規格化ですよ。規格化。
英独日ソe.t.c 米以外の各国は、二次大戦当時は同じ図面から同じ規格で作っても、
ネジ一つから鋼材に到るまで、寸法が各工場毎にバラバラ。
米国だけは違ったの。
226 :
NASAしさん:03/06/16 19:22
ゼロの凄さは主翼の分割工法の実用化で、量産性と軽量化を実現した事と
ドロップタンクの採用による航続距離の飛躍的増大と理解していたが違うかな?
バトルオブブリテンでドロップタンクがあれば、ドイツの単発戦闘機はドーバー
で引き返すなんて愚行はぜずに済んだし分割工法もドロップタンクも以後、
P51にも採用されてF15にさえ生かされている技術だ。
個人的には世界最強レシプロ戦闘l機は日独混血の五式戦と理解している。
>227
> ゼロの凄さは主翼の分割工法の実用化で、量産性と軽量化を実現した事と
> ドロップタンクの採用による航続距離の飛躍的増大と理解していたが違うかな?
零戦の主翼は左右一体構造で、さらに前部胴体とも一体に組まれ、トドメに
小骨は全てトラスです。
量産性を犠牲にしての軽量化の徹底というのが正しい。ただしプレスは要らないので、
「量産性」というのがレーシングマシンのそれ、つまり少量の手作りを最小限の設備投資で
行えるって意味なら正しい。
CR42の凄さはエンジンの換装で、最高速度520km/hを実現した事と
複葉の採用による運動性能の飛躍的向上と理解していたが違うかな?
バトルオブブリテンでも複葉であれば、ドイツの単発戦闘機ははスピットファイア
にドッグファイトで翻弄されるなんて愚行はせずに済んだしエンジン換装も以後、
P51にも採用されてF15でさえ生かされている技術だ。
個人的には世界最強のレシプロ戦闘機は伊独混血のMC205Vと理解している。
231 :
NASAしさん:03/06/18 21:20
零戦32型以降に主要された栄21型は、離昇、公称、常用の3モードがあり、
それぞれブースト圧と回転数を制限します。一般に言う最大出力は離昇出力で
(栄21型だと1130馬力)名前のとおり離陸時に使う瞬間最大性能。
公称とは米軍で言うミリタリーモードに相当します(栄21型ですと低空1100馬力、
高空980馬力)。よって、10分制限とは離昇モードでの話では無いでしょうか。
また大戦末期には米軍の緊急出力に相当するようなモードが存在したかもしれません。
232 :
NASAしさん:03/06/19 00:01
>>231 日本の航空用エンジンはカタログデータどおりの性能が出せなかった。
零戦32型の試験飛行でも最大速度が計算値を下回ったが、三菱の技術陣は
この時点でエンジンが予定性能を発揮していないことを感じていた。
しかし、海軍側は機体側にのみ問題ありとした。このことが後の烈風開発
においても根拠のない誉信仰によって開発計画を大きく遅らせてしまった。
三菱製エンジンも予定性能を発揮していないものがあったが、誉のような
ぎりぎりの設計でなかったので、性能低下は少しはましだったらしい。
jisakujien
234 :
NASAしさん:03/06/19 08:12
もしかしたら、誉を安定して造れるくらいなら
水冷エンジンもまともに量産できてたんじゃないか
235 :
NASAしさん:03/06/19 12:14
>>232 ハ43MK9Aもかなり無理な設計をしているので、量産すれば誉と同じ運命
烈風に搭載されたハ43は試作品で熟練工が作っているので出力が出ている。
236 :
NASAしさん:03/06/19 12:16
237 :
NASAしさん:03/06/19 12:32
タクロバンの混雑 栗田艦隊が後退したとき、日本軍は絶好の機会を失った。
レイテ橋頭堡は危険状態にあり、二十五日朝第七艦隊の軽空母二隻が沈没、
残りの半数以上の軽空母は作戦不能の状態にあった。
日本軍機は二五日一二〇〇〜一六〇〇の間一二回レイテに来襲し、
タクロバンで上陸用舟艇二隻を撃沈、倉庫を破壊、桟橋に損害を与えた。
日本軍の勇敢な一機は夕闇にまぎれ、着陸前の米軍機数機の最後尾から
着陸進入を装いながら接近して、突如大型上陸用舟艇を爆撃、炎上させた。
この艇はのち沈没した。
日本軍はこの夜の間に、増援部隊を載せた最初の輸送船団(五〜九隻
の駆逐艦と五隻の貨物船)をオルモックに上陸させた。我々はこれを阻止
する処置を執らなかった。
二六日、日本軍は合計一五〇機を使用し、一二回の空襲を行った。
最初は〇五一五で、一発の爆弾がマッカーサー大将の宿舎の邸の端にある
比島人民家に命中し、一二人を殺し一〇人を負傷させた。他の一発は
従軍記者の宿舎に命中し、記者一人が死亡し四人が負傷した。
タクロバン飛行場では、日本軍機の執拗な妨害を受けたが、一五〇〇までに
鋼製マット一、〇〇〇呎を敷き詰めた。日本軍の攻撃のうち四回は全然警報が
でなかった。我々は壕を入ったり出たりした。これらの飛行機は超低空で
進入して滑走路に沿って飛びながら掃射とともに破片爆弾を投下した。
爆弾の四分の三以上は爆発しなかったが、そうでなかったら我々は大打撃
を受けたことであろう。(注 「タ」弾攻撃と考えられる)
比島捷号陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 / 朝雲新聞社 ,
1971 ( 戦史叢書 ; [48] )
239 :
NASAしさん:03/06/25 23:03
>日本の航空用エンジンはカタログデータどおりの性能が出せなかった。
カタログ性能は宣伝臭が強いってのは、どこの国でも同じなのでは。
空母機動部隊、白昼精密爆撃のアメリカは別として、他の国に関して
は日本航空とそれ程の大差があったようには思えない。
シュトゥルモービグの大群なんか見てると、ソ連空軍は抜きん出てたかもしれんが。
240 :
NASAしさん:03/06/26 00:11
>>239 技術者が性能計算で使うデータが公称値や計画値を下回っていたのであり、
宣伝用のカタログデータとは少し事情が異なる。
ソ連の技術力を必要以上に低く評価する傾向があるが、ソ連は拘束した
B29をそっくりコピーするだけの基礎工業力があり、日本は鹵獲したB17
のコピーが出来なかった。性能がオリジナルより低かったとしてもコピー
すらできなかった日本との差は歴然であろう。
241 :
NASAしさん:03/06/30 12:20
朝鮮戦争のミグって、零戦みたいなもんだね。
最初強かったと言われたものの、結局制空権は米側が帰したってとこがそっくり。
243 :
NASAしさん:03/06/30 14:08
陸軍航空隊はその性質上、洋上航法能力に欠けるため大した活躍が出来なかった、
と結論づけている著作を目にすることが多いように感じますが、個人的に知る限りで
はそんなことはなく、海軍機と全く同じではないにしても洋上飛行もこなし、大戦後
期には陸軍の重爆が魚雷を積んで対艦攻撃まで行っており、陸軍航空隊の方が
優れており、また戦果を上げていたと思われるところも多々あります。
軍事板に帰れ
245 :
NASAしさん:03/06/30 18:31
帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ
247 :
NASAしさん:03/06/30 23:03
248 :
NASAしさん:03/07/02 20:57
土井:
仕上げが問題だった。工作精度が悪いとベアリングがダメになる。クランク
シャフトが一番のネックだった。更に、鋳物の歩留りが20%位で、今みたいに
全体の技術レベルが高くなかったので仕方なかった。飛行機だけ飛び抜けて
やろうとしても、そうはいかない。今は、日本の技術レベルが上がってきた
から何でもないけれども、あの時はそうではなかった。
材料では、ニッケルが無くて一番困った。しまいには、アルミが無くなった。
アルミのかわりに木で作れ、と。制海権を失って、ピンタン島からボーキサイト
を持って来れなくなってしまった。それよりも、燃料が無かった。
http://www.people.or.jp/~hornets80/report/doi.htm
帰れ
250 :
NASAしさん:03/07/03 00:55
251 :
NASAしさん:03/07/03 00:58
>250
お前の頭の中には、自分自身がないのがよく分かったら、さっさとやめなさい。
知識も考えもないなら、無駄なスレ!
帰れ
253 :
NASAしさん:03/07/04 12:46
零戦じゃないけど、
>>448 系の飛燕、
各務ヶ原に行ったらエンジンの部品やらいろいろ展示してあった。
すごく美しく作られているという印象。
職人が手で仕上げてるんじゃないかという感じ。工業製品として量産できっこな
いだろ、ってな感じ。
254 :
NASAしさん:03/07/04 23:03
>>253 それをドイツは工業製品として量産していた。同じように量産した日本は
基礎工業力の脆弱さから品質が落ちるどころか実用に耐えない物にしか
なりえなかった。DBに派遣された川崎の技術者は日本での量産は無理だ
と見抜き、ユンカーのエンジンのほうが日本向きだと具申していた。
にもかかわらず陸軍は押し切った。技術に理解が無い者が仕切った悲劇。
今の日本もそれに近い状態だと思う。ノーベル賞技術者の報酬が高卒
プログラマーより低いのではね・・・
帰れ
256 :
NASAしさん:03/07/05 00:09
>>254 ちなみに、そのユンカースのエンジンってどういう香具師
簡単な説明あるいは、ポインタを教えてくれるとうれしい(漏れ、志郎となので)
星型空冷?もちろん飛燕用だから違うよね
V型水冷?←この場合、日本の基礎工業力で対応できるようなタイプがあった?
帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ 帰れ
258 :
NASAしさん:03/07/05 01:38
倒立Vは基礎工業力が弱いときびしいけど、
正立Vのタイプだとしても、クランクシャフトの品質の問題は、
それ以前の大問題としてかわりないし
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
260 :
AH1cc-04p11.ppp.odn.ad.jp:03/07/12 19:36
TEST
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
あらら…
見方にもよるだろうけど、新製当時世界最高水準だったというのは確かだと思います。
しかし、それを運ぶのに使ったのが「牛車」だったというあたりが当時の日本の工業力を物語っていて悲しいですね。
部品にも互換性がないのが当たり前だったとか。
良くも悪くも「職人技」の産物だったということでしょう。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
265 :
NASAしさん:03/09/07 14:12
mage
266 :
NASAしさん:03/09/13 21:11
>>263 牛車で分解した飛行機を飛行場まで運ぶというのは、工場に飛行場が
併設されていなかったためだが、製造会社も軍もそれがどれだけの
意味を持つか気が付かなかったということのほうが問題だろう。
回想記等によると、三菱名古屋の工場には初めは飛行場があったらしいが
途中で廃止し、運動場になっていたらしい。何故これを再整備しなかった
のか不思議だ。
267 :
NASAしさん:03/09/20 08:59
パソコンのネジを見てくれ。
これがアメリカのネジだ。
やつらは巨大なハンバーガー食って、巨大なクソをする。
そんな香具師にモノづくりなんてできないと思うのが自然な感想だろう。
しかし、そんなアメリカンなヤンキーどもが組み立てても素晴らしい性能を発揮する飛行機ができる。
それが工業力ってもんだ。
日本の勤労奉仕のオネーチャン(現オバーチャン)が作った飛行機の品質は劣悪だったろうけど、その辺が工業力の弱さ。
268 :
NASAしさん:03/10/07 20:33
↑アメリカでも戦時中はおばちゃんたちが航空機工場で働いていた。
しかし、日本との決定的違いはそんな非熟練工がやっても製品の
品質が劣化しないように工程を徹底的に単純化し、品質低下を防ぐ
生産計画を立案実行できたことだ。工作機械等のハード面だけでなく
人的資源の活用法等のソフト面も含めた工業力の差とはこういうこと
を言うのだろう。品質管理すら職人の技量に頼る状態だった日本
ではとても及ばなかった部分でもある。
269 :
NASAしさん:03/10/15 00:13
このスレだけ浮いてるな
270 :
NASAしさん:03/10/24 20:17
堀越技師の良き補佐役として零式戦設計に大きな役割を果たした
曽根嘉年氏死去(本日付夕刊)。ご冥福をお祈りいたします。
これで日本の航空技術発展に携わった人がまた一人逝った・・・・
寂しい。
271 :
NASAしさん:03/11/01 21:37
ぷらもの塗装の一例しにしたいのですが
零戦の様々なマーキングがカラーで紹介してあるHPってありますかね?
272 :
NASAしさん:03/12/23 21:26
age
あぼーん