※動画URL: http://news.tbs.co.jp/asx/news1046624_12.asx
※関連スレ
・【歴史】チンギスハンは読み書きができたという新説(dat落ち)
 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1093260279/
355世界@名無史さん:04/10/05 22:08:49
とにかく白石さんよーやったわ。
これで東上か?新潟じゃ勿体なすぎ。
356世界@名無史さん:04/10/07 23:36:11
357世界@名無史さん:04/10/07 23:45:48
それにしても驚いたのは、トゴン大師時代、
15世紀前半までアウラガで祭祀をやってたって情報。
トゴンがチンギスの鏑矢で打たれて死んだという伝説の舞台はここなの?
それとオルドスの移動式霊廟との関係も知りたい。
358おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/10/08 21:53:37
>325
1960年に出版された故・小林高四郎氏の『ジンギスカン』には、
「ジンギスカンが文盲だったことを裏切る記録がある」として
フビライ期に「太祖皇帝(ジンギスカン)の御署名」なるものを
用いていたことを指摘し、自分の名前ぐらいは書けたのではないか、
しかしタタトンガから自分は文字を学ぼうとしていないのだから
厳密な意味では文盲だったのだろう。と書かれています。
359世界@名無史さん:04/10/27 02:15:28
>>358
実際そのことが書かれてある漢籍をあたらないと何ともだけど、
テュルク・モンゴル系の遊牧民族には「タムガ」と呼ばれる家畜用の焼印があって、
それが部族の標章にしていたので、あるいはその「ご署名」もそれを指してる可能性もあるかも。

簡単な記号がたいてい使われたので、もしそれだったら必ずしも漢字やウイグル文字を書けたかどうか、
証拠とするにはちょっと不十分かと・・・

もっともチンギス・カン自身は諸子や孫たちにウイグル文字を習わせたり
イスラムの知識人に初等教育を任せたりしてるので、文字文化そのものには
戦略的に重要だとは十分認識していたみたいですな。
360世界@名無史さん:04/10/28 17:02:26
チンギス・ハンの若いときの話ってどこまで事実なんだろ
なんか家族だけで生活してた時期があったみたいだけど
やっぱなんだかんだいって30人ぐらいはいたんかな?
361世界@名無史さん:04/10/28 17:03:20
age
362世界@名無史さん:04/10/28 17:52:09
>>360
自分で魚釣りして、釣った魚を盗んだといって兄弟を殺すぐらいだから
4〜5人の世界だろ。
363世界@名無史さん:04/10/28 20:21:25
>>362
ベクテルの実在は疑われている。
364世界@名無史さん:04/10/28 20:44:06
ボルテとは少年時代に会ってるから彼女の縁者も含んでもいい?
あと父の暗殺に加わったのを謝罪しに来た男と馬泥棒を共に追ったボオルチェ・・・・
100人はいてもいいな。
365世界@名無史さん:04/10/28 22:11:03
>>364
ガキとはいえ一応族長だったんだから実際はそれぐらいはいたと思う
伝承だと5,6人って感じだけど
それはいくら何でも違うだろって気がする
366sage:04/11/08 05:01:09
>>360
チンギス・ハンの若い頃、タイチュウト族長タルグタイ・キリルトクに捕まって
逃げるときにスルドス部のソルカン・シラに助けられたって話は
元朝秘史にも集史にも載ってる有名な話だけど、
これはモンゴル帝国の最有力部族であるスルドス部の起源に関わるから載せられた感じ。

チンギス・ハンが宿敵タイチュウト族を倒してモンゴル高原に進出する足掛かりを作った
政治的に重要なエピソードだから広く知られたのだろうけど、
チンギス・ハン単独で幼少の挿話となると元朝秘史以外なかなか情報が少ないかも。
367世界@名無史さん:04/12/17 21:38:54
>>30
V.ヤンというロシア人がソ連の時代に書いた
ジンギスカン
バトカン西へ行く
最果ての海
(平凡社)
が最高に面白いです。
ただ、だいぶ前の出版ですのでなかなか手に入らないと思います。
私は、初め井上靖の「蒼き狼」を読みましたが、登場人物の多彩さ、
歴史的事実に細部まで忠実なこと、
当時としては珍しくロシア遠征まで扱っていること等
このロシアの小説には全くかなわないと思いました。
特に、バトを補佐してロシア遠征を成し遂げるスブタイはすばらしいの一言。
ぜひ手に入れて読んでみて下さい。
それと、ジュワイニーの世界征服者の歴史が英語で出ています。
これも最高に面白いです。英語ですが挑戦してみてください。
最後に。
紹介しておいて言うのも変ですが、どなたか、v.ヤンの前出の小説の入手方法をご存知の方、
ぜひ教えてください。
20年ぶりに再読したいです。
368世界@名無史さん:04/12/19 00:32:58
「バト汗西へ行く」を大学の図書館で見つけて今読んでる・・・奇遇ですな。
369世界@名無史さん:04/12/19 11:20:02
>>368
実は私が読んだのも大学の図書館で、でした。
(同じ書棚には、びっこのチムールという本もありましたが、そこまでは読み進めませんでした。)
ジュチが息子のバトに向かい、
「予の父、ジンギスカンが世界の半ばを平らげたまい、
イスケンデルズルカルナインが残りを平らげた。
バトよ、お前には何も残されていないではないか。」
といったのに対し、バトが
「私は、イスケンデルの土地を奪って見せまする。」
と答えた場面を印象深く覚えています。
(20年前の記憶で表現は不確かですが。)
また、野営中のモンゴル軍兵が、オノン河、ケルレン河を懐かしがって歌う歌
も、記憶に残っています。
モンゴルの将校の問いにけなげに答えるルーシの少女の姿、
バトの後宮に入れられながら昔の恋人を忘れない女性の最期(ユルドゥスカトンという名前だったでしょうか。)
等々、是非復刻本か何かを手元においてゆっくり読み返したく思っています。
絶版本の入手の仕方を知っている方、ぜひ教えてください。
370世界@名無史さん:04/12/19 11:31:13
>>368
369中、イスケンデルとジンギスカンは、順序が逆だったかも知れません。
不確かな記憶で申し訳ありません。
371世界@名無史さん:04/12/19 13:46:26
白帳汗国の開祖オルダについてはどうでしょうか。
その本に何か書かれていますか?
372世界@名無史さん:04/12/19 14:10:56
お前らよくそんな本おもしろく読めるな
まぁ実際おもしろいんだろうとは思うが
どんなにかっこよく書かれてても
残虐な部分しか印象にないからどうしても想像力働かせて
残虐な場面を頭の中で描いてしまう 
朝昇竜とかの顔で
373世界@名無史さん:04/12/19 15:59:46
>>372
主に残虐に描いているのは西欧諸国の史書や、ソ連なんかの赤派勢力の影響が強いから。
未だにそういうイメージが強いけど、実際に調べてみたら大虐殺が行われたと記されているのに
以前より人口増えて豊かになってたり、灌漑施設を破壊し尽した筈なのに収穫量増えてたりとか
現代でいうところの戦中南京問題みたいに適当でおかしな記述が多いんだよ。
「タタールのくびき」とか言う割には、結果的に異文化技術が流入してきて栄えてるわけで。
モンゴルが敵勢力と戦ってとことんやりあったのって、ジャラール・ウッディン追撃戦くらいだなぁ。
374おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/12/19 17:40:04
>366
>チンギス・ハン単独で幼少の挿話となると元朝秘史以外なかなか情報が少ないかも。
まあ、比較的信憑性が高い物と言うと秘史以外になかなか無いですね。
秘史も所詮は叙事詩ですし、どうかと思う部分も多いのですが。
信頼できない記録だと、金国の奴隷になっていただの
鍛冶屋をやっていただの、色々あるのですが、どれも根拠が薄弱でして。
元史の著者宋レンや、十八史略の著者曾先之も嘆くように、
チンギス・ハンの若い頃の記録は「記録がほとんどなく、誠に
惜しいことだ(元史・巻一太祖本紀)」ということぐらい
しかいえません。

>373
杉山正明氏がこの問題については詳しいですね。
なんでもモンゴル側が故意に残虐な噂を流し、
降伏を誘うという手を取っていたのではないかともいわれております。
375373:04/12/19 18:56:26
>>374
そうだね。金国や南宋なんかに兵を差し向けたときも敢えて残虐な噂を流布して、戦争に
巻き込まれるのを嫌う当時の気運や国への不信感を煽りに煽った結果、戦わずして城郭
守備兵を丸ごと(将軍ごと)寝返らせたりしてる。
噂の反面、「投降した者でも厚遇・重用する」という一面を見せることで投降に益々拍車が
掛かって、結局は敵対国の内部崩壊を誘うという強かな戦略性が強い。戦略抜きで兵を
差し向けたのは、先程も述べた通り、ジャラール・ウッディン戦くらい。
これも「王族や親族に対して危害を与えた存在に対しては全力にて報復する」という理由
付けがされているから、単に残虐性というイメージだけで語るのは却って難しいんだよな。
376世界@名無史さん:04/12/19 22:36:35
>>371
残念ながらそこまでは描かれていません。
「地の果てまで(最果ての海)」は、オゴタイの死去の報を受け、モンゴリア帰国を主張する
バトと、地の果てまでの遠征続行を主張するスブタイが決裂し、スブタイがさらに西への遠征を続けるところで終わっていました。
ただ、日本の作家の作品とは一味違います。やはりソ連時代のロシア人の作品です。
ロシア(ルーシ)の英雄的な抵抗の姿がよく描きこまれていたと記憶しています。
イスラム教徒の知識人でハジラヒムという人物が登場しますが、
彼はモンゴルから彼らの遠征の記録をとることを命ぜられ、遠征の馬上で筆を取り続けます。
ジュワイニーは、「世界征服者の歴史」を旅の途上、馬上で記したといわれていますが、それを
念頭においているのかも知れません。
いずれにしても、作者の中央アジア、中東に対する知識の深さも垣間見られる作品でした。
(すみません。何しろ20年前の記憶ですので、間違いもあるかも知れませんが。)
377世界@名無史さん:04/12/19 23:36:00
378世界@名無史さん:05/01/14 02:14:01
>>22
そうそう欧州の白豚のオナニーだからなw
遊牧民族に征服された過去を消してしまいたいんだろうw
379世界@名無史さん:05/01/18 02:21:30 0
チンギスハーンって結局はどういう人間だったんだろ?
性格とか。
380世界@名無史さん:05/01/18 16:33:07 0
極めて好色家。攻撃性と性欲は密接な関係がある。
敵大将の妻を陵辱することで征服欲を満たした。
残忍な処刑も好む。
戦争の勝敗の大勢が決まってから降伏する人間を許さなかった。
降伏者を残忍な処刑を施すことにより精神の安定を求めた。
381世界@名無史さん:05/01/18 16:42:33 0
>>380
ステレオタイプな見方だな
382世界@名無史さん:05/01/18 17:27:55 0
>>381
そんなこともあるまい。

テムジンが幼少の頃に子供同志の喧嘩で石を使って相手を殴ったことから、
残酷な性格であるとして部族内からテムジンの人格について疑問視する動きがあった。
父エスガイがこれに応じるような形でテムジンを他の部族の婿に出している。
チンギスの冷酷な性格は同族からも危険視されていたようである。
383世界@名無史さん:05/01/18 19:53:39 0
日付の後の0?
携帯じゃないってことか?
384世界@名無史さん:05/01/18 19:58:56 0
間違いなく世界史上ダントツ最大最強の征服者だが白人じゃないせいで
アレクサンドロス・ナポレオンごときと同格視されている(ヘタすれば三大征服者にも入れてもらえない)

世界史三大征服者はチンギスハン>>>>>>>>ティムール=アレクサンドロス=フラグとかバトゥとかフビライとか>>他
385世界@名無史さん:05/01/18 20:28:00 0
♪ジン、ジン、ジンギッカ-ン!
♪ジンギス、ジンギス、ジンギスカーン!
386世界@名無史さん:05/01/18 21:49:45 0
チンギス・ハンは気性が激しくて残忍であると同時に
寛大で親分肌だったんだろう
けどそんな奴いくらでもいる
チンギス・ハンがそこらの親分肌の人間と違うのは
かなり頭が切れたということだな
それまで遊牧国家はゆるい部族連合体だったので
離合集散が繰り返されたが
チンギス・ハンは部族を解体して遊牧民を国家組織に再編した
それはその当時において凄く革新的だった
遊牧民の生活スタイルを変えてしまうものだからね
こんだけ強引なことをやれたのは
やっぱり突出したカリスマ性があったんだろうな
他にも外交、戦略ことごとく成功してるから
すごいとしか言い様がない

387世界@名無史さん:05/01/18 23:42:51 0
「その眼に光あり、その面に炎あり」
と称されたテムジンの風貌だが、
イスラム教徒がチンギスの居る暗い幕舎に招き入れられた時、
チンギスの目が光っていたと述べている。

単に暗い場所なので瞳孔が開いてたから
光をよく反射しただけなのかもしれないが、
面白いエピソードなので書いてみた。
388世界@名無史さん:05/01/19 04:54:58 0
>>381
>テムジンが幼少の頃に子供同志の喧嘩で石を使って相手を殴ったことから、
ちょっと待った!!
確かに井上靖の『蒼き狼』にはそんな話があるけど、
『元朝秘史』にも『エルデニ・イン・トゥプチ』にも『集史』にもそういう内容の挿話は出てこない。

チンギス・ハンの正妃ボルテ夫人はコンギラト氏族のデイ・セチェンの娘だけど、
『秘史』を読む限り、イェスゲイが嫁探しのときにコンギラト氏族のところにやってきたのは、
ボルテが器量が良いと聞きつけたからで、性凶暴なテムヂンを他家へ押しつけるような感じではない。
それに実際にボルテを嫁にもらったのは『エルデニ』の記述から判断すると17歳以降ということになる。
389世界@名無史さん:05/01/19 05:22:10 0
>『元朝秘史』にも『エルデニ・イン・トゥプチ』にも『集史』にもそういう内容の挿話は出てこない。
この挿話、分厚い漫画で見たことあるよ。サイズもA4版だったはず。
部族の話し合いでエスガイに対してテムジンの気性を抗議する話も出てた。
井上靖の「蒼き狼」が参考文献になってたかどうかは知らない。

>ボルテを嫁にもらったのは『エルデニ』の記述から判断すると17歳以降ということになる。
11歳で婿に出されたんじゃないの?
390世界@名無史さん:05/01/19 11:23:55 0
>>389
じゃあお前は陳寿の読まずに横山三国志や園田三国志の知識で語るのか?
391世界@名無史さん:05/01/26 10:03:59 0
ケレイトやタタル、ナイマンの王族が読み書きしていたのにボルジギンの王が読み書きできなかったと言う方が不自然。
392世界@名無史さん:05/01/26 11:39:44 0
いや、ケレイト王国は11世紀初頭にネストリウス派を受け入れ、ナイマン王国はウイグル王国に隣接していたからだし、
タタル部族は直接金朝やキタイ族と交流があったから、それぞれ文字文化に触れる環境にあったけど、
キヤト・ボルジギンもタイチュウトも周辺を強力な部族集団に取り囲まれて、外来の文字文化と直接接触できる機会がない。

チンギス・ハン自身、ナイマン王のタイ・ブカに「森の王」と侮蔑されたように、
キヤト・モンゴルが草原社会に進出したのは遊牧集団でもかなり後発の新参者・田舎者だったと見なされていた。

確かにナイマンを滅ぼした時、印璽を管理していた書記官タタ・トンガが
文字と印璽の効用を説いた逸話は有名だが、ナイマン以下、支配王族たちでさえも文字を使えたかは
『元朝秘史』などで確認がとれてないのだが・・・

「王と書記」の関係はシュメールの頃からあるが、紀元前二千年紀前半の古バビロニア・アッシリアの王でさえ
「文字か書ける」と宣言している王は少ない。前近代では股肱の書記さえある程度配置でき常に扈従できれば
支配者自身文字が読み書きできなくても政務上支障なかったといえる。
(キリスト教徒や仏教徒は「写経」の習慣があるので政務とは別に文字を読み書き出来る必要はあるだろうが)
>チンギス・ハンの孫の世代は、初等教育をムスリムの学者達などが担当していたのでウイグル文字、アラビア文字が読み書きできたのはほぼ確実
393世界@名無史さん:05/01/28 20:12:33 0
テムジンは父を殺された後はトオリル・ハンの世話になった経歴があり、
教育される機会があったと思うが。
幼少のテムジンがトオリルの世話になった辺りはモンゴルとしては
出来る限り卑小化させようとしているが。
394世界@名無史さん:05/01/28 22:54:01 0
『秘史』を読む限りオン・ハン、トオリルを卑小化させてるようには見えない。
むしろ父の頃から恩顧ある人物が息子たちやジャムカの計略にのせられて敵対することになり、
ついには破れて逃亡中にナイマンの将軍の手にかかり横死してしまう悲劇的展開を述べている。

ケレイト部はボルテを出したコンギラト氏族と並ぶチンギス・ハン家のもっとも重要な姻族として
その後のモンゴル帝国の中枢を支える中核部族となり続けた。
トルイの寡婦でモンケ、クビライ、フレグ、アリク・ブカの母となったスルコクタニ・ベキはオン・ハンの姪。

エルデニ・イン・トゥプチの記述ではオン・ハンについてはほとんど触れていないが、
タイチュウトから逃げ延びたテムヂンは、その後、9歳の時許嫁になったボルテ夫人と17歳で結婚したと述べている。
(ボルテはこのとき13歳だったという)
『元朝秘史』ではそのボルテ夫人との結婚ののち父イェスゲイと盟友を誓ったケレイトのオン・ハンを頼ったことになっている。

その後のケレイトとの関係を見ても、別段文字教育につながる記述は見いだせなかった。
395世界@名無史さん:05/01/28 23:17:10 0
チンギス・ハンの容貌を指して、

「面に光りあり、眼に火あり nidün-dür-iyēn γaltu, ni'ūr-tur-iyān gerētü」

という表現は、『元史』やほかのモンゴルの口頭文学、英雄叙事詩の類でも「賢明な相を称える常套句」であるという。
目の輝きに英知をみるのはモンゴルのみ成らず広くみられ、血色の良い紅顔は、健康と幸福の象徴とされる。

さらにこの辞句はテムヂンのみならず、許嫁となったボルテ夫人の形容として
『秘史』では嫁探しに来たイエスゲイが幼少のボルテ夫人を見て口にしている文句であることにも注目すべき。
396世界@名無史さん:05/02/03 17:18:11 0
最近ジンギスカン料理専門店がやたらに増えたような気がしないか?
ブームなんだそうだけど。
397世界@名無史さん:05/02/03 19:17:33 0
モンゴル料理の店ならふえたけど。ジンギスカンがふえてるかなぁ?
398世界@名無史さん:05/02/03 19:32:43 0

ベンサムの哲学こそは英国社会主義、英国型全体主義(命令社会)思想の土壌となった。
ベンサムの哲学とは、単純化して言えば、経済については「完全な市場競争経済」である
のに、政治は国家権力が全国民すべての個人個人を監視し「幸福」を強制するという実に
奇妙な全体主義体制の構想であった。
国家権力が個人の領域であるべき「幸福」を考え、この「幸福」を各国民に命令と強制に
よって与える全体主義体制を「ユートピア」とするベンサムにとって、個人の自由はひと
かけらも存在してはならないものである。
399世界@名無史さん:05/03/02 19:23:40 0
『秘史』によると、イェスゲイが息子テムヂンの嫁探しに
コンギラト氏のデイ・セチェンのもとに訪れたとき、テムヂンは9歳、
デイ・セチェンの娘ボルテは一年年長の10歳だったという。

このときデイ・セチェンは、イェスゲイのボルテをテムヂンの嫁にしたい
という申し出を快諾するのだが、幾度も求婚して嫁に出すなら問題ないが、
ちょっと求婚されただけで嫁に出すのは世間体が悪いので、
ボルテを嫁に出すかわりに、テムヂンをこちらの聟として置いていって欲しい。
と頼んだ。

イェスゲイもこれを承諾し、テムヂンをデイ・セチェンのもとに聟として置いて行くことにした。
その際イェスゲイは、テムヂンは犬をこわがるので、我が子を犬で怖がらせないで欲しい、
と頼んでいる。モンゴルの犬は獰猛この上ないので、我が子を家族同然に迎えて欲しいと願ったことになる。

>>394で『蒙古源流』はボルテ夫人がテムヂンより4歳も年下のような書き方をしているが、
そこら辺の古い時代の情報の正確さには、やはり注意が必要な文献だと思う。

ちなみにテムヂンをコンギラト氏に聟に出した帰り、イェスゲイはタタル部に毒を盛られ、
三日後自分の家に帰宅してそこで亡くなったと『秘史』では述べている。
帰宅後イェスゲイは臨終まぎわに家人にテムヂンを早く連れ戻して来て欲しいと頼んでいるので、
テムヂンがコンギラト氏のもとに居たのはほんの数日ということになる。
400世界@名無史さん:05/03/04 02:36:35 0
>>396
狂牛病の余波で羊肉人気とか?
401世界@名無史さん:05/03/05 03:25:49 0
狂牛病ってもとは羊の病気なのにな。
402世界@名無史さん:05/03/12 12:58:31 0
古くから知られていたスクレイピーね。
遊牧民は家畜に家畜を与えたりしたことはあったのだろうか?
403世界@名無史さん:05/03/12 15:04:55 0
>>40
「五畜」といわれるように代表的な畜獣は、羊、馬、牛、駱駝、驢馬などが
知られている。モンゴルではたまに穀類などが与えられる場合もあっても、
基本的には草原地帯の牧草でのみ育成される。

中央アジア、西アジアの遊牧民でも事情は同じだが、都市部や村落といった定住民では
馬や驢馬は大麦などの穀類が与えられてきた。

遊牧民や西アジア、中央アジアでは、家畜は脳髄や脊髄も全て料理に使われる。
骨はトンコツのように最後までダシを取られるし、残った残骸は犬などに与えられる。
伝統的に、西欧のような羊や牛の死骸を家畜の飼料にリサイクルすることはない。

404世界@名無史さん:05/03/12 15:06:01 0
>>402
>403
405世界@名無史さん:2005/03/24(木) 16:49:10 0
家畜解体の手順まで定めた大ヤサは全てチンギスの代に定めたものなのでしょうか?
従前からばらばらに存在した慣習をいわば一本化した、という存在なのでしょうか。
406世界@名無史さん:2005/04/10(日) 18:53:22 0
モンゴル馬で競馬やらないかな
サラブレッドなんか増やして何が面白い
407世界@名無史さん:2005/04/13(水) 22:20:51 0
>>406
子供ジョッキー限定だがナーダムとか。
408世界@名無史さん:2005/04/14(木) 11:26:35 0
manse-
409世界@名無史さん:2005/04/14(木) 11:46:48 0
>>407
ぜひ身体能力の発達の速い女児に。
410世界@名無史さん:2005/04/15(金) 22:35:27 0
朝青龍関、元の使節の墓を訪ねて藤沢市の常立寺へ参詣
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050415ic23.htm

〜「国の為に命を落とした祖先がいたと知って感動しました」と横綱談〜
411世界@名無史さん:2005/04/15(金) 23:18:07 0
>>410
元朝から派遣された使節なのは間違いないが、人員はモンゴル系だったろうか?
確か記録にある名前は漢人とイラン系だったような・・・
412世界@名無史さん:2005/04/15(金) 23:29:57 0
>「国のために命を落とした人たちのことを初めて知った」
になってるぞ
413世界@名無史さん:2005/04/16(土) 10:16:32 0
というか敵の墓を700年以上も守りつづけている方が驚きだろ。
414世界@名無史さん:2005/04/16(土) 14:56:34 0
>>411
殺害された趙良嗣は漢族じゃなく女真族。
415世界@名無史さん:2005/04/16(土) 14:57:51 0
>>414
間違えた。趙良弼が正しい。
416世界@名無史さん:2005/05/02(月) 15:46:04 0
          .
417世界@名無史さん:2005/05/04(水) 17:25:00 0
極めて好色家。攻撃性と性欲は密接な関係がある。
敵大将の妻を陵辱することで征服欲を満たした。
残忍な処刑も好む。
戦争の勝敗の大勢が決まってから降伏する人間を許さなかった。
降伏者を残忍な処刑を施すことにより精神の安定を求めた。

418世界@名無史さん:2005/05/05(木) 03:11:26 0
>417
どこら辺が好色家でどこら辺が陵辱好きでどこら辺が
征服欲を満たすために残虐な処刑法を好んだのかとか、
わざわざageるくらいだからソースを上げてカキコしてはどうか。
419世界@名無史さん:2005/05/05(木) 05:12:08 0
>>418
金に汚いように見えた捕虜に、耳から融かした銀を注ぎ込んだってのは?

所謂、処刑ではないけど旧・サマルカンドで大量の人骨が発見されているし。
女・子供も見境なしだったとする史料の記述が発掘で事実と確認された。
420世界@名無史さん:2005/05/05(木) 14:52:31 0
チンギス・ハンだけでなく英雄は性欲旺盛だし
まぁ、人間の行動は全て性欲と密接に関わってるからね
フロイトと読めばわかることだが
強い人間は性欲も強いだろう
421世界@名無史さん:2005/05/05(木) 15:09:15 0
普通の人でも、普通に性欲は強いと思う。
英雄と称される人々は、実行に移しても批判されないだけの力を持っていただけのこと。

上杉謙信は性欲が強かっただろうか?
ヒトラーは性欲が強かっただろうか?
422世界@名無史さん:2005/05/05(木) 15:27:45 0
謙信は男色家だよ。
423世界@名無史さん:2005/05/05(木) 15:48:54 0
>>422

全く女性を近づけなかったので、そういう噂がたっただけだよ。
証拠となるべき恋文などもなく、寵愛をうけた者がいたことを示す一級史料もない。

49歳の若さで厠で卒中を起こして死去したことからも判るとおり、
主人の健康状態を常時把握しうる立場の者がいなかった。
424世界@名無史さん:2005/05/05(木) 17:03:26 0
フロイトによれば
性欲が宗教心や理想、征服欲、名誉欲、とかいろいろなものに転換されるんだから
そういう意味ではヒトラーも謙信も性欲は強いことになる
人間のエネルギーの原初的なものが性欲で、それがいろいろな他の欲望に
転換されるんだよ
425世界@名無史さん:2005/05/05(木) 17:30:02 0
>>421
フロイト読んで
426世界@名無史さん:2005/05/05(木) 17:34:50 0
屁理屈な神学論争になってきたな。
427世界@名無史さん:2005/05/05(木) 18:06:46 0
フロイトは心理学の創設者ではあるが、
その何でもかんでも性欲と結びつける考え方は結構批判されているらしいからねえ。
私も詳しく知らないが、ユングあたりから既に批判が出ていたはず。

まあ、創始者ってのことは極最初の方の人間って事で、
つまり、それは第三者による詳しい検討が加えられていないって事だから、
フロイトを丸ごと信じるのはやめておいたほうが無難だわなあ。
428世界@名無史さん:2005/05/05(木) 20:06:52 0
俺の姉貴イギリスで心理学やってるけど
ユングの研究はもう欧米ではだれもやってない
フロイトはいまだに影響力あって
研究もされてると言ってた
本家でもまだフロイトの理論は無視されてない


東洋医学でも例えば整体の発想は
性は腰にあるとし
基本的に人間は腰を見れば状態がわかるっていうぐらいだ
性の働きと人間の思考や行動は深い関係がある
429世界@名無史さん:2005/05/05(木) 20:18:11 0
ユングは集団無意識とかオカルトじみたとこまで行っちゃってるからなあ。
だが、フロイトがそう言っているから正しい、
というようなことが言えるほど学問として確立したのものではないがね。

東洋医学も当然そうだが。
430世界@名無史さん:2005/05/05(木) 20:50:45 0
>>429
その発言は心理学を否定してるね
学問として確立してないとは
431世界@名無史さん:2005/05/05(木) 21:11:33 0
そりゃね、心理学も変化してるし、いろんな学派もいるし
研究分野もさまざまだ
ただ体や心における性の役割がどの程度かで意見が分かれるだけであって
性の役割を完全に否定してる学派や心理学者なんていないよ
432世界@名無史さん:2005/05/05(木) 21:12:20 0
してないに一票。
433世界@名無史さん:2005/05/05(木) 22:35:47 0
フロイトの何でも性欲と結びつけて語るのはどうかと思う。
全てが性欲に集結されるとなる唯性論なんだよな
434世界@名無史さん:2005/05/05(木) 23:45:07 0
この話はスレ違いだからもういい
435ぢゅらさん:2005/05/05(木) 23:58:29 0
>>433
まあ、フロイトは性欲つまり自己保存の欲求が
生物にとって一番基本的な欲求だと考えたからだと思うのだが。
オイディプス・コンプレックスとか父殺しとか言い出すから
デムパとか学問として確立してないって言われるんだよな。

人間の根本にはなんかこうドロドロしたエネルギーみたいなものがあって、
人間はこれがなければ個人としても生きていけず、子孫も残せないが、
適宜コントロールしないと暴走して周囲に害を及ぼす。
良くも悪くも歴史に名を残すような人間は、このドロドロが人一倍過剰。
これが一番ストレートに現れたものが性欲で、観念に形を変えて現れたものが信仰や理想、
政治的・軍事的な形で現れたものが征服欲で、社会的な面に現れたものが名誉欲。
というのがフロイト心理学の基本的な考え方で、これは小生も間違ってないと思う。
こういう見方からいけば、チンギス・ハーンなんかは
このドロドロが人の数百倍ぐらい過剰な奴だったと思うよ。
(やっとスレタイにつながった)
436世界@名無史さん:2005/05/06(金) 00:07:00 0
性欲というか性エネルギーとか精力とかいった方がわかりやすい

今、東洋医学は欧米でもすごい人気ある
東洋医学の本も結構売ってるし
俺は野口整体の本読んだけどあれは面白かった
人間の体と心理面の関係が良く書かれてた
437世界@名無史さん:2005/05/06(金) 00:09:41 0
>>435
いや全くそのとおりだと思う
自分もそういうこと書きたかったがどう書いていいかわからんかった
438世界@名無史さん:2005/05/06(金) 00:27:00 0
>>419-437
いやさ諸兄、チンギス・ハン個人の性格を問うにしても、フロイト云々を持ち出す以前に
原資料を精査し情報の出所とその情報の性格を見極めたうえで立論すべきであって、
根拠不明の情報でもってなにがしかを論じようとするのはどうかと思うのだが(汗

たとえば虐殺や暴虐な性格を伝えるエピソードにしても、誰の何という資料に書かれたものか
せめて学問板ならば、まず典拠を明らかにすることが何よりも肝要なことだろうと。
439世界@名無史さん:2005/05/06(金) 00:30:51 0
>>436
東洋思想でいう「血気」が>435の「なんかドロドロしたエネルギー」
というのに近いと思う。東洋思想と東洋医学はそれぞれこのドロドロを
コントロールする方法といえよう。
ところでチンギス・ハーンは導引とかやってたのか?
道教系の全真教の教主に「長春真人」の称号を与えて道教を統括させた
という記憶があるが。
440世界@名無史さん:2005/05/11(水) 02:05:45 0
この人、生涯でどのくらいレイープしたんだろ。
華北〜中近東までの美人選りすぐって、数百人?

※妾との子供が生まれても婚外子だから、モンゴルの下級兵士にしていたらしい
441世界@名無史さん:2005/05/11(水) 02:22:31 0
エロティクな精霊といわれてもしかたないな
442世界@名無史さん:2005/05/11(水) 05:16:16 0
ふむふむ
443世界@名無史さん:2005/05/18(水) 22:15:52 0
  
444世界@名無史さん:2005/05/18(水) 22:25:39 0
あからさまにネタが枯渇してると思われるレスがこのところ目立つので、

チンギス・ハンの興業に先立ち
まず『元朝秘史』に見られるモンゴル族の族祖伝承を紐解き、
チンギス・ハンを出したキヤト氏とそれに連なるボルジギン支族、
そして初期にチンギス・ハンを苦しめたタイチュウト氏について
書いてみたいと思う。

が、その前にそもそもチンギス・ハンの伝記を含む、
モンゴル側の諸史料の性格について少々書かねばならない。
445世界@名無史さん:2005/05/18(水) 22:39:41 0
 俳優・浅野忠信(31)が主演を務め、ロシアのセルゲイ・ボドロフが監督を務めるアクション大作「MONGOL(モンゴル)」の製作発表が17日、開催中のカンヌ国際映画祭で行われた。 
浅野はモンゴルの英雄、チンギス・ハーンを演じる。この映画の製作は中国、モンゴル、ロシア、カザフスタン。 
浅野は日・仏・タイ合作映画「地球で最後のふたり」に出演したことはあるが、海外出資だけの映画に出るのは初めて。 

 ボドロフ監督は「北野武監督作など浅野さんの映画はたくさん見た。彼は日本で最も優秀な俳優の1人で、もっともっと世界の人々に彼の演技を見せるべきだと思う」と抜てきの理由を説明。 

浅野は「以前、映画『五条霊戦記』で義経を演じたことがあり、日本では義経とチンギス・ハーンは同一人物という噂もあって面白いなと思っていた。依頼を受けて、ぜひやらせてほしいとお願いしました」という。 

 撮影は今年7月から中国、モンゴルなどで行い、衣装にはワダ・エミが参加。 
浅野はモンゴル語で演技することになるという。世界公開は来年5月。カンヌ国際映画祭出品を目指す。 

ソース:デイリースポーツ 
ttp://daily.jp/gossip/2005/05/18/172981.shtml

別ソース:スポーツ報知 
ttp://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/may/o20050517_5.htm
446世界@名無史さん:2005/05/18(水) 23:27:12 0
モンゴル時代のモンゴル(政権)側の同時代資料といえば、
くだんの無名人士編纂の『元朝秘史』、アラーッディーン・アターマリク・ジュワイニー著の
『Tarikh-i Jahangusha(世界征服者史)』、そしてラシードゥッディーン・ファドルッラー
・ハマダーニー編纂の『Jami` al-Tawarikh(集史)』の三つが代表的著作である。

『元朝秘史』の成立年代には古今議論がされてきた。
モンゴルの源祖ボルテ・チノとアラン・ゴアがモンゴル高原にやってきた時代から語り始め、
モンゴル諸族の縁起を経てチンギス・ハンの征戦と死、そして皇帝オゴデイの即位によって終わっている。
オゴデイの病にまつわるチンギス・ハンの末子トルイの死を美談とする内容から、現在の内容に
なったのはモンケ、あるいはクビライらトルイ家の伸張後とする説がほぼ定説となっている。

現在いくつかの刊本が残されているが、一般に広く知られているのは「四部叢刊印影本」で
この文体は漢字で書かれた中古モンゴル語文に各単語ごとに漢語での意味が付され、さらに直訳漢文が
それぞれの節ごとの後ろに付記されている。本来は口承されていたものをウイグル文字(モンゴル文字)
で起こしたものだろうと考えられているが、これにも様々に議論されている問題である。

邦訳としては戦前の名訳と唱われる那珂通世の『成吉思汗実録』、戦後、東西の主要文献を網羅して
浩瀚な訳注を付した村上正二訳『モンゴル秘史』全三巻、そして言語学者小澤重男が日本における
アルタイ学の粋を注ぎ込んだ感のある『元朝秘史全釈』(上・中・下)『元朝秘史全釈続攷』(上・中・下)
およびその訳文のみを載せた簡易文庫版的な同小澤重男訳の岩波文庫『元朝秘史』が知られている。
447世界@名無史さん:2005/05/19(木) 00:25:09 0
تاريخ جهانگشا『Tārīkh-i Jahāngushā(世界征服者史)』は
フレグ西征軍に兄とともに扈従した、現在のイラン東部ホラーサーン地方ジュワインの名族のひとり
アラーゥッディーン・アターマリク・ジュワイニーによって書かれた近世ペルシア語の史料である。
1252/3年にカラコルム滞在中に友人の薦めによって世界征服者チンギス・ハンの歴史の執筆を開始し、
バグダード陥落後の1260年に擱筆している。モンゴル側のチンギス・ハンおよびモンゴル帝国の興業を
あつかった史書類で完成時期がはっきりしている同時代資料としてはこれが最古となる。

三部構成で第一部はチンギス・ハンからモンケ・カアンまでのモンゴル史、チンギス・ハン西征について
もっとも詳細な情報を提供しているの有名。後述のラシードッディーンも西征の記事はこれに殆ど依る。
第二部はホラズムシャー朝史で、フレグ以前のモンゴルのホラーサーン総督たちの事績も載せている。
第三部はフレグ西征とイスマーイール派討滅、イスマーイール派詳史。ホラズムシャー朝史やイスマーイール・ニザール派史に関して、
ジュワイニー自身が西征軍に扈従し、イスマーイール派の居城にて書庫の文献を接収を担当したこともあって
最も正確かつ詳細な情報を提供している。

バグダード攻囲戦については何も書いていないが、ジュワイニー自身アッバース朝滅亡後ただちに
イラク・フーゼスターン州知事に任命され、以後20年バグダードの復興に精励した。
しかし、イラン官人の常で激烈な政争に兄共々破れ、ついに讒訴を受け拘禁され失意の内に没した。
448世界@名無史さん:2005/05/19(木) 01:39:28 0
جامع التواريخ 『Jāmi` al-Tawārīkh(集史)』
当初第二代イルハン・アバカに典医として出仕していたハマダーン出身のラシードゥッディーン・ファドルッラーは
1298年、ガザン・ハンによって宰相に任命された。うち続く内戦と財政の破綻、人民の窮乏とそれに伴う
モンゴル牧民・官吏による在地住民に対する苛斂誅求などでイルハン朝国家は瓦解寸前の状態にあった。
伯父から奪権して若干23歳で即位したガザンは、イスラームとモンゴルの国家理念の二本柱によって
イルハン朝の抜本的な国家改造に着手した。ガザンは改革の一環として世代を重ねもはや自らの出自さえ
あやふやと成り果てたモンゴル人民に再度己の起源を思い起こさせ、チンギス・ハン家の権威による
国家の秩序の復権と再建のため、モンゴル帝国に参画していたトルコ・モンゴル諸族の歴史とチンギス・
ハン家の歴史の編纂を企画した。

その編纂主任をまかされたのが宰相ラシードッディーンである。モンゴル王家の歴史に通暁していた
ガザンは自身これに多くを口述して記録させ、ラシードらに王家の文書館の閲覧を許可し、
存命中のモンゴル軍民の長老・首長格から可能な限りの情報を集めさせ記録させた。

449世界@名無史さん:2005/05/19(木) 01:40:21 0
こうしてひとまず完成したのがガザンの死後に弟君オルジェイトゥ・ハンに献じられた『ガザン祝福の歴史』
である。生前東方のホラーサーンを鎮撫して兄を輔弼すること大であったオルジェイトゥは、当時モンゴル
諸王家が数十年ぶりに融和しつつあるを鑑みて、ラシードらにこの『ガザンの歴史』を第一部に、
第二部をアダム以降の古代の族長・預言者伝、ムハンマドとカリフ史、ガズナ朝、セルジューク朝、ホラズム
シャー朝、サルグル朝、イスマーイール派などのイスラーム諸王朝史、オグズ・ハン史、ヒタイ史、ユダヤ史、
フランク史、インド史を含む世界史とし、第三部を地理篇として編纂を命じた。
第三部は結局編纂されなかったと目されているが、第一部と第二部からなる『集史』は1311年に完成した。

現在確認される最古の『集史』の写本はラシード存命中の1317年書写の紀年をもつイスタンブール本だが
モンゴル語などの固有名詞に若干の誤りや表記上の振れが見られるのでパリ本などほかの古写本も重要な
根本史料となっている。

ラシードもジュワイニーと同じく政争に敗れオルジェイトゥ・ハンの死後アブー・サイード・ハンの即位後
間もなく政敵たる宰相アリーシャーの讒言によって失脚し先帝暗殺の嫌疑を受けて刑死している。
450世界@名無史さん:2005/05/21(土) 19:25:19 0
چين♪ چين♪ چينگيز خان♪♪♪♪♪ا
451世界@名無史さん:2005/06/10(金) 01:50:07 0
>>450
それ、ホーミーで歌ってる?
452世界@名無史さん:2005/06/11(土) 20:04:09 0
キヤト・ボルジギン氏の話マダー?
453世界@名無史さん:2005/06/19(日) 18:23:56 0
>>440
「イブの七人の娘たち」の男性遺伝子版「アダムの呪い」が面白いよ。
チンギス遺伝子の世界分布も載っていてつくづく・・・・ハァ・・・・ですわ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4789722791/250-7749730-0602606
 
454世界@名無史さん:2005/06/28(火) 17:28:03 0
レイプって何を持ってレイプとするんだろうな

イジメと同じく成立が難しい問題だな
もっともイジメは法律で厳しく罰せられたりしないからなくならんが
455世界@名無史さん:2005/07/06(水) 10:37:18 0
なんか野獣が間違って人間に生まれたような奴だな>チンギス・ハン

ところでチンギス・ハンの容貌・外見に関しては手がかりがないのだろうか?
顔は?身長は?目立つような特徴は?
有名な絵は死後に想像で描かれたものなんでしょ?
456世界@名無史さん:2005/07/12(火) 23:31:38 0
ジンギスカーン!(゚Д゚)
457世界@名無史さん:2005/07/13(水) 00:03:53 0
>>455
いまNHK大河で若き日のチンギスハーンをやっている。
458よろずこ:2005/07/23(土) 19:31:21 0
ブルガリアの人は琴欧州のことをどう思っているのだろう。
モンゴルを倒した英雄か?
459ハーン:2005/08/06(土) 13:56:20 0
「なんか野獣が間違って人間に生まれたような奴だな>チンギス・ハン」
こんなこと言ってる君、早めに死んでしまえ。
460アバガイ:2005/08/06(土) 14:05:54 0
琴欧州は確かに強いけど、優勝はでなかったね。やっぱ朝青龍は強いや。
しかし、相撲で言えば、日本って弱いね〜! (゚Д゚)(゚Д゚)(゚Д゚)(゚Д゚)
461世界@名無史さん:2005/08/09(火) 22:22:10 0
チンギス・ハンは死に対して非常に恐怖心を持っていたというから、死に直面しても「是非に及ばず」ですます信長よりは人間味がある。
462世界@名無史さん:2005/08/09(火) 22:31:13 0
なんで川におしっこすると死刑になるの?
463世界@名無史さん:2005/08/18(木) 18:35:54 0
ヤサの番人であるチャガタイに訊いてくれ。
464世界@名無史さん:2005/08/24(水) 23:27:56 0
モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハーン(1162?〜1227年)の宮殿跡として知られるモンゴル東部のアウラガ遺跡に、
1ヘクタールを超える巨大な規模の鉄器生産工房(12世紀末〜13世紀前半)があったと推定されることが、
日本・モンゴル合同調査団(総隊長=加藤晋平・元国学院大教授)による今年度の調査でわかった。
専門家は「中世・近世を通じて、これだけ大規模の生産基地は少なくとも東アジアには例がない」と話しており、
鉄器の大量生産がチンギス・ハーンの急速な勢力拡大の背景にあったことを裏づける一級の発見として注目される。
南北約500メートル、東西約1200メートルにわたる同遺跡の東地区の約100メートル四方と、西地区の約50メートル四方で、
精錬や鍛冶の廃棄物である鉄滓(てっさい)=スラグ=や鍛造剥片(はくへん)が大量に散乱しているのが、
地表の詳細な調査で確認された。このため、これらの範囲の一部で地中レーダー探査と磁気探査を実施。
鉄器生産関連の遺物の存在をうかがわせる反応があったことから、東西1か所ずつ発掘調査を行ったところ、
東の発掘区から鉄滓や炭、灰などが詰まった廃棄物の層が3層にわたって確認された。
層の厚さは地下1メートルで計約70センチに達していた。
調査団の白石典之・新潟大助教授(モンゴル考古学)は、この遺構は鉄器生産の「スラグ原」(廃棄物捨て場)で、
「鉄滓などが散乱していた範囲に、精錬の炉や鍛冶場などが集中していた」と判断。
同遺跡が「チンギス・ハーンの宮殿だっただけでなく、その軍事力を支える一大軍需基地だった」と分析している。
鉄鉱石の産地はモンゴル高原にはほとんどなく、原料や技術者は中国などから略奪してきた可能性が高いという。
これまで、チンギス・ハーンの強大化の原因については、カリスマ性や戦術の巧妙さなどが指摘されてきたが、
武器生産体制が充実していたことも重要な要因だったことが明らかになった。

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050824-00000501-yom-soci
465世界@名無史さん:2005/08/25(木) 10:41:13 0
やはり鉄だったか。
進軍の行程をたどっていけばすべて鉄の生産地につながってた事もこれを裏付けるね。
466世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:42:23 0
>鉄鉱石の産地はモンゴル高原にはほとんどなく、原料や技術者は中国などから略奪してきた可能性が高いという。

バイカル湖周辺に鉄の産地があったとか何かで読んだような
467世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:59:19 0
バイカル湖まで取りに行くくらいなら他をあたった方が早いんじゃない?
468世界@名無史さん:2005/08/25(木) 23:24:56 0
>>455
背が高く、眼光炯々として白髯(ソースはペルシアのなんかの歴史書らしい)
469世界@名無史さん:2005/08/26(金) 10:26:26 0
バイカル湖とオノン河の距離はいくらか?
470世界@名無史さん:2005/08/26(金) 21:38:18 0
それ以前にバイカル湖周辺に鉄鉱脈があると分かったのがいつかというのが問題だわな。
471世界@名無史さん:2005/08/28(日) 11:53:21 0
あの辺にいたメルキト族なんかは製鉄で有名だったらしいが
472世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:35:38 0
>>471
なにに書いてあったっけ?それ
473世界@名無史さん:2005/09/03(土) 19:13:41 0
チンギスハンは思えば、世界史上でも成功した征服者ではあるね。

ハンニバル、ヒトラーは志がならずに最後は自殺しているし、
ナポレオンの晩年は悲惨そのものだし、カエサルは暗殺されているし。
しかもチンギスハンはアレクサンドロスのように一代の英傑では終ってないし、
始皇帝のように無能な子供たちを抱える事もなかったのは間違いなく恵まれている。
ハンニバル、ヒトラーのように志がならずに自殺する事もなかったし、
ナポレオンのように悲惨な晩年を迎えることにもならなかったし、
アレクサンドロスとは対照的に一代で終わる事もなかったし、
始皇帝のように恵まれる事もなかった。

広大な地域を征服して世界帝国を抱きながら、
多くの事に恵まれるとは間違いなく成功した征服者ではあるね。
474世界@名無史さん:2005/09/03(土) 21:04:28 0
ムハンマドも成功者
475世界@名無史さん:2005/09/06(火) 01:00:43 0
基本的なことかもしれませんが、チンギスの「蒼き狼」って由来は何でしょうか?
476レイプマン:2005/09/06(火) 01:13:23 0
成功した強姦魔
477世界@名無史さん:2005/09/06(火) 01:45:47 0
>>475
「ボルテ・チノ(斑狼)」の漢訳。
「蒼」には「青い」という意味の他に「まだら/ブチ/灰色」の意味もある。
斑馬を「アオ」と名付けるのは、そこから来てる。
478世界@名無史さん:2005/09/06(火) 02:07:26 0
英雄色を好むってのは大筋で当たっている。
支配性向が人一倍強い人間が乱世の英雄になりやすい。
だから男性の支配欲の象徴であるレイプをチンギスが好んだのは当然と言えば当然だろう。
479世界@名無史さん:2005/09/06(火) 13:34:22 0
チンギスのレイプの話は何で読めますか。元朝秘史とか?
480世界@名無史さん:2005/09/06(火) 13:44:24 0
世界で最も誤解されているアジアの英雄だな。
共産主義国家のソ連や支那、そして自ら、
さらにはあのこ汚いイギリスなどから「チンギスはレイプ魔」
などと言いふらされてまあ。
481世界@名無史さん:2005/09/06(火) 13:45:20 0
チンギスって名前からしてレイプ魔っぽいよな
482世界@名無史さん:2005/09/06(火) 14:41:10 0
>>480
日本は?
483世界@名無史さん:2005/09/06(火) 14:58:32 0
どこかのスレでチンギスがレイプや略奪を趣味にしていたのは、他国の意図的な
曲解と宣伝からくる捏造と指摘されてましたし、モンゴルの集史かなにかで
その誤訳の部分が抽出されてましたよ。下のほうに沈んでるかもね
484あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/06(火) 15:48:59 0
>>477
古代日本語の「アオシ」も「アワシ」と親縁の語ではっきりしない色の意味で、
必ずしもブルー系とはならないそうです。「白馬の節会」の白馬を「アオウマ」と
読むのもこれで説明できます。この反対が「シロシ」で「シルシ」と親縁の語で
はっきり認識できる色=白ということのようです。また「アカシ」は明るい色=
赤であり、「クロシ」は暗い色=黒ということになります。日本古代には直接
指定できる色はこの4種だけで、今日でも赤い・青い・黒い・白い以外の色は
黄い・紫い・茶いなどと表現することはできず、黄色・紫色・茶色などと間接的
比喩的表現を取らざるをえない構造になっています。
485世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:12:31 0
>483
先々月の下旬に「モンゴル大虐殺史」スレで書いた254-258,260レス目のことかな?
『蒙韃備録』や『黒韃事略』、長春真人の『西遊記』をからめればもう少しチンギス・
ハンの西征について突っ込んだ話も出来たかも知れないが、白文を読むことが出来ない
ので多分元ネタであろうこのドーソンの邦訳と『集史』原文(刊本のみ)を対照させて
読むに留まった。チンギス・ハンの性格についてモンゴル関係の漢文史料との対応は
自分の能力を超えるので、漢籍を素読できる方々それぞれで確認されることをお勧め
したい。

ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1116559441/l50

一時期キヤト氏族とタイチウト氏族の関係を書こうと思ったが、どこのスレだったか
忘れたが他の板かスレで詳しい解説が別にされていたので放置してしまった。(汗
今さらでもないだろうし。
486世界@名無史さん:2005/09/07(水) 00:14:26 0
なんかものすごくマニアックなイル汗朝スレになってるな
487世界@名無史さん:2005/09/07(水) 03:33:33 0
チンギスがレイプ魔ってわけじゃなく、当時のモンゴルでは女の略奪(レイプ)は当たり前の風習だったから。
レイプ魔ってのは当たってるんだけど、特別のレイプ魔じゃないと思う。
モンゴルの風習なんだからしょうがないと言えばしょうがない。
488世界@名無史さん:2005/09/07(水) 23:42:47 0
レイプ魔って言うのは露スケみたいに責任を取らず殺したりもする豚民族の事だろ。
モンゴル人は子供を生ませて子孫として育てるじゃねーか。
489世界@名無史さん:2005/09/08(木) 00:29:34 0
国家は野盗の類とは違うんだっての。なんで国家がそんな狼藉を働くのよ?
それでその後どうやってその怨嗟にまみれた土地と住民を統治するの?
常識で考えろよ。
490世界@名無史さん:2005/09/08(木) 01:19:27 0
>>489
恐怖政治という言葉を知らないのかい?
チンギスのやったことは究極の恐怖政治だよ。
逆らえば、女子供構わず皆殺し。
独裁者の多くが内部から崩壊しない理由をよく考えてみろよ。
スターリンやヒトラーが野蛮じゃなかったとでも?
491世界@名無史さん:2005/09/08(木) 01:21:35 0
>>489
国家権力が野蛮な行為をしないと考えているのは痛すぎる。
もう少し歴史を勉強しよう
492世界史初心者:2005/09/08(木) 02:08:44 0
新しく発見された大規模鉄生産工房によってどのくらいの軍事力を支えられるの?

あとこれと同規模の工房は他にはどこで見つかってるの?
493世界@名無史さん:2005/09/08(木) 10:58:01 0
>モンゴル人は子供を生ませて子孫として育てるじゃねーか。

いや、それもどうかと思うぜw
何せモンゴルの不細工オヤジの子供を無理矢理生まされるんだからなw
犯される女は半分は自分の子だし、たまったもんじゃないだろ
それなら死んだほうがマシと思っても不思議じゃない

白人はモンゴル顔に強烈は嫌悪感があるらしいからね・・・
494世界@名無史さん:2005/09/08(木) 12:33:53 0
モンゴルのレイプの話は何で読めますか? 元朝秘史とか?
俺にだけ教えない気でつか?
495NANA:2005/09/08(木) 13:15:09 O
チンギス・ハンの本名なんだっけ?
496世界@名無史さん:2005/09/08(木) 13:16:14 0
>495
テムジン
497世界@名無史さん:2005/09/08(木) 18:30:26 0
チンギスハーンなんか別に大したことないね。
突厥と領域あんまり変わらないじゃん
498世界@名無史さん:2005/09/09(金) 00:18:18 0
>>494
その話題は何度か出たが、ペルシア語史料では略奪と殺戮の話は頻出するが
レイプ話しはまず出てこない。ドーソンについては「チンギス・ハン紀」の部分は
取りあえず「大虐殺スレ」で調べた通りだった。『ガリーチ・ヴォルイニ年代記』
にも略奪と殺戮は出てくるがレイプ話しは出てきたか覚えが無い。

あるいは当時のアラビア語史料か、欧州の文献にでも書かれているのかも知れないが、
これはラテン語読める人か西洋史に詳しい人に聞かねばわからない。マムルーク朝時代
の文献でも婦女子や青少年の奴隷としての「かどわかし」「誘拐略奪」「人身売買」
などでエジプトやシリアで「モンゴル人」が売られることは出てくるが、レイプものは
あったかどうか・・・

考えられるのは欧州系の近現代の文献とか漢籍だが、漢籍は歴史書とか紀行文や
『元典章』など以外はあまり当てにならない。欧州の近現代のものはたまに
典拠不明な偏見丸出しの記述があるようだが、これをいちいち見つけるのも
骨の折れる話だ。

ガザン・ハンが出した勅令に「婢女を力ずくで酒場に置くのを禁じる」というのが
あるようだが、よもやこれのことじゃあなかろう。モスクやハーンカーフなどの前に
娼館のようないかがわしい建物を建てることを禁じ、婢女をもとの家に返すよう命じた
という話で都市内部の話だからモンゴル軍民は関わらない。これもどちらかと言えば
人身売買とかの話だ。
499世界@名無史さん:2005/09/09(金) 00:20:03 0
>>497
>突厥と領域あんまり変わらないじゃん
その言い方だと突厥が大したことないように聞こえるのだが。
500世界@名無史さん:2005/09/09(金) 21:22:08 0
>>497
禿堂。
突厥はもちろんたいしたことあるんだが、中央ユーラシア史のスケールで見ると
チンギスのモンゴルが傑出してすごいわけじゃないわな。
征服者としてのチンギスは過大評価されすぎ。その存在意義も誇張されすぎ。
突厥のイステミ可汗に謝れ!
偉いのはむしろオゴタイやモンケ、そして彼らに従った一族と家臣団。
遊牧英雄としてのチンギスに特に優れたところがあるとすれば
国家建設事業における組織力と政治力だな。
これにしたって契丹や金やウイグルみたいな先例はあったわけだが。
501世界@名無史さん:2005/09/09(金) 22:37:33 0
ようはチンギスなんてただの殺戮と強姦が大好きなだけの暴走じじいだってこと。
502世界@名無史さん:2005/09/10(土) 00:53:17 0
>>500
契丹や金やウイグルは爆発的な領土拡大はなかったからね。
両方を兼ね備えていたのはチンギス・ハーンのモンゴル帝国のみ。
503世界@名無史さん:2005/09/14(水) 11:41:29 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E5%8E%A5

突厥・・たいしたことないやん。
母体が弱すぎ
504世界@名無史さん:2005/09/14(水) 23:47:01 0
いや、これは突厥が大したこと無いというよりかは、
Wikiには突厥について大した情報が載っていないだけな気が・・・

>小可汗やベク、シャドの称号を持つ有力者が乱立しており、
これも護雅夫先生の研究と微妙に言ってることが違う。

小可汗というのは突厥帝国の最高首長たる(大)可汗に従って
右翼や左翼、中軍などを指揮し、大可汗から安堵された所領を
統括する首長級の「阿史那」氏族の王族たちのことで、
ベクは可汗に従属する各地の氏族長たちのこと。

「シャド」は恐らく「イフシード」や「シャダピト」などソグド語や
中世ペルシア語など中期イラン語に由来する呼称らしいという説が
有力だそうだが、
大可汗の権力が中央集権化するとともに小可汗に代わって抬頭してきた
大可汗に直属して大可汗の軍を統率する股肱の臣下で、これも王族だった
らしい。

その他、突厥帝国中央とは別に帝国の外縁にいた鉄勒諸部といった
テュルク系などの「その他の首長」たちをイルキンやエルテベルなどと
称していたことが分かっている。アラブ征服軍と争ったアフガニスタン
方面の「リトビール」なる首長たちは、この「エルテベル」のことだったらしい。
505世界@名無史さん:2005/09/16(金) 21:07:30 0
とりあえず、
初代が起こしてその後に最大版図を築いたようだけど、
一代での征服領域も最大征服領域もモンゴル帝国よりも明らかに狭い。
少なくとも征服の規模としてはとてもモンゴル帝国に比肩できるものとは思えない。

華北かロシアか中東どこか一つくらい制圧しておかないと、
ちょっとスケールで対抗できないでしょう。
506世界@名無史さん:2005/09/16(金) 21:37:02 0
要するに突厥の最大領域が、
チンギス・ハーンが一代で征服した領域に匹敵するくらいだ、
と言うだけのことでしょう。
まあ、それでもチンギスの方が一回り大きいわけだが。
最大領域同士で比べれば圧倒的にモンゴルの方が広大だし、
そのような広大な領域を制した帝国の創始者ということで、
チンギスの名が広く知れ渡っているわけで、
それに比べてしまえば突厥やその指導者があまり知られていないのも、
至極当然と言わざるを得ない。
507世界@名無史さん:2005/09/21(水) 23:40:34 0
俺の爺さんはチンギス・恒三・ハーン
508世界@名無史さん:2005/09/22(木) 15:27:32 0
揚げるよ〜
509世界@名無史さん:2005/09/23(金) 00:22:08 0
つーかチンギス・ハンを征服領域だけで判断するのは間違いだろう
チンギス・ハンが強力な安定した組織を築いたおかげで
孫達も活躍できたわけで
チンギス・ハン以前の遊牧民の組織は比較的脆弱だったからな
それまで部族中心で動いてた遊牧民を部族から解体して
国家組織に組み込んだのがでかいな
510世界@名無史さん:2005/09/23(金) 21:20:16 0
むしろ現地の知識人・有力者を懐柔して上手く登用したのが
モンゴルの美点か。
511世界@名無史さん:2005/09/24(土) 18:34:09 0
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1127553490/
"「ジンギスカーン!」と叫ぶ" 謎のセックス教団?「ザイン」が埼玉でイベント
512世界@名無史さん:2005/10/15(土) 15:41:23 0
横山光輝の漫画版読了。

次、小説系ならどのへんがオススメですか?
513世界@名無史さん:2005/10/15(土) 15:47:39 0
V.G.ヤン「蒙古襲来 : 偉大なジンギスカン」
てのはどうか
514世界@名無史さん:2005/10/15(土) 16:36:03 0
>>513
井上靖「青き狼」
陳舜臣「チンギスハーンの一族」
田中芳樹「奔流」

私的には、陳がおすすめ。
515世界@名無史さん:2005/10/15(土) 16:37:04 0
アンカーミス
×>>513
>>512
516世界@名無史さん:2005/10/15(土) 18:55:57 0
井上靖の「蒼き狼」は『元朝秘史』の小説版、
陳舜臣の「チンギスハーンの一族」はドーソンの
『モンゴル帝国史』の元朝部分までと『元史』の
元朝末期部分まで小説化という感じかな。

陳ののは冒頭の登場人物の人選がちょっと意表をつかれた。
517世界@名無史さん:2005/10/16(日) 09:40:57 0
>>514
さらにミス
> 田中芳樹「奔流」
→田中芳樹「海嘯」
518世界@名無史さん:2005/10/19(水) 14:27:00 0
サム・ジャン「チンギス・ハーン」全3巻
結構面白かった。
519世界@名無史さん:2005/11/04(金) 15:18:23 0
大帝国を作ったんだからすごいよね
520世界@名無史さん:2005/11/04(金) 17:05:32 0
>>519

チンギス一族が作ったのであって、
大蒙古の最盛期を一人で演出した訳ではない。
チンギス自身は途中で死んでいるし。
チンギスの運がいいのは、
自身の実力もさる事ながら子供達が意志を引き継いだ点だ。
521世界@名無史さん:2005/11/04(金) 17:07:51 0
チンギス一族を今度の大河ドラマの主役にして欲しいなぁ。
チンギスの幼少期から元朝の創始、元寇までモンゴル側視点でやって欲しい。
522世界@名無史さん:2005/11/04(金) 17:50:37 0
フビライの死で区切るのがいいと思うが>チンギス大河
523世界@名無史さん:2005/11/04(金) 18:02:54 0
>>522
うん。そんな感じがいい。
524世界@名無史さん:2005/11/04(金) 18:13:38 0
モンゴル統一までで一年間終わりそうだな。
525世界@名無史さん:2005/11/04(金) 18:37:01 0
監修は勿論、杉山だろうな。
526世界@名無史さん:2005/11/04(金) 18:58:14 0
>>524
大河になったら第1話でモンゴル統一していそうだ。
527世界@名無史さん:2005/11/04(金) 18:59:56 0
金・ホラズム・ロシア・東欧・南宋戦は是非とも現地ロケで。
528世界@名無史さん:2005/11/04(金) 20:33:39 0
金、ロシア、東欧、南宋あたりは良いとして
ホラズムあたりはなかなか俳優の選抜が難しいね。
アラーウッディーン、ジャラールッディーン親子とか
テルケン・ハトゥンとか。

出来ればイランかアフガンのテュルク系ともイラン系とも
つかない「それっぽい」容貌の俳優をピックアップすると
面白いかも。
529世界@名無史さん:2005/11/04(金) 21:23:51 0
>>520
運が良いっていうか、
息子らの教育や協調していけるような態勢つくりにはかなり努力しているけどね。
まあ、努力すれば必ず育つわけでもないので、運の要素は多分にあるが。
530世界@名無史さん:2005/11/04(金) 21:27:03 0
チンギス・ハンは戦績以上に
基盤となる組織を作った方を評価すべき
531世界@名無史さん:2005/11/04(金) 21:29:14 0
ウイグル・契丹等の投降分子を上手く使いこなしたのも吉。
532世界@名無史さん:2005/11/05(土) 08:35:11 0
>>527
ヒント:予算
533世界@名無史さん:2005/11/05(土) 11:08:35 0
昔から疑問に思ってたのですが、
なぜモンゴルは西欧に攻め込まなかったのでしょうか?
オゴタイが死んだ後でもジュチウルスがその気なら
フランスあたりまでは蹂躙できたはずだと思います。
モンゴルは他の世界に比べてキリスト教圏にはやさしい気がします。
でもインドにもそんなに攻め込んでいないか・・・・
534世界@名無史さん:2005/11/05(土) 11:21:14 0
>>533
オゴタイが死んだ後は直ぐに内輪もめになってしまって、
モンケ・ハーンで一応落ち着いたが、
彼の方針で侵攻目標は中東と中国に決定、
西欧は当時後進地域だから実入りが多いほうを侵攻目標に選んだのは当然のこと、
で、モンケ後は本格的な内輪もめに入り事実上分裂、
ジュチウルスはフラグウルス等との対立で西欧どころのではなくなってしまいました。
535世界@名無史さん:2005/11/05(土) 12:33:25 0
西欧は森だらけで騎馬には不向きだったんだろ
地理的にも遠すぎるし
536世界@名無史さん:2005/11/05(土) 13:51:02 0
ルーシ遠征で森林地帯で攻略に難渋するかと思いきや、
数万の軍団で都市や城塞などを森ごとぐるっと包囲して巻狩り方式で
どんどん追い立て饑餓状態になったところで一気に殲滅していたようだ。
もともとモンゴル軍団には東部やバイカル方面の森林地帯からの帰順民は
多かったし、ロシア〜欧州の森林はもともと東ユーラシアの温帯林程には
林床が厚くないというのもあるのだろうが。

この頃から中欧や東欧でも銀鉱山などの開発が始まりだしてたそうだから
都市部の納税はさほどでは無いかも知れないが、雲南のような鉱山経営や
農村落の開発などだったら「良田」化できるの可能性はあったかもしれない。

都市部についてはフレグ西征軍規模で侵攻されたら中東諸都市の例を見る限り
半年以上籠城できるかは怪しい。
537世界@名無史さん:2005/11/05(土) 17:00:04 0
>>533

地理的に遠すぎるからだろ。
西欧より日本が征服対象にならなかった方が、普通に考えれば変だぞ。
日本の方が西欧より地理的に近いし。実際に何度か攻め込んできたが。
538世界@名無史さん:2005/11/05(土) 17:12:17 0
当時の世界は、世界の全ての陸地が塗られている訳ではないから、
世界としては狭かったんだね。
今考えればユーラシア大陸を席巻した超大国でしかないが、
当時の視点で考えると現存する世界の半分を征服した超大国とも考える事ができるのね。

↓当時の国家は少ない。
ttp://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/eurasia191.htm
539世界@名無史さん:2005/11/05(土) 17:20:47 0
>>537
地理的な問題はほとんどないでしょう。
オゴタイが死ななければそのまま侵攻する予定だったのだろうし、
そもそもロシア等でそうだったようにそのまま住み着いてしまうから、
距離はさほど関係ない。

西欧が標的にならなかったのは、
モンケ時代の中東方面への進行方向の転換が大きな要因だと思う。
540世界@名無史さん:2005/11/05(土) 17:35:26 0
思えば大モンゴルは歴史上のどの帝国主義国よりも凄い。

未開な地域を征服し続けた英帝国や米国、帝政ロシアとは対照的に、
モンゴルの征服した所は同程度の文明と言うものがあって、
アフリカを征服した近世の西欧とは比較にならない所がある。
モンゴルは宋征服に見られるように、
ある程度の文明を有し同程度の文明国を征服し続けた。
北米を征服した初期の米国や、世界の版図に組み込まれてなかった豪州や
カナダを征服した英帝国とは対照的にだ。

しかも当時現存する諸国の半分を版図の中に組み込んだのだからな。
凄いとしか言いようがない。
541世界@名無史さん:2005/11/05(土) 17:39:43 0
古代ローマ、英帝国、帝政ロシアは所詮、国家と言うものもなく、
当時の世界地図に書き込まれていない場所を征服したから、
大帝国を作り上げる事ができた。
未開な地域しか征服できなかった欧州とは対照的に、
国家を征服し続けた大モンゴルは歴史上に置いて古代ローマより特出していると言える。
542世界@名無史さん:2005/11/05(土) 17:42:21 0
>>541
カルタゴ・マケドニア・シリア・エジプト、
ローマが征服した地域はどこも立派な国家でしたが。
まあ、面積的にはモンゴルに及ばないが。
543世界@名無史さん:2005/11/05(土) 19:05:57 0
>>537
わざわざ艦隊を作って遠征をおこなったモンゴルはフビライ・ハーン以外にいないんだが

フビライ死後は海上遠征がまったく行われていないところをみると
ジャワや日本に攻め込んだのはフビライの道楽だったんじゃないかとまで思えてくる。
544世界@名無史さん:2005/11/05(土) 19:12:25 0
>>543
一応以下の理由がある

日本 :南宋と通商があるので経済面から南宋を締め上げる
ジャワ:海のシルクロードの航路の確保
545世界@名無史さん:2005/11/05(土) 19:41:13 0
>>543
モンゴルとしては海を渡って攻撃する方が、
大陸の西の端まで攻めていくより不得手っぽいからね。
ベトナムとかじゃあ河を渡るのにも手を焼いているし。
546世界@名無史さん:2005/11/05(土) 20:28:19 0
>>540
けど19世紀後半から20世紀初頭にかけては
ヨーロッパ勢が実質世界征服してたけどな(日本の勢力圏除く)
中国や中東、西アジアはヨーロッパの諸勢力下にあったし
547世界@名無史さん:2005/11/05(土) 20:46:19 0
あの時代は技術力の差がえらいことになっていたからねえ。
まあ、それでも西欧列強がといえば確かに世界を制していたが、
その中に幾つもの国がありしのぎを削っていたわけだから、
単独の国で世界の半分も制覇した国はなかったとは言える。

まあ、モンゴル帝国も一つの国と言えるような時期はかなり短かったが。
548世界@名無史さん:2005/11/09(水) 01:05:19 0
なぜモンゴルはチベット仏教に帰依したんでしょうか?
色んな宗教に出会っているはずなのに。
またチンギス自身は何か宗教をもっていたのですか?
549世界@名無史さん:2005/11/09(水) 01:26:59 0
>>543
フビライもしょせんお坊ちゃんだったんでしょうね。
山野を駆け巡ったチンギスハーンやその息子達とは違う。
政治力はあったみたいだけど戦いが何たるかを知らなかったんだろうね。
膨大な船を生産するのに間に合わないから黄河の川舟を大量に徴発したらしいね。
そりゃ川舟の構造じゃ海上の風雨には耐えられないはずだよ。
550チンカス ハーン:2005/11/09(水) 03:21:31 O
あの時代は良かった。



















そんだけ。
551世界@名無史さん:2005/11/09(水) 11:35:21 0
素朴な疑問です。
同じモンゴル人でもオイラートとかタタールってありますよね。
チンギスはその中の「モンゴル」族の出身なのでしょうか?
それなら、もしチンギスがナイマン出身だったら現在のモンゴル国は
「ナイマン国」になったのでしょうか?
552世界@名無史さん:2005/11/09(水) 13:42:32 0
何故かチンギスについて考えると胸くそ悪くなってくる。
やはり、野蛮人が文明圏を征服していく過程がムカツクからだろう。
553世界@名無史さん:2005/11/09(水) 15:04:03 0
なにしろ羊肉って癖があって臭いから、ジンギスカン食ってムカツク人は多いね
554世界@名無史さん:2005/11/09(水) 22:03:41 0
>>548
モンゴル帝国が本質的にチンギス・ハン家を頂点とする階層的姻族関係に基づいた
遊牧部族連合国家であるため、「民族集団名」としての本来の「モンゴル人(諸部族)」と
「モンゴル帝国構成員or臣民」としての大きな枠組みでの「モンゴル人」とは一応、区別して
認識しておくべきだろう。

モンゴル帝国時代の「モンゴル」について『集史』の説明を手がかりにチンギス・ハンの一族が
当時のモンゴル帝国全体の部族構成からどう位置付けられていたのか、まず述べようと思う。

ラシードゥッディーンの『集史』によれば、これらの「モンゴル帝国構成員」としての
「モンゴル」は、言語的かつ共通祖先の伝承を共有している「氏族的な」民族的区分を、大きく
分けてチンギス・ハンを出した「モンゴル系諸部族」と「その他のテュルク系諸部族」に分類している。
555世界@名無史さん:2005/11/09(水) 22:21:57 0
誤って548と書いたが、>>554は>551にレスしたもの。>>554の続き。

『集史』では一応現存する最古の写本とされるイスタンブール本の叙述順からすると、ラシード
による序文に引き続いて、本文はモンゴル帝国を構成するテュルク・モンゴル系の諸民族を、
1)のちにウイグル、キプチャク、カンクリ、カルルク、カラチュ、アガチャリなどに分派した
  オグズ24氏族を起源とするテュルク諸集団。
2)ジャライル、オイラト、タタルなどモンゴル語を話すがモンゴルとは呼ばれない「テュルク系」諸部族。
  この集団に属すのは、上記を含むジャライル、スニート、タタル、メルキト、クルラウト、 トラス、
  トゥマト、ブルガチン、カラムチン、タムガリク、トルグト、オイラト、バルグト、クリ、
  タンラグト、ケステミ、ウリヤンギト、クルカン、サカイトの諸部族。
3)オグズ系以外のモンゴル高原西部で大国(パードシャーヒー)を形成していたテュルク系諸部族。
  すなわち、ケレイト、ナイマン、オングト、ベクリン、タングト、キルキズ、そして1)にも
  分類されているカルルクとキプチャクの勢力。
  (勿論、タングートの西夏は非テュルク系の言語集団であるが)
4)古くからモンゴルを称しモンゴル語を話す「テュルク系諸部族」すなわち固有のモンゴル語民族。

の4つのグループを章立ててそれぞれの部族集団について説明を行っている。

この4)の分類こそが彼らモンゴル帝国が言ういわゆる「モンゴル系の諸部族」である。
すなわち、当時の理解としてはチンギス・ハンを輩出した「モンゴル系の諸部族」とは、もっと大きな
「テュルク系諸部族」という巨大民族グループの一分派と見なされていたことが分かる。

チンギス・ハンはこの4)に分類される「モンゴル系諸部族」の諸集団の内、キヤト集団の一派に属す。
4)の分類についてはまたいくつかの分類が存在するため、これについては後程また書こうかと思う。

556世界@名無史さん:2005/11/09(水) 22:27:32 0
>>551
チンギス・ハンがこれら「モンゴル系諸部族」集団ではなくナイマン王国から出現してモンゴル高原を
統一するような事態になれば、突厥や契丹などの例を考えれば国家全体を指して「ナイマン」と称した
可能性は高いといえる。耶律阿保機にはじまる契丹王朝は漢風の国号を「遼」と称するが、これは飽くまでも
「漢風の国号」であって、本来は勿論「契丹国」である。
557世界@名無史さん:2005/11/10(木) 10:58:13 0
ぶっちゃけ。

モンゴル帝国って最強だったの?
世界史に与えたインパクトなんかどうよ

俺は領域支配の範囲より文化的な覇権力を重視するので
18cからの西欧のほうが凄かったとみてるが。
558世界@名無史さん:2005/11/10(木) 11:47:12 0
そこでいきなり俺理論を展開されてもなぁ......
559世界@名無史さん:2005/11/10(木) 12:15:52 0
モンゴル帝国よりもイスラム帝国のほうがすごい。
モンゴルの頸木は一時的な物だったがイスラムの頸木は現在でも続いている・・・・
560世界@名無史さん:2005/11/10(木) 20:52:22 0
>>557
文化的な覇権力というなら、
最強はキリストさんかムハンマドさんになるなあ。

まあ、モンゴルについて最強という言い方をする時は、
大抵単純にその軍事力のことを言っていると思うけどね。
561世界@名無史さん:2005/11/10(木) 21:26:32 0
>>557
19世紀以降の西欧は史上最強だろ
軍事力、技術力、文化どれをとっても影響力ありすぎ
しかしモンゴルはあの時代にして
史上初めて世界帝国といえるものを作ったから十分すごい
562世界@名無史さん:2005/11/20(日) 12:16:08 0
モンゴル族は元々チベット仏教を信仰していたのでしょうか?
563世界@名無史さん:2005/11/20(日) 12:34:41 0
>>559
そんなイスラム帝国も昔、モンゴル軍の襲撃によって、壊滅させられていたがな。

>>562
モンゴル族は元々シャーマニズムと呼ばれる自然崇拝をしていたんだよ。
その後、次第にチベット仏教も受け入れられる様になっていったらしい。
実際、チンギス・ハーンはチベット仏教を熱心に信仰していたみたいだし。
564世界@名無史さん:2005/11/20(日) 21:31:23 0
パスパだっけ?
そういえばイスラム人の側近が沐浴をしてるのをチャガタイに見つかって殺されかけたんだよね
モンゴルでは水浴びは自然崇拝上厳禁だったらしいから法に厳しいチャガタイが激怒したとか
565世界@名無史さん:2005/11/20(日) 22:39:41 0
イスラム人の側近の名前をわすれた
566世界@名無史さん:2005/11/20(日) 22:45:42 0
>>563
フレグ西征軍の侵攻でアッバース朝のカリフ・ムスタアスィムが処刑されたことかな?

モンゴル族がテングリをはじめとする固有の天神地祇を崇拝していたことは欧州からの
旅行者なんかも記録している。現在のオボなんかはこの頃からある天壇地壇の名残りだとか。

版図が拡大するにつれ、イスラム教徒や華北などの仏教教団、全真教なんかに寄進を行って
それぞれの地域での宗教勢力の掌握に利用してるけど、モンゴル人自身がイスラムや仏教などに
改宗しはじめるのはオゲデイとかクビライの頃から。基本的にモンゴル政権では各宗教勢力に
自政権の安寧を各宗教の作法で祈願させる、であって、あまりチンギス・ハンに「信心深い」
という形容は宗派側の宣伝文句で、史書の類いはあまり特定の宗派に帰依したような話は出てこない。

チベット仏教がモンゴル帝国で重要性が増すのはモンケの時代にはじまる道仏論争からで、
その判定を一任されていたクビライが、権利濫用で不法をはたらく全真教の特権を剥奪して
華北の宗教総監を第三者的立場にあったチベットのパスパに任せたことからのよう。
567世界@名無史さん:2005/11/21(月) 22:02:26 0
イスラムといえばアサン・サルタグタイの名前にプチワロス
568世界@名無史さん:2005/11/21(月) 22:49:28 0
そうか?
569世界@名無史さん:2005/11/26(土) 09:18:54 0
>>565
ラフマーンだったか?
570世界@名無史さん:2005/12/03(土) 06:09:44 0
>>564
お風呂大好き日本人には理解出来ないよねぇ。
遊牧民や漂泊民達っていつもどうしてるんだろう?
子供を沐浴させてるのを何かで見た記憶があるんだけど。

ちなみにチベット旅行した時、両手にスリッパはめた修験者集団と
何度か遭遇したけど…男も女もみんなホームレスみたいだった…。
彼らに近付くと新今宮の香りが…………。
571世界@名無史さん:2005/12/03(土) 08:12:12 0
イブン・ファドラーンの旅行記だとテュルク系のバシュキール人だか
ブルガール族の人間は滅多に身体を洗わないけど、たまに川や池の淵で
行水するとかいう話があったような。

チベットは確か行水すると功徳も一緒に流れ出るから可能な限り流水に
身をさらさないようにしてるとか。乾燥してる良いけどえらく不潔だと
河口慧海の旅行記にもあったねえ。
572世界@名無史さん:2005/12/04(日) 19:10:10 0
パンだかをこねるので手だけは白いとか書いてあったな>河口慧海の旅行記
573世界@名無史さん:2005/12/21(水) 20:15:57 0
age
574世界@名無史さん:2005/12/21(水) 20:30:17 0
>>571
理屈つけるとそうなるけど、実際は気圧が低くて乾燥しているから
汗はどんどん蒸発して行く。だから垢がどんどんたまるだけ。
細菌も繁殖しないから臭いもあまり出ない。かゆくなったりも
しない。要するに風呂に入る必要がないから。
実際チベット行くとわかるよ。
575世界@名無史さん:2005/12/21(水) 20:36:11 0
チベットでは、なまじ風呂に入って垢を落とすと病気になると聞いたことがある。
垢が極度に乾燥した外気や強い紫外線などから皮膚を保護しているからだとか。
本当かねえ?
576世界@名無史さん:2005/12/21(水) 20:53:44 0
俺のじいさんが馬賊やってたとき、仲間のモンゴル人が嫌がっているのに、無理やり入れたら、
風呂でのぼせて、それから風邪を引いて翌日の襲撃に参加できなくなったそうです。
577世界@名無史さん:2005/12/21(水) 22:48:34 0
ナイスなじいさんだな
578世界@名無史さん:2006/01/07(土) 06:57:48 0
>>575
そんなばかな。
579世界@名無史さん:2006/01/07(土) 07:45:07 0
ホメロスに遊牧民のスキタイ人がサウナを好んでいたという記述があるし、
気候的に水浴びは難しい土地柄なので風呂の方式は温帯地域とは異なると思うが。
580世界@名無史さん:2006/01/09(月) 23:53:13 0
名大出版会からなかなか面白そうな本が出たね。
いかんせん値段が〜orz
581世界@名無史さん:2006/01/14(土) 12:23:02 0
【映画】「大和」超える空前スケール、角川映画第2弾は「蒼き狼」チンギス・ハーン
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1137194964/

せっかくの映画なのに安倍クソが絡んでるorz

582世界@名無史さん:2006/01/14(土) 12:35:56 0
>>580
しにか休刊号の予言が忠実に履行されている。
583世界@名無史さん:2006/01/14(土) 17:44:46 0
>>575
だけど子供とかがデッカイ吹き出物で苦しんで日本人医師の所に診察に来てた映像を見たよ
皮膚が弱いと生き残れない国だな
584世界@名無史さん:2006/01/16(月) 00:51:11 0
>>581
スブタイ役にはぜひドルジを。
585世界@名無史さん:2006/01/16(月) 15:17:58 0
元寇をやって欲しい。
586世界@名無史さん:2006/01/22(日) 21:09:26 0
    (○) ポン
    ヽ|〃
   /〜ヽ
  (。・д・)
   ゚し-J゚
587世界@名無史さん:2006/01/22(日) 21:55:15 0
元寇
元→中華王朝の国名・王朝名。
寇→盗人・泥棒。
センスのない造語だよ、まったく!!
年明けしてから随分経つけど、
今年はチンギス・ハンの第二次即位800周年。

『元朝秘史』では寅歳、『集史』では同じく虎の年、春、ヒジュラ暦602年ラジャブ月
というから西暦1206年2月11日から3月12日の間ころ。オノン河の水源でクリルタイが
開かれて、ここに九本の脚ある白い纛(トク)をうち立てて、
「チンギス・ハン」という称号を、コンゴタイ氏の首長モンリク・エチゲの子で巫者のココチュ・
テプテングリより捧げられた。

このときのクリルタイで、「チンギス・ハン」という尊号が定められ、ムカリが「国王」の称号を
賜り、モンリク・エチゲ、ボオルチュ、ムカリ国王以下88名余りの各々に95の千戸を司る長官
(ノヤン)として名指しして任命された。あわせて逃走したナイマンのグチュルクを討つべく
ジェベ率いる追討軍の派遣も決定された。

先年にナイマンとメルキトを征討し、かのジャムカを捕殺し、事実上モンゴル高原の大半を手中に
したことで、年が改まった初春に新たな国家集団のスタートとして国勢を整えたのがこの年だった。
589世界@名無史さん:2006/02/19(日) 11:41:37 0
age
590世界@名無史さん:2006/02/22(水) 09:08:01 0
>>581

【映画】「男たちの大和」に続き反町隆史が主演…日本・モンゴル合作映画「蒼き狼」
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1140555760/

予想通り最悪のキャストです・・・
591世界@名無史さん:2006/02/25(土) 23:53:29 0
徳王はチャガタイ系だよね?
592世界@名無史さん:2006/02/26(日) 00:04:25 0
>>591
??意味不明??

徳王は右翼スニト部(旗)、チャハル部の分家
593世界@名無史さん:2006/02/26(日) 20:58:32 0
反町みたいな軽薄な奴がチンギス・ハンかよ
594世界@名無史さん:2006/02/27(月) 17:58:31 0
母親のホエルンの視線と言う事は
モンゴル統一の時点で終わりと言う事か。
595世界@名無史さん:2006/02/27(月) 18:27:02 O
オレのクラスの世界史の先公は、オカシイ。だって、中世の授業でモンゴル帝国の事をスル〜し、欧州中心で行ってるもん!
596世界@名無史さん:2006/03/02(木) 14:42:47 0
欧州中心史学派からしたらモンゴル帝国時代は
語るに値しない暗黒時代だからな。
せいぜい、十字軍関係でプレスター・ジョンと混同して出てくるくらい。
人名表記もあやふやだし。
597世界@名無史さん:2006/03/19(日) 02:00:43 0
       
598世界@名無史さん:2006/03/25(土) 16:59:14 0
599世界@名無史さん:2006/03/31(金) 17:45:54 0
うほ
600世界@名無史さん:2006/04/02(日) 02:30:32 0
600ゲット
601世界@名無史さん:2006/04/04(火) 01:05:11 0
浅野忠信が「今度ジンギスカン役をやるので、髪を伸ばしてます」って言ってたけど…?
602世界@名無史さん:2006/04/05(水) 18:28:21 0
チンギス役は反町じゃなかったけ?
まあ角川+原作が森村じゃ期待できないが。
603世界@名無史さん:2006/04/05(水) 20:11:21 0
>>601
浅野忠信がテムジンをやるのはこっちな。

セルゲイ・ボブロフ監督"Монгол"
ttp://www.ctb.ru/movie/view.jsp?id=25
604世界@名無史さん:2006/04/06(木) 18:57:46 0
>>603
ぽいずんよりこっちのほうが断然楽しみだな
605世界@名無史さん:2006/04/06(木) 18:59:15 0
浅野がいい感じに小汚い蛮族化してるwww
606世界@名無史さん:2006/04/07(金) 09:09:53 0
チンギスハーンをリアルにやるなら
やはり髪型はカッパ剃り&お下げでないと
607世界@名無史さん:2006/04/07(金) 15:12:18 0
>カッパ剃り&お下げ
kwsk
608世界@名無史さん:2006/04/07(金) 16:06:23 0
時代劇の芸者はまず鉄漿をしないように
なんかビジュアル的にやってはいけない一線みたいなもんがあるのだろう
609世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:27:37 0
610世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:32:51 0
アーマードモウコノウマカッコヨスwww
611世界@名無史さん:2006/04/07(金) 22:52:46 0
>>609
ちっちゃいな。実際の馬なんて競馬の画像か原哲夫:絵しかしらんわけだけど。
612よろずこ:2006/04/08(土) 00:39:28 0
>609
ナイマンやカラキタイは兜を被っているが、
脱いだら、モンゴルとかわんねーでないの?
613ad:2006/04/08(土) 00:45:36 0
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614世界@名無史さん:2006/04/08(土) 01:05:01 0
たしか契丹人は剃り残した前髪の両端を辮髪に結ぶんだよな。
615世界@名無史さん:2006/04/09(日) 15:13:52 0
>>609
モンゴル兵の甲冑は写本ののから判断するとだいたいこんな感じ。
ただカラキタイやナイマン兵の甲冑がこんなだったかはちょっと不明・・
あとカラキタイの兵士がこんな風貌だったかは怪しい。
太刀ももう気持ち半尺くらいはあったと思う。

モンゴル高原やアルタイのあたりの今のモンゴルやカザフ系の人たちが
乗ってる馬がこんなくらいの大きさだったと思う。ただ当時は軍馬として
育成・使用していたのでやはり気持ちもう一回り大きかったかも。

○狩りで騎射するモンゴル貴族の図(イルハン朝後期ころ)馬と人物の対比はこんな感じ?
ttp://www.lacma.org/khan/5/images/20pu.jpg
○馬と人の甲冑(前者はジャライル朝からティムール朝初期の『王書』の一場面)
 (後者はイルハン朝後期の同じく『王書』のアレクサンドロスのインダス渡河)
ttp://www.ee.bilkent.edu.tr/~history/Pictures1/im20.jpg
ttp://www.lacma.org/khan/4/images/49pu.jpg

○帽子を脱いだ姿(『集史』のチャガタイの葬式場面)
ttp://gallica.bnf.fr/scripts/mediator.exe?F=C&L=07817175&I=000001
月代のように額から頭頂部まで剃り上げちゃってるけど、葬式だからそうしているのか
写本の挿し絵が描かれた頃の風俗はこうだったのかは不明。
616世界@名無史さん:2006/04/12(水) 01:40:12 0
>>615
>>609のイラストが載ってる本が手元にあるけど
解説によると

モンゴル Main sources: based on a reconstruction by M. V. Gorelik, plus early Mongol weapons and harness fittings, ex-Pletnyeva.
ナイマン Main sources: Kirghiz sword, 10th-12th C., ex-Khudyakov; scale armour and helmet, 12th-13th C., ex-Khudyakov; Christian
      cross from northern Caucasus, 10th-11th C., ex-Pletnyeva.
西遼   Source: 'Uighurs pay homage to Guo Zui', Chinese scroll painting, 11th-12th C., Nat. Palace Mus., Taipei.

モンゴルとナイマンはロシアの考古学者がソースらしい。
西遼のは宋の李公麟が描いた「免冑圖」のウイグル族を参考にした様子。
ttp://www.wcjs.tcc.edu.tw/Art/CHPaint/chp7-42.htm
ちょっと細部は見えにくいが・・・
ちなみにウイグルの容貌がものすごい差別的に描かれているのが見所ですw
617世界@名無史さん:2006/04/12(水) 21:28:12 0
いいくにつくろう じんぎすはーん ひつじひつじー ひつじーにくー
618世界@名無史さん:2006/04/12(水) 21:46:05 0
羊肉はどうも日本人の味覚には合わないと思ってたが
扱いと保存がテキトーなだけなんだな、最近のジンギスカンウマウマ
619世界@名無史さん:2006/04/21(金) 01:11:26 0
>>617
こよみ、帰って来い。 タマ姉と待ってるぞ。
620世界@名無史さん:2006/04/23(日) 05:26:00 0
なぜ、チンギス・ハーンが歴史上空前の大帝国を作ることができたのかを
モンゴル帝国の持っていた理念や構想を解き明かす事で
考察していきましょうか。
引用は、「堺屋太一が解く チンギス・ハーンの世界」(堺屋太一著 講談社)より

私は学生の頃から、「偉大な人とはどんな人物か」を考えてきた。
もちろん、これには対象を尺度を定めなければならない。
(中略)
そこで、私なりに客観的と思われる「基準」を考えた。それは次の五つである。

@斬新で効果的な理念理想を創造していたかー理念(イデア)の創造力
A理想を実現するための具体的な構想構図を描き得たか
ーコンセプトの具体化能力
B右の構想を実現するための組織を作り、実行をなし得たかー組織力と実行力
C現実政治の中で他人を納得させ、よき人間関係が作れたか
ー対人技術と人間的魅力
D地位と役割にふさわしい知識と技能と体力を備えていたかー知・技・体の能力
(中略)
ところで、このような基準で、個人的な好悪や近代的な価値基準から
なるべく離れて考えたとき、きわめて点数の高いのがチンギス・ハンである。
チンギス・ハンが思い描いた理念と理想はじつに斬新だ。
その実現のために生み出した構想構図の具体性と整合性、
それを実現するための手法と作戦の確かさも驚異的である。
あらゆる人種と文化と習慣の人々を傘下に収め得た対人関係の巧妙さにも
恐れ入るばかりだ。
その上、自らの理想と構想を、その後継者群に確実に伝え、地球的規模で実現させた
教育と感化の力もすさまじい。
だからこそ、チンギス・ハンの拓いた帝国は、史上最大の領域を治め、きわめて長期にわたって続いた。
621620:2006/04/23(日) 05:47:15 0
では、チンギス・ハンはなぜ世界を征服しようと考えたのか。
これに対して、世界の歴史家はまだ十分な解答を与えていない。
ここではっきりしているのは、チンギス・ハンとその一党は経済的理由、
つまり「物欲」のために戦ったのではない、ということだ。
チンギス・ハンとその傘下のモンゴル人が豊かに暮らすだけなら、中国の一部か、
西夏かウイグル王朝のどれか一つを占領すれば十分だった。契丹族の遼も、
女真族の金も、それで満足した。
特にチンギス・ハンが生涯質素な遊牧民の暮らしを愛したことは
諸史料が等しく伝えるところである。
また、チンギス・ハンとその一党が勝利の歓喜と栄光に酔って戦旅に出た、という
のも信じられない。チンギス・ハンの遠征はきわめて計画的で大仕掛けだ。無抵抗に
帰順した相手には広範な自治権を与え、低率の納税と治安の安定以外には
多くを求めなかった。
有名な「モンゴルの大虐殺」は、しぶとく抵抗した相手、とりわけいったんは
帰順してから叛乱した者に対する懲罰であった。

622620:2006/04/23(日) 06:09:17 0
もう一つ、チンギス・ハンの征服戦争で重要なのは、自らの信仰や習慣、
つまり「固有の文化」を征服地に広めようとしなかったことだ。
古来の征服者は、アレキサンダー大王もローマ帝国も、漢も唐も、イスラム国家や
近世キリスト教国も、みな自分たちの知識や信仰、制度習慣などの「文化」を
征服地域に広げようとした。
中でもむごいのは十六世紀以降の西洋諸国である。彼らは、自らが開発し確立した
近代西洋文明を「科学的客観的であり、それゆえに普遍的である」と称して、
全世界に広めることに強い使命感を持った。
大抵の征服者は、自らの文化を誇り、それを全世界に普及することに使命感を持つ。
だが、チンギス・ハンは違った。遊牧民の文化を農耕民や都市住民に押しつけること
はしないし、モンゴルのシャーマニズムを他民族に普及しようとしたこともない。
むしろ、そのような要求がモンゴル人の間から出るのを嫌ってか、外征に出る前に、
霊媒として権威を持っていたテプ・テンゲリ(天の巫士)を誣告の罪で処刑している。
とはいえ、チンギス・ハンは自らの文化と信仰に誇りを持っていなかったわけでは
ない。チンギスは生涯遊牧民の生活様式とモンゴルのシャーマニズムを
捨てなかったのだから。
チンギス・ハンが創った世界の理念はそれまでの征服者とはまったく逆、
人種や信仰によって差別することのないグローバリズムの世の中である。
チンギス・ハンはユーラシア全域を征服することで、地の間を切断する境界をなくし、
人の間に人種や信仰風俗による差別のない世の中を創ろうとした。
史上最初の「世界」という概念の発見であり、最古のグローバリズムでもある。
チンギス・ハンの大征服は、そんな「世界」を創るための戦旅だったのだ。
623620:2006/04/23(日) 06:44:55 0
「地に境界なく、人に差別ない」世の中にしようという理念(イデア)を持った
チンギス・ハンは、それにふさわしい具体的構想(コンセプト)を考えた。それは、
@無限無差別の取り込み主義
A絶対王政
B経済重視
の三つである。
チンギス・ハンは敵対者には厳しく残忍だったが、降伏した者、帰順した部族や都市には
寛大だった。すでにモンゴル平原の東側で部族間闘争を繰り返していた頃から、
帰順した氏族や部族は同盟者として遇した。ここで残った差別は、「先に臣従した者ほど
上座に座る(厚遇される)」という遊牧民の伝統的社会習慣だけだった。
旧南宋の漢族系の人士が、「胡人(モンゴル草原の民)、色目人(西域のイラン系トルコ人)、
漢人(旧金国の民)、南人(旧南宋国系)の順列がある」として、モンゴル政権
を非難するが、これも単なる帰順順位。人種や宗教や文化や本籍で分けたのではない。
むしろ、こんな非難が書き残されたのは、中華文化の本流を自任する旧南宋の文化人が、
胡人や色目人と同列に扱われたことへの不満とみるべきだろう。
何より重要なことは、これらすべての人々を、「本国と植民地」とか「本土と属州」
に、差別したのではない、という点である。
チンギス・ハンはモンゴルの文化や宗教を押しつけなかったし、他のどの人種のそれも
強要しなかった。すべてを本国に編入し、それぞれに活動が許された。彼が残酷
この上ない怒りを示したのは、自由な通商と安定した治安を乱した者に対してである。
モンゴル帝国は、あらゆる人種、宗教、文化、地域を取り込んだ。
このせいで、モンゴル帝国は無限無差別にに拡大した。
もとはと言えば、モンゴル草原の東北隅で遊牧していたモンゴル族の一氏族の孤児に
過ぎなかったチンギス・ハンが、四十年ほどの間に自らの支配地を全モンゴル草原から、
ユーラシア中央部全体に広げ、ついには世界の大半を占めるに至る。
人の面では、モンゴル人にトルコ人、漢民族、高麗人、イラン人、さらにはロシア人、
アラブの人種まで加える。孫の代になると、ハンガリー人やイギリス人の将校、
ユダヤ人の宰相さえ出た。
624世界@名無史さん:2006/04/23(日) 13:12:12 0
強大な力をもった権力者が世界征服を目指したというだけの話なんだが。
625世界@名無史さん:2006/04/23(日) 17:27:13 0
堺屋太一は「超巨人・明の太祖朱元璋」で朱元璋をマンセーしていたが
今度はチンギスに鞍替えか。忙しい事で。
626世界@名無史さん:2006/04/23(日) 17:41:12 0
というか、ペルシャもアレクサンダーもローマも、
基本的に自分たちの文化を強制しようなんてしていないしなあ。
中華帝国の場合には中華思想の世界観の中に異民族を組み込もうとしていたけど、
極端な文化の破壊や強制は一神教か国民国家による征服の場合で、
そのどちらでもないチンギスがそういうことをしなかったからといって、
別に驚くことでもない。
627世界@名無史さん:2006/04/23(日) 17:52:09 O
ふむ
628世界@名無史さん:2006/04/23(日) 17:52:20 0
堺屋の書くものは、その時その時の経済状況にあった
人物を取り上げて、今使える処世訓を抽出、サラリーマンに
受けを取ろう、という底の浅い本ばっかりだからねえ。

取り上げる人物の選択に特に史学的なポリシーはない人だよ。
629世界@名無史さん:2006/04/23(日) 17:54:32 0
チンギスが今に至るまで崇拝されているのは死後、帝国が崩壊しなかったから。
他の遊牧民国家だと、大抵開祖者の没後内紛で分裂して滅亡・土着化が常識なのに
モンゴル帝国は少なくとも14世紀まで存続して後継国家にも恵まれた。
630世界@名無史さん:2006/04/23(日) 17:56:21 0
堺屋がこの時期にモンゴルを賞賛しているのは単に今年が
大モンゴルウルス建国800年に当たるから、それに便乗しているだけだろ。
631世界@名無史さん:2006/04/23(日) 18:13:51 0
チンギス自身天才だったんだろうけど、
彼の覇道を手助けした人たちが多かったことも忘れないでください(><)
彼が街道を整備したおかげで多くの行商人が利益を受けました。
632世界@名無史さん:2006/04/23(日) 18:24:08 0
早くから帰順したウイグル系の文官と情報収集に役立った
ムスリム商人が初期のモンゴルの功臣かな。
漢人世侯の存在も無視できないけど。
633620:2006/04/23(日) 22:39:39 0
敵を征服する者は、味方をも改革する。軍事組織とそれを支える社会構造の改革
なくしては、歴史に残るほどの勝利を重ねることはできない。史上最大の征服者
チンギス・ハンはまた、史上稀に見る社会改革者でもある。
チンギス・ハンが登場するまでのモンゴル高原は、血縁部氏族社会だった。
日本人のような農耕民族は地縁社会、同じ村落同じ地域が社会集団の基盤となる。
これに対して、土地所有権も城も邸も持たない遊牧民は血縁社会、祖先を共にすると
信じる者が部族や氏族を形成する。その点、祖先伝承の意味は農耕社会より重い。
(中略)
日本の戦国時代には、各村落の地主(豪族)が配下の農民を引き連れて戦場に向かった。
大名はそれぞれが武器(豪族)に命令を下しはするが、各村落集団には口出しできない。
モンゴルの遊牧民も同様で、各氏族はそれぞれの族長(ノヤン)の指揮で行動する。
部族全体の指導者といえども同等者の中の第一人者に過ぎず、各氏族の内部のことには介入できない。
(中略)
しかし、その直後、盟友でもあり仇敵でもあるジャムカとの戦い(十三翼の戦い)で敗北、
テムジンはこの組織の脆弱さを知った。各氏族が思い思いに立ち回り、統一指揮ができなかったのだ。
(中略)
もう一つは内部改革、統一指揮権の強化である。こちらは徳川家康の自領内一向一揆抑圧に当たる。
ただし、チンギス・ハンのそれは二十年も続き、完璧な絶対王政に至る。
(中略)
従来、遊牧民の指導者の役割は、戦闘や狩猟(大規模な巻狩)を指揮して勝利と収穫を得て、
全員に不満なく分配することが主で、日常生活の秩序や戦場規律などの公法的支配の
概念が乏しかった。チンギス・ハンは戦勝のたびに、独裁的な政治姿勢を強めた。
もちろん、これを実行するには実力ー武力と経済力ーが要る。
このためにチンギス・ハンはまず五百五十人の親衛隊(ケシクテイ)を作った。
各氏族長の子や弟から体力気力の優れた者を選んで親衛隊員とし、高い格式と強い権限を与えた。
これには各氏族の叛乱を防止する人質の意味もある。
634620:2006/04/23(日) 23:53:13 0
チンギス・ハンの生涯は戦争に明け暮れた。前半生はモンゴル草原内の生き残りと争覇、
後半生は東西への大遠征である。だから、人々が抱くチンギス・ハンのイメージは軍事征服者だろう。
しかし、チンギス・ハンが政治家として重視したのは経済であり、とりわけ通商の拡大である。
もと遊牧の生産は片寄っており、周辺の農耕民との交易がなければ生活が成り立たない。
チンギス・ハンが「無限無差別な国創り」を志向したのも、始まりは自由な交易である。
ところが、ユーラシア大陸は、南は湿潤で植生に富んでいるが、北は寒冷で土地生産性は低い。
その上、チンギス・ハンの登場する少し前(十一世紀頃)から地球は温暖化し、
北ユーラシアにも降水量が増えた。
このことは、運がよければ夏に草が伸び家畜を育てるが、運が悪ければ冬に深い積雪をもたらして
家畜の大量死を招く。
要するに、北の遊牧民は万年貿易赤字の上に、飢餓災害にも見まわれた。
彼らがしばしば侵攻掠奪に走ったのは、このためである。
そうなると当然、南の農耕民は警戒と不信と軽蔑を深める。特に地大物博を誇る中華の国は交易を好まず、
早くから万里の長城を築いて封鎖政策を採った。
たとえ、その王朝(支配家族)が遊牧民の出身でも、この点はさして変わらない。
ところが、十一世紀の初めには、唐の後で中華を統一した宋と中華北辺からモンゴル草原を支配した
契丹族の遼の間で?淵(せんえん)の 盟が結ばれた。この結果、大量の絹や銀が、宋から遼に贈与される
ようになった。いわば経済的に豊かな宋は銭で平和を買い、
軍事に勝る契丹は武力で脅して経済援助を引き出したわけだ。
この図式は、宋とタングート族の西夏にも広がり、次の女真族の金王朝では一段と拡大する。
こうして漠北に流出した絹や綿や茶は、西夏、ウイグル(のちに西遼やホラズム王国も)らの手を経て
西に運ばれ、西域の移動民族やオアシス都市を潤した。
(中略)
しかし「シルクロード」の交易路から外れたモンゴル高原には、ほんのおこぼれぐらいしか入ってこない。
そこでは前述のように、「食べて寝て子を生み育てて死ぬ」だけの千年前と変わらぬ生活が続いていた。
635620:2006/04/24(月) 00:12:46 0
かの西征(中央アジア征服戦争)も、交易を求めてチンギス・ハンが派遣した四百五十人の隊商を、
ホラズム王国の地方長官が殺害したのがきっかけである。
チンギス・ハンは、通商と通信を妨げる者を決して許さなかった。
また、チンギス・ハンは、政権樹立とともに、異常なまでに情報収集にこだわる。
烽火台を重ね、駅伝の制度を整え、諜報要員を全ユーラシアに派遣した。これが確実な制度に
なったのは次のオゴディ・ハンの時代だが、チンギス・ハンが考え出したことには間違いない。
また、チンギス・ハンは征服戦争でも、手工業の職人だけは殺さずに拉致して生産に当たらせることが
多かった。交易の基になる製造業の振興や技術移転にも熱心だったのである。
ここで重要なことは、チンギス・ハンの通商経済重視が、金銀財宝や華麗な王宮を飾るだけの
「重商主義」ではなかったことだ。
チンギス・ハンは生涯質素な生活を愛し、金銀を蓄えることも、大宮殿を造ることもなかった。
宮女を増やして絹で飾ったとも聞かない。取り上げた財宝は部下に分与し、オルトクなどに再投資した。
モンゴル帝国がチンギス・ハンから二世代の間に、史上稀に見るほどの経済成長を遂げた一因は、
始祖チンギス・ハンの通商経済重視の結果である。
その点でチンギス・ハンは、四百年後の絶対君主、イワン雷帝やフェリペ二世よりも
はるかに進んでいた、といえるだろう。
636世界@名無史さん:2006/04/25(火) 23:12:31 0
個人の資質だけじゃどうにもならない時代状況ってのもあるし
チンギス・ハンは征服者、統率者として超天才だったんだろうが
同時に運にも相当恵まれてた
637世界@名無史さん:2006/04/26(水) 03:26:24 0
つまり牛若丸は超天才だったと。
638620:2006/04/26(水) 05:40:52 0
>625
>堺屋太一は「超巨人・明の太祖朱元璋」で朱元璋をマンセーしていたが

毛沢東と朱元璋の類似点を上げ、共産党中国の方向性を予測、
悉く言い当てていたことはあったが、マンセーしていたことはあっただろうか?

>626
>というか、ペルシャもアレクサンダーもローマも、
>基本的に自分たちの文化を強制しようなんてしていないしなあ。

アレクサンダーはそうでもないかもしれないが、
その部下たちには、あきらかにアジア蔑視していた。
ローマも帝国領内に多くのローマ風遺跡が残っているように
文化を征服地に広げようとした。強制まではしてないが。
元は中国風に、イルハン国はイラン風にとすっかり現地化してしまった
モンゴル帝国とは違う。

>628
>堺屋の書くものは、その時その時の経済状況にあった
>人物を取り上げて、今使える処世訓を抽出、サラリーマンに
>受けを取ろう、という底の浅い本ばっかりだからねえ。

終身雇用の崩壊や産業空洞化の問題を30年前に予言していた予測小説「団塊の世代」
オリジナルな経済理論の少ない日本にあって国際的な評価の高い「知価革命」
大河ドラマでも高視聴率をとった歴史小説「峠の群像」「秀吉」
これら多くの著作のどこが、「底の浅い本」なのだろうか?
639620:2006/04/26(水) 06:01:32 0
>629
>チンギスが今に至るまで崇拝されているのは死後、帝国が崩壊しなかったから。

そのあたりは
>その上、自らの理想と構想を、その後継者群に確実に伝え、地球的規模で実現させた
>教育と感化の力もすさまじい。

教育と感化の能力が秀でていたのでしょうね。
理念の創造力と構築力も素晴らしかった。

>630
>堺屋がこの時期にモンゴルを賞賛しているのは単に今年が
>大モンゴルウルス建国800年に当たるから、それに便乗しているだけだろ。

そのあたりは当然意識していると思いますが、大阪万博を成功させたのプロデューサーとしての
感覚の鋭さともいえるでしょう。

>631
>彼の覇道を手助けした人たちが多かったことも忘れないでください(><)
>632
>早くから帰順したウイグル系の文官と情報収集に役立った
>ムスリム商人が初期のモンゴルの功臣かな。
>漢人世侯の存在も無視できないけど。

>B右の構想を実現するための組織を作り、実行をなし得たかー組織力と実行力
>C現実政治の中で他人を納得させ、よき人間関係が作れたか
>ー対人技術と人間的魅力

組織力と対人技術が凄かったといえるでしょう。
もう少し詳しくは、後にいほど引用してみますが。
640世界@名無史さん:2006/04/26(水) 21:22:21 0
閣僚経験者が居るスレはここですね
641620:2006/04/28(金) 07:10:21 0
モンゴル帝国がなぜ、広範な征服地を管理することができたのかを
よく言われるモンゴルの残虐さとして引き合いに出される
「大量報復戦略」と絡めて、考察してみましょう。
引用は堺屋氏の前著より
=======================


もともと遊牧民は騎馬に長け、各人の戦闘能力は高いが、
大集団として結束する意識が弱く、人口も少ない。したがって、優れた指導者が
出現すると短期間で強大な軍事力となるが、すぐ兵力の限界に突き当たる。
戦闘に勝利しても広い地域に守備隊を駐屯させるだけの兵力がないから、
前に進むためには後の兵を引き上げざるを得ない。
(中 略)
チンギス・ハンは、こうした例も考えて、独特の「安上がり省力体制」を創造した。
広大な領域はすべてその土地その住民の自治と自由に任す。
中央政府が求めるのは、「自由にして公正なる交易の保証と低率の納税及びハーン
への尊敬」にとどめ、それ以外の文化、習慣、信仰及び民法的諸制度には
干渉しない、というものだ。
モンゴル帝国は、支配した各地にダルガチと呼ばれる地方統制官(知事または総督)
とごく少数の警護兵のみを置いた。俗に「ダルガチと六十人のモンゴル兵」と言われる
ものだ。六十人は今日の一個小隊、つまり最小単位ということだろう。
これだけならば、統治のすべてを各地の自治政府に丸投げしたことになり、
叛乱離反を止められず、大モンゴル帝国は瓦解する。
この防止策としてチンギス・ハンが採ったのが大量報復戦略である。
モンゴル帝国の基本方針に反して権威を傷つけ、
ダルガチを殺害するような事態を引き起こした地域(都市)は、
必ず完全に破壊し住民は、皆殺しにする、というものである。
642620:2006/04/28(金) 07:52:21 0
「大量報復」とは、一定の地域や民族、宗派の人々を、官民、老若、男女、
善悪、さらには味方に好意的であったか否かなどに関係なく、
無差別に殺しつくすことだ。何とも残虐凶暴な限りだが、その効果は大きい。
まず第一は、叛乱離反への抑止効果だ。叛乱を起こして目前の敵を倒すことが
できても、モンゴル草原から大軍が押し寄せて来て皆殺しの報復を
受けるのでは堪らない。誰もが自制するはずだ。
第二には、住民の相互監視によって叛乱計画を事前に察知できる。
同じ都市(地域)の住民、同じ宗派の信徒というだけで皆殺しにされるとなれば、
大抵の者は叛乱防止の方に傾き、通報者も出る。
第三に、叛乱離反する当事者や支援者を多数の民衆の中から選り分ける手間
と理屈が不要だから、安価で迅速に実行できる。いわゆる「泥沼化」が避けられる。
しかし、これを実行し成功させるのは簡単ではない。大量報復は叛乱者を
死に物狂いにさせるばかりか、いったん決起すれば全住民全信者が決死団結する。
それを確実に打ち破り大量報復を果たすためには、圧倒的な軍事力と
男女の別なく皆殺しにするのを正義と信じる倫理の浸透が必要である。
チンギス・ハンの報復のすさまじさはいくつも逸話になっている。都市を包囲して
猛攻、陥落させると虐殺を掠奪の限りをつくした上に放火する。
それでもなお地下室などに隠れている者を残さぬために河川を氾濫させて浸水
させたこともあれば、水源を爆破して二度と人が住めないようにしたところもある。
イスラムの史家は、サマルカンドやブハラでは「百万人の市民が虐殺された」
と伝えているが、この数字は過剰だろう。当時のサマルカンドは人口は十数万人、
ブハラはそれ以下と見られている。だが、問題は数の大小ではない。
無差別で組織的な破壊と殺戮が何度もあったことは確かである。
もっとも残虐凶暴が大袈裟に伝わるのはチンギス・ハンが嫌ったわけではない。
むしろ叛乱や離反を抑止するために、自らも大袈裟に吹聴した形跡さえある。
敵を殺害し叛乱都市を破壊するのが悪業をは思われなかった時代だったのである。
この戦略が、二十世紀には米国によってより大規模に行われた。
第二次世界大戦中の絨毯爆撃、その極限としての原爆投下である。
643世界@名無史さん:2006/04/28(金) 20:33:52 0
軍事力によって拡大した帝国としてごく普通の姿じゃあないか。
644世界@名無史さん:2006/04/30(日) 00:34:02 0
中原を争った中国人もそうだね。
645世界@名無史さん:2006/04/30(日) 11:30:22 0
>>638
他地域を征服した遊牧民族国家が現地化するなんて、
モンゴル以前も以後も普通にある一般的な現象だけど?
646世界@名無史さん:2006/04/30(日) 17:45:08 0
>>637
義経がチンギス・ハーンになった可能性なんてありえなくね?

>>645
もともとは「文化を強制したかどうか」の話で、
遊牧民はその傾向が薄かったってことだべ?
647世界@名無史さん:2006/04/30(日) 18:05:41 0
そもそも遊牧民国家はモンゴルに限らず、占領地に押し付けるだけの
固有の文化を持たない例が多いからな。
(単に彼等自身が史料を残していないからかもしれないが)
モンゴルも華北・中央アジア・ペルシャ=イランと土着化したのも
遊牧<<<現地の文化と認識したと思われ。
648世界@名無史さん:2006/04/30(日) 19:12:19 0
まあよりによってチベット仏教信仰したりするわけでな
649世界@名無史さん:2006/04/30(日) 21:46:03 0
フビライは母親がネストリウス派キリスト教徒だったのに
何故かチベット仏教に傾倒して、それが大元ウルスの歴代ハーンに
悪影響及ぼしたな。
せめて土着の大乗仏教か道教にしておけばよかったのに。
650世界@名無史さん:2006/05/01(月) 06:46:39 O
>>646
義経とチンギスハーンの関係はナスカの地上絵並みのワクテカミステリーだな
事実かどうかは別にして俺こういうの好き
651世界@名無史さん:2006/05/01(月) 14:44:32 0
>>650
完全な(牧畜もしてない)農耕民族出身者が
騎馬遊牧民族国家で王族みたいな身分までいった例ってあるのかね?
正直日本人では、あの草原文化で高い身分に就けるとは思えない。
大勢の軍勢を引き連れて、
向こうの配下になったとかならありうるだろうがね。
652世界@名無史さん:2006/05/01(月) 21:36:54 0
>>646
そうともいえるし、その理由は>>647のいうとおりだろうけど、
どちらにしても遊牧民族一般について言えることで、
特にチンギスハーンだけの特徴でもないし、
今更騒ぐようなことでもないということ。
653世界@名無史さん:2006/05/01(月) 21:50:24 0
だろうね。江戸時代には義経はチンギス・ハーンでなく、金の将軍になったって珍説もあった。
完顔福興あたりか?
654世界@名無史さん:2006/05/02(火) 03:01:33 0
>>649
チンギスの時代以来、華北の宗教分野を統括していたのは全真教だったけども、
オゴデイが没した時期に前後して全真教は華北の禅宗などの仏教の寺院群を不法に占拠・
接収するようになり、深刻な社会問題を引き起こしていた。
仏教諸教団はカラコルムに対してこの全真教の権利濫用と不法行為を弾劾し、これが
もとになってモンケの時代にいわゆる都合三回に及ぶ「道仏論争」が起きた。
カラコルムで二回、燕京で一回行われたが、これを担当したのが京兆から燕京へ入府した
皇弟クビライだった。

新興勢力だった全真教に華北の利権を与えることで旧来の禅宗などの強大な華北の
仏教勢力を政治部門から分離させることがチンギスの狙いだったようだが、逆に
全真教による専横を招くことになって仏教勢力から猛烈な反発を受けた。

この「道仏論争」にそれまでの燕京の仏教総監だったカシミール僧の某(名前失念)
の後任として入府したのがチベット仏教サキャ派の僧正パスパ。
クビライらモンゴル中央としては、モンゴルとの利権で専横が過ぎた全真教も、勢力として
巨大すぎる華北仏教、特に禅宗系統も直接的な支配権を付与するのはもはや危険だったが、
ここに来てチベット仏教と言うはなはだ都合の良い第三勢力の参入を得た。このためクビライは
モンケからの勅許を得てパスパに華北およびチベットを含む帝国東部の宗教部門を統括する
任務を与えた。

これがいわゆる「帝師」「国師」と称されるもので、クビライに「チベット仏教に傾倒した」
という表現は全くそぐわない。基本的にチンギスにしろオゴデイ、モンケ、クビライ以下の大元朝はじめ
歴代モンゴル皇帝・王族はそれこそ先に全真教も含め、宗派の別なく諸宗教に膨大な寄進をし続けた
のはまぎれも無い事実だが、異にチベット仏教への惑溺云々の場合は、どちらかと言うとも失政や
内紛などの問題を糊塗するために儀式や聖旨を濫発する傾向にあったようで、宗教側の問題かと言うと
状況からするとそういう問題でもないように思われる。
655世界@名無史さん:2006/05/03(水) 00:15:10 0
たまには戦争をしなければ、
どんなに大帝国で、どんな優秀な指導者だろうが、
民衆は国に反旗を翻す。
656世界@名無史さん:2006/05/03(水) 01:03:11 0
>>653
そこらへんここではスレ違いだけど、なぜそのような伝承が発生したかっていう事を
追ってみるのも面白いね。
657世界@名無史さん:2006/05/03(水) 01:14:45 0
自然に「発生」したわけじゃなくて、沢田源内が意図的に
人を騙そうと偽作したわけだから、考えても無駄だと思うよ。
658世界@名無史さん:2006/05/03(水) 01:20:09 0
それに「義経→チンギス汗」説の発展史やバックグラウンドは
長山靖生『偽史冒険世界』で詳しく語られているから、
今さら焼き直しされても新味ないぞ。
659世界@名無史さん:2006/05/03(水) 03:08:06 0
> 燕京の仏教総監だったカシミール僧の某(名前失念)

「那摩」だったと思った。
カシミール名というかサンスクリット名は知らない。
660世界@名無史さん:2006/05/05(金) 16:55:31 0
チンギス・ハーンの再臨を強く望みたい。そして、今度こそ
中国人を絶滅させて欲しい。
661世界@名無史さん:2006/05/05(金) 20:16:56 0
わざわざそんな面倒くさいことをするタイプではない。
662世界@名無史さん:2006/05/05(金) 20:27:07 0
うはwww中国人皆殺しにして牧草地www夢が広がりんぐwww
とかほざいた時点で誰も止めなければ・・・
663世界@名無史さん:2006/05/05(金) 20:43:21 0
>>662
それは作り話。耶律楚材がそんなに偉かったわけではない。
だいたい漢人世侯がそこら中にいたのに虐殺とか無理。
664世界@名無史さん:2006/05/05(金) 21:04:08 0
???
665世界@名無史さん:2006/05/05(金) 21:09:50 0
>>659
そうそう!「那摩」だった。ありがとう。

フレグがタブリーズに仏寺を建立したときも、確かカシミールから
沙門を招聘していたそうだけど、モンゴル政権とカシミールの仏教勢力は
何かしらのつながりがあるんだろうか?

クトブッディーン・アイバクがナーランダー寺院を破壊したのはチンギス・ハンの
第二次即位の直前くらいだったから、奴隷王朝とヒンドゥー諸政権との抗争で流出した
北インドの仏教勢力をモンゴルのカシミール鎮守軍あたりが保護していたとかだろうか。
666世界@名無史さん:2006/05/05(金) 21:18:06 0
集史のインド関係の部分もカシミールの修行僧がインフォーマントだった。

そういやモンケ汗の命令でカシミールに侵攻したのがサリ・ノヤンと
例のニクーダリヤーンで有名なテクデルだったらしい。
667世界@名無史さん:2006/05/05(金) 22:18:41 0
キリスト教信者がキスを始めたのを見て、
ローマ人はキモがってたそうですw
668世界@名無史さん:2006/05/05(金) 22:19:12 0
誤爆orz
669世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:01:38 0
>>665
13世紀当時カシミール仏教は滅亡寸前で、カシミールの高僧たちは
チベットに招かれてそこで種を撒いていた。サキャ・パンディタ〜パスパの
サキャ派は特に代々カシミール高僧に師事していた。

モンゴル王侯も直接カシミールと交流があったわけじゃなくて、
チベット仏教経由。

フレグはパクモドゥ派・ディグン派(どちらもカギュ派)の施主だった。

当時のカギュ派とカシミール仏教の関係はよく知らないが、カギュ派も
カシミールと交流を深めていた可能性は高い。特にディグン派は
西の方カシミール近くまで進出していたからなおさら。

フレグの所には、カシミール経由でチベット人僧・カシミール人僧を
派遣していたんでしょう。
670世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:02:36 0
>>666
「ヒンドゥスターン・カシミール鎮守府」と言っても、実際はカシミールとは
アフガニスタンのことを指しているらしいんだけどね(中国史書で罽賓が
カシミールだったり、カーブル〜ガンダーラだったり、で混乱している
流れをくんでいるのかもしれない)。

サリ・ノヤンの部隊は、13世紀中ごろはまだアフガニスタン〜
ムルターンで戦っていたので、いきなりカシミールに侵攻するというのは
考えられない。カシミールの記録にもその頃モンゴル軍の侵攻は現れない。
671世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:03:21 0
カシミールへのモンゴル軍の侵攻は、1286年にTrushka Moslemの
カッジャルの侵攻が初めて、と思われる。その後1320年にはドゥラチャ
率いるモンゴル軍が半年に渡ってカシミールを荒らし回った。
1330年頃にもアチャラが侵攻。が、どの軍も継続的にカシミールを
占領することはなかった。

カッジャル、ドゥラチャ、アチャラいずれもモンゴル側史料ではいったい
誰に当たるのかわからない(おそらくチャガタイ家の手勢だとは思うが)。
672世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:43:23 0
>>670-671
まじすか・・・
"Rashid al-Din's history of India"って本ではオゴタイの治世に
最初のモンゴル侵入があったとか書いてたけど

図書館開いてると思うんで明日読み返してこよう
673世界@名無史さん:2006/05/06(土) 01:25:42 0
>>665
> 北インドの仏教勢力をモンゴルのカシミール鎮守軍あたりが
> 保護していたとかだろうか

アフガニスタンから東方へのルートは1265年頃以降チャガタイ家が
押さえてしまったが、そのアフガニスタン〜パキスタンにはすでに
仏教徒はいなかった。

13世紀後半〜14世紀前半に繰り返されたモンゴル軍(チャガタイ家軍)の
インド侵攻もヒット&アウェイの繰り返しで、仏教徒を庇護できるような
長期的占領はなかった。それに仏教徒はもはやインド辺境〜ネパール〜
チベットにしかいなかったし。
674世界@名無史さん:2006/05/06(土) 01:26:30 0
そもそもチャガタイ家と仏教の関係はほとんど伝わっていない。

1290年に元朝+サキャ派連合軍がチベットでディグン派を攻めた際に、
ディグン派を支援したトゥー・ホル(上手のモンゴル)軍はカイドゥ+チャガタイ家
(ドゥア)の手勢という説もあるが、フレグ家の手勢という説もある。

ドゥアの息子にコンチェク(コンチョク)、タルマシリン(ダルマシュリー)という
仏教臭い名前が見えるので、ドゥアあるいはその妃は仏教徒だったかも
しれないが、詳しいことはわからない。これ以降はみなイスラム名になってしまう
から、チャガタイ家で仏教が重んぜられたようにも思えない。
675世界@名無史さん:2006/05/06(土) 10:48:53 0
>>669
> サキャ・パンディタ〜パスパのサキャ派は特に代々カシミール高僧に師事していた。
>モンゴル王侯も直接カシミールと交流があったわけじゃなくて、 チベット仏教経由。

なるほど! 那摩某の後任で唐突にパスパが出てくるのが今一つよく分らなかったが
カシミール系仏僧たちとサキャ派に師弟関係がもともとあったからか。重ねてありがとう!

アフガニスタン方面や北インドのイスラム政権についてはクルト家や奴隷王朝の情報が
ペルシア語史料に出てくるからある程度分るけど、カシミールについてはモンゴルとどう
関わり続けていたのか、ペルシア語などのモンゴル側の史料からはこれも今一つ漠然と
していて自分的に掴み所がない地域だったから、こういう情報は非常に有難い。

アフガニスタン〜パキスタン方面はガズナ朝やゴール朝の時代にはもう仏教徒がいたような
印象が無いから、モンゴル時代の仏教徒となるとあまりペルシア語史料では情報が無い
パミール直下の麓付近にでもまだ居たのかと想像していたけど・・・とても勉強になりました。
676世界@名無史さん:2006/05/06(土) 20:31:15 0
ペルシャ、今のイラン人によるモンゴルへの反発が意外に
小さいことを最近知りました。何でも、モンゴルは国政運
営にペルシャの手法をかなり取り入れたのだそうです。
677世界@名無史さん:2006/05/06(土) 22:24:36 0
> アフガニスタン〜パキスタン方面はガズナ朝やゴール朝の
> 時代にはもう仏教徒がいたような印象が無いから、

悟空(車朝奉)が(いわゆる)『悟空行記』で報告しているように、
8世紀半ばにはカーブル〜ガンダーラではまだ
仏教が盛んだった。とはいえ、出土品を見ると
ヒンドゥ教と半々くらいの感じ。

9世紀に、テュルク・シャーがヒンドゥ・シャーに王位を
簒奪されると、カーブル〜ガンダーラの仏教は大打撃を
受けて、ヒンドゥ教に完全に制圧されたたようだ。
というのは、ヒンドゥ・シャー王家はブラーフマン出身
だったから。

パンジャーブにはジャランダルという大仏教都市があったが、
1070年にガズナ朝に完全制圧されて、トリガルタ王家は
丘陵地帯に遷都。パンジャーブの仏教はこれで滅亡。

タントラ仏教の聖地ウディヤーナ(スワート溪谷)でも
仏教は同じ頃滅亡。
678世界@名無史さん:2006/05/06(土) 22:25:35 0
パミールの麓ギルギットあたりでは、ボロル(鉢盧羅/勃律)
と称する王朝が熱心な仏教徒として知られていたが、
11〜12世紀頃(年代については諸説ある)、テュルク系と
みられるTrakhan(トラカン/タルカン)王朝(民衆はダルド系の
シナー人)に切り替わるとイスラム化して仏教は滅亡。

カシミールは14世紀前半までは仏教徒が細々と活動していた
ようだが、その後継続的にイスラム王朝が続き仏教は滅亡。

モンゴル軍がアフガニスタン〜パキスタンに入った13世紀には、
そこに仏教徒はいなかった。北インド方面平原部にもすでに
おらず、仏教の中心はインド北方の山岳地方の国々に移っていた。

だから、モンゴル軍のアフガニスタン〜インド侵攻は、仏教徒庇護
という目的は全くなかったと思う。繰り返しになりますたが。
679672:2006/05/07(日) 20:50:20 0
"Rashid al-Din's history of India"読み返してみましたが集史がソースだったみたいです。

It deals with the government of King ramadeva, during whose reign - so we are told by Kamalashri -
at the order of Uguday-Qa'an a great mongol army, led by Ukutu Noyon, appeared before the capital of
Kashmir and besieged and eventually conquered it. Ramadeva fled before the Mongol on his black mare
and escaped from his pursuers by a daring jump on his horse across the broad Black River. After this
the Mongols plundered the town continuously for six months. Then they retreated, after having appointed
a governer there whom Kamalashri does not mention by name. It was not until seven years later that
Ramadeva succeeded in expelling the governer and returning to power himself. At the time of Mangu
Qa'an - so our author goes on to tell us - another Mongol army invaded the country under the leadership
of Sali Noyon and Takudar; Kashmir was again plundered, the chief inhabitants of the town were killed,
and the rest of the men carried away into slavery with their wives and children. Hereupon followed the
death of King Ramadeva, about which Kamalashri relates no details. His brother Lakshmadeva (Laksmana-
deva 1273-1286) was appointed king, though at the decree of Mangu Qa'an and Hulagu-Khan.

Kamalashriはカシミール史のインフォーマントだった人物とのこと。
680世界@名無史さん:2006/05/08(月) 21:42:06 0
カシミールの年代記(Jonaraja著Rajatarangini)では、
Ramadeva(1252-72)の時代にはモンゴル軍侵攻の
記述は全くありませんね。

その次の王Lakshmanadeva(1272-86、弟ではなく
養子とされている)の末年にTurushka Kajjalaの侵攻が
あって王が殺された、とある。

Jonaraja著Rajataranginiは15世紀後半の著作なので、
時代的により近い『集史』の内容の方が正確なの
かもしれない。
681世界@名無史さん:2006/05/08(月) 21:42:42 0
ただ、このエピソードはJonaraja著Rajataranginiでは
1320年に置かれているDulachaの侵攻とそっくりですね。

モンゴル軍Dulachaは1320年に8カ月に渡りカシミールを荒らし回って、
その最中Suhadeva(1301-20)は戦死。その後3年間は
チベット人(Bhautta)のRinchana(1320-23)が支配。
Rinchana死後はSuhadevaの弟Udayanadeva(1323-38)が
即位。よく似てますね。

Ramadeva時代の事件が、誤ってSuhadevaの時代に
置かれたのか?それとも、Ramadeva時代のモンゴル軍の
侵攻については大々的に抜け落ちているのか?
682世界@名無史さん:2006/05/08(月) 21:43:52 0
一般には、Jonaraja著Rajataranginiは年代も正確で信頼
おける史料、という評価で、この時代のカシミール史に関する
本は、ほとんどこの史料の丸写し。

だけど、『集史』の記述を重視するなら(そうならざるを得ない
だろうけど)、この時代のカシミール史研究も再編を迫られそう
ですね。

残念ながら、現在そういう研究が為されているのかどうか
知らない。
683世界@名無史さん:2006/05/08(月) 21:44:39 0
1250年代にモンゴル軍がカシミールまで押さえていたことが
事実だとすると、ひとつ納得いく話がある。

それは、チベット史にポツリポツリと現れるstod hor(上手のモンゴル)
という集団で、これまで正体がよくわからなかった(フレグ家軍という
説とチャガタイ家軍という説がある)が、フレグ配下のモンゴル軍が
カシミールからさらに東に進み、フレグが施主になっていたらしい
ディグン派(当時チベット西部に進出していた)と連係して、西から
サキャ派にちょっかい出してたとすれば、いろいろと話のつじつまが合う。
684世界@名無史さん:2006/05/08(月) 21:45:09 0
そうなると、今度は仲が良かったはずのクビライとフレグ家の間で
争いがあったことになり、こっちでは変な話にはなるのだが。

13世紀後半になると、カシミール〜イランの間にあるアフガニスタンは
チャガタイ家が押さえてしまったので、stod horはフレグ家とは連絡が
断たれて、孤立していたのかもしれない。イランのハンの意志とは別に
勝手な行動をとっていた、ということか?あるいはサリ・ノヤンと一緒に
チャガタイ家に寝返ったか?

このstod horについては、最近チベット学者の興味をひいているので、
今後モンゴル史、カシミール史、チベット史を横断する面白い研究が
続々と出てくるかもしれない。

ひとつ(じゃなくてたくさんか、)勉強になりました。
685世界@名無史さん:2006/05/08(月) 21:53:38 0
早く、集史の完全日本語訳、出版されないかな〜
686世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:23:09 0
【日経新聞】世界を創った男チンギスハン【堺屋】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1148096264/l50

1 :学徒出陣 ◆ETKIPSKPs. :2006/05/20(土) 12:37:44 0
お父さん死んだ後、追い出された貧乏家族の復活劇が見ものだよね。

687世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:41:20 0
>680
"Rashid al-Din's history of India"の著者は、Jona Rajaの年代記などと照らし合わせて
最初の侵攻はRamadevaの先代のRajadevaの治世にあったのではないか、とか書いてました。
RamadevaもRajadevaと呼ばれることがあるのでややこしいとか・・・
688ジャムハ:2006/05/22(月) 00:06:03 0
立てよモンゴル!
漢族の支配から民族を解き放て。
689世界@名無史さん:2006/05/22(月) 00:32:32 0
Kamalashriが伝えるところの、Ramadeva時代にあったという
2回のモンゴル侵攻のうち、1回目のUkutu Noyanが
Hukutur Noyanだとすると、確かにRamadevaの時代に
置くのはおかしい。

Jonaraja著Rajataranginiによると、Ramadevaの在位は
1252-73。

『元朝秘史』だと、Hukutur Noyan(斡豁禿児)がMonkedu
(蒙格禿)と共に出征したのはオゴタイ即位直後(1229年頃)。
Hukutur Noyanが亡くなると、1253年以降Sali Noyanが
ヒンドゥスターン・カシミール鎮守府隊長として赴任。

Hukutur NoyanがRamadeva時代にカシミールに侵攻できる
余地はほとんどない。

これをRajadeva(1213−36)時代に置くのは妥当かもしれない。
が、Rajataranginiには、Rajadeva時代には内乱の記事は多いが
モンゴル侵攻の記事は全くない。
690世界@名無史さん:2006/05/22(月) 00:34:13 0
ただRamadevaがRajadevaと呼ばれ混同されていたかどうかは、
よくわからない。

Rajadevaという名前自体「王+神」というもので、なんだか
リアリティがない。個人名というより、代々の王が名乗った尊称?

Jonaraja RajataranginiもKamalashriも、全面的に信頼することが
できないのはわかっているんだから、中途半端に両説を折衷
するんじゃなく、いろいろな史料を使って全面的に見直す必要が
あるのかもしれない。
691世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:24:46 0
白鳳優勝おめ
692世界@名無史さん:2006/05/23(火) 00:16:20 0
白鵬だよ。本名=ムンフバト・ダヴァジャルガル。
693世界@名無史さん:2006/05/23(火) 17:44:12 O
 ・・・あのギネスブックによれば、「映画史上、最も多くの俳優が演じた架空の人物」は、シャーロック・ホームズということらしい。
 で、「映画史上、最も多くの異国人が演じた歴史上の人物」という項目を作るとしたら、このチンギス・ハーンが筆頭になるのかも。
(中には、エジプトの二枚目俳優オマー・シャリフ主演のアメリカ版チンギス・ハーン、なんて、ねじれにねじれた作品まであると・・・)
694世界@名無史さん:2006/05/31(水) 23:30:51 0
オイデプス王は2千数百年がむばってるのに
百年ちょっとのホームズに負けたの?
695世界@名無史さん:2006/06/02(金) 20:19:32 0
「映画史上」ってことだからなあ。
696世界@名無史さん:2006/06/15(木) 10:28:01 0
>>650おなじくw

「ジンギスカンの前半生」に関する唯一の元ネタ史料は「元朝秘史」だけど、それじ
たい小説みたいなもので、しょうじき信頼性は期待できない。
で、ジンギスカンが信頼に足る文献に記録されるのが、義経が衣川で自刃した翌年に
なるそうなw

義経ウンヌンはさしおくとしても、ジンギスカンの前半生は彼ほどの大物にもかか
わらず、濃厚なミステリーなのだ。

そういやさいきん、ジンギスカンの墓が発見されたって聞くけど、どうなったのかな。
697世界@名無史さん:2006/06/15(木) 12:26:41 0
>>693
やっぱ西欧史観で蛮族の親玉的描写?>ハリウッド版
698世界@名無史さん:2006/06/16(金) 17:49:01 O
>>697
 少なくとも、オマー・シャリフ主演のアメリカ版チンギス・ハーンは、普通に?エキゾチックな大平原の英雄物語として描かれてる、みたいな。
 チンギス・ハーンが非情な征服者として出て来るのは、直接にモンゴルの脅威を過去の歴史で味わった為か、ヨーロッパの映画に多いとか言う話だそうで。
699世界@名無史さん:2006/06/17(土) 09:50:31 0
>>696
「世界征服者の歴史」とか「集史」とかにも記述があったと思うけど?
幼年期エピソードだって普通にあるし、特別ミステリーだなどというような経緯は何もない。
700世界@名無史さん:2006/06/17(土) 10:01:48 0
元史太祖本紀とか。
読んだことないけど元朝秘史と同じような内容かな。
701世界@名無史さん:2006/06/17(土) 12:26:43 0
両親の名前とか兄弟の名前とか普通に確認出来る、本来なら義経説なんて入り込む余地はない。
歴史のロマンというだけだとしても、それでも根拠がなさすぎる。
702世界@名無史さん:2006/06/19(月) 17:50:36 0
そもそも天皇(上皇)・朝廷の権威に歯向かう器量も無く、
天才的な戦術眼を持ち尊敬されていながら武士をまとめることもできなかった義経が、
文化の違い過ぎるモンゴル人の中で頭領になれるわけが無いよね。
703世界@名無史さん:2006/06/19(月) 18:03:31 0
>>696
チンギスの墓関連については下記の本が詳しい。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121018281/ref=pd_rhf_f_2/250-7315616-4511420
704世界@名無史さん:2006/06/19(月) 18:59:49 0
チンギスハンの前半生が不明確なのは義経だったからとかなどと穿った見方があるが、
単純にチンギスハンは若い頃はケレイトのトオリル・ハンの使い走りのような立場だった為、
モンゴルの始祖を称える歴史観を持つ立場ではチンギスハンの前半生を明確に記述する事は、
都合が悪かった為だろう。
モンゴルの記述ではトオリルハンはナイマンとタメを張りタタールを撃破するほどの
勢力の持ち主だったにも関わらず欲深く吝嗇だったなどと矮小化された形容をし
実質的なチンギスハンの主人であったという事実を打ち消そうとする。



705世界@名無史さん:2006/06/19(月) 19:09:35 0
ウイグル語導入以前のチンギス=モンゴルの事柄は民間伝承や
元朝の世襲貴族(ムカリらの子孫)の家内記録が頼りだったから
史書にも食い違いが生じるのは仕方が無い。
ラシードの「集史」ではジャムカがサマルカンドまで落ちのびて
そこで1220年頃に死んだとあるくらいだし。
706世界@名無史さん:2006/06/19(月) 19:33:13 0
チンギスハン=義経という逸話はあるけど現地ではどうなの?
707世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:10:19 0
今のモンゴルで義経なんて知っている人は居ないだろ。
せいぜい、チンギス=義経説を知っている大学教授か
日本に留学経験ある人くらいか?

いい加減、その話題は止めようよ。
708世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:49:49 0
チンギスが義経の後半生説ってのは浪漫があるじゃね〜か。
だけど、ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない
例えてみれば、サンタクロース。
12月25日の朝、目覚めたら枕元にプレゼントが置いてあった。そんくらいの話。
中学生以上でマジメに信じてるやつはさすがにどうかと思う。
709世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:55:07 0
むしろチンギス=テムジン(鉄木真)で鍛冶屋出身という学説の方が
幾らかは信憑性がある。
710世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:06:37 0
>>709
それは学説というより民間伝承のような・・・
ルブルクとかイブン・バトゥータもそういう話について言及してるね。
711世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:22:24 0
>>710
>>709と同類の説にティムールも鍛冶屋の出というのがあるが
こちらは現在ではほぼ否定されてるな。

バーブル・ナーマみたいに晩年のチンギスの回想録でもあれば
モンゴル帝国史研究ももっと楽になるんだろうが
本人は生涯、文盲な上にモンゴル語しか話せなかったから
チンギス個人については、やはり従来通り元朝秘史に頼るしかないのか。
712世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:34:16 0
蒼き狼と白き牝鹿の子孫
いやまあ狼が鹿を襲わないの?とかはヤボなことで
史上空前の大帝国の創始者の前半生があやふや
チンギス=ハーンは世界史のロマンだよね
713世界@名無史さん:2006/06/22(木) 13:31:04 0
チンギス・ハンの前半生についてはモンゴル側の資料だけでも『世界征服者史』や
『元朝秘史』や『集史』、『元史』、『聖武親征録』、かなり時代が下って
『チンギズ・ナーマ』や『エルデニイン・トプチ』などかなりあって情報それ自体は
かなり多い。これに同時代の非モンゴル側の資料だけでも、漢籍の『黒韃事略』や
『蒙韃備録』、アラビア語資料である『アル=カーミル・フィ=ッタアリーフ(完史)』、
ペルシア語の『タバカーテ・ナースィリー』、アルメニア語のヘトゥムの年代記などなど、
挙げ出したらきりが無い。

紀年情報についてもっとも詳細なのは『集史』で、『元朝秘史』が情報量が多い割りに
使われている紀年が十二支年と季節くらいではなはだ心もとない。一方、『集史』の場合、
十二支年(ウイグル語名とそのペルシア語訳)+ヒジュラ暦の年月(日)に場合によって
イラン太陽暦の月日&曜日がついてくる。

勿論、チンギス・ハンの生まれた年月日も書かれてある。ただ、これらの資料に載る紀年情報
期日が、必ずしも一致していない(場合によってはばらばら)ということが問題になっている。
突き詰めればこれが「チンギス・ハンの謎」の核心部分で、ほかの前半生についての記事は
どちらかというとモンゴル帝国の諸部族(とその首長たち)がどのような経緯でチンギズ・ハンと
いかに関わって来たのかという挿話がえんえん書かれている。チンギス・ハンのエピソードは
そういった諸部族との関係や彼の語ったとされる金言とか訓戒とか類いによって占められている。

だから、逆にいうと事蹟がえんえんと語られるばかりで、チンギス・ハンがその時なぜそのような
行動をとったのかという問題はなかなか見えてこない。1206年の即位以前の状況ともなれば
資料同士によっては事蹟が前後にづれている場合さえある。ただ、そんな中でも例の1206年初春に
オノン河の河畔でクリルタイを開催し、即位して「チンギス・ハン」と名乗ったことは確実に
一致している。
714世界@名無史さん:2006/06/22(木) 13:47:16 0
前半生が謎というなら、チンギス・ハンの息子達、ジョチ、チャガタイ、オゴデイ、トルイの
前半生など殆ど断片的にしか分らないし、バトゥやモンケやクビライ、フレグなど帝国の中核を
になったような孫の世代などは出生後も含めて十代〜三十代以前のことなど『集史』レベルですら
絶無に近く情報が無い。正直こちらのほうが余程謎だ。
(イルハン朝時代の他の資料でその時期の孫達の情報をわずかだが載せているものがある)

ちなみに『集史』によると、モンゴル族の始祖である「ボルテ・チノ」や「コアイ・マラル」とは
「蒼い狼(ボルテ・チノ)」と「白い雌鹿(コアイ・マラル)」という「名前」の男女の『人物』で
あったと説明していたりする。

一方でこの両者の子孫ドブン・バヤンの寡婦アラン・コアが天窓から差込む一条の光に感じて妊り、
その光は金色に輝く狼ないし少年に姿を変えて戸口から出て行ったという伝承も載せているが。
715世界@名無史さん:2006/06/22(木) 19:10:30 0
タタトンガか鎮海が書いた実録でも残っていれば
貴重なチンギス期のモンゴルの史料になったのに残念だ。
716世界@名無史さん:2006/06/22(木) 20:31:04 0
中央アジアにしてはかなりデータの残ってる人物だと思うけど。
アッティラや突厥のイリ可汗の前半生なんて全然分かんないし。
717世界@名無史さん:2006/06/22(木) 20:41:27 0
>>714
フビライなんか1251年に漠南漢地大総督に任命されるまで
新元史や集史でも記載無しだからな。
モンケはオゴタイ期の金朝戦・欧州遠征に従軍した事と
ユークリット幾何学が趣味な事が記録されている分
長男と次男の差があるなと感じる。
718世界@名無史さん:2006/06/23(金) 00:10:56 0
ユークリッド幾何学は宣教師の影響じゃないの?時代的にたまたま偶然ですよ。
719世界@名無史さん:2006/06/23(金) 00:18:22 0
>宣教師の影響
当時は数学分野ではイスラム世界がかなり進んでいたと思ったけど。
720世界@名無史さん:2006/06/23(金) 07:32:13 0
>>717
フレグについては出生直後くらいから既に祖父チンギス・ハンによって河南に所領を
分与されていたことが『元史』に出てくるようだが、他にフレグの幼少時代については
『集史』で7歳くらいの時に兄クビライ(9歳)とともに狩猟の獲物を祖父に差し上げて
手ずから油脂を塗って祝福してもらったというエピソードが知られている。

実は『集史』編纂後に完成したイルハン朝時代後期のペルシア語の歴史書『選史(ターリーヒ・
グズィーダ)』(1330年擱筆)によれば、イランのカズヴィーンの名族イフティハーリー家の
名祖であるイフティハールッディーン.ムハンマド・(バクリー)カズヴィーニーという人物の
事蹟についてかなり興味深い情報を載せている。

イフティハールッディーンはテュルク語とモンゴル語に精通したカズヴィーンの名士で、
『カリーラとディムナ』のモンゴル語訳、『スィンドバードの書』のテュルク語訳を
双方かなり美しい文章でそれぞれ翻訳したと紹介されている人物で、オゴデイの治世に
モンゴル宮廷に伺候し、宮廷の財務部門(ディーワーン)において有能な官僚だったらしい。
721世界@名無史さん:2006/06/23(金) 07:37:10 0
>>720の続き。

特筆すべきは、その歴史書でイフティハールッディーンについて
王子時代の「モンケ・カアンとその兄弟、おじの息子達、親族達が彼の許で学んだ」
と記されていることだろう。イフティハールッディーンの話が本当だったらモンケなどの孫の
世代の王族たちの多くが、アラビア語やペルシア語の初等教育を受けていた可能性が極めて高い。
モンケの兄弟といえばクビライ、フレグ、アリクブケなどであり、伯父たちの息子たちといえば
バトゥやグユクなどが思い浮かぶ。しかもそれぞれの人物は多かれ少なかれ後年イラン系の
ムスリムたちとなんらかの関係をもっている。

当時の『ユークリッドの幾何学原論』といえばアッバース朝時代に完訳されたアラビア語版が
一般的だったし、グユクが教皇インノケンティウス四世に当てた親書は冒頭3行はアラビア文字による
テュルク語の劈頭文なだけで全体はペルシア語の文章であったことも、おそらく関係しているかも
しれない。アサン・サルタグタイやジャアファル・ホージャ、マフムード・ヤラワチなどの西方の
イラン系ムスリムが早くからモンゴルの中央に出仕し密接な関係を構築していたことはつとに有名だが、
それだけではなく、もとからムスリムとの接触が多かったとはいえ、孫の世代が初等教育の段階で
アラビア文字やアラビア語、ペルシア語の知識についてさらにイスラームついての情報を早くから
慣れ親しんでいたような直接的な情報が存在するのは興味深い。

現在の研究では、こういった事情で少なくともモンケの世代のモンゴル王族たちははクビライなども
含めて初等のアラビア語、ペルシア語の読み書きや理解は充分できていたのだろうと考えられている。
722世界@名無史さん:2006/06/23(金) 07:38:04 0
>>715-716
モンケが非常に知性あふれ聡明であり「ウクリーディス(ユークリッド)の問題をいくつか解いた」と
説明しているのは、主に『集史』「フレグ・ハン紀」などに記されている情報。

この『ユークリッドの幾何学原論』だが、これは久しくイスラム世界では数学というか天文学の基本中の
基本文献で、モンケはフレグを西方遠征に派遣する際に、自分の治世中に天文台を建設するために、
当時アラムートのイスマーイール・ニザール派に拘禁されていた、東方イスラーム世界はおろか当代最高の
頭脳と唱われる大数学者・哲学者・神学者ナスィールッディーン・トゥースィーをニザール派から救出し、
カラコルムに招聘するよう秘かに指示を出していた。

モンケのユークリッド云々の話は、このマラーガの天文台を建設するエピソードで出てくるのだが、
これは結局モンケの他界によって実現できなかった。救出されたトゥースィーはそのままフレグに仕え、
イラン西北部のマラーガに建設された天文台複合施設で多くの天文学的業績を新たに築き、後年の
『イルハン天文表』に結実することになる。
723世界@名無史さん:2006/06/23(金) 07:40:55 0
>>722
モンケだけでなく、チンギス・ハンやオゴデイの時代、あるいはイルハン朝など後年の事蹟でも天文学と
いうか占星術とモンゴルの君主たちにまつわる話がいくつも伝えられているが、これは多分支配地域が
拡大し、各種多様な租税や行政組織が整備されてくると、それまでの単純な十二支暦では管理しずらく
なったため、新たに暦日の制定がどうしても必要だったからだといわれている。もちろん単にモンゴル
人士がやたらと迷信深いというか縁起を担ぎたがっていたという話もあるからそれもあるにはあるのだろう。

しかし十四世紀をすぎるころにはイルハン朝などでそれまでの租税関係や歴史書などの紀年情報が格段に
詳細になるような点を考えれば、やはり統治体制を強固にするために暦の制定が重要視されつづけたこと
であり、モンケのトゥースィー招聘計画はそのようなモンゴル政権側の事情を反映したものだったと考えた
方が自然だろう。

ちなみにクビライの治世中に活躍したジャマールッディーン某はどうやらトゥースィーの縁者だったようで、
モンケの念願だった帝国規模の暦日の制定は、ようやくクビライ、フレグに引継がれその基礎が出来上がった
ということになる。数年前のNHK大河ドラマ『北条時宗』で、クビライが円弧と直線が交差している幾何学の
問題が書かれた紙面を広げていたのを見たが、妙な所でちゃんとした考証は取り入れているのだなと少し
心踊ったのを覚えている。
724世界@名無史さん:2006/06/23(金) 13:33:39 0
陳舜臣の小説でモンケとフビライが幾何学の問題をやってたのはそれが元ネタか。
725世界@名無史さん:2006/06/25(日) 20:49:25 0
>>724
その小説でフラグの秘書だったジュワイニーが
アラムートの図書館を接収してた箇所があったが
これもほぼ史実を取り入れている。

バヤンがサアディーと親しかったのは作者のフィクションだが
ペルシャ文学マニアに対するサービスだろう。
726世界@名無史さん:2006/06/25(日) 22:59:40 0
>ジュワイニーがアラムートの図書館を接収

アミン・マアルーフのサマルカンド年代記でもそのシーンが描かれてたなあ。
727世界@名無史さん:2006/06/26(月) 17:54:18 0
アミン・マアルーフの著作ではアラブが見た十字軍が一番だけど
モンゴル関連だとフラグくらいしか名前が出て来ないのがな。
728世界@名無史さん:2006/06/26(月) 21:49:16 0
十字軍諸侯と戦った漢人、郭侃の名前も無かったな。
729世界@名無史さん:2006/06/27(火) 08:26:34 0
攻城戦技術者だっけ?
730世界@名無史さん:2006/06/28(水) 20:50:16 0
違う。フラグの西征に従軍した漢人将軍で
対イスマイル派・アッバース朝・シリアの十字軍諸侯と戦って
「極西の神人」を呼ばれた常勝将軍。
731世界@名無史さん:2006/06/30(金) 02:41:10 0
だが、『集史』なんかじゃそれらしい名前は聞いた覚えがないな>郭侃
彼の西方での事蹟について研究とかされてるのかね?
732世界@名無史さん:2006/07/01(土) 14:21:57 0
「集史」は漢人の業績は何故か記載されてないんだよな。
耶律楚材もそうだし。
郭侃の業績で詳しい史料は「元史」「新元史」などの
中国側から見た物が主な物。
733世界@名無史さん:2006/07/01(土) 15:36:12 0
>>727
シリア生まれのアラブ人にとってはモンゴルってただの暴風なのかね。

イラン人もあまりいいイメージは抱いてないらしいけど・・・
734世界@名無史さん:2006/07/02(日) 19:35:23 0
カージャール朝の頃までなんかはテュルク系の預言者(!)的君主として位置付けられたけど、
20世紀、とくに近年になってからはナショナリズムの台頭でイランに侵攻して来た「戦闘的かつ
野蛮な遊牧民の侵略者」的イメージが定着してきたらしい。

シリアあたりだと13世紀前半の『完史』とかマムルーク朝の記録なんかがこれまたナショナリズムの
おかげで二十世紀くらいに入ると再び読まれるようになって、ここでもやはりチンギス・ハンとか
モンゴル帝国の侵攻を「野蛮な破壊者」で済ませてしまう論調が主流になっていたそうだ。

これはヨーロッパでも同じ感じだったけれども(というかこの種の遊牧=野蛮論の本拠地か)、
P. ペリオとかV. バルトリドみたいな文献学に明るい東洋学者たちはこの手の風潮にはすこぶる
懐疑的だった。

それでも現在イランではタブリーズでイルハン朝関係の博物館が出来ていると聞いてる。
735世界@名無史さん:2006/07/03(月) 12:50:41 0
>テュルク系の預言者的君主
kwsk
736世界@名無史さん:2006/08/06(日) 12:06:59 0
737世界@名無史さん:2006/08/06(日) 22:45:59 0
>>735
『ヴァッサーフ史』によると、イルハン朝のアルグン・ハンの治世でワズィール職にあった
サアドゥッダウラという人物が、チンギス・ハンは預言者ムハンマドのように預言者性(nubuwwat)を
帯び、さらにムハンマドのように征戦によって信仰を強いる「預言者」であって、この権能によって
世界を征服する任務を神から付与されている、という主張をしていたらしい。

さらに彼は、この「預言者性」と「聖戦の剣を振るって」人々の信仰を新たにするという使命は、当代の
イルハンであるアルグンにも受継がれている、と総括している。そのアルグンの預言者的地位を指して、
「どの時代においても神命によるサーヒブ・キラーン」と表現しているが、「サーヒブ・キラーン」は
『集史』においてはフレグ・ハンについてもそのように呼んでいる箇所がいくつか有る。
「サーヒブ・キラーン」とは「幸運なる二星の校合の持ち主」という占星術用語らしいが、「二星の校合」
とはここではアルグンの「チンギス・ハンの直系子孫であるというモンゴル伝統の地位」と
「イスラームの預言者の地位」の両者を合せ持つ「イルハン」としての地位を指すらしい。

つまり、イルハン朝とは「預言者の血統」を引継ぐアルグンが治める「預言者の国家」だと彼は主張していた
ことになる。このことを考えると、後年のガザンやオルジェイトゥが「イスラームの帝王」を名乗ったことや
ティムール朝の始祖ティムールの通称が「サーヒブ・キラーン」であったことも意義深い。
ティムールの墓碑に刻まれたモンゴル族の太母アラン・コアが光明を感じて妊娠した説話で、その光明が自らを
正統カリフ・アリーの子孫の一人だと名乗ったこともサアドゥッダウラの預言者論と関係しているだろう。

イルハン朝時代以降は、チンギス・ハンとその家系をテュルク諸民族の預言者的存在と見なしたり、
ムハンマドの血縁を論じたりする説話が、中央アジアやイランなど方々の歴史書や宗教説話で見られるらしい。
738世界@名無史さん:2006/08/28(月) 14:09:35 0
ティムールってやたら知名度低いな
739世界@名無史さん:2006/08/29(火) 14:26:26 0
ヨーロッパでは1404年にサマルカンドでティムールと会見したカスティリヤ王国の使節、
ルイ・ゴンザレス・デ・クラヴィホが旅行記を書いているし、オスマン朝のバヤズィット1世を
敗ったり、イブン・ハルドゥーンがダマスクスで会見したりと要所要所でティムールが
出てくるから割と有名。特にクラヴィホの報告がかなり大きくて、後にいくつも戯曲の題材に
なるくらいだが、日本には何にもかかわりが無いので一般にあまり知られているとは言い難い。

歴史群像とかでちょこちょこ出てるのでそれでそれで名前だけは知ってるって人はいるみたいだけど。
740世界@名無史さん:2006/09/10(日) 00:27:39 0
サマルカンドで独立した人、それが定義
741世界@名無史さん:2006/09/18(月) 14:48:16 0
age
742世界@名無史さん:2006/09/19(火) 12:01:19 0
しかし何でティムールだけティムールなんだろ?
トゴン・テムルだってチムール・メリクだってマング・チムールだって
“鉄”って意味だろ。
743世界@名無史さん:2006/09/19(火) 13:03:25 0
イギリス人にきいたら「ゲンゲス・カーン」だったけど、
フランス人にきいたら「ジンギス・カーン」だった。

モンゴル文字の綴りをラテン文字に転写するとChinggis-qanであり、
当時のモンゴル語でチンギス・カン、現代モンゴル語の発音だとチンギス・ハン。
ただし、元朝秘史から推すに死後にはChinggis-qa'anと綴られ、
チンギス・カアン(カハン)と尊称されていたようである。
近現代のモンゴルではカアンが現代発音でKhaan(xaan)に代わったことから
チンギス・ハーンと呼んでいる。
実際、口語に基づいたキリル文字綴りはЧингис хаан=Chingis Khaanである。
ゲンギズだのジンギズだのジンギスだのは
もともとアラビア文字でJingizと綴られたのに基づいているらしく、
モンゴル語の綴り・発音とは異なる。

源義経(ゲンギケイ)〜ゲンギスケン〜ジンギスカンになったんだよ。
現代モンゴル語がロシア語化されたからといって、ロシア語風に「チンギス・ハーン」なんて
ゲンギケイのことを呼ぶ奴は馬鹿で何も知らん証拠なんだよ。
現代ドイツ人ですら「ゲンギスケン」と呼んでいるんだから。
744世界@名無史さん:2006/09/19(火) 13:58:26 0
> もともとアラビア文字でJingizと綴られたのに基づいているらしく、
> モンゴル語の綴り・発音とは異なる。

異ならない。
そもそも十三世紀当時から現在までモンゴル語の筆記に使われ続けているソグド文字、ウイグル文字の
系統ではテュルク・モンゴル語や中期、近世イラン語の ch 音と j 音はキリル文字の Ч みたいな文字で
ひと括りにして綴られていた。

また、12世紀頃までペルシア語やテュルク語の ch 音は、ペルシア語の文章でもジーム(j)の文字で
表記されていた。ch 音とj 音を明確に区別するため、ジームに点を3つ付すチェ(ch)の文字が開発された
のは14世紀初頭に『集史』が編纂されたイルハン朝において。
1317年の書写の紀年をもつ『集史』イスタンブール本ではチンギス・ハンは、
چينككيز خان Chīnkkīz Khān と書かれている。

ウイグル式モンゴル文字ではz音とs音の語末形が一緒の上、そもそもs音の文字しかほとんど使われない。
これはモンゴル語がウイグル語などと違ってz音とs音の区別があまりないからだそうだ。

ちなみにクビライが即位前(1254年)に発令したのチベット語の碑文では jing gir gan と書かれているそうだ。
クビライ自身は go pe la と書かれているそうだが。(チベット文字の綴りは未見なので割愛)

それとモンゴル語で Chinggis-qa'an と書く例が多くなったのは現在確認される限り大元朝末期か明朝初期くらいからだ。
チンギスが歿して150年近い間はどこのモンゴル政権でもチンギス・カアンなど書いた例は殆ど無い。西方に至っては皆無。
あと、例証無しにいきなり「 源義経(ゲンギケイ)〜ゲンギスケン〜ジンギスカン」とかは思考が飛躍し過ぎて意味不明。

とりあえず意味不明かつ大嘘な意見を言う前に、小野浩先生とか海老沢哲雄先生や中村淳先生あたりの
論文を読んでからものを書いてしてくれ。
745世界@名無史さん:2006/09/19(火) 14:33:37 0
>744
ジンギスカン当時の言語を分析するために、ペルシア語やテュルク語やペルシア語を
持ち出しても無意味です。なぜなら、ジンギスカンがモンゴルで初めてウイグル語を
手本にして文字を制定したからです。
ジンギスカン当時の言語を分析するためには、第一に、この改変されたウイグル語を
研究すべきです。研究すれば、そこには日本語との共通点を多々見出せることでしょう。
746世界@名無史さん:2006/09/19(火) 14:36:43 0
小野浩 海老沢哲雄 中村淳。 いずれもウイグル語に関して無知をさらけだしている。
747世界@名無史さん:2006/09/19(火) 15:12:20 0
ちょっと待った!!
> 小野浩 海老沢哲雄 中村淳。 いずれもウイグル語に関して
この三人の先生方がどういうこと専門に研究しているのか分かってて言ってるのかね?w
この調子じゃあ庄(ry 先生とかM安先生とかも知らないんだろうなあ・・・
知らないってのは恐ろしい。あまりの畏れを知らぬ発言に一瞬血の気が引いたぞw

あとモンゴル帝国の行政言語であるペルシア語で論ずるのは意味無くて、「外国語」でしかも
現代語である英語やフランス語の表記は許容されるって根拠が理解不能だ。
ちなみに「テュルク語」ってのは「テュルク系の言葉」ってくらいの緩い枠組みをさす言葉だから、
当然「(中世)ウイグル語」も「テュルク語」の一派なんだが。
748世界@名無史さん:2006/09/19(火) 15:41:21 0
>>741
最近では「チムール」って表記もしなくなったね。まあ、これはこれで非常に良い事だけど。

もともとペルシア語資料の表記だと تيمور Tīmūr 。
ティムールも成宗テムル・カアンもモンケ・テムルもテムル・メリクもこの綴り。
ペルシア語の読み方だと Taymūr/Teymūr でも可だけど。たまに تمور Timūr と書いてる写本もままあるらしいとか。
ウズベキスタンやイラン人は「テイムール」と発音していると、現地へ行って来た先生から聞いた事があるけど。

間野先生だったかが書かれた小学館の百科事典の項目は「ティームール」だったような。
もとのテュルク・モンゴル語では Temür だから「テミュル」と綴った研究者も何人かいたような。
「ティームール」だと冗長な感じがするからペルシア語表記とチャガタイ語の発音との折衷的に「ティムール」なのかも。よく知らないけど。
749世界@名無史さん:2006/09/20(水) 18:50:34 0
>>744
> そもそも十三世紀当時から現在までモンゴル語の筆記に使われ続けているソグド文字、ウイグル文字の
> 系統ではテュルク・モンゴル語や中期、近世イラン語の ch 音と j 音はキリル文字の Ч みたいな文字で
> ひと括りにして綴られていた。

Pre-Classical Mongolian で c と j が同形になるのは語中だけで、
語頭は別だと思うんだけど。(語末形はなし。)
むしろ語頭では j と y の区別がない。

規範化以前のモンゴル語を自力で読む根性は漏れにはないから、
そういう異形態がないとは断定できないけど。
750世界@名無史さん:2006/09/20(水) 21:06:19 0

>>749
> Pre-Classical Mongolian で c と j が同形になるのは語中だけで、
> 語頭は別だと思うんだけど。(語末形はなし。)
> むしろ語頭では j と y の区別がない。

実は、ウイグル文字モンゴル語では、いわゆる"j"の音価を持つ文字は2種類あって、
アラム文字の צ ツァデーに由来するキリル文字の Ч みたいな文字で綴るものと、
同じく י ヨッドに由来する文字で綴るものがあった。もちろんこの頃は両者とも語頭形、語中形、語末形があった。
(ウイグル式モンゴル文字とウイグル文字の文字表がどこかweb上にあれば良いのだが(汗

たとえば、čaγan という場合の語頭の č は基本的に前者の c の文字で綴られ、
jrlγ という場合の語頭の j は基本的に後者の y 文字で綴られる。
後者の場合、もともと jrlγ という単語自体がウイグル語からの借用だったりするのだが、
モンゴル語では古典ウイグル語などの語頭の y 音が y > j に訛る傾向になるそうだ。
例えば駅馬のことをモンゴル語では「ジャム(jam)」というが、ウイグル語などのテュルク語では
元々は「ヤム(yam)」と呼んでいた。「聖旨、勅令」を意味する jrlγ もモンゴル語では「ジャルリグ」だが、
ウイグル語や西方のテュルク語では「ヤルリグ」と呼んでいたことは、パスパ文字モンゴル語との比較や、
発掘されたウイグル語文書、さらに10世紀のマフムード・カシュガリーの著書『テュルク語辞典』などから判明しているそうだ。
751世界@名無史さん:2006/09/20(水) 21:08:26 0
>>750の続き。

もともとソグド語などの中期イラン語やウイグル文字の正書法では č/j の文字は前者の文字で一括していたけど、モンゴル語の j〜y 訛りの特徴のため、
古典モンゴル語の場合、 č 音を強調する場合は前者の c の文字を使い、 j 音を強調する場合は y の文字で使い分けていた、とも聞いた事が。

ちなみにグユクハンがローマ教皇インノケンティウス4世に宛てた勅書や『集史』でも
「ヤルリグ」( يرلغ yarligh/ يرليغ yarlīgh)だったりする。

自分の知識はモンゴル帝国時代周辺に偏重していて、北元以降のモンゴル語は殆ど知らないので
モンゴル帝国時代とアルタン・ハーン時代以降のものとの比較はちょっと手に余るゆえ勘弁を。
>>749
良かった。また意味不明で妙なレスがついたらどうしようかと思ったけど、
適格なレスをしてくれて感謝。
752世界@名無史さん:2006/09/20(水) 21:14:34 0
>また意味不明で妙なレスがついたらどうしようかと思ったけど

>>749はどう見ても別人のレスだと思うが
753世界@名無史さん:2006/09/21(木) 23:41:00 0
>>750-751
どうも。
やっぱりウイグル文字というからには
古代ウイグル語の知識があったほうが良いのでしょうね。
初期の事情を知るには。

テュルク語もペルシャ語もよく知らないのでモンゴル語に関してだけ言うと、
イェスンゲ紀功碑冒頭の「チンギス」がЧのような文字で始まるのは、
c 音としか解釈できませんよね?
754世界@名無史さん:2006/09/22(金) 22:14:42 0
>>753
> 「チンギス」がЧのような文字で始まるのは、 c 音としか解釈できませんよね?
その理解で全く問題ないかと。

j 音に使われる、Чのような形の č/j の文字と/|のような形の j/y の文字の二種類ありながら、
「チンギス・カン」という場合、ウイグル文字モンゴル語では指摘された通りイェスンゲ紀功碑なども
含めて、語頭の文字は専ら前者の「Чのような形の č/j の文字」で書かれ、後者の文字で書かれた
ような例は確認されていません。
これは中国方面のウイグル文字モンゴル語の碑文でも西方のイルハン朝やティムール朝などのウイグル文字文書でも
やはり一貫してチンギス・カンは「Чのような形の文字」で書き始められています。
なので、やはりことウイグル文字モンゴル語に限っても、「『チンギス』がЧのような文字で始まるのは、c 音」
と解釈したほうが自然だと思います。

web上では活字体のものしかモンゴル文字のリストは見付けられなかったけど、
ウイグル文字とソグド文字の対照リストはあったので添付。
ttp://www.proel.org/alfabetos/uigur.html

> 古代ウイグル語の知識があったほうが良い
モンゴル帝国のことをやってますと、モンゴル←ウイグル←ソグドという時間的な影響と、
同時代のモンゴル、テュルク←東方イスラーム世界(イラン系)という重層的な影響が端々に感じられ、
モンゴル帝国をやるにはテュルク系とイラン系の関係史やらその代表としてのウイグル王国の
ことを把握してないとまま成らないなと強く感じます。
755世界@名無史さん:2006/10/04(水) 18:35:49 0
征夷大将軍として異国の侵略と戦うことは当然の職務と言える。
756世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:47:24 0
中国の歴史に関する娯楽・文学は三戦板のご利用を

http://hobby8.2ch.net/warhis/
757世界@名無史さん:2006/10/11(水) 04:58:41 0
チンギス・ハンを中国人と呼ぶ某国の陰謀かこの誘導は。
758世界@名無史さん:2006/10/15(日) 10:57:36 0
しょうもない質問な上にスレ違いかもしれなくてすみません。
消えた幻の都を“楼蘭”と表記しているのと“桜蘭”と表記している
のがあるのですが同じですか?あまり歴史に詳しくなくて分かりません。
どなたかレスお願いします。
759世界@名無史さん:2006/11/07(火) 22:48:13 0
「桜蘭」って綴りは見たことないが。
単なる誤字では。
760世界@名無史さん:2006/11/08(水) 12:31:13 0
桜蘭だとホスト部になってしまう
761世界@名無史さん:2006/11/18(土) 18:54:41 O
放映age
762世界@名無史さん:2006/11/18(土) 19:14:25 0
今テレ朝ではじまった番組『チンギスハーン〜』によると日本への使者は平和の使者らしいぞ。


イライラしそうなので見ないことにする。
763世界@名無史さん:2006/11/18(土) 19:37:31 0
↑のテレビ番組見ているのですが、

モンゴルって、鉄なんてどこから採出してたんですかね?
764世界@名無史さん :2006/11/18(土) 19:53:54 0
>>762
>今テレ朝ではじまった番組『チンギスハーン〜』によると日本への使者は平和の使者らしいぞ。

なんじゃそりゃあ!!
765男子の快楽:2006/11/18(土) 20:13:08 0
「それは敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、
 これと親密な人々の顔が悲哀の涙に泣き濡れているのを見る事だ」
766世界@名無史さん:2006/11/18(土) 20:29:14 0
黄金家族って、革命時代に1500人も虐殺されたってテレビで言ってたけど、ホンマかいな?
767世界@名無史さん:2006/11/18(土) 20:30:05 0
トルイ家のクビライ裔の・・・ちょっ!略すなw >>アルタン・ウルク
768世界@名無史さん:2006/11/18(土) 20:42:25 0
>>763
バイカル湖周辺とか、陰山山脈あたりとか
769世界@名無史さん:2006/11/18(土) 20:52:57 0
今テレ朝ではじまった番組『チンギスハーン〜』によると日本への
使者は平和の使者らしいぞ



結局、上の発言は番宣でしか使われませんでしたね。
なんてつまんねぇ番組だ。
770世界@名無史さん:2006/11/18(土) 20:55:28 0
>>769
悪質なサブリミナルとも言えるな
771世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:02:17 0
杉山正明の本を斜め読みしたような話だな。
772世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:12:32 0
かっての世界最強だったモンゴルが
松下の提灯持ちとして扱われてる姿を見て
歴史の雄大と無常を感じました
773世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:15:30 0
純粋にワクワクしてたんだけど、
結局はユビキタスマンセー番組になったね(´・ω・`)
774世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:33:20 O
生モンゴルはよかったけどなあ

妻がレイプされて生まれた子が長男ジュチ
次男以下はジュチが父親違いなのを知っており嫌った
ジュチは自分のアイデンティティーのため、必死になって最前線で戦った
しかし、実はテムジンも母がレイプされて生まれた子に他ならなかった
ジュチが欧州遠征で死んだとき、テムジンは一人深く悲しんだ

このスレだと当たり前のネタだが
これドラマにしたら絶対ウケると思うんだが
775世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:34:51 O
期待外れの番組だったな
776世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:36:06 0
>>772

今現在の日本も世界有数の国力を保っているが、
何れモンゴルのように他国の一部分にされるか
世界史の中でも相手にすらされない辺境の国に落ちるんだろうな。
777世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:38:48 0
もともと期待してなかったから
778世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:41:00 0
>>776
ただ古代から日本は相対的には人口多くてそこそこ大国で、昔も今も日本なんだよな。

不思議な国だ。
779世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:45:58 0
モンゴルって社会保障とユビキタス完備の理想国家だったんですね
テムジンが人を大事にする被差別主義者だなんて知らなかったよ
780世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:55:41 0
>モンゴルって社会保障とユビキタス完備の理想国家だったんですね

詳しく
781世界@名無史さん:2006/11/18(土) 22:17:06 0
>>780

ユビキタス完備=狼煙システムや駅伝制度などで広大な国土の割りに
        情報の伝達がスピーディーだったこと。

社会保障=貧者でも医療を受けられる施設が存在したこと。
     他には国籍を問わない人事登用や、身分札があれば、
     その札のグレードに応じた待遇がどこでも受けられたこと、
     持ち運びに適した紙紙幣の存在など。
782世界@名無史さん:2006/11/18(土) 22:22:11 0
歴史の都合の良い部分だけを美化して伝えるのは避けられないと思いますが、
モンゴル帝国からの使者を平和の使者と言うのはさすがにギャグでしょう。


使者は博多にて斬首せよ。
783世界@名無史さん:2006/11/18(土) 22:27:49 0
>>781
当時の医療というのは例えば?
784781:2006/11/18(土) 22:33:35 0
いや、医療というのは福祉の間違いだ。すまん。
ようするに、弱者の為に食事や寝床を提供する施設があった、
という事だったと思う。
785世界@名無史さん:2006/11/18(土) 22:35:21 0
そのうち再放送するだろうから見ろよ
786世界@名無史さん:2006/11/18(土) 22:47:42 0
救貧院程度のものは中国にもイスラムにも欧州にもあったと思ったが。
787売りなら満星堂 ◆izyQf/KaRs :2006/11/19(日) 00:17:23 0
>>786
日本にもありませんでしたっけ?時代がいつだったかは覚えてないけど。

しっかし、つまんない番組でしたね。
パナのユビキタスはどうでもいいとして、突っ込みどころの多い内容で、途中からはいつものアサピー視聴に切り替えました。
788世界@名無史さん:2006/11/19(日) 01:05:42 0
モンゴルを悪鬼のごとく語るのもアレだが
こうやって極端に美化されるのも不愉快だな
途中からパナソニック宣伝に切り替わるし

あれだったらNHKの方がよっぽど良い番組をつくる
789世界@名無史さん:2006/11/19(日) 01:30:58 0
堺屋が出てくる、という時点で「歴史を語る」番組じゃなくて
「歴史をエサにした金儲けの宣伝」番組だとすぐわかるよな。
言ってみれば雑誌「プレジデント」の乗りというか。
790世界@名無史さん:2006/11/19(日) 01:55:08 0
791世界@名無史さん:2006/11/19(日) 01:58:56 O
クロー城もある 九郎
792世界@名無史さん:2006/11/19(日) 03:08:29 0
交鈔からブルーレイディスクが連想されるって、どういう頭してんだ?
病院行った方がいいよ
793世界@名無史さん:2006/11/19(日) 05:37:01 0
昨日テロ朝観たけどオープニングの地図で朝鮮が不自然に帝国に入ってないのはワロタ
794世界@名無史さん:2006/11/19(日) 06:17:38 0
気付くの遅くて後半しか見られなかったが・・・
正直NHKの「大モンゴル」全5回を再放送してくれた方が遥かに良かった。
795世界@名無史さん:2006/11/19(日) 07:16:54 0
ああ、いつのまにかモンゴル帝国スレが落ちていた・・・
796世界@名無史さん:2006/11/19(日) 08:43:22 0
>>795
良スレだった 合掌
797世界@名無史さん:2006/11/19(日) 22:10:38 0
>778
超大国中国が隣にあり
他国との戦争や本格的な外交経験が少ない島国だったから
日本がそこそこの大国だったと認識しにくいけどね
798世界@名無史さん:2006/11/20(月) 21:43:56 0
古代を見れば大陸諸国と虚虚実実の駆け引きをしていることが分かる。

799世界@名無史さん:2006/11/23(木) 22:06:14 0
朝鮮民族が先祖の記録を大事に保存していたら
日本の古代史は今より詳しく解明されていたろうな
不愉快だが古代の日本と朝鮮が密接な関係にあったのは事実だし
800世界@名無史さん:2006/11/23(木) 23:26:20 0
チンギスハン「男にとって最大の幸せってなんだ?」

蒙古将軍達「草原で家族とのんびり遊牧が一番っす。」

チンギスハン「ちがう!」

蒙古将軍達「では幸せとはなんですか?」

チンギスハン「男にとって最大の幸福は、
敵を思う存分撃破し、駿馬を奪い、美しい
妻や娘を我がものにし、その悲しむ顔を見ることだ^^^」

蒙古将軍達「は、はぁ・・・(;´Д`)」
801世界@名無史さん:2006/11/25(土) 23:47:49 0
>>800
今更どうした?
802世界@名無史さん:2006/11/26(日) 14:39:24 0
>>801はスルーで
803世界@名無史さん:2006/11/27(月) 09:12:51 0
ヤオイをスルーしたらアカンやろ(笑い)
804魔玉 ◆TLOxROt30I :2006/12/03(日) 03:07:27 0
( ^∀^)ゲラゲラ
805世界@名無史さん:2006/12/27(水) 00:11:43 0
>>793
酷い話だなw
806世界@名無史さん:2006/12/31(日) 23:07:46 0
【中国】 英FT紙「中国でジンギスカンを中国人化する試み、波紋」[12/30]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1167487196/
807世界@名無史さん:2007/01/22(月) 22:51:07 0
☆.。・゚・!・゚・。.☆反町ハーン陛下☆.。・゚・キターーーー!・゚・。.☆

モンゴル建国800周年記念 角川映画「蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜」封切り間近
http://www.kadokawaharuki.co.jp/cinema/aokiookami/

菊川玲はボルテ役だろうか?
808世界@名無史さん:2007/01/26(金) 14:44:37 0
>>774
>しかし、実はテムジンも母がレイプされて生まれた子に他ならなかった
それ井上某の作り話
809世界@名無史さん:2007/02/17(土) 06:08:27 O
チンギスハーンの顔って、織田信長を太らせた感じ。
810世界@名無史さん:2007/02/17(土) 10:56:34 0
>>808
つうかチンギスハーンが即位するまでの前歴って元朝秘史に拠るのが
殆どだがアレはかなり創作部分が多い訳で。ジョチも実子。
811世界@名無史さん:2007/02/21(水) 14:04:32 0
812世界@名無史さん:2007/03/02(金) 07:09:57 0
チンギスハーンの最大の歴史的意味は何だろう。
王権神授説?民族・文化を超えた版図拡大を是とする軍国主義?
813世界@名無史さん:2007/03/02(金) 07:17:04 0
>>812
>王権神授説?
 は、古代、中世、近代と寧ろ常識に属するな

>民族・文化を超えた版図拡大を是とする軍国主義?
 歴史的評価という点では其方の方でしょ
814世界@名無史さん:2007/03/02(金) 21:34:13 0
いよいよ明日公開
ちなみに俺は先日前売券を980円で新宿駅近くの金券屋で購入したよ
815世界@名無史さん:2007/03/02(金) 23:34:27 0
映画『蒼き狼―地果て海尽きるまで』、チンギス・ハーン役には当初、
俳優であり歌手でもあるソソルバラムと、事実上決まっていた。
彼はモンゴルで「ハーンの役は彼しかいない」と言われる、超名俳優。
配役決定後、彼は映画のために1年以上かけて役作りに徹底した。
すさまじいまでに。
酒を断ち、チンギス・ハーンの歴史を日夜猛勉強し、乗馬からスピーチ、
果ては日常生活の仕草や言葉遣い、わずかな表情までチンギス・ハーンに
なりきり、完璧を目指して準備を整えていた。
ロケ前の彼はすでにチンギス・ハーンそのもので、
その姿はウランバートルでちょっとした名物になっていたほどだ。
「民族の英雄を演じる」ことに、ソソルバラムは命をかけていた。

それが、角川春樹が参入した途端、有無を言わさずソソルバラム降板。
理由は、金にならない。主演がモンゴル人では、日本じゃ話題にならないから。
若い頃を反町、老けてからソソルバラムとも考えたが、顔の形が違うのでだめ。
降板が決まった夜、ソソルバラムは文字通り浴びるほどのアルヒを飲んだと言う。
彼の降板後、チンギス・ハーンの夫人役に菊川怜、そして韓国人のAraと、
角川が完全に映画を制圧してしまった。

ソソルバラムの降板劇は、モンゴルでは誰でも知っている。
日本では、モンゴルマニア以外誰も知らない。
その事実はすべての業界で、抹殺されてしまっている。
Googleにすら1件もヒットしない有様だ。
816よろずこ:2007/03/04(日) 23:53:31 0
817世界@名無史さん:2007/03/05(月) 09:52:08 O
反町ハーン
818世界@名無史さん:2007/03/05(月) 10:36:08 0
>>812
東西交易路を一つの政権が掌握したせいで東西の交流が盛んになったのに
尽きるんじゃないかと。
819世界@名無史さん:2007/03/05(月) 14:37:39 0
はい。
度したの?
820世界@名無史さん:2007/03/05(月) 16:31:47 0
>>815
これからは蒙流だな、もともと寒流は捏造だし
映画館は盛況だな。
821世界@名無史さん:2007/03/08(木) 22:54:45 0
つまらんかった
822世界@名無史さん:2007/03/08(木) 23:04:08 0
チンギスハーン、ナポレオン、ヒトラー
823世界@名無史さん:2007/03/08(木) 23:49:04 0
反町ハーンには失望させられた
浅野ハーンに期待だな
824世界@名無史さん:2007/03/09(金) 08:51:35 0
ポイズン・ハーン( 〜2007)
825世界@名無史さん:2007/03/09(金) 23:27:03 O
ノンケ・ハン
826世界@名無史さん:2007/03/10(土) 02:05:11 0
アフマド・ハーン
827世界@名無史さん:2007/03/12(月) 11:33:07 0
>>774
今の映画それに該当してるんじゃないの?
828世界@名無史さん:2007/03/12(月) 19:30:04 0
モンゴル人の影響ってヨーロッパ人にもあるの?
829世界@名無史さん:2007/03/12(月) 21:22:24 0
モンゴル人のヨーロッパ侵略で火薬は使われたのですか?
830世界@名無史さん:2007/03/12(月) 21:23:29 0
>>828
ロシアは500年間チンギスハンの長男のジョチの家系である「黄金のオルド」に支配されてきました。
厳密に言うとロシアはヨーロッパと言うよりモンゴルルーツですね。
ウィーンまで侵攻したオスマントルコもそのルーツはモンゴルです。
831世界@名無史さん:2007/03/13(火) 02:43:26 0
オスマン朝は(ルーム・)セルジューク朝系テュルクメンが起源のガーズィー集団から
出現した一派だからモンゴルとは直接関係ないのでは?
オスマン1世がルーム・セルジューク朝のギヤースッディーン・マスウード2世から
独立したとされる1299年にイルハン朝の君主だったのはガザン・ハンではあるけれど、
特にルームの西部境域に何かしたとも聞かれないが・・
832世界@名無史さん:2007/03/13(火) 17:01:07 0
レイプって本当?その為にロシアにはモンゴル人の混血みたいな人が多いのか?
833世界@名無史さん:2007/03/13(火) 17:39:00 0
レイプされて混血するとかいうが
レイプされた女がその子を育てようとするのかね?

戦争中はそりゃ古今東西虐殺はあったろうが
実際は暴力(政治的・軍事的優越)を背景にした同化政策
みたいなんがとられたんでねーかな
日本に進駐した米兵と結婚した日本女みたいにさ。

あんな感じで混血融合していったんだろうな
834世界@名無史さん:2007/03/13(火) 17:45:29 0
【草原の英雄】成吉思汗【蒼き狼】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161619855/201-300
835世界@名無史さん:2007/03/13(火) 18:09:33 0
>>833
メキシコの先住民は大量にレイプされて混血していったわけだが、
なんでそこまでもちあげるのかね
杉山さんの門弟かそういう関係で擁護しているの?
836世界@名無史さん:2007/03/13(火) 21:57:38 0
>>835
レイプってか開拓者たちは財力と軍事力で優位にあったから
それで原住民の女をもらってきて混血した
837世界@名無史さん:2007/03/14(水) 10:19:14 0
「タタールのくびき」については以前ちょっと調べたことがあるけど、それほどの混血があったかどうかは実際ダウト。
戦争時のレイプで生まれる子供の数などたかが知れているし、当時のロシアでは「ダルガ」や「バスカク」といった
タタールの役人とその護衛が滞在しているだけで、タタール人一般とロシア人一般は生活圏が異なる(ステップ地帯と森林地帯)
のでたいした接触はなかったようだ。

タタール支配の初期には人間を「税」として徴収していったが、そうして奴隷化されたスラヴ系住民はタタール側の生活圏に
連れて行かれてそこで一生を終えることになるので、やがてタタール側の人口に吸収されることになっただろう。

むしろロシアがシベリアや中央アジアを征服し植民していく中で多数のアジア人がロシアに取り込まれたと考えた方が納得がいく。
前近代のあの辺の地域では人種より宗教が重要だった。
ロシア貴族の3分の1を占めたというタタール系も、モスクワ大公国が一大勢力になった後で亡命してきたり征服されてキリスト教に
改宗した連中が多いらしい。
838世界@名無史さん:2007/03/14(水) 18:50:50 0
>>837
なあ、なんであんたのレスは人類学板のレスと一行一句まで同じなんだ?
遺伝学的な見地で述べるなら因子分布などを示してくれ。

ロシア人ってアジア人と白人の混血って、ホント?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1159884708/

58 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/05(日) 21:06:44 ID:Q34RGBpS
>>47
>モンゴルのロシア侵攻のとき集団で津々浦々で徹底して強姦しまくり、その後250年も支配されたのだから、混血しまくりだろう。

「タタールのくびき」時代については以前ちょっと調べたことがあるけど、それほどの混血があったかどうかは実際疑わしい。
戦争時のレイプで生まれる子供の数などたかが知れているし、当時のロシアでは「ダルガ」や「バスカク」といったタタールの役人と
その護衛が滞在しているだけで、タタール人一般とロシア人一般は生活圏が異なる(ステップ地帯と森林地帯)のでたいした
接触はなかったようだ(ちなみにそうした支配は14世紀半ばまでで、250年も続いていない)。
むしろロシアがシベリアや中央アジアを征服し植民していく中で多数のアジア人がロシアに取り込まれたんだろう。
ロシア貴族の3分の1を占めたというタタール系も、モスクワ大公国が一大勢力になった後で亡命してきたり征服されてキリスト教に
改宗した連中が多いらしい。
839世界@名無史さん:2007/03/14(水) 19:12:01 0
どっちが本当?レイプしたり処女を貢がせたらしいが事実?
840世界@名無史さん:2007/03/14(水) 22:32:24 0
戦争中のレイプなんて物の数じゃないわな。
例えばベルリンでのソ連軍のレイプでも
私生児は出産可能女性の数%程度。

大規模な混血は戦争後、
占領中に現地の女を娶って定着する上で
ゆっくり起こるんじゃないのか?

そう考えるとたかが数万のモンゴル軍(ほとんどトルコ系)
が与える混血の影響なんて知れてるわな。
841世界@名無史さん:2007/03/15(木) 01:09:55 0
>>838
そっちのレスも書いたの俺なんだけど。
同じような疑問に同じようなレスするのを一から書き起こしてたら普通に面倒じゃん。

>遺伝学的な見地で述べるなら因子分布などを示してくれ。

いつ遺伝学の話したっけ?
842世界@名無史さん:2007/03/15(木) 20:47:51 0
イランも同じ感じで混じっていったのかな?
あとレイプや処女を貢事態はあったの?
それにモンゴル兵ってモンゴロイドもいたけどコーカソイドも結構いるんだよな。
843世界@名無史さん:2007/03/16(金) 01:03:54 0
>処女を貢

多分帝政中国の「選秀女」と混同されているのでは
844世界@名無史さん:2007/03/16(金) 21:53:15 0
じゃあモンゴルは処女を貢がせたりレイプはしなかったと言う事?
845世界@名無史さん:2007/03/17(土) 01:14:41 0
フビライが中華皇帝に即位してから「選秀女」をやってたはず
それ以前には聞いたことがない

>レイプはしなかった

またずいぶん極端な結論だな
846世界@名無史さん:2007/03/17(土) 04:52:00 0
モンゴル軍のイラン・中央アジアやロシア方面の遠征で、抵抗の後征服した都市の住民や
婦女子を連行して、奴隷として囲い込んで既存の征服した領土の采邑に農地や牧地開拓のため
集団で投下したり、王家や諸侯家の家内奴隷にしたり、あるいは外国に売り払っちゃう、
て話しは資料的に割と普通に出てくるが、戦争・戦場で即レイプみたいな話しは聞かれない。
虐殺や掠奪は普通に良く出てくるけど。

モンゴルを批難する文句の一つに、虐殺や掠奪に加え征服地の住民の婦女子を奴隷として
連行することがあげられている。ところがホラズム・シャー朝のジャラールッディーンは
インダス川の敗戦の後イランに見戻った時セルジューク朝やアタベク諸政権、シリアの
アイユーブ朝の王族たちと紛争ばかりしていたが、実はジャラールッディーン自身も
対立した勢力の都市を陥落させると都市住民の財産を略奪したり住民や婦女子を奴隷として
連行したり売り払ったりと、モンゴル軍と殆どやっていることが変わらなかったりする。

強大なモンゴルの前に味方に引き入れるべきイラン・シリア・アナトリア方面の勢力に対して
暴虐の限りをつくした結果、チョルマグン率いるモンゴルの討伐軍の攻勢に瓦解し、周辺諸勢力から
見限られてついにジャラールッディーンは横死してしまうわけだが、多分、異教徒で展開した作戦の
規模が違う(あとやたらと虐殺話しが多い)程度で、ペルシア語とかアラビア語資料を見る限り、
ホラズムシャー朝軍とモンゴル軍のやっている事は質的にそんなに違いは無かったのだろうと思う。
847世界@名無史さん:2007/03/17(土) 05:33:26 0
>>843の続き。
近代戦と、前近代の戦闘の違いは色々あると思うが、(近代戦は殆どよく知らないけども)
恐らく決定的な違いの一つは、近代戦では捕虜はお荷物的な意味が強いことに対して、
前近代、とくに、中央アジアとか中東とかの地域では捕虜は奴隷として家内労働や産業分野への
投入を視野に入れていたため、大量の捕虜の獲得こそが政権側にとってかなり重要な懸案だった。
(これはちと常識的な話しか)

そのため、モンゴル帝国関連あたりで近代戦でよく聞かれるような婦女子へのレイプ→足手纏いだから
虐殺的な展開は、ちょっと考えにくい。頑強に抵抗したため報復的に虐殺とかいうのでも無い限り、
折角獲得した奴隷=「財産」候補を殺しては手にした金子をすぐドブに捨てるようなものだから。

中央アジア・イラン地域のテュルク・モンゴル系の軍団は、ある程度財産のある軍人は、作戦中も
戦場とは距離をおいて自分の家族や財産などを同伴させていたようだ。そのため、セルジューク朝や
ホラズムシャー朝の軍人たちは獲得した金品や奴隷を兵站とも言える自分の「家」に持ち帰ったり
商人に売り捌いたりしていたようだ。

そもそもモンゴル軍が戦場でレイプという話し自体あまり聞かれず資料的な裏付けがとれなくて何ともだが、
もし一般的なモンゴル騎馬兵が対立部族や都市攻略などで婦女子をレイプするというのであれば、レイプ
してそのまま「お持ち帰り」するか、戦利品として「お持ち帰り」したあとでレイプ、とかいう場合が
現実的にあり得る展開だろう。どちらにしろ財産として「お持ち帰り」が前提になるはず。
戦利品の分与には捕虜とした奴隷も問題にされていたから。

奴隷の処遇についてはイスラーム法学では色々あるのだが、『集史』あたりの記述をみると、実際のテュルク
・モンゴル系の王族・軍人たちは一定のルールはあるにせよ家内奴隷の扱いは性生活も含めてかなり恣意的に
色々出来たようなので、もしあるとしたら「お持ち帰り」のあとレイプという展開がよりあり得るように
思う。
848世界@名無史さん:2007/03/17(土) 05:49:14 0
>>847の続き。

>>844-845
>>レイプはしなかった
>
> またずいぶん極端な結論だな

モンゴル政権が処女を貢がせるとかいう話しは自分も高麗のものくらいしか聞いた事はないが、
『元朝秘史』のクラン皇后がチンギス・カンに嫁いだ時のエピソードからすると、
実際に戦場でレイプされるかどうかは分らないにしても、貴人の子女でも敵兵士に
捕縛された場合、そのあとで犯されるという危険性はやはり現実にはあったらしい。
(投降したウハズ・メルキト部族のクラン王女一行ををチンギスの幕僚ナヤア・ノヤンが先導し、
 チンギスの御前までクランの貞操を守り抜いたという功業話し)
849世界@名無史さん:2007/03/17(土) 19:14:03 0
じゃあ連れ帰ってレイプってのは日常茶飯事だったの?
チンギスの子孫がやけに多いが
850世界@名無史さん:2007/03/18(日) 00:50:42 0
モンゴル王族の場合、オルドの管理を担ったのは周辺の有力部族から嫁がされた子女たちや
父親などから受継いだ正室側室を含むオルドの女性たちと婚姻関係を結んでいたわけだが、
中には正室(フジン、ハトゥン)たちの管理するオルドに奉仕していた女官というか下女たち
から生まれた王子たちも多い。

『集史』にはチンギス・ハン自身の正室として、コンギラト部族のボルテ大皇后やウハズ・メルキト氏族の
クラン皇后、トトクリウト・タタル氏族の首長イェケ・チェレンの娘であるイェスルン、イェスゲン姉妹、
金朝皇帝衛紹王の皇女である岐国公主の5人が別格的地位にあったと述べているが、他の側室たちから
生まれた子供達、男子女子も合せても20人居るかどうかくらいしか記録されていない。
男子の王統に至ってはボルテとの四子とクランから生まれたコルゲンのものしか居ない。
『元史』に至ってはチンギスの妻妾を上記5名を含めて34人ほど上げているが、名前を上げている
子供は6名だけ。

息子のジョチやトルイたちは世嗣だけでも10名以上いるのが普通だが、その妻たちも本質的には
チンギスと同じようにモンゴル帝国の中枢を担う有力部族を姻族としてその子女たちを正室として迎え、
あるいはオルドで働く女性たちを側室としたりしていた。ただ、上で述べたこれらは大名の側室で
奥勤めや側仕えしていた婦女子が、大名のお手付きになったとかいう話しと同じ次元の問題。

> 日常茶飯事だったの?
記録が無いので分らない。「それだったらあり得るだろう」という憶測のレベル。イルハン朝では
ガザンの改革の時に婦女子の不当な人身売買が問題になったようだが、そもそも「家」の内部のことは
性生活に限らずほとんどのことは記録に残らないので、モンゴルに限らず前近代の社会で「家」で
レイプが行われたかどうかはなかなか分らない。ジェンダー関係や社会学はその種の分野で成果を
上げているが、中東・中央アジアでの性生活については最近ようやく研究が始まった程度で、
モンゴル帝国時代についてはまだ分らない。
『元典章』あたりだったら何かそれらしい事例が載っているのかも知れないけど。
851世界@名無史さん:2007/03/19(月) 11:35:55 0
具体的にどんな感じなの>中東・中央アジアの性生活
一夫多妻、子沢山のイメージがあるが
852世界@名無史さん:2007/03/19(月) 15:20:11 0
ニューセンス!!ニューパワー!!ニューポリシー!!
ミカン・アキカン・モウアカン?
853世界@名無史さん:2007/03/20(火) 01:11:44 0
>>851
アッー!方面ならIslamic Homosexualitiesって本が詳しいが
854世界@名無史さん:2007/03/20(火) 18:59:21 0
スレチすまんだが
マルムークではフランス兵がガチムチ野郎に掘られたみたいだね。
855世界@名無史さん:2007/03/24(土) 15:36:40 O
ノンケ・ハン
856世界@名無史さん:2007/03/24(土) 20:53:09 0
レイプ話は結局どういう結論?
857世界@名無史さん:2007/03/25(日) 00:57:21 0
>>853
ネットじゃたまにモンゴル軍がレイプレイプと騒いでる人がいるけど、
実はそーゆー事が起きたという具体的な記録が無いから分らん。というのが結論。
随分まわりくどくなったが。(虐殺や掠奪ならいくらでもあるけど)
858世界@名無史さん:2007/03/28(水) 04:13:56 0
司令官が戦利品と認めた限りにおいてモンゴル軍将兵はその女性を我が物に出来た。
勝手にレイプすると「戦利品の私物化」として厳罰に処された。
もっとも女性の人道的な観点ではなく、「戦利品」である女性の所有権が誰に属するかを決定するのが、
一般兵には無く、指揮官れべるだったに過ぎないが。
859世界@名無史さん:2007/03/28(水) 13:06:16 0
黒い旗を掲げると略奪の許可、ってのはティムール帝国だったか
860世界@名無史さん:2007/03/30(金) 21:14:55 0
結局は連れ帰ってレイプしたのかな?
861世界@名無史さん:2007/03/30(金) 21:36:50 0
つうか奴隷は「商品」だからあんまり酷い事して殺したら何の意味も無い訳で。
そりゃ指揮官なら気に入ったらヤッちゃうケースもあるだろうけど何十人もレイプなんて
やってる暇無いだろ。
862世界@名無史さん:2007/03/31(土) 06:01:32 0
モンゴル軍においては戦利品や女性の略奪を勝手にすれば厳罰に処された。
手当たり次第の略奪やレイプを許せば、将兵は命懸けの戦いをしなくなり略奪強姦に熱中してしまう為、
戦利品や女性の分配の権限はその指揮官に属し、戦いが終った後に、
指揮官の認めた戦功によって戦利品や女性がそれぞれの将兵に配分された。
863世界@名無史さん:2007/03/31(土) 18:59:39 0
て事は戦利品としてレイプされたとしても100人にも満たないのかな?

864世界@名無史さん:2007/03/31(土) 20:26:27 0
占領した後方の町に駐在している連中が略奪強姦やり放題では前線で命懸けで戦っている将兵の士気に関わる。

865世界@名無史さん:2007/04/01(日) 19:42:14 0
まぁそうだな。じゃあレイプされたのはごく少数?
866世界@名無史さん:2007/04/01(日) 21:08:53 O
なんかポイズン・ハーンに影響された厨がいるな
867世界@名無史さん:2007/04/02(月) 20:09:09 0
でも少数だけどレイプしたんでしょ。
868世界@名無史さん:2007/04/02(月) 21:41:39 0
さあ。記録に無いから何とも。
869世界@名無史さん:2007/04/02(月) 22:51:21 0
そんなの当たり前の風景を記録する物好きはいねーよ
870世界@名無史さん:2007/04/03(火) 02:32:04 O
平時にもレイプはあるけどね
871世界@名無史さん:2007/04/03(火) 10:58:25 0
レイプを行うのは韓国人のみです。
モンゴル人は韓国人の中傷の犠牲者
872世界@名無史さん:2007/04/03(火) 18:18:13 0
韓国人など存在しません
存在するのは「モンゴルの奴隷の子孫」だけです

女奴隷に種付けしたのはモンゴル人ですが
873世界@名無史さん:2007/04/03(火) 21:09:58 0
↑どういう事?
874世界@名無史さん:2007/04/05(木) 07:55:00 0
レイプについて結論はでたの?
875世界@名無史さん:2007/04/05(木) 12:58:11 0
「レイプ」という現代の犯罪の枠ではなく、「略奪婚」という過去の時代の習俗の枠って事にしとけ。
876世界@名無史さん:2007/04/05(木) 20:45:25 0
>>875
略奪婚の枠に収まらないような例をずっと論じてたと思うが
877世界@名無史さん:2007/04/06(金) 11:09:13 0
軍隊が遠征先で現地の女とくっつくのは現在でも普通に起こってる事でしょ?
女性関係が全てレイプなんてのはありえない。
878世界@名無史さん:2007/04/06(金) 20:53:38 0
>>876
うん。だから結構レイプしてたのかな?記述として残ってないけど略奪婚も含めどの位レイプは起こったんだろうか?
879世界@名無史さん:2007/04/08(日) 00:40:16 0
今日の日経小説で、
金国の弓は、射程が長い。
ムスリムの弓は、命中率が高い。
モンゴルの弓は、発射回数が多い。

ってあったけど、日本の弓の長所はありますか?
880世界@名無史さん:2007/04/08(日) 13:28:18 0
>>879
それ、一体何を根拠に言ってるのか想像もつかない・・・
3者とも複合材の彎弓だったと思うけど。
881世界@名無史さん:2007/04/08(日) 14:38:02 0
型にハメたがるのが日本の弓じゃないの
882世界@名無史さん:2007/04/09(月) 10:17:51 0
昔モンゴル騎兵とマムルークの優劣を比較してたガイジンがいて
マムルークは信じられないようなスピードで矢を連射していたとか書いてました。

イランあたりのエリート騎兵の伝統を汲んでるとのこと。

日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。

※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
       【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
       【土・日】21:00?24:00

http://www.ch-sakura.jp/index.html


884世界@名無史さん:2007/04/09(月) 18:53:31 0
>>878について誰か知らないですか?推測などでもいいので是非答えを知りたいです。よろしくお願いします。
885世界@名無史さん:2007/04/09(月) 20:46:30 0
>>879
記録では、鎌倉時代の日本の弓の射程は436メートルらしいから、性能では劣っていないと思うが
886世界@名無史さん:2007/04/09(月) 21:45:30 0
いい加減、レイプ厨うざい。何が聞きたいのさ。エロ動画でも見てろ。
887世界@名無史さん:2007/04/10(火) 12:24:01 0
答えが出てないから知りたい只それだけ。
過去スレでも議論されたが真相が見えてこない。
888世界@名無史さん:2007/04/10(火) 12:59:30 O
日本の弓は複合弓だからな。
速射性だけならイングランドのヨーマンが凄くないか?
889世界@名無史さん:2007/04/10(火) 13:11:39 0
ttp://www.atarn.org/islamic/akarpowicz/turkish_bow_tests.htm

↑このページによると16世紀にトルコ弓の競技射撃で
矢を930ヤード飛ばした記録があるそうだ。
だいたい850メートル?
890879:2007/04/28(土) 00:32:08 0
世界を創った男 チンギスハン 2007・0407(土)
「大」を呑む 6

例えば弓矢だ。
ジャバル・ホージャのムスリム兵の弓は硬く短いのに対し、
耶律阿海の金軍の弓は長くしなやかだ。
モンゴル人の操る弓はその中間だが、射撃方法がまるで違う。
モンゴル人ら漠北の民は、親指で弦を引くのに、
ムスリム人は人指し指と中指で弦を引く。
チンギスハンは、三者の優劣を様々に実験したところ、
射程距離では金軍の長弓が優れていたが、命中精度ではムスリムの短弓が勝った。
「一層のこと、われわれモンゴル人も、ムスリムの弓と射撃法を学んではどうか」
そういい出す者も出たが、ムカリは首を振った。
「〜われわれの弓矢と射撃法は発射回数が多く、走行中の馬上からの射撃に適している」
〜「これは要するに、それぞれの戦争目的に適うてるんですな」
〜「大濠や長城を防壁として敵を近づけまいとする金朝の兵は長い射程の弓を好む。
一方、都市の城壁を頼りに接近戦を行うムスリムには、一発必中の硬い短弓が合うてる。
われわれ騎馬の集団は、やっぱりこの角と木を貼り合せた漠北の弓が最適ですわ。」
891世界@名無史さん:2007/04/28(土) 01:04:50 0
前にネットで検索した限りでは、
湿気が強い日本では複合弓が作れず、日本の弓は世界で一番長くなってしまった。
http://okwave.jp/qa2926812.html
参照した書籍中の引用文献「近代日本弓術の発展」によると、
三十三間堂の通し矢(距離60m、的の直径157cm)で、寛文9年に約18時間で1万本超(通し

矢数8,000本)の記録があるようですから、平均で9射/分、休息を考えれば10射/分といっ

たところでしょうか。
これは射通した数を競うものですが、弓は十分強力なものを用いますので、威力はあまり犠

牲になっていないと想像します。
自分の経験では、2〜4射/分(距離28m、的の直径36cm)でした(もちろん的中率は散々

)。
892世界@名無史さん:2007/04/28(土) 09:30:08 0
>角と木を貼り合せた漠北の弓

朝鮮半島からポーランドあたりまでそういう作りの弓を使ってたと思ったけど・・・違うの?
893世界@名無史さん:2007/05/04(金) 09:00:45 0
それよりジャムカが死んでも小説は続くんだぜ……
894世界@名無史さん:2007/05/16(水) 16:34:14 0
>>891
三十三間堂の通し矢は、今と昔とではルールが全然違う。
江戸時代に行なわれていたのは、距離120メートル、高さ5.5メートルの軒下を一昼夜で
何本射通すことが可能かという競技。
遠くを射る時って、矢は通常かなり高い弾道軌道を飛ぶものなんだけど、三十三間堂の
通し矢では高さ制限が厳しいため、ほぼ水平射撃に近い軌道で120メートルを射通さ
なければならない。
こんなことが可能な日本の弓の威力は世界的にもかなり強力な部類だよ。
895世界@名無史さん:2007/05/18(金) 09:11:21 0
>>894
水平で120mだと曲射にしたらどれぐらい飛ぶの?
896世界@名無史さん:2007/05/18(金) 10:26:12 0
897世界@名無史さん:2007/05/26(土) 21:17:23 0
チンギスハン子ども数千人? 子孫世界に1600万人 中国紙報道 DNA鑑定で判明

 【北京25日傍示文昭】13世紀初め、東欧からアジア大陸までをその勢力に治めた「モンゴル帝国」
を築いたチンギスハン(成吉思汗)が生前、数百人から数千人の子どもをもうけた可能性があることが
科学者グループの調査で明らかになった。中国紙の法制晩報が伝えた。

 同紙によると、ロシアの科学者が主導して行ったDNA鑑定の結果、約800年前のモンゴル族の
同じ染色体を持つ人が現在、約1600万人いることが判明した。逆算すると、1人の人物が13
世紀初頭、数百人から数千人の子どもをもうけた計算となり、当時、これだけの子どもをもうける
ことが可能だったのは、モンゴル帝国の創始者であるチンギスハン1人だけだったという。

 また、その同じ染色体を持つ人は現在、主にモンゴルと中央アジアのカザフスタンに集中して
いるほか、英国にも少なくとも100人が居住するなど世界各地に生存しているという。

 チンギスハンがモンゴル帝国を築いた後、孫のフビライが中国を平定して「元」を建国。
フビライは1274年と81年の「元寇(げんこう)」で九州北部を攻めたが、二度とも「神風」
などのため日本を征服できなかった。

=2007/05/25付 西日本新聞夕刊= 2007年05月25日13時33分
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/20070525/20070525_010.shtml
898世界@名無史さん:2007/05/27(日) 11:51:44 0
>>897
ジョチがチンギスの子供で無かった場合、
この割合はどれくらい減るのかな。
899世界@名無史さん:2007/05/27(日) 13:06:29 0
>897
大量にいた子供のうち皇族扱いされたのは
ボルテが生んだ子の他はごく僅かだったんだよなぁ。

ジョチなんてどこの馬の骨か分からんのが皇子扱いなのに。
れっきとしたチンギスの子たちはどう思ってたんだろ。
900世界@名無史さん:2007/05/27(日) 14:10:12 0
やはり世界最強の強姦民族はモンゴルで決まりだな。
その遺伝子を引き継いだロシアも立派な強姦魔とかした。
901世界@名無史さん:2007/05/27(日) 14:24:45 0
>>897
日本にも、少しはいるのかな?
902世界@名無史さん:2007/05/27(日) 19:19:57 0
>>899
ジョチが実子じゃないというのはあくまで俗説ですけど?
903世界@名無史さん:2007/05/27(日) 20:14:48 0
>>897の記事をよく読むとジョチ・ウルスの勢力圏である
カザフスタンでチンギスのものと思われる染色体が集中している
ってことは、ジョチはやはりチンギスの実子だったということを
証明しているんじゃないかな。
904世界@名無史さん:2007/05/27(日) 21:55:55 0
>903
皇子として認知してもらえなかったチンギスの子も
征西に数多く参加していたと思われる。
彼らの子孫がカザフスタンに定着しているだろうから
ジュチの血の証明にはならんと思う。
905世界@名無史さん:2007/05/28(月) 13:34:35 0
モンゴルとカザフスタンに集中してるならテムジンと関係なく
クマン族の遺伝子とかでも説明できそうなものだが。
オセチア人とか元滅亡後にモンゴルに土着化して部族集団になってるしな。
906世界@名無史さん:2007/05/29(火) 23:07:06 O
カザフだったらシャイバーニー朝だっけ
907世界@名無史さん:2007/05/30(水) 09:07:58 0
>>906
それウズベク
というかシャイバーニー朝から離脱したからカザフと呼ばれた
908世界@名無史さん:2007/05/30(水) 21:20:24 0
そもそもチンギスって妾とか囲ったのは晩年だから子供は多くても40人に満たないんじゃないか?
詳しくは知らんが
909世界@名無史さん:2007/05/31(木) 23:54:59 0
> 当時、これだけの子どもをもうけることが可能だったのは、
> モンゴル帝国の創始者であるチンギスハン1人だけだったという

この時点でもう既に認識を間違っている。どうせ実験するにしても、J.A.ボイル、せめて
サクストンなんかの『世界征服者史』や『集史』の英訳を読んでからにして欲しいが〜(汗

>>908
夭折した子女を含めても40人いたかどうか怪しいかと。
『集史』では皇后と呼べるチンギスの最有力の妃が5人挙げられているが、その内、
第一皇后ボルテからは男子4人、女子5人が知られている。『集史』では彼らを含めても
正妻・妾腹の子供達は20人行くかどうかというくらいしか記録が無い。

チャガタイ家のブリのように父モエトゲンが戯れに家人の妻との間に儲けた妾腹の男児でも、
その女性が属すオルドの主人、つまりモンゴル君主の正妃たちがそういった子供もちゃんと
成長するまで養育するのが習わしで、母親の出自が良くなくても成長して子孫の残せばちゃんと
名前が残る。

ところがチンギス・カンの場合、『集史』が編纂された14世紀初頭までに存続した男系の
子孫はボルテの4人の息子ジョチ、チャガタイ、オゴデイ、トルイと、ウハズ・メルキト王家
出身の第二皇后クランのひとり息子コルゲンの系統しかいない。
910世界@名無史さん:2007/05/31(木) 23:55:02 0
>>908
チンギス直子の子供も入れれば数百位にはなるかも
911世界@名無史さん:2007/06/01(金) 00:17:20 0
>>909の続き。

5人の皇后の場合、ボルテ、クランの他にトトカリウト・タタル氏族出身の第三皇后イェスゲン、
第五皇后イェスルン(イェスイ)の姉妹と、金朝皇帝・衛紹王の娘である第四皇后・岐国公主が
いた。その内イェスゲンにはチャウルというひとり息子がいたらしいが夭折したという。
イェスルンには子女の有無が記録されておらず、岐国公主はアリク・ブケの時代まで存命していた
そうだが、子供は全く居なかったと記録されている。

正妻とも言える皇后たちでさえこの調子で、ボルテの存在がやはり飛び抜けて特別。
他にナイマンやタタル部族出身の氏名不詳の側室からジョルチダイ、オルジュカンという男子が
いたそうだが、これも詳細が不明。あと女子では天山ウイグル王国へ嫁いだエル・アルタイが
居るが、せいぜいこのくらい。『五族譜』とかならもう少し詳しく載せているかもしれない。

ボルテとの4人の息子たちやジョチ・カサル、オッチギンの系統なら正嫡だけで10人以上いる
場合が殆どだが、チンギスにはそんな余裕はなかったろう。むしろ息子たちに有力部族や旧王家
との交換的な婚姻を結ばせてオルドの拡大と血族的支配の方に熱を入れていた感すらあるが。

中央アジア・イランでは、チンギス・カン家の系譜資料は時代によって色々問題はあるものの
いくつか作成されたのだが、(現存資料を保管している博物館などが利用を制限している場合も
あるので)どこか国か研究機関が資金を投下して資料のカラーコピー版なんかを出してくれれば
良いのだが、そういう奇特なことをしてくれる場合はほとんど無い。そういうわけで研究者以外
では一般にその種の資料はは手に入らない状況にあるが(これはおおよそ他の分野でもそうだが、
写真版や校訂本が稀少だったり良好ならざるものしか出回っていないのでさらに問題)、それ
以上にどうやら日本でも欧米でも『元朝秘史』以外の『集史』などの資料を使ってチンギス・カン
についての知識をちゃんと収集しようという視野があるかというと、どうにも怪しい。
912世界@名無史さん:2007/06/01(金) 00:29:14 0
>チャガタイ家のブリのように父モエトゲンが戯れに家人の妻との間に儲けた妾腹の男児でも、
>その女性が属すオルドの主人、つまりモンゴル君主の正妃たちがそういった子供もちゃんと
>成長するまで養育するのが習わしで

なぜそういった習慣が出来たのでしょうか?
913世界@名無史さん:2007/06/01(金) 03:57:23 0
多分、遊牧民のような季節移動を原則としてオルドという空間で家族が
一緒に暮らす場合、彼らの「家族概念」がオルドでの生活空間の範囲で
認識される部分が強いんだと思う。もちろん内部で序列化はあるにしろ
自分のオルドにいれば「自分の家族」「自分の子供」といった具合に。
オゴデイが没した直後のドレゲネとテムゲ・オッチギンとのやりとりとか
その辺の家族概念に基いたエピソードが『集史』その他ではしばしに登場する。

ここらへんはまさに文化人類学の範疇だが、アジア世界の他の地域でも
よく見られる現象だと思う。
914世界@名無史さん:2007/06/01(金) 19:20:09 0
オルドの成員ってハトゥンとその家族に宦官、女官、その他奴婢といった感じでOK?
915世界@名無史さん:2007/06/02(土) 20:35:47 0
>>909
やはりそうか。チンギスの子孫がハッスルしたんだろうな。
916世界@名無史さん:2007/06/05(火) 18:24:03 0
あげ
917世界@名無史さん:2007/06/07(木) 11:11:09 0

古来、征服された民族の女性の運命は過酷であった。
最も有名なのはモンゴル帝国の創始者チンギス・ハーンとその係累・後裔であろう。
帝国による降伏勧告を受け入れず抵抗の後征服された都市はことごとく破壊・略奪・殺戮され、
女性も戦利品として王侯・軍隊などの権力者以下にあてがわれた。
世界各地の男性のY染色体を調べた結果、
かつてのモンゴル帝国の版図に高率で共通の染色体が検出された。
(ブライアン・サイクス著『アダムの呪い』)
918世界@名無史さん:2007/06/07(木) 21:23:35 0
先住民を戦利品として生かさずに殲滅した西欧人がそんなこと言っても説得力が無い
919世界@名無史さん:2007/06/08(金) 17:43:04 0
というか>917は真実?
920世界@名無史さん:2007/06/08(金) 20:00:32 0
>>919
共通の染色体というのは、たびたび報道されているからおそらくそうなんでそ。
ただ、レイプだなんだというのはかな〜り怪しい。
921世界@名無史さん:2007/06/10(日) 20:22:40 0
↑じゃあレイプは嘘なのか?そんな話は残ってないの?
チンギスの子は少ないけどフビライとかは多いんじゃないの?
922世界@名無史さん:2007/06/10(日) 21:18:55 0
強姦しまくったのは本当です。
秀吉の軍だって朝鮮で強姦しまくったでしょ。
ヨーロッパだってアジアやアメリカを強姦しまくったし。
侵略あるところに強姦あり。
世界最大の侵略を行ったモンゴルも強姦しまくった。
923世界@名無史さん:2007/06/10(日) 21:22:05 0
そもそも戦国時代よりも無政府な環境にある遊牧民の世界で、強姦が悪だという感覚なんてあったのか疑問だね。
あったとしても、現在よりも遙かに軽犯罪の感覚だったのだろう。
その荒くれ者達が全世界を侵略して回ったのだから強姦がないほうがおかしい。
924世界@名無史さん:2007/06/10(日) 21:24:23 0
ナチもソ連軍も日本軍だって強姦しましたよ。
日本の場合は従軍慰安婦を行ったので規律が保たれていたようだけど。
925世界@名無史さん:2007/06/10(日) 22:20:05 0
モンゴル軍においては占領した町の人や物を勝手に我が物にすることは軍律で厳しく禁じられており、
例えチンギスハンの一族であろうとこの規律を犯せば処罰された。
戦利品は建前としては全てチンギスハンものであり、戦利品の分配を裁可するのもチンギスハンであった。
モンゴル軍は西欧史観や中華史観のいうようなならず者の集団ではなく、
逆に史上稀に見る鉄の軍律を持つ軍事集団だった。
926世界@名無史さん:2007/06/11(月) 01:07:11 0
その軍律を誇った軍隊が、世界中で強姦したのは事実。
兵士に対する褒美だったと考えるのが自然だろう。
927世界@名無史さん:2007/06/11(月) 19:24:12 0
フビライの肖像画がすごく朝青龍に似てるんだよ
生まれ変わりで横綱までなったんならすごい執念だな
928世界@名無史さん:2007/06/11(月) 20:21:37 0
>>925-926
レイプしたのしてないの?どっちだ?
929世界@名無史さん:2007/06/11(月) 22:34:42 0
>>928
>>925では無いものの、>>926というか>>922の資料的根拠が皆目見当がつかないが、
モンゴル軍の残虐行為として掠奪や殺戮の話しは幾らでも残っているが、モンゴル帝国内外の
同時代性の高い現存資料の記述から判断すれば、

モンゴル帝国の遠征では「強姦」などは「無い」もしくは「構造的に無理」と言っても構わないと思う。

「そういう記述が何年代に書かれたどこそこの年代記に出て来る」というのが有れば別だけど。
(勿論、その話しが語られた状況や信憑性も他の事由同様に問題になるが)

理由は>>925も言っているが、近現代の戦争などでは捕虜などはただのお荷物であり行きずりでの
強姦話しは第二次世界大戦その他で色々あるみたいだが、前近代、特に北アジアや中央アジア、
西アジアなどの地域では捕虜の存在は、夫婦や家族単位での大量投入による農耕地の開拓や、
家内奴隷として政権の財政運営のため売買も視野に入れて必須の存在で、戦利品としては金銀宝飾や
糧抹とならぶ「財源」として極めて重要視された。租税の徴収や各地への再分配の必要から、これらの
捕虜の人口調査が臣従を約束された定住民も含めて行われている。そのため、遠征軍中の再分配以前に
捕虜を含め戦利品を無断で私すると、遠征軍司令官であるモンゴル王族や帝国に対する重大な叛逆行為
として厳正な処罰の対象となり、指揮官の更迭や違反者を出した所属部隊がまるごと「族滅」なんて
こともあったらしい。その手の話題は『集史』や『元典章』その他の資料を参照のこと。


>>927
板東英二はクビライに似ている! と板東英二本人が何年も前に「世界ふしぎ発見」のスペシャルで
言っていて、朝青竜云々などと言われるより個人的にそちらの方の印象が強い。クビライは朝なんとか
みたいにあばた顔じゃ無いし。
930世界@名無史さん:2007/06/11(月) 23:15:11 0
>929
わざと名前を間違えてるあたりが必死だな(笑
931世界@名無史さん:2007/06/12(火) 00:39:25 0
>>929
>その手の話題は『集史』や『元典章』その他の資料を参照のこと

モンゴル軍がどこそこで何人強姦しました、なんて自己編纂の史料で書くわけ無いだろ。
被害者の側の資料を良く読め。
どれだけの殺戮を行い、女を強姦し誘拐したのかをな。
932世界@名無史さん:2007/06/12(火) 18:51:25 0
将兵が手当たり次第に強姦略奪をする事は厳禁であり、もしすれば厳罰に処された。
公式に恩賞として認められて初めて女性や財物を我が物にできた。
西欧や漢族のいうように無秩序に手当たり次第に強姦略奪をしていたのでは無く、
女性や財物の分配は極めて厳正な秩序の下で行われた。
933世界@名無史さん:2007/06/13(水) 06:38:11 O
イスラムの連中が大袈裟に言ってるだけだろ。
934世界@名無史さん:2007/06/13(水) 07:40:39 0
西欧キリスト教徒による新大陸征服は偉大な歴史で
モンゴルによるユーラシア制覇やドイツ騎士団殲滅は呪うべき暗黒史とする
西欧優越主義史観だが、最近は若干トーンを落としている。
935世界@名無史さん:2007/06/13(水) 22:47:07 O
蒼天航路の作者にチンギスを書いて欲しいな。
936世界@名無史さん:2007/06/13(水) 22:57:15 0
>>934 西洋による植民地支配は高貴で文明的で、日本による植民地支配は
野蛮で破壊的という史観に似てるな
937世界@名無史さん:2007/06/14(木) 00:36:50 0
【モンゴル】「蒙古」と呼ばないで 中国・漢民族による蔑称、モンゴル留学生著名人らが呼びかけ [06/13]
1 :ククリφφ ★:2007/06/13(水) 07:57:36 株 ID:??? ?DIA(109114)
 日本とモンゴルの交流が盛んになるなか、モンゴル留学生や日本の著名人が「蒙古」という言葉の使用を
やめるよう呼びかけている。「蒙古」には「無知で古臭い」といった意味があるためで、大相撲のモンゴル力士たちも
支援している。
このほどモンゴル留学生会などが主催する祭典「ハワリンバヤル2007」が開かれた都内の会場で、「私たちは
モンゴルを蒙古と呼びません」というパンフレット(意見広告)が来場者に配布された。両国の賛同者による合同
声明の形で意見を掲載。大相撲の安馬も賛同の署名を行った。
「蒙古」には「無知で古臭い」という意味のほか、「暗い、覆いかぶせる」という内容があるという。東京外大
モンゴル語学科教授で日本モンゴル学会理事の二木博史さんは「蒙古という呼び名は漢民族ができるだけ
野蛮な表記にしようとしてできた言葉。モンゴル人を蔑視(べっし)している。原則的に民族名や言語の名前は
カタカナ表記にすべきだと思う」と訴える。
日本人の「蒙古」という呼び名は鎌倉時代から始まったといわれる。かつて大阪外大は蒙古語学科を設けていたが、
1962年にモンゴル語学科に変更した。NHKでは2001年3月14日放映の「その時歴史は動いた」で、蒙古は
差別的な意味を持つとして「蒙古襲来」を「モンゴル襲来」として放送した。
しかし、現在でも多くの大学や団体などで「蒙古語」と呼ばれ、「日蒙辞典」や「訪蒙」として使われているケースも
目立つ。中学、高校の歴史教科書には元寇の「蒙古襲来」の表記が残り、赤ちゃんのお尻をさす「蒙古斑」も
使われている。関係者は史実や慣例語は基本的には問題にしない方針で、できれば使わないでほしいという姿勢だ。
938世界@名無史さん:2007/06/14(木) 00:39:23 0

 ただ、この運動を難しくしている問題が存在する。中国への配慮だ。中国は少数民族としての蒙古族と行政区としての
内蒙古自治区を有する。中国では当たり前のように「蒙古(モング)」と呼ぶ。蒙古の名前がついた製品もある。
モンゴル留学生たちは「呼び方変更運動は決して政治的なものではない。民族主義的な発想でもない」として
中国を刺激することを避けようとしている。

 日本モンゴル協会長で早大の吉田順一教授は「中国には蒙古を使わないでという要望はできません。日本人への
啓蒙という意味で静かに運動していくつもりです」と話している。(露久保孝一)

ソース:
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/56730


何で肝心の中国様に言わない?
939世界@名無史さん:2007/06/14(木) 01:45:46 0
より古い表記だと「蒙克」「萌古」等あるが
940世界@名無史さん:2007/06/14(木) 02:43:49 0
萌えー!
941世界@名無史さん:2007/06/14(木) 03:06:30 0
>「蒙古」
漢字の意味としては確かにネガティブな組み合わせなんだろうけど、
モンゴル皇帝だったオゴデイやモンケ、クビライ自身が残した漢文で書いた勅令でも
「大蒙古国皇帝」って書いているくらい歴史ある表記だから、別の表記にするのは
ちょっと勿体無い気もするけどねえ。
942世界@名無史さん:2007/06/14(木) 03:35:56 0
じゃあ日本では「猛虎」でいいよw
943世界@名無史さん:2007/06/14(木) 03:59:39 0
>>942
ルーキーに完封負け喰らうようなダメ国家ってことで、より強い反発が出るだろうな
944世界@名無史さん:2007/06/16(土) 20:25:36 0
北斗の拳でも蒙古覇玉道なんて技があったな
945世界@名無史さん:2007/06/19(火) 12:05:47 O
チンギス「はぁ…ん…」
946世界@名無史さん:2007/06/19(火) 16:16:03 0
キムタクとチンギスハーンはどっちが優性雄なんだろう?
947世界@名無史さん:2007/06/22(金) 00:22:44 0
チンギスの子供4人で一番優秀なのは誰かな
948世界@名無史さん:2007/06/22(金) 01:23:15 0
ttp://www.allcinema.net/prog/news_details.php?NsNum=3357
浅野忠信版チンギス・ハーン映画「Mongol」、特報 2007/06/21

浅野忠信がチンギス・ハーンを演じるロシア映画「Mongol」のティーザー・トレーラーが公開された。
監督は「コーカサスの虜」の名匠セルゲイ・ボドロフ。


ttp://kinoros.ru/db/movies/25/video/724/index.html?1182317658771

949世界@名無史さん:2007/06/22(金) 02:12:33 0
413 名無シネマ@上映中 New! 2007/02/21(水) 21:03:55 ID:S1YYdNeA
bunodataのブログも面白いよ!
モンゴルメーキング映像です。どーぞー
http://www.youtube.com/watch?v=Ff4xkTxJIAk
http://www.youtube.com/watch?v=6JcSmM2drC8

520 名無シネマ@上映中 sage New! 2007/06/21(木) 05:30:45 ID:ukCzYQiv
モンゴル公式(英語) フォト・ギャラリーあり
http://mongol.ctb.ru/en/

ティーザー・トレーラー(低画質・重たい)
http://kinoros.ru/db/movies/25/video/724/index.html?1182317658771
同じもののダウンロード版(すごく重たい)
4.22 Mb avi
http://files.ctb.ru/films/film00025/video/mongol_tiz1_s.avi
11.1 Mb avi
http://files.ctb.ru/films/film00025/video/mongol_tiz1_b.avi

>>413 にメイキング映像
950世界@名無史さん:2007/06/23(土) 08:41:45 0
>>947
オゴデイは使い物にならんから後継者にされた。
951世界@名無史さん:2007/06/24(日) 09:16:02 0
>947
ジュチかトルイのどちらかかと思うが。
952世界@名無史さん:2007/06/24(日) 20:35:21 0
しかし今から800年も前にユーラシア大陸のあちこちを馬だけで
転戦して、敵対国家を征服するなんて、想像するだけでも凄いな。
953世界@名無史さん:2007/06/24(日) 22:13:08 0
チンギスハーンって白人なんでしょ
あの辺りの門頃って昔はフン族=ゲルマン人がおおくいたらしいし
954世界@名無史さん:2007/06/24(日) 22:22:01 0
>>950
使い物にならんは言い過ぎだろ。
955世界@名無史さん:2007/06/24(日) 22:32:28 0
>>950
出典は?
956世界@名無史さん:2007/06/25(月) 13:13:17 0
>>952
ユーラシアの中央が人口希薄な荒野でなければああはいかなかったでしょ
イギリス人が船に乗って回ってるようなもの
957世界@名無史さん:2007/06/25(月) 13:40:35 0
>フン族=ゲルマン人

ソースは?
958世界@名無史さん:2007/07/01(日) 15:18:10 0
クリルタイで決定
959世界@名無史さん:2007/07/01(日) 16:28:57 0
>>956
おいおい、中央アジアは歴史上何度も大帝国が建設された場所だぞ?
日本じゃ何もない荒野だったと思ってるアホが確かに多いけどさ。
960世界@名無史さん:2007/07/02(月) 08:52:17 0
>>959
農地と都市がわずかに点在するだけで
あとは遊牧民しか住めない荒野
961世界@名無史さん:2007/07/03(火) 23:43:44 0
チンギスの構想としては、ジュチにロシア〜欧州
トルイに中国、チャガタイにインド方面を征服させることを
考えていたとすれば、オゴタイは都合の良い後継者なんだろうね。
962世界@名無史さん:2007/07/04(水) 01:52:14 O
モンゴル人つえ〜。

映画はコケたけどね。
963世界@名無史さん:2007/07/06(金) 02:02:36 0
そろそろ次スレよろ
964世界@名無史さん:2007/07/06(金) 16:24:47 0
>>960
わずかに点在する都市を征服しさえすればいいから、力のある遊牧民なら比較的容易に広域支配を成立させられた地域、
それが(昔の)中央アジアという理解でOKですか?
965世界@名無史さん:2007/07/06(金) 17:33:15 0
【上天】モンゴル帝国史総合スレ【眷命】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1165431835/l50
▼もしもモンゴル帝国が世界を統一していたら▼
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1166102655/l50
モンゴル帝国・金国・西夏・ホラズム
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1031997098/l50
◆◇◆元◆◇◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1137311273/l50
【北元から】その後のモンゴルを語ろう【革命まで】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1119756439/l50
五胡十六国〜清までの軍事史
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1122789087/l50
【蒙古】世界史上最強の騎馬軍団とは?【突厥】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1147423539/l50
中国史における遊牧民の歴史
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1056866040/l50
ローマ帝国・モンゴル帝国・現在のアメリカ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1181060935/l50
966シルクロード:2007/07/30(月) 18:40:29 0
ルーマニアの彼女とS◆Xするときジンギスをはじめとするモンゴルの輩のき持ちがよくわかります。
だからやめられない!!
967世界@名無史さん:2007/08/02(木) 19:56:28 0
>>960
おいおい、モンゴルは中国と中東という当時の文明の最大の中心地を、
両方とも制圧しているわけだが。
968世界@名無史さん:2007/08/03(金) 02:31:27 0
>>967
960は中国や中東じゃなく中央アジアについてのレスだが?
969世界@名無史さん:2007/08/03(金) 20:06:56 0
ああ、それもそうか。
どうもレスの流れを読み間違えた。失礼しました。
970世界@名無史さん:2007/08/04(土) 19:39:17 0
現在叩かれまくりの朝青龍だが、
心配をかけない為に病身を押して鷹狩を行ったジュチのように、
あえて無理をしての行動だった可能性はないだろうか?
971世界@名無史さん:2007/08/05(日) 02:24:14 0
>心配をかけない為に病身を押して鷹狩を行った

そうだったっけ
972世界@名無史さん:2007/08/05(日) 18:32:29 0
敵に侮られないようにする為だったような気もする。
973世界@名無史さん:2007/08/11(土) 21:54:38 0
 
974世界@名無史さん:2007/08/11(土) 21:55:17 0
 
975世界@名無史さん:2007/08/11(土) 21:57:01 0
975
976世界@名無史さん:2007/08/11(土) 21:58:09 0
 
977世界@名無史さん:2007/08/11(土) 21:59:25 0
 
978世界@名無史さん:2007/08/11(土) 22:02:34 0
 
979世界@名無史さん:2007/08/11(土) 22:04:17 0
 
980世界@名無史さん:2007/08/11(土) 22:06:39 0
980
981世界@名無史さん:2007/08/11(土) 22:11:13 0
消えろ、キチガイ埋め荒らし。
982世界@名無史さん:2007/08/12(日) 10:55:17 0
埋め協力乙w
983世界@名無史さん:2007/08/12(日) 16:11:55 0
 
984世界@名無史さん:2007/08/12(日) 16:13:11 0
 
985世界@名無史さん
985