1 :
日本@名無史さん:
我が国最古の歴史書といわれる
古事記・日本書紀について語り合いましょう
2 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 20:47:32
2
それ以前にも2冊ありましたが。
天皇記・国記のこと?
なんとなく月読が好きだ
三人兄弟の仲で一番影薄いけど
6 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:31:28
小説
7 :
!omikuji:2006/07/01(土) 13:33:38
これから古事記を買うならどの出版社がいいですか?
>>7 何を買うんじゃ。原文か。注釈はどの程度必要?
現代語訳つきじゃなきゃいかん?お前の勉強の程度は?
しっかり書け。
10 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:20:02
>>8 入門書的なものをお願いします。
やはり講談社学術文庫か岩波文庫あたりでしょうか?
11 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 20:46:04
捏造の低レベルで支離滅裂な記紀を日本の建国神話にするよりも
ドラゴンボールか北斗の拳を日本の建国神話にしたほうがいい。
馬鹿げた記紀のつまらない記述は日本人の興味を引かないし登場人物が下品で汚い
目糞鼻糞から子供をつくったりあの世で化け物達とまぐわう建国の女神なんて恥
「あの世で化け物たちとまぐわうイザナミ」なんて記述あったっけ?
13 :
太国:2006/07/02(日) 23:16:53
古事記は乞食ではない。古事記は予言書だそうである。おろそかにできないぞ。
くそ小便をしない国なんてないぞ。おまえさんもするだろうが?w
肛門を塞ぐのか?w
14 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:57:01
>>13はうるさい。
記紀で「あの世で化け物たちとまぐわうイザナミ」なる記述の有無を
確認したいだけ
三韓征伐は史実ですか?
16 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 02:04:46
『三国史記』の「新羅本紀」に「倭人が金城(新羅の都)を五日間も包囲した」という記事があり何らかの史実が反映されてる可能性はありますが、はっきりした事は不明です
軍事行動はあったんでしょうが
17 :
・:2006/07/03(月) 02:34:45
古事記って、ギリシャ神話が中国(隋・唐など)に伝わったのを遣隋使や遣唐使
がパックって作った物語でしょ?
18 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 02:58:12
>>16
なぜはっきりした事は不明なんですか?
>>12 そういう記述はない
八雷神はひとりで生んだ
20 :
太国:2006/07/03(月) 10:25:29
21 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:23:20
古事記、日本書紀はさわりだけ古文でならっただけだな。古事記伝は見たことも
無い。
これは戦後教育の欠陥だ。
22 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:31:53
>>17 七世紀の輸入品の可能性もあるけど
黄泉下りとかは世界中に流布している普遍的神話だから
はたしてどうか
23 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 14:53:45
>>18 『詳説 日本史研究』より
「神功皇后の朝鮮征討の伝説も、細部については荒唐無稽な話があるが、大和政権の朝鮮進出という事実をふまえてつくられたとみればよい」
北部九州では神功皇后の伝承が多いので、モデルとなる史実があったかもしれませんが、文字資料が少ない為断定は難しいです
25 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:08:35
やっぱ角川文庫版がイイね。
26 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 12:06:27
中年になってやっとたどり着いた古事記。
じっくり味わいたい。
ワイド版 岩波文庫 1300円
27 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 13:46:24
源氏物語は英訳の方が分かりやすいそうだが、古事記、日本書紀もそう
なんではないか?
図書館で少し見ても読む気が起こらない文章ばかりだ。
28 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 00:50:37
古代文学はその「古代っぽさ」にハァハァできないと、まったく理解できない。
のちの万葉集で「おおきみは神にしませば〜」なんて詠まれた天皇という存在が
古事記だと・・・・
天皇がどっかの山にハンティングしに行ったとき、天皇一行は丁度誰かの行列にぶつかった。
天皇は「ここは俺様の国だぞ、よって俺より偉い奴は居ないはず。どけ」って命じたんだ。
すると相手も「ここは俺様の国だぞ(ry」って言ってきたんだ。
天皇はキレちゃって、弓を引こうとするんだが、一応その前に「お前、誰?」って聞くと
相手は「俺はこの山の神だ」って言った。そしたら天皇は驚天動地し「すんません、俺が悪かったッス」って
従者をスッポンポンにして衣服をお詫びにやって、自らも神の一行が過ぎるまでずーっと土下座してたんだとw
まるで大名行列に遭遇した一般の旅人みたいだろw>天皇
29 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 10:05:59
土佐に島流し
>>28 その話面白いなw ヘタレすぎてワロスw
なんていう天皇の話?
31 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 20:56:52
雄略天皇、神は葛城一言主
34 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 16:52:49
>>33 おそらくお前の期待とは裏腹にその従者ってのは男なのでは
35 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:38:58
隋書の倭人伝から質問です。
城郭はないとはどうゆう意味でしょうか?
阿蘇山があるとかかれたのはなぜですか?
36 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 11:21:37
聖徳太子のついての記述が無いって本当ですか
37 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 11:45:23
ぶw
>>35 中国のものと比較して特筆すべきことだったのでしょうね
あなたはなぜそのような質問をこのスレでされるのですか?
>>36 いわゆる聖徳太子についての記述は確かにありますよ。
一度目を通してみるとよいでしょう。
39 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 10:52:54
40 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 00:21:09
島流しにされる神様(´・ω・)カワイソス
なりなりてなりたらぬところ
ドイツ語 manko 不足,欠点,不備;(経済)赤字,欠損
43 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 23:43:13
過疎
丹波之河上之摩須郎女┌―比婆須(氷羽州)比賣命
│ ├―真砥野比賣命(沼羽田之入毘賣命?)
├――――――┼―弟比賣命(阿邪美能伊理毘賣命?)
(近淡海の上祝) │ └―朝廷別王(三川の穂別の祖)
伊都久天之御影神―息長水依比賣┌―――丹波比古多多須美知能宇斯(宇志)王
│ ├―――水穂之真若王(近淡海の安直の祖)
(丸邇臣の祖) │ ├―――神大根王(八瓜入日子王。三野国の本巣国造・長幡部連の祖)
┌日子国意祁都命 │ ├―――水穂五百依比賣
├意祁都比賣命 ├――┴―――御井津比賣
│ ├―――――――日子坐王 河俣稲依毘賣
│ 若倭根子日子大毘毘命 ├――┬―――山代之大筒木真若王 │ (多遲摩国造の祖)
│ │ ├―――比古意須王 ├――――迦邇米雷王 ├―――大多牟坂王
└―――――――――袁祁都比賣命└伊理泥王―丹波能阿治佐波毘賣 ├―――――――息長宿禰王
└―――――――――袁祁都比賣命└伊理泥王―丹波能阿治佐波毘賣 ├―――――――息長宿禰王
│ ├―┬―息長帯比賣命
丹波之遠津臣――――高[木戈]比賣 │ ├―虚空津比賣命
多遲摩之俣尾―津見 │ └―息長日子王
├―多遲摩母呂須玖―多遲摩斐泥―多遲摩比那良岐┬―多遲麻毛理 │
新羅国主―天之日矛 ├―――――多遲摩比多訶 │
└―清日子 ├―葛城之高額比賣命
├┬酢鹿之諸男 │
│└菅竃(上)由良度美
当摩之[口羊]斐
┌―意富那毘(尾張連等の祖)
(穂積臣等の祖) └―葛城之高千那毘賣
┌内色許男命―伊賀迦色許賣命 ├―――――味師内宿禰(山代内臣の祖)
│ ※ ├――――比古布都押之信命
│ │ ├―――――建内宿禰(波多・許勢・蘇我・平群・紀などの祖)
│ │┌宇豆比古 │
│ ││(紀伊国造の祖)│ 意富阿麻比賣(尾張連の祖)
│ ││ │ ├――――――――八坂之入日子命(八尺入日子命)
│ │└――――山下影日賣 ┌―御真木入日子印恵命 ├―――――――八坂之入日賣命
│ 大倭根子日子国玖琉命 │ ├―――――┬――伊玖米入日子伊沙知命 ├―――――若帯日子命
│ ├―――――――┬―大毘古命――――――┬御真津比賣命 └――倭日子命 ├―│―│┬大帯日子淤斯呂和気命 他3人
└―内色許賣命 ├―少名日子建猪心命 │├建沼河別命者 │ │ │└倭比賣命・他3人
│ ││(阿倍臣等の祖) │ │ │
│ │└比古伊那許志別命(膳臣の祖) │ ├―│―沼帯別命・他1人
│※伊賀迦色許賣命 │ │ │ │
│ ├――――┴―御真津比賣命 ┌氷羽州比賣命 │ ├―伊許婆夜和気命・他1人
└―若倭根子日子大毘毘命―日子坐王―美知能宇斯王┼沼羽田之入毘賣命 │
└―阿邪美能伊理毘賣命
山代大国之淵┬―苅羽田刀弁
│ ├―――――――――――五十日帯日子王
│ │
│ │ 若建吉備津日子┬――針間之伊那毘能大郎女
│ │ │ ├―――――小碓命(倭男具那命・倭建命)
│ 伊玖米入日子伊沙知命―│―┬大帯日子淤斯呂和気命 │
│ │ │ └倭比賣命 ├―――┬―真若王 ├――――帯中津日子命
│ │ └――伊那毘能若郎女 └―日子人之大兄王 │
│ │ │
│ ├――――――――┬――石衝別王 │
└―弟苅羽田刀弁 └――――――――――――――――――石衝毘賣命
(布多遲能伊理毘賣命)
┌―倭建命――帯中津日子命
┌―大枝(江)王 大帯日子淤斯呂和気命―┴―銀王 ├―┬―香坂王
├―銀王 │ ├――┬大名方王│ └―忍熊王
│ 淡海之柴野入杵――柴野比賣 ├――――大枝王 └大中比賣命
│ 弟橘比賣命 ├――訶具漏比賣
│ ├―――――若建王 │ (迦具漏比賣命)
大帯日子淤斯呂和気命―┴―倭建命 ├――――須賣伊呂大中日子王
│
倭建命――息長田別王―――杙俣長日子王┬飯野真黒比賣命
├息長真若中比賣
└弟比賣
大帯日子淤斯呂和気命は子・倭建命の曾孫・訶具漏比賣を娶る。
その所生の大枝王は異母妹・銀王を娶り、所生が大名方王と大中比賣命で
大中比賣命は従兄・帯中津日子命に嫁ぎ、香坂王・忍熊王の2人を生む。
若建王は兄・息長田別王の孫・飯野真黒比賣命を娶る。
その所生の須賣伊呂大中日子王は柴野入杵の娘・柴野比賣を娶り
その所生の訶具漏比賣は高祖父・大帯日子淤斯呂和気命に嫁ぎ大枝王を生む。
倭建命は叔母・石衝毘賣命を娶り、その所生の帯中津日子命は大王家を継ぐ。
帯中津日子命は高祖父の兄・日子坐王の曾孫・息長宿禰王の娘・息長帯比賣命を娶り
品蛇和気命はその所生。
香坂王・忍熊王は異母弟・品蛇和気命とその母・息長帯比賣命に背き討たれた。
無茶だなあ。
49 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:17:22
50 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:53:00
>>44-45 jinnkouha kaikano himagodayo kikihausodayo
51 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 14:43:35
記紀の系図を書き込むだけで、
可笑しい事に気づくよ
52 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 16:20:10
53 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 23:30:05
13 :太国 :2006/07/02(日) 23:16:53
古事記は乞食ではない。古事記は予言書だそうである。おろそかにできないぞ。
くそ小便をしない国なんてないぞ。おまえさんもするだろうが?w
肛門を塞ぐのか?w
54 :
太国:2006/09/17(日) 23:32:30
>>53 これはどうも。古事記が預言書と主張したのは浅野和三郎氏です。
余ではないです。
55 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 23:34:55
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109975096/l50 991 :太国 :2006/09/17(日) 22:42:32
迷探偵はお前だ。お前は「合理的」ばかり犬の遠吠えのように叫んでいるだけじゃ
ないか?w なぜ「合理的」かの説明が抽象的にも無く、当然具体的にも至って
いない。余は紀の文証を出して言っている。お前も一つくらい「合理的」
とかいう何か資料を提出したらどうだ? 今は日本の2倍暦のことを有りえると
言ってるんだよ。外国へ話をそらしてしまうのがお前の常套手段なのか?
まだ史書が出てないで、何で「相違する」ということが分かるのか?
とにかく、お前には「合理的」と外国とか「わき道」へそらして撹乱を計る
しか能がないのがお前の文ではないかのぅ? ハハッww
992 :日本@名無史さん :2006/09/17(日) 22:55:54
合理的な話は最初太国さんが言ってたんだよ。
だけどちっとも合理的じゃないから、突っ込んだ訳。
合理的即ち理屈に合う事てすよね、
2倍年暦にする都合はありますが、理屈はありませんよ!
質問です!
外国の基準が何故わき道であり、合理的ではないのですか?
それならこの古代歴史基準以外は何故グローバルスタンダードなんですか?
何故中国の年暦が合理的ではないのですか?
わき道?
それは貴方のほうですよ。
返事求む!
56 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 23:39:53
ここも太国さんのスレだって
>>53 こんな常識に欠けた発言はどうやれば出来るの?
57 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 23:42:10
>>55 >なぜ「合理的」かの説明が抽象的にも無く、当然具体的にも至って
>いない。
お前長島か?上の文章の説明してくれよ!
58 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 00:05:08
59 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 08:33:54
くそ小便をしない国も浅野和三郎氏だよ!
60 :
太国:2006/09/18(月) 08:37:09
余は九州説です。
61 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 08:56:38
肛門塞ぎの太国さん、
いったい貴方の説のどこが、合理的なの?
>>55なんて、煩雑な文章で誤魔化しているだけじゃない
62 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:06:17
ははは・・・肛門塞ぎの太国さんは、
寂しい知識で、
強引と無視と逃走をモットウに、
1人しこしこやってるよ。
現実じゃ誰にも何にも言えないから、
ネットの口論も下手糞なんだよ。
まー生かさず殺さずからかおうぜ!
63 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:10:21
64 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:14:55
>>62 君ね、逃走と闘争を引っ掛けているのか?
どんな反則使っても残れば勝ちだってさ・・・
Wで楽しそうだな
○国すげー
65 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:23:16
66 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:28:59
67 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:34:08
大○語録お待ちしています!
腹の攀じれる様な、
臭いヤツ!
68 :
太国:2006/09/18(月) 09:38:39
69 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:47:09
>>66 日本中に仁徳の子孫は1人もいないんだ、
それは平安時代から、1人も記録されていない。
仁徳は天皇でも倭王でもないのにね。
可愛そうなレスだな!
70 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:01:27
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART20
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149668599/ 446 :太国 :2006/09/03(日) 15:22:02
PuPu! 大きな自信だな?w いかに考古学を飛車のつもりで大上段に考え、
やったところで、そんな大駒なしに十分論破可能だよ。
記紀に大和朝廷と女王国の交流記述がないのに、ま〜だ臥海の矛盾だらけの
論理で畿内説を信じてしまう貴殿の頭の弱さにもう、余は涙が滝のようだ。w
遠い外国の倭人伝に女王国の記述があるのが、九州である文証だ。
九州のほうが中国との交通に近いからな。
表現が上手すぎて誰にも真似出来ない!
大○語録は、お笑いの天上天下唯我独尊だ!!!
71 :
太国:2006/09/18(月) 10:03:40
余は九州説だ!
だけど記紀を信用する2倍年暦を採用する!
どうだ参ったか!
72 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:15:05
73 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:24:38
有名人の得意技!
逃げながらの屁こきコピペ!
>>71 太国さん
九州説2倍年暦並立制をとっているのは、
私の知る限りでは、
貴方だけですが、
どうゆうお考えで、
そうなるのですか?
74 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:37:17
九州説は、記紀の間違いを指摘する学説
2倍年暦は、記紀を重視し、それを補足する学説
九州説2倍年暦並立制とは、
謂わば矛盾の関係で、
都合のいい読み方で、
解釈妄想し、
記紀の扱いに一貫性が無い。
不勉強な素人さんに見られがちな、
安易な説といえます。
75 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:49:47
確かに!大○さんは安易だよ!発言も内容も・・・下品だし・・・
76 :
有名人頑張れ:2006/09/18(月) 11:02:44
これから予定がありましたが、
大変面白く、
興味深い考察の数々の為、
恙無く傍観する事とし、
約束延期とするつもりです。
皆さん頑張ってください!
77 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 11:13:43
78 :
太国:2006/09/18(月) 11:32:23
余は九州説2倍年暦並立制を主張している!
記紀の記事の取捨選択を、
定義に縛られずに自由に行う、
今までにない画期的な説である!
是非皆さんもご確認下さい。www
80 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:09:17
しかし凍りつくね
大○さんは、過去の自分の発言に全くとらわれない、
凄まじい研究態度は評価できるよねwwww
81 :
太国:2006/09/18(月) 12:21:40
余の発言に変化があってどこが悪い!
82 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:30:05
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART21
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1158393228/ 22 :日本@名無史さん :2006/09/18(月) 00:05:48
万世一系の我が皇統の御先祖様は中国の朝貢する臣下の身を誇っていますたw
23 :太国 :2006/09/18(月) 07:41:04
ふ〜ん、どんな?
逆もあるよ。中国人さん。
24 :太国 :2006/09/18(月) 07:58:51
>>22 中国人さん
君の言い草からすると、皮肉だねぇ。
お前さんの国は、王統が途切れてないねぇ〜?w
これはどうしたんだい、どうしたのぅ〜?w これじゃぁ一系無窮でなくなるよ。
差別用語記入に、偏向思考が読み取れますね。
他の差別スレも大○さんが大活躍しているようだしね。
大○さんは、心の隙間を差別で埋める、さみしー孤独王だ!!!
83 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:48:19
大国は史上最低のコテ貼り馬鹿に任命しようぜ!
燦然と輝く九州説2倍年暦並立制!
常軌を逸した、妄想癖!
退治お願いします!
84 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:08:18
これでしばらく大○さんは、
静かにしているんだよいつもなら
別コテや名無しでは活動するけど、
暫くしてからまた活動開始するよ、
馬鹿にされてもかまって欲しいからね、
きっと寂しい人生送っているんだろうね。
85 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:31:37
古事記の現存する最古の写本っていつごろのもの?
86 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:32:34
しかし凍りつくね
大○さんは、過去の自分の発言に全くとらわれない、
凄まじい研究態度は評価できるよねwwww
87 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:44:57
88 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 15:37:17
89 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:08:35
○国氏は老齢ニートだってさ
何しろ余だぜ、偉いんだぁ
でも文章の端々に、駄目駄目の印が付いているよね!
91 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:39:17
ぶっわははは・・・
太○氏の芸は細かいけど・・・ば○○れ・・・・・
ところで太○さんは、九州説辞めたの?
92 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:42:23
93 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:52:47
○国氏の穴だらけのレスに、
コテ貼ってもらうと、
笑えるネタになるから、
是非コテ貼ってレスして〜
○国氏お願い!
94 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 21:19:58
95 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:39:02
96 :
大國:2006/09/19(火) 07:53:54
怖がる犬ほどヨク吠えるカ?ムーニーマンの
>>55あたりは昨日は夜までヨク
吠えたようだね。主題にアンマリ関係のなさそうな内容でしか攻撃できないカ?
ワンワンが「カッタカッタ」遠吠えなのサ。
>>55には「犬国」の称号をとらす。ww
そうすると、さらに吠えマクッテこっちをそう呼んでくるだろうから
>>55だとスーグわかる。
あいつはパンパースを脱いでマダそんなに時間が経っていないヨウダな?
いまごろイヤナ仕事に出勤中だろうナ?
コノゴロおれの贋者が徘徊してるよーダ?
97 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:04:19
金目駄留
99 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 14:23:47
100 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:30:25
>>96 ほんとに主題に攻撃する以前の、
文章力に欠陥があるね。
君中学生だろ!
101 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:33:09
102 :
太国:2006/09/21(木) 21:50:44
>>100 生意気なことを言うな。忙しいので、早く書きこんだりする関係上、ちょっと
ばかりミスプリが出るだけのことだ。
お前さんはまだパンパースを取ってまだ間がないんだろう?ww
103 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 23:01:28
>>102 忙しい人が一日中常駐ですか?
しかし今回も文章が可笑しいようですね、
ゆっくりミスプリ無しで書けないの?
何処が可笑しいのか解る?
やっぱり中学生レベルなのかな?
104 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 01:25:06
仁徳天皇の大鷦鷯ってどう読めばいい?
Wikiでの読みや手持ちの大辞林では「おおさざき」で載ってるけど
「おおささぎ」で出てくるサイトもある・・・。
106 :
太国:2006/09/22(金) 08:02:11
>>103 お前はムーニーマンが恋しいから、そんな能書きを垂れるわけだ。w
それより、スレ題のことを書きこめ。
スレ題書き込めって言う人が、
ムーニーマン?
ムーニーマンって言う人相手に書き込む人いるのか?
108 :
太国:2006/09/22(金) 20:58:55
いるやもしれんぞ?w
鷦鷯はスズメ目ミソサザイ科の鳥のことで
ミソサザイのWikiで古くは
「ササギ」「ミソササギ」と読んだと書いてある
古事記では大雀、日本書紀では大鷦鷯と、どちらも鳥の名前で
雀と鷦鷯は同じスズメ目だった。
古事記では「毛受(もず)の耳原」
日本書紀では「百舌鳥野稜(もずののみさざき)」
に葬られたとあるが百舌もスズメ目百舌科だったので
鳥の名前だとしたらミソサザイの古い呼び方であるササギ・ミソササギから
オオササギとするのが本当なのではなかろうか?
オオサザキと呼ぶのは
天皇の墓所である陵または御陵を古くはミサザキと読んでいたことから
(近年ではなぜかミササギと呼ぶが)
(伝)仁徳天皇陵=大きな御陵=オオミサザキ→オオサザキになった
と考えてみる。
大きなスズメよりも大きな墓の方が天皇の箔付けには相応しいから
こちらが広まったのではないだろうか?
110 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 21:51:38
はは 自作が得意だな 大国さん
ヒント出す・・・???
新選姓氏録に仁徳天皇の子孫が、
全く記録されていないけど、
仁徳が実在の天皇だと思うか?
111 :
太国:2006/09/22(金) 22:03:31
お前さん、架空だと思ってるのか?
>>109は余ではない。
頭がおかしくなったか?w
112 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:11:44
架空?だと思ってる?
いつもながら大国は、お前異次元空間飛んでる!
113 :
太国:2006/09/22(金) 22:21:57
えれぇ、自信だな?
なら、大仙古墳は何なんだ? 津田病が慢性になってるな?w
114 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:25:07
>>111 突っ込んでいるのに、
それからとぼけて、
どっちか一つにすれば、違和感ないよな!
どうしたいんだ?
115 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:28:05
大仙古墳は大仙古墳だよ。
それ以外は、確定してないそうだよ。
116 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:32:32
太国さん教えてくださいまし
大仙古墳は何なんですか?
117 :
太国:2006/09/22(金) 22:33:07
お前さんコテハンないからどっちがどっちか判明せん。
分かるようにしろい。
>>114 >>109と余を同一にしちゃうお前の頭じゃぁ、仁徳もへったくりもない
だろうが? お前は混戦のメチャクチャだからな?w
118 :
太国:2006/09/22(金) 22:38:54
>>116 だからあいつ
>>115に聞け。相当自信があるはずだからな?
確信的に架空だと思ってるんだろうから、陵の研究位はしているんだろう?
119 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:40:42
太国の方がメチャクチャじゃないか
120 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:42:31
>>118 おまえが先に大仙古墳を待ち出したのに?
それに知らないのか?
121 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:42:41
太国のアホ
122 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:45:45
太国さんの架空って、何にかけているの?仁徳ですか?
123 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:47:24
結局知らないんだって太国!
124 :
太国:2006/09/22(金) 22:47:43
>>120 お前のほうが、仁徳がどうのこうのとか言い出したんだろうが?
もう忘れたのか? Pu! ムーニーマンは忘れられんのかな?ww
125 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:51:16
俺120だけど、
マジぷじゃないよ!
とぼけないで返事したら
126 :
太国:2006/09/22(金) 22:53:01
お前コテハン使え。
誰が誰だか分かりやしない。こっちは疲れちまう。
127 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:53:55
お前も馬鹿だから、
コテハン使ってる意味無いだろ!
128 :
太国:2006/09/22(金) 22:54:27
そうか、なら出てけ!
129 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:54:48
馬鹿が出て行け!
130 :
太国:2006/09/22(金) 22:56:08
もっと泣け!ww
131 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:56:22
確かに馬鹿から出て行け!なんて
道理的におかしいよな!
132 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:57:07
だって太国だもん
133 :
太国:2006/09/22(金) 22:58:16
まだムーニーマンの夢が覚めてないな?ww
じゃぁ!余もまた寝ることにすらぁ〜。zzzzz・・・・・
134 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:04:14
さっきからムーニーマンって
なんか可笑しくね?アイツ可笑しいよね
大山古墳の事は大国さんに言わせればは、
天皇陵に比定されているから、
実在決定と言いたいみたいだね。
でもビビッテ何も言えないみたい!
135 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:05:20
太国ビビリバビデブー
136 :
日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:37:50
>110
たしかに仁徳〜武烈の子孫はいないけど
仕えた豪族はあるよね
138 :
太国:2006/09/23(土) 09:34:40
高松塚、キトラ古墳がカビで壊滅になって行くようだ。
カビが古代のブツを台無しにする元凶だ。
同様に、津田病者やその慢性患者の
>>110が記紀のカビなわけだ。w
いま記紀の「仁徳の文」に
>>110が、カビを蔓延させようとしてここへ来ている。
139 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 09:49:18
>>138 記紀を信じる九州論者 矛盾の意味も解らない
140 :
太国:2006/09/23(土) 09:53:39
どんな矛盾か?
141 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:02:28
わかんねなら書くの辞めてくれ!
いつもながら迷惑だ!
毎日ずっと張りついて、
電波ばっかり迷惑だ!
142 :
太国:2006/09/23(土) 10:13:37
なら、矛盾などとぬかすな。
143 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:15:58
144 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:29:58
九州説は記紀に添わない説なのに、
記紀にカビが生えると何か困るのか?
説明しないとわからないのか?
145 :
太国:2006/09/23(土) 10:34:23
だから、どこがどのように添わないんだ? 津田の話は古墳のカビ同然だ。w
146 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:44:29
太国はいつもながらアホだな!
記紀には、
九州の都は、神武の日向の都しか書いてないぜ・・・
カビが生えちゃこまる記紀に、
九州説が書いてあるのか?
147 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 10:46:14
中学並の文章しか書けない太○に、かまうなって!
148 :
太国:2006/09/23(土) 11:18:54
>>146 当たり前だろう。w 遠隔じゃぁ、記述が少ないのが当然だ。
だから女王国が九州にあったのは合理性がある考えなのだ。
へへ、スズメ蜂に刺されるのは蜂の巣に近づくからだ。通常巣から遠くに
いれば刺される心配はうすい。当然だ。
記紀に書かれてないことは、畿内の朝廷という巣から遠い九州に女王国が
あったというのは当然目に見えている。
それでも九州説を否定するボケなのか?w
ならば、お前はSF映画の「巨大生物の島」の見すぎだな。ww
149 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 11:39:19
>>148 日本語なのか?通訳お願いしたいよ!
>当たり前だろう。w 遠隔じゃぁ、記述が少ないのが当然だ。
>だから女王国が九州にあったのは合理性がある考えなのだ。
何言っているんだ?全く意味不明!再度の説明頼むよ!
続きの文章は尚更不明だ!
150 :
太国:2006/09/23(土) 11:41:30
そうだろう? お前はムーニーマンのご厄介を終わってまだ間がないから
理解ないようだ。もっともっと勉強するんだな。
151 :
太国:2006/09/23(土) 11:45:37
>>149 お前は再度保育園に入園して来たほうがいい。
パンパースがそんなに恋しいのか?ww
152 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 11:45:55
可哀相な太国!
こんな単純な文章能力も持ち合わせていないのか!
引き篭りで、中学も行ってないんだろ?
相手の顔みたら意気消沈するビビリなんだろうな!
153 :
太国:2006/09/23(土) 11:49:09
「ビビリ」なんて〜のは、昔は使われてなかった語だな?
やはり、お前はムーニーマンの匂いが抜けてない歳なようだな?w
154 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 11:53:52
悪いね、
俺は人並み以上に勉強して、義務も権利もこなす大人だよ。
だから文章も知識も、人並みにできるのさ。
ちなみに俺の板友もお前みたいに馬鹿じゃないぜ!
中学出てないなんてね!凄まじい!
155 :
太国:2006/09/23(土) 11:56:59
どうやら相当くやしいようだな?wwwww
だから論で来い。
156 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 11:58:37
さっきから言ってるよ!馬鹿か?!
九州説で記紀にカビ生えるとなんで困るんだよ!
157 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:00:41
中学中退?で否定しないの?ほんとに凄まじーれすな!
158 :
太国:2006/09/23(土) 12:01:18
お前も慢性の津田病か〜?w いい加減にしろい。
159 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:02:24
>>158 馬鹿国さんよ、かっこ悪いぜ!
九州説で記紀にカビ生えるとなんで困るんだよ!
160 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:04:27
説で来いって言って・・・とぼける・・・可哀想な・・・
161 :
太国:2006/09/23(土) 12:04:36
ははっ、津田病の症状がだいぶ出てるようだな?w
大人で保育園に行くんだそうだ。
162 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:08:36
津田なんてどうでもいいだろ
論で来いよ言ったとおりにさ!
九州説で記紀にカビ生えるとなんで困るんだよ!
163 :
太国:2006/09/23(土) 12:16:47
>>162 お前、よく上を読め。その件は仁徳に関しての見解だ。
九州説はまた別だ。それとも判別つかずの保育園児か?w
164 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:20:01
あの〜判別って、記紀の内容を判別するって事か?
165 :
太国:2006/09/23(土) 12:26:12
>>164 カビって言ったのは、今朝の新聞にキトラだったか絵がカビでやられ
ているというニュースがあったからのことだ。
仁徳が架空という奴は、記紀の仁徳の文へのカビ発生に相当してるぞと
言ったまでのことだ。九州云々は別の古代史の話だということだ。
166 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:28:36
古代史が二つあります。
コッチは記紀に添った古代史です。
コッチは記紀に添わない古代史です。
どっちをお好みですか?
167 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 18:08:42
>>165 ○修正案○
カビって言ったのは、数日前の新聞に載っていた、キトラ古墳の壁画に、カビが生え
ているという、ニュースがあったからだ。
仁徳が架空だと言う人は、記紀の仁徳の記述に、カビが発生しているようなものと、
言ったまでだ、私の自説である九州説については、別の古代史と考えるべきだと思う。
168 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 18:36:38
ムーニー太国のパーソナルデータ!
成人男性 無職ニート
中学にて不登校を始め、
毎日朝から2チャン三昧
文章能力小学レベル
繋がりに気を付けて文章が作れない
説得力、解読力、認知力等総てに劣る
ママパパには強いが、世間は怖い!
現代の座敷ワラシ=笑虫=○○○=太国=ムーニー
169 :
太国:2006/09/23(土) 19:17:10
お前チョンの疑惑があるなあ?
170 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 20:17:58
やっぱり、チョンチョンやってるのお前だろ!
171 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 20:33:48
本当に
太国は薩長会津や南部津軽スレなど、
低レベルの自作自演しているよ!
余程満たされないものがあるんだね、
>>168納得するよ!
172 :
太国:2006/09/23(土) 21:22:43
本論で勝てないから、常に枝葉末節のスレとは程遠い所の攻撃だな。
はやく本論を書きこめ。記紀の論を持って無いのか、何も頭に・・・?
173 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:31:35
あのそれなら遠慮なくお聞きします!
>>165 >九州云々は別の古代史の話だということだ。
別の古代史ってなんですか?
私は古代史は一つしかないものを、
探求するものだと考えますが・・・
174 :
太国:2006/09/23(土) 21:34:35
だから畿内の大和朝廷と九州王朝の二者がおのおの独立的状態にあったと
いうことであり、両者の並立が当時の真相だよ。
175 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:35:59
>>174 なるほどね
ならそのソースは?
妄想じゃ困るから、ずーと突っ込みますけど
176 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:41:26
>>174 始まったな 何時逃げるんだ? もう準備初めているみたいじゃない
逃げるぞ!逃げるぞ!にげるぞ!
>>165に続いて今日二度目の逃走を確認するぞ!
177 :
太国:2006/09/23(土) 21:44:13
その根源は神代文字「卜」事の運用の結果で具体的には教示すべきもの
でない、古神道の最高機密によるのだ。
突っこんだって、一定以上は簡単には教えるわけには行かない。
だから、話を喩えで説明するが、
江戸時代でいう京都の朝廷と江戸の徳川幕府の関係のように、当時も
畿内と九州に隔絶した関係で二王朝があったというのが真なのだ。
178 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:48:41
>>177 すっとぼけることにしたのかwwwwwwww
やるな!千両役者だね
しかしソースも無いなら
>大和朝廷と九州王朝の二者がおのおの独立的状態にあった
なんていわない方がいいんじゃね!
179 :
太国:2006/09/23(土) 21:51:49
能我畿が多いぞ。じゃあもう一件喩えを言うが、ある時代
南朝、北朝に朝廷が分かれたように、日本は二本の二本立てが古代で起きて
いたんだよ。
180 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:53:06
181 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 21:57:25
>>172 >はやく本論を書きこめ。記紀の論を持って無いのか、何も頭に・・・?
お前の言う本論は、妄想でもいいのか?
妄想は本論となるのか?
182 :
太国:2006/09/23(土) 21:59:20
お前はシブトクおんなじことを何度も言ってくるな!
お前は東京に住んでるかどうか知れぬが、もし住んでたとしたら、JRの
山手線、京浜東北線のあることは知ってるだろう?
この二線は確か田町〜田端駅間は両線は並行して走行している。このように
古代は時代が一定期間双方の王朝が並行して存在し、時間が経過していたと
いうことなのだ。つまり古田先生の主張がおおむね正解なのだ。ただし
津軽の件はこれまた別だぞ。
183 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:02:51
>>182 おい何説得してるんだ?
しかも意味不明で、
証拠でもないし、
古田さんが好きならお好きにどうぞ!
ソースもなしで、二朝並立なんて言われて、納得する人いるのか?
184 :
太国:2006/09/23(土) 22:05:57
なら信じ無くてもお前の勝手だがねえ。そのことが真なんだよ。
本当は一時期三朝並立だったのさ。倭の五王朝がまだあったんだよ。
185 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:07:43
>>184 おいおい開き直って、
それがお前の言う本論か?
ソースも無い本論か?
すげー余裕こいて、精一杯なんだな!
186 :
太国:2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
187 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:16:04
>>186 こいつ完全にいかれちまってるな。
友達いないんだろうね。
188 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:16:14
は?嘘も休み休み言えよ!
最高権威ならソース位言えるだろ!
189 :
太国:2006/09/23(土) 22:18:14
もっともっと記紀を研究するんだな。
そんじゃぁ今度はお前
>>188が本論を言え。
190 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:25:59
アホだな!まーいっか
>>186の最高権威が言ったことは嘘だよ、
これがコッチの本論にしてやるよ!
コッチのソースはこれなんかどうだ?
新唐書によると、用名天皇は目多利思彦なんだって、
目って漢字は属官を表し、所謂王様じゃなかったんだって。
191 :
太国:2006/09/23(土) 22:27:38
用明じゃあないのか?
192 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:28:29
193 :
太国:2006/09/23(土) 22:29:54
字が間違ってるんじゃないかと言ってるのさ。
橘の豊日尊のことだろう?
194 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:30:19
あー天皇名か、間違いだ
○用明 ×用名
まーいずれにしても、コッチの本論はどうだ?
195 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:31:09
196 :
太国:2006/09/23(土) 22:32:28
31代を出して何を言いたいのだ。ちっとは勉強してるようだな?w
197 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:33:05
おいおい今度はお前がソース出す番だぜ!
3朝並立のソースだせよ!
198 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:34:11
199 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:38:00
太国馬鹿丸出しだな、
妄想だけで頑張ってるのお前だけかもよ!
みんなソコソコ勉強しているよ!
文章もな!
ホントお前かっこ悪いな!
200 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:40:08
太国の低能め 氏ねよ
201 :
太国:2006/09/23(土) 22:42:17
三朝はおおむね神功、應神の時代から清寧、顯宗の時代のころに鼎立して
いたのだ。東京駅に中央線があるのを知ってるか? 同駅〜神田駅の間は
さっきの二線に加えこの路線が走っており短い間だが三線並行の状態にあるのだ。
このようなことが当時の時代の日本の情勢だったのだ。
今度はお前
>>197が本論を書きこめ。お前の番だぞ。もっとしっかり述べろ。
202 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:43:09
203 :
太国:2006/09/23(土) 22:44:38
>>202 お前が書きこむのか?さっさとしゃべろ。
204 :
太国:2006/09/23(土) 22:45:40
>>202 お前はコテハンも無いぞ!すっとぼけるな!
205 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:46:04
206 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:46:31
おいおい すっとぼけるしか出来ないのか
虚しいな・・・
三朝並立の証拠を書けよ!
207 :
太国:2006/09/23(土) 22:48:08
>>206 今度はお前の番だ。論がいつも0なのか?たっぷりかけよ。
208 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:48:43
寒いな太○
しかし誰かにそっくりだな逃げ方が!
脳味噌の作りまでいっしょかな?
209 :
太国:2006/09/23(土) 22:49:37
210 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:50:18
>>207 こっちは
>>190で貴方の反論を本論として、
証拠付きでご説明しました。
そちらの証拠はないんですね?
211 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:51:10
馬鹿困ってるぞ!!!!!!
212 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:51:19
お前ら全員見苦しすぎ。全員逝ってよし
213 :
太国:2006/09/23(土) 22:51:58
それが証拠か〜?なんだか雀の涙だな?
何の証拠だい。余は本論を書けと言ったのさ。w
214 :
太国:2006/09/23(土) 22:53:25
用名の字の違いが証拠か? pupu!
215 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:54:02
>>213 屁理屈こねて・・・
本論も書いてあるのにもう一度書くのか?
証拠も無い本論でもいいのか?
216 :
太国:2006/09/23(土) 22:55:20
泣いてやるよ。用名か?お前も馬脚を現したな?w
お前には「弼馬温」の称号を授与したい。w
217 :
太国:2006/09/23(土) 22:56:56
大聖どの。じゃあまた明日な。よく書きこんでおけ。zzzzz・・・・・
218 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:03:08
190と194から 修正済み
アホだな!まーいっか
>>186の最高権威が言ったことは嘘だよ、
これをコッチの本論にしてやるよ!
コッチのソースはこれなんかどうだ?
新唐書によると、用明天皇は目多利思彦なんだって、
目って漢字は属官を表し、所謂王様じゃなかったんだって。
はい同じ内容ですがもう一度貼りましたよ!
太国さんとは格が違いまして、
スパッと証拠付き出しましたよ!
219 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:25:06
閑人どもが集まってくだらない会話を繰り返している。
せいぜい頑張れや!!低能!!
220 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:35:14
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
凄いよ太国は!
こんなバレバレの嘘をついてまで、勝ちたいらしいが、圧倒的に負けたらしい!
221 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:39:48
太国が最高権威だったら、
神道もお先真っ暗だな!
余から教えてもらってる
には開いた口が塞がりましぇん
222 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 00:54:01
ははは
こんなにやられて悔しくないのか
223 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 01:19:56
>>218 阿呆
常識で読め
アメタリシヒコの最初のアが脱落したに決まってるだろうが
224 :
太国:2006/09/24(日) 07:56:50
烏合の衆はそうとうザワめいていたようだな? ハハッw
負けたとか言う奴に限って、追い詰められている畿内説盲信者らだな。。
あまり騒ぐと、精力出しすぎて眠くて今日の仕事がつらくなるぞ。w
ところで、あいつは何の証拠だと言ってるのか、話がロンパリで訳分からんな。
雀の目の涙の量の語句でまるっきり意味不明だ。
ここに集まっている連中は全部ではなかろうが、どうも程度の低い奴が多いようだ。
225 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 08:24:51
226 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 08:46:21
>>224 あのね文章からまず勉強しろよ!
日曜の朝からあわてて書く必要あるのか?
相手を攻撃してるつもりなのか・・・自滅しましたって書いてあるぞ!
227 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 09:12:11
○国氏
いつもながら完敗ですねwww
>雀の目の涙の量の語句でまるっきり意味不明だ。
これ・・・「雀の涙の語彙で」の間違いだろ・・・
雀の涙でも山椒は小粒でピリリと辛いみたいだねwww
何処を取ってもメチャクチャだよ
こんなの勉強しなくても、
読書量や会話量が多ければ、
補えるのにね・・・社会生活経験に欠陥が伺えますね
228 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 09:12:43
目は自の誤植
229 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 09:23:15
230 :
太国:2006/09/24(日) 10:34:37
>>227 お前は朝から寝坊していい加減なことを抜かしている。起床時間からして、
0時過ぎまでネットにかじりついていた夜更かしのネボスケだな?w
お前には「負け犬王」の称号を授与したい。うわっはっはww
用名と書いたのはお前だな? 字がメチャクチャで前人未到の地で生活するのが
お前にふさわしい嘆かわしい語句だ。w な〜んだ、あの「用名」っていうのは?
なってないぞ。 ププッ! これはこれは噴出したぞ。www
231 :
太国:2006/09/24(日) 10:45:01
>>226 お前も眼にクマが出来て慌ててるんではないかな?w 起床が遅いぞ。
お前の文を読んでみると、「さあ逃げよう」と言ってるではないか。
もう一度保育園に行くんだな。ははぁ、親指を口の中に入れっぱなしか?w
232 :
太国:2006/09/24(日) 11:18:40
>>226と
>>227 さては逃亡したな。とうとう逃げ出したか?
だろうな? 「用名」では恥ずかしくて『目』も当てられないからな。ww
逃げたか逃げたか、ついに逃げたか〜。
>>227なんぞは、語句がロンパリのお稽古では出鱈目のムチャクチャだからな。
基地外行為のしたい放題だな・・・・・?ww
233 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 13:43:34
☆190と194から 修正済み これって
>>230-232負け犬の遠吠えかな?☆
アホだな!まーいっか
>>186の最高権威が言ったことは嘘だよ、
これをコッチの本論にしてやるよ!
コッチのソースはこれなんかどうだ?
新唐書によると、用明天皇は目多利思彦なんだって、
目って漢字は属官を表し、所謂王様じゃなかったんだって。
☆はい同じ内容ですがもう一度貼りましたよ!
太国さんとは格が違いまして、
スパッと証拠付き出しましたよ!☆
234 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 13:47:08
235 :
太国:2006/09/24(日) 14:05:56
>>233 だから「用名」が何の証拠なんだよ? 君は幼名を日頃使ってるのか?w
証拠を出せなど余は言ってはいない。第一、2ちゃんじゃぁいろいろ無理が
あるしな。秘の特許権とか知的所有権とか書きこみしたくない資料とかは、余
だって絶対書きこまない。書きこめば君のようにコピーされて、全国に知られ
ちゃうからねぇ。ちょっとやそっとで権威の秘を明かすわけがないよ。w
236 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 14:41:40
>>235 その用名は既に用明に訂正済みだけど、
それに拘ってむなしくないの?
太国が権威?
権威のかけらも感じられないその文章能力で?
オタクの権威か、ニートの権威じゃないのか?
本当に権威ならこんなとこで遊ばれてないよ!
>>236 お前の文証能力はどうなんだ?ww
「用名」 ←これが能力がどうのこうの言える身分なのか? 笑わせるな。
238 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 14:54:39
しつこいね 訂正しましたよ!
○○の一つ覚えか・・・
239 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 14:59:30
馬鹿だな太国!
権威と嫌夷の間違いだろ!
お前
>>233が読めないんだろ!
240 :
太国:2006/09/24(日) 15:03:18
しつこいのはお前のほうだろうが?
毎回余に対し、本題から外れた人身攻撃に終始してるではないか?
お前もそれをやられれば余の気持ちがわかるだろうが?
だからそういうことを止めて通常どおり本題をやればそんなことを
余だってやる必要がないわけさ。つまりお前がそういう攻撃をはじめ
た張本人だということだ。お前などがそういうことをしなければ余だって
やる必要はない。さすれば、もとの軌道に乗るではないか?
証拠を書きこめれば、なおベターだが、2ちゃんではルールもあり
思い留まったほうがいいだろう? 余も無理に要求をした覚えはない。
利害関係がからむんでな。
241 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:07:16
>>240 じゃお好きなように
こちらも好きにするよ
242 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:07:17
■靖国神社を改革せよ■
たしかに靖国神社には改革すべき点がある。
靖国神社に祭られているのは、幕末の戊辰戦争以降の戦死者だけだが、
なぜ、祭神を幕末以降の戦死者だけに限定するのか?
1019年の対刀伊戦争や、1097年の筑前防衛戦争、1274年の元寇戦争、
1419年(応永26年)の応永外寇戦争の無名戦死者も、靖国神社に祭るべきだ。
なぜ、幕末の戊辰戦争以前の無名戦死者は、靖国神社に祭らないのか?
合理的な理由があるのか。
靖国神社には、古代から現代に至るまで、日本国の防衛のために、尊い命を捧げた
全ての日本人の英霊を祭るべきなのである。
・1019年の戦死者
・1097年の戦死者
・1274年の戦死者
・1419年の戦死者
皇国防衛のために尊い命を捧げた、これらの英霊を御祭いたします、と。
靖国神社で、そういうふうに宣言すると良いだろう。
243 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:17:09
最高権威太国氏に質問!
貴方の使う「余」の意味をご存知ですか?
244 :
太国:2006/09/24(日) 15:18:29
本題の話をしろ。
245 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:19:46
☆190と194から 修正済み これって
>>230-232負け犬の遠吠えかな?☆
アホだな!まーいっか
>>186の最高権威が言ったことは嘘だよ、
これをコッチの本論にしてやるよ!
コッチのソースはこれなんかどうだ?
新唐書によると、用明天皇は目多利思彦なんだって、
目って漢字は属官を表し、所謂王様じゃなかったんだって。
☆はい同じ内容ですがもう一度貼りましたよ!
太国さんとは格が違いまして、
スパッと証拠付き出しましたよ!☆
246 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:21:13
最高権威太国氏に質問!
貴方の使う「余」の意味をご存知ですか?
これ実は歴史に訳ありなんだよ・・・
247 :
太国:2006/09/24(日) 15:22:39
>>245 君は例のチョンコ♂君じゃないのか?w 毎回同じ書きこみをやってるようだが?
本題にしなよ。
248 :
太国:2006/09/24(日) 15:25:16
>>246 何だろう?歴史と関係あるって?
しかしだ、今後は有コテハンとしないと回答はしないぞ。
誰が誰だか?混線して疲れるからだ。
249 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:25:50
☆190と194から 修正済み チョンコ君って太国=プラムの事だろ!☆
アホだな!まーいっか
>>186の最高権威が言ったことは嘘だよ、
これをコッチの本論にしてやるよ!
コッチのソースはこれなんかどうだ?
新唐書によると、用明天皇は目多利思彦なんだって、
目って漢字は属官を表し、所謂王様じゃなかったんだって。
☆はい同じ内容ですがもう一度貼りましたよ!
太国さんとは格が違いまして、
スパッと証拠付き出しましたよ!☆
250 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:26:40
最高権威太国氏に質問!
貴方の使う「余」の意味をご存知ですか?
これ実は歴史に訳ありなんだよ・・・
意味も解らず遣っていたのか最高権威が・・・
251 :
太国:2006/09/24(日) 15:30:05
コテハンを使え。できないのか?臆したか?
252 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:43:29
最高権威太国氏に質問!
貴方の使う「余」の意味をご存知ですか?
これ実は歴史に訳ありなんだよ・・・
意味も解らず遣っていたのか最高権威が・・・
古神道でも重要なこれを知らないのか?
253 :
太国:2006/09/24(日) 17:51:31
聞こえんのか?コテハンを使え。
最高権威太国氏に質問!
貴方の使う「余」の意味をご存知ですか?
これ実は歴史に訳ありなんだよ・・・
意味も解らず遣っていたのか最高権威が・・・
古神道でも重要なこれを知らないのか?
本当に知らないで使っていたの?
255 :
太国:2006/09/24(日) 19:41:39
お前何回言ったら分かるんだ。はやくコテハンを使え。
最重要なのは『卜』事だ。
しねぇんじゃ回答せんよ。こっちがお前に質問するだけだぞ。
256 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 20:14:31
おい!有名人お前やり過ぎじゃねーか?
お前は馬鹿でメチャクチャだから責められるけど、
まともな奴らをなんで荒らすんだよ。
この板総てが、お前の遊び場じゃ無い!
こっちが出て言って欲しいのは、無知なお前なんだよ!
257 :
太国:2006/09/24(日) 21:15:51
じゃぁお前のみ有知なわけか・?余の人身攻撃をうんとやる輩が大勢?いるよう
だから応戦したまでのことよ。遊び場じゃないことは、負け犬王らしいお前が
言わなくても周知している。無知なのは一言多いだろうが? そんな舐めたこと
を止めないから、幾度も文句を言いにきたまでのことよ。
余は有名が目的ではない。
258 :
太国:2006/09/24(日) 21:21:06
お前が余を馬鹿だとか無知だとか言うから居座るわけだよ。
そういうことを言わないのなら、余も負け犬王だとかは言うこともないし、
ここから出てったっていいわけだよ。お前らが悪口をいうなら居座り応戦
するのは当然だろう?
259 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 21:42:33
太国さんは天才だ!!!
260 :
太国:2006/09/24(日) 21:44:18
どうも! じゃぁ、別スレへ行くわ。悪口は言わんでよ。
261 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 22:58:45
あ・・・
確かに太国は天才だな、知性が漏れでて、反応に困ることもあるからね。
文章にも真似出来ない、独自性も感じるし、人並みを超えた、
別次元の最高権威だな、今後古神道もこの先明るいし、古代歴史界を変るだろうね!
263 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 20:10:34
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
>>809 余ではない。
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
264 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 20:19:27
265 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 20:32:20
>>263 古神道の最高権威と、占いの最高権威って別物だぞ!
馬鹿にとっては、古神道を占いと同じと考えたいようだけど、
可哀想に世間じゃ別に考えていんだぞ!
解ってるか?
お前が言ってることは可笑しいぞ!
笑っていいか?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ご免笑ったよ!
266 :
太国:2006/10/09(月) 20:35:46
余がいないと神社界は面子が立たないからな。そういうことさ。w
267 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 20:38:44
>>266 今時神社で占いですか・・・・ぷ・・・・ぶわっはっはっふわっはっ・・・・・・・・・・・・・
268 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 20:41:18
ご免笑いすぎた俺も・・・・・・・・・・・・ぷっ・・・・・・・・・ぶっ・・・・・
269 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 20:48:08
大吉だといいよな・・・・・ぷぷっぷ・・・・・・・ぶわっはぶぶ・・・・・・
270 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 20:57:25
>>266 麻雀の面子と間違えてない?・・・・・・ぷっ・・・・・・・・ぷぷぷぷぅぅぅぅ・・・・
271 :
太国:2006/10/09(月) 23:08:07
余は麻雀はやらない。
お前は「地獄の道犬師」か〜?ww
2朝並立をあざ笑うとなれば、お前は猫の額の知識だと明智君に笑われるぞ。
お前はせいぜい個人攻撃しかできないようだな?無能の論無しだろう?
それに、よりにもよって神社・仏閣板でわめくなどとは、まさに神社仏寺内で
神官僧侶を大声でののしるようなもので、少しは慎んだらどうなんだ?
もっとも、過去に余に大負けを喰っていた犬国さまか?w
ハハッw、そう言えば犬国の称号を授与されたそうではないか?ww
これだけ制止を振り切って平気でやるとなると、お前はチョンじゃあるまいか?
と思考するんだがねぇ〜? アリランマン君? どうだい?
272 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 23:35:01
>>271 ぷぷぷぷぅぅぅぅ・・・・おかしすぎてコメントできねー・・・・・・ぶわっはっはっふわっはっ・・・・・・・・・・・・・
273 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 23:36:35
道犬師って何?
道化師の間違いの訳無いよね・・・・・ぶっ・・・・・・・・・・・・・ぶっ・・・・・・・・・・・・・・
274 :
太国:2006/10/10(火) 06:35:07
お前がそうなわけだよ。www
ぶぶぶぶぶぶっぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶふうふうふう・・・ぶっぶぶぶぶ・・・・
276 :
太国:2006/10/10(火) 09:21:41
お前が、かの有名な馬素鹿備留の犬か? ハッハッwww
>>276 お前が一番ぶぅぁかで有名だよ!皆に突っ込まれて・・・・・・ぶぶっぶっ・・・・・・・・・
279 :
太国:2006/10/10(火) 21:14:47
ははぁ〜、君はチョンコ君か〜?w
だいぶ負け犬王で、遠吠えが→ ・・・・・・・・ か〜? ハハハッ盛んだな。
馬素鹿備留の犬もそうとう遠吠えをしたらしいからなぁ?www
叫べ、泣け、俺も手伝ってやろうか?www 人身攻撃王君!!
280 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 21:24:37
281 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 21:40:52
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
>>809 余ではない。
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
282 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 22:29:13
占いしか知らない奴が、最高権威になれる訳ねーよ
283 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 23:04:14
284 :
太国:2006/10/10(火) 23:37:08
>>282 フフッ!w そんな言葉をはくところを観ると、お前はド素人だな。
お前は犬の糞ばかり舐めているようだから、そんな幼稚な回答になるのだ。ww
>>284 その発言自体が幼稚じゃないかwwwwwwwwwwwwww
286 :
太国:2006/10/11(水) 07:54:47
これから仕事だろう?よく書きこんでいられるなぁ? ネボ助め?w
素人は素人らしくしろ。お前のような奴が ウハハハ・・・・・
ヤマタイ→ヤマト(大和)畿内
などと迷推理を働かすわけだ。www 所詮、お前のは猫の額の浅知恵だからな。
287 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 18:32:14
素人?
お前が一番素人じゃないのか?
専門家の人は、言葉の引用間違えないよ。
中学もまともに行ってないだろ?
288 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 18:51:18
289 :
太国:2006/10/11(水) 18:58:54
へらず口だけは一人前だな? ド素人のくせにオーム返ししかできんのか?
ウワッハハッ、今日は遠吠えは止めたのか?ww
「遠吠え王」の恥を隠したくなったわけだな? 今度はオーム鳥王なのか?
犬のほうがお前の恫喝にお似合いだ。ほらほら
>>275のようによ〜・・・。
怖がる犬ほどよく吠えるとは、よく言ったものだな? チョンコ君
だろうよ?余に以前古典派ンにやっつけられたからな。え〜、くやしいか?ww
290 :
太国:2006/10/11(水) 19:12:28
>>287 お前じゃぁ、余の境地にたどり着くまで、まぁ〜500年は下るまいな。w
格が桁はずれに違うからな。www
するとお前はオーム鳥のように、ハハッそれ以上の数字をあげて猿真似ならぬ
犬真似とございだな?wwwww
どうだ?まだパンパースが恋しいのか? ッ〜ハッハッww だろうなあ?
291 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 21:07:12
292 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 21:38:29
>>291 本当にそうだったのか・・・・・・・・・・・
基礎学力ゼロの論者なのか・・・・・・・・・
納得したよ
293 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 23:08:00
294 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 23:15:10
引用特集!
>ド素人のくせにオーム返ししかできんのか?
おかしい
>余の境地にたどり着くまで、まぁ〜500年は下るまいな。
もっとおかしい
中卒でも、実社会で生活していれば、この程度の国語は、できない方が可笑しいね。
295 :
日本@名無史さん:2006/10/12(木) 02:17:27
見直してもわかんねだろなwwwwwwwwwwwww
296 :
月光仮面:2006/10/12(木) 07:21:44
書紀の神代は
@国際的にも認められる純粋の神話
A神話化されたタブー、氏族の系統構造
B天皇記以前の九州、関門-周防灘、出雲、吉備、阿讃播、河内-摂津、丹後、山城、
近江、尾張、伊勢等の歴史的事実
等がある。しかし、基本的に編集方針は歴史のウェートが大きく、神々も一切を記述する
と言った方針のようである。
297 :
月光仮面:2006/10/12(木) 07:28:50
C14年代測定により、布留式土器が3世紀前半であること、その頃纒向の箸墓
建設が行われていること、倭人伝の魏と倭の外交関係があったことがわかるが、
それ以前、後漢時代に金印が与えられたとされる北部九州伊都国、奴国との
関係が書紀においては神代の霧に包まれている。
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
>>809 余ではない。
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
299 :
月光仮面:2006/10/12(木) 07:39:51
アマテラスは多数存在した太陽信仰における太陽神という純粋の神と
人間としての女性シャーマンの二面性がある。平原から出土する大型
国産鏡、刀剣はこうした女性シャーマンと三種の神器の始まりを意味し
ている。ところが平原遺跡は近畿の方形周溝墓であり、北部九州には
他にも庄内式土器という近畿統一によって生じた土器が多く出土する。
こうしたことについて書紀が与えるヒントは海幸と山幸の戦争であり、
後漢書は倭面土国王帥升の洛陽訪問を残し、考古学的には沖ノ島祭祀
の唐津・博多からの離脱が示されている。
古神道の最高の御権威太国さんなら、
古代日本の卜の人を数多く輩出した地域位わかりますよね。
301 :
月光仮面:2006/10/12(木) 07:50:04
つまり、海幸・山幸こそ@唐津・博多A沖ノ島・日向・厳島B近畿(大きな井戸があり、
葛城に近い池上曽根遺跡)の間の三国志にも似た大きな歴史を極めて単純化して
表現した叙事詩なのであろう。生まれるワニというのは近江の和邇とウアニ(烏丸)
(青谷上寺地付近ではオオクニヌシのワニのごとく海賊に似たことをやっていた)では
ないかと思う。
302 :
月光仮面:2006/10/12(木) 08:01:53
しかし、民間伝承を掘り下げると記紀よりも古い太陽神として猿田彦、天細女
を率いる太陽神の姿が浮かび上がる。飛騨高山に残るサルボボこそその太陽神の
姿であろう。印欧語ではサルは太陽、ボボには女性と言った意味もあり、どうも
イラン系言語と関係がありそうなのだが。こう考えると飛騨山中に隠れ住んだ異族
の神かもしれないが。
303 :
月光仮面:2006/10/12(木) 08:13:16
神武東遷は海幸山幸より時代が下がり、近畿中心となった後から九州を描いた
ものだから焦点がずれ、不完全な話になっている。海幸山幸には逆に熊野遠征
等については不明瞭なところがある。つまり、瀬戸内海の東西両地方の独立した
話しなのだろう。しかし、いまやこの2つは統合して解釈すべきことだと思う。
304 :
月光仮面:2006/10/12(木) 08:36:36
国歌ではなくインターナショナルを斉唱せよと言う呪縛だけが悪いのではなく、幼児
にもわかる国、天皇の起源と日本固有の神道を混同してきたことも悪い。全体主義は
核実験強行ということで全世界にその正体をさらけ出し、それを指向する国歌群さえ反対せざるを得なくなってきているが、わが国はくさいものにはふたと言う核実験に至る国と
似た考えもある。これはキリスト教でも科学と宗教の線引きができかねると言うことで
なかなか難しい問題ではあるが、先進国では分離の傾向は強いと思う。
305 :
月光仮面:2006/10/12(木) 08:48:47
しかし、坊さん、神主、皇室には手をつけずに赤字国債で国を滅ぼすのがいいと
言ってるわけではない。逆にそういうことを逆手にとって金の儲かるように観光資源化し
赤字財政を是正するのが筋であろう。・・・ちょっと脱線が過ぎるのでまたにする。
古神道の最高の御権威太国さんなら、
古代日本の卜の人を数多く輩出した地域位わかりますよね。
307 :
日本@名無史さん:2006/10/12(木) 20:43:17
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
>>809 余ではない。
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
308 :
日本@名無史さん:2006/10/12(木) 21:53:55
最高権威は、占い師さんを輩出したところすら、解らないのですか?
309 :
日本@名無史さん:2006/10/12(木) 22:13:17
万葉仮名
310 :
月光仮面:2006/10/14(土) 11:48:28
311 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 11:59:43
>>310 何が言いたいの?
貴方も太国さんと同じく、
マトモナ文章がかけないようだね。
312 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:06:47
天孫と言うのは日向から遠賀川、沖ノ島にかけての勢力、高天原と言うのは須玖時代の
唐津・博多勢力、出雲は唐津・博多の流刑地というか、副都というか。であった、天孫と
高天原の間においては要衝沖ノ島を巡る海幸山幸冷戦があり、天孫は近畿に緩やかな
東遷をする。この間出雲は古来の唐津・博多との関係を生かし、越方面への影響力
も発揮しながら天孫と対立。武力衝突は吉備・伯耆国境、近江・尾張国境付近で発生した。
こんな調子でどうでしょうか。九州南部にも反政府ゲリラがいたかも。
313 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:08:24
マトモなことを言おうとするのはオレオレであり、漏れ漏れではないのだ(w
314 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:09:59
>>312 ゲリラとかなんでもいいけど、
それって妄想だろ?
理由はあるのか?
太国とかプラムとかの有名人も、
まともな理由が書けない奴だったなwww
お前もそうか?
315 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:12:16
別コテ貼っても、中身は変らないんですね。
文章もにているし、証拠は僕の妄想だ!
316 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:12:38
批判だけで内容がないのは何とか党、核実験を強行する国。批判をする前には
持論を述べよう。
317 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:14:18
俺の自論は南九州には反政府ゲリラは居なかったと思うよ、
理由もあるんだよ、君とはちがって・・・・・・・・・・・・
318 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:15:39
ニートのヒッキー頑張れバレバレ!!!!
コテ違うみたいだけどwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
319 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:17:27
脱線するが、磐井、天草四郎、西郷隆盛は地域的に似ている。これって外国に
近い風土の関係もあるの9かな?
320 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:21:23
西郷さんには明治維新の犠牲となった下級武士への明治政府の無策に
講義したものと思って、尊敬している。あの人が生きていれば知覧はなかっただろう。
321 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:24:48
中卒のヒッキーさんさ、
脱線するなよ!
持論述べろって言ったら、
ちゃんと、コッチの自論にレスしてくれよ!
メチャクチャ具合が、そっくりだよな
お前中学も中退か?
322 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:32:45
あんまり暗い過去に突っ込むなよ、
ニートの多くは社交性に問題があって、
引き篭もりなんだから・・・・
逃げるニートは基本形だね。
しかし
>>317を、証拠付きで、反論して欲しいな・・・・・・・・・・・・・・わざわざ
>>312の反論にして上げたのに・・・
323 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:39:13
マジ、甑島・串木野は似ている。鹿児島県HPではカゴは金の意味らしい。クシフル
はアイヌの金の降るとにている。クシ・カゴは同じく金と違うか。説明頼む。
324 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:43:47
>>317 漏れも、久米とか、球磨、熊襲には山岳民・・・刈干切歌の響きを感じる。ただ日本古来
のものではなく中国北辺の山戎だとねらんでいるんだが。どうじゃろか。
325 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 12:48:06
おいアイヌスレとか熊襲スレでもまた作るのか、アホスレ作家さんよ
妄想がズボンからはちきれるほど、膨らんでるね。
でも自分で言った事わすれるよ!
12時12分に言ったことだぞ!
326 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:55:50
>>312 天孫と地祇の冷戦は半島を抱合したもので、
天孫・・・秦、山戎、楽浪、烏丸敗残兵、
地祇・・・馬韓(トカラ・サカ族)、高句麗(狗奴国、犬奴国)
こうしたものが吉備・近江辺りで衝突したのだろう。
327 :
月光仮面:2006/10/14(土) 12:59:51
>>325 悪い先生の教育を受けたのが多いようなので、警告をしておいたのだよ。わかればよい。
328 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:01:41
お前こそ 妄想は辞めてくれ、これは警告だ!
329 :
月光仮面:2006/10/14(土) 13:03:22
鹿児島で古代に金が取れた話はないよなー。東魚是という不思議な話もあり、
密貿易でもやっとったんじゃろか。
330 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:07:23
331 :
月光仮面:2006/10/14(土) 13:07:42
そういう無駄なスペース社会苦い毒を与える精神を植えつけた放任教師こそ
国歌斉唱日の丸反対なんだよ。気の毒だが。
332 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:08:35
もう飲んでるのか?
それとも気を病んでるのか?
元々馬鹿なのか?
333 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:12:49
>国歌斉唱日の丸反対なんだよ。気の毒だが。
何が気の毒なんだ?
意味分らんぞ
それよかお前の頭が、気の毒だよ、
お見舞い申し下げる。
334 :
月光仮面:2006/10/14(土) 13:18:35
無駄なスペースを打ち込む倫理欠如は国歌斉唱、国旗掲揚反対と同じ戦後教育。
それでは不良と同じではないか。核実験強行将軍と同じではないか。
335 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:19:25
>そういう無駄なスペース社会苦い毒を与える精神を植えつけた放任教師こそ
読めないし、読み方分らないよ
お前いっっつも雅子スレで、シコシコしてるんだろ!
336 :
月光仮面:2006/10/14(土) 13:25:43
国歌斉唱、国旗掲揚反対と核実験強行将軍に言ったわどうなるか考えて見ろ。
無駄なスペースの公衆道徳」、ネチケット違反も許されないかも知れんぞ)w
337 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:26:03
>>334書き直ししたのか?
ぶぶっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぶわっはっはっはっはっは・・・・・・・・・・・・・
コイツ知恵遅れじーさんだな
じーさん踏ん張るの歌!
お頭大丈夫〜♪
白髪の数だけ馬鹿になぁ〜る♪
明日は老人福祉スレ〜♪
仕事もしないで反論大スキ〜♪
338 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:28:28
禿頭掲揚・・・・・・・まぶしい!
これ以上辞めてくれ
じーさんの歌まで斉唱する・・・・・・・それも辞めてくれ!
339 :
月光仮面:2006/10/14(土) 13:36:43
日本の掲示板を汚して誰の得bになるのだ?
340 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:38:19
馬鹿レス実験強行将軍さま
おやめ下さい
これ以上迷惑をかけると
総ての国が、
貴方のコテに、
総攻撃をかけて来ます。
辞めてください
馬鹿様・・・いえ将軍様・・・
341 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:40:28
お頭大丈夫〜♪
白髪の数だけ馬鹿になぁ〜る♪
明日は老人福祉スレ〜♪
仕事もしないで反論大スキ〜♪
この歌はもしや、
転化の禿頭馬鹿将軍・・・
みんな逃げろ・・・・・・・・・・・・・
342 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:48:33
転化の禿頭馬鹿将軍ニートの新曲!
「雅子スレで、シコシコ」
シコシコシコシコ・・・・・♪
俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪
皇太子にもったいない〜♪
太い眉毛にパッチリお目目〜♪
そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪
343 :
月光仮面:2006/10/14(土) 13:50:19
黒い布をかぶるまではわからないんだろうな。それがああいう先生方の教育なんだよ。
344 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:53:05
転化の禿頭馬鹿将軍ニートがアンコールに応えてる?
だれもアンコールしなぞ!
ブーイングを間違えてる?
天才的な馬鹿だな・・・
「雅子スレで、シコシコ」
シコシコシコシコ・・・・・♪
俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪
皇太子にもったいない〜♪
太い眉毛にパッチリお目目〜♪
そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪
345 :
月光仮面:2006/10/14(土) 14:10:26
戦後教育の鬼子の反面教師ぶりをこれ以上あおると政権与党に利するのでこの辺で
スレタイに戻りたいね。甑島って金を取りにやってきた山戎の橋頭堡だったのかね。
トシドンに似たナマハゲのある男鹿半島は漢の武帝時代にやはり山戎のようなものが
来たと言う伝承が残っているんだけど。
新曲キャンペーン中
こんにちは私は
転化の禿頭馬鹿将軍ニートと申します。
他でもバカレスってますが、
1人で雅子スレ自作しています。
それで新曲作りました。
必死に握っている所をよく聞いてください。
「雅子スレで、シコシコ」
シコシコシコシコ・・・・・♪
俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪
皇太子にもったいない〜♪
太い眉毛にパッチリお目目〜♪
そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪
347 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:28:43
>>311 あんたもコテハンつけてよ。どれどれ、どんな人物なのか読ませてもらうから。
だいぶ騒々しい状態だな?
348 :
転化の禿頭馬鹿将軍ニート:2006/10/14(土) 14:30:07
つけてるよ
349 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:31:27
君はハゲか?
350 :
転化の禿頭馬鹿将軍ニート:2006/10/14(土) 14:34:34
うん
ニートで、
朝から張り付いて、
バカレスしている。
相手の文章を読む事も出来ないし、
文章書くのはもっと苦手、
だから馬鹿将軍なんだ。
351 :
月光仮面:2006/10/14(土) 14:34:44
352 :
転化の禿頭馬鹿将軍ニート:2006/10/14(土) 14:37:02
もう一つの新曲!も忘れないで!!!
「コイツ知恵遅れじーさんだな
じーさん踏ん張るの歌! 」
お頭大丈夫〜♪
白髪の数だけ馬鹿になぁ〜る♪
明日は老人福祉スレ〜♪
仕事もしないで反論大スキ〜♪
353 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:37:31
浦島太郎のことが書かれているんだな
354 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:39:13
355 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:56:23
>>350 >文章書くのはもっと苦手、
そんじゃ何で
>>311で、相手に >マトモナ文章がかけないようだね。
とか抜かすんだ?お前もそういうことになるじゃないのか?
356 :
転化の禿頭馬鹿将軍ニート:2006/10/14(土) 14:58:37
357 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:26:21
358 :
月光仮面:2006/10/14(土) 16:40:38
359 :
月光仮面:2006/10/14(土) 16:44:23
「雅子スレで、シコシコ」
シコシコシコシコ・・・・・♪
俺は本当は雅子がスキなんだ〜♪
皇太子にもったいない〜♪
太い眉毛にパッチリお目目〜♪
そんな雅子の笑顔に今日も握り快調〜♪
近いうちに新曲の発表を予定しています。
期待して待っててね。
360 :
月光仮面:2006/10/14(土) 17:00:02
お待ちどう!
待っててくれたね・・・
妄想大スキな皆さんね!
待望の新曲です。
「妄想四股四股宴歌?」
四股四股〜僕は妄想が大スキだ〜♪
四股四股〜妄想中の右手が恋人〜♪
四股四股〜逝っちまう気持ちい〜♪
四股四股〜証拠は古代に必要無し〜♪
四股四股四股四股宴歌〜♪
四股四股四股四股宴歌〜♪
四股四股四股四股宴歌〜♪
四股四股妄想〜逝っちゃった〜ドピュ!!!♪
361 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 17:01:17
もう妄想は辞めてくれ、これは警告だぞ!
362 :
月光仮面:2006/10/14(土) 17:42:28
↑コテハン剽窃前科2犯だぞ(w 犯罪は真似するもんじゃない。麻痺して慣れになると
現実にその訓練成果を行うもんだ。特に引きこもりは。何の得にもならんことはすんな。
363 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 17:51:47
有名なニートのコテと同じ事すんだね。
コイツ太国=中卒ヒッキーって言うニートと、似過ぎよな!!!wwwwwwwwwwwwwww
364 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 17:56:17
>>362 コイツみたいに挑発乗るのは1人だけですよ〜 尻尾見えそうだね(^^)
365 :
月光仮面:2006/10/14(土) 18:48:52
↑あなたが面白い人間だと言うことはわかった。表現がユニーク、つうか、画像的なん
だね。
366 :
月光仮面:2006/10/14(土) 18:56:10
>>358 さて、九州の文化は奥が深い。高良大社というのはどうも高麗、それも、孤竹国
の後身で、山戎でもあるんだな。これは倭人が戎であるのとは文化的にちょっとし
た差があるようだし、渡来したのも相当遅いようだ。長い間どこか朝鮮半島にいた
んだね。
367 :
月光太国:2006/10/14(土) 19:01:46
>>364 お前もはやくコテハンを名乗れ。大口たたくならそれで印象をはっきりさせろ。
368 :
月光仮面:2006/10/14(土) 19:12:26
山戎というのは神武、雄略、天武、後醍醐のようなパターンだろう。しかし、神武の場合は
鳥トーテム系の王でもあり、皇室と言うものは時代時代で有力部族行動パターンを蓄積
していったのだろう。
369 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 19:53:51
>>368 かなり文章に無理があり、
全く理解できません。
説明も無しに突飛な事を、
言い過ぎてませんか?
>>368の質問に答えてください。
Q1 神武、雄略、天武、後醍醐のようなパターンって何?
Q2 トーテム系の王って何?
Q3 有力部族行動パターンを蓄積 ってなんだ?
370 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:44:59
>>367 太国さん!
あなたはコテハン変えても名無しでも、
直ぐ分るんだ。
芸達者だからね。
でも僕は馬鹿じゃないから、
絶対コテは使わないよ。
中卒と一緒にしないで・・・www
使うと無名に袋たたきされるからな。w
372 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:51:05
>>371 >使うと無名に袋たたきされるからな。w
あれ全くのオウム返しですね
しかも逃げのニートですか(^^)
373 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:56:24
>>372 太国アホで勘違いしたから出てきたんだろ!
>>370>芸達者だからね。
これにいい気分になってノコノコ登場したんだよ!
全く逆の意味だと解ってないんだぜ!!!!!!!!!!!
馬鹿太国!中学行きなおせ!!!
ヲマエら、めちゃくちゃに奴にイジメられたんだって?w
375 :
月光太国:2006/10/14(土) 21:06:44
>370
おまえは小卒か〜〜??
376 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:12:35
>>374 奴ってだれ?
ちなみに僕は馬鹿ニートは排他するけど、
議論に負けた覚えは一度もないけど・・・
少し中卒ニートはいじめてるけど(^^)
377 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:15:06
>>375
それならさ中卒太国の新コテにしろよ!・・・・・80点上げたよ!!!
肩肘張ってぜんぜん面白くないよ!
笑いも知らないし駄目だなお前やっぱり!
379 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:27:04
>>378 そうだよ臆病なんだよ・・・
君こそバレバレのコテ使いで、
違う違うのコソコソ否定ばっかりじゃないか?
同じ言葉返しますよ!
金ちゃんも怖がってるからどっかへ隠れて出て来ないって、TVで報道してたね。
藻前と共通性があ〜る。藻前、朝か?
381 :
月光太国:2006/10/14(土) 21:32:32
そう言えば、朝さんはオウム返しをよっくやるね?
朝さんの特性か〜?
382 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:32:49
君も怖くないなら、
今から住所氏名教えてよ!
言い出したほうからな。ww
どーれ?何ていうんだい?どこにいるの?
384 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:36:24
この話言い出したのおまえだっろ!
大丈夫か?
酔っ払ってるだろ!
数日前の爆心地近くなの?
386 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:37:38
またとぼけて・・・・・
オマエ、支離滅裂だな? エッチ」が恋しいんか?wwwww
388 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:38:59
それはそのままお返しだねwww
月光仮面の幽霊党の残党か?w
まあ見てみな?なぜフィルムが感光したのか?
その数日前のことがよくわかるからな。
390 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:41:17
ちゃんと聞けない返せない・・・・・低学歴確定!
391 :
太国仮面:2006/10/14(土) 21:42:21
ははー、お返しか〜?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
大笑い。オウムチャンコか?wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だから何ていうんだい?
言ってみろよ! ゲボッ・・
393 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:42:41
メチャクチャでも返すだけ立派だなw
394 :
太国仮面:2006/10/14(土) 21:43:31
イヤー、チョンコ♂かな?
395 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:44:36
おいらはマヌケ
396 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:44:48
1人はそうかも・・・・・
小卒、君はまぬけか?
398 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:47:28
元祖チョンコ君は中卒ニートだけどね・・・・
こっちのコテハン使うんだろ?ww
コテンパンにやられて困ったのか?wwwww
だからどうだ?小卒氏は「コテンパン」のコテハンがふさわしいーーー。w
400 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:49:27
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
>>809 余ではない。
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
401 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:50:35
だんだん嘆きになってきたんじゃない?
402 :
太国 ↑:2006/10/14(土) 21:51:10
よくそれを出すなあ?やはり♂さんのようだ?w
かわいそうだから、まあこれまでとしてよろうや。wwwwwww
403 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:51:49
太国さんせっかく居るんだから、
古代の占い師さんたちはどこに沢山いたの?
404 :
月光太国:2006/10/14(土) 21:52:55
コテンパン君おやすみーーー。www
405 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:54:00
馬鹿は粘っても結局逃げる!!!!!
中卒ヒッキーは
レス後半は感情的過ぎて、
意味が解らん事連発だな・・・
最後のレスを拾うと
コテンパン君とか言いつつ逃げて行くって・・・・・・・・・・・・・・・相当悔しいのは解る! 冷静さは微塵も感じられない・・・
これまでとしてよろうやと言いつつ逃げていくって・・・・・・・・・・・典型的捨て台詞!負けてこれを吐くと、かっこ悪いのこの上ない・・・
子供の頃の喧嘩に負けた奴って、こんな奴が多かったよね
407 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:16:39
拳骨無しで、言葉だけでこんなにぼろ負けするって、
言葉に相当不自由なんじゃね?www
408 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 09:11:03
太国、昨日も負けたん・・・
早く占い師さんの沢山ン居るとこ、教えてーや!
古神道の最高権威で、しかも占いしか分らんらしいから、
ここまでレベル下げて、聞いたってるのに、
ホンマ太国アホやろな!
409 :
月光仮面:2006/10/15(日) 09:29:23
>>369 基本的に古代天皇には入山し、宗教、鉱物資源探索、乃至は軍事的示威行動と思われ
るが集団で尾根を縦走したり、急峻な峯に上ったり、巨石、岩石を運搬構築したりした
のではないかと思われる記述が記紀からうかがわれる。
朝鮮には箕子が殷から朝鮮に封じられたという伝承が残るが、殷の中原の銅鐸文化
が綏遠経由流入する日本において同様の伝承があっても当然であり、神武がトビ、
カラス、カモと関係をもつ背景で描かれるのは、唐古・鍵遺跡周辺にそうした殷の
時代と場所から日本に渡来してきた部族があり、その伝承が神武神話に組み込まれ
たと考えて見たい。これは、近畿と東海に普及する鳥形木製品祭祀となんらかの
関係があるかも知れない。しかし、韓国、エベンキ等にもこういう風習はある。
410 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 09:37:29
>>409 太国さん逃げてばっかりいないで返事しろよ!
古代の占い師さんたちはどこに沢山いたの?
411 :
月光仮面:2006/10/15(日) 09:37:53
唐の『「矩傳』に云う。 高麗はもと孤竹國【今の海州】なり。
高麗と高句麗だが、王莽がいやしめて下句麗と呼ぶように、クレと言う言葉も含む
ようで、孤竹と高句麗は別かもしれない。
412 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 09:39:07
413 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 09:42:59
かもしれない=妄想はもういいよ ヒッキー
妄想でなんか議論がすすむのか?
ずっと同じとこにいる事に気付かないのか?
おまえは進んでいる気がするかも知れないけど・・・
裸のヒッキー様だよ・・・・・しかも迷惑だよ!
414 :
月光仮面:2006/10/15(日) 10:06:09
>>411 古代の九州区分の一つとして、現在の鹿児島県はタケヒ(ワケ)とされたようだが、
そこに残るタケこそ筑紫の謂れではなかろうか。つまり、今は北部となった筑紫
の先祖は鹿児島県に到達し、北部には歴史的名称のみが残ったということだ。
そして高良とはもはや高句麗にも残らない孤竹の神ではないだろうか。
伯夷・叔斉
中国,殷末・周初の賢人。伯夷・叔斉の2人は孤竹国(遼西にあった国)の王子であ
ったが,互いに王位を譲りあってともに国を出奔した。一度は殷の紂(ちゆう)王の
朝廷を訪れたが,紂王に見切りをつけて,西伯であった周の文王をたよってその
もとに身をおちつけた。文王が死に,武王が紂王討伐の軍を起こそうとしたとき,
2人は武王の馬を引きとどめて,父の死後すぐ兵を起こすこと,また臣下でありな
がら主君を討伐することの不当をなじる。武王が殷を滅ぼし天下が周のものと
なると,2人は周の粟(ぞく)を食べることを恥じ,首陽山(山西省永済県)に入って
薇(わらび)をとって食料としたがやがて餓死した。・・・これはどちらかと言えば
高句麗には全く残らず九州に来たのではなかろうか。
415 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:08:23
ではなかろうか=妄想も もういいよ ヒッキー
妄想でなんか議論がすすむのか?
ずっと同じとこにいる事に気付かないのか?
おまえは進んでいる気がするかも知れないけど・・・
裸のヒッキー様だよ・・・・・しかも迷惑だよ!
416 :
月光仮面:2006/10/15(日) 10:09:22
ニュージーランドのマオリ族が蕨を食べること。アマゾンの地下から隼人の
盾の文様が出土していることも、何か関係があるのではと考えている。
417 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:10:13
考えている=妄想も もういいよ ヒッキー
妄想でなんか議論がすすむのか?
ずっと同じとこにいる事に気付かないのか?
おまえは進んでいる気がするかも知れないけど・・・
裸のヒッキー様だよ・・・・・しかも迷惑だよ!
418 :
月光仮面:2006/10/15(日) 11:57:09
わだつみの 波の彼方に 今日もまた
黒き嵐の 雲立ちにけり ・・・ こういう歌を歌いながら、
古代人は八重山諸島の天候を見つつ南へ、南へと伸びて行ったのである。
419 :
月光仮面:2006/10/15(日) 12:11:30
>>411 王莽は漢字しかわからず高句麗の高は僭越であるとしたのかもしれないが、
日本人なら、日本にはキクリヒメなどというのがあり、コウラというのもある。
キクリヒメの白山神社の後背地には犬山とか、犬、狼に関連する神社も多い。
キクリ、コクリというのは狗駈り、つまり、牧畜民族とも取れる。倭人伝では
狗奴国と言うのがあるが、高句麗、朝鮮式行政地区としてはありえる形だ。
高句麗というのはアルタイ語の一つの言葉であり、トルコにはカンガル犬
と言うのがいるがこれもここから来ている・・・と言った解釈ができる。
いずれにせよ九州の高良は犬と関係する伝承は全くないので高麗という
言葉は高句麗とは別に存在し、これは中国が蓬莱と認識したものに近い
のでないか。
420 :
月光仮面:2006/10/15(日) 12:17:40
王莽を笑ってばかり入られない。日本人も誤解をしているようだ。しかし、これは
孤竹族と高句麗族が上下に分かれた玉石混交の集団を形成していたともいえる。↓
「高良玉垂命を祭神とする高良社は本来高麗社で、このあたりに定着して牧畜の先駆け
をした渡来人の社と推定されています。妻の彫刻、向拝の複雑な組物など、信濃の
神社建築で装飾化の進んだもののうち、年代の明らかなものでは最も古くなります。
http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/kou.html 」
421 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:23:51
推定されます=妄想も もういいよ ヒッキー
妄想でなんか議論がすすむのか?
ずっと同じとこにいる事に気付かないのか?
おまえは進んでいる気がするかも知れないけど・・・
裸のヒッキー様だよ・・・・・しかも迷惑だよ!
422 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 12:42:56
解釈できます=妄想も もういいよ ヒッキー
妄想でなんか議論がすすむのか?
ずっと同じとこにいる事に気付かないのか?
おまえは進んでいる気がするかも知れないけど・・・
裸のヒッキー様だよ・・・・・しかも迷惑だよ!
423 :
月光仮面:2006/10/15(日) 13:27:31
>>420 「大化改新(645‐650の頃になると、突如として志賀川の北側(樋村遺跡、現在の平賀
バイパス付近)や長土呂に、大規模な集落がみられ、佐久平全体が自然増加ではあり
えないような人口の増加をみます。古墳も400基以上造られるようになり、その殆どの
規模が10m程度なので村落の家父長単位の墓であると言われています。
古墳の副葬品には、武器、武具、馬具、朝鮮半島のメッキ・金細工などが埋葬されて
います。また、大坂で焼かれた須恵器がこの頃の集落から発見されており、不自然な
人口増加と関連付けて、600年代に戦乱状態であった朝鮮半島や近畿地方からの
移住者ではないかと言われています。馬具の埋葬については、この地域にあった
望月牧、塩野牧、長倉牧の官営牧場の経営に携わった有力者で、やがてこの者達が
力をつけていくようになります。」
http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/sakugun.html
424 :
月光仮面:2006/10/15(日) 13:35:10
大化改新の直前百済王族が日本に亡命し、その一部と見られるのが信州佐久に
定着する際、この高良神社も一緒に来たのであろうから、高良玉垂神を単純に高句麗
とはできない。つまり、高句麗百済そして、限りなく弗流の感じの強い楽浪海中の倭人
共通の祖、夫与、その先祖の孤竹の神の印象を深くするのである。
425 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 13:36:27
言われています=妄想も もういいよ ヒッキー
妄想でなんか議論がすすむのか?
ずっと同じとこにいる事に気付かないのか?
おまえは進んでいる気がするかも知れないけど・・・
裸のヒッキー様だよ・・・・・しかも迷惑だよ!
月光仮面=太国=中卒ヒッキー
妄想癖と文章下手だからすぐ解る!
427 :
月光仮面:2006/10/15(日) 15:05:33
428 :
月光仮面:2006/10/15(日) 15:35:37
あるいは高句麗兵首切り神という人造的な神なのであろうか。タマスセリというのが
デーン人の頭蹴り(サッカー)と似通ったものを感じる。そうだとしたら漏れは随分
間違っていたことになるんだが。百済人が信州まで持ち込むのは憎しみからだけ
とも思えない節もある。
中卒ヒッキーって 必死だね・・・古代の占い師さんたちはどこに沢山いたの?
430 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 16:13:02
>>427 >つまり、陸軍、水軍を携えた神であり、
これ何処に書いてある?
431 :
月光仮面:2006/10/15(日) 17:24:42
432 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 17:26:54
>>431 ヒッキー それじゃ妄想オンリーだよ
古代の占い師さん所在でも調べていた方がいいよ・・・・・
433 :
月光仮面:2006/10/15(日) 17:29:48
↑正直言って自身はないので、批判大歓迎。
月光仮面・・・・・50代しかしらないキャラ・・・・・・お前やっぱ新卒ニートだな!
435 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 02:46:35
古事記のスサノオノミコトのオロチ退治とギリシャ神話のペルセウスの
クジラ退治の内容が非常に似ている件について。
436 :
月光仮面:2006/10/16(月) 06:47:05
高良大社、諏訪大社、善光寺・・・これらは百済人による最古の神社仏閣がそのまま
残っていると考えると自然だ。祭神、仏等は別の問題として。
437 :
月光仮面:2006/10/16(月) 09:14:15
438 :
月光仮面:2006/10/16(月) 12:47:36
円墳は百済・月支トカラ 文化に含まれるインド・アーリア、つまり、スキタイ時代の
イラン系サカ族系統の文化であり、平原の柱(これは諏訪大社の御柱、善光寺回向柱
と同じく百済系統)、田和山遺跡(頂上檀の半月)、日御碕神社来襲伝承からして、列島
には邪馬台国の開始時代、庄内並行期というのか、の時代に一度、二度目が推古・斎明
・百済王族の日本亡命時であろう。この間の銅鏡古墳時代は中国が不安定であったため
百済月支関係はどうにか半島に安住していたのであろうが、西都原の鬼の伝承とか、
阿波岐ガ原の禊の記述からして、西都原遺跡を建設したのは百済の月支系かもしれ
ない。
439 :
月光仮面:2006/10/16(月) 13:01:33
西都原鬼伝承のオオヤマズミと呼ばれるホスト集団、これは鬼集団の求婚を
拒否し、古墳技術を奪ったとされるが、これが神武集団の出身母体であり、遼河
西方の山戎、孤竹国方面から来たのだろう。これに対して西都原遺跡を建設した
のは早くとも冒頓単于の頃は河西回廊にいた月氏で、冒頓単于に分断され東方に
走ったものが燕から先、渤海湾の南北沿岸を東進し、北周りのものが馬韓に入った
のだと考えられる。
440 :
月光仮面:2006/10/16(月) 13:15:25
『古事記』によると、大山昨神(またの名は山末大主神)は近淡海国の日枝山に坐し、
また葛野の松尾に坐す鳴鏑(なるかぶら)を用いるなり」とあり、近江の国の比叡山と
松尾山を支配する神であったと伝えられている。MA-TU-O(冒-頓-王)の神の鳴鏑
は明白に父を鏑矢の合図で射殺させた単于の武勇に由来するものだと思う。
しかし、ここにも大山昨神(またの名は山末大主神)が出てくることは匈奴には山戎
系統も入っていたことなのだろう。秦氏と西都原で円墳系統古墳の建設をやらされた
鬼とは別のグループと言うことなのだろうか。
441 :
月光仮面:2006/10/16(月) 13:27:25
Diekenesという人のブログで見たんだが、東欧に侵入してきたフンの
クマン(秦氏が担ぐ功満王とそっくりだが)その遺伝子を調べると酋長は
コーカソイド、家来はモンゴロイドであったという。なんだか坂上田村麻呂
の東北遠征とおんなじようなチーム編成のようだ。
442 :
月光仮面:2006/10/16(月) 13:37:25
>>440 横綱朝青龍を松尾大社に案内し石組みを見せたら、こりゃーモンゴルだよと言うと思う。
443 :
月光仮面:2006/10/16(月) 13:50:59
444 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 14:21:55
月光仮面・・・・・50代しかしらないオタクキャラ・・・・・・しかもぷーんと臭うニート香り!
445 :
月光仮面:2006/10/16(月) 15:45:50
月光 卑弥呼の時代の竺法護232‐309、中国,西晋時代の僧。敦煌の人。竺曇摩羅刹
,敦煌菩醍,月支菩醍とも称された。この月支菩薩にあやかったもの。
数代にわたって敦煌に定住した月支の末裔で,幼少のころから六経などの中国の古典
を博く学習した。彼の生きた時代は,インドではクシャーナ王朝治下で大乗教が
興隆し,大乗経典が陸続と創作されていた。一方,中国では西晋末,中原が混乱した
政治状況にあったが,中国仏教がようやく勃興しようとしていた。しかし当時の中国
仏教界は,訳経を重んずることなく,多数の大乗経典はインドおよび中央アジアから
伝来しないままになっていた。これに発憤した竺法護は,師の竺高座とともに西域諸国
を遊歴して諸言語を習得し,経典の原本を収集して長安に帰った。中国各地の熱心な
僧俗の帰依者,たとえば長安の聶承遠,聶道真父子のような帰依者の助力を得て,ある
ときは都市に出,あるときは山間に逃避しつつ,多数の重要な大乗経典を翻訳・宣教し
つづけた。竺法護は,40余年にわたって100部におよぶ経典を翻訳しつづけた大訳経家
であったが,彼の訳した《光讃般若経》《法華経》《維摩(ゆいま)経》《首楞厳(しゆりよう
ごん)経》などの諸経を改訂するところにクマーラジーバ(鳩摩羅什)の訳経活動の最初
の使命があったことから推しても,〈経法の中華に広流する所以は護の力なり〉(《出三
蔵記集》)というのは過言ではない。
仮面
http://www.rmhb.com.cn/chpic/htdocs/English/content/200505/images/11-1/1%20(7).JPG この仮面・・・ここに蘭陵王から猿田彦、ナマハゲの姿を見たことによる。
http://www.rmhb.com.cn/chpic/htdocs/English/content/200505/11-1.htm
446 :
月光仮面:2006/10/16(月) 16:11:50
かまってほしーのか
448 :
月光仮面:2006/10/17(火) 09:15:33
高良大社はそのスケールが出羽三山、諏訪・八ヶ岳、日光といった超大型であり、
それだけの空間が自由になる時代というのは相当古い。基本的に山城であり、金毘羅
宮などとも似た立地。玉垂れで連想されるのは秋田横手地方の梵天と秋田唐松神社
天日宮玉鉾大神。高良は高麗に似ているが、この2つの概念が重なるほど起源が古い
と解釈できる。梵天はエジプト、印欧文化圏にあり、欧州ではイースターエッグ等に
なったものと見られ、百済月支国が西方文化を仲介した結果である可能性は高い。
ただ玉せせりは高良大社ではなくその他の神社、地方で行われているようだ。
449 :
月光仮面:2006/10/17(火) 09:34:07
450 :
月光仮面:2006/10/17(火) 12:45:44
>>447 ウエブなどの集団にはアリ、ハチ、サルの集団のようなルールがある。荒らし、暴走、
ハバヨセ、ツキマトイ等の反社会行動は本能又は教育で抑制されており、集団に有益で、
集団の利益を侵害しない行動のみが許される。ルールとは交通ルールのようなもので
他人の自由な発言、運転を妨げてはならない。人間の幼児で親、学校でこうした基礎的な
常識を身につけないものが荒らし、暴走族で社会にぶつかり学習しようとするのだと思う。
しかし、これは全てのネット参加者が自分で気がついていることなんだ。基本的にいえる
ことは他人の妨害をしないだけではなく、少しでも他人に有益と判断されることを積極的に
提供する態度であろう。まず、不要なスペースを占拠するなど暴走族的荒らし行為による
ネットのリソースの節約に留意することからはじめよう。
451 :
太国:2006/10/17(火) 14:18:49
暴走族のスレのほうがお似合いな奴がここにいますよ。ここは特段に奴の騒音が
でかく奏でられるスレなんです。もう奴に暴走族の奴らと話をしたほうがレベル
があうようだからそっちへ行けと他スレであいつに進言しております。
そいつは威勢は大きいが無名の臆病者でして、コテハンを「コテ無パン」と
授与、呼称される弱虫です。w
452 :
月光仮面:2006/10/18(水) 16:21:46
453 :
太国:2006/10/18(水) 22:23:36
文献には一部に誤りがあることは当然あるわけだが、古史古伝はまあイカサマ
だ、と誰かさんが言っている。それは古史古伝には不純物が含まれている要素が
多いということかも知れない。それでも記紀と一致する個所も多いわけである。
だから記紀の信用性を高揚している効果もあろう?
記紀は一般には格別のデムパを除いては問題だと言われることはあまりない。
それに津田病患者は文句を言ってくるんだろうがな? とにかく記紀は神武より
以前は古すぎて、神話と歴史の接点で史学的にはまだまだ肯定を本決まりに
するには躊躇するであろうし、それはやむを得ないことなのであろう?
とにかく水道水だって単に「水」だとは肯定しずらくなる。古史古伝のように
不純物が入るからである。それは純水ではない。つまり塩素とかいうものが
混入されているからである。塩素は水でない、だから水道水は偽書に対して偽水
だということになる。古史古伝を偽書だと主張する連中も、この偽水は腹の中に
排除せずに容認(飲用)しているのである。
ところで「記紀」とは古代人そのものの言葉なのである。しかし考古学は近代人
の言葉でああだこうだと言って学問化されたものである。だから
記紀の文献>考古学
であって、古代史のことは原則として
古代人の言葉>近代人の言葉
の式が成り立つ。つまりだ、考古学より文献のほうが重要なのである。
454 :
月光仮面:2006/10/19(木) 08:00:50
記紀で一番問題なのは古代天皇、重臣その他の年齢とか、神武のお経にも似た
天文学的数字の引用などだが、これは中国の向こうを張って建国を古くしようとする
意図ではなく、個々の古代天皇、重臣に残るアバウトな情報のオッズのような確率の
逆数を表しているのであろう。これを正当化するとバチカンのような変な解釈になる。
紀元は2600年とか、伊勢神宮の紀元なども記紀の数字を直接に使用するのは
誤りであり、大事な原典の価値を損なう極めて心無いやり方である。尊敬されるのは
籠神社のように科学的研究に基づく情報を発表している神社である。三輪神社も
創建こそ新しいが神主は立派な人物である。皇室の紀元をあいまいにするのは
学者でもある天皇家に対する大きな非礼である。もちろん、天皇家の出自について
渡来人ではないか等とトンデモな意見が多いが、記紀を注意深く呼んでいると
渡来人がなれるような状況で生まれたのではないことがよくわかる。
455 :
太国:2006/10/19(木) 08:15:19
マヤ文明のほうも天文学的数字がある。カラブトゥンとかアラウトゥンとかだ。
1アラウトゥンとなれば、179万年よりももっともっと古い。
神武より以前は、たとえば1年365日余が1日だった可能性がある。
以前は1ドルが日本円で360円だったが、現今ではかなり詰まってきたし、
その1ドルに換算していたようなことが、古代にあったんだと思う。
西遊記では天上の1日は地上の1年だ。こんなことが現実に古代の日本、神武
より以前にあったように思える。
456 :
太国:2006/10/19(木) 08:17:37
訂正
× 179万年よりももっともっと古い。
○ 179万年よりももっともっと大きい年月だ。
457 :
月光仮面:2006/10/19(木) 08:30:01
では紀元は何年なんだというと、箸墓着工の布留1式は卑弥呼の没年248年に近い
だろう。そして崇神が即位するのも実際にはこの年辺りだろう。で、その母体となる
邪馬台国は畿内-吉備統一土器の庄内式土器が始まる頃で、2世紀の終わり頃
であろう。
458 :
サガミハラハラ:2006/10/19(木) 09:07:02
上記の179万年が記紀のなかに登場する数字だとするならば、この数字について、原田実氏は、
H15・2・11の横浜県民センターでのユニバーサルフォーラムの会において、
「この数字は中国の唐代において、宇宙の周期が一巡する年であるとのべています。
459 :
月光仮面:2006/10/19(木) 09:18:38
>>455 天文学的数字をもてあそぶのは日本人と言うより、むしろ、印度、中国のほうであり、
そういうのが記紀に紛れ込むのは古い時代のことではなく、逆に、仏教とか漢文
文化がどっと押し寄せた、まさに記紀編成の頃ではないかと思います。
ただ三桁の範囲は超えていないというのが、百、すなわち、モモを超えることに
何らかの呪術的な意味を持たしたのかなとの感じもしますね。
460 :
太国:2006/10/19(木) 09:54:51
>>457 まあ合っているとは分からんが、余の倍暦計算から神武即位は紀元元年を算出
したので、これが真だと、実年代248年は垂仁天皇の誕生直後に相当する。
しかし崇神と卑弥呼は年代がまだまだ離れており、同一時代としちゃうと
滅茶苦茶だと思うな。 崇神=應神 などと主張する奴と同類に近い。
これじゃあうまくないよ。
461 :
月光仮面:2006/10/19(木) 10:04:00
462 :
月光仮面:2006/10/19(木) 10:21:05
>>460 神武時代については後漢書、倭人伝がもっとも信頼性が高いと思う。すると、どうしても
帥升
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%A5%E5%8D%87 が出てくる。帥升に匹敵する
入海した倭王というと記紀の山幸となる。山幸に対抗した兄貴分と言うのは金印を貰った
安曇海人族。こうすると山幸のルーツは日向方面、更にその昔は霧島連峰からそのはるか
西方、川内、串木野方面となる。更にその先はというと熊本方面ではないか。どうも高天原
に阿蘇の草千里のイメージを見る。
神武は直接日向から東遷するのではなく、倭人伝にもいわくありげに特筆される不彌、
これは遠賀川下流域と言うことだろう。この辺を出発し、安芸、吉備にそれぞれ十年
程度は陣を構えたと思われる。この間神武の中身が吉備勢力に変わることもありえよう。
463 :
太国:2006/10/19(木) 10:41:33
帥升は崇神か垂仁のあたりの時代の人で、九州の王ですな。
464 :
月光仮面:2006/10/19(木) 10:46:17
帥升、ホオリ、は鹿児島県人であり、これが洛陽訪問を期に豊前勢力と結婚し東九州
同盟を結成、日向地方に中心を置いたと言うのが日向三代。神武はそうした環境から
生まれる。記紀はこれを天孫とし海幸の方はあまり評価をしないどころか、戦争までし
ている。つまり、天孫は海幸に対する新勢力であり、ちょうど合衆国が英国本土の歴史
を描かないように、海幸の歴史は神話の中に棚上げしたのだろう。オノゴロ島などは
淡路島ではなく博多湾の可能性が強い。また安曇海人族の同盟国出雲は次第に敵国
となって行くのであろう。
465 :
太国:2006/10/19(木) 10:48:24
日向三代か〜? ウガヤ朝は否定されるんですか?
466 :
月光仮面:2006/10/19(木) 11:03:18
神武が遠賀川方面に行った後何をしたかが欠落しているが、遠賀川は沖ノ島・対馬経由
楽浪につながる。三韓は唐津・博多・出雲の息がかかっているが、楽浪は先祖帥升の
影響力が強いところであり、神武に好意的であった。神武は今後一切青銅製品原料は
天孫シーレーンを通すこと、新規画文帯神獣鏡等は天孫の独占とし、楽浪はこれに関
する忌部集団を東瀬戸内海に派遣することの約束を得た後に帰国し、その後安芸に
向かったのではないかと思う。
467 :
月光仮面:2006/10/19(木) 11:13:18
風土記も面白いね。一緒に読むべきだ。
469 :
月光仮面:2006/10/19(木) 11:28:31
470 :
月光仮面:2006/10/19(木) 11:35:17
神武の頃の話が多いかなと思うのは↓邪馬台国と楽浪郡
http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/shiten3yamatai.htm 「後漢王朝末期の西暦190年、三国史で有名な菫卓が権力を握り中国は動乱の時代を
迎えました。この時遼東の太守であった公孫度は、中原の乱れに乗じ、山東半島北岸
の東莱郡を侵入し、また遼東郡を分割して遼西郡・中遼郡をつくり太守を任命し、自らは
遼東侯と称して楽浪郡も支配下に置きます。204年公孫度が死ぬと、その子公孫康は
楽浪郡の南に帯方郡を開き、楽浪の支配から脱していた韓や穢を討ち、『魏氏韓伝』に
あるよう「これより後韓倭帯方に属す」と韓・倭を支配下に治め、また魏の曹操とも和親
関係を結びました。公孫康の死後は弟の公孫恭が継ぎましたが、無能であったため、
228年公孫康の子、公孫淵は恭の位を奪うことになります。」
「後韓倭帯方に属す」と韓・倭を支配下に治め」とあるは上記の神武の交渉の結果、
旧倭こと、唐津・博多・出雲を押さえ、神武にルートを与えたと言うことでしょう。
471 :
月光仮面:2006/10/19(木) 11:39:20
「沖の島祭祀遺跡ではヤマト政権的な遺物に混じって、新羅的な遺物の出土が多く
報告されています。同様に初期のヤマト政権では新羅的な遺物も散見されていま
すが、これはおそらく楽浪郡から朝鮮半島南端へと向かう通交ルートが新羅の地域
を通っていたためと推察できます。想像を逞しくすれば従来の対馬から馬韓を経由し
半島西側の海上を北上するルートは、伊都国に代わって台頭した筑後川・有明海
勢力、すなわち旧狗奴国が掌握していたと考えることもできると思います。」
「伊都国に代わって台頭した筑後川・有明海勢力、すなわち旧狗奴国」これすなわち
神武の支配地。
472 :
サガミハラハラ:2006/10/19(木) 12:50:50
ニニギノ尊の降臨した地は博多湾岸一帯です。
神武の東征出発地は福岡市西部の山門です。
これが記紀のもっとも合理的な解釈となります。
天孫降臨日向説は従来の説を鵜呑みにしすぎているのではないでしょうか。
473 :
サガミハラハラ:2006/10/19(木) 12:51:59
ニニギノ尊の降臨した地は博多湾岸一帯です。
神武の東征出発地は福岡市西部の山門です。
これが記紀のもっとも合理的な解釈となります。
天孫降臨日向説は従来の説を鵜呑みにしすぎているのではないでしょうか。
474 :
月光仮面:2006/10/19(木) 14:36:46
>>473 倭人伝でも博多湾にはニキという官職が残っていますからサガミハラハラ説
にも説得力がありますね。ニキというのは他の地方のナギのようなものでない
でしょうか。シャーマンというか、なにか祭祀に関わる職務担当とかではないかな。
普遍的なものであれば鹿児島の霧島方面にいてもおかしくはないのでは。この
問題は棚上げしましょう。
475 :
月光仮面:2006/10/19(木) 14:56:37
476 :
月光仮面:2006/10/19(木) 15:22:24
しかし、三国遺事では新羅阿達羅王の時細烏女・延烏郎のカップルが日本に向かって
おり、香春には辛国息長大姫大目尊が祀られる。真にきわどいニアミスといおうか。
時代が姫時代であり、全国・海外いたるところに姫がうじゃうじゃしていたと言うことで
あろうか。だから神武がコンテストをやるのであろうか。
477 :
月光仮面:2006/10/19(木) 15:57:10
>>475 神武の大和における后の出里は「この神はもと日向(宮崎県)におられたが、
神武天皇の東征に先立ち、山城・摂津・和泉・土佐方面に大きな力を持つよう
になっていました。この神は、京都下鴨神社にまつる鴨建角身命(かもたけつ
ねみのみこと)と同じ神様で、神武天皇が東征のおり、紀伊の山中で道に迷わ
れたとき、八咫烏となって道案内をされました。また和泉地方では大陶祇命
(おおすえつみのみこと)といい、陶器製作にも力を入れ、農業や工業の発展
に少なからぬ功績をたて、この三島地方の基礎を築かれました。」
http://www.ibaraki-kankou.or.jp/rekisi/06.html これでは日向の男性がまた日向の女性を貰うことになり選抜コンテストがあったのか
怪しいが、共立が実は大和ではなく山門であったということならそれは海幸・山幸と言う
母体が山幸側の女王を共立したと言うことにすぎない。これなら摂津から平原に来たと
言うのではなく日向から平原に来たと言う線もある。
478 :
月光仮面:2006/10/19(木) 16:01:54
しかし、神武がこんなにも強い支援者を攝津に持っていてなぜ簡単に長髄彦
にやられるのかは不可解である。侵入したのは吉備軍ではないのか。
479 :
サガミハラハラ:2006/10/19(木) 16:49:20
私の文献解釈では、卑弥呼の即位は183年で、新羅本紀の173年は干支の12支1巡まちがっていると考えられます。
480 :
月光仮面:2006/10/19(木) 17:15:01
>>479 それにしてもよく似てますね。ところで、寺沢薫さんの王権誕生では平原古墳では
秘儀が行われたのではと言うのですが、巫女王の八卦が当たらない場合など簡単に
殺すようですね。安本さんの情報では旧奴国は近畿の庄内土器が充満しているようで
すので何らかのイチャモンをつけて近畿勢が九州の巫女王を殺害しその霊を東方に
運んだと言うようなことはあるんでしょうか。まー、そんなひどいことはしなかったとは
思うんですがね。
481 :
太国:2006/10/19(木) 17:58:47
>>475 神武即位が紀元元年からの計算では、173年は孝元が立太子のときの年になる。
>>479 183年だと同即位の5年前位に当たる。卑弥呼の即位はもっと後代の計算だな。
482 :
サガミハラハラ:2006/10/19(木) 18:46:00
孝元は奈良県にいました。卑弥呼は佐賀県にいました。両者はまったく関係ありません。
483 :
月光仮面:2006/10/20(金) 08:41:16
>>475 神武の業績を見ると奈良盆地侵入、和歌山沿岸部、吉野熊野遠征、奈良盆地南部
征圧といったところですね。例えば庄内土器の場合吉備から河内にかけて統一されて
いますから神武の業績よりも遅くなるでしょう。また、唐古鍵環濠集落成立よりは後の
ことでしょうね。葛城のアカガネのヤソタケルというのは銅鐸関連かなと言う感じですから
銅鐸終末期にはまだ即位はなかった。自分としては入海したホオリが帥升と見ています
ので後にウガヤを入れるとやはり初代卑弥呼と同世代かな。と言った感じです。
484 :
月光仮面:2006/10/20(金) 09:59:28
卑弥呼と同時代かもしれないが、神武には天の香具山の土でヒラカという土器を
焼くシーンがあるが、これはこの地域、奈良県一体か、の土器の規格統一と解釈する
と大和式庄内土器成立のことかもしれません。すると、この頃の卑弥呼と九州まで
拡大した頃の卑弥呼では役者が違って当然。この頃の卑弥呼はイスケヨリヒメでしょう。
平原の女王は出身としては豊前辺りの可能性が高いのではないでしょうか。そして、
張政時代の卑弥呼とは、やはり、モモソヒメということになりましょうか。
485 :
月光仮面:2006/10/20(金) 10:10:29
486 :
太国:2006/10/20(金) 10:21:03
>>485 それならば、倭人伝は女王国などという大げさな言葉で記述する必要はなく、
むしろ那珂津比孤(仲哀)とか似た漢字の当て字で朝廷天皇の記述を多くするし、
卑弥呼が神功だったらもっとつっこんで御来那珂多羅斯(神功)とかの当て字で
具体性の記述が見られ、前後の系統の名もかなり合ってこなくてはおかしい。
孝元と卑弥呼とは時代が全くかみ合わないよ。
487 :
月光仮面:2006/10/20(金) 10:49:09
>>486 太国さんのおっしゃるとおり、そんなら、どちらかと言えば記紀の記述がおかしい
ということにもなる。しかし、これは張政、つーか、魏史観と言うもので押し切るから
そうなので、実際は拝謁もかなっていないし、魏もすぐに消え去る。
邪馬台国の4官も天皇4代に読める。しかし、倭国は当時女王制を取っていて、
その後、男子天皇に代わると言うこともありえる。崇神が急にハツクニシロスとなる
のはこうした憶測を補強する。
488 :
月光仮面:2006/10/20(金) 10:50:46
ちょっと所用で外出します。
489 :
月光仮面:2006/10/20(金) 12:10:30
倭国は張政をあまり、というか、ほとんど認識していなかったのだろう。垂仁の代に
ツヌガアラシトというのが新羅の王子の触れ込みで来日しているが、この辺が張政
の随員ではなかったかと思われる。魏との国交に携わった倭国外交官のナシメは生部
(精錬部長)、トシゴリは鋳型係長クラスで鏡作りに属するものであろう。その上には忌部
と言うのもいたことであろう。生口というのも相当怪しい。鋳型製造技術研修員が目的で
あった可能性もある。
490 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 14:11:56
ツヌガアラシトが張政の随員、鋳型製造技術研修員が目的って?根拠のない話が飛躍しすぎていませんか?
491 :
月光仮面:2006/10/20(金) 15:46:42
>>490 記紀に、時代的に言ってこれほど張政訪日に接近した国外賓客来日の記事ってある?
あったら教えて欲しいんだ。で、生口って何が目的だと思うの?これも教えて欲しいなー。
生口は日本の役立たずニートを中国に差し出すこと。中国に対するご機嫌取りに決まっているよ!でも最近のニートはね・・・・・・・・
494 :
月光仮面:2006/10/22(日) 07:58:34
>>492 基本的には高句麗等と同様の古代からの外交プロトコールということか。
495 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 08:06:03
今でだって、同日に二人の客が来たからといって、二人は同一人物とはかぎらない。
496 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 10:52:01
書紀のデータに何か根拠があるとして正しい年代に修正するにはどれが適当だろう。
1.2倍暦(1年を2年とカウントする)
2.干支繰上げ(明らかに在位の長すぎる天皇の在位を60年切り詰める)
3.架空天皇(記事の無い天皇を架空とする)
4.架空年(記事の無い年を架空とする)
497 :
サガミハラハラ:2006/10/22(日) 11:01:50
それはやはり1の2倍暦です。それと虚構年がありますが、これは4ではなく、同じ季節が続く年代は1年と見るという方法があります。
498 :
太国:2006/10/22(日) 11:24:57
1ですよ。架空の天皇を作るっていうのなら、利害甚大な理由がなければ
ならない。数代ばかり増やしたって効果は大して出るわけはない。
紀に武烈の悪業がイカサマがあのように書かれているから、誤魔化しはない。
神道では半年で大祓いをやって締め切りをやっているし、農業的にもやって
いるから、これが正解と思うわけだ。これらは編者のイカサマからではなく、
他動的だから充分信用できうる。
499 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:26:18
2.の干支繰上げがないと↓の件は説明出来ない。
朝鮮半島の史書『三国史記』の「百済記」との比較。
書紀 255年 肖古王死す。 264年 貴須王死す。
三国史記 375年 近肖古王死す。 384年 近仇首王死す。
上下の二人は同一人物と思われるので、書紀は干支2周期(120年)引き伸ばして年代を設定しているのが判る。
500 :
太国:2006/10/22(日) 11:39:26
中国史の年代が必ずしも正と決めつけるのは、いったんは綱引きではないが
思い留まり、引っこんで躊躇したほうがいい。
501 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:51:41
↑ご都合主義もいいところだな。
百済記は広開土王の碑文とも年代が合致するので4世紀後半の記事は正確なのが証明
されているが・・・・
太国、サガミ・・の両氏はそろそろ妄想はやめて現実の話をした方がいいと思われる。
502 :
太国:2006/10/22(日) 11:53:22
>>499 繰上げなどやっちゃあいないと思う。それは紀の編者もあっちと日本と年時が
かみ合わないので苦労したようだ。紀を調べると、神功、應神、仁徳世の記述
がバカに月までで日の記述が他よりも際立って多いんだ。それは合わないから
失敗がないように月日全部でなく月までで記載をあきらめたんだと思うから。
編者は魏関連の文等の不一致を怖がったんだろう。
とにかく仁徳の世以前が著しく寿命が長いから、それまでは倍暦等をやって
いたんだと考えるし、履中以降もそういう考えは捨てきれない。
503 :
太国:2006/10/22(日) 11:56:28
>>501 そんな証明はあてにはならない。むしろこっちは警戒している。
その証明を信じたから大間違いになったわけだ。用心用心。
一見証明できているようだが、失敗のようだな。
504 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:00:03
兎に角、記紀の編集者は神功もしくは、彼女に滅ぼされた女王を卑弥呼と思っていたから、
年代を120年程伸ばす必要があった
505 :
太国:2006/10/22(日) 12:04:41
>>501 お前さんは中国のほうは信用してるようだから、日本のほうも信用
したらおかしくないんじゃぁないの?
だいたい合わないから60年、注射じゃあるまいし注入するなど編者が
やると思ってるのか? 編者も合わないので困ってたんだと思う。
その倭人伝のあたりの神功〜仁徳に月日の記述がえらく少ないんだから
月までしか書かれていないということは、無理せず慎重になったんだ。
欽明2年の帝王本記云々の個所を読んでみな。
506 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:06:48
>>503 石碑が信用出来る根拠は戦前旧陸軍によって発見されたものだからだ。
こんなに劇的な証拠が出たケースは珍しい。感謝すべし
507 :
太国:2006/10/22(日) 12:13:11
>>504 どうも編者は不一致で追いこまれていただろうが、120年増すならば、編者側から
「どうしても中国の文と合いませんのでそのまま記述しますが、古記録の
ままに書いておきます。ご承知おき下さい。」
というふうにかいておけばいいわけだ。ところがそうなってないし、120年
増す必要は上の「・・・・・」でいいわけだから、他の考えを持ってこなくて
はうまくない。だいたい 〜ある書に曰く が紀の書き方なんだから、鍵括弧
のようにして 〜ある書に曰く として参考文とすればいいことだろう。
508 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:23:45
記紀の編集時には年代記は干支しか残っていなかったんだろう。干支は分っても、その干支が何周期目なのかは判らなかった。
つまり、倭人の記載に合う周期に合わせてしまったのだ。
但し、日本記の段階では百済記と合致していたと思われ、卑弥呼はヤマトトトビモモソ姫に想定されていた。
鬼道をもって衆を惑わす、ぽい彼女の超能力の記載はその名残。
509 :
太国:2006/10/22(日) 12:28:38
>>502 訂正 失礼
× 月までで日の記述が他よりも際立って多いんだ。
○ 月までで日の記述が無いことが他の世よりも際立って多いんだ。
日の記述がない部分が神功〜仁徳では目立って多いということです。
510 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 14:22:48
>>506 「広開土王の石碑文」「百済記」「日本書紀」
物的証拠(考古学)と状況的証拠(文献)が完全に一致した決定的(奇跡的)な資料。
これを無視するなら何をしても無駄
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
>>809 余ではない。
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
太国さん古代の占い師さんたちはどこに沢山いたの?
513 :
太国:2006/10/22(日) 14:38:28
ふ〜む、そういうことなら信憑性はありそうだな?
この前は七枝刀の件で騙されているので、それがし用心はするに越したことは
ないと考えている。どこでうっちゃりが待っているとも考えないと、確信して
失敗に陥る。こういうのは一致していると言っているが、みかけか解釈とかの
相違で一致したと思いこんでしまうかも知れぬ。だいたい□□□が多いん
だろう? 注意すべきだな。
514 :
太国:2006/10/22(日) 14:41:37
>>512 お前は「コテ無パン」だろう?
今忙しいから自分で研究しろ。そんなわきっちょの質問など他でやれ。
515 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 14:56:02
太国氏は陥落寸前です。
シャガミフェラ氏は?
516 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 14:59:40
太国さん解らないなら素直に言った方がいいよ
可哀相な程、知識不足で気張っているって・・・
古代の占い師さんたちはどこに沢山いたの?
奈良だろw
518 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 22:33:03
街角だろw
519 :
サガミハラハラ:2006/10/23(月) 08:46:24
>>515
サガミハラハラは陥落しませんです。なぜなら常に真実を探求し続けているからです。
彼の論の多くはやがて日本古代史の主流となるからです。
520 :
太国:2006/10/23(月) 10:01:03
サガミハラハラさん
そいつは昨今、このへんと「神社・仏閣板」を荒し回っている性格がよくない
無コテハン野郎でして、無名のところ「コテ無パン」というネームをご褒美で
もらった暴走族連中と気が合う奴ですから、いい加減適当にあしらって相手に
しないほうが得策です。たまに拙者がアッパーを喰わしていますから、そいつ
はコテンパンにKOとなり、そのたびに泣き言を言いに来るのです。w
521 :
サガミハラハラ:2006/10/23(月) 12:38:59
ご忠告有難うございます。
522 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 19:53:25
学習とは、本人の思い込み、誤りを訂正し、正しい考えを持つために態々
高い血税を使ってまで行うのである。
学習能力の無いものは学問板から猿べし〜
サガミハラハラさん
あなたは、
古代の占い師さんたちは、
どこに沢山いたのかわかる?
524 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:01:41
わかりません
525 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:34:23
>>520 残念ながら私はその神社仏閣荒しではない。
その程度の推理能力で根拠の無い決め付けをしているようでは
太国氏の古代史論も高が知れている。
526 :
太国:2006/10/23(月) 22:37:15
古代史の自説を言いなよ。無名コテじゃァ、それこそ大したことはないだろう。
527 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:58:59
何故、記紀の編集者が30代以上にものぼる歴史を編纂できたと思う?
例えば皇紀元年が紀元前にあったとすれば、700年以上の歴史をまとめなければならない。
これは可能な事か否か?
よく考えれば解るはず
馬鹿だから解るはず
529 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:13:58
自作の邪魔
サガミハラハラ氏って
東アジアの古代文化を考える会
の人だったのか
532 :
サガミハラハラ:2006/10/24(火) 08:06:08
はいそうです。他にも邪馬台国の会に入っており、銀座駅前大学古代史研究室の教授です。
533 :
サガミハラハラ:2006/10/24(火) 20:15:01
おもな立ち回り先は、上記の会の講演会のほかに、五反田の「歴史研究」会本部と、神奈川歴史研究会と茂在寅男先生を囲む「木栗会」
などです。おもな投稿先は、季刊「邪馬台国」の私の邪馬台国論と「歴史研究」です。
534 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 20:26:25
で、年代の120年の件はどうやって説明するんだい?
535 :
サガミハラハラ:2006/10/24(火) 20:37:22
2倍年暦をもとにしますが説明が難しくてややこしいのでやめときます。
とてもこのページでは説明しきれないものですから。
536 :
太国:2006/10/24(火) 20:38:23
2倍年暦等は合理性が大有りであ〜る。
537 :
サガミハラハラ:2006/10/24(火) 20:40:59
太国さんありがとう。
538 :
太国:2006/10/24(火) 20:45:29
聳ゆる二時の姿こそ、金甌無欠揺るぎなき
昔は2年が1年だったのさ・・・。
539 :
太国:2006/10/24(火) 20:47:37
サガミハラハラさん、さらなる健闘を祈る。
540 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 20:55:15
お疲れ様でした。
bakaha
samisiikara
aisatudaisuki
542 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 21:43:31
糸冬 了
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。
545 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 00:01:50
ヤマタノオロチ退治は実は吉備であったという厚顔無恥では
ないぞ。安芸は。妖しげな岡山の考古学会なんとかしる〜。
太国さんはもっと知恵があるよppp
547 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 11:48:47
何処で退治されたかは知らないけど、大きな蛇の伝承は岡山にもある。
いっつもこの調子だね
549 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 14:50:08
ヤマタノオロチは河川氾濫の喩でスサノヲが治水の喩だから
当時河川氾濫が治水灌漑で無くなった土地、ということになるね。
各地に散らばる「大蛇退治」の話はあまねくこれが現実だろう。
ヤマタノオロチにも焼き芋お勧めしたらppp
551 :
:日本@名無史さん :2006/10/28(土) 15:41:15
ま〜た岡山の地元興しか!!もういいかげんにしてくれ中国地方。
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。
太国の知恵は、
本来の学問としての思考に使われず、
妄想のみに使われている。
554 :
太国:2006/10/28(土) 22:48:02
>>553 お前はま〜だ女王国が畿内だと思っているのか?w
だったら卑弥呼と天皇は畿内でどんな会談をやったんだ?
ハハッ、それともエッチでもしたのか? 記紀に書いてあるか? ほぼ0だぞ。w
芋とキノコ食った?
556 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:13:23
食ったの確実だねppppp
557 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:06:58
ある時は古神道の最高顧問
又ある時はキングオブニート
太国大先生におかれましては、
ご機嫌麗しゅうございます。
>>554 いつにもまして脈絡の無い話題ですが、
もしかしてラリキノコをお召し上がりになったのでは?
処方はかなりの困難を極めますが・・・
>>554 釈迦より賢い?
頭大丈夫か?
たったこれだけの文章ですら可笑しいぞ
559 :
太国:2006/10/29(日) 15:33:36
何で如来に飛ぶんだろう? お前はデンパ王ハハッ。もっとおかしいのう〜。w
560 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 16:24:34
2倍暦? 無いな。
こじつけ。
561 :
太国:2006/10/29(日) 16:28:02
>>560 無いなら、仁徳以前の天皇の超長寿をどのように説明つけるのか?
ある時は古神道の最高顧問
又ある時はキングオブニート
太国大先生におかれましては、
ご機嫌麗しゅうございます。
>>564 自作臭いですね。
もしかしてラリキノコをお召し上がりになったのでは?
処方はかなりの困難を極めますが・・・
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。
564 :
サガミハラハラ:2006/10/30(月) 12:53:25
2倍年暦については、資料もなくては論争にならないと思います。
当2ちゃんねるにはそのスレがあったのですが消えてしまったのでどうしようもありません。
小生が2倍年暦についてまとめた本を執筆中ですが、あと、「はじめに」と「おわりに」の文や参考文献を残すのみとなりました。
来春の発行をめざしておりますので、しばらくお待ちください。
にほん古代史研究の衝撃を与える書になるものと考えております。
565 :
太国:2006/10/30(月) 17:45:22
>>564 最新研究の成果かなと思います。神武即位は実年代でいつごろになりましたか?
566 :
サガミハラハラ:2006/10/30(月) 18:37:54
おそらく(まだそこまではしっかりとした研究が進んでないのですが、)AD120年代となるかと思います。
567 :
太国:2006/10/30(月) 19:52:24
ほぅ〜、そんなに詰まりましたか? B.C.50〜B.C.100年あたりか?と
思いましたが? 2倍暦のみでそうなりましょうか?
それがしは3倍暦の採用をもあると見て A.D.1年 を得ましたが、
証拠もあまり無く、今のところ参考とするほかはありませんです。
今年のキノコは上手いぞ
570 :
サガミハラハラ:2006/10/31(火) 08:03:32
松茸ってそんなにうまいですか。私にとっては、あれほどの金を払ってまでのものとは思わないのですが。私の感覚は麻痺しているのでしょうか。
571 :
サガミハラハラ:2006/10/31(火) 08:33:21
垂仁天皇の崩年は314年と確定しています。
神武天皇即位をかりに125年としますとその間11代189年となります。
1代平均17.18年となります。このくらいのものではないでしょうか。
572 :
太国:2006/10/31(火) 10:03:36
サガミハラハラさん 寿命のことで・・・
紀からでしたか、そのままですとどうやら竹内宿禰はストレートで285歳あたり
になりますが、こんな長寿は考えにくいということで2倍暦の解釈となったわけ
ですが、これでさえも142歳となり、これでも驚異的長寿に相当します。
そこでそれがしは3倍暦をやってたんではないか? とそう考えるようになり
ました。これですと当時の1年は120日余で、誰からかそんな中途半端な日数を
1年としていた根拠を示せとの問いがあったものですが、これには具体的理由は
簡単に強力なものを見つけるに至りませんだした。でも、讖緯説などは60日、
60×2=120日等を使用するこれの肯定説ですから、1年で5日の余り日は後で
の不可として 120=360÷3 3分割は、この説からもありえると考えました。
2倍暦だけで竹内宿禰の歳を合理的に説明がつきましょうか?
573 :
サガミハラハラ:2006/10/31(火) 13:08:32
確かに2倍年暦だけでは、142となるでしょう。
しかし辻直樹氏いうところの「ライフサイズ」というにかたが、あります。
仁徳紀において武内ははっきりとした受け答えをしております。このような受け答えができるのはせいぜい105歳ごろまでとみられます。
このように、記紀の登場人物の年齢をライフサイズでみていくと、成務天皇は実際には在位6年となります。つまり、空年が存在するのです。
また、仁徳紀も神功を卑弥呼に合わせるためか、水増し年(虚構年)があります。
また武内がいつ死んだかについての記載はありません。
よって私は武内の死去は105歳から数年してとみています。
574 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:21:20
まだ二人は解ってないみたいだな。
記紀の編集者が用いたデータにどんなものがあるのか考えてみれば、
正解が分かるのに。
575 :
太国:2006/10/31(火) 21:23:23
正解をはやくやってくれ。
576 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:28:07
577 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:36:04
>>574 記紀は旧辞を元にしている、
旧辞は中国史と半島史等の文献の他に各地の伝承を参考にしていることは分かるだろ。
しかし、仁徳以前は文献に記録を残す習慣は倭国になかったようだ。
では何故それ以前の人名と年号を旧辞記載することが出来たのだろうか?
これで解ったかな?
578 :
太国:2006/10/31(火) 21:38:45
>>577 君の言ってることは抽象的で思わせぶりで終わりではないか?
こっちは具体的なことについて聴いてるんだよ。
神武即位は何年だというんだ?そして具体的にどのように算出となるのか?
579 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:45:12
ある時は古神道の最高顧問
又ある時はキングオブニート
釈迦と一緒にキノコも食べる疑惑をお持ちの
太国大先生におかれましては、
ご機嫌麗しゅうございます。
>>564 バレバレの自作ですね。
もしかしてハッスルしてマツタケをお召し上がりになったのでは?
べストオブ「知恵が無い奴」もマジカ?
580 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:55:59
話す前に少しは考えてはどうだ。
編集者は宮中や旧家、神社(役所)から木簡を書き移したのだよ。
この木簡は言わば証書で、例えば天皇の即位時に使われものは、その名前と
即位年の干支が書かれていたのだよ。
旧辞編纂時に700年も前の木簡が残っていたと思えるかい。又それを識別出来ると思うかい。
現実的に考えてみて
581 :
太国:2006/10/31(火) 22:15:52
>>580 お前さんよ、それじゃぁ正解がこっちには分かりゃぁしないではないか?
まだ抽象的で終わっているのみで、前論でおしまいではないか?
そこから進展してとりあえずは神武即位が実年代で何年になるのか?
そしてその算出は、正解が分かると言うならどのようにして行なったのか?
それを言わないでは、えらそうなことを言ってる迄でどうしようもない。
まるで100m競争やマラソン競技のスタートのやり直しをしているに終始しており
競技の時間の正確とやらの測定はまだまだではないか? 観客が怒っちまうよ。
582 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 22:21:48
何故そう急ぐ?過去は逃げないぜ(キマッタ!”)
正解は
279年だ
合理的に考えていけば出せる結論だ
※ただし安本説ではない。あんなバッタモンと一緒にしないでくれ
583 :
太国:2006/10/31(火) 22:25:00
それが宮中から出た数字なのか? すごいなw
君は宮内庁務めか〜? どうしてそのデータが読めるんだ?
重要なのはどのようにしてその数字になったのか? ということだ。
584 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 22:35:50
それは企業秘密なので言えない。
1年後には日本の古代史ががらっと変わっていて太国も驚くであろう。
ただしヒントは各スレにすこしづつ書き込んできたので、少し考えれば解るはずじゃ
585 :
太国:2006/10/31(火) 22:51:59
>>584 君も企業秘密とやらを持ち合わせているのか? そうならこの頃いささか
骨のある研究家だな?w 恵也やコテ無パンらとは雲泥の差なのかも
知れないな? 余も古神道等の最高機密をいくつか保持している。本物
だ。しかし〜ならば、聴くのはちょっと諦めるほかはない。
紀年については余もまだまだだ。なぜかというに、神武即位が紀元元年
を算出したが、証拠があまりないのでこれは参考までに留まる。
もう君は読んでるんだろうが、まだなら、過去スレ「2倍年暦の真実」
に年表入りで書きこんであるから、読めるなら読まれたい。
余の計算だと、279年は実年代で垂仁天皇の世だな。
まあそれはともかく貴殿の話は秘密で結論が出るわけないので、
貴殿という人がいるとの記憶は余の頭には残るだろう? この前は
どのスレだったか?確か記紀の前段階の資料、大元の天皇紀、国紀の
ようなものが隠匿されて残っているとか言ってた人がいたが、やはり
秘密とやらと時期尚早とやらで、聴いてもあまり具体的回答は無しで
終わったことがある。それ以来だねぇ〜。
秘密だから、余は解答が来ないので考察しても無駄だと思う。聴くだけ。
最後に〜 今夜はふけてきたからこれまで。出来たら有コテハンでね。
586 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:46:56
紀年論ってよくわからんが
俺みたく
記紀の王統譜は天武期以後に完成
って立場なら、みんな悩まずにすむのではないかね
なんか「企業秘密」とかいってるくだりで笑った
みにくい古代史業界?
588 :
サガミハラハラ:2006/11/01(水) 07:49:00
大和朝廷における字による記録は崇神か垂仁のころには始まっていたのではないでしょうか。
まだ検証していないのですが、。
589 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 12:49:18
仁徳記から内容が中国風になっているいるのは明らか
王仁博士の影響大と思われる
590 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 21:09:33
垂仁や崇神の頃のエピソードは伝承でしょう。
591 :
貴殿:2006/11/01(水) 21:25:01
>585
天皇記は見たことないが、唐書の中の日本記はそこからの引用の可能性
が高いと思われます。
今日はこれにてzzzzzzz
>>588 >大和朝廷における字による記録は崇神か垂仁のころには始まっていた
なにやら実に興味そそられる書き込みですね。
私的には崇神垂仁非実在の立場ですが、
王統譜ないしは各氏族の系譜は、かなり早い段階から
文字による伝世があったのではなかろうか、と思えてなりません
593 :
貴殿:2006/11/02(木) 20:44:36
垂仁、景行の頃の事件の記録はほとんどなかった。
もし存在していたら記と紀の内容が全然違うことの説明がつかない。
594 :
サガミハラハラ:2006/11/07(火) 12:12:26
2倍年暦について、
中国では1歩は右足出して、ついで左足をその前に出してで、文字通り歩くで1歩です。
ところが日本では、中国の1歩が2歩となっています。
これは、日本で2倍年暦がつかわれていた傍証となるのではないでしょうか。
間を取って1.5倍で和解しろよ。
596 :
サガミハラハラ:2006/11/07(火) 16:08:46
いかに日本は「和を以って尊しとなす」といってもそれは無理だ。
597 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:24:31
乞食
あげ
598 :
サガミハラハラ:2006/11/07(火) 19:06:29
>>594サガミさん
何度言ったら判るの?
二足一歩は、歩=六尺が制定された後のこじつけ
それ以前から歩の単位は存在してるの
好い加減諦めなさい
600 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 21:39:33
>>598 そんなもん
新説でもなんでもない
下らん思いつきにも及ばない
解説のしようもない
少しやすめ
社会復帰しろ
サガミさんの説って
これまでことごとく否定されていませんか?
602 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 00:43:20
レヴェル低すぎて退屈
603 :
サガミハラハラ:2006/11/08(水) 06:46:42
>>594いやー、これほど評判が悪いとはおもわなかった。
突然プラムさんが出てきたりしてびっくりしたなーもう。
604 :
太国:2006/11/08(水) 07:00:17
サガミハラハラさん
コテハンを持って長く書きこみをやってますと、真のアホからの攻撃の的になり
ますから、持ってるだれでもが評判を落とされます。
それがイヤで無名でとおす輩が結構いるはずです。
3倍暦は間違いだと思いますか?
605 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/11/08(水) 07:20:34
みなさんおはようです。
太国さん。
評価なんて気にしない気にしない。
ところで『記・紀』の該当年次が、等倍で均等に割り振られているとは思いません。
606 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 07:50:59
太国へ
3倍暦なんて糞くだらない妄想はやめておくれ
これ以上家族に恥をかかさないでおくれ
おかげで、お前によく似た不細工な姉の太子も嫁に行けず
毎日鳴いています。
どうか、ちゃんと働いておくれ
=母より=
607 :
サガミハラハラ:2006/11/08(水) 11:15:27
景行以降は2倍年暦で十分説明がつくので3倍暦については考えていません。
ただ3倍、4倍、5倍、6倍、12倍となってくると、勘定したり覚えたりが難しくなってきませんか。
昔の人も今の人並みの頭だと思いますので。
年齢を二倍三倍に変化させると言うことは、その数値自体に何等重要性がないと言うことに繋がりませんか?
★仮に120歳である場合、120年という数値には全く意味はなく、重要性があるのは、120という文字に意味があるのではないでしょうか?
詰まり
その書かれし数値から、該当紀年を算出する方法は、全く意味を成さないのではないかとする考えを、
ここに、提示しておきます。
何故意味がないか?
今まで数多くの人達が可能性を追究してきたが、だ〜れも成果を出した方がいないでしょ。
算数計算に、これほどの年月は必要ないと思いますよ。
609 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 12:43:29
3倍暦?
単なるご都合主義だろ
歴史は事実を解明することが大事であーる
610 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/11/08(水) 12:45:41
日本書紀から算出出来る数値を、公式に当て嵌め
それにて解決出来るのであれば、とっくの昔に
矛盾なく解決している筈です。
どんなに複雑な公式であろうとも、公式がある限り、既に解かれていると思いませんか?
未だに解決されていないと言うことは、初めから公式等は存在していなかったと、いうことになりませんでしょうか?
611 :
太国:2006/11/08(水) 14:58:54
>>606 恥をかくかも知れないが、あらゆる想定を考えたほうがいい。君のように最初
からありっこないと否定するのは、当然等倍暦しか経験がないであろうはずの君
の意見ではあるが、余はもっともだと逆らいたくなく思う次第である。
1年は360日余。
大昔は1年が1日だったかも知れんぞ?w だいたい君は「銭」のお札など使っ
たことがないのだろう?以前は1$が360円だったが、現行では200円前後じゃぁ
ないかな? つまり約1/3は詰まって短縮になっちゃったんだよ。変動相場制
というやつでね・・・。若いころ銭札を集めてマーガリンを買ったこと
がある。パン屋さんは売ってくれた。その店で幾度もこれを買い、その度に
券をもらって集めていた。10枚だったか? 集まると券でマーガリンと交換
してくれた。うるさかったのはその店で10枚の10回、買ったのかと質問を受け
たので、そうだと返答すると、快くマーガリンを渡してくれた。
つまり君の考えだと神州始まって以来、全部暦は等倍だったと考えるのが君
の単純な経験不足の脳みその中身だよ。w
梅の花が咲き、また梅の花が咲く
桜の花が咲き、また桜の花が咲く
作物を育てる古代のサイクルってそんなもんですよ
収穫時期はその年の天候に左右されるが、種をマク時期は常に一定
机上では判らない実生活なのです。
613 :
サガミハラハラ:2006/11/08(水) 18:45:55
>>608 ほんのちょっとしたきっかけをつかめばよいのですよ。
>>613 サガミさん
本気で『記紀』の研究を試みるなら、まず
『一書日く』の解析から始める可きです。そして、
神代紀の解析を徹底的にすべきかと……
騙されたと思い、お試しあれ(私の初期から、お付き合いして下さった 板友へのプレゼント)
たまには騙されるのも一興かな (^-^)
615 :
サガミハラハラ:2006/11/08(水) 19:48:01
神功皇后の出版がおわったら、神武から景行までのキネンの研究にはいります。
神代紀の研究はその後の予定ですが、いつごろになるか、まだ検討もつきません。
研究に入ったらいろいろ書き込みますのでそのときもまたよろしくお願いいたします。
616 :
太国:2006/11/08(水) 20:06:24
>>614 >>612 コヨミ(暦)は(湖黄泉、戸黄泉。古黄泉)にして、その奥の因はどうやら
黄泉の国の条にありそうな気がする。
陰陽二尊は黄泉戸によって離婚とあいなった。その時美尊が「葦原の人間を千人
絞首死させる」と言うと岐尊は「ならば千五百の産室を造ってやる」と返答
したが、千五百の三分が五百であり、大祓祝詞に半年事に大祓いをする行事から
当時の1年は現今の2年分であった。しかし国津神のグラフの農作高の高山の伊穂
理(線グラフの高い所の出る理)と短山の五百理(同底根の値と三分の理)に於て
当時の1年は現今の1年の三分、つまり4ヶ月とした。3×4ヶ月の数字を
4・3(ヨミ)と名づける。こうして二尊を皇祖の上神と尊崇する天皇、朝廷は
2倍暦に準じて$の変動相場制のように(
>>611)3倍年暦を採用した。
サンバイレキゲツ(3倍暦月)→キンイツサゲレバ?(金何時下げれば?)
ははっ、均一下げれば〜グラフは真横一直線か〜?w
617 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/11/08(水) 20:11:46
太国さんに聞きたいんですが
陰陽の観念思想と、陰陽の文字は、どちらが先に出来たのでしょうか?
618 :
太国:2006/11/08(水) 20:14:18
そこまではどうも? 何とも言えません。w
順序に何かこだわる理由があるんですか?
619 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/11/08(水) 20:17:42
『カヨミとコヨミ』
『カヨミ』
特定の日(時間)を読む
『コヨミ』(カホヨミの短語)
連続して日を読む
そのように認識していますが、如何でしょう?
620 :
太国:2006/11/08(水) 20:22:19
>>619 そういう解釈も成り立つかも知れませんね。
日下をクサカ、三日をミッカと読みますねぇ?
月読命から月齢の古読み(コヨミ)を想起します。
貴殿は3倍暦は否定的に思いましょうかな?無理もないですが・・・。
621 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/11/08(水) 20:25:39
>>618 はい
もし、陰陽の文字が先に出来たとするなら、現在考えられている陰陽の意味と
漢字が作られた時の『陰・陽』の字意に、ズレが生じる可能性を帯びてきます。
陰陽思想を基に漢字『陰・陽』が作られたなら
完全に、字意と思想が一体かするからです。
622 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/11/08(水) 20:32:01
太国さん
否定的と いうより
そうする意味が見つかりませんので、現在は肯定しないのです。
623 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/11/08(水) 20:58:13
太国さん。ちょっと待って下さい
>コヨミ(古読み)
これは、音+訓 ですよね?
すると
時代はかなり新しくなりますが?
624 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 21:45:50
a
625 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 21:53:16
>>615 サガミハラハラさん紀年の研究をするのですね
ヒントをあげましょう
皇紀元年は卑弥呼より後に置かなければなりません。
これは倭人伝より明らかです。季を知らなかった倭人が暦を保存して
いたはずがないからです。
おそらく、卑弥呼の時に天文学が導入され、暦を記録し始めたと考えるべきです。
歴史はこの頃から始まったのです。神武の実在をもとめるなら、卑弥呼以降にするのが
絶対条件です。
626 :
プラム:2006/11/08(水) 22:03:34
>>625 >神武の実在をもとめるなら、卑弥呼以降にするのが
絶対条件です。
賛成
627 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 22:20:46
>>625 追伸
天文学の教祖が日神、天照大神となり、暦を制定したのが月読
628 :
太国:2006/11/08(水) 23:31:59
>>623 音訓交えても可だと思います。古神道とかの見地からの話ですから、学術的には
こういうのを使うのは困難だから、研究の材料で補助的に扱うとよいと思い
ます。何らかの役に立ちます。
>>625 >>626 時系列の上げ下げ、転換とかは失敗に通じます。
卑弥呼は神武以後の姫です。
629 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 23:36:35
別に時系列をいじらなくても卑彌呼は神武より古い時代になっちゃうけどな
630 :
太国:2006/11/08(水) 23:44:55
>>629 まず卑弥呼はアマテラスではありません。これをどうしても等号で結びたくなり、
次いでその先入観で単純計算とかをやったりして、ああ卑弥呼はアマテラスだと
誤信してしまうのです。そしてそれはなかなか変えることのできない位の
マインド・コントロール的強さです。とにかくイコールはまず失敗です。
卑弥呼は仲哀〜神功世あたりの人物で、アマテラスは神武以前もっともっと
古い時代の美姫です。zzzzz・・・・・
631 :
サガミハラハラ:2006/11/16(木) 18:47:25
日本書紀の年代に関する本を九分九厘書き上げていま見直しをしているところなのであるが、
書紀の編纂者たちは史記に匹敵するような日本の歴史書をかこうとして、意欲に燃えできるだけ真実に
せまるように努力し、ほとんど書き上げたのであるが、そのときになって横槍が入り書き直しをさせられたのではないだろうか。
書紀のなかの(特に年代について)混乱は、その干渉にたいする反発やつじつまあわせによるものとも解釈されるのではないだろうか。
632 :
太国:2006/11/16(木) 21:38:21
反論がうんと出たとは言えると思います。神功〜仁徳世は大陸の同代あたりの
記述の古文献が仲哀世以前よりも特段に多くあったんでしょう。だから当時の日本
の古文献との照合、辻褄あわせが中々うまくは行かず、激論もあったでしょうし、
やむを得ずここの3代の世の多くは月日まで記述せず月までの記載で止め、誤照合
の数字となる、失敗の危険を回避したのでしょう。
633 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:28:24
>>631 横槍や干渉って具体的にどういう事があったかわかっているのでしょうか?
例えば中国の歴史でも殷は
三統暦では629年、経世書では644年、牧野の戦いでも紀元前1111年説
から紀元前1050年説など資料によって混乱がある。
司馬遷の史記は30人の殷王名が1910年に発掘された甲骨文字と一致するという精度を
見せたけど、漢代から900年もたった時点で書いただけあって
3字ほど文字間違いがあったりしている。
日本書紀や古事記については戦前の反省から、戦後は一転して捏造や書き直しがあったと
簡単に論じられるような風潮が強くなったがそれでも
戦後の発掘で葛城氏の遺跡や韓国の武寧王陵が記述と一致していることが確認されているよ。
だけどこれも史記と同じで、作者(舎人親王や太安万侶)が
どんなに正確な1000年まえの歴史書を残そうとしても、
正確な年代を知る手がかり自体が当時すでに
曖昧になってきていたために、年代が曖昧にならざる得なかったと解釈するほうが自然ではないでしょうか?
634 :
サガミハラハラ:2006/11/17(金) 14:17:29
横槍
ちょっと前だが、民放で「信長の棺」というドラマをやっていたが、信長公記の筆者が、完成した本を秀吉によって書き直しをさせられた場面があった。筆者は後ですり替えをやって、反骨をみせていたが、私は
書紀の編者もあのようにかなり上の立場の人から書き直しをさせられたのではないかと感じられているということです。
具体的には、卑弥呼と神功皇后を同一人物のようにさせられたこと。編者は卑弥呼と皇后は違う人物であるとわかって
いたのであるが、かといってまるっきりの捏造もできず、結局におわすという形としてる。
そのけっか、年代がくりあがり、皇后の新羅遠征時の新羅王はナコツ王であったが干支2巡さかのぼらせるところをま
ちがえてもう2巡さかのぼらせて、ハサムキン王としてしまったり、120年さかのぼらせるところを、
間違えて一人だけ126年さかのぼらせたり、シセツ姫のところを調整しそこなったり、と思い出すだけでもある
ようです。あ、それからどうにもあわなくなった倭の5王をカットしたりだとかです。
635 :
太国:2006/11/17(金) 14:33:57
サガミハラハラさんも、卑弥呼と神功皇后とは別人だと思ってるんですね?
636 :
サガミハラハラ:2006/11/17(金) 15:59:25
当然です。
共通する点は両者共女性だということだけです。
似ている点はまったくありません。
時代もちがいます。
637 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 20:50:58
>>630 卑弥呼は天照大神しかも大和におった!!!
638 :
太国:2006/11/17(金) 23:20:04
>>636 それがしとサガミハラハラさんとは、お説が似合う個所が多少ありますね?
おこられちゃうかな?w
>>637 残念ながら卑弥呼とアマテラスは別人ですんね。
639 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 15:55:15
卑弥呼は実在。アマテラスは架空。
640 :
太国:2006/11/18(土) 18:08:22
>>639 どうしてだ? まさか中国の古文献は実在OK,日本の古文献は架空OKか〜?
641 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:37:16
唐書には歴史上の人物として出ているぞ
流れ断って申し訳ありませんが、アホな質問。
712年の古事記、720年の日本書紀、の媒体って紙だったのでしょうか?
それとも木だったのでしょうか?
また、乙巳の変で焼失した天皇記、国記は紙だったのか木だったのか?
あるいは持統5年に各氏族から提出させた各氏族の墓記なるものは
紙だったのか木だったのか?
もし木だったら、将来発掘されるかも、発掘されるといいなあ
という妄想をいだきつつ、詳しい皆さんに質問でした
643 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:33:13
日本書紀は1巻の文量が少ないから、原本は木簡だったかもしれん
644 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:41:27
源氏物語は御霊鎮魂物語で、日本書紀は天武の正当化物語
645 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 01:23:56
>>644 わかったから、井沢以外の本も読みなさいね
近年見つかったように、下書きの類は木簡もあったようだが
献上された正本は紙だろう。律令制下の図書寮は、紙製を前提としている。
>律令制下の図書寮は、紙製を前提としている。
なるほど。
>>644-645 ワロタ
鎮魂は井沢っぽいが
書紀が天武の正当化ってのは井沢にかぎらんでしょ
持統の正当化って意見もあるけど
649 :
玲奈:2006/11/25(土) 13:09:30
駄目な人が多いでして1000年より前の人はもっと500年前の人を正しく書けないでして知らないでして創造や捏造があるです。
あまてらすはひのみこの記憶で生まれたでした。
650 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 19:45:38
FMオーディオドラマ古事記まほろば篇第二夜age
651 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 09:38:16
日本書紀に、信頼に差がある2種の筆者 天文現象で分析
2006年12月6日(水)15:01 (朝日新聞)
複数の筆者が書いたとされる日本書紀で、天文に関する記述が実際の観測と合う筆者と、そうではない筆者の2タイプいることが、天文学の研究でわかってきた。
書紀は筆者により表記の仕方が違うとされるが、内容の信頼度も差があるようだ。
河鰭(かわばた)公昭名古屋大名誉教授と谷川清隆国立天文台助教授らは、書紀の天文現象が中国の記録や計算結果と合うかどうか調べている。
以前に書紀の天文記録の一部が事実だと示したが、筆者による違いにも着目した。
京都産業大の森博達教授(中国語学)は、日本書紀全30巻を、万葉仮名などの使い方で、筆者A群(14〜21、24〜27巻を担当)、筆者B群(1〜13、22、23、28、29巻)、不明(30巻)に分類している。
Aは、当時の日本の社会常識に疎いことなどで渡来中国人、Bは、漢文の執筆能力が低いことなどで日本人(日本生まれの渡来人子孫も含む)との推測だ。
河鰭さんらの結果を合わせると、Aの巻に出てくる643年の月食が、日本では見られないものだった。彗星(すいせい)や超新星を表す記述は中国では記録されていないなど、事実と確認できる天文現象はない。
逆に天智天皇の代に中国で見えた彗星2個が記録されていない。
Bの巻にある628年から681年の5回の日食は、年代の誤記とみられる1例はあるが、いずれも日本で観測できたと認められた。
月食と火星食各1例も事実で、684年のハレー彗星など6個の彗星も、5個が中国の記録と一致した。
30巻には6例の日食があるが、暦から予報されたもので日本では見えない。逆に日本で見えたはずの日食はなかった。
こうしたことから、少なくとも天文記録ではB群の信頼性が高く、他は実際の目撃記録によらず書いたようだ、という。
同志社大理工学研究所の宮島一彦教授(東アジア天文学史)は「それほどはっきりした違いがあるなら面白い。どんな裁量が認められていたのか、使った資料は同じなのかなど書紀の編集態勢を知る手がかりになるかもしれない」という。
652 :
651のソース:2006/12/07(木) 09:38:55
653 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 11:40:08
>>644 でも、最終巻の持統天皇からは天智系にもどってるんだが……
655 :
日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:17:11
誰か二倍年暦で計算した日本書紀と古事記の双方の西暦年代を
まとめてくれないだろうか?
今、頑張ってまとめようと努力しているのだが...
どうも、欽明天皇の途中ぐらいに、倍年暦から通常暦に移行したらしい。
よって、欽明天皇の本当の在位期間は22年らしい。
656 :
日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:21:42
>>631 もし、横槍が入ったとしたら、
欠史八代とか、あのあたりじゃないのか?
どう考えても、この辺の天皇は
畿内の地方豪族という感じで、下手すりゃ
出雲とかの下僕みたいな感じ。
657 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 06:00:05
日本書紀や古事記って、一ヶ月が15日までの倍年暦の
可能性があるって聞いたことがあるけど
どうなんだろうか?
658 :
サガミハラハラ:2006/12/14(木) 08:55:26
>>655 天皇の即位年については景行天皇から雄略天皇まで、没年については垂仁天皇から安康天皇まで。
天皇紀については応神天皇紀についてを、二倍年暦を普通年に換算してあります。
今度、出版の予定ですのでその際はぜひお読みください。
659 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 09:38:35
大祓えが6月と12月に行われるようになったのは平安時代からだね。
660 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:40:09
卑弥呼はアマテラス。天岩戸伝説は倭国大乱の事。
大国主の国譲りの時、出雲の荒神谷に剣などを奉納した。
トヨと共に伊勢に祀られている。
661 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:42:23
神武東征は4世紀の出来事。
アマテラス-トヨの邪馬台国(マキムク)から支配権を奪った。
662 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:53:26
>>661 安本氏に影響されすぎ。
もう一度、記紀を読み通すように。
あと、神話学を勉強するように。
663 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:09:56
古代天皇が南九州出身という記録は
最新の考古学的成果から
古代日本列島では
じつはもっとも繁栄していたのは
南九州であったという事実と一致する。
664 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:10:07
>>663 神武天皇は九州南部の出身を主張しています。
ただ、天皇家が日本で覇権を握れたのは
九州南部の出身だったわけではなくて
畿内の王家の在につけたから。
665 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:04:34
京都国際マンガミュージアム 最古の漫画や懐かしい漫画や各国の逆輸入の漫画などいろいろあるぜ!
666 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 06:04:18
サガミハラハラさんの本って
いつ出版されるんですか?
667 :
サガミハラハラ:2006/12/15(金) 08:26:49
原稿はすでに渡したのですが、予定は聞いていません。年末年始で出版社も忙しいらしいです。
668 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 08:55:05
二倍年暦で倭の五王は誰になるの?
669 :
サガミハラハラ:2006/12/15(金) 09:54:15
讃=仁徳天皇、411年秋即位 432年秋崩御
珍=反正天皇、436年春即位 437年秋崩御 438年春在位最終年
済=允恭天皇、438年秋即位 459年春崩御
興=安康天皇、459年秋即位 460年秋崩御
武=雄略天皇、461年春即位 478年秋又は479年崩御
履中天皇は貢献の記録がない。即位は433年春、435年春崩御在位最終年は438年春が在位最終年となります。
天皇の死後空年が生じたばあい、前の天皇の在位に繰り入れます。
その最後の年が在位最終年です。
670 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:21:41
なるほど、ありがとう。
671 :
太国:2006/12/15(金) 10:26:40
>>668 サガミハラハラさんが五王をあててますが、五王は当時の各天皇ではあり
ません。それで紀年を組むと失敗します。
倭の五王は当時九州に存在した短期王朝であり、いわゆる九州王朝の氷山の一角
でもあります。女王国の王朝とはまた別系です。
五王が各天皇ならば「武」くらいでなく、残りの王らも各1字ずつ天皇の御名に
それらの字があるべきです。1字くらいならば、そのくらいは合うことが結構
あります。たとえば田中さんと田島さんとか、中村さんと中川さんとか
現在でも1字合うことは貴殿らの会社団体の知り合いでもかなりあるでしょう。
だから「武」が1字あったとしても、それは幼武尊の雄略天皇ではありません。
672 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:37:26
欠史八代をまともに扱うなよ
673 :
サガミハラハラ:2006/12/15(金) 11:27:58
天皇の御名にそれらの字があるべきです、といわれても。
昔の人はそうは考えなかったのではと思います。
674 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:48:16
>>669 自分も倭の五王にあてられるのは、それらの天皇だと思う。
それは日本書紀・宋書の記述から考えて、そうだと思った。
一昔前までは、讃=応神天皇、珍=仁徳天皇、済=允恭天皇、興=安康天皇、武=雄略天皇
とあてる説があって、安本氏なんかは未だにこれなんだが...w
でも、それらの天皇の在位期間って、なぜ分かるの?
いや、日本書紀なんかは弄くっているのは分かっているんだけど、
古事記の干支年没年だけでも、それが分かるのか?
何か記述があったのか?在位期間が分かるヒントみたいなのが?
675 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:53:56
兄弟・親子の続柄は合ってるの?
676 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 12:02:21
677 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 12:08:30
>>669 その在位期間、いろいろ無理があるのでは?
なにか、日本書記や古事記の中に
ヒントになる記述があったの?
例えば、仁徳天皇なんか、倍年暦だと計算しても
それよりも長い即位期間になるよ。
だいたい、あってそうなのは、允恭天皇、雄略天皇だけど...
それでも少し期間がずれてそうだし、
他の反正天皇も在位期間はもう少し長いのでは?
678 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 12:15:19
>>669 >履中天皇は貢献の記録がない。即位は433年春、
>435年春崩御在位最終年は438年春が在位最終年となります。
>天皇の死後空年が生じたばあい、前の天皇の在位に繰り入れます。
>その最後の年が在位最終年です。
確かに、そうなんだが...
でも、堂々と空位だったという期間もあるんだし...
応神天皇と仁徳天皇の間なんか、どうなんだ?
679 :
サガミハラハラ:2006/12/15(金) 13:15:28
応神天皇と仁徳天皇の間は応神天皇崩御410年春、空年があって411年春が追う神天皇在位最終年、411年秋仁徳天皇即位となります。
仁徳天皇の在位期間には、神功皇后を卑弥呼の年代に持ち上げるために、2倍年暦で44年普通暦では22年の虚構年(水増し年)がはいっています。
680 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:53:03
>>679 水増しって、そこだけですか?
その虚構年が分かった理由はなんだったんですか?
なにか記紀に手がかりが書いてありましたか?
是非、日本の古代史の空白年を埋めたいです。
韓国が煩く言ってきても、中国の学会と協力すればなんとかなる。
あなたの本は買いたいですね。まだ発売日は決まってないみたいですけど
どれくらいのページ数で値段はどのくらいになると思いますか?
681 :
太国:2006/12/15(金) 14:14:08
倭の五王は当時の各天皇ではない。だからこれから、いろいろな方々が
五王と、天皇の即位崩御とかを合わせようと種々数字を算出して呈上するだろう
が、何時になっても合うことはない。
682 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 14:40:39
>>681 倭の五王は系図から考察して、当時の天皇だよ、どう考えても。
ただ、卑弥呼は本当に天皇家なのか?
中国人から見たら、魏志倭人伝って
本当に適当なことを書いているらしい。
おまえ、邪馬台国まで言ってないだろう?って。
683 :
太国:2006/12/15(金) 15:13:35
>>682 そうではない。五王は天皇にあらず。
なら、何故五王の限定したのだ?五王の後に6王7王の記述がないではないか?
手前もそうだ。
684 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 15:26:48
>>683 あんた、なんという幼稚な...
そんなもん、中国の王朝が絶えず交代しているからでしょう?
魏志倭人伝の時だって、そうだったんだから。
685 :
太国:2006/12/15(金) 15:34:46
6王7王8王もうんと記述してない。これは天皇ではないからだ。
こういう 卑弥呼=アマテラス →レスビアン説に同様にして
天皇=五王 の5pホモ説の展開になっていて、哀れ極まりない。w
686 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 15:44:33
>>685 中国の学者は、倭の五王は大和王権の天皇だといっている。
特に「宋書」の記述が明快。
ただし、邪馬台国に関しては「?」なのっだそうだ。
687 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 17:12:16
>>679 日本書紀の在位年間(一部だけ水増しか?)と
古事記の干支没年(正確か?)だけじゃなくて、
古事記の各天皇の年齢をみたら、
あなたが、おっしゃるとおり、応神天皇と仁徳天皇の寿命から考えて
仁徳天皇の在位期間が明らかに不自然に長い。
ここは明らかに水増しをしている。
また、古事記というのは最初の天皇の寿命は思えているのに
新しい天皇の寿命は?なんだけど、
これって、要するに倍年暦から通常暦にかわったので
古事記の編纂者が年齢をつけなかった可能性大。
それにしても、あなたの学説が今後
主流になってくるだろうか?
688 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 03:14:06
素人が空気を読まずに発言してみる。
「倭の五王」とは、任那の王ではないだろうか。
そしてその祖先は九州から半島に渡った邪馬台国の末裔である、と。
さらに、その邪馬台国の末裔の女子が九州から半島に攻めあがり
その伝説が神功皇后のモデルになった、と。
689 :
太国:2006/12/16(土) 08:06:13
>>686 それは中国の学者も間違っている。倭の五王は各天皇ではない。
雄略天皇の幼武尊からの「武」の1字のみ名が合っているということが、
疑念に向かい、逆の意味で1字の合いが5王が天皇でないことを物語っている。
これが全部名が合わないようなほうが同一人物の可能性に傾くのは一応頷け
るが、その場合でも可能性に留まる。
自分の会社、団体、仲間でも5人集まってくれば、そろそろ同字を1個保有
する知り合いがいておかしくない。たとえば山田さんだったら山本さんと
いうように、1字のみ合うことは社会全体でいくらでも起こっているはず
である。「武」の1字が合うことは、こういうことなのであり、五王は
当時の天皇ではないことを物語っている。
>>689 倭王の勢力範囲から考察して、当時の天皇だと思うけど
当時の天皇家は皇位継承争いで
一族同士で殺し合いをしまくっている。(記紀を読め。)
すんなり、皇位継承が進んでいない。
へたすりゃ、我こそが天皇だ!って一族同士で
二人以上、天皇を名乗るのがいたんじゃないのか?
>>689 あんたは、倭の五王を何だったと思ったの?
692 :
太国:2006/12/16(土) 15:59:43
>>690 >>691 とうに読んでいる。いまさらそんなことを言うな。
讃とか武とかいう名は5王総てが1文字で、中国の皇帝の名を見るにやはり
1文字の名の皇帝が多い。たとえば煬帝、明帝、神宗とか玄宗だとか、中国史を
見るに、殆どが1文字の(宗、帝の号を除いて)皇帝名である。
これは倭の五王に避けられにくい中国の影響が強くあるからであり、結局中国
の影響を多大に受けやすい日本の場所に五王の場があったということを意味
しているものと考察できる。となれば、その場所は北九州か中九州に位置して
いると観るのが濃厚である。となれば、畿内にいた天皇ではないとするのが
自然であるわけだ。
>>692 自分は倭の五王はどうみても畿内だよ。
記紀の内容を見たら、一応、九州は畿内の勢力範囲だから。
もし、九州の国王だとしたら、それは畿内に黙って出したのか?
でも、倭の五王の中国に対する要求は凄まじいよ。
彼は自分の父祖は東から西まで制覇(この時点で九州ではない)、その後
海の北の国々を制覇、百済・任那・新羅などの支配権をくれって!
なぜ、倭の五王の選定で混乱したかって、その当時の天皇家の
皇位継承者争いが酷まじいから...
誰一人として、使者を出さずに継承していないw
允恭〜雄略まで見てみいw
>誰一人として、使者を出さずに継承していないw
>允恭〜雄略まで見てみいw
↓
誰一人として、死者を出さずに継承していないw
允恭〜雄略まで見てみいw
695 :
太国:2006/12/16(土) 16:29:03
>>693 >>694 なんだか、言ってる意味が混乱してるようで分かりにくい。
もっと分かるように書け。五王は天皇ではない。だいたい畿内の朝廷と
大陸とは距離があり過ぎる。畿内からじゃぁ,当時ではどう転んだって、そんな
に5天皇分立て続けにた易く大陸と交流などやるには度合いが大過ぎる。
畿内から九州へ行ってるだけでも景行とか神功とかあと少し位であり、そんなに
ザラにはない。名前も一見して中国名らしい1文字であり、天皇である可能性
は名も殆ど合わず、非常にうすい。
現代では航空機あり新幹線ありで、パスと金さえ払えば容易に大陸には行ける
が、あのころではそんなに軽く行けるわけではない。畿内の情報は大陸には
届くには届くが、準虫の息的でほんの少しである。
>>695 それは君の思い込みだろう?
あの時代の天皇は朝鮮半島に介入しまくり、
また、皇位継承が安定していない。
天皇が死ぬたびに、一族で継承争いをしまくり、
一族で殺し合いをしている。
>>695 きみの倭の五王を、同じ名前だからといって
同一人物にあてるべきではない
というのには賛成だけど...
倭の五王の中国への要求の尊大さをみれば
九州の王朝とは考えにくい。
ヤマトに対抗するために、権威として称号を要求したのでは?
自分は九州偽称説です。
699 :
太国:2006/12/16(土) 16:59:42
>>696 >>697 五王は天皇にあらず。名も中国様で日本の天皇の名にそんな名が付加するとは
考えにくい。それは確かに記紀の漢字が中国のもんだとは言い出すだろうが、
それとこれとはこれまた別だ。
それに今述べたとおり畿内じゃぁ、はるか大陸は遠方に位置しすぎる。だから
その大変な道のりを克服してでも大陸に行くとなれば、それ相応の一大事的
理由があったとかいうその理由がなければおかしい。そんなものは神功の時
はあって、大苦労して三韓征伐となっている。
そんなことは滅多に無いようであり、5天皇も足が壊れるくらい遠い
大陸と関わる労力に勢出す必要もこれまた無さそうではないか。
1文字しか合わないお互いの名をみてもこれは別人だということが見えてくる。
五王=天皇 の論は 神功=卑弥呼=天照大御神 神武=崇神=應神
と同様、レスビアン的等のべったりさせたい論説であり、5Pホモ論で
笑止千万である。WW
700 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 17:13:29
よく読むと大した知識も無さそうだな。
701 :
太国:2006/12/16(土) 17:17:02
>>700 お前は各種文献のほうはえらく研鑚していようだが、こっちは2枚落ち
で充分勝てる。知識のある奴がまかり通るのはけっこうだが、必ずしも
博士や学者の言ってることが正とは言えない。
古神道の最高機密の知識はお前は0だろう?WWW
702 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 17:22:12
別に勝ち負けの問題ではないよ、ほんとバカすぎ。
じゃあ、太国よ、
倭の五王って何者なんだよ?
じゃあ、九州の国王なのか?
だったら、わが祖は、西から東から
って日本平定話をした?
九州ってのは、南北しかないよ。
704 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 18:04:31
太国泣きながら逃走w
705 :
太国:2006/12/16(土) 18:07:19
>>700 お前はそうとうこの道に突っこんでる研究家だろう? そうじゃなければ知識が
ないなどと、そんな軽くは言えないはずだ。お前の言葉は、俺が駒落ちで指して
いることを遠回しに言ったことになるんだぜ。お前の自慢も、負ければ
大恥になるものだ。
いいよ〜 考捨古馬を落とし、香車落ちで指してやるぜ。勝てるならな?w
だいたいお前の言うとおり五王っていうのはおれの専門でもないが、重々関わり
があるから看過できないものなんだ。それで首をつっこむのさ。
706 :
太国:2006/12/16(土) 18:12:32
>>703 だから短期九州王朝の王だよ。女王国とは別のな。
時代は女王国より多少後だ。南九州の可能性はあろうが、それより北のほう
だと思う。
707 :
太チンコ:2006/12/16(土) 18:23:21
ボッキしまくりゴメンナサイ。抑えられないんです。。。。
>>706 じゃあ、南北朝時代に、中国の使者から「日本国王良懐」とされた
九州で勢力を張っていた南朝側の懐良親王みたいなものか?
懐良親王とは...南北朝時代の南朝側の皇族
明の太祖がこの頃北九州で活動していた倭寇と呼ばれる海上勢力の鎮圧を
要求する国書を懐良親王に送ると、懐良ははじめは断るものの、
後に臣従して「日本国王良懐」(『太祖実録』の記述による)として
冊封を受け、中央では既に南朝勢力は衰微していたものの、
懐良親王は明の権威と勢力を背景に独自に九州に南朝勢力を築く。
その後は今川貞世(了俊)に大宰府・博多を追われ、足利直冬も幕府に
屈服したため九州は平定される。懐良は征西将軍の職を良成親王
(後村上天皇皇子)に譲り筑後矢部で病没したと伝えられる。
また、懐良親王が「良懐」として明と冊封関係を結んでしまったため、
義満が日明貿易(勘合貿易)を開始する際に新たに建文帝から冊封を
うけ「日本国王」となるまでは、北朝や薩摩の島津氏なども明に使節を
送る場合は「良懐」の名義を用いねばならないという事態も発生した。
709 :
太国:2006/12/16(土) 19:33:58
>>708 南北朝の歴史はなおさらみどものテリトリーではありませんが、古神道的には
南北二朝に分かれた根源的理由については覚知の域にあります。
テリトリー、専門ではない時代なので、なんとも確固たる可否は申し上げにくい
ですが、一見みるならば似通っているようにも見受けられます。
新知識の開陳有難う存知ます。その親王については毎回某書の年表をひっくり
返したり等で名を拝見して知ってはいましたが、上っ面だけでしたので、
この点勉強になり感謝しております。
倭の五王に全く天皇が居なかったとは思わない。
ただ、中には、倭王の称号で交易した地方豪族も居たのかもな。
だから、あういう複雑なことになった。
とにかく、記紀の解読の最大の目玉は
年代測定なのは異論がないこと。
それには、古事記と日本書紀と二倍年暦を見比べるしか方法はないわけで。
そうすると、いろいろ謎が解けてくる。
当時の人も年代の解釈に苦労したんだろうなw
サガミハラハラ氏が、雄略天皇の没年を
479年に決めつけたのが間違いだ。
古事記によると、雄略天皇の寿命は124歳。
じゃあ、二倍年暦だったことを考慮して本当の寿命を計算したら
おそらく、62歳だったはず。
でも、これでは、日本書記との整合性が取れない。
日本書紀が雄略天皇の途中から二倍年暦に移行したことが分かっていてもだ。
714 :
太国:2006/12/16(土) 20:56:45
>>713 雄略天皇は、日本書紀からですとストレートで62歳、古事記ですと124歳という
ことで、後者は丁度2倍になっていますか。
それがしはこの天皇は等倍暦とみてます。となりますと、古事記は1年を半年
計算だったということになります。つまりこの対比は、雄略天皇の当時以前の
あるときとかに2倍暦があったという論拠となりうる数字のようです。
>>714 素人で横やりすまないです。
雄略に関して、紀と記では
2種類の原資料をそれぞれ引用したということですか?
つまり等倍暦で記録されたものとと2倍暦のものとがどちらも存在していたとか
716 :
サガミハラハラ:2006/12/16(土) 21:05:12
>>680 水増しは成務天皇の在位60年のところで、実数7〜8年しかありません。
他の天皇や人物の年代等を確定していくことにより、水増し部分がせりあがってきます。
約450ページです。値段はまだきまっていませんが、かなりのボッタクリ値段をつけようと思っています。
717 :
太国:2006/12/16(土) 21:08:04
>>715さん どうも
その点は原資料が無い限り何とも?です。可能性としてはどちらも存在して
いたということはありうるでしょう。
現今でも日本時間午後2時と書かれた新聞記事があったときに、他社の新聞では
14時と書かれているということがありうるようにです。
しかし、断定はできませんが?
>>714 >雄略天皇は、日本書紀からですとストレートで62歳、古事記ですと124歳という
>ことで、後者は丁度2倍になっていますか。
なってないと思う。調べてみい。だから混乱しているんだ。
たしか日本書紀って寿命が記載されてないので、生まれた年から判断して
二倍年暦とか通常暦とか全く補正せずにみると60歳くらいだと思う。
でも、日本書紀では、彼の在位期間の途中に通常暦へ移行したんだろう?
だったら、これでも、おかしくないか?
サガミハラハラが言うように雄略天皇の途中から二倍年暦なら
雄略天皇は、最初の人生は二倍年暦で過ごして
途中から等倍暦だから、非常に寿命がややこしいことになる。
もう、うんざりする。この計算...頭が混乱する。
そりゃ、当時は混乱したわけだ。
今でも、ある日、突然、1年が2年になるとか言われたら、
パニックを起こすよw
719 :
太国:2006/12/16(土) 21:11:36
>>714 いまひとつ〜日本書紀が62歳,古事記が124歳となりますと、どうやら雄略天皇の
世は、それがしの主張のとおり、等倍暦をやっていたとの論拠にもなります。
>>716 えええ、450ページもですか?
じゃあ、一部の考古学愛好家が出すようなカス本じゃないんですか?
では期待します。
あと、記紀の年代の西暦への修正って、是非
やるべきですね。
ほかの国ではやっているでしょう?
721 :
太国:2006/12/16(土) 21:17:02
>>718 それがしの年表では、雄略天皇は皇紀1078年誕生で崩御は1139年で、数え歳
って馴染み薄くよくわかりませんが、それで62歳計上できますが?
でも、いくら年代がややこしいといっても、
大勢で国家的に調べたら、いずれ
ある程度、解明されるんじゃないのか?
考古学のほうは発展してきて、マキムク遺跡なんて
ほとんど年代が測定されてきているんだから...
文献史学のほうもがんばるべき。
>>721 すみません。私の情報が間違っているのかもw
ということは、雄略天皇は早い段階から通常暦へ移行したんですか?
あるいは、通常暦に自分の在位期間の出来事を全て改めさせられた。
ちょっと大掛かりな話になるけど
自分は、皇紀は西暦と同じような年数に改定すべきだと思う。
つまり、全て通常暦として算出すべき。
あういう二倍年暦からの年代だから
みんな胡散臭さを感じるんだと思う。
ちゃんと、神武の即位年とまでいかなくても、
彼が生まれた年ぐらいを西暦で割り出して
そこから皇紀元年に復活させればOKな話だと思う。
725 :
太国:2006/12/16(土) 21:26:42
>>723 即位元年が暦法を決める年というのがそれがしの考えでそう計算しました。
在位の途中っていうのはありません。
ただし綏のみは例外で、即位前での神武崩御の翌年からが暦法決定の年です。
それのみの件とは、即位より確か3年前です。
倍暦であれ、通常暦であれ
記と紀の原資料がどんなだったか? が気になります。
そして原資料の原資料も…。
サガミハラハラさんは結局、
崇神天皇までしか分からなかったということですか?
神武天皇のAD120年頃って、まさか
平均在位説みたいな あほらしい理由じゃないだろうか?
728 :
サガミハラハラ:2006/12/16(土) 22:23:58
とりあえずは垂仁天皇の没年314年秋まではだしました。
それ以前はこれからの研究課題となります。
>>728 サガミハラハラ氏へ。
上のほうのレスでみましたが、神武東征ってなんだったんですか?
日向じゃないと言っていますが...
たしかに、一度、福岡湾岸にいって、そこから出発していますね。
でも、神武以前の神話の土地って、ほとんど日向・大隈あたりですね。
というのは、日向出身の神武は北九州から出発した遠征軍に
加わったということですか?
それと、この戦いってのは、メインは、出雲VS畿内ということで、
神武はその出雲側の派遣軍に加わっただけということですか?
ついでにいうなら、神武東征の直前って
出雲王権は中国地方だけじゃなくて
北九州あたりまで勢力下に置いていた?
だからこそ、出雲は畿内に勝てた?
また、その出雲の派遣軍(北九州隊)に、日向出身の神武が参加した?
>>サガミハラハラさんへ
あなたの理論は基本的に
年代はともかく、記紀の王統譜は信頼できる
という立場でよろしいか?
732 :
サガミハラハラ:2006/12/16(土) 22:41:08
宮崎県が記紀神話の舞台となっているのは、日向という国名に記紀の編者が惑わされたのが
その原因だと思います。記紀神話における場所の設定の間違いはたたあります。
宮崎県の記紀神話に由来する地名は、書紀により、宮崎が神話の舞台とされてからと考えています。
(記紀神話のほかに神武についても)
私は、高天原は佐賀県の背振山で、神武の故郷は福岡市西部の山門庄の日向であったとみています。
宇佐については、福岡市南部にあったのではとみます。
>宮崎県が記紀神話の舞台となっているのは、日向という国名に記紀の編者が惑わされた
これは賛成(by国文学)
>>732 別のサイトでは、日本書紀の編纂者が
神武以前を神代として、
天孫降臨から179万年としたのは
実質的に切捨て?で
神武天皇と彼以前の系図の神様とは直接的な因果関係はなく
そういう神様がいたのではなくて、
神武の故郷に伝わる長い期間の出来事(数千年〜1万年以上の出来事)
を神話化しただけみたいに書いていました。
よって、神武天皇は、アマテラスの5代目の子孫では
別にないということらしいですw
どうなんでしょうか?
735 :
太国:2006/12/16(土) 22:55:16
古史古伝にはウガヤ朝70数代の記録がありますから、これが真ならば
5代目とかではないことになります。
太国さんは古史古伝にいっぺんの史実も認めていない人じゃなかったっけか?
737 :
サガミハラハラ:2006/12/16(土) 23:04:14
紀元後の諸記録を横におきながら、記紀神話を照合していくと、天照大神が天石戸からでてきてからは、
史実であるとみてよいとみます。天照の5代目の子孫とみると、神武東征は120年代で、倭面土国の滅亡と後の邪馬台国の復興、そしてそれにともなう、
神武らの東への移動が時代的年代的に無理は無いと思います。
738 :
太国:2006/12/16(土) 23:04:44
>>737 サガミハラハラさん、神武天皇の東征というのは
その後の彼の様子から言って、あくまでも、出雲VS畿内の戦いで
九州出身の彼は、出雲側にいて、その戦いで功績があって、
出雲王権から大和盆地南部の領主に任命されただけの話みたいですが...
実際、古事記では、神武から数代は、出雲の神の系列の人を奥さんに貰っています。
このことは、日本書紀では伏せられていますw
どうなんでしょうか?
あと、AD1〜2世紀くらいの出雲と北九州の関係について
どういう見解を持っていますか?
>737
天照大神が天石戸からでてきてからは、
史実であるとみてよいとみます。
ほんとですか? ビックリです。うーむ。
でも関係ないけどサガミハラハラ氏は
煽られても煽られても常に馬鹿(失礼)礼儀正しいので…嫌いじゃないぜ。
太国さんは凄く損してると思うぞ。
741 :
太国:2006/12/16(土) 23:23:48
>>736 ただ、竹内文献は少ないかも知れぬが役立つ可能性は残りますが、破天荒なので
今後も当分の間、他の古史古伝よりも採用は無理と観て、論拠には使うこと
はないです。
>>742 安本は、247年、248年って騒いでいるけど
もし、本当にアマテラスが実在の人物をモデルにしたものなら
BC138年のが一番、可能性ありだな。
なんでおまいら
崇神以前は神話
てふつうのことを割り切れられないのは?
>>744 いやいやw 考古学的には
崇神天皇以前は調べようがないw
彼の前にも先祖はいただろう。神武も実在したと思う。
しかしだ、仮に実在したとしてもだ、
神武はおそらく大和盆地南部の小豪族で終わっただろうし
そんなもんは、明確な遺跡で残っているわけなかろうとw
よって、考古学的に価値があるのは、どうしても崇神以降になる。
紀元前138年11月1日
日本で皆既日食があったみたいだ。
問題は、これは日本のどこで起こったかだ。
あの当時は皆既月食
日本列島内では見れなかったのでは?
>>747 分からん。そういうことを言う人もいるな...
天文学の偉い人がいる板で聞くしかないよ。
特に、BC138年、158年についてだ。
よく、邪馬台国論争だと247年、248年ばかりが注目されるけど...
天照に大いに関係があるのは、BC138年のほうだと思う。
これが日本列島のどこで見れたか?
みなさん、ここで気分転換に古事記なぞなぞを。
問、日本で最初の植物はなーんだ?
750 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:35:32
>>744 そう、崇神天皇までの欠史八代は、「国譲り神話」として書かれている。
まあ、この間、天皇家はとても「大王」と呼べるような境遇ではなかっただろうし、
その「大王」の地位を得る為に、どんな酷い事をしてきたかも、正史としては
書きずらく、その間の事を神代国譲り神話として残したのだろう。
皆既日食の件は、あれは家庭用PCソフトで計算した結果であって
天文学の偉い先生の間では
1000年以上前の話なんて誤差があるから、あてにはならんみたいです。
よって、卑弥呼のいた時代にあったという皆既日食も
日本では部分日食程度だったのでは?と。
皆既日食は中国のほうではと。
そもそも、天岩戸神話というのは、
冬至に関する古代人の考えを神話化したもので
やはり神武天皇以前って、神代ということで
あんまり事実として見ないほうが良いと思われる。
489 :サガミハラハラ :2006/12/16(土) 21:59:44
458年秋允恭天皇の使者出発。
459年春允恭死去
459年秋安康天皇即位
460年春允恭の使者中国の都に到着。宋書に倭国貢献の記録あり。
460年秋安康の使者出発。安康死去。
462年 安康の使者到着。 宋書に倭王興貢献の記事あり。
>>716 :サガミハラハラ :2006/12/16(土) 21:05:12
>
>>680 >水増しは成務天皇の在位60年のところで、実数7〜8年しかありません。
>他の天皇や人物の年代等を確定していくことにより、水増し部分がせりあがってきます。
なぜ、 成務天皇の在位が水増しって分かったんですか?
754 :
サガミハラハラ:2006/12/18(月) 19:46:22
>>715雄略紀にかんしては、2倍年暦だけでもすくなくとも3種類の年季の系統があったようです。
>>731 王統譜にかんしては記紀で天皇の年齢等がことなるのに、代数や名が共通(字は異なるが)しているので間違いは無いと思います。
出雲と北部九州の関係については、話せば長いことになりますのでこの場では遠慮しておきます。
よろしかったら拙著「卑弥呼の登場 明窓出版」をごらんください。
成務天皇の水増しですが、景行紀の登場人物の年代を比較していくと、成務天皇の在位年は水増
ししていると考えるのがもっとも合理的とみれるからです。
>>754 サガミハラハラさん、こんばんは。
出来れば、あなたの本を買おうと思います。
ところで、神代の話ですが、
あれは、神武天皇の前に実際にあったことを神話化した話なのでしょうか?
私は違うような気がしています。
あの神話を少し読んで思ったのですが、
あれは崇神天皇の時代の前後にあったことを神話にして、
神武天皇の前にわざわざ神話として思ってきたのでは?
その狙いは、崇神天皇の巻向政権の正当性を主張したように思うのです。
というのは、あの神話は明らかに複数のものを繋ぎ合わせたもので、
「出雲の国譲り」=崇神天皇が主君の出雲を倒す。
「出雲系の神祖の姉(天照大神)の子供から皇統の万世一系が誕生」=
崇神天皇の多くが主君である出雲王家から妃を貰い、よって
崇神天皇の先祖の多くが母方に出雲王家の人を持っていた。
なのでは?と...
また、神代の話から、当時の日本、というか西日本には
筑紫(日向)、出雲、畿内の三大勢力があって
当初は、出雲が日本の中心、筑紫が海外への窓口という重要な立場だったのを
後発組の畿内がこれらを征服したのが真相なのでは?
756 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 20:59:37
>>755 そうですよね。前半は禿げしく同意です。
スサノヲ(おそらく元々は、須佐の王)を天照大神の弟とし、彼は高天原で罪を犯した為、
そこを追放されたとしています。だから、その子孫の大国主に国を譲らせてもかまわない
のだ、と言う事にしたかったのでしょう。
後半は少し意見が違うのですが、出雲から弥彦&信濃川流域に及ぶ「大国」が当時成立しており、
その首都が畿内、そしてその「大国」をもともと成立させたのは出雲からやってきた勢力だった
のではないでしょうか?(所謂、大和朝廷はそれの後身。)
ところが、北部九州から招かれた神武の子孫達がその国を乗っ取ってしまい、もともと「大国主」
の地位にあった出雲勢力は滅ぼされてしまったのではないでしょうか?
(それは、欠史八代の時代に起こったことであり、記紀神代に「国譲り神話」として記載されている。)
そのやましさから、10代崇神天皇、11代垂仁天皇は、大物主を丁重に祀ったのでしょう。
(私は、出雲大社もこの頃創設されたのではないかと思っています。)
~武天皇
綏天皇 安寧天皇 懿コ天皇
孝昭天皇 孝安天皇 孝靈天皇 孝元天皇
開化天皇
これは崇神天皇の前の時代の天皇の漢名諡号ですけど
この漢名諡号には何か意味が隠されているように思うのですが
どうですか?
神武〜崇神の皇后の出身も
ひとつの大きな真相を解く鍵になると思う。
759 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:11:07
>>757 禿げしく同意ですね〜。
孝昭天皇 孝安天皇 孝靈天皇 孝元天皇
は兄弟とか?
私は欠史八代は世代にして3世代くらいでは?
>>759 というか、名前に意味が隠されてそうだわなと...
開化なんて意味ありじゃん。
で、孝○なんて、なんで、そういう名前をつけたのかな?って。
森鴎外が研究してなかったっけ?
エロい人、補足きぼん
762 :
太国:2006/12/18(月) 23:15:31
>>757 そのとおり大有りですよ。ただ全部把握できてるまでは至っていませんがね?
例えば懿徳の『懿』はヘンが『壹』でツクリが『恣』になっています。
ここの『壹』は邪馬壹国の壹の意味ではなく1倍暦の意味なんですが、
ツクリの上部分は『次』になっていますから2の数字を暗示しているもの
です。所長次長の次でナンバー2を意味し、数字の2のことであります。
だから1倍暦→2倍暦の示唆であって、普通暦を廃し2倍暦を実施するぞと
いうことを隠しているのです。綏世は等倍暦世でしたの次代の懿徳世は
2倍暦で行きますよということなんです。
『孝』が付く天皇世は3倍暦であり、この字の上部が土に/を入れて、これは
11(十一)を斬る、11月の使用を切り捨てるいみであります。
八代間の3倍暦のこの四天皇世は5月、6月、11月が無いのであります。それ
はアパート、マンションに104号室が不吉なので切り捨てられているのと同様
です。それで5月の記述が唯一ある綏世は3倍暦でやってたんではないこと
がこれでわかりますし、開化即位は11月だから当然3倍暦の使用はやらなかっ
たのがさらにわかります。開化世は2倍暦ですから。
開化の名は宣化の名と相応するものです。
孝靈天皇の「靈」は霊に通じるらしいけど悪シ号ですか?
764 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 07:43:31
漢風シ号は8C後半に淡海三船によてつけられたといわれるが、倭の五王の名が漢風シ号にマッチしているように、
作成の際になんらかのネタがあって、それを参考にしてつくられたらしい。
欠史八代についても漢風シ号は、各天皇に何か由来するものを元に作成されたのではないだろうか。
記紀を読んでいったら、物部氏って
天皇家よりも前の畿内の領主だったのか?
766 :
太国:2006/12/19(火) 09:38:55
>>763 孝靈の『靈』の字は、3つの□があり、これは3倍暦を引き続き継続する意味
と観てとれます。これが日3つだと3倍暦の始まり(この場合は孝昭)の意味
と解しますが(実際そういう天皇の名はないでしょうが?)、おのおのの□に
横線があれば日の字になります。それが無い3つなので、孝靈の時点でも3倍暦
をそのまま使用を継続して行く示唆と考えています。悪い意味でないでしょう。
>>764 三船だと云われていることは知ってますが、五王のほうは知りませんので
お聴きしますが、五王も三船だと云われているわけですか?
767 :
太国:2006/12/19(火) 09:46:35
>>766 言い逃がしましたが、孝昭の『昭』の字は日1つに□1つです。これは□の上
にもう1個の□を刀で抹殺した意味で、前代の懿徳の2倍暦を無にする示唆と
思っています。もし刀の個所が□で真下の□とくっついたなら、開化の号と
その大日日尊の名のように2つの日が『昭』の字から変わりますので・・・。
開化は当然2倍暦であります。
768 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 09:56:08
五王の名はだれがつけたかわかりませんが、天皇名は三船が作ったといわれています。とはいっても、それまでのものを彼がまとめたのではともいわれています。
讃から仁徳、武から雄略、などぴったしです。
769 :
太国:2006/12/19(火) 10:02:32
三船が五王のほうも決めたんなら天皇の名と別名を付けたことになり、
五王と当時の各天皇とは別人だということになります。同一人なら、
たとえば 「應」「仁」「履」「反」「允」 とかにするはずです。
神代系図が詳しく記載されているサイトとかありませんか?
父系だけじゃなくて、
母系も含めた婚姻関係も詳しく記載されたものです。
771 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 13:41:54
↑ググれ。
身体の一部を名に持つ天皇、皇族てけっこういますよね。
耳とか手とか足とか首とか。
これはやはり古事記の神話を元に創作されたのでしょうか?
あと、スイ靖とか安寧とかイ徳などは
字義から考えるに
「天皇家による支配の安定」
などを示唆してませんか?
そうすると、続く孝4世が継承し開化までに至る
一系の王家の顛末を示唆してるようにも思います。
すなわち祟神以前を、平和で安泰な王朝だったと定義する必要があったと。
てか祟神以降の系譜って、兄弟相続が目立ちはじめますよね?
この継承法の変化に、なにかヒントがあると思います。
773 :
太国:2006/12/19(火) 21:50:33
>>772 確かに日本神話では、耳から手から等々神々が成ったとの記述がわりとあり
ますから、そんな感じもしないわけではありません。しかし直接そこから
創作したとかのことではないと思います。まぁ神々生成に因んでそういう
命名をした可能性は捨て切れませんが?
安寧天皇の御名からそういうことは言えるでしょう。欠史八代に起こった事は
古史古伝に記載があしますが、今のところ参考にはなりえます。
兄弟継承は崇神以降というより履中以降が正解です。ヒントとおっしゃって
ますが、皇位継承の、古神道の機密を突いた言葉ですよ。
774 :
太国:2006/12/19(火) 21:55:51
来年、記紀の年代測定の本が出るらしいけど (450ページ以上で、値段は高い)
それによると、古事記の干支没年などが、解明へのヒントになっているらしい。
年代がああなった理由...
雄略天皇のときに、倍年暦から通常暦へ移行した。
日本書紀の編纂者が、中国史書の記述に合わせるために
二倍年暦だったことを全く考慮しないままw、
一部の天皇の年代を水増しにしている。
(しかし、これは古事記の干支没年・寿命や、
前後の天皇の年齢・在位から
どれだけ水増ししていたのか分かった)
天皇の在位期間と、没年などを計算して合わなかった理由は
必ずしも、天皇が死ぬ=次期天皇の即位 ではないからだそうだ。
つまり、皇位継承というのは、記紀の明確な時代でもそうだったんだが
たえず、一族で骨肉の争いなどをしてきたわけで。
そういうわけで、年代確定で狂いが生じてきた。
記紀には、皇位継承争いの模様がちゃんと書いていることと
古事記の干支や天皇の寿命などから、それも十分に補正できるらしい。
そして、最後に、これまでの多くの学者のミスなんだが
古事記の干支没年も、途中から倍年暦から通常暦へ移行していること。
これまでの学者の多くが、通常暦に一貫して計算していた。
そういう結果、11代目の垂仁天皇の没年(西暦314年)までは、
ほぼ確定できるとか...
古代の天皇の年代がだいたい分かり始めたので、
今度は神話について、調べているんだけど、
実は神話の部分でも明確な区切りが存在している。
それは、イザナギとイザナミの前後に大きな境界がある。
というのは、それ以前に順番に出てくる神には親子関係が全く無い。
しかし、それ以後に出てくる神々には、明確な親族関係がある。
つまり、イザナギとイザナミより後は、実際にいた人物を
モデルにしている可能性がある。
そういうふうに考えたとき、
天皇家の最初の先祖は、神話も含めたら
天照大神ではなく、イザナギとイザナミという二人の男女ということになる。
しかし、天皇家というのは、万世一系、男系継承を基本としているので
女神・天照の処女妊娠で出来た子供から天皇家の血統が始まったことになる。
ここで大きな疑問があるのは、天照大神というのは本当に女だったのか?
ということである。なぜなら、記紀の記述(女性のストリップに興味がある)とか
伊勢神宮のお祭りから考えて、天照は男に見えてしまうのである。
じゃあ、天照が男だったと仮定して、じゃ、なぜ、女にする必要があったのか?
考えたら、それは、天皇家(男系継承)は、自分たちの先祖を
イザナギ、イザナミではなく、天照の代以降に始まったことにしたかったはずである。
更にもう少し進んで考えたら、天皇家は自分たちの系統を
天照の弟であるスサノオ(出雲国造)から断絶したかったということである。
そういった考えから、日本神話が
高天原神話、出雲神話、日向神話に分けられる理由が推測できる。
サガミハラハラさんは、高天原は北九州だといったが
私は、高天原は畿内南部にあるんだと思う。
だからこそ、高天原は日向神話から分けられたのだ。
高天原というのは、畿内南部を中心とした勢力の神話で
それは高野槙に代表されるように、丈夫な木材の豊富な土地だった。
日本は国土の8割を山林に囲まれ、鉄が入ってくる前は木材が占める割合が多きかった。
実際、記紀を読んでみたら、天皇家も自分たちの先祖に
畿内にいる出雲関係の神様をよく信仰している。
しかし、それを強調すると、天皇家の先祖は日向に飛ばされた分家だった
ということがクローズアップされるのである。
だからこそ、天照を女性神にして、本家から自分たちの家系を断絶させて
別の家系が始まったことにしたかった。
伊勢は、天皇家が自分たちの家系の正統を訴えるために作った神宮?
天照という元々は男性神だったものを女性神にすることで、
そこから万世一系(男系一系)が始まったということにして
それ以前の家系(物部氏ら)と自分たちを差別化・断絶化させた。
実は、天皇家の本当に大事にしている神社は、高天彦神社や出雲大社など。
天皇家の先祖というのは、高天原(高天台・奈良県南部・和歌山近く)から
山門の日向(北九州)に派遣された分家の家系で
それが天照のモデルになった男性であった。
しかし、高天原の本家の男子が断絶したので
急遽、日向の分家から入り婿に入ることが決定した。それが神武天皇だった。
いわば、伊勢神宮やら天照(本来は男)の女性化は
古代的南北朝時代そのもの。
物部氏の伝承では、天照大神は男である。
そして、物部氏と天皇家は同じ男系の血筋で繋がっていて
物部氏のほうが畿内(高天原)本家、天皇家のほうが日向分家だった。
しかし、日向分家の神武天皇が、本家に入婿に入ることになった。
そして、記紀の作成時に、天照大神を女にする必要に迫られた。
何故なら、天皇家の万世一系・男系一系はそこから始まったということにするためである。
つまり、本家筋の物部氏と天皇家を男系では全く違う家系にするためである。
そのために、天照は男性ではなく、女性にすることになった。
>>777 >ここで大きな疑問があるのは、天照大神というのは本当に女だったのか?
ということである。なぜなら、記紀の記述(女性のストリップに興味がある)とか
伊勢神宮のお祭りから考えて、天照は男に見えてしまうのである。
全体に何の話かほとんど理解できなかったが、ここの論旨は少しだけわかった。
つまりウズメの「ストリップショー」が気になってついつい覗いてしまうからには
アマテラスは男に違いない。とまあそういう論旨なんですかね。
784 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 04:31:46
>>783 伊勢神宮でやっている祭祀とかって
天照が男じゃないと説明できんものが多いわな。
また、皇室典範改正論議のとき「女性天皇を容認せよ!」って意見が多くなって
そのとき「天照大神は女じゃん!」って意見が出てきたが、
「天照大神が女にされたのは、そこから男系は始まった、それ以前の系統は
全くの別系統にするためだった、よって天照は本来は男だ」
という説を言う人がいた。
その意味は何となく分かったが、それで、それに対する関心は薄れた。
しかし、その後、いろいろ調べていたら、物部氏の伝承では
「天照は男だった、天皇家と神武以前に物部氏・海部氏は
男系で繋がっている同族だ」とか
「天皇家は実は伊勢神宮に思い入れがない」とか
「高天原は奈良県の高天台」だとか
「海部氏・天皇家の先祖は本家から、それぞれ丹後国主、日向国主として
派遣された人たちだった」とか
そういうのを見て、はっと思い出した。
785 :
太国:2006/12/20(水) 07:35:59
天照大御神は実在した姫で女性である。
イザナギ云々で大きな境界〜同意点多し。
786 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 07:47:02
>>785 仮に天照が実在の女性をモデルにしていたというのなら
その場合は、天照はスサノオと契約して子供が出来たという記述もあったので
その場合は、天皇家はスサノオの男系の子孫ということになる。
でも、その場合でも、天皇家は女神の子孫ということにしなければいけなかった。
なぜなら、天皇家の男系(Y遺伝子)は、その女神が独身のままで
産んだ子供から始まったことにしなければいけないから。
それはつまり、他のイザナギの子孫と天皇家を区別しなければいけなかったからである。
天皇家が万世一系を高らかに歌う理由である。
787 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 07:58:12
>>772 >身体の一部を名に持つ天皇、皇族てけっこういますよね。
>耳とか手とか足とか首とか。
>これはやはり古事記の神話を元に創作されたのでしょうか?
これあるのかな。
アマテラスやスサノオが目と鼻で、セットになってるとか。
記紀のみでは分からない事を探る為に
『先代旧事本紀』(白河家本)を見てみたのですが、
伊勢神宮の秘記によると外宮には、天之御中主神
(a.k.a.天之狭霧尊、天之常立尊、国之常立尊)が奉祀されていて、
その内宮には、天照皇大神が奉祀されているということ
のようです。
天祖天之狭霧尊、天之御中主神と天之常立尊と国之常立尊が
同体異名の神であることの理由としては、各々に神徳が現れる
ことについて神号を付けたものらしい。
>>788の続きですが、
伊勢外宮の豊受皇太神宮は豊御食神であり、
別名が月夜見尊といいます。
豊受皇太神宮は国常立尊を奉祀しており、
天之中主尊とも、太元尊神ともいいます。
そして、内宮の天照大神は日神であり、
内宮の日神と外宮の月神の両宮を奉祀して
天下の宗廟で国土が守護されているということです。
790 :
サガミハラハラ:2006/12/20(水) 13:32:30
高天彦神社
なかなか趣のある神社の紹介ありがとうございます。
更にこの神社の周辺が、記紀に描かれている高天原の地名や風土であるかということになりますね。
791 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:52:04
>>790 高天彦神社って、高皇産霊神が祭られている。
古事記では高御産巣日神、日本書紀では高皇産霊神と書かれる。
葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)という名で登場する。
元々は、木の神様から発展したのかも?
葛城(かつらぎ)氏(皇別氏族)の拠点にもなったし、皇室の神聖な場所だった。
桂木(かつらぎ)が生い茂っていた土地だった。
あの近くは和歌山県との県境があって、高野槙(こうやまき)が自生している。
というぐあいに、天皇家というのは、最初は
良質の木々を支配して成り上がったのかも?
イザナギとイザナミは最初は和歌山での話で、その子供だからね、
アマテラスとかスサノオとか...
あと、アマテラスのモデルになった女性もいたのかもしれない。
その場合、アマテラスは弟のスサノオの子供を養子に貰ったとか、
で、後に伊勢の太陽神(男性)とアマテラスを融合したのかもね。
そして、天皇家はアマテラスから男系が始まったことにした?
アマテラスの別名「ヒルメ」は日女より日妻の方が原義に合ってるとか。
東海地方や近畿地方には、「アマテル神」や「アマテルミタマ神」を祭った
神社が存在するが、ほとんどが男性神らしい。
伊勢の太陽神も元は「アマテル神」で、高祖神となってから
「テル」を「テラス」に変え特別扱いにした。
伊勢の神路山は別名天照(アマテル)山と呼ぶ。
皇大神宮の別宮に「アマザカルムカツヒメ」が祀られ、
ムカツヒメのムカは正妻の意らしい。
793 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:45:03
つまり、伊勢の神様は、地元の太陽神(古今東西、太陽神は男性)アマテルだった。
それを皇室が、スサノオの姉に投影させ
アマテルという男性神からアマテラスという女性神を作り出した。
ちなみに、天皇家は、スサノオの姉の子供ではない、スサノオの子供である。
しかし、姉に養子に出して、姉の子供ということにした。
天皇家の男系・万世一系は、そこから始まったことにした。
794 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:48:16
悠仁親王の印は、高野槙(こうやまき)になったけど
これは、あることを暗示しているように思うw
天皇家は、そこから始まったんだとw
そして、秋篠宮殿下は和歌山に出自がある紀子さんを妃に向かえ
その子供に高野槙の印をつけた。
2000年以上の時を超えて...
天皇家は原点に返るときが来た...
まあアホ雅子よりはマシだしな
796 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:11:45
記紀を読んでみたけど、どうみても
アマテラスの行動って、男そのものだな。
でも、アマテラスとスサノオの誓約って何なんだ?
あれって、要するにアマテラスには子供が生まれなかったということ?
で、スサノオが自分の子供をアマテラスの養子にすることにしたのか?
なんか、現在の皇太子、秋篠宮の関係に似ているな。
皇太子が事実、公務を放棄しているところとか...
アマテラスも天岩戸に隠れちゃったんだけ?
797 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:21:04
799 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:32:50
秋篠宮が産まれたとき、すごい嵐だったんで
この子はスサノオの生まれ変わりか?って
美智子皇后が思ったらしいというのを聞いた。
ならば、徳仁皇太子は、
跡取りに恵まれず、弟が自分の後釜を狙っていると勘違いし、
天岩戸に隠れてしまったアマテル神の再来か?w
800 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:10:14
そして将来の女帝への皇位継承を正当化する為に
男神アマテルから女神アマテラスへの神格操作が画策されると
801 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:15:11
そういうふうに考えたら、藤原氏の罪は大きいなw
よくまあ、1300年も皇室に寄生し続けたなw
んで、ようやく、藤原氏の力は消えうせつつあるのか?
一部の藤原氏は別として、かなりの藤原氏の名家に
皇胤が養子に入って、皇別に変化しているし。
近衛家は清和源氏と後陽成天皇流に変わっている。
醍醐家も後陽成天皇流、徳大寺家は東山天皇流に変化している。
802 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:18:33
んじゃあ秋篠宮はそのうち追放されて、愛子帝が擁立され、
秋篠宮の血を引く悠仁親王かその男系男子が愛子帝の養子に
803 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:22:32
スサノオは追放されたんじゃなくて、
元から分家じゃないのか?
しかも、出雲ではなくて、北九州の王だった。
アマテルの養子には、スサノオの子供が入った。
だとしたら、皇太子の跡を継ぐのは悠仁くん。
でも、皇太子の名前が、徳仁で、徳という字がついているからな...
彼は本当に天皇になれるのかな?
804 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:04:52
サガミハラハラさんは、邪馬台国は佐賀県だといったけど
大分県という線も捨てきれないと思います。
佐賀県には山門という地名がありますが、
大分県にも山戸という地名があるみたいですし。
下のソースを見たら、大分に拠点がある大友氏も
福岡一帯や佐賀県を勢力圏に置けたこともあったみたいだから、
佐賀県でも大分県でも、邪馬台国の記述みたいな力を
蓄えることが出来たのかな?って思いました。
結局、邪馬台国がどこなのか分からないんだけど
北九州のどこかだということは分かる。
(ただし、博多湾は上陸して直ぐなので、おそらく奴国なんだろうね。)
↓
samRAI web!の中のcartogramから見る「日本戦国勢力」をご覧あれ。
これで5年毎と移り変わりが確認できます。
http://www5.airnet.ne.jp/samrai/war_jp16c/carto/crt1540h.htm
サガミハラハラさん、
あなたなは邪馬台国は佐賀県
日向は、福岡市の日向だといいましが
邪馬台国は宇佐
日向は、大分県の日向じゃないでしょうか?
あと、大分県にも山戸という地名があります。
山戸、日向という地名は大分県にもある。
もともと、日向は「日が出てくる東」という意味であり
おそらく、神武天皇が東征した地は大分県の宇佐だったはず。
また、神武天皇が宇佐に残した一族の中から卑弥呼が出てきたはず。
そして、神武天皇の先祖には、スサノオが居たはず。
スサノオの出雲神話は出雲風土記とは整合性が取れないと言われているが
それは、北九州の出来事と出雲の出来事とを入れ替えから。
スサノオは本来は、宇佐の王だったはず。
系図で分かりやすくすると
スサノオ(宇佐の王)---------┳神武天皇
┗----------卑弥呼
系図で分かりやすくすると
スサノオ(宇佐の王)━(数代)━┳神武天皇
┗━━(数代)━━卑弥呼
810 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 08:45:15
サガミハラハラ氏の降臨をきぼ〜ん!!
811 :
サガミハラハラ:2006/12/21(木) 11:04:01
日向とヤマトの地名は(イワヤも)九州にいっぱいあります。
その中で記紀神話のものはとなったら、その舞台を先に見つけてそれから、
付近にそれらの地名があるか探します。
系図では、神武はスサノヲの子孫ではありません。姉の天照大神の子孫です。
卑弥呼と天照は男系の血縁関係はありません。女性を介在とした血縁関係はあるとおもわれます。
とはいっても、同じ北部九州内のこと、長い間に血がまじっても不思議はありません。
出雲風土記と出雲神話について。
基本的に出雲神話は高天原神話の中に入ります。
オロチ退治は三種の神器の剣がどこからきたのかの説話になります。。
即ち高天原にかんした神話です。ですから出雲風土記にでてきません。
因幡の白兎は因幡の国のはなしであって、出雲の話ではありません。
真の出雲につたわった出雲神話は時とともに薄れ、消えたものが多かったと思われます。
出雲の神話はそれをほろぼした高天原の神話の中に組みこまれることによって、
いきながらえることができたのです。
812 :
サガミハラハラ:2006/12/21(木) 11:21:58
訂正 上記5行目の「卑弥呼と天照は」を「卑弥呼と天照の子孫は」としてください。
813 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 11:26:29
>>811 サガミハラハラさん、私は持統天皇と藤原不比等を恨みますw
結局、彼らが記紀を滅茶苦茶にして分からなくした...
そのせいで、現代の日本人は、多くの自分たちの歴史を失う羽目になった。
私は、日向もヤマトも九州の地名だと思います。ただ、
まだ、それがどこだか特定できない。
福岡市の山門・日向という意見もありましたが
佐賀県にも山門があるし、大分県にも山戸や日向ある。
邪馬台国に関しては、魏志倭人伝が海路をさらに東南へ下ればみたいに書いてあり、
また邪馬台国よりも南部は、直ぐに狗奴国は存在してなくて
ちょっと離れたところにあるみたいな記述ですし...
そういうわけで、佐賀県ではおかしいような気がして...
宇佐辺りのほうがしっくり来るのです。
戦国時代も大分県を本拠地としていた大友家が、
戦国を通じて、常に覇権をとっていましたし、
あの地域は九州を統括する上で、意外に有利なんじゃないですか?
九州の海外への玄関口は博多湾ですが、
統括する地としては、大分県が地政学的に有利だと思います。
それと、記紀では、
系図では、神武はスサノヲの子孫ではありません。姉の天照大神の子孫です。
ということですが、自分の推測ですけど
このへんで、作為があったように思うのです。
実際に、アマテラスは元々男性でアマテルだったとか...
アマテラスはスサノオとの誓約で子供を得たとか...
814 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 11:33:32
サガミハラハラさん、一部の人が参考にしていた
中世の戦国時代の諸勢力の勢力範囲地図です。(一番下)
この意見に対して、幼稚だという意見があるんですが、
私は、そうは思わないんですね。というのは、農耕社会下では
社会の成長率は緩やかで、さほど地政学上はさほど変化が無いように思う。
実際、中世や近世に立てられた城や砦の下から、古代の古墳とか砦跡が
よく発掘されるんです。つまり、地理的な条件は変化が無いように思う。
むろん、古代とは少しは違うことは考慮しなければいけないでしょうが...
んで、その地図です。五年おきに勢力伸長が見れます。
特に九州を着目してください。大分県を拠点にした大友家にです。
↓
samRAI web!の中のcartogramから見る「日本戦国勢力」をご覧あれ。
これで5年毎と移り変わりが確認できます。
http://www5.airnet.ne.jp/samrai/war_jp16c/carto/crt1540h.htm
815 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 11:36:00
816 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 13:36:54
174 :日本@名無史さん :2006/12/21(木) 13:16:06
>>172 物部氏というのは、天皇家と同じで、イザナギの末裔を名乗っていて、
どちらも、元々は高木神を祭っていた。
そして、物部氏は日本全国に分家が多く居て
そういう意味では、神武天皇後胤の天皇家や蘇我氏や
中臣氏から分派した新興氏族の藤原氏を遥かにしのぐ勢力だった。
ひとつ違えば、神武天皇の後胤である天皇家を
屈服させる力があった。どちらも、同族だしね。
だからこそ、天皇家は自分の先祖にアマテラスという女神を挿入することによって
男系では物部氏と家系を断絶させる必要があった?
175 :174の続き :2006/12/21(木) 13:21:21
本来、高木神が皇祖だったはずの天皇家が
アマテラスという新興の女神を作り出すことによって
世間では、そちらのほうが皇祖ということにした。
そうすることによって、物部氏を皇祖の子孫から外した。
ただし、宮中祭祀では未だに高木神を皇祖と扱っている。
また、高木神のほうも昔と同じままではなく、
様々な神様を合体させることによって
高皇産霊神という意味合いが少し違う神様を作り出すことによって
元の原型を隠す必要があった。
817 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:29:25
考霊36年 富士山噴火=>崇神5年 大凶作
誰か、年輪年代法の詳しいサイト、知りませんか?
以上のことを調べたいのです。
818 :
韋駄天はふと考えた:2006/12/23(土) 00:52:46
あなた達は研究の仕方そのものが間違っています。
ここにヒントを差し上げますので、自分の研究の仕方が
なぜ間違っているのかを、じっくり考えてください。
・古事記や日本書紀の文献を頼りに研究するのは、未来の考古学者が朝日新聞や聖教新聞の
記事内容から当時の歴史を研究するのと同じほど愚策。
・1500年後の考古学者が遺跡から発掘した朝日新聞全書(朝日新聞社が創刊から廃刊まで
発行したすべての新聞記事の内容)と聖教新聞全書(聖教新聞社が創刊から廃刊まで発行した
すべての新聞記事の内容)を頼りに1500年前の日本がどういう国であったかを研究したが、
疑問点ばかりが噴出して、研究者の間からも様々な説に分かれて論争が続くことになった。
・それはそうでしょう。朝日新聞や聖教新聞のように、支那人、在日朝鮮人、半島朝鮮人、
同和部落民、創価学会員らの都合の悪いニュースは全く記事にせずに、これらの都合の良い
ニュースばかりを記事にするような新聞記事から、当時の歴史が正確に割り出せるはずはないのですから。
・現在においても支那人や在日朝鮮人はウソつきで真実を伏せて捏造ばかりするのに、昔の支那人や渡来朝鮮人が
正直者であるという根拠はどこにもない。
したがって昔の支那人や渡来朝鮮人が書き残した文献の信頼性はないも同然。
・歴史の文献というのは敗者に都合の悪い内容となり、勝者に都合の良い文献として残されるのが大半です。
例:敗者の先住民族インディアンに都合が悪く、勝者の白人に都合の良い「アメリカ新大陸発見」の教科書の内容
他にも「オーストラリア大陸発見」「喜望峰発見」「マゼラン海峡発見」など、いずれも日本の教科書にまで
白人中心主観のままで記載されることとなる。
・ただし魏国と邪馬台国のように、お互いの国境が接することなく戦争も対立関係にない国家間の文献では、
都合の良いウソや捏造をする必然性はなく、真実を書き残している信頼性は高い。
・考古学を研究するには、当時の時代背景を知り、対立関係や利害関係まで知り尽くしてから、
文献を参考にしないと、「朝日新聞や聖教新聞の文献記事だけを研究して、西暦1930年〜2010年間の
日本の歴史を学びました」というバカな考古学者が1500年後にも必ず現れます。
ご尤も!
真実の片鱗は古史古伝にあり
古神道その他いろいろ2 他山の石 より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/ 821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
821 :
太国:2006/12/23(土) 20:01:13
>>820 『「こらっ」と一喝、台の上から飛び降り、手に持った竹箆を、悟空の目の前に
突きつけて、「なんじ猿の分際で、これもいやじゃ、あれもいやじゃとな。
しからばどうしようというのじゃ。」
言うなり近づいて悟空の頭を三べん打ち、両手を後ろに回して、奥へ入ると、
弟子どもを置き去りにしたまま、中門を閉ざしてしまった。・・・・・・』
(西遊記 第二回 平凡社版 太田辰夫 鳥居久訳)
『その日、悟空は・・・(中略)・・・およそ子の刻・・・(中略)・・・
そっと前門を開け裏門の所まで来ると、その門は半開きになっている。
・・・(中略)・・・中にはいり、ずっと祖師の寝床の下まで来ると・・・
(中略)・・・すると祖師は目をさまし両足を伸ばして口ずさんだ。
難し、難し、難し。道は最も玄。金丹をば等閑となすなかれ・・・・・
「わしの謎を解いたからには・・・(中略)・・・・・ 」 』
(同 上)
(問い)三更のこの時、菩提祖師から孫悟空に最高機密が伝授されたが、
その実体とはいったい何か? それは何物であったのであろうか?
(解) ??? wwwww!
822 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:42:31
古神道その他いろいろ2 他山の石 より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/ 821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ
823 :
太国:2006/12/23(土) 21:50:45
西遊記の最高機密と古神道の最高機密とは表裏一体のもの。
最高機密とは何か? 知りたければ 『すべからく見よ 西遊釈厄伝』
>>823
頭のまんなかがとろけてますね(^^)
825 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:05:17
誰か太国さんの名をかたっているのですか?それとも本当に本人。
826 :
太国:2006/12/23(土) 22:14:53
827 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:24:02
>>823
>西遊記の最高機密と古神道の最高機密とは表裏一体のもの。
この人の頭は西京味噌だねw
828 :
↑ 太国:2006/12/23(土) 22:26:06
甘餓鬼
829 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:27:14
>西遊記の最高機密と古神道の最高機密とは表裏一体のもの。
どうして表裏一体なの?wwwwwwwwwwwwwwwwww
830 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:16:13
828 :↑ 太国 :2006/12/23(土) 22:26:06
甘餓鬼
これ常人の言葉じゃありませんねwww
831 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:17:36
>>823
>西遊記の最高機密と古神道の最高機密とは表裏一体のもの。
これはなぜ?
832 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:06:56
>>823
>西遊記の最高機密と古神道の最高機密とは表裏一体のもの。
完璧な京大最高権威並の妄想でつね。
そういや京大の先生は妄想癖の権化だよなwww
833 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:08:23
今年こそ日本書紀が解明されますように
行き当たりばったりの発言を繰り返すだけだな・・・豚野郎!
835 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 09:54:13
日本書紀が解明されるためには、まず、紀の研究の最大の障害となっている年代を解明する必要があります。
その糸口となるであろう2倍年暦が今年は提案されます。今年は2倍年暦をめぐって論議がたかまるならば、
紀の解明におおきな前進となるとおもわれます。
836 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 14:08:39
学会ではある意味タブーな記紀の年代記
837 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:44:42
もうサガミハラマンセーレスは良い加減ウザイよ
838 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:48:59
今の段階で音をあげてはいけません。これからですよ、これから、これから。
839 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:58:22
サガミハラマンセーレスの奴は自分じゃ何も解っちゃいない癖に全肯定だから駄目なんだよ。
だいたい二倍暦だってサガミハラの専売特許じゃないだろ。サガミハラはこの分野の後発集団なの。
なのに初めて提案される画期的な理論みたいな宣伝文句。馬鹿も休み休み言えよ。
確か、二倍暦は明治時代に外国人が言い出したんでは?
戦後、長らく神武とか欠史八代の実在性とか言うと、右翼とか保守反動
の汚名を着せられて、研究されていないも同然。
学閥に入っていない古田あたりが言い出せたんだよな。
日本史板の常識
コテ=馬鹿
842 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 13:02:52
昔の天皇の在位年数が長すぎる件だけど、
複数の天皇が同じ名前を次々に継承した、と考えられないか?
伝統芸能の家元みたいに。
霊魂の継承を信じていれば、同時代人も同一のスメラミコトと認識して、
記紀のように長い在位として伝承されるだろう。
ひょっとしたら個人名じゃなくて、住んでいた屋敷の名前かもしれない。
同じ屋敷に住んでいる限り、同じ名前で呼ばれ続ける。
日本人は個人名で呼ぶのを憚る傾向があるし。
843 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 15:55:50
単純に8回王朝が変わったんだろ
首長国が変わったというか
日本史板の常識
コテ=馬鹿
そういう書き込みをしているおまえもな。
846 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:28:59
2倍年暦とか欠史八代とかを提唱している人って、
結局記紀は間違いだと認めているんですよね?
間違いなのに、その他が信用出来るなんて・・・
ちょっとおかしくね!
847 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:18:53
国生みの物語って、神話じゃなくて伝承なのではなかろうか?
縄文以前からの伝承が変遷し、やがて男女二柱の神となったとか。
元々は、たとえば東南アジアからの流民と原住日本人とが
混血する物語だったとか。
848 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 07:01:02
神話って近現代の概念
>>846 欠史八代と呼ばれている八代の歴史は実はちゃんとあります。
単に日本紀が書き漏らしているだけですね。
先代旧事本紀の白河本にはそれらが詳しく掲載されています。
特に二代目の綏靖天皇の項目の手研耳命が討たれる話しは
有名だと思います。
850 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:31:43
太国くん。
なにやってるんだ。
はやく「どんとこい邪馬台国」の新スレをたてないか!
851 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 02:09:44
>>849 旧事紀系って偽書だと言われているけど
白河本だけ分けて考えられるよね。
これって、どういうことなの?
>>851 部分ごとに区分して考えて、その成立時期を分けているから。
その結果、旧事紀の一部は記紀よりも古いか同じ頃の成立と見られている。
書かれている当て字も古い時代のものが多いとか。
記紀よりも詳しい部分があるとか。
そんな理由だったと思う。ただし、物部系の伝承とされる。
後の時代に付け足した部分が「偽書」とされるが、見方の問題ともいえる。
853 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 15:37:14
太国は、クリスマスの晩もシコシコ1人でレス頑張ってたよw
正月も馬鹿はきっと皆勤賞だろうねw
寂しい奴だよなw
854 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 16:47:25
毎日抜いてないと弱くなるよ。
俺なんか嫁と彼女といるけど
ヤらない日は必ず抜いている。
2倍年暦とか欠史八代とかを提唱している人って、
結局記紀は間違いだと認めているんですよね?
間違いなのに、その他が信用出来るなんて・・・
ちょっとおかしくね!
856 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:44:01
記紀の年代はかなりの信憑性があるということを前提にして2倍年暦説はなりたちます。
857 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:49:57
アインシュタインの計算ミスを指摘して、彼の業績を全部否定できるわけもない>855
858 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:43:56
■志羅紀の地理的位置■
『後漢書』の馬韓については「その北は楽浪と南は倭と接し、辰韓の東にあり」と記している。
また弁韓についても、「辰韓の南に(弁韓は)あり、その南また倭と接す」とある。
『三国志』も同じく、「馬韓は南で倭と接す」とある。
さらに「弁辰は十二国のうち、讀盧(どくろ)国は倭と界を接す」とある。
「辰韓の南に弁韓あり、その南また倭と接す」
これは興味深い記録である。
・辰韓は北にある。
・弁韓は辰韓の南にある。
・弁韓の南に倭がある。
この記録は、稲飯命が建国した志羅紀(シラキ)の位置を語っているのである。
辰韓=ワイ人の国(後の新羅)。3世紀に南下して志羅紀を侵略する。
弁韓=倭人の国。神武天皇の皇兄=稲飯命が建国。天日矛命の国。
倭=弁韓(志羅紀)の南方にある倭人国・ヤマト。日本国。
こういうことだ。
やはり、志羅紀と新羅は別の国だったのである。シラキの王子=天日矛命が倭人であることが
証明された。
天日矛命の子孫が神功皇后である。神功皇后の新羅征伐は、ワイ族(朝鮮人)に侵略された
先祖の祖国=志羅紀(シラキ=弁韓)を解放するための聖戦だったことが明らかになった。
358 :日本@名無史さん :2007/01/07(日) 02:28:34
太国さんと、九州王朝大好きさんは、
九州王朝肯定派なの?
コテもジョークだと思ってたよw
冗談はさておき、
一体何時まで九州王朝があったと思っているんだい?
359 :太国 :2007/01/07(日) 08:05:20
文武世前後のころまでですよ。九州王朝大好きさんもそのはずですが。
*****教えて!記紀の正否について*****
860 :
↑:2007/01/15(月) 03:42:22
マルチ禁止
861 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:59:24
862 :
↑:2007/01/17(水) 02:48:24
記紀ではない、まだ有期。
863 :
まったくの素人:2007/01/17(水) 05:19:02
・大和なる天皇家の王権が7世紀より前から日本列島の唯一の中心権力者ではなかった
これは正しいですか?
864 :
まったくの素人:2007/01/17(水) 05:35:51
・大和なる天皇家の王権が7世紀以前は日本列島の唯一の中心権力者ではなかった
これは正しいですか?
865 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:08:29
>>863-864 半分正しくて、半分正しくない。
一応、支配者とい名文だったが、常に地方に謀反を起こされるという感じ。
でも、こういう状態は、明治以前まで断続的に続いたわけだから。
それが、日本にとってのデフォルト。
866 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 15:19:42
>>863-864 平たく言えば、中心権力者は九州王朝の天子であって、大和のおおきみ(天皇は持統から)ではない。
868 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 01:07:54
ヒント 大嘗祭の主催者と招待者
>>867 頭が悪いからそんな事を言えるんだよ!w
870 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:36:44
871 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 12:57:30
新嘗祭はどこでもやってたんだけど。
872 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 13:42:51
地方の王なら誰でも新嘗祭はやっていい。
畿内天皇が大嘗祭を主催していないのに、天皇や部下が大嘗祭に参加した事実が
記紀に載っているのは、九州王朝の天子が主催した大嘗祭だから。
873 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/20(土) 17:15:25
>>864 現在大嘗祭は天皇だけが主催している行事。
新嘗祭はどこの大社でも主催している行事。
祭政一致の古代においては大嘗祭を主催しているものが最高権力者。
新嘗祭を主催するものは地方権力者とみなせる。
日本書紀の記事に従うと、
天武は大嘗祭に参加した者に褒美をあたえている。
即ち天武が最高権力者でなかったことを示している。
持統は大嘗祭を主催した最初の人物である。
天武までは日本の最高権力者がどこかにいたことになる。
そのどこかにいた最高権力者は九州王朝の天子であろうと推定される。
874 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 17:22:02
■-志羅紀の語源-■
志羅紀(シラキ)の語源については、いろいろな説がある。
代表的な説を二つ紹介する。
(1)稲飯命の別名説
シラキとは「知らす木」の意味である。知らす(シラス)は日本語古語で「治める」の意味であり、
木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、知ら木(シラキ)とは、
『国を治める皇孫』の意味であり、稲飯命の別名である。
(2)「後ろの城」説
シラキとは、古代日本語で「後ろにある城(砦)」の意味とする説。
まず、シラキのシラとは後(シロ。うしろ)の意味であり、キとは城(砦)を意味している。
大和地方から見て、出雲国の後方に位置していることから、「出雲の後にある城(砦)の国」という
意味で『シラキの国』と呼んだのである。
京都の古代名を山背国(ヤマシロの国)というが、これは「山の後(シロ)にある国」という意味である。
志羅紀も、出雲国の後方に位置していることから、ヤマト朝廷は「後城(シラキ)の国」と呼んだ。
875 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/20(土) 17:38:40
>>864 自説ですが、九州王朝に2人の天子がいたので注意。
随書によれば、
イ妥国(九州王朝)には兄天子と弟天子の2人の天子がいる。
兄天子は宗教天子、弟天子は政治天子。
政教分離体制である。(琉球では近世までこの政教分離体制であった)
兄天子については具体的にはよく知られていないが、
弟天子については倭5王・磐井・多利思北孤・薩夜摩の9人がよく知られている。
前レスの九州王朝の天子とは兄(宗教)天子をさしている。
876 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 19:45:44
>厩戸皇子の仏教の師が、高句麗僧・恵慈(えじ)であったことはよく知られている。
>恵慈が来朝したのは推古3年(595年)、皇子が22歳のときである。
上記のような説があるが、恵慈は高句麗僧ではなく、コマ(漢城)の僧であろう。
595年に、高句麗から僧侶が来るわけがない。この時代、日本と高句麗は戦争状態だった
のである。
百済と高句麗の間に「同盟関係」が成立するのも、643年からである。
595年頃、日本と高句麗の間に外交関係はなかったのだ。
恵慈は、漢城から渡来した倭人僧であろう。
877 :
↑:2007/01/20(土) 19:52:32
マルチポスト
878 :
東アジアニュース速報+:2007/01/25(木) 19:50:29
879 :
日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:09:19
880 :
日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:41:14
578 名前:太国[sage] 投稿日:2007/01/17(水) 06:46:18
>>571 コヨミは「古黄泉]と読めて、記紀のイザナギイザナミの黄泉国ので千五百の
産室と千人絞殺の宣言からの数字の比率 1500:1000=3:2 に因む。
記紀の神代以前はよく8神づつの記載が多いが、この宣言以後、イザナギは
筑紫の日向において禊祓いをやるが、このときのみは12神(12月分の示唆か)
になっており、先頭の突立船戸神は「月経つ船戸神」の意味の神名か、これと
半年毎の6月末の大祓いが、半年を当時の1年と数える2倍暦の根拠になって
おり、さらに 12神:8神=3:2 で3倍2倍の結果が出る。
「船戸」はフナ戸で2・7戸を意味し、2×7=14 の、1ヶ月が2週間の
2倍暦を黙示する神名である。
恵也が5月をなめていたが、これは朝廷が高天原暗黒の様相となる「五月蝿」
を嫌うために、その戦慄から倍暦使用にあっては特別の状況以外空白月とし、
避けていた。だから佛伝以前の紀の記述には5月の記載は猫の額の如くである。
古事記のサホビメ物語についての論文ってどこかで見られないでしょうか(;´д`)
882 :
日本@名無史さん:2007/02/02(金) 13:28:26
高句麗と高麗は同じじゃないのですか?
高麗はこうらいとこまとどちら正しいんですか?
883 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 05:03:50
884 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 09:28:06
コンピューターのソフト技師が勉強中に頭がくるってやめていくように、
古代史も聞いてると気が狂いそうだよな
885 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 09:36:50
そうですね、書き込んでいる人の中には、狂っている人がいますから、その文章を読んでいると、理解しようとして読めば読むほど気が狂い
そうになり、最後には同類となってしまいますです。
九州古代王朝説とかね。
古代の最高権力は畿内の天皇家以外なしという
トンデモ妄想偏執狂の畿内一元信者なんか、
ウジャウジャ沸いて出るしな〜。
888 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 23:09:42
神武東征で熊野の山中で協力申し出た人たちってのは縄文系の人々なのかね。
(尾のある人とか井戸から出てきたと表現されてる人たちのこと)
>>880 >記紀のイザナギイザナミの黄泉国ので千五百の
>産室と千人絞殺の宣言からの数字の比率 1500:1000=3:2 に因む。
なぜこれが2倍暦、3倍暦と関係するのか判らないので教えてくれませんか。
890 :
太国:2007/02/04(日) 23:59:42
>>889 まだ完璧なる理由付けには至っていません。今のところ、これでは
ないかとの考えです。朝廷はイザナミの呪いが怖く、半年目の大祓い
の2倍暦の採用とともに、その割合で3倍暦をやったようです。
夜遅いので簡単に言うほかないですが、コヨミは『古黄泉』であり、
黄泉の国の古事から来ているようです。
呪いの『呪』字は、他説はいろいろとありましょうが、神武の兄の
五瀬命の戦死が5月であり、かつ高天原の暗黒、岩戸隠れの五月蝿
なす状態を凶と考え文章での抜かし字を□□□□□・・・で書く
ように。『呪』のヘンはその□を示唆しツクリは神武の『兄』を示唆
して紀の記述は佛伝まで5月(次いで6月)を避けるようになっ
たものであります。(月の空白は倍暦以降が可能です。)
この流れ矢死による兄君の戦死をなくす、防ぐのが盾の=と↑との
合字の『示』(小は矢をバラバラにする威力を小にする意)であり、
ここから祝詞の『祝』(ネは示の代替)字が決まるわけです。デハ
zzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・
891 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 00:04:17
うわっ、スゲー電波
892 :
太国:2007/02/05(月) 00:14:47
>>890 寝てるところ起きました。
□は空白月の黙示です。『悟空』を観じてください。空白を悟る。
『吾』
893 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 10:34:11
>890>892
太国さん、万人が合理性・必然性を感じる論理展開にしてください。
ご本人だけに通じる「もしかしたら論」には誰も耳を傾けませんよ。
894 :
太国:2007/02/05(月) 10:58:02
>>893 当時の朝廷は古神道を支持、信仰していたんだから、彼らは君の
ような高等教育を受けた輩ではなく、今でいう迷信深い理屈で物事
を考えてたのだ。だから、そこまで精神的知能的程度を下げて
考えないと、当時のことの真実の姿は見えてこないんだよ。
現今でも六曜で大安とか仏滅とかで行事、儀式が左右されるん
だから、当時でさえも5月が仏滅のごとくに考えていたと思っても
何らおかしくはない。現今のアパマンでも104号室を嫌い空白と
していることからも、買う人はこの部屋をほぼ相手にしない。
ここの板に空白の4世紀とかいうスレがあるが、こと紀に関しては
「空白の5月さま」なんだよ。大臣の言動ではないが、当時の
住民は迷信機械と(観てはいないが)いう考察を仮にでもしてみて
古代に対処すべきであるという事で、彼らの意図することが理解
出来うる。イタヅラにデムパなどと、相手にしてもらえないとか
言うことは、古代に君が行けたら、彼らに相手はしてもらえないぞ。
895 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 11:04:36
>894
当時5月が不吉な月として避ける常識があったことを論証してから
他人に披露すべき論だと思いますが。
誰でも無数の仮設について思索にふけっているでしょう。それを
全部ひとにぶちまけていたら、そりゃデムパだ何だと当然言われます。
他人の納得を前提にして語りかけない限り、嫌われますぞ。
>>894 なんでも「古代だから」「古神道だから」君達には分るまいってんじゃ、全く話しになんないよ
個人的には倍暦説もアリかなと思ってるんで太国氏の論を興味深く見たいところだけど、これではデムパ飛ばしてるのと変わらん
太国氏には論拠の示し方について一考を願う
897 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 12:14:13
記紀はフィクションなのでどうしたらいいですか
898 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 12:42:58
899 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 14:52:55
>897
なぜそのようなフィクションを作ったのか、どのような話がベースになっているかなどを
論じる必要があると思わんか?
900 :
太国:2007/02/05(月) 16:05:10
>>895 >>896 古代人は皆とは言わないが、言いにくいもほぼデムパだよ。
今の熱帯のジャングルに住む蛮族のようだと言ったら、これも言い
過ぎだろうが、そういうつもりで古代人を見ないと彼らのやり口
とは断層が埋まらず、それこそ古代劇の映画の論になってしまう。
お前さんらの主張じゃぁ仮説も建てられないな。こういうんじゃぁ
ないのかと反問の感じで説明してるんだから、そうじゃないと
いうなら、単にデムパだとかでなく資料、根拠を持ってきて、ここ
が違うじゃないかと反論してくれよ。ただデムパだと言って反抗し
たって、そんなのは反論にはならんぞ。
901 :
太国:2007/02/05(月) 16:13:58
>>895 >>896 お前さんらの答弁は、議論せずに逃げてやると言ってるわけで、
まるでちょっと前の大臣の話がどうのこうので審議に応じないと
言い張っているのと同様であり、反論を恣意的に避けて否定して
不出席したいと言っているにすぎない。それほど言うんなら、
余の書きこみを見なければいいことで、それですむ。
熱帯のジャングルは暑いし迷信の温床だから、デムパ族と会わず
日本にいればいいことであろうがね?w
902 :
太国:2007/02/05(月) 16:30:55
>>895 >>896 披露するには時間がかかるし、こっちの肉体が疲労する。とりわけ昨晩
は遅く眠いし、その状態で全部書きこめったって無理千万だよ。
それに多少説明もしてるが、君らも見のがしてるんだろう?その点は
わからんわけでもない。まず紀の神武の即位〜崩御の記述をみよう。
【紀の神武の即位〜崩御までの月数統計表】
1月 2 5月 0 9月 0
2月 2 6月 0 10月 0
3月 1 7月 0 11月 0
4月 1 8月 0 12月 0
これを見ると5月以降は全く記述がない。五瀬命が5月に戦死して、
神武は相当ショックだったようで、高天原の五月蝿なすをも嫌い
5月以降を 空白 □ 不使用tしたと考えている。日に向かって勝ち
をえず、日を背にして戦闘する縁起担ぎをしているのもそんなところか。
4ヶ月だと3倍暦が出来うる。崩御直後か?通常暦をしているようだ。
903 :
太国:2007/02/05(月) 20:09:49
>>895 >>896 >>902表から見て、ちょっと数が少ないので断定とは言い難いが、
5月以降が全くないことから、まず神武統治の間は1年が4ヶ月の
3倍暦を使用していたようである。そうでないなら1個位は5月以降
の記事があって然りだと思う。
だいたい『兄』の字だが、形は「□」と「ル」で出来ており、ルを
□内にいれれば『四』の文字ななり、なおさら四月までだの感を深く
する。神武の皇兄は四月に矢傷を負い、五月にこれで戦死している。
話は変わり、神武崩御後はどうかと考えれば、5月以降の月数が
とたんに現れ出る。葬儀が9月であり、3倍暦そのままなら3回目の
1年(←4ヶ月分)の1月になる。次いでその3年後の綏が兄の
神八井耳命とともに手研耳命を討ったのが11月であり、神武崩御直後
からどうやら通常暦に戻したと見える。というのは、神武の即位前
はいつのころからか不明だが、通常暦をやっており、これは即位前
3年の紀の記述が各月ほぼ出揃っていることから見てとれる。
兄の神八井耳命の協力から、譲られて綏は即位したので、即位日
は八日としたのだ。ところがこの天皇世だけ欠史八代の間で5月
の記述があり、紀の記述で猫の額の如く記載の少ない5月があること
から、空白月は無かったであろうで、綏の時代は通常暦と
観ている。『兄』字下の「ル」は『八』に非常に似ており、このへん
の漢字の造りはなんらかの太古の思惑が見て取れ、ぬぐい切れない。
誰か、日本書紀で
雄略天皇以前の天皇で
ひと月が15日以降が出てくる天皇って
どれどれの天皇ですか?
たしか、神武、欠史八代、崇神、垂仁は出てくると思うんですけど
それ以外も知りたいです。
905 :
太国:2007/02/05(月) 22:52:41
>>904 紀において
欠史八代は15日以降の記述はありません。
ただし孝安即位は 1/27 とありますが、別本では 1/7 であって
後者が正解と観ます。すなわち全部1日〜14日の2週間に収まり
ます。
15日以降ならば、景行以降は殆どの天皇で少ない傾向がありますが
記述自体はあります。無いのは成務のみです。
下旬に絞りますと、極めて少なくなる傾向があります。
906 :
太国:2007/02/05(月) 23:41:31
>>895 >>896 >>904 【欠史八代間の立太子、即位、立后、崩御、葬儀の日数統計表】
1日 4 15日 0
2日 2 16日 0
3日 3 17日 0
4日 1 18日 0
5日 3 19日 0
6日 3 20日 0
7日 2 21日 0
8日 3 22日 0
9日 4 23日 0
10日 1 24日 0
11日 3 25日 0
12日 4 26日 0
13日 2 27日 0
14日 7 28日 0
29日 0
30日 0
差し出がましい事言うけど、太国さん、トリ付けないの?
>>905 なるほど。
欠史八代は14日までで全部、収まるんですね。
では、それ以外はどうなんですか?
雄略天皇以前の天皇はどうなんですか?
自分は雄略天皇以前は二倍年暦だったんだと思うんですけど
でも、記紀に14日以降が出てくるということは、
その天皇の箇所で意図的な改竄があったと思っているんですけどね。
909 :
太国:2007/02/06(火) 08:14:36
>>908 意図的な改竄と言うより、何か特殊な状況の場合月後半の日をあて
たりしていたというのが真だと思う。たとえば繼體世も2倍暦で
以下のとおり
【紀の繼體世の日数統計表】
1日 3 15日 0
2日 0 16日 0
3日 2 17日 0
4日 2 18日 0
5日 3 19日 0
6日 1 20日 0
7日 2 21日 0
8日 1 22日 0
9日 2 23日 0
10日 1 24日 1←即位直前(1/24)先帝武烈の通常暦記録
11日 1 25日 0
12日 0 26日 1←武寧王の子の死で百済暦の日の記載
13日 1 27日 0
14日 2 28日 0
29日 0
30日 0
2/4即位で、即位直前の1/24は、大迹王が楠葉宮へ行った記述。
910 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 08:22:08
>>908 >>909 月後半の記事は、現今の午後1時が13時でも同等であるように
2通りある如く、必ずしもというものでもないが、当時は月前半の
記事を、月後半の数字で表していたんではないかということです。
江戸時代も1刻は2時間分で、2分の1相当です。
911 :
太国:2007/02/06(火) 08:22:59
912 :
太国:2007/02/06(火) 08:24:22
914 :
太国:2007/02/06(火) 10:51:34
>>913 繼體の時代は2倍暦ですよ。
>>909の表を見れば、特殊な記述は
他の係わりあいだということが知れて、純粋なのは1日〜14日に全て
数字が収まってしまいます。つまり当時は1ヶ月が14日間で、2倍暦
を行使していたということです。
太国よ、ここで色々、書き込むんじゃなくて
自分でサイトなりブログなり作って、
そこで主張すれ!
ここで、またがきで書かれても
まとまりが悪くて分からん。
>>914 でさ、おまえは、日本はいついつに
暦が変わったと踏んでいるわく?
もし暦が変わったんなら変わったで、その理由があるはずだよなぁ
そういう大切な事がなぜに伝わってないんだろ?
暦の変更は祭事なんかには重要な出来事になるはずなんだが
中国でも、最初のほうは
百歳を超えるのがザラなんだよな。
周代の最初のほうまでは。
918 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 13:19:37
919 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:16:34
聖書はアダムから始まって人の生命が
1000歳くらいの時代(24倍年暦?)
500歳くらいの時代(12倍年暦?)
100歳くらいの時代(2倍年暦)
50歳くらいの時代(普通暦)
920 :
太国:2007/02/06(火) 15:45:19
>>915 それは神武即位にて通常暦から3倍暦へ移行したことは間違いない
だろうと思っている。即位直前のころは通常暦だということは
即位前3年の記事がほぼ全月に渡ってあるし、日数もまぁ下旬まで
あるところをみると、疑いないだろう。
だが、即位以前、もっともっとそれ以上の太古では高数字の倍暦が
用いられていたかも知れない。
神武即位後は3倍暦となり、次いで綏世で通常暦に戻し、3代
4代目では2倍暦に変更しているようである。コヨミは「古黄泉」
であり、黄泉の国の段でのイザナギ、イザナミの 1500:1000 の
比率を重視した朝廷側が 3:2 の暦法を使用したのであろう。
コヨミとは数的に 9・4・3 であり、欠史八代間の3代4代
9代では2倍暦を扱う示唆なのである。
921 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 18:14:54
記紀はフィクションなので暦もフィクションを用意しないとあきまへん
922 :
太国:2007/02/06(火) 18:17:30
>>921 それは津田病に感染した君の脳内のフィクション。w
天照大御神=卑弥呼です。
太陽神が洋の東西を問わず、男神というのは常識です。
日本の場合は日を祭る巫女が投影されて女神となったと
考えられています。もともとの太陽神は天照大神。
ちなみに三種の神器の天照大御神を象徴する鏡は銅鏡ですよね。
対する剣は鉄剣ですよね?
つまり青銅器と鉄器の混在する時代に作られた神話ではないでしょうか?
とすれば、時代的に卑弥呼と同時代といえるのでは?
どうでしょう?
924 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 18:30:28
>923
有名人をなんでも「=」で結ぶなんて非学問もはなはだしい。
太国は阿呆。
古代がある時期は二倍年暦だったのは認める。
ただ、太国みたいに、暦がころころ変わりまくる説に関しては
おもいいきり胡散臭さを感じるんだよ。
なぜ、そのようにするか説明しなきゃいけない。
926 :
太国:2007/02/06(火) 20:00:58
>>925 繼體世(
>>909表)は、純粋の意味での記述は月前半(1日〜14日)
になっていることから、同世が2倍暦でやっていたことは
間違いないだろう。
しかし時代を遡って5代に遣えたタケウチノギネスの寿命は、2倍暦
でもまだまだ143歳であり、到底生存出来うる寿命ではない。だから
ここの5代(及び神功世)は(例外を除き)3倍暦をやっていたと
しか考えられない。繼體が2倍でここの5代等が3倍ということは、
時代により倍暦を変えていたということを物語っているのだ。拙者は
タケウチは111歳と計上している。5代に遣えた事から妥当な寿命
であると考えている。
君が単純に2倍暦のみ、あるいは単純に3倍暦のみでの考えで、矛盾
なく説明ができるならば聴きたいものだ。この考えではまず説明は
出来ないと覚える。
927 :
太国:2007/02/06(火) 20:24:17
>>923 卑弥呼≠天照大御神
卑弥呼は神功皇后のころの4世紀相当の人物であり、天照大御神は
神武以前の西紀前の時代の超ミス・ユニバース級の美女であり、両者
は時代が異なり、別人なのである。
>>927 卑弥呼=神功皇后=天照大御神だよw
古代の支配層でさらに女性だよ
そんなに強い女ばっかりいないって。
卑弥呼は職制名だから
卑弥呼A+卑弥呼B(豊与・壱与)で=神功皇后の
可能性はあるでしょ?
トヨタン・・・
イヨタン・・・
931 :
太国:2007/02/06(火) 20:48:48
>>928 フフンww 卑弥呼は飛鳥美人絵の感じの女性でアマテラスよりも
太ってるよ。神功も卑弥呼と似て飛鳥さん似だが、3者は別人。
>>926 太国氏
月の前半に出来事が集中して記録されている件には目から鱗でした。
ところで、武内宿禰に関して、300歳以上の寿命を生きたという
伝説は、個人的には諸説あって当然なのでどちらでもいいの
ですが、太国氏の主張では2倍や3倍歴が使用されたからという
証拠になる訳ですね。
ちなみに、南朝系の後裔の竹内宿禰と自称される方がいるのですが、
この人の口傳での知識によると、宿禰自体が襲名であってあれは
やはりそんなに長く生きた人では無く、五世までの襲名が本当で
あるとなっていました。
933 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:58:10
また人大杉かよっ!www
太国、頼むからいいかげんにしてくれ。www
934 :
太国:2007/02/06(火) 21:12:56
>>932 シドニー浜さん
お読みになっておられましたか。まぁいろいろと考え方の違いが
あろうかと存知ますが参考にして下さい。
あちらのスレもたびたび見させて頂いています。回答も読ませて
もらっております。
そうですか、あちらの武内派の方はそういう説でございますか?
今後ともアドバイス方よろしく願います。またあちらにふさわしい
書きこみ内容ありましたら、その折書きこみさせてもらいます。
まことに有難うございます。
>>934 太国氏
うわ、そんなにかしこまらないで下さいよ。
こっちは全然若輩者だと思いますので。
そういえば、この南朝の竹内(ママ)宿禰氏も太占を
使うらしくて、それでそういうことがあったとか
無かったとかって述べている部分が書籍に出て
来るんですよ。
それでさっきの続きですが、五代目の後の六代目の
武内宿禰は、允恭天皇だとも書いてありました。
確かに雄朝津間稚子宿禰尊という名前もあるので、
そうなのかもしれません。
しかし、磯原の竹内文献ならやはり武内宿禰は、
超高齢大臣徒いう事になるんですよね。これが。
>>935氏
そのウィキの情報はとても参考になりました。
大臣職には宿禰という称号が与えられていたという
伝承が正しいなら、そのまま数代継承しているという説は
有力ではあるんですよね。
ただ、その長寿の伝承もなかなか根強い伝承なので、
いつ発生したのか探らないと自分はこれが怪しいとも
思えないのです。
朗報!!!
創作板だと妄想しても妄想だけでは誰も文句言わないんだって
すげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげーすげー
939 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 00:19:31
神武天皇は、紀元前1世紀頃の人物。
畿内本家が断絶したので、九州の分家だった神武が
入り婿で迎えられることになったのだが
当然、それ以外の一族との戦いになったというのが真相。
物部氏の先祖のほうが、神武よりも本家に近かったので、
有力だったのだが、それを押しのけて家督を継いだので、
畿内王家の求心力が弱まり、戦国時代に突入した。
940 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 00:22:25
もうちょっと後の時代じゃない?
紀元前1世紀は天照やニニギでしょ。
941 :
九州王朝大好き:2007/02/14(水) 01:13:07
神武は4世紀末、九州統一があった頃。
942 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 02:55:27
ホツマツタヱって伝承のほうが記紀より神武天皇当時の正確なことが分かるよ。
記紀の原典とも言われるだけのことはあって、情報量が倍以上あるんだよね。
記紀はホツマツタヱから、外交上優位に立てそうな情報だけ抜粋して翻訳してあるから、
書き写し間違いや明らかな誤訳などの痕跡もちらほらと目立つ。
ホツマツタヱによると、
神武天皇の当時、本州と九州に二つの朝廷があったことになっている。
天照大神が存命だったのは紀元前の弥生時代の可能性が濃厚。
その当時のことを、ホツマツタヱと記紀を照らし合わせて読みながら謎解きしたサイトが幾つかある。
ここのサイトなどは、分かりやすいかもね。
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/
943 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 04:27:35
944 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 07:58:29
ホツマツタヱの最古の写本は何年のもの?
また成立年代は?
それらの根拠は何?
同じ事は記紀にもいえそう。
946 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 10:06:09
ホツマツタヱが江戸時代に発見されたとか嘘だろ?
江戸時代に発見された事にしてるだけで、戦後捏造しただけだろ?
947 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 10:28:40
>>928 古代日本は母系社会。
強い女だらけですが、
>>947 その説は間違いだ。世界の人類学上は。
日本が母系継承を行うようになったのは
要するに家制度という概念が誕生したから。
実は、これは欧州の母系継承を一部、認めていた国にも
共通していること。
949 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:07:11
ヲシテ文献の存在は、平安時代の後期に成立した辞典でも指摘されてるよ。
その中には、天照大神が編纂したフトマニという占いと和歌に関する文献も含まれてるらしいね。
ヲシテは非常に古臭い印象を受ける文字で、ア ウ ヱ の母音に相当する字形は、
縄文時代に造ったかと思うような、イワクラに残るペトログリフにもはっきり認められるものだね。
そして、三角形のウの字に蛇(蛇は日本では神様を意味することが多い)の線描を加える、
重ね文字のペトログリフなども、ちゃんとイワクラに残っていたりするから、
ヲシテの重ね文字の作字システムは、イワクラ建造時代からの発想の産物と思われるんだよね。
あの手のペトログリフは、後世の子供の落書きにしては、
分布が広範囲で、パターンが一定していて、普遍性が認められる。
神代文字捏造家の仕業なら、もっと大々的にやってる筈だと思うけど、どうも中途半端。
非常に原始的かつ普遍的ってところからして、本物臭いんだよね。
まあ、ペトログリフは後世書いちゃったり破壊する人もいるから、
物的証拠と言い切るのが難しい部分もあるんだけどね。
それから、ヲシテという文字は、古臭い字形を使いながらも、文字セットの構成が中途半端で、
長期間使いこなされた文字体系ではない、にわか作りの印象があるんだよね。
つまり、別の文字セットの体系が先行して存在していて、
神武天皇がホツマツタヱを編纂するように勅命を出した時点で、
あわてて作って、別の書物から書き写しながら編纂していった可能性が指摘されている。
古墳や土器にヲシテという文字が使われた痕跡が一切ないから、
正直、当時の具体的なことを知る手立てが、ほとんどないんだけどね。
950 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:12:47
ヲシテという文字を使った文献は、平安後期には存在していた可能性が高いわけだけど、
ホツマツタヱ自身が平安時代から存在したかは、今となっては確認不能かもしれない。
ただ、記紀より倍近い伝承内容が、けっこうしっかりしていて、
記紀の原典として使われたことは、まず間違いない印象なんだよね。
記紀に漢訳する過程で、誤訳が起こったり、
変に内容を削って意味が通じなくなっている部分もあって、
原典のホツマツタヱでは正確に読めたりするから、翻訳して書き写した印象が強いんだよね。
記紀では和歌の意味を勘違いして、間違った解釈で間違った位置に配置されているものが、
ホツマツタヱでは、ちゃんと正しい位置に記されていたりするケースも見つかっている。
となると、どう見ても、記紀よりはるかに和歌に対する見識が深かった
優秀な人物が書いていることになる。
日本書紀の漢訳を担当した中国人は、和歌がまともに読めてなかった可能性もあるけど、
隣には日本人がいたはずだから、単純な読み間違いは起こりにくいと思う。
たとえば、ヤエという言葉がスサノヲを指すと分かる人は少ないと思う。
ホツマツタヱの編纂者はちゃんと理解しているのに、
記紀の編纂者は、こういった部分がアウトだったみたいなんだよね。
951 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:13:54
それから、書き手の意図や思考のパターンを読んでいくと、
ホツマツタエを後世に作ったにしては、辻褄合わせが出来ていない部分があったりする。
たとえば、日前神宮に触れている伝承部分などについてもこれは言える。
後世の創作ならば、思兼尊と和歌姫が新婚時代に造った宮と書いておいたほうが、
神社の縁起に関する伝承との間で、うまく辻褄を合わせて信憑性を出しやすい。
ところが、天照大神の中宮ムカツ姫が一時的に滞在した宮と説明されている。
もちろんこれでは、一見すると事実と一致しないから、話がおかしい事になる。
ムカツ姫は神社に祭られるときは瀬織津姫という名前でけっこう有名なんだけど、
彼女のために建てられたはずの日前神宮には、なぜかその名前が見当たらない。
じゃあ、ホツマツタヱの伝承は嘘じゃないかって思うのは短絡的すぎる。
ムカツ姫はほんの一時紀州に滞在しただけで、すぐに宮中に戻ってしまっている。
和歌姫と思兼尊夫妻が現地に滞在した期間のほうが、ずっと長かった可能性を考えると、
何とかようやく辻褄が合ってくることになる。
しかし、そういった辻褄合わせの説明を、ホツマツタヱは一切試みていないんだよね。
つまり、ホツマツタヱの伝承のほうが先にあって、
神社に祀られる神は後から決まったような印象すらあるんだよね。
神社の縁起をどう言い伝えるかも、ホツマツタヱが詠まれた後で決められたとなると、
後世の捏造とはとても考えられなくなってくる。
ホツマツタヱ頑張れ!
どう頑張ったらいいですか?
学会に打って出ればいいんだってさ。
書籍の分際ですので、足でも生えない限り無理です。