歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ20

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1ナックル星人 ◆5fcKI0Hsok
おなじみの20弾

いろいろは>>2-10あたり
2ヒッポリト星人 ◇YYHt8GUWqc :2008/12/20(土) 14:25:34
3騎士ヴイスクエア:2008/12/20(土) 14:30:41
(歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ)
その12 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1076091673/
その13 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1078829867/  
その14 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1082145556/
その15 http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1092484626/
その16 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126539439/ 
その17 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126539439/
その18 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143148404/
その19 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1165096616/(前スレ)

html化済み分
その1 http://academy2.2ch.net/history/kako/1049/10492/1049211873.html
その2 http://academy2.2ch.net/history/kako/1052/10522/1052236771.html
その3 http://academy2.2ch.net/history/kako/1053/10537/1053783706.html

緊急避難所 歴史難民板
http://gimpo.2ch.net/nanminhis/

スレの主旨や他の質問スレとの違いなどについては、
幸いに専用のスレがありますので、こちらのリンクをどうぞ

停止の理由を教えてケロ@日本史板
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sakud/1064487159/
4歴史学博士の俺様 ◇QOYuzJdqhs :2008/12/20(土) 14:32:41
■◇■ 本スレのお約束 ■◇■
1.自作自演と言われても泣かない。
2.自作自演がバレても泣かない。
3.高校生の参加はほどほどにして、学校の勉強をがんばる。
4.大学生の参加はほどほどにして、学校の勉強と就職活動をがんばる。
5.他スレの人集めにはいちいち反応しない。
6.AAは厳選して面白いものを貼る。
7.煽り・叩きはできるだけ工夫する。
8.伸びそうなネタはみんな大事に扱う。
9.質問には誠心誠意答える。。
10.面白くない煽り・叩きは完全放置で。

○●○ お馴染みの話題 ○●○
1)本能寺の変の黒幕は?
2)昔の○○は今の貨幣価値に換算するとどれくらい?
3)姓と名字と家名の違いは?

>>過去スレへ
5日本@名無史さん:2008/12/24(水) 00:51:30
挙兵後の源頼朝が住んでいた所について質問なんですが
平安京みたいに、町の中に御所を建てて暮らしてたんですか?
それとも少し離れた感じ?

鎌倉の町を調べてみたんですがイマイチ掴めなくて・・・
誰か歴史に詳しい方、教えてください!
それか良い参考資料があったら教えてください!
6日本@名無史さん:2008/12/24(水) 01:42:38
頼朝邸?

2・3年前なら常駐コテが回答してくれていたのだが、、、
漏れの手元には古い資料しかないので参考にできるのかどうか不明だが↓
神奈川縣文化財圖鑑建造物篇

これによると異国降伏御祈祷記の将軍邸小御所指図が参考になると思う(苦笑
7日本@名無史さん:2008/12/24(水) 01:54:02
>>6いぇ!助かりました、ありがとう
それでググッてくるわ
8日本@名無史さん:2008/12/25(木) 01:21:32
「一色軍記」と「丹州三家物語」という書物はそれぞれ
誰がいつどこの勢力下で書いたものですか?
9日本@名無史さん:2008/12/26(金) 23:00:49
来年、読むべき本の優先順位はどうですかね?
「人物業書−今川義元」
「信長四七〇日の闘い」
「信長と消えた家臣たち」
「直江兼続」(新人物往来社)
「直江兼続」(アスキー新書)
10日本@名無史さん:2008/12/28(日) 19:29:18
千葉邦胤を刺殺した家臣の名字は何というのが正しいのでしょうか?
桑田とも鎌田とも鍬田とも云われているようですが。
出来れば出典ごとに教えて下さい。
11日本@名無史さん:2008/12/29(月) 12:15:07

先代旧事本紀の編纂した時、聖徳太子・曽我馬子の命によって古代文書を差し出した

と言われる六家と、その原典を教えて下さい。

12日本@名無史さん:2008/12/30(火) 13:25:18
>>10
屁こき鎌田
13日本@名無史さん:2008/12/31(水) 17:51:32
★大学院博士課程単位取得土木作業員★
http://namidame.2ch.net/test/read.html/recruit/1217061484/l100
●大学院修了で派遣【博士・OD・任期切れ】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/haken/1229815138/1-100
●博士号取得「自宅警備員兼自宅研究員」
http://gimpo.2ch.net/test/read.html/cafe40/1225943367/l100
●コンビニで働く大学院生M1〜D6・・・博士号
http://gimpo.2ch.net/test/read.html/conv/1107576360/l100
博士号・修士号持ちなのにその日暮らしVol.5
http://gimpo.2ch.net/test/read.html/okiraku/1223854917/l100
■研究者・博士号持ちで精神病■
http://anchorage.2ch.net/test/read.html/utu/1228202810/l100
■大学院生や博士号持ち【無職・だめ】10
http://namidame.2ch.net/test/read.html/dame/1204889445/l100
風の谷の博士課程
http://science6.2ch.net/test/read.html/rikei/1046544749/l100
理系博士院生&博士研究員の就職活動 part2
http://namidame.2ch.net/test/read.html/recruit/1226928214/l100
孤独な大学院生
http://gimpo.2ch.net/test/read.html/alone/1206889416/l100
【大学院生用就職活動情報交換スレ】
http://academy6.2ch.net/test/read.html/economics/1211751343/l100
◎大学院生の輪っ 4◎
http://namidame.2ch.net/test/read.html/nohodame/1129338760/l100
14日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:05:02
ttp://jp.youtube.com/watch?v=4GEEWmPmsnk

の1:35の男性と女性は誰でしょうか?
幕末の名のある人のようですが
15日本@名無史さん:2009/01/06(火) 16:41:14
森蘭丸が越後へ潜入したけれど、すぐに上杉謙信に看破された
という史譚は何という文献に載っておりましたでしょうか?
16日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:58:03
質問します!

忘年会は伝統的だし、締めってことで飲み会をするのは甘受できるのですが、
新年会は出来ません。
忘年会→正月休み→新年会と、本来は引き締めなければい行けない時期なのに、飲み会になるのはどうも
外食産業からの陰謀があるのではないかと疑ってしまいます。

新年会は、歴史上いつ頃からあるのでしょうか?
17日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:28:37
日本全国酒飲み音頭という歌
一月は正月で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
二月は豆まきで酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
三月はひな祭りで酒が飲めるぞ(酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
四月は花見で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
五月は子供の日で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
六月は田植えで酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
七月は七夕で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
八月は熱いから酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
九月は台風で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
十月は運動会で酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
十一月は何んでもないけど酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
十二月はドサクサで酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
18日本@名無史さん:2009/01/16(金) 07:56:39
明治政府軍に抜刀隊なるものが被害を与えて日本政府も抜刀隊を編成したそうですが
近代の銃が主流の戦争でどうやって抜刀隊が活躍したのか想像出来ません。
どのような活躍をしたのでしょうか。
19日本@名無史さん:2009/01/16(金) 21:23:09
>>18
それはだなあ、抜き身の刀を振り回して突撃したんだわ。
日本陸軍の定番だがや。
日露戦争でも多用したがや。
203高地のバンザイ突撃を知らんかや?
敵が機関銃撃ちまくっているのに、兵隊どもを突撃させて大損害。
それでも大将の乃木稀輔は国民的英雄だがや。

太平洋戦争でもなあ、アメリカ軍の本土上陸に備えて、女や老人に竹槍の突撃訓練させたんやで〜、日本陸軍はなあ。
20日本@名無史さん:2009/01/16(金) 23:02:47
バンザイ突撃は日露じゃないだろう。やってたのか?
21学士:2009/01/17(土) 01:07:25
バンザイ突撃などという言葉は帝國陸軍には無い(はず)

欧州の観戦武官は南山以降繰り返し機関銃が配置された陣地への歩兵突撃が無謀であることを
見ているはずなのに欧州の軍隊がこのことを理解するのにはWWTで数十万人の自国兵が損耗した後

乃木は早い時期から自制していた
22日本@名無史さん:2009/01/17(土) 21:11:33
先祖について調べていたところ、ある文献に幕末の頃の藩士録が収録されてまして、その中に先祖の名前を発見したのですが、
待遇?が、四両二人扶持とあったのですが、これはだいたいどの程度のものなんでしょうか?

親からは「けっこう高い地位にいた」という話を聞いてましたが、藩士録を見てみると「軽卒」でした
23日本@名無史さん:2009/01/17(土) 21:17:06
日露では、肉弾三勇士というのが居たな。
24日本@名無史さん:2009/01/17(土) 21:38:59
幕末だと四両一人扶持で最下級だったかと。
ちょと上だけど、高給ではないし、身分も低いですね。
25日本@名無史さん:2009/01/17(土) 21:44:55
>23
いねぇよ。
26日本@名無史さん:2009/01/17(土) 22:09:05
>>24
ありがとうございます
そうですか、かなり低身分なんですね、ちょっと残念w
でもこれをきっかけとしてこのあたりの歴史を学んでいきたいと思います
ありがとうございました
27日本@名無史さん:2009/01/17(土) 22:41:36
>>21
> 乃木は早い時期から自制していた

嘘をついちゃあイカンぜよ。
28日本@名無史さん:2009/01/18(日) 02:36:30
>>23
日中戦争だろw
29日本@名無史さん:2009/01/18(日) 19:25:17
いずれにしても、旧日本軍のやり方というのは、愚かな精神論を振りかざした無謀なものだったわけさ。
戦争に負けたのも、軍幹部の無能による必然。
30日本@名無史さん:2009/01/18(日) 19:53:26
麻生内閣みたいなもんだな
31日本@名無史さん:2009/01/28(水) 10:38:06
天正十三年(1585)に北条氏直の近習・田村千代丸をはじめとする四人の若侍が
連続的に切腹自害して果てたという事件があったと聞きました。
おそらく『北条五代記』あたりに記載されているのでしょうが、
その詳しい理由や経緯、また自刃した他の三名の氏名などを教えて頂けませんか。
お願いします。

他のスレで尋ねたのですが、回答を得られませんでした。
歴史学博士なれば正しい返答をして頂けるものと信じて已みません。
よろしく。
32日本@名無史さん:2009/01/28(水) 21:40:55
尾張における町方・村方の支配や自治のあり方について教えて下さい。

試験で範囲になっているのですがイマイチよく分かりません。
33日本@名無史さん:2009/01/29(木) 02:24:54
橘という姓はブラクではないですよね?
34日本@名無史さん:2009/01/30(金) 00:13:01
>>32
それを答えられる程研究が成熟していない気がするが@尾張
愛知県史の資料編(尾西・尾北)の解説みれば村方はわかるけど、
町方は新修名古屋市史ぐらいか?
35日本@名無史さん:2009/01/31(土) 13:37:27
>>33
何でまたそんなこと考えたの?
36日本@名無史さん:2009/01/31(土) 14:20:01
橘は、実質的に消滅している姓ではある。
繁栄しているものに類似した苗字を自称として名乗る場合もあるので、
一部の、明らかに特徴的な苗字を除いてはその手の判定はできない。

大体、そういう判定自体が馬鹿らしい。

先祖が会津出身ではないのに「会津武士の子孫として武士道を広める」と宣言し、
武士道ではなく差別を広めている会津の観光業者には鉄槌を下すべきだが。
37日本@名無史さん:2009/01/31(土) 15:54:03
由井正雪は橘姓
38日本@名無史さん:2009/01/31(土) 18:13:08
源平藤橘と言いましてなあ、武家はこのうちのどれかを自称したものでおじゃる。
39日本@名無史さん:2009/01/31(土) 18:49:08
大名には滋野姓もいるよ
40日本@名無史さん:2009/01/31(土) 21:42:35
平岩は物部姓
41日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:51:45
ジョン万次郎と坂本龍馬ってあったことないんですか?
42日本@名無史さん:2009/02/04(水) 01:01:19
「京衆図司口若者」

って、どう読めばいいんでしょう?
できれば意味も教えていただきたいです。
43日本@名無史さん:2009/02/06(金) 02:33:15
重ねて問いまする。

天正十三年(1585)に北条氏直の近習・田村千代丸をはじめとする四人の若侍が
連続的に切腹自害して果てたという事件があったと聞きました。
おそらく『北条五代記』あたりに記載されているのでしょうが、
その詳しい理由や経緯、また自刃した他の三名の氏名などを教えて頂けませんか。
お願いします。

他のスレで尋ねたのですが、回答を得られませんでした。
歴史学博士なれば正しい返答をして頂けるものと信じて已みません。
よろしく。

44日本@名無史さん:2009/02/07(土) 04:12:42
日本史の教科書に口から小さい人間(?)を何体か吐き出してる
お坊さんの木像が載っていたと思うのですが、
あれは何という人物の像なのか教えてください
45日本@名無史さん:2009/02/07(土) 04:36:05
空也上人立像(六波羅密寺)
ttp://www.rokuhara.or.jp/cal/

まあ、詳しいことはサイトを見てね。
46日本@名無史さん:2009/02/08(日) 00:52:13
質問です

戦国大名と守護大名の共通点と相違点を教えてください。

あと信長・秀吉・家康の政治形態を教えてください。
47日本@名無史さん:2009/02/08(日) 23:35:01
日本の海賊の特徴的な喋り方や隠語はどういうのがある?
48日本@名無史さん:2009/02/09(月) 22:57:06
イギリスのバースを再建して都市化した人って誰?
49日本@名無史さん:2009/02/09(月) 23:35:53
これかな? だがこれは世界史板の範疇の問題だ。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Ralph_Allen
50日本@名無史さん:2009/02/10(火) 00:03:04
賭博師から、当時廃れた田舎町だったバースの顔役になって宣伝に勤めた人間といえば、こちらになる。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Beau_Nash
51日本@名無史さん:2009/02/11(水) 23:34:40
>>46
拙者未熟者ながらお答え致します。
戦国大名とは、室町幕府の弱体化に伴い各地に割拠した地方軍閥です。
彼らは検地をし、分国法を定める等、独自の領国支配を行いました。

守護大名は幕府が任じた地方長官でしたが、
実際の支配は守護代と呼ばれる部下に任せきりのことも多く
戦国期には守護代に領国を乗っ取られてしまうことも多くなりました。

尾張の織田家、越後の長尾家などは守護代(及びその一族)が戦国大名化した例ですが、
甲斐の武田家、駿河の今川家、薩摩の島津家などのように守護大名が戦国大名になる者もありました。
・・・以上、稚拙な答えにて申し訳ありません。
52日本@名無史さん:2009/02/12(木) 07:21:49
歴史学は科学と言えるのか言えないのか
53宜敷く謝々:2009/02/15(日) 21:02:23
はじめまして。
四方八方、手を尽して探している資料があります。
歴史学博士さん、よろしくお願いします。
書名「浄観筆記」筆者は僧浄観、俗名:西垣源五左衛門。
宝暦年間の人です。コピーでも、閲覧だけでもいいのです。
54日本@名無史さん:2009/02/16(月) 14:40:52
>>52
それは「科学」の定義をどうするのか?っちゅう問題なわけだわ。

>>53
国会図書館なら確実にある。
55宜敷く謝々:2009/02/16(月) 18:39:43
>>54
>国会図書館なら確実にある。
すみません。東京本館、関西館とも検索、問い合わせ済みです。
某大学名誉教授と、もうお一人、ご存じなんですが、
無視されてお教えいただけません。
56日本@名無史さん:2009/02/17(火) 00:15:30
京都のことは外部の者にはわからぬ。
京都の人間に聞いてくれ
57宜敷く謝々:2009/02/17(火) 06:13:55
>>56
そうですか。お世話さまでした。
やはり京都になるので、あまり期待せずお聞きしますが、
若い小早川秀秋は北政所と淀殿の両方からお金を借りている
という話が書かれていたりします。
北政所の方はたしかに証拠がありますが、淀殿の方の出典が
はっきりしません。なにかご存じでしょうか。
よく
58日本@名無史さん:2009/02/20(金) 18:28:24
「池袋村の娘を女中にすると必ず不思議な出来事が起きる」という俗信の初出は
どんな文献ですか?
59日本@名無史さん:2009/02/20(金) 22:13:43
質問です。NHK大河で、今川義元の二引き両の家紋とWikipediaに載っている今川氏の二引き両の家紋が違うのですが、どちらが正しいのですか?それともどちらも正しいのでしょうか?あと足利将軍家の家紋と今川家の家紋は同一の二引き両なのですか?ずっと気になってたもので。。
60日本@名無史さん:2009/02/21(土) 00:25:14
そりゃあ、吉良家と今川家は足利の直系の分家ですから、
足利の二引き両紋を使って、足利(本家)と名乗りたいでしょう。

ですから、今川が二引き両を使う場合は、足利将軍家と全く同じ図案です。
でも、今川の場合は独自に「赤鳥」(櫛の形)を定めていたような?
61日本@名無史さん:2009/02/21(土) 02:33:15
この時代、複数の家紋を持つのは珍しくないよ。

たとえば信長は木瓜が伝世の家紋、代々受け継ぐやつね。
でも他に二引き両や桐も持っている。
62日本@名無史さん:2009/02/21(土) 14:30:05
ありがとうございます。ただウィキペディア掲載の家紋が、自分の知っている(大河で良く出て来る)二引き両と違うのが納得できないですが。。しかも足利と今川の二引き両が微妙に違うし。家紋のスペシャリストかもーん
63日本@名無史さん:2009/02/21(土) 14:42:50
失礼しました
64日本@名無史さん:2009/02/23(月) 17:13:24
時代小説を読んでいてふと疑問に思ったことなのですが、
商家の妻や使用人が、盗賊にそうと知らず騙されて
逢引きのためとか言われて夜中に戸を明けて盗賊を招き入れてしまい、、
その結果盗賊にお金を盗まれたり、家人が殺傷された場合、
招き入れた妻や使用人は罪に問われるものでしょうか?
65日本@名無史さん:2009/02/23(月) 19:02:06
その場合十中八九妻や使用人は殺されると思うが
66日本@名無史さん:2009/02/24(火) 09:31:50
その場合、生き残ったなら罪に問われることになる。
67日本@名無史さん:2009/02/24(火) 21:14:32
室町時代の男女の寝間着は下着のようなもの、と聞きましたが
当時、この格好で人前に出るのはやはり恥ずかしいことなのですか?
68日本@名無史さん:2009/02/26(木) 19:12:16
ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1583.jpg

大河ドラマ「葵 徳川三代」より
徳川家康(演・津川)さんの隣にある水牛の角のような飾り物は
どういったものなのでしょうか?またどういったことに使用するのでしょうか?
ちなみに関が原の合戦時もこれが見受けられました。
69日本@名無史さん:2009/02/26(木) 22:59:00
あれは、徳川家康の馬印です。
正確に言うと、徳川家康は後半生では大馬印として「金扇」、小馬印として「銀の繰り半月」を用いました。
では、前半は何を使っていたかというと、「厭離穢土 欣求浄土」の纏(白地に黒の旗)なんですね。
70日本@名無史さん:2009/02/26(木) 23:04:36
そうそう、この3種類の馬印はその後も徳川将軍に継承され、
鳥羽伏見の戦いで徳川慶喜が大阪城に置き忘れた、というエピソードも作ることになります。
71日本@名無史さん:2009/02/26(木) 23:34:51
馬印は、本人の所在地を戦場などで示す標識なので、
常に本人の手の届く所に置き、寝所にも持ち込みました。

しかもこの3種の馬印の場合、「私は東照大権現様(徳川家康公)の唯一無二の後継者」と世間に示す
目に見える、何よりの物体そのものであったわけで、

そんなものを置き忘れるだなんて、というわけで徳川慶喜は嘲笑された、というわけです。
72武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/26(木) 23:39:58
>>67
スゴいね
いろんな史料・資料読まなくちゃ答えられないような質問をよく気軽にしてくるもんだよw
73日本@名無史さん:2009/02/26(木) 23:57:13
なんとなく気が向いたので貼ってみる。
暇なシトは秀忠(途中で豚切ったが。苦笑)まで読んでみて。


http://kjm.kir.jp/pc/?p=69890.jpg
74日本@名無史さん:2009/02/27(金) 01:15:24
誰ひとりとして43番の質問に返答出来ぬのかゑ?
75学士:2009/02/27(金) 01:29:11
ふざけた文体での質問には答えない主義なんでな

あと、基本的に三戦厨はスルー
興が乗ったときはその限りではないが(苦笑
76日本@名無史さん:2009/02/27(金) 22:48:40
でも、ふざけた文体で回答はするです。

徳川家康の馬印ですが、実際の所小馬印は「銀の刳り半月」というよりは、
「銀のふくべ切りさき」(銀のひょうたんの下に短冊状の布をひらひらさせる)が知られているのですが、
それだと、ドラマでは画面効果上、豊臣っぽいでしょ。だからどちらかというと秀忠っぽい「銀の刳り半月」が
そのドラマでは使われた、と言うことになります。
77日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:16:24
>「銀のふくべ切りさき」(銀のひょうたんの下に短冊状の布をひらひらさせる)が知られている

>76
>74
異論があるならソースぐらい明示してね
むろんふざけているだけで、76の書いていることは厨の単なる思い込みだというのなら何も言うことはないが(苦笑
78日本@名無史さん:2009/02/28(土) 02:51:05
いや、69=70=71=78なのだよ、学士サマには悪いが。

別に、「銀の刳り半月」と「銀のふくべ切りさき」の併用には矛盾はない。
徳川将軍は両方を使用している。
ただ、史料や絵図を見、説話を読むと、どうも徳川家康の小馬印としては、
「銀のふくべ切りさき」が正しいのではないか、と思われる。
あと、大馬印として源氏の「白旗」も用いたので、徳川家康の馬印は

大馬印:「厭離穢土 欣求浄土」の纏・「金扇」・「白旗(3つ葵の紋が入っている)」
小馬印:「銀のふくべ切りさき」・「銀の刳り半月」(これはどちらかというと徳川秀忠?)

ということになる。
79日本@名無史さん:2009/02/28(土) 10:19:26
>78
で、徳川家康の馬印として小馬印の「銀の刳り半月」が使用されたソースは何?

>76
>徳川家康の馬印ですが、実際の所小馬印はAというよりは、Bが知られているのですが、Bだと、ドラマでは画面効果上、
>豊臣っぽいでしょ。だからどちらかというと秀忠っぽいAがそのドラマでは使われた、と言うことになります。

もし74(=77)と同じソースからの引用なら忠興の項によって、家康の小馬印はAというよりは、Bが知られているという書き方はしないはず。
また、NHKのドラマをみている層の多数は、瓢箪の馬印が豊臣か家康かなどという知識は無い。
徳川の銀瓢箪を豊臣の金瓢箪と見誤る層などは極めて少ないといえる。

結局のところ76が書いているのは74が示したモノいじょうの事を何も書いていないのか、
誤読しかねない出鱈目な文章で無駄なことを書いているにすぎない。
質問者は「銀の刳り半月」すら知らないということを分かっている?

ふざけて書くことと、74と整合性をもたせるために読むものが(苦痛を感じながら)間違いを訂正しなければいけない文章とは軌を一にしない。
80日本@名無史さん:2009/03/01(日) 04:59:33
豊臣秀頼が生まれず秀次が秀吉の後を継いでいたらどうなったと思いますか?
81日本@名無史さん:2009/03/01(日) 05:09:54
苦痛とは、学士サマが耐えられない事実の羅列?
82日本@名無史さん:2009/03/01(日) 07:37:28
「太閤」のような、前○○の表現は他に何かありますか?
例えば前右大臣は何て言えばいいのでしょうか
83日本@名無史さん:2009/03/01(日) 08:17:05
漢籍を読みなさい
84日本@名無史さん:2009/03/01(日) 09:39:16
太閤の本義は、現任の太政大臣や左右の両大臣までを含む。
85日本@名無史さん:2009/03/02(月) 07:07:24
>>82
前職が国司(守護)→前司(ぜんじ)
86日本@名無史さん:2009/03/02(月) 07:54:20
>>79
ソースならコンビニに行け
87日本@名無史さん:2009/03/08(日) 13:50:55
戦国クレヨンしんちゃんで武将が首をとられる代わりに髷をとられるシーンがあります。
あれを武士にとって遣られるのはどれぐらいのダメージがありますか?
面目丸つぶれですむのか武士辞めたり出家したり切腹したりするぐらい重いものなのかどちらでしょう
88日本@名無史さん:2009/03/11(水) 01:06:07
源頼朝にまげを切りとられた御家人の牧宗親は逐電した
89日本@名無史さん:2009/03/11(水) 23:18:54
江戸時代、幕末の庶民の家屋には二階建てのものが普通に建ち始めましたが、
雪隠は二階にもつくられたのでしょうか?
それとも一度、一階(または外)へ出て、用を足したのでしょうか?
御教示ください。
90日本@名無史さん:2009/03/12(木) 14:01:30
博士さっさと出てこい
出仕しろ
91日本@名無史さん:2009/03/12(木) 22:32:17
御台所が出家すると二つのぼんぼん・わっかみたいなのがついた服着る描写がありますけど、アレに名前ってありますか?
92日本@名無史さん:2009/03/13(金) 01:37:37
元禄文化・・・明るい・前向き
化政文化・・・暗い・退廃的

でOK?
93日本@名無史さん:2009/03/13(金) 17:55:26
江戸時代の武士の勤務は現代の会社員よりはるかにラクだし、
厳格に「武士道」を守ってストイックな生活をしていたわけではないのに
刀を抜いたら処分が厳しい、主君を守れなかった藩士は奮戦してても切腹(彦根)なのはなんでですか?
タテマエは厳しいが現実的には緩い反面、時にはタテマエが厳格適用されてる感じがします。
94日本@名無史さん:2009/03/13(金) 20:21:37
今の日本もそうじゃん
官僚の処分は基本的にお手盛りのようだけど、大事件だったら厳格になるだろ
95日本@名無史さん:2009/03/14(土) 11:59:46
滅亡時の対応について質問3つ
1、家康が豊臣家滅亡後、秀吉の墓を徹底的にあらしたと思うけど、
そんなに秀吉の事を憎んでいたのでしょうか?
豊臣家滅亡までは禍根を残さないために必要なことかもしれませんが
かつての上司の墓暴きまでする理由がよくわからないのですが

2、頼朝が平家を滅亡させた時、清盛の墓ってどうしたのでしょうか?
かなり清盛の事を憎んでいたと思いますが、墓をつぶして
遺体を引きづり出して晒しものにしたのでしょうか?

3、同じように信長が武田家を滅亡させた後信玄の墓ってどうしたのでしょうか?
96日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:45:12
いずれも墓を暴いたりはしてない。
墓を暴くような罰当たりなことをするのは日本人の美意識に反する。
97日本@名無史さん:2009/03/14(土) 22:00:31
日本人がまだ西暦や皇紀を知らず、年を表記するには元号しかなかった時代。
当時の日本人は未来を表現するのにどうやっていたのでしょうか?

例えば、「この大事業は2059年頃完成予定」とは書けても、「平成71年頃完成予定」とは
書きにくいと思うのです。
98博士出てこい:2009/03/14(土) 23:29:21
聖徳太子の未来記では天皇の代数を以て未来を予想している

よっしゃこい
99日本@名無史さん:2009/03/15(日) 00:17:50
>>92
それをいうなら

60年代…戦国の新機軸、いろいろありすぎ
70年代…本能寺〜大坂の陣までの内ゲバ時代
80年代…元禄文化(好景気とサブカル全盛)
90年代…化政文化(不況とナショナリズム)
00年代…幕末(ぐだぐだ泥沼)
100日本@名無史さん:2009/03/15(日) 22:33:38
月代っていつ頃から剃り始めたんですか?
101日本@名無史さん:2009/03/16(月) 12:31:22
平安時代後期が最初か(玉葉に月代の語句)

でも手入れが大変だから一部の上層階級以外はやらなかった模様
戦国後期の兜の発達で月代剃りが増えたともいわれる
よっしゃこい
102日本@名無史さん:2009/03/16(月) 13:42:31
第二次世界大戦の真実
http://www.youtube.com/watch?v=iKbuy7bPYlo


103日本@名無史さん:2009/03/16(月) 13:53:28
かぐや姫や浦島太郎は宇宙人遭遇伝記との説があります。
確かに、物語の内容に宇宙人(高度文明)を想定すると整合がつく箇所が多々あります。
歴史学的にどう思われます?
104日本@名無史さん:2009/03/16(月) 14:18:56
宇宙人?高度文明?
105日本@名無史さん:2009/03/16(月) 14:36:23
106日本@名無史さん:2009/03/16(月) 15:27:52
>>100
竹崎季長絵詞だとなぜか河野道有だけ月代剃ってる
107日本@名無史さん:2009/03/16(月) 16:57:31
あと河野通有だけ烏帽子も着けてない
108日本@名無史さん:2009/03/16(月) 23:15:47
>103
>かぐや姫や浦島太郎

十把一絡げにしているが、過程や結末の異なる異本がいくつもあるのにどれを定本と考えているの?
物語の内容に宇宙人(高度文明)を想定すると整合がつく箇所が多々あると思いたいのならそう思えば良い。
誰も止めない。

浦島太郎の玉手箱、、、故郷に帰るという夫に、身を窶しても添い遂げたいと願う乙姫が煙と成ってついて来たのに、
亭主が蓋を開けたので乙姫は死んでしまうという異本が漏れは好きだが、巷間ではほとんど知られていない(苦笑


>歴史学的にどう思われます
寓話に意味性を持たせることはよくあることだが歴史学的には黙殺される。

109日本@名無史さん:2009/03/17(火) 04:06:22
長野県の諏訪地方には諏訪大社がありますが、その近くの守屋山では毎年7歳未満の子を神主として冬の間穴の中に隔離し、
春になって出すとその子の口から出た言葉でその年の農業の吉凶を占い、神事が終わると命を獲り、
また次の年に神主を決めていたそうですが、それはいつ頃まで行われていたのでしょうか?
諏訪大社も関係していたらしいのですが‥大社の裏歴史ですかね?
110日本@名無史さん:2009/03/17(火) 18:46:01
白虎隊関連で調べてたら幕末会津関連スレでおかしい連中が暴れているのは何故なんです?
111日本@名無史さん:2009/03/17(火) 19:34:38
日本古代史=朝廷の陰謀説と感ずる。

1)記紀は天皇家に伝わる歴史ということ 。またそれ以前の文献は皆無というがそんなに日本は文化程度が低かったのか。
2)日本の文字が紀元後しかなかったのだろうか。日本人(あえて)は魏志和人伝では海を渡る船を造り、航海術も駆使している。また漢王朝を訪問して、なぜ古代?中国語が話せた民族なのになぜ。
  縄文時代とか弥生時代とかおおざっぱな歴史なの。
3)大和朝廷以前の文献や遺物はほとんど隠滅、封殺されたのではないだろうか。金印なんか隠滅しろと命じたが、持ち帰ってしまったが失くしたとか。
4)今も、調査や触れてはならない三種の神器、古墳、神社の多いこと。

考古学者で名を成すには、海外しかないのだろうか。自由に発掘や調査させてくれない日本じゃ推測の考古学。紀元後というのに、考古学者でない推理作家も参加できる歴史感おかしくないかい。
もっと、かきたいけど、作られた日本の歴史をどう暴くかの議論とか法改正から、邪馬台国の謎が、いともたやすく解けるようかもと思うのは、僕だけだろうか。
僕だけだろうか。
112歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/03/17(火) 20:00:46
>>90

呼んだ?

よっしゃこい
113日本@名無史さん:2009/03/17(火) 21:54:51
>112
明日も朝が早いんだろ(苦笑
いいかげん2chは卒業したら?
114日本@名無史さん:2009/03/17(火) 22:33:02
ちっとも即答してくれないスレ
115日本@名無史さん:2009/03/17(火) 22:50:02
室町幕府は、鎌倉幕府や江戸幕府と違い、
内部闘争・離反・裏切りが相次ぎ、
なかなか安定することができなかった気がするのですが、
どうしてでしょうか?
116日本@名無史さん:2009/03/18(水) 00:49:02
有力守護大名らに支えられているという形なので将軍自身の権力が比較的弱かった
だから大名同士の私闘が頻発した

江戸時代は将軍直属の軍事力が強かった
前田や島津などの外様の大大名に支えられて幕府が成り立っていたという構造ではなかった

鎌倉時代は創業者の頼朝を別にすれば、北条氏が幕府の要職や守護職を独占し始めてから安定軌道になった

よっしゃこい
117日本@名無史さん:2009/03/18(水) 01:23:14
>鎌倉時代は創業者の頼朝を別にすれば、北条氏が幕府の要職や守護職を独占し始めてから安定軌道になった

グダグダな認識だなw
118日本@名無史さん:2009/03/18(水) 01:48:33
得宗専制になってから幕府が安定化したことを知らないなんて可哀相な117
119日本@名無史さん:2009/03/18(水) 02:01:04
人糞を肥料にするのはいつごろから行われたんでしょうか?
120歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/03/18(水) 03:59:42
>>119
諸外国では紀元前から使われていたので(古代中国エジプトペルシアなど)、
日本では農耕開始とともに云々と考えるのが自然。

よっしゃこい
121日本@名無史さん:2009/03/18(水) 07:25:44
>>115
経済状況の変化が大きな要因。
武士というのは「一所懸命」という言葉からもわかるように、所領の保有が最大の関心事だった。
平安末から鎌倉初期に掛けては、まだまだ未開の地が残されていたが、それも飽和点に達した。
土地には限りがあるからね。

というわけで元寇の役で活躍した武士たちに対して、褒賞として十分な所領を与えることができなかった。
その不満が鬱積して鎌倉末の動乱が惹起された。

この根本的な土地不足と人々の欲望表出という構造が室町期における政治的不安定を招いた。

江戸時代が安定したのは、江戸初期の経済発展が大きかったのと、強大な幕府権力、そして儒教導入による人々の欲望抑制に加え、人口増加が抑えられたため。
江戸の元禄期以降〜幕末まで、日本の人口はほぼ横ばい。
122日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:00:30
109ですが‥もう、諏訪地域限定の話ではマニアックそうなので、
人柱についてお聞きします。江戸時代はいつ頃まで行われていたんでしょうか?
浅間山噴火の際、人柱になった少女の生まれ変わりはテレビで紹介されていましたが
123日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:32:17
質問させてください。

「日本の株制度の根本となるものは
 江戸時代(?)の大阪(坂)の商人によって作られた」
という意味合いの話を聞いた記憶が微かにあるんですが
これって本当の話でしょうか?

wikiやgoogle等で調べてみたんですが、それらしい話は引っ掛かりませんでした。
もしこの事に類するお知りの事項があれば、回答いただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。
124日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:54:13
大坂堂島の米市場が先物取引の最初といわれる

よっしゃこい
125日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:56:07
>>124
回答ありがとうございます。
先物の話だったんですね。
大坂の米市場ですか・・大坂の商人って江戸時代から凄かったんですね。
解決出来てスッキリしました。ありがとうございました。
126武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/03/18(水) 23:19:39
>>122
それはいわゆる“史実”じゃないよ。
少なくとも史実として
はっきりまともな史料にあるとされる出来事じゃないのさ。
だから本当かどうか分からないことを大真面目に聞かれてもねえ。
127日本@名無史さん:2009/03/18(水) 23:57:43
>123
株って問屋株仲間?

問屋株仲間はもともと米、酒、塩、味噌、炭など、生活必需品12品目の高騰を規制するために、同業組合として幕府が結
成を命じたもので、株とはその会員権をさした。
田沼時代末期の大阪では130にものぼる問屋仲間が公認されていた。



↓ついで
 江戸時代の通貨制度は、「東の金遣い・西の銀遣い」と言われ江戸の金貨と上方の銀貨が対等な本位貨幣として両立していた。また銅貨も少額の補助貨幣として使われていた。
しかも、これらの間の交換比率は変動相場制であった。このような3貨制は世界的にみても非常に珍しいと言われる。

 変動相場制だから、江戸の商人が上方に注文を出すには、銀相場が安い時、すなわち金高銀安の時に行うと有利だった。
たとえば、現代日本の企業が国際市場で石油を調達しようとすると、石油の価格の動きと、円−ドルの交換比率の両方の変動を考えなければならない。江戸の商人たちは、すでにそういう世界にいた。

 江戸、大坂、京都には、多くの両替商が繁盛していた。
貨幣の鋳造は幕府が行っており、たびたび金銀の交換比率を公定したが、ダイナミックな市場経済には幕府権力も及ばない。
両替商たちは、日々の相場を見ながら、金銀の両替・売買を行った。

 相場は「立会場」で決まった。大阪・北浜にあった金相場会所では正月三が日と五節句を除いて毎日、午前10時から1〜2時間、「立会い」が開かれた。
両替商達が少しでも利益を上げようと、血眼になって、取引に熱中する。立会い時間が過ぎると拍子木を打って知らせるが、取引が過熱していて終わらない時には水をかけた。これを「水入り」という。「立合い」
「水入り」という相撲用語は、当時の商業用語でもあった。
http://www.asyura2.com/2002/hasan12/msg/318.html
128日本@名無史さん:2009/03/18(水) 23:59:50
>>126 なるほど。正確な証拠が残っていないから誰も証明はできないわけですね。
万が一記録があってもその地域では明るみに出したくないだろうし、
終わりにした時点か近代で処分か絶対出さないでしょうしね。
ありがとうございます。
129日本@名無史さん:2009/03/19(木) 00:14:42
>109
ここより民俗学関連の板へ行くべきでは?
専門では無いので詳しくは知らないが常識的に考えても毎年人身御供を差し出していては共同体が維持出来ないのでは(苦笑
その種の慣習(祭り)は現在でも引き継がれているがフツーは室町〜江戸時代に高僧だの旅の武芸者だのが神や鬼を説得するか成敗するかで子供は形式的に差し出すだけで命を取らないということに変化したとの伝承になっているはず。

>122
人柱は明治になっても行われていたんじゃないの?知らんけど←オイw
私の子供時代に人前でソレ関連のことを口走ると周囲の大人が血相を変えて私の口を塞いだのは事実。
130日本@名無史さん:2009/03/19(木) 00:17:14
おそかったorz
人身御供の伝承記録なんかいくらでも残っているのに、、、
131日本@名無史さん:2009/03/19(木) 20:11:37
>>129
>常識的に考えても毎年人身御供を差し出していては共同体が維持出来ないのでは(苦笑
機械無しの農業の厳しさは半端ではありませんよ。力の無い女子どもが男親を失った日にはもう‥
病気で親の無い子、貧しいのに子沢山で食うに困る家、
信仰が日々の苦しみを救う大部分を占めているんならどうなのでしょう?

>>130 伝承記録、どこにあるのか教えて頂けたらありがたいのですが
132日本@名無史さん:2009/03/19(木) 23:12:39
109=131と仮定して

>131
>機械無しの農業の厳しさは半端ではありませんよ。

高邁な知見を有しているのならココへ何しに来たの?
板違いを指摘しているにもかかわらず議論か演説でもやりたいのだろうか、、、

前近代の共同体に対する認識が漏れとは絶望的に乖離しているうえに、
ブヨー程度の正誤の判断しかできない素人コテとは波長があうというのなら何も言うことはない。
自演を疑わせるレス乞食を相手にするほど漏れは暇ではない。
webで拾った知識で満足しておくのが応分というものではないだろうか(苦笑
133日本@名無史さん:2009/03/20(金) 07:53:21
>常識的に考えても毎年人身御供を差し出していては共同体が維持出来ないのでは

そんなことはないだろ。
江戸時代、元禄期以降日本の人口はおよそ3千万で横ばい。
避妊法が無かった時代なのに人口増加が無かったのは、生まれてきた赤ん坊を殺していたからだ。
「間引き」と言う。
貧しい農村地帯では戦前の昭和期まで行われていたフシがある。
134日本@名無史さん:2009/03/20(金) 08:51:44
日本古代史=朝廷の陰謀説と感ずる。

1)記紀は天皇家に伝わる歴史ということ 。またそれ以前の文献は皆無というがそんなに日本は文化程度が低かったのか。
2)日本の文字が紀元後しかなかったのだろうか。日本人(あえて)は魏志和人伝では海を渡る船を造り、航海術も駆使している。また漢王朝を訪問して、なぜ古代?中国語が話せた民族なのになぜ。
  縄文時代とか弥生時代とかおおざっぱな歴史なの。
3)大和朝廷以前の文献や遺物はほとんど隠滅、封殺されたのではないだろうか。金印なんか隠滅しろと命じたが、持ち帰ってしまったが失くしたとか。
4)今も、調査や触れてはならない三種の神器、古墳、神社の多いこと。

考古学者で名を成すには、海外しかないのだろうか。自由に発掘や調査させてくれない日本じゃ推測の考古学。紀元後というのに、考古学者でない推理作家も参加できる歴史感おかしくないかい。
もっと、かきたいけど、作られた日本の歴史をどう暴くかの議論とか法改正から、邪馬台国の謎が、いともたやすく解けるようかもと思うのは、僕だけだろうか。
僕だけだろうか。
135日本@名無史さん:2009/03/21(土) 06:21:24
日本で他人を呪うことが罪だったのは何時までなのですか?
江戸時代には呪術を罪とする法律とかあったのでしょうか?
136日本@名無史さん:2009/03/21(土) 07:19:48
>>135
今でもあるやんけ
ついこないだも、ネットで誹謗中傷をしよった者たちが逮捕されよった。

「死ね」だの「市ね」だの書いたんが罪に問われたんやで〜
137日本@名無史さん:2009/03/21(土) 09:58:29
>>133
今の感覚で言うと、間引きしなきゃいけないような苦しい生活なのに
なんで子供なんか作るの?バカなの?って感じなんだが

アホだから性欲を抑えきれないってのもわかるけど、妊娠出産自体が
母体に危険を及ぼす(=最悪、母ちゃんも死ぬ)ことは当時から
経験的にわかってただろうし、男女ともに自制しろよって感じだが
138日本@名無史さん:2009/03/21(土) 10:13:45
>>129
>>私の子供時代に人前でソレ関連のことを口走ると周囲の大人が血相を変えて私の口を塞いだのは事実

人柱の民族伝承をベースにしたホラーゲームを最近やったばかりなのもあるんですけど、
聞いててなんかすごく生々しい話ですね
人柱関連の話をみだりに口にすると災いになるとか、そういう迷信があったんでしょうか?
それとも他所には知られてはいけない黒歴史だからでしょうか?
139日本@名無史さん:2009/03/21(土) 10:44:33
質問
江戸時代、一番経済的に豊かだった藩はどこですか?

収入に対する支出の割合が少なければ少ないほど豊かにはなるわけですが、
かと言って、たとえば2万石の小藩が支出を1万石に抑え、
「収入が支出の2倍もある藩はウチだけだ。だからウチが一番豊かだ」
なんて言われても違和感があります。たった1万石の黒字なわけですし。
ですから、ある程度大きい藩で豊かだったところをお願いします。
140139:2009/03/21(土) 10:50:27
ただ大きい藩になると大所帯で、当然支出も大きいと思いますので、大幅な黒字はそうは
ありえないと思いますので
黒字幅でなく藩の財政規模、今風に言うならGNPとか国家予算(?)にあたるものの
比較でもかまいません。

前田家や島津家のような特大の大名が、やっぱり豊かだったのかを知りたいです。
141歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/03/21(土) 14:33:37
>>135
ない

よっしゃこい
142日本@名無史さん:2009/03/21(土) 14:36:06
>>141
全然答ダメやんw
143日本@名無史さん:2009/03/21(土) 14:57:24
やんってなに?
144歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/03/21(土) 15:05:51
>>139
トータルで見れば全部赤字

よっしゃこい
145日本@名無史さん:2009/03/21(土) 22:44:38
>>137
君は性経験が無いらしいねえ。カワイソ
146日本@名無史さん:2009/03/21(土) 23:33:04
どうしても思いだせないんですが、最初に日本地図つくった人って誰でしたっけ?
147日本@名無史さん:2009/03/21(土) 23:49:53
行基じゃね?
148日本@名無史さん:2009/03/22(日) 00:49:44
伊能忠敬
149日本@名無史さん:2009/03/22(日) 01:15:32


歴史学博士の俺様◆QOYuzJdqhs 儀、御役目怠け不行届の数々明白に候
博士号修士号学士号ことごとく召しあげ、自今以後は歴史学趣味の俺様 ◆QOYuzJdqhsに改めるべき候事

日本史スレッド評価学会

150歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/03/22(日) 14:44:57
>>149
だが断る

よっしゃこい
151日本@名無史さん:2009/03/22(日) 19:23:44
脇坂安治が大坂の陣で中立だったことについて委細を教えてください
152日本@名無史さん:2009/03/23(月) 07:38:46
信長は地球が丸いことを理解できたそうですが、信長の賢さを示すエピソードに使われるってことは
他の人は地球が丸いことが理解できなかったり信じなかったりしたのでしょうか?
地球が丸いことが正しい知識だと日本で認識されるようになったのは何時頃のことなのでしょうか?
153日本@名無史さん:2009/03/23(月) 10:24:48
>>152
古代中国でも地球が丸いことはだいたい見当がついていたので(儒学者はそういうことはあんまり受け入れないが)、
天文学的な説明さえサジェスチョンしてくれれば、あとは信じる信じないの話だったんでは。
日本でのコンセンサスは、頭の固い儒学者はともかく、
幕府の天文方は少なくとも理解していたでしょう。でないと測量なんてできない。
一般的にはやはり学校教育が始まってからでしょう。

>>139
時代によって違うでしょう。
たとえば、薩摩藩なんて藩主によって洋学趣味で藩自体潰しかけたかと思えば、次の藩主の時代では借金全額棒引きにしたり。
まあ、やっぱり密輸で儲けまくったという薩摩の一時期が一番豊かだったんでは。斉彬の前でしたっけ?
藩は現金収入がないということになっているので慢性赤字なのは当然で、
うまく備蓄米をやりくりして廃藩置県までなんとか食いつないできたって感じだろう。
基本、朱子学に染まっていた上流階級ほど、金銭のやりとり自体がタブーなんで、そんなもん。
現金で財をなしていたのは、密輸の薩摩とか松前とかくらいか。あとは幕府直轄で牛耳。

以上、あまり信用しないように。
154日本@名無史さん:2009/03/25(水) 18:14:00
>>132 わあ里帰りしてたら怒られてた。
ことごとく叩き落してくれる高度な知見ありがとうございます。
私のナンバーは確かに合っていますが、自演と言われても。苦笑
反論するのにそこまで発言ナンバー必要とは思いませんでした。
いずれにせよオカ違いの様ですのでこれにて
155日本@名無史さん:2009/03/25(水) 18:17:21
あのふと疑問に思ったことなんですけど
殿上人しか入れない場所の雑用(掃除とか)は
やはり貴族である殿上人たちがやっていたのでしょうか?
156日本@名無史さん:2009/03/27(金) 08:36:59
>>155
面白い質問だけど、大仏のホコリを落とすためにヒトが登っている絵などが
あるから、類推するしかないだろうねえ。
157日本@名無史さん:2009/03/27(金) 10:34:12
明治時代末期まで東京などの都市部の書生の間で盛んだった男色とか少年愛は
何故、いつ頃から廃れてしまったのですか?
それほどキリスト教を本気で信じる人々が急速に増えたとは思われないのに、
まるで欧米キリスト教国の植民地になってしまったかの様に無くなってしまったのが不思議です。
158日本@名無史さん:2009/03/27(金) 22:14:37
キリスト教とは別に
西洋の思想が広く普及したことは自由民権運動の天賦人権論や農村部の政治結社をみればわかる


159國學院大学卒:2009/03/28(土) 14:49:28
>>157
男色の是非はともかく、耶蘇教の悪しき影響により、
古きよき質実剛健な皇国の気風が衰退してしまったことは否めません。
160日本@名無史さん:2009/03/28(土) 22:31:11
>>159
國學院大学卒さんに質問。
いつも専門家面して上から発言してくる國學院大学神道学部在学中の友人がいるので、鼻を明かしてやりたいと思います。
基本参考図書および授業の概略を
教えて下さい。
ググッて出てくることではなくて、なるべく神道学部内部の事情通しか知らない文献や授業などついてご教示下されば
なお幸いです。
161國學院大學卒:2009/03/28(土) 23:38:42
>>160
事情があってノーコメントです
162日本@名無史さん:2009/03/29(日) 10:12:42
>國學院
あんた学部どこ?
マジレス希望する
163日本@名無史さん:2009/03/29(日) 14:08:54
國學院大学卒はぶよう
164日本@名無史さん:2009/03/29(日) 18:13:55
大学院の日本史研究科に入って博士号を取得できる確率は何%でだいたい何年かかるもんなの?
165歴史学博士:2009/03/29(日) 18:50:50
>>1ですがな。すまん。

頼む、優秀な影武者を頼む。
166日本@名無史さん:2009/03/30(月) 00:27:37
はよ答えろ
167武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/03/30(月) 22:57:22
>>163
國學院と天爵堂が同一人物による自演だ、と看破したらこれだよ。
儒教スレじゃ、國學院は私の罵倒の口マネしてベタな「武陽」=「國學院」を演出しやがるしさw
すべてしょーもねえ自演(國學院=天爵堂)(「國學院は実は武陽である」とか抜かすアホ演出w)てことがこれで決っまったな。
168武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/03/30(月) 23:40:27
>>162
文学部・神道学部ではないことは確実。
たぶん経済学部。國學院大學卒を自称してるが、いわゆる國學院大學ならでの老舗学部の出ではない。
また最近もたいぶった口振りのレスを頻繁にしてるが
こいつの知識はすべてググッたかした知ったかにすぎない。
以前はネットの切り貼りばかりで無知をさらしまくっていたんだよ。最近私にバカにされるのがイヤさにそういうのは止めたらしいなw
>>161
なにが「事情があって」だ。
逃げるなよw
きゃははは
169日本@名無史さん:2009/03/30(月) 23:58:59
大学に行ったことの無い奴が大学を語るスレはココでつか?
170日本@名無史さん:2009/03/31(火) 02:20:34
まあ、ネタみたいなもんなんでしょ? スルースルー。

>>157
女性史学でちょっとやったんだけど、
明治期からだんだんと売春婦が統制され始めたんで、それの影響もあるかもしれませんね。
171日本@名無史さん:2009/03/31(火) 18:26:39
江戸時代(4代家綱)に若衆歌舞伎を禁じた所を見ると
幕府も衆道を嫌悪していたんじゃないかねよっしゃこい

九州征伐で秀吉が水軍(小西・九鬼・脇坂・加藤嘉)を動員したが
こいつらは何をしたんだ?
小西が肥後半国25万石を拝領してるし(佐々改易の後だが)
172日本@名無史さん:2009/03/31(火) 21:52:19
>>171
そもそも歌舞伎の始まりは阿国カブキから。
遊芸を売るだけじゃなくて春も売っていたのよ。
で、そのうち大衆演芸として猥らな見世物も上演するようになったわけよ。
舞台で男女の本番行為なんかも見せたわけ。
そこでまず、歌舞伎に女が出演することが禁止されたわけ。

そこで女の代わりに少年を使うようになったのが若衆歌舞伎。
相変わらず猥らな見世物をしてたから、これも禁止されたのサ。

特に衆道を嫌悪していたってわけじゃあないわけなのだよ。
風紀を乱すからってのが禁止の理由。
173歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/03/31(火) 23:26:23
男色は統計があるわけじゃないから実態はわからんね

よっしゃこい
174日本@名無史さん:2009/03/31(火) 23:42:01
>>171
九州出兵時の豊臣の水軍の役割は、兵員輸送・兵站などの海上輸送が中心です。
豊臣による九州侵略時には、九州は現在の大分県にいた大友を除いて、ほとんど島津の勢力下にあり、
豊臣軍は現地の協力をあてにはできませんでした。

彼ら豊臣水軍は、朝鮮出兵時の日本軍(豊臣軍)でも同様の役割を担当することとなりました。
175日本@名無史さん:2009/04/01(水) 00:16:46
今日から新年度だからでもないとは思うが、、、
バカセの表示が緑色(スレ当初)になっているのを見て妙に新鮮さを思ゆる。
漏れの実生活もこの六年様様なことがあったなと暫しトリップしちまったよ(苦笑

いいかげんコノゴミスレ、続けるのを止めようとは思わんのか>173
176歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/01(水) 00:21:31
俺様が辞めたくても日本史板のみんなが許してくれないから仕方なし

よっしゃこい
177日本@名無史さん:2009/04/01(水) 00:33:34
大学院の日本史研究科に入って博士号を取得できる確率は何%でだいたい何年かかるもんなの?

178歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/01(水) 01:48:57
>>177
5年。博士課程まで進学できればかなりの確率。でも人による。

よっしゃこい
179日本@名無史さん:2009/04/03(金) 05:51:28
江戸時代の敵討ちは、直接の殺人の加害者にではなくても許可されるのでしょうか?
例えば、盗賊に公金を盗まれて、その責任をとって切腹した場に、その盗賊を、とか
無実の罪を着せられて自害した場合に、その濡れ衣を着せた相手を、とか
手籠にされるとか屈辱的な目に遭わされて自殺した場合に、その加害者を、とか。
自殺や、切腹を命じられる原因になった相手も敵として討てるのでしょうか。
180日本@名無史さん:2009/04/04(土) 01:09:29
今、歴史学とかでは明治維新の評価はどのようになってるのでしょうか?

明治維新によってできた政府が、作った方針や政策(富国強兵や大陸進出など)の結果が
太平洋戦争だということで、否定的な考えが多いのでしょうか?
181日本@名無史さん:2009/04/04(土) 02:11:01
明治維新によってできた政府が、作った方針は、富国強兵まで。
大陸進出・太平洋戦争を引き起こしたのは東北出身者の武士道正義論なので、明治政府とは関係ない。

両者を無理に関連付けて語るのは少数派。
182日本@名無史さん:2009/04/04(土) 03:01:12
>>179
ないでしょうね。
仇討ちは、相当ハッキリした殺人でもない限り許可されませんでした。
しかも、仇討ち成功率は一割以下ってドラマの考証やってる人の本に書いてあったなあ。
183武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/04/04(土) 11:41:18
>>182
『女敵討ち』
をもしかしたら知らないの?
184日本@名無史さん:2009/04/04(土) 13:49:45
>>179
挙例は全てダメでしょうね。
稻垣史生著『時代考証事典』(新人物往来社)に詳しい。
同書に、仇討ちの法則、定義、どういう場合は許可されない、実際例等
多くの紙数を費やして述べられている。

しかし、江戸時代270年間全国全藩、実際の仇討ちというのは極めて少ないのですね。
許可されてもほとんど不成功。
全てわかっていて、今の官庁資料の如く当時の官僚資料があったらしく、
類例別件数表が同書に掲載されている。勿論、「忠臣蔵」も数えてありますよ。
許可された件数自体が――いや、仇討ち願いを出した件数自体が、
270年間全国全藩極く少なかったんでは――。
士分だけでも200万人は居たであろう社会で、これでは江戸文化とも武家文化とも云えませんね。
許可不許可・所属身分階層にかかわらず私刑(リンチ)そのものが僅少の社会。
今とは随分違いますねえ。

江戸時代までは、仇討ちは全て不許可。江戸幕府開闢と同時に公認。
なお、「仇討ち免状」は実際には無かった、と書いてあります。
1例だけを時代劇で大層に扱っていて間違いと書いてある。
185日本@名無史さん:2009/04/04(土) 16:41:50
> 実際の仇討ちというのは極めて少ない
> 士分だけでも200万人

ハッキリ言って実際にはほとんど無かった、といってよい!
全国で、ほとんど3年に1件の割合でしかない。
それを江戸時代の歴史的事項に言挙げするするのは、
幕府公認の明確な文書と各藩に願い届出書の保存があったからに過ぎない。

願い届出書を出すのも、本気でなしに武家の名誉上の行為。
物見遊山、入塾寄食、良くて乞食旅行が実態。
盆暮は勿論、節句毎に家へ帰ってくる。
身内同僚近所にも悲壮感など無く、出掛ける度、
多分に冷やかし気味に嬉々として送り出していたほど。
海外出張の多いビジネスマンのようなもの。
「また兄上は仇討ちの旅ですねえ」とか。
送り出す度、「無事、仇を討たれますよう」が決まり文句。
ホントに旅をする者でも遠方へ行く者は無く近辺をウロウロしていた。
行先の珍しい事柄を藩へ手紙すれば大変喜ばれた、という。
「何藩では、ワラを材料にこんな製品を作って大坂に出しています」とか。
時期が来て「不首尾でした」と藩庁に届けて仇討ち終了。
許可の建前は期限無しだが暗黙の期限があった。

江戸幕府が公認したのは、武家のためのガス抜き政策。(武家だけが対象ではないが)
300年続いたのは、単に「権現様の祖法」というだけのことから。
186日本@名無史さん:2009/04/04(土) 16:58:36
幕府も諸藩も庶民の仇討ちをも奨励してるけどね
187日本@名無史さん:2009/04/04(土) 17:12:43
> 許可の建前は期限無しだが暗黙の期限があった。
大まじめなのですら、長くて3年、普通2年ていうもんなあ。
1年も経たないで終了の届けが出ているのが大多数らしい。
アダは病死してました、てことにしておくんだろうと史家はいう。
188日本@名無史さん:2009/04/04(土) 17:20:09
関ヶ原の闘いで歴史オタの貴様らは東軍 西軍どちらにつきますか?
私は昔は西軍でしたがいろいろ知るうち東軍になりました
家康が思ってたほど悪くないのと 状況的に秀吉の実子でもない秀頼が引き継いで また戦国時代に逆戻りするよりも 老舗の家康が引き継いだほうが自然だし安心な気がするからです
直江状は転封される原因になりましたが謙信だったらもっと他の解決があったのでは と思います
貴様らどう思いますか?
189日本@名無史さん:2009/04/04(土) 17:32:46
>>188
俗論に煽られ過ぎ。
ここは史学的観点に立ってモノを言うマジメなスレ・・・。
秀頼は歴とした秀吉の実子。
上杉家は、三成の挙兵とは何の関係も無い。
両者密通していた、はウソ。
190日本@名無史さん:2009/04/04(土) 17:33:58
ここは、三戦板じゃねえぞ!
191日本@名無史さん:2009/04/04(土) 18:48:38
質問いいですか?

弥生時代には鉄器が使われていた。と学校で習ったのですが、弥生時代に鉄を錬成できる技術があったのでしょうか?
192日本@名無史さん:2009/04/04(土) 19:56:24
>>191
いつの時代でも鉄なんぞ「錬成」されたこと無いぞ!
「錬成」と言やぁ、人だぜ。
193日本@名無史さん:2009/04/04(土) 20:12:04
恥ずかしすぎる><
申し訳ない
194日本@名無史さん:2009/04/05(日) 00:39:29
何故、徳川家は天皇家を温存したのでしょうか?

秀忠までは京都に滞在して天皇家の威光を利用していましたが、
家光以降は江戸で政治を担っていたと思うのですが。
195歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/05(日) 04:08:30
>>179
目上の敵だけね

>>180
いろいろ

>>181
東軍

>>191
弥生時代とか古墳の鉄製品がどこ産の鉄を使っているとかは、よくわからないんじゃないかな。
「錬成」が何を意味しているのかがよくわからないけど、
輸入した鉄の塊を加工するだけなら日本にその技術は弥生・古墳あった(九州地方が先進地)。
砂鉄から銑鉄を取り出したり、鋼を作ったりする技術はもうちょっと時代が下るのかもしれないっすね。
平安時代の製鉄遺跡みたいのとかは発掘例がけっこうあったはず。
ちょっと最新の成果の上に立った発言とは言えないかな。

詳しい人がいたら補足ヨロ

よっしゃこい
196歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/05(日) 04:13:44
>>194
全然脅威じゃなかったから。伝統的権威の源泉として思う存分活用した。
家光まで上洛したのは、天皇家だけではなくて伝統的権威諸々。

よっしゃこい
197日本@名無史さん:2009/04/05(日) 04:27:55
日本では2倍年暦というものは、あったのですか?
198日本@名無史さん:2009/04/05(日) 15:31:08
>>191
>>195
製鉄に関しては、>>195以上の詳細は不明なのが現実だと思います。
いや、関連遺物遺跡はいっぱい発掘されてるんですよ。
でも、上代の製鉄技術となると少々詳しく言ったところで、>>195を敷衍する程度のこと。
要するに、弥生時代当初〜前期は鉄塊又は延べ板の輸入したのを加工、
弥生時代後期に砂鉄から国産(製鉄)された模様。
司馬遼太郎「街道をゆく」を始め、考古学者・史学者以外の人が、
いろいろ言ってますが、どれも学術上の根拠はありません。
199日本@名無史さん:2009/04/05(日) 19:19:58
>196

家光以降は、天皇家の権威を利用したことはなかったのではないですか?
やっぱり、背景にはあったのかなあ。
200日本@名無史さん:2009/04/05(日) 19:21:38
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
201日本@名無史さん:2009/04/05(日) 19:45:25
まだこのスレ続いてるんだなw俺が最後に見たのは6年前だぞw
博士何歳だよw
202日本@名無史さん:2009/04/05(日) 20:08:04
博士は加護ちゃんとコギャルAVで抜いてる偉い人
203日本@名無史さん:2009/04/05(日) 20:45:43
日本を牛耳る「京都の黒幕一族」って誰ですか?

山段芳春さんが防波堤だったそうですが。以下のスレを読みました。
貼り付けます。

559 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2005/03/23(水) 21:40:43
例えば前に出てきている山陰の山林王なんかは竹下を操っとりましたなあ
山林王は何故権力を持ちえたか?歴史が背景にあるんですわ
歴史とシンクロするように京都の黒幕一族(ここからはAと呼ぶ)は
山陰に小さなフィクサーを置いた。
児玉が民族系だと言われとりますがな、あれはエセでっせ
西欧のフィクサー同様、フィクサーというのは金ではないのです
それ相応の歴史の元に存在しているのであって、歴史はまた彼らによって作られる
日本のヤクザなんて黒幕Aからしてみれば子供のようなもんです
204日本@名無史さん:2009/04/05(日) 20:48:03
560 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2005/03/23(水) 21:48:43
ついでにいうと宗教はいまやフィクサーの為の道具です
池田がやっとる事を拡大して考えてもらったらよろしい
純粋な意味でのユダヤ人がユダヤ教イスラエル人を利用し
一部西欧エスタブリッシュがキリスト教を利用し
そして日本では・・・ここが問題です
205日本@名無史さん:2009/04/05(日) 23:46:53
> 日本を牛耳る「京都の黒幕一族」

「日本を」じゃなく「日本の歴史を」だ!
日本のエスタブリッシュ・日本のノーメンクラツーラが厳として歴史上、
京都に存在し現存している。
だから、徳川幕府も京都を――従って朝廷を軽視できなかったし、
明治新政府も何如に京都に気を遣ったことか。
天皇は暫く東京に行幸なさるだけと言ったり、槇村を知事にしたり
初めての電車と西洋流運河を京都に実現したり、明治帝は京都に葬ったり、
結局は遷都できずに未だに都(みやこ)は京都のままにしたり・・・。
奈良は「古都」と言っても京都はあくまで「千年の都」。

今も、京都のエスタブリッシュ・ノーメンクラツーラは健在。
その一員家系で京都のド真ん中に代々住まいするワタシが言うんだから、
間違いはない。
206日本@名無史さん:2009/04/06(月) 00:42:06
>天皇は暫く東京に行幸なさるだけと言ったり

ということは、天皇陛下より地位が上なのですか、あなた方は?
207日本@名無史さん:2009/04/06(月) 02:17:37
陰謀論は板が違うんじゃ。。。。。
208日本@名無史さん:2009/04/06(月) 02:34:05
陰謀やウソではおへん!
ここに書く限りはホンマのことどす。
そやから「間違いはない」と断っておすやろう。
そやけど、名は云えまへんで、組織の名でんがな。

京都に空襲さしたら首相も陸軍大臣も参謀総長も皆やめさしまっせ
言うたんもアテらどすわ。
京都の大事な古書がだいぶ神田へ流れておすさかい、宮城、外すんやったら
ついでに神田も終戦まで空襲外しておくれやす言うたんもワテらどす。
尤も、こっちの方はトルーマンに直接言いました。
その時どすやんか、米国が原爆を京都に落とす言う情報を把かんだのは、
京都には上空からエエ目標有るさかい言うてね。
アテらが居てることトルーマン知りよりまへんでしてん。
それは、どもならん言うついでに神田のことも言うたんどすわ。
209日本@名無史さん:2009/04/06(月) 09:37:02
ごめんなさい、笑いどころがわかりません
210日本@名無史さん:2009/04/06(月) 11:18:36
>その一員家系で京都のド真ん中に代々住まいするワタシが言うんだから

その家系についてもう少し説明してもらえませんか?

>だから、徳川幕府も京都を――従って朝廷を軽視できなかったし、

公家諸法度からして、幕府のコントロール下にあったのではないですか?
211日本@名無史さん:2009/04/06(月) 11:59:06
能面蔵通羅
212日本@名無史さん:2009/04/06(月) 12:24:04
日本古代史の本や論文をいくら読んでも答が出てこない以下の質問をよろしく。
北九州に邪馬台国およびその後継の国があったとして、その後古墳時代前に大
和盆地へ進出して大和朝廷を作ったと言う。
しかも最初は伊勢に上陸して2,30年かかって大和へ入ったと言う。
そこで質問、そんな苦労をしてまで大和へ遠征(しかも本拠地を放棄して!)
する程の魅力が大和のどこにあったのでしょう?
213日本@名無史さん:2009/04/06(月) 12:35:05
アテらの身分を明かすことはできまへん。
しかし、存在を常に世間に匂わせておかんとアテらの浮沈に関わる。

どんな時代でもアテらの賄ない地に手を付けさせたことはおへん。
この前の戦乱の元になった勝元や宗全も手を付けなんだ。
かしこき処の御料地が御不自由になったのはしばしばどしたが、
アテらの方だけはいつも無事に来ました。
戦後の農地解放には協力し公債と引換えましたが、農地以外は対象外どす
さかい今も山林一般地はそのまま、どころか却って大幅に増えました。
皇室財産お召し放しの分与を受けたからどす。

徳川は冷とうおした。賄い地不入と課税免除だけどした。
所司代にアテらの代表を定期的に伺候させるようにしよりまして
不遇の時代どした。
アテらが圧力かけた一番大きな政治問題は、豊臣廟と方廣寺の復興どしたが、
ついに実現してくれまへんどした。
しかし、幕末、慶喜を京・大坂に釘付けさしたのはアテらどす。
あんさん、江戸に居て切りやのおて上方に本陣を移して天朝を敬まいなはれ
言うたんがキッカケどすわ。
214日本@名無史さん:2009/04/06(月) 15:45:04
>213

徳川の冷たさに対する感情的なものが、明治維新に繋がった
のでしょうか?
215日本@名無史さん:2009/04/06(月) 18:29:55
荒らしと妄言(根拠なしの陰謀論)にレスするなかれ
216日本@名無史さん:2009/04/06(月) 19:43:06
>215

やはり、「京都の黒幕一族」云々は陰謀のたぐいでしょうか?

私個人は、年配の人から「岡山から九州まで自分の持っている山林を歩いて渡れる
やつがいる。そいつは京都とつながっているだ」というのは聞いたことが
あります。

ですので、陰謀論でかたづけるのはどうかと。
217歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/06(月) 20:46:17
>>197
よくわかりません

>>199
ありましたよ

よっしゃこい
218日本@名無史さん:2009/04/06(月) 21:06:36
>>216
山林どころか普通の宅地・商業地・工業地でも、京都のある種の層が
持っているのが、いかに多いかという話が何かにつけ出るよ。
北海道・沖縄を除く全国にわたっているらしい。
京都の市中はほとんど彼らの所有地、民間所有はないというし・・・。

政界財界に隠然たる力をもっている彼らの実態をもっと知りたいな〜。

創価も天理教も彼らの了解があってこそ成り立っていることらしい。
郵政民営化も先頃の欧州リーマン買収もテポドン迎撃も彼らの了解を
得ないことには何もできないとか・・・少しでも実態が知りたいよ。

>>215
だから、陰謀論てなものじゃないよ・・・。
219日本@名無史さん:2009/04/06(月) 21:45:53
>>212
大和に有力な豪族がいたから遠征したんだと思われ

よっしゃこい
220212:2009/04/06(月) 23:04:39
>>219
本拠地を捨てないのなら、単なる勢力拡張のためと言えますが、そうではない
でしょう、しかも遠征を続けて2,30年もかけているのですよ。
221日本@名無史さん:2009/04/06(月) 23:11:46
>陰謀論

別に何の根拠も無いけど昨日から粘着している奴って精神の幼稚さがブヨー臭い。
当人かどうかは別として、素直に「日本を牛耳る京都の黒幕一族」って誰?と聞けば暇な香具師が答えていたんじゃねぃ?
数年前にこの板でも何度か話題になった書籍に書いてあったことを聞き及んだ粘着主が、情報を得ようと(過剰に)煽っているようにみえる。

たしかその頃この板では、『野生の証明』のモデルとされた東北某県の専用スレが立っていて、そっちの話の方が盛り上がっていた希ガス。
事情通(自称地元民)が定期的に燃料を投下していたので過疎のこの板にしては異常に盛り上がっていたっけか、、、
県境のTVやラジオの電波搭の位置が不自然だとか、横槍で隣県の設置計画が潰されたとか具体的な地名こみで書き込みがあったな。
結局皆こういう話が好きなんだよなと当時苦笑しながらROMってた(←オマエモナー

「日本を牛耳る京都の黒幕一族」に関しては、本に書いてあること以上のことは誰も言及しないので全く話しが続かなかったと記憶している。
222日本@名無史さん:2009/04/06(月) 23:59:47
>218

とりあえず、僕は「覇王不比等」とか「役小角」とか読んでみようと
思う。山林とか出てくるようですから、何か歴史を背景とした
権力について触れられるのでは期待しています。
223よいこ:2009/04/07(火) 00:03:22
東京の本所深川の七ふしぎとかは、どうしてできたんですか?
224日本@名無史さん:2009/04/07(火) 00:22:09
江戸出版文化による商業売り込みの結果、体系化された。
225日本@名無史さん:2009/04/07(火) 00:34:55
>>216
岡山から九州は海で隔てられているからあり得ない話です
226日本@名無史さん:2009/04/07(火) 01:10:42
>225

それはわかってますよ。言いたかったのは、所有している山林が
連なってそこまであるということですよ。
227日本@名無史さん:2009/04/07(火) 03:43:27
土地所有に関する限り、そんな家は聞いたことがありません。
あなたは調べたのでしょうか?
228日本@名無史さん:2009/04/07(火) 22:16:23
>227

ネットだけです。島根県知事(田名部?)は山林王でした。竹下登は
島根です。203の「山陰に小さなフィクサーをおいた」「竹下を
操っていた」というのが合点がいきました。
229日本@名無史さん:2009/04/07(火) 22:34:03
あほくさ
230歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/07(火) 23:20:28
板違いくどいよ
近代史板に行って遊んでね

よっしゃこい
231日本@名無史さん:2009/04/08(水) 00:08:11
バサラ大名とかのバサラとかぶき者の(傾く)はどう違うんですか?
232日本@名無史さん:2009/04/08(水) 18:56:42
>217

どんな風に、江戸幕府は天皇の権威を利用したのでしょうか?もちろん、
家光以降ですが。事例はありますか?
233日本@名無史さん:2009/04/08(水) 20:56:37
>>232
「権威を利用」も何も、武士ですら天皇の存在を知らないのが普通、
学問奨励で知識階級となったのちも主君こそ大事・絶対の権威は将軍
という学問。幕府は天皇の存在を教えなかった。
こんな権威をなぜ利用できるのですか?利用など一切していません。
天下唯一の権威は徳川幕府、これをのみ公儀と称すとして来たんだから。
234日本@名無史さん:2009/04/08(水) 22:08:37
数年ぶりにバカセの事典コピペがみれるかな(苦笑
235日本@名無史さん:2009/04/08(水) 22:13:18
そんなの貼っても、どうせ、皇国史観と正反対の例の史観。
すなわち、早く言えば、サヨク史観。
236日本@名無史さん:2009/04/08(水) 23:10:47
>233

では、何故、江戸幕府は天皇家を京都に温存したのでしょうか?
権威が必要ないのなら、温存する必要は無かったのでは?
237日本@名無史さん:2009/04/08(水) 23:29:12
天皇家がなかったら、徳川家康に幕府を開く許可を与える存在がない。

幕府が開けなかったら、日本国の政府として日本人に馴染みのない存在を改めて考えなければならず、
天下はいつまで経っても治まらない。

当時の日本人が、幕府こそを日本国の政府(公儀)として考えていた以上、
幕府を開く権利を持つ天皇及び朝廷も、必要不可欠な存在であったと思われる。
238日本@名無史さん:2009/04/08(水) 23:34:36
天皇は木か金の人形でいいといった高もろなおも
天皇を廃止しろとは言ってない
天皇の存在は必要だと思っていた証左である

よっしゃこい
239日本@名無史さん:2009/04/08(水) 23:42:33
権威が必要なかったら無くす、とは何と短絡的な考え方。
逆に「温存」しない(無くす)メリットが無いじゃないか。
将軍も各国大名(の官職名)もその拠り所、即ち自分達の法的根拠は
朝廷から下されている任官。
将軍だから幕府を開いたんだから、朝廷無くなれば自分達の根拠が
無くなる。
法的根拠とは、朝廷+公卿世界+坊主社会、即ち京都社会のこと。

しかし、それを一般に積極的に知らしめて殊更天皇を大権威だと
思わせるような結果を好まなかった。敢えては知らさなかった。
もうひとつ大事な点は、江戸幕府は、根本を変えないことを三百年
方針とした政権。何事も「権現様の祖法」を守る一点。
240日本@名無史さん:2009/04/08(水) 23:50:24
日本人の血脈の大元締=天皇。
過去に於いて何如に天皇に血脈が近いかが名家の証し。
そういう意味の神的権威ではあっても現実に服さなければならない権力ではない。
241日本@名無史さん:2009/04/09(木) 00:28:06
>>239
知らさなかったってw
天皇も豊臣秀吉も人々に周知されていただろ
242日本@名無史さん:2009/04/09(木) 00:39:15
天皇及び朝廷は、幕府を幕府たらしめるのに必要な儀礼上の権威として、存在していた。

一般的には、江戸時代初期及び中期では、天皇は生き神様のような宗教的存在として認識されており、
実際の政治に参加する存在としては認識されていなかった。

天皇は幕府の存在には必要で、政治には参加しないので政治上は無害だった。
天皇の存在をなくす必要性は、幕府開始時は存在しなかった。

朝廷が実際の政治に口出しを始めたのは、勤皇思想が世間に浸透した後の江戸時代末期のことだ。
243日本@名無史さん:2009/04/09(木) 00:58:24
勤皇思想においては、天皇は日本の唯一の正当な君主であり、
幕府も征夷大将軍も、良く言えば天皇に委任された、悪く言えば天皇の権利を不当に奪った存在ということになる。

後者の場合は、天皇と征夷大将軍は敵対した関係となり、どちらかがもう一方を滅ぼさなければならないことになる。
しかし、この思想自体が世間に浸透してくるのは、江戸時代の後期以降の話で、
それ以前は両立しているのが普通で、むしろ儀礼上幕府は、幕府の存在のために天皇を必要としていたのだ。
滅ぼす理由がない。
244日本@名無史さん:2009/04/09(木) 02:22:14
古代ローマ帝国における皇帝と教皇の関係がいい例かもしれませんね。
まあ、後年あんな権力を持つようになるとは誰も考えなかったでしょうけど
245日本@名無史さん:2009/04/09(木) 06:13:37
源頼朝の肖像画として有名なあの絵は、足利直義であるっていうのは
定説としてみてよろしいのでしょうか
246日本@名無史さん:2009/04/09(木) 08:23:50
>>241
人々が自主的に知ったのであって、幕府は積極的に知らさなかった。
だから、幕末に水戸史学なんかが起こって「神皇正統記」や「太平記」の
存在を喧しく訴えなければならない程。
あれだけ後期に書かれたョ山陽「日本外史」でさえ、幕府を憚って
天皇の存在には触れていない。
豊臣廟は早くに破却された。
「絵本太閤記」が出たのは誰も知らなかったから。
「甫庵太閤記」は一般に流布する書籍ではなかった。
調べてみ。
247日本@名無史さん:2009/04/09(木) 10:33:08
>>245
あの絵は、京都の坊主(絵師兼業)が正真正銘頼朝を意識して描いた。
尊氏が幕府を開いた直後あたりのこと。
(鎌倉初期説を否定して一説に言う南北朝時代制作は誤り。それより後年)
尊氏の依頼で、初代武家の統領であった頼朝を描かせた。
冠直垂姿を手近の直義の裝束をモデルとした。(直義は尊氏の弟・側近)

裝束をモデルにしたことを大徳寺の妙超に語っただけのことが一部に誤って、
後年そんなことを言う向きがあったのかと――。
(妙超に語った→「大徳寺御来歴御縁聚」=「群書類從」所収)

永原慶二「源頼朝」(岩波新書)
高柳光壽「角川日本史辞典」(の所謂第1版)《源頼朝画像》の項
に詳しい。
248日本@名無史さん:2009/04/09(木) 11:05:03
↑すまない!
> 高柳光壽「角川日本史辞典」(の所謂第1版)《源頼朝画像》の項
別説の例だった。
正しくは、講談社『日本全史』(ジャパン・クロニック)《源頼朝肖像画》
249日本@名無史さん :2009/04/09(木) 11:14:25
>>247
なるほど。よく分かりました。
詳しく解説して下さってありがとうございました。
250日本@名無史さん:2009/04/09(木) 11:22:21
秀忠は京都に上洛して執政を行った。大名の配置換えなんかでは反発が
予想されるから天皇家の権威を利用したというのは分かる。

しかし、家光からは上洛などしていない。日光東照宮が出来た時も、
延暦寺や三井寺なんかは貢物を出したり敬意を表していた。実質、
政治的にも宗教的にも江戸は京都の権威を頼る必要はなかったように思う。

では、何故、天皇家に終止符を打たなかったのか?それは、終止符を
打っても、また天皇を担ぎあげて対抗してくる勢力が出てくるから。
だから、公家諸法度で動きを封じ込めたほうがましという判断で
終止符を打たなかったのではないでしょうか?どう?
251歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/09(木) 11:47:04
>>231
辞書以上の意味はわからん

>>232
官位元号暦など。
(幕府による天皇陵修復など)尊皇は同時に幕府をも持ち上げるもの(尊皇倒幕までは)。
熊沢蕃山らの大政委任論なども参照。

よっしゃこい
252よいこ:2009/04/09(木) 20:33:22
このあいだはお答えありがとうございました。

平田篤胤は稲生物怪話を信じていたのですか?
253日本@名無史さん:2009/04/10(金) 15:57:32
今上天皇、ご成婚50周年に際して記者会見にてご発言

 〜 「大日本帝国憲法下の天皇のあり方と日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下のあり方の方が、伝統的な天皇のあり方に沿う」
254日本@名無史さん:2009/04/10(金) 19:57:54
全国統一とか考えてた時の武将や実力者が、自分自身がその地位(天皇みたいな)に
つきたいと思ってなんら不思議はないと思うんだけど
255日本@名無史さん:2009/04/10(金) 23:30:02
>>254
不思議だね!
権威だけあって何の権力もない天皇の地位に就く価値がない。
>>253が言うように、天皇は「象徴」であっただけ、というのが、
歴史時代を通じて一貫した存在。
ただ、従来は「象徴」とは言わなかっただけで実質は同じ。
そんな天皇の地位を襲っても世間の猛反撥を喰らうだけの大損。
256日本@名無史さん:2009/04/10(金) 23:37:42
だから事典をコピレと申し付けておいたのに、、、
何時まで居つくのやら(苦笑
257歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/11(土) 03:16:04
>>235
右翼が前近代の歴史に口を挟む余地はないよ
近代史にゴチャゴチャ言うだけw
近経が前近代に無言になるのと同じ

よっしゃこい
258日本@名無史さん:2009/04/11(土) 11:56:17
>255

そうだろうか?足利義満は本気で万世一系を絶とうとしていたよね?
長男を皇太子にするぐらいで病死したけど。徳川家康は何故、そこまで
しなかったんだろう、という素朴な疑問なのだ。
259日本@名無史さん:2009/04/11(土) 12:16:47
>>258
足利家は正当の源氏で天皇と血脈が近い。
平姓正当の清盛が同様にしたのと同じく、子孫を天皇にしたいと思っても、なんら不思議はない。
しかし、政治上の権力欲とは何の関係も無い。血脈信仰・貴種信仰上のことだけ。
家康は源氏を名乗っても天皇との血脈が無いのは誰にも明らかな常識。
政治上の権力と無関係なのに自分及び子孫を天皇に近付けても、
武功こそ絶対の当時、冠衣直垂化は武家の嘲笑を買うだけ。
平家は貴族化したため亡んだ、と強く観念せられていた当時でもある。
「天皇に近づく」は、時代の風潮からは全く逆行する考え方であった。
260日本@名無史さん:2009/04/11(土) 14:31:16
>>258
>足利義満は本気で万世一系を絶とうとしていたよね?

おいおい、そんなの学説の一つに過ぎんぞ。
長男を皇太子になんてしてないし、君は重大な認識錯誤をおかしている。
261日本@名無史さん:2009/04/11(土) 18:10:46
足利義満は長男を皇太子にしようなんてことはしてないが、次男・義嗣を立太子しようとしていたことについては、それを強く示唆する有力な根拠がある。

徳川家康が皇位簒奪をしなかったのは、 >>259 が指摘している理由の他に、他に喫緊の課題があったことも考えられる。
すなわち、自分が存命中に豊臣家の処遇に決着をつけるという課題な。

皇位簒奪云々については、後継者である秀忠の課題。
この頃になると幕府は儒教を統治原理として採用・定着してたから、皇位簒奪など最初から議題に上らない。
儒教とは孔子が始めた考え方。
孔子が生きた時代は古代中国の春秋末期。
この時代の中国は周という王朝が存在し、その権威はなお存続していたが、実権力は各地に割拠していた群雄に移っていた。
孔子はそのような状況を嘆き、周王朝復権を願っていた。

ま、そういう流れだから徳川政権も皇位簒奪を意図しなかった。
262日本@名無史さん:2009/04/11(土) 19:18:16
>259

義満は明から国王としての称号を得るのに固執していたし、最終的に
祭祀権や人事権を得た。ちょっと、専門用語は覚えてないんで幼稚な
言い方だが。長男を宮廷内で今で言う成人式をさせた(当時としては
異例)。時の天皇の母親が亡くなった時、よろしくないということで
代わりとして奥さんを押し込んだ(というか、公家連中の発案だった)。
この時点で義満は病死した。天皇が退位して長男が即位すれば、万世一系は
絶たれた。

なるほど、徳川家は平氏のようにはなりたくはなかったか。であれば、
なおさら、天皇家を温存した理由が分からん。
263日本@名無史さん:2009/04/11(土) 19:33:28
日本最後の武士経験者は誰かご存知の人いますか?
264日本@名無史さん:2009/04/11(土) 19:44:22
つまり明治に武士が廃止された時点で
武士であった人物で1番後世まで生きた人は誰ですか?たぶん60年代くらいまでは武士経験者生きてたんだよね
265日本@名無史さん:2009/04/11(土) 21:02:56
>>262
天皇や朝廷を滅ぼそうという発想そのものが当時はなかったと見るべき
戦国時代当時に民主主義や三権分立の概念がないのと同じで、天皇や朝廷を滅ぼす概念がなかった
266日本@名無史さん:2009/04/11(土) 21:05:30
よっしゃこい
267日本@名無史さん:2009/04/11(土) 21:19:58
>>264
ウチは士族だが、15歳にならないと士分お取立ては無いよ。幼くして家督を継がない限りね。
親が無事なら15歳で士分だ。
ということは、60年まで生きりゃ、109歳じゃないか。
現実的で無いね。
居てたとしても何の意味も無いのでは?自分で調べな!
268日本@名無史さん:2009/04/11(土) 21:51:55
幕府は朝廷の一機関なので、天皇がいないと幕府は成立しません。
天皇を排除するなら、新権力者は平将門のように新皇を名乗ることになります。

鎌倉幕府による政治を理想としたのが徳川家康です。
徳川家康は幕府を開きたかったのです。以上。
269日本@名無史さん:2009/04/11(土) 22:02:59
それが大成功だった。
漢よりも後漢よりも唐よりも清よりも、正確には明よりも長い政権となった。
270日本@名無史さん:2009/04/11(土) 22:26:46
>268

鎌倉幕府と江戸幕府には違いがあると思うな。公家諸法度のあるなしと。
鎌倉幕府は完全に「ほっといてくれ」という感じで、朝廷内の内輪もめを
鎌倉まで相談に持ち込まれて辟易していたという理解だが。
271日本@名無史さん:2009/04/11(土) 22:40:09
>>264
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E9%83%A8%E5%85%89%E8%AC%99

最後まで生き残った大名
ま大名も武士ということで
272日本@名無史さん:2009/04/11(土) 22:59:18
上野へお花見に行って思いました。
徳川家の菩提寺のうち芝の増上寺は寺域を大きく削られたとはいえ
今なおかなり大きな境内を有するが、上野寛永寺は島状にいくつかの
堂屋が残るのみで、ほとんど敷地が残っていない、この差はどこから
くるのですか。維新時の上野戦争のせいですか。
273日本@名無史さん:2009/04/12(日) 00:23:10
史学専攻の人は史実とその解釈について
違いが分かって無い人が少なく無いと思うのですが
何故ですか?
274日本@名無史さん:2009/04/12(日) 01:02:06
>>273
意味がわかんねえ?
275関東管領は関東地方のほか、甲斐と伊豆も管轄では?:2009/04/13(月) 19:49:11
天地人みてるんですが。
関東管領が、
長尾かげとらに救援求めて、北条攻めしてもらうとき、
武田信玄が越後を攻めるとは。

関東管領は、甲斐守護の武田へ詰問をしないんでしょうか?
したけど無視されたんでしょうか?
武田は何か返答したんでしょうか?
276日本@名無史さん:2009/04/13(月) 23:08:41
関東管領上杉憲政はもともと武田の敵
信濃の土豪に依頼されて信濃に出兵したが武田に大敗した

よっしゃこい
277日本@名無史さん:2009/04/14(火) 10:39:09
「太平記」には北条時行が処刑された旨の記述がないと聞いたんですが本当?
278日本@名無史さん:2009/04/14(火) 16:21:18
日本の歴史って明治初期くらいからのが信用できるかな?ってレベルでしょ
天皇の簒奪や光秀の謀反、まして聖徳太子や神武天皇なんて遥か昔の話なんて
だれかの妄想でしかないんじゃないのですかね

279日本@名無史さん:2009/04/14(火) 16:37:23
>>278
あなたが日本人じゃ無いのなら、それでも宜しい。
日本人なら、日本の歴史が信用できなくて、どこの国のを信用せよと言うのか?
よその国の歴史は皆信用して日本の歴史だけ信用ならん、と言えば、もはや日本人では無いやんか。
『日本書紀』は立派な正史です。
その公式の史書に、神武天皇や聖徳太子が出てくれば、それがとりもなおさず「歴史」です。
280日本@名無史さん:2009/04/14(火) 17:28:17
>>277
「太平記」を読めばいゝじゃないか
時行と言やあ、鎌倉陥落のあと、南朝に属した武将
戦前の子供向け漫画本に幾らでも出てくる
いゝオトナがその最期も知らないのかい?
281日本@名無史さん:2009/04/14(火) 19:50:28
>>278
「光秀の謀反」=事実
太田牛一『信長公記』
湯浅常山『常山紀談』
桑田忠親『明智光秀』(講談社文庫)
「聖徳太子や神武天皇」=天武・天智朝以下の朝廷が正統であることを主張したいために使った材料
岡田英弘『日本史の誕生』(弓立社)
岡田英弘『倭国の時代』(ちくま文庫)
282日本@名無史さん:2009/04/14(火) 23:10:33
>>272
>上野戦争のせい
その通り。
山崎有信『彰義隊戦史』(隆文館)
絲屋寿雄『大村益次郎』(中公新書)
清水幸義『戊辰戦争を歩く』(PHP研究所)
283日本@名無史さん:2009/04/15(水) 10:10:39
梅原猛の本を読み終わったんですけど、出雲の神々は大和の神々だったのが
追い出されたというのはどうなんですか?古事記と日本書紀が不比等の
作であり、権力者としての藤原家の正当性を論じる内容というのは面白いとは
思うのですが、実際、どうなんです?国譲りの話しをつくることで、
敵対するグループと彼らの神々を出雲へ封じ込めたというのはどうですか?
284日本@名無史さん:2009/04/15(水) 11:06:51
それは説の一つとしてはないわけではないが、
「国替え」というものの困難さを無視した俗論ではないか。

出雲の神は日本の統治者だったとしても、出雲にいたと思われる。
285日本@名無史さん:2009/04/15(水) 21:41:40
すいません江戸時代のたしか医者だったと思うのですが、変わった記号を使った哲学書みたいなのを書いた人の名前を教えてください。
286日本@名無史さん:2009/04/15(水) 21:48:13
記号って言うか図みたいな感じのです。博士教えて
287日本@名無史さん:2009/04/15(水) 22:34:28
自己解決しました
288歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/17(金) 13:37:38
>>287
それはよかったね

よっしゃこい
289日本@名無史さん:2009/04/17(金) 16:35:02
>>279
よその国の歴史を信用する・・なんて話ではなく・・
日本書紀が正史と言ってる時点で、情報操作の道具にしかないってことでしょ
290日本@名無史さん:2009/04/17(金) 22:43:15
これが何か教えて下さい

http://imepita.jp/20090417/815530
291日本@名無史さん:2009/04/17(金) 22:47:50
あなたはこんな事を知っていますか?

●現在の在日韓国・朝鮮人は密航してきたり、出稼ぎに来た人達である
 という事を。

●朝鮮の人達に望まれて日韓併合条約を結び、国際法上なんの問題も
 無く合法的に朝鮮と合併した事を。

●日本は韓国と日韓基本条約を結び無償で3億ドル(約1080億円)、
 有償で2億ドル(720億円)、民間借款で3億ドル、韓国内の
 日本の財産の全てという当時としても莫大な額の賠償をしているという事を。

●日清戦争で日本は清と命をかけて戦い、清(中国)の属国であった
 朝鮮の独立を認めさせたという事を。

●我々日本人には関係無い破綻した朝鮮銀行・韓国系銀行に3兆円
 もの日本の税金が使われている事を。

●2002年日韓ワールドカップでスタジアムを作る資金が無い韓国
 のために7000億円もの日本の資金が使われた事を。

●韓国の経済危機の時にIMF経由で日本が多額の資金を出し韓国
 を救った事を。

●韓国の婦女暴行(レイプ)発生率は事実上世界第一位であるという事を。

●日本の領土の竹島を韓国が不法占拠している事を。

●阪神大震災が起こったときに韓国人が『いい気味だ』『天誅だ』と言った事を。

あなたはどれだけご存知でしたか?
http://www.interq.or.jp/earth/lucifer/mirror/damattehairarenai/
292日本@名無史さん:2009/04/18(土) 21:32:19
平氏政権が短期間で滅びたのはどうしてですか?
293日本@名無史さん:2009/04/19(日) 13:39:15
外人とメールをしていて
刀/弓/槍/鉄砲の各分野における最強の侍を聞かれました
刀は有名所で宮本武蔵が良いかなと思いましたが、弓/槍/鉄砲はいわゆる"名手"は思い付きません
誰か適当な人はいませんか?そもそも、侍って槍を使ったんでしょうか?
294日本@名無史さん:2009/04/19(日) 15:53:37
>>293
弓は源為朝でしょう。このひとの弓でも矢でも残っていないのかなあ?
295日本@名無史さん:2009/04/19(日) 15:54:28
ごめんなさい。まったくの素人なのに、答えてしまいました><
296日本@名無史さん:2009/04/19(日) 19:22:00
>最強の侍

ゲーム脳のバカセ向きな話題だね(苦笑















秀吉が何故強いのかって話はどうなったんだろう、、、
297歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/20(月) 07:03:18
>>293

外人さんも名前を聞いて調べられないとつまらないだろうから、
有名どころを。

【弓】
為朝もいいですね。他に日置弾正正次(へきだんじょうまさつぐ)という人もいます。

【槍】
侍じゃないけど、宝蔵院胤栄(ほうぞういんいんえい)はどうかな。
のち江戸時代になって最大勢力を誇ることになる流派の祖。

【鉄砲】
西洋砲術の高島秋帆(たかしましゅうはん)かな。幕末だけど。
伝統流派は負けちゃうからね。

よっしゃこい
298日本@名無史さん:2009/04/20(月) 15:06:26
博士、

261 名前:山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y [sage] 投稿日:2009/04/17(金) 20:50:13 0
>>257
私も無職ではないものの、今年度から定職に就けておりません。
幸い食費に困ることは無いので、空いた日に水墨画とお茶を習うことに致しました。
人生万事塞翁が馬と考えることに致しております。


山野さんがこんな状況になっているけれども、史学って一般論としてやっぱり低待遇がデフォくなのかね。
なんとも世知辛い時代だよね・・・・
299日本@名無史さん:2009/04/20(月) 17:33:02
>>293
幕末なら、
一応、竹刀の剣術道場にかぎれば、
男谷信友、島田虎之助、大石進の三人が最強の三剣士と呼び声高かったんですが、政治的には無名。
なんで、四大人斬りの岡田以蔵が妥当じゃないかと。殺した数で。体格も恵まれていますし。暗殺でも、タイマンが多い。
他の四大人斬りは噂ばかりが先行してあんまり人斬ってないので。
300日本@名無史さん:2009/04/20(月) 18:58:55
中臣鎌足と中大兄皇子は百済出身というのは定説なのでしょうか?
今、「覇王 不比等」読んでるんだけど。
301歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/20(月) 19:45:33
>>298

その人、パート1スレにちょっとだけ来てて、すぐに呆れて来なくなったw
世の中は世知辛いぜ

>>300

じゃない

よっしゃこい
302日本@名無しさん:2009/04/20(月) 19:57:42
>>293
戦国時代、槍の名人は沢山いた。
というか、猛将≒槍の名人といってもいいくらいだ。
「槍働き」って言葉を知ってるだろ?侍にとっては槍こそが主武器だったんだよ。

片や、鉄砲は最新兵器だったことと、弓矢より熟練を要さない(だから雑兵に持たせた)こともあって
名人と呼ばれた武将は少ない。超有名人の中では、あの明智光秀が挙げられるだろう。

303日本@名無史さん:2009/04/20(月) 20:26:12
まったくど素人の294です。
鉄砲は、織田信長を狙撃して、首を竹鋸でギコギコされた杉なんとか坊は
どうでしょうか?
304293:2009/04/20(月) 20:29:37
>>294,297,299
レス遅くなってすみません
浅学なもので為朝、岡田以蔵ぐらいしか知らなかったのですが、良い勉強になりました!

>>302
そういえば戦国時代のゲームでも槍武将は多く出ていますね
てっきりゲーム用に設定しているかと思ってました…
明智光秀も本能寺でしか知らず、意外です

教えて頂いたものをまとめて送ろうと思います
みなさん本当にありがとうございました!
また何かあったらよろしくお願いします
305日本@名無史さん:2009/04/20(月) 20:34:56
>>303
おお、外人の彼は織田信長が大好きなのでそれは喜ぶかもしれない
調べてみます、ありがとう!
306日本@名無しさん:2009/04/20(月) 21:27:41
>>304-305
あと戦国時代で弓の名手といえば・・・
日置流弓術の印可を受けた六角義賢、信長にも仕えた大島光義、
それから、あの『信長公記』の著者である太田牛一も、弓の名手として出世した人です。
エピソードについてはググってみてくださいな。
307日本@名無史さん:2009/04/20(月) 23:56:22
【吾妻鏡】
鎮西八郎(源為朝)は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。
八男弓を引かんと欲す。
景能(大庭)潛かにおもへらく。
貴客は鎮西(九州)より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
壮士等耳の底に留むべし。
老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。
308日本@名無史さん:2009/04/22(水) 17:44:36
江戸時代初期の旗本について調べているのですが、
いわゆる「五の字の指物」を与えられるというのは、具体的にはどのようなものなのでしょうか?
「将軍家の使番の証で、江戸時代初期なら使番組頭のみ指せたもの。これを与えられる=使番組頭に昇進」
とどこかで読んだ気がするのですが、実際にはどうなのでしょうか?
あと、他の指物などはあったのでしょうか?
309日本@名無史さん:2009/04/24(金) 00:29:22
番町皿屋敷
310日本@名無史さん:2009/04/25(土) 11:24:57
「覇王 不比等」読んでるんだけど、天武天皇が新羅系だとか
中大兄が百済系とかなんですけど。天皇というのは渡来系というのは
通説になっているのですか?
311日本@名無史さん:2009/04/28(火) 01:45:45
東大の大学院文学研究科に合格できれば
ほぼ歴史学者になれますか?
312日本@名無史さん:2009/04/28(火) 02:04:15
いいえ、ほぼ成れません。
文系研究員という職は、めったに空席は生じません。

果てしなく粘り、
果てしなく論文を書きつづけ、
暇、かつ収入に苦労しない職を見つけ、
それでも、市井の研究者あるいはプータロウあるいは情けない中高教師と呼ばれて生きる、それが文系の研究員というものです。
313日本@名無史さん:2009/04/28(火) 08:03:04
徳川日光にある家光の廟所は、何故父親のものより立派なんですか?
314日本@名無しさん:2009/04/28(火) 12:26:22
>>310
さあ? どこの世界の通説なのか存知有りませんが。
朝鮮半島でも通説ではないでしょうね。
315歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/04/28(火) 12:33:05
>>308
わかりませぬ

>>310
通説ではありませぬ。ただし、桓武天皇の母方は渡来人系です。

>311
修士で就職する人もたくさんいるので、ノーです。

よっしゃこい
316日本@名無史さん:2009/04/29(水) 00:19:03
じゃあ東大文学部の院に入って就職しなければ
学者にほぼなれるんですね

大学は底辺ですが頑張ってみます
317日本@名無史さん:2009/04/29(水) 00:26:43
ワロタ
318日本@名無史さん:2009/04/29(水) 01:20:58
>>316
自称研究者にはなれます。
しかし東大院でも文系研究者には就職口がどこにもありません。
319日本@名無史さん:2009/04/29(水) 13:19:46
理系出身者が文系職に就くようになってきたことも原因なのでしょうか?(関係ない?



↓歴史的な質問↓
本能寺の変に関して、黒幕はいるのでしょうか?
いるとして、それは近衛ですか?羽柴?イエズス会?
どの説が現時点で有力なのでしょうか?
320日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:54:39

       / ̄ ̄\
     /  ─   \
    ( ●)    (●) 
.    |   (入__,,ノ  i
     |   (  /u  |    だぁぁlだぁぁ ひでよし ytrせfvむhghふぃ
.     |   |! |u   }     がぃう""あ""っっtぅt ぐぅぁぁあ"" 
.      ヽ ι! .|   }       ひでやすぅ ぴぃぽぅぅぅ あ":@@?
      _ヽ;:i;l 。゚・ ノ_
    ノ   i:;l|;:;::;     \
  /´   ι! :i;l 。゚     |ヽ
 |    l。,j i:i;l 。゚ i!、o     \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.    
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

321日本@名無史さん:2009/04/29(水) 20:06:54
武士の家の通し名というのは、どうやって決まるんですか。

あと、通し名に「義」の字がやたら多い気がするのは
なぜですか。
322日本@名無史さん:2009/04/29(水) 21:29:35
>>321
その家において大きな功績を上げた人の名前を以て通し名とする
家康の家とか秀吉の秀がそうだな

義は儒教精神の浸透の表れ
323日本@名無史さん:2009/05/01(金) 05:30:02
家系図を見ると江戸時代に数代襲名してることがわかりました。
僕の家は鎌倉時代前はかなり身分が高かった感じなので関係ありますか。
木曽義仲の家来の今井兼平の家来が農村に逃げて隠れ住んだのです。
武士の子孫なので義仲に使えていた頃からずっと同じ名字を使ってます。
324日本@名無史さん:2009/05/01(金) 09:51:06
>>310
桓武天皇の母系に加え、外戚となった藤原北家にも百済系帰化人の血
は入っています。平安初期あたりの貴族社会ではそれほど珍しいこと
ではありませんが。

>>323
家系図で今井兼平の家来までたどれるということでしょうか。
苗字と系図のみでそれが事実かどうかを確かめるのは
ほぼ不可能です。御家がずっと農家でいらしたのなら、
系図の信憑性は非常に低いというほかありません。
とはいえ、系図は家系を立派に見せたいという、ご先祖の熱い想い
がこもったお宝ですので、大事になさってください。
325日本@名無史さん:2009/05/01(金) 19:27:22
うちの先祖が寺に奉られている阿弥陀仏の鍵持ちを江戸時代までやっていました。その寺は平家の落ち武者が清盛より託された 阿弥陀仏を奉ってます。明治の頭までは御開帳の時は家族で行ってたらしいが。その落ち武者が先祖って事?
墓をみても1670年が初代になっててその前がわからない
326日本@名無史さん:2009/05/01(金) 20:32:31
清盛じゃなく重盛より託されたらしい
327日本@名無史さん:2009/05/01(金) 21:57:46
扶桑社の早瀬先生に、お宅家がダビデの星の伊勢神宮のあの家ですね!と言われたんですが護良ー興良ー渡来秦長官の秦道度会神主以外あるんですか?
328日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:13:18
「信長暗殺黒幕は、伊勢神宮南朝皇統」。同族天海は護良の吉野寺に君臨し寺号を日光移す。浅井系伊勢山本慶光院の外戚家光の乳母の春日局ー後醍醐は鳥籠入り隠岐に、カゴメの歌に「何時でじゃる 後ろ正面=時の政権の黒幕伊勢ー
329日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:17:15
ちょっとした疑問3つですが
・紫式部って平安時代もしくはそれ以降でも読み継がれていたということですが
こういった天皇や皇族の遊び人ぶりがクローズアップされていて問題はなかったのですか?
特に平安時代と明治大正と昭和初期は発禁処分になってもおかしくないと思いますが

・比叡山や天台宗の織田信長の評価ってどうなの?
最悪?それとも肯定的評価?

・平安京以前の京都ってどんな感じだったんでしょうか?
本当に何もなかったのでしょうか?
それとも多少は村的なものがあって都になる基盤はあったのでしょうか?
330日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:24:53
北朝末旧宮さんに、鳥籠入り隠岐流され今だに鳥取では鶏肉食べないわ!だって、以前立ち寄った和歌山大塔村は護良の関係で小豆皮餅を700年食べないらしい、何か祟るんですか?
331日本@名無史さん:2009/05/02(土) 00:48:54
>>323
今井兼平の本姓は中原氏で兄弟は樋口や落合を名乗っている。
つまり、それぞれが分け与えられた土地の地名を名乗っていた。
権力=土地の所有であり、地名を名乗ることは所有権の主張だった。

君の先祖が兼平の家臣で「かなり身分が高かった」のならば、兼平の支配地の中で
幾らかの土地を与えられ、その地名を名乗っていたかもしれない。
が、それだけの地位があったなら、帰る所があったのでは?

義仲軍は寄せ集めであり、身分の低い雑兵が多かったといわれます。
無責任な雑兵は敗戦となれば直ぐに離散してしまいます。
土地を持たない階層の人間の一部は周辺の農村に吸収されたかもしれません。

苗字が固定されていくのはもう少し後の時代。
義仲の時代から現在の苗字を使っていたかどうかもかなり怪しい。
襲名していたら武士というわけでもなく、職人の可能性もあります。
332日本@名無史さん:2009/05/02(土) 01:31:05
>>325
>その落ち武者が先祖って事?

仮にお寺の阿弥陀仏が平安末期にさかのぼるものだったとしても、
その落ち武者がご先祖だったかどうかは他に資料がないと、
確かめようがなさそうですね。

>墓をみても1670年が初代になっててその前がわからない

先祖をさかのぼると17世紀あたりに行き着くという方は
けっこうな数いらっしゃいます。
これは、ちょうどその時期に大規模な新田開発が日本各地で行われ、
その結果、新たに起こった家や分かれた家が急増したという
状況が背景にあるのです。
御家のご先祖もその頃に起家ないし分家なさったのでしょうね。
333日本@名無史さん:2009/05/02(土) 06:28:46
民主党 小沢さん 「外国籍の在日韓国人50万人の選挙権をプレゼントします」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421356829
334日本@名無史さん:2009/05/02(土) 16:25:48
楠木正成のように幼名と忌み名以外の名前が知られていない人にも仮名はあったんですよね?
昔の人は全く忌み名で呼ばれることはなかったんですか?
335日本@名無史さん:2009/05/02(土) 21:52:33
楠木正成については、『天龍寺文書』『鎌倉年代記』の「楠兵衛尉」、
『尊卑分脈』の「多門兵衛尉」などの官途名が知られますね。
ただし、兵衛尉というのは、後醍醐の朝廷からもらったものかもしれませんが。

諱は原則として他人が軽々しく呼ぶべきものではなかったのですが、
『信長公記』をみると、「信長」「家康」「今川義元」「武田信玄」などの
有名人は他の武将と異なり官名ではなく、諱で書かれています(信玄は法諱)。
これは、伝記という記録の性質上のことなのかもしれませんが、少々不自然に
思われます。『松平家忠日記』でも主君家康を呼び捨てにしています。

もしかすると、武名誉れ高い武将については、その霊力を帯びた諱を敵味方に
知らしめることで、武威を喧伝する効果が期待されていたのかもしれません。
336日本@名無史さん:2009/05/03(日) 01:25:00
「覇王 不比等」がもうすぐ読み終わる。最後に、スサオノノミコトが
出てきて不比等達がとまどっているのが面白い。古事記や日本書紀を
編纂するのに、新羅から来たスサノオノミコトが出雲や大和を
切り開いたというのが不比等には都合が悪かった。

これ、梅原猛の論文と似てんだよ〜
337日本@名無史さん:2009/05/03(日) 02:21:33
梅原猛という人間の文章には、意図的な地域差別が練りこまれていることが多い。
中沢新一との共著である「網野善彦を継ぐ」を読んでみると良い。

それを承知で引用するというのなら、もう止めないが。
338日本@名無史さん:2009/05/04(月) 19:59:13
>>323>>331
むしろ武家は襲名しないと思うんですが?
339日本@名無史さん:2009/05/04(月) 21:44:16
何で天皇は近畿から別の場所へ遷都しなかったわけ?戦国は危なっかしいし外国と接するなら近い方がいいだろ?

ここんとこよろしく
340日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:49:13
>>338
職人や商人は名前がブランドみたいなものだからフルネームで受け継ぐ。

一方、武士は「家」を継ぐことが重要であり、下の名前まで襲名しない。

てか、出世魚のように名前が変わっていくし…。

よくわからん。すまんw
341名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 00:21:12
>>339
御座所を遷すだけならまだしも、都まで作るんだったらあーた、普請作事がたいへんでしょうが。
古代でも莫大な費用がかかってヒイヒイ言ってたってのに、冠婚葬祭の費用も調達できんかった
戦国時代に遷都なんかできますかっての。
「外国と接するなら近い方がいい」って、そんなこと必要とされんかったし、そもそも必要ない。

342名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 00:32:22
>>338
武家でも、家門が整備されると初代の仮名(けみょう)が襲名されたりするものですが…

343日本@名無史さん:2009/05/05(火) 02:35:44
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。
どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw
344日本@名無史さん:2009/05/05(火) 04:03:28
>>342
仮名の襲名ってのは本名とは別に引き継いでいくもののこと?
345日本@名無史さん:2009/05/06(水) 07:50:10
■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧

・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の一つ昔氏が倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が漢族のものであること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
・韓国併合の合法性と妥当性
・近代以前の竹島に関する不認識
・併合下における近代化の功績
・土地を奪ったという嘘(そもそも土地を持たない極貧小作農が大半。不申告や所有権が証明されないため総督府が接収した土地は
 全耕地の3%にすぎない)
・名前を奪ったという嘘(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/73/Japanese_Name_Change_Bulletin_of_Taikyu_Court_.jpg
・言葉を奪ったという嘘(日本統治時代には公教育として朝鮮語・オンモン教育を実施)
・強制連行という嘘(出稼ぎのために密航したのが実態。当時は渡航制限があった。しかも戦後にやって来たケースもある)
・性奴隷という嘘(売春婦。親により前借金の形として売られたのが実態)
・固有語の語彙が乏しく、また日本のように字訓という制度的保証がない状態ですでに語彙のおよそ7割が漢語であること(学術的語彙は9割が漢語)

346日本@名無史さん:2009/05/06(水) 08:08:12
人間が家を作り始めたのは、約300万〜1万年前で、マンモスの骨や皮で作った。
日本で家が作られ始めたのは縄文時代(約1万〜3000年前)で、竪穴式住居を作った。

とあるのですが、日本では骨などで作る前にいきなり竪穴式住居だったのでしょうか。
347日本@名無史さん:2009/05/06(水) 10:50:17


また、稲の伝来ルートについても従来は朝鮮ルートが有力視されていたが、遼東半島や朝鮮北部での
水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり
畑作米の確認しか取れない点、極東アジアにおける温帯ジャポニカ種(水稲)/熱帯ジャポニカ種(陸稲)
の遺伝分析において、朝鮮半島を含む中国東北部から当該遺伝子の存在が確認されないこと、などの
複数の証左から、水稲は大陸からの直接伝来ルート(対馬暖流ルート・東南アジアから南方伝来ルート等)
による伝来である学説が有力視されつつある。
(従来の説とは逆に水稲は日本から朝鮮半島へ伝わった可能性も考えられている)。

水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。
集落は、居住する場所と墓とがはっきりと区別するように作られ、居住域の周囲にはしばしば環濠が掘削された。
道具は、工具や耕起具、調理具などに石器を多く使ったが、次第に石器にかえて徐々に鉄器を使うようになった。
青銅器は当初武器として、その後は祭祀具として用いられた。また、農具や食膳具などとして木器もしばしば用いられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c4/YoshinogariIseki.jpg/180px-YoshinogariIseki.jpg
348日本@名無史さん:2009/05/06(水) 12:16:22


【桜井誠】在特会テキスト講座《第一回》日韓併合の実態-前編
http://www.youtube.com/watch?v=bSct29PqTUc
【桜井誠】在特会テキスト講座《第ニ回》日韓併合の実態-後編
http://www.youtube.com/watch?v=qTSuaaLsnYU

反日韓国人撃退マニュアル (晋遊舎ブラック新書014) (新書)

多くの日本人は今でも、在日朝鮮人や韓国人が発言する日本への批判や謝罪要求に対して、
なんとなく申し訳ない気持ちになって「日本は確かに昔は悪いことをしたからなあ」と思っている
でしょう。私も数年前まではそうでした。
でも、そのような罪悪感は意図的に日本人に対して刷り込まれた偽りに基づくものだということが、
この本を読めばよくわかります。
よくもまあ、朝鮮人はこれだけのデタラメを堂々と主張できるものですね。
でも、日本人は沈黙してはいけませんよ。この本を参考に、徹底的に反論し、論駁しましょう。
彼らの虚言がまかりとおるようになると我々の子孫にまで悪影響を及ぼしますから。

349日本@名無史さん:2009/05/06(水) 12:38:23
>>344
そうです。
「○○仁左衛門家」という家で、主が「(×世)○○仁左衛門」を名乗るようなもの。
歌舞伎や極道の世界では今でもそうですね。
でも彼らでも諱(あるいは戸籍上の本名)は別にある。武家でもそうですが、
農家では別の諱というのがないため、襲名したものが本名になっていく。



350日本@名無史さん:2009/05/06(水) 20:55:53
歴史学博士の方々にご検証いただければ幸いです。
http://www.warajimatsuri.jp/
351日本@名無史さん:2009/05/06(水) 21:07:41
>>349
てことは家系図には本名を記すんですよね?
で、結局>323はどう解釈したらいいんだろう?
木曽義仲云々と江戸時代の数代の襲名は繋がりそうもなく…
352日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:08:54
>>351
武家の襲名ではないだろ。てか願望にマジレスしても仕方ないぞ。
353日本@名無史さん:2009/05/07(木) 02:16:34
鎌倉時代前に帰農
江戸時代になって数代襲名

その襲名が武家に関係あるとは言い難いな。
何らかの技術者として名を上げた時期があったのでは?
職人の子孫なら十分誇れることだと思う。
日本の繁栄は職人の技術力のお陰。
無理に武士の子孫になろうとしなくてもいいよ。
354日本@名無史さん:2009/05/07(木) 17:03:39
>>351
武家の系図だと本名を大きく書いて、字(仮名)、別の本名などを小さく添え書きするもの。
もし字(仮名)が大きく数代に渡って繋けられている書き方なら、それは武家の系図という感じがしませんね。
そのころ(江戸時代)には帰農していたのでしょう。
355歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/05/08(金) 00:59:31
>>350
何の検証を求めていますの?

よっしゃこい
356日本@名無史さん:2009/05/08(金) 03:06:35
その家系図の襲名を根拠に「ご先祖様は武士だったかも」となり
尾ヒレを付け続けて原型の面影のない妄想が完成したっぽいな。

てか帰農っていうけど鎌倉以前の雑兵なんてほぼ農民じゃね?

勝ち組側にいたなら手柄を立てて出世コースに乗れるけど
負けて逃げた雑兵は武士に成り損ねた下層民でしょ。
普通に逃げ帰っただけ。帰村だろ。
357日本@名無史さん:2009/05/08(金) 20:27:56
>>355
志摩と出雲の深〜い関係とか?
358日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:41:29
伽耶は日本固有の領土だし、百済人も日本に亡命し、
日本に百済の領有権を譲渡してるよね。

なのに何で日本政府は、竹島の領有権のみを韓国に対して主張し、
百済領と伽耶領の返還を求めないのでしょうか?
359日本@名無史さん:2009/05/12(火) 02:21:08
近代国家としての、明治政府と清国との国境確定の結果です。
ゆえに、その範囲を越えたイ・スンマンの行為は非道なのです。

日本が神話の時代の領土を謳うのなら、
現代中国がロシア沿海州やベトナムを領土と見なすのも正当という事になります。
大体、歴史上の最大領土が固有の領土、という発想は危険と思われます。
それを言い出したらどの国も収まりがつかなくなります。

東欧など、ビザンチンのギリシアですか?ブルガール族のブルガリアですか?
セルビア族のセルビアですか?マジャール族のハンガリーですか?ポーランド人のポーランドですか?
トルコ人のトルコですか? どれも、最盛期には一帯を征服していたのですよ。
360日本@名無史さん:2009/05/13(水) 14:51:53
人間が家を作り始めたのは、約300万〜1万年前で、マンモスの骨や皮で作った。
日本で家が作られ始めたのは縄文時代(約1万〜3000年前)で、竪穴式住居を作った。

とあるのですが、日本では骨などで作る前にいきなり竪穴式住居だったのでしょうか。
361日本@名無史さん:2009/05/13(水) 23:06:00
縄文日本人は、別の場所から移住してきた人間だからでしょう。

北方(シベリア)説と南方(東南アジア)説がありますが、文化面と身体的特徴から見ると
南方説を個人的には推奨します。

よく、東北人は歴史的に被害者だ、と叫ぶ地域差別主義者が縄文人と東北人を同一視して、
「俺達東北人は弥生人=大和朝廷に征服された、永遠に謝罪賠償を要求する」と
主張したりします(例 井上ひさし・岡村道雄)が、
縄文人も、旧石器人から見れば征服者ということになります。
362日本@名無史さん:2009/05/14(木) 12:20:06
歴史学の博士に質問するべきスレがどうか・・・・
ただ世界史板みたいななんでも質問スレがないのでこちらに質問します。

よく時代劇やドラマで飛んできた矢を太刀で打ち払うシーンがありますが、
あれって実際には簡単には出来ないですよね?
昨日の時代劇チャンネルの太平記でそういうシーンがあって、簡単に
矢を払っていたので、違和感があったのですが。
363日本@名無史さん:2009/05/14(木) 22:18:40
わかっているなら、それでよいのでは?
活劇と歴史を混同しないのは良いことです。
364日本@名無史さん:2009/05/15(金) 10:09:10
南北朝の本読んだんですけど・・・単なる兄弟喧嘩がきっかけで北と南に
別れてしまったという感じがしました。でも、何故、この時に限って
分裂にまでなったのでしょうか?身内内の争いは今まであったでしょうに。
365日本@名無史さん:2009/05/15(金) 10:15:03
>>364
とりあえず「文保の和談」で検索してみて
366日本@名無史さん:2009/05/15(金) 18:13:41
持統天皇って女帝ですよね? それで、小泉政権の時に、女帝を認める
認めないで大騒ぎしてましたけど、何でなのか分からなかった。
なんでです?
367日本@名無史さん:2009/05/15(金) 22:48:37
明治に皇室典範が定められ、日本の天皇家のあり方が規定されました。
生前の退位は認めず上皇は置きません。女皇は作りません。
368学士:2009/05/15(金) 23:03:38
女系天皇 問題、でググった方が良くねぃ?
369日本@名無史さん:2009/05/16(土) 09:40:15
>367

しかし、あの時、女帝に反対する連中の理由としてこういうのがありましたよね。
日本の長い歴史の中で、女帝はいなかったと。この主張自体は、誤りですよね?
370ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2009/05/16(土) 12:43:31
愛子内親王は男系だけどその子は女系になるから。
過去にも推古天皇とか女帝自体はいるよね。
371日本@名無史さん:2009/05/16(土) 12:59:14
倭国大乱を治めるには女帝しかないですよ。
372歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/05/18(月) 13:05:41
最後の女帝は、江戸時代中期の後桜町天皇ですな

よっしゃこい
373日本@名無史さん:2009/05/18(月) 16:10:57
三筆と三蹟がまぎらわしい!即席の語呂合わせでいいので、見分ける方法を教えて!
374日本@名無史さん:2009/05/18(月) 16:51:08
目代と在庁官人の違いは?
375日本@名無史さん:2009/05/18(月) 22:14:50
結局、今現在は南朝という理解でよいのですか?
376日本@名無史さん:2009/05/18(月) 22:28:12
血統は北朝。
南北朝併立期の「正統」とされているのは南朝。
377日本@名無史さん:2009/05/18(月) 23:50:25
正統は北朝じゃないの???
378日本@名無史さん:2009/05/18(月) 23:59:30
>>373
時代と結びつけてみればいいんじゃね?
三筆=唐様=弘仁貞観文化(平安初期)=空海、嵯峨天皇、小野道風
三蹟=和様=国風文化=藤原
橘逸勢だって承和の変で出てくるわけだし、藤原関連で整理できる。
379日本@名無史さん:2009/05/19(火) 00:19:48
>>377
今現在(明治期から)の公式見解という意味では、
南北朝時代の正閏をいうなら、「正」は南朝、「閏」は北朝ということになっている。
もちろん、この見解にはいろいろと問題あり。
南北朝60年を、一概にどっちが正でどっちが閏などと言い切ることは難しい。
380日本@名無史さん:2009/05/19(火) 00:21:24
>>377
足利義満による統合以降は、三種の神器を持つ北朝を正統とします。

南朝は現在、家系自体、確実な子孫の存在を確認できないため、絶えたと考えられています。
子孫が存在したとしても、神器を持っていない状況が数百年以上続いている以上、南朝は天皇家ではありません。
381日本@名無史さん:2009/05/19(火) 07:44:25
古代史は蘇我氏と藤原氏ばっか出てきますよね。
マイナーな氏族は語る価値もないんでしょうか。
382日本@名無史さん:2009/05/20(水) 00:45:43
奈良はそうでもないじゃん
383日本@名無史さん:2009/05/20(水) 11:20:25
他の板から出張してきました。

ところで最近こんな本が出てるんですが、この本(および、この著者)の評価は
どんな感じなんでしょうか?

八幡和郎(著)『本当は恐ろしい江戸時代』
http://blog.sbcr.jp/shinsho/archives/2009/04/post_85.html
384歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/05/20(水) 17:58:37
>>383
歴史学者ではないですね

よっしゃこい
385日本@名無史さん:2009/05/20(水) 20:34:38
織田信長の前後の系譜の人々(信秀、信忠、秀信くらいまで)について調べたいのですが
それぞれどんな書籍や史料に当たれば良いですか?
『尾張・織田一族』(著・谷口克広)はとりあえず読みました。
386日本@名無史さん:2009/05/22(金) 03:27:37
信長の叔母であるおつやの方が秋山晴近と結婚した事について、江戸時代の文献に
「信長 (当時40歳前後) の叔母が結婚なんて年齢的にありえねぇ、妹に間違いねぇ」 とか
書かれているんですが、室町-戦国時代あたりの武将が 40-50 歳くらいで子を持つって
別に珍しかないですよね?
387日本@名無史さん:2009/05/23(土) 00:28:40
武将、男が40歳ならともかく、女が40歳ってのは珍しいだろ
信長が40歳ならその叔母は幾つだよ

ってことじゃない?
388日本@名無史さん:2009/05/23(土) 00:54:58
ありえないから織田信長も国境に置いといても大丈夫と思っていたんだよ。
織田を辱めるためなら婆でも娶ったのさ。
389日本@名無史さん:2009/05/23(土) 06:35:04
日野俊基について調べています。
日野資朝は日野家家系図に見つけたのですが(17代当主・日野俊光の子)、
日野俊基が見つかりません。

日野俊基が、日野家のどの当主とどういう縁戚なのか教えてください。
390日本@名無しさん:2009/05/23(土) 23:53:32
>>389
資業─実綱─有信─実光┬資憲─基光─基定─邦俊─邦行─日野種範─俊基
                 └資長─兼光─資実─日野家光─資宣─俊光─資朝

http://www.geocities.jp/okugesan_com/hino.htm

こんな感じで、同流ではありますが相当離れています。
391日本@名無史さん:2009/05/24(日) 00:32:38
>>390
リンク先共々、ありがとうございます博士!
どうりで見つからないはずだ。
392日本@名無史さん:2009/05/24(日) 23:03:52
>>386
別に不思議でもなんでもない。
叔母さんよりも甥のほうが歳が上なんて珍しくも無い。

当時の女は数え年15歳くらいで結婚して子作りをはじめる。
16歳で出産したとして、そのとき産まれた娘がまた16歳で出産すれば、祖母はそのときまだ32歳。
まだまだSEX現役だ。
393日本@名無史さん:2009/05/24(日) 23:42:48
32で結婚はそうないけどな
394日本@名無史さん:2009/05/25(月) 00:02:20
人間が家を作り始めたのは、約300万〜1万年前で、マンモスの骨や皮で作った。
日本で家が作られ始めたのは縄文時代(約1万〜3000年前)で、竪穴式住居を作った。

とあるのですが、日本では骨などで作る前にいきなり竪穴式住居だったのでしょうか。
395ぴーす ◆mQup6l1Ha. :2009/05/25(月) 03:12:19
せんごくって漫画に年下の叔母とあった。
396日本@名無史さん:2009/05/25(月) 17:43:18
>>395
それで間違いないんじゃねぇの。

>>394
考古学的に証明できるのはそういうこと。
それ以外のことは証拠が残ってないから想像力を働かせるしかない。
397日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:33:06
>>396
ありがとうございます!!!!!!!
398日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:29:50
土蜘蛛
つちぐも
古代,ヤマト王権の勢力に従わない在地土着の首長ないし集団を呼んだ名称。土雲とも書く。その内容については土窟に住む農民説,蝦夷説,国津神説,などの諸説がある。
土蜘蛛の所伝は大和をはじめ,東は陸奥から西は日向におよぶ広範囲にみられ,ヤマト王権の征討伝承の中に抵抗する凶賊として登場し,土窟に穴居して未開の生活を営み,凶暴であるとして異民族視されている。
《日本書紀》神武即位前紀は土蜘蛛の身が短く手足が長いとしており,同景行紀では石窟に住み皇命に従わなかったとある。また《常陸国風土記》は土窟に穴居したとし,
《摂津国風土記逸文》にもつねに穴居することから土蜘蛛と賤称したとする。しかし,これらの習俗はむしろ土蜘蛛の名から作られたものか
399日本@名無史さん:2009/05/25(月) 22:33:47
磔にあうときに 「叔母に向かってこんな仕打ちを!」 みたいに言ったのが根拠っぽいんだけど、
これ本当は処刑役の信忠 (信長の子) に言ったのを信長に言ったのと記録した奴が解釈したという説。

秋山が婚姻を条件に開城を迫った時に 「あんた未亡人だけどまだ若くて未来もあるんだから…」
という書簡を送っているが、もし本当に叔母で、信秀が死ぬ直前に仕込んだ子だとしても最若で
34 歳。この時代にこの歳まで子を設けず養子ももらわなかったことになるんだよな (前夫の死後に
信長の子が養子に来たが)。

なので叔母説はちょっと無理があると思っている。
400日本@名無史さん:2009/05/25(月) 23:02:07
>>399
君は基本的な間違いを犯してるねえ。

おつやの方は信秀の子ではない。
信定の子である。

年齢的にも、信長の叔母であっても不自然ではない。
401日本@名無史さん:2009/05/26(火) 03:42:32
>>398
土雲→地方に土着した出雲族
402日本@名無史さん:2009/05/26(火) 16:25:17
すいません1つだけ書かせて下さい

文禄・慶長の役が海外で誤解されまくってる件
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224042272/
http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_invasions_of_Korea

韓国が日本に攻め込んだことになってる!!
wikiの書き方判らなんし、誰かなんとかして!!

書き換えているのは韓国人か在日朝鮮人です。
403日本@名無史さん:2009/05/26(火) 20:08:49
>>402 に興味のある方は
ハングル版の [パクリ]朝鮮偽忍者が大人気[ようつべ]PART9 で
日本批判をする韓国人に対して You tube の 書き込みで反論
しながら戦っています。
 興味のある方は見に来てください。
404日本@名無史さん:2009/05/27(水) 16:49:40
自力で戦えよ
405日本@名無史さん:2009/05/27(水) 23:20:16
長篠合戦図屏風で、馬上の信長公を見上げるふうな三人の男がいます
三人ともドーマンセーマンの羽織りを着ているのですが、この人たちは何者ですか?
御教授ください
406武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/05/28(木) 00:44:31
>>379>>380
そういう問い自体が、ある種の作為的なものということに思いが到らないかなあ?
水戸学が存在しなかったら、その問題設定自体がなかったかもしれないんだよ。
“答え”よりも“問題”のイデオロギー性に敏感になって頂きたいものです。
407日本@名無史さん:2009/05/28(木) 00:53:02
>>405
中間じゃないの?
408日本@名無史さん:2009/05/29(金) 04:23:45
ちょっとすいません
(p)http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1240659099/
のスレで困ってるのですがここの735の

>前方後円墳の前方の方墳プランも高句麗の方墳プランの
>受け売り、広開土王碑文の倭も、朝鮮南部の伽耶の北方木槨墓人の軍事
>勢力じゃし、海を渡るんは朝鮮の流通が黄海を利用しとったことでも
>明らかなことよ。

って本当ですか?めちゃくちゃこじ付けだと思うのですが、正しい史実を
ソース付きで書いてやりたいのですが詳しい人教えてもらえませんか?
409日本@名無史さん:2009/05/29(金) 12:37:00
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1242301416/l50

120 名前:世界@名無史さん 投稿日:2009/05/18(月) 23:12:02 0
たしかに、全羅南道の栄山江流域の情勢については文献史料が乏しく、
倭との関係も考古資料からの推量によらざるを得ないのですが、その場合
注目すべきは、やはり当地域において十数基発見されている前方後円墳です。

372 名前:世界@名無史さん 投稿日:2009/05/26(火) 21:13:52 0
NHKのETVの偏向が激しかったので質問したら、以下の返答が来ました。
おまいらどう思いますか?
ETV特集をご覧いただきましてありがとうございます。
ご連絡が遅くなりまして誠に申し訳ありません。
番組担当者よりご質問にお答えします。

(2)広開土王碑には倭が百済、新羅を臣下に加えたの記述があるのを視聴者に隠していた理由はなんですか?日本が朝鮮
半島南部を支配していた事実を隠すと、番組の趣旨は大きく変わるはずです。
お答え
ご指摘は 碑文の永楽6年の記述「倭以辛卯年来渡(海)破百残□□ 新羅以為臣民」の部分と思います。この直前に「百残
新羅」は高句麗の「属民」だったのに、倭が渡ってきてその百済新羅を破った。だから広開土王は百済新羅を攻めるのだと
いう流れで、高句麗の朝鮮半島南方攻略の理由が記述されていきます。碑文に書いてあることを事実と見る見方もありますが、
倭が百済新羅を破るほどの脅威をもっていたので、高句麗王が百済、倭を攻めるのだと、南方攻略の大義にしているという
解釈もあります。現在では、大方 が後者の見方です。広開土王碑に記された時代、「日本が朝鮮半島南部を支配していた」
ということは、現在日韓双方の学会で実証されていないと考えます。

392 名前:世界@名無史さん 投稿日:2009/05/27(水) 00:46:49 0
>>372
よくまあここまでデタラメを…
どこのだれがこんな見方してるんだよ。
山尾とか言うキチガイ左巻き?
410日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:12:44
現在言われているような書院造が史料で確認出来る中で
初めて造られたのは同仁斎なのでしょうか?
411日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:33:24
現在言われているような書院造が、史料で確認出来る中で
初めて造られたのは同仁斎なのでしょうか?
412日本@名無史さん:2009/05/30(土) 15:27:34
近世の地方の人名を調べたいんだけど、どういう方法があります?
413日本@名無史さん:2009/05/30(土) 22:20:14
409のNHKの意見は学会ではごく普通の考え方だと思うんだが、違うのか?
414日本@名無史さん:2009/05/30(土) 22:47:37
関川夏央(作家)/古田博司(筑波大学大学院教授)

古 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ(笑)。当事者なのであまい詳しくはお話できないのですが、
たとえば意見が対立しますね。日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、
韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る(笑)。

関 「ない!」と答えてはいけないのですか(笑)。

古 さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、
再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望と言うか、
「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。 

(中略)

古 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、
それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。
当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。

櫻 それは、韓国の大学の歴史研究者ですか。

古 イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。
李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。 
要するに、「自分が正しい」というところからすべてが始まる。
しかし、実はこの「自分が正しい」という命題は実証不可能なんです。

この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想に他なりません。
その本質は何かといえば、「自己絶対主義」にほかならない。
したがって、何をやろうと、彼らの「正義」は揺らがないのです。
415日本@名無史さん:2009/05/30(土) 22:52:06
歴史学博士はどうしてあまり来ないんですか?
416日本@名無史さん:2009/05/30(土) 23:20:38
博士号取ったけど仕事がなくて
スーパーで賞味期限のシールを貼る仕事と
工場でベルトコンベアのスイッチを入れたり切ったりする仕事してて忙しいんだよ
417385:2009/05/30(土) 23:33:05
>>416
なるほど。
それで十日経っても誰も即答してくれないのですね。
418日本@名無史さん:2009/05/31(日) 00:47:59
>>413
私もそう思う。むしろ質問の幼稚さのほうが目立つ。
419日本@名無史さん:2009/05/31(日) 07:32:33
学界では日本は半島南部を支配してない考えが大勢なの?
420日本@名無史さん:2009/05/31(日) 07:46:28
支配というのが植民地支配とか租税を徴収しているといったことを
指しているのならば、それはないというのが大方の考え方。
421日本@名無史さん:2009/05/31(日) 07:47:13
>>418
同感。
422日本@名無史さん:2009/05/31(日) 10:05:31
支配してなかったけど度々攻め込んだり人質や住民連行したりはしていたと言う事?
423日本@名無史さん:2009/05/31(日) 16:10:47
リンクが貼ってあるのにリンク先の当人には何も言わず
陰でコソコソ言っている人ってカッコイイでつね(失笑
424日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:09:40
誰か流れ変えろよ。よし!俺が変えてやる。


現在の和風住宅に見られるような書院造は、同仁斎が発祥と言って良いのでしょうか?
それとも同仁斎は初ではなく「初期」の代表作に過ぎないのでしょうか?
425日本@名無史さん:2009/06/01(月) 14:04:50
>>424
どれが発祥かは、はっきりは分かってないんじゃねぇの?
記録でも残ってりゃ別だがよお。
誰かが始めて、それを他の誰かが真似して、いつとはなしに進化発展して行ったんだと思うけどな。
ちなみに書院造そのものは「1236年(嘉禎2年)に執権北条泰時が将軍の御成のために寝殿を建てたことが初見と考えられている」ってウィキに書いてあるぜ。
426日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:13:36
>>425
にゃるほどにゃるほど。同仁斎は発祥じゃなく現存してたから偉いに過ぎないのか。
ありがと博士。
427日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:39:20
世界史専門の毒舌友人に平安時代の建築物見せたら
「俺がよく行く欧州じゃ紀元前の史跡とか普通に有るしなあ。1000年程度で古いとか
言われてもwww。これだから日本史はつまらないんだよ」って笑われました。
カチンと来ましたが、微妙に論理的だったので反論出来ませんでした。

日本史の現存する史跡が、世界史のそれを上回ってる点が有れば教えて下さい。
428日本@名無しさん:2009/06/01(月) 17:10:11
>>427
異民族による掠取を受けなかった、正統な後継者により営繕され継承されてきた、
紙や木なんて保存性最悪の物品が千年以上も遺されてきたことは、自慢していいと思いますよ。

簡単なことと思うだろうけれど、そう思うのは日本人だけなんです。

シナ3000年、チョソン5000年みたいに数字だけ並べられてもね、意味ないんです。
言い放っている彼らやその祖先たちの文化(そして文化に時間のベクトルが加わった、歴史)
と共にあったモノではなかったらね、やたら古くて、やたらスゴいだけ。
遺った「だけ」の物、歴史という名の大口を叩く「だけ」の物に過ぎないんですよ。

天皇制に対する考え方にしてもそうですが、歴史を学んでいるのならば
この種のセンスをもう少し養って欲しいものだなと、ときどき私は思います。
429日本@名無史さん:2009/06/02(火) 00:53:58
>>428>紙や木なんて
そうですね。伽藍一つとっても、紙や木だからこそ欧州の石組み寺院では出せない
複雑さ優美さが有りますもんね。造ったのも自国民ですし。今度そう言ってみます。
430日本@名無史さん:2009/06/02(火) 19:21:55
京兆府尹記事とはどのようなものなのでしょうか?
431日本@名無史さん:2009/06/02(火) 23:08:01
;:;:;.
     ;:;:;              ,、-ー-、              ど
     ;:;:            ,r'"´ ̄`ヾ、             明  う
     ;:;:.            リ ,,, ニ ,,,_ ヾト、            る  だ
     :;:;:;.             ,ハ ^7 ,^   !.:.\          く
     ;:;:;:           /.:.:.V,r''''''ゞyイ.:.:.:.:..ヽ       な
     ;:;:.         ノ.:!:.:.:.:`ゞ-<7.:〉.:.:.:i.:.:}   ろ  つ
     从 __  _,,,/.:.:/:.:.:.:.:.:| }-{/i.:/.:.:.:.:|.:/     う  た
      从从百円}と_」.:/!.:.:.:.:.:.:.!  ̄ リ.:.:.:.:.:り     ?
         ̄ ̄    ̄  |.:.:.:.:.:./_ :__ヽ.:.:.:.:\
                \/.:.::..:.:.:.:.:.:..:\:.::./


↑これってどこの料亭の話だかわかりますか?
一説には小樽の船成金らしいですが
432日本@名無史さん:2009/06/03(水) 00:39:41
萬朝報・二六新聞ら明治期のゴシップ記事の信憑性には、甚だ疑問がある。
当時の世論というものを見る際の参考とはなるが、記事自体は話半分嘘半分の気持ちで見たほうがよい。
433日本@名無史さん:2009/06/03(水) 00:41:32
そもそもこれは新聞に載ってた漫画なの?
434日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:06:19
たしか新聞の挿絵であったはず。
435日本@名無史さん:2009/06/03(水) 21:01:36
日本史の基本的な疑問点
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1243918413/

ほぼスレタイ通りの議論になってます
名前欄を空欄にするとフシアナさん状態になるので
書き込む時は名前欄に何か書き込んだ方が良いです
436日本@名無史さん:2009/06/03(水) 21:23:51
戦国時代で寡兵で大群を破った回数の多い武将は誰ですか?
437日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:29:16
毛利元就と思われ


よっしゃこい
438日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:20:23
日本人は縄文人と弥生人が混血してできたと聞きました。
で父系には意外に縄文系が多く残っているのに対して
母系には多数が弥生系に占められているようです。
そこで疑問なのですがこのように片寄った状態になったのは
縄文男が入植してきた弥生男を殺して弥生女を自分達の嫁に
したことが原因なのでしょうか?

たまにネットで見かける弥生人が縄文人を虐殺したとの意見と逆の状況が起こっていたのですか?
439日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:28:04
知らん
男性ホルモンは身体をごつごつしたものに変える傾向があるが、
君は、それと遺伝的特徴とを勘違いしているのではないか。
440日本@名無史さん:2009/06/04(木) 07:20:14
>>438
Y染色体由来の遺伝子を調べれば、君が主張するような事柄がわかるわけだが、君のそのデータ(父系には縄文系が優勢)の出所を教えてくれないか?
441日本@名無史さん:2009/06/07(日) 07:22:49
料理板と迷いましたがこちらで質問させていただきます

江戸時代(末期を想定)の台所はどうなっていたのでしょうか
現代ならコンロで火をおこして焼くといった調理方法ですが、この頃はどうしていたか
当方、どうやって火を確保していたのかさえ判りません
調理器具やら調理法、味付けなどなど。何でも構いませんので情報をください
これを読めば判る、などのことでも構いません

よろしくお願いします。
442日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:14:40
>>441
これが参考になるでしょう。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1710006.html
443日本@名無史さん:2009/06/10(水) 11:40:50
江戸時代に犯罪に関与している疑いが合っても奉行所や盗賊改めが捜査できないような
治外法権の場所って藩邸以外にありますか?
実際には違ったみたいなので寺社以外で。
444日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:43:38
>>443
× 疑いが合っても
○ 疑いが有っても

江戸城内とか京都御所の中とか。
吉原遊郭の中も、自治組織に任されてたみたいだよ。

そもそも武家には町方は手出しできなかった。
目付けの職分だからね。
もっとも武家でも浪人は町方の支配。
445日本@名無史さん:2009/06/11(木) 04:58:27
>>442
ありがとうございます
想像だけでは補えないところが補完できました
446日本@名無史さん:2009/06/17(水) 13:23:59
お賽銭というのはいつからはじまったことなんでしょう?
下々の人にお金が行き渡ったのはどれぐらいのことなのか、というところから質問です
447日本@名無史さん:2009/06/17(水) 16:19:13
>>446
ウィキペディアに
「天文9年(1540年)に散銭櫃(さんせんびつ)なる箱が鶴岡八幡宮に置かれたという記述があり、これが賽銭箱が記録に残る日本最古のものとされる」
と書いてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%BD%E9%8A%AD
448日本@名無史さん:2009/06/17(水) 22:11:52
博士は死んだか?
449日本@名無史さん:2009/06/18(木) 21:37:32
>>447
感謝
最初にさい銭システム考えた人はどんなことを考えたのか気になる時代だなぁ
450日本@名無史さん:2009/06/18(木) 23:04:32
>>449
そもそもは神に供えるものだったわけだよ。
金銭じゃなくて「お供え」ってやつね。
生贄とかさ。犬を殺して供えたり、場合によっては人間をいけにえにした例もある。
今でも神前に、米とか野菜とかお神酒とか供えるだろ?
それがいつの頃か金銭を供えるようになっていったわけ。
そうなると、それに目をつけて金儲けに励む坊主や神主も出てきたんだね。
451日本@名無史さん:2009/06/18(木) 23:26:01
贄を奉げるという行為と
神仏に物品を供える行為は本質が異なるんだがな、、、

賽銭が一般化したのは貨幣経済が浸透し庶民でも社寺に寄進が可能なほど生活に余裕ができたからではないかと
452日本@名無史さん:2009/06/19(金) 00:17:23
平安時代ぐらいまでは「ふじわらのみちなが」とか「たいらのきよもり」みたいに
苗字と名前の間に「の」が入ってるのに、鎌倉時代の北条氏あたり?から
そゆ読み方がなくなるのはなぜなの?
453日本@名無史さん:2009/06/19(金) 06:58:09
>>451
それは違いますな。
贄を捧げる=神仏に祈る ですな。

>>452
平(たいら)、源(みなもと)、藤原(ふじわら)、橘(たちばな)などは、いわゆる「姓」ですな。朝廷から賜ったもの。
これに対して北条だの徳川だのは「苗字」でおのおの勝手に名乗ったもの。
そのあたりに理由がありそうですな。
ちなみに豊臣も苗字ではなくれっきとした姓ですな。正式には「とよとみ“の”ひでよし」と言いますのお。
454日本@名無史さん:2009/06/19(金) 14:30:54
幕末の志士たちはどういう経路で刀を手に入れてたの?
金で買ってた奴もいるの?
当時いくらぐらいしたの?
455日本@名無史さん:2009/06/19(金) 15:10:07
>>452
前者はウヂ、後者は「家」の名、苗字(名字)であって
それぞれ、全く性質の異なる名乗りだから。
456日本@名無しさん:2009/06/19(金) 16:30:06
>>454
普通に買ったり譲ってもらったりですが…何か?
457日本@名無史さん:2009/06/19(金) 22:11:21
>453 >455
どうもありがとです
同じようなもんだと思ってたけど、氏や姓と苗字とは本来違うものなんですね
458学士:2009/06/19(金) 22:32:35
>氏や姓と苗字
バカセ、俺が以前に貼ったコピペの内容を理解できたのなら説明してやれ(苦笑
ココは喪前のスレだろ

>453
X贄を捧げる=神仏に祈る
○贄を捧げる→神仏に祈る

それでいいんじゃねぃ俺も幼稚園児に聞かれたら同じだって答えるし
生贄の本質を理解していない素人の思い込みを他人に押し付けたいってのなら
今の日本史板でくどくど説明しようなんていまさら思わん
459日本@名無史さん:2009/06/19(金) 22:50:17
>>457
上で回答されているとおり、ウヂとは簡単に言えば血統のことです。
ウヂは漢字で「氏」とも「姓」とも書きます。したがって、「藤原道長」は
藤原のウヂという血族集団に属する道長さんというわけです。
正式な名乗りには朝臣というカバネが付きますが、ややこしいので
詳しい説明は割愛。ウヂのランクを示す称号のようなものです。

一方、苗字(名字)というのは、家の名称すなわち家名です。
「家」とは家名、家産、家業を継承していく一種の経営体であり、
平安後期あたりから出現した概念です。
「北条」家や「足利」家のような在地領主の場合、家産は所領であり、
家業は武士です。そして、家名──多くの場合は所領の地名だが──
を受け継ぐことは、とりもなおさずその所領を受け継ぐことを
意味しました。在地領主である地方武士にとって、所領が命と同じく
大事であったことは言うまでないことでしょう。

苗字(名字)の発生というのは、以上のように地方武士に顕著なわけ
ですが、都の公家社会でも同様に家概念の成立はあり、邸宅や菩提寺
に因んだ家名が現れてきます。ただ、こちらはあまり苗字ということは
ないようですね。
460日本@名無史さん:2009/06/20(土) 00:18:54
氏(うじ)とは、男系血族集団を意味します。男系とは、男女とも子を父親の系譜に帰属させるグルーピング方法ですから、たとえば平氏の北条政子は、頼朝と結婚したあとも源政子となるのではなく、平政子のままです。

姓には二つの意味があります。大和朝廷時代の姓(かばね)と、氏を新たに立てるにあたって天皇から与えられた血族集団名としての姓(せい)です。
461歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/06/20(土) 22:37:06
>>441

古島敏雄『台所用具の近代史』(有斐閣、1996年)もお勧め。
462日本@名無史さん:2009/06/21(日) 02:02:33
>>456
こんな適当で役に立たない答えいらないから
463日本@名無史さん:2009/06/21(日) 16:07:59
>>462
どっかで拾ってきたんじゃね?
464日本@名無史さん:2009/06/21(日) 23:44:33
明治以後、軍は「陸主海従「海主陸従」どちらが主流ですか?
465日本@名無史さん:2009/06/22(月) 10:28:19
江戸時代は他藩との結婚は原則的に無理だと聞いたのですが、
飛び地で色んな藩が入り組んでいるようなところも、他藩との結婚は出来なかったのでしょうか?
よろしくお願いします
466日本@名無史さん:2009/06/22(月) 18:10:37
>>461
台所空間学だけで瀕死な私に死ねということですね
ありがとうございます
467日本@名無史さん:2009/06/29(月) 02:52:11
なぜ岩倉使節団はヨーロッパ諸国の大半を訪問したにもかかわらず
スペイン、ポルトガル、ギリシャには訪問しなかったのですか?
この三国だけには訪問しなかった理由がわかりません。
468日本@名無史さん:2009/06/29(月) 04:25:13
>>467
スレを読みに来た高卒ド素人の私が勝手に思っただけですが
その三国は列強じゃなかったからじゃないですかね。
469日本@名無史さん:2009/06/29(月) 07:17:17
スペイン、ポルトガルあたりは、旅行日程の関係でキャンセルしたんじゃなかった?
最初のアメリカで無駄に時間使いすぎた割を食った感じ。
470日本@名無史さん:2009/06/29(月) 20:12:46
>>468 >>469
ありがとうございます。
471日本@名無史さん:2009/06/30(火) 06:46:38
>>467
めんどくさかったから
472日本@名無史さん:2009/06/30(火) 14:51:25
神と霊魂・死後の世界  カトリック教会の奇跡
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1227016089/54
473日本@名無史さん:2009/06/30(火) 17:58:11
>>467
この時代、アフリカ経由の東回り航路はポルトガルに独占され、
スペインはフィリピンとメキシコを結ぶ航路でアジアと貿易していた。
風向きの関係でマニラからメキシコまで帰るには北太平洋を通る大圏航路しかなかった。
それで、仙台付近をマニラの中継地とする構想がスペインにあり、それに正宗が乗っただけ。
でも、スペインではこの案がマニラの繁栄ととスペインの利益の一部を奪ことになるという
反対論が優勢となり、支倉常長はむなしくマニラ経由で帰ってきただけ。
正宗の方からスペインと貿易をするという独創的な案を生み出したわけでは無かったらしい。
とマジレス。
474日本@名無史さん:2009/06/30(火) 20:08:23
ナイスボケ!

(・∀・)bグッジョブ!!
475日本@名無史さん:2009/06/30(火) 23:41:30
寛政譜とかみていると旗本の次男三男で大番とか小姓とかで出仕して数年してから
廩米○○俵を賜うと謂うのが多く見られるのだけど、それまでは食いぶちは実家に
頼っていたのでしょうか?それとも記載されていないだけで俸禄が与えられていた
のでしょうか?
476日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:50:04
政宗の父ちゃん暗殺って政宗プロデュースだと思うと
伊達家スレで言ったら荒らし扱いされますた。
性格からして俺の異説の方が正しいと思うのですが。
477日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:27:59
初心者ですが平安時代に人口とか平泉は平安京に匹敵する大都市だったようですが、鎌倉軍に攻められた時、泰ひらが一部放火しただけでほぼ無傷だったのにもかかわらず
すぐに過疎地帯になったのは何故でしょうか?他にもこうした栄えたのに廃墟になった都市は日本史上ありますか?
478日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:32:41
福原 鎌倉
479日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:36:52
<沖縄人が抱く根深い対日不信感>

日本政府(明治政府)は1879年のいわゆる「琉球処分」で、それまで日本ではなかった沖縄に侵入し、勝手に沖縄を日本に組み入れておきながら、日本が太平洋戦争に敗れた後の1951年に吉田茂首相が「サンフランシスコ講和条約」に調印。
翌年の1952年4月28日に吉田茂内閣の下で「サンフランシスコ講和条約」を発効した。
明治の琉球処分以降、「沖縄は日本」だと言い続けてきた日本政府は、今度は手のひらを返すかごとく「サンフランシスコ講和条約」に調印し、沖縄をアメリカに売り飛ばすという裏切り行為を犯したことは沖縄人の対日不信感につながった。
戦後、米国の管理下に置かれた日本は、アメリカからの独立を勝ち取るためには沖縄を日本から切り離し、自分たちの利益のために沖縄を犠牲にせざるを得なかったというわけである。
沖縄戦における日本軍による沖縄住民虐殺、日本軍による沖縄住民への集団自決の強要・命令だけでなく、戦後もこれだけ沖縄に対して酷いことをしているのが日本政府と日本人で、この歴史的事実について日本政府と日本人は一切弁解できない。
これは沖縄問題を長年研究している多くの学者、知識人が指摘している沖縄近現代史の真実である。
共同通信社の記者として沖縄に赴任していた人が書いた著書に「沖縄アイデンティティー」という本があるが、この中に、沖縄人の持つ、日本(日本人)への拭い難い対日不信感が詳細に書かれている。
琉球処分から沖縄戦、そしてサンフランシスコ講和条約の発効に至るまで、沖縄はまさに日本の為政者に翻弄され続けてきた。
このような歴史的背景を鑑みれば、日本人は沖縄人から嫌悪感や不快感を持たれるのは当然のことであり、実際、日本人は沖縄人から嫌われているというのが実情である。
480日本@名無史さん:2009/07/05(日) 06:50:35
>>479
アイヌと大差無いな。
両方とも後ろに民団の存在がチラついてるしw
481日本@名無史さん:2009/07/07(火) 11:53:49
蝦夷と熊襲もなw
482日本@名無史さん:2009/07/07(火) 12:46:18
超初心者が質問します

飛鳥〜平安時代の罪人(迦魔多とか)が上野国や下総国に流されたとの記述がありますが、当時、関東にそういった政庁や機関があったのでしょうか?
483日本@名無史さん:2009/07/07(火) 17:23:38
>>482
下総国府と上総国府
よっしゃこい
484日本@名無史さん:2009/07/07(火) 20:23:34
>>477
一乗谷とかどうかな。

>>482
道鏡も下野薬師寺だったな。
485日本@名無史さん:2009/07/08(水) 02:38:58
初代首都は
456年の初瀬朝倉宮でいいのですか?
486日本@名無史さん:2009/07/08(水) 16:01:14
現在の最高紙幣1万円に描かれている人物は福沢諭吉ですが、彼の功績を見ると
どうも説得力がないと思います。
当時福沢諭吉以上に活躍した日本人は大勢いましたし、ノーベル賞を取った日本
人もいたのに、なぜ福沢諭吉が1万円札なのでしょうか?
日本に中央銀行の考え方を導入したからでしょうか?
487日本@名無しさん:2009/07/08(水) 18:16:06
>>486
大隈重信(早稲田大学創立者)は出たのに、福沢諭吉(慶應義塾大学創設者)が出ていなかったから。






という噂話もあるw
488日本@名無史さん:2009/07/09(木) 10:19:19
日本史は全くの無知でしたが
ひこにゃんをきっかけに伊井家の歴史に興味がでできたした。
関ヶ原で伊井直政は徳川の忠臣で…など超基本なことですが、
手探りで資料をみたりしています。

先生方、伊井家、徳川家にまつわる戦、政小話を聞かせてください。
489日本@名無史さん:2009/07/09(木) 10:22:28
>>477
平泉が発展してたことは認めますが、平安京に匹敵すると言うのは捏ですね。
490日本@名無史さん:2009/07/10(金) 01:49:44
一宮クラスの神社の神主やそれに順ずる歴代の従事者を
纏めたような資料って無いでしょうか?
491日本@名無史さん:2009/07/10(金) 07:42:14
秦氏の末裔は京都で、どのような職種に就かれて生活されているのでしょうか?
492日本@名無史さん:2009/07/10(金) 10:12:10
キリスト教の国が何故普通の市民に対して原子爆弾を落としたのでしょうか?
493日本@名無史さん:2009/07/11(土) 12:53:02
近代以前の日本人には内面とか自我といったものが無い。
というのは本当なのですか?
494日本@名無史さん:2009/07/11(土) 15:39:59
うそです。
495歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/12(日) 14:12:52
>>466

何で? カマドの話の部分だけでも読めばいいのに

>>493

「肉体」と「精神」という分け方自体が近代的な考え方ということじゃないのかな

よっしゃこい
496日本@名無史さん:2009/07/12(日) 22:33:11
>「肉体」と「精神」という分け方自体が近代的な考え方ということじゃないのかな

そういうピンボケつか的外れ的な答え方が喪前の芸風だとは今や誰も知らないんじゃねぃ(苦笑
497歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/13(月) 14:11:00
>>496
肉体と精神を分ける以前に内面とか自我が問題になるわけないジャン

あなたには難しかったかなw

よっしゃこい
498日本@名無史さん:2009/07/13(月) 14:41:29
さすが博士カコイイ!!!
499日本@名無史さん:2009/07/13(月) 17:17:43
博士が>>493をどういう質問と考えているのかが気になるな
俺は>>493が何を聞きたいのかよく判らない
500日本@名無史さん:2009/07/13(月) 21:02:07
武蔵七党に数えられたり外されたりの
微妙な氏族 綴党を調べているのですが
資料が乏しくて・・・・
詳しい方ご教授願います。
501日本@名無史さん:2009/07/13(月) 21:28:52
 忍藩主、松平忠尭は何故37歳の若さで隠居し弟に家督を譲ったのですか?
502日本@名無史さん:2009/07/13(月) 22:55:31
>499

俺は493の質問は宮本武蔵かなと思った
時期的にオシイの映画に触発されたとか、、、

まぁ般若心経にしろ禅にしろ質問が漠然としていることには同意

>497
三・四年前ならそういうショッパイ釣りを喪前が試みることもあったが今回のは素でボケそこなっただけだろ(苦笑
無理にからんでこなくていいから
503歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/14(火) 02:59:19
禅と自我なんて何の関係もないじゃん

そういう連想が不思議

よっしゃこい
504日本@名無史さん:2009/07/14(火) 07:03:32
老荘思想はどうやってにほんに伝わったのですか?
今、急いでます。今日中にわからないとやばいです。
詳しいサイトとかあったら拝みます。
505日本@名無史さん:2009/07/14(火) 14:31:09
>>488
井伊だと思います。
506日本@名無史さん:2009/07/14(火) 15:06:52
たとえ学校の宿題であっても、立派な学問研究の一種や!
誰か、答えてやれ!
507日本@名無史さん:2009/07/14(火) 15:07:53
>>504
『老子』『莊子』の写本を船に乗せて。
508日本@名無史さん:2009/07/14(火) 21:41:47
>503
禅について何が正しくて何が正しくないかなんて会話程無意味なことは無いと俺は思うが(まぁこんな話は喪前には無駄か
禅寺に行った時其処彼処に貼ってある紙や渡されたプリントを読むと意図していることは分かっていても何故ここまで禅を矮小化するのかと頭痛が痛い(馬から落ちて落馬して♪)ことが俺なんかはよくある

493が自分の書いていることを何で知りその語句を正確に知悉しているなんて誰に断言できるんだ?
当人が間違った先入観で誤った認識をもっている可能性を何故否定する?
っと久しく出てこないから忘れていたがそういえば喪前は常人には見えないものが見えると主張する電波系のエリートだったな、、、
まぁ喪前が493を正しく理解しているというからには何か根拠があるんだろうさ(苦笑

自我という用語を限定して使用するなら確かに禅と自我は関係無い罠
その範疇においてのみ語るのであれば珍しく喪前は正しい事を述べていることになるそれは認めよう

で、ここは質問に喪前が回答するスレなのか
肉体と精神の可分が前提だの禅と自我は関係無いだのという偏った智識しか待てないスレ主の誤りを俺が指摘するスレなのか
509日本@名無史さん:2009/07/14(火) 21:54:02
      、-'''"´ ̄ ̄`"''''-、
     / / ;;;;;;;;;;;;;  \ \⌒⌒
    / ..::;;● ;;;;;;;;;;;;;, ●;;;;;;;;;::ヽ  ^^ 今日も暑かったねー
    |. .::;;;;;;;;;;;(__人__);;;;;;;;;;;;;;;;::.|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     :::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::
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        ::::::::::::::::∧_∧
        ::::::::: ( ::;;;;;;;;:)   おまえのせいだろ


      、-'''"´ ̄ ̄`"''''-、
     / / ;;;;;;;;;;;;;  \ \⌒⌒    マジレスすると、昨日今日で僕の放出する熱量には大差なく、
    / ..::;;● ;;;;;;;;;;;;;, ●;;;;;;;;;::ヽ  .^^  君の星の気圧配置や雲が、暑いかどうかに
    |. .::;;;;;;;;;;;(__人__);;;;;;;;;;;;;;;;::.|.     大きく影響しているんだよ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     :::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::
       :::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
        ::::::::::::::::∧_∧   いちいち細かい事言ってるんじゃねぇ〜よ!
        ::::::::: ( ::;;;;;;;;:)   おまえのせいにしておけば、丸く収まるんだよ!!
510歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/15(水) 03:52:38
>>508
あなたが「自我」と聞いて禅や宮本武蔵を連想したのは
前近代を近代の色眼鏡で見ているから。
前近代の見方としては不十分ですなという話。

私が>>493氏に言っているのは、氏に言った人の意図を想像して別な言い方をしているだけ。

主体と客体の分離、精神と肉体の分離、いわゆる「デカルト以降」という近代的思惟(特に認識論)と
「自我」との関係を示唆しているだけ。

氏に言った人はそういう意図で言ったと思うので、そういう立場に立てば前近代の日本には
自我とかはなかったことになるわいなあ、という話。

今度はわかった?

そういう西洋の価値観を前近代の日本に機械的に当てはめて面白いかどうかはまったく別の話。
511日本@名無史さん:2009/07/15(水) 04:05:16
▼南京大虐殺と慰安婦強制連行を小学5年生に教え込む学習塾

YouTube版
抗議を拒む栄光ゼミナールを廃業に追い込もう!(1/3)
http://www.youtube.com/watch?v=F4E_Ga7cIIQ
抗議を拒む栄光ゼミナールを廃業に追い込もう!(2/3)
http://www.youtube.com/watch?v=40yHdOBi2Qk
抗議を拒む栄光ゼミナールを廃業に追い込もう!(3/3)
http://www.youtube.com/watch?v=gdXDmsw-evs
再生リスト
http://www.youtube.com/view_play_list?p=7592BFAEC8D8867C
512日本@名無史さん:2009/07/15(水) 17:30:46
1920年代以降の日本国民と軍の思想について教えてください。
後よろしければ参考になる本などがあればよろしくお願いします
513日本@名無史さん:2009/07/15(水) 20:16:26
寝殿造について質問です。
『古文の読解』(小西甚一著)という昔の本を読んでいたら、寝殿造において泉殿が池の上にあるのはおかしく、だいたい車宿と西の対の間にあったのではないか、という指摘がありました。
そこで、古語辞典などの図を見てみましたら、泉殿が池にはみ出している図だったり、泉殿のない図だったりします。
いったい、泉殿の設置場所はどこら辺だったのでしょうか?
514日本@名無史さん:2009/07/15(水) 21:21:42
>510
生半可な哲学用語を振り散らかして馬鹿を曝け出す必要はないから(苦笑

閑話休題。

まさかとは思うがそういうズレたレスを続ければ、俺が万葉集以降日本人が如何に内面を語ってきたかを詳述するとでも期待しているのか?
それとも君にとっての沈黙の数年間は劣化(老化)しただけの歳月にすぎなかったのか、、、
以前ならもう少し面白い返しか(不利を悟って)沈黙していたというのに、今の君は近年の学問板でよくみかける見識もないのに回答者を任じている高校生と同じだね。
小さな部分を切り取ってその中に逃げ込み俺様論理の世界に相手を引き入れようとする稚拙な連中と何も変わらない。

君と俺との見解の違いはね、俺は493が書いた自我という用語は附言(内面というコトバの補足)だと判断し考慮していないのに対して君は自我という言葉から勝手に連想(妄想)を押し広げてしまったってこと。

君が最初のレスをした時点で妄想の翼を広げていたことは推察できていたから俺は的外れと指摘したんだよ。
ココは哲学板じゃないよ。日本史板に書き込まれているのに他板のtermであると思い込んで、自我→ego→デカルトってのは牽強付会だろ。
493は自己の聞きたいことを上手に説明できていないと読み取るか、僅かなチシキにしがみついて的外れな解釈を押し付けるのか、その違いだね。

自我=egoという解釈で妄想を推し進めたのは分かっているけど↓は分からん。
>禅と自我なんて何の関係もないじゃん
>そういう連想が不思議
欧米人の書いた禅の本でegoという語句を用いない本なんてあるのかな?
515日本@名無史さん:2009/07/16(木) 11:51:37
>>514は長文で釣りでもやってんのかと思って真面目に読んでみたら割かし普通なこと書いてるんだな

でも1つ気になるんだが、
>>小さな部分を切り取ってその中に逃げ込み俺様論理の世界に……
の、小さな部分を切り取って、というのはどういう意味?
516歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/17(金) 00:32:23
>>514

493 名前: 日本@名無史さん [age] 投稿日: 2009/07/11(土) 12:53:02
近代以前の日本人には内面とか自我といったものが無い。
というのは本当なのですか?

と書いてあるので、

>>493氏に「無い」と言った人がいたわけです。その人を仮にA氏とします。
普通なら
イ)ホント
ロ)ウソ
ハ)わからない
の三通りの答えが想定できるわけですが、私はあえて、
A氏がどういう論理でそういうことを言ったのかを予想して書いてみたのよ

禅とか宮本武蔵とか持ち出してロを匂わせてもA氏に笑われるだけだよ、
とA氏の論理を予想して重ねて述べたのです。
*****
さて、
欧米人の書いた本で云々ですが、
その欧米人が西洋近代の色眼鏡で禅を凝視しているからですよw
517歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/17(金) 00:37:58
歴史学だって人文科学の一分野なんだから哲学とは無縁じゃないのよ
おまけに、自然科学・社会科学・人文科学はみんな近代になってから生まれた学問分野だからね
(もちろん、その前史はあるよ)

学生諸君は、史学史とか史学理論の講義も軽視してはいけませんYO!
518日本@名無史さん:2009/07/17(金) 13:29:18
>>512

どなたかよろしくお願いします
519歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/17(金) 19:22:06
>>513
歴史系の辞書を見ると、
水辺に建てたり、上に建てたりとありますよ。
詳しくはわかりません。

よっしゃこい
520歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/17(金) 19:26:56
>>518
もう少しポイントを絞るか目的を明記した方が答えが出やすいかもしれないよ

よっしゃこい
521日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:20:30
>>520
申し訳ありません

第一次大戦、第二次大戦、冷戦で日本の民間と軍の思想はどのように変化したのか教えて頂きたいです。
522歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/18(土) 02:00:49
>>521
それは期間が長すぎw

大正デモクラシー → 満州事変 ・・・ 大正デモクラシー

満州事変 → 第二次世界大戦敗戦 ・・・ 軍国主義

ここまでは、論文だと膨大にあるけど
各出版社の通史物・講座物の該当部分を拾い読みしてみるのはどうなのかな ざっと
とりあえず近所の図書館にあるやつあたりを
参考文献も載っているし

特に軍というならもうちょっと専門的な本を読まないといけないと思うけど

戦後はさらに細分化されるからなあ
簡単に読めて全体を見通せるのはちと思いつかないなあ

よっしゃこい
523日本@名無史さん:2009/07/18(土) 07:25:39
>>522
何度もすいませんでした。
まずは自分で調べてみようと思います。
本当にありがとうございました!!
524歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/18(土) 12:21:16
>>523
通史物・講座物が複数あって迷ったら新しい物から先に読むのが吉。
その方が新しい研究成果を反映している(はず)だから。

また、作家やジャーナリストの文章よりも学者の文章を優先して読むと吉。
論拠や出典を明記してあるから。

まあ、どちらも一般論ですが。

よっしゃこい
525日本@名無史さん:2009/07/21(火) 20:53:46
【義経追捕に長期間を要した理由は?】
各国に守護地頭を置き頼朝の名による厳命が津々浦々に行届き、万全な追跡体制でした。
鎌倉幕府の命とあらば全国の武士は血眼になって奮励する時代です。
全国の総人口が七百万人に遠く及ばないこの時代、なぜ暇が掛かったのでしょうか?
(しかも、武士とその郎党は人口の割には比率が高かった筈。恐らく四割は武士達だったでしょう)
526日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:23:19
戦国時代の前田家の方で、わざと馬鹿をやって家を守った人の名前を教えていただけませんか?
527日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:21:53
【銅鐸】
日本独自の銅鐸なのに、なぜ急に制作されなくなったのですか?
各地徐々に、ではなく、ある時点を境にどこもかも制作されなくなった理由は?
528日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:26:07
【前方後円墳】
日本独自のものですが、この形の造墳が何の前触れも前段階も無しに急にあちこちで勃興したのは、なぜですか?
529日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:33:19
【戦国時代に対する史学は、どこまでが科学か?――歴史家・時代小説家との違いは?】
1級史料に基づく論考では無く、『常山紀談』を根拠とした当て推量がまかり通っています。
科学に戻るべきではないでしょうか?
530日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:49:48
【「豪農」とは?】
職業人としての農民でも無い、階層としての「農民」でも無い。はたまた、江戸期に於る「農」でも無い。
では、一体?

そもそも、用語が正確ではないのでしょうか?
531日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:04:23
【楽市楽座】
斎藤道三を嚆矢とするようなことが、よく言われます。
根拠が分かりません。
史資料が存在したのか、或いは、後世、誰かが論証したのでしょうか?
532日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:28:37
【来年の大河ドラマは竜馬=英雄扱いはどこまでが史実か?】
坂本龍馬についての事実は二つしかありません。
昭憲皇太后の夢枕に立った新聞報道。
元「見廻組」を自称する老人が「自分が襲った」と語った新聞報道。

第一、竜馬遭難の油屋「近江屋」の場所がハッキリしません。竜馬最後の位置も不明。
應仁の亂の事すら昨日のように語る京都人――どんな時代の話も遺っている京都人の口にも
のぼりません。遭難場所と言われる近辺には何らの話も遺っていません。
(先斗町の佐久間象山の遭難なら、詳しい話が近辺に伝えられているのにです)

東山の小口に在る墓(中岡慎太郎のも在る)も、わたしには何の事やら分かりません。
一体、坂本龍馬という人物像は、どこまでが史実でしょうか?
533日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:30:18
↑「竜馬最後の」は×。正しくは「竜馬最期の」。
534歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/22(水) 14:44:01
>>525
そういう時代じゃないということ

>>527
不明。銅鐸文化圏が征服されたという説もはるか昔に否定されたし。

>>528
不明。

>>529
そういう設問自体に意味がない。

>>530
その言い方を借りれば、農民、「農民」、「農」だよ?
まあ、近世期の百姓のことを「農民」とはあまりいわないけどね、いまはね。

>>531
言わないよ。
「無縁」とか「縁切り」で。

>>532
どこまでといわれても、別に英雄じゃないからなあ

よっしゃこい
535日本@名無史さん:2009/07/22(水) 20:33:49
私のにも答えていただけませんか
536日本@名無史さん:2009/07/22(水) 23:10:15
>>531
は察するに司馬遼太郎「国盗り物語」がきっかけじゃないかな。
博士様に補足すると、「無縁・公界・楽」を読みなさいってこと。
537日本@名無史さん:2009/07/23(木) 00:10:35
楽市楽座は、実際は織田信長が最初だし、また、その時にはじめて言われた言葉。
538歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/23(木) 01:29:58
>>535
前田家の質問の人? 知らないのですよ

>>537
ちと違いますよという話。捉え方が。

よっしゃこい
539日本@名無史さん:2009/07/23(木) 02:32:48
ウザい>>1を日本史板から追い出す方法教えて下さい。(はあと)
540日本@名無史さん:2009/07/23(木) 06:52:22
>530

豪農=地主、ではないでしょうか?
541歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/23(木) 11:36:00
>>539
君じゃ無理

>>540
地主であると同時に自らも農業経営者でもあります。

農業経営から遊離しているのは近代の寄生地主。

よっしゃこい
542日本@名無史さん:2009/07/25(土) 01:59:58
博士は武陽隠士なるコテをどう思われますか?あと博士と武陽、どちらが日本史詳しのでしょうか
543歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/25(土) 04:16:24
>>542
交流無いからよく知らない

よっしゃこい
544農家:2009/07/25(土) 19:51:11
地球の歴史(46億年)を1年(365日)に例えて200万年は何月何日何時何分何秒から始まるかわかりますか?
545日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:24:43
>>543
博士とブヨーを戦わせたくなりましたw
546日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:46:16
スレ違いかもしれませんが質問させてください。
19世紀中盤の日本を含む東アジアの華夷秩序体制についてですが、
その時期の華夷秩序体制は元来のままの冊封朝貢体制がまだ続いていると
考えていいのでしょうか?
それとも西欧諸国の進出により何か華夷秩序体制に変化が起こり始める時期と
考えたほうがいいのでしょうか?
後者の場合どのように変化が起こるのかも教えていただけるとありがたいです。
547日本@名無史さん:2009/07/25(土) 23:15:58
>>546
最初から日本は関係ねーよ
548日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:13:19
>>547
消えな
549日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:54:33
>>548
バカか?消えるのはおまいだ
550日本@名無史さん:2009/07/26(日) 01:02:07
高尚な歴史学博士の皆様
貴重なスレに感謝します
質問させていただきます。
律令制で郡司(大領〜主帳)は終身官とききましたが中央へ異動することはなかったのでしょうか教示願います
551日本@名無史さん:2009/07/26(日) 01:09:31
>>550
ない
地方の有力者だからな
552日本@名無史さん:2009/07/26(日) 01:11:09
あの質問があります
553日本@名無史さん:2009/07/26(日) 01:21:07
すごい。ホントに即答ですね。
ありがとうございました
郡司から参議になった例もあるって友達が言ってたものですから。
もう2点ほどお願いできませんでしょうか
1.大舎人で採用され場合、平均的な昇進での最終的な位階
2.江戸幕府の御家人の最高役職は勘定吟味役くらいでしょうか。
お手数をおかけします
よろしくお願いします


554歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/27(月) 21:18:13
>>546
西欧諸国の進出とそれによる変化を考えるのは、
16世紀の後半以降じゃないかな、一般的には。
「元来のままの」が具体的にどういうことを指しているのかよくわからないけど。

日本は、文禄慶長の役で交戦してからは明の冊封体制の埒外だし、
清とはついに正式な国交結べなかったし(つまり埒外)、日本史板的には答えが厳しいかもしれない。
清の冊封体制の変化とか。

16世紀の終わりごろに、日本型華夷思想とか意識とか、
神国思想みたいなものが表面化してくるのは、
旧来の冊封体制からすると大きな変化のひとつだとは思うけど、
そのぐらいじゃだめかしら。

よっしゃこい
555日本@名無史さん:2009/07/27(月) 21:22:34
博士の先生方、お教えください。

記紀や万葉集にに古代朝鮮のかや語が含まれている可能性はございますか?
556日本@名無史さん:2009/07/27(月) 21:29:37
教えてください、博士様。
日本人の髪形の歴史について、教えてください。
ちょんまげですが、いつの頃からしたのですか?
一般の庶民まで、ちょんまげになったのは、いつ頃の時代からですか?
557日本@名無史さん:2009/07/28(火) 20:28:54
民主党が政権取れば、日本史研究は禁止になるでしょうね?――アレは共産党だから。
558日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:38:44
559日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:16:15
幕藩政市場が崩壊していく過程として以下の見解は正しいですか?(>_<)

18世紀後半になり在郷商人の活動が活発化するなか、大坂市場への物資集荷が停滞した。
それに対して、幕府は特権的問屋商人に株仲間を結成させ、これを保護して商業統制をしていた。
在郷商人は農民から商品を買い集めて都市で販売したかったが、問屋商人が販売権利を独占しているため、
直接販売はできず問屋商人に転売することになる。
ここで買いたたかれては利益が出ない。そこで、大坂の都市問屋商人による流通独占に対し、
在郷商人の指導のもとで取引の自由化を求める国訴が発生するようになった。
その後、在郷商人は従来の流通経路を使わずに商品を扱った。
このため、単純な大坂集中の流通ではなくなり、大都市の江戸近郊では江戸地廻り経済圏が形成された。
各地で生産される商品は城下町を経ないで各地に販売され,幕藩制的な市場構造を解体させていった。
560日本@名無史さん:2009/07/29(水) 21:00:50
古来より、日本人のシナに対する感情は良かったのに、それが冷淡・蔑視に変わったのは、いつ、何がきっかけだったのでしょうか?

本居宣長なんかはすでに「からごころ」排撃をしたりしていますけれど、国学の興隆=シナ蔑視ではないはずだと思うのですが。
561歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/30(木) 00:46:16
>>556
室町の武家の間で始り、江戸中期には庶民まで。

>>557
日本共産党は日本史研究が大好き。根本的に間違っている。

>>559
正しくない。
幕藩体制は、上から解体されるのであって、農民的な商品生産や農民的商品流通が、
幕藩制的な市場構造を動揺はさせるけど、解体させるのではない。
あと、取引の自由化を求める動きの流れで江戸地廻り経済圏が形成されたわけでもないよ

>>560
16世紀後半の日本型華夷思想・意識と神国思想

よっしゃこい
562日本@名無史さん:2009/07/30(木) 00:58:04
>>560
博士も答えているけど、華夷変態すなわち明清交代の時期が転換期。
後金(日本では北高麗、韃靼などと呼ばれた))の動向には幕府もかなり警戒していた。
563日本@名無史さん:2009/07/30(木) 04:07:53
>>561-562

お返事ありがとうございます。そこでまた疑問なのですが、なぜ当時の日本人は明びいきで清には冷淡だったのでしょうか?

漢族は優れていて、満州族は劣っているという認識があったとすれば、それは何に由来するのかということですね。
564日本@名無史さん:2009/07/30(木) 18:43:04
先祖の墓が旧甲斐国の臨済宗のお寺にありました。
過去帳によると、臨済宗の先祖もいますが、
途中から浄土宗に改宗したので、戒名も臨済宗のものから、
浄土宗のものに変わっています。
改宗したのは一番最近だとしても、
少なくとも江戸の寛政よりは確実に前の時代です。

この時代に改宗をするということは、何かご先祖さんに
大きな変化でもあったんでしょうか?
それとも普通の事なんでしょうか?
宜しくお願いします。
565歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/30(木) 18:43:39
>>563
江戸時代に明贔屓で清に冷淡ということはないです。

よっしゃこい
566歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/30(木) 18:54:31
>>564
個人的な信仰で変えるものではないので、
大きな変化があったのかもしれませんね。

よっしゃこい
567日本@名無史さん:2009/07/30(木) 19:10:47
>>566
565です。
そうですか。
自分の勝手な考察ですが、臨済宗は武田信玄に庇護されていましたよね?
臨済宗は武士階級に信仰が多いですよね。
下っ端だったかもしれないけど、臨済宗の時は下級武士だったけど、
仕事や仕官において、何か重大なミスをした。
そして没落して浄土宗に改宗した?
と思うんですが・・・

文政に亡くなったご先祖さんのお墓には、家紋っぽい物も刻まれていましたし、
元は農民じゃあなかったんでしょうかね?
568日本@名無史さん:2009/07/30(木) 19:11:44
×565です
○564です。
569日本@名無史さん:2009/07/30(木) 19:13:03
>>565
お返事ありがとうございます。しかしそうすると、明清交代によって日本人のシナ観が変わった理由は何でしょうか?
570歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/30(木) 20:25:17
>>567
その寺に墓がある、過去帳に名前が数代あることから考えて、
臨済宗時代もその地域に数代住んでいたことは確実で、
改宗と武士から土着化を直接結びつけるのは無理だと思います。

甲斐は途中から藩がなくて、幕領ばかりになるので、
地域の有力者が武士とのつながりを主張するとしても、
武田旧臣とか武田浪人とかの由緒を主張する場合が多いですよ。

私が考えた大きな変化とは、
1)有力な家から養子を迎えたときに改宗(養子の生家の宗派とか)
2)経済的に成功して武田旧臣の由緒に近づこうとして改宗
かなあ、とか思いました

根拠はありませんが。

よっしゃこい
571歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/30(木) 20:28:05
>>569
明清交代をきっかけに変わったわけではありません

よっしゃこい
572日本@名無史さん:2009/07/30(木) 20:29:47
専攻は何ですか?
573日本@名無史さん:2009/07/30(木) 20:41:33
>>571
それでは、16世紀後半に日本型華夷思想・意識と神国思想が出てきた理由は何でしょうか?
574歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/30(木) 20:55:30
>>573
まだ解明されていません。

秀吉は明と朝鮮に朝貢しろと言い出したでしょ(でも、実際に外交した宗氏はそのままは言えなかった)。
で、朝貢してこないから、秀吉は攻めだした。
秀吉は突出していたけど、神国思想自体は当時の支配層の間では共有されていたと言われている。

庶民とかはまだまだ後の話。

前近代の外国観とかは階層差も大きいし、少しずつ変わるから、一概には言えないよ。

よっしゃこい
575日本@名無史さん:2009/07/31(金) 00:04:23
>>570
なるほど、分かりやすいです。
機会を見つけて、ご先祖さんがいた周辺の図書館でも行こうと思っているので、
博士さんが考えたその2つを頭に入れておきます。
有難うございました。
576日本@名無史さん:2009/07/31(金) 01:17:36
稲荷山古墳出土鉄剣銘は王権に貢献した豪族が自らの栄誉を称える為に作ったものみたいなのですが、
倭王武の王権がかなり広範囲のものだったという証拠みたいな位置づけという事でいいのでしょうか?
577歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/07/31(金) 20:19:08
>>576
江田船山古墳と合わせて、九州〜関東ということになってますな。

倭王武かどうかには異論もありますが。

よっしゃこい
578日本@名無史さん:2009/07/31(金) 20:25:41
村八分の残り二分はなんですか?
579日本@名無史さん:2009/07/31(金) 21:20:14
>>578

火事の見舞いと葬式。
580日本@名無史さん:2009/08/03(月) 14:59:00
最近ふと疑問に思ったのですが、歴史とはちょいズレてるかも。
同級生の中に身分の高かった人の子孫が何人かいるんです。
偶然なのか彼らはみんか体が硬い。家族みんな硬いらしいです。
体育の先生は子供の頃から体を動かしてると軟らかくなると言います。
てことは田植えを経験してない人達の子孫は体が前に曲がらない!
って思っちゃったんですけど、そんなことないですかね?
581日本@名無史さん:2009/08/03(月) 16:03:47
庶民にはあまり知られていないですが、
佐久間象山は一体どれほどの人物だったのですか?
吉田松陰の師匠だと聞いています。
582日本@名無史さん:2009/08/03(月) 16:11:31
↑伝記出てるから嫁アホ
583日本@名無史さん:2009/08/03(月) 16:17:01
>>582
そのレスはこのスレを無意味化する
584日本@名無史さん:2009/08/03(月) 16:29:44
>>583
本じゃよーわからんことを質問するのが筋
585日本@名無史さん:2009/08/03(月) 17:51:40
以前テレビで見たのですが、鎌倉か安土桃山、もしくは江戸時代に、
逆さ吊りにされて死んだ姫がいると聞いたのですが、
名前や理由など忘れてしまいました。
どなたかおわかりになりますでしょうか?
586日本@名無史さん:2009/08/04(火) 01:02:31
>>585
信長の叔母だ。
587日本@名無史さん:2009/08/04(火) 01:26:31
>>580
確かに百姓の中の百姓である俺はかなりの軟体だが…
588日本@名無史さん:2009/08/04(火) 01:49:50
>>580
先祖の身分が高かったと言ったって、身体の硬い君の同級生らは紛れもなく
君と変わらない現代人だよ。先祖の生業や身分が子孫の身体機能にいったい
どんな影響を及ぼすと言うのかね。
589日本@名無史さん:2009/08/04(火) 02:02:43
『資料』と『史料』の用語の違いを教えてください。
590日本@名無史さん:2009/08/04(火) 02:31:45
>>588
環境によって体質は変わるってことじゃね?
代々同じような環境が続けば影響はありそう。
591日本@名無史さん:2009/08/04(火) 02:42:25
身分制度がなくなってどれくらい経つと思ってるんだ
592日本@名無史さん:2009/08/04(火) 07:43:10
>>591
戦前まで権力者の子孫は肉体労働してないよ。
そこからまだ3〜5代だからなぁ。
593日本@名無史さん:2009/08/04(火) 08:31:47
権力者?
594日本@名無史さん:2009/08/04(火) 09:27:13
千年かそこらじゃ人間の体質は変化しない。ダーウィンが怒るぜ。
支配者階級の人間が運動をまったくしない生活を10代〜20代続けたって、体質への影響力はゴミ以下。

因みに寿命が延びたり身長が伸びたりしたのは環境の変化。
二千年前でも長生きする奴はするし、デカイ奴はデカイ。現代でも平均年齢が30代の国なんてボロボロある。わかる?
ここ50年で平均身長がドカンと伸びたけど、日本人が「進化」したわけじゃないよ?
595日本@名無史さん:2009/08/04(火) 10:39:14
弱い者いじめが許せない人はコピ協力してほしい

俺は陰険な心理的負荷を与えるパワハラや社内イジメが大嫌いだ!
かつがれて妄想理由、妄想差別で嫌がらせをする奴には腸煮え繰り返る!
こと既婚男上司が特定の女性(容姿年齢に関係なく)にだけやる弱い者いじめは許せない!
大きな日本の印刷会社の○○!お前のことだ!故意に失業者を増やしたいのか!
広めてやる!てめえが会社や世間、身内に知られたくないことも広めまくってやる。
2ちゃん以外にも広めまくる!当然の報復だ!
貴様のせいで会社や身内に迷惑がかかる。自業自得だ!
会社が○○を粛清するまで、俺の余命が尽きるまで続けてやる!
596歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/04(火) 12:37:10
>>580
獲得形質は遺伝しません。

よっしゃこい
597日本@名無史さん:2009/08/04(火) 12:45:28
日清戦争直前まで藩閥と民党は藩閥の軍拡に反対してますけど
民党って、征韓派が多かったんじゃないんですか?
そういうわけでもない?
598日本@名無史さん:2009/08/04(火) 13:11:51
みんなでイケイケどんどん
599日本@名無史さん:2009/08/04(火) 16:51:45
薩摩は薩長同盟時点では倒幕思想だったんですか?
島津久光が倒幕に傾いたのは同盟後ですよね。
何で薩摩が同盟結んだかよくわからないです
600日本@名無史さん:2009/08/04(火) 18:50:02
>>599
久光ではなく薩摩藩士志士グループの意見としては倒幕が有力
601日本@名無史さん:2009/08/04(火) 22:47:54
この速さなら歴史学博士の俺様を晒せる
http://up2.viploader.net/pic3/src/vl2_168448.jpg
602歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/04(火) 23:05:34
【芸能】酒井法子さんと長男が行方不明・親族が捜索願提出…所属事務所のサンミュージックが会見、携帯電話つながらず★18
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1249386657/

203 名無しさん@恐縮です sage New! 2009/08/04(火) 20:54:35 ID:JEPkokh10
この速さならパソコン晒せる
http://up2.viploader.net/pic3/src/vl2_168448.jpg

よっしゃこい
603日本@名無史さん:2009/08/05(水) 18:28:13
松尾芭蕉はどうやって生活費を稼いでいたのでしょうか?
604日本@名無史さん:2009/08/06(木) 09:18:29
曾良たち門人は大店のご隠居であり、松雄芭蕉は彼らのヒモ状態
605日本@名無史さん:2009/08/06(木) 19:22:36
>>604
まじっすか? 破門とかできないですねえ。
606博士俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/06(木) 22:25:26
てすと
607日本@名無史さん:2009/08/06(木) 23:13:18
写り込んでるエロおじさんは誰ですか
608日本@名無史さん:2009/08/07(金) 18:56:47
藤原信西は結局どうやって死んだの?
逃げたのを捕らえられて斬殺されたの?
自害してそれを掘り起こされたの?自害したなら介錯されたの?
609歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/07(金) 19:10:20
>>608
自害だと思うけど詳しくは知らん

よっしゃこい
610日本@名無史さん:2009/08/07(金) 22:37:36
歴史学博士課程の院生は、古文・漢文・くずし字、どれも読めるように訓練を施されているのでしょうか?
611博士俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/08(土) 01:07:37
>>610
日本史に限ります。

古文は平安時代の文法なのでノー

漢文は、古代史と中世史
くずし字は、中世史と近世史のほとんど、近代史のごく一部

よっしゃこい
612日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:11:06
>>611
> 古文は平安時代の文法なのでノー

古文読めなくてもいいんですか??
613日本@名無史さん:2009/08/08(土) 02:21:43
文学作品を読むわけじゃないからあまり必要がない
ってことだよね、博士。
614日本@名無史さん:2009/08/08(土) 03:27:52
でも、日本の文語は長らく平安時代の文法に則って書かれていたわけですよね? もちろん、厳格な擬古文ばかりではなかっただろうにせよ。
615日本@名無史さん:2009/08/08(土) 10:09:29
北条氏照が高尾山の飯縄神に戦勝を祈願して十年間にわたって女との交接を断ったため
妻が自害して果てたという伝承がありますが、この伝説を最初に記した文献は何という作品ですか?
初出例で無くても、文字記録として掲載した古文書は何という典籍なのでしょうか?
他のスレで問うても回答が無かったので、歴史学博士にお伺いします。
616日本@名無史さん:2009/08/08(土) 11:05:57
>>615
そんな伝承はない
617日本@名無史さん:2009/08/08(土) 12:33:04
>>612-614
まあ、高校の古文で習うような伊勢物語や源氏物語の文章と、
近世の古文書の文章は全然ちがうからな。

国学者や歌人の擬古文の日記とかなら別だが。
618日本@名無史さん:2009/08/08(土) 13:13:08
全然は言いすぎだ
明治にも万葉仮名(変体仮名)はつかわれてる

よっしゃこい
619日本@名無史さん:2009/08/08(土) 13:22:59
田母神論文を博士はどう評価しますか?
620日本@名無史さん:2009/08/09(日) 00:22:38
気持ちいいとこだけとってきたオナニー感想文
621歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/09(日) 04:03:00
>>612
相当文学寄りの研究でもしない限りは必要なし

>>615
知らん

>>618
万葉仮名と変体かなは別物

>>619
読んでない

よっしゃこい
622日本@名無史さん:2009/08/09(日) 18:04:34
それでは、歴史学の院生は候文を読む訓練は施されるのですか?
623日本@名無史さん:2009/08/09(日) 19:07:49
作人と水呑の具体的な違いって何?

水呑は江戸時代の、作人は鎌倉の呼び方で水呑は作人より貧乏って事はわかる。
でも土地を借りて金を払って農業を行うとか大筋は同じように見えるんだけど・・・
624日本@名無史さん:2009/08/09(日) 19:38:45
源平合戦期の源氏長者は誰ですか?
625日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:00:24
>>622
訓練される
>>624
源通親(土御門通親)

よっしゃこい
626日本@名無史さん:2009/08/11(火) 17:44:35
>>619
戦争がなかったので命に別状もなく勤務中休日はゴルフばっかやってて退職金
6000万円もらった男の勝手な論理。6000万返金もしくは寄付したら
立派な男。なにしゃべってもいいが6000万は多すぎ。
627日本@名無史さん:2009/08/11(火) 17:46:24
俺の先祖は百姓なんだけど、明和と年号の刻まれた墓石に苗字が刻まれてる。
江戸時代の百姓って苗字なかったんじゃないの?
628日本@名無史さん:2009/08/11(火) 18:47:11

候文を勉強するのにお薦めの参考書および勉強法を教えていただけますか?
629日本@名無史さん:2009/08/11(火) 19:38:06
>>627
表向きには使えなかったが持ってた。
630日本@名無史さん:2009/08/11(火) 21:02:41
「徳川家康は秀忠に将軍職を譲った後は朝廷の位は持ってなかった」でよろしいでしょうか。
631日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:30:40
物部氏の子孫と大伴氏の子孫と蘇我氏の子孫は、現在でもいるのですか?
632歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/11(火) 23:39:41
>>623
見返りを払って土地を借りるって古代から未来まであると思うけど
時代時代によって全然意味合いが変わるのよ。
土地自体の意味、持つということの意味、借りるということの意味、その対価の意味、
持ち主の意味、貸している人の意味、などなど。それをいろいろ時代的な特質と絡めて考えるわけですな。

夫婦もそうじゃない。原始時代から未来まであるけど、時代時代によって意味合いがことなるでしょ?
表面上は似ていても。

>>627
私的な場面ではガンガン使います。公文書(村役人の任命書や職務指示書など)とか
公的な場面では使えません(殿さまへの年頭の挨拶の儀礼など)。免許されないと。

年頭儀礼とかで名乗れたりすると、席次が変わってくるし、領内の村役人たちが並みいる中で、
目で見て分かる感じで差別化されるので、鼻高々になるわけですね。

>>628
もう少し情報を
・中世なのか近世なのか
・くずし字込みなのか、活字だけでよいのか
・分野が絞れるなら、どの分野か(何世紀ごろ? 公家?武士?庶民? さらに絞れるならさらに)
・そのほか情報があれば
・全般的にやってみたいのであれば、そのように言ってほしい

よっしゃこい
633日本@名無史さん:2009/08/11(火) 23:48:01
>>632
> もう少し情報を
> ・中世なのか近世なのか
> ・くずし字込みなのか、活字だけでよいのか
> ・分野が絞れるなら、どの分野か(何世紀ごろ? 公家?武士?庶民? さらに絞れるならさらに)
> ・そのほか情報があれば
> ・全般的にやってみたいのであれば、そのように言ってほしい

とりあえず活字だけで、明治の夏目漱石あたりの階層の人が書簡で書くような候文が読めればと思うのです。
634歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/12(水) 00:13:24
>>633
参考書はズバリないと思います。

庶民の中では、手紙は最も難しいとされていて、
とくに漢籍の素養のある文人の手紙が最難関。
漱石の手紙は読んだことがないけど、まさにそのタイプでは?

数読んで彼の表現や表記法に慣れるしかないw
常に辞書とにらめっこ

あと手紙の内容に触れた文書を脇に置きながら

このぐらいしか言えない

いい案がある方はどうぞ ご発言を

よっしゃこい
635歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/12(水) 00:17:33
>>630
調べれば分かるけど今は分らん

>>631
たぶんいるだろう

よっしゃこい
636日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:44:35
>626
ん?退職金受け取れたのか?
受け取れるのかどうか分からんのでやきもきしていたが
今は講演会の収入が十分にあるので退職金が受け取れなくてもかまわないとTVで言っていたが、、、
637日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:45:20
>>634
参考書はないのですかー。残念。

ちなみに、歴史学博士の俺様さんは愛用の古語辞典はありますか?
638歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/12(水) 01:15:20
>>637
『解読 近世書状大鑑』
著者: 林英夫=監修
柏書房
定価: 12,600円(税込)
刊行日: 2001年6月
ISBN: 4-7601-2090-4

http://www.kashiwashobo.co.jp/cgi-bin/bookisbn.cgi?cmd=d&isbn=4-7601-2090-4&backlist=1

というのはあるんだけど、ぴったりじゃないと思うんだよね
決まり文句とかは出てくると思うけど。高すぎるしね。本屋か図書館で見付けたら見てみてね。

古語辞典は見ません。

国語辞典系は小学館の日本国語大辞典のみ。家では広辞苑のみ。
漱石ぐらいならなおさら必要ないはず。

よっしゃこい
639日本@名無史さん:2009/08/12(水) 01:29:41
>>638
ご親切にありがとうございます。古語辞典でなく国語辞典をお使いなのですね。

ところで、失礼ながら、俺様さんはオーバードクターですか?
640歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/12(水) 01:49:21
>>639
助詞・助動詞・副詞など中世・近世・近代独特の使い方や意味があるので
大きな国語辞典を引くしかないのですよ
古語辞典はまさに平安時代の文法に特化した辞書ですから。

博士号取得者ですよ

よっしゃこい
641日本@名無史さん:2009/08/12(水) 02:41:48
古代の土地制度史において
律令制の崩壊(懇田永年)→初期荘園の誕生→初期荘園崩壊→国司請→国免荘・官苻免荘→大名田堵→寄生地主制

で正しいのでしょうか
あと古代において田堵の役割とはどういうものなのでしょうか
642日本@名無史さん:2009/08/12(水) 03:57:52
>>640
なるほど。そうすると、実質的に古語辞典を使うのは高校・大学生ぐらいに限られるということですか?

ちなみに、失礼ながら、アカポスはゲットされたのですか?
643日本@名無史さん:2009/08/12(水) 10:00:29
>>636
受け取ってる。6000万円を持ってアフガニスタンに行き、米軍爆撃の下で中村医師の下で
お手伝いでもしてろ。その程度の男。言ってることは間違っていないが、テレビに
出るな。
644日本@名無史さん:2009/08/13(木) 01:17:39
子供の日本の歴史の本みたら、神武天皇とか日本尊の絵が載っているのですが、
その姿が、髪は横でたばねだぶだぶのズボンを穿いていました。
そこで質問ですが、いつから横に束ねるのをやめ、髷になったんですか?
なんで、ズボンが定着せず、着物になったんですか?
ズボンのほうが着物に比べたら動きやすいし、はだけなくていいし・・・。
なんで、日本人は髷と着物を選んだんですか?
645日本@名無史さん:2009/08/13(木) 09:50:45
>>644
>いつから横に束ねるのをやめ、髷になったんですか?

飛鳥時代かな、中国の影響で冠をするようになってから。

>ズボンが定着せず、着物になったんですか?

これも中国の影響。これから派生して今の和服ができた。
但し、なくなったわけじゃない。必要に応じて使い分けるようになっただけ。
農作業や林業では良く使われてた。
646623:2009/08/13(木) 17:28:17
>>632
なるほど
そういや江戸時代かそれ以前にも金肥やらなんやらで生産力が上がったっけ
それに伴い土地の生産力が上がって、土地の価値も増大して
それまでより土地を貸す人が強くなって、借りる人は弱くなって、
それがだんだん強くなって卑しくさえ見られるようになった・・・

って事でいいのかしら?
647日本@名無史さん:2009/08/13(木) 18:29:53
活字化されたものなら候文なんて読解は楽だよ。活字じゃないから難儀するわけで
歴史学博士はガセだなw
648日本@名無史さん:2009/08/14(金) 12:28:14
>>630
家康は将軍職を譲った後も官位は持ってるよ
源氏の長者は譲っていないし太政大臣にもなってる
>>641
豪族(国造が大豪族に相当)
順番は
田堵の登場→初期荘園崩壊から寄進地系荘園へ→国免荘・官苻免荘→負名(国司請)
649日本@名無史さん:2009/08/14(金) 12:29:09
言い忘れた

よっしゃこい
650日本@名無史さん:2009/08/14(金) 16:56:14
>>642の質問についてお答えをいただきたく存じます。
651歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/14(金) 17:24:13
>>646
そういうことではなくて、根本的に人間の存在形態が違うのです。
鎌倉時代と江戸時代では。

>>647
字さえ読めれば解釈できるってw
どんだけ浅いねん

現国はいつも満点だったの?

>>650
収録文字数の違い

よっしゃこい
652日本@名無史さん:2009/08/14(金) 17:50:12
苦労せずに楽にくずし字を読める方法教えて
くだらない説教は不要
653歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/14(金) 18:15:41
>>652
たくさん見て慣れる

よっしゃこい
654日本@名無史さん:2009/08/14(金) 20:58:01
>>657
活字化されてれば、候文は現代日本語より楽に読める(慣れれば)。一種の書式があるからね。
歴史学博士とかいってるくせに全然授業受けたことないのがバレバレだね君はw
むしろ中世の日本式漢文のほうが難解。君の使ってる辞書じゃまったく用を足さないよ。そんな常識も知らずに
歴史学博士w君はウソつきだなw
655歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/14(金) 22:00:21
>>654
主語が省略されていて、解釈のときは丁寧に補う必要があったり、
敬語が入り組んでいたりするのに、
現代日本語より楽は無理があろうw

よっしゃこい
656日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:10:17
>>655
近世文書で?んなわけない。
君、マジで読んだことないな。近世の候文はそれほど難解じゃない。省略でいえば現代だってある。そういう省略。
平安時代の文章じゃないんだからね。ああ、それから第一に古文書の定義すら君は知らないようだなw発信者と受信者がいるのが古文書。
平安なんかの日記(これは古記録)の場合における主語の不明確さとは訳がちがう。

君の歴史学博士はウソだ。俺はこれでも日本史専攻だったもんでな。
君の嘘が見破れたんだ。
657歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/14(金) 22:16:12
>>656
裁判関係文書で、
訴訟方と相手方を(主語として)補って解釈しないで訴状・返答書を読めるのか?
直接話法はないぞ
発信者が訴訟方ないし相手方、受信者が裁判所だ

よっしゃこい
658日本@名無史さん:2009/08/14(金) 22:25:30
>>657
それは平安の古記録の省略とは違う省略。活字化された近世文書の初学者の第一のつまずきになるものではない。
君は最初から大まかな中世と近世の差異と古文書と古記録の違いをつけていなかった(書き込みをみるとね)。
候文は活字化されてれば優しいの意味がまるでわかってないのは、生の手書きによる近世文書の読みにくさを
知らないからだ。
辞書は日本国語大辞典と広辞苑ですむとかもいってたなw中世の古記録および古文書読む場合、それでは足りない。
君のは、
ググってでてきたのをうまく処理した形のレスだと
俺は思う
659歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/14(金) 22:33:26
>>658
ん? 

現代日本語よりも簡単に解釈できるんでしょ?

アドバイスしてあげろよw

よっしゃこい
660日本@名無史さん:2009/08/14(金) 23:10:42

院生・研究者ともなると、4万語レベルの古語辞典はもう使わないのですか?
661日本@名無史さん:2009/08/15(土) 01:57:24
ぶようが名無しで来てる件
662日本@名無史さん:2009/08/15(土) 09:24:48
【和物】和のファッション パート5 【和柄】
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/fashion/1249931725/
663日本@名無史さん:2009/08/15(土) 12:01:31
>>661
違うと思うな。文体ワザと似させてるだけだろ
664日本@名無史さん:2009/08/15(土) 14:06:40
博士は関西人
関西人の典型は亀田  
亀田は能無しのバカ

三段論法により博士は能無しのバカに決まりました
665日本@名無史さん:2009/08/15(土) 16:11:52
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1233565806/
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1154740253/
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1238998921/
関西人はナッちゃん(自称数え15歳の絶世の美少女)ことホモ吉(50代の基地外おっつぁん)
666歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/15(土) 17:24:09
>>661
>>663

本人知らんから真似されてもどうしようもない

よっしゃこい
667日本@名無史さん:2009/08/15(土) 19:25:55
真田が武田滅亡の際に信長から所領安堵されたのはどうして?
穴山梅雪や木曾義昌のような貢献者も同じ所領安堵で不公平に感じる
668日本@名無史さん:2009/08/16(日) 19:14:14
>>667
真田昌幸という男はとにかく変わり身が早いからな。
保身のためには平気で主家を裏切ったりする男だ。
それが悪いわけじゃあない。そうしなければ生き残れなかった時代だったということだ。
というわけで、武田家の滅亡が避けられなくなると、いちはやく織田方へ恭順した。
織田にしても、恭順してきたものをそのまま利用したほうが都合が良いわけさ。
上杉や北条などまだまだ手強い敵がいるからね。

昌幸の妻の父が、秀吉の弟秀長の家臣になっていたから、その筋から話を通じたかもしれないよ。俺の推測に過ぎないけどな。
669日本@名無史さん:2009/08/17(月) 01:28:27
武田傘下の多くの豪族が改易や追放になってるのに不思議だと思った
ありがとう

博士は古代〜近世の民衆史が専門のようだから案の定役に立たんね
670日本@名無史さん:2009/08/17(月) 19:28:11
>>669
古代〜近世の民衆史なんて専門ないです。範囲が広すぎ。
博士は嘘でしょう
671日本@名無史さん:2009/08/17(月) 20:32:29
質問と博士の解答は自演じゃねw
672日本@名無史さん:2009/08/17(月) 22:47:55
博士は偽物

よってこのスレ終了!
673歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/17(月) 23:50:08
すでに何度繰り返されてきたかわからんネタだw

新参者はこれだから困る

よっしゃこい
674学士:2009/08/18(火) 00:01:48
その新参者の相手をするのが喪前の務めなんじゃねぃ?
675日本@名無史さん:2009/08/18(火) 00:03:40
>>673
>>670は?
676日本@名無史さん:2009/08/18(火) 00:34:01
>>675
インチキ博士逃げたよ
677日本@名無史さん:2009/08/18(火) 01:11:22
>>655
主語を省略する伝統というか文化はどこから来ているのですか?
読者をどう想定しているのか。
王朝文学を翻訳するときも、そこが難しいということですが。
敬語によって主語を暗示したりとか・・・
678日本@名無史さん:2009/08/18(火) 01:30:58
江戸時代の大名家の結婚について教えてください
できれば〜藩〜家の誰々の場合‥
と具体例をあげて教えてくださると大変助かります。

一部のみの回答でも結構です。
どうぞよろしくお願いします。

・何才で婚約をしたか
・何才で結婚をしたか
・婚儀はどこで行うのか
・婚儀の後、正室はどこに住んだのか(江戸屋敷?国元?)
679歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/18(火) 03:00:25
>>674
してるジャン

>>675
オレが答えることではないジャン

>>677
日本語の特性ジャン

>>678
正室は江戸だよ

よっしゃこい
680日本@名無史さん:2009/08/18(火) 03:37:54

>>660についてはどうなのですか?
681日本@名無史さん:2009/08/18(火) 17:54:33
>>680
近世や近現代では古語辞典は滅多に使わない

>>677
英語でも主語がitの時は実質的意味がない

>>678
幕末の文久の改革で参勤交代緩和されるまで正室は江戸居住が強制された

よっしゃこい

682日本@名無史さん:2009/08/18(火) 18:46:20
島津家の史書「惟新公関原御合戦記」の信用性について教えてください。
江戸時代になって関ヶ原での島津家の行動を都合よく書いた信用性の低い史書
という意見もあるようですが、どうなんでしょうか?
683日本@名無史さん:2009/08/18(火) 23:15:27
最近どこかで城を包囲されてる守備側が
包囲側の後陣にいる寝返った武将を討つために城門を開いて打って出て
それを聞いた包囲側の前線にいる武将が
武士の情けとか言って感心しながら通してやる話をどこかで見た記憶があるんだけど
具体的にどこの戦いで誰の話だったのか思い出せずモヤモヤしてます

フィクションの話かもしれないけど
思い当たる人がいたらご教授いただけないでしょうか
684歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/19(水) 19:09:02
>>682
知らん

>>683
知らん

よっしゃこい
685日本@名無史さん:2009/08/19(水) 19:24:40
>>681
> 近世や近現代では古語辞典は滅多に使わない

ほいじゃあ、院生・研究者には大辞典以外の古語辞典はいらないってことですか?
686日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:10:29
くずし字辞典と漢和辞典を使う
687日本@名無史さん:2009/08/20(木) 00:32:04
家光の正室・孝子が隠居した「中の丸」って具体的にはどこ?

「北の丸と本丸の間」とか、「吹上の広芝と呼ばれている場所」とか、資料には
何となくは書かれているけど何処だかさっぱり判りません。

前者からすれば、駿河大納言忠長の屋敷の近所?後者なら旧御三家屋敷群の近所?
月に一度くらい思い出して眠れなくなる…
688日本@名無史さん:2009/08/20(木) 03:16:44
ここで武家自慢している人がいますが、ご存知の方はおられますか?
http://mbga.jp/.m9a8dd6.SnZorJCkDz/_dia_view?d=598209116&_from=nw96&guid=ON
689日本@名無史さん:2009/08/20(木) 07:20:45
>>677
高貴なお方の場合、固有の名前を呼ばないのが礼儀であったのですなあ。
これは古代中国からの伝統ですな。
本名は他人にはやたらに明かさないのが普通だったわけでな。
そこで諱(いみな)とか通称とかいうことがあったわけですな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

日本語と言うのは世界に類例を見ないほど厳密な言語でしてな、それゆえ主語を省略しても敬語や謙譲語、文脈などから明確に主語がわかるという特性がありますな。
要は、古語におけるお約束事さえ理解しておれば、間違えることはないのでござるよ。
690日本@名無史さん:2009/08/20(木) 07:23:37
ああ、ついでに申しておけば、このスレの博士殿は、ワシの目から見てもたいした御仁でありますな。
なかなかのお人でござるよ。
691日本@名無史さん:2009/08/20(木) 10:49:02
日本史の穴埋め問題なのですが…

1482  善政が銀閣建立
(〜89) 東山文化が栄える
    〔   ☆   〕の時代
1485  山城の国一揆

とあるのですが☆のところがさっぱりわかりません(汗)
どこの事を指しているのやら・・。教えてくださいorz
692日本@名無史さん:2009/08/20(木) 11:46:25
1489に死んだ人なら、足利義尚。
693日本@名無史さん:2009/08/20(木) 16:33:51
>>691
> 1482  善政が銀閣建立

これ↑は間違っている。善政ではなくて義政。

東山文化といえば足利義政の業績だが、その設問では、出題者の意図が不明確。
たとえば「足利義政」「応仁の乱後」など、と複数の回答が可能。
694日本@名無史さん:2009/08/20(木) 17:32:05
高校生が教科書片手に鼻膨らませてるスレですよね
695日本@名無史さん:2009/08/20(木) 19:26:33
岩倉具視と仁孝天皇がいとこ同士だったというのは本当ですか?

教えてください。
696歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/20(木) 20:20:31
>>687
吹上の広芝。明暦の大火で焼失しているはずで、その後どうなったかは知らない。

>>691
こういう悪問は考えるの楽しいね

「下克上」じゃないかな?

>>695
知らん

よっしゃこい
697日本@名無史さん:2009/08/20(木) 20:27:58
孝明天皇暗殺説についてはどのようなご意見ですか?
698歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/20(木) 20:51:34
>>697
いまさらどうしようもないよね

よっしゃこい
699日本@名無史さん:2009/08/20(木) 20:55:13
>>698
もっとはっきりとした答えを!
700歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/20(木) 21:51:13
>>699
現状残っている史料で言える範囲のことは言われているでしょう。学問的にはね。
疱瘡が回復に向かっているところの突然の急死だったから毒殺の可能性が等々と。
それ以上はどうしようもない。

学問を超えた範囲のこともいろいろ言われているけど、それはこのスレの守備範囲外。

よっしゃこい
701日本@名無史さん:2009/08/20(木) 22:32:34
>>700
では、博士の個人的予想ではどうなのですか?
702歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/20(木) 22:35:58
>>701
個人的には興味ないのよね

よっしゃこい
703日本@名無史さん:2009/08/20(木) 22:43:22
博士は民衆史なので政治史や軍事史はわかりません
まして近代前後はもっとわかりません

孝明天皇の毒殺疑惑もウィキペディアで調べたばかりです
704日本@名無史さん:2009/08/20(木) 23:19:29
Googleに頼りすぎだな博士w
705歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/20(木) 23:21:25
前近代はネットほとんど使えないでしょ?
試しにぐぐってみ

よっしゃこい
706学士:2009/08/20(木) 23:30:39
>696
>>691
>こういう悪問は考えるの楽しいね
>「下克上」じゃないかな?

どんな授業をやっている高校なのかスゲー興味がある

707日本@名無史さん:2009/08/20(木) 23:42:52
>>705
っ博士の正体は山野か武陽のどちらかだと思うが?
708歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/20(木) 23:49:41
>>706

出題者の意図は、戦国時代全体を特徴付ける「何とか」の時代を答えさせることにあると思う。
というか、深読みしてそう考えた。
>>691は、部分引用なんじゃないかな

>>707

武陽は知らないけど、山野はパート1スレにきて議論をふっかけてきてたよ、たしか

よっしゃこい
709学士:2009/08/20(木) 23:53:13
高校レベルで15cに下克上云云なんて授業やってくれるなら
俺もその高校にいきたかったな(遠い目
710日本@名無史さん:2009/08/20(木) 23:56:54
>>705
そうですか。了解です。博士は二人とは別人なんですね。
つか俺は博士と山野と武陽の三者を闘わせてみたいとマジ今思ったぜ!
711歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/20(木) 23:58:44
>>709

自分で答え出してからケチつけろよw

よっしゃこい
712日本@名無史さん:2009/08/21(金) 00:02:25
歴史学でも、博士号を持ってないのに教授、とかいう人は多いのですか?
713学士:2009/08/21(金) 00:07:21
ん?もう俺、キャラ設定変えたから以前のようにはしないよ
久久理比売は多分使わない

あと山野は勝手に回答していただけじゃなかったか
喪前と遊んでいたときは別コテ使ってたろ
それとブヨーは気にしなくていい
一・二年前に質問スレを荒らしていたから俺が叩き潰した
「複数の人間に攻撃されている」とか喪前と同じ反応を示したときはチトワロタ
714歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/21(金) 00:08:37
>>712
今はどうだろうね。
90年代前半に国が方針転換して文系でも博士をたくさん出すことにしてから
どんどん院生たちみんな博士をとったし、先生たちもとったからね。

なくて教授という人は定年でいなくなっているかもね 最近は

よっしゃこい
715歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/21(金) 00:13:49
>>712
誰だっけ?
716山野ブヨ子()笑):2009/08/21(金) 00:17:15
>>713
ブヨーに負けた口だなw奴は今年も板に常駐。この現スレにもカキコあり、じゃんw
717日本@名無史さん:2009/08/21(金) 02:09:38
>>714
文系博士が抑制されていた時代に、博士号を取得していた人は、特別優秀だったとか、単に運がよかったとか、一体どういう人たちなんですか?
718日本@名無史さん:2009/08/21(金) 13:54:08
博士の履歴

1975年 誕生
1987年 公立小学校卒
1980年 公立中学校卒
1983年 公立高校(偏差値50)卒 有名私大に落ちまくりで浪人へ
1984年 私立大学(偏差値45)文学部入学
1988年 私立大学卒 推薦で大学院文学研究科
卒論は「オナニー史の国際比較概論」
1991年 修士になる
修論は「身分階層別にみるセックスの違い」
1994年 紀要に「フェラの歴史と問題点」を発表
1995年 学術雑誌に「童貞はいつからバカにされたか」を発表
1997年 博士になる
博論は「オナニーでみる階級闘争史」
1998年 文学学術院長に女性教授就任
    変態扱いされて大学を追われてベットボトル工場勤務
2000年 2chの日本史板に初レス
2008年 ペットボトル工場スイッチ係の係長になる
719歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/21(金) 14:01:52
>>717
名を成した老大家の晩年か、若き日の佐々木潤之介(彼は戦後新制東大初の過程博士)

>>718
1 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 03/04/02 00:44
よし、かかってこいや

よっしゃこい
720日本@名無史さん:2009/08/21(金) 14:04:22
>>718
くくくく、暇だねえ。
721日本@名無史さん:2009/08/21(金) 18:50:48
博士 ロリ
山野 ホモ
武陽 レズ

よっしゃこい
722日本@名無史さん:2009/08/21(金) 23:06:59
山野氏、今どうしてるんだろう
723歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/22(土) 02:03:58
>>722
知らん

よっしゃこい
724日本@名無史さん:2009/08/23(日) 00:24:36
>>723
過去レスみると山野氏と武陽、博士は微妙に避けてるよなw意図的くちぇーw
725日本@名無史さん:2009/08/23(日) 02:18:49
韓国は任那日本府なんて存在しなかったのだといっていますが、日本の歴史学の知見ではどうなっているのですか?
726日本@名無史さん:2009/08/23(日) 15:29:38
荘園の仕組みが分からないんですが教えてくださいませんか?
727日本@名無史さん:2009/08/23(日) 16:29:02
>>722
世界史板の雑談スレにいるよ
728歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/23(日) 21:21:12
>>724
知らんのに意図があるわけない

>>725
諸説あり 朝鮮人の宣伝は関係ないよ

>>726
荘園全部?

よっしゃこい
729日本@名無史さん:2009/08/24(月) 17:27:18
ポケットマネーを増やしたい有力者(貴族や寺社)が新しい田畑を開墾させて私有したことが荘園の始まりです
その後は地方豪族が朝廷への徴税から逃れるために有力者に寄付することで荘園は増え
国によっては荘園と公有地が同じくらいの面積になりました
鎌倉時代には武士が地頭として荘園に派遣され、荘園領主と対立します
しかし室町時代になると次第に荘園領主の力は衰えて武士に侵略され
最終的には太閤検地で荘園制度自体が廃止になります

よっしゃこい
730726:2009/08/24(月) 19:08:05
有り難うございます(^o^)
731日本@名無史さん:2009/08/25(火) 14:37:10
幕末に薩摩や長州の兵が簡単に上洛してるが
沿道の大名は何やってんの?
732歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/26(水) 11:18:02
>>731
京都に藩邸があるし、武士が刀もって移動しても不思議なし

よっしゃこい
733日本@名無史さん:2009/08/26(水) 13:22:30
役にたたねー
兵力の移動と一介の武士の移動を混同してるとか

博士号修士号没収
学士からやりなおし
734歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/26(水) 14:43:57
混同してねーよw

よっしゃこい
735日本@名無史さん:2009/08/26(水) 19:17:19
では、任那日本府の存在は否定されたのですか?
736日本@名無史さん:2009/08/26(水) 20:14:38
小笠原、一条、姉小路、西園寺、と小説や漫画で「名家」によくつけられる
名字は信長の野望ではなぜ弱いやつらばかりなんですか?
737歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/26(水) 21:29:00
>>735
>>725
諸説あり 朝鮮人の宣伝は関係ないよ
738歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/26(水) 21:29:45
>>736
ゲームの話はスレ違い

よっしゃこい
739日本@名無史さん:2009/08/26(水) 22:43:25
>>731
沿道の大名は薩長が恐いので、小さくなってました が正解。
740日本@名無史さん:2009/08/26(水) 23:06:49
例えば水野忠邦の越中守のように、江戸時代の武士が国司みたいな肩書きを持っていますが、これって意味があるんですか?
仕事とか給料とかあるのかしら。貴族チックで嬉しいだけ?
741歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/26(水) 23:08:05
は?
742歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/26(水) 23:14:02
>>739
は?

>>740
格式でけっこう重要

よっしゃこい
743日本@名無史さん:2009/08/27(木) 00:22:47
蘇山ってどういう意味ですか?
744日本@名無史さん:2009/08/27(木) 00:33:47
人行六尺牛行四歩って
745日本@名無史さん:2009/08/27(木) 00:41:05
記紀編纂の1300年前の、当時まだ無名な神武の足跡が何故わかるのですか?
746日本@名無史さん:2009/08/27(木) 01:43:57
>>740
朝廷の官位は武士にとって憧れのシンボルのようなもので
自分を誇示して威厳を見せることに使うことが流行した
源義経が腰越状で「朝廷から官位を賜り一族の名誉」と言ってることにも現れてる

位を私称して自分を誇示している人なら古い話ではなく今このスレにもいる
wikipedia以下の知識のくせに博士と名乗ってえらそうにしてる人が

747歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/27(木) 02:29:27
>>746
強大な統一権力の江戸時代に私称する大名なんているわけないじゃんw

頭大丈夫か? 例の中世史の人かw

よっしゃこい
748日本@名無史さん:2009/08/27(木) 02:41:31
>>731
薩長は蒸気船含む軍艦をもってるんで、いくさの時は兵員を乗せて海路を一気に行く。
749日本@名無史さん:2009/08/27(木) 02:42:42
>>747
文盲博士乙ww
750歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/27(木) 02:58:01
>>749
江戸時代は実質的に武家の官位は幕府が決めてますのよ
おまけに家ごとに極位極官だしね

残念でしたね 例の中世史の人ですかw

よっしゃこい
751歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/27(木) 03:13:19
尾張と紀州が従二位権大納言、水戸と御三卿が従三位権中納言、
加賀前田が従三位参議が最高。

それで、城主格以上の大名が従五位下の国守に叙任される。
要するに、「大岡越前守」みたいなやつね。

国主(国持)・准国主・城主・城主格・無城のうちの城主格以上だからけっこうたくさんになる

家格として機能していたのよ

よっしゃこい
752日本@名無史さん:2009/08/27(木) 03:34:01
武家はけっきょく自力で価格の基準になるものを作りえなかったのよね。
新井白石あたりが官職の代わりになる勲爵位みたいのを作ろうとしてたらしいけど。
753日本@名無史さん:2009/08/27(木) 06:48:24
人行六尺牛行四歩ってなに?
754歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/27(木) 07:35:44
>>753

六尺進むごとに車輪は四回転する。

よっしゃこい
755日本@名無史さん:2009/08/27(木) 11:00:29
>>754
適当な事でゴマカスなよ
六尺幅を四回転させた車輪の直径は
約五寸しかないぞな
756歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/27(木) 13:09:33
>>755
だから木牛流馬なんていろんな形想像されるんじゃん

よっしゃこい
757日本@名無史さん:2009/08/27(木) 19:04:40
>>756

形が色々なのは、解釈の違いが後世そうさせただけです。
758歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/27(木) 19:51:35
>>757
同じこと言ってますが

よっしゃこい
759日本@名無史さん:2009/08/27(木) 20:07:10
博士の脳内では原田甲斐や小栗美作は朝廷から任官されている役職だそうです

江戸時代にも戦国時代とは少し異なるが位の私称はある
760歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/27(木) 20:15:12
>>759
極位極官が伝統化する前の話じゃんw

そういう時代から極位極官が制度化されるのですよ 3〜4代将軍の頃に

よっしゃこい
761学士:2009/08/27(木) 21:03:10
>例の中世史の人
多分俺のことだろうが巻き込まないでね
キャラは変えたが俺は誰ともつるまないという姿勢は不変だから
どっち側にもつく気はない

762日本@名無史さん:2009/08/27(木) 21:11:56
>>761
違うだろw
763日本@名無史さん:2009/08/27(木) 22:05:30
>>760
>>747で江戸時代と言ってるよ
自分のレスを忘れた?
764日本@名無史さん:2009/08/28(金) 00:46:10
尊王が民間に定着したのはいつ頃ですか?
765日本@名無史さん:2009/08/28(金) 00:51:41
「幕政の改革から開国と幕末の動乱」がテストの範囲なのですが、
何時代から何時代かが、アバウトすぎて分かりません。
出来たら何時代の何年頃から何年頃まで、というのを教えて頂きたいです。
どうかよろしくお願いします。
766日本@名無史さん:2009/08/28(金) 04:32:19
>>750
再び驚異的な文盲博士乙ww
767日本@名無史さん:2009/08/28(金) 04:55:07
日本において、変体漢文でなく、正格の漢文で書かれた文書が最も多い時代はどの時代ですか?
768日本@名無史さん:2009/08/28(金) 07:08:03
課程博士と論文博士、どっちが価値高いのですか?
769歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/28(金) 11:22:31
>>763
移行期とはそういうもの。

>>764
明治。

>>765
教科書みれ。

>>767
知らん。

>>768
それぞれ。

よっしゃこい
770日本@名無史さん:2009/08/28(金) 11:38:52
もう来なくていいよ。
771日本@名無史さん:2009/08/28(金) 13:01:21
文明開花についていろいろ知りたいのですが
おすすめの博物館とか資料とかあったら教えて欲しいです
772日本@名無史さん:2009/08/28(金) 15:25:44
旗本、少名、飛び地など
数百石、数千石の細切れの領土の警察権はどうなってたんですか?
領内の犯罪事件に対する警察とか司法は誰が行使してたんですか?
773歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/28(金) 18:57:39
>>770
だが断る。

>>771
岩波講座日本通史は古いかな?
その後、大して発展してないよ、この分野。

>>772
領主役人。後期の関東の場合は関東取締出役も。
村役人などは現地の下請けに過ぎない。大庄屋・郡中取締役がいる場合はそいつらも。

よっしゃこい
774日本@名無史さん:2009/08/28(金) 19:22:52
俗にいう八州廻りか。時代劇ではたいてい悪玉になってるやつだな。
775日本@名無史さん:2009/08/29(土) 03:13:50
尊王が定着したのは国学が流行した江戸時代
博士しっかりするんだ
776歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/29(土) 03:24:55
>>775
尊王が民間に定着したのは明治。江戸時代の国学なんて大して流行っていない。

よっしゃこい
777日本@名無史さん:2009/08/29(土) 16:52:25
尊王は明治政府の教育によって作られたと言いたいのか?

でも自由民権運動みると
激化事件を起こした首謀者でさえも天皇を称賛して藩閥を叩いてるからな
778歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/29(土) 17:14:31
>>777
移行期なので、江戸時代でも、尊王に目覚めている村役人層はいる。

大部分の村役人層が目覚めているか → ×
一般の村人を含めてどうか → ×

どう考えても、明治以降、という意味。

よっしゃこい
779日本@名無史さん:2009/08/29(土) 17:26:04
尊王の親玉は薩長
780日本@名無史さん:2009/08/29(土) 17:57:13
江戸時代どころか日本では有史以来
民衆は尊王心を持っている
だから神社を拝んでいた(江戸期にはお伊勢参りが流行)

これを否定しているのは左翼学者の偏見だ
博士は読む本を間違えたね合掌
781日本@名無史さん:2009/08/29(土) 18:44:24
コテ國學院も登場かw
782歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/29(土) 21:07:04
>>780
有史以来神社を民衆が拝んでいることを実証しないと駄目じゃんw

よっしゃこい

783日本@名無史さん:2009/08/29(土) 21:18:09
「百姓は王孫」という思想が中世にある

博士はどうせ知らないだろうが
784日本@名無史さん:2009/08/29(土) 21:27:39
154 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 03/04/07 02:23

博士の解答が一番レベルが低いのは何故ですか?

158 名前: 歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw 投稿日: 03/04/07 11:41

>>154
気のせい


6年たってもまるで成長がない(AA略
785歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/29(土) 21:31:30
実証はまだか!

有史以来民衆が神社を拝んでいたという史実の実証

よっしゃこい
786歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/29(土) 21:39:22
王孫も近江の本福寺の僧侶の記録だけじゃなくて全国的に出てくるの?
薩摩から津軽まで?

よっしゃこい
787日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:00:03
いつもアバウトにテキトーに言ってる博士のくせにww
788日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:01:24
一般の村人を含めてどうか → ×

の実証はまだか?
789日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:11:04
神道を信じない人とか前近代でいるのか?
僧侶でも信じてたが
790歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/29(土) 22:31:22
>>787
神道君と一緒にしないでよw

>>788
各地のサークル活動。

よっしゃこい
791歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/29(土) 22:34:10
>>789
神仏習合なんだからそういう言い方は正確じゃないわな

よっしゃこい
792日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:43:11
天皇やめて出家したら単なる僧侶なのに何で院政なるものが可能だったの?
お寺のもっている経済力や僧兵の武力を背景に国を動かしたということ?
793日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:47:43
東大教授の私に何でも聞きなさい。私が歴史なのだから。ははっはっは。
794日本@名無史さん:2009/08/29(土) 22:56:01
>>792
今でも社長より会長のほうが権力持ってる会社はある
院庁に寄進された荘園はたくさんあった
僧兵はむしろ朝廷や院にとっては政治を邪魔する足枷だろう

よっしゃこい
795日本@名無史さん:2009/08/30(日) 00:56:37
古事記や日本書紀あたりを原文で読むための
漢文の参考書って何かいいのありますか?
796日本@名無史さん:2009/08/30(日) 01:51:33
古事記・日本書紀は普通に原文読めるよ
国史大系の中でもボーナスステージだからな
797名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 07:44:03
じゃあ旧事紀や新撰姓氏録あたりを原文で読むための
漢文の参考書って何かいいのありますか?
798歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/30(日) 14:32:48
>>797
後世の注釈を参考にして辞書を引きながら
参考論文、著書を読みつつ、史料を読むしかない

よっしゃこい
799名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:16:11
最後に任地まで行った国守って何処に行った誰ですか
800名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:18:21
防人って過剰防衛じゃないですか?
どこの国からそんなに必死に守らなきゃいけなかったの?
もしかして嫌がらせの口実ですか?
801歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/30(日) 18:41:44
てすと
802日本@名無史さん:2009/08/30(日) 19:05:47
>>799
江戸時代では
国持ち大名で自分の領国通りに○○守に任官される場合がある
例えば土佐藩主山内容堂は土佐守

よっしゃこい

>>800
白村江の合戦というが
朝鮮半島の内戦に介入しようとして唐・新羅連合軍に大敗した
以来、唐や新羅の来襲を恐れて防人を設置した

よっしゃこい
803歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/08/30(日) 21:42:39
自民党負けすぎw

よっしゃこい
804日本@名無史さん:2009/08/30(日) 21:45:57
新羅の脅威は皮肉なことにむしろ防人を廃してから高まってるんだよね。
まあ新羅の正規軍じゃなくて流民や海賊だけど。
805日本@名無史さん:2009/08/30(日) 23:50:46
秀吉の死後に家康は軍勢を関東から京都へ集めたんですか?
806日本@名無史さん:2009/08/31(月) 19:12:18
秀吉以後、次に彼に相当する権力を持った人物は誰ですか?
807日本@名無史さん:2009/08/31(月) 19:18:31
工藤秀春
808日本@名無史さん:2009/08/31(月) 19:24:31
検索で出てきませんでした
809日本@名無史さん:2009/08/31(月) 20:09:46
うちの祖父です。
810日本@名無史さん:2009/09/01(火) 08:36:39
秀頼&茶々・・・実は高台院
811日本@名無史さん:2009/09/01(火) 12:42:23
弥生時代の技術で旧帝国海軍の正規空母を解体する場合、どの程度の時間と労力が必要でしょうか?
812日本@名無史さん:2009/09/01(火) 13:20:33
弥生時代の技術で旧帝国海軍の正規空母を建造する場合、どの程度の時間と労力が必要でしょうか?
813日本@名無史さん:2009/09/01(火) 19:59:53
明治維新後のことなんですが、朝鮮とか対韓政策ってなんで別々に使ったりするんですか?朝鮮なら朝鮮に統一すればいいのにって思ったんですが…
814日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:27:17
チョンでよくね?
815日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:02:58
古代では百済・新羅・高句麗を合わせて三韓と呼ばれていた
一方で史記では朝鮮という明記もされている(古朝鮮)

1897年に李氏朝鮮は大韓帝国に改名したため韓国併合という
しかし日本人には朝鮮という名称の方が知られており、併合後は朝鮮総督が置かれた

現在では両方呼ばれている(北が朝鮮、南が韓を国名の一部にしている)

よっしゃこい
816日本@名無史さん:2009/09/02(水) 00:49:45
三韓の定義が違う。日本で研究されている朝鮮史において、それぞれこの言葉は、

三韓:中国の漢代に朝鮮半島南岸にあった、
    漢統治地域外の「馬韓」・「弁韓」・「辰韓」の三地域を指す。
    後にそれぞれ国家形成が進み、百済・任那・新羅の三つの国家となる。

三国:任那は弱小で百済・新羅に侵食され国家としては成長しなかったので、
    代わりに中国東北部(満州地方)に国家を建てた高句麗を加えた、
    高句麗・百済・新羅の三国を指す。
817日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:09:54
日本とも倭(和)ともいうように、朝鮮とも韓ともいうだけだよ。

>>816
なんかずれてる。三韓という語はたしかに馬韓、弁韓、辰韓をさすが、
史料によっては高句麗、百済、新羅の三国のこともいう(『日本書紀』、『旧唐書』)。
818日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:14:31
高句麗は韓には含まれないはずだが?
819日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:18:50
そう書いてる史料があるんだからしょうがない。
820日本@名無史さん:2009/09/02(水) 01:58:24
大化の改新の話にも出てくる
三韓からの使者がやってきて、その国書を天皇や重臣の前で読まれている所を中大兄皇子が(略
821歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/03(木) 00:02:12
朝鮮ネタは盛り上がるね

よっしゃこい
822学士:2009/09/03(木) 00:32:47
では、こういうネタはどうだ?

・小沢の不正献金の件で西松の社長を逮捕したら、その日たまたま西松元専務が死亡。
・その3日後、重要参考人だった長野知事の元秘書がたまたま自殺。
・その後、小沢を告発していた元議員がたまたまソウルで心臓発作で死亡。
・民主支部家宅捜査の翌日にたまたま民主事務所から出火して全焼、全資料焼失。
・火事の第一通報者がたまたま民主党員の秘書だった。
・しかし「第一通報者は通行人」と報道した番組が複数あった。
・平成16・17年に鳩山の収支監査をやった花田順正税理士が衆院選の前日にたまたま心不全で死亡。
┌─────┐
│偶 然 だ ぞ |
└∩───∩┘
  ヽ(`・ω・´)ノ
823歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/03(木) 03:28:51
>>822
スレ違い

よっしゃこい
824歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/03(木) 18:08:00
てすと
825日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:26:51
博士のトリが前のトリと違いますが
どこかで変わりましたか?

826日本@名無史さん:2009/09/04(金) 00:22:22
>>825
偽物だよ
827博士 ◆BkKgAVQo4. :2009/09/04(金) 00:27:42
初期はこれかな

途中で変えたのよ

 歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw
 歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs

は同一人物だよ
828博士 ◆BkKgAVQo4. :2009/09/04(金) 00:28:23
あれ? 違うね

なんだったかな
829歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/04(金) 00:35:49
まあいいか
830初期博士 ◆b3.0tlv6E. :2009/09/04(金) 00:40:38
てすと
831日本@名無史さん:2009/09/04(金) 14:03:47
後の青牛、武陽、仙台藩百姓、博士の4人は子供の頃に仲間だった
そして彼らは「よげんの書」を作り秘密基地に埋めた

「2003年、はかせがあらわれて、人類にれきしを教えるだろう
 れきしをめぐって人々があらそいをおこす中で
まちがったれきしを教えることで人類をせんどーするだろう」

2003年、日本最大の掲示板2chの日本史板にこんなスレが立つ
「歴史学博士の俺様があらゆる質問に即答するスレ」

ほどなく日本史板は会津や南部などに関する終わりなき泥沼の低レベル論争が展開される
心ある者が「日本史板被害者の会」を立ち上げるが
青牛、武陽、仙台藩百姓は「よげんの書」通りであることから博士の陰謀と疑う。

ところが博士の宣伝工作が効果を発揮し、逆に彼らが荒らしとみなされてしまう

やがて博士のスレは6年経ち成長していった
博士は日本史板大統領と呼ばれるようになった
http://www.youtube.com/watch?v=qpmU4xnmxlQ
(続く)
832日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:10:31
ヤマネ…山野
万丈目…太国
833日本@名無史さん:2009/09/04(金) 22:10:39
もんちゃんメモ

2 :元常連 ◆QOYuzJdqhs [sage]:03/03/10 22:37
ほほー

1 :歴史学博士の俺様 ◆5bPHc0xjTw :03/05/30 22:45
いよいよ夢の第四弾。
834日本@名無史さん:2009/09/05(土) 14:42:39
新田義貞、楠木正成、北畠顕家が討死した後も南朝が何十年も続いたのはなぜですか?
高帥直が吉野を焼き打ちした時にどうして滅亡しなかったんですか?
835日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:03:21
即答がありません
836日本@名無史さん:2009/09/06(日) 09:45:01
楠木正成の子が生き残ったから?
837日本@名無史さん:2009/09/06(日) 10:26:19
当時の武家に嫡子相続の習慣があって
二男以下が南朝に付いたからでは?足利直冬なんて父親への反発で父親の仇敵、南朝に味方してた様なもんでしょ
相続の仕方に欠陥があったんだよね
838日本@名無史さん:2009/09/06(日) 12:54:13
博士が答えてないのに答えちゃだめ。しつけがなってないなあ。
839日本@名無史さん:2009/09/06(日) 15:08:50
「歴史学博士らが」と書いてあるし
840日本@名無史さん:2009/09/06(日) 15:53:25
数年前に調べたことですっかり忘れたので、質問させてください。

・昔、真夜中に日本のどこかの村に外国の船が座礁。
・村人たちが船員や、客員(って言えばいいのかな?)を救出した。
・その村には通信手段がなく、更に真夜中のため、日が明けるまで、座礁した船の乗員を介護した。

この事件の名前を知りたいのです。確か、カタカナであまり聞かない単語でした。
更にもう一つ、この事件の後日談があります。

・その事件の何十年か後、どこかの戦争で、空路が封鎖されるという情報があり、封鎖後に空にあるものは打ち落とすという
情報が入った。そのとき、数人の日本人が取り残されるかもしれないという事態が起こった。
その際、一基のヘリがその地に降り立って、取り残されそうな日本人を救った。
日本人が礼を言うと、「○○の時の恩を返しただけだ」と言った。

この時、日本に座礁して救った、という前半の部分が、○○事件 という名前で残っていると思うのですが、
誰かその名前を知っている人はいますか?
841840:2009/09/06(日) 15:58:56
>>840です。
ごめん、解決しました。
エルトゥールル号海難事件でした。
お騒がせしました。
842840:2009/09/06(日) 16:01:50
>>840です
エルトゥールル号遭難事件でした。
843歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/06(日) 19:34:22
開かれたスレを目指しているから
誰が答えてもいいのよ

よっしゃこい
844日本@名無史さん:2009/09/06(日) 21:05:11
今井源衛という国文学者が、「最近の院生は漢文が読めない」と嘆いていたのですが、歴史学でも漢文の読めない院生はいるんでしょうか?
845歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/06(日) 21:20:16
>>844
古代史と中世史を除くと読めないと考えた方がいいです

よっしゃこい
846日本@名無史さん:2009/09/06(日) 21:21:48
>>844 基本的に読めるのだが、ゆとり教育の影響、受験生が減少し大学側が科目を減らしたり難度を下げたことによって読めない人もいる。
847歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/06(日) 21:25:47
大学入試レベルでは読めるけど
国文学者が言っているレベルでは読めないと思うよ

よっしゃこい
848日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:04:28
今井源衛氏は「返り点さえ読めないのがいる」とまで言ってるんですけど。
849歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/06(日) 22:35:26
じゃー入試レベルにも達していないヤツという意味じゃないの

大学によってはいるでしょ

よっしゃこい
850日本@名無史さん:2009/09/06(日) 22:54:56
近現代史専攻の人はほぼ漢文など読めぬ
851歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/06(日) 23:48:20
古語の活用が分からないとか間違っているとかもよくあるからね

よっしゃこい
852日本@名無史さん:2009/09/07(月) 00:09:48
簡単に修論作るテクニック教えて
853歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/07(月) 00:51:16
>>852

1)近世史か近代史を選択する。
2)史料所蔵機関の目録を見る。
3)4万点以上の史料群を選ぶ。
4)目録の解題を読み、論点を決める。
5)解題に参考文献が載っていたら読む。
6)論点に即して史料を読む。
7)修論を書く。

よっしゃこい
854日本@名無史さん:2009/09/07(月) 01:11:39
世阿弥は佐渡島で亡くなったのでしょうか?それとも京に戻れたのでしょうか?
一応墓というか墓碑は京都にあるようですが。
それと、元雅は伊勢に一人で何しに行ってたんでしょうか?
855日本@名無史さん:2009/09/07(月) 02:08:19
世阿弥一家は南朝とのパイプがあったといわれている
一説には楠木家と血縁があったとも

伊勢には南朝の重鎮北畠氏がいますな
856日本@名無史さん:2009/09/07(月) 02:11:05
よっしゃこい
857日本@名無史さん:2009/09/07(月) 02:14:44
 日本史には「天皇が東から来た」とする勢力と「西から来た」とする勢力の争いがあり、平将門の乱や源平の合戦、南北朝などはそこに起因するという話は本当ですか。
858歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/07(月) 03:00:34
>>854
不明としか言えんですな

よっしゃこい
859歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/07(月) 03:01:46
>>857
うそ

よっしゃこい
860日本@名無史さん:2009/09/07(月) 19:20:46
質問します

@江戸時代、帰農した元武士は平民と同じ税を払うのでしょうか?
A半農半士の場合は? また、その場合は武士としての俸禄は貰えるのでしょうか?

B維新後の官公吏は武士出身者が占めて公募や試験が無く、徴兵免除があるなど
特権的な支配階級だと思うのですが、官公吏の職が庶民にも平等に開かれたのはいつですか?
また、徴兵免除特権が無くなったのは明治何年でしょうか?
861日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:32:01
博士がwikipediaをネットサーフィンして調べていますので
しばらくお待ちください
862歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/08(火) 01:36:52
>>860

1) → 同じ

2) → 貰える場合もある。

3) → 知らん

よっしゃこい
863日本@名無史さん:2009/09/08(火) 01:43:09


なんかスレタイの割りにショボイな
864歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/08(火) 02:31:12
質問があり、答えがある。
それ以上でもなく、それ以下でもない。

よっしゃこい
865日本@名無史さん:2009/09/08(火) 04:07:05
鳩山幸さん、旧姓を隠すのはやめなさい

32 :可愛い奥様:2009/09/07(月) 17:26:48 ID:pDo5svgD0
764 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 01:04:07 ID:/WrcABwtO
北海道苫小牧在住の者ですが、老人ホームで暮らす朝鮮人のお婆ちゃんから聞いた話です。
幸夫人のごお父様は中国人ではなく、キム・ジョンウォン(漢字不明)という朝鮮北部出身の貿易商だったようです。
戦後は日本に渡り、幸さんが渡米するまでは神戸の商社に勤めていたようです。
キムさんは幸さんが渡米した直後、北海道室蘭に引っ越し、貿易商を営みながら総連支部の設立に尽力されたと話しておりました。
中国語・英語・ロシア語がお上手だったようですね。

827 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 12:54:37 ID:/WrcABwtO
鳩山夫人のことは、朝鮮日報も絶賛してます。

866 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 18:53:04 ID:/WrcABwtO
宝塚時代はこんちゃんのニックネームで呼ばれていたようですね。
宝塚のニックネームはたいてい、名字か名前に由来しており、名字に”こん”が含まれるのは、間違いないと思います。

886 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 21:02:15 ID:/WrcABwtO
両親の名前や顔写真が出せないと言うことは、上海で非合法な手段により手に入れた戸籍を使って、
不正に入国したなりすまし日本人としか思えないのだが。
866日本@名無史さん:2009/09/08(火) 12:20:47
これらのことに当てはまる首相って原敬のことであってますか?
・在任中日本初のメーデーが行われた
・ヴェルサイユ条約に調印
・青年により東京駅で刺殺された
867歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/08(火) 15:50:24
>>866
YES

よっしゃこい
868日本@名無史さん:2009/09/08(火) 22:11:15
現代語訳お願いいたします。

借用仕金子之事
 合五拾枚(黒印)者
 右此秋八田伊与代官之内   (右=本文タテ書きです)
 にて慥返進可仕候、此由
 御申上頼入候、以上
     岡山中納言(黒印)
869歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/08(火) 23:04:22
>>868

借用つかまつる金子(きんす)のこと
あわせて五十枚
右この秋八田伊与代官のうちにてたしかに返進(へんしん=返すこと)
いたします、このことを申し上げ頼み入ります、以上
    岡山中納言(=小早川秀秋)
870歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/08(火) 23:05:47
よっしゃこい
871日本@名無史さん:2009/09/09(水) 00:13:45
>>869
なあ、博士。どうやったら候文が読めるようになるんだい?
872歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/09(水) 00:54:02
>>871
読み下し文にし

候は丁寧語に訳す

とりあえず、直訳してみる

よっしゃこい
873歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/09(水) 01:15:17
>>868
私の訳の正否は別にして、いくつかのパターンを述べてみるかな。
深夜は質問少ないしね。

一行目

借用仕金子之事

慣れていれば史料の表題部分だと気づく。
「○○之事」(のこと)というのがひとつのパターン。
借用は読めるだろう。金子も。「仕る(つかまつる)」がどうか。
これも表題のパターン。

「差上申○○之事」=差し上げ申す○○のこと
「差入申○○之事」=差し入れ申す○○のこと
「質入申田地証文之事」=質入れ申す田地(でんち)証文のこと

慣れていれば、「仕る」の一択なのです。

つづきは暇なときに。
874日本@名無史さん:2009/09/09(水) 01:39:04
>>869
自演ですね
著名な文書を持ち出してます。あんちょこに頼ることできますからねw次は著名じゃない文書を解読していただこうかなw
875歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/09(水) 01:54:39
>>874
712 名前: 名無氏物語 投稿日: 2009/08/26(水) 11:56:39 ID:MDfUkRvd
現代語訳お願いいたします。

借用仕金子之事
 合五拾枚(黒印)者
 右此秋八田伊与代官之内   (右=本文タテ書きです)
 にて慥返進可仕候、此由
 御申上頼入候、以上
     岡山中納言(黒印)
 卯月廿日      (黄印) 花押
 
 御客人
   御披露
*****
さすがにこんな数日前から手の込んだ自演とかするわけないだろw

よっしゃこい
876日本@名無史さん:2009/09/09(水) 02:03:26
>>874
    ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ   古文・漢文板から、わしが誘導した
  .しi   r、_) |   
    |  `ニニ' /
   ノ `ー―i´
877日本@名無史さん:2009/09/09(水) 02:15:11
岡山中納言は小早川秀秋と決めれるのか?
宇喜多秀家かもしれないぞ
878日本@名無史さん:2009/09/09(水) 05:39:27
宇喜多秀家が「岡山中納言」を名乗ってた史料は知らないなあ
「備前宰相」なら名乗ってたけど
879日本@名無史さん:2009/09/09(水) 05:41:27
>>868 です。
ありがとうございました。
現代語訳スレでこちらで質問すれば、といわれ
してみて正解でした。
880日本@名無史さん:2009/09/09(水) 13:49:42
『羊は未来を拓く(記録集・羊シンポ89 盛岡)』の本のうち、
楠本正雅弘氏が書いておられる、「我国におけるめん羊振興政策の歴史と課題」において、
P232「薩摩藩が江戸時代初期に蔚陵島からねん羊を導入していた」旨が
れていますが、本にはどこからのソースなのか記載がありません。
何か一次資料の心当たりがをご存知の方ご教示お願いいたします。 
881日本@名無史さん:2009/09/09(水) 17:23:31
>>874
ぶよう(山野)乙
882866:2009/09/09(水) 19:09:29
>>867
ありがとうございました。
883日本@名無史さん:2009/09/09(水) 22:23:01
>>860
B 1894年の高等文官試験(高文試験)で本格的にスタート

よっしゃこい
884歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/09(水) 23:37:57
>>883
おおっ!

よっしゃこい
885日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:24:03

鳩山幸さんはサイエントロジーというカルトと関係があるという噂があります。
http://an☆tikim☆chi.s☆ees☆aa.net/arti☆cle/127☆5788☆50.html←日本アンチキムチ団

━━━鳩山総理の妻、鳩山幸さんの旧姓と出自が不明だそうですよ。━━━
764 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 01:04:07 ID:/WrcABwtO
幸夫人のごお父様は中国人ではなく、キム・ジョンウォン(漢字不明)という朝鮮北部出身の貿易商だったようです。
戦後は日本に渡り、幸さんが渡米するまでは神戸の商社に勤めていたようです。 キムさんは幸さんが渡米した直後、
北海道室蘭に引っ越し、貿易商を営みながら総連支部の設立に尽力されたと話しておりました。
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 2
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1252279762/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「 韓国で行方不明になった日本人女性 6 5 0 0 人 」 被害者家族が訴え
http://bl☆og.liv☆edoor.jp/news2chplus/archives/50☆663☆2☆24.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
李鵬が言ってた、20年後に日本なんてなくなるって、こういう事か。

1000 :名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 21:55:04
鳩山:「譲歩を引き出しました。ソースコード開示しなくてもいいそうです。やったー!」
でもEAL3並みの要求を飲まされる。日本の適合性評価機関は承認されない。
結局技術はばっちり漏洩する。終わり
↓↓↓
↓↓↓
【国際】 中国 「IT製品、ソースコード開示せよ。情報漏洩はないから」…日本側が撤回求めるも、予定通り実施へ★6
http://s02.megalodon.jp/2009-0912-0150-53/pc11.2ch.net/test/read.cgi/os/991481942/89-90
886日本@名無史さん:2009/09/12(土) 12:47:29
歴史という学問の必要性を教えてください。
887日本@名無史さん:2009/09/12(土) 19:53:59
近代史板の質問スレがなくなっているので、こちらせ質問させてください。

国際連盟から日本が脱退してから世界から孤立化していったというのが通説ですが?
これって本当なのでしようか?

翌年にはベーブルース達が来日してますし、40年に開催予定だった
オリンピック、日本万博に各国が参加表明していたのを見ると連盟脱退が
孤立化を招いているように見えないのですが…

博士、宜しくお願いします
888日本@名無史さん:2009/09/13(日) 22:32:54
1991年から日米貿易交渉にCIAが
工作活動を始めたそうですが(米公文書に記録があるそうです)
安保条約を結んだ同盟国に対して
工作活動を行うことは国際法上、あるいは慣例的に
問題は無いのでしょうか?
889日本@名無史さん:2009/09/14(月) 10:22:52
>>888
アホ?
890日本@名無史さん:2009/09/14(月) 11:32:57
謀略に国際法もへったくれもないよ
891日本@名無史さん:2009/09/14(月) 18:50:36
何故日本人は、自民族固有の髪型や服装を捨て、
欧米人の様な髪型や服装をするようになったんですか?

特に明治の頃の日本人は、欧米人の格好をすれば、
日本が侵略や植民地支配から免れるという迷信を信じてたんですか?
892日本@名無史さん:2009/09/14(月) 18:52:11
流行だから
893日本@名無史さん:2009/09/14(月) 19:14:37
チョンマゲ不便だろ。
毎日月代剃るのめんどくさいし、枕はビンづけ油でベトベトになるし、
油で固めなきゃバサバサになるし、洗って乾かすのも面倒だし。
禿げたら、残り少ない髪でマゲ結うのもめんどくさいし。

不精者には散切り頭は天の恵みというか福音だったろう。
894日本@名無史さん:2009/09/14(月) 20:21:47
 ちょんまげは、はげの人が考案したヘアスタイルじゃね?
895日本@名無史さん:2009/09/14(月) 20:51:11
あんまり禿げすぎてマゲも結えないくらい薄毛になってしまったら、
残り少ない頭髪で無理やりマゲを結うよりは、剃髪した方がめんどくさくない。

江戸の隠居さんが坊主でもないのに剃髪してるのは、そんな事情もあったんでは?
896日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:25:02
月代は、老人を敬うことと関係あるのかな。年とって禿げたのを真似たとか。
弁髪は周りを剃るけど、なんか、髪を部分的に剃る文化って、共通性があるのかな。
897日本@名無史さん:2009/09/15(火) 00:52:01
蒸れるから
898日本@名無史さん:2009/09/15(火) 09:37:04
歴史学者じゃないけど、
戦国時代、戦闘中に兜をズレにくくする(頭皮と兜が密着するので固定しやすい)為に頭頂を剃り始めた
と聞いた事ある>チョンマゲの由来
899歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/15(火) 19:23:37
>>891
それがグローバリゼーションです

よっしゃこい
900日本@名無史さん:2009/09/15(火) 19:51:14
>>893
おバカさん
ファッションてわかる?
901日本@名無史さん:2009/09/15(火) 22:31:22
真田幸村の初陣が小田原攻め(1590)
しかし1歳上の信幸は1582年から戦闘に出ている

どうして幸村の初陣は遅れたの?
902日本@名無史さん:2009/09/16(水) 01:57:00
>>891
迷信でもなんでもなく、
西洋風の身なりをしていない人間は未開の蛮人、という風潮は現在もある。
903日本@名無史さん:2009/09/16(水) 08:24:56
 ,-======-、
 |n_j_ij__j__ji_j|
  (´・ω・)   <よっしゃこい
  ,ノ゙゙゙゙゙ハヽ、
  `〜ェ-ェー'   
904日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:13:24
平安時代の女性貴族や女官たちは、生理のときはどのように対処していたのですか?
905日本@名無史さん:2009/09/16(水) 23:48:14
戦国時代に、具体的に上洛してなにするの? メリットは何かあるの?
906日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:11:08
近隣大名や領内の豪族に対して威張ることができる(or正統性を発揮できる)
朝廷や幕府の支配力が衰えても官職への権威はまだまだ高かったから

よっしゃこい
907日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:14:41
権威をもとめるという理由もあったかもしれないけど、
現実的には京都を中心とする畿内の経済圏を掌握するためでは?
908日本@名無史さん:2009/09/17(木) 09:05:12
平安時代の女性達は生理の間は籠もってました。
籠もる為の小屋があったそうです。
あるいは宿下がりですね。実家へ帰ります。
909日本@名無史さん:2009/09/17(木) 11:05:37
Wikiかなんかで長野業正様が信玄の五度に渡る侵攻を追い払って、『業正がいる限りかの地には手が出せぬ』と信玄を嘆かせたのは本当でっか〜?
910歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/17(木) 17:57:37
>>887
脱退が即という話ではないんじゃない?

よっしゃこい
911歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/17(木) 18:00:42
>>909
うそ

諱で呼ぶはずがないので。

よっしゃこい
912日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:45:02
北条早雲の凄さおせーて
913記憶喪失した男:2009/09/17(木) 22:30:36 BE:1163308537-2BP(0)

文献を探しています。
日本の古代中世の兵器の歴史に関して書かれた本で、
矢の矢羽が、最初は二枚。
つづいて安定性のために四枚になり、最終的に回転するため三枚になったことが
書いてある一般書籍です。題名を

教えていただけるとありがたいです。
作者名もお願いします。
十年以上前の本です。
914記憶喪失した男:2009/09/18(金) 09:19:13 BE:2991362696-2BP(0)

「鎧」のウィキディアに日本の鎧の歴史がないので、
ノートの記事を参考に書き加えてください。
915歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/18(金) 14:24:45
>>912
伝記類を読めばいいんじゃない?

>>913
知らん

よっしゃこい
916日本@名無史さん:2009/09/18(金) 16:36:26
今の源氏の棟梁は、誰ですか?
917日本@名無史さん:2009/09/18(金) 20:06:08
元さん
918日本@名無史さん:2009/09/18(金) 21:13:57
最近のゆとりは元さんすら知らないんだな。
919日本@名無史さん:2009/09/19(土) 05:41:18
源氏名の子
920日本@名無史さん:2009/09/19(土) 08:47:59
京都の私大勤務の足利某さん。
古河公方が喜連川藩主として江戸時代に残り、明治になって足利姓に戻した。
921日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:08:22
>916
源氏の棟梁の証である鷲の羽は、現在久我家の手を離れて石清水八幡に納められている。
したがって棟梁はいないと言うべきだと思う。
922日本@名無史さん:2009/09/19(土) 12:10:48
あ、「源氏と日本国王」 (講談社現代新書) に詳しく考察されてるから見てね。
923日本@名無史さん:2009/09/20(日) 03:27:28
卑弥呼は存在する人物なの?
924日本@名無史さん:2009/09/20(日) 14:28:53
正史である魏志に登場する以上、魏使は直接会っているはず。
いたんじゃない? 少なくとも向うはそう思ったはず。
925日本@名無史さん:2009/09/20(日) 15:35:27
小野小町に膣がなかったとゆうのは本当なんでしょうか?
926日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:04:02
深草少将に尋ねてね。
927日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:13:35
沖縄が日本の領土になった経緯を教えて下さい。独立国だったんでしょ?
928日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:29:43
駄薩摩の侵略
929日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:12:29
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
930日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:43:29
ハト麦 玄米 月見草
931日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:17:24
昔から、政権の交代は源・平の繰り返しと言われてますが、
いまの政権は、源氏ですか平氏ですか?
932日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:24:39
ガトーショコラと言うフランス名の菓子は、
日本で発明されたそうですが、
何故日本人は日本起源の物に日本的な名称をつけないんですか?
933日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:46:58
剣豪が上泉伊勢守とか柳生但馬守とか
忍者が服部巖見守とか百地丹波守とか
誰から授かるのですか?
934日本@名無史さん:2009/09/24(木) 08:24:24
16世紀のヨーロッパ人の来航で、日本人の世界観やヨーロッパ人の世界観がどのように変化したかがわかる文献はありますか?
935日本@名無史さん:2009/09/24(木) 08:26:34
誤:ヨーロッパ人の世界観
正:ヨーロッパ人の日本観
936日本@名無史さん:2009/09/24(木) 10:15:24
>>394
「近代薬物発達史」宗田一著を読むと、ヨーロッパでいかに戦争、伝染病の
発生が多かったかがわかり、当時の日本人の世界観がわかる。
937日本@名無史さん:2009/09/24(木) 14:37:39
仮名文字が50音順に並べて使われるようになったのっていつごろからですか?
938記憶喪失した男:2009/09/24(木) 21:21:58 BE:3489923579-2BP(0)

>>915 文献見つかりました。
「弓矢と刀剣」近藤好和著でした。良本です。
おすすめします。
939日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:44:51
今さらと言えば今さらですが成田山と直江兼続の関係を今になって知りたくなってまいりました・・・

こんなヘタレに教えていただけませんか?
940日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:46:36
愛染明王の立像と言えば、成田山新勝寺。
941日本@名無史さん:2009/09/26(土) 02:11:54
本阿弥光悦って阿弥号名乗ってるくせに、何で日蓮信者なの?
阿弥陀様に喧嘩売ってんの?
同朋衆だからとか言い訳にならないんだから
942日本@名無史さん:2009/09/26(土) 03:20:39
組合派でもマーチンルーサー・キング牧師というが如し
943日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:17:09
大佐でなくともカダフィー大佐。将軍でもないのに将軍様。
944日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:46:41
平氏なのに梶原源太といふが如し。
945日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:43:59
>>941
船員でもないの女子高生はセーラー服着てる。しかも可愛いw
それと同じだアホ
946日本@名無史さん:2009/09/26(土) 16:20:23
セーラー服の起源は京都の平安女学院と
福岡の福岡女学院が争い、平安の押し出しで勝ち。
947日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:30:41
アメリカが日本に対し開国を迫る艦隊の旗艦を、
日本名の佐助花号にしたのは何の為ですか?
948日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:30:38
露助に対抗するため。
949日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:31:37
>>948
嘘吐くな
950日本@名無史さん:2009/09/27(日) 07:24:58
いい加減な質問にはピッタリの回答じゃないか。
951日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:45:29
大企業の社長も尊敬していて、昔、財政の再建に成功した人って誰でしたっけ?
あと、この人の名前が駅名になっています。
952日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:48:51
唯授一人ってなんて読むんですか?
953日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:26:53
>>951
二宮金次郎

>>952
ただひとりにさずくのみ
954日本@名無史さん:2009/09/28(月) 00:01:41
>>952
ただひとりにさづくるのみ
955日本@名無史さん:2009/09/28(月) 00:06:10
織田信長の家臣であった弥助(黒人)についての資料を探しています。

どなたか良い資料をご存知でしたら教えてください。
956日本@名無史さん:2009/09/28(月) 02:26:43
>>953
すみません、その人じゃないです。
思い出したので追加の情報です。
本来は先端が一枚刃だった鍬を先端が3つに分かれた鍬にした人です。ちなみにその鍬はその土地の鉄を使っています。
その鍬を広めるために全国に営業した。現在の東国原知事みたいなもの。
今まで発行していた債券を全額買い戻し、新たな債券を発行して貨幣の信用を戻した。
957日本@名無史さん:2009/09/28(月) 10:32:18
鍬田佳祐じゃ。
958歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/28(月) 20:30:03
>>956
たぶん、大蔵永常 かな?

少し間違った情報が混ざっている気がする

よっしゃこい
959日本@名無史さん:2009/09/28(月) 21:49:13
960日本@名無史さん:2009/09/29(火) 02:09:59
>>957
違います。
>>958
ここまで農業に特化した人ではないです。区別するなら財務大臣みたいなものです。
情報は最近テレビで特集やっていて、とても印象残っているので、自信持って言えますが間違っていません。
それなのに名前だけが・・。
961日本@名無史さん:2009/09/29(火) 02:11:02
山田方谷だと思われ

よっしゃこい
962日本@名無史さん:2009/09/29(火) 02:42:29
>>961
だね。歯が複数に分かれてる鍬ってのは備中鍬だ。
963歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/09/29(火) 05:23:06
山田なら備中鍬とは何の関係もないんじゃない?

彼が生まれたときには関東でもすでに一般的な農具だったよ

よっしゃこい
964日本@名無史さん:2009/09/29(火) 07:42:49
>>961
当たりキター!
本当にありがとうございました。
答えていただいたのに恐縮ですが、鍬の件は放送では先に言った通りで番組が作られておりました。
965日本@名無史さん:2009/09/29(火) 11:17:23
歴史学博士は歴史学修士に降格となりました
966日本@名無史さん:2009/09/29(火) 13:51:10
歴史博徳 れきしのぽすどく
967日本@名無史さん:2009/09/29(火) 19:40:39
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
968日本@名無史さん:2009/09/29(火) 23:08:10
時代劇とかで見る昔の掛け布団って、
着物の形をしていますが、あれはそのまんま着物なんでしょうか。
969日本@名無史さん:2009/09/30(水) 00:03:41
石田三成が関ヶ原に陣を敷かず大阪城に籠城したらどうなっていただろう。
970日本@名無史さん:2009/09/30(水) 01:48:12
掻巻(かいまき)、丹前、どてら。
袖のある夜具として、室内着にも使った。
971日本@名無史さん:2009/09/30(水) 01:52:34
掻巻や丹前はまだ使われてるよね。
このあいだテレビショッピングで売ってるのをみたわ。

もともとは布団とかなくて着物をかけて寝てたところに始まるわけだけど。
972968:2009/10/01(木) 02:00:49
>>970-971
なるほど、やはり着ているものを掛けていたということですね。
973日本@名無史さん:2009/10/03(土) 05:42:16
借用仕金子之事
 合五拾枚(黒印)者
 右此秋八田伊与代官之内   (右=本文タテ書きです)
 にて慥返進可仕候、此由
 御申上頼入候、以上
     岡山中納言(黒印)

ひと月前に上記を訳していただきましたが、下記のように訳された三行目以降
について再度の質問です。
>右この秋八田伊与代官のうちにてたしかに返進(へんしん=返すこと)
>いたします、このことを申し上げ頼み入ります

八田伊与代官の「うちにて返進」とは、具体的にはどう解釈すればいいので
しょうか。この代官のことは全く不明です。
974歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/03(土) 16:09:56
>>973

秀秋の直轄領のうちで、八田という代官が管轄しているうちで、
この秋の年貢収納から返す、という意味です。

代官は、直轄領の年貢をゴニョゴニョする人。八田が担当している分から返す、と。この秋のね。
米かどうかは書いてないが、米と考えるのが普通かな。

よっしゃこい
975日本@名無史さん:2009/10/03(土) 16:29:21
やっぱり博士はすごいや( ゚∀゚)
976日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:05:50
返す前に秀秋死んで御家断絶→借金チャラか。
977日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:17:57
江戸時代の大名の何とかの間詰めとかはいつ決まったの?
978歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/04(日) 01:34:47
>>977
「詰間」(つめのま)あるいは「殿席」(でんせき)というんだけど、
初期からある。だたし、初期の実態は不明。

時期による異同があって、よく辞書とか概説書で説明されているのは、
ある時期以降の話。

ある時期とはいつかというと・・・ 忘れた。

ある時期に、儀礼面が明文化されたかなんかしたはず。

とにかく初期からあることはある。

よっしゃこい
979日本@名無史さん:2009/10/04(日) 02:58:21
854なんだが、俺様よりも>>855の方がいい回答じゃん。
確かに、観阿弥は南朝と関係の深い母を持つという説がある。
伊勢に北畠氏がいたのは知らなかった。ありがとう、>>855
京都に戻ってこれたかどうかは、結局判らないか…

一応質問してる奴も基礎知識くらいはあんだからな!
せめて専門分野くらい御開帳しようや。
博士ともなりゃあ、「広く浅く」の正反対だろう?
「○○時代の××分野にしか答えられない」でおkだよ。
そこの分野で質問したい!
980歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/04(日) 03:33:02
>>979

京都に戻れたかどうかは「不明」と言っているだけ。
学問的にまさに「不明」だから「不明」と言っているだけ。

>>855氏とは別な話。

何で噛み付いているのか意味が分からん。

よっしゃこい
981日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:24:19
>>974

重ね重ねありがとうございました。
ずっと気になっていたので、すっきりしました。
mixiなどの他のサイトではお会いできませんか?
982歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/04(日) 14:50:52
>>981
mixiはやっていません

よっしゃこい
983日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:59:15
庶民が名字を持つことが原則禁止されていたのは徳川時代だけですか?
984日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:08:24
そうです
もっとも江戸時代でも内々に名字を名乗っている庶民はいましたが

よっしゃこい
985日本@名無史さん:2009/10/05(月) 01:26:51
便乗質問。
何で庶民は名字を許されなかったんですか?
武士の権威を相対的に高めるため?
986日本@名無史さん:2009/10/05(月) 01:36:43
墾田地系荘園と寄進地系荘園の違いを分かりやすく教えてくれませんか?
987日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:25:19
大和源氏はどこにいったのでしょうか?
988日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:03:54
>>986
学校の教科書的には
墾田地系=寺社や貴族らが自ら開墾した「田地」。
寄進地系=地方有力者(郡司、郷司、保司ら)がみずからの支配(管轄)する「領域」を寄進して成立した地方の私有地かつ行政地

といっても墾田地系も寄進や買得も多い。
だから田地なのか領域なのかで区別したほうがいい。
989歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/06(火) 02:05:05
ラウンジに次スレのスレ立て代行を依頼しました。
しばしのお待ちを

重複を避けるために自重を
990日本@名無史さん:2009/10/06(火) 03:59:01
邪馬台国はどこにあったのでしょう?
991日本@名無史さん:2009/10/06(火) 16:29:44
>>988
ありがとうございました
992日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:49:35
邪馬台国は君たちの心の中にある
993日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:57:53
邪馬台国にかかわるとバカボンになるよ。
994日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:15:31
博士〜邪馬台国はどこにあったの〜♪ ドンドン、パフパフ。
995日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:44:48
ここにあったよ
996歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/06(火) 23:16:46
997歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/07(水) 00:26:43
>>983
>>985

苗字帯刀が武士の身分表象になったから。
何か逆説的なんだけど。

よっしゃこい
998日本@名無史さん:2009/10/07(水) 00:42:07
邪馬台国はどこなのさ? はーかーせっ♪
999歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/07(水) 01:10:33
>>998
諸説あり

よっしゃこい
1000繁体字 ◆PXsK1HtVZQ :2009/10/07(水) 01:17:47
1000ゲットちゃん降臨。
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。