【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】7
1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 12:42:18 ID:SzJBuvpS
3 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 12:42:51 ID:SzJBuvpS
4 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 12:43:38 ID:SzJBuvpS
スレ6/650
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/650 何が「意図的」だ!何か、この私がわざと嘘ぶいてるような言い掛かりは辞めて頂きたい。
まったく〜しょうがないから、もう少し説明しましょう。
この私は、人間から動物や虫けらにも転生するという話については、実際はゴータマが説いたのでは
なく、教典制作の後付けの疑いすらも抱くのですよ(コレに関しては)。何故なら、ゴータマは肉食を禁じ
なかったからです。
もし本当に、自分のおじいちゃんが動物にも生まれ変わるのであれば、とても肉食のできよう筈はなく、
ゴータマはきっと、「あなたたちの先祖の生まれ変わりであることも十分にあるので、弟子たる者は決し
て肉食をしないように」と、こうハッキリに教えたことでしょう!肉食をしないジャイナ教をみればそれは明
らかなことです。ゴータマならその肉が生前は誰のおじいちゃんであったかも見通せるでしょう。「ちょっと
待った!その焼肉は君のおじいちゃんだぞ〜!」といって、それを聞かされた弟子は驚いて、口から肉
を吐き出すことになる。
しかし、ゴータマの態度は全く違ったのです。単に殺生を禁じているだけであって、三種の浄肉に関して
は食することを認めていました。このことからも人間が動物に生まれ変わってくるというのはナンセンスな
のです。
「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習する
こと、他人の妻に親近すること、──これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。」
(スッタニパータ242)
「三種の浄肉(さんしゅのじょうにく)とは、初期仏教の僧が托鉢の際、自らが戒律中五戒の不殺生戒を
犯さない布施の場合は肉食してよいというもの。その条件は、次のとおり。
殺されるところを見ていない
自分に供するために殺したと聞いていない
自分に供するために殺したと知らない。 (見聞知)」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
5 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 12:50:49 ID:SzJBuvpS
私はゴータマが教えたとは考え難いのですが、その何れにせよ、仏典における動物や虫けらへの転生
の話というのは、人々を悪事に対して戒めて、行為を慎むよう仕向けるための方便(良い意味での)だっ
たのです。誰でも人間以外の下等生命への生まれ変わりほど嫌なものはないからです。
それでは、どうして人間から動物(人間以外の下等生命)への転生はないのか。何故ならば、転生の法
則とは人生経験の蓄積による意識の進化を促すものであるからです。経験は次の成長へのステップであ
って、決して全体としての成長過程としては下降線を辿ることはないからです。人生を繰り返し経験するこ
とで人は「学び」を得、同じ過ちを回避できるようになり、その教訓から成長していきます。これを人間の
進化という(これは意識の進化であり、肉体上の進化ではない)。従って、人生で獲得した経験を活かすべ
く、人は人間よりも下等な生命へと転生するといった下降線を辿ることはない。人間は繰り返し転生して、
人生経験を積むことで成長していき、やがて最終的には人間のレベルを超越する段階へと進化する。通
常の人間としての全ての必要経験レッスンを経て、それを卒業した存在を仏陀という。これが全ての人間
の目標なのです。
>ただ転生といっても霊の世界はもっと重層的になっていて
>AさんがBさんに転生した、というような一対一対応のものではどうもないらしい。
それをオカルトという(笑)
6 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 12:52:15 ID:SzJBuvpS
スレ6/675
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/675 >他の動物もちゃんと共生を続けているのは、善悪をわきまえている証拠。
>観念ではなく、肉体的本能として、「共生のための技術」である「善悪」を知っている。
>彼らは、「単なる観念(宗教)」のために、殺しあったり、争いあったりはしない。
>この意味で、人間こそ「犬畜生にも劣る存在」ではないのか。
動物のそれは「善悪」ではなく、利己的遺伝子による意志(本能)に従って反応してるだけの状態を示し
ます。
その通り--人間だけが「善悪」といった価値基準を持ちます。その基準は相対的であり、人によって異な
るのです。戦争といった同種族間の殺し合いは生物界でも人間しか行いません。そして、その原動力には
宗教があることはこの私も認めます。如何なることがあっても殺人を肯定すべぎはありません。宗教上の
理由で殺人(及び戦争)を行っている人は間違っています。
如何に仏教に博学で仏道修行に精通していようとも、殺人を犯すような人間よりは、当然、仏教も宗教も
何も知らないが、破壊行為をせず穏やかで、他者にも慈愛心が持てるような人のほうが遥かに良いです。
7 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 12:52:42 ID:SzJBuvpS
>旧約聖書は、「人間が、自然状態を離れ、神のようになり、善悪をしること」
>を、「原罪」であると喝破した。この意味で、イエスこそ、原罪の権化である。
意味不明。仏典が理解できない者に聖書だって読める筈がないわ。
>釈迦は、科学の発達以前の人。多数の誤りがあるのが当然。それを訂正するのが現代人の義務。
断滅(死んだら終わり)は外道といって、間違った見解であるという立場が仏教なのです。この科学的な常
識に反する姿勢は、ゴータマが大いなる神秘体験によって確認したものです。
>そもそも、君が死ねば、君の感覚器官も思考期間も灰になって機能しなくなるのに、
>君はどうやって来世を認識する積りなのかね。君の来世の視察旅行の報告を待っているよw。
修行が進んで阿羅漢の境地に達すると全ての過去世の記憶が蘇るのです。
>すべての誤りを訂正した後に残るのを、「真理」という。釈迦には、この意味の「真理」は皆無だというのか。
今は自分は未熟故、全てを実体験して確認できませんが、ゴータマの教えとその人(人柄)について---大
変、尊敬でき心から信頼すべき方であると私は見なしています。従って、未だ体験できない事柄についても
私は大きく信頼を寄せることができます。
話は簡単なことです。そんなにゴータマの教えが信用できない人は仏教を信奉する必要がない。ゴータマ
も会員増やしなどはしていないw
8 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 12:55:00 ID:SzJBuvpS
スレ6/710
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/710 >「人(一般に)は死後に生存するか」は尋ねずに如来についてのみ尋ねるのはいかにも不自然ですね。
そんなことはない。一般人の死後については、世間には一定の見解(信仰)がすでに浸透しており、そ
れを知っている。しかし、如来の場合はどうなのか?それは誰も知らず、想像すらつかないことでしょう。
それが知りたい、というのはごく当然のことです。
>これらはジャータカ物語のように物語と考えるのが常識的。内容はブッダの思想を過去世(フィクション)
>という形式で表現したジャータカ物語と似たようなものなのだから。
そんなものじゃない。これを認めなければ仏教の教えは成立し得ない。出家までして生涯を掛けて修行
し、それは一体、何から解脱するの?「転生など最初からない」と知ることとか・・「人間死んだら肉体が無
いから終わりだ」とか・・そんな話のために命懸けの修行をするのではない。そんなんなら、悩み事を解消
するただの心理カウンセラーだけで十分だな。
スレ6/715
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/715 輪廻転生からの解脱。これが仏教の目的です。目的を見失わないことは大切なのです。自分が何のた
めに修行するのかが自覚できていないと、厳しい修行についていけなくなるからです。
9 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 12:55:32 ID:SzJBuvpS
スレ6/703
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/703 私もカラスさんのこの喩はとても分りいいと思います。
つまり、話はこういうことになる・・・例えば、他人様の眼を潰した悪い奴がいて、仮に生涯、死ぬまで捕
まることなく無事にこの世を去った。ところが、この人は後の世に別人格として生まれてくる。
当然、彼には過去世の記憶はないが、生まれながらの盲目だった(必ずしも全く同一の果報とは限らな
いが話を分りやすくします)。彼はその原因を医師を通じて両親からは遺伝だと知らされる・・。彼は、「何
故、自分だけがこんな目に合うのか」と嘆き悲しむが、周囲の人々は「それは偶然だからしょうがないよ」
といって慰める。
また彼は、仏典を読んで聞かせてもらうことが唯一の楽しみだった。ところが彼は、話を自己流に解釈
し、仏典に出てくる業による来世への果報については断固して信じなかった。「人間、死んだら終わりだ。
受け継ぐ何ものもあろう筈がない。科学の常識からも矛盾すると・・。」
しかし、その彼もな〜んと、あれから1万年ほどが経過して成長しており、遂には阿羅漢となった。彼は
その時、宿命智の神秘体験を経て、実に7生前の過去世で他人の眼を潰して、その結果して次の生では
生まれつきの盲目となったことを如実に知った。「う〜む、これが業の力なのか・・。」 彼は今、やっとゴー
タマの教えを全て真実であったとして、それを直知したのです。
10 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 13:01:24 ID:84UUQWid
無我なのに輪廻転生とはこれいかに、 w w
11 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 13:26:20 ID:SzJBuvpS
>>10 「無我」は「アートマンはない」という意味ではなりません。勉強して下さい!
『三法印の一「諸法無我」は厳密には「諸法非我」と訳されるべき。諸法(=一切の存在)とはなにか?「そ
れは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体
と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが『一切』と呼ばれるものである。」(SN. 33.1.3)
一切の作られたものは無常 sabbe sa!kh?r? anicc? (Dhp.277)
一切の作られたものは苦 sabbe sa!kh?r? dukkh? (Dhp.278)
一切の存在は無我 sabbe dhamm? anatt? (Dhp.279)
「比丘たちよ、眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である。すべ
て無我なるものは『これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあらず。』と、この
ように正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。比丘たちよ、耳について言うも同じであ
る。鼻について言うも同じである。舌について言うも同じである。身について言うも同じであり、また、意につ
いて言うも同じである。」(SN. 35:1)
*ここでいう苦(dukkh?)とは、苦痛とか苦悩という意味ではなく、「思い通りにならない」ことである。無常で
自分の思い通りにならないようなものを「アートマン」と呼ぶことはできない、という趣旨である。
すなわち、釈尊がアートマンを否定する論法は、「一切とは何か」を規定し、「そのいずれもがアートマンで
はあり得ない」というもので、「アートマンは存在しない」と主張したのではない。』(諸法無我と諸法非我)
12 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 13:26:49 ID:SzJBuvpS
『仏教は無我説を立てることで有名であるが、その思想内容は歴史的にかなりな変遷がある。それにと
もない「諸法無我」の解釈にも変化がみられる。
無我説の始まりは、最古層の経典の執着するな、わがものという観念をすてよという教えにある。初期
の無我説は、「我は存在しない」ことを説くのではない。倫理主体としての真の我の確立は、むしろ積極
的に求められていた。
「常に思念をたもち、自己に関する誤った見解を捨てて、世界を空なるものとして観よ。そうすれば、死
を超越したものとなるであろう。このように世界を考察するものは、死神には見えない。」(Sn.1119.)
無我説はこのように、我(自己)ではないものを我(自己)であると思いこだわることをやめよ、という教
えから始まる。当初の「諸法無我」は、無執着の立場から、「すべての事物は我(自己)ではない」と説か
れたものである。したがって、無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。
原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつ
について「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説か
れる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。ここ
では、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」
という主張を含んでいると考えられる。』
(インド思想史略説/第2節 原始仏教の教理)
13 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 13:27:14 ID:SzJBuvpS
『例えばブッダの根本教説のひとつとされる「無我」の教えについていえば、それは無主体とか無霊魂と
いうことではなかった。無我の「我」とはウパニシャッドの哲学に説く絶対原理であるアートマンのことである。
ブッダはアートマンの絶対性を自己自身のものと誤認してはならないとして、執われの自我を捨て、我執な
き本来の自己を表現すべきであると説いた。無我とは真の主体性の確立ということであった。決して自我
の否定とか主体性の放棄を意味するものではなかった。』
(インド思想史/早島鏡正・高嶋直道・原実・前田専学著-東京大学出版会刊)
「最初期の仏教が多く、『わがもの』という所有観念を捨てるべきことを教え、アートマンに関しては、アー
トマンを愛し、護り、アートマンを実現すべきことを強調するのに対して、散文の部分においては、むしろわ
れわれが対象的に把捉し得る何ものもアートマンではない、ということを強調する。ところで散文の部分で
強調されている思想を受けて、後世になると遂に『アートマンは存在しない』という意味の無我説が確立す
るに至った」(「自我と無我」中村元著)
14 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 13:37:05 ID:TeML1ath
原始仏教で輪廻の主体が識とされることはあります。
「病あつきヴァッカリ」です。中公の世界の名著1、451-456
状況を要約します。病の床についたヴァッカリ尊者のもとへ釈尊がいらして、語りかけます。
釈尊:悩みや後悔がないか?
ヴァッカリ尊者:ある
釈尊:では戒律は清浄だったか?
ヴァッカリ尊者:清浄
釈尊:清浄なら悩みや後悔などないではないか!
ヴァッカリ尊者:釈尊にお目にかかる体力がないこと 以下引用、
「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい。おまえが、(わたしのやがては)腐敗してゆく
この肉身を見たからといって、それがいったい何になろう。ヴァッカリよ、ものごとの理法を
正しく見る者は、わたしを見るのであり、わたしを見る者は、ものごとの理法を正しく見ること
になるのです。ヴァッカリよ、ものごとの理法を正しく見ている者は、(結局その理法にほかな
らない、この)わたしを見ていることになり、わたしを見ている者は、(結局のところ)もの
ごとの理法を正しく見ていることになるからです。
ヴァッカリよ、ものは、永遠に不変のものなのか、それとも無常なのか、
おまえはこのことをどう考えるか」
「師よ、無常です」
「感受、想念、因果的存在、心は永遠に不変なのか、それとも無常なのか」
「師よ、(それらはすべて)無常なものです」
「こういうわけだから、このように(すべてのものが無常であることを)みて、再びこの(苦の)
世界に生をうけることはないと知るのである」
この後ヴァッカリ尊者は無常を覚り、自殺する。すると悪魔がヴァッカリ尊者の魂を探すが、
魂は止まることなく涅槃したことを釈尊がみなに告げる。
15 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 13:37:30 ID:TeML1ath
ヴァッカリ尊者のように自殺して涅槃に入ったケースにゴーディカ尊者がいます。
六度解脱し六度解脱から後退した彼は、七度目に解脱した時に自殺し涅槃する。
悪魔がゴーディカ尊者の魂を探すが、見つからない。釈尊は彼が涅槃したことを讃える。
中村元訳『悪魔との対話』岩波文庫 48-52
「魂」(世界の名著1、456)「識別力」(悪魔との対話、52)と訳される viJJAna つまり、識!
中村元さんは註で「一種の魂、霊魂のようなものを考えていたのであろう」(324)としてます。
原始仏教について最も権威のある水野弘元先生も『仏教要語の基礎知識』初版149で、
外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として
業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
これが中観派で言われる縁起して旋火輪のように生成し同一性を保つように持続する心相続に他なりません。
これは死後だけでなく、現在の我々の自己同一性を保っているかのように見える自我意識も全く同じです。
だから、モークシャーカラグプタの輪廻の論証も次のように説かれます。中公の世界の名著2、532
心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、たとえば現在の心のように。
死ぬときの心も、心にかわりはない。(だから来世の心と結びつく)
以上のように「精査してからコメントしろ」とは電波男の全ての書き込みに言えることです。
16 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 13:40:30 ID:SzJBuvpS
「初期仏教においては、このように《これ》として具体的に、あるいは対照的客体的に、示して見せるこ
とのできるいかなるものも、アートマン(自己)ではない。それはアートマンとは異なった他のものである。
またそれはアートマンに属するのでもない、と説いているのである。」
---さらにまたアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥されているのであるから、アート
マンをアートマンと見なすことは、正しいことではなかろうか。聖典自身は明らかにこの立場を認めてお
り、原始仏教においては自己を自己として追求することが正しい実践目標として示されている。
---かりに『無我説』と呼ぶにしても、それは決して『アートマンが存在しない』と主張したのではない。
ただ客観的実体的あるいは機能的なアートマン観に反対したのである。」
(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著)
17 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 13:44:53 ID:h88tNnhM
カラマ・スッタ
1. 人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。
2. どんな伝統も、ただそれが古いからとか、何代も受け継がれているからとか、
多くの地域で受け継がれているからというだけの理由で信じてはいけない。
3. 噂になっているからとか、人々がよく話しているからという理由で信じてはいけない。
4. 昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
5. 自分が思い描いたことを、それが尋常でないことだからといって、
神や素晴らしい存在によって啓発されたのだと信じてはいけない。
6. ありそうなことだからとか、長年に渡る慣習のため真実らしいというだけの理由で信じてはいけない。
7. 何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。
ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、
善いこと、自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。
同様の考察が、と仏陀は言う、彼の教えにもなされなくてはならない。
「私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。
金は火によって試されるのだから」。
詭弁家のブラーミンに仏陀は答える。
「おお、ブラーミンよ、夜を昼と、昼を夜と主張する人はたくさんいる。
しかし私は、夜は夜であり昼は昼であると主張する」。
18 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 13:51:05 ID:h88tNnhM
>>16 >『アートマンが存在しない』と主張したのではない
それは理性と経験による承認ができないからである。
当然同様に『アートマンは存在する』と主張することも出来ない。
19 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 13:51:25 ID:SzJBuvpS
「考えることを排斥している。そうして修行者はまず『わがもの』という観念を捨てねばならぬという。した
がって無我説とはこのような意味における我執を排斥しているのである。
以上、古い詩句の中において『わがもの』あるいは『アートマン』の観念について論及している諸句を検討
したのであるが、それらの所説は、古ウパニシャッド及びジャイナ教において説くところと大体において共通
である。
初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶ
ことを躊躇する。『無我』という語は誤解をひき起し易い。初期の仏教においては決して『アートマンが存在し
ない』とは説いていない。むしろウパニシャッドなどの思想と多分に密接な連関を有するのである。
このように、初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認し
ている。まず道徳的な意味における行為の主体としての自己(アートマン)を行為の問題に関する前提とし
て想定している。」(中村元著「自我と無我」)
20 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 13:52:58 ID:uDRlat/s
原始仏教において輪廻思想がどう捉えられていたか・・・それなら多くの
学者が論じてますのでいまさら、あなたや私ごときが論じるまでも無いでしょう?
それとも印仏研で『原始仏教における輪廻思想の否定』とでも題し発表しますか?
個人的には生前の水野先生よりご指導受けましたので、それで完了です。
私は主観は述べません。
仏教において無我論、縁起論と矛盾しながらも輪廻思想を持ち続けた理由のひとつは
業論、道徳論においてです。
もし、来世や心相続がなければ臨終の直前の業の果報は誰が受けるのか?
という問題が生じます。
もし、その果報を受けないのであれば
何十人も人を殺して自殺した人間も、人を救うために命を落とした人間も
行為の結果においては平等という過失が生じます。
「有無の二辺」を超えるとは、単なる形而上の議論ではありません。
行為においてそれを実現させなさいと、私は教わりました。
まあ、これは文献学の範疇ではありませんね。
21 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 13:57:39 ID:h88tNnhM
>>19 私(ブッダ)の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。
昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
先ずそれを自分で試してみなさい。
22 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 13:58:04 ID:2laSsS8X
私は長い仏教の伝統で「歴史から切り取られた原始仏教」などというものは
現代人の妄想に過ぎない。と言う考えです。
仏教は仏教と言う脈絡のなかで語られなければなりません、という主義です。
だから西洋の論理学も、科学も必要ありません。
23 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 14:00:15 ID:h88tNnhM
>臨終の直前の業の果報
そのときの執着苦によって、そのときに受けている
24 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 14:00:57 ID:SzJBuvpS
>>18 ではまず、「無我だからアートマンはない」という主張はゴータマはしなかったことを認めますか?
その「理性と経験による承認」については、仏教が宗教であるが故に、境地の未だ到達していない者
にとっては確認しようがないものについても教えの最初内に含んでいる、ということを理解しますか?
また、「まだ体験していない事柄=非真理」ではないことを認めますか?まだ体験してないことは認め
ないというのであれば、それはゴータマを信用しないことを意味します。そういう人は仏教を信奉しなけ
ればいいだけなのではありませんか?
25 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 14:02:13 ID:fOne+8wu
仏教は常識を尊重するが、常識を超えたもの。
出家というのは常識社会を抜けることを意味するでしょう。
出家者は常識社会に生きる人を悩ませないように尊重するが、
出家者は常識社会を捨てたものとなる、虫も殺さぬ不殺生や、
13資具以外一切の所有を許さぬことなどは、常識が通用しないことを
理解するのにたいした理解力などいらぬと思うのだけど....
26 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 14:09:17 ID:o1xQdk/v
輪廻と輪廻転生の違いを分かるもなにも電波男の珍説。
輪廻解釈の誤りが指摘されたので、
輪廻は因果が円環することで、
輪廻転生が、生まれ変わりと説明するが、
こんな説明は文献の根拠がない。
輪廻は因果が円環し、それが無始時以来、解脱するまで続くのである。
それは生る時も死ぬ時も断続しない。断続するというなら断見なのである。
インチキ男
27 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 14:11:23 ID:h88tNnhM
>>24 だから三法印、四諦八正道がある。
修行に励み、アートマンの有無についての妄想は抱かぬことだ。
28 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 14:11:26 ID:QcV2n0lT
アンチは輪廻転生がない証拠を出せよ
ある説を肯定するデータは完全ではないものの一応カラスが提出してるからな
29 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 14:15:46 ID:h88tNnhM
>>24 あなたは修行が極限まで進み、
解脱したというのかね?
未解脱ならなぜ輪廻転生があると経験確認できるのだ?
わたしは問題にするな、と言っている。
30 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 14:22:44 ID:h88tNnhM
>>24 一切内においてアートマンは経験・確認・検証は出来ないとブッダは言っている。
これは我々もブッダ同様、検証できないから、一切法無我は納得できると言っている。
もし一切内でアートマンが経験的に確認検証できたのなら、アートマンを承認するのは当然だ。
31 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 14:23:12 ID:SzJBuvpS
>>27 私の問いには答えないのですね!
>>29 理論的にも無ければツジツマが合わないからです。自分自身でも考えた結果、納得いくものであるか
らです。それはこの投稿の一文にも示されています。私は因果の道理を真理の基本として捕らえています。
輪廻転生の否定はそれを崩してメチャメチャにすることです。
(これで落ちま〜す)
>>20 >もし、来世や心相続がなければ臨終の直前の業の果報は誰が受けるのか? という問題が生じます。
>もし、その果報を受けないのであれば
>何十人も人を殺して自殺した人間も、人を救うために命を落とした人間も
>行為の結果においては平等という過失が生じます。
32 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 14:27:01 ID:h88tNnhM
33 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 14:29:18 ID:SzJBuvpS
もう一言
>>29 体験してわかるというのは当たり前のこと。体験しても自覚できないのは障害があるということ。
自分の理性で考えれば、体験なくても納得できるものは十分にある。
>わたしは問題にするな、と言っている。
問題どころか--仏道修行の目的がそれだからです。目的が明確でなくて厳しい修行に耐えられるわけがない。
仏教は世俗のお悩み相談室のためのものではない。世俗のカウンセラーと違う。
34 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 14:35:07 ID:h88tNnhM
少なくともブッダ以来アートマンという仮説は検証できていないのだから、
問題にするな→一切法無我が当然だ。
理論と検証事実が齟齬するとき、検証事実を優先するのが当然だ。
当該理論は排されるべきである。
35 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 14:37:47 ID:xAbVqffk
仏教から転生を除けば、何事にも無関心であることが涅槃になってしまう。
36 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 14:42:52 ID:h88tNnhM
>>33 仏教の『目的』は生存苦を脱して、出世間のまなざしで慶安に生き直すことだよ。
輪廻転生と言う概念なんて無くとも、慶安に生き抜ける。
37 :
宝珠愚者:2009/01/24(土) 14:48:08 ID:SzJBuvpS
もう一言です(笑)
>>36 では、あなたから見たこの両者の死後について。
その違いについての見解をお聞きします。宜しくどうぞ!
学生に、この二人は死後どうなるのか?と聞かれて何と教えるのです?
>何十人も人を殺して自殺した人間も、人を救うために命を落とした人間も
>行為の結果においては平等という過失が生じます。
38 :
10:2009/01/24(土) 14:55:49 ID:84UUQWid
>>15 > 外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として
> 業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。
> それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
原始仏教では輪廻の主体なる考えをしない、 仏陀は誰が 〜 という問いを止め そういう質問をしないよう
云い、 その後縁起の法を説くのが常であった。
主体を説くのは犢子部
39 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 14:59:15 ID:h88tNnhM
>>37 →
>>23 前後ありといへども、前後際断せり
いま、ここ、じこ のみが仏法
40 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 15:03:15 ID:h88tNnhM
>>37 まず、死後の証明をしてからだ。
その学生をどつきあげろ!
41 :
初代スレ7:2009/01/24(土) 15:22:47 ID:PLuM6TPA
>>37 私なら、
>死後どうなるのか?
これについては、「わからない」「知り得ない」と答えるでしょう。
そして、こう問い返すでしょう。そして、レポート提出させるでしょう。
さて、落ち着いて考えてみよう。
果たして、『“この時”その二つの“果”は、本当に平等なんだろうか?』 と。
そして重ねて問うだろう。
『そもそも、そこに見られている“果”は、比較し得るものだろうか?
そもそも、(そのように比較される)“果”とは(具体的には)何だろうか?』 と。
更に重ねるだろう。
『比較され、その上で言われる《“果”が平等である》とは、いったいどういうことなのか?』 と。
『《平等であってはならない理由》とは何か?』 と。
『“果”とは何か?』 と・・・。
(´ー`)y━~~
42 :
初代スレ7:2009/01/24(土) 15:27:23 ID:PLuM6TPA
43 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 15:33:48 ID:aBprOXMv
>40 :理性と経験による承認:2009/01/24(土) 15:03:15 ID:h88tNnhM
>まず、死後の証明をしてからだ。
>その学生をどつきあげろ!
先ずその下品な口の利き方をなんとかしてください。
HNとキャラの乖離が理性の無さを証明しています。
>>41 くだくだ屁理屈ばかり垂れてんじゃねぇぞ、吉外。
おまえら竜樹かぶれの中論屁理屈仏教の能書きは詭弁だらけで
話しにならん。まともな会話も成り立たん。
ゴータマは、おまえらのように屁理屈こねくり回して、夜を昼と、昼を夜と主張するような
まねはしていない。、夜は夜であり昼は昼であると主張したんだよ。
45 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 15:44:11 ID:h88tNnhM
>下品な口の利き方
すまぬ。
反省
禅宗は仏教の看板を下ろせ!!
おまえらの屁理屈聞いてるとイライラするわ。
中論かぶれの不可知論にまみれた詭弁仏教のおまえらは、
ゴータマの仏教とは全然違うんだよ!
47 :
理性と経験による承認:2009/01/24(土) 15:47:04 ID:h88tNnhM
48 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 15:51:22 ID:HaSmsYwA
>>44 カラスさん
お釈迦様の教えイエス様の教えを、守りなさい。
貴方と違う主張をする人を悪し様に罵るのはやめなさい。
罵られた人は、恨み怒り、罵った人は地獄に落ちますよ。
貴方は二人分の業果を背負うことになります。
どんな人にでも、いかなる理由でも、人を貶める言葉は慎みなさい。
貴方がしていることは、貴方が忌み嫌う人たちと全く同じことだと知りなさい。
49 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 15:59:20 ID:W1sk63ae
>まずは明確に1. course,passage と分かる、原始仏典の用例を提示して下さい。
>原始仏典における1の意味で用いられるsa.msaaraの頻度はどのくらいですか?
>次に、「経典の作者はウパニシャッドでは既に凡夫の輪廻転生を意味するsa.msaara
>をわざわざ用い、なぜ別の言語を用いなかったのか?」について論理的に説明して下さい。
>>49 たとえば、
ダンマパダには
「思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ」(中村元訳)
という言葉があり、パーリ注釈文では、非常に深いsaMsAra sAgara(sAgaraは=海、大きな湖など)のなかに自分のよりどころpatiTThAである真人の境地(arahattaphala)という島をつくれ、
すなわちつくることができるように(vol. I, p.255.)としている。
つまり、海の激流(荒波?)がsaMsAra(輪廻)なのであり、それを乗り越えて克服することが真人の境地、島(洲)=涅槃なのです。
また、川の激流もsaMsAraです。原始仏典では随所に「川の激流を渡り対岸へ至れ」というような表現があり、これらも同じです。
つまり、
苦・迷いの人生(欲・煩悩を絶つこと)=激流=saMsAra=輪廻=生まれ変わり(という表現、物理的生死ではない)
苦・迷いの人生を克服すること(欲・煩悩を絶つこと)=彼岸に至る=真人の境地=涅槃=再び生まれない(という表現、物理的再生ではない)
ということなのです。
>原始仏典における1の意味で用いられるsa.msaaraの頻度はどのくらいですか?
全てです。
51 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 16:19:59 ID:bx9yOKV9
>>49 続き
>次に、「経典の作者はウパニシャッドでは既に凡夫の輪廻転生を意味するsa.msaara
>をわざわざ用い、なぜ別の言語を用いなかったのか?」について論理的に説明して下さい。
まず、いつのウパニシャッドの話をしているのかで事情が違います。
ウパニシャッドの成立年代は広範囲にわたります。紀元前500年ごろの古ウパニシャッドの多くも、
成立はブッダ以降です。ブッダ以前の初期のウパニシャッドもありますが、そこでは素朴な生まれ変わり
の思想がわずかに見られますが、「saMsAra」は使われていません。
だからブッダのいた時代のインドでは「既に凡夫の輪廻転生を意味するsa.msaara」
とは言えません。この時代はまだ原義(流れ、流転)の意味で使われていたのでしょう。
Wikiにも「輪廻思想がバラモン教に公認されたのは、最終期のブラーフマナ文献文[1]ないし最初期のウパニシャッド文献[2]においてである。「輪廻」という語は用いられず、「五火」と「二道」の説として現れる。」
とあります。「輪廻思想」などと書いてますが、ここにも書かれている通り、ブッダ以前の(最初期)ウパニシャッドでは生まれ変わりについて「輪廻」(saMsAra)という語は用いられていないのです。
また、インドの生まれ変わり思想では人間は他の生物(豚や虫など)に生まれ変わるといいますね。
そんな話はジャータカ物語などの「物語」以外、原始仏典には出てきません。
これもまた生まれ変わりの思想がないことの傍証です。
52 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 16:25:48 ID:bx9yOKV9
>>50 ミスです。
苦・迷いの人生(欲・煩悩を絶つこと)
↓
苦・迷いの人生(欲・煩悩に捉われていること)
53 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 16:36:42 ID:Ygpky/SA
宗教とは、本当に困ったものだな。
現実上根拠皆無な、百人百様の妄想を、あたかも事実であるが如く、狂った
ように主張する。その妄想は、他者によって「植え付けられた」もの。
人間は、現実界に100%依存しない限り、その生命の維持は不可能で、信仰
そのものが存在し得ない、という自明の事実をすっかり忘れている。
1個人に過ぎない開祖や教祖を、あたかも「完全な人間」であるように勘違い
してひたすら盲信する。「すべての人間には、長所もあれば短所もある」のが、
唯一の「真理」であるのに。
この「根拠皆無な妄想」を一旦植えつけられると、それから離脱することは、
殆ど一生不可能。結局は、妄想の中で、酔生夢死の一生を送ることになる。
勿論、社会には、何の貢献もできない。幸運にして離脱に成功しても、「のた
打ち回る苦しみ」を味合わなければならない。
宗教は、古代人が生存するための「手段」の一つとして発生した。すべての
人間に共通する唯一の普遍の事実は生存本能(生命)である。古代人は、
生存の「手段」である宗教を、生存の「目的」とするような倒錯には陥って
いなかった。彼らにとっては、生存のための精一杯の「合理性・現実性・科学性」
の表れであり、現代の科学に相当するものだった。
宗教のいかなる奇跡も及ばない科学の発達により、宗教はすでにその役目を
終え、現代では、その多くの弊害故に、法律をもって廃止すべきものである。
54 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/24(土) 17:28:52 ID:E7u1KbK+
>>2 >スレ建てご苦労さまです。
> 益々、熱くなってきた本スレ、怒涛の7代目ですね。
そうですね。
このスレッドの魅力というのは、様々な人の死生観が垣間見えるということでしょうね。
輪廻転生があるか?どうか?というよりも、
その背景にあるのが人間の願望なんでしょうね。
20代とか30代とかは精神的・肉体的にピンピンしてますから、
死後において魂が消え去ること自体信じられない。
(これは充分に拙者でも分ります)
しかしながら、人間が老い始まりますと精神的・肉体的にも衰えてきます。
色心不二ですから、魂だけピンピンしている訳ではない。
それなりに耐久疲労してきます。
(脳も老化しますから)
諸行無常というのは、こういった変化する“在りのまま”の位相を捉えることであって、
老いてきた、その瞬間・瞬間が掛け替えのない大切な人性だと、
そういう風に悟るのが禅ですね。
勿論、老いてくる魂?は自然に消滅していきます。→いつまでもピンピンしている訳ではない。
断滅ではない、諸行無常ですから〜〜〜〜そういう風に変化しているのです。
この変化する“在りのまま”こそが、つまり「縁起の現観」なのです。
これを見落としてしまいますと、
仏教の一番オイシイ部分がなくなって、カスを食うようなもんですw
55 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 17:37:23 ID:sHRLTgfc
☆*****************************************☆*******************************************☆
./)/) ■ 釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの
(・ー・)ノ 解釈で書いたもの。経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」である。☆★
゚L-J 従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。★
それぞれの時代に生かすべく、それぞれに解釈すればよいだけのこと。■
☆*******************************************☆*****************************************☆
56 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 18:02:54 ID:McBWFZVg
原始経典に述べられている来世につながる輪廻とは、
単に今生の未来のことを言っているのですか?ならばそれは単に因果応報ということなので、
わざわざ輪廻と、因果応報という言葉を使い分ける必要性が見つかりません。
素直に原始経典を読む限り、あなたがたの解釈は、客観的にみて、正直苦しいものと言わざるをえませんね。
電波氏の価値観にあう強引な解釈、手法は、その辺のカルト信者達と、
思考回路は変わらんものです。つまりカルト信者と、あなたは、同じ穴の狢なんですよ。
57 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 18:25:03 ID:6QXYZTmt
電波教一味の詭弁。
彼らは、我々は形而上のテーマは、証明不能であるから、無記としているだけです。
肯定も否定もしていません。といいながら、実は形而上のテーマは、一切否定しています。
それは彼らの今までの言説を見れば明らかでしょう。
なぜ彼らは、明らかな唯物仏教論者であるのに、詭弁で、私達は唯物仏教論者ではない。
ただ、形而上のテーマは、肯定も否定もしないというスタンスです。などと、詭弁でかわすのか?
それは、肝心要の釈迦が、形而上のテーマは否定していないので、(それどころか、原始経典を見る限り
彼は語っています)彼を差し置いて自分達が否定する立場だとはっきり表明すれば、
自分達は断見者だと、他から叩かれるのを恐れているからです。
彼らのやり口は、姑息で、非常に汚いですね。おい、こざかしいごまかしのテクニックなんか使ってねぇで、
自分達のスタンスをはっきり言えばどうだ。形而上のものなどあるわけねぇだろ。この世が全てだ。
この世の命、今の自分が全てだ。糞の役にも立たない慈悲の心など糞くらえだ!てな。
それがお前らの本音だろ。ほら言ってみろ。自分達が断見者だとばくろして、他者からトンデモ仏教者
だと叩かれるのが、そんなに怖いのかい?
釈迦は一切は皆苦だと説かれました。釈迦の言う一切とは五感で感じられる世界、
意識と意識がぶつかり合う世界。つまりこの世のことです。
いずれにせよ、この世が全ての唯物仏教論者共には、釈迦の七仏通戒偈の教えも、四正勤の教えも
八正道の教えも、なぜそれが必要なのか理解不能であり、説明できないものであります。
58 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 18:45:00 ID:Ygpky/SA
>>57 形而上は、百人百様の観念だから、いくら議論しても合意に達することは無く、
紛争の原因となるだけ。このスレでも、そのことが明白に証明されている。
形而上を「空」として捨てることこそ、釈迦の教えのはずだが。
59 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 18:49:11 ID:LWn0V8qu
『「私」というものがすべての煩悩の根源なんです。だから、その「私」は、滅尽させなければならない。
「私」を芽生えさせる力をサンスカーラ(行)といいますが、そのサンスカーラを滅尽することが、修行の目的なんです。
サンスカーラを滅尽して、ほどかれた「私」が、「無我の状態になった自分」なのです。
それこそが、「頼りとすべき自分」ということです。そのために、「瞑想しなさい」とお釈迦さまは説いています。
瞑想によって、自分を調えるのです。それが、「自灯明」になるわけです。
それから、よく調えられた自分が感じとる世界が「法」です。
よく調えられた自分によって受けとられた世界、それを頼りにすることこそ「法灯明」になるわけです。』
仏教=宗教(地獄極楽あり 多神教 輪廻転生 カルマの法則)
61 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 19:07:05 ID:h88tNnhM
62 :
61:2009/01/24(土) 19:08:26 ID:h88tNnhM
63 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 19:12:53 ID:ADmd+aZt
>>59 「調えられた自分」などに「執着」していては「悟り」などない。
「あるがままの自分」を受け入れることが、悟りである。
64 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 19:53:26 ID:S37QdCKa
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
自分で自分をいくら観察してみても、結局は自分の主観。「自分探し」
は、幼稚な人間のやること。★☆
「自分だけ」で求める至福は、結局は「自己満足」と「自己陶酔」。
社会にはくその役にも立たん。
人間は、共同体としてしか生存できない。充実した、永続的な、本当の
深い至福は、他者との係わり合いの中における日々の生活においてのみ
得られる。
釈迦は、それを悟れなかった。 (*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
応無所住而生其心
まさに住するところなくして その心を生ずべし
66 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 20:18:37 ID:3fsUgt7x
もし「輪廻すなわち三世の否定」が仏教の常識、仏説であるなら、輪廻という言葉すらとっくの昔に
経典からなくなっていたことでしょう。
それとも、この2500年間仏弟子はアホばっかりでブッタの真意を知るものは一人もおらず、
20世紀になってやっと和辻さんみたいな人が現れたというのでしょうか?
仏教は宗教であり文化です。近代科学に合致しない教義があって当然です。
私は「仏教を完璧な宗教あるいは哲学」などと、ぜんぜん思っておりません。
むしろ矛盾だらけで雑多ですが、それはそれで良いと思います。
「輪廻思想をカルトが悪用する」それは分かります。
しかし宗教の不合理性を意図的に排除することに何の意味があるのでしょう?
それは正しい宗教理解とはいえませんね
そもそも宗教から神話や不合理を除いたら、どこにでもある道徳倫理しか残りません。
べつに仏教など特定の宗教を学ぶ必要はありません。
共産主義者みたいに宗教を否定すれば済むことです。
67 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 20:26:20 ID:XYCyD47T
輪廻否定論は大体、こんなとこでしょう。
1.無我だから輪廻できない。主要論者:和辻など。
反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
死後、輪廻しないというのは、断見である。
2.輪廻は、それを信じる蒙昧な古代人のための方便説である。主要論者:和辻など。
反証:輪廻説がなかった、ギリシャ、シナ、チベットなどに思想抵抗にあいながらも、
必ず説いているので方便説ではない。聖者が獲得する宿命通からも方便説でないことが分かる。
3.十/十四無記で死後が不問にされている。主要論者:桜部健など。
反証:水野弘元先生以下が論証したようにタターガタを人、有情と注釈するのは、ジャイナでも
タターガタという語を使うからで、十/十四無記のタターガタは、解脱者の意味に他ならない。
つまり、解脱者は死後どうなるのか、それは答えられないという意味である。
4.釈尊の仏教では輪廻は否定された。主要論者:並川考儀など。
反証:輪廻は否定したという意味が異なる。輪廻は仏教で一貫して厭離され解脱することが目的である。
それを輪廻という現状を認めないという意味で無理に解釈している。
5.三世輪廻は部派のみのもの。主要論者:梶山雄一先生など。
反証:『雑阿含』『スッタニパータ』『小四十経』『量評釈』『タルカバーシャー』に明らかなように
原始仏教も大乗仏教も三世輪廻、というか輪廻は始まりはなく、終わりは解脱するまで続くもので、
それ以外の輪廻など現代日本以外で説かれたことなどないと思われる。
6.輪廻は現世の因果で転生ではない。主要論者:このスレ住人など。
反証:経典の用例は明らかに前世・来世を想定したものであり、現世のみの因果であれば、
始まりと終わりがあることになり輪廻ではなく他ならぬ断見である。
輪廻否定派は、テクストに根拠をもてず、提出した理論も以上のように全て反証されました。他に根拠はありますか?
68 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 20:27:53 ID:XYCyD47T
『ミリンダパンハー』ですが。
そのなかでミリンダ王は輪廻に対して疑義を呈していたと記憶しますが。
それに対してナーガセーナが答えて納得させていたと思います。
問題となるのは、輪廻がどの国の起源かではなく、
輪廻説を盲信しているインド人のために釈尊が方便で説いたとするなら、
輪廻を信じない外国人に方便で説く必要などないということです。
それなのに輪廻を外国人に説く必要があるということは、
仏教にとって必要な説であるからということです。
69 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 20:31:55 ID:h88tNnhM
>>63 >「あるがままの自分」を受け入れることが、悟りである。
あるがままの自分=無明自己を受け入れることが肯定することを意味するなら、
ブッダが四諦八正道を説く意味が無い。
一体何のための修行だ?
そんな御託は完全な悟りに達したものの床屋談義にして桶。
オウム麻原にもそう言ってこいよ。
70 :
初代スレ7:2009/01/24(土) 20:40:00 ID:PLuM6TPA
>>67 輪廻不要論もお忘れなくw
( ̄ー ̄)ニヤリ
71 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 22:10:30 ID:jQ9id7YY
>>69 「修行しよう」「修行しよう」のオウムが、何を悟ったのかねw。
72 :
三代スレ170:2009/01/24(土) 22:40:18 ID:kM4WBCMT
うげっ!もう次スレか。
コテハンさん達、頑張りすぎ。
前スレ747さんとか、今スレ67さんとかいい仕事してますね。
しかし何だね。なぜ「お釈迦さんは輪廻を前提とした教えを説かなかった派」の面々は、
無理な解釈をゴリ押ししようとするのか?
「仏教は邪教!釈迦の野郎は輪廻を説いたカルト教祖!」とか素直に言えばよいのに。
まあ、「仏教」の看板は、まだまだ旨味があるとはいえ…
73 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 23:10:39 ID:h88tNnhM
「仏」教というが、仏でない奴も勝手に
『仏説』『如是我聞』とお札を貼ってテキストを書けば
「仏教」になってしまうところがハチャメチャ魑魅魍魎化の原因だ。
そういう意味では非常に言論の自由のある民主的な宗教ではある。
現代社会にふさわしい。
74 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 23:30:49 ID:dW1J24r9
あら?あら?きちがいカラスは、まさか名無し登場がばらされて恥ずかしくて
逃亡?なんてこたあないよな?頼むから俺の大事なおもちゃ壊さないでくれよ。
もう少し遊びたいんだから(笑
さて、それではいきますかね。
前スレ864
>1 最初の生命体はどこから転生してきた?
2 転生する先の惑星はどのように決められる?
3 転生する『業』はどのように選別される?
4 転生するまでの間は『業』はどこにいる?
5 逆パターンを考えると消滅した惑星の宇宙人の『業』を
背負っている地球人がいるわけか?
6 以上はどのように観測された?
これらの問いに対して >とっくに答えてんだろうが!何処読んでんだ、池沼。
は?どこで答えたって?レス番あげてみろや、あほカラス。
適当こいて逃げんじゃねえぞ。
75 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 23:33:20 ID:dW1J24r9
>あいもかわらず、待機などと言う概念は無いといっているのに
理解不能みたいだし。
お前、自分で書いたこと覚えてないのか?
お前は804で >地球が消滅したら?と言う話だったな。
ならば、他の惑星に人間と同じく心に「言」を持つ生命体がいるなら、
その生命体として生まれるのみ。もしいなければ、将来他の惑星で生命が
誕生し、進化して、「言」を獲得すれば、その生命体に生まれるのみ。
これを突き詰めると宇宙が消滅すればどうなるかに行き当たるが、それに対する
解答は、
>>801で解答済み。
さらに802で >また人口が増え
れば、生まれてくるだけの話。そのタイムスパンの間はどうしている?などというのは愚問。
その人にとって、生まれてきた時が今なのだから、前の生から生まれ変わるまで、
たとえ2000年ほどのタイムスパンがあろうと、それを問題にする道理は無い。
もしこのまま人類は減少に向かい、いずれ滅びたとして、再び生まれてくるチャンスが
無ければそれはその人にとってゲームオーバー。完全な無となり滅びさるのみ。
これは永遠の滅びである。
「将来他の惑星で生命が
誕生し、進化して、「言」を獲得すれば、その生命体に生まれるのみ。」
その間「待ってる」わけだわな、どこかで。
「 また人口が増え
れば、生まれてくるだけの話。」 これも人口の増えるのをどこかで
「待ってる」わけだわな? 「待ってる」という言い方が気に入らない
なら単に「どこかに居る」と言っても別にかまわんがね。(笑
76 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 23:35:40 ID:dW1J24r9
前スレ865 >モンスターが宇宙を造ったというのは、何の根拠も無い
荒唐無稽な話でしかないが、宇宙(縁起)の始まりには、根源がある
と言う話は、ビックバン理論からも、また、縁起の法を逆順で考察しても、
理論的には根拠のある話である。おまえがいうモンスターが宇宙を作った
という話とは全然違う話なんだよ、吉外。
勝手に論点ずらすなよ。誰が宇宙の起源に根拠がないなんて言ったか?
俺が言ってんのはお前の「他の惑星に転生する」というとんでも理論は
荒唐無稽で根拠がないと言ってるんだろうが。俺が「宇宙の起源に根拠がないなんて言った」
レスがあるならレス番挙げてみろ、キチ外が。
そういえば、お前「宇宙の起源の根源」を知っていると言ってたな?
その解説はまだか?
>これは生まれ変わりを認めないとうまく説明できない事例がある以上、
だから、そんなものはないと言ってるのに(笑
77 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 23:36:49 ID:dW1J24r9
>おまえがまず、無いという完璧な証拠を出せと言ってるんだよ。
本当にやれやれだね。お前、論証の基本知ってるの?「ある事象の実在の
有無を議論するときは、存在を主張するほうに立証責任がある」
こんなこと今時、中学生でもわかるぞ。
世界には、いわゆる「超常現象」を主張する「とんでもさん」は数えきれない
ほどいるが、それでも「あなたは、〜という現象がありえないことは証明でき
ないでしょ?だから〜はあるんだ」なんて言うやつは、さすがに見かけなくな
ったがな。(お前ぐらいじゃねえの?)
さらに言っとくと、お前は「〜大学の先生の研究を証拠としてあげた」なんて
寝ぼけたこと言うかもしれんが、あんなもんは、何の客観的実証例にもなって
ないわけ。お前が「真実だ」と信じてるだけ。俺が挙げた「スパモン教団」は
荒唐無稽と決め付けたくせに、自分の出した例は真実だと言い張る。お前は
自己の主観により恣意的に判断をくだしてるに過ぎないわけ。わかるか?
転生を信じない者にとっては、どちらも荒唐無稽なんだよ。
お前にいえる事は「何の実証もできない妄想なんですが、僕は真実であると
『信じ』ちゃってるんです」 これだけ。わかるか?あほカラス。
78 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 23:37:54 ID:0iOmF4tl
>>69 >あるがままの自分=無明自己を受け入れることが肯定することを意味するなら、
>ブッダが四諦八正道を説く意味が無い。
>一体何のための修行だ?
己が無明であるとを自覚することこそ、悟りである。この世は徹頭徹尾共同体。
他者との係わり合いにおける毎日の生活からかけ離れた、「引きこもり」の
修行など、全く無意味。それから得られた「悟り」は偽物。
苦悩は、すべて、あるがままを受け入れることができず、あるがまま以外に執着
することによって生じる。
釈迦も、そんな修行がアホらしくなって止めたね。 釈迦に見習うべきではない
か。
79 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 00:06:32 ID:wU8RukDY
もう少し、きちがいカラスに突っ込んどくかな。
>他の惑星に人間と同じく心に「言」を持つ生命体がいるなら、
その生命体として生まれるのみ。
お前、こんなこと言ってたが、「心に『言』を持つ生命?」
お前も、もしかして「転生は認識判断力をもつ人間のあいだにおいて
のみ起こる」 という派か?
>本当にやれやれだね。お前、論証の基本知ってるの?「ある事象の実在の
>有無を議論するときは、存在を主張するほうに立証責任がある」
>こんなこと今時、中学生でもわかるぞ。
わからないのでソースを出してくれませんか?脳内ソース?
日蓮さんは立正安国論でお墓参りを否定されたそうですね。
なんでなのでしょうか?
82 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 03:01:27 ID:wU8RukDY
「立証責任」という用語自体は、もともと裁判で使用される法律用語ですね。
裁判においては、自分に有利な事実についてはそれを立証する責任があり、それができなければ
その事実は存在しないと見做される、裁判上の大原則のことです。それの
論戦への擬制です。例えば「AさんとBさんとの間で甲という事実に関して、その
存否が争われている場合、Aさんが甲という事実を主張するならば自ら証拠を
提出し論証しなければなりません。」すなわち「Bさんが甲の事実を否定でき
ないのであるから甲は事実であるとAさんは主張できません。」
もしこのような「不存在証明」を認めてしまうと「何でもあり」となってしまう
からです。一般に刑事裁判においては被告を有罪であると「主張」する検察側に
立証責任が負わされているのもそのためです。裁判以外の論戦においても、
もちろんこの大原則は擬制されます。「〜は真実である」と主張する者は自ら
それを実証しなければなりません。相手に反証責任を負わせることは、「言った
モン勝ち」になってしまうのです。論証の基本原則です。
84 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 03:28:56 ID:wU8RukDY
もう少し書いとくかな。
ここでカラスは「転生はある」という主張、俺は「ない」。
「転生はある」と主張するカラスに証拠を挙げて実証する立証責任が
あることは明らかですね。それを「無いということを証拠を挙げて
立証しろ」の一点ばり。そこで「不存在証明の不合理性」を理解させるため
にモンスターの例をとり、「俺が宇宙を創ったこんなモンスターがいると主張したら
お前はその不存在を証明できないわけだから実在することになっちゃうよ」と言っても
「そんなのは荒唐無稽だ」と、まるで論旨を理解できない始末。
と、まあこういう次第なんですよ。
>>74 おや、精神年齢の低い糞餓鬼がまだ吼えてんのか。
名無しで書いたのは、新しいスレが立って、いちいちハンドル入れるのが
面倒くさかっただけだからだよ、吉外。
お前の質問はレベルが低すぎて話にならないんだよ。
それに答え済みだし。何がレス番出せだ。てめぇみたいな揚げ足とって喜んでる
レベルの低い奴の為になぜわざわざ、一度答えたことをいちいち探し出して
ここにあげてやんなきゃいけねぇんだ?相も変わらず、待機という概念などないと
いっているのに、それすらも理解できない池沼が。馬鹿の壁を超えられない
程度の低いおまえには、土台話したところで、エネルギーの無駄なんだよ。
>>76 論点どこずらしてんだよ?
論点ずらしてんのは、おまえだろ。
俺は根源の話をした。そしたらおまえは
モンスターが宇宙を創造したといってることは同じだ
と言ってきた。俺はぜんぜん違う話だ。根源は、ビック番理論からも
縁起の法を逆順で考察しても論理的に行き当たるもので、
おまえのモンスターが宇宙を創造したという、荒唐無稽な話とは
まったく違う話だといったんだよ。おまえ、本当に頭が悪いんだな。
なにがレス番あげろだ。なんでおまえのような程度の低い人の為に、
わざわざ過去レス漁って探し出すなんてエネルギーを投資しなきゃいけないんだ?
してほしかったら、お願いしますと、頭を下げて頼め。
>そういえば、お前「宇宙の起源の根源」を知っていると言ってたな?
>その解説はまだか?
それは前スレで答えた。似非仏教徒のおまえは見事気づかないわけだ。
色は何からできた?お前はそんなことも知らないんだな。どんな仏教徒だよ、吉外。
>>76 >>これは生まれ変わりを認めないとうまく説明できない事例がある以上、
>だから、そんなものはないと言ってるのに(笑
だから、前スレであげた例が、確実に違うというなら、その証拠を出せといってるんだよ。
お前の主観、思い込み、根拠のないどうとでも取れる、結論とはいえない、お前の能書き
だけじゃなくってな。さぁ出せ。早く出せ。そんなものはないというだけなら、小学生でもできるぞ。
>>77 >さらに言っとくと、お前は「〜大学の先生の研究を証拠としてあげた」なんて
>寝ぼけたこと言うかもしれんが、あんなもんは、何の客観的実証例にもなって
>ないわけ。お前が「真実だ」と信じてるだけ。
そうか?まったく赤の他人のはずの子供が、知らない人のことをぺらぺらしゃべる
なんてことも、主観の問題か?なんでもかんでも主観の問題で済ますお前の能書きのほうが
主観だけで語っているんじゃねぇの。お前相当頭悪いよな。相も変わらず、待機などの観念は
無いといっているのに、理解不能だしよ。
くだくだ能書きたれて逃げてんじゃねぇぞ、糞餓鬼。
おまえはないと言ったそういいきるなら、それの立証責任は
おまえにあるんだよ。お前は無いと言い切るなら、それの証拠を出せよ。
おまえのこのレスは、逃げの口実しかなんねぇんだよ。
己の立証責任からは、逃げてる糞が。
>>84 あほか、おまえ。
ここはもともとゴータマは、輪廻転生をといたかどうか?をテーマにしたものだ。
数々のテキストからは、ゴータマはまず間違いなく、説いていただろうという話を
した。そこからはじまり、輪廻転生を信じる者に対して、それを立証しろとおまえは
絡んできた。それは他人が立証できるものではなく、自分自身で確かめるしかない。
客観的な事実として、どこかの精神科医が調べた事例として、どうも生まれ変わりを
認めないとうまく説明できない事例もある。またゴータマは、明らかに輪廻を転生を
説いている。それらの事例がある以上、輪廻転生があるという仮説も成り立つ。
それらの事例があるのに、絶対に無いというなら、それの立証責任はおまえにあると
言ってるんだよ。早く立証してくれよ、吉外。お前の能書きこそ、お前の主観でしかないもの
じゃねぇか。そんなことも気づかないんだな、おまえ。たとえで宇宙人の話を
すれば、条件反射的に馬鹿にするしか能の無いおまえは、相当頭が悪いんだよ。
>>84 いいか、俺はまったく根拠もなしに、輪廻転生はあるとはいっていない。
生まれ変わりを認めないとうまく説明できない事例がある以上、輪廻転生の
仮説も成り立つ。それを完全に無いと言い切るなら、その立証責任はおまえに
あると言ってるんだよ。この理屈はわかるか?おまえ頭悪いからこんな簡単な理屈も
わからないか?立証責任の意味も履き違えてる吉外が、なにいってるんだか。
こいつ、相当レベル低いぞ。
91 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 07:14:04 ID:6/oyYud+
>>67 >反証:現在、諸法が無我でも縁起しているように、無我でも死後も輪廻する。
> 死後、輪廻しないというのは、断見である。
「縁起している」というのは五感で感受するものを指すわけで、
(例えば、食感・味覚とか、触覚とか、想念とか)
五感で感受するという主体とか、感受される客体とかは・・・
いわゆる二義的なものであり、それ自体に自性がない。ということで
アンチ自性として「無自性」という概念が成り立つ。→これが無我
(食感・味覚とか、触覚とか、想念とか)が、あるか?どうか?が問題になる。
これが縁起を第一義諦とする、第一義空経における骨格の部分。
縁起を第一義とするなら、もはや「我」とかは二義的なものであり、
縁起なくば、我そのもののが独立独歩で輪廻するはずがない。
(仏教は不二の法門ですから、身体と精神は一如)
我とか、その客体(対象となるもの)は、非常に漠然とした概念であるが、
(食感・味覚とか、触覚とか、想念とか)は、それに比して具体性があるのは
日頃の経験則においても納得がいく。
ただ2500年も昔に、これだけのアカデミックな法を説くというのが、
あまりにも時代に即応していなかった。
それから時代を経て、原点回帰ということで体系付けていったのが龍樹。
部派仏教の時代は模索の時代であった。
92 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 08:58:11 ID:XbP0gQeH
俺が批判するのは「輪廻を否定する」という行為そのものではない。
素朴に輪廻を信じ生天を願うヒンドゥー教徒や
輪廻からの解脱を願うチベット仏教徒をあざ笑う態度
褒められたことか?それって単なる差別意識の現われだろ?
そして何より
輪廻思想を差別やカルト宗教の根源と断定し、輪廻否定はカルト宗教の根絶のためと言いながら
新たな「自身の宗教」を植えつけようとする偽善だ
「文献上そうは解釈できない」とか指摘するだけなら学問的だが
「これがブッタの真意である」といえばそれはもはや宗教だ。
まあ、高名な学者の中にも勘違いして宗教を語るバカはいるがなw
93 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 08:59:03 ID:XbP0gQeH
「釈尊は無我をといた、アートマンを否定した。しからば輪廻の主体をみとめないのだから輪廻を認め得るはずがない、
という論法は、和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』以来、しばしば打ち出される。しかし、この考え方は果たして理に合するというべきであろうか。
経典は、終始、我が無いと説く。それと共に経典は、迷える者に再有があることを、繰り返し説く。このことは果たして論理的に矛盾なのか。
それを矛盾と捉え、その点を衝くのは、あるいは、その点から仏教は本来輪廻を認めないと結論づけるのは、むしろ、
我の存在を主張する仏教以外の諸派から仏教を批判する立場そのものではなかろうか。
輪廻の主体としての『我』はないとするのだからして、再有すなわち輪廻転生があるとなし得る筈はない、と考えることは、
裏を返して言えば『我』があって始めて『有』が有り得ると考えることでないか。
それは、迷いの有(輪廻的存在)は、『我』なくして縁起的に展開する、『無明によって行あり−−生・老あり』と展開する、
と見る仏教のユニークな立場を少しも理解しないところから発する議論というべきではなかろうか。」
櫻部建『阿含の仏教』
94 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09:04:56 ID:xbsS67l0
>原始仏教における信仰とはどういった事柄を指すのですか?
これは重要な問題だと思います。
最近の日本人にとって「信仰」はどちらかといえばネガティブな
イメージを持っています。学会やオウム事件に見られるよう
「信仰」は「頑迷な妄信」「カルト」という意味合いを纏ってしまいました。
しかし仏教において信仰(シュラッダー、サッダー)は重要なタームです。
サッダーは第一信用、信頼の意味であり否定されるべきものではありません。
よく引き合いに出されるのが、サンユッタ・ニカーヤTなどに見られる
Aparuta tesam amasatta dvara, ye sotavanto panmuccantu saddham
「彼らに不死の門は開かれた。聞く耳を持つ者は信仰を解き放て(捨てよ)。
ですが、
ある先生はこれを「信仰を捨てよ」と訳し、「信仰」とはヴェーダなど否定されるべき信仰である
と解釈しました。
しかし、サンユッタ・ニカーヤ・アッタカター(注釈)によればpamuccantu
は、自己の内部にあるものを外部に「解き放つ」「発する」という意味があり
「信仰を起こせ」と注釈しています。
どうも伝統的にはそのように理解されていたようです。
また、これ以外の部分では信仰は決して否定的に扱われていません。むしろ
重要なものとされていました。
当たり前ですが、ブッタに対する信用、信頼がなければ帰依も必要なく
またブッタの言葉を聴く必要もありません。
先ず、信頼して教えを聞いた上で(聞)、それを玩味(思)し、その後修業する、
というプロセスだと思われます。
95 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09:17:32 ID:/I8y8oG3
私の理解では十無記/十四無記で扱われたことは、禅定の結果で経験するものではありません。
宿命通などの過去の記憶は、無記でもなんでもなく、釈尊がなんども語っていることです。
何度も言っているように十無記/十四無記のターターガタが有情と注釈されることから、
死後は問うべきでないと解釈した学者がいたのですが、それが誤解であることは水野弘元先生が
論証したとおりです。
死後は問うべきでない解釈を敷衍して釈尊は形而上を問わなかったとなるわけですが、
それは成り立たないのは明白です。なぜなら釈尊は一切に意とその対象である諸法を含めたのですから。
つまり、精神や観念、思惟、直観を扱っているのが明らかです。
というより、釈尊は五官を抑制し、もっぱら禅定や観法という精神を主に扱ったのですから、
形而上を重視したと言えるでしょう。戒定慧でいえば、戒だけが形而下と関わっている。
その戒にしても仏教の戒律は、動機を重視するので形而上・精神を重視しているのです。
だから、仏教が形而上を扱わないというのは、全く問題にならない妄説なのです。
96 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09:18:22 ID:/I8y8oG3
科学で証明できるのかとか仰ってますが、
先ずこのスレでは文献、テキストに何が述べられているかを正確に読むことが問題だと思うんですが。
テキストに説かれている釈尊の体系は何かが問題なのであって、そこに現代人の常識を持ち込むことこそ、
文献学的意味で非科学的態度以外のなにものでもないでしょう。
科学で証明できるのかとか仰ってますが、それを検証するためには科学に一生身を捧げても無理でしょうね。
才能のある科学者が取り組んでも無理なのに、今からそんなこと私ができるわけありません。
学問は、なんでも学術論文が読めるレヴェルになるまででもかなりの訓練が必要になります。
ましてや、誰もなしとげていない成果を出すのは、単純に考えて無理でしょう。
それから類推できるように科学の学説の正否を自分で確認するのはとても大変なことです。
私は相対性理論も量子論も、その正否など全くわかりません。
多くの科学者も自分の専門分野以外の理論の正否などは分からないものと言われます。
それでも現代の多くの人は専門の科学者が認めたものは正しいと信じてます。
これは科学信仰でなくてなんでしょうか?
仏教も同じです。悟りがあるかないか、それは悟るまでは分からない。
でも、多くの聖者が悟ったようだから、彼らの思想・行動から推測して信じられるなら受け入れればいいし、
信じられないなら、受け入れなければいいだけの話でしょう。
それとも科学は自分で検証しなくても信じるが、
仏教は科学と呼ばれる現代の常識から分析してからでなくては受容できないというなら、
それは仏教ではなくて、ただの現代の常識を仏教で権威づけてるだけでしょう。
ほら、釈尊も同じことを言ってる、だから常識は正しいと言いたいだけ。
なぜなら、仏教を常識のフィルターにかけて、別なものに作り変えているのですから。
輪廻を説きはじめると、他の宗教を否定する側面が出てくる可能性があるから、
説かない方がいいと思うよ。
別に輪廻説かなくても悟りは否定されないし
悟りを目指している限り、仏教は成立するしね。
98 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 09:37:04 ID:oM6E2Y58
>>95-96 正論ですね。
>これは科学信仰でなくてなんでしょうか?
>信じられないなら、受け入れなければいいだけの話でしょう。
>仏教は科学と呼ばれる現代の常識から分析してからでなくては受容できないというなら、
>それは仏教ではなくて、ただの現代の常識を仏教で権威づけてるだけでしょう。
同意します!
>>97 意味不明です。
もっと具体的に述べてもらえますか?
他の宗教とは何であり、どう否定します?
そのあなたのいう輪廻に関係ない悟りとは一体、何?
99 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09:49:01 ID:xG8wvtQd
>>95-96 なんかずっとコピペしてるようですが、コピペならコピペと分かる形で
書いた方がいいと思います。
内容に関しては同意いたします。
100 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09:55:42 ID:qeS8aKHX
いままでの議論を私なりにまとめてみます。
まずもって
「(業報)輪廻思想は原始仏典において確実に前提とされていますよ。
だれもそれを否定していない」
だそうです。()をつけたのは解釈が異なるためで、これはデンパさんと思われる人の説。
さすがに原始仏典に「輪廻」の語は無いという人はいない。
次に仏教において「輪廻」は苦であり、厭うべきもの解脱すべきものとされ
その意味では「否定的」に見られても「肯定的」に見られることは無い。
これも共通認識。
まして、「輪廻」が「真理」であり「事実」であると主張する人もいない。
しかし、なにを勘違いしてか「検証」「実証」と叫ぶ輩も後を絶たない。
問題は「輪廻」という語の解釈です。
次に「輪廻」の解釈をめぐって
@業報輪廻・・・今日行ったわるいことは、明日かそれ以降に報いがある。
人間存在とはそのように業の積み重ねによって苦しむ性質のものである。
*ここで順後次受が説かれていない点がミソ
A輪廻転生・・・・ 業報を死後の生まれ変わりに求める。
(282 神も仏も名無しさん [sage] Date:2007/10/31(水) 14:03:21 ID:K2u3Mk10)
この二つに分ける説(デンパさんたち)と、分けない説(私もそう)があります。
前者において
@業報輪廻は「生死」とも読みかえておられます。
「生死とは生老病死の四苦をまとめていったことであって、
生まれ変わり死に変わりではありません」デンパ説?
しかし、そのように「生死」を限定する典拠は未だ提示されていません。
更にAを「生死輪廻」「生死流転」と読み変える人もいます。
この場合の「生死」は上記の「生死」とは異なるようです。
101 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09:58:44 ID:qeS8aKHX
そして、この二つを分ける典拠、原典の提示を求めると
日本の学者がそのように区別していることをあげ、終には
「根拠は必要ありませんね。
輪廻は経典や論書に現れる言葉、輪廻転生は表れない
だから、この両者は違うものとして取り扱わなければならない。
よく理解できませんが・・・、結局「根拠」はないようです。
その一方でデンパさん?は(A)「仏典には生死輪廻はあっても、輪廻転生はありません」と断言しています。生死輪廻がいわゆる輪廻転生なんですが・・・
どうやら、仏典で説かれる「輪廻」は@のみでAでは無いという主張のようです。
またAを否定する理由として、
ブッタは「形而上」を取り扱わなかったことをあげていますが、扱ったか否かで論争中です。
その一方で(B)「輪廻転生を主張することに対する批判ですよ。
同じく、輪廻転生は無いと主張するひとも批判しますがね。」
との主張もあり同一人物なのかどうか?
あきらかに矛盾してます。
102 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 09:59:09 ID:qeS8aKHX
また
「私の言う前提とは「執着を否定するために採用された輪廻思想」と言う意味です。
つまり、当時の宿命論的な業報輪廻について(の執着を)否定するために前提として採用され、
否定されたということです」
ともデンパさんは述べます。
「宿命論的な業報輪廻」とは「前世においてこういうことをしたから、今の状態がある」ということでしょう。
するとそれは「彼らの意味するところのA輪廻転生」ということになり(A)と矛盾します。
結局「輪廻への執着を否定する」とは「解脱」「厭離」と意味するところは
同じであり「輪廻」がどのようなものであれ「関知しない」彼らの用語で
「捨て置く」ということのようです。
つまり「毒矢の喩え」あるいは「如来の後有」を
「衆生一般の後有」と解し、「無記」であるという主張です
(後者の理由が正しくないことはすでに述べられています)。
否定されるべきものは「執着」ということでしょうか。
結論としていわゆる輪廻否定派「輪廻」の定義にぶれが見られるうえ、
@とAに分けAを否定したり否定しなかったりと、
各者に違いが見られますが、
「毒矢の喩え」の態度は私も大いに肯うところです。
ただ
「毒矢の喩え」を「輪廻」に適応すれば
「輪廻の有無」ではなく「輪廻のプロセス」が捨て置かれるべき
ものとも解釈できますが・・・
虚空は存在する
しかしその辺際は問わない・・・のように。
103 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 10:10:11 ID:wU8RukDY
>>85 から
>>90 のお前の書きこみ。 本当にひどいね。
お前、真性のキチ外だね。よくわかったわ。(笑
なんら有意な反論もできず、レベルが低い、バカだ と逃げ回ってるだけ。
さらには「大うそつき」 スレが新しくなったのを幸いに都合の悪い質問
には、「すでに回答済み」と大嘘こいて逃げる。レス番示せといってもできない。
できるわけないわな、答えてないんだから。(笑
さらに人の書きこみ内容も全く理解できないほどの読解力のなさ。
>>82 と
>>84 で、かなり詳しく「立証責任」について説明しても
まるでわからない様子。「無いことを証明しろ」を繰り返すだけ。
「転生がなければ説明のつかない実証例」というのをここにあげてみろ。
一瞬で論破してやるから。
お前ねえ、皆が見てるんだよ。これ以上、自分のキチ外ぶりを晒すの止めたら?
ただ「アホだ、ばかだ」をくりかえすだけなら、小学生でもできるぜ。
ちゃんと論理的な有意な反論できるようになってから、書きこみをしろ。
わかったか?
>>103 くだくだいってんじゃねぇよ、吉外。
おまえよ、立証責任はおまえにあるなんて、大きな勘違いをしているようだが
立証責任とは、自分の有利な事実については、自分が証明しなきゃ
いけないということなんだよ。
頭の悪いお前にもう一度わかりやすいように言ってあげるよ。
どっかの精神科医が集めた事例などから、どうも生まれ変わりを認めないと、
うまく説明ができないケースがある。また、このような事例から輪廻転生があるという仮説は
成り立つ。全く根拠もなしに、仮説を立てているわけではない。
それを完全に無いというのなら、無いというお前がまず、完全に無いという証拠を
示せといってるんだよ。それを立証責任はこっちにあると、ちんぷんかんぷんなこと
言って逃げ回っているのは、お前のほうだろうが。
お前の主張は、何の根拠もない、ただ、そんなものはあるはずが無いという、おまえの
思い込み、主観でしかない。ただおまえは、今の常識といわれているものを、妄信して、
無いというなら無いという証拠も見せずに、頭ごなしに無いといっているだけだろ、吉外。
立証責任などという言葉を使って逃げ回り、ごまかす。こいつらやり口が
詐欺師そのものなんだよ。立証責任についてはもう一度、
>>82あたりでも読んで勉強しろや、吉外。
105 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 10:41:27 ID:VwGgTiZl
100-102
よくまとめていただきました。
有難う御座います。
>ブッタは「形而上」を取り扱わなかったことをあげていますが、扱ったか否かで論争中です。
以前にも申し上げましたが、
そもそも「形而上」「形而下」という概念がインド哲学、仏教にはない。
ゆえに、「仏陀は「形而上」の問題を取り扱わなかった」という主張は成り立たない。
もし、「形而上の問題を扱わなかったと仮定する」と解脱や涅槃、菩提は形而上の問題ではないのか?
形而上の問題ではなければ、輪廻の場合と同じようにそれらを実証しなければならない。
しかし、輪廻を否定するものも、それらが有ると無批判に主張する。
106 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 10:42:39 ID:wU8RukDY
キチ外にも理解できる程度に「論点の絞込み」をしようか?
どうも、お前は何が論点なのかさえもわからないみたいだからな。
いいか?キチ外カラス、
「他の生命体への転生の事実。」 はい、これを証拠をあげて実証してくれ。
これなら、さすがに何がポイントなのかは、お前にも理解できるだろう?
これが実証されたら、全面降伏。いままでのレスを全て間違いであると
認めて俺は謝罪のうえ、このスレ去るわ。
さあ、期待してるぞ。お前自身が主張してた説なんだから、当然、論証
できるな? にげるなよ。
107 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 10:45:13 ID:xG8wvtQd
>>56-57 同意。サムサーラに生まれ変わりの意味はないとか詭弁に他なりません。
例えば、
>>50 >「思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ」(中村元訳)
>という言葉があり、パーリ注釈文では、非常に深いsaMsAra sAgara(sAgaraは=海、大きな湖など)のなかに自分のよりどころpatiTThAである真人の境地(arahattaphala)という島をつくれ、
>すなわちつくることができるように(vol. I, p.255.)としている。
とパーリ注釈文を自分で読んだかのように書いていますが、岩波文庫註二五ほとんどそのままです。
ですが岩波文庫註二五では「非常に深い輪廻の海(saMsArasAgara)のなかに」となっている所を上のように書き換えています。
そしてパーリ注釈文の著者とされるブッダゴーサは『清浄道論』の中で主体のない生まれ変わりをはっきり説いています。
このことは後で詳しく述べましょう。
>つまり、海の激流(荒波?)がsaMsAra(輪廻)なのであり、それを乗り越えて克服することが真人の境地、島(洲)=涅槃なのです。
>また、川の激流もsaMsAraです。原始仏典では随所に「川の激流を渡り対岸へ至れ」というような表現があり、これらも同じです。
ここまでは問題ありません。激流は瀑流と訳されるoghaです。
この瀑流も島(洲)も苦行者文学の中で使われる言葉で、自灯明の原義もここにあります。
つまり、自灯明ではなく自洲なのです。今生の人身を輪廻のなかの島とせよという意味です。
ウパニシャッドから仏教に至る所謂苦行者文学の中での輪廻について
詳しくは荒牧典俊「ゴータマ・ブッダの根本思想」『岩波講座東洋思想 インド仏教1』
をご覧ください。当然ながら電波説とは全く逆で輪廻は生まれ変わり以外のなにものでもありません。
>苦・迷いの人生(欲・煩悩を絶つこと)=激流=saMsAra=輪廻=生まれ変わり(という表現、物理的生死ではない)
上の『ダンマパダ』と岩波文庫のパーリ注釈文から「輪廻=生まれ変わり(という表現、物理的生死ではない」と断定できる理由がなにもないことは誰でも分かるでしょう。
つまり、飛躍、妄想があるということです。
>>103 お前ハンドル出せよ。
これからおまえみたらおちょくってやるからよ。
おまえ、自分のおつむは相当幼稚で、話にならないということも
気づいてないだろ。
なにがゴータマは、冷厳な唯物論者だ。お前笑われるぞ。
どこをどう読めばそうなるんだよ。ゴータマはむしろ、唯物論者のような
断滅論者は、外道だといったんだよ。自分の思い込みでしか語れない、なんら
合理的な思考回路も持たない、幼稚な餓鬼が。
地球人以外の宇宙人は、いるのでしょうか?いないのでしょうか?
111 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 10:57:59 ID:oM6E2Y58
>>103 >「転生がなければ説明のつかない実証例」というのをここにあげてみろ
否定論者は決めつけが酷いので、自分自身で調べてみようという意志がない。まず調べない読まない。経典の記述でもそう、読まないかブッ飛ばすか、他の文字に見えてくるのでしょう・・。
112 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 10:59:17 ID:wU8RukDY
>>104 の書きこみ読むと、お前は意図的に論点ずらしてるんじゃなくて
本当に理解できないんだな(笑
お前のいってることは、何の根拠にもなってないの。ただ、
「こういうことを言っている人たちがいますよ」と言う話を紹介
しただけ。その手の話は、本屋にでも行けば腐るほどあるし、TV
とかでもしょっちゅう、やってるわな(笑
それをお前が「真実であると信じてる」だけ。
それが『真実であると実証された』か?それなら、21世紀最大のニュースだ。
現在、我々が日常生活において体験している全ての物理法則も間違いだった
ことになる。
お前が言ってることは、「本にそう書いてあった」 「信頼できる人から聞いた」
「TVでやっていた」というのと同レベル。
何の根拠にもなってないの。 しかるべき機関により検証され、世界に
真実であると認知された『実証例』をあげてみろ。
>>106 だからよ、この手のテーマは、自分で確かめるしかないんだよ。
だからゴータマはおまえのような頭ごなしにそんなものは無いという人には
あえてこの手のテーマは黙して語らず、無期を通したんだよ。
それと同じだ。おまえのような頭ごなしに否定してくる人間に対して、
どっかの精神科医が集めた事例より、どうも生まれ変わりを認めないと、
うまく説明がつかない事例があるので、ゴータマの業報による輪廻転生を
あわせて、仮説として、成り立ちますよと、話して上げてるんだよ。
その仮説をも、おまえはそんなものあるわけが無いというなら、お前のごみにしかならない
主観だけのものを語らず、きっちりと、無いという証拠を出せといってるんだよ。
たとえば、ゴータマの説に沿って、業報による輪廻転生を考察した場合、
おまえが、地球が消滅した場合どうなるという問いに、他の惑星で、生命いるのなら、
そこに転生するだろうという仮説を立てた。これが論理的に矛盾があるなら、
どこがどう矛盾しているのか、説明してもらおうか?
馬鹿なお前には理解不能のようだが、転生に、待機という概念は無い。
それは前スレで説明済みだ。それでもしつこく、くだらない質問を繰り返すのは、池沼の
おまえだけだよ。さぁ聞かれた事に答えろ。
>>112 だからよ、その大学の先生が調べたことが何の根拠もない
というなら、その証拠を出せよ。
そんなのは根拠が無いというだけなら、子供でもできるんだよ。
お前の話はいつもお前の主観でしかないんだよ。
こいつの反論は、この話もそうだし、立証責任を他人に押し付け逃げるのも
そうだし、単なる思考停止だから。
>>112 池沼のおまえは、仮説は成り立つという話も理解不能のようだな(苦笑)
池沼が。
116 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 11:06:31 ID:oM6E2Y58
>>54 >そうですね。
>このスレッドの魅力というのは、様々な人の死生観が垣間見えるということでしょうね。
>輪廻転生があるか?どうか?というよりも、
>その背景にあるのが人間の願望なんでしょうね。
様々な見解と理解にある人たちがいる、というその事実と実体が浮き彫りになることが重要。「このよう
な議論は無駄だから最初からしない」というのではなく、互いの違いについて細部に渡って知り、そして自
分の見解を知らせることに意義がある。その中でより違いも明確になり、中にはただの誤解に過ぎず、共
通した理解であったという部分も見えたりもします。
117 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 11:07:45 ID:oM6E2Y58
『「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょ
うか」
「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無
我である。識(意識)は無我である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪りを離れる。貪りを離れる
ことによって、解脱するのである。そして、すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生
じて、<わが迷いの生活はすでにおわった。清浄なる行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。も
はやかような迷いの生活に入ることはあるまい>と知ることができるのである。」』
(南伝-相応部経典23-17/無我)
無我に関しては、ゴータマは「五蘊はアートマンではない」としか述べていない。つまり、アートマンではな
いものを自己と同一視するな、と教えているのです。アートマンではないものを自己と見なしたり、アートマ
ンではないものを自己のものと見なすことで「苦」が生じていると説くのです。これは他のどの経文において
も然りです。
まずは、ゴータマがアートマン存在を否定した。「アートマンはない」と説いたという事実はないので、この
確認が必要です。それは後代の解釈の誤りです。あれもこれもアートマンではないなら、結局アートマンは
ないということだろう、と簡略化してしまったのです。
そして、輪廻転生は「常見」外道にはあたらないことを理解する必要があります。
118 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 11:08:13 ID:oM6E2Y58
これはつまり、「諸行無常」(現象世界の一切は変移変滅を繰り返していると説く)の真理に反する見解を
示すものであり、大きく二つの意味合いを持つ。一つはこの世(この現象世界)は永遠に続くもので不滅で
あるという見解。そしてもう一つは、人生とはこの世で一回限りであり、死後にはアートマンという不滅の実
体として生存し続けるという見解のことです。
仏教が目指す境地であるニルヴァーナとは繰り返す転生の生涯から遂に出して、真実の自己として常住
することを意味します。従って、転生の媒体(ゴータマはそれをアートマンだとはいわなかったが)も縁起で
生じているのでこれも無常の範疇にあります。
ニルヴァーナに到達した意識(真実の自己意識)は無常なる世界からは脱しているので、それは不滅の
意識であり、そのニルヴァーナ境地に常住し続けます。
しかし、無常なる世界で生きる人間が輪廻しているのであり、生死を繰り返しているのです(輪廻転生)。
ニルヴァーナに到達した者だけが再生(転生)を止むのです。凡夫は繰り返す転生の生涯を知らず、そん
なものはない、といいながら再び母胎に宿ってくる。この哀れな凡夫の姿を無明にあるという。
「賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報い
とを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は
業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。」(スッタニパータ653-654)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(同666)
「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(同676)
ゴータマはこのように明確に業があるうちは再生(来世)を止まないと明言しています。
>>112 ほら、その大学の先生が集めた事例は信頼に値しないというなら
その証拠を出せよ。ほらほら、早く出せ。おまえは立証責任とは誰にあるかも
理解不能のようだが、この場合、立証責任はおまえにあるんだぜ。
ほら、早く出せ、池沼。
120 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:09:04 ID:wU8RukDY
>>108 >なにがゴータマは、冷厳な唯物論者だ。お前笑われるぞ。
お前、誰かと勘違いしてるぞ(笑
>>113 >たとえば、ゴータマの説に沿って、業報による輪廻転生を考察した場合、
おまえが、地球が消滅した場合どうなるという問いに、他の惑星で、生命いるのなら、
そこに転生するだろうという仮説を立てた。
おいおい、仏説に従うとそうなっちゃうのか?本当かよ?
お前、そんなこと言ってると「仏教を勝手にオカルトにするな」って
真摯な仏教徒から叱られるぞ(笑
「仮説」??バカ言うなよ。そんなもん、仮説でもなんでもない。
単なる「妄想」 仮説とは何かについては前スレで書いたな?
よく読んどけ。(笑
121 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:15:13 ID:PeSM4Nhl
>>99 スレッドを荒らすつもりでは無かったのです。
貴方の発言も中にはあったでしょう。(あるいは、ほとんどかも)
いずれせよ、私にどんな理由があるにしても申し訳ないことです。
謝罪いたします。
原始仏教
1 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/05/23 21:36
↑に始まって、↓
原始佛教 その28
1 :阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2008/08/20(水) 15:05:23 ID:ig8AI2xf
↑で終わった(あるいは復活するかもしれませんが)宗教板の名物スレですが、
原始仏教を論ずると題して始まって、6年の星霜を数えました。
その中の発言のほとんどが罵詈雑言でしたがw泥中の蓮華に値するレスを拾ってみました。
意図があって引用の形をとりませんでした。初めて本スレに接する人にとっては、生の発言として捉えてくださるだろうという希望です。
それも言い訳のようで、申し訳ないことですが。
とまれ、6年の長きに亘って「原始仏教」スレで論じられた命題の、ほとんどが「輪廻」に纏わる問題でありました。
ですから、本スレを立ち上げた宝珠氏が「輪廻」に限定してスレ立てをされた意義は深いと感じるのです。
また、本スレには、初代電波氏や阿呆陀羅氏ほどの極端な悪口雑言を陳列される方もいない(カラス氏には食傷)ので
「原始仏教」の悪いところは捨置して、珠玉のレスをリアルタイムに蘇らせてみたしだいです。
意のあるところを酌んでいただいて、厚かましいとは存じますがどうかお許しください。
122 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:19:25 ID:wU8RukDY
>>119 >ほら、その大学の先生が集めた事例は信頼に値しないというなら
その証拠を出せよ。ほらほら、早く出せ。おまえは立証責任とは誰にあるかも
理解不能のようだが、この場合、立証責任はおまえにあるんだぜ。
ほら、早く出せ、池沼。
お前は本当に理解できないんだね?
「その事例が真実であると主張するのならば、まずお前が『なぜ、
これらの事例は真実であるか』を実証してみせなければならないわけ」
それに対して反証を求めるのが順序。なんでわからんの?
いきなり「真実でないことの証明」をもとめるのかねえ?
さあ、「それらの事例が真実である」 ことを実証してもらおうか。
それ対しておれが反証をくわえるから。わかった?
123 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:22:52 ID:wU8RukDY
いったん落ち。
『実証』 期待してるぞ(笑
124 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 11:23:57 ID:9to9w83l
>>105 >そもそも「形而上」「形而下」という概念がインド哲学、仏教にはない。
>ゆえに、「仏陀は「形而上」の問題を取り扱わなかった」という主張は成り立たない。
同意ですね。
これは日頃から拙者が主張してました。
「形而上」とか「唯物論」とか「断滅」とか・・・
そもそもこういった概念自体がイン哲にはない。
いろんな思想がチャンポン状態になって・・・法からどんどん離れていく。
それが宗教ドグマ。
「原始仏教スレ」もそうでしたが、水と油を混ぜるようなエマルジョン状態w
これは明確にせんといかんですね。
キリスト教と仏教は、水と油です。けっして混じりあうことはない。
西洋哲学とイン哲も同様。
けっして混じるあうことはない。
>>120 お前は仏典に書かれていなければ、全て間違いなのかよ、池沼。
お前の理屈で言うと、おまえは、仏典に載っていないから、お前が死んで
輪廻転生するなんていうと、おいおいそんなこと仏典のどこにかいてんだよ!
といっているようなもんだ。他の天体の生命体のことを話せば
条件反射的に馬鹿にするしか能の無い池沼がよ。お前は話にならないんだよ。
>>120 だからゴータマの業報による輪廻転生から導き出される
説の、論理的におかしいところがあればどこがおかしいか言ってみろよ。
条件反射的にそんなのはあり得ないあり得ないと、お前の主観で者を語る
場合じゃなくってよ。吉外。
127 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:29:33 ID:9/9D2Tus
>>78 >己が無明であるとを自覚することこそ、悟りである
だったら>あるがままの自分(=無明自己)を受け入れ
てはいないではないか。
言っていることが矛盾しているんだよ。
唯物論ではブッダの真理(中道)に到達することは出来ない。
>>120 仏教は、輪廻転生を歌ってるんだよ、吉外。
語っていないことにしてるのは、日本の末法仏教徒達だけだ。
もうここでも、ゴータマが輪廻転生を説いていたということは結論がでてるだろ。
否定派の能書きは、自分の価値感に無理やり合わせているだけの、
どうみても無理のある曲解ばかりじゃねぇのかよ。
仏典読んでもろくに内容も読めない吉外が。
129 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 11:32:46 ID:oM6E2Y58
「このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が『この者は、このところへ生まれる。
この者は、このところへ生まれる』と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、人に吹聴する
ためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、『わたしは、このような超能力があることを人は知
れ』というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、広大な喜悦をもつ、良家の子
はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっては、それは長いあいだ利益をもた
らし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』」
(中阿含経・第77・帝三族姓子経)
修行の進歩に応じた死後の境地、転生回数といった四向四果の解説は需要なものです。内容の詳細
が具体的であり、仏道と修行の成果との関係を示す決定的なものです。それを神通力は仏陀を讃えるた
めに附加された後代の方便、などとされてはお話になりません。
仏教からこれら非科学的と称するものを全て排除したら、ただの当時の道徳規範に過ぎない話になる。
ならばどうしても必要なものではなくて、現代の科学常識と道徳で全て事足りることになり、ただの無用の
産物でしかなくなる。
仏教からこれら神通力の話を削除すべきという人は、仏教を物語と見なして信奉しなければいいだけの
こと。
>>122 くだくだ言ってないで、その資料が嘘っぱちだというなら
その証拠を出せゴラァ!
わかってねぇのは、てめぇだろ!!
お前の能書きだと、なんら仮説すら立てられないことになるんだよ!
立証責任はてめぇにあるんだよ、吉外。
全く吉外相手には、まともな会話は成り立たない。
131 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:35:31 ID:9/9D2Tus
>>78 あなたの理論によれば、過去の欲望のまま振舞った凶悪犯罪人たちは、
おのれのあるがままを受け入れた聖者たちだということになるなw
132 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:35:36 ID:QWDbIspe
「ない」ことの証明は、「ある」ことの証明不能によって行う。そもそも、
「ない」ものの証明など出来ないからだ。
例えば、溶液中にある物質が「ない」ことを証明するには、その物資に
反応する試薬を入れ、反応しない、即ち、その物質があることが証明で
きない、ことによって行う。
神が「存在しない」ことを証明するためには、世界中の家の天井裏から
床の下、すべての人の鼻の穴からパンツの中まで探さなければならない。
存在することの証明は、神を一匹捕まえてくるだけで済む。
「ない」ことの証明は、「悪魔の証明」といわれ、不可能とするのが、
証拠法における確立された原則。
133 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:38:04 ID:D75KxAsM
>>130 カラスさんが常日頃、悪口雑言を用いているのは、カラスさん自らが業と業果と輪廻転生を否定していることになりますよ。
このスレの輪廻転生否定者No1はカラスさんです。
>>132 神がいるいないの話をしてるんじゃねぇだろ、ボケェ。
どこかの大学の先生が、生まれ変わりの事例を集めたら
どうも、生まれ変わりを認めないといけなとうまく説明ができない
事例が何点かあった。それから、仏教の輪廻転生の思想からもあわせ、
業報による輪廻転生はあるという仮説も成り立つ。
それらの資料がでっち上げだというなら、そんなものはあるわけないという
そこの吉外の主観ではなく、ちゃんとでっちあげだという証拠を出せろいってるんだよ。
どういつもこいつも池沼ばかりだな。
ちなみに神については、ビック版理論から、全ての始まりの根源はあっただろうということは
理論的に確かめられる。また、縁起の法を逆順で考察しても、根源にぶち当たる。
>>133 毒は毒を持って制するだ。この論理的思考の欠片も無い
ただ自分の主観だけでものを言っている餓鬼は、相当に性質が悪い。
136 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:49:31 ID:o2HQpJD9
愚者は人の言動にばかり気をとられ、自分自身の行いの醜さ、
言葉の醜さ、心の醜さを反省しようとしない。
>>124 おまえキリスト教のなにを知って能書きたれてんの?
138 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:51:44 ID:QWDbIspe
>>134 ビッグバンの理論は、カトリックの神父が、聖書の天地創造を正当化するため
に作り上げたもの。賛成する人が多いには、クリスチャンの数が多いからに
過ぎない。
139 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:52:36 ID:xG8wvtQd
>>121 そんなに恐縮されては、こちらが恐縮します。
なるほど、そういう理由ですか。
ですが、引用の形にしないと意味が通じない箇所が散見されるので、
やっぱり引用の方がいいと思います。
根っこの部分では賛同しているので、気を悪くなさらないでください。
140 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:52:57 ID:g0FDHelG
>>135 >毒は毒を持って制するだ。
この考え方は、仏教徒ではありえませんよ。
電波さんや阿呆さんと全く同じ。
141 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:54:16 ID:9/9D2Tus
>>96 >テキストに説かれている釈尊の体系
「釈尊の」金口の説法だとどうして確定できるのか?
逆に宮本啓一みたいにパーリ仏典のブッダのことばを
すべて真説だと居直って丸呑みしてしまうのか?
142 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 11:56:16 ID:o2HQpJD9
>>136 心は熱く燃えていても、肉に支配された心は弱いものだ。
肉のあるかぎり躓きは避けられない。しかしそれをもたらす者は災いだ。
どんな小さな者でも躓かせる彼らは、生まれてこなかったほうが、まだましである。
>>138 いよいよ神と呼ばれる存在を否定したいが為に、
ビックバン理論までもがでっち上げにしてるぜ、こいつら。
どうよ(苦笑)
この盲目ぶりをとくとごらんあれ。
145 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 12:09:50 ID:9to9w83l
>>137 >>137 キリスト教というのは、
ユダヤ教においてメシア(救世主)が現れたというので大騒ぎしてるんだよ。
今現代においても救世主は現れてる。→文鮮明とか
仏教でも、釈尊の生まれ替わりなんて日本には沢山いる。
(その筆頭が大川隆法とか。もっと昔になると日蓮とか)
救世主を自己表明しているに過ぎない。
しかしながら、何を救世したのか?というと・・・
殆どの場合は救世はしてない。
(冷静にモノゴトの判断を仰ぐのは、もっとアカデミックな宗教哲学が必要である)
>>145 イエスの救いの意味もわかっていない奴は、黙ってろよ。
147 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 12:18:51 ID:9to9w83l
>>146 救う必要は全くない。
釈尊は「世界は甘美である」と表明しておりまして、世界には迷いがない。
迷ってるのは人間だけ。
人間だけ迷ってるなら・・・
人間が自己解決するのが本筋。
これを自灯明・法灯明といふ。
>>120 お前の前スレで書いた仮説の定義は、間違ってるんだよ。
あの定義だと、不確定性原理など認められないし、今までの常識から外れた
たとえば時間は宇宙の端々まで同じ時を平等に流れているという当時の
常識を打ち破った、アイシュタインの相対性理論も、実験で確かめられるまで、
仮説としても立ててはならないとなる。馬鹿なお前に教えてやるよ。
仮説とは、論理的に矛盾が無ければ、今の常識とかけ離れた理論でも
立派に、仮説として、成り立つんだよ、吉外。
こいつの言ってることはなんら論理的なものは無く、単なる自分の主観のみで
めちゃくちゃだ。仮説の意味もわかっていない。こういう奴が中世に生まれると、
当時天動説が常識だからと、地動説を唱えるものが出てくると、弾圧して、言論を
封殺するんだ。俺がこいつをたたく理由がわかるか?どんなに論理的には筋の通った
話をしtれも、自分の価値観以外は認めないエゴにまみれたこいつは、邪悪なんだよ。
>>147 そう思ってるのはお前の妄想。
お前の仏教は、現実的にはくその役にも立たない、ただの言葉遊び。
150 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 12:30:24 ID:oM6E2Y58
>>141 私はジャータカ及び人間以外の下等生命への転生話を方便としますが(理由は
>>3-6)、それ以外は
全てゴータマの言葉そのままに受け入れています。恐らく宮本啓一氏には近いでしょう。
たしかに鵜呑み丸呑みは良くない(これはゴータマ自身も述べた)。従って、仏典を批判的に読んでい
く姿勢そのものは弟子道にない人には推奨されます。私も否定論者の見解には否定的に読みます。
あなた自身の中で疑問が解消され、或いは教えに対して信頼性が増したなら、仏道入りを検討すると
いいでしょう。疑いのなまこでは弟子とはいえない。そういう人は無理に信奉する必要がない。
>>147 こいつら似非仏教徒にかかれば、単にエゴのまま生きる動物(獣)は
生まれながらに悟っているとなるから恐れ入る。
おまえよ、邪見をばら撒くのも程ほどにしとかないと、後で公開するぜ。
その業の報いは自分自身が受け取ることになるからな。
そういや電波なんてのは半身不随になったそうじゃねぇか。今頃、ものも語れない
身体になってんじゃねぇのか?(苦笑)
邪見をばら撒き、みんなを迷わすくらいなら、語れない身体になるほうが、はるかにましだ。
152 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 12:38:55 ID:6/oyYud+
>>149 貴殿は、キリスト教に救いを求める。というのは
源罪がある。と、そういうふうに脳にプログラムが挿入されているから。
源罪なんて、そういうもんは全くないんですよ。
まあ、あると信じている人は・・・それが真実なんでしょうけど。
>お前の仏教は、現実的にはくその役にも立たない、ただの言葉遊び。
そのとおり。ご利益などは全くない。
ないないづくし。
究極的に「なにもない」というのが、
人間にとっては涅槃となる。
(非常に高度な仏教哲学になる)
>>152 おまえ原罪の意味わかってんの?聞いてやるから
お前の理解する、キリスト教の言う原罪の意味を言ってみな。
>>152 >そのとおり。ご利益などは全くない。
>ないないづくし。
>究極的に「なにもない」というのが、
>人間にとっては涅槃となる。
>(非常に高度な仏教哲学になる)
おまえアホやろ。それが悟りなら、なんでゴータマは欲を断ち一日中瞑想
修行しなきゃいけないんだよ。なんで八正道など収めなきゃいけないんだよ。
おまえのはただの言葉遊びで、話にならないんだよ。
155 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 12:43:13 ID:wvCMsfdz
>>151 >そういや電波なんてのは半身不随になったそうじゃねぇか。
ますます、口が悪くなってるなぁ。。
どこでそういう話になったのですか?
キリスト教の原罪論を理解しない奴は、キリスト教を語るなよ。
>>155 あんな奴は早く死ねばいいんだよ。
くだらない男だ。
机よ、いいかげんお前の仏教は、ゴータマの仏教とはちがうという事くらい、
気付こうや。
159 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 12:49:08 ID:6/oyYud+
>>156 エデンの園の話は、あれは日本でいえば神話の類。
蛇が語ちるわけはないだろ?
ヤマタノオロチが現実にいた訳ではない。
源罪というのは、そういった一連の物語に過ぎん。
160 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 12:56:22 ID:oM6E2Y58
>>42 ヽ(´ー`)ノ お奨めにあやかりまして、早速「Jane Style」なるものを導入しました。
まだ使い方が分りませんがご親切に感謝です m(_ _)m
161 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 12:57:23 ID:6/oyYud+
>>154 >おまえアホやろ。それが悟りなら、なんでゴータマは欲を断ち一日中瞑想
あのですね、
人間というのは、一番簡単そうなのが・・・実は一番難しいのですよ。
そういうもんに気づいていくのが悟りというもんです。
眼が横に付いてて、鼻は縦に付いてる。
これは納得するのに非常に時間と努力を必要とする。
(釈尊の瞑想というのは、この延長線にある)
>>159 おまえアホやろ。聖書は肝心なことは全てたとえで書かれている。
文言のとおり読んで理解してどうすんだよ。
原罪の意味も全くわかっとらんし。蛇とは善悪を分ける知恵。
それすなわちロゴスだ。われわれを再び生かす命の木も、われわれを殺した
善悪を知る知恵の木も、エデンの園の中央に隣接してなっていた。
そしてイエスもロゴスだ。蛇にかまれた人は死んだが、天に上げられた蛇を拝む者は
死なない。天も地も、生も死も表裏一体。
イエス=ロゴス=蛇=善悪を知る知恵の実=命の木。
全ては表裏一体なのだ。
人は一つのものを二つに分けた。一つのものを、私とあなたに分けた我々人間に
義人はいない。ただの一人もいない。
ま、おまえらにはもったいなすぎる話だ。
>>161 お前の理屈だと凡夫はそのまま悟っていることになり、
ここに矛盾をはらむ。
164 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 13:03:17 ID:6/oyYud+
>>162 >ま、おまえらにはもったいなすぎる話だ。
いやぁ〜
そんな話は昔からあるよ。
つまりその根本原理というのは陰陽思想からきている。
別に特別なもんでもない。
古くから中国にはあった。
>>164 知ってておまえは
>>159のような
ちんぷんかんぷんなレスをよこすわけだ。
なにが陰陽の思想だ。男と女の意味も知らず
>>159のようなちんぷんかんぷんなレスをよこすやろうがよ。
では聞こう。なぜロゴスが人を殺し、なぜロゴスが人を救うのだ?
答えてみろ。
言っとくが、キリスト教は、おまえらが思っているより、奥が深いぞ。
>>164 原罪の意味も知らないカスが、なにを抜かす。
167 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 13:17:40 ID:9to9w83l
>>163 凡夫というのは、輪廻転生があるか?どうか?思い煩うことですね。
こういうのを「迷い」と言ったりする。
人は迷いながらも老いて〜そして死を迎えるわけですが、
この人生80年くらいでしょうか?
死んだらどうなるか、迷いに迷い抜いて、そして死んでいくわけですね。
有余涅槃というのは、こういった迷いからの解脱ですね。
非常に答えは簡単ですが、
簡単すぎて、これは殆どが解脱は困難。
(これを凡夫といふ)
168 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 13:32:59 ID:oM6E2Y58
169 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 13:47:24 ID:mt5cCuzk
>おまえアホやろ。聖書は肝心なことは全てたとえで書かれている。
文言のとおり読んで理解してどうすんだよ。
原罪の意味も全くわかっとらんし。蛇とは善悪を分ける知恵。
「聖書は肝心なことは全てたとえで書かれている」と言いながら、仏典については
たとえであることを認めないのはどういうこと?w
170 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 13:50:14 ID:t6ZC9rW2
>>168 あ、これは便利。
今まで全く存じ上げませんでした。
ありがたや。
171 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14:36:56 ID:xG8wvtQd
>>105 そうですね。形而上学の否定とされるのは十/十四無記と以下の佐倉哲さんの指摘でしょう。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism35.html 比丘たちよ、わたしは「一切」について話そうと思う。よく聞きなさい。
「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、
耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、
身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。さらに彼を問い詰めると、
その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故か。何故なら、
彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)
以上のような「一切」と「十/十四無記」に明解に答えるのがパーリ『梵網経』です。
『梵網経』はブッダに対して賞賛と誹謗があることにビクが騒いだの因んで釈尊が説かれた教えです。
釈尊は賞賛に対して次のように仰られます。
Katamañca taṃ, bhikkhave, appamattakaṃ oramattakaṃ sīlamattakaṃ,
yena puthujjano tathāgatassa vaṇṇaṃ vadamāno vadeyya?
ビクたちよ、凡夫が如来を賞賛して語るとき、どのようなわずかなことのみを、
卑近なことのみを、戒のみを語るであろうか(浪花宣明 訳以下同じ)
この後、小中大の戒が説かれます。要するに凡夫でも見て分かることだけを賞賛するとしています。
そして、次に釈尊はこのように仰られます。
172 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14:37:50 ID:xG8wvtQd
Atthi , bhikkhave, aññeva dhammā gambhīrā duddasā duranubodhā santā paṇītā
atakkāvacarā nipuṇā paṇḍitavedanīyā, ye tathāgato sayaṃ abhiññā sacchikatvā
pavedeti, yehi tathāgatassa yathābhuccaṃ vaṇṇaṃ sammā vadamānā vadeyyuṃ.
ビクたちよ、このほかに、如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、
見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある。それら〔を賞賛すること〕によって、
如来をあるがままに賞賛し、正しく語ることになるであろう。
この後、以下の六十二邪見が説かれます。
1.過去に関する説
1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
2.四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
3.四有限無限論(世界が有限無限であるという三つの禅定体験と一つの推論)
4.四詭弁論
5.二無因生論(我と世界が原因なく発生するという禅定体験と推論)
2.未来に関する説
1.死後の有我説
1.十六有想論
2.八無想論
3.八非有想非無想論
2.七断滅論(一つの無我断見と六つの有我断見)
3.五現法ネハン論(一つの現世肯定論と四つの禅定体験)
これらを述べた直後と、最後に締めくくりとして釈尊は次のように仰られます。
173 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14:39:47 ID:xG8wvtQd
Tayidaṃ, bhikkhave, tathāgato pajānāti – ‘ime diṭṭhiṭṭhānā evaṃgahitā
evaṃparāmaṭṭhā evaṃgatikā bhavanti evaṃabhisamparāyā’ti.
Tañca tathāgato pajānāti, tato ca uttaritaraṃ pajānāti, tañca pajānanaṃ
na parāmasati, aparāmasato cassa paccattaññeva nibbuti viditā.
Vedanānaṃ samudayañca atthaṅgamañca assādañca ādīnavañca
nissaraṇañca yathābhūtaṃ viditvā anupādāvimutto, bhikkhave, tathāgato.
ビクたちよ、これについて如来は次のように知る。『このように執着され固執された
見解は、このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう』と。
如来はこれを知り、またこれよりも勝れたことを知る。ビクたちよ、
しかしそれを知って如来は固執することなく、また固執がないから、
心の内に寂静があり、感受の〔生起する〕原因と消滅と過患と出離とを正しく知って、
執着を離れている。
「このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう」というのは、
以上の六十二見は、体験した結果の転生をもたらすという意味です。
「如来はこれを知り」ということは、釈尊が以上の禅定体験を全て経験しているという意味です。
さらに釈尊は次のように続けます。
174 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14:42:40 ID:xG8wvtQd
Tatra , bhikkhave, ye te samaṇabrāhmaṇā pubbantakappikā ca aparantakappikā
ca pubbantāparantakappikā ca pubbantāparantānudiṭṭhino pubbantāparantaṃ
ārabbha anekavihitāni adhimuttipadāni abhivadanti dvāsaṭṭhiyā vatthūhi,
tadapi tesaṃ bhavataṃ samaṇabrāhmaṇānaṃ ajānataṃ apassataṃ vedayitaṃ
taṇhāgatānaṃ paritassitavipphanditameva.
ビクたちよ、これらのうちで、かれらシャモン・バラモンたちは、
過去の限界について考察し、未来の限界について考察し、
過去の限界と未来の限界とについて考察し、過去の限界と未来の限界とについて見解をもち、
六十二の根拠により、過去の限界と未来の限界とに関して種々の浮説を主張するが、、
それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、
〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために
おののき狂躁したものにすぎない。
ここで重要なのは凡夫より六十二見の方が高い見解であり、禅定によって
知覚領域が高まっているとされていることです。それを裏付けるのが、
凡夫の場合「卑近なことのみ」とされたのに「尊敬すべきシャモン・バラモンたち」が
「感受されたもの」としていることに示されています。ですから、比喩説も否定されます。
「過去の限界と未来の限界」というのは、過去世と未来世です。
それははっきりと説かれています。
「一切」に戻ると、「一切」というのは凡夫の五感の対象だけではないのです。
聖者の心の対象も含まれていることも、はっきりと認識することが重要です。
さらにパーリ『梵網経』には「十/十四無記」を理解する鍵でもあります。
それには石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』186頁以下が天才的な考察をされています。
それについては、また後で。
>>98 キリスト教でもイスラム教でもいいけど、
六道輪廻を認めない宗教は多いから、そこで輪廻があると断言すると
論争の種になる。
輪廻に関係ない悟りというか、悟れば自動的に輪廻から解脱するわけだから
輪廻があるとか無いとか言う必要もなく、ただ悟りを目指せばいいという話。
176 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 15:30:37 ID:VwGgTiZl
107さん有難う御座います。
107さんの説明のように
私の質問に対して50さんの返答は全く答えになっておりません。
>川の激流もsaMsAraです
まず私はsa.msaaraに「川や水の流れ」があるなど聞いたことがありません。
漢訳語にも見あたりませんが?
私は1. course,passage の意味におけるsa.msaara単独での用例を求めております。
次にsaMsArasAgaraのコンパウンドですが、tatpuru.sasでしか読めません。
語順からも「海の激流(荒波?)」とはとても読めないのですが?
漢訳語でも華厳経では「生死大海」と訳されています。
>原始仏典における1の意味で用いられるsa.msaaraの頻度はどのくらいですか?
>全てです。
違います。
107さんの指摘と以上からもsa.msaaraの解釈がでたらめであることが
はっきり致しました。
177 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 15:37:53 ID:VwGgTiZl
171−174
ご教示有難う御座います。
178 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 15:44:25 ID:DcGj2Sjh
有難い事です。
これで中道の仮面を被った断見仏教常識派信者の出る幕はなくなりましたね。
次は無我=非我論を盾にした常見仏教神秘派信者ですね。
正統派キリスト教やユダヤ教、イスラム教では輪廻を否定しているにしろ、これらの大宗派にはどれも、かつて輪廻を支持して論争してきた党派がいた。
一般に信じられているのとは裏腹に、生まれ変わりは多数の原始キリスト教徒たちに広く受けいれられており、なかでもオリゲネスが転生を信じていた事は有名である。
聖アウグスティヌスもあきらかに「人間存在は一回限りではないらしい事に頭を悩ましていた」
『主よ、お聞かせください‥‥幼少の頃の私は、より前に死んだ別の時代の私の人生を引き継いでいるのでしょうか』と書いている。
彼もたぶん現代キリスト教徒の多くが知らないように、イエス・キリストが輪廻を立証していたという事実を知らなかったのだろう。
このことは、聖書にも書かれているし、グノーシス派の書物にはもっとはっきりと書きしるされている。
グノーシス派の福音書「信仰の知恵」には、『魂はこの世ひとつの身体から別の身体へと次々に注ぎいれられる』というイエスの言葉が引用されている。
四世紀になって、キリスト教は迫害された秘教の信奉者たちの集団から発展し、政治の世界にも影響を及ぼすまでの大組織に成長したわけだが、
このときになって初めてキリスト教神学における輪廻への反対論が表れた。
これにも屈しない彼らには異端という烙印を押された。
「驚くべき現代の神話・輪廻転生」J・L・ホイットン他著より
180 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 16:07:50 ID:6/oyYud+
>>168宝珠愚者どの
これは凄いものを見つけましたね。
凄いです!!
こんなのがあったのですね。
早速、利用させて頂きます。
181 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 16:10:49 ID:ZQjEO+KR
>>180 長いこと2chに巣くっている人でも、知らないことがあるのですねw
さて・・・。
私が上げた二つのファイル(――何人か落としてる方もいるようだが、
間違いや批判目的の方もいるだろうと思うのでDL数自体に意味はないだろう――)や、
前スレの(簡単ではあるが)「スパン」「認識の限界」「因果の取捨選択」(或いは「溜飲を下げる」)についても、
スレ違い覚悟で御隠居風味の方とやりとりをした「五感が信じるに足る理由は何か?」についても、
興味を持つ人は居ないんだろうな・・・。(批判や罵倒すら無いし・・・w)
“迎合”や“話を合わせる”ということでなく、
今という時代に於いて、他の価値観との対話が不可欠であるなら、絶対に避けては通れない筈なのに・・・。
また、分類表は、「何が仏教なのか?」「何をもってして(どこをもってして)仏教と言うのか?」
という問いと関連してたりもする。
ま、それはもうどうでもいいか・・・w
スレも序盤。燃料投下も兼ねて、ある意味不遜な暴論を吐いてみましょう。(どうせ外道の戯言だしwww)
私が今考えているのは、
「業報思想の不完全さ」及び「輪廻(生まれ変わり)は、その不完全さを補完する」ということです。
別の言い方をすれば、
《「輪廻(生まれ変わり)」により補完されることによって「業報思想の完全性」が保たれる》 ということです。
肯定論者の方たちの骨子は、まさにこの点にあり、
このスタンスであれば当然、《「輪廻(生まれ変わり)」を欠いたならば、「業報(思想)」が崩壊する》
という考えしか導けません。(端的に表れている直近のレスが
>>37(
>>20)となります。)
勿論、カラス氏が言うような「根源」や「第一原因」(或いは「世界の始原」)とも絡んできます。
そして、私が各論として掘り下げていければと思うのは、
「不完全さ」の内容である
《「スパンの切り取り基準」や「知覚認識の“際(きわ)”・“限界”」、「“果”の抽出・“因”の抽出及びその基準」、
「“因”や“縁”の(直接に)及ぶ範囲」、「“果を受ける”主体が仮設されてしまうこと(≒
>>37(
>>20))」》 などです。
※(或いは、
《「“果”からの逆算」(その帰納的・経験的積み重ね)により、「“因果”の確実性」は見出された(≒担保されている)》
という点も加えるべきかもしれない。)
そして、
《「輪廻(生まれ変わり)」を導入することで、そうした「不完全性」を隠蔽している形になっていないか?
不問に付し、見て見ぬふりになっていないか?》 という点です。
この吟味(「この不完全性」を明確にし解体・解決すること)は、
≪ 《「輪廻(生まれ変わり)」が抱える問題点は、実は「業報思想」が抱える問題点と被っている
(→だから補完要素として採用される)》ことであり、「業報思想の不完全性」を明確にし解体・解決することは、
すなわち「輪廻(生まれ変わり)」の不完全性を明確にし解体・解決すること ≫
となるのではないかと思っている。
また(―それが、「結局(輪廻以外の)他の要素による補完」になるのか、
「不完全に見えるだけで、完全であったことが確認される」のか、
「註釈(細かな補足説明)付で為されるものとなる」のかはわからないが――)、
業報思想の不完全性を昇華し、業論者・行為論者(kamma vAdin)と呼ばれた釈尊の言う
「行為とその果」に於ける真意に近付くこととなるかもしれない・・・。
そして、ここに於ける説明が、
仏教外からの(特に哲学(や認識論?)や生物学的視点の側からの)批判・指摘に対する答えとなるだろう、と・・・。
(個人的には、「“宗教”なんだから違って当然。解らなくて当然。」という形は避けたい・・。)
以前「作文中」と書いたが、実際は「考え中・吟味中」と言った方が正確だ。
その意味では、(近似した価値観・スタンスばかりで構成される)狭い仲間内のコミュニティより、
雑多な意見が飛び交う2chという場は、楽しいし有意義だw
このスレも、建った当初は(さて、どういう方向へ向かうやら・・・)と思ってたが、
聡明な、知識豊富な論客が多く出入りするようになった。
特に最近のレスは簡明で解り易い。有難いことです。
185 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 16:31:21 ID:XSTPsDNZ
「原始仏教スレ」も事実上は、輪廻と仏教が主題だったと言ってよいと思います。
そうしますと、足掛け7年も輪廻について議論していることになります。
私も当初は、輪廻など瑣末な問題だと思っておりましたが、八万四千の法門を標榜し、万人に入りやすき教えと思っていた仏教の入り口にある輪廻という小石に誰もがつまずく。
この輪廻という小石は、気がつけば巨石となって、眼前に立ちはだかっていた。
そんな畏怖をおぼえます。
186 :
初代スレ7:2009/01/25(日) 16:38:04 ID:s1aNasNV
>>185 >万人に入りやすき教えと思っていた仏教の入り口にある輪廻という小石に誰もがつまずく。
>この輪廻という小石は、気がつけば巨石となって、眼前に立ちはだかっていた。
>そんな畏怖をおぼえます。
美しい表現をしますね。
躓いている者達の代表が私だと思っていただければ、レスもし易くなるでしょうか・・・?
187 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 16:51:13 ID:gXAhNglN
>>131 >あなたの理論によれば、過去の欲望のまま振舞った凶悪犯罪人たちは、
>おのれのあるがままを受け入れた聖者たちだということになるなw
凶悪犯罪人とは、まさに、「おのれを取り巻くあるがままの現実 」を受け入れ
られずに、その以外のものに執着した結果ではないか。
このことは、あるがままの現実を受け入れられずに、それ以外のものを求めて
宗教や修行に走る、宗教者や聖人も同じこと。彼らにも悟りはない。
人間の本質は、生存と種属の維持である。自分や社会や家族の生存のために精
一杯働き、一日の仕事を終えた後は、家族や、場合によっては友人たちと、楽
夕餉の席を囲む。悟りとは、そこにある。
「あるがままの今ここ」に満足できず、「何か他のもの」を求めて、または
「ありもしない輪廻転生」に怯えて、生存、即ち日常生活から遊離した宗教や
修行に没頭する宗教者たちは、まさに悟りとは正反対の、浅ましい執着の姿に
過ぎない。
188 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 16:59:28 ID:gXAhNglN
189 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 17:05:34 ID:ur8uUosv
>>187 じゃぁ、お釈迦さまは、還俗してお城へ帰ったんだ。
修行者や弟子にバカなことはやめて、お家へお帰りって教えたんだね。
190 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 17:09:59 ID:gXAhNglN
>>189 その意味で、釈迦は少しも悟ってはいなかった。だから、仏教者たち
も、執着にまみれた人がいる。
191 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 17:12:09 ID:V4jz+w/F
このスレに出逢って、「悟りとは」などと軽々しく言えなくなった。
禅の見性で会得できるものが随分と小さなものに思えてきた。
釈尊がさらに偉大に思えてきた。
192 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 17:16:20 ID:gXAhNglN
>>191 悟っていなかった釈尊のどこが偉大なのかね。
偉大なのは、「生存・生活」という「最大の修行」で悟った、圧倒的多
数の当時の生活者たちであろう。
キリスト教や仏教を信じている人がいるという「あるがままの現実」を受入れられない可哀想な人もいるな。
194 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 17:22:18 ID:gXAhNglN
>>193 彼らは、あるがままの現実を受け入れられないからこそ、宗教に縋る
のである。そして、悟りからはさらに遠のく。
195 :
初代スレ7:2009/01/25(日) 17:23:43 ID:s1aNasNV
ああ、ついでに告白しておこう・・。
質問箱での一悶着を因として建てられた、このスレ。
【悟りは】反仏教論の構築へ向けて・・・【逃避?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1227145975/ これを建てたのも、仮テンプレの文を作成したのも、私です。
私が、
誰に対する言葉を模索しているか、→『どのような批判に対して、反論の言葉を模索しているか』
が、少しは理解して頂けるでしょうか・・・。
『何を仏教として受け止め、どこに、その価値を見出しているのか』を・・・。
三代目170氏は、誠実に(敏感にw)反応してくれました。
【「出家遊行生活」は“逃避”という“側面”がある】ことを、決して忘れてはならないと思う。
これを忘れた時、仏教は民衆と乖離し、単なる知的パズルに堕してしまうだろう。
お釈迦さんが
《何に悩み、何に気付き、何を目指し、何を説いたのか》(《その時、どのような方面への配慮を気にされていたのか》)、
ここへの視線を忘れた時、その時には、
何が語られようとも、どれだけ仏典が引用されようとも、
それらは全て、絵空事にしかならないだろう・・・。
彼らは、あるがままの現実を受入れられないからこそ、宗教を叩くのである。
そして、悟りからはさらに遠のく。
197 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 17:31:39 ID:gXAhNglN
>>195 >【「出家遊行生活」は“逃避”という“側面”がある】のではなく、「逃避
そのもの」ではないのかね。
釈迦にいささかの悟りがあれば、生まれたばかりの赤ん坊を残して家出し、
引きこもりの修行などしなかったはず。
彼には、その恵まれた環境故に、不幸にして、「生存・生活」という「最大の
修行の場」が与えられなかった。
198 :
初代スレ7:2009/01/25(日) 17:37:56 ID:s1aNasNV
うはwww
藪蛇だったか・・・w orz
>>197
199 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 17:51:03 ID:gXAhNglN
>>198 釈迦は、恐らくはその家族関係(母は義母)を原因とするうつ病であったこと
は明らか。しかし、うつ病は「感情障害」であり、人格崩壊には至らない。
それが、イエスの統合失調症による人格崩壊とは、巨大な相違である。
200 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 18:04:04 ID:oM6E2Y58
>>191 「悟り」というのは、単に困難だったものが「理解できた」に近しいようなレベルから、直感的な閃きといっ
たものまで実に様々な段階的なものです。トンチのような禅問答といったものも「悟った」などという。
しかし、仏教でいう本来の悟りとは、輪廻転生から解脱しニルヴァーナ意識境に到達し、直知体験で初
めて把握する森羅万象一切の摂理の理解のことです。
それは仏教書を読んで意味を理解した、などといったものではなく、神秘体験にて直知体験することに
あります。しかもそれは、自己の意識の焦点が低我(パーソナリティー)から真我に留まり、そこに常住し続
けることをいう。意識の焦点が低我から真我に切換ること、これが解脱者にしか成し得ない驚異なのです。
>>182 >私が上げた二つのファイル(――何人か落としてる方もいるようだが、
ごめ〜ん!ダウンロードしたのはいいけど何故か解凍に失敗しています。
是非、拝見したいとは思いましたが、弱りましたぁ(笑)
そんなに膨大なデータ量?ここには分けて書き込めないのかな?
どこかにアップロードするか。無理か・・。
201 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 18:33:13 ID:oM6E2Y58
>>179 ギリシアのオリゲネス(西暦185-253)はアレキサンドリア教理学校の教師で、初期キリスト教界屈指の
神学者でした。彼はプラトン派についての教養も深く、生まれ変わりの法則を強調していました。実際、
西洋では6世紀までは生まれ変わりの概念は普通に受け入れられていたのです。
これを不敬であるとして抹殺したのは当時のユスチウス皇帝でした。553年に開催されたコンスタンチ
ノーブルでの「第五次汎宗教(キリスト教)会議」において、皇帝が当時の教会の長老たちにこの概念を
キリスト教のドグマから排除するよう強いたのです。それ以来、教会から学ぶ神学(教理)には転生の教
えは失ったのです。しかし、聖書には生まれ変わりを示す教え(及び行為の結果が自己に返ってくるとい
う業報の教え)は削除されることなく、そのまま今も残っています。
従って、教会に洗脳されなければ、眼在る者はそれを素直に読むことでこのことを知るのは十分に可
能です。しかし残念ながら、神とキリストに対する信仰的な畏怖の念(それは教会の説く内容に対するも
のだが・・)から、なかなか気付くことができないのが実情です。指摘しても、必ず当人はこじつけて否定
してきます。頭から決め付けているので盲目になっているりです。ここの断滅論仏教者と同じ姿ですね。
202 :
初代スレ7:2009/01/25(日) 18:50:41 ID:s1aNasNV
>>200 >ここには分けて書き込めないのかな?
無理ですw
今自分で落としてみたけど何も問題ないので、
後はPCに詳しい人の降臨を待つしかありませぬ・・・w
(解凍ソフト・アプリによって違いが出ちゃうのかな?)
てか、無理なら無理で構いませぬw
そこまでゴリ押しするつもりはありませんから・・・。
「願わくは・・・」くらいのものだと思ってくださいw
203 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 18:52:31 ID:ZEgsKwWL
>>201 >聖書には生まれ変わりを示す教え(及び行為の結果が自己に返ってくるとい
う業報の教え)は削除されることなく、そのまま今も残っています。
あぁ、スレ違いとは知りながら、その点についてもっとkwsk!
204 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/25(日) 19:15:27 ID:9to9w83l
>>185 >そうしますと、足掛け7年も輪廻について議論していることになります。
そうでしたか。
拙者があのスレに書込みした当初は、アホダラ氏も拙者に絡んできましてねw
テーマは因中有果論。
こんなテーマを振ってきましてもね、拙者にはあまり関心がない。
でも、こういうことを真剣に考えてる御仁もいることは間違いない。
>この輪廻という小石は、気がつけば巨石となって、眼前に立ちはだかっていた。
>そんな畏怖をおぼえます。
そうですね。
足掛け7年ですと・・・・
たしかに小石が巨岩になりますね。
でも、その巨岩を何かの切っ掛けで打ち砕いた時に、
人間は、それとは別の自由を獲得するのかと思います。
世界は破壊において発展をもたらす。byカール・マルクス
205 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 19:47:15 ID:kGJILSJu
心を忘れた人生は暗闇やな‥理屈を越えられない限り浄土も遠い‥
206 :
初代スレ7:2009/01/25(日) 20:37:45 ID:s1aNasNV
>>204 >でも、その巨岩を何かの切っ掛けで打ち砕いた時に、
>人間は、それとは別の自由を獲得するのかと思います。
たまにはイイ事言うじゃないかw
207 :
初代スレ7:2009/01/25(日) 21:10:46 ID:s1aNasNV
ちょっと早いが寝るか・・・。
おやすみw ノシ
208 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 21:17:20 ID:OLfAFsKD
輪廻転生肯定者は、何故自分が死んでみて、それを証明しようとはしないのかね。
生まれ変われるのなら、問題はないはずだが。やはり本当は疑っているから、
怖いのだろうw。
否定論者は、そんなヤバイことはしないw。
宗教・思考・知覚を初め、人間のすべての営みは、その生物的生命の機能。
生命を以って生命の消滅後のことを考えるのは、とんでもない矛盾ではない
かね。
宗教は、信者以外の人間にとっては無用の長物。しかし、衣食住は「すべての
人間」にとって不可欠。「人は、パンがなければ生きられない」のである。
宗教も、「人間の生物的生命」という「唯一の普遍の基盤」に基づかない限り、
普遍ではありえず、単に百人百様の無意味な観念の遊戯に過ぎない。
209 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 21:50:08 ID:oM6E2Y58
>>203 はぃ、ではごく簡単に!
私が投稿した、「聖書の中の再生誕とカルマの教え」と題する小論文を掲載(転載)しています。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1224385381/224-225 この中で、イエスが生まれ変わりについて肯定する教えを説いており、また弟子との間で買わされた業
報についての質疑について取り上げて解説しています。大変、素晴らしい名文です。
この小論文が取り上げているのは『マタイ11:13〜14』、『マタイ16:13〜14』、『マタイ17:12〜13』、『ヨハネ
9:2〜3』です。
(またこれらのレス番も私による投稿です。内容はおもに著名な聖書解説者で牧師による“キリスト教が仏
教よりも優れているとする”主張に対する私からの反論とキリスト教批判を展開したものです。普段、キリスト
教や聖書には関心が薄い人にも奨める私のかなりの力作です。37、39-45、58-60、82-84、88-90、98-99)
その他としては、これも同じく洗礼者ヨハネに関連する言及です。
『ちょうどその頃、地域支配者ヘロデはイエスの評判を聞き、自分の僕(シモベ)たちに、「これはバプテストの
ヨハネだ。死人の中から蘇らされたのだ。だから、強力な業(ワザ)が彼の内に働いているのだ」と言った。』
(マタイ14:2)というのがあります。当時の人々の中には、生まれ変わりの概念が当たり前としてあったことを
示すヘロデによる発言です。
210 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 21:50:31 ID:oM6E2Y58
おまけとしては、『マタイ22:32』はニルヴァーナのような境地のことを示しているとみられ、イエスの復活
の予告がされてる。『ヨハネ14:18』はイエスが磔刑死後も生きているとし、再来の予告をしています。『黙
示録3:12』もニルヴァーナのような境地を説明している内容です。
業報と同じような教えについては、
『他の人を裁くその事柄において、あなたは自らを罪に定めているからです。』(ローマ人への手紙2章1節)
『思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また
刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を
刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになるので
す。』(ガラテア人への手紙6章7-9節)
の二つが代表的なものです。
PS:何故かいつもこの私をクリスチャンと罵るおかしな人にも読んでみるよう推奨します!
212 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 21:58:25 ID:oM6E2Y58
>>208 アホ!死んだら帰って来れないじゃないか!www
次の転生がいつなんてことは分らない。遙か数百年後となるかもしれず、また赤子からだぞ!それに自
殺は基本的に与えられた生命に対する冒涜であり、大きな罪悪です。
それを知ってて自殺するわけがない(笑)
あなたはまず、科学常識では説明のできない現象、奇跡現象、生まれ変わり現象についても調査で確認
された事例があることを知るべきです。あなたはそれらについて、まともに自分で情報を読んでみたことは
ありますか?ある筈がない、ただ無視してるだけではありませんか?
213 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 22:24:00 ID:oM6E2Y58
>>211 某スレ225
>親の罪でもなく、本人の罪によるものでもないということは
>「前世」が現世での状況に影響する、という教義が否定されるということです。
>現世での「生まれつきの盲目」という結果を生む罪は、「生まれる前(前世)」にしか犯せないからです。
>そして人間は生きている限り、善行したり罪をおかします。
>よって、イエスのその発言は「前世」の存在を肯定するものではないということになります。
一体、どこのキリスト教伝統信奉者さん?ここでいう「本人の罪」ではないというのは、今生での本人のこ
とに決まってる。生まれながらの盲目の人の話ですよ、これは!
<「生まれる前(前世)」にしか犯せないからです> って、ちゃんと自分で書いてるじゃないか?(笑)
ならば原因は前世しかないでしょう!転生とカルマの教義はキリスト教から抹殺されたのです。イエスの
絶対性を謳うためには非常に邪魔な思想だったからです。当時の権力者(皇帝)はキリスト教を支配の道具
に使ったのです。
あなたが認める必要はないから、お好きなようにキリスト教を信奉してなさい。別にあなたの改宗を迫って
るわけじゃないから。疲れる。。。
(
>>211については、この投稿だけで止めにします)
レスが
>>38にもありますが、
>>14 >原始仏教で輪廻の主体が識とされることはあります。
これでは、釈尊に誤りを指摘されたサーティ比丘の発言、「世尊の教えは
『識が輪廻する』というものだ」というのと非常に近いですね。
tathA 'haM bhagavatA dhammaM desitaM AjAnAmi,
yathA tad ev' "idaM viJJANaM sandhAvati saMsarati anaJJan"ti. (中部経典 38)
私(サーティ)は、世尊によって説かれた教えを次のように理解しています。
すなわち、まさにそれ(教え)は「他ならぬこの識が、流転し輪廻する」というものだ、と。
識とは六つの識であり、日夜、滅しては生じを、いつ始まったともなく反復しているものです。
識が輪廻の主体である、といった表現は避けた方がよいと思います。
215 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 22:44:23 ID:wU8RukDY
>>125 >
>>120 お前は仏典に書かれていなければ、全て間違いなのかよ、池沼。
俺がいつ
>>120でこんなこと書いたか?もう一度読み直せ。
お前は本当に人の書きこみ、捻じ曲げるね。お前の性格が捻じ曲がってるからか?(笑
>>130 >くだくだ言ってないで、その資料が嘘っぱちだというなら
その証拠を出せゴラァ!
わかってねぇのは、てめぇだろ!!
お前の能書きだと、なんら仮説すら立てられないことになるんだよ!
立証責任はてめぇにあるんだよ、吉外。
同じことの繰り返しばかり。自分では何ひとつ論証することなしに
バカだ、アホだのくりかえし。小学生以下だね(笑
>>134 >生まれ変わりを認めないといけなとうまく説明ができない
事例が何点かあった。
だから、その事例というやつを挙げて実証しろと言ってるのに全く
できない。キチ外が。
>>148 俺が前スレで挙げた『仮説』の概念は以下のとおり
「科学における『仮説』とは、その時点までにおける
科学的知見と矛盾することなく、未知の事象を整合性ある理論をもって
予測することであり、将来における検証可能性を有するもの」
いったいどこがおかしい?俺は「仮説とは一般常識に反するものであっては
いけない」 などと、どこにも書いたつもりはないがお前にはこれがそう
読めるのか?お前は、オカルトの勉強などより、まず文章読解力を向上させろ。
216 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 22:50:16 ID:wU8RukDY
量力と相対性理論を持ち出していたが、なんでオカルトバカはすぐ、これらを
持ち出したがるのかね? お前が、いちいち解説してくれんでも、おそらく
お前の100倍は詳しいから(笑
いいか?相対性理論にしても不確定性原理にしても、その当時の科学的知見をもとに
厳密な論理構成により、出来上がったものなの。お前の思いつきの妄想と一緒
にするな、バカ。正直、俺はオカルトばかとの、この手の論争はうんざりなの。
基礎的な用語や概念も全くわかってないから、話が全然かみ合わないし
「テンソル?は?」 「ボーム?誰それ?」で話が全然進まない。
お前、「不確定性原理」に言及するんだから、少なくとも量力の最も基本の
シュレディンガー方程式(猫の話じゃねえぞ)を波動関数から導けるくらいの
基礎学力があってのことなんだろうな?
ここは仏教スレだから、そっち方面からの突っ込みは遠慮してたんだが
お前が自分で話をそっちに振り、自爆するというのなら遠慮はいらんな。
お前が言ってた「他の惑星への転生」 これの情報伝達システムの論理的
モデルを提示してみろ。予め言っておくが、これはお前があげてた「特殊相対性
理論」の全否定に繋がるからな。楽しみだ。
それからEPRはださんでくれよ。この手の話になると必ずこれを持ち出してくる
やつがいるが、素粒子レベルのスピン特性をスケール転移して擬制されても
全く説得力がない(笑 さあ、お前のシステムモデルを提示してもらおうか。
って、言うか考えてみると今まで、お前本当に何ひとつまともに答えてないよな。
「それは愚問だ」 とか「すでに答えてる」とか大嘘かまして逃げるだけ。
そして「バカだ、アホだ」とわめいているだけ。恥ずかしくないのか?
ちゃんと回答してみろや。
以上、きちがいカラスへのレスでした
217 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 22:51:48 ID:xG8wvtQd
>>S6#742
> 『宝行』1-48,49偈の長・短の語順は、瓜生津訳のようにしか訳せないのでしょうか?
> 瓜生津訳では、48では、長が有る故に短が有る、ですが、
> 49では、短が無ければ長は自性として存在しない、となっています。
> これですと、語順に不明瞭さを感じます。
> 梵本、蔵訳、真諦訳で一致しないとも聞くのですが、如何でしょうか。
これはなかなか鋭い指摘ですね。各本は以下のようになってます。
hrasve 'sati punar dīrghaṃ na bhavati svabhāvataḥ | 1.49ab
རིང་པོ་ཡོད་ན་ཐུང་དུ་ཉིད། །
རང་གི་ངོ་བོ་ལས་མ་ཡིན། ། デルゲ、チョーネ
རིང་པོ་ལྟ་ན་ཐུང་དུ་ཉིད། །
རང་གི་ངོ་བོ་ལས་མ་ཡིན། ། ナルタン、北京、ラサ(金写)
རིང་པོ་མེད་ན་ཐུང་དུ་ཉིད། །
རང་གི་ངོ་བོ་ལས་མ་ཡིན། ། ショル版(蔵本はBITS21ガワン・サムテン本)
先長後爲短 不然非性故
218 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 22:53:32 ID:xG8wvtQd
意味は、ショル版と梵本が一致します。
次に、長短か短長かですが、梵本を除いて全てが長短です。
アジタミトラ註も、長短となっています。
韻律も変わらないので、
dīrghe 'sati punar hrasvaṃ
と原本も長短だった可能性もあると思われます。
あとは意味から確定するしかありません。
意味も検討してみます。『入中論自註』にも引用があり、
『タルカ・ジュヴァーラ』にも意識しているような記述があるので、
面白そうです。
219 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 23:01:49 ID:xG8wvtQd
>>176 ですよね。輪廻や transmigration を転生、生まれ変わりでないとか
「生まれ変わり」という記述は苦しみだでしたか? 無理が多すぎる方ですね。
>>177 間違ってたら指摘してくださいね。
>>178 ですね。でも基本的には『梵網経』の六十二見で全ては解決されているんですが、
それを論証するのが難しい。どう書けば良いか?
220 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 23:08:13 ID:xG8wvtQd
>>183 あれより『梵網経』の説を考えるべきです。
あるいは片山先生訳の重要箇所をアップするとか。
>>185 輪廻・業果を信じるかどうかは、仏門だと思いますよ。
>>191 釈尊は、間違いなく史上最大の偉人だと思います。
仏典を読むたびに思います。それもだんだん理解が深まるごとに確信が高まります。
221 :
宝珠愚者:2009/01/25(日) 23:09:01 ID:oM6E2Y58
>>214 そうですか〜。
では「十二処」も同じことですよね?
できましたら、「十二処」と「心相続」についても説明をもらえますか。
222 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 23:12:10 ID:xG8wvtQd
>>214 そのサーティの見解は、ただの常見です。
推理か禅定による常恒論ですね。
ヴァッカリの場合に釈尊が識と仰られたのは、仮設です。
その識は、我々が現在、人格の同一性を仮設して名指しするのと同じです。
これも後で詳しく述べる予定です。
>>176 >まず私はsa.msaaraに「川や水の流れ」があるなど聞いたことがありません。
漢訳語にも見あたりませんが?
samsaraは「流転」全般です。そして仏典の古層ではsamsaraは用例のようにほとんど海や川にともなって使われるのですから、
「川や水の流れ」のことを表現しているということは明らかではないですか?語義は「流転」ですが、意訳するなら「川や水の流れ、
激流」などがふさわしいでしょう。もちろん「流転」のままでもかまいませんし、その真意が分かった上でなら「輪廻」でもかまいません。
>私は1. course,passage の意味におけるsa.msaara単独での用例を求めております。
??私の示した用例はそれにあたりませんか?
川や海が流転することは、人生苦の例え、象徴なのですから、人生の"course,passage "を表しているのです。
>次にsaMsArasAgaraのコンパウンドですが、tatpuru.sasでしか読めません。語順からも「海の激流(荒波?)」とはとても読めないの
ですが?漢訳語でも華厳経では「生死大海」と訳されています。
おっしゃるとおりです。私の不注意でした。正確に直訳するなら「流転の海」です。しかしやはり意味は海(湖という説もありますが)が
一時も留まることなく変化し続けていく様子を表しています。だからこの場合「流転」だけ切り出し、それははどういう意味かと聞かれた
ら、「海の激流」で間違いはないと思います。
また、「漢語訳」については、漢訳された時代にはすでに輪廻=生まれ変わり、という刷り込みがありますから(現代の多くの「生まれ
変わり実在派」と同じように)「輪廻」を生死と訳しているのです。だから『「漢訳」ではこうなってます』云々は全く参考になりません。
225 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 23:17:10 ID:mt5cCuzk
>>176 続き
http://ameblo.jp/metameta7/archive1-200611.html のブログを見ていましたら、
並川孝儀『ゴータマ・ブッダ考』によれば、「最古層では見られなかった『輪廻(samsara)』という語が古層資料では多く用いられることになる」(125ページ)
とあるそうです。
私は自分で確認したわけではないのでよく分かりませんが、事実なら、「輪廻はブッダの思想の中核であり、ブッダ自身が明らかに説いている」という
主張は完全に崩壊することになるわけですが、いかがでしょうか?
また、
「来世に対する表現が最古層の資料では否定的であったのに対し、古層資料では肯定的であった」(125ページ)
「業報に関しては、最古層では説かれていなかったが、古層資料では輪廻と結びついて説かれている」(126ページ)
「(ゴータマ・ブッダの輪廻観が)最古層よりも前段階と想定すれば、最古層に見られる輪廻観よりも一層距離をおいた消極的なもの、と推定でき、
さらにものの考え方や見方はあくまでも現世に力点を置くという態度を強く示していたのではないかと推定できる」(129ページ)
とあり、著者はオブラートに包んだ表現をしていますが、samsaraが最古層に全く無いのであれば、やはりブッダは輪廻を説かなかった
可能性が極めて高いという結論になると思います。
226 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 23:23:36 ID:mt5cCuzk
カラス氏の発言
>おまえアホやろ。聖書は肝心なことは全てたとえで書かれている。
文言のとおり読んで理解してどうすんだよ。
原罪の意味も全くわかっとらんし。蛇とは善悪を分ける知恵。
「聖書は肝心なことは全てたとえで書かれている」と言いながら、仏典については
例えであることを認めないことは不可解ですが、同じような姿勢は、どうしても仏典を
自分の脳内辞書に翻訳してしか読めない人にもいえますね。仏典を自分で読む前に、
輪廻、業、縁起、我、などの仏教用語(もともとはただの日常語)を、生まれ育った文化圏
において、その文化圏(あるいは伝わってくる途上の他の文化圏)で再解釈された意味で
刷り込まれてしまっているのだから、無理も無いのかもしれません。
洗脳とはかくも解けにくいものなのですね。
227 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 00:09:27 ID:nQLX3a+u
>カラス氏
旧約聖書の言葉では、「原罪」とは、「人間が自然状態を離れ、神のようになり、
善悪の観念を持つこと」。
イエスやクリスチャンこと、まさに原罪の権化ではないのかね。
コピペ
世の中には、ドーキンスが「利己的遺伝子理論」を創始した偉大な生物学者だと思っている人も多いようだが、
彼はハミルトンの血縁淘汰理論をわかりやすく解説したサイエンス・ライターにすぎない。
大学でのポジションも、彼のファンがオクスフォード大学につくった「科学の普及」についての寄附講座の教授として得たものだ。
原著は、彼が宗教を批判したもので、国民の90%以上が神の存在を信じているアメリカでは大きな話題になり、発売から半年以上たった今も、
Amazon.comでベストセラー30位に入っている。しかし、もともと宗教に興味のない日本人には、
ニーチェから100年以上たって「神は存在しない」って力説されてもなぁ・・・という感じだろう。
本質的な問題は、神がそれほど無意味なものなら、なぜ宗教が世界に普遍的に存在するのか、ということだ。
進化心理学で宗教や道徳の起源として重視されるのは、群淘汰によって形成されたと考えられる集団維持の感情だが、
著者は群淘汰が「原理的に起こりうる」ことは認めながら、曖昧な理由でそれを「重視しない」という。
このため本書の説明は、利他的な行動は「利己的な遺伝子」で説明できるという彼のこれまでの主張の繰り返しだ。
無神論や宗教批判は近代初頭からあるが、本書は宗教批判としては幼稚なものだ。
ここにはヴォルテールもフォイエルバッハもニーチェも登場せず、宗教の起源を論じたデュルケームもウェーバーも踏まえていない。
そもそも(呪術や道徳と区別される)宗教という概念が西欧文明圏に固有のものだということにも、著者は気づいていない。
宗教と科学の境界は、著者が信じるほど自明なものではない。アウシュヴィッツで600万人を殺したのは、「優生学」という名の科学だった。
無神論を掲げる「科学的社会主義」によって「粛清」や「大躍進」などで殺された人の数は、二つの大戦の戦死者を超え、
過去のすべての宗教戦争の犠牲者を上回る。アルカイダがイスラム教の名において殺した人数より、
米軍がイラクで民主主義と人権の名において殺した人数のほうが多い。
神を否定して科学を普及すれば世界に平和が訪れると信じる著者の主張こそ、自民族中心主義という宗教なのだ。
229 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 01:43:16 ID:SuTiqRUl
>>215 あなたは言っていることがおかしいですね。
まず、輪廻転生はあることを前提に話をする。
輪廻転生を認めるなら、別の天体に生命がいるのなら、そこの天体の生命に
輪廻転生してもおかしく無いということは、容易に類推できる。
むしろ、地球上の生命にしか転生出来ないというほうが、理屈に合わない。
だからカラスさんの主張は、輪廻転生をあるのを前提にすると、
別におかしいことを言っていない。そこをあなたが、
そんなことは仏典のどこに書いてるんだと全く的外れな反論をしてきたので、
カラスさんは、輪廻転生をあるのを前提に、おまえも輪廻転生するだろうといえば、
おまえは、おいおい、仏典のどこに俺が輪廻転生するなんて書いてるんだよ。
と、まるで的外れな反論をするのかよと、あなたの反論と同じ論旨の反論の例で切り返し、
あなたの反論の矛盾点を突いた。なにもおかしいところは無いですね。
読解力がないのはあなたの方にお見受けしますが。話も通じない人のようですし、
あなたのような人相手だと、そりゃ、話は平行線になると思いますよ。
230 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 01:51:45 ID:jiu3n9QZ
現代まで伝わる仏教が輪廻を前提の思想、あるいは修行形態を説いているので、「仏教徒ならば
輪廻を信じるのが妥当」というのは既出?
仏教学的な検証とか自然科学や別の宗教が認めないことに対して論争する気はあまりないんだけど
仏教徒が輪廻を認めないということは無いと思う
231 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 02:06:59 ID:4UzzClS5
>>229 俺は
>>215だが、お前、俺のこと誰かと勘違いしてねえ?
>まず、輪廻転生はあることを前提に話をする。
俺は一度も「輪廻転生はあることを前提に話などしとらんが??」
誰が輪廻転生があることを前提にしたんだ?
>そんなことは仏典のどこに書いてるんだと全く的外れな反論をしてきたので
は??誰が仏典における記述の話を持ち出した??
>カラスさんは、輪廻転生をあるのを前提に、おまえも輪廻転生するだろうといえば、
おまえは、おいおい、仏典のどこに俺が輪廻転生するなんて書いてるんだよ。
と、まるで的外れな反論をするのかよと、あなたの反論と同じ論旨の反論の例で切り返し、
あなたの反論の矛盾点を突いた。なにもおかしいところは無いですね。
は???俺はカラスとこんなやりとりしたことねえぞ。
お前、誰かと俺を勘違いしてるな?
レス番あげてみ?
232 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 02:09:01 ID:qHDlBX4M
>>228 >無神論を掲げる「科学的社会主義」によって「粛清」や「大躍進」などで殺
>された人の数は、二つの大戦の戦死者を超え、過去のすべての宗教戦争の犠
>牲者を上回る。アルカイダがイスラム教の名において殺した人数より、
「血の大粛清」をやったスターリンは、神学校を卒業したキリスト教聖職資格者。
マルクスは、ユダヤ教から改宗したクリスチャン。ヒットラーもクリスチャン。
ホロコーストのプログラムは、ルターが既に殆どそのまま提案している。
イスラム教徒を「家畜のように殺した」ブッシュは、熱心なキリスト教原理主義者。
毎朝、お祈りを欠かさないそうだ。現在のアフリカの大虐殺の指導者たちも、
みなキリスト教のリーダー。
イエスの出現後、人間同士の殺し合いは飛躍的に増大した。すべての大虐殺には、
イエスの思想の影がある。
233 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 02:30:11 ID:4UzzClS5
>>229 勘違いしてたんなら一言くらい詫びてから去れや。
勘違いじゃないなら、レス番あげてきちっと説明してみ。
言ってることの意味がわからん。
234 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 03:21:05 ID:SuTiqRUl
>>215 立証責任について。
昔立花隆氏の書いた、臨死体験という本を
よんだことがあるんですが、それによると生まれ変わりの事例と同じく、
どうしても幽体離脱を認めないとうまく説明できない事例がいくつも見付かった。
彼はその状況証拠から、どうも幽体離脱はあるようだと主張した。
それを聞いたあなたが,そんな話はでっち上げだ!と難癖をつけた。
ならば、あなたの方がその状況証拠を崩す立証責任があるんですよ。
それ以前にここは裁判の場ではありません。立証責任の意味も理解していないのに、
裁判用語を持ち出しては、自分の立証責任からは逃げ、相手にばかり責任を擦り付け、
カラスさんはあなたの子供の屁理屈みたいな質問には答えているのに、
答えていないとするあなたの論法はとても卑怯だし、みていて不快ですね。
235 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 03:34:33 ID:SuTiqRUl
>>231 なにをいってるんですか、あなた。
あなたのカラスさんに対した質問は、輪廻転生があるとして、
なら地球が滅びたらどうなるんだ?というものだったでしょう。
駄目だこの人。まともに会話の成り立つ相手じやないわ。
236 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 03:40:31 ID:SuTiqRUl
>>216 スピン係数と、輪廻転生の話が、いったいどう関係あるんです?
頭は大丈夫ですか?
237 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 04:36:31 ID:ksmcwh+t
ヒットラーは御隠居がこよなく愛するニーチェの熱烈な愛読者でした。
ニーチェは殺人犯、異常者、テロリストのバイブルとしても有名
本人も引きこもりで変態だった
238 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 06:33:04 ID:WlyxkXlB
>>225 実は、並川教授説の妥当性については、並川教授本人のコメントを戴いているのです。
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1229/12297/1229771174.dat 【以下引用】
331 :宝珠愚者:2008/12/25(木) 23:52:09 ID:2CddHNLY
届けられた氏からの返答とは・・・
「ゴータマ・ブッダ考」並川孝儀著
http://daizoshuppan.bunkensystem.co.jp/daizo/Shop/ThisBook.asp?KanriNo=9-000-00050-0-005 なんと---ちょうどこのスレでも話題の上った並川氏からの返答が届くものとは、私も全く予想だにして
ませんでした。氏が佛教大所属だったことも知らずに質問を佛教大に送付していたのです。教学部教務
課からはご親切なことに、専門の先生に回しましたとのこと(感謝 !!)。
で、とても氏からの返答は、そのままここには掲載するわけにはいかないので、要点だけを箇条書きで
記します(文体は変えます)。年末で忙しく返答が遅くなったことを謝罪頂きまして、とても丁寧かつ親切な
文面でした。ゴータマは説いたとも説かなかったとも確定はしてないということであり、また、私からの質問
内容に対しては「論外でナンセンスである!」といったことはなかったw
・質問者からの指摘は適切でそれ自体は正しい。
・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。
・しかし、本当に釈尊自身が輪廻を考えていたかは研究者たちの見解に相違がある。
・原始経典の内容全てが釈尊の教えとするのと、
或いは弟子の見解も入っているという二つの見方がある。
(詳しくは、並川孝儀著『スッタニパータ―仏教最古の仏教―』岩波書店/2008年12月の購読を推奨)
・自分は原始経典の成立を新古層に区別して理解すべきとの立場に立っている。
・しかし、それとは異なった立場でも、
資料に対して批判的に処理し論理的な見解であれば十分に尊重される。
【引用終わり】
なんか、このスレの人達ってすごいですよねw
239 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/26(月) 07:31:24 ID:XQSczUdY
>>237 ニーチェというのは、絶対否定的虚無主義という一面しか捉えてない御仁が多いですけど、
この真意というのは、絶対肯定的虚無主義という面も同時にある。
(これはまさに仏教に通じる)
ただ、こういったニーチェの思想というのはキリスト教文化圏においては非常に難解。
どちらかというと東洋的(イン哲的)。
三島由紀夫が嵌っていた陽明学にしても、非常に誤解されやすい。
一歩間違うとリスクがある。
時代と、その風土(気候)、文化などの関連性において思想は成熟するもんだし、
それに追いついていけないなら、思想も埋没して逝く。
240 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 08:42:19 ID:mbEeS1is
241 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 08:50:38 ID:NzUpeqmq
>>240 むむっ。その本ついさっき日本の古書で買っちゃったようw
いやはや、それにしても学道にたいする情熱に頭が下がるばかりです。
242 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:02:16 ID:NzUpeqmq
コピペ
>私は、仏や悟りの存在も、悟ったと称する僧も信じられないが、悟りを求める修行僧は信じられると思っているし、浄土の存在は信じられないが、浄土に救いを求める人間を、信じられないとは言えないと思っている。
現代人はこの辺から入って、段階を踏みながら輪廻や悟りを確信し佛神へと至るのがよろしいように思います。
243 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:19:36 ID:4UzzClS5
ID:SuTiqRUlへのレスね
>>235 の
>なにをいってるんですか、あなた。
あなたのカラスさんに対した質問は、輪廻転生があるとして、
なら地球が滅びたらどうなるんだ?というものだったでしょう。
は、俺の
>>231 の
>俺は一度も「輪廻転生はあることを前提に話などしとらんが??」
誰が輪廻転生があることを前提にしたんだ?
を受けてのことと思われるが趣旨が伝わってないみたいね。
「俺は輪廻転生を前提に自説を展開したことはない」という意味だったんだがね。
それで何の不都合があるの?
>>236 >スピン係数と、輪廻転生の話が、いったいどう関係あるんです?
頭は大丈夫ですか?
これも全くわかってないね。どうやったら、そんな風に曲解できるわけ?
俺は情報伝達の話になるとEPRの話をよく持ち出してくるオカルトばかが
いるから予め、釘を刺しといたわけだろ?お前こそ頭、大丈夫?
244 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:20:41 ID:4UzzClS5
>>234 >昔立花隆氏の書いた、臨死体験という本を
よんだことがあるんですが、それによると生まれ変わりの事例と同じく、
どうしても幽体離脱を認めないとうまく説明できない事例がいくつも見付かった。
彼はその状況証拠から、どうも幽体離脱はあるようだと主張した。
それを聞いたあなたが,そんな話はでっち上げだ!と難癖をつけた。
ならば、あなたの方がその状況証拠を崩す立証責任があるんですよ。
これに至っては、危なすぎるぞ、お前。
まず、カラスは一度も立花隆氏の著作について言及したことも、また
それを引用して転生を論証したこともない(他の証拠をあげて実証した
こともないがな) それなのに、お前は
「自分は立花隆氏の著作を読んだ」→「それによると転生は事実だ」
→「自分はそう信じたから立証責任は果たした」→「次は批判する側が
実証しなくてはならない」 と、このように自己の脳内で論理を勝手に
飛躍させてそれを正しいと思い込む。本当に大丈夫か?
>>229 の文を読んだときは単に読解力がなく、表現力の稚拙なやつだと
思ったが、どうもそうではないな。このように論理を飛躍させるのは
精神疾患の一特徴だったはずだが、お前はマジで一度、病院に行ったほうがいいぞ。
もうすでに、かかってるのならば、こんなとこで2ちゃんなぞ、やってると
症状を悪化させるだけだから止めたほうがいい。
>それ以前にここは裁判の場ではありません
これもおかしい。裁判というのは最も厳格な論戦の場。それによる
基本原則を通常の論戦において擬制することに何の不思議がある?
今までのレスにおける、お前の読解力からすると俺が前のレスで
説明した「立証責任」についてもまるで理解できてないのだろうがな。
本当に早く病院に行ったほうがいい。
245 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:43:12 ID:SuTiqRUl
>>243 は?私はあなたが輪廻転生を認めているという意味で、
輪廻転生があるのを前提に話していると言っているんじゃなく、
あなたの質問が、輪廻転生はあるとて前提して、質問し、
カラスさんは、それに対して答えた。その答えになんの矛盾があるのか?
という話をしてるんですよ。あなたは話の論旨も理解できないんですね。
あなたのような詭弁家とは会話は成り立ちませんよ。あなた議論になれば、
わざと論旨をずらし、どうでもいい揚げ足ばかりとってんでしょ。
詐欺師の論法ですね。
246 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:43:25 ID:hc7el6ZK
水野先生がまだお元気だった頃、木村泰賢先生の思い出を伺ったことがあります。
学者とはかくあるべし。
並川先生もすばらしい。
学問はあらゆる可能性を否定しません。
学問的に「輪廻思想は説かれていない」と断定するのはもはや信念・信仰の域ではないでしょうか?
ただ宗教的には輪廻思想を前提とせず、解脱に至れればそれで良いし、
伝統的解釈に従うも良し。
247 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:47:47 ID:hc7el6ZK
ただ仏教は輪廻思想を前提としてきた長い歴史が存在しますので、私はそれを
尊重したいと思いますし、釈迦在世の原始教団において、仮に輪廻思想が
否定されていたとしても、2500年間その事実に誰も気付かず、あるいは改竄し、
突如現代日本人が世界で初めてそれに気付く・・・
などと言うことはあり得ないのでは、と思います。
248 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:48:35 ID:SuTiqRUl
>>244 これも一緒。この人は、話の論旨を全く理解しないで、揚げ足取りの論法で、
話をごまかしている。まるで詐欺師ですね。
病院へ行け、吉外、詐欺師、アホ、頭、大丈夫?駄目だこの人
この辺りの単語を使わずに、ただ議論だけするというのは難しいのでしょうか。
どうしても必要不可欠な用語とも思えないのですが。
250 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:54:05 ID:mbEeS1is
>>241 ごめん! でも良い本だから、持っててもいいでしょ。
それに大法輪閣版なら、和辻・宇井に対する反論「原始仏教における縁起観の展開」も入っているから、両方あった方がいいのです。
>>246 素晴らしい! 差し支えなければ詳しく書いてください。
水野先生、木村先生、黄金の伝統ですね。随喜いたします。
両先生の著作は、学問的内容も素晴らしいが、人のために書いておられるその動機姿勢が美しいというか、感動するなぁ。
251 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:56:30 ID:NzUpeqmq
>>246 >並川先生もすばらしい。
>学問はあらゆる可能性を否定しません。
そうですね、並川先生ご自身は自らの生命をかけて持説を論じていらっしゃるわけで、決して正邪を論じているわけではないことが
>>238のコメントからもよく解ります。
しかし、並川先生の書物に触れた人たちはどの様な解釈に至るでしょうか・・・・。
宮崎さんの書評などは並川先生のスタンスからかけ離れているのではないでしょうか。
また、現代人好みの仏陀をもとめる人々にとっても・・・。
その現象が招く結末が恐ろしいのです。
252 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:56:33 ID:4UzzClS5
>>245 なるほどね。お前の言いたいことは、この部分については
わかったわ。 俺としては「俺自身は輪廻を前提に自説を述べた
ことはないが、『もしカラスが転生を主張するのであれば』という
仮定条件付つきの質問のつもりだったんだがね。」
それを「前提」とよぶのならば、それでもいいが。
それで、そこからのお前の主張は?
>>244 おまえ黙ってたほうがいいよ。
おまえの屁理屈聞いてるとイライラしてくるわ。
おまえ年いくつ?引き篭もりか?精神年齢低いのは確かだな。
聞いてるとおまえ、屁理屈で、まともに議論にならない人じゃん。
引き篭もりによくいるんだよ、こういうタイプ
254 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:56:58 ID:mbEeS1is
>>249 いいんです。輪廻の花火だと思って慈悲の眼で眺めていれば。
ただ、自分が使わなければ、怒らなければ。
255 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:00:59 ID:4UzzClS5
>>248 は?は??
なら、わかりやすく説明してくれ。
お前は何が言いたいの?具体的に指摘してくれ。
256 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:03:21 ID:4UzzClS5
>>253 は、もしかしてカラスかな?
そんな、くだらないいちゃもん付けずに具体的に反論あげたら?
257 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:03:49 ID:SuTiqRUl
>>252 おまえの主張は?って、もう言ってるじゃないですか。
質問に答えてる人に対しては、質問になにも答えていないとか言ってるし、
なにを言ってるんだか、この人は。
さて私は仕事がありますし、
話の通じない、おかしい人相手にしても時間の無駄なんで、この辺で。
>>256 俺はカラスじゃねぇよ。
お前の会話の成り立たない屁理屈聞いてると、イライラしてくるんだよ。
259 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:15:38 ID:4UzzClS5
あら、もう落ちちゃうの? それでは後でレスくれや
>>229 で
>そこをあなたが、
そんなことは仏典のどこに書いてるんだと全く的外れな反論をしてきたので、
カラスさんは、輪廻転生をあるのを前提に、おまえも輪廻転生するだろうといえば、
おまえは、おいおい、仏典のどこに俺が輪廻転生するなんて書いてるんだよ。
と、まるで的外れな反論をするのかよと、あなたの反論と同じ論旨の反論の例で切り返し、
あなたの反論の矛盾点を突いた。なにもおかしいところは無いですね。
お前はこんなこと書いてたが、俺は前のレスにも書いたようにカラスと
こんなやりとりしたことねえぜ。だからお前が何言いたいのかわからんと
言ってるの。 「 もう言ってるじゃないですか。」と言われても
さっぱりだわ。
それから
>>244 も具体的にどこがおかしいか指摘たのむわ。
お前の書きこみからは、俺には
>>244 で書いたように解釈できて
しまうんでな。
260 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:15:40 ID:MCeFJvKy
>>250 「随喜」だの「感動」だの、「感情的」になるのでは、「学問」を語る
資格はない。それでは、オウムと同じカルトに過ぎない。
並川氏の著書は、木村・鈴木などの「過去の学説」を踏まえた上での、
「学問の最新の成果」のはず。それを否定するのは「学問の進歩の否
定」であり、単なる感情論である。
輪廻転生など、現代の生物学では「絶対に認められない」のだから、
現代人としては、「釈迦が言った、言わない」に関係なく、廃棄すべき
もの。明らかに真理ではないものを、「言った、言わない」を論じる
のは全く無意味で、時間の無駄。
仏教の中心思想が「輪廻転生」などと言ったら、現代の世界の人は、仏
教など、単なるオカルト宗教として、誰も相手にしなくなる。
261 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:18:35 ID:NzUpeqmq
>247 :神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 09:47:47 ID:hc7el6ZK
>ただ仏教は輪廻思想を前提としてきた長い歴史が存在しますので、私はそれを
>尊重したいと思いますし、釈迦在世の原始教団において、仮に輪廻思想が
>否定されていたとしても、2500年間その事実に誰も気付かず、あるいは改竄し、
>突如現代日本人が世界で初めてそれに気付く・・・
>などと言うことはあり得ないのでは、と思います。
多くの人が語る単純明快なこの事実を、なぜ無視するのでしょうか?
私はそのことこそ理解に苦しみます。
262 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:19:23 ID:4UzzClS5
>>258 なんだ、カラスじゃねえのか。内容の無い、いいがかりの
ようないちゃもん付けてくるところが、カラスに似てたんで
間違えたわ(笑
263 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:22:53 ID:mbEeS1is
>>260 鈴木って誰ですか?
並川さんの説は、荒牧先生の説に誤解を加えただけでしょう。
まっとうな学者なら扱わないものと心得ますが。
264 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:23:58 ID:NzUpeqmq
>仏教の中心思想が「輪廻転生」などと言ったら、現代の世界の人は、仏
>教など、単なるオカルト宗教として、誰も相手にしなくなる。
物質文明世界からみれば、辺境でしかなかったチベット仏教が、輪廻を前提とした大乗思想を世界中で広め受け入れられつつある事実をどの様に解釈するのですか?
265 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:34:03 ID:MCeFJvKy
>>263 「鈴木」は「水野」の誤り。
水野氏の文庫本は、書店で見たが、全体的に「異様にオカルト的、小乗的」で、
買う気もしなかったな。
日本は、大乗仏教の国である。
チベット仏教は、オウムの宗教。チベット仏教に「嵌った」中沢新一は、「オ
ウムの精神的指導者」として激しく批判されている。
266 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:34:48 ID:4UzzClS5
>>257 >質問に答えてる人に対しては、質問になにも答えていないとか言ってるし、
質問に答えてる?
それなら俺が再掲した
>>74 の質問にカラスがどこで答えてるか
レス番あげてくれや。
267 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:36:49 ID:mQSvixSv
>>260 >並川氏の著書は、木村・鈴木などの「過去の学説」を踏まえた上での、
>「学問の最新の成果」のはず。それを否定するのは「学問の進歩の否
>定」であり、単なる感情論である。
並川氏自身は
>>238 > ・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。
と仰っておられるのですが?
268 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:39:23 ID:MCeFJvKy
>>267 「最古層」、即ち釈迦の教えに最も近いものでは、「否定されている」
と言っている。
269 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:42:37 ID:MCeFJvKy
>>267 君は一体、並川氏の著書を、詳細に読んだのかね?全然ピントが外れて
いる。
270 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:48:41 ID:JBBsrc6H
>>268 それを踏まえたうえで、
>・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。
と述べておられる。
そして、
>>268のごときは、仮説として展開されていることをお忘れなく。
>・しかし、それとは異なった立場でも、資料に対して批判的に処理し論理的な見解であれば十分に尊重される。
貴方が述べている以下の如き論理こそ感情的であり学問からかけ離れている、学問の仮面を被った愚かな選民思想以外の何者でもないでしょう。
>「学問の最新の成果」のはず。それを否定するのは「学問の進歩の否定」であり、単なる感情論である。
271 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:51:55 ID:MCeFJvKy
>>270 君は、何故そんなに「過去の学説」だけにしがみつこうとするのかね。
オウムだな。
ここは、オウムスレか。
272 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:53:58 ID:mbEeS1is
>>265 水野先生は世界が認める第一人者なんですが?
文庫本って何ですか?
チベット仏教も大乗仏教なんですが?
273 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 10:56:53 ID:mbEeS1is
>>271 いえいえ、並川さんや望月さんなどの輪廻否定派が学会では特殊な位置にいることをよく認識してください。
274 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 11:00:31 ID:MCeFJvKy
>>272 オウムは、立ち去れ。
チベット仏教と日本の大乗仏教との相違点は?今回のチベット騒動でも、
日本の仏教界は少しも動かなかった。
デモ行進やったり、政治運動やったり、暴動を起こしたりするのが
仏教者の姿かね。
275 :
270:2009/01/26(月) 11:04:35 ID:KjOUcKFc
>>271 >君は、何故そんなに「過去の学説」だけにしがみつこうとするのかね。
>オウムだな。
過去の学説って・・・。
私が貴方に示したのは、全て並川先生ご本人の文章ですよ。
それと、貴方が気に食わない人物は全てオウムですかw
276 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 11:08:48 ID:MCeFJvKy
>>275 君は、オウムを本質的に批判できるかね。
オウムは、原始仏教、ヒンドゥー教、キリスト教が化合してできた
「化け物宗教」であることを、認識しているのかね。
277 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 11:12:07 ID:39P5fJ0N
278 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 11:32:56 ID:mbEeS1is
>>274 オウムではありませんよ。
チベット仏教と日本仏教の相違点は、探せばたくさんありますよ。
しかし、菩提心を起こし、六ハラミツを行じ、三輪清浄に普賢行をあらゆる有情が解脱するまでネハンせずに行うという点では同じですよ。
どこの国でも素晴らしい仏教者もいれば逆もいます。
もっとも大乗仏教が生きているのがチベット系仏教でしょう。
もっともテーラワーダが生きているのがビルマ仏教なように。
279 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 11:35:55 ID:4UzzClS5
>>249 一言自己弁護させてもらうと、俺がそのような表現をとるのは
自説を受け入れない誰に対しても罵倒を行うカラスと
初めから中傷的表現をとるものに対してだけ。
>>82 の書きこみを見てもらえばわかるように、それ以外の悪意のみえない
ものに対しては真摯に答えます。
280 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 11:38:34 ID:MnEtFn4q
281 :
270:2009/01/26(月) 12:11:01 ID:zAoYXTaj
>>276 >君は、オウムを本質的に批判できるかね。
出来ますよ。
オウムによる鬼畜にも劣る所業の根底にあるものは、貴方の面門に丸出しにしているその排他的憎しみと選民思想ですよ。
そういう意味では、貴方はオウムと同じです。
>>279 おまえさぁ、相手にちゃんと相手してほしかったら、
立証責任を一方的に相手に押しつけて、じぶんは議論から逃げる
なんて卑怯な手を使わないで、自分もちゃんと答えろよ。
しかも、カラスの上げた生まれ変わりの状況証拠が信用に値しない
なんて主張するなら、信用に値しないという立証責任はおまえにあるんだからさ。
ちゅうか話の通じない人は、議論に不向き。どっかいけよ。うっとおしい。
283 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 15:58:45 ID:4UzzClS5
>>282 お前ねえ、まず「立証責任」の意味を
>>82をよく読んで、しっかり
理解しようね。
>立証責任を一方的に相手に押しつけて、じぶんは議論から逃げる
なんて卑怯な手を使わないで、自分もちゃんと答えろよ。
まずカラスが「生まれ変わり」の実在を実証しないとね、わかる?
カラスの張ったリンクで実証されたなんて言うなよ。(笑
いいか?「俺は妖怪をみた」 なんて奴を1000人連れてきても
「妖怪が実在する」ことにはならないわけ。
さらには、リンク先のサイト主自身が
「もうひとつの問題は、誰が見ても完璧な事例はこれまで1例も見つかっていないことである。
先ほど紹介した3例はスティーヴンソンの収集した2300例の中でも説得力のある部類に属するが、
誰が見てもまちがいなく生まれ変わりの証明になるような完璧な事例にはほど遠い。
では、いつの日か完璧な事例が見つかる可能性があるかと言えば、今までの様々な経過から考えて、
その可能性はきわめて低いと言わざるをえない。」 と、否定しちゃってるし。(笑
最後には、申し訳のように
「とはいえ、少なくとも一部の事例については、
生まれ変わり以外の説明が当てはまりそうにないのはまちがいない。 」
なんて書いているが、その事例の記述はなし。
お前、これが「証拠」と言えるの?
いいか?「実証」したと言うのならば、反論の余地のない事例を示すか、または
「生まれ変わり」の論拠を「記憶の継承、および身体的特徴」などに求めるのであれば
その情報伝達のシステムモデルを提示しなければ話にならないわけ。そうしないと
反証可能性も否定されちゃうでしょ?
「生まれ変わり」が世界的に認知されていないのは、そのような理由によってるの。
わかった?ぼくちゃん。 と、いうかここまで説明しないとわからんのかね?
オカルトばかは。
284 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 16:15:56 ID:TUD08Wyt
誰が書いたかわからない経典には輪廻や転生らしきことが書いてある。
しかし、誰も確認したものはいないし、確認しようがない。
従って、輪廻や転生についてはすべて肯定・否定・不可解を問わず
推論、妄想、物語たらざるをえない。
あとは各自勝手にやってください。
1)推論、妄想、物語で人生を組み立てる
2)信仰して丸呑みする
3)無視して人生を組み立てる
>>283 な、こいつは話が通じないだろ。
この手の話は、誰彼が証明できるものではない。
自分自身で確かめるしかないものだ。
だからゴータマはこういう凡夫相手には、あえてこの手の
テーマの話は無記としたんだよ。でだ、こいつはこういう信仰に
関する話を、証明しろという愚問に出た。
だから俺は、お前が俺はそれを知ったんだといったら信じるのかと
聞いた。もちろん、こいつは信じるわけは無い。仕方が無いので、昔
どっかの先生が集めた生まれ変わりの事例の中に、
どうも生まれ変わりを認めないとうまく説明できない事例があるという
状況証拠はあるといった。そしたらそんなものは証拠にならないというので、
状況証拠にもならないのなら、なぜならないのか、証明しろと言った。
そしたら説明責任はおまえにあると、こうだ。話にならないだろうこいつ。
人の話の論旨も理解せず、揚げ足ばかりとって話をはぐらかす、吉外が。
こいつ相手にはまともに会話は成り立たないんだよ。
おまえよ、うだうだいうまえに、まず、おまえから説明責任を果たせ。
その先生の集めた事例が、状況証拠にならないという、証拠を出せよ。
そしたら、おまえの子供みたいな質問にももう一度答えてやるよ。
合わせて、空間と、時間のパラドクスはどう説明するんだという、お前が
突っこもうと思っている愚問にも合わせて答えてやるよ、吉外。
屁理屈に、人の揚げ足とって、論旨をはぐらかす詭弁。
人の話の捏造などでごまかさないでよ。詐欺師が。今から仕事だ。俺が帰ってくるまでに
まずおまえが聞かれたことに答えとけ。吉外。
大体よ、中論などにかぶれて、
日ごろ屁理屈と、詭弁ばかり考えているので、
ID:4UzzClS5みたいな、まともな会話もできない吉外に
なっちまうんだよ。
287 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 16:32:16 ID:4UzzClS5
お!キチ外カラス登場か(笑
なあ、お前
>>283 読んで理解してる?
書いた本人が「万人が認める証拠とは、ほど遠い」としてるものを
なんで「証拠」とするわけ?
だから、きっちりと生まれ変わりの情報伝達システムのモデルを
提示してみろって。
どうでもいいような、くだらないことを喚いてないで早く提示しろや。
288 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 16:34:12 ID:9r4RYMZL
とにかく、身と口と意を清らかに保ちましょう。
いかなる理由があっても、どんなに正しいことを力説しても、人を悪し様に言うのは、どんな宗教でも道徳でも人倫でも反する卑しい行いです。
289 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 16:38:04 ID:TUD08Wyt
290 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 16:52:46 ID:1WBBGAgn
>>285 私はあなたの口論相手とは別人だが、いくつか質問させてもらおう。他の生まれ変わり実在派もどうぞ。
>自分自身で確かめるしかないものだ。だからゴータマはこういう凡夫相手には、あえてこの手のテーマの話は無記としたんだよ。
でだ、こいつはこういう信仰に関する話を、証明しろという愚問に出た。
1 なぜあなたは凡夫(大多数の一般の人)相手に無記として説かれなかった話をムキになって(駄洒落じゃないっす)
語るのです?レスを読んでいる私たちは皆凡夫ですよ。
>だから俺は、お前が俺はそれを知ったんだといったら信じるのかと聞いた。もちろん、こいつは信じるわけは無い。
2 あなたは自ら知ったのですか?
3 自ら知ったなら、あなたは凡夫ではないのですね。悟って、解脱しているのですか?
4 あなたが解脱しているなら、「凡夫相手には、あえてこの手のテーマの話は無記とした」という解脱者ブッダの姿勢
とあなたの言動は矛盾しますが、これはどういうことでしょうか?
291 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 16:53:07 ID:1WBBGAgn
>>285 続き
>仕方が無いので、昔どっかの先生が集めた生まれ変わりの事例の中に、どうも生まれ変わりを認めないとうまく説明できない
事例があるという状況証拠はあるといった。
5 「凡夫相手には、あえてこの手のテーマの話は無記とした」事柄に対する状況証拠がなぜ存在するのでしょうか?
その先生は凡夫ではない?また、それが証拠になるなら、凡夫にも認められるはずなので、ブッダも同じような証拠
をあげて説明すればよく、「あえてこの手のテーマの話は無記」とする必要はないのでは?
>そしたらそんなものは証拠にならないというので、状況証拠にもならないのなら、なぜならないのか、証明しろと言った。
6 あなたが指しているものと同じものかどうかは分かりませんが、私もその手の話(臨死体験、過去の記憶など)に関する
本をいくつか読んだことありますが、どれも実際に状況証拠といえるようなものではありませんでした。臨死体験などは
脳内の科学的現象として説明できますし、過去世の記憶などは、そもそも立証しようがない。子供の前世の報告などに
大人がびっくりして前世の証拠と思うことがあるみたいですが、子供はよくリアルな嘘をつくことがあるので(大人もですが)、
やはり報告だけでは証拠になりません。あなたのいう事例集は、このようなただの報告集ではなく、客観的に証明された
といえるものですか?「どうも生まれ変わりを認めないとうまく説明できない」など実際のところ一件もないのです。
具体的にそんな事例をあげられますか?
292 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 16:57:19 ID:SuTiqRUl
>>287 あなた、輪廻転生は万人に認められないから、
前に大学の先生の集めた、生まれ変わりを肯定する状況証拠も、
そんなのは、証拠にならないじゃ、話になりませんね。
あなた、自分で、全く論理的思考をしていないことに気付いていますか?
答えなんて出るわけねーじゃん
パーリ自体が成立は部派仏教内でしかないわけで
後世のバイアスがかかったものでしかないのに
>>291 詳しいことは忘れましたが、ある成人女性が過去世について語り始めた時、
その内容が12世紀のフランスのカタリ派に関係するもので、専門的な学者でなければしりえないような
生活上に関係する事実がかなり事細かに口述されており、
検証した結果、検証できる範囲においては細部に至るまで正確だったそうです。
またある家にフラリと男が現れ、「ぼくはあなたの息子の○○です」と言う。
家の人は初めて見る相手なので頭がおかしいのかと思ったが、話を聞いてみると
本人と家族以外知り得ないような話を過去にさかのぼって大量に知っていた。
両親との関係のみならず、そこでの生活、そこでの人間関係を完璧に把握しており、
結局、その土地の人々は「やはり本人としか思えない」という結論になったという。
その家の息子は大分前に事故で死亡しており、その男はちょうどその事故の日から
人格と記憶が入れ替わったという。
このような話はむしろ結構たくさんあるようで、
転生が事実かどうか科学的に研究している人もいます。
295 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 17:28:20 ID:mbEeS1is
>>290 あなたは電波男さんでしょうか?
1.無記は、如来の死後であって輪廻ではありません。
前提に誤認があります。ログを読んでください。
4.も1.と同じで誤認です。
296 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 17:32:34 ID:8jDvG7uY
>>289 いいところに目が行きましたね。
五蘊で観ずるもの全てを一切といいます。
そうしたアートも一切の範疇です。
297 :
初代スレ7:2009/01/26(月) 17:32:41 ID:YKFCQn9R
>>289 ベルセルク思い出したw
てか、猫鮫・・・ (((;゚д゚)))
298 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 17:32:53 ID:mbEeS1is
>>293 輪廻に関しては、部派仏教間でも、大乗小乗間でも、
さらには、ジャイナや叙事詩などの苦行者文学でも、
もっといえばローカーヤタを除けばインド思想の共通認識ですから、
それを否定するのがどれほど不合理か、あるいは歪んだものか
簡単に分かりそうに思いますが。
299 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 17:39:05 ID:x7Tkma03
>>295 電波さんでしょうかね?
初スレ5さんの、かほりがします。
まぁ、意味の無い妄想ですが。
300 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 17:39:53 ID:CMCb7p0z
>>294 それを書いた人が宗教信者ではないかを、まず確認することが必要。宗教信者
なら、ここの肯定論者のように、なりふり構わぬ自己正当化のためだから、
初めから信用できない。
トランスパーソナル心理学は、心理学界において認知されたものではない。
あくまで「異常心理」を取り扱ったものに過ぎない。正常な心理と勘違い
してはならない。
異常心理(病理現象)なら、何でもありである。
>>298 インド共通の認識なら、仏教が際立つ理由が無いよね
輪廻についてブッダは縁起の複雑系で説いたわけです。
それはすなわちアートマンが巡るようないわゆる輪廻とは違うという考え方もあると思います。
ミリンダ王の問いなどにも見られるような我を認めないような縁起感があり
これはパーリなどの既存宗教化していった経典に挿入された輪廻関係の表現とは
明らかに相反します。
仏教経典は次第にインド従来の習俗や思想に寄っていったと考えられ
必ずしもそんなことは言えないです。
民俗的な輪廻・地獄感といった因縁論は時代が下るにつれ顕在化しますが
それがブッダが説いたかはなんとも言えないです。
それとは相反するような思想も仏教は同時に当初から持っています。
302 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 17:57:06 ID:TUD08Wyt
だいたい「境界」なんか作って、何かを定義づけて分別するなんてのは性に合いませんね。
仏教で生死ってそんなに分けられるモンなのかねえ。
303 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 18:01:03 ID:g6f9qn/Y
>>301 無我輪廻というスタンスは、仏陀から現代まで通して変わってないですが。
304 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/26(月) 18:04:40 ID:LeWxR6gJ
>>302 生死ってのは分けられませんね。
釈尊は初転法輪で、先ず語ちたのは「中道を悟った」ということですから、
この釈尊言説に忠実じゃないと仏教とは言えんですね。
でも、まあここは喫茶去ですから、
茶飲み話でマタ〜リするのも宜しいかと思います。
さあ、どうぞ続けてください。
「原始佛教スレ」に続く名物スレになってくれるのをキボンヌします。
305 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 18:14:46 ID:1WBBGAgn
>>295 >>299 >電波さんでしょうかね?
なぜかそうよばれています。
>1.無記は、如来の死後であって輪廻ではありません。前提に誤認があります。ログを読んでください。
>4.も1.と同じで誤認です。
誤認も何も、これは
>>285のカラス氏自身の発言です。カラス氏自身の発言を受けて問い返しているのであって、
ここでは一般論として「凡夫(大多数の一般の人)相手に無記として説かれなかった」と言っているのではありません。
(私はもちろん一般論としても無記と考えていますが、ここではその話をしているのではありません)
また、
>>290 >>291 「無記は、如来の死後であって輪廻ではありません」派の人は、以下に答えてください。
1 あなたは(生まれ変わりを)自ら知ったのですか?
2 自ら知ったなら、あなたは凡夫ではないのですね。悟って、解脱しているのですか?
3 なぜ弟子達は「如来の死後」について質問した時「凡夫の死後」について質問しなかったのか。
4 仏陀は様々な形而上学的問いについて無記としているのに、なぜ「凡夫の死後」に限って無記ではないのでしょうか?
矛盾していませんか?
5 解脱していない凡夫は過去世、生まれ変わりを認知ることはありません。そうですよね?だったら、「生まれ変わり実在説」
など何の役にも立たないのでは?知る必要もないし、肯定派も力説する意味のない情報なのでは?
5 あなたは、自分の妄想と事実をどうやって区別していますか?
306 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 18:23:08 ID:1WBBGAgn
>>294 世の中には専門家顔負けにマニアックな知識を病的なまでに集める人たちがいます。2チャンネルにも(ここにもw)
たくさんいますね。
「専門的な学者でなければしりえないような生活上に関係する事実」など、誰でもどこかで調べたり聞いたりして記憶する
可能性があります。(どんな専門的な内容でも、学会で認められるほど確かな無いようなら、必ず論文になっているからです。
そしてそのようなものは必ず専門誌に掲載されます)
その女性が知り得なかった、ということが客観的に証明できない限り、全く状況証拠になりません。
客観的に証明されたケースのソースがありますか?
また、息子の記憶を持つ他人についての話も、客観的なソースはありますか?
「話を聞いてみると本人と家族以外知り得ないような話」とありますが、この手の話は、いつも誇張して書いているだけで、
ちゃんと調べてみると、うっかり家族が他人にしゃべっていて、第三者伝いに誰でも知り得た内容、であることが多いのです。
(もちろん話自体がでっちあげであるケースは遥かに多いでしょう)だからこれも、ただそういう報告があった、ということだけ
では状況証拠になりません。
307 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 19:01:56 ID:csC7ctXs
1 あなたは(生まれ変わりを)自ら知ったのですか?
●いいえ。
2 自ら知ったなら、あなたは凡夫ではないのですね。悟って、解脱しているのですか?
●いいえ。
3 なぜ弟子達は「如来の死後」について質問した時「凡夫の死後」について質問しなかったのか。
●凡夫の死後は輪廻することが前提であるため。引用はしませんが、弟子や信徒の死後の赴く先を釈尊は予見し、人に伝えていました。
4 仏陀は様々な形而上学的問いについて無記としているのに、なぜ「凡夫の死後」に限って無記ではないのでしょうか?
矛盾していませんか?
●いいえ、「仏陀が形而上について」無記としたわけではないことは
>>95で論じられています。
インド人に形而上形而下の分別をもってあてはめる姿勢がすでに間違っています。
5 解脱していない凡夫は過去世、生まれ変わりを認知ることはありません。そうですよね?だったら、「生まれ変わり実在説」
など何の役にも立たないのでは?知る必要もないし、肯定派も力説する意味のない情報なのでは?
●凡夫が認知できないものを綸じ求めることが愚かだとするならば、そもそも仏の教えを護り涅槃を求める行為じたい愚かなことになります。
5 あなたは、自分の妄想と事実をどうやって区別していますか?
●
>>242を引用します>私は、仏や悟りの存在も、悟ったと称する僧も信じられないが、悟りを求める修行僧は信じられると思っているし、浄土の存在は信じられないが、浄土に救いを求める人間を、信じられないとは言えないと思っている。
308 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 19:39:25 ID:1WBBGAgn
>>307 回答ありがとうございました。1、2には安心しましたw
>●凡夫の死後は輪廻することが前提であるため。引用はしませんが、弟子や信徒の死後の赴く先を釈尊は予見し、人に伝えていました。
「前提」とは誰の前提ですか?「前提である」ということはどうして分かるのでしょう?
「弟子や信徒の死後の赴く先を釈尊は予見し、人に伝えていました。」それは本当にブッダ自身の言葉でしょうか?
古層・最古層の経典にもある内容ですか?
>●いいえ、「仏陀が形而上について」無記としたわけではないことは
>>95で論じられています。
>インド人に形而上形而下の分別をもってあてはめる姿勢がすでに間違っています。
インド人が形而上形而下という概念を持っていた、と言っているのではないないのです。ブッダが十無記/十四無記などで
「無記」と言った事柄を見ると、現代の言葉でいうと全て「形而上」に当たる内容ですし、「無記」とした理由についても、
人間には捉えられない、感受できない事柄であるから、とやはり現代の言葉でいえば「形而上」であることを理由に
しているのです。また、
>死後は問うべきでない解釈を敷衍して釈尊は形而上を問わなかったとなるわけですが、それは成り立たないのは明白です。
なぜなら釈尊は一切に意とその対象である諸法を含めたのですから。つまり、精神や観念、思惟、直観を扱っているのが明らかです。
形而上という言葉を誤解しています。意、精神や観念、思惟、直観は全て形而下の内容です。私たちは皆、自分の心、感情、精神、
直観など自らの感覚としてちゃんと捉えているのですから。これらは「一切」に含まれます。ところが、ブッダが十無記/十四無記
などで無記とした事柄は全て、「感覚(五感)で認知できない事柄」であり、「生まれ変わり」についても同様です。
>●凡夫が認知できないものを綸じ求めることが愚かだとするならば、そもそも仏の教えを護り涅槃を求める行為じたい愚かなことになります。
「生まれ変わり」「涅槃」などを形而上の事柄としてしまうのなら、まさにあなたの言うとおりです。「愚かなこと」になります。ですから、
ブッダの教えは、認知できる範囲=一切についての教えであり、「仏の教えを護り涅槃を求める行為」もその範囲内でのものです。
309 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 19:46:15 ID:mbEeS1is
>>301 もちろん、アートマン等を認めるかどうかの違いはありますが、
輪廻の認識というのは『梵網経』などに明らかなように、
ただの思想推論ではなく、禅定体験での直接知覚であることを認識ください。
その体験は、ローカーヤタ以外では共有されたと『梵網経』や
後の『サルヴァダルシャナ・サングラハ』や、大乗仏教徒の輪廻論証から十分理解できると思います。
輪廻は、民間信仰ではないのです。信じないのはいいとして、
この理解のないインド学は、まったく信用できない気の抜けたビールのようなものになるでしょう。
輪廻は、ブッダはもちろん、外道も弟子たちも直接体験してきたものです。
だから、それについて異論がないのです。
ローカーヤタは、修行しないただの俗人の思想だから、それを経験できないので、輪廻を否定してきたそれだけのことです。
詳しくは生井智紹先生の『輪廻の論証』をご覧ください。
310 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 19:49:04 ID:mbEeS1is
>>305 それは失礼しました。
質問には答えません。
仏教徒は、その手の質問には答えないものです。
答えても意味ないでしょう。
なぜなら、なにも証明できないからです。
>>291 あなた本当に輪死体験を扱った書籍を読んだことあるんですか?
あのね、脳内現象だけじゃ説明のつかない事例が
いくつもあるんですよ。たとえば、臨死時の、全然別の部屋の状況を克明に語ったり、
自分の心臓手術中に、上から眺めた視線で、
実際にみた人しかわからない、自分の心臓が、シャーベット状のものに
包まれていた様子などを語ったり。また生まれ変わりについても、
ある少女が物心付いたころ、突然縁もゆかりもない、
はるか数千キロも離れた家族のことを語り出し、自分はここに生まれてくるまえ、
その家族の元で生まれ、まだ若いのに交通事故で死んだと。
それを生まれ変わりの事例を集めていた調査機関が調べたところ、
該当する家族がみつかった。少女は家の間取り、当時の部屋の様子、
家族構成、家族の名前、特徴、近所の人達の名前など、全ていい当てた。
もちろん口裏合わせなどなかったか、裏付け調査をしての発表です。
あなたは、これらの事例も脳内現象だというおつもりですか?あなた、
ろくに読んだことも無いくせに、随分と適当なこと言っていますね。
嘘はよくないですね。あなたも詐欺師ですか?
312 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 19:54:40 ID:1WBBGAgn
>>310 何も証明できないなら、素直に分かりません(あるいは無記)
と答えるべきで、「ブッダは明らかに生まれ変わりを実在として説いたのであり、
明らかにそれは実在する」などと主張する根拠はありません。
あなたがそうではなく、生まれ変わり自体に関しても、「その手の質問には答えないものです。答えても意味ないでしょう。
なぜなら、なにも証明できないからです。」という姿勢を貫いていらっしゃるのなら私の誤解です。失礼しました。
313 :
307:2009/01/26(月) 19:55:45 ID:TypBzUgI
>>308 貴方の質問に答えるために、質問に質問でこたえる愚にますはお付き合いください。
貴方は「無」が存在するとおもいますか?
314 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 19:57:01 ID:mbEeS1is
>>305 あなたは電波さんなのでしょうか? 答えられないのですか?
>3 なぜ弟子達は「如来の死後」について質問した時「凡夫の死後」について質問しなかったのか。
当然、弟子は輪廻を体験していたか、信じていたから。
>4 仏陀は様々な形而上学的問いについて無記としているのに、なぜ「凡夫の死後」に限って無記ではないのでしょうか?
> 矛盾していませんか?
ログを見てください。一切の対象が、凡夫と聖者では違うのです。
聖者も境地によって違う。そして聖者にとって輪廻は知覚の対象だからです。
『梵網経』にはっきりと説かれています。
>5 解脱していない凡夫は過去世、生まれ変わりを認知ることはありません。そうですよね?だったら、「生まれ変わり実在説」
> など何の役にも立たないのでは?知る必要もないし、肯定派も力説する意味のない情報なのでは?
上に書いたように解脱しなくても、輪廻は認知できると『梵網経』にはっきり書いてあります。
>5 あなたは、自分の妄想と事実をどうやって区別していますか?
仏教徒にとっては全てが妄想だと考えますが、
言語習慣に一致しているかどうかが、世俗的事実だと思います。
315 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:02:03 ID:XoXwmuSq
316 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:07:40 ID:1WBBGAgn
>>311 そういう話はたくさん読みましたよ。しかしどれもね、いくらでも説明のつく話ばかりで、
客観的証拠とは呼べないのです。
>臨死時の、全然別の部屋の状況を克明に語ったり
これは最も客観的な実験がしやすい部類のものです。
例えば別の部屋の壁にランダムに書かれた10桁の数字や言葉を
書いておいて、(もちろん被験者は、壁に数字がかかれてから一瞬もその部屋をのぞいていないことが前提)
あとで回復してから(回復前にもちろん壁の数字は破棄)数字・キーワードを答えさせるなど。
こんな簡単な実験で立証できるにもかかわらず、また、全国の病院で毎日大量の患者が危篤に陥り、後に回復
したりしているにもかかわらず、未だに立証されたケースはただの一つもないのです。これが現実です。
>自分の心臓が、シャーベット状のものに〜
そんなものたまたま想像が当たったか(逆に滅茶苦茶な医学知識を披露する人の方が遥かに多い)、どこかで小耳に
挟んだだけです。
>ある少女が物心付いたころ、〜
子供はしばしば、よくできた嘘をつきます。親がその話を聞いてびっくりしたり喜んだりすればなおさら。
調査機関云々は、具体的ソースがなければなんとも言えません。世の中には怪しい調査機関(金になるなら
どんな嘘でもつく)がいくらでもあります。そもそもこの報告自体本当に存在する証拠がありません。
どれだけたくさんの本に同じようなケースがいくら大量に書かれていたとしても、それは全く「状況証拠」にならないのです。
だからこの手の話をあと何千、何万集めても、信憑性は1%も増えません。ゼロのままです。
317 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:08:39 ID:1WBBGAgn
318 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:13:42 ID:TUD08Wyt
>>314 俺は凡夫だが、テキストにいくら説かれていようと、
輪廻&転生なんて認知できねーよ。
それより、転生を誰でもがどのようにして確認納得できるのか明確に教えてくれよ。
ブッダが凄いところは、信じろではなく、実証・確認・納得せよだろう。
テキストに書いてあるなんてのは実証・確認・納得にならん。
319 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:15:34 ID:TUD08Wyt
>>314 >弟子は輪廻を体験していた
あなたはどうして上記を確認したのか?
320 :
307:2009/01/26(月) 20:16:18 ID:fE6RagK/
>>317 そもそも無に条件があるなら、無とはいいませんね。
説明するだけ無駄のようです。
321 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:18:05 ID:M6bduIYb
>>311 それらはすべて、重病時や死に臨んだ時期(臨死状態。死んではいない)
における、身体の「生理的変化」から生じるDelirium(譫妄、精神錯乱
状態)。身体の生理状態として、医学的に説明可能なもの。
また、そのような症状には「個人差」がある。稀有の例を取り上げて、
一般化しないようにご注意ください。
322 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:21:39 ID:mbEeS1is
323 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:23:02 ID:1WBBGAgn
>>314 >あなたは電波さんなのでしょうか? 答えられないのですか?
答えたと思いますけど。
>(3)当然、弟子は輪廻を体験していたか、信じていたから。
それがどうして分かるのですか?弟子は解脱していたのですか?解脱していた、あるいは、輪廻を自ら体験するほど
修行の進んでいた弟子が他のことが分からなかったのはなぜでしょう?自ら体験していた弟子が十無記すら分からず
質問したのはなぜ?
4 について
質問をよく見てください。如来につい質問しているのではなく、「様々な形而上学的問いについて無記としているのに、なぜ「凡夫の死後」
に限って無記ではないのか」と聞いているのです。
>(5)解脱しなくても、輪廻は認知できると『梵網経』にはっきり書いてあります。
梵網経はいつ頃の経典ですか?ブッダが説いたことですか?
宿命通は如来の証拠の一つではありませんでしたっけ?如来でもないものがどのように輪廻を認知しているのでしょうか?
あなたは認知していますか?
>仏教徒にとっては全てが妄想だと考えますが、言語習慣に一致しているかどうかが、世俗的事実だと思います。
全てが妄想なら、精神病患者が宇宙人の襲来に怯えて騒ぐのと、泥棒の侵入に備えて戸締りをすることは
同じ妄想ですか?「言語習慣に一致しているかどうかが、世俗的事実」とは意味がよく分かりません。
324 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:24:35 ID:TUD08Wyt
>>322 テキストに書いてあるなんてのは実証・確認・納得にならん。(
>>318)
「書いてあること」を確認したに過ぎない。
325 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:31:12 ID:mbEeS1is
>>323 >答えたと思いますけど。
じゃ、電波さんなのですね。
326 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:32:20 ID:1WBBGAgn
>>313 >>320 A:貴方は「X」が存在するとおもいますか?
B:Xって何?Xの定義によると思うけど。
A:そもそもXに条件があるなら、Xとはいいませんね。説明するだけ無駄のようです。
B:・・・・・・・・・・・・・
327 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:32:31 ID:M6bduIYb
先ほど、テレビで、「精神科救急24時間」をやっていたが、精神病
とは、定義すれば、「現実と社会常識からの著しい逸脱」と定義できる
だろう。対応する医療関係者は、大変な苦労をしている。患者に何を
言っても、頑として聞かないのだから。
この症状は、宗教信者にも通じる。その意味で、宗教とは、精神病を
人為的に作り出す営みと言えるだろう。
精神医学者は、「宗教的信念と妄想とを、実質的に区別することは
不可能」と言っている。
精神病は、脳内神経伝達物質の異常という「身体の病気」であること
が判明している。
憑依現象、神懸り、変性意識、宗教妄想(自分は「神の子」だと思い込む)
などについては、抗精神病薬で治療が可能である。
今後、宗教全般に対しても、抗精神病薬による治療が期待される。
328 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:33:37 ID:mbEeS1is
>>324 では、他人の認識をどう判断するのでしょうか?
文によるとしても行動によるとしても、
他人の認識は同じようなものでしょう。
他になにかありますか?
329 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:40:11 ID:TUD08Wyt
>>327 あなたの定義は極めて危険だ。世俗的自由主義精神に明確に反する。
ナチスドイツ、スターリン主義下のソ連、戦前の日本などでは
精神病名目で予防検束的に反体制的政治傾向のものが当局により拘束された。
アインシュタインはニュートン物理学が常識のとき、精神病者と認定すべきですか?
彼も>「現実と社会常識からの著しい逸脱」と定義でき たからだ。
330 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:42:31 ID:TUD08Wyt
>>328 追検証できること。→確認→納得
あんた、振り込め詐欺に引っかかりやすいからご注意!
331 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:55:23 ID:M6bduIYb
>>329 特定の共同体において、その社会常識から著しく逸脱すれば、社会防衛
のために、拘束も止むを得ないのでは。
但し、ナチス、スターリン、戦前の日本自体が、人類という高次の共同
体の「社会常識」を逸脱した「宗教」であった。
アインシュタインは、拘束されてはいない。「現実と社会常識からの
著しい逸脱」はなかったからである。
332 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:55:26 ID:mbEeS1is
>>330 それはどうも。
輪廻の直接知覚が再現可能かどうかどうかと、
他人の認識を把握することは別でしょう。
では、私が過去世を直接知覚しましたから、輪廻はありますと言ったとして、
この文をあなたは、再現不可能だから信じないというのは簡単です。
同じ事は、例えば kyod 'di yi ge mkhyen song ge ? という文を
あなたが文として理解不可能だから私が分かるとは信じないというのと同じことでしょう。
他人の知覚・認識は、他心通でも無い限り理解できません。
ですから、文で確認すれば十分です。
しかも、経典というのは2500年の批判に耐えて生き残ってきたものです。
そこらへんの文とは、まったく違うと思いますが。
333 :
初代スレ7:2009/01/26(月) 21:26:56 ID:YKFCQn9R
360 初代スレ7 sage 2009/01/05(月) 12:52:03 ID:5QZBkXzp
原始佛教 その23
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/ http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/188 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/217 223 1/2 sage 2007/04/05(木) 17:12:52 ID:LuGG1Msz
ところで雑阿含におけるこの五蘊無我の経典では、
無我説が他の系統や有部毘奈耶破僧事におけるものと違っている。
パーリをはじめすべての五蘊無我の論証においては、有部毘奈耶破僧事におけるように、
色無我、若
色有我、 不応生諸疾苦、 能於色中作如是色、不作如是色。是故汝等、知
色無我故、 生諸疾苦、不能 作如是色、不作如是色。
とあって、これを平易にいえば、
「色がもし我(自在者)であるならば、色には病苦が生ずることもなく、
色に対して『このような色となれ』とか『このような色となることなかれ』とか
いうことができるであろう。だが、
色は無我(不自在者)であるから、色には病苦が生ずることもあるし、
色に対して『このような色となれ』とか『このような色となることなかれ』とか
いうことはできないのである」
ということになる。
これに対して漢訳雑阿含の無我相経では、以上の部分が
色非有我、若
色有我者、於色不応病苦生、亦不得於色欲令如是不令如是。
以色無我故、於色有病有苦生、亦 得於色欲令如是不令如是。
となって、逆の意味となっている。これを解り易くいえば、
「色は無我である。
色がもし我(絶対的)であるならば、色には病苦の生ずることはあり得ないし、
色に対して、かくあらしめ、またはかくあらしめざらんと
欲するを得ないであろう。
色は無我(相対的)であるから、色には病苦の生ずることもあり、
色に対して、かくあらしめ、またはかくあらしめざらんと
欲するを得るのである」
ということになる。
334 :
初代スレ7:2009/01/26(月) 21:42:38 ID:YKFCQn9R
224 2/2 sage 2007/04/05(木) 17:13:27 ID:LuGG1Msz
前の場合は通俗的な我・無我が説かれているのに、
ここでは【第一義的な】我・無我が説かれ、中論などの大乗的立場と同じである。
五蘊無我に関する釈尊の真説はいずれであったか不明であるが、
【仏教本来の説としては】雑阿含のような無我説であるべきである。
今日五蘊の無我を伝えている無我相経の多くは、
諸部派ともに通俗的な無我を掲げているのである。
(水野弘元“転法輪経について”仏教研究創刊号(1970)より)
著作集では改訂部分があるのだろうか?
改行・【 】は挿入させて貰った。
また漢訳部分は、返り点は省略し、句点を入れた。
225 神も仏も名無しさん sage 2007/04/05(木) 17:19:48 ID:LuGG1Msz
>>223-224 深く追求せずさらっと流しているし、「自在者・不自在者」とか「絶対的・相対的」と
前後で ( )書きを変えていたりして、幾分恣意的な解説のようにも思えるが、
ともかく、少ない事例の方を(【内容の面から】)本流であるとしているようだ。
>>316 反論になっていませんね。あなたは自分の主観でしか語っていない。
数字のパネルの話しも、現に隣の部屋の様子を詳細にいい当てた人がいる以上、
否定の証拠にはなりません。子供が適当に、当てづっにぼうに言ったことが、
あれだけ詳細に当たるなんてことは、確率的にあり得ないんですよ。
あなた唯物論者の癖に、随分論理的じゃないことをいうんですね。
心臓のシャーベットの話しは、立花氏も大変注目し、
彼女がその状況を知り得たかどうかを調べた結果、
彼女がその状況を事前に知っていたとは考えられないという結論だったと思います。
彼はその著書の中で、多くの臨死体験は、脳内の生理現象として説明できるが、
今の科学では説明できない事例もあると認めないといけないものもあると、結論づけていました。
あと、そんな資料なんか本当にあるのかどうかわからない。でっちあげ、
捏造なんていうのは話になりません。これは自説に合わない過去の文献の箇所は、
全て後生の捏造としてしまう論法と同じです。こういうのを、
詐欺師の論法というんですよ。あなたひよっとして、犯罪者なんじゃないですか?
なんで唯物論者は仏教にこだわるのだか。
そっちに逃げたい気持ちは分かるが、それは卑怯だ。
337 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 22:34:50 ID:1WBBGAgn
>>335 >現に隣の部屋の様子を詳細にいい当てた人がいる以上
だからそれはどういうレベルで?どこの部屋にでもありそうなものを言っただけなんてことはないよな?
詳細なソースはある?その部屋を事前に絶対に目にしていなくて、
その部屋の様子を一切誰からも聞かされていない、という確証のある話なのか?
>あれだけ詳細に当たるなんてことは、確率的にあり得ないんですよ。
あれだけ詳細に、と言いながら、一つも具体的内容は書かないよね。
権威ある医学論文で、一つでもこのことを立証している論文のタイトルを挙げてよ。
>あなた唯物論者の癖に、随分論理的じゃないことをいうんですね。
私は唯物論者じゃないよ。
>心臓のシャーベットの話しは、立花氏も大変注目し、彼女がその状況を知り得たかどうかを調べた結果、
彼女がその状況を事前に知っていたとは考えられないという結論だったと思います。
立花氏の本は読んでないが、心臓がシャーベットに包まれてるくらいの空想は誰でも思いつくものです。
子供なら荒唐無稽なことを適当にしゃべるのは普通だし、その中のどれかがたまたま当たることもある。
ところで、心臓を包んでるシャーベットって何?そんなもの聞いたことないのだがw
>彼女がその状況を事前に知っていたとは考えられないという結論だったと思います。
だからさ、この手の話は全部、「適当に言ったことがたまたま当たった」という可能性を排除できないのよ。
だから、厳密に証明されるまでは、全く根拠にならない。
338 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 22:54:56 ID:TUD08Wyt
>>331 >社会防衛
このいかようにも解せる名目でどれだけの人間が殺されてきたか知るべきだ。
現代の日本でもアメリカでもそれはあてはまる。
普遍的で平均的な社会的類型を観念的且つアプリオリに想定しているようだが、
そのようなものは1960年代のフランス5月革命やベトナム戦争以降まったくの欺瞞的観念にしかすぎないことは、
明確になっている。映画「イージーライダー」を経た世代ならそれが解かる。
あなたの前提そのものが観念的欺瞞の上にしか成り立たないシロモノなのだ。
339 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 23:09:28 ID:TUD08Wyt
>>332 ナンセンスそのもので、否認します。
昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
私(ブッダ)の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。
先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから。
ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、
自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。 (カラマ・スッタより)
上記は合理的であり、私は納得できます。
340 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 23:19:23 ID:1WBBGAgn
>>339 いい言葉ですね。
「よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、
自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
その真実に則ってあなたの人生を送りなさい」
この言葉を、世の神秘家さんたち、仏教を誤解している人たちに知ってもらいたいです。
341 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 23:22:01 ID:TUD08Wyt
>>331 あなたのような発想を「全体主義」「集団主義」と言うんだよ。
世俗における個人人格の尊厳という志向とは相反する。
基本的にはナチス、スターリン主義、皇国日本主義と通低する
欺瞞観念の上に成立させるそれこそ「宗教」だといえる。
342 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 23:35:00 ID:M6bduIYb
>>332 >しかも、経典というのは2500年の批判に耐えて生き残ってきたものです。
宗教という「人為的狂気」からの離脱がいかに困難であるかを示すもの。
いかなる宗教にも、狂信者が必ず発生し、変化を必死で拒否するからだ。
そのことは、このスレで如実に証明されている。
343 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 23:35:27 ID:TUD08Wyt
>>331 >特定の共同体
全体主義丸出しで笑わせる。
ナチスドイツ(カール・シュミット)のイデオロギー→共同体有機体説そのものではないか!
344 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 23:45:58 ID:TUD08Wyt
本日は寝ます
又の機会に!
345 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 23:50:20 ID:M6bduIYb
>>338 宗教が介入しない限り、無差別大量殺害は起こりえない。特に、イエス
以降は、人類の大虐殺には、必ずイエスの思想がある。
人間の本質は、生物としての生存本能であり、この本能から、自他の
死への恐れや他者への憐れみという自然の感情が派生する。これらは、
人類の生存のための肉体的本能であり、この本能による自動制御が働く
ためだ。さもなければ、人類はとっくに滅亡していたはずだが、ますます
増加し、発展を続けているのは何故かね。
無差別大量の虐殺は、宗教観念によりこの肉体的本能が破壊された場合
に生じる。本能による自動制御が働かないからだ。
346 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 00:05:14 ID:mGusO7sU
さてと、いきますかね。まず、キチ外カラスね。
お前
>>285 で、「信仰のはなし」とか言ってまた、論点ずらそうとしてるが
『信仰』なら何も問題はないの。前のレスにも書いといたが、お前がね
「生まれ変わりは何の実証もできず、単なる妄想かもしれませんが、
『僕はそれを真実であると信じています』だから、ほっといてくれ。」
と、こう言うのなら議論は終わり。俺としては「そうなんですか。わかりました。
妄想に浸っていてください。」と言うだけよ。だが、お前はそうじゃないんだろ?
お前は「生まれ変わりは今現在、我々が生きているこの世界で絶えず起きている
普遍的現象である。」 と、こう主張したいんだろうが?なら、「信仰」を
持ち出すこと自体が、まさにお門違い。
347 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 00:06:32 ID:mGusO7sU
単なる証言集が、なんら客観的証拠とはなりえないことは、電波男さん?
が、かなり詳しく論じていたので、俺としてはあまり付け加えないが、
「なぜオカルトばか達は、証言集を紹介しただけで実証したと思い込む」
のか??それが不思議でならん。要は、その証言が如何に真実であるかを
証明しなければ『実証』したことにならないのが、なぜわからん。
「本にこう書いてあった」 「TVでこんなことやってた」 なぜ、これだけで
証拠とするの??? 例えば「生まれ変わり」について言えば、「その事例
は他の一切の可能性を厳密に否定した上で、生まれ変わりであると結論付けざるを
得ない」状況であると、どのように立証したのか?(カラスが貼ったリンク先の
サイト主自身が、自分の紹介例を証拠として不十分と認めてしまってる。
>>283)
「俺はちゃんと『実証』したよ。」 と、言うのならば、まずお前がリンク貼った
サイトの証言が真実であると証明しなくてはならんわけよ。それが、ただの
虚言ならば証拠もクソもないだろ?
例えばな、「俺の前世は、非常に高度な文明をもつ他の惑星の宇宙人である」
とか言う奴が出てきて、現在の地球では考えられないような高度な技術、または
理論などを提示したら、そりゃあ、俺も即座に「転生肯定派」に転向するわ。
今までに一度でいいから、そのような例があったのか?
>合わせて、空間と、時間のパラドクスはどう説明するんだという、お前が
突っこもうと思っている愚問にも合わせて答えてやるよ、吉外。
これ、期待してるぞ。ついに100年を経て「特殊相対性理論」が破れ
ワープ理論が完成するわけだ。もちろん検証可能なように数式も提示してくれよ。
まさかとは思うが、ここまで言うんだから、「言葉遊び」でごまかすようなことは、ないよな?
348 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 00:20:59 ID:mGusO7sU
それから、
>>292 >>287 の俺の書きこみ 「書いた本人が「万人が認める証拠とは、ほど遠い」としてるものを
なんで「証拠」とするわけ? 」
これに対するレスが
>>292 の
>あなた、輪廻転生は万人に認められないから、
前に大学の先生の集めた、生まれ変わりを肯定する状況証拠も、
そんなのは、証拠にならないじゃ、話になりませんね。
あなた、自分で、全く論理的思考をしていないことに気付いていますか?
なんでこうなるわけ?お前本当に、普通の人間なみの思考をしてくれ。
それから
>>259 と
>>266 は回答不能でカラスと同じように逃げるか?
おやおや、今度はソース厨ですか?あなたは年いくつ?
そのような例は何百、何千と読んできた人がおかしなことを言うもんですね。
せっかく立花氏の名前が上がっているのだから、
彼の輪死体験でもお読みになればいかがでしょう。
350 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 01:24:59 ID:I2PGy3cq
>>349 結局具体例も根拠もないわけね。医学論文の一つすら提示できないとは・・・
>そのような例は何百、何千と読んできた人がおかしなことを言うもんですね。
そんな例は何千万、何億あっても何一つ役に立たないんだよ。状況証拠としての価値はゼロ。完全にゼロ。ただのゴミ。
>立花氏の名前が上がっているのだから、彼の輪死体験でもお読みになればいかがでしょう。
彼は文学部卒の作家であって、何を書いていたとしても、それだけでは何の証拠にもなりませんよ。
あなたの話には学問的といえる具体的な内容は何一つないんですねえ。
まあ暇があれば読んでみるかも。
351 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 01:29:01 ID:I2PGy3cq
>>350 よく見るとあなたずっと一貫して「輪死体験」と書いてるね。
私はもしかして勘違いしてずっとまとはずれなレスをしてたのかな?
それともただの変換ミス?
>>351 あのね、シャーベットの専門家しか知り得ない状況と、
その場に居合わせた者しか知り得ない状況を本人が克明に証言し、
当事者同士口裏を合わせた事実もなければ、あなたがいくらそんなものは状況証拠にならないと
強弁しようと、立派に状況証拠となるんですよ。
例えば殺人犯が、凶器のピストルを捨てた。その場所は、
誰も入ったことが無さそうな場所だ。そのばしょの様子を容疑者は克明に話し、
凶器も見付かった。これは犯人しか知り得ない秘密の暴露にあたり
立派な状況証拠となる。それを、い〜や。その容疑者は、
人から聞いた話しをしているだけかも知れない。そんなのは状況証拠にならないと、
あなたのようにいくらでもいうことができますが、
ならば、容疑者がそれを他人から聞いたということを立証しない限り通用しない話しです。
言ってる意味がわかりますか?あとね、あなた論文じゃないと、証拠にならないわけ?
ジャーナリストリストがまとめたレポートが駄目で、
なぜ学術的な論文じゃないと駄目なのか、意味不明ですね。頭は大丈夫ですか?
>>300 と
>>306 前世を記憶する子どもたち
イアン スティーヴンソン (著), 笠原 敏雄 (翻訳) 日本教文社 (1990/02)
書評見ればわかると思いますが、事例の数とその分析方法はかなりしっかりしたもののようです。
学術書なので読むのは相当大変だと思いますが、そこまで言うからには
まずは読んでみてもらいたいものです。
354 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:06:45 ID:I2PGy3cq
>>352 まだ続ける気?あなたも懲りないですね。
>あのね、シャーベットの専門家しか知り得ない状況
まずさ、そのシャーベットって何よ。心臓とシャーベットでググってもそれらしきものは何も出てこないんですけど。
>その場に居合わせた者しか知り得ない状況を本人が克明に証言し、
当事者同士口裏を合わせた事実もなければ、あなたがいくらそんなものは状況証拠にならないと
強弁しようと、立派に状況証拠となるんですよ。
だからさ、本当に「その場に居合わせた者しか知り得ない状況」であることと、「当事者同士口裏を合わせた事実」が
全くないことが明確に立証されたケースについてのソースを出せ、と何度も言ってるでしょ。あなたがいくら同じこと書いても、
本にそう書いてあると言い張っても、無駄。直接の証拠か、あるいはせめてそれを支持する学術雑誌、論文などを示さなきゃ。
>誰も入ったことが無さそうな場所だ。そのばしょの様子を容疑者は克明に話し、凶器も見付かった。これは犯人しか知り得ない
秘密の暴露にあたり立派な状況証拠となる。
そんなもん証拠になるかw 「誰も入ったことが無さそうな場所」ってなんだその主観的な記述は。
「誰も入ったことが絶対にない場所」なら別だが、もしかしたら本当はそこに昔入ったことがあったり、真犯人など第三者から
聞いただけかもしれないから、全く証拠になりません。もし「誰も入ったことが絶対にない場所」なら、凶器をそこに捨ててくることも
不可能。
それに、これが傑作だが、あなたは臨死体験により知らない部屋の中の様子が分かる場合があると言っているんだから、
その容疑者は臨死体験により部屋の様子を知っただけという可能性も出てきて、状況証拠という概念自体崩壊するね。
素敵な自己矛盾w犯罪捜査が成り立たなくなって困っちゃいますな〜w
「これは犯人しか知り得ない秘密の暴露にあたり立派な状況証拠となる。」と書きながら、そのすぐ前には、臨死体験した人は入ったことのない部屋の
秘密を知りうると書いているんだから、さすがに驚いて、飲むヨーグルト吹いたよ。
>>348 万人が認めなかったら証拠にならない?
言ってることがおかしい。あなたそんなこといったら
未だ認めない人がいる相対論も語ってはいけないことになるし、
オウムの浅原を有罪にした証拠も認めない人がいるので、認められず、
浅原は無罪放免となる。本当、あなたの主張は、子供の屁理屈ですね。
もう少し社会に通用する思考回路を持ってから他人とコミュニケーションを
お持ちになられてはどうですか?あなたがいくら吠えようと、
いくつかの事例は、多くの人からは、状況証拠として認めるものなのですよ。
356 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:21:43 ID:n3NDGzWO
仏陀は弟子たちに、経典を作って節をつけて歌って金もらえ、といったのか?
357 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:22:05 ID:I2PGy3cq
>>353 アマゾンの書評見たら、事例集がメインで、『「だからこうだ」 という結論は掲げておられないようです。 』と書いてあるよ。
まあ事例集というのはそんなもんだろう。それで?
こんなものはまったく「生まれ変わり」や「前世」の証拠・根拠・状況証拠などにはならんよ。
まあ仮に、大昔の他人しか知りえないと立証できることを報告したケースがあったとして(そんなことはあり得ないのだが)、
それがどういう原因によるものなのか、千里眼などの超能力?、それとも霊媒?、それとも生まれ変わり?、それとも神
の預言?などなど、判別できるわけがない。だから「生まれ変わり」をこのようなやり方で立証することは不可能なんだよ。
何やっても無駄。「なぜだか知らないけど、昔の人の記憶がその人の頭の中にある」、ということ以上はな〜んにも言えない。
何度でも繰り返すけど、そのような昔の記憶が客観的に他人に分かる形で立証されたケースはただの一度もない。
報告集、事例集は、その本を読んでフーンと言うことしかできないわけで、読んだ人が自分で嘘か本当か確認できない以上、
全く何の証拠にもなりません。
>>356 言ってないような気はするけど、言ってないという証拠も出てきていないような?
要するに「不明」では?
>>357 ただの事例集に意味はないですよ。そこの分析に意味があるんですよ。
とりあえず読んでみてください。
360 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:29:05 ID:I2PGy3cq
>>359 特に分析はしてないって書評に書いてあるじゃん。
あなたが読んだのなら、それを書いてよ。
「事例集に意味ない」なら、全く何の意味もない本てことになるよw
361 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:29:58 ID:I2PGy3cq
>>357 千里眼などの超能力や、霊媒、神の預言というものはあると認識しているんですか?
つまり、あるとは認識しているが転生との区別がつかないといっているのか、
そもそも無いと思っているのかで、文の意味が違ってくるのですが。
>>360 「ただの事例集に意味はない」と書いたのであって、「事例集に意味ない」と書いてはいないです。
勝手に文章詰めないでください。
あとこのスレに書いてとか気楽に言うけど、テキストあるんだから読んでください。
で、読んでないならそれについてはとやかく言わないように。以上。
364 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:36:52 ID:I2PGy3cq
>>362 「仮に」(昔の他人の記憶があることが)事実でも、転生かどうかは誰にも判別できない、と書いてるんですよ。
>千里眼などの超能力や、霊媒、神の預言というものはあると認識しているんですか?
私はそんなものは何も認識してないよ。
霊能者が昔の人間の霊と交信して、歴史学者が探せなかったもの(徳川埋蔵金とか)
の場所を言い当てたりしてほしいな。
>>364 なるほど。文意は大体わかりました。
スタンスとしては、超常現象系に関しては、基本的に認めない。
認めさせたいなら客観的なデータをもって立証しろ、という感じで大体あってますね?
367 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:39:45 ID:I2PGy3cq
>>363 「ただの事例集に意味はない」でも同じ。その本はただの事例集なのだから、あなたによれば意味はないわけだね。
私もその通りだと思う。意見が一致したねw
>あとこのスレに書いてとか気楽に言うけど、テキストあるんだから読んでください。
>で、読んでないならそれについてはとやかく言わないように。以上。
やだよ。時間の無駄。本屋でたまたま目に止まって、死ぬほど暇だったら立ち読みくらいはするかもしれませんが。
>>365 いや〜、オーラの泉に出ているひとたちとか、前世の記憶をもっているらしいんですけど、
江戸時代とか、できればもっと前の時代の生活の細かい部分とかを思い出して本にしてくれたら
歴史学は相当進歩したりすると思うんですけどね。
本当に前世を記憶しているなら、どうして書いてくれないんだろうと思いますね。
369 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:42:56 ID:I2PGy3cq
>>366 超常現象系は全て存在も非存在も認めない、つまり無記。ブッダと同じ立場です。
>認めさせたいなら客観的なデータをもって立証しろ
これはあってるよ。
370 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:43:24 ID:n3NDGzWO
客観的データで立証されたら、ネイチャーとかに載るよね。
371 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:43:25 ID:mGusO7sU
ま、横レスですが「前世を記憶する子供たち」における最も信憑性の高いと
されているイマッド・エラワーの例をあげてみましょうか。
イマッドは、3歳のときに「自分は前世はクリビイという村に住み、赤いハイ
ヒールを履いたジェミレという女がおり、屋根裏に銃を隠していた」と語った。
そして車をとても恐がっていた。
事実を検証するため現地にとんだ、スチーブンソン教授はイブラヒムという男
がいたことを突き止めた。彼は25歳で死んでいたが、彼の屋根裏を捜索すると
銃が発見され、赤いハイヒールをはいたジェミレという恋人もいた。さらに
いとこが交通事故で死んでおり、彼は生前その事故にひどくショックを受けていた。
これだけ符号すれば、これは本当の生まれ変わり?と考えたくなるが、しかし
その後のカナダ・ダグラスカレッジのレオナード・エンジェルの検証によれば
「イマッドの語っていたメヒベという名の娘も、ケマル、タリル、サリルという
名の息子たちもイブラヒムという男には、いなかった。そもそも、彼は結婚すら
することなく結核で死亡していた。また、イマッドはイブラヒムの母親の顔も
見分けられず、親類やいとこを兄弟と呼んだり、弟のことは全く思い出せなかった。」
と、まあこういう次第です。銃に関することなどは、確かに不思議に聞こえなくも
ありませんが、前世の自分の家族および生活についての供述が、このように
まったく、でたらめでは符号事項も偶然の一致と結論するのが妥当であると思いますが?
これが上記の著作の中で最も信頼性の高いとされている事例です。
372 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:44:12 ID:I2PGy3cq
>>368 どうして書いてくれないんだと思います?
答えは明白だと思いますけどね。
>>367 読まなくてもいいけど、だったらとやかく言わないように。以上。
>>372 明白じゃないでしょ。無記でしょ。
わからないもんね。本当のところは本人じゃないと。
個人的に「疑わしい」とは思うけど、何か理由がある可能性もあるしね。
375 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:47:29 ID:n3NDGzWO
>>368 うん。知りたい歴史のなぞがいっぱいあってさ、前世の記憶の人にいろいろ教えてもらいたいんだ。
376 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:49:46 ID:mGusO7sU
符号は符合の変換ミスです
スチーブンソン教授は、レオナードが反証した
事実を当然知っていたはずですが、上記の著作のなかで
記述してますか?
377 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:56:41 ID:n3NDGzWO
俺、ネアンデルタール人と戦ってる夢とか、江戸時代の侍になって殿様としゃべってる夢とか、
空襲で逃げ回ってる夢とか、みたことあるよ。
でもね、テレビとかでやってるようなもの以外何にもなかった。
378 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 03:59:10 ID:I2PGy3cq
>>371 なるほど、大体状況が分かりました。
>でたらめでは符号事項も偶然の一致と結論するのが妥当であると思いますが?
その通りです。しかもそれほど確率の低い偶然ではありません。イブラヒムもジェミレも
おそらくトルコ系で、よくある名前です。トルコ周辺か、アメリカのトルコ移民の村を探せば
高確率でジェミレという恋人を持つイブラヒムという男が見つかるでしょう。そしてジェミレは
女性ですから、赤いハイヒールくらい持っていても不思議はない。そしてどの家庭にも
一人くらい交通事故にあった家族や親戚くらいるでしょう。また、銃社会なら屋根裏に銃を
保管していることなど珍しくありません。田舎なら猟銃なども普通にあります。だからこの程度
の条件をクリアするのは別に難しいことではありません。少しトルコ系の村や町を探せば
いくらでも該当者は見つかるでしょう。偶然の一致というほどのものですらありません。
唯一偶然といえそうなのは、クリビイという村が実在したことですが、まあ、村の名前くらい
テレビかラジオなどで聞いたのかもしれません。事例はたくさん集めるのですから、この程度の
偶然は当然見つかるでしょう。このレベルで「最も信頼性の高いとされている事例」なのです
から、読む価値がゼロなことがよく分かりました。
とても参考になりました。ありがとうございます。おかげで時間の節約になりました。
379 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 04:03:37 ID:mGusO7sU
>>355 なんで、そう読むの?
>>348 の書き込みはね、カラスが証拠としてあげたサイトについてのものなの。
そしてね、そのサイトに事例を書いているサイト主自身が「証拠として不十分」
だと言ってるわけ。だから、俺はカラスに「証拠として提示するのには不適切
なのでは?」 と、いったわけよ。 わかった? 本当につかれるわ。
お前はまず、人の書きこみの趣旨をちゃんと把握できるように勉強しろ。
380 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 07:34:09 ID:FJIc7W5M
>308
>形而上という言葉を誤解しています。
>意、精神や観念、思惟、直観は全て形而下の内容です。
あなたも大変な誤解をしています。
この言葉は易の『形而上者謂之道、形而下者謂之器』からきております。
形のないものが形而下ですか?
一体どなたの説でしょうか?
勝手に形而上形而下の意味を変えないでくださいw
形而上、形而下の話であれば、仏教はむしろ形而上のダルマ、心を追求する
ものです。
だから仏教を「仏道」と呼びます。
どうもあなたの言う「五感で認識できるもの」が誤解のようですね。
形而上も「五感で認識できるもの」です。
「五感で認識できるもの」は決して「凡夫が常識で理解できるもの」のみを
意味しません。
あなたの考えでは解脱や涅槃は形而下なんですか?
381 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 08:42:26 ID:ThCJRL2P
>>345 >宗教が介入しない限り、無差別大量殺害は起こりえない。
トウキョウ オオサカなどへの無差別焼夷弾空襲、ヒロシマ ナガサキへの原子爆弾による「無差別大量殺害」は
どういう宗教なのか?
米国合衆国憲法により民主的に選出された大統領トルーマンはどういう宗教主なのか?
382 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 08:48:23 ID:ThCJRL2P
現実世界で無差別大量殺害を防止いているのは、
残念ながら、やったらやられるというパワーポリティックスに他ならない。
恐怖そのものだ。
これが地獄の黙示録だ。
383 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 09:18:47 ID:ThCJRL2P
それにしても、ナイーブで単純なのが多すぎる。
おそらく宇宙の中でニンゲンほどニュアンスに富み、
複雑怪奇な存在はないのだろう。
きっとメフィストにからかわれて、夢をみているにちがいない。
384 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/27(火) 10:40:20 ID:q8+K2MqN
ここまでROMる。
>>380 >形而上も「五感で認識できるもの」です。
そうですね。
例えばですが、美人を目撃しまして・・・萌え〜とかなったり、
はたまた九相絵図を思い描いたりしますね。
(これは人それぞれで、形而上の問題ですね)
ヴィパーサナ瞑想の「観」というのも、あれは形而上ですね。
では釈尊の本懐(悟り)というのは、形而上・形而下と無理に分類するとしたらどうなのか?
ってことになりますと、
これは非常に難しいお題ですが・・・
あえて言うなら、形而下ということになるんでしょうか?
(分類はできない)
#、電波先生の論法は独特でありまして、なかなか説得力があります。
(しかし、形而上・形而下の部分がどうも引っ掛かりますね)
385 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 10:42:31 ID:ThCJRL2P
マトモに生きてもねえのに 死んでたまるか!ってね
道行くヒトは死んだ魚のような目をして
あれでも生きているつもりらしい
386 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 11:10:02 ID:I2PGy3cq
>>380 >>384 >どうもあなたの言う「五感で認識できるもの」が誤解のようですね。
>形而上も「五感で認識できるもの」です。
yahoo辞書によれば、形而上とは、
1 形をもっていないもの。(形而下の項目では「形を備えたもの。物質的なもの」)
2 哲学で、時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できないもの。超自然的、理念的なもの。⇔形而下。
です。1の意味ならば確かにおっしゃるとおりで、「仏教はむしろ形而上のダルマ、心を追求するものです。」と言えますが、
私は2の意味で使っているのです。「感性を介した経験によっては認識できないもの」という意味で形而上と言ったのです。
この意味では、心も悟りも涅槃も形而下です。
どうしても形而上、形而下を1の意味でしか理解できない人は、私の発言の形而上、形而下を全て無視して、
形而上を「感性(感覚、五感など)を介した経験によっては(自分で直接)認識できないもの」、形而下は
認識できるもの、と言い換えて下さって結構です。
387 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 11:12:15 ID:mGusO7sU
それでは、ついでに立花信者のキチ外も叩いておこうかね。
以下は立花の「臨死体験」の中で最も信憑性が高いとされている
事例。
「1997年、シアトルの病院にマリアという女性が心臓発作で運びこまれた。
彼女は心停止をおこしたが緊急措置のおかげで息を吹き返した。その間、
彼女は自分が措置されるのを上から見下ろしていたという。これだけなら、
よくある話だが、彼女は体外離脱中に病院の外にでて、病院北側の3階の窓に
ブルーのテニスシューズが片方だけあるのを目撃したと言った。靴ひもが
ほどけて、小指のところが擦り切れてるシューズであると言った。マリアから
この話を聞いたソーシャルワーカーのキンバリー・クラーク・シャープがその場所
を探したところ、マリアの言うシューズが発見された。マリアは入院してから2階の
ベッドで、ずっとチューブを付けていたから3階の窓を見ることはできなかった
はず。これは、本当の体外離脱事例か?? 真相は・・・・・
ちょっとまってね、ご飯たべてくる。
388 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 11:13:33 ID:ktox9yU8
>>386 >悟りも涅槃も形而下です。
質問。貴方は悟ってらっしゃるのですか?
涅槃を経験しているのですか?
また、悟りや涅槃を体得した感覚を表現し人に伝えることが出来るのですか?
389 :
380:2009/01/27(火) 11:28:32 ID:FJIc7W5M
>388
私もそう思うんですよ。
悟りや涅槃が形而下なら、誰でも「五感で体験」できなければならない。
また、言語その他で表現できなければならない。
しかし、解脱、涅槃、悟りは言語道断と伝統的に解釈されている。
「輪廻思想が科学的、常識的にあり得ない」という方々は
なぜ「解脱、涅槃、悟り」を疑わないのですか?
私は「解脱、涅槃、悟り」も科学的、常識的にはあり得ないと思いますが。
390 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/27(火) 11:30:43 ID:3NTJjTh0
>>386 >「感性を介した経験によっては認識できないもの」という意味で形而上と言ったのです。
美術館へ逝きますと名画がズラァ〜っと並んでまして、
こんなもんどこがいいのか?
って言いますと、それは形而下(物理的なもの)において形而上の感性によって感動します。
つまり、形而上というのは
「感性を介した経験によって認識し、そして感動する」。→これを形而上。
(その感動(価値観)において名画の値段が決定されたりする)
391 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 11:31:44 ID:I2PGy3cq
>>388 >質問。貴方は悟ってらっしゃるのですか?
>涅槃を経験しているのですか?
いいえ。
>また、悟りや涅槃を体得した感覚を表現し人に伝えることが出来るのですか?
「体得した感覚」というのは分かりませんけど、私は悟りや涅槃を、人格の完成(あらゆる迷い・執着を滅ぼし尽くし、心の平安を得ること)
と捉えていますので、
>>386の2の意味で形而下のことであると言ったのです。
だから「体得した感覚」というのもある程度は想像できるでしょう。欲や悪い感情を引き起こすような感覚はなく、ただ穏やかな平安
のみがある境地のようです。
【道交法に於いて】車両(車)と言えば、自転車・リヤカーから大型トラックや特殊車両まで含む。
全て「車両(車)」だ。(ちなみに50ccバイクは「原動機付【自転車】」だw)
しかし、一般的語義(→我々が(多くの人々が)通常使用する範囲)に於いては
「自転車等」を「車両(車)」とは認識していない。
小型〜大型バイクについても「車両(車)」と呼ぶことは殆どないだろう。
朝、自転車で通学してきた子が、何で来たの?と問われた時、「車(車両)で来た」とは答えまい。
念願のバイクを買った者が「俺、ついに車(車両)買ったよぉ・・・(泣」とは言わないだろう。
路面電車やトロリーバスは「車両」だが、所謂「汽車・電車」は車両ではない。
が、【我々は、電車の(一両一両或いは複数両の)ことも「車両」と呼ぶ】。(最近では「女性専用車両」なるものもある。)
【「車」と言った場合には汽車・電車は含まない】。
我々が【普通に】「車両・車」と言う時、その区分、線引きは如何なる部分でなされているのだろうか・・。
【何を以ってして(どこを以ってして)】我々は、「或るもの」を「車両・車」と見做しているのか・・・。
「(辞書的な)語源」や「道交法という枠組み」以上に、ここが重要な点ではなかろうか?
単純に多数決的視座をとれば、後者の語義解釈が、『常識』であり『一般的語義』であり、
「車両(車)」という語から、現在『直接的にイメージされる、
(辞書で言えば@として述べられても良いという意味での)第一義』と見做すことができる。
特に、学問の世界や専門分野では、既存の語の該当範囲を変更することはよくある。
一般的語義と専門的な術語としての語義に“乖離”や、“微細であっても重要な違い”があれば、
提唱者はその旨必ず断り書きを入れるだろう。異義が並存しているなら、注意を喚起するだろう。(そう、
>>386のように・・w)
実は、このような事態は、「輪廻」や「転生」についても同様に言い得ることなのだ。
仏典中の各語句についても同じだ。「形而上・形而下」という語でも同じだろう。
いや寧ろ、「形而上・形而下」は、乖離が甚だしい例かもしれない。
「実在」「実体」「自性」等も、乖離や相違が甚だしい語句群かもしれない。
(そこに、“枠組みの種別(分野の違い)”が加わると、更にややこしいことになるだろうw)
原義(≒語源)に遡ることも大切だし、過去の用例も大事だし、現在どの意味で使われているのかも大事だ。
特に第三者は、議論・対話をする上で確認しておくべき要素の一つだろう。
上の「車両」の例で言えば、
《相手が、「流布している“一般的語義”」で提示しているのか》《道交法の枠内で話をしているのか》
で変わってくるだろう。前者であれば自転車は含まれないし、後者であれば含まれる。
そして、もう一つ重要なのは、どの枠内での話なのか(→どの枠組みで用いられている語義なのか)ということだろう。
『議論自体が、【道交法の枠内でのこと】なのか、【一般的日常でのこと】なのか』ということになろう。
「輪廻」や「転生」の、(流布する)『一般的語義(イメージ)』は、
『記憶や肉体的特長、様々な要素を引き継ぐ(引き継いでいることが自覚できる)、
そのような“主体”あってのもの』ではないのか?
(だから、私は、スレ1の7を書き込んだ。再度呟いたら、咬みついてきた御仁がいらしたが・・w)
「仏教という枠組みで言う“輪廻”“転生”」「神智学の枠組みで言う“輪廻”“転生”」
「昨今流行のスピリチュアルな枠組みで言う“輪廻”“転生”」「新興宗教・新宗教の枠組みで言う“輪廻”“転生”」
「宗教学(宗教人類学)の枠組みで言う“輪廻”“転生”」「民俗学の枠組みで言う“輪廻”“転生”」
「哲学の枠組みで言う“輪廻”“転生”」、etc.etc.
被る部分被らない部分、矛盾する部分一致する部分、種々あろうが、
枠組み間での差異に無頓着ではいけないような気がする。
そして、そうした枠組み毎の考察も重要だが、
≪我々は、【何を以ってして(どこを以ってして)】、「○○」を見出しているのか≫
も、根本的視点として重要な気がする・・。
395 :
380:2009/01/27(火) 11:40:31 ID:FJIc7W5M
形而上
wikiによれば
また形而上学は哲学の一部門であり、物理学や心理学や脳の生物学といった
自然諸科学に、あるいは神秘主義や宗教や精神的主題に関係付けられる。
存在、実在、普遍、属性、関係、因果性、空間、時間、出来事、その他
諸々の諸概念が、まさにそれに基づくところの現実性の基礎的本性に関する、
最も根本的な概念や信念の研究として概略的に定義される。
この「最も根本的な概念や信念の研究」に仏教の根本である「無我」「無自性」
が含まれると思います。
いったい「無我」「無自性」という「概念」は形而下なんでしょうか?
397 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 11:41:15 ID:I2PGy3cq
>>389 >誰でも「五感で体験」できなければならない。
その通りです。誰でも五感で体験できます。だからこそ意味があるのですよ。
心の平安を感じることは時々は誰でも経験するでしょ?
>解脱、涅槃、悟りは言語道断と伝統的に解釈されている。
私はブッダ自身の思想(と思われる)ものについて話しているのであって、「解脱、涅槃、悟りは言語道断と伝統的に解釈されている」
ということは分かっています。言葉で表現を拒否している概念は伝えられるはずがありません。
>「輪廻思想が科学的、常識的にあり得ない」という方々は
なぜ「解脱、涅槃、悟り」を疑わないのですか?
私は「解脱、涅槃、悟り」も科学的、常識的にはあり得ないと思いますが。
私は「輪廻思想が科学的、常識的にあり得ない」と言ったことはありませんよ。「科学の範疇ではない」とは言ったかもしれませんが。
「輪廻思想が科学的、常識的にあり得ない」と言っているのではなく、ブッダ自身は生まれ変わりを説いていない(可能性が強い)と言っているのです。
異論があるのは承知しています。
398 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 11:41:53 ID:TK6FoecE
>>391 >だから「体得した感覚」というのもある程度は想像できるでしょう。欲や悪い感情を引き起こすような感覚はなく、
>ただ穏やかな平安のみがある境地のようです。
これはウサギの角や亀の尻尾ではないと言い切れませんよね。
絵に描いた餅を幻だと語るのなら、心に想像した涅槃こそ幻以外の何物でもない。
あなたの論理で輪廻を語るのと同じ理屈が適応されます。
399 :
380:2009/01/27(火) 11:46:30 ID:FJIc7W5M
>391
>私は悟りや涅槃を、人格の完成
>(あらゆる迷い・執着を滅ぼし尽くし、心の平安を得ること)
では、そんな人が「現実」に居るでしょうか?
あなたは会ったことがありますか、そんな完璧な人に?
それは理想化された概念としての人格者ではないのですか?
私にとっては、まさにそれは「抽象的」で「空想の物語」です。
神の存在証明と同等でしょう。
400 :
初代スレ7:2009/01/27(火) 11:52:03 ID:0Sq/ibmc
だから涅槃は、“「来て、見よ」と言われるもの(ehi passika)”なんでしょうね・・・。
(´ー`)y━~~
さて、【見る】ことのできる涅槃とは、形而上?形而下?
ちなみに電波氏は、まかりなりにも、仏教会に籍を置くものですよね?
仏典を読めば、仏教は、輪廻転生というテーマを避けては通れないものだと思います。
それを、まかりなりにも、学術的に真面目に、生まれ変わりの事例を集めた
文献を、はなから馬鹿馬鹿しいと読むつもりも無いという姿勢はいかがなものでしょう?
私はなぜ、このような人が、仏教を語り、それを信奉する人達がいるのか、不思議で
しょうがありません。
頭ごなしに、そんなものは信じないという姿勢は、学問を信奉する者の姿勢としては
正しくないと思います。何事も偏見を持ち考察する人は、正しい見解は持てず、
邪見もこのような人たちが起こすのだと思います。
402 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 11:57:50 ID:I2PGy3cq
>>390 >「感性を介した経験によって認識し、そして感動する」。→これを形而上。
それは私の定義では形而下です。感動も自分が直接知覚、認識することだからです。
どうしても私の定義が受け入れられないなら、形而上という言葉に捉われず、私の形而上という言葉は全て
>>386最終段落のように変更してくださって結構です。私は「形而上」という言葉自体を言いたいのではありません。
表面上の表現はどうでもよいことです。どうでもよいことに皆食いつくなあ・・・・
>>392 >特に、学問の世界や専門分野では、既存の語の該当範囲を変更することはよくある。
一般的語義と専門的な術語としての語義に“乖離”や、“微細であっても重要な違い”があれば、
提唱者はその旨必ず断り書きを入れるだろう。異義が並存しているなら、注意を喚起するだろう。(そう、
>>386のように・・w)
確かにその通りですが、私は何度も「五感によって認識できないもの」「実在するかしないか認識・確認できないもの」と
いう表現をしているので、前スレより言っているので、そういう文脈であることは前提になっていると考えていました。
しかしその流を捉えていない人や途中から見ている人には分からないことですね。私の不注意でした。
あなたのおっしゃるように、確かに、この言葉一つとってみても誤解の渦に巻き込まれますから、仏教用語については
なおさら大変ですね。
403 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/27(火) 11:58:36 ID:3NTJjTh0
>>401 >ちなみに電波氏は、まかりなりにも、仏教会に籍を置くものですよね?
そうですね。
真言密教のアジャリ(高僧)ですね。
404 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:01:28 ID:mGusO7sU
続き
この事例については、カナダのサイモン・フラスター大学の関係者
が検証を行っている。彼らは実際にマリアの言う3階の窓にシューズ
を置き、実験した結果を「スケプティカル・インクワイラー」(以下SI)
の1996年7月、8月号に報告レポートとして載せている。それによると
3階の窓のシューズは駐車場からも病室からもよく見えることが判明した。
すると、誰かが窓のシューズの話をしているのをマリアが小耳にはさんだ
可能性も否定できなくなる。さらに、彼らがシューズを置いてから1週間
後に再び訪れるとその靴(3階の窓の外に放置されていた)は、すでに
なくなっていた。このことは、この放置されたシューズの発見は、さほど
困難なことではないことを物語っている。さらには、立花隆の著作の中では
この事例は「1976年の春」となっていたが、SIの報告では「1977年の春」
であり、立花の著作では「マリアが意識を取り戻した夕方にソーシャルワーカー
のクラークが、マリアに電話で呼び出された」ことになっているが、実際は
「数日後にクラークがマリアを訪ねてみるとマリアが取り乱していた」
さらには、この事例が初めて公開されたのは事件から7年後のことであり
その間マリアの証言メモ、テープなどはもちろん存在せず、クラークの
思い出し話なのである。これがマリアのオリジナルの話と正確に一致
しているのかは現在では確認のしようがない。なぜなら、この事件後
マリアの消息が全くつかめないからである。
報告レポートは「クラークはマリアに関する供述において、霊的な解釈
をしようとする傾向がみられる」と、述べている。
以上、立花の「臨死体験」の中で最も信頼性が高いとされている事例でした。
立花の「臨死体験」には、このような批判的検証結果もあわせて掲載し
読者に偏見のない公正な観点から判断を下せることが試みられているのかな?
405 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:03:46 ID:I2PGy3cq
>>399 >では、そんな人が「現実」に居るでしょうか?
>あなたは会ったことがありますか、そんな完璧な人に?
それは分かりません。いるかもしれないし、いないかもしれない。しかし論理的にはいてもおかしくはないでしょう。
>それは理想化された概念としての人格者ではないのですか?
>私にとっては、まさにそれは「抽象的」で「空想の物語」です。
そうですよ、理想化された概念です。ですが、だからといって「抽象的」で「空想の物語」ではありません。
たとえば、スポーツ選手の理想像というものを想像してもらえれば分かるかな。
低いレベルでは誰でも可能です。ですが、トップアスリートになるのは難しい。まだ誰も達成していない記録を
目標にしているスポーツ選手もたくさんいます。でもだからといってその目標は「抽象的」で「空想の物語」
とは言えないでしょう。努力目標なので、理想像にぴったり合う人間が現実に存在するかしないかは別問題なのです。
>神の存在証明と同等でしょう。
全く違います。現実にいくらでもある現象の延長線上にあるものと、初めからきっかけ一つ、証拠の欠片一つないものとでは別次元
の話です。
406 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:09:24 ID:I2PGy3cq
>>401 >はなから馬鹿馬鹿しいと読むつもりも無いという姿勢はいかがなものでしょう?
正確に読んでくださいよ。「はなから」読むつもりはない、のではなく、既に飽きるほど過去に読んだ上で、読む価値のないもの
と判断したのです。ブッダの苦行と同じですねw (不遜だなw)
あと、私は仏教には歴史学的、文化的な興味しかありません。ですからいくら現在の仏教において生まれ変わり思想が避けて通れない
(そうとも思えないけど。大乗の中でもほんの一部では?)テーマだと言われても、私には直接関係ありません、としか答えられません
私が精神的な側面からも関心があるのはそれではなく「ブッダの思想」です。
407 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/27(火) 12:10:42 ID:q8+K2MqN
>>402 真言密教は、空を世俗諦としまして・・・それから如来蔵へと勝義諦に突入するんですよ。
つまり禅宗よりは形而上を重要視するわけです。
貴殿は電波氏なのですか?
どうも疑問です。
>>404 立花氏の著作、臨死体験は私も読みました。
あなたのおっしゃる通り、彼は否定的な見解も載せる傍ら、
肯定的な見解も載せていますよね。皆を、一方的に否定的な見解に導くような
あなたの投稿はおかしいと思います。
409 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:18:21 ID:mGusO7sU
>>396 >いずれにしても、これらの事例は、決定的な証拠ではないと主張する人もいますが、
同時に決定的に否定する証拠も無い。否定的に見る人の主張の根拠は、それは事前に
その情報をその人がどこかで見たかもしれない。単に当てずっぽうでいったことが、
あたっただけかもしれない。そんなのはただのでっち上げかもしれない。など、すべて、かも?
というその人の主観の問題でしかないものです。これらの事例があり、決定的な否定の証拠が無い限り、
完全に否定はできない。と見るのが、偏見の無い科学的な見方だと思います。
何べんもかいておりますが「存在証明」と「不存在証明」を同列に扱ってはいけません。
「完全には否定できない」ことが「存在する」とはならないのです。
いいですか?
「その時点において存在の実証がなされているもの、また有意な仮説に
よりその存在が予言されており、将来において、その検証可能性を有するもの」
以外は「存在しないもの」と見做す。これが一貫した科学分野における見解です。
そうしなければ「想像可能なもの全てが実在すること」になってしまうからです。
つまり「何でもあり」はだめですよ、ということですね。
解かってるとは思いますが「仮設」と「妄想」を一緒にしてはダメですよ。
そのへんのとこが、よくわかってない人が多いもので。
410 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:18:43 ID:02hSOA8d
>>407 >貴殿は電波氏なのですか?
>どうも疑問です。
電波氏ではないように見受けますが、仰る内容と論理展開が瓜二つなのですよ。
まるで生き写し。
電波氏が生れ変って、悪口がマイルドになった感じとでも表現しましょうか。
ネオ電波氏とでも呼びましょうかw
411 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:20:11 ID:I2PGy3cq
>>407 だから電波氏って誰??
私は一度も「私は電波です」と名乗ったことはありません。
前スレで初めて登場し、「仏典の生まれ変わりの話しは全て物語、メタファーである」
といい続けてるものです。
その私へのレスに誰かが「電波さん」と書いただけのことです。それ以降私が電波さんと呼ばれているのか、
誰か他に電波氏がいて混同されたのか、私一人が勘違いしているのか、全く分かりません。
真言密教の話が出てくる理由が全く分かりません。私は真言密教の話をしたことは(おそらく)ありません。記憶違いでなければ。
少なくとも、真言密教を強く推しているなんてことはありませんので、なぜ真言密教と関連付けられるのか身に覚えがないのです。
私以前に真言密教についてよく語っている電波氏なる人物がいるということですか?それなら辻褄が合います。
それならば私はその人とは別人物です。
>>409 あなたがいくらどういおうと、
そういう事例があり、それを完全に否定でき無いなら、
その事例を完全に無視するのは科学的ではないですね。
413 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:24:09 ID:mGusO7sU
>>408 そうなのですか?それでは私があげた否定的見解も彼は
著作のなかで述べていたわけですね。それは失礼しました。
なら、立花の「臨死体験」の内容紹介をした人は、なぜこの
否定的見解もあわせて紹介しなかったのですかね?
やはり「肯定」へと誘導したかったのでは?
414 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:25:35 ID:S7IB/VhE
415 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/27(火) 12:26:12 ID:q8+K2MqN
>>410 >電波氏ではないように見受けますが、仰る内容と論理展開が瓜二つなのですよ。
そうですね。
似てますね。
>>411 >それならば私はその人とは別人物です。
了解しました。
416 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:26:14 ID:zUns9/fQ
>>411 >だから電波氏って誰??
wwwwwwwwwwwwwwwwww
机さん、電波さんと長い付き合いだったでしょwwwww
生れ変った電波二世さんに、説明してあげなよwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
宗教板の活佛かハタマタ、迷って地獄から出てきたかwwwwwwwwwwwwww
417 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:27:45 ID:mGusO7sU
>>412 >>409 に書いてある内容が理解できない人には何を言っても無駄ですね
どうぞ「妄想」に浸っていてください。としか言えませんね。
418 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:29:03 ID:I2PGy3cq
>>412 あなたはどこで誰がでっちあげて創作したかも分からない話を、「事例」としていちいち科学的に扱うのですか?
それなら私もこれから「生まれ変わりを否定する事例」をたくさん創作しましょうか?
「そういう事例があり」、と書いてますが、この手の話はどれも「(考慮すべき)事例」ですらないのですよ。
でっちあげ、創作、勘違い、口裏あわせなどの可能性が全て否定されて始めて、考慮すべき事例となるのです。
そのようなケースが提示されるまでは完全無視して問題ありません。
419 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/27(火) 12:30:28 ID:q8+K2MqN
まあ、電波氏の可能性もあるし・・・
論破されて、とぼけてしまったか?
まあ、いいでしょう。
ここのとこは、電波氏でない。
ってことにしときますw
420 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:32:48 ID:I2PGy3cq
>>419 せめて説明してください。
電波氏とは、前前スレ(私が初めて来たのは前スレ)以前からいて、真言密教を推している人、ということであってますか?
421 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:35:27 ID:zUns9/fQ
電波さんは、すっとぼけや分身の術がお得意だったからなあw
なんか、今にしてみれば懐かしいかんじもしないではないけど、もうごめんだねw
なんか電波さんの御通夜か法事みたいだねw
422 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:38:19 ID:I2PGy3cq
423 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/27(火) 12:40:08 ID:q8+K2MqN
>>420 電波氏というのは宗教板(仏教系)では殆どの人は知ってます。
2ちゃんの古参です。
まあ、コテハンをバッタバッタと切り付ける。
それはまるで大菩薩峠の机龍之介のよぉな御仁です。
拙者もやられましたがなw
宗教板には、電波氏を信望する御仁は沢山いる。
(僧籍にある者でも、電波氏を師と仰いだりする)
424 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:43:33 ID:mGusO7sU
>>412 >あなたがいくらどういおうと、
そういう事例があり、それを完全に否定でき無いなら、
その事例を完全に無視するのは科学的ではないですね。
あなたの言うこの論法でいくとね、前にも書いたけど
「この宇宙はモンスターによって創られた」
これも完全に否定できないのであるから、無視することは科学的では
なくなっちゃうよ。まさか、こんなこと信じられるとでも言うの?
425 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:43:44 ID:KKAZRWR6
>>423 >まあ、コテハンをバッタバッタと切り付ける。
>それはまるで大菩薩峠の机龍之介のよぉな御仁です。
机さんとカラスさんとアホダラさんを足して3で割ったようなの。
426 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:44:52 ID:I2PGy3cq
>>423 なるほど。そういうことですか。
そういうことは初めに説明してくださいよw
アンチにも信望者にも期待に添えなくて申し訳ないけど、
無関係です。宗教版に書き込んだのは、本スレの前スレが初めて。
もちろん僧籍にもありません。体験修行したことあるくらいw
これでやっと、何人かの人が私に電波さん?と聞いてた理由が分かりました。
私と同じようなこと言っているというのは本当ですか?それなら見所のある人ですねw
427 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/27(火) 12:47:08 ID:q8+K2MqN
>>425 アホダラ氏は、電波氏のお陰であのキャラになったんですよ。
本来はもっと穏やかな人だったのですが・・・
電波氏に染まってしまったんですね。
428 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:50:48 ID:NWncTpZb
>>427 そうそう、シスとダースベイダーみたいでした。
まさに仏教のダークサイドですね。
あの悪口に使う頭の回転のよさには舌を巻きます。
429 :
初代スレ7:2009/01/27(火) 12:53:05 ID:0Sq/ibmc
なんだwこの流れwwwww
430 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:53:53 ID:NWncTpZb
立花隆著「臨死体験」下巻403p〜
私自身どう考えるかというと、前にも述べたように、大部分は脳内現象で
説明可能だと思っている。別の言い方をすれば、現実体験説は、立証が不十分だと
思っている。なるほどこのケースでは、体験者が本当に見えるはずがないものを
みている、と万人を文句なしに納得させるケースはないということである。
では脳内現象説で全てを説明可能なのかというと、これまたそうとも言い切れない。
両説どちらも説明可能な境界領域のケースがかなりあるのである。
〜中略
そこから、心臓手術をされたサリバンさんという人の話しにつながっていく。
しかしサリバンさんの場合は、それでは(脳内現象)では説明がつかないということは
前に述べた通りである。だいたいサリバンさんの目には保護シートがかぶされ、
それがテープでしっかり貼り付けられていたから、薄い意識があったとしても、目でなにか
を見るということはできないのである。また、視覚能力が残存していたとしても、
サリバンさんの記憶には、視覚能力では得られない内容があった。
特にアイススラッシュを詰め込まれた心臓がガラステーブルの上に置かれていたという話(二十三章)
は、重要である。これは一般的知識では知られない事実であるし、手術前にも、
手術後にも、サリバンさんには知ることのできなかった事実である。
そしてガラステーブルの上に心臓を置くなどとあり得ないと医者に否定されながら、
でも自分の目には、そう見えたと主張して譲らなかったという点も重要である。
こういう体験者は、通常あとで、客観的事実を知ると、それに合わせて、
自分の記憶内容を修正して合理化してしまいがちなのだが、(この場合は医者の主張に
合わせてしまう)サリバンさんはそうしようとはしなかったのである。
そして頑固に自分の記憶を主張しつづけたところ、ひょんなことから、それがかえって、事実に近い
ことがわかったのである。(その顛末は、二十三章で書いたとおりである)
こういう例は、前章で説明したとおり、刑事裁判で言う、犯人しか知りえない事実として、
高い証明力が与えられる。サリバンさんのケースを重要視するもう一つの理由は、
これは、私自身が直接に真偽を確かめたケースであるということである。
432 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:57:15 ID:mGusO7sU
ふむ。電波男?さん 新参ものなのでさっぱりわからんわ。
433 :
初代スレ7:2009/01/27(火) 12:57:19 ID:0Sq/ibmc
>>430 そうですか。
私もお祈りしておきましょう・・。 (-人-) ナム…
>>424 >「この宇宙はモンスターによって創られた」
>これも完全に否定できないのであるから、無視することは科学的では
>なくなっちゃうよ。まさか、こんなこと信じられるとでも言うの?
その根拠となる事例。矛盾の無い論理的説明をお願いします。
なければ、それは単に妄想、作り話でしょう。ちゅうか。子供の屁理屈には付き合う
つもりはないので、あしからず。
435 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 13:08:22 ID:NWncTpZb
>>240 :神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 08:42:19 ID:mbEeS1is
>木村泰賢:原始仏教思想論を以下にアップしときました。
>
http://www1.axfc.net/uploader/O/so/73709.pdf >DL-key: buddha
>印刷頁一七六以下、PDF頁107以下が「業と輪廻」で
>主体なき輪廻が論じられています。
>四次元解釈などちょっと問題な解釈というか比喩もありますが、
>大筋は、正確な伝統的解釈と思われます。
>後で引用せずに頁数だけ指摘するので、あらかじめゲトしといてください。
DLして待ってますよー。
石飛さんの竜樹論も期待してまーす。
436 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 13:12:41 ID:I2PGy3cq
>>431 引用ありがとうございます。
これで立花さんの本も読む必要がないことが分かりました。
シャーベットと誰かが言っていたのは、アイススラッシュを詰め込まれた心臓移植用の心臓のことだったのですね。
面白い話ですが、事実という証拠もありませんが、たとえ事実だとしても、幽体離脱の根拠とは全くなりませんね。
(そもそもこの手の話を「生まれ変わり」の証拠としてどうして肯定派が紹介しているのか意味が分かりません。
幽体離脱のような現象が事実であっても、「生まれ変わり」とは関係ないでしょう)
>重要である。これは一般的知識では知られない事実であるし、手術前にも、
>手術後にも、サリバンさんには知ることのできなかった事実である。
滅茶苦茶です。これから心臓移植という大手術を受けようという人物が、インフォームドコンセントを受けていないはずがありません。
必ず事前説明を受け、手術の詳細も聞かされます。逆に「知ることのできなかった事実」なら大問題ですよ。万が一知らなかったと
しても、移植手術用の内蔵をアイススラッシュを積め氷漬けにして保存するのは常識です。
>視覚能力が残存していたとしても、サリバンさんの記憶には、視覚能力では得られない内容があった。
視覚能力で得られなくても、聴覚と想像力、推理力で十分判断可能な内容ですね。アイススラッシュが詰め込まれているなら、
氷の音がするでしょう。横にガラステーブルがあったことも、麻酔をかける前は意識があるのですから当然知っています。
そしていくら医者が否定しても、スタッフは他に何人もいるのですから、そのうちの誰かから細かいことを聞いていた可能性
もあります。(まあ一番大きな可能性は最初に書いたように、しっかりインフォームドコンセントを受けていたことでしょうね)
いくらでも抜け道が考えられるケースで、他の事例と同じように信憑性ゼロです。
437 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 13:12:46 ID:mGusO7sU
あのね、あんたの言う事例とモンスターの話、2つともまるで
「実証できない」というレベルにおいて同列なの。よって両方とも
「科学的には実在とは見做されない」 わかる?
2つの事例とも「科学的にはその存在を肯定されない」
あとは、ただ、その話を聞いた人間が「こっちは本当っぽい」
「こっちはウソっぽい」 と主観により恣意的判断を下すだけ。
つまり「信じるか、信じないか」のレベルの話でしかないわけ。
何度も言うように「僕はそれを信じるよ」って言うのなら、それは
それで問題なし。 ただ「科学」を持ち出して普遍的事実であるかのよう
に記述するのは誤解する人間もでてくるので不適切ですよ
と言ってるわけ。理解できたかな?
438 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 13:15:41 ID:I2PGy3cq
>>436 ミス
万が一知らなかったとしても→万が一説明を受けていなかったとしても
>>437 だからね。
事例のあるものや、論理的に矛盾の無い話から導き出される説と、
全く事例の無い話や、論理的な話も全く無い話とは、全然違うという話なんですよ。
君は、過去レスを読む限り、まともな会話の成り立たない人のようですね。
やはり、社会不適合者の引き篭もりさんなんですか?
440 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 13:51:20 ID:S7IB/VhE
>>431 補足
立花隆著「臨死体験」241p〜
サリバンさんの手術中の記憶は詳細で正確なものだったが、
ただ一点、「心臓はガラステーブルの上に置かれているようだった」
という点が事実と食い違っていた。
「心臓はまだ、開かれた胸の中に留まっているようにみえました。それともそれは小さな
ガラスのテーブルか何かだったかもしれません。要するにそういうものの上に
心臓が乗っていたんです」というのだが、そういう事実は全くなかったのである。
サリバンさんの証言は、実によく事実と合致しており、臨死体験実体験の有力な証拠と
なる例なのだが、この奇妙な不一致があるが為に、大きなマイナス点につながっていた。
雑誌掲載時にこう書いたところ、大阪の私立小児センターの心臓外科医、宮本勝彦さんから
次のようなお便りをいただいた。「冠動脈のバイパス手術に限らず、心臓を停止させて
手術する場合には、心臓の温度を下げます。これは低温にすることにより、代謝を抑え、
心臓を止めている間の無酸素による心臓の障害を最小限にするためです。
このため、乳酸リンゲルを凍らせたアイススラッシュを心臓の周囲に満たした状態で手術を
行います。これは透明なシャーベット状の氷で、手術をする心臓の部分だけが氷の
かぶっていない状態になるわけです。これを天井から見れば、心臓がガラステーブルの上に
置かれているように見えるのは、もっともなことであるように思われます。したがってサリバンさんの
例は、対外離脱説の有力な例であると思います」」
サリバンさんの手術のときも、これと同じ「方式であったとすると、たしかに宮本医師が言うとおり、
たしかに宮本医師の言うとおり、ガラステーブルの問題点が解消し、これは現実説の
有力証拠となる。そこでサリバンさんの手術をした、コネチカット州ハートフォードの高田医師に
この点を問い合わせてみた。すると宮本医師が言うとおり、アイス・スラッシュを心臓の周囲につめて、
手術したということだった。これでガラステーブルの疑問が氷解しただけでなく、これによって、
サリバンさんの証言の信憑性が著しく高いものになったといえる。その証言の仕方から、
サリバンさんはアイス・スラッシュのことを知らなかったのは明らかである。
>>441 続き
だから、ガラステーブルの話は、既存の知識からイメージを作った
ものではない。また、耳から入った情報でイメージを作ったとする説も、この場合には
当てはまらない。耳で「アイススラッシュ」と支持する声を聞いたとしても、
それによって上から見たときにガラステーブルの上にのせられたようにみえるなどとは
とても想像できないだろう。こうなってみると、サリバンさんは本当に上からみて
自分の見たままを正直に語っていたと考えるのが、一番妥当であるような気がする。
>>436 サリバンさんを執刀した主治医の高田医師は、当初、サリバンさんのガラステーブルの
話は、そんな事実は無いと否定していたんですよ。サリバンさんが、手術前に医師からレクチャー
されていたから、そう証言したというのは、とても苦しいいいわけですね。
443 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 14:32:11 ID:I2PGy3cq
>>441 補足が来たので、
それでは
>>436の続き
>ただ一点、「心臓はガラステーブルの上に置かれているようだった」
>という点が事実と食い違っていた。
なんだよ、肝心な部分がガセかwwwwww
>冠動脈のバイパス手術に限らず、心臓を停止させて
>手術する場合には、心臓の温度を下げます。これは低温にすることにより、代謝を抑え、
>心臓を止めている間の無酸素による心臓の障害を最小限にするためです。
こんなことは常識。常識のない人間でも、少し調べれば簡単に分かることです。これから手術を受ける人間ならなおさら。
>すると宮本医師が言うとおり、アイス・スラッシュを心臓の周囲につめて、手術したということだった。これでガラステーブルの疑問が氷解しただけでなく、これによって、
>サリバンさんの証言の信憑性が著しく高いものになったといえる。その証言の仕方から、サリバンさんはアイス・スラッシュのことを知らなかったのは明らかである。
こんなの三文小説以下の空想じゃないか。ああいえばこういう、というレベルの話。患者が実際にガラステーブルを想像して、それが
実は現実と違うただの妄想だったってだけの話でしょ。
こんなことほんとに立花氏が書いたの?ひどい本だな。
444 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 14:39:25 ID:I2PGy3cq
>>442 だからさ、実際にガラステーブルを想像していた(現実と無関係な妄想)である可能性が全く否定されてないでしょ。
幽体離脱したから現実の光景を見たはず→アイススラッシュは上から見るとガラステーブルに見える(かも)→よって、証言のガラステーブル
はアイススラッシュのことだ、やったー!
と幽体離脱を前提に一人で妄想巡らせて舞い上がってるだけじゃんw こんなものただの想像で、何の証拠性もありません。相変わらず信憑性ゼロです。
>耳で「アイススラッシュ」と支持する声を聞いたとしても、それによって上から見たときにガラステーブルの上にのせられたようにみえるなどとは
>とても想像できないだろう
それくらい馬鹿でも想像できるw
>サリバンさんが、手術前に医師からレクチャーされていたから、そう証言したというのは、とても苦しいいいわけですね。
ガラステーブルが事実でないなら、アイススラッシュについてですよ。
>>431にははっきりと「アイススラッシュを詰め込まれた心臓がガラステーブルの上に置かれていたという話」
とあるのだから、「アイススラッシュ」と「ガラステーブル」はもともと別の事象でしょう。
445 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 14:45:04 ID:I2PGy3cq
>>444 >>耳で「アイススラッシュ」と支持する声を聞いたとしても、それによって上から見たときにガラステーブルの上にのせられたようにみえるなどとは
>>とても想像できないだろう
>それくらい馬鹿でも想像できるw
ちなみに、術式のビデオを見た可能性もある。それなら真上から撮影している映像がいくらでもある。そんなもの私もドラマでも映画でもテレビでも
何度も見たたことありますよ。で、アイススラッシュを敷き詰めて臓器を乗せたトレイが確かにあって、それは真上から見ればガラス
のトレイのようにも見える。しかしガラステーブルってほどのでかさじゃないよ。つまり患者が言ってるガラステーブルは、やっぱり
ガラス製のテーブルの夢を見たんだよw
>>443 だからサリバンさんがアイススラッシュのことを事前にしっていたら、
それをガラステーブルと表現するのは不自然なんですよ。
まぁいい。あなたの話はいずれも推測の類でしかない。
百歩譲って、この事例からくる対外離脱も、客観的事実を合わせた、推察でしかない
というなら、あなたの否定の根拠も、推察でしかないということは認めますね。
客観的に見て、あなたの推察は、随分無理があると思いますけどね。
あなたの屁理屈がまかり通るなら、オウムの浅原は、決して有罪には、導けなかった
でしょう。
447 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 15:07:53 ID:jolKcBnn
こんなの、臨死体験だとか大騒ぎするような話でもないと思います。
多少超自然的に肯定的に受け止めたとしても、残存思念だとか、エーテル視覚といった
程度の現象で、なんで輪廻転生とかに絡むほどの大げさな話になるのでしょうか?
448 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 15:17:37 ID:jolKcBnn
どうも立花隆氏というか氏をヤケに有り難がる人々に私は胡散臭さを禁じ得ないのです。
なんていうか、自販機の缶コーヒーの中からブランドを選択して喜んでいるような。
豆屋で豆買って自分で挽いて出す人からすれば、その人達がどのように見えるでしょうか。
449 :
380:2009/01/27(火) 15:47:19 ID:FJIc7W5M
>405
>それは分かりません。いるかもしれないし、いないかもしれない。
>しかし論理的にはいてもおかしくはないでしょう。
かなりあやふやな目標ですね
居るかどうかも分からないのが仏教の目標でしょうか?
論理的とはいかなる論理ですか?
>そうですよ、理想化された概念です。
>ですが、だからといって「抽象的」で「空想の物語」ではありません。
あなたの脳内にしか存在しない理想像は形而上の問題ですが。
なぜなら他者は「五感でとらえられない」から。
>たとえば、スポーツ選手の理想像というものを想像してもらえれば分かるかな。
ずいぶんと卑近な例ですが、
100メートル3秒で走れるスポーツ選手って理論的に可能ですか?
450 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 15:48:09 ID:NzrYRhfa
>>446 >だからサリバンさんがアイススラッシュのことを事前にしっていたら、
>それをガラステーブルと表現するのは不自然なんですよ。
だから普通はガラステーブルはアイススラッシュのことではなく、ただの妄想なんだな、と結論付けるのが普通でしょう。
それをアイススラッシュはガラステーブルのことだなんて解釈するほうが遥かに不自然。
>まぁいい。あなたの話はいずれも推測の類でしかない。
あのねえ、「推測の類でしかない」のはあなたの話。推測の類の話は、生まれ変わりを支持する「根拠」「状況証拠」
とはならないのですよ。証拠に推測や空想があってはいけません。
>百歩譲って、この事例からくる対外離脱も、客観的事実を合わせた、推察でしかない
>というなら、あなたの否定の根拠も、推察でしかないということは認めますね。
私は、あなたの話は空想に過ぎない(いくらでも他の説明が可能)ということを示したのであって、
何か否定の根拠や推察を述べているのではありません。
もう一度はっきりさせておきますが、
私は、「実際に患者が事前に情報を入手していた」といった推察をして、それを否定の根拠にしているのではありません。
そうではなく、そのような可能性も他の可能性も、いくらでも「生まれ変わり」や「幽体離脱」以外で説明できるのだから、
この手の話は根拠とならず、事例としての価値もゼロ、信憑性もゼロ、と言っているのです。
考慮すべき事例とは、『「生まれ変わり」や「幽体離脱」でしか説明できない』事例でないといけないのです。
他の説明(たとえ確率が低くても)が可能だったり、『「生まれ変わり」や「幽体離脱」で"も"説明できる』
だけの事例は、嘘・でまかせ、と区別つかないので価値がないのです。
嘘・でまかせと区別できないものの価値は、嘘・でまかせと等しいのです。
>あなたの屁理屈がまかり通るなら、オウムの浅原は、決して有罪には、導けなかったでしょう。
具体的なことは知りませんが、彼が犯罪を計画し、指示したということが立証されたから有罪になったのでしょう。あなたのオカルト話とは無関係です。
(ID違うかもしれませんが
>>443本人です)
451 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 16:02:01 ID:NzrYRhfa
>>449 >かなりあやふやな目標ですね
居るかどうかも分からないのが仏教の目標でしょうか?
目標は明確ですよ。ただそういう人だと明確に分かる人とまだ会ったことがないので、私には分かりません、と答えたのです。
スポーツ選手が非常に難しい記録に挑戦したとしたら、目標は明確だけど、達成可能か否かは、実際に達成するまで分かりませんよね。それと同じです。
(もちろんブッダも含め、経典に悟ったとして出てくる人物は、目標を達成した人々なのでしょう)
>論理的とはいかなる論理ですか?
無欲で苦もなく、心が平安な状態は、ごくたまに私も経験しますから、修行などによってそれがずっと持続できるように
なる可能性は十分にあります。「論理的にはいてもおかしくはない」とはそういう意味です。
>あなたの脳内にしか存在しない理想像は形而上の問題ですが。
>なぜなら他者は「五感でとらえられない」から。
他者? 私は自分の話をしているのです。自分の(そしておそらく誰にでもある)「心の安定、平安」という経験の延長上にある
理想像ですから、「形而上」の問題ではありません。現実の話です。
>100メートル3秒で走れるスポーツ選手って理論的に可能ですか?
さあ、分かりません。遺伝子操作、肉体改造が当たり前の時代になれば可能かもしれません。
しかし、悟りは、そこまで難しいものじゃないでしょう。経典によれば、ブッダの時代には何人も、何十人も、あるいはもっと
たくさんの悟った人がいたのですから(子供でも、在家でも)。
452 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 16:05:58 ID:mGusO7sU
今、二人のやりとりを読んだが、 ID:I2PGy3cq さんも大変だね。(笑
ID:I2PGy3cq さんが、ほとんど言ってくれて論破しちゃってるから
付け足すことないな。
>>446 >あなたの否定の根拠も、推察でしかないということは認めますね。
客観的に見て、あなたの推察は、随分無理があると思いますけどね。
もうこれ出しちゃうの?オカルトばかの決まり文句の捨てセリフ。(笑
本当にオカルトばかは、いくら説明しても理解できないんだね?
>>396 でも
>その事例は、あなたが意図的に、否定的材料を抜き出しここに提出
したものじゃないですか?
こんなバカなこと書いてるし。 いいか?
この手の事例は、他の合理的説明が可能であると判明した時点で
証拠価値ゼロなの。未知の現象が既知の法則で説明可能であるなら
新たな法則を作り出す必要性はない。
「他の合理的説明がつくなら、神の登場する余地はない」 わかった?
「今日、事故にあった原因は朝出かけるときに、前を黒猫が横切ったから」
と考える愚かさがなぜわからない?
いいかげんに、その「完全否定できないのだから、ある」という思考法
改めたら? ぼくちゃん。
453 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 16:39:46 ID:mGusO7sU
しかし、カラスにしろ他のオカルトキチ外にしろ、言うことは皆一緒だな。
「実在しないというなら、それを証明してみろ。できないだろ?
完全否定できないんだから、それは実在する。」 という論理。
この思考法の不合理性が、なぜわからないのか?
俺もこのスレで「立証責任」「仮説の説明」「実在証明が不可能な場合の
不存在の擬制」等、いろいろレスしたが、全く理解できてないんだよな。
やはり、こういう奴らっていっぺん思い込んでしまうと、そこから抜け出す
のは困難なのか?
454 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 16:49:41 ID:RnSrcKd2
>>451 >経典によれば経典によれば、ブッダの時代には何人も、何十人も、あるいはもっとたくさんの悟った人がいたのですから
>経典によれば
>経典によれば
>経典によれば
>経典によれば
>経典によれば
↑ここ大切だから良く覚えといてね。
455 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 16:54:56 ID:S7IB/VhE
ま、スレ主とそのシンパの輪廻転生ビリーバー連は、常連さんの暇つぶしのオモチャにうってつけ
という展開なわけですね(笑
ま、吉外相手にはまともな話はできない
というのは、よくわかる流れだな。
初めに否定ありきの連中はなに言っても聞く耳持たず。
屁理屈たれにいくら言って聞かしても、時間の無駄。
>>452 あのよ、おまえがいくらここで頑張ろうとも、世間一般的には
立花氏の見解でOKなんだよ、バ〜カ。
前のURLは少ししくじったが、別に大きな問題じゃない。揚げ足とって
喜ぶなよよ、吉外。で、完全否定の証拠はどうした?お前の話は全てこうかも知れない
とういう、お前の主観でしかないものばかりじゃねぇかよ。
早く死ねよ屑。どのみち引き篭もりは、社会のゴミなんだからよ。
おまえらは存在自体が不愉快なんだよ。
>>456は俺な。
ま、このスレみてると、引き篭もりの屁理屈たれぶりがよく観察できて面白いよ。
連中かなりしつこいし。ま、また暇だったら、お前らの病理を引っ張り出して
またおちょくってやるよ。
458 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 17:05:44 ID:44ZUIC1s
>>455 こんなところに成仏できない阿呆陀羅の残滓がw
459 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 17:07:36 ID:pf9gWTrW
カラス、コテ書き忘れてるぞ。
それから、もう少し内容のある書き込みをしたらどうだ?
これではガキの喚きちらしと変わらん。
460 :
380:2009/01/27(火) 17:09:33 ID:FJIc7W5M
>451
>しかし、悟りは、そこまで難しいものじゃないでしょう。
>経典によれば、ブッダの時代には何人も、何十人も、あるいはもっと
>たくさんの悟った人がいたのですから(子供でも、在家でも)。
経典によれば・・・・ですか
それなら経典によれば輪廻は存在するそうですが?
遺伝子操作、クローン技術、記憶と経験値の移入など科学が進めば
理論的には輪廻は存在してもおかしくないと思いますが?
そもそも経典の夢物語を信じているかたが輪廻を信じない等というのは
五十歩百歩にしか見えません。
461 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 17:17:56 ID:S7IB/VhE
地学の術語でもありますね<輪廻
462 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 17:24:50 ID:S7IB/VhE
>>456 あのね元祖吉外さん、屁理屈と膏薬はどこにでも張り付けられるサンプルが
>>440なんだけどね。
あんたみたいな人種が笑い物にされてるの解るかな?
463 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 17:47:22 ID:ThCJRL2P
おい、みんな
だんだんクソスレ化してるぞ。
これじゃ原始仏教の二の舞だ。
464 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 18:10:47 ID:S7IB/VhE
ここがクソスレって、そんなこと最初から判ってるじゃありませんか(笑
465 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 18:13:18 ID:gWXYFinE
カラスさんと、そのお相手さんには困ったものです。
とにかく、人様を口汚く罵るのは止めて頂きたいです。
持説を主張することと、口汚く罵ることは全く違うことです。
どんなに素晴らしい論説でも、あの口調でやられると、どんな人でも受け入れてはくれません。
知性と理性を働かせてください。
仏教を語るのは其れからにして頂きたいです。
466 :
初代スレ7:2009/01/27(火) 18:13:44 ID:4mYWuxwB
>>463 では、息抜きに、お蔵入りにしようかと思ってたレスを一つ。
───────────────
>>
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/77 ちなみに(何度か話題に出ていたので)、曽我さんのページ、ざっくりと見てみました。
彼を批判するのに、なぜ、友人の通夜と実母の葬儀についてのエピソードに触れないのか不思議に思った。
(このスレ的には、あの場面の彼の思考をこそ糾弾すべきではないのか?)
「デレク何某とかの倫理学でもやればいい」というレスが一二度ついてたが、
彼は、彼自身が仏典に触れ、読み解き、(或いは解説書等を補足として参考にし)、
受けとめた「彼の仏教」を語っている。(片山さん流に言う)「伝統仏教」からすれば「異端」とならざるを得ないだろう。
だが、彼は「経典の護持者」ではない。仏法の正統継承者・正統伝承者でもない。
縁あって出会った仏教というものに、感銘を受け、共感し、
「ああ、そうだ」という頷きのもとに、彼は、ずっと仏教と歩み続けているのだろう。
先の友人や実母の話も、彼は【仏教的に】事態を受け止め、【仏教的に】解決している。
それが彼自身の、まだ頷けない部分を含んでいたとしても、頷けた部分での仏教をもってして、
事態の解決(→自身の心の在り様の解決)をしたということだろう。
その意味では、「仏教であったからこそ」とも言い得るのではないだろうか・・・。
現時点では、各方面から多くの批判を受けるスタンスではあろう。(これは私についても言えることだが・・。)
しかし、≪【現代(いま)に生きる(活きる)仏教】の一つの形≫(そのモデルケース)として、
切り捨てることなく俎板の上に(隅にでもw)置いておいてもよいのではなかろうか。
(宝珠氏が、
「輪廻を、現代人の心の成長・成熟、倫理道徳(・情操教育)等の基盤としたい、礎として復興したい」
と願うのと同じように・・・。)
「仏教的に生きる」とは、どういうことであろうか・・・。
467 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 18:31:34 ID:IsOqLcNv
仏教の中心思想が「輪廻転生」なのなら、仏教は単なるオカルト宗教
に堕してしまい、世界の心ある人は相手にしなくなるだろう。
それに、古代人はいざ知らず、現代の教養人が「輪廻転生」などと
いう荒唐無稽を信じることは無理。カルトが無知な信者に対して「脅迫」
の目的で「利用」するだけ。現に、利用されている。
「輪廻転生」以外には、仏教の価値はないとでもいうのですか。
目を覆うような一神教の惨状に鑑み、仏教に期待する世界の人々は多い。
キリスト教の神学者でさえも、キリスト教の今後向うべき方向は、「仏
教の、縁起・空・関係性」と述べている。
輪廻転生、前世・来世などという、現代人には到底受け入れられない
荒唐無稽なオカルトではなく、仏教の持つ真の価値を語って欲しい
ものだね。さもなければ、「仏教解体」は必然的。
>>462 宗教板で唯物論を得意げに語る愚かさよ。
469 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 18:35:05 ID:/juA+Wpx
>>466 7さんの人柄がよくあらわれた良レスに拍手!
原始仏教スレの初期に7さんみたいな人がいれば、血みどろの6年間が少しは違っていたかもね。
470 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 18:41:52 ID:p2dHZhgQ
>>466 萬徳円満の釈迦如来は、論理・倫理面・情操の何れから見ても全き人であったのでしょうねぇ。
471 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 18:45:09 ID:p2dHZhgQ
472 :
初代スレ7:2009/01/27(火) 18:54:11 ID:4mYWuxwB
>>469 あのスレの変遷を「よし」とはしないけれども、「血みどろ」ってのは流石に酷過ぎないか・・? (^^;
独り言さんが、また落ち込んでしまうじゃないかw
貴重なレスも沢山あったと思うよ。
>>471 そのスレ読んではいませんが、
そのような在り方(書き込み方、仏教の利用・援用の仕方)を否定する方向に傾いたのが、
(→教義のみに焦点を絞り、学術的・分析的考察に特化したのが)、
原佛スレの衰退理由であろうし、2chの仏教系スレの傾向でもあると思うわけです。
《まったくの分野違い、板違いな所で価値ある言葉が語られる》というのも、
2chの、2chらしい所かもしれませんw
473 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 19:20:43 ID:etYp6rBE
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■仏教の根本思想は、「個は他との関連においてのみ存在し得る(縁起・ 空)」ということ。
この「関係性の原理」は、「世界のすべて」に対して適用される、まさに「永遠の真理」である。☆★
■ この思想は、聖書からは「絶対に」出てこない。 ■
仏教とキリスト教との相似性などを口にする者は、根本的な誤りを犯しているのである。 ☆★
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
474 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 19:38:05 ID:I2PGy3cq
>>460 あなたが何を言いたいのかよく分からないなあ・・・・
私がずっとしている話は、一貫して原始経典の古層・最古層から推察されるブッダの思想についてです。
だから経典に依るのは当たり前じゃないですか?あなたは経典と無関係に悟りや涅槃について何か分かるのですか?
ブッダの悟りや涅槃についての思想は、経典以外にほとんど手がかりがないじゃないですか。現存する多くの教団は
2500年にわたる伝言ゲームのあげく、ブッダと無関係な思想で染まっているんだから。
古い経典を見れば、多くの人が(子供も在家も)悟りに達することができたことが明らかなんだから、初期仏教における悟りとは
神秘的なものではなく、頑張れば誰にでも達成できるものであっただろうということが分かるのです。
逆にいえば、そのような実際に現世で到達できる精神的境地を悟りと定義するのですよ。
>それなら経典によれば輪廻は存在するそうですが?
何度も指摘したように、経典の最古層にはsamsara(輪廻)という言葉はなく、時代が新しくなるに伴って加えられた言葉
なのですから、ブッダの思想を比喩的に描写するために導入されたか、あるいは地域の民間信仰と結びついたのでしょう。
また、ブッダ以前のウパニシャッドにもsamsaraなる言葉はないそうです。l
475 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 19:39:23 ID:I2PGy3cq
>>460 >遺伝子操作、クローン技術、記憶と経験値の移入など科学が進めば
理論的には輪廻は存在してもおかしくないと思いますが?
どういうことですか?
>そもそも経典の夢物語を信じているかたが輪廻を信じない等というのは
五十歩百歩にしか見えません。
夢物語などではありません。もともと現実的な人の生きる道を説く教えです。
476 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 19:49:37 ID:+gdhZd4L
現地に根付いた死生観を払底し、新たなそれを根付かせるのは、お釈迦様でも無理。
単なるインドの死生観にすぎない。
釈迦が説いたのはこうだ。
「悟れば生死に意味はない。あなたも悟りなさい」
477 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 21:00:39 ID:ThCJRL2P
悟るとは生死などの二項対立相対思考(→我執→苦)を超えた真相(無常・無我・縁起・中道)を自得することにより、
慶安に今を生きなおすこと、これだけだってことはこのスレの住人には常識ではないのか?
これだけでも俺はずいぶん生きるのが楽になった。
ブッダに感謝します。
なんで確認しようのないたかが輪廻妄想ごときにここまで振り回されるのか、
そのほうが理解に苦しむ。
解からんことは考えても仕方がない、放っとくしかないではないか。
それが大人の智慧だろう。
やっぱり、ヘタに頭のいい連中はメフィストにからかわれてしまうんだろう。
478 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 21:01:05 ID:vKN/lF7H
ところで今、話に上っている電波氏とは、
「電波男Ψ(´д`)Ψ」 さんとは別人ですか?
>>476 >釈迦が説いたのはこうだ。「悟れば生死に意味はない。あなたも悟りなさい」
それは、どの視点から語るかに拠るのです。
あなたのようないい方は、真我の立場から見た場合での発言です。つまり、現象世界の全てはマーヤー
(幻影)であると見なすことになる。従って、輪廻転生もマーヤーの範疇でしかないのだと・・。
縁起で生じたこの我々の肉体は実在ですか?非実在ですか?
あなたのいい方に沿えば、この肉体も実在ではないから、無視しなさいということになる。しかしながら、
健康維持のためにも何を食べるかを考えて選択したりするのであれば、我々に摂っての意識の焦点はこ
の肉体生命にあるということになります。縁起であり空であるこの肉体を、あなたは「実在」ではないとして
放置するのか?否か?ということなのです。
あなたが自身の肉体を放置できるなら、いいでしょう!しかし、肉体の世話しなければならないのであれ
ば、あなたも縁起空で生じている肉体に意識の焦点があります(あなたにとってその肉体は実在です)。
輪廻転生は縁起空に拠っているのです。あなたが肉体に世話するなら、あなたも転生している存在です。
しかし、肉体を放置できるレベルならば、「輪廻転生などはない」というのもありです。あなた自身に「わたし
は真我(最高我)である」という意識の自覚があるのならばです。
『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性に
立ち帰るわけですが、その明智とは何なのでしょうか」と尋ねた。
師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言っ
て、正反対に理解している。また行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、
(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)存在しない》(と、正反対に考えている)。-----
これが無明なのです。」』(シャンカラ/ウパデーシャ・サーハスリー:U散文篇.第2章.49-50)
479 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 21:03:41 ID:n3NDGzWO
二項対立的思考から自由になるとは、すなわちちゃらんぽらんに生きようということか。
480 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 21:12:06 ID:ThCJRL2P
>>479 一体何のための四諦八正道なのか?
好き嫌いは別にして、十牛図で象徴的に解かるだろう。
481 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 21:23:45 ID:ThCJRL2P
いままでは自分の煩悩に主体的にしか反応できなかったが、縁起を実感するというか
徐々に客体として客観的な対象として見つめることが出来るようになったよ。
これだけでもずいぶん生き方が変わってくる。
482 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 21:44:22 ID:vKN/lF7H
並川氏の研究の方向性に対しては、論外という評価と素晴らしい研究という評価と双方あると思います。
私個人としてはその研究は大いに「在り」であって、必要なアプローチ方法だと見なしています。
つまり、現存する経典から信仰のベールを剥がして真実を浮き上がらせようとする姿勢は、史実のゴー
タマに迫ろうとする際には必要な研究だと思います。私はこういう研究者は貴重であると高く評価します。
最古層と比較して古層になるほど「輪廻(samsara)」という語の使用が増大するから、この思想は後付け
であり、本来のゴータマの教えにはなかった可能性を指摘しているわけです。私は良い視点だとは思って
います。しかしながら、これは仮説に過ぎず、可能性の中の一つにしか過ぎないものと思います。だからと
いって、ゴータマが説いてなかったことになるのかどうか?ということです。
仮にもし、ゴータマが説かなかった輪廻転生の概念を、経典制作の段階で弟子たちが盛り込んだとする
のは如何にも不自然ではないでしょうか。
私はもちろん説いていたと見ています。経典制作の過程においては、弟子たちがそこを強調したいがた
めに「輪廻(samsara)」の語を増大させていったのではないか、ということ。
483 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:02:20 ID:IsOqLcNv
>>482 「真理」とは、「釈迦が説いた、説かなかった」ではなく、時代を越えた
現代においても、当てはまるか否かだよ。
君のアプローチは、全く逆転している。開祖(教祖)と原始経典「盲信」の、
カルトに過ぎない。
484 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:10:57 ID:IsOqLcNv
「:名無しさん@3周年:2006/02/15(水) 16:15:34 ID:qjqGxOCW ?
大川隆法(本名 中川隆)の本はなぜいつもベストセラーになるのか。
共産党、キリスト教無教会派などの思想遍歴の後、大本教、生長の家、GLAなど新興宗教遍歴した。
高校時代はなじめず、一浪で東大法学部に入学。一留するも国家上級公務員試験落第。続く大学院入
学断念を機に大学教授になって思想家として歴史に名を残す夢を捨て、86年にキリストの霊の強い催
促で独立を決意し、幸福の科学を設立する。」
大川氏は、自称仏教徒だが、
「キリスト教=サヨク=生まれ変わり肯定=カルト」の等式を、見事に証明して
いる。
……「真実」という単語をうっかり見間違えたんだろうなあ。
486 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 22:10:59 ID:vKN/lF7H
24年間不食だった日本女性「長南年恵」
(国の機関たる裁判所が超能力を認めた前代未聞の事例)
http://sweets-ukulele-sp.at.webry.info/200803/article_18.ht 1度このスレに貼りましたが、再掲載します。空中より聖水を取り出し万病を治すとし、この件で3度逮捕
されたという。三度目の明治33年12月12日、神戸地方裁判所にて全裸で密室の中で聖水を取り出すよう
要請され、サイン入りの密封された瓶に2分後、見事に聖水を取り出すことに成功。そこになんらインチキ
の疑いがないことから、無罪釈放にされた、という珍事件です。これは最近、TVでも度々、紹介されたもの
です。
この話を、ただ「在り得ない」として否定するだけなら、その人は目を閉じているだけに過ぎないのではな
いか?科学常識で在り得ない筈だから「嘘」「インチキ」「間違い」で決め付けるのは如何でしょうか?いつ
の時代も現状科学(常識)を絶対視していて、それが覆されてきたのが歴史が語る事実です。
487 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 22:12:47 ID:vKN/lF7H
>>483 >現代においても、当てはまるか否かだよ。
そういっていた人たちがいつも覆されてきたのが歴史ですね。
488 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:16:44 ID:S7IB/VhE
スレ立て人とかの吉外が、「釈迦の教え」として信奉する輪廻転生も、所詮は「仮説@信憑性皆無」に過ぎない訳で(笑
>>440の「スパゲッティモンスター」と同列だね(笑
ま、鰯の頭でも羊頭狗肉でも何信じても自由なんだけど、一人でやりなよ(笑
489 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 22:20:18 ID:vKN/lF7H
>>467 >仏教の中心思想が「輪廻転生」なのなら、仏教は単なるオカルト宗教
>に堕してしまい、世界の心ある人は相手にしなくなるだろう。
無神論などと得意になっている一部、日本人などの態度というものは国際社会の中では通用しません。
「私は無神論無宗教です」などといったら、それこそ逆にその人の人格までも疑われてしまうものです。
心配無用です。あなたのような極端な典型的、唯物主義者こそこの日本においても人口比率からみて
少ない、ということがアンケート調査からハッキリと推測されています。
490 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 22:29:18 ID:vKN/lF7H
>>488 ご心配には及びません。あなたのような下げすりと嘲笑を受けながら、その中でこれは2500年間も継承
されてきたのです。
491 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:31:49 ID:S7IB/VhE
>下げすり
ってそれ何?(嘲笑
人類は2500年も浪費したって言いたいわけね(嘲笑
492 :
初代スレ7:2009/01/27(火) 22:32:43 ID:4mYWuxwB
>>478 話題に上っているのは、間違いなく「電波男Ψ(´д`)Ψ」 さんのことです。
ただ、このスレで「電波さん」と呼ばれる方が「電波男」氏その人であるかどうかはわかりません。
そのレス内容や語り口、使用する用語・ボキャブラリー等から疑いをかけられましたが、
御本人は否定していらっしゃいます。
御本人の言葉を信じるなら、
今書き込んでいるのは「別人」、皆が追悼の祈りを捧げているのは「電波男Ψ(´д`)Ψ」 さん、
という流れです。
493 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:44:36 ID:S7IB/VhE
494 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 22:52:47 ID:vKN/lF7H
>>491 「下げすり」はごめん。変だなぁ--「あざけり」に変更します(笑)
>>492 なるほど分りました。
しかし彼、電波男Ψ(´д`)Ψさんの投稿文は手元にも一部、今の残っていますが、
私からみれば全然、違うようと思いますが・・。
で、彼は死んだと??いつ?どうして?差障りない程度で教えて下さい。
>>417 あなたは妄想の定義も理解していないんですね。
犯人しか知り得ない秘密の暴露にあたる証言は立派に証拠となります。
だからこそ、大学などの真面目な研究機関が、資料を集め、研究の対象とするし、
良識のあるジャーナリストが、それは完全には否定てきないという見解を出すのです。
そんな資料何千、何万集めようと紙くずにしかならないというのはあなたの妄想。
そんなのは証拠にならないというのもあなたの妄想。
なんの根拠もない、モンスターが宇宙を作ったというはなしと、
客観的な証拠を元にたてた説を同列なものだと思っているのも、あなたの妄想。
今は超常現象だと言われている事柄が、将来にわたって、
実在が証明できないと思っているのもあなたの妄想。
つまり妄想を語っているのは、あなたなんですよ。
496 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 22:58:18 ID:S7IB/VhE
>>494 >下げすり愚者クソ
手遅れだね(笑
生死も何も、他人様のプライバシーを詮索するところなんかにも性根の野卑さと下劣さがバレバレだ。
これで倫理だって?(嘲笑
497 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 23:02:05 ID:bednyS44
>>339 >昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
>私(ブッダ)の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。
>先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから。
>ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、
>自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
>その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。 (カラマ・スッタより)
私も基本的に同じ考えなのですが、「理性と経験」という部分が問題です。
凡夫の「理性と経験」で追体験できないから行をして追体験するのです。
それについては『梵網経』などからあきらかでしょう。
釈尊は凡夫が「卑近なことしか」分からないと明示しておられます。
そして仏教ではなくても禅定で輪廻を直感している人を「尊敬すべき」と仰っていますから。
すいません。上は誰の訳でしょうか?
誤解・混乱があります。パーリ『アングッタラ・ニカーヤ』3.65
『ケーサムッティ・スッタ』は『カーラーマ・スッタ』『カラマ・スッタ』とも
呼ばれているようでよく似た文は出てきますが、完全に一致しません。
498 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 23:03:48 ID:bednyS44
上の引用にどちらかと言えば一致するのは、ダライラマ猊下がよく引用されるもので、
こちらは『タットヴァサングラハ』3588『ジュニャーナサーラサムッチャヤ』などが典拠となっています。
tāpāc chedācca nikaṣāt suvarṇam iva paṇḍitaiḥ |
parīkṣya bhikṣavo grāhyam mad-vaco na tu gauravāt ||
དགེ་སློང་དག་གམ་མཁས་རྣམས་ཀྱིས། །
བསྲེགས་བཅད་བརྡར་བའི་གསེར་བཞིན་དུ། །
ཡོངས་སུ་བརྟགས་ལ་ང་ཡི་བཀའ། །
བླང་བར་བྱ་ཡི་གུས་ཕྱིར་མིན། ། 3588
ビクらよ! 賢者たちが焼き切り磨く金のように
よく調べて私の言葉は把握すべきもので、敬うべきものではない。
『カラマ・スッタ』は輪廻を説いていますよ。こちらで確認してください。
http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/an/an03/an03.065.soma.html 特に「理性と経験」はどちらにも見る事ができません。
正に「よく調べて私の言葉は把握すべきもので」ですね。全くあなたの主張と逆の意味ですから。
499 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 23:09:44 ID:bednyS44
500 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 23:13:18 ID:S7IB/VhE
ダライラマってあれでしょ?
教権専制絶対主義という「人権抑圧装置」の頭目として食いつないで来たクセして、その
「人権」をカードに西側諸国を味方につけて中共と交渉しようと画策する偽善爺ィでしょ(笑
今やどこ行っても社交辞令以上の扱いを受けないのは当然だよね。
501 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 23:15:03 ID:vKN/lF7H
>>463 「統計でウソをつく法 数式を使わない統計学入門」
なんですかコレは?
そうやって、自分に不利な状況が現れると目を覆って誤魔化そうとする・・。
統計はその取り方によって数値は変わるという意味くらい、この私も知っています。
しかし、これは何も宗教支持者が唯物主義者を不利な立場にするためのものではありませんよ。
これきNHKによる「日本人の宗教意識」と題するレポートによる調査結果からいってるのです。
そこで示された唯物主義者の割合は全体の11.8%ということでした。
多くの日本人は漠然と死後の意識(生命)といった宗教感を持っています。
オウム事件やその他の詐欺教団の事件で皆んな宗教アレルギーを起こしているのです。
しかし、多くの人は正しくちゃんと説明されれば十分に理解を示すものと私は見ています。
多くの一般人は特定の宗教教義にまだ縛られてはいず、基本的には心が素直です。
はい、過去スレを参照して下さい!
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1229/12297/1229771174.dat 634-635、644
502 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 23:23:37 ID:S7IB/VhE
>下げすり愚者
覆う目玉すらない吉外+バカと改めてよく判りました(笑
これからも折を見ては弄ってあげよう(嘲笑
503 :
宝珠愚者:2009/01/27(火) 23:25:54 ID:vKN/lF7H
504 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 23:38:33 ID:bednyS44
>>474 あなたの説は、並川さんによったただの空想ですよ。
荒牧先生の『岩波講座東洋思想 インド仏教1』を見れば分かります。
釈尊以前にも輪廻概念があり、ジャイナなど他の同時代宗教にもあり、
釈尊の弟子たちのどの流派にもあるのに、釈尊だけにないというのは不合理なないようですね。
それに『スッタニパータ』四、五章にも779、836、864-865、1009
には輪廻、生まれ変わりが説かれてます。それともこれらも混入ですかw
これらを除く『スッタニパータ』四、五章だけが仏教で、
あとは後世の弟子が一致して誤解して伝承したということになりますがw
それは仏教に命がけで取り組んできた様々な聖者をあまりにもバカにしてるとしか思えません。
現在でもビルマやチベットでは悟る人も、解脱する人もたくさんいるんですが。
505 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 23:41:01 ID:bednyS44
>>492 輪廻比喩説の方がよく似てるので間違えやすいですね。
輪廻に生まれ変わりの意味がないと主張していた人は、電波さんでしょう。
この説を唱える人は他にいませんからw
506 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 23:47:12 ID:S7IB/VhE
>>505 居候先のインドはおろか、西側外交筋からもお荷物視されてる教権専制絶対主義者の手先さん、
集金宣伝活動ご苦労さんです。
>>221 >では「十二処」も同じことですよね?
これは『縁生初勝分法本經』の問答「何が転生するのでしょうか?」「十二処です」のことですか。
これとサーティ比丘の見解「他ならぬこの識が流転し輪廻する」とが同じことかどうか、ですか。
ならば、決定的に違うと思います。サーティ比丘の場合は、釈尊によってすでに否定されていた
輪廻するアートマンの代用品として、識を持ち出してきたのですから。
かたや、五蘊仮和合の衆生の六処、しかも外の六処(色声香味触法)までも転生する、とされてます。
ということで、この両者の間には、転生の意味それ自体にも質的な違いがあるでしょうね。
心相続とか識相続、自相続とか(相続すると思われているもの)は大毘婆沙論にあるように、
やはり身体という縁との関係で生じる面が大きいと思いますけど、
こうしたことを言い出すのは、部派がいろいろ提示した輪廻の主体をめぐる諸説と同様、
釈尊自身の教説から離れるおそれがあると考えます。
心意識は日夜生滅するもの、そこでとどめ置くのが混迷に陥らない道と考えます。
どうしても主体らしきものを持ってこないと座りが悪いというのなら、衆生が輪廻する、に
とどめればよいのではないでしょうか。それなら、経典の記述を越え出ることもないでしょう。
ただ、その衆生とは、先に触れたように、五蘊仮和合のものであることを肝に銘じていれば。
>>222 五蘊仮和合の衆生が仮設だということ(人無我)ではなくて、識それ自体が仮設(法無我)という
ことを、ヴァッカリ経でもすでに説いているということでしょうか。
508 :
初代スレ7:2009/01/28(水) 00:07:18 ID:WnjvjTKg
さて、
>>494に於いて、「電波氏は亡くなられたのですか?」という問いが発せられました。
レスの流れからすると、そのように読めなくもない。
が、「亡くなった」とする明確な記述はない。
《誰かが亡くなった時にやりとりされる、或いは発せられる言葉が述べられているだけ》だ。
その幾つかの言葉(→人が亡くなった時に発せられる言葉)に誘導されて494の問いは発せられた。
仏典の記述にも同様の事態が生じ得ることを、頭の隅に入れておいても良いのではないか?
と思うわけだw
おやすみ ノシ
509 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 00:36:04 ID:6Rfc3U37
>>507 >五蘊仮和合の衆生が仮設だということ(人無我)ではなくて、識それ自体が仮設(法無我)という
>ことを、ヴァッカリ経でもすでに説いているということでしょうか。
意味は変わらないですが、より正確にいうと部派仏教以前では、
仮設以外に名称はなかったということです。
これは私の解釈に過ぎませんが、少なくとも中観派はそう解釈していることは事実だと思います。
そしてそう読むと原始仏典の整合性が増すと思うのです。
このことは水野弘元先生がさらっと書かれていますが、
単純に言うと原始仏教はヴィヤヴァハーラだった。
部派仏教はラクシャナにした。
中観はヴィヤヴァハーラに戻した。
これは面白いことにチベットでも似た現象が起きてます。
初期はヴィヤヴァハーラだった。
主にゲルクがラクシャナにした。
リメーがヴィヤヴァハーラに戻した。
行者はヴィヤヴァハーラ、学者はラクシャナという感じです。
そしてラクシャナは分析推理だから異説が多い、
ヴィヤヴァハーラは行体験だから単純明快。
と思ってます。
510 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 00:55:55 ID:CI/AHU8p
さてと、まずは
>>495 おかしなレス付けてくる奴は誰かと思ってチェックしたら、
お前は
>>354で ぼこぼこに論破されてた立花信者ね。
>>355 でも全く的外れのおかしなレス付けてたし。(笑
お前はまず、人並みの読解力をつけてから書きこみな。
>>495の書きこみもめちゃくちゃだが、どうせ理解できないのだろうと
思うと反論する気もうせるわ。
もう、いいから好きなだけ妄想にひたっていろ。
>>510 あなたが私を論破したと思っているのも、あなたね妄想です。
それどころかあなたは、私を含め、他の人達から、論破されまくっています。
あなたの反論は実際の世間では相手にされない、
屁理屈でしかないんですよ。
屁理屈を強弁してるだけで議論に勝ったつもりでいるなら、大きな勘違いです。
512 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 01:21:36 ID:CI/AHU8p
それからカラス。お前は、また
>>456 でバカなこと書いてるが
自覚すらないんだろ?
>で、完全否定の証拠はどうした?
なんだこれ??? お前、今まで自分が何を書いたか覚えてないのか?
お前はね、あのリンク貼り付けて「さあ、俺は生まれ変わりの証拠を
出したぞ。次はお前だ。さあ否定の証拠を出せ。早くだせ。」って、
わめいていたんだろ? ところがお前の貼ったリンクなぞ、何の証拠
にもなってないことがバレてしまった。なら当然、お前が「生まれ変わり」
の実証のやり直しをしなければ筋が通らんだろうが??それがなんで
「で、完全否定の証拠はどうした?」 こうなるわけだ?
お前は本当に「論理的思考」というものができないのか?
さて、それでは今度こそ、まともな『実証』をしてもらおうかね。
証言事例を貼り付けるなら「他の一切の合理的説明の可能性を排除し
誰がみても「生まれ変わり」以外に考えようがない」 と言う奴を
頼むぜ。今までのスレの流れをみてもわかるように、「これは生まれ
変わりとも考えることができる」なんてのは勘弁してくれよ。
513 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 01:23:52 ID:CI/AHU8p
514 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 01:46:22 ID:QlHs0u7C
この広い宇宙で、わざわざまた地球に転生してこないわ。
515 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 01:47:59 ID:CI/AHU8p
>>511 お前、あれだろ? 前のほうのレスで「俺が仏典の記述についてカラス
と議論した」とか、わけのわからん書き込みしてた奴。
>>292 でも意味がわから
んレス付けてたし。 お前本当に頼むから、もう俺にレスつけるの止めてくれ。
カラスは、まだバカなりに一応なにが言いたいのか理解できるが、お前は
何ていうか、薄気味悪さが先にたつ。罵倒とか中傷の意味の「きちがい」ではなく
真性の異常者と向かい合ってる気味悪さだ。な?俺のほうから謝るから、俺のことは
ほっといて。俺もお前には、もうさわらないから。
>>515 私の書いた内容が理解できないのは、あなたが馬鹿だからですよ。
人の話しの論旨も理解せず、人の揚げ足ばかり取っている。
人の揚げ足取っても議論に勝ったことにはなりませんよ。
頭は大丈夫ですか?薬は切れる前に飲みましょう。
517 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 02:30:40 ID:E52EqE7J
>>489 >「私は無神論無宗教です」などといったら、それこそ逆にその人の人格まで
>も疑われてしまうものです。
冗談じゃない。「空想上の架空の神」ではなく、「すべての人間の生命とそれを
支える自然とを信じるHumanism」と言えば、尊敬されることは間違いないだろう。
イスラム教徒、キリスト教原理主義、チベット仏教などというより、はるかに
マシ。
518 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 02:34:39 ID:E52EqE7J
>>517 「私は、輪廻転生を固く信じるオウム真理教です」などと言えば、馬鹿
にされるどころか、即拘束は間違いない。
519 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 02:50:37 ID:/HlN2IJW
成仏出来ないから輪廻するんだろ? 成仏なんてしたくないもんなぁ。
520 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 02:59:17 ID:YuaRvX/d
人間の生死は、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。
死亡診断書は、専ら医師が書く。宗教家ではない。
521 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 03:10:26 ID:CI/AHU8p
>>516 うん、うん。わかってるって、俺がバカなんだよね。
頭は大丈夫だよ。心配してくれてありがと。
ただ、俺がちょっと心配なのは、
>>515 の >お前本当に頼むから、もう俺にレスつけるの止めてくれ。
ここのところ、読めたかな?意味は理解できた?
ちゃんと、わかってたら俺は何もいわないから。
色々、忠告してくれてありがとね。それじゃあね。
522 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 03:44:10 ID:/HlN2IJW
523 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 03:47:13 ID:QlHs0u7C
成仏証明は医者は出さない
524 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 04:11:10 ID:/HlN2IJW
あ、ご臨終です。
「臨終」ておまい。
>>521 幼稚なレスですね。ぼくちゃん年いくつですか?
結局あなたは、ご自分にある立証責任をを果たせず、否定できる完璧な証拠もないのに、
相手は状況証拠を提出しているのに、頭ごなしに否定し、馬鹿にしてたわけだ。
科学的ではないですね。あなたが馬鹿だってことは、あなたがいわなくても、皆知っていますよ。
これからは子供じみた揚げ足取りじゃなく、
きちんと相手の話しの論旨を掴むだけの読解力をみにつけてから、議論に参加しましょう。
いや、それ以前に、あーいえばこういう、その屁理屈だらけの性格を治して、
早く社会復帰を目指すべきでしょう。その性格じゃ、
リアル社会じゃ間違いなく通用しませんから。
526 :
380:2009/01/28(水) 07:39:28 ID:eKsdBFWf
古い経典を見れば、多くの人が(子供も在家も)悟りに達することができたことが明らかなんだから、初期仏教における悟りとは
神秘的なものではなく、頑張れば誰にでも達成できるものであっただろうということが分かるのです。
逆にいえば、そのような実際に現世で到達できる精神的境地を悟りと定義するのですよ。
>474
私はあなたの主張の意趣はよく理解できますが、私の反論の意図が分かりませんか?
まず、あなたは、一貫してsamsaraを「流れ」と解し「生まれ変わり」を意味しないと主張しています。
つまりsamsaraを「普通の意味」として解釈しています。
しかし、私はsamsaraはその最初より特別な意味を持った言葉であると解釈します。
それ故に
>経典の最古層にはsamsara(輪廻)という言葉はなく、時代が新しくなるに伴って加えられた言葉
>ブッダ以前のウパニシャッドにもsamsaraなる言葉はない。
(たしかカタ・ウパニシャッドあたりからだと思います)という結果になります。
私は「特別な言葉」だからこそ、仏典にもウパニシャッドにも取り入れられた、と考えます。
これが輪廻思想の形成が仏教勃興期と言われる所以です。
あなたの上記の文章からも、一方であなたがsamsaraを生まれ変わりを意味する「特別な言葉
として認識していることが読み取られますね。
もしsamsaraが単なる「流れ」という「普通の意味」であるなら、
なぜその時期に突然現れるのでしょうか?
私が批判する点の一つは、samsaraについてのあなたの「特殊な解釈」です。
あなた以外にこの様な「特殊な解釈」をする人を知りません。
おわかりになられたでしょうか?
527 :
380:2009/01/28(水) 07:56:03 ID:eKsdBFWf
>古い経典を見れば、多くの人が(子供も在家も)悟りに達することができたことが明らかなんだから
この点についても疑問です。それは最古層ですか?
まず、あなたの言う「悟り」とは解脱や涅槃を意味するのですか?
それなら、多くの仏陀が生まれたことになり、遺跡からも子供や在家の仏陀の塔が出土してもおかしくない。
>初期仏教における悟りとは 神秘的なものではなく、
>頑張れば誰にでも達成できるものであっただろうということが分かるのです。
初期仏教の修道論については田中先生の研究がありますが・・・
およそ「頑張れば」できるような代物ではありません。
>逆にいえば、そのような実際に現世で到達できる精神的境地を悟りと定義するのですよ。
そもそも「そこそこいい人」とか「普通の人格者」なら仏教でなくても道徳で事足ります。
誰でも成れるなら、なぜあなたの周りにごろごろ居ないのでしょう?
あなたの意図することは分かりますが、文献からも考古学的にも実証は難しいと思います。
>>517 >尊敬されることは間違いないだろう。
工工エェ(´Д`)ェエ工工
529 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 07:58:09 ID:6Rfc3U37
>>526 仰るとおりです。
ついでに「五感」のみが対象なのではなく。
心の対象が入っていることを釈尊が宣言しているのに、
その部分はなんで無視するのでしょうねw
530 :
380:2009/01/28(水) 08:08:19 ID:eKsdBFWf
buddhaという言葉が特別な意味を持ち、釈迦の神格化が始まるのは
かなり後と言われておりますが、その理由は釈迦が「普通の人格者」であり
釈迦の悟りが「誰でも頑張れば得られるもの」だからではないと思います。
531 :
宇宙人:2009/01/28(水) 08:54:27 ID:uqmxHS/B
ブッダ「悟れば悩みなんてなくなるよ」
イエス「神の愛のパワーを信じろ」
大衆「いや悟れたのはブッダさんだからですよ、奇跡起こせたのもイエスさんだからでしょ?」
ブッダ「そんなことないよ。誰でも修行すれば悟れるんだよ」
イエス「愛を信じれば誰だって奇跡起こせる。ほんとだってば」
大衆「またまたお世辞とか言っちゃって〜。ホントはあんたらが特別なんでしょwww」
2、3000年くらいこんな調子。ほんと進歩しないな人類。
532 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/28(水) 09:56:45 ID:Uf1leBi0
>>478 この法珠どのの書込みは面白いですね。
> 『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。
> 師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。
これは公案にある・・・
弟子:生死一如とはどういう意味ですか?
師 :生死一如なんてないよ。
これと同じですね。
法珠氏はあくまでも三次元論法の枠を出てない。
(だから文意が掴めていない)
師は、前者・後者とも四次元論法で応じてる。→この違い
真我(アートマン)というのがあったとしても、なかったとしても、
四次元的に思慮すれば、どちらも同じ事。→これが釈尊の本懐
結局、人が輪廻するかしないかという話はどうなったの?
輪廻すると断定しきれるほどの証拠は出ていないが、
輪廻しないと断定できる証拠も出ていないので、
どちらとも断定できない、ということでいいの?
534 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 10:41:14 ID:4k1gSu22
思考実験としては面白いし、時間つぶしになる。
ヒマ人は勝手にやってろ。
結論は出ない。
それだけ。
535 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 12:02:50 ID:/HlN2IJW
医者の仕事は人を生かすことだが、勘違いしてる奴が増えたな。
536 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 12:11:48 ID:/HlN2IJW
珍世界秩序で暴力的テクノロジー主義が蔓延したからのぅ。
カッ
537 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 12:14:03 ID:/HlN2IJW
医療現場が731部隊みたいになっちまった。
538 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 12:27:13 ID:/HlN2IJW
ケツの穴にバイブ突っ込まれて転がされて事故で済まされちまうしよ。
539 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 14:34:53 ID:cHcSPiMo
>>528 "I believe in all human beings and nature as created by God"と言ったら、
反論できるクリスチャンが一人でもいるかね。
540 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 14:46:44 ID:QlHs0u7C
>>539 どうなんだろうか。「石ころひとつも神が創ったものだから崇拝する」とか、
日本人なら自然に受け入れるけど、キリスト教は被造物の中で人間を特別視
してるからなあ。
541 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 14:52:07 ID:cHcSPiMo
>>540 人間を特別視するのなら、少なくとも、"I believe in all human beings
as created by God"というべき。
それが言えないのは、創造主を信じているのではなく、むしろ冒涜している
ことになる。
>>539 相手が反論するにしてもしないにしても、
その考え方によって尊敬されることはないだろうね。
543 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 15:00:44 ID:cHcSPiMo
無神論とは、"Utmost belief in all human beings and nature as
created by God"である。それ故、最も敬虔な有神論である。
本当の信仰は、無神論にまで至らない限り得られない。
釈迦は、それを知っていたのである。
544 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 15:01:06 ID:QlHs0u7C
神、神の子(人間)、その他の神と神の子に仕える万物
と厳然たる階層があるからねえ。東洋の価値観や
倫理観とはかなり違う。
545 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 15:04:01 ID:cHcSPiMo
>>544 それは「人間差別」。初めから万物の創造主の冒涜である。
>>517を見ると「それを自分がどう評価するか」と「それを他人がどう思うのか」の
区別がついてないんじゃないか、という懸念まで感じられてくる。
>>545 人間を自然の上におかないとやっていけない厳しい環境から生まれた文化
だから仕方ないと思うよ。
548 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 15:08:53 ID:cHcSPiMo
>>542 >その考え方によって尊敬されることはないだろうね
それは、「創造主の冒涜者」だからである。
549 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 15:12:31 ID:cHcSPiMo
>>546 宗教者は、常に、「他人がどうおもうか」ばかり気にしている存在なの
かねw。
釈迦はそんなことを気にしていたかw。
>>548 >それは、「創造主の冒涜者」だからである。
「(ご隠居にとっての)創造主を冒涜する」立場の人、
そういう人が世界的には多い。よって
>>517は正しいとは言えない。
>>528と
>>542はそれだけの話だったんだ。
551 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 15:20:02 ID:cHcSPiMo
>>550 「創造主の冒涜者」とは、「人間を差別する者すべて」である。個人的な
問題ではない。
>>549 は?すまんが、そのレスの意図がわからない。
せっかくなので必死に脳内補完しながら書いてみようと
思ったが把握できなかったので
>>546の内容をまた書いてみる。
「それ」とはご隠居の思想だ。でもって
もちろんご隠居自身はそれを好評価している。ここまではわかる。
が、なんかわからんが
>>517ではいつのまにか世界中の人々も
好評価するだろうということになっている。
「まだまだ世界には未熟な考え方をする人間がいっぱいである」
という感じだったらまだ話としてはわかるんだが……
>>551 この場合の「個人的」は何にかかっているんだろう?
文意として、ご隠居個人、の問題じゃないということか?
>(ご隠居にとっての)創造主
という書き方が引っかかったのかな?
(ご隠居が考える)とか(ご隠居がとらえる)という書き方にすればよかったのか。
よくわからんが。
ご隠居って、自分が釈迦より人格者だと言ってる人?
555 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/28(水) 16:01:38 ID:Uf1leBi0
ご隠居さんというのは「生物的生命」とか書き込みする御仁のことですか?
他にどんな生命がありますか?
「〇〇的生命」の
〇〇←この空白の部分を埋めてください。
(複数回答可)
生命教マンセー(*^^)v
556 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 16:07:14 ID:CI/AHU8p
電波男? ご隠居? う〜む。わけのわからんコテばかりだな。
少なくとも俺は、このスレでこのようなコテの使用者を見たこと
がないのだが?
557 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/28(水) 16:45:43 ID:sxyYxT5u
558 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 17:06:07 ID:5qP0GQlr
シバ神って、教義はもしかして「この世の破壊」とか?
559 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/28(水) 17:41:58 ID:Uf1leBi0
田賀井氏自身のキャラが、強烈な破壊のイメージがあったから、
シバ神とよく合致したんだろうね。
あれ程の強烈なキャラは、今までお目に掛かったことはない。
まあ、宗教板というのは自己顕示欲が強烈になるのは仕方ないにしても・・・
それを何勘違いしたのか?
リアルで極真空手と一騎打ちをしようとした。
(つまり、自分の教義がやがて自己催眠に掛かったようなもん)→自信過剰
それはやがて自己破滅に向かうのだが・・・
なにか、麻原(松本)の人生とよく似ている。
禅というのは、こういった流れにおいて・・・
自分が頂点に達したときに、それを消滅する段階がある。
人牛倶忘というんだが、
これがないと慢心のままに自己破滅に向かう。
560 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 20:14:48 ID:Ffy/tKRo
コピペ
>知識に囚われた者は、悟ると全ての知識が得られると想っていると観察した。
>知識が全てだと想うのは、それに自我を投射しているからじゃろう。
手厳しい・・・。
561 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 20:19:37 ID:iyxsSAME
562 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 20:22:08 ID:5qP0GQlr
鬼和尚のコピペか?
>>527 >この点についても疑問です。それは最古層ですか?
横から発言するが、最古層です。
ジャイナ教の当時のことを記した文献などにも
サーリプッタが悟りを開いてブッダとなっていたなどとありますし
わりと「悟り」というものは敷居は低かったのではないでしょうか
564 :
宝珠愚者:2009/01/28(水) 20:52:05 ID:qnSI6nVa
>>500 若手の確信派の中にはダライラマにこのまま従っていては、中国に完全に支配されて奴隷化するとし、
革命的な運動を展開しようとしたりしています。
ダライラマは、チベットの宗教と文化の保護と存続を強く願ってはいますが、しかし、それでも中国にチ
ベットが吸収されてしまうことについては、それがもし時代の流れ(要請)であるならば、それも構わない
とまでいっているのです。とにかくダライラマが首を頑として振らないのは暴力的で破壊的な独立運動です。
ダライラマはあくまでも話し合いによる平和的解決だけを望んでいるのであり、私はダライラマはこの時代
における希少な宗教者(聖者)であるとして見ています。
>>520 >人間の生死は、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。
>死亡診断書は、専ら医師が書く。宗教家ではない。
このスレでは誰一人とて、
死亡した人間を「死亡していない!」なーんて話はしていませんよ。
基本的に宗教が説く死後の生命(意識)とは、「死亡して」も存続するものについて主張しているのです。
死亡の否定などしていない。それは解剖しても魂がなかった、といった幼稚な発言と一緒で無意味です。
565 :
宝珠愚者:2009/01/28(水) 20:52:57 ID:qnSI6nVa
>>532 あれ?ヒンドゥーは確か、輪廻転生/肯定論の筈・・などといってはいけない。「君は最高我であって、輪
廻しない」とのシャンカラのこの言葉
>>478は勝義諦なのです。そこまでなら机さんもよく分っている。
しかしながら、「なるほど〜そうですか!《輪廻(転生)はない》のですね。やっぱり、元々からなかったん
だ。それが勝義なんですね!はい、とてもよく分りました〜ヽ(´ー`)ノスキーリ。」などと納得したところで、凡夫
は決して輪廻転生からは免れない。《(私は)経験の主体である》という行為の主体者としての自覚が在る
内は絶対に無理です。
意識が低我に留まっており、低我で本を読み、話を聞き、そして「わかりました!」と頷いたところで、輪廻
から脱することは出来ません。
禅問答ならばトンチの解答で正解、即、終了かもしれませんが、そこが禅問答との決定的な違いなのです。
566 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 22:34:27 ID:7RSGgwju
>>564 >死亡した人間を「死亡していない!」なーんて話はしていませんよ。
>基本的に宗教が説く死後の生命(意識)とは、「死亡して」も存続するもの
>について主張しているのです。
死とは、生命及びその機能(知覚、思考、感情、身体維持)の不可逆的喪失を
いう。身体及びその一切の器官は、火葬により灰になるか、腐敗して分解する。
唯一存続するのは、身体を構成する原子だけ。
その原子の話をしているのかねw。
567 :
宝珠愚者:2009/01/28(水) 22:43:05 ID:qnSI6nVa
>>563 「悟り」というのは、
単に困難だったものが「理解できた」に近しいようなレベルから、
直感的な閃きといっ たものまで実に様々な段階的なものです。
トンチのような禅問答といったものも「悟った」などという。
しかし、仏教でいう本来の悟りとは、
輪廻転生から解脱しニルヴァーナ意識境に到達することです。
正直いって、仏典に出てくる弟子たちの「悟った」という記述の多くは、
仏陀になったことではないと、私は思います。
568 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 23:57:07 ID:7RSGgwju
>>567 >しかし、仏教でいう本来の悟りとは、
>輪廻転生から解脱しニルヴァーナ意識境に到達することです。
輪廻転生と涅槃の境地とは、全く関係ない。輪廻転生の概念が心の片隅にでも
残っていれば、涅槃とはいえない。
専ら、輪廻転生の恐怖から逃れるための解脱は、涅槃には至らない。
君は、オウムと同じく、チベット仏教の信者か。
569 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 00:57:37 ID:WR9Q+McB
>>500 > ダライラマってあれでしょ?
ダライラマ氏への批判があるのは知っているし、スレ違いなのはよくわかるが
あなたの場合はシナ系タレントのテレビ宣伝そのまんま
なのでレスする。
よくシナ系テレビタレントがその言を弄し、シナのチベットへの侵略行動を正当化するが、
そんな理屈が通るなら過去の日本のシナ大陸への侵攻まで正当化できてしまう、すなわち何でもありに
なる。資源領土その他への侵略意図を隠し、その口実にチベットの農奴を解放してやったのだという、
結局シナがチベットでやったのは民族浄化という殺戮行為であり、強制避妊、難民にまで銃を向ける。
ありとあらゆる残虐行為です。
自作自演するためにラマ僧の衣装まで用意したのがこの前UPされていた。
議論の前提である人権そのものの次元が違う、殺戮、民族浄化 強制避妊まで含む人権抑圧と
貧しく、宗教による規制が必要な 開発途上故の 貧 に根ざす程度の人権抑圧
を同列に扱える道理がないし、宗教を持つというのは価値観が違うということです。
宗教指導者と政治的指導者を別にして侵略の危機に備えなかった落ち度は笑えませんがね、
ダライラマ氏は日本人と同じで お人よし莫迦の典型です。
宗教指導者としては聖者でありましょうが、国民に責任を持つ政治的指導者としては
外した方です。
570 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 01:29:35 ID:i6nSjfNi
571 :
宝珠愚者:2009/01/29(木) 07:22:07 ID:8QJnwNGy
>>566 宗教が説く死後の意識(生命)も「波動」であり、エネルギーである。と、いってみるテストw
そのエネルギーは肉体が崩壊し、元素に帰するとも残存する(エネルギー保存の法則)。
現状科学レベルで捕らえられていないだけ。
>>568 あなたのように、
「輪廻転生」というだけでカルトと喚く人が、何が〜「チベット仏教の信者か」なのか?
私は、別に信者ではありませんよ。
まっ、オウムの教科書ともいわれた『虹の階梯--チベット密教の瞑想修行』や、
他にも『チベットの死者の書』、あとはカギュ派関係の文献は数冊、ここにも揃ってはいる。
あなたの喜びそうなミラレパの話とかですねw
どう-更にカルト確定ですか?www
572 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 07:33:27 ID:AXdQxx4o
>>565 > 禅問答ならばトンチの解答で正解、即、終了かもしれませんが、そこが禅問答との決定的な違いなのです。
決定的な違いという訳ではない。
人間だから、ある程度は同じようなことを考える。
ただ方法(方便)が違うだけ。
>《(私は)経験の主体である》という行為の主体者としての自覚が在る内は絶対に無理です。
貴殿もこういう理屈は分ってるのですから。
知識(理論)があっても、それだけでは駄目で、
これを禅では「百尺竿頭進一歩」とか言ったりする。
つまり、知識(理論)では割り切れない部分がありまして、
これは「決定的な違い」でもない。
地動説が正しいか?天動説が正しいか?
あるときは天動説が正しい。
というような、馬鹿馬鹿しいことに気づくことである。
573 :
380:2009/01/29(木) 07:49:06 ID:3KMFLo48
>563
ジャイナ文献によれば仏教の開祖はシャーリプトラだと思われていたみたいですね。
私の批判している点は、「仏陀になることの敷居が異様に低い」という点です。
「子供や在家者」まで出家することなく簡単に仏陀になれる・・・という
主張が、大乗経典成立以前の原始仏教、しかも仏陀在世時までさかのぼれるのなら
それは大発見では有りませんか?
574 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 08:53:41 ID:s4C7FzYE
>>573 >私の批判している点は、「仏陀になることの敷居が異様に低い」という点です。
あー。これは言える。
批判的仏教学の学者など特に。
なんでもケチ付ければいいってもんじゃない。
狂信妄信が作り成す紛争は世の中の害悪でしかないが、畏怖や敬意のも無く信仰心も無い宗教ほど始末におえないものは無い。
575 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 09:10:10 ID:Htr0FFzN
ジャイナ教の詳しい教義は学んでいないから単純に疑問なんだけど、
有我論のジャイナ教は何を持って涅槃としているのかな。
576 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 09:46:13 ID:rRYZW/ZR
>支える自然とを信じるHumanism」と言えば、尊敬されることは間違いないだろう
実際は「ヒューマニズム」って現実的でない理想主義(者)という意味で使われる場合が多いよね
577 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 11:16:43 ID:HYdGj79K
>>571 >どう-更にカルト確定ですか?www
君が超カルトであり、オウムであることは、最初から確定している。
>>570の松本史朗氏の批判に対する反論は?
輪廻転生ではなく、現代的に、死体の分解後の原子の自然界における循環と
して語れ。原子には、記憶能力はないのだから、人格の同一性は失われ、
従って「転生」「生まれ変わり」などありえない。釈迦が、現代医学や化学
について、全くの「無知」だっただけの、単純な話。
君も死ねば、君の身体は腐敗して原子に分解し、母なる自然に帰る。知覚器官、
記憶器官、思考器官、すべて消滅するから、苦の知覚、認識もなく、永遠の
平安と休息である。これが「涅槃の境地」である。「修行」など一切無意味
で不必要。「死ねばすべては無になるから、限りある生を精一杯、より良く
生きる」。「生命は、もろもろの原子、もろもろの他者、もろもろの自然と
の関係においてのみ維持されている。単独では絶対に存在し得ない」。これが
「縁起・空・関係性」の悟りである。この関係性の悟りにより、「自我」の
観念は消滅するから、「一切皆苦」は、「一切皆喜」に転換する。死ねば無
だから、如何に苦しくとも、「生きていること自体」が実は唯一・最大の喜び
であることを、自覚しなければならない。すべての生きとし、生けるものに
共通する唯一の普遍の事実は、いかなる場面においても、何とかして生命を
維持しようとする「生存本能」である。どんなに小さな動物でも、捕まえようと
すれば必死で逃げる。微生物でさえも、抗生物質で殺されようとすれば、直ちに
耐性を獲得して生きようとする。この生命の神秘を、しかと観察されたし。
578 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 11:25:47 ID:HYdGj79K
>>577への追加。
すべての苦は、実は、生命を維持するための努力であり、必須のものであることを、
理解しなければならない。
釈迦は、何故苦を克服しようとしたか。「生きるため」である。
ただの唯物論だし、ユーモアのセンスも無いのでつまらないな。
580 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 11:32:02 ID:HYdGj79K
>>579 死後の世界の「実在」など信じるほうが、「唯物論」w。
581 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 12:18:03 ID:ys4mxxEG
>>573 >仏陀になることの敷居が異様に低い
なんてことはありませんよ。やはりそれなりに難しいのです。
でもブッダ以外の人が一生のうちに悟れない程ではない。
それは仏典の最古層からも分かります。
582 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 12:45:27 ID:AXdQxx4o
>>573 >仏陀になることの敷居が異様に低い
そうですね。
仏陀というよりも、衆生は阿羅漢ですね。
(仏陀は敬称ですから)
このスレの総括をしてみますと、
輪廻肯定派からは、釈尊の本懐たる「中道」のキーワードが無い。
これで悟ってるか?そうじゃないかは明白ですね。
583 :
380:2009/01/29(木) 12:58:42 ID:3KMFLo48
>581
>なんてことはありませんよ。やはりそれなりに難しいのです。
子供でも在家者でも悟れると言うのなら、簡単なのでしょう。
人格者の延長であれば苦行どころか禅定も戒律も必要では有りません。
日々慎ましく人に迷惑をかけず生きていれば仏陀と言うことになります。
584 :
380:2009/01/29(木) 13:20:17 ID:3KMFLo48
どうも阿羅漢の悟りと仏陀の悟りを混同している方がおられますね。
そもそも仏教がbuddhaの名を冠するのは、仏陀のbodhiが特別であり、
他の宗教とは異なる特徴を持っていたと見られていたからです。
普通名詞である「優れた人」くらいの意味だったbuddhaが
特別な意味を持つ固有名詞に変わったのはたしかに後代になってからでしょう。
仏教教団の確立、他宗教との差別化の中でその特徴として選ばれたのがbuddhaであり
bodhiという言葉です。
そのbodhiがそう易々と得られては、つまり多数のbuddhaがたくさん出てきては
教団としては困るでしょう。
585 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 13:23:39 ID:ys4mxxEG
>>583 >子供でも在家者でも悟れると言うのなら、簡単なのでしょう。
それは子供や在家者を甘く見ています。
よほどの覚悟、努力が必要です。
>日々慎ましく人に迷惑をかけず生きていれば仏陀と言うことになります。
悟りというのは単に「日々慎ましく人に迷惑をかけず生きている」ことではありません。
1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。
1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り越えているのである」と。(スッタニパータ第五章)
欲望や貪りを除き去った境地が涅槃なのですから、簡単なことではありません。
並みの人格者ではそこまでいきません。
しかし、子供でも在家でも、誰でも目指せる目標です。
586 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 13:27:25 ID:ys4mxxEG
>>584 buddhaという言葉は仏教だけのものではありません。仏教以前からたくさんあった異教の教団の聖者もbuddha(目覚めた人)
と呼ばれたのです。仏教内には、仏教の改組であるゴータマ=シッダルタにのみ特別の尊敬を払って(創始者ですから当然ですね)
「仏陀」と呼ぶのであって、彼以外の解脱した人間は「阿羅漢」と呼ばれました。
587 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 13:28:24 ID:XeWWPFAg
>仏陀になることの敷居が異様に低い
俺が当時の(今でも)インドでシュードラ(最下層)としてあったら、
ブッダ(でなくとも)の生きることの一切皆苦を実感し、悟りに達するのも
速いかもしれない。体感できるからだ。
これは他の宗教でも同じだろう。現状否定だ。
暖衣飽食の現代日本では悟りは異様に難しくなっているのかもしれない。
588 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 13:31:31 ID:ys4mxxEG
>>587 > 暖衣飽食の現代日本では悟りは異様に難しくなっているのかもしれない。
それはありそうですね。ブッダは全てを捨てろ、と言いました。だから出家した方が修行しやすいのでしょう。
少なくとも原始仏典の古層やジャイナ経典を信じる限り、悟りやブッダという語は
時代とともに変遷し、神格化している
本来はもっとありふれた正しく縁起の法の説法を理解し、生活に取り入れているモノを
「悟った」と言ってたのではないかな
パーリでなぜかアーナンダが中傷されまくって悟れない愚か者と描かれてるのは
恐らくマハーカッサパを祖とする主流派とアーナンダ系の教団の対立の結果にすぎないだろうし
590 :
587:2009/01/29(木) 13:39:49 ID:XeWWPFAg
× 暖衣飽食
〇 自由暖衣飽食
問題が多数あるにせよ生存権(憲法25条)をはじめ現行憲法の人権カタログが
実行されるなら、社会基盤において当時のインドとは比較にならない。
生存欲望が満たされるなら、あとは観念的な問題に向かわざるを得ない。
人権カタログは欲望の体系(ヘーゲル)だからだ。
591 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 14:03:18 ID:o49aEkUt
>>587 >暖衣飽食の現代日本では悟りは異様に難しくなっているのかもしれない。
釈尊は贅を尽くしてもなお精神的ストレスがあった訳で、
それは現代の世相と類似している。
むしろ、戦後の貧困な時代は精神的な余裕はあった。
(戦後のベビーブームは、その証左)
ここで一番重要なのは、その時代において人の適応能力は、意思に関係なく
微妙に変化していく。
これが
>>526におけるsamsaraの意味だろう。
このsamsaraというのは、クリシュナムルティーとか龍樹とかも指摘しているもので、
比喩としての「民衆の向かう方向性」というふうに考えたらいいかとおもう。
仏教ではこのsamsaraにおける洲とか島とかの意として彼岸を指す。
つまり時代の流れ(輪廻思想とか)には全く感知しない法(普遍性)。
592 :
380:2009/01/29(木) 14:09:46 ID:3KMFLo48
>しかし、子供でも在家でも、誰でも目指せる目標です。
私は
>451
>しかし、悟りは、そこまで難しいものじゃないでしょう。
>経典によれば、ブッダの時代には何人も、何十人も、あるいはもっと
>たくさんの悟った人がいたのですから(子供でも、在家でも)。
これをうけて、「子供でも在家でも悟れる」という点を非難しています。
「目標」にするだけなら、大乗でも「仏陀になること」を目標としています。
そこで、悟った子供や在家の話とは具体的には何でしょうか?
最古層との話でしたが。
593 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 14:14:30 ID:o49aEkUt
猫とか犬は悟ってますね。
つうか、そもそも無明というのがないから、
生得的に悟ってます。
594 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 14:17:14 ID:ys4mxxEG
>>592 最古層は主にブッダとバラモンや学生たちの問答で、子供や在家に向けたものではありません。
ですから最古層では子供や在家(出家・在家の区別自体していたかどうかも不明)の話は出ませんが、
バラモンにも悟ったものはいるという話が出てきます。
そしてその内容を見れば、特に年齢・性別・身分などの条件がないことなどが分かります。
古層になれば、解脱した子供や在家の話も出てきます。(まあ、解脱した時点でもう在家とは言えませんけど)
595 :
587:2009/01/29(木) 14:29:36 ID:XeWWPFAg
>>594 >最古層は主にブッダとバラモンや学生たちの問答で
建前は「条件」はなくとも、実際に出家した連中はほとんど当時のエリート(の子供)ばかりだ。
マズロー法則でいえば社会的生存に問題のない高段階の連中ばかりのエリート教だったのだ。
シュードラにとっては、解脱?生きることに精一杯でそれどころではない!さ。
596 :
380:2009/01/29(木) 14:30:59 ID:3KMFLo48
ブッダダーサ比丘の信者様には悪いですが、
ブッダダーサ比丘の理解はすばらしいものですが
やはり一つの解釈にしか過ぎません。
もちろんブッダダーサ比丘の教えが肌に合うのなら、
それに従うことは大変すばらしいことでしょう。
597 :
380:2009/01/29(木) 14:32:19 ID:3KMFLo48
ブッダダーサ比丘のおっしゃるとおりパーリ経典がもっともまとまって
古い教えを伝えているのは事実ですが、
経典は三つの結集を経て、分別上座部がスリランカに伝わって200年、
BC1cごろようやくテキストとして編纂されました。
それ以前まで口承です。
また分別上座部といえども20とも言われる部派の一つであり
他の部派のアーガマはほとんど伝承せず断片のみです。
ジャイナの文献に至っては5世紀になってはじめてテキストになっています
(だからといって信憑性が乏しいわけではないが)。
土台、こうした乏しい資料からは歴史的事実を抽出することは困難です。
ですから、私をはじめあらゆる説は仮説です。
仮説と分かって、仮説を非難しているわけです。
ですから、真摯に道を求める人は
この様な場所に居てはいけないと言うことでしょうね。
598 :
587:2009/01/29(木) 14:44:38 ID:XeWWPFAg
>>597 >真摯に道を求める人は
>この様な場所に居てはいけないと言うことでしょうね。
あんた面白いね。
たかが2ちゃんねるという縁起如きで道を踏み外すのか?
ヤワやのーw
599 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 14:44:59 ID:ys4mxxEG
>>595 出家者の多くが社会的エリート層なのは事実です。
学識も教養ももともと高い人が多いです。
解脱した人の大半もそういう人でしょう。
しかし、解脱した女性・スードラ・農夫の話もちゃんとあります。
もともとブッダは、
>生きることに精一杯でそれどころではない
人々の苦しみをなんとかしたいと思い立って出家したのですから。
600 :
380:2009/01/29(木) 15:43:42 ID:3KMFLo48
>594
Sutta-nipaataの話をされていると思いますが、具体的にどの部位でしょうか?
詩節番号でもかまいません。
私の理解ですと古層の1〜765(35−75はのぞく)では信者(saavaka)のうち
特に在家者への戒律が示されますが、在家者には生天を説いていると
理解しております(たとえば404)。
また最古層といわれるAtthaka-vagga(805)では「家に留まってはいけない」と
出家を勧めていますが。
601 :
380:2009/01/29(木) 15:47:39 ID:3KMFLo48
私の理解ではあなたの主張は
「子供、在家のままでも出家することなく解脱できる」であると
理解していますが宜しいですか?
微妙に表現が変化していますのです確認です。
>>593 仏界=畜生界 > 人間界
という意見ですね。
603 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 16:25:55 ID:HYdGj79K
>>602 確かに、人間以外の動物は、迷いも、煩悩も、輪廻転生の恐怖もなく、いま
ここの生を精一杯に生きていますね。その意味で、釈迦も、仏教者も、他の
宗教者も、「犬畜生にもはるかに劣った存在」であることは明らかです。
さすがに仏陀より優れた人格者の方はおっしゃることが違いますね!
605 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 16:36:34 ID:HYdGj79K
>>604 別に人格者でなくとも、宗教者以外なら、誰でも簡単に言えることw。
人間の常識の範囲内です。
606 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 16:39:29 ID:A5BwY/wI
>>569 ダライラマとその手下、中共ともにピエロなんだけどな(笑
どちらも「人権」なんかとは全然無縁の連中。
置かれてる立場にすら気づけない聖者なんているのかな?
いえいえ、イエスやブッダより優れていると自認している方は別格ですよ。
608 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 16:46:44 ID:AXdQxx4o
>>602 釈尊が悟った中道というのは、森羅万象が平等である。ってことですね。
つまり、仏界も畜生界も人間界も平等でありまして、
そこに紙一枚ほどの差異もない。ってことですよ。
そうは言っても、無明ですとこれでは納得できない。
ですから方便(世俗諦)として、
仏界・畜生界・地獄・極楽・彼の世とかがある訳です。
悟れば全てが滅侭しまして
一切が涅槃寂静です。
これが中道でありますね。
609 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 16:48:34 ID:HYdGj79K
>>607 少なくとも、他の動物たちは、すべてイエスや仏陀より優れているね。
完全に悟っているではないか。
飼い主の目を盗んでごはん食べたくなり、罪悪感を感じながら葛藤したあげく、
ごはんを食べちゃって、後は知らんぷりをしていたり、
粗相をして叱られそうになると、他の犬のせいにしようとしたりするんですけど
そういうのって煩悩とは違うんでしょうか?
611 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:01:28 ID:T3HhmGLD
その犬は外道の犬
612 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:03:43 ID:HYdGj79K
>>610 御釈迦さんみたいな犬もいるんだねw。
しかし、圧倒的大多数の動物は、「余計なことは考えないで」、いまこ
こを生きることに専念する。これ以外の「悟り」があるかね。
613 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 17:04:19 ID:AXdQxx4o
>>610 それは生きるためには最低限に必要ですよね。
それがないと自然淘汰されますから。
現存してる動物は、それなりの生きる知恵は獲得している。
こんなことはアタリマエじゃ〜ないですか。
猿などはもっと高度な社会性がありますよ。
これも自然から学習してます。
614 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:08:45 ID:15xtN5dU
二代目電波は、弁解に苦しくなってきたな。
実際には経典もろくに読んでいないし、伝承や教団の実際などに関する無知を取り繕うにも無理がありすぎる。
無理があるところは、素直に認めて本当に自分が求めている仏教の骨組みを忌憚無く語ってはいかがかな?
なるほど。キャバクラに通ってるお坊さんとかもいたりしますけど、
毎晩同じ子を指名してアフターさせようとすることと、
悟りとは案外関係ないんだと思いました。
これも生きる知恵なんですね。
確かに「いまここ」に生きてます。
616 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:14:27 ID:mGOmNRdJ
>>612 じゃ、ネットなんかに書き込まないで、
食って寝てやったっらどうですか?
本能のままにw
悟りとは全く関係ないただの現状肯定したいだけの詭弁ですね。
それをインドではローカーヤタ(世間派、快楽主義者)と呼んだんですw
617 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:15:30 ID:nRAsxTWW
心が素直かつ善悪に関して敏感に鼻が利く人で宗教的情操の感覚が優れていないと、経典の内容や聖人の言説をありのままに受け取れない。
簡単なことが、難しい。
経典に向かう姿勢は素直が一番。
618 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:15:57 ID:T3HhmGLD
そのとおり。ちゃんとした犬は毎日、経を読んでいる。
>>618 すごいな。うちのやつにも読ませたいんですけど、
どうやったらそんな風にしつけられるんですか?
620 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:18:01 ID:kwocbAJV
ローカーヤタは、現代の基準からすれば恐ろしいほど慎ましやかでしたよ・・・・。
621 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 17:18:17 ID:AXdQxx4o
>>615 あのですね、現存している坊主が全て見性している訳ではない。
見性率は少しずつ落ちてるのが現状。
袈裟懸けしているからといって、悟ってるとは限らんでしょ?
キャバクラ通いの坊主は、煩悩まみれの可能性はある。
(たしかなことは言えんけど)
622 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:19:27 ID:HYdGj79K
>>615 その坊さんは悟ってるw。
余計なことは考えないで、いまここを精一杯生きているからw。
余計なことを考えるのを「煩悩」という。
623 :
チワワ和尚:2009/01/29(木) 17:23:51 ID:T3HhmGLD
しつけるのではない。心をもって導くのじゃ。
>>622 悟りというのは思ったより素晴らしいもののような気がしてきました。
電車の中で、エロイ身体をした女の人をみかけたら、
余計なことは考えないで、いまここを精一杯生きていいんですよね?
なんか・・・逮捕されそうな気がしますが、大丈夫なんですよね?
625 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 17:44:49 ID:AXdQxx4o
>>624 人間の本能に関することにおいて、
禅では「婆子焼庵」という公案がある。
この公案の特徴というのは、
自己の心象がまるで鏡に映したごとく正直に現出する。
つまり、エロいことを考えればエロい答えになるし・・・
これは批判のしようがない。
つまり自己のことだから。
美辞麗句を並べて、この公案を説明できるが、
それは借りもん。
(人間は十人十色、いろんな考えがあっていい)
626 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:44:50 ID:ys4mxxEG
>>600 >>601 あなたは>
>>451の最後の
>たくさんの悟った人がいたのですから(子供でも、在家でも)。
の括弧の中の、子供・在家に異常にこだわっておられるようですが、
私がしているのは、「誰でも」「条件はない」という話なのです。
それは最古層のブッダの言葉からも分かります。
1081 ナンダさんがいった、
「およそこれらの<道の人>・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。
戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。
聖者さま。もしあなたが『かれらは未だ煩悩の激流を乗り越えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の
世界のうちで生と老衰を乗り越えた人は誰なのですか? 親愛なる先生! あなたにおたずねします。それをわた
くしに説いてください。」
1082 師(ブッダ)は答えた、
「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と説くのではない。この世において
見解や伝承の学問や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心
に汚れのない人々──かれらは実に『煩悩の激流を乗り越えた人々である』と、わたしは説くのである。」
「見解や伝承の学問や戒律や誓い」などに依るのではなく、「妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々」が悟った人、
解脱者であると言っているのです。だから制限・条件はありません。「妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々」なら、
子供でも女性でも老人でもスードラでも奴隷でも、誰でも「目覚めた人」なのです。
また、古層でも、繰り返し、人は「生まれ」によってバラモン(ここでは聖者、悟った人の意)になるのではなく、行為によってバラモン
になると説いています(たとえば647-655)。行為の主体には差別がありませんから、ここでもやはり制限・条件がないことが分かり
ます。
627 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 17:45:11 ID:ys4mxxEG
続き
>在家者には生天を説いていると理解しております(たとえば404)。
そこに限らず、古層には度々、最古層にはほとんどなかった神秘的、神話的な話が登場します。
よい行いをすれば死後よい世界へ行けますよ(よい所へ生まれ変わりますよ、神々のもとへ行けますよ)などの表現は、
すべて「よい行いをすればよいことがある」「よい行いの薦め」くらいに解釈するのが妥当でしょう。
神話化した表現や話を現実の言葉として読むから誤解が生じるのです。
>また最古層といわれるAtthaka-vagga(805)では「家に留まってはいけない」と
出家を勧めていますが。
全ての執着を捨てよ、というのがブッダの教えです。無一物を目指すのですから、
出家した方が修行しやすいのは当然です。
>「子供、在家のままでも出家することなく解脱できる」であると
理解していますが宜しいですか?
子供のまま、というのは結構ですが、在家のまま、というのは、在家の定義によります。
解脱した境地というのは、全てを捨てているのです。だからその意味では既に出家です。
しかしそれまで在家でいては解脱できないなんて条件はありません。
先に所有物・財産・家庭を捨てるか(比丘)、結果的に全ての執着を捨てるか(解脱)の違いです。
あと、動物の悟り云々の話が出ていますが(禅の公案などにもありますが)、悟るのは人間です。
動物が犯罪を犯していないからといって「前科無し」なんて言わないでしょう。前科というのは人間に
使う言葉だからです。同様に、解脱・悟りも人間に対して使う言葉です。
628 :
チワワ和尚:2009/01/29(木) 17:55:01 ID:T3HhmGLD
これこれ、犬を差別してはならんぞ。
629 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 18:06:27 ID:ys4mxxEG
悟りというのは、あらゆる執着や苦悩、煩いを滅しつくした状態です。
犬は主人が帰ってくると尻尾を振り、飛びついて喜びますし、腹が減ったり
散歩に行きたいときは落ち着きがなくなり、吼えたりします。
いくら人間のような妄想がないとはいっても、とても解脱しているとは言えません。
言語的妄想がない分普通の人間(凡夫)よりはマシかもしれませんが、
以上のような執着を取り除くのは、高い(言語的)知能、精神性によりますので、
人間以外の動物には無理でしょう。
630 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 18:11:47 ID:HYdGj79K
>>629 言語、知能、精神性などに「執着」するのは、「悟り」とは言えない。
悟りとは、「無心」になること。
悟りは、自然界の動物に学べ。
631 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 18:18:11 ID:ys4mxxEG
>>630 無心・無心、口で言う人は多いですが、未だにそれで執着を無くした人を
知りません。動物も執着でいっぱいです。
ただ無心になればよいのなら、どこかに頭をぶつけて、気絶すればよいので簡単ですね。
熟睡してる人、植物状態の人も無心ですから悟ってることになりますねー。
632 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 18:18:59 ID:ys4mxxEG
無心論者は無心に執着してるのでしょうw
633 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 18:19:14 ID:o49aEkUt
>>629 >以上のような執着を取り除くのは、高い(言語的)知能、精神性によりますので、
>人間以外の動物には無理でしょう。
そこまで完璧さを求めるなら、かえって執着になる。
>犬は主人が帰ってくると尻尾を振り、飛びついて喜びますし、腹が減ったり
>散歩に行きたいときは落ち着きがなくなり、吼えたりします。
動物でも感情がありますから、喜怒哀楽くらいはあって当然。
この位相を親鸞などは自然法爾とか言ったりする。
禅では大自然(だいじねん)。
偏することはなく、ありのまま。無為のこと。
634 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 18:21:06 ID:ys4mxxEG
>>630 言語、知能、精神性などに「執着」するのでもありません。
それは筏です。それも最後には捨て去ります。
635 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 18:29:35 ID:ys4mxxEG
>>633 色んな人の教えをごちゃ混ぜにすれば収拾がつきませんよw
>そこまで完璧さを求めるなら、かえって執着になる。
完璧さを求めすぎれば、執着ですが、最初はそれくらいでいいのです。
最後にはそれも捨て去ります。「そこまで完璧さを求めるなら、かえって執着になる」
なんてのは修行の進んだ解脱直前の人に言う言葉であって、初めから頑張らない
でどうするんですかw
解脱・悟りへの執着が最後のギリギリまで残る執着ですが、修行の助け・励みに
なりますから、それでかまわないのです。
>動物でも感情がありますから、喜怒哀楽くらいはあって当然。
動物でも、凡夫でも、悟っていないから喜怒哀楽があるのは当然です。
>偏することはなく、ありのまま。無為のこと。
大事な概念ですが、それだけ言っていても意味がありません。
むしろ、悟って、執着を滅した結果として「偏することはなく、ありのまま。無為」
になれるのであって、それがかなわない凡夫にそんなことを言っても役に立ちません。
大乗信者というのは人を煙に巻くのが好きなようですw(親鸞聖人の意図したことではありませんよ)
636 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 18:30:00 ID:o49aEkUt
>>634 アホダラ氏のように、いつも肩に力が入っていては悟れない。
全身の力を抜いて、自らを無とせねば法から離れる。
平常心是道。
サトリという鳥は、捕まえようとすれば逃げる。
けっして捕まえようとする魂胆はしないようにw
637 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 18:49:34 ID:o49aEkUt
>>635 >動物でも、凡夫でも、悟っていないから喜怒哀楽があるのは当然です。
悟っても喜怒哀楽はありますよ。
廃人になる訳ではないし。
ただそれが残存しない。ってことですね。
>なんてのは修行の進んだ解脱直前の人に言う言葉であって、初めから頑張らない
でどうするんですかw
おそれいります。
>大乗信者というのは人を煙に巻くのが好きなようですw(親鸞聖人の意図したことではありませんよ)
おそれいります。
638 :
初代スレ7:2009/01/29(木) 19:00:06 ID:CIJ22cNv
加減剰余と因数分解の関係だなw
《加減剰余が身についた上での因数分解(の理解)》と見るか、
《因数分解は(その中に加減剰余を含んでいるので→因数分解を学ぶことは加減剰余を学ぶことと同義であり)、
それを学び・理解・身につけることで、“一回の学び”で済む》と捉えるか、
或いは、
《加減剰余を踏まえて、その上に因数分解を見る》べきか、
《因数分解だけでよい》とするか、
どっちが仏教的なんでしょうね?w
(´ー`)y━~~
639 :
初代スレ7:2009/01/29(木) 19:00:56 ID:CIJ22cNv
あ、字が・・・ orz
640 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 19:04:53 ID:ys4mxxEG
>>637 >悟っても喜怒哀楽はありますよ。
廃人になる訳ではないし。
ただそれが残存しない。ってことですね。
最小限の喜怒哀楽は他人とのコミュニケーションのためにあるかもしれませんが、
我を忘れて喜怒哀楽の感情をむき出しにすることはないでしょう。その点動物や凡夫とは
違うのです。
ブッダの十大弟子の一人アーナンダは、釈尊入滅後まで悟れなかったと言われていますが、
釈尊入滅前後に声を上げて号泣しています。心優しく人間らしい、アーナンダらしいエピソード
ですが、解脱を目指す人にふさわしい行為ではないので窘められたのです。
解脱していたなら、哀しみはしても、号泣するようなことはないでしょう。
641 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 19:10:00 ID:ys4mxxEG
>>638 「天才」はそんなものどちらもたちどころに理解するでしょう。
しかし「凡才」はステップを踏んで学校で教えてもらわなければなりません。
義務教育で加減乗除→因数分解の順番に基礎から習うのです。
仏教も「凡夫」に向けた教えです。
「天才」は何でも好きなやり方で勝手に大悟すればよいので、「天才」には
仏教は初めから必要ありません。ブッダ自身がそうであったように。
642 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 19:29:54 ID:AXdQxx4o
>>640 >最小限の喜怒哀楽は他人とのコミュニケーションのためにあるかもしれませんが、
喜怒哀楽は、あらゆる芸術の源泉でもあります。
アーティスト達は、それをどう表現するかで真価が決まる。
良寛の詩は、憂いと哀しみが伝わりますね。
あれは無心でないと、ああいう表現はできない。
643 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 19:37:45 ID:ys4mxxEG
>>642 良寛の詩はいいですね。優しく、暖かい。
しかしあなたの話は脈絡がないな。
本当に無心であれば一切の表現ができません。
表現した時点で無心ではないんだから。
644 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 19:40:00 ID:nU/H5OZy
この世の分別などしょうもない。死んだらパーなのにアホみたい。
という心境になることが悟りだね。
645 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 19:44:03 ID:faqDxCzF
やれやれ。
うまいこと、はぐらかしたね。
くだらない話でまとめちゃった。
646 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/29(木) 19:44:38 ID:AXdQxx4o
>>643 あのですね、無心というのは
父母未生以前の本来の面目のことなんですよ。
なにか勘違いしておるようですが・・・
無心だから、心がない。→本来無一物など連想したのですか?
まあ、それだったら話の脈絡はないですが。
以心伝心なのですよ。
これで調ふたら、もはや言語すら無用となります。
禅というのは奥が深いですね。
647 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 19:54:40 ID:ys4mxxEG
>>646 一つお聞きしますが、
あなたは自分で言っていることを自分で分かっていますか?
理解していますか?
そもそも禅の話をしているのではありませんでしたが、強引に禅の
話をしたいなら私は付き合いません。議題ではありませんから。
(禅の話をしながらなぜか親鸞聖人が出てくるし)
無心やら父母未生以前の本来の面目やら以心伝心やらを並べていれば本当に何かが理解できるとお思いですか?
わけのわからない呪文を唱えているのと同じです。知った顔で唱えてますが、己自身、何のことやら分かっちゃいないのです。
禅の公案にも一つ一つちゃんと意味があるのですよ。ただの矛盾した屁理屈ではないのです。
648 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 19:56:55 ID:ys4mxxEG
禅を抽象的な屁理屈と誤解して、したり顔で「無心」
などと言っている人は、正法眼蔵でもお読みになるとよろしい。
649 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 20:05:02 ID:ys4mxxEG
禅には付き合わないと言いましたが、一つだけ。
正法眼蔵の有名な一説。第一章第二節
「仏道をならふというは、自己をならふ也。自己をならふというは、自己をわするる也。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」
自己をわするること、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむること、すなわち、執着、迷妄を滅し尽くすこと、捨て去ること
が悟り、解脱の本質なのです。
これは初期仏教に限らず、禅・大乗を通した仏教に普遍的な教えです。これが無ければ仏法ではありません。
650 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 20:44:10 ID:HYdGj79K
>>624 >電車の中で、エロイ身体をした女の人をみかけたら、
>余計なことは考えないで、いまここを精一杯生きていいんですよね?
>なんか・・・逮捕されそうな気がしますが、大丈夫なんですよね?
現在「流行」の、「セクハラ」というのは、誠に異常な考え方。女が「セクハラ
された」とさえ言えば、問答無用で有罪にされる。「疑わしきは罰せず」の
原則など、全く適用されない。殆どの大学で、「セクハラ委員会」など設けて、
犯人作りに、鵜の目鷹の目である。
男が女に手を出さなくなったら、人類は滅亡する。昔は「略奪婚」まであった。
これは、アメリカの裁判の判例を、例の如く日本人が「猿真似」したもの。
何の人類学的、哲学的考察もない。プライバシーの権利も同じ。
女が、化粧したり、口紅をつけたり、ミニスカート穿いたり、ジーパン穿いた
りするのは、「男に手を出して欲しい」からではないのかね。
「セクハラ」について、仏教的考察を求む。
651 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 21:19:24 ID:kHGC4vnC
>>649 常識禅気持ち悪いよ。
机のほうがまだまし。
652 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 21:38:57 ID:ys4mxxEG
>>650 > 女が、化粧したり、口紅をつけたり、ミニスカート穿いたり、ジーパン穿いた
> りするのは、「男に手を出して欲しい」からではないのかね。
勘違いしちゃいかんよ。女性が気に入った(イケメン)男に限るのだ。それもきちんとした手順を踏んで。
> 「セクハラ」について、仏教的考察を求む。
108 「おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、──これは破滅への門である。」
110 「青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある若い女を誘き入れて、かの女について嫉妬から夜も眠れない、──これは破滅への門である。」
(スッタニパータ)
この辺ですかね。
653 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 21:45:16 ID:ys4mxxEG
>>652 セクハラというより不倫・欲情の戒めでしたね。
あと、
「女性に触れたら毒蛇に触れたように感じなさい、女性の声を心地よいと聞くのではなく災いの元だと思って聞きなさい」
というのもあります。
ところで、ティンパル果の情報求む。
654 :
宝珠愚者:2009/01/29(木) 22:23:11 ID:8QJnwNGy
>>572 >貴殿もこういう理屈は分ってるのですから。
>知識(理論)があっても、それだけでは駄目で、
>これを禅では「百尺竿頭進一歩」とか言ったりする。
>
>つまり、知識(理論)では割り切れない部分がありまして、
>これは「決定的な違い」でもない。
これは思考(力)によっては決して到達できない領域です。「輪廻などないのだ!」などと思考を働かせよう
とも、我々のような凡夫は、また再び母胎に宿り転生する。
「そうか真我なんだ。今は低我に意識があるからダメなんだよな!」などとしたところで、それも同じこと。所
詮は思考活動の領域からは、決して脱することはできない。
>地動説が正しいか?天動説が正しいか?
>あるときは天動説が正しい。
>というような、馬鹿馬鹿しいことに気づくことである。
この現象世界はマーヤーで(幻影)あり、縁起空による実体の無きものという意味と、低我意識に生きる我
々にとっては天動説なのか?地動説なのか?ということとは話それむ自体が全く違います。我々(低我意識
)にとってはコペルニクス、ガリレオの地動説は正しくて、天動説は古き時代の非科学的な迷信によるもので
すよ。そのどちらでもいい、ということではない。
話をごちゃ混ぜにしてはいけないと思います。
655 :
宝珠愚者:2009/01/29(木) 22:24:08 ID:8QJnwNGy
>>577 疲れるなぁ〜オウムじゃないってば!(涙目)
あの教団のように、「神秘能力の獲得=意識レベル(段階/ステージ)の証明」などといった短絡思想で以っ
て、諸中心の開発(しかも、ムーラダーラやマニプューラといった下位チャクラに手を出すとはあまりにも愚
か)やクンダリニーの火に手を出すといった低級な指導などを見れば・・発狂も間もないことだと、最初から
すぐに分るわ〜^^。
しかし、
>>579 の投稿も当然の反応ですね!あなたのような典型的な唯物主義者など今時、珍しいほど
です。アンケート調査の11.8%の中でも、更に論舌が巧みな少数派の部類でしょうね。
何れにせよ、結局、あなたは自分自身で科学常識では説明不能な出来事に遭遇/体験しない限りは、断
固として認めないでしょう?よって議論しても無駄ではありませんか?
あなたは日常でもそのようにして周囲に話したりするのですか?その周囲の人々は納得して同意してます
??私の周囲や職場にはあなたのような人は見かけませんが・・。科学、科学というわりには、多くの一般
の人々はあまり納得してないように見えます。
--質問--
で、あなたは輪廻転生を説く仏教をいつもカルトなどと非難していますが、ではお聞きします。実際、輪廻
転生を説かない仏教の法門(信仰の場所)とは、一体どこのことなのです?実例を可能な限り、全てここに
挙げて頂けます?宜しくお願いします。
>>655 >更に論舌が巧みな少数派の部類でしょうね。
え?
657 :
宝珠愚者:2009/01/29(木) 22:42:12 ID:8QJnwNGy
>>577 >君も死ねば、君の身体は腐敗して原子に分解し、母なる自然に帰る。知覚器官、記憶器官、思考器官、
>すべて消滅するから、苦の知覚、認識もなく、永遠の平安と休息である。
あなたはこれらが科学で証明されたものであり、科学常識の「定説」であるといい、疑いの余地もないと
豪語する。我々のような一般の社会人は、普通は全員このことをもちろんよく知っており、これが科学の常
識であることを理解しています。そのこと自体は誰も否定はしていない(科学は別のことを主張してるとはい
わない)。
ならば何故、世の中から宗教が消えないのだと思いますか?周囲を見渡しても、特別、特定の宗教を勉
強したり信仰したりしない人であっても、仏壇神棚には手を合わせ、神社仏閣に参ればお祈りをし、または
お願い事をし、亡くなった先祖に想いを馳せては祈ってみたり・・・と。これはごく普通に日常で、ごく当たり前
のものとして行われているのです。それは、そのような科学情報では、多くの人々は満足を得られないから
ですよ。
あなたはこれほどの主張を述べてるからには、自分は死者に手を合わせたり、冥福を祈ったり、等々はも
ちろん一切しないのですよね!してるのならばお話にもなりません。
658 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 22:50:03 ID:A5BwY/wI
法門とは
>>655みたいな下げすり愚者、ループバカを二度と出て来れないように抹殺駆除する道具のこと(笑
659 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 22:51:10 ID:ys4mxxEG
>>657 >ならば何故、世の中から宗教が消えないのだと思いますか?周囲を見渡しても、特別、特定の宗教を勉
強したり信仰したりしない人であっても、仏壇神棚には手を合わせ、神社仏閣に参ればお祈りをし、または
お願い事をし、亡くなった先祖に想いを馳せては祈ってみたり・・・と。これはごく普通に日常で、ごく当たり前
のものとして行われているのです。それは、そのような科学情報では、多くの人々は満足を得られないから
ですよ。
横レスですが、
1 慣習に従っているだけ
2 信心深い人が多い
3 迷信好きが多い
4 妄念に捉われている人が多い
5 自分の力でなく、超自然的な何か、神などにすがりたい人が多い
これのどれか、あるいは全部。
「多くの人々は満足を得られない」ため宗教やオカルトに走るのは事実。だけど満足を得るためにすがりつく先に
真実があるかどうかは別問題。なお、科学は精神的満足を得るためにあるのではないので、初めから無関係。
660 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 23:06:48 ID:A5BwY/wI
>>659 こちらは
>1 慣習に従っているだけ
のシニシスト。生き死にも問題でもなし、そうした席ではソツなくスキなくもっともらしく上品に振舞うのが特技なのさ(笑
661 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 23:13:55 ID:HYdGj79K
>>655 その「質問」に対しては、逆に、「輪廻転生」を「仏教の中心思想」としている
法門は、カルト以外にどこがあるか聞きたい。
子供向けの説話としてはともかく、まともな大人なら、輪廻転生など誰も信じない
から、説いても無駄なことは、お坊さんにも分っていると思うよ。
多くの葬式に列席したが、お坊さんが、見え透いた輪廻転生など口にするのは、
聞いたことが無い。お布施を貰うと、さっさと帰ってしまうよw。見え透いた、
嘘をわざとらしく話しても、悲しみに沈んでいる遺族の反感を買うのが、分って
いるからだろう。
>>504 >『スッタニパータ』四、五章にも779、836、864-865、1009には輪廻、生まれ変わりが説かれてます。
以下、それぞれの箇所について、「生まれ変わりが説かれている」根拠とするときの問題点を
指摘します。なお、当然ながら、最古層に出てくる語が何かということと、それを釈尊がどう
捉えていたかは別問題ですが、いまは論及しません。
779、(ブッダ)この世をもかの世をも望まない。
▼「かの世(para-loka)」という、これだけだと、厳密には、生まれ変わりなのか、キリスト教
などの(一度きりの)来世なのか、はっきりせず、根拠とするには多少弱いと言えます。
836、(質問者)どのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?
839、(ブッダ)迷いの生存を願ってはならぬ。
864、(質問者)人が来世に関していだく希望とその成就とは、何にもとづいて起るのですか?
865、(ブッダ)人が来世に関していだく希望とその成就とは、それ(欲望)にもとづいて起る。
▼779と同じく、来世(samparAya)というだけでは、はっきりしません。
1009、前世に宿善を植えた人々であった。
▼中村博士が注釈で、五章の序は小義釈に全く注記されていないなどの理由から、後代の付加
としており、ここは最古層から除かれるべきでしょう。
このように、836だけが明確に「生存状態に生まれかわること」(bhava-upapatti)に触れていますが、
これは質問者の言葉であって、ブッダの答えでは「迷いの生存」(bhava)だけであり、
upapatti(生まれかわること、再生)は省かれています。
そして、このupapattiという語は、最古層ではここだけに出てきます。
なお、836は大義釈に注釈されていないので、後代の付加ではないかという見解もあるようです。
663 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 00:06:35 ID:8sKnfGZY
>>662 >▼「かの世(para-loka)」という、これだけだと、厳密には、生まれ変わりなのか、キリスト教
> などの(一度きりの)来世なのか、はっきりせず、根拠とするには多少弱いと言えます。
この読みはありえないでしょう。苦行者文学の中で、すでに輪廻が共通認識なに「キリスト教などの(一度きりの)来世なのか」というのは噴飯ものですよ。
想を遍知して暴流を度るべし.
牟尼は諸遍取に染取するなく、
箭を抜き不放逸にして行じつつ.
此世と他[世]とを願求するなし.(suttanipata779)
南傳大蔵経、第42巻、79頁
(その古い註ニッデーサ)
此世と他[世]とを願求するなしとは、此世たる自己の身体を願求せず、
他世たる他人の身体を願求せず.此世たる自己の色・受・想・行・識を願求せず、
他世たる他人の色・受・想・行・識を願求せず.此世たる自己の六内処を願求せず、
他世たる他人の六内処を願求せず.此世たる人世間を願求せず、
他世たる天世間を願求せず.此世たる欲界を願求せず、他世たる色界・無色界を願求せず.
此世たる欲界・色界を願求せず、他世たる無色界を願求せず.
更に趣・生起・結生・有・輪廻又は輪転を願求せず.欲求せず、楽はず、
冀求せず、希望せず、熱望せざるなり.これ「此世と他[世]とを願求するなし」[の義]なり.
南傳大蔵経、第42巻、85-86頁
664 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 00:07:24 ID:8sKnfGZY
愛は世間にて何を因縁とするや.
また世間にて貪の為に人々が、
彷徨する[貪は何を因縁とするや].
また人々の拠趣となる所の
意欲と[その]成就とは何を因縁とするや.(864)
世間にてとは悪趣世間、人世間、天世間、蘊世間、界世間、處世間にてなり.
南傳大蔵経、第43巻、9-10頁
愛は世間にて欲を因縁とす.
また世間にて貪の為に人々が、
彷徨する[貪も欲を因縁とす].
また人々の拠趣となる所の
意欲と[その]成就ともこ[の欲]を因縁とす.(865)
成就とは茲に或る者は色を遍求しつつ色を獲得し、色[に対する欲]を成就す.
声・香・味・触・檀家(中略)初禅・第二禅・第三禅・第四禅・空無辺処定・識無辺処定・
無所有処定・非想非非想処定を獲得し、非想非非想処定を成就す. 南傳大蔵経、第43巻、13-14頁
665 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 00:16:58 ID:8sKnfGZY
>>662 あの、荒牧先生などの論文よまれたことありますか?
輪廻というのはウパニシャッド期に成立していた。
それらの行者たちの共通認識が苦行者文学という名前で呼ばれてます。
その用語を原始ジャイナでも原始仏教でも使用しています。
その中で輪廻というのは禅定体験による直接認識であり、
推論による想像ではないのです。
それなのに何故、釈尊は輪廻を体験せず。
それを否定したが、弟子たちはいつのまにか取り入れて、
釈尊が否定したものを混入したとでもいうのでしょうか?
しかも、どの部派も、大乗も。
さらにジャイナ資料やヒンドゥー資料にも釈尊が輪廻を否定したという
痕跡はみられないというのに、
666 :
宝珠愚者:2009/01/30(金) 00:24:12 ID:vIBbbOlW
>>661 ここは肝心なところですから、話を誤魔化さないで下さい!!
輪廻転生を説く仏教はカルトだと主張してるのはあなたの方です。ということは、説かない仏教が在ると
いうことなのでしょう(並川氏のような個人学説ではなく)! ですから、その仏教の法門、宗旨宗派・教団
とはどこですか?と私は聞いてるのです。
この私に聞いたってしょうがないでしょ・・。私は当然、説かない伝統教団などはどこにもないと見なして
いますから。そんな仏教解説書も情報も私は見たことも聞いたこともありません
カルトでない仏教とはどこの法門なのか、是非、それをここに提示願います。もし、できないのであれば、
仏教に対して根拠のないカルト呼ばわりなどは辞めて頂きたい。
667 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 00:24:31 ID:XE9RPgaO
>>665 並川さんが、すべて説明している。
そもそも、空を説いた釈迦が、来世の実在など認めたら、完全な論理
矛盾に陥る。
668 :
宝珠愚者:2009/01/30(金) 00:37:36 ID:vIBbbOlW
>>667 横レス失礼。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232162229/8 「現象界における一切の森羅万象は縁起に拠る無常な世界なのです。無常とは常に変成変滅する性質で
あり、輪廻している姿をいうのですよ。これが「空」の真義です。だから「空」だから輪廻がないなどというの
は勘違いの大間違い。輪廻現象は縁起が続く限りの間は止まることがない。この輪廻する姿を古代インド
思想では「非実在」という。」
>空を説いた釈迦が、来世の実在など認めたら、
空であるあなたもこうして肉体をともなって生存し、2CHしていますが、何か?
流転変滅とはこういうことをいうのですよ。
空だから来世がない、では何の説得力もありませんねw
669 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 00:44:16 ID:EMvbBdqx
>下ゲスリ愚者
未来永劫「輪廻転生」し続けて、どの「来世」でもループバカやってたら?(爆笑
670 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 00:47:41 ID:XE9RPgaO
>>668 君は確か、竜樹など読まないと言ってたが、仏教者なら、八宗の祖と
言われる竜樹くらい読んで、その「空」を理解してから、出直してくれ、
人間は、生きてるからこそ、変性変滅が可能になる。それが不可能に
なるのが「死」なのだよ。
671 :
宝珠愚者:2009/01/30(金) 00:48:49 ID:vIBbbOlW
>>666 おっと失礼!
浄土真宗は輪廻転生を認めないようですね。うっかり忘れてました。
自分でテンプレにリンク貼ってたのでした。
まっ、ここは阿弥陀信仰・・
アミターバ信仰を表明する以上、仏教とは言い難い。
672 :
宝珠愚者:2009/01/30(金) 00:52:39 ID:vIBbbOlW
>>670 原始仏典を読んでいれば、何故、龍樹が必要?
>人間は、生きてるからこそ、変性変滅が可能になる。それが不可能になるのが「死」なのだよ。
ふーむ、これが「空」ですか?
673 :
宝珠愚者:2009/01/30(金) 00:56:54 ID:vIBbbOlW
674 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 00:58:08 ID:SSu0maMO
ID:ys4mxxEG です
>>665 >輪廻というのはウパニシャッド期に成立していた。
ウパニシャッド期というのはいつです??
Wikiによれば
「各ウパニシャッドは仏教以前から存在したものから、16世紀に作られたものまであり、成立時期もまちまちである。」
「、108のウパニシャッドが伝統的に認められてきた。その中でも10数点の古い時代に成立したものを特に古ウパニシャッドと呼ぶ。
多くの古ウパニシャッドは紀元前500年前後に成立し、ゴータマ・ブッダ以前に成立したものと、ゴータマ・ブッダ以後に成立したものとある。」
紀元前500年以前から16世紀まで、二千年以上にわたるんですよ。「ウパニシャッド期」なんて一言でくくれません。
そしてブッダの生きた時代以前、仏典の最古層や最初期ウパニシャッドには「輪廻」(saMsAra)という語はないのです。
荒牧先生の論文は読んだことありませんが、あなたは何か勘違いしているのではないですか?
675 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 01:10:55 ID:DGk77o0k
>人間は、生きてるからこそ、変性変滅が可能になる。それが不可能になるのが「死」なのだよ。
竜樹の空理解についてどの著作のどの記述によってそう思われるか挙げてください
676 :
宝珠愚者:2009/01/30(金) 01:16:10 ID:vIBbbOlW
>>674 ウパニシャッド聖典、文献の中で「輪廻」(saMsAra)の使用が後期であったとしても、
文献に記される以前の“思想の中では”、すでにあったと見なすことはできるのではありませんか?
ちょっと原語確認ができませんが、
各種の初期ウパニシャッド(ブリハッド・アラヌヤカ、チャーンドギヤ)の
一部を見たところでは言及が見られますが・・。
677 :
宝珠愚者:2009/01/30(金) 01:23:17 ID:vIBbbOlW
>>670 >人間は、生きてるからこそ、変性変滅が可能になる。それが不可能になるのが「死」なのだよ。
追記:
この説明をそのまま受けますと、「死」という状態(もしくは形態)が永久に続くことになります。
しかし、一つの状態に留まり続けることがないというのが変性変滅、
「無常」ということではありませんでしたかね?
死んでそのまま固定で終わりなら、ただの「断見」外道なのですが・・。
678 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 01:26:21 ID:SSu0maMO
>>676 >“思想の中では”、すでにあったと見なすことはできるのではありませんか?
そのためには、どのような文脈でどのような表現が正確にどのような意味で使われているかを
明らかにしなければなりません。
>各種の初期ウパニシャッド(ブリハッド・アラヌヤカ、チャーンドギヤ)の
>一部を見たところでは言及が見られますが・・。
確かに、生まれ変わり思想はあります。五火二道説です。
しかしそれは仏教の輪廻思想、六道輪廻などとは異質なものです。
またそのことと、ブッダの思想がどうだったかということは別です。
最古層を見れば輪廻という言葉がないばかりか、生まれ変わり思想や神々の話など
神秘的・神話的要素はほとんど見られません。(全くないわけではないが)
だからブッダも、当たり前のように生まれ変わり思想としての輪廻を説いていたとは
考えにくいのです。
679 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/30(金) 07:15:17 ID:A8r5pZlk
>>647 >一つお聞きしますが、
>あなたは自分で言っていることを自分で分かっていますか?
>理解していますか?
理解する。というよりも直観的に感受するものですね。
つまり、ストレートに心に導入されるものを何とか少ない語彙において表現せざるを得ない。
(不立文字ともいう)
音楽でもなんでもそうです。
アーティストがメッセージを発信して、聴き手はそれを感受して感動するんでしょうから。
公案も同じです、師がメッセージを発信して、それをどう受けるか?
「これは公案の問い自体が意味があるのではない」というのが一般的ではないですが。
「無心」というのは、無という概念にいきなり突入するもんでもない。
また「有心」となれば、かならず迷妄に陥ります。
こういった二項(有無)を意味するもんでもない。
この「無心」においては、問う者と応じる者が互いのコンセンサスにおいて意思疎通をするのです。
これを以心伝心と言いますね。
公案もこのベクトルです。
公案(問い)を通じて、師のメッセ−ジを受止める。
(語意自体はあまり問題にはならない)
680 :
380:2009/01/30(金) 07:25:19 ID:oyNF+WOm
>627
で、どこに子供のまま在家のままで解脱したという話があるのですか?
はやく例を挙げて下さい。こんな簡単なことがなぜできないのでしょう?
これにこだわるのはあなたが「子供でも在家でも解脱できる」と書いたからですが?
さて、あなたの挙げたnanda-suttaは外道のムニを否定したものですが、
それがどうして仏教の出家主義を否定したことになるのですか?根拠になっていません。
しかもブッダはすべての外道を否定していません。
>子供のまま、というのは結構ですが、在家のまま、というのは、在家の定義によります。
>解脱した境地というのは、全てを捨てているのです。だからその意味では既に出家です。
また屁理屈ですか?
執着を離れた在家は出家である・・・これはむしろ大乗思想ですが?
>しかしそれまで在家でいては解脱できないなんて条件はありません。
「それまで」とは何ですか?
はやくこの根拠を提示して下さい。
681 :
380:2009/01/30(金) 07:43:07 ID:oyNF+WOm
>私がしているのは、「誰でも」「条件はない」という話なのです。
それならある程度理解できますが、最初からそのように表現すべきです。
もっとも私は多くの律の記述から当初より無条件の出家はなかった、と思っております。
さてSPの生天思想は案の上、通説で片付けていますが、
生天思想の解釈を言っているのではありません。
あなたの言うように「在家でも解脱できる」のなら、なぜ生天思想を
在家に説く必要があるのか?ということです。
生天を望むこと自体、欲望でしょう。
あきらかに出家と在家を別に見なしておりますが。
今電波=電波男だなこりゃ。
キャラかえて誤魔化しても、論理展開に滲み出る人格のお粗末さが隠し切れない。
683 :
初代スレ7:2009/01/30(金) 08:00:48 ID:pc3ZLsoG
ちょいと横から口を挟むが、
>>666 >>661は、 《>「輪廻転生」を「仏教の【中心思想」としている】法門は―》と訊いているようだが、
貴方は、 《>ということは、【説かない】仏教が在るということなのでしょう ?》と言い直している。
ニ者は同じことなの?
『説いている』という事象としては同じだから同じなの?
お馬鹿な私に誰か教えてw
684 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 08:29:38 ID:FqzwNy1/
>>217-218 御返信ありがとうございます。御礼が遅延し申し訳ありません。
梵本については、瓜生津訳が手元に御座います。
真諦訳については、書き下しが北畠訳が手元に御座います。
蔵訳について、甚だ御迷惑だと思うのですが、
「デルゲ、チョーネ」「ナルタン、北京、ラサ(金写)」「ショル版」
の蔵訳と、及び、1.48-49(特に49)のアジタミトラ註について、
邦訳して頂く、というわけにはいかないでしょうか?
真諦訳についてなのですが、「先長後爲短 “不然”非性故」とあり、
「先長後爲短」に否定的のように思われます。
そのようであれば、意味的に瓜生津訳に近くなるように感じるのですが、
如何でしょうか。
>意味も検討してみます。
宜しく御願い致します。
こちらのスレは展開が速いので、宜しければ、続きは、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230059903/ で御願い出来ないでしょうか。
御返答御待ちしております。
685 :
684:2009/01/30(金) 08:38:42 ID:FqzwNy1/
>>684 一部修正致します。
×「デルゲ、チョーネ」「ナルタン、北京、ラサ(金写)」「ショル版」
の蔵訳
○「デルゲ、チョーネ」「ナルタン、北京、ラサ(金写)」「ショル版」
の“1.48-49の”蔵訳
686 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 09:47:06 ID:8sKnfGZY
>>674 あの、インド哲学史とかインド思想史など読まずにそんなこと言われても
困るんですが、
シュトラウス、オルデンベルグ、木村泰賢、宇井伯寿、辻直四郎、ゴンダ、中村元、佐保田鶴治、フラウヴァルネル、ダスグプタ、前田専学
などみな輪廻と業の成立を古代ウパニシャッド期にしてますよ。
たしかにウパニシャッドは後代に作られたものもありますが、
思想史的文脈で述べてるのが明らかなのですから、
叙事詩以前成立の古代ウパニシャッドを指すというのはインド学の共通認識です。
輪廻と業に関しては古代ウパニシャッド期に成立、叙事詩時代に苦行者文学といわれるシュラマナ用語の中で確立、
その用語をジャイナ、仏教が使用したというのが学者の共通認識ですよ。
前にも引用しましたが『カタ・ウパニシャッド』3.7で
(行をせず心不浄で無明な)彼は、かの(再生しない)境地に達せず、輪廻を行く。
『カタ・ウパニシャッド』は、古代ウパニシャッドに分類されるものですが、
古代ウパニシャッドも1.古散文2.韻文3.新散文と三つに時代区分される中の
2.韻文ウパニシャドと称されるものです。
前田専学『インド思想史』の年表ではBC500年頃が古代ウパニシャッドで、
釈尊の生誕はBC383あるいはBC463となっているのを確認してください。
いずれにしても古代ウパニシャッドが釈尊より先行することは誰もが認める説ですよ。
>仏典の最古層や最初期ウパニシャッドには「輪廻」(saMsAra)という語はないのです。
これは並川さんの説ですか? 嘘じゃないけど詭弁ですね。
たしかに1.古散文ウパニシャッドにはないようですが。
並川さんなんか読めば穴だらけなのは分かるんですが、なんで信用するんでしょうか?
687 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 09:49:29 ID:8sKnfGZY
>>667 >そもそも、空を説いた釈迦が、来世の実在など認めたら、完全な論理
>矛盾に陥る。
来世も現世も実在しません。空です。
どちらも縁起して輪廻するんです。
もちろん、主体もない無我。
688 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 09:57:05 ID:8sKnfGZY
>>684 現在、検討中です。
一応、関連文献の検討は終わりましたが、
「仮設」「戯論」「言語習慣」を説明するのに苦心しております。
これが分からないと『アジタミトラ註』や『入中論自註』の引用箇所も
全く意味が通じないと思われます。
中観スレですね。了解しました。
689 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 10:28:32 ID:SSu0maMO
>>679 > 理解する。というよりも直観的に感受するものですね。
そのことはどうやって知ったのですか?
「理解する。というよりも直観的に感受するものですね。」ということも
直感的に感受したんですか?
音楽を聴いて感動するのは、それこそただの感受・反応であって、何か真実を直観したわけではありません。
音楽に感動して、何か自分は世界と一つだ、という気分になったとしても、ただの錯覚です。
> 「無心」というのは、無という概念にいきなり突入するもんでもない。
また「有心」となれば、かならず迷妄に陥ります。
こういった二項(有無)を意味するもんでもない。
この「無心」においては、問う者と応じる者が互いのコンセンサスにおいて意思疎通をするのです。
これを以心伝心と言いますね。
公案もこのベクトルです。
公案(問い)を通じて、師のメッセ−ジを受止める。
これらのことも直感的に感受したのですか?それとも通俗本に書いてありましたか?
いずれにしろ、議題になっているようなブッダの思想ではありません。
690 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 10:59:39 ID:O/pgOyjM
>>677 >この説明をそのまま受けますと、「死」という状態(もしくは形態)が永久
>に続くことになります。しかし、一つの状態に留まり続けることがないとい
>うのが変性変滅、「無常」ということではありませんでしたかね?
生物が「変わる」ためには、「生命」というエネルギーが必要。「死」とは、
「生命」というエネルギーの喪失。従って、死後は変化は不可能。
死後の死体の腐敗は、細菌という他のエネルギーによる。細菌のエネルギー
の及ばない骨は、何千年たっても変化しない。身体が腐敗した結果残る原子
についても同様。
無常とは、生体が、生命のエネルギーによって常に変化し続けているる状態を
いう。
>>687 > 来世も現世も実在しません。空です。
>どちらも縁起して輪廻するんです。
>もちろん、主体もない無我。
「空」だから執着するな、ということだね。それにしては、ここの皆さんの
執着が物凄いのは何故かねw。
「主体も無い無我」が輪廻する、というのは、やはり言語矛盾だね。輪廻という
述語だけで、主語が無いw。
691 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 11:15:07 ID:O/pgOyjM
科学が、いかなる宗教の奇跡も及ばない発達を遂げた現代において、科学が
存在しなかった古代の文献の解釈に当たっては、常に訂正・修正を加える
ことが必要。古代の文献は、あくまで「当時の社会状態における、当時の人々
に対するもの」に過ぎないのだから。常に、社会の変化を考慮する必要がある。
当時の文献が、現代でも通用するという前提での解釈は、方法論として誤り。
原始仏教だけが仏教だ、などと言うのは、「ライト兄弟の飛行機だけが飛行機だ」
と言ってるのと同じ。現代のジェット機とは、格段の相違があるではないか。
大乗仏教は、原始仏教の「空」を、無数の人々の思索によって改良・発展させた
たもの。現代のジェット機である。
692 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 11:20:47 ID:8sKnfGZY
>>690 >「空」だから執着するな、ということだね。それにしては、ここの皆さんの
>執着が物凄いのは何故かねw。
観念的に執着するなという気休めみたいなスローガンではありません。
戒を守り、定を深め、慧を出せば空だと体感できるという意味です。
現世が見るまま実在すると捉えるのが無明であって、
そのような自然状態が、輪廻で、そのままでは転生し続けて苦しむだけだということです。
その前提、現状認識として我々は輪廻にいるという認識が必要であるというのが仏教です。
>「主体も無い無我」が輪廻する、というのは、やはり言語矛盾だね。輪廻という
>述語だけで、主語が無いw。
それは言語が無明に基づいているからでしょう。
チョムスキーとかピンカーの言う言語能力、言語本能に相当するのが戯論と訳されるプラパンチャで、
これは事象に抽象概念の与えて意味/対象を膨らませていく本能のようなものです。
つまり、本来空で分節や本体、本質を持たないものが、無明や戯論の力で
本体や本質を持って目の前に現れる。
無我・空なのに私というものが実在すると勘違いする習慣に馴染んでずっと輪廻していることからくる煩悩です。
ですから、勝義からすれば輪廻もなく我もないのですが、
無明に捕われた我々は、今、私が実在していると思っているように
自我意識を持って輪廻し続けるというわけです。
それを仏教は縁起で説明し、実体は認めないので主体があるとはいわない。
ただ、世俗的言語習慣に従うなら魂や意識、自相続が輪廻すると仮設しても問題ありません。
それを実在だと考えるのがサーティのように誤りなだけです。
693 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/30(金) 11:22:51 ID:jWa/ck3d
>>689 >「理解する。というよりも直観的に感受するものですね。」ということも
>直感的に感受したんですか?
人間というものは言語概念をとおしてモノゴトの思考をするものです。
しかしながら言語というのは不二の法門を解するには非常に不便でして、
それは言語というもんが相対概念を前程として成り立つからです。
「理解する」というのは、このベクトルであります。
直観、または直覚というのは、こういった一連の言語概念ではなく、
それよりももっとストレートに伝わってくる主客未分の本能的なものです。
(おそらくは、人類が言語獲得する以前からありましたインスピレーションのようなもん)
この本能的に感受する能力は、人類が言語を獲得することを堺に退化したことは想像できる。
つまり、
言語がなくても原始時代の人類は意思の疎通は可能だった。
(この本能的な能力であります)→これは公案にも関係します。
>これらのことも直感的に感受したのですか?それとも通俗本に書いてありましたか?
基本的に禅は依典はないのです。
そのために看話禅は公案という方法を用いるのです。
>いずれにしろ、議題になっているようなブッダの思想ではありません。
おそれいります。
拙者は、釈尊の本懐たる中道を語ちているだけなんですよ。
694 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 11:38:15 ID:O/pgOyjM
>>692 苦しい言い訳だね。
ある観念に執着して、他の観念に対する執着を去るというのは矛盾。執着その
ものは、依然として残っている。それは「空」ではない。
「無明」であるはずの原始仏教の「言葉」に、最も執着しているのが、君では
ないかねw。
695 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:01:40 ID:SSu0maMO
>>680 > で、どこに子供のまま在家のままで解脱したという話があるのですか?
> はやく例を挙げて下さい。こんな簡単なことがなぜできないのでしょう?
>681
>それならある程度理解できますが、最初からそのように表現すべきです。
私の書き方が悪かったようです。「在家のまま」解脱が可能ということではありません。
私の言いたかったことは、「特別な人」でなくても解脱に至れるということです。
バラモンの家に生まれなくても、長い間在家生活していても、解脱した例はあるということです。
(これはもともとの話、あなたの、解脱は100mを3秒で走るような現世では不可能なこと、に対する反論です)
たとえば、スッタニパータの76-82には農夫の話が出ています。ブッダのもとで出家し、ちゃんと解脱しています。
> さて、あなたの挙げたnanda-suttaは外道のムニを否定したものですが、
> それがどうして仏教の出家主義を否定したことになるのですか?
私が挙げた部分に限らず、最古層・古層全体を通して、「妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々」が解脱した人だと説かれているのです。
>また屁理屈ですか?執着を離れた在家は出家である・・・これはむしろ大乗思想ですが?
初期仏教では、「執着を離れた在家は出家である」という表現は矛盾しています。出家とは通常、家も家族も捨て、解脱を目指して頑張って修行する修行僧のことですし、
在家は財産・家庭など所有した人ですから、執着を完全に捨て去って解脱したら、在家も出家もないでしょう。そのような区別の意味はありません。
>「それまで」とは何ですか?
全てを捨て去るまでです。
出家主義とは、出家した方が修行しやすいから薦めているというだけのことであって、
出家しなければ修行できないとか、解脱できないなんてことはありません。そんなことはどこにも書いてないのです。
そもそも最古層ではブッダは出家と在家を区別するようなことすら語っていません。
696 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:16:05 ID:8sKnfGZY
>>695 SSu0maMO
あなたがウパニシャッド説を誤解してたことや、
釈尊に輪廻概念がないというのは誤解だということは、了解していただけましたか?
697 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:16:36 ID:8sKnfGZY
>>693 >拙者は、釈尊の本懐たる中道を語ちているだけなんですよ。
全然語ってませんよw
698 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:17:17 ID:SSu0maMO
>>686 > あの、インド哲学史とかインド思想史など読まずにそんなこと言われても
> 困るんですが、
読んだ上ですよ。
> シュトラウス、オルデンベルグ、木村泰賢、宇井伯寿、辻直四郎、ゴンダ、中村元、佐保田鶴治、フラウヴァルネル、ダスグプタ、前田専学
> などみな輪廻と業の成立を古代ウパニシャッド期にしてますよ。
> 叙事詩以前成立の古代ウパニシャッドを指すというのはインド学の共通認識です。
> 前にも引用しましたが『カタ・ウパニシャッド』3.7で〜
古代ウパニシャッドも多くはブッダより後なんですよ。
カタ・ウパニシャッドは古代ウパニシャッドの中でも中期(紀元前350年から紀元前300年頃)ですから、ブッダより後です。
あなたが並べている学者たちの言う輪廻の成立の話も、ブッダより後の初期仏教時代の話なんですよ。
> 前田専学『インド思想史』の年表ではBC500年頃が古代ウパニシャッドで、
> 釈尊の生誕はBC383あるいはBC463となっているのを確認してください。
> いずれにしても古代ウパニシャッドが釈尊より先行することは誰もが認める説ですよ。
BC500年頃というのはざっくりした、数百年の誤差を含んだ話です。
古代ウパニデャッドの成立は紀元前800年から紀元前200年以降にまでわたりますから。
もう一度確認してください。「古代ウパニシャッドが釈尊より先行することは誰もが認める説」
などというのは事実ではありません。先行するのは古代ウパニシャッド初期(BC800年からBC500年)のものだけです。
>これは並川さんの説ですか? 嘘じゃないけど詭弁ですね。
たしかに1.古散文ウパニシャッドにはないようですが。
並川さんなんか読めば穴だらけなのは分かるんですが、なんで信用するんでしょうか?
並川さんの説は知りません。私は歴史的常識を書いてるだけのつもりなんですが。
699 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:23:05 ID:SSu0maMO
>>693 回答になっていません。
私が聞いているのは、あなた自身が書いているようなことをあなた自身がどうやって知ったのかということです。
それも直感的感受ですか?
>言語がなくても原始時代の人類は意思の疎通は可能だった。
これはびっくりですね。では言語は必要ないですね。なぜ言葉があったのでしょうね。
>釈尊の本懐たる
だからどうして「>依典はない」のにそれが分かるのです?
あなたの直感的感受ですか?
700 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:26:11 ID:8sKnfGZY
>>698 カタ・ウパニシャッドの引用は、ウパニシャッドに輪廻が説かれないという
説への反証です。
>カタ・ウパニシャッドは古代ウパニシャッドの中でも中期(紀元前350年から紀元前300年頃)ですから、ブッダより後です。
確かにサムサーラという言葉の成立は、あるいは釈尊が関わっているかもしれませんが、
>あなたが並べている学者たちの言う輪廻の成立の話も、ブッダより後の初期仏教時代の話なんですよ。
輪廻概念の成立は、学者みな仏教以前でしょう。
輪廻概念の成立が仏教以降という説はどのたの説でしょうか?
701 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:34:35 ID:SSu0maMO
>>700 「ウパニシャッドに輪廻が説かれない」などと一言も言っていないつもりです。(もしうっかり書いていたら書き間違いです)
「ブッダ以前のウパニシャッド(古代ウパニシャッド初期)」には輪廻が説かれていない、と言っているのです。
>輪廻概念の成立は、学者みな仏教以前でしょう。
>輪廻概念の成立が仏教以降という説はどのたの説でしょうか?
仏教以前という言葉は、史的ブッダ以前という意味ではありません。輪廻の成立したと言われる初期仏教(ブッダ入滅後以降数百年間)
以前ということでしょう。その時代に成立したと思われるのです。それ以降急速に古代ウパニシャッドや仏典に広まるのです。
ブッダ以前、BC500年よりも前に輪廻思想が成立していたなんて言っている学者が一人でもいますか?
702 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:43:09 ID:8sKnfGZY
>>701 >ブッダ以前、BC500年よりも前に輪廻思想が成立していたなんて言っている学者が一人でもいますか?
むしろみんなそうですよ。例えば、前田専学『インド思想史』26
(ウパニシャッドで成立した)業による輪廻とそれらかの解脱の教説は、
ヒンドゥー、仏教、ジャイナ教の根底をなしており、インド思想・
宗教・文化に及ぼした影響は測りしれないものがある。
そういえば、電波もアホダラも仏教は素朴実在論だ、とか喚いていたな。
704 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:48:42 ID:8sKnfGZY
>>703 >そういえば、電波もアホダラも仏教は素朴実在論だ、とか喚いていたな。
ありえない読みですね。
705 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 12:51:43 ID:SSu0maMO
>>701 補足
古代ウパニシャッドの初期に当たる時代には「五火二道説」がありますが、これは仏教の輪廻思想とは異質です。
ですが輪廻思想の起源になった可能性はあるでしょう。
五火というのは、死者が火葬されると月の世界に行き、次に雨となって地上に降り注ぎ、地中に入って食物にる。
次に男の体内に入り精子となって、母体に入って胎児となり、やがて再生するというサイクルです。
これは輪廻の起源だとしても、とても「仏教の輪廻思想の成立」とは言えないでしょう。
仏教の輪廻思想は六道輪廻です。
Wikiの六道の項にも成立については、「仏教成立以前の古代インド思想を起源とし、原始仏教においてはさほど重大な意味を為さない。
体系化が進行したのは後代と考えられる。」
とあります。これが一般的な理解でしょう。私は何も特殊な説を言っているわけではありません。
>>702 その記述で、どうしてBC500年以前の話だと分かります? 「ウパニシャッドで成立した」というのはむしろそれよりずっと後の
時代でしょう。ウパニシャッドの大半はBC500年より後なのだから。BC500年より後ならその記述は正しいと思います。
706 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/30(金) 13:01:21 ID:A8r5pZlk
>>699 >私が聞いているのは、あなた自身が書いているようなことをあなた自身がどうやって知ったのかということです。
>それも直感的感受ですか?
勿論そうです。
何度か2ちゃんねるで拙者が書込みしてます。
拙者は「除夜の鐘」を聞いて閃きました。
>これはびっくりですね。では言語は必要ないですね。なぜ言葉があったのでしょうね。
びっくりすることはないですね。
犬でも猫でも言語なしに意思疎通はありますから。
しかしながら人は、高度な文明を形成するのあたって、また言語を獲得するに到ったのです。
>だからどうして「>依典はない」のにそれが分かるのです?
あなたの直感的感受ですか?
中道ですから偏することは釈尊本懐にそぐわない。
じつに簡単じゃないですか。
しかしながら、こういった簡単なことも人は無明なのです。
簡単なことに気づくことを「悟り」とか言いますね。
では「偏する」とはどういうことなんでしょう?
これは貴殿が貼り付けた、道元語録参考になさってくださいまし。
(かしこ)
707 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 13:01:40 ID:8sKnfGZY
>>705 正確な年代は分かりません。それはどの学者もそうでしょう。
問題は、仏教以前に業・輪廻説が成立していたということです。
これは諸学者が一致して認めることです。
この点であなたの言うように「輪廻の成立したと言われる初期仏教
(ブッダ入滅後以降数百年間)」と言った説は、始めて目にしますが、
どなたがどんな文献で唱えられているのか教えてください。
こんな説は、輪廻は生まれ変わりを意味しない説のように
ネットでしか見たことがありません。
708 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 13:17:36 ID:SSu0maMO
>>707 >>705に書いたでしょう。「仏教成立以前の古代インド思想を起源とし、原始仏教においてはさほど重大な意味を為さない。
体系化が進行したのは後代と考えられる。」と。これが一般的な説です。
「起源」を「成立」とはいいませんから、「輪廻の成立」と言えば六道が体系化されて以降、あるいはその前後です。で、これは
初期仏教時代(ブッダ入滅後以降数百年間)でしょう。
仏教以前という言葉は、曖昧ですから、仏教成立以前という意味なのかブッダ以前という意味なのか分かりませんし、
以前という言葉は「〜より前」ではなくその時代も含みます。だからそういう意味では「仏教以前に業・輪廻説が成立していた」
という言い方も間違いではないですが、それはブッダより後です。
このスレッドに出没する様々な仏教解釈を眺めていて、あらためて仏教哲学の完成度とその論理性の高さに驚いた。
どこに驚いたか?
どんなにトチ狂った経典解釈をしたところで、せいぜい現実肯定のフォークソングくらいにしか間違わないからだ。
一見、穴だらけに見える仏教経典は素晴らしい意匠で、理解に時間がかかっても、なるべく後進の弟子達が過たないように作られている。
しかも、間違った理解に及んでも、なるべく世間に害が少ない形に収まるように、言外の導きが隠されていると見た。
710 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 13:22:32 ID:3tbh8DCI
輪廻思想成立前は輪廻は現象しなかったらしいw
なんで輪廻思想なるシロモノをわざわざ創出公布させたかが問題だろう。
アーリア侵略によるカースト的権力支配の合理化のためだ。
機能において奴隷を手なずけるイソップ物語と動機において同じだ。
近代ににおいて、ヒトラーのナチスドイツがアーリア民族の優秀性を唱えてユダヤ民族の抹殺を実行に移しし、
アーリアによる千年王国を築こうと夢みたことと本質的に変わりはない。
ヒトラーは近代ヨーロッパで失敗したが、インドではカースト制度によってみごと2千年以上の王国が成立したのだ。
政治思想的工作物に過ぎないものを
頭から信じるなど狂気というしかない。
あ、二代目電波と摩り替ったね。
初スレ5さんだ。
712 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 13:27:12 ID:8sKnfGZY
>>708 その説を主張している、学者と論文を教えてください。
以前、輪廻は生まれ変わりを意味しないという説を
唱えていた方も、その説の根拠となる学者と論文は明示できませんでした。
なぜか、そんな説は、なんの根拠もない詭弁だからです。
あなたは、違いますよね?
713 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 13:31:04 ID:SSu0maMO
>>706 >勿論そうです。
あなたが直感的感受によって知った内容が単なる思い込みや妄想でないという保証はどこにあるのでしょう?
>びっくりすることはないですね。
>犬でも猫でも言語なしに意思疎通はありますから。
犬や猫とは意思疎通のレベルが全然違うでしょう。私がびっくりしたのは、
>言語がなくても原始時代の人類は意思の疎通は可能だった。
と言語が必要のない高いレベルでの意思疎通が可能だったのなら、なぜわざわざ言語を発明したのかということです。
>中道ですから偏することは釈尊本懐にそぐわない。
>じつに簡単じゃないですか。
全く意味が分かりませんね。妄言が過ぎます。
714 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 13:32:43 ID:8sKnfGZY
715 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 13:45:59 ID:SSu0maMO
>>712 >その説を主張している、学者と論文を教えてください。
説ってほどのものではなくて常識ですよ。あなた自身が引用したではないですか。
「(ウパニシャッドで成立した)業による輪廻とそれらかの解脱の教説は、
ヒンドゥー、仏教、ジャイナ教の根底をなしており、インド思想・
宗教・文化に及ぼした影響は測りしれないものがある。」
ウパニシャッドの成立は一般にブッダ以降なのですから、(ブッダより前は、180あるウパニシャッドのうちわずかに7つほど)
これはブッダ以降にウパニシャッドで「業による輪廻」の思想が成立し、それがヒンドゥー、仏教、ジャイナ教などに取り入れられ
たということを意味していることは明らかじゃないですか。自分自身で引用していながら、それに気がつかないなら、私が何を言っても
無駄です。
「輪廻は生まれ変わりを意味しない」に似た話を書いたのも私ですが、
正確にはそんなことは言っていません。「輪廻(samsara)の原義は流転という意味であり
もともと生まれ変わりではなかった」と言っているのです。
>その説の根拠となる学者と論文は明示できませんでした。
常識なことはいちいち論文にしないでしょう。これも逆に否定している学者や論文はあるのかと尋ねているのです。
辞書にも書いてあることですよ。前に辞書の記述を色々引用したでしょう。
先ほどのあなたの引用のように、勘違いする人は何を示しても誤解して読むのですから、そういう人には何を言っても無駄なようです。
716 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/30(金) 13:46:43 ID:A8r5pZlk
>>713 >あなたが直感的感受によって知った内容が単なる思い込みや妄想でないという保証はどこにあるのでしょう?
貴殿は面白いこと書きますね。
では回答します。
知った内容はないのです。→論理構築する必要はない。→中道だから。
ゆえに妄想しようがない。ということで宜しいでしょうか?
>と言語が必要のない高いレベルでの意思疎通が可能だったのなら、なぜわざわざ言語を発明したのかということです。
人類は過去において狩猟してましたから、
遠隔で意思疎通を図ることも必要です。
つまり、生活環境においてその能力も開発されていくわけで、
現代よりも、五感・六感が鋭くなければ狩猟は困難です。
(武器などが発達してませんから)
言語もやはり、共同体としての「個人の所有」という概念が芽生えてくると
より極めやかな言語文化を形成する因になる。
(これもやはり環境に順応する生物の本性)
>全く意味が分かりませんね。妄言が過ぎます。
そうですか。
それは残念です。
己に習うほかあるまい。→by正法眼蔵より。
717 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 13:54:31 ID:8sKnfGZY
>>701 >輪廻の成立したと言われる初期仏教(ブッダ入滅後以降数百年間)
>>708 >「輪廻の成立」と言えば六道が体系化されて以降、あるいはその前後です。で、これは
>初期仏教時代(ブッダ入滅後以降数百年間)でしょう。
以上の説、それから輪廻は生まれ変わりを意味しないという説は、
あなた以外から聞いたことありませんよ。電波さんw
以上は、全て輪廻という文字記号、サムサーラ、パラローカなどが否定できないから、
その意味を変えようという詭弁に他ならない。いつもの手ですね。
ごくろうさまですw
話の流れ読まずにすみませんが、質問させてください。
スッタニパータに釈迦が自分の寿命が120年だと断言する箇所があったと思うんですが、
実際には80くらいで入滅していますよね?
この辺どう思われますか?
釈迦はウソをついたんでしょうか?それとも勘違い?
そもそもなんのために寿命について述べているんでしょうか?
あと、経典編纂時に釈迦の入滅が80だというのは分っていたはずですが、
何故わざわざウソと思われるようなことが記述されてるんでしょうか?
経典編纂者は何を考えていたんでしょうか?
719 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 14:05:17 ID:SSu0maMO
>>716 >貴殿は面白いこと書きますね。
では回答します。
知った内容はないのです。→論理構築する必要はない。→中道だから。
ゆえに妄想しようがない。ということで宜しいでしょうか?
矢印なんか使ってますけど、それ以外にも「だから」「ゆえに」「ということで」
これはすべて論理記述です。あなた自身が論理構築しているのに、論理構築を
否定しているとはとんでもない矛盾ですね。
あなたは
>「除夜の鐘」を聞いて閃きました。
と書きましたが、じゃあ私が
目覚ましのベルでも聞いて、「直感的感受で何かを悟るというのはただの思い込み、妄想」
と閃いた、と言ったら、どうします?
どちらの閃きが正しいですか?
>人類は過去において狩猟してましたから、
>遠隔で意思疎通を図ることも必要です。
一体何の話です?そんなものは全然言語と同レベルの意思疎通じゃないでしょう。
あなたは「言語がなくても原始時代の人類は意思の疎通は可能だった。」と書いたのですよ。
これは単に狩猟時の阿吽の呼吸のことですか?とても「言語がなくても」なんてレベルの話ではないですね。
阿吽の呼吸では「今夜はお好み焼きじゃなく好き焼きが食べたい」ってことすら伝えられませんよw
所詮あなたの「以心伝心」はこんなもんです。
720 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 14:10:21 ID:SSu0maMO
>>718 >スッタニパータに釈迦が自分の寿命が120年だと断言する箇所があったと思うんですが
そんなとこありましたか?確か一箇所120歳というところが出てきますが、それはバーヴァリという
バラモンの年齢ですよ。
>そもそもなんのために寿命について述べているんでしょうか?
バーヴァリの年齢を質問されたからです。
私の勘違いですか?どこかに「釈迦が自分の寿命が120年」ということを述べているなら、具体的な箇所を教えてください。
721 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 14:10:36 ID:3tbh8DCI
だいたい古代インド人には「いつ」と言う時間概念はなかった。
時間が時系列では流れてはいなかったのだ。
だから時間記録が欠落している。
ブッダはBC5〜6cの人といわれているが、ブッダの生死タイミングは実は確定できない。
学説により大きく異なり、BC4〜10cという時間幅がある。
だから輪廻思想とからめて学説の可否で「いつ」を問うのはアフォらしすぎるのだ。
寺和田の自己中歴史観は無視したほうがいい。
722 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 14:15:08 ID:3tbh8DCI
だから大乗仏教の末法思想などでっち上げ妄想だということがわかる。
723 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 14:25:00 ID:8sKnfGZY
>>721 そんなことないですよ。
主に北伝系に依拠する宇井・中村、ベッヒェルト説BC380頃
主に南伝系に依拠するガイゲル、ヤコービ説BC480頃
この二つが学会的認識でしょう。
724 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/30(金) 14:25:23 ID:A8r5pZlk
>>719 >あなた自身が論理構築しているのに、論理構築を
>否定しているとはとんでもない矛盾ですね。
釈尊教説を説示するには、言語慣習に依らねば困難です。
>と閃いた、と言ったら、どうします?
>どちらの閃きが正しいですか?
拙者が言う閃きとういうのは、そもそも正邪の分別はない。
よって「何が正しいのか?」と迷うのは、単なる妄想ですね。
>一体何の話です?そんなものは全然言語と同レベルの意思疎通じゃないでしょう。
言語獲得と無明のいう概念は関係があります。
拙者はそういうアカデミックなレベルで語ちてるんですよ。
生得的には人間は無明はありません。
言語を学習するにおいて無明もまたあります。
(これは非常に難しい話になりますけどね)
725 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 14:41:52 ID:SSu0maMO
>>724 言語習慣に依った以上、言語により表現された
命題には正誤があります。
そして脳内の「理解」の働きも、推論・論理によるものであり、
直観は妄想と区別できません。
そして、論理に置き換えができず、正誤のない概念、正邪の分別のない概念は何の役にも
立ちません。これこそ妄想、妄念で、ブッダが捨てよと言ったものです。
言語にを正しく使って正しい推論、論理を示せないことが無明(の一つ)です。
>拙者はそういうアカデミックなレベルで語ちてるんですよ。
アカデミックとな・・・・
>生得的には人間は無明はありません。
>言語を学習するにおいて無明もまたあります。
では子供に言語を教えず、野生児として育てたらどうでしょうか?
あなたの話はルソーの自然主義を極端化した話で、仏教と関係ないし、
中道にも反します。
分別のない奴、とはよく言ったものですw
726 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 14:50:18 ID:SSu0maMO
>>724 >釈尊教説を説示するには、言語慣習に依らねば困難です。
釈尊教説であるというのも、直感的感受によって知ったのですか?w
ブッダが何を語ったか分かるのなら、超能力ですねw
頭の中にブッダの声が聞こえるのですか?
727 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/30(金) 15:15:50 ID:jWa/ck3d
>>726 >釈尊教説であるというのも、直感的感受によって知ったのですか?w
そうですね。
経典というのは、それらを演繹的に考察するには優れた資料ですね。
>言語習慣に依った以上、言語により表現された
>命題には正誤があります。
経典にはこれらのことも詳細に記述があります。
演繹的には意は解せます。
しかしながら帰納的には所詮無理なんですね。
(例えば仮設として表記したものを、即否定など)
類推とか推論とは違いますから。
>ブッダが何を語ったか分かるのなら、超能力ですねw
貴殿の前にあるパソコンは存在してますか?
もしこれを論理的整合性において全く矛盾なく回答できるなら、
貴殿はもはや釈尊言説に到達するには困難です。
728 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 15:42:46 ID:SSu0maMO
>>727 >>釈尊教説であるというのも、直感的感受によって知ったのですか?w
>そうですね。
ほう、そうですか。では正確な生年月日を聞いてきてください。
BC380頃かBC480頃か、どちらの説が正しいか、あるいは両方とも違うのか興味があります。
楽しみに待っています。
他にも直接聞いてみたいことが山ほどありますw
ブッダに直接聞けるなら、ここでしている議論は全て解決ですね。
>経典というのは、それらを演繹的に考察するには優れた資料ですね。
あなたが書いているようなこと経典には書いてありませんけどね。不思議ですね。
最古層・古層の経典は非常に論理的です。
>貴殿の前にあるパソコンは存在してますか?
もしこれを論理的整合性において全く矛盾なく回答できるなら、
貴殿はもはや釈尊言説に到達するには困難です。
こんなこと書くところを見ると、やはり現実と妄想の区別がついておられないようだ。正しい認識と妄想の違いを教えてあげましょうか?
私の前にパソコンは存在しています。それは正しい認識です。なぜなら、いくらでも証拠があるからです。
誰を連れてきても、「君の前にパソコンはある」と一致した証言をしますし、ビデオに撮影して状況保存することもできます。
正しい認識というのは、このような客観的なものです。一方、あなたの直感的感受などはあなた個人のものであって、
他人に確認することはできません。これは妄想と区別できないのです。そんなものを他人に語っても何の意味もあり
ませんし、「頭がおかしい」と思われるだけです。
729 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/30(金) 16:13:20 ID:jWa/ck3d
>>728 >私の前にパソコンは存在しています。
これは実存主義といいまして仏教とはほど遠いですね。
(思想は個人の自由です。けっして批判はしてないですから)
唯物論とか断滅論とか、これらの語句が当該スレッドに飛び交いますが、
仏教とはこれらの概念ともまた違いますね。
そのベクトルで語ちても、釈尊の本懐に到るのは非常に困難です。
>あなたが書いているようなこと経典には書いてありませんけどね。不思議ですね。
>最古層・古層の経典は非常に論理的です。
雑阿含経・第一義空経には詳しい記述がありますが、
(例えば「生起するも生起することはない」。など)→即否定
これを解するには非常に難解です。
(演繹法でしたら簡単ですね)
>他にも直接聞いてみたいことが山ほどありますw
>ブッダに直接聞けるなら、ここでしている議論は全て解決ですね。
大乗は市井の人間に門戸を開いております。
この機縁を生かせるか?生かせないか?これは各人の自由ですね。
(仏教は不一不二の法門です)
>>728 おい、唯物論者、
おまえ、まともに議論するつもりあるなら、名前つけろよ。
それが最低限のマナーだ。
731 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 17:05:35 ID:gRs2ioBI
>>731 オレは議論に加わってない外野(ギャラリー)だからいいんだよ。
コテハンと公平に議論したいなら、名無しのままではフェアじゃないだろ、
ということが言いたいわけだ。どうせ毎回、同じ人物なんだから。
733 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 18:53:17 ID:SSu0maMO
>>729 >>私の前にパソコンは存在しています。
>これは実存主義といいまして仏教とはほど遠いですね。
実存主義??
>唯物論とか断滅論とか、これらの語句が当該スレッドに飛び交いますが、
仏教とはこれらの概念ともまた違いますね。
そのベクトルで語ちても、釈尊の本懐に到るのは非常に困難です。
唯物論でも断滅論でもありません。
「私の前にパソコンは存在しています」はただ、日常的言語用法において、人が一般に
パソコンが見えて触れることを「存在している」と表現するのです。
唯物論でもなければ常住云々でもありません。
あなたはまず、基本的な哲学用語の定義をしっかり勉強しなおされた方がよろしい。
自分の直感的感受などに捉われ、執着しているからこういうことになるのです。
で、ブッダの生年月日については無視ですか?それとも直感的感受とやらが起こるには
時間がかかるの?あるいは都合の悪い質問には直感的感受は反応してくれない?
さらに聞きますが、ブッダの教説を直感的感受によって知ることができるなら、
孔子、老子、荘子、キリスト、アインシュタイン、とかの考えも分かるんだよね?この人たちにも
色々聞きたいんだがなあ・・・・ さらに私の考えも分かるはずだよね。生きてる現代人だから最も
簡単でしょう。じゃ俺の知りたいことうや主張もここ見なくても分かるわけだ。
>雑阿含経・第一義空経には詳しい記述がありますが、
第一義空経って何??第一義空という言葉は確か大般涅槃経に出てきますが、大般涅槃経は4世紀くらいの成立と考えられ
ていて、最古層や古層と比較にならない。最古層や古層の経典郡は無視して、偽経を信仰しますか。
まあ、信仰はご自由ですが、釈尊の本懐、などと出鱈目を言わず、初めから「大般涅槃経を信仰しています」と
言えばよかったのに。それなら話は早い。信仰は自由です。
どうして多くの人が「信仰」であることを正直に言わず、「釈尊の本懐」などと嘘をつくのか不思議です。信仰に自信がないのでしょうか?
734 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 18:54:34 ID:SSu0maMO
>>730 第一に、私は唯物論者ではありません。
次に、名前はあります。私は「神も仏も名無しさん」と申します。
735 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 18:56:03 ID:SSu0maMO
>>732 コテハンつけるほど長居する気はないのです。
初参加は全スレですし、議論の決着ももうついていると思います。
736 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 18:56:09 ID:DUbZPHXX
どうせ毎回同じ人物であると分かっているのならば、あえてコテ付ける必要性もないな。
737 :
380:2009/01/30(金) 18:56:18 ID:oyNF+WOm
>715
横からすみませんが、
>「輪廻は生まれ変わりを意味しない」に似た話を書いたのも私ですが、
>正確にはそんなことは言っていません。「輪廻(samsara)の原義は流転という意味であり
>もともと生まれ変わりではなかった」と言っているのです。
また詭弁ですか?
samsaaraの原義に異論を唱える人なんていませんよ。
あなたの「SP古層において用いられるsamsaaraは生まれ変わりを意味しない」
という解釈をみな批判しているわけでしょ。
そのような解釈はは並川さんも唱えておりませんが。
意図的に論点を変えないで下さい。
とにかく常識常識と逃げて典拠を示さないのはいかがなものでしょうか。
>>734 長文ばかりで分かりにくいから、別の名前を付けてくれ。
これは読む人たちへどれだけ配慮できるか、という常識的・基本的マナーだ。
それが配慮できないというなら、しょそんその程度だということだ。
>>736 >どうせ毎回同じ人物であると分かっているのならば、
>あえてコテ付ける必要性もないな。
いや、名無しだから、それが「勘違い」であるかもしれないし、
このスレの大きな流れをつかめていない、
途中から参加してきた他の人には見分けられないだろうしな。
そういう配慮ができるかできないかは、
その人の人間性を計るバロメーターのひとつなんだよ。
740 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 19:05:28 ID:SSu0maMO
>>733 続き
結局のところあなたの話を総合してみれば、あなたの思想・信仰は
大般涅槃経かその通俗的解説本などを読んで身につけたもので、
ゼロから直感的感受で得たのではないわけですよね。
あなたの思想は直感的感受によって得たのか尋ねた時、あなたは
「そうですね。」と答えましたが、大嘘を吐いたわけです。
何も知らないところから直感的感受によって、それらの思想や
無心、以心伝心、第一義空、機縁などの用語を知ったのではなく、
ただ通俗本か他人から聞いて知ったに過ぎない。真実はそんなところでしょう。
仮にも仏教徒を自任するなら、正直になった方がいいですよ。
>>740 第一義空経は阿含経典ですよ。
知ってて、トンチンカンなレスつけてるでしょ。
遁走の準備ですか。
742 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 19:10:35 ID:DUbZPHXX
コテつけてるかどうかで人間性を計られても困るな。名無しで書き込むやつは人間性が劣ってるわけか?
このスレでもコテ付けてるのは2、3人くらいだと思うが?
743 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/01/30(金) 19:27:52 ID:A8r5pZlk
>>733 >「私の前にパソコンは存在しています」はただ、日常的言語用法において、人が一般に
>パソコンが見えて触れることを「存在している」と表現するのです。
社会通念上における「一般的」という概念と、
仏教は全く違います。
これは重要でして、これが(既成概念)が壁となり法はいたって悟入しずらくなってます。
簡単なものではありません。
こういった壁(無明)となる障害物が一瞬に崩壊する瞬間があります。
これを直観とか拙者は言っておるのです。
これを禅では頓悟と言っておりますが、
これなくして法を語ちることは戯論であります。
つまり推論であり、帰納法といわれるものです。
>>740 >あなたの思想は直感的感受によって得たのか尋ねた時、あなたは
「そうですね。」と答えましたが、大嘘を吐いたわけです。
大嘘を吐いてるわけではありませんね。
#、今から少々の時間、買い物に逝ってきます。
744 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 19:41:30 ID:x9MMML63
☆**************************☆***********☆********************************☆
_
/〜ヽ プルルン♪ ■ ビッグバンの理論は、カトリックの神父が、聖書の天地創造を
(((。・-・))) プルルン♪ 正当化するために作り上げたもの。賛成する人が多いのは、
゚し-J゚ プルルン ルン♪ クリスチャンの数が多いからに過ぎない。 ■
■
http://video.google.com/videoplay?docid=1431037135738418803 ■
☆**************************☆************☆*******************************☆
745 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 19:43:17 ID:SSu0maMO
>>737 >「SP古層において用いられるsamsaaraは生まれ変わりを意味しない」
何度も言うように、「生まれ変わりを意味しない」のではなく、神話、たとえ話であり、原義通り「流転」と解しても
問題なく読めると言っているのです。
>典拠を示さないのはいかがなものでしょうか。
たとえば、中村元氏にも、「たとえ」であることを認める記述があります。輪廻ではありませんが、生天に関して
「仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、
一般民衆は俗信のとおり、死後の理想郷に行かれると信じていたのであろう。」
「生天」が「絶対の境地を天ということばを借りて表した」のなら、輪廻だって「絶対の境地でないところに留まっていること」を
輪廻という言葉を借りて表した、と解釈していいはずです。
神話としては「生まれ変わり」と訳してもいいでしょうが、それはブッダが「生まれ変わり」を「真実」として説いていた、という根拠にはなりません。
746 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 19:47:58 ID:SSu0maMO
>>738 >それが配慮できないというなら、しょそんその程度だということだ。
しょせんその程度の人間です。すみませんね。
>>741 >第一義空経は阿含経典ですよ。
大般涅槃経も阿含経典です。第一義空経という経典を私は知りませんが、どちらにしろ竜樹以降の
新しい経典でしょう。それ以前のもので第一義空などという言葉を見たことがありません。
747 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 19:55:23 ID:SSu0maMO
>>743 言語的慣習に従っていると書いたのはあなたですよ。私も言語的慣習に従っているのです。
ここへきて、社会通念上の概念と違うことを書いているなどと、とんだ詭弁ですな。
社会通念上の表現を使わないなら、会話も意思疎通も成り立ちません。時間の無駄です。
で、肝心な質問には一切答えないと。
これも社会通念ではなく、仏教的態度というわけですね。大変な信仰恐れ入ります。
全く時間の無駄でした。
直感的感受という妄想に捉われた者とは会話が成り立たないことがよく分かりました。
748 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:05:51 ID:8sKnfGZY
>>733 >第一義空経って何??第一義空という言葉は確か大般涅槃経に出てきますが、大般涅槃経は4世紀くらいの成立と考えられ
>ていて、最古層や古層と比較にならない。最古層や古層の経典郡は無視して、偽経を信仰しますか。
>まあ、信仰はご自由ですが、釈尊の本懐、などと出鱈目を言わず、初めから「大般涅槃経を信仰しています」と
確か前も同じ間違いしてましたね。
『大乗涅槃経』と『大般涅槃経』は別ですよ。
『大般涅槃経』はパーリ『大般涅槃経』(中村訳『ブッダ最後の旅』)に相当します。
『第一義空經』知らないんですか? ほとんど何もしらないじゃないですか。
0092c12: (三三五) 如是我聞。一時佛住拘留搜調牛聚
0092c13: 落。爾時世尊告諸比丘。我今當爲汝等説
0092c14: 法。初中後善。善義善味。純一滿淨。梵行清
0092c15: 白。所謂第一義空經。諦聽善思。當爲汝
0092c16: 説。云何爲第一義空經。諸比丘。眼生時無
0806c24: 佛説勝義空經
749 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:13:09 ID:SSu0maMO
>>748 情報ありがとうございます。
>『大乗涅槃経』と『大般涅槃経』は別ですよ。
それは分かってますよ。
第一義空などという言葉が最古層や古層にあるのですか?初出はいつです?
>『第一義空經』知らないんですか? ほとんど何もしらないじゃないですか。
すみません、勉強不足で。ググっもほとんど情報が得られませんでした。
対応するパーリorサンスクリッド経典のタイトルを教えて頂けますでしょうか?
それと、第一義空経の成立はいつ頃です?
750 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:15:45 ID:SSu0maMO
>>748 「第一義空」はやはり大乗涅槃経の後半に出てくるようですから、
BC4世紀以降ではないですか?
751 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:17:22 ID:SSu0maMO
752 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:26:59 ID:8sKnfGZY
>>749 >>『大乗涅槃経』と『大般涅槃経』は別ですよ。
では、四世紀成立というのは誤認を改めてください。
『パラマールタシューニャター・スートラ』
成立年代は、知りません。
>すみません、勉強不足で。ググっもほとんど情報が得られませんでした。
なるほどあなたのソースはグークルとかウィキなんですね。
誤解が多いことや、基本的知識を欠いていることを自覚してください。
さっきは、電波さんといいましたが、違いました。
さすがに電波さんは、あなたよりは知識がある。
これは電波さんに失礼なことをしました。
>>752 >さっきは、電波さんといいましたが、違いました。
>さすがに電波さんは、あなたよりは知識がある。
>これは電波さんに失礼なことをしました。
初代電波氏に謝る必要は無いでしょう。それほど論旨と論理展開がよく似ていたということです。
とにかく、詭弁の用い方が上手で頭の回転がいい。知識量はともかく、たいしたものです。
逆に言い換えれば、初代電波氏はあれほどの知識量を持っていても、まともな仏教理解に至らなかった、ことこそ大問題でしょう。
いくら、仏教が信解の法門だとは言え、素直さや信仰心が無ければ、入り口にも届かないと言うことでしょう。
754 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:45:55 ID:SSu0maMO
>>752 >四世紀成立というのは誤認を改めてください。
誤認ではありません。それは大乗涅槃経の話ですよ。
第一義空は大乗ではない方の、大般涅槃経にもあるのですか?
>なるほどあなたのソースはグークルとかウィキなんですね。
それといくつか有名なパーリ・サンスクリット経典、辞書などです。
>誤解が多いことや、基本的知識を欠いていることを自覚してください。
第一義空経は基本的知識ですか。それは失礼しました。
なお、対応するpaliはないそうです。サンスクリット文献はあるようです。
>さっきは、電波さんといいましたが、違いました。
さすがに電波さんは、あなたよりは知識がある。
これは電波さんに失礼なことをしました。
誤解が解けてよかったです。
755 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:05:34 ID:8sKnfGZY
>>753 >いくら、仏教が信解の法門だとは言え、素直さや信仰心が無ければ、入り口にも届かないと言うことでしょう。
仰る通りです。ある先生が、よい弟子の条件は素直さだけだと言っていたそうです。
頭がよくても、定が深くても、結局素直じゃないと正しい理解には至れない。
無明や我執がそれほど強力で悟った師の指摘がないと直せない。
指摘されても素直じゃないと改められないということだと思います。
自戒も込めて重要な部分だと思います。
>逆に言い換えれば、初代電波氏はあれほどの知識量を持っていても、まともな仏教理解に至らなかった、ことこそ大問題でしょう。
知識は、重要じゃないですから。年代論とか成立史とか、
ほとんど悟りの役には立ちませんよねw
>初代電波氏に謝る必要は無いでしょう。それほど論旨と論理展開がよく似ていたということです。
>とにかく、詭弁の用い方が上手で頭の回転がいい。知識量はともかく、たいしたものです。
そうですね。でも、間違いは謝っとかないといけなくないですか。
二人とも常識に還元したいという目的が同じで、
詭弁の使い方がよく似てますよね。
ただ知識は電波さんの方があって、正確は電波二世さんの方がよさそうです。
756 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:09:45 ID:8sKnfGZY
>>754 >第一義空経は基本的知識ですか。それは失礼しました。
>なお、対応するpaliはないそうです。サンスクリット文献はあるようです。
あの、さっき質問したばかりで上のような書き方は良識を疑われますよ。
正確には、サンスクリットとチベット訳の断片があり、
それから全体を復元した研究がいくつかあります。
757 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:15:55 ID:SSu0maMO
>>755 >無明や我執がそれほど強力で悟った師の指摘がないと直せない。
>指摘されても素直じゃないと改められないということだと思います。
>知識は、重要じゃないですから。年代論とか成立史とか、
>ほとんど悟りの役には立ちませんよねw
何を言ってるんですか。
このスレはタイトルや>1にある通り、
転生(生まれ変わり)を「(史実の)仏陀は説いたのかそれとも説かなかったのか?」
というスレでしょう。信仰告白の場ではないはずです。
「知識は、重要じゃないですから。年代論とか成立史とか、ほとんど悟りの役には立ちませんよねw」
ブッダが転生を説いたか否かはまさに「年代論とか成立史」の話であって、「知識」の問題だと思いますが、
違いますか?
知識に関心が無く、直観的悟り(?)にのみ頼る人がなぜこのスレにいるのか理解できません。
史的ブッダが転生を説いたか否かが直観的感受なり悟りなりで分かるというのであれば、それは妄想です。
758 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:17:48 ID:SSu0maMO
>>756 >あの、さっき質問したばかりで上のような書き方は良識を疑われますよ。
質問した後で英文資料を見つけたのです。
>正確には、サンスクリットとチベット訳の断片があり、
>それから全体を復元した研究がいくつかあります。
なるほど、ありがとうございます。
759 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:04:19 ID:8sKnfGZY
>>757 >ブッダが転生を説いたか否かはまさに「年代論とか成立史」の話であって、「知識」の問題だと思いますが、
>違いますか?
「年代論とか成立史」重要ですかね? そもそも輪廻が前提となっていることは明らかなのであって、
現代日本の一部の仏教学者だけが、釈尊は輪廻を説いていないという説を立てているだけです。
仏教以前に輪廻が成立し、仏教も同時代の諸宗教も輪廻を前提とし、
いつの時代の現代日本以外のほとんどあらゆる仏教が輪廻を前提としてきたのに
なんで釈尊が輪廻を説いたかについて「年代論とか成立史」が問題となるのか
私には理解できませんね。
あなたは仏教以前に輪廻は成立しなかったといいますが、誰の説かも明示できないし、
輪廻に生まれ変わりに意味がないという説についても、誰の説か明示できない。
これでは誰も信用しない、とあなたは思わないのですか?
760 :
初代スレ7:2009/01/30(金) 23:17:02 ID:pc3ZLsoG
>>759 参:
>>508 ───────────────────────────────────
我々が手にできるのは状況証拠だけ。我々にできるのは解釈(恣意的な読み方)だけ。
(現代(いま)となっては)、誰も、お釈迦さんの本心・本意・真意を知り得る者はいない・・・。
(たとえ追体験であっても・・・。)
ま、状況証拠の集積は、ID:SSu0maMOさんにとって不利なわけだが・・・。
761 :
初代スレ7:2009/01/30(金) 23:29:10 ID:pc3ZLsoG
実は、私も知らなかったので少し検索してみたw
───────────────────────────────────
第一義空経 の検索結果 約 15,300 件中 1 - 10 件目 (0.18 秒)
paramartha sunyata sutra の検索結果 約 1,270 件中 1 - 10 件目 (0.42 秒)
───────────────────────────────────
───────────────────────────────────
検索式にマッチする 2 個の項目が見つかりました。
1. 武田 浩学「不常不断の中道が明示する無常と空との差異 竜樹が超克した<第一義空経>の無常説」 (スコア: 34)
著者: 不明
日付: Sat, 20 Dec 2003 00:00:00
N\={a}g\={a}rjuna's View on the Difference between Anityat\={a} and \'{S}\={u}nyat\={a} 『仏教学』, 45 20031220 たけだ こうがく Takeda, Kogaku ふじょうふだんのちゅうどうがめいじするむじょうとくうと
http://www.inbuds.net/search/ib.cgi?0061-105 (525 bytes)
2. 近藤 章正「<六祖壇経>の一考察」 (スコア: 2)
著者: 不明
日付: Wed, 01 Dec 1999 00:00:00
A Study of Platform S\={u}tra of the Sixth Patriarch 『印度学仏教学研究』, 95(48-1) 19991200 こんどう あきまさ Kondo, Akimasa ろくそだんきょういちこうさつ中国 唐代 中国禅宗史 慧能/神会/法達 敦煌本六
http://www.inbuds.net/search/ib.cgi?0046-168 (598 bytes)
───────────────────────────────────
検索結果:
参考ヒット数:
[ paramartha: 2 ]
[ sunyata: 4 ]
[ sutra: 242 ]
検索式にマッチする 0 個の項目が見つかりました。
───────────────────────────────────
762 :
初代スレ7:2009/01/30(金) 23:30:13 ID:pc3ZLsoG
───────────────────────────────────
雜阿含經 (No. 0099) 0092c12 - 0092c26: 純一滿淨梵行清白所謂第一義空經諦聽善思當爲汝説云何 [show] (2 hits)
成實論 (No. 1646) 0315c24 - 0317a16: 能入空故知五陰亦無又第一義空經中説眼等以第一義諦故 [show] (1 hit)
阿毘達磨倶舍論法義 (No. 2251) 0284c24 - 0285a01: 十三二十一左曰云何爲第一義空經諸比丘眼生時無有來處 [show] (1 hit)
阿毘達磨倶舍論稽古 (No. 2252) 0448a03 - 0448a23: 有異至廣説縁起雜十三第一義空經曰諸比丘眼生時無來處 [show] (1 hit)
阿毘達磨倶舍論稽古 (No. 2252) 0457b22 - 0457c13: 還無雜含十三曰云何爲第一義空經諸比丘眼生時無有來處 [show] (1 hit)
三論玄義檢幽集 (No. 2300) 0387b02 - 0387b24: 能入空故知五陰亦空又第一義空經中説眼等以爲第一義諦 [show] (1 hit)
三論玄義誘蒙 (No. 2302) 0536c20 - 0538c07: 迷本宗成實論身見品引第一義空經・大空經・有羅陀經皆 [show] (1 hit)
───────────────────────────────────
───────────────────────────────────
如是我聞。一時佛住拘留搜調牛聚落。爾時世尊告諸比丘。我今當爲汝等説法。
初中後善。善義善味。純一滿淨。梵行清白。所謂第一義空經。諦聽善思。當爲汝説。
云何爲第一義空經。諸比丘。
眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。生已盡滅。
有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續。除俗數法。耳鼻舌身意。亦如是説。除俗數法。
俗數法者。謂此有故彼有。此起故彼起。如無明縁行。行縁識。廣説乃至純大苦聚集起。
又復此無故彼無。此滅故彼滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣説。乃至純大苦聚滅。
比丘。是名第一義空法經。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行。
───────────────────────────────────
あまり興味が湧かない・・・。
763 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:35:32 ID:SSu0maMO
>>759 >「年代論とか成立史」重要ですかね? そもそも輪廻が前提となっていることは明らかなのであって、
>現代日本の一部の仏教学者だけが、釈尊は輪廻を説いていないという説を立てているだけです。
そのような説を立てている仏教学者がいるなら、それは「輪廻が前提となっていることは明らか」ではないからです。
明らかならそんな説立てるはずないでしょう。
また、日本の一部の仏教学者だけではなく、外国にもそのような学者・哲学者・比丘などがいます。
だから全然「明らか」ではありません。
>仏教以前に輪廻が成立し、仏教も同時代の諸宗教も輪廻を前提とし、
>いつの時代の現代日本以外のほとんどあらゆる仏教が輪廻を前提としてきたのに
こんなものは何の根拠にもなりません。法華経も江戸時代までず〜っと釈尊直伝と信じられていたものが
偽経と分かって「大乗非仏説」が登場したのだし、西洋では長い間人間と動物は別々に創造されたことが
前提だったのに、ダーウィンの進化論の登場で、それがただの迷信だったことが明らかになってしまいました。
迷信はどれだけ長期間信じられても、何千年、何万年それが前提であったとしても、そのことは、正しい根拠にはなりません。
764 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:37:09 ID:SSu0maMO
>>759 >あなたは仏教以前に輪廻は成立しなかったといいますが、誰の説かも明示できないし、
輪廻に生まれ変わりに意味がないという説についても、誰の説か明示できない。
これでは誰も信用しない、とあなたは思わないのですか?
私は正確には「仏教以前に輪廻は成立しなかった」とも「輪廻に生まれ変わりの意味がない」とも言っていません。
主張を読まずに勝手に誤解しているでしょう。
>>745や
>>715 などで何度も説明しているのに、勝手に人の主張を
曲解し、その曲解したものに反論されても困ります。
私は「ブッダ以前には、『仏教にあるような輪廻説』が成立していなかった(少なくとも、成立していた証拠がない)」
と言っているのですし、「輪廻の原義は『流転』であり、最古層にはそもそも輪廻という言葉はないし輪廻思想にあたるものも
ほとんど見られない。そして古層でも原義通りの読みで意味が通じる」ということを主張しているのです。
これらのことから、ブッダは輪廻思想を説いてはいないだろうということが強く推察されるのです。
私の主張はあなたが書いていることとは全く違います。また、誰の説も何も、これらのことを否定している学者を知りません。
765 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:56:38 ID:SSu0maMO
>>759 同じような説の人を明示しろとうるさいので、探してきましたよ。
http://fallibilism.web.fc2.com/z006.htmlより 「今日においても、わが国では、仏教とは来世のことを説くものであると考えている人々がすくなくないように思われる。
それには、いろいろの理由があることであるが、なかでも、仏教僧侶が死者の祭葬と供養のことをつかさどる司祭者の
役割をはたしたこと、ならびに、仏教のなかに生天もしくは往生を説く思想がとりいれられて、それが後代の仏教のなか
に大きな流れを形成したことが、その直接にして最大の理由と考えられる。それらの功罪については、いまは簡単にいう
べきではない(D、仏教の歴史、参照)が、ブッダの説いたことのなかには、そのような考えはまったくなかった。
(増谷文雄『仏教概論』(現代人の仏教12)、筑摩書房、1965年、p. 17)」
増谷さんは「ブッダの説いたことのなかには、そのような考えはまったくなかった。」とはっきり述べておられます。
766 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 00:18:13 ID:eKpdMUZU
どうやら、「ブッダは生まれ変わりを説いた」派の人は、
「明らか」「直観的感受によって分かる」「素直に無心に悟るのだ」というようなことしか言えないようなので、
そろそろ私も終了することにしましょうかね。
767 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 00:27:45 ID:M/xXTiau
>>765 あのですね。増谷さんは和辻哲郎を劣化させたような人なのでほとんど支持する人はいませんよ。
それに酷くないですか? なぜなら、
>>698 >読んだ上ですよ。
>
>> シュトラウス、オルデンベルグ、木村泰賢、宇井伯寿、辻直四郎、ゴンダ、中村元、佐保田鶴治、フラウヴァルネル、ダスグプタ、前田専学
こういった書物を読んだ上でなんで増谷さんなのか大いに疑問ですね。
上の学者で増谷さんの説を扱っている人は一人もいないでしょう。
単純に言えば、あなたは上の文献を読んでないし、
研究書や論文もほとんど知らないのでしょう。
だから、根拠を問われてネットで検索して増谷さんを持ってきた。
増谷さんなんか学者で引用したり考察対象とする人はいないのにです。
自分を棚にあげてお願いですが、コテハンつけて貰えませんか、
スル〜できるので、
768 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 00:38:03 ID:M/xXTiau
>>766 輪廻に関しては、恣意的な解釈の余地がないでしょう。
全ての資料が、仏教は輪廻を前提としていることを示しています。
現代人として輪廻が受け入れらない和辻のようなスタンスの学者がいくらかいるだけで、
彼らの読みは、無理が多すぎます。
769 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 00:43:58 ID:eKpdMUZU
>>767 あなたが挙げている中村元氏も、
「仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、
一般民衆は俗信のとおり、死後の理想郷に行かれると信じていたのであろう。」
と、「空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表した」と生天を事実ではなく、
修辞的表現であると認めています。
>増谷さんは和辻哲郎を劣化させたような人なのでほとんど支持する人はいませんよ
それにしてもあなたは権威主義的な人ですね。
770 :
初代スレ7:2009/01/31(土) 01:04:27 ID:i+JYo/zI
>>768のように、
「 >恣意的な解釈の余地がないでしょう。 」と言い切ってしまえる感性が信じられないですねw
しかも、「 >輪廻に関しては 」と限定付と来たもんだw
よほど、自分の五感と思考に自信があるんでしょうね・・・w
舎利弗の言う「法の推知」の方が、よっぽど誠実に見えるw
771 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:06:20 ID:M/xXTiau
>>766 あなたのサムサーラが生まれ変わりを意味しない説にも
二人がきっちり証拠を出して反証しました。
スッタニパータ4、5章では生まれ変わりを説かない説にも
反証を挙げました。あなたの反論に対して、ニッデーサを挙げて反証しました。
>どうやら、「ブッダは生まれ変わりを説いた」派の人は、
>「明らか」「直観的感受によって分かる」「素直に無心に悟るのだ」というようなことしか言えないようなので、
>そろそろ私も終了することにしましょうかね。
なんで上のようなことが言えるのでしょうか?
しかも、机さんは輪廻否定派ですよ。
あなたは、自覚がないかもしれませんが、都合のいいすり替えが多いですね。
輪廻解釈も全てそう。あなたの都合のいい解釈だけを適当に取っているだけです。
「ブッダ以前には、『仏教にあるような輪廻説』が成立していなかった(少なくとも、成立していた証拠がない)」
これじゃ反証のしようがないでしょう。仏教の輪廻説と他宗教の輪廻説は、
ほとんど同じですが、もちろん違いもある。それじゃ否定のしようがない。
これは詭弁です。
もう、おわりにしてくださいよ〜
772 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:10:51 ID:SEW9wAdk
>全ての資料が、仏教は輪廻を前提としていることを示しています。
あんたが勝手に無批判な「概念仏教」的姿勢でそう読んでいるだけ。
俺にとっては、そんなアーリア=ヒンドゥ汚染のエセ「仏教」には用はないだけだよw
そもそも古代インドにおけるアーリア支配合理化のための政治的デマゴギー・イデオロギーを
現代日本人の人生の精神的骨格として受け入れる理由はない。
現代におけるブッダの教えは四諦八正道、三法印→無常=無我=縁起=空=中道で精髄を月指し得るし、
現代的意義を成立させうる。
現代において輪廻転生妄想を必要とするにはカルト「仏教」だけだ。
まあ、あんたは勝手に好きなだけ輪廻しててくらはいw
773 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:20:51 ID:SEW9wAdk
>>767 >増谷さんなんか学者で引用したり考察対象とする人はいないのにです。
俺は増谷さん好きだよ。頭の柔らかい連中では隠れファンが多いんだよ。
頭の固い(つまり悪い)概念仏教学者と違ってねw
佐倉哲さんも支持者のひとりだよ。
あんたの希望に反してわるいねw
774 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:22:13 ID:oAjYgRSF
---ウパニシャッドと輪廻思想について
私は、基本的には
>>759>>768に同意の立場です。
しかし、
>>763の
「こんなものは何の根拠にもなりません。法華経も江戸時代までず〜っと釈尊直伝と信じられていたもの
が 偽経と分かって「大乗非仏説」が登場したのだし、---迷信はどれだけ長期間信じられても、何千年、何
万年それが前提であったとしても、そのことは、正しい根拠にはなりません。」
は、立派な姿勢であるとは思いますが・・。
>>701 >ブッダ以前、BC500年よりも前に輪廻思想が成立していたなんて言っている学者が一人でもいますか?
すでに当スレでは既出レスですが、参考資料となると思われるので再掲載します。
「初期---散文のもの。その成立が、仏教の興起以前、紀元前六世紀ころまでであることは、諸学者の一
致した見解である。なかでも、『ブリハッド・アーラヌヤカ』『チャーンドーギア』の二大雄篇は最も古く、『カウ
シータキ』もこの時期に属する。」(「バラモン経典原始仏典」ウパニシャッドの文献-中央公論社刊)
ということで、この『インド思想の潮流』の著者は共著となっており、長尾 雅人氏/服部 正明氏の両名です。
長尾 雅人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B0%BE%E9%9B%85%E4%BA%BA 服部 正明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E6%AD%A3%E6%98%8E ということで、「仏教の興起以前、紀元前六世紀ころまで」に成立したとされる、初期ウパニシャッドの「チ
ャーンドーギア・ウパニシャッド」の記載内容によっては、輪廻転生の概念が仏教以前からだったのかどう
かは判明すると思います。以下に掲載する「五火説」輪廻の内容はやはり、モロ仏教の輪廻転生の起源そ
のものではないでしょうかね!
775 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:25:55 ID:oAjYgRSF
「さて、この世のおいてその素行の好ましい人々は、好ましい母胎に、すなわち、婆羅門の母胎か、王族
の母胎か、庶民ヴイシュアの母胎にはいると期待される。しかし、この世においてその素行に汚らわしい人
々は、汚らわしい母胎に、すなわち、犬の母胎か、豚の母胎か、賎民チャーンダーラの母胎にはいると予
測されるのである。
また、何度でも生きかえってくるこれらの下等動物たちは、二道(神の道と祖霊の道)のいずれをも通って
行かない。『生まれよ』『死ね』と(いとも簡単に)いわれる、これが第三の立場である。こういうわけで、あの
世は(死者で)一杯にはならないのである。それゆえに、人は素行を慎むようにすべきである。」
(「バラモン経典原始仏典」チャーンドーギャ・ウパニシャッド第5章-輪廻/第10節7-8)
参考:
「『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』Chandogya Upaninsadには輪廻の世界としては植物に生まれ変わる
こともあるとされ、またこの世で善い行ないをなしたものは、次の世では、バラモン・王族・商人階級の胎内
に入り、悪い行ないをなしたものは犬・豚・賊人などの胎内に入るとされている。さらにウパニシャッドでは人
間が植物や動物やいろんな人間に再生するのは業によるものだと規定している。この考え方を受け継いだ
仏教では、衆生が煩悩と業とによって三界(欲界・色界・無色界)六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)
の迷いの世界をさまよい続けるとしている。」
http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%CE%D8%B2%F6%BB%D7%C1%DB
776 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:26:41 ID:oAjYgRSF
「元来は先住民族のものであったとされる輪廻思想がバラモン教に公認されたのは、最終期のブラーフマ
ナ文献文ないし最初期のウパニシャッド文献においてである。ここでは、「輪廻」という語は用いられず、「五
火」と「二道」の説として現れる。『チャーンドーギヤ』(5-3-10)と『ブリハッドアーラニヤカ』(6-2)の両ウパニシャ
ッドに記される、プラヴァーハナ・ジャイヴァリ王の説く「五火二道説」が著名である。
五火説とは、5つの祭火になぞらえ、死者は月にいったんとどまり、雨となって地に戻り、植物に吸収されて
穀類となり、それを食べた男の精子となって、女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、
そして再び誕生するという考え方である。二道説とは、再生のある道(祖霊たちの道)と再生のない道(神々
の道)の2つを指し、再生のある道(輪廻)とはすなわち五火説の内容を示している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB#cite_note-1
777 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:30:20 ID:/zS5z1EU
輪廻転生は、明らかにヒンドゥー教の概念だが、釈迦の仏教は、ヒンドゥー
教の再確認に過ぎず、その他には思想も価値も無い宗教なのですか。
若しそうなら、仏教と呼ばず、単にヒンドゥー教と呼ぶべきでしょう。
778 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:32:33 ID:oAjYgRSF
【前提となる世界観--輪廻・業
最古層の詩句には、業・輪廻の思想は明確には現れてこない。しかし、当時一般に広まっていたこの思
想は、ごく早い時期に仏教の中にとりいれられた。『スッタニパータ』でも第 3章には濃厚に現れ、その第10
経コーカーリヤには嘘の報いとして落ちる地獄のありさまが詳しく説かれる。このような思想は大衆教化に
重要な役割を果たしたと思われる。このことは仏教説話『ジャータカ』からも推測される。『ジャータカ』は、大
衆向けの教訓的な寓話をブッダの前世物語として説くものであるが、ここには業・輪廻の思想が前面に押し
出されている。
輪廻の観念を受けて、苦しみからの解放は、この苦しみの生存からの離脱、すなわち輪廻から脱すること
であると考えられるようになる。そして、悟りを表す表現は、次のように定型化された。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのよう
な生存を受けることはない」
ところで、何に生まれ変わるかを決定する原因が何であるかについては、ブッダ時代の一般社会において、
さまざまに考えられていた。臨終に際しての意志によるとの考え、あるいは神の意志によるとの考えもあった
が、支配的な考えは、前世における業によるという考えであった。】
(インド思想史略説/第2節 原始仏教の教理)
スレ4/71-73
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1230/12306/1230651094.dat
779 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:33:23 ID:SEW9wAdk
だからヒンドゥ汚染のエセ「仏教」をいくら語ったって無意味且つ無効なんだってw
眠いしアフォらしいから、もう寝まっせw
まあ、せいぜいおきばりやす。
780 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:36:36 ID:eKpdMUZU
>>775 五火説が仏教の輪廻思想の「起源」である可能性は私は否定していません。
ですが仏教と同じ輪廻思想の「成立」とは言えない、と言っているのです。
それはあなたが引用している文章からも分かります。
781 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:43:38 ID:oAjYgRSF
>>780 つまり、業と転生の思想は仏教以前からあったことを示すものであり、
仏教(ゴータマ)がより明確で正しいものを説いたのでしょう!ここに何の問題があると??
782 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:48:23 ID:/zS5z1EU
>宝珠愚者氏へ
特に良いことも悪い事もせず、普通に生きた人間や、良いことも、悪い
こともした人間は、一体どうなるのかね。殆どすべての人間が、そうだと
思うがw。
783 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:52:27 ID:eKpdMUZU
>>771 >反証を挙げました。あなたの反論に対して、ニッデーサを挙げて反証しました。
全く、反論、反証になってないのですよ。
たとえば、『更に趣・生起・結生・有・輪廻又は輪転を願求せず.欲求せず、楽はず、
冀求せず、希望せず、熱望せざるなり.これ「此世と他[世]とを願求するなし」[の義]なり.』
これは、普通の民衆が願うような、死にたくない、死後もよいところに生まれたい、あの世があって欲しい、というような
願望一切が「妄想」であるからそれを捨てよ、と説いているのです。それがこの世とあの世を捨てよ、「此世と他[世]とを願求するなし」
という表現です。
ブッダが『「あの世」に対する執着を捨てなさい』と言っているのに、ブッダが「あの世」という言葉を使ったから「あの世」は実在するんだ、
輪廻、生まれ変わりを説いているのだ、なんてのは全く逆じゃないですか。あべこべですよ。ロジックとしておかしいのです。
スッタニパータからいくつか例示しましょう
1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
470 こころの執著をすでに断って、何らとらわれるところがなく、この世についてもかの世についてもとらわれることがない<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。
496 この世でもかの世でも、いかなる世界についても、移りかわる生存への妄執の存在しない人々がいる。──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。
516 全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し、この世とかの世とを厭(いと)い離れ、身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人、──かれは(自己を制した人)である。
779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。
これらを見ても、「かの世」と言っているから来世の存在を説いていると思える人は、多分数学の教科書を見ても電話帳を見ても
そこに来世や輪廻を発見するのでしょう。そういう人とは意思疎通は不可能なようです。
784 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:56:26 ID:eKpdMUZU
>>781 最古層にそんな思想がほとんど見られず、samsaraという言葉もない以上、
ブッダがわざわざそんあものを説いたとは考えられないのです。
また、古い経典全体を貫く客観的姿勢、誰でも直接認知できるものだけを考察対象とする姿勢とも相容れないのです。
また経典に繰り返し出てくる、「執着を完全に捨て去ることが、解脱、涅槃の境地である」という思想とも整合性がありません。
ロジックとして、ブッダが輪廻思想を説いたとすればおかしい問題がたくさん生じるのです。
785 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:10:13 ID:/zS5z1EU
>>782の追加
それに、「良いこと」「悪いこと」は、誰が、どのような基準で判断す
るのかね。「良い」「悪い」は、あくまで具体的な状況によって変化する。
意見が割れて一致しないときは、どうなるのかねw。
786 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:18:18 ID:oAjYgRSF
>>784 それでは、業/輪廻思想は仏教以前からあったがゴータマはそれを説かず、
教典制作の段階で弟子が勝手に、皆んなして業/輪廻思想を説きだしたのだと??
あまりにも不自然ではありませんか?
>また経典に繰り返し出てくる、「執着を完全に捨て去ることが、解脱、涅槃の境地である」
>という思想とも整合性がありません。
輪廻からの解脱は修行目的の認識であって、輪廻に執着することとは意味合いは異なると思います。
*もう間もなく、このスレ7は投稿不能になりそうです。
787 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:19:28 ID:oAjYgRSF
>>777 バラモン/ヒンドゥーの思想概念の全てが間違いなどということはないでしょう!
>>782 そんなに心配せずとも、
その場合には前世とほぼ近しい境涯に今生では生まれ、
来世でも近しい境涯に生まれることでしょう。
尚、人生は繰り返すことで確実に前進はします。
何かのキッカケによって大きく変貌を遂げたりもするでしょう。
普通の人々は、この凄く悪いこともしないが、特別な偉業を成すこともないです。
ま〜それは現代人においても同じです。
788 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:20:09 ID:oAjYgRSF
>>659 >自分の力でなく、超自然的な何か、神などにすがりたい人が多い
>
>すがりつく先に---
「宗教信仰者は弱い人間のやることだ」といった批判的な言い方がよくされるものですが、私はこれはち
ょっと違うと思うのです。信仰を貫くというのは、これは大変な精神力と意志の強さがなければ決してできな
いことです。全く逆だと思います。弱い人間にこそできない。
私は、11.8%しか唯物主義者がいないというのは何故かというと、88.2%の大多数の人々というのは科学
の説明には実際、殆ど納得できていないことを示しているのだ見なしています。単に現状科学のレベルでは
捉えられていないだけであり、科学常識を超えた未知が存在するものと思っているのです。
789 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:21:41 ID:/zS5z1EU
>>786 君は、仏教徒ではなく、ヒンドゥー教徒と名乗れ。
ヒンドゥー教は、一見、多神教だが、宗教学的には、忌むべき一神教
の一種である。
790 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:27:29 ID:oAjYgRSF
>>718 スッタニパータの話ではありませんが、
仏陀は本当はもっと永く生存していることが可能だったともいわれています。
ゴータマが倒れた際、アーナンダが最後に号泣しながら寿命の延命を懇請したときは、
もうすでに遅しということでした。
ニルヴァーナに到達した存在はその気になれば、
ほとんど不老不死で肉体を存続させることも可能なのです(私、宝珠の理解によれば)。
「尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこの世
に留まってください。――多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれ
むために、神々と人間との利益のために、幸福のために。
アーナンダよ。もしもお前が修行完成者に懇請したならば、修行完成者はお前の二度にわたる(懇請の)
ことばを退けたかもしれないが、しかし三度まで言ったならばそれを承認したであろう。それだから、アーナ
ンダよ、これはお前の罪である。これはお前の過失である。」
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
791 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:34:35 ID:oAjYgRSF
>>789 はぃ、ご心配には及びません。
この私には、「仏教以外は全て邪教だ!」といった考え方はありません。
そういう思考が宗教戦争の原因なのであり、殺人すらも辞さない恐ろしい見解なのです。
そういう宗教(教団)が問題を犯す・・。
792 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:36:20 ID:/zS5z1EU
>宝珠愚者氏へ
当時の状況では、「出家修行」は、生きるための「職業」の一種。
お布施貰えるから、少なくとも食べてはゆけた。
現代では通用しない。時代錯誤もいい加減にしてくれ。
793 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:43:15 ID:eKpdMUZU
>>786 >それでは、業/輪廻思想は仏教以前からあったがゴータマはそれを説かず、
教典制作の段階で弟子が勝手に、皆んなして業/輪廻思想を説きだしたのだと??
あまりにも不自然ではありませんか?
全く不自然ではありません。
仏教、業/輪廻思想の起源となる種のようなものはブッダ以前からあり、もちろんそれはブッダが説いたことでもないが、
次第に弟子達や在家信者によって取り込まれ、仏教の中で発展し、六道輪廻として体系化されていくのです。
最初は中村元氏の言うように、土着信仰にあわせて方便として説法していたものが定着してしまったのかもしれません。
これは全然不自然なことではないのです。なぜなら、早い時期から教団は割れ、戒律に対する意見の違いにより根本
分裂が起き、そのうち、完全に創作であり、実在しない如来や菩薩が大量に登場するファンタジー経典、法華経なんか
まで出てくるのですから、迷信が紛れ込んで広まってしまうことくらい不思議ではありません。
いくら出家者が真面目で、できるだけブッダの教えに忠実であろうとしても、数十年、数百年のうちに教えが混乱することは根本分裂、
部派仏教時代などを見れば一目瞭然です。
794 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:46:14 ID:/zS5z1EU
>>791 殺人さえも辞さないのは、専ら、一神教と、一神教類似のヒンドゥー
教だけなのは、一体何故かね。その原因も見出せないのなら、宗教など
語る資格はない。
795 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:54:56 ID:oAjYgRSF
>>793 たしかに一見、仮説としては成り立っていることは分ります。
しかし、仏教から実際、輪廻転生の思想を排除しては、仏法は成り立たないでしょう!
輪廻転生の基本原因は業報です。業報を無視するということは何でもありということです。
人命を救って身代わりに死んだ者も、
悪道の限りを尽くし数十人も殺害して平気な者も、
死んだら等しく終わりですか?
そんな論理でどうやって人々に善意識を植えるというのです?
死んで終わりなら、何のための命懸けの修行なのか?
なら、娯楽に耽って好きなことして、より楽しむことを考える人生を過ごすほうが利巧でしょう!
悲惨な境涯に生まれてしまった者は無理して生存する必要もないでしょう。大いに自殺を勧告すべきです。
私にはこんなものが到底、真理であり、
ゴータマが推奨した人間の行き方であるとは思えませんが・・。
ゴータマはこれら業の否定、及び死後で断滅は外道だと示した筈ですよ。
796 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 03:00:12 ID:oAjYgRSF
>>794 ヒンドゥー教にはそんな教えはない。
一般人による暴動はどこにでも起こる・・。
「非暴力(アヒンサー)に徹していると、全ての生き物が敵意を捨てる。」(ヨーガ・スートラ2:35)
797 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 03:01:02 ID:/zS5z1EU
>>795 人を殺した者は、「この世」で裁きを受ける。あの世は不要。
法律は裁判は、何のためにあるのかね。
798 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 03:06:59 ID:/zS5z1EU
>>796 明示の「教え」などなくても、ヒンドゥーは、人を殺す。キリスト教徒
が、「イエスの愛」を唱えながら、最も多くの人間を、最も残虐な方法
で殺しているのと同じである。
その教えに、黙示の心理的原因があるからである。
非暴力を「唱えた」ガンジーも、結局は、宗教対立を激化させただけ
ではないか。
799 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 03:10:42 ID:oAjYgRSF
>>797 論理が破錠しています!
犯罪捜査には時候があるじゃないですか?
生涯、捕まらずに済むということも大いにありですよ。
捕らえられないのに、裁判でどうやって裁くの?
そういうのは、楽しんだ者勝ちの思想ですよ。
800 :
宝珠愚者:2009/01/31(土) 03:16:16 ID:oAjYgRSF
>>798 >非暴力を「唱えた」ガンジーも、結局は、宗教対立を激化させただけではないか。
そんなことはない。
実際、暴力に訴えることをせず身を以って「非暴力」の意義を示した。
その姿に人々は心を動かれたのです。
敵との和解を拒む人々がいるのも事実です。
だからといって、ガンジーの示した姿勢が非難されるものではない。
801 :
神も仏も名無しさん:
>>799 それは、司法制度の問題。君に「善」だの「悪」だの、人を裁く資格
があるのかね。君個人の思い上がりに過ぎない。
人間には、悪意もあれば、同時に良心もある。また、逮捕されるという
恐怖感がある。刑事時効が完成しても、民事時効が残っている。両方の
時効が完成しても、社会に批判が待っている。人を殺した者が、本当に
楽しめるなどと思っている君には、宗教など語る資格はない。
君には、オウムかヒンドゥー教か、キリスト教がぴったりのようだな。