歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ19

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1【小吉】 ◆K7dknYygdo
おなじみの19弾

いろいろは>>2-10あたり
2歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/03(日) 06:57:53
3歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/03(日) 06:59:38
4歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/03(日) 07:04:11
html化済み分
その1 http://academy2.2ch.net/history/kako/1049/10492/1049211873.html
その2 http://academy2.2ch.net/history/kako/1052/10522/1052236771.html
その3 http://academy2.2ch.net/history/kako/1053/10537/1053783706.html

緊急避難所 日本史を「歴史学」的に語るスレ8
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1064420470/

スレの主旨や他の質問スレとの違いなどについては、
幸いに専用のスレがありますので、こちらのリンクをどうぞ

停止の理由を教えてケロ@日本史板
http://qb2.2ch.net/test/read.cgi/sakud/1064487159/l50


5歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/03(日) 07:04:45
■◇■ 本スレのお約束 ■◇■
1.自作自演と言われても泣かない。
2.自作自演がバレても泣かない。
3.高校生の参加はほどほどにして、学校の勉強をがんばる。
4.大学生の参加はほどほどにして、学校の勉強と就職活動をがんばる。
5.他スレの人集めにはいちいち反応しない。
6.AAは厳選して面白いものを貼る。
7.煽り・叩きはできるだけ工夫する。
8.伸びそうなネタはみんな大事に扱う。
9.質問には誠心誠意答える。。
10.面白くない煽り・叩きは完全放置で。

○●○ お馴染みの話題 ○●○
1)本能寺の変の黒幕は?
2)昔の○○は今の貨幣価値に換算するとどれくらい?
3)姓と名字と家名の違いは?

>>過去スレへ

6日本@名無史さん:2006/12/03(日) 07:18:02
日本史上で最年少で子供を作った人物は?
7日本@名無史さん:2006/12/03(日) 07:31:01
初潮がまだな10歳を強姦したことならあるけど
男なら精通で即子供を作れるから10歳前後かな
8歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/03(日) 08:00:36
>>6
不明だね

よっしゃこい
9日本@名無史さん:2006/12/03(日) 08:15:55
尾張徳川の名古屋城からの秘密の脱出経路の
柳原の同心だったかの子孫は維新以降はどうしたの?

10日本@名無史さん:2006/12/03(日) 08:25:40
>>6
知ってる限りですまんが、家康の祖父の松平清康。
家康の父の広忠を14歳で作ってる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B8%85%E5%BA%B7

13歳終わりごろで既に中田氏してた計算になるな。
あと、後鳥羽上皇も歴代天皇では一番早かったというのを聞いた希ガス。
11日本@名無史さん:2006/12/03(日) 12:25:35

   〃∩ ∧_∧   
   ⊂⌒(  ・ω・)  はかせがかえってきたお!
     `ヽ_っ⌒/⌒c
        ⌒ ⌒
12受験生:2006/12/03(日) 17:24:08
あ〜 めっちゃ探したー!
際二次世界大戦のイタリアの総統の名前がかけなかった受験生です(>¬<;)
13受験生:2006/12/03(日) 17:25:08
↑漢字まで間違ってるよ;
14歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/03(日) 23:21:46
>>11
たらいも!
15日本@名無史さん:2006/12/04(月) 01:18:41
室町時代は今から何年前に始まり何年前に終るのか誰か知りませんか?
16日本@名無史さん :2006/12/04(月) 01:59:22
博士、信長の棺をどう思いますか?
本能寺に抜け穴があったのに、明智謀反を察知した秀吉が穴を埋めてしまい信長は逃げれず自刃したという話ですが。
17sage:2006/12/04(月) 17:53:08
真田家家紋の六文銭って、種類(名前)は何ていう貨幣ですか?
あの頃の時代にあった種類のお金だと思うけど、
昔のお金って永楽通宝しか知らない。
18歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/04(月) 20:00:33
>>15
ぐぐれ

>>16
小説ですから

>>17
当時の銭は統一されていないので、特定のどの貨幣を指すということではないです。
統一が実現したのは江戸時代の寛永通宝。

よっしゃこい
19日本@名無史さん:2006/12/04(月) 20:28:09
21世紀はどのような歴史として刻まれると思いますか?
20受験生:2006/12/04(月) 21:40:51
>>17友達から寛永通宝をもらいました。
なんでも父上がコレクターみたいな?
そんなにいっぱい出回っているもんなんですか?このお金って。
21日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:00:57
北海道では弥生時代以降も縄文文化に近い「続縄文文化」というのが続いてて、
古墳時代にはその文化が東北まで南下してきたそうですが、彼らは何のために南下してきたのでしょうか?
移住?それとも交易?
22歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/07(木) 02:41:55
>>20
寛永通宝といってもいくつかの種類があって、コレクターもかなりいますよ。
>>21
それはよく分かりません。

よっしゃこい

23日本@名無史さん:2006/12/09(土) 15:02:57
日本が唐にならって律令制をとるようになったことを詳しく記載している古典の名前を教えて欲しいです。
神皇正統記読んでもよく分からなかったです...
24日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:00:48
武光誠
25歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/13(水) 02:09:22
>>23
神皇なんとかは違うだろ

よっしゃこい
26歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/14(木) 05:34:34
ここまで全て解決

よっしゃこい
27日本@名無史さん :2006/12/14(木) 21:29:10
ヒトラーの出生の秘密に関する文書は本当に日本に来ていたのですか?
参考文献「アドルフに告ぐ」手塚治虫
28日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:52:56
はい来ていました!そこに書かれていた驚愕の事実。ヒットラーは龍馬好きだった!鉄矢も同じ。
29受験生:2006/12/15(金) 18:29:49
↑へぇー!
30日本@名無史さん:2006/12/15(金) 23:49:02
征夷大将軍と関白を兼ねた例がないのは、どうしてでしょうか?
「両方とも令外官だから」という答えなら、将軍と内大臣の兼任があります。
31日本@名無史さん:2006/12/16(土) 00:37:52
>>25
頼む、参考文献を教えてくれ歴史学者
32日本@名無史さん:2006/12/16(土) 02:59:43
>>30
歴史学者ではないが、史学科に行ってる漏れから言わせてもらう。

中世以降、征夷大将軍というのは源氏の子孫じゃないといけないという決まりがあったんだ。だから尊氏も家康も「源氏の子孫」を名乗ってる。何の根拠もない嘘っぱちだけどね?
秀吉は本当は征夷大将軍になりたかった。でも以前に一度「平氏」を公で名乗ってしまったから関白になった。
33歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/16(土) 05:09:06
>>31
知らん

よっしゃこい
34日本@名無史さん :2006/12/16(土) 11:39:02
>>32
家康はともかく、尊氏は源氏の子孫だろ。
35日本@名無史さん:2006/12/16(土) 13:19:05
尊氏は源氏
源平交替思想の否定か
36日本@名無史さん:2006/12/16(土) 15:45:11
病気の殿様はなんでハチマキするんですか?
37日本@名無史さん:2006/12/16(土) 15:52:16
>>36
選挙で白い手袋するようなもんだ
38日本@名無史さん :2006/12/16(土) 19:47:55
>>32
鎌倉時代に、藤原将軍がいた。
また、平信長に朝廷が将軍の打診をしている。
「源氏=将軍」は俗説では?
39日本@名無史さん:2006/12/17(日) 11:15:36
年号について教えてください。過去帳見てて気になったのですが、
「明暦三酉十月」ってあるとすると、「酉」って何なのでしょうか?

明暦って1655〜1657年ですよね?
そのうちの、三ってことは、1657年の10月ってことなのでしょうか?
だとすると残る「酉」の意味がよく分かりません。

宜しくお願いします。
4039:2006/12/17(日) 12:15:58
なんとなく事故解決しました。
多分、とり年で1657年であってるってことですよね。

とり年:西暦を12で割って1余る年
1657÷12=138 余り1ですからとり年
かな。
41日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:52:31
>>38
その俗説を後世の人間も信じたってことだ
42歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/19(火) 01:38:14
秀吉の話ジャン

よっしゃこい
43日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:03:12
この年号って何でしょう?
http://i12.tinypic.com/2rz4c4g.jpg
年号一覧を見ても見あたりません。

過去帳を調べているのですが、ぱっと見、古い記述で「明暦」くらいまでが
目につきます。それ以前にかけ離れて古い年号ではないと思います。

「?應」と書いてある様なのですが、應を応と読み替えても、
巳年で5年まである「○応」の年号ってのがありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29

過去に転記が行われた際のミスなのでしょうか?どう考えればいいんでしょうか?
44歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/19(火) 21:44:04
>>43
字は「承応」ですね。元号の誤写・誤記でしょう。

よっしゃこい
45日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:09:26
>>44
ありがとうございます。上で私が、巳年で5年まである年号と書いてしまいましたが
巳年で11年まである年号の間違えでしたね、、

漢字はあれで「承応」と読むのですね。
承応二年が巳年なので、転記の際に二を上の部分を十にしてしまったのでしょうか。
古過ぎて字がかすれて読めない文字も沢山あります、、

これで1653年まで遡ることができました。どうも有り難うございました。
46歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/21(木) 06:23:59
>>45
数字と元号のどちらが間違っているのかは、
これだけでは判断できませんね。

よっしゃこい
47日本@名無史さん:2006/12/21(木) 08:46:39
日本史上で一番大きな戦い(人数が多かった戦い)って関ヶ原の戦いですか?
関ヶ原より大規模な戦いはありますか?
48日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:16:14
矢都姫事件について誰かご存じないでしょうか?
ちなみに矢都姫は織田山城の姫なんだそうですが。。。
49日本@名無史さん:2006/12/23(土) 01:20:38
>>47
源頼朝の奥州征伐28万vs2万
湊川の合戦で足利軍50万、千早城攻めの鎌倉軍100万となってはいるが・・。
50日本@名無史さん:2006/12/23(土) 01:25:46
10世紀の推定人口が、相模国で10万人程度だからw
51歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/23(土) 01:50:23
第二次世界大戦じゃなかろうか

よっしゃこい
52日本@名無史さん:2006/12/23(土) 11:21:53
家康は姉川の戦いや長篠の戦いなどでは信長に従えて戦っているのに、三方ヶ原の戦いでは単独で信玄と戦い負けています。なぜ、三方ヶ原の戦いでは信長は家康に助太刀しなかったのですか?
53日本@名無史さん:2006/12/23(土) 11:23:48
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ
54日本@名無史さん :2006/12/24(日) 02:33:33
http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200612230248.html

安倍首相直属の教育再生会議で、塾廃止が議論されているようです。
座長の野依良治氏が提唱しています。
博士はどう思いますか?
55日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:53:55
昔の人だって猛烈に勉強していたんだよ。
司法省法学校なんか、八年間でフランス語ゼロから法学部卒業レベルまで叩き込むから
「よく死ぬ学生が出た」そうだ。
桑原桑原。
56歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/24(日) 03:09:48
>>52
たまたま
>>53
なりきりきもい
>>54
教育再生会議とか実権は何もないからどうでもいい。
資本主義社会でそんなことできるわけない。

よっしゃこい
57日本@名無史さん :2006/12/24(日) 12:10:32
>>52
越前の朝倉義景に備えていた。足利義昭は挙兵するし。
でも、佐久間信盛に3千の兵を与えて家康の援軍とした。

よっしゃこい
58日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:17:21
神道と古神道は違いますか?
神道を知らない古神道の最高権威はいるのでしょうか?
59歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/27(水) 21:02:16
>>58
違います。古神道は完全には復元できていません。

よっしゃこい
60歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/30(土) 13:16:17
ここまですべて解決

よっしゃこい
61日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:22:23
今年もすべて解決

よっしゃこい
62日本@名無史さん :2006/12/30(土) 17:57:12
博士、暇ならスコップを持って徳川の埋蔵金を探してください。
埋蔵金が見つかれば東大文学部の教授になれますよ。
63日本@名無史さん:2006/12/30(土) 18:07:30
豚はおいちいでつか?
64日本@名無史さん :2006/12/30(土) 21:27:38
仔豚は可愛いよ

よっしゃこい
65日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:30:10
親豚はおいちいのでつか?
66日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:35:41
>余が古神道の最高権威だぞ。 余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。

よっしゃいきますか?
67日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:26:13
拙者は難関大学志望者なんですが日本史に詳しくなる本を
教えてもらいたい 因みに日本史は無勉です どうかお願いします 


68日本@名無史さん:2006/12/31(日) 07:19:24
豚臭い質問だねw
69日本@名無史さん:2006/12/31(日) 13:01:40
豚汁豚バラ焼肉定食お願いします
70日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:03:16
中津藩の小笠原長胤が元禄十一年に改易されたのは有名な話ですが、
その原因は寵臣を筆頭家老に任命したために家政が治まらなくなったせいだ
と言われて居ます。
この筆頭家老に任命された寵臣は、たしか秋元とかいう名字の人物だった
かと記憶して居りますが、うろ覚えで定かではありません。
この寵臣の正しい姓名などの情報に関して御教示下さい。
何とぞ宜しく御願い申し上げます。
71歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/01(月) 03:51:52
>>62
んなーこたーない
>>67
山川の教科書を全部暗記

よっしゃこい
72日本@名無史さん:2007/01/01(月) 04:09:32
現在の政府の状況を江戸時代に例えると
73日本@名無史さん:2007/01/01(月) 07:08:53
可愛らしい近所の女子を手込めにして囲う方法はないものか
74日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:15:37
この板で最近豚豚とうるさいですが?
豚は何かの隠語なんですか?
75日本@名無史さん :2007/01/01(月) 13:25:10
>>65
親豚の定義を「肉豚の親」と考えた場合、答えは、否。
母豚は種付けするころには体が大きくなりすぎ肉も堅い。
さらに何度もお産を繰り返した母豚は脂身もなく、しなびた大根のようになる。
不要になった時点でタダ同然の価格で売られる。
だがスープの出しになるのは兎も角、食えたものではない。
父親つまり種豚はさらに論外。
肉豚は小さい頃にタマをとることになっているのだが、
これは精子臭が体につかないための処置。
男の溜まり場に行くと体臭に具合悪くなるが、あれと同じだ。
ちなみに肉として売られる豚は生後半年程度で、
体重は110〜120キロくらいにもなる。
仔豚といえる生後1ヶ月までの豚ならスペインで丸焼きに。これは美味い。
76日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:59:55
>>75
豚臭いですねw
77日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:39:31
ニーハオ:こんにちは
ニーツァオ:おはよう
ワンシャンハオ:こんばんわ

シアリュウ:下流:スケベ
インタオ:陰道:ワレメ
ダーフェイジー:打飛机:しこって精子を出す
ヨンツイバーフィエジー:用口嘴飛机:フェラチオ


知ってると役に立つ
78日本@名無史さん:2007/01/01(月) 20:08:03
豚野郎は先生も気取っているのかwww
79日本@名無史さん :2007/01/02(火) 00:42:01
>>72
徳川斉昭
80日本@名無史さん:2007/01/02(火) 02:49:51
何で古代学者と自称する人たちは他人の墓を暴いて中を覗くのですか?
文献調査ができなければ知らなくたって分からなくたって良いではないですか。

彼らはどういう神経をしているのですか?
81日本@名無史さん:2007/01/02(火) 09:47:09
>>78 どうりで豚臭いと思ったよw
82日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:11:19
豚にんにく教授だったの・・・www
83日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:42:11

>アイデンティティの完全な崩壊をも及ぼしかねない問題だろうよ
これは文章ですか?
84日本@名無史さん:2007/01/04(木) 07:13:44
直江兼続と石田三成が「義兄弟」だと書かれた本がありました。
どういう関係なのでしょうか?
姻戚で相聟に当たるのでしょうか?

85日本@名無史さん:2007/01/04(木) 17:12:59
拍手は明治以前から有ったのでしょうか?
時代劇の芝居などの場面で、観客が拍手をしていると、凄く違和感有るんですぅ。
86日本@名無史さん:2007/01/04(木) 18:48:06
>>84
こくごじてん を ひいて ごらん
87日本@名無史さん:2007/01/04(木) 19:08:40
>>84
その「本」て、小説や学研の雑誌の事ですか?
88日本@名無史さん:2007/01/04(木) 19:23:21
>>85
吊りだと思うけどあえて・・・君の言うとうりです。
江戸時代、歌舞伎役者には掛け声です。
拍手が馴染みになるのは、明治の中頃からのようです。
文筆家、小説家、歌舞伎役者達が自分の経験を語っています。
89日本@名無史さん:2007/01/04(木) 19:26:38
墾田永年私財法は現在も有効ですか?
90日本@名無史さん:2007/01/04(木) 20:17:15
>>89
豚Qでつ
91歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/04(木) 20:29:29
>>89
無効です。

よっしゃこい
92日本@名無史さん:2007/01/04(木) 22:07:52
>>91
>>80に答えてくれ
93日本@名無史さん:2007/01/04(木) 22:08:47
茶番
94日本@名無史さん:2007/01/05(金) 19:01:16
日本史板のコテって馬鹿ですけどどうしてですか?
95日本@名無史さん:2007/01/05(金) 19:23:39
牟田口廉也が中将の身分でインパール作戦を指揮できたのは何故ですか?
96日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:03:55
>>88
有難うございました。釣りでも何でもなく、純粋な質問でした。
今日、「大奥」観て、違和感感じまくりでしたが、これですっきりしました
(あの映画はそれ以前に、本質的な所で違う箇所が多々でしたけど…)。
97日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:49:55
博士ってやっぱ太国なの?
98日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:51:35
>>94
日本史板の常識
コテ=馬鹿
99日本@名無史さん:2007/01/06(土) 11:31:39
この休みに梅原先生の『神々の流竄』を読み返しててね、出雲大社と東大寺が奈良時代の同じ頃
に出来たらしいとの記述から、やはり同じ頃にできたと考えられる伊勢神宮との位置関係をグー
グルの緯度経度検索で調べてみた。
伊勢神宮はN34.455、E136.726、出雲大社はN35.402、E132.685にある。
これを連立方程式の一次式として解くとy(経度)=-4.267x(緯度)+283.745になる。
これに当時の都である平城京(グーグルの検索では出ない)の緯度N34.695を代入すると東経
は計算上135.701になり実際の東経約135.79と非常に近似していると言える。
このすごい発見をだれか先に気づいた人、居る?

ググったらブログに同じ事を書いてる人が居た。
大発見だと思ったのに、、、、
100日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:21:02
>>97
決まってるよw
101日本@名無史さん :2007/01/06(土) 16:59:11
今回スレを立てた小吉の文面は前回の「博士の代理」と同じだけど、
なんで今までのように「うひょ〜おまたせしました」じゃないの?
博士と小吉と博士の代理は、やっぱり同一人物でおk?
102日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:57:44
南京虐殺は本当にあったの?
103日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:31:03
>>101
おk!
104日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:47:39
1 :【小吉】 ◆K7dknYygdo :2006/12/03(日) 06:56:56
おなじみの19弾

2 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/03(日) 06:57:53
105日本@名無史さん:2007/01/06(土) 19:45:54
実朝暗殺の理由と実行犯と黒幕を教えてください。
私は実行犯は公暁ではないという可能性を考えています。
よろしくお願いします。
106日本@名無史さん :2007/01/06(土) 20:26:01
5 :歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2006/12/03(日) 07:04:45
■◇■ 本スレのお約束 ■◇■
1.自作自演と言われても泣かない。
2.自作自演がバレても泣かない。
107日本@名無史さん:2007/01/06(土) 22:42:19
>>105
公暁じゃ無ければ誰なの? 実行犯の意味解かるかな?
108日本@名無史さん:2007/01/06(土) 22:59:08
>>105
実行犯は公暁に決まってるじゃん。黒幕は諸説あるが。
目撃者がウジャウジャいるんだよ。
朝廷から来てるのもいるからさ。すぐ外部洩れちゃったんだよ。
109日本@名無史さん:2007/01/06(土) 23:03:04
幕末の宇都宮藩主である戸田氏はどこの戸田氏ですか?
110日本@名無史さん:2007/01/07(日) 00:41:57
>>106
ははは白状してるよ
111日本@名無史さん:2007/01/07(日) 17:41:30
>107・108さま
実朝が殺された状況。
 雪明り、たいまつ、一番至近での目撃者は都から来た公卿たち、「トキンというものシタル」(愚管抄)。
 この状況なら「親の敵!」って叫べば誰でも公暁になりすませるでしょ?
 殺された公卿が実朝の首を持っていなかったのも、彼は濡れ衣だからじゃないですか。
 どうでしょう?
112日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:11:15
Q1 士農工商というけれど、小作農の生活はかなりひどいものだったのではないでしょうか?
小作農も身分的には工商より上だったのですか?

Q2 公家や僧侶、神官は身分的にはどうなるのですか?
113日本@名無史さん:2007/01/07(日) 20:03:41
士農工商という言葉は儒者が使っていた観念的なもので、
社会の実際の身分としては武家の下に百姓・町人が並列してるだけ。
もちろん、百姓・町人の中には身分内の身分はあった。

公家や僧侶・神官は別格というか別枠。
114日本@名無史さん:2007/01/07(日) 20:06:23
>>113
ありがとうございました。
115日本@名無史さん :2007/01/07(日) 20:33:24
博士が専攻している時代はどこ?
116日本@名無史さん :2007/01/07(日) 21:30:16
古代史と思われ

よっしゃこい
117日本@名無史さん:2007/01/07(日) 22:22:20
権力が摂関家に集中すると、官位昇進も家柄によって定まるようになった。コレをなんというか?
って問題が某スレにあったのですが答えが分かりません。
気になって寝れないんで教えてください。
118日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:56:00
>>115
幕末史と思われ

よっしゃこい
119日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:37:19
坂本竜馬暗殺で今もっとも有力説はなんですか?
120日本@名無史さん:2007/01/08(月) 12:55:13
>>117
門閥じゃね。藩閥とか閨閥とかあるからな。その辺から調べてみ。
121日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:34:27
高級宗教って何ですか?
122日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:10:43
改元ってあるよね。年号が変わるやつ。昔の人は、それをどうやって知ってたの?
畿内は比較的早く知れたんだろうけど。年代によっても違うのかな?
123日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:17:35
九州王朝説のふりしている、
畿内説なのか、邪まな人が、
邪魔しに来て困ります。
どうすれば来なくなりますか?
124日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:27:20
>>122
俺もそれ不思議に思ってる。地方の坊さんとか年号代わったの知らないで
過去帳とかに違った年号書いたりしないのかなと思った。

関東の田舎とかの場合、何日くらいで分かるんだろ?
125日本@名無史さん :2007/01/08(月) 17:48:59
>>124
戦国時代に、近江へ逃走していた将軍義輝が年号改元を知らないで前の年号を3ヶ月間使い続けた例がありました。
126日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:39:34
>>119
新撰組⇒見廻組⇒今は薩摩藩だというのが有力らし
127日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:10:36
2倍年暦とか欠史八代とかを提唱している人って、
結局記紀は間違いだと認めているんですよね?
間違いなのに、その他が信用出来るなんて・・・
ちょっとおかしくないですか?
128日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:55:32
自分は大河ドラマ好きなんですが今年は面白そうな予感してます!なのに武田騎馬軍団なんて無いとかサラブレッドが走り回ってるなんてキメーて書き込みを見ました。デタラメを訂正して下さい!
129日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:58:41
西郷隆盛と大久保利通どっちの方が業績がでかいんですか?
なぜ最終的に西郷隆盛は年下の大久保利通に追放されて殺されてしまったんですか?
130日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:05:45
衣変えした侍はイラネだからさ
131釣られた!:2007/01/08(月) 23:46:28
>>128
今年の風林火山の事はわからんけど
葵三代&武田信玄の時に使われた馬の八割はクォーターホースらしい
カーボーイ達が乗ってるやつ(カウポニー)=オトナシイ
葵三代の撮影の時には120頭の馬を揃えたらしいが(大変だったみたい)
武田信玄の時には60頭に減らしたらしいょ
日本在来馬で撮影するのはお金と時間が・・・


132歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/09(火) 05:41:53
>>92
墓かどうかは中を見てみないと分からないジャン

よっしゃこい
133歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/09(火) 05:43:59
>>101
ご想像にお任せします。

よっしゃこい
134歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/09(火) 05:44:33
>>102
既出。

よっしゃこい
135131:2007/01/09(火) 10:23:38
ゴメン間違えた!
武田信玄の時(88年)が120頭で葵・徳川三代の時は60頭でした。
136日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:51:21
137歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/11(木) 08:13:22
>>115
ご想像にお任せします。

よっしゃこい
138日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:03:21
なぜ幕府軍は第一次長州征伐で責任者の切腹だけで撤兵してしまったんですか?
あの時長州を幕府の直割地にすればクーデター阻止出来たかもしれないのに。
139日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:12:23
抵抗されるから、占領戦はしゃれにならないくらいコスト(人的被害含む)が掛かるから
当然幕府にそんな余裕はない
140日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:29:37
>>139
ありがとうございます!
疑問が解消しました。
141日本@名無史さん:2007/01/11(木) 20:26:41
ヘルナンデス・エル・コルドバが考案した野戦築城と長篠合戦時の織田徳川陣地との関連性を教えて下さい。
142日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:26:26
ちょっと聞きたいんですが、
なんか今までの歴史の中で役立ったことってありますか?
教訓になったこととか☆
143日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:06:08
>>142
家系は300年、会社は30年で・・・・・
大体当たってると思う。
俺の会社もソロソロ・・・・



144日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:16:36
145日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:30:03
開国直後に見られた海外との金銀の交換比率の違いによる金流出って鎖国前にもあったんですか?
あったならその交換比率ってどのくらいだったんでしょうか?
146歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/12(金) 06:33:17
>>117
質問をもう少し厳密にしてくれないと答えようがない。

よっしゃこい
147歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/12(金) 06:36:22
>>117
もしかして、「権門勢家」と答えさせたかった質問かも。

よっしゃこい
148歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/12(金) 06:53:04
>>122
古代:末端までどのように伝達されたのかは不明。
中世:同上、私年号(異年号)というのが現れる。
近世:触・達で全国の全町村に回る。僧侶とかには触頭経由のはず。

かな? 古代・中世は末端までのことはよく分からないことが多いので。
古代中世でも公文書には元号必須なので、地方で公文書を発給するようなところには中央から伝達されていたはず。
当然時間差はあった。

よっしゃこい
149日本@名無史さん:2007/01/12(金) 09:57:05
博士は本当に博士なの?
150日本@名無史さん:2007/01/12(金) 16:33:43
まもなく、2ちゃんねるが閉鎖されます。

ttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0701/12/news046.html
151日本@名無史さん:2007/01/12(金) 16:42:35
大塩平八郎が己の力に限界を感じ
奉行所をやめるきっかけとなった
無尽というシステム
老中幕閣にまで及んだ不正無尽の仕組みは
一体どのようになってるのでしょうか?
152日本@名無史さん:2007/01/12(金) 17:01:53
髪型に関する質問

1.月代が出現したのは?普及したのは?
  鎌倉時代→月代はみられない。烏帽子に直垂。
  戦国時代初期→烏帽子に直垂メイン。月代はマイナー。
  安土桃山時代以降→月代全盛。

2.武士が烏帽子、直垂を普段から着なくなったのはいつ?

3.女性の髪形が江戸時代の時代劇にみられる「日本髪」になったのは
  いつから?
  徳川家光の時代から?
153日本@名無史さん:2007/01/12(金) 17:04:00
(3.と同様に)

4.ちょんまげが江戸時代のちょんまげのように額の上のほうに伸ばす
  ようにしたのはいつから?
  少なくとも江戸時代初期の大坂夏の陣の頃は安土桃山時代と同じ
  ですよね。
154日本@名無史さん:2007/01/13(土) 08:00:59
>>152,153
髪型についてのサイトはあちこちにあるから、ぐぐったら。
用語が分かってるんだから、簡単ジャン。
155日本@名無史さん:2007/01/13(土) 16:50:34
質問
 なぜ、源実朝って暗殺されたんですか?
156日本@名無史さん:2007/01/13(土) 18:59:41
157日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:42:58
>>152に関連した質問だが、

よく戦国期の時代劇を見ていると、今川義元や大内義隆なんか直衣&立烏帽子で
登場することが多い。
しかし、いくら有力守護大名クラスとはいえ、一般の武家の日常の装束が
直垂&侍烏帽子ではなく直衣&立烏帽子ってことはあり得るのだろうか?

あともう一つ、武家の女性が日常着として袴を着用しなくなるのはいつから?
158日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:09:26
都城制の短所ってありますか?
思いつかない(つД`)
長所の方が多いよ
159日本@名無史さん:2007/01/13(土) 21:24:15
>>156
ありがとうございました。
160日本@名無史さん:2007/01/13(土) 22:25:22
南朝の天皇の諱は、尊治・義良・寛成・熙成。
なぜ「〇仁」ではないのか?
161日本@名無史さん:2007/01/13(土) 22:38:09
○仁ばっかりの持明院の方がマンネリで面白くない。
162日本@名無史さん:2007/01/13(土) 22:40:13
>>139
いまのイラクみたいなもんか。
163日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:36:28
大塩平八郎の三大功績(キリシタン逮捕事件、奸吏糾弾事件、
破戒僧処分事件)について教えてください

(奸吏糾弾事件は弓削新衛門を倒した事件じゃないかと思いますが
一致するかどうかはわかりません)
164歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/16(火) 04:32:27
>>149
ホント。

よっしゃこい
165ちんこ博士:2007/01/16(火) 13:09:16

♪ はぁ〜チンコッコ、チンコッコ  ♪              ,
                   (___)∧     ♪          ♪
        ♪      l^ヽn (・∀・ )
            ((  ヽ ソ⌒>   <__       ,η            ♪
                / i目ヽヽ// `ヽ    / _彡
    ♪         (__ノ, ヽ //丁 /三 \. /  i
               |/  i/ /  目/ 丁  /  ./  ))
               ヽ丁,,l三三三〈\ 目(_ノ
                 ̄| /    丁ヽ \_ヾノ        ♪
        ♪        <三 /_目__ノ
                  |_/ー、_/       ♪
                    i./    /
                   /   /                 ♪
              ((  ( , 〈 、
           ♪      |   i ヽ、       ♪
                  |  .|\  ヽ.
                  |  |  >  _) ))                 ♪
                  |  〈 と__/
                 __/  __)          ♪
                 (_/
166日本@名無史さん:2007/01/16(火) 22:46:54
>>157
前回の風林火山では、信虎が直垂に立烏帽子で登場していた。
167日本@名無史さん:2007/01/17(水) 08:37:50
>>166
室町時代は小説ネタにもなりにくくて、生活習慣のことも触れる機会が少ないが、
兵農分離の前で商業発達の萌芽期、足軽の出現、ナギナタから長槍への転換、
食事も三食化など変わったことが起きている。
鎌倉時代は、地主の子供は元服すると烏帽子をかぶり、無冠は1人前でない印だ
ったが、室町になるとアブレ者はなりふり構わなくなった。女も小袖。小袖って
元は下着の一種だったんじゃないか。
話は飛ぶが、仕事着のジーパンが今はファッションになっている。背広も元は
軍服らしかったが。

司馬遼の、箱根の坂、国盗り物語などをその目で見ると、多少の雰囲気も分かろう。
168日本@名無史さん:2007/01/17(水) 21:18:08
戦国時代の大名の日常生活や、家臣の職種別の日常の仕事内容について詳しく知りたいのですが、
そういうのを紹介している本などありませんでしょうか。
169日本@名無史さん:2007/01/18(木) 03:53:16
信長の時代の清水寺は現在のような清水の舞台があったんでしょうか?
信長が宿に使ってた時期にはすでに舞台はあったんでしょうか?
舞台あって、焼失して江戸時代に再建?
170日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:47:51
801 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/18(木) 19:56:14
>>797
学術的根拠のない叙情的なことをうだうだ書くなよ。

住吉大社の西側に上町断層が南北に走っている。
そして上町断層の西側大阪湾が陥没側、東側の上町台地側が隆起側となる。
(12年前の阪神淡路地震は六甲山の南側の5本の断層線の北から4本目が動いたもの。)
(六甲山が隆起側、大阪湾が陥没側。大阪では断層が南北に走り生駒信貴山が隆起側、大阪湾が陥没側)
上町断層の東側が上町台地、住吉大社は上町台地の西端に西向きにあるのだ。
住吉大社ができた時には、その入り口は大阪湾に面して海辺にあったわけだ。
大阪湾沿岸の神社は海に面接して立てられた一般則に住吉大社もしたがっている。
(したがって大阪湾での一般論として同じ場所では古い神社ほど内陸部に位置する)
又上町台地の地層は上町台地の西端が最も高く東に緩く傾斜している。
つまり、地形的には東西方向では住吉大社が最も高い位置になる。
だから住吉大社の西面が海に接していても長居が海であったことにならない。
しかし長居の東は、上町台地が東に傾斜して下がっているので、河内湾の海となる。


こんなに短時間に傾くの?
この人やっぱり馬鹿?
博士教えてください。
171日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:00:54
三浦按針についての史書を読んでたら、
東インド会社の通信史が大阪を訪れた時に、子供達がしきりに

「コラ、コラ、ワレ、コラ」

と囃し立てながら一行の後を付いてきた、通訳に意味を尋ねたところ
「高麗、高麗、悪い、高麗」という意味であるらしい、という事が載ってたんですが、
これは大阪弁の「ワレコラ!」という恫喝も同じ語源と考えていいんでしょうか?
172ちんこ博士:2007/01/19(金) 19:57:03

173日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:13:55
どうして古代史は俺をこうもハァハァ(´Д`)させるのだろうか?
174日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:53:37
此処の博士=九州王朝大好き
175歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/19(金) 22:08:38
>>149
ホント。

よっしゃこい
176日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:45:39
>>171
>大阪弁の「ワレコラ!」
は「我」「これは(元々『何じゃこれは→何じゃこら』)」
なので、関係ないす!
177日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:53:32
>>167
商業発達の萌芽期は室町期というより鎌倉期だろう。

あと鎌倉期に一般武家が被っている烏帽子は普通は侍烏帽子(折烏帽子)。
ここで話題になっている立烏帽子とは別。
178日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:55:46
銅鐸の使い道さっさと教えろ
179日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:28:14
並べて石の玉をぶつけてたくさん倒したほうの勝ち
180日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:48:00
蘇我馬子の奥さんについて教えてください。
181日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:46:16
wikipediaより
『日本書紀』では物部弓削大連(物部守屋)の妹、『紀氏家牒』・『石上振神宮略抄』神主布留宿禰系譜料では物部守屋妹の「太媛」、『先代旧事本紀』天孫本紀では物部鎌足姫大刀自(父は物部守屋の異母弟石上贄古大連、母は物部守屋同母妹の布都姫)とある。
これでは不満だから聞いているのだろうけど一応。。。
182日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:33:29
>>178
当時いかがわしい商法が流行っていて、買わされて被害を受けた人が
多かったのでは?
183日本@名無史さん:2007/01/26(金) 02:45:36
痔っていう漢字に稚児関係の寺がついてるのはアッーー関係なんでしょうか?
184日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:40:02
横レスです
銅鐸の使い方は漢字のまんまだよ!W
185処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/01/26(金) 19:50:28
「日本海」に代わる、政治的に偏りがなくて、歴史的な根拠もそれなりに
あるような別の呼び方なんかないのか?
186日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:09:49
維新後だいぶ経ってから明治天皇が徳川慶喜に会って、
「あんたの天下を奪っちゃってスマンかった」と謝ったら慶喜が
「昔のことだし、もういいよ」と言ったってエピソードがあると
どっかで読んだのですが、出典は何という本でしょうか。
187処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/01/26(金) 20:43:21
昭和天皇がバカみたいな神格化をされて辟易して愚痴こぼしてるのなら
知ってるが。
188日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:44:24
立憲帝政党の福地源一郎と歌舞伎の脚本家?の福地源一郎(桜痴)は同じ人ですか?
189日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:05:38
昭和初期に政党政治の政府と軍部の行動が一致しないことが多かったが
それらの事例を挙げて、なぜ一致しなかったのか答えなさい
って問題が試験ででるので誰かお願いします…
190日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:12:11
同じ人
191歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/27(土) 11:47:38
>>151
不正というか実質的には領主の借金
>>152-3
しらん
>>158
作るのが面倒

よっしゃこい
192歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/01/27(土) 11:48:23
>>163
別に功績じゃない。

よっしゃこい
193日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:21:49
 ヾヽヽ
 ( ´ヮ`)ノ
  ミ_ノ  
  ″″
194日本@名無史さん:2007/02/04(日) 23:25:48
ほとんど歴史的には答えになっていないようですが・・・
195日本@名無史さん:2007/02/05(月) 00:29:40
自分和歌山に住んでてこないだ、ひいじい様の墓参り行った時に墓見たらが菊の五紋(?)がついてて親に聞いたら家の祖先は南天皇(?)を守ったらしく大学の歴史専攻したら出てくるよって言われたんですけど何時代でどんな人ですか?横矢って名前なんですけど…
196日本@名無史さん:2007/02/06(火) 12:19:21
>>195
これかな?
野長瀬氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nonagase.html
野長瀬氏が歴史に登場してくるのは、さきにも記したが大塔宮が高野山に向かう途中、玉置庄司の軍に阻まれて危機に陥ったとき、軍勢を率いて援けたときである。
この野長瀬氏の勢は、大塔宮が笠置を逃れて以来はじめて配下に収めた大軍で、これを機に宮方を一旦離反しかけた十津川も再び宮に従い、
本宮奥の院といわれた玉置山衆徒も味方につき、やがて本宮山、大和の宇智、葛城の郷士も味方し、吉野挙兵および金剛山千早城の後方支援基地ができあがった。
このとき、野長瀬氏は横矢の姓を賜り、以後、横矢氏も称するようになった。

※大塔宮は南朝の後醍醐天皇の皇子
197日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:54:44
なんかまぁGJな祖先なのかな?
お答えありがとう。
198日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:07:32
◆ 我が将来に無防備宣言。将来の日本をも無防備にする存在。ニート・引きこもり・フリーター ◆

      |ミ/  ー◎-◎-)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     (6     (_ _) )< ボキュは金持ちなんだ!もっと優しくしろよ!
      |/ ∴ ノ  3 ノ  \_______________________
      \_____ノ,,    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ 付き合いは金だけだけど・・・お先真っ暗って言うな!
      / ヽ| |賊 国 | '、/\ / / 


まさか博士ニートじゃないですよね?
199日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:27:15
つまんね
200日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:51:42

博士に朗報!!!

創作板だと妄想しても妄想だけでは誰も文句言わないんだって

すげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげー
201日本@名無史さん:2007/02/11(日) 05:15:30


大蔵氏は前漢初代皇帝「高祖(劉邦)」の流れを汲む後漢の霊帝を祖とするという。
後漢が滅び、三国時代の到来と共に国内は乱れ、霊帝の曾孫の阿智王(阿智使主)の一族は日本へ帰化、播磨国大蔵谷に館を構える。
阿智王の子の阿多倍は内大臣に任され、斎明天皇の皇女を妻にする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%94%B5%E6%98%A5%E5%AE%9F

>>斎明天皇の皇女を妻にする。

これ誰のことなのか分かりますか?
当時皇女って皇族以外と結婚出来ましたっけ
202日本@名無史さん:2007/02/12(月) 00:09:41
203日本@名無史さん:2007/02/24(土) 11:51:21
age
204日本@名無史さん:2007/02/25(日) 18:02:07
領主・大名などの国入りを入封と表現しているのをよくみるが、広辞苑や
漢和辞典などにものっていない。入部・入府の慣用的な書き方なのか?
ちなみに転封・移封の項目はちゃんとあるのだが・・?
205日本@名無史さん:2007/02/26(月) 17:45:24
幕末、長州軍の大将がかぶっていた歌舞伎のようなぼさぼさ毛は何の意味があるのですか?
206日本@名無史さん:2007/02/26(月) 21:55:11
まだこのスレ続いてたのか。
評判悪いよ。もうやめときな。身元割れてんだし。
207日本@名無史さん:2007/02/27(火) 13:28:56
福島県立医科大(福島市)で25日に行われた医学部入試の2次試験(前期日程)で、試験官を務めた医学部の50歳代男性助手が、いびきをかいて居眠りをしていたことが27日、わかった。

 同大は「試験に大きな支障はなかった」として受験生の救済措置は取らないが、助手の処分を検討している。
208日本@名無史さん:2007/02/27(火) 13:31:40
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
209日本@名無史さん:2007/02/27(火) 14:15:52
家老はがろうって読むんですか?
210疑問 ◆W9gIs.bR2o :2007/02/27(火) 14:23:18
今って仁徳天皇稜っていう言い方しないんですか?
211日本@名無史さん:2007/02/27(火) 15:57:47
うんこ博士
212日本@名無史さん:2007/02/27(火) 19:01:36
>>205
それ、私も疑問に思ってて去年、社会の先生に聞いた!
長州の大将にかまわず薩摩や土佐もかぶってると思うよ。
なんか、地位を表すものらしいよ。
色とかによってね。 無知でごめん
213日本@名無史さん:2007/02/27(火) 19:02:35
>>209
かろう じゃないの?
藩主の次のお偉いさんだと思う
214日本@名無史さん:2007/02/27(火) 20:41:18
ウンコ博士だなw
215日本@名無史さん:2007/02/27(火) 22:00:22
博士?
本当に博士ですか?
216日本@名無史さん:2007/02/28(水) 02:38:15
>>205
>>212

これですかね?
スレがありますよ。

戊申戦争時の赤いカツラについて
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150897863/l50
217日本@名無史さん:2007/02/28(水) 19:41:00
国史大辞典で水野十郎左衛門を調べたら、「父の出雲守成貞もかぶき者と知られたが」という記述があったのですが、
同辞典でかぶき者・旗本奴で調べても、また寛永諸家系図伝・寛政重修諸家譜で調べても成貞についての詳しい記述がないです。。。
徳川実紀、日本歴史人名辞典、国書人名辞典、人物レファレンス辞典、旗本人名辞典も全滅です。。。
もう本当に何で調べたらいいんでしょ
218日本@名無史さん:2007/02/28(水) 21:11:19
イタコに憑依
219日本@名無史さん:2007/02/28(水) 22:51:18
江戸城は堀に囲まれていたようですが、
下水などはどうしていたのでしょう?
220日本@名無史さん:2007/03/01(木) 01:44:28
現代社会に通用する国際感覚を有している、と
考えられる偉人は誰だと思いますか?

明日(というか今日)までのレポートのテーマなんです
マジレス求みます
助けて下さい・・・orz
221日本@名無史さん:2007/03/01(木) 02:58:58
池田亀三郎
222日本@名無史さん:2007/03/01(木) 04:41:52
伊藤博文なんかどうだろうか
223日本@名無史さん:2007/03/01(木) 07:01:30
世界の女体盛り伊藤博文
224日本@名無史さん:2007/03/01(木) 12:21:38
>>221
>>222
ありがとうございました
さっきレポート提出してきました
未履修分のやつだったんでなんとか単位取れそうです・・・
225日本@名無史さん:2007/03/01(木) 14:50:37
池田亀太郎を書かない時点で不可。
226日本@名無史さん:2007/03/01(木) 21:53:10
227217:2007/03/02(金) 02:16:28
マジレスもらえない……書き方が悪かったのかな……
半年Romることにする
228日本@名無史さん:2007/03/02(金) 14:26:45
そこでゴッドハンドなわけですよ
229日本@名無史さん:2007/03/02(金) 15:32:44
クイズなんですが、難しすぎてわかりません。
誰のことだか、分かりますか?
「かつてのリーダーの姓を最初に名乗り、逃れし安住の地」
230日本@名無史さん:2007/03/02(金) 16:35:03
231日本@名無史さん:2007/03/02(金) 22:29:08
博士来ませんなあ
232日本@名無史さん:2007/03/03(土) 14:27:02
身元われてるからばっくれてんだろ
233日本@名無史さん:2007/03/03(土) 14:51:51
朝鮮戦争はどっちが勝ったのですか?
234日本@名無史さん:2007/03/04(日) 03:16:56
決着ついてないだろ。
これだからゆとりは
235日本@名無史さん:2007/03/04(日) 03:21:10
>>233
まだ戦争中ってことになってなかったっけ。
236日本@名無史さん:2007/03/04(日) 03:38:33
椅子文化が無く、玉座も無い。
畳のせいで絨毯も無かった。
着物は家紋とか丸模様ばかりで面白みがない。
城壁は美しくない。石工技術が無かったのか??
石造建築がない。
鎧は格好いい。
旗は上の部分もとめていてダサイ。

中国のような壮大さがなぜなかったのか。
日本は時代が進むほどに簡素で単調になっている気がする。
237日本@名無史さん:2007/03/04(日) 09:36:02
     ____  
   /      \
  /  ─    ─\ 
/    (●)  (●) \ 
|       (__人__)    |  
/     ∩ノ ⊃  /
(  \ / _ノ |  |
.\ “  /__|  |  
  \ /___ /
238日本@名無史さん:2007/03/04(日) 15:43:08
江戸時代の人は主に何を食べていたんですか?
何食どれくらい食べていたんですか?
武士階級と農民層両方答えてもらえるとありがたいです。
あと現代人と江戸時代の人って労働時間はどれくらい違った
んですか?江戸時代の人の労働時間はどれくらいだったんですか?
出来ればこれも武士農民両方答えてもらえると嬉しいです。
武士の仕事内容も知りたいですね。
質問ばかりですいません、ご教授おねがいします。
239日本@名無史さん:2007/03/04(日) 15:47:19
ここの博士は
ウンコなプラ国博士だw
240日本@名無史さん:2007/03/04(日) 16:47:18
少しおたずねしますが、江戸時代の下級武士とは、どこから下級武士といいますか?
代官クラスは下級武士といいますか?
241日本@名無史さん :2007/03/04(日) 18:55:22
>>240
中村注水あたりから下級武士なんじゃまいか?
242日本@名無史さん :2007/03/04(日) 19:17:33
醍醐天皇→後醍醐天皇
みたいな『後』ってどんな理由でつくんですかね?
『後』がつく法則性とかあるのですか?
243日本@名無史さん:2007/03/04(日) 23:00:00
後醍醐天皇は醍醐天皇をかなり尊敬していたから、醍醐にあやかって自ら後醍醐としたらしい。
他は知らない。
244日本@名無史さん:2007/03/05(月) 00:25:33
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
245日本@名無史さん:2007/03/06(火) 18:34:35
>>241
私、物を知らない人間でして、意味がわからないです・・
(T_T)
246日本@名無史さん:2007/03/07(水) 17:57:31
いろいろと調べたのですが答えが分からないので質問させていただきます。

なぜ江戸幕府は鎖国を敷くのに約30年もかかってしまったのか。「豊臣」「生糸」「オランダ」という語句を使って説明しなさい。

よろしくお願いします
247日本@名無史さん:2007/03/07(水) 18:35:40
関が原後も豊臣氏は存在していた。=国内情勢がいまだ不安定。
糸割符仲間による朱印船貿易。=儲かった。
オランダは17世紀前半が全盛期。
248日本@名無史さん:2007/03/08(木) 00:06:15
家康は,1603年に征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開き,
次に大阪城の豊臣氏をほろぼし,およそ260年にわたる徳川氏の支配を確立しました。

家康は,近隣の国々との友好的な外交に取り組みました。
それと同時に,大名や大商人に海外渡航を許可する朱印状をあたえ,
貿易を進めました。これを朱印船貿易といいます。
日本へは,中国産の生糸・絹織物が主に輸入され,日本からは,大量の銀が輸出されました。
国内では,家康は,ポルトガル人・スペイン人,さらに,あとから来たオランダ人・イギリス人との貿易も許可しました。
しかし,キリスト教が急速に広まったことをおそれ,キリスト教を禁止し,宣教師たちを国外に追放しました。

3代将軍家光は,1635年,さらにキリスト教のとりしまりを強化し,貿易を統制しようとして,日本人が海外へ行くことや,海外から帰国することを禁止しました。
1637年,九州の島原(長崎県)・天草(熊本県)のキリスト教徒の百姓など約3万7000人が,無理な年貢の取り立てと,キリスト教に対するきびしいとりしまりに反対して一揆を起こし,
島原半島南部の原城跡に立てこもりました。幕府は,約12万の大軍を送り,ようやく一揆をおさえました。これを島原・天草の一揆(島原の乱)といいます。
その後,人々を宗門改帳に記し,寺院に仏教徒であることを証明させ,キリスト教の禁止をいっそう強めました。
幕府は,1639年にはポルトガル人の来航を禁止し,次いで,オランダ人を長崎の出島に移し,ここだけで貿易を許しました。
これ以降,日本に来る貿易船は,オランダ船と中国船だけとなりました。このように,日本人の海外渡航を禁止し,外国との交際を制限した対外政策は,鎖国とよばれています。
オランダと中国の船は,生糸・絹織物・薬・砂糖などをもたらし,日本からは,銀・銅・陶磁器・海産物などが輸出されました。
249日本@名無史さん:2007/03/08(木) 00:32:38
246が高校生なら248の説明でよいと思うが
大学生であるならば248の回答は・・・

250日本@名無史さん:2007/03/08(木) 12:59:38
先日逮捕された大阪の梁山泊の実質的経営者の名字が豊臣な件。
251日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:41:34
>>250
秀吉の豊臣は 氏 な
252日本@名無史さん:2007/03/08(木) 20:09:01
>>250
パチンコ って時点で気づかないか?普通。


豊臣春国(本名:楊春国)

253日本@名無史さん:2007/03/09(金) 11:10:02
>>252
まじ?三国人だったのか。
254日本@名無史さん:2007/03/09(金) 12:04:18
戦国時代における大名の家臣組織図を教えて下さい。
255日本@名無史さん:2007/03/09(金) 13:57:39
↑ばか
256日本@名無史さん:2007/03/09(金) 14:31:41
土一揆と国一揆の違いについて教えてください
257日本@名無史さん:2007/03/09(金) 15:29:36
土一揆は土民が中心で国一揆は国人が中心なんじゃない?
よく解んね。
258日本@名無史さん:2007/03/09(金) 15:48:09
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
259日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:34:16
>257
土民って誰よw

国一揆は国人中心、土一揆は徳政令要求が中心。
260日本@名無史さん:2007/03/10(土) 01:28:05
>>259
笑ってるが違いますw
あと土民も別に間違ってない。

国一揆は惣国一揆ともいい、国全体が一揆の状態であることを示す。
例:山城の国一揆=元々は国人の一揆だったものに土民(百姓)の一揆も参加。

国人の一揆は国人一揆という。

土一揆は土民(百姓)が一揆の状態にあることを示す。
一揆の目的に徳政がある場合これを徳政一揆という。
基本的にほとんどの土一揆は徳政一揆である。
261日本@名無史さん:2007/03/10(土) 20:08:38
江戸時代の通貨について教えてください。

両とか分(金、銀)とか朱とか文とか匁とか貫とかなんだか沢山種類がありますが、全て流通されていたのでしょうか?
また、それぞれの通貨の交換レートを教えてください。
例えば、
一両=x分金
一両=x分銀
一両=x文
みたいな感じでお願いします。

江戸時代も260年ありますから、代表例で結構です。
262日本@名無史さん:2007/03/10(土) 23:27:14
めんどくさいのでググってください。
それか高校の資料集でも見てください。
263日本@名無史さん:2007/03/10(土) 23:35:30
渡来人によって弥生時代が始まったと言っても過言ではないと思います。
では何故縄文時代には渡来人が来なかったのでしょうか?

1)航海技術が未発達だったため物理的に来ることができなかった。
2)来る必要が無かった(大陸情勢が安定していた)。
3)来ていたが、弥生時代の渡来人ほどの文化レベルを持ち合わせていなかった。

よろしくお願いします。
264日本@名無史さん:2007/03/11(日) 00:11:14
2じゃね?
265263:2007/03/11(日) 18:49:28
やはり外圧が無かった事が大きい?
266日本@名無史さん:2007/03/11(日) 19:09:47
トコロテン四季
267263:2007/03/11(日) 23:20:06
なぜ孝徳朝で、改新の詔をだしておきながら、すぐには改革できなかったのですか?
えらくもたもたしているようにみえるが。
268日本@名無史さん:2007/03/12(月) 02:13:36
フランス革命やロシア革命、鎌倉幕府創設期のことと重なることがあるのだよ。
269日本@名無史さん:2007/03/12(月) 03:25:53
瓦が誕生したのは2800年前の中国。
日本には仏教と共に瓦が入ってきた。
初めて日本の宮殿に瓦が使われたのは藤原京。
瓦葺は格好良い(波瓦はダサい)。
板葺き、茅葺はダサい。
日本の仏閣や宮殿、城に彩色が少ないのはなぜか。
武士や公家の礼服はダサい(袴と着物に模様が少ないからか)。
城壁の石は整っていない。
中国の紫禁城は見事だ。日本の城は面白みがない。
外観はいいが中身は装飾も無く面白みが無い。
270日本@名無史さん:2007/03/12(月) 07:58:37
何で日本史板には、
たまに>>269みたいな、日本語の不自由な人が沸くのですか?
271日本@名無史さん:2007/03/12(月) 12:10:58
国の福祉政策が充実してない証しだな。
可愛そうに…。
272日本@名無史さん:2007/03/13(火) 01:27:55
仕様です
273日本@名無史さん:2007/03/13(火) 01:44:23
>>269
ありゃりゃ、日本人は家紋に限らず趣向を凝らした紋章が大好きだぞ。
そもそも君の家には紋が無いのか。
274日本@名無史さん:2007/03/13(火) 22:31:10
>>269
日本のものをダサいと思うってことは君が大陸的な価値観を持ってるってだけ。
275日本@名無史さん:2007/03/14(水) 23:13:25
歴史学博士かなんか知らないが、あらゆる質問にちゃんと答えないな。
きちんとやれなきゃスレ違いだから止めろや。
276日本@名無史さん:2007/03/14(水) 23:14:35
歴史学博士はとうの昔に消えた件
277日本@名無史さん:2007/03/15(木) 00:07:56
ほんじゃスレタイと事実関係は無しか。
削除して新スレ立てろ。
世の中じゃこれを詐欺って言うんだよ。
日本史板の面汚しが。
278日本@名無史さん:2007/03/15(木) 01:07:40
質問してもまともな答えが返ってこないんじゃ削除も仕方ないな
それとも>>1000までだいぶあるけど埋めてしまうか
279日本@名無史さん:2007/03/15(木) 13:15:38
うめようぜ
280日本@名無史さん:2007/03/15(木) 15:51:01
>>277
だったらわざわざあげんなよw
281日本@名無史さん:2007/03/15(木) 19:40:10
徳川時代には歌舞伎役者は人間扱いされず、
「一人、二人」ではなく「一匹、二匹」と数えられていたとの由。
とすれば、明治時代には彼らは戸籍上「新平民」として登録されたのでしょうか?
282日本@名無史さん:2007/03/15(木) 23:27:11
>>280
そういうのを負け犬の遠吠えって言うのだ。全く論旨に整合しない回答だ(笑)
頭悪いなら勉強してから出直せよ!
どうせつまらん二流糞大学か高校生だろ?
283日本@名無史さん:2007/03/16(金) 00:22:32
284日本@名無史さん:2007/03/16(金) 00:35:09
バカセ遁走記念梅
285日本@名無史さん:2007/03/16(金) 00:36:28
水戸梅祭り
286日本@名無史さん:2007/03/16(金) 02:12:57
>>282
それは歴史学博士にでもいえば?w
287日本@名無史さん:2007/03/16(金) 03:39:11
咲いたに埋めたろう
288日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:06:25
重ねて問います。
徳川時代には歌舞伎役者は人間扱いされず、
「一人、二人」ではなく「一匹、二匹」と数えられていたとの由。
とすれば、明治時代には彼らは戸籍上「新平民」として登録されたのでしょうか?
289日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:18:59
うぜえから梅
290日本@名無史さん:2007/03/16(金) 18:07:15
津田埋め子
291日本@名無史さん:2007/03/16(金) 19:39:33
知らぬのなら、素直に「分かりません」と返答せよかし。
292日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:13:07
痛い奴まるごと埋め
293日本@名無史さん:2007/03/17(土) 07:00:45
埋め本法神
294日本@名無史さん:2007/03/17(土) 23:22:40
埋めだ埋めのすけ
295日本@名無史さん:2007/03/24(土) 01:59:23
質問。
なぜ白河法皇は鳥羽天皇を退位させ崇徳天皇を皇位につけたの?
崇徳は白河の息子だったそうですが、それを言うなら鳥羽だって直系の孫なんだから自分の血は継いでるのに。
璋子の件もあるのに、わざわざこれ以上鳥羽に恨まれるようなことする必要はないと思うんですが…

やっぱり白河と鳥羽は仲が悪かったんでしょうか?
296日本@名無史さん:2007/03/24(土) 14:13:43
大林賢栄ってだれ?
297博士:2007/03/24(土) 20:16:25
私の事です
298日本@名無史さん:2007/03/25(日) 18:53:38
博士は死にました。
299日本@名無史さん:2007/03/28(水) 16:21:41
>博士へ
加護ちゃん解雇だって。
300日本@名無史さん:2007/04/05(木) 04:00:19
武藏国都筑郡山田氏 について知りたい。
いわゆる地侍だとは思うけどいつごろ興っていつごろ滅びたのか、
権勢はどうだったのか教えてください
301日本@名無史さん:2007/04/07(土) 02:00:14
バカセ自演乙


終了
302歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/04/12(木) 15:38:00
>>299
一晩中泣いたお^^

よっしゃこい
303日本@名無史さん:2007/04/13(金) 23:57:48
腹いて
はかせ
わろす
よっしゃこい
304歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/04/14(土) 04:18:50
答えを求める質問だけもう一回よろしく

即答するお^^
305日本@名無史さん:2007/04/15(日) 14:13:28
あなたの本名は?
306日本@名無史さん:2007/04/16(月) 15:19:20
京都はずっと京都って名前?
江戸時代の京都も京都?
307日本@名無史さん:2007/04/16(月) 15:27:03
9条は改憲してはならない。日本の為にならない。
日本人ではない朝鮮総連や民団でさえ、日本を心配して改憲への反対運動を行ってくれている。
私は日本人だが、「改憲すべき」などという者は、日本人として彼らに恥ずかしいと思います。

Q.中国から身を守る為、戦争に対する抑止力が必要では?
A.前提から間違っています。そもそも、中国は日本に派兵しようと思えばいつでもできました。
  なぜなら、日本には9条があるため、空母や長距離ミサイル等「他国を攻撃する手段」がない。
  つまり日本に戦争を仕掛けても、本国の、命令をだした幹部の命は絶対に安全なのです。
  「安心して戦争を仕掛けられる国」を、中国は、今まで攻めずにいてくれたのです。

Q.それは日米安保によるものでは? そして、その日米安保も絶対ではないのでは?
A.中国の良心を信じられないのはなぜですか? そして、日米安保は絶対です。
  知り合いの韓国人の評論家も「絶対だ」と言っていますし、私も同じ考えです。
  更に、9条が消えても米国の戦争に協力する義務は発生しませんが、米国が被害者の場合は別です。
  米国は日本を守る為に戦っても、(9条があれば)日本は米国を守る為に戦う必要がないのです。

Q.9条が本当に「平和」憲法なら、世界中で(日本以外に)1国も持とうとしないのはなぜか?
A.これは、日本以外のすべての国が誤っているとも言えます。
  「敵国に攻撃が届く国は攻められづらい」というのは、誤った負の考え方です。
  (もっとも韓国や中国の軍に関しては、日本の右傾化阻止の為でもあるので例外ですが)
  更に日本の場合、隣国が韓国・中国・ロシアと、GDP上位の安定した信頼できる国ばかりです。

Q.「9条改憲派」は「戦争反対派」。侵略者に戦争を挑発する、戦争憲法(9条)を撤廃したいのです。
A.それは、貧しい考え方ではないでしょうか? 
  中国や北朝鮮を信じる「強さ」があれば、そんな考えにはならないはずです。
  日本が信じれば、彼らも信じるでしょう。そして、真に美しい関係が始まるのです。
308日本@名無史さん:2007/05/03(木) 03:58:03
博士ってバカだよね!
309日本@名無史さん:2007/05/03(木) 09:24:41
日本史における不思議な出来事、奇談。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1177255385/
310歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/05/04(金) 18:36:47
>>305
残念ながら非公表とさせていただいております。

よっしゃこい
311日本@名無史さん:2007/05/04(金) 19:11:42
博士は武陽陰士ですか?
312日本@名無史さん:2007/05/04(金) 22:14:31
徳川家基は暗殺だったんですか?
313身長169cm♂:2007/05/05(土) 10:56:15
川井康という人の「源平合戦の虚像を剥ぐ」という本に
当時の馬はポニー程度の大きさしかなく、
大鎧をつけた武者を乗せてだと長距離は走れなかったとありますが
今の馬は和馬でもポニーよりはでかいですよね?
一体何食ってあんなにでかくなったんでしょうか?
314日本@名無史さん:2007/05/05(土) 18:26:56
あんま変わってなくね?
315日本@名無史さん:2007/05/05(土) 19:30:01
>>306は?
316日本@名無史さん:2007/05/05(土) 21:29:47
清水馨八郎ってどんな人でしょうか?
おもしろいの?信用できる?
317日本@名無史さん:2007/05/05(土) 21:47:06
博士とやら、さっさと答えてみろ
318日本@名無史さん:2007/05/10(木) 01:23:50
歴史学博士とやらは逃げ出しました
319歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/05/12(土) 12:26:11
>>311
違います。
>>312
違います。

よっしゃこい
320武陽陰士:2007/05/12(土) 12:51:01
>>311
私じゃない。
よっしゃこい
なんていわないもん
今初めて来た。
でも面白そうだから参入するつもり。
321日本@名無史さん:2007/05/12(土) 16:18:14
本日、あちこちのスレに出没している武陽陰士さん、
あなたは大学院生ですか?
研究者か何か?
322武陽陰士:2007/05/12(土) 16:54:28
今日はタダの暇人です。
江戸時代の天子様(天皇様)と庶民
という掲示板で泥仕合やっています。
よかったら来ませんか
323日本@名無史さん:2007/05/12(土) 18:35:09
武陽キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
324つる:2007/05/13(日) 11:10:51
はじめまして
石田三成公の家紋 大一大吉大万 の意味をご教授願います。

どうぞよろしくお願いします
325日本@名無史さん:2007/05/17(木) 04:50:53
女性器の礼賛
326日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:20:52
上方では「オメコ」だがな・・・
327日本@名無史さん:2007/05/20(日) 15:32:01
質問があります

江戸時代や明治の民法が出来る前は伯父と姪とか伯母と甥とかで婚姻できたのですか?

328日本@名無史さん:2007/05/21(月) 07:24:54
真面目な質問が多いのにまともに答えてるのは一つもないように見えますが
329日本@名無史さん:2007/05/22(火) 17:00:18
こんなにもアカデミックなスレに対して失礼だと思いませんか?

帰ってください。
330日本@名無史さん:2007/05/30(水) 23:55:10
源 義経の逆落としってホントに馬で崖を降りたの?
331日本@名無史さん:2007/05/31(木) 01:23:54
>>327 武家の場合伯母(叔母)と結婚はできなかったみたい。
吉宗が本当かどうか行き場のなかった竹姫(5代綱吉の養女)を正室
にと考えたとき、系図上で曽祖父の娘つまり大叔母になるからだめだ
と言われたとか。

平安時代の天皇家はすさまじいぐらい近親婚の繰り返しだけど。
332日本@名無史さん:2007/05/31(木) 02:42:23
皇室は平安時代といわず近親婚だあね
333日本@名無史さん:2007/05/31(木) 10:59:47
>>330
とりあえず『平家物語』(講談社文芸文庫)で確かめたほうがいいと思う。
書いてあることがどこまで事実かどうかまでは知らないが、
一般に知られている講談じみた武勇伝よりは信憑性が高い。
334日本@名無史さん:2007/06/05(火) 17:04:32
今、郷里制に関する論文を読んでいる所なんですが、いくつか読み方が
解らず調べ様が無くて困っている用語があるので教えていただきたいのですが。
「正倉院調庸綾絁布墨書」
「三綱優婆塞貢進解」
これです↑

あと、天平勝宝2年の河内国の勘籍に出てくる「嶋吉事」とは何でしょうか?
「嶋吉事年弐拾陸」というように史料文中で出てくるのですが
335日本@名無史さん:2007/06/06(水) 16:13:19
ちょwwwwそんなことも分からずにwwwwww

論文なんて読んでる場合じゃねえだろ。さっさとドカチンに行けよ。
336日本@名無史さん:2007/06/07(木) 01:22:45
5000万件の「消えた年金」問題で、次のうちあなたが一番問題だと思う、厚生労働行政の失策はどれでしょうか?

1、基礎年金番号制度の導入を閣議で決定

2、基礎年金番号制度の導入を実施

3、市町村にあった年金被保険者名簿の保存・管理義務をなくす

4、3つとも同程度の失策

普通に考えたら、何よりも責任が重いのが3番で、次いで2番、そして1番の順ではないでしょうか?

ちなみに、1番を行なったのは民主党の「管直人」、2番を行なったのは自民党の「小泉純一郎」、3番を行なったのはナンミョー党の「坂口力」です。
337日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:45:04
                 ,r=''""゙゙゙li,
      _,、r=====、、,,_ ,r!'   ...::;il!
     ,r!'゙゙´       `'ヾ;、, ..::::;r!'゙
    ,i{゙‐'_,,_         :l}..::;r!゙
.  ,r!'゙´ ´-ー‐‐==、;;;:....   :;l!:;r゙
 ,rジ          `~''=;;:;il!::'li
. ill゙  ....         .:;ll:::: ゙li
..il'   ' ' '‐‐===、;;;;;;;:.... .;;il!::  ,il!
..ll          `"゙''l{::: ,,;r'゙
..'l!       . . . . . . ::l}::;rll(,
 'i,  ' ' -=====‐ー《:::il::゙ヾ;、  
  ゙i、            ::li:il::  ゙'\.      
  ゙li、      ..........,,ノ;i!:....    `' 、  ∧__,,∧
   `'=、:::::;;、:、===''ジ゙'==-、、,,,__ ` '(´・ω・`)  GJ!!
     `~''''===''"゙´        ~`'' (    )
338日本@名無史さん:2007/06/27(水) 23:43:55
 ヾヽヽ
 ( ´ヮ`)ノ
  ミ_ノ  
  ″″
339日本@名無史さん:2007/06/28(木) 18:13:46
社会科ってのは社会にたいする見方を考える教科なのになんで暗記教科なんて呼ばれるようになったんだ?ふざけやがって
340日本@名無史さん:2007/06/28(木) 21:40:49
なぜ家光はゲイボーイになったのですか?
341日本@名無史さん:2007/06/28(木) 21:45:30
家光はなぜゲイボーイとなったのですか?
342日本@名無史さん:2007/06/28(木) 21:59:17
築山御前の殺害の真相は?
343日本@名無史さん:2007/06/29(金) 01:02:24
歴史学博士はもういませんので書き込みしないでくだしあ><
344日本@名無史さん:2007/07/03(火) 12:49:57
>>522
それ、ちょっと違うよ。
500年ぐらい前の大金持ちストロガノフ氏が考案した料理で、ロシア語 бефстроганов ビーフ
ストロガノフのビーフてのは“〜風”という意味でしかない。“ストロガノフ風(もてなし料理)”
ってことでし。
実際牛肉の料理だから、イギリスに伝わった時に(発音と内容を兼ねて)beef stroganoff という
綴りを当てたに杉ないのでつ。
345日本@名無史さん:2007/07/03(火) 18:25:05
m9(^Д^)プギャー
346日本@名無史さん:2007/07/07(土) 04:46:53

247 名前: 名無しさん 投稿日: 2007/07/07(土) 04:07:36 ID:K/gIYXKQ
>>245
あのな、俺は日本人だけどそういう差別発言やめねーか
日本は文字も仏教もない未開の国だったのに
韓国人は手取り足取り漢字や仏教や稲作を教えてくれた
日本にとって韓国人は恩人でもあるんだよ。
言ってみりゃ日本文化のバックボーンは韓国文化とも言える。
だから日本も韓国も仲良くすべきだと思うんだ。
韓国は日本にとって母親のような存在だし
父親のような師でもあるんだよ。


考察たのむわ
347日本@名無史さん:2007/07/07(土) 06:49:16
「戦国三大(或いは四大)美少年」というのは誰が決めたのですか?
初出文献は何といふ書物でせうか?

348日本@名無史さん:2007/07/07(土) 06:53:26
家光はゲイボーイではない。
当時の男性は皆な男色を嗜むのが常識だった。
上杉謙信や宮本武蔵ら生涯にわたって女犯の穢れを知らず
男性のみとしかセックスしない人々も多かった。
僧侶の大半も女色に身を汚すような真似はしなかったぞよ。
349日本@名無史さん:2007/07/07(土) 09:52:20
上杉謙信はケコーンこそしなかったがいいなかになった女はいたぞ。
350日本@名無史さん:2007/07/07(土) 19:38:44
1.教えてくれた
彼らは日本人の祖先の一部になっている
中国と半島の抗争を逃れて列島に移住してきた
現代朝鮮人となんら関わりはない。

2.バックボーンに韓国文化
半島を経由した中国文化を摂取してきた。
経由の過程で半島で多少変化したものを受け入れているから
「韓国」ではなく「古代朝鮮半島」ならおk

3.母親父親
意味不明。感謝とかも意味不明。
351日本@名無史さん:2007/07/09(月) 22:36:38
カムイ伝の歴史考察の正確さってどんなもんなんですか?
ほぼでたらめ?
352日本@名無史さん:2007/07/10(火) 12:09:50
物語の背景として歴史はあったとしても、考察を目的としたものではないと思うぞ。
353日本@名無史さん:2007/07/10(火) 12:39:33
>348
男色を嗜むとはいっても、普通は両刀使い。
織田信長も、武田信玄も、たしかに男を寵愛したが、
女も好きだった。
家光は30近くまで女を一切近づけず、
男色一色だったから、ホモだといわれたんだよ。
宮本武蔵は生涯不犯だったといわれているけどね。
武蔵は、男色すら断ってたはず。
354日本@名無史さん:2007/08/08(水) 23:20:36
夏休みなのに質問が無いなんて・・・
355日本@名無史さん:2007/08/23(木) 00:50:58
\\   一  万  年  と  二  千  年  前  か  ら  愛  し  て  る //
  \\  八 千 年 過 ぎ た 頃 か ら も っ と 恋 し く な っ た     //
   \\       一 億 と 二 千 年 後 も 愛 し て る         //
     \\ 君 を 知 っ た そ の 日 か ら 僕 の 地 獄 に 音 楽 は 絶 え な い//
       _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.
     ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡
     (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡
    _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.     _ _∩.
  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡  ( ゚∀゚)彡
  (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡.   (  ⊂彡.
356日本@名無史さん:2007/08/25(土) 18:42:20
              俺様 万歳!!
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                ∧ ∧
                  ( ゚Д゚,,)
                U θU
            / ̄ ̄T ̄ ̄\
           |二二二二二二二|
           |        |
 _____________________
          歴史学博士 万歳!
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧
   )(   )(   )(   )(   )(   )(   )(   )
  ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧
 (   )(   )(   )(   )(   )(   )(   )(   )
∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧  ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧
   )(   )(   )(   ) (   )(   )(   )(   )
357日本@名無史さん:2007/08/25(土) 18:59:16
超高学歴?】博士という学歴の価値【無職予備軍?
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/joke/1186576159/

100人の博士むら
http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/

アカハラ・セクハラ総合対策スレッド
http://school7.2ch.net/test/read.cgi/student/1184567724/

不幸確定】やめとけ博士進学11【土方道切符】
1 :名無しゲノムのクローンさん:2007/07/05(木) 20:50:30
ほとんどの博士進学者の行く末「ポスドク」の典型例とは?!

・給与年合計400万円(ボーナス無し!諸手当て無し!昇給無し!)
・1年任期で更新無し!(引っ越し貧乏!減給あり!)
・待遇は高卒非正規社員以下。
・博士課程はお笑い芸人養成学校よりも夢がない
・ポスドクの生活も売れないお笑い芸人以下
・民間への就職は多くはブラックベンチャー
・研究者としての死亡率95%
・東大京大卒も大量に討ち死に(就職組は天上人の生活)
・業績出しても仲良し内輪公募の前にあえなく自爆死
・任期制で足下を見られ好きな実験できません
・セイフティネット、なっしんぐ!
・自殺行方不明者、実に8% 

さ あ 逃 げ 場 の 無 い 地 獄 へ よ う こ そ !
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/life/1183636230/l50x
358日本@名無史さん:2007/08/30(木) 16:21:53
 補足説明をいただけましたらと思い、書き込みます。
 時代は江戸初期。
「佐橋甚五郎」という人物(詳細不明、武士。悪い人らしい)、刀を盗み甲州へ逃げ、次に朝鮮へ逃げる。
 朝鮮で官人となり、朝鮮通信使の三使の一人(?)となり日本へ来る。
 参府のおり、家康が「あの者は佐橋甚五郎ではいか」と気づきその旨を尋ねる。
 本人は自分が佐橋甚五郎であることを答える。
 この件についてご存じのことをお教えください。
 なお、上記の話は柏崎永以の「古老茶話」に載ってました。
359日本@名無史さん:2007/09/15(土) 22:35:25
【問1】
 院政期には田楽や猿楽といった芸能が大いに流行しました。
 また今様という民間の流行歌謡も流行し、それらを集成した
 『梁塵秘抄』も成立しました。その『梁塵秘抄』の作者として正しい
 ものを、次の1〜4のうちから一つ選んでください。
 1 白河上皇  2 鳥羽上皇  3 後白河上皇  4 後鳥羽上皇

【問2】
 鎌倉時代中期にでた一遍は、踊念仏を通じて時宗の普及に努めました。
 鎌倉時代の新仏教について述べた文として誤っているものを、次の
 1〜4のうちから一つ選んでください。
 1 浄土真宗を開いた親鸞は、煩悩の多い悪人こそが阿弥陀仏の救いの
   対象であるとする悪人正機説を説いた。
 2 日蓮は、南無阿弥陀仏という念仏をとなえることで救われると説き、
   日蓮宗は関東の武士層に広まっていった。
 3 栄西が中国から伝えた臨済宗は、坐禅の時に師からあたえられる
   公案を解決して悟りに達することを求めている。
 4 道元が開いた曹洞宗は、ひたすら坐禅することによって悟りの境地
   を体得しようとするものである。

【問3】
 1867年、東海・近畿・四国地方の民衆が「ええじゃないか」と連呼して
 踊り歩く集団乱舞が発生しました。この乱舞は、ある神社のお札が降っ
 てきたことがきっかけであったとされています。この神社の所在地と
 して正しいものを、次の1〜4のうちから一つ選んでください。
 1 熊野  2 高野  3 熱田  4 伊勢
360日本@名無史さん:2007/09/15(土) 23:13:39
【問1】
荒井源司『梁塵秘抄』(甲陽書房)
佐佐木信綱『梁塵秘抄』(明治書院)

【問2】
1親鸞の師法然の高弟勢観房源智が『法然上人伝記』のなかで、悪人正機説を法然に帰している
2関東の武士層だけではなく商工業者にも広まっている
3公案は解決して悟りに達することを求めているものではない
4は曹洞宗を根本から勘違いしている

【問3】
バカチン
361日本@名無史さん:2007/09/19(水) 21:29:50
幕僚ファッショとはどういう意味ですか?
362歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/09/30(日) 16:01:09
>>313
ポニーよりはでかいんじゃまいか
>>315
そう
>>316
知らん

よっしゃこい
363歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/09/30(日) 16:05:24
>>327
出来る場合あり
>>330
うそ

よっしゃこい
364日本@名無史さん:2007/10/07(日) 08:43:58
>>313
つサラ
そして電波本注意
365日本@名無史さん:2007/10/16(火) 19:40:37
ドキュンからバックアップうけている反日本記事捏造のアサヒる新聞。
恥ずかしくて公共の場では読めない新聞。
366リカルデン ◆.81/SDBF.k :2007/10/17(水) 20:05:21
日米和親条約で
下田・箱館を開港しましたよね。

日露和親条約で
下田・箱館・長崎を開港しましたよね。

日米修好通商条約で
長崎・神奈川(横浜)・下田(後に閉港)・新潟・兵庫(神戸)を開港しましたよね。

けど…………
片務的最恵国待遇がアメリカにあるはずだから、日露和親条約を結んだ時に長崎を開港するはずじゃないんですか?

用語集だと日露和親条約条約を結んだ時にアメリカ・イギリスに長崎が開かれたみたいですけど……
教科書は日米修好通商条約のときに長崎が開かれたような記述がされてるんですよね………
367日本@名無史さん:2007/10/17(水) 20:23:27
すんません、初めに外国人が来た時、どうやって会話が成立したのでしょうか?
368日本@名無史さん:2007/10/18(木) 02:46:13
教科書は条約の内容を書いているだけだから
369リカルデン ◆.81/SDBF.k :2007/10/18(木) 22:37:36
じゃあ…
いつ長崎がアメリカに
開かれたんですか?
370日本@名無史さん:2007/10/19(金) 07:54:32
>>367
ペリーの来航のときはオランダ語の通訳をつれてきた。

英語⇔オランダ語⇔日本語
371日本@名無史さん:2007/10/19(金) 17:46:52
得意の幕末史
博士出て来いや
372日本@名無史さん:2007/10/24(水) 22:27:27
>>369
はよ答えろって!!
373日本@名無史さん:2007/10/24(水) 22:41:49
博士はこないよ
374日本@名無史さん:2007/10/24(水) 22:42:40
>>372
こっちで質問した方が良いですよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1183136670/l50
375日本@名無史さん:2007/10/24(水) 23:19:57
>>366
マジレスすると最恵国待遇。その後新たな条約で明文化じゃないの?
376日本@名無史さん:2007/10/24(水) 23:23:08
377日本@名無史さん:2007/10/24(水) 23:36:53
小石信者は親切ですな
378日本@名無史さん:2007/11/03(土) 19:14:33
質問させてください
関ヶ原の戦いの後、西軍の石田三成・小西行長・安国寺恵渓は斬首されたのに
どうして西軍主力で戦った宇喜田秀家は奄美大島に島流しですんだのでしょうか?
前田家から嫁を取ってたことが関係しますか?
379日本@名無史さん:2007/11/14(水) 16:19:08
してる。

匿った嶋津も助命した。
助かったとはいえ、かなり苛酷な島流し生活。
380日本@名無史さん:2007/11/14(水) 23:04:02
悠々自適だったと聞いたが
381日本@名無史さん:2007/11/15(木) 02:03:57
>>369
米国人フルベッキは長崎に住んで、佐賀藩士に英語を教えていた
>>378
奄美大島じゃなくて八丈島
382日本@名無史さん:2007/11/15(木) 02:39:35
八丈島で宇喜多を名乗った老人は本物なのでしょうか?
ただ単に酒飲んでしまった言い訳じゃなかろうか?
383サガミハラハラ:2007/11/15(木) 13:09:21
質問します。
わたしは、日本書紀の景行から雄略までの年代を古事記分註天皇崩年干支が2倍年暦であることに着目して、
日本書紀の年代の復元に成功しました。
それを「神功皇后は実在した 明窓出版社刊」という一書のまとめ出版しましたが、さっぱり反応がありません。
私が解いた日本書紀年代は間違いなのでしょうか。
日々眠れない日がつづいています。よろしくご回答のほどお願いいたします。
384日本@名無史さん:2007/11/19(月) 10:15:39
ただいま博士は「神功皇后は実在した」の本を読んで検討中です。もうしばらくお待ちください。
385日本@名無史さん:2007/11/19(月) 22:27:00
もう少々=約半月
しばし=約一ヶ月
もうしばらく=約二ヶ月
386日本@名無史さん:2007/11/23(金) 19:42:59
神功皇后といえば、象潟は虫甘(←これで一字の字)満寺にも出没した話が
あるネ。

司馬遼太郎の「街道を行く」を読んで、21年目にしてやっとお参りして来た。
どんなお寺さんかすーと気になっていたんだ。

司馬遼太郎が行ったときの住職も娘さんも健在だとか。
387日本@名無史さん:2007/11/23(金) 23:25:07
あの住職さん健在なのか!!!
388386:2007/11/23(金) 23:44:39
>>387
自分は会ってないけどネ。

例の山門を入ったところに受付ボックスがあって、そこに手伝いのオバさん
がいた。拝観料を取る。
娘さんにしては、ちょっと年が行っているかなと思ったが、娘さんの名前を
呼んでみたら、違った。しばし会話。

中に入って、裏へ廻って、芭蕉が舟を上がってきたという場所へ行って、池
を見た。司馬遼太郎がオカシゲに書いていたが、確かに住職が池に手を入れて
懐かしげに話す景色は、想像するとなんとも言えない。南東方向の鳥海山の
頂上に雪がちょっとあって、いい風景だが、住宅地が廻って来つつあって
そのうち、池も新建材の家に囲まれそう。
389日本@名無史さん:2007/11/26(月) 16:41:14
大変基本的な質問で申し訳ないのですが、
私が高校生のとき、歴代総理大臣の覚え方として、
「いくやまいまいおやいかさかさ かやおてはたかやきかか
 わたはわいさお・・・」
と覚えていたはずなのですが、今ウィキペディアで調べてみると
「・・・かやおてはたかやきか わたは・・・」になっています。
私の「か」はどこへ行ってしまったのでしょうか?
390日本@名無史さん:2007/11/26(月) 22:56:59
>>389
ウィキペディアを見ているんだったら、
[[日本国歴代内閣]]の24番目を見て脚注をクリックすること。
391日本@名無史さん:2007/11/26(月) 22:57:15
             ???  ?  ???
             ???         ???
             ?              ?
             ?             ?
             ????   ?   ????
               ?   ???   ?
               ?  ?   ?  ?
               ?         ?
               ?         ?
               ?         ?
               ?         ?
               ?         ?
      ???????? ?         ? ????????
   ????      ???         ???      ???
  ??                                ??
392日本@名無史さん:2007/11/27(火) 01:12:40
さて、それでは一通目のお便りの紹介です。

杉並の吉田さんからのお便りです。

こんにちわ。いつも楽しくこのすれを読ませてもらっています。
さようなら。

お便りありがとうございました。
NOW THE NEXTSONG ONCALL.
JIGSAW, SKYHIGH
393日本@名無史さん:2007/11/27(火) 16:43:34
最近、あちこちのスレに出没する武陽陰士って何者?
レス読んだ限りではかなり知識があり、論文も読んでるっぽいが、
言動が凄まじく痛い上にハッキリと荒らし宣言までしているんだが・・・
394日本@名無史さん:2007/11/27(火) 22:35:46
舞踊印紙の事なら こちらへどぞどぞ
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
395日本@名無史さん:2007/12/14(金) 22:35:57
今の天皇と最古の天皇って血がつながってるんですか?
あと天皇の血に韓国の血が混じったときの韓国人は日本に来て何代目の人なんですか?
396歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2007/12/23(日) 13:08:25
>>367
中国人を介することが多い
>>369
58年の時点じゃないかしら
>>374
荒らさないで下さいね。こっちが本スレですよ。

よっしゃこい
397日本@名無史さん:2007/12/26(水) 14:51:11
既出だったらごめんなさい。
戦国時代のドラマの合戦シーンで騎馬隊の武士が馬上で刀を振り回しているのを見ますが、実際にあんな戦い方をしたのでしょうか?
馬上だと片手はふさがってるしバランス悪いし隙だらけだし、全然強くないと思うんです。
また、大将が敵の兵の中に突入してバッサバッサやってるのも全くリアリティを感じません。
普通に瞬殺されちゃうと思います。
騎馬兵の戦い方と大将の行動について詳しい先生、教えてください。
398日本@名無史さん:2007/12/26(水) 23:59:54
399日本@名無しさん:2007/12/27(木) 13:13:19
>>397
騎射兵といえども、太刀を佩いた。
太刀は左腰に刃を下に向けて吊り下げる。斬るというより、打撃や刺突に用いたと思われる。
鎧を纏った敵に対して鎧の上から切りつけても斬れるものではなく、鎧の隙間を刺すか
兜の上から撃ちつけるほうが現実的だったのではないだろうか。
小刀は腰刀ともいい、歯を上に向けて左腰に差した。主に刺突に使われ、敵と組討になったときに
急所を刺したり、首を掻いたり、または自害でも使われた。
源平合戦期の騎射兵の戦闘展開を武器を中心に考えると、弓射→太刀による打物→組討→腰刀
にて止めをさす、という流れが考えられる。
ttp://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/kachukishakou/ss02.html

騎射戦の実際
ttp://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/kachukishakou/ss03.html
400日本@名無史さん:2007/12/28(金) 13:15:15
歴史学の専門誌で毎月チェックしておくと良い雑誌はありますか?
a木書店の歴史学研究はどうでしょうか?安いので毎月買おうかと思ってるのですが。
401日本@名無史さん:2007/12/28(金) 20:16:43
>>395
今の天皇と最古の天皇の血は繋がっているぞ。
万世一系って言葉を聞いたことあるだろう。
継体天皇の時に王朝が交代したとかよく言うけど
武烈天皇と継体天皇の血縁関係が離れすぎていただけであって
全く別の家系になったわけではないんだぜ。
402日本@名無史さん:2007/12/29(土) 00:02:00
血が繋がってる=万世一系なわけなかろうがw
403日本@名無史さん:2007/12/29(土) 00:08:37
>>402
>血が繋がってる=万世一系なわけなかろうがw
「皇統」の意味知らないのか?
404日本@名無史さん:2007/12/29(土) 00:19:15
>>403
拝聴しましょう
405日本@名無史さん:2007/12/29(土) 00:22:58
これは期待
406日本@名無史さん:2007/12/29(土) 03:55:44
皇統「神武天皇以来一貫して男系で世襲した系統」
407400:2007/12/29(土) 06:47:38
勝手に買えばって感じですかね(´・ω・`)
408日本@名無史さん:2007/12/29(土) 10:54:22
万世一系自体、江戸後期に出来た言葉。
おまえら
江戸後期のレベルなわけだw
409日本@名無史さん:2007/12/29(土) 11:01:49
>>402は知ったか厨ということでよろしいでしょうか?
410日本@名無史さん:2007/12/29(土) 11:39:03
(´;ω;`)ブワッ
411日本@名無史さん:2007/12/29(土) 11:51:49
>>409
血が繋がってると万世一系といえるのですか?
412日本@名無史さん:2007/12/29(土) 14:19:51
×万世一系=血が繋がっている
〇万世一系=皇統

だから「皇統」だって言ってんだろ
日本書記嫁
413日本@名無史さん:2007/12/29(土) 14:32:08
>>412
「皇統」は歴史学ですか?神話ですか?
414日本@名無史さん:2007/12/29(土) 14:41:35
>>413
「神武以来」って時点でわかるだろがw
415日本@名無史さん:2007/12/29(土) 14:49:08
>>412
…と水戸学の某たちはいってる
もっと勉強したまえw
416日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:14:16
水戸学の某たち???
417日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:50:40
会沢とかね
418日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:53:15
精子斎?
419日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:57:00
正志斎がどうしたんだ?
420日本@名無史さん:2007/12/29(土) 16:45:53
おにぎり小町
ぶよういんし
オレ様博士
421日本@名無史さん:2007/12/29(土) 16:55:07
以後、sage進行で。
422サガミハラハラ:2007/12/29(土) 17:08:29
博士さま、私の著書の「神功皇后は実在した」の結果はいかがでしたでしょうか?
423サガミハラバカ:2007/12/29(土) 17:58:54
だみだね
424日本@名無史さん:2008/01/04(金) 22:21:08
何故、昔の天皇には色んな名前があるのか・・・・?
ミドルネームのようなもんか・・・・?

Ex
 継体天皇(けいたいてんのう)
 ・オホド王
 ・袁本杼命(おおどのみこと)
 ・男大迹王(おおどのおおきみ)
 ・彦太尊(ひこふとのみこと)
 ・雄大迹天皇(おおどのすめらみこと)
 ・乎富等大公王(おおどのおおきみ)

 因みに、桓武天皇は山部親王(やまべのみこ)のみだ。

 誰か詳しく説明して!
 もしくは、こういった議論をできるスレ教えて!
425日本@名無史さん:2008/01/05(土) 00:10:39
戦国日本で鉄を生産してた場所ってどこですか?
出雲で鉄生産してたってのは聞いた事ありますが…
426日本@名無史さん:2008/01/05(土) 02:21:42
>>424
3・4・6・7番目は同じだろ・・・
継体やら桓武やらがいつ名づけられたか調べりゃすぐ分かる

>>425
出雲
427日本@名無史さん:2008/01/05(土) 08:30:13
>>424
継体の名前は、現代仮名で書けば「おおど」、歴史仮名で書けば「をほど」。
なお継体の曾祖父の名前は「おおおど(おほほど)」であるので、
本来的には継体の名前はその曾祖父の名前と「小ホド」⇔「大ホド」のような
対応関係にあることが推測される。
なお似たような対応関係は、武烈の名前「小泊瀬」と雄略の名前「大泊瀬」との
間などにも見られる。
428日本@名無史さん:2008/01/07(月) 01:05:08
先日、長崎・天草を旅行してきて、島原の乱がらみの資料館や石碑とかでは、
とにかく「殉教!殉教!俺達は残虐な支配者階級に迫害された可愛そうなキリシタン!」
という内容一辺倒だったのですが、実際はどうなんでしょう。

最近被害者ぶる連中を見ていると、被害者の立場を声高に主張して、
自分達の暗部を隠そうとしているんじゃないかと疑わしく思うようになっておりまつ。
429日本@名無史さん:2008/01/07(月) 01:18:58
島原の乱がキリシタン一揆的様相となったのは結果的な話なのはすでに通説
凶作下の重税に耐えかねた農民一揆が本質

ただキリシタン牢人が中核にいるし、農民にもキリシタンが多かったのも事実
430日本@名無史さん:2008/01/07(月) 18:18:18
>>429
なるほどありがとうございました。

あと、天草四郎が神格化されていたのは、当時からなんでしょうか?
431日本@名無史さん:2008/01/07(月) 22:19:35
江戸時代に国訴、越訴っていう一揆?がありますが
国訴と越訴の違いがよく分かりません
国訴は合法的と資料集に出てきましたがこの場合合法的とはどういう意味なんですか?
432日本@名無史さん:2008/01/08(火) 04:31:05
まず原則として百姓や庶民には訴訟権が認められてました。

訴訟する際、定められた手順を踏まず、上級の組織などに飛び越して訴えるのが「越訟」で、律令時代からある用語です。
江戸時代なら、藩を飛ばして幕府に訴えたり、奉行所を飛ばして幕閣や将軍に直接訴えたりなどです。
違法行為なので訴訟の内容や結果に関わらず、訴えた人物は何がしかの罰を受けたりします。
他に徒党を組んで訴える「強訴」「愁訴」などもあり、どれも違法です。

国租は、ある訴えが一国から数カ国規模に広まった訴訟の事です。
幕末に菜種や綿に関する大規模な国訴が起きてますが、代官や奉行所などを通し、正規の手続きを踏んで訴えているので合法です。
手順や訴え方を守らなければ越訴や強訴として違法となります。国訟だから合法なわけではありません。
433432:2008/01/08(火) 04:34:31
誤字だらけ、スマヌ
434日本@名無史さん:2008/01/08(火) 17:54:56
ここでお聴きしていいものかどうかわかりませんが、
時代劇の登場人物やそれぞれの関係、時代の流れなどをより理解するために、
特に戦国〜幕末辺りまでの知識を深めたいと思っています。
入門編としては、どういうものから読めばよいでしょうか。
なにかおすすめがありましたら、ご紹介ください。
よろしくお願いします。
435日本@名無史さん:2008/01/08(火) 20:22:19
戦国関連は戦国板で聞いた方がいいと思いますよ。
436日本@名無史さん:2008/01/08(火) 23:04:46
ありがとうございます。そうします。失礼しました。
437日本@名無史さん:2008/01/09(水) 00:51:14
ほんとうに入門ならwikiでいいんじゃね?w
あと概説書なんかでは人物関係が詳しくない(研究対象じゃないというか・・・?)

そういった意味では小説などのほうが人物のことは分かりやすい。
ただし誇張や創作があることを知った上で読んでほしいがw
438日本@名無史さん:2008/01/09(水) 04:49:13
ロシアとドイツが同盟した時に日本が「欧米事情はわからん」と声明して
日本内閣はなぜか総辞職してしまったという話を某サイトで見たのですが、
これは何で総辞職しちゃったんでしょうか?
439日本@名無史さん:2008/01/09(水) 08:57:05
>>438
平沼騏一郎内閣の「欧州情勢は複雑怪奇」という声明だな。
一言でいえば、ドイツを基軸に防共のための同盟を模索していた平沼内閣が
独ソ不可侵条約を目の当たりにして一挙に思考停止状態に陥り、そのまま
総辞職したってこと。
なお平沼騏一郎は平沼赳夫の義理の祖父に当たる(赳夫の父親が騏一郎の養子)。


あとこのスレを立てた自称・歴史学博士の>>1は、既に逃亡してこのスレには
いないから、以降は質問スレの本スレで。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1196663391/l50
440日本@名無史さん:2008/01/09(水) 23:09:13
ま、最近の研究では平沼は対独連携強化には非積極的だったという意見もある。

その場合「複雑怪奇」発言は、自分のサボりを巧妙に隠してドイツに責任転嫁する名言となるw
441日本@名無史さん:2008/01/10(木) 22:00:46
ここにいる博士はみんな常勤のアカポスに就いてるんですか?
442日本@名無史さん:2008/01/11(金) 04:55:09
>>439-440
有難うございました。
443日本@名無史さん:2008/01/11(金) 09:35:20
>>439
本当に歴史学博士なのあなた?
平沼赳夫「が」平沼騏一郎の養子だよ…
444日本@名無史さん:2008/01/11(金) 20:37:13
前九年合戦は、1051年から1062年まであったそうですが、だとしたら何故十二年合戦ではなく九年合戦と呼ぶのでしょうか?

ウィキペディアを読むと、昔は奥州十二年合戦と呼んでいたのに、後三年合戦を含めた呼び名だとの誤解を避けるため、前九年合戦と呼ぶようにしたと書いてあります。
だとしたら、「前」十二年合戦と表記すればよかったのではないかと思うのですが…
445日本@名無史さん:2008/01/12(土) 21:28:00
あげ
446日本@名無史さん:2008/01/13(日) 14:16:09
徳川慶喜は写真が趣味でよく自転車で写真を撮りに行ったそうですが
このときは袴をはいて自転車に乗ったんですか?それとも洋装だったんですか?
またこのとき彼は店先の美人に気をとられ自転車で店に突っ込んだそうですが
それは何の店だったんでしょうか?
447日本@名無史さん:2008/01/13(日) 15:28:27
>>441
常勤どころか院生レベルすらいないよ
ウィキなんかみてるようじゃなあw
448日本@名無史さん:2008/01/13(日) 18:11:42

私が小学生の頃、
日本中でノストラダムスの予言が大流行していた。
「1999年の7月に人類は滅亡する!」
という例のお騒がせ終末予言である。

大人になって社会に出て働きだして、
あくせくと忙しく日々を過ごしながら、
1999年は、
ありふれた日常の中であっさりと過ぎていった。
人類は滅ばなかった。

これからここで、
1999年に起こるかもしれなかった人類の壊滅的破局を、
誰にも知られずにこっそりと回避させた人たちがいた...
という設定で、
荒唐無稽なストーリーを描いてみたい。
無論、100%完全なフィクションである。

http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=532063&log=200705
449日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:06:53
圧姫見てんだが、なんで徳川幕府の財政は傾いてたの?
藩から金入ってたんだよな
藩も中央も財政難だったの?
450日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:15:47
人件費高すぎ貨幣経済発展年貢収納の低下などなどでどこもかしこも財政難
200年も前の制度が200年後に通用するわけがない
451日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:48:57
離婚するような「地域のシキタリ」って何ですか?

857 名前:名もなき下野人 投稿日: 2008/01/03(木) 01:02:42
長井のリンゴ農家に嫁いだ同僚が
地域のシキタリに馴染めず離婚してしまいました
話を聞くと今時信じられないようなことが多いらしくて
不憫に思いました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/1444/1046223923/
452日本@名無史さん:2008/01/13(日) 20:51:49
>>450
ありがとう
453日本@名無史さん:2008/01/13(日) 21:51:25
近世の江戸に特徴的な寺院のあり方について、次の語句を使って五行程度で説明せよ。
<イエ、火事、寺請制、移転、先祖祭祀、加持祈祷>

という課題が出たのですがどのようにこれらの語句をつなげればよいのでしょうか?
454日本@名無史さん:2008/01/13(日) 22:08:59
火事で焼け死んだ人にイエバエがたかりウジがわく。子孫は先祖祭祀のために
寺請制によってあらかじめ決められた寺を頼るが、古臭い加持祈祷などをやらかす
坊主に当たったらとんだ災難だ。ついでに寺が焼けて遠方に移転してくれていれば
旦那寺を変えてまともな坊主に当たったかもしれないものを。全く残念だ。
455日本@名無史さん:2008/01/13(日) 22:53:50
>>454
お前が残念だ
456日本@名無史さん:2008/01/14(月) 00:40:07
火事がよくわからん
457日本@名無史さん:2008/01/14(月) 05:54:13
都市部の寺は火事のために無闇に移転したってことじゃないの。大火のたびに都市計画によって
寺院は郊外に移っていったわけで、それを書けばいいんじゃないか。

だからちゃんと>>454で書いておいたわけだw
458日本@名無史さん:2008/01/14(月) 08:51:58
中世 関東武士が全国各地へ行き郡司になったのは
ほんとうだろうか?
どうも怪しい! 違うような気がするし?
459日本@名無史さん:2008/01/14(月) 20:23:51
郡司というより地頭だろ
460日本@名無史さん:2008/01/14(月) 20:51:23
>>453
東大型の模試で良く出題される定型問題だね。

江戸時代の寺院が寺請制度のもと、宗門改めなどの役割も担当し、
幕藩体制に完全に取りこまれて人民支配機関に変質していき本来の宗教的
役割などを果たさなくなっていったという大きな流れをうまく盛り込むこと。
先祖祭祀や加持祈祷といった現世利益的な活動が顕著になったことをその
一例にあげる。
そのほかによく使われる説明としては「葬式宗教に成り下がった」。

で、近世でもとくに「江戸に」ということだから、さらに幕府の政策で
寺院が上野などの特定の地位に集められたことや寛永寺が徳川家の菩提寺
になったことなどをあげ、「幕藩体制に取り込まれや」という要素を肉付け
していく。問題の火事だけど、江戸の町の火事や地震といった災害の際に
まとまった土地を持つ寺院が避難所として機能したことなどを指摘し、
やはり幕藩体制の一機関として機能した一例としてあげるのが無難な
処理法かと思われる。
461日本@名無史さん:2008/01/14(月) 22:36:27
5行程度って言ってるだろうが。役たたずめ
俺が聞いてるのは答えらしきものじゃなく、答えそのものを教えろって言ってんだよっ!
馬鹿かオメーはっ!
ウダウダ御託はいいから、はよ答えかけ。
お前の感想抜きで。
462日本@名無史さん:2008/01/14(月) 22:38:49




463日本@名無史さん:2008/01/14(月) 22:55:17
まだか?
464日本@名無史さん:2008/01/14(月) 23:43:28
受験板でやれ
465日本@名無史さん:2008/01/15(火) 00:03:58
460の答えを5行程度にまとめればいいじゃん。
それすらできないのかよ。
466日本@名無史さん:2008/01/15(火) 00:28:12
こうして良心的な住人が1人の厨のせいで消えていくんだね。
467日本@名無史さん:2008/01/15(火) 00:56:55
>>461
ヒドス
468日本@名無史さん:2008/01/15(火) 05:52:15
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのぢやゑ?
如何に「婦女童蒙」向きの大衆ドラマだとて、はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は身分の上下を問わず
徹底していた筈であろうに(つい近年まで男女の衣類は一緒に洗濯せなんだの)
脚本家は、原作者よりも非道い歴史に何の関心もナイ無知な人物なのぢやな?
西郷や島津公らの男色場面は何としても描く可きぢゃぞゑ!
わけを教えてたもれ。
469日本@名無史さん:2008/01/15(火) 11:24:43
そんなことしたらスイーツ層がザリガニのように引くでしょ。
470日本@名無史さん:2008/01/15(火) 13:19:13
粘着ホモ吉は
wikipediaで日本史と同性愛を執筆してるIPの一人ですか?
471日本@名無史さん:2008/01/16(水) 01:50:12
>460
東大の誰かに含むところがあるような書き方だね(苦笑
一行一行に食い付いて無駄な議論をするのもアレなので前半はスルーして

>寛永寺が徳川家の菩提寺になったこと
これは蛇足では?

寺請制度については、他宗派の檀家への布教や新たな寺の建立が禁止されたりして
著しく布教活動が制限されたという寺側の視点も必要なのではないかと、、、

>問題の火事だけど、江戸の町の火事や地震といった災害の際にまとまった土地を持つ寺院が避難所として機能
それもあるけど防火帯として機能することが求められていたと思う
472日本@名無史さん:2008/01/16(水) 20:29:13
>防火帯として機能することが求められていたと思う

現在の首都での環状道路沿道の建物や白髭橋の団地みたいなもんだね
473453:2008/01/17(木) 09:46:03
参考にさせていただきました。

ありがとうございました。
474日本@名無史さん:2008/01/17(木) 09:54:13
453=461
ではなかったのか?
475453:2008/01/17(木) 22:12:47
>>461も自分です。
答えそのものを期待してたのですが、時間も無いため>>460を参考に自分なりに
考えてそれなりの体裁が整いました。

ありがとうございました。
また、よろしくおねがいします。

願わくば、次回以降は俺が答えを欲したら明瞭即答をお願いします。
お互いに気持ちよくいきましょうよ。
476日本@名無史さん:2008/01/17(木) 22:33:52
君みたいな態度の奴に真面目に答える奴は金輪際現れないと思う。
477453:2008/01/17(木) 22:40:16
はぁー!?   ウザィよオメー。
礼をきっちりしてるだろうが俺は。何難癖つけて仕切りたがってんの? 
馬鹿を晒してお山の大将気取りかぃ!
お前こそ金輪際現れるな
キモッ
478日本@名無史さん:2008/01/18(金) 01:12:42
>>446を誰かお願いします
479日本@名無史さん:2008/01/18(金) 02:18:13
初めて質問させていただきます。

武力倒幕路線をとっていた薩摩藩が、大政奉還論を唱える
土佐藩と「薩土盟約」を結んだ理由はなんなんでしょうか?

調べてみたのですが理由については触れられてなくて...。
480日本@名無史さん:2008/01/18(金) 07:33:50
>>477みたいな奴って、どういう環境で育つんだろう。ネジが外れたような少年犯罪事件の
容疑者の場合は、十年くらい前には両親が共産党員とか日教組の教員とかだと言われた
もんだが。
481日本@名無史さん:2008/01/18(金) 07:54:31
>>479

1.武力倒幕でも大政奉還でも薩長土の側にイニシアチブが移ることには変わりない。
2.薩摩は政治的に臨機応変に対応できる組織的体質がある。幕府が大幅譲歩して
  実権が手に入るなら、必ずしも武力を用いる必要がない。
3.土佐は武市半平太を切り捨てた過去があり、時代に乗り遅れないために藩上層部は
  必死だった。佐幕勢力に対して兵を用いたのは史実が示すとおり。
482日本@名無史さん:2008/01/18(金) 22:25:10
>>480
そうだね
483日本@名無史さん:2008/01/18(金) 22:40:44
日本国最高学府を目指してる俺と3流大で満足のオメーらとじゃ話は出来んわな。
器が違いすぎて、見えないんだろうが。
クズのお前等は一般企業で高卒上司にこき使われてろ!
この国を将来動かすのはオメーと俺のどっちかなw
馬鹿でも少しは考えろ。
484日本@名無史さん:2008/01/18(金) 22:52:29
ぶようを真似てるのか
485日本@名無史さん:2008/01/18(金) 23:22:34
いいキャラだw
486日本@名無史さん:2008/01/19(土) 00:29:30
こんな基地外がお勉強ができるだけで東大に受かって国を運営するのか
そりゃ年金もダメになるわけだ
487日本@名無史さん:2008/01/19(土) 00:47:32
>>483
社会人になったらまた来てください
488日本@名無史さん:2008/01/19(土) 03:07:25
仏像のことで質問させてください。

http://tbn0.google.com/images?q=tbn:KPVeRObRxlFXMM:http://blog.mag2.com/img/u2377891/FI1189068630655t_0E.jpg

この仏像の名前を教えてください。
大きい画像を探しているのですが、
名前もわからず調べようもなく困っています。
ちなみに上記の画像はリンク切れでこれより大きいサイズが表示されません。

もしくはこのような怒っているような、
喝を入れているような顔の仏像の名前を教えてください。
よろしくお願いします。
489日本@名無史さん:2008/01/19(土) 03:15:58
>>483
目指すだけなら誰にもできる.

>>487
とりあえず隔離スレはsage進行で
490日本@名無史さん:2008/01/19(土) 08:54:22
>>483
俺京大院修了
491日本@名無史さん:2008/01/19(土) 14:44:45
俺、今暇つぶしとして4流大学へ行こうとしています(社会福祉学部)。

誰か一緒に通学しませんか?
492日本@名無史さん:2008/01/19(土) 15:06:23
マジレスだが、つぶす暇があるならもう一年勉強して二流大学を目指した方が良いと思うよ。
たとえ二流でも四流と比べたら呆れるくらいにその後の人生が違うんだ…
493日本@名無史さん:2008/01/19(土) 15:24:38
>>492 でも大学卒業すると受験合格して貰える国家資格は一流大学の奴等と一緒だよ。何の遜色もないやんか。

世間的には少し馬鹿にされるかもしれないけど、気にしなければ大丈夫なんでね。
494日本@名無史さん:2008/01/19(土) 15:29:44
わざわざ浪人しなくても今は社会人推薦枠などの自己推薦があるから大丈夫。早稲田でも入ろう思えば入れるかもしれんし。
495日本@名無史さん:2008/01/19(土) 16:47:11
能の大成者である観阿弥 世阿弥の芸風と室町殿との関係について説明お願いします。
496日本@名無史さん:2008/01/19(土) 19:33:24
しらん
497日本@名無史さん:2008/01/19(土) 22:43:49
498日本@名無史さん:2008/01/19(土) 23:11:50
>>495
肉体!?かな?
499とり:2008/01/19(土) 23:22:31
今度日本史のレポートがあるんですが、誰を調べればいいのか見当がつきません。
日本史上で誰かいい歴史人を教えてください。
500日本@名無史さん:2008/01/20(日) 02:59:15
役立たずばかりじゃん
501日本@名無史さん:2008/01/20(日) 04:37:00
>>500
隔離スレでいうなw
502日本@名無史さん:2008/01/20(日) 06:54:47
>>499
文観。特に真言立川流の教義を中心にすえて。
503日本@名無史さん:2008/01/20(日) 20:50:48
>>499
「然
504日本@名無史さん:2008/01/20(日) 22:45:17
>>499
うずまきナルト
九尾のうちの一尾を封じ込められたが故の苦難とそれに立ち向かう様、そして
木の葉の里の最高権力者にまで上り詰める課程を中心に据え、それを取り巻く
仲間達も考慮していけばそれなりのレポートが出来やすい。
505日本@名無史さん:2008/01/20(日) 22:55:50
近代以前に日本で初潮を迎えた女性との性交を禁じていた法は有りましたか?
あと初潮前後の娘との性交がタブー視されていた時代って有りましたか?


紫の上が最終的なヒロインなのが源氏物語だけれども
これは禁忌なんでしょうか?
506日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:18:05
>>499
蜷川新右衛門

一休と室町殿との関係の仲介者としての役割をあぶり出しことで、
室町時代初期における朝幕関係について論じれば高得点間違いなし。
たぶん先生は君に精神病院を紹介してくれるはず。文系の大学院なんて
精神病院以下のところが多いからその点気にするな…
507日本@名無史さん:2008/01/21(月) 01:13:57
一夫多妻っていつまであったの?
508日本@名無史さん:2008/01/21(月) 01:38:49
なんで福島は地元発信の小説と観光史学が事実になってるの?
509日本@名無史さん:2008/01/21(月) 02:12:26
戦国時代の半手と二重成しについて解説よろ
510日本@名無史さん:2008/01/21(月) 05:08:02

細かく時期区分すると、

小石時代早期

小石時代初期

小石時代前期

小石時代中期

小石時代後期

小石時代末期

小石時代晩期

の7期に区分されますね。

511日本@名無史さん:2008/01/24(木) 17:36:22
社会主義経済における1次経済と2次経済とは何か?
どのような状態であるか?
512日本@名無史さん:2008/01/24(木) 19:02:16
明智光秀は信長を自害に追い込んだ数日後に豊臣秀吉陣に殺されたんですか?
513日本@名無史さん:2008/01/25(金) 18:32:03
>>483
 もし国語辞典を持っているのなら「最高学府」を調べてみるといい。
 この言葉の意味を知らないようじゃ、三流でもたぶん無理だぞ。
514日本@名無史さん:2008/01/25(金) 19:04:19
^^
515日本@名無史さん:2008/01/25(金) 19:14:36
>>513
あまり子供をいじめてやるなよ。センター試験も終わって落ち込んでいることだろうし。
516日本@名無史さん:2008/01/25(金) 19:43:20
みんな暖かくいこうぜ。
こういう健気で無知な子供を立派な大人に育てていこうよ!
時には厳しく、時には包み込むように育もうぜ。
517日本@名無史さん:2008/01/26(土) 15:49:40
今の小中学校では、
鉄砲伝来を中国経由説で教えているのでしょうか?

私の世代では「ポルトガル人が種子島に来て・・・」しかありえなかった。
518日本@名無史さん:2008/01/26(土) 22:36:27
ポルトガル人でやりながらも後期倭寇の影響とか入れてるかもね
519日本@名無史さん:2008/01/27(日) 00:44:56
田根我志麻(1473〜1561)という新潟の国人が独自に日本で
開発したものが大陸から逆輸入されてきたとする説が近年有力。
520日本@名無史さん:2008/01/27(日) 01:46:42
鳥取藩は最後の藩主が徳川慶喜の兄だったため
戊辰戦争のときすぐに新政府に味方できなかった。
そのせいで秩禄処分のとき
鳥取県士族は困窮することになると聞いたのですが
最初から味方していた藩は困らなかったのですか?

521日本@名無史さん:2008/01/27(日) 02:20:56
あぁ。
522日本@名無史さん:2008/01/27(日) 03:02:58
そういや、種子島の漂着の時に通訳したのが海賊の王直だったというが…
523日本@名無史さん:2008/01/27(日) 14:12:17
質問です。卑弥呼には子供がいたんですか?本などには詳しく載ってないみたいなんで教えてください
524日本@名無史さん:2008/01/27(日) 14:20:26
大幅減封くらった藩はともかく、あとは戊辰は関係なくて、
藩財政次第だと思うけど。
鳥取藩の場合はむしろ削減率は比較的緩やかな方で、
「徳川慶喜の兄」云々は単なる愚痴だと思う。
俺が貧乏なのは世の中が悪いって類。
525日本@名無史さん:2008/01/27(日) 14:22:34
あと旧鳥取藩士の場合は、
後に鳥取県が廃県になってその時に不遇だったって思いがあるからかも。
526520:2008/01/27(日) 23:06:53
>>524
レスありがとうございます
527日本@名無史さん:2008/01/27(日) 23:49:21
↑テメー
>>524には礼をして、即答してくれた俺にはシカトか?
人に物を聞いておいてなんだその態度は!? あぁん!?
久ぶりにムカついた。死ねよオメー
528日本@名無史さん:2008/01/28(月) 02:04:30
>>526は正しい。
>>527はメガネをかけてからレスを読もうね。
529日本@名無史さん:2008/01/28(月) 02:19:20
コテとsageは使わんのか(苦笑
530日本@名無史さん:2008/01/28(月) 02:21:56
>>515
センターの地歴を日本史にするのはバカのやること。
531日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:30:51
質問
辞官納地のクーデターで、どうして土佐藩・越前藩・尾張藩は薩摩に協力したの?
岩倉邸に5藩の重臣が招かれて協力を求められ、御所の九門を武力で封鎖した。
それなのに議題の辞官納地には猛反発!
辞官納地が決定した後は、慶喜が新政府に参画できるよう頼まれて工作したとか。それなら最初から薩摩に協力するなと思う。
532日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:55:28
5藩の藩主は地動説を常識としていたから。
533日本@名無史さん:2008/01/28(月) 15:47:34
大化の改新はなぜ有名なんでしょうか?詳しく教えてください。
534日本@名無史さん:2008/01/28(月) 16:05:02
蒸し米で祝ったから。
535日本@名無史さん:2008/01/28(月) 17:10:10
明治維新の先例として新政府が称揚したからじゃないの。
536日本@名無史さん:2008/01/28(月) 20:40:25
>>535
大化の改新の重要性を最初に指摘したのは幕末の国学者の伊達千広(陸奥宗光の父)で、それを宣伝したのが教部省の福羽美静の筈。
537日本@名無史さん:2008/01/28(月) 20:56:31
>>531
土佐などは公議政体派
逆に討幕派は薩長と岩倉といった小勢力にすぎん
そのあたりも調べれば?
538日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:09:42
>>537
公議政体派が会津藩兵を力づくで御所から追い出し、中川宮らの参内を阻止することに協力したということか?
539日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:38:10
毘沙門天は北方の守りを司り悪鬼の災いを打ち払うと言われている
その毘沙門天の化身である謙信公が
関東・甲信の北部である越後に現れたのは偶然とは思えない
人間に成りすまして災いをもたらす武田や北条が悪鬼であると見抜いた謙信公が
人々を救う為に下界に現れたと見るのが自然ではないだろうか?
540日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:54:51
ここの皆様に聞くのも憚れる低レベルな質問なんですが・・・

歴史として学校で学んだ過去の出来事は本当にあったのですか?
人間なんて生きてせいぜい100歳なのに、何千年も前の出来事が本当に教科書で
事実として教えられるように間違いなく起きた事柄なんですか?
最近、凄く違和感を感じるようになり過去の出来事の勉強が手につきません。
時の権力者に有利なように捻じ曲げられた事実を今の権力者に都合のいい部分だけ
押し付けられているような気がして。
物的証拠や研究者の血のにじむような努力もわかりますが、それだって出土したもの
誰かが作為を持って書いたものが偶然、後世まで残り史実とされているんじゃないか?とか。
別の誰かが記した同じ事を違う立場から書いたものが残ってたら歴史は大きく変わってるんじゃとか。
教えてください。
答えてください。
この世に生きとし生けるもの全てに限りがあるのですか?
541日本@名無史さん:2008/01/29(火) 00:53:28
山は死にますか
海は死にますか
542日本@名無史さん:2008/01/29(火) 08:06:58
風はどうですか
543日本@名無史さん:2008/02/01(金) 23:23:40
大伴金村が本当に新羅と通じて任那割譲の手引きをしたことで失脚した
というなら外患誘致という大罪で当時なら極刑で八つ裂きにされても
おかしくないくらいだと思うけど、なんで中央政界からの失脚くらいの
責任のとり方で済んだんですか?
544日本@名無史さん:2008/02/03(日) 17:56:34
>>543
その質問に答えるのは正直難しい。
何故かと問われると、それは・・・・・・・
未だこの日本は半島人が入り込み支配とまでは行かなくとも、重要なポストを握っているという事。
545日本@名無史さん:2008/02/03(日) 18:29:02
「日本」という国家意識と「朝鮮」のそれとがあいまいだったのかな。
546日本@名無史さん:2008/02/04(月) 21:48:46
>>545
秀吉だって九州平定の時に現地から本願寺顕如への手紙の中でどうして朝鮮王は三韓征伐で降伏したくせに朝廷に参内しないのかと腹立てているし。
547ポパイ:2008/02/08(金) 19:14:13
金村が高句麗に圧迫されている新羅に頼まれて伽耶諸国割譲して結果的に奪われる形に
なっただけで、金村が裏切ったわけじゃないしむしろ金村も騙されたくらいの話だから
犯罪としての罪というより外交上の失敗として処理されたから罰が軽いんじゃねぇの?
自称歴史学者さんよ〜?
548543:2008/02/08(金) 20:24:35
>>547
なろほど、有難うございます。当時そういう国際情勢が背後にあったわけですね。
549日本@名無史さん:2008/02/08(金) 20:49:09
一応書いとくけど、任那割譲の相手方は新羅ではなく百済。
550武陽隠士:2008/02/09(土) 00:07:35
>>539
去年の紅白みた?甲冑姿の謙信が歌ってた。
551日本@名無史さん:2008/02/09(土) 00:14:34
あれは本物の不識庵だよ
552日本@名無史さん:2008/02/09(土) 08:50:22
あなたはイエス・キリストですか?
四谷の聖イグナチオ教会で聖骸布写真展
3月2日(日)〜3月16日(日)

東京で初めて! 聖骸布等身大最新カラー写真一般公開!
http://www.v-cimatti.com/sindone/news/080131.htm
553売国企業マルハン:2008/02/10(日) 11:32:25
パチンコスレで遠隔、ホルコン、サクラ、マネーロンダリングなどについて書き込むと渋谷マルハン社員やマルハンに依頼された
ネット工作会社がスレ荒らしをしてスレが機能停止します。
↓↓工作員の荒らしのやり方↓↓
2008/01/10(木)ID:iA54n BU50
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/118702←右左くっけて→1165/783-784
【宮崎県都城市】パチ事情そのAhttp://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/11871←右左くっけて→89246/658-659
【山と川】宮崎県児湯付近PART1【自然イパーイ】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/118←右左くっけて→8235164/471-472
【基地外が大暴れ4】エスパス日拓総合スレ【18発目】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/11888←右左くっけて→85488/401-410
2008/01/13(日)ID:1HLcWz UK0
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パチンコ産業は荒らすことでレスとレスの間を空けて読む気をなくさせたり
マネーロンダリング、さくら、ホルコン、遠隔、などの風評被害を最小限に抑えようとしてる。

新スレ→○○○マルハンパチンコタワー渋谷パート10○○○
★★★★★このスレの解説★★★★★を読んでみるとよく判る。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1201←右左くっけて→304777/52-54
ネット工作員については→【電通TBS】ピットクルー(株)【プロ工作員】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1189187503/65
554日本@名無史さん:2008/02/10(日) 14:02:43
江戸時代の時の鐘は、何を基準に一刻ごとに、鐘を鳴らしていたのですか。
不定時法を表示できる時計が、各地にあったのでしょうか?
また、時計があったとしても、長い年月が経つと誤差が生じると思うのですが、
その誤差は、どのように修正していたのでしょうか。
555日本@名無史さん:2008/02/10(日) 18:11:07
>>554
江戸時代などの時代や国の限らず、人間は狩猟生活から脱却した時点で☆や太陽の
動きの観察などを重ね時間の観念を持ち、それらを利用し時を知る術を持った。
日照時計であり、観測器であり、腹時計である。
556日本@名無史さん:2008/02/10(日) 19:07:10
>>554
俺の解答で間違いないと思うが一応調べてみた。
俺のおじいさんに聞いてみた。
質問の江戸時代の時を継げるための半鐘を鳴らすタイミングをどう知っていたのか?
A 女の人が付きっ切りで数えていた。そして半刻ごとに半鐘を付いていた。
  24時間勤務の重労働だな。

補足  現在の117時報サービスも女性がずっと「汝、何分?難渋病?」といい続けてるそうだ。
557日本@名無史さん:2008/02/10(日) 19:40:29
>>>555
日時計は、曇りや雨天の日には使えないのでは?
558日本@名無史さん:2008/02/10(日) 19:43:16
光が消えたら真っ暗闇だぁ〜
559日本@名無史さん:2008/02/10(日) 19:55:18
大化の改新の時には水時計があったんでしょ?
ああいうのの進歩したやつがあったんじゃないの?
560日本@名無史さん:2008/02/11(月) 11:15:11
すみませんが平安時代・・・西暦800年から1000年くらいの一般人の生活の様子(衣食住など)が分かるような本はありますか?

出来れば初心者向けのもの。
サイトでも結構です。
561日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:46:59
仙台と鹿児島では、日の出・日の入りが1時間以上違うのですが、
明け六ツの鐘も、(現在の時間で)1時間以上ずれていたのでしょうか?
562日本@名無史さん:2008/02/11(月) 22:22:58
>>557
日時計だけじゃないんだって。腹時計も補足で使ってたんだってのっ!
563日本@名無史さん:2008/02/12(火) 01:37:46
>>562
そんなこと言って何が面白いの?
564日本@名無史さん:2008/02/12(火) 18:51:01
そんな言い方しなくたっていいじゃん
565日本@名無史さん:2008/02/12(火) 19:10:03
新たに考古学的発見がなされるたびに
「紙の起源は実は紀元前だった」
「縄文時代にも水田が」
「古墳時代は3世紀初頭から」
というふうに起源がどんどん遡る傾向がありますが、
逆に実は思ったより新しいものだった。ってことありますか?

なんか弥生時代も500年遡ったので、なんでもかんでも
「どうせもっと古いんだろう」と思ってしまう癖がついてしまって
困っています。
566日本@名無史さん:2008/02/12(火) 19:11:45
日本の旧石器時代
神の手
567日本@名無史さん:2008/02/12(火) 19:31:22
そういや50万年前の遺跡なんてものもありましたなあ。
568日本@名無史さん:2008/02/12(火) 19:53:03
>>562
和時計つうのがあった。不定時法に対応した機械式時計。
針は一定に回るが文字盤を交換して対応した。
でも高価なので金持ちだけだった。
貧乏人には、燃え尽きたら一刻となる長さが決まった線香もあったはず。
569日本@名無史さん:2008/02/13(水) 00:08:19
鎌倉後期の両統迭立時代の皇位継承について質問なのですが
当時は両統とも、嵯峨帝の遺産分けで王氏系荘園群を掌握していたと
思うんですが、経済的以外に皇位への動機は何かあったんでしょうか?
570老眼:2008/02/13(水) 00:25:14
シバァ神の帰依したものが不動明王として、それが本尊の、五大尊を考えたら、降三世明王がシバァ神を踏んでいるのは何故?
571武陽隠士:2008/02/13(水) 01:50:23
>>569
動機は皇位そのもの。己の血統を皇統とすること。
そんなくだらない(!)もんのために、ずっと天皇一族(とその周辺の連中)は闘ってきたのさ。
しかし君の質問はきわめて現代的だ。皇位がただの重荷に見えるのも分かるのだが…
グッドナイト!
572日本@名無史さん:2008/02/13(水) 02:11:53
難問ですが・・・

秀吉の時代

処刑される者に刀を持たせ、
刑執行人と切り合わせて殺す刑罰の呼び名
その逸話
573日本@名無史さん:2008/02/14(木) 02:08:57
今年の早稲田法学部の日本史の出題はなんですか。?
574日本@名無史さん:2008/02/14(木) 02:20:18
>>573
久しぶりに長崎高資が出るよ
575日本@名無史さん:2008/02/14(木) 10:34:09
>574
もっと教えて頂けませんか?
576日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:52:14
何で徳川慶喜は大坂から部下を捨てて江戸に逃げたんですか?
大坂で持久戦で援軍待てば天皇奪取して勝てたと思うのですが
577日本@名無史さん:2008/02/18(月) 01:26:55
オレの下には西郷も○○(失念)もいないって愚痴ってたらしい
要するに部下が雑魚だったしやる気なかったんじゃ
578日本@名無史さん:2008/02/18(月) 02:10:04
錦旗が揚がったからだろう
579日本@名無史さん:2008/02/18(月) 02:36:04
>オレの下には西郷も○○(失念)もいないって愚痴ってたらしい

それ先帝
先帝それ
580日本@名無史さん:2008/02/18(月) 22:35:07
>>576
そもそも出撃したこと自体が失敗。
援軍→そいつらが煽り立てて持久戦策が崩壊して出撃した訳だが。
581日本@名無史さん:2008/02/19(火) 08:02:19
通訳などいないのに、古代日本人はどうやって古代朝鮮人や
中国人と意思の疎通を行ったのですか?
582日本@名無史さん:2008/02/19(火) 09:01:08
少なくとも遣唐使のころには訳語(通訳)がいた。唐語・新羅語の他奄美語も
あと中国人の官僚や混血(遣唐使関係等)もいた。
さらに漢語は当時の官僚の教養なので筆談なら出来る官僚も多くいた。
583日本@名無史さん:2008/02/19(火) 09:37:07
では卑弥呼の時代や縄文時代は、如何様にして
意思の疎通を図ったのですか?
584日本@名無史さん:2008/02/19(火) 09:57:56
日本列島への渡来人の流れは断続的にあったわけで、
通訳できる人材なんかその気で探せばいないはずがない。
あるいはそもそも通訳の必要がないほどに近い原語だったのかもしれない。
585日本@名無史さん:2008/02/20(水) 00:42:18
江戸時代以前の医者は、ちゃんと病人を治療できたのですか?
また、彼らの調合する薬は効果があったのですか?
586日本@名無史さん:2008/02/20(水) 02:31:39
>>583
通訳なしの交流など世界にはいくらでも例がある
ボディランゲージとか絵を書いたりとか
国境付近に済み商売をするなら複数の言語が話せる可能性が多い

>>585 薬草などは経験に基づいてどんな病気にどんな薬が効果あるかは伝承されていくでしょう
ただ今の薬みたいな明確な効き目はないでしょう
587日本@名無史さん:2008/02/20(水) 02:32:52
>>585
それなりに効果はあるんじゃないの
それなりだけど
588日本@名無史さん:2008/02/20(水) 05:53:47
>>585
江戸時代以前の医者は主に漢方薬を始めとする
医薬品で治療を行いました。
現代でも漢方薬は、化学薬品に比べて副作用が少なく、重要な医薬品です。
大きな違いは外科の有無。
589日本@名無史さん:2008/02/20(水) 11:06:17
時代劇では、ケガをすると焼酎を口に
含んで吹きかけて消毒してますよね
ホントなの
590日本@名無しさん:2008/02/20(水) 12:46:23
>>589
江戸時代だとそのくらいの素養はあったようです。
日本におけるアルコール消毒は世界的に見ると古いほうだそうです。
591日本@名無史さん:2008/02/20(水) 15:25:23
触診だけで悪いところがだいたい判るって本当ですか。
592日本@名無史さん:2008/02/20(水) 15:27:35
慶応大で出題ミス 商学部の日本史
2008年02月20日13時58分
http://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200802200185.html

 慶応大学は20日、18日に実施した商学部の入試で、日本史に出題ミスが
あったと発表した。文化史に関する選択肢式の問題で、江戸時代の歴史書「本
朝通鑑(ほんちょうつがん)」が誤って「本朝図鑑」と記されていた。この問
いについては、受験者全員が正解したとみなし、必要があれば他の科目との間
で調整する。採点前の確認で、誤りに気づいたという。
 商学部の入試は700人の募集に対して7238人が志願。このうち285
5人が日本史を選択した。合格発表は26日。
593日本@名無史さん:2008/02/20(水) 20:38:00
徳川幕府は何で鎖国したの?
594日本@名無史さん:2008/02/20(水) 22:20:11
自国の封建制度を守るため。
外敵に内情を探られないため。
595歴史:2008/02/21(木) 01:28:32
以前
信長は実は生きていた
秀吉を裏で操り
途中で海外に移住した
って言う説を聞きましたが
信憑性はどれくらいですか?

また 明智光秀は
ナンボウコウテンカイ って説も信憑性はどれくらいですか?
596日本@名無史さん:2008/02/21(木) 01:38:05
武士株を買えば、エタ・ヒニンも武士になれたの?
597武陽隠士:2008/02/21(木) 01:54:15
>>595
そりゃ本宮ひろしのマンガだW
誰かに担がれたなW
ただ天海光秀説は昔からある
おやすみ♪(*^ ・^)ノ⌒☆
598日本@名無史さん:2008/02/21(木) 01:55:53
安政五カ国以外に結ばれた不平等条約と平等条約の時期と内容を教えて下さい
599日本@名無史さん:2008/02/21(木) 02:59:08
明治になっていこうの いろいろな当時の新聞を見たいのですが
PCで見れるサイトあるでしょうか??教えていただきたいです。お願いします
600日本@名無史さん:2008/02/22(金) 01:31:40
>>598
高校の資料集でもみればいいんじゃね

>>599
ないんじゃね
図書館いったほうがいいよ

601日本@名無史さん:2008/02/23(土) 16:40:33
室町時代後期っていうのは戦国時代のことですか?
602日本@名無史さん:2008/02/24(日) 01:35:01
うん
603日本@名無史さん:2008/02/24(日) 02:56:10
>>599
横浜の新聞ライブラリーじゃ駄目か?
604.:2008/02/24(日) 03:17:25
徽宗の桃鳩図は室町期に東山御物だったと教科書で習った記憶があるのですが、何故かウィキペディアでは明治期の伝来となっていました。どちらが本当なのですか?
605日本@名無史さん:2008/02/24(日) 03:18:30
606日本@名無史さん:2008/03/02(日) 20:16:13
コロンブス以降、欧州はずっと日本中国との貿易を望んできたけれど、
中国は大きいからともかく、
日本との貿易って、そんなに儲かったのかね?
取引量自体少なかったと思うんだけど。
607日本@名無史さん:2008/03/02(日) 20:18:04
誡太子書の全文どこかにうpありませんか?
608日本@名無史さん:2008/03/04(火) 00:03:57
>>606
南蛮貿易がどんな貿易なのか知ってりゃ出ない質問だなw
609日本@名無史さん:2008/03/04(火) 00:43:19
役立たずなresだな、
てめえこそどんなけ知ってるのか先に言ってみろよ
610日本@名無史さん:2008/03/04(火) 19:41:11
611日本@名無史さん:2008/03/05(水) 20:59:00
>>609
おいおい教科書読めば書いてるだろwww
どんだけレベル低いんだよwww
612日本@名無史さん:2008/03/06(木) 13:50:25
/(・x・)\<そのくらい自分でググれ。そして納得しろ。何でも聞いてくるな。


613日本@名無史さん:2008/03/07(金) 16:51:22
空海と日蓮と親鸞と道元は誰が偉いのですか?
あと、オバマ氏は大統領になると本当に暗殺されるのですか?
アメリカって怖いね。
614日本@名無史さん:2008/03/07(金) 17:12:12
あなたが思想的に最も感銘できた人が偉いのです。
615武陽隠士:2008/03/08(土) 22:58:40
>>613
誰が偉い?
みんな偉いよ。
こいつらに何の義理もないクリスチャンの私がいうのだから公平だ。
ところでバカな男が、人様の子供に「お父っさんとお母っさん、坊やはどっちが好きか?」って訊いて、逆に子供にバカにされる話の落語があったが、知ってるかW
616日本@名無史さん:2008/03/09(日) 01:46:06
【創価】日蓮がすべての元凶【カルト】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1184842250/
617日本@名無史さん:2008/03/13(木) 00:34:19
1、かわいい女の子がバイトをしてるコンビニを探す
2、そのコンビニでバレンタインのチョコレートのみを購入
3、レジで袋はいりませんと言って精算を済ませる
4、商品を受け取らず外にでる
5、店員の女の子が商品のバレンタインチョコを持って追いかけてくる
6、商品を手渡されるときに「エッ、オレに。ありがとう」と言って受け取る
618日本@名無史さん:2008/03/14(金) 01:00:51
誰も質問に答えてくれない( ´ ・ ω ・ ` ) ・・・
第一、歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhsって人はどこに行ったの!?
619日本@名無史さん:2008/03/14(金) 05:21:47
>>618
クラムボンは死んだよ
620日本@名無史さん:2008/03/14(金) 06:43:51
>608-612 南蛮貿易程度しか語句が出てこないのが役立たずだって言ってるんだよ。
北西航路くらいやダリエン計画くらい出してみろ。
ぐぐれしか言えねーやつにはじめから聞いてねーよ。
てめえこそ、まず黙ることを覚えような。
621日本@名無史さん:2008/03/14(金) 13:24:15
>>618
おいおい、ここは隔離スレだぞ。
まともな回答を期待しているのなら、質問スレの本スレに池よ
622日本@名無史さん:2008/03/14(金) 21:08:22
>>620
じゃあその北西航路とダリエン計画が対日貿易重視とどう関わるのかご説明願いますwww
>>606の説明に答える形でお願いしますねwww
623日本@名無史さん:2008/03/15(土) 20:16:00
やはり、日本史オタクの方々にとって、戦国時代最大の戦いは関ヶ原でも、
冬・夏の陣でも無く、島原天草の乱なのでしょうか?

624日本@名無史さん:2008/03/15(土) 20:27:26
最近では戦国時代の時期区分が変わったのかい?
625日本@名無史さん:2008/03/16(日) 00:23:37
全部戦国時代の戦いじゃないね・・・
626日本@名無史さん:2008/03/16(日) 19:56:51
もともと研究者によって分かれているが、一番遅いので夏の陣までみたい
627日本@名無史さん:2008/03/16(日) 22:04:27
一番遅い説で元禄期まで。
628日本@名無史さん:2008/03/17(月) 01:29:04
一番早いのは享徳の乱だな
629日本@名無史さん:2008/03/17(月) 15:44:34
仲恭天皇の妃、右京大夫局というのは誰の娘のことですか?
630日本@名無史さん:2008/03/17(月) 17:01:09
>>629
右京大夫局の父は法印性慶
631日本@名無史さん:2008/03/17(月) 21:26:35
>>630 ありがとうこざいましたm(__)m
632日本@名無史さん:2008/03/18(火) 20:38:14
歴史上、天皇より強く、実際の政権を掌握している人がいた
時期がありましたが、その誰もが諸外国のように天皇家を潰そう
とせず天皇を象徴的存在として崇めたのは何故??
633日本@名無史さん:2008/03/18(火) 21:11:21
ライバルと競うときには共通の価値観を持っていた方がやりやすい。
つーか共通の価値観がなければ、敵味方の区別すら曖昧になりかねないからな。
634日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:09:57
>>632
実は先帝を殺して帝位を奪った人はたくさんいたのですが、皆必ず前王朝と
自分を繋げる系図を偽作し続けたので、その事実が見えにくいのです。
635日本@名無史さん:2008/03/19(水) 02:53:55
伝統の強みと利用価値があったことは間違いない
636日本@名無史さん:2008/03/19(水) 06:53:04
>>634の根拠に乏しい説がたとえ事実だったとしても、家は潰さず崇めていたわけだからな。
637日本@名無史さん:2008/03/19(水) 10:57:11
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
638日本@名無史さん:2008/03/20(木) 11:42:19
ぬひっていう身分はいつ頃どのように発生したのですか?
639日本@名無史さん:2008/03/20(木) 12:52:05
シュラシュシュシュ ってどういう意味ですか??
金毘羅船々の歌詞の一部らしいのですが、どういう意味ですか?
リズムを取るためだけの意味の無い言葉でしょうか。
640日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:21:10
>>638
律令から

部民制下の豪族私有民が公民制施行のなかで読みかえられたと考えられる
641日本@名無史さん:2008/03/21(金) 20:38:57
>>639
修羅、修、修、修じゃないの?
642学士:2008/03/22(土) 01:48:42
間違っていたらスマソ

>640
>641
コテはもう使わんのか(苦笑
643640:2008/03/22(土) 21:11:30
コテなんてつけたことない
もう博士とやらはずっときてないんじゃね

オレはたまにきて分かることはレスしてる
644641:2008/03/24(月) 18:52:54
同じく、ここ暫く見ていないから見た住人が勝手にレスしているのが現状
645日本@名無史さん:2008/03/26(水) 20:23:20
仇討ちで返り討ちにあった人っていますか?
646日本@名無史さん:2008/03/26(水) 21:27:33
ROMって見ると自称博士の回答もたいがい酷いしね。
647あぼーん:2008/03/26(水) 21:52:45
Q義久が義弘援軍要請を断り続けたのは何故?
648日本@名無史さん:2008/03/26(水) 23:07:56
農民にも「いみな」はあったのか?
649日本@名無史さん:2008/03/27(木) 21:33:57
福澤諭吉と坂本竜馬は何か接点とかあったんですか?

あと、剣の腕はどっちが上と考えられますか?
650日本@名無史さん:2008/03/29(土) 22:54:48
保守。
651日本@名無史さん:2008/03/29(土) 23:40:56
今、気になってしかたがないんだが、

有能で怠惰な奴は参謀に・・・

無能で働き者は殺すしかない。

って言った人って誰だったけ?
652日本@名無史さん:2008/03/30(日) 01:49:32
有能な怠け者は将軍に
有能な働き者は参謀に
無能な怠け者は兵士に
無能な働き者は処刑

653日本@名無史さん:2008/04/04(金) 07:40:31
age
654日本@名無史さん:2008/04/04(金) 12:18:31
古代の天皇家を一つの氏族として扱いたい時、適当な用語、呼称はありますか?
皇族や天皇家では、現代の天皇家から遡った先祖というニュアンスを感じますし、
天孫では神話と紐づいてしまいます。
他と並ぶ古代の一氏族としての呼び方はないものでしょうか?
655日本@名無しさん:2008/04/04(金) 15:35:11
>>651
ドイツ帝国陸軍中興の祖、Hans von Seeckt(ハンス・フォン・ゼークト)。

…といわれているが、実はソースがないらしい。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%88
ttp://de.wikipedia.org/wiki/Hans_von_Seeckt
656日本@名無史さん:2008/04/04(金) 15:45:17
>>654
大王一族(おおきみいちぞく)
657日本@名無史さん:2008/04/04(金) 19:01:32
奈良県はどうして奈良府と呼ばないのでしょうか?
658日本@名無史さん:2008/04/04(金) 20:38:13
>>657
幕府直轄都市のなかで江戸・京都・大坂は別格だったから。
659日本@名無史さん:2008/04/04(金) 22:24:30
>>656
なるほど、確かに天皇の呼称が生まれる前は
王とか大王と自称してましたね。
660日本@名無史さん:2008/04/04(金) 23:57:53
>655

てっきりマンシュタインの言葉だと思っていたのだが、、、











もっとも、ソースは御大なわけだが(苦笑
661日本@名無史さん:2008/04/08(火) 05:26:11
>>657
府は軍隊を置いた役所
例;大宰府
662日本@名無史さん:2008/04/08(火) 15:28:41
この板があることを知らないで生活板で質問しちゃった。

よく時代劇とかで、宿屋が「お早いお着きでございます」とかいうアレは一体なに?
現代でも言うものなんでしょうか?
客からすると「あ、予定より早くきちゃマズかったのかな?」みたいな
感覚になるような気がするんですが、どうなんでしょう
663662:2008/04/08(火) 16:10:37
生活板で解答いただけました。
おさわがせしました。ありがとう。
664日本@名無史さん:2008/04/09(水) 03:38:14
明治か大正か忘れてしまいましたが、近代政治の黒幕(?)って誰のことでしたっけ?
665日本@名無史さん:2008/04/09(水) 15:22:24
天皇家にはなぜ苗字がないのですか?
666日本@名無史さん:2008/04/09(水) 15:24:40
>>665
必要がなかったから
667日本@名無史さん:2008/04/09(水) 16:54:41
>>666
天皇家がまだ一豪族だった時代(って多分あるんだろう)も苗字は
なかったのかな?
668日本@名無史さん:2008/04/09(水) 17:10:58
>>667
大王
669日本@名無史さん:2008/04/10(木) 15:40:37
>>668
大王っていう苗字だったの?
670日本@名無史さん:2008/04/17(木) 12:53:23
姫路城の天守閣に居たという刑部姫の伝説に関して伺います。
児小姓の森田図書(十四歳)が、一人で天守の七階目へ上って行き、
刑部姫に会ったという例の話ですが、この時の姫路城主が「松平義俊」と
記されて居ります。
ところが、徳川時代に「松平義俊」なる姫路城主の名前は見当たりません。
この「松平義俊」という人物は一体だれのことを指しているのでしょうか?
また、何か憚るところがあって実在人物の変名として記されたのでしょうか?
日本史には全くの門外漢ですので、勘違いしているのかも知れませんが、
なにとぞ宜しく御教示下さいますよう御願い申し上げます。
他のスレで問うてみたのですが、どなた様も御回答下さらないので、敢えて
歴史学博士を頼みに思うて御伺い致しまする。 何卒よしなに。
671日本@名無史さん:2008/04/17(木) 14:37:19
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   `゙:゚`.゙:..`.゙:‐'゙Copyright 1989.4.20 AsahiShimbun.`


              4月20日は朝日新聞珊瑚記念日
672日本@名無史さん:2008/04/17(木) 19:18:20

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期までに
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
673日本@名無史さん:2008/04/18(金) 00:23:37
☆魔除けのおまじない ☆
 
六四事件 天安門大屠殺 天安門事件 Tienanmen Square
Red China army killed great number of Chinese democratization's people
in Tienanmen Square in 1989 Jun.
Their China military's tanks killed many democratic citizen.
it was awesome and shocking!
 
文化大革命
Over 40 million Chinese were massacred by red China of Mao Zedong
in Chinese culture revolution (1966-79) .
It's awesome cruel!! , communism that... , just a mad dog !
Unbelievable! But that's truth that all.
Cause, red China is the bloody red beast or Satan's country and area
in Bible's John's holy prophecy.
674日本@名無史さん:2008/04/18(金) 00:32:52
教えてください
調理師試験で、鎌倉時代は肉食は禁止されていた○と書いて正解でした
一休さんのスレで披露したら間違っていると言われました
パンピーは我慢してたのに僧侶の方々は肉食だったのでしようか
はじめ人間ぎゃーとるずは骨付きでした
牛馬解体業と肉食と皮革製品の歴史は同じだと思ってるんで教えてください
675日本@名無史さん:2008/04/18(金) 01:40:36
質問です
平知盛の息子、平知章の幼名はなんというのでしょうか
676日本@名無史さん:2008/04/21(月) 01:17:50
>>674
その遣り取りが分からないと何とも言えない。
677日本@名無史さん:2008/04/22(火) 02:24:40
物凄くうろ覚えで申し訳ないのですが、
戦中に死んだ部下達を弔うための資金作りのために、誰か(たしか身分上の人)から贈られた何か(たしか馬あたり)を手放した武将は誰でしたか御存じでしたら教えて頂きたいです。
678日本@名無史さん:2008/04/22(火) 07:50:09
「義は君臣なれど情は親子なり」みたいな事を言った平安時代の天皇って誰だっけ?
679日本@名無史さん:2008/04/22(火) 10:20:28
どの板に行けば良いのか分からないのでとりあえずここで訊かせて下さい。

蔵の外壁に付いてるL字型のフックみたいなのは何ですか?
ぐぐってみても出てこないので調べ方のヒント、誘導でも良いのでお願いします。
680日本@名無史さん:2008/04/29(火) 16:44:39
>>678
仁明帝だっけ? 間違っていたらスマン。
ただ、元ネタは漢王朝だった筈。
681日本@名無史さん:2008/05/01(木) 22:49:24
おやおや、いま江戸時代から明治時代に移りましたね。
空気が変わりましたな。
682日本@名無史さん:2008/05/04(日) 11:58:07
質問させて下さい。
孔王部(あなほべ)が安康天皇の名である穴穂に由来するように、天皇の名前を冠する部民は何と呼ばれるのでしょうか?
683日本@名無史さん:2008/05/04(日) 14:41:26
中国板で漢だか後漢とかいう時代に
倭の五王とか言うのが朝貢して、
倭が漢の奴隷国になったと書いてあったのですが
本当ですか?
684日本@名無史さん:2008/05/04(日) 17:08:19
あげ
>>682お願いします(`・ω・´)
685日本@名無史さん:2008/05/08(木) 20:22:52
江戸時代にあった「慶安の御触れ書き」には農民が土地を離れることを抑制する旨があったけど
年貢米確保以外にも江戸における都市計画という意味があったというのは本当ですか?

非民主的ながら共産圏に類例があるように都市計画の観点からは有効な方法らしいので。
686日本@名無史さん:2008/05/08(木) 22:32:56
>>685
まず慶安の御触書自体偽書だと言われているが
687日本@名無史さん:2008/05/09(金) 11:13:08

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
688日本@名無史さん:2008/05/10(土) 07:33:08
>>684
ここはちゃんとした質問スレじゃないから他で聞いたほうがいいよ。
689日本@名無史さん:2008/05/12(月) 01:49:18
【捏造】兵力や戦果を捏造し過ぎだろ【辺境】
http://c.2ch.net/test/-/nanminhis/1210524233/i
690日本@名無史さん:2008/05/13(火) 12:43:26
安政の大獄かきまして
オ○ンコのビラビラととく
そのこころは?
691日本@名無史さん:2008/05/17(土) 19:00:48
すみません、いま学校で歴史を勉強してるんですが
1874年に板垣退助によってだされた民撰議院設立建白書の
撰の字が
ウィキペディアなどでは「撰」なんですが教科書だと「撰」の己が巳になってるんですが
どっちが正しいのでしょうか。教えてください。
692日本@名無史さん:2008/05/17(土) 19:30:13
>>691
私の環境では、ウィキペディアも「巳」です。
インストールされているフォントに依存する問題でしょう。
693日本@名無史さん:2008/05/17(土) 19:35:15
>>682
名代、かな?
古代史は詳しくないので・・・
694日本@名無史さん:2008/05/21(水) 22:20:22
>>690
しょういんしんだ
695日本@名無史さん:2008/05/22(木) 13:17:34
696日本@名無史さん:2008/05/22(木) 13:56:27
697日本@名無史さん:2008/05/22(木) 17:42:55
蘇我氏ってのは何者ですか?

竹内氏ってのは嘘くさし
698日本@名無史さん:2008/05/22(木) 21:27:25
よっしゃこい。
699日本@名無史さん:2008/05/23(金) 04:14:03
徳川幕府が国を治めていた頃、朝廷は何をしてたんですか?
正直仕事らしい仕事がなかったと思うので経済面が気になります
お金がなくて天皇の即位式もやれなかった時期があったと本で読みました
公家から将軍家に御台所として入っているのである程度援助はあったと思いますが
700日本@名無史さん:2008/05/23(金) 20:04:33
>>699
SEX。よっしゃこい。
701日本@名無史さん:2008/05/25(日) 20:53:40
質問です。

聖武天皇は譲位後に「沙弥勝満」と自称していますよね。

大仏開眼会の時の聖武上皇は剃髪していたんですか?
歴史漫画を見ても、坊主頭の上皇だったり在俗のままの姿だったり色々。
702日本@名無史さん:2008/05/26(月) 03:11:08
通説はしていないけど、していると言う説を唱えている人もいる。
703KNA:2008/05/28(水) 18:52:54
歴代天皇になぜ光厳天皇をいれないのでしょうか? 歴史の事実は事実として
受け入れないとだめだと思います。
96代 後醍醐 97代 光厳 98代 後醍醐(重践)99代 後村上
が、正しいと思います。南北正閏問題は98代以降のことだと思いますが
704日本@名無史さん:2008/05/28(水) 19:00:16
>>699
ただ存在していただけ。
あと「おまえらに官位を与えるスレ」?をリアルでマジにやってました。
経費は徳川家からの寄進の領地から賄い。
特別に大きな行事をする場合は別途徳川家から献金があります。
それでも足りない時はさらに献金があります。
705日本@名無史さん:2008/05/29(木) 07:50:14
>>701
写真がないのでわかりません。
706日本@名無史さん:2008/05/29(木) 11:45:36

稲作が中国から直接日本に伝わった事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が早くも弥生前期末には
既に伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にないRM1-b遺伝子の稲が日本にあるというだけでは
稲作が中国から直接日本に伝わった事の証拠にはできないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
707日本@名無史さん:2008/05/29(木) 21:28:16
質問させてください。

どうやって質問すれば宜しいのでしょうか?
708日本@名無史さん:2008/05/30(金) 00:49:37
田舎に行くと村々の入り口に古い石碑のようなものがありますが
あれはなんというもので、どういう意味があるのでしょうか?
709日本@名無史さん:2008/05/30(金) 01:11:24
道祖神か
710708:2008/05/30(金) 01:22:43
>>709
ああ、それです、それです。
うちの田舎の祖母が「どうそじん(どうそしん?)」と言ってました。
それはどういう意味があるのでしょうか?
711日本@名無史さん:2008/05/30(金) 01:33:01
境を守る神、悪魔を追い払う神
(日本石仏事典)

塞神、道陸(どうろく)神
道祖…道の神
712708:2008/05/30(金) 01:33:44
>>711
そういうことですか、ありがとうございます
713日本@名無史さん:2008/05/30(金) 14:44:28
サイノカミ タノカミ
714日本@名無史さん:2008/05/31(土) 17:59:53
在野・民間の歴史(特に日本史)の学会、研究会、勉強会、などを知りたいです。
自分で調べてみましたが、少ししか見つかりません。
名前だけでもいいですので、列挙してください。
715日本@名無史さん:2008/05/31(土) 20:18:42
現在日本で一番古い小学校とはなんという小学校なのでしょうか?
閉校して建物が残っているものではなく、現在も生徒が通っている小学校を教えてください。
ぐぐってみても閉校した学校の情報ばかりで、自分では見つけることができませんでした。
716日本@名無史さん:2008/05/31(土) 20:56:11
古い、とはどういうことですか。
建物が一番古いと言うことですか。
それとも現在名になったのが一番古いと言うことですか。
それとも前身校をたどっていくと一番古いということですか。
それとも‥‥
質問は正確にお願いします。
717日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:00:56
すみません、前身校が一番古いものです。
718日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:21:20
江戸時代の藩校まで遡るとか、そういうことですか?
719日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:30:34
ふと見上げて遥か上の方に見える、あの青い四角いものが空なんだろうか?
720日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:33:01
いえ、違います。
空は丸いですから。
721日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:38:52
貞子の見ていた空は丸いのだろうか四角いのだろうか?
722日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:41:28
三角です
723日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:44:06
こいつら頭悪過ぎ。
724日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:48:06
宇宙空間から(下に)見る空は、また別の形をしています。
725日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:50:34
宇宙なんて存在しませんが?
あなたはそこへ行ったことがあるのですか?
726日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:54:24
>>718
そうですね藩校まで遡っていただけたらと思います。
注文を多くつけて申し訳ありません。
727日本@名無史さん:2008/05/31(土) 22:12:19
京都市立乾隆小学校 京都市上京区姥ヶ寺ノ前町919-3
1869年(明治2年) 上京第一番組小学校として開校
1872年(明治5年) 上京第三校と改称
1876年(明治9年) 上京第三区乾隆小学校と改称
主な卒業生 都はるみ

近代小学校で一番古いのはここ。
但し、江戸時代の寺子屋まで遡るものは、全国に山ほどある。
728日本@名無史さん:2008/06/01(日) 00:06:29
>>727
京都ですかぁ…
詳しく教えてくださりありがとうございます。
729日本@名無史さん:2008/06/01(日) 00:21:06
京都にはこのような番組小学校の後身の小学校がもっとあったのだが、
ここ10年くらいで続々と廃校して、残ってるのはもうここだけかも。
730学士:2008/06/01(日) 00:33:44
>724
>宇宙空間から(下に)見る空は、また別の形

雲や海・地表ではなく空?
どういう画像処理をしているのか興味があるのでupキボン
731日本@名無史さん:2008/06/01(日) 00:52:23
質問を茶化したり 知らないからといってふざけた回答をしたりする奴は 去るがよい
732学士:2008/06/01(日) 01:02:22
いや、、、このスレはバカセが電波をとばし、漏れがそれを正すというのがこれまでの流れ
スレ主が社会復帰(?)した今となっては雑談で埋めるのがスジでは

質問は質問スレでゴミネタはゴミスレで
733日本@名無史さん:2008/06/01(日) 22:25:54
 中国人は高句麗を自国の歴史と認識している。 現在の朝鮮半島は中華圏内
であり中国の領土だと主張するものもいる。 この論理が正しいとするなら
日韓併合条約により完全に日本自治領となった朝鮮は日本のものでもある。
朝鮮王朝は滅亡したのでコリアの自治権は日本に分があるように思う。

我々日本臣民は小さな群島でありながら、東アジア、太平洋に国々を領土とし
繁栄を極め、敗戦を超えて今なお、軍事、経済大国であり続けている。
歴史的に考察すると、大日本帝国の躍進は快挙であり、神がかり的な旋風を
巻き起こした。 人間は戦争が悪いことであるということを最近になって
気づき始めた。 世界大戦の頃までは戦争は悪ではなかった。 群雄割拠の
戦国時代であり力と富こそが全てであった。 戦争に勝ち富を増やすことは
名誉であり尊敬を得ることであった。 モンゴル人がモンゴル帝国の野蛮な
侵略を悔いているだろうか? 否。 モンゴル帝国にしろローマ帝国にしろ
民族の栄光なのである。 日本人は日露戦争の勝利や中国、朝鮮に到るまで
支配したことを誇るべきである。 我々は世界地図を塗り替えたのである。

売買春は昭和になって市川房枝らが禁止して悪いことになった。 それまで
は遊郭や売春は至って合法であり犯罪でもなんでもない。 我々は今の
価値観で過去を裁こうとする。 戦争は合法だった。 今は違法なだけだ。
慰安婦制度も合法。 今はだめ。 昔は幼児ポルノは普通に売っていた。
ビデ倫なんてなかった。  鯨も捕ってよかった。 未来の子孫たちが
エロビデオを借りて見ていた我々を非難するようになる時代が来るかも
しれない。 しかし今の法ではエロビデオを見てもいいのだ。
諸君よ! 胸を晴ってエロを極めよ。
734日本@名無史さん:2008/06/01(日) 22:29:48
735日本@名無史さん:2008/06/01(日) 22:39:14
緋濡子ひじゅすってなんですか
おねがいします

736日本@名無しさん:2008/06/02(月) 19:53:25
>>735
緋色(ひいろ)の繻子(しゅす)のことぢゃないか?
737日本@名無史さん:2008/06/05(木) 12:47:49
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、ハトムギが
通説の江戸期伝来よりも5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
738日本@名無史さん:2008/06/14(土) 20:29:29
質問させてください

徳川家康が「関ヶ原の戦い」の前に会津の上杉討伐に向かいましたが
上杉側では徳川軍の来襲にあわせて予定戦場を白河の皮籠原に定めて作戦を立て、
そののまわりに軍勢を配置していろんな仕掛けをしたり、上杉側に同調する佐竹氏とも連絡を密にしていたそうです。
ところが、途中、下野の小山まで来て石田三成の挙兵を叩くべく引き返してしまいました。
その時、重臣の直江兼続が徳川の背後を突くよう進言したそうですが
どうして上杉景勝は東進しなかったのでしょうか。

また徳川家康も上杉の東進に備えて結城秀安に2万の兵力を与えて宇都宮に待機させていたそうですし、
家康自身も江戸にしばらくいたようです。江戸に滞在していたのは上杉に備えていたからですか?

739日本@名無史さん:2008/06/15(日) 00:12:29
>>734
ありがとうございます。ものすごい数ですね・・・。
740日本@名無史さん:2008/06/18(水) 21:20:32
時代劇見てると、江戸の庶民は居酒屋で飯食ったり
サンマ焼いて食ったり、結構いい食生活なのですが
一方、農民は朝から晩まで芋や水団ばかり
それなら皆、江戸に行きたがると思うのですが
実際、どうだったんですか?
741日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:43:19
戦国時代に伊勢を領土にしていた北畠氏というのは
南北朝時代に活躍していた北畠親房・北畠顕家の子孫ですか
742日本@名無史さん:2008/06/19(木) 02:12:03
>>741

北畠親房の三男が伊勢北畠家の祖と言われてる
743741です:2008/06/20(金) 23:27:33
>>742様 答えて頂きありがとうございました
744武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/21(土) 00:39:58
>>740
地域差階層差時代差によって違ってくるから一概には言えない(断言している本は眉に唾つけるべし)。
農村には階層差がある。
農村から江戸に出てくる連中は農村を食い詰めた連中だから
相対的には江戸の方が食生活はよい。
まあ江戸だと米はほぼ常食だしね。
745日本@名無史さん:2008/06/21(土) 06:00:22
就職活動すると分かるよ、英語の大切さが。

早稲田、慶応、あと明治やら辻調やら、似たり寄ったりの学生が
何千人も面接に来てみんな同じこと言うんだよ、
「学生時代は、紺ハイソサークルの副部長代理補佐を務めていて」とか、
「秋休みに海外の大学に21年間短期留学していて」とか。
みんな同じことしか言わない。
そこで、英語がぺらぺらに話せますって言えば、
商社とかだとだいたい最終面接までいける。
タガログ語は、これから社会に出る人間にとってすごい武器になる。
746日本@名無史さん:2008/06/21(土) 08:35:16
>>744

ありがとうございました

やっぱ米常食なんすか
なんか割り切れないな〜
大隈重信の貧弱な体を診た外国人医師が、
普段、何食べてるのか聞いたら
「干したサツマイモとイワシの頭」
と答えたけど、通訳が恥ずかしがって伝えなかったらしい
九州では米食べる人間なんてほとんど居なかったんだよな〜
747武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/21(土) 09:26:42
>>746
その逸話は江藤新平じゃない?
ネット上のデータは誤謬が多いよ。
ま、私が間違えていたらゴメン
米食べたって体格には繋がらないけどね。
芋と変わんない。

あと米だけど江戸初期はまた別。
748日本@名無史さん:2008/06/21(土) 15:42:32
>>747

江藤新平でしたか
うろ覚えでスンマソン

江戸の人間と比べて、
サツマイモだけ食べて暮らした人生が可哀想と思ったものでつい……
749日本@名無史さん:2008/06/22(日) 11:51:10
長曾我部元親の嫁が斉藤利三(春日の局の父)の娘というのはホントですか?
750日本@名無史さん:2008/06/22(日) 12:39:37
>>749
利三の妹では?
751日本@名無史さん:2008/06/22(日) 17:21:40
幕藩体制での譜代や外様の藩に幕府はどのように税金を取ってたんですか?
洪水対策の土木事業の使役や参勤交代だけで幕府の主な財政は天領からの納税や商人からの課税だけですか?
752久久理比売:2008/06/22(日) 21:36:43
>740
自演臭もするけど、もしかしたらブヨー君を知らずに彼の説明で納得してしまったならカワイソウなので一応マジレス

>744は素人が不用意に回答者を演じると恥をかくという良い見本(苦笑

五街道をはじめ国内の主要路が整備され、街道筋は大名行列や一般の旅人の往来で賑わい、宿場には旅宿が軒を連ねて客を呼ぶようになった。
ところで当初の宿屋は、今でもその言葉が残っているようにも木賃宿とよび、食糧を持参の上、薪木賃といって炊事代を支払って泊まる宿であって、
食事は用意されないのが普通だった・・・(省略)・・・しかし物詣や名勝見物の旅客が増え、都市に飲食店ができて茶店でも食事を出すようになったのに伴い、
食事を用意する宿屋、つまり旅籠が現れてきた。こうして宿場や社寺門前、遊覧地の宿屋で食事を出すのが全国的になっていくと、
おのずから膳立ても定まった形が出来上がったが、このことは軽飲食店、料理屋と共に、調理法や食品を家庭へ普及することとなり、
人々の食事習慣を均質化する役割をつとめた。 樋口清之『日本食物史』

こうして多摩地方においても、例えば八王子宿、日野宿あるいは高幡不動尊近在(寺社門前)の宿屋でも食事を出すようになっていくと、
周辺農民も利用するようになり、時を経て日野地域、多摩地域全域へ普及していくこととなったのである。つまり八王子宿など宿場町というのは、
多摩地方農民にとっては、食料品の売買の場所であっただけでなく、江戸や周辺地域の食文化(膳立てや食品内容など)を取り入れていく拠点的性格をも併せ持っていたのである。
http://msi.ne.jp/toshizou/2_2_1_hatiouji.html

江戸時代の農民が貧しい食生活を強いられていたというのは「慶安のお触書」に類する書が根拠なのだろうが、これはあくまでも農民の生活のめあてのようなもので、守らなければならないきまりではなかったのである。
現にこのお触書に準じる戒めは何度も何度も出されており、このこと自体が農民の暮らしがお触書き通りではないことの証明である。
753日本@名無史さん:2008/06/22(日) 22:29:47
>>752
三都周辺や宿場町近郊とその他とでは地域差が結構あると思うが。

田中丘隅の「民間省要」には以下のように書かれている。

田方に生きる百姓は、雑炊にしても米を喰ふ事あれども、山方・野方に生れては正月三ヶ日といへども、米を口に入るる事なき所多し。
粟・稗・麦など食に炊くとても、菜・蕪・干葉・芋の葉・豆ささげの葉、その外あらゆる草木の葉を糧として、穀物の色は見へぬばかりにして、
而かも朝夕飽く程の事なく、ようやく日の中一度宛ならでは是を喰ふ事なく、餘は前に言ふ粥の類にて日を送る。
朝夕の膳などに坐ると言ふ事もなく、少し物をたべれば蟹の泡の如くなり、茶をいくらも汲み飲んで足れりとす。
斯く恐ろしき物を食として、而も明七ツより起て骨を折り、夜九ツまで働きて縄をなひ、草履を造る。
其辛苦常ならずば、一日も其内に住む者あらんや。都に育ちては今様の咄しだに、一生耳に聞く事もなき人は誠とも思はじ。
都人にかかる食物をあしらへば、鉄丸を食はすと言へ共、一口も喉には入らじ。
754武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/22(日) 22:38:59
>>752
違うよ
樋口なんかに依拠しちゃダメだ
素人はおまえだ
私のように時代差地域差階層差は当然の留保。
おまえさ、農民生活史の専門家と喋ったことねえだろw
あとさ地方文書も読んじゃいねえなw
地域差階層差時代差があるから、一概に言い切ると必ず例外事項が出てきちゃう。
しかし地方文書の専門家でも樋口に依拠するとは…w
いやだね素人はw基本書としても使用される児玉幸多の農民生活史読めバーカ
あとさ地方文書の専門家と喋ったほうがいい
755武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/22(日) 22:46:05
樋口清之はある意味トンデモだよ。
史学プロパーじゃないけど呉智英がバカにしてる。
史学プロパーからだってパンピー騙しの商売人だって
思われてる。
知らないかよw
鵜呑みにするバカは史学が分かってないよw
あとね石川英輔も鵜呑みしちゃだめだね
お分かりかな素人くんw
樋口は地方文書読み込んだわけじゃないよ
ちゃんと史料に基づいたアカデミックな研究者は安易に
言い切りはしない。
756日本@名無史さん:2008/06/22(日) 22:49:04
>>752は確かに馬鹿っぼいな
757日本@名無史さん:2008/06/22(日) 23:07:13
>753

え〜と。自分で引用した文章の意味が分からないということでFA?
休み明けに原本を読みに行かれては、、、
webで安易に検索した文章を意味も分からずに転載するのなら君もブヨー君を名乗るがよろしかろう(苦笑
758武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/22(日) 23:14:52
>>757
私はネット上のデータ参照はしない。
あと江戸時代で
米が常食できなかった地域時代なんて掃いて捨てるほどある。
君は少なくとも樋口を引用するところネット上のデータ上のデータを無批判に鵜呑みにするところをみても
ひどい素人だ
そのレベルは独学者でもきつい
さっきも言ったが
地方文書の専門家に話を訊け
それとあまり傲慢なレスしてると私は怒るよ
ばーかw
しかし樋口清之なんか鵜呑みにすんだからなw
何が「素人」だ
みっともねえ
ははははは
759日本@名無史さん:2008/06/22(日) 23:19:19
武陽というのも馬鹿だと思うが>>752は馬鹿かだな
760武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/22(日) 23:23:07
>>759
違うだろ
バカはオマエだ
現にまともに反論書けねーから短文じゃんかw
しかしオマエ楽しい奴だw
樋口清之鵜呑みw
しかも得意になってw
素人とかじゃなく単に痛いよオマエw
はははははバーカ
761日本@名無史さん:2008/06/22(日) 23:33:48
楽しそうだね(^O^)
762日本@名無史さん:2008/06/22(日) 23:40:45
>>760
なんで怒ってるのか理解できない
763武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/22(日) 23:41:14
>>761
まあね(*^-^)b
764日本@名無史さん:2008/06/23(月) 07:31:17
一晩たって自分のレス読むと落ち込みますね
765日本@名無史さん:2008/06/23(月) 10:49:28
どうして神様や仏様がバチ(罰でも可)を与えるのですか?
愛や慈悲を唱えているくせに復讐するなんて心が狭いなと私は思います
766日本@名無史さん:2008/06/23(月) 11:02:06
どうしてゾウは草ばかり食べているのに肉を食べているトラやライオンより大きいのですか?ポパイみたいにホウレンソウを食べて大きくなったのですか?
あと雲が雨を降らすと言いますが水がどうして浮かんでいるのですか?
大体雲は白色(灰色もあるけど)で水は水色(透明)だもん水色の雲なんてある?
767日本@名無史さん:2008/06/23(月) 14:00:54
>>751
天下普請・参勤交代
それ以外は外様から税金とってないんじゃないか。
768日本@名無史さん:2008/06/23(月) 14:41:35
>>765 一向宗門徒ですか?
769日本@名無史さん:2008/06/23(月) 19:30:35
>>767
朝鮮人来聘国役金・琉球人来聘国役金。
770日本@名無史さん:2008/06/23(月) 20:29:01
徳川家康の娘、亀姫が奥平信昌に嫁いで生まれた子供たちが松平姓を名乗っていますが、
男系子孫でもないのに松平家を名乗れた理由はなんですか?
また他の家でもそういうことがあったのですか?
771日本@名無史さん:2008/06/23(月) 21:57:32
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
772質問:2008/06/24(火) 11:12:59
なぜ弥生時代の資料がないのですか?
その時代をどこから埋めてる?
kwsk教えて下さい。
お願いします
773日本@名無史さん:2008/06/24(火) 11:15:11
>>772
考古資料ならいくらでもある。
774質問:2008/06/27(金) 09:21:54
なんだかんだで結局朝廷が滅びずに現代まで残った
理由ってなんなのでしょう?
各時代によって理由は異なるのかもしれませんが、
是非kwsk教えてください。
775日本@名無史さん:2008/06/28(土) 11:46:36
>>774
武家政治が行われていた時でも朝廷から
取り敢えずは政治を任されている状態だったからだよ。
征夷大将軍といっても天皇の家臣の1人に過ぎず
所謂、二重構造になってた訳。
明治以降も建て前の立憲君主の下、議会制の政治が行われてたから。
結局、幕府も議会もやってる事の概要は大して変わってない。
776日本@名無史さん:2008/06/28(土) 13:18:27
>>774
便利だから
777日本@名無史さん:2008/06/29(日) 21:36:36
『北川覚書』とはどの年代に
どのような経緯で書かれたものなのでしょうか
お願いします
778日本@名無史さん:2008/06/30(月) 19:25:27
「古代天皇の下に神祇官と太政官が並べられた理由を説明せよ」
って課題出たんだけど、教えてくれ…
さっぱりわからん。
779日本@名無史さん:2008/06/30(月) 19:32:19
>778
権威と権力の分離。

よっしゃ、次こいや
780日本@名無史さん:2008/06/30(月) 20:27:36
>>779
ありがとう
だかもうちょい詳しく教えてくれないか?
200字以上書く必要があるからさ…
781日本@名無史さん:2008/06/30(月) 22:46:09
>780
10字で言い足りてるのに200字書くのは愚劣。
そんなら自分で書け。

よっしゃ、次の質問来いや
782日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:23:24
>>781
じゃあ教授に愚劣だって言っとくわ。

200字とか何書きゃいいんだ…
783日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:29:25
>>782
たかが200字も凌げないお前はもっと愚劣だけどな
784日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:39:15
そんな言い方しなくたっていいじゃん
785日本@名無史さん:2008/07/01(火) 01:56:43
>>783
凌ぐ方法わかってんなら教えてくれよな。

何のためにいるんだよアンタ。

教えたくないなら最初からスルーしてくれ。
786日本@名無史さん:2008/07/01(火) 06:18:19
今どきの学生は皆こうなのかな。

日本終わったな。
787日本@名無史さん:2008/07/01(火) 07:08:12
あれで答え?というより、道を聞かれた低能が壁を指して『あっち』と言うのと同じ。時間と作用の与件がないベクトルはあてずっぽう。唯物論のいろはの『い』を覚えたら使いたいのも理解はするが他人には使うな。
788日本@名無史さん:2008/07/01(火) 17:08:07
学校の課題を師に聞かず友人やらネットやらに頼るって、
本当に現代の子たちはさもしいね。
こういうのが社会に出て、
仕事上分からないところを上司に聞かず同僚に聞いて
勝手に進める新卒クンになるのはもっともだと思うよ。

子供っぽいやつに多いね。
新人で一番手を焼くタイプ。

筋違いのところで要求通りの答えがないから逆ギレってのもひどいなー。
789日本@名無史さん:2008/07/02(水) 01:52:33
>>775
そういう説明がよくあるけど、松本清張が聞いたように、どうして抹殺しようとしなかったの?
朝廷というか天皇自体を。
自分が、初代国王、になろうとしなかったのに明確な理由はあるものなのかな。
790日本@名無史さん:2008/07/02(水) 11:40:57
天皇にとって代わると言うのは、単純な政権奪取と言う話で済まなくなるからでしょう。
同一の文化を共有する集団内で宗教や伝統により聖化された権威が一度作られると、
集団内部から新しい権威を作ったり旧権威を壊したりすることが極度に難しくなります。
さらにそれは何故なのかと問われるなら、人が本来保守的な生き物だからってことになるかと。
これは日本だけでなく世界史でも同じ例が多々あります。
多くの場合、外部から別な権威が持ち込まれるか、権威の通じない別な集団に滅ぼされるんだけどね。
791日本@名無史さん:2008/07/02(水) 13:05:04
>>790
なるほどね。
で、易姓革命とか他国では、王殺し、みたいなのは普通にあるのですけど
どうして日本だけはそれがなかったか、という質問の仕方でどうでしょう。
本来保守的な生き物、ってのは日本でも外国でもそうなんですが、
日本でだけそれが強調というか守られている、というか。

逆に言うと、それが日本だから、になってしまいますかね。
792日本@名無史さん:2008/07/03(木) 01:30:17
日本にも殺された天皇はいますし、主殺しと言う意味なら武家では珍しくもない。
日本だけはそれが無かったと言うのは誤解です。

易姓革命は放伐を正当化しますが、別に前王朝の主権者を殺す為の思想ではありません。
殺された例は確かに多くありますが、大抵は抵抗した結果、死んだり殺されたりしてます。
殺されてない例もありますしね。

天皇家は時代が下るにつれ、支配層のみならず、庶民の生活習慣や土俗信仰に絡む存在となっていきます。
その状況で天皇家を滅ぼすのは、単なる政争ではなく、日常生活や価値観まで覆す文字通りの革命行為となりかねません。
大きな混乱や反発が起きるのは必至でしょう。短期間に日常レベルでの急激な変化を望む人間など国籍、時代関係なく稀です。
フランス革命やロシア革命ですら、庶民の大多数は王家や王党派を支持してました。
本来保守的と言うのはそういう意味です。

藤原氏以降、日本の政権を担ってきた勢力、例えば信長、秀吉、家康にしても、彼らは皆政治家です。
根本からの社会改革を志した革命家でも思想家でもありません。
無理に天皇家を倒せば大きな混乱や反発が予想され、それを政敵に利用される公算も高くなる。
ならいっそ自己の勢力に天皇家を取り込み、その権威に依存することで自己の政権を強化する方がより効果的。
政治家として至極まっとうな発想でしょう。

最初にも書いたとおり、日本だけに特別な何かがあったわけではありません。
似たような例は海外にもありました。
しいて言うなら、海に囲まれた土地で孤立的に発展し、極端な形で現代まで残せたと言う事でしょうか。
793日本@名無史さん:2008/07/03(木) 06:19:53
ナニナニ朝、という呼び方で行くと天皇家も何度か朝の交代をしてる
万世一系なんてのは美称にすぎない
794日本@名無史さん:2008/07/03(木) 12:23:30
昔、有名になった海外ドラマ「将軍」て三浦按針とヤンヨ−ステンがネタ元なのかね?
今の映画技術で考証とかきちんとして作らないかなぁ〜
795日本@名無史さん:2008/07/03(木) 20:34:03
>>792
よく理解しています。
でさらに言いかえますが、「日本で主殺しみたいなのは多くありますがどうして天皇家つぶし
つまり自分が初代〜〜国王になろうとはしなかったか」ということです。

入鹿、高、義満、3英傑、天皇をしのぐ実力をみにつけたのはいっぱいいますが
どうして天皇家を・・・しなかったか、世界ではよくあるにもかかわらずです。
このあたり、天皇家が続いた理由、ではなく「どうして日本では〜」という
ほうが的確な質問の仕方なのでしょうね。

話変えますが、3英傑に関してはまだまだ研究が十分ではないのではないか。
現在では「皇位簒奪」なんてありえない、ですまされているようですが、状況証拠を
見ますと、なかなか簡単な問題ではない。

自らがナンバー1になるまでは政治家として天皇家を利用したほうがいいでしょう。
ただナンバー1になった時点、つまり政治家をこえてしまった時点、ではどうだったでしょう。
そして義満は実際に王位簒奪の一歩手前まで行ってます。

革命家、思想家でなくとも単に野心家、であって実力をみにつけたもの、
それがどうして、利用すみの天皇家を〜、しようとしなかったか。

くどいですけど、そういった疑問があるわけです。
796日本@名無史さん:2008/07/05(土) 01:30:13
令集解 田令 4 位田條 の解釈をお願いします。

一箇所目は
無故不上、経一年者停給。
です。

二箇所目は
或説、禄令云、其姫已上並依品位給封禄、即以外雑物、皆減給耳者、非也
です。

よろしくお願いします。
797日本@名無史さん:2008/07/05(土) 10:34:16
大奥の年寄と平大名の正室ではどちらが格上ですか
798日本@名無史さん:2008/07/05(土) 11:27:43
>795
まず定義します。
【権力】軍事、財力、他者を支配する為の物理的強制力
【権威】宗教、伝統、他者から自発的服従を得る為の心理的影響力
よくごっちゃにされますが、本来区別されます。

天皇家を倒す必要性とは何か?
専制君主、絶対君主は君主個人に権力が集中しています。野心家が権力を得ようとすれば、君主との対峙は必然となります。
ですが、日本史上で天皇家を倒しても、殆どの場合で新たな権力は得られません。
政治家としてナンバー1になった人物は、その時点ですでに必要十分な権力は得てるでしょう。
さらに天皇家を倒しても、自身がナンバー1であることを再確認するだけ。
あと得られる物は天皇や国王の肩書き。周囲からの非難と反発。簒奪者、謀反人の汚名。他何かあります?

簒奪者の汚名を得てまで奪う意味のある権力を天皇家は持ってない。天皇家が持ってるのは権威です。
天皇家の権威とは、血統、宗教、伝統、歴史などを交えた形而上的概念です。これは奪えません。
実力者個人が能力で得た畏怖や崇拝は、実力者個人の肉体が存在する限りにおいて、権威の変わりとなります。つまり死ねば終わり。
天皇家が持つ権威は個人の肉体の限界に制約されない。この権威は、少なくとも日本国内では他に代えが存在しません。

>自らがナンバー1になるまでは政治家として天皇家を利用したほうがいいでしょう。
ここから以下の内容が一番の誤解です。日本史上で天皇家が利用済みになったことは一度もありません。
ナンバー1になるまでは天皇家は必要ありません(あれば便利)。
ナンバー1になって後、支配の維持に天皇家の権威が必要不可欠になります。

>どうして日本では〜
権力を失なった支配が、権威のみの存在として続いた例だと、イスラムのカリフが典型的。
最後はイスラムの権威が通じない、異民族のモンゴルに滅ぼされてます(あとで復活)。
権威の護持者としての存在ならカトリック。こちらは現代まで残った。
小さい例なら他にもあり、とりたてて日本だけがな事柄ではないです。

天皇家は、簡単に倒せるけど、倒せばやっかい、倒さなくても問題ない、使えば便利。
実も蓋もない表現ですが、こんな感じかと。
あと、この問題は民俗学や宗教学からも理解が必要かと。でもその辺は自分も詳しくないです。
799日本@名無史さん:2008/07/08(火) 00:00:05
てすと
800歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2008/07/09(水) 06:26:53
みんな楽しそうだなw

よっしゃこい
801日本@名無史さん:2008/07/09(水) 08:37:08
女系天皇が問題になっているときに反対派の一つの論拠が、
女系になるとそこで新しい王朝になると主張する人がいましたがどういうことでしょうか?
正当な制度と血縁で繋がっていても、王朝が変わるものですか?
802日本@名無史さん:2008/07/09(水) 08:42:29
戦国期〜江戸初期にキリスト教の布教がある程度すすんでいましたが、
宗教への縛りがない現在キリスト教がそれほど広まっていない理由はなんでしょうか?
宗教観・世界観があるので難しい質問かもしれませんが、歴史的側面から見るとどうしてでしょうか?
韓国・フィリピンなどアメリカの影響の大きい国と比べてその相対的な規模が気になります。
803日本@名無史さん:2008/07/09(水) 11:33:52
戦国時代〜安土桃山時代と100余年日本中で合戦をしていたけど、
どうして兵士や軍事物資が枯渇しなかったの?
804日本@名無史さん:2008/07/09(水) 20:18:28
鎖国中って日本からだれも出られなかったの?
805日本@名無史さん:2008/07/09(水) 20:29:35
『新版日本史Bワークシート』(中村俊明著・山川出版社・2007年発行)の92頁に
近衛声明「日・満・韓の3国の連帯による東亜新秩序建設が日中戦争の目標」
と書いてあるのですが、これって「日・満・支」の間違えですよね?
もしかして、あちらの陰謀ですか?
806日本@名無史さん:2008/07/09(水) 21:20:25
すいません。日本史の素人なんですが、
近世のくずし字の史料を紹介したいのですが、
そういう場合、翻刻・読み下し・現代語訳がありますが、
これらを全て載せないとダメでしょうか。

また、翻刻の場合、原文の漢字と同じ旧漢字でいいのでしょうか。
読み下しの場合、漢字は正字体でなく、現在通行の字体にしなければならないのでしょうか。

またこうした事柄に関して詳しく書いてある本があったら教えて下さい。
807日本@名無史さん:2008/07/09(水) 21:25:18
読み下しのみで十分
808日本@名無史さん:2008/07/09(水) 21:29:58
>>807
読み下しの原則みたいなものを書いたいい本とかありますか?
どういう原則でやるべきか、悩んでます。

日本史を専攻した人は読み下しの原則などは、どうやって学んでるのですか?
実際の読み下しなどを読んで学んでるのですか。
できれば最も標準的な読み下し法を身につけたいのですが。
809日本@名無史さん:2008/07/09(水) 21:56:12
高校の先生が日本軍がイタズラで広開土王碑を傷つけた
と言ってるんですが、実際のところどうなんですか?
810日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:05:15
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
811日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:10:30
今の埼玉県と東京都と神奈川県の一部は武蔵だったわけですが、
今の東京都の一部は江戸だったんじゃないのですか?
そうなると、江戸と呼ばれていたところは武蔵なのか江戸なのかどっちなのですか?

そもそも武蔵と江戸って種類が違うのですか?
812日本@名無史さん:2008/07/12(土) 17:24:48
武蔵は旧国名、江戸は武蔵国内の土地名。江戸期以降は都市名として通用。
県名と県庁所在地の市名が同じ例と比較すればよろしいかと。
現代の東京都は特例なので、名称だけで比較しても無意味。
戦時中までは東京府東京市でした。
813日本@名無史さん:2008/07/13(日) 00:18:07
なるほどですね。ありがとうございます。
ということは、手紙の宛先は「武蔵国江戸○○」ってなっていたのですか?
814日本@名無史さん:2008/07/13(日) 11:14:26
西郷隆盛の一般的に知られる肖像画は現実とは違いますよね。
写真が残ってないのは本人が写真嫌いだったそうですが
生前の西郷に会っている人は大勢いるのになんでその人による正確な肖像画がないんですかね?
815日本@名無史さん:2008/07/13(日) 12:29:53
伊人画家キヨッソーネの肖像画があるぞ。
またつい数年前だかに文人風の西郷の絵が見つかった。
816日本@名無史さん:2008/07/13(日) 14:12:17
会津娘子隊の中野竹子は戦死の際、妹が首を介錯したそうですが
「敵に首を取られるのは恥」「そのために介錯は当たり前」という発想はどこからくるもんなんですか?
明治維新を成し遂げた武士階級はみんなそんな考え方だったんですか?
817日本@名無史さん:2008/07/14(月) 09:55:39
趣味で古文書を読んでみようと独習しているのですが、「弥啓」というのが辞書・検索になく、気になって仕方がありません…「みけい」なのでしょうか? 文末の挨拶や、おめでたいといった意味のような気もするのですが…ど素人な質問ですいません。
818日本@名無史さん:2008/07/14(月) 16:02:05
>>817
字は本当に「弥」だったのでしょうか?
「排/拜」と読み間違えている気が
819日本@名無史さん:2008/07/14(月) 17:01:40
燈籠などを奉納した折の銘文写し控えのようでして、「石工□□(名前)弥啓」と。名前かとも思いましたが、各工名で「弥啓」なので「之作」、謹んで仕事をして納めました」といった意味でしょうか…?手紙のような文書でも見かけたような気がして、引っ掛かっています。
820日本@名無史さん:2008/07/14(月) 17:05:56
↑ 各工名で ⇒ 各石工名の銘文ごとに です。最初の質問時に説明不足で、すいませんでした。
821日本@名無史さん:2008/07/14(月) 18:49:42
「いやさか」は、日本古来の言葉で「弥栄」と書き「ますます栄える」という意味です。

そこから類推すればいよいよ啓ける、という意味ではないかと察します。

各種辞典があるので調べるしかあるまい。日本国語大辞典第二版には漢字索引もあるのでひいてみれば。
822日本@名無史さん:2008/07/14(月) 18:53:26
あの お聞きしたいのですが エタヒニンはどういう人たちがなったんですか?
江戸期には入ってできたこの身分
どういった、なにをしてきた人がこの身分にされたのか詳しく教えてください
823日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:16:56
即答じゃないし、知らないんじゃん
824日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:24:42
>江戸期には入ってできたこの身分
非人は中世から存在する
825日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:35:54
そうなんですか しりませんでした

じゃあ世襲というか 江戸期に部落だった家は大体その前からということなんですか?
また 部落はなぜその身分にされたのか知ってたら教えてください
826日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:46:50
818 821
有り難うございます。石造物の場合、洒落で異体字などを使うので「御慶」の当て字なども考えたのですが、やはり「いよいよ、ひらける」との解釈が良さそうですね。今後も留意して、探索してみます。
827日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:58:36
>>625
非人と穢多(かわた)は分けて議論しないと。
828日本@名無史さん:2008/07/14(月) 21:09:49
とりあえずわかりましたから ようはそれらえたやひにんはどのような基準でどのような家がどのような形で今に至るまでようになっていたのか教えてくれませんかm(_ _)m
829日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:29:21
江戸時代、江戸への手紙の宛先は「武蔵国江戸○○」ってなっていたのですか?
830日本@名無史さん:2008/07/15(火) 01:49:17
むさしの国としま郡○○町○○へ
831日本@名無史さん:2008/07/15(火) 08:20:30
江戸というのは地名ではなかったのですか?
愛称みたいなものですか? 湘南みたいな。
832日本@名無史さん:2008/07/15(火) 16:20:50
書状の宛名は「江戸/誰々/脇付」
833日本@名無史さん:2008/07/15(火) 20:01:47
>>798
長文どうも。
言ってることはよくわかるし、最後の3行にも同意です。

天皇家が権威しかないのはよく理解してますし
たまにゴダイゴさんみたいな人もでますが、歴史上
どういう位置を占めてきたかもそれなりには理解してます。

で、倒しても大したものは得られない、というのにも同意
ですが、それは「天皇家存続の理由」にはならないと
思うのですよね。
義満がやろうとしたこと、ではないですけど、なんというのか
「簒奪者の汚名をきてまですることでしょうか」という問い自体が
少し話がスレてしまってるような・・すいません・・

実力者から見たら、実力者、権威者、とにかく自分の邪魔に
なりそうなものはすべて排除したいはず、と、単純な意味での質問
なんですよ。

民俗学、宗教学的側面よりも、権力争いの一環として「圧倒的
武力を身につけたものがどうして」という統治的側面というか。

ちなみに東大助教授の方の最近の本で、「天皇制最大の危機は信長と
太平洋戦争」という結論になってるのがあります。
やっぱり簒奪の意思はあったんだろ〜な〜。
834日本@名無史さん:2008/07/16(水) 00:42:40
江戸への手紙の宛先は、結局のところ>>830>>832どっちが正しいんですか?
どっちでも届くんですか?具体例をあげながら説明してください。
835日本@名無史さん:2008/07/16(水) 21:13:22
>>834
自分で調べろ
どっかの自治体史の資料編を開けば出てくるだろ
ここはゆとり教育お断りだ
836日本@名無史さん:2008/07/16(水) 21:15:04
>>833
信長に簒奪の意思があったなんて言っているのはごく少数
特に最近の実証研究でそんなことを言っている人はいなかった気が
837日本@名無史さん:2008/07/16(水) 22:16:44
>>836
でしょう、だから驚いたんだ。
ほんで、簒奪の意思がなかった、という主流派の意見がなんか
おかしな論が多い気がする。
大学系の人は信長を、英雄視、するのが主流なんだろうけど
これは明らかに戦後の史観というか「外国人を殺してない」という
信長をたてようとしてる。
その英雄信長が皇位簒奪なんかするわけない、みたいなね。

ちなみに、信長とか戦国の研究者じゃなくて中世の研究者
なんだけどね。だからこそ、より広い視点で判断をしてる感じで
ちょっと注目してるんだ。
838日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:13:25
>>837
あの奥さんの方が凄い研究してる人でしょ
劣化今谷明だし
839日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:33:10
>837がどういう本を読んでいるのか興味はあるが、、、
回答を得られたら、あまりのバカバカしさに
>837の書き込みに興味を無くすんだろうな(苦笑
840日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:38:43
本郷和人『人物を読む 日本中世史―頼朝から信長へ』(講談社選書メチエ)
841日本@名無史さん:2008/07/17(木) 01:12:04
>>838
へ〜、知らなかった、なんて人?

>>839
840だよ。東大史料編纂所の研究者をバカバカしぃたぁ
さすが2ちゃん。
842学士:2008/07/17(木) 01:28:51
ブヨー君かな?>840のみを読んで>837を書いたのなら愚かとしか言いようがないのだが、、、
>840の批判はやらない。欠席裁判は好みではないし、どのみち君には理解できん(苦笑
843日本@名無史さん:2008/07/17(木) 03:32:38
840の本は読んでないけど、WEB上の書評を少し調べてみた。
評は各人で様々だけど、とりあえず著者が本を書いた目的は、
「人物氏を中心にした、おもしろい歴史を知り、日本史に興味をもってもらいたい」
と言う動機なのがわかった。
著者が自説を主張し、実証することが目的の本ではなさげだね。
好意的な評も多いし、トンデモな本ではなさそうだけど、突っ込んだ内容を論ずる際の根拠となりえる本ではなさそう。
てか、この本を読んで「歴史の真実はこうに違いない、根拠はこの本だ!」なんてやられたら、著者の方が面食らうと思う。
あくまで本郷和人氏なりの歴史解釈の一例として読むべき本だろうね。
って、実際読んでないんで、これ以上は口出さないでおく。
暇見て読んでみるわ。
844日本@名無史さん:2008/07/17(木) 08:29:01
>>835
自分がわからないからってそうやって片づけるなよ、見苦しいゆとりめ。
845日本@名無史さん:2008/07/17(木) 14:06:22
>>843
そうだね。読む前からそういう公平的な視点だと
より正確な理解になるだろうね。
作者本人も自己主張したわけじゃないだろうし。
842さんは一体何を言ってるのかこっちも「理解
できん」・・
自分はざっと読んでるけど、所々「作者の本音」みたいな
挿入があるのに好感を感じた。
そのあたりは843さんもより「作者の考え」として
読み取れるのじゃないかな、ぜひ感想を聞いてみたいもんだ。

846日本@名無史さん:2008/07/18(金) 02:43:16
>833
これで最後のレスにしときます。

>とにかく自分の邪魔になりそうなものはすべて排除したいはず
「はず」とか言われても・・・・・・普通はその後に排除した場合のメリット、デメリットを考える「はず」です。
優れた人物なら、なおさらに。

>「圧倒的武力を身につけたものがどうして」という統治的側面
前のレスで書いてます。
例えば信長がせいぜい自身一代限りの統治しか視野にない人物だったら、簒奪でも何でもありえたかと。

そもそも実力者なら云々だけで問うなら、家康が天皇家を倒さなかった理由の方が不思議となります。
近現代の評価で低く見られがちですが、互いの生存当時に得た実力で比較するなら、家康は信長を遥かに圧倒してます。
家康の実力で出来なかったことを、信長の実力で出来るはずがない、と言うのが順当な評価になってしまうでしょう。

私は日本の実力者達には天皇位簒奪の意思が無かったと言ってるわけではありません。
政治学的に、天皇位の簒奪は、極度に困難だったと言ってるのです。
それでもなお簒奪意思の有無を問うなら、それは【統治的側面】などではなく、実力者個々の人格などの問題です。
貴方が読んだ本も「人物史」を中心にした歴史解釈の本のようですから、その方が辻褄があいそうです。
実力者達の人格に何がしかの歴史的共通性を見つけ出すには、宗教や民俗学の助けが必要です。
政治学(統治的側面)だけで理解できる範疇ではありません。
847日本@名無史さん:2008/07/18(金) 15:25:22

思い込みで驚くスレと聞いて飛んで来ました
848日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:13:04
すみません、ちょっと急ぎなのですが、
江戸時代から現代に継続している事柄・途絶えた事柄
について調べています。なにがあげられますか?
よろしくお願いします。
849日本@名無史さん:2008/07/18(金) 22:07:58
継続−SEX。よっしゃこい。
850日本@名無史さん:2008/07/18(金) 22:19:22
新撰組は京都市内をパトロールする時や志士たちと戦う時も羽織袴姿だったんですか?
851日本@名無史さん:2008/07/19(土) 07:33:04
皇室が続いたのは、日本人の気質なところもあるんだろうね。
むかし、「御輿と首相は軽い方がいい」といって物議を醸した人がいたけど、
日本は上の者は黙ってドシッっ座っているのが美徳のようなところがあるよね。
日本社会全体がトップダウンというよりはボトムアップの社会。
天皇もその辺はよくわかっていて、政治がらみのことは何も言及しないし、周り人は尋ねない。
皇室の人は自分の好物さえも答えないよね。いまの皇室と大差ないのでは?
権力者も長くなると権威化する。将軍家や将軍も代を重ねると権威化する。
その最たる者が天皇でしょ。
852日本@名無史さん:2008/07/19(土) 07:47:48
>>848
継続しているもの
音物、コネ、中元・歳暮
檀家、若者仲間(青年団)
稟議
セリ、問屋・仲買など商慣行
いっぱいあるな
でもいずれも崩壊しつつある
853日本@名無史さん:2008/07/20(日) 04:28:10
>>846
さんきゅ。最初からズレてたもんね。
こちらとしては、松本疑問に対する今谷論の確認にしたかったのだけど。
でも、勉強になりました。
一つだけ聞いていいなら、こっちは爺だけど、今の学会はそういう返事なのかな、ってこと。
どっかの夏期講習にいってきまふ・・
854日本@名無史さん:2008/07/20(日) 04:34:54
あ、ついでっちゃ〜悪いが、信長が1573以降も桐紋をどうして
使ったんだろ。
天皇〜将軍家〜からもらったから、なんてのは説明になってなくて
、信長ー朝廷友好説の根拠にされそうでこわい。
堀ですら言ってないが。

推測だと、朝廷の故事に詳しいのがその時点ではいなかった、または、
信長に意見できる立場の人がいなかった、なんだけどね。
これは、東大寺切り取りにも関わってくるんだけど。
誰か、明快な論知ってます?
855日本@名無史さん:2008/07/20(日) 10:44:36
手元に江戸時代の叙位の口宣案がありますが
上卿の名前が右上に記してありません。
薄墨紙ですが、正式発給のものでなくて
下書きか練習用と考えてよろしいでしょうか?
856日本@名無史さん:2008/07/20(日) 23:28:48
「案(文)」とはなんぞや?
調べてみると良いよ
857日本@名無史さん:2008/07/20(日) 23:30:22
>>856
おいおい冗談だろ?
858日本@名無史さん:2008/07/23(水) 08:39:03
江戸時代の身分制度が緩やかになったのは、
浪士隊等が結成される幕末期になってからでしょうか。
それとも元々緩やかだったのでしょうか。

高山彦九郎とかの行動が自由すぎるので、
結構緩かったのではないでしょうか。
859日本@名無史:2008/07/30(水) 18:17:01
〉778

金5ですね(笑)
860日本@名無史さん:2008/08/04(月) 20:36:14
>>855-857
後世では摂関や将軍宣下じゃない限り口宣案で代用していなかったっけ?
861日本@名無史さん:2008/08/05(火) 04:00:50
>>855 口宣(案)ではなくて口宣正文だと思われる。
862日本@名無史さん:2008/08/05(火) 07:34:53
長曽我部元親の幼名は弥三郎、信親の幼名は千翁丸、と記憶していましたが、
とある本にて信親の幼名が弥三郎、と書かれていました(元親の幼名については触れられていませんでした)
どちらが正しいんですかね?
863日本@名無史さん:2008/08/05(火) 14:03:26
質問です。
漢委奴国王で疑問に思ったのですが、当時の中国では
「委」を「わ」と読めていたのでしょうか?もしくは使っていたのでしょうか?
864日本@名無史さん:2008/08/05(火) 21:08:28
「いと」すなわち伊都国と読む説も結構有力です。
865日本@名無史さん:2008/08/07(木) 04:09:21
いわゆる奉公構について教えてください。

これはなぜ、他藩にも効力を対外的に主張できたのでしょうか。

例えば後藤基次の事例で近隣大名が召し抱えたいと思ったとき
法的効力がないなら、黒田を無視することもできたはずです

また、奉公構を合意によらずに解除するにはどのような手段が執られていたのでしょうか。
たとえば奉公構を命じた大名が死ねば無効とか、いくらか再就職先の大名が金を大名に払えば
効力が消滅するとか。

866日本@名無史さん:2008/08/07(木) 21:37:24
歴史学博士に捧ぐ

http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html

質問です。貴方はどのタイプ?
867日本@名無史さん:2008/08/08(金) 02:47:42
奉公j構は、最初は豊臣秀吉が始め、江戸期に徳川幕府が引き継いで、全国に布かれた法令。
大名同士の私的な約束事じゃないよ。
法的効力は豊臣政権、あるいは徳川幕府です。
解除は旧主家が認めないかぎり無理。
家の問題なので旧主個人が死んだだけでは意味なし。

金銭でのやり取りは・・・ちょと聞いたことない。
家臣団統制に関わる問題なので、大っぴらには絶対にありえないと思う。
868:2008/08/15(金) 22:18:24
大名の何万石てのがあるけど戦国時代の石て今の約何キロのことをさすのです
か。
869日本@名無史さん:2008/08/15(金) 22:27:29
蘇代って燕の人なんですか?
そうじゃないなら、何故、燕の昭王のために趙の恵王のもとへ説得にいくのですか?

870日本@名無史さん:2008/08/16(土) 23:03:24
雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り 出版社: 朝日新聞社
http://www.amazon.co.jp/dp/4022598778/

これってどうなの?本当に歴史的な証拠があって書いてる文なの?すげー怪しい気がするんだけど
871日本@名無史さん:2008/08/18(月) 11:44:01
室町時代の経済史で、座に所属しない商人は「しんぎしょうにん」で合ってますか?
漢字で書くとどう書くんでしょうか
872日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:02:10
>>870
ヒント 捏造基地害朝日新聞
873日本@名無史さん:2008/08/19(火) 07:03:36
>>872
でも著者は一応戦国、織豊時代史の権威だけど
874日本@名無史さん:2008/08/27(水) 18:39:06
「鎌倉以前に帰農した武士の子孫」を名乗る知り合いがいます。
もちろん証拠は全くありませんが、気品が違うそうです。
精々、本格的に武士化しなかった「武装農民止まり」だと思うのですが、
鎌倉以前の武士とはどういうものと考えるべきなのでしょうか?
武士が発生していく段階での成り損ねを「帰農」扱いするのはアリでしょうか?
875ノーパンde逝こう:2008/08/27(水) 19:45:06
>>874
なしです
876日本@名無史さん:2008/08/27(水) 20:27:02
>>874

そういうのは 由緒ある農民 だと思われます。
877日本@名無史さん:2008/08/27(水) 20:31:56
源氏や平氏から派生した貴族系の武士以外は
武装農民の勝ち組が力を付けて武士階級に固定されたもの
鎌倉以前に農村に固定された連中は立派な農民です
878日本@名無史さん:2008/08/27(水) 20:38:08
鎌倉以前に農村に固定?
879日本@名無史さん:2008/08/27(水) 20:39:56
>>874
釣り乙
880日本@名無史さん:2008/08/27(水) 20:54:33
昔話は証拠がないから自称し放題なんだよ。平家の落ち武者大杉だしなw
881日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:18:51
>874

北面の武士でググってみては?
気品云云は血筋より育ちや環境の方が重要だと思いますが、、、
882日本@名無史さん:2008/08/28(木) 22:29:05
うちの先祖は10代くらい襲名してます。名家の証だと思います。
883日本@名無史さん:2008/08/28(木) 23:45:36
884日本@名無史さん:2008/08/29(金) 17:10:27
襲名って芸能関係か職人の家系がやるんじゃね?
885日本@名無史さん:2008/08/29(金) 18:01:43
>>884

商人もある。 住友、三井あたりが有名。普通の商家でも系図を見ると多い。皇后陛下の実家もそう。

江戸時代には武家も家督を譲られるにあたって通称の襲名はある。
886日本@名無史さん:2008/08/29(金) 18:22:56
武家で襲名するのはやっぱ大きな手柄を立てた人とかの場合?
887日本@名無史さん:2008/08/30(土) 00:35:56
蔵から出てきた古文書。年貢皆済帳とか。段ボール1箱ぐらいです。
いらないのですが、どこか引き取ってくれる機関とかありますか?
オークションは利用しません。
888日本@名無史さん:2008/08/30(土) 06:24:51
小栗又一
茶利(血槍)九朗
889日本@名無史さん:2008/08/30(土) 10:09:29
890日本@名無史さん:2008/08/30(土) 15:15:05
売り目的なら老舗の古書店だろ
891日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:54:29
>>874
農地の所有と権力が比例した結果として階層が出来ていった。
陣取りゲームの出世争いに負けて武装解除された者達は武士に非ず。
勝ちの残った者達が本格的に武士となっていくのだ。
892日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:17:20
>農地の所有と権力が比例した結果として階層が出来ていった。

黴のはえた日教組史観乙
893日本@名無史さん:2008/09/01(月) 12:59:53
こういうのは定義を共有しないと難しいね。
 武士
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB
 一言では言い表すには難しいが、各時代でも共通しているのは
 武装した私兵集団の構成員だという点である。
 ただし、武装した私兵集団が全て武士であるとは言えず、
 公的な軍事警察力の担い手としての社会的な公認がなければ
 武士と認められなかったこともまた、強調しなければならない。
 同義語として武者(むしゃ・むさ)武士 また、
 武士の起源に関しても諸説が有り、まだ決定的な
 学説があるわけではない。


戦国以前は村単位で成人男性すべてが武装してた。
なんて記述もあったりするし。
894日本@名無史さん:2008/09/01(月) 13:58:44
一般大衆より上の身分の血筋だという意味で、俺は武士の子孫だと名乗る。
そういう意味での「武士」を主張するには武装農民では無理がある。
やはり勝ち残って社会的に認知された人々が武士になったんだよね。

武装したり参戦しただけでいいなら、大半が武士の子孫だよ(笑)。
自称ってなんでもそうだけど、希望と結論を屁理屈で結び付けちゃう。

平安末期〜鎌倉時代からの身内限定伝承なんて99%捏造でしょ。
親が子供に話すだけで尾ヒレが付くものだしね。
○○の家来の家来だとか微妙な位置を語れば嘘なんて幾らでもできるし。

895日本@名無史さん:2008/09/01(月) 16:00:43
変な質問ですが1937年10月生まれの人がいたとします。


1この人は終戦時国民学校何年生だったのでしょうか?
2↑の続きですが、国民学校○(↑の回答)年生は今の小学校でいう何年生にあたるの?
3現在は4月入学3月卒業ですが、国民学校時代はどういう制度だったの?今と同じ?
4疎開をした子としてない子だったらどっちが多いのでしょうか?


よろしくお願いします。
896日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:57:12
>>889-890
ありがとうございます。検討してみます。
897日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:35:44
とんでもない事がわかったんだけどどこ持ってったらいい?
898日本@名無史さん:2008/09/03(水) 11:29:05
使えねえスレ
899歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2008/09/04(木) 14:29:58
みんな楽しそうだなw

よっしゃこい!
900日本@名無史さん:2008/09/05(金) 13:00:18
901日本@名無史さん:2008/09/05(金) 22:39:32
卒論のために史料探ししなくちゃならないんだけど、
楽して希望の史料見つける方法教えて下さい。
院政がテーマですが、公家の漢文日記は読むのに繁雑で
すぐに眠くなってしまうんです。
ゆとり脳ですいませんが…
902日本@名無史さん:2008/09/07(日) 18:11:24
ゆとり世代って日本史もまともに習ってないんだろ
903日本@名無史さん:2008/09/07(日) 19:08:05
「郷土史研究家」って

何で自分の故郷が歴史上重要な役割を担った事にしたがるんだろう...
904歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2008/09/11(木) 04:33:58
>>901
先生に相談する

よっしゃこい
905日本@名無史さん:2008/09/13(土) 09:00:53
先生質問!
金印にある「倭奴」をウェドとかウェヌと読んで「江戸」や「上野」の語源とする説を読んだ
ことがありますが、真偽の程はいかがでしょうか。
906のんびりひまじん:2008/09/16(火) 07:42:25
>>895
1937年5月29日に誕生した美空ひばり(本名:加藤和枝)さんのケース
1944年4月1日 (横浜市立)滝頭国民学校入学
1949年9月10日「悲しき口笛」(レコード)発売→出世作大ヒット
1950年3月22日(横浜市立)滝頭小学校卒業  以下は
http://www.misorahibari.com/index0705.htmlご覧くださいませ

疎開のことは、当時の農村人口から推測されて宜しいのでありませぬか。
907日本@名無史さん:2008/09/18(木) 11:02:53
質問です!
江戸期の学者、岡研介が記した自身の病状観察記(日記?)なんですが
どこか読めるところはないでしょうか?
それとも文献としては残っていないんですか?
908日本@名無史さん:2008/09/18(木) 11:10:01
age忘れてたのでageます
909日本@名無史さん :2008/09/18(木) 11:20:01
>>907
引用しているHPがあるので、文献として残っているのでしょう。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa071020.html

早稲田大学図書館の洋学文庫に自筆の書がいくつか蔵されているようです。
この中にあるかもしれません。
「岡 研介」(※半角スペースを入れること)で検索してみてください。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/
910日本@名無史さん:2008/09/20(土) 18:24:23
>>909
ありがとうございます!調べてみます!
911日本@名無史さん:2008/09/21(日) 19:48:01
龍馬が本当はそんなに背は大きくなかったってホント?
912日本@名無史さん:2008/09/21(日) 22:44:47
ぜんぜん即答しねーのな
913日本@名無史さん:2008/09/21(日) 23:00:38
914日本@名無史さん:2008/09/22(月) 23:39:53
惣村の欠点って何?
915ぷてや:2008/09/26(金) 09:40:00
律令制の死刑が流刑に減刑されたこと(死刑廃止になった300余年の時期について)について調べています。
学説にもいろいろあると聞きましたが、なかなか文献があつまりません。
どなたか、諸説載っているものを教えていただけないでしょうか?
916日本@名無史さん:2008/09/27(土) 14:53:37
どなたか、柴垣節 というものについて教えて下さい。

隆 慶一朗 の「吉原御免」を読んでいたら、柴垣節という流行歌の踊り
についての説明がありました。
てんかんの発作を真似したような動きで笑いをとっていたが、
その後に発生した江戸の大火での犠牲者の苦しむ様が、
まさにその踊りに酷似していたため、以後は柴垣節自体が嫌がられ忘れ去られていた
とありますが、本当にそんな踊りがあったのですか?
ネットで調べても、詳しい記述がなかったので、どなたか詳しく教えて下さい。
917武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/28(日) 01:08:57
>>915
ここで訊いても私以外無理だろ。私に訊くんなら簡単だが、訊く気ないらしいからこちらかは回答はしない。悪しからず。
やり手の貴族スレで私がそれを論じたときに誰一人、概説書すら挙げられなかったのを見てもよくみんな分かんないようだ(笑)
918日本@名無史さん:2008/09/28(日) 05:30:46
>>917

教えてやらないなら出てくるなよ。
見苦しいわ。

大の大人が、しかも我、論有りと名無しであることを拒み大層な名を自ら冠する者がよくもこう幼稚で無益な行動を取れるものだ。
なんか悲しいわ。

>>各位
スレ汚し失礼。
続けてください。
919日本@名無史さん:2008/09/28(日) 11:25:42
世間では志村けんのバカ殿が人気らしいですが、
日本史においてバカ殿と呼べる人物は実在したのでしょうか?
920日本@名無史さん:2008/09/28(日) 13:46:50
>918
書き込む時間帯が某コテと同じだね
まぁ誰であろうとどうでもいいけど(苦笑

>しかも我、論有りと名無しであることを拒み
論では無く幼児の戯言と、識者のコピペしかできませんから残念!
921日本@名無史さん:2008/09/28(日) 14:31:10
よく読め。

これ書いてる奴はぶよ肯定してないだろ。

仮にも自分をひとかどのものだと自称するならつまらないことをするな、って行間が読めたのだが如何か?
922920:2008/09/28(日) 14:54:54
>921
ん?漏れに言っているのか?

















行間なんぞ読まんでも自明のことだが、、、
923歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2008/09/29(月) 01:41:37
>>905


よっしゃこい!
924nanasisan:2008/09/29(月) 01:44:23
925日本@名無史さん:2008/09/29(月) 23:19:11
>>919
典型的な「ばか殿」のイメージのモデルは加賀二代目の前田利常。
最も、幕府からにらまれないように「ばか殿」を演じていたそうだけど。
926日本@名無史さん:2008/09/30(火) 01:00:48
>923
次スレは立てるなよ!
ここが喪前の隔離スレだという経緯を知らん香具師が
マトモな学位保有者が回答する中上級用の質問スレであると勘違いするからな
927日本@名無史さん:2008/10/04(土) 09:33:21
年号はいつ頃出来たんですか?
928日本@名無史さん:2008/10/04(土) 09:35:42
在日韓国人はいつ頃日本に来たのですか?
929日本@名無史さん:2008/10/05(日) 14:07:58
省略されて記載されている姓についてお聞きしたいのですが、
「歴名土代」の中で
中:中原
大中:大中臣
善:三善
橋:高橋
曇:安曇
槻:小槻
だと思うのですが、「大」はなにの省略でしょうか?「大石」?
930日本@名無史さん:2008/10/05(日) 19:41:56
古代の天皇には在位100年享年130歳とか居るんですが、古代の天皇の在位期間や享年はどういう資料に基づいて書かれて居るんですか?日本書紀?
931日本@名無史さん:2008/10/06(月) 16:34:57
信長の馬揃は
正親町に譲位を迫るものだったんですか?
932日本@名無史さん:2008/10/06(月) 19:59:33
>>931
両説ある
933日本@名無史さん:2008/10/06(月) 20:24:48
>>931
掘新さんと立花京子さんがやり合ってる。
朝廷と信長、どっちが先に馬揃を口に出したか
って時系列がポイントなんだろね。
934日本@名無史さん:2008/10/06(月) 23:16:16
信長→馬揃をしてちょっと公家どもを脅してやろかい!

公家→うわっ!超すごいじゃん!もう1回見たい!

信長→おいおい、もう1回ってか・・・。逆効果やんけー。
    金がいっぱいかかんねん。戦さの前やのに(#゜Д゜)

公家→アンコール♪アンコール♪

信長→(´・ω・`)
935日本@名無史さん:2008/10/13(月) 01:06:08
>>929
間違っています。
以上。
↓次どうぞ
936日本@名無史さん:2008/10/27(月) 23:13:17
じゃあ、大伴の「大」?
937日本@名無史さん:2008/10/30(木) 23:12:59
>>934
公家→もっとやれ〜!
938日本@名無史さん:2008/10/30(木) 23:28:52
>>934
信長が勢いだけで
実は天下を取ってないことに
何れ気づく
秀吉が天下統一し
秀吉が関白になる。
939日本@名無史さん:2008/10/31(金) 13:50:24
力関係はどうなっていますでしょうか?

奈良時代天皇 奈良時代郡司
江戸時代天皇 江戸時代将軍 江戸時代藩公 江戸時代代官 江戸時代庄屋
昭和時代陸軍大将 昭和時代陸軍大佐 昭和時代陸軍大尉
平成時代総理大臣 平成時代大臣 平成時代国会議員 平成時代知事 平成時代市長 平成時代町長 平成時代医師


平成時代総理大臣>平成時代大臣>平成時代国会議員>平成時代知事
>平成時代市長>平成時代町長>>昭和時代陸軍大将>昭和時代陸軍大佐>江戸時代天皇>江戸時代将軍>昭和時代陸軍大尉>江戸時代藩公>江戸時代代官>奈良時代天皇>江戸時代庄屋>奈良時代郡司>>>平成時代医師

よろしくお願いします。
940日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:23:59
民主主義になって身分の差は開いたのでしょうか?
つまり現代の支配者>中世の支配者?
それとも平等になったのでしょうか?
つまり現代の支配者<中世の支配者?
941日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:14:14
>>939
時代が違うのに力関係なんか生じるわけないじゃん。ヴァカ??
942日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:14:57
>>939
何をどうやって比較しろというのか?
943日本@名無史さん:2008/11/10(月) 20:21:14



944日本@名無史さん:2008/11/13(木) 01:24:43
長橋局とか春日局とかっていうのには、それぞれ役割(職務)があったんですか? あるいは、単に位に応じた肩書きというか名誉職(?)だったんでしょうか?
945日本@名無史さん:2008/11/20(木) 00:54:05
田堵と名主の違いを教えてください
946日本@名無史さん:2008/11/23(日) 22:05:32
室町時代の女性の下着ってどんなのだったの?
あと、この時代の女性の名前ってどんなのがあったの?
947日本@名無史さん:2008/11/24(月) 09:46:27
博士はどこ?
948日本@名無史さん:2008/11/24(月) 20:31:41
>>770
遅レスだが、そいつらは家康の養子になっていないか?
949日本@名無史さん:2008/11/27(木) 18:26:21
いま平城京の勉強してるんだけど
南部七大寺って何?
950日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:12:53
>>949
南部七大寺など知らん!

南都七大寺なら↓
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%83%BD%E4%B8%83%E5%A4%A7%E5%AF%BA
951歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2008/11/28(金) 18:37:18
>>947
ここだよ

よっしゃこい!
952日本@名無史さん:2008/11/30(日) 23:18:33
国司が国免荘を増やしたわけを教えて下さい
953日本@名無史さん:2008/12/04(木) 14:40:15
今川義元が敗死した後、離叛した松平家広 (形原松平家)の息子が処刑されたと聞きました。
この今川家に人質になっていた松平家広の息子というのは、何という名前の少年だったのでしょうか?
ある人は「松平左近」だと言いますし、別の人は「松平右近」だと主張しています。
どちらが正しいのですか?
決してマルチではありませぬが、他のスレで問うても答えて貰えませんでしたので、
こちらにてお尋ねすることと致しました。
教えて下さい。
なにとぞ宜敷くお願い申し上げます。
954日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:15:02
日本が農耕社会であった時代はいつからいつまでですか?
955日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:16:01
小弓公方こと足利義明の妻って誰か知ってますか?
956hage:2008/12/06(土) 18:32:37
>>954
とりあえず俺的には地租改正
米が基準じゃなくなるまで
957日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:16:57
江戸時代の大名の陪臣で石高が特に高かった家老家には主にどんな家がありますか
万石クラス=大名並みの者だけでも教えてください
958日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:14:55
徳川御三家の付家老クラスが有名だな
犬山城の成瀬家とか
959日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:27:10
953番の質問に何方もお答えになれませぬのか?
もと゜かしき限りよのう。
960日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:42:49
955も同じ
961日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:01:55
>954
そもそも日本が農耕社会であったという認識自体が間違っています。
もちろん日本にも農民はたくさん居ましたが、商業活動も重要な要素であり続けています。

日本が農耕社会であったという考えは、百姓=農民という誤解に基づくものです。
江戸時代の古文書などを分析しますと、いわゆる百姓には、北前舟の船主のような現代で言えば総合商社の社長に当たるような人々も含まれているのです。
日本の社会は、縄文・弥生時代から連綿として活発な商業活動によって支えられてきたのです。
962日本@名無史さん:2008/12/08(月) 14:23:01
「お通」とか「お市」とか昔の人間には「お」をつけるけど、これって敬称
なの? 実際は「通」「市」とかいうふうな名前? それとも「お」を含めて
名前なの?
963日本@名無史さん:2008/12/08(月) 16:51:54
今川義元が敗死した後、離叛した松平家広 (形原松平家)の息子が処刑されたと聞きました。
この今川家に人質になっていた松平家広の息子というのは、何という名前の少年だったのでしょうか?
ある人は「松平左近」だと言いますし、別の人は「松平右近」だと主張しています。
どちらが正しいのですか?
決してマルチではありませぬが、他のスレで問うても答えて貰えませんでしたので、
こちらにてお尋ねすることと致しました。
是非にもお教え下さりませ。
重ねてお頼み致します程に。
歴史学博士、なにとぞ宜敷くお願い申し上げますぞ。
964日本@名無史さん:2008/12/08(月) 18:03:22
>962
「お」は敬称です。
965日本@名無史さん:2008/12/08(月) 18:11:39
>964
ありがとうございます。では、自分で名乗る際に「お市と申します」とは
言わないんですね?
966日本@名無史さん:2008/12/08(月) 18:18:06
>965
はい。そうです。
967日本@名無史さん:2008/12/08(月) 18:32:28
>963
おそらく、その問いに答えられる人はいないのではないかと思います。
そもそも右近とか左近というのは役所名にちなんだ名乗りです。
もちろん正式に任命された官職名ではなく、自称です。
仮名(けみょう)あるいは字(あざな)と言います。
本当の名前は諱(いみな)といい、これとは別にありますが、通常使われることはほとんどありません。
したがって、本名はなかなか伝わらないのです。
たとえば有名な高山右近なども、その本名については諸説あって結局はよく分からないのです。
ご質問の人物についても、おそらく歴史の中に埋もれて、今となっては知るすべも無いのではないかと思われます。
寺の過去帳などで発見されるといったことも、あまり期待できないのではないでしょうか?
968日本@名無史さん:2008/12/09(火) 14:46:23
誠に以て忝なうござります。
なれば此の松平右近ないし左近の諱を知る手だてとて無いと仰せで御座るか?
それとも何ぞ妙法ありて、その道の専門家に問わば、もしや判明する可能性も
あながち否定出来ぬとの御存念にござりまするか?
969日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:18:04
>968
可能性があるとすれば、地元の郷土史家などで詳しい人などが承知しているかもしれませんね。
あるいは、菩提寺が判っているなら、そこの古い記録もしくは墓碑銘などを当たってみるかでしょうね。
いずれにしても、暇と金が掛かる調査になりそうです。
現存する子孫がいれば、あるいは過去帳などから判明する可能性もゼロではないかもしれません。
きわめて小さい可能性だとは思いますけどね。
970日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:12:34
松平右近将監武元とか松平左近将監乗邑なら知ってるけどね
寛永譜とか寛政譜、「朝野旧聞襃藁」に載っていなければ厳しいだろうなあ

と思ったら子孫の方がサイトを開設してるし
ttp://www1.odn.ne.jp/~cag38460/public_html/
971日本@名無史さん:2008/12/14(日) 05:33:30
972日本@名無史さん:2008/12/14(日) 05:47:08
「松平左近」のほうが正しう御座りまするな。
973日本@名無史さん:2008/12/15(月) 21:50:03
江戸幕府の崩壊後の静岡藩の職制について分かる史料ってないですか?
974日本@名無史さん:2008/12/16(火) 13:24:32
質問お願いします。
徳川家の誰かが金山のある村の川に毒を流して村人を毒殺して村を消したって聞いたんですけど、話が実際にあるなら詳しく教えてくれますか?
975日本@名無史さん:2008/12/16(火) 14:31:06
>>974
そのような事件が実際にあったかどうかは知りませんが、可能性があるとすれば、大久保長安あたりが一番アヤシイですね。
ですが、おそらく小説か何かの創作された話ではないかと思います。
もし仮にそのような事件が実際にあったなら、その話が世間に漏れることはありますまい。
村を消すというからには、よほどの秘密があったはずですが、そうまでして隠さねばならない秘密があったとは思えません。
976日本@名無史さん:2008/12/16(火) 15:32:13
>>795

ありがとうございます。
詳しく知らないんでなんとも言えないですが、金山の金を独占するために麓の村を壊滅させたらしいです
977日本@名無史さん:2008/12/16(火) 18:00:45
徳川家の権力を以ってすれば、金山の金を独占するくらい簡単なことです。
わざわざ村を消し去る必要など無かったと思われます。
978日本@名無史さん:2008/12/18(木) 09:28:39
ここにいらっしゃる学者殿たちにお聞きしたい

江戸や戦国の武家に生まれた女性の口調はどのようなものでござりましたか?

なるべく地方別のなまりは考えない方向でお願いしまする
979日本@名無史さん:2008/12/20(土) 10:05:45
大石主税が念契を交わした京都の色子の名前は何といったのでしょうか?
読んだ本によって「相山幸之助」だったり「相川幸之助」だったり区々です。
出来ますれば、出典と共に御教示下さいませ。
何卒よろしくお願いします。
980日本@名無史さん:2008/12/20(土) 12:08:39
981日本@名無史さん:2008/12/20(土) 14:33:11
982太閤:2008/12/20(土) 14:57:41
質問です
戦国時代の話です
斎藤道三は 息子の謀反で死亡みたいですが 何故ですか?
斎藤道三は大名にまでのし上がった男
美濃三人衆など有能な部下も居た
何故 息子の謀反などに負けたのか
何故 斎藤家の武将達は道三を助けなかったのか
後に美濃三人衆は道三の娘婿の信長に寝返ってます
そう考えると 道三の死は不思議に思います
詳しい方 教えて下さい
983ベティ:2008/12/20(土) 15:06:53
死んだのだからしかたあるまい
984日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:42:32
>>982
息子の斉藤義龍が、道三が思っていたよりもはるかに有能な武将であったということでしょう。
道三があまり内政を省みること無しに戦争に明け暮れていた弊害をただし、かなりの実績を上げています。
30代半ばで早世してしまいましたが、義龍がもっと長生きしていれば、信長の天下盗りは無かったかもしれません。

もともと義龍は土岐頼芸の子であるという説があったのです。
その説を道三自身が利用して、土岐氏の家臣たちを取り込んだという経緯があります。
それゆえ、土岐氏ゆかりの有力な家臣の多くが義龍側についたようです。
また、この事件があったときには、道三は既に隠居の身で、斉藤家の当主は義龍でした。
家臣団の感覚から言えば、義龍こそが主君であったとも考えられます。

父殺しの汚名を避ける為に、義龍も後にこの説を利用しています。
義龍の実父が誰であったのか、真相を知る者は義龍の母親だけでしょうね。
985太閤
ありがとうございます
義龍が早く死ななければ 墨俣や 竹中&美濃三人衆など
寝返りは無かったかもですね
次にまたまた質問です
歴史好きの友達が
宇喜多直家が最強だと語ってました
天下を取るのに生まれた土地が悪いと 語ってました
自分は宇喜多直家がそこまで すごい武将だと言う知識は無いのですが
本当に そんなすごい武将なのですか?