>>581 自歓喜経では、(その状況設定としては)、
・舎利弗は、(【ほぼ】)悟ったあとのこと。 (→ ここも結構問題ですねw)
・舎利弗が賞賛している仏説は、それ以前にすでに釈尊によって説かれ、
舎利弗が自分のものとしているということ。
文献学的には、
どちらの成立がより古いのか?
その内容の確立がどちらの方が古いのか?
経典の成立の課程においてどのような作用があったのか?
仏典に対する敬意を最大限に持つならば、
長部第一番目に梵網経、28番目に自歓喜経という位置付けをどう見るか。
そして何より、常住論を仏説とみるかどうか・・・?
一言で切り捨てられるもんじゃない。