1 :
神も仏も名無しさん :
2009/04/25(土) 02:17:11 ID:fa7TZx5T
2 :
神も仏も名無しさん :2009/04/25(土) 03:23:57 ID:fa7TZx5T
宝珠氏へ。真言様の御活躍に期待して設置しました。 >「それら(五蘊)はアートマンではない」(非我)としか説いていない、という説もあり、 >中には、「仏陀はアートマンを説いていた」という意見すらあるとのこと。 とりあえず、『相応部』1.3.5(中村訳p40)に拠ると、「わたし」や「わがもの」について、 >真に力量ある人は、世間における名称を知って、言語表現だけのものとして、 >〔仮に〕表現してもよいのである。 とある。
3 :
神も仏も名無しさん :2009/04/25(土) 05:00:18 ID:5wI/xs72
(桂三枝風に!) アートマン3 いらっしゃーい! の3取り!
4 :
神も仏も名無しさん :2009/04/25(土) 08:11:10 ID:E7BvDs39
1さん、スレたて乙です。 そして、宝珠氏と真言氏の今後に期待。 前シリーズ7氏の突っ込みにも期待します。
5 :
宝珠愚者 :2009/04/25(土) 11:02:54 ID:LaUDSlDB
>>1 大変、ご苦労さまでした。
代行依頼/スレ建て有難うございましたm(__)m
今回、前スレでは初めて1000まで使い切り、
「全員、仏陀に生まれ変わろうw」が最後(1000レス目)でした。
そしたら、スレのタイトルが生まれ変わりましたね!(笑)
また、初めて丸2日以上も間隔が空きました・・。
一部の不届き者や犯罪のせいで厳しいアクセス関係の規制が掛けられていて、
投稿やスレ建てがなかなか面倒になっています^^
(私自身まだアクセス規制に巻き込まれたままでして、サーバーに問い合わせたところです)
6 :
宝珠愚者 :2009/04/25(土) 11:05:40 ID:LaUDSlDB
エーと、今回は更に話を発展させて、
「無我」を主題にし、そこから縁起や常住論といった関係について話し合うスレです。
私からは、「非我」説の根拠と後代になって「無我」へと変容していったことについて、
学者からの説明(引用)を前スレで紹介しています。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1238/12388/1238899075.dat (前スレ13/750-752、754-756)
やっと、石飛道子著『ブッダと龍樹の論理学--縁起と中道』サンガ刊
水野弘元著『仏教要語の基礎知識』春秋社刊、の2冊も自宅に到着しました。
水野弘元『要語』は、必ずまた手元に置かねばと思いながら・・
あれから、なんと20年も経過してしまいました(爆)
やっぱり人間、キッカケがないとダメなもんですね!
しかし、この新版第1刷はちゃっちぃ造りになった印象です。
昔はもっと高級な感じがしました。
仏教が「縁起」を説くところに最大の特徴があるとは思います。
しかし、アートマンのようなものを想定せずして、
業力は過去世から今生に、そして今生から来世に如何にして
“同一性の個”へと縁起していくのでしょうか?
テーマが難しくなったようで、私も少しエネルギー補填したいと思います。
どーぞ投稿意見のある方は、もちろんドシドシと奨められて結構で〜す^^
7 :
南無大師遍照金剛 :2009/04/25(土) 13:01:32 ID:u34WhB/d
そもそも無我ってなに? 無我無我無我なんていってるけどお釈迦様の説いた無我ってなに? そもそも無我なんてといてねーべ
スッタニパータ 756 見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、<名称と形態>(個体)に執著している。「これこそ真実である」と考えている。 871 「世の中で感覚による接触は何にもとづいて起るのですか? また所有欲は何から起るのですか? 何ものが存在しないときに、<わがもの>という我執が存在しないのですか? 872 「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときには、<わかもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。」 873 「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか? 楽と苦とはいかにして消滅するのですか? どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。わたくしはそれを知りたいものです。──わたくしはこのように考えました。」 874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。
9 :
神も仏も名無しさん :2009/04/25(土) 18:45:15 ID:PFcthibP
「悟りの世界・華厳経」スレで口酸っぱく論じているんじゃない?
10 :
南無大師遍照金剛 :2009/04/25(土) 19:02:41 ID:u34WhB/d
┐(´〜`;)┌言葉遊びですか
11 :
一在家通りすがり :2009/04/25(土) 19:04:54 ID:/0ol12Q/
前スレでのご質問への亀レスです。 申命記32・8 マソラテキスト「イスラエルの子らの数に従い民族の境を固定された」 七十人約聖書「神の天使らの数に従い民族の境を固定された」 死海文書「神の子らの数に従い民族の境を固定された」 「神の子ら」は複数の神的実存者に言及し、危険にも多神教に近い考え になるので後世に訳を変更されたそうです。 出典:「死海文書のすべて」青土社 しかしユダの福音書では、イエスはエホバより上位の神の名を知っていると 微笑んだという一説があり、死海文書の訳の方が正しかったのではという 読み方もあるかと存じます。
グノーシス主義は正統からすると異端。
13 :
一在家通りすがり :2009/04/25(土) 19:26:52 ID:/0ol12Q/
「仏教要語の基礎知識」水野弘元著より 「外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教では これを説かないが、人格の主体として業を保持している 霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。 それは不生不滅でなく、輪廻の主体として、業や経験に 従って常に変化しつつ連続する有為法である。」 アートマン=霊魂と置き換えて読んで見れば、このレスの 命題に近いと思い紹介致しました。 「また尊い方よ、世尊が常住論について教えを説かれたやり方は 最高のものです。」とサーリプッタは表明し釈尊より表明が正確 であると保証されます。(「長部経典V」春秋社) 注目すべき点は、バラモン達が説いた常住論ではなく、釈尊が 説いた常住論だったということです。
14 :
一在家通りすがり :2009/04/25(土) 19:30:22 ID:/0ol12Q/
>グノーシス主義は正統からすると異端。 それでは、原始仏典は正統?からするといかがでしょうか? 原始仏典は日蓮宗、浄土真宗からすると正統でしょうか? 私は一週の内に1時間ほどしかネットに接続できないので レスが遅れる場合はあしからず。
15 :
神も仏も名無しさん :2009/04/25(土) 19:46:23 ID:PFcthibP
糞して寝ろ。
16 :
宝珠愚者 :2009/04/25(土) 21:21:18 ID:LaUDSlDB
17 :
神も仏も名無しさん :2009/04/25(土) 21:38:16 ID:PpV/vyQt
>>16 仏教徒を騙るクリスチャンや神智学信者は、すべてお断り。自スレへ戻られたし。
>>14 仏教には異端という考え方が余りないようです。
>>17 KK会員、生命教、ニーチェ信奉者、唯物論者もお断り。と、
次回からは書き加えておいてください。
20 :
神も仏も名無しさん :2009/04/25(土) 23:19:42 ID:oTmdLsKL
次スレからはテンプレに 「このスレはあくまで歴史上のゴータマ・シッダールタがアートマンを説いたかどうかを議論するスレです。 ゴータマの名を借りた新興宗教の聖典その他書籍は資料として使えません。また、 仏教を「ぼくのかんがえたげんだいてきなしゅうきょう」にしてあげるスレでもありません。」 を加えていただけると助かります。
なんだかずいぶん狭い設定のスレになっちゃったな。 誰も書き込まないような・・・
ご隠居の言うことを真に受けるとそうなるw
つまり一元論、流出説的に考えれば、この世の実在、迷いの存在すら、 実在しないとなる。あるのは神のみ。仏のみ。 アートマン、心すらない。心もなく、あるのは実相のみ。
24 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 02:10:00 ID:8B9vm81h
宗教も、現代における人間の生命の機能としての多くの営みの内の一つに過ぎ ない。 従って、生命や現代人の常識を導入しなければ、宗教は、無意味な単なる過去 の化石、死物と化してしまうのは明らかだろぅ。
また自己流の定義をはじめから有り難がって前提にしてるよ。
26 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 03:44:05 ID:RAPFsIou
>>25 現実に立脚した「自己流」は、大いに結構。現実離れの議論をいくらやっても、
単なる「観念の遊戯」。何らの意味も、価値も、進歩もない。
釈迦も、「現実に苦しんでいる人々」を助けようとしたのではないのかね。
同様に、根拠も不確かな大昔の仏典の「言葉」に拘ることにも、何の意味も
価値もない。仏典の言葉を超えて、「現代にも通用する意味」を考えること
が、釈迦も望むところであろう。
>>26 宗教は科学じゃない。宗教にとって進歩とは?
大した考えも無いくせにw
君の考え方は新興宗教的で底が浅いんだよ。
そういうのは自分のスレを作って自分でやってもらいたい。
あまり興味が無い。
28 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 04:24:06 ID:JScUeENS
>>27 仏教も、その発生時は、新興宗教、カルトだったことを、忘れてはならない。
多くの人々が嵌って、困ったことを知らないのですか。
29 :
一在家通りすがり :2009/04/26(日) 06:08:58 ID:XjuwNOGL
>>11 のような深く突っ込んだキリスト教や聖書関連の話題は
その分野の専用スレでお願いします。
書いてしまうと、また釣られて他の方も投稿するので m(__)m
宝珠愚者様、ご教示を有難うございます。原始キリスト教に相応しい
スレでまたアップ致します。
ただ、原始仏教から見て正統キリスト教と死海文書やユダ福音書とが
どうなのかを論じるスレが見つからないのが残念でもあります。
もう春秋社の長部経典は入手されましたでしょうか?
「自歓喜経」でのサーリプッタが表明した常住論は釈尊が説かれたのか?
それともバラモン達が説かれたのか?経文全体から見てのご見解をお待ち
しております。 合掌
30 :
一在家通りすがり :2009/04/26(日) 06:46:34 ID:XjuwNOGL
法華経「如来寿量品十六」より、 釈尊曰く、「すべてのものは、生まれ、かつ死に、必ず変化する ものでありますが(無常の意)、それはただ現象の上だけの ことであって、如来の眼をもってすべてのものごとの実相を 見れば、すべては消え去ることもなく、現れることもありません。 (中略)また、ものごとが常住するもののように考えるのも迷い でありますが、現象面だけを見て、常住のものがないと考えるのも 浅い見方です。」 「方便品第二」 釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。 (中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、 思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。 以上より、肉体も精神も無常で固執すると苦しみを生じますが、 アートマン(霊魂、仏性)は常住だという説法だと認識致しました。
31 :
南無大師遍照金剛 :2009/04/26(日) 08:14:22 ID:DylpejIM
お釈迦様は法華経説いてねーから
32 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 10:04:24 ID:FOsIby1w
>1 >仏陀は経典中において明確に説かれていた、ということで論証されました。 経典の一部に「書かれていても」、「明確に説かれた」ことなど論証されては いない。むしろ、その逆。 勝手な結論を下さないこと。
33 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 10:18:39 ID:FOsIby1w
釈迦が「苦」を説いた以上、その苦を感じる「主体」の存在を前提とし ていたことは当然。「世界を空と観ぜよ」と言えば、「感じる主体」が なければなりません。 しかしそうすると、「空」とは完全に矛盾することになる。 仏教では、この矛盾をどう解決しますか。
初期経典から大乗、密教に至るまでだから 一部というには随分な量ではあるが。
>>33 苦を感じている時、主体があるかどうかそもそも怪しい。
阿鼻叫喚の中、主体なんて崩壊してるようにしか見えない。
主体というのは結局中途半端な状態に対して
主体があるかのように自覚しているだけでは?
36 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 10:28:52 ID:FOsIby1w
>>34 他の、もっと大切なことは、説いてはいないのかね。
37 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 10:39:39 ID:FOsIby1w
>>35 阿鼻叫喚も、主体のなせる業。主体がなければ、阿鼻叫喚などない。
>>33 苦そのものが主体、主体とは肉体、色心不ニという真理がまだわからないの?
その主体の変化を空、無自性とした。
君のような魂が変化せずに転生すると勘違いする人がいるから、お釈迦様は無我を
説いたんだよ。
つまりバラモンみたいに、自分はこの世で天国に行くと思っていても、 必ずしも天国行くとはかぎらない。すべては原因・結果であり、 縁起であると仏教は説いたのではないのかね。
40 :
南無大師遍照金剛 :2009/04/26(日) 14:28:46 ID:DylpejIM
┐(´〜`;)┌ こういうのに固執すること自体 空を否定しちゃってんぢゃん そんなのどうだっていんだって
41 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 14:51:47 ID:uq+dq2ME
>>38 >>39 なんだか無理な説明だな。
苦を感じる主体があるからこそ、釈迦は苦の除去を教えた。主体が
なければ、苦もなく、釈迦は初めから苦など語る必要はなかった。
42 :
宝珠愚者 :2009/04/26(日) 15:29:20 ID:NwLsQp7H
>>29 >原始キリスト教に相応しいスレでまたアップ致します。
>ただ、原始仏教から見て正統キリスト教と死海文書やユダ福音書とが
>どうなのかを論じるスレが見つからないのが残念でもあります。
>>16 でリンクしたスレはいいと思います。
私も82〜122に投稿、利用させて頂きました。
一在家さんからの投稿があれば見たいと思います。楽しみにしています。
>もう春秋社の長部経典は入手されましたでしょうか?
まだです。
図書館からの連絡待ち状態です。
だから主体は変化するのであって、固定的、自性的なものと、決めつけては いけない。つまり「とらわれるな」ということ。 そういう苦にとらわれるとその心が実体化するということ。
>>41 つまり仏教は「アートマンはあるのか、ないのか」ということをさけるために、
「とらわれるな」ということで、無我を最初にいったのではないでしょうか。
「アートマンがある」というとそれにとらわれるわけですし。
45 :
宝珠愚者 :2009/04/26(日) 15:58:29 ID:NwLsQp7H
>>44 はぃ、それは“ある”と思います。
ていうか-その意味合いはかなり大きいものと私は思います。
何故、ゴータマは明言することとその解説を避けたのか?
そこにゴータマの真意があるのだと思います。
まぁ主体を設定して考えるクセが人間にはあるが、 そのクセでしか考えないのが悟りへのボトルネックになることがある。 よって無我とか空とかを説く必要があるってことだね。 見方によってあるといえばある、ないといえばない、 までいくと第三段階なんだが、本当はもうちっと上の考え方がある。
もう神智学徒・宝珠君にはエサをやりたくない
宝珠君はたぶん、カバラが好きだろう?
49 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 19:11:44 ID:M8U9JR+1
宝珠愚者は、仏教ではなく、神智学の布教を必死にやっているだけ。何とかして、
仏教を神智学に近づけたいだけだ。彼の異常な執拗さは、仏教徒のものではない。
やはり、基本は、キリスト教の影響だと思われる。
あと、
>>1 の「仏陀は経典中において明確に説かれていた、ということで論証
されました」も同類。論証などされていないばかりか、むしろ逆。
50 :
宝珠愚者 :2009/04/26(日) 19:52:01 ID:NwLsQp7H
>>48 別に好きでもなんでもありません。
カバラにも古代からの叡智が伝わっている、そういう認識にあるだけです。
私が所持するカバラ専門の書は、
大沼忠弘著『実践カバラ--自己探求の旅』人文書院ぐらいです。
>>49 >論証などされていないばかりか、むしろ逆。
史実のゴータマが語ったどうかは確認できない、
などといった屁理屈は相手にできませんね。
経典上では明確に述べられているという事実について論証したのです。
根拠となる出典も幾つも提示してきました(また載せますか?)。
その意味が理解できない、認めないのはあなたの勝手な自由ですよ。
あなたの意志にも尊重すべき自由があり、それは誰にも変えることはできません。
しかし、そのことで経典の記述が変わることはありません。
>>29 >只、原始仏教から見て正統キリスト教と死海文書やユダ福音書とが
>どうなのかを論じるスレが見つからないのが残念でもあります。
イッサ伝が本物なら論じる必要もないのにね
52 :
宝珠愚者 :2009/04/26(日) 22:14:05 ID:NwLsQp7H
>>49 誤解しているようです。
私はこのスレで、神智学が受け入れられるかどうかなど問題にしていません。
(それはハッキリいって、どうでもよい!)
私が問題にしているのは、
業報輪廻という重要な教えを、なーんと自称仏教徒らが自ら否定していたことです。
自己流の勝手な解釈で「空」「中道」「無記」などを理由にし、
仏典の業報輪廻についての記述を正当な根拠もなく、
勝手に後代の附加として無視しようとしているからでした。
業報輪廻の教えは、
人を死の恐怖から解放し、人生に対する原因と結果についての法則
(自己の行為は必ず自分に返ってくる)の理解を得る重要なゴータマの教説です。
業報法則の理解が、自己の行為に対する自主的な責任を持たせ、
人と人との正しい関係、人と自然との正しい関係、無害の必要についてを学ばせます。
確かに、人生には過去世からくる避難い悲劇もあります。
その悲劇が再び廻ってくるやもしれないというのが、悲しい凡夫の人生なのです。
であるから、ゴータマは早くそのような苦悩の世界からの解脱(業報輪廻からの)を説いたのです。
私のこの仏典にもとづく業報輪廻の論証への想いは、
初めて2chにアクセスした頃から7年間も続いてきたものです。
今日、昨日の思いつきではありません。
これが論証できれば、他のことはいい。
53 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 22:45:23 ID:jl2q//iX
>>52 だから、良いことも悪いこともした人間(すべての人間がそうであろう)の
輪廻は、どうなるのかね。良いことと悪いことの判断は、誰が、何を基準と
してやるのかね。
これに答えられなければ、輪廻転生の理論は成立しえない。
また、仏典に「書いてある」だけでは、必ずしも仏陀が「説いた」ことには
ならない。全体の文脈から、その真意を判断する必要がある。仏陀が時代の
圧力下に止むを得ず書いたのかもしれないし、また、仏陀が誤っている場合も
ある。
>>53 >全体の文脈から、その真意を判断する必要がある。
では、おねがいします。
>時代の圧力下に止むを得ず書いたのかもしれないし、
あらかじめ。
経典のどこにも見出せないけど、きっと本人はイヤだったんだー!
たぶん後世の奴らが(中略)それも書いてないんだけど何か俺にはわかる!
というのはナシの方向で。
55 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 23:03:41 ID:wYkDp0Fp
「仏典に書いてある! わーい!本当のことだぁー!」 と騒いでる馬鹿者達は、 水野さんの 「転法輪経について」 を、目ン玉引ん剥いて百億回熟読しろ。
>>55 まったく、馬鹿者どもは仕方がないですよね。
そいつらにガツンとお願いしますよ。
議論スレにふさわしい形で、ガツンと!
57 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 23:13:04 ID:wYkDp0Fp
333 初代スレ7 sage 2009/01/26(月) 21:26:56 ID:YKFCQn9R:360 初代スレ7 sage 2009/01/05(月) 12:52:03 ID:5QZBkXzp
原始佛教 その23
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/ http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/188 :
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/217 223 1/2 sage 2007/04/05(木) 17:12:52 ID:LuGG1Msz
ところで雑阿含におけるこの五蘊無我の経典では、
無我説が他の系統や有部毘奈耶破僧事におけるものと違っている。
パーリをはじめすべての五蘊無我の論証においては、有部毘奈耶破僧事におけるように、
色無我、若
色有我、 不応生諸疾苦、 能於色中作如是色、不作如是色。是故汝等、知
色無我故、 生諸疾苦、不能 作如是色、不作如是色。
とあって、これを平易にいえば、
「色がもし我(自在者)であるならば、色には病苦が生ずることもなく、
色に対して『このような色となれ』とか『このような色となることなかれ』とか
いうことができるであろう。だが、
色は無我(不自在者)であるから、色には病苦が生ずることもあるし、
色に対して『このような色となれ』とか『このような色となることなかれ』とか
いうことはできないのである」
ということになる。
これに対して漢訳雑阿含の無我相経では、以上の部分が
色非有我、若
色有我者、於色不応病苦生、亦不得於色欲令如是不令如是。
以色無我故、於色有病有苦生、亦 得於色欲令如是不令如是。
となって、逆の意味となっている。これを解り易くいえば、
「色は無我である。
色がもし我(絶対的)であるならば、色には病苦の生ずることはあり得ないし、
色に対して、かくあらしめ、またはかくあらしめざらんと
欲するを得ないであろう。
色は無我(相対的)であるから、色には病苦の生ずることもあり、
色に対して、かくあらしめ、またはかくあらしめざらんと
欲するを得るのである」
ということになる。
58 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 23:18:09 ID:wYkDp0Fp
334 初代スレ7 sage 2009/01/26(月) 21:42:38 ID:YKFCQn9R
224 2/2 sage 2007/04/05(木) 17:13:27 ID:LuGG1Msz
前の場合は通俗的な我・無我が説かれているのに、
ここでは【第一義的な】我・無我が説かれ、中論などの大乗的立場と同じである。
五蘊無我に関する釈尊の真説はいずれであったか不明であるが、
【仏教本来の説としては】雑阿含のような無我説であるべきである。
今日五蘊の無我を伝えている無我相経の多くは、
諸部派ともに通俗的な無我を掲げているのである。
(水野弘元“転法輪経について”仏教研究創刊号(1970)より)
著作集では改訂部分があるのだろうか?
改行・【 】は挿入させて貰った。
また漢訳部分は、返り点は省略し、句点を入れた。
225 神も仏も名無しさん sage 2007/04/05(木) 17:19:48 ID:LuGG1Msz
>>223-224 深く追求せずさらっと流しているし、「自在者・不自在者」とか「絶対的・相対的」と
前後で ( )書きを変えていたりして、幾分恣意的な解説のようにも思えるが、
ともかく、少ない事例の方を(【内容の面から】)本流であるとしているようだ。
────────────────────
(元の場所)
原始佛教 その23
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/ (96或いは)175〜234の辺り。
59 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 23:24:16 ID:wYkDp0Fp
>>56 ネタとしては十分だろ?w
(´ー`)y━~~
60 :
宝珠愚者 :2009/04/26(日) 23:33:06 ID:NwLsQp7H
>>53 >これに答えられなければ、輪廻転生の理論は成立しえない。
これも何度も述べました。
その判断は、誰かどこかの人間がしてるのではなく、自然界の摂理として作用しているのだと。
良いことには良いその報いがあり、悪いことには悪いその報いがある。
基本的には、善因善果と悪因悪果はそれぞれ独立して作用するでしょう。
尚、個々の具体的なケースについては、我々のレベルでは特定も見極めもできないが、
解脱者にはそれができる。モッガラーナのようなレベルであれば、
業報の前世と今生の果報の経緯を見通すということは、つい最近もやったばかりです。
「そんなことは在り得ない。信じられない」と連呼するだけの人はただの唯物論者ですから、
そういう人は別に信じる必要はないから仏教を信奉することはない、といってるのです。
61 :
宝珠愚者 :2009/04/26(日) 23:34:53 ID:NwLsQp7H
>また、仏典に「書いてある」だけでは、必ずしも仏陀が「説いた」ことにはならない。 > >全体の文脈から、その真意を判断する必要がある。仏陀が時代の圧力下に止むを得ず書いた >のかもしれないし、また、仏陀が誤っている場合もある。 業報輪廻は他の仏教思想の基本部分と合わせても何ら矛盾はありません。 むしろ、これがないと全ての基本が崩壊し、仏教の教えは成り立たないのです。 それを一つらに纏めたものが前スレシリーズのテンプレとして掲載している、 「よくある反論に対する回答」1〜8.です。 そのような世俗的な意味合いでの“間違い”なるものはゴータマには在り得ないのです。 それらのレベルなどはとっくに超越しています。そのような驚嘆すべき存在を「仏陀」というのです。 仏陀を世俗における単なる“頭のいい人や哲人”の範疇にしないようにしましょう。 自分の無知(無理解)を仏陀のせいにするのは辞めましょう!
62 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 23:41:50 ID:wYkDp0Fp
>>60 369 宝珠愚者 2008/12/15(月) 22:18:46 ID:Wr2f1jOW
>> 343
自分自身で直接、体験したものというのが確かに確実なものでしょう。それ自体は決して間違った
判断/行動ではない。しかし、科学で確証されたものだけが真実とする偏った見解にあれば、それは
ただ、まだ確証されていないだけに過ぎない真実までも、その時点で排除してしまうことになります。
それは確実的な歩みのように見えながら、実はかなり限定された狭いものです。
かといって、妄信がダメなことはいうまでもなく、なるべく自分自身の可能な範囲で確認する努力は
したほうが懸命です。
ここに一つ、大好きな格言があります。
「--仏陀は言われた--ただ言われていることだからといって、それだけで物事を信じてはならない。
昔から伝えられてきたからといってそれだけで伝統を信じてはならない。また噂がそうだからといって
それを信じてはならない。聖者が書いたからといってその著作を信じてはならない。天に霊感を与えら
れたと思い込んで(つまり霊的インスピレーションだと思い込んで)空想の類を信じてはならない。自分
が勝手につくったいいかげんな仮定から結論を引き出してもならない。また、相似の法則からみて必
然だからといってそれを信じてはならない。自分の教師や師匠の権威に基づいて物事を信じてもなら
ない。自分自身の理性と意識とによって確証されてはじめて、著作や教義や言葉を信じるべきである。」
(『シークレット・ドクトリン』H・P・ブラヴァツキー)
なかなかこうはいきませんが、これは自戒の意味を込めて理想にはしています。
「耳で多くのことを聞き、眼で多くのことを見る。思慮ある人は、見たこと、聞いたことをすべて信じて
はならない。」(ウダーナヴァルガ22-17)
63 :
神も仏も名無しさん :2009/04/26(日) 23:48:14 ID:wYkDp0Fp
>>61 >業報輪廻は他の仏教思想の基本部分と合わせても何ら矛盾はありません。
ホントのホントに、無矛盾だと思ってるのかい?
おやすみw ノシ
>>59 やはりソースを明らかにして主張をする人は違いますね!
>>63 明日は輪廻説否定をオナシャス!
65 :
宝珠愚者 :2009/04/27(月) 00:04:46 ID:NwLsQp7H
>>62 また、随分と古いヤツを引っ張り出してペーストしてくれましたねw
今、タイミング的にバツ悪いでしょ!(苦笑)
>>63 >ホントのホントに、無矛盾だと思ってるのかい?
それはマジで思ってますが。
それと7さん、突然の名無し参加だなんて・・あんまりだな!ヽ(´Д`;)ノアゥア
66 :
宝珠愚者 :2009/04/27(月) 00:18:55 ID:WI5dszHn
>>59 だから何?
双方の経文でも、其れなりにそれとして意味が通じていますが・・。
「だから〜それがなんなのか?」という感じが、私にはしました。
これが決定的な無我についての一体、何になるのです?
煩悩即菩提
なんか盛り上がらないな
>>68 しょうがないな・・・。
暫く静観しようと思ってたんだが、混ぜっ返して少し協力するか・・w
>>65 >あんまりだな!ヽ(´Д`;)ノアゥア
基本的に「名無し」をデフォとしてるからね。
このスレは新スレだろ?w 初投稿にコテ付ける意味もない。
それに、たとえ転生決着スレとの継続性があったとしても、
まさに、《輪廻し、次の生を受けたが如く、新たに投稿し直す》形は、ふさわしくないか?w
《継続してるのは業果の如きレス内容だけ。コテなんぞという名称・主体は不要》だろ?www
とまあ、冗談はともかく、思い付かないからだよw
(→転生決着スレでの名前のままでは意味が分散してしまう。
それは、転生決着スレでの「前スレ7、初代スレ7」という名称は、あのスレの継続の中で(【のみ】)意味を持ち、
対象を特定・限定できる呼称・ラベルであったということだ。
関連性があるとはいえ、【別スレ】となっている以上、あの名前は使用不能だ。)
なんなら、君が名前付けてくれるかい?
転生決着スレとの継続性を含有しつつ、当スレでの新たな名前を・・・w
あ・・・、誰かが言ってた「七師外道」とかイイかも!w (・∀・)
(あ、でも、これじゃ、7人の外道という意味になっちゃうな・・・w)
>>66 >其れなりにそれとして意味が通じていますが・・。
余計まずいだろwwwww
ま、いいや。
ヒント
1:「甲であれば乙である」と仏典Aに書かれている。
「甲であれば丙である」と仏典Bに書かれている。
「乙と丙は同置できない」。 さて、貴方はABどちらを選ぶ?(禅的レトリックに逃げ込むかい?w)
2:
「五蘊が“我”である」ということは、五蘊を自在にできるということなのか?
「五蘊が“我”でない」ということは、五蘊を自在にできないということなのか?
「五蘊に“我”がある」ということは、五蘊を自在にできるということなのか?
「五蘊に“我”がある」ということは、五蘊を自在にできないということなのか?
「五蘊が“我”でない」ということは、五蘊を自在にできるということなのか?
「五蘊が“我”である」ということは、五蘊を自在にできないということなのか?
「五蘊に“我”がない」ということは、五蘊を自在にできるということなのか?
「五蘊に“我”がない」ということは、五蘊を自在にできないということなのか?
→五蘊と“我”(アートマン)の関係は???
→身心の統御、制御、調御が、「行」(仏道)に必須なことであれば、
それを可能とする言辞としての表現であるべき?
※「無我」、「アートマン」をテーマとするなら、転法輪経は避けて通れないでしょ?w
71 :
神も仏も名無しさん :2009/04/28(火) 22:11:03 ID:iR3ASbl/
>>64 >輪廻説否定をオナシャス!
輪廻(及び“次の生”)を(完全)否定することは、現時点では不可能。
何となれば、仏典は「具体的なそれ」を示唆する記述に溢れているからだ。
よって、『仏典には、具体的な(→心理面での修辞でない)“輪廻”“次の生”があることが記されている』ことは明白。
問題は、
その記述を、どう読み、分析し、解釈し、仏教全体の中にどう位置付けるか、そしてその上でどう受け止めるか、
或いは、行を進め、自身の体験と符合するかどうか、その上でどう受け止めるか、
という、段階を経る形での展開が必要となる。
(勿論、字句通り・逐語直訳的に読むことを妨げるものでもない。)
文献学的に(原典批判的に)見れば、
「確かに記述はある」、が、その解釈は恣意的にならざるを得ないわけだ。
(神通を得た、聖者でありながら学者であるような人がいない以上、仕方のないことかもしれんが・・・)。
だから、未だに学界で統一見解が出せずにいる。
全ての説が、可能性の問題でしかない。(そのパーセンテージの大小はあるにせよ。)
で、やっぱり、
ここに決定打を打ち込めるのは、追体験しかないわけだ・・・。
72 :
神も仏も名無しさん :2009/04/28(火) 23:48:56 ID:iR3ASbl/
みんなGW突入か・・・w 無駄かもしれんが、ageとくか・・・。
つまんなーい
京王アートマン
さげとくヽ(´∇`)ノ
ゴータマは業報による輪廻転生を説いたのは明らかである。 もう結論は出ているのに、いまだ、屁理屈をこねくり回して、説いていない ことにしようとしている、末法仏教徒達にはあきれるほかはない。 中には、猜疑心の強い者には、あえてこの手の話題には、黙して語らず、 無記を通したエピソードを逆手に取り、そんなものは解脱、悟りに 関係ないとのたまう、目暗がいるが、それは違う。真理に至る道は、八正道しかない のだが、そこの一番初めに、正見がくる。この正見とは、四諦の真理を 正しく理解するということだ。四諦の真理とは、とどのつまり、この世の生(肉の自我による生存) とは苦であるという真理を知り、では苦であるこの世の生(肉の自我による生存)から 脱するにはどうすればいいのかという真理を知ることである。死ねば終わりの 唯物論なら、そんなことも考える必要もないことは、少し利口な人ならすぐにおわかりだろう。 四諦の真理を理解するには、業報による輪廻転生をよく理解することが必要なのである。 これをよく理解しないものは、いくらそんなものはないと確信していても、再び肉の自我を再生 する業を滅ぼすことなく、苦しみでしかない、この、輪廻の鎖を断ち切ることなく、 迷いの生存を繰り返す。そして、無知のままでいる限り、本当の自分を知らず、今の時が終わる前に、 無知故に、本当の自分自身を取り戻すことが出来ない者は、今の時が終わると共に、共に滅びる。 こうなっては全ては手遅れなのだ。業報による輪廻転生など知ろうと、知らなかろうと、 解脱には関係ないなどという戯けは、四諦の真理もわかっていないし、八正道もわかっていないし、 仏教そのものもわかっていないんだよ。
末法仏教徒共はよくいう。ゴータマは信仰を捨てよと言った。とね。 これは大変な誤謬だ。というよりこの馬鹿共は、ろくに原始仏典すら読んだことも ないのだろう。 〜スッタニパータ >182 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。 >実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」 >183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか? いかにして海を渡るのであるか? >いかにして苦しみを越えるのであろうか? いかにして全く清らかとなるのであるか?」 >184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、 >知慧によって全く清らかとなる。」 ここにも書かれているように、ゴータマは信仰の大切さを説いているばかりか、 信仰こそが、この世の最上の富であり、信仰こそが、激流を渡り、彼岸へと渡るよすがとなる と言っている。ゴータマが否定したのは、当時の誤謬に満ちた、祭祀宗教に成り果てた 当時の自称バラモン達が教えるバラモン教であり、それに対する信仰は捨てろと言ったんであって、 正しい信仰は、むしろ推奨している。業報輪廻転生なのだが、これは凡夫には確かめようのない ものだ。ではどうしてゴータマの業報輪廻転生を信じるのか?これはもはや、信仰でしかないんだよ。 信仰についても、ぢうせ判断するなら、自分達の都合のいい一節だけ引用して結論 するんじゃなく、賢い人は仏典全体を読んで、筆者の伝えたいメッセージとは何かを読み解くものだ。 君ら偏見に満ちた末法仏教徒達の迷いは、とてつもなく深いものだ。仏典全体を読めば、 どこをどう読めば、ゴータマは、信仰そのものを否定したと言う見解になるのか、不思議でしょうがない。
あと、ゴータマは冷厳なまでの現実主義者。などという 末法仏教徒の戯言な。原始仏典のどこをどう読めばそういう見解になるのか 不思議でしょうがない。ゴータマはおまえらのいう今の常識と思われている唯物主義者 達の信じる常識じゃなく、随分形而上のことも語っているんだがな。 ただ、おまえらのように猜疑心の強い相手に対しては、自分j新でしか確かめようの無い その手の話題は、語っても仕方が無いので、黙して語らなかったと言うだけなんだよね。 なんか言ってることに間違いあるか?アホの末法仏教徒さん達。おまえらは 仏教のことを何も理解できていないどころか、捻じ曲げて違う教えにしてしまってるんだから、 早く、仏教の看板下ろせよ。エゴに満ちた、アホ共が。
馬鹿は死んでも治らないよ。馬鹿だから。
スッタニパータって仏説だと思ってんだ?
「スッタニパータ非仏説」 では仏説とは? 仏説とは真理である。現代的常識と科学的思考に合致したものが 真理、すなわち仏説である。 そうなると最早仏典に意味などない。 自灯明の名の下、「客観的真実」に該当すると自分自身が定義したものが 則ち真理なのである。 つまり、自分の考えが仏説であるから自分は仏陀である。 仏陀再誕。 新興宗教の教祖になるにあたり、スッタニパータ非仏説は 最も重要な教義のひとつになるであろう。
キリスト教をしらなかった、仏弟子にはたしかに理解できなかった のもうなずけますね。 実際竜樹の無存在の否定によって、空の意味、すなわち実体とは 不変であり、永遠の存在である、アートマンの存在を現わすことが できた。つまり輪廻の主体の説明に成功したのだと思う。
輪廻の主体になるような個別化された、 切り取られた存在が永遠なわけないじゃない。 永遠と思えるほど長いあいだもつかもしれないが 永遠とは違うんじゃね?
つまり輪廻そのものが永遠であるといってるのです。 それを釈迦が「無我」といったから、仏弟子は「死んだらなくなるのだ」 と思って、輪廻を外れたら、もはや生まれかわってこないと 理解していたようです。無我になったら、自我が消滅して、生まれかわりは ないと。 そこから輪廻自体が否定されて、釈迦は輪廻など説いていないという 話になったようです。つまり無霊魂説になってしまったようです。
>>84 輪廻が永遠ってことは解脱しないってことですよ?
一応聞いておきますが、あなたはKK会員ですか?
86 :
南無大師遍照金剛 :2009/04/30(木) 19:01:04 ID:GtouGFq8
悟っているやつも 悟っていないやつも 結局は同じ結論になる前提で議論してるよね
87 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/30(木) 19:22:59 ID:6rab+st4
>竜樹の無存在の否定によって、 >空の意味、すなわち実体とは不変であり、 >永遠の存在である、アートマンの存在を現わすことができた。 (^。^)ちゃんと中論読めよ♪(笑)
88 :
神も仏も名無しさん :2009/04/30(木) 19:46:14 ID:qhAXlyXM
>>81 つまり、今の仏教と名の付いている所は、仏教とは名ばかりで、
ゴータマの教えとはまったく違う、仏教の看板を借りただけの新興宗教だってことですね。
なら話はわかります。なにせ彼らは、ゴータマの仏教の教えの根幹である
業法による輪廻転生を否定するどころか、スッタニパータまでも否定するんですから。
彼らの教えは、ゴータマの仏教とは、全くの別物。
ちなみに今の常識というやつほど、いい加減で当てにならないものはないですね。
なにせほんの数百年前までは、地球は球体だと
主張すれば、トンデモ扱いされてたんですから。
89 :
神も仏も名無しさん :2009/04/30(木) 19:58:13 ID:A5H0G18V
>>88 大昔の開祖の「言葉」だけに執着するのが、カルト信者。このスレにも、
何人かはいるようだ。
仏陀は、「当時の状況下」における「当時の人々」に対して説いたの
だよ。
時代が変われば、それに合わせて修正するのは、当然のことだろ。それが
弟子の「義務」。
「自灯明」などと言い切れた宗教の開祖は、仏陀のほかにはいない、という
重要な事実を忘れてはならない。
自灯明という「言葉」だけに執着するのがカルト信者。 自灯明は修行が進んでる人々に対して説かれたのだよ。 89ごときが仏陀の言葉を修正できるなどと思うのは傲り慢心の類にすぎない という重要な事実を忘れてはならない。
91 :
神仏あるある大 特命 :2009/04/30(木) 20:14:19 ID:zzD1B2vK
ガウタマは、時代と地域に合わせた 対機説法をしたまでの話だからね。 行き過ぎの霊魂観を否定するために、内心は有霊魂論だったのですが、あえて否定的な教えを説かれました。 私はそれを、調整の教え と呼んでいます。
92 :
追伸 :2009/04/30(木) 20:16:38 ID:zzD1B2vK
93 :
神も仏も名無しさん :2009/04/30(木) 20:30:20 ID:Cmod7k0l
94 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/30(木) 20:33:43 ID:6rab+st4
>91 お釈迦さんが何を考えられていたかは、 もう少し真面目に修行してから考えましょう♪(笑)
95 :
博峰 :2009/04/30(木) 20:38:28 ID:zzD1B2vK
私は宗教研究家です。 高野山真言宗の得度をうけております。
>>85 現代仏教を学ぶと、「本来、我はない」という意味での無我となっている
ようです。魂が輪廻をしている以上、悟りは開けていないから、「我がある」
のであり、解脱すれば、それが「我がなくなる」という解釈が解脱であると
伝わっているのです。よって、解脱すれば、来世は消滅し、輪廻もしなくなる、
と、釈迦は教えたとなっている。つまり苦=輪廻の主体の消滅が悟りである
と。そうすると四諦八正道や十二縁起のつじつまもあうわけです。
つまり無我の説明として「人間は五蘊の仮和合である」といえば、とうぜん、
自我が消滅する無常なる存在という説明がつきます。
しかしながら釈迦の説いた無我というのは「まったく何もなくなる」「死んだら
なくなる」とかではなく、ようは、あの世で魂は人間としてのかたちを、とって
いますが、菩薩界ぐらいになるとそうではなくなり、如来界になると、人間の
かたちとしてはとっておらず、意識体としてのみ存在する。つまり、彼らには
魂の修行という、人間的な生まれかわりはなくなるという意味なのです。
97 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/30(木) 20:49:40 ID:6rab+st4
>95 研究家でしたら、断定するのは如何かなものでしょうか。 不空成就如来の内心云々は已達の大徳でも滅多に言わないでしょ?
98 :
神も仏も名無しさん :2009/04/30(木) 20:51:52 ID:qhAXlyXM
>>89 カルトはどうみても、君の自灯明の見解は間違いですよと諭されても、
まるで聞く耳もたず、自分勝手にエゴまま、ゴータマオリジナルの教えをどんどんねじ曲げ、
君のオリジナルの教えを、ゴータマの仏教だと強弁する、君の方なんだが。
君は恐ろしく我が強い。君の汚いエゴを観察していると、
反吐が出そうだよ。
>>96 では、その主体たるアートマンはどうやってできたのです?
唯一神エルカンターレ大川が創造したというわけですか?
KKの教義に興味がある人は専用スレで聞けばいい話ですから
KKの人はそう名乗ってから書いてほしいと切に願います。
100 :
博峰 :2009/04/30(木) 20:58:32 ID:zzD1B2vK
研究の結果を発表するのが私のポリシー です。
101 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/04/30(木) 21:03:06 ID:6rab+st4
>100 (^。^)俺は断定すんなって言っている訳だがな。 てか、研究結果なら学会でも行けば♪(笑)
無我 最初期の韻文経典(とくに「スッタニパータ」など)に、無我はさかんに説かれ、 その大多数の資料によれば、<無我>は執着ことに我執の否定ないし超越を意味し、 そのような無我を実践し続けてはじめて、清浄で平安なニルヴァーナの理想が 達せられるという。 初期の散文経典では、我(自我)を<私のもの>、<私>、<私の自我>の3種に分かち、 いっさいの具体的なもの・ことのひとつひとつについて「これは私のものではない」 「これは私ではない」「これは私の自我ではない」と反復して説く。 これらを総括して<諸法無我>の著名な術語が普遍化する。 岩波仏教辞典より
>>100 根拠くらい書かないと、思いこみ妄想乙と言われても
仕方がないのではないかと。
104 :
宝珠愚者 :2009/04/30(木) 21:23:51 ID:NyUEuKUx
>>91-92 >>100 あなたは前スレシリーズまでの「真言」氏とは別人ですね?
>>89 >仏陀は、「当時の状況下」における「当時の人々」に対して説いたのだよ。
>時代が変われば、それに合わせて修正するのは、当然のことだろ。それが弟子の「義務」。
だから〜(涙)
当時であろうと現代人であろうと同じこと。
凡夫というものは、「無明」の中を生きているという理解が仏教なのです!
あなたのいう現実生活/現実社会なるものや、
科学の発展なるものがすべてを解明するなどという妄信に耽っているところが無明の証拠です。
>「自灯明」などと言い切れた宗教の開祖は、仏陀のほかにはいない、
>という 重要な事実を忘れてはならない。
あなたは悲しいくらい学習能力がない!
それは自分勝手にしていい、ことじゃないから。
>>76-79 を繰り返し読んで勉強されたし。
それ以外に今のあなたに与えられるものはない・・。
105 :
神も仏も名無しさん :2009/04/30(木) 21:35:14 ID:NJLoWtPb
>>81 >仏説とは真理である。
本人らにとっての真理です。仏陀は現代人でもなければ科学者でもありません。
>そうなると最早仏典に意味などない。
そこでゴータマや仏説に意味などない。とならないのが不思議です。
箔をつけたいのですか?
>>105 そうだと思うよ。
新興宗教や常識・生命教とかがいちいち仏陀を持ち出すのは
自説だけでは説得力に欠けるという自覚がどこかにあるからじゃないかな。
内容がしっかりしていれば、仏説でなくても読み継がれるからね。
中論みたいに。
107 :
宝珠愚者 :2009/04/30(木) 22:02:33 ID:NyUEuKUx
>>176 これが「グレート・ホワイト・ブラザーフッド」、
“霊的ハイアラキー”のことならば、まったくナンセンスの極みでしょう。
「かつてこの団体に所属していた」というような〜入会やら脱会といったものが在り得ない。
自分から入会したり退会したり、といった手続きが存在しない。
望めば入会できるといったものじゃない。
まともな神智学徒であれば、
「唯一の救い主というのは、イエス・キリストは
地上に肉体を持って生まれた全能の神だということです」などと語る者もいないでしょう。
「聖白色同胞団」「シャンバラ」「モリヤ覚者(大師)」・・・
といったものは故意に利用されていて、名称だけが一人歩きしています。
これらの言葉が使われているからといっても信頼できません。
108 :
神も仏も名無しさん :2009/04/30(木) 22:04:06 ID:Cmod7k0l
109 :
宝珠愚者 :2009/04/30(木) 22:10:48 ID:NyUEuKUx
>>107 うわっ!!
大変、失礼致しましたm(__)m
投稿先を間違えてしまいました(汗)
>科学的思考 仏陀が科学ね〜
111 :
神も仏も名無しさん :2009/04/30(木) 22:40:12 ID:A5H0G18V
>>106 >新興宗教や常識・生命教とかがいちいち仏陀を持ち出すのは
>自説だけでは説得力に欠けるという自覚がどこかにあるからじゃないかな。
そんなことはない。仏陀の教えの中から「現代にも通用する真理」を見出して
いるだけ。
優れた教師にとっては、弟子が教師を超えてくれることが、最大の喜びなの
である。仏教徒は、師を越える努力をしているのか。さもなければ、仏教徒に
値しない。
「自灯明」が「法灯明」に従属すると考える仏教徒がいるが、そうであれば
仏陀は、「自分の頭で考えろ」、「しかし俺の考えには従え」という、とんでもない
矛盾を犯していることになるぞ。
また、「物が存在するとは、どういうことか」という、存在論を考えた開祖も、
仏陀のみ。色即是空、空即是色は、究極の存在論。これに反論できる現代の
哲学者はいない。
イエスには、存在論などゼロ。すべて妄想だけである。
112 :
神も仏も名無しさん :2009/04/30(木) 23:16:31 ID:CnwIWy7Q
これで何回目だろ……
113 :
宝珠愚者 :2009/04/30(木) 23:30:13 ID:NyUEuKUx
>>70 >→五蘊と“我”(アートマン)の関係は???
>>57-58 で紹介された代表的な2経の表現の違いについてですが、その2経のいずれも
「五蘊が“我”である」ということは、五蘊を自在にできる。
「五蘊が“我”でない」ということは、五蘊を自在にできない。
という意味を述べています。だから2経とも同じです。
>→身心の統御、制御、調御が、「行」(仏道)に必須なことであれば、
>それを可能とする言辞としての表現であるべき?
我々の状態は、現状では五蘊を自在にはできないために、
しばしば苦しい状況に置かれます。統御・制御の過程が修行なのであり、
こうして序々に段階的に身につくようになると説かれているのが仏典だと思います。
最終的には自在にならない五蘊の状況から解放されて、アートマン(我)の自在性を得られるわけです。
アートマンの自在性=解脱(ニルヴァーナ)とすると真言氏に叱られそうですが!
ここでは取り合えず、分りやすく端的に述べました。
>※「無我」、「アートマン」をテーマとするなら、転法輪経は避けて通れないでしょ?w
転法輪経の何がどう問題なのか?
旧7さんはいつもご自分の意見(見解)を示さず、ただ問題提起だけを示す傾向があります^^
114 :
宝珠愚者 :2009/04/30(木) 23:32:27 ID:NyUEuKUx
>>69 >なんなら、君が名前付けてくれるかい?
>転生決着スレとの継続性を含有しつつ、当スレでの新たな名前を・・・w
考えてはいますが思いつかず・・(笑)
不可知論者サンジャヤに掛けて「酸じゃ〜嫌?」とか、
頭脳明晰な印象からサーリープッタの舎利弗/舎利子と掛けて「射利発」「射利師」とか。
あ〜これはチト、いい名前過ぎたか・・失敗した。
皆さん、彼に相応しいコテハンをつけてあげて下さい!
115 :
宝珠愚者 :2009/04/30(木) 23:42:44 ID:NyUEuKUx
>>111 >仏陀は、「自分の頭で考えろ」、「しかし俺の考えには従え」という、
>とんでもない矛盾を犯していることになるぞ。
>また、「物が存在するとは、どういうことか」という、存在論を考えた開祖も、仏陀のみ。
>色即是空、空即是色は、究極の存在論。これに反論できる現代の哲学者はいない。
ご自由にしていて下さい!としか、いいようがありませんね。
たぶん、どこの仏門を叩いても受け入れられない身勝手で頑迷な無知蒙昧です。
あなたは自分ひとりで“立宗”でもすべきですよ。
たぶん、誰も仏教とは認めないでしょうけど。
116 :
宝珠愚者 :2009/05/01(金) 00:59:54 ID:2qI0kRlQ
>>111 >仏陀の教えの中から「現代にも通用する真理」を見出しているだけ。
もう少し良い云い方がありました。
そんな都合よく見える狭き部分だけ摘出しようとしても意味ないです。
ゴータマは、あなたが捉えているこの世界の現象(あなたが主張する現実)、
つまり、あなたの五蘊と五蘊の諸活動なるものは、「我」(真実の自己)ではない。
我でないものを我であると見なすところに苦悩が生じている。
それが我執という無明だといっているのですよ!
これは現象世界の一切は実在といえるものはない、
とした言葉とも通じるものです。
このように、あなたと全く正反対のことを主張している人物を
どうしてあなたは信奉しようとするのです?
ゴータマを批難して、仏教(ゴータマの教え)を迷信扱いとするなら
道理(あなたの主張)には合いますが・・。
>>111 > 仏陀は、「自分の頭で考えろ」、「しかし俺の考えには従え」という、とんでもない
> 矛盾を犯していることになるぞ。
もうね。失笑するしかないんだけどさ、
自灯明って、自分の頭で考えろってこととは違うよ。
合理的判断とか利害とかどっちが得かとかそういうのとも違う。
まずは自分の中に灯明を見出せるようにならないとダメだね。
その灯明に従うことができるか、いつでも見失わずにいられるか、
というのは次にくる問題だけど、
まずは自分の中に灯明を見出せるようにならないと。
自灯明を語るのはその後の話だよ。
「発達とは進化であり、進化とは超越であり、超越の最終的なゴールは アートマン、ないし<唯神>における究極的統合意識にほかならない。 あらゆる動因はその<動因>の部分集合であり、あらゆる突き上げは その<引き>の部分集合である――そしてその動き全体をわれわれは 《アートマン・プロジェクト》と呼ぶ。神による神への、仏による仏への、 ブラフマンによるブラフマンへの動因――。ただしそれは、まず人間の 精神という媒介をとおして遂行され、エクスタシーから破局にわたる さまざまな結果を生む。もし人間が究極的にはアメーバから出発したもの ならば、人間はまた究極的には神への途上にあるわけだが、その間 われわれはアートマン・プロジェクトなる驚くべき中宿の影響下に置かれ ている。そしてこの進化の全運動は、最後にただ<統一性>のみが 残るまでひたすら統一から統一へと継続し、アートマン・プロジェクトは 最終的にまさに<アートマン>そのものの衝撃のうちに解消するのである」 ケン・ウィルバー 『アートマン・プロジェクト―精神発達のトランスパーソナル理論』 (春秋社, 1986)
自灯明 自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理を灯明とし、 真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。 灯明 仏典一般には、灯明は、迷盲をうち破る智慧にたとえられる。 智慧 一切の現象や現象の背後にある道理を見きわめる心作用。 岩波仏教辞典より
120 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 09:35:09 ID:ERf9mL37
121 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 10:52:22 ID:X7EV0ebx
>>115 >>116 仏陀は、君のようなオカルト頭ではないことは確かだ。
「空」も、あくまで「色(現実)」を前提として、それを心理的に転換する
ことにより、現実から生じる心理的苦を除去するための、精神衛生法である。
すべては、現実に対応する方法だと思う。
仏教を、絶対にオカルト宗教に堕すべきではない。オカルトは、現実上の根拠
皆無な妄想に過ぎない。
>>117 >まずは自分の中に灯明を見出せるようにならないと。
その「自分の中の灯明」が、何を基準にするかが問題ではないのかね。
122 :
亭白 :2009/05/01(金) 11:17:45 ID:IMquAhMT
仏陀に帰依し法に帰依し僧団に帰依する、三宝帰依で信仰生活をして、 止観して仏神の光を自らの心の内に引き入れ、心を仏神の光で満たす ことが自灯明です。
123 :
宝珠愚者 :2009/05/01(金) 11:49:29 ID:2qI0kRlQ
>>121 >仏教を、絶対にオカルト宗教に堕すべきではない。
>オカルトは、現実上の根拠皆無な妄想に過ぎない。
オカルトも何も・・あなたはただの唯物主義者でしょう!
つまり、仏教どころかすべての宗教(非科学的な主張の一切)があなたからみれば迷信なのです。
本当に困ったお人だ。
>>117 >その「自分の中の灯明」が、何を基準にするかが問題ではないのかね。
わたし(ゴータマ)が説いた教えが絶対基準です。これ以外なし!!
ゴータマの教え(法)を頼りに自分で修行しなさい、が自灯明の意味ですよ。
あなた・・文章は読めますか??
『アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、「教えを説かれた師はまし
まさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ」と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちの
ためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるである。
---これ以外には「道の人」なるものも存在しない。』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
自分勝手なことをいっても仏教にはなりませんよ!
そんなにゴータマの教えが気に入らないなら、もう〜どっか行って下さいな。
拒絶する者、去る者は自由ですから---別に誰も止めない。
>>121 > その「自分の中の灯明」が、何を基準にするかが問題ではないのかね。
なかなかトンチンカンで面白いけど、要するに
自分の中の灯明が見えていない、というのが非常によくわかる発言です。
>>122 信者乙。
仏陀と書かずに、ちゃんと唯一神エルカンターレと書き直してもらいたいですがね。
>>123 > >その「自分の中の灯明」が、何を基準にするかが問題ではないのかね。
>
> わたし(ゴータマ)が説いた教えが絶対基準です。これ以外なし!!
それは法灯明。
> ゴータマの教え(法)を頼りに自分で修行しなさい、が自灯明の意味ですよ。
あながち間違っていない。そう思って実践していくと自灯明が見えてくるという意味では。
> 自分勝手なことをいっても仏教にはなりませんよ!
まー、まったくその通り。
125 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 18:38:07 ID:1nn8Hi08
>>124 >自分の中の灯明が見えていない、というのが非常によくわかる発言です。
「自分の中の灯明」の具体的基準も説明できないのなら、それは、単なる妄想。
自灯明とは対極にあるもの。
仏陀は、妄想・盲信を教えたのかね。
126 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 19:15:05 ID:UiYGrGi2
>宝珠氏 またループしたらすぐ貼れるように、これからの流れを サイトのほうに補足付きで転載してもらえませんか?次回からは 何度にも渡るレスや長文ではなくurl一貼りだけで済むように。
127 :
宝珠愚者 :2009/05/01(金) 19:27:48 ID:2qI0kRlQ
>>126 すみません--意味がよくわかりません。
もっと詳しくお願いできますか?
>>125 > 「自分の中の灯明」の具体的基準も説明できないのなら、それは、単なる妄想。
ここが間違い。
灯明自体がある意味基準なのに灯明の具体的基準とかってほとんど意味不明だしね。
いずれにしても比喩というものさえ理解できないうちは、
灯明とかって途轍もなく遠いと思うよ。
129 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 19:36:41 ID:UiYGrGi2
>>127 宝珠さんや他の名無しさんが、仏典を引用したりして
自灯明や法灯明がどういう前提をもって言われているかを書く。
隠居が希望しているものと違っていることを教えてあげる。
↓
その流れをサイトに控えておく。
↓
(本人が)忘れた頃に隠居が蒸し返す。
↓
ページのurlを示して終わらせる。
↓
同じ説明を繰り返す必要が無くなる
スレの容量と労力の節約になると思われます。
130 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 19:55:15 ID:UiYGrGi2
131 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 20:03:49 ID:UiYGrGi2
>>130 の「議論」とはそのスレの本題です。
その他にも、解決した話題をページとして保管しておくことでループが発生しても
url一貼りで終わらせることができる……かもしれません。スレでの議論とは関係なく
ウェブサイトに訪れる人にとっても、解説ページとして参考となるでしょう。
132 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 20:07:32 ID:1nn8Hi08
>>128 結局、自分でも、自灯明の意味は、具体的には何も判ってはいないと
いうことだね。
自灯明の意味を聞かれて、「自灯明自体がある意味基準」などと答える
のは、典型的な循環論法。
仏教は、極めて論理的な宗教、むしろ大哲学だと思うのだが。
>>132 > 結局、自分でも、自灯明の意味は、具体的には何も判ってはいないと
> いうことだね。
これも間違い。そもそも自分のカンガエに当てはまらないものをみんな妄想と考えるクセを
なんとかした方がいいよ。それ異常だから。
> 自灯明の意味を聞かれて、「自灯明自体がある意味基準」などと答える
> のは、典型的な循環論法。
バカだなぁ。自灯明法灯明といってる時、灯明自体に基準のような指針のような感覚があるじゃないか。
それさえ理解できないのかい?
だから比喩が理解できない人に、灯明なんて説明しようがないっていうんだよ。
物事には順序があるわけ。
九九がわからないのに線形代数おしえてっていわれてもおしえようがないだろ?
>>132 > 仏教は、極めて論理的な宗教、むしろ大哲学だと思うのだが。
仏教論理学とかあるけどね、左脳的思考で悟りが開けるという話は
たぶん仏典のどこにも無いと思うよ。
KK会員見てたらわからない?
縁起とか空とか、ただ論理的に理解したって何も変らない。
大哲学、とかって大をつける部分に自分自身の卑小さが出てるのがわかる?
こういう事に気づいて、自分自身を直していかないと何も進まない。
仏教って何かを否定したり批判するためのものじゃないでしょう。
自分自身を向上させていくためのものじゃないの?
いつまでも同じことばっかり繰り返して、キミだけ何も進んでない事に
気づいてる? いつまでも同じ思考を機械的に繰り返してるだけの
ロボットみたいな存在でしかないって気づいてる?
このスレの人たちはKK会員とキミをのぞいて、割とみんな少しづつ進んでるよ?
135 :
宝珠愚者 :2009/05/01(金) 21:24:10 ID:2qI0kRlQ
>>129-131 は〜ぃ、説明有難うございました。
よく分りました。たしかに納得ですが・・しかし、過去スレ中、
同じ問題についての答弁と解答は、随所にあって膨大なため。
一体、どことどこが適切レスなのか?(笑)
ま〜気付いたら、一応メモったりしておきます・・。
つまり、これは文献の「索引」のようなものですね!
*こういうことは、間違いなく旧7さんが才能を発揮する得意分野でしょうね^^
彼ならば、あっという間に見事なスレ索引を作成することでしょう。
なんか〜「どうかお願い-助けて!」って依頼してるような言い方ですが(笑)
いやーーただの独り言ですけどw
136 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 21:49:06 ID:5DkIO0Lb
>>135 自分でやってみたらどうだ?w
「できる・できない」ではなく、そのような作業に挑んでみることにより、
「自分が、(仏教を)どこまで理解しているか、どこまで整理できているか、どれくらい他者の意見を読めているか」
を自覚・判断・把握するのに役立つぞw
_, ,_
( ゚∀゚)
( つ酒0
と__)__)
137 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 22:13:23 ID:1nn8Hi08
>>134 「仏教哲学」があるじゃないか。
竜樹は、論理的ではないとでも。
「自分を向上させる」って、具体的にはどういう意味?
ロボットとは、原始仏典や開祖の「言葉」にひたすら執着する者のことで
あろう。
138 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 22:19:12 ID:5DkIO0Lb
>>136 あ、それから、老婆親切的に一言言えば、
このスレの結論を出すのは、(2chレベルでは)不可能だと思うよw
なんとなれば、(論書、註釈は別にして)、
anattan ,anAtman が、「無我」か「非我」かは文脈からしか判断できないからだ。
(過去の訳経者達は、(直接指導され、指摘され、教示されていない限り)文脈から翻訳している筈だ。
だから、「無我」「非我」と二通りの漢訳がある。 → 〔Tib訳はどうなの? >>真言氏 〕
そして、attan ,Atman が【直接的に、具体的に】【記されている個所は極少だから】・・・。
(→顕著な例はDhp.157〜166、特に160偈だろうw)
追体験を除けば、語義解釈と文脈(或いは仏典全体の俯瞰図から)の解釈しか手段は無い。
(そして、その追体験さえも、解釈の仕方で違いが生じるかもしれない!!!w
(同じ映画を隣の席で見ても、感情移入するキャラが違うことがあるように・・・))
_, ,_
( ゚∀゚) <カラスのスタンスも嫌いじゃないが、
( つ酒0 極一部の資料にしか触れてない感は否めないよね・・・w
と__)__) 「自身の体験により、補完・補強、いや、証明している!」と宣言するなら、黙ってひれ伏すしかないわけだが・・・w
139 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 22:49:06 ID:1nn8Hi08
釈迦には、「我」はなかったのかね。彼も専ら「我」として教えを説いている。 無我でも非我でもない。
140 :
神も仏も名無しさん :2009/05/01(金) 22:54:41 ID:5DkIO0Lb
>>139 そこが、
直接仏典に記されていない、重要なポイントなんですよw
141 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 01:07:52 ID:J4s3Yd4W
>>140 そんなことまで、仏典に頼らないとわからないのかね。殆どビョーキ。
仏陀は、「我」として自分が、「我」としての弟子に対して説いているのだろ。
「世界を空と観ぜよ」と言う場合、そのように観じる「我」としての他者を
前提としている。「我」がないのなら、世界を観ずることもないのだから、
わざわざそんなことを言う必要もない。四苦も「我」があるから感じるので
ある。
その「我」をないことにして苦を逃れようとする、釈迦の「心理学的テクニック」
だろう。
結局我があるから、修行が存在するのであって、 「無我になる」ことを釈迦は勧めたのであって、あの世がないとか、 我という魂はない、とか言っていたのではないということ。 我を空しくし、まず「私のもの」というのを切るということです。
143 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 02:04:50 ID:J4s3Yd4W
>>142 >あの世がないとか、
>我という魂はない、とか言っていたのではないということ。
「世界を空と観ぜよ」と言ったいるのだから、「あの世」の存在など認める
と矛盾するし、「我の魂」の存在など考えたら「無我」にはなれない。
「我」は否定しようにも否定できないから、我の外部世界をすべて否定する
ことにより、苦を免れようとするものである。我の苦は、我の魂の認識を
含め、我の外部の認識から生じるものだからである。色即是空である。
144 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 02:12:35 ID:J4s3Yd4W
>>142 「死後の世界」を思い悩むことは、苦の最たるものであるし、精神的
苦痛は、自意識(自己の魂の意識)の過剰から生じる。
>>137 > 「自分を向上させる」って、具体的にはどういう意味?
まず、自分がどうしようもなく偏屈で意固地で、
愚かな存在だということを知ることだね。キミの場合は。
> ロボットとは、原始仏典や開祖の「言葉」にひたすら執着する者のことで
> あろう。
典型的なすり替えですが、
他にロボットがいるからといって、キミ自身がロボットでしかない
ことに変わりはない。
>>141 > その「我」をないことにして苦を逃れようとする、釈迦の「心理学的テクニック」
> だろう。
四諦はこの世が苦しみであると覚悟するところから始まる。
苦から逃れようとするから余計な不安や恐怖が生じるのであって
苦を苦として受け止めていけば、次の段階に進んでいける。
苦を受け止めず、ただ苦から逃れようとか
苦を忘れようとかするのは、およそ仏教的ではない。
ここで議論されているアートマンはウパニシャッドにでてくるアートマンと同じ意味なの?
148 :
てすと :2009/05/02(土) 02:35:36 ID:zt5mRZvk
我というのは、自分が時間軸にそって連続していると感じる事だから、 数秒前の自分と今の自分を比較することが前提であって、 限りなく時間ゼロに近い定点上には我は存在してないとみてもいいと思う。 一瞬の思考といっても、素粒子の世界からみたら、かなり長い時間だし。脳はスパコンじゃないからねぇ・・・ まあ、定点上では存在しないが、連続した時間の中では存在するのが我というものでしょう。 つまり現実社会は連続しているので、日常の99%は我の存在を前提にしてもよいのではないでしょうか。
>>141 無我というのは、結局のところ
自分を中心とした利益換算で、
自分の意身口の行いを決定するな、ということを言っている。
> 「世界を空と観ぜよ」と言う場合、そのように観じる「我」としての他者を
> 前提としている。「我」がないのなら、世界を観ずることもないのだから、
> わざわざそんなことを言う必要もない。四苦も「我」があるから感じるので
> ある。
人間は、我で思い計らいをする事が多いが、
我に囚われず、「灯明」で観ずる事がある。
我しかないのが凡夫。しかしながらそういう人であっても
自分自身が死を受入れた時などに、灯明で行動することがある。
自分の命を省みず、自分の名誉も顧みず、
真に英雄的な行動をとったりすることがある。
ただ凡夫の場合、それは一時的な接続にすぎないから、緊急事態的な状況がなくなれば
接続は切れる。そして自分が何故そういう行動をとったのか追跡することもできなかったりする。
150 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 02:40:37 ID:Zq8QKjcJ
苦を除去するための最良の方法は、自分(我)に苦を与える一切の外界 を、「自分の知覚や認識に映じるだけで、自性はない」と相対化する ことであろう。自分の心(魂)を意識する限り、魂も、もはや外界である。 そのような相対化により、苦から逃れず、受け入れることも可能になる。 死後の世界も、死ねば我はなくなることを悟れば、もはや苦の原因ではなく なる。 そして我自体も、無数の関係内存在であり、それ自体としては存在しない ことを悟れば、我も相対化され、無我の状態が実現される。
>>150 表面的な発言内容はそれほど間違っていないような気がするが、
本質的には、自分の苦しみに対して、
無自性というイメージを被せることで麻酔しているような印象がある。
152 :
てすと :2009/05/02(土) 02:56:34 ID:zt5mRZvk
なんだかんだいっても、かわいい女の子が好きなんだから、無我とか野暮ったいこというなよ。 仏典のエピソードにはたくさん美女が出てくるじゃん。結局みんな容姿が気になるんだよ。 スジャータが不細工だったら物語にならんだろ。
>>152 心の問題をもっている限り、現実的な問題をいずれは必ず引き起こす。
それが深刻な問題であればあるほど、早く強く現実的な問題を引き起こす。
快楽に逃げるのは、問題を引き延ばし解決を困難にしていくだけで、
結局は、自分の首をしめるだけ。
154 :
暁 :2009/05/02(土) 09:10:47 ID:qUYzmVsd
女に興味が無い人は、散々遊んだ上で悟った人、モテなくて諦め、執着を捨てた人 つまりお腹一杯タイプと、空腹タイプがいるだろう 後者の場合、欲望アートマンが何かがきっかけで暴発しないか心配だw
155 :
てすと :2009/05/02(土) 10:29:25 ID:zt5mRZvk
>>154 釈迦はずるいよね。若い時さんざん遊んでさ。シャーリプトラもモッガラーナも良いとこのご子息じゃん。
そりゃ「世の中の事は飽きました。虚しいっす」ってなるよ。
156 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 18:42:04 ID:2EOLgiWO
>>143 、
>>144 への追加
無我の状態を実現させる方法としては、我の関係内存在の自覚と共に、「我へ
の思い」を、家族などの「身近な他者への思い」に転化させることであろう。
精神的苦悩は、専ら「自己中心主義」から生じるものだからである。
自我を含む人間社会は、実は、程度の差はあれ、この「自我を離れた他者への
思い」によってのみ、成立・維持されていることを、認識すべきである。人間
は、独りでは決して生存できない存在だからである。
専ら自我の追求に走り(信仰・修行や自分の救いがその典型)、他者を忘れて
いるのが、多くの宗教の実態である。
>>156 その主張は、なぜ「このスレ」でないといけないのかな?
自分で独自のスレ立てて、そこでやればいいだろ?何度言わせる。
仏教の名前を借りてやるのが理解できん。
158 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 22:04:17 ID:OBgt8h7M
>>157 無我も、空も、自利利他も、すべて仏教の概念ではないのかね。
159 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 22:11:34 ID:rvoqMU4p
>>156 >専ら自我の追求に走り(信仰・修行や自分の救いがその典型)、
>他者を忘れているのが、多くの宗教の実態である。
この引用部分が宗教及び仏教に対する理解であるとするならば、ちょっと違うといっておきます。
これは形而上部分についての無理解からくる完全な誤解からきているように見えます。宗教に見ら
れる自己の内面へと向かうアプローチ、すなわち瞑想や種々の行法/サーダナー(sadhana)は、自
己の本質と出会い同化していくプロセスとして必要不可欠な部分です。自己の本質にこそ、他者との
分離を消散する普遍意識を内在しているからです。
これは理論で把握して得られるものではなく、意識を変容すべく体験に拠る以外にはない。
>無我の状態を実現させる方法としては〜独りでは決して生存できない存在だからである。
この前段部分についての云わんとしていることについては、この私もほぼ同意します。がしかし、あ
なたがここで使われている「無我」は「我執(エゴ)をなくせ」という意味のようですが、我執というのは、
“自己ではないものを自己と見なす意識”状態であり、本来は、我執を離れて真実の自己意識(これが
ニルヴァーナ意識)へと向かうことを教えるのがゴータマの教えなのです。
160 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 22:12:46 ID:rvoqMU4p
私が宗教世界に大きく改善されるべき部分であるとしているのは、過剰な祈り(祈り過ぎだ!)と礼 拝/崇拝行為に使われるエネルギーの無駄と浪費についてです。ひたすら購い(救済)を願うだけを 根底教義にする宗教は特に顕著です。祈ればすべてが報われるなどというものではない、と知るよう になるまでは彼らの無知な行為は停められないでしょう。 残念ながら、智の宗教であった筈の仏教世界でも、五体投地で人生の生涯を終えてしまうような人々 を見ていると非常に虚しくなります。仏教までも救済を願うものへと歪曲してしまった功罪は大きいと思う。 過剰な崇拝行為は無価値です。高次の意識存在が自ら、「我を崇拝せよ」などと説く筈がないのです。 この救済を願う宗教に変質させてしまった仏教世界の改革が今後の課題でしょうね。これしか一般大 衆が接する仏教信仰がないのが現在の実態かと・・。 まず、あなた基盤にしているのは「唯物論」ですから、宗教の説く教えを理解できてからでなければこ こで議論を交えることは無理なのです。私たちは唯物論者の意味するところも知っていますが、あなた は宗教(科学で説明できない存在を主張する)を理解していない。
161 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/02(土) 22:28:09 ID:hPAnPBUK
>五体投地で云々 (^。^)オマエも宗教を知らんがな。(笑)
162 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 22:31:56 ID:OBgt8h7M
>>159 自己を自己の意識の対象としたら、それはもはや自己ではない。自己を以って
自己を意識することは不可能。意識主体と対象とが同一だからである。
従って、「真実の自己意識」などを追求することは、「自己ではない
ものを自己と看做して追求する」我執に他ならない。
>>160 宗教も科学も、「人間の営み」という点では相違はない。宗教の発生は、
古代人の生存のための「手段」であった。現代における科学の代替品で
ある。彼らにとっては、宗教も、生存のための彼らなりの精一杯の「現
実性・合理性・科学性」の表れであったことを、忘れてはならない。
163 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 22:35:13 ID:rvoqMU4p
>>161 ホッォ、いうねぇ〜!
では、五体投地の意味と意義とやらをあなたが解説して下さいな。
164 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/02(土) 22:40:31 ID:hPAnPBUK
>163 五体投地に限らず、信仰は至誠に至る道だろ? 確かに智度は基幹だが、他の五波羅を否定する仏教徒は居まいて。(笑)
165 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 22:41:03 ID:rvoqMU4p
>>162 ですから、
どうかどっかの「宗教批判」をするようなスレにでも移動をお願います。
あなたは仏教について以前に、“唯物論と宗教”の是非について議論すべきです。
166 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 22:46:06 ID:rvoqMU4p
>>164 なんだ!そんなことしか語れないのか?期待してすまなかった(涙)
167 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/02(土) 22:51:23 ID:hPAnPBUK
>166 (^。^;)意味が解らんか?(笑) 五体投地で生涯を終えるという、至誠への努力、 例えそれが救済を求めるものだとしても、 君みたいな下らん分別心で他人を見下す人より、よほど先を歩んでおるのだよ。(笑) (^。^)まだ理解出来ないか?(笑)
168 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 22:53:59 ID:OBgt8h7M
>>165 宗教者も、物質に100%依存しない限り生存は不可能で、従って
宗教もない。その意味で、すべての宗教者は唯物論者。
宗教も、人間のすべての営みの根源としての生命と、その生命を維持する
物質の概念とを導入しない限り、「絵に描いた餅」に過ぎない。即ち、
「生きた人間の営み」ではなく、単なる「観念の遊戯」に過ぎない。
古代人の生存のための努力に思いを馳せて、宗教の発生とその本質を考
えることが必要であろう。
169 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 22:57:17 ID:rvoqMU4p
>>164 そんなことをいってるから仏教信仰に迷信が無くならず、進歩がないのだわ。
では仏典から、「わたし(ホトケ)に祈れば救済する」などと説いた経文を提示してもらいたい!
170 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 23:02:16 ID:rvoqMU4p
>>167 >五体投地で生涯を終えるという、至誠への努力、
>例えそれが救済を求めるものだとしても、
それをただ「良し」としてるから、進歩がなく停滞腐敗しているのです・・。
そんな教えをゴータマが説いたという根拠を仏典で示して頂きたい。
171 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/02(土) 23:06:47 ID:hPAnPBUK
(^。^;)なるほど、あれくらい書いたら理解出来る訳か。(笑) >169 観音経、地蔵経、荒神経、文殊もあったか?(笑) 大乗経典群とか、密教系とか、そんなのばっかしだが。(笑) (^。^)てか、ググれ♪(笑)
172 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 23:10:21 ID:rvoqMU4p
>>168 あなたはまず、
物質科学では説明できない奇跡現象の事実を知ること。
それまでは仏教の教理がどう・・などと、あなたに口を挟むことなど無理です。
173 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 23:11:19 ID:OBgt8h7M
>>169 迷信でない宗教があるのかねw。あるとすれば、どこが違う?
なお、すべての宗教には、儀式、具象物、身体の動作(祈りの声や
動作)がある。偶像崇拝を禁じるイスラム教でさえも、モスクはステンド
グラスで飾り立て、五体投地で祈る。人間が本質的に具象的、身体的存在
であり、具象や身体を欠く「精神性」は「狂気」を招くだけであるので、
その狂気から逃れようとする人間の本能的な努力である。
174 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 23:20:23 ID:rvoqMU4p
>>171 クグる必要もないわ!
仏典だよ仏典---そんなものは仏典とはいわない。
大乗徒ら(これも自称だか・・)が自分たちの主張に都合よく勝手に書いて
制作量産したものはおよそ仏典ではない。
ゴータマの教えである解脱成仏を諦めて他力の救済に変容したのが大乗。
そのためにホトケの慈悲なる概念を持ち出したのです。
---これ、基本中の基本。
175 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/02(土) 23:23:43 ID:hPAnPBUK
>174 (^。^)なるほど、中論も否定する説一切有部の真似っ子か。(笑) なら、時間の無駄だな♪ (^。^)ノシ
176 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 23:29:14 ID:OBgt8h7M
>>174 大乗仏教は、原始仏典の誤りを正し、改善しようとする、無数の人々
の膨大な思索と努力の結晶として価値がある。原始仏典が、ライト兄弟
の飛行機なら、大乗仏教はジャンボジェット機である。
177 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 23:36:42 ID:rvoqMU4p
>>175 基本認識からして間違い。
ナーガールジュナとて弟子(後世)の一人に過ぎない。
仏教を説いたのはゴータマ一人です。
しかも、輪廻否定などと読み取る中論読者などお話になりません。
178 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 23:41:05 ID:OBgt8h7M
>>177 原始仏典(ライト兄弟の飛行機)を改良しなかったら、簡単に墜落する
だけw。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕 警視庁防犯課 二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
180 :
宝珠愚者 :2009/05/02(土) 23:55:46 ID:rvoqMU4p
>>176 仏教を説いたのはゴータマ唯一人。
そのゴータマの教えをより留めている原始仏典を否定などして仏教は成り立たない。
恐らくどの宗派でも真っ当なところでは、自宗の教義の正当性をなんとか原始仏典と合わせても
矛盾無きものにしようとして努めている最中でしょう。
>大乗仏教はジャンボジェット機である。
解脱成仏を果たした史実のゴータマ仏陀、自らによる教説(原始仏典)を認めずして、
そんな大乗の解脱もしてない遙か後代の人間たち(ホトケじゃない)が、
解脱の方法について自分の経験も無しに勝手に空想であれこれと構築して書き上げた教理が
ゴータマよりも優れていると??
お話になりません。
>>178 仏陀に対する侮辱です。
どこか勝手に大乗の門でも叩きなさい。
私が推奨した浄土真宗にでも入信しなさい、というのです。
転生スレ13/246-247
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1238/12388/1238899075.
181 :
神も仏も名無しさん :2009/05/02(土) 23:59:14 ID:OBgt8h7M
>>180 開祖や教祖などの「言葉」だけを盲信・狂信するのを、カルト宗教と
いう。
それは、「優れた教師」として釈迦が希望する弟子の姿などでは、あり
得ない。
182 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 00:03:09 ID:xmsh6ItY
おまえら馬鹿だな〜、諸々の経典はゴータマが書いたわけじゃない 色んな奴らが書いた空想の産物
183 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 00:41:45 ID:oI5wdhv9
>>172 大乗否定してるみたいだけど、
奇跡現象も初期仏教にはないんじゃない?
大乗や密教はダメで、神智学はいいわけですか?
ずいぶん恣意的なんじゃないかと思いますが。
185 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 03:15:06 ID:oI5wdhv9
>>184 大乗の説くものがすべてダメとはいってない。
ゴータマの教説ではない、といってるだけです(仏説じゃない)。
もちろん見るべき良い部分もある。
>奇跡現象も初期仏教にはないんじゃない?
その記述は神通力を当たり前のものとしているでしょう!
>大乗や密教はダメで、神智学はいいわけですか?
ダメとはいってない。
仏教以外の宗教はすべて邪教みたいな見解はわたしにはない。
原始仏教以外は全部ダメだ、とはいってない。
ただ私個人は、神智学と仏教の双方を学んでおり、
その仏教とは“ゴータマの教説”であるとして理解しています。
大乗や密教は全くダメなのではありませんが、ゴータマの教えではない。
端的にいって、それは“仏教ではない”といってるのです。
大乗なるものはアンチゴータマの思想に出発してるのです(正確にはアンチ上座部か?)
経緯は別にして、結果的にはゴータマの教えから離れたのです。
186 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 03:40:47 ID:oI5wdhv9
>>184 今の仏教界に求められているのは原点回帰。
ゴータマ思想の原点を今一度、見直して再生を図ることですよ。
密教というのは後期大乗ともいい、ゴータマから離れて路頭に迷ってしまった大乗が
自らの起死回生を求めて原点回帰を模索したものです。
しかし、それはゴータマ思想ではなくて、
更に、もっと遡った古代インド(バラモン)思想そのものへの原点回帰だった。
それがダメという意味ではない・・。
大乗本来の出発点や意図を知らずして、有難がられては困る。
自称仏教徒とは全部、大乗の徒ばかりだから大乗批判がそこにはないのです。
だから腐敗が蔓延る・・。
187 :
てすと :2009/05/03(日) 03:50:57 ID:YgO/r4aT
>>186 てらわだのどす黒い気持ち悪さを見てしまうと原点回帰は良くない気がする。
原点というのは言い換えれば「真の教え」だから、私たちこそが正しいという権威主義をまねく。
宗教紛争のほとんどが「自分達は正統だ」という事の主張が原因だし。
ちょっと腐敗して胡散臭い方が自ら検証しようとするので本人のためには良いことだと思う。
>>185 > 大乗の説くものがすべてダメとはいってない。
> ゴータマの教説ではない、といってるだけです(仏説じゃない)。
> もちろん見るべき良い部分もある。
ダメと言ってるようなもんだと思いますよ。
>>180 あたりでご自分が書いてることをよく読めば。
> >奇跡現象も初期仏教にはないんじゃない?
> その記述は神通力を当たり前のものとしているでしょう!
漏尽通も神通ですから、神通はあるでしょう。しかし神通力といってもいろいろあるわけで、
釈迦が空飛んで説法しに来たとかそういう記述があるわけですか?
奇跡と呼ぶには空飛ぶくらいハッキリした超常現象が必要だと思うわけです。
> 大乗なるものはアンチゴータマの思想に出発してるのです(正確にはアンチ上座部か?)
> 経緯は別にして、結果的にはゴータマの教えから離れたのです。
それはどうでしょうか。このスレでも空について記述が出ていますが、
初期仏教における空の概念を継承していったのが大乗だという認識が間違っているとは思えません。
また、
>>180 で
> そんな大乗の解脱もしてない遙か後代の人間たち(ホトケじゃない)が、
> 解脱の方法について自分の経験も無しに勝手に空想であれこれと構築して書き上げた教理が
> ゴータマよりも優れていると??
と書いていますが、大乗の人達は、経験もなく空想であれこれ、というのとも違うと思います。
冥想である程度のところまで到達している思います。そもそも、あなたのこの部分の記述は、
神智学にもびったり該当するのではありませんか?
189 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 03:58:37 ID:RVuu3YaC
>宝珠愚者氏へ 釈迦の偉大さは、その「空」の思想に基づく、大乗仏教の膨大な体系 の発展・確立を可能にしたことにある。そこには、原始仏典が、社会に より良く適応できるために、それを改善・発展させようとする無数の人 々の、長い長い年月における努力の積み重ねがある。 上座部の国では、宗教起因の争いが絶えないではないか。 どちらが、「優れた教師」としての釈迦の意図に沿うものであるかは、 明らかであろう。 ライト兄弟の飛行機を信仰して、それを一切改良しなかったら、一体ど んなことになったかを、想像してみて欲しい。 釈迦は、「空」という原理を教えた。その原理に従って、時代に適応できる よう改善を加え、さらに発展させるのは、まさに釈迦の弟子の最大の義 務ではないのかね。
>>186 大乗否定してもいいですよ。
でも、原点回帰といいながら、神智学とは何事ですかと言いたいわけです。
186で密教や大乗と書いているものを神智学に置き換えてごらんなさい。
191 :
てすと :2009/05/03(日) 04:06:27 ID:YgO/r4aT
ダライ・ラマの公演も行ったことあるけど、気味のわるおばちゃんがたくさんいて怖かった。。 寺和田信者もやばい人多すぎ・・ 高僧やら教義を突き詰めていくと結局思考停止組の信者がわらわらと集まってくる。 高僧がいなきゃブランド志向の連中も寄ってこない。 釈迦の真髄とか本当に抜き出す事ができたら基地外たくさん集まってくるよ。
192 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 04:12:30 ID:RVuu3YaC
>>190 要するに、キリスト教的唯一人格神を失いたくないだけ。神智学は、
明らかにキリスト教起源、キリスト教崩れの宗教です。
端的に言えば、キリスト教による世界征服の試みの一端に過ぎません。
現代の聖書学者でさえも、キリスト教が今後向うべき方向は、仏教の
「空」であると言っています。現在の一神教の惨状に鑑み、あまりにも
当然のことと言えます。
>>189 改善・発展させようとする人々がいたのは確かだが、
無数というほうの数だったのかどうかは怪しいし、
「社会に適応できるために」というのはもっと怪しい。
そういう目的をもっていたと断定するだけの根拠はない。
> 「優れた教師」としての釈迦の意図に沿うものであるか
釈迦について大してわかりもしないうちに、
そういう意図を勝手に想定しはじめると、幸福のなんとかと変らなくなるからやめた方がいい。
> 釈迦は、「空」という原理を教えた。その原理に従って、時代に適応できる
> よう改善を加え、さらに発展させるのは、まさに釈迦の弟子の最大の義
> 務ではないのかね。
最大の義務があるとすれば、むしろ悟りを開くことにあるだろうから、
この文章はまず間違っている。
しかも時代に適応するということがそこまで重要視されているという証拠はなにもない。
思いこみ妄想乙。
195 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 04:21:07 ID:RVuu3YaC
>>198 宗教も、人間の多くの営みのうちの一つに過ぎないのだから、人間社会
に適応できないような宗教は、人間にとって無意味であるばかりでなく、
むしろ有害である。社会に争いを起こす原因となるだけ。
小乗国タイの現状を見よ。
>>195 自説の展開は外でやれって何度も言われてるだろ。
お前の意見なんて何万回書かれたって、証拠にも根拠にもならないんだよ。
197 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 04:33:17 ID:RVuu3YaC
>>196 仏教学者の書いた概説書なら、沢山出ている。それを読めば、仏教の
中心思想くらい、日本人であれば誰にでも理解できる。
「幸福の科学」は、少なくとも半分はキリスト教。
君も、仏教徒を騙るクリスチャンか。
198 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 04:38:39 ID:oI5wdhv9
>>188 >ダメと言ってるようなもんだと思いますよ。
>>180 あたりでご自分が書いてることをよく読めば。
原始経典の教えを基本に据えつつ、大乗も学ぶという姿勢であるならば了承します。
>釈迦が空飛んで説法しに来たとかそういう記述があるわけですか?
もちろんあります。
仏教学者でそれが現実に起こったものと見なしている人は知りませんが・・。
ゴータマの起こしたミラクルの逸話はあります。
当然、このわたしはそれが起こったものと信じますし、起こらない理由などはないと理解します。
転生スレ12/325(ディーガ・ニカーヤ第2/出家の功徳)
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1236/12368/1236847266.dat >初期仏教における空の概念を継承していったのが大乗だという認識が間違っているとは思えません。
>大乗の人達は、経験もなく空想であれこれ、というのとも違うと思います。
>冥想である程度のところまで到達している思います。
もちろん弟子の流れを汲む人たちが興したものであり、
ある程度の部分はゴータマの教えも継承されています。
しかし、解脱成仏していない後代の人たちが勝手に構築した教義であることは間違いありません。
199 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 04:39:59 ID:oI5wdhv9
>神智学にもびったり該当するのではありませんか?
違います!神智学についてはここでは述べません。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1239017285/l50 >>190 >でも、原点回帰といいながら、神智学とは何事ですかと言いたいわけです。
仏教界に必要なのは、今一度、ゴータマに帰れ(原点を見直せ!)です。
大乗によって発展した現在の仏教界は、本来のあるべき姿を忘れているからです。
神智学は古今東西の宗教、特に古代叡智の再確認に重点が置かれているのです。
神智学が仏教という場合には当然、基本的には原始仏典の教えを指しています。
>>197 KKの話も外でやれって言われてるだろ。
いい加減にしろよ。クズが。
お前みたいな人間を、自己中というんだよ。
少しはスレの人への思いやりとか持ったらどうなんだ。
201 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 04:45:19 ID:oI5wdhv9
>>189 >>192 >要するに、キリスト教的唯一人格神を失いたくないだけ。神智学は、
>明らかにキリスト教起源、キリスト教崩れの宗教です。
>端的に言えば、キリスト教による世界征服の試みの一端に過ぎません。
神智学はアンチキリスト教です。
何も知らないのにデタラメは辞めて頂きたい!
いつもいうように、「空」などと・・
都合のよい部分だけを抜き出そうとするのは止めるべきです。
202 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 04:51:27 ID:oI5wdhv9
>>197 >君も、仏教徒を騙るクリスチャンか。
はぁ〜あなたは自分を批判する人は全部、クリスチャンなんですね!
あまりに酷過ぎる---これでは真っ当に、とても議論できる人とは見なせませんよ。
はい、さようなら。お元気で。。。
203 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 04:57:33 ID:AwY7Ozl6
>>200 君は、神智学やキリスト教ならよいのかね。
ここは、仏教スレでありながら、神智学やキリスト教的ムードにあふれた
異常なスレに成り下がっている。
原始仏典が、それらと親和性が高いからである。
仏教の中心思想については、殆ど語られていない。
204 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 05:02:50 ID:AwY7Ozl6
>>201 >神智学はアンチキリスト教です。
肝心のイエスを批判できず、尊敬しているのなら、アンチキリスト教
などとは言えない。イエス自身は一切批判できず、すべての責任を
人間としての教会や信者に押し付けるのが、まさにクリスチャンの特徴
なのである。それが、キリスト教には、「人間同士の争い」が特に多い
ことの原因。
205 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 05:03:09 ID:oI5wdhv9
>>187 >>191 断っておきますが、
私個人の理想とする仏教世界はTeravadaとか南方仏教でありません。
前スレシリーズにも信奉者が現れていますが・・。
もしそうであったならば、私はその世界で信奉しており、人様にもこれを推奨してるに違いありません。
確かに、かなり当時のゴータマに近い世界ではあるかもしれませんが、
私の求める原点回帰は“原理主義”的な世界ではありません。
206 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 05:08:50 ID:AwY7Ozl6
>>201 >、「空」などと・・都合のよい部分だけを
仏教の中心思想は「空」であると、仏教専門家の書いた多くの概説書
から理解している。「輪廻転生」がそうであるなどと言ってる概説書
はない。
207 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 05:39:02 ID:oI5wdhv9
>>203-204 >原始仏典が、それらと親和性が高いからである。
>肝心のイエスを批判できず、尊敬しているのなら、アンチキリスト教などとは言えない。
勉強してから来て下さい!(-_-)zzz
>>206 まずその・・「中心思想」などといういい方は辞めたほうがいいでしょう。
「輪廻転生」は基本となる大前提ね!浄土真宗など一部の変わった一派を除いては、
仏道修行の目的は“業報輪廻からの解脱”ということで見事に統一されています。
常識的な仏教書ならば、それは必ず書かれてある筈です。
『シャンカラの哲学が目指しているのは、
仏教やその他のインド哲学諸体系と同様に、輪廻からの解脱である。』
(『ウパデーシャ・サーハスリー』「訳者まえがき」シャンカラ著/前田専学訳-岩波文庫)
以前に、あなたでしたか?
前田専学を含めて四馬鹿カルテッドとかいったの?
前田 專學
http://www.toho.or.jp/kenkyuukai/kenkyuin/00_maeda.html どんな本を開いたって、
まともな書物であればこれがインド思想の常識ですよ。少なくとも“定説”です。
異説や新説を唱えるなら、定説を屈返せるだけの根拠や支持が得られてからにして下さい。
輪廻否定など・・このスレでは扱っていませんから!
そのあなたが読まれてきたという、
「仏教専門家の書いた多くの概説書」とは一体、何々?
*興味があるので是非、書名を列挙してもらえますか?
誰が書いた書物なのか知りたいので、宜しくお願いします。
208 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 08:35:27 ID:H/+pKWKW
>>207 教会や信者を批判するクリスチャンはいても、イエス自身を批判できるクリスチャン
は皆無である。若しそうなら、クリスチャンではない。クリスチャンとは、
イエスに帰依する人のこと。
それまでのインド思想(バラモン思想)を改革したのが、仏陀ではないのかね。
さもなければ、仏陀の「バラモン教改革」の意味は何?
日本の圧倒的多数の仏教徒は、仏教を生活に生かしている在家信者。出家して
修行ばかりやっているオウムなどは、例外中の例外。
多数の概説書を読んでいるから、一々上げられない。君は、大乗仏教の本は読
んだことがない、などと言ったが、それでは仏教を語る資格さえない。日本は、
大乗仏教の国。
君は、原始仏典に偏りすぎている。中村元氏の「仏陀の言葉」も買った、
何の感動もなく、読むのをやめた。昨日は「仏典を読む」(末木文美士著、
2009年4月25日新潮社発行)を購入したので、これから読んでみる。岩波講座「宗教」
全10巻は、読んだのかね。
>>203 文章よめよ。大乗否定しながら神智学を持ち出すな、
KKやキリスト教の話するなって言ってるだろうが。
お前が毎回「イエスは、イエスは」といって
強引にキリスト教に話をもっていくから
このスレが異常な状態に入ってるんだろうが。
お前自身が「邪魔」「迷惑」なんだよ。
スレのことを少しは考えろ。このエゴイストが。
210 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 13:06:32 ID:oI5wdhv9
211 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 13:07:41 ID:oI5wdhv9
212 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 13:16:49 ID:oI5wdhv9
213 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 13:27:55 ID:H/+pKWKW
>>211 大いに偏ってるなw。
オウムは、原始仏教、チベット仏教、ヒンドゥー教、キリスト教が化合
して出来た「化け物」宗教であることを、忘れてはならない。君と全く
同じ傾向なのではw。
>>209 仏教と最も対照的な宗教は、キリスト教だから、キリスト教と対比する
のは当然だろう。
仏教徒なのに、イエスを批判されるのが、それ程いやなのかねw。
214 :
てすと :2009/05/03(日) 13:35:34 ID:vumxodOW
年代の古い仏典に犀の角のようにすすめと書いてあるんだから、 釈迦にこだわらなくてもいいじゃん。 膨大な仏典群のなかからエッセンスを抽出するよりも、 基本的なヒントをもとに、自分で観察した方が早いでしょ。 ゼロからやるならともかく、センスのあるやつはほんの少し釈迦の言葉を聞いただけでわかるでしょうし。 仏典の文献研究者は結局、仏教の才能がないんだよ。
215 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 13:50:08 ID:oI5wdhv9
>>213 オウム事件を理解できてないのはあなた。
オウムの看板スタイル(少なくとも表向き)は原点回帰の本物志向だった。
そこに現行諸派では満足しなかった若者たちが多く挽きつけられた。
ところが、ザンネンなことに教祖は狂信者だったのですよ・・。
狂信者はキリスト教的な終末思想などを取り込むとカルト化に拍車がかかるのです。
オウム事件の原因は、別にゴータマや原始仏教、チベット密教のせいなどではないから。
そんなこと発言していたら、世界中どこへ行っても笑われますよ。
仏教もカルトを何も理解してないと。
まっ、あなたは伝統仏教(輪廻思想)もカルト呼ばわりする変わり者ですから・・。
同じ発言しかできないようなので相手するのも辞めます。
216 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 14:04:01 ID:oI5wdhv9
>>214 >基本的なヒントをもとに、自分で観察した方が早いでしょ。
ハハッ..軽くてイイね♪
>センスのあるやつはほんの少し釈迦の言葉を聞いただけでわかるでしょうし。
>仏典の文献研究者は結局、仏教の才能がないんだよ。
フ〜ム・・文献学者よりもあなたのほうがセンスあると??
あのね、「犀の角のようにすすめ」って、自分勝手にデタラメでいいということじゃないから!
>>213 ハァ? スレ違いだということが理解できないのかよ。
仏陀がアートマンを説いたかどうかと、キリスト教なんてなんの関係もないってことが
理解できないのか?
218 :
てすと :2009/05/03(日) 14:22:20 ID:vumxodOW
>>216 あなたよりはセンスあるよ。
解法と回答が書いてある参考書を使うやつ、
解法が書いてあって、回答がのってない参考書を使うやつ、
解法の途中まで書いてある参考書を使うやつ、
能力やセンスによって違うでしょ。
あなたは一生経典群を読みあさっていればいい。
219 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 16:06:24 ID:oI5wdhv9
>>218 >あなたは一生経典群を読みあさっていればいい。
ゴータマ仏陀の教えは経典に拠ってしか知ることができない。
よって、経典に基かないものはただの推測、空想、妄想であり、
それらは仏教とは呼ばない。
220 :
てすと :2009/05/03(日) 17:27:31 ID:Q9qyARi7
>>219 釈迦は仏教徒ではない。経典に拠ってないから。
221 :
てすと :2009/05/03(日) 17:31:02 ID:Q9qyARi7
歴史により積み重ねられた仏経典を、毎日読んで読んで読みまくっている人がいました。 そしたら毒矢の毒がまわって死んでしまいましたとさ。 あほやw
222 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 19:03:56 ID:y+NtP4bh
古人の書物を読んでも、字句の解釈だけで聖賢の心に触れなければ、 文字の奴隷にすぎない。 人間の心には、一冊のりっぱな書物が備わっているのに、 古書の散り残りや切れ切れに、まったく閉じ込められてしまっている。 道を学ぶものは、すべて外物の誘惑を払いのけて、 ひたむきに真のすがたを求めるがよい。
223 :
宝珠愚者 :2009/05/03(日) 22:19:31 ID:oI5wdhv9
>>220 そんなの当たり前でしょう。
ゴータマご自身が生きるホトケ、法の体現者なのです。本尊なんてものすらもない。
ゴータマが入滅した後にその教えが弟子によって書き留められたものが仏教経典。
生きたゴータマはいないから、伝承された経典に拠るのですよ。
その仏典の内容に沿うものが「仏教」、それ以外は別の思想となります。
仏典の内容に拠らない勝手なものは仏教とはいえない。
もしそれを仏教として示すならば偽証となる。
>>221 「毒矢の毒を放置」なんて誰もいってない。クダラナイ例え話しかできないようですね!
224 :
てすと :2009/05/03(日) 23:01:42 ID:Q9qyARi7
>>223 だからあなたは経典ヲタクで一生過ごせばいいじゃない。それもまた人生。
研究室でもはいれば?
225 :
旧7 :2009/05/03(日) 23:06:43 ID:Z3twyqrm
226 :
旧7 :2009/05/03(日) 23:13:47 ID:Z3twyqrm
しかし、 なんだ?この低レベルな流れは・・・・www
227 :
旧7 :2009/05/03(日) 23:15:05 ID:Z3twyqrm
てすとの書き込みがまともに見えるとは・・・w
釈尊の悟り 釈尊は六年間の苦難の修行の後,十二月八日の払暁, 東雲の空に明けの明星の光輝をみて見性成仏したという。
空海の悟り 谷、響きを惜しまず。明星来影す。
230 :
てすと :2009/05/03(日) 23:33:55 ID:Q9qyARi7
>>226 高レベルの人間がこんなところにくるかw
草野球をたのしまないとw
イエスの言葉 わたしは・・・輝く明けの明星である。
232 :
神も仏も名無しさん :2009/05/03(日) 23:42:45 ID:xmsh6ItY
要するにルシファーだろ輝く明けの明星
ムハンマドへの、天使ジブリールの啓示 読め、「創造主なる主の御名において。 いとも小さい凝血から人間をば創りなし給う。」 読め、「汝の主はこよなく有難いお方。 筆もつすべを教え給う。 人間に未知なることを教え給う。」
KKのエルカンターレは金星人であるという。 神智学によれば、地球人はロゴス星人であるという。
イザヤ書の「明けの明星」はバビロン ああ、お前は天から落ちた 明けの明星、曙の子よ。 お前は地に投げ落とされた もろもろの国を倒した者よ。
236 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 03:51:00 ID:/z5OgE5w
>>215 その狂信者の教祖を信じ込んだ理由は何かね。その「本物志向」こそが原因
だろう。
「輪廻転生」を信じていないオウム信者が、唯の一人でもいるか。
237 :
宝珠愚者 :2009/05/04(月) 08:06:35 ID:8SRy4cjR
>>225-227 何を怒っているのか、よく分りません・・。
もし、私の大乗批判についてだとしたらお門違いです。
それは、これまでの大乗のとった欺瞞について怒るべきです。
なんでしたら、大乗の発生経緯と意図的な経典制作(偽造)、
そして、教えの歪曲化(原始経典との違い)についてでもやりますか?
私はこれを“大乗の功罪”と読んでいますが。
>>233-235 他のスレでお願いします。
>>236 >>207-他スレへ
238 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 10:40:04 ID:OKlKflB0
諸行無常、諸法無我(非我)、一切皆苦、涅槃寂静 無常を感じ、無我を感じ、苦を感じ、寂静を感じている「我」がある。 苦集滅道 輪廻転生は前提になっていない。 執着を滅ぼすのであり、「我」を滅ぼすのではない。
239 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 10:54:29 ID:S0OQ4zjS
>>238 これで解決ですね。
アートマンとは、「(生物的)生命}」でよい。
241 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 11:29:25 ID:1oZ1Yup5
>>239 帯に長し、たすきに短し
アートマンは生命である。
しかし生命は、五蘊からできたものではない。
生命そのものをつまむことはできない。
242 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 11:44:13 ID:1oZ1Yup5
悟りが「空」という考え方に落とし穴はないのか。 関係性の核、「空」には実体がない。 しかし実体がないものをどうして認識できるのか。 認識できるはずがない。 生命なら感じる。しかし「空」を感じることは不可能だろう。
243 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 11:52:45 ID:lucp6WJg
>>242 >しかし実体がないものをどうして認識できるのか。
現に認識している対象(色)が、関係性の束であることを悟れば、実体
(自性)がない(空)という、発想の転換である。
244 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 12:07:40 ID:1oZ1Yup5
「空」とは、善でもない・悪でもない、あれでもない・これでもない 言葉で表すことができないもの、認識できないもの、不立文字 結局、言葉以前の存在が「空」である。 概念をはずし、世界が鮮やかな無意味であることを知る。 しかしそれが人生の意味か。 「空」は、虚無でないと弁解しながら、まさしく虚無である。
個我の否定を人無我といい、実体の否定を法無我という。 > 無常を感じ、無我を感じ、苦を感じ、寂静を感じている「我」がある。 我執とは、主体としての人我が存在するという思い込み(人我見)に執着することを言う。 法執とは、すべての存在に実体があるという思い込み(法我見)に執着することを言う。 人我が存在するとか、法我が存在するという発想を、捨てることができるかどうかが 大乗仏教と説一切有部との境界線。
246 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 12:23:21 ID:1oZ1Yup5
>>243 >現に認識している対象(色)が、関係性の束であることを悟れば、実体
>(自性)がない(空)という、発想の転換である。
関係は、「物」と「物」との関係をさしている。
関係性の束と言ったとき、「物」そのものが捨象されている。
関係そのものに自性がないことは当たり前であり、
これを「空」とする意味は、概念や言葉の最終的な放棄である。
これが「空」を悟るという意味であり、それゆえ「空」を悟れば、
眼前に「物」そのものが鮮やかに存在することになる。
しかし「空」の本質は虚無である。
247 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 12:43:17 ID:1oZ1Yup5
>>245 自分は存在しないのではなく存在するというのが
正直な気持ちであり、「それは思い込みだ」といわれても困る。
悟りは「空」であると主張する仏教が、無神論であり、
唯物主義であることは明らかである。
>>247 正直な気持ちといいますが、気持ちというのは喜怒哀楽を指すのであって
自分がどうこうというのは、気持ちを合理化するための概念にすぎないように
私には思えます。
少なくとも、自分という思い概念と気持ちが混ざったアマルガムであって、
気持ち自体とは別物だと思います。
そしてまた、正直な気持ちであるということと、それが真実であるかどうかは全く関係がないと思います。
「自分がそう思ったから」といってもそれが正しくないことが多々あるのは、
錯視図形などでもよく立証されていることです。
あと、あなたが困ることと大乗と小乗の区別がそうなっていることとは
何の関係もないのでその辺は諦めてください。
自分は小乗だというならそれでいいと思います。
仏教が唯物主義とか無神論とかいう意見もあるとは思いますが、私には群盲象を撫でるの現象が
起きているだけのように思えます。
249 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 12:55:03 ID:lucp6WJg
>>246 >関係は、「物」と「物」との関係をさしている。
>関係性の束と言ったとき、「物」そのものが捨象されている。
その「物」そのものが、更に関係性の束である。
> しかし「空」の本質は虚無である。
「すべて」が空であり、虚無であれば、もはや空・虚無ではなくなると
いう逆説が成り立たつ。空即是色である。
>>237 旧7氏がどういう視点で書いているのかはわかりませんが、
宝珠氏の大乗仏教に対する発言で、
「そんなもの」とか「仏典とはいわない」という書き方には、
明らかに蔑みがあるので、その部分は反感を買っても仕方ないと思います。
仏典といえば大乗を含むものとして認識するのがむしろ一般常識です。
>>174 大乗非仏説も確かなことだと思いますし、
大乗に既存仏教を否定する傾向があったのは確かだと思います。
しかし、当時の小乗は、あらゆるものに実体があると主張したりしていたわけで、
「大乗が否定した小乗(特に説一切有部)」がゴータマの教えとして真性なものかどうか非常に疑問があります。
そもそもゴータマの教説ということを経典の中に探るのであれば、
スッタニパータ、ダンマパダ、テーラガータ、テーリーガータ、サンユッタ・ニカーヤ
マハー・パリニッバーナ・スッタンタ(南伝)
あたりまでにとどめるべきであって、
ディーガニカーヤあたりからは成立年代の問題から、
外した方がいいくらいではないかと思います。
その意味でいえば、大乗はゴータマの教説を否定しているようには思えません。
また、大乗が解脱成仏を諦めているとも思いません。
むしろ悟りに至るための布施行への異常な情熱は過熱気味だと思います。
慈悲という概念が、解脱成仏を諦めて他力救済に頼るということのために創造されたと言わんばかりの書き方ですが、
大乗仏教における菩薩の目的は衆生済度と自身の成仏であって、
自分が他者によって救われるために自力の努力を怠るという意味では少なくともないはずですし、
菩薩行を推奨するのが大乗仏教のひとつの姿勢だろうと私は思います。
宝珠氏は、おそらく念仏系を批判したいのでしょうが、
少なくとも念仏系をもって大乗仏教を代表させることは難しいのではないでしょうか。
251 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 13:07:50 ID:1oZ1Yup5
>>248 百歩譲って悟りが「空」だとしよう。
その場合、「空」を悟る積極的な功徳は何だろう。
生きている意味は何か?
煩悩がなくなるなどは消極的な意味にすぎない。
>>251 煩悩がなくなると心が清浄になる。
心が清浄になると、自ずと現れてくるものがあるでしょう?
そこが積極的な意味です。
253 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 13:11:00 ID:1oZ1Yup5
>>249 色即是空、空即是色・・・
その話は、生きている意味をどう明らかにするのか?
254 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 13:15:53 ID:1oZ1Yup5
>>252 同意を求められても困る。実体がない無自性「空」から、
いったい何が現れてくるのですか。
それを聞いている。生きている意味が現れるのですか。
>>254 同意を求めているように見えますが、
実際には実践を求めています。
煩悩をなくして心を清浄にすることの実践です。
結論からいえば生きる意味が現れます。
逆に言うと心が汚くなれば、
その分だけ生きる意味を見失っていきます。
極端にいえば「もうどうでもいいや」となって
生きる意味を探そうとさえ思わなくなります。
落ちるのは早いです。割と時間の問題です。
256 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 13:24:15 ID:aDzeIZWg
大乗「仏典」はキンメ「ダイ」とかタラバ「ガニ」みたいなものと考えることにして 宝珠さんもこれらを仏典と呼んであげてはいかがでしょうか。
257 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 13:30:50 ID:1oZ1Yup5
>>255 「空」を悟って現れる、生きる意味とは何ですか?
「空」によって、どう生きればよいかもわかりますか?
258 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 14:09:41 ID:gL59xDoS
それは小乗の考え、それは大乗の考え・・・ それはキリスト教の考え、それはイスラム教の考え・・・ いくつもの真理を認めるのは真理がないに等しい。 それは真理への無関心であり、無神論と唯物主義を背景にしている。
>>257 空というのは、最終的に一切皆空の状態にまで自分の無意識を調整していくための青写真になります。
実際には我執やら煩悩やらがありすぎて、中々そこまでいけないわけですが、
精神を清浄にしようと努め、無意識を調整しつづける中で、調整機能が発達してきます。
その調整機能自体が、実は既に生きる意味になっています。
調整していくという作業自体が一種のベクトルをもっていて、それが情熱と理想を伴ったものである以上は
それ自体が生きる意味としての側面を持ち始めます。
ただ、調整している自分に生きる意味を感じてしまうよりは、
調整すべき理想の方に生きる意味を設定した方が意識はクリアになると思います。
と、ここまで書きましたが、質問の内容はもうちょっと違うことを聞きたいようにも思います。
自分自身が無価値感や、無意味感をさいなまれている場合、それをまずどうにかしないと
何もやる気がしない、というようなケースです。
この場合は、自分がどういう無価値感を抱えているのかを整理することと同時に
愛情饑餓の問題を解決する必要があります。本人が自覚しているかどうかは別として
多くの場合は愛情を十分に得ていないことで、これらの問題が発生するので、
愛情ある人間関係、というものを知る必要がどうしてもあるわけです。
その中で、「何かを大切にしたい」気持ちというのが育まれないと、
「このためになら命をかけてもいい」と思うような大きな目標も育みようがない。
目標が持てないのだから、真剣にひたすら努力するという気持ちも育みようがない。
大乗仏教で布施行が称揚されているのは、自分の中に精進の種となる
愛情が不足している場合、布施行によってそれを培い育むことができるからだろうと思います。
260 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 16:56:50 ID:oI/EXIl5
>>259 空は布施行とは無関係である。布施行自体を空とするのが空である。
空にはふたつの側面がある。
俗 → 空 ・・・ 色即是空
空 → 俗 ・・・ 空即是色
仏教において、生きる意味は何か、生き方は何かと問えば、
「空」を悟る前は、「空」を悟ればわかると答え、
「空」を悟った後は、「空」であると答える。
結局、生きる意味は「空」であり、生き方も「空」ということである。
しかしこれでは何も答えていないのに等しい。
なぜなら「空」は不立文字だから。
261 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 17:02:13 ID:uQW7Bd2a
>>259 >それは小乗の考え、それは大乗の考え・・・
>それはキリスト教の考え、それはイスラム教の考え・・・
>いくつもの真理を認めるのは真理がないに等しい。
>それは真理への無関心であり、無神論と唯物主義を背景にしている。
それぞれの「宗教」において、「真理」は異なっている。ということは、宗教
には真理はない、ということである。宗教の「真理」は、常に争いの原因と
なっているだけ。宗教の真理が、「人間の生命とそれを維持する自然」とから
隔絶した「観念の遊戯」に過ぎないからである。
人間界の真理は、すべての人間に共通する生物的生存本能(生命)において
見出されなければならない。
その意味で、大乗仏教の、「空(万物の関係性)の悟り」による「一切衆生悉有
仏性」「自利利他」「今ここの生命」「観念性からの離脱」に、全人類的な期待
が寄せられているのである。
262 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 17:12:11 ID:oI/EXIl5
>>261 >その意味で、大乗仏教の、「空(万物の関係性)の悟り」による「一切衆生悉有
>仏性」「自利利他」「今ここの生命」「観念性からの離脱」に、全人類的な期待
>が寄せられているのである。
ここに並べられた言葉が「観念の遊戯」になっていないか?
「空の悟り」から生きる意味が演繹できるか?
263 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 17:41:35 ID:uQW7Bd2a
>>262 >ここに並べられた言葉が「観念の遊戯」になっていないか?
言葉が、人間のすべての営みの根源である「生物的生存本能(生命)」を基盤
とする限り、かつその場合においてのみ、「観念の遊戯」とはならない。生物的
生存とその生存を支える自然(具象)だけは、観念ではないからである。
>「空の悟り」から生きる意味が演繹できるか?
「空」を「万物の関連性」と解すれば、それは「人間存在(共生)」そのも
のである。なお、「生きること」には意味などない。他者との関連の中で「生
きること自体」が、その意味である。 「生きることの意味」は、他者との関連
の中にひたむきに生きることによって、覚ることがあるもの。宗教や修行や瞑想
によってではない。覚らなくても、別に構わない。生きたこと自体が、その意
味だからである。
生きることの意味など「考える」のは、生きていることではない。それはむしろ
「死んでいる」ことである。
>>261 > それぞれの「宗教」において、「真理」は異なっている。ということは、宗教
> には真理はない、ということである。宗教の「真理」は、常に争いの原因と
> なっているだけ。宗教の真理が、「人間の生命とそれを維持する自然」とから
> 隔絶した「観念の遊戯」に過ぎないからである。
こういうことは、とりあえずどの宗教でもいいから、その宗教で言うところの
真理に到達してから発言した方がいい。
それが何なのか知りもしないで批判しても中身がない。
265 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 18:41:19 ID:5xt3iwp6
>>263 >言葉が、人間のすべての営みの根源である「生物的生存本能(生命)」を基盤
>とする限り、かつその場合においてのみ、「観念の遊戯」とはならない。
空、仏性、利他、生命など、思いっきり観念(概念)ですけど?
>なお、「生きること」には意味などない。・・・
>覚らなくても、別に構わない。生きたこと自体が、その意味だからである。
これが「空」の正直な成り行きである。
生きることに意味がない・・・これが「空」である。
266 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 19:03:26 ID:5xt3iwp6
何で生きているのだろう? どう生きたらいいのだろう? と人間は悩んで、宗教に興味を持つ。 その宗教が、人生とは「空」であり無意味である、などと説いていたら、 そんな宗教は虚無主義であり、宗教ではないと思うだろう。 仏教は、宗教ではなく、虚無主義の哲学である。 この虚無主義の中に、単なる人間が自分から自分を、 シバァ神だとか造物主だとか本仏だとかと語りだすスキがある。
人生が空であるということと、人生が無意味だということは 全く別の内容を指し示しています。 少なくとも悟りを指向する時点で、仏教は虚無主義とは違っています。
268 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 19:12:38 ID:5xt3iwp6
でもね、ロゴス星人などと言ってるより、 生きることは無意味であると言っているほうがまともだと思うよ。
269 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 19:17:31 ID:5xt3iwp6
>.267 空はあらゆるものを否定していく。 四諦八聖道、六波羅蜜も否定し、人生の意味も否定する。 その先にあるものが空である。 空が悟りなら、仏教はまったくの虚無主義である。
誤解を恐れずに書くと、空という概念は、 煩悩などによる思考のクセを取り除いた時に見える、 ある種の冥想的空間を指し示しています。
空が虚無主義に見えるのは、空を理解しているだけで悟ってはいないからだと思います。 頭で理解しているだけで心がついてこない状態ではないかと思います。
272 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 19:27:51 ID:5xt3iwp6
>>271 では「空」とは何か?
布施行も否定する「空」が最終的な到達点だとは思えない。
その先があるのではないですか?
273 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/04(月) 19:33:22 ID:h4MrASOG
空とは、縁起であり、相依性であり、中道であるのだよ。 (^。^)中論読めよ♪(笑)
274 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 19:37:50 ID:5xt3iwp6
>273 生きている意味は何? 無意味なのか?
275 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/04(月) 19:41:56 ID:h4MrASOG
>274 自分で探しましょうね♪ (^。^)偉そうに生きる意味を騙る連中は全て詐欺師だぞ♪(笑)
276 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 19:47:56 ID:5xt3iwp6
>>275 >(^。^)偉そうに生きる意味を騙る連中は全て詐欺師だぞ♪(笑)
これでわかった。承狂氏は生きる意味を知らないと思う。
何かを語れば、みんな詐欺師で片付ける。
277 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 19:56:54 ID:5xt3iwp6
空を終着駅にしないで、悟りの手段だと思えば理屈があう。
278 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/04(月) 20:00:42 ID:h4MrASOG
>276 普遍的な生きる意味なんて、2500年以上前に否定されました♪(笑) (^。^)因みに俺は、俺の生きる意味なんて十代で決めましたが、何か?(笑)
279 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 20:08:52 ID:5xt3iwp6
>278 それは断見です
280 :
宝珠愚者 :2009/05/04(月) 20:13:52 ID:8SRy4cjR
>>277 私も同意します。
“「空」の悟り”(ここでは敢えて理解とします)が仏道の目指す目的ではありません。
それは、ただ仏教についての理解(スタート)に過ぎない。
勘違いとしている人がいるようですが、空の性質を示した「縁起」も同様です。
“縁起の理解”が仏教の目的でもゴールでもないということ。
縁起の教えは仏教の特徴であり、それは教えの“理解の段階”に過ぎない。
281 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 20:26:24 ID:uQW7Bd2a
>>280 「縁起」を、一方向への時間的因果関係などと誤解するから、にっちもさっち
も行かなくなる。「万物の相互依存性・関係性」と解すれば、「普遍の真理」で
ある。
282 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/04(月) 20:32:12 ID:h4MrASOG
(^。^)空見のパレードか?(笑)
283 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 20:39:03 ID:Be4XkP7p
>>273 >(^。^)中論読めよ♪(笑)
随分“元気”そうだね。真言様がおられないからかな。
とりあえず、去るのをやめたなら中観スレの>261に答えて、
君こそが「中論読め」ていることを証明してみないか?
ただし、無根拠な個人的意見には興味がないので出典付きで頼む。
284 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 20:40:24 ID:Be4XkP7p
それにしても、真言様はどうされたのか…。 設置を代行した意味が全くない。
285 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 20:49:52 ID:uQW7Bd2a
>>283 >ただし、無根拠な個人的意見には興味がないので出典付きで頼む。
大昔の出典をいくら漁っても無意味。「本当のところ」は、どんな大学
者にも判らない。
現実の社会や人間に照合して、「自分の頭」で考えること。そのために
こそ、釈迦は「自灯明」を説いた。
「自灯明」などと喝破できた宗教の開祖は、釈迦唯ひとりであることを、
忘れてはならない。
286 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 20:56:34 ID:Be4XkP7p
>>285 >大昔の出典をいくら漁っても無意味
では、君はどうして「自灯明」とか「釈迦」という語と語義を知ってるの?
それとも意味不明な言葉を羅列したの?
287 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 20:58:43 ID:uQW7Bd2a
>>286 アホですか。仏教の概説書は多数出版されている。高校生でも知ってるぞ。
288 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 21:00:49 ID:Be4XkP7p
>>287 つまり君自身も「出典」に拠ってるということだね。
「アホ」だから自己矛盾してるのが分からないかな。
「高校生」でも分かるだろうね。
289 :
宝珠愚者 :2009/05/04(月) 21:03:07 ID:8SRy4cjR
>>284 もしかすると法要で忙しいのかもしれないしw
或いは多分、この私の状況経過を待ってるのではないでしょうか・・。
真言氏は、私が実在(常住)論に陥っているものであるとし、
その誤解を解く方向性での遣り取りを希望されていたので、
この私が『梵網経』を読んで、何かしらの投稿があるまで待ってるのではないかと思います。
私は図書館に手配中なんですが・・あいにく、まだ無連絡なのです。
290 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 21:06:12 ID:uQW7Bd2a
>>288 原理さへ知れば、あとは自分の頭で考え、応用・発展させることが
大切。
大昔の出典を漁りたがるのは、自分で考えられない、頭が悪い証拠。
それに、出典漁りは、すでに専門の学者が充分にやってくれている。
291 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/04(月) 21:08:10 ID:h4MrASOG
>283 出典付きでも、解釈は個人的意見だろうに。(笑) んで、これか? >人間界の真理は、すべての人間に共通する生物的生存本能(生命)において >見出されなければならない。 中論に曰く 「有り」と言うのは常住に執箸する偏見であり、「無し」というのは断滅を執する偏見である。故に賢者は「有りということ」と「無しということ」に執着してはならない。 と。(中論15章10) これは自性の考察に関してであります。 >人間界の真理 なるものも、この類いと言えよう。 (^。^)尤も、それ以前に、 >生物的生存本能(生命) などを本性にしている時点で論外な訳だが。(笑)
292 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 21:12:12 ID:Be4XkP7p
>>289 そうですね。期待して御待ちしましょう。
>>291 おいおい…。
「このスレの」ではなく、「中観スレの」と書いただろ。
293 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 21:14:00 ID:uQW7Bd2a
>>288 大乗仏教の膨大な体系は、原始仏典の「世界を空と観ぜよ」の一句から
発展・確立されたものである。
末木氏の新著「仏典をよむ」を読んでいるが、この大学者さえも、仏典
はよくは判らんと言っている。
294 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 21:22:08 ID:uQW7Bd2a
>>291 仏陀の説教も、君のその書き込みも、生物的生命の機能以外の何物でもない。
生命がなければ、仏教もありえなかったし、君が死ねば、君の書き込みは
ピタリと止むw。
生命のみが、人間の「すべての営み」の「根源」である。
宗教は、この根源を忘れ、生命の機能に過ぎないものばかりに、係わり合っている
のではないか。「神」も、生命の機能としての空想作用・観念作用の産物にしか
過ぎない。
295 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/04(月) 21:24:47 ID:h4MrASOG
>292 (^。^)あー、これか。 >例えば、君の理解する龍樹における縁起・空性・中道を、 >“出典付き”で書いてくれ。そうしたら、能力の範囲内で出典付きで対応する用意がある。 勿論、廻諍論の最後の詩句だが? (^。^)イミフだぞ。(笑)
296 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/04(月) 21:31:17 ID:h4MrASOG
>294 (^。^;)あー、失礼。 その前に、脳髄の進化の歴史と同基本構造を勉強されては?(笑)
297 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 21:31:27 ID:Be4XkP7p
>>295 >勿論、廻諍論の最後の詩句だが? (^。^)イミフだぞ。(笑)
おいおい、また「イミフだぞ(笑)」。これで二連続。
日本語の読解力に問題でも抱えてるの?
私は、君が引用した箇所の出典を質問したのではないのだよ。
もし読解出来たら、こちらではスレ違いだから、中観スレで答えようね。
298 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 22:13:33 ID:5xt3iwp6
>>294 生物的生命? 染色体? 生命は物質ではありません。
これが根本的な誤りですね。
299 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 22:38:47 ID:5xt3iwp6
>>294 また空は物と物との関係性ではありません。
善悪のような言葉と言葉の関係性です。
さらにいえば、共同体にとってプラスであれば善、
共同体にとってマイナスであれば悪です。
善は共同体で表現され、悪は心の中に「抑圧」されます。
悪として「抑圧」されたものが無意識です。
しかし抑圧されたものは表面化しようと「抵抗」しています。
空とは、この「抑圧と抵抗」という力学的な関係に対し、
それは善でも悪でもないということを理解させ、
無意識を意識化させるための道具です。
300 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 22:43:36 ID:5xt3iwp6
>>294 空は無意識の世界に垂直に降りていく道具です。
空が悟りである、という考えは誤りです。
>>272 否定は非や無ですが、空は非・無のどちらでもないと思います。
つまり空だからといって否定にはならない。
空は般若、智慧に当たりますが、
布施も智慧も六波羅蜜に含まれていて、相互に矛盾するものではないです。
空によって邪念が払われ、見性することに意味がありますが、
見性したからといってそこで生きることができるかどうかはまた別です。
おっしゃるように、その意味では空を悟ってもまだその先があります。
ただ般若波羅蜜の完成成就というのは、六波羅蜜の成就と同義ともいえる部分があって
その意味での完成は悟りそのものを意味するといっても過言ではないかもしれません。
303 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 23:10:55 ID:5xt3iwp6
>>301 あれでもない・これでもない、と言うとき、
あれでもないは否定であり、これでもないも否定です。
それは否定ではなく空である、というのは?
諸行無常、諸法無我(非我)
>>274 生きる意味を求める心は、悟りに直結します。
絶対に手放してはいけません。絶対に、です。
安易に結論を出してもいけません。
結論を出したらそこで終ってしまいます。
その意味であなたのスタンスは非常に優れています。
305 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 23:14:29 ID:uQW7Bd2a
>>298 生命は、物質などとは言っていない。しかし、生命は、物質としての
身体にしか宿れないのは確かである。
「生命そのもの」とは何かを、生命を以って認識することは出来ない。
認識主体と認識対象とが同一であるから、認識ははじめから成立せず、
ナンセンスで不可能だからである。生命は、外部に現れた、生命の機能
としての「生命現象」のみにより認識し得る。
>>299 色即是空の「色」は、物質ではないのかねw。
共同体にとってのプラス・マイナスは、何を基準として判断する?
それだけでは、定義にはならない。
「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」
である。
「悪」だけが抑圧されているのはヘンだね。抑圧されているとすれば、
善悪両方でなければおかしい。それに、善悪(行為)の原動力となる
感情は、「具体的な状況」に応じて発生する顕在意識である。無意識で
はない。無意識を意識すれば、それはもはや無意識ではない。このあたり、
フロイト先生はどう反論するか。悪だけが抑圧されている、というのは、
キリスト教の「罪の概念」を持ち込みたいのか。それは誤り。
釈迦は、そんな形而上を語っているのではない。色即是空、空即是色は、
「究極の存在論」である。現代においても、釈迦のこの存在論に反論
できる哲学者はいない。
306 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 23:34:45 ID:5xt3iwp6
>>305 >「生命そのもの」とは何かを、生命を以って認識することは出来ない。
>認識主体と認識対象とが同一であるから、認識ははじめから成立せず、
>ナンセンスで不可能だからである。
悟りとは生命を知ることである、だとすれば、悟ることは非常に困難であり、
悟れる人はほとんどいない。しかし実際にはそれを悟った人がいる。
釈迦であり、空海であり、イエスである。
>色即是空の「色」は、物質ではないのかねw。
物質そのものではなく、言葉として表された物質です。
>「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」である。
ご隠居の定義を意識したつもりだったけど、いまいちでした・・・onz
307 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 23:44:05 ID:uQW7Bd2a
>>306 >釈迦であり、空海であり、イエスである。
イエスには、生命論、存在論など「皆無」。すべて妄想である。
「永遠の生命」は、「生命の否定」以外の何物でもない。
> 物質そのものではなく、言葉として表された物質です。
対応する物質を、言葉で表している。物質が無く、言葉だけなら、最初
から「空」。わざわざ色即是空、空即是色などという必要は、初めから
ない。
308 :
神も仏も名無しさん :2009/05/04(月) 23:57:25 ID:5xt3iwp6
>>305 >「悪」だけが抑圧されているのはヘンだね。抑圧されているとすれば、
>善悪両方でなければおかしい。
「悪」が直接表現されないように、
幼いころから家族や社会が監視し、成人してからは法や警察が監視し、
道徳や常識や法によって教え込まれ、洗脳される。
>それに、善悪(行為)の原動力となる感情は、
>「具体的な状況」に応じて発生する顕在意識である。無意識で はない。
抑圧と抵抗という言葉が示しているように、
押さえ込まれた無意識は表面化しようとチャンスを狙っている。
これはリビドーと呼ばれるエネルギーである。
>無意識を意識すれば、それはもはや無意識ではない。
無意識の意識化とは、抑圧されている情報から、
意識されていなかった否定的なわだかまりを取り除き、
必要があれば取り出せるような情報にすること。
309 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 00:07:14 ID:J68yysnq
>>308 >「悪」が直接表現されないように、
>幼いころから家族や社会が監視し、成人してからは法や警察が監視し、
>道徳や常識や法によって教え込まれ、洗脳される。
その「社会教育」「道徳教育」の目的と効果は、「善悪」共に全く同じ。
「良いことも、悪いことも」教える。「悪い事の禁止」の裏側には、「良い事」
の勧めがある。むしろ、「悪い事の禁止」を通じて、「良い事」を教えている
のである。
>無意識の意識化とは、抑圧されている情報から、
>意識されていなかった否定的なわだかまりを取り除き、
>必要があれば取り出せるような情報にすること。
無意識なのに、一体どうやってそんな「意識的な操作」がやれるのかねw。
310 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 00:16:27 ID:1t5pZ0kZ
>>307 >イエスには、生命論、存在論など「皆無」。すべて妄想である。
イエスの場合は、加味の存在が生命論であり存在論である。
>「永遠の生命」は、「生命の否定」以外の何物でもない。
悟りの困難さを前提にすれば理解できる。
神を信じれば与えられる、というのは、生命を悟れるという話である。
>対応する物質を、言葉で表している。物質が無く、言葉だけなら、最初
>から「空」。わざわざ色即是空、空即是色などという必要は、初めからない。
仏教は唯名論であり、言葉に実体があるという立場。
言葉だけなら最初から空というのは正しい。
しかし実際には、抑圧と抵抗という力学的な関係が存在している。
311 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 00:23:58 ID:J68yysnq
>>310 >イエスの場合は、加味の存在が生命論であり存在論である。
「人間にあらざる、架空の神」は、人間の生命にも、存在にも、一切
関係ない。むしろ、生命と存在に思い至らなかった、イエスの妄想に過
ぎない。
ユダヤ教では、神とは「全実在(在りて、在るもの)」である。その
ユダヤ教を否定したのが、イエスである。
312 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 00:28:35 ID:1t5pZ0kZ
>>309 >無意識なのに、一体どうやってそんな「意識的な操作」がやれるのかねw。
反省したり、瞑想したりすることで、無意識になっていた事柄に気づく。
そして、それらの事柄の意味を知ることで、わだかまりが消える。
わだかまりが消えれば、意識が可能な記憶に変わる。
313 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 00:33:37 ID:1t5pZ0kZ
>>311 ユダヤ教徒であるイエスは神を否定していない。
キリスト教を作ったパウロ、そしてのちのローマ教会が
イエスを「神に祭り上げる」ことで神を否定した。
314 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 00:40:42 ID:J68yysnq
>>312 それはあくまで、無意識が意識化した「後の」作業。無意識のままでは、
「無意識になっていた事柄」を知ることは不可能。
フロイトの精神分析も、無意識を意識化した後に行う治療。
無意識そのものを、意識的に操作することは出来ない。
315 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 00:44:44 ID:DO2c38A4
「空」スレ、とか細分化してジャンルごとにスレを立て尽くしでも しなければこの状況は何度でも繰り返されるんだろうかね。 みなさんお願いですからスレタイとテンプレをご確認ください。
316 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 00:57:02 ID:J68yysnq
>>315 すべて、アートマンに関連した話題。根拠も怪しげな出典漁りより、はるかに
有意義。
317 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 01:02:24 ID:DO2c38A4
生命と架空のアートマンは無関係のはずなんだがなー。なぜここでやることに固執するのかな。 スレ違いであることと、より価値を見出してることの間にはなーんにも関係ないんよ。 「価値がある。だからねじ込む!」と言われても困りますね。 もう一回スレタイとテンプレ読んでね。
318 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 01:03:02 ID:1t5pZ0kZ
>「生命そのもの」とは何かを、生命を以って認識することは出来ない。 >認識主体と認識対象とが同一であるから、認識ははじめから成立せず、 >ナンセンスで不可能だからである。 人は意識だけでなく、マナ識、アラヤ識という三層に分裂し、 さらにそれらが脱落することで根本識(アートマン、魂)になる。 この根本識に識があり、脱落した抜け殻にも識がある。 これらの識は同時には働かない。しかし瞬時に識の移動が行われるので、 根本識を抜け殻の識が見ることになる。 この根本識は、仏性ではなく、形のあるアートマンである。 これが釈迦、空海が言う金星ではないかと思う。
319 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 01:06:52 ID:J68yysnq
>>317 生命とは無関係どころか、アートマンとは、語源的に「生命」の意味。
320 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 01:12:06 ID:DO2c38A4
>>319 >架空のアートマン
相手のレスをちゃんと読んで、相手が何を言おうとしているか理解する努力をしてね。
宗教上の概念の話ね。生命と関連のある名前をつけられただけで、生命そのものとは無縁です。
アグニ神はまんま「火」という意味だけどこの名前を持つおっさんがいなくても火はつきます。
321 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 01:18:24 ID:1t5pZ0kZ
>>314 精神分析は医者なりが患者を助けて意識化する。
反省や瞑想はこれをひとりでやる。
そのポイントは「気づき」であり、「気づき」は意識化される始まり。
抑圧すべき理由がないなら抑圧をやめればいい。
それを助けるのが「空」の思想である。
善悪は関係性であり「空」である。
いつ気づくのか。これは「熟す」ということに関係していると思う。
322 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 01:20:01 ID:J68yysnq
>>320 >宗教上の概念の話ね。生命と関連のある名前をつけられただけで、
>生命そのものとは無縁です。
一般の人名ではなく、宗教上の概念であるからこそ、その本質の解明
には、語源が大きな意味を持つと思うよ。
アグニ神も、「火」の性質を象徴しているはずだ。
アートマンも、ユダヤ教の聖霊も、その原義が共通して「空気」「生命」
であることは、興味深い。
ご隠居はぎりぎりのところまで迫っていると思う。 眠いのでオチ。
324 :
宝珠愚者 :2009/05/05(火) 03:23:39 ID:bcugGxmo
>>256 それは無理でしょう。
あくまでもこれらは大乗経典であって、ゴータマのではない弟子の思想です。
仏教文学もしくは仏教注釈書の扱いまでです。とても仏典とは呼べない。
>>250 >「そんなもの」とか「仏典とはいわない」という書き方には、
>明らかに蔑みがあるので、その部分は反感を買っても仕方ないと思います。
私も気分を害する人がいるだろうことは十分に承知しています。私は大乗徒の平均的な修行者、
信徒らに対しては直接的な批難の意志はありませんが、しかし、大乗発生の経緯とその意図して
制作された経典に対してはゴータマに対する基本的な不敬であるとして見なしています。
>仏典といえば大乗を含むものとして認識するのがむしろ一般常識です。
批判的な視点というのはやはり必要なものでしょう。“何でも良かれ主義”は如何かと思います
(これはあなたを責めているわけではありません)。大乗も含めて仏典としている風潮というのは、
大乗仏教によって構築された現仏教界に躊躇しているからです。しかし、大乗経典を仏典扱いす
ることには、この私は大反対します。
他に呼びようがないので私も「大乗経典」と呼んではいますが、“「仏典」(仏教経典)と呼べるも
のは「仏説」(仏陀による教説)に限る”としなければ、もう何でも在りの世界になってしまいます。
『ダンマパダ』や『スッパニパタ』といった最古の仏典に「如是我聞」(我々は<仏陀から>このよう
に聞きました)の記載がないのは、これは経典編纂のための結集で纏められたものなので、その
意図するところそのものが仏陀から聞いた教えの編纂のためであったから、当然のことです。
『仏教の経典に対する文献学的研究では、大乗仏教の経典は釈尊の般涅槃から数百年後に編
纂され、釈尊に仮託された思想文学であるという結論が支持されている。』(フリー百科事典『ウィキ
ペディア(Wikipedia)』)
という書物である大乗経典群には、逆に「如是我聞」がしっかりと附されているのは、実に対照的
なことです(「如是我聞」を附したのは歴史的な大きな功罪でした。これにより、非仏説を疑うことは
完全にタブー視されてきたのです)。
325 :
宝珠愚者 :2009/05/05(火) 03:25:20 ID:bcugGxmo
>大乗に既存仏教を否定する傾向があったのは確かだと思います。 問題にすべき点は、その批難対象にはゴータマ仏陀までも含まれたからです。小乗VS大乗の図 式に上げられる話には、決まって「釈迦仏教は出家仏教」という批難のレッテルがあるのは、あま りに広く有名なことです(学校の大乗小乗の説明としても使われてきた)。ここではやりませんが、実 際、大乗経典の一部にはゴータマを見下す意図の論調が記されていたり、原始経典(阿含)を低級 な内容とするレッテル貼りが大乗徒によってなされてきたのです。近代仏教学が起こる以前まで、 北方においては阿含経典は顧みられることなく放置されてきたのです(天台の五時八教説の影響大)。 >しかし、当時の小乗は、あらゆるものに実体があると主張したりしていたわけで、 >「大乗が否定した小乗(特に説一切有部)」がゴータマの教えとして真性なものかどうか >非常に疑問があります。 大乗発生のキッカケとなったともみられる仏教史上の根本大分裂(仏滅後約100年頃)で保守派 側だったのが「上座部」グループでした。出家者中心で山林に篭ってひたすら瞑想とサーダナーに 没頭する彼らが、後の(自称)大乗グループによって「小乗」と批難されたのです。ゴータマは多くの 在家を育成され熱心に指導していたが、ゴータマ亡き後の彼らはしだいに在家に差別的になってい った・・。彼ら保守的な長老グループは聞く耳を持たず、逆らう者は破門されたのです。しかし、殊の 悲劇はアーガマ(伝承/初期経典)を上座部が保持しており、破門されたグループには経典がなかっ たことでした。後の大乗徒らが布教するにあたってまず必要なことは、仏典の制作だったのです。 尚、説一切有部は部派仏教の一つであり、部派は上座部の後の発生分派です。
326 :
宝珠愚者 :2009/05/05(火) 03:27:21 ID:bcugGxmo
>ディーガニカーヤあたりからは成立年代の問題から、外した方がいいくらいではないかと思います。 内容的には(原始経典群の仲間として)問題視はされていないと思います。 >自分が他者によって救われるために自力の努力を怠るという意味では少なくともないはずですし、 >菩薩行を推奨するのが大乗仏教のひとつの姿勢だろうと私は思います。 大乗の出発当初は関心できない部分もありましたが、確かに在家に適した良い優れた概念を多く 打ち出しました。もしも大乗が過去の歴史を見直して反省し、ゴータマの原点回帰に取り組むならば、 再生の可能性はあるでしょう。良いものも沢山持っています。であるから、厳しく批判的に視線が必要 なのです。 >宝珠氏は、おそらく念仏系を批判したいのでしょうが、 >少なくとも念仏系をもって大乗仏教を代表させることは難しいのではないでしょうか。 > 念仏信仰は相手にもしていません。あれは大乗仏教どころか・・外道。阿弥陀/アミターバ(amitAbha)はゾロアスター教から持ってきたものです。*スレ題違いなので、ここまでにします m(__)m
神智学も仏教どころか完全に外道なわけだが。 自分のことを棚に上げてよく言う。
328 :
宝珠愚者 :2009/05/05(火) 08:40:51 ID:bcugGxmo
>>327 神智学を「仏教」などと呼んだことは1度もありませんね。
北方においては阿含が近代になるまで、闇に葬られていたのは何故だったか?
大乗徒によるその不当なる評価と扱い、不遇の歴史を知ることです。
>>328 仏教と呼ぶわけないじゃないか。外道なんだからwww
愚者の論法によれば、神智学は「相手にもしない」対象であることは間違いないな。
330 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 09:11:48 ID:B/2/5SaH
>>322 >宗教上の概念であるからこそ、その本質の解明には、語源が大きな意味を持つと思うよ。
だーかーら、モチーフやイメージソースにしか過ぎないんだって。
良くも悪くも当時のある文化での通念や常識上での意味でしかないんだって。
>象徴
そりゃそうです。ですが仮面ライダーとバッタとの関係以上のものはありませんよ。
もう一回スレタイとテンプレ読んでね。 ここは何をするスレなのかを
書いてみてください。要所のコピペでもいいので。
331 :
神も仏も名無しさん :2009/05/05(火) 09:13:28 ID:B/2/5SaH
>>329 実際、このスレでは相手にしてませんね。
愚者は、大乗は解脱成仏を諦めてるとかウソ言ったんだから、 その事は反省すべき。
333 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 17:01:15 ID:nCn3HmgQ
釈尊は悟り、輪廻から解脱した。 そこで釈尊は、弟子や民衆に対し、輪廻する方法を教え始めた? 解脱する方法を教え始めた? ・・・ 何のために?
334 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 17:16:56 ID:nCn3HmgQ
釈尊は、この世への執着を滅したわけだから、何のために生き、 何のために教えたのか? それは執着ではなかったか? これは悟ったと称する教祖・開祖たちへの問いでもある。
335 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 18:08:39 ID:3KEjkLhA
>>334 >釈尊は、この世への執着を滅したわけだから、何のために生き、
>何のために教えたのか? それは執着ではなかったか?
衆生を救うためだろう。利他がなければ、悟りとはいえない。
336 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 18:44:33 ID:vWW4NUXz
>>335 梵天が勧請したから、釈尊が説き始めたという話もある。
これは作り話か?
337 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 19:22:10 ID:vWW4NUXz
釈尊は成道後、仲間の所に行き、法を説いたと言われている。 この動機が不明? 釈尊は何を悟ったのか? 釈尊が利他を説くなら、キリスト教と変わりないではないか?
338 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 19:27:23 ID:9M/BIY0J
>>337 キリスト教の利他は、「イエスを信じる者」に限定されている。「信じ
ない者」は「裁かれるべき存在」。仏教の利他は、そんな限定はない。
339 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 20:18:41 ID:v/VOuVY9
>>336 >梵天が勧請したから、
解脱した人にとっての梵天とは何か?
自己自身に他ならないよ。
これを梵我一如という。
釈迦は自己の考えにより相手に合わせて法をといたのだ。
340 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 20:21:11 ID:v/VOuVY9
>>338 仏教でも「縁無き衆生は度し難し」とか
「仏の顔も三度まで」とか言うよ。
説法するときは人を選べとも言っているね。
仏教だから平等ではない。
>>338 これそのものがキリストを裁いていませんか。
裁きを受けるのなら、だれが裁くのですか?
むしろイエスは許しておられるではないですか。
342 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 20:44:14 ID:HlwOVWIP
>>339 釈尊が悟り、梵我一如の境地になったとしても、
なぜ法を説く気持ちになったのか、それが不明である。
利他の精神はどこから湧いてきたのか?
343 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 20:50:55 ID:v/VOuVY9
>>342 >なぜ法を説く気持ちになったのか、それが不明である。
それはお釈迦様以外には解るまい。
344 :
旧7 :2009/05/06(水) 21:02:01 ID:xmDcP7Jh
夕方、NHKで福知山線事故生存者2人のドキュメンタリーを放送していた。 二人とも、診断としてPTSDとされている。(そして、一人は4年目を待たず自殺。) 「事故の記憶が蘇る」「睡眠障害・薄れない記憶」 「生き残った罪悪感」「下ろせない荷物・負い目・心的負債」 「死んだ者を踏み台に自分は生きている」「彼らは自分の代わりに死んだ」 「電車のブレーキ音、救急車のサイレンが肉体を締め上げる」 自殺した彼は、ある時、夜中に飛び起きたそうだ。 《墓石にしがみつき泣き腫らす男が、「お前はなぜ生きている!」 と、彼を睨みつけながら叫ぶ》夢を見て・・・。 輪廻業報思想は、こうした人々を救う際に、その荷物を軽くする際に、どのような言葉を選ぶのだろう・・・。 それとも、「精神科医の領分だ」と、手を引くだろうか・・・。 前シリーズを蒸し返してしまったが、夜更けの雨音として聞き流してくれ・・w
>>342 というか利他の精神が皆無な状態では、
エゴイズムしかない状況だろうから
たぶん悟りとか無理なんじゃないかと思われ。
>>345 生物の根源には自利を追求する自我がある。
この自我を「空」と観じるのが悟りであると言われている。
「空」はエゴイズムが消えた状態である。
しかし「空」からは利他が湧いてこない。
347 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 21:26:56 ID:9M/BIY0J
>>341 >裁きを受けるのなら、だれが裁くのですか?
>むしろイエスは許しておられるではないですか。
「裁くな。裁けば自分も裁かれる」と言いながら、最も人を裁いているのが
イエス。彼は、「自分は、裁く権限を神から与えれれた」と公言している。
イエスの「教え」は、常に「自分の気に入らない者、自分を信じない者に対する、
あくなき憎悪・非難・排斥」とセットになっている。
348 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 21:27:40 ID:HlwOVWIP
349 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 21:30:59 ID:9M/BIY0J
>>346 原始仏典には、肝心の利他はないのですか。
若しないのなら、大乗仏教が補充したのでしょう。
エゴ、を捨てることが悟りだから、 利他は関係ないんでは。 空、執着を去れとお釈迦様は教えた。 釈迦に関していえば、法の布施となる。 在家には違うことを言ったわけだし。 初転法輪は出家者の説法になるのかな。
351 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 21:45:08 ID:9M/BIY0J
>>350 >エゴ、を捨てることが悟りだから、
>利他は関係ないんでは。
だったら、何のためにエゴを捨てるのかね。利他がないのなら、エゴを捨てる
こと自体が、エゴとなる。
釈迦は、輪廻を逃れたい一心のエゴで、エゴを捨てたのかね。
352 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 21:52:18 ID:HlwOVWIP
>>349 >>350 原始仏典はアリも殺さないような利他(慈悲)の精神で満ちている。
でも奇妙なのは「空」の軸と「利他」の軸が重ならない。
ふたつは異なった軸ではないのか。
353 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 21:55:15 ID:9M/BIY0J
>>352 「空」を「関係性」と解すれば、「利他」とはピッタリと重なる。
なんで真理が「出来上がってきた」と見るのだ、 そもそも真理はずっとあっただろ。 それが忘れ去られまた徐々に明かされてきただけ。 真理を思想とかイデオロギーとごっちゃにすな。
まずはエゴを捨てないとだめでしょう。 大乗といっても空を説いていますし、 スタンスは変わっていないと思いますが。 本質は大乗も小乗も同じで、 やはり空が修行の中心であることは はずせないでしょう。三法印もあることだし。
釈尊がバラモン教とであったとすれば理解できる? 釈尊の話は、神(ブラフマン)がいることが前提になっている。 大乗仏教はそのことを忘れてしまった・・・?
利他や普遍的な愛、それは最終目的であって当たり前。 根本のところで魂は一元だから。 一つにまとまってるってことは自分を全て理解して愛してやれてるってこと。 それが今は無数に分離して他人同士だと錯覚してるだけ。 その錯覚をなくし愛の状態の形を実践してくうちに また一つの完全な状態を取り戻し増幅し強化することになる。
358 :
357 :2009/05/06(水) 22:04:16 ID:9Ykacaq8
357で言ったことはアニメEVAにてさえも描かれ続けてるテーマだ。 それさえ分からない仏教者はレベル低すぎよ。
359 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 22:05:37 ID:9M/BIY0J
>>356 >釈尊の話は、神(ブラフマン)がいることが前提になっている。
ブラフマンの実在など認めたら、「空」と矛盾する。
360 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 22:14:30 ID:9M/BIY0J
>>357 そんなことを、釈迦はどこで言ってるのかね。そもそも、釈迦は、
キリスト教のいうような「愛」など語っていない。
>>357 みんながひとつの魂なら、自分が自分を愛する自己愛になる。
それに男女の愛は排他的である。
362 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 22:23:23 ID:9Ykacaq8
>>361 否定される愛は分離した状態を肯定させるような愛、つまり個我という錯覚を増幅させる我執だよ。
>>360 言ってる言ってないカンケーねーっつのw
ちったー人の言葉に流されずに自分のあたまで考えろ!
瞑想しろ!!
>>361 それとね〜、
性における五蘊を断ち切ってない交わり、
つまり性交という錯綜し捻じ曲がった交流が否定されるべきなだけであり、
本質的に全ては相対的に相補ナ関係なの。
だから最終的な男女の特質はどっかで合一する。
性についてもそう分別して観じなければ失格。
ミソモクソもにしちゃいかん。
>>360 キリストのいう愛も否定はしてないっしょ。
キリスト教のなかにもいくばくかの真理はあるし、
仏陀の残した法から普遍的な愛を導き出せないのは
どれだけ君が頓珍漢かという証明でもあるw
365 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 22:33:12 ID:9M/BIY0J
>>362 >言ってる言ってないカンケーねーっつのw
少なくとも、このスレの多くの「仏教者」にとっては、「ゴータマが言った、
言わない」が、唯一最大の関心事であるようにしか思えないがw。
>>359 ユダヤ教もバラモン教もインドヨーロッパ語族の宗教である。
BC5〜6にイランで成立したゾロアスター教もそうである。
この宗教は、善悪の対立・善の勝利という図式を持っている。
この図式は空観と神の存在を連想させる。
367 :
旧7 :2009/05/06(水) 22:37:22 ID:xmDcP7Jh
>>365 確かにwww
スレタイからして、そのまんまだなw
あ、「旧7」を頂きました。 m(_ _)m >>宝珠氏
>>365 じゃーそれを誰が判断するのだw
結局水掛け論になる。
考察するなら全てを並列に並べて、論理の最大級な合理性と整合性を追求すべきでは?
個人的にはそこに於いてサマディーの実践は外せないしそれでしか証明し得ないと思ってる。
そしてベターではなくベストな導師を探すこと。。
見つからなければ見つかるまで永遠に探せ!
一切の妥協の無い導師をな。
369 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 22:40:26 ID:9M/BIY0J
>>363 >性における五蘊を断ち切ってない交わり、
>つまり性交という錯綜し捻じ曲がった交流が否定されるべきなだけであり、
性交は、五蘊だらけなのだがw。だからこそ、相補関係が成立し得る。
>>369 そうだね、性交はデメリットだらけだ。
だがタントラの奥義はそのイメージを一元の回復に利用する。
デメリットはメリットに転化可能なのだね。
だが現実的なセックス、恋愛はまずデメリットだらけだね。
ゾロアスター教、ユダヤ教、バラモン教などが、 起源が同じか、あるいは相互に交流していた可能性は相当に高い。 そしてこれらの宗教は(同じではないものの)神の存在を認めている。 であれば釈尊も、神の存在を認めていた可能性が相当に高い。
372 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 22:46:54 ID:9M/BIY0J
>>364 >キリスト教のなかにもいくばくかの真理はあるし、
>仏陀の残した法から普遍的な愛を導き出せないのは
愛とは、相手の窮状を目の当たりにして初めて生じる、助けるための
具体的行動の原動力となる自然の感情。具体的状況を離れた「普遍的
愛」など存在しない。
イエスのいうアガペーは、ギリシャ哲学の特殊概念の猿真似。アガペー
は、いわば「人工愛」。それは愛ではない。
それに、仏陀は「愛」など語っていないのでは。
法句経
http://seijyaku.fc2web.com/hou.htm 第十六章 愛するもの
209、 道に違(たご)うたことになじみ、道に順(したが)ったことにいそしまず、目的を捨てて快いことだけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を羨むに至るであろう。
210、 愛する人と会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
211、 それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらわしの絆が存在しない。
212、 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?
213、 愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?
214、快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?
>>372 まず言葉の定義は超越しなきゃね。
愛の定義はここでは省く。
だが、布施や利他の実践、禁戒、勧戒、慈愛、慈悲、賞賛、ズダの心、
これ言い換えれば全て愛の要素なのだよ?
自分を浄化し理解し受け入れることは他を理解し受け入れることと裏表だ。
これが普遍的な愛でなくてなんというのだろうか。
両者が実現して初めて最終の幸福が実現する、
このベクトルしか実現する方向は無し。
375 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 22:55:34 ID:9M/BIY0J
>>373 キリスト教とは反対に、いわゆる「愛」は否定してるね。
仏教者ばかりでなく、一般人でも、「愛」などという言葉を口にする
のを聞くと、極めて違和感を感じる。特に、仏教では、キリスト教的
な「愛」は、全くなじまない。「慈悲」と言って欲しいね。
>>372 似非的な実践、形から入ることは否定されないよ?
つか誰が最初から完全な愛の実践が出来る?
荒っぽくて偽善的でレベルが低かろうが実践をし出したことは偉大だ。
それを徐々に純化して行き、偽者が本物へ近づくことが修行の醍醐味では?
完全主義の矛盾性を戒めたのは仏陀だよ。
>>375 現代では愛という言葉は使わないとならないね、
それをもっと厳密に定義し直しつつね。
たとえば愛と執着の違いとか、「見返り」ついてとか。
アメリカ文化なんかでは、恋愛も我執もプライドも物欲もみんな「愛」でくくるのは困ったもんだが。
SPの慈しみの章に説かれている、 「一切の生きとし生けるものは幸いであれ」はアガペー?
379 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 23:03:27 ID:9M/BIY0J
>>376 仏教でいう「愛」は、否定的な意味。
君も、仏教徒を騙るクリスチャンか。
釈尊はバラモン教徒だから「神」を信じていた。 みんなはこれを忘れている。
>>379 仏教徒なら最大級、対象の排斥はしないほうがいい
その中から真実を見出し、褒めるべきは褒め、間違いは反面教師とし。
この心にて対象も益することになる。
このように敵さえも愛するのが仏教徒ぞよ。
383 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 23:14:58 ID:9M/BIY0J
>>378 >「一切の生きとし生けるものは幸いであれ」はアガペー?
「一切の」という無限定句があり、「幸いであれ」という願望句がある
から、アガペーではない。
イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間を』愛せよ」とは、口が
裂けても言えなかった。自分(イエス)を信じてくれない人間は、
「裁かれるべき存在」だったからである。
384 :
旧7 :2009/05/06(水) 23:16:31 ID:xmDcP7Jh
>>358 オジサン世代からすると、EVAなんかは皮相的で物足りんのだが・・・w
黒富野の方がしっくりするのは、
単純に、世代的差異でしかないのかもしれんが・・・。
_, ,_
( ゚∀゚)
( つ酒0
と__)__)
>>381 だが釈迦の出自はバラモンではなく武士階級だ。シャカ族の王子様だ。
386 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 23:25:28 ID:9M/BIY0J
>>382 >このように敵さえも愛するのが仏教徒ぞよ。
誤解しないで欲しい。人間としてのキリスト教徒を排斥しているのではない。
人間を大切に思うが故に、人間を軽視・否定するイエスとその宗教を排斥して
いるのである。
イエスの「敵を愛せよ」も誤り。「敵」という概念で、予め敵意を造り
上げている。敵意を生じさせておいて「愛せよ」とは、無理な話。同じ人
間だから、本当の敵などいない、というべきであった。
イエスの「教え」は、すべて「自分の気に入らない人間に対するあくなき
憎悪・批判・排斥」とセットになっていることを、看破すえきである。
387 :
旧7 :2009/05/06(水) 23:25:35 ID:xmDcP7Jh
>>381 それは、
正月初詣に行く日本人は全て、神社神道の信仰者である、
と結論付けるのに似ている・・。
奈良さんの考え方、研究領域に触れてみたらどうだい?
>>384 EVAから辿ると仏陀に行き着く。
EVA→宮崎駿→松本零士→富野→手塚治虫→宮沢賢治→法華経→仏陀
389 :
旧7 :2009/05/06(水) 23:29:34 ID:xmDcP7Jh
>>388 矢印の逆向きで、エキスやパトスが薄まっていってる感じがするなw
390 :
旧7 :2009/05/06(水) 23:31:21 ID:xmDcP7Jh
いや、その図限定で言うなら、パトスの頂点は賢治か・・w
391 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 23:36:22 ID:9M/BIY0J
「『一切』の生きとし生けるものは幸いで『あれ』」 「汝の『隣人』を『愛せよ』」 「一切の」と「汝の隣人(イエスを信じる者)」、「あれ」という願望句 と「愛せよ」という命令形。 この二つの言葉の比較だけでも、釈迦とイエスとの違いは、明白である。
>>389 分ってないな。
一番エキスが詰まってるのは「火の鳥」。次がイデオン。異論は認めないw
393 :
神も仏も名無しさん :2009/05/06(水) 23:55:57 ID:HlwOVWIP
>>391 違いがよくわからない。表現のちょっとした違いのようにも思う。
SPの破滅の章で釈尊は善悪を区別している。
「悪い人々を愛し・・・悪人のならいを楽しむ。これは破滅への門である。」
394 :
旧7 :2009/05/07(木) 00:05:48 ID:a+5eDUjR
>>392 なるほどw
清濁善悪喜怒哀楽、一切合財包含したカオスっぷりは確かに群を抜いてるかもしれん。 >>火の鳥
実に大乗的だ・・・w
ギリシャ哲学もインドヨーロッパ語族である。 恐るべし、この語族。日本人同士で争っている場合ではないかも。
>>393 極論的な悪、つまりただ懲罰したり排斥すべき悪は実は無いんだよね。
仏教でいうところの悪は、
己が実践して苦しみに固定するような行為が悪と定義できるでしょ。
つまり「あなたが苦しみに至り沈殿するようになる行為はやめなさいね」ということ。
仏教の悪の定義はこのように優しさでできている。
逆に言えば、だからこそ定義に厳格でもあると。
結果を出すためだから、結果的に甘い甘い愛のための定義。
397 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 02:12:16 ID:L3ecut2O
>>393 釈迦も、善悪とは何かを理解していない。
善悪は、あくまで、共同体における共生のための技術的概念。
人間が独りで生きているのなら、善悪の概念など不要。好きなことをすること、
快を与えてくれることが善で、その反対が悪であり、これは人によって異なる。
古今の宗教の開祖は、さかんに善悪を語るが、それを定義できた者はいない。
再度定義すると、
「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。
398 :
宝珠愚者 :2009/05/07(木) 03:42:39 ID:dxZHmopd
>>332 私は、ウソなどいってないと思いますよ。
現実的に歴史上、知られている仏教徒(大乗)には解脱成仏した存在は一人もいない、
と、この私は思っています。
当時の彼らは上座部が保持するアーガマ(伝承経典/後の原始仏典)を用いることができなかった。
従って、アーガマ無しで、しかも在家でも解脱成仏を保証することを謳う必要がありました。
大乗の出発点(テーマ)は在家信仰だったのです。
ホトケの慈悲の概念とオリジナルの教説(菩薩道)を生み出し、
自分たちの制作経典を「仏説」(ゴータマが説いたもの)とすることで、大衆の獲得を図ったのです。
結果的には、ゴータマの教説である阿含の三十七菩提分法に拠らず、
大乗独自(オリジナル)の体系を仏説として謳い、
北方圏において、阿含は最も低き教説として意図的に位置づけて抹殺を図ったのでした。
ここに解脱成仏の保証されない仏教の存在が確立したのです。
これが大乗の功罪です。
いや・・ま〜ゴータマの教説のような出家による今生解脱は無理でも、
私も、在家としての修行形態にはなっているとは思いますが。
「大乗も素晴らしいのだから、いいじゃ〜ん!」ではなく、
“大乗非仏説”(これは屈返されていない)について把握しておくことが、
大乗の基本について理解する重要な部分です。
できれば、『原初経典・阿含経』増谷文雄著/筑摩書房刊を読むといいのです。
また、『阿含経典(全六巻)』増谷文雄訳/筑摩書房刊の冒頭部分の「総説」にも、
阿含不遇の歴史についての解説があります。
399 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 03:43:32 ID:VLm9xSIM
テスト
400 :
宝珠愚者 :2009/05/07(木) 03:45:06 ID:dxZHmopd
>>349 >原始仏典には、肝心の利他はないのですか。
「自己よりもさらに愛しいものは決して存在しない。同様に他の人々にもそれぞれ自己は愛しい。
故に自己を愛するものは他人を害してはならぬ。」(サンユッタ・ニカーヤ:T.75-ウダーナ)
「自己を護る人は他の自己をも護る。それ故に自己を護れかし。しからば彼は常に損ぜられる
ことなく、賢者なのである。」(アングッタラ・ニカーヤ:V.373)
「もしも、自己を愛しいものであると知ったならば、自己を悪と結ぶなかれ。」(スッタニパータ:790)
といっているのです。
>>357 利他と利自の関係については、根本的には357さんが正しいと思います。
自己(意識)が確立されることで、他者との分離意識は消散するのです。
自己意識が普遍意識へと融合していく過程です。
利他心は自己が確立される中で生じる自然的な発露です。
その普遍的な意識状態が本来の自己の姿です。
401 :
宝珠愚者 :2009/05/07(木) 03:47:36 ID:dxZHmopd
>>339 >解脱した人にとっての梵天とは何か?自己自身に他ならないよ。
全く同意します。以前に述べた通りです。
これは、自己意識の葛藤(の現れ)を伝える文学形式です。
『梵天勧請での「梵天」(ブラフマン/プラフマー)というのは、ゴータマ自身の心の中での葛藤にお
ける「良い思考」(これは我々にとってのかな?)を象徴的に示しています。
ゴータマが苦行に精進している最中に出現した悪魔ナムチの例は、苦行を辞めるよう誘惑してきます。
これも辞めてもっと世間的な善行で十分に良いのではないか?ここまでする必要が一体どこにあるの
か?といった心の中に自然と湧いてくる想い「悪い思考」をそのまま表した象徴です。
つまり、心理描写の文学形式の表れなのです。』(前シリーズ3/23)
またゴータマは悪魔とは何?と聞かれて、
その正体については明確に解答もしました。これも醜怪な悪魔が出現したのではなく、
自己意識のことです。(相応部経典23-11/羅陀相応魔)
『私は「夜叉」やその他の「神々」の登場についても同様、質問者の代表として、ちょうど相応しいよ
うなバラモンの神々を用いて象徴的に文学作品として用いているものと見なします。バラモンの神々
が仏陀に降伏して賛美するような使い方など・・。
ただし、私個人は神(唯一神)の属性としての力の象徴(個々の神々)を否定している人間ではあり
ませんが、ゴータマは説かなかったとみています。』(前シリーズ3/25)
前シリーズ3/23-25
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1229/12297/1229771174.dat
402 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 09:12:49 ID:Yeuag/lN
仏教の考え方では唯一創造神は必要ないからね。 空集合ありきから展開する集合論が仏教の世界観だから。 ウパニシャッドのブラフマン展開説ではなく複数要素の集積説を 仏教は採っている。だから仏教ではアートマンも否定する。
>>398 > 私は、ウソなどいってないと思いますよ。
> 現実的に歴史上、知られている仏教徒(大乗)には解脱成仏した存在は一人もいない、
>
> と、この私は思っています。
解脱成仏した人がいないことと、「解脱成仏を諦めている」ことは別では?
ウソを言ってないというなら、どこが諦めているのか指摘してください。
>>397 無人島にふたりきり。相手は植物状態だったら共同体とかないから、
殺しちゃってもいいわけ?
405 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 09:30:04 ID:Yeuag/lN
>>397 >釈迦も、善悪とは何かを理解していない。
そんなこと無いだろ。
諸悪莫作
諸善奉行
自浄其意
是諸仏教
ちゃんと善悪理解してるじゃないか。
>>401 > 『私は「夜叉」やその他の「神々」の登場についても同様、質問者の代表として、ちょうど相応しいよ
> うなバラモンの神々を用いて象徴的に文学作品として用いているものと見なします。バラモンの神々
> が仏陀に降伏して賛美するような使い方など・・。
なのに超能力はそのまま信じてるの?
407 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 09:40:26 ID:Yeuag/lN
>>385 >だが釈迦の出自はバラモンではなく武士階級だ。シャカ族の王子様だ。
そうですね。シャカ族の王子から出家したんですよね。
でも釈迦仏教ではそのカースト制度を否定している。だからインド
社会の異端だったんだね。バラモン教を否定してるのも事実でしょうね。
408 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 09:52:42 ID:Yeuag/lN
>>373 > 第十六章 愛するもの
仏教は対機説法だということを忘れてないか?
お経の言葉をつづり合わせれば何でも言えると本職の坊主から聞いた。
だから、「愛」について仏教でどう考えていたかを経典の言葉で立証する
のはふさわしい方法論ではない。それより道元などのように自分の頭で考えて
論ずるほうが良いのではないか?
>>398 > できれば、『原初経典・阿含経』増谷文雄著/筑摩書房刊を読むといいのです。
今日においても、わが国では、仏教とは来世のことを説くものであると考えている人々がすくなくないように思われる。
それには、いろいろの理由があることであるが、なかでも、仏教僧侶が死者の祭葬と供養のことをつかさどる司祭者の役割をはたしたこと、
ならびに、仏教のなかに生天もしくは往生を説く思想がとりいれられて、それが後代の仏教のなかに大きな流れを形成したことが、
その直接にして最大の理由と考えられる。それらの功罪については、いまは簡単にいうべきではない(D、仏教の歴史、参照)が、
ブッダの説いたことのなかには、そのような考えはまったくなかった。
(増谷文雄『仏教概論』(現代人の仏教12)、筑摩書房、1965年、p. 17)
410 :
華厳命 :2009/05/07(木) 10:55:46 ID:AGFZ3s7L
ブッダの言葉はすべて「方便」これが結論。仏教学的にもすでに答は出てる。ブッダが死んだ時点で仏教は死んだ…いまさら大乗非仏説やら原始仏典至上主義なんざ持ち出しても犬も食わん。…まあせいぜいむなしい議論を続けたまえ(笑)
411 :
華厳命 :2009/05/07(木) 10:56:42 ID:AGFZ3s7L
まあ、無理すんな…
412 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 10:59:59 ID:Xq+wKxvr
>>404 >無人島にふたりきり。相手は植物状態だったら共同体とかないから、
>殺しちゃってもいいわけ?
全く理解していない。人が二人以上集まったら共同体が形成され、その二人
の共生のために、「善悪」という技術概念が必要になるのです。
諸悪莫作
諸善奉行
自浄其意
是諸仏教
には、その意味での「善悪概念」が明確ではない。
宗教者のいう「善悪」とは、その具体的意味を理解しないまま、言葉だけに
自己陶酔している傾向がある。キリスト教の「愛」についても同じ。
413 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 11:11:05 ID:Yeuag/lN
>>412 >全く理解していない。人が二人以上集まったら共同体が形成され、その二人
>の共生のために、「善悪」という技術概念が必要になるのです。
まったく理解してないのはあなたですね。
共同体で必用なのは「規律」仏教で言う「律」だろ。
善悪は技術概念ではなく「行動」すなわち「行」だろ。
善悪を判断するのも自己の心だね。
それくらいの自主性は持たなきゃね。
自己こそ自己の主だから。
414 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 11:15:43 ID:Xq+wKxvr
>>398 >ここに解脱成仏の保証されない仏教の存在が確立したのです。
>これが大乗の功罪です。
現代における「解脱成仏」の意味と目的は、一体何かね。
若しそれが、「自己の輪廻を免れること」とすれば、それは「我執・エゴ」
そのものではないか。オウムのやっている修行が、その典型であろう。
415 :
華厳命 :2009/05/07(木) 11:22:35 ID:AGFZ3s7L
「心」だってさ。バカ言ってら…お里が知れてら…医学書に精通しても外科医の免許は与えられない。それと同じだな…低レベル。「アナキン、お前にはマスターの称号は与えない」
416 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 11:24:17 ID:Xq+wKxvr
>>414 自己の行動が、他者の生存を害することになる場合には、「自己を離れる
こと」を善という。
善悪の概念には、自己はありません。あるのは「他者への配慮」だけです。
417 :
華厳命 :2009/05/07(木) 11:25:24 ID:AGFZ3s7L
まあ、せいぜい本物の師匠を捜すんだな…むなしい議論に時が過ぎる…そして死ぬ直前、「わけわかんねえ」とつぶやきながらくたばるってわけ。
418 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 11:30:26 ID:Yeuag/lN
>>416 >「自己を離れること」を善という。
自己を離れた行為とは何だ?
自己を離れた行為に責任をもてるのか?
419 :
華厳命 :2009/05/07(木) 11:32:25 ID:AGFZ3s7L
善とか悪とかバカなんじゃないの?だいたい自分が正しいと思うものは間違いだし、配慮もくそもない。まあ、坊やは早く寝んねしな?
420 :
華厳命 :2009/05/07(木) 11:36:14 ID:AGFZ3s7L
自己こそ自己の主…無知の極み…
421 :
華厳命 :2009/05/07(木) 11:38:20 ID:AGFZ3s7L
ふむ。暗黒時代はどうやら当分続くようだな…クスクス(笑)
422 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 11:46:36 ID:Xq+wKxvr
>>418 >自己を離れた行為とは何だ?
>自己を離れた行為に責任をもてるのか?
自己の欲望、我執を離れた行為という意味。
>>419 > だいたい自分が正しいと思うものは間違いだし
それを判断するのが、仏教ではないのかね。何のために仏教やってる?
>>420 >自己こそ自己の主…無知の極み…
共同体においては、他者が主となる。
423 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 11:51:32 ID:Xq+wKxvr
>>421 >ふむ。暗黒時代はどうやら当分続くようだな…クスクス(笑)
仏教者が、自己や「自己の解脱成仏」のみに拘る暗黒時代はどうやら当
分続くようだな・・・クスクスw。
424 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:03:50 ID:Xq+wKxvr
宗教者は、「自分の心」に拘りすぎ。自分の心を判断するのは、もう一つ の自分の心であり、そのもう一つの自分の心を判断するのは、さらに もう一つの自分の心である。どこまで行っても、自我という「主観」を 免れることはできない。 共同体においては、「自己」は「他者」が判断する。
425 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:12:29 ID:liRX3bGf
>>397 >「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」
この定義にしても、善悪は「空」を悟ったときに消滅する。
善悪の区別が消えたら生きていく道しるべがなくなる。
426 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:18:32 ID:liRX3bGf
>>424 それは際限のない相対主義ではないだろうか。
他者の判断も主観を免れていない。主観の判断にすぎない。
427 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:19:39 ID:Xq+wKxvr
>>425 >この定義にしても、善悪は「空」を悟ったときに消滅する。
それは「空」の「全くの誤解」から生じる。
「空」を、「相互依存」「関係性」と正しく理解すれば、自己は無数の
他者によって「生かされている」のだから、定義はピッタリと当てはまる。
428 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:36:40 ID:Xq+wKxvr
>>426 だから「相互の生存」という歯止めがかかっている。
共同体においては、すべての「他者」が、それぞれに「自己」である。
「生命」は、人間のすべての営みの根源だから、「生命」のみは相対主
義には親しまない。
>>427 ものごとが関係しあっていることを確認するのではなく、
ものごとは相互依存、関係しあっているから「空」であると
観じるのが空観である。
空観によれば、善悪には実体がなく、善悪が消滅してしまう。
430 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:42:00 ID:Xq+wKxvr
>>429 その「空」を観じることが出来るのも、生命である。生命がなければ、
空も、宗教も、へちまもないw。
>>428 それならばわかる気がする。
しかし「生命とは何か」という問いが残されている。
432 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:46:42 ID:Yeuag/lN
>>422 >自己の欲望、我執を離れた行為という意味。
その行為も自己の行為であることに変わりはないのではないか?
自己が離れることは無い。
433 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:49:12 ID:Xq+wKxvr
>>431 何度も言うように、生命を以って、生命そのものを理解することは出来
ない。理解主体と理解対象とが同一では、理解は初めから成り立たず、
ナンセンスで不可能だからである。
生命とは、「今ここにある」だけのもの。
434 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 12:56:50 ID:Yeuag/lN
>>422 >共同体においては、他者が主となる。
「滅私奉公」は仏教ではないだろ。
国家権力に都合がいい論理に過ぎない。
釈尊はバラモン教徒であった。 バラモン教は、神(ブラフマン)と我(アートマン)の教えである。 だから釈尊の悟りは当然、神と我に関するものである。 梵我一如という考え方はまったくの誤り。 こういった考えから、自分は神であるという妄想が湧いてくる。
436 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 13:07:06 ID:Xq+wKxvr
>>432 自己の行為も、広義には「自己の欲望・我執」から生じる。しかし、その
行為が「他者の生存を助ける」ことに向けられた場合、その「自己の欲望
・我執」は、もはや「自己」から昇華される。「自己を含む共同体の生
存(生存本能・生命)」という、すべての生きとし生けるものに内在する
根源の本質だからである。
なお、生命そのものは、生命を以っては認識も理解も不可能であり、外部
に表示された「生命現象」によってのみ可能である。
437 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 13:22:39 ID:Xq+wKxvr
>>434 >国家権力に都合がいい論理に過ぎない。
そんなことはない。「他者の生存」という歯止めが、しっかりとかかって
いる。
なお、共同体は、家族、近隣、市町村、都道府県、国家、世界と、多重
構造である。共同体の維持は、その最小単位から順に始まるのが、生存
本能の当然の帰結であり、また、あるべきもの。最小単位を忘れた生存
本能は、生存本能として無意味である。しかし、最大単位の生存も、
最小単位の生存に深く係わっていることも、忘れてはならない。
438 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 13:30:03 ID:Xq+wKxvr
>>435 >だから釈尊の悟りは当然、神と我に関するものである。
この世界を空とする釈迦が、神の実在など認めたら、完全に論理が破綻
する。
従って、梵我一如が完全に誤りであることは、正しい。しかし、釈迦も、
自己のアートマン(生命)の機能として説いたのだから、生命のみは
否定することは出来ない。
439 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 13:39:15 ID:Yeuag/lN
>>435 >梵我一如という考え方はまったくの誤り。
>こういった考えから、自分は神であるという妄想が湧いてくる。
梵も我も神じゃないでしょ。どちらも存在原理だろ。梵は普遍性、
我は特殊性の原理だろ。
だからどこからも自分が神であるなどということは出てこない。
440 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 13:45:17 ID:Yeuag/lN
>>437 >最小単位の生存
そうだね。
最小単位の生存は自己の生存ですね。
共同体もたくさんの自己からなるだけですから。
無我の我は=アートマンとか魂の本質と説かれているのでしょうか? 私は瞑想はしますが、原始仏教の経典等には疎いので、詳しい方に教えていただくとして。 無我の我や私は違うレベルでの私意識のような感じを最近受けるのですが。
442 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 16:36:53 ID:K+xDr46o
創唱宗教は、程度の差はあれ、例外なく、開祖の精神障害の症状としての 「観念過剰」から、すべての根源としての己の生物的生命を忘却して、生命の 機能に過ぎない観念のみに係り合うという、倒錯と誤謬の陥ったものである。 仏教が、その例外であることを、切に願う次第である。
443 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 17:12:30 ID:K+xDr46o
>>441 >無我の我は=アートマンとか魂の本質と説かれているのでしょうか?
アートマンの原義は、「呼吸」「生気」「生命(原理)」の意味。ずばり言って
「生命」である。呼吸がなければ、生命は維持できないからである。
「魂」などと「対象化」したら、それはもはやアートマンではない。対象化は、
「生命」の機能だから、生命そのものは対象化はできない。
仏陀も、自己のアートマンによって教えを説いたのだから、「無我」はおかしい。
やはり、「非我」とすべきであろう。
>>439 >梵も我も神じゃないでしょ。どちらも存在原理だろ。梵は普遍性、
>我は特殊性の原理だろ。
意味不明。存在原理とか普遍性とか特殊性とかを説明汁
釈尊はバラモン教の社会に生きていた。 バラモン教は神(ブラフマン)と我(アートマン)の図式を持っている。 それならばどうして釈尊が我(アートマン)だけを説くだろうか? ましてや我(アートマン)もなく、世界はただ「空」などと説くだろうか? バラモン教の社会で、そんな話はだれも受け入れない。
釈尊は、我(アートマン)を悟り、神(ブラフマン)を悟った。 だからこそ、周囲のバラモン教徒が釈尊の弟子になったのではないか。 であれば大乗も上座部も「釈尊の悟り」を伝えていないことになる。
447 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 17:45:23 ID:K+xDr46o
>>445 >>446 そのバラモン教を「改革」したのが、まさに釈尊。さもなければ、何のための
仏教か。
448 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 17:49:23 ID:czYVNdik
インドにおいてバラモン教、ヒンズー教が連綿と続いているのは、 神(ブラフマン)と我(アートマン)を説くからである。 事情は日本も同じであり、僧侶だけが「空」を追いかけ、 善男善女は神仏習合によって、神と仏(我)の図式を生きている。
449 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 17:49:33 ID:Yr03m9FP
>>438 神ときくと関係性とか因果を超越したキャラしか思い浮かばない
隠れクリスチャン乙
>>447 仏陀とその取り巻きのための仏教でつ。
450 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 17:49:53 ID:K+xDr46o
>>447 釈尊はバラモン教をどのように「改革」したのか?
452 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 18:14:09 ID:czYVNdik
BC2〜3、インドのアショーカ王は、 シリア・マケドニア・エジプトなどに仏教伝道師を派遣したという。 これらの地には、ゾロアスター教・ユダヤ教・ギリシャ哲学などがあり、 「空」を伝えただけなら冷笑されたことだろう。
>>412 相手が植物状態なのに共同体とか成立しないだろ。
自分しかいないじゃん?
何その妄想wwww
共同体という言葉だけに自己陶酔してるようにしか見えないけど。
>>435 > 釈尊はバラモン教徒であった。
いや、むしろカースト制度などバラモン教の根幹を否定したんじゃないか?
どの辺がバラモン教徒なんだとw
455 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 18:36:58 ID:HgXbGc8g
>>453 「植物状態」は、「脳死」ではないぞ。まだ生きている。医学を勉強すること。
456 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 18:46:28 ID:czYVNdik
>>454 バラモン教の中心思想はブラフマンとアートマンでしょう?
カーストを否定してもバラモン教は成立する。
>>455 知ってるよw
脳死じゃなかったら、寝たきりで言葉もなく一切の意思疎通が不可能な状態でも、
共同体つくれるのかいwww
仏教が「空」だけを説くなら、 無神論の唯物主義であり、宗教とは言えないだろう。
>>456 カースト否定はダメだと思います。
既存の社会秩序、宗教権威を完全に否定してますから。
>>458 早めに聞いておきたいんですけど、あなたは唯一神エルカンターレとか信じてます?
失礼な! 亭白先生ではありません。
釈尊の立場が何となくわかってきた。 バラモン教を否定したのではなく、深化させたのだと思う。 だからバラモン教徒たちが釈尊の弟子になった。 信仰は、究極的に、神と個人の関係です。 社会秩序や宗教権威などは、二の次、三の次です。
釈尊はバラモン教を深化させただけ、こう理解すると、大乗は完全に誤り。 本来の目的を見失い、手段である「空」を目的にしている。 上座部も誤り。我を探すけど、神(ブラフマン)を見失っている。
>>461 これは失敬。
>>462 ツッコミどころ満載なんだが、そもそも釈迦は信仰を説いたのか?
いろいろ思うのは自由だと思うけど、根拠がないと。
465 :
暁 :2009/05/07(木) 19:36:08 ID:51XfQj6N
バラモン教へのアンチテーゼでしょ バラモン教がなければアートマンを説く必要がなかったのではないか
466 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 19:38:01 ID:czYVNdik
仏教は無神論なのに、宗教のような顔をしてきた理由がわかる。 釈尊のいたころはバラモン教だったのであり、有神論だったのだろう。 周囲は仏教を宗教だと思っていた。 しかしその後、手段である「空」が目的になり、無神論になってしまった。
>>464 信仰がないなら単なる道徳家になってしまう。
そう思いたくないから、神への信仰があったと仮定している。
>>465 バラモン教がブラフマンとアートマンを説いていたのでは?
468 :
暁 :2009/05/07(木) 19:50:05 ID:51XfQj6N
>>467 お釈迦さんがてことね
バラモン教に対する批判という意味
>>467 思いたくない、ということ以外に理由がないように見えるのですが?
思いたくない → 仮定をつくる → その仮定を元に論理をくみ上げる
つまりこれって妄想では?
470 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 19:56:45 ID:Yeuag/lN
>>449 >仏陀とその取り巻きのための仏教でつ。
「法」がぬけてる。佛・法・僧の三点セットが仏教だね。
471 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 19:59:45 ID:Yeuag/lN
>>458 >無神論の唯物主義であり、宗教とは言えないだろう。
僧だね。仏教は唯佛主義の哲学で宗教ではない。
SPの1119に、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、 世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。 このように世界を観ずる人を、死の王は見ることができない。」 ここに空観が手段であることが書かれている。死の王は悪魔。 神々に関する記述もある。たとえば1148
バラモン教の成立はBC700〜800あたり。 ブラフマン、アートマンの思想は釈尊よりも古い時代ではないですか。 釈尊の神は、唯一神ではなく複数のようですね。
釈尊が生きた時代は、複数の神々がいて我(アートマン)も漠然としていた。 ここでどう説くかは非常に難しいでしょう。 輪廻を解脱でき彼岸に到れる・・・この説き方は可能だった
476 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 20:43:03 ID:czYVNdik
釈尊がバラモン教徒のひとりとして、 神(ブラフマン)と我(アートマン)という枠組みの中で、 空観による解脱を説いたのであれば、 釈尊の教えがバラモン教徒に受け入れられたことが理解できる。 ここから逆に、「空」を目的とする 現在の大乗仏教は根本的に誤りということになる。 上座部も似たようなものである。
477 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 20:47:23 ID:Yeuag/lN
バラモン教の後継はヒンズー教だよ。 現在でも仏教とヒンズー教は分かれたままだよ。 インドの正統派は現在でヒンズー教だろうね。 仏教は相変わらず異端だ。
478 :
暁 :2009/05/07(木) 20:54:37 ID:51XfQj6N
お釈迦さんがバラモン教徒であったのは過度期でしょ
479 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 21:06:41 ID:czYVNdik
>>477 バラモン教徒の釈尊はともかく、弟子たちの仏教はどこか変だと思う。
時代が下るにつれ、バラモン教との違いを強調しすぎたのではないか?
480 :
宝珠愚者 :2009/05/07(木) 22:03:55 ID:dxZHmopd
>>403 >どこが諦めているのか指摘してください。
ですから、書いた通りですよ。
『当時の彼らは上座部が保持するアーガマ(伝承経典/後の原始仏典)を用いることができなかった。
従って、アーガマ無しで、しかも在家でも解脱成仏を保証することを謳う必要がありました。
大乗の出発点(テーマ)は在家信仰だったのです 』
>>398 アーガマを持たずに在家中心とするということは、現世の今生解脱は無理という理解となるのです。
在家には当然、出家者同様の修行形態をそのまま受けることはできない。
そこで在家向きの独自の信仰体系を確立すべき、経典の創作を開始したのです。
ところが大乗がアーガマに拠らないということは、出家しても解脱成仏できないことを意味するのです。
にも変わらず、彼らは上座部(小乗グループ)に反発し続け、
大乗の発展のためにとアーガマの抹殺を断行したのです。
その流れをそのまま受けてシナでは阿含経に低級のレッテルを貼り、
そのお陰で日本ではAD6世紀頃の仏教伝来以降〜近代仏教学が大乗非仏説を確立するまで、
信仰の世界から葬り去られてきたのです。
〜スレ題違いにて、この辺までにしたいと思います。
481 :
宝珠愚者 :2009/05/07(木) 22:05:41 ID:dxZHmopd
>>406 >なのに超能力はそのまま信じてるの?
仏典中の梵天や悪魔は自己意識の葛藤を示す文学形式としての表現です。
神通とは意味が全然、異なる・・。
神通力は修行の過程で身につくものです。
解脱とは、この現象世界の制約からの解放なのです。
従って、肉体と意識の制御(コントロール)について学び、段階を追って熟達していきます。
仏陀とは、人間でありながら、通常の人間としてのレベルを超越した存在のことです。
>>409 前シリーズ7/765にも、この一文は輪廻否定派から提示されています。
増谷氏のその根拠が不明確なのですが、このウェブで掲載された増谷文雄著『仏教概論』
の抜粋から見て、和辻哲郎氏同様、無我をアートマン否定と捉えているための誤解でしょう
(アートマンが無ければ輪廻の主体がないという理論)。
http://fallibilism.web.fc2.com/z006.html 私は、増谷氏の見解を何でも支持するわけではありません。
阿含経の大乗徒により闇に葬られた不遇の歴史的事実というのは、近代仏教学の常識です。
その歴史的経緯については増谷氏は詳しく解説しています。
482 :
宝珠愚者 :2009/05/07(木) 22:31:45 ID:dxZHmopd
>>409 和辻哲郎氏同様、無我をアートマン否定と捉えているための誤解でしょう。
ということで、そのウェブが提示した増谷氏の無我解説の部分なのですが・・
『「ソーナ(輸●那)よ、およそ色の無常かつ苦にして、変易するものを、
〈こは我所なり。こは我なり。こは我体なり〉ということができるだろうか」「大徳よ、それはできませぬ」
それらの定式的な表現は、いずれも、ブッダの否定するところが、つぎの三点にあることを語っている。
1 我所(mama)の否定 2 我(attan)の否定 3 我体(me atta(_))の否定』
(増谷文雄『仏教概論』(現代人の仏教12)、筑摩書房、1965年、pp. 86-87)
これほどの学者が何故?と首をひねりたくなりますが、
どう読んでも、「色は我所(我がもの)ではない」、「色は我(アートマン)ではない」、
「色は我体(自我の普遍の本質)に在らず」です。
端的にいえば、「それらは(アートマンとは)違う!」としか述べていない。
「アートマンは存在しない」などとはどこにも述べてはいないのです。
そんなことはどこの経文にもない。
本来の「非我」(それらはアートマンに非ず)が、
後代になって“アートマンは存在しない”という「無我」へと曲解されていったのです。
これが輪廻否定の根拠に使われるようになった。
死後の世界があるとなったら、仏教哲学そのものが、霊媒師をよんだり、 超能力者、教祖たちをよんで、心霊研究会になってしまうからでは ないでしょうか。
484 :
神も仏も名無しさん :2009/05/07(木) 23:24:12 ID:yFaDdm6W
>>482 >本来の「非我」(それらはアートマンに非ず)が、
>後代になって“アートマンは存在しない”という「無我」へと曲解されてい
>ったのです。
>これが輪廻否定の根拠に使われるようになった。
むしろ、アートマン(生命)があるからこそ、輪廻転生は否定されるべきである。
死後の世界とは、アートマン(生命)の存在しない世界。生命による認識や
思考は、一切通用しない世界である。それを「生命」で認識、思考すること
ほど、矛盾した話はない。仏陀は、それほど愚か者だったのかね。
485 :
宝珠愚者 :2009/05/07(木) 23:29:37 ID:dxZHmopd
---比較--- *バラモン教(バラモン社会) ・ヴェーダを権威とし、記述を絶対視する。 ・カースト制度を絶対視する。 ・梵我一如。 ・アートマンの絶対性。 ・祭式/呪法を重視した。 ・祭式での生き物の生贄など。 ・苦行が常識修行。 ・ハタヨーガといった伝統修行も頻繁。 *ゴータマ(原始仏教) ・ヴェーダを権威としては認めないが否定的というわけではなく、どちらかというと肯定している)。 ・カーストを否定し、人間の権利の平等を説いた。 ・梵我一如は説かず。 ・アートマンについての迷信(誤った見解)を排除しつつも、アートマン性質についての解説は控えた。 ・祭式/呪法は重視せず、弟子には禁じた。 ・無益な殺生として厳しく批判、弟子に不殺生戒を指導した。 ・バラモン伝統のような苦行は指導せず。 ・ハタヨーガについては重視せず、弟子には禁じた。
486 :
宝珠愚者 :2009/05/07(木) 23:39:46 ID:dxZHmopd
>>484 あなたは毎度のごとく・・
言葉(用語)の意味合いを自己流に(全く異なるものに)変えるので議論になりません。
アートマンの概念は物質科学の説くものを超えているのです。
>>443 >アートマンの原義は、「呼吸」「生気」「生命(原理)」の意味。ずばり言って
>「生命」である。呼吸がなければ、生命は維持できないからである。
これはあくまでも語源であり、名称の発祥のことでしかない。
>「魂」などと「対象化」したら、それはもはやアートマンではない。
後にアートマンはこのような「魂」という意味合いとして使われたのであり、
ウパニシャッドの説くアートマンとはコレですよ。
>>480 > アーガマを持たずに在家中心とするということは、現世の今生解脱は無理という理解となるのです。
何度も言わせないでほしいんだが、結果として今の生で無理だということと
解脱成仏を諦めるということとは関係がない。
解脱成仏を目指して修行してきた大乗仏教の僧侶たちはそれこそ無数にいるではないか。
これがウソでなくてなんなのかと。
>>481 自分にとって都合のいい部分 → 他人に読むように勧める
自分にとって都合の悪い部分 → 誤解しているとして支持しない
神や悪魔については、文学的表現としているのに超能力に関しては例外。
全体的に恣意的といわれても仕方ない状況ではある。
> 解脱とは、この現象世界の制約からの解放なのです。
> 仏陀とは、人間でありながら、通常の人間としてのレベルを超越した存在のことです。
勝手な定義しはじめたらご隠居と同じw
通常の人間のレベルを超えてるとかっていっても、それは精神的な意味としてであって
エスパーとは思ってない人が大半でしょうね。
ただ『阿含経』を見れば、あきらかに「我はない」とみてとれ、 我に執着するな、アートマンなる実体、自我はどこにもないぞよ、 みたいにとれますよ。 つまりそうなると、『阿含経』そのものにも問題があるのではないでしょうか。 三法印も阿含経から出ていそうだし、無我、無常は真理なり、でいけば、 釈尊は軽快に人生の悩みを説いていたにしかみえない。 きわめて唯物的にまとまっているようです。
489 :
旧7 :2009/05/07(木) 23:57:53 ID:a+5eDUjR
>>488 貴方のような穏当なスタンスの人は、(2chには)少ないんですよねぇ・・・w
特に後半なんかは、
「不遜だ!」「宗教の神秘性を理解してない!」
「ゴータマ・ブッダの言うことが、そんな常識的なことである筈が無い!」
という罵声を一斉に浴びることになるwww
けど、その調子で負けずに頑張ってくれw
490 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 00:00:31 ID:K3bhE2Up
>>486 >これはあくまでも語源であり、名称の発祥のことでしかない。
本来の意味は語源にあるが、宗教現象、特に狂信者によって、その意味が歪曲・
変容されることがある。例えば、旧約聖書の「聖霊」は、創造時に神が人間に
吹き込んだルーアッハ、即ち、空気、生命であるが、新約聖書では、「人間の
どこか外部から、鳩のように舞い降りてくるもの」に歪曲・変容されている。
しかし、根源的な意味は語源であることを、忘れてはならない。
491 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 00:08:58 ID:oA9oFDSW
別に梵天や悪魔の記述が文字通りの意図であったとしても意味は通ると思います。
むしろ輪廻を喩えにするのとあんまり大差ないような気が。
>>486 >言葉(用語)の意味合いを自己流に(全く異なるものに)変えるので議論になりません。
「文脈?文化的背景?何それ美味しいの?」(隠居の心の声)
隠居だから仕方が無いのです。
>これはあくまでも語源であり、名称の発祥のことでしかない。
「何度同じツッコミをされようと一向に気にしないッ!」
隠居だから(以下略
>>490 バラモン、ヒンドゥーの時点で既に歪曲済なので無問題
492 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 00:19:55 ID:K3bhE2Up
>>491 このスレでは、仏教がすっかりオカルト宗教になってしまいましたね。深遠な
「仏教哲学」は、どこへ行ったのかな。
禅宗の方の反論がないのは不思議。
道元は、「世界最大の思想家」と評価する哲学者もいるのだが。
493 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 00:22:55 ID:oA9oFDSW
>>492 >深遠な「仏教哲学」は、どこへ行ったのかな。
ゴータマの時点でイカれた方向に吹き飛んでおります。
494 :
旧7 :2009/05/08(金) 00:27:17 ID:yuuOPGTa
>>492 前シリーズでは、
(孤独ながらも?www)頑張ったつもりなんですがね・・・w
495 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 00:30:40 ID:nDEvKLdK
>>487 >これがウソでなくてなんなのかと。
申し訳ありませんが、ウソをついたのは大乗の教典製作者(作者不明)たちでした。
これは初期大乗経典の体表格、大乗の代表経典-法華経方便品からです。
『この諸の佛子の為、大乗教を説くことにする。
我、この様な人は来世に佛道を成就することを記す。
心の奥底から佛を念じ、清浄の様相をそなえている人、
この人たちは佛が法を得た事を聞いて、大いに喜ぶ。
この事を佛は知り、彼らに大乗を説いった。』
http://www.geocities.jp/daijyoukiyonotabi/hokekyou1.htm 『為此諸仏子 説是大乗経
此の諸の仏子の為に 是の大乗経を説く
この諸々の仏の弟子のために この衆生が仏の悟りへ到達できるための教えを説きます
"For these sons of the Buddha
I preach this sutra of the Great Vehicle."
我記如是人 来世成仏道
我是の如き人 来世に仏道を成ぜんと記す
わたしはこのような者は 必ず来世において仏道を成ずると保証します
"And I predict that these persons
in a future existence will attain the Buddha way."』
http://texpo.jp/texpo/disp/6698 つまり、未来世成仏道なのです。
「未来世の成仏は保証します」ということであり、
逆に言えば、これは「今生は保証できない」という意味なのです。
496 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 00:32:07 ID:nDEvKLdK
>超能力に関しては例外。 >それは精神的な意味としてであってエスパーとは思ってない人が大半でしょうね。 六神通を否定したら仏教じゃ〜ありません。 そういうことは唯物論者がいう主張であり、とても仏教信仰者のものとはいえません。 どれが文学表現で、どれは現実に起こる事柄の教示であるかを識別する必要があります。 超常的記述をすべて非現実にしてしまうなど、もっての他です。 >それは精神的な意味としてであってエスパーとは思ってない人が大半でしょうね。 伝統仏教徒は違う。 神通力の意味合いを知っており理解しています。 否定者はただの唯物論者です。
497 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 00:44:31 ID:nDEvKLdK
>>491 >別に梵天や悪魔の記述が文字通りの意図であったとしても意味は通ると思います。
これがゴータマ自ら明かした「悪魔」の正体です。
『「大徳よ、悪魔、悪魔と仰せられますが、大徳よ、いったい、なにを悪魔と仰せられるのでございますか」
「ラーダよ、色(肉体)は悪魔である。受(感覚)は悪魔である。想(表象)は悪魔である。行(意志)は悪魔
である。識(意識)は悪魔である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪を離れることができる。貧を
離れることによって、解脱する。」』(相応部経典23-11/羅陀相応魔)
醜怪なる化け物が出現する話ではありません。
498 :
旧7 :2009/05/08(金) 00:47:03 ID:yuuOPGTa
>>496 >どれが文学表現で、どれは現実に起こる事柄の教示であるかを識別する必要があります。
だから、何度も何度も何度も何度も、訊ねているでしょう?
「そのように判断できる理由、基準は何ですか?
どこにあるんですか?
識別の基準をどこに置いているのですか?」
と・・・w
おやすみwww ノシ
499 :
旧7 :2009/05/08(金) 01:03:06 ID:yuuOPGTa
500 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 01:05:51 ID:nDEvKLdK
>>498 判断基準は「直感」かな?
いや、たぶんセンスですよぉw
ま〜それはジョーダンですけどw、
仏教全体の教えから判断すれば容易な筈です。
それができない人というのは、勝手に「これはアレ」「それはアレ」とレッテルを貼り、
カテゴリ分けをしているのだと思う(「生まれ変わりはある筈がない。
神通力はある筈がないから後世の神格化だ」という具合に決め付けている)。
仏典中に悪魔や梵天が現れても、
仏教のおけるこれらの扱いと見解を理解するならば、
現実として眼前に、そういう超常的存在が出現したわけではないことは容易に理解されると思いますが・・。
神通力については、修行の進歩によって獲得されるものとして明確に解説されています。
それが認められない人は、ただの唯物論者であり、仏教信奉者とはいえません。
以上
501 :
旧7 :2009/05/08(金) 01:08:01 ID:yuuOPGTa
>>500 ( ´,_ゝ`) プw
寝る前に笑わしよるわwww
502 :
旧7 :2009/05/08(金) 01:32:06 ID:yuuOPGTa
503 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 02:34:40 ID:K3bhE2Up
>>500 君はオウムスレに戻れ。オウムそのままじゃん。
これじゃ、第二、第三のオウムが出現することは、確実。オウムの反省が、
全くなされていない。
>>500 > 神通力については、修行の進歩によって獲得されるものとして明確に解説されています。
解説されてるということと、それが現実に可能かどうかということは別なわけですが、
宝珠さんは、少しでも神通力が使えるのですか?
それとも現実に神通力が使える人を知っていて、自分の目で確認したことがありますか?
それとも文献で読んだことを鵜呑みにしているだけですか?
>>495 これって487に答えてないですよね?
結果として今の生で無理だということと、解脱成仏を諦めるということとは関係がない。
解脱成仏を目指して修行してきた大乗仏教の僧侶たちはそれこそ無数にいるではないか。
という疑問に対して
> これは「今生は保証できない」という意味なのです。
この文が何も答えになっていないということが理解できませんか?
「結果として今の生で無理だということ」についていくら説明されても
関係がないことについて説明しているだけだということが理解できませんか?
これでは返答になっていないということが理解できませんか?
いくら長く答えたって、こんな風では
人からは宝珠さんが逃げ回ってるようにしか見えないでしょうよ。
506 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 06:33:12 ID:gwvLSF/d
>>473 >釈尊の神は、唯一神ではなく複数のようですね。
釈迦は神などの形而上学については無記をつらぬいた。
仏教の守護神など後の人たちの作り事だろうね。特に大乗系の。
507 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 06:40:02 ID:gwvLSF/d
>>478 >お釈迦さんがバラモン教徒であったのは過度期でしょ
お釈迦さんはバラモン教を常に批判してたでしょ。
バラモン教徒になったことなど一度も無いよ。
苦行者についたことはあったみたいだけど。
508 :
華厳命 :2009/05/08(金) 07:06:39 ID:Za6BXLKM
ひとつ疑問を提示したい。それは「私は神の存在など信じない」という意見には「神がいないという証拠は何か?」ということ逆に「神はいる。神を信じる」という者には「神がいるという証拠は何か?」ということで、どちらも盲目的不可知に陥っている点ではあまり大差ない。
509 :
華厳命 :2009/05/08(金) 07:13:42 ID:Za6BXLKM
したがって原始仏教的無神論も、大乗仏教的神話もどちらも根拠なき不可知論に陥るのみ。完全な論理などという言葉じたい、単なる形容矛盾でしかない。また認めるのはまことに困難らしいが、釈迦は古代バラモン教の論理的展開を焼き直しただけで解脱への最短距離を提供しただけ
510 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 07:14:03 ID:gwvLSF/d
>>508 「証拠」という言葉で何を意味しているの?
神は信じるか信じないかだけじゃないの?
511 :
華厳命 :2009/05/08(金) 07:23:28 ID:Za6BXLKM
方法論が異なるだけで、原始も大乗もどちらも正しいし、どちらも誤りがあると考える。ちなみに華厳経では、利他即自利で「悟る」より、「悟って生きる」ことを重視するし、永遠の修行が前提。現実的ではないか?白昼夢のなかで生きるより、今、目の前で苦しむ人々を救う
512 :
華厳命 :2009/05/08(金) 07:29:39 ID:Za6BXLKM
つまり華厳の経説は、「初発心時、便成正覚」で悟りを求める心を起こす瞬間、すでに「悟り」のなかに有ると認めてしまう。しかしながらこれは単なる甘えではなく「永遠の修行」が前提であり、ブッダのごとく生きることが可能な人々にのみ可能な非常に困難な道である
513 :
華厳命 :2009/05/08(金) 07:34:42 ID:Za6BXLKM
天使も悪魔も共に愛してやる「愛」という言葉は仏教的ではないから「慈悲」でもよい…そこに「仏」を見る…宗教の正邪の基準は「利己的か?非利己的か?」であり、後者である場合のみ、宗教的と認める
514 :
華厳命 :2009/05/08(金) 07:53:36 ID:Za6BXLKM
510→「神を見た」と断言出来る者のみ、「神を信じる」と言う権利がある。
515 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 07:58:42 ID:gwvLSF/d
↑「神を見た」かどうかも信じるしかないじゃないの?www
516 :
華厳命 :2009/05/08(金) 08:20:17 ID:Za6BXLKM
大胆にハッキリ言うが、それが可能であるばかりでなく、他者にも「神を見せる」ことが可能な人を知っている。確かにそれは単なる催眠術に過ぎないと言われれば…わたしもそれは否定しない…しかし神と話し合いが出来た時、(それもリアルに)それを否定する権利はないだろう
517 :
華厳命 :2009/05/08(金) 08:27:18 ID:Za6BXLKM
無明とは何か?それは生存欲、自己保存本能の放棄である。でないと「仏教」なるものの実践は不可能だ。腕を切り落とされようと斬首されようと微動だにしない者…捨身飼虎出来る者…それが貴方がたに出来ますか?その時、はじめてあなた方を「仏教徒」と認定する(俺は無理だがね)
518 :
華厳命 :2009/05/08(金) 08:30:03 ID:Za6BXLKM
哲学上の抱負はさておくも、少なくともインドにおいては宗教なるものは「形而上学的論証を実証する」ことに有る。それ以外は机上の空論に過ぎない。
519 :
華厳命 :2009/05/08(金) 08:32:04 ID:Za6BXLKM
それが出来ないならば、家に引き込もり、荒衣を身にまとい頭から灰を被って泣きながら暮らせばよい(ヨブ記)
520 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 08:41:13 ID:gwvLSF/d
形而上学的物事を形而下で実証するなど論理矛盾の最たることだね。
521 :
華厳命 :2009/05/08(金) 08:55:35 ID:Za6BXLKM
それを言ったらすべての宗教は必然的に崩壊するだろうな…しかし宗教は論理を持って論理を超越することにある。では「悟り」とは何か?説明出来るかね?この悟りだの、覚醒だの、解脱だの、涅槃だのすべて空理空論に過ぎなくなるよ
522 :
華厳命 :2009/05/08(金) 08:57:06 ID:Za6BXLKM
まさか「無」の境地だの、維摩の一黙、雷のごとしなどとは言わせないぞ
523 :
華厳命 :2009/05/08(金) 08:59:22 ID:Za6BXLKM
結局、それでは仏教は単なる唯物論となんら異なるところが無い…わたしは愛ゆえに言わざるを得ない…
524 :
華厳命 :2009/05/08(金) 09:11:42 ID:Za6BXLKM
盲人が太陽を見たことが無いから「太陽なんてない」と言ってもそこに太陽が無いなどと誰が認めるか?彼に眼科医に診察させて、眼が見えて、太陽が見えた時、はじめて「ああ!太陽は確かにあった!なんという強烈な光の玉だろう!あら不思議!」と言うだろう
つまり「阿含経」は普通に読めば、「我はない」といって、あの世の魂、アートマンを 否定しており、釈迦は「霊魂を認めていない、認めてはいけない」ということを教えた、 となります。そこから禅の解釈も生まれ、仏教無霊魂説は確定してしまうのです。
526 :
華厳命 :2009/05/08(金) 09:27:14 ID:Za6BXLKM
おっと!独断論者のお出ましだ(笑)
527 :
華厳命 :2009/05/08(金) 09:32:36 ID:Za6BXLKM
禅の起源は「華厳経」であり、多くの学者先生がたの主張するところでもある。彼らの主張が全部誤りなら話は別だがね…しかし他者の意見にも耳傾ける余裕は確保しておいた方が利口だよ…
528 :
華厳命 :2009/05/08(金) 09:37:39 ID:Za6BXLKM
だいたい「阿含経」を学んだくらいで、結論を出すのは「うかつ」である。「華厳時」→「阿含時」→「方等時」→「般若時」→「法華・涅槃時」を一通り学んだ上で他者の意見にも耳を貸す度量が必要だな…視野狭窄の謗りは免れまいて…
529 :
華厳命 :2009/05/08(金) 09:39:31 ID:Za6BXLKM
俺は別に「阿含」が駄目だとは言わない。しかし、それぐらい結論を出すのは余りにも…視野が狭い
やはり法華経がいちばんすぐているのでしょうか。 それとも華厳経なのでしょうか。
531 :
華厳命 :2009/05/08(金) 12:05:22 ID:Za6BXLKM
それは各個人の好みの問題だろうな…しかし圧倒的壮大さにおいて、哲学的深さにおいて、華厳経は他経をはるかに凌駕している。よく「宇宙の経」「永遠の書」と呼ばれるぐらいだから…しかも内容は菩薩道の実践がメインで、モダンである。
532 :
華厳命 :2009/05/08(金) 12:10:55 ID:Za6BXLKM
法華経はよく「諸経の王」と呼ばれるが、華厳経も仏教者から「諸経の王」と呼ばれている。「華厳」を学ぶものは「仏教の富者」と呼ばれる。少なくとも、ますます宗教多元化の必要性が主張される現代においては必読の書である。大乗のすべてがここに有る
>>324 如是我聞ですが、長阿含経(ディーガニカーヤ)の(I-3)阿摩昼経(AmbaTTha-sutta)は
如是我聞から始まりますよね?違います?
この事についてどう思いますか?
この経典の中で仏の三十二相の話が出てきますが、
こういう身体的特徴も文学的表現としてではなく、
ゴータマの生前の身体的特徴として認識しているわけでしょうか?
534 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 13:51:18 ID:CyPC2by6
>>508 「ない」ことを証明するのは、悪魔の証明といわれ、不可能。「ない」ことの
証明は、「ある」ことの証明の不可能性によっておこなう。これは証拠法上の
鉄則。
人間にとって「物がある」とは、(必要な場合には観測装置を使って)五感で
知覚できること。それ以外を「空想」「妄想」という。
従って、「神」は「空想」「妄想」である。
>>516 「神の声が聞こえる」というのを「幻聴」と呼び、特に総合失調症の代表的
症状。「神とお話できる」という「対話性幻聴」が、特に重症といわれる。
>>517 >それは生存欲、自己保存本能の放棄である。
ならば、釈迦は何故、四苦を滅することなど説いたのか。生存欲・自己保存本能
の典型ではないか。
生命がなければ、宗教もない。
>>519 >ヨブ記
何故キリスト教など持ち出すのか。ヨブ記は旧約だが、最もキリスト教的で
ある。
535 :
華厳命 :2009/05/08(金) 14:48:32 ID:Za6BXLKM
生命を認めている時点であなたの言葉はすべて無効。親不幸やのう…母親のお腹から生まれたくせに「この世に母など存在しない」とは…やれやれ…だ
536 :
華厳命 :2009/05/08(金) 14:56:20 ID:Za6BXLKM
まあせいぜいその段階に止まるがよい…今のきみには多分、仏教は単なる功利主義的哲学にすぎないのだから…ヒナヤーナで満足せよ。大乗の器ではないのだろう…しかし胸に手を当てて考えたまえや。苦の滅を、魂の不在を教えたところで、誰も救われないだろうよ…
537 :
華厳命 :2009/05/08(金) 14:59:20 ID:Za6BXLKM
わたしは断言しなければならない。永遠不滅の魂は「絶対的」に存在すると…これと分離されたのがすべての苦悩、不幸の原因なのだから、あらゆる宗教の目的は「これ」との再結合である
538 :
華厳命 :2009/05/08(金) 15:04:17 ID:Za6BXLKM
最後にちょいと言っておくが、不幸や苦しみを避ければ避けるほど、(それはたいそうわかりやすい道であるが)人はちっぽけな奴隷に成り下がりつつあるのだ。他者のため苦を引き受ける者は一見毒薬を飲むようだが、自由へと向かいつつある
539 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 15:11:04 ID:gwvLSF/d
>>536 >苦の滅を、魂の不在を教えたところで、誰も救われないだろうよ…
果たして、そうかな?
四苦八苦しないで生きられる人生はやはり誰にとっても幸福ではないか?
>>538 仏教の宗派としては何宗が最高なのでしょうか。
541 :
華厳命 :2009/05/08(金) 15:32:04 ID:Za6BXLKM
あくまでも個人的見解だが「天台宗」しかしながら、道は己みずからが求めるべきだよ…よく使われるたとえだが「黄金のくさりも束縛であることに違いがない」である
542 :
華厳命 :2009/05/08(金) 15:38:28 ID:Za6BXLKM
仏教の「空」は「ブラフマン」と同じだよ…何をすっ頓狂なこと言ってやがると思うかも知れないが…有るでもなく、無いでもなく「存在」する唯一の実在…
543 :
華厳命 :2009/05/08(金) 15:40:47 ID:Za6BXLKM
人間の認識の及ばざるところ…そんなもんに関わるのは愚論だという非難も理解出来るが…
544 :
華厳命 :2009/05/08(金) 15:44:02 ID:Za6BXLKM
スッタニパータが実は「初期大乗経典」の範疇に属すると主張する学者もいることは案外知られていない…もちろんこれはまだ仮説の段階にすぎないが…
545 :
華厳命 :2009/05/08(金) 15:47:04 ID:Za6BXLKM
いくらなんでも…
546 :
華厳命 :2009/05/08(金) 15:52:30 ID:Za6BXLKM
しかしながらハッキリ言うが今日「仏説」と呼べるものは「仏舎利」同様、無いものと自覚すべき…ブッダの教えはヴェーダのジュニアーナ・カーンダ、つまりウパニシャッドと同一という見解がほぼ確定されてる
そんなこといわずに、華厳経、天台というなら、法華経も? から釈迦の教えとは何なのかを教えていただきたいのですが。
548 :
華厳命 :2009/05/08(金) 15:59:59 ID:Za6BXLKM
アーガマそのものが、極めて神話的色彩が濃厚であるところに注目したい。初期経典からしてそうなのだから、いわゆる大乗経典が神話文学的なのは当然のことだろう…
>>534 > 人間にとって「物がある」とは、(必要な場合には観測装置を使って)五感で
> 知覚できること。それ以外を「空想」「妄想」という。
自分勝手に定義して、それを前提に論理を組んだって、
定義が確かじゃなければ虚しくね?
> 従って、「神」は「空想」「妄想」である。
これって神が物だという前提に立ってるけど、神が肉体を持っているとは限らないと思うよ。
> 「神の声が聞こえる」というのを「幻聴」と呼び、特に総合失調症の代表的
> 症状。「神とお話できる」という「対話性幻聴」が、特に重症といわれる。
まぁそれはそうなんだが、それら全部が統合失調症の症状であると断定できるわけでもない。
> >それは生存欲、自己保存本能の放棄である。
> ならば、釈迦は何故、四苦を滅することなど説いたのか。生存欲・自己保存本能
> の典型ではないか。
> 生命がなければ、宗教もない。
煩悩即菩提という側面はあるけど、煩悩を滅ぼし尽くさないと悟りには行けないんじゃないかと。
少なくとも自己保存本能の命じるままに他者を虐げまくるような奴に未来はないよ。
550 :
華厳命 :2009/05/08(金) 16:08:32 ID:Za6BXLKM
華厳経をとりあえず学ぶべきです。釈迦の教えは古代のリシ(聖仙)と同じ。したがって大乗仏教はヒンズーのより壮大な解釈だと仮定形で述べることが可能。スワミ・ヴィヴェカーナンダは第二のブッダと呼ばれている…俺も同感だ。
551 :
華厳命 :2009/05/08(金) 16:10:17 ID:Za6BXLKM
あとは俺の意見を信頼できる学者や僧侶にぶつけてみろ。(おしまい)
552 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 16:12:15 ID:gwvLSF/d
>>549 >少なくとも自己保存本能の命じるままに他者を虐げまくるような奴に未来はないよ。
自己保存本能なら先ずは他者から逃げるんじゃないか?動物本能で..
>>552 動物本能って、逃げると攻撃がワンセットになっていて、
逃げない場合は攻撃するんだよね。
人間なんかの場合、自分の保身のためにライバルをけ落としたりとかいろいろするけど、
自己保存本能だけに従っていいなら、相当汚い手をつかっても全然OKってことになるだろうね。
>>548 まったくです。
>>550 第二の仏陀とかいい始めると、いろんなものが湧いてでるから
できればやめてもらいたいw
555 :
暁 :2009/05/08(金) 19:48:34 ID:4wxfQc6E
エルカンターレフラグ?
556 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 20:44:38 ID:zq8PUUzV
>>549 >自分勝手に定義して、それを前提に論理を組んだって、
>定義が確かじゃなければ虚しくね?
どこが「確かじゃない」か指摘できるか。君自身の定義は?
>これって神が物だという前提に立ってるけど、神が肉体を持っているとは限
>らないと思うよ。
神が、物質(肉体)でなければ、単なる観念・空想。現実界にいかなる物理的
・化学的影響も及ぼさない。存在してもしなくても同じこと。
>まぁそれはそうなんだが、それら全部が統合失調症の症状であると断定できる
>わけでもない。
精神のなんらかの病理現象であることは確か。健常者には「神の声」など聞こえ
ない。
>煩悩即菩提という側面はあるけど、煩悩を滅ぼし尽くさないと悟りには行け
>ないんじゃないかと。少なくとも自己保存本能の命じるままに他者を虐げま
>くるような奴に未来はないよ。
宗教者でありながら、「人は独りでは絶対に生きることが出来ず、従って、
自己保存本能は、必然的に、共同体における他の成員の保存本能も含む」こと
さえ覚れないのかね。「情けは人のためならず」「自利利他」である。
557 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 21:01:39 ID:ex6V942Z
華厳の滝で自殺した藤村操の遺書「巌頭之感」 悠々たる哉天壤、 遼々たる哉古今、 五尺の小躯を以て比大をはからむとす、 ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、 萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。
>>556 > どこが「確かじゃない」か指摘できるか。君自身の定義は?
五感で知覚できなくても、妄想や空想じゃないかもしれないじゃない。
「確か」というには、断定する根拠が足りないんじゃね?
> 神が、物質(肉体)でなければ、単なる観念・空想。
この後文章続いてるみたいだけど、ここですでにダウトなわけで。
> >まぁそれはそうなんだが、それら全部が統合失調症の症状であると断定できる
> >わけでもない。
> 精神のなんらかの病理現象であることは確か。健常者には「神の声」など聞こえ
> ない。
そうとは限らないかもしれないしね。断定できる根拠とかって出せないと思うよ。
> 宗教者でありながら、「人は独りでは絶対に生きることが出来ず、従って、
> 自己保存本能は、必然的に、共同体における他の成員の保存本能も含む」こと
> さえ覚れないのかね。「情けは人のためならず」「自利利他」である。
そもそも「共同体の他の成員の保存本能」って本当にあるの?
あと、
>>457 についてはどう思う?
三島由紀夫 檄文
http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。
その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、
又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。
ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。
このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。
教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
>>556 > 人は独りでは絶対に生きることが出来ず
これって乳幼児期だけだよね。あとは無人島とかで一人で生きていくことは可能だしな。
いつまでも乳幼児期の気分で一生を送らなくてもいいと思うよ。
561 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 21:13:52 ID:zq8PUUzV
>>457 植物人間であって、「生きている」のだから、医師も家族も懸命に看護する。
救命装置を勝手に外したら「殺人罪」である。
562 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 21:28:32 ID:zq8PUUzV
>>560 >これって乳幼児期だけだよね。あとは無人島とかで一人で生きていく
>ことは可能だしな。
宗教者とはどこまで低脳なのか。
無人島に独りで置き去りにされて、先人や同時代人から既に得ていた
知識や知恵を一切使わなければ、飢え死にするか、猛獣に食われて死ぬ
だけだ。
宗教者は、「自分は独りで生きられる」などと思い上がっているのかね。
圧倒的大多数の生活者は、意識的・無意識的に「他者の生存」も念頭に
おいて生きているのだぞ。
563 :
暁 :2009/05/08(金) 21:34:50 ID:4wxfQc6E
>>560 独りでは生きていけないってのは、何かに依存してないとという意味ではないかな?
なにもそれは人に限らず、酸素であり、水であり、食物であり、みたいな。
564 :
暁 :2009/05/08(金) 21:39:45 ID:4wxfQc6E
む、なんか誤爆したような(笑)
>>559 気分としては理解できる。
理解できるけど其がもし起きても制御できないでしょ?
特に今の時点では。
自然(じねん)は過剰なもの。しかも(等)値を拒絶する。
最低人戦略の穴埋めに使えるようなものではないの。
宗教を梃子に若い人を供儀に奉げるのは止めてほしいわけ。
事の順番から言えばレプリカ小僧の三島なんか担ぎ出さずに
扇動者自身が発心すれば終わる話だろうに。
566 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 21:51:08 ID:zq8PUUzV
>>563 人間である他者を初めとする、すべての「具象物」である。「神や霊」「宗教
観念」では、絶対に生存できない。
「人は、パンがなければ生きられない」のである。
すべての宗教者には、最も肝心な自覚が欠如している。
パンがなければケーキを食べればいいのに Byマリー・アントワネット
568 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 22:00:42 ID:zq8PUUzV
>>567 宗教者は、マリー・アントワネットと同程度の知能。
569 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 22:06:15 ID:zq8PUUzV
宗教者は、無宗教者とくらべて、知能が劣っているとの研究報告がある。 宗教板にくると、そのことが強く実感できるね。
>>566 前にマザー・テレサのスレでも一人でパンパン騒いで暴れてた痛い奴か。
何度も言うが別にマザーも宮沢賢治も食糧を軽視してたわけではない。
パンやお金も生きるために大事なのは百も承知で、
その上でマザーは心を込めてパンをあげることが最も大事なことだと言っている。
心は物じゃないから人にポンと投げてあげることはできないから、パンや言葉に心を込めて人に渡す。
パンや物質は確かに大事だが、心を込めることが最も大事だとマザーは言っているんだ。
571 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 22:14:55 ID:zq8PUUzV
>>570 テレサは、「自分の宗教的満足」という「エゴ」の目的のために、極貧
の中で死に行く人々を「利用」しただけ。
それは、人々にとっては「侮辱」であったが、彼らは、その侮辱に抗議
する力さえなかったのである。
572 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 22:41:07 ID:nDEvKLdK
>>503 「輪廻転生や神通力を説いたらオウムと同じカルトだ!」
なーんて云ってたら、歴史的な伝統仏教の殆ど全部がこれに該当しますが・・。
ウパニシャッドもゴータマもみんなこの霊魂について述べているというのに、
あなたが勝手に、「それは呼吸のことだ!」などといったところで如何なる会話も成立しません。
霊魂について述べているものについては、霊魂について議論しないことには話にならない。
それが在るのか無いのか?在るなら-どんなものなのか?
という具合に。
あなたのやってることというのは、まるで、
ネイテイブ・アメリカン(北アメリカ先住民族インディアン)の文化について書かれた書物を指して、
「《インディアン》本来の語源は“インド人”だ。
だから、これはインド人の話なのだ。それ以外の意味はない」と連呼してるに過ぎません。
これでは、どうやってネイテイブ・アメリカンについて議論できるのでしょうか?
議論の席に着くのなら、まず最低限の常識を踏まえて下さい!
573 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 22:44:21 ID:tLwH+Fod
釈迦って言っても、麻原の古代版みたいなもんでしょ
>>571 またそのコピペか。
お前の前世はオウムかそれとも壊れたテープレコーダーか。
一連のそういう決まった言葉以外に話せないのか?
他に言うことはないのか?
575 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 22:49:48 ID:nDEvKLdK
>>504 >解説されてるということと、それが現実に可能かどうかということは別なわけですが
>
もちろんそうです。
>宝珠さんは、少しでも神通力が使えるのですか?
>それとも現実に神通力が使える人を知っていて、自分の目で確認したことがありますか?
>それとも文献で読んだことを鵜呑みにしているだけですか?
私は神通力を発揮できませんし、また、そのような能力開発のメソッドには着手していません
(まだその段階ではないし)。ただ偶発的に心霊現象(物理現象/物品移動)に出くわした事や、
また私の幽体が目撃された(幽体離脱)体験、といった程度は稀にあります。あと、驚嘆すべき
不死の大存在(相手は肉体を持っていた)に出会った体験があります。(これらについての詳細
は控えますm(__)m)
鵜呑みではなくて、私は理解の問題だろうと思います。神通力は可能なことであり、解脱に伴う
当然の結果でしょう。何も可笑しな話ではありませんよ。寧ろ、神通力が伴わないという方が不可
解なことです。また、カラスさんは「信仰」(心)の必要についても述べていますよ。
そんなにゴータマの教説が信用できないのであれば、無理に信奉する必要はない、と私も思います。
当然、そういう人というのは学ぶ姿勢にはないのですから・・。それだけのことです。
『サーリブッタよ、この五百の比丘たちのうち、六十人の比丘たちはすでに三明をえた者であり、
六十人の比丘たちはすでに六通をえた者であり、さらに六十人の比丘たちは倶解脱をえた者であり、
その他の者は慧解脱をえた者である。』
(サンユッタ・ニカーヤ8-6)
『六通=六つの通力である。神足通、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、漏尽通。倶解脱=慧と定
との二つにおいて自在を得たるもの。慧解脱=慧においてのみ自在を得たものをいう。』
(増谷文雄著『阿含経典・第四巻』注解)
577 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 22:55:13 ID:a7mAzKGt
佛教は無我を説いた。無我を説いたのは佛教だけだ。
578 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 22:56:57 ID:nDEvKLdK
>>505 >解脱成仏を目指して修行してきた大乗仏教の僧侶たちはそれこそ無数にいるではないか。
そりゃ〜いるでしょう!現在の僧侶のことは分りませんが、昔の、特に古代の出家者たちの殆
どというのは、今生解脱を目指して家無き生活に入ったろうことは、まず間違いがない。それは、
大乗仏教(経典)がゴータマの教えだと信じたからです。もちろん非仏説など疑うことなどはナンナ
ンスなのでした。ゴータマの教えに従って修行すれば、「間違いない」と信用していたからです。
ところが、それらはゴータマの教説ではなかった。近代仏教学の起こりによって、そのことが初
めて明らかとなったのでした。
今日、当たり前のように原始経典(及び解説書)が書店に並んでいるのは、仏教文献学者たち
の長年の努力の賜物であって、大乗の僧侶たちのお陰などではありません。
大乗非仏説が明らかになってからも、各宗派(13宗か?)から、このことについて1度でも発表や
謝罪がありましたか?ありませんね!未だに大乗の素晴らしさ云々・・と語り続けているだけなの
です。
まっ、良心のある宗派であれば、今頃は自宗の教義と原始経典(の内容)との整合性について整
理している最中でしょう。酷いところでは、信徒らには未だに大乗非仏説は伏されたままになっており、
すでに迷信が確定的となっている“五時八教説”(天台大師/智 の説いた「華厳時」→「阿含時」→
「方等時」→「般若時」→「法華・涅槃時」)と、今も説き続けているのです。
579 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 22:58:23 ID:nDEvKLdK
『五時八教の教判、あるいは五時八教説(ごじはっきょうせつ)とは、天台智 (ちぎ、538年 - 597年) が、一切経を五時八教に分けたものである。日本へは最澄が紹介した。これを日蓮が採用し、法華経 が最高の教えであるという根拠とした。 しかし、今日では、経典の成立した年代がある程度特定され、大乗経典などは、釈迦の直説ではなく 後代によって成立したことが周知の事実であることから、大乗非仏説の根拠として批判されている。し たがって五時八教説(後述)は完全なものではない、あるいは正しくないと一般的に否定されつつある。 したがって今日の仏教学では五時説は歴史的事実とは言いえないが、宗学的には仏教学の成果をど のように受容するかという新たな課題を生んでいる。』 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 大乗非仏説は重要な基本部分なので再掲載しておきます。 『仏教の経典に対する文献学的研究では、大乗仏教の経典は釈尊の般涅槃から数百年後に編纂さ れ、釈尊に仮託された思想文学であるという結論が支持されている。 文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応 部などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも 「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。』 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
580 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 22:59:56 ID:nDEvKLdK
>>533 如是我聞の記載がないのは最古仏典といわれる『ダンマパダ』や『スッタニパータ』などです。これら
は経典編纂のための結集で纏められたものだから、ごくごく当然過ぎて附する必要すらもなかったか
らでしょう。更に、その後の経典編纂からは、「如是我聞」(我々は<仏陀から>このように聞きました)
の書き出しが、一つの決まり文句としての文学形式となりました。
従って、原始経典の中でも後代に属する長阿含経(ディーガニカーヤ)には「如是我聞」は使われて
います。そして大乗諸経典群はこの文学形式をそのまま採用し、ゴータマの教説(すなわち仏説)であ
ることにしたのです。これを捏造経典、もしくは偽作/偽造経典という。
『仏教内部においては、パーリ語経典を釈尊の直説と信じる上座部仏教徒が、大乗経典は後世の
捏造であるとして批判した。』(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
>この経典の中で仏の三十二相の話が出てきますが、
経典中の仏の三十二相についての私の見解は、その幾つかはゴータマ個人の生前における肉体的
特長であり、また幾つかについては神格化(象徴)なのでしょう。また幾つかについては解脱者の特徴
を示す意図の表現ではないかと思います。
581 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 23:01:42 ID:nDEvKLdK
例えば、 2.足下二輪相(手と足に法輪の模様がある) 5.手足指縵網相(手足の指の間に水かきのようなものがある) 12.毛上向相(身体の毛が上向きに生え右旋している) などは神格化でしょうかね? 3.長指相(指が繊細で長い) 4.足跟広平相(かかとが広い) 8.伊泥延膊相(足のすねが鹿のように繊細) 9.正立手摩膝相(手が長い) 20.大直身相(身体が広く端正である) 21.肩円好相(肩が丸みをもっている) などは、ゴータマ個人の実際の肉体的特長なのでは? 解脱者の特徴を象徴化したものと見えるものとしては、 14金色相(身体が金色である) 15.丈光相(身体が輝いている) これは、ゴータマ仏陀から放たれる巨大な光輝くオーラ(霊的視力があれば見える)でしょうね。 これが後の仏像の後光(後輪)になった。 31.頂髻相(頭の上が髪の毛を束ねたように盛り上がっている) 32.白毛相(眉の間に白毫がある) こういうのは、(神通)能力の象徴だろうと思います。 つまり、頭頂のサハスラーラ・チャクラと 眉間のアジュナー・チャクラが完全に活性化していることの象徴です。 10.陰蔵相(男根が目立たない ) 性欲を制御し昇華していて男女の交わりを持たないことの象徴でしょう。
582 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 23:03:54 ID:nDEvKLdK
>>525 ちょっとした無我の(訳語の)表現で良くないのがあるのだと思います。
これ(下記)を見ても、「それらを我(アートマン)だとする愛著に囚われている」
として戒めしているのであって、アートマンは存在しないなどとは説いていません。
「それらはアートマンではない」と、それだけです。
『比丘たちよ、だが、彼らは、この心とも呼び、意とも呼び、また識とも称するものについては、
厭いの心を生ずることなく、厭い離れることもなく、解脱することも能わないのである。
それは何故であろうか。比丘たちよ、それは、わたしの教えを聞いたことのない彼ら凡夫たちは、
いつまでも、愛著にとらわれて、〈これはわが所有である、これは我である、これはわが本質である〉
と取著するからである。』(雑阿含経典12:7/無聞)
584 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 23:20:04 ID:nDEvKLdK
訂正:
>>578 ×ナンナンスなのでした。
○ナンセンスなのでした。
×(天台大師/智 の説いた
○(天台大師/智 の説いた
585 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 23:20:38 ID:a7mAzKGt
スッタニパータには如是我聞の表現はいっばいあるんだけど。さては原文読んだ事が無いな。ははは
586 :
宝珠愚者 :2009/05/08(金) 23:23:21 ID:nDEvKLdK
失礼:智ぎの「ぎ」の漢字がアップできないようです。
587 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 23:30:50 ID:a7mAzKGt
大乗非仏説は大乗経典が出た時から言われていた。江戸時代の富永仲基の出定後語が有名だよね。
588 :
神も仏も名無しさん :2009/05/08(金) 23:40:57 ID:a7mAzKGt
無我でも非我でも我=アートマンの否定である事に違いはない。
589 :
宝珠愚者 :2009/05/09(土) 00:11:13 ID:u1JcRrIh
>>585 手元にあります。
お決まりの如是我聞で始まる書き出し(文学形式)はまだありません。
>>588 とんでもない。
「それらはアートマンではない」(非我)ということは、
アートマンはその他として存在することを示唆します。
「アートマン(自己)ではないものを自己のものと見なすことなかれ」というならば、
それは真実のアートマンを求めよ!という意味となります。
「アートマンは存在しない」などとは全く異なる話です。
これら(下記)の資料には、後代に無我(アートマンはない)へと変容していったことが説明されています。
『初期の無我説は、「我は存在しない」ことを説くのではない。倫理主体としての真の我の確立は、
むしろ積極的に求められていた。
無我説はこのように、我(自己)ではないものを我(自己)であると思いこだわることをやめよ、とい
う教えから始まる。当初の「諸法無我」は、無執着の立場から、「すべての事物は我(自己)ではない」
と説かれたものである。したがって、無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。
原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひ
とつについて「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきこと
が説かれる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されて
いる。』(インド思想史略説/第2節 原始仏教の教理)
590 :
宝珠愚者 :2009/05/09(土) 00:12:36 ID:u1JcRrIh
『ここでいう苦(dukkh?)とは、苦痛とか苦悩という意味ではなく、「思い通りにならない」ことである。無 常で自分の思い通りにならないようなものを「アートマン」と呼ぶことはできない、という趣旨である。 すなわち、釈尊がアートマンを否定する論法は、「一切とは何か」を規定し、「そのいずれもがアート マンではあり得ない」というもので、「アートマンは存在しない」と主張したのではない。この違いが重 要であるのは、当時のインド哲学・宗教一般ではアートマンの存在は自明なこととされていたので、そ れに対して単純に「存在せず」と主張することは、形而上学論争になってしまうからだと思われる。 釈尊が無用な形而上学論争を禁止し、それに対する回答を拒止した(無記)ことは、「毒矢の譬喩」 からも知られる。』(諸法無我と諸法非我) 『考えることを排斥している。そうして修行者はまず「わがもの」という観念を捨てねばならぬという。 したがって無我説とはこのような意味における我執を排斥しているのである。 初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれを無我説と 呼ぶことを躊躇する。「無我」という語は誤解をひき起し易い。初期の仏教においては決して「アートマ ンが存在しない」とは説いていない。むしろウパニシャッドなどの思想と多分に密接な連関を有するの である。 最初期の仏教が多く、「わがもの」という所有観念を捨てるべきことを教え、アートマンに関しては、 アートマンを愛し、護り、アートマンを実現すべきことを強調するのに対して、散文の部分においては、 むしろわれわれが対象的に把捉し得る何ものもアートマンではない、ということを強調する。ところで 散文の部分で強調されている思想を受けて、後世になると遂に「アートマンは存在しない」という意味 の無我説が確立するに至った。』(中村元著『自我と無我』平楽寺書店刊)
591 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 01:21:26 ID:YcfwDg6t
>>572 霊魂
「インドの関連術語が「霊魂」や「魂」と漢訳された例は確認されていない。
ただし、「霊魂」の観念にもっとも近似するのは「命(みょう)」「命者(みょう
しゃ)」寿者(じゅしゃ)」「神(しん)」などと漢訳されたjivaである。こ
の語は、身体をささえ、生き物を生かしめる命、を原義とする。ウパニシャッド
では、哲人ウッダーラカ・アールニがアートマン(我)を、大初以来の存在その
ものであり、しかもさまざまな被造物の中にそれぞれの命として内在することを
語り、後世に多大な影響を与えた。」(岩波仏教辞典より)
なお、「アメリカ・インデアン」の語は、コロンブス(?)が、アメリカと
インドと誤解した結果、命名されたものであり、本件語源の例としては、全く
不適当。
>>562 乳幼児期だけって書いてるってことは、
乳幼児期にそれなりに外界との接し方を学ぶ必要があるってことだろうが。
でも学んでしまえばもう終わりだけどな。その後は他人とか必要ない。
そんな事も読み取れないくらいの言語能力じゃ、まともに思考もできないだろうよ。
大体、お前人のこと低能扱いできるほどの学歴もないんだし、
少しは自分の力量にあった非難の仕方した方がいいと思うよ。
>>578 お前いい加減にしろよ。
お前が「解脱成仏を諦めた」とか言うから、こういう話まで出してきてるんだろうが。
お前が引用した部分より前の記述はスルーした上で、
認めるとなったら「そりゃ〜〜〜!」と大げさに認めてみせる。
どんだけ性格悪いんだよ。
同じことを繰り返して「さも答えたように」見せたり、
解脱成仏を諦めたと書いたことを、今生での解脱の保証がない、ということに
置き換えようとしたり、いちいちやる事が姑息なんだよ。
お前なんか、仏陀の教説とやらをダシに人を嘲り、
蔑むことで自分の無能感を補おうとしてるだけじゃないか。
そんなことして、自分の非もまっすぐ認められない奴が、
仏陀とかいっても何の説得力もないっつーの。
口先ばっかり小ずるくせずに、少しは修行でもしろよ。
まったくお前も結局、ご隠居と変らないな。
のらりくらりと自分の非を認めず、他人を蔑んで
自分の無力感無能感に麻酔を打って生きてる姿は、ほんとにそっくりだよ。
594 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 02:01:01 ID:YcfwDg6t
仏教が、「輪廻転生を中心思想とするオカルト宗教」などと知ったら、世界の 人々は、そんなクズみないな宗教は、相手にしないだろう。 外国における仏教の紹介文献などを読んだかぎり、「輪廻転生はヒンドウー教 の概念」だとしか書かれていない。
595 :
宝珠愚者 :2009/05/09(土) 02:16:15 ID:u1JcRrIh
>>591 アートマンというのは、日本的には最も「霊魂」の概念が近いのです。
「我」というのは漢訳語であり、日本的な概念は「霊魂」となる。
『外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として業を
保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。』
(『仏教要語の基礎知識』水野弘元著/春秋社刊)
>なお、「アメリカ・インデアン」の語は、コロンブス(?)が、アメリカとインドと誤解した結果、
>命名されたものであり、本件語源の例としては、全く不適当。
では、用例の失敗ということで m(__)m
596 :
宝珠愚者 :2009/05/09(土) 02:17:33 ID:u1JcRrIh
>>593 >解脱成仏を諦めたと書いたことを、今生での解脱の保証がない、ということに
>置き換えようとしたり、いちいちやる事が姑息なんだよ。
経典製作者(捏造偽造の当人)は当然、諦めた上で書いていますよ。
だから「来世成仏道」なのです。その経がゴータマ直説と信じられ、
熱心に修行の対象にされ続けてきたのですよ。
今日に到っても、
大乗非仏説について各宗門の僧侶たちは信徒らにこれについて説明をしましたか?
してませんね。説明もなく・・大乗はただ素晴らしいと云い続けているだけです。
これが欺瞞ではなくて何んなのか??
>どんだけ性格悪いんだよ。
>まったくお前も結局、ご隠居と変らないな。
嫌われるのは構いません。
どうぞご自由に m(__)m
597 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 03:11:17 ID:raw+QEvi
自己の本質を我という。自己と我は違う概念だよね。
アートマンとは人間の自性のことか? もしそうだとしたら、無自性空だな。
>>596 > 経典製作者(捏造偽造の当人)は当然、諦めた上で書いていますよ。
> だから「来世成仏道」なのです。
「結果として今の生で成仏できないということと、解脱成仏を諦めることは関係ないだろ」
と言われて「当然、諦めた上で書いてますよ」と答える愚者w
なんかさー。「当然、」とか、「基本中の基本」とか、「そりゃ〜」とかいう
表現で誇張すれば、内容がなくても説明した雰囲気が作れるとでも勘違いしてるみたいですね。
> 大乗非仏説について各宗門の僧侶たちは信徒らにこれについて説明をしましたか?
してるとこはあるよ。あんたが知らないだけ。
もっとも非仏説かどうかは、実際はそれほど人は気にしていない。
非仏説を説明するかどうかよりも大切なことはいくらでもあるしな。
> 嫌われるのは構いません。
> どうぞご自由に m(__)m
そういう問題じゃないんだけどね。あんた自分の内部の悪意に気づかないと
たぶん貧乏から抜けらないよ。一応いっておく。
600 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 05:39:28 ID:BRjyF8aU
>>595 >人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、
>これを認めている。』
業とは「経験」であり、経験は生後に獲得された、「獲得形質」である。
「獲得形質は、遺伝しない」。これが現代の生物学の大原則。従って、輪廻
転生は誤り。生物学の発達前の概念だから、誤りが証明された以上、現代では
当然に廃棄すべきもの。子供の理科の質問に対して、一体どう説明できるのか。
釈迦の時代には、遺伝学は存在しなかった。釈迦が現代に生きていれば、当然に
廃止する概念。
601 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 06:07:05 ID:BRjyF8aU
>>598 >アートマンとは人間の自性のことか?
前レス
>>591 で定義したように、アートマンとは「生命」のこと。
釈迦も、自己のアートマン(生命)で教えを説いたのだから、アートマン
は絶対に否定できない。否定するのも、ほかならぬ彼のアートマンの働
きだからである。アートマンによってアートマンを否定することは、
矛盾であり、永遠に不可能。
602 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 07:14:12 ID:raw+QEvi
アートマンが生命なんてトンデモ解釈、何処から仕入た?
603 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 07:22:23 ID:BRjyF8aU
>>602 仏教者なら、岩波仏教辞典くらいは手元において、常に、言葉の意味を
正確に理解すること。
604 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 07:24:11 ID:BRjyF8aU
>>602 アートマンが生命ではなかったら、一体何かね。万人に理解できるよう、
「具体的に」説明してくれ。
605 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 08:07:04 ID:raw+QEvi
アートマンを大和言葉で言えば「みたま」か「みこと」だよね。 ついでに、ブラフマンは「あめ」か「そら」だよね。
606 :
一在家通りすがり :2009/05/09(土) 08:58:13 ID:DKJgSiM4
出典は春秋社「長部経典V」中村元監修の中の「自歓喜経」です。 サーリープッタは仏陀に対して、仏陀の教えがいかなる点において最高で あるかということを順に語っていく。語った内容は、十二処、読心術、 七聖、七覚支、解脱知、★常住論、前世の境遇を想起する知、神通、 四種の瞑想等です。 「尊い方よ、熱意をもち、努力し、専修し、怠らず、正しく考える修行者、 バラモンは、精神統一した状態で、さまざまな前世のありかたを憶い出す ようにして、心の統一に至るのです。 すなわち、一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、 百生、千生、十万生において、『わたしは、あるところで、これこれの名であり、 これこれの姓であり、これこれの階級であり、これこれが食べ物であり、 これこれの苦楽を受け、これこれの寿命が尽きた、そしてそこで死ぬと、 またあるところに生まれた、そこでこれこれの名であり(続く)』」
607 :
一在家通りすがり :2009/05/09(土) 08:59:09 ID:DKJgSiM4
「アートマンと世界は、常住であり、なにも生み出さず、不動であり、 石柱のように固定していて、かの生けるものたちは生死流転し、輪廻している けれど、まさに常住不変に存在していると、これが第三の常住論です。 尊い方よ、常住論に関してはこれが最高です。」 これらを聴いた仏陀はその表明が正しいと保証されました。 以上、幾度も読み返しましたが、「自歓喜経」の中で常住論はバラモン達の 教えではなく釈尊の教えだと明記されております。 (ご参考)法華経「如来寿量品十六」より、 釈尊曰く、「すべてのものは、生まれ、かつ死に、必ず変化する ものでありますが(無常の意)、それはただ現象の上だけの ことであって、如来の眼をもってすべてのものごとの実相を 見れば、すべては消え去ることもなく、現れることもありません。 (中略)また、ものごとが常住するもののように考えるのも迷い でありますが、現象面だけを見て、常住のものがないと考えるのも 浅い見方です。」 2つの経典から釈尊は、大衆には無常を、一部高弟には常住を説かれた ようです。
608 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 10:10:01 ID:OqaFjoKy
>>594 仏陀もせいせいするでせう。悟りは要らないけど神通力は欲しい、という
人や唯物論に付会する人々というのは、仏陀や仏教にとっては
勘違いして寄ってくるストーカーみたいなもんでしょうからね。
>>604 古代人が妄想した概念だお!生命のイメージに贅肉がつきまくったもので、
唯物論とはもうかみ合わなくなっております。
609 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 10:27:14 ID:Tt8Mo6Le
>無我(むが、サンスクリット:anaatman, nairaatmya, niraatman)は、仏教用語で、 >「我」に対する否定を表し、「我が無い」と「我ではない」(非我)との両方の解釈がなされる。 サンスクリットのネイティブたちにとっては、「我が」と「我では」の違いは無かったんだろう。
610 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 10:30:36 ID:OqaFjoKy
自分の積んだ業が息子や娘に遺伝する、という輪廻転生説なんて聞いたことがないな。 神だの妖怪から難癖をつけられて何代先まで呪われるのも 遺伝じゃなくてしがらみ、みたいなもんだし。 輪廻転生がデタラメにしても、その論拠とするには、全く不適当。 真夏に一日放置した牛乳を飲むと腹を壊すからヒトラーは悪なんだ、と言うようなもの。
611 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 10:31:25 ID:BRjyF8aU
>>808 古代人にとっては、宗教は、あくまで、生存のための「手段」だった。現代人とは異
なり、宗教を生存の「目的」とするような倒錯・妄想には陥っていなかった。
612 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 10:33:07 ID:OqaFjoKy
613 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 10:44:52 ID:BRjyF8aU
>>612 宗教者は、文明の利器など何一つ無く、厳しい自然との闘いの中で
ひたむきに生存に努める古代人の生活に思いを馳せ、倒錯と妄想から
目覚めよ、ということ。
614 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 10:50:38 ID:OqaFjoKy
>>613 さっきから言われているのは、アートマンが科学未発達の時代、全く違う文化で作られた妄想上の
概念であって、隠居の「生命」をそのままぶっこんで置き換えても、実態をとらえるのには全く無意味だよ、ということ。
あと、いきなりそこで古代人えらいお!見習うべきだお!なんて言われて正直戸惑っています、ということ。
>>607 どうも説一切有部には問題があるんじゃないかと言う気がしてならない。
特に長阿含経とか読んでると、これ大丈夫か?と思うような内容がいくつかある。
たとえば、釈迦族の血筋は一部のバラモン族よりも優れていて、
「釈迦族の先祖が王だった頃、バラモンであるお前の先祖は奴隷として、釈迦族の先祖である
王に隷属していたんだぞ」「おお。そうだったのかー。釈迦族の方が偉い。クシャトリア最高!!」
というような内容があったりする。
最早、「人は生まれによってバラモンとなるのではない、行いによってバラモンとなるのだ」という
スッタニパータの思想とは完全に違っていて、「俺んちの方が家系がスーパーだぜ!イエイ!!」という
幼児的万能感の世界に埋没してしまっている。
釈迦仏教はバラモン教をベースにしている、とかいう意見も、
説一切有部を基準に考えると、妙に納得いってしまったりもする。
そのくらいおかしい。
説一切有部についてWIKIペディアとかで見ると
また、釈迦(仏陀)は格段に優れた人格者とみなし、一般修行者は決して仏陀の境地には達せず、阿羅漢までしかなれないと考えていた。
これによって大乗仏教が起こった可能性が高く、仏を目指さないからとして部派仏教を「小乗仏教」と大乗側が誹謗した原因となった。
と書いてあるわけだが、これについて異論のある人いる?
>「釈迦族の先祖が王だった頃、バラモンであるお前の先祖は奴隷として、釈迦族の先祖である >王に隷属していたんだぞ」「おお。そうだったのかー。釈迦族の方が偉い。クシャトリア最高!!」 まさか釈迦や弟子たちの発言としてあるんですか?
>>615 つまりバラモンの上に釈迦教団をつけた感じなんだよね。
あとは全部手下だみたいな。
だから大乗からも攻撃されたんではないかと。
ユダヤ教から出たキリストのようなものだが、キリストはユダヤも
取り入れたが、釈迦はバラモンを説いたから、弟子達がバラモンとの違いが
見出せなくなり、やむなく仏になる道、ブラフマンと一体となる、
道を諦めざるをえなくなり、そこで新しく出た大乗側から
攻撃されたのではないかと。
やはりもともとはバラモンの梵我一如が真理であるわけですし。
やはり時代の要請から、密教、大乗経典はつくられるべくして
つくられたわけであります。
618 :
一在家通りすがり :2009/05/09(土) 16:03:18 ID:vR7u+bUd
>>615 >特に長阿含経とか読んでると、これ大丈夫か?と思うような内容がいくつかある。
たとえば、釈迦族の血筋は一部のバラモン族よりも優れていて、
「釈迦族の先祖が王だった頃、バラモンであるお前の先祖は奴隷として、釈迦族の先祖である
王に隷属していたんだぞ」
長阿含のどの経典ですか?
手元の長部経典にはどう書かれているか、また調べておきます。
621 :
一在家通りすがり :2009/05/09(土) 17:34:53 ID:vR7u+bUd
>>616 ,
>>620 早速、長部経典(春秋社、中村元監修)の「阿摩晝経」を調べました。
概要は釈尊が仏であるか否かを確かめる為にやってきた
バラモンの青年に対して、世尊はバラモン優位説は容易に
王族優位説により論破されることを示し、その後で
人の優劣は四姓によるものでなく、明知と実践によると
説かれています。
その際にバラモンの青年の先祖が王族の家僕の女から
生まれたことを引用されています。
釈尊曰く、「氏姓を尊ぶ人々の間では王族は最高のもの。
神々と人類との間では明知と実践とを完全に具えている人が
最上のもの。」と。
ではなぜ釈迦はブラフマンについて説かなかったか。 それは釈尊自体がブラフマンであり、宇宙の当体であったからである。
623 :
暁 :2009/05/09(土) 18:38:29 ID:PQ6hg2rH
釈迦がブラフマンなんて初耳すぎワロタ
624 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/09(土) 19:03:34 ID:2VtOT3yl
(^。^)全く。 お釈迦さんはビィシュヌ神の化身だよな♪(笑)
625 :
旧7 :2009/05/09(土) 20:07:52 ID:HvXSraa9
626 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 20:16:30 ID:6A5m2nkh
釈迦の「神格化」はよくない。キリスト教と「同じ穴の狢」になってしまう。 カトリックの遠藤周作は、その作品の後書きで、「イエスの神格化は、全く不可解。 今後解明すべき問題」と述べている。
627 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 20:29:48 ID:WngIF1pE
ちょっと聞くが、現在アートマンのような基体設定してる宗派というのは、どのくらいあるの?
今日は5月9日。つまり、悟空の日。 孫 悟空(そん ごくう、Sūn Wùkōng)は、道教の神。小説西遊記の主要登場キャラクターとして有名。 香港をはじめ、台湾や東南アジアでは一般に齊天大聖(せいてんたいせい)と呼ばれ、信仰されている。別名は孫行者。 元代の西遊記(最古とされる)のあらすじを収録した朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)には孫吾空として登場する。 また、齊天大聖の登場する主な雑劇(説話)は以下のとおり。 これら先行する各種作品をうけて明代に100回本としてまとめられ集大成したもの[1]が分量が多すぎたため、 清代には整理簡略された簡本のうち康熙33年(1694年)刊行の『西遊真詮』が比較的よくみられる西遊記である。 名の「悟空」については、唐代に実在し、インドまで赴いた僧侶・悟空(731年 - ?)の名をとったものではないかとする説がある。
629 :
宝珠愚者 :2009/05/09(土) 21:52:45 ID:u1JcRrIh
今宵、仏陀の祭典ですね!
『仏滅紀元を採用する上座部仏教では、満月の出る Uposatha の日
(たいてい仏滅紀元の5月か6月)にウェーサーカ祭を行う。』
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
>>621 これならば分ります。
何ら問題はないようです。
>>626 実際に在って然るべき奇跡や神通力までも、
唯物論者の手に掛かれば、全て後世の神格化扱いです。
現実に起こった奇跡と神格化の後付とは別物。
伝統仏教者であれば、仏典の神通力は当たり前の逸話。
しかし、仏教文献学者で認める者はほぼ皆無か?
630 :
旧7 :2009/05/09(土) 22:17:21 ID:HvXSraa9
>>629 >実際に在って然るべき
「在って然るべき」ですか・・・w
そう言い切ってしまえる貴方が素敵ですよwww
631 :
神も仏も名無しさん :2009/05/09(土) 22:57:21 ID:cHZNmIsr
アートマンvsオートマトン
最初、アートマン=技術者・芸術家の男の意味かと思ってた。 アート引越しセンターあげ
633 :
旧7 :2009/05/09(土) 23:52:26 ID:HvXSraa9
ちょいと感動したレスを勝手に転載してみるw
宗教って何なの?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232837923/ 170 神も仏も名無しさん sage 2009/05/08(金) 21:48:44 ID:DQWnods8
宗教というのは結局の所世界観の問題
この世界における設定なんだよ
だから「それは妄想だ」などと言われても
「(゚Д゚)ハァ?そういう設定なんですけど?」という事になる
171 神も仏も名無しさん 2009/05/09(土) 17:11:37 ID:H0FyPiIG
170さんの言う「世界観」というのは正しいと思うね。
ぼくの考えを付け足すと、実存主義的な世界観と思う。
論理といってもいい。
大前提ー「神仏は存在する」とたてる
小前提ー 有限で弱い自分がいる
結論 − 神仏を信じてまかせよう
この弱い自分がいるということと神とを絡ませるところが実存主義的
なんだな。 神を証明することが宗教なのではないと思う。
それは、もし可能なら科学の仕事でしょう。
大前提を崩さないで世界を解釈してゆく道程を宗教と名付けたいです。
>大前提を崩さないで世界を解釈してゆく道程を宗教と名付けたいです。
この視線は、聡明で賢明な卓見だと思う。
私も、そう思う。
634 :
宝珠愚者 :2009/05/09(土) 23:56:29 ID:u1JcRrIh
>>630 >素敵ですよwww
でしょう〜♪(笑)
「無い」と道理に合わず非論理的だw
「無い」と..可笑しなことになるよねぇ!
右脇から生まれて、すぐに七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」
といった。な〜んていうのは神格化の最たるもの。在り得ない奇跡かどうか・・という問題ではなく、
神格化したい意図が丸見えです。
しかし、神通力は違う。これは修行の進歩に伴う必然性であり、
>>575 で紹介した経の通りです。
「三明」(宿命智・天眼智・漏尽智)を得た者、「六通」(神足通・他心通・天耳通を加えた六神通
の幾つか)を得た者、「戒・定・慧」の三学修行における「倶解脱」を得た者、「慧解脱」を得た者と
あり、これはつまり、修行の段階に応じた達成のことを示しているのです。500人の比丘の内、120
人が何らかの神通力を有していたことになります。
どんな修行によってこれらの超常能力が目覚めてくるのか、についても仏典は解説している。
四神足(欲神足・勤神足・心神足・観神足)の修行によって神通力が得られると、仏典は説いてい
ます。
『アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、(軛
を結びつけられた)車のように修し、家の礎のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、
みごとになしとげた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそ
れよりも長いあいだでも留まることができるであろう。』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
635 :
旧7 :2009/05/10(日) 00:06:25 ID:H1cGI+KU
>>634 相変わらず意味不明な御仁だ・・w
だから、その峻別の基準はどこにあるんですか? と、ハテナマークで一杯になるんですよw
《「右脇から生まれた」という記述は、後代の神格化》で、
《「各種神通力」の記述は、阿羅漢達の実際の能力》であった、
と、区別・区分・分別・判断する際の理由、根拠は何ですか?
636 :
宝珠愚者 :2009/05/10(日) 00:10:34 ID:0jUlqrLe
>>633 宗教の宗教たる部分、つまり非科学的と称される超常部分というものは、
宗教(創始者)の「設定」ではなく、当人による“実体験”を説いたものです。
従って、「設定」などというレッテルは未体験者の勝手な論理に過ぎません。
この体験は基本的に、第三者には体験させることができない。
これは自分自身で体験していく以外には確認方法はないのです。
体験を望む(弟子入りを志願する)者は、
体験者(先達)の指導に従ってみる以外にないのは自明の理。
ただ疑い続ける者など弟子にはなれないのは明白です。
アートマンはブラフマンと同じなのか? ブラフマンが各個人に浸透している、 その個人に浸透しているブラフマンのことをアートマンというのだろうか・・・。
体験しなくても、超能力なら見せることができる。 しかしながら釈迦は神通力をほとんど見せなかったのではないだろうか。 霊能力即悟りではないはずだが。 霊能力信仰におちたものを仙人という。
639 :
旧7 :2009/05/10(日) 00:40:39 ID:H1cGI+KU
>>636 解ってないね・・・。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥ教、仏教、儒教、道教、神社神道、etc.etc.etc.
もしかしたら貴方は、そうした中の【全てに共通する】【理念としての】【理想としての】或る部分を指して、
『確実に、絶対的にあるもの、絶対的な要素』として、『【所謂】“真理”』として言及するかもしれませんが、
そうではなく、
社会に(≒この世に)現象として存在する「“宗教”(という現象・文化)」が、
それぞれがそれぞれに、独自の世界観を持ち、それを護持継承していることはお認めになるでしょう?
それらは、矛盾、対立し、相容れない場合もあるでしょう?
まさに、そのような「宗教(という現象・文化)の在り様」について、
>>633 の引用部分は述べられているんだよ・・・。
そして、その基準が、(創始者(個人)によるのか、共同体維持の為の(禁忌や義務としての)必然的要請なのかはともかく)、
「設定」には違いないと思うぞw
てか、(誰によってそれがもたらされるかは別にして)
何らかの「設定」がなければ、何も始まらないと思うぞ?w
640 :
旧7 :2009/05/10(日) 00:49:24 ID:H1cGI+KU
>>636 てか、
>宗教の宗教たる部分、つまり非科学的と称される超常部分というものは、
「宗教の宗教たる部分」を、「非科学的と称される超常部分」と考えている時点で、
皮相的過ぎるんじゃないかと感じられるが、気のせいかな?w
おやすみw ノシ
>右脇から生まれて、すぐに七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」 >といった。 この話の初出って何なんでしょう。
642 :
神も仏も名無しさん :2009/05/10(日) 00:50:19 ID:guSU0Q6e
>>636 まさに、君のその思想から、オウムが発生したのだよ。
643 :
宝珠愚者 :2009/05/10(日) 00:52:47 ID:0jUlqrLe
>>635 >と、区別・区分・分別・判断する際の理由、根拠は何ですか?
それができないのが、あなたの悪い所ですよw
しかし、あなたほど仏典を読み詳しいというのに・・一体、何がわからないのか??
どうにも不思議でしょうがない!
だから学者同様、詳しければいいという問題ではないのですよ。
そういうのを、ただの唯物思考(志向)だというんです。
これは、「ある筈がない」「できるわけがない」と決め付けているからです。
仏教、云々というより、その以前に自分でもう答えを出しており、それに縛られている。
ご隠居?にもいいましたが・・
まずそういう人は、物質科学では説明のつかない
超常的な現象が実在していることを知る必要がある。
それには、聖者の神通力や奇跡を期待しても無理です(周囲にはいないからですよ)。
従って、あまり喜ばしいものではありませんが、
心霊的な現象でもいいから、まずは非科学現象の実在を知ることですよ。
644 :
宝珠愚者 :2009/05/10(日) 00:54:07 ID:0jUlqrLe
私の周囲には、愛犬の鳴き声が聞こえたら
(実際には自宅から離れているので聞こえる筈はなく、
同席の他の人間には当然、聞こえてなどいない)、帰宅後に愛犬が事故死していた。
仕事の現場の事故で大勢が死ぬ夢を見て主人の出勤を止めたら、夢が現実となった
(この人は夢による予知で主人を何度も危機を救ってきた/主人も夫人の忠告は信用している)。
遺影が涙を流すという現象が起きた(私自身も見てきた)。
とか・・そういう科学的には聞こえる筈のないもの、見える筈のないものが見え、
それによって、何々が起きたという話は幾らでもある。
これらには必ず、整合性の取れる裏話や裏事情があって、これらの現象と見事に合致するのです。
それから世界中には奇跡現象と呼ばれるものが実際にあり、
今でも起こり続けているのです(キリスト教圏の話が容易に得やすいのですが)。
私は科学で説明のつかない超常現象が実在することを知っているので、
正しい修行によって神通力が発揮できることなど驚く話ではないのです。
寧ろ、それが無いというのならば、それこそ矛盾しています。
取り合えず、有名処の外気功体験でもやってみてはどうです?
霊能者(兼、占い師か?)の中には確かな能力者もいるでしょう。
疑いつつで構わないから、本物がいるかどうか有名処を巡ってみるとか・・。
神通力が分る(認められる)ようになれば、ただの神格化との違いも見えるようになるのでは?
>>639 >解ってないね・・・。
そう??
「神仏は存在するか」「神を証明」などと述べられているから、
単純に、そういう平易な意味でいったのですが・・。
645 :
宝珠愚者 :2009/05/10(日) 01:09:45 ID:0jUlqrLe
>>640 非科学性(超越的超常性)を持ってないものは「宗教」とはいわない。
そして仏教は宗教なのです。また宗教が非科学的であることを恥じる必要もない。
科学が遅れているだけだからです。
『宗教(しゅうきょう)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり[1]、
また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである[2][3]。
『世界宗教事典』では上記のリューバの分類・分析を踏まえ、また、宗教を成立させている基本要素
が超絶的ないし超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)をみとめる特定の観念であることを踏ま
えつつ、宗教とは人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、その観念体系に基づ
く教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団である[19]とまとめている。』
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
『しゅう‐きょう〔‐ケウ〕【宗教】
《 religion 》神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。古代から現代に至るまで、
世界各地にさまざまな形態のものがみられる。
ぶっ‐きょう〔‐ケウ〕【仏教】
釈迦(しゃか)の説いた、仏となるための教え。キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教の一。』
(Yahoo!百科事典)
>>637 つまりそうした本来ブラフマン的な存在でありながら、
自我を出して、「俺が俺が」と生きていると何かと苦しみをつくるので、
「非我(無我)」、つまり牛や鹿のような角を矯めて、よく切り取り、
己自身を統御しなさい、という教えを釈迦は説いたのです。
647 :
宝珠愚者 :2009/05/10(日) 01:38:07 ID:0jUlqrLe
>>638 修行の段階に応じて身につく六神通とはいっても、
正確には漏神通だけが如来の通力であり、
その他の5神通は解脱の証明にはならないといわれています。
神通力に魅せられてしまうと道を逸脱してしまう恐れが高まるので、
ゴータマは敢えてなるべき見せないようにしていたのだと思います。
神通力の使用(発揮)についても、不用意に用いるべからずということで戒めていました。
神通力イコールで解脱であるかのように説き、
神通力を餌にして魅せられ若者を勧誘していったのがオウムです。
また、梵行(心身の浄化)が卒業できてない者による神通力開発は破壊をもちらします。
つまり、体調を崩して病気になったり、中には発狂します。
必ず戒めの注意事項がある筈なのですが・・。
>>646 同意!!
釈迦の神通力は神との合一の証だと思うのだけど 釈迦を無神論者や悟りの境地を哲学にして神秘性を排除したい人っているよね
649 :
神も仏も名無しさん :2009/05/10(日) 01:51:37 ID:c1h6Vy14
釈迦の神通力は神との合一の証だと思うのだけど 釈迦を無神論者や悟りの境地を哲学にして神秘性を排除したい人っているよね = 唯物論者
650 :
宝珠愚者 :2009/05/10(日) 02:18:41 ID:0jUlqrLe
>>641 『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二に書かれてあるとのこと(これが確認できる最古か?)。
>>649 はい。全く通りだと思います。
仏典中の神秘性(超自然部分)を全て排除したら、一体どうなるのか?
それは宗教ではなくて、ただの思想哲学体系の範疇となり、
ゴータマは哲人(哲学者)か、ただの道徳(独特な?)の人のようになってしまうでしょう。
これでは仏教にはならないのです。
仏教文献学者(仏典について物知り)ですら、
それが現実の話であるとは、まず殆ど見なしてはいないようです。たぶん・・。
ただ一部の僧侶兼、学者という立場の人の場合はどうなのか??
何れにせよ、学者という肩書きが付くいた人は
神秘性(超自然部分)を事実と述べることは学問上のナンセンスであり、
学者の精神態度として失格の烙印が押されるのだと思います。
学会からの信用も失うのではないでしょうか?
つまり、信仰は個人の自由だが、「学問にならない!」と。
651 :
一在家通りすがり :2009/05/10(日) 03:33:43 ID:6uR30ID6
>>626 >カトリックの遠藤周作は、その作品の後書きで、「イエスの神格化は、全く不可解。
>今後解明すべき問題」と述べている。
四福音書の中でも「イエス=神自身」と説かれているのは「ヨハネ」だけ
ですよ。「マルコ」、「マタイ」、「ルカ」では「神の子」、「メシア」と
なっております。
この話題は「独善主義 キリスト教」板で紹介済みです。
652 :
一在家通りすがり :2009/05/10(日) 03:35:46 ID:6uR30ID6
(イエス様像と人) マタイ:神に任ぜられた王 ※内、パウロは未来のイスラエル王と認識 ルカ:祭司としての役割を強調 マルコ:神の預言者 ※コーランのアラー神示もこれと同じ ヨハネ:神自身 (注)2世紀〜4世紀に正統派の基準とされた トマス:神の子。全ての人は神の似姿に創られ神の光を共有 ユダ:弟子達の祈るこの世の最高神よりも至高の神を知っている義の教師 死海文書:(エッセネ派ユダヤ教)全ての人に光の霊と闇の霊が宿る 最古層の福音書と言われるマルコでは、大祭司が裁判でイエス様を尋問し、 「お前は神の子か?メシアか?」と訊ねた際に、イエス様は、「そうです。」 と答えて、自らを「人の子」と呼ばれました。
653 :
一在家通りすがり :2009/05/10(日) 04:21:08 ID:6uR30ID6
>>647 長部経典(春秋社、中村元監修)の「緊固経」では、
釈尊は、奇跡には神通力、読心術、説法の三種類があるが、
神通力、読心術には欠点があることを指摘されております。
三種とも釈尊自身が学び、体得し、知らしめたが、神通力
(六神通の中の神変に近い)、読心術は魔術者でもできると
言われるだろうから、不安を感じ、恥じ、避けると説かれて
ます。
説法の奇跡は、「このように考えよ。このように考えてはいけない。
この事に意識を集中しなさい。この事に意識を集中してはいけない。
これを捨てて、これを得よ。」と教えることに起因する。
「比丘が第四段階の精神統一(定)に入り、(中略)
修行者の心が集中していて、清浄で、純粋で、無垢で、汚れなく、
柔軟で、活動的で、安定していて、浮つかないでいるとき、彼は
さまざまな神通力を体験するが、これは説法の奇跡といわれる。」
654 :
一在家通りすがり :2009/05/10(日) 04:41:25 ID:6uR30ID6
長部経典の中ではブラフマンは複数登場します。そういう意味では至高神 という扱いではないかと存じます。 「大梵天、梵天」、「大梵天の中の一方」とか。。 アートマン=梵天という記述はないようですが、仏の要素、悟れば 神通力発動の素はアートマンに宿っているというように読めますが、 その辺りの教えがどの経典にあるのかはまた調べておきます。 それから、長部経典に登場する神々は、心霊科学的には自然霊クラスで、 梵天クラスが所謂他教での神様クラスのようです。 実際に釈尊は前世の転輪聖王の肉体が滅びた後にブラフマン界に生まれ、 ブラフマンのことはよく知っていると説かれてましたが、また出典を 調べておきます。
655 :
一在家通りすがり :2009/05/10(日) 04:52:31 ID:6uR30ID6
転輪聖王が死後ブラフマン界に往ったことは「大善見王経」に、 (釈尊はブラフマン界から直接またはト卒天経由で現世に誕生) ブラフマンとの共生は「三明経」に記載されてました。
656 :
華厳命 :2009/05/10(日) 06:58:41 ID:JgoNpeD2
老婆心ながら一言だけ…貴方がお読みになった経典から察するに、もしそれが複数形の人格化された梵天なら、それは「ブラフマン」ではない。それは「ブラフマー」です。限定された神の一種。ブラフマンは「絶対」「非人格」「無限」「唯一者」であり、ブラフマーはそれの限定人格化
657 :
華厳命 :2009/05/10(日) 07:08:23 ID:JgoNpeD2
したがって、梵天の請によって釈迦はバラモン至高神を降伏させたかのように考えられますが、それは違う…「ブッダこそブラフマンの当体…」半分正解です。「すべてがブラフマン」で完全解です。
658 :
華厳命 :2009/05/10(日) 07:16:22 ID:JgoNpeD2
華厳経は文字が乱舞している…文字による集団即興演奏みたいで、強烈な文学のインプロヴィゼーションの応酬…およそ人間の想像力の限界を超えている。これがヴェーダーンタ哲学の文学的表現であることに日本人は気付いているだろうか?
659 :
華厳命 :2009/05/10(日) 07:47:32 ID:JgoNpeD2
しかしながら、あながちそれがデタラメな「文学」ではないことを知る者は地球上10人いるか?…宗教は論理的実証であり、それ以外仮説にすぎず、「結論」はすでに実証されてしまっている…ニーチェの「超人」「ツァラトゥストラ」は非常に示唆に富んでおります、はい!(笑)
『修行本起経』って原始仏典ですか?
661 :
華厳命 :2009/05/10(日) 10:09:15 ID:JgoNpeD2
愚論を述べますと、菩薩というキーワードが有るところから見て、大乗でありましょう。しかしながらすべての仏教徒には大変申し訳ありませんが仏教はウパニシャッドから派生した「一宗派」に過ぎません。釈迦は偉くもなんとも有りません。
662 :
華厳命 :2009/05/10(日) 10:12:18 ID:JgoNpeD2
大部分の日本人が仏教無霊魂説を信じて、滅びるのでしょう…残念なことです。仏教がどんなに論理的優位性を誇っても(特に上座部)インド世界では犬も食わんのであります。
663 :
華厳命(さよならは夢のなかへ…) :2009/05/10(日) 10:15:51 ID:JgoNpeD2
では世界で一番「偉い」のは誰でしょう?「神仏」どこにいるのでしょう?それは「あなた」です。それが結論です。も一度言います「それはあなたです」悟りよ幸あれ!
664 :
華厳命(補記) :2009/05/10(日) 10:32:07 ID:JgoNpeD2
上記の経典は少なくとも「大乗の息」が掛かってます。
665 :
宝珠愚者 :2009/05/10(日) 12:25:18 ID:0jUlqrLe
>>660 原始仏典の範疇外だと思います。
検索で確認したところ、「仏伝経典」と呼ばれるものの一つで、初期中国仏教の経典であり、
パーリ経典には存在しないらしい。現存の『修行本起経』の大部分は東晋時代に南方で
『小本起経』等をもとに成立したと考えられるとのこと。
詳しい方がいましたらお願いします。
666 :
神も仏も名無しさん :2009/05/10(日) 12:43:59 ID:RWZvvNxi
>華厳命殿 あなたのそれらのすべての考えも認識も、あなたの身体に宿る生物的生 命の機能。あなたの生命がなくなれば、「すべては無」である。 あまり思い上がらないほうがよい。 大宇宙など考える前に、まずあなたの身体という小宇宙から考えること。 すべては、身体とそれに宿る生命という、小宇宙から発する。「脚下照顧」。
667 :
神も仏も名無しさん :2009/05/10(日) 13:01:16 ID:1MpSivSA
仏教はアートマンを否定した。諸法無我が仏教だよね。
668 :
神も仏も名無しさん :2009/05/10(日) 13:09:27 ID:RWZvvNxi
>>667 その否定も、釈迦のアートマン(生命)の機能。アートマンを以って
アートマンを否定することは、矛盾であるばかりでなく、否定どころか、
むしろその存在の強い裏づけではないのかね。
アートマン(真我)を意識して修行すれば、自我の滅却とか自己の統制とか、その修行方法が自力的になってしまう。 諸法空相で世の中すべてのものを空と観ずれば、その修行方法は他力的になる。 アートマンを追い求めてはダメと言ったんじゃないか? お釈迦様は…。
釈迦の生きていた時代ほど古いのはスッタニパータの一部分だけなんでしょ? つまり入滅から300年くらい経た経典もかなり古いから、ごちゃ混ぜになっていると思われる
671 :
華厳命 :2009/05/10(日) 15:45:11 ID:JgoNpeD2
666→生命にあらず、有にあらず、無にあらず、にあらず、にあらず…貴殿からはまだ二元対立的差別観が感じられる。ヒトラーとマザー・テレサは等価です。ダイヤモンドと犬の糞は同じです。宇宙など存在しません。わたしが道元を否定したのが気に入らねえらしいね
672 :
華厳命 :2009/05/10(日) 15:48:49 ID:JgoNpeD2
およそ「超人」たるもの人々から恐れられるぐらい傲慢であってよい!すべての伝統を肯定しつつも破壊せよ!惨殺せよ!ただし、大乗菩薩にはひたすら敬意を示す。
673 :
華厳命 :2009/05/10(日) 15:50:34 ID:JgoNpeD2
却下照顧(笑)
674 :
神も仏も名無しさん :2009/05/10(日) 15:58:40 ID:RWZvvNxi
>>672 ニーチェのいう「超人」とは、実は、キリスト教的観念性から脱却する
ことができた「普通の人」のことだよ。
675 :
華厳命(贅語) :2009/05/10(日) 16:06:05 ID:JgoNpeD2
かくして、超人華厳命の初転法輪は失敗に終ったのでありました。釈迦が華厳を説いた時も、大衆は聾のごとく唖のごとしでありました。華厳命もまた同じ苦杯を飲まざるを得なかったのであります。
676 :
華厳命(贅語) :2009/05/10(日) 16:10:41 ID:JgoNpeD2
しかしながら、超人華厳の怒髪天を超ゆ、超人説法は釈迦のそれをも超えて人々を鼓舞し続けることになるのです…「強さこそ真理」(完)
2008年9月21日 礼拝説教「トマスと私たち」 - みたまキリスト教会の礼拝メッセージ - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/mitama_ch/2087284.html またある伝説によれば、トマスはその後、一時、中国に伝道に行きました。
今の北京あたりまで行き、信者を作って教会を建てました。その後再びインドに戻って伝道したと言われています。
西暦七二年に、トマスがインドのミラポールで殉教した、と伝えられています。
殉教したその地は『トマスの丘』と呼ばれています。遺体はミラポールに葬られました。
このトマスはインドでは「トマ」と呼ばれ(ヘブル名も「トマ」)、中国語では「達磨(ダモ、あるいはダマ)」と呼ばれ、
それが日本では同じ漢字で『ダルマ』と呼ばれたようです。
つまり禅宗を興した人として知られている人物はどうも聖書の「トマス」だったのでは、という考え方が成り立つわけです。
ダルマは一般に南インドの人と言われますが、「開元目録」(八世紀)には、「西域の沙門菩提達磨という者がいた。彼はペルシャ人だった」と記されています。
達磨の忌日は10月5日ですが、仏教では死んだ日の前日に仏事を行なう習慣がありますから、本当の彼の命日は10月6日でしょう。
これはギリシャ教会がトマスの召天日として祭日にしている10月6日と一致します。(「聖書に隠された日本・ユダヤ・封印の古代史2」(久保有政、ケン・ジョセフ共著、徳間書店刊)
千利休が心惹かれた禅宗の大徳寺では、このトマスが示した聖書の教えが土台となっていたと言えると思われます。
678 :
神も仏も名無しさん :2009/05/10(日) 22:59:23 ID:4ZlziC/D
>>677 キリスト教は、トマスの福音書を排除したのだから、仏教とは相容れないという
こと。
679 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 07:56:50 ID:+hJd+vR1
>>668 生命はアートマンではなく生死=生老病死のことだよね。
アートマンはあくまでも個性の原理でこの世界の中には無い。
680 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 08:13:13 ID:+hJd+vR1
>>590 >初期の仏教においては決して「アートマ
>ンが存在しない」とは説いていない。むしろウパニシャッドなどの思想と多分に密接な連関を有するの
>である。
ウパニシャッドの哲人、ヤージャニバルキャですら「我」は否定でしか
表せないといっている。「〜で無い」が「我」だから釈迦仏教でも
「我は〜でない」としか言っていない。身体を持った「自己」とその本質
の「我」が混同されて理解されているんじゃないか?
釈迦も自己によること、他によらないことは強調している。
しかしその自己も無法では生きられない。法によることも当然だね。
681 :
宝珠愚者 :2009/05/11(月) 09:34:29 ID:fyGXGEHw
>>680 >ウパニシャッドの哲人、ヤージャニバルキャですら「我」は否定でしか表せないといっている。
確認してみました。
『アートマンは客体化することのできない認識主体である。見ることの背後にある見る主体を、
だれも対象化して見ることはできない。対象化されたものは、もはや真の主体ではない。対象
化されたものは、把捉されないもの、どのような述語によっても限定されないものである。ただ、
「甲に非(あら)ず、乙に非ず」という否定的表現を用いる以外に、それを表示する方法はない。
この「非ず、非ず」neti netiという表現は、ウパニシャッドにおける最も有名な語の一つである。
このようなアートマンこそは、個体における不滅不死のものであり、万物に内在する普遍者であ
る。それは万物を内部から制御する「内制者(アンタルヤーミン)」である。』
(長尾雅人/服部正明著『バラモン経典・原始仏典』哲学者ヤージニャヴァルキヤ/中央公論社刊)
また、
「それら(五蘊)はアートマンに非ず」は、ゴータマの無記の姿勢に抵触しませんが、
「アートマンはない」という断定は一つの極端であり、
無記とは相成れない矛盾した発言ということになると思います。
私は、「アートマンでないものをアートマンと見なすことなかれ」
と、ゴータマが戒めていたものと解したいと思います。
682 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 11:06:15 ID:+hJd+vR1
ゴータマ・ブッダは実存・合理主義だからアートマンの存在のような形而上学 については常に無記を通したのではないか? それこそ議論のための議論、机上の空論にしか過ぎないと知っていたから。 ただ「自己の中にはアートマンは見いだされない」といっていただけ。 無自性空はそれを表した言葉だね。
683 :
華厳命見参! :2009/05/11(月) 11:54:58 ID:hHIL4km6
↑全然違う…ブッダこそ自己の内部にアートマンを見出した、そして「合一」した。したがってアートマンが「アートマンが有る」とか「アートマンが無い」などと主張するはずがない。あたかも目玉が「わたしが視る」などと主張して対象を観ることなく観るのと同じ
684 :
華厳命見参! :2009/05/11(月) 11:57:59 ID:hHIL4km6
愛そのものが「愛する」だろうか?愛は愛のままに、ただ存在している…そこから愛を吸収するのは外部の何者かであり、受益者に過ぎない。
685 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 12:01:12 ID:+hJd+vR1
自己の内部と自己が合一するなら論理的矛盾だね。 ブッダがそんなにバカだったとは思わないよ。 ブッダはきわめて合理的な人だね。 眼は見る対象と同じで識の相分だね。識の見分が意だろう。
686 :
華厳命見参! :2009/05/11(月) 12:02:21 ID:hHIL4km6
アートマンは「無形・無属性・永遠・絶対・不生・不滅・至福・平安」ではあるが、これらの表現も「言語表現」である以上、的確とは言えない。要するに、語られざるものを「語れば」弟子は迷うとブッダは判断したのみ
ようは魂でしょ>アートマン で ブラフマンとアートマンの関係はどう説明つけるの? ひろげた風呂敷をたたんでもらおうか
688 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 12:54:53 ID:6/BvoBwK
ブラフマンは「神」。 アートマンは「魂」。 聖書では「神」の似姿が「人」。 つまり「神」の一部を「魂」に入れた。 それが「仏性」、「神性」でしょう。
スッタニパータの4章、5章が特に古いらしいけど、やはりあれは梵我一如の境地だと思うけどね ダンマパダですら下手すりゃ何世代か経てるかも知れないから、ごちゃ混ぜは良くないかも
690 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 13:08:33 ID:6/BvoBwK
仏陀の「心(顕在意識)」が「魂(潜在意識、アートマン)」を見つけたのでしょう。 真理はシンプルで、あまり難しく考えない方が宜しいかと。
691 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 13:11:48 ID:6/BvoBwK
次に仏陀の「心(顕在意識)」が「神(宇宙意識、ブラフマン)」を見つけたのでしょう。 「梵我一如」って説かれたかも。
ぼんが一如は仏陀が釈尊が生まれる何百年、下手したら千年前くらいからある思想では?
693 :
華厳命 :2009/05/11(月) 14:26:43 ID:hHIL4km6
クリシュナがアルジュナに「ギーター」を説いたのは紀元前5000年代のむかしである
694 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 15:36:03 ID:2NJlLt+W
根拠も怪しげな大昔の文献に基づいて、「見てきたかのように」語るのは止め ようよ。大の大人がみっともないし、第一、一度きりの人生の貴重な時間の無駄。
695 :
華厳命(コラム) :2009/05/11(月) 15:44:00 ID:hHIL4km6
まあ、とにかくHMVみたいなデカいレコード屋で、ジャズコーナーへいき、ジョン・コルトレーンの「メディテーションズ」を聴くべき。こ、これは!芸術だ!耳で聴く華厳経だ!(マジでトリップして宇宙へ行きます)
696 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 15:53:59 ID:0VEBZdct
>>693 出典はISKCON本ですか。
辻氏や上村氏によれば一世紀の成立とのことですが。
697 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 15:56:54 ID:2NJlLt+W
>>695 「宇宙」などと舞い上がらないで、まず自分自身の身体という「小宇宙」
から始めてね。
大宇宙も、小宇宙に宿る生命が知覚・認識するから、はじめて存在する
といえるのだよ。
爪の先だけで診断できる病気も、相当数ある。
すべての宗教の経典を集めても、木の葉1枚に宿る神秘さえ、解き明かせない
のである。
コルトレーンかっこいいね。 僕はそこまで目覚めたらあとは自分でわかるから、自分で歩んで行きなさいよってことで敢て必要以上のことは語らなかったのではないかと。
699 :
華厳命 :2009/05/11(月) 15:59:58 ID:hHIL4km6
文献学と伝説を混同しちゃいんかぞなもし?あくまでも「伝説」ではってさ…そんなこと言ってたらキリがないよ。それこそ「遠い昔、はるか彼方銀河系で…」あれ?どこかで聴いたような…
ようはアートマンを主張すれば、そのまま自我・魂・識という 十八界から逃れることもなく輪廻することを、そのままうけいれる 現状維持派ということだろう。 しかし仏陀はアナートマンを説いた。 それを、縁起、空、無自性、生即死、死即生の理を受け入れ、 執着を断つ道を説いたのだろう。 そのなかにおいて、神通力を得ることができるというのなら、 宝珠愚者氏の意見は正しいと思うよ。 ブラーフマン=神様はバラモン僧のおちいった道であるし、 大乗(天台)や密教もそれに近い感じはしますね。
701 :
華厳命 :2009/05/11(月) 16:06:58 ID:hHIL4km6
ところがそうじゃないんだな〜これが(笑)
702 :
華厳命 :2009/05/11(月) 16:11:23 ID:hHIL4km6
某SF映画は、よくヴェーダーンタ哲学による宇宙の謎を説明出来てる。大乗(ジェダイ)上座(シス)
仏陀は、存在するものは全て空相、と言ったんじゃないかな。(諸法空相) ブラフマンとか、アートマンとか、名前を付けた時点で存在を規定することになる。 ブラフマンが無いというより、ブラフマンも宇宙も存在しているように見えるが、その存在そのものが空相である、 全てのものは実相のみである。ということを言ってるんじゃないかな。
704 :
華厳命 :2009/05/11(月) 17:48:43 ID:hHIL4km6
よっしゃ!では「一も無く二も無し」にレベルアップしよう。じゃあこの世界はどこからきた?すべてのはしごを外したよ。宿題だ。それまで沈黙してやる
705 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 18:05:31 ID:+hJd+vR1
密教は仏教のヒンズー教への同化・習合だね。 もはや仏教ではない。だからインドでは密教化によって 仏教は法滅した。
>>705 まー、その意味では六神通とかいいはじめて、仏陀を神格化し始めたあたりから
バラモン教と同化・習合しはじめているよなー。
707 :
華厳命今日の終わりに :2009/05/11(月) 18:21:45 ID:hHIL4km6
法が滅っしたり、生じたりするかよ…ったく!…ぶつぶつ(´A`)
というか、神様とか神通力とかに関心がいってしまい、 奇跡=神様にとらわれる余り、仏の教えが滅んだんだろうと。
>>704 >じゃあこの世界はどこからきた?
この質問は、まだ世界があるということを意識してるよね。
世界はどこから来たのでもなく、来たように見える、ということじゃないかな。
宇宙も誕生したように見える、宇宙があるように見える。
全ては空相のなかで起こっていることであって、実際にはない。 つまり表象にすぎない。
諸法実相、涅槃寂静の世界が本当の世界じゃないかな。
因縁生起というのは空性の中で起こる表象についての説明でしょ。
中論の一節に、
「因縁所生の法は 我説かく、即ちこれ空なりと また名づけて仮名となす またこれ中道の義なり。」
とあるらしいから、
世界が生まれるとか、何かが起こるとか、いわゆる縁というものは、空だ、と言ってるんじゃないかな。
710 :
けけけの華厳 :2009/05/11(月) 18:54:20 ID:hHIL4km6
人生やりなおせ
711 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 18:56:43 ID:HSKeqbpi
我が空とか、世界が空だとか、そう理解して何の役に立つのかなあ。
712 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 19:07:44 ID:HSKeqbpi
>>709 あなたの言ってることは虚無主義ではないですか?
世界が空であることと、世界がないことの違いを聞きたいものですね。
空・・・存在しているように「見えている」が実在してるわけではない。 無・・・存在もしないし見えもしない
714 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 19:19:07 ID:+hJd+vR1
法を滅したり生じたりさせるために立法府である国会はある。 憲法ですら改正される。
715 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 19:38:48 ID:HSKeqbpi
>>713 実在しない≒存在しないだから、空と無とはほとんど同じですね。
見えているのに、実在しない・存在しないというのはなぜでしょう?
詭弁ではないですか?
>>715 心の目でみることだよ。こういうと心の目をさがしまわりそうだから、
あれだけど。
717 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 19:51:43 ID:HSKeqbpi
心の目にしても同じですよ。 見えているが実在しないという話は成立しませんね。 空とは関係性についての結論です。 この現実がどうのこうのという話ではありません。
>>715 空と無は似た概念ですが、その微妙な違いに空という概念の存在意義があるようにも思います。
通常我々が存在していると思っているものは「相」であって、永遠不滅の実在物ではない、
ということを言っているのだと思います。
719 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 20:01:04 ID:HSKeqbpi
>>718 それは空という概念の誤解でしょう。空とは、
善悪のような相関関係や、十二縁起のような因果関係についての話です。
この現実についての結論ではありません。
720 :
暁 :2009/05/11(月) 20:09:07 ID:6Lkmy3IO
コルトレーンのGIANT STEPSは好きだな スペルちがうか?(笑)
721 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 20:14:35 ID:HSKeqbpi
リンゴもバナナも存在します。犬も猫も存在します。 山も川も海も存在します。月も星も存在します。世界は存在します。 世界は空である・・・考えすぎて頭が混乱してしまったのか?
>>719 最初から自分の定義が決定してるなら、人に質問するなよ。
失礼なやつだなー
723 :
旧7 :2009/05/11(月) 20:16:36 ID:ofgN1FbE
冷凍庫から氷を一個取ってきて目の前に置いてごらん。 そして、融け切って水浸しになるまで見ていてごらん。(水分が蒸発し、乾き切るまで見ていると更に良し。) ≪そこに「何が」「“ある”」のか?≫ 暫く拈提してみるといいと思うよw
>>707 滅っしたり、生じたりするかよ…ったく!…
これはまさしく実相の説明だよね。
実相というのは言い換えれば「ゼロの場」
ゼロだから増えたり減ったりしない。
最初から一貫してるので、生じたりもしない。
生じないから生まれる前と生まれた後という時間の経過がない。 つまり過去と未来がない。
あるのはただ現在だけ。
不生不滅 不垢不浄 不増不減 これは実相のことだね。
>>722 質問しないとあなたの考えがわからない。
あなたの考えに対して、わたしの考えを述べた。
反論したらどうだろう。それとも反論のしようのない正論だった?
>>723 空とは関係性だって言ったばかり。
この現実の話じゃない。
>>724 現在だけは三次元だぞ。
過去や未来へいくことができるとはすごい。
まあこの世に未来人、宇宙人がいないとはおもわないが。
禁則事項ですからね。
728 :
華厳命 :2009/05/11(月) 20:39:52 ID:hHIL4km6
お取り込み中すいません、過去と未来も「世界」に付加して議論してください。(いつの間にジャズ判になったのかしら、犯人は俺?)
729 :
華厳命(罪と罰) :2009/05/11(月) 20:41:38 ID:hHIL4km6
最後にわたしなりの答を書き込みます。「南無仏」(完)
730 :
旧7 :2009/05/11(月) 20:49:01 ID:ofgN1FbE
>>725 空とはこの現実の話じゃないと「定義」されてる時点で、
話しても無駄なんだよ。
その定義じゃない話をしているわけだからさ。
732 :
旧7 :2009/05/11(月) 23:20:00 ID:ofgN1FbE
(窓を開け)、テレビもラジオ消し、目を閉じ、呼吸を調え、じっと耳を澄ませてごらん。 その時、≪そこに「何が」「“ある”」のか?≫ 暫く拈提してみるといいと思うよw 或いはまた、 (少し長めで、内容に順序のある)仏典のフレーズを口ずさんでごらん。 その時、≪その内容を(≒耳に聞こえてくる音を)、どこかに留め置くことができるかどうか≫ 試してみるといいと思うよw
733 :
神も仏も名無しさん :2009/05/11(月) 23:21:49 ID:EBynwbtM
無が存在するのはインド哲学の定説だよね。無には五種ある。
734 :
旧7 :2009/05/11(月) 23:22:32 ID:ofgN1FbE
冷凍庫から氷を一個取ってきて、握りしめてごらん。 そして、融け切ってしまうまで握り続けてごらん。(水分が蒸発し、乾き切るまで握っていると更に良し。) ≪そこに「何が」「“ある”」のか?≫(≒あったのか) 暫く拈提してみるといいと思うよw
735 :
旧7 :2009/05/11(月) 23:36:28 ID:ofgN1FbE
今日昼飯何食ったっけ?と記憶を手繰ってもいい。明日の昼は何を食おうか、思いを巡らせてごらん。 その時、≪【そこ】に「何が」「“ある”」のか?≫ 或いはまた、 今日一日を振り返り、やり遂げたこと、こなしたこと、できなかったこと、し損ねたこと、 様々あるだろうけど、それら一つ一つの理由や結果、そのことによる明日への予測を観察し、考えてごらん。 その時、≪【そこ】に「何が」「“ある”」のか?≫ 或いはまた、 今、まさに、この瞬間に感受されている「想い」「気持ち」「印象」「感覚」「思い」は何だろうか? どこから来ているのか?どこかへ去るだろうか? と観察してみてもいい。 その時、≪【そこ】に「何が」「“ある”」のか?≫ (→何が見出されるか?) 拈提してみるといいと思うよw 或いはまた、 (少し長めで、内容に順序のある)仏典のフレーズを(内容を)思考してごらん。 その時、≪その“内容”を、“どこかに”留め置くことができるかどうか≫ 試してみるといいと思うよw ※ >フレーズを(内容を)思考してごらん → きっと、「喋っているイメージ」か、「聞いているイメージ」か、 どちらかでしか思考できないとは思うけど・・・w
737 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 01:17:29 ID:tojNwtu1
>>719 >空とは、
>善悪のような相関関係や、十二縁起のような因果関係についての話です。
>この現実についての結論ではありません。
そんなふうに考えるから、にっちもさっちも行かなくなる。
「縁起・空」の真の意味は「万物の関係性」のこと。こう解釈すれば、理論的に
はすべてがすっきりと解決する。
関係性なら、自性はないが、関係性の塊としての現実(色)はある。
釈迦は、現実を忘れた妄想患者ではないと思う。四苦は、現実の最大の問題だし、
「色」とは、現実のこと。
「あって、ない」「なくて、ある」のが関係性の結果。
誰も「関係性」を言わないが、「本に書いてない」からかw。
空を、関係性と解することにより、仏教は、最も偉大な宗教になる。「輪廻転生」
などの荒唐無稽は、現代人は誰も信じないよ。世界の人々から嘲笑されるだけ。
それとも、「唯一神」が相対化されるのが恐いのかねw。
>>737 なにか新しい主張をしているかのようだが、
宗教というより、ただの唯物論だろう。
あんたは、見えないなにかと戦っているようだ。
心のやすらぎはなさそうだねw
739 :
旧7 :2009/05/12(火) 01:45:21 ID:Zs38FKT5
ポイントは、 ≪『宗教』という定義・概念(・括り・分類・包含する要素による括り)が、 成立・認知・確定される以前に、『ブッダの教え』は既にあった≫ ということだろうなw おやすみw ノシ
仏教が宗教化したのは、部派仏教のせいだろうね。 ・仏陀の神格化 ・超能力などの奇蹟 ・(とんでも)宇宙論 こうしたアーガマを創作して「仏説」扱いすることで、仏陀直伝の書(偽書)が完成。 実にキリスト教ライクな宗教らしさを兼ね備えるようになった。 仏陀が言ったから正しいんだ、みたいなことが始まったのもこの頃。 こんなんでも「原始仏教」とか呼ばれてる現状に乾杯w
741 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 02:56:37 ID:tojNwtu1
>>738 >心のやすらぎはなさそうだねw
本当の心の安らぎは、自己が万物の関係性の中に存在するという自覚から生まれ
る。
無理して無我にしてみたり、またアートマンに固執することもない。
「あってなく、なくてある」のが関係性だからである。
これを「悟り」という。
742 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 03:26:34 ID:tojNwtu1
>>739 >≪『宗教』という定義・概念(・括り・分類・包含する要素による
>括り)が、 成立・認知・確定される以前に、『ブッダの教え』は既に
>あった≫
釈迦はそれを「法」と呼んだ。
現代の思想も科学も、釈迦が見出した「関係性」の方向に、ピッタリと
向けられている。
西洋哲学のいう「世界内存在」「現象学的還元」「ゲシュタルト」も、
「関係性」のことである。相対性理論は、言わずもがなである。
色即是空であり、 色が現実なら、空も現実だから。 空が現実だなんてありえない、 と思うから釈迦は空を説いたのだよ。 釈迦が妄想を説かないのはあたりまえだからね。
世親は原子を否定していた 小さな立方体を仮定すると、どうしてもそれより小さなものを前提にしないと説明できないらしい ということで現象世界は荒屋敷によってつくられる虚妄と決定される 現代の価値観だとクオーツが有ると説明されるわけだけど クオーツも刹那滅して転々しているから仏教的におkなのか? おもうにここまできたら、仏教で説明するほうがアホらしい 宗教世界観と科学は別に相容れなくていいよ
745 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 07:26:25 ID:IHmocNC6
世親はというより仏教では原子を否定する。 世界が原子に還元されるならそれは無常でありえないからだね。 現実の世界が説明できない。
746 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 07:39:06 ID:IHmocNC6
>>740 >仏教が宗教化したのは、部派仏教のせいだろうね。
それ以上にアショーカ王の国家保護のもとに組み入れられたのが
仏教の堕落の始まりだろ。出家集団が僧堂への定住となり遊行も
忘れてしまったのだろう。仏典編集と宗論にうつつを抜かしていた
のが上座部集団だろう。
747 :
宝珠愚者 :2009/05/12(火) 07:41:32 ID:7ze/VJeG
>>696 ギーター(書物として)の成立年代は、
確かにあなたの云う通りで、1世紀前後です(〜4世紀までと諸説あり)。
しかし、物語の主人公/シュリ・クリシュナは約5000年前(紀元前3000年)
に出現したといわれているのです。この物語は書物になる以前、
実に3100年間以上も口誦伝承したことになります。
748 :
宝珠愚者 :2009/05/12(火) 08:02:01 ID:7ze/VJeG
当スレシリーズは、 投稿「750」を目安にどなたか善意者によって次スレを立てて欲しいと思います。 (そして、使い切ってから新スレッドを使用と) アクセス規制も続いているので、ご協力を宜しくお願いします。
749 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 08:20:11 ID:IHmocNC6
>>715 >実在しない≒存在しないだから、空と無とはほとんど同じですね。
・・・と思ったのが仏教を受け入れた中国だね。
存在と実在は明らかに違う。
実在しない空想の産物も存在する。言語で表される物事はすべて存在する。
無も存在である。それがインド哲学だね。
750 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 08:20:17 ID:kzLyCdUH
↑クソスレ
751 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 08:22:15 ID:kzLyCdUH
すべてがブラフマンなり。以上
>>747 もしかして、ギーターに書かれてる年代的なものは全て
歴史的事実だと思いこんでいるんじゃ?
とにかく空が理解できなければ、原子で物質は作られていて、 ゆえに実在しないと思えばいい。 そのブラーフマンですら、唯識なら阿頼耶識がつくっており、 妄想でしかない。ただし、氷と水のたとえにあるように、 氷を実在と思っている人もいるということだ。
754 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 10:20:03 ID:VXWG13cR
>>745 >世親はというより仏教では原子を否定する。
仏教の原子論について、教えてください。
原子こそ、空(関係性)の世界だと思うが。
755 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 10:27:29 ID:VXWG13cR
一神教の唯一神に対する執着が、最大の執着。多神教では、絶対神は いない。
756 :
暁 :2009/05/12(火) 10:27:53 ID:7ML4DGFO
もしも不空という何ものかが存在するのであれば 空という何ものかが存在するであろう しかるに不空という何ものも存在しない どうして空というものが存じ得るであろうか
757 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 10:31:29 ID:VXWG13cR
>>756 だから、空を関係性と解すれば、すべては解決。
758 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 10:40:33 ID:VXWG13cR
>>756 色即是空、空即是色。従って、「空=色」である。
無も無ではない。従って、「無=有」である。
この意味するところを理解することが必要。
759 :
暁 :2009/05/12(火) 10:57:54 ID:7ML4DGFO
中論読
760 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 11:59:15 ID:kzLyCdUH
違うな…ブラフマンは認識の対象ではない。無明(欲望・感覚・思考ひいては心・識)とも、明智(無煩悩・感覚なく静寂にして呼吸無し)とも関わりを持たない。しかしブラフマンはそれらを幻影として放射する。(マーヤー)
761 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 12:00:43 ID:kzLyCdUH
つまり低位エネルギーと高位エネルギーは両者ともにマジシャンの幻惑に過ぎない。真実ではない。
762 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 12:03:34 ID:kzLyCdUH
しかしながら、これらが存在するところすべてがブラフマンによって「浸透」させられているという事実…ここを見抜くのが難しい。幻惑の力及び性質もブラフマンの一部なのだから…非常に微妙だ…
763 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 12:20:25 ID:kzLyCdUH
華厳経から始めなさいな…それから好きな道を歩めばよい。しかしながら阿含経(アーガマ)は一面的過ぎるきらいがある
764 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 12:33:01 ID:kzLyCdUH
最初の過程で全否定→そして最後の段階で全面肯定の境地がくる。難中の難だ…容易ではない。華厳をすべて学び極めて行かねばならない
仏教は縁起であり、さまざまな原因があり、その結果として、 現象、存在があらわれている。ゆえに空が理解できないと、 物事の成り立ちが理解できない。
766 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 13:02:20 ID:YvJrSNh2
華厳の滝 「巌頭之感」 悠々たる哉天壤、 遼々たる哉古今、 五尺の小躯を以て比大をはからむとす、 ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、 萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 既に巌頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。
767 :
阿含の滝 :2009/05/12(火) 13:31:46 ID:kzLyCdUH
死の道は極めて苦しとなせども、すべて尊卑を観ぜず。「諸仏」も尚まぬかれざるなり。いわんやまた余の凡俗をや(増一阿含)
768 :
暁 :2009/05/12(火) 17:37:54 ID:7ML4DGFO
お釈迦さんは当時の思想体系の矛盾、抗争に注意したんでしょう。 その現実を客観的に見れば、誰もが相対的で一方向であり、結局のところ解決できない形而上学的問題を争っているのは、今も昔も変わらんってことだね そのような問題は、実践的認識のためには益がないとお釈迦さんは主張したのだろう。
769 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 17:58:44 ID:/KUei/Wf
梵我一如は可能かどうか? 梵と我が同じなら、我は梵をいかにして区別できるのか? 同じなら区別できない。 それゆえ梵我一如などという思想は誤りである。
770 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 18:11:05 ID:/KUei/Wf
>>737 >「縁起・空」の真の意味は「万物の関係性」のこと。こう解釈すれば、理論的に
>はすべてがすっきりと解決する。
>関係性なら、自性はないが、関係性の塊としての現実(色)はある。・・・
>「あって、ない」「なくて、ある」のが関係性の結果。
この話は釈尊の説法と違う。
釈尊は、リンゴ=バナナ=犬=猫・・・などと説いたのではない。
そうではなくて、心の中の思いが空であることを説いている。
中論(竜樹) → 存在論的空(中観派) → 心理的空(唯識派) 同じことを論じつつもアプローチの違いから、 中論から大きくふたつの派に分かれる。
>>769 立体視する場合、右目で見ているものと左目で見ているものは同じで
立体視中は、どっちが右目の視覚でどっちが左目かを意識することは通常ない。
しかし、左右別々に見れば、一応どの視野が右か左かは確認することができる。
>>772 へ理屈のような感じ・・・?
梵我一如なら見ること自体が成立しない。
ご隠居が繰り返し主張している、自分が自分をどうして観測できるのか、
というジレンマが梵我一如にあり、梵我一如を砕いてしまう。
「これは自分」「これは自分以外」という分別知の段階から 直観知の段階に進むしかない。
ふたつの目は対象との距離を測定する。 対象がなくなったら距離の測定は必要ないし、不可能である。 分別知が無分別知に変わることは永遠にない。 なぜならふたつの間には、超え難い違いがあるからである。 有と無の違いがある。
まー、その定義の仕方が問題を抱えているということですよ。
777 :
旧7 :2009/05/12(火) 22:39:21 ID:Zs38FKT5
レスこそ増えているものの、内容に活気が無いなw
778 :
神も仏も名無しさん :2009/05/12(火) 23:55:46 ID:z+UpASUB
>>770 >この話は釈尊の説法と違う。
>釈尊は、リンゴ=バナナ=犬=猫・・・などと説いたのではない。
>そうではなくて、心の中の思いが空であることを説いている。
釈迦は、現実から遊離した妄想患者ではない。色即是空、空即是色は、透徹した
存在論である。「色」は「現実界」であり、「四苦」は、現実の肉体の苦しみで
ある。
「人間が考えても無意味な形而上は、考えるな。涅槃に到らず」と戒めている
ではないか。
779 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 00:10:14 ID:COcfI/Xz
>>770 >心の中の思いが空であることを説いている。
現実から離れた心の中の思いが空であることは、初めから分かっている。
そんな判りきったことを言ったとしたら、釈迦はアホ以外の何者でも
なかろう。釈迦をアホ扱いしてはならない。
釈迦の思索は、現実界(色)を基盤としている。
色があるからこそ、空の概念が成立する。釈迦は、色(現実)と心の中の
思い(空)との関連を思索したのである。そして、その結論は、「色=空」
「無=有」である。この等号関係の理解が、仏教思想の核心なのである。
780 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 00:10:19 ID:C/eoAAut
無我を認識している我がある、とか言っちゃう状態なんで 言っても無駄かと。
781 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 00:14:39 ID:COcfI/Xz
>>780 釈迦の「我」で「無我」を説くとは、初めから矛盾でナンセンス。
782 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 00:20:26 ID:C/eoAAut
aatmanとan-aatmanのこと?
783 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 00:21:40 ID:C/eoAAut
無我つってるのに、我がある、我があると言い張る人がおんねん。
>>238 とか
784 :
旧7 :2009/05/13(水) 00:33:20 ID:XOEZaco1
ま、 否定辞「a-」「an-」が付加された際の、素直な、ベーシックな読みは『〜でない』ではあるだろう。 が、文脈から、或いは総合的・俯瞰的視座から、 『〜が無い』『〜は無い』という読み(深読み?)が生じてしまうのも又、不可避なことかもしれん・・・。 ノシ
785 :
旧7 :2009/05/13(水) 00:36:39 ID:XOEZaco1
当然、漢訳の功罪も忘れてはならないが・・・w | |゚) | | |彡 サッ |
786 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 00:42:40 ID:0TEHbROh
>>233 > ムハンマドへの、天使ジブリールの啓示
> 読め、「創造主なる主の御名において。
> いとも小さい凝血から人間をば創りなし給う。」
> 読め、「汝の主はこよなく有難いお方。
筆もつすべを教え給う。
> 人間に未知なることを教え給う。」
これは、大天使ガブリエル(ジブリール)がメッカ郊外のヒラー山の洞穴で
マホメットに最初に告げたとされる啓示ですが[Q 96:1-5]、
『コーラン』にはイスラム教徒の義務として、次のような規定も含まれています[Q 5:51]。
信ずる人々よ、ユダヤ教徒やキリスト教徒を友としてはならない。
彼らはおたがい同士だけが友である。
おまえたちの中で彼らを友とする者がいれば、その者は彼らの同類である。
神が無法の民を導きたもうことはない。
(中央公論社『世界の名著 (15) コーラン』141頁)
787 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 00:45:41 ID:COcfI/Xz
>>773 梵我一如とは、「なる」状態ではなく、すでに「ある」状態ではないか。
昔の人のほうが、よりよく理解していたように思える。
>>782 >aatmanとan-aatmanのこと?
「生命そのもの」と「生命の機能」との関係。
>>781 つまりキミは仏教とは合わないってことです。さようなら。
789 :
暁 :2009/05/13(水) 02:35:39 ID:1B8YBat3
仏教は形而上的原理としてのアートマンを否定し、その思想的立場を無我説と呼ぶが、アートマン全否定したのではないだろう ここでの否定は客観世界のいかなる実体もアートマンでなはないという非我を主張したんだろう
790 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:44:37 ID:C/eoAAut
791 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:45:08 ID:C/eoAAut
ピカチュウのトレーディングカードとか、人形は形而下だよね。
792 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:45:55 ID:C/eoAAut
ピカチュウをイメージする肉体が滅んだあと、ピカチュウはどこへ行くのかな?
793 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:48:04 ID:C/eoAAut
あとはピカチュウをアートマンに置き換えるだけ。
畜生道
795 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:50:40 ID:C/eoAAut
796 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:52:19 ID:C/eoAAut
無我の思想と、空の思想の前章ね。 理解できれば預流向は確実。
797 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:53:13 ID:C/eoAAut
>>794 アートマンとか我が在るに固執してる方が(我執)、外道だと思うけど?
798 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:53:46 ID:C/eoAAut
論理的帰結としてわかるから。 理解できるまでやるべし。
799 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 02:55:39 ID:C/eoAAut
800 :
暁 :2009/05/13(水) 03:19:49 ID:1B8YBat3
ピカチュウ人気に嫉妬
801 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:03:34 ID:z20uRTMq
>>795 佐倉さんの「縁起」の説明に、一言補足する。
「これがある故に、これがある。これが生ずる故に、これが生ずる。こ
れがない故に、これがない。これが滅する故に、これが滅する。」
「これ」と「あれ」とは「代名詞」であるから、「すべての名詞」と置
換し得る。
ます、「これ」と「あれ」が置換できる。従って、「あれがある故に、
これがる。云々」と言える。さらに、代名詞のしての「これ」「あれ」
は、「すべての名詞」と置換し得る。ここに「万物の相互依存性・関係
性」が成立する。
そして、その関係性を認識・自覚し得るのは、「生命(アートマン)」
のみである。逆に言えば、生命による、関係性の認識・自覚がなければ、
関係性もへちまもない。
802 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:08:32 ID:z20uRTMq
>>801 の訂正
×これがる。云々
○これがある。云々
×代名詞のしての
○代名詞としての
803 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:25:50 ID:C/eoAAut
>>801 もちろんそうですね。
認識というのは生命にしかできない。
認識という作用自体が、認識主体と認識対象の相互依存によって
成立している、というわけですよね。
801さんの発言の文脈においては、アートマンという単語を生命という
意味で用いています。
ただ、注意しなければいけないのは、佐倉さんの説明におけるアートマン
という単語は、独立自存し、恒常不変の性質をもった実体という意味で用い
られています。
無常ならざる実体。
つまり、他と依存関係を持たない存在のことです。
また、仏教におけるアートマンも同様の意味で用いられます。
サーンキャ学派や唯我派などのインド哲学で、どう用いられて
いるかは知りませんが。
804 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:29:28 ID:C/eoAAut
したがって、アートマンという単語が生命を意味するという801さん の文脈においては、その通りかもしれない。 しかし、仏教の文脈におけるアートマン(恒常不変の実体)という意味であり、 そのようなものはどこにも見当たらない(諸法無我(非我))、というのが 仏教の立場でしょう。
805 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:31:01 ID:C/eoAAut
生命はある。 仏教ではすべての生命への慈しみを基本とする。 しかし、永遠不滅の我、恒常不変の我の実体というものは認めません。 その文脈において、無我なのです。
806 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:35:47 ID:C/eoAAut
加えて、涅槃寂静の境地は言葉で説明不可能とされ、経典において 弟子の質問に対し、釈尊は、強いて言うならば、貪・瞋・痴の三毒が ない状態と説明されます。 因果から解脱した状態を、認識主体と認識対象という因果の枠組みの 範疇でとらえることも、言語で表現することも不可能ということでしょう。
807 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:37:07 ID:C/eoAAut
無我の状態は、五蘊が滅却されているため認識(因果で成り立つもの)する ことはできないはずです。 禅定を解いたあとに、思い出して、なんとか言葉にしようとするぐらいのもので。
808 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:43:58 ID:C/eoAAut
ちょっと神秘的な表現をすると、アートマン志向は梵天に至る道であって 解脱・涅槃に至る道ではないというのが、現在のわたし個人の見解です。
809 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 04:46:13 ID:C/eoAAut
なぜなら、認識主体と認識対象という因果の枠組みの中で成り立つものだから。 因果という輪廻の範囲内であって、輪廻からの解脱ではないわけですね。 気か遠くなるほど長持ちしたとしても、それも無常だということです。
810 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:22:02 ID:I24hxxMQ
我=アートマンと自己=私をわざと混同させている人がいる。 インド哲学ではアートマンは個の原理という概念で統一されている。
811 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:29:11 ID:I24hxxMQ
仏教では植物は生物に含まれないと聞いたけどその根拠は何処からきたのだろう?
812 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:42:17 ID:yeAcpeKc
769→みずからの個我が宇宙的大我に融解消滅してしまうから、個体としては無我であるが真実を言えば絶対無限者との合一という意味で「無我」では有り得ない
813 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:43:20 ID:C/eoAAut
生物でないとは言わないが、目耳鼻口身意を備えていることが 条件だと、聞いたことはある。 特に意が重要らしい。 植物への慈悲とか言う前に、身近な人への慈悲が先でしょう、と。
814 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:44:48 ID:C/eoAAut
まぁ、宇宙も因果で成り立ってて輪廻の中なんだけどね。
815 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:51:11 ID:yeAcpeKc
811→植物にも痛みや感情がある。あなたが悟ればわかります
816 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:55:11 ID:C/eoAAut
それは悟ってから言えのこと。
817 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:56:32 ID:C/eoAAut
>>812 を見れば悟ってないことくらいわかるのことよ。
818 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:58:12 ID:C/eoAAut
宇宙との合一が最終地点だと思ってるようだけど、さっきも言ったように 宇宙も因果(相依関係)で成り立っており、輪廻の範疇でしょ。
819 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 05:59:30 ID:C/eoAAut
あと、頭で理屈が理解できたところで、それはまだ入り口だし。 自分もね。 でも間違ってるものは間違ってると判断できる段階ってのはある。 そこが入り口入ったとこだけど。
820 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 06:00:45 ID:yeAcpeKc
宇宙など存在しない、ブラフマンのみ実在
821 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 06:03:49 ID:C/eoAAut
ヨーガとか、ヒンドゥとかそっちの方の人ですね。 仏陀の名前は使わないでね。
822 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 06:08:42 ID:yeAcpeKc
ブッダは指導者として相当なドアホでしたので、使いません。釈迦は「アホ」ですので…あっ、失礼
823 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 06:16:48 ID:C/eoAAut
生命のなかの至高の存在を目指すならば、そのような言葉を 話すべきでしょうか。 わたしは別に悪いこととは言いません。 ただ、仏陀の教えには三つの基礎があって、諸法無我はその ひとつですから、ここを間違って伝えられることは困るだけです。
824 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 06:18:23 ID:I24hxxMQ
植物への慈悲は環境保全のため必須だよね。CO2問題も植物なら解決できる。
825 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 06:22:08 ID:C/eoAAut
そだね。
「我が無い」というと「我がなくなる」と解釈しているようですけど、 我は捨てなくてはいけないという趣旨が分かれば、 「霊魂は不滅である」ということが悟れ、 中道=八正道というのも分かってくるでしょう。
827 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 06:58:58 ID:I24hxxMQ
輪廻も形而上学だから仏教では語らない。捨ておくのが賢明だよね。
828 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 07:21:23 ID:VLuQoDc/
829 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 07:27:37 ID:VLuQoDc/
830 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 07:50:37 ID:C/eoAAut
>>827 輪廻って、輪廻転生のことじゃないよ。
細胞が代謝するのも輪廻だし、毎日の生活も輪廻。
831 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 07:51:00 ID:C/eoAAut
ぬーお。 知らないで議論してるんやんけ。
832 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 07:53:19 ID:C/eoAAut
ものごとの成り立ちは、すべからく何かと何かの相依関係で 成り立っていて、どっちかが変わると関係性がかわり、全体と しての意味や状態が変わる。 相依関係(因果)のことを縁起といい、縁起による物事の変化(無常)を 輪廻というの。
833 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 07:56:41 ID:C/eoAAut
かなり単純にいうと、太鼓を叩くと音が鳴るのも縁起。 音が鳴ったのは太鼓を叩いたから。 太鼓を叩く(原因) 音が鳴った(結果) 太鼓がやぶれれば、音は成らない。 (どちらか一方でも変化すれば全体が変わる=無常) 全部、因と果の繰り返し。 もの(物質)にしても、こと(人間関係とか)にしても同じ。
834 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 07:58:18 ID:C/eoAAut
本当は議論の余地はないんだよ。 2500年前に回答でてるんだから。
835 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 08:03:18 ID:XDcbta9i
>>830 それらは単なる状態変化にすぎない。現象そのものじゃないか。
836 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 08:11:14 ID:VLuQoDc/
>>833 釈迦はそんなわかりきったことを言ったのではないよ。
佐倉さんも、「縁起・空」は、「時間的因果関係」ではない、と言って
いる。
837 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 08:17:12 ID:VLuQoDc/
輪廻転生説は、縁起を、「一方向の時間的因果関係」だと大きく誤解し た結果である。
838 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 08:19:56 ID:XDcbta9i
輪廻も涅槃も形而上学だね。だから言葉で語ることはできなく 語ればウソになるだけ。だから釈迦はそれらには無記を通した。 それらは悟った人に示されるだけだ。
839 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 08:24:56 ID:XDcbta9i
縁起は論理的因果関係だね。P→Qかつ¬P→¬Qの同値関係だ。 あれがあればこれがある、かつ、あれがなければこれがない。
840 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 08:28:11 ID:VLuQoDc/
>>839 そこには、経時的、時間的要素は、関係ないのだね。
841 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 08:49:14 ID:mKkSSF9m
>>826 >我が無い」というと「我がなくなる」と解釈しているようですけど、
>我は捨てなくてはいけないという趣旨が分かれば、
>「霊魂は不滅である」ということが悟れ、
>中道=八正道というのも分かってくるでしょう。
貴方の認識に同感です。
大衆(凡夫)に「霊魂は不滅である」と説くと、苦しみから脱することは
ますます難しくなるから、「無常」と「四諦」を説かれたのでしょう。
釈尊は一部高弟(阿羅漢クラス?)には「アートマンとブラフマンの常住」を
説かれたと認識しております。
説法の中身も大切ですが、私はいつも誰に対して説いたのか、その場に誰が
同席していたのかを注意しながら経典を読んでおります。
苦しんでいる人や自信満々のバラモンに説かれたのか?
アーナンダ、サーリプッタらに説かれたのか?
842 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 08:53:21 ID:VLuQoDc/
>>841 諸行無常なのに、「霊魂だけは不滅である」などというのは、全くの矛盾。
釈迦は、霊魂の存在など説いてはいないはず。
>>824 自分たちの都合のために利用することを慈悲とはいわんだろ。
844 :
宝珠愚者 :2009/05/13(水) 09:54:42 ID:t+A2GEbf
*スレ立て代行を依頼しました!
------------------------
>>752 失礼しました(全然、違いました)。
>>747 の年代は、以下の通りに訂正します。
ギーター(書物として)の成立年代は、
確かにあなたの云う通りで、1世紀前後です(〜4世紀までと諸説あり)。
しかし、物語の主人公/シュリ・クリシュナは「約2700年前(紀元前7世紀頃)」
に出現したといわれているのです。この物語は書物になる以前、
実に「800年間以上」も口誦伝承したことになります。
------------------------
>>760 >>762 大いに正しいと思います。
が、しかし、仏教枠としては適切ではないかも・・。
845 :
宝珠愚者 :2009/05/13(水) 09:56:08 ID:t+A2GEbf
>>769 「我」は「梵」の部分であり、
「梵」が「我」を反映しているのです。
梵が大海、我はコップで汲み取った海水かな?
そして、肝心なことは、
普段、私たちが意識している自己(表層意識/虚構の自我エゴ)というのは、
この「我」(アートマン/真実の自己)を自覚することができないのです。
そこに問題がある。
------------------------
>>841 >説法の中身も大切ですが、私はいつも誰に対して説いたのか、その場に誰が
>同席していたのかを注意しながら経典を読んでおります。
>苦しんでいる人や自信満々のバラモンに説かれたのか?
>アーナンダ、サーリプッタらに説かれたのか?
なるほど〜了解!
これが待機説法-理解の極意。
------------------------
>>842 無常である「諸行」にアートマンは該当しない。
諸行とは現象界のことであり、無常は現象界の性質のこと。
アートマンはこれら現象世界(色)とは異なるのです。
ゴータマは、それら“五蘊はアートマンに非(あら)ず”と説いた。
846 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 10:38:24 ID:TkzZ7GLG
>>645 「霊魂」などと対象化すれば、それはもはや現象界の一部となる。
847 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 10:38:52 ID:yeAcpeKc
↑うざい。そんなもん華厳さんがすでに解決済み。それにしても釈迦ってアホだ…
848 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 10:39:46 ID:yeAcpeKc
人間の尊厳を認めないすべての宗教はナンセンスである
850 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 10:45:06 ID:TkzZ7GLG
「絶対」を説いた宗教の開祖は掃いて捨てるほどいるが、「相対」に 思い至ったのは、釈迦のみである。そこに、釈迦の類い稀な偉大さがある。
851 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 11:07:54 ID:XDcbta9i
>>845 >無常である「諸行」にアートマンは該当しない。
諸行にアートマン(我)が有るならそれらは無常ではないでしょう。
だから諸法無我といわれる。すべての物事にアートマン(我)はない。
852 :
宝珠愚者 :2009/05/13(水) 11:22:44 ID:t+A2GEbf
>>851 >諸行にアートマン(我)が有るなら
ゴータマもバラモンの哲人も、誰もそんなことはいってない。
あなたが勝手にいってるだけ!
851が「ゴータマが諸行に我があるといった」と言ってるようには 到底見えないわけだが。 一体、何に反論してるのか謎だが、 必死なことだけはよくわかったwww
宝珠の大好きなアーガマを抱えてる 説一切有部は、三世実有、法体恒有だから、 意味的には「諸法有我」だろうな。
856 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 12:05:48 ID:I24hxxMQ
中論じゃないけど説一切有部は仏教を離れてしまったのは確かだよね。
857 :
暁 :2009/05/13(水) 12:25:00 ID:1B8YBat3
説一切有部など保守的仏教の教団人はとにかく独善的であったというね
858 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 12:27:57 ID:LjgS6G4E
>>849 だから、宝珠愚者さんが図書館で自歓喜経を借りて
前後関係を確認すると約束されておられるのです。
もし貴方が都会にお住まいならば、大型書店で春秋社
の長部経典を立ち読みして確認できるでしょう。
>>858 おられるって・・・w
何故、敬語をつかうwwww
860 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 13:20:11 ID:U9EO/WmZ
「『空』の主張は、初期仏教の根本主張をことばを換えて言い直したものだった と考えることもできる。そしてそれは、ひとことで言うなら、この世に超越は 存在しない、という認識である。 実際の仏教の歴史の中で、「空」についてのこのような理解が、さまざまな 信仰形態を伴った「宗教としての」仏教の主流となったことは、ほとんどなかった と言って大過ないだろう。しかし、仏教「思想」の独自の部分、他の宗教や思想や 神秘主義とは決定的に違う部分を追いつめてゆけば、こうした理解も可能になる はずである。そしてもしそうであったら、仏教は実にユニークな現実主義を説いた 思想だった、ということになるだろう。」(「事典 哲学の木」講談社発行より)
861 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 14:44:31 ID:U9EO/WmZ
「色即是空、空即是色 このことばは、言い換えるなら「現実世界はそのまま絶対である、絶対がその まま現実世界である」ということを意味することになる。これは、「経験的次 元の存在」と「表現不可能な絶対」との対立自体を、さらに「超越ー突破」し、 等号で結び付けようとしたところのことばであり、まさにこれ以上ありえない ような「現実肯定思想」を表現していることになる。」(「事典 哲学の木」 講談社発行より)
諸法はつまりはイデアだろ 説一切有部はギリシャの影響を受けて 仏教伝承をまとめて組織立て体系的にまとめたから バーと流布して、大乗仏教を生む下地になったし 上座部にも少なからぬ影響を与えた。 人間の感覚、その組織、対象を”法”として位置づけ、常住とした そして、この諸法に一つとして、我となるものがないために無我をとく 諸行無常はこの諸法のはたらきがとどめないことをいう この法の仮定をまちがいとしたのが竜樹で 法があるけど輪廻の主体ってなんだよってことから 荒屋敷を仮定したのが世親
863 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 16:06:43 ID:492dKQ24
>>840 >そこには、経時的、時間的要素は、関係ないのだね。
あれ・これに何を入れるかによるでしょう。
たとえば、生滅法、生まれたものは滅する、生まれなければ滅する事は無い。
これには時間の前後がある。生まれる前に滅する事は無い。
864 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 16:11:24 ID:492dKQ24
>>861 「絶対」を「絶対無」と置き換えれば西田哲学のままになるだろ。
865 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 16:23:13 ID:492dKQ24
たしかに、説一切有部の「三世実有 法体恒有」と仏教の法印 「諸行無常 諸法無我」とは論理的整合性がないと言われても 仕方が無いね。なんとも言い訳は出来ない。
三法印の成立が説一切有部の後だからな 正確には釈尊の教えのしるしではない
仏教の潮流としては瑜伽行派の勢力が強い そして瑜伽行は有部の影響をもろ受けている 竜樹は思想的に説得力があるが修行法が不明 仏教は苦行による煩悩を無くす方法 三昧による忘我状態を否定し、 真理を観じる方法として両方とも用いる。 だが、瑜伽行派はどっちかっていうと 忘我状態による梵我一如に流れているように思える
やっぱ、教義大系つくったのがでかかったんだろうな、有部。 そりゃ口伝口承による暗記による分散的知識からの全体把握と 背骨のある秩序立った体系的知じゃ、みんな簡単に分かる方を選ぶもんな そのために有部の教えを、竜樹が”あらずあらずあらず”と否定したあと じゃあ、なんなんだよと言う人たちに一言で説明するため 有部の教義を有為法として方便として使うほかなかった。 それから従来の教えと整合しない部分を無為法として開発し補完する必要があった。 これがアビダルマの部派仏教乱立の背景なんじゃないかな
869 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 17:52:18 ID:C0qAGhSa
>>863 >たとえば、生滅法、生まれたものは滅する、生まれなければ滅する事は無い。
>これには時間の前後がある。生まれる前に滅する事は無い。
それは単なる因果関係。「縁起・空」ではない。
>>864 > 「絶対」を「絶対無」と置き換えれば西田哲学のままになるだろ。
「絶対矛盾の自己同一」は、明らかに一神教の影響。しかし、「自己同一」で
きるのなら、「絶対矛盾」は初めからなかった訳だから、西田は論理矛盾。
人生とは、「絶対矛盾」との闘いである。「自己同一」など無意味で不要。
>>869 梵我一如は「なる」のではなく「ある」のだという主張は卓見かも。
「生命は」は最初からひとつということでしょうか。
宗教は「生命」をキーワードにしている。
聖書もクルアーンもヒンズー教も。
871 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 18:14:25 ID:F9T/xAzY
それではなぜ統合失調が現れるのでしょうか? 何千年あるいはそれ以上に渡り、神が語られるのはなぜでしょうか?
いろいろな人がいろいろなことを言う。 その中にはたぶん真実もある。その真実を守るのが教団なのだろう。 しかしまあ、そんな教団は数人だろうと思う。
873 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 18:46:15 ID:F9T/xAzY
答えははっきりしている。それは「空」じゃない。 みんな「生命」を指さしている。
874 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 19:55:23 ID:XDcbta9i
>>867 >そして瑜伽行は有部の影響をもろ受けている
有部というよりヒンズー教への先祖がえりだろうね。
>仏教は苦行による煩悩を無くす方法
これは効果が無いといって釈迦が捨てた方法だね。
>三昧による忘我状態を否定し、
そうだね。三昧は忘我状態ではなくはっきりと覚醒した状態を保つことだね
>だが、瑜伽行派はどっちかっていうと
>忘我状態による梵我一如に流れているように思える
これが仏教のヒンズー教への習合だね。日本での神仏習合と同じ状態だ。
仏教には依って立つ原理が無いからすぐ民俗と習合してしまう。
>>858 片山訳(及びPTS)を参照した上で言ってるんだがな・・。
それに、宝珠氏が確認したからといって、それが何になるんだい?
世の学者方を差し置いて、「宝珠氏によって確認されたこと」が、
もっとも妥当な(≒正解の)説だとでも言うんですか?w
尤も、
『(自)歓喜経』について、或いは『その中で述べられる「常住論」』について考察してる学者は居ないようだが・・・w
誰か、それっぽい論文知ってる人居る?
876 :
旧7 :2009/05/13(水) 20:23:56 ID:XOEZaco1
自歓喜経については、 宝珠氏も真言氏も意見を述べる予定のようだから、 気長に、且つ多大な期待を持って待たせて貰うよw
つか、宝珠氏は阿含経読めとか言ってた割に、自分が読んでなかったってことですか?
878 :
旧7 :2009/05/13(水) 21:53:05 ID:XOEZaco1
879 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 22:00:26 ID:F9T/xAzY
人間にとって一番大事なのは生命だろう。空ではない。 だったら答えは生命である。 いくら古文書を読んでも、これ以上の答えは出てこない。
>>879 > 人間にとって一番大事なのは生命だろう。
いや、そんなことないよ。死ぬことを厭わず何かすることとかあるし。
映画とか漫画とかだって、結構感動する時って命がけで何かする時でしょ。
命より大切な思い、みたいのが無かったら世の中相当殺伐としてると思うよ。
881 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 22:17:32 ID:XDcbta9i
人生にとって一番大切なのは遊びでしょう。 ♪「遊びやせんと生まれける」
882 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 22:25:09 ID:XDcbta9i
>>866 >三法印の成立が説一切有部の後だからな
三法印はアーガマから拾い出した句だね。
別に新たに発句したわけではない。
883 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 22:26:13 ID:F9T/xAzY
>>880 >>881 それらも生命が前提になる。
て言うか、わたしはご隠居じゃないよ。ファンのひとりですね。
884 :
旧7 :2009/05/13(水) 22:31:52 ID:XOEZaco1
>>880 『「自分の」いのち』と限定しない生命なら、ありえるんじゃね?
誰もが、街中で、公園で、住宅街で、行楽地で、子供連れを見かけると思うけど、
幼児を連れてるお爺ちゃんお婆ちゃん、お父さんお母さんの表情を見ると、
或いは、無関係でも他所の子の様子を見かけた大人達の表情を見ると、
「可愛くてしょうがないんだろうなぁ・・・」と思うものw
あの様子を見てると、もし、その子に何かあったら、もう、大変な騒ぎだろうと思う。
「孫を助けたければ○○しろ!」と言われたら、
たとえそれが法に触れようとも、誰かを害したり、或いは命を奪うようなことであっても、
(煩悶しながらも)、その子の為に行動に移すだろうと思う・・・。
そうした感情のベクトルに対して負のレッテルを張り、
問答無用に、無考察に、理念・理想・教義・目標・目的に反するからと、
滅すべきものとしての位置付けを与えることは、
「出家者及び涅槃を求める者」以外に要請されてはならないのではなかろうか・・・。
>>883 前提になることと、生命が一番大切かどうかは関係ないでしょ。
要は、人にとってはしばしば、
肉体的なものより精神性の方が大事になることがあるってことだと思うわけです。
そういう状況って滅多にないけど、たまにあるから人の心を動かす、と。
>>884 一番大切なものに命かける部分が養われていないと、出家しても悟れないんじゃないかと思う。
887 :
旧7 :2009/05/13(水) 23:05:40 ID:XOEZaco1
>>886 悟れない者はクズですかwww
悟りを求めない者はクズですかwww
そうですかwwwww
出家者に限っては悟りをめざしてもらわんと。檀家として困る。
889 :
旧7 :2009/05/13(水) 23:27:17 ID:XOEZaco1
890 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 23:49:31 ID:F9T/xAzY
空には実体がない。実体がないものは認識できない。 よって空は、永遠に悟れない。
891 :
旧7 :2009/05/13(水) 23:55:13 ID:XOEZaco1
ま、いいやw 日付変わる前に寝よう。 おやすみw ノシ
うむ
893 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 00:31:54 ID:4TBKu19I
>>890 空は、対象化できないから、空を目指していくら修行しても悟れず、
無意味。自分でいくら悟ったと思っても、それは空虚な自己満足か妄想
に過ぎない。
しかし、「空=色」であり、「色」は認識可能で、その「万物関連性」
は、論理的には自覚可能だから、「色の万物関連性(無自性)」を目標
とすれば、悟りが初めて可能になる。それが、前レスでの「事典哲学の
木」からの引用文の意味であろう。
自分の言葉で色即是空、空即是色を言い換えれば、「この世界(現実界)
は、単に人間の五感で知覚した世界に過ぎないから、空かもしれない。
しかし、その世界こそ、人間が現に生存し、また生存すべき、唯一の世
界なのである」と言える。それが、仏教の中心「思想」としての「現実
主義」の核心である。
生物的生命(生存)がなければ、すべては無である。宗教も悟りもへちま
もない。「精神性」は、その生命の「数多くの機能の一つ」に過ぎない
ことを自覚する必要がある。具象を離れた「精神性」は、具象に100%
依存して生命を維持するようにプログラムされている人間そのものに生
じたバグであり、狂気以外の何物でもない。
とりあえず論理性や言葉というものが実は杜撰で 穴だらけだということに気づかないと先がないね。
>>887 真剣に生きていれば、いずれどの道通っても悟りに行き着く。
その意味では悟りを求めないとクズかもしれないけど、
自覚的に求めるかどうかは必ずしも重要ではない気がする。
896 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 03:04:46 ID:4TBKu19I
>>895 そもそも、自覚的に悟りなど求めたら得られるわけがない。それは、悟りに対
する執着とエゴの行為に過ぎないからだ。それに、悟りの対象は、対象化でき
ないはずのものではないか。
悟りとは、他者との係わりの中で、ひたむきに生きることによってのみ、得られる
ことがあるもの。得られなくても別に構わない。そうやって生きたこと自体に
意味があるのだからだ。
897 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 08:19:03 ID:a7ZUU9LJ
要するに菩薩道ってこった
898 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 09:03:05 ID:1Bw2WHO5
次スレが建ちました!
(このスレを使い切ってから-宜しくお願いします)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1242183617/l50 *それにしてもアクセス規制(投稿不可)が長い・・ほぼ2ヶ月以上。
机さんもそうかもしれません。Yahoo BBは多分、全面規制が掛かっている。
本来ならば、もっと投稿者がいたでしょう。
私はPCで打った文章を携帯に送信して、コピー/ペーストで投稿しています。
ハァ〜(涙)
>>877 それは〜どうもスンマソン(涙)
まっ、総て読んですべてについて理解し、
その上で「コレコレである!」などと断言できるのであれば、
今頃、この私は一宗でも起こしてるでしょう!(笑)
>>880 同意!!
人間、命を捨ててまで守ろうとするほどの価値を見出すときがあるのです。
そこは最大限の美徳として、私たちには感じられるわけです。
歴史上、自己の命を捨ててまで何かを守ろうとした人々(殉教/殉職者)を無意味とは見なさい。
899 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 09:08:55 ID:1Bw2WHO5
>>861 >言い換えるなら「現実世界はそのまま絶対である、絶対がそのまま現実世界である」
>
>「現実肯定思想」を表現していることになる。
どなたの解説文なのか不明ですが・・
このような表現は通常、在り得ないと思います??
「色」、物質的な現象世界の一切(存在)は実在ではない。
それを「空」といい、空とは、すなわち色のことをいう、と。
それが「色即是空、空即是色」でしょう。
「絶対」という言葉はあまり使われない不適切なものであって、
もし強いていうならば、インド思想のいう「実在」が「絶対」存在なのです。
従って、現実世界が絶対だとする現実肯定の思想などとは、あべこべも酷過ぎです。
これは重要なことなので(誤解している人ばかりなので)、ついでにいうと・・。
「空即是色」なのだから、「空」であるのは森羅万象のこの物質現象世界のことです。
従って、私が何度もいってきたように、
解脱(物質世界の制約を超越)した存在である仏陀/如来は、空の枠外なのです。
その意識状態である如来の境地(ニルヴァーナ)も空などではない。
つまり、ニルヴァーナ意識こそが唯一なる実在なのです。
無常(空)なる世界を超越しているニルヴァーナ境は絶対にして永遠。
ニルヴァーナに安住するホトケとは、永久にして不滅の存在だということになる。
900 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 09:10:35 ID:1Bw2WHO5
>>874 >>仏教は苦行による煩悩を無くす方法
>これは効果が無いといって釈迦が捨てた方法だね。
それは内容と程度の問題であって、苦行そのものの価値を全面否定したわけではありません。
無意味な苦行と必要で基本的な苦行(タパスtapas/熱の意)とは違うと思います。
細かいようですみませんが・・これも重要な理解なので。
『(師は答えた)、「信仰が種である。苦行は雨である。智慧がわが軛と鋤とである。
慚は鋤棒である。意が縛る縄である。念いはわが鋤先と突棒とである。」』(スッタニパータ77)
>>896 > 悟りとは、他者との係わりの中で、ひたむきに生きることによってのみ
具体的に、どんなことしてるの?
このスレで見てる限りだと、
他人なんかそっちのけで自分の意見をゴリ押ししてるだけな気がするんだけど、
実際、どんな風にひたむきに他者と関わってるのかおしえてほしい。
それとも口で言ってるだけ?
902 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 09:41:02 ID:VsNgdwIX
>>900 >苦行そのものの価値を全面否定したわけではありません。
苦の滅を説く仏道が苦行をして何になるのかや?
苦集滅道の四諦はどこに忘れられてしまったのだ?
ブッダは苦行の変わりに禅定を勧めたハズだよ。
坐禅は苦行ではない。
903 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 09:41:40 ID:1Bw2WHO5
>>899 追記:
無常であり、常住でないものとは「色」。
それは、森羅万象の現象世界の一切存在のこと。
如来、及びニルヴァーナ境は永久不滅。
これを常住論として否定しては、仏教は成立しない。
常住論として否定したものは、無常なる物質世界。
ホトケも無常で常住ではない、などという話(理解)は、
「明日、ホトケはいないかもしれない」という実に頼りない見解です。
904 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 09:56:40 ID:VsNgdwIX
>>880 >命より大切な思い、みたいのが無かったら世の中相当殺伐としてると思うよ。
命より大切なイスラム原理主義としての自爆テロはあったね。
命より国が大切だと洗脳された神風特攻隊もあったね。
命より精神性を大切にする社会はろくなものにならない。
命あってのものだね、が良い。
非暴力、不殺生のほうが善だ。
905 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 10:13:08 ID:VsNgdwIX
>>903 >如来、及びニルヴァーナ境は永久不滅。
ほんとに阿含経を読んでるのかしら?
如来が死後に生存するか、生存しないか、生存しかつ生存しないか、
はたまた生存するのでもなく、かつ生存しないのでもないかという
難問は形而上学に属することであり仏陀はこれらの問いには常に無記
すなわち無回答であった、と阿含経は伝えてるんじゃないか?
906 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 10:14:08 ID:1Bw2WHO5
907 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 10:19:37 ID:NO7U9cnu
>>898 >>899 >歴史上、自己の命を捨ててまで何かを守ろうとした人々(殉教/殉職者)を
>無意味とは見なさい。
殉教者と殉職者とは、根本的に異なる。殉職者は、他者の生命を助けるために、
自分の生命を捨てた。殉教者は、自分の宗教的満足というエゴのために生命を
捨て、周囲の者たちを悲しみと苦しみのどん底に陥れた。その意味で、軽蔑に
値する存在。
釈迦であろうと如来であろうと、現実界に100%依存しない限り、一瞬も生
存できない、ということだよ。釈迦は、現実から遊離した妄想患者ではない。
一切皆苦も、すべて現実界の、肉体的苦しみ。
>>901 この社会を維持し、成員の生存を支えてくれているのは、宗教者でも有名人で
もなく、無数の無名の生活者たちです。広く社会を見渡してください。
908 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 10:25:25 ID:VsNgdwIX
>>906 スジャータの差し出す牛乳を飲んで涼しい菩提樹の下で楽な姿勢で
ただ坐って瞑想することがなんで苦行なんだ?
易行に決まってるだろ。
ヨーガが苦行だとでも思ってるのかな?
909 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 10:29:06 ID:1Bw2WHO5
>>905 つまり、それ(如来)は、
世俗の言葉でいう「在る」でも「無い」でもない状態だからです。
無記の姿勢というのは、
形而上存在についての議論は実を結ばない
(特に理解の及ばない凡夫や修行初歩者については)からでしょう。
「在る」でもなく「無い」でもない、如来の「実在」について示そうとしても
実際、多くの者にとっては理解し難いからです。
だから、議論するより修行せよ、といったのだと思います。
910 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 10:34:26 ID:jNRXKUQU
殉教者はかつぐ神輿として非常に便利。 生命の入れ物たる者、社会を煽って甘い汁を吸うべきである。 より気楽に生きるために自分の痛みを誤魔化すべきである。 何事においてもそうだが、使いこなせない奴に限って簡単に 不要、などと言うわけである。
911 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 10:40:07 ID:NO7U9cnu
>>909 修行しろ、修行しろ、のオウム信者が、一体何を悟ったのかねw。
妄想垂れ流すのは、いい加減で止めなさい。
君の一日の生活を振り返ってご覧。100%現実に依存して生きている
のではないのかね。飲んで、食って、着て、住んでいるのではないのかね。
そもそも、君の足元の大地が存在しなかったら、君は一瞬にして奈落の
底だw。
映画「道元」の核心は、道元の母の「浄土はこの世に築け」という言葉で
あったと、2chで誰かが言っていた。
912 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 10:44:15 ID:jNRXKUQU
タリバンやアルカイダの自爆テロ要員には障害者がけっこういるという。 その家庭にとっては、負担がなくなりました。 +立派な殉教者を出した家として一目置かれたりなんかしちゃったりするかも! 遺族の生命にとっては助かる話ではないか。ただでさえ生活が苦しいんだし。 心はまあ痛むけど、パンに腹は替えられぬ。
913 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 10:53:46 ID:1Bw2WHO5
>>911 その日々の日常生活のあり方(過ごし方)が修行。
その目的は世俗の言葉でいう“幸せ”ではなく、
ニルヴァーナに到達することが仏教の目指す目的。
それは輪廻から解脱した境地w
914 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 10:57:02 ID:NO7U9cnu
>>912 ジャーナリストの現地調査に基づく近著によると、自爆テロリストには、
比較的裕福で、しかもキリスト教からの改宗者が多いという。つまり、
貧困の故ではなく、単なる「自分探し」。宗教の狂気以外の何物でもない。
ビン・ラディンは、大変な財産家。彼を「宗教者ではない」などという
宗教学者がいたが、とんでもない、宗教の自己正当化。ビン・ラディン
が聞いたら、激怒するだろう。
915 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 11:02:32 ID:jNRXKUQU
麻原は生命に生き、勝利を勝ち取った男。まさにダビデに匹敵するいのちの勇者である。
盲学校では自分が他の生徒より視力があるというのに、それを利用する下種野郎であったが
宗教を利用することで楽しく生き、気に入った女を手に入れ、子孫も残した。
オウム信者はというと、ただの搾取対象であり敗者。サムライアリに捕まったほかの種類のアリみてーなもん。
生命を説くものがなぜ「敗者」ばかりを取り上げるのか?それを有効利用した「勝者」もいるというのに。
>>914 100パーセントとは言ってない。あくまで「けっこういる」だ。
単にボンボンどもは利用され、障害者の遺族はこの機会を有効活用した、ただそれだけの話よ。
916 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 11:08:15 ID:NO7U9cnu
>>915 麻原も、原始仏教、ヒンドゥー教、チベット仏教、キリスト教に嵌らな
かったら、有能な鍼灸師等として、社会に貢献することができたであろう。
彼も、宗教の痛ましい「犠牲者」の一人なのである。
917 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 11:15:58 ID:jNRXKUQU
ビン・ラディンも勝ち組。財産があり、しかも宗教者としての欲望も満たす機会に恵まれているとはコノヤロウ!
信仰題目錦の御旗に酔いつつ、殉教者をけしかけ称える薔薇色ライフはたまらんだろ……
息子からテロやめろよ……と言われたり国際社会に追われるのも、いい刺激だろう。
>>916 >かったら、有能な鍼灸師等として、社会に貢献することができたであろう。
なんで楽園生活よりも素晴らしいと言うんだい?障害者は健常者と同じくらい結婚
(子孫を残す機会)の機会に同等に恵まれているのかい?
生命の責務のため、彼の遺伝子のため、ほんとうに良いと言えるのかい?
たかが社会貢献と比べられるものなのかい?
918 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 11:22:44 ID:1Bw2WHO5
>>916 そういう考え方は改めたほうがいいと思います。
戦争でミサイルで大勢が死んだから「科学」が悪い。
故意に人を刺して殺しておきながら、この「包丁」が悪いといってるも同じ。
理解、及び使い方の問題です。
919 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 11:28:03 ID:NO7U9cnu
>>815 >生命を説くものがなぜ「敗者」ばかりを取り上げるのか?それを有効
>利用した「勝者」もいるというのに。
刑務所で大小便を垂れ流し、まもなく死刑台に登る麻原のどこが「勝利者」なの
かね。現実上の根拠皆無な宗教「観念」によって、生存本能(生命)が
完全に変容されたことの典型例。彼を慈しみ育ててきた両親の筆舌に耐
え難い苦しみも、想像できないのか。原因は、すべて「宗教」なのである。
麻原が処刑されれば、信者たちにとっては彼は間違いなくキリストにな
り、信者たちは彼を「神」として崇めることになるのである。宗教の
狂気極まれり、である。
麻原も宝珠愚者も、言ってることは「全く同じ」であるはず。
920 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 11:36:29 ID:jNRXKUQU
921 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 11:45:24 ID:NO7U9cnu
>>918 >戦争でミサイルで大勢が死んだから「科学」が悪い。
>故意に人を刺して殺しておきながら、この「包丁」が悪いといってる
>も同じ。理解、及び使い方の問題です。
君の、そのお決まりのあくなき宗教の「自己正当化」が、宗教洗脳患者
の 病理。
科学や包丁の目的は、人間の「生存」のためだぞ。宗教はそうではない。
目的が最初から根本的に違っているではないか。
君は、麻原を教義的に批判することは、全くできないはずだ。仏教スレで
なく、オウムスレに帰れ。
922 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 11:48:29 ID:1Bw2WHO5
苦行に関する、
>>900 >>906 の追記:
あなたのいう苦行放棄の説明はゴータマの成道の経緯としてのものであり、正しいですが、仏教が
実践する苦行とは、そのような当時のただ痛めつける行為のものではありません。苦行と訳すると誤
解を招くから止めるべきなのかもしれませんが、インド宗教的な伝統として「苦行」と呼称されることが
一般かと思います。できるならば「修養」などの言葉がいいでしょう。
水行、滝行もそうですし・・痛めつける修行ではなく、精神修養の精神力と忍耐を養うものでしょう。
これがないと、その先にある更に厳しい修行にはついていけなくなるからではないでしょうか?
『奈良: そうすると、「修行が雨である」というのが次ぎに出てまいりますが。
中村: この場合の修行は、元の言葉で、「タパス」といいますが、「修行、修養」のことをいうんです。
学者によってはこの「タパス」を「苦行(くぎょう)」と訳す方もございますし、また実際苦行を意味すること
もあるのですが、仏教の場合には、世間の苦行者が苦行を行っているから、その彼らの立場を一応
思いやりを持ってみて、なるほど、タパスというのはいいことだ、と。けれども本当のタパスは身体を苦
しめるようなことではないんだ、と。自分を修養することだ、というので、中味を改めているわけです。』
http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-223.htm
923 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 11:50:13 ID:jNRXKUQU
>>921 >君の、そのお決まりのあくなき宗教の「自己正当化」が、宗教洗脳患者
>の 病理。
そうよそうよ。誰もが救済され得る、と説く宗教がこれを言うと矛盾になる。
なぜなら上手く利用できる側にしか通用しないからだ。
敵国の科学がウゼェこと、刺した包丁がウゼェことには変わらない。
全体で部分は否定できんのだ。
とはいっても、もともと否定する必要もない。利用できるんならね。
924 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 11:51:58 ID:NO7U9cnu
>>920 君もオウムか。オウムスレに帰れ。
宗教の目的自体が、生存や共生のためではない。その宗教の基本的倒錯を理解
すること。
925 :
宝珠愚者 :2009/05/14(木) 11:59:28 ID:1Bw2WHO5
>>921 >君は、麻原を教義的に批判することは、全くできないはずだ。
まっ、ここではしませんが、
私はオウム出家者から一般信徒が持たない資料も入手していますし、
麻原の肉声説法カセットテープ(今や貴重か?)も数巻持っています。
もちろん教団機関誌なんかも目を通してます。
従って、如何に麻原には---間違いや誤認が多いか---をよく知っています。
(彼の教義は仏教に限定されず、多岐に渡っているので他方面の知識が必要)
だから私は、ここには自分は入信する意志が湧かないし、
ここに惹かれる若者を良しとは見れませんでした。
926 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 12:17:02 ID:NO7U9cnu
>>920 >>理解、及び使い方の問題です。
>この一点のみには同意する。
そこが根本的な倒錯。
既に述べたように、科学の目的は、人間の「生存(当然共生も含む)」のため。
使い方の問題などではなく、基本的目的の問題である。
科学による殺戮は「目的外」使用。だから非難される。宗教による殺戮は、
宗教者は正当化するだけで、根本的な批判は出来ない。すべて自分に跳ね返って
くるからである。
宗教が非難されたくなければ、すべての宗教の教義を「生命・生存・共生」に
変更すること。
927 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 12:24:48 ID:joW9Tp45
>>905 >如来が死後に生存するか、生存しないか、生存しかつ生存しないか、
>はたまた生存するのでもなく、かつ生存しないのでもないかという
>難問は形而上学に属することであり仏陀はこれらの問いには常に無記
>すなわち無回答であった、と阿含経は伝えてるんじゃないか?
あれー、シナの坊さん達が聴き手(凡夫)対象に大幅にカットしたのですか?
長部経典の半数以上に、梵天、神、転生、神通について明記されてます。
大本経では釈尊自ら如来の生まれ変わりを説かれてますよ。
釈尊の無記も説法相手次第でしょう。
また旧7氏に叱られるが、宝珠氏の春秋社版の確認を待ちましょう。
928 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 12:33:48 ID:AzCCMEud
オウムの麻原、タリバン指導者のオマル、どちらも目が悪い。 周囲が見えないので、自分だけの世界を築きやすかったのだろう。 めくら蛇に怖じず、といった効用が実際にある。
929 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 12:35:03 ID:WEBvdMwe
>>924 >宗教の目的自体が、生存や共生のためではない。
利用したモン勝ちと言ってるだけだよん。
>>926 >使い方の問題などではなく、基本的目的の問題である。
弱肉強食なこの世の中、
基本、なんていう固定観念を突破しなきゃならんことだってあるんだよ……!
別にその方法じゃなくて良くても、ついついやってみたくもなるんだよ……!
ちょっとした好奇心、いやフェチか!?まあ全ては結果論だぜ。
>科学による殺戮は「目的外」使用。
兵器はそうじゃない☆戦争は技術発展を促す☆
930 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 12:42:56 ID:AzCCMEud
自分のことしか考えない者はやがて愚か者になる。 神はそのように人を創造した。 神は偉大なり。
931 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 12:44:37 ID:WEBvdMwe
つか科学って欲を満たすために使うもんだよね。 楽したい、安全に暮らしたい、利益を確保したい、 知ることで満足したり便宜をはかりたいとか。 基本だの目的だのは各自が勝手に決めるもんだろ。
932 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 13:04:16 ID:WEBvdMwe
隠居って口で言う割りには生命に徹してないんだなあ、と
>>924 を見て感じた。
933 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 14:20:38 ID:NO7U9cnu
>>931 >つか科学って欲を満たすために使うもんだよね。
あたりまえだろ。生存本能は、人間を初めとするすべての動物に共通する本質。
しかし、これらの動物は、独りでは絶対に生きられないことを、これも本能的
に知っているから、その生存本能から、共同体形成・維持本能、自他の死への
恐れ、他者への思いやり(慈悲心・愛)という自然の感情が派生する。宗教は、
生存本能を否定するから、それらのすべてが失われてしまうのである。
934 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 14:28:18 ID:VsNgdwIX
>>903 また見つけた。w
>常住論として否定したものは、無常なる物質世界。
無常なのは心の世界も同じでしょう。心身すべてのものごとは
有為であり無常であり無我である、でそ。
935 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 14:32:49 ID:NO7U9cnu
宗教も、(1)現実界に100%依存し、(2)共生によって維持され る、(3)生命、の営みに過ぎないのだから、これらの3要素のいずれ かでも軽視・否定すれば、それは人間の営みとして、矛盾・倒錯であり、 すべての宗教の教義は、その矛盾・倒錯をなくすべく訂正されなければ ならない。
936 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 14:45:11 ID:NO7U9cnu
>>929 >兵器はそうじゃない
それも、宗教者特有の勘違い。兵器の本来の目的は、不当な侵害から
「自他の生命を守る」ことである。初めから人を殺す目的で兵器を
作るのは、殺人狂という精神異常者だけ。
937 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 15:28:49 ID:WEBvdMwe
>>933 >これらの動物は、独りでは絶対に生きられないことを、これも本能的に知っているから、
そ、他者を利用してるだけなわけ。全ての現存する生命は効率的に子孫を残せた連中の子孫。
>その生存本能から、共同体形成・維持本能、自他の死への恐れ、他者への思いやり(慈悲心・愛)という
生殖のチャンスを逃さないための本能だから、競争や障害の排除も抜いてはいけません。
>生存本能を否定するから、それらのすべてが失われてしまうのである。
性欲が駄目、といっても性欲は無くならない。どっかでたまに爆発する。
滅びない程度の欠陥なら生き残り続けてしまう点で文化と生物は似てるな。
>>936 で、その「本来」ってのは誰が決めるの?
「不当」ってのは誰にとってなの?
「人殺し」が何のために役立ってるかを考えよう。
938 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 15:50:01 ID:WEBvdMwe
見ていて思ったんだが >共同体形成・維持本能、自他の死への恐れ、他者への思いやり(慈悲心・愛)という イスラムって「自他の死への恐れ」以外の要素をむしろ強烈に持ってるな。 ウンマ形成・維持本能、他者への思いやり(ザカート・孤児や寡婦への気遣いetc)って感じか。 アメリカが仲間(障害者はまあ捧げる人もいるね)を殺すのを嫌っている点では 他人の死を嫌う要素はまあ、ある。自分の死については、ボンボンや障害者にやらせてる 時点で上にいるお前らはちゃっかり自分だけは死にたくないって本当は思ってるだろテロリスト共wwっていう。 この生命っぽさがイスラムパワーの秘密か?
>>904 自爆テロとか、特攻隊とか、そういう次元の話はしてないでしょ。
オウムが仏教ベースだったから仏教は無意味、というのと似たような論法ですよ。
これじゃ。
940 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 16:12:38 ID:WEBvdMwe
「輪廻体験 -神話の検証-」31ページによると来世を信じてる父親に 手術が失敗しても来世を信じてるならいいだろ、と息子が言ったら それは「冗談はよしてくれ。これは真剣な問題だ」と答えたという。 来世だけではホイホイ素直に死ぬ気にはなれないということだ。 追い詰められたり、煽られる必要が出てくる。 そうした場が生まれた場合、そこに居合わせた人間はその状況を どう利用するかが問われる。邪魔なのを行かせとくか、死んだ仲間を 用いてグループの結束力を強めてみるか? ミームみたいに文化を生き物のように考えて見るのも興味深い。 文化そのものの保存のためには、すぐに捨てられてしまうよりも 目的のためには命を捨ててくれるような端末があったほうがむしろ有利ではないか。 属してる端末連中の意識はともかく、それが上手く働けばその文化は生き残り広がり続けることができる。 歴史をたどりつつ仏教がなぜ生き延びてきたのかを考えて見るのも面白いかもしれない。
>>907 つまり、社会や無数無名のひとたちの事に話題を振ることによって、
口先だけで何もしない自分自身から目を背けたいってこと?
943 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 17:22:47 ID:VsNgdwIX
>>939 逆だよ。仏教では命より精神性が大事だなんてこと言ってないでしょ、
という確認のためのレスだけど。
ダンマパダから引用しておこうか。
129 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死を恐れる。己が身を
ひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
130 すべての者は暴力におびえる。すべての生き物にとって生命は
愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめては
ならぬ。
944 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 17:41:50 ID:W6USHnCI
>>935 >宗教も、(1)現実界に100%依存し、(2)共生によって維持され
>る、(3)生命、の営みに過ぎないのだから、これらの3要素のいずれ
>かでも軽視・否定すれば、それは人間の営みとして、矛盾・倒錯であり、
>すべての宗教の教義は、その矛盾・倒錯をなくすべく訂正されなければ
>ならない。
すぐれた見解です。 よくよく味わうべきだと思う。
主張ばかりではなく聞く耳をもとう。 そうすると聞こえてくるものがある。まず相手の話を聞こう。
946 :
曉 :2009/05/14(木) 17:56:26 ID:g5PT4rkp
教義に生まれ変わりや不変な魂やカルマが入るとカルトに化ける可能性がある オウムにしても私があなたの業を祓ってやるという余計な救済でしょ これ考えるとオーラのなんたらとかいう番組は怖いね。一番洗脳のツールとしては有効であろうテレビでそんなものを喧伝してるわけだから しかもゴールデンタイムに つかまだやってんのかね(笑)
>>943 それは他者の生命を大事にすることであって
自分の命を惜しむ話じゃないでしょう。
他人の命より自分の精神性が大事などという話は私はしてないよ。
自分の命より自分の精神性が大事という話。
>946 江原の番組はもう終わりという話を何かで読んだ。 前世の記憶とか守護霊とかオーラとかの話をしている時点でインチキですね。 あの類の人たちはものすごく口が達者です。 イエスも釈迦もあの世のことを話さなかった。 この世のことがわからないのに、どうしてあの世のことがわかろうか、 というスタンスですね。
>>946 NHK出版から2012年終末論の本が出てるのにはびびったわ。
と、思ったら『ゲーム脳の恐怖』すら出してる。NHKから何か言われないのかね。
NHKに逆輸入されたらそれはそれで祭りになるだろうな。
>>948 >イエスも釈迦もあの世のことを話さなかった。
釈迦のは再三出されてきたジャン。
>>949 目的は金儲けと見れば理解できる
釈迦は「無記」・・・そだね
>>950 わかんないから、ではなく役に立たないからいちいち説かないと
言っている。理由としては
>>909 みたいなとこだろね。
別のところでは語っているわけだしね。
天国に生まれることが目的でもなければ、神通力を得るためでもない。
それらはオマケのようなものであって第一目的ではない。
話題別にその時の仏陀の話し相手を統計的に分類したら面白いかも。
952 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 19:14:07 ID:g+XWE6Nk
>>951 法華経でも、これまで「常住不変のものは無い」と説いてこられた
釈尊が一転して、「実は世界も仏(神)も実相は常住不滅である」と
説き、弥勒菩薩ら高弟でも愕然とした次第です。(如来寿量品第十六)
話相手の分類欄に「弥勒菩薩ら」と書きましょう。
このスレ的に大乗「仏典」は最初から除外でいきましょう。
954 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 19:42:37 ID:VsNgdwIX
>>947 >自分の命を惜しむ話じゃないでしょう。
そんなこと無いでしょ。
すべての者には自分も含まれるでしょ。
己が身にひき比べて、だから自分の命も大事でしょ。
955 :
曉 :2009/05/14(木) 19:44:36 ID:g5PT4rkp
有部みたいな有法論ばかりになるのもやだな
956 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 19:45:50 ID:VsNgdwIX
>>954 PS
仏教でも自殺はしてはいけないことだろ。
釈迦が不死を悟ってブッダになったとき、もうこの世ですること
無いから自殺しようとして梵天に止められたんでしょ。
957 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 19:55:15 ID:8yWmBRZR
/\ /\ / \ / \ / ゙'----''"´ ヾ / `:、 / `: | i / 修行しろ、修行しろ、のオウム信者が、一体何を悟ったのかねw。 | | < 、、 | .,___., .,___., i \ ■ 妄想垂れ流すのは、いい加減で止めなさい。■ 、 ''"´`:、 υ*/ `丶,:' 、. . )________,,.,_,,.;: ''" / / ο
958 :
曉 :2009/05/14(木) 20:21:45 ID:g5PT4rkp
>>948 >>949 2006年12月9日未明、埼玉県川越市のマンションから中学2年の男子生徒が飛び降りて自殺を図った。
男子生徒の部屋の机には遺書のようなメモがあり、霊界の話を紹介するテレビ番組を家族と見たことに触れて
「絶対に俺は生まれ変わる。もっとできる人間になってくる。家族のみんな忘れないでいて。必ず会いに来る。ホントにゴメンサヨナラ」と書かれていた。
その後エバラの自著に、「自殺はいけない」と注意書きをしたらしいが、手遅れだ。
959 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 20:26:34 ID:TfzdElgE
なるほどね、生まれ変わりを信じこまされた哀れな犠牲者か
>>954 自分の命と自分の精神性の優先度の問題。
自分の命がいらないという意味じゃないんです。
まして無意味な自殺を推奨しているわけじゃないし。
ここまでこちらの文意を理解する気がないというのも、
それはそれで気持ちいいくらいですね。
>>953 それならそれでいいけど、有部みたいのをどうにかしないとな。
962 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 22:17:02 ID:joW9Tp45
>>953 >このスレ的に大乗「仏典」は最初から除外でいきましょう。
そうですか。それなら、最古層と言われるスタニパータでいいですか。
「もう二度と母胎に宿ることはない」と度々仏は転生を説かれ、三明智を使い、
読心通で釈尊は神々、バラモン達とテレパシーで会話をされておられます。
いづれも大衆やバラモンに質問されたら、「無記」対象の案件だと思います。
皆さんの解釈が傾きつつありますように、再生、神々、霊、神通も説かれて
ますが、それらは重要ではないとも釈尊は説かれているのでしょう。
テレパシー会話というのはどこにありますか?
964 :
神も仏も名無しさん :2009/05/14(木) 22:59:18 ID:NO7U9cnu
>>943 >129 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死を恐れる。己が身を
ひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
>130 すべての者は暴力におびえる。すべての生き物にとって生命は
愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめては
ならぬ。
いつも思うことだが、この言葉だけでも仏教の存在価値がる。「なぜ人を殺し
てはいけないか」の「原理」に思い至っている。「己が身にひきくらべて」と
いう言葉の、千金の重みを理解しなければならない。
一神教では、「殺すな」とはいうが、「何故」は説かない。開祖にも、わから
なかったのである。
一神教とは異なり、仏教が2500年間殆ど人を殺さなかったことの理由が
判るであろう。
ここの「自称仏教徒」には、仏教の理解が全く不十分なようだ。
>ここの「自称仏教徒」には、 誰のこと?宝珠愚者じゃないよな。自分で神智学徒だと言ってたし。
>>964 宗教による戦争や虐殺が起きる時、
大抵、他の宗教に「自分たちの宗教に比して劣悪なもの」というレッテルを貼ることが
原因になっている。もしくは正当化の理由になっている。
もし当事者たちが、他人の宗教を「己が身にひきくらべて」尊重する気持ちをもっていれば、 宗教戦争など起きはしなかっただろう。
本能を破壊されるので無理。あとキリストはウンコ。 よしこれで終わりだ。よかったよかった。 これでひとつ片付いたぞ。 ところで「宝珠愚者」でぐぐっても本人のサイトがヒットしないな。 googleでは引っかからないようにしてるのか?
一神教の世界で戦争が多い理由は、「他の宗教の劣悪さ」をあげ連ねることをやめないことと関係している。 一神教の国々では、常に他の宗教を見下してきた。他の宗教を蔑むこと自体が対立構造を生む。 その点、神仏習合したりしてきた仏教とは対照的な側面もある。 しかし西ヨーロッパ諸国では、長い血を血で洗う凄惨な戦争の末、ひとつの真理に到達する。 信教の自由の確立である。いまでは仏教国でさえ信教の自由を「基本的人権」として導入するに至っている。
ゴータマつったって、やっぱアジタさんには敵わないですょン!(笑
ttp://unkar.jp/read/gimpo.2ch.net/psy/1228627644 100 :神も仏も名無しさん[]:2008/12/08(月) 23:30:59 ID:w+Q0T7aG
>>72 アジタ・ケーサカンパラに聴けよ。
ブッダ当時、アジタは最も支持された自由思想家だった。
俺はブッダに次いでアジタの思想が好きだ。
生きているあいだを、悔いなく生きよ!(順世外道)
権力がこの思考を妨げるなら、打倒権力へ向かうことになる。
極めて現実的かつ革命的な思想であり、
アーリア民族侵略支配によるカースト制度絶対護持のバラモン『階級』にとっては
極めて危険な思想だった。
この意味では、建前は四民平等=行為主義、中道を掲げてカースト制度批判の鋭さを鈍らせた
ゴータマ・ブッダの思想の本質は中途半端な中道名目の観念論であり、
ボンボン育ちの脆弱さを露呈したものと言わざるを得ない。
101 :神も仏も名無しさん[]:2008/12/08(月) 23:34:59 ID:w+Q0T7aG
ブッダの四民平等=行為主義はアジタ・ケーサカンパラからの
パクリであることは言うまでもない。
>>969 外堀を埋めて改宗を促すイスラムってすげーよなー
あったまいい。でもズィン民になるのは嫌だな。
972 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 03:15:26 ID:7YE4HdJE
>>960 >しかし西ヨーロッパ諸国では、長い血を血で洗う凄惨な戦争の末、ひとつの
>真理に到達する。信教の自由の確立である。いまでは仏教国でさえ信教の自
>由を「基本的人権」として導入するに至っている。
「信教の自由」のために、カルトが蔓延し、社会に大きな害毒を流している。
パレスチナに信教の自由があるかね。カルトの唯一の武器は、「信教の自由」
である。
法律とは、現実界における人間の生存と共生を守るためのもの。これらに反する
宗教を保護することは、法律の自己矛盾である。
そもそも、信教の自由に最も反しているのが、宗教自体。他宗教の真理を認め
たら、宗教は成立しない。
人間の営みとして、信教の自由にも、制限と義務が伴う。日本国憲法の、「無
制限な信教の自由」は、憲法の実質上の制定者である米国の、キリスト教布教
のための異常な手段に過ぎないことは、明らかである。
973 :
てすと :2009/05/15(金) 04:33:58 ID:Wx7WNuew
ご隠居へ 2chはちょっと距離おくかも。 みく来ない? 個人情報教えるよ。
朝っぱらから果てしない脱力レスだなあ……
>>972 >「信教の自由」のために、カルトが蔓延し、
もはやなんでもあり、ものは言い様だな。実質自由を認めないイスラムが正しいわけか。
>そもそも、信教の自由に最も反しているのが、宗教自体。他宗教の真理を認め
>たら、宗教は成立しない。
あくまで社会のルールとしての話。そのための政教分離なわけ。
政治やってる奴の宗教をそのまま政治にはしない、という区別を行うわけ。
ああ、もうだめだわ。ID:iWl8sm7xさん。見ての通りだよ。
これから続くかもしれない不毛なやりとりを我慢できるなら、
回答してあげてもいいと思うが……。
975 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 08:18:45 ID:QsP5jm0D
>>972 >他宗教の真理を認めたら、宗教は成立しない。
それは一神教の宗教の場合だけだろ。
多神教や仏教のような無神教の宗教は並存できる。
一神教でも宗教の多元主義を認めるようになってきている。
976 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 08:24:37 ID:a9wgV3DP
>>974 社会に蔓延するカルト被害や宗教の病理に無関心なほうが異常。
政治は、人間の生存と共生のために、最も重要な営み。政治から宗教を排除
するという政教分離は、宗教が人間の生存と共生にとって如何に有害な代物
であるかを証明している。
>>972 > 法律とは、現実界における人間の生存と共生を守るためのもの。これらに反する
> 宗教を保護することは、法律の自己矛盾である。
反社会的な宗教は保護されていません。反社会的カルトであるオウムは宗教法人を剥奪されています。
少しはニュースを見ましょう。
> そもそも、信教の自由に最も反しているのが、宗教自体。他宗教の真理を認め
> たら、宗教は成立しない。
「信教の自由」確立後、実際に他宗教を認めても宗教として成立しています。
ヨハネパウロ二世の頃のカトリックは特にそうです。
そしてまた、ベネディクト16世を見る限り、イスラムなど「他宗教を敵視するような発言」をすると
法王自身が批判の対象になります。現代はそういう時代であって、
ローマ法王といえども「信教の自由」に抵触する発言に対しては訂正謝罪を求められるように
なっているのです。もう少しニュースを見るなりして、現実に目を開きましょう。
他の宗教の存在意義を認めることで、(たとえば)カトリックが成立しなくなるなんてことは今の時代はありません。
現にカトリックは存続しているのですから。
それどころか、他の宗教を認めず、他宗教への批判を繰り返すことの方が
宗教の存続に関わる時代になっているのです。
仏教といえども、他の宗教を攻撃し批判し蔑み、敵視しつづければ、今度は仏教が
戦争の火種となっていくでしょう。
仏教、キリスト教という「名前」はどうでもいいのです。ある宗教の人が他の宗教に
「劣悪のレッテルを貼る」という行為をすれば、その宗教が宗教戦争の原因となるのです。
>>976 政教分離は、信教の自由を守るためのシステムであって、
宗教自体が有害だという認識のもとで作られたシステムではありません。
現に日本には宗教法人法が存在し、宗教法人は公益性のある法人であるという認識のもとで
認可されます。
宗教を有害だとして全面禁止したのは社会主義国です。
しかし、100年もたたないうちに、
ソ連は解体し、中国も資本主義路線に改め、社会主義の中核の二国において
社会主義は破綻してしまいました。
社会主義的思想は、現実的には過去の遺物といっていいでしょう。
979 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 08:46:16 ID:a9wgV3DP
>>875 >多神教や仏教のような無神教の宗教は並存できる。
このスレを見る限り、仏教も忌むべき「一神教概念」に犯されているようだ。
>一神教でも宗教の多元主義を認めるようになってきている。
「宗教多元主義」など、宗教の本質上絶対に不可能。宗教多元主義を巡って、
宗教間・宗派間で激しい対立が生じている。そのうち、宗教多元主義を原因と
する殺し合いが生じるだろう。宗教学者も絶望的である。
比叡山で世界の宗教者が集まって、それぞれの神に対して平和を祈ったそうだが、
自分の神に祈れば祈るほど、対立は激化するということに、彼らは気付いて
いない。祈るなら、他宗教の神に対して祈るべきだったのだが、宗教者には、それは
絶対に不可能。ここに宗教の治癒不能な「病理」がある。
980 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 08:59:23 ID:a9wgV3DP
>>978 >宗教法人は公益性のある法人
「宗教は善である」という前提が、根本的に誤り。事実は、その正反対
を証明している。
>宗教を有害だとして全面禁止したのは社会主義国です。
マルクス主義もナチスも、キリスト教起源。マルクス主義は、現実には
ありえない「共産主義ユートピア(神の国)」の観念信仰の宗教の一種。
「擬似宗教」と呼ばれる。「宗教は阿片」は、お決まりの「宗教間紛争」
に過ぎない。
マルクスも、ヒットラーも、スターリンも、アフリカにおける民族浄化の
首謀者たちも、すべてキリスト教のリーダー。ホロコーストのプログラ
ムは、すでにルターによってそっくりそのまま提案されている。イエス
の「教え」の必然的な結果である。
> このスレを見る限り、仏教も忌むべき「一神教概念」に犯されているようだ。 忌むべきといってる時点で、既に「忌むべき」という考え方自体が 時代遅れであると同時に、ひいては戦争の原因であるわけです。 > 「宗教多元主義」など、宗教の本質上絶対に不可能 というのが思いこみにすぎないことが、現代社会では実証されているわけです。 どうも20世紀前半で思考が止まっているようですが、時代は変化しているので そろそろアップデートしないとまずいんじゃないでしょうか。
> 「宗教は善である」という前提が、根本的に誤り。事実は、その正反対 > を証明している。 現代の日本を否定するのも自由ですが、その発言はやや反社会的ですね。 事実はその正反対を証明していて、宗教を完全否定した 旧ソ連や中国の方が破綻しています。これが現実です。 マルクスも、ヒットラーも、スターリンも、アフリカにおける民族浄化の 首謀者たちも、すべて「他の宗教、他のイデオロギーなどに劣悪のレッテルを貼る」ことをしています。 他の宗教を尊重せず、劣悪のレッテルを貼るということの恐ろしさが理解できますでしょうか。 一神教に「他の宗教に劣悪のレッテルを貼る」要素がある部分に関しては、それを撤廃すべきである というのが現代の思想です。
983 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 09:08:08 ID:a9wgV3DP
>>977 >反社会的な宗教は保護されていません。
果てしない殺し合いを続けるキリスト教やイスラームは、「反社会的な
宗教」ではないのかね。実質上の一神教であるヒンドゥー教は、どうか。
>>983 キリスト教やイスラム教がヒンドゥー教の宗教団体がサリン事件のようなことを行えば、
宗教法人を剥奪されるのは間違いありません。
日本では、これらの宗教が果てしなく殺し合いを続けているという事実はありませんから、
その対象にならないわけです。
985 :
曉 :2009/05/15(金) 09:12:30 ID:Jlklo/+J
宗教法人格の取得は、オウム事件以降非常に取得が困難となりました。 しかし、そこには青空宗教法人などの裏技も存在し、システム自体を改善する必要があるだろう。 問題なのは、宗教法人は運営できなくなっても倒産が無いということです。つまり、運営困難潰れても宗教法人格は残るつうことですね。 実体は無くなるが権利が残るこのシステムに、新たな宗教なりカルトが目を付けるわけだ。 ちなみにオウム以降値上がりしたらしく、五千万くらいだという。 この法人資格が、カルトに取得されると厄介なんですね。一度取得すれば、外野がその教義を問うことはできない。たとえそれが明らかにおかしな教義でもね。 もしもそれを指摘すると、たちまち憲法違反になるのです。いわば印籠、免罪符的役割を果たすわけですぬ。 そりゃカルトにしてみれば、喉から手がでる程欲しい資格なわけですよ。
986 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 09:23:36 ID:a9wgV3DP
宗教者がいくら言い訳しても、人間の営みでありながら、その生命と 共生以外に「最大の価値」を認める宗教は、すべて人間にとって有害な 営みであることは、否定できない。 創唱宗教が、例外なく、その開祖の精神障害から発生したことが、この 害悪の原因である。 古代人の宗教は、彼らの生存の「手段」として発生した。彼らにとっては、 生存のための「現実性・合理性・科学性」の表れであり、現代の科学の 代替品であった。創唱宗教とは異なり、彼らは、生存の「手段」である 宗教を、その「目的」とするような倒錯には陥ってはいなかった。 科学の、いかなる宗教の奇跡もはるかに及ばない飛躍的な発達により、 宗教の役割も必要性も消滅した。 「架空の神」から、すべての現実の人間の生命と、その生命を支える自 然への、パラダイムの大転換こそ、現代人の喫緊の責務である。
> 宗教者がいくら言い訳しても、人間の営みでありながら、その生命と > 共生以外に「最大の価値」を認める宗教は、すべて人間にとって有害な > 営みであることは、否定できない。 他に最大の価値を認めていようといなかろうと 反社会的でなければ、社会にとって有害とはいえない。 いくら生命を重んじると言っていようと、 他の宗教に「劣悪」のレッテルを貼るのであれば、 やっていることは昔のキリスト教と同じなのである。
988 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 09:41:07 ID:a9wgV3DP
>>995 そのとおりですね。
現に、公務員が、憲法の「信教の自由」に金縛りになって、宗教と名が
付けば、怯え切ってしまい、一切手出しができないのが、最大の問題。
その実情は、常軌を逸しています。
「信教の自由」の見直しこそ、喫緊の課題でしょう。「宗教が善」などと
いう前提は、現実にはどこにも存在しないのですから。家族の一員が宗教
に嵌ったため家庭が破壊される実例は、無数に生じています。現実上の
根拠皆無な宗教観念によって、生来の人格が変容・破壊され、現実と社会
常識から逸脱してしまうのですから、家庭の破壊は必然的です。
宗教とは、「人為的に狂気を作り出す営み」以外の何物でもありません。
989 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 09:45:01 ID:a9wgV3DP
>>984 >キリスト教やイスラム教がヒンドゥー教の宗教団体がサリン事件のよ
>うなことを行えば、宗教法人を剥奪されるのは間違いありません。
オウムの数千倍、数万倍の人を殺しているではないか。君も既に宗教に
よって、精神を犯されてしまっているね。
> 家族の一員が宗教 > に嵌ったため家庭が破壊される実例は、無数に生じています。現実上の > 根拠皆無な宗教観念によって、生来の人格が変容・破壊され、現実と社会 > 常識から逸脱してしまうのですから、家庭の破壊は必然的です。 自分以外の家族に自分の宗教を押しつけることが不幸の原因です。 もし、自分以外の思想を相手が持っていることを尊重することができれば このような不幸は起きないのです。 他の宗教のことを口汚く罵り、蔑み、劣悪、無用のレッテルを貼るような 人間の心が、このような現象を招いています。
991 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 09:50:25 ID:a9wgV3DP
>>987 >反社会的でなければ、社会にとって有害とはいえない。
人間の生来の人格を変容・破壊し、現実と社会常識からの逸脱を生じさせ、
家庭を破壊することが、「反社会的」ではない、とでもいうのかね。
>>989 オウムの数千倍、数万倍というのは、いつの時代、どこの場所の話ですか?
それが現代日本と何の関係があるのでしょうか?
993 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 09:56:04 ID:a9wgV3DP
>>990 宗教患者の、お決まりの言い分。
>自分以外の家族に自分の宗教を押しつけることが不幸の原因です。
>もし、自分以外の思想を相手が持っていることを尊重することができ
>ればこのような不幸は起きないのです。
>他の宗教のことを口汚く罵り、蔑み、劣悪、無用のレッテルを貼るよ
>うな 人間の心が、このような現象を招いています。
それらはいずれも、「宗教」にこそ当てはまるもの。
>>991 >>990 反社会的だと思いますよ。
他者の宗教、他者のイデオロギーに対して否定し、蔑み、劣悪のレッテルを貼り、
無用よばわりをして、自分のイデオロギーに染め上げようとすること、
信教の自由を犯す、ということの恐ろしさがよく出ていると思います。
>>993 それ故に、現代では宗教といえども他の宗教やイデオロギーに対する信教の自由を守ることが
必要だとされているのです。宗教よりも信教の自由。これが私がずっと言っていることです。
他の宗教を蔑み、劣悪のレッテルを貼り、無用呼ばわりすることは、
生命を尊重するといっていたとしても「宗教の危険」そのものです。
996 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 10:02:02 ID:a9wgV3DP
>>992 日本のことを言っているのではない。中東の情勢は、構わないのかね。
宗教戦争や宗教被害について、目を背けずに、もっと勉強すること。
とりあえずは、岩波キリスト教事典の「宗教戦争」の項にでも、目を
通すだけでも、少しは違ってくるだろう。それとも、既に宗教に犯されて
いるから、無理か。
997 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 10:07:52 ID:a9wgV3DP
>>994 君の書き込み自体が、宗教の病理を完全に証明している。
反現実・反人間を目的とする宗教が、現実の人間社会に害毒を及ぼすこ
とは、あまりにも当然だろう。
>>996 大昔に宗教戦争があったからといっても、今後も反社会的活動をする可能性がないものに関して
規制する必要はないでしょう。
自爆テロをするような特定カルトに対しては、もし日本に支部ができたとしたら規制されるでしょう。
アルカイダなどの組織は、反社会的なものとして日本であっても規制の対象になるでしょう。
>>997 反社会的な宗教はダメだというのが私の主張です。
もうすこしよく文章を読んでみましょうね。
1000 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 10:16:49 ID:a9wgV3DP
>>998 宗教に精神を犯され、現実性と社会常識から逸脱し、一度きりの人生を
ムダにしてしまった、多数の宗教被害者のことを、一体どう思っている
のかね。
一旦宗教の呪縛に嵌れば、幸いにしてその呪縛から逃れることが出来ても、
本人及びその家族とも、「のた打ち回る苦しみ」を経験しなければならな
いのだぞ。宗教ほどの人間に対する害悪は、他にはないのである。
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