天皇の先祖はどこから来たの?

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1浅見真規
まさか天から降臨したなんて本気で信じてませんよね。
(ただし、キチガイウヨは除く)

日本列島先住民の縄文系じゃないですよね。
と言って朝鮮人とも違うようだし。

で、古事記「因幡の白兎」伝説の元ネタが天皇の先祖が
揚子江経由で日本に来る途中で見たワニの話だとすればと
考えれば疑問氷解です。天孫降臨はヒマラヤ下りでしょう。
(ちなみに私は古文で「ワニ」がサメだと習ったとき
「エー?」と思いました。)

http://izumo.cool.ne.jp/masanori_asami/wani/wani_counter.html
2浅見真規:03/04/13 09:35
サメは止まると呼吸できなくなって死ぬので常に泳ぎ続け
なければならないので静止できないそうです。
また、サメは通常は海面に背ビレしか出さず背中は出さないです。
3浅見真規:03/04/13 09:36
揚子江には揚子江アリゲーターというワニがいるそうです。
4日本@名無史さん:03/04/13 09:47
天皇家の由来については様々な説がある。決定的なものは今のところない。
古代天皇家の古墳には、天皇家の由来などの
貴重な資料が眠っていると大昔からささやかれているが、
宮内庁はどういうわけか発掘調査を許可しない。
これまで何度か発掘調査は行われたが、
当たり障りのない場所(外堀など)ばかりで核心部分は今も未調査ものまま。
あまりにもかたくなに許可しないので、
「天皇家の朝鮮半島との血縁関係を隠すため」など
様々な憶測が飛び交っている。
近年、学者たちの批判を浴びて、ようやく発掘に積極的になってきてはいるものの
全部の古墳を調査し終えるまでには
なお莫大な時間がかかるだろう。
5浅見真規:03/04/13 09:58
>>4

科学的にはミトコンドリアDNAで民族的分類が可能になる場合も
あるそうです。(ミトコンドリアDNAは母系遺伝子ですけど
アキヒト氏までは母系も天皇家・藤原家の血筋でしょうからOK
でしょう。)
だから、古墳発掘(朝鮮製の副葬品が出ても朝鮮人とは断定
できませんし)よりミトコンドリアDNA分析こそ天皇家の
民族的出自解明に決定的なので学術的にもアキヒト氏の協力
が望まれると思います。
6日本@名無史さん:03/04/13 10:44
重複ですよ。

■◆最初の天皇はどうやって天皇になったか◆■
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1003669384/

神武天皇を無視した日本古代史研究に喝!
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1030710295/
7浅見真規:03/04/13 10:54
>>6

>■◆最初の天皇はどうやって天皇になったか◆■
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1003669384/


これ↑はスレ立てた1氏のハンドルネームが「天皇はどこから来た? 」な
だけでどこから来たのかあんまり議論されてないみたいですけど。
8日本@名無史さん:03/04/13 12:02
ブルマ!!!
オラ、電波が強くて書き込めねぇ!!!
9浅見真規:03/04/13 13:10
>>8

スレを立てた私が天皇ヒマラヤ起源説を前提に書いたので他説は
書き込みづらいですか。
しかし、電波と言えば古事記・日本書紀ですね。
10浅見真規:03/04/13 13:11
司馬遼太郎氏も「ワニ」はアリゲーター・クロコダイルだと
考えられていたようですね。

まろうど社HPに、次のようにあります。
http://www.warp.or.jp/~maroad/ch2.monado2.html

>ところが、司馬遼太郎は、『因幡・伯耆のみち・街道を行く27』
>(朝日学芸文庫)の中で、〈鰐=鮫〉説に疑問を投げかけている。
>「古語でのワニも、いまのワニだったのではないか」。
> 司馬は、その例として、山幸が海神の宮で結婚した豊玉姫が、
>出産の際に、「八尋(やひろ)の大鰐」に化けた(=元の姿に
>戻った)ことを挙げている。妻である豊玉姫から「見るな」と
>言われていたが、山幸がのぞいてしまう(産屋をのぞき込むのも
>ひとつの普遍的な民俗事例である)。その際の鰐は鮫では
>ありえない。角川文庫版の解説でもこの箇所は、〈鰐=鮫〉説を
>採用していない。
>松前健は『出雲神話』(講談社現代新書)の中で記紀に描かれた
>ワニに関する記述を紹介した後に「現在山陰地方でサメをワニと
>呼んでいるので、これらはサメの話だとされているが、
>川を遡ったり、産屋ではいまわったりする姿はサメとは別の
>動物のように感じられる」と控えめな表現ながらも、
>〈鰐=鮫〉説を否定している。
11日本@名無史さん:03/04/13 17:14

今の韓国のチョン民族より前に、天皇の祖先が半島に住んでたんだろ?
だったら返  せ  よ  半  島  を
チョンは月  に  で  も  移  住  し  て  ろ


12ぽちくん:03/04/13 17:46
出雲弁ではサメのことをワニと呼んでいる。
ワニのことは・・・。
あと、薩摩揚げのことを天ぷらとよんでいる。
天ぷらのことは・・・天ぷらだゴルァー!
13浅見真規:03/04/13 17:48
>>11

私は天皇の祖先は朝鮮から来たとは思ってません。
皇族の顔立ちは朝鮮人と微妙に違うような気がします。
14日本@名無史さん:03/04/13 17:55
朝鮮半島から人間が渡って来た可能性は高い。
九州に王朝を創っていてもおかしくない。
ただし、それだけとは考えにくい。
畿内にもすでに王朝があったかもしれないし、
青森にも王朝があったかもしれない。
古代天皇家と今の天皇家の血縁関係もないかもしれないし
あるかもしれない。
色んな民族が融合して日本人になったかもしれないし
そうじゃないかもしれない。
タイムマシンでも作らない限りわからない。
15日本@名無史さん:03/04/13 17:57
6 名前:日本@名無史さん :03/04/13 10:44
重複ですよ。

■◆最初の天皇はどうやって天皇になったか◆■
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1003669384/

神武天皇を無視した日本古代史研究に喝!
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1030710295/

16浅見真規:03/04/13 18:11
>>11

たしかに「古事記」と同時代に書かれた「出雲国風土記」の
「ワニ」はサメを意味すると思われます。
だから、「ワニ」という言葉は縄文系日本人の言葉で天皇家・
藤原氏は本来は別の呼び方をしていたのかもしれません。
17日本@名無史さん:03/04/13 18:20
大和豪族がどこから来たかを議論してもしょうがないだろう。
もともと大和にいた。もっと昔のはなしをしたいのか?
18浅見真規:03/04/13 18:33
>>14

>タイムマシンでも作らない限りわからない。


アキヒト氏ら皇族のDNAが入手できればわかるかもしれません。
http://www.nhk.or.jp/dna/tv/03/SceneList.html
19浅見真規:03/04/13 18:35
>>17

>もっと昔のはなしをしたいのか?

そうです。彼らがどこから日本列島に来たかという事を
知りたいのです。
20日本@名無史さん:03/04/13 18:38
だから、それは、天皇に限った話ではないだろ?
日本列島に来たときは、天皇でもなんでもない。

天皇になったときは既に縄文1万年の間にあちこちから来た人々が混血しまくりだろ?
21日本@名無史さん:03/04/13 18:44
朝鮮人なんだから、早く北の故郷へ逝ってほしいものだ。

22浅見真規:03/04/13 18:45
奈良時代の皇族・貴族はアリゲーターやクロコダイルだけでなく
サメすら見てないでしょうし、テレビも水族館もなかったですよね。
だとすれば彼らの家庭にウサギとワニ(どういう風に言っていたかは
別として)の伝承がなければ「因幡の白兎」は理解困難ですし
面白くもないですよ。
伝承があったとすれば石に似ていて少し危険でユーモラスな
揚子江アリゲーターこそ最有力でしょう。サメではああいう
話は思いつかないでしょう。静止できないし、背ビレだけで
背中を通常は見せないし。愛嬌もないし。

で、天皇家・藤原氏の家庭に揚子江アリゲーターの伝承「揚子江の
茶ウサギ」(仮称)があれば天皇家・藤原氏は揚子江から(もしくは
揚子江を経由して)日本に来た事になります。
23日本@名無史さん:03/04/13 18:49
ワニ氏スレをみてちゃんと勉強しなさい。
24浅見真規:03/04/13 18:51
>>20

>天皇になったときは既に縄文1万年の間に
>あちこちから来た人々が混血しまくりだろ?


縄文時代の終わりまではあまり人口の流入がなく、秦による
中国統一の直前くらいから日本列島に大陸や半島から流入
したんじゃないのでしょうか?それで縄文時代が終わって
弥生時代になったのだと思います。

それから意外にも対馬の島民の遺伝子を調べたら朝鮮でなく
漢民族の遺伝子が多かったとNHKの番組で言ってたように
記憶しています。
25日本@名無史さん:03/04/13 18:54
NHKは、当時の半島にも大陸にも多民族がいたことを知らない前提なので無知。
あんたも、まさか、当時の半島が一つの民族だったと思ってるのかね?
26浅見真規:03/04/13 18:56
>>23

>ワニ氏スレをみてちゃんと勉強しなさい。


どこにあるのですか?
ちなみに私の祖母は奈良県和邇の出身です。母の祖母も和邇の出身
だったと聞いてます。
27浅見真規:03/04/13 19:05
まあ、憶測を言えば古事記上巻の「因幡の白兎」で
単に「和邇(ワニ)」と言わずにわざわざ「海の和邇(ワニ)」
とあるのは古事記中巻に何度も登場する「丸邇(ワニ)氏」を
ワニ、ウサギを天皇家・藤原氏になぞらえるつもりだったのかも
しれません。

さらに憶測の憶測を言えば、丸邇(ワニ)氏は漢民族中国系豪族で
天皇に龍を日本語ではワニというと騙されて「丸邇(ワニ)氏」と
名乗らされ、「因幡の白兎」で人口自慢の漢民族系(?)豪族に
なぞらえたワニを数比べだと騙すなどコケにしているのかも
しれません。
28日本@名無史さん:03/04/13 19:06
>>26
スレッド一覧から検索を試みようとしない奴には教えない。
以降、ワニの話は、ワニスレにて。
29日本@名無史さん:03/04/13 19:07
天皇の先祖はどこから来たの?
http://ziro.no-ip.org/2ch/0109/0000042402.html
30浅見真規:03/04/13 20:39
>>28

これですか?さっき、検索したときミスで引っかからなくて失礼
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1045082861/l50
31日本@名無史さん:03/04/13 20:47
テンコロは爬虫類だったのか。
てっきりウチュウ人だと思っていたが(w
32浅見真規:03/04/13 21:01
>>31

いやいや、なぞらえてるとしても天皇の祖先はウサギになぞらえ、
丸邇氏をワニになぞらえてるのでしょう。(そりゃ、自分で作った
古事記だもの爬虫類にはなぞらえんでしょ。)
33日本@名無史さん:03/04/14 09:16
大和朝廷自体、暴力で周囲を従属させた。現代風に言えば暴力団。
その子孫を「象徴」とは笑う。
大和朝廷は、地方(特に関東、東北、出雲、九州)を征討だと言い、虐殺を重ねていた。
北海道・沖縄に至っては、天皇などただの「敵の親玉」。

少数民族を虐殺して日本列島を統一したのが天皇の先祖。
34日本@名無史さん:03/04/14 10:10
大国主がウサギ(天皇家の祖先)を助けたとしたら、後で恫喝して
国を譲らせたんなら無茶苦茶でしょう。 豊玉姫や玉依姫といった
母系が海神の娘でワニなんだから、天皇家は母系は間違いなくワニ
(をトーテムとする氏族) ウサギ(倭人)をいぢめてたワニの
氏族が天皇家。 ワニ氏族と結びついた流れ者の海賊が天皇家の
父系だろう。 
中国から蓬莱を求めてやってきたインチキ道士が神武で、
半島の食い詰め海賊の頭目が応神だろ。
35浅見真規:03/04/14 22:38
ヒマラヤ東麓の少数民族「瑶族」にもウサギがワニ (アリゲーター)を
数比べと言って騙して対岸に渡るという物語が あるようです。

http://www.page.sannet.ne.jp/k_nitta/inaba_no_shirousagi.htm

さらに、古事記の作成された時期には日本では大和の地に平城京
建設され、ヒマラヤ東麓では「大和城」と言う名の都市を首都と
する南詔国がありました。

http://www1.odn.ne.jp/~can36360/i115.htm
あまりにできすぎた偶然です。
おそらく、ヒマラヤ東麓の山岳民族は天皇と近縁なのでしょう。
36日本@名無史さん:03/04/15 00:58
田布施町
37浅見真規:03/04/15 21:43
みなさんは自然状態のサメを見た事がありますか?

海辺に住んでいても漁師以外でサメを自然状態で見たというのは
少数でしょう。
でも、アリゲーター・クロコダイルは生息地ならかなり容易に
見れるでしょう。
つまり、アリゲーター・クロコダイルは身近な存在として
童話の対象になりやすい存在なのです。
おまけにユーモラスで騙され役にピッタリににあってますし、
背中が石に似ているのでウサギが背中を踏み台に跳んで対岸に
渡るというストーリーが思いつきやすいわけです。
38 :03/04/16 09:11
応神天皇に尻尾があってうっかり挟んで天皇が怒ったって話
どこに書いてあったっけ?
39浅見真規:03/04/16 22:23
>>2の訂正

(誤)サメは止まると呼吸できなくなって死ぬので常に泳ぎ続け
なければならないので静止できないそうです。

(正)遊泳性のサメは止まると呼吸できなくなって死ぬので常に泳ぎ続け
なければならないので静止できないそうです。


海底を主たる生活域にする底生のサメは海底で静止できるそうですが
海面で静止する習性のサメはいないようです。
40日本@名無史さん:03/04/17 07:37
350 :美麗島の名無桑 :03/04/13 14:54
見浅飛曹長

 酉国陸軍飛曹長。陸軍航空隊首都防空戦闘機隊酉間基地所属。羆中尉の部下で
す。モデルは「浅見真規」氏です。「天皇はヒマラヤから来た」とアジるのが得
意技でした。どっちかと言うと「トンデモ」系の匂いが強いような。日本茶にも
前に来ましたし、歴真でも張り切っていましたね。この方は。グーデリアン氏が
「レッドパージ:浅見」と散々パロディにしていましたけど。




351 :美麗島の名無桑 :03/04/13 15:00
この投稿者は入室禁止です。(題名:アキヒト氏の家系)


投稿者:浅見真規 【投稿日:XX月XX日(X)XX時XX分XX秒】
41日本@名無史さん:03/04/17 07:45
ウヨは天皇がどこから来たかわかると困るんだYO
42日本@名無史さん:03/04/17 08:23
つまり天皇=ワニ=サメ?
43山崎渉:03/04/17 12:54
(^^)
44日本@名無史さん:03/04/17 14:18
>>42

松井=ゴジラ≠ワニ
45浅見真規:03/04/18 20:25
>>42

天皇を「因幡の白兎」の登場動物にたとえるならウサギでしょ?
でも、そんな事は今回の私の問題提起とは直接関係ありおません。
>1さん
天皇家の祖はサイヤ人らしい>>38
天皇家の祖が戦闘種族のサイヤ人であるなら>>33も頷ける


ヒマラヤ東麓って現在は何国?
天皇陛下(現人神)対ダライラマ(生き仏)?
47浅見真規:03/04/18 21:30
>>46

>ヒマラヤ東麓って現在は何国?

大部分が中国でしょう。
中世以降、日本とチベット以外では君主を宗教の教祖的存在では
なくなったのですが日本とチベットは例外でした。
発想が似てるんですね。
48日本@名無史さん:03/04/18 21:38
在日チョンの浅見真規は日本の歴史を勉強してからカキコするように。
49日本@名無史さん:03/04/18 22:40
>天皇の先祖はどこから来たの?

天皇星

50日本@名無史さん:03/04/18 22:44
うんこ
51日本@名無史さん:03/04/18 22:46
>>1

THE TABUSE CITY
52日本@名無史さん:03/04/19 01:00
馬鹿の浅見は世界の歴史を勉強してからカキコするように。
53日本@名無史さん:03/04/19 01:51
>浅見の先祖はどこから来たの?

電波星
54日本@名無史さん:03/04/19 09:56
まじめに書け
55日本@名無史さん:03/04/19 10:12
「因幡の白兎」は鮫の背中に乗ってきたウサギを天皇の先祖が助ける
話であって、天皇=ウサギと解釈するのはおかしくない?
まあよく聞く話では、「因幡の白兎」南方のポリネシア系の民話に残っ
ていて、日本人を形成する段階で南方系の民族が加わったと考えること
しかできない。
56日本@名無史さん:03/04/19 10:26
海彦・山彦も南方系民話だね。
天孫降臨は北方と南方にあった民話かな。
57浅見真規:03/04/19 10:31
>>55

ウサギを助けた大国主命は天皇の祖先ではありませんが、何か?
58浅見真規:03/04/19 10:54
>>55

南方系縄文人の祖先がポリネシア系だとしても分化したのは
1万5千年以上も前です。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/how/minatogawa.htm

太平洋岸ならその後もポリネシア系住民が時々は漂着していた
でしょうが、「因幡の白兎」として山陰地方に伝承されるはずは
ないでしょう。「白兎」は冬季に雪の降る寒冷地のウサギの保護色
です。

>>56

>海彦・山彦も南方系民話だね。

天皇の祖先が(朝鮮半島経由でなく)南方から日本にやって来た
からでしょう。
ヒマラヤ山岳民族でもミャオ(苗)族のように中国最南端の海南島
(ハワイと同緯度)にも住む民族もあります。
http://www.haikoutravel.com/index17.htm
http://www.fl.reitaku-u.ac.jp/~kanamaru/myao/
59浅見真規:03/04/19 11:02
>>55

奈良時代の皇族・藤原一族が「因幡の白兎」の「ワニ」がどういう
動物なのか理解するには「因幡の白兎」の基ネタが彼らの家庭に
伝承されてなければならないでしょう。
なぜなら、内陸の奈良に住んでいた皇族・藤原一族はアリゲーター・
クロコダイルだけでなくサメ(シャーク)も実際には見ていない
はずだからです。
尚、サメ(シャーク)は海辺に住んでいても漁師以外は滅多に
見れないはずです。
「ワニ」と言ったか否かは別として伝承がなければ理解不能です。
世代を超えた伝承があったとすれば「揚子江アリゲーターと
茶ウサギ」の話でしょう。
60日本@名無史さん:03/04/19 11:59
350 :美麗島の名無桑 :03/04/13 14:54
見浅飛曹長

 酉国陸軍飛曹長。陸軍航空隊首都防空戦闘機隊酉間基地所属。羆中尉の部下で
す。モデルは「浅見真規」氏です。「天皇はヒマラヤから来た」とアジるのが得
意技でした。どっちかと言うと「トンデモ」系の匂いが強いような。日本茶にも
前に来ましたし、歴真でも張り切っていましたね。この方は。グーデリアン氏が
「レッドパージ:浅見」と散々パロディにしていましたけど。




351 :美麗島の名無桑 :03/04/13 15:00
この投稿者は入室禁止です。(題名:アキヒト氏の家系)


投稿者:浅見真規 【投稿日:XX月XX日(X)XX時XX分XX秒】

61日本@名無史さん:03/04/19 12:12
マルチポストやめれ。どこかひとつでやれ。コピペ宣伝にすぎないのが
分かったのでばかばかしくなった。>ヒマラヤ関連

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/1001212566/l50
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/min/1012122820/l50
http://science.2ch.net/test/read.cgi/earth/1047753167/l50
62日本@名無史さん:03/04/19 12:38
ここもアサミスレみたいなのあるんだ。(w

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1036395450/l50

専用スレ作って隔離したほうがいいかもね。
63浅見真規:03/04/19 15:05
>>61

その板それぞれに違うのですが共通する部分は面倒なのでコピペしました。
それから私の掲示板にもありますのでよろしく。
http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?wani
http://www2.aaacafe.ne.jp/free/secrets/main.bbs?i0=0&refresh=1006669760
http://www80.tcup.com/8012/masanori_asami.html
64k:03/04/19 15:08
65日本@名無史さん:03/04/19 15:37
>その板それぞれに違うのですが

無関係の板にまで強引な理屈くっつけて宣伝。馬鹿じゃないの?
66浅見真規:03/04/19 15:55
記紀は歴史資料にならないというのは歴史学の通説だそうですが、
サメを見た事のない奈良時代の皇族・(大貴族)藤原氏がテレビも
水族館もないのに「因幡の白兎」を理解できたのは彼らの家庭に
その元ネタの伝承があったからでしょう。
そして世代を超えて家庭内で伝承があったとすればサメでなく
アリゲーター・クロコダイルでしょう。
つまり、「因幡の白兎」は「揚子江アリゲーターと茶ウサギ」が
元ネタの可能性が高いでしょう。
そしてそれは完全な証拠ではないとしても天皇・藤原氏の祖先が
揚子江から(揚子江を経由して)日本列島に来た事を示唆するものです。

これはいかに記紀がデタラメだらけで書かれた内容が歴史資料として
価値がなくとも、皇族・藤原氏の認識を基に推測できる事なので
言える事です。
67日本@名無史さん:03/04/19 16:01
電波ゆんゆん♪
68浅見真規:03/04/19 16:06
>>67

>電波ゆんゆん♪

って、それはね、記紀の天孫降臨神話でしょ。
ま、そういうのを載せた義務教育の歴史教科書も最近登場してる
ようですが。
69日本@名無史さん:03/04/19 16:10
>>68
いいえ、あなたが、です。
70浅見真規:03/04/19 16:26
>>69

で、あなたは天皇の先祖がどこから来たと思っておられるのですか?
71日本@名無史さん:03/04/19 16:27
>>70
あなたが馬鹿だとは思ってますが、それがなにか?
72浅見真規:03/04/19 16:28
天から降臨したと本気で思っておられるのですか?
73日本@名無史さん:03/04/19 16:31
常識でしょ
74日本@名無史さん:03/04/19 16:32
>>72
だからキミが馬鹿なのと都合の悪い質問に答えないというのは認識してますよって
言ってるでしょ?
75日本@名無史さん:03/04/19 16:32
>71
答えに窮して話をそらすんじゃネェヨ。
天皇の祖先はどこから来たのか言えよゴルァ。
76日本@名無史さん:03/04/19 16:34
>73

>常識でしょ

ついにアホウヨの願望が出ますた
77日本@名無史さん:03/04/19 16:35
77get
78日本@名無史さん:03/04/19 16:42
>>75-76
浅見が名無しでできましたな。
キミが馬鹿だとなんど言ったらわかるのかな?
79日本@名無史さん:03/04/19 16:44
はて、話をそらすといえば、天皇の顔立ちがヒマラヤ系といいながら
説明しろと言われると説明困難と答えに窮してるのが丸分かりの厨房
がいましたなあ?誰でしたっけ?
80浅見真規:03/04/19 16:49
>>78

で、あなたは天皇がどこから来たと思ってるのですか?
81日本@名無史さん:03/04/19 16:50
>>80
キミが馬鹿だと何度言わせれば気が済むのよ。
82浅見真規:03/04/19 16:52
>>79

民族を顔立ちで判断できる場合もあります。
在日韓国人なんかでも顔立ちでわかる場合も有ります。
ただ、微妙な場合にはどうやって判断するのかは説明困難です。
わかる人にはわかるし、わからない人やわかりたくない人には
わからないでしょう。
83浅見真規:03/04/19 16:55
本来はアキヒト氏のDNA分析が一番なのですが、それがない
現時点では状況証拠ともいうべきものを積み重ねるしかないですね。
84日本@名無史さん:03/04/19 16:58
昭和初期まで津軽でリンゴ農家やってた家がなんで在日なんだよ(w
85浅見真規:03/04/19 17:01
ともかく、テレビも水族館もなくアリゲーター・クロコダイル
どころかサメ(シャーク)すら見た事のない奈良時代の皇族・
貴族が「因幡の白兎」を理解するには元ネタが彼らの家庭に
伝承されていたと考えるべきですね。
そしてサメだと世代を超えて家庭で伝承されたとは考えにくい。
だから、天皇・藤原氏の祖先は揚子江アリゲーターのいる揚子江
から(or 揚子江を経由して)日本列島に来たと考えるのが
妥当だという事です。
マスコミスレにタイムリーな話が朝鮮側から上がってる。
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1050480943/331
韓国マスコミ今日のホームラン !! 49
331 名前 : Mail : 投稿日 : 03/04/19 11:45 ID : CrsL8Ltk

‘中華史観’ 高句麗見下げる… 省ごとに韓国側組織的翻訳-対応

中国は高句麗と渤海社に対する韓国の主要研究書と論文を集中翻訳していることで最近明かされた.
中国はその間高句麗と渤海を自国歴史の一部で扱ったりしたが韓国側の研究成果を組織的に翻訳する
ほどに私たちの高句麗と渤海社研究現況に関心を見せた事はなかった.

国史学界では改革開放時代に中国が韓国側の論理に対応するために本格的に韓中古代関係詞研究
に突入したことで見ている. 同時にこれから最中の古代史研究での葛藤が韓日間の古代史研究葛藤より
ずっと深刻な問題を持って来ないか憂慮している.

櫓教授は “去る一世紀の間日本学界と熾烈な論争をして来た韓国の古代史学界が 21世紀には強大国
になることが確かな中国学界と再び手に負えない喧嘩をしなければならないかも知れない”と “政府と
学界の積極的な対処が切実な時点”と言った.
http://korea.hanmir.com/ktj.cgi?url=http://news.empas.com/show.tsp/20030417n04574/
コピペ

つい2・3日前に、中国鉄道部の覆面団体の理事も務める、
シンガポール華僑の友人から面白い話を聞きました。
最近、韓国では壇君伝説を史実化するために、古朝鮮なる新造語を創って、
その領域を朝鮮半島はもちろん、遼寧省・吉林省さえ取り込む広さに
想定しています。
これだけなら、いつもの妄想癖の発動なのですが、
環渤海経済圏と古朝鮮の範囲とが微妙に重なっている事が、
中国政府に警戒感と不快感を招いているそうです。
中国には華南・長江流域・環渤海と三つの経済圏がありますが、
韓国の投資の70%が、この環渤海経済圏に集中しています。
中国にしてみれば、韓国系企業は従業員管理で問題が多い上に、
ここは元々俺たちの土地だった、と言われれば面白いわけはありません。
しかも国内に200万の朝鮮民族も抱えており、韓国の民族主義的妄想が、
自国の朝鮮民族におかしな火を点けるのではないか、と疑っているそうです。
88日本@名無史さん:03/04/19 17:20
既に民間の血が入りまくって、
明治天皇の凛々しい顔が、
皇太子にいたってはノッペリ顔にまで変化しちゃったじゃねえか。

たった100年ちょっとで顔がこんなに変化しているのに、
なぜ2000年前の話を1個人の顔で判断できるんだ?
89日本@名無史さん:03/04/19 17:24
>わかる人にはわかるし、わからない人やわかりたくない人には
>わからないでしょう。

これできみが馬鹿だということが証明されましたね。
浅見真規のロジックが狂ってることは彼のDNAにあると
考えるべきですね。
そして彼の説が受け入れられることなど考えにくい。
だから、ヒマラヤ系など知りもしないことを持ち出して
強引に理屈付けをしていると考えるのが妥当だという事です。
90浅見真規:03/04/19 17:37
>>88

顔立ちといっても民族性と関係するものもあれば無関係なものも
あります。

ただ、ノッペリした顔は渡来系のものですね。
縄文系はホリが深いですから。
ただ、現・皇太子のナルヒト氏より明治天皇がホリが深かったから
といって明治天皇に縄文系遺伝子があったとは断言できないで
しょう。
91日本@名無史さん:03/04/19 17:37
>>85
電波ゆんゆん♪
92日本@名無史さん:03/04/19 17:39
>>90
やはり馬鹿ですね。残念ながら。
93日本@名無史さん:03/04/19 17:39
だから、民間からの血が入りまくった皇太子の特殊な顔で、
天皇家の祖先を判断するなよ!!
94浅見真規:03/04/19 17:42
>>93

私はアキヒト氏のDNA分析と言ってますが、何か?
95日本@名無史さん:03/04/19 17:44
>>94
まずは高円宮承子女王の御顔を見てから発言したら?
あれが孝明天皇や明治天皇から続く天皇家の真の姿。
96浅見真規:03/04/19 17:45
皇太子のナルヒト氏にも天皇家・藤原氏の遺伝子が入ってますので
参考にはなりますけど。
97動画直リン:03/04/19 17:46
98日本@名無史さん:03/04/19 17:47
皇太子一家を除けば、ノッペリ顔がいないんだな。なので皇太子一家は例外。
この前お亡くなりになられた高円宮の映像や写真は流れまくったのでよく見ると良い。
99日本@名無史さん:03/04/19 17:49


 http://myhome.naver.com/purendo/cin.gif

おめでとうございます!!臣民としてお慶び申し上げます!!

天皇陛下マンセー!!

100浅見真規:03/04/19 17:53
ヒマラヤ系の遺伝子が入ってると思いますが。
別にチベット人だと言ってもおかしくないですが、何か?
101日本@名無史さん:03/04/19 17:54
まあまあ、まずは、高円宮ご一家の御写真でも見てから議論したら?
102浅見真規:03/04/19 18:11
顔立ちの話はどうしても主観が入るのでひとまず置いといて
テレビも水族館もなかった奈良時代の皇族・貴族はアリゲーター・
クロコダイルどころかサメ(シャーク)も見ていないはずなのに
「因幡の白兎」を理解したのは彼らの家庭に元ネタがあったから
じゃないのですか?(古事記の作者の太安万侶の古事記冒頭の
文章からも天皇家の半私的伝承の文字化が古事記だとなってます。)

で、サメだったら世代を超えた伝承にはなりにくいですよ。
遊泳性のサメは静止できないし、通常は背ビレを海面に出しても
背中は海面に出しませんから。それに天皇の祖先が海辺に住んで
いたとしてもサメは滅多に見れません。
逆に揚子江アリゲーターは生息地なら見やすかったでしょう。
ユーモラスな感じですし、石に似た背中を出してますし。
ピッタリです。
つまり、天皇・藤原氏の祖先は揚子江アリゲーターのいた地方から
(or 経由して)日本にやって来た可能性が高い事がわかります。
103日本@名無史さん:03/04/19 18:27
>>102
全部主観w
104日本@名無史さん:03/04/19 18:29
>私はアキヒト氏のDNA分析と言ってますが、何か?

いいえ、きっぱりとヒマラヤ系の顔立ちがわかるといってますね。
馬鹿ですね
105日本@名無史さん:03/04/19 18:36
〜はず
〜でしょう

憶測に使われる言い回し。
これを人は一般的に主観と表現します。
106日本@名無史さん:03/04/19 19:31
age
107日本@名無史さん:03/04/19 20:22
>>103-105
アホウヨ必死だなw
108日本@名無史さん:03/04/19 20:23
昭和初期まで津軽でリンゴ農家やってた家がなんで在日なんだよ(w
109日本@名無史さん:03/04/19 20:26
うっ
110日本@名無史さん:03/04/19 20:27
うんこ
111日本@名無史さん:03/04/19 21:19
さわやかに大室寅之祐が明治天皇になったと言える7
112日本@名無史さん:03/04/19 22:59
ウヨは天皇がどこから来たのかわからないほうがイイとおもーておるのだ。
どこから来たかわからないうちは天から来たという神話が完全否定されないからなのだ。
113日本@名無史さん:03/04/19 23:01
天皇なんかどうでもいい。
DNA分析の結果、縄文人と朝鮮人との近縁性が指摘されているのに、
なぜ日韓のマスコミは触れようとしない? 特に朝日。
ゆかり発言より、よっぽど距離感を縮められると思うが。

http://homepage.mac.com/azsyano/Personal10.html
114日本@名無史さん:03/04/19 23:15
>>107
やはり馬鹿ですね
115山崎渉:03/04/20 01:43
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
116日本@名無史さん:03/04/20 03:47
↓の感想ここでよろしく>all

http://science.2ch.net/test/read.cgi/earth/1013652241/l50
特に208

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/1033010065/l50
特に154-156のテンプレおよび過去ログ。
117日本@名無史さん:03/04/20 10:19
>>113

そりゃ、同じモンゴロイドだもの似てる部分もあるワナ。
118日本@名無史さん:03/04/20 10:54
縄文人は現代日本人と同じくらい多様だったってことだろ。
なぜマスコミは、朝鮮人に侵略されて混血したという説ばかりをたれ流すのか。
119日本@名無史さん:03/04/20 12:05
>>116
■■浅見真規にレスを返される方へ警告■■
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/1033010065/l50

テンプレ更新の際はここも入れるべき?

120日本@名無史さん:03/04/20 13:01
>なぜマスコミは、朝鮮人に侵略されて混血したという説ばかりをたれ流すのか。


そんなのあったっけ?
121日本@名無史さん:03/04/20 14:02
>テレビも水族館もなかった奈良時代の皇族・貴族はアリゲーター・
>クロコダイルどころかサメ(シャーク)も見ていないはずなのに


食用にはなるがな。
日本書紀には「サメナマス」という酢の物のようなものの記述があり、また、伊勢神宮には
サメの干物を「奈良時代」に天皇へ献上した記録もある。
122浅見真規:03/04/20 15:40
>>121

切り身・干物ではサメの全体像も生態もわからないでしょう。
123浅見真規:03/04/20 15:51
「古事記」は古事記の冒頭で作者の太安万侶が言うように
天皇家の(半私的な)伝承を文章化したものですから
「因幡の白兎」でウサギが危険でユーモラスな水生生物を
騙す話は、天皇家に童話として伝承されたものでしょう。
つまり、一時期天皇の祖先はその危険でユーモラスな水生生物を
身近に感じる生活をしていたはずです。
しかし、天皇の祖先がサメを身近で見たとすればおそらく日本への
渡来の途中であり、サメは非常に危険な存在で童話でのユーモラス
な役割にはならなかったでしょう。
だとすれば、揚子江アリゲーターの方が静止して石に似た背中を
水面に出し身近に見れたはずなので、ああいうストーリーも
思いつきやすく、受けやすいと思います。
サメでああいうストーリーの実感が沸きますか?
あなた方も無意識で頭の中での状況はアリゲーター・クロコダイル
に置き換えてるんじゃないですか?古文の試験の時だけサメという
ことにして。
124日本@名無史さん:03/04/20 17:00
白兎が寒冷地にいる種だからとか言ってるやつ、白兎が縁起がいいからに決ま
ってるだろ。白い馬に乗ってる方が正義の味方と見るような概念があるだろ。
それから「海彦・山彦」と「因幡の白兎」を混同してるやつは問題外ですね。
それから、大国主命は一応、スサノウの子孫だから天皇家と同族ですよ。
125日本@名無史さん:03/04/20 17:44
騎馬民族。扶余族。靺鞨族。
チョ−セン半島からきますた。
127日本@名無史さん:03/04/20 19:00
>あなた方も無意識で頭の中での状況はアリゲーター・クロコダイル
>に置き換えてるんじゃないですか?

ずばりあなただけです。
128浅見真規:03/04/20 20:05
私は初めからアリゲーター・クロコダイルのままですが、何か?
129日本@名無史さん:03/04/20 20:14
浅見はですね、チベットはカルトに支配されていた国だったので
人民解放軍による解放という名の侵略は良かったのだと断じています。
したがって天皇がヒマラヤ・チベットであれば同じようにカルトだから
中国に討伐されるのは正しいと思い込んでいるわけです。(カルトという単語がずいぶん好きなようです。)
浅見は中国マンセー、中国様絶対善、の中国カルトであるからして、
天皇が邪魔でしょうがないのですな。だから中国に併合して中国人になるために
天皇を排除するためにせっせと理論武装に努めておるのです。

これは一種の宗教で信仰ですから、そっと見守ってやりましょうや。

ネットでしつこく自己主張→一般人( ´_ゝ`) フーン だから?
ネットに飽き足らずリアルで暴れ出す→祭りワショーイ

で、二通り考えられますが、そのうち飽きて上に収束するでしょ。
130日本@名無史さん:03/04/20 20:23
>>129
(誤)飽きて上に収束するでしょ。
(正)飽きてやめるでしょ。そして別のネタでクソスレあげ再開

浅見風に訂正してみますた。(藁
131日本@名無史さん:03/04/20 20:51
( ´_ゝ`) フーン 
132日本@名無史さん:03/04/20 20:57
 
133日本@名無史さん:03/04/20 21:10
それで結局のとこ天皇の先祖はどこから来たのよ?
134日本@名無史さん:03/04/20 21:12
おせーて
135日本@名無史さん:03/04/20 21:17
日本人は、朝鮮人(天皇家)を日本人の象徴として崇め奉っていますが、
この「喜劇」はいつまで続くのでしょうか?
136日本@名無史さん:03/04/20 22:15
>>132-135
合同大会に出席したまえ。
137日本@名無史さん:03/04/20 22:32
朝鮮人かヒマラヤ人かそれが問題だ。
138日本@名無史さん:03/04/20 22:36

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★


以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
139日本@名無史さん:03/04/20 22:59
>>1
そもそも日本人は何処から来たのかね?
北京原人とジャワ原人の混血が基だろ。ok
140日本@名無史さん:03/04/21 00:26
朝鮮も日本も、華僑が作った国。DQN・・・じゃねぇ、DNAが似ていて当たり前。
141日本@名無史さん:03/04/21 01:40
つうか、いろいろ混ざってるんだから、どこから来たみたいなのが
おかしいと思う。
142日本@名無史さん:03/04/21 07:57
おっはー
143 :03/04/21 08:59
とりあえず、在日は出ていってほしいね。
うんざりしてきたわ。
144衣笠宮:03/04/21 09:12
因幡白兎伝説検証

登場人物
うさぎ →天つ神=天孫族〔渡来勢力〕 :上海ワニを知っている人達。
わに  →軍団〔船団?〕を持っている :天孫族に自慢出来る大勢力。
大国主命→国つ神〔現住勢力〕    :息子の代に天孫族に降伏する。

あらすじ
天孫族が、わにの協力を得て(だまして?)、日本に渡って来たが、
到着後は、(わにの離反にも合い)疲弊して、国つ神に助けてもらった。
145日本@名無史さん:03/04/21 10:09
>144

そういう解釈もあるようだけど、実はカモフラージュのうそだったりして
146bloom:03/04/21 10:16
147日本@名無史さん:03/04/21 13:03
サメのことを昔は、ワニと言ったんじゃないのか?
南島雑話
148日本@名無史さん:03/04/21 14:08
>147

>サメのことを昔は、ワニと言ったんじゃないのか?
>南島雑話


奄美の南島雑話では本物のワニが時々流れ着くってなってるみたいだ
http://www.minaminippon.co.jp/bunka/nantou/0705.htm
149日本@名無史さん:03/04/21 14:16
鳥取は奄美大島よりずっと北で日本海だけん
そげなもん流れ着かんわな。
150衣笠宮:03/04/21 15:24
>>149 鳥取は奄美大島よりずっと北で日本海だけん
そげなもん流れ着かんわな。

因幡が鳥取県のことと限定して考えない方が良いかも。
単純に、国つ神〔先住勢力〕の支配していた土地と考えれば良いのでは。
また、本当にワニが、海に並んだと考えない方が良いのでは。
あくまで、比喩だと思いますよ。   
151日本@名無史さん:03/04/21 15:40
出雲とか あの辺りでは 鮫(サメ)のことをワニと言うって
方言の本でみたことがある。  だからサメが並んでて その上を
ウサギが跳ねていったというイメージじゃないの。
152日本@名無史さん:03/04/21 16:15
1はサメは並べないと逝ってるが
153bloom:03/04/21 16:16
154日本@名無史さん:03/04/21 16:45
>また、本当にワニが、海に並んだと考えない方が良いのでは。
>あくまで、比喩だと思いますよ。   


そりゃそうだワニ
155日本@名無史さん:03/04/21 17:00

神武の東征の起点がなぜ宮崎なのか?
半島系なら福岡や佐賀でもよさそうなもの。
宮崎が選ばれた理由には、天皇家の出自が熊襲系だからではないのか?
古代、大陸との窓口は、半島に対しては博多だが、中国大陸の窓口は鹿児島県の坊津。
遣唐使の出発港であり、鑑真の上陸地でもあり、唐人「お吉」の物語でもわかるように、
中国の会稽あたりを起点に東シナ海を漂うと、潮の流れから坊津にたどり着く。
ここに稲作文化をもった長江文明の一族が流れ着き、文明を開いたその主が天皇家。
156日本@名無史さん:03/04/21 17:10

ウサギとワ二については、地域部族の争いの比喩でしょう。
「ウサギ=宇佐(九州)」「ワ二=和(大和)」
ワ二を並べたというのは大和勢力圏の国の数を表し、九州から徐々に東を目指すが、
最後にコテンパンにやられて、大国主が宇佐をなだめ争いを収めた。

というような。
157日本@名無史さん:03/04/21 18:13
>>155
えっと、古代での半島との窓口は敦賀だったような気が
出自はちょっと失念してしまった、スマソ
記紀の訳注だとは思ったんだが・・・・アメノヒボコは但馬だし
158日本@名無史さん:03/04/21 19:36
>>157
出自は日本書紀だったと思う。しかし、それは神代の話ではないから
一概に言えない。
>>156
兎と鰐の話はポリネシアに同じ話があることから伝播したと見るべきで、
深い意味はないと思います。
159日本@名無史さん:03/04/21 20:25
オイオイ、コラコラ >158
160日本@名無史さん:03/04/21 21:14
血液分析により民族の移動経路を判明する

最近、韓日医学者は両国民の白血球に付着している‘人間白血球抗原(HLA)’がどんな
種類なのかを分析し、朝鮮民族と日本民族の移動経路を追跡した。

2000年11月タイのバンコクで開かれたアジア太平洋骨髄移植学界で、カトリック医学大学の
キム・ドンウック教授と慶応大学の岡本しなちろう教授は、「両国の骨髄寄贈者17万人余りの
HLAを分析した結果、図のようにそれぞれの別のHLAを持った幾つかの群れの人々が中国
を経由して韓国と日本に定着したことが分かった」と発表した。

それぞれ異るHLAは子女に遺伝されるため、HLAの種類を分析すると民族の単一性と
移動経路が判明される。

∇どの国民が単一民族か

医学的には、韓国人、タイワン人、日本人の中で日本人が最も単一民族に近い

確率が高いほど単一民族に近く、登録者が多いほど移植される確率が高くなるため、3ヶ国の
供与登録者を12万人に換算して計算した。その結果、韓国は70%、日本は80%、タイワンは
50%だったという調査結果が出た。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828
161浅見真規:03/04/21 22:38
タイワン人というのは台湾の先住民じゃなくて漢民族移民です。
その大部分が対岸の大陸・福建省からの移民です。
162浅見真規:03/04/21 22:49
>>124

>大国主命は一応、スサノウの子孫だから天皇家と同族ですよ。


古事記に忠実に読むとそういう事になるかもしれませんけど、
無理やりスサノオとアマテラスを姉弟にしたと見る向きのほうが
多いのでは?
163一言主命:03/04/21 22:49
そりゃ朝鮮半島に決まってるがな。今上天皇が桓武帝の妃が百済出身だと宣わったぞい(平成13年1月)
164浅見真規:03/04/21 22:54
>>139

>北京原人とジャワ原人の混血が基だろ。ok


最近の研究では現在の人類はそのどちらとも無縁でアフリカで新人に
進化してから世界中に分布したとなってます。(少なくとも母系は)
165浅見真規:03/04/21 23:03
>>155

>宮崎が選ばれた理由には、天皇家の出自が熊襲系だからではないのか?


そうとは限らないのでは?
天皇系の主要な神社の所在地を見ると、その時点での天皇系の支配圏の
東南東の隅から北西に数十キロ控えた所にあるみたいです。
高千穂だけでなく、西日本制定時の伊勢神宮、そこからは縄文系も
人口密度が高く水田稲作を覚えたので東進がなかなかできなくて
少し東進して熱田神宮、そして関東まで平定して鹿島神宮
166浅見真規:03/04/21 23:08
>>163

それは百代分の一代でしょう?
167浅見真規:03/04/21 23:20
>>158

ワニのいる地方ならヒマラヤ系にウサギとワニであって
ポリネシア系はシカとワニなんじゃないですか?

ヤオ族のウサギとワニ
http://www.page.sannet.ne.jp/k_nitta/inaba_no_shirousagi.htm
だけでなくメコン側流域でも、
http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/izumo/tanabata.html#asia
>★東南アジアのイナバの白兎
> ウサギは大きな川(メコン川あたりか)の反対側に渡りたかったが、
>泳げないので渡れなかった。
>それで、ワニ(マレーガビアルあたりか)に、対岸に渡してくれたら、
>**をあげる、といって渡してもらった。
>対岸に渡ったウサギはそのまま逃げた。...といった類話が数種存在。
168日本@名無史さん:03/04/21 23:21
>宮崎が選ばれた理由には、天皇家の出自が熊襲系だからではないのか?

筑紫の日向というのを筑紫島(九州島)の日向の国と読まず、筑紫の国の日向村と嫁ば熊襲と無関係
169浅見真規:03/04/21 23:26
>>155

それに熊襲は縄文系だけど、天皇の祖先は渡来人でしょう。
170日本@名無史さん:03/04/22 00:04
熊ソが縄文系というのは名前の印象では?
じっさいに熊ソが土着系か渡来系かはなにも資料がない。
熊本県南部/鹿児島県北部は畿内と並ぶ短頭地帯であることも考えなくては
ならない。
渡来系どうしの主導権あらそいだったのかも知れない。
171日本@名無史さん:03/04/22 00:06
>>163
それを事実と考えてすら天皇の祖には関係ないw

>>169
日本への渡来ルートはいくらでもあるぞw
172日本@名無史さん:03/04/22 00:19
>165
>天皇系の主要な神社の所在地

後世に勝手に神宮にしただけ。いつの時代の話をしてるんだよ。

つーか天皇の先祖はどこから来たかって、何天皇の話をしてるんだ?
なぜ日本書紀は出雲神話を軽視している?
173日本@名無史さん:03/04/22 01:44

熊襲とは、熊族と曽族の別々の集団の総称。
曽とは後の隼人のことと思われる。
この隼人は、古事記には天皇の近習として仕え、犬の鳴き真似で仲間を集めるなど
非常に面白い文化を持ち、宮廷を警護する。
その隼人の犬真似習俗が現在まで伝わってるのが相撲の仕切とも言われる。

では熊族はどこへいったのか?
仲哀天皇が熊襲征伐に出かけるが途中で崩御。
その妻、神功皇后は応神天皇を身ごもり新羅征伐。
そして応神天皇が誕生し、九州から河内へのぼる。
その時、熊族は歴史から名を消してしまう。
さて熊族はいずこへ?

174日本@名無史さん:03/04/22 02:35
>>125
扶余にも動物の川渡り(海渡り)神話があるみたいだね。
175日本@名無史さん:03/04/22 02:42
つまりアジアに広くそういう話はあるのでどれがオリジナルとは
必ずしもいえないということ。
176日本@名無史さん:03/04/22 04:23
インド発祥じゃないの。
177日本@名無史さん:03/04/22 05:40
天皇の先祖は

中国の福建省から来て、丹後半島から日本に上陸。
その中に後の神武天皇と呼ばれる人物がいた。
178動画直リン:03/04/22 05:43
179 :03/04/22 06:12
再掲
@
魏略逸文に日本人の祖として呉の太伯と自らいったとする文がある。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/gimonfolda/gimonn08.htm
そして、これは中国の史書に数々現れる

また、高床式、神社の屋根にある千木、鰹木、鳥居等もそっちの方に起源を
もつことは間違いがない。
http://homepage2.nifty.com/raputar/kansama1-2.htm
http://akon.cool.ne.jp/torii/aka.jpg
伊勢神宮
http://inoues.net/yamataikoku/tenno/ise_jingu.html

それとGm遺伝子分布で樺太経由で入ったオリジナル日本人に
大陸から赤の要素が入っていることが推定されるが、
その起点となる赤の要素は屋久島、種子島を起点として北上する事がわかる。
これは地理的、海流的にみて中国経由と見て間違いが無い。
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg

そして、これらは、稲の伝播ルートともほぼ重なる。
http://www.athome.co.jp/academy/botany/bot_photo/bot06ph7.gif

180 :03/04/22 06:13
A
日本神話に転じて見れば、最初に天下ったホノニニギの長男は隼人となる。
アマテラス系神話は奄美諸島等に繋がる形で分布。

>>167であげていた因幡の白兎も南方神話。
ヤオ族のウサギとワニ
http://www.page.sannet.ne.jp/k_nitta/inaba_no_shirousagi.htm
だけでなくメコン側流域でも、
http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/izumo/tanabata.html#asia

言語学的痕跡からも以上のことが無矛盾。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku193.htm

そして、魏志倭人伝に見える倭人は刺青を入れた海洋民。

日本の別名は葦原「中国」です。
181日本@名無史さん:03/04/22 07:48
>>173
熊征伐と新羅征伐がワンセットになっているところがみそ。
それは「本国を討てば出先は自滅する」という戦略ではないのか?
182日本@名無史さん:03/04/22 09:15
>>160
HLAはその人間の祖先が過去にどのような病気(ウィルス)に遭遇したかを示しているだけ。
日本列島は大陸から隔絶されているから列島内で流行した病気が死に至るほどでなければ江戸時代に行われた参勤交代などで全国に広まった可能性がある。
従ってHLAでの日本人単一論は成り立たない。
183 :03/04/22 09:22
>>182
別に反論するつもりは無いが>>160は日本人単一論を言っているの
ではないのでは?
184 :03/04/22 09:26
とりあえず、一番南北に距離がある日本での結果でしょ。
それなら、「どうして、より小さな韓国、台湾などでは」という反論が
成り立つわけでね。
185bloom:03/04/22 09:32
186日本@名無史さん:03/04/22 11:05
>174

>扶余にも動物の川渡り(海渡り)神話があるみたいだね。


これかいのう。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/2611/manac3.html
>後漢書扶余伝では、東明王がスッポンの作ってくれた橋を渡る話がある。
187日本@名無史さん:03/04/22 13:38
170 173
クマソはスマソの親戚
188日本@名無史さん:03/04/22 13:39
冗談逝ってスマソ
189日本@名無史さん:03/04/22 14:54
>>179
>それとGm遺伝子分布で樺太経由で入ったオリジナル日本人に
大陸から赤の要素が入っていることが推定されるが、

悪いが、奄美以南は別ルートにしてくれ。胡散臭くてついて行けない。
限られた環境の中で、生き残るか?北周りが、中国自体古層の遺伝子が残る
訳では在るまい。 今も古層を温存する島々だけに辛いもんがある。
190 :03/04/22 15:52
>>189
奄美はGm遺伝子と関係ないよ。実際みても関係ないでしょ

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
191 :03/04/22 16:03
>>189
言い方がわるかったな、奄美は流入した赤の要素とは関係が薄いようですね。少なくともこの図では。

それから、誤解があるとなんだけど日本人が中国人だとか、天皇が
中国人だとか言っているわけではないからね。そのようにも読めるとは
おもうけどさ
192日本@名無史さん:03/04/22 16:08
>190
安心したよ。いまだに、ハヤトの祭りをやる所なんでな。
中国にビビッタ、北方系論には付き合えない。
193日本@名無史さん:03/04/22 22:24
age
194日本@名無史さん:03/04/23 00:05
天皇は扶余系。
天皇家が本家で百済が分家。
当時の支配階級の風俗を表した、千葉の古墳から出る埴輪を見よ。
これが北方系でなくてどこか。
別に中国にびびっているわけではない。
扶余は中国の敵対勢力だからね。
195日本@名無史さん:03/04/23 08:03
>>194
言っている意味が良く分かりません。どうして天皇家が本家で
百済が分家なのですか?
夫余族は日本から半島に派生したのですか?w
196金正日:03/04/23 08:04
   ,rn                 
  r「l l h.                / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | 、. !j                | 
  ゝ .f         _      |  
  |  |       ,r'⌒  ⌒ヽ、.  │  http://www.nuryou.gasuki.com/hangul/index.html
  ,」  L_     f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ. │   こんなのあったニダ
 ヾー‐' |     ゞ‐=H:=‐fー)r、)  | 
  |   じ、     ゙iー'・・ー' i.トソ   | 
  \    \.     l ; r==i; ,; |'  .人_ 
   \   ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
     \  ノ ハヽ  |_/oヽ__/     /\
      \  /    /        /  |.  
        y'    /o     O  ,l    |
197日本@名無史さん:03/04/23 08:44
>>195
本家が日本に建国し、分家が百済に建国した。
もとは朝鮮半島、あるいはそれ経由だが上記の二つが同時進行した、
という考え方。
198日本@名無史さん:03/04/23 10:29

皇祖神が天照大神で太陽神で暦を司り、それを奉る伊勢神宮の内宮。
外宮には食物の守護神、豊受大神。
天皇家では新嘗祭、大嘗祭が行われる。
これは明らかに農耕民族の習俗。
大陸遊牧系の夫余族ではありえない。

199>>197:03/04/23 16:32
百済王家が、中国皇帝に倭の支配権を主張したことが一度も
ない事実が、全てを物語っていると思うんだけどね。>倭=本家
200 :03/04/23 16:51
扶余系文化には明らかに南方からの影響が反映している。
つまり、ポリネシア、ミクロネシアとの関係を覗わせる文化圏だった。
現在、朝鮮半島における扶余系文化はほぼ完全に消失し、唯一日本に名残をとどめるばかりとなった訳だが、
かつては百済、高句麗には扶余文化の影響が多大であり、新羅の文化とは異質な社会だった。
201日本@名無史さん:03/04/23 17:51
>>194
滅び去った騎馬民族説にまだ未練があるのか?
それなら、本家の天皇家がなぜ再び半島に出兵して、百済を制圧する必要があったのか、
説明がつかんだろ。
江上は、「百済・新羅の建国で、辰王家(天皇家)の支配領域が任那に限定され、背後
の安全を固めるために日本列島に侵攻し、国力を増強して、再び半島に進撃した」と
主張していたが、辰王家が百済王家としてその後も存続していた事実が発覚すると、
「百済に分家を残して本家が日本に侵攻した」と自説を転換。それなら百済最侵攻の説明
がつかなくなる。この時点で終わってるんだよ。
202日本@名無史さん:03/04/23 18:05
扶余はどうみても北方系だよ。
百済の支配層は扶余だけど被支配層は南方系、
百済は少なくとも二民族の混合国家だったことを
ふまえて話をしないとだめ。
203日本@名無史さん:03/04/23 18:08
漢書や後漢書をみると高句麗よりもっと北に国をつくってたのは
明らかだし、習俗からいっても扶余は北方系
204日本@名無史さん:03/04/23 18:11
あ そうそう漢書とか後漢書をみると高句麗が勃興する前、
新羅も百済も影も形も無いころから、扶余と倭人は国家を
作ってたのがはっきりしてる。 
205日本@名無史さん:03/04/23 20:33
>>201
いつ日本が百済を制圧したの?

>>202
扶余が北方系であることは194ですでに言っている。
スレの題名からして支配階級(民族)の話をしているのだから
被支配民族や土着民の話を「ふまえる」必要はない。
206日本@名無史さん:03/04/23 20:43

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★


以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
207日本@名無史さん:03/04/23 21:01
>>205
だって土着民=被支配民族って倭人だったんだから、ふまえられてたんだもんw
208日本@名無史さん:03/04/24 01:04
扶余が騎馬民族だってのは江上の間違いでしょ。
人が乗って戦争に使える馬ばかりが馬じゃないぞ。
209日本@名無史さん:03/04/24 01:18
マジレスするが、今のカザフスタンの近くにあった「弓月王国」の王の血統だろ。
210日本@名無史さん:03/04/24 01:57
夫餘のルーツについては北方説と南方説があるが、
>>200の南方説が正しい。200はよく勉強してる感じだな。
場所が北の方にあるから北方系とかアホ丸出しなこと逝ってる椰子は
ウリナラ電波の影響うけた本でも読んでんだろう。
211日本@名無史さん:03/04/24 01:59
>>209
それは秦氏。天皇家ではない。
212日本@名無史さん:03/04/24 02:12
>>210
んじゃ扶余南方説で ちょっと大きな本屋にいけば買えるような
本で良いのがある? 読んでみたいので教えてけろ。
213日本@名無史さん:03/04/24 02:15
てか 200=210じゃないんかい(w
214日本@名無史さん:03/04/24 10:51
でも202の、支配層と被支配層は別民族というのは良い視点。
つーか古今東西、単一民族だった所なんて数えるほどしかないだろう。
日本はとくに入り乱れている地域だが、九州王朝とか出雲王朝とか言ってても
その事はあまり考慮されていない気がする。
日本人単一民族幻想は戦後になってから広まった。
215日本@名無史さん:03/04/24 14:34
>>208
その通り。
天皇家=扶余族説のすじがき上、扶余が遊牧騎馬民族である必要はない。
「倭人に先んじて騎馬戦術を獲得した征服民族」
ということでよいのだ。
216日本@名無史さん:03/04/24 16:03
>>215

天皇と騎馬戦術って、なんか関係があるの?
217日本@名無史さん:03/04/24 16:24
百済が扶余族というのも幻想だと思うけど。
確かに12世紀に書かれた三国史記にはそう書いてあるようだけど。
百済に北方の血が入ってるのは確かだろうけど、
文化をもった支配層は前漢四郡の漢族の末裔ないしは、
山東半島経由、もしくは九州経由ではいった呉の末裔だろ。

4世紀に誕生した百済が日本を作ったというのは、ありえないな。
日本が百済を建国したならまだしも。
三国史記によれば百済建国は紀元前だけど、もしそうだと、
楽浪郡・帯方郡の歴史に加え邪馬台国の歴史まで消えてしまう。
218日本@名無史さん:03/04/24 17:03
ロシアが「第三のローマ」を自称したのと似たような
デマカセだろうね>百済=扶余の後裔

そんな伝説を周囲の諸民族に強烈に印象付ける程度には
扶余が特別な集団だったのは確かだろうけど
219日本@名無史さん:03/04/24 17:22
いま新羅が東洋のローマって電波が強いけどね。
墓からローマン・グラスが出たくらいで
ローマと特別な関係にあった偉大な国家だ。
中国でも日本でも出てない、ウリナラ・マンセー!だからな。
中国さまからローマ帝国の下僕に乗り換えたんか、蝙蝠民族め
220日本@名無史さん:03/04/24 17:31
作成したホームページのアドレスは以下の通りです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~achooooo/index.html  らっっしゃい。
221日本@名無史さん:03/04/24 17:41
>>219
中国でも胡族か羌族関係で取っ手付きの杯が出てなかったっけ?
記憶違いならスマソ
222日本@名無史さん:03/04/24 18:32
>>205
好太王碑にもあるし、日本書紀にもあるし、何より、百済は王子を人質として
倭国に差し出しているだろ。分家なら説明がつかん。
223日本@名無史さん:03/04/24 19:12
アフリカからですが何か?
ってかアフリカから来てない人間なんていないでしょ。
224日本@名無史さん:03/04/24 20:47
>>221
もちろん中国でも日本でも出てるよ。 他の出土物が膨大なので目立たない
だけだし大騒ぎしてないだけ。 新羅は出土物自体が少ない田舎国家なので
目立つからDQNが大騒ぎして喜んでるというのが実態。
225日本@名無史さん:03/04/24 20:50
んで中国や日本では目立つほど出土してないというのが、
チョンの頭では中国や日本には無いとなるのを皮肉って
書いただけだよん。
226日本@名無史さん:03/04/24 21:09
>>224-225
さんくす、
なるほどそう言う事だったんでつか。
227日本@名無史さん:03/04/24 22:13
日本に人質にされてた人が持って帰ったか、
日本が派遣した人が、お土産に渡したんじゃないかな。
228日本@名無史さん:03/04/24 23:39
>>216
>天皇と騎馬戦術って、なんか関係があるの?

扶余族が倭人を征服して支配したとすればそれがすなわち天皇家だ。
天皇ははじめから宗教的支配者だったのではない。
倭の五王の上表文にもあるとおり、それこそ「みずから甲冑を貫き」だった。
そして扶余の倭人に対する軍事的優位性はなによりも騎馬戦術にあった。
229日本@名無史さん:03/04/24 23:42
扶余って半農半猟であって騎馬ではありませんが?
230 :03/04/24 23:54
扶余とかいう人さ、どのような経緯で天皇となったのか具体的因果
経過書いてみてよ。

そうでなければ話にならんと思うよ。


231日本@名無史さん:03/04/25 00:01
>>230
(扶餘)武寧王[461年(雄略5年)倭国生まれ第25代百済王(在位501-523年)]−純陀太子
−斯我君−法師君−雄蘇利紀君−和史宇奈羅−和史粟勝−和史浄足−和史武助
−高野朝臣(和史)乙継−高野朝臣新笠−桓武天皇[第50代天皇(在位781-806年)]
232日本@名無史さん:03/04/25 00:26
>>231
武寧王は日本の佐賀県出身だよ。
古代の佐賀は扶餘なの?
それに、桓武天皇の母系の系図だろ。
天皇家の出自が扶餘などとは到底言えない代物。
233日本@名無史さん:03/04/25 02:42
>229
でも半農半猟は扶余の被支配層で、支配層はまた別の民族の可能性もあり。
なおさら騎馬民族だなんていえないわけだが。
234日本@名無史さん:03/04/25 09:25
>>229
>扶余って半農半猟であって騎馬ではありませんが?

扶余が高句麗と同様の騎馬戦術を持ち、かつそれに依拠していたことは
各地の出土物から証明される。

>>233
なにを言っているのかわからん。扶余そのものが支配層だ。
扶余は他の土着民を支配し、あるいは寄生することを業と
しているのだ。
また扶余が(遊牧)騎馬民族でないことは何回も言った。
「倭人に先んじて騎馬戦術を獲得した征服民族」なのだ。

>>232
>武寧王は日本の佐賀県出身だよ。
>古代の佐賀は扶餘なの?

佐賀出身と言っても佐賀の土着ではない。
母親が百済から日本に赴く途中で佐賀県のある島で生まれた。
そして人質のような形で日本で成人し、百済に帰って王になった。
235日本@名無史さん:03/04/25 09:52
>>234

「扶餘」って何の名前?
民族名?部族名?地名?個人名?
「征服民族」って言うからにはやっぱり民族名?
本拠地はどこ?
236 :03/04/25 09:59
>>234
だから、天皇になったというのであれば、その経過過程書いて
みてよ。
そうでないと話が漠然としたままだよ。
237日本@名無史さん:03/04/25 12:17
百済王氏【くだらのこにきしし】

百済の義慈王の後裔氏族。百済での本姓は余。
631(舒明3)に義慈王に質として遣わされた王子余禅広(善光)は,663(天智2)
百済の滅亡後も日本にとどまり,亡命百済王族とともに持統天皇の時に
百済王姓を与えられ,摂津国百済郡・河内国交野郡を本拠とした。

一族は律令国家から厚遇され,高位高官に昇る者が多く,百済氏などの百済系
渡来氏族の核となる存在でもあった。8世紀には百済王敬福・俊哲・明信らが
顕著な活躍をみせる。

百済王氏の存在は,日本が百済王権を包摂したことを象徴するものであったと
みることができる。         [株式会社岩波書店 岩波日本史辞典]
238日本@名無史さん:03/04/25 19:57
>>235
>本拠地はどこ?

吉林省北部。いまでも扶余の地名がある。

>236
3世紀末の金官加羅に突然扶余が現れたことが発掘からわかる。
これは百済や倭の建国より早い。
このことからいろいろな可能性が考えられる。
239日本@名無史さん:03/04/25 20:15
夫余系諸語である高句麗語、百済語、倭語はかなり近い言語関係にあったと考えられる。

世界的に見ても数詞がここまで偶然に一致する例は兄弟言語でしかありえないのも事実。
240日本@名無史さん:03/04/25 20:17
高句麗語のうち判明している数詞はすべて倭語と一致する。
241日本@名無史さん:03/04/25 20:43
素人なんだけど日本人はどこから来たかという論点言えば
日本土着民(縄文時人)は半島人に侵略されて倭国のようなものが成立したという認識でいいの?
司馬遼太郎やDNAかHLAの科学的証明はよく知らないけどモンゴロイド騎馬民族という説との関係とか
そういうスレだれか立てて欲しいな。
242日本@名無史さん:03/04/25 20:43
>>238
>3世紀末の金官加羅に突然扶余が現れたことが発掘からわかる。
>これは百済や倭の建国より早い。

漢の皇帝、倭の奴国王に金印を授ける(西暦57年/1世紀)
倭国王帥升、後漢に朝貢(西暦107年/2世紀)
倭の女王卑弥呼、魏に使いを送る(西暦239年/3世紀)

金官加羅(4〜5世紀)。
その突然表れた扶余遺跡と思われるものは、日本のものでは?

>>240
広開土王碑文からみれば、日本語の影響があって当然では?

文化は北からという概念にとらわれすぎでは?
243 :03/04/25 20:57
数詞の一致?やれやれ、その程度根拠しかないのか?
244 :03/04/25 20:58
>>179, >>180読んでみろよ。
245日本@名無史さん:03/04/25 21:13
言語系統として兄弟関係になる言語でしか、数値の一致は例がありません。
ようするに、日本語と高句麗語は共通祖語を持つ蓋然性が高いということ。

これは、どちらからどちらへという方向関係は意味していないことに注意。
246日本@名無史さん:03/04/25 21:25
扶餘・定林寺の五層石塔「平百済塔」。
「大唐平百済国碑銘」と碑文が刻まれ、唐が百済を平定した記念碑。
 冒頭に「顕慶五年歳在庚申八月己巳朔十五日癸未建」とあり、六六〇年百済滅亡
の時に立てられた。唐側の司令官である蘇定方、金仁問の名が記されている。
247日本@名無史さん:03/04/25 21:28
現代日本語で一般的に使われる数詞は中国語ソックリですが、
現代日本語は中国語の兄弟言語ではありません。

なぜ現代の諸言語で普通に観察できる「借用」が、古代の言語では
絶対に行なわれていなかったと断言できるのか、本当に不思議。

これだから古代史電波って面白いよね。というかその浅はかさの
観察が面白いわけだが。
248あぼーん:あぼーん
あぼーん
249日本@名無史さん:03/04/25 21:34
>>247
そんなのあたりまえ。中国語の借用のほうでは類似してしまうので、
固有語の方の数詞で比較が行われているわけで。

ひ、ふ、み、よ、い、む、なな、や、ここの、とお、
ですら、固有語でない可能性ももちろん考えられますが、
大和言葉の固有語の可能性もあるわけです。
もしそうならば、高句麗語が大和言葉の数詞を借用したことになる。

借用の場合での、もう一つの可能性は倭人が高句麗語の数詞を借用した場合。
この場合、ひ、ふ、み、が高句麗語からの借用の数詞で、
いち、に、さん、のほうが中国語からの借用の数詞となる。
250日本@名無史さん:03/04/25 21:39
まとめると、可能性は以下のようになりますな。
 1. 同じ言語系の場合
 1-a. 共通祖語から日本語と高句麗語に分岐した
 1-b. 日本語から高句麗語が分岐した
 1-c. 高句麗語から日本語が分岐した
 2. 数詞も含めて基礎語彙を大量に借用していた場合
 2-a. 第3の言語から日本語へも高句麗語へも基礎語彙の借用があった
 2-b. 日本語が元で高句麗語が借用した
 2-c. 高句麗語が元で日本語が借用した
どちらにしても両者ともに、韓国語(新羅語が祖語)とは別系統と思われ。
251日本@名無史さん:03/04/26 13:50
>>242
>金官加羅(4〜5世紀)。
>その突然表れた扶余遺跡と思われるものは、日本のものでは?

金官加羅と言ったのは地名として言ったのだ。
金海と言ってもよい。

3世紀末以降、金海周辺の墓が突然北方要素を帯びる。
馬や人の殉葬が始まる。
出土品としては北方風の甲冑、馬具、馬兜、馬甲などが加わる。
これらは日本でも出るが、金海のほうが早いから日本から入った
ということはできない。
また壷類などは高句麗にも似るがそれより吉林省北部の出土品と
一致する。

このようなことから、3世紀末に扶余が南部加羅地方に入ったと
考えられる。くりかえすが、これは倭や百済の統一より早い。
252日本@名無史さん:03/04/26 14:19
>>251
>3世紀末に扶余が南部加羅地方に入ったと
>考えられる。くりかえすが、これは倭や百済の統一より早い。

漢の皇帝、倭の奴国王に金印を授ける(西暦57年/1世紀)
倭国王帥升、後漢に朝貢(西暦107年/2世紀)
倭の女王卑弥呼、魏に使いを送る(西暦239年/3世紀)

これを全部否定しないと無理ですな。
それに日本から甲冑、馬具、馬兜、馬甲が出るからといって
日本の建国に関わったかどうかは、関係ないですな。

それに金海って魏志倭人伝に「倭の北限、狗耶韓国」と記された地域。
3世紀初頭にはすでに倭の勢力範囲。

253日本@名無史さん:03/04/26 15:06
つーか三国志あたりに、高句麗・百済は扶余から分かれたとか書いてあった気が。
三国志嫁>251
254日本@名無史さん:03/04/26 18:30
>>252
>倭の女王卑弥呼、魏に使いを送る(西暦239年/3世紀)
>これを全部否定しないと無理ですな。

別に否定しない。ただ、私は邪馬台国の時代を「倭の統一」とは見ない。
私の言っている「倭の統一」とは倭の五王時代のことだ。
まあそれさえも「九州王朝」とする説もあるわけだが。

>それに日本から甲冑、馬具、馬兜、馬甲が出るからといって
>日本の建国に関わったかどうかは、関係ないですな。

それらが単にモノとして受け入れられたのか、それとも征服者が持ち
込んだのか、少なくとも両方の可能性がある。
「関係ない」と言って片方の可能性を全否定するにはそれなりの根拠が必要。

>それに金海って魏志倭人伝に「倭の北限、狗耶韓国」と記された地域。
>3世紀初頭にはすでに倭の勢力範囲。

それはその通り。その後に3世紀末の扶余による金海加羅の征服があった。
ところがさらにその後、歴史に金海加羅が登場するときにはすでに倭国の
植民地ないし属国になっている。
それなら「あの恐るべき騎馬戦術集団を打ち破った」という記憶が歴史に
語られてよさそうなのにそれは無い。
それが一つの謎であり、問題だ。
255日本@名無史さん:03/04/26 19:28
で〜んぱ でんぱ たのしいなっ
256あぼーん:あぼーん
あぼーん
257ダブル電波:03/04/26 20:24
筑紫都督府で唐を破ったという記録はないけど、
占領されたはずの筑紫はその後、日本に属していますが何か?
258あぼーん:あぼーん
あぼーん
259日本@名無史さん:03/04/26 23:51
>>257
大量の武器、軍需物資をさしあげて新羅へお帰りいただいたという
記録はあるよ。
一種の賠償金であり、筑紫占領はそれをせしめるまでの保障占領だな。
260日本@名無史さん:03/04/27 00:37
天皇の先祖は縄文人に決まってるだろ。
途中で弥生人や半島人に人種侵蝕というか、
人種置換というか、いわば人種ジャックされた訳だ。
以後、日本人の容姿は醜く、ブサイク化の一途をたどる。
261日本@名無史さん:03/04/27 00:52
で、記紀の日向説は否定できるの?

これを元にマレー系説を
ハウスホーファーは説いていたらしいが。
262日本@名無史さん:03/04/27 01:38
>259
いくら金出しても米軍基地はなくならないのう。戦略上重要だから?
しかし新羅にとっても重要だった。唐と日本に挟み撃ちされかねん。

>260
そうですね人類の先祖はアフリカ人ですね
263日本@名無史さん:03/04/27 11:37
254の続きを書く。
古代史のなかでいちばん、すじがきがわからないのが倭と朝鮮半島の関係だ。
倭と百済はなぜ当初から同盟関係にあるのか。
その百済の救援に、倭はなぜ國の存亡をかけてのめりこみ、失敗した後も
こだわり続けたのか。
倭の勢力圏である加羅南部を侵略した扶余が、なぜ後に倭の植民地ないし
属国となったのか。

これらのことは、加羅の扶余が倭を征服して倭の五王時代の倭王朝を作った
のだと考えれば一挙に解決する。

吉林省北部を追われた扶余は沃沮を経て加羅南部に移動し、戦略物資である
鉄の豊富なこの地に拠点をきづいた。主力はここを出発点としてまず従来から
加羅南部と同じ文化圏であった北九州を征服し、次いで畿内の政権を征服し、
倭の五王時代の倭国を建国した。
別働隊は百済の地を征服して百済を建国し、高句麗の南下に備えた。
南加羅には留守部隊が残って加羅諸国と新羅ににらみをきかせた。

このように考えれば百済が当初から同盟国なのも、任那(狭い意味)がはじめ
から国内問題として扱われるのも、疑問が氷解するのだ。
しかも物的証拠がないわけではない。九州、畿内、千葉から出る甲冑、馬具、
馬甲は金海加羅とまったく同じ形式であるのに、従来はただ「数が少ない」
とか「戦術を習得した」とか言って事実上眼をつぶっているのだ。

金海周辺からなぜたくさん出るか。それは発掘が進んだからだ。日本では
かんじんの倭の五王時代の巨大古墳がまったく発掘されていないではないか。

たしかにこれは従来の考え方からすればロマンである。
しかし朝鮮半島で激しい勢力変動が続いている時代に、海峡一つへだてた
だけの日本では早くから国内が統一され、それが後の倭国に連続していると
いう考え方も一つのロマンに過ぎない。
264日本@名無史さん:03/04/27 12:24
>>263

よくわからんのだが、吉林省北部から沃沮を経て、朝鮮半島の最南端に
移住したというのは、海を渡ったということだろうか?

>これらのことは、加羅の扶余が倭を征服して倭の五王時代の倭王朝を作った
>のだと考えれば一挙に解決する。

「倭が朝鮮半島に進出できるはずがない」という前提に立ってるようにしか
思えないが、その理由は?

265チョソ天:03/04/27 13:25
天皇も認めてしまったしさ、ウヨは諦めなってこった。


266日本@名無史さん:03/04/27 13:46
加羅がフヨに征服されたって根拠の薄い仮説だけから
よくここまで妄想を膨らませられるよね
267あぼーん:あぼーん
あぼーん
268日本@名無史さん:03/04/27 14:16
首都奪還のために新羅と組んで高句麗と対決した百済の行動も
謎と言えば謎。なんで新羅が裏切らないと思ったんだろう。
269日本@名無史さん:03/04/27 17:50
まずは、扶餘は、半島出身ではなくて、半島への征服者だ、という点は合意OK?
270日本@名無史さん:03/04/27 23:18
倭も扶余なら、任那や百済だけじゃなくて、当然、高句麗「領」にも
執着するはずだろうし、

それより何より、自分たちの「故地」に執着するんじゃないのかしら。
それとも、百済や任那(加羅)を征服・領有していたことは覚えていた
けど、そして百済が扶余系の神話を滅亡時まで保持していたにも拘らず、
扶余の故地に関する民族的(王権的)記憶と執着だけはキレイさっぱり
忘れてしまったとでも言い出すつもりなのかな。


271日本@名無史さん:03/04/27 23:55
>270
扶余王は、自称亡命者です。扶余本国にいる時そう言ってる。

つーか世界史板あたりに扶余スレ立てたほうがよくないか。
272日本@名無史さん:03/04/28 10:01
>>266
>加羅がフヨに征服されたって根拠の薄い仮説だけから

3世紀末の加羅南部に北方的軍事的要素が現れるのは仮説ではなくて事実
だ。百歩譲ってこれが扶余でないとすれば、高句麗の一派だろう。扶余と
高句麗は共通する所が多いからだ。いずれにしても3世紀末以降の加羅南部
の北方的軍事的勢力を「仮定」するのでなく「前提」にして考えなければ
いけない、ということ。

>>264
>よくわからんのだが、吉林省北部から沃沮を経て、朝鮮半島の最南端に
>移住したというのは、海を渡ったということだろうか?

韓国の学者には海路だったろうという人もいる。しかしそのころの領有の
仕方というのは「國」と称する「城」単位だったから、途中の城を落とす
つもりさえなければ武装集団が陸路で半島縦断するのは不可能ではなかった
ろう。現に広太王の軍隊は半島南部まで遠征した。

>「倭が朝鮮半島に進出できるはずがない」という前提に立ってるようにしか
思えないが、その理由は?

問題は百済と共同作戦した4世紀中葉の倭軍だ。このころの畿内政権はまだ祭祀的
色彩が強く、武器も鉄剣銅剣併用で、騎兵はなかった。こんなレベルの倭が
すでに装甲騎兵戦術を持っていた加羅南部に上陸し、さらに服属させるという
のは考えにくい。
私は、4世紀中葉に朝鮮半島で軍事行動を行った倭というのは、九州北部を
征服してそこで力を蓄えた扶余勢力だったろうと思う。
加羅南部はもともと留守部隊であり、かつ前進基地だから、わざわざ服属させる
話ではなかったのだ。
273日本@名無史さん:03/04/28 10:22
>>272

「箸墓古墳から国内最古の馬具出土」 
 桜井市の箸墓古墳の周濠(しゅうごう)で、四世紀初頭の木製鐙(あぶみ)が見つかり、
2001年11月30日市教育委員会が発表した。
定説を一世紀近くさかのぼる国内最古の馬具となる。

http://www2.begin.or.jp/sakura/topix10.htm
274日本@名無史さん:03/04/28 10:55
>>273
騎兵、特に装甲騎兵があった証拠にはならない。
275 :03/04/28 10:58
>>272
3世紀中すでに倭が半島南部に拠点を持ち、鉄をとって
いたことが三国志に書いてある。

また、三国志によれば、邪馬台国一国だけで戸数7万余と
その連合を含めれば15万戸となる。一方弁韓はというと、
大国4-5000戸、小国6-700戸、辰韓・弁韓合わせて4-5万戸
と書いてある。

「問題は百済と共同作戦した4世紀中葉の倭軍だ。このころ
の畿内政権はまだ祭祀的色彩が強く、武器も鉄剣銅剣併
用で、騎兵はなかった。」とあるが、4世紀前半メスリ山古墳
などからは鉄製武器が大量に出ており、すでに祭祀的な色
彩ではない。

また、騎馬はなかったとするが、半島南部で馬具が出るのは
高句麗の南下に伴ういわゆる、広開土王碑以後とするのが通説
的見解で日本でもその後に本格化する。
これと関連して、「3世紀末の加羅南部に北方的軍事的要
素が現れるのは仮説ではなくて事実」とあるが、これは通説
から時代が1世紀近く早い。

ソースの提示を求める。
276日本@名無史さん:03/04/28 16:20
>>275
>3世紀中すでに倭が半島南部に拠点を持ち、鉄をとって
>いたことが三国志に書いてある。

加羅南部が倭の勢力圏だったことはすでに言った。
その倭の勢力圏を扶余が侵略したのだ。

>4世紀前半メスリ山古墳などからは鉄製武器が大量に出ており

鉄剣についても言った。鉄剣と馬甲では戦術のレベルが違う。

>半島南部で馬具が出るのは高句麗の南下に伴ういわゆる、広開土王碑以後
>とするのが通説的見解

その通説はもう古い。最近の大成洞古墳群発掘以前の通説だ。
韓国では同古墳群の北方化の画期は3世紀末という見方が定着している。
文献は少し古いけど例えば下記中の申敬チョルの論文。

「伽耶と古代東アジア」
新人物往来社 1993年

「大成洞古墳」で検索すればネットにもいろいろあるよ。
277 :03/04/28 16:41
>>276
これ金海でしょう?拘邪韓国に比定されているではないか
278 :03/04/28 16:46
>>276
十分に読まないまま書いたな。
とりあえず、馬甲について何時のものが確認されているのか
教えてもらいたい。
279 :03/04/28 16:55
>>276
先走って書くけど、仮に馬甲があったとしてもそれがどの程度
のものであったか、すなわち軍事力としてどれほどの規模があ
ったか不明であること。
そして、倭において騎馬の明確な証拠がかなり後になること等
勘案するとその意見は成り立ちがたいのではないの?

280 :03/04/29 07:51
>>276
願望が先立った説だな。
根拠が希薄。
そもそも扶余族による倭勢力圏の侵略が仮定に過ぎず、
あとは「あったはず」の連鎖に過ぎないではないか。
281日本@名無史さん:03/04/29 09:41
>>27
拘邪韓国に北方要素が入って金官加羅になった。

>>278
>とりあえず、馬甲について何時のものが確認されているのか

さきに紹介した本のなかで申氏は直接に馬冑馬甲について触れていない。
別の論文で小田富士雄氏が触れているので引用する。
「さらに大成洞古墳群で発見された甲冑・馬冑の資料はその上限年代をも
大きく書きかえることとなった。馬具については従来福泉洞古墳群の5世紀
初頭例が最古とされてきたが、4世紀後半までさかのぼり(中略)このころ
騎馬術が伝来して戦士団が存在したこと、この地域で製作されたことなどが
指摘されている。」

この本は1993年の本であり、その後の発掘を含んでいない。また小田氏
は基本的には古典的な考えのひとだから現在の定説とは違っているかもしれ
ない。現在の状況については私の町の図書館で読んだのだがその図書館が
祝祭日休みというけしからん図書館なのでいまは見られない。5月になって
その本があったら報告する。

282日本@名無史さん:03/04/29 09:44
<続き>
>仮に馬甲があったとしてもそれがどの程度のものであったか、すなわち
>軍事力としてどれほどの規模があったか不明であること。

加羅南部地域は、現在世界で知られている北方アジア型馬冑19個のうち
15個が発掘されているという特別な地域なのだ。
また上記の数字から想像されるとおり、本場の高句麗でも1個しか出ていない。
それではなぜ高句麗に装甲騎兵戦術があったと考えるかと言えば、それは古墳
壁画によるのだ。
金海の古墳にも同様な壁画があり、騎射遊技(やぶさめ)や装甲騎兵の行進が
描かれている。また装甲騎兵の完全な土偶も出ている。これ以上は望めない
だろう。

>そして、倭において騎馬の明確な証拠がかなり後になること等
>勘案するとその意見は成り立ちがたいのではないの?

扶余が金海に拠点を築いてから倭を征服したとすれば倭の騎馬戦術関係の
遺物は遅れて出て当然。また畿内のほうがさらに遅れることは、扶余による
征服が北九州と畿内の2段階で行われたことの現れと考えられる。
そしてこの2段階が紀記のテーマ、すなわち天孫降臨と東征とに相当して
いるかも知れない。

おもしろい加羅関係のページをみつけたので紹介する。

http://inoues.net/yamataikoku/korea/korea_fukusendo.html

我々が古墳時代後期の遺物として教科書などで習って来たものが、なんでも
揃って出てくるのには圧倒される。
283 :03/04/29 10:25
>>282
扶余系が拘邪韓国を騎馬で圧倒して、その後倭にも及んだと
するのであれば騎馬習慣が広開土王碑以前に倭において一般
化していなくてはならないが、そのような形跡は認められない。
半島進出後に騎馬習慣の痕跡が明確化するのと矛盾する。

また、15個という数字は騎馬習慣を超えて騎馬軍団があったとする説としては希薄である。そもそも時間的に一定したものか。
すべて3世紀後半のものと理解してよろしいか?

284 :03/04/29 10:36
ついで言えば、騎馬民族の特徴である角弓は日本において
一般化していない。騎馬民族が来たのであれば置き換わる
のが自然な解釈。書紀には百済からの贈り物の中に見える
が、弥生時代からのものがその後も使われつづけて現在に
いたる。

それから、書紀に引用される百済記がいう倭と百済との関係
形成については全く根拠がないことになるが、それでよろしい
か?
285 :03/04/29 11:15
先にも書いたが、倭は大国であり、半島に鉄拠点もある。

>また、三国志によれば、邪馬台国一国だけで戸数7万余と
>その連合を含めれば15万戸となる。一方弁韓はというと、
>大国4-5000戸、小国6-700戸、辰韓・弁韓合わせて4-5万戸
>と書いてある。

また、巨大古墳群見ても分かるように生産性の高まりと共に
剰余労働力が倭にあったことは間違いない、それを統率する
王権については言うまでもない。

倭の鉄拠点である半島南部を抑えるという着眼点は一発逆転を
狙う攻略方法としてはなかなかいい発想だとは思うが、それに
対応する根拠がなければ仮説に過ぎない。
286日本@名無史さん:03/04/29 16:55
>>283
>扶余系が拘邪韓国を騎馬で圧倒して、その後倭にも及んだと
>するのであれば騎馬習慣が広開土王碑以前に倭において一般
>化していなくてはならないが、そのような形跡は認められない。
>半島進出後に騎馬習慣の痕跡が明確化するのと矛盾する。

それもまた「騎馬民族」という言葉にとらわれている。
後の蒙古軍のような軽装騎兵の集団戦法とは違い、あれだけの重武装
をした騎兵は機動力は期待できないから、今日で言えば歩兵支援戦車
のような役割を果たしたと考えられる。したがって「馬は貴重品」という
ことでもよく、蒙古人のように騎馬習慣が一般化したと考える必要はない。

>また、15個という数字は騎馬習慣を超えて騎馬軍団があったとする説と
>しては希薄である。

これに対する答は<>の繰り返しになるので割愛する。

>そもそも時間的に一定したものか。
>すべて3世紀後半のものと理解してよろしいか?

3世紀末が画期だから4世紀が中心。
時間的にどのように分布しているかは前述の本を見てからにする。
287日本@名無史さん:03/04/29 16:58
訂正
これに対する答は<282>の繰り返しになるので割愛する。
288日本@名無史さん:03/04/29 17:01
>ついで言えば、騎馬民族の特徴である角弓は日本において
>一般化していない。

これは確かにそのとおり。しかしそれを言うなら(人用の)甲冑の形式が、
古墳時代に出るいくつかの形式がすべてそれより古く加羅南部にあること
をどう見るかということになる。「ない」ものを強調して「ある」ものを
無視するわけにはいかない。しょせんは「謎の4世紀」なのだからどちら
の考え方がより矛盾が少ないか、より蓋然性が高いか、ということだと思う。

>それから、書紀に引用される百済記がいう倭と百済との関係
>形成については全く根拠がないことになるが、それでよろしいか?

百済記というのは残ってないのだから、「引用」したと言っても原本が
そのとおりであったかどうかは保証の限りではない。
そのうえで言えば、「百済記がいう倭と百済との関係形成」は具体性が
感じられなくておとぎ話のようだ。百済、加羅と倭の関係を表に出さず
書くとすればあのように書くしかなかったのではないか。
実際の事件は、加羅諸国を新羅が圧迫したので、倭/百済を離反して
新羅に服する加羅諸国も出てきた、それを共同作戦で新羅を攻めて旧に
復した、その際卓淳国がなんらかの役割を果たした、ということだろう。
そして、この作戦のときに金海を含む加羅七国が始めて倭に服属したように
読む人がいるのもそうではなく、一部の反抗を鎮圧して七国を確保した、
ということを「平定」で表したのだろう。

これに関連して倭王武の上表文も、東の毛人に対しては「征」、西の衆夷
に対しては「服」を用いながら、かえって渡りて海北の九十五国に対して
は「平」を用いているのが対比される。
289万世一系だと?:03/05/02 00:33
つーか、税金の無駄
良い服きたきゃ、働きな
ええもの食いたきゃ、仕事しろ
自分の金でなにしようが、いやーしね
先祖までもちだして、理論かためたい?
290日本@名無史さん:03/05/02 01:55
天皇家は欧州や中国のような征服王朝じゃねぇんだよ。

原日本人などいないと知れ。
291日本@名無史さん:03/05/02 02:14
>>289
暇なお前こそ仕事しろ。
つうか休みに仕事してどうする(クスクス
292日本@名無史さん:03/05/02 09:11
>>290
>天皇家は欧州や中国のような征服王朝じゃねぇんだよ。

「先祖代々、昔より甲冑を身にまとい、山を超え川を渡り、休むことなく、
 戦い続けてきました。東に進んでは、毛人の国、五十五ヶ国を征服し、
 西に転じては、衆夷六十六ヶ国を服属させました。」 (倭王武)
293日本@名無史さん:03/05/02 09:14

>>291=無職
294 :03/05/02 11:20
>>292
「自昔祖禰躬kwan[偏手旁右環]甲冑、跋渉山川、不遑寧處。東征毛人五十五國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國、」

「渡りて、海北を平すこと九十五国」
(海を渡り、海北(半島)を征服すること九十五ヶ国)
を意図的に抜かしたのか?
295日本@名無史さん:03/05/02 16:26
>>294
意図的に「平」を征服と訳したな。
従来からの半島の領地がごたごたしたから海を渡って平らげた、
すなわち平定した、という解釈だってできるではないか。
296 :03/05/02 17:45
>>295
あらま>>292

292 日本@名無史さん 03/05/02 09:11
>>290
>天皇家は欧州や中国のような征服王朝じゃねぇんだよ。

「先祖代々、昔より甲冑を身にまとい、山を超え川を渡り、休むことなく、
 戦い続けてきました。東に進んでは、毛人の国、五十五ヶ国を征服し、
 西に転じては、衆夷六十六ヶ国を服属させました。」 (倭王武)

としたは誰ですか?w
297 :03/05/02 17:55
>>295

都合の悪いことを意図的に書かないから言われるんだよ。
298 :03/05/02 17:58
>>295
「『従来からの半島の領地がごたごたしたから』海を渡って平らげた、 」
どこからそんな解釈がでるのですか?w
299日本@名無史さん:03/05/02 18:02
朝鮮系だったら、日本の君主なんかになるなよ。

早く、北の共和国へ帰れ!!!

300日本@名無史さん:03/05/02 18:03
うんこ
301 :03/05/02 18:04
朝鮮系ではないね。
302日本@名無史さん:03/05/02 18:45
>>301
今頃気づいても遅い。
大和魂が本当は朝鮮魂だと知ったら日本人は・・・
なんて言葉も在日の妄想です。
303日本@名無史さん:03/05/04 05:02
>>298
「渡りて海北」だからそれこそ海外遠征だ。
それなのに「征」でも「服」でもなくいちばん軽い「平」が使われるのはなぜか。
そんなことを考えてみたこともないんだろうな。
304日本@名無史さん:03/05/04 05:10
「東は毛人を征する」とか「西は衆夷を服する」とかの文は
「渡って海北を平らぐ」を導くための枕詞みたいなもんであまり意味はない。
いわば文飾。
倭王武の上表文の意図は「半島の軍事指揮権を認めれ」というものだから
いいたいところは「東は毛人を征する」とか「西は衆夷を服する」とかじゃなくて
「渡って海北を平らぐこと九十五国」に要点がある。

ところで「征・服」が重くて「平」が軽いってのはどういう理屈だ?
平定の平だよな。征服とどうちがうのかよくわからんが?
そのもっとも重点のあるところにわざわざ軽い表現をするわけがない。
305日本@名無史さん:03/05/04 05:19
「平百済塔」と呼ばれた大唐平百済国碑銘が扶餘の定林寺にあるよ。
唐が百済国を平定した記念塔。
306日本@名無史さん:03/05/04 06:15
>>296
東に五十五カ国、西に六十六カ国
という事は矢張り国内の部族長出身なのだろうか。
毛人というのは関東、夷というのは朝鮮南部。
307日本@名無史さん:03/05/04 06:20
渡来系漢人に触発されて倭人の国家化が進む。
→大和を中心とした政権が発足。
→信濃関東方面毛人、瀬戸内海九州朝鮮沿岸夷を影響下に置く。
任那日本府が政庁として機能していたというのは眉唾だけど、
百済と新羅の進出するまでに影響力はあったのかもしれない。
308日本@名無史さん:03/05/04 07:57
>原日本人などいないと知れ。

日本に縄文時代は存在しなかった、とかいう電波ですか?
309日本@名無史さん:03/05/04 21:13
                          .,/  _,/      .、、     ...、ヽ,,-、
                  .,,メ-‐'"       _"',|  .、、._,i.""│._、
                      ._,,,/`,イ―''      ,`",l゙、、,,ジ'"`.```.|゙゛
                    .,,,-,i´,―--―''"      、、,!冖'"`、_、,,,/'゚,,."゙l-‐''
       _,,,,,,,,,,,,,、    _,,,,,--''"`'",/゙            、、.',j/′.、,,∠''"` .'_ヽ.',゙l.._,,、
    ,,-'"゙`    `゙゙''lーイ"`     .‐′    _,..,,/ .ヽ、,i,i´ ``゙’   、、シ":"'.「
  .,,i´         `'i、\ ゙!,      ._,-'"ン'` 、、`_,/`,i´ _,___,ニ='" .'゙、゙".゙l,,-'`
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: |,,r                ゙l, 、 i、、、、:,,_,xl!ヴi,、      、、っ,,,,    、`',,,,、`、`、|、
  |、            、"| .i、 lrr-''"゙,,ハ;、-'"゙゙'''''''"丶ヽ.,,冫``~`"`"~"``` `/ `''''
  `''r,,、 、 、、 .、丶、.``ヽ,レ"°  `` .j゚'=∠、````,,,,,∠ ~'ヽ```````、_,r‐'ヘi、
    `゙'ーi,,_、、、、、: :._,,,r〃       "  /^゚"'广  ,/  .,/゙゙゙'''ヶ―''''″   `
       `゙^""""''"'"                `   ′  ′  ."  
310日本@名無史さん:03/05/04 21:52
そもそも氷河期には南からも北からも陸続き。
それが孤立した時に「原日本人」が誕生したに決まっとろうが。
気候から考えると南からやってきた人間の方が数は多そうだが。
311日本@名無史さん:03/05/04 22:47
>>310
北米のイヌイット(いわゆるエスキモー)は、北からアラスカ入りしたとする説ばかり。
古くはアフリカの気候温暖化により寒冷地が北上し、大型獣も北へ向かうのでそれを追って人も移動したという話・・・目撃者はいないが。

東日本のほうが、古くは人口が多かったようだけど、時代が下って、日本家屋が暑さ対応型家屋なのが、またふしぎ。
312電波:03/05/05 01:19
マンモスは毛深い。それは事実だ。だがな、ラクダだって毛深いぞ。
それだけで寒冷地の生物とするのは無理がある。
大事なのは皮脂腺だ。マンモスの皮脂腺は寒冷地の動物とするには
あまりにも少ない。あっという間に肌が乾燥し水分を失って死んでしまう。
マンモスは温暖な地域の動物なのだ。
では、なぜシベリアばかりで見つかるのか。氷漬けのものまであるのは
何故か。氷漬けのマンモスがあるから皮脂腺が調べられるのだが、
それを調べると寒冷地に対応しているとはとても思えないのだ。
ここで、ポールシフトという現象が出てくるのである。
すなわち、ある時突然、地球の自転軸がずれたのだ。
いや、軸がずれたと言うと御幣があるかもしれない。自転軸の位置は
そのままに、地球という球体が少しばかり回転したのだ。
つまり、一瞬にして北極と南極の位置がズレたのだ。
これによって温暖な地域にいたマンモスは一瞬にして北方へ追いやられ、
絶滅したのだ。
313311:03/05/05 03:30
>>312
毛の話や極地方動物の話はしてないんだが・・・

極地方の無毛動物は枚挙に暇がない。寒暑はむしろ、体型がほっそりかこってりか、
毛が極密か疎か、皮下脂肪の薄厚といったことだろう。

冷却が難しい大型獣が猛暑から逃げ出しただけであって、大型獣は極寒地だけの動物じゃない。
マンモスの話は知らん。何のことか。

言いたかったのは、寒冷地から原日本人の1部が来てもおかしくない、ということだ。

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
314日本@名無史さん:03/05/05 06:23
電波にマジレスしてもな・・・
315日本@名無史さん:03/05/14 01:04
さー、再開!
316日本@名無史さん:03/05/14 01:31
天皇陵を掘ってDNA鑑定するくらいしかないじゃろ。

まあ、天皇陵認定は極めて怪しい陵が
いくつもあるかし、実際は掘れないから
天皇の近親者で宮内庁の管理が緩く
しかも人骨がでている所は無いのか?
317日本@名無史さん:03/05/14 07:23
例え土葬でももうDNA鑑定なんて無理だろ・・・
318日本@名無史さん:03/05/15 14:20
DNA判らなくても副葬品である程度わかるのでは?

箸墓の周濠から出た輪鐙でも箸墓が卑弥呼の墓ではない事がわかったんだから。
319動画直リン:03/05/15 14:20
320日本@名無史さん:03/05/15 18:20
箸墓はごく古い時期に作られた円墳に方墳を足したもの。
濠から鐙が出たからといって何の問題も無い。
321動画直リン:03/05/15 18:20
322日本@名無史さん:03/05/15 19:58
>317
7000年前の脳組織のDNAも塩基配列を決定できます。
縄文人骨由来DNAは随分検討されています(国立遺伝研宝来等)。
まして、たかが千数百年前。
ただし、厳密な意味でのDNA鑑定というのは単なるDNAの配列決定とは異なりますが、その辺はご存じですよね。
323日本@名無史さん:03/05/15 20:00
>320
妄想ですな
324日本@名無史さん:03/05/15 20:11
>322
当然、土井が浜なんとかも、やってるよね?
325日本@名無史さん:03/05/15 20:36

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★


以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
326322:03/05/15 21:06
自己レスです。
317を読返して、322に書いたことは百も承知での発言かなと言う気がしてきました。
当然、試料(人骨など)が無ければDNAの配列決定などできないわけだし!
もしそうなら、すみません。

但し、土葬の方が日本は火山国で酸性土壌のため人体が残りにくいという事は付け加えます。
新石器時代人骨が発見されたのは沖縄のみ(石灰岩地帯)というのはこのため。
327322:03/05/15 21:14
>324
すみません。私は土井が浜人骨が検討されたかは知りません。但し、DNA抽出は試料を破壊して行うものですから、人骨の提供を依頼されても普通の研究者なら断ると思います。何十年も経ってもっと大量にDNA配列を決定できるようになるまで待っても良いでしょう。
328日本@名無史さん:03/05/16 06:44
>>323
甘い、な。濠の形状からしてそうと推測できるのだ・・・
329山崎渉:03/05/22 03:19
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
330日本@名無史さん:03/05/23 20:04
331日本@名無史さん:03/05/25 19:29
田布施町


332山崎渉:03/05/28 10:56
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
333日本@名無史さん:03/05/28 17:14
「平百済塔」と呼ばれた大唐平百済国碑銘が扶餘の定林寺にあるよ
唐が百済国を平定した記念塔
334日本@名無史さん:03/06/05 23:39
335日本@名無史さん:03/06/06 00:49
>>312
五島勉センセイですか?
336日本@名無史さん:03/06/15 15:59
i',,.   ァ‐┬ー- ..,,,            __,,,--,,、
| ゙''-,,  ~゙''-,,   ゙゙''゙''゙~ ̄ ̄ ̄~゙''゙''゙゙~~ .,!,-''゙
!,   ゙''-,,_  ~゙''-,,          ',,-''゙~
~゙''‐=;,_  ゙'r  、/  、..  -‐   '''ー {! 
  、/゙ /  |    ,   ‐ー  くー | 
   \ \   |゙     ゚  ,r "_,,>、 ゚'} 
     \,\ |ニ==‐    ト‐=‐ァ' ! 
     /''ヾ|       ` `二´' 丿  
     \ \|ニ=-ヽ {` '' ー--‐f  ,} 
       ゙> '|   },,,〉       },,,,}
       \丶   ,        、!
         ~゙ノ.  )      、/
          ゙i ゙f --ー〜‐,, '゙f
           ~'゙'゙'       ゙''~
      生命の神秘を感じておいでです


337浅見真規 ◆Xy1SDuGQ6I :03/06/20 19:59
昨日、ニュースステーションで琉球王家の遺骨のミトコンドリアDNA
分析の特集やってましたね。
アキヒト氏にも昔の天皇の遺骨を学術調査に提供してもらいたいですね。
338日本@名無史さん:03/06/20 20:00
田布施町
339日本@名無史さん:03/06/20 21:14
>>337
その結論はどうだったのですか?
340浅見真規 ◆Xy1SDuGQ6I :03/06/20 22:48
>>339

一体分しかDNA抽出できなかったそうだが、母系は縄文系でも
ヤマト系でもなく、意外にも東南アジア系だったとか。
ただし、私は、一人の遺伝子配列1個分だけだから突然変異で偶然南方系と
同じ配列持ってただけという可能性も排除できないのではと思ってます。
もちろん、ミトコンドリアDNA配列から言えば可能性としては
東南アジア系というのが一番可能性が高いでしょうけど。
341日本@名無史さん:03/06/22 12:24
縄文人は後に稲作と一緒に入ってきた渡来人に追われて
北へ逃げた。天皇家はどこから来たのかは分からないが、
やはり近いところから来たのだろう。渡来人は
南方からも来ただろうけれど、圧倒的に多いのは朝鮮。
ただ、最初に来た勢力がどこのだれであろうと、
古事記、日本書紀によれば天皇家は一度完全に断絶している。
そこで、越前にいた豪族を連れてきたのが継体天皇。この
継体天皇がどこから来た子孫なのかは不明。
342日本@名無史さん:03/06/22 12:38
だから、隼人がだらだら、なぜ九州南部で粘れたのか?

大和との、その滑稽なやりとり、漫才やってんのか?
343日本@名無史さん:03/06/22 12:50
昨日のテレビ朝日の番組では、
縄文系の遺伝子は大陸南部から台湾経由で来たといってたな。
渡辺満理奈の遺伝子がこれと一致。
日本人に一番多いのがブリヤート系で、久米宏、長寿のきんさんの遺伝子が一致。
アイヌはブリヤートとは別系統らしい。
344世界@名無史さん:03/06/22 12:55
ここにもでていたか扶余厨は。
345日本@名無史さん:03/06/22 15:32
>>340
レスありがとう。
琉球王家は東南アジア系ですか。
私は琉球王家が平家の落ち武者に始まるという説を信じていたが
そうではないようですね。
346日本@名無史さん:03/06/22 18:46
>>345
ミトコンドリアは母系にしか遺伝しないんじゃなかったっけ?
まあ琉球王家の祖が源為朝というのは伝承っぽいと思うけど。
347日本@名無史さん:03/06/22 21:47
いずれにしても沖縄語の文法を作っている平安朝末期という
特定の時期の宮廷語がどのようにして沖縄に入ったかは、
考えなければならない。
348日本@名無史さん:03/06/22 22:18
>>347
世界史板に琉球史スレPart2がある。そこの前板(Part1)で
沖縄の言語の話をしてたような気がする
349日本@名無史さん:03/06/22 22:27
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200306181300.html
 十三世紀中ごろに英祖王が造営したとされる国指定史跡・浦添ようどれ(英祖・尚寧両王陵)
の発掘調査を行っている浦添市教育委員会は十七日、石厨子(石棺)の遺骨を分析した結果、
中世日本人の特徴を示す男性の頭骨が確認され、別の被葬者の一人は南方系DNAを持って
いることが分かったと発表した。石棺床面には織物を敷き、遺骨を織物でくるむなど珍しい葬法で
あることも確認された。
 人骨調査では、二十―三十代の男性のものと推定される頭骨を復元。丸い頭型、短い顔
の長さ、上あごが出ていることから、港川人や貝塚時代人とは異なり、中世から近世の日本人
全般に見られる特徴が認められた。
 調査した琉球大学医学部の土肥直美助教授は「中世人の特徴が見られることは、琉球が
東アジアのネットワークの中で動いていたことの証拠となり得る」と話した。
 また、四号石棺の被葬者の手の骨から抽出したミトコンドリアDNAを分析した結果、
主に中国南部や東南アジアに住み、日本や琉球では出現率がかなり少ないグループに分類
されることが確認された。同DNAは母系遺伝のため、被葬者の一人の母系統は中国南部
から渡来したか、台湾を経由して入ってきたと考えられるという。
350日本@名無史さん:03/06/23 06:06
>>349
>中世日本人の特徴を示す男性の頭骨が確認され、
>中世から近世の日本人全般に見られる特徴が認められた。

それが中世に日本から侵入した支配層だろう。
351日本@名無史さん:03/06/23 07:25
あふぉ、隼人の領域に誰が来たって?
352日本@名無史さん:03/06/23 21:55
>>351
平安朝末期の動乱期に源平どちらかの勢力が沖縄に侵入して
王朝を建てた。
353日本@名無史さん:03/06/23 22:52
源為朝のこと?
354日本@名無史さん:03/06/24 07:46
>>353
だれかは分からないが少なくとも源為朝ではないだろう。
宮廷語が沖縄語を変えたことから平家方である可能性が
強い。
355日本@名無史さん:03/06/24 15:24
それより、先に、ハヤトとヤマトの胡散臭い関係を調べろや。
356日本@名無史さん:03/06/24 16:23
>>354
伝説では、保元の乱の後伊豆大島に流された源為朝が
沖縄に流れ着いて現地で子供をつくり、その子供が琉球王舜天になった。
357日本@名無史さん:03/06/24 18:39
>>356
それはあくまで伝説。北海道の義経伝説と同じだ。
それにその伝説によれば為朝は赤んぼう一人しか沖縄に残さなかった
のだから言語への影響を説明できない。
358日本@名無史さん:03/06/24 18:55
浅い歴史は、琉球史で語ってくれ。
359日本@名無史さん:03/07/05 03:17
おそらく、ヤマト盆地で発生したものと思われ
360山崎 渉:03/07/12 12:37

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
361山崎 渉:03/07/15 11:47

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
362世界@名無史さん:03/07/16 17:57
agegege
363日本@名無史さん:03/07/22 04:44
天皇の位置付けだが、元来この一族はどういうものだったのか?
最も重要なのは天皇の持つ宗教的権威であろう。古代においてこれは政治・軍事と不可分であったことは言うまでも無いが、さらにその
大王家が斎き祀る神々は他の神々より強力であると「されたこと」にある。
今でも我々は仏壇にご先祖様を祀っているが、基本的にはこれと同じだ。天皇家との違いはその先祖が絶対的に強いということだ。

記紀神話でも天皇は祖先の神を祀り天下を無事治めることができたという件は多い。つまり、自分こそが国家統治に絶対的な力を発揮
した神の子孫であるということを徹底的にPRしたのである。

もっともこの神が天皇の先祖であるという根拠は無い。だが、わが国では祀られる神と祀る者を同一視する風潮が古くからある。巫女
など祀る側は神をその身に憑依させ、その言葉を伝えてきた。同一視もしたくなるというものだ。

天皇は絶対的な力を持った霊をその身に宿らせることによって神であることを周囲に印象付けたのかもしれない。実際、記紀には神武
天皇が原初の神である高皇産霊尊の「顕斎」を行っている記述がある。
 
364日本@名無史さん:03/07/22 07:29
高皇産霊尊=高木神=高来(たかき←こうらい)神=高麗神 で朝鮮から来たと。
365日本@名無史さん:03/07/22 08:58
南方から黒潮で宮崎県にやってきた。(高天原)

韓国の三国史記は14世紀ごろ書かれたもので、古事記、日本書紀とくらべると
数百年遅れている。
遅れて書かれた歴史書を根拠に、先に書かれた歴史書を解釈する朝鮮人は馬鹿ですか?

366日本@名無史さん:03/07/22 09:54
愚問

朝鮮人の歴史感覚が狂ってる事など常識です。
367日本@名無史さん:03/07/27 21:18

やっぱり加羅か百済から来たのか?
368日本@名無史さん:03/07/27 21:24
多分、そうだろう。
369日本@名無史さん:03/07/27 21:26
だからどうした?
370日本@名無史さん:03/07/27 21:30
>>309
見事な天の沼矛でつね。
371日本@名無史さん:03/07/29 09:22
弥生時代に大陸もしくは半島を経由してやってきた。
372GET! DVD:03/07/29 09:26
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373日本@名無史さん:03/07/29 10:05
千島列島から南下してきた。
374日本@名無史さん:03/07/29 11:30
つまり一言で言えば、倭人と。
375山崎 渉:03/08/02 01:27
(^^)
376日本@名無史さん:03/08/02 19:55
卑しい人、倭人。
377日本@名無史さん:03/08/06 12:04
大室寅之祐の孫
378現人神裕仁:03/08/06 15:19
>>1高天原から高千穂の峰に天孫降臨。文句あっか?
379日本@名無史さん:03/08/06 19:24
夏だねえ・・・
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
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383日本@名無史さん:03/08/09 20:51
今の韓国のチョン民族より前に、天皇の祖先が半島に住んでたんだろ?
だったら返  せ  よ  半  島  を
チョンは月  に  で  も  移  住  し  て  ろ
384日本@名無史さん:03/08/09 21:00
初期の天皇はやっぱり縄文人だろう。
縄文水田を見ると、米を握っていたのは縄文人。
渤海沿岸から弥生人が来て、
そんな簡単に征服されたとも思えない。
385日本@名無史さん:03/08/09 21:04
朝鮮人なんだから、早く北の故郷へ逝ってほしいものだ。
386日本@名無史さん:03/08/09 23:33
田布施町


387日本@名無史さん:03/08/09 23:35
>>386
電波
388日本@名無史さん:03/08/09 23:36
>>387
ゆんゆん
389日本@名無史さん:03/08/13 22:24
なんや?
390山崎 渉:03/08/15 12:36
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
391日本@名無史さん:03/08/15 23:40
392日本@名無史さん:03/08/20 15:07
393日本@名無史さん:03/08/20 15:22
海を渡ってきたのだが、そんではいかにも侵略者というのがミエミエ。
そんで、空から降ってきたとか捏造話で愚昧な土着の原住民どもを
たぶらかし、言葉が通じなかったのも神々だから汝らとは違う言葉を
使うのであると有難がらせて支配者に納まった。土着民も腹立ったが、
相手は当時としては斬新な武器もっているし野蛮なので抵抗できなかった。
394日本@名無史さん:03/08/20 15:57
>>393
まさにその通り。「斬新な武器」とは馬の使用と鉄製の精巧な防御武器。
そしてその集大成としての装甲騎兵。
こんな当たり前な考え方がたちまち電波扱いになるのは日本史の業界にいかに
国粋主義者が多いかということだ。
395日本@名無史さん:03/08/20 16:21
田布施町
396日本@名無史さん:03/08/29 18:42
397日本@名無史さん:03/08/29 18:48
泳げ騎馬民族。
398日本@名無史さん:03/08/29 18:50
全羅北道
399日本@名無史さん:03/08/30 13:39
何でチョ―セン人が日本の王様なの?

400日本@名無史さん:03/08/30 14:16
マンギョンギョン号でお帰りになった。
401日本@名無史さん:03/08/30 17:10
明治帝・大正帝・昭和帝の顔を見れば明らかに南方系。
雲南・広東・琉球・日向ルートと思われ。
402日本@名無史さん:03/08/31 03:44
>>401
そうかな?
403日本@名無史さん:03/08/31 03:48
そんなモン今更、渡来人受け入れすぎて元が華南系か北方系か調べ様
が無いだろ。
404日本@名無史さん:03/08/31 05:00
日本人は混血民族
405日本@名無史さん:03/08/31 05:07
高天原=天。
天孫が天から降りてきたということは、天皇家が土着の倭人であるということ
を示している。
日本と朝鮮は、同じ時期に統一国家を形成した。
文化的には、大陸と地続きだったぶんだけ朝鮮の方が半歩ほど進んでいたが、
当時から日本は生産力・軍事力で朝鮮を凌駕していたし、人口も圧倒的に多かった。
したがって、天皇家が朝鮮からやってきて倭人を支配したなどという説は、妄想に
すぎない。
406日本@名無史さん:03/08/31 08:17
天から降りてきた=半島からきた
これ、定説。
407日本@名無史さん:03/08/31 08:22
>>406
ライフスペースの方でつか。
ミイラでも作っていてください。
408日本@名無史さん:03/08/31 08:48
>>393
なぜ支配者(=征服者)の言語が公用語にならなかったのか
説明してくれ。
409日本@名無史さん:03/08/31 09:46
高天原ってチョーセンのことでしょ。
410日本@名無史さん:03/08/31 09:52
日本て安易にシナとコリア人受け入れすぎだよな
今も多すぎる、外見が似てるだけに溶け込んでしまうのがいやだな
一時イラン人がいたけどいなくなった
イラン人のほうがましだ
外国人が来るのははいいけどシナ、コリア人はこれ以上いらない
411日本@名無史さん:03/08/31 10:10
欧米人からみたらジャップもコリアもシナ人も黄色い猿です。
412日本@名無史さん:03/08/31 10:12
米国に帰化した東洋系見てると、ホンマ区別つかへんな。
413日本@名無史さん:03/09/02 23:04
      ,..-――-:..、    ⌒⌒
     /.:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::.\      ^^
    / .::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::..ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   :::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::
     :::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;     
       ::::::::::::::::::::∧_∧   そうやってなんでも
       :::::::::  < ::;;;;;;;;:>      ウリのセーニしてりゃいいニダ・・・
          _..  /⌒:::;;;;;ヽ
-― ―'ー'-''―-''/ / ::;;;;;;;;:| |―'''ー'-''――'`'
 ,,  '''' .  ''''' と./ゝ_;_;_ノヽつ   、、, ''"
    ,,, ''  ,,,    ::;;;;;;;;;::: ,,  '''''  ,,,,
,,     ,,,,     ''' , ,,     ,,,,

414日本@名無史さん:03/09/02 23:19
>>1
山東半島
415日本@名無史さん:03/09/02 23:23
あぁフランスの田舎での会話を思い出した。
仏「あなたは中国人ですか?」
私「いえ日本人です。」
仏「あぁ中国人ですね。」
私「???」

ジャポネはシノワと同類という認識。
おれも英国人と仏人のちがいが言葉以外ではわからないし。
416日本@名無史さん:03/09/11 22:45
417日本@名無史さん:03/09/17 22:49
ナルヒトって顔もキモイけど、名前もキモイ。
「ナル」だってさ、笑っちゃうねw
418日本@名無史さん:03/09/17 22:50
童帝ヒロヒトラさま、本陣スレへお戻り下さい


日本人は恥が知らない動物だと思う。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1062964017/l50
419日本@名無史さん:03/09/17 22:59
日向から大和に向かった神武天皇に、何か大きな意味が有るように思いますね
ひょつとして、私は何時も神武天皇は南方系でないかと思うときが有ります。
如何ですか、・・・どうぞ・・・チヨンとかチヤンで無いように思いますた。
420日本@名無史さん:03/09/17 23:01
田布施町
421日本@名無史さん:03/09/17 23:03
大室キターーーーーーーーーーー!!!
422日本@名無史さん:03/09/18 22:39
大陸の端の半島
423日本@名無史さん:03/09/18 23:26
>天皇の先祖はどこから来たの?

アフリカだよ。
アフリカのイブ。
424日本@名無史さん:03/09/19 01:05
日本史板の天スレ基地外荒らしの見分け方
 レスに『ヒロヒトラ』と書き込んでるのは例外なく同一人物の基地外荒らしその人である!
 言わずと知れた長年にわたり天スレを荒らしまくっている精神異常者である。
 本人はヒッシで『ヒロヒトラ』を定着させようとするが誰も使ってくれないので最近はムキ
 になってこんな恥ずかしいスレまで立ててしまったが、墓穴を掘った様で罵倒されまくって
 います。。もはやすくい様の無い○○です。。
 
 さぁ!このスレにGO!  
 童帝 ヒロヒトラ国 
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1063005095/l50

 ちなみに『童帝』は本人はかつて無いベストネーミングと思っているが、やはり誰も
 相手にしてくれないのである・・・合掌・・・。

 それでもきっと君はこの先も書き込み続けるのだろう・・。
 皆さんもどうか生温かい目で見守ってやってください。

 ヒロヒトラを永遠に・・童貞ヒロヒトラマンセー!!
425日本@名無史さん:03/09/20 19:01
朝鮮人なんだから、早く北の故郷へ逝ってほしいものだ。

426日本@名無史さん:03/09/20 19:39
アフリカ→インド洋→日本
427日本@名無史さん:03/09/20 21:54
240 名前:天之御名無主 :03/09/20 21:37
半島系じゃなくて大陸系の顔だろ。
京都人の顔は大陸系渡来人の形質を温存してる人が多いからね

大陸系の弥生系と半島系の顔はかなり違う。大陸系は、満州から来た半島系
と違って頬骨が張っていないため、一重細目だがツリ目ではなく、鼻が細く、
頭も中頭で、見た目がとても端正。

また、九州西部の人の形質は白人ではなく縄文人の形質だろう。
九州から出土した弥生時代の頭蓋骨を見ても、渡来人の形質を持つ頭蓋は
北九州のみで、長崎以西や北九州より南の頭蓋は縄文時代と同じ形質を
引き続き継承している事が分かっている。その後、北九州の渡来人は
衰退してしまう。日本全国に広がった渡来人は実は山口から出る渡来人と
同系統のもので、北九州のものよりやや華奢で、一般的に土井ヶ浜弥生人と
呼ばれている渡来人の方であり、山東省の古代人骨の頭蓋と形質が一致し、
海上交易により、日本海側から広がった事も分かってきている。
428日本@名無史さん:03/09/20 22:32
神話では、出雲族(半島系)は出雲→吉備→大和。
海族(華南系)は日向→土佐→熊野→大和。
天皇家は海族ということになっている。
でも、日本語はアルタイ(満州朝鮮)系。
日本の文化・風俗・習慣は圧倒的に華南系。
半島系と華南系がゴチャゴチャになったとしか思えんが。
429日本@名無史さん:03/09/20 22:57
>>419
鹿児島県北部は畿内と並ぶ「短頭」地帯だ。
ここからひと山越せば日向。
短頭の北方人が日向を経由して畿内へ行った可能性もある。
430日本@名無史さん:03/09/21 12:34
경주=연합뉴스 특별취재단=
차전 승리로 강행을 확정한다'
한일월드컵축구대회에서
폴란드를 상대로 완승을 거둔 한국축구대표팀이
당초 1승 상대로 잡았던 미국을 제물로 ...



431日本@名無史さん:03/09/21 20:06
天皇家の苗字は地家です。
山口県田布施町麻郷地家出身だからです。

地家寅吉がかぞえ5歳の時、父地家作蔵が離婚し
母 スヘについて行きました。その年に後南朝の末裔
大室弥兵衛とスへが再婚いたしました。だから地家寅吉
は大室寅吉となりました。
1867年10月下旬行方知れずになっていた寅吉は大室寅之祐
と名を改め京都から麻郷に亡命するため1度は故郷田布施町
に帰ってきます。
薩長の軍隊を麻郷に集め王政復古の大号令を1867年12月9日に
麻郷村井神の高松八幡宮で岩倉らとしめやかに執り行い
1868年1月に京都に向かって鳥羽伏見の戦い後、薩長勝利
によって
1868年1月15日京都御所で大室寅之祐を明治天皇と改め
そこから先は史実どおりです。

大室寅之祐は元奇兵隊の足軽で伊藤博文の力士隊に所属
していましたから伊藤は明治天皇の上司でした。
432日本@名無史さん:03/09/21 20:18
原始天皇はあきらかに南方系だね。
で、途中から北方系の部族に征服されるかして融合。
そのへんの消息は日本神話を分析すればわかるよ。
433日本@名無史さん:03/09/21 20:25
>431
すごい説ですね。
驚きました。たしかに明治帝が伊藤にしかりつけられたような話も聞いたこともあるし。
日本史の混乱期にはなんか他にも似たような話がありそうな。
じつは天皇はその血統よりも、前代から継承したって形の
ほうが重要なような気がした。
434日本@名無史さん:03/09/21 20:37
過去レス少し読んで見ました。
なかなかおもしろいスレですね。
気になるのは皇室が朝鮮から来たのでは
って説に反発したがる人がいるみたいなこと。
皇室が朝鮮から来てたらなんかまずいのでしょうか?
435日本@名無史さん:03/09/22 20:12
なんにもまずくない。
だいたい弥生人が朝鮮半島および/または中国本土から来たのだから
朝鮮半島から来た皇室は「遅れて来た」「今来の」人達であるという
だけである。
436日本@名無史さん:03/09/22 20:46
>>434
まずくないよ。なんか根拠ないのに、
朝鮮半島から来たと断言したがる人がいるだけ。
437日本@名無史さん:03/09/23 14:19
>>436
その断言がほんとうならまずいのかね?
438日本@名無史さん:03/09/23 14:21
どっちにしろどっか外国から来た家なのはまちがいなかろ
439日本@名無史さん:03/09/23 14:31
外国からの成り上がり侵略王朝なわけね。
440日本@名無史さん:03/09/23 15:40
継体帝 は 漢皇帝の順帝である

正史では、477年に死を前提に宋最後の帝位につく 
478年 11歳の順帝は、倭王武から表をうけ安東大将軍位を与え、
そして、12歳の時 一族諸共 廃絶された 宋は終わる。

解説
順帝は、漢の皇帝であるが、倭王武からの、代々の漢帝への忠臣である事を
訴えられた時、自らの一族の運命が来年には閉じる事を知っていたのである。
これほどの事実が軽く扱われているのである。

誰しも知っているとおり、 500年あたり境に、
倭は、継体天皇の代から全く別の国の展開を始めるのだ


441日本@名無史さん:03/09/23 15:59
そもそも、 順帝以降、倭は突然、
歴代の南朝参りを止めてしまう。
漢の正当性から言えば、確かに宋以降は漢帝の血ではない
継体帝以降、突然漢人が朝廷にリードして、陳が廃絶して漢帝が廃絶したとたん
継体帝の子孫は、 隋に天子宣言するのだ。
漢が消滅したとたん、 北方異民族国家に天子宣言など 漢の血でもない限り
発想する事すら不自然である。
もし 466年生まれの順帝が 531年に没したら 65歳程度なのだ





442日本@名無史さん:03/09/23 16:04
>>437
根拠があって断言するならまずくない。現実には何もないけどね。
443日本@名無史さん:03/09/23 16:05
順帝の身になり考えてみよう。

漢の天子でありながら、来年には一族皆殺し決定の自分に、
「私は先祖代々、帝の忠臣です・・・高句麗征伐したい」という表をもって
 大将軍の倭から使者が来たのである。
倭王のもとに身を寄せよう と思わないだろうか?

ちなみに、 南朝とは 古来 越 ともいう
継体帝は 越出身である


444日本@名無史さん:03/09/23 16:17
大和民族そのものが渡来人だし。
445日本@名無史さん:03/09/23 16:22
宋の順帝が倭列島に逃れて継体天皇になったのか
446日本@名無史さん:03/09/23 16:32
>>445

当時の倭は、 5代に渡って南朝の忠臣であり大将軍である
倭王としても、帝がやってきたのであるから、反発は難しいだろう

有名な継体の先代 武列や武略の記述が、宋の順帝の先代あたりの記述と
そっくりなのである。 明らかに南朝の宋記の影響を受けている
447日本@名無史さん:03/09/23 16:53
もちろん、全て推測であり、
正史とは、日本生まれの神武が東を征していき、継体に続くのだが、
誰しも不思議に思う点が2つあるのだ。

継体帝で突然、独立皇国日本の様相 と漢人達、漢文化の浸透がおきる。
今となっては当たり前のようだが、
漢字のかもない古墳大王国が突然、漢字の国に変貌し、大陸的な天子思想と
大陸に反発した独立天子国家の様相をとる。

継体帝が只者じゃないのは誰もが感じるところなのだ。
448日本@名無史さん:03/09/23 17:52
朝鮮人の亡命政権が大和朝廷
449日本@名無史さん:03/09/23 20:23
>440
おもしろい説です。
「継体」というのもじつは漢の正統を継ぐという
意味だったのかもしれませんね。
450日本@名無史さん:03/09/23 20:26
越は呉のような海洋民族ですか?
451日本@名無史さん:03/09/23 20:40
呉と越は、ともに南朝 今で言う、上海や南京 
蘇州辺りのことだね。 

日本の古代の漢読みは殆ど、呉読みといって南朝の影響が大きいとはされている
日本の和服も 呉服 といって、南朝
452日本@名無史さん:03/09/23 21:01
あぁ「呉越同舟」っていう熟語があるね。
453日本@名無史さん:03/09/23 21:21
なるほど、 武略の残虐ぶりの違和感も 宋史からと思えば納得がいく
順帝は劉氏だから、本当に最後の正当漢帝であるね
次の斉は、漢の武将の子孫というだけだもんなー

本当にそうなら、漢の劉邦の流を組む天子の中の天子ってことか
454チョソ天:03/09/23 22:33
天皇も認めてしまったしさ、ウヨは諦めなってこった。
455日本@名無史さん:03/09/23 22:35
>>454
韓国の新聞にはそういう誤報が載ったらしいね。
さすが捏造国家だ。
456日本@名無史さん:03/09/23 22:38
正直言って世界中捏造国家だろ。
457日本@名無史さん:03/09/24 08:55
なるほどー その説で、漢人の謎に説明がつくなー

日本に来てる東漢氏や秦氏って漢人なわけだから、
言わば 蛮域に来てる文明人 な訳だよね、
その文明人集団がなぜ、蛮族の王である天皇に完全なる忠誠で
仕えているのか不思議でならなかったんだが、
天皇=漢帝 と考えれば合理的ではあるね、
続日本紀あたりで、東漢氏祖先などが日本に来た理由を
日本にいる聖王を助けに来た と言ってるんだよね、
聖王ってなんだ? っと思っていたんだが・・

まー 信じちゃいないけど
458日本@名無史さん:03/09/24 11:36
天皇がこんなに長い歴史にわたってつづいてたら途中で誰かが
入れ替わってたとしてもわからない罠。
しかも、朝鮮の血も混じってるし、血統なんて意味も無い。
459日本@名無史さん:03/09/24 12:05
朝鮮の血は一滴も入ってないよ。 百済は倭人
460日本@名無史さん:03/09/24 18:47
順帝=継体帝 説
おもしろいです。
なかなか説得力もあるし。
この日本史板で埋まれた新説としても意義深いのでは?

呉や越の漁民あたりだと刺青の風習も
あったんでは?
だとすると例のヤマタイコクの記述に
ある刺青の風習に近いのでは?
461日本@名無史さん:03/09/24 19:52
一番不思議な事

秦の始皇帝が万里の長城を作った事でも判るように、
万里南の漢民族に対し、万里北は異民族である。
1000年の漢民族の歴史ではじめて漢帝を廃した、異民族の帝それが
隋の煬帝である。
 漢帝はこの時、歴史で初めて空位になったのだ。

なぜ、日本の王がこの隋に、いきなり天子宣言などしたのだろう。
独立意識だけで説明がつくだろうか?
漢帝が空位になったタイミングで、異民族の王へ倭王が天子宣言したのだ。
本来ならば、その宣言をすべきなのは、新たな漢帝の役割なのである。

しかしこの時の漢の陣地は、 2つの大将軍位の国 百済と日本だけである
もし、漢の帝位を継ぐつもりのある勢力が逃げ潜むなら、
そのどちらかの国しかないのだ。 漢帝はどこにも逃げずに滅んだとするなら
話は終わり。 もし逃げたら? もし逃げれたらどこにいくだろう?
日本に逃げた正当漢帝勢力が、
陳の漢帝が空位になったタイミングで、北方の隋に天子宣言した としたら
この天子宣言はぴったりなのだ。

462日本@名無史さん:03/09/24 20:52
>>461
隋の文帝の中国統一前に、ずっと異民族の人間が
万里の長城の南(淮河の北)で皇帝を名乗ってきたが。
当時の中国の中心地は北朝の支配地。
463日本@名無史さん:03/09/25 09:15
>>462

???  おいおい、瑣末なところで話のスレ違いをおこすなよ、
 
万里北の異民族が五胡十六国時代に、漢を南に押しやった
という話で、北方異民族の隋帝がとうとう、南の漢帝を廃した
そういうことだろ。

今となっては隋も中国だが、当時は南朝だけが漢だよ
464日本@名無史さん:03/09/25 09:32
>>463
>今となっては隋も中国だが、当時は南朝だけが漢だよ

当時(南北朝時代)は「漢」というのは民族名ではなくて中国の北半をさす地名。
中国の南半は「呉」といった。南朝と北朝を地名で表わした言い方が「漢」と「呉」。
「中国」というのはひとつしかないので、
漢の地の「中国」(北朝)は呉人(南朝)を「島夷」という蔑称でよび
呉の地の「中国」(南朝)は漢人(北朝) を「索虜」という蔑称でよんだ。

ここでいう漢人は、もちろん鮮卑系の北方民族の子孫ではあるが
漢の地(中国の北半)の住民だから「漢人」というので正しい。

「漢人」が漢族だけをさし異民族をいうのではない、というのは宋代以後の認識にすぎず、
当時の認識ではない。
465日本@名無史さん:03/09/25 10:19
あらら、 明らかに俺の中国史の常識が違うね
この問題は、お互いの確信的な見識の違いという事になるかな?
恐らく、お互い自分の見識が常識 と思ってるだろう

説得は無理だと思うが、
中華思想     中原を制した国が中国である(異民族であtっても)
漢族選民思想  秦帝制定の呉を含む万里南の漢族に対し、
           万里以北は鮮卑など蛮族である

この2つを混同している人は非常に多い
南朝の漢帝を支持するものにとっては、中原を日本人や鮮卑に奪われて、
南京政権、台湾政権を作ってもその場所が中国である。

北朝を支持するものにとっては、日本人であっても鮮卑であっても
中原を制すれば 即ち中国である

三国史や南朝の代においては、事実上、中原中華思想は全く存在しない
というのが俺の見識であり、それは常識だと思っている





466日本@名無史さん:03/09/25 10:43
はたから見てると、465の個人的な思い込みはこの際どうでもよいのではと思われるが。
467日本@名無史さん:03/09/25 11:09
はたから見てると、465が常識だと思われ (w
どちらにしろ、 スレとは無関係な話
468日本@名無史さん:03/09/25 13:21
常識ならどうして「説得は無理だと思う」んだ?
自説の方が非常識だからそう思うんだろ。
469日本@名無史さん:03/09/25 14:24
まさか天から降臨したなんて本気で信じてませんよね。
(ただし、キチガイウヨは除く)
470日本@名無史さん:03/09/25 14:57
>>468
はたから見ると、君は知能が低いね。

バカの壁 を引いてみろ
471日本@名無史さん:03/09/25 15:04
僕は、歴史は素人なんですが、下の掲示板で、チョンをからかってやろうと話をしていたんですが、
http://bbs2.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/list.php?id=enjoyjapan_8
日本(倭)と百済と高句麗は関係が深そうなんですが、どうなんですか?
天皇家は高句麗の系統なんじゃないですか?
遺伝的に日本人に近いと言われるツングースにも近いし。
言語的にも、基本的な単語が、高句麗と掠ってるような感じがします。
(今の朝鮮の言語とは、同系だとしても、基本語が異なっていて別グループ
のようです。高句麗の言語は。)
高句麗の滅亡と百済の滅亡が比較的近接して起こってるんですよね。
高句麗滅亡の後、残党が作った渤海と日本は、直ぐに渤海使で連絡取り合っている
古代の秋田の港の謎の繁栄なんかも説明できそう。(秋田と朝鮮を結びつけるのは
遠くて無理があります。しかし、渤海・高句麗となら近いし、自然ですよね

472日本@名無史さん:03/09/25 15:07
>>470
ちんぽこ。
473日本@名無史さん:03/09/25 16:29
>>470
知能の低さのよくわかるレスだね
474日本@名無史さん:03/09/25 16:51
まあ、ともかくこの説に基づけば
少なくとも継体帝から聖徳太子までの
朝廷には我こそが漢の正統を継ぐもの
という強烈な意識が残っていたはずである。
一つその痕跡をみなで探ってみてはどうだろう?
475日本@名無史さん:03/09/25 17:27
せっかくの良説が、466以下で荒れてるね、

当時、漢族の側からすれば、南朝でも北朝でも
多かれ少なかれ隋帝を侵略者と当然見ていたんじゃない。
漢代の名家の氏族ならみなそうでしょ
漢帝が史上初なくなったのは確かだから
指摘どおり、本来 隋帝に天子宣言するのは、漢の天子の役目なんだよね
476日本@名無史さん:03/09/25 17:46
キチガイウヨ
477日本@名無史さん:03/09/25 20:07
古代の朝廷の 漢字読みは全て 呉読み これ常識

継体帝以降、古墳文化が漢文化に突然変異。
卑弥呼の代の俗習も、全て消えてしまう
478日本@名無史さん:03/09/25 20:55
>>475
晋が匈奴に追われて陳が滅びるまで300年ちかくたってるのに、
北朝の人間が南朝のほうを正統勢力と思ってたの?すげえ疑問なんだが。
479日本@名無史さん:03/09/25 21:27
隋帝を、正統と認めない割合

南北 劉氏一族  100%
南  漢族家臣   90%
南  漢族一般   50%
北  漢族没落家臣 50%
北  漢族一般    10%
北  漢族登用家臣 10%
南北  異民族      0%

こんな感じでは?

北朝の人間・・・さすがに、漢帝勢力は絶滅してるだろうね
ただ、漢族選民思想の歴史をその後も継続してるから知識階級の
漢族は知ってるんじゃない?


   
480日本@名無史さん:03/09/25 21:50
ろくな基礎知識もないくせに、勝手な思い込みや想像だけでどんどん話をすすめてる奴は
ここが一応学問板だったってことを忘れてるんだろうな。
481日本@名無史さん:03/09/25 21:53
そんな基礎知識のない奴に、
矛盾点のひとつも出せない無学な君は、
ここが一応学問板だって事を忘れてるんだろうな。
482日本@名無史さん:03/09/25 21:57
◎弥生人は朝鮮を経由していない!!

「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
483日本@名無史さん:03/09/25 21:59
天皇家は土着の王族に決まってるじゃないの。
縄文時代から身分制度が有った事が分かってきてるだろ。
484日本@名無史さん:03/09/25 22:01
なんだ、1は例の江南ヴァカか。
工作に余念が無いねw
485日本@名無史さん:03/09/25 22:12
思うに、このスレに意義があるとすれば、
実証が不可能である以上、

ただただ、矛盾点や疑問点を浴びるだけだろう。
矛盾点により消えてった説に対して、生き残る説が
生き残ってという意味の範囲で有望な説といえる

486日本@名無史さん:03/09/25 22:15
しかし天皇は朝鮮人とか言ってる香具師って
朝鮮人の定義を語らないから困るな〜

だいたい古代朝鮮半島は大陸移民の
コロニーがいくらでもあるしさ。

そもそも朝鮮人自体があからさまに
諸民族の混血じゃん。

天皇が渡来したとして
渡来した頃の半島南部にいた民族を
朝鮮人というなら
いまの住人は朝鮮人じゃないよ。
487日本@名無史さん:03/09/25 22:19
仮説はいくつか立つんでしょ?
幾つあるんですか?
488日本@名無史さん:03/09/25 22:29
>だいたい古代朝鮮半島は大陸移民の
>コロニーがいくらでもあるしさ。


意外だが、朝鮮半島人は中国大陸人に似ていない。
ただし、朝鮮半島の平壌以北の北西部あたりだけは大陸人に似る。
朝鮮半島人に人種的に近いのは日本人と満州人。
489日本@名無史さん:03/09/25 22:35
>>488
現代中国人や現代半島人で比べても無意味では?
490日本@名無史さん:03/09/25 22:38





朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)



491日本@名無史さん:03/09/25 22:42
これより前に南方から移住してきた人々というのは、縄文人の事だろうね。
492日本@名無史さん:03/09/25 22:48
モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に近く=短頭〜過短頭

平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い=中頭


つまり、弥生人は朝鮮半島では平壌付近でしか広がらなかった。


493日本@名無史さん:03/09/25 23:33
>>491
縄文人は普通は北方系と考えられているみたいだけど。
494日本@名無史さん:03/09/26 09:01
1万年の集落地域である日本のトップになるには、
それなりの力が必要だ。

A土着    BC10000  日本は世界一古い集落地域
B稲作    BC800  日本の豪族は稲作による・  ・大陸から 
C春秋時代 BC300  王権武等派豪族の到来・・・   呉越から 
D徐副    BC200  男女2000人が日本にきた・・・  秦から
E魏志    AC200  楽浪郡と魏の崩壊での独自・・・・公孫系 
F継体    AC500  宋帝が廃帝粛清から逃げてくる・ 順帝 
G天武    AC700  白村江の敗戦・・・・・・・・・    新羅系

諸説はこんなもんだろう。
 




495日本@名無史さん:03/09/26 10:23
漢字文化の熟成を考えると、Dはなし 
もっと古い代から漢字読みの王の名や文献が出るだろうからね
もしEなら 倭王の記録にそれらしき話があっていい ので Eはなし
496日本@名無史さん:03/09/26 12:31
G ありえん。 天武は新しい姓制度を設け、その目玉は皇族のランク訳。
第一位の真人=継体帝からの5親等とする それにより継体帝ゆかりの地方豪族も
真人になった。 天武が外来なら、植民地の古王の親戚が一番偉いなどとはしない。

したがって、天武から継体までは繋がっている

F ロマンはある が継体が即位してから都入りの20年間は504年あたりから。
 この20年の空白を埋める謎は、むしろ 宋末の順帝ではなく
斉末の和帝のほうがぴったり。和帝が禅譲させられ殺される運命となるのは
502年ころ。倭王のもとに逃げるなら和帝もあり、継体帝の即位年と近い
実際の都入りが20年遅れたのも説明がつく

E 十分ありえるが、 500年ころまでの歴代大古墳の継続性からいって、
  500年代ころまでは、一豪族といったところだろう。200年くらいかけて
  列島の中で勢力を伸ばしたということか

497日本@名無史さん:03/09/26 13:52
倭王が、直接 使節を使わしたのは表を送った順帝の時が最後じゃない?
その後王朝が変わるたびに、大将軍に奉じられているけど・・・
498日本@名無史さん:03/09/26 20:31
順帝=継体帝説
おもしろいんだがなあ。
499日本@名無史さん:03/09/26 20:34
おもしろいからといって正確であるとは限らない
500日本@名無史さん:03/09/26 21:04
今宵も天スレで萌えましょうぞ!!


501日本@名無史さん:03/09/26 21:16
激しく釣りっぽい質問だけど通説では天皇の先祖はどこから来たことになってるの?
502日本@名無史さん:03/09/26 21:22
>>501
田布施町
503日本@名無史さん:03/09/26 21:27
>>501
山東半島。
504日本@名無史さん:03/09/26 21:31
>>501
プサン
505日本@名無史さん:03/09/26 21:39
徐福村
506日本@名無史さん:03/09/26 22:18
半島ではうだつが上がらないから日本にやってきたわけだ。
夜逃げ同然で来た連中だ、何の伝承も残っていないんだ。すまん。

507日本@名無史さん:03/09/26 22:23
中国から逃げてきました天ちゃんですが何か?
508日本@名無史さん:03/09/26 22:33
>>493
無論、縄文人は北方系。
縄文人は約2万年前に樺太から入って、約1万年前には沖縄まで日本列島を全て
制覇していた。
これより前に南方から移住してきた人々というのは、北九州から南鮮に渡った
縄文人という意。


509日本@名無史さん:03/09/26 22:34
早く中国へお帰りください。お願いします。
510日本@名無史さん:03/09/26 22:37
人類の起源アフリカ
511日本@名無史さん:03/09/26 22:38
烏龍茶飲みに行くついでにそのまま中国に永住しなさい。
512日本@名無史さん:03/09/27 00:02
111 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :03/09/26 23:57 ID:mX76irLD
高句麗は短頭を持つ満州から来た満州人種。
弥生人は中頭で華北系の人種。
全くの別物。

朝鮮半島人を人種的に解剖するとそれが明確に分かる。
韓国朝鮮人は縄文人の亜種の上に短頭の満州人種が
重なり、その度合いは南北差があるものの、ほとんどが短頭化した
人種であるが、平壌あたりの人種だけは中頭で華北系の人種のタイプに
なっている。
513日本@名無史さん:03/09/27 00:13
>>512
>高句麗は短頭を持つ満州から来た満州人種。

高句麗人の頭蓋骨なんて誰がどうやって調べたんだ?電波もたいがいにしろや
514日本@名無史さん:03/09/27 00:21
早く中国へお帰りください。資産は日本に全て残して。

それと在日は半島へお帰りください。
515日本@名無史さん:03/09/27 00:32
>>513
高句麗が満州人なのは常識。
516日本@名無史さん:03/09/27 00:36
楽浪郡の漢人、王仁が伝えたものを携えて早く中国へお帰りください。
517日本@名無史さん:03/09/27 02:59
順帝が日本に逃げてきたってのは、面白いな^
順帝の本名みたいのってないの? 
518日本@名無史さん:03/09/27 03:09
>>515
常識って藻前だけの脳内常識だろ。

だいたい満州人ってなんだ? 満州地域居住者の意味か? 満族(女真族)の意味か? どっちなんだ?

妄想はいい加減にしろよ
519日本@名無史さん:03/09/27 10:10
漢族の多くは、南朝逃げたのさ

江南では司馬睿によって建国された東晋(317〜420)が
約100年間続いた。この間華北の五胡十六国の戦乱を避けて、
華北の漢人の貴族・豪族をはじめ多くの農民も江南に移住してきた。
このため江南の人口は急激に増加し、華北との人口比率もほぼ1:1になった。
華北を五胡に奪われ、江南に移住・定着した漢人は江南の開発を進めた。
このため三国の呉以後、開発が進められていた江南(長江の中・下流域)
では土地の開墾・灌漑用水路が引かれ、耕地が拡大し、
水田耕作が普及して農業生産力が急速に増大した。以後、
中国の経済の中心は江南に移っていくこととなる。
520日本@名無史さん:03/09/27 11:39
劉宋の歴史ひどいんだよねー
中国史の中でも最悪の歴史のひとつなんだが、
中国正史とは、次の王朝が書くという決りがある為、
南朝のように、50年おきにクーデターが起きると
粛清が正等である理由が編纂され、正しいかどうかわからんのだけど

継体帝の記録も、明らかに中国史と同じのりなんだよね
前王がひどい書かれ方をされていて、クーデターがあったということなんだよ
521日本@名無史さん:03/09/27 20:08
111 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :03/09/26 23:57 ID:mX76irLD
高句麗は短頭を持つ満州から来た満州人種。
弥生人は中頭で華北系の人種。
全くの別物。

朝鮮半島人を人種的に解剖するとそれが明確に分かる。
韓国朝鮮人は縄文人の亜種の上に短頭の満州人種が
重なり、その度合いは南北差があるものの、ほとんどが短頭化した
人種であるが、平壌あたりの人種だけは中頭で華北系の人種のタイプに
なっている。
522日本@名無史さん:03/09/27 20:15


朝鮮人は、人種的にはモンゴル系の黄色人種で、形質的には日本人に
もっともよく似ている。身長、頭形、顔形、血液型、指紋などでは、
日本人と満州族とにもっとも関係が密で、中国人とはそれほど類似して
いない。北部の朝鮮人は満州族に、南部は日本人に似ているが、
例外として、モンゴル帝国の占領下にあった済州島人の頭形は満州族に
近く、平安南道・南北黄海道人の頭形はもっとも華北型に近い。
ツングース族に属する満州族や東部シベリアの古アジア諸族などが、
前40世紀ごろから朝鮮半島に移住し、これより前に南方から移住してきた
人々と共存していたとも考えられている。(世界大百科事典/平凡社)





523日本@名無史さん:03/09/27 20:23
弥生人(中頭)の頭形から、弥生人が朝鮮から来たというのはどうしても
無理になるね。
524日本@名無史さん:03/09/28 02:46
どちらにしろ、1万年豪族地帯の日本列島をあっという間に漢化するだけの
力は、南朝の王権しかないな
呉王朝  
劉宋王朝

天皇はどちらかだ


525日本@名無史さん:03/09/28 10:18
あっとういう間にアメリカナイズされた昭和日本の天皇はもちろんアメリカ人。
526日本@名無史さん:03/09/28 10:53
沖縄を自由に使う権利と引き換えにアメリカっぽい国の国籍っぽいものを得ました。
527日本@名無史さん:03/09/28 16:03
>>525
いやいや、戦後以上に急激な漢化がおきてるよ

半島は500年間、漢の直轄楽浪郡があったので、
ある程度の漢化は当然だが、
 日本列島の場合、侵略もないのに
非漢の独自古墳王朝のはずが、
継体以降朝廷の様子がいつのまにか漢化してる
528日本@名無史さん:03/09/28 16:15
>>520

ならば、答えはもう決まってるのでは?
武烈帝と継体帝の間が、中国史的な王朝変更のお約束と同じなら

その時代は呉王朝ではない。
宋の順帝か、斉の和帝 この2人だけに絞られる事になる。

応神帝の代なら、五胡の北朝から逃れてきた漢族や
さらに押し出された、呉系の王朝 などもありえるが
継体の代なら、この2名しかいないだろう 
529日本@名無史さん:03/09/30 01:14
高天原ってチョーセンのことでしょ。
530日本@名無史さん:03/09/30 03:59
>>529
そうだよ。 いまさら そんな判りきったことを…
531日本@名無史さん:03/09/30 10:33
日本は中国から来た王が途中から天皇になって中国と張り合った!って人、
あちこちに貼ってるね。論破されてるけど。
変な本かサイトにはめられてしまったらしい。
532日本@名無史さん:03/09/30 20:02
>>531

論破されてるスレを教えてください
533日本@名無史さん:03/09/30 22:40
つうか、日本は漢の跡継ぎだから隋唐と対等だったといってた人でしょ?
批判されたあと途中で消えて、今は荒らしてるようだ。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053186219/l50
534日本@名無史さん:03/10/01 03:43
>>533
そのスレから君のハシゴで来たんだが・・・おい
同一人物といってる君が、同一人物じゃないか、笑わせるな
もっともらしく書くなよ、チョン 笑えるが
あっちで支持を得られないからといって、アホはやめろ

さ、君のそのハシゴでもどるか
535日本@名無史さん:03/10/01 05:58
534って自分で日本語になってないの判ってないのかなぁ
天皇の先祖をあれこれ言う前に、日本語を勉強してね。
536日本@名無史さん:03/10/01 10:31
>>531 >>533 >>535
あちこち荒らすなチョン
537日本@名無史さん:03/10/01 12:20
日本は隋唐と対等じゃないニダーと 言い張ってたチョンだね
538日本@名無史さん:03/10/01 14:07
対等といってもいろんな意味があるから微妙だね。
少なくとも、一方的な属国だったようにいうのは明らかに間違いだろうけど。
539日本@名無史さん:03/10/01 17:56
現代と古代の区別がつかないアホがいるようだな。
古代の日本が古代の唐の属国だったからといって現代の日本の恥になるわけではないぞ。
事実を直視しる。
540日本@名無史さん:03/10/01 18:19
私は順帝=継体説をできれば支持したい。
しかし、上宮記によって継体帝の出自が裏付けられて
王朝交代説が退けられているという
現状にあってはこの説も少し厳しいの
ではと思います。残念ながら。
541日本@名無史さん:03/10/01 18:58
いや、待てよ継体帝のおやじは子供の頃に亡くなっているな。

それに朝廷の連中が迎えにいった時に
既に天子の風格で侍臣を整列させ
ゆったりと床ギにかけていたというのは
一地方豪族の域を越えてないだろうか。
542日本@名無史さん:03/10/01 20:19
>>541
電波キター

>それに朝廷の連中が迎えにいった時に
>既に天子の風格で侍臣を整列させ
>ゆったりと床ギにかけていたというのは
どこに書いてあった?書紀か?何ページだ?
543日本@名無史さん:03/10/02 12:35
俺の説に、複数のファンができたというのは
素直にうれしいです。

反論がある方も、学問板として矛盾点を指摘していただければと
思います。  俺の説は
日本の状況と 劉宋の状況からみた、状況しかありません。
状況証拠としての矛盾点があれば、それもよし、
記紀や地政学に基づく矛盾があれば、それもよし、

エジソンも1つの発明は99の説をツブス事にあると言っています。
しっかり潰していただければ幸いです
544日本@名無史さん:03/10/02 20:39
>542
書紀だ。
電波とかいう前に自分で読め。

>543
大変おもしろい説ですよ。
検証してみる価値はあると思います。
545日本@名無史さん:03/10/02 21:38
黄色人種なんて在米黒人からは、コケにされていい憂さ晴らしの的になってるぜ。
貧弱だからな。
ネットでだけ粋がれねえひ弱ちゃんども哀れだな?
悔しかったら体鍛えてみろやオカマ民族ども。
546日本@名無史さん:03/10/02 22:13
>>544
ありがとうございます。

記紀にしろあらゆる資料は 漢人の書記により書かれているてのも
常に意識する必要があると思ってます。 天武朝以降の資料は

1・代々の漢人書記の記録が、記紀当時の第一級資料である
   これがどういう影響を及ぼすか・・・研究者があまり注意してない

2・天武朝以降の資料の意味は、全て皇族の皇統の正当性を表現するものです
   当時設定された八色の姓で、継体皇統以外の大王の血縁は皇統からはずされました
   
素朴なところで、 文人の漢人たちに聞く、先祖の様子の資料とは
どの地のことが語られるのだろう? ということもありますね   
547日本@名無史さん:03/10/02 22:18
田布施
548日本@名無史さん:03/10/02 23:25
また、やってら( ´,_ゝ`)プッ
549日本@名無史さん:03/10/02 23:33
>>544
日本書紀の何ページ?君の持ってる日本書紀の出版社は?
550日本@名無史さん:03/10/03 19:05
継体帝=順帝説の検証は謎の大王継体帝スレにて
つづけましょう。
551日本@名無史さん:03/10/03 20:48
その説の本スレこっちでは?
継体帝そのものには興味がないし
こっちは
天皇先祖の消去法から
継体帝=順帝説 が残ってて、他の説にくらべて
どうかってのに興味があるんだけど
552日本@名無史さん:03/10/03 20:51
tabuse
553日本@名無史さん:03/10/04 22:10
古代天皇にしろそれ以降の幕府権力者にしろ
支配者層の習俗は大陸北方系。
庶民は大陸南方から東南アジア、太平洋諸島に通じる習俗。

やはり古代天皇は大陸北方、満州あたりからきたのでは
554日本@名無史さん:03/10/04 22:16
大陸北部と言うと通常は華北を指すので、満州の指すときは中国東北部
と言うべし。
また華北人と満州人ではかなり形質に差異が出るけどね。
555日本@名無史さん:03/10/04 22:18
>>553
あ・・・・あの・・・・どちらの電波ですか?

支配者層(朝廷)の漢音などは、呉音
稲作、太陽信仰、 南朝系
仏閣様式 南朝系

どこをとっても、支配層は南方または百済 なのですが・・・
556日本@名無史さん:03/10/04 22:20
華北は歴史的に満蒙の勢力圏です
557日本@名無史さん:03/10/04 22:39
応神天皇=八幡神=満州八旗

応神天皇こそ満州から八旗軍を率いて
日本に来襲した騎馬民族の棟梁。

江戸幕府の旗本八万騎は武士の神である
応神天皇の軍団に倣ったもの
558北方派:03/10/04 22:55
>555
いや、支配者の習俗は朝廷から武家政権まで北方派ですよ。

男系社会、天への信仰、狩猟的軍事組織、越中褌、ちょんまげ、騎馬、シャーマニズム、軍事的英雄信仰、モンゴル系相撲
559日本@名無史さん:03/10/04 22:57
>>557
5点
560日本@名無史さん:03/10/04 23:44
>>557
120点
561日本@名無史さん:03/10/05 01:14
北方派が、デンパって事が判りました
562北方派:03/10/05 11:00
反論できないだけだろ。

日本の庶民の習俗は南方系なのに
支配者層はなぜか北方指向。もちろん南方習俗も見られるけど
指向的にはあきらかに北を見ている。
563日本@名無史さん:03/10/05 11:05
根拠も支持もないのに、「あきらかに」って言葉を使うと、
認定されてしまいますよ (笑

せめて根拠だけでも・・
564日本@名無史さん:03/10/05 11:12
日本のそれは、あきらかに朝鮮のそれである
565:03/10/05 11:12
>555
太陽信仰は庶民の信仰を支配者層が
あとからとりいれたもの。
皇室の原守護神は北方系要素の強いみかんなぎ八神。
566:03/10/05 11:15
>563
根拠は558に書いてあるでしょ。
あれ見てわからないなら勉強不足だね
567日本@名無史さん:03/10/05 11:33
判らないのは、

善意のデンパなのか?
悪意のデンパなのか?

どっちのデンパか、ヒントくれ。善意なら少しだけ相手してあげてもいいんだけど

568:03/10/05 11:40
善意だよ。
ハッタリじゃなければ反論してみてくれ。
569:03/10/05 12:04
このスレの主題に関係する最大のクライマックス天孫降臨
の神話はまず天からの神の降臨というモチーフ自体北方系のものであり、
天孫とともに降臨した側近の五部神は北方シャーマンに関連する神であり、さらに五は大陸北方遊牧民の聖数で
軍隊組織の単位。

日本神話には北方的神話と南方的神話の
両方があるがこと皇室の由来に関連するものは
その多くが北方的要素がことさらに強い。
570:03/10/05 12:16
ちなみに勅撰の歴史書たる日本書紀は
北方中国の長安、洛陽の地方の発音に拠り書かれている。
記は5、6世紀ごろの揚子江下流域。
571日本@名無史さん:03/10/05 12:18
この話題について従来倭ではタブー視されつずけてきた

国粋主義的で無駄にプライドの高い倭奴が崇め奉る日王(倭名・天王)が
実は在日同胞だったなどと知れれば愚かな倭奴は狂気のあまり何をしでかすか
わかったものではない、だから宮内長などは日王の埋めてある土盛りを掘り返す
のお許可しないのだ、つまりは劣等部族の矮小なナショナリズムのために
学問を捻じ曲げている、自称先進国がこのていたらく、なさけない、アジアの恥じだな


572日本@名無史さん:03/10/05 12:30
こりゃ南方派は反論難しいだろな。
573:03/10/05 12:33
574日本@名無史さん:03/10/05 12:35
天皇は在日同胞なのか
575日本@名無史さん:03/10/05 12:42
南方派の負けでいいか?
576結論:03/10/05 13:04
天皇はチョセン人だった!
577日本@名無史さん:03/10/05 15:20
悪意の デンパだったって事でいいですか?
578日本@名無史さん:03/10/05 15:53
「天からの神の降臨というモチーフ自体北方系」

とうとう、神は我々の発明だ! が出ましたかあ・・・・感慨深いな
579日本@名無史さん:03/10/05 17:18
>>578 モンゴルに同じ伝承があるんデンショウ。
580日本@名無史さん:03/10/05 19:30
>578
キミに基礎知識がないから理解できないだけだよ。
わからない人にいちいち説明してられないから
自分で調べてね
581日本@名無史さん:03/10/05 19:37
>>580
ここまで来ると日本版ウリナラマンセーだな。
こいつにはチョソの血が混じってんじゃねーのか?
582日本@名無史さん:03/10/05 20:41
列島土着の王がわざわざ北方遊牧民の風俗や信仰を
導入したとは考えられにくいし、
やはり皇室の先祖は大陸北方から来たと見るのが妥当だろうね
583日本@名無史さん:03/10/05 20:47
奈良時代の貴族たちはこぞって唐風文化を取り入れたが。
584日本@名無史さん:03/10/05 21:00
>583
たからそれは先進文化とみなされたからでしょ。
585名無し:03/10/05 21:06
民族の出自は言語と神話による。日本語は支那語とも朝鮮語とも違う。
そして神話も支那や朝鮮の動物神をあがめるものとは違っている。
それどころかギリシャ神話のオルフェイスと同じ話がある。
日本の大地には、縄文時代から一万年以上の歴史がある。皇室はその
中から生まれた。外国から来たものではない。日本固有のものである。
天孫降臨としたのは、権威性を持たせるだけの話で本当にやってきた
と思うのは愚かである。
586日本@名無史さん:03/10/05 21:40
これでどうですか?

中国の歴史家金仁山(一二三二 一三〇三)が「通鑑前編」に記述した。
「日本いう、 呉の太伯の後なりと。けだし呉亡んでその支庶(傍流・後裔)
、海に入って倭となる」

尚、太伯は呉の建国者です。

※日本の皇国史観と相まった戦前のタブー
587日本@名無史さん:03/10/05 21:45
>>586
伝承の域をでないな。
588日本@名無史さん:03/10/05 21:45
>586
いいね。おもしろい!
もっと詳しく教えて。
589日本@名無史さん:03/10/05 21:48
>585
民族の出自=皇室の出自とは限らないでしょ。
また、怒るかも知れないけど
ちょっとレベル低いよ。
590日本@名無史さん:03/10/05 21:50
てか征服王朝なんだから、一般民衆とは別民族でしょ
591日本@名無史さん:03/10/05 22:00
北方の軍は強いからな
592日本@名無史さん:03/10/05 22:14
チョンのデンパは、みんな無視しろよ。

北、北方、同じようなノリの書込みで、他も荒らされてる。


593日本@名無史さん:03/10/05 22:16
おそらく呉から来たのは出雲族。
その後、北方からきた天孫族が
呉系の出雲族や半島系の吉備族などや土着勢力を従えながら統一をなしとげた。
594日本@名無史さん:03/10/05 22:20
>592
くだらんね。
ふつーに反論してみたら?
チョン、デンパの二語しか言わないんだからなあ。
595586:03/10/05 22:33
「梁書」「列傳・諸夷・東夷・倭」にも以下の記述があります。
「倭者、自云太伯之後。俗皆文身。」
(倭は自ら太伯の後という、俗みな文身す。) 
倭人達は、魏に対して「我々は太伯の苗裔すなわち姫氏である」
と主張していたのでしょう。
周や呉の姓は「姫」氏です。
呉の太伯はこの家の出であり姫氏と思われていました。
倭人を太伯の裔とする説は、「魏志」「倭人伝」より早く成立し
魏志の母体とされる「魏略」の逸文、および「晋書」「梁書」に
見られます。
596日本@名無史さん:03/10/05 23:02
「夏后少康之子封於會稽 斷髮文身以避蛟龍之害。」
これはどうでしょうか?倭人伝からだけど呉にも倭人と同様に
全身に刺青をする風習があったと考えてもいいんでないの?
稲作の伝来とも関係ある?DNAしらべたら江南地方のと一致したんでしょう。
597586:03/10/05 23:25
それと、王族と民衆が違う国って「百済」の事でしょう
百済はたしかに王族は北方の扶余族(ツングース系)、その住民は馬韓人
(倭族系?)という「二層構造」の国家でした。
でも百済は高句麗(ツングース系)、新羅(韓人・ツングース系)に囲まれ
てましたからバランスを取る意味でも必要だったのかもしれませんね?
倭国ではその必要は無いでしょう
598日本@名無史さん:03/10/06 02:31
呉の太伯の話は、伝説にすぎない。史実とは関係なし。
「兄が弟に王位を譲り自分は刺青して家来になった」という神話類型。
倭人のいう海幸彦・山幸彦の話を中国人が勝手に周王朝の起源説話のことだと勘違いしただけ。
神話類型としては、かんちがいではなく正しい類推だった。

>>597
夫餘はツングースじゃないよ。あんた2chの他のスレみてないの?
599日本@名無史さん:03/10/06 02:49
............\从/ / ̄ ̄ ̄ ̄\  がーん
        /   U      ヘ
       |,へ.__, ,_ノヽ   /ヘ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       |(・)  (・) U  ||||||| <サザエ!タマの様子がおかしいんじゃが! |
       |⊂⌒◯-------9)   \_________________
       | |||||||||_    | /つ
         \ |_|  \  / //
           \____/ //
        /  ∧_∧ / / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |   (  ゚∀゚ )/ /< 大室寅之祐が新明治天皇になった。
        \\. )    (/ /  \________________
         |\二二つ  \     /⌒\
         | | ∧       \_/ /^\ \__
         | \\\_      /    \_)
         |  | \二二つ    .∠/⌒\
         |  | |  |   \________/^\ \__
         (____).(____)              \_)



600日本@名無史さん:03/10/06 03:18
>>598
>倭人のいう海幸彦・山幸彦の話を中国人が勝手に周王朝の起源説話のことだと勘>違いしただけ。

へぇー、始めて聞く説だぁ。詳細希望!
601日本@名無史さん:03/10/06 03:44
>>600
>へぇー、始めて聞く説だぁ。詳細希望!

1)魏志倭人伝の風俗に関する記事は同じ項目が重複してるのに別内容の記事が表れるが、
これは後半の「倭地…」以後の文は倭国全体の説明で、前半は狗奴国についての説明だという元早大教授
水野佑の説は知ってるかな?(前半は狗奴国の直後にあたり本来は注釈だった可能性あり)
これでいうと呉太伯伝説は狗奴国関係記事の方に入る。
2)狗奴国は熊襲〜隼人の勢力。とすれば、自らの起源説話として海幸・山幸神話を語った可能性がある。
3)「その旧語に曰く」とか「土人自ら曰く」というような表現は中国の正史では、実は中国人に
よる解釈をいう場合の表現。でない場合はストレートに表記し、現地人がそういってる、などと余計な
ことは書かない。
4)現地人は魏志倭人伝に特筆されるような(当時の中国人からみての)モラルの高さがあったが、
一方、刺青のような(当時の中国人からみて)蛮族の風習もあり、
中国人からみて高貴なのか野蛮なのか不可解な存在だった。
5)海幸彦・山幸彦の神話は、中国の士大夫なら誰でも知ってる呉太伯伝説と同類型。
6)4)でいうような不可解な話は中国にもある。刺青して自ら蛮族となりながら君子として評価
されている呉の太伯の伝説がそれである。
602日本@名無史さん:03/10/06 03:50
>>601
いろんなことを考える人いるな。おもしろーい。
603日本@名無史さん:03/10/06 04:23
呉から人がきていたのは間違いない。
米のルートもこのルートが有力だろう。
604日本@名無史さん:03/10/06 06:08
605日本@名無史さん:03/10/06 06:11
http://www.athome.co.jp/academy/botany/bot_photo/bot06ph7.gif

稲作の伝播ルート
中国から日本へ稲作が直接伝播した裏付けとなる「RM1-b遺伝子の分布と伝播」。
日本各所に点在するRM1-b遺伝子。中国では90品種を調べた結果、61品種にRM1-b
遺伝子を持つ稲が見つかったが、朝鮮半島では、55品種調べてもRM1-b遺伝子を
持つ稲は見つからなかった。なお現在の日本に存在する稲の遺伝子は、RM1-a、RM1-b
、RM1-cの3種類。
606日本@名無史さん:03/10/06 06:13
■稲作の起源

  稲作の起源は縄文時代と考える人達がいます。考古学では水田跡が発見された弥生時代を
稲作の起源としていますが、当時の品種が陸稲(熱帯japonica)であれば水田がなくても不自然
ではありません。陸稲を川辺の湿地帯で栽培していたと想像できるのです。
静岡大の佐藤洋一郎助教授によれば、縄文遺跡から出土した数点の炭化米からDNAを取り出
して分析したところ、全て熱帯japonicaであることが判ったそうです。また、稲が発生した地の一つ
として考えられている長江(揚子江)の中・下流域、6千年〜7千年前の遺跡から出土した40粒の
炭化米からDNAを取り出して、22粒を分析したところ、全てがjaponicaであり、そのうち4粒が熱帯
japonicaであることも判りました。長江中・下流域で誕生した熱帯japonicaが、4千年前の日本に伝
わり、縄文の稲作の起源となった可能性があります。

■古代(縄文時代)の人々と時間を共有する

「黒米」を食べることがどうして、古代(縄文時代)の人々と時間を共有することにつながるのでしょうか?

*縄文時代に稲作はあったのか?縄文時代の人はお米を食べていたのか?

水田稲作の伝来は、弥生時代というように世間的にいわれております。
しかし縄文時代に稲作がなかったのか、といえばそうではありません。
縄文時代のものと見られる米粒(あるいは籾)が発見され幾度となく発見されてきました。


607日本@名無史さん:03/10/06 06:13
縄文時代に水田が発見された例は今だかつてないのになぜ、稲作の跡は残されているのでしょうか。

→ 「稲はあるけれど、水田がない」 という問いを同時に満たすもの、それは「陸稲」です。

「陸稲」の典型的な形は、樹木や草を焼きその灰を肥料にして穀物を栽培する焼畑などが
典型的な例です。

この「陸稲」には、「熱帯ジャポニカ」という品種の稲が適しています。現在日本の水田で作られている
のは「温帯ジャポニカ」であり、縄文時代に栽培されてあろう品種は、DNA鑑定の結果より「熱帯ジャ
ポニカ」種のものであろうと推定されています。

ではこの熱帯ジャポニカ種の稲は、そもそもどこからやってきたのであろうか・・・。
その起源のひとつとして考えられているのが、中国です。
中国でこのころ栽培されていたお米は、黒米であると考えられております。
弊社の取り扱っている黄河黒米は「陸稲」「ジャポニカ種」のものです。

縄文時代に中国から伝わった稲がこの黒米かもしれません・・・。

縄文人も食べていたと思われる「黄河黒米」を時間の経過を感じながら、よくかみ締めて食べてみてください。
608日本@名無史さん:03/10/06 06:53
ジャポニカ学習帳はどこから来たんだよ?
609日本@名無史さん:03/10/06 08:50
3)「その旧語に曰く」とか「土人自ら曰く」というような表現は中国の正史では、実は中国人に
よる解釈をいう場合の表現。でない場合はストレートに表記し、現地人がそういってる、などと余計な
ことは書かない。

この部分、気になるなー アマチュアはこの辺限界だからな

継体=順帝説は、面白かった、デンパとも思えない
北の >>557 も面白そうなのに自らデンパになってしまって、残念
610586:03/10/06 12:36
>598
>夫餘はツングースじゃないよ。あんた2chの他のスレみてないの?

他のスレ知らないので、良ければ教えてください。

扶余族が中国の扶余県付近から移住してきたのではないかと言はれている
事は知ってます。
又、ツングース語系諸族とはシベリアから現代の中国東北部にかけて広く
分布する民族の総称だと思ってます。
さらにツングース系民族には漢代以降の鮮卑族、唐代の靺鞨族、契丹族、
宋代の女真族、満州族などもこれに含まれると思ってます。
611日本@名無史さん:03/10/06 12:50
>595
姫氏ですか。
宇佐の姫神なんかとつながりがあるかも。
612日本@名無史さん:03/10/06 12:54
ま、たしかに呉の人が日本に来てた可能性は強いけど
皇室神話や習俗が北方的色彩が濃いこともまた事実。
613日本@名無史さん:03/10/06 13:00
>>612
誰も、あんたの意見を否定してない。
ソースや論拠をきちんと語らず、逃げるから デンパ扱いされるんだ。

順帝継体説の奴でさえ、論拠はきちんと書いてるから事実はともかくとして、
面白くもある。君のは、俺だけは知っているというデンパののりだからツマラン
614586:03/10/06 13:03
>598、601
狗奴国を南九州に考える説では、呉との結びつきがあったという主張
も見うけられます。
只、魏志が山海経的(海幸彦・山幸彦の神話は古事記ですが)なあやし
げな伝説まで逐一記録しているのは事実といても、倭人伝によれば、
魏の帯方郡が送った張政らは、卑弥呼を含めて三代の王のもとにとど
まっており、呉の民の事もその風習も承知していたであろう彼等が呉
の末裔と書き記しているのですからある程度の説得力はあると思いま
す。
615日本@名無史さん:03/10/06 13:03
論拠は書いてるつもりなんだがなあ。
じゃあ、あとで仕事おわったら解説して
あげるから
過去レスみてどの部分がわからないか指定しておいてくれない?
616日本@名無史さん:03/10/06 13:14
>>615
期待してるよー

でも、解説してあげる どの部分がわからないか・・・
という表現が、虚勢を表してるように見えるので注意しましょう
自信があるなら、謙虚に相手の懐に入ってスパっと切りつけてほしい
617:03/10/06 14:55
いや、虚勢とかのつもりはないよ。
自分がわかってるからみんなもこれくらいでわかってると
思っちゃうんだよ。
べつにバカにしたり
しないからどの部分か書いてよ。
618日本@名無史さん:03/10/06 15:34
まずは、たった一つでいいから、北方だけに限定された風習だ、
と自信をもって証明できるものをあげてよ、
「これが偶然の一致といえるだろうか」レベルでもいい

だらだら、いっぱい羅列するってのはなし
619日本@名無史さん:03/10/06 17:37
>>610
靺鞨(の大部分)、女真、満族はツングース系。
鮮卑はいろんな説があったが現在ではモンゴル系ということになっているはず。
契丹もモンゴル系。
夫餘は、高句麗・穢・沃沮などと同系の言語なのに、邑婁とは言語が異なる。
邑婁はかつての粛慎でのちの女真ということがわかっているのでツングース系。
そうすると夫餘・高句麗・穢・沃沮はツングースではないことになり
「夫餘系諸語」とか「穢系諸語」といわれる。
またツングース語系の種族は狩猟が主だが夫餘系の種族は農耕が主。

>>614
それはよくわかるよ。
ただ601でいってたのは「呉太伯伝説はもともと倭国全体にかかる部分ではなく
狗奴国の説明の部分にでてくる文章だ」という説なわけ。

話かわるけど、
北方系がどうのといってる奴は、電波ってほどでもないのでは?
皇室などの支配階層にも庶民文化にも、どっちにも北方的要素も南方的要素もあるでしょ。
南方的要素を軽視して北から来たんだと決めつけるのも
北方的要素を軽視して南から来たんだと決めつけるのも、どっちもおかしいわけで。
620日本@名無史さん:03/10/06 18:05
>>619
違うよ、北が正解をしる絶対知識者みたいな態度を取ってるから、その態度が
デンパと呼ばれるんであって、北方の影響は誰も否定も肯定もしてない

何か手がかりになる話なら、ぜひ知りたいというのはみんな思ってるとこ。
621:03/10/06 18:20
やれやれ、随分と怖がりな人ですね。
622:03/10/06 18:25
とりあえず>>569 はきちんと説明してると思うが
623日本@名無史さん:03/10/06 18:25
そんなハッタリしか言えんのか?
624日本@名無史さん:03/10/06 18:50
569はどうかね?
625日本@名無史さん:03/10/06 18:53
569 OK だよ 詳細頼むわ
626日本@名無史さん:03/10/06 18:55
いやいや、『古事記』のネタ元は実は旧約聖書なんですよ。
まあ日本で売ってるような聖書は原本をフルに訳しているとは
言い難いのが多いんで分かりづらいかも知れないけど、
旧約聖書と古事記を比較してみるとよく似ているんですね。
これが。
627日本@名無史さん:03/10/06 19:02
北さんは、天孫降臨は実際に起こった事件をモチーフにしているのではなくて
書紀編纂者らによるたんなる創作物でしかないという立場ですよね?
他に実際に起こった事件をモチーフにしてるという説とかはないのかな?
628日本@名無史さん:03/10/06 19:03
詳細って、
どの部分のことが知りたいんだね?
629日本@名無史さん:03/10/06 19:09
天孫とともに降臨した五部神とは北方シャーマンに関する神

ではこれを解説して
630:03/10/06 19:22
>627
創作物でなく、神話ですよ。
それはその部族(天孫族)に過去に実際におきた出来事が
神話化されたのかも
しれません。
しかし、それを天からの降臨と表現しているところが北方的なのです。
つまり、神が天から峰に降下するという
発想はアジア大陸の
アルタイ諸族などの
もつ神の垂直降下観念と一致するのである。
631:03/10/06 19:30
ちなみに列島に先行して来た人たちは
スクナ彦やニライカナイ、トコヨの国などに見られるように
神は海のかなたから現れるという
信仰をもった人たちである。
632:03/10/06 19:41
>629
五部神は天岩戸の時に祭りをおこなった
アメノウズメやアメノフトタマである。
その祭りの様子が神ガカリ的な
北方シャーマンの祭りのようであるから
このような表現をしたが
これには異論があるかもしれない。
633日本@名無史さん:03/10/06 19:44
1・天孫降臨は、神が峰に降下するものである
2・アルタイ諸族には、神の垂直降下概念というものがある
3・神は海から現れるという信仰がある

という事ですね なるほど、なるほど・・・

1.天孫降臨って、峰に降下してくる話でした?
2.アルタイの人は、神が垂直降下してくる と言っているのですね
3.淡路島を作ってそこに住んでた神さんが渡って来た時の事ですかね、
634:03/10/06 19:50
最大の焦点の一つは
皇室のもともとの祖神が
太陽神アマテラスではなく
ミカンナギ八神なかでもタカミムスビノ神であることである。
この神は別名、高木神と呼ばれ神が高い木に降下するという
北系シャーマニズムに属する神である。
635:03/10/06 19:57
>633
一、そうです
二、そのようです
三、それはエビス神ですね。彼も海のかなたから登場した神様ですね
636日本@名無史さん:03/10/06 19:59

神は高い木に降下するってのが北方シャーマニズムにあるんですね
日本の祖神に、タカミムスビノがいるし
偶然の一致とはいえないと、

なるほど、旦那! それだけ証拠が揃えば
北さんの評価は決定ですよ、 もう誰も北方説にとやかく言わない!
637日本@名無史さん:03/10/06 20:14
◎弥生人は朝鮮を経由していない!!

「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
638586:03/10/06 21:06
>619
なるほどツングース系については私が広義に解釈しすぎていたと言う事で
すね。教えて戴きありがとうございます。

呉太伯伝説については、こちらのページの↓
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/genkan/mokj.html
『梁書』列傳 諸夷(東夷) にある
倭の項目を見てください。
「倭者、自云太伯之後。俗皆文身」とあります。
私が引用したのはこちらの方です。

私も別に半島と大和政権の関わりには否定的ではありません。
むしろ権力もあり、皇族との血縁関係もあった蘇我氏は百済人だと思って
いますし、藤原氏は新羅と関係があると思っています。

只、最初のルーツについては否定的です。(以下に書きます。)
639586:03/10/06 21:09
6300年前の黄河文明よりも千年以上古い中国の長江流域の巨大文明
が近年の発掘調査で明らかになりましたが、彼らは百越の民として
一括されています。 
そこには古くには於越、南越、駱越、区呉、目深等の沢山の部族に
分かれていました。
私は彼等が日本における弥生人のルーツと思っています。
4200年前に起こった気候の寒冷化によって、黄河流域の北方の民
(漢民族)の南下及び長江の大洪水が長江文明の民を雲南省や貴州省
の山岳地帯、又は東南アジアに追いやり、一部は台湾の原住民とな
り、別の一派は日本に漂着して、稲作農耕の弥生時代をもたらした
と思っています。

そして史記などに登場する「呉・越・楚」等が長江文明の大陸での
後継者です。春秋の頃BC473「呉越戦争」で越王句践に破れた呉王夫
差の一族が先達の後を追って日本に来て邪馬台国を起こしたのでは
ないかと思っています。
640日本@名無史さん:03/10/06 21:23
同意だね。
ただ、断続的にきてるだろうと思う

紀元前800年 米到来
紀元前300年 春秋戦国により呉王朝
呉王朝   孫権系 普に破れ  天孫降臨伝説
応神の世  五胡侵略により中原の漢族がくる
継体の世  南朝の没落貴族がくる (順帝説に近い)

641日本@名無史さん:03/10/06 21:32
江南ヴァカのジサクジエン
642日本@名無史さん:03/10/06 21:36
陸稲耕作は縄文時代からあったわけで、長江文化とどっちが
古いか考察するのは今のところあまり生産的でない。

水稲耕作は大陸からの技術の輸入とも考えられるが、まだわからない。
縄文時代に水田があった、なんていう発見がこの先あるとも限らないし。
少なくとも稲種それじたいは江南方面からの輸入品種のようだけど。

稲作などの南方系文化と日本人種の弥生的形質と天皇家の起源と神話伝説の由来とは
最終的には総合的に考えないといけないが、入り口からいきなりごっちゃにはできない。

呉王夫差の子孫は確かに日本に逃げて「松野連」という三流貴族になってます(新撰姓氏録)
邪馬台国を作ったりというような大活躍をやったら必ず歴史に残り、
三流貴族が自称するようなことはあり得なかったでしょう。
これは呉太伯伝説と関係ないと思われ。中国側の伝説は記事内容からいって太伯でなければ成立しない。
太伯と夫差では600年以上はなれており時代からいっても同一視はできません。
643日本@名無史さん:03/10/06 21:37
華南人は短頭人種。
顔も比較的ハッキリしていて、のっぺり中頭人種の弥生人とは程遠い。
644日本@名無史さん:03/10/06 21:40
山東人の徐福一行様が五穀を持ってきたとあったがな。
645日本@名無史さん:03/10/06 21:51
>>643
短頭なの?
646日本@名無史さん:03/10/06 21:57
>>
そんなの韓半島からに決まってるじゃん
1はクソウヨ?素だったら逝っていいよ
647586:03/10/06 22:06
>642
倭の五王を呉王夫差の子孫とする松野連系図の事でしょ
ちゃんと繋がってるじゃない
648日本@名無史さん:03/10/06 22:11
>>644
徐福も所詮伝説だからなぁ。
漏れは弥生人が山東からきたと思うけど徐福伝説とは関係ないと思うし、
稲作文化が江南からきたと思うけど呉太伯伝説とは関係ないと思う。

世界各地の神話と共通にモチーフのある神話はるかな太古に遡り得るけれども
創作の過程がある程度わかってしまう徐福伝説や呉太伯伝説は後世にできたものだろう。

>>646
1のコテハンは他板で有名な中共マンセーサヨだよ。
649日本@名無史さん:03/10/06 22:13
呉王夫差って春秋じゃなくて孫権の王朝の子孫てこと?
応神の代って事も考えられるの?
650日本@名無史さん:03/10/06 22:15
>>647
いや、新選姓氏録の松野連の項をいってるの。
倭の五王を呉王夫差の子孫とする松野連系図は後世の捏造文書で史料的な価値はないよ。
651日本@名無史さん:03/10/06 22:20
なんだ、春秋の呉か、つまらんなー
ヤマタイを奪った勢力として、孫権の子孫あたりの呉は考えられないの?
公孫でもいいけど、
652日本@名無史さん:03/10/06 22:23
>1のコテハンは他板で有名な中共マンセーサヨだよ。

だから江南江南とうるせーのか。
653日本@名無史さん:03/10/06 22:24
>>651
孫権の子孫も日本に逃げてきて三流貴族になってる。

茨田勝が、孫権の孫、孫晧(呉4代皇帝)の子孫。
牟佐村主が、孫権の息子、孫登(子高)の子孫。
蜂田薬師が、孫権の子孫、青清王の子孫。

公孫淵の子孫は、常世連というのがあるね。
654日本@名無史さん:03/10/06 22:26
>>646
最近では朝鮮半島のことを「韓半島」って言うの?
655日本@名無史さん:03/10/06 22:32
よりめ半島って本当は言うんだよ。
656日本@名無史さん:03/10/06 22:40
>>653
がーーん これって凄い話だと思うのは俺だけですか?
孫権の子孫でも日本で王座を取れないってどういうことですか?
簡単でしょ倭人征伐くらい。
じゃー 当然五胡に追われて民族大移動した、
漢族もたくさん倭に来てるんでしょうね
657日本@名無史さん:03/10/06 22:44
>>656
そうだよ。
古墳時代には江南からの帰化人が多かったのはよく知られたことだと思ったけど?
658日本@名無史さん:03/10/06 22:55
>>656
落ちぶれて流れついたくらいじゃ庶民に紛れ込んで生き延びるのがせいぜいでしょう。
ある程度の軍団でも3世紀の段階で倭国征服はムリ。
三国時代の中国は人口少ないし当時の倭国は人口多くてかなりの大国だったから。

でも魏の関係者や公孫氏の子孫は三流貴族とはいえ「連」クラスなのに
孫権の子孫は四流・五流の下っ端で貴族ともいえないくらいの氏族だな。
やはり呉が狗奴国を支援していたのがマズかったのか?
659日本@名無史さん:03/10/06 23:28
俺は、天孫降臨の国譲りって、

公孫か孫権か どっちかの皇子が日本に来たことだろうと
推測してたんだよ
何度か本国から天の使者がやってきて、皇子に日本を統治させた
って話に、天孫ってついてるからね 孫がつくならそうだろうと思ってた
660日本@名無史さん:03/10/06 23:36
語り部が「あめみま」と言い伝えてたのを、ずーーーーっと後の時代になって「天孫」と漢字訳したんだよ。

だから「○孫」という「漢字」の孫(そん)の字は関係ないんだよ。
661日本@名無史さん:03/10/06 23:58
>>660
それって、とても重要なとこだけど、
どのくらい確かな話なの?

孫つかないの?
662日本@名無史さん:03/10/07 00:02
どれぐらい確かも糞も、語り部は口承で文字は関係ない。
語り部は「あめみま」といってたのであって「てんそん」といってたわけじゃないでしょ。
あなた古事記や日本書紀読んだことないの?
663日本@名無史さん:03/10/07 00:16
8世紀に作られてるんだから、
文字がソースの場合もあれば口がソースの場合もあるでしょ

記紀を作るうえでの8世紀での資料は、当時から「天孫」だっただろうし、
その資料が元は口伝か、漢人の記録かは判らんのじゃないの?
664日本@名無史さん:03/10/07 00:21
>659
孫権って、240年される魏の使者が倭を訪れた頃にまだ生きてまんがな?!
665日本@名無史さん:03/10/07 00:30
いや、卑弥呼の後にね、そうだね応神のころに
孫権の子孫あたりが来て天孫=応神になってると
話としてキレイだなー と
で、この5世後くらいの呉越に住んでる大陸の子孫が 
日本にきて継体帝になると、
またまたキレイだなー と
666日本@名無史さん:03/10/07 00:58
聖徳太子が国書に書いた「天子」は「あめみま」の誤訳らしい
667日本@名無史さん:03/10/07 01:17
>>663
古事記や日本書紀を出したのは漢文とは別の大和言葉の言い伝えとか古訓の存在に
気づいてもらいたかったらだよ。8世紀がどうのっていうレスしてどうする(w

>>665
・・・・・・キレイかどうかと史実がどうかと何の関係が・・・・・

>>666
それはないだろ。
中国の文化に精通した人が中国向けに国書だしてるのにわざわざそんな紛らわしいことはしないだろ。
668日本@名無史さん:03/10/07 01:27
雰囲気的に、>>667さんが正しいのだろう事はわかるんだが、
その実、良くわからん。 天孫が あめみまという音の当て字とする根拠はどこから出たの?
669日本@名無史さん:03/10/07 01:32
めんどくさいから古文・漢文板できいてくれ
670日本@名無史さん:03/10/07 08:30
日本では戦において古来より「首獲り」が行われてきたが、
この風習はケルト人において見られるものである。
何をかくそう日本とケルトは同じ祖先を持つ民族が
大陸の両端に別れたものだったのである!
671日本@名無史さん:03/10/07 08:45
日本では戦において古来より「首獲り」が行われてきたが、
この風習はヒバロ族において見られるものである。
何をかくそう日本とヒバロは同じ祖先を持つ民族が
南米と東洋に別れたものだったのである!

ヒバロ族はアマゾンの首狩り族として有名、まあモンゴロイド
だから同族で当たり前かも(w
672日本@名無史さん:03/10/07 10:37
天孫って、字は当て字だってのは 常識ですか?
673日本@名無史さん:03/10/07 14:30
>>672
だからさ。「てんそん」って読んだら音読だから漢語じゃんよ。国語の勉強から汁。
674日本@名無史さん:03/10/07 15:45
>>673 ?

てんそん って呼んでるとは誰も思ってないでしょ。

漢人の 公孫や孫氏 が関係している事象があったから
天孫降臨 という字 が 当てられたのでは? という推理話に、

天孫は、もともと漢字が先にあったのではない。 
読みが先にあったのを後から漢字を当てたのであるから
その推理は間違いだ! って意見があっての

話だったはず。
675日本@名無史さん:03/10/07 16:14
天=あま=海
つまり天孫は海からきた孫一族のことです。
676日本@名無史さん:03/10/07 16:19
天孫は「天津神のまご」の意味。あまくだってきたのはニニギノミコト。
これは天照大神の、息子でもなく曾孫でもなく「まご」。
公孫や孫権が関係していてもしていなくても「まご」だから天孫。

もし公孫や孫権が関係していたから「まご」ってことにされたんだというなら、
そんな遠回しな捏造しないで最初から「孫権です」って話にしなかった理由がわからない。
677日本@名無史さん:03/10/07 16:29
天孫降臨の話は、

高天原の神から、自分の息子 を 日本の支配者にする という通達に対して
何度か大国主が反抗したうえで、日本国が禅譲された という話でしょ。

天子降臨ならわかるが、 天孫 となると、 天子の孫氏 に禅譲したという字に見える。

678日本@名無史さん:03/10/07 16:39
地上の神が、新しくやってきた天の神に国土を譲るというのは
よくある神話類型のひとつ。つまり大昔から言い伝えられた「神話」であって歴史事実ではない。
したがって孫権や公孫氏などの実在の人物は関係ない。

孫氏に禅譲したのなら、そのままそのとうり言い伝えればよい。
いや言い伝えなくても中国人なんだから語り部なんぞ使わず漢字の記録が残るだろう。
679586:03/10/07 17:32
>650
私が呉王夫差の子孫を邪馬台国の始祖としたのは、それこそ松野連系図の
作者と同様に年代その他が都合が良かったからです。(笑)
神武天皇の即位が本当にBC660なら(かなり無理があるけど)それこそ太伯の
直系が天下りした神(邪馬台国を創った)邇邇芸命かも知れません。
只、私は大和朝廷は同類同系とは思いますが、邪馬台国とは別にあったと
思います。そして大和朝廷は邪馬台国(九州)から別れて(畿内に)出来たと
思っています。

倭人伝に「女王國の東、海を渡ること千余里にして又國有り。 皆倭種なり。」とあります。

つまり邪馬台国の東に(かなり遠い)邪馬台国と同類同系であろう倭国があ
るとしています。
この頃倭人の国は半島南部にもあり、東の倭国(多分大和)とも関係があり
倭国の中心は邪馬台国だったのだろうと思います。
それは600年代後半にそれまで各地に勢力を延ばした大和朝廷と邪馬台
国の関係が逆転します。(以下に書きます)
680586:03/10/07 17:34
●旧唐書倭国日本伝

>倭国は古の倭奴国なり。世々中国と通ず。
>貞漢五年(631)、使を遣わして方物を献ず。

ここでは、倭国は、昔の倭奴国、つまり、後漢書の倭奴国の頃の1世
紀より、代々中国と通じていた そして、631年に使いが来たと言
っています。

>日本国は倭国の別種なり。其の国日辺に在るを以って、故に日本以っ
>名と為す。或は曰う、倭国自ら其の名の雅ならざるをにくみ、改めて
>日本と為すと。或は曰う、日本はもと小国、倭国の地を併せたりと。
>長安三年(703)其の大臣朝臣眞人、来りて方物を貢す。

日本国と名乗る使節に対して、中国側のとまどった様子が書かれてい
ます。 
そして703年に、粟田眞人を遣唐使として派遣した大和朝廷は以降
倭国の中心になり、邪馬台国は大和朝廷に吸収されていったと考えて
います。
※他スレにも書いちゃったケド

これなら、邪馬台国に渡った呉朝の末裔が傍流とはいえ大和朝廷の御
代に貴族として生き残った説明にならないでしょうか?
そして呉と大和朝廷の間にもなんらかの関係はあったと思います。
もちろん呉の末裔が天皇家に直接つながるかどうかまではわかりませ
んが?
681日本@名無史さん:03/10/07 17:46
呉からきた連中が日本を占領しましたというのは無理があるよね。
海を隔てた隣国を占領する余裕があるくらいなら対晋戦にその戦力をつぎ込むだろうから。
682日本@名無史さん:03/10/07 19:07
軍事的にはね。しかし、呉音がいまだに残っているということは
文化的にはかなり大きな影響があったんだろね。
683日本@名無史さん:03/10/07 19:16
しかし、キミたちスレの主題は
日本人がどこから来たかでなく
天皇はどこから北か
であるよ。

天皇が呉から来たという根拠を
もっと示してくれないと。
今のところ北氏の天孫降臨神話の北方説のが
説得力あるあるよ。
684日本@名無史さん:03/10/07 20:49
>>663
北氏には電波降臨だからな 
685日本@名無史さん:03/10/07 22:28
>>631
今年やってた茨城の祭、72年に一度っての
あれは海から神が・・・って話だった。やっぱ珍しいんだ。
686日本@名無史さん:03/10/08 00:26
なんかこのスレ見てたら諸星大二郎の妖怪ハンター思い出した。
687日本@名無史さん:03/10/08 20:23
>685
あれも水平指向の伝承をもつ祭りだったんですか。
やはり、日本の庶民レベルでは水平指向が一般的だったんですね。

やはり垂直指向の天孫降臨神話は北系。
688日本@名無史さん:03/10/09 05:06
沖縄にいまでもあるニライカナイ信仰でも、神は年に一度、
海の彼方からやってくる。そのための目印である海浜の特定の
岩と、神の宿泊所である小高い場所の社とが各地にある。
これは伊勢神宮の原型だと思う。
夫婦岩は寄りつき石なのだ。
689日本@名無史さん:03/10/09 11:12
順帝=継体 説を越えるものは一点もないな
690日本@名無史さん:03/10/10 02:16
順帝=継体 説の電波度を越えるトンデモ説は一点もないな
691日本@名無史さん:03/10/10 20:33
朝鮮半島
692日本@名無史さん:03/10/10 21:26
そもそも「順帝が継体天皇になった」て誰が考え付いた電波なの?
693日本@名無史さん:03/10/10 21:28
>>692
匿名掲示板で「誰なの?」ときいても意味ないだろ。名無しだよ(w
とりあえず「順帝厨」とか、仮に名前つけてみるしかしょうがないだろ。
694日本@名無史さん:03/10/10 22:10
>>693
あー>>692は、順帝=継体説がどこぞのDQN本の受け売りか?と聞いてるんじゃねぇのかな?
695日本@名無史さん:03/10/10 22:26
ねえねえ、継体天皇って、なんで、朝鮮人だといえるの??
696有栖川識仁殿下を詐偽師呼ばわりすると困るよ。:03/10/10 23:22
有栖川識仁殿下を詐偽師呼ばわりする反日マスコミと反日偽北朝皇室

「有栖川宮家」の継承者名乗る男がパーティー開き
出席者から1,000万円のご祝儀集める、石田純一ら被害。
http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00039579.html
http://khon.at.infoseek.co.jp/chosha/a053.html
神社宮司と真新しい街宣車と防衛ミサイル費:03/10/03 10:21 ID:KHst6jgF
石原知事と日本青年社と尖閣列島と真新しい有栖川宮家
http://www.seinensya.org/undo/ryodo/senkakushoto/030204isihara.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/isihara.htm
http://www.angelfire.com/journal2/esashi/nagano17.htm
http://www.zakzak.co.jp/top/t-2002_07/3t2002071123.html
日本青年社の秋季全国代表者役員会議は、高橋和巳東海中部管区長の指揮による
国民儀礼に続き、大久保明行動副隊長の開会の辞で会議を開始、冒頭、挨拶に立った
松尾会長は恒例の教示の後に一呼吸おいた後、緊張した面持ちで次のように述べた。
「今日は、日本青年社にとって正に歴史的瞬間を向かえる日となった。この歴史的というのは、
旧皇族 有栖川 識仁 殿下が日本青年社の名誉総裁を受任して下さったということです。
皆もこの歴史的な出来事をしっかりと見届けていただきたい…」 
  この松尾会長の言葉に会場は一瞬水を打ったような静寂がただよった。
それもそのはずである。松尾会長がこの日この場で、
旧皇族 有栖川 識仁 殿下の日本青年社名誉総裁受任を発表するまで、
殆どの役員が殿下の受任を知らされていなかったからである。
 会長挨拶に続いて、司会者から「ただ今より、旧皇族有栖川 識仁 殿下が
日本青年社名誉総裁受任の承認式を執り行ないます、
立会見届け人を代表して全国社友会代表・門家茂樹先生に承認証に御署名を頂き、
有栖川 識仁 殿下より松尾会長に承認証が授与されます」と述べられると
会場は割れんばかりの拍手が沸き起こると共に全員が起立する中で、
全国社友会代表である門家茂樹・忌部神社宮司が御署名を揮毫して朱印を捺印、
有栖川 識仁 殿下より松尾会長に承認証が授与された。
697日本@名無史さん:03/10/10 23:30
天皇家の先祖は日本土着の秩父原人なんじゃないの?
698日本@名無史さん:03/10/11 00:02
>>697
継体天皇の皇位につく前の勢力範囲は、
尾張・美濃・近江・越前であったわけだが、
これらをよくみると、すべて、いわゆる畿内の3関のすぐ外側。しかも東。

これは、継体天皇の勢力が、
西日本ではなく東日本(当時の、なので、関東とかは異国)であったことを示す。

つまり、渡来系というよりは、どうみても、日本古来の豪族系だな。
699日本@名無史さん:03/10/11 00:06
>>1
天孫降臨はヒマラヤ下りでしょう。
そう考えると、チベット密教が起源なわけですよね。
やっぱ、東洋に伝わったのが道教
    西洋に伝わったのがカバラ?
700日本@名無史さん:03/10/11 00:07
厨的にはチベタンで「活仏と現人神は兄弟だった」てのがいいな。
キリストとイスラムを駆逐するにはこれしかない。
701日本@名無史さん:03/10/11 02:18
継体天皇の出自
1、.「古事記」を信用し、近江の国の豪族だったという説。
2、「書紀」の記述通り越前から招聘されて皇位に付いたとする説。

それから、これは学会では賛同者は少ないが、
3、新羅から渡来した王族の末裔であるという説。

3番目の説については出典がはっきりしない。何時の頃からこういう説が出現したのだろう。
幾つかの「読み物」風歴史本を読むとこの説が紹介されているが、何の本にそう書いてある
のか説明がない。おそらく後世になって、皇族の出自も朝鮮半島であると強調したい歴史家
によって唱えられた説だろうと思われる。勿論、時代を遡って縄文末期、あるいは弥生前期
までたどればその可能性は大いにあるが、それは日本人全てにあてはまる。 また、それま
での天皇家とは全く関係ない豪族が、地方豪族の力を結集し力ずくで王権を奪い、さもそれ
までの天皇家の系譜であるかのように「記紀」を捏造した、という説も現れたが、これまた出
典がない。あいまいな「記紀」の記述から想像はできるが、やはり記録されている内容を分析
し大筋ではそれに沿うのが学問としては王道だろうと思う。
702日本@名無史さん:03/10/11 04:14
継体の父方が近江に本拠をもつ皇族で、母方が越前に本拠をもつ豪族だった、という話では。
最近の学界の動向としては、日本書紀の話は、新資料の母方の氏族の家伝による記事で、
もとは古事記の記述の方が正確だった可能性が高いとみられている。
703日本@名無史さん:03/10/11 06:10
>>701
そもそも、継体が天皇一世と考える論はおおい。
また、大陸系の豪族では?という論もおおい。
この時代の大陸系の豪族で最も大物が、順帝ってことだな


704日本@名無史さん:03/10/11 09:30
継体という名は同時代のほかの天皇と同じく、奈良時代になって、淡海三船が
一括してつけたもので、「継」はたしかにつぐであるが血のつながりがなくて
つぐ場合に用いられ、血縁関係があれば「嗣」の字が用いられたはずだという。

これが、定説です。残念ですネ、万世一系派の信者さま。
705日本@名無史さん:03/10/11 09:40
いまどき万世一系を信じている香具師のほうが少ないだろ?
706日本@名無史さん:03/10/11 10:15
継体は在日オヤジ
707日本@名無史さん:03/10/11 10:36
>「継」はたしかにつぐであるが血のつながりがなくて
>つぐ場合に用いられ、血縁関係があれば「嗣」の字が用いられたはずだという。

根拠は?朝廷は何でそんな「継」って字を使うことを認めたの?
708日本@名無史さん:03/10/11 14:07
最近はよっぽどの馬鹿でない限り、万世一系とか、皇紀2660年
とか言わなくなったナ。無知な信者も1mmぐらい進歩したかナ。
709日本@名無史さん:03/10/11 14:20
事実としては否定しています、が
神話としては受容していますがナニか。
710日本@名無史さん:03/10/11 14:22
継体天皇の出自

1、.「古事記」を信用し、近江の国の豪族だったという説。

2、「書紀」の記述通り越前から招聘されて皇位に付いたとする説。

それから、これは学会では賛同者は少ないが、
3、新羅から渡来した王族の末裔であるという説。
711日本@名無史さん:03/10/11 15:19
想像してごらん。
日本の天皇が女性だったら、すばらしい国家になったことだろう。

愛子さまって本当に可愛いよね。
皇族の社会的孤立を補う意味でも民間人との結婚を奨励して欲しい。
712日本@名無史さん:03/10/11 16:45
六ボウ星って麻紋でもあるんですってね。
麻紋は魔よけの意味もあるとか。
ヘンプの原産地はヒマラヤらしいですね。
713北二輝:03/10/11 20:18
かりに継体帝が順帝なり
大陸渡来の有力者だったとしたら
北系の天孫降臨神話をそのまま受けいれ
てるのはなぜだろう?
血縁関係がなくても
天皇職を受け継いだものとして
そのまま受け入れたのだろうか?
だとしたらそれは一つのつながり、つまり万世一系は事実で
あるとも言えるのではないでしょうか。
714日本@名無史さん:03/10/11 20:42
この時代の、
日本列島内で、
日本に戦乱をもたらさずに、国政を継続させられる勢力は
倭王の近親者だけである。
日本列島外の勢力で、
日本に戦乱をもたらさず日本統治を禅譲させられる勢力は
漢帝だけ。 

したがって、
列島内の倭王近親者による政権交代説か
列島外の漢帝による政権禅譲説か

この2つしか、合理的に筋がたつ説はない。
715日本@名無史さん:03/10/11 21:05
嗣の方が血縁なさそうだけどな。養嗣子とか。
716日本@名無史さん:03/10/11 21:11
家継は家宣の実子。
義嗣も義満の実子。
717日本@名無史さん:03/10/11 21:13
アダムとイブの子孫
718日本@名無史さん:03/10/11 21:15
>716
よく探してきましたね。
時代は下るが貴重な類例です。
719日本@名無史さん:03/10/11 21:19
天皇は古代大陸北でで信仰された
天空に輝く一つの星を指す。
伊勢大神の裏の顔が太一であることは
知る人ぞ知る事実である。
720日本@名無史さん:03/10/11 21:35
もし継体天皇が順帝だったら、
「我こそは順帝である」なーんて高らかに宣言すると思うけどな。
隠す必要なんてまったくないし。



721日本@名無史さん:03/10/11 21:59
>>720
そんな事やったら、斉が許さんよ
722日本@名無史さん:03/10/11 22:09
>>722
どうゆるさんの?
まさか数十万の軍勢をひきつれてわざわざ倭国くんだりまで
やってきて討伐でもすんの?
723日本@名無史さん:03/10/11 22:10
>>721
対北魏(北周)で同盟になるので有利では?
724日本@名無史さん:03/10/11 22:29
順帝が継体天皇になったなんて何を根拠にそのような与太話を?
725日本@名無史さん:03/10/11 22:33
誰かが思いつきで書いた妄想が一人歩きしてるんだよ。
726日本@名無史さん:03/10/11 22:39
>したがって、
>列島内の倭王近親者による政権交代説か
>列島外の漢帝による政権禅譲説か
>この2つしか、合理的に筋がたつ説はない。

最近は王朝交替説は否定されてるね
理由は大和豪族の分析。
継体以前と以後では、ほとんど有力層の変化がない。
王統・皇統の断絶はあったかもしれないが、王朝交替はなかったね。
順帝が一人できたわけでもあるまいし。
727ty270410:03/10/12 00:19
崇神天皇の名前の「ミマキイリヒコ」は
「任那(ミマナ)から来て入り婿した男子」という意味です.

崇神天皇の実在性は論議のあるところですが,
任那から来て入り婿した天皇がいたという
伝承があったと考えてよいのではないでしょうか.
728日本@名無史さん:03/10/12 02:12
>>727
じゃ、イクメイリヒコは「イクメから来て入り婿した男子」、
トヨキイリヒコは「トヨキから来て入り婿した男子」、
トヨスキイリヒメは「トヨスキから来て入り嫁(?)した女子」なんですね。勉強になりますた(w
729日本@名無史さん:03/10/12 03:41
日向からに決まっているだろ
もっとさかのぼるとシベリア
さらにさかのぼるとアフリカ
さらにさらにさかのぼると宇宙のど真ん中
730日本@名無史さん:03/10/12 07:09
>>727
「イリ」は後の高句麗の英雄「イリカスミ」と関係があると思う。
日本書紀の「イリカスミ」の漢字表記からわかるように「イリ」は
「泉」の意味だ。
要するに「泉」という意味の、高句麗系あるいは扶余系の家系が
あったのだと思う。
731日本@名無史さん:03/10/12 07:18
>>730
電波。
ミマキイリヒコのイリとは無関係と考えるべきである。
732日本@名無史さん:03/10/12 10:32
>>731
電波。
ミマキイリヒコのイリと関係があると考えるべきである。
とも言えるね。
もうひとつ。
大阪南部の地域はなぜ「和泉」の國、「泉州」なのか?

733日本@名無史さん:03/10/12 10:51
>>730,>>732
イクメとヒコはなんで高句麗語でないのか?イリだけが高句麗語である理由がないと説得力がない。

734日本@名無史さん:03/10/12 11:41
>>726
スレ読めよ、
その理由で王朝交代が否定されてるから、順帝説が出てきたんだよ。
そもそも、武烈の記載、名前、をはじめ数々の王朝交代を示唆するものがあるのに、
その理由で、王朝交代が否定されている。
その両者の矛盾を無くす説として、登場したのが順帝説。

倭王は、宋代の代々の大将軍位であるから、倭王武の表にのって順帝が来たなら
禅譲しておかしくないって事だよ。この説はそもそも正しいかどうかではなくて、
そう考えれば、王朝交代否定説も覆るってことが面白い
735日本@名無史さん:03/10/12 12:01
武烈=倭王武

とお考えですか?

それとも雄略?
736日本@名無史さん:03/10/12 12:07
なんだ、 北大陸説と南大陸説で戦ってるのか?
中原の漢族が五胡から逃れてやってきたんだよ。
応神と継体は、同じ漢族
間の5倭王は、土着の倭王

記紀の大物渡来人は、みな応神の代につれてこられてる。


737武烈創作説:03/10/12 12:25
大陸からの独立国日本を宣言してる 天武朝 に作られた記紀で、
武烈と継体が断絶と創作され、
その継体が応神と連なる創作されたのには、合理的な意味があるので
その記載にあまり意味はない

即ち、天武朝にとっては、宋書に記載された倭の五王とは、天皇の直系の祖先ではない。
その五王は武列で途切れ、漢の臣位を取る以前の応神から継体に連なるので
我が祖先は、先祖代々唯我独尊の神の子であると
天武朝は創作する必要があるのです。
738日本@名無史さん:03/10/12 12:42
順帝=継体天皇説はただおもしろいだけで根拠がゼロ
739日本@名無史さん:03/10/12 13:06
倭王は金官加羅からやってきた傭兵隊長の子孫。

朝鮮人の末裔が国の象徴とは笑う。
740日本@名無史さん:03/10/12 13:47
>>739
根拠は?
桓檀古記にすらそんな話はでてこないんだが(w
741日本@名無史さん:03/10/12 14:05
檀君買勒が彦波弗哈という者を海上の三島(壱岐・対馬・松浦)に派遣して熊襲を平定させた。
その子孫に裴盤銘という者がおり、檀君に仕え陝野侯となっていた。
この陝野侯・裴盤銘が倭に渡り、日向の高砂族を支配して大和に攻め入ったのが後に神武とよばれる。

神武王は陝野侯・裴盤銘。
崇神王は夫餘王・依慮の子、依羅。
応神王は馬韓の卑弥国からきた。母の神功は新羅人。
天智王は百済王子・余豊。
天武王は高句麗の莫離支・泉蓋蘇文。
桓武王の母は百済人。
742日本@名無史さん:03/10/12 14:07
映画「王になろうとした男」より、
「おまえはどこから来た?」
「天から来た」

天孫降臨って、どこにでもあるのネ。
743日本@名無史さん:03/10/12 14:12
>>742
殆どの神話は、天の由来だと思うが、まれに違う場合がある。

例えば、朝鮮人の祖先 メス熊に種をつけて朝鮮人が生まれたという神話。
最近のDNAでは、朝鮮人のDNAには熊のDNAが入ってる事が判明している
744日本@名無史さん:03/10/12 14:33
熊襲って朝鮮人の事なの?
745日本@名無史さん:03/10/12 15:07
>>741
桓武の母は百済人?
この時点で嘘八百。
百済系日本人(在日8世とでも言うべきかw)と書く事。
746日本@名無史さん:03/10/12 19:24
>>733
イリが高句麗語、という認識がおかしい。
日本語のなかで使用される固有名詞は外国由来であっても日本語だ。
例えば「はた」という氏族名は新羅の「波旦」に由来するとする
学説があるが、これが正しいかどうかは別としてイリの場合の
参考になる。
つまり、新羅に、新羅語の意味はわからないが、ハタにちかい発音の
地名/氏族名があり、漢字の音で「波旦」で表されていた。
日本に来たハタ氏はその音で姓を名乗ったので、ハタが日本語になった。
というケースを考えれば、イリも同じ状況が考えられるわけ。
747日本@名無史さん:03/10/12 19:38
色黒のっぺら薄ハの字眉寄り目熊
748日本@名無史さん:03/10/12 20:34
そういえば、天孫 と 公孫や孫権系 との関係の話はどうなった?
孫は、音が先にあって孫という字をあてただけというのは間違いでいいのか?
749日本@名無史さん:03/10/12 21:12
>>748
なにをいってるのかさっぱり???
「音が先にあって」って「ソン」っていう音が?それ中国語のソンで孫じゃない言葉だったっていいたいの?
もしそのソンが中国語の孫なら、孫という字が「当て字」というのはわけがわからないが?

「まご」というのは音じゃなくて訓(=意味)だというのはもちろんわかってるよな?
750日本@名無史さん:03/10/12 21:52
>独立国日本を宣言
>唯我独尊の神の子
( ´,_ゝ`)プッ
751日本@名無史さん:03/10/13 13:25
>>749
公孫や孫氏が
高天原=大陸  から
日本の統治にきた。

公孫や孫氏の 漢字が記録としてあり
漢人により、 天孫の伝承として記録された
752日本@名無史さん:03/10/13 13:28
百済も所詮漢人居住区。
753日本@名無史さん:03/10/13 15:12
>>751
そんな中国人を考えるより、金官加羅を支配した扶余族王朝が
ついでに同じ文化圏の日本を支配した、と考える方が手っ取り早い。
同じ扶余族王朝である百済との関係も理解できる。
754日本@名無史さん:03/10/13 15:57
>>753
元ですら、力では日本侵略できないのに、
アジア一の過密人口域の日本列島を、
文字も文明も持たない、卑民のフヨがどうやって支配できるの?

それに、百済は 楽浪郡漢人と半島倭人の国だろ。

半島現地人生息年数比
縄文弥生の半島倭人  1000年
楽浪郡漢人         500年
高句麗人           300年
フヨ人          ? いつ住んでたの?        
755日本@名無史さん:03/10/13 18:13
フヨって何?
756日本@名無史さん:03/10/13 18:55
ウヨの親戚。 フヨの子孫が在日。
757日本@名無史さん:03/10/13 18:58
天智と鎌足による宮廷クーデターですがな。
大量の軍隊なんか必要ない。倭国の政権に食い込んで寝返る。
こんなんファーティマ朝のマムルーク(宮廷奴隷)がやったとか、
世界史ではよくあること。
758日本@名無史さん:03/10/13 20:04
百済は夫余系と高句麗系の移住民が建国。

百済の建国者は始祖神話などから夫余・高句麗系の移住民とされる。
初期の百済の領域は漢江流域で、この地域は南方の韓族系文化と
北方の高句麗系文化の共存地域であり、そのことが百済史の特徴にも
なっている。

夫余は紀元前2世紀に部族国家の形を成立。
夫余は強敵高句麗に隣接し、しばしばその脅威をうけたので、歴代の
中国王朝に接近し朝貢政策をとった。
しかし五胡十六国時代になると鮮卑の侵入をうけて国王は自殺し遺民は
肥沃な土地(咸鏡道方面)に奔った。
彼らはここで東夫余を建国したという。この東夫余も相ついで高句麗の
攻撃をうけ、494年滅亡した。
広開土王碑文にも東夫余討伐が記されている。
759日本@名無史さん:03/10/13 20:43
扶余は、確か東北アジアの名門支配種族の名称
百済王族(百済の大多数の国民は馬韓人、倭人・漢人)と
高句麗王貴族ってこの名門扶余出身っだったな
扶余って多分、朝鮮人の憧れの的だな……無関係に近いのに
760日本@名無史さん:03/10/13 20:43
>>758
脳内以外の出典があればぜひ。

楽浪郡に500年いた漢人は高句麗の侵攻の後、半島から消えてしまったの?
半島南の、弥生倭人は、消えてしまったの?

韓族って (笑 韓人ならわかるが 韓族なんて存在した話は初耳
761日本@名無史さん:03/10/13 21:10

人種的には、朝鮮人はモンゴロイドのなかでも、長身、短頭、高頭である点で
かなり特異である。顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのが
ふつう。眼裂は狭く、つり上がっていることが多い。顔毛、体毛は概して非常に
少ない。皮膚は黄ばんだ淡かっ色で、毛髪や目の色は濃い。髪はかたく、直毛で
ある。朝鮮人は、中国人を代表する中モンゴロイドと、ツングースを代表とする
北モンゴロイドの中間的な様相を帯びる。朝鮮半島内ではかなり均一化されて
いるが、北部にいくにしたがって長身となる。日本列島を概観するとき、長身、
短頭、貧毛という点で、近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的
要素を有することは注目に値する。(国民百科事典/平凡社)

近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有する
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有する
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有する
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有する
762日本@名無史さん:03/10/13 21:32
最初の武寧王は倭国生まれ(長崎県東松浦郡、五島列島の加唐島で誕生)といっても
母親は百済で妊娠したことは日本書紀の記事から明らかで、母親は倭人ではないだろう。
百済生まれの息子と孫も百済人の母から生まれたとして
その孫が帰化した初代だから百済から嫁さん同伴できたとしたら
その子も純粋に百済人だが、後は代々倭人の母をもつ可能性がだんとつなわけで、
倭人1/4百済3/4、その子は倭人1/8百済7/8、孫は1/16百済15/16となっていく。

01武寧王(姓は扶餘氏。名は斯麻。倭国生まれ後に戻り第25代百済王に 461〜)
02純陀太子(淳陀。即位前に死去)
03斯我君(505年倭国に帰化)
04法師君(ここまでは純血百済人?)
05雄蘇利紀君(ハーフ?)
06和史宇奈羅(和史(やまとのふびと)を賜る。史は帰化人系下級官僚のカバネ)
07和史粟勝(1/8百済人?)
08和史浄足(1/16百済人?)
09和史武助(1/32百済人?)
10高野朝臣乙継(娘の入内により高野朝臣を賜る。朝臣は高級貴族のカバネ)
11高野朝臣新笠(桓武天皇の生母。1/128百済人?)
12桓武天皇(1/256百済人?)

おお! なんと桓武天皇には256分の1、百済人の血が・・・(藁

しかも韓国は百済系じゃなくて新羅系の流れを組むし、渡来人の血は殆どが
南中国系、バイカル湖畔系、ミクロネシア系です。
朝鮮系も混じってますが、比率的にはわずか。
763日本@名無史さん:03/10/13 22:06
>>760
知らんのか。哀れ。
君の持ってる平凡社の百科事典で、
「百済」と「夫余」を見てみれば?w。

どっかのスレで、平凡社の百科事典を
得意げに振りかざしてたのは誰だ?
764日本@名無史さん:03/10/13 22:14
??平凡社の百科事典はないので、出典名をお願いね
765日本@名無史さん:03/10/13 22:40
出典て、あんた、どの事典にも本にも書いてあるよw。
平凡社大百科の引用だよ。
「扶余」じゃなくて「夫余」ね。
「夫余」は有力だったよ。ちなみに、「夫余」が「百済」の建国に関係すると述べてるだけ。
天皇がどこから来たかどうかは、書いてないし、関係ない。
平凡社がなければ、なんでもいいから調べましょう。
あるいは検索でも汁。
766日本@名無史さん:03/10/14 07:09
百済の王族は扶余、支配された人達は楽浪郡からの流れも多かっただろう。
そして同じ時期、クヤ韓国が突然北方化して金官加羅国になる。
金官加羅国は扶余王族が支配する倭人国だった可能性が強い。
そして広開土王碑のころの「倭」とはこの金官加羅(碑では任那加羅)國
に、日本から「渡りて」来た援軍を加えたものだったと思う。
767日本@名無史さん:03/10/14 07:15
>>765
歴史板で、出典と聞かれて辞典をあげるアホがいるのはこのスレですか?
768日本@名無史さん:03/10/14 07:31
確かにな。
769日本@名無史さん:03/10/14 07:45
∧_∧ コソーリスミダ
<   ´>
(    つ◇.             
      ∴∵ パラパラリ
     旦旦旦 

      
∧_∧  ココの皆サン、お茶入ったからマターリしる。
<=( ´∀`)∫  
( つ旦旦旦  
770日本@名無史さん:03/10/14 11:22
夫余と百済の関係はわからなかったの?
文責は井上秀雄氏と村山正雄氏ね。
名前くらいは知ってると思うけど。

本で調べるのなら、
「実証・古代朝鮮」NHKブックス (1992/01) 日本放送出版協会
がいいかな。
「古代の韓国と日本・古代の日本と韓国」 (1988/08) 学生社
は時間があったらどうぞ。
771日本@名無史さん:03/10/14 12:48
テンコロがウリナラであることが証明された
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_4&nid=62852&work=list
772マルチ推奨:03/10/14 12:58
俺たち日本人のどの家を探しても。

卵から生まれたり、狼から生まれたり、処女から生まれたり、

そんな誇り高く凄まじい起源伝説を持つ家はありません。
さすが、半島、すごい伝説ではないですか!!!!
我々日本人はせいぜい、どこかの楽園から空飛ぶ乗り物でやって来た程度です。
そして、それで、結構です。これで証明できましたよね。別の民族です。
773日本@名無史さん:03/10/14 15:30
>>772
死体の手足や陰部から生まれる話はあるよ。
774日本@名無史さん:03/10/14 15:38

   /         ヽ       \从人从人从人从人从人从//
.  /             \.    ≫                 ≪
. /                !    ≫                 ≪
.|      ノノ__ノノ|_ノ|_ )   ≫    FUCK YOU !!!   ≪
|     |./  -‐   '''ー | /    ≫                 ≪
.|     ノ    ‐ー  くー |/ _  ≫                 ≪
. \  )  ´゚  ,r "_,,>、゚ ヽ/っ))) //Y∨Y∨Y∨Y∨Y∨Y∨Y\ 
  ヽ_」      )‐=‐ァ'  i\/
    ヽ .n   ` `二´' .丿.ノ
    ./.n| |nnー---‐´´゚ヽ/
   /〔1__/。 ァィコ 。.゚|.|   愛子さまがこのスレに御興味を持たれた御様子です
   | /   |\゚.。。。。。。。゚/ .|
   \___/   ̄ ̄ ̄  ノ
    |    ヽi___/./  ̄\


775772:03/10/14 18:19
>>773
天孫ではないがな。
776日本@名無史さん:03/10/14 19:24
>>770
それはつまり、誰かの受け売りなんだが・・・・
と注釈をつけて話すところを、さも事実であるかのように語る奴が
このスレにいるという事ですか?

出典なしの学者の脳内説は、説 と言って
事実とは違うのよ おバカ。
777日本@名無史さん:03/10/14 20:56
専門家よりも詳しい事実を知ってる奴が2チャンにいるのかと小一時間・・・
778日本@名無史さん:03/10/14 21:00
扶余は「魏志東夷列伝」に出てるよ
779日本@名無史さん:03/10/14 22:01
>>777
君がドキュンだからといって、皆まで素人扱いされても困るんだが・・・
大学教授が2chの内容をネタに授業を盛り上げる事などザラなのよ。
780日本@名無史さん:03/10/14 22:37
扶余って半島北部〜東北アジア。
で、高句麗に滅ぼされた。
百済王族(百済の大多数の国民は馬韓人、倭人・漢人)と
高句麗王貴族はこの扶余出身。
781日本@名無史さん:03/10/14 22:43
● 謎の大王・継体天皇について ●

717 :古い人 :03/10/04 21:58
>記紀記載の原典文官は、東漢氏だが

あっそうですか、はいはい(w

この東漢厨は最近2chのあちこちに出るようになったけど
コマ厨・順帝厨とならぶ新手の電波。
2chでは定期的にトンデモがでたり消えたり昔から繰り返してるわけで、
東漢厨もそのうち消えるだろう。
782日本@名無史さん:03/10/14 22:45
どこの大学のどの教授が2チャンの内容で授業を盛り上げてるのでしょうか?
教えてくださいw
783厨房、晒し上げ:03/10/14 22:50
734 名前:717 :03/10/06 02:44
バカバカしい、語るにも値しない電波がある。それが順帝厨=東漢厨。

なぜ漏れが反論しないか?ちょっと勉強すればおかしいってわかることだからだよ。
2chでいくら騒いでも素人を一瞬だませるだけで、いずれ忘れられる。むだ、むだ(w
しょせん思いつきレベルのトンデモ説、電波説なんだよ。2chの歴史が証明している。

736 名前:日本@名無史さん :03/10/06 08:41
>>734
すでに、東漢厨は、厨じゃないことが判明したよ、
何をそんなに恐れてる?

ちょっと反論してミソ(w
784日本@名無史さん:03/10/14 23:32
>>782
その質問だけで、君が大学生でない事は明白だなあ
朝鮮学校の生徒だろうか?
歴史の素養がなさ過ぎるのと朝鮮に肩入れすぎる。
今時、2chを話題にする授業などありふれてるんだが?

出典と聞かれて、過剰反応されるとは日本史板もレベルが落ちたなあ、
君はただ、古典名や史書名をあげて、記述箇所を提示すればいいじゃないか、
それができないなら、脳内出典と言われたても仕方あるまい。

785日本@名無史さん:03/10/14 23:51
>>784
そうか?うちの教授は2chを馬鹿にすることはたまにあるけど、ありふれてないぞ。
それよりも、あなたの文からは知性と読解力の低さしか読み取ることができないのだが。
786日本@名無史さん:03/10/15 00:13
天にましますわれらが主よ
今日謝罪します。
今、恥ずかしすぎです(思い出すたびに笑い転げてしまいまっす)

高校のとき世界史で自由研究の時間があって、当時古代史に関心があった朕は
学校の図書館で今までに無いほど衝撃的な本を派遣して、
その内容のワッショイの由来がワッソとか武蔵の由来がモシシとか奈良の由来がオナラとか
言って発表しちゃったぞゴルぁ

なんで公立高校の図書館に『菌たる巣』の本なんか置いて安打よ!!


(まだネット社会では無かったローテク時代の昔話でした。)
787日本@名無史さん:03/10/15 01:42
>>785
うちってどこだ? 君は大学いってないだろ?
そもそも、出典といわれて辞典や他人の書物を出す時点で、大学生じゃない。
発刊書物をソースにするのは、中学生あたりの知恵比べにありがちな発想。
大学生なら、権威名を出す事で事実の論拠にするとは思いもよらない。
それは中学生レベルの言い合いの発想。

また、君は2chなんて専門家がいるはずがない と言っている。
つまり君は、自分が素人だと認めているわけだ。
大学生で史学専攻してるある程度のものは、自分が専門家だと自負がある。
君は、歴史の素養など全くない、朝鮮学校の生徒もしくは、ただの反日史観のマニアにすぎない。

だから、根拠が販売されている本の名前になるわけだ。


788日本@名無史さん:03/10/15 08:30
うちの教授は参考文献を明記してないレジュメは受け付けてくれんけどな。
789日本@名無史さん:03/10/15 09:22
>>784>>787
横から見てるとおまえが一番ウザイよ。
百済とフヨが関係ありそうだという通説を否定する根拠の史料は?
2チャンで授業を盛り上げてる大学教授名は?
出せないなら、もう去ってくれ。

相手側はちゃんと本や学者を出してるのに、おまえだけ脳内電波じゃないか。
790日本@名無史さん:03/10/15 13:04
もともと百済王族と倭国王族(古代の皇族)は近親関係、もしくは血縁的にもっと露骨に近かったらしい。
さらに百済滅亡後は貴族や皇族に組み入れられる百済王族が大量にいた、ということは皇族にも扶餘族の血、か。
けれど彼らがいま朝鮮半島に住んでる人々とは違う人々だったということが抜けてる。当時の百済の農民である韓人にしても、
明や唐や清の支配を受けて蹂躙された歴史を経て中国人ぽくなった現代の韓人とは明らかに違う人々だよ。
791日本@名無史さん:03/10/15 13:26
で、出展は?何そのメルアドw
792日本@名無史さん:03/10/15 19:35
>>789
何、自作自演してんだ?
学者の説を出すから笑われてるんだろ、

出典名 根拠の箇所 出せないなら 日本史板にはくるな
793日本@名無史さん:03/10/15 19:54

桓武は百済人とのハーフ。
応神は金官加羅から来た傭兵隊長。
794日本@名無史さん:03/10/15 19:55

継体は北陸の在日オヤジ
795日本@名無史さん:03/10/15 19:57
なんか始まったぞw
796日本@名無史さん:03/10/15 20:00
>>792
789は、最近出没してる反日アラシだよね

こいつらに出典を聞いても無駄な気がする。サヨの学説をつまんで事実と思ってる
思考停止厨房だよ
797日本@名無史さん:03/10/15 20:54
>>796
しかもいつも下らないピンポンダッシュだよね(苦笑)
798日本@名無史さん:03/10/15 21:02
>>793
>応神は金官加羅から来た傭兵隊長。

傭兵隊長による簒奪、というのはあり得るすじがきだね。
高句麗に対抗するために金官加羅の装甲騎兵を中心とする戦力を
導入した。その戦闘集団がいつまでもおとなしくしている方が
おかしい。

799日本@名無史さん:03/10/15 22:00
>>793
桓武は百済人のハーフ?
高野新笠は百済人ではないが?彼女は百済系日本人だろ。ハーフでもなんでもない。
800日本@名無史さん:03/10/15 22:01
>>794
そういう意味の分からない史観を置いてかないでね。
801日本@名無史さん:03/10/15 22:07
>>792
>出典名 根拠の箇所 出せないなら 日本史板にはくるな
そのとおりだよね。

>百済とフヨが関係ありそうだという通説を否定する根拠の史料は?
>2チャンで授業を盛り上げてる大学教授名は?
これのソースをだせば、一発じゃん。
このうるさいチョソを追っ払うために、早くソース出しちゃいなよ。
802日本@名無史さん:03/10/15 23:18
>>790 の上2段はイメージの膨らまし杉だな。
803日本@名無史さん:03/10/15 23:52
>>801
うるさいチョンって、認めてやがんのっ (爆笑

チョンは弁証論も知らんらしい。 
誰も証明してない説は反駁すらできない。
おまえの名前が金ではないと誰も否定証明できないからといって、
おまえの名前が金という証拠にはならないんだよ。

=否定できないからといって真ではない= 覚えておけ

したがって、百済とフヨのという誰も証明してない説を否定できないからといって、
それが真実という事にはならない。
だから、おバカな君以外は、そんな無駄な事に頭は使わないんだよ。

君の大好きな
順帝=継体説ですら 根拠が示されているので、反駁も可能。
反駁ができれば根拠は否定できる。

百済フヨ説にいたっては、根拠すらない。 
早く 根拠(出典と根拠)を示して 反駁させてくれよ 知恵遅れ!



804785:03/10/16 00:08
>>787
流れから勘違いしたんだろうが、このスレにおける初めての書き込みでそんな人物像を捏造されても困るんだが。
805日本@名無史さん:03/10/16 02:51
まあ朝鮮人は癲癇気質の単純な猿だから仕方ないよ(藁
ノ・ムヒョンや金正日みてみなよ。まるで猿の酋長じゃない。
あれじゃあ統一なんて到底無理だね。統一しても国の負担が大きく
財政が傾くのは明白だけどね(ニヤニヤ
806日本@名無史さん:03/10/16 06:49
まあ日本も財政については大きなこと言えないけどねっ
807日本@名無史さん:03/10/16 10:24
もめてるようなんで、余計なお世話だけど、のせておきましょう。

『三国史記・百済本紀』
「百済の始祖は温祚王とされているが、彼の父は、北扶余から難を避けて扶余
に流れてきた朱蒙で、後に高句麗の始祖・東明聖王とされた人物。
当時の扶余王は朱蒙を娘の一人と結婚させ、自分の死後は王位を継がせた。
朱蒙には二人の男子が産まれ、長男が沸流、次男をが温祚。
朱蒙には北扶余にいる時生まれた男子がもう一人いて、成人した頃
父をたよって扶余へ来たため、朱蒙は彼を太子に立てた。

沸流と温祚の兄弟は、異母兄が太子に立てられたことで、彼から迫害される
のを恐れ、十人の臣下たちと扶余の離れ南に向かった。そのとき大勢の百姓
が二人についてきた。
温祚は臣下たちの進言を聞き入れて河南の慰礼城に都を定め、十名の臣を輔翼
とし、国号を十済とした。その後は日増しに百姓たちが集まってきたので、
国号を百済と改称した」

(以上は、「三国史記」に記載された百済の建国伝説だが、実際は扶余系の一派が
各地に入ってきて、各地に各自の部落を建設し、その後に百済となったと考え
られていることが多いかな。当然その下には漢人やその他も多数)
808日本@名無史さん:03/10/16 12:48
三国史記を出されてもなあ。
809日本@名無史さん :03/10/16 15:39
>当時の扶余王は朱蒙を娘の一人と結婚させ、自分の死後は王位を継がせた

この辺が興味深いね
810日本@名無史さん:03/10/16 16:22
>>807
つまり、>>758は 12世紀に創作された書で、1000年前の事情が記載しているものを
事実として考える、キチガイだったのですね。
同時期に檀君神話も創作されてますがが、朝鮮人は熊の遺伝子が入ってるで良いですか?



811日本@名無史さん:03/10/16 22:08
>>810
編纂は12世紀ですね。
一応、内容というかネタは4世紀後ごろからの史料や中国の史料も
使ってるようですけど。
日本書紀も8世紀ですから。まぁ、どうなんでしょうかね。
事実が半分、話が半分って感じですかね。
812ty270410:03/10/17 00:05
三国史記は百済の南部征服については全く記載がない.
これは,記録が失われてしまったためと推測される.

475年以前はソウル周辺が本拠であった百済は,475年高句麗に
ソウルを攻略されて一時滅亡する.
その後王の一族が倭に助けられて,今の公州で百済を再興する.
公州時代以後,北の圧力を逃れるように,南方進出を開始し,
6世紀中葉ごろまでに,全羅北道の慕韓を,続いて全羅南道の
任那諸国を征服したと推定される.
しかし,このことは,「三国史記」に全く書いてない.

考古学の助けを借りてこのあたりを推測でなく,
根拠に基づく説にしてほしい.
813日本@名無史さん:03/10/17 00:21
『百済本紀』は特にダメ。
814日本@名無史さん:03/10/17 01:37
三国史記の伝説は「高句麗が夫餘からの分家で、百済が高句麗からの分家だ」という説であって、
百済と夫餘を直接つなぐものではない。しかもガイシュツのとおり後世の捏造である可能性が高い。

後漢書や三国志には、百済は夫餘王の尉仇台(=仇台)が建国したものという。
百済が夫餘系だとする根拠をあげるなら、こちらの方がまだいくらかましだろう。
ちなみに百済王は姓を扶餘氏(または餘氏)としており、
夫餘系であるという説を否定すべき積極的理由はないように思われ。
815日本@名無史さん:03/10/17 01:40
>>812
>全羅北道の慕韓を,続いて全羅南道の任那諸国を

全羅道の慕韓と慶尚道の加羅諸国をあわせた範囲が任那。
816日本@名無史さん:03/10/17 09:44
>>814
>後漢書や三国志には、百済は夫餘王の尉仇台(=仇台)が建国

どこかのサイトに、わかりやすいのはないですかね?
817日本@名無史さん:03/10/17 11:49
百済て、伯済氏が近隣100カ国をまとめて百済になったんだろ?
伯済氏は、三国史の武将の名前にも出てくる漢人の姓。
818日本@名無史さん:03/10/17 12:35
伯済は部族国家の名前で、扶余族の温祚部族が土着部族と結合してできた国
でないの?
819日本@名無史さん:03/10/17 12:53
伯済(漢族)のまとめた国、百済が、 どうやっったら北方族が建国となるんだ?
三国史記なんて12世紀のデンパ本で当時都合の良い記述になってるだけだろ。
820日本@名無史さん:03/10/17 13:17
>>814
確かに、百済王は姓がみんな余ですね。
あと、韓国の忠清南道南部に扶余郡てのが今もありますね。
821日本@名無史さん:03/10/17 13:56
>>814
これのことですか?

後漢書 巻八十五 東夷列伝第七十五
 夫餘、高句麗、東沃沮、穢、三韓、倭 

三国志 魏書 巻三十 魏書三十 東夷
 夫餘、高句麗、東沃沮、穢、韓、倭

普書 巻九十七 列伝第六十七 四夷 東夷
 夫餘国、馬韓、辰韓、倭人  

宋書 巻九十七 列伝第五十七 夷蛮 東夷
 高句麗国、百済国、倭国

これらの夫餘っていうのは百済のことらしいのですが。そうなんですか?
822日本@名無史さん:03/10/17 14:20
三韓とフヨが別に書いてあるね、違うだろ
823日本@名無史さん:03/10/17 14:34
ご参考までに

夫餘は後二世紀前半から三世紀後半にかけて最盛期を迎え、とくに二世紀
前半の尉仇台の時代には、穢族(穢:当字)の盟主として後漢の玄菟郡に通じ、
これを援けて鮮卑や高句麗と戦ったという。漢が「穢王之印」を与えたのも
この時期である。
また公孫度が遼東に立った後は、これと姻戚関係を結んだらしく、魏志夫餘
伝には「妻以宗女」とあり、これは「度が仇台の宗女を以って妻とす」とも
読めるという。
この尉仇台は後に百済の王家がそこから出たと伝え(周書)、百済が
「臣と高句麗は源夫餘に出ず(百済王餘慶の上表文)」と主張する根拠
のひとつとみられる。
夫餘は二五八年に至って鮮卑の慕容氏に討たれ、以降急速に衰退していくが、
三四六年に至って再び鮮卑(前燕)の檀石槐によって討たれその麾下に
降って完全に滅びた。
夫餘の王族はその直後から、夫餘氏または餘氏を名乗ったとみられるが、
この後に餘姓の記録の残るのは、三七〇年の前燕の滅亡にともなって反旗
を翻して前秦に組みしたという餘蔚なる人物、そして三七二年に東晋に
朝貢した百済王餘句(近肖古王)なる人物であった。
824日本@名無史さん:03/10/17 14:38
中国関係の史書からいくつか

百済の王族は夫余系部族だったことが、「周書 百済伝」にあります。
「王の姓は夫余であって、王族を『於羅瑕』と呼ぶが、民衆は『建吉支』と呼ぶ。」

周書の引用から分かるように,百済を支配していたのは,北方の夫余系民族
でしたが、民衆の間では異なった言語が用いられていたようです。
彼らは「王」のことをkenkichiと呼んでいました。この語は、日本書紀など他の歴史書
にたびたび現れており、「三国史記」では  kenkichi 「日本書紀」では konikichi
となっています。
周書の「建吉支」とピッタリ同じで、日本・中国・朝鮮の記述が一致する例です。

魏書によると馬韓と秦韓では言語に違いがあるように書いてあるります。
梁書には百済の支配層は高句麗と同一の言語を話した記録があります。
825日本@名無史さん:03/10/17 14:48
×秦韓
○辰韓
826日本@名無史さん:03/10/17 16:41
>>626
私も聖書をはじめて読んで
神話が実際に極東で起きたこととは
必ずしも言えないと思うようになりました。
827814:03/10/17 17:39
>>816
他板からの転載でよければ。

81 名前:_ メェル:sage 投稿日:03/06/10 03:24 ID:WCaeqotd
>79
>百済は東扶余国の王子が宋かなんかの後押しで馬韓を平定して建国とか聞いてるんだけど。

後漢書や隋書など諸書によると、
夫餘(東扶餘とは別の国)の王で「尉仇台」(2世紀頃の夫餘王「尉仇台」とは
同名の別人でこっちは「仇台」ともいう)という王がいたんだが、
これと、(宋じゃなくて)三国志の時代の一人で「公孫度」という群雄がいた。
このふたりは、政略結婚で同盟関係となり、
公孫度は、南満洲・山東半島・朝鮮半島までを勢力圏にするほどになった。
尉仇台は、帯方の地(つまり馬韓)に進出して百済を建てた。…という話になる。

しかしこれだと百済の建国史は、後世にできた「三国史記」「三国遺事」
などに書かれている建国神話とあまりに食い違ってしまうため、
三国志などの、公孫度と同盟した夫餘王「尉仇台」(2世紀の「尉仇台」とは別人)と
周書などの、帯方の地(つまり馬韓)に百済を建国した「仇台」とを
混同してできた話だとする説もある。(「尉仇台」「仇台」別人説)

>だったら中国東北部に何かしらの影響力はあったかもしれない。どうなんでしょ?

そのとおり。晋の時代じゃなくて三国志時代なら百済が遼西を得るのは可能かも知れない。
もっとも、百済がたしかに実在したと確認できる史料上の初出は342年の
「高句麗・百済・宇文・段部の人々が前燕の都(遼西の竜城)に居住してその戸数十万」
という記事だから、三国志時代はまだ「百済国」ではなく、あくまで「夫餘」の一部としての
「白済郡」だったのだろう。遼西には、白檀[bak-dan]白狼[bak-lan]など、
伯済[pak-tser]/[k-da-la]に似た地名がある。(馬韓の伯済国はさらにその分家または出先機関?)
828日本@名無史さん:03/10/17 17:52
>>817,>>819
>百済て、伯済氏が近隣100カ国をまとめて百済になったんだろ?

そんな話はない。もと十済だったのを百家にふえたから百済に改名した
という伝説まらあるが、これは文字からこじつけたヨタ話と考えられている。

>伯済氏は、三国史の武将の名前にも出てくる漢人の姓。

ちくまの正史三国志の索引みるかぎり「伯済氏」というものは存在しない。
似たようなのはたくさんあるから勘違いしてるのでは?

百済が北方の夫餘族が建てた国であることは823、827を参照。

>>820
>あと、韓国の忠清南道南部に扶余郡てのが今もありますね。

それは百済の三番目の首都だから。元の名は泗批。

>>821
>これらの夫餘っていうのは百済のことらしいのですが。そうなんですか?

ちがう。822の指摘が正しい。
それらの夫餘から分家したのが百済。だから百済は別名「南扶餘」ともいう。
829日本@名無史さん:03/10/17 18:53
『三国史記』
によると、始祖の温祚王が扶余から南下したとき
10人の家臣が随行し、
百姓も喜んで彼に従ったので、漢江の南の慰礼城を都に定めたという。
そして、10人の家臣が彼を補佐したので
国号を「十済」としたが、のちに百姓が喜んで従ったことがたいせつだとして、
「百済」にあらためたと記されている。

しかし、
馬韓五十余国のなかの「伯済」に由来するとみなすのが通説で、
百済も伯済もペクチェである。

ここから判る事は、百済の名前ひとつとっても、三国史記著者は相当な
ストーリーテラーであると思われる。
830日本@名無史さん:03/10/17 19:22
三国史登場の 伯済氏というと

郭淮伯済かな。 
831日本@名無史さん:03/10/17 21:45
韓国の学会では釜山周辺の発掘から、3世紀末に扶余が南下して来てクヤ韓国を
支配した、というのが定説になっているらしいですが、この説の信憑性は?
832日本@名無史さん:03/10/17 21:54
>>829>>830
>百済も伯済もペクチェ(http://www.isemonogatari.com/geo/kudara.htm)
ですから、そのペクチェに扶余系が来たようだという方向になってきてます。
ペクチェですから、漢人の氏とは、語源が違うようですね。

>郭淮伯済
姓名が郭淮で、字が伯済です。黄河中流の山西省大原の人です。

833日本@名無史さん:03/10/17 21:56
>>827 :814
ありがとうございました。
周書などの、中国文献から、百済と扶余の関係がわかりますね。
これで、百済王が、みんな扶余の余を名乗ってる理由がよくわかりました。
また、史料を教えてください。
834日本@名無史さん:03/10/18 03:51
>>831
ない。

>>832
そのホムペは電波。
835日本@名無史さん:03/10/18 07:32
>>834
「ない」と言い切ることができるのでしょうか。
中国東北の松花江流域の扶余遺跡との共通性など、かなり物的な根拠がある
ようですが。
836日本@名無史さん:03/10/18 10:09
>>834
http://www.isemonogatari.com/geo/kudara.htm
は、>>829さんが引用したページです。
私は、ペクチェという発音を使っただけです。

>そのペクチェに扶余系が来たようだという方向になってきてます。
これは、引用ではなくて、このスレの方向(流れ)です。

>>835
どこかのサイトにありますか?ちょっとくぐったがわかりませんでした。
837日本@名無史さん:03/10/18 10:28
「ペクチェ」というのは現代韓国語の発音だから、「百済」と書く方が望ましいね。

「百済」という土地が先に存在して、そこに夫餘がきたわけではなく
夫餘の一分枝があるところに進出して百済になったわけだろう。
838日本@名無史さん:03/10/18 14:49
はっきりしてるのは、
12世紀の 三国史記のデンパ が一人歩きしてるってことだな。

その位、朝鮮や百済は、古文献に登場しない。
北方フヨが百済を作った等というのは、3国史記妄想である。

公孫系の漢人と楽浪郡の残党の伯済氏が、高句麗勢力の及ばない南方の
部族を取りまとめて作った国が伯済国であり百済だろ。
839日本@名無史さん:03/10/18 18:42
>>838
ちょっと擦れ読んでる?

夫餘の王が百済をたてたことは12世紀の三国史記ではなくて
漢書、梁書、隋書など中国の正史が典拠。>>823>>827を参照。

12世紀の三国史記のデンパは、「後2世紀の末頃の夫餘の王みずから百済を建てた」という
話を歪曲して「BC18年に高句麗の分家の者が逃亡してきて建てた」と改竄したところ。

>楽浪郡の残党の伯済氏

そんなものはない。832のいうとおり伯済は郭淮の字(あざな)だろ。郭氏じゃんよ。
しかも伯済=郭淮は魏の将軍のひとり。三国志に列伝があってその一生が明らかだが楽浪とは関係ない。


840日本@名無史さん:03/10/18 20:03
>>838
>公孫系の漢人と楽浪郡の残党の伯済氏が、高句麗勢力の及ばない南方の
>部族を取りまとめて作った国が伯済国であり百済だろ。
出典名と根拠の箇所を教えて下さい。 
中国正史で扶余と百済の関係は眀らかに思えますが。
841日本@名無史さん:03/10/19 18:12
三国志魏書 東夷伝」

夫餘は長城の北にあり、玄菟を去ること千里、南は高句麗と、
東は[手邑]婁と、西は鮮卑と接し、北に弱水(黒龍江か?)あり、方二千里ばかり。
〜〜〜〜〜〜〜〜
韓は帯方の南にあり、東西は海を以って限りとなし、
南は倭と接し、方四千里ばかり。三種あり、一を馬韓といい、二を辰韓といい、三を弁韓と曰う。

■まず、夫餘は高句麗の北にあるわけだ。
■高句麗を挟んで、南に三韓がある。
君達は、夫餘の王家ばかりを捉え、明らかに全く別の存在である事を無視している。

百済はもと魏の三世紀中葉、馬韓五五国の一であった伯済国であった。
帯方の故地の南、漢江下流域の慰礼城に都し、急速に新興国家としてのしあがった。
中国史料から見て、建国の王と見られるのは三四六年即位と伝えられる近肖古王である。
ただしこの王の父王たる比流王は「推されて立った」と伝承され、
近肖古の系統がもともとの伯済の王家とは違っていた可能性が示唆されている。
すなわち百済の王家は、馬韓に拠っていた地在の伯済を襲って、ここに立国したのであろう。
それが、夫餘系では?という事である。
二世紀前半の尉仇台(夫餘)の子孫が4世紀建国の百済の建国に関連したという
記載の信憑性も怪しいが、事実だったとしても夫餘滅亡後の子孫のこと等何の意味が
あるというのだろう?
842日本@名無史さん:03/10/19 22:33
>>841
>■まず、夫餘は高句麗の北にあるわけだ。
>■高句麗を挟んで、南に三韓がある。
>君達は、夫餘の王家ばかりを捉え、明らかに全く別の存在である事を無視している。
ですから、そんなことは当然の前提というか、わかりきった当たり前のことです。
扶余は258年に一度滅びて、王族やらその他の移動が始まりました。

>建国の王と見られるのは三四六年即位と伝えられる近肖古王
彼は扶余の一族と名乗り、中国にそう申し出ています。名前は余です。
「周書」に出ています。372年に東晋に朝貢した百済王餘句=近肖古王です。
「周書」では、百済が自分から
「臣と高句麗は源は夫餘に出ず(百済王餘慶の上表文)」と名乗ってます。

>事実だったとしても夫餘滅亡後の子孫のこと等何の意味があるというのだろう?
ですから、百済建国には扶余が関係してそうだと言ってるだけです。
あなたは、最初、百済と扶余との関係を激しく全否定し、
>公孫系の漢人と楽浪郡の残党の伯済氏が、高句麗勢力の及ばない南方の
>部族を取りまとめて作った国が伯済国であり百済だろ。(>>838)
と書き、さらに、「伯済氏はいないのでは?」に対して
>伯済氏というと郭淮伯済かな。(>>830)  
と、郭淮氏を伯済氏と間違えていたはずです。

>(扶余との関係が)事実だったとしても
こう述べられて譲歩していただいているようなので、
スレ違いな話題はこのくらいでやめましょうか。
843841:03/10/19 23:22
>>842
否定してるそれぞれのスレは私じゃないって。
百済を夫餘が建国したってのを皆が事実認証してると思ってるのですか?


■周書で訴えてるのは高句麗との祖先の縁を書いてるのであって、
建国した時点で夫餘族によってという意味ではないのです。
ここ、判りますか? 建国したものの祖先は高句麗と同じ夫餘族がいる
といってるにすぎません。100年程度の誤差ですから誤解されてますが、
これを1000年経て建国と考えればわかるでしょう。

A 「百済はフヨ人が建国した」 って表現していいんでしょうか?

このの表現は、三国史記にあるような妄想あるいは、
夫餘国の夫餘人が馬韓に進入して、百済を建国した 
という脳内妄想が膨らむだけです。

実際は
・高句麗
・楽浪郡の漢人
・公孫系の勢力
・現地人   以外の勢力は当時半島に記録されてないでしょう。

楽浪郡の漢人と帯方の公孫勢力と現地人がが混在してると思いますが、
伯済国が百済になる過程で、周辺50国を併合しましたから、
伯済王家があったという前提で百済ができたでいいはずです。

夫餘をメインに書くと、夫餘族が荒野の半島を開墾していく姿となってしまい
夫餘騎馬族 大ロマンストーリーになってしまうのです。
844日本@名無史さん:03/10/19 23:51
>ただしこの王の父王たる比流王は「推されて立った」と伝承され、
>近肖古の系統がもともとの伯済の王家とは違っていた可能性が示唆されている。

三国史記とくに百済本紀の扱いは慎重を期すべき。

>すなわち百済の王家は、馬韓に拠っていた地在の伯済を襲って、ここに立国したのであろう。

それなら「馬韓を侵した」と伝わるだろう。「帯方の地に建てた」というのはもっと前。
馬韓諸国の中の伯済国の建国とすれば、2世紀末の尉仇台の活動としても矛盾がない。
半島国家としての百済の勃興は4世紀だが、馬韓の中の一国としての伯済国は3世紀にすでに存在している。

845日本@名無史さん:03/10/20 00:01
郭淮についてはネタだと思ってたが。アレはマジカキコだったのか。
846日本@名無史さん:03/10/20 00:36
>夫餘をメインに書くと、夫餘族が荒野の半島を開墾していく姿となってしまい
>夫餘騎馬族 大ロマンストーリーになってしまうのです。

んなこたぁないでしょ。正直なにをいってるのかさっぱりわかりません。

あなたは公孫氏の勢力が当地に及んでることを認めるわけでしょう。
その公孫氏は夫餘と密接な協力関係にあったことも知らないわけじゃないよね?

半島が荒野だとか夫餘が騎馬族だとかいってるところをみると電波系の人ですか?
それなら議論してもムダなので撤退しますけど。
847日本@名無史さん:03/10/20 03:03
百済については専用スレがあるだろ
848841:03/10/20 03:44
>>844
伯済国の建国に、尉仇台が関わってるというの?


俺は、百済建国の「祖先がフヨの血を持ってる」という事だけの記載が、
「百済建国がフヨ人」 となってる事を、表現が大げさでは?と笑ってるにすぎない。

>>846
公孫系が百済建国に関わったというのは帯方群の流れからも
当然だと思うんだが? 夫餘は匈奴だろ。牛馬を扱うんだよ。
そういや、夫餘の官の記載筆頭は「馬加」って言うんだよね
ところで、伯済国が百済の元ってのが常識に異論がある人もいるの?

849日本@名無史さん:03/10/20 05:13
>>848
>ところで、伯済国が百済の元ってのが常識に異論がある人もいるの?

いや、漏れは異論ない。他にいるかはわからんが。

>伯済国の建国に、尉仇台が関わってるというの?

仇台(=尉仇台)は公孫度とほぼ同時期の人で2世紀末。魏志東夷伝の記事(馬韓54国)は3世紀前半の情報だろう。
馬韓54国の状態はいつまで遡るかは不明だが、時系列としては仇台>伯済国=馬韓54国>百済の順になる。
そこでもし仇台が百済を建国したというのなら、その時の百済とは馬韓54国の中の伯済国をさすと考える以外にない。

>百済建国の「祖先がフヨの血を持ってる」という事だけの記載が、
>「百済建国がフヨ人」 となってる事を、表現が大げさでは?

うーん。それはなんとも答えられないな。あまり意味に大きなちがいはないようにも思うが…。
12世紀にできた三国史記を無視すれば、後漢書・周書・隋書など中国の正史の説では、
百済を建国したのが誰かといえば仇台で、彼は夫餘王だったと考えられる。
そしたら「夫餘の血を引くけど本人は夫餘人ではない者」が建国したのではなく
「夫餘人が建国した」といってよいのではないかな?(ちなみに尉仇台とは2世紀前半
の夫餘王とは別人で、仇台ともよばれた2世紀末の夫餘王であることは827に依拠)

>夫餘は匈奴だろ。牛馬を扱うんだよ。

匈奴でなくても牛馬くらい扱うでしょう。牛馬を扱ったら匈奴だというのはいまいち意味不明ですが。
夫餘伝には夫餘が農耕民であるように書かれていますね。少なくとも「夫餘は半農半猟民」くらい
にいうのが通説と思いますが。夫餘が騎馬民族、というのは、つまり江上波夫を支持してるの?

>そういや、夫餘の官の記載筆頭は「馬加」って言うんだよね

「馬加、牛加、猪加、狗加」は四出道を守る官だ、とはありますが、馬や牛の世話をする官だとはないよ。
四方に分担してわかれているのだから、馬加が筆頭で狗加が下っ端という解釈はいかがかな。
もし家畜を管理してるなら「官は六畜の名をつける」じゃなくて「六畜をつかさどる」と書くでしょう。
850日本@名無史さん:03/10/20 05:35
伯済国が百済の前身だとしても百済そのものは扶余の南下による征服王朝だろう。
そもそも馬韓では馬に乗ることを知らないとする文言(三国志)および、
比流王(304-344)が仇首王(214-234)の次男となっているが
息子が親の死後100年たってから死ぬなどということはありえないといった系図の
矛盾。
接木したとみるのがだとうだろうな。
この時期王朝も替わったのだろう。
ちなみに新撰姓氏録には
「春野連
百済の速古王(そくこわう)の孫、比流王(ひるわう)より出づ。」
(右京諸蕃下)
などと書いてある

851日本@名無史さん:03/10/20 05:36
ああちょっと引用まちがったな。
ま、いいか。
852日本@名無史さん:03/10/20 06:41
弥生のクニのリーダー
853日本@名無史さん:03/10/20 07:22
<PRE>
</PRE>
854日本@名無史さん:03/10/20 09:39
>>850
>伯済国が百済の前身だとしても百済そのものは扶余の南下による征服王朝だろう。
ほぼ、そうでしょうね。伯済に南下勢力が入り、周囲を統合したのでしょう。
百済の支配層と民衆が言葉がちがうらしいことが、「周書 百済伝」にあります。
「王の姓は夫余であって、王族を『於羅瑕』と呼ぶが、民衆は『建吉支』と呼ぶ」

>>848
>公孫系が百済建国に関わったというのは帯方群の流れからも当然だと思うんだが? 
公孫氏は、夫餘氏と同盟したこともあり、かつ、婚姻関係も結んでいます。
つまり、公孫系と夫餘系は激しく密接な関係です。

>ところで、伯済国が百済の元ってのが常識に異論がある人もいるの?
常識で述べていいのなら、夫餘系と百済の関係は常識です。
伯済国が周囲を従え、勢力を持ち始めた原因は夫餘系が関係してるようです。
855日本@名無史さん:03/10/20 11:10
>>843
>否定してるそれぞれのスレは私じゃないって。
スレ→レスかな。悪いが誰が見てもあなただね。

>百済を夫餘が建国したってのを皆が事実認証してると思ってるのですか?
少なくともここ数日のレスでは、あなた以外の3〜4人は認証してるね。

>俺は、百済建国の「祖先がフヨの血を持ってる」という事だけの記載が、
>「百済建国がフヨ人」 となってる事を、表現が大げさでは?と笑ってるにすぎない。
と、このように、あなたも、じわじわ認証しつつあるが。

>>844 :日本@名無史さん
これも、あなただね。内容と文体ですぐわかるよ。
こんなんでは、議論の意味がない。
856841:03/10/20 13:39
>>855
まともに返レスしようと思ってるんだから、
妙な憶測はやめてくれ、 そのレスもおれじゃないよ

>>854
「百済そのものは扶余の南下による征服王朝」

ほら、こういう妙な考えが一人歩きするのが嫌なんだな。
百済を建国したのが扶余というのは表現がおかしい。

公孫系の祖先は扶余との婚姻があるから、公孫系の帯方群勢力の
建国で百済ができたと考えるのが、どう考えても自然。
まさしく、祖先には扶余がいるんですよー っていう記述と合致。

扶余族という一群が、2世紀以降も存在したという錯覚を覚えさせる。
857日本@名無史さん:03/10/20 13:51
>>850
>伯済国が百済の前身だとしても百済そのものは扶余の南下による征服王朝だろう。
>>854
>ほぼ、そうでしょうね。伯済に南下勢力が入り、周囲を統合したのでしょう。

夫餘の南下というか、夫餘王の仇台の楽浪入りは、事実上は、楽浪郡の支配者で
ある公孫度の意図で行われたのだろう。公孫度の協力なり容認がなければ南下は不可能。
馬韓人が御しにくい連中であることは三国志にみえる。
馬韓54国のうち伯済国は、はじめから夫餘勢力が建てたとみて別になんの矛盾もないよ。

もし馬韓54国のうちの伯済国の段階ではまだ夫餘は関係ないのだというなら、
まず何年頃に夫餘が入ってきたのか具体的にいってくれないとこっちも突っ込めない。
858日本@名無史さん:03/10/20 13:52
>>850
>そもそも馬韓では馬に乗ることを知らないとする文言(三国志)および、

馬はあったよ。ただ騎馬・乗馬の風はなく、副葬品にして殺してしまうという話。
しかし夫餘でも名馬を産するというだけで、夫餘は定住農耕民なわけで、
とくに遊牧民でもないのだが。

>比流王(304-344)が仇首王(214-234)の次男となっているが
>息子が親の死後100年たってから死ぬなどということはありえないといった系図の
>矛盾。接木したとみるのがだとうだろうな。この時期王朝も替わったのだろう。

三国史記にはそんな矛盾あちこちにあって、特別どうだもないし。
12世紀に書かれたものだし。とくに百済本紀の王系譜は信用できないところだらけ。

>ちなみに新撰姓氏録には「春野連 百済の速古王(そくこわう)の孫、
>比流王(ひるわう)より出づ。」(右京諸蕃下)などと書いてある

それが何か? ちょっと文脈がわからないのですが…。
859日本@名無史さん:03/10/20 13:59
>>856
>扶余族という一群が、2世紀以降も存在したという錯覚を覚えさせる。

夫餘が滅亡したのは285年じゃなかったかい? 3世紀後半まで存在してるよね。
百済王餘句の初出が347年だから、それでも62年離れてるけど、仇台ならまったく問題なし。

860日本@名無史さん:03/10/20 14:01
百済については、専用の「百済スレ」があるだろ。そっちいけよ。
861日本@名無史さん:03/10/20 14:21
>>858
新撰姓氏録のことは無視していいよ。違うこと考えていて間違って書き込んだ。
だから>>851にも書いといた。

その他も、所詮傍証でしかないよ。
862日本@名無史さん:03/10/20 14:29
伯済国が扶余系であったかは分からないとするのがいまのところ正解でしょ。
疑問視する向きが多いとおもうが。
863841:03/10/20 17:08
百済建国のまとめ。

百済は伯済国が馬韓55国を統一して建国したと考えられるが、
建国にあたっては、公孫氏の帯方群の漢人勢力が中心になったと想定される。
公孫氏が百済建国の中心であるという
根拠としては、公孫氏の祖先は扶余の皇子、尉仇台と婚姻関係があり
史書にある百済の臣と高句麗はともに扶余の血を引くと合致するためである。

なお、百済を扶余族が南下して作ったや、百済は扶助族が建国した という
表現は極めて如何わしい表現であるので控えたい。

ただし、 
「扶余の尉仇台自らが公孫氏の助けを得て馬韓の伯済国を作ったのだ」
という説に立つ場合は、その表現でも構わない。
しかし、史料においてそれを示唆するものは特にない。

864歴史しらず:03/10/20 19:58
すみませーん。
それで、「天皇ちゃんの先祖は、どこからきた」んですか?
天皇以外の、例えば私の先祖とは出自が違うんでしょうか?
結論がまだまだ出ないようでしたら、後日にでも教えて下さい。
ホント知りたいのよ。 よろしく。
865日本@名無史さん:03/10/20 20:49
>>864
866日本@名無史さん:03/10/20 23:00
>>859
>>856
>>扶余族という一群が、2世紀以降も存在したという錯覚を覚えさせる。

>夫餘が滅亡したのは285年じゃなかったかい? 3世紀後半まで存在してるよね。
夫餘遺民は移動し、東夫餘を建国し、494年まで続いてます。
広開土王碑文にも出てたはず。
867日本@名無史さん:03/10/20 23:22
>>863
>建国にあたっては、公孫氏の帯方群の漢人勢力が中心になったと想定される。
>公孫氏が百済建国の中心であるという
これは、あなたのオリジナルな発想ですね。

>根拠としては、公孫氏の祖先は扶余の皇子、尉仇台と婚姻関係があり
>史書にある百済の臣と高句麗はともに扶余の血を引くと合致するためである。
史書を根拠とするなら、夫餘系が建国の中心と理解するのが普通と思われます。

868日本@名無史さん:03/10/20 23:23
>>863
>史書にある百済の臣と高句麗はともに扶余の血を引く
やっとここだけは理解できましたね。よかったね。

>なお、百済を扶余族が南下して作ったや、百済は扶助族が建国した という
>表現は極めて如何わしい表現であるので控えたい。
そういう表現も途中で出てきたかもしれませんが、過去レスを見てみたら、きっかけは
>百済は夫余系と高句麗系の移住民が建国
に全否定過剰爆発した人がいたこと。それが誰だかの詮索は別にいいけど。
その人は、
>百済は夫余系と高句麗系の移住民が建国
という表現を誤解したんじゃないかな。
百済人すべてが夫餘人だという誤解。
この表現は、夫餘系と高句麗系の移住民が、建国の貢献者・支配者階級に
なったという意味で、百済国民に漢人やらその他がいたことをなんら否定してない。
869日本@名無史さん:03/10/21 00:26
A公孫系漢人= フヨと結婚してる
B史書にあるのは、臣の祖先はフヨの血を持ってる というだけ。
C公孫系漢人が帯方群を支配していた。

   つまり、百済建国は公孫系漢人。で矛盾なくOK 

フヨを建国の中心と、あえて表現する奴の意図は、
 ・百済の支配層=漢人ではなくフヨ、 とリードしたい!
 ・フヨ族の勢力が、三韓や倭の支配層になったという考えの基本である。
というデンパ説の一環として捉えるべきである。

困った事に韓国史観では、このフヨ族が大活躍なのだ。

870日本@名無史さん:03/10/21 09:24
>>869
>A公孫系漢人= フヨと結婚してる
公孫氏が夫餘氏と婚姻関係

>B史書にあるのは、臣の祖先はフヨの血を持ってる というだけ。
中国史書に書いてあることは、
(1)百済の王は、みな夫餘を名乗ってる。
(2)中国への上奏文でも、百済王は自らの出自を夫餘系と申し出ている。
(3)支配層と民衆層では言語に相違が見られる

>C公孫系漢人が帯方群を支配していた。
帯方郡は、やがて衰え、南部の韓・妻諸族によって併合された。
百済建国は、その後。

>つまり、百済建国は公孫系漢人。で矛盾なくOK 
三段論法が成立してない。なぜ中国に漢人と名乗らなかったか?
なぜ都合の良いところだけ、中国史書より、自分の想像を上にするのか理解できません。
夫餘の王が百済をたてたことは12世紀の三国史記ではなくて
漢書、梁書、隋書など中国の正史が典拠。>>823>>827を参照。

871日本@名無史さん:03/10/21 09:25
>フヨを建国の中心と、あえて表現する奴の意図は、
>・百済の支配層=漢人ではなくフヨ、 とリードしたい!
中国史書から、そう理解できますから。

>・フヨ族の勢力が、三韓や倭の支配層になったという考えの基本である。
新羅などの話は誰もしてません。百済の話をしてるのです。

>というデンパ説の一環として捉えるべきである。
百済と夫餘の関係は中国史書に出展が幾つかありますが、
公孫系漢人という出展はなさそうですね。
出展があるほうが電波なんですか?

>困った事に韓国史観では、このフヨ族が大活躍なのだ。
夫餘は北方ツングース系です。しかも、百済はツングースの侵略王朝となります。
韓国の歴史ナショナリズムにメリットはありません。逆にデメリットです。
韓国が中国事大主義をありがたがっているのなら、漢人説をとるでしょう。
ウリナラマンセーなら地元の韓の伯済が百済になったニダ、でしょう。
872日本@名無史さん:03/10/21 19:13
>>869は一知半解の見本みたいな奴だな。

百済の支配層は夫餘系、庶民層は馬韓系で、百済人というひとつの民族だったわけではない。
このへんは電波でもなんでもないし、百済の王族が夫餘系であることは
中国の正史の記述からまったく問題のないこと。
むろん百済の建国に、漢人である公孫氏がかかわっていることは
十分推測できることであって、別に否定する必要はないよ。

>・フヨ族の勢力が、三韓や倭の支配層になったという考え

高句麗と百済の支配層が夫餘族というのはまぎれもないことで否定しようとする方が電波でしょ。

電波というのは、「夫餘人も三韓人も、同じ民族ニダ!」という説と
「夫餘族が倭を征服して大和朝廷になったニダ!」という説。ごっちゃにしないように。
873日本@名無史さん:03/10/21 19:16
>>871
>夫餘は北方ツングース系です。

夫餘はツングース系じゃないよ。もちろん三韓の系統でもないし今の朝鮮人の系統でもないけど。
874日本@名無史さん:03/10/21 20:17
古代天皇の記録は
強力な軍隊と北方系シャーマニズムで
彩られている。

古代天皇軍というのは
現在でいえば北から南下してきた
冷徹なソ連軍みたいなものだったろう。
875日本@名無史さん:03/10/21 20:27
>>873
>夫餘はツングース系じゃないよ。

ソースは?
876日本@名無史さん:03/10/21 20:30
       /:::::::::::::::::::::::人:::::::::::::::::::::::::\
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  ..  |:::::| ∴∴ _-- ̄`´ ̄--__ ∴∴ |::::::|   /
    |:::::| ∴∴  -二二二二- ∴∴ |:::::::|  < 黒くて長い、のっぺら寄り目ツングース
    |:::::|                  |:::::::|    \___________
    |:::::::ヽ      -_    _-     ノ::::::::|
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    |::::::::::| \_______/ |::::::::::::::::|
877日本@名無史さん:03/10/21 20:35
うすうすハの字眉、うすうすハの字眉・・・
878日本@名無史さん:03/10/21 21:11
>>875
世界史板の高句麗スレや渤海スレで散々がいしゅつ
879日本@名無史さん:03/10/21 21:54
>>872
百済は538年に国号を南夫餘と変えたんですか?

>>873
ツングース系って聞いたけど?何系なの?
880日本@名無史さん:03/10/21 23:19
>>879
夫餘系でつ
参考スレ↓

高句麗の言葉が
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/987824592/-100
881日本@名無史:03/10/21 23:51
扶余って、北方騎馬民族って言う風に聞いているけれど、それがツングース?
882日本@名無史さん:03/10/22 00:35
>>879
南夫餘じゃなくて南扶餘。日本書紀もこの頃の百済を「扶餘」と書き「くだら」と読ませている例がある。

>>880
騎馬民族というのは定義しだいでなんとでもなる幽霊語。
かりに遊牧民の意味とすると夫餘は、騎馬民族でもないしツングースでもない。
しかもツングースがそもそも騎馬民族ではないことになる。
883日本@名無史さん:03/10/22 06:52
百済について語りたい人はこちらにどうぞ。(ちなみにスレタイと中味は逆方向に議論がすすんでいまつ(w)


百済はアジアのローマ帝国なり
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1004335573/l50

【歴史】奈良百済って一体何???【捏造】 [←百済スレの世界史板バージョン]
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1050959182/l50

日本は百済の属国だった
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1031483842/l50
884日本@名無史さん:03/10/22 09:03
>>880
参考スレどうも。斜め読みだから、誤解してたら訂正して欲しいんだけど、

夫餘は靺鞨系と関係がありうるとのことなの?
靺鞨系ってツングース系と関係が有ですよね。
としたら、これはもう推測の世界なんだろうけどツングース系と他人ではない
と思うんですけど?

あと、日本語は、ある意味で、現在最後に残った夫餘系言語とも読めたが、
どうやって伝わってきたの?
885日本@名無史さん:03/10/22 17:29
まあチョンを天皇に戴いてる日本人は、人種差別主義者ではないことは
明らかだな。
886日本@名無史さん:03/10/22 17:46
>>884
>靺鞨系ってツングース系と関係が有ですよね。

靺鞨というのは、大雑把にツングース系ということになってるけど、正確に
いうと、いろんな部族の集まりで、特定の系統というわけではないようですね。
靺鞨についてはこっちのスレが詳しいでつ

◆◆渤海国について語ろう◆◆
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043509346/l50

>日本語は(中略)夫餘系言語とも読めたが、どうやって伝わってきたの?

おそらく、伝わってきた、というような感じではなく
先住民の言葉ということじゃないですか。よくわからないけど。
夫餘系諸語は穢系諸語ともいい、夫餘語・高句麗語・沃沮語・穢語の4つ。
夫餘系諸語と古倭語は近いかも、というだけで、
古倭語が夫餘系諸語の中の1つ、という意味ではないよ。
言語の基層性からいって、弥生時代や古墳時代に夫餘に征服されたとか、
そういう新しい時代のことではないような感じだけど。
「環日本海祖語」というものを想定して、
夫餘系諸語と古倭語は「環日本海祖語」から分かれた、という仮説もある。
古倭語は南方系の言語の影響を受けたために夫餘系諸語と分かれたという説もあれば
そもそも環日本海祖語が南方系(つまり倭語も夫餘語も南方系)という説もあり、
すべてはまだ研究がすすんでないので、仮説だらけの雲をつかむような話ばかり。
日本語系統論は、学者がやりたがらないので、いまだに白紙に近いかも。
言語系統についての精密な議論ならば、こっちのスレ

何でも知りたい!歴史基礎知識やさしく教えてくん専用統一スレ
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=korea&key=1039074422&ls=50

このスレで、娜々志娑无というコテハンに聞くといい。相手にしてくれるかどうかは別だが。
887:03/10/22 22:05
壮大な説として
高天の原=バビロニア説がある。

ケンペル、木林鷹太郎ら
888日本@名無史さん:03/10/22 22:06
>>866
>>夫餘が滅亡したのは285年じゃなかったかい? 3世紀後半まで存在してるよね。
>夫餘遺民は移動し、東夫餘を建国し、494年まで続いてます。

夫餘の滅亡の過程は複雑なので、渤海スレにそのまとめをうぷしときました。ただし
百済がらみでレスしたい場合は、渤海スレじゃなくて>>883の百済スレでおながいしまつ。
889日本@名無史さん:03/10/22 22:33
バビルの塔に住んでいた
ちょーのーりょくしょーねん天皇二世
890日本@名無史さん:03/10/22 22:37
つまりバビルの塔から天浮船にのって
日本に移ってこられたのです。
891日本@名無史さん:03/10/22 22:53
高天の原=カンダハル(神田原)
892日本@名無史さん:03/10/23 00:27
>>887
ちがうちがう。木村鷹太郎はアルメニア説だ。
893日本@名無史さん:03/10/23 12:33
>>886−888
読んできました。ありがとうございました。
やはり世界史もきちんと学ばないとだめですね。

>靺鞨
ツングース系諸族などがいろいろ集まったって感じですね。
ツングース語系諸族も、また、いろいろとごちゃごちゃいますね。

>「環日本海祖語」
うーん、難問ですね。バイカルから原日本人が来たとすると、
その言語は北方系の可能性が高い。
その後の、大陸・半島からの前期渡来系が「環日本海祖語」の母体ですかね。
あるいは、バイカル・サハリン・北海道ルートの祖先が、
もとをたどると、半島北方・中国東北部とかぶる可能性もあるし。
また、出直した方がいいかなw?ありがとうございました。
894 :03/10/24 00:11
アイヌ語、縄文語はアルタイ系。
895日本@名無史さん:03/10/24 14:48
アイヌ語は抱合語、アルタイ語族は膠着語。ぜんぜんちがう。

縄文語は残されてないので不明。
896日本@名無史さん:03/10/24 18:26
日本語は縄文語だろ。
897日本@名無史さん:03/10/24 20:25
縄文語は日本列島語とはいえるが、その意味で日本語といってみたところで意味はあまりない。
縄文時代にどんな言語が使われていたかは誰も知らない。
898日本@名無史さん:03/10/24 20:49
いや、日本語は縄文後の後継だろうということよ。
すくなくとも九州・沖縄地方で話されていた縄文語は
今日につながっていると思うよ。
東北は分からないけど
899日本@名無史さん:03/10/24 20:52
900日本@名無史さん:03/10/24 20:57
皇室はうんこ
901日本@名無史さん:03/10/24 20:59
  ∧_ 人
   (;´Д(__)
   ( つ (__)
   ) 「( ・∀・) いつものウンコカットでおながいします。
     |/~~~~~~ヽ
902日本@名無史さん:03/10/24 22:39
朝鮮出身の天皇を国の象徴にして血税で養う喜劇はいつまで続くのでしょうか?


903日本@名無史さん:03/10/24 23:24
すみませーん。
それで、「天皇ちゃんの先祖は、どこからきた」んですか?
904日本@名無史さん:03/10/24 23:26
お湯を注いで3分。
905日本@名無史さん:03/10/24 23:27
天皇の先祖の地を朝鮮と名付ければいい。多分現代の南朝鮮と北韓国と
一致するだろ。 誤差はあっても、先祖の地こそ朝鮮で押し切ればいい。
906日本@名無史さん:03/10/25 01:29
>>903
楽浪郡。
907日本@名無史さん:03/10/25 10:18
朝鮮は100%ない。
そんな国は存在してなかったし、
朝鮮人種も存在してない(しょせん大陸中世の混血種)

1万年前の縄文人から続く王族だろ
途切れた形跡がないからな。

908日本@名無史さん:03/10/25 14:46
類人猿から連綿と続く由緒正しい皇統ですよ。
909日本@名無史さん:03/10/25 17:30
そりゃそうだ
910日本@名無史さん:03/10/28 14:01
>>879
>百済は538年に国号を南夫餘と変えたんですか?

三国史記にはそう書いてあるが正確でない。おそらくもっと古くから「扶餘」という別名をもっていた。
詳しいことはがいしゅつの百済スレに書いといたよ。

911日本@名無史さん:03/10/30 10:59
>>910
どうも、ありがとうございます。
でも、どの百済スレだかわかりませんでした(^^;)。
スレとレス版を教えていただければ幸いです。
912日本@名無史さん:03/10/30 14:12
>>911

>>883に百済スレ三つあげてあるよ。三つしかないからすぐわかると思夫餘。
三つのうち最初のやつだけど。レス番号は493-495。現時点でスレのけつ。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1004335573/493-495
913日本@名無史さん:03/11/01 12:36
>>912
ありがとうございました。
感謝です。

>すぐわかると思夫餘
ワラタヨ(^^)
914日本@名無史さん:03/11/05 20:39
>>687
亀レス
>水平指向が一般的だったんですね。
685にも「やっぱ珍しいんだ」て書いたけど、奇祭といわれてます。

この番組を取上げていたNHKの番組では
近隣に点在する古墳内の壁画・祭の面の様式、などから九州・半島方面との
海の繋がりを示唆してました。
915日本@名無史さん:03/11/07 14:50
とりあえず、天皇はガイジンということで。
916日本@名無史さん:03/11/07 18:44
日本列島で猿から進化した人類がいない以上みんなよそから流れてきたんだと思うが。
917日本@名無史さん:03/11/07 19:06
つまり某地域で熊から進化した人類は
その土地固有の民族というわけですね?
そんな人類かどうかも疑わしいヤシらはそこにしかいないですし。
918日本@名無史さん:03/11/07 20:42
つまり、ワニが先祖の天皇家も
列島固有の種族であると
919日本@名無史さん:03/11/07 23:15
熊怪獣vsワニ怪獣で、日韓合作の怪獣映画作ってくれないかな。

・・・・技術も費用も日本におんぶにだっこの癖に口だけはうるさそうだから
日本の映画会社がみんなひいてしまうナ・・・・・・
920日本@名無史さん:03/11/07 23:17
つーか檀君には子孫はいないはずだけど???
どうして韓国人が自分らの祖先だといって自慢するのかよくわらかないぞ????
921日本@名無史さん:03/11/08 20:33
丹下団平
ワシが朝鮮王族の子孫だったとは・・・>>824

コニキシ八十吉
ごっつぁんです。ボクが朝鮮王族の子孫だったなんてあんまりです>>824
922日本@名無史さん:03/11/08 20:35
>>920

それ、漏れも疑問だった!

王様になって理想的な国を作って最後に引退して山神になる。
結婚とか子孫とかの話無し。
あくまで突然やってきて統治しただけ。
「朝鮮民族」とは血縁がない・・・
923日本@名無史さん:03/11/08 21:18
へー、ダンちゃん神話って
そういう結末だったんですか。
勉強になります。
924日本@名無史さん:03/11/08 21:22

漏れも朝鮮にわたって理想の国を作ろうか

鈴木檀君
925920:03/11/08 23:38
>>924
李朝時代の儒者のひとりが「檀君は夫餘、沃沮、穢、三韓の共通の先祖ニダ」という意味の漢詩を
作ったのが始まりらしい。その時は、はじめて朝鮮を治めたということで国家の開祖という意味
だったのだが、なんとなく民族の祖先という都合のいい解釈に流れたということみたいだな。

戦後に捏造された檀君系文書では、初期に捏造されたものでは檀君には夫婁という息子がいたことに
なっているが、これは夫餘神話の神名を適当にくっつけただけ。新しい偽書ほど息子の人数がふえて
桓檀古記では夫婁、夫蘇、夫虞、の3兄弟。最新バージョンではさらにその下に「夫餘」(w)がいて
檀君にはめでたく4人の息子がいたことになっている。
926日本@名無史さん:03/11/09 09:28
捏造というか、神話はむかしからそうやってできたのでは?
そういう意味では新しい神話の誕生に立ち会っていることになる。
927日本@名無史さん:03/11/09 09:44
意図してつくられた神話に価値はないよ。
928日本@名無史さん:03/11/09 10:42
日本書紀・古事記って日本人の神話じゃないんのがカナスイ。
あくまで、天武系王朝・の・による・のための・新作神話なんだよね。
929日本@名無史さん:03/11/09 10:56
わかってないね。
たしかに紀記は編集というか編成には
政治が介入してるが
核となる物語は神話学的にはあきらかに
古代各部族が
所有してきたもの。
常識だろ。

もう少し自分で古代神話の成り立ちを
勉強してから発言しなよ
930日本@名無史さん:03/11/09 10:59
民主党は党の政策として
外国人に参政権を与えようとしています。
しかしマニフェストからはこのことを隠しています。
選挙でマイナスになるという判断からと思われます。
主権に関わる重大な問題を陰でこそこそ行おうとするのは
極めて卑劣な態度と言わざるを得ません。

外国人参政権に反対の方は民主党には決して投票しないでください。
民主党が勝った場合、公明党と組んで
参政権付与に向けて行動を起こすことは間違いありません。

ちなみに参政権は主権者としての権利であり、納税は全く関係ありません。
日本国民であれば税金を払ってなくても、参政権があります。
差別という言動に、だまされないでください。

ちなみに自民党以外のほとんどの政党が
外国人参政権に賛成の立場です。
931日本@名無史さん:03/11/09 13:15
>>929
悪いけど、その柳田風の意見は、全否定されて久しいよ。
・日本書紀と古事記は、全く別のものと考えた方がいい
・2つとも、民衆の古代民話や原始説話は、全く取り入れられてない
が、今の常識だよ。
「前近代の天皇」1巻でもどうぞ。

取り入れられているのは、支配者神話のみ。
しかも、天皇家中心に神々の序列が捏造されている。
これが、日本において神話が国民に親しまれない理由。
932日本@名無史さん:03/11/09 14:52
まあ古事記なんかはしょっぱなからこれは古代各部族の持ってた伝承を天皇家に都合よく改竄したもんだぞ、と書いてあるからな。
素直なもんだ。てか929はちゃんと読んだことあんのか?
933日本@名無史さん:03/11/10 09:50
>>932
実は読んだことないんだ。スマン。
バカウヨ本の受け売りだ。逝きます。
934名無し募集中。。。:03/11/10 10:00
地方でようやくハロモニを見たが、なっちはレフェリーにはむいてない。
あの企画も2度目なわけだが前回を越えることはできなかった。
タッグにしたのが悪かったのかなぁ?
ねえどう思う?
935日本@名無史さん:03/11/10 14:02
>>933
>バカウヨ本

具体的に本のタイトル教えれ。
936日本@名無史さん:03/11/10 14:24
記紀読んだことないのに勉強しろだの常識だの・・・すげえな。
937日本@名無史さん:03/11/10 15:34
日本神話からの贈り物
PHP文庫
渡部 昇一
938日本@名無史さん:03/11/10 22:27
渡部 昇一って、別に歴史学者じゃないやんけ
939日本@名無史さん:03/11/11 05:44
>>937
ワラタ
940日本@名無史さん:03/11/13 22:20
なんだこれは?
ほっといたら随分勝手なこと書いてるが
(931以降からこのレスまで)
全否定してるのは、その本だけだべ。

あるいは歴史学ではそうかも知れないが
民族、神話、心理(ユング派)学の面からは
日本神話は古代日本人に根ざした
真正の神話であると
証明されています。
941日本@名無史さん:03/11/13 22:27
で、931は根拠も書かずに
「常識だよ」はちょっとひどい。

本の出版社の方ですか。
「この本にこう書いてあるから常識」って、
あなたは何を根拠にその本を信じているんですか?

その本がもとでもけっこうだから
あなた自身の意見はないの?
ちょっと情けないね。
942日本@名無史さん:03/11/14 02:32
あぁ、「講座前近代の天皇」のシリーズか。青木書店ねぇ・・・・

>・日本書紀と古事記は、全く別のものと考えた方がいい

登場人物、基本ストーリーからいってもほとんど同じ内容なのに?
そんな主張は世界的に受け入れられないだろう。

>・2つとも、民衆の古代民話や原始説話は、全く取り入れられてない

「民衆の古代民話や原始説話」とやらを出して比較してみせてください。
全く似てないなら「全く取り入れられてない」と認めてやるよ(w
943日本@名無史さん:03/11/14 04:58
戦争で死んでいった人達を知る人にとって見れば、
古墳から天皇が植民地朝鮮の子孫かもしれないというのは
許せないのかもしれない
だが真実に蓋をするほうが間違っているはずだ
944日本@名無史さん:03/11/14 05:02
>>943
朝鮮の子孫じゃないから大丈夫でしょ。
高野新笠は在日8世ですよ(日本人でしょ)
8世前に帰化人がいたとして自分は朝鮮人だという人間はいるでしょうか?
そんな高野新笠の子が桓武なんですから彼が、朝鮮人といえるわけが無い。
さらに武烈帝あたりで断絶しているようであり、古代との血のつながりあいも途絶えているといっても過言では無いでしょう。
もしかして万世一系論者ですか?(呆)
945日本@名無史さん:03/11/14 05:02
こんな時間になにいってんだ俺寝ます・・
946日本@名無史さん:03/11/14 05:07
いや建前として万世一系で戦争やってたわけでしょ、
子孫かもしれないっていうのも否定できないし、
少なくとも副葬品とかさ、朝鮮のまねしてたり朝鮮が上って感じのが
でてくんだろうなあと。
947日本@名無史さん:03/11/14 05:10
>>946
真似ではなく交流の証でしょう・・・何を言ってるんだか。
948日本@名無史さん:03/11/14 05:11
百済の装飾品が楽浪郡創設時よりがらっと変わる事からも何をか暗示しているようでありますよね。
949日本@名無史さん:03/11/14 05:14
半島における他民族流入により三国が受けた文化的恩恵と倭と百済の関係を考えれば、
自ずと答えが導き出されていくはずでしょう。
950日本@名無史さん:03/11/14 05:16
交流の証を一番偉い人の墓になぜ入れるのか?ってことをいいたいの
別に朝鮮はその頃は偉かった、現代では逆転してるからね
それでいいんだけど、戦争した人にとってはいやなことなんだろうなと思うわけ、
でも昔の歴史を隠すような事で、子供に正しい歴史をやんなきゃ名という普通の事を思っただけ。
951日本@名無史さん:03/11/14 05:20
墓の主が直系の半島民と断定するのにはそれなりの論拠がおありなのでしょう。

346 新羅、倭国と断絶、倭軍侵入(三国史記新羅本紀)
369 高句麗の百済侵攻開始(三国史記百済本紀)
371 百済の逆襲、高句麗の故国原王戦死
391〜392 高句麗、広開土王即位(広開土王碑)(三国史記高句麗本紀)
393 倭軍侵入。金城を5日間囲む。敵は舟を棄て、内陸深く入り込んでいるので、その矛先は防げないとして
持久戦にて倭軍を破る(三国史記新羅本紀)
397 百済、太子を人質にし倭国と修好(三国史記百済本紀)
399 百済が倭と内通、高句麗王は倭軍侵入に直面した新羅の救援を決定(高句麗広開土王碑)
400 高句麗は5万の兵で新羅救援。新羅・任那・加羅に侵攻し、倭を退却させ、安羅を討つ(広開土王碑)
  燕の高句麗侵攻(※諸中国史書より)
405 倭軍侵入。新羅の明活城を攻める。帰りを待ち伏せするが、破れる(三国史記新羅本紀)
408 倭が対馬に軍営を置き、兵器・資材・食料を貯え、新羅を襲撃準備(三国史記新羅本紀)
444 倭軍侵入。新羅の金城を包囲、食料が尽きたので引き上げる。新羅王は数千余騎を率いて追撃するが、
逆に大敗し、将兵の大半が戦死する(三国史記新羅本紀)
472 百済、魏に高句麗討伐を要請するが、断られる(三国史記百済本紀)
475 高句麗、3万の兵で百済王都の漢城を包囲。百済王は戦死し百済は一時的に滅亡する。だが、倭の仲介で
任那近辺の熊津へ遷都し、立て直す(三国史記百済本紀)
495 高句麗、百済を攻撃(三国史記百済本紀)

この時代からこれくらい深い関係であった事を忘れずに。
952日本@名無史さん:03/11/14 05:27
そんなのめんどくさいから読まないけどね、
じゃあ墓掘らない理由は何なのか、直系だろうが何だろが、
朝鮮系をありがたがってたのは勾玉とか文化的に誰でもわかることじゃん
直系とか別にどっちでもいい。墓からDNAとかでも調べた方がいいんじゃないの。
953日本@名無史さん:03/11/14 05:29
骨ものこってないのかな
954日本@名無史さん:03/11/14 05:32
>>952
近年出雲をはじめ各地で古墳が次々と発掘され、神話時代の解明や邪馬台国論争にも影響を与えていますが、
まだまだ資料不足で推論の域を出ません。古代の解明にはまだまだ多くの古墳の発掘が必要でしょう。しかしす
でに発見されている古墳で、それが非常に重要であると分かっているにも関わらず調査されていない、いや調査
できない古墳が大量にあるのです。
皆さんは仁徳陵古墳や応神陵古墳をご存じでしょうか?日本史をやっていない人でも聞いたことがある人は多い
と思います。これらの天皇陵古墳と呼ばれている古墳群は一つも調査されていないのです。どうしてでしょうか?
仁徳陵古墳と聞けば仁徳天皇をまつった古墳と思うのが当然でしょうが、その根拠は全くないのです。どういうこ
とかと言うと、これらの古墳は明治時代に政府により勝手に何天皇の墓とされているだけなのです。天皇の権威
向上などに利用されたわけです。

ですからこれらの古墳の調査を許してしまうと、これらが全く別の人物の墓であると分かってしまい、天皇の権威
失墜を招く恐れがあるので、宮内庁により発掘できないことになっているのです。この馬鹿馬鹿しい理由により、
古代歴史の解明のために必要不可欠な古墳の調査が妨げられているのです。少し前までは教科書で仁徳天皇
陵古墳と言っていたのを仁徳陵古墳とあらためたのは歴史学者のせめてもの抵抗であったと言えます。

このようなことは歴史の教科書にも書かれていませんし、議論をすることさえタブー視されているのです。我が国
の歴史にはこのように諸事情により隠蔽、もしくはねじ曲げられている部分が多々あるということを知っておいて下さい。

仁徳陵を掘り返してもたいした物は出てこないというのが通説ですけどね。

955日本@名無史さん:03/11/14 05:42
ものすごく参考になりました。ありがとん
では、別の日本人かもしれないから調査しない、
朝鮮人かもしれないという理由ではないという事でいいんですね。
本当に馬鹿馬鹿しい理由ですが、その理由というのも建前だったりして
956日本@名無史さん:03/11/14 05:49
>>952
勾玉の材質は既に日本で発掘されていますよ。
勾玉の思想、デザインは日本で発祥という説の方が強いですね。
武寧王稜からも勾玉がたくさん出土しています。
武寧王の柩は日本の近畿地方南部のコウヤマキでとれた槙の木で作られていた(コウヤマキは日本でしか生息していなかった)
さらに、陵墓から出土した遺物の中には百済製の土器は1点も見つかっておらず、謎とされている。
殆ど中国南朝から輸入したものであり、この王朝が中国と密接に関わっていた証であると言われている。
高野新笠が王妃になれたのも先祖が日本に縁ある武寧王であったからかもしれない。
高野新笠にしても朝鮮の血統を持つ事から周りから相当反対された経緯を持つ。
957日本@名無史さん:03/11/14 05:54
山部親王(桓武天皇)の立太子には、親王の生母である高野新笠が百済系渡来人の血脈を持つ事から
周り反対が多かった。けど藤原百川ら周りの側近たちの強い説得によってようやく承認された。
958日本@名無史さん:03/11/14 05:59
天智天皇は高麗系なの??渤海??
959日本@名無史さん:03/11/14 06:00
勾玉とは、縄文〜古墳時代に作られた日本独特の飾玉で,C字型に曲がった形状は動物の歯牙に由来
すると考えられる。おもに硬玉製。縄文時代の勾玉は形状が不ぞろい。弥生時代には形が整えられ,頭
(穴のある部分)に数本の線を刻した丁子頭勾玉が出現。古墳時代には,碧玉・滑石製で大型のものや
メノウ・水晶製のコの字型の勾玉も作られ,また,特に大型で周囲に勾玉状の突起をつけた子持勾玉など
特殊な形状のものも現れた。奈良時代以降も寺社で荘厳具,祭器として使用された例が見られる。
さて、7/19は不思議な魔よけ道具、「勾玉(まがたま)」の情報について夕刊フジでご紹介しました。
さて、勾玉については、さまざまな研究書があり、詳しく語るとなると、膨大な内容になってしまいます。
北海道を除く日本と、朝鮮半島の新羅の古墳や慶州で出土されています。石器時代からの古代の道具
であり、装身具や呪術に主に使用されました。現在のところ、日本が起源である説が有力視されています。
日本では石器時代の遺跡からも出土しており、古墳時代に多く出土、奈良・平安時代に継承されましたが、
一時中世にすたれ、再び江戸時代に一般の間で盛んになっています。石の種類はメノウ、玉髄、琥珀、
滑石、硬玉(ヒスイなど)、ガラス、水晶など。硬玉の種類は日本産のものと、遠くミャンマーから輸入され
てきたものがあり、石が古くから交易品のひとつであったことが知られています。


960日本@名無史さん:03/11/14 06:04
渤海
統一新羅領=新羅+百済+高句麗ではありませんよ。高句麗が滅んだあと、
旧高句麗領の大半は渤海領となっていますから。それに、遼東半島から平壌
あたりまでの黄海沿岸は唐が押さえていました。初期に統一新羅が得たのは
旧高句麗領の南端の一部のみ。7世紀頃まで今の韓国領とほぼ同じでした。
その後少しずつ北進し、最盛期(9世紀)には一部北緯40度まで達しています
が、せいぜいその程度です。高麗時代でさえ領土は北緯40度以南にほぼ
限られており、咸鏡道や両江道、慈江道を手に入れるのは李朝時代になって
からの話です。


961日本@名無史さん:03/11/14 06:05
>勾玉の思想、デザインは日本で発祥という説の方が強いですね
でも韓国行ったときもっと豪華なのいっぱいあったんだよね、確かにあっちにいって
発展したとも考えられるし・・とにかく変に隠すから、いろいろいわれるんですよね
どっちが発祥だとかも発掘進んだとしても水掛け論に終わりそうだし、(失礼ですが)
要はどっちが先進文化を持っていて偉そうだったかということが、
俺など一般人の興味の対象ですよ。
戦争当事者がこっちの勝ちにこだわるのは仕方ないが
そうでない人達があまりこだわるのは切ないです。
962日本@名無史さん:03/11/14 06:07
しかし現実として現在認識されている範囲では日本のほうが歴史が古いのは確かなのです。
963日本@名無史さん:03/11/14 06:12
縄文玉〜弥生玉の変遷の過程で半島風の服飾文化流入は確かにあったでしょうが、
弥生玉=半島で発掘される勾玉ではない事を理解しておかねばならないでしょう。
964日本@名無史さん:03/11/14 06:18
それじゃあいまんとこ日本ですね。日本の方が人口多いし勢力もあったぽいですね
勾玉日本だとしたら、今までの歴史で多分一番オリジナルですよね。
こっちから文化発信したなんてないと思ってましたから。
韓国人もやばいくらい平気で嘘言うからなあ、ありうる
965日本@名無史さん:03/11/14 06:25
縄文土器も今のところオリジナルですが・・・
世界一古い時は縄文土器なのだから・・
966日本@名無史さん:03/11/14 06:28
世界最古の土器は縄文土器
12000年前の佐世保市瀬戸越町泉福寺洞窟から出土した 豆粒文土器が最古と言われていたんですが、
青森県の大平山元(おおだいやまもと)I遺跡で出土した縄文時代の土器片が、約16500年前のものと分かり、
現在のところこれが最古。

967日本@名無史さん:03/11/14 06:37
土偶って写実的でなく洗練されてなくてお茶目なかんじですね。
あの素朴さはどこから来たんだろう・・・・・
968日本@名無史さん:03/11/14 06:40
ほほう、でもちょっと文化ですかね、
焼き物に模様つけたていうのは弱くないですかどこでもありそう(かなり失礼)
海も渡ってないし
勾玉っていうのはか特殊な形に精神性みたいなものまでありそうで、
かつ文化発信したと
969日本@名無史さん:03/11/14 06:44
いや今の取り消し、今ネットで縄文土器見たけどかなりすごいね
国宝の笹山遺跡出土品
970日本@名無史さん:03/11/14 12:35
半島の方が文化的に上って、具体的な根拠があっていってんのかな?
971日本@名無史さん:03/11/14 12:44
中国に近いからじゃね?半島経由で入ってきたのは多いし。
972日本@名無史さん:03/11/14 23:24
>>920>>925
わかってんじゃん。
>>926
新しい王室(将軍だから王じゃないか?)の誕生にも立ち会ってるかもよ。
二三百年たったら隣りの金家も天孫降臨になって...
973日本@名無史さん:03/11/15 00:33
>>972

漏れひまにあかせて朝韓の歴史教科書(翻訳)
を読んだことあったけど面白いね。

      最初の統一国家  現代の継承国家
 韓国:     新羅       大韓帝国
 北鮮:     高句麗     李氏朝鮮

実は南北で人種が違うという隠された事実を
はからずも反映している感じ。

このスレでも3〜5Cの朝鮮と日本てな問題の建て方
されているけど、どうせ両方雑種民族なんだし
大陸やポリネシアも含めて語って欲しいね。

どうも漏れは天皇家は「縄文系」だと思うが。
あと土器ってのは温度が必要だから
形がわるくても土器をつくれること自体が
驚嘆に値するのよ。
日本の土器の異常な古さは不思議。
思わずネオ民族主義に走りそう。(笑)
974日本@名無史さん:03/11/15 20:33
「外」に対して閉鎖的な現在ですら、
高野新笠を日本人として認めてる>>944
しかし
「外」に対して開かれていた筈の古代では、
高野新笠が朝鮮血統として否定されていた>>956-957
てことか。解釈が逆転してんのね。

古代青森の縄文人と蝦夷は繋がってるの?
一応学校教育では、蝦夷を討った大和朝廷の子孫でしょ俺ら?。
蝦夷=縄文人だったら、彼らの文化は俺らの先祖の文化になるの?
現朝鮮人が古代朝鮮人の文化を自己のものとして
騙ることには批判的なのに、ルーズすぎません?。
975日本@名無史さん:03/11/16 06:07
>>974
>古代青森の縄文人と蝦夷は繋がってるの?

YES.ただし「繋がっている」というのは「同じもの」という意味ではない。

>一応学校教育では、蝦夷を討った大和朝廷の子孫でしょ俺ら?。

学校教育をもちだす意味はよくわからないが、
最近の東北での学校教育では、東北人は蝦夷の子孫「でも」ある、って感じになってる。

>蝦夷=縄文人だったら、彼らの文化は俺らの先祖の文化になるの?

「蝦夷=縄文人」であるかないかと関係なく、
蝦夷の文化は東北人の先祖の文化。縄文文化は日本人全体の先祖の文化。

>現朝鮮人が古代朝鮮人の文化を自己のものとして
>騙ることには批判的なのに、ルーズすぎません?。

ぜんぜんルーズでない。
むしろ、あなたが「古代朝鮮人」というルーズな用語を使うことが問題を孕む。
976日本@名無史さん:03/11/16 06:12
>>974
高野新笠は日本人だよ。当時反対されたのは百済系だからではなくて「身分が低い」から。
身分の低さを具体的に表現すれば諸蕃氏族だから。
別に皇別でも神別でも身分が低い者はいくらでもいるわけで、
その場合でも「身分の低さ」から問題にされたはずなので、
諸蕃系氏族だからというのは重要なファクターではない。
977日本@名無史さん:03/11/16 06:18
>>974
縄文・弥生でも大和・蝦夷でもなんでもいいけど、日本人はいろんな民族が混合して
日本人になってると思ってる。
ところが朝鮮人は、高句麗も百済も新羅も秦韓も楽浪も夫餘も穢も貊もみんな
元から同じひとつのウリナラ民族だったニダ!と電波を飛ばすからおかしいと逝ってるの。
978日本@名無史さん:03/11/16 16:16
そうだな昔は国家っていうより、普通に島が分かれてたって
言う感じだったんだろう、日本人とかもなかったろうし
トルコ人なんかも、民族がめちゃくちゃなので、にしの方にすんでるから
生粋のトルコ人だとかいうらしいけど、古さが違うし征服して入ってきたわけ
じゃないと思う→日本人
979日本@名無史さん:03/11/16 16:19
ごめん東の方の間違い
980日本@名無史さん:03/11/16 16:50
>縄文・弥生でも大和・蝦夷でもなんでもいいけど、日本人はいろんな民族が混合して
>日本人になってると思ってる。


他の民族が来なければ他の文化が伝わらないと思ってる厨房はけーんw
981日本@名無史さん:03/11/16 17:02


人種的には、朝鮮人はモンゴロイドのなかでも、長身、短頭、高頭である点で
かなり特異である。顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのが
ふつう。眼裂は狭く、つり上がっていることが多い。顔毛、体毛は概して非常に
少ない。皮膚は黄ばんだ淡かっ色で、毛髪や目の色は濃い。髪はかたく、直毛で
ある。朝鮮人は、中国人を代表する中モンゴロイドと、ツングースを代表とする
北モンゴロイドの中間的な様相を帯びる。朝鮮半島内ではかなり均一化されて
いるが、北部にいくにしたがって長身となる。日本列島を概観するとき、長身、
短頭、貧毛という点で、近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的
要素を有することは注目に値する。(国民百科事典/平凡社)


982977:03/11/17 02:32
>>980
>他の民族が来なければ他の文化が伝わらないと思ってる厨房はけーんw

漏れはそんなこと思ってないが?
983日本@名無史さん:03/11/17 18:19
縄文人と弥生人は
違う民族でないの?
984ok