936 :
日本@名無史さん:04/01/31 13:37
>>935 なんだこの馬鹿。
何が言いたいのか分からん。
シッシッ
937 :
日本@名無史さん:04/01/31 13:47
今のアメリカに対する小泉みたいにごますりがうまかった。
938 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:30
単に子分だって認めてたからでしょ。光仁天皇土下座事件とか、日本国王
源義満とか卑弥呼とか。 子分じゃないっていったら元寇みたいに攻めてきた。
まあ幸い台風が吹いて助かったけど、今みたいにODAを差し出して中国様に
恭順の意を示すのが分相応ってこった。
939 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:38
中華ヲタ必死だなw
940 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:41
まあ、事実だからしょーがないw
941 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:42
事実ヲタ必死だなw
古来より『中国』の戦争なんて
>>932が述べてあるとおり。
今も昔も口だけなんだよ。
943 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:45
光仁が土下座したのかあ。
ま、チョンの奥さん(側室)もらってるくらいだしな。
944 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:49
チョン奥さんヲタ必死だなw
945 :
日本@名無史さん:04/01/31 19:54
チョン(任那)光仁天皇が、チョン(百済)の嫁はんを貰ったのが
珍しいだけで、チョン(任那)同士はあたりまえ。万世一系のチョン
そもそも任那も百済もチョンと関係ねえじゃねえか!
947 :
日本@名無史さん:04/02/01 00:53
光仁天皇は任那から来たのか?
948 :
日本@名無史さん:04/02/01 11:23
古代中国の海洋技術は低い。だがそれ以上に
公衆衛生技術が低く遠征は困難。長江を越えるのも難しい。
949 :
日本@名無史さん:04/02/01 12:27
まあ、朝鮮の荒れ果てた大地をみたらその先の島に肥沃な大地が広がってるとは
思わないわな。
950 :
日本@名無史さん:04/02/01 12:37
m9( ^,_J^)ノ <戦争の原因は軍隊です。
kouei34
m9( ^,_J^)ノ <中国が日本に攻められたのは、中国に軍隊があったから?
kouei34
m9( ^,_J^)ノ <そうです。中国が非武装なら、戦争は起きなかったOK
kouei34
951 :
日本@名無史さん:04/02/01 13:07
http://jpnkiryaku.hp.infoseek.co.jp/histo2.html 「遠矢」とはいうものの、両軍の距離は五十〜七十メートル程度で、走れば十秒もかからないほどの至近距離である。(『平家物語』延慶本、倶利伽羅峠の合戦など)。
これは、矢の有効射程距離による制約であるか、または楯の向こうにいる敵を射るために山なりに打ち上げたものであろう。
十分に弓を引き絞るため、兜を脱ぐこともある。
矢による狙撃を行いながら接近していき(急所や鎧の空き間を狙う)、敵を圧倒しながら接近戦に移行していく、と考えればよい。従って、騎馬を使用するのは、
逃げていく敵の追撃が主となる(『三河物語』大阪夏の陣の部分)。その接近戦にしても、一騎打ちとは限らない。「轡を並べて駆け入る」「敵を中に取り籠める」という表現がある。
元寇当時の日本において接近戦の比重がさほど高くないことは、『蒙古襲来絵詞』に描かれている武装を見れば分かる。南北朝時代・戦国時代とは異なり、
小具足(諸籠手・脛当・膝鎧など鎧兜で保護できない部分の防具)が発達していないからだ。南北朝時代においても、主力武器は依然として弓箭であった。
鈴木眞哉氏が(1333-1387)の軍忠状百八十点(のべ五百七十四人分)の戦傷を調査したところ矢疵が86.4%,切疵9.2%,石疵/礫疵2.8%,鑓疵/突疵1.4%という結果だった(『謎解き日本合戦史』講談社)。
こんな具合だったから、形勢は楯突戦においてほとんど決定してしまい、絵に描いたような一騎打ちはなかなか発生しなかったらしい(『平家物語』延慶本第二末。小壺坂合戦における和田義盛の言葉)。
『蒙古襲来絵詞』(後世の加筆部分を除く)を見ると、よく分かる。三井資長は、名乗りもあげず馬上から射掛けて敵を追い散らし、逃げる者には容赦なく矢を浴びせて射殺している。
白石通泰以下百騎もまた同様で、旗持ちを先頭に、各人が弓をつがえて蒙古に射掛けている。
だが、困ったことに、この「楯突戦」は、軍記物語には簡単にしか記されていない。「矢戦をする」という表現がそれである。一方で、一騎打ちの場面は詳細に描かれている。
手柄を得るには、敵の首を持ち帰らねばならないからだ。
古代大陸人なら海を埋めて日本にせめてくるくらいのことはやりそうだが。
953 :
日本@名無史さん:04/02/02 16:56
昔は陸続きだったらしい。
954 :
日本@名無史さん:04/02/02 18:19
>>953 このスレ内で
君の発言が
一番輝いている
956 :
日本@名無史さん:04/02/04 11:06
氷河時代が終わって陸続きじゃなくなったから
そんなに渡ってこれなくなったんだよ。
>>1 「別の国」というイメージがなかったから。
今の日本に喩えれば、「なぜ静岡県は長崎県を攻めなかったの?」って感じ。
958 :
日本@名無史さん:04/02/04 12:06
957はバカ丸だし
957に従えば、長崎県が静岡県を北海道に駆逐しただけなので
日中戦争も何ら遺恨を残しませんね♪
960 :
日本@名無史さん:04/02/07 09:50
台湾ですら辺境だったんだし
961 :
日本@名無史さん:04/02/22 03:46
中国が、周辺民族へ朝貢していた例のほうが多いので、なんとも言えんわな。
隋・唐ってトルコ系の帝国じゃなかった?
純粋な漢民族によるシナ帝国支配って漢、北宋と明のほかにあったの?
秦はアーリア系の血が混じっていたなんてウワサもあるしさ。
隋・唐から北宋まで同じ人種。秦漢時代の漢人と鮮卑との混血。
「漢民族」なんて被征服民の妄想なんだから、
真面目に相手するだけ損だね。
あいつらには、支那で十分。
965 :
日本@名無史さん:04/02/23 19:30
>>962 鮮卑はモンゴル系を主にしてツングースが少々混血した連中というのが
大昔からの通説だったと思うんだが、2chではあちこちでずいぶん前から
「鮮卑トルコ系説」が流布してるねー。これの出典どこだろ?
つーか戦ってるやん。白村江で。
任那は日本領ですよ(w
967 :
日本@名無史さん:04/02/24 03:23
単に興味がなかったから。同じ理由で清帝国も台湾を放っておいた
キョード、センピ、キッタン、マンシュー。
中国の歴史は、征服民族を逆に同化し、「中華」を拡大してきた歴史。
西洋の進出がなければ、300年後ぐらいには日本の番だったかもしれん。
>>968 そんなこた、よくいわれるけど俗説にすぎない。
970 :
日本@名無史さん:04/03/13 15:15
古代日本史の検討の上で貴重なのでそろそろ次スレお願い
(規制中でたてられないので…)
971 :
日本@名無史さん:04/03/13 17:35
>中国に人権上の問題があるとしてもそのことで過去の日本の行為が正当化
>される訳じゃない。やっぱりこれからも日本は歴史に則って反省し続けて行かないと。
過去の日本の行為に問題があるとしても、そのことで中国のチベット大虐殺が正当化
される訳じゃない。やっぱりこれからも中国は歴史に則って反省し続けて行かないと。
972 :
日本@名無史さん:04/03/13 17:49
古代中国から見たら、倭人はサルみたいなもの。
人間様がゴリラやチンパンジーの社会を征服するかい?
支那はサルだから、海が怖いんだよ。
なんか聞いたことある
975 :
日本@名無史さん:04/04/05 02:11
靖国の英霊が護ってくれているのかな
護国神社だって護ってくれているよ。
977 :
日本@名無史さん:04/04/10 13:59
まだ航海技術が発達してなかった。
碇とかそのへんから。
978 :
日本@名無史さん:04/04/10 14:40
単に攻勢限界の外にあるからですよ。
距離と海のために攻めていくのがたいへんだし、たとえ一度は攻めても
補給を維持できない。
隋による高句麗征服も補給ができずに敗れた。
白村江のあと唐に反抗した新羅も、補給が続かず攻め切れなかった。
そのことは唐が日本に補給品を出させていることからもわかる。
つまり、新羅がすでに攻勢限界の外にあったのだ。
>>978 「攻勢限界」というのは距離的な概念なのか?よくわからないな。
対象がどれぐらい強大か弱小かでどうにでも変わってしまう概念じゃないか?
980 :
日本@名無史さん:04/04/11 11:49
高句麗は・・朝鮮山城というか鉢金状に住民そのものが
籠もってまったく出てこないという戦い方を隋に対して
展開。ようは持久戦だな。なまじ大軍を送り込んだ隋は
補給が保たず戦わずに敗退。隋書によれば交渉するたびに
引き延ばされズルズルと対陣して騙されたという。
981 :
日本@名無史さん:04/04/11 12:24
おかげで隋・唐は日本に攻めてくることができなかった。
日本は高句麗に感謝しなければならない。
高句麗は、日本が唐と挟撃態勢を作らなかったことに感謝せねばならない。
983 :
日本@名無史さん:04/04/11 15:00
>>987 だからさ。距離と輸送能力の関数なら、本国に近いほど強力な軍を送れて
遠いほど派兵できる軍事力が弱くなるわけだろ。
つまり対象が弱小なら、遠くでも十分な軍を送れるし、
強大な敵なら、あまり遠くの敵には派兵できない。
つまり「攻勢限界」の距離というのは、対象がどれぐらい強大か弱小かで
どうにでも変わってしまう距離じゃないか。
__
`ヽ, `ヽ /゚ヽ
,.' -─-ヽ. / ヽ
<i iノリノ))))>/ )
ノl i_゚ ヮ゚ノli / (
( (i/wkつつ7 )
∠,ノ,イつつ (,
[攻勢限界]