まず、お願いをひとつ。
パウロに関する書き込みは、スレ違いにならない範囲でお願いする。
パウロはユダヤ人でローマ市民であったという結論を双方が持てているなら
それ以上の議論は、スレとの関係性を明示の上で、お願いする。
これ以上のスレに無関係な議論は宗教板ででもやってくれないか?
関係が有ること、それは、キリスト教徒は、日本人と価値観が違うと言うこと。
ユダヤ人の迫害が、キリストの処刑の際の、ユダヤの民の言葉に、その一因があり
それは、ユダヤ人の虐殺と言う歴史的事実および、そのときのローマ教皇の態度
と無関係でないから、宗教的な価値観が歴史を動かす要因になっていると
言うことを認める必要があると言うこと。
そこに異論がないなら、亀哲人もS-RAMも、特に何事かを表現するために、あえて
ローマ人という表現を使用しなければならない理由があるなら、それを書けばいい
のであって、そうでないなら、カトリック教会でさえ、ユダヤ人でローマ市民という表現を
使用しているのだから、それに従えば良いだろうよ。(スレに関係ないなら)
意味なく一般的用法を変更する必要はない。
議論と言うのは言葉で行うのだから、その言葉は一般的に通用する用法で行われる
べきだろうし、亀タンが寛容なら、S-RAMに対して、一般的には、ユダヤ人でローマ市民と
言うほうが妥当だからそうすれば・・・とアドバイスするのが妥当な線だろう。
(聖書が愛読書なら、普通そう表現するだろう)
3 :
右や左の名無し様:03/10/05 09:41 ID:euLiOVT6
>>前スレ806
「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」が「君主無問責」を定めたものならば、
そんな不条理な文言は削除すべき。てか実際、日本国憲法には盛り込まれていない。
「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」が「君主無問責」を定めたものでないならば、
それは単に、天皇の責任を問わなかった国民の怠慢が問題なわけで、
天皇制という制度に問題があるわけではない。
前スレでの紹介したけど明治憲法についての見解は
下記に高崎経済大学助教授・八木 秀次氏が、憲法調査会で述べた内容が
かかれているが、「君主無問責」を定めたものと言うのが妥当だろうね。
http://homepage2.nifty.com/goken-osaka/gijiroku/syuu-seijikikou15405.htm で、君主の無答責は、立憲君主制においては当然のことで、憲法に従い
かつ大日本英国の場合においては、議会が機能し、国務大臣が機能しているんだから
議会決定・国務大臣の輔弼の結果の責任を、天皇が自由にできないのに
責任だけ問われることは不合理なわけだろう。
で、日本国憲法においても、それは同じで、内閣の助言と承認、あるいは国会の決議に
おいてなされる行為について、当然に天皇は無答責である。
確かに表現において不十分な憲法であったかもしれないし、主権がいずこにあるかが
明確でない欠点はあったが、憲法が天皇を神格化していたということは、妥当ではない
だろうな。
5 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 10:13 ID:gnt/9zT8
>>4 官僚の御用学者、「正論」の常連であり「つくる会」支持学者の八木秀次高崎経済大学助教授の
見解を妥当というのはおかしいだろう。明らかに偏った見解を持っている人物の言説を根拠にしても
説得力はない。
6 :
保守を考える:03/10/05 10:21 ID:rqJhnL4T
前スレ
>>797の亀哲人
>>そして今も、ユダヤ人は割礼をもって判断されている。
>こんないい加減なことを書いておいて、よくもレス先の相手を罵倒できるものだ。
アハハは・・・、相変わらずタワケだ。
私は「今も」という、現在の価値観を示している、
で、広辞苑第五編で、ユダヤ人を引くと
「 現在、イスラエルでは、ユダヤ人を母とするもの、またはユダヤ教徒」
となっている。
知ったかぶりで、横レスするのは、恥ずかしいから止めれ。
7 :
保守を考える:03/10/05 10:31 ID:rqJhnL4T
「神聖不可侵について、面ドだからコピペ」
441 名前:保守を考える :03/01/13 17:13 ID:oldrXD8j
>>436 >初期の段階での、第3条と神格化(現人神)は結びついていたのでしょうか?
結びついていません。はっきり云って「大間違い」です。
例えばこの条文は、福沢諭吉系の交旬社が1881年に発表した「私擬憲法案」の
第2条に、「天皇は神聖に犯すべからずものとす。政務の責は宰相これに当たる。」
となっています。つまり「君主無答責」です。
どうもこの「君主無答責」と「神聖不可侵」の意味を間違えているようにしか思えませんので、
敢えて説明しますが、
まずこの2つの用語は基本的に同じです。
神聖不可侵は東ローマ帝国のユスティニアヌス法典に淵源し、近代憲法において
君主の権威と権力とが制約されていく時に、最後の防衛線として用いられたもの
であり君主は政治的法的責任は及ばないが、君主は政治的な実権を行使しない(無答責)
を示す、立憲君主制の一般規定です。
しかし、この条文に対して、憲法起草に携わった井上毅は
日本人の天皇観は相互の敬愛によるものであり、西欧諸国の君主とは性質が異なる
故に、この条文(3条)は無用の贅語である。
と反対しますが、伊藤博文や金子堅太郎らは、それでは列強諸国に誤解を受けるとして
井上の意見を退けます。
先に掲載した昭和天皇の元旦の証書にある通り、天皇と国民との紐帯は相互の信頼と敬愛
とあり、3条の理念とも大きくかけ離れています。
結局は不文的な天皇と国民との関係を他の国がいわれの無い「決め付け」(偏見)を持ち
押し付けられたのが、いわゆる「人間宣言」です。
8 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 10:33 ID:gnt/9zT8
>>6 君、断片的知識だけで相手を中傷するのはみっともないな。
しかも、れ氏のお願いに敬意を払う姿勢が無く、此方まで追いかけてきて
誤った知識理解で攻撃してくる処が、君の駄目な所だ。
いいかね、君は「割礼」するのが「ユダヤ人」といっている。是が間違い。
割礼するユダヤ教徒という総体に、「ユダヤ人」は含まれるが「ユダヤ人ではないユダヤ教徒」
も含まれる。君は此処を認識していないから間違っているのだよ。
9 :
保守を考える:03/10/05 10:35 ID:rqJhnL4T
あと、くだらん話でレスが埋もれたから、再掲載
750 :保守を考える :03/10/04 20:57 ID:E1mDKOVY
しかし、此処は「思想版」であるはずなのに、
ただ、単に”ミスリード”しただとか、”負ける戦争をした”と宣うガきんちょが
多いなあ。
今日の日本人の価値観に於いて、戦争が絶対悪であるという判断を前提にして
論述するのは、確かに理解出来る。(思想上の議題であるのなら別だが。)
しかしながら、当時(戦前)の国民が、それと同じ価値観を有していたか?と問われれば
ある程度、同時代史をかじっている者であれば、それは否、と答えるだろう。
さて、これらを踏まえてだな、
そのミスリードした政策やらを証明し、どうすれば、最善手を打てたのかを、論証してみなさいな。
注意しておくが、ちゃんと歴史事実(史料)に基づいた論述をしないと、罵倒してしまうからな。
・・・・悪しからず・・・。
10 :
保守を考える:03/10/05 10:38 ID:rqJhnL4T
>「ユダヤ人」は含まれるが「ユダヤ人ではないユダヤ教徒」
だから、それを踏まえているから、「今も」と言っているんだよ。
そのユダヤ人ではない人間は、ユダヤ教徒以外からはユダヤ人と認識されている
現実を提示したということが、読み取れないから、
れ氏の苦言がでてくるんだろうよ。
11 :
保守を考える:03/10/05 10:41 ID:eZC23aQP
>誤った知識理解で攻撃してくる処が、君の駄目な所だ。
お前のことだから、ムカツいていたわけだが。
そろそろ、お前のことを本とに「馬鹿」だと思えてきたので
なんとも思わなくなってきたから、もう許すよ・・・。
12 :
右や左の名無し様:03/10/05 10:44 ID:z+eaDGXY
「馬鹿」と罵るのは悪いことじゃありませんよ
亀哲人さんも名無しの時は「あほ」と一緒に多用しております
なのでどんどん使いましょう
13 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 10:44 ID:gnt/9zT8
>>10 だから君は駄目で稚拙な議論しかできない。
君の其の書き方であれば、自ずとD-RAM氏の言う「パウロ(ローマ人)」という
書き方にナングセを付ける理由が無くなるだろう。自分で書いて置いて
矛盾を感じないか?其れとも自分は正しくて相手が間違いだと強弁するつもりか?
14 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 10:48 ID:gnt/9zT8
>>10 いやはや、浅はかとは君のことだ。
>そのユダヤ人ではない人間は、ユダヤ教徒以外からはユダヤ人と認識されている
前スレで私はその言説を認めているのだよ。だから寛容だと書いている。
寛容の精神も、恥の精神もない君だけがD-RAM氏の発言を頑なに認めていないだけ。
15 :
保守を考える:03/10/05 10:52 ID:eZC23aQP
>自ずとD-RAM氏の言う「パウロ(ローマ人)」という
>書き方にナングセを付ける理由が無くなるだろう
だから、何故ローマ人となるのか、その概念を説明してくれと
伏してお願い申し上げておる次第でありまして
当方は、ユダヤ人という現在の概念を、現在の価値観を含めて提示しておりまして
ハヤク、的を射た回答を・・・。
>>5 君も、理屈がわからないガキンチョダネ。
議論の作法と言うものがあるだろう。少なくとも私は、八木氏の主張内容が
汲み取れるソースを提示して、妥当だと言う「意見」を述べているのだから、君が
>見解を妥当というのはおかしいだろう。
と言うためには、そのソースを引用して、どこに妥当でない言説があるかを指摘するか
あるいは、権威のある誰かの言説をソースとして提示し、このような意見もあるから、
妥当ではないと言うか、どちらかをしなければ、議論にならないだろうよ。
わたしは過去スレを読んでいただけば分かるが、網野氏の文章も引用するし
芦部憲法は左翼学者だから妥当ではないとか、認められないと言う意見は言わないよ。
君は君の判断で偏向していると思い込んでいる意見は、最初から相手にしない人なの?
じゃぁ、私や保守考氏とのレスのやり取りは、議論は、なんなん?
ただ、違う意見の人をつぶす目的でレスのやり取りをしているなら、邪魔だよ。
そうではなく、意見を出し合って、その妥当性を検証する議論をするのなら、
>>5のような、くだらないことを書くのではなく、彼の論拠していること、あるいは
展開している内容に対して、批判しなさいナ。
まず、お願いをひとつ。
パウロに関する書き込みは、スレ違いにならない範囲でお願いする。
パウロはユダヤ人でローマ市民であったという結論を双方が持てているなら
それ以上の議論は、スレとの関係性を明示の上で、お願いする。
これ以上のスレに無関係な議論は宗教板ででもやってくれないか?
18 :
保守を考える:03/10/05 10:54 ID:eZC23aQP
>>14 認めている?
条件をつけたら寛容とは言えんでござるよ。
亀哲人もS-RAMも、特に何事かを表現するために、あえて
ローマ人という表現を使用しなければならない理由があるなら、それを書けばいい
のであって、そうでないなら、カトリック教会でさえ、ユダヤ人でローマ市民という表現を
使用しているのだから、それに従えば良いだろうよ。(スレに関係ないなら)
意味なく一般的用法を変更する必要はない。
議論と言うのは言葉で行うのだから、その言葉は一般的に通用する用法で行われる
べきだろうし、亀タンが寛容なら、S-RAMに対して、一般的には、ユダヤ人でローマ市民と
言うほうが妥当だからそうすれば・・・とアドバイスするのが妥当な線だろう。
(聖書が愛読書なら、普通そう表現するだろう)
20 :
保守を考える:03/10/05 10:56 ID:eZC23aQP
719 :右や左の名無し様 :03/10/04 08:47 ID:kRyXKaew
>680 :亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/03 22:59 ID:fPttnEP3
>
>>678 >反省なら自分の勘違い、間違いを認めるところからはじめないと。
>謙虚な姿勢がない姿が哀れでならない。
と偉そうに曰っている亀哲人だが、
「昭和天皇はなぜ戦争責任を取らなかったのか」スレに興味深いやりとりがある。
----------------------------------------------------------------------------------------------------
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1056662245/520 520 :亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/02 10:50 ID:xLweJMy6
(中略)
国内が不景気になった日本は、満州を侵略して経済の行き詰まりの解決をはかった。
1931年、日本の中国遼東半島で警備に当たっていた関東軍は満州の軍閥・張作霖の乗った
列車もろとも南満州鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業と言い立てて日本は軍隊を派遣し
満州全域を占領した(満州事変)。
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1056662245/522 522 :503 :03/10/02 14:58 ID:jFkaV3EI
(中略)
>1931年、日本の中国遼東半島で警備に当たっていた関東軍は満州の軍閥・張作霖の乗った
>列車もろとも南満州鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業と言い立てて日本は軍隊を派遣し
>満州全域を占領した(満州事変)。
とありますが、
当方の記憶と、当方が所有するあらゆる資料は、張作霖爆殺事件(満州某重大事件)は1928年、
満州全域の占領を目指した満州事変(その発端である柳条湖事件)は1931年であるとあり、両者が同一でないことを示しています。
----------------------------------------------------------------------------------------------------
このように、明らかな間違いを指摘されているわけですが、
彼はその後、間違いを認めましたか?間違いを訂正しましたか?
答えは「昭和天皇はなぜ戦争責任を取らなかったのか」スレを読んでみればわかります。
謙 虚 な 姿 勢 が な い 姿 が 哀 れ で な ら な い で す ね
22 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 11:23 ID:gnt/9zT8
>>16 君は
>下記に高崎経済大学助教授・八木 秀次氏が、憲法調査会で述べた内容が
>かかれているが、「君主無問責」を定めたものと言うのが妥当だろうね。
と書いているのだよ。八木氏の見解を支持してると読みとるのが正しいだろう。
八木が首尾一貫して主張しているのは、明治憲法の正統性だがこの姿勢は彼の
「明治憲法体制は、天皇制絶対主義として描かれ、天皇が最高の権力者であって
その権限の強さが強調されているが、これは、正確な理解ではない。」という
発言でも見て取れる。この見解は一見もっともな発言のようだが、天皇統帥権
等諸般の欠陥があった事は当の八木も認めていることであり、君のように
短絡的に「妥当だろうね」などと云う無自覚な発言は出来ないという事だ。
だから、どこがおかしいからおかしい結論になっていると言うのか、
君の主張はどこにあるのか、ちゃんと書きなさいな。
「天皇の神聖不可侵に関して」「無答責を定めたものである」という八木氏の見解が
妥当だと言う「意見」を「私」は述べている。
そのことに関して
>天皇統帥権 等諸般の欠陥があった事は当の八木も認めていることであり、
は無関係。それは、私も、前スレ
>>723で
>それが統帥権のあいまいな規定・・・拡大解釈となって、国民の
意思からも、天皇の意思からも乖離した軍部の独走という事象を生じさせた。
と書いている。
で、君の
>八木が首尾一貫して主張しているのは、明治憲法の正統性
と
>天皇統帥権 等諸般の欠陥があった事は当の八木も認めていることであり
に矛盾を感じながらも
「天皇の神聖不可侵に関して」「無答責を定めたものである」という八木氏の見解
に対して、君はどのような見解を持っているのかが、まずかかれていないから、
議論にならない。
>>22亀哲人氏
>>23は君宛(分かるだろうけど一応・・・。)
で私は保守考氏との議論の中で、明治憲法期はやはり天皇主権であったという
意見であり、このあたりは保守考氏と対立している部分である。
しかし、天皇神聖不可侵の条文は、立憲君主制における無答責条文だという
意見である。・・・念のため申し述べておく。
八木助教授曰く
>各国が何とかその存在を確保しようと国益を剥き出しにしながら国際社会の中で
>シノギを削っているのである。そういった中でひとり我が国のみは無自覚にも
>国家の解消・弱体化をもって“進歩”の方向であると思いなしている
というのが現在の日本だそうで。
日本も国益を剥き出しにして争いに参加せよってことだ。
そんなこと、昔やって大失敗してるのにな。性懲りも無い方だ。
先生のお話は、読み物としては面白いと言ってもイイかもな。
丸なみだけど。
>>25 正しいんじゃないの。
少なくとも天皇制廃止論者は
「多様な価値観を、すべて認めよう」と申し述べ、国が何とかその存在を確保しようと
している中で、「国の独立さえも」国家システムにおいて絶対視しないことが正しいか
のように主張し、それは結果として
>国家の解消・弱体化をもって“進歩”の方向であると思いなしている
ことになるんだから・・・。
だから、国ごとの価値観の相違と言うものが存在し、日本国民は日本国・・・・
同じような価値観を所有している民族を、多数決で行方を決定するひとつの単位である
国として・・・を確保する必要があると、申し述べている。
読み物としては、世界共通の価値観・普遍の価値観の存在を模索するのは
面白いけど、現実のイスラムや半島、大陸の
>なんとかその存在を確保しようと国益を剥き出しにしながら国際社会の中で
>シノギを削っている
状況を見る限り、別の国として日本は維持されなければならないなぁと
思ってしまう。だから国家の解消・弱体化は困るわけで、、、。
27 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 12:43 ID:gnt/9zT8
>>23 八木の意見である「天皇の神聖不可侵に関して」「無答責を定めたものである」事を根拠に
天皇の戦争遂行意志をも「無問責」という結論に導くことが間違い。昭和天皇は主体的に
戦争遂行の指示を出している。君の云う様に「天皇の意志からも乖離した」として、その責を
転化して良いわけではない。杉山(参謀総長)メモなどが、其の事実を明らかにしている。
杉山メモによれば次のようなやり取りがある。
杉山「追撃を続行して残敵を撃滅するように電令しております」
天皇「このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない」
また、君のレスだと明治憲法の主権が曖昧だった様な書き方だが、駒沢大学教授・憲法学者
の西氏は憲法調査会で明らかに主権者は天皇だったと云っている。
28 :
保守を考える:03/10/05 12:49 ID:eZC23aQP
またぞろ、『統帥権』が出てきているが、それが為に、天皇(制)について
どのような因縁やイチャモン(難癖)をつけているのかと問うと
廃止派は必ずと言っていいほどに、はぐらかして去って行く・・・・。
因みに
752 名前:保守を考える :03/06/01 16:40 ID:DL9utaE7
>>747 統帥権が天皇の権力というのは、後代の誤った解釈である。
この条項の意図は憲法義解に記されているが、その経緯を説明すると
西南戦争等の経験を踏まえて、軍は政治家や一部の権力者または西郷などのカリスマ等、その時々の政府の私兵ではなく、それら機関等に左右されない存在として、つまり
国家公共の軍隊として独立させるために、国家国民の象徴である天皇の下に束ねた
曰く、統帥されるという意味である。また、この条文が為、天皇がその権力を行使した事実はない。
を踏まえての議論であるのならば、歓迎したい。
29 :
保守を考える:03/10/05 12:54 ID:eZC23aQP
>>27 >杉山「追撃を続行して残敵を撃滅するように電令しております」
>天皇「このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない」
いつの、どの戦いの事を指して言っているのか提示してくれんか?
30 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 13:02 ID:gnt/9zT8
>>29 1942年5月8日の珊瑚礁海戦時、永野軍令部総長の戦果上奏時。
>>27 なに頓珍漢なことを言っているの?
憲法条文に付いて語っているときに、実態の話をしてどうするのよ。
しかも、私は神聖不可侵の条文が君主無答責と言う意味の条文であると言う意見を
申し述べているのであって、天皇主権かどうかの議論ではないでしょうよ。
そらすねぇ。
で、その、西氏の主張と言うのは
http://www.jca.apc.org/~nomad/kenpo/data/shu00224.html だろう?
この中に、どうして天皇主権と捉えるかの説明はないじゃん。
質問者が天皇主権と言っていて、西氏はそれをそのまま受け取っているだけでしょう。
少なく主天皇主権であるとか、ない、の議論はされていないよね。
話は戻るけど、天皇神聖不可侵という条文が、君主無答責という条文であると言うのは
OKなん?
>>26 「多様な価値観を、すべて認めよう」というのは誤った考え方だと。
正しい考え方は「定められた価値観以外は認めない」と言うことになる。
定められた価値観以外を容れよ、と主張するなら、日本をでて、異なる国に行くなり
国を作るなりしろと言う訳だ。
日本は二千有余年にわたり、様々な価値観を持つ集団を統合内包する
誤った道を歩んで来た。今後は国民として持つべき統一された価値観を規定し
進歩させようと言うことになる訳だ。
#しかし思うのだが、国内的には統一規定された価値観しか容認できないのに
#国際間でなら多様な価値観を持つことを容認できてしまうものなのかね。
#単なる舶来礼賛でしかないように見えてしまうのだがな
33 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 13:10 ID:gnt/9zT8
>>31 憲法は其の運用に置いてその実態を示すという本質を理解できていないから
>なに頓珍漢なことを言っているの?
>憲法条文に付いて語っているときに、実態の話をしてどうするのよ。
等という、無意味な発言が出きるのだろう。
また、西の発言から「天皇主権」を認めていると読めないのは致命的な読解力不足を
露呈している。あと3度ほど音読でもしてみればいい。さすれば多少の理解が出来るやも知れぬ。
健闘を祈る。
34 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 13:13 ID:gnt/9zT8
>>31 >話は戻るけど、天皇神聖不可侵という条文が、君主無答責という条文であると言うのは
OKなん?
明治憲法としての理解については其れで問題ないだろう。
昭和天皇の責任を免罪する理由には全くならないが。
>>32 前スレでも読んでからにしてくれ。
すべての価値観を認めることは国家システム形成においては不可能だと言うことだよ。
可能な限り多様な価値観を認めようと言うとき、それは当然だろうよ。
しかし、国家システム構築において、全部を認めることはできないことを前スレで書いている。
>>33 おい、カラムね。
西氏が、明治憲法を天皇主権と見ていると言うことは分かっているよ。
しかし、その議論はないだろう。だから、西氏がどうして僧考えているかは
そのソースでは不明。
じゃぁ、君は、一体どのような論拠で、天皇主権であると、判断しているのか。
戦争遂行意思を持っていたからと言って、天皇主権であるとは言いがたいだろう。
37 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 13:21 ID:gnt/9zT8
>>35 国家観の概念がシームレス化している現状認識が君に有るのかね?
対外的な多様性を容認しておきながら、国内に置いては同質性を根拠に
特定の価値観念を国家の土台にするというのは、時代錯誤的意識も甚だしい。
で、天皇の戦争責任については、議論は害と薄れに移ってくれ。
ここでは、無関係・スレ違いだから・・・。
で、天皇の戦争責任については、議論は該当スレで、心行くまでやってくれ。
ここでは、無関係・スレ違いだから・・・。
40 :
保守を考える:03/10/05 13:25 ID:eZC23aQP
>>30 >1942年5月8日の珊瑚礁海戦時、永野軍令部総長の戦果上奏時
これは、どうもっス。
で、時代区分が出来たので本題に入るが
君の提示した杉山メモは、つまり、総参謀長、軍令部長がその帷幄権を元に上奏し
それに対して、陛下が御下問したやりとりでしょ。
それが、どう、責任なり、統帥権の行使に繋がるのか、よう理解できんのだが。
つまり、御下問によって国家(日本)の意志決定にはならんし、当時はまだ
御前会議の決定が、法的効果をもつのだが、そこで陛下は何も仰られない。
(御聖断を除くだが・・・。)
41 :
3:03/10/05 13:31 ID:euLiOVT6
>>30 珊瑚礁海戦て何よ?(;´Д`)
珊瑚海海戦のこと?
漏れが「珊瑚礁海戦」なるものを知らないだけかもしれないから、キチンと確認してくれ。
で、珊瑚海海戦だと仮定したときの話だとしても、なぜ杉山が
>追撃を続行して残敵を撃滅するように電令しております
というのだろうか?
兵隊に「海を泳いで追撃しろ」とでも電文打ったのか?
その点をもう一度説明してくれ。
以上全部に目をつぶるとしても、
>このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない
という「昭和天皇」の「主体的」な「戦争遂行の指示」を受けた海軍がどう行動したのか。
具体的に言うと、珊瑚海海戦に参加した第四艦隊はその後追撃を行ったのか?
その点についても説明する必要があるな。
もし
>このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない
という「昭和天皇」の「主体的」な「戦争遂行の指示」に従わず、第四艦隊が逃げ帰ってきた事実があるなら、
「昭和天皇」の「主体的」な「戦争遂行の指示」など、
それこそ、形だけのものであった証拠になってしまうわけだが、
さて、第四艦隊はその後どう行動した?残敵を撃滅した?それとも逃げ返ってきた?
説明求む。
天皇が無答責とされている憲法であったと言う合意は、亀哲人とできたようである。
であるならば、天皇の戦争遂行意思の有無と、天皇主権は無関係だろう。
戦争遂行意志をもっていたとしても、その遂行意思が実体化されたとしても
米国大統領のそれと同じで、米国は大統領主権国家とも言わないだろうし
現代日本において他国の侵略に対して、自衛隊が応戦し、内閣総理大臣が
「このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない」
と言ったとしても、主権者は国民であり、総理のその言葉は、状況によっては
何の問題もない。
>>38 >>39 連続投稿失礼した。戦争責任は妥当なスレがあるから、そこで
お願いする。私には、議論する意欲がないし、スレ違い。。
43 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 13:35 ID:gnt/9zT8
>>40>>41 珊瑚海海戦だった、失礼した。ミスの指摘ありがとう。
で、れ氏に敬意を表してこのテーマは此処では終わりにしたい。
他のスレで議論したいのなら当方はやぶさかではない。
>>39 亀タンには「昭和天皇はなぜ戦争責任を取らなかったのか」スレに戻れない理由があるからねぇ
45 :
保守を考える:03/10/05 13:37 ID:eZC23aQP
>>41 あ〜、あせちゃって。
ゆっくり料理しようと思ってたのにー。(なんてね。
大体、杉山メモなんて、語り尽くされているけど、ちゃんと読めば
天皇弁護にしかならんわけなんだが・・・・。
例えば、米の開戦回避の為なら、北海道を犠牲にする事は可能か?
とか
戦争は4ヶ月で和平に持ち込むはずではなかったのか?と御下問した
などなど
46 :
3:03/10/05 13:42 ID:euLiOVT6
>>45 >あ〜、あせちゃって。
>ゆっくり料理しようと思ってたのにー。(なんてね。
('A`)スマン
てなことで、あとは古参の方々にお任せすることにしますわ。
47 :
保守を考える:03/10/05 13:42 ID:eZC23aQP
>戦争は4ヶ月で和平に持ち込むはずではなかったのか?と御下問した
適当に書きすぎた。(失礼 ↓で訂正
「汝は支那事変発生当時、作戦は一ヶ月で片づくと言ったが、4年経っても片づかぬではないか!」
48 :
保守を考える:03/10/05 13:44 ID:eZC23aQP
>>46 いや、いや、こちらこそ。
ま、ご本人も当該スレでやっても良いと言っているから、
そちらのスレで、この議題はそちらのスレで、お預かり下さい。
で、>亀哲人氏
明治憲法は天皇無答責だけれども、天皇主権だという論拠をお願いする。
50 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 13:47 ID:gnt/9zT8
>>36 天皇主権国家であるというのが私の理解。
でなければ教育勅語の文面が、明治憲法下に置いて違反するアンビバレントな存在になる。
以下の文面に置いて、是は明らかだろう。(訳文)
「単に天皇の忠良な臣民としての行動だけでなく、御先祖の残した美風を継承することでもある。」
>米国大統領のそれと同じで、米国は大統領主権国家とも言わないだろうし
米国大統領は、民選の統治者であるから此の指摘は不適切。
51 :
保守を考える:03/10/05 13:52 ID:eZC23aQP
>>50 まず、質問しておきますが
教育勅語は、明治憲法下、どのような法的位置付けの元、公に出された物ですか?
>>50 例えばよ、天皇が、
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている
国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
と
「単に天皇の忠良な臣民としての行動だけでなく、御先祖の残した美風を継承することでもある。」
と同じように、国民に何かしらの国民としての方向性を示したからといって、
それだけで、その発表をした天皇に主権が合ったとは言えないでしょう?
53 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 14:00 ID:gnt/9zT8
>>49 (1)大日本帝国憲法の制定、特徴
大日本帝国憲法も、一応は立憲主義的憲法である。しかし、次の諸点において、
立憲主義的憲法としては極めて不十分なものであった。
a.「臣民」の権利・自由は天皇によって与えられたものにすぎず、しかも
「法律ノ範囲内」などの用語に見られるように「法律の留保」の下において認められたにすぎない。
b.権力分立の原則が採られていたとは言え、これも不完全であった。立法・行政・司法とも
天皇を「翼賛」するにすぎなかったのである。
c.衆議院と貴族院は対等であった。このため、非民主主義的に構成される貴族院によって、
多少とも人権保障に寄与しうる法律案などが容易に否定されえた。そればかりでなく、
議会の権限は非常に弱かった。
d.内閣制度は憲法上の制度ではなく、各国務大臣は天皇に対して責任を負うのみであり、
内閣の(議会に対する)連帯責任は存在しなかった。
e.そもそも、天皇は神聖不可侵であり、国の元首であって、統治権を掌握・統括する権限を
有していた(つまり、主権を有していたことになる)。とくに、皇室の事務に関する大権、栄典の
授与に関する大権、軍の統帥に関する大権は、一般国務から独立していた。また、皇室典範が
憲法とは独立して存在し、両者が同等の関係にあったことも見逃せない。
森� 稔樹教授(大分大学教育福祉科学部法律学教室)の発言。
>>53 天皇が主権者であったと言う論証として
人権に法律の留保があったと入っても、だから主権者が天皇と言うには、論理の飛躍が
ありすぎる。
権力分立の不完全さを天皇が補っていたとしても、やはり主権者が天皇と言うには
論理が飛躍している。現代において権力が分立しているかと言えば、不十分とも言える
のであって、主権者が誰かと言う議論とは無関係である。
衆議院と参議院もまた、対等ではないからこれも主権者議論とは無関係。
d、は、多少関係するのかな?
e、は貴殿も君主無答責条文だと認めているからねぇ。
d、について議論すればいいのかな?
明治憲法の欠点の議論じゃなくて、天皇主権の議論だから・・・・。
55 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 14:21 ID:gnt/9zT8
>>54 再録するが、以下が森教授の明治憲法が天皇主権とする理由。
e.そもそも、天皇は神聖不可侵であり、国の元首であって、統治権を掌握・統括する権限を
有していた(つまり、主権を有していたことになる)。とくに、皇室の事務に関する大権、栄典の
授与に関する大権、軍の統帥に関する大権は、一般国務から独立していた。また、皇室典範が
憲法とは独立して存在し、両者が同等の関係にあったことも見逃せない。
56 :
保守を考える:03/10/05 14:22 ID:eZC23aQP
>>53 a.「法律の留保」について
683 名前:保守を考える :03/08/20 18:46 ID:u+8Ex3FQ
横レス
>>676 いわゆる、「法律の留保」の一般的解釈は、戦後言論の詭弁である。
彼らは、およそ、一様に「フランス人権宣言」を賛美しているが
その4条・5条・10条・11条に「法律の留保」を宣言している。
では、どのように解釈するのが宜しいと問われれば
旧憲法に於ける法律は、少なくとも国民から選出された議会が、協賛しなければ
それを効果たらしめないのであって、行政等が勝手に命令を出して、
例えば納税等の負担を課す事が出来ないのであるから、国民(条文では臣民)の権利を
恣意的支配から護られていることになる。
もし、これに反する事例があるのであれば、それは単なる憲法違反である。
b.権力の分立について
明治憲法、特に、5条、6条、9条、37条、47条、49条、55条、56条、57条
を良く読み、併せて、憲法義解、井上毅伝なども押さえておきましょう。
c.>非民主主義的に構成される貴族院によって、
>多少とも人権保障に寄与しうる法律案などが容易に否定されえた
否定され「え」た。ではなく、しっかりと否決された法案の具体例を挙げてくらさい。
d.内閣制度の問題点について
確かに、首相が各大臣を罷免する権限が無かったことは、私としても改善すべきだと
主張しているが、55条2項を読めば、連帯責任云々をもって天皇主権と主張とは出来ない。
e. 神聖不可侵について
>>7を参照
>>35 >すべての価値観を認めることは国家システム形成においては不可能だ
たしか貴方の立場は、国家は必要不可欠、だよね。
ということは、国家は、統一規定された価値観以外の価値観を持つことは
許さない。異なる価値観を持とうとする者は反逆者であり排除しろってことになるな。
突き詰めれば、人は統一規定された価値観以外持ってはならないということだろ。
極めてキリスト教的世界のように見えてしまうのだが。
>>55 ほうほう、そうすると、神聖不可侵は無答責だから別として・・・
象徴大統領が国家元首の国もあるから、これも別として・・・
>統治権を掌握・統括する権限を 有していた(つまり、主権を有していたことになる)。
>とくに、皇室の事務に関する大権、栄典の 授与に関する大権、軍の統帥に関する
>大権は、一般国務から独立していた。また、皇室典範が 憲法とは独立して存在し、
>両者が同等の関係にあったことも見逃せない。
が、残るんだけれども、これについて議論すればいいのかな?
59 :
保守を考える:03/10/05 14:30 ID:eZC23aQP
>>55 >両者が同等の関係にあったことも見逃せない。
見逃せないのはいいのだろうけど、それだけじゃ、意味が判りませんな。
旧皇室典範 「第六十二条」
将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補ス
ヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧
問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ
まあ要するに、皇室典範も改正可能であるから、何も問題ないし
国会で改正出きないとする根拠があるのなら、それはそれで別議論だろうし・・・。
>>57 妄想は布団の中でお願いします。前スレ読みました?
シュワちゃんは、知事には立候補できるけど、大統領に立候補できません。
これ排除ですが、不当でしょうか。
61 :
保守を考える:03/10/05 14:35 ID:eZC23aQP
>>57 まあ、現代の国家論における統一の必要性(国家としてね。)は
「ザ・フェデラリスト」の影響が強いから、一概に基督教的世界観を否定出来ない
ジレンマがあることは、確かですな。
だからといって、その基督教なる世界観を全て受け入れるという話には
ならないでしょうし・・・。
62 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/05 14:36 ID:gnt/9zT8
>>58>>59 済まないがよんどころない用のため、退席する。
折を見てまたレスするので宜しく。
オナニータイムか
64 :
保守を考える:03/10/05 14:41 ID:eZC23aQP
>>62 次に来る時は、議論が拡散しないように、何か一つにしぼって、
『具体的に検証』出来るように、提示してくれと、お願いしておこう。
>>60 (ヒジュラ暦 (イスラム太陰暦) 第9月)の昼間に、日本の学校では給食を出しますが、
これも回教徒の価値観排除ですが、不当ですか?
日曜日に父兄参観を公立校はやっていますが、これもキリスト教徒の価値観の排除
ですが不当ですか?
日本の小学校では、昆虫採集を行わせ、あるいはかえるの解剖を行わせ、これは
ヒンズー教徒の価値観の排除ですが、不当ですか?
できうる限り、多くの価値観を認めると言うことと、すべての価値観を全部受け入れる
と言うことは、全く違うでしょう。子供の妄想には、付き合ってられませんよ。
66 :
保守を考える:03/10/05 15:06 ID:eZC23aQP
まあ、要するに、国際社会とその国々の価値観の違いという話は
553 名前:保守を考える :03/02/10 11:34 ID:HUIMWcif
私は何も、各国の歴史性が完全に異質であるなどと、宣っている訳ではない。
国際社会の安定に配慮する時、各国の歴史に於ける同質の次元や側面を確認したり
拡大解釈することは有用であると考える。
しかし、インターナショナルとは、「異なった国家の間の関係」であるのだから
まず、ナショナル(国家)が確立されていなければ、国際社会などという概念
それ自体、成り立たない。各国は、独自の歴史を背負っていることも認めなければ
国際社会の一員になれるわけががない。
を踏まえてから、噛み付いて下さいな。
>>66 そういうことでしょうね。
で、前スレの複雑系の話に戻るんですが、要はアンシュタインが「神はさいころ遊びを
しない。」といったその論理の基礎なっていることが、複雑系です。
ではそのように、複雑で予測できないものは、全く予測が不可能かというと、確率と
言うことで、予測して差し支えないと言う理論なんですが、
これは、例えば木の葉が5mの高さから空気中を落ちるとして、どこに落ちるかは
分からないけど、一定の範囲はあると言うことです。ピンポン球を無風の体育館の
天井から落としても、様々な空気抵抗とか微妙な揺らぎがあるし、その揺らぎが
回転を与えたりして、大きな力になって相当に落ちる場所は不確定になるけれども
一定の範囲はあると言うようなことです。
で、こういった確率と言うのは、ひとつには大きさと言うことに現れていて、人間の
サイズはまぁ、0.1m〜3mの範囲に落ち着くし、台風がどんなに大きくても、
日本列島ぐらい以上にはならないと言うことです。
で、もうひとつが、パターンなんですが、例えばガラスが割れたときの模様は、
サイズ的には微小から大きなものまであるんだけれども相似形としてみた場合は
微小も巨大も、全く同じようなパターンで割れるとか、砂を拡大すると、岩と同じ
パターンだとかいうことがあるわけです。
で、現実の社会と言うものも当然複雑系ですから、必ずこうなると言うことはいえない
わけで、これを論理的帰結を懐疑しなければならないと表現しているわけですが、
必ずこうなるとはいえないけれども、大体落ち着く範囲と言うものはあると言って
差し支えないようです。
確実ではないけれども落ち着く範囲があるから、人はある制度を決定でき、ある政党とか
個人に一定範囲で委任できるとみなします。
逆に、その国民の価値観と言うものも、全く同質ではないけれども、環境や文化によって
概ね落ち着く範囲と言うものがあると言うことで、その範囲と言うものが国家作りの
基礎的な価値観になると言うことでしょう。
さらにそのような複雑系においては、十分にその振る舞いを観察し、その様子
(着地点の範囲)を見定めて、何かを決定しなければ危険で、だから歴史の検証と
言うものは重要だと思うわけです。
>>65 >回教徒の価値観排除ですが、不当ですか?
不当でしょうな、回教徒の生徒に強制すれば。
>キリスト教徒の価値観の排除ですが不当ですか?
不当でしょうな、安息日を固守するキリスト教徒の生徒や保護者にとっては。
>ヒンズー教徒の価値観の排除ですが、不当ですか?
当然不当でしょうな、ヒンズー教徒の生徒に強制すれば。
>>68 へ?何も強制はしていないんですけど・・・。読めるよね。
給食を出すこと自体が、回教徒の価値観を排除しているわけですし
授業参観日に欠席すれば、その生徒は欠席扱いになるわけです。
日本人価値観によって決定した、給食とか日曜授業参観とか、昆虫採集という
決まりごとの中で、相手の価値観を十分慮って、強制もしない。
これができうる限りその価値観は尊重すると言うことで、
しかし彼らの価値観からすれば、欠席扱いになることも、昆虫採集授業を
行う事自体も、価値観の否定であることは事実でしょう。
これが、国家システム構築において、全部の価値観を同等に認めることは
できないと言う意味である。
>>68 別に、給食を不当と思うなら、理由を述べて食べなければ良いだけだし、
日曜の父兄参観を不当と思うなら、理由を述べて休めばいいし、
昆虫採集、カエルの解剖を不当と思うなら、理由を述べてやらなければいい。
他の国ではどうだか知らないが、少なくとも今の日本ではそういう自由が認められている。
エホバの証人の信徒が、剣道の授業を信教上の理由で拒否して云々ていう裁判があったでしょ。
>>70 そだよ。日本では、そういうことだし
回教国で、(ヒジュラ暦 (イスラム太陰暦) 第9月の昼間に給食をださない決まりがあって
当然。日本でそんな決まりは作ったらおかしい。(一般の学校で)
様々な決まりごとというのは、その国の価値観に沿って(ある一定範囲の人の価値観)
で、決められるのが当然だろう?
このことを
>>26で申し述べている。それに対して
>>32の
>「多様な価値観を、すべて認めよう」というのは誤った考え方だと。
>正しい考え方は「定められた価値観以外は認めない」と言うことになる。
>定められた価値観以外を容れよ、と主張するなら、日本をでて、異なる国に行くなり
>国を作るなりしろと言う訳だ。
は、全然的外れの言いがかりでしょう?
>>70 つづき
で、それを、
>>67では
その国民の価値観と言うものも、全く同質ではないけれども、環境や文化によって
概ね落ち着く範囲と言うものがあると言うことで、その範囲と言うものが国家作りの
基礎的な価値観になると言うことでしょう。
と言っているわけで、
「多様な価値観を、すべて認めよう」と言う国家システム作りに置いての発想は間違いで
「多様な価値観は、できうる限り尊重する」けれども、決まりごと(システム)を作るに
あたっては、国民の価値観と言う範囲がメインになるのは当然であって、
それが、八木氏言うところの「国柄」を考えなければならないと言う意味でも、あるんじゃ
ないのかなぁ。(あまり国柄とか国体と言う言葉は使わないんだけれども-なにやら手垢
がついて別の意味に取られかねないから-)
そういうことだけど、ご理解賜ったかな?
73 :
右や左の名無し様:03/10/05 20:17 ID:s5XJdqWV
あ
いや…「複雑系と社会」なーんて議論は数多く見てきたし、
自分もかかわってきたつもりなんだけど…。
そのシステム理解で複雑系って。ドゥールーズ読めば?
75 :
保守を考える:03/10/05 22:41 ID:OI/4Q+lZ
>れ氏
>>67 複雑系と聞くと、昔、ちょっとかじった(学生時代ですが)カタストロフィーや
カオス理論やフラクタル線などを連想してしまいますが、
れ氏の指摘しているのは、多分、確立分布論ではないかな?と思われます。
まあ、そんな事はどうでもよいのですが、
確かに、大局的な落ち着くべき所の価値観は存在するのであって、
このような事を云うと、あやしい氏などが、そんな明示出来んもんは、不用!と
すぐに喚き散らすからいけませんな。
例えば、√2などのような無理数は、数直線上に正確な比率で表わせませんが
それをもって不用とはいえませんし、虚数などは、もっとたちが悪くなってきますし。
日本人としての価値観を考察するに、その細部については、千差万別あるでしょうけれど
何か根底にあるもの、例えばコモンセンスだとか、慣習なり習律というものが
やはり、れ氏の指摘する言葉によれば「複雑系」により、その存在が確かにある事は
誰でも(日本人ならば)認められなければ、これはもはや、議論にならんわけです。
その了解事項の延長線上に、じゃあ、「日本史の大部分を占める天皇(制)」とは
なんぞや?と、その史料解釈を戦わせる事によって、スレタイの本義が保てるのでは
ないかと考えます。まあ、政治思想という主旨に基づいて、世界史(又は思想史)の観点から
議論するにしても、その辺の価値観の存在を弁えてもらいたいと思うわけです。
この日本人の概ねの価値観を共有しろとはいいませんが、そういった、日本史的価値観の
提示は散々してきたので、いささか草臥れた感もあります。
76 :
保守を考える:03/10/05 22:42 ID:OI/4Q+lZ
>>74 でも、定義はまだ確立してないんだろ。
だったら、論旨をくめよ。
77 :
右や左の名無し様:03/10/05 23:36 ID:mT+J9xAF
君が代は 颯爽と
千代に八千代に 日輪の
細石の 麗しく
苔の生すまで 阪神タイガース
78 :
右や左の名無し様:03/10/06 06:47 ID:0aoAAunr
ほー
>>74 >いや…「複雑系と社会」なーんて議論は数多く見てきたし、
>自分もかかわってきたつもりなんだけど…。
おお!複雑系の専門家降臨!
学者らしく、初心者にも分かりやすい解説キボンヌ
>>75 >>76 >>79 完全同意。
>>74 ムッタン氏
ニュートン的な物理学から、確率的な物理学への変貌およびそのことを
社会に適用させたとき、どんなことがいえるかというあたりからでも、頼む。
ホーキング博士なんかが支持している、人をして、真理の観察者にするために
この空間は存在する、あたりからでも良いよ。
まぁ、それはそれとして、亀哲人氏が戻るまでに、彼の主張内容を検討しておこうかな。
明治憲法において、天皇は主権者であった、と言うのが亀哲人の主張で、
>>55で
>森教授の明治憲法が天皇主権とする理由。
>e.そもそも、天皇は神聖不可侵であり、国の元首であって、統治権を掌握・統括する権限を
>有していた(つまり、主権を有していたことになる)。
を論証としてあげている。
で、八木氏の憲法調査会に置いての発言から、明治憲法の主権者の部分を要約すると
http://homepage2.nifty.com/goken-osaka/gijiroku/syuu-seijikikou15405.htm 現在、教科書でも、また学者の中にも、「天皇の権限は強く、議会の召集・解散、軍隊を
指揮すること、条約の締結や戦争を始めることなどは、天皇の権限(天皇大権)とされた。」
という、天皇制絶対主義という考え方があるものではなかろうか。
しかし、国務大臣の輔弼・神聖不可侵条文の立憲君主無答責・統治権の総攬における
主権の体、主権の用の区別(主権と統治権はほぼ同義)・統帥権に関する起草時の趣旨
などを、伊藤博文と井上毅の思想、バジョット、シュルツェの憲法理論などから考察し
天皇絶対主義ではなかった。
と言うようなことを述べている。単純な言い方をすれば、草案者も明治天皇・昭和天皇も
立憲君主制であって、天皇絶対者とは考えていなかったし、現実に議会も行政も機能
していたのであって、神聖不可侵条文は君主無答責規定であるから、無答責ナ主権者
などありえないと言うような意味ではないかと思う。
で、亀哲人は
>>34で神聖不可侵条文は君主無答責条文であることを
>明治憲法としての理解については其れで問題ないだろう。
>昭和天皇の責任を免罪する理由には全くならないが。
といっている。
さて、森教授の「そもそも、天皇は神聖不可侵であり、」を否定しておいて、森教授の論
を論証としてあげている彼においては、、どのように考えているか、開陳する必要があるだろうね。
>複雑系の説明
ごめーん。そんなこと怖くてできなーい(苦笑)。
漏れ専門家でも全然ネエし。
複雑系って、理系でさえいろいろな人が勝手に好き勝手言ってる分野で、
それが文系ともなれば何をいわんや。知り合いの理系の専門家にプッされちゃいますよ。
「複雑系」とか、「カオス」とか、「ゲーデル」とか、結構文系は安易に社会理論に
使ってしまうんだけど、表面的な知識だけで、その概念の裏にある文脈力まで読まなければ
間違っちゃうんで、(つまり、「そういう」議論をよく見てきたわけだが。)少し反省的に
なるべきかなと思ってる。もちろん、それをマスタリーした
上で言っているならどんどん発展させていいと思うけど。漏れ?全然w。
ただ、まあ使われる文脈についてはだいたい決まっていて、要するに社会システム理論
において生じる「システムの穴」を解釈しようとする課程においてだろう。
陳腐な比較文化論においてではない。それは確実。
>>82 >複雑系って、理系でさえいろいろな人が勝手に好き勝手言ってる分野で、
いや・・・あの・・・物理学において、好き勝手には言えないんですが・・・
84 :
79:03/10/06 14:34 ID:???
>>82 え?専門家ぢゃないのでつか?
だって
>>74では「自分もかかわってきたつもり」って・・・??
謙遜なさってらっしゃるのでしょうか?
でも、2ちゃんでそのようなご謙遜は不要かと思います。
もしご面倒でなければ、単純系な漏れにもわかるようにお教え願いたいのですが。
よろしくお願い致します。m(_ _)m
>>81 西欧の立憲君主制と、形の上でそれを模しただけの日本とでは
背景が異なるだろうに。
西欧の立憲君主が無答責であるからといって、日本も立憲君主だから
無答責だなどはいえない。
取敢えず徳川時代の天皇は、無答責として良いだろう。
しかし、徳川幕府からの大政奉還は誰に対して行われたのだ。
天皇が直接、政を行うべきだとして、実権を天皇に返したのだ。
明治になったから方針が変わりました、やはり臣下が政を
行いますと言うのでは、御維新の大儀名分が通らなかろう。
だから憲法では天皇の無答責を明文としなかった(出来なかった、が適切か)
のだろう。
天皇と臣下の対立の結果としての立憲君主制では無く
臣下同士の対立の対案として、政の権限を天皇のものとしてしまったのだ。
だから「大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ
永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム」と全ては天皇のものと宣している。
三権はすべて天皇のものとし、君主専制を規定してしまったのだ。
>>85 http://homepage2.nifty.com/goken-osaka/gijiroku/syuu-seijikikou15405.htm に、書いてあるよ、反論は。
しかも最後の
>だから「大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ
>永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム」と全ては天皇のものと宣している。
「憲法を制定して、私が率由(従い由ること。従うこと。)するところを示し、私の後嗣
および、国民の子孫をして、永久に循行(命令に従って行うこと。)するところを、
知らしむ。」という意味だから、単純に言えば「欽定憲法ですよ」という意味しかない。
天皇が憲法を制定した。この憲法は天皇の子孫や国民の子孫も永久に守りなさい、
といっているに過ぎないでしょうよ。あんまり笑わせないでくれ。
なにが
>全ては天皇のものと宣している。
だよ。しっかりしてくれ。
内閣の輔弼がなければ国務が出来ず、
統帥部の輔翼がなければ軍に命令も出せない。
議会の協賛が無ければ予算も付けられず、立法もできない。
気まぐれで勅令出そうにも、国務大臣の副署が要るし
しかも、次の議会で承諾を得られなければ失効する。
・・・これが君主専制と言うならば、
漏れは「君主専制」の定義を勉強し直さねばなるまいて。
88 :
保守を考える:03/10/06 19:04 ID:JOfoujwk
>れ氏
まあまあ、名無し君は、多分ですが、初めて「憲法発布の勅語」を読んだでしょうな。
しかも「率由」の意味が解っていない読み方としか思えないほど、漢語に弱いのでしょう。
正確に引用するのならば
「 明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ
朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム」
くらい示さないと・・・。
>>88 いや、単語の意味がわからないなら、書かなきゃいいのにと思うんですが・・・。
ところで、朕カ率由スル所ヲ示シ・・・なんですが、読み方によっては
「天皇ご自身が従い由る」ところを示しているのだから立憲君主制であることを示す、
といっている人もいるんですが、それでは、当時の臣民が従うべき憲法であるという
部分が抜けてしまうので、違うだろうと判断しています。どうなんでしょう。
90 :
保守を考える:03/10/06 19:25 ID:JOfoujwk
>>89 まず、押さえておかなければならない所は、あの文言は勅語でありますから
明治天皇自身の所信表明と位置付けて宜しいかと思います。
ご質問の「率由」云々は、そのまま、天皇自ら模範となって、憲法に従い、
それをして、現臣民や、次世代の天皇・臣民に知らしむ。であります。
また、私が正確に引用した「明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ」とは
国会開設の約束を果たした。という意味ですから、
明治天皇が立憲君主であろうとした決意を、指しても問題ないと考えます。
91 :
保守を考える:03/10/06 20:23 ID:JOfoujwk
ついでだから全文を副書しておきましょう。
【大日本帝国憲法発布ノ勅語】(明治22年2月11日)
朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ
現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ
無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ
国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ
即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ
朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ
永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ
恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ
又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ
明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及
臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来
此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ
其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
帝国議会ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ
将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ
之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ
敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ
永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ
92 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/06 21:04 ID:5QRnH+nX
>>81 主権の所在を抽象的に議論してもなんの実益もない。単に主権の所在自体によって、
そこから具体的な権利・義務が演繹されると言うことはないのだから。
かりに主権が天皇にあるとしても、具体的にそれが議会や行政府の権限といかなる
関係を持つのかは、天皇と関連を持つ国家制度があって初めて意味を持つわけだし。
天皇主権と言っても、天皇が国事の一切を決裁できるわけがないのだから、天皇と議会、
天皇と行政府の関係がいかにあるかで、国家制度のあり方はまったく違ったものになり
得る。だから、単純な主権論でウザウザ言っても議論としてあまり実益はないだろう。
国民主権を採用するにしても、国民主権の解釈しだいでは民意の国政への反映の
程度を自由に変えることができる。民選議会の任期を10年とか終身とか長期にし、
議会の解散を禁じるだけで民意の立法機関への反映は、著しく減少するだろう。
また選挙資格や被選挙資格を厳しくし、参政権の範囲を限定すれば、これまた民意の
国政への反映は抑えられる。このような措置も、国民主権の解釈の仕方によっては
可能だろう。
主権論は主権にどのような意味を見出すかで、いかようにもなり得るわけで、
国民主権でも民意の反映が薄い国家制度にもなり、その逆に君主主権でも民衆の
参与度の高い国家制度にもなり得る。だから、主権の観念的な所在を議論しても不毛。
その意味で、れたんの言っていることにも一理ある。
93 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/06 21:05 ID:5QRnH+nX
しかし国民主権を個人の社会参加権の延長として位置付け、それをもとに実際の
国家制度のあり方の是非を判断するなら話は別。この考え方を取るなら、国民主権は
実際の国政のあり方を具体的に規定するイデオロギーになるから、単なる観念的な
主権論にはならない。
例えば、民選議員の資格制限や任期の延長、選挙格差問題などを批判する際に、
(社会参加権の延長線上にある)国民主権に反するとすれば、これらの問題に対して
原理的な批判を行いうる。しかし、君主主権では国政は原則として個々人の民衆の
律するところではなく、抽象的な国権とされる可能性が高いから主権に基いて、
これらの問題を有効に批判できるかと言えば疑問だ罠。
民主主義や個人主義に価値をおき、国政への民意の反映を適切に担保することを
考えるなら、個人の社会参加権の延長線上にある国民主権をましな理念と考える
べきだ。民主主義と言うものに価値をおくなら、どう考えても君主主権なんかより
国民主権の方が親和度が高いと言える。しかし、国民主権を抽象的な国家主権的
意味合いで理解してしまえば、「民主的な君主主権論」となんらかわらん(藁
国民主権は人が生まれながらに備わった社会参加権の延長線上にある概念として
理解すべきものだ。だから国政において具体化される概念でなければ意味がない。
その意味で、個人の社会参加権との繋がりを欠く君主主権は誤った概念であり、
主権論から民主的制度を担保しえない明治憲法の天皇主権論はあきらかに民主的
意味合いから見て、下等で間違った概念と言うことはできる罠(藁
94 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/06 21:06 ID:5QRnH+nX
戦前の天皇主権論は、結局のところ天皇無責任制度と相乗効果を持って、為政者の
政治責任を曖昧にし、民衆の社会参加権を制限すると言う欠陥を持った政治理念で
あった。だからと言って天皇主権論自体を持って、天皇個人に政治責任を問うことは
無意味。戦前の君主主権に基く国政が、適正な手続きを持って、民意を適切に反映
させる政治制度でなかったこと自体に欠陥があったと言うべきだ罠。
戦前の天皇主権に対して根本的な批判を加えるとすれば、個人の社会的参加権と
国政との関係。現代の国民主権を、個人の社会参加権と無関係の形骸的理念とし、
国の民主的諸制度を無原則に改変可能な制度と理解するなら、戦前の天皇主権下の
政治制度と大差ないと言える。
これを逆に見れば、天皇主権下の国政と戦後の国政があまり違わないと主張して
止まない論者達の「国政」に対する理解と意図が透けて見える、とは言える罠(藁
どうでもイーが、
>>1 に前口上がナイじゃん。煽動的な前口上でエサを撒かない
と集魚効果が薄い。釣り師失格。少しは頭使って署名してスレたてろと言いたい(藁
95 :
保守を考える:03/10/06 22:29 ID:inn+p5Ms
>>92-94 またまた、議論の流れを無理やり変更しておいて、そうして、意味の無い(当議論上)
妄言を繰り返してますな。
まず、誰も戦前の政治体制に逆行しようなどという主旨で、この主権論を論じているわけではない。
次に、旧憲法下において、天皇主権論を論ずるのであれば、まずは、それを立証しなさい。
その上で、君が喚き散らす、個人主義なり、アズマ的民主主義の議論をするのであれば
してやってもよいぞ。
>>90 >天皇自ら模範となって、憲法に従い
天皇が祖宗から受け継いだ大権を率由するということ。
制定するする憲法は新規なものではなく、天皇と臣民の古からの関係だと言うこと。
天皇も祖宗に従い、臣民もその祖先が天皇に従っていた、昔々の正しい
やり方に戻します、それを憲法として定めるということ。
これから制定する憲法に従うと言うことではなく、徳川が薩長の藩閥に
摩り替わっただけの臣下の専制と、これに対する自由民権運動(国家の土台を
破壊しかねないと考えた)に対する回答として、天皇に実権があると宣したもの。
だから、臣民も古の祖先が天皇に従い協力した(昔は天皇と臣民は
対立する間柄ではなかったのだよと言って)昔に戻りなさいと命じている。
ご維新以来臣民に任せた結果の、臣の専横とこれに対する民の反抗を
封じる(折り合いをつける)ために、昔通り全ては天皇の権限とし
これに対する臣民の協力を命じたもの。
97 :
保守を考える:03/10/07 06:51 ID:EjHozLsI
>>96 まずだな
>其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ
この一文を現代文に約してみな。
>天皇が祖宗から受け継いだ大権を率由するということ
そんな事は何処にも書いていない。「大憲」の意味も解らんのか?
>昔通り全ては天皇の権限とし
>これに対する臣民の協力を命じたもの。
現在の法学も、当時のそれも、そんなのを『憲法』とは呼ばないからな。
やっぱ、基礎から勉強し直した方がよいぞ。
丁寧な質問をするのであれば、教えてあげますが・・・。
98 :
保守を考える:03/10/07 06:54 ID:EjHozLsI
>天皇が祖宗から受け継いだ大権を率由するということ
何度も教えてあげているが
これは、「日本語」になっていないからな。
「率由」(ソツユウ)で辞書を引け。
明治憲法の把握として「欽定憲法だった」・・・民主主義的に国民が決定した憲法
でなかったことに、異を唱えるものはいない。
そして、その欽定(天皇が憲法を定めた)の権威は、「朕カ祖宗ニ承クルノ大権」だという
ことであって、憲法の内容において国の行方を決定できる大権が、「朕カ祖宗ニ承クルノ
大権」の基づくとは、書いていない。
で、その論証は
帝国議会ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効
ナラシムルノ期トスヘシ
将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ
子孫ハ発議ノ権ヲ執リ
之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民
ハ 敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
で、大体の意訳は
「帝国議会を召集するから、議会開会のときをして、この憲法が有効になるときとすべし。
将来、会見する必要が発生すれば、天皇が発議し、議会に付し、議会は憲法の定める要件
により議決する。その他の方法で、天皇も国民も、紛更(かきみだして改めること。)を試みて
はならない。」
と、議会による改憲を明示している。(発議は天皇だが・・・。)
これが、現代の視点で十分な国民主権となっていないということに、誰も異を唱えないだろうし
私が主張している通り、最終決定者という意味での主権者は誰ということになれば、
欽定憲法であるし、誰が主権者である明記がない中では、ご聖断は有効であり
天皇であろうということに同意するものの、天皇が専制君主であるとか天皇絶対権力者で
あるという主張には、真っ向方対立するものである。
そうすると、過去の反省(過去を省みる:返り見る)は、天皇主権国家だったという
明治憲法の把握では、的をはずし、結果として、マトモな反省ができない。
立憲君主制であり、行政府が存し議会が存在する中で、天皇も立憲君主としての
立場を維持しようとし、実際に二度のご聖断以外に、ご自身の判断の言うものを
直接国政とすることはなかった中で、軍部が暴走し、最終的に壊滅的打撃を
こうむったという事実の原因を、どこに求めればいいのかの冷静な議論が、反省となり
そういった轍を踏まないシステム構築の実現できるのだろうと思う。
それで、まず、天皇が欽定憲法を発布した権威者であることについては、
これを不当とすることは無茶な議論である。
江戸時代、徳川という主権者が存在していたわけだが、主権者交代について
これが無血革命であったとしても武力革命だったとしても、主権者が交代した
事は有効とせざるを得ないのだし、その交代を勝ち取った中心的な勢力が
少なくとも新しい国家の権威(統治の体)をとして、天皇を選択したわけだし
憲法を始めて発布する権威の主体が天皇であり、その根拠を、皇祖からの継承
と捉えることは、当然の流れである。
なんせ初めての憲法というものの交付には、従わせる権威というものが
必要なんだから。(議会の権威は憲法に由来するから、議会自体がない)
大政奉還によって明治政府の正当性は確立しているよね。
易姓革命の中国なんかと違うところだ。
>>102 おっしゃるとおりで、大陸における易姓革命の内容たるや、すべて武力による
放伐でしかなく、禅譲は伝説的に変わられるに過ぎないというのが実体ですから
武力による権威以外は存在できなかった・・・それを天の命と正当化するしかない
・・・前為政者の不徳(人民を顧ず、贅をほしいままにし、傾城に狂いあるいは酒池肉林
にふけるなど)が、新政権の正当性でしかない・・・そのように喧伝する。
日本人としては、たとえ悪政をひいた為政者でも、死者に鞭は打たないから、民族的な
文化の差から、そのような大陸における行為には、相当違和感がありますね。
その、前為政者の怨念を恐れますな、日本人は。
>>97 >約してみな。
下品な
(祖宗の威光を受けた私は、祖宗と同じく臣民の)補佐により、
(臣民と)共に国家の発展をたすけることを望むから
国家の下に祖宗の大権を継いだ天皇がいて、昔同様それを助ける臣民がおり
(祖宗祖先がやったと同じように)君臣共々国家を発展させることを望むと。
ご先祖様のやっていた通りにするのが正しいのだと。
>>天皇が祖宗から受け継いだ大権を率由するということ
>そんな事は何処にも書いていない。「大憲」の意味も解らんのか
書き方が短絡的に過ぎたな。
天皇が祖宗から受け継いだ大権を[行使にするのに、祖宗と同やり口を
大憲として定め、この決まりを自身も]率由するということ。
昔々のご先祖様のやり方に従った決りをつくり、自身もこれに従うのだから
臣民も祖先が祖宗に従ったように、この決まりに従えと。
>現在の法学も、当時のそれも、そんなのを『憲法』とは呼ばないからな。
帝国憲法の実質的な仕組みはそうなっているようだが。
106 :
右や左の名無し様:03/10/07 13:54 ID:zhueS7YL
■■■ 田中康夫はインチ知事だ ■■■
マスコミにない情報満載 田中康夫が恐れをなし、リンク拒否する「田中県政追撃コラム」
http://members.goo.ne.jp/home/tuigeki 世間では、田中康夫を改革派だの市民派だのって言ってるけど、あんなのぜんぜんインチキ、まるでダメ。
一ツ橋大学時代は学内誌の部費数百万円を横領して停学喰らい就職もフイ。プ〜タローしているときに書いた
小説がたまたま、文藝賞の「なんとなくクリスタル」。ところが、受賞騒ぎで横領事件が世間にバレルのでは?
と受賞辞退までしていた、なんて知ってた?
私は昔ロッキード事件なんてのを取材したこともある元記者で、こんな質問を会見で訊いたけどバックレ
られちゃって田中康夫の正体モロ見え。
この有様、長野県HP
http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/20011228n.htm で確認できます。
今やってるのはメルマガだけど取材のほうはバッチリでマスコ゛ミの上を行く情報沢山出してます。
マスコミって言ったって、長野県辺りにいる連中はオイラから見れば出来の悪い大学生ぐらいにしか見え
ないんだけど、やってることは目茶苦茶でこんなんでよく・・・と今更ながら思う今日この頃。
うわべだけの田中康夫と、程度の低い新聞印刷会社の文案係が織り成す、ドタバタ長野県政物語を読
みたい方は読者登録の上お読みください、なんてね。
>>104 >(祖宗祖先がやったと同じように)
>昔々のご先祖様のやり方に従った決りをつくり、
という所に拘りがあるようだけど、どこの文章から、それを持ち出してきているん?
また読み違いじゃない?
108 :
保守を考える:03/10/07 18:06 ID:34ntsxQc
ついでに
>ご先祖様のやっていた通りにするのが正しいのだと。
こんな訳では、次の接続詞「乃チ」が成り立たない。
つまり、日本語ではないな。
まあ、あの一文のキーワードは「与倶」だからね。出展は諸葛亮伝だけど・・・。
>帝国憲法の実質的な仕組みはそうなっているようだが。
どこが???
109 :
保守を考える:03/10/07 18:08 ID:34ntsxQc
もう一つ
>天皇が祖宗から受け継いだ大権を[行使にするのに、祖宗と同やり口を
>大憲として定め、この決まりを自身も]率由するということ。
若しかして、キミは旧憲法は明治天皇が「起草」したと思い込んでいるのかなぁ?
>>108 保守考氏
>>90-91感謝。
まぁ、こうやって、頓珍漢君も含めて、とにかく明治憲法を徹底的に、あることないこと、
検証せず批判し、天皇を批判し、戦前の行政や軍部を批判していれば、それが正しい
と思い込む思考というのは、どのあたりから発生してくるのかということです。
まさに
>>103で書いた天命思想に似通っています。戦争に負けたのは、
戦争を行うに不徳があったからだ、という宗教的な思い込みなのです。
因果応報という宗教的観念に他ならない。
戦争に負けて、国民が多数犠牲になり、善良な下級兵士が犠牲になり、アジアの
多くの人民が犠牲になったのは、敗北した日本の不徳が原因である。
きっと「善からぬ企み」「私利私欲に走った姦計」「人民への圧制」が有ったに違いない
と、全く検証もせず、思い込むところから始まっているんでしょう。
現実社会ですから、そういった良くない意図というものも合っただろうけれども、それが
原因で負けたと思い込むのは、因果応報・天命思想・至誠は天に通じるという、宗教的
観念であることを、分からないんでしょうね。
実は、勧善懲悪の時代劇でしか出てこないそんな観念と現実社会は違うのであって
悲しいかな善人が交通事故や戦争で死ぬし、無辜の民衆がテロで死亡するのが、
現実です。本来的には、米国を憎まなければならないことも多数有るんだけれども、
自由と平和と民主主義を与えてくれた米国を批判できず、その反動で、誰か非難する
対象を探して、過去の日本人を見つけたということでも有りましょう。
では、そうやって過去の日本人を非難することが、正しい反省かといえば、全く違う
ことは、近年の道徳の荒廃が物語っている通りなのですが、なにせ自分は悪くない
という保身とつながっていますから、大人や社会・政治家のせいにする。
甘えているんですね。
で、私は、統帥権の拡大解釈から、軍部の暴走というものが始まったとは
思っているし、それが国民や天皇の意思と乖離していたと判断はしていますが
その意図において、果たして、愚劣とか悪辣な意図が合ったのかといえば、それも
疑問なわけです。
侵略の意図だといって非難するのは簡単でしょうけれども、では、軍部において
中国大陸を侵略することが、彼ら自身のどんな得になるのか、といえば、直接的に
軍部が利権を把握していたわけでもないでしょうし、天皇や政府の意向に逆らってまで
何の得があったのかといえば不明です。
たしかに、世界各国、列強と同じように、侵略についての罪悪感というものは現代よりも
はるかに希薄でしょう。しかし、彼らにおいて、どのような動機が、大陸・満州への
道となったのかといえば、国民の財産(投下したインフラも含めて)生命の確保、
だったんじゃないかと思います。でそして、天皇や国民との乖離は、やはり英霊に対する
責務という心情が原因ではなかったのかなぁ、と思うわけです。
いかがでしょうか。(はっきり言うと、このあたりの詳細な歴史には詳しくないので・・・まあ
どの時代も詳しくはないのですが・・・。) では明日。
112 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/07 19:34 ID:35goPvcH
>>95 国民主権を自然権としての社会参加権と切り離し、抽象的な主権論として理解
すれば事実上の逆行と言える。国民主権の意義は、民衆の社会参加を当然とし、
民意を具体的に国政に反映すべきことを目的とする理念だ。この点で、主権の所在を
民衆の社会参加権と無関係とする天皇主権と国民主権は似て非なる別物だ。これを
理解しないと君主主権に対する国民主権からの批判が理解できん。天皇主権も
国民主権も(民主的)政治制度として本質的違いがないとする考え方は、
「民衆の社会参加権」の重要性に対する理解が薄いと言わざるをえまい(藁
戦前に対する主権論的批判は、民衆の社会参加権と主権概念の関連性が希薄な点
において加えられるべきだ。国民主権においては、民衆の政治参加の確保と言う
具体的目標があるから、普通選挙実施や非民選議会の廃止、行政機関に対する政治機関
による統制とかの考え方がでてくる。この点で戦前の国家制度は、個人の社会参加権
とは関係の薄い主権概念によって国政が組み立てられていた。だから普通選挙にも
消極的だったし、民選議会の優越に関しても積極的とは言えなかった。民選政治部門
による行政への統制も不十分なものにしかならなかった。それが軍部や重臣などの
非民選国家機関による専権政治を蔓延らせ、民主的なチェックの甘いバランスを
欠いた政治体制を現出する原因となった。それを指して現代人は、「天皇主権」と
呼称して批判するのだろう(藁
民衆の社会参加権を生来的なものとみず、民選国家機関による非民選国家機関
に対する統制を当然としなかった戦前の体制は、現代の国民主権下の制度とは似て
非なる国家体制と言わざるをえまい。戦前の議会制などの一見民主的と見える
諸制度も民衆の社会参加権に理論的基礎を置くものではないのだから、単に外づらが
似ているだけのインチキ民主制と評するしかあるまい(藁
113 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/07 19:36 ID:35goPvcH
そのような国家体制を持った国の主権論を指して「天皇主権」と呼称するかは
ともかく、民主主義的視点から見れば間違った理念・制度であったことは事実だ。
戦前に現代的意味での民主主義は存在しなかったのであり、戦前にも民主主義は
あったと言うのは、民主主義の本質を知らないアホウの戯言である。真の民主主義
とは、個々人に生来的に備わる社会参加権に正当性の源を発する概念であり、それを
制度化したものが真の民主的諸制度である。個々人の社会参加権に不十分な地位しか
与えない議会制などの諸制度は、民主主義とは似て非なる偽造品にすぎない。
しかし、下等で下劣な政治体制の一切の責任を天皇自身に負わせると言うのは妥当
ではない。なぜなら天皇は、下等で下劣な政治体制の歯車として置かれていただけなの
だから。もし、天皇が権力者のロボットであることをやめれば、ヒロヒトの言にも
あるように軍部等に殺されていたかもしれない。幕末の孝明帝のように(藁
だが国家体制として「天皇」が国家元首として位置づけられ、国家権力の象徴として
利用されてきた以上、天皇無責任が通用するのは戦前の傀儡天皇制のカラクリを
知っている人間だけだろう。天皇の権威に幻惑され、戦前の国家体制を受忍させられ
てきた民衆やその子孫に、天皇は実は時の権力者のロボットだったから、天皇主権
ではないと言って通用するものではない。天皇にさんざん幻惑されてきた民衆に、
手のヒラを返すように、実は天皇には何の神性も権力もないと言うのはペテン以外
のなにものでもない。
たとえ道具であったとしても、その道具が悪の目的に使われたのであれば批判される
ことがある。いわば、天皇は無辜の市民を大量殺戮した「原爆」のごとき邪悪な存在
である。例えそれが単なる道具にすぎないとしても、それによって有形無形の被害を
被った民衆に「道具にすぎず悪ではない」との論理が通用すると思ったら大間違いだ。
論理的に言えば、天皇主権に基く天皇の責任論は間違った意見だが、天皇主権まがいの
主張で戦前の民衆をタブラカシていた事実に鑑みれば、そのような主張がでてくるのも
当然と言うところだ。我々が同じ過ちを再度繰り返さないためにも、「天皇が内閣の
ロボットにすぎない」と言う厳然たる事実は強調されてしすぎることはないのだ(藁
114 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/07 20:22 ID:35goPvcH
>>111 >で、私は、統帥権の拡大解釈から、軍部の暴走というものが始まったとは
>思っているし、それが国民や天皇の意思と乖離していたと判断はしていますが
>その意図において、果たして、愚劣とか悪辣な意図が合ったのかといえば、それも
>疑問なわけです。
処刑された犯罪者東条とまったく同一の発想。明治簒奪体制が破綻したのは、
統帥権が単に独立していたとか、そう言った些末な問題ではない。明治簒奪体制や
明治簒奪憲法、明治簒奪天皇制が、根本的に天の道理に基かない間違った体制だった
から破綻すべくして破綻したのだ(藁
そもそも政治は、結果責任である。結果が間違っていれば、それを決定した為政者は
指弾されなければならない。それが民衆を先導する政治家の最低限のルールである。
結果に耐えられないのであれば、そもそも政治運営に携わるべきではないのだ(藁
国家破綻に至る当時の為政者の失政は、彼らが民衆の不満を内政改革で解消せず、
安易な選択肢として、戦争による民衆の不満の解消を求めたことだ。対外的な戦争は、
国内的に統一した世論を生み出し、民衆の不満を一時的に抑える効果を持つが、
それは一時的なものにすぎない。社会に根本的な矛盾があり、それが民衆の不満の
源泉である以上、それを緩和する措置を為政者が取れないのであれば、戦争は
体制破綻を先延ばしにするだけである。
115 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/07 20:24 ID:35goPvcH
社会が混乱している時に、為政者に求められている政治運営は、社会を混乱させて
いる根本的な原因を除去することである。それができなければ、やがて民衆の怨嗟を
一身にあび新しい為政者に取替えられるだけである。実際に中世日本では、失政を
行なった源将軍家や北条得宗家などの為政者は、一族皆殺しにされているのである。
これこそが、日本の古きよき伝統である(藁
いつの時代でも、民衆は直接的に政治に携わることはできない。だからこそ、
政治運営を行なう為政者は、民衆にとって受け入れ難い政治を行なうことは、
ゆるされないのだ。政治に携われない民衆にかわって、為政者を民衆に奉仕させる
観念こそが、天命であり道理である。もし、為政者が天命や道理と言うものを恐れ
なければ、もはや糸の切れたタコのごときものであり失政を行なって自滅することは
目に見えている。天命思想を受け入れず、「天皇」などと言う土人のインチキ生き神を
担ぎ出したこと自体が、すべての間違いのはじまりであったのだ(藁
政治とは、結果責任である。王たる者が王たらねばマツリコトは正しく行なわれない。
民衆の押す王たる者を王とせず、インチキ生き神から権威を付与された偽王を為政者に
選択する政治体制を取り、民衆の真に望む天命とは何かを考えなかったからこそ
明治簒奪政権は自滅したのである(藁
116 :
右や左の名無し様:03/10/07 20:40 ID:pnKTWDK7
今頃、裕仁は血の池地獄でのた打ち回っている。
117 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/07 20:45 ID:35goPvcH
>>116 大元帥として無辜の民をいたずらに殺した殺生罪だから、醍醐帝と同じ等活地獄だろ。
まあ、地獄に落ちるのが怖かったから明治になって天皇家は棄教したわけだが(藁
ヒロヒトを獄卒や鬼どもがさんざんに罵り、剣や槍で突き刺し炎であぶる
↓
焼かれたヒロヒトの死骸は、もはや人間のかたちの原形もとどめていない
↓
灰を獄卒どもが足で蹴飛ばし集めていると、また人間のかたちらしき塊ができる
↓
生き返って意識がもどる
↓
また最初から鬼や獄卒にいぢめられる。これが永久に繰り返し
118 :
あやスイあジュま人:03/10/07 21:56 ID:e2UvY8B9
A級戦犯(炎地獄) ルーズベル都 戸ルーマン スター鈴
B級戦犯(血の池地獄) 蒋介咳 真っ赤サー
終戦時の火事場泥棒(針千本) 李小万
119 :
アスカ@忠君愛国:03/10/07 22:54 ID:q3YfbMi8
>>81 >無答責ナ主権者などありえないと言うような意味ではないかと思う。
これは八木氏の見解を誤解しているのではないでしょうか。
八木氏の主張は、天皇無答責→大臣責任制→したがって立憲君主制
ということ。
主権とは元来無制約なものだから、「主権者」は無答責に決まっています。
君主が無答責で大臣責任制を欠けば、それは絶対主義。
君主が無答責で大臣責任制なら、それはたぶん立憲君主制。
「責任政治の原則」は立憲主義の重要な要素。
天皇主権についての議論が続くのなら、アタシも参加させていただきたいのですが、
れさんが主権をどのように理解しておられるのかいまひとつ分からないので、
>>24 >で私は保守考氏との議論の中で、明治憲法期はやはり天皇主権であった
>という意見であり、このあたりは保守考氏と対立している部分である。
↑このあたりのやりとりが過去スレのどのあたりにあるのか教えて
いただきたいのですが。
120 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/07 23:23 ID:gwqYmfE8
>>119 > 君主が無答責で大臣責任制を欠けば、それは絶対主義。
>君主が無答責で大臣責任制なら、それはたぶん立憲君主制。
>「責任政治の原則」は立憲主義の重要な要素。
立憲君主制を採用したとしても、個人の社会参加権と言うものを前国家的な
権利として承認しなければ、現憲法下の国民主権の考え方とは、ことなった理念
政治体制となるだろう。
戦前の政治体制と戦後の政治体制は、この点において根本的に異なる。
「責任政治の原則」が守られたとしても、為政者の責任が社会参加権を十分に
保障された民衆に向けられたものでなければ意味がない。
理念的に言えば、個人が生来的に持つ自己統治の延長線上に参政権と言うものは
位置づけられるのであり、為政者の責任が個人の参政権によって担保されたもので
なければ、現代的意味での「責任政治の原則」は実質的に担保されているとは
いえんだろう。
その意味で言えば、「君主が無答責で大臣責任制なら立憲主義」とは、
単純に言えないわけで、「民衆の社会参加権の保障が確保されていない社会は、
すべて憲法を持つものではない」とのテーゼが生きてくる罠(藁
121 :
保守を考える:03/10/07 23:32 ID:mPpTbo79
>れ氏
>>111 いやいや、私の方こそ、先の大戦を総括するには、スレの一個や二個で収まる事が
出来るほど、その表現力や見識に富んでる訳ではありません。
例えば、数ある陸軍・海軍史を全て紐解いているわけではありませんし、当時の日本と
他国の戦略・戦術の実際的内容を把握しきれている訳でもありませんし。
しかし、幾分か、あの時代の研鑽も試みている次第でありますので、答えられる範囲で
微力を尽くすとしましょう。
れ氏の感慨は大筋で間違いはないと心得ますが、果たして国民の意思はどうだったのか、
私としては、非常に疑問におもうわけでして、確かに今の価値観で、事の善悪を測るのは
あやしい氏のような愚か者の為す業だとしても
例えば、日比谷焼き討ち事件はちょっと古いとして
幣原外相をして軟弱外交と騒いだり、226事件で青年将校に同情してみたり、反共を叫んだり、
又は、米国等からの直接的苦痛(例えば、排日移民法、屑鉄の全面禁輸やABCD包囲網)を受け、
当時の国民がそれを黙って受け入れたとは、到底いいがたいし、まして、全面戦争を戦うに際して
多かれ少なかれ、強制なるものがあったとしても、やはり、前線の兵や銃後の士気は
高かったわけです。さらに云えば、田原総一朗の「日本の戦争」にも日米開戦に於ける
あらましが詳述されていますので、やはり、国民は先の戦争に反意を示した訳では無かった。
になるでしょうか・・・・。
また、「満蒙は日本の生命線」とは松岡洋右の有名な台詞ですが、この言を当時の
奉天総領事である吉田茂も「対満政策私見」で同義の事を述べています。
そして、これを実際に成し遂げたのが石原莞爾なのですが、かの有名な言葉
「国防は政治に先行する。」を見逃す事は出来ません。
(あー、やっぱり長くなってしまうなぁ〜。)
まあ、この件に関してキーワードとなるのは、
国防、資源、共産主義、帝国(植民地)主義、資本主義、ギルド社会主義、全面戦争、
世界的規模の外交(国際連盟含む)支那に於ける群雄割拠、統制派、皇道派、・・・・
あー、やっぱいっぱいあって収拾がつきませんな・・・。
122 :
保守を考える:03/10/07 23:48 ID:mPpTbo79
>あやしい氏
ちょっと今日は疲れていて、非常にタルイのだが
>>112-115 例えばモンテスキューはさあ、人民の政治参加権なんて、選挙権だけにしとけや。って云ってるわけ。
人民の意志を尊重してそれに伴う政治体制をしたら、オルテガの予言通りになっただろ。
だいたい、そんな事はマディソンだって、「フェデラリスト」で看破しているし、今も米国では
当然支持されている、民衆のフィバー概念だって。こんなのは主権論争の基礎なわけで
今更、君がプープル主権論を唱えたって、最早、そりゃあ死語だって・・・・。
また、国民主権については、前スレで「れ」氏に
「 民主主義は、基本的には直接的な民意を求めることが、正しいという方向に流れる。
であるならば、今日的な情報社会において、議会も必要ないし、内閣もその都度
直接的な民意を把握し政治を行えばよいということになろう。
しかし、日本においては(他国も多少は)議論の有効性を、より良好な結果が出るで
あろうという期待として持ち合わせている。
他国とに比較は、別の機会に譲るとして、内閣は閣内の議論・行政担当者(官僚)
との議論、議会との議論により、その決断が変更されることを予定しているといえる。
変更される可能性がある状況下にある(議会の承認を得ていないなどの)内閣の
意思というものは、国民の意思ではない。したがって、
>非民選の吏員にすぎない天皇は、民衆の意を受けた内閣の意思に逆らうことが
>許されないのは、小学生でもわかる当たり前のことだ罠(藁
は大爆笑という「爆」の意味で、爆論である。貴殿論述によれば、議会も何も必要ない。
そんな国はおらいやだ〜〜!。」
と、既にロンパされているのに・・・・。
123 :
保守を考える:03/10/08 00:02 ID:B7udcl1l
あとは、得意の捏造アズマ史観なので、反論するのもアホらしいが・・・簡単に・・・。
>天皇が権力者のロボットであることをやめれば、ヒロヒトの言にも
>あるように軍部等に殺されていたかもしれない。幕末の孝明帝のように(藁
単なる思い込み。まずは独白録あたりから読んでみれば。
孝明天皇毒殺説に至っては、小学生用のトンデモ本でも真に受けているかのような
インチキ科学者やな。
>天皇が内閣のロボットにすぎない
まだ逝ってるよ。そんな法的根拠は無いとあれほど説明してやったのに・・・・。
>明治簒奪体制や
>明治簒奪憲法、明治簒奪天皇制が、根本的に天の道理に基かない間違った体制だった
>から破綻すべくして破綻したのだ
須らく意味不明。だいたい、「天の道理」ってなのこっちゃ???
また、破綻したのは、戦争に負けたからであって、
ミッドウェイで勝っていたら早期講和も出来たという「If」もあるのだが・・・まあIfだけど・・・
>源将軍家や北条得宗家などの為政者は、一族皆殺しにされているのである。
一族?
そんな事実はないな。竹御所や中先代の乱をしらんらしい・・・。(アズマってもっと東かしら)
>これこそが、日本の古きよき伝統である
オイオイって・・・。
あーやっぱ。もうタリーから寝る。
お休み。
124 :
保守を考える:03/10/08 00:06 ID:eOctHLdw
気になったので、一言。
>>119 >このあたりのやりとりが過去スレのどのあたりにあるのか教えて
P7〜P8
議論の参加はどうぞ歓迎しますので、忌憚なく述べて下さい。
では、おやすみなさい。
125 :
アスカ@忠君愛国:03/10/08 00:08 ID:/tFenATB
ぁゃιぃアズマ人さん、はじめまして。
えーと、
>>93あたりにもちょっと言いたいこともあるのですが、
まずは「個人の社会参加権」の意味を伺いたいです。
これは「個人が国政に参加する権利」と同義なのでしょうか?
だとしたら、それは「前国家的な権利」とはとうていいえないと
思うのですが。国家のないところで「国政に参加させろ(゚Д゚)ゴルァ!」
などといっても無意味ですから。
それとも何か別の意味があるのでしょうか?
(ヘーゲルなんか持ち出されてもアタシわかんないですけどw)
>為政者の責任が個人の参政権によって担保されたもので
>なければ、現代的意味での「責任政治の原則」は実質的に
>担保されているとはいえんだろう。
いまいち意味が分かりません。
為政者が君主ではなく国民に対して責任を負う形が、現代的な
「責任政治の原則」である、というのならその通りだと思います。
>「君主が無答責で大臣責任制なら立憲主義」とは、
>単純に言えないわけで、「民衆の社会参加権の保障が確保されて
>いない社会は、すべて憲法を持つものではない」とのテーゼが生きてくる罠(藁
あはは、おもしろい憲法の定義ねー。
126 :
アスカ@忠君愛国:03/10/08 00:12 ID:/tFenATB
>>124 ありがとうございます。でも読めないようです゚゚(´□`。)°゚。
127 :
保守を考える :03/10/08 00:20 ID:eOctHLdw
おやすみ前に、もう一言
>>125 あのテーゼは捏造だからね。
【フランス人権宣言】
第16条(権利の保障と権力分立)
権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。
>>126 では、新規にやりますか?
128 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/08 00:54 ID:Gi8rUoj4
>>122 治者と被治者の同一性が虚構にすぎないとしても、民意によって社会の安定が
はかられている社会実体が存在するかぎりにおいては、民意を一定レベルで
国政に反映させる必要がある。そのような回路が確保されていなければ、
社会矛盾や民衆の不満は増大し、許容量に達した段階で血なまぐさい政権交代
とそれに伴う社会混乱を将来しかねない。
そのように国政の安定的運営にとって不可欠な民意の反映を制度的に担保する
必要があるわけで、さらにそのような制度に対して理論的な根拠が必要になってくる。
理論的な根拠を提供するものこそが、個人に生来的に備わった社会参加権に基礎
づけられた国民主権と言うイデオロギーなんだろ(藁
社会参加権や国民主権を理論的な根拠として持ち出さなければ、民意を国政に
反映させ社会不安を解消する装置を理論的に担保しえないことになる。これでは
多数決による民主的回路の制限を理論的に可能にするものになってしまう。
故に、民意を適切に国政に反映させる社会システムは、多数決の例外事項として
理論的に基礎付けられる必要があるのだ。(藁
これらの社会システムは、ガス抜きにすぎないが政治的に意味のないものではない。
民意がすべて国政に反映されなければならないと言うのは、現実的でないし望ましい
ことでもないが、民意が一定レベルで国政に反映され為政者の恣意を掣肘することは
重要なことである。そのためにこそ、生来的不可侵な社会参加権から演繹された
国民主権と言う理念によって、民主的制度は担保されなければらないのだ(藁
129 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/08 01:12 ID:Gi8rUoj4
>>125 >まずは「個人の社会参加権」の意味を伺いたいです。
>これは「個人が国政に参加する権利」と同義なのでしょうか?
>だとしたら、それは「前国家的な権利」とはとうていいえないと思うのですが。
個人には自己の生き方を自分で決める権利がある。社会の構成員である個々人
の意図を無視して社会が運営された場合、それでは個人が自己の生き方を自分で
決める権利が阻害されたこととなる。そこでなんらかの形で、社会の構成員たる
個々人が社会運営に参与する権利があたえられるべきとの結論が導かれる(藁
「個人が自己の生き方を自分で決める権利がある」との延長線上に、個人の
社会参加権が位置づけられる以上、社会成立以前に「社会(運営)参加権」は、
個人に生来的に内在していると言うべきだ罠。その意味で社会参加権は、
「前国家的な権利」と言いうるのである。OK?(藁
>為政者が君主ではなく国民に対して責任を負う形が、現代的な
>「責任政治の原則」である、というのならその通りだと思います。
これはそのとおり、責任政治とは社会の構成員に対して責任を負うことを
意味し、さらにそれが担保されるためには為政者の政治責任が民意によって、
実体的に検証され審判される政治制度によって担保されていなければならない。
戦前の日本の体制のように人権保障が不十分であったり、議会制民主主義が
国民主権の原理によらない社会では、外見立憲主義と言う言葉に示されるように、
立憲主義に外面だけで似た、似て非なる制度と評することができる。
そのような政治制度を指して、立憲君主制と評してもそれは「外見立憲君主制」
であって、立憲主義とはよべんだろ(藁
130 :
アスカ@忠君愛国:03/10/08 02:49 ID:/tFenATB
>>129 >個人には自己の生き方を自分で決める権利がある。社会の構成員である個々人
>の意図を無視して社会が運営された場合、それでは個人が自己の生き方を自分で
>決める権利が阻害されたこととなる。そこでなんらかの形で、社会の構成員たる
>個々人が社会運営に参与する権利があたえられるべきとの結論が導かれる(藁
「社会の構成員」であってはじめて「あたえられる」わけでしょう?この言い方からして
「前国家的」とか「生得的」権利とは思えませんが。社会契約説の論者もさすがに
「自然状態において人は政治参加の権利を持つ」とはいわないと思うのですが。
>議会制民主主義が国民主権の原理によらない社会
アメリカやイギリスはどうなるのでしょうね。
「立憲主義」の最大公約数的定義は「人民支配を政府の恣意にゆだねず、それに
なんらかの抑制をもうける体制」。もう少し限定してもいいと思いますが、とりあえず
それは「制限された政治」であって、そこには専制政治はないわけです。
「主権」は本来「唯一・絶対・不可分・不可譲」の権力。従って立憲主義とは明らかに
矛盾する。17世紀フランスにとっては必要だったかも知れませんが、既に歴史的な
役割を終えた概念だと考えます。(対外主権は別)
「主権」の定義を変え、その絶対性を緩和しようとする人もいるようですが、それならば、
いっそ「主権」という言葉を使わずに別の言葉で「制限された主権」を語るべきでしょう。
大日本帝国憲法についても、そこに「主権」の概念が登場しない以上、主権の所在を
云々しても無意味。「天皇主権」は悪意に基づく比喩に過ぎない、というのがアタシの
立場です。
>>127 >では、新規にやりますか?
え?ほんとですか?そうしていただければアタシとしては大変うれしいです。
一種「倒錯したマニアの世界」wになっている、このスレが、である。
「神聖不可侵」を「君主無当責」と解することは、憲法学的にはさほど異論は少ないだろうが、「天皇主権」を否定するとなると、これはもう「倒錯したマニアの世界」である。
ま、中学や高校の歴史教科書でも、旧憲法下の天皇主権を否定したものは、まずないw
ここにおられる天皇マニアらが、信念を曲げずに受験されれば、おそらく入れる大学はなかろうw
いずれにしても、あらゆる学問の世界でも、あらゆる論点において、正論に対して異論はある。
例えば、いまだに天動説を唱える学者もいるそうだし、先日、驚いたのは朝鮮戦争の発端が『韓国の「北」への侵略』とするトンデモ説の学者もいるというw
しかし、異論を、ましてや異論にも満たない天動説的、マニアックなおハナシを、正論であるかのように主張されるのは、いくら2チャンとはいえ慎むべきではないかw
まぁ、正論派も、乗せられてマトモに議論されないほうがよいよーなw
ところで、「神聖不可侵」を「君主無当責」と解することが、天皇の文字通りの「神聖」すなわち「神性」を否定することにはならない。
井上清氏は、君主無当責と神性の付与、両者の意義の存在を主張している。
旧国民の生活実態として、「天皇の神性」が一般国民に浸透していたことは、井上清氏らの指摘を待つまでもなく、史実に見るとおりである。
では、また。
「旧憲法下の天皇制の基本原則(天皇統治の原則)は、
(1)天皇は統治権(主権)を「総攬」(総括保持)し、大日本帝国を統治すること。
(2)天皇の地位の根拠は「万世一系」(旧1 条)の皇統にあり、その根源は究極的
には天孫降臨の神勅(日本書紀・古事記)にさかのぼるものであること。
(3)したがって天皇は神格すなわち現人神たる性格を有し、政治上・道徳上の絶対
的権威を有するものであり、臣民はこのような天皇の統治に絶対的に服従する地位に
あることなどに存した。
これに対して日本国憲法においては)天皇制の基本原則は、次の諸原則であり、それ
らはいずれも前期の旧天皇制の基本原則を否定したものである。
(1)天皇はもはや統治権(主権)の総攬(総括保持)するものではない。主権は国民
に存する。
(2)天皇は世襲によってその地位につくものではあるが、その地位の根拠は「万世
一系」の皇統にあるのではなく、「主権の存する日本国民の総意に基く」。
(3)右の第二の原則の結果として、もはや天皇は神格性(現人神たる性格)を有する
ものではない。
(4)第一の原則の結果として、天皇は主権の行使から遮断され、「国政に関する権
能」を有しない。
(5)以上の四つの原則の下において、天皇は「象徴」たる地位にある。
すなわち、天皇は日本国および日本国民統合の「象徴」であるとされているが、
この「象徴」という文字は、以上の四つの原則の下における天皇の地位を表現
するものとして用いられているのである。
「憲法上 (佐藤功)」
133 :
・・・:03/10/08 18:26 ID:???
お久であります。
「主権」・「神性」議論も懐かしゅうございます。
ところで、敢えて、>れ氏・保守考両氏にお尋ね致します。
無血クーデターとも謂われる「国体明徴に関する声明」以後における、
主権(統治権)のからみについては、どう思われますか?
陛下自身のお気持ちは別として、その後の議会・政治・国政・教育
等、御指南頂けますでしょうか?
もちろん質問者が私ですから、前出の内容を超えてお願い致します。
ただ、この質問で消えざるを得ない状況下ですので、その時はお許しを。
134 :
保守を考える:03/10/08 21:16 ID:FVLcHjpq
今日はなんだかやる気がしないので、簡単に・・・(御容赦願います。)
>あやしい氏
>>128 だいたいの反論は
>>130のあすか氏に言われてしまったので・・・。
>民意がすべて国政に反映されなければならないと言うのは、現実的でないし望ましい
>ことでもないが、民意が一定レベルで国政に反映され為政者の恣意を掣肘することは
>重要なことである。
だから、それが解っているのであれば、
>生来的不可侵な社会参加権から演繹された
>国民主権と言う理念によって、民主的制度は担保されなければらないのだ
にはならないわけだ。
そもそも、「生来的不可侵」なんて前提を認めていない私にとって、演繹など無意味であるし
その概念は、何度もいうように、『人民主権』論だって・・・。
それとまだ、何で、「衆議」概念が必要だか解っていないね。
>これでは 多数決による民主的回路の制限を理論的に可能にするものになってしまう。
そんな事では、ならんよ。
そもそも多数決をする主体(議員)は、民意から生まれたものであるであるから、
そのような詭弁は通らないし、憲法改正は国民の過半数を要する。
まあ、その基本法が無い事を攻めても無駄だよ。
衆議の理念を早く理解してね。
135 :
保守を考える:03/10/08 21:22 ID:FVLcHjpq
>>132 別にその学説の存在自体を否定出来ませんが、(正確な引用だし・・・。)
ここで議論しているのは、その内容なんですな。
上に井上清を出してる物もいるでしょ。(まあそれは、「知念」君が好きそうなネタだけど・・・。)
>したがって天皇は神格すなわち現人神たる性格を有し、政治上・道徳上の絶対
>的権威を有するものであり、臣民はこのような天皇の統治に絶対的に服従する地位に
>あることなどに存した。
この文言の意味を、歴史事実に基づいて証明してくらさい。
因みに(1)・(2)も同じなんだけど・・・。
136 :
保守を考える:03/10/08 21:26 ID:FVLcHjpq
>・・・氏
お久しぶりです。
質問の件なのですが、いまいち回答するに要領を得ません。
あなたの、知る範囲を提示していただき、その中で疑問点が残るのであればと
お願いします。
つまり、もう少し、優しい問題にして下さい。(ペコリ)
137 :
アスカ@忠君愛国:03/10/08 23:03 ID:/tFenATB
>>129 「個々人の社会に参与する権利」に基づいて成立した人民の集合体
による多数決的意思決定は、少数者の自己決定権を侵害することが
ありうる、という可能性についてどう考えるのでしょうか?
自己決定権に基づく社会参加権を行使した結果、自己決定権が制約
されてしまうとは逆説的ですよね・・・
とマジレスしようかと思ったんですけど、
>>122 >君がプープル主権を唱えたって
もしぁゃιぃアズマ人さんが、ディドロに「アイツキモイ」と評されたかの
フランスの狂人の考え方に立脚していらっしゃるのなら、何をかいわんや。
社会成立後は、「社会運営に参与する権利」以外の自由のない、
一般意志の支配する世界がそこに現出するのでしょうから、自己決定権が
制約されても何も問題はないのでしょう。
保守を考えるさん、ご指摘どうもでした。
138 :
アスカ@忠君愛国:03/10/08 23:27 ID:/tFenATB
>>132 >(1)天皇は統治権(主権)を「総攬」(総括保持)し、大日本帝国を統治すること。
>(1)天皇はもはや統治権(主権)の総攬(総括保持)するものではない。主権は国民
に存する。
このへんの発想に問題がありそうですね。
大日本帝国憲法では「天皇が統治権の総攬者」。
占領憲法では「国民に主権がある」。
ただそれだけの話なのに、「今は国民に主権がある、じゃあ昔はどこにあったんだー?
そーか天皇にあったはずだ」と無理にこじつけてしまう。
「今は国民に主権がある、しかし昔はどこにもなかった」と考えるのが自然ではないでしょうか。
主権の所在を確定しなければ明治憲法についての法律的議論や、その運用の実態について
の議論ができないわけでもないでしょう。立憲政治に主権は不要です。
139 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/09 00:14 ID:GXvrliFk
>>130 >「社会の構成員」であってはじめて「あたえられる」わけでしょう?
まず自己決定権は個人に生来的に備わった権利と考えて差し支えないわけだろ。
次に人が社会生活を営む際に、個人の自己決定権は種々の社会的制約を受けざるを
えない。しかし、無条件に個人の持つ自己決定権を社会的制約に委ねるとするのは
一方的な発想だ罠。世の中すべからく give & take だ。社会的制約に服する代償
として、種々の社会的制約を決定する衆議に参加する権利が付与されるとするのが
収支のあった発想と言うもんだろ(藁
社会参加権自体は、「社会の構成員」であってはじめて社会から「あたえられる」
二次的な権利にすぎない。しかしそれは、個人が社会の中で折り合いを付けつつ自己
実現をはかるために、自己決定権を一部放棄するかわりに社会から付与された権利と
考えるべきだろう。いわば社会参加権は、個人の持つ自己決定権の一部が(社会参加に
よって)昇華した結果生じた権利と言えよう。その意味で、社会参加権は自然権に準じた
「(前国家的性格を持った)自然権的な権利」として承認すべきだ、となるわけだ(藁
そもそも、参政権と言うものを前国家的な権利として位置づけなければ、参政権を
どのように位置づけるのだね?参政権を国家の成立を待って始めて発生する権利
として位置づけるなら、それは国家によって創設された基本権としてしか位置づけ
られない。それでは人権保障的見地からみて、はなはだ心もとない(藁
俺が参政権にそのような位置づけを主張するのは、地方自治に関する独特の立場や、
外国人地方参政権の根拠を想定しているからと言うのもある。俺が「前国家的」と言う
言葉を使う意図も、そこにあると言える。しかしより根本的には、社会参加によって
個人の自由が社会から制限を受ける代償として、個人の社会運営参加の権利を認めた方が
論理的にすっきりするし、その方がバランスが取れると思うからだ。
まあ文脈から見てこの種の論理展開は承知のこととも思うが、文句があるなら
いかようにも料理してねん(藁
140 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/09 00:15 ID:GXvrliFk
>大日本帝国憲法についても、そこに「主権」の概念が登場しない以上、主権の所在を
>云々しても無意味。「天皇主権」は悪意に基づく比喩に過ぎない
確かに主権の所在がどこにあるか議論したところで、あまり実益がないのは事実だ罠。
しかし、主権の所在に対する理論構成の仕方しだいで実益がある分野もあるだろう。
例えば、国民主権の理論構成の仕方しだいで、外国人参政権とか地方自治の中身や
評価が変わってくるんだし。
同様に国民主権に対して天皇主権と言うものを設定し、それを比較することも
必ずしも無意味とは言えない。戦前に個人の権利とは無縁の主権概念で国家構築を
行なったことにより、種々の弊害が生じたことを指摘できるのだから、それだけでも
有用な概念と言える罠(藁
国政に具体的に現れる主権が「制限された主権」であり、その意味で戦後の国民主権も
戦前の天皇主権も、国政に具体的に実現される過程においてはどちらも制限された主権
として現れると言うのは理解できる。しかし天皇主権と言う概念を持ち出して戦前の
体制を述べる場合、国民主権と対置される概念として敢えて比較対象されることを
を理解すべきだ。
国民主権が、自然権たる人権と密接な関係を持つ主権概念なのに対して、天皇主権
は、人権とは無関係の主権概念。天皇主権は、そのような「悪意」を込めた概念として
敢えて語られるべきであって、それが現代的憲法価値から見た戦前の政治体制に対する
正当な評価と言うものだろう。悪意に基いた比喩を使うのも一つの弁法だ。それを使う
ことに一定の意義があるのだから。それとも、個人の参政権に支えられ、究極的には
国民個々人から正統性を付与された国民主権と国家制度に、不満でもあるのかね?(藁
141 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/09 00:32 ID:GXvrliFk
>>137 >「個々人の社会に参与する権利」に基づいて成立した人民の集合体
>による多数決的意思決定は、少数者の自己決定権を侵害することが
>ありうる、という可能性についてどう考えるのでしょうか?
社会生活を営む上で、個人の自己決定権が社会的制約を受けるのは当然だろう。
自己決定権に淵源のある社会参加権の行使が、社会的制約の決定になり個人の
自己決定権を制約すると言うのは矛盾でもなんでもない。むしろ、社会的制約を
受ける自己決定権が抑制される可能性があるからこそ、社会参加権と言う形での
社会参加が必要になるのであり、それがなければ個人の自己決定権に対する
社会的制約の正統性は確保されないと考えるべきだろ(藁
自己決定権から出た社会参加権が、自己決定権を制約すると言うのは矛盾とも
言えるが、そもそも個人の社会参加自体が社会的制約を受け入れると言うこと
なのだから、個人の自由と社会的制約と言うものを親和的に結びつける必要がある。
社会参加権とは、社会生活のために自己決定権を一部放棄させ、その領域を集団行使
するかわりに個々人に手段行使に対する発言権を与えるための概念と考えるべきだろ(藁
142 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/09 00:45 ID:GXvrliFk
少数者の権利保護に関しては、集団行使で許される領域と許されない領域で
理解すべきだ罠。権利保護が必要な自己決定権は、集団行使が許されない領域
としてあらかじめ集団行使対象から除外されていると考えるべきだろう(藁
社会的制約も万能ではなく、個人に留保された人権領域に及ぶものではない。
個人が自由の一部分を社会生活のために、社会での集団行使の領域とするのが
社会契約のキモの部分だが、それは個人の自由すべてを無条件に、社会に譲渡
するものではない。
多数決的意思決定が少数者の自己決定権を侵害する場合、その中身が集団行使が
ゆるされる領域か、個人に留保された自由権の領域かで判断すべきで、個人に
留保された自己決定権であれば、それに対して多数決で社会的制約を加えることは
人権侵害と考えるべだ罠(藁
143 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/09 01:13 ID:Sk+kyw+R
>>134 >そもそも多数決をする主体(議員)は、民意から生まれたものであるであるから、
>そのような詭弁は通らないし、憲法改正は国民の過半数を要する。
間接民主制を民意と見ることや議会の意思を民意と見るのは一種の擬制だろ。
擬制は、あくまで擬制であって民意そのものではない。国会が民衆の選挙制限を
設けたりすることも不可能ではないのだから、その可能性はありうるわけだ。
憲法改正に際して重要になるのは、改正項目がいかなる趣旨を持つものかなわけで、
改正項目に理念の変更があるのなら、その点をきちんと議論した上で改正しないと
社会制度として安定の悪いものになる可能性がある。
社会参加権や国民主権、それに基く国家制度の理論的背景を整合性を持って
説明することは、そのために必要なことだ罠。なんの理念もなく、多数決至上主義で
ものごとを決めるのは、背骨のないフニャチンの軟体動物だ罠。
国会の意思が民衆の意思と言うはあくまで擬制であり、その背後には民意を
国政にある程度反映させることが望ましいとの価値があるのは事実だろう。
民意を全面的に国政に反映させることは不可能でも、理念に沿った形で国家意思を
形成する制度を整備しようとするところから、議会制民主主義という制度が
派生してくるのだろう(藁
制度には理念とか原理とかが必要であり、これがないと制度は漂流を始める。
民主主義体制において重要な原理にあたるものこそ、人権と関連性を持った国民主権
であり、国民主権と参政権を原理的前提としない国会の意思は正統性を失う罠(藁
>>121 >保守考氏
国民の意思との乖離という表現は、確かに大雑把過ぎるのですが、正当な手続きとしての
国民の意思をはかることなく、というと、また、手続き論になってしまいますが
まぁ、国民の意思と、天皇の意思は概ね同じようなあたりだろうという意味です。
>>131 パン・ドラ氏
久しぶりに、レスしてやるが、きちんと学者の論証までつけて、議論の俎上に載せている
内容を、
>ましてや異論にも満たない天動説的、マニアックなおハナシ
と切り捨てるところに、貴殿の狭量さが見えて、ダダッコのようだ・・・ネ。
>>138 アスカ氏
>主権の所在を確定しなければ明治憲法についての法律的議論や、その運用の実態について
>の議論ができないわけでもないでしょう。立憲政治に主権は不要です。
といわれると、そうなの?と疑問が湧きます。
主権という言葉の捉え方の問題であるというのは、全く異議のないところなんですが、
私の議論したい部分というのは、国における、ある決定というものの正当性・正統性
という視点です。
例えば現代の国民主権国家日本において、ある国の決定を正当であるおみなすため
には、国民主権であるからこその、決定のシステムに沿ったものであるかどうか、という
検証が必要なわけでしょう。
では、明治憲法期に於ける、国の意思決定の正当性は、どういった構造だったかという
ことを検証しなければならんのではないでしょうか。
ここで、終戦のご聖断を天皇がおこない、それが正当な決定であったとみなすなら
天皇主権国家であるということができるだろうし、いや単に天皇のご聖断を聞いて
御前会議メンバーが自主的に判断し、終戦にいたったという手続きなのか、いや
最終的には、議会に決定権があって、議会が承認した行政府の判断が終戦にいたった
手続き的な構成だというべきなのか・・・。こういった議論が必要なわけです。
で、明治憲法は国務大臣の副署が必要なわけで、最低限、海軍大臣と陸軍大臣の
両方の副署が必要なわけだけれども、これが対立しているという図式が、ご聖断の
必要な理由ということになるのでしょう。
そもそもは、国家の最重要課題である国家的な決定(開戦とか終戦)について、当然
一大臣の決定による奏上はできないわけで、大臣同士の意見対立というものは予測
されるはずなのに、これをシステム的に(例えば総理大臣という存在の法制化、あるいは
元老でも良いが)がされなかったことが原因とも言うべきでしょうが、とはいえ、専制でも
ないし、独裁でもない立憲君主制における主権は、明治憲法期は天皇にあったというしか
ないのではないか、とは思います。
>>132は明治憲法悪玉説で、実態の議論に耐えうるものではないとは、おもいますが。
>>143 衆議の意味について、保守考氏が指摘しているが・・・。
現在民主党が提示している「マニフェスト」なるもの、それから、良く出てくる「責任論」
、そして、日本の文化(陳腐とムッタンに言われても、どこが陳腐か言わない悪質な
印象批判は無視するとして)に関係することなので、きちんと述べておこう。
まず、原則として国民の公平な衆議による自由な決定を確保することが、国民主権に
おいて重要なことは異論がないだろう。そしてこの自由な決定には、国家システムとか
国家の行方の決定、も含まれていようことは理解できているだろう。(?)
で、衆議しなくとも全員一致なら、その方向でかまわないわけだが、対立した場合に
【従前からの主張・・・政権公約・その公約に投票した選挙民との約束】を重視するのか
【議論によって、自己の主張を変更する予定を認め、専門性にかかる検討と議論の結果
、より良い結論を出してくれるであろう期待を元に投票してくれた国民の信頼】を重視する
のかという、バランスの問題であろう。
前者をより優先するのが、一神教における契約の重視というキリスト教的価値観であり
後者を優先するのが、和を大切にし、お互い誠意を持って話し合い、譲歩できるところは
譲歩して、話し合いにより解決しようとする、日本的な価値観であろう。
今日的に見れば、情報の集約は非常に容易にできるのであるから、前者優先なら、
国民投票的な制度を充実させていけば良いわけで、衆議の必要性はなく、どちらの主張が
より正当であるか、相手の主張が矛盾に満ちているかを「討論」で相互に示し、
どちらの主張をとるか、その都度国民に問えば、より民意が把握できることになる。
イラ菅が言うとおり、白紙委任はできないのだが、かといって小泉の言うとおり、
すべてを事前に明らかにするなら、議論の必要はない。
バランスの問題なのだが、より後者に重きをおくのが日本的では有る。
衆議と討論は、そういった使い分けを私はしているのであるが、まさに衆議院では衆議を
行うべきだろうな。
ついでに、
>>132佐藤功氏の整理である、----------
「旧憲法下の天皇制の基本原則(天皇統治の原則)は、
(1)天皇は統治権(主権)を「総攬」(総括保持)し、大日本帝国を統治すること。
(2)天皇の地位の根拠は「万世一系」(旧1 条)の皇統にあり、その根源は究極的
には天孫降臨の神勅(日本書紀・古事記)にさかのぼるものであること。
(3)したがって天皇は神格すなわち現人神たる性格を有し、政治上・道徳上の絶対
的権威を有するものであり、臣民はこのような天皇の統治に絶対的に服従する地位に
あることなどに存した。
--------------
にも意見を提示しておくが、
(1)は、総攬を、「総括して保持することと」している。
広辞苑によれば、「(政事・人心などを)一手に掌握すること。」
攬は、「手にとる。とりあつめる。とりまとめる。「収攬・総攬」」であって、保持すると言う
意味はない。手偏に覧なのだから、手にとってご覧になる(把握する)と言うほどの意味
であろう。
(2)は、統治の根拠と、欽定憲法制定の権威根拠を混同しているに過ぎない。
(3)天皇が現人神であると言う主張は、皇国史観イデオロギーにおいてでてはくるが
天皇において、あるいは国家として現人神と名乗ったと言う史実は、ないように把握している。
どうも、史実に即した冷静な整理とはいえないようである。
>>138 >「今は国民に主権がある、しかし昔はどこにもなかった」と考えるのが自然ではないでしょうか。
何処にも主権が無いようなら、それは国家とは呼ばない。
ただ多くの人が何となく集まって生活している場所、地域というだけだ。
西欧人侵出以前の北米、オーストラリア、ニュージーランドのような状態だ。
>>146 >衆議しなくとも全員一致なら、その方向でかまわないわけだが、対立した場合に
>【従前からの主張・・・政権公約・その公約に投票した選挙民との約束】を重視するのか
>【議論によって、自己の主張を変更する予定を認め、専門性にかかる検討と
>議論の結果、より良い結論を出してくれるであろう期待を元に投票してくれた国民の
>信頼】を重視するのかという、バランスの問題であろう。
一党独裁でも無い限り、選ばれた者は国民の一部の意見しか代表していない。
複数党が存在すれば、衆議の場に於いて当然其々の主張は異なり対立する。
衆議は主張の対立が存在することを前提として行われる。
主張の対立が存在しない、言い換えれば複数の主張が存在しないなら
衆議そのものが不要ということになる。
国民が議員を代表として選ぶのは、他者の主張を受容れるためでは無い。
自己の主張を最大限実現してくれることを期待しているのだ。
選挙民との約束を最大限主張し、実行させるのが選ばれた者の責務だ。
衆議の結果はどうなるかと言えば、より良い(どの主張をする者にとっても主張した
ものより良い)結論にはならない。主張は平均化され何れの側にとっても
平凡で不満足なものにしかならない。
だが同時に、主張に含まれる毒も平均化され弱められることが衆議の利点なのだ。
主張を100%満たせるなどと考えてはいない。100%に出来るだけ近付けて
くれることを期待しているだけだ。
何択かの選択肢中に正解が存在するのはペーパーテストの世界だけであり
現実の世界に正解などと言うものが存在すると考えるのは純粋な阿呆だけだろう。
一神教のユダヤ教には、全員一致は否決という考え方があるのは
人には正解など選びとれないということを自覚しているからだろう。
150 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/09 18:02 ID:OCzXIPqG
>>148 >>「今は国民に主権がある、しかし昔はどこにもなかった」と考えるのが自然では
>>ないでしょうか。
>何処にも主権が無いようなら、それは国家とは呼ばない。
そりゃそうだ。主権とは、一般的に国家の政治のあり方を最終的に決める力だから、
いわば国家権力の正統性の淵源と密接な関係を持つ概念だ。
もし、戦前に主権概念がないとすれば、戦前は国家の政治のあり方を最終的に
決める力がなかったことになる。それは一種のアナーキーであって、近代国家
とは呼べん罠。まあ、アナーキーな社会が自滅するのは道理と言うものだが(藁
とまあ冗談はこのくらいにして、現体制において国家権力の正統性の根拠が究極的に
どこに求められるかと言えば、それは現実に社会を構成する個々人と言うことになる罠。
それが国民主権の意味だ。それに対して戦前の体制はそこの部分が曖昧だし、国民
個々人に国家権力の正統性の淵源があると言い切ってれないから、民主主義的な
意味合いで言えば、理念的根拠が欠けたものにならざるを得ない。それが戦前の
エセ民主主義・エセ議会制の限界だ罠(藁
151 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/09 18:02 ID:OCzXIPqG
アスカ氏の発言を善意で見れば、戦前は明確な主権がないと言うのは、理念的な
主権概念と現実政治の諸制度に顕現する主権概念の作用を混同しているんだろ。まあ、
戦前の体制をことさら擁護しようとするあま〜い願望が見え隠れするところが
頂けないが(藁
国民主権概念のミソは、民主主義とか参政権に理念的な根拠を提供していることで、
これが国民主権の存在意義だ罠。人権思想と密接な関係を持った国民主権概念が
あるからこそ、手段である民主主義的諸制度に明確な理論的根拠が与えられるわけだ。
戦前の社会制度を肯定的に見る無知蒙昧な輩は、天賦人権と国民主権・民主主義
との密接な関係の意味をわかっていないか認めたくないから、戦前は主権概念が
ないとか奇妙奇天烈なことを言ってみたり、民主主義的制度の根拠の一半を曖昧模糊
とした伝統とかに求めたがるんだろ。
結局彼らの言いたいことは、戦前も戦後も日本独自の価値に基く政治が行なわれ
ており、その視点に立てば国民主権なる概念もあまり意味を持たないと言うこと
なんだろ。しかし、彼らのいう日本独自の価値とは、明確に定義できない彼らの妄想に
すぎんからなあ。妄想を確固たる国民主権とか人権思想と言った理念と並べて議論の
ネタにしたり、あまつさえ取って替えようとするのは狂気の沙汰としか言えませんな(藁
>>147 >攬は、「手にとる。とりあつめる。とりまとめる。「収攬・総攬」」であって、保持すると言う
>意味はない。手偏に覧なのだから、手にとってご覧になる(把握する)と言うほどの意味
>であろう。
そうらん【総攬】
(政治・人心などを) 掌握して治めること。「国政を―する」 (新辞林 三省堂)
しょうあく【掌握】
物事を意のままにすること。「人心を―する」 (新辞林 三省堂)
なんか、法学に関した問題になると、突然子供じみた言い分になるなあ。
佐藤の分析は当然「実態」を論じたものではない。
その「実態」が如何なる理屈の上に成立していたかの分析である。
153 :
・・・:03/10/09 18:19 ID:???
>>136,>保守考氏
そうですね、>議会・政治・国政・教育等、が大雑把過ぎますね。
こちらこそ、>ペコリ、です。
以前にも書きましたが、機関説問題で主権云々が問題になること自体、
この前憲法自体に主権概念(観念もかな)を想定していなかったと思われますが、
この問題をきっかけに、天皇主権説に傾き、(経過は省略)政府も「国体明徴に関する声明」を
出さざるを得なかった(クーデターたる所以)ように捉えておりますが、これを契機に、
主権は天皇と解釈されたのかどうか?どうなのだろうか?という問題です。
少なくとも教育等に影響がでたことは、以前書き込んだ様な気もします。
>れ氏
姫路出身じゃないでしょうね。
その家系なら個人的に別問題でお聞きしたい事もあるのですが、
まあ、ここでは不可能か。
あっ、それと以前、八木先生とある会(たぶん、みんなの想像外ですよ)
でお会いしたのですが、御聖断は違憲かどうか云々は聞けませんでした。
正直私が忘れていたのと、全然主旨の違う場でしたので・・後悔。
154 :
保守を考える:03/10/09 18:41 ID:2p7CyP6M
なんだか、いろいろと、云いたい事があり過ぎて、困ったなぁ〜。まあ、のんびりとやりますか・・・。
まずは、『人権』について
534 名前:保守を考える :03/02/10 00:40 ID:zeOP4Mci
人権、人権と声だかに、「これは人類普遍の価値観である」とよく耳にしますが、
果たして、この権利とは、「人間」のみにあるのであって、他の動物には無いと判断します。
では、人間と、他の動物の違いはなんであるのか、と考えた時に、それは、人間が有する精神の
大きさが、他の動物に比して比べるまでもなく、大きいからと結論づければ得心がいきます。
つまり、人間はいかなる物質、いかなる生命にもない特殊的な精神という性質を有しているということです。
これが「人権」という観念を生んだ根拠だと考えています。が、
「人権は人類普遍の価値観」という見解は、つまる所、各人に「普遍的な精神」があり、
そこから派生する「普遍的な歴史」が各国にあるということでしょうか。
かつて、E・バークがその著書、「フランス革命についての省察」で、
「仏でおこり欧羅巴に広まろうとしているモノは、名誉革命以来、英で培われてきた
自由の体制に対する挑戦である」として
「人間の権利というのが、私には解らない。しかし英国人の権利と云うのならばよく解る」
と、フランス革命を批判しますが、その心理というものが、私には良く判るのです。
つまり、歴史が各国において特殊なものであるのだから、人権もまた、国家の枠組みに依らなければ
規定することは出来ないということです。
単純に考えてしまうと誤解があるかもしれませんが、ころ氏のレス等を援用して
「権利」とは「自由の可能性」を示し、それを「法によって、許容される範囲における可能性」とします。
そうしますと、あとは、その法がいかにして定まるのかという問題になります。
なんども説明していますが、「法」とは「標準化」です。
その法(人権)を神の啓示や、為政者の恣意的な判断で定めてしまっては、それこそ時代錯誤ですね。
だからこそ、歴史的な価値観において、その権利の範囲を議論し、定めていくことが望ましいと考えるのです。
155 :
保守を考える:03/10/09 18:42 ID:2p7CyP6M
あ、急用が入ったので、続きはまた後で・・・。
157 :
保守を考える:03/10/09 21:02 ID:M7llY+2U
さてさて、何度も口をすっぱくして、私が教えてあげているのに、未だ、概念を
改めない、あやしい氏の喚く『国民主権』とは、【人民主権】の間違いです。
国民主権とは、端的に言えば、「ある国家において、過去・現在・未来に帰属心を
抱く、歴史的総国民の権利」です。
人民主権においては、現在、そこの国に社会生活を営む人民の権利を指して言います。
この論理の淵源はルソーの社会契約説にありますが、それに従いますと、
「 主権は譲り渡され得ない。これと同様の理由で、主権は代表され得ない。
主権は本質上、一般意志の中に存在する。しかも、一般意志はけっして代表されることはできない
人民から選ばれた代議士は、だからといって一般意志の代表者ではないし、代表者たり得ない。
彼らは市民の使用人でしかない。彼らは何一つ決定的な取り決めをなしえない。
人民自らが承認したものでない法律はすべて無効であり、断じて法律とはいえない。
イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いである。
彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことであって、議員が選ばれるや否や、
イギリス人民は彼らの奴隷となり、無に帰してしまうのである。その選挙という自由な短期間の間に、
彼らが自由をどのように行使しているかをみれば、彼らが自由を失うのも 当然であるといえる。」ですな。
まあ、この一般意思の代表者が、ロベス・ピエールであったりヒトラーであったり、スターリンであった事は
歴史が教えているのです。
まあ、「直接民主制」なるものが、一夜にして『全体主義』に変貌することを
マディソンは「ザ・フェデラリスト」の第10編、派閥の弊害と連邦制による匡正で論証しています。
158 :
保守を考える:03/10/09 21:29 ID:M7llY+2U
で、『間接民主制』の優れたる点を、以下のように述べています。
「 輿論が、選ばれた一団の市民達(国会議員)の手を経ることによって洗練され
かつ、その視野が広げられるのである。その一団の市民達は、その賢明さのゆえに
自国の真の利益を最もよく認識し、また、その愛国心と正義心とのゆえに、一時的
或いは、偏狭な思惑によって自国の真の利益を犠牲にすることが、『極めて少ない』と
見られる。このような制度(間接民主制)の下では、、人民の代表によって表明された
公衆の声のほうが、民意表明を目的として集合した人民自身によって表明されるよりも
よりいっそう公共の善に合致することになろう。
しかしまた他方では、結果が逆になる事も考えておかなければならない。・・・〈中略〉・・
それゆえ、次におこる問題は、小さな共和国と大きな共和国のいずれが、公共の福祉の適当な保護者を
選出するに有利であるかということであるが、二つの明白な理由からして、大きな共和国の方が
有利な事は明らかである。・・・・(以下略 」
159 :
保守を考える:03/10/09 22:06 ID:j4WULfGw
>れ氏
>>144 まあ、そういう事でしたら、無理に異論を展開しても仕方ありませんが、
アスカ氏との主権論争は、しばらく静観させていただきます。
ただ、年初に説明した通り、御聖断は違憲行為(天皇も鈴木等も)であり、その決定は
最高戦争指導会議によるもの。国家としての決定は、終戦の証書を閣議で決定した事をもって
定まり、当然、各大臣の副署を伴うものであり、それは、憲法の規定通りに行われています。
ところで、井上清なる人物は、中共派として日本共産党からはみ出し、日共を
「修正主義者」と罵り、また、日共理論部から「極左教条主義者」と揶揄されていました。
ま、こんな(↓)感じの人物です。(参考までに・・・。)
「
http://www.konansoft.com/zenrin/html/inouekiyoshi.htm 」
160 :
保守を考える:03/10/09 22:19 ID:j4WULfGw
>>152 >佐藤の分析は当然「実態」を論じたものではない。
>その「実態」が如何なる理屈の上に成立していたかの分析である。
それは『分析』ではない。
分析というのであれば、
>>135に答えられるはずだが?
まあ、佐藤氏は法学者であって、歴史学者ではないから、この件の話は、
当然、「法学」ではないですな。
また、かの説のみをもって、質問に答えずに、結論を言った気になっているのであれば、
>>53と同様、単なる「教条主義」と軽蔑されるから、気を付けましょう。
161 :
アスカ@忠君愛国:03/10/09 22:55 ID:AHELWzie
>>145 これはたぶん、さんざんガイシュツのネタを、アタシのためにわざわざ
書いてくださったのね。れさん、どうもありがとう。
>国における、ある決定というものの正当性・正統性
それが立憲政治の下における政治的意思決定ならば、それに正当性
を付与するものは憲法に他なりません。
終戦時の御聖断については、天皇おん自らが輔弼抜きに政治的意思
決定をなさることを憲法が想定していない以上、超憲法的な、例外的
事態であったと思われるのですが、いかがでしょう。
大日本帝国憲法体制はここに至って完全に崩壊し、譬えて言うなら、
「法の支配」ではなく「人の支配」が顕現した、というか・・・
このような、憲法不在の例外的な事態を捉えて、「明治憲法下において
天皇に主権があった」と一般化するのはどうかと思われます。
もっとも、れさんが「主権者とは、例外状態にかんして決断を下す者である」
という、カール・シュミットの定義に従う、というのなら、それはそれで筋が
通っているとも言えますが。
>大臣同士の意見対立というものは予測されるはずなのに
以下はちょっとわかりにくいです。「権力の割拠性→裁定者は天皇」と
おっしゃりたいのでしょうか?
難しい話になりそうですが、アタシ大日本帝国憲法自体にはそんなに詳しくは
ないのです(日本史板のスレで勉強中)。『憲法義解』と美濃部『撮要(改訂版)』
はいま手元にありますので、いろいろと御教示いただければ幸いです。m(_ _)m
162 :
保守を考える:03/10/09 23:04 ID:cjhzr+Pi
>・・・氏
>>153 まあ、あの運動による政府声明は、その雑多なる学問の混乱を収拾する為のものであって
岡田内閣は当初、そのような事は学者に任せとけばよい。と一蹴するのですが、
悲しいかな、歴史の事実は、政府が学問の世界に介入してしまいました。
しかしながら、あれを起草したのも、当時、高名な学者達なのですが・・・・。
163 :
保守を考える:03/10/09 23:05 ID:cjhzr+Pi
で、あれによって、主権の存在が何処にあったのかは、やはり定まっておりませんし
政府としては、当時の社会風紀に鑑み、以下の事を記載しております。
「 惟ふに西洋の思想・学問について、一般に極端なるもの、例へば共産主義・無政府主義の如きは、
何人も容易に我が国体と相容れぬものであることに気づくのであるが、極端ならざるもの、
例へば民主主義・自由主義等については、果してそれが我が国体と合致するや否やについては
多くの注意を払はない。抑々如何にして近代西洋思想が民主主義・社会主義・共産主義・無政府主義等を
生んだかを考察するに、先に述べた如く、そこにはすべての思想の基礎となつてゐる歴史的背景があり、
而もその根柢には個人主義的人生観があることを知るのである。
西洋近代文化の根本性格は、個人を以て絶対独立自存の存在とし、一切の文化はこの個人の充実に存し、
個人が一切価値の創造者・決定者であるとするところにある。従つて個人の主観的思考を重んじ、
個人の脳裡に描くところの観念によつてのみ国家を考へ、諸般の制度を企画し、理論を構成せんとする。
かくして作られた西洋の国家学説・政治思想は、多くは、国家を以て、個人を生み、個人を超えた主体的な
存在とせず、個人の利益保護、幸福増進の手段と考へ、自由・平等・独立の個人を中心とする生活原理の
表現となつた。従つて、恣な自由解放のみを求め、奉仕といふ道徳的自由を忘れた謬れる
自由主義や民主主義が発生した。而してこの個人主義とこれに伴ふ抽象的思想の発展するところ、
必然に具体的・歴史的な国家生活は抽象的論理の蔭に見失はれ、いづれの国家も国民も一様に
国家一般乃至人間一般として考へられ、具体的な各国家及びその特性よりも、
寧ろ世界一体の国際社会、世界全体に通ずる普遍的理論の如きものが重んぜられ、
遂には国際法が国法よりも高次の規範であり、高き価値をもち、国法は寧ろこれに従属するものとするが
如き誤つた考すら発生するに至るのである。 」
164 :
保守を考える:03/10/09 23:12 ID:cjhzr+Pi
>少なくとも教育等に影響がでたことは、以前書き込んだ様な気もします。
現人神の事でしょうか?
でしたら、修身、日本史の教科書にその言葉がでたのは
昭和十八年と、激戦中の時ですね。
あの運動の時は
「 教育についても亦同様である。明治維新以後、我が国は進歩した欧米諸国の教育を参酌して、教育制度・教
授内容等の整備に努め、又自然科学はもとより精神諸科学の方面に於ても大いに西洋の学術を輸入し、以て
我が国学問の進歩と国民教育の普及とを図つて来た。五箇条の御誓文を奉体して旧来の陋習を破り、智識を
世界に求めた進取の精神は、この方面にも亦長足の進歩を促し、その成果は極めて大なるものがあつた。
併しそれと同時に個人主義思想の浸潤によつて、学問も教育も動もすれば普遍的真理といふが如き、
抽象的なもののみを目標として、理智のみの世界、歴史と具体的生活とを離れた世界に趨らんとし、
智育も徳育も知らず識らず抽象化せられた人間の自由、個人の完成を目的とする傾向を生ずるに至つた。
それと同時に又それらの学問・教育が、分化し専門化して漸く綜合統一を欠き、具体性を失ふに至つた。
この傾向を是正するには、我が国教育の淵源たる国体の真義を明らかにし、個人主義思想と抽象的思考との
清算に努力するの外はない。 」
の影響があるやもしれませんが・・・・。
165 :
保守を考える:03/10/09 23:14 ID:hASGQegx
では、おやすみなさい。
166 :
右や左の名無し様:03/10/09 23:20 ID:E5YoYw7t
>>1 マヌー!
親の存在意義を聞くようなことすんな。
自分の存在意義もわかんクセに。
167 :
アスカ@忠君愛国:03/10/10 00:15 ID:jLVqlLku
ぁゃιぃアズマ人さん、アタシの主張は「主権なんか(゚听)イラネ」
ですよ。
アタシへの反論として
>>140 >主権の所在に対する理論構成の仕方しだいで実益がある分野
>もあるだろう。例えば、国民主権の理論構成の仕方しだいで、
>外国人参政権とか地方自治の中身や評価が変わってくるんだし。
のように、占領憲法の解釈論を持ち出されても困ります。アタシは
全然興味ありませんから。
一般論として、「主権は必要」だということを述べていただければ
伺います。
>>93 >民選議員の資格制限や任期の延長、選挙格差問題など
は、主権概念を持ち出さずとも民主制の理論や平等の問題として
解決がつくものです。
現に、R.A.ダールは『アメリカ憲法は民主的か』(杉田敦訳、岩波書店)
の中で、これらの問題を「デモクラシー」の概念のみを使って検討しています。
この本では「国民主権」はもちろん、「主権」という言葉もたぶん一度も
出てこないのではないでしょうか。
168 :
アスカ@忠君愛国:03/10/10 00:16 ID:jLVqlLku
まあぁゃιぃアズマ人さんはとうにご存じでしょうけど、
占領憲法の解釈論としても、
「・・・最近は、主権論への懐疑論も見られる。この学説は、
主権論はイギリスやアメリカではなされていないことを指摘し、
主権は憲法体制に不可欠の観念でもなければ憲法思考に
不可欠の観念でもないという。主権はその思考に呪縛された
論者が重視する観念であるにすぎないというのである
(主権という概念は精密使用に耐える剃刀ではなく、重量感で
のみ勝負しようという大型鈍刀・マサカリのようなものだとされる)。
同様に、主権という概念を憲法解釈の場で使うことが実定憲法
の理解にとって有益かを疑問とし、『主権論の魔術からの解放』
を主張する声もある。憲法改正手続、議会選挙の手続など
民主主義の問題として論じれば足りるというのである。」
(松井茂記『日本国憲法 第2版』 p135−136)
という見解があるので、一応貼っときましょうか。
占領憲法の解釈論としても、
>>93「原理的な批判を行いうる」
ような気がするだけで、なくても「批判は行いうる」、その程度の
概念だ、ということです。
169 :
右や左の名無し様:03/10/10 07:06 ID:vkOZx38q
test
>>151 アズマタン
>しかし、彼らのいう日本独自の価値とは、明確に定義できない彼らの妄想に
>すぎんからなあ
も、、、妄想???文化が異なれば、当然に価値観は変わってくるのであって、
世界同一価値観・同一基準の適用は、世界はひとつ・地球家族という幻想でしかない。
あいまいだから切り捨てる貴殿の主張は、実態を無視した怠惰でしかない。
(はっきり言うと怠け者)
>>152 じゃぁ、条文として、天皇は、何を意のままにできると、明治憲法は規定しているんだ?
以降の条文をみた場合に、物事を意のままにすると言う把握は違うでしょ。
だから、総攬の、攬の意味を広辞苑から拾って、述べたのである。
>>159 いや、異論はあってよいのですが、議論の流れとしては、明治憲法のほうなので、
国民の意思のありようと、軍部の暴走については、保留しましょう。
>御聖断は違憲行為(天皇も鈴木等も)であり、その決定は
>最高戦争指導会議によるもの。国家としての決定は、終戦の証書を閣議で決定した事をもって
>定まり、当然、各大臣の副署を伴うものであり、それは、憲法の規定通りに行われています。
と言う表現をすると、憲法に違反した決定に基づく終戦は、有効なのかと言う議論になってしまいます。
というのは、天皇が意向を述べられること自体、天皇が立憲君主制の君主として憲法趣旨に沿わない
とお考えであったとしても、それが憲法に違反していると言うためには、方角的な裏づけが
別途必要ではないでしょうか。
立憲者の思想信条・君主の思想信条がそのままま憲法解釈となると言う筋立ては、
いささか乱暴な気もしますが・・・。
>>161 アスカ氏
えーと、もちろん憲法が、その正当性なんですが、違う視点で
(例えば北朝鮮の国民投票が民主主義であるかどうか・または日本の選挙制度における
国民一人あたりの議員数格差の正当性と言うような意味での)正当性と言う意味です。
で、ご聖断については、
>>172あたりから・・・。
>大臣同士の意見対立というものは予測されるはずなのに
というのは、内閣制と言うものが不十分で、総理大臣という存在が憲法に規定されず、
大臣と天皇と言う一対一の関係になっていたことを考えるとき、複数大臣が関係する
事案と言うものについて、憲法上どう捉えるのが妥当かと検討するとき、天皇への調整の
期待はあったんじゃないのかなぁ、とも思えるわけです。いかがでしょうか。
例外については、例外って何と考えてしまいます。
あることを決めて、それが正当な決定であるためには・・・と、はじめに戻ってしまいます。
>>154 >その法(人権)を神の啓示や、為政者の恣意的な判断で定めてしまっては、それこそ時代錯誤ですね。
>だからこそ、歴史的な価値観において、その権利の範囲を議論し、定めていくことが望ましいと考えるのです。
しかしな〜、歴史的価値観もまた恣意的なものであることに変わりはないのだが。
「価値『観』」というのだから、恣意の重複ということだろう。
歴史上の事象は不偏であるけれども、歴史上の事実とされることは全て人の恣意を
経たものでしかない。大体において今も尚、歴史は日夜作られいるのだが
起きている事象は事実であっても、それに何らかの解釈を加えた時点で
それは解釈した者の恣意にしかならない。
一つの事象は不偏の事実であっても、それを目にした者が千人居れば
千人分の illusion として騙られるのだ。それを千人づつで聞けば百万一千人分の
illusion として拡散していくだけなのだが。
歴史的価値観もまた、神の啓示とされるものや、為政者の恣意的判断と
illusion であることおいて変わりはないのだ。
>>174 いや、だから、木の葉の落ちる場所と言うのは、まちまちだから、そこに落ちた理由を
示した場合に恣意的にはなるんだけれども、落ちた場所と言うのは事実あるわけだよ。
一定の範囲にしか落ちていないことを認めたときに、
1、落ちる範囲
2、落ちる確率分布
と言うものは確定できるわけだろう。
歴史も同じことで、恣意的な誘導と言うものは慎まなければならないんだけれども
確定的な予測、普遍の原理は導き出せないにしても、歴史や文化が人に影響し
人が歴史を作る以上、日本民族の価値観の一定の範囲、一定のパターンと言うものは、
あるわけでそれを探り、定めていくことを、恣意的に陥ると言う理由で、放棄するのは、
怠惰だろうよ。
176 :
保守を考える:03/10/10 20:34 ID:pBGjKjXK
>れ氏
>>172 私が述べている、『違憲行為』とは、3条に対してです。
また、有効か、無効かという議論も、最高戦争指導会議とは別途に閣議を開いて
公布手続きをとっているのですから、当然、有効ですし、連合国もそれをして
受領したわけです。
法学的な裏づけとしては、立憲者の意志や、条文そのもの意味をないがしろには
出来ませんし、それに拘泥するのも、「生きた憲法とも呼べません」が
その、主権概念なるものが「最終決定権」とするのならば、
天皇主権を法学的に実証する為に、明治憲法下、天皇個人が法を作り、裁判を行い、
軍を指揮し、他国と条約を結び・・・等々を立証しなければなりませんし、
御聖断が合憲である事を、条文には存在しない「主権」という言葉を用いないで、
証明しなければ説得性を持ちませんと判断しています。
177 :
保守を考える:03/10/10 20:40 ID:pBGjKjXK
>>174 こういう詭弁にレスするのもなんだが・・・、
キミは
>歴史上の事象は不偏であるけれども、歴史上の事実とされることは全て人の恣意を
>経たものでしかない。
という『歴史』を語っているわけだ。(まあ、奇天烈な歴史観なんだけれど・・・。)
で、
>>154の論旨は読み取れたかい?
若しかして、私に歴史の定義をききたいのかなあ?
178 :
保守を考える:03/10/10 20:56 ID:pBGjKjXK
>れ氏
明日は私用の為、留守にしますので、つづきは明後日以降になる事を
お断りします。
また、主権論争は過去に散々やりましたので、
私としては、新しい論者(アスカ氏)の意見を聞きたいので、静観しておきたかった
のですが、れ氏の疑問・質問を無視する事は出来ませんので、微力を尽くすとしましょう。
179 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/10 22:24 ID:K9EeuUgd
>>167-168 確かに主権の所在を問題にしなくても、民主制や平等の問題としてカタがつく
問題と言えばつく問題だ罠。そもそも、国民主権自体は自然権たる人権概念と関連
づけて根拠づけられなければ、価値を減じる概念なわけだし。だから、主権の
問題として扱わずとも、より上位に位置する原理上の問題としてあつかって、
もっと緻密な分析・議論をすべきだと言えば、まあもっともな意見だ罠(藁
しかし、それでも戦前の体制と戦後の体制を支える国家原理の根本的な違いは
何かと言う問題は依然として残るだろ。国民主権と天皇主権と言う主権論的説明は、
これに対する対比を明確に示して見せた点で一定の意義があったわけだ。
戦前の体制を天皇主権と定義して批判する弁法は、戦前の体制が国民の民意を
反映する手段である参政権とは無関係のものとして存在しえたと言うことを、
主権の所在と言う切り口を使って、みごとなまでに暴露して見せたわけだ。主権論
自体があまり意味の無い議論だとしても、戦前の体制に対する指摘自体は的を得た
ものだろう(藁
薩長占領憲法による戦前の体制が、現体制に比べて劣っている点は、あきらかに
民意との原理的な隔絶がある点だ罠。そしてこれが統帥権の独立や責任政治の実質的
確立と言う点でマイナスに機能した、と言うのが現憲法的価値から見た薩長占領憲法
体制に対する正当な評価と言うもんだろ。
それを国民主権と天皇主権と言う切り口で指摘するか、参政権の自然権的な性格と
戦前の体制のそれとの隔絶と言う切り口で指摘するかはともかく、民意の国政における
反映が、戦前において明確な原理的問題であったか否かを指摘することは重要だろう。
戦前の体制は、民意の国政に対する反映を、原理的に明確に位置づけ得なかった点に
おいて致命的な問題があったわけで、ここを悪意を持って指摘しなければ意味がない。
薩長占領憲法を善意に解釈する制度論を持ち出されても全然興味ないし。そもそも
民衆の社会参加権と隔絶した邪悪な社会体制は、批判の対象にしかならんだろ(藁
180 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/10 22:46 ID:K9EeuUgd
そもそも主権概念を不必要とする考え方は、主権の所在を議論しても参政権とか
民主主義体制について精密な議論ができないからだろ。民主主義の意義とか民衆が
持つ参政権の意義を空洞化することが目的ではないだろ(藁
主権の所在の議論が荒っぽいものだとしても、それとは別に戦前の憲法や体制が、
社会を構成する個々人の社会参加と言うものを理念的に軽視していた事実は否めない
わけだ。その事実を真摯に認め、戦前の体制を批判することなくして、主権論的
批判を無意味としても、意味ないだろ(藁
戦前の体制の問題は、単に憲法上、立法府の権限が弱かった、統帥権が独立して
いたとか、首相の権限が弱かったとかのテクニカルな問題だけではカタのつく問題
ではないだろ。これらはいわば諸症状であって、悪弊の根源ではない。だから、
これらの問題を一々改善すれば、悪弊の諸症状を緩和することはできると言えるが、
悪弊を根本的に除去するにはいたらんだろう。
薩長簒奪占領憲法の根本的な問題点は、社会を構成するにあたって社会の構成員の
権利を不完全にしかに保障しなかったことだろう。民主主義で言えば、国家の意思決定に
あたって、国民個々人から発する民意と言うものに正統性を認め、そこから意思決定の
システムを作る発想に真剣ではなかった点だろう。民主主義と言うものの本質を煮詰めて
いけば、個々人の生来的な社会参加権に行き着くわけで、この原理的要請を無視して
社会を組み立ててみても、安定の悪い社会システムにならざるをえない。
国民主権に基く戦前の体制に対する批判の要点はまさにここにあるわけだが、この
批判自体は主権論的見地に基づかずとも、有効な批判だろう。戦前の体制の持っていた
制度上の諸制度の表面部分だけを批判しても、より本質的な原理的批判を加えなければ
意味ないだろ。原理的意味から言って、欽定憲法の薩長簒奪占領憲法はクズと言えるのである(藁
181 :
アスカ@忠君愛国:03/10/10 23:07 ID:jLVqlLku
>>173 れさん
もしかして、「あらゆる法に正当性を付与する究極の根拠は何か?」という
法哲学的な問題意識をお持ちなのでしょうか?
だとしたら、アタシはついていけないかもです。 (つ, _ 、)ゴメンナサイ
1 法哲学的な話
2 憲法の話
A 日本の話
a 大日本帝国憲法の問題
b 占領憲法の問題
B 外国の話
↑こんな感じである程度仕分けして話し合わないと、議論が混乱してしまうような
気がするのですが・・・aとbでも「主権」が条文に登場するか否かという違いが
あるわけですし。もちろん類似点があれば外国の話を持ち出してもOKだとは思い
ますが。
北朝鮮って、国民投票やってるんですか?だったら、
「それがまさに『社会運営に参与する権利』の行使なんだろ(藁」
ということで全然OKだと思いますw
182 :
アスカ@忠君愛国:03/10/10 23:08 ID:jLVqlLku
>>173 れさん
御聖断については、「憲法に違反していたか否か」を論ずる意味はほとんど
ないと思いますが?
国家が滅亡の危機に瀕しているときに、「この決定は憲法違反か否か」を
考えている暇などないわけですから。
輔弼の任にあたるべき人達が、天皇に御聖断を仰いだ時点で、「補弼する者が
誰もいなくなった」という超憲法的状態が生じたとでも考えればよいのではない
でしょうか。
もちろん、形式的には
>>159で保守を考えるさんご指摘の通り、何ら問題のない
ものでしょう。
183 :
アスカ@忠君愛国:03/10/10 23:09 ID:jLVqlLku
>>173 れさん
>天皇への調整の期待
たしか八木先生の本にもそんなことが書いてあったような・・・
でもどうでしょうか?具体的な事例で考えてみれば、天皇が主権者
として、自らの御意思に基づいた調整をおこなったとはいえないもの
ばかりではないでしょうか。一見、天皇が「調整」したようにみえても、
それは輔弼の任にあたる者の意に反したものではなかったのでは?
具体例なしで申し訳ありませんが、もし上の通りだとしたら、「輔弼の
任にあたる者の意に沿った調整をする者」は、「主権者」のイメージからは
程遠いように思います。
184 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/10 23:13 ID:qTvDdXUH
>>170 >も、、、妄想???文化が異なれば、当然に価値観は変わってくるのであって、
>世界同一価値観・同一基準の適用は、世界はひとつ・地球家族という幻想でしかない。
>あいまいだから切り捨てる貴殿の主張は、実態を無視した怠惰でしかない。
文化が違えば、価値観もかわる。即ち多様な価値観が社会の中にあるからこそ、
多様な価値観をなるべく許容するような社会構築と言うものが重要になってくる(藁
お前さんたちのおかしなところは、世界の諸民族に対しては価値の多様性を
問うクセに、国内向けには価値の多様性をまったく認めないと言う二枚舌を
使うところだろう。
価値観の多用性と言うものは、国外のみならず国内に対しても言えることで、
であれば社会構成にあたっては、価値の多様性を束ねる規範を定立する必要が
あるわけだろ。規範定立にあたっては、その規範がよって立つ原理を明確にすべきだ。
そうでなくは、それが多様な価値を持つ個々人・諸集団にとって好ましいもので
あるか検証できないわけだから。
現在は、それが自然権的な人権思想を前提にした民主主義制度なわけだろ。
これはきちんと検証に耐える形で、原理的価値から組み立てられ明示された価値の
体系なわけだ。歴史だか伝統だかわからんが、社会の構成原理を提示するなら、
同様に原理的価値を明示し価値の体系として提示する必要があるだろう。そうでないと
それが多様性をもった国家の構成員にとって妥当なものであるのか検証することが
できんだろ。検証できない規範を、盲目的に守れと言うのが「カルト」だろ(藁
つーか萎えるよな。俺構造主義とか、アナール学派についての説明したよね?
しなかったっけ?
186 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/10 23:57 ID:qTvDdXUH
しかし、システマティックに戦前の体制を戦後の体制と比較して議論してもいいけど、
俺はあまり興味ない罠。結局のところ、制度比較を行なったところで、どのような制度が
どのような理由で好ましいのかと言う、価値の問題に行き着かざるをえないわけだし(藁
内閣を構成する大臣の責任が個別的なものであるべきか、首相を中心とする集団的な
ものであるべきかは、制度をそうさせるなんらかの価値と言うものがあるからそうなる
わけで。だから制度を成り立たせている原理的価値をヌキにして、単にテクニカルな
問題として取り扱っても、ではどのような制度がどのような理由でよしとされるのか?
との根本的な疑問に行き着かざるをえないわけだし(藁
印象批判をすれば、アスカ氏の主張のはしばしには、自然法・自然権と言った法とか
制度を超越して設定される理念と言うものに対する「悪意」が透けて見える気がする罠。
法や制度をあくまで制度的なものとしてみようとする悪しき法実証主義の香りが
そこはかとなくただよっているような(藁
187 :
アスカ@忠君愛国:03/10/11 00:16 ID:YU/Q46HZ
>>186 変な言い掛かりはやめてねw
「自然法・自然権」とか「民主主義」だけが「制度を超越して設定される理念」
じゃないでしょ。
「一般意志の発現であるかぎり、いかなる法も法となり得る」って考える
ぁゃιぃアズマ人さんのほうが法実証主義者でしょw コワイヨー
188 :
1128:03/10/11 02:07 ID:NOAx4lVj
>>184 >現在は、それが自然権的な人権思想を前提にした民主主義制度なわけだろ。
>同様に原理的価値を明示し価値の体系として提示する必要があるだろう。
欧米で生まれた社会制度の言葉で語らせようとしても無理です。
天皇制存続派は基本的に、無意識下でもそれを一方的に受け入れる事を拒絶してるのですから。
>検証できない規範を、盲目的に守れと言うのが「カルト」だろ(藁
繰り返しますが、欧米の価値観で検証するのは不可能です。
確かに、欧米人から見れば日本の制度は理解し難いでしょう。
しかしながら、日本社会の制度を欧米的言質を持って構成・検証させる必要は無い訳です。
ここは、日本なのですから。
民主主義でさえ、日本型民主主義と呼ぶ人間が居るぐらいですし。
検証できないのは、ただの勉強不足です。
特に、日本社会に関する文化人類学・社会科学・歴史への認識が欠けてますよ。
189 :
S−RAM:03/10/11 06:51 ID:aHyTB5ic
>>188 >特に、日本社会に関する文化人類学・社会科学・歴史への認識が欠けてますよ。
そんなに難しいなら、国民に浸透させるのも難しいだろ。
十分な理解もなく制度だけが取り残されるなら、これはさらに問題が大きい。
即刻廃止し制度を簡素化するべきだな。
190 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/11 09:38 ID:O9thIHlz
>>188 やい、この名無しモドキのチキン野朗。人様に意見するならもう少しましなHN
つけやがれ。トーチャンなさけなくて涙がでてくら〜(藁
お前は、「立憲主義」と言うものをまったくもってワカランチンのアホタレだ。
いいか「立憲主義」とは、国のあり方を国民に明示し、その明示された規範に基いて
政治を行なうと言うものだ。そもそも、明示され検証された価値を国家の根本として
設定し、それに基いて政治を行なう「立憲主義」自体が欧米風の概念なんだよ。
お前さんは、それすらワランチンのドアホウだ(藁
「立憲主義」と言う発想自体は、なんらかの原理を立ててそれにそって憲法を
制定し、それに基いて国政を行なうと言うことだから、人権とか自然法思想だけが
唯一正しい立憲主義のあり方とは言い切れない。しかし、国政を組み立てる上での
根本的な規範概念が曖昧では、もはや「立憲主義」と呼べるしろものではない。
俺は、民衆に明示され検証されうる規範定立は、少なくともせよと言っているのだ。
南蛮渡来の自然法・自然権と言った、現憲法に先行するとされている価値を否定する
のはかまわんが、明示された規範に基いて政治運営を行なう立憲主義自体を否定せん
のなら、憲法に先行する明示され検証されうる価値の体系を示せと言っているのだ(藁
そのような憲法に先行する価値を明確に示しえないと、結果として政治を多数決
万能主義か、為政者の恣意に委ねることになるんだよ。ちなみに憲法に先行する
明示された価値を欠いた「立憲主義」は、法実証的立場とか外見的立憲主義とされて
批判されるわけだ(藁
191 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/11 09:55 ID:O9thIHlz
>>187 >「一般意志の発現であるかぎり、いかなる法も法となり得る」って考える
>ぁゃιぃアズマ人さんのほうが法実証主義者でしょw コワイヨー
一般意志の発言が社会を規律する唯一正当な民意とするなら、そもそも自然権とか
自然法と言ったものを独立して持ちださんだろ。民意の多数意見に反する少数者の
権利とかを自然権を根拠に認めることになるわけだし(藁
そもそも、法や憲法を越えた自然権とか自然法と言った概念を持ち出すこと自体、
多数決万能主義に懐疑的な立場の証拠だろ。法実証主義とは、実定法に上位する規範の
存在を認めない立場だから、議会万能・多数決万能の発想だろう。国政の決定において
迷ったら取り合えず、なんらかの形で民意に問う、と言う。それに対して、自然法とか
自然権と言うものを実定法の上に認める立場と言うのは、多数決による決定事項から
人権などと言った例外事項を除外し、民意以外の根拠に基いてそれを正当化しようとする
立場なわけだ。俺は、その意味で人権とか自然法を実定法に上位する概念として
認める立場を取るから、少なくとも完全な法実証主義者ではないだろ。
もしお前さんが、手続きを踏んで制定された実定法に上位する規範とか理念の存在を
認めない立場をとり、民意によってすべての法・制度は決められことが望ましいと
考えるなら、お前さんの立場こそ「悪しき」法実証主義の立場だろ(藁
>>176 ご聖断(226・終戦)を憲法違反とする根拠を
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
への違反であると言う貴殿の趣旨と言うものは、私は理解しているのですが、
それは、憲法の解釈(立法者・天皇ご自身)によれば、違憲となると言うことであって
憲法の解釈と言うものが実態的に適用されるためには、文言の格差を埋める必要は
有ると思います。
主権者と言う表現が、議論を拡散しているのかもしれません。アスカ氏も誤解されて
いるようですので、私の主張を申し述べます。
まぁ、憲法なり基本法と言うものが、何がしかの形で存在する国家において、
アスカ氏が言う例外と言うことにもつながりますが、法律の範囲においても、例外的な
事項についても、その決定の妥当性というものは、検討されなければなりません。
現代日本において、ある制度(例外事項における決定も同じ)が妥当とされるためには、
正当な国民の意思集約、または正当な国民からの付託を受けた制度(決定)であるか
どうかが、問題となるでしょう。
システムと言う意味ではなく、理念と言うことです。
この辺は、アズマ氏の指摘に妥当性があるわけですが、主権と言う議論は、明治憲法
における、決定システムや法の妥当性を推し量るとき、どういった理念をもとにしていたか
と言うことです。
>>180でいう「原理的要請」ということと、この場合同義であろうと思います。
>>192のつづき
で、明治憲法というものの理念・原理が、国民主権と言うものではなかったとして
(アズマタンの言う、国民主権=民主主義という馬鹿馬鹿しさは理解していますが)
五箇条のご誓文に行き着くのではないでしょうか。
一、広く会議を興し万機公論に決すべし
一、上下心を一つにして盛に経綸を行うべし
一、官武一途庶民にいたる迄、各其志を遂げ、人心をして倦まさらしめんことを要す
一、旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし
一、智識を世界に求め大いに皇基を振興すべし
我国未曽有の変革を為んとし、朕躬を以って衆に先じ、天地神明に誓い、大いに斯国是を定め、
万民保全の道を立んとす。衆亦此旨趣に基き協心努力せよ。
欽定憲法制定の権威根拠が、万世一系であったあり、天壌無窮の神託であると言うこと
とは別に、朕躬を以って衆に先じ、天地神明に誓い、大いに斯国是を定め、万民保全の道
を立んとす。衆亦此旨趣に基き協心努力せよ。と国民に求めた天皇は、そのことによって
最終的な決定者・広く会議を興し万機公論に決すべし努力が払われたにもかかわらず、決し
なかった場合の決定者と、ならざるを得ないと、思っていますが、いかがでしょうか。
>>184 アズマ氏
>>185 ムッチョ氏
ムッタンが萎えても、別にかまわない。専門的である貴殿において、その専門性を
素人である私や、他のギャラリーに理解できるように説明する気力がないなら
あんたの言説は、専門家の優位性を自己満足的に疲労、いや披露しているだけに
見えるので、私は興味がない。
で、アズマタンの
>規範定立にあたっては、その規範がよって立つ原理を明確にすべきだ。
>そうでなくは、それが多様な価値を持つ個々人・諸集団にとって好ましいもので
>あるか検証できないわけだから。
と切り捨てるところが、怠慢なわけだ。
国家形成における、その範囲やその制度の正当性は、どこにあるの?
例えば、なぜ、半島は、日本国ではないの?対馬は日本の一部なの?
これに検証可能な「原理」を明確に提示してもらおうか。
>>190 > やい、この名無しモドキのチキン野朗。人様に意見するならもう少しましなHN
>つけやがれ。トーチャンなさけなくて涙がでてくら〜(藁
多少は価値観の多様性を認める、寛容な態度を持とうよ。
>>175 >1、落ちる範囲
>2、落ちる確率分布
>と言うものは確定できるわけだろう。
>歴史も同じことで・・・・
歴史と落葉や落石は同じにはならない。マッタク別のものだ。
>日本民族の価値観の一定の範囲、一定のパターンと言うものは、
>「ある」わけでそれを探り、定めていくことを・・・
「あった」とは言える。過去の時点について内挿はできても
未来に対して外挿は出来ない。未来を過去の延長線上にあるものと
して予測はできる。しかし、未来は予測の通りには動かない。
まして、現在の価値観が過去の延長線上にあるからといって
未来の価値観も過去の延長線上にあるべきだなどと言う結論には至らない。
逆に、過去の価値観が変化してきたいう事実は、過去のある時点において
それ以前の価値観が常に新たな価値観によって置き換えられて来たことを
示しているに過ぎない。
現在の何らかに対する価値観は、現在から未来にかけて
それが必要であるか否かだけかの判断によって定まる。
その判断を行うに当たり過去を参照する必要は、本質的には存在しない。
判断するする者が、過去の延長線上を目指すか、マッタク異なった方向
を目指すかは其々の自由なのだ。
言えることは、現在から未来に向かって、他者に伍して生き抜くのに最も有利な
方向を目指すということだ。
異なる価値観の存在を認めるなら、自らの価値観を他の価値観より有利となるよう
変えない限り生き抜くことは出来ないであろう。
197 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/11 13:49 ID:PxIQ+q0M
れ氏のお誘いに釣られて参入します。
>>182 アスカ@忠君愛国氏
御前会議と天皇の聖断は超法規的な存在ではあったが、憲法違反とは云えまい。
憲法についての理解のなかには「運用による柔軟性をも包括する」というのが
法学界の常識であることから、憲法規定に則った範囲での運用は容認できる。
問題は運用自体であり、拡大解釈の余地を残した明治憲法の杜撰さだろう。
>>196 貴殿の印象とか感情を吐露されてもねぇ・・・。
>歴史と落葉や落石は同じにはならない。マッタク別のものだ。
それを知らない人はいないと思うよ。
>「あった」とは言える。
過去と未来以外に現在が有るわけで、現在を把握しないと、より良い未来いしようという
議論は、正鵠を得ない場合が多いとは、言えるでしょう。
>その判断を行うに当たり過去を参照する必要は、本質的には存在しない。
暴論ですな。
御聖断は天皇としては何も憲法に反してはいない。
開戦、講和何れも憲法に定められた天皇の権限である。
>>199 いや・・・だから・・・君の印象で断定されても・・・。
論証はないの?
字読めないの?
203 :
アスカ@忠君愛国:03/10/11 22:30 ID:YU/Q46HZ
>>192-193 うーんやっぱりアタシには難しいかも。(@_@)ドウシヨウ・・・
とりあえず、日本においては、関白太政大臣であれ征夷大将軍であれ、
「あらゆる政治権力に正統性を付与するのは、『皇位の尊厳性』である」
というテーゼなら、全く異論がないと申し上げておきます。
(皇位の尊厳性」は「具体的な個々の天皇」という誤解を招かないように
抽象化した物言い。別の言い方も可能でしょう。)
このような「正統性の根拠」としての天皇の権威を、「主権」などという
南蛮渡来の意味もはっきりしない言葉を使って説明する必要は全くないと
思うのですが・・・やはり話がズレているでしょうか?
五箇条の御誓文は大日本帝国にとって広義の「憲法」とは言えるでしょうが、
権力の制限を目的とする政体法としての「大日本帝国憲法典」とは区別すべきでしょう。
立憲的意味の憲法は権力の制限を目的とするもの。
そこには権力の不存在は予定されていないのです。権力のないところでは権力の制限も
またありえないわけですから。
政治権力が全く機能していない、極限的な状況を想定して、「天皇が意思決定をする
はずだ(または実際にした)」から、「大日本帝国憲法では天皇が最終的な意思決定者
すなわち主権者だった」というのは、控えめにいっても「誤解を招きやすい言い方」
だと思います。
旧憲法3条「神聖不可侵」が、「君主無当責」のみならず「天皇の神性」を意義することを、井上清氏のお話をもって指摘した。
これに対して、天皇信奉者が興味深い反応を示している。
ある信奉者は、井上清氏の人格攻撃をもって反論に代えようとする。
>>159 その手法そのものが、幼く、卑劣だが…w
ま、その人格攻撃も日本共産党からの批判を根拠にしているのでは、「右」にせよ、「左」にせよ、「誉め言葉」にしかなるまいがwww
その一方で、旧憲法下の「天皇主権」を否定することのトンデモ説ぶりを指摘したことに対して、『学者の説だから』として批判を封じる天皇信奉者がいる。
>>144 井上サンも学者だが…www
ところで、例によって、人権論や主権論について、公民の教科書のような「講義」?を長々と開陳している信奉者もいる。
>>154〜
その熱意wはリッパだが、マニアックなこのスレの参加者のことである、感心しているヒトは、まず、いないだろーwww
主権論の不要を訴える信奉者は、ムカシ、ここにおられたアノ方に思考patternが似ているw
主権と人権を鑑みるに、国家への権力集中=「主権」の成立こそが、個人の解放=「人権」の成立を可能にする要素であった。
もちろんこれは、国家対個人という対立機軸を基にしており、某信奉者のおっしゃる国家が人権の守り手と考える楽天説とは逆であるがw
で、主権の所在が問題とならないのは、その所在が君主か市民かという議論がとうのムカシに意味を失い、ナシオンかプープルかという現代的展開にいたっているため…ということのように思える。
そうそう、某名無し氏
>>188が、天皇制を西欧的尺度で測れないとしながら、きわめて西欧的概念で、
>>文化人類学・社会科学・歴史への認識が欠けてますよ
と、批判するのが笑えた。
では、また。
>>204 しかし、異論を、ましてや異論にも満たない天動説的、マニアックなおハナシを、正論であるかのように主張されるのは、いくら2チャンとはいえ慎むべきではないかw
まぁ、正論派も、乗せられてマトモに議論されないほうがよいよーなw
>>202 貴方に。大日本帝國憲法が読めないのかと。
本体そのものがどう規定しているのかの問題でしょう。
人の印象など関係無いでしょう。
207 :
正論派:03/10/12 09:28 ID:???
>>204 同意、れ氏や保守考氏は、あまりにトンデモな説は、慎むべきだろう。
>>204 >旧憲法3条「神聖不可侵」が、「君主無当責」のみならず「天皇の神性」を意義することを、井上清氏のお話をもって指摘した。
井上清氏が、そう主張されているのは、承知しておりますが、その根拠・論証と言うものをご提示いただけないようなので
議論にならないでしょう。
少なくとも当方は、八木氏の論証部分を提示しているのですから、それをトンデモ説と言い放つだけで、反対意見の
根拠施示さない貴殿において、
(まさか、「井上サンも学者だが…www 」が論証となると、思っていらっしゃるなら、なおさらだが・・・。)
その手法そのものが、幼く、卑劣だが…w と、申し上げておきましょう。
>>210 それにしても、人格攻撃はヨロシクない。
もちろん、八木氏の説を問答無用で否定というのもよくないが、
>>204はおおむね妥当では?
>>211 >>159の↓
>ところで、井上清なる人物は、中共派として日本共産党からはみ出し、日共を
>「修正主義者」と罵り、また、日共理論部から「極左教条主義者」と揶揄されていました。
>ま、こんな(↓)感じの人物です。(参考までに・・・。)
>「
http://www.konansoft.com/zenrin/html/inouekiyoshi.htm 」
が、人格攻撃と言う評価も、やや言い過ぎではないでしょうかね。
>>131の
>「神聖不可侵」を「君主無当責」と解することは、憲法学的にはさほど異論は少ないだろうが、「天皇主権」を否定するとなると、これはもう「倒錯したマニアの世界」である。
> ま、中学や高校の歴史教科書でも、旧憲法下の天皇主権を否定したものは、まずないw
> ここにおられる天皇マニアらが、信念を曲げずに受験されれば、おそらく入れる大学はなかろうw
などというパン・ドラ氏の表現と比較すれば、事実のみを(印象的な批判を交え)書いているに過ぎないでしょう。
そう厳しく非難される程度ではないと思いますよ。
まぁ、
ここでも、煽りや印象批判は、だれかれ関わらず、珍しくもないんですが・・・。
マァここは印象を述べ合うところですから。
意見など述べても、何も意味は無いわけで。
>>203 アスカ氏
いや、難しいとか言うのは、私の説明べたと、私の言説がトンデモだからかもしれません。
主権と言う言葉自体は取り下げてもいいんですが、(結局同じことなんで)
その天皇の正当性の付与と言う権威が、明治憲法発布において欽定憲法の権威の根拠となった。
その方針は、これからは、近代国家として生きなければならない日本は、我国未曽有の変革を為んとし、
全てを広く会議を興し公論において決定しよう、上下心をひとつにしよう、各人が志を遂げられるようにしよう
などなど・・・。で、憲法を天皇が決めたんだけど、天皇も今後はその憲法を守り、広く会議を興し万機公論に
決すべしとして、改憲の条文もそうなっている。で、理念として、国民にそれを受け入れるよう要請したのも天皇。
封建社会で、法治国家とも呼べない状態(何回もお触れを出さないと動かないことも多かった江戸時代)から
脱却するにあたって、その天皇の権威が必要だったことは、その尊王と言う運動が勝利したことで、正当だろう
と思います。
ここまでは、了解いただけるでしょうか。
それで、明治憲法は理念としては、五箇条のご誓文だったと言うことについては、同意いただいているとして
こういった流れで制定された憲法において、全てを広く会議を興し公論において決定できなかった場合に
どうすることを、予定していたかと言うことです。天皇が決着をつけるということにしか、ならない。
そう思うのですが、いかがでしょう。
>>208 だから何?
大日本帝國憲法に対する八木参考人の印象に対して、当方の印象を述べよってこと?
なら、彼の言辞はDQNの曲学阿世の徒のなすものと変わらない。
彼は、帝國憲法を作った人々の考えを忖度しているだけだろう。
「治と領」に対する印象を述べたり原案者の「天皇ノ治ス所ナリ」を引いたり
しているが、現実に定められた条文は「統治」となっている。
彼の述べる印象は、「だから統治の真意は治ス」だなどとあらぬ方向を示したいのだろうう。
或いは意味も無く、憲法をコンスティチューションと置き換えた上で
コンスティチューション=国柄だなどと感性的で曖昧なものを提示する。
法学者というなら素直に、憲法は特別な条件に立脚するものではなく
既成の制度や慣行(Constitution)と無縁では無いと言えばいいだけだろうに。
大体明文として書かれてしまえば、書かれたものが正であって書かれた
真意などを問うても無意味なのだ。真意と異なると言うなら
真意を表すように明文の方を書き換えるべきだろう。
更に、「私の本を読んだ若い読者から、『明治憲法というものは、ショッカー、
すなわち仮面ライダーの悪の軍団がつくったものである』かのように自分たちは
認識していた」などと引いて見せたりもする。講釈師や香具師の口上でもあるまいに。
例えば「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」であって日本国憲法のように
「国政に関する権能を有しない」とか「内閣の助言と承認により」などとは
なっていないのだよ。
つづき
多少(相当)分かりにくいのかもしれないので、
>>214を補足。
私は、分けているんですよ、天皇の国の運営に関する権威を。
権威グループ(1)
A、江戸時代までの、権力の正当性を付与する根拠。
B、明治憲法をつくり、発布した正当性の根拠
C、現憲法において、日本国の独立の継続性を象徴する根拠(国民統合の象徴の根拠)
権威グループ(2)
A、国司を任命する根拠。
A、明治憲法において、全てを広く会議を興し公論において決定できなかった場合に
聖断を下せる根拠
B、現代において、国事行為などを行う根拠
単純に言うと、(1)は、歴史や伝統や文化に、その根拠がある。(2)は、律令や憲法にその根拠がある。
これを混同すると、明治憲法は絶対君主制だとか、天皇は絶対性を持っていたと言うことになる。
どうでしょうか、多少分かりやすくなりましたか?(余計ダメだったりして・・・。)
217 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/12 17:34 ID:cKuQdtCa
>>215 >「私の本を読んだ若い読者から、『明治憲法というものは、ショッカー、すなわち
>仮面ライダーの悪の軍団がつくったものである』かのように自分たちは認識していた」
この認識は、まったく持って正しい認識だ。血塗られた手で権力を非合法に奪取し、
ほぼ10年周期で戦争を起こして内外の人民の膏血をしゃぶった悪の組織こそ、
明治簒奪政権であり明治簒奪占領憲法だろう。天皇は、普段は登場しないショッカー
の大首領で、憲法起草者の伊藤博文は天本英世扮する死神博士ってとこだろ(藁
>>215 う〜ん、重症だね。
で、まず明治憲法が、国民主権の理念によっているなどとは、誰もいっていないことを確認しておく。
>「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」であって
は、八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。と日本国憲法に有るから
現憲法が、内閣の助言と承認を必要とするが、明治憲法においてはどうだったのかと言うことになろう。
第五十五條 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス
第五十六條 樞密顧問ハ樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ應ヘ重要ノ
國務ヲ審議ス
となっているから、天皇が「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」ることができるとしても
その決定が単独でできたとはいえない。
つぎに、第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
なんだけれども、「統治」と言う言葉がいつできたか知っているんだろうか。
とう‐ち【統治】
統スべおさめること。主権者が国土および人民を支配すること。
す・べる【統べる・総べる】
他下一 す・ぶ(下二)
個々のものを一つにする。別々のものをまとめる。大唐西域記長寛点「学ぶることは真俗を綜スヘ、信ずることは邪正を兼ねたり」。〈字鏡集〉
支配する。管轄する。地蔵十輪経元慶点「輪王と作ナりて四の洲渚を統スフべきひとなり」。「国を―・べる」
と言うのは、現代で有効なことであって、当時としてのニュアンスが、このようであったと言う事とは違う。
こういった漢語(翻訳としての)は明治時代に大量に作られたのであって、もともと統治という言葉があったものではない。
(まぁ、「日本語ガ読めないのか」とか言っているようだから、当然に知っているだろうけど・・・)
統治の「統」が、一つにまとめること、「治」は知らす(知らしめる)シラスと、治める収めるオサメルの義であって、
主権者が国土および人民を支配することというのは、当時としては、ないし、それは明治憲法において、立憲君主制という
把握と矛盾する。
(例・現代において結婚式でのスピーチを、演説と表現しないでしょう)・・・これで分かるよね、私に日本語の講釈をしようというなら。
保険と言う言葉は、どこの国で作られたのかな?そういった言葉の歴史と言うものを無視して、現代の訳・解釈を
憲法制定当時も有効と思えば、君は誤りを犯すよ。
220 :
1128:03/10/12 19:47 ID:DD4hAUgK
ま、あれだな。
天皇制を否定するのに、帝国憲法や昭和天皇まで持出さなければ論理形成出来ない廃止派の惨めさを象徴してるな。
大体、廃止派は戦前の日本が暗黒時代だったという妄想のもとに論理を形成してるのだろうが、もう少し戦前の社会文化を検証してもらいたい。
国民全員が、共産党でさえ肯定した第二次世界大戦。
東南アジアでもアフリカ諸国でさえ否定してない日本の大東亜戦争。
これを生みだした帝国憲法を簡単に否定するのは愚かに尽きる。
帝国憲法を否定する人間達って、東南アジアやアフリカがいまだに植民地である事を願ってるのか?
気が狂ってるとしか思えない。
221 :
要約:03/10/12 21:23 ID:okUzlEr8
天皇制を否定するのに、帝国憲法と昭和天皇を持ち出すこと無いじゃん。
大体、戦前の日本は全部が悪いわけじゃないんだ。
二次大戦は、国民みんなが賛成したんし、大東亜戦争は、東南アジアや
アフリカ諸国も評価しているよ。
この誇り高き国家(これ)を形作った、帝国憲法を安易に否定しちゃ駄目。
大東亜戦争がなければアジアやアフリカは未だに植民地だったんだよ。
222 :
保守を考える:03/10/12 21:46 ID:Q3Zz6lKu
>れ氏
>>193-194 >我国未曽有の変革を為んとし、朕躬を以って衆に先じ、天地神明に誓い、大いに斯国是を定め、
>万民保全の道を立んとす。衆亦此旨趣に基き協心努力せよ。
久しぶりにこの文言を読んで、そういえば、現歴史教育に於いて、ほとんど無視されている
ところだなぁ〜。と思いました。
さて、その文言の意味と法的位置付けなのですが、そもそも五箇条の御誓文の一条は
欧米の民主主義のように、個人の意見をぶつけ合い、自己主張を貫くのではありません。
公議尊重(衆議)とは、最も理を得た結論を出す為に、各人が知恵を出し合って最良の道を
共に探る方法論を示しているわけです。
歴史法学的立場の私は、前にあなたに示していただいた、「憲法十七条」にこの法源が
あると判断しています。つまり、十条及び、十七条です。
そうした、日本の伝統に基づいた規範命題を確認して、新しい日本を作っていこう。と
明治天皇は仰っておられるわけでして、昭和21年の新日本建設ニ關スル詔書の主眼も
ここに置かれているのです。
明治憲法においては、確かに、この御誓文を蔑ろにする訳にはいきませんが、それは
原理原則や法実証的な解釈ではなく、やはりその平衡たる歴史法学に基づいて解釈するのが
妥当だと心得ます。
前置きが長くなりましたが
>広く会議を興し万機公論に決すべし努力が払われたにもかかわらず、決し
>なかった場合の決定者と、ならざるを得ないと、思っていますが、いかがでしょうか。
やはりそれは明治憲法が想定している事態ではなく、日本国内に於ける慣習法的解釈として
ならば、憲法よりも上位の規範がある。という事になるでしょうか。
223 :
保守を考える:03/10/12 21:53 ID:Q3Zz6lKu
>>218 いろいろと、私が留守の間、ご迷惑をおかけしました。
さらに付け加えておきましょうか
第十三条 外交大権:天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
『憲法義解』
「 本条の掲くる所は専ら議会の関渉に由らずして天皇其の大臣の輔翼に依り外交
事務を行ふを謂ふなり。」
併せて、内閣官制の第五条も知っておきましょう。
224 :
保守を考える:03/10/12 22:10 ID:Q3Zz6lKu
>れ氏
>>222は、そのまま読むと、あたかも「れ」氏がその論旨の逆を主張したように
読みようによっては読みとられてしまいそうになってしまった事を
後付ですが、お詫びしておきます。
また、8月14日の御前会議の冒頭で、鈴木が以下のように申しております。
「 ここに重ねて、聖断をわずらわし奉るのは、罪軽からざるをお詫び申し上げます。
この席において反対の意見あるものより、親しくお聞き取りのうえ、重ねて何分の
御聖断を仰ぎたく存じます。」
これも、読みようによっては、確かに、「二回も」の所に罪の意識を現しているのだとも
とれますが、天皇に最終決定権があると、憲法解釈上認められるとするのならば
輔弼責任上、御聖断を仰ぐのは当然の行為であるのだから、回数など問題ではなく
ましてや、罪の意識を感ずるわけでもなく、いくらでも、出来るだろうという事です。
この件については、以前、藤田侍従長の回想録を引用しましたが、再掲載しておきます。
225 :
右や左の名無し様:03/10/12 22:15 ID:okUzlEr8
>>222 >最も理を得た結論を出す為に、各人が知恵を出し合って最良の道を共に探る方法論
>を示しているわけです。
一般意志との違いを指摘できますか?
>原理原則や法実証的な解釈ではなく、やはりその平衡たる歴史法学に基づいて解釈するのが
>妥当だと心得ます。
後になってからであるなら、誰でも言える事です。
保守氏やれ氏の考えに拠らずとも
「帝国憲法が法人説として解釈されるべき」だとする、印象は誰もが感じている
ところであるわけですが
れ氏と保守氏は
「主権説として解釈できる欠陥が在った(実際に主権説は通説扱い)」との指摘に
対して、「主権説として解釈すべきだ」というような主張に対する筋違いの反論を
しているように思えるのですが?
226 :
保守を考える:03/10/12 22:15 ID:rTpPaJMy
81 名前:保守を考える :03/01/26 14:29 ID:YjTYdv4C
(
>>80の続き)
では、「御聖断」とはいかなるものであったか、昭和天皇の証言から引用させていただきます。
「戦争に関して、この頃一般で申すそうだが、その戦争は私が止めさせたので終わった。
それが出来たくらいなら、何故開戦前に戦争を阻止出来なかったのかという議論であるが
なるほど、この疑問には一応の筋は立っているように見える。如何にも尤もと聞こえる。
しかし、それはそうは出来なかった。申すまでも無いが、我が国には厳として憲法があって
天皇はこの憲法の条規によって行動しなければならない。またこの憲法によって、国務上
ちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。この憲法上、明記してある
国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙し、これを掣肘する
ことは許されない。だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして
ある方策を立て、これを規定に従って提出して、裁可を請われた場合には、
私はそれが、意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に
執るべき道はない。もしそうせずに、私が其の時の心持次第で、ある時は裁可し、ある時は
却下したとすれば、その後責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持によって何んとなるか
分からないことになり、責任者として、国政につき責任をとることが出来なくなる。
これは「明白に天皇が憲法を破壊する」ものである。
専制政治国ならばいざしらず、立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない。」
(・・・つづく)
227 :
保守を考える:03/10/12 22:16 ID:rTpPaJMy
82 名前:保守を考える :03/01/26 14:54 ID:YjTYdv4C
(
>>81の続き)
「だが戦争を止めた時のことは、開戦の時と事情が異なっている。あの時には終戦か、
戦争継続か、両論に分かれて対立し、議論が果てしもないので、鈴木が最高戦争会議で
両論をお聞きになり、どちらに決すべきかと私に聞いた。ここに私は、誰の責任にも触れず
権限をも侵さないで、自由に私の意見を述べる機会を、始めて与えられたのだ。
だから私はかねて考えていた所信を述べて、戦争を止めさせたのである。
ポツダム宣言の諾否について、両論対立して、いくら議論しても終に一本に纏まる見込みはない。
しかも、熾烈な爆撃、あまつさえ原子爆弾をうけて、惨禍は急激に増える。
この場合に私が裁決しなければ、事の結末はつかない。
それで私は、この上戦争を継続する事の無理と、無理な戦争を強行することは
皇国の滅亡を招くとの見地から、胸の張り裂ける思いをしつつも裁断を下した。
これで戦争は終わった。このことは、私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ
出来たのだと思っている。」
つまり昭和天皇は、この御聖断を、憲法上の立憲君主としての役割を逸脱した
裁断であったと述べています。
またこの御聖断をもって、天皇の意志が絶対であったというのなら間違いです。
現に玉音放送のテープを巡って、軍部の将校達がクーデターを起こしています。
つまり、天皇の御聖断を認めないという行動をおこしました。(8月革命未遂事件)
228 :
保守を考える:03/10/12 22:26 ID:rTpPaJMy
>>225 >一般意志との違いを指摘できますか?
>>157-158を参照して下さい。
>>原理原則や法実証的な解釈ではなく、やはりその平衡たる歴史法学に基づいて解釈するのが
>>妥当だと心得ます。
>後になってからであるなら、誰でも言える事です
いや、五箇条の御誓文と十七条憲法の相関性を示しただけですが?
何かご意見があるのであれば、どうぞ遠慮なさらずに仰って下さい。
>「主権説として解釈すべきだ」というような主張に対する筋違いの反論
私は、通説である天皇主権の法的根拠は、何であるのか?
という懐疑から、自身の思想を開陳している次第でありまして、
何か、不備があるのであれば、それも併せて、ご意見をお寄せ下さい。
今日は、疲れていますので、ここまでで、お開きにさせていただきます。
では、お休みなさい。
>>218 五十五条ね。出してくると思ったよ。その解釈もね。
日本国憲法と同じにとっては駄目よ。五十五条にたいするそのような解釈は
主客転倒だろう。そういう輩が帝国憲法を捻じ曲げたのよ。
主たる天皇に対する従たる臣の恭順を命令する規定だろうが。
臣は輔弼なさい、輔弼したことに対しては責任も取りなさいよってことだ。
そして、その輔弼と責任を負うことを副署して明示しなさい、責任逃れを
するなよってことだ。天皇を縛るのではなく臣を縛る規定だ。
天皇が臣下の言を入れず、不当な意思を押通したとしても、輔弼の責がある以上
適切な輔弼が出来なかった臣下はその責を逃れられないと言うことだ。
五十六条も同じことだ、陛下から問われたら應えなさい、陛下の御下問を
蔑ろにしなさんなという、臣下に対する命令規定だ。
自らご聖断を下さなければいけないほどの状態に陛下を追い込んだのなら
臣下側の行動こそ帝國憲法を侵すものなのだ。
231 :
1128:03/10/12 23:53 ID:DD4hAUgK
232 :
アスカ@忠君愛国:03/10/13 00:30 ID:CiSpwJu9
>>214 >>216 れさん
何度もご説明いだだいて恐縮です。
>>214の前半は了解です。
>憲法において、全てを広く会議を興し公論において決定できなかった場合に
>どうすることを、予定していたか
これはやはり何も予定していない、と言わざるを得ないのでは。
立憲的意味の憲法は国家権力を名宛人とするわけですから、権力がなければ
憲法も無意味となります。
憲法の話を離れていえば、
>>224の鈴木貫太郎の言葉にあるように、宸襟を悩まし
奉ることは臣下として真に忍びないってお話になりそうですが・・・
少なくとも「天皇が決着をつけるということにしか、ならない」というのは南北朝以後
の天皇のありかたと合致しないような感じがします。えーとどうしよう?
>>216 いえいえ、おっしゃりたいことはわかりました。
権威グループ(2)っていうのはどうでしょう?どうみても「天皇の権力的側面」とか
「政治的権能」にしかみえませんが?
それとやはり、(2)A「明治憲法において」と「決定できなかった場合」は相いれない
と思います。
しかしまぁ、よりによって(「敢えて」という意味でねw)井上清を取り上げようという人がいようとは。
きっと、最近の史学の世界を知らない人なんでしょうなぁw
234 :
アスカ@忠君愛国:03/10/13 01:37 ID:CiSpwJu9
>>197 亀哲人さん
レスどうもありがとう。
亀哲人さんの主張は、
>>50と
>>53でよろしいのでしょうか?
>>50は・・・ごめんなさい、よくわかりません。教育勅語に法的意味があった
としてもそれは事実上の問題にとどまるでしょう。教育に関する勅語が憲法上の、
(あるいは実態としての憲法の運用上の)天皇の地位を規定するのですか?
>>53 森� 稔樹教授という人は「主権=統治権」と明示していらっしゃるので、これは
これで論者の勝手、ということになります。「統治権」は「立法権・行政権・司法権
の総称」(芦部信喜『憲法 新版』p40)ということでまあいいのでしょう。明治憲法
の4条にも整合的だし。
で、亀哲人さんは占領憲法の場合は、「国民主権とは、国民が統治権をもつこと」
とか、「国民主権とは、国民が統治権の総攬者であることを意味する」とお考え
になるわけですね。
235 :
アスカ@忠君愛国:03/10/13 02:03 ID:CiSpwJu9
このスレ読むのがたいへんねー。眼がチカチカしてしょうがないわ。
>>225 >主権説として解釈できる欠陥が在った
はて?こういういいかたはどうでしょうか?占領憲法も「人民主権と解釈
できる欠陥がある」ことになりますよね。デンパ解釈を許す条文をいちいち
欠陥扱いしていたら法律なんてすべて欠陥があるってことになりかねないわ。
>実際に主権説は通説扱い
ソースをお願いできますか?
「(天皇機関説)論争は学界・言論界の強い支持、両者の理論的能力の差、
護憲運動という歴史的潮流などによって美濃部の勝利に終わったものと
受け取られ、・・・上杉はいわば学界の孤児となった」
(長尾龍一『日本憲法思想史』 講談社学術文庫 p83)
という記述から受ける印象とだいぶ違うので。
>>229 ダカラ、貴殿がそういう印象、あるいは感情をお持ちなことは分かったから、
それを論証しなさいナ。(何回も言わせるね)
論証と言うのは、その貴殿の主張内容に適合した事実があったとか、
素案時点で、そのように解釈できる記述があるとか、他国においての同様な記述が
その主張内容と同じだとか、そういう客観性のある証明、または、構文あるいは
単語の意味から探ると言う方法もあるが・・・などで、記述することだろう。
単なる感情や印象以上の検証を、貴殿が行っていないなら、無理だろうけど
貴殿がそう考えるにいたった合理的理由があるなら、提示してクレヨン。
>>222 保守考氏
私は和の理念が、日本を動かしていると、思い込んでいますので、上位の規範と言うより
理念でしょうね。まぁ、廃止派諸兄の、自由主義や人権主義にあたる部分と言うことです。
>>224については
本来、万機公論に決すべきところを、ご聖断を仰ぐことは、総理大臣としては、天皇に対し
申し訳ない、と言うことに違和感はないのですが、これをして憲法違反の証明するには、
多少、飛躍があろうかとは、思います。
>>232 その記述を総合すると、天皇のご聖断の有効性の根拠は、歴史的なこと
(当時であれば万世一系と天壌無窮の神託でしょうか)に基づく、という
結論になるように思われます。
憲法に規定されていない事象の決定が、ご聖断がにより決定でき、それを
憲法あるいは憲法理念からして想定されていないとすれば、ではなぜ、政府は
ご聖断を仰いだのか、その動機にかかる天皇が決定できるであろうと
思い定めたのかを、説明する必要がでます。
私は、そういった神話的権威と言うものを否定はしていません。
霊的権威論の「れ」ですから・・・。しかし、
一、広く会議を興し万機公論に決すべし
等々の和の理念を説き、和の理念に基づいた憲法を制定し、あるいは
日本国民の統合の象徴たることにおいて、権威(物理的力によらず、
従わせる)として発揮されるもので、「天皇の権力的側面」は、広く会議
を興し万機公論において決した結果において発揮されると、思っています。
>>225 そうも勘違いしておられるようである。
>>最も理を得た結論を出す為に、各人が知恵を出し合って最良の道を共に探る方法論
>>を示しているわけです。
>一般意志との違いを指摘できますか?
どう読み取ればよいのか、理解に苦しむところです。
その方法論の妥当性に関して、一般意思と異なるのでは、と言う疑問なら、違うでしょうね。
現代でも、衆議により、より良い道を共に探ると言うのは、議会制の基本でしょうから。
そうではなく、一般(この範囲も難しいが)は、衆議による決定が明治憲法の基本ではなく
天皇が全てを決める存在であると、認識していたのでは、と言う指摘なのでしょうね。
しかし、そうであるならば、政府や軍関係者に対する抗議が多数おきる中で、なぜ
天皇に対する国政批判行動が起きなかったか、不思議です。
で、わたしは、明治憲法は天皇が最終決定者であると、申し述べています。
絶対性を持たず、衆議に決する中で、明治憲法あるいはその理念は、衆議により
決定できない場合、天皇が決定する(ご聖断)と言う余地を予定していた。
そう主張しておりますので、
>筋違いの反論を しているように思えるのですが?
は事実誤認でしょう。「主権説として解釈できる欠陥が在った」の表現されている
主権の内容が、「立法権・行政権・司法権」であるなら、解釈できる欠陥は、
どこにあるのでしょうか。
欽定憲法を制定する権威だから、「立法権・行政権・司法権」に関与できると言う
筋立ては、まさか、なさらないでしょうね。
240 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/13 11:18 ID:8MajFxLS
>>234 アスカ@忠君愛国氏
教育勅語は本来的に明治憲法から逸脱した内容ではなく、補完する意味合いで
書かれている。此の勅語の提唱者である山県有朋は、天皇主権を教化、認知をより
強める意味合いで創案していた事実からも明らかだろう。
そもそも憲法には運用上の解釈の余地があるもので、明治憲法では天皇を憲法の
上位概念に位置させているが故、天皇による(或いは天皇を介した)恣意的な運用が
出来る余地が、言い換えれば逃げ道が多様にあったと云える。
軍部と元老員が憲法外機関として位置する事を見れば、憲法の拘束を受けずに
フリーハンドを持っているようなものだ。
>占領憲法の場合は、「国民主権とは、国民が統治権をもつこと」とか、
>「国民主権とは、国民が統治権の総攬者であることを意味する」
占領憲法?「日本国憲法」のことか?
民選の統治機構を規定している以上は、主権者(国民)が統治しているとの見方で
間違いなかろう。三権の実行者は権限を委譲されているにすぎず、其の担保となる
源泉は民意により選出されたことであるから、当然無制限に委譲しているものではない。
>>240 >此の勅語の提唱者である山県有朋は、天皇主権を教化、認知をより
>強める意味合いで創案していた事実
「天皇主権を教化、認知をより 強める意味合いで創案していた事実」
の論証を求める。何か、根拠があるの?
242 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/13 12:09 ID:8MajFxLS
>>239 >しかし、そうであるならば、政府や軍関係者に対する抗議が多数おきる中で、なぜ
>天皇に対する国政批判行動が起きなかったか、不思議です。
五十五条、五十六条に反する行為に対しての抗議だからだろう。
王、王たらずと雖も、臣、臣たるべし、なのだから。
天皇信者は天皇を非難するものは完全否定
ただそれだけ
病に冒され死んでゆく
墓場に入って気づく事が出来るか?
己が他人にコントロールされていたことを
245 :
右や左の名無し様:03/10/13 14:12 ID:DfPwd2dR
>明治憲法では天皇を憲法の上位概念に位置させているが故、
>天皇による(或いは天皇を介した)恣意的な運用が出来る余地が、
>言い換えれば逃げ道が多様にあったと云える
その逃げ道を作らないために
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
という一文が有るわけですが?
>>242 亀哲人氏
当該HPの筆者の単なる想像だろう。
>山県の想いが 国家に反抗しない国民を作成するだけに止まらず むしろ日本という
>この国を守る軍人の卵を作ろうとするところに存在していたとしてもおかしくはない。
おかしくはない・・・が根拠なのか。ふ〜〜〜ん。説得力は・・・ないね。
これからの論旨の展開に期待するほかはないな。
>>243 へッ???、一般意思は、天皇を絶対者と見ていたが、天皇の忠臣である周囲には
抗議して、天皇に対する抗議はなかった???説得力がない。
妄想に近いように思えるが・・・。
>>244は、単なるおばかだから無視しよう。
>ガラドリエル氏
お隣さんから転載しておくよ。
天皇制を賛美するスレ--------------------------
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1058736115/391-392 391 名前: ガラドリエル 投稿日: 03/10/13 15:47 ID:sMe3dIRw
>>383 亀哲人さん
グラフィックデザイナーでしたか。
お恥ずかしい次第です。
ところで、他スレの話で申し訳ないのですが、ご紹介しておられる
八木氏の「天皇と日本の近代化」の中の教育勅語に関する考察は、
読んだ覚えがあります。
明治5年の宮島誠一郎による立国憲議は、一時帰国していた大久保利通に計って行われたものと推測できます。
「国憲を定むる如何、古来固有の君主独裁を持ってこれを定むるときは、或は人民を抑圧し開化の進歩を妨くるの弊害あるを免れず。君民同治の法を取って之を定むるを尤も宜しとはす」
というその内容が、明治6年に大久保利通が起草したとされる「立憲政体への意見書」によく似ていることと、両者の関係によって、です。
これに対し、左院副議長であり、フランスの法を学んでいた江藤新平は、「国憲は右等国体論の如きものにあらず。国憲なるは仏蘭西の五法の如く広く人民に闊歩せしものにて、其性質帝王自家の憲法に非ず」と拒みます。
392 名前: ガラドリエル 投稿日: 03/10/13 15:50 ID:SeJpQybR
>>391の続き
6年の政争で敗れ、下野した勢力が民選議員設立建白を出し、それを担ぐ不平士族の動きが激しく、明治政府は沈静化をはかって大阪会議を開きます。
その結果、漸次立憲政体勅書が出されるわけですが、この時点で、江藤が「国体論の如き」と評した「万世一系」は、「立憲政体之主義」に反するものではない、という官民の合意が成立したわけです。
実際、その後の自由民権運動の憲法試案にも、「万世一系」の項をのぞいたものは、ほとんどありません。
とするならば、教育勅語に法的意味があった、とするのは、強引な論法ではないんでしょうか。
------------------------
教育勅語に関する一般論。
立憲制成立への対応措置として、政府は徳育方針の確定化を軸として「学制」以来の
公教育理念を一定化し、国家体制の安定的な発展を期すこととした。
議会の開設を前にして、時の総理大臣山県有朋は、軍内部の思想統一に貢献した
「軍人勅諭」(明治十五年)に倣って教育の根本を勅諭で定めることが必要であると考えた。
二十三年二月地方長官会議が政府に提出した「徳育涵(かん)養ノ義ニ付建議」を契機として
、徳育の基礎となる箴(しん)言の起草が始められた。
文相芳川顕正は帝国大学教授中村正直にその起草を依頼したが、その案文を閲読した
法制局長官井上毅は、枢密顧問官元田永孚と協力しつつ、自ら「徳教ニ関スル勅論」の
起草に当たった。
井上案を骨子とした「教育ニ関スル勅語」は、国務大臣の副署を付さない勅語の形式で、
二十三年十月三十日宮中において芳川文相に下賜された。
文相は翌三十一日その奉承方を訓示し、二十四年二月ごろまでにその謄本を全国の学校、
に交付した。
各学校では奉読式を挙行し、以後国家の祝祭日などにおいて、前後して公立学校に
下賜され始めた「御真影」(天皇・皇后両陛下の公式肖像写真)への拝礼と
この教育勅語の奉読とを主内容とする、厳粛な学校儀式を挙げることとした。
教育勅語は、本文三一五字の短文であるが、これが発布されると、国民道徳及び国民教育
の基本とされ、やがて国家の精神的支柱として重大な役割を果たすこととなった。
250 :
FINE:03/10/13 17:36 ID:tquZffA5
>>231 1128さん
君はまず国語から勉強した方がいいかもね。
君の反論が楽しみだ。
251 :
保守を考える:03/10/13 22:14 ID:06DnsmUy
>れ氏
>>237 >まぁ、廃止派諸兄の、自由主義や人権主義にあたる部分と言うことです。
うーム。保留させて下さい。
>多少、飛躍があろうかとは、思います。
鈴木の発言は、迫水久常「終戦の真相」や、半藤一利「聖断」から採らせて頂きました。
私が何度も「違憲」である。と判断している根拠は
3条の理念、解釈、運用は、君主無答責であり、『天皇をいかなる機関(結社等団体)でも利用してはならない。』
からです。
因みに226は、それぞれの帷幄上奏なり、各臣の進言等に対する質疑応答であるので
いわゆる、「御聖断」にはなりません。
その決定事項は、枢密院の議決を経た「奉勅命令」。 法的根拠は
枢密院官制
第六条 枢密院ハ左ノ事項ニ付諮詢ヲ待テ会議ヲ開キ意見ヲ上奏ス
五 帝国憲法第八条及第七十条ノ勅令
七 帝国憲法第十四条ノ戒厳ノ宣告
です。
252 :
保守を考える:03/10/13 22:21 ID:06DnsmUy
>>249 その一般的見解は妥当というより、歴史事実ですね。
因みに政府見解を提示しておきましょう。
「 明治二十年前後において、わが国の近代学校制度がしだいに整えられたのであるが
その際国民教育の根本精神が重要な問題として論議されたのである。
すでに前章において述べたように、十二年に教学聖旨が示されたが、十五年以後になると
条約改正問題を控えて欧化主義思想が国内を支配し、従来の徳育の方針と激しい対立を
示すようになった。そして徳育の方針に関し、論者は互いに自説を立てて論争し
いわゆる「徳育の混乱」と称せられる状況を現出した。
すなわち、十五年に福沢諭吉は反儒教主義の徳育論として『徳育如何』を刊行して
新しい時代には新しい道徳が必要であることを説き、
加藤弘之は『徳育方法論』(二十年刊)において宗教主義による徳育の方策を示し
また能勢栄は『徳育鎮定論』(二十三年刊)を発表して、倫理学を基本として徳育に
方向を与えるべきことを主張した。
一方これらに対して内藤耻叟は『国体発揮』において教化の根本は皇室において
定めるべきであるという思想を公にし、
さらに元田永孚は『国教論』において祖訓によって教学を闡明すべきことを主張して
教学聖旨以来の思想を表明した。また西村茂樹は修身書勅撰の問題を提出して
徳育の基礎は皇室において定めるべきであり、明倫院を宮内省に設け、聖旨を奉じて
徳育の基礎を論定すべきであると建言している。
また当時の文部大臣森有礼は儒教主義を排し、倫理学を基礎とした徳育を学校で行なうべきことを主張した。
253 :
保守を考える:03/10/13 22:23 ID:06DnsmUy
このように二十年前後における徳育の問題は、各種各様の意見が並立して修身教育をも混乱させること
となっていた。このような論争の中で、地方の教育界においてもこのことが問題となり
どのような方針によって修身科の教授をなすべきかを論議し、
地方長官に対して、その基本方針について明確な結論を要求するものもある状態であった。
そのため二十三年二月末の地方長官会議においては、徳育の根本方針を文教の府において確立し
これを全国に示してほしいという趣旨の建議を内閣に提出するようになった。
この建議は閣議においても取り上げられて論議され、明治天皇の上聞に達した。
芳川文相が後に述べているところによれば、明治天皇は榎本文相に対し
徳育の基礎となる箴言の編纂を命ぜられたとのことである。
同年五月榎本文相に代わって芳川顕正が文部大臣に就任したが、その親任式に際して
明治天皇から特に箴言編纂のことが命ぜられたのである。
その後徳育の大本を立てる方策が急速に進められ、教育勅語の成立に至っている。」
「学制百年史編集委員会 昭和四十七年八月刊行」
254 :
保守を考える:03/10/13 22:31 ID:06DnsmUy
まあ、教育勅語の成立過程や、その内容の賛否については、今更、という気もしますが
少なくとも、憲法発布の勅語との関係性や、法的根拠の問題点や
当時の宗教論争、内容に於ける12徳目、そして、井上毅の苦悩やその叡智を『認識』してから
議論を展開しないと、戦中の教育状況や、他国、特に米が何故、失効に追い込んだのか
全く見えてこないだろうし、そんな基本的な事を、私が教えてやるのは面ド臭い。
が、正直な感想です。
>>247 >天皇の忠臣である周囲には
>抗議して、天皇に対する抗議はなかった???説得力がない。
国や国民を慈しむ天皇なんだろう?にも拘らず抗議が起きているなら
臣下が可笑しなことをやっているのでは?と国民が考えても当り前だろう。
そんな臣下は忠臣と言えるのかい?
それとも、国民は馬鹿だからそんなことには気付く訳もないってことかな。
天皇は正→だから臣下も正で忠臣→当然国民も正、なはず?
なら抗議など起きる訳がないだろう。悪者は何処にも存在しないのだから。
それとも何かい、国民は天皇周囲の臣下こそ絶対者と見ていたとでも言いたいの?
従って天皇は主権者では無いなどと言いたいの?
256 :
保守を考える:03/10/13 23:34 ID:06DnsmUy
>>255 もう少し、落ち着いて書き込んで下さい。
何が言いたいのか、サーパリです。
257 :
右や左の名無し様:03/10/14 00:12 ID:0JqqL8TW
晩年の司馬は保守派には評判悪いし、所詮作家に過ぎない奴を持ち出すなと
怒られるかもしれませんが
(日本の近代)出発点は太政官政府にある。それを成立させたのは、いうまでも
なく明治維新なのだが、革命思想としては貧弱というほかない。
また人間の基本の課題も殆ど含まれていないのである。
革命が内蔵した思想や熱気、あるいはそれが掲げた理想は遺伝子のようなもので
、結局はその後の歴史を規制したり、形づけたり、器の大小をきめたりした。
「異民族を打ち払え、王を重んじよ」
などとは、まことに若衆組が棒を握って勇んでいるようで、威勢は良いが、
近代という豊饒なものを興すテーゼにはならない。
このことについては、大正末年から、敗戦までの間に”近代”そのものが
痩せ衰えてしまったことと思いあわせれば良い。
要するに
近代化を為しえた明治維新の「建前」が、その後の足枷になった
というような話であると思うのですが
司馬の見解が正しいとし、それを体現していたのが「帝国憲法」であり
その条文を解釈する上での学説ではないのか?
という考えに対しては、明治憲法擁護派の人達は不満なんですか?
>>256 >もう少し、落ち着いて書き込んで下さい。
>何が言いたいのか、サーパリです。
別に慌てたりしてないけど。
理解できないならワザワザ何か書いたりしなくてもイイよ。
>>225の
>一般意志との違いを指摘できますか?
は、
一般(この範囲も難しいが)は、衆議による決定が明治憲法の基本ではなく
天皇が全てを決める存在であると、認識していたのでは、と言う指摘なのでしょう?
>>255の
>臣下が可笑しなことをやっているのでは?と国民が考えても当り前だろう。
というなら、国の行方についての決定は、誰が行うと国民は認識していたと言うのかな?
本来天皇が決定するんだけれども、その決定に必要な情報をきちんと伝えない、あるいは
良くない助言をする内閣が悪いと言うことで、行政に対しては抗議が行われた、、、と
考えておられるのか。なぜそう思われるん家、書き込んでいただければと思う。
因みに、議論としては、主権者と言う言葉の定義を定め、主権者が誰であったのかを
議論するよりも、明治憲法下においての決定のシステムと理念というところに、シフトしつつ
あるようだが・・・。天皇が絶対権力者であると言う認識は、否定的だよね。
>>257 明治維新を、思想的革命と捉えると、司馬の言説も妥当性を帯びるでしょうけれど
実際には、開国と言う外的圧力への対応、経済システムの発展による封建社会の限界
の二つが、その要因であり、明治期のキーワードは「富国強兵」だと思います。
日本は、少なくとも1000年以上思想革命は起きていない。(現代まで・・・。)
富国・強兵のどちらに重心がかかるかは、時により変わるのでしょうが、概ね前半は
「富国」後半は「強兵」に重心ガかかったと言うことはいえるようです。
どちらも、必要であったことは言うまでもなく、富国の必要性に異議を唱えないでしょうし、
日清日露戦争勝利まで米英などの列強との不平等条約は是正されなかったこと
をおもえば、強兵もまた、近代国家作りにおいて、不可欠であったのは当然です。
「異民族を打ち払え、王を重んじよ」 と言う思想が、明治憲法に流れていたとは、思えませんし、
テーゼだったと言うのは、いかがかと思います。
>>252 >その一般的見解は妥当というより、歴史事実ですね。
ソースを示すのを忘れていました。「学制百二十年史」です。
>>259 責を負うと言う時、誰にあるいは何に対してかを考える必要がある。
帝國憲法下で(それ以前の既成の法・慣習通り)天皇直属の臣下が責を負う相手は天皇以外には無い。国民や国家では無い。
従って天皇は最高権力者の地位にある。本来絶対権力者なのだが、実質的にそう振舞うことは出来なかった。直接権力を行使する以上、裏付けとしての武力が必要だが、麾下の軍を保持していない。
最高権力者としての地位だけは約束され、権力の実態は常に他に存在したのが天皇の歴史なのだ。天皇は孤独に置かれ、臣下を頼らないと生きられない、言い換えれば、臣下の言う通りに動くことしか出来ないのが日本のシステムなのだ。
しかし、天皇も臣下も国民も権力の源泉は天皇自身にあると認識していた筈だ。
天皇を掌握した者が実権力を振るうという考えだ。
天皇は権力の容器であり、容器を持った者が中身を勝手に使えるのだ。
それでも、権力の実行者が一人なら実行責任の所在は明白なのだが、明治になり、万機公論に決すなどと言い、権力の実行者を複数化したことで、実行責任の所在が不明確になり、天皇も含めて赤信号皆で渡れば怖くない状態に陥ってしまったのさ。
日本では、古よりつい先だってまで、天皇こそが主権者であったのだ。
だから権力実行者も秀吉を除き、全て名目は天皇家に連なる者だったのだ。
>>262 捉え方として、そんなに違和感はないけど・・・。
>明治になり、万機公論に決すなどと言い、
については、多少の議論はあるだろうけど・・・・。
で、聞きたいんだけども、江戸時代の主権者は、その論法によれば誰になるん?
264 :
保守考@アクセス規制中:03/10/14 12:21 ID:sUNbUqWI
>>258 理解出来ないから、その旨を丁寧に書いている。
併せて、自慰行為ならよそのスレでやってくれとお願いしている。
>>262 >責を負うと言う時、誰にあるいは何に対してかを考える必要がある
通歴史的な『国家・国民』しかない。
告文・憲法発布の勅語を読めば明らか。
>帝國憲法下で(それ以前の既成の法・慣習通り)天皇直属の臣下が責を負う相手は天皇以外には無い。国民や国家では無い。
根拠を提示しない論述は単なるデンパなので、気を付けよう。
>臣下の言う通りに動くことしか出来ないのが日本のシステムなのだ。
そのような者を、日本語で『最高権力者』とは言わないから、よく覚えて置きましょう。
以下も単なる妄想に過ぎないので、レスは不用かな?
265 :
保守考@アクセス規制中:03/10/14 12:22 ID:sUNbUqWI
>>261 なるほど、やはり、そうでしたか。
ただ、あの時代に関しては、「百年史」の方が詳しいので、お勧めします。
266 :
保守考@アクセス規制中:03/10/14 12:26 ID:sUNbUqWI
>>262 >裏付けとしての武力が必要だが、麾下の軍を保持していない。
キミの「統帥権」の解釈を聞きたくなったな。
あんまし、期待してないけど・・・。
267 :
保守を考える:03/10/14 19:40 ID:6LgzWaO2
試験
268 :
225:03/10/14 23:20 ID:0JqqL8TW
>>259 一般意志との違いの説明を求めたのは自分です。
>>255は別の人です。
この場合の一般意志は、保守氏の理解したとおりの「ルソー」のそれであるわけですが
否定的な意味に使っていると考えください。
つまり、フランス革命の結末が示した「何が一般意志なのか分からない」という現実。
保守氏は「これが代表できない」とする、立法に関しての直接民主制を主張した
部分を以て「違い」としましたが、
自分は保守氏の考え方が「民主主義は特殊意志であり、衆議は一般意志である」
かのような主張に思えたので。
それは「(観念的な)ルソーの言い分と同じでは無いですか」という意味で
問うたのです。
天皇スレの本家本元は、やっぱココじゃろ。
270 :
右や左の名無し様:03/10/14 23:58 ID:V3RayJvZ
>>269 僕もそう思うけど、ちょっとハイレベルすぎて一般の人は入っていきにくいよね。
ここで、話題になっている「君主無当責」と「君主主権(天皇主権)」は、通常、背反関係にある。
君主主権であれば、必然的に「統治の当事者」となり、「無当責」というわけにはゆかない。
とすれば、「天皇主権の憲法」にあって、「神聖不可侵」という条文を「君主無当責」と読み取ることは明らかな矛盾となる。
このあたりは、天皇の戦争責任論とも絡んでいるため、なかなかに天皇信奉者らを悩ませるw
信奉者の一部が、旧憲法下の天皇主権を否定しようと必死なのもその辺りに理由がありそうだ。
しかし、どうやら、その天皇信奉者らも、「天皇主権」が通説であることは認めざるをえなくなったようだw
>>228 >私は、通説である天皇主権の法的根拠は、何であるのか?
>という懐疑から、自身の思想を開陳している次第でありまして、…
天皇主権、かつ神聖不可侵=天皇の神性(現人神)というのが矛盾が少ない ?
となると、戦争責任もまぬがれない ?
新憲法における「象徴」と旧憲法における「天皇」は制度的にはまったく異なる。
おおいなる矛盾と問題を孕んだ「天皇」を、天皇の名称も世襲する血族も同一のまま、「象徴」にハメこんだwことに、そもそも大きな問題があるようだ。
いずれにしても、天皇は民主国家の象徴たるにふさわしくない、と思う。
では、また。
>>264 >理解出来ないから、その旨を丁寧に書いている。
碩学にも理解不能なことはあるのだな。
難しいことは何も書いてないのだが。
>根拠を提示しない論述は単なるデンパ
帝国憲法の五十五条にハッキリ書いてあるでしょうに。
>そのような者を、日本語で『最高権力者』とは言わない
帝国憲法にはそう規定しているのだが。
匕首一本で片が付くなどと嘯く者達に対し、14歳の少年に何が出来たのだろう。
少年が長じたからと言って、徒手空拳のままで何かが出来、立場が逆転したりはしない。
273 :
保守を考える:03/10/15 21:32 ID:+RC3z2bw
>>272 まず、お断りをしておくが、私は碩学でも博学でもない。
単なる市井の小市民の一人である。
>難しいことは何も書いてないのだが。
いちいち説明しなければならないとは思わなんだが・・・
>>255の
>国や国民を慈しむ天皇なんだろう?にも拘らず抗議が起きているなら
>臣下が可笑しなことをやっているのでは?と国民が考えても当り前だろう。
なんでそうなるの?
君の言い分だと、天皇は過ちを犯さないと、当時の国民全体がそう判断している事に
なるが、その裏づけが不明。
例えば戦争末期には、首相官邸や皇居に悪意のある匿名の手紙が来ていた。
曰く 「 これ天皇や、一寸忠告するぞ。貴様はほんとうに馬鹿だな。・・・・戦争をするなら
物資を十二分としてからのことだよ。」(森茂:日本の歴史25・408P:中央公論者)
>そんな臣下は忠臣と言えるのかい?
これについては、日本的忠臣の意味が解っていないと思う。ようするに君が
どのような理解で「忠臣」を使っているのかが不明。
>天皇は正→だから臣下も正で忠臣→当然国民も正、なはず?
問付をつけているところから、君の感想と推測できるが、その理由が提示されていないので
やはり意味不明。
>それとも何かい、国民は天皇周囲の臣下こそ絶対者と見ていたとでも言いたいの?
当時の国民が、天皇を絶対者だと見ていたと言いたいの?
となるから、当然、意味不明。
ようするに、何かを主張するに際して、一般的理解に発展しない言説は、君の単なる主観にしか
過ぎず、何の説得性を持たない。という事。
あわせて、比喩を活用し過ぎる論調は、読み手の感性に訴えるものだから、思想板とは
相容れないし、そういったレスは、このスレでは止めてくれないか。というお願いもしておこう。
274 :
保守を考える:03/10/15 21:39 ID:+RC3z2bw
>帝国憲法の五十五条にハッキリ書いてあるでしょうに。
多分、君は『責任』の意味について、よく解っていないようだ。
まあ、ヤスパースなり、カントを基礎に、考察してみれば。
で、55条の指す責任は、当然、国家・国民を指す。
また、私は
>(それ以前の既成の法・慣習通り)
が、何を指すのかを問うているわけだから、それに答えなければ、君の論は破綻するしかない。
>帝国憲法にはそう規定しているのだが。
大日本帝国憲法において、「最高権力者」条項は無い。
つまり、何処の帝国憲法を言っているのか不明。(若しかして、トルコかなあ?)
>少年が長じたからと言って、徒手空拳のままで何かが出来、立場が逆転したりはしない。
それが、万が一にも正しいとしたとしても、それを「最高権力者」と日本語では言わない。
と教えている。
275 :
保守を考える:03/10/15 21:42 ID:+RC3z2bw
なにやら、人のレスから我田引水を試みている物もいるようだ。
残念ながら、通説に則ったのみでは「思想」とは呼ばないことを、知らんらしい。
お可哀相に・・・・。
276 :
保守を考える:03/10/15 22:08 ID:+RC3z2bw
>>268 まあ、要するに「一般意思」なるものは、ある政治集団(政党等)に占有されてきた
歴史があるわけです。それを見事に看破したのが、マディソンでありハミルトンであり
J・ジェイであったりするわけなのですが、直接民主制なり、個人至上主義を唱える
あやしい氏に向けたレスでしたので、彼からの返答がないので、決着でよろしいのでは
ないのでしょうか?
因みに、ラカンだったかフーコーだったか忘れましたけど(調べて見ますが。)
こんな事(↓を言っていました。
「 今、世相は、例えば、”お前はどうするのだ”という問いかけが流行っている。
これは間違った主体信仰のなせる業だと言ってもよい。社会関係の中に、人が存在して
その中(規範)で動かされている事を認めず、自律的な存在として自分をコントロール
出来ると思い込んでいるのは、他人をも簡単に操作出来ると思い込む事に繋がる。
全体主義というのは、自己支配の思想の延長上にあるのである。自己開発だの、自律的
自我だのという精神的または心理的操作が、全体主義の基本技術といことだ。
人民を個人主義などという甘言で煽動する者は、結局、その上に立つ支配者になりたい
そんな、自己愛に満ちた幼児性が伺えるのである。」
私は、こういった主旨に概ね賛同している。
そして、天皇の人権だとか、自律的政治圏を主張する者を、その色眼鏡で見てしまうことに
ついて、やむを得ないと諦観している仕儀なのです。
堂上公家ってなんて読むのですか?
>>277 普通に「どうじょうくげ」でいいんだと思っていたのですが
ちがうのでしょうか?
279 :
保守を考える:03/10/15 23:03 ID:+RC3z2bw
>>277 「とうしょうのくげ」
一般的には「堂上家」や「堂上方」と使うけれど・・・。
280 :
保守を考える:03/10/15 23:05 ID:+RC3z2bw
では、おやすみなさい。
281 :
失礼:03/10/15 23:08 ID:SGQxGz1c
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>>279 保守を考えるさん
ありがとうございます。おやすみなさい。
283 :
右や左の名無し様:03/10/16 06:58 ID:xsGvIKiB
アクセス規制のためかけなかった・・・。
解除されたようなので、主権論争については、いわゆる明治憲法悪玉説の
各位からは、有効な論証が得られないのだが、一応もう一回書いておく。
欽定憲法を作る権威としての天皇の記述と、明治憲法における権能を、
きちんと分離して考えなければならない。
憲法を新規に作り、日本が立憲主義となるための権威としては、天皇の
歴史的継続性がその根拠とならざるを得ない中で、天皇に絶対性を
持たせない工夫が、明治憲法でなされている。
>>271 パンドラ氏
言うまで酔っ払っているかは知らないが、
>とすれば、「天皇主権の憲法」にあって、「神聖不可侵」という条文を「君主無当責」と
>読み取ることは明らかな矛盾となる。
なら、明治憲法は立憲君主制という通説と、明らかな矛盾となる。
アアダコウダ酔っ払いのたわ言を並べる前に、明治憲法において、天皇が統治の当事者
であった事象を、提示すれば貴殿の論証はできるのに、何で出せないの?
天皇主権で、天皇が統治の主体なら、その主体的統治を、主権諭して発揮した事象が
当然あるでしょう。具体的に出してみなさい。
他スレでも書き込んだのだが、信教の自由と政教分離について、ご教授願いたい
のであるが・・・。
信教の自由・・・一体その実体は何で有るのか、私にはわからないのである。
信教の自由は、概ね「信仰の自由」「宗教行為の自由」「宗教結社の自由」「布教の自由」
だろうが、思想良心の自由とか結社の自由、表現の自由に内包されていて、信教の自由
規定固有の自由と言うものは、ないんじゃないかと思える。
しかし、そうであるなら、その信教の自由を制度的に担保する「政教分離」というものは、
信教の自由の中の、一体何を担保しようとしているのか、私にはわからない。
「信教の自由」固有の自由がないならば、宗教団体を、他の様々な団体と区別して、
特別に扱う合理的理由は、一体どこにあるのか、どなたか教えていただけまいか。
287 :
保守を考える:03/10/16 20:31 ID:cM9C37pN
>れ氏
>>286 れ氏に対して、「教授」になるのか、単なる僭越なのか判りませんが
私の見解を書いて置きます。
そもそも信教の自由なる概念は、西欧史に於ける、あまたの宗教戦争、宗教改革、
又は、宗教革命を得て確立したものです。この辺は、西欧史の詳細を述べなければ
なりませんが、スレタイから大きく遠ざかるので、控えます。
日本に於いて、確かに踏絵なる、いわゆる宗教弾圧がありましたが、今日的概念である
「宗教」(Religion)そのものの意味としての言葉がありませんでした。
まあ、多神教文化であるから、当たり前なんですが・・・。
で、その「Religion」を宗教と訳したのは、明治に入ってからです。(確か十五年前後だったような?)
そうして、そのような西欧的権利を、明治六年には容認していましたが
宗教の意味付が、確定した後の、政府は憲法(廿八条)で規定したいきさつがあります。
戦後、GHQが起草した20条は当然Religionを使用していますが、この文脈の裏には
戦前の日本は、『国家神道』によって、信教の自由が無かった。という出鱈目な偏向解釈の下
また、戦後教育や現法曹界(判例等を見るに。)もそのように教育、或いは判断しています。
国家神道の誤った言説及びその解釈については、私は過去、機会あるごとに述べてきましたので
今は割愛させていただきます。
288 :
保守を考える:03/10/16 20:45 ID:cM9C37pN
で、「政教分離」についてなのですが
先に示しましたように、西欧史の話を、人類普遍の歴史として位置付け、
これを解釈する事に、私としては、特に実害はなく、問題はないと思うのですが、
(例えば、英国流国教承認型や伊・独流政教同格型など、その国家に於ける都合を容認するのならば)
これを自意識過剰に、何らかの人権が侵害された。と騒ぐ者や、公教育の場に於ける
宗教的教育の禁止として、「いただきます。」も駄目。なんて実際に行うアホ学校。
などを見るに、あイタタタ・・・。と笑ってもいられませんが・・・。
まあ、最高裁の判例を見るに、
「・・・・一種の習俗とみて、宗教的な行為であるが、宗教に対する、援助・促進・
圧迫・干渉になるような違憲の宗教活動にあたらない・・・。」(52・7・13判決)
になっていますから、この「制度的保障概念」をどのように解釈するかで、議論があっても
よいのですが、それも、西欧史と日本史に於ける宗教史を考察している論者でないと
面白い議論にはならにような気がします。
289 :
保守を考える:03/10/16 23:11 ID:cM9C37pN
まあ、法学説等を列挙しておきますと
1 制度的保障説
2 基本的人権説
3 客観的保障説
又、国家と宗教の関係性においては
1 完全分離説
2 最高裁判例による目的効果基準
3 米国判例理論によるレモンテスト
こんな感じですかな?
ところで、明日は所用の為、レス出来ませんので悪しからず・・・。
では、お休みなさい。
290 :
アスカ@忠君愛国:03/10/17 02:01 ID:fQOiBa05
>>238 「政治権力が機能していない場合」は政体法としての大日本帝国憲法
とは無関係であることは
>>203、
>>232の通りです。
御聖断については、ちょっとおもしろいものをみつけました。
安政条約締結に際して、孝明天皇が公家・諸大名に外交方針に関し
諮問なさったときの天皇ご自身の感慨だそうです。
「天皇は、『諸大名以下、人々は叡慮次第と申し、皆どうか私を当てに』
している様にも聞くが、『私もかねて御承知の通りの愚昧短才の質』なので、
『量見(=了簡)は少しもこれ無く候』と・・・告白せざるをえなかったのである」
(家近良樹『孝明天皇と〈一会桑〉』 文春新書 p52)
天皇という「権威」は必ずしも現実政治において有意な「権力」たりえません。
天皇おひとりおひとりが人である以上、致し方のないことです。
このような曖昧な「権力」に頼った憲法は、国家統治の役にたつものではない
でしょう。大日本帝国憲法はそのようなものであったのでしょうか?
もしも先帝陛下が「最後の一人になるまで戦え」と御聖断を下していたらどう
でしょう?あるいは安徳天皇のような幼児だったらどうでしょう?
終戦時の御聖断は先帝陛下の英邁な資質や、その他もろもろの社会的・
政治的条件をもとにはじめて成り立つもので、このような特殊な例から、
「御聖断を予定していた」「明治憲法下においての決定のシステム」などと
一般化するのは無理があると思います。
御聖断は御聖断、憲法は憲法と、区別していただけないでしょうか?
291 :
アスカ@忠君愛国:03/10/17 02:03 ID:fQOiBa05
>>228 保守を考えるさん
>通説である天皇主権
これはどういう意味でしょう?保守を考えるさんがこのようなお立場でない
ことは承知していますが、以前の議論がどのようなものだったかいまひとつ
分からないので・・・
どの本を見ても、
「ただでさえ不人気な上杉憲法学は、昭和四年上杉が深い敗北感にうちひしがれ
ながら世を去るとともに完全に凋落し、それ以後は・・・機関説憲法学の独占的
支配の時代となった・・・」
(家永三郎『日本近代憲法思想史研究』 岩波書店 p202)
というような記述しか見つからないのですが?
ひょっとして、「戦後の教科書にはみな『天皇主権』と書いてある」という意味
でしょうか?
292 :
右や左の名無し様:03/10/17 02:35 ID:AqDl70V4
>>264 >通歴史的な『国家・国民』しかない。
天皇。
国務大臣の任免権を天皇が、持っているのだから当たり前。
これを議会とすると、議院内閣制を採用する必要が生じる。
具体的な例として、旧制中学の法制教育においては 天皇と明記。
大正七年以降、天皇機関説の影響により、議会を併記するようになるが、
昭和十二年に再び天皇。
293 :
右や左の名無し様:03/10/17 02:39 ID:AqDl70V4
>>291 所謂大正デモクラシーと言われる期間、機関説が支配的であった事など
皆承知した上での発言。
論戦前は通説は穂積の主権説であるし、東京帝大の憲法第一講座は主権説。
であり正統学派の位置づけ。
国体明徴声明後は、主要大学の機関説講座は次々と閉じられ、主権説が
これに代わることになる。
294 :
保守を考える:03/10/17 07:05 ID:+bM56EdT
>>291 >ひょっとして、「戦後の教科書にはみな『天皇主権』と書いてある」という意味
>でしょうか?
そういう事です。そして、それを思想とは呼ばない。ともいいました。(混乱させてすみません。)
>>292 大臣責任制の概念や、近代国家に於ける統治機構について見識を深めましょう。
>>176で
天皇主権を法学的に実証する為に、明治憲法下、天皇個人が法を作り、裁判を行い、
軍を指揮し、他国と条約を結び・・・等々を立証しなければなりませんし、
御聖断が合憲である事を、条文には存在しない「主権」という言葉を用いないで、
証明しなければ説得性を持ちませんと判断しています。
と私は書いているから、これについての回答がなければ、天皇主権は成り立たない。
295 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 08:23 ID:mBjXLVuE
>>294 >天皇主権を法学的に実証する為に、明治憲法下、天皇個人が法を作り、裁判を行い、
>軍を指揮し、他国と条約を結び・・・等々を立証しなければなりませんし
そんなことを立証する必要はなかろう。専制君主は実質的な主権者と理解されているが
三権を全て自分で取り仕切る訳ではない。あくまでも主権者に還元される仕組みかどうか
誰が主役であり、仕組みの受益者であるかが主権者の定義なのだから。
>御聖断が合憲である事を、条文には存在しない「主権」という言葉を用いないで、
>証明しなければ説得性を持ちませんと判断しています。
不完全な明治憲法に、立憲主義的な立証を求める事自体が間違い。
法を超克した存在を憲法が認めている以上、法の内側で理解する事自体が無意味。
>>295 >法を超克した存在を憲法が認めている以上、法の内側で理解する事自体が無意味。
だからここが、イイカゲンと言うか、「 杜 撰 」なんだよ。
「法を超克した存在」がなければ、憲法はどうやって、何の権威によって制定するんだよ。
ある〜日、森の中で、熊さんが、これが憲法だよ〜ん、と言って渡された条文を、国民が
憲法として受け入れるかと言うことである。
297 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 09:10 ID:mBjXLVuE
>>296 煽るにしても、もっと知性を感じる発言をして欲しいが…
欽定憲法と理解できれば自ずと主権者が誰かは分かるというもの。
その程度を認識する頭脳は持とうよ。
>>297 煽り?誰が?
憲法についての理解のなかには「運用による柔軟性をも包括する」というのが
法学界の常識であることから、憲法規定に則った範囲での運用は容認できる。
ここまでは了解できるかい?
したがって、
>欽定憲法と理解できれば自ずと主権者が誰かは分かるというもの。
と言う認識は、杜撰すぎるんじゃないの?
299 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 09:55 ID:mBjXLVuE
>>298 >法学界の常識であることから、憲法規定に則った範囲での運用は容認できる。
当たり前だろう。法定化のタイムラグを埋める意味合いからも、
解釈による運用は認定範囲というのは常識。そんな初歩的な話しではないんだが。
主権者というのは当然に憲法を規定する際の主語の対象者であるから、
臣民へ向けて発布された明治憲法というのは「主権者」である天皇が
授受対象者でもある「臣民」に対しての認知付けも含め、欽定というカタチを用いて
授けたものだ。主役が誰かは例え杜撰な捉え方をしたところで簡単に分かる。
杜撰なのは明治憲法の運用の振幅の大きさを容認したことであり、其れが為に
特定の立場の者に恣意的に運用された事実を持ってすれば自明のこと。
>>299 基本的に、「欽定憲法」というのは、主権がどこに存するかを定める意味は
含まれていないと言うことなんだよ。
言っとくけど、私は、最終的に国政を決定できる人を主権者と呼ぶなら、明治憲法では
それは、天皇で有ると申し述べ「続けて」いる。
そのことと、天皇が絶対権力者・専制、出会ったと言うことは全く別のこと。
五箇条のご誓文にもあるように、万機公論に決すると言う議会制を引くと言うことは
憲法・基本法が有って初めてできることでしょう?
その憲法を定める権威と言うものが、一体どこにあったかといえば、尊王と言う運動が
成功したという歴史的事実に基づくわけだろう。
まさか、国民主権、あるいは自由民主主義が、日本において存在していたわけでもない。
それは、時代の限界であり、歴史のつみ重ねのなかで、形成されていく過程にあった
わけだから、現代の価値が、そのまま適用できるわけはない。
欽定憲法ではあるが、国民の権利を認めたのは憲法であるし、議会の存在や、三権の
分立を形成したのも明治憲法である。(その改定が現憲法だよね、手続き的には)
尊王と言う運動の成果が、明治憲法の正当性なんだろうし、そこにおいて、他に認められる
権威は存在していなかったわけだろうよ。 だから、
欽定憲法は正当だし、欽定憲法であることと、天皇主権はダイレクトにはつながらない(主権者
であると言うためには論証が必要と言う意味)し、主権者であることと、絶対権力者・専制君主
だったこともイコールではない。既に上のほうで書かれていることばかりなんだが、
読んでから出直したほうがいいんじゃないの?
301 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 10:08 ID:mBjXLVuE
>>300 相変わらずの低い理解力にはいささか辟易させられるが、私が
>>295で書いた内容を
再度良く読解すべきだろう。余計なことを書いてテーマを分散させる必要はない。
主権者の定義に置いて、三権の実行者が同義ではないと書いているのだ。
民主制に於いてすらプープル主権論が存在するように、実行者が主権者で有るかのような
発想は稚拙だと云うことだよ。第一私は
>>295で専制君主とも絶対権力者とも書いていない。
其の位置づけは主権者である要件を満たしてはいるが、主権者であるかどうかを
100%h包括するわけではあるまい。其れを論理のすり替えと云うんだよ。
>>287-289 保守考氏
こ教示(教授ではないですな、誤字脱字いつものことながら陳謝)感謝。
>そもそも信教の自由なる概念は、西欧史に於ける、あまたの宗教戦争、宗教改革、
>又は、宗教革命を得て確立したものです。
とはいえ、信教の自由として単独に基本法などで明示している国は少ないようです。
もし、信教の自由「独自の自由」というものがないのなら、政教分離規定において、
宗教団体のみを特別に扱う、合理的意味はないように思います。
考えてみれば、宗教であろうと宗教でなかろうと、国から特別に扱われることは
禁止されているわけです。どんな学校だろうと公平に扱うから、私学補助は適法でしょう。
国教についても同じなのでっすが、ある価値(それが宗教的価値であろうと、そうで
なかろうと)、国が固定化しその価値を好ましいと規定することは、憲法理念とか、国の維持
と言う部分以外において、当然にできません。これも、宗教であるナシに関わらず、
適用させなければならないことでしょう。
そうならば、政教分離というものの実体と言うのは、一体どのあたりなのかと言うことです。
亀哲人氏やアズマタン(どちらも同じようにトンデモですが)が、天皇の宗教行為をして、政教分離
違反などと述べている部分を見ると、この質問をしたくなるわけです。
内心の自由や、表現の自由が、保護されている中で、特段に宗教についてのみ、特別の規制を
加える政教分離規定の合理的必要性は、どのあたりにあるのかという検証は、天皇制の
考察においても、必要ではないかと、思います。
>>301 >相変わらずの低い理解力
それはそうかもしれないね。
で、その理解力が少ない私に、教えていただきたいのだが、
>法を超克した存在を憲法が認めている以上、法の内側で理解する事自体が無意味。
憲法が、「立憲の権威としての天皇」(これは法を超越しなければならんだろうから、当然)
以外に、天皇が法を超克した存在と認めている部分はどこ?
>亀哲人氏
具体的なことになるとスルーかい?
ちゃんと答えてくれよな。他にもスルーしていることはたくさん有って、失礼な奴だなーとは
思っているが・・・。
305 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 11:04 ID:mBjXLVuE
>>303 へりくだった態度のれ氏のレスは、拍子抜けするが…
日本がモデルとしたのはプロシャ憲法だが、法原理としての「国体と政体」区別論が主流ではなかった。
更には明治憲法下では、「国体」が天皇制を法概念以上のものとして正当化するものだったが、
天皇制と国務大臣との関係を特色づける「輔弼」行為に言及し、西欧の「副署」との原理的差異があり
官吏の地位は、特殊な人的関係にある「官吏服務紀律」の特殊性があった。
明治憲法創案者に天皇の主権を意図したかどうかについては、八木秀次氏などは
「天皇主権という言葉は明治憲法下では、穂積八束や上杉慎吉など、一部の人たちしか使ってません。
ところが戦後はそれが正統学派とされましたが、そうした正統学派の理解は
起草者の見解を離れていると思います。」と発言しているが、問題は創案者の意図ではなく
其処を離れ、運用上解釈による一人歩きを容認する内容だったということだ。
統帥権の独立と不可侵性、何より天皇条項第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
は明示せずとも主権が天皇にあると宣言しているに等しい。
また、連合国記者団長ラッセル・プラインズは、帝国憲法の二つの弱点として
『統帥権が天皇に直属していること、予算の前年度踏襲制(明治憲法第七一条)にみられるように
国庫支出にかんして議会の還元のせまいこと』をあげている。更に色川大吉氏は明治憲法下の
国家機関が憲法の及ばない範囲として、「官僚機構」「枢密院」「軍部」「内大臣」を
準憲法外機関、「元老」を憲法外機関と位置付けし、明治憲法の脆弱性を指摘している。
306 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 11:06 ID:mBjXLVuE
>>304 せっかちな香具師だ。
>>305を読め。君にも理解できるようちゃんと書いたから少し時間が掛かった。
へいくだったり煽ったり、忙しくするなよ。
ちゃんと読解して読めよ。
307 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 11:19 ID:mBjXLVuE
ちょっと、れ氏の理解力に疑問があるので補記。
>>305の独立性機関を容認し、其の独立性が憲法の及ばない範囲、
つまりは憲法を超克した存在にさせているということを理解できればいい。
井上馨や伊藤博文らは立憲君主制を確立しようと細心の注意を払ったが
最終的に恣意的運用にねじ曲げられた、というのが適正な明治憲法の評価だろう。
井上は危機感から教育勅語にイチャモンを付けているし、伊藤も天皇親政派の
侍従らと対立している。紆余曲折を経て井上と伊藤の理想は瓦礫した訳だ。
>>305 急がせて悪かった、陳謝する。
明治憲法に脆弱性という表現が妥当かどうかは別として、そのような欠点があった
ということは、私は認めるところだよ。
で、その、草案者の意思と、実態の差と言うものも有って、草案者の意図がそうである
からといって、それだけで論証とするのは飛躍があると、保守考氏にも申し述べている。
しかし、二つの点で、異論を申し上げる。
第一点は、欽定憲法であることや、明治憲法一条は天皇主権である論証となり得ない
ということである。
第二点は統帥権については、直属が当然で、主権論争とは無関係と言うことである。
第一点目に付いては、天皇の歴史的継続性が尊王と言う運動の根拠となり、憲法を
定めるものとしての根拠となったことは、歴史的な事実で、他に封建社会を近代に
移行させる、必然の根拠たる権威は存在しないのだから、これを否定することは
近代への移行を不可能とするんだよ。万世一系とか天壌無窮の神託とかそういった根拠が
大憲を定める根拠として提示されている限り、妥当とすべきなんだよ。
だから、第一条と言うのは、告文・憲法発布勅語などに類することであって、
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
は主権(君は統治権と同義だと言っているだろうから)の存する所を明らかにしていない。
この条文が、統治権の存するところだと言うなら、
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
と矛盾する。「統治す」と「統治権ヲ総攬」が同義なら、このような条文構成は、いかにも
おかしいだろうよ。「総覧」が統治権を掌握することなら、「憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」
との整合性もなくなる。
そんな初歩的な話しぐらい、クリアして書いてくれないと・・・。
つづく
つづき
で、第二点目の統帥権と言うことだが、
統帥権が誰に有れば、妥当なんよ。
軍事と言うものは、秘密の作戦と言うものが当然にあるわけで、確かに軍部において
作戦上のこととしての統帥権を、拡大解釈し、本来、議会あるいは大臣の副署を要する
天皇の命令などで始めてできる軍事的行為を、軍部で行ってしまったと言う問題はある。
しかし、ダカラと言って、統帥権と言うものが、例えば開戦するとか侵攻するとか、そのよう
な権利と見るのは正しくない。
これは、再三申し上げている通り、複数大臣の副署を必要とする事項を解決する手段を
規定していなかったことに問題があるわけで、統帥権を天皇が管轄しなければ、作戦上の
行為を、誰が管轄するのかと言うことである。
統帥権の及ぶ範囲を明文化しなかったことに問題があるということで、立憲君主であろうと
国民主権であろうと、統帥権は、誰かが管轄しなければならないのは、当然だべさ。
軍部が作戦を自由に立てるなら、国の軍隊ではなく、軍部の軍隊と言う、封建時代に
逆戻りだろうて。
統帥権を主権論争に絡ませるのは、意味がないよ。これも初歩的な議論だね。
で、
>>307の亀哲人の話になると、全くかみ合わないんだよ。
>独立性機関を容認し、其の独立性が憲法の及ばない範囲、
>つまりは憲法を超克した存在にさせているということを理解できればいい。
と言っているんだが、仮に、
>国家機関が憲法の及ばない範囲として、「官僚機構」「枢密院」「軍部」「内大臣」を
>準憲法外機関、「元老」を憲法外機関と位置付けし
が妥当だったとしても、それが天皇主権の論証にはならんだろうよ。
官僚は行政の一部だろうし、大臣が管轄しているんだから(人事権は有ったろう?)
準憲法外と言われても・・・。
第五十六条 枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ
審議ス なんだかr、憲法内機関だよね、枢密院は。
他もそうなんだけれども、それを準憲法外と位置付けようとするなら、県歩浮き英における
本来の決定システムと対立した場合に、憲法の定めとは異なる決定が下ったとする
事象の説明が無ければならないでしょう。無根拠にそういわれてもねぇ。
なんか論証する資料でもあれば、提示いただけるかな?
漢字が多くてわからないぽ・・・・・
312 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 12:41 ID:mBjXLVuE
>>305 >「統治す」と「統治権ヲ総攬」が同義なら
そんなことは誰も云っていないだろう。憲法条文を平明な視点で読めば解るが
総攬とは「掌握して治めること」であるから、統治者である天皇が総攬すると云うことだ。
統治者だから総攬するのである。統治者とは国土・国民を治める権利を持つ者であり主権。
国語レベルの理解で済むだろう。イコールで結ぶのではなく因果関係として捉えよ。
君が根拠として長々と書いた尊皇運動の経緯は、天皇大権への道筋でもある。
こんな初歩的な話しくらい、クリアして書いてくれないと。
統帥権とはシビリアンコントロールとリンクするテーマだが、軍部というのは
本体的に行政の長が握るのが適正な姿だ。(だから米国人は天皇の統帥権に驚いた)
立憲君主国でありながら、英国の其れとは違った姿であったということだ。
英国の場合軍の最高司令官は国王だが、実質的な命令系統は内閣府が統括している。
明治憲法は天皇→内閣府→軍という有るべき姿を持たず、真ん中の内閣府を飛び越えて
規定されてしまっているから軍部のフリーハンドを許すという失敗を犯してる。
制度的な欠陥であり、是こそが君主と軍事を強化したプロシャの制度を取り入れた
日本の過ちとなった。当時ですらプロシャの制度は遅れていた。何故憲政論が既に
定着した英国型の制度を取り入れず遅れたプロシャ型にしたのかは諸説有るのだが
一つは成文憲法に拘ったこと、二つ目は知性的な条件により君主と軍を強化せざる
得なかったこと、更には当時のプロシャの御用学者の見識が低かった事が挙げられよう。
313 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 12:46 ID:mBjXLVuE
>>310 >で、
>>307の亀哲人の話になると、全くかみ合わないんだよ。
其れは君の理解力の低さに起因する問題だ。責任転嫁も甚だしい。
君の発想がどうしてその様な理解に至るのか、その思考回路がショートしてるとしか
解せないが、憲法の埒外の実行機関を憲法自体が認めてしまっている事に
どうして考えが至らないのか不思議でならない。論証する資料の提示など不要。
システムに不備があることが理解できなければ、どの様な査証を提示したところで
永遠に納得できることはあるまい。
れ氏
>>312の
「統治者とは国土・国民を治める権利を持つ者であり主権。」は
「統治者とは国土・国民を治める権利を持つ者であり主権者。」
の間違い。
「一つは成文憲法に拘ったこと、二つ目は知性的な条件により君主と軍を強化せざる」は
「一つは成文憲法に拘ったこと、二つ目は地勢的な条件により君主と軍を強化せざる」
の間違い。
失礼しました。
>>312 亀哲人氏
>>219に国語の問題は既に書いているから、それを元に反論してくれ。
>総攬とは「掌握して治めること」であるから、統治者である天皇が総攬すると云うことだ。
>統治者だから総攬するのである。統治者とは国土・国民を治める権利を持つ者であり主権。
>国語レベルの理解で済むだろう。
「総攬とは「掌握して治めること」であるから」とかいていて、国語の問題と豪語するなら
国語の問題として、きちんと回答してくれたまえ。
で、次の統帥権は、内閣総理大臣を規定していない明治憲法の欠陥だと言うに過ぎず、
主権者であると言うことの論証には、なりませんでしょう?チガイまっか?
>>313 君が、明治憲法のシステムの不備を、どんなに語っても、天皇主権には結びつかない
でしょうよ。明治憲法に不備があった=天皇主権、ナわけか?
不備があり、それを決定するシステムが存在しない部分があり、それがご聖断という形
に表れたから、最終決定者としての天皇を明治憲法は規定していたと言うのは、私の主張
なんだけれども、例えば、元老なんかは諮問機関と見ればいいわけだし、なんでもかんでも
持ち出すから、反論が出る。
明治憲法の欠陥を、全部天皇主権に結び付けようとしているように思えるから、おかしい
と申し述べているんだよ。
多分私の理解不足も有るだろうけれども、貴殿の論証不足・検討不足による決め付けも、
多いんじゃないの?
>>274 >当然、国家・国民を指す
天皇は無関係ということですかね。
天皇の臣下は直接に国家・国民に責を負っていたと。
臣下は、国家・国民を輔弼していたのだと。国家・国民を輔弼?
>>(それ以前の既成の法・慣習通り)
>が、何を指すのか
当然憲法を作った方々は、明治以前の全ての法・慣習を考慮しているでしょう。
その全てを取り入れはしないにしても。何せ歴史のある国ですから。
西欧の模倣ではなく、我国独自のものだともいっていたようですし。
このスレで銀河帝國の憲法の話は出ていなかったと思ふがな。
>大日本帝国憲法において、「最高権力者」条項は無い。
確かに、しかし唯一の権力者は規定されている。
唯一=最高権力者になってしまいそうだけど。
大日本帝国憲法下には権力者は存在しなかったようには見えないけどネ。
>それを「最高権力者」と日本語では言わない。
でしょうね。でも帝國憲法はそう規定していますから。
矛盾ですねぇ。あなたがあの時代に生きていれば、憲法を作成した方々に
そう教えられたのに。残念ですねぇ。
しかし、当時の本当の最高権力者は誰だのでしょうかねぇ。
どう考えても、国民ではなかったようですし、国家ということはあり得ないし。
四民平等で最高権力者などは存在しなかった、という訳でも無いようですし。
国家である以上誰かいた筈なんですがねぇ。歴史の表には存在しない人ですかねぇ。
317 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 13:21 ID:mBjXLVuE
>>315 先ず、天皇に主権があった事が認められなければ、どれ程不備を指摘しても理解は出来まい。
天皇に主権がある。
主権者からなる制度があるが其処に不備がある。
何故不備があるかといえば、主権者である天皇の大権に還元されるようなシステムだから。
リスクヘッジが出来ていなかった。
こんな簡単な事が理解できないとは。
主権の定義については後ほど
立憲当時の意味
総攬:全てを手にとりご覧になること。把握すること。手偏に覧だから、そういう意味。
統治:統べ(一つにまとめて)シラス(知らす・治らす)、治める(おさめる・納める)こと。
支配すると言う意味ではない。
と言う把握が、正解。総攬が「掌握して治めること」なら統治と総覧は同義で
統治権の総覧は「統べ治める権利を、総て掌握して治める事」で、日本語にならない。
「統べ治める権利を、すべて手にとりご覧になるように把握する。」なら日本語である。
>>371 だから、「天皇に主権があった事」の論証に、不備は無関係でしょうよ。
関係ある論証を頼むよ。
>>316 >確かに、しかし唯一の権力者は規定されている。
どの条文?
321 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 13:48 ID:mBjXLVuE
れ氏
少し整理する。
君が余りにもワカランチなので君を理解させる事(主権者は誰か?)に注力しすぎた
事に反省し、冷静に考えてみたい。
先にも書いたが、何故私が制度的欠陥を申し述べているかと云えば、解釈の振幅の大きさに
起因する憲法そのものの欠陥があるからだ。つまりは以下のことである。
明治憲法条文は、君が主張する様な見解も可能であり天皇主権で読み解くことも可能な
極度に運用する側に依存した存在であることが最大の欠陥だと云うことだ。
八木氏の主張も此処に由来しており、天皇に主権はないと云っているし
米国の占領制作側は天皇に主権があったから軍部が暴走したと解した。
天皇機関説は、主権は国家に有り其の権能保持者として国家機関に位置すると説いた。
結論。
どの様な解釈も可能なことが明治憲法の欠点。
君の理解もあり得るし、私の理解もあり得る。運用する幅が広すぎて
憲法として未成熟だった。
322 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 13:56 ID:mBjXLVuE
>>321の補記。
現在多くの法学者や教育機関では、明治憲法の主権者が天皇であるとの立脚点で
読み解いている。是は八木氏なども認めていることであり、彼は其のアンチテーゼとして
「天皇主権という理解で良いのか?」と云っている訳だ。
323 :
亀哲人さんへ:03/10/17 14:03 ID:y0GQvYRG
帝国憲法における主権の議論をしても無意味です。
学術的に論を進めても所詮は神学論争にしかなりません。拘る方が愚かです。
例えば数十年後に日本国憲法を論じた時、当時の自衛隊が合憲か否か、それに関して内閣に責任が有るか否かで言い争ってるのと同じでは?
論じるなら、あくまで憲法の運用論、実態論で終わらせるべきです。
でないと、帝国憲法の主権論議は、昭和天皇の戦争責任論議に絡めたいが故の議論の逸脱行為としか思われませんよ。
それを望んでるなら別スレ「昭和天皇はなぜ責任〜」に行くか、堂々と正面から論じましょうね
324 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 14:07 ID:mBjXLVuE
325 :
亀哲人さんへ:03/10/17 14:15 ID:y0GQvYRG
あら、レスにタイムラグが生じてしまった。申し訳ない。
そもそも、天皇制論議に憲法論は無用だと思います。
もし天皇制に絡めた憲法論を有効的なものにしたいなら、日本における成文法の有効さを社会風土から論じた方がよろしいのでは?
>>321 >>27 >天皇の戦争遂行意志をも「無問責」という結論に導くことが間違い。昭和天皇は主体的に
>戦争遂行の指示を出している。
>>240 >教育勅語は本来的に明治憲法から逸脱した内容ではなく、補完する意味合いで
>書かれている。此の勅語の提唱者である山県有朋は、天皇主権を教化、認知をより
>強める意味合いで創案していた事実からも明らかだろう。
>明治憲法では天皇を憲法の上位概念に位置させているが故、・・・
>>297 >欽定憲法と理解できれば自ずと主権者が誰かは分かるというもの。
>>305 >統帥権の独立と不可侵性、何より天皇条項第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
>は明示せずとも主権が天皇にあると宣言しているに等しい。
は、全部破綻した、と言うこと?
憲法として未成熟なのは、【時代の限界】でしょう。制度的欠陥が時代的限界であるならば
そして、それがやむをえないのなら、明治憲法の欠陥を、戦前の反省とするに吝かではない
が、それは制度的な反省として有効である。
思想的な反省としては、天皇への権力の集中とか、主体的戦争遂行の責任論の提示は
いかにも貧弱で、それに隠れる形で存在している、実際的な問題点を隠蔽する悪弊が
ある。ここが重要だと思うヨン。
327 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 14:33 ID:mBjXLVuE
>>326 >は、全部破綻した、と言うこと?
違うよ〜ん。
私は基本的に明治憲法は天皇主権との立場。
だが、
>>321が冷静に判断して多分最も客観的認識ということ。
君も私も主観で申し述べているだけ、と云いたいのさ。
328 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 14:37 ID:mBjXLVuE
>>325 亀哲人さんへ氏
どういう事でしょう?
私、お莫迦さんなので良く分かりません。
そもそも結論が出ています。
>>327 何回も書いているんだが、最終的に毛呈する人と言う意味が、主権者なら
それは、明治憲法において、天皇であったと、ずいぶん前から、私は書いている。
それは、論証可能な客観性のある主張だよ。ご聖断以外に、天皇主権説は成り立た
ないんだよ。
貴殿の論証は、ことごとく破綻しているじゃないの。
主体的な戦争遂行の客観的事実はないし、教育勅語における山県の意向も憶測だし
天皇が憲法の上位に存するというのは、大憲の制定以外では論証できないし
欽定憲法と主権者の関連も論理として不十分だし、統帥権も統治スも、天皇主権とは
かけ離れているし・・・。
明治憲法悪玉説では、戦前の有効な思想的反省はできナインと違うか?
330 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 14:44 ID:mBjXLVuE
>>329 >貴殿の論証は、ことごとく破綻しているじゃないの。
>主体的な戦争遂行の客観的事実はないし、教育勅語における山県の意向も憶測だし
>天皇が憲法の上位に存するというのは、大憲の制定以外では論証できないし
>欽定憲法と主権者の関連も論理として不十分だし、統帥権も統治スも、天皇主権とは
>かけ離れているし・・・。
其れは君が認めていないだけ。認めるつもりがなけれれば何とでも云えるさ。
331 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 14:53 ID:mBjXLVuE
>>329 君が破綻していると云うのなら
1)杉山参謀総長の作戦上奏時のメモが捏造だったとでも、其の論証を添えて提示してくれ。
2)山県有朋がどの様な理由で教育勅語を立案したのか君の論証を提示してくれ。
3)明治憲法の天皇の位置づけが上位概念ではない明確な論証を提示してくれ。
4)統帥権が誰に対して誰が統帥する権利なのか、主権論を交えて論証してくれ。
余計なことは書かなくて良い。1〜4を破綻しているというだけの論証が出来るなら
君が正しいのだろう。
で、出来るの?
とりあえず
>>331の(1)に対して。
で、珊瑚海海戦だと仮定したときの話だとしても、なぜ杉山が
>追撃を続行して残敵を撃滅するように電令しております
というのだろうか?
兵隊に「海を泳いで追撃しろ」とでも電文打ったのか?
その点をもう一度説明してくれ。
以上全部に目をつぶるとしても、
>このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない
という「昭和天皇」の「主体的」な「戦争遂行の指示」を受けた海軍がどう行動したのか。
具体的に言うと、珊瑚海海戦に参加した第四艦隊はその後追撃を行ったのか?
その点についても説明する必要があるな。
もし
>このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない
という「昭和天皇」の「主体的」な「戦争遂行の指示」に従わず、第四艦隊が逃げ帰ってきた事実があるなら、
「昭和天皇」の「主体的」な「戦争遂行の指示」など、
それこそ、形だけのものであった証拠になってしまうわけだが、
さて、第四艦隊はその後どう行動した?残敵を撃滅した?それとも逃げ返ってきた?
説明求む。
以上、
>>41より。
君は、これに対する回答をまだしてないよね。
1)は
>>40-41で、終わってる。
2)は
>>252-254、
>>249の見解が、まあ一般的だし、内容について山県の意向は
統一した指針を作る以上は、なかったんじゃないの?
軍人勅語を作った・・・富国強兵の強兵に重心を置いた政策であったことは事実だろうけど
>各学校では奉読式を挙行し、以後国家の祝祭日などにおいて、前後して公立学校に
>下賜され始めた「御真影」(天皇・皇后両陛下の公式肖像写真)への拝礼と
>この教育勅語の奉読とを主内容とする、厳粛な学校儀式を挙げることとした。
が継続されたことが、天皇の神聖視につながったにせよ、教育勅語自体にそれはない。
3)存在しないことを、どうすれば証明できるの?
4)主権者だあるということと、統帥権とは無関係だろう?軍の作戦と言うものは機密性・
専門性・即時性を要求されるんだから、天皇が軍の作戦を統帥しないなら、一体誰が
統帥できたかと言うと、陸軍・海軍大臣でしょう。内閣と言うものが、機関としてないん
だから、そこが欠点なわけで、主権者が誰であろうと、行政の責任者が統帥権を保持
するのは当然。
334 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 16:46 ID:mBjXLVuE
>>333 何だ、ちゃんと答えてないじゃないか。
余計なことばかり書いてないで
>>331に対して論証できない?
335 :
332:03/10/17 16:47 ID:???
>>334 其れは君が認めていないだけ。認めるつもりがなけれれば何とでも云えるさ。
337 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 16:49 ID:mBjXLVuE
>>335 私はれ氏に求めている。
彼がちゃんとした論証が出来れば、其れに対して彼に答えるつもり。
議論が錯綜するので君には答えない。
338 :
右や左の名無し様:03/10/17 16:50 ID:3IOMBHBM
論破されたことにすら気が付いてない亀哲人を見てると、
往年の渡部昇一を見ているようだ
339 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 16:52 ID:mBjXLVuE
340 :
亀哲人さんへ:03/10/17 16:52 ID:y0GQvYRG
彼は、きちんと回答してますよ。客観的に見て。
341 :
332:03/10/17 16:54 ID:???
>>337 私(っていうか
>>41)は事実を問うているだけで、
議論を充実させることはあっても、錯綜するようなことはない。
それとも、君の「論」と相反する事実だから、あえて答えないだけかな?
亀哲人の自制心が崩壊寸前ですw
>>340 そうでしょうか?私にはとてもそうは思えない。
>>337 じゃ、1)からいこうか?
>このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない
と、天皇陛下がおっしゃったことが、戦争遂行の意思表示であり、法的に有効な
戦争遂行の命令だったとするのは、いかにも言いがかりでしょう。
もう一回言うけど、北朝鮮が日本に侵略してきて、それを迎撃する自衛隊に対し
総理大臣が「このような場合には、敵を全滅する意気を持たなければいけない」
と言うのは、現代においても、状況によっては何ら問題はない。
これを戦争遂行の意思表示と見るのは、おかしいでしょうよ。
軍人に対して、激励し心構えを説くと言うことと、どこかに攻め入ろうとか、侵略
しようと言う意思で、戦争を行おうとする遂行意思とは、全く別物でしょう。
単に軍事はダメ、何が何でもダメ、頑固にダメと言っている、某ババァとおんなじ感覚
にしか見えない、言いがかりだよ。
2)は、そもそも、
>>240の
「此の勅語の提唱者である山県有朋は、天皇主権を教化、認知をより
強める意味合いで創案していた事実からも明らかだろう。 」が発端なんだが、
そのソースが、
>>242の、
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj020325.html なんだろう?このソースからは、その「事実?」は、全く表現されていないじゃない。
山県は軍人勅語を作った人だ。ということだけで印象的に論述しているだけで、
その事実とやらの論証が、全く放置されているよね。
単に軍事はダメ、何が何でもダメ、頑固にダメと言っている、某ババァとおんなじ感覚
にしか見えない、言いがかりだよ。
346 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 17:11 ID:mBjXLVuE
1)組織の最終判断者は天皇だ。彼自身が直接打電したかどうかなど些末な揚げ足取りも
良いところ。何のために「軍人勅諭」で天皇大権が有るのか理解できていない。
2)自由民権運動への危機感から山形が天皇への国民の帰属心を強化するために
井上に指示して草案を立案させたというのは歴史的事実として認識されてる。
その際井上は山形の目指す方向がに不安を抱き「今日の憲政体(立憲君主制)の
主義に徒えば君主(天皇)は臣民の良心の自由に干渉せず」と制定に難色を示した。
3)統帥権が天皇に直属していることが明徴運動を補完した事実だけで
充分に主権者が天皇と理解出るだけの論証となろう。明徴運動は機関説の
主要テーマである「主権は国家であり天皇は其の機関」を否定している。
上位概念でなければ明徴運動による天皇統帥を理由にした軍部の行動は否定される。
4)是は3)に含まれる。
せめてこの程度の簡便な文章で、まともな反論が出来ないのかねぇ。
347 :
右や左の名無し様:03/10/17 17:11 ID:sR7G8z/6
> 単に軍事はダメ、何が何でもダメ、頑固にダメと言っている、某ババァとおんなじ感覚
ワラタw
348 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 17:15 ID:mBjXLVuE
>>345 >山県は軍人勅語を作った人だ。ということだけで印象的に論述しているだけで、
じゃあどうして井上が山県の指示に難色を示したのかな?
3)は、きちんと分別しろと、このスレの最初のころから書いているんだよ、私は。
欽定憲法制定の権威の根拠という意味は、もう分かるよね。
森の熊さんが、憲法をもって出て来たって、誰も従わない。
天壌無窮の神託とか、万世一系というのは、日本初の憲法の正当性に関する権威根拠の
表明であって、憲法における絶対性の表明ではないわけだよ。
ダカラ、憲法の改定に関しても、議会によると言う条文なんだろう?
そもそも、そういった制定権威根拠以外に、天皇の絶対性をあらわす条文はない。
ないものをないと論証するためには、ここにこういう条文があると提示してくれなければ
無理に決まっているだろう。
4)は、君の把握する統帥権とはどういうものか、是非それを聞いてから記述しよう。
是非是非、貴殿の把握を書き込んでいただきたく、
伏してお長い申し上げ奉りまするわいな〜。
351 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 17:20 ID:mBjXLVuE
>>349 やっぱり理解できていない(笑い
>表明であって、憲法における絶対性の表明ではないわけだよ。
そんなこと、制定時には云々と書いてるだろう?明徴運動のような方向を
認めうる憲法の欠点を指摘してるじゃないか?分からない?
では簡潔に
1)組織の最終判断者は天皇だ。彼自身が直接打電したかどうかなど問題にしていない。
戦闘状態中の発言である。戦争を遂行するかどうかの判断を求められていない。
2)自由民権運動への危機感から山形が天皇への国民の帰属心を強化するために
井上に指示して草案を立案させたというのは歴史的事実として認識されてる。
という論証を貴殿は何も提示していない。
3)それも論理の飛躍だね。
4)はぁ?
>>351 だ〜か〜ら、
>明徴運動のような方向を
>認めうる憲法の欠点を指摘してるじゃないか?分からない?
と欠点を指摘したのなら、その欠点と上位概念ではない明確な論証tの関係を
主権論を交えて論証してくれ。
欠点があるかr、主権は天皇で、憲法の上位概念が存在した・・・では、バカボンのパパ化
現象に陥っているか風桶だろうよ。
大体ある運動が存在するのは、その運動の主張が一般化していない証拠じゃないの。
354 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 17:38 ID:mBjXLVuE
>>352 >戦闘状態中の発言である。戦争を遂行するかどうかの判断を求められていない。
意味不明。天皇は珊瑚海開戦以外にもガダルカナル争奪戦、日米開戦(真珠湾攻撃)、
そして勿論有名な2.26事件でも指示して居るんだが。2.26事件時には、
「今後は朕の命令なしに一兵でも動かしてはならん」とまで発言して居るんだよ。
誰の軍隊かは、どんな阿呆でも分かるというもの。
山県の検証は後ほど示してあげる。君もケチばかりつけてないで、
反論に値するだけの材料を提示してみれば?出来るならだけでど。
あんまり期待はしないけどね。
355 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 17:47 ID:mBjXLVuE
>>355 >大体ある運動が存在するのは、その運動の主張が一般化していない証拠じゃないの。
君がどの程度認識しているか知らないが、天皇機関説は其れまではマジョリティを持って
認知されていた学説であり当時の皇族からも支持されていた。問題の発端は
貴族院で菊池が美濃部に噛みついた事に始まる。やがてその運動体は主流となり
美濃部は貴族院を去り著書は発禁された。こういった運動体を同じ憲法のなかで
包括できる事を「憲法の欠点」と表現している訳だ。分かってる?
356 :
亀哲人さんへ:03/10/17 17:51 ID:y0GQvYRG
>>354 2.26事件で、昭和天皇がその発言するのに、誰の合意も必要でなかったとの証明は?
だって現代でも同じ台詞を明仁は言えますよ。
「俺の(任)命がないのに、総理を決めたら駄目だ」とか、「俺の命がないのに、憲法を変えるな」とか。
>>354 >意味不明。天皇は珊瑚海開戦以外にもガダルカナル争奪戦、日米開戦(真珠湾攻撃)、
>そして勿論有名な2.26事件でも指示して居るんだが
天皇が、サイパン奪回を何回「指示」したかぐらいご存じですよね?
ところが、再三にわたって「指示」を受けた軍部は、結局、サイパン奪回作戦を行いませんでした。
天皇の「指示」など、軍部に取っちゃなんの強制力もないということは、
少し歴史をひもといてみれば簡単にわかります。
珊瑚海海戦・ガダルカナル・日米開戦も同様です。
天皇の発言はcommentであり、directionでは無いのです。
>>354 あほらしい。天皇主権説を補強するための論証に、なっていないでしょうよ、その書き込みは。
>>355 認知された学説?学説に過ぎないでしょう。学説が有効となるためには、その学説による
行為・実体がなければダメジャン。
だから、君の言うことは、学説とか憶測とかによって構成dされていて、事実は違うところに有るよね。
359 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 17:55 ID:mBjXLVuE
>>356 後で構ってあげるから横レスやめれ。
人に非礼だと云うくらいだからその程度の常識は有るだろう?
日本史板より引用
>榎原猛著「君主制の比較憲法学的研究」(有信堂)によれば、
>英国、蘭国、ノルウェー、スウェーデン、デンマークにおいては
>憲法上君主主権国と分類されている
さて、この前提を元に亀哲人さんにお伺いします。
英国、蘭国、ノルウェー、スウェーデン、デンマークは民主主義ですか?
それとも民主主義でないのですか?
>>354 2.26事件で、昭和天皇がその発言するのに、誰の合意も必要でなかったとの証明は?
だって現代でも同じ台詞を明仁は言えますよ。
「俺の(任)命がないのに、総理を決めたら駄目だ」とか、「俺の命がないのに、憲法を変えるな」とか。
>>354 >意味不明。天皇は珊瑚海開戦以外にもガダルカナル争奪戦、日米開戦(真珠湾攻撃)、
>そして勿論有名な2.26事件でも指示して居るんだが
天皇が、サイパン奪回を何回「指示」したかぐらいご存じですよね?
ところが、再三にわたって「指示」を受けた軍部は、結局、サイパン奪回作戦を行いませんでした。
天皇の「指示」など、軍部に取っちゃなんの強制力もないということは、
少し歴史をひもといてみれば簡単にわかります。
珊瑚海海戦・ガダルカナル・日米開戦も同様です。
天皇の発言はcommentであり、directionでは無いのです。
両方に同意、貴殿の回答を求める。あとでかまってやるなどと、全く失礼千万だなぁ。
みんなが参加する掲示板なんだから、時間をかけても回答しなさんせ。
チャットやっているつもりはないよ。
362 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 17:58 ID:mBjXLVuE
>>358 あほらしいとか学説がどうとかは良いから、論証を持って反論しなさいな。
否定に値する論理構成が出来なければ其れは単に「否定のための否定」に過ぎない。
分かってる?
363 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 18:00 ID:mBjXLVuE
>>361 前にも書いただろう。
私はお莫迦だから、聖徳太子の如く複数相手にする様には出来ていない。
364 :
亀哲人へ:03/10/17 18:01 ID:y0GQvYRG
>>359 横レス?きちんと論題に沿ってますよ。
それとも、ここまで書かないと理解出来ませんか?
…天皇の発言自体を云々して、実質上の主権を持ってたかの様に書くのは間違いである。
微妙に「さん」付けが消えてるのにワロタ
366 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 18:04 ID:mBjXLVuE
>>361 >だって現代でも同じ台詞を明仁は言えますよ。
根拠は?
天皇の公式発言は現在の憲法では、独自の発言は出来ないだろう。
出来るとするなら根拠を求める。
>>366 「公式発言」というなら、
>「今後は朕の命令なしに一兵でも動かしてはならん」
という発言が「公式発言」であることの立証が、まずは必要だよな。
>>326 亀哲人氏
別に他の議論への参加じゃないんだから、複数相手でもできるでしょうよ。
>あほらしいとか学説がどうとかは良いから、論証を持って反論しなさいな。
>否定に値する論理構成が出来なければ其れは単に「否定のための否定」に過ぎない。
貴殿が学説を持ち出して、天皇主権説を論証しようとしたんでしょう。
論理構成ができていないのは当方ではなく貴方でしょ。
こういった運動があった、こういった学説があったから、天皇主権であったという構成は
意味がないといっているんだよ。実体がなければ。
で、天皇がああいったこういったというのも、それが手続きや法的に有効なことなのかの
検証ナシには、論証にならない。
ただ、こういった論証手続きの議論となるのは、ループを繰り返すだけなので意味がない。
>>354-355が、どう天皇主権説につながるのか、その筋立てを提示してくれ。
369 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 18:15 ID:mBjXLVuE
大体が戦時という最終局面で、指示したとおりにいかなかった事が
指示系統のヒエラキーを否定する材料になると思っている事が驚きだ。
時局は当然に現場による判断が求められる。そんなの常識じゃないのかい?
>>367 >だって現代でも同じ台詞を明仁は言えますよ。
に対してのレスなんだが。根拠なんてないんだろう?
370 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 18:18 ID:mBjXLVuE
>>368 >実体がなければ。
ほ〜、では岡田首相が明徴声明を発したのも、美濃部の本が発禁になったのも
実態のない幻だと君は云うわけだ。こりゃ電波以外なにものでもないな。
史実に起きたことが実態を伴ってないという発言がどうして導き出されるのか
不思議でならないな。
371 :
亀哲人へ:03/10/17 18:23 ID:y0GQvYRG
>>367 に同意。
亀哲人さん。天皇は「憲法遵守」に関してコメントする権利は持ってますよ。関係法令で、発言を束縛するものは有りません。有ったら指摘して下さい。
当然、憲法を犯す者に対して「疑義」を示す能力さえ無ければ、天皇が象徴である必要がないでしょう。そして皇室は、その資格も能力ももちろん持ち合わせていますよ。
「憲法を守れ」とな。
2.26事件においても同様の意味でしょう。
「憲法を守れ」ですな。
多分、
・岡田内閣が天皇機関(説)を否定した
・だから戦前日本は天皇主権
ぐらいのレベルだろうなぁ。
374 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 18:43 ID:mBjXLVuE
>>368 いいかね、国家も憲法もあくまでも理念であり或る意味では実態がない。
国家間の条約などがいとも簡単に破棄される事実が其れを物語っている。
以下に明治憲法を天皇主権とする論者の主張を掲出する。
明治憲法の天皇主権論者の発言
宮本盛太郎氏『天皇機関説の周辺』より
大日本帝国憲法の体制(=天皇制)を認め,天皇は国家の最高機関であるから絶対的な
権力をもつと説く天皇機関説である。・・・この考え方は,天皇主権説を唱える以前の
上杉慎吉の解釈などにみられる
大阪府立高校教諭南英世氏HPより
明治憲法の第一の特色は天皇主権である。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之レヲ統治ス」
(第1条)とされ、憲法は天皇が制定し国民に与えたという形をとった(欽定憲法)。
そして、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)とされ、のちには天皇の祖先は
神であるという天孫降臨伝説によって、天皇の絶対性が補強された。
小島 哲氏HPより
1.「主権」の定義
「主権」とは本来、「最高の権力」を意味する言葉であるが、実際には多義的に用いられている。
(1)日本国の主権:他国によって干渉されない独立のもの。
(2)同国民の主権:国家の意思を最終決定しうる最高の力。
※「国民主権」とは、国のあり方は国民が決めるべきだという民主的社会の理念に拠り、
国民に「主権」が存するということである。「主権」は、法によって定められる権利とは
違う。統治権の正当性や諸権利の観念に根拠を与える根本規範である。
明治憲法下の日本国民は、「臣民」として、天皇に服従する存在とされていた。
しかし、国民一人一人の人格を尊重する民主的な世界において、支配者の独裁を容認する
憲法などが生き残れる筈はない。先述のポツダム宣言を受諾したことにより、その前提を
否定する「革命」が起き、天皇主権は国民主権へと改正された。
答えが遅いので、書いておくけど
その、岡田首相が明徴声明を発し、美濃部の本が発禁になったあと、
まぁ法相が、明徴運動への継承を表明したりしているわけだけれども、
その結果、日本の国政の決定システムは何か変わったのか?
具体的にどう変わったのよ?その変化の実態はどこで証明できるのかと
聞いておる。
ああいった運動があった、こういった発言があった、、、、あったのは事実だよ。
その事実で、どう天皇主権が実体として証明されるのか、そこがつながらないから
(亀哲人の脳内ではつながっているんだろうが)、私には、飛躍しているとしか思えないよ。
>>374 亀哲人氏
おいおい、議論を拡散させないで、
>>372に答えナよ。
答えないなら、どういう筋道で議論を展開するのか、その態度表明ぐらいしたらどう?
377 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 18:52 ID:mBjXLVuE
天皇主権に関する論者の発言2
明治憲法の成立と展開 03.5.8憲法調査会小委員会 坂野潤治氏
〔2〕明治憲法の諸特徴
1)天皇主権
?@第1条と第4条の矛盾
第1条大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第4条天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
?A第4条の前段と後段の矛盾
史料1 伊藤博文『憲法義解』(明治22)の解釈
「統治権を総攬するは主権の体なり。憲法の条規に依り之を行ふは主権の用なり。
体有りて用無ければ之ヲ専制に失ふ。用ありて体無ければ之を散漫に失ふ」
史料2 美濃部達吉『憲法講話』(明治45)の解釈
「憲法実施の後は統治権の行使は憲法に依つて一定の制限を設けられて居つて、憲法の条規に
従つてのみ統治権を行はせらるるのであります。是が立憲政治の専制政治と異つて居る所以で
ありまして、天皇の統治権に斯の如き制限が有るが為めに、我国は立憲政体の国たるのであり
ます」
同志社大学法学部助教授太田 裕之氏
戦前において神聖不可侵で「現人神」とされた天皇の地位は、天皇を主権者とする
明治憲法(一八八九)によって定められた。しかしその明治憲法は、敗戦後周知のように
占領軍の力を借りつつも、当時の、そして今の世界の趨勢である民主主義および
国民主権を根本原理とする日本国憲法(一九四六)に取って代わられた。
およそ「近代的」なすべての憲法がその根本原理とする国民主権の原理は、
国民=主権者が「主人」であり、国民の選挙により選ばれる国民代表たる国会議員、
そして主としてその議員からなる内閣は国民の「代理人」にすぎないことを意味する。
>>374 >>377 ・・・(;´Д`)
亀哲人のReferenceが、ネットで拾えてくるものだけなの何でだろ〜?
っていうネタですか?
>>377 美濃部の
>天皇の統治権に斯の如き制限が有るが為めに、我国は立憲政体の国たるのであります
てのは、天皇主権と真逆に位置するのではないかと。
380 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 19:05 ID:mBjXLVuE
天皇主権に関する論者の発言3
日高昭夫氏「日本国憲法における統治原理」より
明治憲法と日本国憲法は、天皇主権に対して国民主権であるなど、根本原理に大きな違いが
見られますが、両者の章建ての目次だけを形式的に対比してみると、意外にもこの二つの憲法には
共通点も多いことがわかります。
通経済大学法学部・教職課程履修生、瀬戸英之氏の HP
明治憲法は、明治22年(1889)年に君主主権を原理として、主君が臣下に与える欽定憲法として
効力を有した。明治憲法の最大の特徴は絶対的な神権天皇主義にあり、近代憲法は国民主権原理
を否定していることである。すなわち、明治憲法では、天皇は神聖不可侵であり(3条)、天皇の権
限は幅広く認められた。
八木秀次氏・高崎経済大学助教授
(衆・第154回国会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会)
通常、明治憲法は天皇主権で、日本国憲法の国民主権に移ったと理解されている。しかし、
ごくわずかの学者を除いて、明治憲法下では天皇主権はほとんど述べられておらず、通説的な
見解としては国家法人説、言いかえると国家主権説の立場に立っていた。したがって、明治憲法が
天皇主権という理解は、明治憲法と日本国憲法とをあえて対比させる立場に立った理解である。
(此処で云う国家主権説とは美濃部達吉らの天皇機関説を指す)
明治憲法の天皇主権論はまだまだあるけど、もっと読みたい?
381 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 19:13 ID:mBjXLVuE
>>379 >てのは、天皇主権と真逆に位置するのではないかと。
脊髄反射するなよ。私のレスの経緯を読めは分かるが、論旨は変わっていないんだよ。
天皇主権に読み解ける欠陥が明治憲法にあったと何度も書いている。
美濃部の天皇機関説が主流だった時期は、「国家主権論」がマジョリティだったが
明徴運動を経て天皇主権としか理解できない憲法の運用が行われたと書いている。
だから多くの識者、法学者、教育機関でも戦前は天皇主権だったと読み解いている。
いい加減莫迦な発言をやめにして、事実を認めれば?
すまん。
>>374-380のコピペの中で
天皇主権だったと読み解いている識者って誰?
天皇主権だったと読み解いている法学者って誰?
天皇主権だったと読み解いている教育機関はどこ?
てか、ネットからしかソースを持ってこれてない時点で、底の浅さを露呈してるね。
大体、君が天皇主権説を主張するサイトを検索した労力を、
天皇機関説・国家主権説を主張するサイトの検索に当てていたら、
この数倍のサイトが見つかっただろうけどね。
あぁ。そういうサイトは自説にとって都合が悪いから無視ですか。そうですか。
383 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 19:27 ID:mBjXLVuE
飽きたので今日は是くらいにしておく。
また来るので、文句があるならレスを付けて欲しい。
今度来たときに反論する。
では、さらば。また今度。
日本史板より引用
>榎原猛著「君主制の比較憲法学的研究」(有信堂)によれば、
>英国、蘭国、ノルウェー、スウェーデン、デンマークにおいては
>憲法上君主主権国と分類されている
この場合、英国、蘭国、ノルウェー、スウェーデン、デンマークは民主主義ですか?
それとも民主主義でないのですか?亀哲人さんの見解をお聞かせ下さい。
385 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 19:37 ID:mBjXLVuE
>>382 何だよ、去り際に変なレスが付いたな。
>>381を読むこと。
是で理解できなければお話にならないが。
じゃ、また。
「天皇主権としか理解できない憲法の運用」
とか言うぐらいなんだから、天皇主権説がどういうものか、
少なくとも、上杉慎吉の著作ぐらい読んでんだろうな?
387 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/17 19:43 ID:mBjXLVuE
>>384 面倒だから今答える。
5国共に立憲君主制を政体とした民主主義国家。
理由は権威と権力を分化させ、権力は民選の三権で成立させているから。
いわゆる「国王は君臨すれど統治せず」
因みに明治憲法は天皇が統治者。
以上。
>>381 >天皇主権としか理解できない憲法の運用
って具体的に何を指すのでしょうか?
また、その具体例が国家主権説では説明できないこと
(言い換えれば、天皇主権説でのみ説明できること)の証明が無いようなので、
合わせてお願いします。
>>361 >天皇の発言はcommentであり、directionでは無いのです。
天皇は軍の最高責任者ですから軍に対する発言は command です。
軍部が無視したのは、明らかな憲法に反する行為です。
にも拘らず、軍部は誰も処罰されなかったのは、憲法とは
全く別の力が働いていたものと解釈できます。
日本には、憲法よりも上位の何かがあると言うことになります。
或いは軍部は directions ではなく direction としか受け取らなかったのでしょう。
390 :
357:03/10/17 21:55 ID:???
>>389 違います。
天皇がcommandを発することが出来るのは大陸令・大海令(いわゆる奉勅命令)、ないし軍令陸・軍令海によってのみです。
前者は主に軍令上の命令で、参謀本部ないし軍令部が起草し天皇に上奏、裁可を受けた後、
参謀総長ないし軍令部(総)長が副署して前線に伝達し、これによって軍が動きます。
後者は主に軍政上の命令で、陸軍省ないし海軍省が起草し天皇に上奏、裁可を受けた後、
陸軍大臣ないし海軍大臣の副署を経て公布されます。
これ以外に、天皇が軍に対して命令を下す手段は存在しません。
従って、珊瑚海海戦時の天皇の発言や、サイパン島奪回の御下問などが統帥部にスルーされたことは、なんら問題ありません。
>>390 >天皇がcommandを発することが出来るのは大陸令・大海令(いわゆる奉勅
>命令)、ないし軍令陸・軍令海によってのみです。
こういう拘束があるとする、憲法上の根拠は?
昭和天皇の時代。
この時代こそ、戦争に次ぐ、戦争の時代だった。
満州事変、日華事変、上海事変などの戦争を起こし、
中国、南太平洋、ほぼ東南アジア全体まで兵を進め、
多くの犠牲者を出した。その中でも特質するのは、
某家を残すためにポツダム宣言受諾が遅れ、
古今東西で始めて原爆が落とされたことであろう。
彼には決定権がなかったという意見もあるが、
2,26の処置を見ていると、軍及び内閣に対して相当影響力があったとしか思えない。
393 :
1128:03/10/18 00:12 ID:FZgSIxQ/
どう説明すれば亀氏は納得するのだろう?
まあ、連合国軍でさえ理解出来なかったとされる天皇制ですから難しいでしょうな。
基本的には
>>390氏の説を読み解いて貰うしかないのだが、、、、。
日本型社会風土を理解できないと、答えは死ぬまででないだろう。
いずれにしろ、天皇に主権が有ろうが無かろうがどうだと言うのか?
東南アジア、及びアフリカの歴史観で言えば、この戦争は大義ある戦争であった。
歴史的にみても、日本が中国以外に責められる筋合いは無いだろう。
その中国は、日本が負けた御蔭で八千万人近い人間を死に追いやった。
そして、現在でも台湾、チベットに圧力を掛けている。
この事実をどう認識するのだろう?
394 :
357:03/10/18 00:23 ID:???
>>390 >憲法上の根拠は?
大陸命・大海令・軍令陸・軍令海という語句が憲法にない事からわかるように、
(直接的な意味では)憲法上には存在しませんが、強いて言えば
天皇は陸海軍を統帥ス
でしょうか。
ただし、
>>390のような参謀本部の運用を定めた参謀本部条例、
および、軍令部の運用を定めた(海軍)軍令部条例は、ともに勅令の形で幾度か改訂されています。
勅令そのものについての規定は公文式・公式令に規定がありますが、
憲法五十五条二項にもあるように、勅令というのは結局、憲法上の手続きと理解できると思われます。
軍令陸・軍令海に関して、大江志乃夫『日本の参謀本部』から引用しますと
>伊藤と山縣が天皇をはさんで論争したあげく、天皇は統帥権の発動という形式で「軍令に関する件」の制定を裁可した。
とあります。
要するに、憲法に定められた統帥権によって「軍令に関する件」が定められ、
以後、運用が行われたというわけです
ちなみに、伊藤と山縣が論争したのは、「軍令に関する件」そのものを軍令によって制定する手法に
憲法上の疑義があったからです。
395 :
357:03/10/18 00:24 ID:???
>>384 大正期に通説とされ、最も立憲主義的立場を採った、美濃部でさえ、統帥権の独立
を認めている事をどう考えますか?
>憲法五十五条二項にもあるように、勅令というのは結局、憲法上の手続きと理解できると思われます。
独立している以上、国務大臣の輔弼責任を定めた五十五条は適応されません。
「天皇の下に兵権の一部を委任せられて居る者は、国務大臣の監督の下に属せず
して天皇に直隷するものとせられて居る。…参謀総長・海軍軍令部長等の輔弼機
関は勿論、師団長、朝鮮軍・台湾軍・関東軍の各司令官…等皆天皇に直隷する
機関である。」
美濃部達吉 逐条憲法精義
ちなみに
五十五条の補弼機関による副署が、現在の「承認」と同じ意味に捉えている
人がいますが、
原則として、署名は拒否できないとする解釈であり、拒否の可能性
があるとする立憲派も「辞任」という行為によってそれが可能だとしてました。
399 :
357:03/10/18 01:38 ID:???
>>396 >大正期に通説とされ、最も立憲主義的立場を採った、美濃部でさえ、統帥権の独立
>を認めている事をどう考えますか?
もともと、参謀本部条例は太政官時代の明治11年(憲法発布は22年)に成立したもので、
その当初から、政府からの独立を盛り込んでいます。
だから、陸軍卿(後の陸軍大臣に相当)ですら、軍令(軍政と軍令という意味で、
「軍令に関する件」の「軍令」とは違う意味です) には手を付けられませんでした。
歴史的な流れから見ても、統帥権の独立は、さほど問題とすべき事ではないと思われます。
>独立している以上、国務大臣の輔弼責任を定めた五十五条は適応されません。
2つ抑えておきたい点があります。
第一点は、参謀本部条例・(海軍)軍令部条例が、「軍令」でなく「勅令」で出ている歴史的な事実。
第二点は、「勅令」が憲法・公文式(のち公式令)に定められているという歴史的な事実。
これらの事実からは、憲法上の手続きを経たものと理解する以外ありません。
あなたは「統帥権の独立」を根拠に、それを否定しておられますが、
それは、統帥権の独立を勘違いされている事に起因するものと考えられます。
陥りやすいミスですが、「統帥権の独立」と「陸海軍の独立」は同一ではありません。
統帥権とは本来、「用兵の技術的独立」を定めたものです。
ですから、組織の構成、軍の編成などのいわゆる軍事行政は、「統帥権」に含まれません。
ただし昭和期に入り「統帥権干犯問題」というのも起こる。
もし、それらが「統帥権」に入るというなら、陸海軍の予算は須く「統帥権」の範疇にあったということになりますが、
歴史の事実は、陸海軍の予算は議会の承認を必要とし続けました。
>>398 君がどういった本を読んでるのか知らないが、
帝国憲法下の日本の政治は、天皇→国務大臣というトップダウン方式でなく、
国務大臣→天皇というボトムアップ方式。
だから、原則として国務大臣は署名は拒否する理由がない。
それだけの理由。
>>400 拒否する事態が有り得ない というのではなく、拒否が必要となるケースが存在する
ことを認めた上で、「国務大臣の補弼責任」在り処について、論じているのだから、
無意味な反論。
佐々木(美濃部と共に立憲主義の急先鋒)
「国務大臣ハ其ノ補弼ノ職責トシテ、副署ヲ為サレントスル行為其ノモノノ正シキ
ヤ否ヤヲ判断シテ意見ヲ上リ、天皇其ノ意見ヲ採納サラルル限リニ於テ、換言セバ
国務大臣ガ其ノ行為ヲ正シト判断スル限リニ於テ、在職シ、然ザルトキハ辞職スベ
キモノナリ。(中略)苟モ在職スル以上ハ副署ヲ為スヲ要ス」
佐藤(国体明徴声明後の通説)
「帝国憲法ハ〜副署拒絶ノ権限若クハ辞職ノ自由ヲ与ヘザルガ故ニ、天皇ニ対スル
外部的制限トシテハ猶ホ足ラザル所アルガ如シト雖モ、畢竟国務大臣ガ能ク補弼
ノ職務ヲ盡スニ置テハ、天皇ハ決シテ不法又ハ不当ノ国家意思ヲ決定スルコト
ナカルベク」
国務大臣の拒否権があると唱える学者もいたが、有力説とはいえない。
>>401 うん。
だからいったん副署をした以上、その責任は君主でなく国務大臣に・・・
ていうのが美濃部・佐々木の言い分なわけでしょ。
>>393 >どう説明すれば亀氏は納得するのだろう?
あの美濃部ですら、戦前の天皇主権論者を納得させられることは出来なかったんでしょ。
まして、美濃部ほど法学に精通しているわけでもない我々が
亀氏を納得させられるわきゃないと思う。
せいぜい「美濃部の著作を読んでからにしてください」ぐらいしか言えないね。
それでもわからないというなら、「バカの壁」とやらのせいでしょうな。きっと。
旧憲法の主権論はあまり意味がない、というのは事実だろう。
通説というかたちで決着がついているのであり、どなたかがおっしゃるように(
>>285)「天皇の主体的統治」を実証するなど徒労以外の何者でもないw
なお、天皇主権を議論しようとされるのはケッコウだが、結論が見えすぎて面白くない。
それに、固陋とはいえ天皇信奉者が、一方的になぶられるのをみるのも気の毒だw
て、旧「国体」が「立憲君主制」というのには異論が多い。
(「立憲君主制」を“通説”と表現された方もおられたwww…
>>285)
「天皇主権」論が”通説”なのであるから当然ではあるが、「主権」と「無当責」がセットでは、むしろ「絶対主義」に近いw
類「絶対主義」王朝の担い手を、「天皇」という名称のみならず世襲する血族まで、「象徴」としていただくのは現代の民主国家としてどうか ?、と思う。
では、また。
統治権の主体たるものは自ら法の源なり。法の源たるものは法の上にあるものなるが故に
法律を以てその責任を追及することを得ざることは言を埃たざるなり。
故に法律上の無責任は独り公法上無責任なりと云うのみならず、
天皇に対して刑事の訴追あることを得ず。又、民事の責任を負わしむることなし。
by 上杉慎吉
406 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/18 08:24 ID:Gz3D+e1c
>>388 >天皇主権としか理解できない憲法の運用
って具体的に何を指すのでしょうか?
1935年3月貴族院は政教刷新決議案、衆議院は国体明徴決議案を満場一致で可決。
4月には陸軍内に国体明徴の訓示が通達。8月岡田内閣が国体明徴の声明を発する。
因みに国体明徴運動が天皇主権か国家主権かの論争であった事実は、以下の天皇の
発言からも分かる「君主主権説は、自分からいへば寧ろそれよりも国家主権の方が
よいとは思ふが、一体日本のやうな君国同一の国ならばどうでもよいぢゃあないか。
美濃部は決して不忠な者ではないと自分は思ふ。・・・一体陸軍が機関説を悪く言ふの
は。頗る矛盾じゃあないか」
明徴運動を受けて当時の文部省は「国体の本義」というパンフレットを作っている。
「天皇は外国の所謂元首・君主・主権者・統治権者に止まらせる御方ではなく、
現御神として肇国以来の大儀に随って、この国をしろしめし給ふ。・・・英国流の
君臨すれども統治せずでもなく、又は君民共治でもなく、三権分立主義でも法治主義
でもなくして、一に天皇の御親政である」との内容で明徴運動の教化に務めた。
前後するが、閣議により不拡大方針を摂りながら関東軍は統帥権干渉を理由に政府の
方針を無視。関東軍が錦州に向けて進軍しているという情報が入ると、其れに対して
当時外相だった幣原は陸相に、その事実を確かめさせたところ、参謀本部の指示のな
い独断専行であることが判明して、勅令で奉天帰還が命じられた。
407 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/18 08:32 ID:Gz3D+e1c
>>403 君は勘違いをしている。上で私のレスを読んでいるのか?
同じ内容の事を何度も書くのは好きではないが、私の論旨は以下の通り。
明治憲法には欠陥があった。発布時の理想は立憲主義に則った理想があっただろうが、
国際社会の趨勢に翻弄されるように拡大解釈の運用を許してきた結果、明徴運動に
見られるような天皇親政(内実は統帥権不干渉による軍部のフリーハンド獲得)を
導きだし、美濃部のような国家主義を排除した。
納得してないのは私ではなく当時明徴運動を推進した連中だろう。
408 :
右や左の名無し様:03/10/18 08:49 ID:wBMCCUmj
>>406 >1935年3月貴族院は政教刷新決議案、衆議院は国体明徴決議案を満場一致で可決。
>明徴運動を受けて当時の文部省は「国体の本義」というパンフレットを作っている。
これは「天皇主権としか理解できない憲法の運用」じゃなくて、
世間が天皇主権説を浸透させようとしていた「例」です。
>閣議により不拡大方針を摂りながら関東軍は統帥権干渉を理由に政府の方針を無視。
これは「統帥権の独立」の例であって、
「天皇主権としか理解できない憲法の運用」とは関係ありません。
>>396にもあるように、天皇機関説も統帥権の独立を認めてますからね。
>参謀本部の指示のない独断専行であることが判明して、勅令で奉天帰還が命じられた。
前半部分は、満州事変と同じく、軍が天皇の統帥権すら無視して行動した例。
天皇の権限が不十分であったことの例にはなるでしょうが、
どう逆立ちしても、「天皇主権としか理解できない憲法の運用」の例にはなりません。
後半部分は、先ほど述べた「統帥権の独立」の例。
以上の通り、
>>405は
>>388に対する回答としては著しく不適格。
あなた自身のためにも、もう少し考えてレスした方が良いでしょう。
409 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/18 09:10 ID:g8YbcaHV
>>393 >どう説明すれば亀氏は納得するのだろう?
>まあ、連合国軍でさえ理解出来なかったとされる天皇制ですから難しいでしょうな。
理解する必要なんかないだろう。名無しもどきのカス野朗。名無しもどきの
お前なんかが、人様に意見するなんざチャンチャラおかしいわ(藁
いいかね。国家とユーのはその存立理由を、国民に理解させるものでなければ
ならないんだよ。具体的には、民衆の支持を受けるような国家理念を明確に提示し、
それに基いて国家制度を組み立て、民衆の納得のもとに政治を行なうことが好ましい。
そうであってこそ、民衆個々人の納得が得られ、社会が安定すると言うものだ。
お前さんの言うことは、明確な理由も理念もなしに盲目的に日本的とかアジア的な
ものがあって、そのような理由にもならん不明確な概念に従うことが正しいと言って
いるだけだろ。これを社会一般ではカルト思想と呼ぶ。
およそ民主的な社会においては、社会形成の根本原理が不明確で理解不能なもので
あるなら、民衆の合意を取り付けることは理性を超えたところで行なうしかない
ことになる。これは、話し合いによる妥協を旨とする民主的社会の社会システムとして
ふさわしくない罠。
そんなに不合理な理解不能な「天皇」とか「戦前の体制」が好きなら、同じような
原理で有無を言わさず民衆を統治している、中共に亡命されることをお勧めする。
民主的で立憲的な社会とは、社会を存立させる憲法に先行する価値についても明確に
提示、それに対する合理的な検証を許容する体制と言うべきだろ。原理的理由に
さかのぼる明快な制度存立の論拠を欠く天皇制は、廃止されてしかるべきだろ(藁
結局、亀哲人にしても、パンドラ氏にしても 「イメージ」なんだな。
一つ一つの検証がなされていない。
明徴運動に関しても、その後にどう変わったのか?と言う検証が出されていない。
統帥権については、その定義さえ、提示できない。
始めにイメージありき、と言う印象しか、もてないな。
そうでないと言うなら、どれかひとつに絞って、きちんと天皇主権説を論証してみれば良い。
質問には答えないし・・・。
411 :
>>409って…:03/10/18 09:36 ID:vAwYvFDC
国家は民衆の支持…なんて言ってるけど、当時の日本、ドイツ、民衆の支持が有ったと知らないバカ。
>>409 おひおひ、アズマタン、議論の筋道を冷静に評価できる貴殿において、どう見ても
亀ちゃんは、何の論証もできていないことは明瞭だろうよ。
明治憲法においての、時代の限界と言うものは、誰もが認めているわけだ。
その中で、きちんと明治憲法期と言うものを把握し、欠点と利点を検証しなければ
先の戦争での壊滅的痛手を、二度と日本人が経験しないための有効な方向は
提示できない。政治とか思想を語るなら、過去についての検証された把握と言うものは
不可欠だろう。もしそれを誤まれば、貴殿のような誤まった方向を指し示すことに
なるだろう。
その誤まった把握からは、天皇制廃止とかそういった、誤まった回答が出てくる。
民族のアイデンティティとか、国の成立と言う根源的な部分が理解できないからだろう。
413 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/18 09:44 ID:g8YbcaHV
戦前の体制について、天皇主権かそうでないかと言う視点で議論しても意味ないだろ。
戦前の体制について押さえるべき点は、民衆個々人の社会形成・参与の権利に結びつけて
政治体制と言うもの理念的に考えなかったと言うことだろ。なんども指摘しているが、
この点が戦前の体制の根源的な「悪弊」なわけだ罠(藁
統帥権で言えば、統帥権の対象となる軍事部門も行政分野にすぎない。だから、
民主主義・国民主権の立場から言えば、予算のみならず軍のとるすべての行動は
原則的に民衆のコントロール下に置かれることが要請されることになる。これが民選の
政治部門による軍官僚に対する統制、いわばシビリアンコントロールの原点だろう。
戦前の体制は、民衆の個々人の社会形成・参与を、社会形成における根本原理として
明確に承認していなかった。民衆の意思は、社会形成の根本的な形成原理とはされず、
あくまで天皇とか伝統によって授与された恩典でしかなかったわけだ。このような
理念的背景が、統帥権の独立問題にも決定的に影響しているわけだ罠。
このような国家の意思決定において、国民個々人の生来的な権利である社会参加権と
国家主権を密接に結びつけない発想が、統帥権問題以外にも責任内閣制や出先行政機関の
独断専行や植民地政策にも現れているわけだ罠。主権が天皇にあろうがなかろうが、
国民の社会参加権との関係が希薄だったことこそが重要なんだ。本来社会形成の根本
とされるべき社会の構成員である民衆の社会参加権に求められるべきものが、天皇とか
伝統とか神権に結び付けて説明されたところが、権力の意思的運用を招いた元凶だろ。
血塗られた手で権力を不法に簒奪した薩長簒奪政権には、自らの権力の正統性を
民衆に求めることはできなかった。民衆の意思とは無関係のところに自らの簒奪権力を
正当化する言い訳を求めざるをえなかった。天皇とか伝統に権威を求めたのは、
不法で野蛮な薩長簒奪者どもの当然の帰結であり限界であったのだ。そのような
不法権力によって作られた薩長簒奪占領憲法体制が自滅したのは当然だ罠。(藁
>>413 >統帥権で言えば、統帥権の対象となる軍事部門も行政分野にすぎない。だから、
>民主主義・国民主権の立場から言えば、
だから、明治憲法の公布時点において、民主主義・国民主権は、なかったんだろう、
日本国内の価値としては・・・。
立憲の権威を国民に求めると言う思想は、自由民権運動においても見受けられない。
万機公論に決するなら、民選の議会が必要である、と言うところに留まっていて、
これが時代の限界。
415 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/18 10:03 ID:g8YbcaHV
>>412 >その誤まった把握からは、天皇制廃止とかそういった、誤まった回答が出てくる。
>民族のアイデンティティとか、国の成立と言う根源的な部分が理解できないからだろう。
民族のアイデンティテーとか言ってる時点で、お前さんは社会成立の根源的な部分
の理解ができていない。人間の社会形成力は、国家や地域社会成立に先行するもの
として存在するわけで、それは民族のアイデンティティーすらも無関係なシロモノだ。
社会の根本原理として据えるなら、どう考えても個々人にそなわった社会形成力を
もって基盤とするのが当たり前だろう。国家や都市社会が成立する以前にも人々は
集団生活を営んできたわけだし(藁
個々人にとって縁遠い国家についてもそれは言えることで、国家形成においても
個々人の意見はできるかぎり反映されるべきと考えるべきだろう。個々人の意思が反映
されるからこそ、その対価として個々人は国家の意思決定に承服する義務を負うわけで。
「代表なくして課税なし」ではないが、個々人の国家に対する民意の反映度によって、
国家権力の統制範囲は決定されなければフェアーとは言えない。少なくとも原理的には
そのように言える罠。適度なガス抜きが社会的安定にも寄与するわけだし(藁
戦前の体制の致命的な欠陥は、社会の構成員個々人の意思を国家意思に反映する
権力機構を欠いた点で、これが国家機関の民意から独立した専横を招いた。これを
原理的に是正するためには、国家の根本規範として個々人の生来的な社会参加権を
承認し、それを基礎にして国家権力を構成すべきだ罠。伝統とか歴史とか曖昧な
概念を持ち出すのは、その意味で「個々人の社会参加権を基礎とした国家」の原理を
曇らすものでしかない。民主国家にとって必要なのは、現在存在する個々人の社会
参加権のみであって、いかようにでも解釈される伝統とか歴史と言ったものは、
国家機関やファシストの専横を許すペテンでしかない。その意味で、歴史とか伝統に
よってしかその存立が説明できない「盲腸」のごとき天皇制は廃止されて当然だろ(藁
416 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/18 10:16 ID:g8YbcaHV
>>414 >立憲の権威を国民に求めると言う思想は、自由民権運動においても見受けられない。
>万機公論に決するなら、民選の議会が必要である、と言うところに留まっていて、
>これが時代の限界。
だから、そのような比較不能な概念で現代の制度をとやかく言うこと自体が
あやまりなんだろ。現代の政治体制は、基本的に現代的な政治需要に基づいて求め
られるべきもので、戦前の体制は現代的価値でみれば別の国の話でしかない。
だから別の国の誤った政治体制を批判し、現代社会の「正しい」政治体制を
擁護することが「真の原理的保守」に求められるべき思想的態度なわけだろ(藁
戦前の日本国は、現代日本国から見れば敵性国家でしかない。それを現代社会の
原理的視点から批判するのは、現代の社会機構を支持し忠誠を誓う以上
当然のことだろ(藁
時代によって、社会のよって立つ原理的基盤と言うものは変わりうるわけで、
一つのものに固執する態度事態がイビツで変態的だ。社会を構成するにあたって
重要な要素が、その社会にとって親和的なものとして評価されるなら採用すれば
よい。しかしその前提として、社会の基幹となる構成原理が語られなかったり
曖昧であれば、それが採用するに値するか否か評価することすらできんだろ。
お前さん達のやっていることは、ただただ「日本において日本的な制度を
採用するのは当たり前」と言っているだけで、明快で納得できるような社会構成の
根本原理とその体系を明快に示していないだろ。
国家のごとき抽象的な社会を組たてる上で重要になるのは、よって立つ理念だろ。
それが明快に示されければ、政治は実質的社会運営者の恣意に流されかねない。
「天皇」では政治運営ができないことを露呈したのが薩長簒奪占領政権の示したの
歴史的教訓だろ(藁
>>415 あいも変わらずで、面白みのない書き込みだなぁ。新しい視点は提示できないのかいな。
で、国家ありて個人ありなどと言うつもりはない。
人が社会を形成するにあたり、共通する規範とか価値が作られるわけだろうよ。
(それを社会が形成されると言う)それは、継続的に行われることであり、過去からの
継承を受けた現代の我々が、未来に対して現代の変更や研磨を行って引き渡すと
言うことの繰り返しである。こういった社会形成の中で、国家の枠が決定されて
きている以上、その一定範囲に収まる共通の価値や規範がある。
こういったものが、民族のアイデンティティにつながるわけで、
今日的に新たな社会秩序・社会の枠組みを、白紙の状況から毎回作り上げると言う
社会形成をしとるわけではない。
では、そういった、リセットしての社会の枠組みの形成はどういった場合に行われるか
と言えば、以前の社会秩序の根拠・根源・原理などが、決定的に無効とされるような
事象があった場合に限られる。革命的な状況。
革命的状況でない限り、民族のアイデンティティとか社会秩序の枠組みは、
破壊されない。ラジカルな改変と言うのは過去の秩序の破壊にすぎない。
天皇制の廃止と言うのは、そういう類のこと。
これを、例えば小選挙区制導入程度の改変と捉えるから、過ちを犯すんだよ。
418 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/18 10:45 ID:g8YbcaHV
>>417 だから「民族」も社会形成の一単位にしかすぎんわけだろ。相変わらずわからん
ヤシだなあ。これだから思考が硬直したナショナリストは・・・・(以下省略)
社会の枠組み形成をリセットするなと言うなら、国民国家・民族社会に社会機能を
収斂させる発想自体が「リセット思考」と言わざるをえまい。そっくり同じ
言葉をれたんには返しておこう(藁
広域な社会形成を望む時点で、社会攻勢の原理は抽象的なものにならざるをえず、
さらに広域な社会を中心に社会機能を収斂させる発想自体が、既存の文節的・分裂的
な社会構造をリセットして作られたものでしかないと言える。国民国家に異常な
までの社会機能を収斂した社会構造は、日本においては百数十年にすぎない現象
であって、しかも既存の社会構造を一度リセットして作りかえられたものでしかない。
これを「ラジカルな改変」「過去の秩序の破壊」と言わずしてなんと言うんだね?(藁
近代国民国家を作ったこと自体がリセット思考なんだから、既存の社会をリセット
する以上、新たに作られる新社会の秩序を原理的レベルで明快に組み立てる必要が
あった。そうでなければ、新たに作られた異常なまでに肥大した政治権力が恣意に
よって迷走することが十分に考えられたわけだ。そこの部分に明快な原理的説明が
なされず見切り発車がされ、さらに後になっても原理的部分が曖昧なまま積み残され
迷走の結果自滅したのが旧体制だろ。少なくとも「天皇」では、異常に肥大化した
社会機構の迷走を、防ぎ得ないことは証明されたわけだ(藁
>>418 > 広域な社会形成を望む時点で、社会攻勢の原理は抽象的なものにならざるをえず、
>さらに広域な社会を中心に社会機能を収斂させる発想自体が、既存の文節的・分裂的
>な社会構造をリセットして作られたものでしかないと言える。
この発想が、ゴーマンなんだべさ。人は広域な社会形成に適していない、抽象的になら
ざるを得ず、それは社会形成というリアリズムの継続的位置にない、と思い定めることが
貴殿の、「人に対する過小評価」=「貴殿の傲慢な思想」、なんだよ。
広域な社会形成というのはマイノリティや少数者の一般化という効果があるだろう。
例えば、障害者は狭い社会においては特殊だが、広域においては一般化できる。
多様な価値を認める社会と言うものは、広域において形成しやすいし、認められない
価値の限界が、国家と言う枠を形成する。
また、社会形成のリアリズムと言うのは、経済や物流において形成されるもので
(そこには当然に共通の秩序が必要)、奈良時代あたりからでも、租庸調などの税徴収と
農耕作を始めとする産業の知識を(八百万の神の振る舞いとして)知らしめる(シラス)
・土地所有権などの争いを収める(治める)リアリズムで、日本の範囲が形成されてきた。
これを具象と言わずして、抽象と捉えるから、貴殿のトンでも論は構成できるわけで
過去の正しい把握が必要、過去の把握を誤まれば方向を誤まる、の見本だ。
420 :
民主主義者:03/10/18 11:39 ID:/KN1RrYs
>>415 日本を国家として統合せねばならずまた維持せねばならんというベクトルの議論に必然性があることは理解しているだろうね?
どうも君とはこの根本で食い違っている気がする
もし国家解体主義者ならその後目指すものは世界制覇なのか地域分断なのか明確にしてくれ
もし国家を維持することを認めるなら皇室を支持するという何がしかの文化的エッセンスを共有する人々が
国家統合という難事を成し遂げるために天皇陛下というシンボルを使用してはならんとする根拠を示してくれ
君が国家を認めることを前提として話を進めるが
民意を国政に反映させるべきというのが持論らしいがそれこそファシストの宣伝文句でしかないことに気づいているだろうね
基本的に国家というのは組織であるという認識がまずほしいところだよ国政というものは結果的に各構成員の利益につなげればいいのであって
各構成員のお気に召すようにするものでは絶対にない――これを実行するには常に多数派以外の者を抹殺し続ける必要があるからな
国家は君の言う生まれながらに人間が持つ社会形成能力によるところの単位を収斂しているから完全なるゲゼルシャフトではもちろんないしそうしてはならないね
そのようにしてしまうと規範や道徳といった社会を形作る上で必要な要素が人間から失われてしまうという事情があるのだ
これを避けるため本質がゲゼルシャフトである国家にゲマインシャフト的要素を付与するためには例え曖昧であろうと非論理的であろうと宗教的であろうとフィクションというものが必要なんだよ
難しいかも知らんが天皇皇室維持にはそういう意味があるという現実をまず認めろよ
その上でその現実を打破するためには――という議論なら歓迎するぜ
422 :
保守を考える:03/10/18 13:09 ID:8D4NKeSY
昨日はALLで飲んでた為、頭が痛い・・・。
で、スレを開いたら、散らかし放題、荒らしまくっている者もいるようだが、
とり合えず、私に向けられたレスに回答しておこう。(後は、今夜の酒の肴にゆっくりと・・。)
>>295 >あくまでも主権者に還元される仕組みかどうか
>誰が主役であり、仕組みの受益者であるかが主権者の定義なのだから。
が、どう明治憲法下の天皇に当て嵌まるのかを立証してないから、
>そんなことを立証する必要はなかろう。
は、却下。
>法を超克した存在を憲法が認めている以上、法の内側で理解する事自体が無意味。
法を超克した???
日本語になっていないので
>不完全な明治憲法に、立憲主義的な立証を求める事自体が間違い。
は、却下。
で、私は、既に何度も、明治憲法をして立憲君主制だった事を立証している。
423 :
アズマって人は:03/10/18 13:09 ID:vAwYvFDC
アズマって人は何が言いたいの?
天皇制がベストでないって主張してるのは解るけど、代替案って持ってないのかな?
それとも、ただの破壊主義者?って事は共産主義者なの?
>>423 アズマ主義者なんだそうだ。
で、大日本帝国という天皇雄心の国家は、それ以前の地域に分散されていた国家を
薩摩長州勢が、アズマ地方から簒奪する形で無理やり纏め上げたものだと、言って
いるらしい。それで、地方意分散した国家形成というものが必要だと言うことのようだ。
425 :
保守を考える:03/10/18 13:15 ID:8D4NKeSY
補足説明
成文憲法の分類として、いわゆる欽定憲法、民定憲法又は、協約憲法或いは条約憲法と
あるが、これは制定の主体や方法を形式的に見た分類であり、
『間違っても』、それが、憲法の実質的内容や正確を示していると判断してはならない。
まあ、現憲法が一体この分類のどれに当て嵌まるのか、明確に答えれるのならどうぞ、遠慮なく。
因みに私は、上諭をもって、明治憲法の改憲であるから、『欽定憲法』と分類しておこう。
426 :
右や左の名無し様:03/10/18 13:17 ID:8D4NKeSY
>>425 訂正
正確 ×
性格 ○
うーん、まだヨッパラているようだ・・・。
427 :
アズマって。:03/10/18 13:22 ID:vAwYvFDC
>>424 って事は、共産主義者なのか。
大阪と東京が経済戦争起こしたり、沖縄が独立したりするのが夢なんですね。
なんか韓国人が喜びそうですね。
これが実現すれば半島分裂への負い目が薄らいで満足するかも。
>>400 >国務大臣→天皇というボトムアップ方式。
それは違うだろうな。
国務大臣を拝命した、つまり命令を受けたわけだから
上奏する案件は命令に対するレスでしかない。
個々のの案件毎の命令でなく、善きに計らえと全体を丸投げされているだけ。
持論に反する拒否したい案件であっても、拒否はできず
責任だけは取れと言う仕組みになっていたと言うこと。
例えば軍部が勝手に作戦を行ったとしても、大蔵はイヤでも金繰りをして予算を
付けなければならず、付けた以上、予算の責任は大蔵にあるということになる。
拒否をする理由はあっても、拒否は出来ないということ。
>>429 君の印象じゃなくて、具体的な事象を書いてくれよ。
今でも国務大臣は天皇が認証しているし、総理大臣は任命しているだろう。
軍部とは具体的には、陸軍大臣・海軍大臣がいるんだが、蔵相は対等な大臣でしょう。
たしかに、明治憲法下において、軍事費の減額を国会が決定したことに関して、天皇が
内定費の削減を提案し、無謀な軍事費削減が修正されたと言う事実はあるが
これは政府と議会との問題。大臣同士に上下関係があるわけもなく、イイカゲン
印象だけで、物事を断じるのは止めたほうが良いよ。
431 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/10/18 20:59 ID:Gz3D+e1c
いやぁ〜、覗いてみて久しぶりに楽しませて貰った。
国体明徴運動時、裕仁氏の「天皇主権論と国家主権論」発言や
文部省が配布したパンフレットに明記された「天皇主権、現人神」という啓蒙活動等
是だけ明快な資料を提示しても「天皇主権」に陥った明治憲法の欠点を認めないばかりか
立憲君主だったと言い切ったり(じゃ、明徴運動って違憲だったのかな?)
上杉と美濃部の論争を曲解したり…認めまいが何だろうが、明徴運動以降は「天皇主権」
を軸にした論理で国家が推移した事実はどう考えてるんだろう、この人達は?
事実をも認めないという、天皇ヨイショの人達の典型的精神構造を見ることが出来た。
是は収穫と見るべきか、おしてしるべしの結論かは微妙だが。
>>431 つまり君の論理構造では、
首相が「日本は神の国」といえば
日本は神の国になるわけだ。
もっと現実に目を向けなよ。
おっと。「日本は天皇を中心とした神の国」だったねw
434 :
1128:03/10/18 21:40 ID:FZgSIxQ/
>>432 と、いうか、、この人って天皇機関説の意味も知らない人ですから。
昭和天皇が機関説を支持していたことに異論はないと思う。
この事実から、もし日本が天皇主権国であったらどうなるだろうか?
第一に、「主権者」である昭和天皇が機関説を支持しているのだから、
すなわち、日本は天皇機関説を支持していた、という以外に解釈しようがない。
第二に、「主権者」である天皇の意志を無視して内閣や文部省が動いたのだから、
そんな国は「天皇主権国」ではない。
このようになる。
しかし、国家の重要組織である内閣や文部省が「天皇主権」といったのだから天皇主権なのだ、と強弁する人がいる。
もっと事実に目を向けてほしい。
先頃のイラク戦争では、イラク宣伝相が「バクダットに米軍戦車などいない」というプロパガンダを流したが、
バクダットに米軍戦車はいなかったのだろうか?答えは否である。
国体明徴宣言も同じである。
単に、国家が「日本は天皇主権国である」というプロパガンダを流していたという程度の話でしかないのである。
なにより、某氏が「天皇主権としか理解できない憲法の運用」
の実例を挙げることの出来ない現状が、それを物語っている。
436 :
保守を考える:03/10/18 22:42 ID:9etPN3XY
>>431 >国体明徴運動時、裕仁氏の「天皇主権論と国家主権論」発言や
>文部省が配布したパンフレットに明記された「天皇主権、現人神」という啓蒙活動等
>是だけ明快な資料を提示しても「天皇主権」に陥った明治憲法の欠点を認めないばかりか
>立憲君主だったと言い切ったり(じゃ、明徴運動って違憲だったのかな?)
明治憲法の欠陥を認めたてない?
誰が?
いかなる憲法典(成文法)に於いて、完璧なモノなどあるわけが無い。
で、「国体の本義」を弁護する気もさらさらないが、正確に抜粋しておこう。
まずは 二の聖徳より
かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のまに/\我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。
この『現御神(明神)或は現人神』と申し奉るのは、所謂絶対神とか、
全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし
天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし
限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。
帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、
又第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、
天皇のこの御本質を明らかにし奉つたものである。従つて天皇は、外国の君主と異なり、
国家統治の必要上立てられた『主権者でもなく』、智力・徳望をもととして
臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。
天皇は天照大神の御子孫であり、皇祖皇宗の神裔であらせられる。
天皇の御位はいかしく重いのであるが、それは天ッ神の御子孫として、
この重き位に即き給ふが故である。文武天皇御即位の宣命に、
「 高天原に事始めて遠天皇祖の御世、中今に至るまでに、天皇が御子の
あれまさむ弥継ぎ継ぎに大八島国知らさむ次と、天ッ神の御子ながらも天に坐す
神の依さし奉りしまにまに」
と仰せられた如く、歴代の天皇は、天ッ神の御子孫として皇祖皇宗を敬ひまつり、
皇祖皇宗と御一体になつて御位にましますのである。
されば古くは、神武天皇が鳥見の山中に霊畤を立て、
皇祖天神を祀つて大孝を申べさせられたのを始め、歴代の天皇皆皇祖皇宗の神霊を崇敬し、
親しく祭祀を執り行はせ給ふのである。
437 :
保守を考える:03/10/18 22:48 ID:9etPN3XY
と、まあこのように、公文書において、初めて、『現人神』が現れたのであるが
そもそも、この文部省が三十五銭で売りに出した、パンフレットなるものの、
歴史認識が、不正確、我田引水である問題点から、始めないと、この文言全体を
俯瞰できんだろうし、まして時代的、というのは、軍内における両派の争いや、
当時の戦争観の変化も読み取れんから、良く勉強しましょう。
438 :
保守を考える:03/10/18 23:01 ID:9etPN3XY
で、君が
>>406で示した
>「天皇は外国の所謂元首・君主・主権者・統治権者に止まらせる御方ではなく、
>現御神として肇国以来の大儀に随って、この国をしろしめし給ふ。・・・英国流の
>君臨すれども統治せずでもなく、又は君民共治でもなく、三権分立主義でも法治主義
>でもなくして、一に天皇の御親政である」
も、正確に抜粋しておいてあげよう。
第二 国史に於ける国体の顕現 六、政治・経済・軍事より
外国に於ける成文憲法は、大体に於て既存の統治権者を放逐し、又は掣肘することから生まれた。
前の場合は所謂民約憲法と称せられるけれども、その実は平等な人民が自由の立場に於て
交互に契約したものではなくして、権力争奪に於ける勝利者によつて決定せられたものに過ぎない。
後の場合は所謂君民協約憲法と称せられるものであつて、
これは伝統的の権力者たる君主が新興勢力に強要せられて相互の勢力圏を協定したものに外ならぬ。
尚この外に欽定憲法の名を冠するものがあつても、それは程度の差こそあれ、
実質に於ては、矢張りこの種の協約憲法以外のものではない。
439 :
保守を考える:03/10/18 23:02 ID:9etPN3XY
(中略)
天皇は統治権の主体であらせられるのであつて、かの統治権の主体は国家であり、
天皇はその機関に過ぎないといふ説の如きは、
西洋国家学説の無批判的の踏襲といふ以外には何等の根拠はない。
天皇は、外国の所謂元首・君主・主権者・統治権者たるに止まらせられる御方ではなく、
現御神として肇国以来の大義に随つて、この国をしろしめし給ふのであつて、
第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、これを昭示せられたものである。
外国に於て見られるこれと類似の規定は、勿論かゝる深い意義に基づくものではなくして、
元首の地位を法規によつて確保せんとするものに過ぎない。
尚、帝国憲法の他の規定は、すべてかくの如き御本質を有せられる天皇御統治の準則である。
就中、その政体法の根本原則は、中世以降の如き御委任の政治ではなく、
或は又英国流の「君臨すれども統治せず」でもなく、又は君民共治でもなく、
三権分立主義でも法治主義でもなくして、一に天皇の御親政である。
これは、肇国以来万世一系の天皇の大御心に於ては一貫せる御統治の洪範でありながら、
中世以降絶えて久しく政体法上制度化せられなかつたが、明治維新に於て復古せられ、
憲法にこれを明示し給うたのである。
440 :
保守を考える:03/10/18 23:14 ID:9etPN3XY
>>431 昭和十二年五月三十一日発行された、国体の本義なるものが、戦争が激化していく中で
いかな位置をとっていたのかは、軍内に於ける一般的な思想方向と、政府内に於けるそれと
国民内のそれ、そして昭和天皇及びその側近内のそれを、考察するのは、確かに難しいが
君以外に、真面目な論者がそれを望むのであるのならば、当方としては労を厭わずに、
纏める事に対して、協力をしてもよい。と考えてはいる。
さて、
>上杉と美濃部の論争を曲解したり…認めまいが何だろうが、明徴運動以降は「天皇主権」
>を軸にした論理で国家が推移した事実はどう考えてるんだろう、
どのような『推移』があり、国策等に顕現したのであろうか?
具体的検証が出来るよう、論述して見たまえ。
お断りしておくが、レス番300以降の君のレスを読んじゃいないので、ループするのであれば
それが、私の示す、条件に合致しているのであれば、当該レス番号を示すだけでもよい。
441 :
1128:03/10/18 23:21 ID:FZgSIxQ/
簡単に考えても、美濃部の学説の、、、、
天皇機関説は「憲法を解釈すれば、天皇は一機能しか持って無いと読めますよ」、、、って事で、決して
「天皇主権から、天皇を一機能しか持ち得ない制度を作ろう」、、、って事ではない。
当時の学者が「天皇主権」を認めてないのである。少なくとも解釈に余地が有った。
であるから、現代の我々が「天皇主権」について正確な回答なぞ出せる訳がないのだ。
補足させて貰えば、機関説に対抗するものは、、、
>>437が書くように、、、
天皇主権説=天皇現人神説であり、王権神授説的な考え方です。
もちろん、これは帝国憲法を超越しており、憲法に規定されてません。
学校の教科書的な考え方では理解出来ませんがね。
天皇主権説を政府が利用するのは1935年の国体明徴声明以後であり、
これは盧溝橋事件の二年前です。
ですから、天皇主権を帝国憲法にうたってると考えるのは早計なんですよね。
442 :
保守を考える:03/10/18 23:25 ID:9etPN3XY
>れ氏
>>302 >そうならば、政教分離というものの実体と言うのは、一体どのあたりなのかと言うことです。
先(
>>287-289)に示しましたように
戦後、GHQが起草した20条は当然Religionを使用していますが、この文脈の裏には
戦前の日本は、『国家神道』によって、信教の自由が無かった。という出鱈目な偏向解釈の下
また、戦後教育や現法曹界(判例等を見るに。)もそのように教育、或いは判断しています。
から、日本が「軍国主義」になり、人民の権利が著しく侵害された。と騒いでいるからでしょう。
まあ、この辺りは、廃止派の見解を聞かないと判らないのですが、
当然『国家神道』問題は避けて通れない命題だと思いますし、私の方から、
その国家神道の誤謬を正していってもよいのですが・・・・。
さて、どうしましょうか?
443 :
1128:03/10/18 23:31 ID:FZgSIxQ/
>>440 >上杉と美濃部の論争を曲解したり…認めまいが何だろうが、明徴運動以降は「天皇主権」
>を軸にした論理で国家が推移した事実はどう考えてるんだろう、
どのような『推移』があり、国策等に顕現したのであろうか?
それは天皇機関説を貴族院が否定した事を語ってるのでは?
これは、彼得意の論旨のスリカエだと思いますが、
確かに政府は1935年の国体明徴声明以後、天皇主権説を利用しました。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/theme/minobe.html もちろん、帝国憲法における天皇の位置付けと無縁な事なのは言うまでも有りません。
ただ、政府に利用された憲法解釈なのですから。
亀氏がこれに異を唱えられるなら、、、、
「日本国憲法は私学助成金を認めていた」って論理も成立します。
第89条【公の財産の支出又は利用の制限】
公金その他の公の財産は,宗教上の組織若しくは団体の使用,便益若しくは維持のため,
又は公の支配に属しない慈善,教育若しくは博愛の事業に対し,これを支出し,又はその利用に供してはならない。
444 :
ダ:03/10/18 23:54 ID:???
>前スレ447の「れ」たん
長期間放置したままでスマンが、久々にレスする。
ちょっと所用で海外に行っていたもので。
>まず、またぞろ理解していないようだが、国政に権能の無い元首の民選は、
>その地位が必要とか不必要の議論以前に、選択肢としてありえないということを
>申し述べている。
何故選択肢としてあり得ないのか?
次に、私は(とりあえずこのスレでは)前述のように「議長元首」制を唱えており、
「権能のない元首」の民選を唱えているわけではない。
また、「権能が(全くではないが)殆ど形式的にしか存在しない」民選元首は、
独伊印、イスラエルなどに見られる通りだ。
>アアダコウダ言う前に、また現実の状況を無批判に受け入れるのではなく
天皇制肯定派に言われとうないなあ(藁
>どのよう民選システムを構築するのか、聞いているんだから、候補者に何を訴えさせ
>どのような基準で国民が選択するのか、そのことを明示してくれ。
>その明示が無ければ、選挙方法は決定できないでしょう。
だから、とりあえあずは「国会議長を元首とするシステム」でいいんじゃないかと述べている。
他により理想的なシステムがあるかも知れんが、当面は上記案で議論する。
で、候補者に何を訴えさせるのかだが、従来の衆院議長選出過程を踏襲すればいいだけ。
国会議員としての主張はこれまで通り主張してもらい、議長としての主張はやはり
これまで通り、大した主張もせず適当に選出される、と。
>ニュートラルについては、憲法に国政に関して権能を持たないとかいてある以上、勝手な枠を
>当方が後から出したのではないことは明白だろう。
国政に関して権能を持たなくても、「世襲というシステムそれ自体」が非・中立的であると、
ミニにタコができるほど繰り返し逝ってるではないか。「権能を持たない=中立」とは限らんよ。
折れが「天皇は中立的でない」と逝ってるのは、国政上の話でなく、その存在自体についてだ。
これも繰り返し逝っている。なのに、こういうこっちの主張を無視して、
「国政に関しては中立」だのと念仏のように唱えてみても、反論にはならん罠。
ってゆうか、仮に「天皇が国政上中立」だとしても、国政以外の部分、
たとえばその存在を規定する世襲というシステムまでをも「中立」とはいえないだろ。
それとも君は、世襲というシステムまでをも「中立」だと主張するつもりか?
>天皇が国政に関してニュートラルと主張しているのを、立憲君主制はニュートラルなのかと
>わけのわからないことを述べてみても、議論にはならない。
わかが分からないのは君の方。上記の文章を3回以上読んでレスしなさい(藁
>財産権に関しては、正当な保証の元に天皇財産が国庫に収容されたという、無根拠な
>トンでも論を述べているから、これもおかしな話だ。
日本国憲法第88条の成立を以って、天皇の財産は国に属した筈だが(藁
もう少しマトモに、議論してくれないかなぁ(藁
>>443 >それは天皇機関説を貴族院が否定した事を語ってるのでは?
保守さんは その後についてを聞いているんじゃないの?
ついでに言うと、最近は
>>423のように
「反天皇制」と「共産主義」の区別もつかないような馬鹿が多いんだよな。
世襲王朝を肯定しなかったら、共産主義者か?
アメリカ共和党やフランス共和国連合は、共産主義政党だったのか(藁
そう言えばいつだったか、折れが「社会主義」と「共産主義」の違いについて説明してたら、
戦艦扶桑とか名乗る馬鹿が両者の違いも理解できずに
「一緒だろ?」と折れに噛み付いてきたこともあったな。
448 :
1128:03/10/19 00:13 ID:gB+LUObU
>>447 >世襲王朝
日本は世襲王朝では有りませんよ。w
449 :
右や左の名無し様:03/10/19 00:15 ID:9AMXOcxB
450 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/19 00:19 ID:bvzDY4D4
天皇機関説自体も、現代的に見れば問題だろう。天皇を憲法によって授権された
国家機関とし、さらに議会による国政全般の統制を考えていた点において、美濃部の
見解は極めて常識的な学説と言える。しかし、国政の正統性の根拠を個々人の生来的な
権利に求めない点において現代的に見れば美濃部の見解自体も「カス」だろ(藁
天皇機関説とか天皇主権以前に、個々人の社会参加権に主権の根源を求めず、天皇を
持ち出してお茶を濁していた点が戦前の体制の問題だろうが(藁
薩長が京都から拉致してきた「天皇」自体が近代日本が権力の恣意的運用を招いた
諸悪の根源であり、これを滅ぼすことなしには日本の民主主義の将来は暗いと
言わざるをえまい。
戦前の国家は、現代日本国から見れば明らかに「敵性国家」なわけだ。その
「敵性国家」が元首として担ぎ上げていたものを、いま現在担いでいること自体、
極めて異常なことと言わざるを得まい。いわば、日本にとっての「敵性国家」である
北朝鮮のキムジョンイルをありがたがっているのと同じ神経だ。「敵性国家」の元首は、
貶められることはあっても、尊敬の対象にはならんだろ(藁
>>448 世襲王朝だろ?
それとも「世襲皇朝」とでも言うの?
452 :
1128:03/10/19 00:25 ID:gB+LUObU
>>450 貴殿は、貴殿自身に問われてる数々の疑問や指摘点に対して回答してからコメントするべきでは?
レスを遡って読み返してください。少し、失礼ですよ。w
453 :
1128:03/10/19 00:26 ID:gB+LUObU
>>453 天皇家は、一般的な定義からして「世襲による王朝」だろ?
違うという理由が分からない。
455 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/19 00:31 ID:bvzDY4D4
>>419 なにトチ狂ったことを言ってるんだか。俺は、国家は唯一の社会とは言っていない
のと同様に地域社会も唯一の社会とは言ってはいない。人々の社会に対する需要の下で、
自ずとそれぞれの社会単位の範囲は決まるわけで、需要が異なれば社会の範囲と
言うものも多様でありうる。国家や民族といった単位が、人々のすべての社会生活の
需要を満たすものではないだろうが(藁
商品流通や分業を行い社会全般の生産性を向上する意味で、広域な社会が求められる
場合もあれば、身の回りのことを処理するために地域単位の社会が求められることも
ある。それらの公共圏の範囲と言うものは、人々の社会に対する需要によって、
後天的に決まるものであって、国家や社会が唯一絶対の社会単位として有史以来
存在してきたものではないだろ(藁
お前さんらナショナリストどものおかしな点は、たかだか100年ちょっとの歴史
しか持たない国民国家と言うものをあまりに、過大視し当たり前のものとして
自明にしてしまっている点だろう。しかし、国家と言う存在自体も人々の需要が
あって存在する社会単位にすぎず、人々の社会形成力に先行するものではありえない。
いいかげんに、この極めて当たり前の事実を受け入れればよかろう(藁
456 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/19 00:32 ID:bvzDY4D4
>>452 >貴殿は、貴殿自身に問われてる数々の疑問や指摘点に対して回答してから
>コメントするべきでは?
名無しマガイの恥ずかしいHNつけるようなクズの言うことはヨーきかん(藁
457 :
1128:03/10/19 00:38 ID:gB+LUObU
458 :
1128:03/10/19 00:38 ID:gB+LUObU
460 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/19 00:54 ID:bvzDY4D4
天皇機関説について補足すれば、天皇に権限を授権する法を法実証的なレベルでしか
仮定していないわけだ。だから、なぜ天皇が国家機関でなければならず、国家機関を
超越したナニモノかであってはならないかを問われた時、それに対する明快な
回答を与えることはできず腰砕けにならざるを得なかったわけだろう。
よく戦前は天皇機関説のような学説や大正デモクラシーのようなものがあり、
民主制だったとかワケのわからないアホウなことを抜かすバカがいる。こう言った
テアイは、戦前の議会制は理念的な根拠を欠いていた事実を見逃している。
戦前の議会制と言うものは、単に場当たり的に作られた社会制度にすぎず、
理念的根拠というものがまったくない。だからその場の状況で、廃止されたり
骨抜きにされても、特段問題にならんわけだ。同様に天皇機関説についても、
天皇を憲法によって授権された国家機関と見る点においては承認できるが、
その憲法自体が検証可能な理念的根拠を欠いた場当たり的なシロモノだから、
國体明徴運動のような「バカの壁」に直面した時に腰砕けになったのだろう。
国家制度が究極的に人の幻想に基く無根拠な概念にすぎない以上、それを
人々が支持するためには、制度の根源にある価値を明快にし、それが守るに値する
価値が否かを検証できるようにしなければならない。その意味で言えば、天皇は
憲法上の機関であり、基本的に民選議会の意思に従属することが望ましいとしても、
それを原理的に説明しえない点において、天皇機関説のよって立つ思想的基盤自体が
現代的に見れば「カス」とかたずけられる立場なわけで、その意味で戦後の美濃部の
態度もうなずけるものではある罠(藁
現代的視点に立てば、天皇機関説を含めた戦前のすべてがショッカーもどきの
悪魔どもが作り上げた、敵性国家の制度・思想でありカスだ罠(藁
461 :
アスカ@忠君愛国:03/10/19 01:05 ID:qhhNq1Ib
>>294 どうもありがとうございます。やっと了解できました。(;^_^A
>>293 >所謂大正デモクラシーと言われる期間、機関説が支配的で
>あった事など皆承知した上での発言。
なるほどー、レベルの高いスレなのですねw
すると、えーと、横レスになるかもしれませんが、天皇主権を唱える人は
>>374、
>>377(←これには爆笑)みたいに同じ主張をいっぱい拾ってくるのは
やめにして、本家本元の嫌沢俊義を引っ張ってくるべきではないでしょうか?
でもそれももう前のスレで論破されてたりして・・・w
こんなところで長々と惰性で長文の議論が続いているようだが
おそらくアレルギー反応を示すだろうが、
アメリカのネオコンはこういう議論をすでに超克している
つまり、アナーキズムは民主制ではないということである
そのような思想は先制攻撃でつぶしておくのがよろしい
463 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/19 01:14 ID:bvzDY4D4
>>462 リバタリアン的発想のルーツもアナーキズムの一種と言えないことはない(藁
ネオコンのような民主党マガイの異端より、保守本流のリバタリアンの立場に
立つなら、天皇制なんて最小国家にとって不要な盲腸だろ(藁
反体制といふ自由・・・これは終焉さるべきアメリカンマインドでせう。
日本における反体制思想という幼稚園児のドラッグカルチャーは終焉させた方がよろし。
465 :
右や左の名無し様:03/10/19 01:21 ID:JI7UQWaa
>>460 戦前日本を否定するのは自由。しかし、ここで度々指摘されてるように、戦前日本を否定することは東南アジアの植民地解放やアフリカ独立運動を否定、もしくは彼らが長期に渡り圧政下に居ても仕方ないと思ってるのか?
悔しいなら、東南アジアにおける数々の日本擁護の発言をどう解釈するか語ってくれ。
もちろん、彼らは経済大国以前の日本に対して戦前日本を許容してた。
そもそも、戦前−戦後を分かつメルクマール自体が曖昧な議論である以上、
戦前否定強迫神経症患者にとってたかだが戦後につくられた丸山の無責任論くらいしかない分けよ。
緻密に論じているつもりが、全くそういうことがわかっていない
ある種のリアリズムの欠如なわけでしょう。
日蓮宗信者であった八紘一宇を唱えるロマン主義とほとんど差がないわけ。
レアルポリティークという感覚がないから無謀な戦争をおこして敗戦を導いたのと全く同じ。
きっちりとした現実認識がないから反天皇という主張のためなら、
勝手に論理が飛躍していって議論が矮小化し、長文化せざるを得なくなる。
自覚症状があるうちはまだよいが、ほとんどなくなってしまっている。
467 :
右や左の名無し様:03/10/19 02:06 ID:JI7UQWaa
>>466 議論の飛躍による矮小化ぐらいなら構わないが、彼ら廃止派って本当に虐殺事件でも起こしそう。
予防防衛=先制攻撃=精神病院送りでよろしいですか?
一連の主権論議を拝見していると、”ゴマかし”が目立つw
そもそも、「天皇主権説」と「天皇機関説」とは、統治権に絡む、主体の所在が争点であろう。
すなわち、旧憲法一条をより重視し、天皇は日本国統治の主体であり、日本国は天皇の統治権の客体である、とする「天皇主権説」と、
第四条を重視した、統治権は法人である国家それ自体にあり、天皇は日本国家それ自体が持つ統治権を総攬する国家最高の機関である、とする「天皇機関説」である。
当然ながら、その「統治権を総攬する国家最高の機関」は特定の血族が世襲する。
いわゆる主権=sovereignty についていえば、「主権説」、「機関説」いずれも『天皇主権』と理解すべきであろう。
いずれにしても、文化や伝統を根拠にして国家機関設置の根拠とすることには問題がある。
さらに、それに特定の宗教がからむとすれば、さらに問題は大きい。
伝統、文化にせよ、宗教はもちろん、その担い手は全国民でなく、国民の一部である。
伝統や文化、あるいは信教という精神世界の自由を、国家機関たるをもって画一強制せず、多様性を認めるのが民主国家のあり方であろう。
しばしば国家間の多様性を主張される天皇信奉者の方々にはご理解いただけると思う…www
天皇は、国家機関をはなれ、ローマ法王のように、神道の総本山としての位置を求められてはどうか、と思う。
では、また。
>>431 亀哲人氏
言ったモン勝ちには、ここはならんのよ。
私を始め、幾人かの論者が、貴殿の論証を論証足り得ないといっている。
しかも、きちんとその理由を明示している。貴殿の論説が的をいているか否かの評価の前に
論証不足であることは明らかである。
議論の場である以上、自分の論証の欠如を、相手の精神構造への誹謗で済ませることは
全く貴殿の、祇園に対する態度が、なっていない。
「天皇主権に陥った」と言うのは笑えるわけで、途中から主権者が変わったの界、条文の
変更もしないで・・・。
そういった言葉とか、公的な場での天皇の言動から、天皇主権を否定する論証は、多数有る。
しかし、それを私が提示しないのは、法的な手続きとか理念としての天皇の位置と、
その理念とか法的公正に反しない範囲の言動やブレとの峻別をしているからである。
そういった言動で良いなら、日清戦争開戦における天皇の言動を提示するだけで、
天皇主権は否定できるだろう。政府や天皇の言動で、憲法の主権の位置付けが変わる
なら・・・。政府の言動と天皇の言動を憲法解釈において、その根拠とできるなら、
大日本帝国憲法における主権者は、しょっちゅう換わっていたことになろうね。
きみ、論証手法が、稚拙すぎるよ。その理由は、貴殿の論理の飛躍を、イメージで
補っているように思える。
>>444 ダ閣下
ダ氏では、味噌汁を作っているようなので、敬称を閣下として書き込もうか。
海外か、最近海外どころか墓参りにもいっていないよ。(靖国には行ってるんだが・・・。)
で、議長元首制というものの欠陥は、何度も申し述べてきた。
国政の混乱時、国家議長の正当性は、誰が(何が)担保し保証するんだ?
選挙中はどうするの?選挙運動中に、国家元首として様々な訴えを国民にするということは
、できないでしょうよ。
>議長としての主張はやはり
>これまで通り、大した主張もせず適当に選出される、と。
現実の状況を無批判に受け入れるのではなく、理念としてそれで、いいのか検討してくれい。
>、「世襲というシステムそれ自体」が非・中立的であると、
???国政に関して意思も表示しないんだから、国政に関して中立でしょう。すくなくとも
民選の元首よりは。選択のシステムとして、民選と世襲の価値があるとするなら
双方同等に非中立だけど、選択するときのシステムに置いて中立価値と言うのは、
全く存在しない。民選と言うのは、対立する国政に関する価値のどちらを選択するか
において有効な手法であって、中立的な地位の選択において、民選はその機能を発揮しない。
国政に関して中立な地位を、民選によって選択すると言うのは、意味不明でしょう。
国政において何らかの対立軸があるから、民選が選択されるんだよね。
結局、国家元首を国政に関し中立的地位とするか
形式的であろうと、中立でない意思表示をみとめる地位とするかの、国民の選択でしょう。
で、明治憲法にお家、天皇は国政に関し中立であるとはいえない。
影響力はあったし、大きかったとは思うよ。しかし絶対ではなかった。と言うことでしょう。
>>455 アズマタン
> なにトチ狂ったことを言ってるんだか。
と・・・トチ狂っている?土地に狂ったことはないが(バブルのときも)。
>人々の社会に対する需要の下で、 自ずとそれぞれの社会単位の範囲は決まるわけで、
といいながら、
>、たかだか100年ちょっとの歴史
>か持たない国民国家と言うものをあまりに、過大視し当たり前のものとして
>自明にしてしまっている点だろう。
と言っているところが、意味不明だ。それは貴殿と私での江戸期の把握が異なるため
と推察し、奈良時代からの民衆のニーズによる社会単位としての日本国の存在を
史実として提示している。概ね今の日本の範囲と同等の国家の範囲と言うものは、
奈良時代にさえ、ニーズとして存在していた。これを100年ちょっとの事象と捉えるから
トチ狂ったアズマ史観が、湧いてでてくるのと違うのか?
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1064848296/455 > 歴史的価値による外交というのがよくわからない。
> 実際、どう役に立っているの?
現存する最古にして最後の皇帝という価値は君の想像以上に重みがあるよ
わかんないんじゃしょうがないけど、世界的に見てあのアメリカ大統領より偉いって言えばわかりやすい?
> 天皇は政治てきな事に関しては関与できないんでしょ。
> じゃー何の話してんの?
談笑してるんでしょうね
> テレビで和やかそうな雰囲気で話している様子を見ながら
> そういう権威が好きなで卑屈な人たちが、
自分の価値観にそぐわない人を卑屈やらと蔑むのはやめな
> ああ、我等が天皇様がアラブの王を親しくしてらっしゃる。
> と妄想してるだけなんじゃないの?
別に
> 日本国民の統合ってのも、危険だよね。
> 妄信的に国を愛して戦争でも何でも愛国の名の下に、
> アメリカがやったようにやってしまうんじゃないの?
> 愛国心をダシに使うと、うまー みたいだしね。権力者は。
国家を形成する前提として国民を統合しなきゃどうすんだ
一年中、そこらで凶悪犯罪や紛争が絶えないぜ(多分)
474 :
・・・:03/10/19 17:54 ID:???
いままで、何故否定派が機関説、又、明徴声明後に焦点を絞らないのか
不思議でならなかったので、あえて保守考氏等に問題を投げかけたのだが・・。
私は、憲法の理念解釈の変更があったのか?をお聞きしたかったのだが、
ほぼ、納得できました。>保守考氏
細かいところで気になる点もありますが、私が議論参加無理な所に否定派へヒント
を与えるのもなんだし、且つ、以前のマニアック論逃避を避けるため、とりあえず、
深追いせずに、御礼まで。
475 :
保守を考える:03/10/19 21:21 ID:FfXLgjjZ
>>443 まず、私が、一番、言いたいのは、かの者が「国体の本義」を印象操作の為に、都合のよい部分のみ
抜粋するのは、論述する態度ではないし、当然「論証」にはならない。という事。
で、国体の本義を読んでいるのであれば、政府声明に「統治の主体は、天皇である。」
と、挿入されてあっても、『統治』について、憲法義解、古事記を引用して
「 豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みづほ)の国は、是れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の
王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ。
行矣(さきくませ) 宝祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮りなかるべし。
と仰せられてある。即ちこゝに儼然たる君臣の大義が昭示せられて、
我が国体は確立し、統(す)べ治(しろ)しめす大神たる天照大神の御子孫が、
この瑞穂の国に君臨し給ひ、その御位の隆えまさんこと天壌と共に窮りないのである。
而してこの肇国の大義は、皇孫の降臨によつて万古不易に豊葦原の瑞穂の国に実現されるのである。」
と、二の肇国で説明している事を当然、押さえているはずだから、憲法一条をして
いわゆる最終決定権者としての「主権者」にはならんわけです。
勿論「治ス」の意味を知らなければ、そもそも、お話にならんのですが・・・。
476 :
保守を考える:03/10/19 21:30 ID:FfXLgjjZ
>>443 >それは天皇機関説を貴族院が否定した事を語ってるのでは?
要するに、当初、議会でも拍手をもって受け入れられた説が、
「不敬罪」で訴えられるや否や、掌を返して、これを否決した。
という事ですかな?
まあ、そうなると、議会として、係争中の説を受け入れられない。と判断しても
止むを得ないと考えられるところです。
>第89条【公の財産の支出又は利用の制限】
現在も諸説入り乱れている条文ですが、かの者が論じるのは、ちょっと無理でしょう。
まあ、成文法の限界というものを理解して来なさい。というところですな。
それはそうと、いや、そんな事より
早く、「珊瑚海海戦の話」の続きを、聞きたいところです・・・・・。
477 :
保守を考える:03/10/19 21:40 ID:FfXLgjjZ
>・・・氏
>>474 いえいえ、こちらこそ簡単な引用で済ませてしまっている事を、お詫びしておきます。
また、疑問が湧きましたら、遠慮なくどうぞ。微力を尽くしますので・・・。
>あやしい氏
しかし、私が提示した
>>157-158 >>276を無視して、何を喚いているのかね?
君宛のレスなんだから、なんかコメントしたらどうかね?
自己満足だけのレスは、単なる卑怯者の亀哲人と同類だよ。(忠告)
478 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/19 23:02 ID:T18j6oJ7
>>477 説明してもわからんだろうからスルーしようと思ってたんだが。どうしても答えて
欲しいようだから答えてやろう。どうせ理解しないだろうから無駄だろうが(藁
いーかね、俺は「国家の主権」以前に、人間が集団生活を行なう上で
「社会の意思決定に参加する権利」があると言っているのだ。「国家の主権」
と言う概念を認めるとしても、それは個々人の社会参加権にその根拠が
置かれなければ意味がないと言っているわけ。わかりる?(藁
さらに、社会の意思決定に参加する権利は、生来的な権利であるが故に、
できる限りそれが社会制度に実体的に反映されることが好ましいと言っているのだ。
社会参加権と言うものが、国家に先行して存在する以上、それを実質的に確保する
ことが望ましいと言う結論が導かれる。そのような立場から、個人の社会参加権を
空洞化と思われる一切の社会制度に対する批判をしているわけだ。
俺が国民国家の間接民主制に批判的なのも、ここに理由があるわけ。近代の
国民国家は、段階的に分節的に存在した旧来の階層的・分断的社会構造と言うものを
否定し、唯一絶対の国家へと収斂していくことによって成立しているわけだ。
近代社会は、すべての部分社会に君臨する唯一絶対の「主権」を持った「国家」
によって成立した社会だろ。そして「主権」は、個人の社会参加権によって成立する
考えるのが社会契約説とかのオーソドックスな考え方だ罠。
479 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/19 23:03 ID:T18j6oJ7
しかしこの考え方の欠陥は、果たして個人の社会参加権を反映する主体が、
唯一絶対の「国家」で最適なのか、と言う疑問だ罠。また、民意を反映させる
手法としての間接民主制の是非の問題もあるわけだし。
個人の社会形成の需要とか、社会参加権と言うものがあって、国家とか議会制
民主主義と言うものがあると言う立場を俺は取る。だから俺は、国家の主権とか
議会制民主主義による意思決定を、絶対的なものとはみなしていない。もし、
国家の主権とか、国家を単位とした議会制民主主義が、個人の社会に対する需要とか
社会参加権を阻害しているなら、唯一絶対の主権概念や国家を主体とする議会制
民主主義の方が、部分的にであれ修正されるべきだ、と考えるわけだ。そこで、
唯一絶対で不可分な主権を持った国家と言う存在自体を解体することを
アズマ至上主義において提唱しているわけだが(藁
すべての部分社会に超越する唯一絶対の「国家主権」と言う概念も、国家を
中心としてそこにすべての社会機能を収斂していく発想も、いわば近代主義的
発想なわけで、それにしばられる必要はそもそもないだろ(藁
ルソー風の主権論の誤りは、民意と言うものを国家において正確に反映できると
夢想し、民意によってコントロールされた万能な主権国家において民衆が暮らす
ことが望ましいこととしたところにあるわけだろ。唯一絶対の主権と言うものを仮定し、
そこに社会システムを収斂していくことが民衆にとって望ましいこととする発想自体が
そもそも間違っているんだろ(藁
近代国家の成立した過程とその性格を懐疑的に見ることが出来るのに
なぜ、近代的自我や「主体」というものを自明視できるのかはなはだ疑問
481 :
保守を考える:03/10/19 23:44 ID:FfXLgjjZ
>>478-479 亀哲人と同一視された事には、さすがに、自尊心が許さなかったと見える。
そこが、あやしい史の可愛いところだが・・・・。(一応、回答を感謝しておこう。)
まあ、君の言っている事は、今回に限り理解出来るが、当然、同意出来ない。
君が、ルソーではなく、今度はサルトル流の主体論を言っているのか、それとも
マルクス的実存主義の観点から述べているのか、判然とせんところはあるが、
そもそも、私は、完全独立型の主体なぞ認めていない。わかりる?
それが、構造主義的な態度として批判されるかもしれないが、
この国政と民意のあり方の話に於いて、その根底で影響を受けているのは
「ザ・フェデラリスト」である。
独裁制を作らず、ポピュリズムに陥らない根本理念が、『間接民主制』つまり
リプリゼンタティブという概念なんだが、
これら、国家観の違いを君と戦わせても、スレタイから遠ざかるような気がするので
一つ、この質問で〆たい。
曰く、それ天皇(制)と関係があんのか?
482 :
右や左の名無し様:03/10/20 09:40 ID:Z6Rd8vHM
>>481 >>276 むかし朝生で、西部邁とカン・サンジュンが、民主主義が高度に発展すれば全体主義になることを、政治学を学んだ者であるならば、誰でも知っている。
そんなようなことを言っていましたが、ちょっと分かったような気がします。
>>478-479 アズマタン
国家主権以前に、「個人の」「社会の意思決定に参加する権利」があるとしているわけだが
なんで、「個人」なんだろうね。個人に有効な規範とか道徳と言うベースが存在する前提が
あってこそ、個人単位の権利と言うものが想念されるんじゃないのかな?
直接・間接を問わず、民衆の希望・要求・意思表示などが、公正・節度・冷静・思慮をもって
表明されなければ、民衆政治は、機能不全に陥るわけだが、それを、貴殿は何によって
担保しようとしているのか。
そのような担保なく「個人の」「社会の意思決定に参加する権利」を認めることの危うさ
の自覚は、有るのか。
484 :
右や左の名無し様:03/10/20 17:32 ID:oN4+8J2U
誘導でこちらへ。
天皇陛下が和服を着ない理由をご存知の方、教えてください。
検索しても明確なことが書かれていないものですから。皇室典範にも
それらしい内容は見当たりませんでした。
そもそも「和服」の定義による
現在日本で「和服」というときそれは江戸時代の町人が来ていたものをいう
陛下は即位の時などの際には古式ゆかしき束帯をお召しになられる
486 :
489:03/10/20 17:41 ID:oN4+8J2U
それはわかっております。一般認識でいう「和服」です。
あまり頭をひねり過ぎないような答えをお願いいた致します。
487 :
484:03/10/20 17:43 ID:???
すみません、間違えました。>486 は >484 です。^^;
>>184 >>186 着ないのは、別に不思議なことではないような・・・。
基本的に言うと、江戸時代の和服と言うものは、武家の装束から発展しているだろうから
穢れの思想なんていうことを持ち出すまでもなく、着ないでしょう。
着衣に関しては、律令制度で規定されていただろうから、明治以前は、それを守って
きたんじゃないかな?
即位の礼や、ご成婚のときに着ているものが、正式なご装束でしょうな。
489 :
484:03/10/20 17:54 ID:???
>>488 なんとなくわかってきました。ありがとうございました。
490 :
!:03/10/20 18:15 ID:/kfKMIiG
十二単衣は着てたよね?ありゃ結婚式か…
@サヨクが着物を否定してたから。
A和服の正装は、いかにも高価そうだから。実際、高価。
B出来るだけ庶民に近い格好したいから。
Cテロに遭った時、逃げるのに動きずらいから。
Dただ単に洋物志向
E西欧の政治思想で生きるって決意。
どれか納得出来る回答が有りましたか?
>>488 穢れまくってる、夷の服は着るわけでありますか???
492 :
保守を考える:03/10/20 19:42 ID:IPiMYokL
>>484 >天皇陛下が和服を着ない理由をご存知の方、教えてください。
普段の公式行事等でのお話でしたら、細川隆元が昭和57年に「天皇陛下と語る」という
本を出していますので、そちらを参照して下さい。
簡単に言うと、昭和天皇は洋服の方が、合理的だから。と答えているのですが。
正確に引用した方がよいかな?
で、宮中祭祀や朝議等で着用するいわゆる儀服には
「御祭服」・「御直衣」・「帛御袍」・「黄櫨染御袍」などがありますが
これらは、弘仁格式において定まりました。
つまり、嵯峨天皇の弘仁十一年二月の詔
「 それ朕、大小の諸神事、及び季冬の奉幣諸陵には、即ち帛衣を用いる。
元正の受朝には即ち袞冕(こんべん)十二章を用いる。」(日本紀略)
493 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/20 20:55 ID:e7Bsml6G
>>481 >君が、ルソーではなく、今度はサルトル流の主体論を言っているのか、それとも
>マルクス的実存主義の観点から述べているのか、判然とせんところはあるが、
>そもそも、私は、完全独立型の主体なぞ認めていない。わかりる?
アホか。独立した完全な主体を「仮定」するのが、近代産業社会の基本だろうが。
いいかね?見ず知らずのものが流動的に関係を持つ産業社会においては、個人や集団
の行為を規格化した上で、有効な行為として保障するシクミが必要になってくる。
もし、個人が関係性の中で多様に定義されうるなら、個人に付着する権利・義務も
多様な関係性の反映として、規格化され独立した契約主体として存在しえない。目に
見えない関係性に個人の権利・義務が呪縛されて多様に存在しうるのでは、見ず知らず
の者同士安心して取引できんだろ。「完全独立型の主体」を仮定することは、個人に
付着した関係性を断ち切り規格化することによって、見ず知らずの人間が他の関係からの
干渉を受けずに繋がるための社会装置だろ。
それを認めた上で、次にいかに社会を組み立てるかが問題になるわけ。お前さん達は、
この前提の段階で、すでに「失格」なんだよ。表層的な概念をいくら弄んだところで、
基幹の部分の価値設定が「失格」なんだから話にならん。議会制の意義とか正統性
以前の問題として、完全独立の個人と言う主体を「仮定」することは、契約によって
見ず知らずの者同士が繋がる最低限のシクミなんだから、これを認めんことには
議会制もヘチマもない罠(藁
議会制民主主義による社会も、意思決定を行なう者の権限とか、決定事項を守る
客体の権利・義務が確定しているからこそ成立しうるわけだ。社会の基幹となる
行為主体が曖昧で規格化されていなければ、行為主体から生じる権利・義務も曖昧な
ものにならざるをえない。これでは社会自体が安定せん。こんなことは、常識的に
考えればわかることだろ。完全に独立した権利・義務の主体を確定しなければ、
そもそも広域な社会を束ねるシクミ自体が安定して存在しえないんだよ(藁
494 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/20 20:56 ID:e7Bsml6G
483
>なんで、「個人」なんだろうね。
社会における契約主体とか行為主体と言うものを煮詰めていけば、最後に残る
最小基本ユニットが個人だからだろ。最小ユニットが、合従連衡してさまざまな
社会活動が行なわれる。多様な社会活動が存在しうる以上、それらの行為を安定
して存在させるためには、社会活動の最小ユニットの規格化と保障が有効だからだろ(藁
>民衆の希望・要求・意思表示などが、公正・節度・冷静・思慮をもって表明され
>なければ、民衆政治は、機能不全に陥る
そもそも、無目的な民意に「公正・節度・冷静・思慮」など存在するのかね?
多数決による民衆の民意とは、その場その場で作られる多数派の合意事項にすぎない。
それに「公正・節度・冷静・思慮」を期待すること自体が間違いだろ。そもそも、
「公正・節度・冷静・思慮」とは、具体的には何かね?自分のあるべき社会像を
これらの言葉に投影しているだけだろう(藁
なんらかの価値が、民意形成にとって必要かくべからざるものとして存在しうると
言うなら、それは民意形成のための手段的価値だろう。例えば、多数決の例外事項を
あらかじめ設定するとか、多数決以前に十分な話し合いによる妥協を模索すべきとか。
個人の社会参加権と言うものがまずあり、それを正常に機能させるために手段的
価値があるのであって、手段が目的に優越するのでは主客転倒だ罠。民主制を維持する
ためのルールは、あくまで個人の社会参加を保障するための道具的概念であって、個人の
権利に先行して存在するものではないだろ(藁
あのぉー、私は完全に「個人」の失格者なんですが。
日本国における選挙権も被選挙権も有している訳なんですが。
失格者にふさわしく誰かに権利を剥奪していただかないと機能しませんな。
>>475 先ず、国体なる概念が「神話」を基にしたものである事が問題。
国体の絶対性は、現実は王権神授説(天孫降臨)に拠って主張されている。(憲法義解)
これ(「国体」)を持ち込んだ人間の意志が、欧化への一定の歯止めを
目的に、国家としての漠然とした有り様を示した程度に過ぎず、国民の意識を
縛る気もなく(議院内閣制は否定しているのだから、実際は縛ってるんだが)、
神権政治を行う気もなく、立憲主義を目指したにしても、
絶対主義的な位置づけにある「国体」の上に立つ、立憲主義による「政体」の価値
が相対的に低くなることは、免れないわけで、これは後に内閣の権威の失墜と
軍の政治介入を許す結果を招く。
天皇という国家機関は「シラスの具象化した国家機関」という位置自体かなり問題で
ウシハク(特殊意志)とシラス(一般意志)との違いという文学的ともいえる点に
おいて意味を成すしかなく、実際多くの人間には理解されていなかったし、
明治政府が「統治者」としての天皇の権威の上に成立している以上、理解させる
わけにもいかなかった。
(上の実例としては、帝国憲法の英訳・一般国民の認識・後の国体明徴運動)
また、「一般意志の具象化した『国家機関』」なるものを、作ることが、国家権力
に対し性悪説的立場に立って行われる立憲化とは、全く逆の存在である。
497 :
484:03/10/20 21:43 ID:LnJD3LLv
>>496 訂正
また、「一般意志の具象化した『国家機関」」なるものを作ることは、国家権力
に対して性悪説的立場に立って行われる立憲化とは、全く逆の行為である。
499 :
496:03/10/20 22:08 ID:???
>>495 君の様な奴が選挙権持っちゃ駄目だから、与える以上洗脳は徹底(公正・節度・
冷静・思慮)するしかない とするのが れ氏
君も様な奴にも選挙権が必要だし、洗脳は程々(正常に機能させるために手段的
価値)で良い。というのがアズマ氏
500 :
保守を考える:03/10/20 22:41 ID:vBlzXvfz
>>493 なんだか全然理解してないようだね。
私が言っているのは、何者にも依存せず自立した主体など な い。
だよ。
で、君はまず前提として
>独立した完全な主体を「仮定」するのが、近代産業社会の基本だろうが
と言っているが、その主体の意味は、経済関係を構成するユニット、つまり法人ということだから
生来的に社会参加権を持つ『個人』にはならない。
君の近代資本主義論に従えば、どこまでいったって、フーコーの云う所の
「下位としての個人」だろうよ。わかりる?
>「完全独立型の主体」を仮定することは、個人に
>付着した関係性を断ち切り規格化することによって、見ず知らずの人間が他の関係からの
>干渉を受けずに繋がるための社会装置だろ。
そんなものは、秩序がないから「装置」とは呼ばない。
そもそも、個人を規格するという規範は、各個人が発見し、応用する訳ではない。
当たり前の話だ。こんな事も判らんから、君は(以下略・・・。)
501 :
保守を考える:03/10/20 23:02 ID:vBlzXvfz
相変わらず、ななしクンのレスは、スレの流れや、レスの論旨を読み取れないばかりか
さらに、書いている内容が論理・論述にならず、一般的理解に耐えうるものではない。
という事を、このスレで、一体何度、いや、誇張ではなく何百回と証明してきたが
今回も、またそれをやる羽目になってしもうた・・・・。(閉口・・・。
>>496 >先ず、国体なる概念が「神話」を基にしたものである事が問題。
理由がしめされていないので、意味不明。
で、私は、既に
>>436-437で、国体の本義に対する立場を表明している。
>国体の絶対性は、現実は王権神授説(天孫降臨)に拠って主張されている。(憲法義解)
憲法義解で、そのような解説はない(ウソ)だから、以下の論は当然、意味不明。
>ウシハク(特殊意志)とシラス(一般意志)との違いという文学的ともいえる点に
ウシハクとシラスを特殊意志と一般意思と対比させているところが意味不明。
また、ウシハク、シラスは文学的解釈ではなく、統治理念の日本的解釈である事を
知らないらしい・・・。
よって、以下の論は、当然、意味不明。
>また、「一般意志の具象化した『国家機関」」なるものを作ることは、国家権力
>に対して性悪説的立場に立って行われる立憲化とは、全く逆の行為である
日本の政治史において、一般意志に則した政体は存在していないので(現在も。)、
日本のことじゃないと思われるが、何処の国を指して言っているのか意味不明。
以上
>>501 >また、ウシハク、シラスは文学的解釈ではなく、統治理念の日本的解釈である
笑っちゃいました
その統治理念の日本的解釈とやらの具体的な説明を求めます。
貴方は知識を議論の論点を誤魔化すことにしか使えないのですか?
503 :
保守を考える:03/10/20 23:06 ID:vBlzXvfz
>>496 もしかして、用語の定義から教えてやらなければならんのか?
だったら、君には思想版は無理なんじゃないの?
教えてやってもいいけど。
君のような輩の相手は、タリ―から、パス。
>>503 用語の定義じゃなく
単に ウシハク と シラス の統治理念の違いなんですが・・
具体的にどういう違いなんですか?
505 :
保守を考える:03/10/20 23:36 ID:vBlzXvfz
もう、眠いのだが・・・・。
>>504 『ウシハクとシラスの違いについて』 井上毅(言霊編より)
「 知るということは、今の人の普通に用いる詞の如く心にて物を知るの意にして、
中の心と外の物との関係を表わし、さて中の心は外の物に鑑みて鏡の物を照らす
ごとく知り明らむる意なり、西洋人の論理法に従いて解釈する時は、主観様に
無形の高尚なる聖霊心識の働きを表わしたものにして、庵有といい占領といい
ウシハクと言えるのは専ら客観様に有形の物質上の関係を表わしたものなり。」
具体的な治すとは
「そもそも、天照大神がはじめて農業と養蚕の道をひらいて、民を飢えと寒さから救われたのが
その出発点をなしているのであるが、 その後も代々の神々、また歴代の天皇が、
病気治療を定め、植林事業を行い、公平な裁判制度をしき、 国防に努め、治水事業、
飢饉への備え等々に尽力されてきた。これらは全て、「創生安寧」という大目的の為に
行われてきたことであり、 政治の目的がなによりもまず人民の福祉にあるということは、
古来、天皇が人民を「おおみたから」と呼びならわしてこられたことに表れている。
・・・・中略・・・・
漢土においても日本のように、はっきりと政治の目的が人民の福祉にあるとする考えは見あたらない。
これこそはわが国独自の誇るべき伝統である。」(藤田東湖 弘道館記述義)
506 :
保守を考える:03/10/20 23:40 ID:vBlzXvfz
>>502 笑うのは結構だが、
>>496のアホさ加減にも眼を通してやれよ。
論理そのものの意味が解っていない者が、人の論理に噛み付く典型例だろ?
>貴方は知識を議論の論点を誤魔化すことにしか使えないのですか?
そもそも、意味不明なんだから議論が成立しておらんし、
で、その「争点」ってなーに???
まあ、また、意味不明ってとこかい?
507 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/20 23:44 ID:goKwtJcn
>>500 >>独立した完全な主体を「仮定」するのが、近代産業社会の基本だろうが
>と言っているが、その主体の意味は、経済関係を構成するユニット、つまり法人
>ということだから生来的に社会参加権を持つ『個人』にはならない。
法人ではないだろう。無色無臭の独立した処分権限を持つ個人が近代産業社会
成立の基礎だろうが。個人が自由意思で権利・義務を他者と取り結び、その集積が
膨大な社会の網の目を構成しているのが近代社会と言うもんだろ。これは経済関係
だけに留まるものではない。あらゆる社会関係について言えることで、もし個人の
処分権限や権利義務が、他の者との関係性によって影響されたり、人ごとに異なり
規格化されていなければ、契約の連鎖としての社会関係が積みあがらない。規格化
・統一化された一定の権利・義務を個人に認め、そこから生じる社会関係の網の目を
最終的に国家権力の強制力で担保することこそが近代社会だろうが(藁
契約自由を認め、契約の履行を国家権力が担保するのが近代社会なのだが、
契約自由ですべて済むかと言うとそうもいかない。契約自由や個人に仮定された自由
処分権限を社会維持の名目で、国家権力が規制することがありうるわけだ。しかし、
それは原則として仮定された契約自由とか個人の自由権を規制することになる。
これをスムーズに行い、規制の範囲をより広範にするためにも、社会の構成員が
国家権力の運営に参加することが理念的に求められることになる。参政権のルーツは、
まさにここにあるんだろ(藁
産業社会が、独立自存の個人を要求し、その個人を規律する国家権力が参政権
と言うものを必要とするわけだ。これが産業社会における民主制成立のドグマだろ(藁
508 :
保守を考える:03/10/20 23:57 ID:vBlzXvfz
>>507 おいおい、それら個人は所詮、ブルジョワの権利じゃねーか。
あらゆる階層、あらゆる人種、つまり人間の権利としての個人と混同して
近代を解釈して現代に当てはめようとするから、詭弁になるんだよ。
そして、それを強弁するから、ラカンに(
>>276)と言われちゃうんだろ。
まあ、煽動家として君は及第点だろうよ。
じゃ。おやすみ。
>>505 レスくれたのですねw とりあえず感謝します・・まあ大雑把には知ってますよ。
で、大国主神(特殊意志)、天照大神(一般意志)で良いじゃないですか・・・
一緒にするなという話なんでようが
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
が、実は
日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治ス所ナリ
でありシラスに含まれる意味を読みとりましょう。とかいう解説が入るようでは
「文学的」としか言いようが無いでしょ。
>日本の政治史において、一般意志に則した政体は存在していないので(現在も。)、
>日本のことじゃないと思われるが、何処の国を指して言っているのか意味不明。
国体がそうであって、政体は違います。(二元論で行けば)
政府の権威失墜を招いたと指摘しているはずです。
一般意志を持つ理想的統治者として、天皇が持ち上げられているわけで。「忠義者」
が拾ってこれを独占したかのような(実際には独占なぞしていないが)態度で暴れた
のが昭和初期では無いんですか?
510 :
保守を考える:03/10/21 07:04 ID:AYCxsMS5
>>509 だから君がどのような理解で「一般意思」を使用しているのか不明。(
>>157参照)
で、起草時の第一条問題は夏島草案の時、井上毅が参加しておらず、伊東巳代治が
英訳する際に、適切な語彙がないところから、博文が、漢語表記に改めたという経緯がある。
憲法義解もこの一条の理念である「治す」に近い表現をとっているが、これも英訳をする都合上
「統べ治める」とsubjectを使用している。
そもそも、当時の憲法は、一義的には国内の政治システムを構築することにあったが、
残念ながら日本は列強諸国にその存在を対等に認知されていなかった。(不平等条約等)
要は、列強諸国が理解出来ない表現は極力避けたという事。
起草者間では勿論、枢密院による憲法草案審議に於いても、喧喧諤諤の議論が行われている。
>国体がそうであって、政体は違います
これも、一般意思を君がどのような意味で使用しているか不明であるので理解不能。
「かの者(
>>473 )」って、ワタシこと ? …w
>>473 で、「完全独立型の主体
>>481」とは、また…ww
ヒトが関係性の中で存在することはヘーゲル以降の実存主義のテーマでもあるし、また、役割理論やシステム論も同様の捉え方をする。
言い古された表現で、べつにフーコーやラカンを持ち出すまでもないことなのだが…
一見ムツカシそうに見える彼らの名を出したかったのだろうwww
ところで、人民主権と国民主権だが、「人民主権」は、君主主権に対するアンチ・テーゼでありすべての人民が主権の行使の決定に参加できなければならず、
いっぽう、「国民主権」は、観念的存在である「国民」がそれ自体では意思を持ち得ず、主権行使の実体は「代表」となる、ま、理論上、その代表の位置に「君主」が就くことも可能である。
いわゆるプープルとナシオンの主権論だが、仏の1791年憲法に由来する、これまたアナクロである。
主権論の現代的展開は、「国民主権」には両者の要素が含包され、ナシオン的主権行使(諫早湾の鉄の水門etc)への反省から住民投票などプープル的行使が見直されている。
いずれにしても、近代立憲主義が提出する「人権」はその目標を示すものであり、主権は人権を実現してゆく組織原理としての性格を持っていた、その意義からしても「天皇制」はそれ自体として「反人権的組織原理」であろう。
ということで、天皇制は盲腸にも満たない、生得的「奇形」のようなものである。
では、また。
>.494
全く、あいも変わらず、夢想家だね。
基本的に、貴殿は「個人」に、「社会の意思決定に参加する権利」がある、と述べている。
それは、個人が、その社会意思決定に関して参加し、決定に関与することが、その個人
にとって良好なる結果をもたらすであろう期待を有しているんだろう。
個人の立脚して、それに「公正・節度・冷静・思慮」を期待すること自体が間違いなら、
君の言う個人と、私の言う個人は、多分違うんだろうと思うよ。
個人の中の公的な本音、個人の中の集団的意識、が「自己中心・無節操・熱狂・感情」に
よる、社会意思決定への関与を「抑制」し、個人が所属する社会としての良好な結論を
導き出そうとできるから、個人が社会意思決定に関与することの、妥当性が観念できるんと
違うのか?
だとするなら、個人の中に公的な価値・集団の一員としての価値を形成するに必要な
道徳とか規範が、共有できているからこその、社会意思決定権利の認知だろうよ。
社会というものは、そのような道徳や規範を共有しているからこそ、社会と呼べる。
それを、道具立てとし、社会形成経緯を無視して、無秩序に個人の社会参加を認めれば
それは、社会意思決定に関与するといいながら、社会秩序の破壊をも容認すると言うことで
本末転倒になるんじゃないのかな?
513 :
右や左の名無し様:03/10/21 21:35 ID:wSbItcEn
age
514 :
名無し。。。:03/10/21 21:49 ID:HA5vfwJR
515 :
保守を考える:03/10/21 23:19 ID:xj+54CY1
>れ氏
結局のところあやしい氏は、人民(国民ではない)を、その甘言で煽動し、日本を解体し
自己の満足を満たす世界観に飢えているのでしょうが、如何せん、そのあやしい氏の指示
する世界のビジョンが見えてこない。というところが、毎度、首をかしげるポイントなわけです。
で、私が根底で影響を受けている「ザ・フェデラリスト」からハミルトンの論文の一節を引用してみましょう。
516 :
保守を考える:03/10/21 23:19 ID:xj+54CY1
「 どんなグループの人々の反対論であれ、それをいちがいに利害に曇らされた、下心ある
見解だとしてしまうのは、誠実を欠くものである事は、私も十分心得ている。公平にみる
のならば、そのような人々でさえも、正しいと信じる意図によって動いている事もある事を
承認せざるを得ないし、また現に存在している反対論、今後現れてくる多くが、例え尊敬しうる
といわないまでも、少なくともやましい所の無い動機、即ち、いわば先入主的な猜疑心や
恐怖心によって誤らされた真面目な思い違いに基づくこともある事は、これは疑い得ないのである。
実際、人々の判断に誤った偏向を与える原因は非常に数多く、しかも強力なものであるから
社会にとって第一級の重要性をもつ問題に関しても、賢明で善良な人々が、正しい立場をとる側にも
いるが、また誤った立場をとる側にもいる事を認めなければならない。こうした事情を考慮するならば
いかなる論争に於いても、自分は正しいものと固く信じている者も、『節度』の必要を悟らざるを
えないだろう。さらにこの点に於いて慎重さを必要とするもう一つの理由として、
真理を擁護しているものの方が、相手方に比べて、より純粋な主義主張に基づいているとは
必ずしも言い切れないという反省もあげておこう。野心・物欲・個人的怨恨・党派的対立、
その他これらよりましとは言えない様々な動機、これらのものは、正しいほうの立場を支持している
人々に対しても、それに反対の人々に対するのと同様に、影響を及ぼしているのが通常である。
もしも、『節度への配慮』がいささかもないとしたならば、政治的党派を伴うのを常とする
あの不寛容の精神ほど無分別なものはありえないことになろう。まことに政府においても
宗教におけるのと同様、およそ火刑と銃剣とによって改宗をせまるなどは愚劣極まる事であり
いずれの場合にも、異端が迫害によって改宗することなど、まずありえないのである。」
517 :
保守を考える:03/10/21 23:28 ID:xj+54CY1
まあ、上の主旨にも満たないあやしい氏の弁舌は、
所詮、人民の諸権利を標榜する、仮面を被った専制者の言説に過ぎず、
その政治的始まりと経過、及びその末路は歴史が示す通りです。
そのような歴史を隠蔽したいが為の、歴史否定は、
つまる所、自らの仮面の下の掩蔽に繋がり、節度を失い、依って立つ方向性が
いわゆる、歴史に逆行にしかならない事にすら、気が付かせないのでしょう。
ただ、残念ながら、あやしい氏の甘言を受け入れる対象が、オルテガの危惧した
大衆でして、歴史がその危険を証明したとはいえ、今日的な課題であると
私は心得ている次第であります。
うりゃ
519 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/22 22:09 ID:Yu7FBNta
>>517 >所詮、人民の諸権利を標榜する、仮面を被った専制者の言説に過ぎず、
>その政治的始まりと経過、及びその末路は歴史が示す通りです。
アホか?国家解体を標榜するものが、専制者であるハズがないだろ(藁
俺は、民衆の実体的政治参加権を阻害するような社会体制は原理的におかしい
と言ってるの。そして、民衆の実体的政治参加を実現しえない、国家単位の
議会制民主主義は修正されなければならないと言っている。そのためには、
治者と被治者の同一性を限りなく阻害する、専門家による政治を招く国家への
中央集権的な構造を分権的な社会構造に戻すべきだと言ってるんだよ(藁
唯一不可分の主権へと民衆の社会参加権を集中し、そこですべてを決める
システムは、必然的に国家統治の専門家を必要として、民衆の手のどかない
ところで、すべての社会意思が決定されることになる。これでは、民衆の
実体的社会参加権が実現しているとは到底言えんだろ。この事実を糊塗しようと
するから、国家主権マガイの発想や、テンコロなどと言う民衆の社会参加権とは
無縁なイカサマを持ち出して国家権力を正当化する必要性がでてくるんだろ。
520 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/22 22:10 ID:Yu7FBNta
そもそもアメリカ独立革命にしても、「代表なくして課税なし」と言う
スローガンに象徴されるように、民衆の政治参加権が念頭に置かれたわけだ。議会制の
あり方以前の問題として、民衆の政治参加権を承認するところにアメリカ独立革命の
理念もまた存在するわけだ。そのような根本原理を脇に置いて国家権力の正統性を
アレコレ言ってみたところで、それは本質的部分ではないだろ(藁
個人の自由を社会権力が規制する以上、その規制が民衆から支持されるためには
民衆が規制を定める話し合いに、なんらかの形で参加する必要がある。これが
社会権力の正統性を保障する民主主義の根本だろ。そして、あまりに肥大した
国家権力は、民衆の手の届かないところで専門家によって担われざるをえない。
これでは、民主主義の理念である「社会の決定事項に民衆が参加する」と言う
条件が十分に満たされなくなり、社会権力の正統性自体が民衆から疑われることに
なりかねない。国家的意思決定に民衆が実体的に参加しえない現状において、
国家的意思決定の正統性を調達する手法として、民衆の社会参加権以外のものに
頼るのが天皇崇拝とか国家の権威にすがりつくお前さんたちのようなアホウの輩だろ。
俺は、現在の社会システムがあまりに肥大した国家権力にすべての社会的調整機能を
集中していることが問題だと指摘しているのだ。権力や権限を昔の社会のように、
分割し、国家に集中する必要のない社会機能は民衆により近い社会単位におろして
いって、そこで意思決定すればいいだろ。社会の調整権力が、民衆個々人の社会参加権
に由来する以上、民衆にとって最大限に社会の意思決定に参加できるようなシステムを
構築することこそが、合理的と言える罠(藁
521 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/22 22:36 ID:Yu7FBNta
>>512 >貴殿は「個人」に、「社会の意思決定に参加する権利」がある、と述べている。
>それは、個人が、その社会意思決定に関して参加し、決定に関与することが、その個人
>にとって良好なる結果をもたらすであろう期待を有しているんだろう。
個人にとって良好な結果をもたらすとともに、社会全体にとってもそれが利益に
なるから採用する合理性があるんだろ。個人に社会参加の権利を認めることや
種々の自由権を認めることは、良いことでも悪いことでもない。ただ社会を安定的に
運営するためには、そのようなものを認めた方がよいから、それを採用しているに
すぎない。これこそが、近代社会の根本をなす価値だろ(藁
個人の自由や社会参加を肯定することは、個別的にそれを見れば、社会全体にとって、
必ずしも望ましいことばかりではない。なぜなら、個人の自由や社会参加を認める
ことは、個人の盲目的な欲望を解放することに繋がるから。利己的な欲望の実現のために
社会を混乱させる可能性を秘めている。
個人の自由や社会参加は、予定調和的に「公正・節度・冷静・思慮」に至るものでは
なく、「自己中心・無節操・熱狂・感情」を社会的意思決定に持ち込み、社会を混乱
させる可能性を十二分に秘めている。しかし、そのような危険を孕みつつも、個人の
欲望を社会権力に取り込むことは、権力の正統性を調達する意味で必要なことだ罠。
だから、民衆の欲望を制御しつつ社会権力に取り込みうるような洗練された社会制度が
求められるわけだ(藁
社会の構成員が単一の価値観を持つなら、個々人に内面化された道徳とか社会規範で
民衆の欲望を制御し、社会権力を巧みにコントロールすることも可能だろう。しかし、
価値観の多様な社会においては、そのような手法は成立しえない。だから、制度面で
それを担保する必要があるわけだ。
アズマ史観的に言えば、肥大した国家を基幹とした社会システムは、民衆の欲望を
社会機構に取り込む段階でさまざまな支障がでてきている。それを天皇とかいろいろな
道具立てを使って無理をしているから、おかしなことになる。アズマ主義的見地に立って
言えば、主権国家へと社会機能を集中してきたこと自体に問題があると言える罠(藁
522 :
保守を考える:03/10/22 22:46 ID:0/jcj3DR
>>519-520 > アホか?国家解体を標榜するものが、専制者であるハズがないだろ(藁
おひおひ、独裁者としての自覚に欠けているところが、君の『あほ』な所以だ。
日本(国家)を解体してその後、いかに細分化した小国家群が成立したと仮定して
その小国家群は、当然政治を担う政府を樹立せざるを得ないし、そもそも、その独立としての
交渉をするわけだから、独立以前に擁立しなきゃあ、ならん訳だ。
で、その政府を構成する基本システムは、ある個人ないし、ある集団に委ねられる事になる。
まあ、その選出が選挙だとしても、今度はその選挙制を決定するべくシステムを委ねる方法論が
当然あり、その方法論は、そのまた方法論は・・・・。
畢竟、それを決定するのは、あやしいアズマ人、君に他ならん訳だ。わかりる?
要するに君が、今まで主張してきた、個人主義や主体性と自同性が伴う、社会システムの
根源的思想は、君一人の野心に収斂する。という事だ。
まあ、「フェデラリスト」を読めって。
523 :
ぁゃιぃアズマ人:03/10/22 22:56 ID:Yu7FBNta
>>522 だ〜か〜ら〜、個人の社会参加を実体的意味で最大限に確保しうる社会制度を
考えているわけだろ。社会制度が自然発生的に存在しえない以上、誰かがそれを
提唱するのは当たり前のことだろう(藁
ある社会システムを是として非とするのは、そのシステムを検証した上で、
するわけだろ。それは既存のシステムについても、新たに導入されるシステムに
ついても同様で、その検証するための素材として俺はアズマ至上主義に基く
分権的な社会システムを提唱しているわけだ(藁
中央集権的な主権国家の必要性とか、民衆の社会参加権以外の方法で権力の正統性を
調達するインチキ天皇制の必要性とかを提唱するなら、廃止派(良識派)に検証できる
形で、自分の考えを述べればいいだろ(藁
524 :
保守を考える:03/10/22 23:16 ID:0/jcj3DR
>>523 散々述べてきたはずだが、何か質問でもあるんか?
でだ、私はP10で
「 ところで、何をもって、有史以来いやそれ以前からの「天皇制」が
呪術的な人造模造物などと宣うのだろうか?
また、地域の歴史・文化・伝統とは、具体的に何を指して言うのか、はっきり示して頂けないかな。
あなたの専用スレに誘導しないで、当スレにおいて、それが日本古来の天皇制と対立することを
立証しろとまではいわないが、少なくとも提示ぐらいして欲しいのだが。
でなければ、あなたの云っている「Feudalism」が何の事だかさっぱり解らんのだが・・・。 」
525 :
保守を考える:03/10/22 23:16 ID:0/jcj3DR
と振ったが、辟易するほど誤魔化しを続け、挙句の果てには
592 名前:ぁゃιぃアズマ人 :03/03/21 21:10 ID:???
俺は、歴史・文化と言ったもの全般について、プロパガンダだと言っている。
だって、定義が曖昧でいかようにでも解釈できるものは、プロパガンダとしか
言いようないだろ。
これは当然、俺自身の発言に関してもそれは当然認めるよ。俺は、プロパガンダを
プロパガンダとして利用するカルト教の教祖・幹部だもん。ここが、プロパガンダを
信じ込んで意味不明なことを人に押し付ける、お前さんたち一般信者との違いだ罠。
歴史カルト教の立場に立つなら、せめて教祖・幹部になるくらの志を持てよ。
教団の作ったプロパをプロパとして理解せず、それを信じ込んでいたらいつまで
たっても使い捨てのヒラ信者だぞ(藁
これは、撤回するのか?
526 :
文化の象徴:03/10/22 23:20 ID:sAECCcBh
憲法第一条
天皇陛下は日本の象徴であらせられる
サヨクは、憲法改正派どころか、違憲犯罪思想のあつまりか?
戦前の日本は悪だとか、だから、それはあなたの国です。
Wカップで外国チーム応援、その顔で、ふくを着ても、黄色いサルです。
自分の文化を貶めて、それがあなたの祖国日本です。
天皇陛下、ですから、あなたの国の象徴です。
国旗?それはあなたの国の旗ですって。
527 :
保守を考える:03/10/22 23:33 ID:0/jcj3DR
>あやしい氏
全く天皇(制)に関係ないんだが、ついでに、質問しておこう。
>民衆にとって最大限に社会の意思決定に参加できるようなシステム
とは具体的に何を示しているわけ?
若し、君が、住民投票権をして間接民主制を否定しているのであれば、
要するに、君は、『議会』そのものを、否定する事になるだろう。
>>520-512 アズマタン
> そもそもアメリカ独立革命にしても、「代表なくして課税なし」と言う
>スローガンに象徴されるように、民衆の政治参加権が念頭に置かれたわけだ。
と言う発想があるのは事実だろう。おかしな話なのだが、その米国において、現在まで
移民は大統領に立候補さえできないのはなぜなんだというところに象徴されるように
また、日本における在日外国人の参政権問題においても、議論されている通り、
共同体に所属する個人の、共同体への帰属意識(米国では忠誠心というようだが)
ありて、初めて民衆の政治参加権はありうるわけだ。
これは、個人というものが総てから開放されている自然状態から発想されるという、
貴殿の立脚点とは異なり、所属というものを意識しなければ、政治に参加できない
ということだろう。
この帰属意識は、共有される価値体系の肯定から生まれるものであるが、
(なぜなら、共有される価値体系こそ、社会秩序の基礎であり、共有される社会秩序
がある集団こそが共同体だろうから)、この価値体系はその共同体の所属する人々の
日常の営みから形成され、引き継がれたものであり、その共同体を保守するに必要な
現実的な改変を加え、未来に引き継ぐものであろう。
(これを、観衆とか常識とか伝統などお言うのだろうけれども、そして、悪しきそれを
是正する態度は否定していないけれども・・・。)
ここに個人の利己的な個人としての利害と対立したときに、共同体の利益を優先するという
公的な個人意思というものの発生する余地があるわけで、この公的な個人意思の形成
=共同体の継続意思=道徳や規範、が前提にない「個人の社会参加権」は、
どう考えても、その共同体に参加している総て(在日外国人や、共同体破壊を目的とする
人たちもふくめたすべて)に社会参加件を認めることになり、本末転倒になる。
だから、個人の社会参加件を認めるにしても、共同体の存続という原則的なことは必要
という私と、意見が対立しているんだが、まず社会参加権ありというとき、その確信は
どこから生まれてきているのか、それを説明する必要がある。
そして、参加しようという社会は、どうやって形成されてきたのかという考察抜きに、
個人の「社会」への参加件を語る貴殿に、共感できようもない。
つづき
社会参加権と言うのは、個人に立脚して、はじめから備わっているとみなすなら
外国人の居住者にも参政権・被参政権は備わっているわけだろうから、
オーストラリア移民のシュワちゃんは、米国大統領に慣れるのが妥当だし
帰化していない北朝鮮出身の韓国人が日本国総理大臣となるのもも、当然認め
なければならないわな。
米国という共同体が、英国から独立するための政治プロパガンダが、社会契約説
であることは、移民の被選挙権を与えていないことからも、当然に証明できるの
であるが、共同体を維持し、未来に引き渡すという道徳規範の必要性は、間で認め
られないのかな?アズマタン。
>>515 保守考氏
上記の書き込みで、いかがでしょう。
コモンローのコモンが、誰に共有されている、どのようなローなのかという理解ができないと
あのような意見になってしまうのでしょうね。
何のために共有されているのかといえば、共同体の保守、なのですが・・・。
ちょっと、明治憲法が置き去りにされているから、少し・・・。
明治維新を革命とみなすにあたり、それがリボリューションという意味で使われるなら妥当
である。天命の革まる(革命)という意味なら、誤りである。
まさに復古という革命であったとするなら、それは世界各国の多くの革命と同じ、革命的
出来事であった。
リボリューションと言うのは本来に戻るという趣旨であり、本来でない支配構造を破壊し
本来の治世・統治構造・共同体の秩序に戻す運動である。
そうでないならら、共同体の破壊という行為として現れるのであるが、国家という枠組み
を破壊した革命の存在を私は知らない。(純粋に西欧の歴史を良く知らないから・・・。)
米国の独立は、その例であるかもしれない・・・。(革命とは呼ばないようだ)
明治維新という運動は、近代への脱却であるとともに、武家支配からの脱却でもあろう。
本来日本は武家支配の国ではなかったという位置付けが、根源にある。
明治維新において、西欧諸国制度を検分した結果において、かれっらが感じたことは
まさに、万機公論に決するにあたり、「自己中心・無節操・熱狂・感情」をどうやって押さえ、
「公正・節度・冷静・思慮」に基づいた公論を確保するのかという疑問に突き当たる。
議会制における、熱狂への対策である。17条憲法においては、党派心を押さえ、万事
和やかに話し合うことを求めているが、それは話し合い重視という価値を日本に置いた
けれども、担保足りえるほどの価値とはなっていない。
西欧各国の場合、宗教「なるもの」が規範としてあり、その熱狂を防止していると見た。
日本においては、仏教も神道も、そういった規範の構築の根拠としては不十分で、
結果、天皇という権威を、その規範の根拠とした。
国に対する忠誠心は公平無私なる天皇(神の末裔であって、現人神ではない)への
忠誠心として、その対象を定めるにいたった。
確実に言えることは、天皇が欽定憲法として、明治憲法を発布する権威となり、そのこと
により、万機公論に決し、みなが自分の志を遂げられる国にしようとしたものであることは
事実であって、その功績はたたえられるべきであろう。
オラにはムツカシすぎて ついていけネ―ダ。・゚・(ノД^)・゚・。
533 :
右や左の名無し様:03/10/23 18:01 ID:ovs7jYsB
>>531 >リボリューションと言うのは本来に戻るという趣旨であり、本来でない支配構造を破壊し
本来の治世・統治構造・共同体の秩序に戻す運動である。
この主張によれば現在の民主主義・人権尊重を基調とする現憲法体制もいわば「仮の統治形態」にすぎず、本来の「くにの形」ではないことになるがそう捉えていいのか?
そうとらえると、現憲法前文によって明らかにされた国のあるべき姿とは全く異質なものとなるが、如何に捉えておられるのか?
憲法の前文において書かれていることは、矛盾が多数あります。
しかし、五箇条のご誓文と、民主主義的憲法、人権尊重的憲法は、
特に矛盾はありませんね。
日本は、武家の武力で支配される国ではなく
万機公論に決する=党派心を捨て和やかに話し合う、という国である。
日本は特定の支配者や商人が、利権をむさぼるのではなく
みなが自分の志を遂げられる国である。
日本国憲法は表現の行き過ぎが多数見られます。前文における「普遍の原則」とか
条文においても「国権の最高機関」とか「唯一の立法機関」、などなど。
しかし、内容的には、「全く異質なものとなるが」とは到底思えませんが・・・。
>>533 ついでに申し述べておきますが、明治維新を革命駅と捉えるなら、まさに復古という革命
であったという評価をしているに過ぎないのであって、明治維新が求めた復古が正しい
とか今後も復古を推し進めなければならないとは、申し上げておりません。
フランス革命も含め、世界の革命と呼ばれるのもは、本来の統治の姿を取り戻すという
意図が、必ず含まれており、それは、共同体の肯定があるから当然であるという趣旨です。
明治維新もまた、日本という共同体破壊の運動ではなく、ということは日本を否定する運動
ではなく、したがって、日本というまとまりを維持するという価値は、破壊されていない
、(日本に関しては過去一度も・・・。)という主張を申し上げ、今後も破壊される必要のない
まとまりの維持が、社会参加件についても、人権についても、国防についても、勘案される
必要があるといっているのです。
536 :
保守を考える:03/10/23 19:49 ID:cvxIqVrH
>れ氏
>>530 私は、このスレで昨年来より、コモンローなり習律なり伝統なり・・・・等々、
説明して来た訳です。それについては、あやしいもよく存じているはずなのですが・・・
また、あやしい氏が喚いている『個人』なる正体も、この筋の論壇で、近年散々と議論されており
当方も
>>154などを援用して、私見を述べても構わないのですが
如何せん、あやしい氏の論旨に賛同をする、良識ある廃止論者(別に存続派でも構いませんが。)が
現れていない現在、(面どくさいという気持ちもあるし)様子を見させて下さい。
つまり、あやしい氏の回答待ちというところです。
537 :
右や左の名無し様:03/10/23 19:59 ID:mfsLn95A
そんなことより天皇って国賊だろ?
国家元首として日本を太平洋戦争に突入させて早期終戦もできない無能。
さらにその責任もとらずにのうのうと長生き。
ボンクラ息子があと継いで、毎年宮内庁予算として2千億弱のムダ使い。
東京都心の一等地千代田区の12%、およそ115万平方メートルを専有。
費用対効果、道義的責任の面から鑑みて存在価値ってあるの?生きてる必要ないや
538 :
保守を考える:03/10/23 20:03 ID:cvxIqVrH
>>535 まあ、
>>533( ID:ovs7jYsB)のような、人の論旨を読み取れないモノは、
以前から、思想版にはちょっと無理があるんじゃないかな?と疑問に思うわけなのですが
解らないなら、「意味が解らないから、説明して下さい。」と素直に言えば
良いのに、勝手に議論の方向を、アサってに持っていくから困りますな。
ところで、「Revolution」とは、
接頭語の 「 re 」 : 再び、し直す
次の 「Volition」 : 意志作用
が組み合わさって成ったと認識していますが、英語辞典がないので確認出来ませんが・・・。
まあ、よく知識人達がこのリヴォリューションを
「元々は、(古き良識等を)、再び巡り来たらせる。という復古の理念である。」と
いわゆる「革命」としての意味と対比させて使うのは周知の事実なのですが。
そういう実社会の状況も、名無し君は知らないのでしょう。(話にならんですな。)
539 :
保守を考える:03/10/23 20:06 ID:cvxIqVrH
>>537 とり合えずさ、このスレを
>>1から読んでだな、
それから、顔を洗って出直して来てくれんか?
およびじゃないんだよ。わかりる?
540 :
右や左の名無し様:03/10/23 20:11 ID:mfsLn95A
541 :
保守を考える:03/10/23 20:15 ID:cvxIqVrH
542 :
保守を考える:03/10/23 20:18 ID:cvxIqVrH
御免、ごめん、
あちこちにコピペしまくってたんだ。
ところで、教(おし)えておいてあげるが、そういう輩(やから)を、
世間(せけん)では、『低脳(ていのう)』って呼(よ)ぶんだよ。
一(ひと)つ、賢(かしこ)くなったね。
めでたし、めでたし。
滅びゆく戦後民主主義者の最期のあがきが見れるスレはこちらですか?
544 :
右や左の名無し様:03/10/24 00:14 ID:/Ys8H9JC
>>538 保守を考えるさんは、ここが全ての人に開かれた公開の場であることを、ご存じないようだ。
あなたは、これまで何度となく常連ではない人が書き込みしたことに対して「議論をそらす」とか「議論の流れがわかっていない」とか、
侮辱する発言を繰り返しているが、ここはあなたと「れ」さんのためだけの掲示板ではないということを再認識すべきだ。
545 :
533:03/10/24 01:02 ID:tkkEW+cC
>>534 返答いただきありがとうございました。
そういうことなら納得いたしました。
546 :
保守を考える:03/10/24 04:33 ID:GtCfk3C1
>>544-545 何の為に、れ氏が
>>528以降を書いているのかを、まず理解すべきだ。そうして
両者(あやしい氏)との議論は何が焦点なのかを、判断してから、噛み付きなさい。
と、私は言っている訳。
あやしい氏の説く、人民主権説について、何も言及がないのであれば、
君は、それを理解し、支持しているという事かな?という疑問もあるし、
そうであるが故に、大衆=付和雷同性を、私としては、感じざるを得ないし
そうでないのであれば、そもそも、お話にならない。と言っているのだよ。
天皇信奉者お二人と天皇制嘲笑派アズマ氏の論争だが…
もちろん、アズマ氏のfeudalism=「封建主義」は、ワタシのみるところ紛れもなくparodyだが、信奉者二人はホンキで論争を挑んでいるw
まぁ、確かに「絶対主義王制(天皇制の本質?)」と「封建主義」を比べれば、前者のほうがやや優利かも知れないww
実は、「目くそ」と「鼻くそ」の争いを演出することがアズマ氏のネライのように見える。
いっしょうけんめいのお二人は、まんまと「のせられて」いるよーだwww
ところで、EU憲法が話題となっている。
EU憲法が「立憲君主制」などをとるはずもなく、もちろん英国やスウェーデンなどの「王」は地域のそれこそ”symbol”になってしまいそーだw
もっとも、これこそ地域・地方優先の制度といえるかしれない。
天皇制も支持される「地域」なり「特定集団」なりで生き残りをはかったらよかろう。
最も現代的な憲法が、「君主」を否定しているのであるから…
では、また。
548 :
>>547 へ:03/10/24 09:38 ID:MWooisPK
擁護派が、そういう寝言に騙されると思ってるキミの脳内はオメデタイですな。
まずはEUとは何か知ってますか?
共産主義者が幻想を抱きたくなる気持ちは解らないでも無いが。W
>>547 >天皇制も支持される「地域」なり「特定集団」なりで生き残りをはかったらよかろう。
天皇制は日本という地域、日本人という特定民族集団において支持されていますが、何か?
だれも、EUにおいてまで日本の天皇を象徴としようとはしていないので、ご安心を・・・。
>最も現代的な憲法が、「君主」を否定しているのであるから…
最も現代的な憲法に世界中が合わせる発想、世界はひとつ・人類はみな兄弟
宗教も国ごとの文化も捨てて、皆いっしょになりましょうといって、米国が回教国に
その価値体系を押し付けようとしていることに、全面的に賛同し、世界統一価値を広める
・・・。全く、十字軍の反省さえできていない、イスラエル問題の発端にさえ思いを致せない
、中国の仏教国への侵略容認の、酔っ払いですなぁ。相変わらず・・・。
価値の多様化を認める発想がない人は、現代では通用しませんぜ、酔っ払いの旦那。
550 :
右や左の名無し様:03/10/24 12:19 ID:0N4tFjae
>>549 天皇信奉者が日本人の中で小集団である以上その人々の輪の中だけで天皇を制度として存続させていけばいいということなのでは?
価値の多様化を認めるなら、君主を持ちたい人がごく少数化して行っていることははっきり認識したほうがいいと思うな
551 :
>>550 へ:03/10/24 12:30 ID:MWooisPK
天皇制支持者が減っているというソース希望。
出せないなら廃止派ってウソツキだと確定。
ソースはネット調査などの統計学に基づかない物でなく、しっかりした物を希望。
個人的認識では…
天皇制容認派は増えてるのだよ。
共産党でさえ、諦めただろうが!
廃止派って現実も見れない分裂病なんだね。
病院に行こうな。
552 :
右や左の名無し様:03/10/24 13:00 ID:ZzDtS7EL
>>549 >宗教も国ごとの文化も捨てて、皆いっしょになりましょうといって、米国が回教国に その価値体系を押し付けようとしていることに
こんなことはアメリカは考えてはいない。飽くまでも、経済のグローバル化を進めようとしているだけだ。実際、そのアメリカ国内が非常に多様性に富んだ社会となっている。
少なくともこれまではユーラシア大陸の東のはずれにあるどこかの島国と違って移民を積極的に受け容れてきたし、多様性も認めている。アメリカほどの多宗教国家は世界にそれ程ないのではなかろうか。イギリスやフランスなどもそうか。
>十字軍の反省さえできていない
十字軍なんて、アメリカと何の関係があるのか。その時代、アメリカという国はそもそもなかったし、欧米という枠組みで考えてもあの時代はキリスト教文化圏とイスラム教文化圏との確執は断続的にあったのであり、十字軍だけを取り出して論じるのはフェアではないであろう。
実際、イスラム教徒によるヨーロッパへの侵略も何度となく繰り返されてきた。そのことも考慮に入れるべきだ。
だいたい、1000年近くも昔のことを持ち出して反省していないというのであれば、50年前のことを持ち出して謝罪も求めるどこかの国の事を批判できないのではないか?
>>550 天皇信奉者の意味がわからない。信奉者がいなくとも、天皇制に賛成する人が多ければ
別に廃止する必要はないわな。
価値の多様性を認めるということは、その共同体所属の人たちの、固定的ではない
一定範囲の価値の共有をも、認めることでもある。
個人の価値観は無条件に認め、その個人が構成している、社会の共有される秩序とか文化
などは認めないというから、それは現代に通用しないと申し述べている。
君主を持ちたい人が少ない?君主にもよるわな。専制君主は私でも持ちたくない。
しかし象徴君主制とも言うべき、権能を一切持たない天皇制は、支持されているだろうし
概ね諸外国の元首も、権能は削減される方向のようだ。
>>548,
>>551 ジサクジエンはイカンなぁ、保守考さん。
また、プロキシ規制がかかるぞ(爆笑
>>549 地域全体では支持されていない。
また、日本全体を特定集団としてくくってしまうのはどうかな、それぁ全体主義だよ(笑
>>552 説明する必要があるなら、説明しよう。
>>547は、最新の憲法がEUでできているのだから、その最新の価値に日本も合わせる
べきであるという論旨である。
これは、EUで適用できることは、日本でも適用できるという、価値観の世界標準化を
夢想している。でその批判として、価値観というものはその国ごとに違うという「現実」
、国ごとの国民性、それは共有される秩序体系とか価値観が異なるから、当然に発生する
違いというものを認めていない態度である。
したがって、
経済のグローバル化だって、それはその国の国民が求めているなら、その国の代表者を
通じて実現すればいい事で、米国が、経済のグローバル化の波に、世界各国は
吸収されなければならないといっているなら、余計なお世話だろう。国は鎖国する権利も
持っているし、限定的通商をするのも自由なはずだが・・・。
十字軍は米国との関係性を書いていない。書き方が関係性が有るかのようなら、訂正する。
別に十字軍と回教のどちらを正しいなんていっていないから、フェアもなんもない。
一つの価値に世界をまとめようとする事例として、十字軍の動機を持ち出したに過ぎない。
最後に、移民を受け入れる国と、受け入れない国がある。なぜだと思う?
それは経済であったり、文化であったり、様々であって、移民を受け入れるほうが正しい
ということはできない。
お願いとしては、レス対象の文脈と、当該レスの論旨を汲み取ってレスをいただきたい。
>>554 自作自演の根拠はあるのか?人格攻撃は失礼だよ。
謝罪しておいたほうが良い。君の人格を低く見せない方法だと思うよ。
日本全体をヒトくくりって、日本はひとつの国だよ。多分そういうのは全体主義とは呼ばないだろうな。
共同体としての価値体系の話なら、
>>528あたりに書いてあるから、反論すれば?
今上陛下におかせられては日本国憲法を遵守すると表明なさっている
お立場上やむを得ぬことかもしれないが、非常に残念である
「陛下、それはおかしいのでは?」とお言葉をお返す必要性は感じる
そもそもコミンテルンが間違ったように、日本の天皇陛下は絶対君主ではないから
お言葉をお返ししたい欲求も自然に沸いてくる
戦前のバカな官僚はそういう自然な欲求も否定したが
陛下はそのようなことをも受け入れてくださるのである
このような君主が世界のどこにいようか。日本をおいて他には存在しない。
まさに「母」のような存在であるからして必要であるし、存在意義がある。
西洋形而上学を超えることが出来るもの、それが日本の皇室である。
558 :
右や左の名無し様:03/10/24 13:46 ID:MWooisPK
>>554 キミは…ひょっとして日本を単一民族と誤解しとるのか?
アイヌ、琉球、蝦夷、クマソ…これらは日本の一員となることを希望してる。
さて、彼らを追い出すつもりなのか?
>>558 民族というものの定義がわかっておられないようだ。
人種でも部族でもなく民族なのだが・・・。
アイヌは日本民族です。琉球の人々も日本民族ですが。
違うというなら、民族の定義をお願いします。
>>559 沖縄の人の多くは、天皇を否定しているし、
他地域の人々でも沖縄の人たちほどでないにせよ
天皇を否定している。
民族が異なる、異ならないにかかわらず、天皇嫌いはいる。
しかし、検証は難しい。
嶋中事件、幸福の科学じけん、そして本島事件…
天皇制にコメントすると命が危ない。
これこそ、人々が天皇制を恐れ、嫌うが、何もいえない原因だ。
>>556 根拠は、プロキシ規制だよ。
キミも、自分の胸に手をあててよく考えてみな(笑
「さすが、れさんだニャー」はキミだろ(笑
民族を厳密に定義することはきわめて困難であるが、社会学的には人類の下位にくる
社会集団であることは間違いない。
一般には人種と混同されることが多いが、人種はまったく生物的な特徴(遺伝的身体特徴)
で人類を分類したものであるのに対して、
民族は言語をはじめとする文化的・社会的共通基盤を持つ社会集団をさす。
したがって民族の概念はその本質において文化的・社会的存在であるといえる。
しかし民族はある程度生物学的人種と関連を有するのも事実であり、その点を考慮すると、
民族とはある程度の血縁的共通性と居住地域の同一性を基礎として成立した文化共同体
と定義することができる。
この文化共同体の最も明確な指標は言語である。つまり言語を共通することで、
その民族の成員は互いに意思を伝えあい、さらには思考形式を同じくすることによって
価値観の共通性が認識され、そこに独自の民族的性格も形成される。
こうした価値観を共通にすることも民族の指標であるが、同時にそれは日常的な生活行動
をも規定する一面も持つ。
したがって民族を文化共同体と定義する場合の文化とは、成員に共通する言語や思考形式
や価値観、行動様式などをさしているのである。
(『新社会学辞典』より引用)
主観的基準として最重要なのは、「われわれは他者と違う」という「われわれ意識」や
「われわれへの帰属意識」を生み出す連帯感である。
この「われわれ意識」をもつ集団の枠組みは、決して確定されておらず、たえず流動している。
過去に存在しなかった民族が生まれたり、かつて実在した「われわれ意識」をもつ集団が
他の民族に包含されていく事例は、歴史的にも多く観察されてきた。
この主観的基準と客観的基準は、むしろ互いに不可分に関連しあっている。
それらは同一事象の二側面と考えた方がよい。民族という意識は<自生的・文化的>な力と
<作為的・政治的>な力の互いに拮抗するダイナミックな作用と関係の中から成立してくる
といえるだろう。
いずれにせよ、既存の同じ集団に生まれつつ、個人の自由意思で選択できずに養育される
枠組みの総体、つまり風土、生活条件、社会・家族制度、人間関係のあり方、言語、
宗教信仰、衣食住の慣行などの総体が<共属感覚>をつくりだすといってよい。
幼児期のしつけや学校教育などで、同じ集団に属すると教えられながら政治的に統合された
要素は、作為的であるにせよ、民族への<共属意識>を不断に再生産する原動力の1つ
なのである。
他方、<作為的・政治的>な力が働いてつくられた要素が、時間を経るうちに
<自生的・文化的>な性格に転化していき、それらを共有する人々の<共属意識>を
つよめる場合もある。民族問題は、政治や経済の不平等、文化的な差別や偏見に対抗する
ために、ある集団が<民族意識>を形成しながら反発するところから生まれる。
集団間の対立に直面して、自分たちに有利な解決をはかるために、<民族>がことさら
意識化されて、対立の軸が誇張されることも多いのである。
(『政治学事典』より引用)
だそうだ。いずれにしても、貴殿提示のそれは、日本民族である。
>>560 >沖縄の人の多くは、天皇を否定しているし、
貴殿も気づいているとおり、検証できない、貴殿の思い込みである。
少なくとも、日本への復帰の要望は強かったということは、検証できる事実だ。
天皇の肯定が、民族意識と直結するわけではない。上記参照。
>>561 貴殿も気づいているとおり、検証できない貴殿の思い込みである上に、
それが事実であろうが、なかろうが、議論において何の問題もない。
(私に関して言えば事実ではない。)
したがって無意味なことは、資源と、貴殿の労力と、読者諸兄の読む労力の無駄である。
無駄は省いたほうが良いという、皇室否定派の主張に習って、無駄は止めようや。
565 :
!:03/10/24 14:36 ID:MWooisPK
>>559 いや、オタクに喧嘩売ってないのだが…
中曽根が総理だった時代に「日本単一民族」を主張し、かなり批判され誤解してたと御大が謝罪してましたから…総理が認めてるから一般見解だと…
あと蝦夷、クマソに関しては、かつての民族って意味です。琉球もそれに近いかな。
主張したかったのは、日本は多民族・多宗教国家であると言うこと。
現時点の、日本国内において多様性なんか求めると混乱しか生まない…って主張。
ましてや多神教の象徴である天皇制廃止を唱えるなら尚更であろう。矛盾した論旨を提示した輩を笑っただけである。
566 :
!:03/10/24 14:41 ID:MWooisPK
>>561 あの余計な世話かも知れないが…
プロキシ規制って、ヤフーなら恐ろしいほど絡んでくるぞ。
>>565 大変失礼したかもしれない。
しかし、歴史的に多民族であった彼らは、現代においては日本人(日本民族)ではある。
日本国の国政を保有する国民は、日本人(日本民族)以外を含んでいよう事は、事実で
日本国民が、単一民族であるといえば、明らかに誤りである。
(中曽根タンは見識において優秀、表現と行動において、失敗が多い)
ほぼ単一の民族・・・なら問題はない。
568 :
!:03/10/24 14:54 ID:MWooisPK
>>567 中曽根か〜。
なんか彼に、少し同情してます…
昨日は涙目だったし…
あ、スレ違いですね。了解です。
>>546 :保守を考える :03/10/24 04:33 ID:GtCfk3C1
「03/10/24 04:33」←ここに注目! ジレとる、ジレとる、そうとうジレとる
もう少し保守考たんを、狂わせるためにホーチプレー(藁
>>528 参政権に限らず、諸権利を国籍等を理由に制限するのは社会の構成員の既得権を
保護し、それによって社会の安定を維持しようと言う発想からだろ。
所有権保護に限らず、この社会は社会の構成員の既得権をかなりの程度認めている。
新参の社会の構成員に対して、既存の社会の構成員がなんらかの特権的地位や権利を
持つのは、それを認めた方が社会が安定するからだろう。国籍取得についても、
新規参入者にそれを容易に認めないのは、新参者の国籍取得を乱発することによって
既存の者の諸権利の価値が下落するからで、これを安易に認めてしまえば社会が
混乱することになる。だから、新規国籍取得者に一定の制限を科してそれを許すことも
あながち不合理とは言えんだろ。
人間は生まれながらに諸種の権利を持つが、それを国家において実現することは
国家の負担ひいては既存の社会の構成員の諸権利を圧迫する恐れがあるので、
無制限に認めることはできない。従来からの社会の構成員の既得権を保護することも
重要なことであり、無制限に移民を受け入れたりとか新規参入者の諸権利を認めたり
することは、既得権保護と言う発想から制限を受けざるをえんだろ。
571 :
保守を考える:03/10/24 21:30 ID:/rwoRCSQ
>>554 >>548,
>>551 >ジサクジエンはイカンなぁ、保守考さん。
>また、プロキシ規制がかかるぞ(爆笑
はぁ?
仮に自作自演であるとしたならば、
>>547 >>550も
私(保守考)となるが、私=パンチラドリンカー とは・・・・参った・・・。
そもそも、何か私の利を有する事になるレスの内容なのか?
それと、自作自演をすると、規制がかかるとは・・・???
気が狂うにも限度というものがあるぞ。
>>561 >根拠は、プロキシ規制だよ。
意味不明。
572 :
右や左の名無し様:03/10/24 21:32 ID:Ah/Cqo/R
ワロタw
そもそも、人権と言うものは重要な概念ではあるが、あくまで社会を安定させる
ための方便だ罠。だから、社会の構成員の既得権を著しく損なうような人権の乱発を
行い、人権の価値を下落させてしまえば社会自体の安定がそこなわれてしまう。
これでは本末転倒だ。新規参入者に一定の参政権制限を設けるのも、既存の社会の
構成員の社会参加権を保護し、社会の安定を損なわない限りにおいて許されると
するのは間違いとは言えん罠。既存の社会の構成員の権利を新参の社会の構成員の
権利に優越させるのは、政治が社会の安定を至上命題とする以上、当然の帰結だろう。
ただし、人権とは生来的に備わった自然権と捉えないと人権概念自体が、多数決に
よって侵食されることになるから、諸権利とか、その前提となる国籍取得権とかに
ついても多数決で無制限に決められるとするのは間違いだ罠。どこで、その線引きを
するかは微妙だが、新参者に社会の構成員としての実体が十分に認められ、既存の
社会の構成員の既得権を明らかに破壊する恐れがなければ、新参者の権利付与を
認めてもかまわんだろ。
個人的な見解を言えば、アメリカ大統領の移民条項は、長期にわたってアメリカ
市民権を取得した移民の非選挙権を奪う悪法だし、人材資源を無駄に寝かせるだけだ罠。
ジューは嫌いだが、キッシンジャーなんか大統領にしたら面白かったろうぜ(藁
574 :
保守を考える:03/10/24 21:39 ID:/rwoRCSQ
>>569 実は、今日は、友人より「観艦式」の予行の招待を受けたので、
朝が早かっただけなのだが・・・・。迎えが来るまでの、暇つぶしレスだよ。
>>570 で、いつになったら
>人間は生まれながらに諸種の権利を持つが、
の根拠を示してくれるんだね?
まず、
>>154に対して、明確に反論してみなさいな。
575 :
保守を考える:03/10/24 21:45 ID:/rwoRCSQ
>>573 まずだな、「属地主義の原則」というモノがあってだ、それに基づいて、
各国の条約なり、外交折衝というものがあるんだろ。
確かに、これはこれで、議論になり得るが
例えば、著作権等はこの例外として、ウルグアイラウンドで修正されてきたが、
それでも、やはり、この原則は動かんわけだ。
それにしても、スレタイから、遠ざかって逝くだけだが・・・。
社会の構成員の諸権利や政治参加権を説明するのは、れたんのような非合理
極まりない神秘思想によらずとも、「既得権の保護」と言った合理的な理由で
説明できるものであり、いたずらに神秘化すること自体が思考停止の発想だろう(藁
外国人の参政権や諸権利についても、基本的には生来的に有する諸権利ではあるが、
社会の構成員の既得権とのバランスで判断すべき事柄だ罠。まあ、これは一方で
生来的な人権と言うものを認めながら新参者のそれと先住者のそれを差別的に
取り扱う点で原理的に問題なしとしないが、先住者の既得権が新参者のそれに
一定レベルで優越するのも一種の「自然法」と考えられなくもない。そもそも
所有権と言う概念自体が、先取者の権利を認める概念なんだから(爆藁
社会参加権に限らず、新参者の諸権利は先住者の既得権のもとで一定の制限を
受けざるをえない。移民の制限や外国人の諸権利の制限はここから合理的に
説明すべきであって、「共同体自体の継続」とかから説明せずとも説明のつく
事柄だ罠(藁
577 :
右や左の名無し様:03/10/24 22:20 ID:dMZHeDWs
ん〜わかった!君はクズだw
578 :
保守を考える:03/10/24 22:54 ID:/rwoRCSQ
ありゃりゃ・・・
あやしい氏が、アズマ教を布教しに他スレに逝ってしもうた。
さてさて、どーなることやら・・・。
では、今日は朝早くから疲れたので、もう休むとするか。
おやすみ。
579 :
右や左の名無し様:03/10/24 22:56 ID:XMVKbQLb
ねるな
580 :
保守を考える:03/10/24 22:59 ID:/rwoRCSQ
いや、もう歯も磨いたし・・・。
おやすみ。
>>578 そもそも、このスレにも布教に来ているワケだが(藁
>>571 >仮に自作自演であるとしたならば、
>>547 >>550も
>私(保守考)となるが、私=パンチラドリンカー とは・・・・参った・・・。
>そもそも、何か私の利を有する事になるレスの内容なのか?
>それと、自作自演をすると、規制がかかるとは・・・???
>気が狂うにも限度というものがあるぞ。
おいおい、パンチラ…おっとパンチドランカーを寝言呼ばわりしてるだろ。
あんたがパンチラだとはだーれも思ってないよ。
パンチラは、あんたをとことんおちょくってるしな(爆笑
おっと、パンチラでなくてパンチね(笑
>>根拠は、プロキシ規制だよ。
>意味不明。
あのね、漏れ自身が、ジサクジエンでやられたの、わかりる、だから、よくしってるのよ(笑
ひろゆきさんに聞いてみな。
>>564 >貴殿も気づいているとおり、検証できない貴殿の思い込みである上に、
>それが事実であろうが、なかろうが、議論において何の問題もない。
「スジが一本とおってる」なんてジサクジエンしてたよな。
スジがとおってるなんてだーれも思うわけねーだろ(爆笑
ジサクジエンは検証できる
>>582
>>583 妄想が論証可能と思っているヒトに対し、説得は功を奏しない。したがって放置しかない。
この板は、常に他人になりすますことができる。
スレに無関係な、意味のないダブハン疑惑など、書かないように要請しておく。
585 :
保守を考える:03/10/25 09:25 ID:R4OpztRk
>>582-583 だから、何の検証にもなっていない。日本語が通じているのか?
まあ、過去ログから、私が規制にかかった日時を捉え、
規制情報板・運用板・難民板・批判要望板を分析してみるといいさ。
そうして、私のプロ場を割り出してみな。
それが出来たら、君の検証能力又はIQを認めてあげよう。
ところで、メール欄が「???」になっているが
若しかして、パンチラ信者か?
気色悪いやつだな。
>スジがとおってるなんてだーれも思うわけねーだろ
れ氏の事か?
残念だったな、私は思っている。(実証終わり)
>ジサクジエンは検証できる
出来るかも知れんが、
>>582は『検証』ではない。
言うなれば、単なる自己暗示に基づく虚妄でしかないな。
>>570 >>573 >>576 アズマタン
今回はなかなか面白い。
>>570において、生まれながらの権利というものが有ろうと「なかろうと」
「社会の安定を維持しようと言う発想」の必要性を説き、「社会が 混乱することになる」事を
拒否する姿勢を見せている。
しかし、矛盾であることは動かしようのない事実である。
ヒトが生まれながらに社会に参加する権利を保有しているという立場であるなら、
「どの社会に参加しようとするのか」「どの社会を維持し、どの社会を破壊しようとするのか」
も自由に選択できなけならないとみなせる。
すなわち、どの社会に参加しようとするかを自由とみなさないのであれば、貴殿の言う
社会参加権は、生まれながらにヒトが獲得している権利ではなく、その社会構成員で
あるから取得できる権利ということになろう。
社会維持のための社会参加権の制限を認めるということは、自動的に社会維持という
前提に立った、社会参加権であり、社会ありて、その維持を前提としている以上、
生まれながらに獲得した権利ということはできない。
つづき
そしてついには、
>>573において
>人権と言うものは重要な概念ではあるが、あくまで社会を安定させる
>ための方便だ罠。
といいながら、合理的であると強弁するためには、その方便を確信して起用すべきである
根拠を、合理的に説明しなければならないのだが、アズマタンにおいて
多数決によって侵害しかねないからだという、無根拠な理由しか、提示できない。
多数決によって侵害されかねない理由は、なんだろね。
その者規における共有する規範として、そのような権利は侵害してはならないという
制約がないからに他ならない。
そして、多数決によって侵害されないためには生まれながらの侵害できない権利と捉え
ようと言う、共有する規範の設定を提言している。
実は、ここがアホウというか思い違いをしている(あるいは詭弁)処だが、分かるかな?
生まれながらの権利と捉えない限り、侵害されるという恐れは、まさに一神教の規範
に基づいている。「生まれながら」の「人間だけにある」権利以外は、侵害しても良いという
道徳は・・・「生まれながら」の「人間だけにある」権利派侵害できないという規範は、・・・
一体どこからきているのかということである。造物主の存在なくして、説明不可能な
>いたずらに神秘化すること自体が思考停止の発想
としか私には見えないのだが・・・。
>>585 >若しかして、パンチラ信者か?
あたり、パンチとアズマの信者、というより共感者であーる(藁
ただ、天皇については中立、あってもなくてもいい、とゆーかOK派。
あんたの他人を馬鹿にする態度が不快なだけだよ。
>気色悪いやつだな。
あんたは気味が悪いが、怖いもの見たさというか、グロな魅力があるよ、ホントw
>>スジがとおってるなんてだーれも思うわけねーだろ
>れ氏の事か?
>残念だったな、私は思っている。(実証終わり)
そーだね、忘れてたよ。
「馴れ合い」のキミとキミと彼の分身(藁 を除いて、付け加えるのを、ねw
ありがと、ね(藁
589 :
保守を考える:03/10/25 12:09 ID:qPD08pkw
>>588 おひおひ、まず人を自作自演と、誹謗した事の『謝罪』はどーした。
だから、人様から、『バカ』にされるんだろ。
>あんたの他人を馬鹿にする態度が不快なだけだよ
ふ〜ん。それはどうも。
しかし、理由は上記の通り。
>「馴れ合い」のキミとキミと彼の分身
馴れ合い???
誰と誰が????
つーか、君の文章の意味が、訳判らん。
590 :
保守を考える:03/10/25 12:36 ID:qPD08pkw
>>589 会話能力が著しく欠如していると、診受けられるので、
もう一度、言っておこう。(面ドくさ〜。)
>>582-583 だから、何の検証にもなっていない。日本語が通じているのか?
まあ、過去ログから、私が規制にかかった日時を捉え、
規制情報板・運用板・難民板・批判要望板を分析してみるといいさ。
そうして、私のプロ場を割り出してみな。
それが出来たら、君の検証能力又はIQを認めてあげよう。
Do you see what I mean?
保守考さん=
>>548,
>>551 の検証(藁
>>548 >まずはEUとは何か知ってますか?
このような基礎概念をしつこく質問するのはアンタしかいない(藁
>>551 >廃止派って現実も見れない分裂病なんだね。
>病院に行こうな。
ふつーは基地外とか電波とかいう、アンタはそのセンスがなくホントの病気を使う。
以上。
アンタも、
>>548,
>>551 がジサクジエンでないと証明してみな。
それが出来たら、君の検証能力又はIQを認めてあげよう。
>保守考氏
アホは無視という事で・・・。名無しの糞野郎の煽りに乗るのは、止めましょう。
妄想を論証可能と思い込んでいる時点で、説得も議論も、無効ですから・・・。
>>591 無根拠にダブハン疑惑を書き裏ね、名無しのままでいる貴殿に、他者の議論態度を
批判する資格はない。さがってよろしい。ご苦労であった。
593 :
右や左の名無し様:03/10/25 16:21 ID:SoXYaCMj
>>591 548と551は多分「1128=知念」。
彼は何度も同様の書き方をしている。保守考は嫌味だがヒネリがある。
1128はヒネリがなくワンパターン。だからすぐばれる(藁
594 :
保守を考える:03/10/25 19:06 ID:tzjpoOeL
>れ氏
>>592 人様が、せっかく、検証の仕方としてヒントを出してあげているのに、それすらも
気が付かない愚かな、白痴クンには、説得も無力でしたな。
しかし、あやしい氏とのやり取りで、こちらのアリバイを提示しているのに
>>574 (ID:MWooisPKが書き込みしている時間帯、私は相模湾沖の自衛艦の上。アクセス出きる訳がない。)
まあ、こういう面は思想のいかんではなく、そもそもの人間性の問題なんでしょうね。
では、スレ汚しを陳謝して、この話は打ち切らさせて頂きます。
595 :
保守を考える:03/10/25 19:11 ID:tzjpoOeL
>>593 弁護発言については、素直に礼を言っておくが
「嫌味」は余計だな。
しかし、知念君といい、君(亀哲人)といい、HNは固定して使ってくれんかな。
まあ、強制はせんが・・・。
596 :
右や左の名無し様:03/10/25 19:16 ID:SoXYaCMj
>>595 悪いが使い分けしてるのでな。基本的な姿勢は変えてない。
必要に応じて、気分に応じて変えるw
598 :
右や左の名無し様:03/10/25 19:26 ID:SoXYaCMj
>>595 ついでに。
くだらない詮索は無意味だから、オレは嫌いなんだ。
1128が駄目な理由もここ。決めつけと詮索は生産性の低いオナニーだからw
生産性の高いオナニーを亀哲さんはしてるわけですな
600 :
保守を考える:03/10/25 19:37 ID:tzjpoOeL
>悪いが使い分けしてるのでな
なんか意味あんのか?
私にはよー判らんが・・・。無意味だと思うし・・・。
生産性の高いオナニーをするためだよ
かなりの遅漏らしいが
602 :
保守を考える:03/10/25 20:45 ID:tzjpoOeL
いずれにせよ、自慰行為はよそでやって欲しい
と、お願いしておこう。
それにしても、パンチ”ラ”ドランカー…とは、”ラ”一字違いでエライ違いだね、
ピーピングでめまいを起こしたみたいだw
で、ジサクジエンもその批判も、2ちゃんらしくてケッコウではないか。
ま、「いいまわし」や「内容」で想像はつくし…
必死で「いいわけ」するようだったらなおさら…www
ところで、嶋中事件、思想の科学事件を取り上げた方がおられた。
‘88年の天皇重体報道誤の全国的「自粛」現象、
前天皇戦争責任発言に対する暴力的威嚇(本島長崎市長狙撃など)、
公的施設の使用不許可など、わが国民主主義の脆弱性を如実に示している。
暴力への恐怖から容易に批判をなしえない天皇制。
批判ができない以上、支持も正確なところはわからない、ジサクジエンと同じだ。
やはり民主国家にはふさわしくない、と思う。
では、また。
604 :
右や左の名無し様:03/10/26 08:20 ID:h92OJ50X
↑
みんなから、全く弄くられていないこいつはタレ?
あなた方、日本人から既に「弄くられて」いるでござるよ…これを“拉致”とあなた方は言う…www
そろそろその謝罪として、権利の受益権者を私ども被害者に認めても…
やはり人類の幸福をなしえる民主国家には天皇はいらない、と思う。
では、また。
そりゃ天皇制じゃなくて暴力が問題なんだろ。
むひひ
へぇ〜、へぇ〜、へぇ〜
3へぇですたw
609 :
右や左の名無し様:03/10/26 17:49 ID:2mdRz7Nv
610 :
保守を考える:03/10/26 21:55 ID:ieDz1pVi
どうやら、久しぶりにこのスレも過疎化してきたようですな。
主だった廃止派も、根拠の無い天皇(制)批判を繰り返し、最後の砦である
あやしい氏も、他スレに移住する傾向に見えるが・・・。
では、ここらで廃止派諸君にお勧めの教科書があるので、提示しておいてあげましょう。
「法哲学講義」Philosophy of Low(笹倉秀夫:東京大学出版会)
この教科書によれば、私の象徴天皇理解と正反対であるので、廃止派諸君の溜飲を下げて
くれるに違いないが、歴史法学の立場をとる、私に対しては、いささか無力だったけど・・・。
しかし、論理的否定論としては、よく出来ているので、参考になると思うよ。
ヨユウだね。イラつく香具師だ。
>>605 うまい、なかなか手の込んだ、「逆」ジサクジエンだね。
ああいった手前、パンチも否定しにくいだろな(笑
ここが2ちゃんの面白いところ(笑笑笑
>>611 こんなの
>>610は、「余裕」といわず、「虚勢」というのだよ(^_-)-☆
おちょくられてるのに、こっけいな香具師だねぇ!(^^)!
アスマが叩いて、パンチがトドメをさすパターンが続いていたろ(^_^)v
614 :
保守を考える:03/10/27 06:34 ID:qJ7MrVTG
>アスマが叩いて、パンチがトドメをさすパターンが続いていたろ
ふ〜ん。
何処がそうなのか、提示してくれんかな?
まあ、無理だと思うけど・・・。見栄をはりなさんな。
で、お前は、そのアズマが最も忌み嫌う、名無しのチキン野郎なのだが・・・。
自覚あんの?
あるわきゃねーよな。
615 :
保守を考える:03/10/27 06:39 ID:qJ7MrVTG
そうそう、忘れてた。
【157】保守を考える 2003/09/19 午前 9:21:00 fgrIryha
>このスレに参加するみなさんへ
『お詫びとお願い』
私はいつも、議論相手の言説に何がしかの根拠を求める場合が多々あり、今ここで
公的行為に関する諸説を出し惜しみしているのは、矛盾ではないか。というご指摘も
あろうかと思います。
あいにく私は、HNにパンドラだとかドランカー又は、メール欄に「???」として
掲載する者、及びそれらセンテンスと同質の書き込みに対しては、真面目に議論出来ません。
れ氏のように、丁寧にレスをつける仁者等には、頭が下がる思いですが・・・。
実は、過去、幾度か議論を試みましたが、心ある名無しさん等に、例えば
パート6
668 名前:1000 :02/12/15 13:31 ID:???
>保守を考える
本当に煽りに弱いな君は。
ななしのレスには内容がないのに、レス返してどうする?
またつけあがって連続投稿で荒らして来るんだぞ。放置しろよ。
や 例えば、パート13
【373】右や左の名無し様 2003/05/18 午後 6:14:00 ???
>>355 >>367 いつまでもやってんな、ヴォケ!ノノシリ合いなら別スレ立ててやれ。
【馬鹿パンドラ】ののしり合戦【アホ保守考】スレでも立ててやろうか?
パート9がどうした。うそつき呼ばわり合戦など誰も読みたくない。
又は、今スレに垣間見える名無しさんの忠告に従いますので、ご了承下さい。
まあ、法的用語でいうところの、「後法は前法を廃する」と云った認識をしていただければ幸いです。
国体の明徴
国体明徴とは,この国の序列観念を明らかに証拠立てることである.
日本語には,階称(言葉遣い)がある.だから,日本人には,序列観念が避けられない.
英語は,アングロ・サクソン族の言語である.日本語は,大和民族の言語である.これら二者の顕著な違いは,未来構文の有無にあると考えられる.
たとえば,英語の'I go.' と'I will go.' の違いを日本語で区別するのは,いたって難しい.
未来構文の内容を現在(現実)構文の内容に変換できれば,それは創造である.現在構文の内容を現在(現実)構文の内容として再現できれば,それは模倣である.
日本語には,未来構文はない.だから,日本人の単純思考は避けられない.
「あるべき姿」は未来構文の内容であり,「今ある姿」は現在(現実)構文の内容である.「あるべき姿」と「今ある姿」の比較が行われると,罪の意識が生ずる.
「今ある姿」と「今ある姿」の横並びの比較では,上下観念に囚われて,倫理・道徳の道は極めて険しい.
日本人には意思がなくて恣意(私意・我儘・身勝手)がある.意思は未来構文の内容であるから,発言が小言・片言・独り言になる日本人には見られない.
こうした観点から見れば,日本人は,子供やアニマルの方に近い.
昔から我が国では,序列作法を学ばせて,序列観念を植え付けて,恣意的な人間の行動を抑えてきた.その時に「下におれ,下におれ」と掛け声をかけてきた.
英語の言語としての強さは,理性判断を可能にすることである.英語で考えると,非理性(理不尽)を切り落とすことができる.
この英語の特性は,異民族にとって,極めて危険である.かくして,地球が動く.今の地球は英米の世になった.
我々には,英語による考えに関する理解が必要である.
722文字
You can read more at
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
>日本語には,階称(言葉遣い)がある.だから,日本人には,序列観念が避けられない.
もの凄くおおざっぱに反論するとこういう事。
下層階級が上層階級に接するために、日本語流の「言葉遣い」というものが存在するわけで、
下層階級と上層階級が隔絶していた世界、言い換えれば、絶対的な序列概念によって動いていた世界
(たとえば中世ヨーロッパみたいなところ)では、
下層階級と上層階級の交流自体が存在しないわけだから、
下層階級と上層階級を繋ぐ「言葉遣い」そのものが生まれなかっただけ。
日本語に階級(言葉遣い)があるから序列概念があるのではなく、
(中世ヨーロッパなどと違い)異なる序列が交流する為に日本語に階級(言葉遣い)が生まれた。
それだけのことです。
>>616 非常に面白いHPだね。
「どちらが上位という価値判断」に対する批判が論旨なのだろう。
言語の違いが文化の違いを生み、価値体系が違ってくるということにおいては、
極めて同意できるのだが、その結論が
>本邦に計画的な英米の習慣取り入れを行うとよい。
>さもないと、戦後の日本人の混乱はいつまでも絶えない。
>せっかくの開国を不幸として恨むことになる。
である。
結論において、卑屈だ。無条件の米英賛美である。
米英価値を「上位」に置いている。
619 :
名無しのチキン野郎?:03/10/27 12:26 ID:Ts3Ta7/u
>>614 自分の胸に手を当ててよーく考えてみな、
といっても、忘れたふりするだろうな(藁
では、思い出させてやろうw
アズマ氏の「封建主義」に、キミとれタンが、
ホンキでかみつい翻弄されて、それをパンチ氏におちょくられた。
わかりる、ときどき名無しのチキン野郎になる保守考サンへ(藁
620 :
保守さんへ、:03/10/27 12:39 ID:JZAN4FMh
見苦しいよ。キミ。
どうでも良いけどキミさ「亀哲人」っていう…
「その日のうちに名無しとコテ使い分ける」(IDから判明)奴を相手にして、それがバレタ後でも彼を批判出来なかったよね?
むしろ擁護にまわった。
ま、保守さんの参加するスレってチャット化してるから害を感じないけど。
でも、せめて「SAGE推奨」で書き込みしてくれ。
「AGE」てるには議論の参加を不特定多数に求めてる事だからね。
読んでて不快感を覚える人が出ても仕方ない。
>>619 しかしマァ、他人に依存した批判しかできないのに、堂々と書き込むところが惨めだな。
アズマタンとの議論に関して言えば、決着はついていないわけだが、
>>619が引き継いで
議論してくれるならともかく、大の大人が、アズマタンに翻弄され、パンドラにおちょくられた
というのだが、(どうも其の評価も、一方的では有るが)、おまえに何の関係が有るのかと、
聞きたいものである。
たとえは悪いかもしれないが、君が、橋本信也に、おまえ小川直也には勝てないジャン、
と言ったとして、何の意味があるのかいな。
君が、もし正確・妥当に、アズマタンと私や保守考氏との議論を評価できる技量があるなら、
議論を仕掛ければいいことだろうよ。
他人の技量に依存しなければ人を批判できないなんて、惨めだぞ。
622 :
右や左の名無し様:03/10/27 14:34 ID:wYfym3LY
でもよ、保守考って、観艦式に出たのがアリバイだって逝ってるよな。
実名出さなきゃ、アリバイにならねーんじゃねーの?
ウサンくせーよな、アイツ
おまえら、
>>616にも少し注目せいよ。当該HPのご本人降臨だろう。
メールアドレスまできちんとつけておられるのだから。
624 :
右や左の名無し様:03/10/27 14:43 ID:wYfym3LY
>>621 それは、ハナシのスジがちがーんじゃねーの。
保守考の「何処がそうなのか、提示してくれんかな?」に、
答えただけとちゃうか?
625 :
右や左の名無し様:03/10/27 14:45 ID:wYfym3LY
626 :
右や左の名無し様:03/10/27 14:57 ID:wYfym3LY
>たとえは悪いかもしれないが、君が、橋本信也に、おまえ小川直也には勝てないジャン、
と言ったとして、何の意味があるのかいな。
いいじゃねーか、ほんとにかてねーだろーよ、小川にはな。
漏れは小川のファンだからな、意味おーありだぁ。
批判ばっかりやっている奴をかまっても仕方がないので、【個人主義】について少々。
個人主義というものは、どうも、変化しているらしい。
五箇条のご誓文における
一、官武一途庶民にいたる迄、各其志を遂げ、人心をして倦まさらしめんことを要す
というのも、個人主義といえるわけだし、
国・地域共同体・家族の所属員としての個人の位置付けも、個人主義だし
そういった所属から一切切り離された、抽象的個人を観念し基礎に置くことも、個人主義
である。
>>616のHPでも書いてあるが、日本人の「個人」の捉え方と言うのは、
「何かに所属している私」が、伝統的捉え方であり「どこにも所属していない単体としての私」
は、欧米からきた個人の捉え方であることは、どうも間違いがなさそうである。
上下関係を意識し(確かに英語に兄弟と言う単語はない)、本来有るべき姿や、正義を個人で
確信しない文化というものがある。
ではその歴史的な日本文化的個人と、欧米風の抽象的独立個人は、後者がよいと
なぜいえるのか、非常に疑問である。
欧米の彼らにとっては、一神教の造物主と個人との関係は、社会組織・共同体とか、
過去・歴史と切り離された関係であることは、基本的に間違いはない。
江戸時代のキリシタンが、最終的に多くの信者を獲得し得なかった理由は、主に
このあたりにある。(体制の弾圧が有ったからだけではないことは、歴史が証明している)
江戸時代の農民や町民にとって、キリスト教を信じれば天国にいけると言う魅力的な教え
であったにせよ、信じえいなかった自分達の父母、祖父母、先祖は天国にいけないの
だから、自分達だけ天国にいけるより、彼らと一緒のほうがよいと言う理由で信仰を拒否した
者も多かったと言う逸話が残っている。個人の捉え方と言うものの差である。
つづき
これが良いとか悪いと言うことではない。違うのである。一神教の彼らと我々日本人は。
で、違うにもかかわらず、現代は彼らの個人の捉え方を是とし、受け入れようとしている。
ここに無理がある。政治システム構築において、個人を観念することの是非は議論がある
としても、西欧の個人の捉え方が正しいと確信してしまうから(政治システムのための
方便であると思わないから)無理が生じる。
公共心とか、道徳の問題、「ちゃんとしなければいけないんだけど、どうすればちゃんと
できるのか分からない」、という無理が生じるのである。基本的に、西欧の個人主義は
、神と個人との関係性において成立しており、これを其の宗教的規範の存在する中で捉えるか
あるいは、方便として捉えないと無理が生じるのである。
>>626 君に意味があるかどうか知らないが、私にも、保守考氏にも、アズマタンにも
橋本信也にも、小川直也にも、何の意味もない。
>>602に、私は同意する。【大好き】アズマタンハァハァ【ガンガレ】スレでも立てれば?
630 :
れ氏 へ:03/10/27 17:43 ID:JZAN4FMh
宗教の話って無駄だと思う。
いまでかつて、廃止派コテが宗教の話を理解したためしが無いことが証拠だ。
S−RAMなんかは…自然に神を見ることもない、犬をひき殺しても感じない、ケガレの観念も持たない、って言ってたしな。
ま、キミが百%近く正しいとは思うよ。
あとは廃止派にどれだけ宗教的観点を理解させるかだが…
お手並み拝見だな。
>>630 まぁ、ここは説得の場ではないから、説得できるかどうかは、あまり気にしていない。
整合性と言うことになると思うよ。読んだ誰かが、多少なりとも納得いただければうれしいし、
時には、自分の未熟の確認ができる。(論旨、内容、手法などなど)
しかし、歴史はおおしろいよね。明治憲法制定において、草案担当者がもっとも悩んだ部分
こそ、この部分だモンナァ。憲法は、其の国の歴史や文化、から形成される国柄を反映でき
なければならない。立憲精神において西欧各国の模倣憲法ではダメと、各国を回って憲法を
調査した結果としての、一致した意見だったわけだ。
で、国柄と言うものの正体は、価値体系、国や個人や、その他もろもろのことの、把握の違い
と言うことになろうかとも思う。
一、官武一途庶民にいたる迄、各其志を遂げ、人心をして倦まさらしめんことを要す
は、国民(臣民)が主語。西欧個人主義の主語は、たぶん人民あるいは人類。
これは国によって異なってしかるべきだと思うけど、分からないんだろうなとは思うよ。
632 :
れ氏 へ:03/10/27 19:47 ID:JZAN4FMh
確かに歴史は面白い。と言っても2ちゃんねるに来たから理論武装の一つとして学習始めたんだけどね。
廃止派って、結局は連続した歴史観を拒絶することに依って存在してるのも面白いところ。
廃止派を見てると、なぜ共産主義が歴史文化教育を軽視するか解ります。
俺の場合もずっと戦後教育に騙されてたよ。w
ただ東京の祖父母の話で例えば「戦後より戦争中の方が贅沢出来た」なんて事を聞いて違和感持ってられたのが救いだったかな?
いま良く考えれば、民衆が贅沢出来ないのに「贅沢は敵だ!」なんて言うわけ無いもんな。W
634 :
>>633 氏へ:03/10/27 20:31 ID:JZAN4FMh
笑っちゃいました。
早速の御案内有難う御座居ます。
宗教板って深そう(怖そう)だから覗いたことも無かったんですね〜。
こんなスレが有るなら覗いてみます。
635 :
右や左の名無し様:03/10/27 21:43 ID:rJ1ZklL+
アメリカに対する独自性の徴表として天皇制は必要。
なんとも光栄なことに、ワタシのクローンが現れた。
どうも、クローンは半島の出身らしいw
反天皇といえば、半島出身か中国人、はたまた共産主義者とステレオタイプなのが淋しいw
ま、このところ過疎化したこのスレが賑やかになるのはケッコウなことかもしれないwww
ところで、暴力が天皇制批判を許さない反民主主義的「構造」を指摘したが、
天皇制は、暴力組織に対する「親和性」なり「求引性」、
あるいは、かれらを「魅了」するなにものかがあるようだ。
統帥権がらみで、旧軍が天皇制と結びついたのもそういった因縁かもしれない。
まぁ、右翼系暴力団といい、旧軍といい、典型的な反民主主義的組織である。
その共通する反民主性が、上記要因の一端であろうか。
いずれにしても、民主国家の象徴としてふさわしくはなかろう。
では、また。
ここまで論証がまったくない妄想も珍しい。
そりゃ相手にもされんわ。
639 :
保守を考える:03/10/28 13:52 ID:hvpepUv9
>れ氏
>>627-628 結局の処、欧米に於ける君主概念と日本に於ける天皇との、大きな違いを、
およそ、このスレ又は板に来る者は、知らないのか、判らないのか、とぼけているのか、
まあ、いずれかなのでしょうが、私が何度も論じているように
いわゆる西洋の君主と人民は、分散独立していた個々の人間の集合である人民が
君主と対立し、又は君主を擁立していく。ここには、権利と義務或いは、支配と服従の
関係によって、規定されている。このような、国家統治概念に、その国家の通歴史的概念など
人民の至上権利である革命によって、一夜にして覆されてしまうでしょう。
そのような国家統治概念では、新たな国家の創設を容易に許容し、新国家に於いて、
前国家の歴史・伝統など、無意味に論じられるのは、必然ではないでしょうか。
日本に於いては、蒼生安寧の伝統精神により、君民同治の
国家体制を、有史以来、継続している訳であって、『個人』が、子が親の伝えを思い出すように
日本の黎明期まで、その時間軸を想念出きるシステムを歴史が形成して来たのです。
つまり、有史以来、不易なる日本という国家に帰属する者としての『個人』です。
残念ながら、輸入された西洋型個人概念は、あやしい氏の言い回しを借りれば、繁殖・繁栄してきた
沖縄のマングースのようなモノで、その成りの果ては、昨今の社会世相が証明しているところです。
勿論、神の下、至上の権利を有する西洋型、個人主義を否定している訳ではありません。
彼らは、常に、絶対者である神の眼や見えざる手によって自制心を保てる訳ですから・・・。
640 :
保守を考える:03/10/28 13:56 ID:hvpepUv9
>れ氏
ところで、レス番
>>616を、あなたは、理解できたのでしょうか?
断定(即断)や飛躍があり過ぎて、私には珍分漢分です。
指示されたHPを読む気概(意志)も湧きませんでした。
理解・同意できたのは
>我々には,英語による考えに関する理解が必要である.
これだけでした。
641 :
保守を考える:03/10/28 14:01 ID:hvpepUv9
それと、白痴くんが、なんだか「必死」になっているが・・・
もやし君が、からかわれて、泣きじゃくりながら、必死に噛み付いているのを
彷彿とさせ、微笑ましい限りだな。
「 お〜、よし、よし、お兄さんが、あやしてあげるよ。
うん、キミは悪くない。ただ、○恵遅れなだけや。
心配すんな。」
トンデモ度は目糞鼻糞だな。
仮名で書いとけばいいものを。本字なんか使って。
typo〜〜ッテカ。
珍糞漢糞、珍糞漢、珍紛漢、陳紛漢、陳奮翰
>>639-640 保守考氏
どうも西欧の歴史に無知な私は、西欧個人主義が、其の宗教規範とセットの場合
きちんと運用されるんだろうと思います。
社会契約説が有効だったのは、米国の独立においてのみだろうと思っていますが
いかがでしょうか。
>>616のサイトは、なかなか西欧的価値・文化と、似本尾価値文化の相違を
かなりきちんと分析していると思います。琉球大学を今年定年退職された方のようです。
結論において納得はできませんが、其の文化や支店の違いは、相当面白く読みました。
>>642 書いてあることには、多少の同意(一行目以外)をしても良いのだが、
「本字」と言う表現は、其の論旨を否定することになるから、気をつけたまえ。
本字と言うのは、漢字のことなんだけれども、本当の文字と言う意味だ。
ここには、漢字を上位とする思想が隠れているんだ。
私は、あまりそのようなことは好きではない。日本語は必要な漢字と必要なカナ
で、表現されるべきもので、「本当の文字」と「仮の文字」があると言う把握は、
文字における中国語至上、日本語は下位の言語と言われているようで、気に入らない。
645 :
保守を考える:03/10/28 15:07 ID:hvpepUv9
>>643 アメリカの独立宣言の社会契約説は、もはや、詭弁であった事は歴史が証明している訳でして
例えば、インディアンを人間として扱わなかった事で十分だと考えますが
確かに、方便として、社会契約説を持ち出し、ジョージ3世を痛罵するに対しても
有効であったと思われます。
まあ、結局、理念の根源が、一神教の神によるのか、
和辻哲郎が言うところの、日本(多神教)による「不定者」になるのか
つまり、理念構築の始めの一歩で、その方向性が違うという事になるでしょうか。
>結論において納得はできませんが、其の文化や支店の違いは、相当面白く読みました。
では、私も一読を試みることにしてみます。
646 :
保守を考える:03/10/28 15:12 ID:hvpepUv9
なんだか、面ドくせーが、「珍分漢分」について。
確かに、本字でいけば、紛・糞が正しい使い方だが、
読み手に対し、音が伝わり、意味が通じているのであれば、ノープロブレムだろうに・・・。
単語そのものを、間違えたわけでもあるまいに、
何も、そんな、鬼の首を取ったかの様に、覇者ガンでも宜しかろう。
覇者ガンでも・・・・×
ハシャガンデも・・・○
やっぱ面ドい・・・。
長文カキコしてるみなさん、
できればもう少しわかりやすく簡潔にしてもらえませんか?
主題がみえにくいので。いいこと言ってるような気はするんですけど。
648 :
保守を考える:03/10/28 15:23 ID:hvpepUv9
>>647 いや、これでも頑張って、短く纏めているんだけど・・・・。
これ以上、短くすると、単なるチャットになって、議論にならんのです。
言っている事が、意味不明なら、当該箇所を指摘して、ご質問下さい。
>>644 真字は男という民族のご先祖様のもの。
かな、は女という民族のご先祖様のもの。
好き嫌といったところで、そのように
ご先祖様が決めたのだからな。
天皇陛下が日本の最高権力者という決めと同じこと。
650 :
647:03/10/28 15:38 ID:???
>>648 えーと、例えば
>>639のレスですけど、これは「西洋社会は自らの倫理道徳に
「神」という絶対の基準を持っているのに対し、日本社会においては
時々刻々と変化する歴史的繋がりを自らの倫理的規範としている。
そのため、日本の歴史の、ある意味体現者と言える天皇の存在は
日本人にとって不可欠のものである。」っていう感じの趣旨でよろしいですか。
651 :
保守を考える:03/10/28 15:44 ID:hvpepUv9
>>649 いつまで、拘っているのやら・・・・。
仕方ない。
>真字は男という民族のご先祖様のもの。
>かな、は女という民族のご先祖様のもの。
漢字は本来表意文字だが、漢字を母胎として、その音をかりて、日本語の表記に
便利なように記号化した表音文字を「仮名文字」という。(そもそもはな。)
仮名は字義の如く、仮の文字という意味で、真名(シンナ)に対する呼び名である。
で、キミが提示した男文字としての漢字は、日本語学の時代分類で言えば
中古(平安時代)に、公文書や記録類の使用文字の主流が、漢字であった事と
「ひらがな」が発明されて、女文字と呼ばれた、当時の一規範観念にしか過ぎない。
要するに
>ご先祖様が決めたのだからな
こんな、大袈裟なことは、言わん方が宜しいかと、忠告しておこう。
652 :
保守を考える:03/10/28 15:51 ID:hvpepUv9
>>650 それは、「日本」という国家の継続を望むのであれば、その時間概念のシステムとして
天皇が機能し続けてきた。という側面からの論旨であれば、およそ間違いではないのですが、
あのレスは、私が、P5あたりから論じてきた主旨を、簡単にそして、新たな面を付け加えて
構成しております。
で、大事な所は、西洋の君主概念及び個人概念と日本のそれの違いの一端を、提示している処を
読み落とさないで貰いたいです。
654 :
647:03/10/28 17:43 ID:???
>>652 なんかまた難しいです。。。
結局のところ、皇室の存在意義とは何なのですか
足トカの裏トカについた飯粒トカの如し
656 :
保守を考える:03/10/28 22:51 ID:Y7jy/0F2
>>654 まあ、最初は単純な疑問から始まって、禅問答のようにその意味を掘り下げ、開拓して
きたのが、このスレ(パート18)な訳です。
ですから、話を一からやり直すとなると、その通り、このスレをリセットする事になる訳ですが
思想版という大前提を踏まえて、永遠に繋がる「何故?」について私は微力を尽くしたいと思っています。
つまり、あなたが感ずるところの「何故?」について、私は逃げも隠れもしませんから
ご安心して質問して下さい。(当然、私の知る範囲でしか答えられませんが・・・。)
>結局のところ、皇室の存在意義とは何なのですか
皇室の存在であるのならば、誰でも認知・認識する事は、自明過ぎて議論対象にはなりませんが、
『意義』についてとなると、各人各様の価値判断に左右されますので、思想として捉えるのであれば
これも永遠の何故に飲み込まれて行く性質なのかもしれません。
ただ、その価値判断を形成する主要素として、事実判断の認否や、経験に基づくそれが
あるのですから、それに対する、疑問・批判又は、分析・検証等を経て、
「存在意義」も各人にとって、その値打を変えるのだと判断しております。
で、私のこのスレに対する基本的立場は
657 :
保守を考える:03/10/28 22:54 ID:Y7jy/0F2
232 名前:保守を考える :03/06/19 21:15 ID:hX1ieKdf
>マサカド氏
天皇(制)を広義の意味に於いて「擬制」と仮定するのならば
勿論、その淵源もフィクションになるのですが、そうなると全ての事象をまず
否定することから、物事の本質を見極めるということが求められる訳ですね。
で、多かれ少なかれ(この表現もフィクション・・・)そのような出発点から
人の思考なり思索が生まれると言うのなら、納得できます。(私がそうなのですが)
このスレで私が論じている、天皇(制)論と云うのは、その擬制たるモノが
我が日本に於いて、有史以来、いやそれ以前から継続してきた事実のエニグマといいましょうか
大いなる疑問といいましょうか、それを解き明かすことによって、初めて
天皇(制)の存在意義、若しくは日本という国家の存在意義が定義づけに近づくのでは
ないかという、希望又は信条が成就する可能性の為なのかもしれません。
結局、私は私の為にこのスレで議論しているだけなのですが、
天皇(制)という膨大な疑問は、そう易々と解答を与えてくれないでしょうし
だからといって、そう易々と天皇(制)が滅びることもないでしょう。
それも一つの謎なのですが・・・・。
658 :
保守を考える:03/10/28 22:56 ID:Y7jy/0F2
そういえば、最近、マサカド氏を見かけませんな。
文学通のマサカド氏の意見は、私に思想形成に対して
非常に参考になっていたのですが・・・・。
659 :
647:03/10/29 00:16 ID:???
660 :
保守を考える:03/10/29 07:17 ID:GeGPzxJ2
>>659 うーむ。老子を彷彿とさせてしまいましたか。
私は老子(道家)のタームである、「小国寡民」や「無為自然」などについては
否定的なのですが・・・。
それはそうと、このスレではあまり、支那思想が出てきていない気もしています。
昔は、民主主義者氏が儒家思想を、右翼学者氏が孟子を論じていたような気がしますが
深くやってはいません。そうして、議題は、西欧思想に流されて、又は帰着しているのが実際です。
あなたが、支那思想を鍵として、議論を展開してくれるのなら、うれしいのですが。
儒者乃至はシナの学問はいぜんディコンストラクトされていない大文字のままです
西洋にはプラグマティズムあり、わが国には国学あり
シナの学問は通過してよろし
662 :
保守を考える:03/10/29 23:26 ID:TlLKCj3j
>>661 日本は古来より、支那や印度等の学問の醇化に努め、日本に合うようにそれを発展させてきた
という歴史があるのですから、そう簡単に切って落とすのには無理がありますな。
「春秋左氏伝」や「五経」又は「史記」或いは「三国志」などなど、日本に影響を与えた
書物を挙げれば切りがありません。
確かに、天皇(制)との直截の関係を論じろ。と言われたら困ってしまいますが、
少なくとも、日本に於ける政治思想史を考察するに、手放しで通過する事は出来ないでしょう。
朱子学などという空論に対し批評的立場を崩さなかった国学があったからこそ
(幕末)明治以降の日本がある
一方、シナ朝鮮をみよ。惨憺たる歴史ではないか!
シナはあまりにも情けない時刻を反省し、何度となく儒教を捨てようとしたではないか
最終的には文化革命のような蛮行によって儒教を捨てたではないか
朝鮮にいたっては南北ともにいまだに呪縛から逃れられていないではないか
何年たっても劣等感をアイデンティティの主軸とする三流国家のままではないか
「論証」という言葉は、論理学上の用語であり、ほんらい社会学、特に政治学にはなじまない。
「社会事象を論証する」ということは理論的には不可能である。
ま、類似した事実を提示する、あるいは過去の識者の理論を援用して「確からしさ」という「傍証」をするに過ぎない。
すなわち、このスレならずこの板には、そもそも「論証」なるものは存在しないw
ところで、プラグマティズムという考え方はあるにせよ、「哲学」的に「天皇制」の意義を、それこそ「論証」しようとすることは方法論的に不可能である。
別に「膨大な疑問がある
>>657」からでもないww
論理学と異なり、社会事象には、「宗教」を除いて公理や真理が存在しない以上、「論証」は不可能だからだ。
もっとも、天皇制が宗教的絶対性を根拠とするならハナシは別だwww
いかに、中国古典哲学をもってしても袋小路である。
もすこし、論理的に考察されたら良いw
ま、このスレがP-18くんだりまで伸びたのもその辺りに要因があるが…
では、また。
665 :
保守を考える:03/10/30 06:57 ID:iEUSNnFt
>>663 いやいや、朱子学(宋学又は新儒学)は、儒学の一側面にしか過ぎないよ。
それに、国学が何故、儒学に対して否定的であったのかといえば
その強調するところが、排外的であり、陋習的であったからであって
何も、論語や四端までをも否定したわけじゃないでしょ。
それは、現在でも有効であって、例えば
「仁」・「忠恕」・「惻隠」・「克己」・「知行合一」などなど、
どうしても否定出来ない「徳目」があるという事です。
これら良好な徳目を残し、他の陋習を削ぎ落としす事を『醇化』と言うのです。
666 :
647:03/10/30 08:11 ID:???
>>660 老子・韓非子しか知らないのであまり語れませんw
個人的には天皇制について、まだ無くすべき「流れ」ではないから
いまのままでよいと思ってます。これは感覚的なものですけど。
総ての議論は、価値の上下・優劣を語るものであろう。
価値の対立の論証と、どちらを選択すべきかと言う議論である。
例えば、儒教においては、忠と孝が対立した場合、どちらを優先すべきか。
忠は、天命にて選ばれた皇帝への忠誠であり、孝は、父系祖先に対する祭祀である。
父が亡くなる時、戦場にあった兵士は、帰省と、命令実行のどちらを選択すべきか。
本来的な儒教徳目の順位によれば、孝が優先される。帰省せよと教えている。
それでは、為政者としては問題が多いので「忠孝一致」と言い出した。
為政者への忠誠は孝と一致するというわけだ。父は、皇帝に息子が尽くすことを
喜ぶと言う構図ができる。
阪神バースの例を見るまでもなく、スケット外人野球選手は、息子の手術のため、あるいは
親の葬式のために、戦場を離れる。別に儒教精神ではない。仕事より、家族のほうが、
優先順位が高い価値体系にいるから、彼らにとっては当然なのである。
日本人は、芸人は親の死に目にあえないし、野球の監督は葬儀よりゲームを優先する。
(少なくとも、そうするほうが好意的に見られる)。プライベートは優先順位が低い価値
体系がある。(私的なことで、みんなに迷惑はかけられない・・・。)
おそらく、優劣・上下は別として、儒教の徳目+アルファの徳目は、人類的に、さほど
違わない、概ね落ち着く範囲があると言っていいだろう。(順位が違う)
儒教で、そして欧米で重要視されておらず、回教・ユダヤ教でも重きを置かれていない
徳目(価値の種類)で、日本では最重要視されるものがある。
「和」である。争わないこと・争わないために良く話し合うこと・譲歩できるものは譲歩すること
・党派心を捨て全体の利益を考えること・個人の執着心は捨てること・・・和の精神は
日本においては非常に思い位置、上位の価値(徳目)である。
つづき
日本において、儒教関係の思想が影響を与えたのは、まさに
ある価値について論じる際における、其の思想であって、価値の上下(優先順位)
において、儒教そのものではないと言うことである。
君主に忠誠を誓うと言うことはどういうことか・・・忠のあるべき姿として影響されている。
しかし、そこに「和」という、儒教の徳目(重要な八個)にはいっていない徳目が、日本に
はある。これがなければ、日本は韓国と同様の、儒教国家になっても不思議ではない。
ここを押さえながら、大陸・半島の影響を考察しないと、結論を誤まるのである。
同様に西欧価値体系を採用するにあたり、日本人はそれをどう取り入れるのかと言う
考察が必要である。少なくとも、ユダヤ教・基督教・回教徒に共通する、ヨシュアの
部族大虐殺を、正義として受け入れる(正義のためなら、争うことはいとわない)という
価値体系(それは、米国の回教国に対する態度であリ、パレスチナ紛争の原因である)
と、日本の和を大切にし、同じ人間同士話せば分かる、と言う価値体系は、異なる。
和魂洋才とは、和らぐ魂で、洋才を取り入れることではなく、和らぐ魂「に」、洋才を
「取り込む」ことである。(儒教徳目をそうやって取り込んだことと同じように・・・。)
つづき
で、国と価値体系のかかわりである。(やっと天皇がでてくる)
国は何をするためにあるかと言えば、内部の価値の対立を収める、価値の違う地域・民族との
境界を定める、、、古代から継続する国の意義はそういうことだろう。
日本の天皇は古代から(少なくとも1000年以上継続して)知らしめ(知らす・シラス)
争い(訴訟)を収める(収める・治める・治ス・シラス)存在であった。
農耕の知識と知らしめる際には、当然にみなが協力すると言う価値体系も知らしめていたし
それは、林業・水産業についても、また職人の世界についても、商業についても、八百万の神
の振る舞いとして、知らしめていた。訴訟(主に土地・耕作地の所属の争い)については
血縁関係と、相続についての価値体系を提示する必要もあるだろうし、売買のルールも
権限・権原についても示さなければならない。
また、日本に関して言えば「和」の体現者でなければ和の理念による価値体系を知らしめる
ことができない。和を説くものが党派心を剥き出しにすれば国は乱れ、権威は喪失する運命に
ある。
実は、天皇の為政者正統性認定の権威の根拠は、様々に争ったりした為政者が、
結果として、「最終的にみなの同意を取り付けたこと」=「和らいだこと」を認定できる権威
である「和の体現者」なのである。だから、「みながまとまれば」それを認定する。
天皇はみなのまとまりの象徴・・・国民統合の象徴・・・として歴史的に存在したのである。
わたしは「国の象徴」と言うのは、国の代表者、国家元首的地位であることであり、制度的
定めであるから、「国民の総意」によるものとし、「国民統合の象徴」は歴史的な理由で
あると説くのは、そうやってみながまとまらない限り、天皇のお墨付きが与えられない、
みながまとまることが優先する価値であるという、日本人の価値観の象徴としての、
歴史的存在である天皇と説明する理由は、ここにある。
670 :
da:03/10/30 21:47 ID:???
>>471の「れ」閣下
股しても大幅な遅レスでテンションを下げて申し訳ない。
最近は何かと物入りなんだ。
「こういうループ気味の議論に何か存在意義があるのか」
という名無しさんの声を以前聞いたような気がするが、
最近、村上龍のある小説を読んでいたら、やはり
こういうループ議論にもそれなりの「意味」があるように思えてきた。
>で、議長元首制というものの欠陥は、何度も申し述べてきた。
>国政の混乱時、国家議長の正当性は、誰が(何が)担保し保証するんだ?
>選挙中はどうするの?選挙運動中に、国家元首として様々な訴えを国民にするということは
>、できないでしょうよ。
前にも言ったけど、たとえばドイツの大統領は2大政党であるSPD乃至CDUに属しており、
にも拘わらず立派に国家元首の任を果たしている。
彼らは当然に政治的存在であるから、選挙にも拘わるだろうが、
「ドイツの大統領が政治に関わってはならん」などという声は聞いた事がない。
あと、君が上で言っている「国政の混乱時」って、具体的にどういう状況なの?
>>議長としての主張はやはり
>>これまで通り、大した主張もせず適当に選出される、と。
>現実の状況を無批判に受け入れるのではなく、理念としてそれで、いいのか検討してくれい。
理念としては、各議長候補の政治信条を明らかにした上で選出されるのがベストだろうね。
上記のドイツの例でも明らかなように、政治信条を明らかにした奴が元首でも別に不都合はないわけで。
ただ現実論としては、日本の国・都道府県・市区町村議会の議長が、明確な主張を持っている例は少ないと思う。
671 :
da:03/10/30 21:47 ID:???
さっきの続き
>>、「世襲というシステムそれ自体」が非・中立的であると、
>???国政に関して意思も表示しないんだから、国政に関して中立でしょう。すくなくとも
>民選の元首よりは。
自身が政治的意思表示をしなくても、その存在自体が非中立的であるということは有り得ることです。
「世襲による公職の継承」というのは、前近代の価値観であり、
少なくともそれを否定する近代合理主義の価値観からは否定されるべきものだからです。
つまり「反世襲」派から見て「偏向」している以上、天皇自身が何も語らなくても、
彼の(「発言」はともかく)「存在」は非中立的だということになります。
>選択のシステムとして、民選と世襲の価値があるとするなら
>双方同等に非中立だけど、選択するときのシステムに置いて中立価値と言うのは、
>全く存在しない。民選と言うのは、対立する国政に関する価値のどちらを選択するか
>において有効な手法であって、中立的な地位の選択において、民選はその機能を発揮しない。
>国政に関して中立な地位を、民選によって選択すると言うのは、意味不明でしょう。
>国政において何らかの対立軸があるから、民選が選択されるんだよね。
全くその通り。ただ、「民選」でやる限り「中立」など有り得ない。
ただ、「世襲」でやれば「中立」になるのか?それは否だ・・・というのが、前段の説明なのれす。
もっと言えば、世襲というのは血統という「私」的なシステムであって、
「民選」(公選)の方が、システムとしては文字通り「公」的だと思う。あくまで相対的な言い方だが。
>明治憲法にお家、天皇は国政に関し中立であるとはいえない。
>影響力はあったし、大きかったとは思うよ。しかし絶対ではなかった。と言うことでしょう。
あくまで相対論で言うと、前憲法下の天皇よりは、現憲法下の天皇の方が
「より」中立性が高い、とは言えるだろうね。
672 :
保守を考える:03/10/30 23:10 ID:48nG4s88
>>666 まあ、その感覚的なモノが、何に由来しどの様に考察され得るものなのか、
又は、どの様な未来像等の下、その感覚に行き着くのかを思索していくと
自身の思想の問題点がよく見えてくると思いますので、参考にして下さい。
そうしている間に、「れ」氏が
>>667-669で纏めてくれましたが・・・・。
673 :
右や左の名無し様:03/10/31 04:16 ID:/000h0xH
Age
>>670 ダ閣下
「国会議長国家元首制に関する疑問。」
いや、国家元首が政治活動として選挙に関わることも有りうるのはいいんだが、
じゃぁ、国会議長である必要性はないんじゃないの?大統領でいいわけだ。
大統領でなく、総理大臣でもなく、国会議長を、国の代表者たる元首とする意図は
中立性が高い(完全にではないけど)からじゃないのかな?議長って言うのは、
結局国会議員の決定に従う・・・政治的に其の主張を表現しない・・・国家元首によい
と言う発想なら、選挙中はどうも・・・よろしくない状況で、大統領(権能の少ない)の
ほうが、まだ、いいんじゃないのかなぁ。
>>671 「中立性について」
結局のところ、貴殿は世襲であること自体が、何かしらの「価値観」を表現しているから
「中立ではない」といっている。
まぁ、これは当然のことで、議会の存在と言うのは、代表者による専門性を有した検討と
討議により、より良い結論をえらえるであろう期待、という価値観を持っているし、
議院内閣制は、三権分立が好ましく、総理大臣は議院から選ぶべきと言う価値観を
表現しえいるだろうね。総ての機関と言うのは、そういった意味では価値観を表現している
わけで、中立ではない。
いいところに議論が移ってきていると思う。
国の制度形成において、中立であることはありえない。また中立である必要性はない。
ドイツの憲法が、ゲルマン民族の体をあらわすように、日本国憲法は日本人の体を
表現しなければならない。それが国であることは当然で、巣でなければ国境など要ら
なくなる。
>>669 >日本の天皇は古代から(少なくとも1000年以上継続して)知らしめ(知らす・シラス)
>争い(訴訟)を収める(収める・治める・治ス・シラス)存在であった。
天皇が何かを知らすのではなかろうに。天皇は(神の子であり)統治者であると
神が(臣民に)知らす存在なのだ。
>和を説くものが党派心を剥き出しにすれば国は乱れ、権威は喪失する運命にある。
臣民は和をもって、我が一党に従えと言っているだけなのだが。
だが、和は実現不可能のものだ。社会主義国家はその成立論理が
和(或いは善人のみの存在)を前提とする空論であったことによって破綻したのだ。
ユートピアは実在し得ない夢想でなのだ。実世界は闘争と妥協の産物でしかない。
確かに闘争しないで済むならそれにこしたことは無いが、それは相手次第であって
自分だけがそれを念じても永久に成就することは無い。
和などというものは夢想であることを自覚するからこそ、日本国憲法は
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・いづれの国家も・・・いづれの
国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
と、前振りしている訳だ。言い換えると、この前振りに反すると日本が判断する
国家や集団とは、戦闘を交え殲滅することも辞さないということだ。
和など武力の裏付け無しには成り立たない仮構なのだ。
国内外を問わず、聞く耳を持たない相手は撃滅する以外手段が無いのは
歴史上の事実なのだ。
>>676 日本語になっていないよ。
>天皇が何かを知らすのではなかろうに。天皇は(神の子であり)統治者であると
>神が(臣民に)知らす存在なのだ。
天皇が何かを知らす【シラス】のではなかろうに。
天皇は(神の子であり)統【統べ】治【シラス】者であると
神が(臣民に)知らす【シラス】存在なのだ。 では・・・。
和を求めると言うことと、必ず和がなると言うことは違うでしょう。
平和憲法が自衛権を認めること、自由主義が公序良俗と言う不自由さを規定すること
民主主義が支配権力に対する民衆の委任を規定することと、全く同じ。
慈愛を説くキリスト教において、アイの町を殲滅し、解脱を求める仏教僧が婚姻する。
ことと、全く同じ。
>>676 結果として「和」が守られればなんでもあり。それが日本の「和」。
ユートピアとか社会主義とか関係ない。
679 :
右や左の名無し様:03/10/31 12:09 ID:NaZuALV8
>>678 >ユートピアとか社会主義とか関係ない。
実存し得ない和を前提とすることが、同根の夢想と言う意味で同一のもの。
>>680 実在しないからこそ、夢想する。
そして理論構築を試みるんだろう。
「和」を称えるとき、そこに「和」が無いから。
「愛」を説くときは、「愛」がないからこそ。
人は現存しない理想に夢を託すものだよ。
682 :
!:03/10/31 12:41 ID:OpoEkRoB
>>680 少し、勘違いされてると思う。
「和」の概念は共同体内部に対して使うもので有る。
ここで共同体外部との関係を持ち出すのはスレ違いでしょう。
天皇制は、あくまで共同体内部の問題なのですから。
貴殿が世界市民とか地球政府を共同体として夢想するなら有効な議論でしょうけどね。
冷戦構造は崩壊したけど、世界は予想に反して民族運動が高まってます。
世界市民の世の中は遠くなりましたけどね。
>>680 なんか勘違いしてるね。「和」っていうのは日本人の文化的性質で、
和そのものが実存するかどうかは別問題。
ありゃかぶった
「和の理念」
和の理念とは「和らぐこと」を確保する理念です。
オカルトティックに考えずとも、皆が話し合って決めたことと、話し合いもなく専制的に決め
たことが、全く同じであったとしても、後者には反対者の怨念が発生します。
党派心を捨て、こだわりを捨てて、皆で話し合うことは、反対者への配慮でもあり、また
衆議によるより良い結論への期待でもあります。(相互理解)
当然に和の理念は其の共同体内部においてはまとまりの維持の目的ですし
外部に対しては、対立の回避が其の目的です。
したがって、和の理念において、話し合いで解決をしてはいけない事項は
「共同体維持に関わる事項」と
「皆で公平に参加し話し合って決定することを阻害する事項」の二つです。
で、最終的に話し合いによる納得が得られない場合、争いが起きます。
争いを排除することの重要性を和の理念は持つとしても、上記のような原理原則はあるわけ
ですから、争いは避けられません。争いに勝利した側は、敗北した側を慰めなければ、
其の怨念は消えません。(子や孫・子孫、および彼への信奉者によって、リベンジが予想で
きます。)そこで、敗北者を慰めるために施設として神社が設定され、敗北したものを
顕彰する(一定の正当性を認める)ことで、慰め、怨念の消去を願った(リベンジを回避)と
言うことになります。
ここまでは、別にオカルトティックでないリアルな話としても、合理性があることです。
神社の最高神官としての権威が、天皇であることは、ここにおいて必然性が有ったのです。
>>680 より好ましい社会のあり方についての価値体系が【争いのない社会】であり、其の手段が
「和の精神を皆が持つこと・・・党派心や拘りを排除し、和やかであることを優先する」
と言うことです。そして、この日本の価値体系をもう少し具体的にしたのが、五箇条のご
誓文と言えるでしょう。
【争いのない社会】において個人が求めるのは、個人の志をかなえられる社会であり
社会の維持の目的は、個人にとってはそれしかないのは当然です。
万事公論に決し、上下経論をおこない、皆が個人としての志を遂げられるようにしよう。
そのためには古い因習を破り、知識を世界に求め、・・・ということです。
これが国柄と言うものではないかと思っております。
和は極めて危険な思想なのだ。決して継続的には存在し得ないのに
唯一至上のものとして求めるから、和を乱したもの、乱すもの、乱そうとするものを
異質として徹底的に排除する。だが終着点とする和しか無い世界は存在しないから
結果としての現実は闘争の連続にならざるを得ない。
和の状態では最小限のエネルギしか費消しない、無の状態といっても良い程だから
エネルギは余る。和を求めて余剰のエネルギを全て闘争で費消してしまうのだ。
闘争至上主義は悪の権化とも見られている。だが現実的には
闘争を無限に続けることは不可能であると皆承知しているし、現実にエネルギも
続かないから、個々の闘争は全て決着点に到達する。
そして次の闘争を開始するまでは暫しの平和が出現する。
闘争は避けられないとしながらも、そのエネルギ消耗の大きさを思えば
不満足ではあっても異質なものと妥協し、共存により実際の闘争行為は避けようとする。
闘争するにしても、一定のルールを定めて消費するエネルギを
最小で済ませようとする。
可笑しなことに、闘争を否定し和を追求する者は相手が破滅するまで闘争し続け
闘争を避けられないと考えている者が、暫時の平和(現実的な平和)に浴するのだ。
>>687 そのような反論が予想されたから、
>【争いのない社会】において個人が求めるのは、個人の志をかなえられる社会であり
>社会の維持の目的は、個人にとってはそれしかないのは当然です。
とかいてある。いいかね、和とは共同体内部において争いのない社会では有るけれども
競争のない社会ではないのだよ。
各個人が、其の志をかなえるためには、当然競争が予想される。
競争は否定されないんだよ、和の理念では。自由主義を曲解するものが存在することと
同じく、和の理念を曲解し、競争を抑制しようとするものもいる。
しかし理念としては、競争は否定されてはいけない。
なぜなら、社会の維持を、各人の志の達成の目的と捉えるからである。
689 :
!:03/10/31 16:12 ID:OpoEkRoB
>>687 俺も簡単に一言。
「和」とは異質なモノを排除する思想では有りません。
異質なモノを取り込む思想です。
当然、「和」がイヤなら出ていく自由も有ります。
帰化人などは、取り込んだモノの典型ですね。
そして在日に対する甘い対応も「和」から来るものです。
(現代普通の国だったら、とうの昔に排斥されてます。ロス暴動のように。それが証拠に外国人に参政権を与えようなんて議論が起こるのも日本くらいです)
690 :
右や左の名無し様:03/10/31 18:35 ID:AysQFjeH
>>689 「わ」とは異質なモノを排除する思想ではないけれども、異質なものにある価値観を強要する思想といっていいだろう。
君が言っているように「イヤなら出ていく自由もあります」というこの言葉の背景には、「どうせ簡単には出て行けないだろう。だから従え」という発想が垣間見える。
いずれにしても「和」などというものが成り立つのは価値観が均一な閉鎖的な社会でのみ達成可能な概念であるように思われる。
691 :
!:03/10/31 19:31 ID:OpoEkRoB
>>690 これは結局、完璧な理想社会を目指すか否かによって「和」の捉え方もかわるのでしょうね。
ともあれ、まだ「和」について誤解されてます(俺の説明が悪いのだが)。
「和」と言うのは、ただの「話し合い文化」です。
「決められた事を守る」って事です。
もちろん、この思想だと「思想の原理原則」なぞ持てません。
「わからずや」は不要って事ですね。
日本人は気付きずらいのですが、我々は子供の時から自己主張よりも和をたたき込まれます。
この思想が好きか否かは好みの問題でしょう。
692 :
右や左の名無し様:03/10/31 19:34 ID:lGSOZsjb
食うな、胃腸!
693 :
右や左の名無し様:03/10/31 19:51 ID:AysQFjeH
>>691 「話し合い文化」や「決められた事を守る」なんて事は欧米にだってあります。
それに話し合いをするためには、自己主張が必要でしょう。
「自己主張をせずに話し合いをする」という事は、結局結論がまずありきで、話し合いの参加者は阿吽の呼吸でその結論に従えという事になりませんか?
日本は、よく「察しの文化」の国だといわれる所以です。
694 :
!:03/10/31 20:52 ID:OpoEkRoB
>>693 そうです。善し悪しは別にして「あうん」ですね。もちろん程度問題は有りますが…
んで西欧には元もと「話し合い文化」なんか有りません。
新教徒と旧教徒の争いや、ユダヤ人差別を思い出して下さい。
「話し合い文化」が出てくるのは資本主義と言う新たな価値観が出てきてくからです。
日本でも仏教と神教の争いは有りましたけど、それは千年前以上。
日本の方が骨身に染みてるのです。
695 :
保守を考える:03/10/31 21:39 ID:5j7QrRdU
パート11より
265 名前:保守を考える :03/04/03 21:05 ID:8OQQ4ZVV
――「和」について――
私は聖徳太子の時代に遡って、「和をもって貴しとす」の「和」を
「ヤワラカ」と読む。この意味を簡潔に書くと
和らいだ心で人に接することが大事である。になろうか、これを前提に一条は続くのだが
その見解は「れ」氏と同意である。
また「和」を「ワ」と読むのなら、和国・和食・和風・・・・と
概ね我が国に関係しうる事項を指す言葉に気がつくであろう。
それは、「和」の字の成り立ちに無関係ではないからだ。
>>271 >まず、「禾」は収穫物を表す。そこに「口」を組み合わせる。
>算数で言うところの「和」に見られるように、異なる物を組み合わせて一つの物に融合
>させるという意味である。
まず例えが不適切だな。足し算の和は数値の話し。数値の意味は変わらない。
りんご2つとりんご3つ合わせてりんご5つ。りんごも数値の意味も変わらない。
でだ、「禾」の意味は穀物を指しそれはそのまま「稲」に繋がる。
「口」は人を数える言葉であり転じて国の人口を指す。
和(わ)はその語源通り、瑞穂に集う人の国である。(三省堂、漢字海)
つまり君の云っていることは、ほとんど出鱈目。
>古来、「倭」と称された我が国だが
これ日本語として意味が通じないのだが、解説が必要かなあ?
>和食、和服等で使われる「和」と、この文字の本来の意味である「和」とは異なる。
「倭」をどういう目的で「和」にしたのかね? 私の云わんとしていることが解らんならレスするがいい。
恥を掻くのはキミだが・・・・・。
>上のような点をふまえず、おまけに「和」という文字を使った
>単語の総数(分母)もわきまえず16という分子のみをもって「16も」などと言ったところ
>でなんの意味もないぞ。
上のような意味が既に破綻しているのだが・・・・。
分母についてはしっかりと数字を示してくれないと・・・ついでに分子もね。
ところで私が提示した和(わ)の意味については理解しているのかしら?因みに私は前熟語ばかりを提示しているね。
1128たん、
おもしろい論理展開を披瀝してるね。
和する精神にはおまいの大好きな
シナの論語も影響してるって知ってたかな?
697 :
!:03/10/31 23:13 ID:w0Iv3BWq
>>695 実を言うと、縄文時代にまで遡れる思想だって主張する人も居るんですよね。
自然宗教がそのまま残ったと。
戦に塗れた支那地方では生み出せなかった、独特な思想文化だったそうです。
日本の「和」って、山本七平の言う「空気」と同義じゃないの?
つまり、絶対の基準をもたず相対的な価値観を重視するみたいな。
698たん、
聖徳太子は仏教と儒教、日本古来の宗教を融合させて憲法十七条を創案したのよ。
論語一巻の一三段には、「有子が言われた。礼で大事なことは、和を貴ぶことです。
(有子曰、礼之用和為貴)」とあるんだワ。
七巻の二三段では 「君子は和して、同せず、小人は同じて和せず
(君子和而不同、小人同而不和)」と書いてある。
>>699 なるほど、結構理性的なものだったんですね。
ただそういう「和」は現代にあまり伝わってないようですが。
>>700たん、
孔子は、「和」と「同」を区別して考えていると思われる。「和」とは相手に簡単に合わせて
調和する事ではなく、相手をよく理解し、互いの相違を認め合った上で調和すること。
それに対して「同」とは文字どおり相手に容易に迎合することだろうね。
二四段で、孔子は「土地の人が皆好むということは十分ではない。土地の人の善者が好み、
そうでないものはこれを悪(にく)むというのには及ばない」と、言っている。
ここでいう「和」の原理というものは、反対する者があって、はじめて機能する。
ここいらの思想を取り入れたのが聖徳太子。だから随に対しても臆することなく
「和」の精神で対峙できたとも読み解けるんだよね。
現代感覚でいえば、和する精神は形骸化しているかも。儒教精神は今の日本人の価値観とは
相容れないよーな気がする。
702 :
!:03/11/01 00:12 ID:VNUCGGyV
>>699 俺の記憶と違うので、かなりくぐってみた。
>論語一巻の一三段への反論。(何故か引用先は十二段だった)
有子がいわれた、「礼のはたらきとしては調和が貴いのである。
むかしの聖王の道もそれでこそ立派であった。
[しかし]小事も大事もそれ[調和]に依りながらうまくいかないこともある。
調和を知って調和をしていても、礼でそこに折り目をつけるのでなければ、やはりうまくいかないものだ」
「和」よりも「礼」を重視して有ります。
>七巻の二三段への疑問
先生が言われた、「君子は調和するが雷同しない。小人は雷同するが調和はしない。」
確かに影響されたかも知れないが、調和と和とは違う。
論語では和よりも礼を重んじてる。
それに、本質的に論語と和の思想は折り合わない。
仁義忠孝より最上位に和を置くのが日本教の特色である。
聖徳太子の服装って…
大陸から来たってことがモロ出てる
我々の正装が洋服(モーニング)が一番一般的なのと一緒
朱子学は、官僚制、中央集権の深化に対応した儒教であり、
君臣父子の道徳を絶対視して、絶対君主制を支持した。
いうまでもなく、江戸幕府の御用学である。
いっぽう、国学は、日本の古典研究に端を発した、古道を究明する学問であり、
必然的に儒教など外国思想は排斥された。
幕末・明治期の尊王運動に役割を演じた。
で、いずれにしても、天皇制の意義に、なんら現代的「傍証」を与えない。
ところで、天皇信奉者らが好まないように、老・荘による道家思想の一般教説は、
無為自然の道という限定の観念を根本とし、人知礼教を否定する立場は
権力構造の不当性を訴える。
これは、教育勅語的天皇観はもちろん、国家精度としての天皇制を否定する。
国家なり特定集団の「まとまり」を、トップダウン的に権力構造の頂点から
制度として強制されることは、健全とはいえないだろう。
結果の良し悪しは議論があろうが、米国のように対立意見が沸騰しながら、
9.11以降、自然発生的に大衆がある程度の「まとまり」をみせたことは、
より自然なように見える。
天皇制のように国家制度として強制される「まとまり」は不自然かつ不健全だと思う。
では、また。
そもそも、国家自体が人為的なものなのだから、
国家の内部制度は不自然的なものであるし、
個人の行動に制限を加える不健全なものであるのも当たり前。
708 :
右や左の名無し様:03/11/01 09:54 ID:V6pr7Wiy
>>706 こーゆーのを、『ひらきなおり』という。
人為的なものが、すべて不自然というのであれば、自然な制度はなくなる。
言葉自体が意味を失う。
それに、自然権という言葉もあるくらいだし、不自然で当たり前というのはどーかね(藁
709 :
右や左の名無し様:03/11/01 09:57 ID:V6pr7Wiy
また、国家制度も、「北朝鮮」のように不健全極まりないものもある。
すべて、不健全というわけにもゆかないだろーね(藁
710 :
!:03/11/01 10:11 ID:L4/KQh9M
>パンチへ
何度も語ってるのだが……
まず、象徴天皇制が朱子学などの思想で説明出来ない事を理解してくれ。その遥か以前から存在したのだから。
ましてや支那の思想で存在立証をする必要もない。
ここは日本だから。
あと、天皇制は「国民の意志」で成り立っている事を理解してくれ。
まさか、陰謀史観を持っている訳ではなかろう?
これだけは、どんな左翼でも否定しない。
これを理解出来ないなら、ただの「政治運動」「誘導」です。
すると、キミの主張に何の学問的意味も無いと言うことになります。
所詮、政治運動ですからね。
711 :
右や左の名無し様:03/11/01 11:04 ID:1shd9RpC
>>710 おいおい、パンチは、もともとシナ思想で天皇制の意義は論証できないって逝ってるぜ。
よくみてやれよ。
それに、パンチは学問というより、おちょくり専門のような。
憲法の成立過程をみて、国民の意思といえるかな?
それに国会の議決だって、長良川だの球磨川だのダムは、国民の意思とはいえんだろ?
これだけは、右も左も否定しない。
712 :
!:03/11/01 11:33 ID:L4/KQh9M
>>711 象徴天皇制を国民が支持・許容していないって言うのか?
そこまで言う人間は、ただの馬鹿だろう。
そして民主主義を否定してる事になる。
現在の民主主義を否定するなら新たな価値観を唱えるべきだろう。
それが共産主義でも封建主義でも構わない。
それか目指すのは、世界中何処にも存在しない理想国家なのかな?(笑)
それを隠して議論を進めても誰も納得しないだろう。
卑怯者として排斥さえされる。
>>707 和の思想にもとづいた天皇制を国の機関として押し付けるのは、
ヤワラカでないんでないか?
もんかんで、ヤワラカに布教しなよ。
714 :
右や左の名無し様:03/11/01 11:42 ID:XCWbg74M
>>712 はっきり逝ってくれるぜw
漏れは、たしかに利口じゃないがね、
ナシオン主権もプープル主権も民主主義だっツーことぐらい知ってるぜw
ナシオン主権的押し付けだっつーの。ワカリル。
>>713 誰が押し付けているん?妄想は止めましょう。
国民の多くが天皇制について支持しているから、存在しているんだろう?
天皇制が国民から指示されているから、単純に採用すべきと言うつもりはないよ。
民主主義であっても、和の理念であっても、多数決により何事も決定できるとは思って
はいないから・・・。
ただ、多くの国民が支持している制度においても、其の原理的な必要性というものは
論証していかなければならないと、考えているから、ここに書き込んでいるんだし
どうも、歴史とか伝統とか、日本民族の価値体系というのが、ここ数十年は見過ご
されてきているから多少なりとも強調する必要は有ろうかとも思う。
国柄と言うものの考察として和の理念を俎上に上げているんだが、なにか?