954 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:44
945は、昨日の漢中心史観の奴だな。
笑えるなー 945もまあ煽りすぎだ。
いちいち相手しないで無視すればいいのに
煽りは相手にしなければいいんじゃないの?
あと、結論の出た話題を蒸し返すのもスルー。
>847-849
のところが、面白いので、次スレで深めて欲しいところです。
あと、挟まってる848氏のこだわりにも興味あり。
南朝が漢民族の正統王朝であるというのが真理であるかどうかは
ともかく、五胡の政権に比べたら、
当時の漢民族で、そう信じる人が多かったと思います。
>>955 >のところが、面白いので、次スレで深めて欲しいところです。
次スレはいらないような気がするが…まだやるの? これ以上どういう話がでてくるというんだ?
このスレの頭の方、
>>52から最後の方の
>>909までの間、
論争レベルがぜんぜん進歩してないのがスゴイ(w
・・・・・・次スレ立てても内容は・・・・・。
52 :日本@名無史さん :03/06/12 02:36
ずいぶん前に世界史板で議論されつくしたと思うけど、
「朝貢」っていうのは本来、属国かどうかと関係ない話。
属国かどうかの問題は「朝貢」ではなく「冊封」だ。
これが事実上同じものになったのは、明が海禁策(=鎖国)して
貿易と朝貢という本来関係ないものがが密接にくっついてから。
もういちどいうけれども冊封体制の中では、中国との政治的な距離によって
諸国が何段階にもランキングされてるわけだが、
そのランク中に、内臣国だの外臣国だのあって最後に「不臣の朝貢国」ってのがある。
(後漢時代の倭の奴国はこれにふくまれる)
つまり「朝貢」ってのは中国となんらかの交渉があるという意味しかなく
属国かどうかという話とは関係がない。
また「不臣の朝貢国」の中には「敵国」というのもふくまれるが
この場合の「敵国」というのは敵対国ではなく対等・平等の国という意味。
(前漢時代の匈奴など)つまり中国と対等の国でも「朝貢」というのはやるし
外交使節がきただけで中国では朝貢になるんだから。だからといって中国側で
「敵国」や「不臣の朝貢国」を属国とみなしているわけではない。
明代海禁以降の管理貿易時代の「朝貢」ですべてを語るのは大間違い。
273 :日本@名無史さん :03/09/18 18:33
「朝貢=属国ではない」。
これを言葉遊びの言い訳ととる奴はただの物知らず。
秦漢の頃と隋唐の頃と明清の頃では
朝貢と、冊封(属国かいなか)の関係はどれもかなり違う。
中国四千年の間、朝貢のもつ意味が一貫してぜんぜん変わらなかったかのような
単純な議論する奴はバカ。
333 :293 :03/09/20 09:49
朝貢は何度もいうように必ずしも国家間関係を規定するものではない。
ただし、「上下関係ではない」というのは間違い。上下関係を規定するものではあるのだが。
473 :日本@名無史さん :03/09/21 21:15
朝貢と貿易が分かち難く結びついたのは明の海禁政策から。
何度もいうように朝貢はそもそも国家間関係を規定するものではないので
国営貿易とも関係ない。
511 :日本@名無史さん :03/09/22 19:59
朝貢ってのは国家の代表同士の間でなされるものではなく
中国の皇帝に「誰か」がするもの(それは外国の君主とは限らない。
民間の外国人かもしれないし国内の中国人の場合もある)だから
朝貢する側が格下なのは当たり前。そこで火病おこすウヨは基礎知識がなさすぎ。
国家間関係として格下かどうかは冊封で決まるのであって朝貢できまるものじゃないのに。
日本は冊封受けてないので、中国の属国でも格下でもない。
光仁天皇の下座は、江戸時代の偽書を根拠にはできないが
正史の記述から情況判断すればそういうことがあった可能性はあるだろう。
でも問題は、それが「まずいこと」として日本側に認識されたってことが(いいわるいでなく)重要。
半島ではそれが当然のこととして受容され建前と現実が合致させられていった。
日本は対等関係にこだわったため中国とは距離をとったし、逆にいえば距離があったから
対等の建前を守ることができた。その建前に反する事態が生じた場合は
外交関係を破綻させている。(義満の後の義教、国書の内容がばれた時の秀吉など)
601 :日本@名無史さん :03/09/25 00:27
複数の国の使節が集まれば席次が問題になるのは当たり前。
話をループさせんなよ
619 :日本@名無史さん :03/09/25 22:06
>>610 アッバース朝イスラム帝国もササン朝ペルシア帝国もすべて「蕃国」扱いじゃなかったのか?
「コップの中の嵐」とは、ずいぶんデカいコップもあったもんだな(w
>>618 「漢倭奴国王」だって実体は奴国一国の首長にすぎない。そういう意味では
「韓廉斯邑君」や「不耐穢王」とたいしてかわらない。
中国側からその民族の唯一の代表窓口として認めたという点では王も邑君も金印も銅印も似たようなもの。
ただ、そいつを通して仕切ってもらえる異民族の総国力を中国側がどれくらいに見積もったかの違い。
倭と穢の首長が王なのに韓の首長が邑君にすぎないのは、
発展段階的にいって韓が遅れていたか、あるいは単純に韓人の総人口が少なかったか、どちらかの理由しかない。
657 :日本@名無史さん :03/10/01 20:06
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760 :日本@名無史さん :03/10/03 15:36
>冊封はともかく、朝貢の形としか考えようがないですね。
対等であろうがなかろうが、どっちが格上でどっちが格下だろうが、属国だろうが独立だろうが
そもそもこの時代の外交に「朝貢」の伴わない外交なんてあり得るのか?
ちゃんとスレを遡って読んでみろ。そしてループさせんなよ。
765 :760 :03/10/03 16:30
>>761 >対等か?どっちが格上か?
お互いに自分は偉いって建前だから、噛み合わなかったってことじゃないの。
898 :日本@名無史さん :03/10/06 17:17
>>896 どっちの側にも朝貢それ自体を否定している奴はいない。わけわかんないループさせるんな
909 :日本@名無史さん :03/10/06 20:18
>>902 「朝貢」についての認識が適当でいい加減なやつが多すぎるんだよね
1)「朝貢」はたしかに格上の者(中華の天子)に格下の者(それは異民族とも限らないし外国勢力とも限らない)
がするものだが、本来的に国家間関係を規定するものではない。
2)「朝貢」にともなう国際政治の実態は、秦漢時代と隋唐時代と明清時代ではかなりちがっていて
ごっちゃに語ることはできない。
3)属国かどうかは冊封の内容によって決まるのであって朝貢の有無によって決まるのではない。
4)建前と現実の乖離は、中国側にも日本側にもあった。
中国側ではアッバース朝やササン朝の使者でも朝貢扱いだし、匈奴と漢、契丹と宋の関係では、
遊牧民の方が実際には優位だった時期でも、文書表現の上では建前を守る努力をしている。
したがって純粋に表面的な記述から実態をストレートに再現はできない。
日本側の百済・新羅を属国とする体制は、中国とは異なり「朝貢」の有無にかかっていたと思われ。
日本側が、格下扱いしようとする中国に抵抗しようとしたり無視したりしてきたのは事実だが、
その事実が逆に、中国側の考えがどのようなものだったかを証明しているともいえる。
まとめ乙。
次スレやるとしたら各時代における具体的な朝貢の実態、とかかな?
965 :
日本@名無史さん:03/10/08 09:50
朝貢はまとめてもらったから、もういいよ、
漢族+倭+百済 VS 五胡人+高句麗+新羅
この文明の対立を精査しよう
966 :
日本@名無史さん:03/10/08 10:08
>>965 簡単な事だ。
西暦200年ごろから西暦700年ごろまでの大陸で
駆逐され続けたのが、漢人
侵略し続けたのが、五胡人
負組の漢人は、500年間その時々に難民貴族として、日本に逃げてくる
勝組の五胡人は、大陸を制覇していく。
かくして500年を経て、
日本には負け組の漢人が吹溜り、
大陸には勝ち組の五胡人が吹溜り、漢文化を自己のものとした
967 :
日本@名無史さん:03/10/08 12:42
>>966 お言葉だが、南朝は勿論のこと北朝側にも
多数の漢人貴族が存在しているのだが。
968 :
日本@名無史さん:03/10/08 14:20
>>967 もちろん。
日本は、 猿でしかなかった倭人に漢族が文化を伝え、 漢人 +倭人の国となり
中国は、 勝ち組の胡人が、漢族をしたがえ、 胡人+漢人 の国となった
>>965 政権の対立をストレートに文明の対立なんて話に置き換えるのはトンデモ臭い。
中国における文明の変遷は「朝貢」とは別に世界史板で専用スレ立てる方がいいだろう。
>>967 禿同。
ついでにいうと倭国には貴族級では南朝からしかきてないが庶民級の技術者とかは北朝・南朝ともにきてる。
970 :
日本@名無史さん:03/10/08 18:07
>>970 新撰姓氏録にたくさんあるんじゃないのかな?よくわからんが。
新撰姓氏録では、○第一帙(皇別)○第二帙(神別)○第三帙(諸蕃・未定雑姓)で
帰化人を厳しく差別してますね。諸蕃ですから。
815年までに、大陸や朝鮮半島情勢と、
日本国内の皇位争いや諸豪族の権力闘争に、
帰化人間の争いが加わって、いろいろあったのでしょうね。
朝貢してたことは確認できたんだから、もうツマラン。
新撰姓氏録は8世紀成立だが、7世紀の帰化人は百済と高句麗の貴族。
4〜5世紀に来たのは何人だか不明だな。半島南部人説が今は多いようだが。
>>974 >朝貢してたことは確認できたんだから、もうツマラン。
はて?
976 :
日本@名無史さん:03/10/09 00:27
>>974 百済出身? 半島自身が大陸の南北の勢力の溜まり場として民族なのだから、
五胡系か漢人または、倭人という事になる。
渡来人の自己申告は漢人なのだから、 教科書では百済人でもいいが、
このスレでは漢人に分類したほうが良い。
>>974はスレの流れをまったく理解してない。国語力のない低能ドキュンか、さもなくば白痴。
>>972-973 南朝の梁の蕭衍の子孫が日本にきて和薬使主になっている。
北朝の技術者は「漢伎(あやのてひと)」南朝の技術者は「呉伎(くれのてひと)」
>>980 ワロタ
さらに、たてた人の意図がわかりやすいスレですね。^^
>>979 > 南朝の梁の蕭衍の子孫が日本にきて和薬使主になっている。
> 北朝の技術者は「漢伎(あやのてひと)」南朝の技術者は「呉伎(くれのてひと)」
面白いですね。
和薬使主も新撰姓氏録通りの漢人説と、
>呉の国から日本に帰化した医師の知総(ちそう)は医学の他、仏教で牛乳や乳製品
>の功徳を説いていることを知っていたのでその普及をしたといいます。
>その子供の福常(別名:善那)が孝徳天皇に牛の乳を搾って献上したところ、天皇は
>そのおいしさに大変喜び福常に和薬使主(やまとくすりのおみ)の姓を、乳長上の職
>を与え、大山上の位を授けられました。彼は、古代乳製品を造り、栄養、医学的効用
>を説きました。搾乳技術を改良して普及できたのは父の知総が搾乳術をもっていた
>からでしょう。
>これが日本の牛乳飲用の始まりといわれています。
ttp://www.awa.or.jp/home/rakunou-no-sato/hanasi1.html 百済人説があるのですね。
>日本に牛乳が伝えられたのは、飛鳥時代で、百済(くだら:現在の韓国)からの帰化人である福常(ふくじょう)が、
>孝徳天皇(644〜654年)に牛乳を加工した「蘇(そ)」を献上したところ、天皇はたいへん喜び、
>和薬使主(やまとのくすりのおみ)という姓と乳長上(ちちおさのかみ)という職を授けられたという記録が、
>平安初期の記録にあります。
ttp://jdc.lin.go.jp/rakunou_i/know/main0.html 大変わかりやすい。^^
>>977 :374 ◆SR/hGLeeEc
>漢氏の出自には百済経由で渡来した漢人説と
>それは捏造で、あや=伽耶で半島系渡来人説の2つがあるようですね。
知らなかったのか?
最近の出版物で、漢氏も秦氏も中国人説ってのは、ほとんど探すのが不可能だぞ。
>日本が朝貢していたのは、歴史常識
認めない人も一人いるがなw。
985 :
日本@名無史さん:03/10/09 11:33
このスレの結論
反日引篭もりの一人が、朝貢日本というイメージから日本をケナすことに
全力をそそいだが、 朝貢という言葉は中華思想の妄想語であり格上の国からでも
歴史で朝貢と記載する程度のお約束の言葉である事が判明して、悔しい思いをしてしまった。
おまけに、隋や唐代においては日本は対等の関係にあり、属国の朝鮮諸国とはまるで違う事も
判明してしてまた悔しい思いをしてしまった。
散々スレを荒らしてみたものの、
日本と中国は、対等だった。
文化的にも、漢化に200年以上先行した日本が、漢化に遅れた唐より洗練されていた可能性が高い。
という2つの事実に、
「次は属国というスレタイで日本をケナシテやる」と誓う
引篭もりのチョンくん であった。
いや、
文化的にも、漢化に200年以上先行した日本が、漢化に遅れた唐より洗練されていた可能性が高い。
はいいすぎだろ。
ここまで言っちゃうとおまいさんのほうがチョンっぽく見えちゃうぞ。
987 :
374 ◆SR/hGLeeEc :03/10/09 11:41
>>984 >
>>977 :374 ◆SR/hGLeeEc
> >漢氏の出自には百済経由で渡来した漢人説と
> >それは捏造で、あや=伽耶で半島系渡来人説の2つがあるようですね。
> 知らなかったのか?
> 最近の出版物で、漢氏も秦氏も中国人説ってのは、ほとんど探すのが不可能だぞ。
いや〜、秦氏も半島系らしいですね。
>124 名前:ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ [age] 投稿日:02/09/24 21:12
>中国から見て、日本は日の元にある国。
>朝鮮は朝の鮮やかな国。
>まあ、所詮はそのくらいかな。
>実際、帰化人でも権力を持ったのは朝鮮系ではなく、中国系であったことが知れる。
>秦氏などよい例である。
>
>136 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:02/10/06 13:24
>>124
>安羅から来ても「漢」と書いて「あや」と読ませるのと同じように、
>「秦」は借字である可能性が強い。
>秦氏は新羅のハタンから来たという説が有力。
>このハタンが当時の地名にあったことは古墳から出た金石文で
>証明されている。漢字は「波旦」だったかな。
ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1031811857/ 漢(あや)は伽耶なのか安羅なのか、色々あるようですね。
朝鮮半島出身説は、あまり説得力を持たないように見えますが、
有力説なんですか?この分野面白いです。
988 :
日本@名無史さん:03/10/09 11:53
>>985 おい・・・。ひょっとして古文や漢文読んだことない?
枕草子を読んだことある?
漢詩って知ってる?
三船の誉れで和歌の船より漢詩の船に乗ればよかったってやつは知らないか。
盛唐の三大詩人って知ってる?
白楽天は?
989 :
374 ◆SR/hGLeeEc :03/10/09 11:57
>>985 > 文化的にも、漢化に200年以上先行した日本が、漢化に遅れた唐より洗練されていた可能性が高い。
それは、さすがに独自の説ですよね。
何をもって「洗練されていた」というのかも問題だし。
本当に漢化したいなら、やっぱり宦官をつくらないとね♪
990 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:01
>>986 いや、このスレの結論だからねケチをつけられても困るな。
漢と鮮卑論が長く繰り広げられて、出てきた可能性としての結論。
十分な説得力があったが?
991 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:04
>>988 漢詩は唐の時代が最高だもんな。
唐文化を馬鹿にするやつがアフォと言うことで。
992 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:08
結果的に「漢化が文化だ」として、蛮から漢化途中の 唐 という結論はあったね。
先だつこと300年以上前から、漢化していった 倭 という結論があったね。
どちらも未達の漢なれど、時間の関係から先行していた可能性が高いのは
倭という結論だったね。
993 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:15
超越した概念である、道教や仏教をもって文化を計る傾向の時代だったから、
倭が唐と対等意識をもってたのは、判る。
鮮卑系を卑下する勢力が日本に多かったろうというのも、判る。
けれど、唐に憧れている日本人が多かったのも事実
ま、対等ってこっった
994 :
374 ◆SR/hGLeeEc :03/10/09 12:42
>>992 そもそも漢民族がいるところに五胡が侵入したのと、
細々と漢人の渡来・帰化で文化を摂取したのとでは状況がまったく違うし、
そもそも、五胡は長い年月漢民族と直接交渉しているわけで、
時間も長ければ質も違う。
「漢化」を価値基準にするのもよくわからないのだが。
日本は漢の文化を取り入れたが、漢化したわけではない。
そもそもがかぶった。鬱。
996 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:57
997 :
日本@名無史さん:03/10/09 13:59
次スレはいりません。
japan
いやー
1000 :
日本@名無史さん:03/10/09 14:09
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。