1 :
神も仏も名無しさん :
2012/12/26(水) 14:44:04.02 ID:oKSMmuCM
2 :
神も仏も名無しさん :2012/12/26(水) 16:30:12.98 ID:0Q7Yt30a
3 :
晒しage (怒 :2012/12/26(水) 18:55:01.67 ID:0Q7Yt30a
4 :
神も仏も名無しさん :2012/12/26(水) 21:25:30.19 ID:Bd4GbcG8
マタイ 6 - 善行を見せびらかすな。施し、祈り(主への祈り)、断食は隠れてせよ。物のことで悩むな。 マタイ 6:25-33 - 野の花を見よ。何を食べようか、何を飲もうか思いわずらうな。 マタイ 6:34 - 明日のことを思いわずらうな。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 マタイ 7:1-5 [1] - 自らを裁かずに人を裁くな。 マタイ 7:6-29 - 聖なるものについて。偽預言者に気を付けなさい。 イエスも釈迦も変わらん
5 :
神も仏も名無しさん :2012/12/26(水) 21:34:31.46 ID:Bd4GbcG8
イエスの特徴として、既存の権威に頼ることなく自らの言葉で断定的に語り、 当時、一般に交流を深めることが忌避されていた人々(蔑まれ、虐げられていた人びと) に対しても分け隔てなく接し、社会の底辺に視座を据え権力を批判した。 終末論的世界観のもとに生きたイエスは、人々に「悔い改めよ」と宣べた。 その目的は「神の国(天の国)」に入るためであるが、「神の国(バシレイア・テウー)」 とは、ここにある、あそこにあるというようなものではなく、「あなたたちの間にある」 と述べている。 これは所謂、涅槃である。 イエスも釈迦も変わらん。イエスは仏教徒?
6 :
神も仏も名無しさん :2012/12/26(水) 22:13:42.92 ID:+ixhpfIR
> イエスも釈迦も変わらん イエスは、我 ・ 我所を滅してないと思うけど? (イエスは、我 ・ 我所を滅するための方法を実践してないと思うけど?) _ _ _ 煩悩障(自己に対する執着) 所知障(外界のものに対する執着) の二種の障害を根絶することによって、阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち) これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
7 :
神も仏も名無しさん :2012/12/26(水) 22:24:37.78 ID:Bd4GbcG8
>>6 我 ・ 我所を滅するための方法を実践?
イエスはそれを執着と見なして否定してるんだよ
8 :
神も仏も名無しさん :2012/12/26(水) 22:33:35.40 ID:+ixhpfIR
> 我 ・ 我所を滅するための方法を実践? > イエスはそれを執着と見なして否定してるんだよ さて、ここで質問です イエスと釈迦は、どこが違うのか? _ _ _ 中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための修行法 → 三十七菩提分法
9 :
神も仏も名無しさん :2012/12/26(水) 22:39:50.26 ID:Bd4GbcG8
キリスト教は勝手に神格化が進んだだけ 仏教もそうだが、いらん方法論というおまけまでついた 悟りというものが起因している 違いは、おまけが付いているか付いていないかだけ
キリスト教には たぶん輪廻と言う概念は、ないと思うけど _ _ _ 永久不滅 ・ 常住不変のアートマンを土台としたバラモンなどの輪廻からの 解脱に至る為に 無我 ・ 縁起 ・ 空を観察する と言う方法が おまけで憑いて来ます
観察するとは無いものを観察できるはずもなく あるからこそ観察できる 無我=縁起=空であり単なる現象 釈迦の方が神経質かもしれんなw
ID:Bd4GbcG8 は、カラスか?w
末那識(まなしき) 唯識説の説く八識のうち第七識であり、第八識(阿頼耶識)を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である 睡眠中でも深層において働き続け 根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる 第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩 _ _ _ 阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける この深層的な自我心を滅する為に 無我 ・ 縁起 ・ 空を観察する と言う方法が おまけで憑いて来ます
14 :
644 :2012/12/26(水) 23:50:04.25 ID:KtuuFdH4
阿頼耶識とかマナ識ってさ、別に単に識って言えば良くない? いちいち用語を増やす意味が分からん
15 :
観察と煩悩 大滝秀治 :2012/12/26(水) 23:52:18.34 ID:UOuKsQJP
>>13 >無我 ・ 縁起 ・ 空を観察する
あなたはどのようにして「観察」する、またはできるのですか?
で、観察した結果はどーでしたか?
>>11 の『無いものを観察できるはずもなく』の指摘は鋭いニュアンスがあります。
>この深層的な自我心を滅することによって
で、あなたは自我心とやらを『滅する』ことができましたか?
滅(nirodha)は、本来、「制する」(支配・コントロールする)ことであって、日本語の含意での「滅する」ではありませんよね。
四諦は<苦・集・制・道>ということですよね(般若心経・金剛般若経 岩波文庫p31)。
滅と制では「大変な相違」です。
>>15 「?」相手にマジレス返すなんて、新参みたいなことすんなよw
19 :
観察と煩悩 大滝秀治 :2012/12/27(木) 00:16:38.76 ID:yZW1Wc9H
>>17 >>18 あなたは菩提心自己でどう自得しようとしているのか?ということですよ。
そうでないと、
>「?」相手にマジレス返すなんて(
>>17 )
と揶揄されます。
明日も早いので寝ます。
> あなたは菩提心自己でどう自得しようとしているのか?ということですよ 私の場合は 自得してるものは、ありません 教学として勉強している段階 と言う事です
21 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 02:42:01.10 ID:BpUMc270
仏教にはバイブルやコーランのようなはっきりとした仏典というものが存在しない。
22 :
基地子菩薩 :2012/12/27(木) 04:00:24.23 ID:5spliWRA
>>21 ____
r、/ ⌒ ⌒ \
|.l1 (● ) (● )ヽ はぁ?
.|^ ) (__人__) |
.ノ ソ、_ ヽノ _/ ̄`!
/ イ イ7 _/
{__/\ ヽ {
23 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 07:24:07.64 ID:bchEH0Mz
>>18 般若心経・金剛般若経 岩波文庫p31の記述は間違い
チベット語 'gog pa は インド語ni-√rudh 系の意味なら「止める。塞ぐ。遮断する。せき止める」
√siidh系の意味なら「防ぐ、制す、否定、廃止、遮断する」だから、「制する」はあるとしても「制御・支配・コントロールする」というような意味から遠く
そういった意味はない。
優れたチベット現代語辞典で 'gog を引くと
http://star.aa.tufs.ac.jp/modules/tinycontent2/index.php?id=1 01. (車などを)止める.(ブレーキを)かける.
02. (流れを)止める,せき止める.
03. (〜を)防ぐ,食い止める.
04. (〜を)塞ぐ,閉じる,封じる.
05. (〜を)密封する.
06. (〜を)遮る,遮断する,封鎖する,不通にする.
07. 避妊手術をする.
08. (〜を)取り押さえる,押さえる.
09. (〜を)妨げる.
10. (〜を)拘留する,待たせる.
11. (〜を)撤回させる.
12. (〜を)書き留める,記録する.
13. (期限,時間などを)決める.
最も権威あるチベット語辞典である蔵漢大辞典は以下の通りとされている
蔵漢大辞典の記述1)止める。塞ぐ。遮断する。せき止める 2)反駁する
24 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 07:29:02.48 ID:bchEH0Mz
最も収録語数の多いチベット語辞典である蔵英辞典も以下の通り
http://www.nitartha.org/dictionary_search04.html 'gog
/ [p bkag, khog!]; 1) block/ obstruct[ion]; 2) stop/ hinder[ance]; 3) limit/ end; 4) cease[action]; 5) counteract/ resist/ hold out against;
6) detach from; 7) fill/ stuff; 8) [p bkog],, pick/ pull/ out [IW]
'gog - decay, to block, obstruct, ban, break [JV]
'gog - {ppafi; 'gog pa, bkag pa, dgag pa, khog/khogs} va. to block, obstruct, stop, hinder, limit, end, cease. 2) to counteract, detach from each other.
Syn {so sor dgar ba} Syn {'bal ba} 3) to fill, stuff. 4) to pick. 5) to pull out, pluck. 6) to resist. {mi 'gog} unobstructed [ry]
中村先生はあまりチベット語ができないし、拠っているダス蔵英辞典は信用できない。
特にダスの環梵は無根拠に勝手に為されることが多く、注意を要する。
よってその記述は全く信用することができない。
26 :
観察と煩悩 大滝秀治 :2012/12/27(木) 11:48:41.10 ID:yZW1Wc9H
>>23 >>24 >般若心経・金剛般若経 岩波文庫p31の記述は間違い
いやー、勉強になりました。ありがとう。
まさに逆の意味で『この漢訳語は誤解を起すおそれがあった』(同上)
『したがってチベット人もnirodhaとは「滅す」ことではなくて、
「制する」という意味に解していた。また遡って原始仏教聖典の
中の古い詩によるとnirodhaとは「制する」という意味である。』
―とまで強く断定記述されると、直影響されておりました。
27 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 12:36:43.08 ID:6gpc4qO8
>>21 師匠から伝承された経典がその修行者にとってのバイブルです。
宗派ごとに伝承している経典がちがうので、宗派ごとにバイブルが違うのです。
28 :
nirodha 大滝秀治 :2012/12/27(木) 17:36:05.15 ID:yZW1Wc9H
>>23 >>24 >よってその記述は全く信用することができない。
nirodhaは、仏教の根本「四聖諦」に関わる極めて重要なことばなので、もうちょっと検討してみます。
ん〜〜〜、どうもヒンドゥ系のヨガスートラの「Niroda」(止滅、高度な集中)と、
仏教の「Niroda」(抑制、炎(苦)の封じ込め)では、
同じことばNirodaでも、言語学辞書的ではなく、思想的にかなりニュアンスが違うのではないかとの疑問があります。
こういう仏教のキーワードについては、
>>23 >>24 のような言語学的辞書的な意味ではなく、
仏教の何たるかの根本から把握されるべきだと思います。
従って「止滅」なのか「制御(コントロール)」なのかについての明確な結論は留保します。
29 :
nirodha 大滝秀治 :2012/12/27(木) 17:41:13.13 ID:yZW1Wc9H
× Niroda 〇 nirodha
30 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 17:43:39.90 ID:2b9xemga
まずどうしたいんですか? 天国に入りたいなら釈迦が言った生天論を聞き守るべき しかし天国ですら輪廻にある それ以上の救いを求めるなら輪廻解脱をするしかない 議論も糞もない
白帯の格闘マニアが武道の奥義についてアレコレ盛り上がっているところに水差しちゃいやん。
32 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 17:50:40.17 ID:2b9xemga
でも仏教は釈迦の教えが全て それ以外は虎の威を借りる狐です だから悩みや議論は必要ない 違うと思えばやめたらいいし正しいと思えばやればいい
>>24 横から質問なんだけど、
ダスの還梵がダメだったら普段づがいの携帯用にはエシュケがええん?
それとダメなのは還梵の所だけ?
また、卓上に置いておく用の蔵英でいいやつってあったりする?
「定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである。」 この世にはないんだよ と言った これを改ざんして、あの世にもない or あの世なんてない(この世しかない)と 主張する唯物論仏教が今の主流w 常見 断見とかで単純に霊魂なんてないだのあるだの 2つに1つみたいに言うことが多いw 肉体は生まれ変わっても霊魂はそのまま 霊魂もいつかは新陳代謝するけど 時間の単位が違うってことだね
35 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 19:28:30.53 ID:bchEH0Mz
>>33 蔵英ではイェシュケがいいと思う
チベット語辞典は蔵漢のチベット語を読むのが一番無難だと思う
だけど辞書は参考だから、最終的にはその文脈に沿って自分で読むしかないでしょ
自分用のコーパスとか作ると便利
>>35 蔵漢のチベット語の部分か。直読直解できる力量が無いからあまり意識していなかったよ。今後意識してみてみるわ。感謝。
古い人間だからかコーパスってーとカードしか思い浮かばないんだけど、MacかWinで使いやすいソフトとかってあったりする?
アメリカじゃ仏教が人気になってきてるみたいだな。 システマチックで合理的なのが受けてるみたいだ。 アメリカじゃ教義よりも瞑想中心の教えみたいだね。
39 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 21:06:34.96 ID:bchEH0Mz
40 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 21:09:29.98 ID:bchEH0Mz
>>38 とにかく苦が軽減して物事がスムーズに進むようになりますからね
多様ですよ。ただ、教義だけの文献学とか思想研究というのは仏教を学ぶ上であまり有効ではないのは確か。
やっぱり、本物の伝統聖者から習うのが一番。しかし、選ばないとね。本物を。
>>40 アメリカじゃMeditation centerが大都市を中心に増えてるみたいです。
指導する先生の半数が女性みたいですね。
仏教の合理的な考えと仏教の教え自体を疑って自分で納得したら取り入れろってな
観察主義的なところが随分と受けがいいみたいですわ。
将来的にはアメリカ第二の宗教になるとまで予測されてます。
42 :
神も仏も名無しさん :2012/12/27(木) 21:19:18.70 ID:bchEH0Mz
>>41 ここ十年ぐらいで英訳の質が格段によくなりました。
もはや一般的に日本より西洋の方が仏教が分かってるかもしれません。
>>42 原始仏教や唯識あたりは西洋人に相性がいいと思います。
西洋人の論理的な思考は仏教とはフィーリングが合うと思いますね。
爆発的に広がる可能性もあるかもしれません。
ちなみにブラジルでも少し受け入れられつつあるみたいですね。
>>39 ありがとう。蔵外のデータベースがあるなんてまったく知らなかった。
Jeditと併用して利用してみるわ。
ソフトに関してはUnixはさっぱりで力になれない。面目ない。
日本でもガチ仏教流行らそうぜ 西洋哲学とかちょっとかじったけど、仏教の方が全然凄いと思うわ 結局、科学も哲学も既存の理論とか見解を打ち破ること、 戯論自体を目的にしてるからいつになっても論争が止まずに勝者と敗者を生みだす 仏教の方が全然、先進的だと思う 俺も瞑想やってみたいけど、自己流じゃ危ないかな なにかオススメの指南書ない?ガチなやつで
そんな通信空手でガチの奴無い? みたいなこと言われても。 寺に行け寺に。禅でもテーラワーダでも好きにしれ。
47 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 07:00:48.12 ID:iRtNZ7Uf
>>45 ビルマ・テーラワーダか、非ゲルク系チベット仏教をお勧めします。
師匠に就かないと危ないよ〜
常識がない師匠ならどうすんだよ 常識あるなら全ての人が師匠足りうる
49 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 09:31:49.29 ID:iRtNZ7Uf
>>48 常識はあんまり関係ないな
そういう表層は重要じゃないし、もし人目とかに合わせてるような人は必ず偽物だと思う
>>49 ここで言う“常識”は、「世間の慣わしに倣う」ということなんジャマイカ?
それは、言語・用語に限らず、日常の挙手投足についても同じなんジャマイカ?
(隠居のようにw言語を含意しないとは言わないがw)
世俗の慣習(vohAra)を踏まえるというのは、そういうことなんジャマイカ?
そこには当然、>人目とかに合わせ ることも含まれそうだが?
51 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 10:38:39.53 ID:iRtNZ7Uf
>>50 ? はホントに何も分かってないんだから、意見すんなって、
何回言っても分からんな
それでも人に教える立場の師であれば、自分は悟っているからと弟子に勧める実践をやめてしまっていては 弟子は育たないと思いますが。
>>51 vohAra [vi+avahAra] (PTS.dic.)
1. trade, business M ii.360; Sn 614 (vohAraM upajIvati); J i.495; ii.133, 202; v.471; PvA 111, 278.
2. current appellation, 【 common use (of language) 】 , 【 popular logic 】,
common way of defining, usage, designation, term, cognomen;
【 (adj.) ( -- vohAra) so called 】 SnA 383, 466, 483 (laddha vohAra so -- called);
DA i.70; PvA 56, 231 (laddha vohAra padesa, with the name)
VvA 8, 72 (pANo ti vohArato satto), 108 (loka nirULhAya samaJJAya v.).
【 ariya -- vohAra proper (i. e. Buddhist) mode of speech 】
(opp. anariya vohAra 【 unbuddhist or vulgar, common speech 】 )
D iii.232; A ii.246; iv.307; Vin iv.2; Vbh 376, 387.
lokiya -- vohAra common definition, 【 general way of speech 】 SnA 382. On term see also Dhs. trsln § 1306.
* * * * * * *
3. lawsuit, law, lawful obligation; juridical practice, jurisprudence (cp. vohArika) Sn 246 (vohAra kUTa fraudulent lawyer);
J ii.423 (vohAraM sAdheti to claim a debt by way of law, or a lawful debt); vi.229;
DhA iii.12 (vohAra uAajIvin a lawyer); SnA 289.
4. name of a sea -- monster, which gets hold of ships J v.259.
54 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 10:45:11.31 ID:iRtNZ7Uf
>>52 そういうことを言ってませんよ
そういう方便はあり、そうでなく人の評価を気にして取り繕うような方は避けた方がいいと思うということ
まあ、そこら辺、微妙だから最終的には自分の縁、業による直感が信じられるかどうか、
そういう縁、業をよくするために普段、戒律にしたがって良いことをして、少しでも良縁がでるようにするわけです
>>51 vyavahAra m. (monier)
doing , performing , action , practice , conduct , behaviour ,
[MBh.;KAv. &c (vyavahAraH kAryaH , with instr. , " it should be acted according to ")];
commerce or intercourse with (saha or comp.) [Nir;KAm. &c];
affair , matter NIlak.;usage , custom , wont , ordinary life , common practice [Pat.;BhP.;Hit.];
activity , action or practice of occupation or business with (loc. or comp.) [Inscr.;KAv.;KathAs.];
mercantile transaction , traffic , trade with , dealing in (comp.) [Mn.;MBh. &c];
a contract [Mn. viii , 163]
* * * * * * *
legal procedure , contest at law with (saha) , litigation , lawsuit , legal process [(≫ -matRkA below) Mn. YAjnJ. &c]
practices of law and kingly government [IW. 209]
mathematical process [Col.]
administration of justice , Gaut. / (fig.) punishment [L.]
competency to manage one's own affairs , majority (in law) 〈ib.〉
[propriety , adherence to law or custom 〈ib.〉
the use of an expression , with regard to , speaking about
(tair eva vyavahAraH , " just about these is the question " , " it is to these that the discussion has reference ")
[Kap. SAh. Sarvad.]
designation [Jaim. Sch.] / compulsory work [L.] / a sword [L.] / a sort of tree [L.]
Name of a character of the agni-purANa.
>>51 (猫をたたっ切るとかもそうだが)
たとえば信長の逸話のようにw、棺前に香炉をひっくり返すような人間はどうなの?
ってことだろw
そういう破天荒を許容してるのは禅宗だけだと思ってたが、
チベットやビルマでもそうなのか?w
57 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 10:54:37.05 ID:iRtNZ7Uf
>>56 ビルマは知らないけど、チベットでもいっぱい居らっしゃるし、
シナ・日本でも禅宗以外にも居らっしゃるよ
例えば、仏図澄、増賀とか
59 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 11:01:22.40 ID:iRtNZ7Uf
>>58 そうは言わない。習わしは尊重するけど、品行方正・持戒清静に見えるからといって必ずしもいい師匠でなく、常識はずれでも素晴らしい師匠もいるということ。
逆に常識はずれだからといって必ずしも素晴らしい師匠なわけでもなく、逆に大抵、胡散臭い場合が多いと思う
だから、師匠選びは慎重に時間を掛けるべきだと
>>59 >>48-49 の流れを踏まえれば、
たとえば、最近では稀少例だろうが、寺に小僧に入って学ぶとき、
そうした破天荒な師匠でもいいが、同時に、
その子に、仏道とは別のところで、(つまり「社会と関わっていく際の諸々」を)指導教導する者、場面が必要では?
(それは一般の子育てでも同様だろうが・・。星一徹みたいな在り様は
やはり「特殊でイレギュラー」な事象と見るべきだろ?)
たとえば、皇室も梨園も、普通学校に通わせる必要なんかないぜ?
(それはそれでエリート育成の効果的手段かもしれんがw)
そういう意味で、
つまり、「社会に溶け込む(働きかけ、教えを提示し、聞く耳を生じさせ、距離をあけさせないetc.といった)必要性」
と直結した常識の話だと思ったがな。48・49は。
だから、こういう人も居ればああいう人も居る、って返しはズレてると思っただけ。
常識なんてナマモノを当てにしてどうするのと思うけどね。 穢多非人を蔑むのが世の中の常識だから蔑む僧とか面白い冗談。
62 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 11:17:08.59 ID:iRtNZ7Uf
>>60 う〜ん、やっぱ一般論って難しい
単純に類型化できないと思うんだよね
やっぱ、いい師匠はいいとしか言えない
悪い例は結構、類型化できると思うけど
>>45 「今、ここ」を生きる [単行本]
ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェ (著), 今本 渉 松永太郎 (翻訳)
この本では簡単な瞑想の仕方が書いてます。
長く瞑想をしなくても3分でも5分でも効果があると。
日常生活でできる瞑想の仕方も書いてました。
本格的な瞑想指南の本ではなく、メインは科学を使った
瞑想や仏教における脳の変化の分析ですが。
とりあえずは日常で出来る簡単な瞑想だけにして、
本格的なのは時と縁を待つようにしたらよろしいかと。
64 :
? :2012/12/28(金) 11:27:25.96 ID:trjidILq
> ? はホントに何も分かってないんだから、意見すんなって ID:Sk3ybKkM ↑ この人は私【?】では、ありませんよ ちなみに私の場合は パーリもサンスクリットもチベットも英語も チンプンカンプンですよ
65 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 11:30:27.48 ID:iRtNZ7Uf
>>64 それは大変失礼しました
お二人にお詫び申し上げます
しかし、あの言葉使いといい、あそこで辞典から引用するあたり、そっくりだと思ったんですけど
67 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 11:37:07.55 ID:iRtNZ7Uf
68 :
? :2012/12/28(金) 11:42:31.74 ID:trjidILq
> それは大変失礼しました いえ、どういたしまして できれば日本語に翻訳して解説をお願い致します _ _ _ 礼拝帰依 ブッダン サラナン ガッチャーミ 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
>>47 うーん、日本国内では良い師匠っていない?
禅宗の坊さんとかもやっぱりダメかな
70 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 14:15:49.66 ID:iRtNZ7Uf
>>69 それは宝くじが当たるのを探すようなもんでしょう
そしてちょっとした師匠もチベットやビルマの平凡な師匠に劣るように思います
>>69 とりあえず瞑想がしたいってだけならテーラワーダの講習会に行ってこい
全国各地で定期的にやってるから
しっかりした指導とかも何処の講習会いっても受けられる
いや、でも禅宗が良いっていうなら有名所の修行寺だと数日体験コースがあるからそれに応募すればいい。
そんで、これで良いって思えたなら近所の禅寺紹介してもらえ
色々試して求めているものが得られなかったら
テーラワーダの先生なりと相談してからインドなりチベットなりビルマなり海外に行けばいい
確かに日本の坊主はチベットとかと比べたら話しにならんわね。 何でだろうな。今までこれはすごいって人会ったこと無いよ。 仕事柄坊主とは良く会うのだがね。 タイに行ったときはその辺歩いてる坊主でもそれなりっぽかったけどね。 日本と比較した場合。
>>70 がーん…ちなみにタイはダメ?
>>71 うん、そうする、ありがとん
いや、とくに禅宗がいいってわけじゃないんだけど
禅宗がどういうことをやってるのかも分からんし
日本の坊さんも、チベットとかビルマとかタイとかの僧侶と交流を持つ機会を
なんで作らないんだろう。そして、チベットとかだと師匠の教えが脈々と伝わってるのに、
日本だとどうして伝わってこなかったの?
74 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 15:21:29.15 ID:iRtNZ7Uf
>>73 テーラワーダの本物はビルマ、日本みたいな文献学になってるのがスリランカ、
タイは中間というイメージ
それなりに日本のお坊さんも交流してますよ。オイラもその一人なわけだし。
そもそも仏教は、伝わる方が奇跡です。
それで日本仏教は、江戸時代に檀家制度で骨抜きにされ、明治時代に廃仏毀釈で大打撃を受け、戦後の宗教否定政策で途絶えたものと考えてます。
いまだ細々と経典や儀礼の伝承はありますが、内容を伝えている方はとても稀だと思います。
75 :
基地子菩薩 :2012/12/28(金) 15:28:27.17 ID:Nhk4aqT+
即物的な結果を出したいなら 高野山に登って印と呪を学べば 良いですよ!結縁灌頂も忘れず にね!但し支払いを惜しむと ヤバイわよ。(笑) (^。^)y-~
>>73 一応、各宗派でも超宗派でも交流は持っているし、各宗派がもってる教育機関ではかなり密な連携がある
しかしそれらは研究者、宗教者間の交流にとどまって在家や一般人に還元されていないのが玄奘
師匠の教えが脈々ってのは一部の職業坊主を除けば自宗の宗義という形で伝承は行われている
また、細かな風俗や風習や由来についても父から子へという形で伝承されている
このあたりは、一般の人が知る機会が無いから伝わっていることを知らないだけのように思う
つまりは坊主の指導不足布教不足還元不足
>>74 なるほど…そういえば、チベット仏教普及協会ってどうですか?
>>76 なるほど…
>>73 >日本だとどうして
ヒント:
つ法脈の“伽藍による継承”化
つ明治維新・西洋化
つ廃仏毀釈
つ肉食妻帯勝手タルベシ
つ世襲
つ伽藍・境内及び有形無形各種財産護持の重要性(農地解放のトラウマ)
つ仏教に於ける学びの、《「修行」から「勉学」へのシフト》
つ鎌倉新仏教の弊害(オリジナリティの重要性)
つ指導者輩出システムの形骸化、及び雛僧教育の学校化&合宿化
などなど。
>交流を持つ機会を
(確かに少ないがw)、無いわけじゃないけれども、
つ「懇親会」「相互理解の場」の域を出ない。
→ 「学び、取り入れる」ものではない。
→ 既存の(宗門の)在り様を根本改革することと同義だから。
つ(既に固まってしまった再成立してしまった)日本の文化や価値観と摺り合わせるのが大変。
つ既得権益・体面の保護。
といった理由から、「懇親会」以上の交流は敬遠される傾向にあろう。
79 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 16:05:36.94 ID:iRtNZ7Uf
>>77 悪くないけど、ガルチェン・リンポチェやゲツェ・リンポチェをお勧めします。
ジィガー・コントゥル・リンポチェもいいよ。
80 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 16:35:53.43 ID:kWINAil8
どうして日本仏教各派は経典の現代日本語訳に乗り出さないんだ 西洋ではマルティン・ルターの時代から「万人司祭」の思想のもと もう着手してるぞ
>>80 自宗の経典って事ならおめえがしらねえだけどこもやってんよ
全経典って意味だったら人出が足りねえんだよ、察してくれよ
日本の大乗仏教で釈尊の教えに忠実かまたは龍樹あたりの教えに 近いのってどこになるかね。縁起=無自性=空の理論を大事にしてる宗派。
>>82 特にここが近いってのは無いんじゃないの?
縁起無自性空は思想の基盤であり、それを否定してるところはないのだから
宗派が割れるのは日本ではどのように実践するかという点にすぎない
>>83 実践となれば瞑想なわけだがそうなるとやっぱり禅宗になるのかな。
禅宗というと曹洞宗や臨済宗か。
禅宗てなんか体育会系と似たような空気がするんだがそんなことないか? 空気よんだやつが勝つみたいなさ で、具体的にどうやるのが忠実なやり方なの?って聞いたら やれば分かるみたいなこと言われて延々すぶりさせられるみたいなさ 結局よくわからん型を覚えさせられて、いい思い出ができたよ、で帰るみたいな こういう感じの体験入学って西洋人は違和感あるみたいだよ 体系的に言語化された精神体験ていうやつがないと向こうさんは不安なのだよ 柔道、空手、居合も同じ、何かその道の精髄みたいなのを知りたいと思っている人にまず型をやれとかは 外人向きじゃない、剣道は結果だけだからまだいいとしてさ
86 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 19:50:26.38 ID:iRtNZ7Uf
88 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 20:36:46.23 ID:iRtNZ7Uf
>>87 これから復活させるよ〜
オイラもチベットの師匠も日本に新たにチベット仏教を流行させようという気はない
チベットの生きた伝統によって日本の伝統を蘇らせるのが目的
ダライラマ猊下も同様のことを仰ってた
だから、カーラチャクラでもグヒャ・サマージャでもなく両界マンダラの灌頂をされたと
89 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 20:40:53.61 ID:g0CFxxch
骨折した人間でも無理やり足曲げさせるのって 道元本来の思想に合致すんの?
90 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 20:55:35.58 ID:g0CFxxch
>>81 華厳経は華厳宗協力で廉価版出してほしいなあ。
国書刊行会のやつ4万とか無理すぎ。
無駄に字がでかいし余白多いし。
>>88 けど、
輸入したまんま(英語的発音の外来語)ではない和製英語として確立させるのは至難のワザだろうなw
現に、テーラヴァーダもチベットも、
そのまんまが評価され、そのまんまが導入されることが願われ、(←特にネット、書籍では)、
それが叶わない現状が批判されているわけだし。
学びの内容は当然として、(つーか、それは現時点では十分過ぎるほ潤ってるわけだがw)、
「学びの環境」と「実践(顕現)し続けることを可能にする環境社会的サポート」
及び「それらが価値ある方向性であるという世間的コンセンサス」
が整備されない限り、夢物語だと思うよwww
>>82 あえて一宗派挙げろ、と言われれば、龍樹の中観を専門にやってるのは三論宗
釈尊の教えに近いか、と聞かれれば、阿含経典を中心に龍樹を解釈し、
龍樹が釈尊の法を丸々受け取っていると主張する石飛さんの説が
三論教学と実によく整合する。もちろん、一代さんの言っていることともぴったり一致
ただ、難点なのは、三論宗自体が非常にマイナーってこと
「宗派」というよりかは、「学派」に近いしね
宗派的な問題から、研究者が本当に少なく、三論に関する良い入門書がない
中観の研究者は三論に興味を示さないし、
三論の研究者も龍樹の中観との整合をあまり論じてない気がする
だから、「所詮は中国思想によって歪められた中観理解」くらいの扱いをされている感が
93 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 21:04:39.63 ID:iRtNZ7Uf
>>91 テーラワーダとかゲルクは全く違うから無理だけど、
非ゲルク系のチベットは、日蓮を除く日本仏教と全く違わないよ
日本仏教各宗本来のあり方なら、全く本質的に復活できる
なにもチベットのマントラとか唱えなくていいし、まして衣とか儀式もそのまま、
教義もそのままで大丈夫だと思う
少なくとも、華厳、三論、倶舎、真言、天台、禅、浄土はいけると思う
最初の人はチベットで学ばないといけないが、それ以降は必要ないんじゃないかと
>>90 >華厳経は華厳宗協力で廉価版出してほしいなあ。
>国書刊行会のやつ4万とか無理すぎ。
わかる!1冊1200ページの2巻組みってのも重すぎて…
気のせいか、華厳経・華厳宗自体の入門書もあんま良いの無い気がするなぁ
理事無碍法解とか面白そうだから勉強したいんだけど
華厳経って、大乗経典の中で最高みたいな位置づけじゃなかったっけ?
95 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 21:10:53.12 ID:iRtNZ7Uf
>>92 >中観の研究者は三論に興味を示さないし、
>三論の研究者も龍樹の中観との整合をあまり論じてない気がする
>だから、「所詮は中国思想によって歪められた中観理解」くらいの扱いをされている感が
これ全く逆なんだよね〜
西洋の文献学者が中観を学び始めた時、二つの伝統から情報を得た
一つはペテルスブルク学派がモンゴル経由のゲルクから
もう一つは日本の学者から三論を
三論が正統説に近いのに、学者の力関係でゲルク説が正統とされてきた。
ここに近代中観の捻じれの根本的要因がある
しかも日本では批判仏教学派が、ゲルク説を称揚した時期もあって不当に評価されてきだ
これは中観だけでなく、他の分野でもそう。ゲルク説は常識よりの方便説で、本来の仏教の伝統と重要な部分でかなり異なっているので
96 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 21:13:22.96 ID:iRtNZ7Uf
>>94 華厳いいよ。まずは『普賢行願讃』から入るのがいいと思う
『普賢行願讃』は大乗仏教の方便を圧縮したものだから
『般若心経』が般若・智慧を圧縮したもので、二つ合わせて大乗だと思う。
97 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 21:23:19.34 ID:g0CFxxch
真言・天台系は密教経典は現代語訳せず(訳しても在家には見せず)、 仏具店にある理趣経も完全撤去、一般書店にあるものは仕方ないが、 見ないことを在家信者たちに薦める。こういう男気を見せてほしい。
>>93 >非ゲルク系のチベットは、日蓮を除く日本仏教と全く違わないよ
>日本仏教各宗本来のあり方なら、全く本質的に復活できる
まじすか!楽しみっすね〜^o^
>>95 そういうことだったのか…! めっちゃ勉強になります。
それでなくても、三論は中国でも細々として、日本でも法相宗に圧倒されていたと言うのにw
>>96 ありがとっす〜 ちなみに、『法華経』ってどう?
『般若経』と『華厳経』に比べてあんま興味湧かないんだけど
99 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 21:40:43.64 ID:iRtNZ7Uf
>>98 法華経はよくわからないけど、三乗は方便で、本来一乗であると述べていることは分かります
後はまだよく分かりません。
なんか石飛先生が驚嘆されてたので、よく分かっているのではないでしょうか?
どうでもいんだけど、さ 支那仏教は、教相判釈というものがあることをどう考えるわけ? どの経典が優秀かはそれぞれがどの経典の思想を主題とするかで決まってくるわけで 未だに天台の五時教判なぞを支持していてもあまり意味はないと思うぞ
>>92 ありがとう。三論宗は本当にマイナーだよね。
何で日本だとマイナー化したのかな。
>>94 華厳は大乗仏教で最高峰というのはよく聞きます。
ただかなり難しいとも言いますし教材自体も少ないですね。
40000円くらいの辞典みたいのってあれはやっぱり難しいのですかね。
>>95 なるほど。非常に勉強になりますな。
自分は仏教の最高峰は原始仏典と中観と唯識だと考えておりますが
華厳とかも相当なものなのですかね。それ以外でもすごいのが
あれば教えて欲しいです。
102 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 23:06:31.71 ID:iRtNZ7Uf
>>100 インド・チベットにもシダーンタ、ドゥプターみたいのがありますよ
それはある視点から見た説明体系と考えればいいわけで、これだけが正しい仏教ととるのは縁起・空性・仮設の立場から妥当ではないですね
そこら辺を巧く説かれてるのが十住心論、入中論やニンマ系ドゥプターもそうなってますよ〜
103 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 23:09:41.85 ID:iRtNZ7Uf
>>93 そこじゃないなぁ・・(^^; ポイントは・・。
あまりに原型主義ではイカンけど、
けど、程度の問題がどうであれ、(その順応度の高低に関わらず)
それが受容される“隙間”を作れるかどうか?だから。
何が輸入されようと、どう加工されようと、
それらが学ばれ、実践し得る土壌を整備する必要があるでしょってこと。
また、
>まして衣とか儀式もそのまま、教義もそのままで大丈夫
それは、『新規に宗派を起こす』なら、でしょ?www
既成宗派の“在り様”を変更し得ると思う?
たとえて言えば、真言宗の“威儀”(装い・法式・所作・規矩等)を
明日からチベット流に変更可能かい?
貴方の言辞は、
正当性・正統性を有し、目指すべき理想(あるべき聖者の姿)を高らかに謳い上げるものだけれども、
その実現性は極度に低い。別の言い方をすれば、現実性が乏しいとでもいうのか・・。
別件だがw
>>96 普賢行願讃の音読の基本って、どこで知れる?
105 :
神も仏も名無しさん :2012/12/28(金) 23:23:24.49 ID:g0CFxxch
普賢行願讃は経本にするのに、ちょうどいい分量なんだよな。 永田文昌堂に出してほしい。裏表に音読・訓読両方収めたやつで。
>>103 これはまたすごいサイトをありがとうございます。
なんか軽いな、ノリが やっぱだめだな〜って思うわ
>>95 よくコレ書いているけど、他の所で聞いたことがまったくないんだ。
よければなんかソースくれない?
できれば独じゃないほうが助かる。
>>104 >>まして衣とか儀式もそのまま、教義もそのままで大丈夫
>それは、『新規に宗派を起こす』なら、でしょ?
>既成宗派の“在り様”を変更し得ると思う?
え、逆で、既成宗派の“在り様”を変える必要はないってことじゃないの?
形式の変化は必要ないが、内心の変化が必要だという根本的な。 とはいえ余人が求めてないものを無理強いしても話しにならないから、 悲惨な戦争や大不況で苦難と共に発心が訪れるまでどうにもならないのでしょう。 ちゃんちゃん。
>>101 中観とか唯識は「論」で、原始経典とか華厳経とかは「経」で、
役割が違うから単純に比較はできないんじゃない?
俺は中観で縁起・空・中道を学んで大乗経典をずばずば〜っと理解して
大乗と阿含経を繋げてやるぜ〜っ的なイメージでやろうとしてるんだけど
>>111 華厳経は自分にはまだまだ難しすぎて理解できないです。
原始仏典はシンプルだからいいですね。
阿含経と大乗を繋げるなんてスケールがでかいっすね。
113 :
基地子菩薩 :2012/12/29(土) 02:00:05.33 ID:aF2bhLM2
真言密教って皆さんは胡散臭いと 思われますか?個人的には惹かれる ものが有るんですが! (^。^)y-~
>>113 空海は中観も唯識も法華経も華厳も、顕教のすべてを分かった上で密教を上に置いてるから、
たぶん相当に凄いんだろうけど、なんせ難しくて…
俺個人は評価してるつもりだけど、俺程度の器では評価することすらできない、っていうレベル
胡散臭いと思っちゃうのは、まだまだ密教を受け取れる器じゃないんだろうね
こんなこと言うと誰か怒り出しそうだけどw
>>113 ∩ :・:∵>>
⊂、⌒ヽ∴: L/ ,r=''""゙゙゙li,
⊂∬ 。△。)つ
>>681 、、,,_ ,r!' ...::;il! ...
ヾ〃ノ〆 ; Y⌒r!'゙゙´ `'ヾ;、, ..::::;r!'゙
グハッ! ,i{゙‐'_,,_ :l}..::;r!゙
. ,r!'゙´ ´-ー‐‐==、;;;:.... :;l!:;r゙..
,rジ `~''=;;:;il!::'li
. ill゙ .... .:;ll:::: ゙li
..il' ' ' '‐‐===、;;;;;;;:.... .;;il!:: ,il!
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..'l! . . . . . . ::l}::;rll(,
'i, ' ' -=====‐ー《:::il::゙ヾ;.、
゙i、 ::li:il:: ゙'\.
゙li、 ..........,,ノ;i!:.... :
`'=、:::::;;、:、===''ジ゙'==-、、,,,__ `(`ω´) 地獄に帰れ!
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.. し─J
学研ブックスエソテリカの 『「図説」法華経大全 〈妙法蓮華経全二十八品〉現代語訳』 みたいな内容ダイジェスト版で、華厳経とかも出して欲しい
華厳てセレンディピティって感じじゃね? なんというか、ピノキオの成長物語のように 確とした論理的な発展段階論は組み立てられないが 思いがけない出会いがなんとなく人を成長させていくような 人が変わろうとするとき、人はそれを把握できない、あえて把握しようとすればそういう形になるって感じだと思う だって、人が変わるということは前と後で隔絶しているはずで後の自分からすれば前の自分は別人 その中間の気持ちってのはどうなっているのか分からんのじゃないかな 客観的に評することは可能なのだろうが、それは傍観者のそれであって変化の主体としてのそれじゃない。 人が変わろうとするとき、変わりたいと願うとき、 同時に自分の過去の行為の集積としての自分、習慣に引きずられてしまう バカにされれば、過去の行為をバカにされているにもかかわらず、それにこだわり 過去の行為の集積としての自分を守ろうとする にもかかわらず、人は意図せず変わるものであり、それがいかに善い方向に導いていかれるか それを現したって感じだと思う
118 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 07:41:31.50 ID:ANXDXca9
>>104 >>まして衣とか儀式もそのまま、教義もそのままで大丈夫
>それは、『新規に宗派を起こす』なら、でしょ?www
>既成宗派の“在り様”を変更し得ると思う?
>たとえて言えば、真言宗の“威儀”(装い・法式・所作・規矩等)を
>明日からチベット流に変更可能かい?
違うよ。日本の衣、儀礼のままで大丈夫だってこと、
重要なのは縁起・空性・仮設の意味と、空性・菩提心などの体得だから
それ以外は、日本の伝統のままで十分
日本のだよね。たしか華厳宗で
真言宗でも最初の部分だけは分かるけど
>>105 ですね
119 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 07:50:00.35 ID:ANXDXca9
>>108 ないよ。オイラの独自研究だもん
自分で研究すれば分かるよ
シチェルバツコイとかヴォストリコフあたりを見てみれば分かる、ゲルク、ゲルクしてるから
そのせいで中観がなんらかの見解を論証するものだとされてしまった
中観思想という呼称自体間違ってる
結構、免れてるのがプサン。シャイエルとかもそうらしいが、確認してない
どっかに書こうかとも思ったんだけど、あんまりゲルク批判になるんで止めといた
120 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 07:53:06.32 ID:ANXDXca9
>>110 そう単純にいうと般若と方便を観念的なスローガンから、
直接体験された実のあるもに変えるということ
そのために中観などの教学の復興も重要で、
形式は重要じゃないってこと
形式は単なる縁起だから
121 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 07:54:15.35 ID:ANXDXca9
122 :
池田大作 :2012/12/29(土) 08:16:26.03 ID:xwRFypUo
創価諸君よ! 田浦本部横須賀桜山支部の高橋裕之氏が年末ジャンボで6億円当たるようにまた女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高10億円を毎日15分でよいので高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!
>>114 真言密教ってそんなにすごいのか。
空海自身は十住心論で真言密教が最高だと言ってるけど
自画自賛ではなく確固たる裏付けがあるのかな。
124 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 10:09:11.60 ID:VZfCeRjV
>>123 >自画自賛ではなく確固たる裏付けがあるのかな。
ありません。
果分可説は、空を尚分別する妄想=形而上学的言辞でしかありません。
戯論の消滅の境地を示されたブッダの趣旨に反する邪見です。
「秘密」とはヒンドゥ教そのものだからです。
中論13-8から批判される「空見」であって、
空海はまさにブッダによって呼ばれる『癒されない人』です。
・中論7-34,18-6、24-11・12
・Sn.653・874・1072参照。
>>124 分かりやすい説明ありがとう。
やはり釈迦、龍樹あたりが最高峰になるよね。
当たり前だけど。世親とか月称はどうなのかな。
126 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 10:38:44.53 ID:ANXDXca9
>>108 入中論自註とツォンカパ註、ゲンドゥンドゥプ註を比べると分かる。
>>123 全訳 入中論の評釈を読むと分かる
密教は空性と菩提心を体得して初めて行えるものであり、
『普賢行願讃』や『華厳経』が将来ブッダの境地で実現すべき果を願う、誓願として説かれている
それに対して密教は、その果を道として修行する方法
ちなみに儀礼は単なる縁起なので、そういう形相はそれほど重要ではありません。
127 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 10:44:20.95 ID:ANXDXca9
>>125 中論13-8はあらゆる教えが、戯論寂滅へ至る方便であり、仮設されたものだということで、
それをよく体現しているのが十住心論といえるでしょう
なぜなら、あらゆる教えに価値を見出しているからです
128 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 10:51:44.58 ID:ANXDXca9
ちなみに密教の秘密というのは、如来秘密という言われ、 要するに空性が体得できない凡夫には認識できないので秘密といわれるわけです ヒンドゥーなわけはありません。ヒンドゥー的な様相、形式は、それがインドという習わしの中で言語化されたという縁起に基づくだけのことです 仏教はその縁起、因縁も尊重しますが、それらは本質ではありません。
>>127 戯論寂滅の境地が仏教の教えの究極だとした場合
それを理解するには龍樹と空海の両方とも勉強したほうが
よろしいのでしょうか。それとも釈尊の教えのみで十分か。
それとも他のひとにいい教えがあるのでしょうか。
質問ばかりで申し訳ない。
130 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 11:02:10.22 ID:ANXDXca9
>>130 ありがとうございます。
死ぬまで修行、勉強ですねこりゃ。
133 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 13:26:50.74 ID:VZfCeRjV
>>131 >死ぬまで修行、勉強ですねこりゃ。
ブッダが批判された戯論・壮大でカッコイイがナンセンスで空疎な形而上学を
死ぬまで勉強して何にナルのですか?
そのような態度では到底、「空の如き」中道を掴めてはいないと思います。
空即是色はどーなりましたか?
> 空即是色はどーなりましたか? 色即是空、空即是色 まず ↑ これを教学として勉強して その後に 禅定(瞑想)を実践する、と言う段階 そのような順番がある、と思います 例えば 顕教を教学として勉強して その後に、密教を教学として勉強して その後に、密教の実践をおこなうとか
135 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 13:46:20.01 ID:VZfCeRjV
仏「教」勉強オタクで白痴入院・生活保護は娑婆の迷惑です。
ちなみに ちゃんと教学として勉強しておかないと 正しい禅定(瞑想)を実践する事が出来ない と言う意味です
>>134 私の言いたいことはそれです。
代弁してただきありがとうございます。
138 :
基地子菩薩 :2012/12/29(土) 14:17:29.56 ID:aF2bhLM2
> 私の言いたいことはそれです > 代弁してただきありがとうございます いえ、どういたしまして > 死ぬまで修行、勉強ですねこりゃ このように ↑ 私自身が勉強させて頂いてます _ _ _ 礼拝帰依 ブッダン サラナン ガッチャーミ 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮 屮(_ ._)屮
>>126 なるほど。
全部通して見るのは難しそうなんで、顕著に偏りが伺える点がどこか内容とページ数で教えてくれない?
それとdge 'dun grub註に関しては触ったことがなく、何に入っているかも教えてくれると助かる。
141 :
悟りは要領 :2012/12/29(土) 16:49:49.15 ID:VZfCeRjV
>>139 >このように ↑ 私自身が勉強させて頂いてます
?なんかに、またマジレスと揶揄されそうだが、
出来の悪い受験生みたいだなw
受験は先ず過去問をばっちりやって実践力を身につける。
参考書からやる奴は要領とアタマが悪い。
『まず ↑ これを教学として勉強して
その後に禅定(瞑想)を実践する、と言う段階』
これって、悟りの落第保障つきの方法だよw
「禅は第一悟りをさきにして、悟りにまかせて修行すれば、日々夜々安楽なり。
疑う事なかれ。身の業つきはてて悟るは、もっともにしていたりがたし。
悟りを先にして身の業をつくすは、安して安し」(至道無難禅師 即心記より)
せっかくブッダが最短要領を教えてコンダンニャ長老みたいにパッと悟ってるのに、
なんでわざわざヘタをやる?
ナンセンスな妄想形而上学にひっかかって、
せっかくの縁起を棒に振らないように注意しましょう。
142 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 17:37:06.59 ID:eAygEtuc
悟りを先にしろ、という至道無難の話はいいね。 仏教も神道もキリスト教も学ぶ必要なし。逆に学ばない方がいい。 悟ってからでないと、どこが正しくてどこが間違っているかがわからない。 まず悟れ、それから学べばいい。
>>124 >>127 中論13-8「一切の執着を脱っせんがために仏により空が説かれた。しかるに人がもしも空見を抱くならば…」
一切の執着を脱っせんがために
一切の執着を脱っせんがために
一切の執着を脱っせんがために
という部分は強調しても、しすぎることはないと思う。
つまり方便として説くことが空の効用だっていう話だよね。
空のところには八不でも無常でも無我でも代入できる。
空海は、「一切の執着を脱っせんがため」ってのを分かっているからね。
144 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 17:45:12.60 ID:Jb+GfG8y
「師や経典に『学ぶ』」という煩悩がある間は、悟れるわけがない。 悟りとは、「己が悟る」こと。「他人の悟りの真似」は、悟りではない。
145 :
神も仏も名無しさん :2012/12/29(土) 17:53:36.45 ID:eAygEtuc
>>144 その通り。だれかを信じると、その人に洗脳されるんだよね。
>>109 >>118 ああ、そうかw スマンかった(^^;
でも、
法式の中には、教義の反映を外せないものもあると思うが、
それらも含めて、『>教義もそのまま』なんてことがあり得るか?と考えたら、ワシは否だと思うんだよなぁ・・。
少なくとも、現行宗学は、(たとえば、一代が“近代真宗教学”と批判するが如くw)
初期仏教やら中観やら本来の空思想やら、或いは本来の「縁起」やらとは一線も二線も異なってると思うしね。
テキストがかわるわけではないかもしれないが、その解釈が変わるのは必須だろう。
これまでしてきた説明(テキストの解釈)を覆さなきゃならなくなるわけさ。
それが、現代日本仏教の姿だと思うよ。
>>146 >これまでしてきた説明(テキストの解釈)を覆さなきゃならなくなるわけさ
大学で真言教学の授業受けてたけど、
なんだろう、覆されるほど、明確な解釈はされてないように思える
ただひたすら、文献学で、どの経論から引いてるのか、とか。
一代さんの言葉を借りると、マテリアルな部分っていうのかな?
授業聞いてても、ぶっちゃけ先生も意味分かってないんだなーっていうねw
だから、覆されるような立派なものは、良い意味でも悪い意味でも無い気がするよ
その従来の文献学と、新たな解釈学がうまく融合するんだと思う
>>147 それは、「学府(学校、教育機関)」でのことでしょ。
『現場で、個々の僧侶が、何を、どう、喋ってきているか』が重要なとこ。
ぶっちゃけ、学者が何を言ってるか(学校で何が教えられているか)は、あまり問題じゃないと思うよ。
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153 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 06:19:52.64 ID:9sCFVknG
>>125 竜樹の中論はただの詭弁論だよ。
こんな糞の役にもたたない言葉遊びに傾倒するのはただの愚か者。
賢い人はこんなのは実の無いただの言葉遊びだとすぐに見抜く。
ちなみに上座部では中論はほとんど相手にしていないどころかどちらかというと批判的な立場みたい。
154 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 06:34:48.83 ID:9sCFVknG
中論かぶれの日本の大乗仏教は実の無い言葉遊びを極めているだけ。 アホばっか。
155 :
基地子菩薩 :2012/12/30(日) 06:51:31.16 ID:A3l/cO7M
今の仏教自体が言葉遊びじゃん!(>.<)y-~
竜樹は八宗の祖だから、しゃーない
議論で仏教は何かを詰めている人ってのは結論出ると飽きてしまう傾向が強い なんらかの掴めたという達成感で悟りだと勘違いしているせいだろうけど そういうのは結局、自分が知識を得たって程度で、自分が変わったとは言えないんだよね 自分が何かを見るというのではなく、何かが自分を見させたという感覚がないと
158 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 09:27:05.22 ID:A7duXd9l
>>140 それ結構たいへんでんがな。
ざっくりいうとゲルクでいう「不共の八勝法」が基本的に方便説だと思います。
カネー・チェンポ・ギェというやつで、
ルエグの英訳と福田洋一先生の和訳がある。
その一部が以下で扱われていて、159頁、註54に二訳の書誌情報がある。
http://ja.scribd.com/doc/32972938/ その三つをあげたのは三つとも以下の和訳があるから。
『全訳 入中論』
ツォンカパ註:小川一乗『空性思想の研究』
ゲンドゥンドゥプ註:藤仲孝司『中観哲学の研究V』
チベット語が読めるなら、
コオ・ラプチャンパの『タワ・ゲンセル』に指摘される多数の『ゴンパラプセル』の誤解(私は方便説ととる)と『ゴンパラプセル』『入中論自註』を合わせればあきらか
先にリンクした論文168頁以下にも指摘されてるよ
159 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 09:32:15.91 ID:A7duXd9l
>>146 もちろん、近代教学から転換されなければならない、上にもそう書いた
だからこそ教えをチベットやビルマから聞く意味があるわけだし
>>147 そうマテリアルな資料論は優れてるけど、
教えを思想・哲学として実在論の論理で解釈するから全くズレてる
輪廻否定とか、問題外だし
>>148 だって、現代教学は大学で作られるでしょ
あるいはそれを基にするというか
伝統を守る少数派もいらっしゃると思うけど
160 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 09:33:53.21 ID:A7duXd9l
>>157 仏教は教えによって掴むんじゃなく、何か掴んでたものを放すものだから
>>160 まあ、いっしょなんじゃない?
自力を捨てて他力に帰する
〜させて頂くという視点
162 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 10:17:06.09 ID:A7duXd9l
具体的に何が
>>159 だから、問題は現場だってこと。
現に、学界では新規な研究や軌道修正はされてきてるし、若い子はそれを学んできている筈だけど、
《個人の特殊性に帰されている》(→その僧侶個人の考え方であって、宗門の教義とは別)なのが実状でしょ?
また、学府はあくまで学府であって、(宗門系の大学もあるが現場への還元がなされているわけではない。)
大学での学びは書棚のこやしだよ。
そして、もし、学府に於ける変化がダイレクトに作用し、若い彼らが返本還源が如く眼開いて市井に戻ったとしても、
「これまでこのように言ってきましたけど、若干修正を入れます」
という台詞を、どこかで必ず使用せねばならないのが日本仏教だということ。
説明不足だった場合のみ、辛うじて「説明の加増、掘り下げ」で済む程度で。
それ「これまでこう言ってきましたけど、本当はこうです」という台詞を、
宗門が宗門として言えるかどうか?だし。
これもまた、現場と宗門という相対構図であって、そここそがポイントでしょ。
学界に於ける研究成果の提示とは事情が異なると思うよ。
165 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 10:30:48.45 ID:A7duXd9l
>>161 >〜させて頂くという視点
といってるとこね。どう考えてる。アミダ如来を
166 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 10:36:01.69 ID:A7duXd9l
>>164 まず、個別には違うんで、あくまで一般論なんだけど
現代教学の権威ってやっぱ大学にあるでしょ
で、大学は文献学で、マテリアルな面はそれでいいと思う
でも、教えの解釈に実在論や常識を持ち込んでる人が結構いる
そして現代教学は往々にして常識に添った解釈を撰択する傾向にある
端的な例が輪廻ね
それを変えるためには、教学の権威が何にあり、
伝統説がいかに効果的で優れたものか、見せつける必要がある
その目覚めの要因になるじゃないだろうかと思うのが、ビルマ・チベットの生きた伝統だと思うわけ
>>165 どう、か。難しいな
自分にとって、弥陀は機無を悟らせるための絶対性かな
ちょうど自分が月を見ていると思い込んでいた、主客の世界観が
月が私の目を通してその姿を現してくれていたと気づくようなもの。
これはよく、自分が救われるために称えていた名号は
実は、弥陀が私を救うために称えさせていたものだと受け取るのを表すのに使われる言葉だが。
>>166 いやwだからw
そういうことじゃなくて、
「これまでこのように言ってきましたけど、若干修正を入れます」
「これまでこう言ってきましたけど、本当はこうです」
という台詞を口にする勇気が(個人にしろ宗門にしろ)あるのか?ってこと。
それだけの謙虚さと度量があるか?ってこと。
(ま、学府でも旧臭を払うのは並大抵のことではなかったと思うけれども・・w)
貴方が片足突っ込んでる真言宗ではどうなの?w (´・ω・`)
169 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 11:10:05.11 ID:A7duXd9l
>>167 うーん、あまり真宗への理解がないのか
安心を試されていると思って、わりと身内向けに答えてしまったw
浄土宗系の白木の念仏は空に近いかもな、日に何万遍もの念仏を称えて心が無になるまでやる
観想念仏隆盛の時代でも何十日間ぶっつづけで叫びまくってっていうのもあったな
まあ、幻覚だよな。ただ自分の身口意の行為で幻覚状態をつくるってのが薬とどうちがった作用をもたらすのか
見てみたいのはあるが、真宗は基本、そういった苦行ができない人のために特化されていったからね
弥陀を空と悟ることは真宗の教えからは導き出されないよ
あくまで、安心を論じる上で実体化して捉えて道を誤っていないかを判断するくらいだな
念仏は心が空なる状態をつくるための道具ではないよ
そういう役割ももちろんあるけど、そういうのは一瞬の心の空、三昧状態を作り出すための装置にすぎない
それより、機無を重視するよ
そういえば安心論題とか読んでみたら?真宗の信心なるものがどう捉えられるものか外枠から埋められるかもしれない
172 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 11:37:46.42 ID:KK6wqI2x
密教のハードルの高さはすごそうだが、 そこらへんの寺で住職やる程度なら 肉食妻帯できない以外はそこまできつくはないのかな。 難易度はどれくらいなんだろう。国立大(ただし東大とか除く)に受かるくらいか?
ぶっちゃけると、仏教は何かと三昧状態を作り出すけどそれって 一瞬の煩悩の高まり、いらつき、怒り、貪り、衝動を抑えるために自己を離れて、冷静になるための道具としての面が 大きいのではないかと思うが、そんなもので煩悩が抑えきれるのはある程度冷静というか、理性的な自己を維持できている 場合に限られるのではないかと俺は思うね、俺はこれを狭義の三昧利用だと思う。 それより、日頃から、もっとそのような性質に行きにくい心の状態をつくっておくことが重要で そのためには人類は道徳の刷り込みやら、地域コミュニティでのふれあいの場をつくってきたのだろうけど 仏教でもそれはあって、感動や心に触れるさまざまな物語をつくりあげて、広義の三昧状態を作り上げたと言えるのではないかな その物語にしても、単純なものや何度も使い古されすりきれたものには、人は飽きやすくそうするとすぐに 感動から冷め、三悪道へ回帰してしまうのだけど。 だから、三悪道に回帰しないような心の維持をどうするか、という課題の上で、悪人向けに作られたのが弥陀物語と言えるかな まあ、真宗の真骨頂が何かは実際に信心いただかないと分からないだろうけど。 効用としては、昔の人の書いた書物のこころ(意)がだいたい分かるかな、漢文献しかよんだことないけど。 漢文てのは書いた人の気持ちを読み取れないと読みにくい言語だからねえ
>>172 >ドカンと本物が出れば
だからwww
変わる・変わらない(変えられない)の問題(可能性の有無)
ではなく、
そのとき、追随できるかどうか? でしょ。(それこそ釈尊出世のインド宗教界の如くw)
確かに、野球が流行したときもサッカーが隆盛した時も、ゴルフも、碁や将棋でも、
「スター」の存在がカギだったとは言えるが、
同じように、すんなり塗り換わっていくかどうかはね・・w
*(現に、そこに例に挙がっている聖者によって真宗は変わったのかい?)
例って?
あ、ごめんw
アンカー直すの忘れてた。 専ブラのctrlキー+↓でやってるから、
その瞬間の最新レスまで行っちゃうんで・・(^^;
スマソ m(_ _)m
>>174 は
>>169 宛
俺も専ブラ、ついに●を手に入れてしまった たまにレス番狂うよね
>>153 >>154 >竜樹の中論はただの詭弁論だよ。
と、あなたに思わせてしまうのも、学者に問題があったと思う…
>こんな糞の役にもたたない言葉遊びに傾倒するのはただの愚か者。
言葉遊びにしてしまった、その愚か者を生み出した、というのは確かにあると思う
>賢い人はこんなのは実の無いただの言葉遊びだとすぐに見抜く。
「実の無い」というのは、ある意味で当たってるね。何も説かれなかったから。
>ちなみに上座部では中論はほとんど相手にしていないどころかどちらかというと批判的な立場みたい。
うーん、言葉遊びという点ではアビダルマも似たようなもんじゃないのか…?
で、その言葉遊びを寂滅させるために『中論』で八不とかが説かれた。
>中論かぶれの日本の大乗仏教は実の無い言葉遊びを極めているだけ
言葉遊びを寂滅させるために説かれた八不で、また言葉遊びをはじめたという意味では正解
180 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 15:27:15.04 ID:A7duXd9l
>>170 やっぱり、恐らくそれは真宗の近代教学だよ
少なくとも山口益先生は、縁起・空から説き初めてるし、アミダも空としてるよ
『大乗としての浄土』で、こういう方向に歸んないとだめだって言ってるわけ
同様に真言宗の大日如来をマクロコスモスとか、
禅宗の断見説や野狐禅説とか、即否の論理とかが間違いだってしないとだめだってこと
>>174 真宗は妙好人に諭された座主とかがいるよ
七里恒順先生や山口益先生のような教学で、変わらないとダメだと思う
追従できなければ、恐らく百年単位で衰退していくんじゃないかと思うけどね〜
181 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 15:29:33.82 ID:A7duXd9l
>>178 それはカラスだから相手にしてもしかたないです
ああ、そういえば説き方は確かに仰る通りですが、
2ちゃんだと、一々、説明しても暖簾に腕押しだったりするので、
適当にやっております
182 :
大滝秀治 :2012/12/30(日) 15:32:38.57 ID:fRNgeQ57
>>153 >竜樹の中論はただの詭弁論だよ。
『賢い人は』ブッダの本懐=四聖諦に直結した論書であることを見抜く。
存在は言語ゲーム→言語的存在として『仮設』(如)され、
意味的存在として『仮説』(無分別の分別)されていることを明示した。
それゆえ苦しみの原因となる執着しうる主体も、対象も、行為(業)も存在は虚妄の如きである。
これだけ役に立つ存在論はない。
役立たずの詭弁と表現するのはどうかと思うが、実用書としての中論は中の下くらいじゃなかろうか。 何がしかの確たる形を持ってしまったとき迷いを覚ます一助にはなっても、 その他の事に関してそんな役立つものでもないでしょ。
>>180 >真言宗の大日如来をマクロコスモスとか、
>禅宗の断見説や野狐禅説とか、即否の論理とか
それ、現代日本仏教(各宗派)の主流じゃんかw
>追従できなければ
まさにそれ「追従し得ない」可能性の方が高い
ってこと。
追従し、改むるに潔しといけるか?と。
185 :
大滝秀治 :2012/12/30(日) 15:42:45.90 ID:fRNgeQ57
>>182 訂正
× 存在は言語ゲーム
〇 存在は縁による言語ゲーム
>>180 いや、俺江戸教学よく見るしw
参考にするのも梯実圓氏かな
本質的に分かってない気がする
187 :
大滝秀治 :2012/12/30(日) 15:50:59.30 ID:fRNgeQ57
>>183 >してそんな役立つものでもないでしょ。
中論は四聖諦に直結した存在論です。
実践論として「八正道」がある。
八正道の「正見」です。
その意味では、役に立つ実践論です。
ただ、?なところもありますから、かえって迷わせるところもある。
良薬は口に苦し、でしょう。
188 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 15:53:49.21 ID:A7duXd9l
>>184 だから現代仏教はだめなんだない
>>186 江戸教学が駄目だって聞いたけど
もし真宗が本質的にアミダが空だとしてないなら、それは仏教から逸脱してると思う
オイラは親鸞上人はそうだと思わないし、山口先生なんかもそうなわけ
江戸教学とか近代教学に入ってく気は、悪いけどサラサラないです
189 :
絶対神 :2012/12/30(日) 15:56:35.81 ID:loIC9La6
>>188 「親鸞は完全に小乗からすりゃ仏教じゃないでしょ」
アミダ如来ってのは、明らかにキリスト教の神と一緒だよ
このスレを観察していると判るのは
『仏教って全然、寛容じゃないよね』
なんで日本仏教が小乗的な考えを捨てているのかよく判るよ
190 :
絶対神 :2012/12/30(日) 16:00:46.58 ID:loIC9La6
『ネットが発達してひとつはっきりした事は』 「実は「宗教」ってどれも本当は「あまり寛容でない」という事が はっきりした事」 『ある意味、よく言われるように、日本人がファンタジーである大乗を 受け入れて、釈迦仏教を受け入れた訳ではない事は』 「非常に賢い選択だったと思う」 元々の仏教は、「なんでもかんでも受け入れる出鱈目な日本人的体質に はまったくあわない」 たぶん、釈迦の教えのままの仏教だったら 『まったく日本では広まらなかったと思う』
191 :
大滝秀治 :2012/12/30(日) 17:06:10.40 ID:fRNgeQ57
192 :
大滝秀治 :2012/12/30(日) 17:07:41.42 ID:fRNgeQ57
× 臨在 〇 臨済
193 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2012/12/30(日) 18:26:35.74 ID:gGdoyJlo
セブンと一代のやりとりは相変わらずオモロイなwww 遊び大王も復帰か?w 炊き出しは、順調か?w
>>181 >それはカラスだから相手にしてもしかたないです
>2ちゃんだと、一々、説明しても暖簾に腕押しだったりするので、
>適当にやっております
了解です。もはや
>>124 あたりに何のツッコミも入れないあたりで察しましたw
まあ、ここも隔離スレですもんね〜
195 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 18:38:22.01 ID:7uc9GMq2
ピーマンはスレ荒しの張本人だと思うよ。 悟り燃えに詫びを入れとけ。
>>183 なんの本でもそうだけど、読み手の器によると思うよ〜
ちなみに、実用性の点から、あなたの考える上の上の書ってなによ
よく思うんだけど、「○○は役に立たない、価値が無い」的なことを言う人は、
「少なくとも俺程度の器では○○の凄さは分からない」とは考えたことは無いんだろうか
「○○を書いた人は、俺が考えたことなんてとっくに分かった上で○○を書いてるんだろうなぁ」とかさ
本当にそういう奴が少ない気がしてならない
自分の常識に引き付けて解釈するというのも、これに通ずる気がする
(あ、
>>183 のことじゃないよ)
197 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2012/12/30(日) 18:50:52.92 ID:gGdoyJlo
>>195 >悟り燃えに詫びを入れとけ。
wwwwwwwwwww
前スレを連投コピペの嵐で500代で終了させてしまったキチガイに
詫びを入れろと?www
悟り萌えの自演か?
それとも新手のキチガイか?www
ピーマンのダメなところは中身がないとこだ。 いい加減、中身がないことに気づけよ。
>>188 江戸教学ってのは1800年代をまたいで隆盛したもので、西洋の影響は受けていないし
教えとしては、教科書にしても室町から変化してないよ
山口ってのがどういう学者か知らんが、親鸞の教えは法然とちがって曇鸞の教えを入れたから
中観的な思想の方向に教学をもってきた感はあるが、だからこそ今のような少し思想的な背景が入り込んできた。
基本的に浄土宗は南無阿弥陀仏しかないと教えるから、それを易行として称えることしか勧めないが
外からの批判に答えるためにあえて教学体系として構造化したのが親鸞だからな
しかし、だからこそ信心のあり方が精緻に観察、記述され、心のありようがどのようなものであったか外観することができ
追体験によって親鸞の心のありようを味わうことができるのだがね。
たとえば二種深信のように。
だから、弥陀が空であるかどうかなど、あまり問題にならない。
そもそも、君は法身、報身、応身のちがいをどう判断してるの?弥陀は報身だがその意味をどう解釈してるの?
知識が中観過多すぎるような気がするわ
200 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2012/12/30(日) 19:10:09.03 ID:gGdoyJlo
>>198 うん、わかったww
それじゃあ、「中身のある」書き込みってのをお前が書いてみてくれww
楽しみにしてるぞw
多分、他の住人も期待してると思うのでよろしくw
中身のないピーマンらしい反応だな 中身のある書き込み、ピーマンもがんばれ〜
202 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2012/12/30(日) 19:31:54.06 ID:gGdoyJlo
>>201 なんだ、自分じゃ「中身のある」書き込みできないくせに、
チャチャいれるカスですか?www
自分じゃ何も書けないなら、100年ロムっとけよ、カスwww
ピーマンは悟り燃えに劣る! これで決まったな
204 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2012/12/30(日) 19:43:55.91 ID:gGdoyJlo
>>203 ハイハイ、分かったからもう消えなww
これ以上、続けたらそれこそ、スレ荒しになっちまうww
ピーマンのくせによく言うよ。スレ荒しめ。
206 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2012/12/30(日) 19:49:57.45 ID:gGdoyJlo
wwwwwwwww やっぱり、悟り萌えだったかw はい、以後、スルーww
中身がないとは自己喪失というものだ。 これは無我ではなく空虚感ということであり、 アイデンティティが確立されてないということである。 自己喪失が悪口、否定、脅しあるいは妄想の代償行為を促す。 故に無我とはアイデンティティの確立なしには成立しないのである。
208 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 20:00:17.54 ID:A7duXd9l
>>199 もう話しても無駄でしょ
互いに根拠とするとこが違ってるから
オイラはインドを根拠にしてる
アナタは真宗教学でしょ
例えば、親鸞上人のテキストを読むとしても、オイラはインド的な意味から外れないように解釈する。山口先生も同じだ。
アナタは恐らく真宗教学から解釈する。恐らく相容れないだろう。
しかし、山口先生は真宗が生んだ最大の学者だよ。それを知らないとは。
清沢満之みたいなのではなく、
男に二言はないな、だったら絶対スルーしろよピーマン。 中身が何もないカラッポのバカマヌケのカラッポのアンポンタン くそったれのバカヤロー お前など死んじまえ〜
210 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2012/12/30(日) 20:06:45.93 ID:gGdoyJlo
清沢満之かあ。 よく知らんが、確か本来は、ドイツ哲学志望の人じゃなかったかな? だが、真宗から奨学金もらってたんで、そっちに進んだ義理堅い人w だが、真宗の腐敗振りを痛烈に批判した。 印象としては、真面目一徹の人みたいな感じだがww
>>208 >親鸞上人のテキストを読むとしても、オイラはインド的な意味から外れないように解釈
これって、インド仏教への阿諛にはならんのか?w
時間的歴史的先後は意味無いんだったよな。
親鸞の親鸞らしさを、インド風味で味付けすることにはならないのか?
インド色の眼鏡で見て、親鸞その人を見ていないんじゃないか?
仏教齧ってるくせに誰がどうこうに拘るんだね 自己喪失の代償なのであろうか?
>>211 補
更に大胆に付言すれば、
“伝統”から(或いは縁起、空から)逸脱した親鸞教学を
なんとかして伝統線上に留め置く爲の苦肉の策に見えないこともないぞw
214 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 20:20:08.62 ID:A7duXd9l
>>211 そりゃ倒錯してるは
方便として、習わしなどに合わせたなら分かるが
そういうのが現代や常識への阿諛なんだけどな
仏教で釈尊やインドの成就者、龍樹菩薩などから外れたら終わりですがな
そう思わないとしたのが、鈴木大拙などでオイラは頽廃だと思う
そこら辺から現代日本の鎌倉仏教最良説が流れてるが倒錯、あるいは自宗への府会以外のなにものでもないと思う
いずれにしろ、これで最後にしとくは
216 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 20:25:37.16 ID:A7duXd9l
>>108 思い出した、明言してないけど羽多野伯猷先生は、色々な著作で同様のことを述べている
>>208 おk、おk、あまり責めても何も産まないからね
でも、もう少し真宗を理解してから否定してほしいね
インドへの憧憬は分かるけれど
218 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 20:46:14.53 ID:A7duXd9l
>>217 否定してるんじゃないよ
オイラ的には親鸞上人を評価してるつもり
山口益先生という先例もいるわけだし
たしか金子大栄も同様だったと思う
いや、でも真宗知らないじゃんw
220 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 20:51:51.56 ID:A7duXd9l
>>219 真宗が親鸞上人以降の教学というなら、そう
それは否定しない
清沢満之も金子大栄も近代教学つくった人たちだろ? そのへんの批判は俺らもしてるよ ほんわりとした現代語訳から本来の意図を類推しようとして現代思想に絡め取られているからな 俺はいわゆる今批判されている伝統教学と、その講義などを漁って述べているわけなんだが それにしても少し、学問的志向な感じがするわけだが
それにしても少し、学問的志向な感じがするわけだが、これ君のことね
俺の立ち位置はどっちかっていうと所行系だな、要するに大行と言われるのは自分の称える念仏ではなく、 名号法であると言う立場ね
225 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 21:07:35.34 ID:A7duXd9l
>>223 江戸教学と明治以降が違うのは分かるよ
まあ、いいじゃん、そもそもオイラは真宗教学は問題にしてないんだから
そこに真宗教学から同じといってきたから、違うといったのみ
やっぱり違和感は正しかったわけだ
226 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 21:11:16.98 ID:A7duXd9l
>>223 すまん、それとこういう解釈の列挙整理というのは、
あんまり好きな手法じゃないんだは
最初の頃はやってたけど
それより、優れた人のものを読んで、経に帰っていくのがいい読み方だと思う
いや、俺が整理したわけじゃないし、論点はそこじゃない 基本的に覚如以来、真宗教義は明治まで変わらずきたんだよ 親鸞は法然以後の法難との兼ね合いがあるから思想的に違うところがあるがね
>>220 >真宗が親鸞上人以降の教学というなら
いやいやw
それ以外に何と言える?w
親鸞以前は「真宗」じゃないよね? (また記号の話になるかい?w)
ある作品について、他人の意見を聞くだけでなく、自分の意見を作れていない人はたぶん他人がどういう意図で書いているかも 理解できていない気がする。産みの苦しみ、なんらかの解答が自分の中にきちんと出さないことには 他人の講義を聞いたとしても、たぶん悦びは起きないんだろうな、ふーんみたいなさ
まあ、こうして会話してるとそれぞれの性格ってのがだんだん分かってくるな 少し、踏み込みすぎたか。反省。
>>196 その辺の、座禅入門の方が実用としてはよっぽど。
中論は空の解説書ではあっても現実として空観を身に着ける役には立たんて。
口だけ、理屈だけ空を諳んじて、内心はただの俗物とか悪い冗談がゴロゴロしてるじゃない。
言語ゲームっていうのは他者との関係で意味を持つ概念であって、 悟りのような私的な事柄には関係ないと思うんだよね。
結局はスッタニパータあたりを学んでおくのが一番なのかな。 まあ仏教なんだから当たり前のことなんだけど。
ピーマンはネトウヨ。
235 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 03:57:32.76 ID:JiioasK2
身体は不浄である。(たとえ美女でも彼女噛み噛みして吐いたご飯は食いたくない。) 受は苦(落ち着きを邪魔してウズウズさせる刺激の連続にすぎない)である。 心は無常である。(感情は過ぎ去る。感情が過ぎ去ったあとでも納得できる行動を。) 法は無我である。(頭で考えたことは即それが現実ではなく、考えたことにすぎない。) これを肝に命じておれば、中論なんか必要ないのでは。
236 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 04:03:33.02 ID:JiioasK2
仏教の書物を読むのは楽しい。 仏教議論も楽しい。 ああ、私にとって仏教は娯楽であり、今年仏教を娯楽におとしめてしまった。
237 :
前世は一在家 :2012/12/31(月) 07:25:48.63 ID:Kqvv7y9Q
>>189 :絶対神
>>アミダ如来ってのは、明らかにキリスト教の神と一緒だよ
「我、汝を救わずば正見を取らじ」と浄土にても大誓願を発動し続ける阿弥陀如来。
ゲッセマネでの「この盃(十字架刑)を取り除いて下さい。」とのイエスの懇願も空しく十字架刑を許した聖書の神。
絶対神さんは一緒だと思われますか?
>>235 シンプルでいいね。
無我とは何かを考えると、自分が有る無しではないと考えられる。
不浄の身を持っているのも我であるし(むしろそこに意識がいかないのが
無我ともいえる)受はあまり良くないと考えるのも我であるし、
心は無常と確認するのも我である。
このようなものに捉われる必要性は何もなく我は有るで何も問題はない。
我に弊害があるとすれば、自己の価値基準さらには自己に価値を見出す 心理作用ではないかと考えられる。 我とは無常なものなのに、そこに固執するため諸問題(=苦)が発生する。 即ちここの議論自体もそうであり罵詈雑言もその類である。 しかし、こうした方がいいという法はあるものであり、我の価値を離れた所で 展開されるのが望ましいと考える。 これは我のみならず他者においても同様のことである。
240 :
前世は一在家 :2012/12/31(月) 08:17:37.60 ID:Kqvv7y9Q
菩提心とは、菩提(悟り)を強く求めるこころのこと。(Wiki) 少し解釈が異なる大菩提心の御紹介。 (浄土への道標、昭和8年7月26日、第13回) 夜が明ける様になったら長者や他の人のは消えてもこの難陀の捧げた燈のみ消えなかった。 目連さんがそれを吹いても消えない。三度吹いても消えない。お釈迦様は皆に云われるには 「難陀は大菩提心を以ってしるかには四大海水を以って覆してもあかりが消える事がない。」とて難陀の心をほめられたり。 長者の万燈より貧者の一燈とは此処より出しならん。 この仏説では、難陀は悟りを求めてはいなかったと思料します。
即ち諸問題というものは依然としてあるものであり、 その解消が優先されるべきものだろう。悟り以前の問題である。 即ち、悟りがどうの、仏教がどうのは娯楽に過ぎないのである。
>>232 では「言語遊戯」なら?
ここでのゲームは「対戦型ゲーム(…試合)」ではなく、
それを用いて、弄して、戯れ、悦に入ることを指して用いられている語(…譬喩)でしょ。
一人でも十分興じることのできる遊戯として。
謎解きパズルの如く、嵌れば嵌るほど弄れば弄るほど、味わい深く中毒になり、
ある一つの(或いは自分の)解法に恍惚として自画自賛する、そのようなものとして言われるもので、
だから、試行錯誤して苦労してクリアする(―それは“勝利する”という感覚とイコールとなろうが―)という課程が、
また、クリアまで至らずとも、その試行錯誤の課程自体が楽しく満たされるものであるという点で、
ゲーム的だという評だと思う。
尤も、『言語』が、『対象を“他者”として成立するもの』と定義するなら、
対象の存在が想定・前提されるという点で、232の通りかもしれんが・・。
ただ、いずれにしろ、悟りが私的な事柄であるという評と関連させる必要はないかな、と。
言語を超えているという点では、まさに悟りは他一切と無関係なわけだが・・。
>>242 そのようなことを考えることが既にゲームであり娯楽である。
坐禅即ち娯楽である。
娯楽と戯れることは精神修養過程において必要であるが、
それが娯楽との認識は必要である。
人生即ち娯楽である。
244 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 09:52:47.40 ID:BsrI0IrI
>>240 逆でしょ
ナンダは大菩提があったが、モクレンにはなかった
娯楽ではあるが、面倒くさいものを含めてのルールというものは 確かに存在するものであり、諸現象に過ぎないものかもしれぬが、 向上性、治癒性にまつわる正意識、善意識、神や仏概念というものも 確かにあるものであり、向上性、治癒性に収束される。 諸行はこのように設定されてはいるが、衆生は必ずしも従うものでない ため諸問題が発生するのである。仏教はこれがあるから作られたのである。
>>243 そうじゃなくて、
他者(議論相手)の居ない“ゲーム”は存在しない。
故に、ゲームという評は適さない、というレスかと思ったから、
そういうことを指してゲームという言い方がされたのではないのでは?
ということなんだが・・。
つまり、あの場面での『ゲーム』という表現が適切かどうかという話であって、
もとより『仏教(仏法・仏道)がゲームかどうか』という問題じゃないぞ?
あいかわらず錯綜してるねー 単純化してある向上点に向かうってのはちがうんじゃないの? むしろ、気付かされていくというべきで どちらかっていうと知れば知るほど我が身のいたらなさに思い至る しかし、逆にそれによって今自分のあることへの恩と感謝とになってゆく この相矛盾する心がないと不遜な感情を抱くのではないかな
ウィトゲンシュタインの言語ゲームってさ 逆説的にいえば、言語で言い表せないことがあるってことじゃないの? それを直截的にポンと表に出してみたのが西田幾多郎だと思うのだが
仏教でいう悟りなどというのもそのようなもの 不可称不可説不可思議と言われるし、広長舌相でさえ説き尽くせなかったわけだからさ
250 :
基地子菩薩 :2012/12/31(月) 11:33:35.77 ID:g6EKxd1z
西田の言葉ってのは論理的に捉えようと思えば捉えきれないんだよね、矛盾しているような論理だから だから、西田が何を言いたいかってことが分かってないと理解できない。 逆に分かっている側からすれば、彼が何を表現しようとしているか、その産みの苦しみ、心の喘ぎが見える
>>246 あの場面がどの場面か知らぬ存ぜぬですが、仏法・仏道というものは
ゲームであり思考そのものがゲームであるとの考えは変わりません。
ゲームが良い悪いの判別抜きにして、単にある現象である作用である
との認識の基です。
>>247 便宜上、向上性としたもので治癒性にひっくるめてもいいし、
進化性や協調性を含めて何も問題はないです。
それは〜性という漠然としたものであり、点とは違います。
254 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 11:47:47.98 ID:BsrI0IrI
>>247 そうだと思う
>>248 言葉の限界という意味ではそうだけど
諸言語ゲームは、様々な言い習わしによる仮設に接近すると思うよ〜
複数形だし、ゲームというのは言い習わしが適当に恣意的に決っていることを表してるように思う
忘れちゃったけど
まあ、だからえごんしんにょ、りごんしんにょだろ 真如は言語に依存せざるをえないが、真如は言語から離れたものであると
>>235 非常にシンプルで分かりやすいな。
原始仏典みたいだ。しかも本質を上手く表現できている。
素晴らしいよ。
>>255 そうですね。言語、言葉は実に不便であり便利なものだが
真実は言語や言葉自体に無いと言えるし、言語や言葉が単にそれだけの
真実ともいえます。
言語というと一般言語学講義のなんだっけ、ナントカって人の シニフィアンとかナントカってのがあったよな 要は、連想関係の横と主述関係の縦で言語を捉えようとする 言語のゲーム性を表したのがこれだったんだっけ これが今の情報関係の学問の素になってて、ナントカスキーってちょっとサヨクがかった連中で もてはやされたりしてるけど、こういう一定の法則性が言語には必要だが 内心てのは言語じゃ正確に伝えることができない部分がある 仏教の悟りの部分はその深いあたりに片足踏み込むような領域なんだろうね 法則性ないとそもそもそのような状態はないとも言えるわけだし
260 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2012/12/31(月) 12:20:05.25 ID:nedSzAVm
>スレ住人各位 本年度も実に多くのご指導を賜わり心より感謝しております。 来年もよろしくご指導のほどを・・ 特に、>セブン >一代 無茶な質問にも丁寧に答えてくれてマジで感謝してるぞw >遊び大王 (一代は嫌な顔するかもしれんが)、オレは来年の活躍も期待してるぜww >宝珠 是非はともかく、自己の信仰に熱心なことだけは分かるw その熱意が良い方向に向かいますようにw >その他、名無しさんも面白い書き込みがあって楽しかったなw >隠居 ・・・・・・・ どわっはっはっはっは〜〜〜〜〜〜〜 まあ、 お前さんは、笑わせてくれたらいいやwwwww
言い習わしにすぎないっていうけど 言い習わしで十分じゃない? 恣意的で適当というけど、じゃあ変更できるかと言えばできないし、 自分にとっては重要なのはかわらないよ
別に分からなくていいと思うよ 分かってから悩めばいい
>>261 まぁ何が重要で何が重要でないかは人それぞれだと思いますが、
私が提示しているものは自然の掟というものであり、
結果的には良化を示すものであり、悪化を伴うものでない
という考えの基です。早寝早起きは3文の徳とでもいいますか…
言語の話で思い出したけど、 仏教とソシュールの言語間が似てると前は思ったけど、やっぱちょっと違うなぁ。 各単語に固有性というものがない、ということについて、ソシュールは最終的に言語の中だけで片付けてる印象が。 つまり、山犬という言葉で呼ばれているものも、山犬という言葉を知らない人が見れば犬だ、という話だけど、 仏教だと、山犬も、人がその獰猛さを感じてとって恐怖すれば野獣になり、 その山犬が飼い主に懐いているのを見れば、愛着を抱いてペットになる。だから、言葉に自性はない。 これを単に「愛と憎の相互依存」とか、「一つの要素が他のすべての要素との関係において初めて相互依存的に決定される(wiki)」 って捉えると、言語の中だけの話になってしまう。 もちろん、思考の順番としては、愛は憎に因って生じるから、愛を滅したものに憎は訪れないんだけど。
まあ、言語は本来、意思伝達と相互共通認識から発生したわけで 口頭言語から切り離された文字としての言語を見る限り、そういった問題はでてこないよ パロールとして捉えるなら、山犬と一口に言ったところでニュアンスや表情からどう解釈するか幅がでてくる でも、言語にはもう一つ役割があるよね 自己の中で完結するにしても、物事を認識する基になっている点 唯識では名言種子というものを立てるが、これは、認識されうるものは必ず言語化されうる あるいは言語化されたものは認識されるという関係にあることを示している
唐突すぎるけど、 ソクラテス曰く 「卑小で儚い無知な存在である人(つまるところ有限)が、根源・究極性を知ることはなく(不可知論)、 神々のみがそれを知る。人はその身の丈に合わせて節度を持って生きるべき」 を超越して、真の実在(永遠、不生不滅)に回帰し永遠となったのが釈尊って解釈でいいの?
ふむ、要は言語は把握、現象を自分なりにつかみとる役割があるということかな? でも、把握というより押し込めという役割もあるような気もするな 得体の知れない恐怖に対して、幽霊という名をつける場合とかさ。 本当は夜の闇への恐怖の中には幽霊以外の要素もあるかもしれないのに 幽霊と名付けることで、それ以外の恐怖を捨象する役割を果たしている。 人間はいつごろか夜行性ではなくなり、夜に対して視覚的な困難性をともなうことについて 身の危険を感じ、それは死への連想にもつながった。 それをあえて幽霊と名付けることで恐怖をその中に封じ込め そして、理性的に幽霊などという存在はいないと追求することで夜への恐怖を克服する。 これは人間が世界をまずは適当に分節化し、今度はそれを究明、押さえつけることで 世界を支配下におくような、安心を手に入れる一つの手法なのだと思う だけど、そのように分節化された世界に対して、異なる分節の仕方も可能なのだということは明らかであり 要するに、一つの仮設にすぎないのだから、実在すると思い込み固執するのは誤り。 世界の言語による分節化自体、ホントはなんの解決にもなっていなかったんだろうな ほんとうは死の克服こそが、正確に言えば、死を受け入れることこそが問題の本質にあるのだと思う。
>>266 俺は基本的に同じだと思うよ
のちの人たちが不可知を確信するために、絶対性の象徴として仏陀なる概念を作り出したのではないかな
ただ、知らないことを知るということを真の知者であるという見方というのはちょっと矛盾しているよね
知らないと知ることは知っている者を立てていないと一般的な証明が不可能な気がするよ
それはともかく、仏教が諦観、あきらめの教えと言われるのはそのへんから来るのだろう。
まあ、仏教はまず、自己をそのように叩き折ってから、んなもんねえよからが初歩の初歩、始まりなんだけどね
でも、そのように自己を抑える心構えができていないと結局知識で終わってしまうから、一番大事とも言える。
269 :
基地子菩薩 :2012/12/31(月) 15:16:51.97 ID:g6EKxd1z
>>266 ウンコまみれでくたばった
オッサンが何だって? ┐('〜`;)┌
>>268 永遠あっても、実証はできないと
宇宙の始まりが、完全な無から生じたのではないならば、
なんらかのものによって生じたのだろうけれど(造物主、真空etc)
では、その生じた原因をさらに生じさせたものが必要ではないか
でなければやはり、この世は無から生じたことになるが、
無は無であるゆえ、何者も生じ得ない
故に永遠があるとしか言えないのではないか
人間様は理解不能になると考えるのをやめておかしな事をするね
272 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 15:31:46.64 ID:BsrI0IrI
>>271 何ゆえ釈尊で在られるのか。
釈尊すら永遠ではないのか。
永遠でないならば、帰依したものも含め
全存在は久遠のうちに滅ぶであろう
無を信仰しないのが仏教であるならば
もはや信仰できなくなるお;ω;
頭の中で出来上がっちゃってる人のそれを修正して正しいものにするのは骨が折れるねボキボキ
分からない=無とか面白いのがいっぱいあるからそのままでもいいと思うぐらい面白いがそれはおそらく違うと思う
276 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 15:41:12.25 ID:BsrI0IrI
>>274 正にそれを壊し消してくのが仏教だけど、その消すための道があるから
その道、方法を理解せずに、全ては空だとか観念的に言っても仕方ない
相互依存性が有であり必然性だよ。 無ではないがパーツがあっちゃこっちゃに散らばっている。 例えばブランコで生活しているものがいたとして、その者は 通常の人より揺れを感じにくいだろう。高所に済む者が酸欠に なりにくいように。パーツは必要な者にしか届かない。 どだい日本人である我々がインド人の発想を理解しきれるかと いうことに疑問がある。
僕らの脳みそは高性能だから他人に頼らず考えてきちんと使おうね
平等の観点から見ると生活保護で15万円の現金を与えることと 単に職業の斡旋をすることでは差があるように見えるけど その人に対する影響の観点から見ると・・・・・・どうでしょうか?
>>274 そこはアカンそこはアkっアッー!
>>275 無とは有限であり、形を持ち、全時間のうちに滅ぶべき全ての事物事象のこと
すなわち「無常」なものであり、それらを拠り所にして生きる限り
開闢以来ただ一度きりの自己同一性が無に回帰するまで
(意識がタヒぬまで、肉体は分解され世界に循環する)
苦しみを止めることは出来ないし、あらゆる可能性に煩うしかないのではないか
故に釈尊は永遠を求め、無上正等覚を得て永遠の涅槃となったのではないのか
>>272 ごめん、ブッダwikiの「煩悩即菩提」のところなんだけど、
「煩悩や菩提といった仮設はなく、平等であるという意味です」
「無明や菩提というのは仮設された法であって、空性という法性では平等であるということです」
これ、2つ目は凄い同意なんだけど、1つ目が一見して2つ目と矛盾して見えるんだけど。
「煩悩や菩提といった"実体"はなく」、じゃないの?
これだけ情報化されてても大学でも教える学問のカテゴリが狭いよね
283 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 16:07:07.69 ID:BsrI0IrI
>>281 わかりにくいかもしれませんが、以下のようにそれでいいです。
「法界以外に法はないから」「煩悩や菩提といった仮設」の個々別々の一切法が「なく」一味「平等」の法界「であるという意味です」
つまり、法界では仮設はなく、戯論寂滅した一味平等、涅槃寂静の境地という意味だと思います。
因みに、ミパム註が以下のように説く、本体、自性というのも空性に他なりません。
決して、アートマンや実在、神、アルケーみたいなものではありません。
>「法界以外に法はないから」とは、一切諸法の実相、あるいは本体、
>あるいは自性は他ならぬ法界そのものと確定しているので、それ以外となる法は微塵もありえません。
仏教を学ぶ初期で「涅槃」とか仏教用語の言葉を使うと 分かったような気分になるしなんかかっこいいんだけど 本質はそこではないのでもうちょっと考えましょう
>>283 ってよく見たらごめん!「空性という法界では煩悩や菩提といった仮設はなく」って書いてありました!
せっかくなんで、質問させてください。
この場合、煩悩や菩提などの法が世俗諦によって仮設され、勝義諦としてはその、
「煩悩即菩提」とか「一味平等の法界」、「戯論寂滅」で示されると考えて良い?
wikipediaで『維摩経』の「不二法門」を参考にすると、
生・滅、善・不善、我・無我などの二の法が世俗諦で仮設され、
勝義諦としては「不二法門」、すなわち平等が示されるって考えて良い?
「五蘊が私のものではない」って以下のような理解でいいですか? ↓ 色は瞬間瞬間で区別すれば同一ではない。だから虚妄である。 私は虚妄ではない。 だから色は私ではない。
>>270 最近は宇宙物理学者の間では宇宙は無から始まったというビッグバン理論
の説明について無とは何もない状態ではなく高密度なエネルギー場のことだという
説明がされているね。完全な無から宇宙ができたら空中にいきなり花が咲いたり
お金が天から降ってきてもおかしくないからな。
288 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 16:51:51.63 ID:BsrI0IrI
>>285 それでいいです。
世俗諦というのは、世間で言い習わされている物事、名指しです。
名指し、記号づけて、xとして知覚されるのが仮設です。
だから仮設されても本来、空で幻のようなものなのです。
>>286 合ってると思うよ。
「私(アートマン)があるとすれば、私は虚妄ではない」って意味だよね。
ちなみに無常じゃなくて虚妄って書いてあった?どこに?
虚妄でも合ってるんだけど
虚妄でもアートマンでもいいじゃないか そこに不都合があるわけでもなし
291 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 16:57:25.99 ID:BsrI0IrI
>>286 違います。
逆に「私」と仮設されているものも五蘊が縁起して仮設されたもので、
その縁起した「私」も一瞬後には別のものになっているから、虚妄である
そういっても私の本質、アートマンは五蘊という現象内で知覚可能なもの以外と主張する人がいます。
釈尊はそのような五蘊以外のアートマン、本質、実在を認めないというのがリンク先の内容です
>>288 了解です。
さらにつっこんで聞きたいのですが、アビダルマの理解は、
縁起を正しく理解していない→説かれた法が仮設・空であることを知らない
→二(煩悩と菩提など)と聞くと二が実在であると転倒し、不二の中道を知らない
そして、このような状況で、龍樹が正しい縁起の理解(仮性・空性)と、
それに基づく八不の中道を示した、というストーリーであってますか?
>>291 俺もそう思う。要はがんばりゃ、がんばっただけ変容する。
固定であるわけがない。
>>293 どんだけヒョロヒョロな身体してても筋トレを毎日続ければ少しはマシになるようなもんかね。
>>286 補足だけど、「私」っていうのが「アートマン」じゃなくて、
縁起によって生じたものだったら、「私」も虚妄ね。
五蘊(因)も私(果)も、どっちも虚妄。だから仮設と言われる。
297 :
↑ :2012/12/31(月) 17:43:07.32 ID:yipWqbYv
さあて、新年一発目のレスは、 『中観』か?『神智学』か?『グノーシス』か?『近代仏教学』か?『上座部』か? はたまた新興宗教か?大穴で創価ってとこか 直近の流れを見るに、 オッズ的には近代仏教学と中観が競り合う感じかな・・。真宗サイドのカキコもありうるが・・。 けど、一代は忙しい筈だからw 中観勢力は分が悪いかもw
ああ、『野狐禅』を忘れてたw
鼻っから小乗系は終わっているね。 六道輪廻の脱出は灰身滅智やニルバーナでなく、釈迦が示したのは大乗経典で説く菩薩道を行ずることだった。
301 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 19:15:14.08 ID:u8a+/M7I
来年より、大乗改めピーマン教 中身がないから
原始仏教ではあきませんかね。 単純で分かりやすい、なおかつ釈尊の教えに近い。 仏教の基本とも言えると思いますわ。 中村先生の本やチベットから上座部、龍樹まで様々な書物を読みましたが 最終的にはスッタニパータあたりに戻りそうな感じですわ。
303 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 19:29:24.54 ID:NAuQHuXO
臨床精神医学者の宮本忠雄氏は、「真正の宗教体験と統合失調症体験とは相似 の形式的構造を持つ」と捉え、両者を下記のように対比している(『』内が、 統合失調症の症状)。 「見えないものの現存感→『実体的意識性(隣の部屋に誰もいないのに、誰か がいるという感じ)』、「神の声→『幻聴』」、「見神→『幻視』、「啓示→ 『思考吹入・妄想着想』、「超越者からの支配感(召命感)→『被影響体験・ させられ体験』 (「統合失調症と宗教」(星川、松田著、2010年1月10日創元社発行、 定価¥3500)より) 追加: 「終末論(神の国思想)→『世界没落体験(この世がいまにも無くなる ような気分』」 開祖の精神病は、患者から信者へ逆転移(感染)する。釈迦仏教も例外 ではない。
304 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 19:34:23.44 ID:u8a+/M7I
もう手遅れだな パウロ教もそうだが、お前はもう死んでいる インドで滅び、中国で滅び、朝鮮で滅び、日本でも滅びてしまった 邪教死すべし
305 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 19:36:59.61 ID:NAuQHuXO
釈迦が精神医学的には双極性障害(躁うつ病)であることは明らかなの だから、あとは専らその逆転移(感染)について論じるだけでよい。 すべての創唱宗教は、例外なく「開祖の精神病の感染」という、精神医学 的現象に過ぎない。いくら追求しても、得られるもの9は「狂気」のみ。
>>302 俺も前は原始こそって思ってたけど、今は大乗に心酔してるわ
原始教典も大乗が分かってから読むと違った味が出てくると思うよ
>>305 仏教では、幻覚も通常の認識も区別されないよ。縁起の現れ。
ホラー映画見た後って、水の音とか時計の音が不気味に聞こえたりするでしょ
307 :
基地子菩薩 :2012/12/31(月) 20:06:42.69 ID:g6EKxd1z
偏猛た驕盛沙諸祇 にきだれ者羅行園 風者春る必双無精 のもの人衰樹常舎 前遂夜ものののの のにの久理花響鐘 塵は夢しをのきの に滅のか現色あ音 同び如らす り じぬしず
処理できない情報が脳に入力されると分裂病スイッチ入ります
>>306 大乗のどのようなものがお勧めですか。
大乗は広すぎて。
>>305 どの辺が具体的に双極性障害として診断されるのですかね。
またそのような判断は誰によっていつどの場でなされたのですか。
論文でもあるのですかね。
これだけ広範な事象を一度にまとめることは出来ないので(普通は) 挫折して推敲したと考えるべきです。 その過程で今で言う精神病のような状態になったことは考えられます。 挫折のようなものは多くのお坊さんも体験してますから。
>>310 双極性障害は生まれつきの脳の障害であり
修行の過程で引き起こされる精神的な不調は別物だと思います
例えばうつ病なんかは心の不調であり元々健康な人が過労やストレスにより引き起こされます。
心療内科の範疇ですね。
例を出すと走る場合において元々健康だけど一時的な腰痛や膝痛により走れないのがうつ病だとしたら
生まれつき足が歪んでいて走れないのが躁うつ病や統失だと言えるでしょう。
312 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 21:10:34.36 ID:u8a+/M7I
光陰矢の如し ピーマン教なんかやってると人生を棒に振るよ 人間が空なら、どうして空なのかを証明するべきだろう もはや龍樹の詭弁は根拠にならない
313 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 21:24:07.16 ID:oaHSJQEi
真宗の近代教学ってどこらへんが駄目なんですか? 和辻やアンベードカルくらいやらかしてるとわかりやすいんですが、 近代教学も突き抜けているんでしょうか?
314 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 21:28:22.36 ID:I/NvODL9
>>309 >どの辺が具体的に双極性障害として診断されるのですかね。
仏典から明らか。健常者は、「一切皆苦」などとは感じないし、釈迦は、
一切皆苦とふさぎこんでいるかと思うと、「楽しい、楽しい」と騒ぎ出すw。
精神病の原因には、常に、素因と環境の両方がある。精神病になりやすい
素因をvulnabilityと呼ぶ。
釈迦の母親が継母だったという家庭環境の影響が大きかったのではないか。
また、贅沢病の要素もある。
>>314 あなたはひょっとして臨床心理学かなんか学んだ
臨床心理士ですか?
またそれはあなた独自の見解ですか。
316 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 22:46:15.01 ID:I/NvODL9
>>315 「独自の見解」などではありません。最新の本格的精神医学の教科書を数冊読
めば判ることです。
精神医学は、医学の中でも特に文科的な分野。血液検査や画像診断は通常
必要とはしません。専門的文献は、書店にあふれています。精神科医もすべて
これらの同じ文献からの知識に依存しているのです。
宗教書を読む前に、まず精神医学を十分に勉強して、開祖の精神医学的考察を
行なうことが必要です。すべての創唱宗教が、開祖の精神病から発生したもの
であることが明らかになります。信者は、開祖の精神病の感染(感応精神病)
という、精神医学的現象以外の何物でもありません。
>>316 それでは精神医学の権威ある人たちで
釈迦が精神病であると言っておられる方の
文献を幾つか紹介していただけませんか。
内容を見て是非を判断します。
ちなみに自分は英語も理解できるので海外の 文献でもいいですよ。
319 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 23:17:04.94 ID:oaHSJQEi
無い場合は陰謀論で処理されます。
320 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 23:32:05.87 ID:I/NvODL9
>>317 「権威」にばかり頼らないで、「自分の頭」で判断することが必要です。
精神病であるか否かの基準は、「一般生活者(健常者)」の平均値からの
著しい偏倚です。「一切皆苦」などと言ってる人がいますか。一般生活者
は、「楽あれば、苦あり、苦あれば、楽あり」という「真理」を悟っています。
自力で何とかならない時は欲望を断ち切る事により、ただ ただ生きている事、 成仏する事を阿弥陀 様に委ねる事は お経を唱えるしかないのか心の中での模索または書を したためたりするのかただただ大人しくしてればいいのか。
>>320 自分の頭で判断するためにも
判断材料となる精神医学の書物が必要だと思うのですがね。
まあ紹介していただけないのなら別にいいです。
323 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 00:16:57.76 ID:N6VGu31j
『大乗としての浄土』って出版社に在庫あるのかな? アマゾンで業者がプレ価格吹っかけてるけど。
324 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 08:03:32.23 ID:pl4uGkRx
325 :
冥途の旅の一里塚 大滝秀治 :2013/01/01(火) 10:02:11.54 ID:z1pryqXa
いずれの時か夢の如くにあらざる いずれの人か骸骨にあらざる 元旦や冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし 大滝は元旦から、飛ばしております 本年こそ 皆様方におかれましては 戯語、戯論に惑わされず ブッダの本懐を円満成就されんむことを 祈念申し上げます
あけましておめでとうございます。 生きとし生けるものが幸せでありますように。
327 :
基地子菩薩 :2013/01/01(火) 12:56:25.59 ID:RSs2q5eK
328 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 18:13:05.34 ID:OiCWozXT
もうそろそろ目を覚まそうや。人間は空じゃない。 善悪とか苦楽とか、そういった判断基準が空であるに過ぎない。 人間という存在は空じゃない!!
>>328 >善悪とか苦楽とかそういった判断基準が空であるに過ぎない。
そのとおり!で、その判断基準ってなんでしょう〜?
330 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 18:34:29.18 ID:OiCWozXT
世間だな。無人島でひとり暮らせば消えてしまうもの。
331 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 18:39:37.78 ID:OiCWozXT
世間虚仮 〜 聖徳太子の言葉じゃなかった?
332 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 19:10:08.01 ID:OiCWozXT
法華経や、日蓮の金魚の糞のような 立正佼成会、霊友会、創価学会などは日本のガンだなあ 田中智学・北一輝・石原莞爾など、日本をダメにした連中の土壌
w
>>328 人間が空でないとしたら何なんだい?w
>>328 「人間」という区分は空だろ
人間の認識からさかのぼって物自体にまで空を適用しだせばただのオカルトですが。
>>334 w
あのな・・(^^;
空ってのは、「抽象:具象」「概念:物」「名称:物」「言語:物」
という対比の中の左辺のみを言うんじゃないぞw
両辺ともに空であって初めて真に空だろが。それこそが縁起だろが。
話にならんwww
336 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 19:37:50.63 ID:OiCWozXT
>>333-334 まずさ、人間が「空」だってことを論理的に証明しろよ
それができたら信じてやるぞ(^^)
>>335 物自体も空であると言い張る分には構わないよ。
オカルトの妄信として取り合わないだけだから。
あるいは知ったかぶりしてるな見たこともないものを、でも良いし。
>>336-337 お前等、ここが“仏教”議論スレだって判ってる?
ありとあらゆる大乗経典が、一切皆空を説いているというのに?www
それで納得できないというのは、
仏教の文脈でなく哲学の文脈で読むからであって、
それだったら仏教に近づく必要はないし、思索の参考にもならにだろうから、
仏教と縁を切る(=このスレに来ないw)ことをお薦めするよ。
仏教の文脈で仏教を解釈しないでどうすんだ?とw
あー、タイプミスを「顔真っ赤にしてwww」とツッコまれそうだな・・(^^;
>>338 うん、仏教議論スレだってわかってるから仏教ってオカルトだよねってw
それとも仏教を賞賛し、仏教を妄信しなければ近寄るなって?
ひどい排他的な見解だなそりゃw
341 :
基地子菩薩 :2013/01/01(火) 19:53:45.21 ID:RSs2q5eK
他人の言を信じたい弱さが ダメですよ!(苦笑) (^。^)y-~
>>340 少なくとも「縁起」ということがどういうことかってのを、
ちょっとでも知ってれば、「そういう“見方”もアリだな」という理解は寄せることができるし、
大人な論客はそういうもんだw
仏教ってのは見做しの宗教だから。
「世界をどう見るか」ということだから。
それに納得はできずとも、少なくとも理解すら示せないなら、対話は不可能だろw
説明が欲しけりゃ過去スレ読破してから出直して来い。
《敵意しかない新参》に説明するほど、ここの住人は親切じゃねーよw (´ー`)y━~~
343 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 19:58:47.86 ID:OiCWozXT
修理しながら、たいがいは大事に使うけど、 いよいよダメになったら買い替えなくてはならない。 大乗はそういう時期が来ている。 新しい宗教をデザインした方が建設的じゃないだろうか。 もうそろそろ大乗に引導を渡そう。
あ、老婆親切で一言付言すれば、 君等は、「空」=「物が無いこと」と考えてるだろ?w その時点で掬いようがないってこった。 『 空 = 一切は“所縁によって”“顕現している”(存在・成立している) 』ってことだから。 物だから、とか概念だからとか、そういう問題じゃねーんだよ。 >> ID:OiCWozXT、>> ID:ZppBu4BS
>>342 いやだから「縁起」という尺度を発明し、
それによって世界を計った結果「無自性空」という公理が生まれ、
一切皆空の結論に至った。それは良いとしよう。
で、「縁起」の正当性って「釈迦が口にしたから」しかないんだよねという話。
どうしても疑似科学の壁突破できんよなぁ。オカルトオカルトという嘆き。
346 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 20:08:02.02 ID:OiCWozXT
縁になる「あれやこれや」が空じゃないのか 物なんてないんだは 一切皆空
347 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 20:31:00.57 ID:OiCWozXT
346は344あてね。 大乗は、物自体もないし、物の概念もないと設定している。 みんな方便だよね、ウソウソウソ 都合悪くなるとそれは方便、あれもこれもみんな方便 ウソの塊りが大乗
縁起ってのは相互依存の事じゃないの。 縁起(全ての現象は相互依存により成立する)→無自性(故にそれ単独で存在するものは無い) →空(全てはひとつであり絶えず変化し続けているだけ) 空はいわば究極の一元論じゃないのかな。
>>347 パーリ仏典読んでも同じことを言うか?w
なんだ、隠居の劣化版かw 最悪だな・・。
はいはい、精神的優越感が欲しくてしょうがないんですね。 パーリ仏典に至るまで散々調べた挙句、自尊心への対処法さえ見つけられなかったのか。 そりゃあトホホだなぁ。
>>351 ん?
ワシの人格・性格の話だったのか?w
では、ちなみに尋ねてみるが、
≪『物がある』とはどういうこと≫だい?
隠居のようなレスなら要らないからなw
>>一代 スレ覗くのは後かもしれんがw、 空思想先鋭化の犠牲者は、このように後を立たないのさ。 それは、中観にしても同じ。 余分なことを言い過ぎた感は否めんのじゃないか?w
354 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 20:50:07.70 ID:OiCWozXT
>>348 それらが縁起しているかどうかを検証する必要がある。
>>350 へらず口の前に、人間が空であることを証明してみろ。
>>352 ジュールで表現されるエネルギーの位相がその物の位相をしてるって事だろ。
>>354 「縁起していない」ということは「変化していない」ということだが、
それがあり得ることだと思ってんのか?
>へらず口
図星だったのかwwwww
>>330 世間は人間だよ、善悪や苦楽を判断するのは人間だよ。
判断基準は空だって認めるんだよね。
で、善悪や苦楽といった判断基準が、すべて滅したとしよう。
その後に、何が残る?何も残らないよ。
「何も判断しない私」が残ると思う?
>>354 一応量子論の世界では同じような結論になってるはずだけど。
物質をとことんまで突き詰めるとトップクオークとダウンクオークの組み合わせ
までしか分割できずそれら2つの組み合わせによって「物質」とされるものが生み出されると。
>>355 >その物の位相をしてる
だからw (というかそれならば尚更)、
【そこに『物』はある】のかい?
んでこの宇宙の物質は突き詰めると全部素粒子(クオーク)でできており それらは絶えず不安定にくっついたり離れたりして形を変えながら変化し続けていると。 俺らの体もそこらへんに転がってる石ころも見た目は何にも変わってないように見えるけど 素粒子レベルで見れば物凄い速度で変化し続けてるんだと。
>>359 言葉遊びに引きずり込む気なんだろうがメンドクセエよ。
火であれ水であれ電子に陽子に中性子でも、量子とか時間空間だろうが、
エネルギーがその位相して存在してるなら存在してるよ。
人間の認識がどうこうとか関係なくね。
>>347 物自体とか我が無いことの証明なんて出来ないんだから。
物自体とか我が実在することの証明をまず先にやりなよ。
363 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 21:07:53.90 ID:OiCWozXT
>>356 大乗が空を主張してるわけだから、
大乗の側に空を証明する責任があると思うけどね。
へらず口 〜 あなたにぴったりだったね。
>>360 でも、それ(その喩え)だと、
《素粒子は存在・実在する》ということになるわけさ。
で、「物厨」は素粒子という物質が存在し、それの相互関係が縁起だ!
と隠居の如く言い出すわけさ。 けど、それじゃ片手落ちなんだわな・・。
>>361 だからw
それだと「人間が空ならざるものとして存在することにならんだろ?」ってこと。
寧ろ、『人間』なるものは、その言語・名称でなく、存在そのものとしても、
『人間ではなく、エネルギーの位相』ってことじゃねーか。
自分で言ってること判ってないんじゃないか?
>>363 あのねw
それは『証明』するものじゃなくて『体験』するものなの。
だから、仏教は哲学じゃなくて宗教なの。解る?
>>364 「人間」というエネルギーの位相なんだよ。
電子や陽子や中性子などの位相の集合体と見なすこともできるが、
集合体そのものを一つの位相と見なすこともできるからね。
位相って言葉便利。
後でゆっくりやるが、宇宙に於ける「場」の理論と同じだな。
>>366 それは、
≪「エネルギーの位相」という見做し≫とどう違うんだい?
なんだろう位相と区分でイデアな雛形のお話になりそう。
位相とかって訳語から、相=見た目って意味を考えないのかな phase、フェーズだろ簡単に言えば、月のフェーズってのは、月が満ち欠けしている時々の姿のことだが 要はその見た目が真実ではないってことの裏返しじゃねえか
>>364 空ってのは人間が思っているような形や現象では
諸々の物質、現象は存在していないということを言いたいのではないのかな。
個人的には究極の一元論だと解釈してるから
存在があるかないかと言えばあると思うよ。
ないはずがない。なかったらそもそも2ちゃんに書き込みできてない。
認識もできてない。
ただそれらは観る側、見られる側、ケツを掘る側、掘られる側というふうに常に
対になって初めて諸々の認識される現象が成り立つということじゃないかな。
個々に存在すると思われるけどそれらは実際は全てはひとつであると。
う〜ん説明するのが難しい。
>>363 > 大乗が空を主張してるわけだから
違う。大乗は「物自体が実在する」と主張する相手に対して、
背理法で矛盾を指摘し、「それじゃ実在の証明ができてないよね?」と指摘してるだけ。
だから、先に証明責任があるのは、実在論者。
見つからないものを、「ある」って言うのだから。(見つからない≠無い)
>>368 だからね、「人間」と言う「位相の区分」これは人間の認識に大きく左右される空のもので良いんだって。
ただ、そこに存在するエネルギーの位相そのものを空と言ってしまえばそりゃ擬似科学になっちゃうんだよ。
なにせプランクな時間中は単体で成立しちゃってるから。
374 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 21:22:41.17 ID:OiCWozXT
>>357 違うでしょ。自分の判断が残っている。
自分の判断も「空」に過ぎないという話をしている。
そう判断するけど、それは「空」であると自覚しながら、
それでもそうしている。他に選択肢がないから。
自分があっても善悪がない。ここで八正道が役に立つ。
>>371 だから、空ならざるもの(たとえば人間)が存在する、ということ?
とても仏教の文脈の言葉とは言えないな。
>>373 >ただ、そこに存在するエネルギーの位相そのものを空と言ってしまえば
そこに現れている事象を「>エネルギーの位相そのもの」と言ってしまうことの是非は問わないのか?
他人の思考停止を責める筋はないなw
>>374 それは、「"これは自分の判断である"という判断」であって、
「自分の判断」ではないでしょ。
つまり、ただの「判断」だよ。「自分の判断」とか、
「自分の」ってつける必要がサッパリわからない。
>>375 補
そういえば、(最近言わないがw)、一代はよく『一水四見』の話をしとったなw
五蘊皆空ということが一切皆空ということだろ? 釈迦は喩え話を多用している。 喩え話=空ということであり、別に喩え話が悪いというわけではない。 喩え話は現実の投影の中にあり経典の中にないんだよ。 空だから空に振り回されることなく努力、精進しなさいってことだと思うよ。
>>375 オカルト信奉者ははめんどくさいなぁ。
人間と呼ぼうが犬と呼ぼうが物の本質に変わりあるかよ。
とりあえず水の上歩いてからほざけと。
五蘊に執着するということが苦であるわけだから、 空に執着することが苦ともいえる。
言葉というのは自分の伝えたいことを伝えるには限界があるわな。
>>375
382 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 21:38:19.65 ID:OiCWozXT
>>365 >あのねw
>それは『証明』するものじゃなくて『体験』するものなの。
>だから、仏教は哲学じゃなくて宗教なの。解る?
ふ〜ん、あなたは空を体験したんだあ(^^) そんなもの誰に伝わる!
龍樹は証明しようと苦労したから八宗の祖になったのに。
まあ議論するよりそれぞれが自分自身で空の境地を理解するのが一番だろうな。
大乗仏教では「煩悩即菩提」と、煩悩を否定してはいない。 最早、小乗経でのニルバーナは不可能ですな。
空の境地=五蘊の境地であり一切であり、苦であるということだw
387 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 21:48:52.99 ID:OiCWozXT
>>376 >で、善悪や苦楽といった判断基準が、すべて滅したとしよう。
>その後に、何が残る?何も残らないよ。
>「何も判断しない私」が残ると思う?
>>374 は
>>357 に対する返事だよ。
自分の判断を「自分の判断」と言ってはいけない理由はないよ。
いろんな話が錯綜してどさくさ紛れになってきたね。
>>382 w
竜樹は証明に成功したと思ってるの?
だったら、竜樹の証明で納得しとけよw 何が不満なんだ?www
>>379 呼び方云々とは別に本質がある、という考え方が、非縁起なんじゃねーかw
もとより名称の問題じゃねーよ。
うぃきでいいから一通り仏教関係の術語読んで来いよ・・ ┐(´ー`;)┌
大乗だと思ったが?般若心経は小乗?
>>388 めんどくせぇな仏教馬鹿。
ミクロ世界は非縁起なんだよ。
縁起は土人の疑似科学。
これでFA。
391 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 21:58:19.87 ID:OiCWozXT
>>388 >竜樹は証明に成功したと思ってるの?
>だったら、竜樹の証明で納得しとけよw 何が不満なんだ?www
龍樹の証明で大乗が成立してるんだから、
その証明を否定するんだったら、いい加減、大乗の看板を降ろせよ。
証明に失敗してるから、どっちにしても破綻してるがね。
>>390 ふ〜ん。
ミクロ世界は『縁って起こっている』わけではないんだ。
条件付けられることなく、事象が生じ、成立しているわけか・・。 すごいな・・ミクロ世界wwwww
>>391 竜樹を待つまでもなく、初期仏教の定型句で尽きてるわけだが・・。
>>387 >
>>374 は
>>357 に対する返事だよ
うん、そう思って俺も返事出した。376も357も俺だよ
>自分の判断を「自分の判断」と言ってはいけない理由はないよ
「言ってはいけない」なんて誰も言ってないよw すりかえやめい!
「"自分の判断と言ってはいけない理由はない"という判断」が残るでしょ。
で、それは、「自分の判断」ではないよね。「自分の」ってつける必要ないよね。
「それは誰の判断ですか?」に「自分の判断です」と答えても、
「"それは自分の判断である"という判断」であって、「自分の判断」ではないよね。
だから、観察をつきつめると、残るのは「判断」であって、「自分」ではない、
それで、「自分は見つからないよね」と言っているのよ。「我や物自体は無い」とは言ってない。
372でも言ったけど、見つからないものを「ある」って言う方が先に証明を示すべきなんじゃないの?
まぁ要するに喩えば、死の怖れがあったとする。 そんな怖れは空に過ぎないから、そのようなものに執着するなということだ。 しかし良感情や良意識も空であるが滅する必要性のないものであり、 執着しようが妄想であろうが縁起だろうが構わないとされる。
395 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 22:17:28.15 ID:OiCWozXT
>>392 すべてが縁起しているわけじゃない。これぐらい気がつけよ。
空論者はほんとに始末が悪いな。
>竜樹を待つまでもなく、初期仏教の定型句で尽きてるわけだが・・。
何の話だ。これだけじゃわからないだろ。
悪感情や悪意識を滅した状態になった時、涅槃や悟りが現れるとされる ものでありそれが聖者と呼ぶにふさわしい者と考える。
>>392 古典の縁起ではニュートン的な古典物理学までしか対応できないから、
世界の深層の解釈にはさらに進んだ縁起論を求められてるのですよ。
でも仏教は釈迦の時点で止まっちゃって、古典即至高だから話になんねぇ。
結局、四諦に役立つ領域以上に論は求められないから発展しないんだろうね。
>>390 ヒックス粒子もミクロだがなぜ「無縁起」と言えるねだろか?
399 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 22:23:40.78 ID:OiCWozXT
>>393 自分があることをまったく疑ってないよ。
切りがないから、あなたと話すのはもうやめるね。
仏教すれって基本的にこんな感じでいつも荒れるもんなんですかね。
>>398 それ以前に素粒子は時間を持たないじゃない。
古典の縁起で説かれる因など素知らぬ顔してますよ。
>>400 そこに有我を見出したわけですねw執着であり煩わしいものですw
403 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 22:28:14.29 ID:IQebnYCj
you tubeで「新唐人テレビ」を検索して見てください。 新唐人テレビは中国の民主化を望む中国人自身によるテレビ局で、海外に拠点をおき、中国共産党の圧力に屈する情けない日本のマスゴミよりもよっぽどまともなテレビ局です。 日本では中国共産党の圧力により報道出来ないニュースが沢山取り上げられています。 新唐人テレビのような勇気ある報道機関を広める事で、中共の圧力に屈し、真実を伝えない日本のマスゴミのへなちょこぶりを浮き彫りにする事にもなります。 新唐人テレビを日本や在日中国人の間に広めて、中共が日本に戦争をしかけてくる前に中共を内部崩壊させましょう!
>>395 >すべてが縁起しているわけじゃない
ほうw
縁起していないものとは何ぞや?
>何の話だ
ちょwww おまwwwww
それ知らずに仏教云々縁起云々言ってたのか? 恐れ入ったわ・・・w (^^;
>>397 あほかw
>ニュートン的な古典物理学までしか対応できない
>世界の深層の解釈には
それって、仏教と(→苦の滅尽・悟り・涅槃及び方法論等、お釈迦さんが提示したことと)無関係なんだがw
仏教の枠組みはそれを求めていないし、求めてしまった者たちによって紡がれたのが
「仏教哲学」「仏教的宇宙論」なわけで、そもそもそんなものは『仏教』じゃないの。
>>404 だから疑似科学だっつってんの。
縁起って言う「正しくない尺度」を持ってきて、
さも正しいように振舞ってるだろ?
あれか、方便か。便利だよね方便って言葉も。
>>405 科学である必要がないものになぜ「疑似科学」とレッテルを貼ろうとするんだ?
科学じゃなく宗教だと言っとろうがw
>>401 ヒックス粒子はいわゆる神の粒子、つまり物質を構成する上で欠かせないもの。
君は「縁起」の意味を理解しているのだろか?
縁起しないものは無、或いは忘れ去られた記憶だな
>>406 ただ放り込むのに都合良い「区分」だからポイと疑似科学に収めてるだけですよ?
一水四見って唯識の言葉がありまして云々。
>>407 んー、で、ヒッグス粒子そのものは他の何かと縁起しないと成立しないのん?
成立してしまえば一切皆空が成立しなくなっちゃうわけですが。
老婆親切で付言すれば、
>>405 >「正しくない尺度」を持ってきて
w
正しい正しくないの峻別基準は何?w
「あばたもえくぼ」
この言辞は、一方から見れば一方は偽だよ。
が、≪どっちが正しいか?≫は、恣意的でしかない。貴方の言う『正しい』も全く同じだよ。
「科学的だから正しい!(キリッ」なんてのは、小学生の強弁と大差ないw
412 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 22:41:50.40 ID:OiCWozXT
>>404 何の話? 仏教徒ならもっと謙虚になれ。
>>411 「再現性に欠ける」でも良いよ。
どうにも縁起と口にする本人が縁起を見てない。
見てないものを知ったかぶりする大多数の仏教徒。
あぁ、おぞましいおぞましい。
>>409 一水四見の語を出したのは(今の流れでは)コッチだったと思うが?w
仏教では、その四を包含する一が「縁起する諸法」ってこった。
ここが『スタート』なの。解る?
ここをスタートと見做さないなら、以降の話が全て不要になるの。
つか、そういう人には仏教は必要ないの。キ印のキリスト教や神智学の方でも行った方がいい。
その方が貴方の求める答えを用意してくれてるかもしれんw
>>414 「スタート」は苦しいから逃げたいから悟り欲しいですの発心だろが。適当抜かすな。
がっちゃーみがっちゃーみでも良いけど。
>>413 wwwwwwwwwwwwwwwwww
再現される事象なんて存在しないだろw
全ての事象は一回こっきりだろ? それとも、バラエティのリプレイシーンが如く
繰り返しが可能だとでも思ってんの? アホ過ぎるwww
今気がついたんだけど、なんにんか実は縁起って意味誤解してね?
五蘊が縁起以上のなにものでもないよ 熟睡時以外は普通に誰でも縁起を観るだろ
>>415 だから、
逃げたくない人には仏教は不要だと言ってるでしょうに・・w
国語の授業に出るのに、数学の教科書を持ってくるのは如何なものか?と言ってるわけです。
>>416 水に塩溶かしたら塩水出来ますが?
仏教が正しいのであれば解脱者ワサワサの再現性アリアリですが?
脳みそ大丈夫?
>>419 んーと、ね。マジで怒るよ?
一切の衆生は苦しみ、そして逃れるために模索し、しかし無明により成し得ない。
よって救いの手として法門は開かれてるのではなかったん?
>>422 この水とあの水が違うからこの理科の教科書は間違いだ〜って馬鹿ですか。
屁理屈にもほどがあるよ。
424 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 22:53:07.86 ID:OiCWozXT
意志は縁起してないよ、空論者にわかるかな?
>>421 新興宗教の勧誘にトラウマでもあんのか?w
自ら求めることがあって初めて成立だろ?(発心なんて言葉を出したのは貴方の方じゃなかったっけ?w)
>>423 お釈迦さんと舎利弗は違う人物だから仏教は間違いだ〜っって馬鹿ですか。
>>399 >自分があることをまったく疑ってないよ。
そりゃあ俺だって、自分があるって無意識には自明のことだと思ってるよ。
理屈では見つからないだけで。いや、理屈でこれだけ見つからないって言っても、
「でもやっぱり自分ってある気がする」っていう「判断」がしつこく俺達に残っちまうんだよ。
だから、目の前の状況に苦しむんだろ?「論破してやったぜ」とか「屁理屈野郎」とか思うんだろ?
その意味では、俺もあんたと変わらないよ。
で、仏教は、自分がある、自分のものだっていう「判断」を滅するためにあるのよ。
429 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 22:56:23.53 ID:OiCWozXT
意志は五蘊のひとつだよね
431 :
基地子菩薩 :2013/01/01(火) 22:58:46.81 ID:RSs2q5eK
>>429 四大元主無く五蘊悉く空なり!(^人^)
432 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/01(火) 22:59:59.37 ID:oXVLu6ts
>セブン とりあえず、明けましておめでとうでござんすwww んで、何? この名無しさんたちは、このスレ御新規さんなのかな?w
名無しさんたちは良心であり空である
434 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:04:23.03 ID:OiCWozXT
>>428 自分を滅する必要はない。自分の願いが実現しない、
これが苦の中身であり、これが解決すればいい。
自分が世間的な価値観に洗脳されていたことがわかれば終わる。
一切皆空は無用。問題は価値観、評価基準にある。
>>432 新規でもあるだろうし、反仏教でもあるだろうねw
436 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:07:53.79 ID:OiCWozXT
つか、「縁起」を「物と物との関係」と考えてる時点で隠居と同レベルだから、 そこが転換されない限り平行線だわなw
>>434 問題が空であり、価値観、評価基準も空なんだけどな…
439 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/01(火) 23:11:10.26 ID:oXVLu6ts
>何と何が縁起してる? と言う、「問い自体が成立しない」・・・・ じゃないの?w 横レスだけどww
441 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:14:09.52 ID:JdNvLf2P
>>439 彼は説一切有部の人間なんだよwww
横だけどwww
442 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:14:39.36 ID:OiCWozXT
>>440 それは縁起の定義、此縁性から言ってダメでしょ。
>>434 "自分"を滅するんじゃなくて"自分がある"という判断とか、
"この願いは自分のものだ"っていう判断を滅するって言ってるのよ。
"この願いは自分のものだ"って思ってると、願いが叶ったときに喜ぶけど、
そんな喜びは束の間のことに過ぎない。ましてや叶わなかったら苦しみになる。
だから、"この願いは自分のものだ"という判断が滅して、"願い"への関心を離れれば、
苦を離れるだろう。
444 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/01(火) 23:16:15.05 ID:oXVLu6ts
>彼は説一切有部の人間なんだよwww ああ、そうなんだ。
仏教の目的は心の苦しみを取り除くことだと思うのだが 何か違う方向に話が進んでいるような感じはするな。
>>442 じゃあ意志が何によって起こるんだい?
脳もしくは心だろ
末法ですから。
448 :
参 :2013/01/01(火) 23:22:39.50 ID:2JfQbsiE
449 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:25:29.84 ID:OiCWozXT
>>443 判断は自分自身とイコール。自分を滅したら判断も滅するけど、
それでは生きていることにならない。
生きていることを否定する考え方は虚無主義だろうと思う。
空論者は誤魔化しているけど、空の意味は虚無だよね。
>>445 そこが基本だからね。そこを忘れてる人多いかもね。
欲望のなせる業かも…
451 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:28:46.34 ID:OiCWozXT
>>446 意志と脳、心、肉体とは、縁起してないでしょ。
此縁性で確かめたらいい。
>>449 >自分を滅したら判断も滅するけど
逆だなぁ、判断を滅するから、自分(であるという判断)を滅するんだよ。
その言い方だと、自分がまず最初にあり、それが判断するってことになる。
>それでは生きていることにならない
そう、生を離れるから、死をも離れる。だから解脱とも言われる。
>生きていることを否定する考え方は虚無主義だろうと思う
生きていることを否定はしていないよ。否定したって、生きて死んで生まれて苦しむのは目に見えてる。
解脱した後は、結果的に生きることも死ぬことも無いって言ってるだけで。
455 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:35:37.86 ID:OiCWozXT
>>445 心の苦しみを取り除いているじゃない。
人間にできることは価値観を変えることだけじゃない。
現実の貧病争は、一切皆空と百万回唱えても解決しない。
やべえwww なんだか俺が知ってる仏教じゃない仏教がここに展開しているwww 仏教が虚無主義ってwwwいつからローカヤタになったんだwww それに此縁性の用い方wwwいつからidampratyayataaにそんな意味が見いだせるようになったんだwwww 誰か草刈機もってきてくれwwwww
>>449 虚無じゃないよw心は空だよ。物質も空。現象も空。
虚構とはいえるかもだが無ではない。
>>451 細かい言葉の使い方は違えど、十二因縁にぜんぶ含まれてるよ
>>455 >現実の貧病争は、一切皆空と百万回唱えても解決しない
そりゃそうだ。むしろ百万回も唱えたら争だらけになりそうだ。
まず、空とか考えなくて良いから、善因楽果と悪因苦果を理解して実践しなよ。
>>455 >現実の貧病争は、一切皆空と百万回唱えても解決しない
お前は隠居かwwwww
それは政治行政の役割だろ?
もっと端的にギャグみたいな言い方をすれば、その問いは
「渋滞してるから仏教で解決してくれ」と言ってるようなもんだ。
人々の意識が仏教的に変わることで、結果的に渋滞が緩和されることもあり得なくはないが、
風の吹いた後の桶屋みたいなもんだからなw
>>455 即ち貧病争を解決することが心の苦しみを取り除くじゃ不満かな?
461 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:44:07.53 ID:OiCWozXT
>>452 どう縁起してる? 頭からそう思ってるだけじゃないの。
>>454 ネットで調べてくれ。
>>455 の訂正
変えることだけじゃない → 変えることしかできないのじゃない
>>461 >どう
自分の心の動きを観察してみ。話はそれからだw
463 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:52:25.74 ID:OiCWozXT
>>457 空だ空だとしか言わないことが虚無主義の証拠なんだよ。
空の意味がまったく不明だろ。
>>460 パーマンの方がちゃんと理解しているぞ。
464 :
基地子菩薩 :2013/01/01(火) 23:56:26.23 ID:RSs2q5eK
>>463 パーマン?パピーマンの事
かしら? (苦笑) (^。^)y-~
>>461 調べた。此縁性とは執着性だな。
まぁそこに何かある限り必ず何かとは繋がってるよ。
執着するなといってもね、慈悲とか努力とかには
バリバリ執着してもいいんだよ
466 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 23:59:37.87 ID:OiCWozXT
>>453 答えるのが簡単そうにないので、またの機会にしたい。
>>462 責任を摩り替えるな。あきたから、もう寝るわ。
>>463 意味がないから空なんだよw
空の意味とか、それこそ空だ
ちなみに君の考える空が意味あるか考えてみ
>>466 責任ねぇ・・w
大般涅槃経でアーナンダにされた“女性と接する時の注意事項”くらい調べて来い。
あれが、なぜ言われるか? そこに根境識の和合(→縁起)があるからだよ。
やはり初期仏教はシンプルで良いなw
469 :
絶対神 :2013/01/02(水) 03:09:40.67 ID:OHL/jQ+n
>>459 「単純に言うならば、「でなければ宗教は不要だ」」
前にも言ったがな
究極的に、人が何故『神』を必要とするのかというと
「政治でもこれを解決できない事が多いからだよ」
前にも言ったが、人は「超人」ではない為
『現実を変えなければ、「精神」も変えようがないのだよ』
そういう意味では、「本当の神仏」というものは
「逆に「精神的なもの」に『興味がない』のかもしれないよ」
現実をストレートに変えられるので「精神論」を展開する「必要がない」
からだ(つまり、「神仏」に「宗教」は「必要ない」って事なのかな?)
470 :
絶対神 :2013/01/02(水) 03:13:41.80 ID:OHL/jQ+n
「つまり」 『うまいもの食べて、人間関係も良好で、病気にもかからず、老いもせず 自分にとって面白い趣味があって、人生が充実しているのなら』 「別に「宗教など必要ない」って事」 ある面においては、「精神性の追及」というのは 『純粋に「趣味の領域」でしかないって事』
イカ臭いにおいがするスレになっとるなぁ
>>469 五蘊という概念で何を否定したいかだな。
一切であるから神や仏も当然含まれる。
即ち全てが趣味の領域ともいえる。
仏教が心の苦からの解放を意味するものならば、
趣味の領域が心の苦からの解放に反映しなければならない。
精神性の追求と神仏を拝む行為はどちらも趣味の領域に相違ないものであるが
現実の追求と現実逃避のどちらが心の苦からの解放に寄与すると思う?
この一瞬に心に浮かぶものと、次の一瞬に心に浮かぶもの これを同一でないとする。これが空なんだろ つまり帰納法を捨て去った認識というものが悟りなんだ
まぁ神仏を拝む行為が選民思想を意味するものであるならば、 それが悪ということは歴史が証明している。 だからといって神仏を拝む行為は現実にあちらこちらで見かけることであり、 神仏を拝む行為=選民思想とするのは早計であり、それこそが現実逃避であり 悪であることは認識されなければならない。
絶対神の場合、自分が神と思ってるならば選民思想であり、 悪性の精神構造と端的に言える。
「出家修行者よ、汝らが、因縁を楽しまず、 因縁を持たず、因縁の喜びに囚われない限り、 汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」 因縁とは当然縁起だよ
>>477 共産主義の何が問題点であり、問題点を解消するならば〜主義が
悪というものはない。全ての〜主義共通のものだ。
「出家修行者よ、汝らが、談話を楽しまず、 談話を持たず、談話の喜びに囚われない限り、 汝らは、繁栄が与えられ、衰退を免れるだろう。」 2ch否定されたw まぁそりゃそうだw
480 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 12:27:10.92 ID:PEiDNA1/
なんじゃ、朝から酔っ払いのたわ言か まあ正月だからよしとするか
481 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 12:31:30.07 ID:ipNPU9Sk
酔っ払いのたわ事?教義経典による単なる事実であり真実であり 真理を書いたに過ぎない
>>480 酔っ払いとするのは単にあなたの中に所有する恣意性であり
認めたくないという心理の働きである。
文句があるなら仏教経典に言っとくれ。
そしてそれを信奉するもしないも全くの自由である。
>>479 自分の内に何らかのものが生じえる以上、
それは正覚者では無いということでは?
繁栄や衰退という無常のものに拘ること自体
悟りから隔絶されているのではないか
484 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 12:52:50.01 ID:PEiDNA1/
わかったっわかったw それじゃ取りあえず人間が「空」であることを証明してくれ 仏教を信じるのはそれからだw
永遠は実証できない、実体ではない。 ただ、実在である。 ゆえにそれは知を、科学を超えている。 知を拠り所とするものは無常であり、 やがては無に回帰するしかないのでは
>>484 物質、感覚、表現、思惟、認識には実体がない
変化しうる、無常なものであるから
それすなわち空であろう
そして空はやがて、無に回帰するであろう
故に観自在菩薩は五蘊皆空ということを明らかにされたのではなかったか
487 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 13:05:44.45 ID:PEiDNA1/
空では解脱できない、と思うぞ 不断不常とは、断滅でもダメ、常住でもダメだと言っている 空は断滅に偏している
>>484 無常であり無我(非我)であることを、後々に「空」と表現したわけだが、
無常であり無我(非我)であること(即ち「縁起」)の証明を求めているということか?
>>487 空であることを知ることと、
永遠に帰命することは異なる。
精進とは一切と空と知りながら、
釈尊、如来に帰命しようとする試みであり、
その目的を遂げたものを覚者というのである。
目的の遂げ方は、自分は解りません。
>>487 だからw
縁起=空なんだってばw
空が断滅ってのは、どこの部派の話だ?w
491 :
絶対神 :2013/01/02(水) 13:10:56.32 ID:OHL/jQ+n
>>486 「訳のわからない理屈だな」
無常であるという事と「実体でないという事はまったくなんの関係もない」
実体とは、「実在する事」であって、「別に変化しても実体は実体だ」(
なんで永遠でなければならないと思い込んでいるのだ)
『物質は実体であるからこそ、それに基づいて作られた人体が、考えたり
感じたり、思ったり、認識したりできるのであって』
実在しないものは「何も考えたり、感じたり、思ったり、認識したりはできない』
根本的に仏教の理屈って変なんだよね
なんで一神教が勝ったのかよく判るよ
別に自我も永遠に存在しないから「ない」訳じゃないんだよねw
『事実としてあればそれではあるんだよ』
492 :
絶対神 :2013/01/02(水) 13:13:58.93 ID:OHL/jQ+n
「永遠という視点から見れば何も確かな事はないなんて」 『文字通り「神の視点」じゃない』 それを突き詰めて考えても 「「人間」にとって『あまり意味がないと思う』」 「だって人間は神様じゃないもの」 極論すれば『そいつが生きている間だけ続けば、そいつにとっては事実上 「永遠」なのさね』
>>491 無常とは変化の可能性をもつものであり、
そういった変わることのできるものに拘る以上、
真の平和は無いのでは?
幸不幸や正義と悪(正義と悪が本当に相対してるのかはわからん…)
主義、規範は変化の可能性(増減、なにか生んだり消えたり、いろいろ変われるよね、たぶん)
を持ち、その変化に拘る限り苦は止まないであろうと。
494 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 13:20:43.73 ID:PEiDNA1/
>>488 あまりごちゃごちゃ言わなくてもいい。
人間が「空」であることを証明してくれたらそれでいい。
〜 ただし龍樹の詭弁は根拠にならないぞ。
>>492 ゆえに我々は永遠に帰命しようと試みる。
それを精進という。
しかし精進とは無常の拘りを捨てることであり、
今、幸せな人がその幸せを捨てるなんてのは
甚だ困難だと思う(せっかくの成功だもの)
でもその幸せは、後に不幸の原因ともなり得る
これは危ういぞと、言えるのでは?
人間は永遠ではない
タヒねばまず意識が、未来から断絶される。
肉体は(火葬とか土葬とか?)水蒸気と炭、塵になって大気に還元される。
496 :
絶対神 :2013/01/02(水) 13:24:55.94 ID:OHL/jQ+n
『すべてのものは移り変わり、何も確かなものなどはない』 「永遠に存在し、変わらない「確かなもの」を『真理』というのならば」 『そんなものは「神様」しかいねーよ』(大笑) だから結局、仏教も「神仏」を拝むようになったろうが 「当たり前だが、「永遠に実在するもの」なんて誰が考えても「神様」以外 存在しない」 『素直に崇めていればよいものを』 空だの縁起だの言って、「宗教でない」とか「信仰ではない」とか余計な事を 言うから、話がこじれていくのだよ
>>496 永遠とはただ「在る」という以外の何者をも持たない。
名もない、苦悩もない、変化もない、動かない
生じない、滅びない、時間に拠らない、限りなく満ちている
ここらへんは、ガチで汎神論にそっくり
さらにいうならパルメニデスのいう真の実在「あるもの」とも等しいとすらいえるかもね
>>496 真に仏教徒、信仰者であるならば
それらは無常なもの(可能性をふくんだ一切全部)への拘りを捨て
永遠(自然哲学でいうところの真の実在、プラトン曰く善のイデア、ピタゴラス曰く第一動者、プロティノス曰く一者かねぇ…)
への回帰を唯一の目的として精進、生きていなければならない。
そして永遠はおそらく科学では実証できない。
全存在を実証できなければ知には限界があるということになり、それらは無常ともいえてしまうかも
だから、知だけでは無に回帰してしまうと思うお
このスレを見てると言葉による議論は心の平穏を得たり 悟りの境地を目指すことに対してはあまり意味をなさないのがわかるな。 上座部が言葉遊びを否定したわけだわ。 言語というものに諸々の表現の限界があるのにその言語による説明が 納得行かないから自分の納得行くように説明しろと言うのはおかしな話だ。 しかも素人相手に向かって。チベットあたりに行って本場の坊主に 聞いてきたらいいんでないか。
>>499 得度を受けるのが最高の方法だとおもう
ただ、自覚がなければならない
それは綿密に、微妙に、詳細に論じていかなければ
永遠も、正覚も、なぜ必要なのかも、結局は解らずじまいになっちゃうかもしれん
永遠へと帰命できる可能性を持つのは肉体ではなく、
自我、自己同一性だけかもしれん
人間が知性のない動物なら、永遠も悟りもなかっただろうし
必要ですらなかったとおもう
>>500 ここで仏教の教えを真摯に受け止めて向上しようとして
議論している人たちは本当に素晴らしいよ。
でも一部に揚げ足取りみたいな奴がいるでしょ。
そう言う奴はリアルにそのへんの坊主にでも
教えてもらえばいいんでないかと思うよ。
場を乱したいとしか思えないんだよね。
言語の欠陥、脳の認識の限界と科学の未解明領域を踏まえたうえで
発言してるとは思えんね。スレの無駄なんだわ。
>>501 疲れたなら休憩は絶対必要だとおもうよ
だから一旦は離れたほうがいい 健康に悪いからね…
でも全存在に仏性があるといえるなら、
そういった人々もいつかは自覚できると思うよ
大乗的にいうなら(大乗とか上座部とか本来は分けるべきではないと思うけど…)
常不軽菩薩はずーーっとあきらめなかったんだからね
503 :
絶対神 :2013/01/02(水) 14:09:49.06 ID:OHL/jQ+n
『「神」は確かに、「直接的にはお前たちを助ける事はない」』 「そして、「指導する事もない」」 『しかし、「世の中に、これほど宗教があふれている事が」』 「遠回しに、神がお前たちに啓示を下している事」 『大きな意味では「指導している」事を「証している」』 非常にアバウトで、大ざっぱで、婉曲すぎるが 「確かに、「神」は、『お前たちにかまっている』」
>>503 メガテン風にいうなら「大いなる意思」ってやつかもしれん
ただ永遠にはもう意思も無いとも思うよ
指導とかかまうとかも、単に環境の変化と歴史の集積というだけであって
神自らがなにかをするっていうのはもう無いとおもうわ
505 :
絶対神 :2013/01/02(水) 14:26:52.55 ID:OHL/jQ+n
「では、『神』なんているのか!」 「いるよ。今の状態では『素直に言える』」 「私は『神』だ」 「天界」は、 『時々、「神」を送り込んでくる』 「私は本質的に『永遠不滅だ』」(と言いきってしまおう(大笑)) より、正確に言うと、「神の地上における操作体」とでも言うべきなのかなあ? 『つまり、「化身」だ』(宗教的に言えばね)
>>505 永遠は「在る」という以外のなにものでもない
故になんにも生じないよ
化身もありえない
生じたならそれは、なんらかの限定、拘りがでちゃうでしょ
神はもはや私ということばで形容できないよ
天界は六道にふくまれた無常なせかいであり
汎神論的な神、真の実在はそういう世界にはないよ
だから輪廻もないよ
>>503 お前さんは無理しない程度で議論に参観した方が良いな。
言ってる事に、さほどの間違いはないわw
509 :
絶対神 :2013/01/02(水) 14:38:11.54 ID:OHL/jQ+n
「そりゃ、イメージ通りの「神様」ではないかもしれないけど」 『実際に「奇跡の力」を持っていて』 「徳性においても、「ある意味、強靭で人間を上回っている」」
>>509 永遠は知では計れないお
認識をこえてるお
ゆえに奇跡でもないし、徳でも、強靭でもないお
おっおっおっ
>>508 難しいところだよ
独りカキコは張り合いがなさげだし
まあ、一ヶ所に長居はしないと思う
>>511 実証できない、人間の知の手にあまるのが本来「神」ではなかったのかねぇ…
唐突にいえば、ニヒリズム(真の実在は実証できない、信じるに値しない)としちゃった
ニーチェは人間の知の限界が、人間性の限界と取り違えてしまって
狂っちゃったわけで、実証とか認識では神、永遠は計れないと思うけどね
>>512 それは、神の質による、
例えばユダや系一神教では究極の実在を神格化させており、その存在は実証不可能だが、仏法では生命にも「仏性」が内在していると説いているので、その仏性を開く事によって確知は可能となるでしょ
>>513 その確知できる仏性が、なにかにかまうなんてことはないと思うわ
ただ「在る」という以上、なにも生じえないでしょ
>>514 それは君の誤解だと思います
生命活動に於いて、即ち大乗仏教に説かれている「仏界」なり「菩薩界」を基板とした人は、釈迦がそうだったように、人々を救う行動をとると思うけどね。
>>515 六道の全存在が成道し、釈尊に帰命できなければならないと。
たぶんそれは辟支仏、上座部を批評した大衆、大乗部が後の結集で編纂した
大乗経典に拠る思想でしょ。
すなわち、自己のみの救済ではなく、全存在が救われなければならないと。
だが、救われるべきなのは成道に到る前の衆生であり、
永遠たる釈尊にはもはや、衆生にたいする拘りはないとおもうけどね。
ゆえに仏性という言葉があるのではないか?
究極の実在って何?
諸法の実相のことか?
>>518 紀元前5世紀頃、ギリシャの自然哲学者、詩人である
パルメニデスがとなえた「あるもの」を、
彼の弟子であるメリッソス(パラドックスで有名なゼノンも彼の弟子です)
が定義した
・過去現在未来に因らない非時間性(或いは永遠)「産まれることなく存在する」
・(単)一性「すべてがそれである」
・不生不滅「産まれずにあり、滅びることは無い」
・不可分割「なんら部分を、形をもたない」
・均一性「一様である」
・充足性「すべてがそれに充ちている」
・不動性「動けない」
・不変性「変われない」
8つの性質をそなえたもの、すなわち永遠なもののことです
なにやら永遠にこだわっているなぁ… 永続性ではあっても永遠なんてものはありえない 個人においては必ず死滅する 人類の遠い子孫を含めての永続性であることを示すものである
>>516 ユダヤ系宗教や自然崇拝者は、全てと言っていいほど超人格的神々を祀るが、唯一仏教においてのみ、生身の人間そのものが仏となりえるものと説いていますね。
それを証明したのが歴史上実在した人間釈迦であった訳です
「仏性」については涅槃経や金光明経に説かれていますね
大乗経典にも超人格仏が説かれている経典もあるが、その形では、人間は何処までも弱きもので、ただ神仏にすがる存在でしかなくなる
それでは「仏性」の説かれた意味がないといえます。歴史的上で一番読まれてきた経典と言えば法華経ですが、いまその法華経を学んでいる最中なので、ある程度まとまったら、またカキコしょうかと思っています
522 :
基地子菩薩 :2013/01/02(水) 16:48:38.33 ID:bAGcotuC
\ / \ 丶 i. | / ./ / \ ヽ i. .| / / / \ ヽ i | / / / \ 基 地 子 菩 薩 で す ! ;' ':;,, ,;'':;, ;' ':;,.,.,.,.,.,,,;' ';, -‐ ー ,:' ::::::::、 __ ,:' / \ ::::::::', -- 二 :' ● ● :::::i. = 二  ̄ i ''' (__人_) '''' :::::i  ̄ -‐ : ::::::::::i ‐- `:,、 :::::::::: / / ,:' : ::::::::::::`:、 ,:' : : ::::::::::`:、 ヽ \ / 丶 \ / / / | i, 丶 \ / / / | i, 丶 \
仏教徒だかなんだか知らんけど、壁に出刃包丁を埋め込んで そこに自ら突き刺さって死ぬような誘導をするようなことが 平気で出来そうなのがいるな。さすがヤクザの国だ。
>>523 どこの国?
インド?中国?チベット?タイ?ベトナム?ビルマ?カンボジア?スリランカ?日本?
わたしわさしてませんぼうりょくしてません
>>523 仏教は自身の渇愛からなる生存の鎖を断ずることを本懐とするからな。
物理的にはそうでないが意識の上ではそんなもんかもしれない
果としてあるのは2度とこの世に戻ってこないということであり、
平安な余生があるに過ぎないだろう。
その果を求める人はそうすればいいし、渇愛を望み一喜一憂に満足する人は
そのままでいいと思う。そうすれば永遠なる輪廻を繰り返せるとされる。
仏教は 「正負ひっくるめて、一括で、“生のエネルギー”減殺」を目指すからね・・。 社会的に白い目で見られても仕方ないわなw 御隠居のように《欲望肯定にこそ主眼を置く(→欲望の充足こそが最上の幸)》価値観からすれば、 信じられないし、不可解だし、腹立たしいものであろうよ・・w でも、仕方ない。 それが、そもそもの仏教であり、これまでもそうだったし、これからもそうであるべきだしね。 ここ、「世間の価値観と反対のベクトル」である点を抜いてしまったら、 もう仏教(お釈迦さんの教え)じゃなくなるし。
世間の価値観と反対のベクトルとも言えないぞ 世間の美徳とされるものはだいたい仏教の価値観だから
529 :
ノスタルジア :2013/01/02(水) 18:30:34.19 ID:SZCFYNNk
人が開眼、目覚める二つの方法。 ≪一つ目の方法、聞こえる正しい声のするところへ向きつながる≫ つまり行動している肉体はもう正しい声のするところへ向いているそれと、 「同一化」しなくてもよくて、本来に戻るわけである。だから正しい声のする ところへ向いているそれは、もう肉体を逸脱している。 ≪二つ目の方法、既知ではなく未知を重視し、その未知をすべて得て全知全能になる≫ こちらの方法は、ヨガをすることで、神と「同一化」して、私たちが言葉で作り出した 最大のものになるということ。未知を得ているので、今未知が分からない私には、 未知を考えに入れた、哲学や思想が分からないので、それは今知ることは不可能で、 ヨガにより知ることが出来る。私たちが予想もつかないことが出来る。神と「同一化」することは 此処だから出来ることであり、他処では出来ないと推理してみる。 一つ目の方法と二つ目の方法は似ても似つかないものである。 二つ目が一つ目を覆うと考える人もいるだろうが、私は一つ目も二つ目も 輝きが違うので、なぜなら一つ目は神という言葉は初めは入らないからである。 二つ目は神という言葉が読めば分かるが、絶対に入っていると分かるであろう。
530 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 19:48:37.67 ID:zXlg/EcX
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531 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 19:52:49.16 ID:cppT4BiQ
>>519 それを「自性」(スヴァバーヴァorプラクリティー)というんだよ。
「産まれずにあり、滅びることは無い」←不生不滅ではなく、恒常という。
自立・単一・恒常
>>518 >諸法実相
虚実の矛盾が分かってんの?
みなさん、世俗眼妄想だけですなw
532 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 21:26:03.60 ID:lmUSB+Vg
当時のギリシャ世界にインドの思想がどの程度伝わってたか、だよね。 多分かなり伝わってたんではないかと思うが。
>>532 ちなみに、紀元前330頃マケドニアの王アレキサンダーはギリシアを始めとする今の中近東諸国を征服し、更にインドにも攻め込んでいる。
>>491 この世は存在しますがな。
でもこの世は時間とともに変化するでしょ。
で最終的には無になると(宇宙がまた収縮するのか、広がったままで終わるのかはわかんね)
それが無常ですわな。
そういう移ろうものに執着したままでは
結局苦は終わらんということですわ
じゃあ存在しつつ変わらないものとは何かと考えた場合
それは永遠な「真の実在」が想起できたと。
>>520 人類は永遠に存在できないでしょ
それにまず宇宙が永遠じゃないでしょ
だから今すぐにでも精進を始めないとヤバイんじゃね?ってこと
>>521 釈尊はもはや何も語られないし、なにも生じないでしょ
なにかが生じたら永遠とは言えないんじゃない?
>>523 なんの自覚もなくただタヒってただけで
仏になれるとは思わん
>>527 変わり行くものに拘ってる以上
苦は止むことはないでしょ
拘ったままタヒったところで
ただ無になるだけでしょ
ってことでは?
>>532 真の実在を最初に想起したクセノパネスは前560?年生まれらしいお
で、その弟子のパルメニデスは前500~475年生まれらしいお
537 :
神も仏も名無しさん :2013/01/02(水) 22:56:05.12 ID:cppT4BiQ
こんなんじゃ、ここはもうダメでしょうねw よい子の初心者の方はこのスレを見てはいけません。
>>537 入念に、丹念に間違っていると思うところを指摘しないと
だめじゃん
教えてくれ どこだダメなのか
人格底辺が仏説を語るあたりが間違いじゃないかな。
>>539 ではその底辺が語る仏説の
どこが間違いなのか
たのむ
>>540 どこもなにも全てが。
体現の伴わない口先仏説ってかなり悪質では。
仏教ってこんなに糞なんだって初見ですが帰りますと法門閉じてどうするの。
>>541 あなたはなぜ仏教を信奉するんですか?
なぜ仏教を選んだんですか?
>>542 知己にご立派な御住職がおりまして。
仏教と言うものはこんな人を生み出せるのかと。
>>543 仏教徒を自称する人で
真に無常なものの執着をすてて
ただ釈尊に帰依しようと精進している仏教徒の
いかに稀少なことか
そう思いませんか?
>>544 えぇそうですね。
それが救いであると体現する数が少なければ、
誰も目指しませんから。
>>545 数は問題じゃないよ
だってもう釈尊が目的とげられたじゃん
人間であるゴータマ・シッダールタが
菩提樹の下で成道したじゃん
ただその一例のみでもってして
我々は永遠の帰命への精進は価値あることだって
わかるでしょ
>>546 いいえ。
文字に書いてあるだからこれは正しいと思えるほど人間は馬鹿じゃありませんから。
生臭坊主が増えれば増えるほど仏教への信仰が損なわれてる現実が。
現実に目の前で体現する人の数こそが求心力でしょう。
548 :
基地子菩薩 :2013/01/03(木) 00:02:12.13 ID:bAGcotuC
>>547 永遠以外の何者も無常ですがな
無常なものに拘ってるかぎり苦は止まないだろ
そういう自覚のための、最高の前例が釈尊でしょ
生臭な坊主だなんだろうが、無常なものにこだわってるなら
それは仏教徒じゃないだろ
だから仏教は極めて困難なんだろ
今、幸福であればあるほどそういう幸福を捨てようなんて思わんでしょ
だから救い難いんでしょ
しかし、だからといって教化を諦めてどうする
あなたがブレてしまってどうするのよ
>>549 人間、やりたいことと出来ることの区別はしないとね。
出来損ないの屑が仏教を口先で仏説を唱えたとして、
誰がその姿を見て着いてきますか。
むしろ離れる一方ですよ。
>>550 仏性が存在する限り、永遠への目的を遂げる可能性はあるだろ
でなくして何ゆえの大乗か
どんなダメなやつでも自覚できて、精進すれば
やがて釈尊に帰命できると信じなければ
それこそ仏教など存在できんだろ
どんな悪人であっても、教化をあきらめてはならんでしょ
釈尊ですらディーバダッタによって多くの教徒が分離したけど
釈尊はかわらんかったでしょ
でなくて悟りはありえんだろうが
>>551 その自覚を促すと言う時点で障りになるんですよ。
口先だけの仏説と言う奴は。
個人的に仏教とは背中で語られるものだと思ってますよ。
出来ませんけど全然。
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>>552 得度のされかたは様々だろ
どんな人間にも得度はされ得るだろ
きっかけはなんでもいいんだよ
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>>554 出来るなら良いですけどね。
そこまで自意識過剰じゃないもので。
「あの坊主の態度が気に入らない」で離れていった檀家さん一杯知ってますからなんとも。
>>558 拘りを捨てるなんて並大抵じゃないよ
永遠に帰命するのは並大抵じゃないだろ
僧侶であると自称していても
拘りを捨てて精進している者なんて極々稀でしょ
だから稀少なんだよ仏教徒は
だからまず批判するのではなく
自分が本当の仏教徒になるしかないんだよ
何においてもまずは自分だろ
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>>559 自分の成道は既に諦めましたから。
無理無理、才能無い。
それはさておき人格底辺が仏説を語る弊害ご理解頂けまして?
それすら乗り越え俺が俺がと言うなら、そりゃまぁ止めませんけど。
>>561 お前が諦めてどうする
お前の仏性を見捨ててどうする
お前が仏教を捨てるということは
仏教に限界をあたえることになり
まさに人格底辺の人間と等しくなってしまうだろうが
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>>562 えぇ、人格底辺と等しいから、せめて仏説語る馬鹿は晒しませんよ。
だって他人の邪魔は出来ないでしょう。
>>564 ならばなぜここに批判しに来た
おまえは来るべきでは無い
お前が捨てたそれは、唯一の目的になれのに
最高の価値を自分から捨てて他人を批判することはできん
人格底辺のものですらまだ、自分の仏性を諦めていないなら
捨ててしまったものに勝るだろうが
自分の価値を自分で貶めるな
可愛そうだろうが
正月だからか変なのわいてんなぁ
>>565 今では立派な「来世から頑張る」がスローガンの浄土真宗なので問題ないです。
人を見下して草はやして仏説を武器にして他人より俺は凄いとゲラゲラ笑ってるの見たら止めたくなるでしょ。
見る人のためにも、お前のためにもなってないよって。
>>567 お前がタヒねば、お前という人格、自己同一性は完璧に滅ぶぞ
自分の仏性を今、信じることができないなら
お前にとって意味が無いだろ
救われなきゃいけないのは来世ではなく、現世の自分だろうが
なんで諦めたんだ?なにがあった?
>>568 べつに同一性が失われようが来世で構いませんけど済度。
そんな所に拘り無い。
人の忍耐は有限ですから果報がなければそりゃ諦めますよ。
自動的に。
>>569 あんたの生き方は永遠ではなく
無に回帰しようとしてるようにしかみえんが
それは仏教徒のすべきことではないだろ
>>570 永遠になるものなら永遠になれば良いし、
無に回帰するなら回帰すれば良いじゃない。
言わせれば諦めた、落ちこぼれた時点で仏教徒じゃないんだから良いでしょ。
>>571 そういう思想が、あらゆる存在への
悪因となり悪果となりうるぞ
そんな人生でいいわけねぇよ…
>>574 存在しないなら、それについて思い悩むことも無いから問題ないさ。
>>575 浄土真宗は仏教じゃないのか?
無へ回帰してもいいという教えなのか?
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>>576 浄土真宗ではね、既にこの世は末法だから修行しても成道は有り得ないって考える。
今の世で自力作善を試みても失敗するから無駄だって。
好んで悪事を行うことを戒めはすれど自助努力を推奨することもないのさ。
>>578 仏性に限界を定めてなにがしたいんだ?
釈尊の教えに限界をさだめてなにがしたいんだ?
大乗でもこれは特異な教義というかなんというか
>>579 たぶんね、阿難が取りこぼした時点で末法なのさ。
当時もどうしてそこをちゃんと聞いといてくれなかったんだと非難轟々だったらしいし。
釈迦がどうあれ失伝しちゃったものは仕方ないよ、残念だね。
>>580 なにを取りこぼした?
アナンダは結集の直前に成道したとされてなかったか?
>>581 でも阿難の下に成道続かなかったじゃない。
止まっちゃった連鎖反応を信じる気にはなれんよ。
>>582 あえていうなら、成道した者以外に成道を見定めることは
できないんじゃねぇかねぇ
しかし確かに成道を遂げたものが居たかもしれない
それは結局、後代の人間にはわからんのでは
しかしむしろあんた自身も成道の可能性があるとなぜわからん
仏性とはそういうことじゃないの?
>>583 そんなロト6の一等よりも低そうな「可能性」を出されても。
無限にコストを出せるなら出しますよ?
ただ私の人生有限ですから無限に消費は出来ませんな。
>>585 してないでしょ。
いいかげん還相してくれても良さそうなと思うんだけどね。
>>586 だというのに彼らの教えを自分の範としてるのか
なぜ?
>>588 自分の人生を勘できめるんかいw
テストとかも勉強あんましない方だったのか
>>589 いやいやいや、あれこれ理屈をコネはするが、最終的に人間の行動を決めるのは勘よ。
君自身、そうだろ? これが正しい気がするって方向に歩いてるだけだ。
>>590 自然哲学者にあやまってこいw
理論ですぞ理論w
>>592 だってさぁ、理屈重ねても実際に証明できないことの選択なんて最終的に勘じゃない。
可能性の多寡を計ることは出来ても結局人生はギャンブルだって。
まぁ、しいて理屈をあげるなら、一番度量が深かったから。
あと、我慢が足りず落ちこぼれた自分には選ぶ先がそれしかなかったでも良いし。
>>591 あぁ、ごめんごめん。うっかり仏説語っちゃったよ。
未熟者が未熟な理屈を述べたこと許してね。
>>594 おまえさんは若干ニヒリズム入ってるわ
永遠はどんな知的な存在でも実証はできんだろ
科学では、永遠は実証できん
仮に永遠を想像するとしたら、どういう方法があると思う?
>>596 永遠とか要らない。
苦しみがなくなるならそれで良い。
そんなに強欲じゃない。
ニヒリストなんじゃない、自分に対して放任主義なんだ。
>>595 法然、親鸞両上人の、蓮如さんからの教えじゃないんかい
先人を教えを曲解してるのか?わかんね
>>597 ニーチェは永遠は実証できないとして神の信仰をすてて
超人っちゅう概念をつくったけど、それでもやっぱり無理だったのか
最終的には狂ってもうた
だが科学は万能じゃないからねぇ
この世で実証できるものなんてほんのわずかなんじゃねぇか
>>598 まぁ、曲解なんじゃない? アイオーンな彼がそう言ってるんだからそうなんでしょう。
宇宙のはじまりってどういう感じを想像してるの?
>>601 僅かだから、勘に任せてる。
もし他人が苦しんでて、自分にはそれを助ける知恵も力も無く、でもその人は助かろうと必死にもがいていたとしたら。
やれるところまでお前のしたいようにしなよと励ますことしか出来ないだろう?
だから、それを自分にやってるだけ。
>宇宙のはじまり
ほら、馬鹿だから、想像してない。
だって、間違ってるだろどうせ。
>>603 無常にまかせて生きるというなら
ちょっと危ういんじゃないか?
無からなにかが生れることってありえると思う?
>>595 そういうことじゃなくて、自助努力は否定していない
あくまでこの世で悟ろうとすることを否定するだけで、
この世を良いように変えるために努力することは否定しない。
違い分かる?
俺は永遠っつー言葉はちがうと思うな 無限の概念だから有限のものには到達できない 実相というのはそうものではなく、とらわれないことだから
四門出遊の話ってさ、結局何が言いたかったと思う?
>>606 真実が無相…
実在的実体ではないありのままのすがた
これは真の実在とは違うわ。実在ではないのか。
これは永遠は実証できないっていうこととは違うの?
>>604 右を選んでも左を選んでも危険だらけの世の中ですから。
有っても良いんじゃない? 夢がある。常々二次元からポッと現れてくれないものかと(ry
>>605 最初から「この世で」の話のつもりだけど。
いや、仏説というか仏教の細かい話語りたくないんだ。責任取れないから。
連投規制辛い辛い。
これが真の実在、というものはないよ、それはここのみんなは了承するだろ そして、でも真の実在はあるはずだという考えがあるが、それも一つの相にすぎん。 じゃあ、何もないのか、いや虚無ではない。 あらゆる自分たちが把握できるのではないかという道筋を閉じつくしたあとに残るもの そのような心の状態というものが実相というものだろう 永遠という概念は、ここでいう、真の実在はあるはずだという前提から導き出される概念であって いわゆる神概念といっしょだろう
無(素粒子も量子も力場もない)から何も生じないと仮定した場合、 有形なものがなぜ存在するのか。 何者かが生じさせたのか。しかし、であればその何者かを生じさせた別のなにかが必要。 これはどこまでも遡れる。ここに永遠を想起することができる。 だから真の実在とは、時間的に説明がつかない永遠なものだというのが 原始自然哲学の思想。 だが実相は全然ちがう感じですな…
>>610 科学的実証のみならず、五感による認識とか思惟すら閉じつくした
最後のものが実相ってこと?
>>611 下手の考え休むに似たりって有り難い言葉があってな。
頭のいい人に任せておけば良いんだよ、そんな複雑怪奇なことは。
>>609 >最初から「この世で」の話のつもりだけど。
分かってない気がするわ。
例えば、苦の解決はいったいどういうものかといった問題に対して考えるならば
この人生でのあらゆる苦を解決したなら、当然の帰結として死さえも超越するということになる
要するにいつ死んでもよいという心構えができているはずだ
よって、私には死を超克するようなすばらしい行はできませんというのが浄土教信者の表明なわけ。
それは、どんな行を積み上げたとしても、究極的に自分は満足できないだろうという諦めであり
とくに、その究極的な業をもって死を乗り越えることはできないということ。
逆に、だからこそ、弥陀のおまえを救うぞという誓いに身をあずけられるわけ。
つまり、自力を捨てるというものは、苦の完全な超克という面に向けられているわけで
衆生済度という面で見るならば、それを捨てるとは表明されていない。
そして、逆にそういった見方、心の定まりこそが、浄土教信者をして不退転にとどめさせつづけているわけだ。
これが、親鸞が浄土こそが真宗と言った所以だよ
615 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 02:21:29.05 ID:MnkZ3heu
>>614 衆生済度と言われましても、
還相回向してない身の程がしたいことと出来ることの区別つけなきゃ。
捨てたわけじゃない、出来ないと知ったんだ。
てか、語りたくないんだって。な、許して。
>>611 ホーキングは虚数時間なる概念をつくりだしてるけどなw
それはともかく始まりというものをたてる限り、当然のその因が仮定されるわけで
その追求には際限がない。結局はじまりのない始まりを考えざるをえないのさ
無があり、それから陽電子と陰電子のように陰陽に別れ、
陽と陰の対が初め同数あったにもかかわらず、その存在時間の差によって
片方の素粒子のみによって宇宙が存在しつづけているにしてもさ
それは有ると人間に仮定できるだけなのかもしれないだけで、全時間的に有るとは言えないでしょ
それはともかく、人間に有ると思える現象のみを観察して仏教は紡ぎ出されたのだから
そんな科学的なものを仏教にもちこむのはナンセンスだと思うね
仏教は、人間が苦を乗り越えるために作られたのだからさ
>>614 仏道によって、生きているものすべてを迷いの中から救済し、悟りを得させること。
衆生を見捨ててなんてなかったわけか
>>617 釈尊とは永遠なのか?
永遠を人間が想起できても、直接認識できない以上
釈尊を永遠とすることは誤りなのか?
>>616 げんそう回向といのはそもそも
浄土論の五念門からの言葉だぞ
五念門というのは、入門と出門があり、出門がげんそう回向と言われるもの
で、入門のほうは、浄土に行くための門であり、出門は浄土に行った後の門と解されているが
真宗ではそうはならないんだよ、広義には認めるものだがね。
なぜなら、真宗は平生業成の教えだから。
前念命終、後念即生したあとに、出門に入ると言われる。
要するにこの世にいるあいだから、回向を行えるということ。
注意が必要なのは、あくまでそれは弥陀の回向が展開される場となるという考えなので
仏になったわけではないとされるけどな。
げんそう回向というのは、厳密には人の解し方の話になるわけだが、(要は増上縁)
人のあらゆる行いの中に仏の顕現を見るということであり、あくまで仮定の話だよ
>>620 だから、行える人は行えていいんでない?
俺以外の話だな、それは。
細かい解釈なんて個人的にはどうでも良いんだわ、なにせ無理だから。
真宗は末法において教行証がそろった教えだよ だからこそ、鎌倉期において勃興したわけだが、信じる信じないは勝手にすればいいけどな しかも、俺の解釈じゃなくて親鸞の解釈だから。
自分の知がまったく着いていけないw 出直します
>>622 変なところでリアリストだから、自分が成道して効果を実証もしてないあれこれに他人を引きずりこむ気にはなれんのよ。
自分の勘にベットするのは自分だけで十分だぁ。
そういうことならおk、自分が納得しながら進まないと身につかないから。 浄土教を学ぶにしても、他の大乗を学ぶにしても。 でも、とりあえず何が得たいのかを自分の中で見極めて、一極集中をすすめるよ
>>625 あなたに出会えただけでもこのスレは価値あるものになりました。
(IDがアイオーーーンですやんw)
では。
ワオ、ちょっとIDスレに行ってくる
そうか、この場合、自分は「悪人」の立場から物を言ってると言わないと話通じないんだな。 暗愚の人の自助努力や衆生済度ってなんて悪趣味な冗談だって。 その心根は良いが、ちょっと実行に移す前に身の程を考えろと。
そうだね、俺も悪人正機はそういう意味だと思っている 自分には救われる種、仏性はないという点にいくのが真宗の立場 機無というのはそういうこと。 ただあくまで、それは悟れないという意味であって、みんな地獄行きと脅すものではない。 簡単に言うならばこういうことかね 人殺そうが大罪おかそうが、おまえという存在は大事な存在なんだよって言いたいわけだが 当の本人はあれこれ考えるわけだ。 もう俺はだめなやつなんだ、救われないんだとね でも、仮にこんだけ寺院を立てました、功徳あるでしょ、だから私は大事な存在ですよねってのもちがう 結局、大事な存在だって分からせたいだけなのに、 人は自分の行いや地位や境遇で、自分が満足な存在だと思おうとする でも、おまえらどんなことしようと大事な存在なんだよと。 逆にそれは、おまえらが何しようが救われねんだよということと同じ。 自分が自分を救うことができるとしがみついている間は、自分が何者なのか分からんっちゅうことなのだよ 諦めってのはそういうこと。
悪人だと気づいた者が悪人なら、悪人だと気付かない肥えた豚も悪人だから、 同じ暗愚同士そんな無下に扱わんでもとは思うけどね。 あ、いかん、また語ってる。言わざるを得ない口のチャックが弱いな。
なんであれ暗愚の人などという主体、存在という牢獄がお前の無間地獄さ。 観念世界でしか生きられないそいつの限界さ。 まあ観念世界でなんて、「誰もいきてない」し「生きられない」けどさ。 かっかっか。
しかも、ここが無我へとつながっていく転機となっていると俺は思うね 自分が自分がの我利我利亡者ではなく、自利利他の思想へともつながっていく 無我であり、大乗への思想でもある、うまくバランスをとって救いを構成してきたな、浄土教パネエって思う
>>630 いいね、俺はそこは、唯除五逆誹謗正法で、無自覚な悪人の道筋を閉じていると思う
口にチャック、そして寝ます。
633は蛇足かな そこは二種深信を表すという説もあるから 結構難しいところなのかな 悪人には悪人の自覚がないものなんだよね、 結局、衆生は自己を悪人とも思い切れない だから犯罪者も同列に救われる、光明の縁さえあれば。 でもそれじゃあ造悪無碍と行く可能性が高い 親鸞の教相判釈から、聖道門を経た者のみが浄土教の対象かとかの話にもなる でも、本願は円融極促だから、すべての衆生が対象であるはずだから 救いに過程はないというのが結論だが、実際上の問題もでてくると思う 要は縁という話になるのだろうな
唯除の文については、救わないのではなく救えないのだろうと冷めた見解を。 阿弥陀仏でも手に余る物だってそりゃあるさ。 あぁ、自制心が。
真宗は理論じゃなく実践の歴史があるから、ここらは理論だけ関心のある人にはどうでもいい話だわな 自分が救われる論理じゃなく、他人、とくに世間の教養もない一般人、おばちゃんでも救われる論理は何か、 といったものが論じられた結果、細かな教義の詰めが安心論題だったりするからな 自分としてはやっぱ宗教組織が社会活動するときに本当いろんな問題がでてくるが そういうとき本読んだりすると、これスゲーわって思ったりする、 この言葉はこういった坊主の権力的行動を抑えるためにあるのか、とかさ
しかも、それが経との齟齬がないのがまたスゲーとか思ったりさ
で菩薩は願いが叶わなかったと言うわけか 無限の過去に成道した如来は空であると かっかっか
640 :
基地子菩薩 :2013/01/03(木) 04:12:25.06 ID:67ysXgGm
\ / \ / / ̄ ̄ ̄<丶`∀´> \ / ~ ̄> ̄> ̄> ヽ \ / 、サ、サ、サ、サ、サ、、、 / ̄ ̄ ̄<丶`∀´> ~ ̄> ̄> ̄> ヽ \ / 、サ、サ、サ、サ、サ、、、 \ / / ̄ ̄ ̄<丶`∀´> ~ ̄> ̄> ̄> ヽ 、サ、サ、サ、サ、サ、、、
あこんぶがくさってら。
結局、努力に尽きるんだよ。 それは努力への拘りではないか?とするのは自堕落に過ぎない。 ここで展開されるものは自堕落であると自覚できる。 しかし人生そんな息抜きもあっていいじゃない。 下手な考え休んでいいじゃない。 力強く生きるにはパワーが必要。休憩は必要であり、坐禅での休息もまた然り。 では、出家者における努力とは一体何であろうか? 魂の成育の他に何があるであろうか? 仏道は極論すれば一個人の形態と名称の滅びにあると捉える。 それはやはり努力なしには成し得ないのである。
643 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 10:25:54.74 ID:n31DbsNN
無我の証明、人間が空であることの証明、 仏教はまずこれからやれ。これができなければ、だれも仏教を信じない。 日本でも仏教は終わる。いやもうすでに終わっている。
>>643 無我とは仏教におけるプロパガンダであり目標地点。
即ちエゴイズムの削減が唱えられるものであり滅私における大自然への帰依である。
証明となるものは生きる上において既に生きる術が用意されている。
人間が空であ人ることの証明。例えば、 マタイ 6:34 - 明日のことを思いわずらうな。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 キリスト教にこういう教えがある。この捉え方が百人百様であり、明日になれば、 このような教えなど意に介しないかもしれないし、感じ方は別のものに変わるかもしれない。 明日のこととは無我や空のことかもしれないし、明日どうなるかもわからない。 空なる存在といって差し支えない。 縁起=空とするならば、今、現に私やあなたは生きて書き込みしている。 これだけで空の証明になる。
646 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 12:11:50.29 ID:n31DbsNN
>>644-645 残念だが論点がズレてる。
仏教は空や無我を説き、人間存在には本質的なものがないと主張している。
その主張、本質的なものがないという理由を示してください。
仏性とは何か? 各個人が経験により所有するものであり百人百様であり差異がある。 必ずしも仏教徒特有のものでなく釈迦や竜樹は全くの無関係である。 その練磨、研磨を説く者が釈迦やイエスに過ぎないのである。
648 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 12:14:56.38 ID:sYAhDGN4
>>643 >無我の証明、人間が空であることの証明
ポピュラーなところで、
龍樹「中論}「六十頌如理論」「空七十論」あたりをドゾー
もし、有我であれば、滅後のへそくり用キャッシュカード番号とか、
カルマのデータベースとかにアクセスできるはずですが、
できないんですよね。
閻魔大王は、俺の管轄にはそんなデータはない、と昨日銭湯でお会いしたとき、
いっておられますので、データを結ぶ「我」という概念はないんでしょう。
無分別ですから。
ならば有我と妄想しても無意味なんで、無我で逝きますわ。
>>646 恣意性がアートマンを指しているかどうかしらんが、
人間とは何かの対象物、対象概念がなければ動きようがない。
もしアートマンや本質的なものがあるのであれば対象を必要としない。
これを此縁性という。
650 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 12:53:15.59 ID:n31DbsNN
>>648 >もし、有我であれば・・・」
あなたは有我に偏見を抱き、無我という虚構に落ちている。
自分の考えを隠し、あれを読め、これを読めと言う人は基本的に怪しいね。
651 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 13:01:15.31 ID:n31DbsNN
>>649 二つの石ころが、此縁性によって動きはじめるだろうか。
何億年経っても動くことはない。
>>650 別にアートマンあってもいいのよ。
その発芽が依存性からの脱却であり、対象物からの乖離を示す
ものなら問題ない。食べ物においても好き嫌いの皆無状態と言えるだろう。
しかしアレルギーは現実としてあるものであり、嫌いなものを強要できない
のが事実である。訓練と免疫性が不可欠ともいえる。
例えば、お笑いを見て腹を抱えて大笑いするのをアートマンの 力とする。しかし、本質的なアートマンは2度3度見るうちに 飽きて、慣れて可笑しくもクソもないものに変遷する。 本質的アートマンがあったとして、変遷するものであり、 耐性のあるものであり、強靭なものであるのが事実だろう。 むしろアートマンがあった方がスッキリするかもねw
>>651 地震があれば余裕で動く。此はもちろん地震。
もしくは此が人間の誰かになってもよい。
655 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 13:19:51.19 ID:sYAhDGN4
>>650 >無我という虚構に落ちている。
あなたは無我に偏見を抱き、有我という虚構に落ちている。
無我は自性がないとの「悟り」ですから、
言語論理で「証明」を問うこと自体が、アホですか?の問い返しになりますです、はい。
まぁ本質的アートマンがあったとして自性だけは絶対ないわな
読んだ本に書いてあった、アプリオリ、つまり、 論じるまでも無く存在するもの、を前提とされているので そうでないならすべて間違い、かもしれない、ということです。 仏教の話ではありませんが当てはまるかもしれません。
658 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 13:37:19.02 ID:n31DbsNN
>>652-653 たとえ話でかえってわかりにくくしているね。ストレートに
話した方がいいと思う。あなたのたとえ話を空や無我から見れば、
アレルギーの有無もおもしろさの程度も関係ない。
>>654 地震がないことを想定したのに(^^)
>>658 では何をもってアートマンとしているのか?
例えば、死の恐怖があったとする。
それはアートマンの力でなく経験における作用である。
このようなものが一切であり、他はないのである。
660 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 13:48:57.06 ID:n31DbsNN
>>655 そうじゃない。無我を悟ること自体が不可能なのに、
なぜ仏教は無我を説くのか、を問題にしている。仏教は変だろ。
だから変じゃないと証明する義務が仏教にある。
聞不具足、信不具足だな
>>660 仏教が変とするとは単にあなたの恣意性でありアートマンではない。
仏教自体に変もへったくれもない。
無我を悟るというのも恣意性からくる決め付けであり、
そんなことをする必要はない。
だから現実問題としてエゴイズムを削れと言っている。
エゴイズムはアートマンではない。
アートマンがあったとして、そこに感情というものは
一切ないのである。
663 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:00:09.42 ID:n31DbsNN
>>659 違うよ。霊魂(アートマン)は個体だから、
個体を維持しようという傾向を最初から持っている。
死への恐れは根源的なものだと思う。
664 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:04:55.53 ID:sYAhDGN4
>>646 (本質)
>>647 (仏性)
よーするに、このお二方は本質=自性・実体、仏性←スピリチュアリズムの霊魂・心霊を認める神秘主義思想が背景にあるわけです。
明確にウパニシャッド(ベーダーンタ)やサーンキヤ哲学などの密輸入です。
反仏法です。
ほとんどの大乗なるものが心霊主義的如来蔵的傾向があるので、これで「仏教」とは笑わせますなあ。
縁起・無我と如来蔵・仏性思想との間に
は連続性ではなく、断絶をみるのは当然です。
抗原抗体反応が起こらないのは、エセ仏・インチキ悟りである証明です。
>>663 あなたのいう根源的とは時代を変遷した末の経験値である
本当の根源とは無経験なものである
我とか無我がどうだと、全く話が進まないが、詰まり、存在するものは「法」であり、全て「因縁」より生じたものであるから我や自性はなく「空」であるという事。 目に見えて確認できるものは「仮」という。
667 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:10:29.27 ID:jMfYsCLO
釈迦が「己を我を以って無我を説いた」のは、初歩的な論理ミス。釈迦の 勘違いに過ぎない。 釈迦の恥を、いつまでも曝し続けてはならない。
>>664 では、あなたに慈悲心というものは一切ないのかと問う。
ないのであれば、それで仏教とはちゃんちゃら可笑しい。
>>667 余りにも無知な論評は避けるように。
恥ずかしい。
670 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:19:22.70 ID:jMfYsCLO
>>669 >恥ずかしい。
釈迦の勘違いに、いつまでも執着している君らのほうが恥ずかしい。
思考停止の「開祖盲信」は、滑稽そのもの。
(この譬えは、物質的最小単位の想定を促してしまうという点でのデメリットがあるが)、
鰯の群れ(諸々の要素・作用・働き動き)が、或る一つの塊・存在(自己・自我・我・アートマン・真我)として捉えられるが如く
その如くに「人間」(「私」)もあるのさ。
だから、そこに、本質的実体としての何ものかがあるのではなく、
所縁によって事象が顕現しているだけ(即ち無常であり無我(非我)であり縁起性であり空である)なのが
諸法の実相ってこと。
貴方が、「証明」という言葉でどの程度のものを求めているのか知らないが、
仏教に於ける「無常・無我・縁起」は、帰納的類推の果てにあるものだから。
*(異議を唱える者も多かろうがw 演繹的ではないと思われるし、
少なくとも一神教的或いは何がしかを世界の根源的を起点とするようなものではない。)
例外が見つからないことによって担保されているだけと言ってもいい。
これを貴方が証明と見做すかどうか・・。
ただ、少なくとも、釈尊以来2500年間、例外は見出されていないのさw
>>663 参;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E7%B4%8D >>667 キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !
隠居あけおめ! o(><)o
我とは恣意性であり恣意性でもって恣意性を説いたに過ぎない。 片側の恣意性とは物質への執着とかであり、その逆の恣意性を 無我と仮設したに過ぎない。
673 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:22:01.19 ID:n31DbsNN
>>669 いや、そうじゃないって。
ご隠居は大乗の矛盾を正確に射抜いている(^^) 外出オチ
674 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:27:34.37 ID:sYAhDGN4
>>668 >慈悲心
ありまっせ。
慈悲心とは、無分別の悟りに達した覚者の一切内における「心と心の作用」(サンユッタニカーヤ 33-1-3)の境地だ。
当然、世俗「一切内」の縁起の機能だ。
無分別の分別ともいう。
未到達者では、思いやりとか,同情とか、行動では無報酬ボランティアという。
>>673 おいおいw
隠居は大乗マンセー者だぞw
つか、その件も反駁済みだけど。
て、逃亡かw
>>671 への感想、待ってるぞwww
676 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:34:55.00 ID:jMfYsCLO
>>673 竜樹は「相互依存性・関係性」という新しい原理で、釈迦のミスを是正
した。
大乗は、釈迦を「象徴化」し、「飾り物」の地位に追いやることにより、
「開祖個人盲信」から離脱し得た。
677 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:42:26.89 ID:sYAhDGN4
>>667 >釈迦が「己を我を以って無我を説いた」のは、初歩的な論理ミス
仏は、無矛盾(無分別勝義)を矛盾(分別世俗)の内に説く。
我(有我:分別)は我(有我)ではない(無我:無分別)、
よって我(有我)と名づける(無分別の分別)。
一切存在は言語ゲーム<言語として仮設され、意味として仮説される>として縁起している。
>>676 前段は誤読でしかないがw、
後段の構図的抽出は、仏教を歴史的・文化的に見る上では有意義な視線と言っていい。
(一代はこういう見方を嫌がるだろうが・・・(^^;))
仏法の認識論の根幹をなすものの一つに、「三諦論」がある。「諦」とは「つまびらか」「あきらか」という意味。 「空」「仮」「中」の三つの立場を考慮しつつ、あらゆる物の姿、本質をみるときに、そのものの実相を把握できるというもの。 「仮諦」とは、そのものの外面に顕現し、人間の感覚によって知覚できる映像が、これに相当すると考えられる。 我々の身体も、宇宙の流転にしても、万物は一瞬といえども留まることはない。我々の身体も、、絶えず新陳代謝を繰り返し、固定した静態ではなく、ダイナミックに動いている。 その姿が、映像として知覚され訳だ。しかし、知覚された姿そのものは、「仮のもの」としかいいようがない。
680 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:47:59.75 ID:jMfYsCLO
>>677 いくら脳内屁理屈を言っても無駄。
真理は、衆生(生活者)の「生存努力」の中にのみ存在する。それから離脱
することを、「人間の狂気」と呼ぶ。
681 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:52:43.53 ID:sYAhDGN4
>>676 竜樹は「相互依存性・関係性」の結節点に実在性・実体性=自性を認めていない。
自性に対する執着を生むからであり、空(無自性)でなければならない必然性がある。
逆に言えば、空(の如く)だから執着も可得もありえない境地で苦しみが終わるのである。
一体何の為の仏法かが掴めていないから、無用な議論と揶揄言辞に終わるのである。
隠居は、苦楽併せ呑むことを理想とするからなぁ・・(^^; そりゃ、ピュアな仏法とは相容れないよな・・w
683 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:56:19.25 ID:sYAhDGN4
>>680 >脳内屁理屈
反論になっていない。
一体何の為の仏法かが掴めていないから、無用な議論と揶揄言辞に終わるのである。
684 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 15:00:00.72 ID:jMfYsCLO
「師の誤りを正すこと」は、弟子の「最大の義務」である。 優れた師にとっては、弟子が師を超えてくれることが最大の喜び。 さもなければ、「優れた師」とはいえない。 仏典には、「弟子が師を超えることの重要性」を説いたものがあるはずだ。 他の宗教には見当たらないようだ。
685 :
ノスタルジア :2013/01/03(木) 15:00:17.47 ID:2LJTVDwF
還相回向ってのは、極楽往生した人天が仏になって、この娑婆に顕現することであって、 それは全くの光である。しかし此処で光が肉体として顕れるという表現が一般認識であろうが、 その一般認識は、朽ち果てる。私が朽ち果てさせる。なぜ朽ち果てさせるのかというと、 肉体は光ではないからである。なぜなら光であるなら、輝いているはずでありますが、 肉体はどう見ても輝いてないからです。それは洞窟の真っ暗闇に肉体が入っても光として 輝かないからです。では、どこにその光の仏達はどこにいるのでしょうか?
続き この「仮諦」に対して、「空諦」とは、あらゆる現象の特質を指す。それは実在として捉えることは出来ないが、まさにこれを無視しては、実在を正しく捉えることは出来ない。 「中諦」とは、これらの「仮諦」「空諦」を包含した本質の実在を指す。それは、姿、形などを顕現させ、あるいはそのものの特性や性分を決める生命の本源的実在であり、姿や形が変動しても、そのなかに一貫して貫かれる不変のものといえる。 しかし、「中諦」と言っても、「仮諦」「空諦」のなかに現れるのであり、それらを離れて、別の実在としての「中諦」があるわけでもない。 万物の実相は、この「空」「仮」「中」が一体となり、それが三つの現れ方をしていると考えられる。
687 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 15:22:52.84 ID:jMfYsCLO
>>682 >苦楽併せ呑むことを
生存自体が「苦楽並存」の世界。一方がなければ、他方もない。
一方のみを語るのは無意味。「苦」「苦」「苦」と鳩のように鳴いて
いた釈迦には、「人間の生存」についての洞察が欠けていた。衆生は
すべて悟っていること。
>>687 だからw
『概念的“対”』と『同時存在的“対”』を区別しろってーのw
689 :
ノスタルジア :2013/01/03(木) 15:27:13.33 ID:2LJTVDwF
俺は自分の言葉、異常なほど、大事にしているぞ。 だから、言葉は俺から離れないと言ってみたりするし。 今の俺の考えでは、「それ」が「あっち」にいるなら、「ここ」にいる「ぼく」はもとに戻るから。 もとに戻れば、評価なんてないし、もともと平凡なぼくなんだ。 「ここ」を閉眼して「ぼく」を取り残し、「あっち」を開眼して、「それ」が「あっち」にいるなら、 それでいい。 そのような閉眼と開眼の基本的なことが出来ないのが俺なのである。
690 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 15:40:18.59 ID:jMfYsCLO
>>688 「同時存在」でなけければ「対」とはならない。過去も未来も、考えている
のは「今ここの生命」である。
阿弥陀如来の回向に二種類ある(還相、往相)としている人が多いようだけど わしは一つの回向に現れる、二つの相という立場が好きだ(曇鸞だったかなw) 親鸞がわしの目の前で念仏したとして、わしには還相にしか見えんと思うけど 親鸞にしたらまっすぐに浄土を見てる往相でしかないようなかんじ。 で、ここで他力! わしら屑の念仏でも実は往相、還相の二つの相をちゃんと持ってるんだと思う。 ただわしらは屑だから薄らぼんやりとしか見えてないけど。
>>674 無分別の分別了承した。
即ち未到達者はいないということだ。
君は思慮が浅すぎる。
我のある状況で慈悲心は起こり得ない。
釈迦や竜樹が何者かであると思っている以上は無分別とは言えない。
693 :
基地子菩薩 :2013/01/03(木) 16:28:42.67 ID:67ysXgGm
では、無分別とは嗜好性の止んだ状況であろうか? それは違う。嗜好性が止むはずがないのである。 食べ物と石の分別が無いはずが無いのである。 即ち無分別もまた架空のものである。
即ち恣意性と嗜好性は人間であり生きている以上は止むはずがないと断言できる。 しかし、状態としてはそれらが弱まると確認はできる。 あくまで程度の問題であり努力の末に2度とこの世に戻らない状況に至ることが できるのか?は謎ではあるが生存という渇愛を捨てる努力は必要であろうと 思われる。
696 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 17:19:44.68 ID:oSAUH6Bd
釈迦は、煩悩とは「状況に応じて生命(肉体)を維持するために不可欠な 心的作用」であることに思い至らなかった。 人間のすべての営みの根源である生命(我)を「無明」呼ばわりした釈迦は、 完全な倒錯者・精神病者に過ぎない。
>>696 そうともいえない。
なんにも無い状況に人間が置かれれば狂うかもしれないが、
生命を維持するのに煩悩は必ずしも必要ではない。
最低限度の生活環境さえあれば人は生きていけることは
極寒の地や酷暑の地で生きる人を見れば明らかであり、
なんでそんな所で暮らすか意味がわからないが、
悟りを求めるわけでもなく普通に生活しているのだろうと推察できる。
698 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 17:46:18.31 ID:oSAUH6Bd
>>697 「煩悩」という心的作用をよーく観察・分析してみるとよい。必ず、最終的
には「生存」という「生物としての人間の究極的本質」に繋がっていることに
気付くであろう。
竜樹は、「何故盗んではならないか」を、「生存」の見地から説いている。
さすがと言わざるを得ない。
人間の究極的本質とは渇愛である。 が、人は呼吸なしで生きられないことから渇愛を 完全に止めるということは不可能である。 が、欲望に際限なく生きる人もいれば、 そうでない人もいる。 人により程度というものがある。 盗みたいは生存であり、盗まないは死亡である。
生きたいというベクトルが極限まで追い詰められた時、 人は容易に暴徒となる。 その事例は世界歴史を見ても枚挙に暇がない。 (それ(煩悩)を抑え、節度を持って社会的に共生する爲に有効なツールが理性であり、 直感的・感情的・欲望肯定的でない視線であり、我の抑制なんだがな・・。) 自身の生存を優先させた時(自身の煩悩を肯定したとき)、他者は易々と踏み台になる。 隠居の醜悪な点は、自説を尊重するあまり、こうした『現実』に見て見ぬフリをするところだな。
盗まなきゃ死ぬという状況になれば、おそらく余裕で盗むだろう。 そうならないためには盗まずにすむ自助努力を行わなければならない。 戦争で飢餓状態になり仲間の死肉を食った人がいるという話を聞いたことがある。 話した人はどうしても食べることができなかったと言っていた。 仲間の死肉を食べないと死んでしまうという思いは空だといえる。 俺がその場にいたとして、どのような選択肢を取るかわからないが、 そのまま飢え死ぬか、銃で自殺の道を取るかも選択肢に入れると思う。
>>701 それは、
「食べたい(空腹という苦を解消したい)」という欲求を抑え、
「自らの生存を(生存欲求を)放棄する」
(つまり、「自らの生存」よりも、「苦」及び「死(自らの生存の放棄)」を選ぶ)
ということだが、隠居理論からすればキチガイ沙汰でしかない。
その場では、やはり、
生きるために殺し、喰らわねばならないと思う。それが生物の本来の姿だ。
それを躊躇する時、もはや生物としては欠陥存在であろうよw
703 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 19:22:47.76 ID:N8na23O0
>>671 遅くなった失礼
人間は「鰯の群れ」とは違う。迷っている時は別にして、
人間の意志は常に統一されている。人間が、五蘊をかき混ぜた存在ではなく、
最初からひとつの実体であることを予想させないだろうか。
五蘊仮和合は仏教の仮説にすぎない。
龍樹は中論で、人間は縁によった存在である、と主張している。
しかし最後の最後で、自分はそんなもの(主体)を見たことがないからだと
正直に述べている。中論は結局、龍樹の体験を語っているに過ぎない。
704 :
ノスタルジア :2013/01/03(木) 19:23:51.68 ID:2LJTVDwF
私はなぜ生きているのでしょう?それはもう、賢と愚の人間性に左右されることが生きているという ことではありません。私が生きているのは、イデアをみんなに見せるために生きているのです。 あなたたちのイデアを想起させるのはもちろん一人一人のあなたたち自身であります。 しかし私のイデアをあなたたちに見せることは出来ます。しかしあなたたちは、 それをそのまま受け取ってしまうのではなくて、私を才知の限界を迎えた人として 見て、私を超えないといけません。そうではないなら、あなたたちは私のイデアの 範囲でしか、イデアを知らないことになり、プシュケーとソーマの分離があまり 進みません。私の言葉だけで、イデア界にいることが可能ならば、私はなぜに、 イデア界にいないのでしょうか?その謎から、私だけの言葉では、イデア界に いることは不可能でしょう。やはりプシュケーとソーマの分離を完全なものに しなければなりません。私は途中ですが、宗教だけでは、けっして、いい思い しないでしょう。僧とは私は宗教から逸脱しつつある言葉であると受け取ります。 そして僧は哲学者と科学者と芸術家の側面を持っています。
705 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 19:31:24.46 ID:N8na23O0
人肉が食べられるかどうかだって? 答えは簡単、その人を愛していたなら食べられないよ。
706 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 19:35:27.84 ID:N8na23O0
運命を共にするのが愛だよ
>>702 仏教徒であるならば、生存の放棄を選ぶだろう。
それが苦であっても一時的なものである。
人間とはそれができる存在である。
しかし、殺される危機にある場合の殺人は肯定する。
余裕で返り討ちにすればいいのである。
708 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 19:40:35.15 ID:N8na23O0
話が前後したけど、>>703の続き 中論27章7詩「・・・しかし[そのようなものは]認識されない。」 そうでないことは、釈迦や世親や空海や夢窓などが証言している。
709 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 19:44:12.21 ID:xsShIFVB
>>700 釈迦も君らも、洞察が浅薄。
生存本能(生命)は、「独りでは維持できない」ことを、これも本能的に
知っているから、生存本能から、共同体形成維持の本能、自他の死への恐れ、
他者への思いやりなどという本能や自然の感情が派生する。
「善悪」とは、「自他の生存を助ける行為を善」「自他の生存を害する行為を
悪」とする、生存本能に基づく共生のための技術概念に過ぎない。
生存のための戦争では、相手を皆殺しにしたら、生存に必要な物資やサービス
が得られなくなる、また、味方の犠牲も多くなる、という計算が可能であるから、
適当なところで和解が可能になる。これを、生存本能による自動制御と呼ぶ。
生存に無関係な宗教戦争では、人為的な宗教観念によって生存本能が破壊されえ
いるから、あるものは、宗教観念による根拠の無い憎悪のみであり、この
自動制御が作動しないから、相手を(ほとんど)皆殺しにするまでは、止める
ことが出来ない。史上の宗教戦争の実態を精査すれば明らかである。
洪秀全が一冊の聖書を手にしたことから始まった太平天国の乱での死者の推定
合計は5000万人。「宗教の狂気」以外の何物でもない。
>>703 >最初からひとつの実体であることを予想させないだろうか
冷静に自己を観察すれば、そうではないということが“判”るわけ。
だからこそ、@「戒」(節制)とA「定」(安静と観察)が必須なわけ。
そうした観察の後、B自らの言動をコントロールしてゆくところに、真に仏法が顕現するわけ。
これら三つを抜いたものを「仏教哲学」と言ってもいいかもしれないw(或いは「2ch仏教」と。)
>人間は「鰯の群れ」とは違う
そう。違う。 だが、相似していると見るべきだし、実際に相似している。
少なくとも、冷静に自己観察した者はそのように見る。
他者(冷静に自己観察をできていない者)はそれを狂者と評するだろうが仕方ない。
そこはおそらく永遠のw平行線だろうよ。
>五蘊仮和合は仏教の仮説にすぎない
勿論そうだ。違う文脈(違う観察領域・手法)では異なった表現がされることだろう。
が、諸法の(各事象の)在り様の“相”の分析としては表現が異なるだけで、
その相への視線のとり方には共通性があろう。
語弊を恐れず喩えれば、
或る果実をリンゴ(五蘊仮和合)と称するかapple(****)と称するかのようなものだ。
>>705 愛するからこそ、思慕するからこそ、尊敬するからこそ、畏怖するからこそetc.etc.生じるカニバリズムも
どこかにあったような気がするが・・。
>>709 だからw
アナーキーな状態で生じる暴虐は、他者の生存を脅かしているが?
しかし、彼ら暴徒は欲求に従っているだけだ。
欲求にしたがって暴虐を行い、
同じ共同体構成員の生存を脅かしたり財産を収奪したり命を奪ったりすることは
どう説明するんだ?この暴徒達のどこに
>他者への思いやりなどという本能や自然の感情が発生 してるんだ?
どこが
>共同体形成維持 に役立ってるんだ?
あ、増え過ぎた人口の淘汰か!! なるほど。そりゃ単純明快で解り易い。
712 :
絶対神 :2013/01/03(木) 19:53:28.84 ID:PTA3QTlP
>>709 寧ろ、宗教戦争は生存のための戦いであり
『相手を全滅させなければ、食料や耕地などが確保できなかったら全滅させたのが本当である』
大陸は面積のワリに大昔の未熟な技術では暮らしていける領域が狭かったので
「生き残りをかけて異民族を全滅させたというのが本当であって」
『宗教的理由は、後付けにしか過ぎない』
713 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 20:07:19.83 ID:xsShIFVB
>>711 >アナーキーな状態で生じる暴虐は、他者の生存を脅かしているが?
具体的には?生存のための暴虐があるとしても、それは宗教を原因とする暴虐
に比べると、規模と態様が桁違いに異なる。
たとえ生存のための暴虐でも、人を殺すことには良心の呵責が伴う。宗教の場合
には、異教徒を殺すことに、宗教的な歓喜を覚える点で、両者は本質的に異なる。
人間は何故人肉を食わないのか、食っても不味いのか。これはレヴィナスが
呈した質問である。人間以外の動物は、同じ種属の動物を殺し、またその肉を
好んで食うのだろうか。
714 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 20:08:14.76 ID:N8na23O0
御隠居より、絶対神の方が正論だな
ボキボキが効いてきたか
即ち宗教には執着というものがあり、病理性があるということは肯定できる。 信じるが故の夢遊病ともいえる。 戦争や宗教など暇つぶしに過ぎない。 巻き込まれないための自助努力というものは必要不可欠といえる。
>>713 >人間以外の動物は、同じ種属の動物を殺し、またその肉を
>好んで食うのだろうか。
結構居たりするw
718 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 20:20:09.14 ID:xsShIFVB
>>714 絶対神は、重症の統合失調症で療養中の患者さんw。自分でもそう言っている。
開祖を含め、精神病の患者がマトモで偉く見えるのが、宗教患者の著しい特徴w。
精神病が既に感染していることの明らかな証拠。
716の続き と、教えてくださった釈尊に完全にひれ伏します。
720 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 20:28:42.43 ID:N8na23O0
>>718 自分は別だってか。だめだよ、そういった差別意識は。
反対者や気に入らない相手を精神病にするのはナチだけでなく、
独裁者の常套手段だよね。
721 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 20:31:37.21 ID:umNDQ1hK
>>353 >空思想先鋭化の犠牲者
というより唯のネラじゃね?
>>158 亀になったがありがとう。
申し訳ない、レスを見落としていた。
今は図書館開いてないから、開いたらざっと見させてもらう。
ちなみにこの論文書いてる人って誰?
何に投稿されたやつなん?
723 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 20:50:06.38 ID:umNDQ1hK
>>679 >仏法の認識論の根幹をなすものの一つに、「三諦論」がある。「諦」とは「つまびらか」「あきらか」という意味。
根幹ではないね。天台宗による二諦の解釈で、天台宗系以外では用いない
この場合、諦は、真実、真理、まこと、というような意味
本来、中論の三諦偈といわれる24-18は、縁起が空性であり、仮設であり、中道であると説いているわけ。
縁起を三つの様相から説いている。
縁起したものは、空なる、中身空っぽな無本質なもの、幻、泡のように
仮設とは、習わしによってxと記号づけられて知覚され現れるというような意味
中道とは、その仮設されたxでもなく、非xでもなく、x且つ非xでもなく、
非{x且つ非x}でもないという、人間の知覚、論理的認識を超えた寂静な境地であることを示している
724 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 20:51:41.72 ID:xsShIFVB
>>712 >『宗教的理由は、後付けにしか過ぎない』
宗教者お決まりの言い訳。
宗教戦争が、異なった宗教・宗派間だけに起きるのは何故かね。
戦争には、様々な要素が介在するが、宗教戦争の場合には、人為的宗教観念の相違が
最大の「憎悪原因」であることは否定できない。
私は、日本の歴史には珍しい戦国時代の大殺戮が、キリシタンの到来によるものとの
仮説を立てていたが、下記の書によって、歴史学的にも、私の仮説が証明された。
「宗教で読む戦国時代」(神田千里著、講談社選書メチエ、2010年2月10日発行、
定価¥1600)
725 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 21:01:50.39 ID:xsShIFVB
>>720 現代の精神医学では、精神病は、脳内神経伝達物質の異常という「身体の病気」で
あることが解明されている。風邪や下痢などと同じ。「人格的な差別」と見る君こそ、
精神病者を差別していることになる。
絶対神は、重症の統合失調症で治療中だと、自分で言ってることだ。
726 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 21:04:01.40 ID:umNDQ1hK
>>724 その宗教戦争がおこった立地条件を考えた?
あそこらへんは自然条件が厳しいから組織化しないと生きてけない。
で、その組織間で争いがおこる・・・
あのへんでは皆殺した方が有利。(生存にはね・・・)
でも、大概の文化は人殺しを忌避する。
そこで宗教を使ってその辺の罪悪感を停止させる。
宗教が原因じゃないと思うぞ
宗教は道具だ
728 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 21:41:26.22 ID:DPDucZTf
>>726 すまんかった、見落としてた。
leeの論文の情報はありがとう。
抄録みる限り確かに指摘されてんね。
また読んでみるわ
ありがとう。
730 :
ノスタルジア :2013/01/03(木) 21:58:33.84 ID:2LJTVDwF
天上界でイデアを見て暮らしていたんだけど、汚れがあったので、 追放されて、肉体(ソーマ)の牢獄に閉じ込められたのが、少なくとも私なのです。 んで、天上界(=天国)ってのは、神々や天使や天人がいるんだけど(キリスト教、ギリシャ哲学、仏教)、 人はそこにはもう戻れないと思ってて、なぜなら罪であったり、悪であったり、肉体(ソーマ)の牢獄であったり、 そのようなものを真に受けて、罪悪感や、虚無感や、悪意に変わっていくんです。 だから、道というものは本来なくて、賢と愚もなくて、宗教もない! だからキリスト教も仏教も・・・etc・・・何もないのです。 あるのは自分の哲学と思想のみです。夢(マーヤ)から人は魂を主(キリスト)に戻すことが 出来ます。(インド哲学)。 私は最近、南無阿弥陀仏を称えたいという気がなくなりました。 つまり、私の意志でどうにかなるものではないことに気づきました。 だから極楽浄土という南無阿弥陀仏の延長線上にあるものも、往生したい という気はなくなり、しかしこれからもあるのは、私の南無阿弥陀仏という声が あるのでしょう。言葉でどうにか出来ないし、するようなものではないのかも しれません。以上です。
731 :
ノスタルジア :2013/01/03(木) 22:21:08.97 ID:2LJTVDwF
仏国土に魂と肉体の分離のないまま開眼したらどうなるでしょう? 間違いなく、魂は仏に支配されます。 しかし私は神秘体験をした人が、神であると名乗ることにただならぬ違和感を 感じています。 これは神秘体験ではない、何々だ! と言い返してくるでしょうが、 しかし才知の限界を迎えたただの道を歩む人にしかすぎないのに、なぜ、 そこまで・・・。 カルト怖えーーーーーーーーーーーーーーーー wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 今日はもう寝るわ!
732 :
ノスタルジア :2013/01/03(木) 22:22:28.06 ID:2LJTVDwF
カルトって何なんですか? なぜみんなあんなに騙されているんですか? 宗教に何であんなに・・・。
733 :
基地子菩薩 :2013/01/03(木) 22:55:30.96 ID:67ysXgGm
>>732 / : : : : : : : : : : : : : : : :\
. / : : : : : : : : : : :/: : : : : : : : : : :
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i.: : : : : : : :i: :.:/|//イ / ハ∧ト、: :|:
|.: : : : : : : :|: /,ィア心.j/ r心 ∨l:
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ヽ : : ',: : : :ト (^7 . イ:.八
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`⌒ゝ'〈__>く_}(`ーr
/ ヘー
>>723 「三諦」
天台宗で、実相の真理を明かすものとして考えられた空・仮・中の三つの真理。すべての存在は空無であるとする「空諦」。すべての事象は因縁よって存在する仮のものとする「仮諦」。すべての存在は「空」「有」でもなく言葉や思慮の対象を越えたものであるとする「中諦」。
とあるが?
735 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 23:17:43.86 ID:umNDQ1hK
>>734 それは天台の解釈ね
オイラのは中論の原義、因みに中論のこの解釈はアーガマ・ニカーヤに拠っている
つまり、インド仏教本来の解釈
天台のは空と仮を対と捉え、中をそれを超えたものとするものだけど、
そういう解釈もありだと思うけど原義ではなく
天台系以外では、その解釈はとらないと思うよ〜
一挙に全て 一度に全て 苦も楽も、自も他も本来は分かたれていなかったのか 過去も今も未来もただ、一なのか 善悪もひとつのものの、二つの視点にすぎないのか 分けて考えてるのは知の性質だけど 実在の性質ではなく、分別などなかったのか 釈尊はだから、すでに自分におられるのか
737 :
基地子菩薩 :2013/01/04(金) 00:11:00.21 ID:S+cSkec7
/ : : : : : : : : : : : : : : : :\ . / : : : : : : : : : : :/: : : : : : : : : : : . ,′: : : : : : : : : :/-‐:/ : ∧ヽ:_: : : :} i.: : : : : : : :i: :.:/|//イ / ハ∧ト、: :|: |.: : : : : : : :|: /,ィア心.j/ r心 ∨l: |: : : : : : : : V/ ん:::゚j ト::゚j i ハ:| |: : : : i : : : :|:c弋/ソ Vソっ: j:| ': : : : i : : : :| ::::: ' :::::: j: リ:{ お休みなさい♪www ヽ : : ',: : : :ト (^7 . イ:.八 \:{\: :V ≧:y -rv‐</|:ノj: `⌒ゝ'〈__>く_}(`ーr / ヘー
∧∧ ∩ ( ´∀`)/ ∧∧ ∩ ⊂ ノ ( ´∀`)/ (つ ノ ⊂ ノ ∧∧ ∩ (ノ (つ ノ ( ´∀`)/ (ノ ⊂ ノ (つ ノ ∧∧ ∩ (ノ ( ´∀`)/ _| つ/ヽ-、_ / └-(____/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ <⌒/ヽ___ /<_/____/
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? _,,..,,,,_ <⌒/ヽ-、___ ./ ,' 3 `ヽーっ /<_/____/ l ⊃ ⌒_つ  ̄ ̄ `'ー---‐'''''" ∧∧ ( ・ω・) ! _,,..,,,,_ _| ⊃/(___ ./ ,' 3 `ヽーっ / └-(____/ l ⊃ ⌒_つ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `'ー---‐'''''" ∧∧ ( ・ω・) … _,,..,,,,_ _| ⊃/(___ ./ ,' 3 `ヽーっ / └-(____/ l ⊃ ⌒_つ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `'ー---‐'''''" _,,..,,,,_ / ,' 3 /ヽ-、__ <⌒/ ヽ /<_/____/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
なんだか、仏教から離れて言っとるねえ 顛倒している点から何を考えても、結局、その視点から見る思想をぐるぐる繰り返しているだけだよ 自分が依って立つ土台を見つめなければ何をしても得たいものは求められない 常楽我浄を見つめ直したほうがいい
>>707 自分一人なら死を選ぶだろうね
でも、俺は家族を犠牲にしてまでも相手に虐殺されることは選ばないよ
俺は出家してないしな
仏教は世間事には関与しない
世間事については世間の作法に従う、何度も言ってることだけどさ
俺が真宗で、どんな犯罪をおかした者についても、大事な存在であることを示しているからと言って その犯罪者を死刑にしないとかいう意味ではないことに注意してほしいな そこが、そこらの人権論者とは一線を画すところだ。 生というものを前提に営まれている世間と出世間である仏教とは異なる 岡倉天心もそこらの著述については日本は別立されていたときちんと言っている 王法と仏法が別世界として存在しているという考え方なのだよ、仏教は。 真宗では生きるということについては自助努力を進める しかし、人間はただ生きるために生きているわけではない。 苦しくともどうして生きなければならないかを考えるとき つまり、生という前提を疑うときに持ち出されるのが仏教であり 真宗はその答えについて、自力を捨てることを勧めているということ。 何度も言っているけど、他力本願とは自堕落に暮らすことではなく 絶対他力、この私という存在が大事な存在であるということについて、自力の功を一切はさまない すべていただきものであるという意味であり、それはむしろ生きることを積極的に肯定する。 ただ生きていることに疑問を持たないものはそのまま生きればよろしい それに自己のみの営利を求めない限り、さして問題は存在しないであろう 酔生夢死するのも一興であろうから
皆さま、
新年明けましておめでとうございます m(__)m
数日、家を空けて、
成田山(別院)の初護摩/初詣に行って来ました。
暫くの留守中に随分とスレが伸びていましたね。
年明けの新参も増えたようで何よりです。
私も含め、どうか皆様にとって実り多き年となりますように!
>>260 >>前スレ541
ありがとうございます ヽ(´ー`)ノ
745 :
基地子菩薩 :2013/01/04(金) 06:24:34.46 ID:S+cSkec7
>>743 自然法則こそが絶対他力であり神なのさ
自力なければ他力なし
スッタニパータにある犀のようにから逃げようとしてもダメだよ
仏道修行者は自助努力して犀のようにならんといかんという
ありがたい教えを提示された釈尊にひれ伏します。
747 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 08:44:06.94 ID:sbsvQQk7
>>746 開祖にひれ伏すのは自力ではない。それは卑屈な服従。衆生心により開祖の
誤りを正し、開祖を超えるのが自力。真理は、衆生の生存努力にのみ存する。
精神レベルが低すぎるので驚くな 君らは韓流でもりあがってる奴らを卑屈な服従と言うか? 彼らは好きだからやっていると言うだけだろ あるいは周りのみんなが盛り上がってるから私もした、みたいなさ 一般人がどれほど考え、一体どれほど自主的に生活しているというのか 俺の大学のときの知り合った哲学の先生でも、本当に自分で考えている人間など稀だと言っていた。 人間にとって自分で考える部分など限られている ほとんど過去見知りもし聞きもした誰かのセリフを借りてきてしゃべっているようなもんだ かくいう君の他人に屈従してはならないという考えについても 本当に自分が選び取ったものなのか?刷り込まれたものなんじゃないか? 嫌悪感、気持ち悪いから、といった漠然と過去から想起してきた経験を 自分そのものと思い込み、それを守ることに躍起になっているのじゃないか? そういう人間こそ宗教に転びやすい いや、別にそういう思想が悪とは言ってないよ、君が好きならそうすればいい 愛国心も刷り込みだ!そうなのかもな、何にも束縛されない真の自由こそが人の幸せ、そうなのかもな 束縛の中にも自由はあるよ、単に自分が適応できない言い訳を自由に求めないようにしないとな
749 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 09:25:27.69 ID:N61iVRd/
>>748 いや〜、そういう政治的な発想は筋違いでしょ
政治的な発送じゃないでしょ トピックは服従することが悪かだ
751 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 09:51:47.32 ID:N61iVRd/
>>750 >トピックは服従することが悪かだ
そういう発想が政治的、あるいは世俗的で仏教とは、全く逆なんだけど
すまん、じゃあ政治的、世俗的の定義を言ってくれ 服従がそれとどうちがいがあるんだ? 帰依、帰命、南無と何がちがうか教えてくれ
753 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 10:39:52.43 ID:PmZWFs6G
>>748 すべての創唱宗教が、開祖の精神病から発生したという点で、宗教は
人間の他の生存の営みとは全く異なることを自覚することが必要。
宗教のみは、生存を軽視否定する。生物の営みとして、矛盾であり、
病的。
宗教だけは、面白いからやるのは、精神的に極めて有害。
精神の病気とはこれ如何に? その境界は誰が決めるの?その基準はどこにあるんですか? 盲信するのではなく、自分で考えてごらん
755 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 10:44:44.53 ID:N61iVRd/
>>752 いや、そんなこと聞いてもしょうがない
なぜなら、君の判断基準が世俗的だからだ
君の判断基準で仏教を世俗的フィルターを通してわい小化しても意味がない
ここで話したいなら、その判断基準を捨ててからじゃないとなあ
だから、世俗的の定義を言ってみろよ
顕微鏡で、肉眼で、望遠鏡で、永遠っていう尺度で みてるものは変わらなくても見え方は違うから、 分別とか分類で表現してるけど、 その対象はただの一個のものなのかもしれん どう思う?
758 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 11:11:36.58 ID:N61iVRd/
>>756 いやいや、定義って手法が、ソクラテス以来の間違った方法だし、
それより、もともと君の場合答えは自分の中で出てて、
単にここで論破しようと思って書き込んでるだけなんじゃないか?
そんな無駄なこと止めたほうがいいと思う
オイラもこれで止めとくは
759 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 11:18:28.73 ID:PmZWFs6G
>>754 >精神の病気とはこれ如何に?
宗教に嵌る前に、精神医学を深く学んで、開祖の精神医学的観察を行なうこと
が必要。
すべての生物を観察せよ。過酷な自然に耐え、常に「生存」しようと努力
している。植物の根は、岩盤さえ押しのけて伸びる。人間も例外ではなかった。
生を否定する宗教は、その点だけで、すでに生物としては矛盾・異常・病的・
欠格であることを自覚しよう。
いやいやいや、じゃあどういう意味で言っていたんだよ 基となる根拠があるはずだろ 俺は、上でも書いているように世俗とは生を前提に営まれている世界だよ 死が訪れればすべてが無意味となるし、生死の境界には踏み込まない 生死の問題を解決するために菩提を求めるのが出世間であり沙門てもんだろ
>>759 別に生存競争に敗れて、はいはい負けました、死にますで納得できるなら
そういう生き方もありだな
その覚悟ができているならの話だが
たいていの人間は何も考えず生きているだけだから、きっかけとして宗教は必要だと思うよ
世界でも宗教をもたない人間はほとんどいないよ
762 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 11:26:37.38 ID:PmZWFs6G
>>760 死ねばすべては無。いくら足掻いても、解決などない。
死があるからこそ、限りある生が尊い。
>>741 おもいっきり強引にwiki抜粋
常 - 仏や涅槃の境涯は、常住で永遠に不滅不変である
楽 - 仏や涅槃の境涯は、人間の苦を離れたところに真の安楽がある
我 - 仏や涅槃の境涯は、人間本位の自我を離れ、如来我(仏性)がある
浄 - 仏や涅槃の境涯は、煩悩を離れ浄化された清浄な世界である
煩悩も、煩悩だらけの自分も、それをとりまく環境も、永遠とか実在とかの観念も
何らかの表現とか表出で、それらはすべてひとつのものの別々の現れ方なのだとしたら、
それらの表出は本来のものじゃなくて、だから真実には形がないのか?
真実無相=実相とかこれなのか?どう思う?
>>763 いや、俺が言いたいのは
そういう分析もさることながら、それを我が身のこととして受け止め
自分が依って立つ土台を見つめ直して欲しいということだよ
>>764 実相を知り、自他同一を思い生きなければならない
人生のための土台的思想として、
タヒぬまで実相を持ちながら学び続けるという生き方を選び
まっとうしようとする、しないといけないということですか?
766 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 11:34:49.75 ID:PmZWFs6G
>>763 >それらはすべてひとつのものの別々の現れ方
すべては、生物としての根源である生存本能(生命)の現れ方。
それ以外の根源はないし、また、あってはならないもの。
>>766 すべてっていうのは、宇宙中に居る全部の生き物のこと?
星とか岩石とか、水とか物質とかも生物とみなしてるの?
生存本能、生命が実相っという解釈なの?
>>765 うーん、俺が答えを知ってるわけじゃないよ
それは君が俺を土台にしようとしてるだけだろ
そういう風にしているかぎり、君はなんにも変わらないと思うよ
「自分はこう思う」と自信をもって言えることを言わないと。
でもまあともかく
実相を知り、自利利他の精神で生きるというのが大乗のあり方だね
そうしろとは言わないさ
>>768 勉強不足でした。
中村元教授の本って仏教を学ぶ上で有効なんでしょうか?
評価は高いですか?
>>769 別に俺はなんとも言えず
俺は日本の伝統的な宗派から入ったから
勉強するのはたいてい古本で、細かな教義まで詳述してるやつだし
一般向けはあまり読んだことない
ただ仏教辞典はもってるな、言葉がどこから来ているか見るのは
あらゆる書物に通じていないとできないことだから、見るたびに驚かされる
個人的にはとても尊敬しているよ
経の現代語訳があってもそこからすべてを読み解くことは難しいと思う
やっぱ論、釈がないと
>>770 かさねがさね丁寧な解説ありがとうございます。
近所の古本屋をあさってみます。
772 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 12:36:41.22 ID:a17L2Fl2
自力というか、自分の力で考えるとはどういうことなのだろう? 当たり前に思ってるけど、意外に難問じゃない?
>>772 考えると思うの違いもよくわからないわ
こころを別の言い方に変えてるだけかな
774 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 12:45:32.69 ID:a17L2Fl2
自分だと思って発言したり行動していても、 実際には、だれかに影響されたり、洗脳されているだけなのだろう。 たぶん、だいたいがそうなのだろうと。
>>774 なんらかの外的要因が一切ないところを想像して
そんなところでもし生きてたら、心は生じるのかねぇ
難しいね 俺は、イメージをつくることだと思ってるよ イメージというのは実像のことなんだけど 一つの切り口、側面、アスペクトからの観点だと 一面でしかそのものを理解していない だから、別の切り口で質問されればどう答えていいか分からなくなる だけど、自分が疑問に思ったことを直に自分の体験として 確認していくと、自分の中でそれが何かということを把握しているから 質問されれば、そのときその実像を切り込んで、そこから自分の言葉で表現できるようになる 自分で考えるというのは、そのイメージをつくる過程だと思う
777 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 12:50:20.68 ID:a17L2Fl2
>>773 思う → 何も考えないで、単に何となくそう思う。
考える → その善悪、正否を<自分の基準>に照らして検討する。
778 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 12:52:34.79 ID:INmY1RxO
そもそも他力とは、念仏者を浄土に往生させる阿弥陀仏の本願力のことであり、 これに対する自力とは、本願力に頼らずに修行することである。 「阿弥陀仏の本願力」というわかりやすい目印がある。 それ以外に、いたずらに「他力」「自力」の概念をもてあそぶ必要はない。
>>778 他力本願と本願他力の違い(?)は五木寛之で初めて知って
めがうろこになった
780 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 13:00:21.07 ID:INmY1RxO
>>779 他力本願と本願他力の違い?
存じ上げませんが、違うんですか?
>>778 そっすね、教行信証にたしかあったはず
歴史上、他力という言葉をつくったのは道綽かな
正信偈で確認しただけだからちょと適当だが。
でも、論註には、他利と利他の違いの説明があって
他力というのは利他力の略で、
要は、弥陀が衆生を助けようとする力という意味ということだろうな
783 :
前世は一在家 :2013/01/04(金) 13:13:42.98 ID:FtqAEBYA
>>778 >そもそも他力とは、念仏者を浄土に往生させる阿弥陀仏の本願力のことであり、
>これに対する自力とは、本願力に頼らずに修行することである。
自力で浄土入りするのは聖道門、他力では浄土門とのことです。
つまり、他力の他とは私たちのこと
785 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 13:24:20.24 ID:a17L2Fl2
他力本願とは、だれかに洗脳されることかな。 それだったら、自力も似たようなところがある。 自力のつもりが、だれかの影響だったり、洗脳だったりする。
786 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 13:24:23.02 ID:I4xJ+lny
まあ、妄想だわなw カーラーマ経の精神で検証してくらはい
報身すな
788 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 15:11:00.48 ID:xBMrqkPe
>>767 >星とか岩石とか、水とか物質とかも生物とみなしてるの?
>生存本能、生命が実相っという解釈なの?
すぐに「宇宙」など持ち出さなくても、人間が存在・認識しうるこの地球だけでよい。
統合失調症の症状に「宇宙を持ち出す」ことがあるらしいw。
諸法実相を認識できるのは生命だから、生命が最上位次元。死ねば、認識は不可能。
生物と無生物の区別については、幾つかの基準があるので、くぐられたし。
>>788 地球にも生存本能があったのか?
区別するのが知性であるということと、
実相とは別問題とも思う
知性が区別してもしなくても、区別の対象は何の関係もないと思う
790 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 16:24:20.61 ID:N61iVRd/
>>769 中村先生より、水野弘元、片山一良、山口益、梶山雄一、長尾雅人の諸先生の方がいいよ
少なくとも仏教に関しては学会でも、そういう評価だと思う
>>790 中村先生よりそれらの先生はどうして評価が高いのですかね。
中村先生以外の著書はまだあんまり読んだことがありません。
興味があります。
792 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 17:06:06.96 ID:N61iVRd/
>>791 中村先生の仏教研究が基本的にドイツ文献学者に依拠したものなのに対し、
以上の学者は、独自の原典研究により正確に読み解いているからです。
なんでもいいんで翻訳を読み比べると分かると思いますよ
原典から比較すればハッキリわかることです
宗教が分かる人だったら精神病もある程度は何とかなる、という話。 そんで、医学の学会はノウハウがかなり共有されてます。そのほうが楽なので。 診療科目は宗派みたいなもの
795 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 19:23:00.76 ID:E3l54iD+
仏教の問題を整理しよう。 まず最初に、仏教は神を認めるのか、認めないのか。 古来、人間の思想や考えは二つのどちらかに帰属するのであり、 それを確認することで、その思想の特色が明らかになる。 大乗仏教は神を認めない。大乗仏教は「空」を説いて神を否定する。 如来や極楽は、善男善女をだますウソ(方便)である。
796 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 19:28:02.55 ID:mPer9lDl
>>794 信者は、開祖の精神病については全く盲目w。
現在、精神医学で応用されている宗教由来の治療法は内観療法のみだが、
これも宗教的要素は一切排除して使用されている。最近、各地の内観道場
に宗教が入り込んで、宗教化している感じがするので、しかるべき精神病院
によるものでない限り危険。
797 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 19:30:53.62 ID:mPer9lDl
>>790 上座部やチベット仏教に偏りすぎ。「日本の仏教」ではない。
798 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 19:46:40.82 ID:mPer9lDl
>>795 神など認めたら、一神教と同じになってしまう。一神教とは全く異なり、
仏教が2500年間殆ど人を殺さなかったのは、この忌むべき神概念を
排除した結果である。
中村元博士は、極めて強い口調で一神教を批判していた。
開祖が精神病というわけではなく、 持ち上げすぎて神格化させたヤツらが精神病なのだ 即ち、神=空=自然現象でなにも問題はない と教えて下さった釈尊にひれ伏します。 ちなみにひれ伏すとは屈服や服従でなく尊敬ということだ。 竜樹もその意味で使っている。 親を敬うとは屈服や服従でないのと同じだ。
800 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 19:57:47.67 ID:mPer9lDl
>>799 釈迦の精神病が、すっかり感染してしまっているなw。
釈迦が躁うつ病であることは、精神医学上明らか。
「神概念」が如何に有害であるかは、一神教の歴史と現状が如実に
証明しているではないか。
801 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 20:06:39.74 ID:E3l54iD+
>>795 の続き
仏教は神を認めないから、唯物論の一種だと思っていいだろう。
大乗仏教の「空」は現象の背後に本質を認めない。
本質がないから、あるがまま、現象こそがすべてという話になる。
この考え方は、死ねば終わりの断滅論に他ならない。
断滅論であれば、現象を超えた悟り(解脱)はありえない。
大乗の悟りは、妄想から妄想への引っ越しにすぎない。
死ねば終わりなら、仏教の何が有り難いのだろうか。
802 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 20:08:43.23 ID:N61iVRd/
>>801 それはないは、
せめて石飛道子『龍樹』ぐらい読んで
803 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 20:10:11.51 ID:jWCMbGOo
彼は、人の話を聞く気はしないし、人の本を読む気もないだろう。
804 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 20:17:08.35 ID:N61iVRd/
805 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 20:30:01.94 ID:E3l54iD+
>>801 の続き
神を崇拝するのが宗教ではないだろうか。
大乗仏教はその神を否定するわけだから宗教ではない。
神を否定する団体が歴史的に活動したことは事実である。
しかしそれが可能になったのは、宗教を偽装したからに他ならない。
かれらはウソ(方便)をついて善男善女をだまし続けてきた。
そのウソがばれたから、インドで滅び、中国で滅び、朝鮮で滅び、
日本でも実質滅びている。要するに大乗は邪教なのである。
神などいない〜そんな旗を振っていたら、だれが有り難がるものか。
自然現象を崇拝して何が悪いんだ? 神とは人間でなく、死んだ人間でもなく、名称もなく、形態もないものだ
釈迦の過ちは禁欲主義を推し進めすぎた所にある 確かに煩悩をなめてかかり過ぎたといえる それは即ち、自分=他人の勘違いが根底にある
808 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 20:52:55.05 ID:E3l54iD+
>>805 の続き
共産主義は唯物論の旗を振ったが、すでに瀕死の状態になっている。
大乗の旗はもっとたちが悪い。それは虚無主義の旗である。
それが虚無主義であることは、龍樹が『中論』で明らかにしている。
龍樹にだまされても「虚空」どまり。この現実ではない。
大乗は虚無主義を説いている。
これがわかれば、日本はもっと真剣に大乗根絶に動くかもしれない。
インドや中国や朝鮮では、この団体が危険だから潰されている。
俺の考える仏教はストア派のそれと全然変わらん しかし時代が下がるにつれの拡張因子は空といえる。 ゼノンやソクラテス段階が釈迦に近いのには違いない。 世界同時進行ともいえる概念の発起 そこにいったい何があったのだろうか?
810 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 21:17:44.39 ID:E3l54iD+
自然を崇拝することは、結局は物質を崇拝することに等しい。 かりに神がいたら、神の怒りに触れるかもしれない。 御隠居や絶対神の主張は独特なものがある。 しかし、かれらの考えに耳を傾けることも、洗脳解放に必要だろう。
会話だったら中身が無くても言い回しで感情的になることで 同意させることも出来ますがそれは間違いです。 それで、内容があって理解しやすいのがここと同じく 「三行」ほどにまとめたぐらいの要点をおさえたものです。
>>810 自然崇拝とは物質崇拝ではない。
物に捉われるなや物に悩むなは
キリスト教、仏教共通の教えである。
釈迦の教えは苦しみだらけの世の中を できるだけ苦を少なく生きようという教えでしょ。 後に時代が下って様々な解釈が付与されたけど 原始仏教における釈迦の教えは至極単純、 「できるだけ楽に生きる方法」 これだけでしょ。
>>813 即ちそれが禁欲主義の裏返しであると観察できる。
おそらく当時は戦争にあけくれるような欲望と殺戮の毎日であったに違いない。
815 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 21:43:42.02 ID:N61iVRd/
>>809 ソクラテスは似てない
ストア派が似てるのは、インドで仏教の教えを受けたピュロンの影響を受けているからだと確信する
ヘレニズムの専門家には否定的な人が多いが、セクストスなどからピュロン説を再構成し、伝承を総合すると明らかに影響を受けていると思う
しかも、セクストスの影響で近代哲学が始まってるから、釈尊の影響は当たり前だが、偉大過ぎる
816 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 21:54:20.35 ID:s6TV9t91
古代人に何故宗教や神概念が発生したかを考えてみる必要がある。 文明の利器など何一つなく、科学について無知蒙昧だった彼等が、厳しい 自然と闘いながら、ひたすら生存努力を続ける中で、彼等の生存を助ける、 又は生存を害する自然現象を引き起こす不可知の力を、彼等は便宜上「神々」 と呼び、感謝し、又は憎悪した。これが宗教と神概念の起源である。現代でも、 若し地震の仕組みを知らなければ、「神の仕業」とし、「祈る」以外には 方法はないであろう。 即ち、宗教や神概念は、古代人の生命維持のための「手段」として発生したので ある。宗教学の最古典と言われる、ヒュームの「宗教の自然史」を参照。 自然科学が驚異的な発達を遂げ、自然現象の仕組みが解明された現代では、 古代人の「神々」は消滅したのである。 創唱宗教(開祖宗教)は、開祖の精神病の症状としての観念過剰故に、古代人 の「神々」を観念化、抽象化、精神化し、本来生存の手段であった宗教の生存 との関係を断ち切ってしまったため、「手段」を「目的」とするという倒錯に 陥ったことの結果である。 一言で言えば、宗教も神概念も、古代人の生存のための手段の一つであり、 彼等なりの精一杯の「現実性・合理性・科学性」の表れであり、現在の科学に 相当するものであった。その意味で、現代の科学が、古代人の宗教・神概念に 相当するものと考えるべきである。生存の「手段」であることには、何らの 相違もないのである。
817 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 21:54:34.04 ID:jWCMbGOo
もしゾロアスターと釈迦がいなかったら、世の中ずいぶん変わってたろうなと思う。
>>814 確かに初期の経典を見れば禁欲が行き過ぎている部分があるのは確かだね。
ただそれらは修行僧に対して言われた言葉だろうし
一般人に対してはそこまでせずにほどほどに、ってな感じじゃないかね。
中道が一番大事だと言ってたはず。
釈迦の教えは難解な解釈もなくシンプルで極めて現実的だと思うよ。
空の思想とかになってきたら本来の「楽に生きる方法論」から乖離している
部分はあるかもしれんね。縁起を突き詰めたらそうならざるを得ないんだけどさ。
819 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 22:24:03.60 ID:jWCMbGOo
大乗もだいたいきついわ。 観無量寿経の観想なんて頭がパンクしてしまう。 あれでも大乗全体からすれば初歩の初歩なんだろうが。
そう考えると仏教の最大の欠点は 難しすぎることかもなあ。
821 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 23:12:16.05 ID:I4xJ+lny
仏教大学:宗教社会学後期試験問題 以下(1)(2)のいずれか選択。 (1)シルクロード交流の仏教に及ぼした思想的影響を論ぜよ。 (2)釈迦仏教が登場した当時のインドに於ける社会経済的基盤変動を論ぜよ。
>>821 仏教大学って佛教大学のことかな?
自分そこの学生だ
悟り開いたんだけどこれからどうしたらいい?
824 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 23:38:53.46 ID:I4xJ+lny
>>822 京都では、仏滅大学といふ。
後ろで髪の毛くくったチベット仏教の先生、おもろいなw
>>821 では両者共に重要問題だが、(1)の方がはるかに影響度は深刻だ。
ちゃんと、準備しとくよーにw
825 :
神も仏も名無しさん :2013/01/04(金) 23:40:32.43 ID:s6TV9t91
>>820 >そう考えると仏教の最大の欠点は難しすぎることかもなあ。
単純素朴だった古代人の気持ちになって考えないから、難しく感じるだけ。
>>821 誰か模範解答を書いてくれ。
シルクロードの巨大な岩窟寺院も、いわば当時の公共事業だね。労働者たちは、
信仰のためではなく、食うために作った。ごく少数人の「宗教道楽」のお陰で、
人民が潤った。
826 :
基地子菩薩 :2013/01/04(金) 23:40:55.28 ID:S+cSkec7
>>823 入滅あるのみ!悪魔の乳粥を
食らえば元の木阿弥だよ〜ん♪
\(^o^)/
>>821 インドにおいて貨幣経済が広がり始めたのって
あの頃だったっけ?
高校の教科書どこにやったかなあ。もう大昔のこと。
828 :
小野田 俊蔵教授 :2013/01/05(土) 00:07:56.01 ID:wciJGRb4
乳粥とは当時相当なご馳走に違いないだろう 美味なるものとは素朴なものの中にある 即ち現代の平和は2度の世界大戦と映像技術によって 推進されたものには違いない。 人々はそこに歴史は繰り返すの輪廻性を見出すものであり、 惨劇を正しく伝える手段がある限り平和は続き自然現象により 推進されるものと信ずる次第である。
即ち釈尊は諸法無我の事実を説きながらもそれを観察する我というもの は依然としてあるものであり、それを我性とするならば即ち自灯明に 置き換えられるものであり我性はなんら否定されるものでなく 自然現象に推進されるものなのである。 即ち仏教の戒律とは釈迦の尺度で制定したものであり、釈迦は死ぬ間際に その過ちを悟ったのである。過ちの惨禍にモロにみまわれたのが小乗仏教であり、 大乗仏教は方向性の転換に気付いたのであるが極楽浄土のような快楽主義の 妄想に舵をきったといえ、どちらも中道か?といえる所である。
831 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 00:26:30.52 ID:4uTjyeQQ
>>830 >釈迦は死ぬ間際にその過ちを悟ったのである。
やはり「釈迦の誤り」だったのだな。しかし「死ぬ間際」まで悟らなかったとは、
頭が悪い。衆生はととっくに悟っていた。
その「釈迦の誤り」を、現代まで大真面目に信じているのが、釈迦カルト信者。
>>815 なるほど。ストア派が気持ち悪いほど似ているのはピュロンの影響が
確かにあったのだろう。
であるならば、真に近い仏教とは伝統仏教にあるのではなく、
年代的にも西方に伝わったストア派にあるかもしれない。
833 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 00:37:53.18 ID:4uTjyeQQ
釈迦は、食中毒で、血便垂れ流しの苦痛の中で、「有我」を悟ったの だろうね。「滅煩悩」など、ちっとも効かないw。
w 自分(の心)を観察したことのない人間の妄想は所詮この程度だ・・。 ID:aJ5W8e/G ID:4uTjyeQQ は隠居だろうが・・w
836 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 00:56:46.77 ID:4uTjyeQQ
>>834 いくら自分を観察してみても、苦しい時は苦しい。君は、釈迦が苦しまなかった
とでも思っているのかね。それこそ妄想。人間の経験則に反する。
釈迦は、その苦しみの中で、「我の存在」を切実に感じたのだと思われる。
「仮和合」もへちまも無かったw。「我そのもの」だ。
>>836 ふ〜ん・・w
貴方はそれ( >を切実に感じたのだと思われる・>「仮和合」もへちまも無かった・>「我そのもの」 であったこと)を
どうやって知ったのですか?
838 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 01:28:01.35 ID:qflrre7D
>>833 ブッダは一切皆苦を説いてるんだから苦しみは承知の上でしょうし、
たった一度の食事のせいで体調が急激に変わるのもまさに無我ではないでしょうか。
839 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 01:30:03.67 ID:qflrre7D
>>828 アニメ「ブルーシード」の国木田室長に似てる、
かつてオウムの暗殺リストに入っていたと言われる先生ですね。
840 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 01:32:21.98 ID:4uTjyeQQ
>>837 「釈迦が死ぬ間際に我を悟った」を受けたもの。人間の経験則にも
合致している。
君らこそ「無我」や「仮和合」を、どうやって信じられるの?そんな
ものは、「人間の経験則」ではないよね。「真理」の判断は、常に、
衆生の経験則による。
>>840 >「釈迦が死ぬ間際に我を悟った」なんて話は世界中のどこにもありませんが、
どこの誰の珍説ですか?w
>君らこそ
w
貴方の大好きな経験則だからですよw
今更何言ってんですかwww
このスレの皆さんは出家?在家? 在家の立場の人間は悟りを開くよう努めるべきなの?
843 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 02:08:12.93 ID:PtJ8iNvw
仏教は人類が最後まで拠り所となり得る宗教だと思う。 これだけ科学が発展していて、全知全能の神などだれも信じないだろ。 キリスト教を信じるくらいなら、神道の方が断然良い。 ただ、神道は自然神なので、人間の自然状態に肯定的なのはいいが、 人間性の成長まではカバーしきれない。 人間以外の何かに救いを求めるのは、いろいろ限界があるわけだ。 だから、禅がいいだろう。日本国はもう一度禅に着目すべきだ。 そうすれば、きっと、世界にも通用する人間も増えるはずだ。
844 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 02:15:52.52 ID:/mpuy/Or
言っとくがとりたてて悩みや生きること死ぬことに疑問のない人に仏教は必要ないからな それなら道徳としての仏教はどうかとなるとこれは役に立たないと思う
他人に迷惑かけずに好きなことやって それが善行だったらいいな これが俺の悟りどや?
>>842 一代氏のような出家僧もいますし、
他にも僧籍がありそうな者もいます。
しかし多くは、一般の在家信者か仏教をかじったような者ばかり。
仏教の目的は、
究極的には覚った一切智者となることです。
それは出家でも在家でも本当は同じ。
ただ段階的に行くか、突進型で直線的に行くかの違いです。
人によっては、一つの苦悩の解消のための手段としているだけや、
単なる知的好奇心とか研究や趣味の範疇という人もいるでしょう。
それぞれです。
え、じゃあ南無阿弥陀仏を唱えりゃ極楽浄土に行けるって話はなんなの?
848 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 03:24:56.69 ID:/mpuy/Or
一切智者になることが仏教の目的じゃなくて、 神智学のオカルティスト宝珠が仏教の目的は一切智者になることだと思ってるんだよ 仏教者にはこの世のすべてを知り明らめる必要なんかもとからない 西洋オカルティストがこの世のすべてを知りたいならそれは好きにやればいい
849 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 03:48:49.21 ID:qflrre7D
>>847 仏教が衰退したこの裟婆世界において、煩悩まみれの凡夫が悟るのは難しいので、
まずは悟りやすい環境である浄土を目指そうという信仰が起こり、
数ある浄土の中でも、念仏すれば善人でも悪人でも往生できる極楽浄土に注目が集まった。
最終的には悟りがゴールだけど、悟るための近道としてまずは念仏往生。
850 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 03:51:36.79 ID:VhBffJFE
>>832 ないない
ピュロンに伝承されたのは教えだけで、結果はどうも伝わってないようだから
結果とは、悟りとか涅槃
少なくともピュロン以降は、そういう聖なる果は伝わってないし、
教えも論理の断片だけが伝わっただけで、内容は伝わってない
851 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 03:52:41.58 ID:VhBffJFE
852 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 03:54:13.81 ID:VhBffJFE
853 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 04:20:51.82 ID:/mpuy/Or
一切智をなぜ欲する? 一切智があるとどうなる? 一切智とは仏門へ導く方便か? なんだ一切智(笑)って そんな概念はすぐ捨てろ
854 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 05:14:35.99 ID:VhBffJFE
>>853 一切智ってのは仏智だよ
ブッダだけが持つ智、全てを知る智ね
このスレで話すんなら、せめて仏教のテキストに沿って話してくれよ
変な妄想とか常識とかで話さないで
855 :
基地子菩薩 :2013/01/05(土) 05:19:09.51 ID:KmZmHcPF
ひとまず往生するまでは念仏唱えてりゃ何しててもOK? なんか縛り無いの?
857 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 06:10:31.67 ID:VhBffJFE
>>856 まず、五無間業という悪業を過去に積んでないことと、
アミダの誓願に対する信が必要
その信なしに名号だけ唱えても、ダメでしょう
858 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 06:52:06.50 ID:da1zX/R2
>>841 >貴方の大好きな経験則だからですよw
「釈迦が無我を悟った」は誰の経験則?w釈迦の「自称」だろw。
859 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 07:01:45.84 ID:/mpuy/Or
>>854 そんなことは書物上の知識としてはこのスレ来る奴はみな知ってるんだよ
一切智(笑)なんて概念抱えて求めても役立たないから捨てろ
一切智がなにかわからないのに一切智を語るよりよほどいいよ
860 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 07:04:58.65 ID:da1zX/R2
>>854 >ブッダだけが持つ智、全てを知る智ね
ブッダは、チュンダが作った食事が痛んでいることもわからなかった。
そんな一切智ってw。アホラシ。
普通の人は誰でも、食物が痛んでいるかどうかは、その匂いや味でわかるものだw。
>>857 抑止門て行ってだな・・・
これ、おくしもんて読むみたいだよ
>>860 >ブッダは、チュンダが作った食事が痛んでいることもわからなかった。
マジで?
知らんかった。
できれば出典なにか教えてくれ。
863 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 08:52:02.35 ID:wciJGRb4
一切智者ゆえに暗殺された可能性があるんだよ。 一切智者とは、存在の様相を直覚しえた人をいう。 一切知者(物知り)とは違う。 一切知者はコンドームつけのままだが、 一切智者はナマだ。
864 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 09:34:43.83 ID:qflrre7D
>>856 法然さんが言うには、
阿弥陀仏は善い子も悪い子も見捨てず往生させるが、
善い子を見ては喜び、悪い子を見ては嘆くとのこと。
浄土に往生して阿弥陀仏の弟子になろうとしてる仏教徒であれば、
できるかぎり仏教に従う生活をすべきなのは当然です。
それでも毎日罪を重ねてしまうので、毎日懺悔しつつ念仏をする。
念仏の次に毎日やるべきは懺悔(自分の煩悩に向き合う)だと思います。
865 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 09:39:55.78 ID:qflrre7D
>>860 ブッダは悪魔との約束でそろそろ死ぬタイミングだので、「計画どおり」だったのでは。
布施を受けて施主に布施行の功徳を積ませるのも出家者としては重要な役目だし。
866 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 11:30:43.70 ID:VhBffJFE
>>828 この先生いいよなあ。授業受けてみたいんだよね。
佛教大学の大学院の通信制だと仕事しながらでも通えるから
入学してみたいんだけどね。
なんせ金銭的な問題があるからw
貧乏は辛い。
868 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 12:19:17.70 ID:lHYRxtrO
此処に来る人々も含めて、すべての日本国の国民は、どうせ、この日本国で 暮らす自分以外の自分持っているんだろう?僕はこの日本国に住む自分しか ないんだぜ?!君たちずるいよなー、そうやって自分の分身がいっぱいあるのに さも、一人の自分しかいない風に装うんだもんなー。僕の勘違いだったらすまねー。 しかし、実際持っているんだろう?もう一つの自分ってものを。持っているのに なぜ、悟りを求めるんだろう?なぜシアワセを分身でいくらでも体験出来るのに、 なぜまだそれにも増して、悟りを追い求めることが出来るんだ?すごいよなー。 毎日シアワセなんだろうなー。今生きている自分なんて、一つの学ばせてもらう 自分という風な謙虚な気持ちでいるんだろうなー。だからみんながみんな、 ・・・、いやまてよ!嘘はお釈迦様も、だめだって言ってなかったっけ? なのにどうしてみんなは、悟りを追い求めているふりをしているんだ?
869 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 12:22:13.65 ID:Rc7bJ/8X
悪いけど、チベットはもうダメだよ 大乗は国を滅ぼす
あの膨大な歴史的な書籍典類を支那クズに渡すのは人類の罪 俺が許さん
871 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 12:34:48.16 ID:Rc7bJ/8X
一切皆空、バカ言ってるんじゃない そんなこと言ってると中国に侵略され、日本が消えてしまうぞ その時は焼身自殺で抗議するか〜 大乗の坊さんは日本が滅びる前に死んでくれ どうか頼みます
872 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 12:46:49.20 ID:Rc7bJ/8X
空なんだろ、一切皆空なんだろ だったら、日本の坊さんも焼身自殺しろよ 焼身自殺して中国に抗議しろ 自分だけ極楽に行こうとするエゴイズムを恥じろよ
873 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 12:47:08.28 ID:ijPp/Ohv
>>869 日本の大乗は、チベットの大乗とは全く違う。日本の坊さんは、
デモ行進やったり、暴力行為をやったり、焼身自殺をやったりは
しない。
長い道のりを、尺取虫のように五体倒地しながら聖地に向うチベット
仏教徒の姿は、完全な基地外。
空が説かれたのって龍樹以降だよね。 釈迦は空に関してはほとんど説いていないと石飛先生の本に書いてあった。 スブーティにはといたみたいだがそれ以外にはほとんど語らなかったとか。
875 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 13:15:13.50 ID:ijPp/Ohv
>>862 「仏伝」(中村元訳、筑摩書房発行「小乗仏典})に生々しく描かれている。
「さて世尊が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられた時、重い病が起こり、
赤い血が迸り出る、死に至らんとする激しい苦痛が生じた。(菌を食べられた
ので、師に激しい病が起こった。下痢しながらも尊師は言われた。「わたしは
クシナーラーの都市に行こう」と。)
876 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 13:15:56.14 ID:wciJGRb4
>>874 石飛婆はアホ
な〜んでか?
外相を離れて(慧能)いないからだ。
しょせん外野席で野次を飛ばして野球解説をやってるオッサンのとおなじだ。
プレーヤーではない。
プレーヤーでなくては、仏法は掴めない。
877 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 13:28:09.29 ID:ijPp/Ohv
>>876 プレーヤーでなくとも(寧ろプレーヤーでないほうが)、野球は「客観的に」
よく判断できる。
石飛さんは釈迦カルト。懸命に、竜樹を釈迦に近づけようと、意図的に解釈
している感じ。竜樹の「空」を、何と「因果関係」と解釈している。釈迦の
忌むべき業報論を維持するためであろう。「因・果」の概念を否定したのが、
まさに中論であるのに。
878 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 13:41:23.91 ID:ijPp/Ohv
>>874 釈迦の縁起と、竜樹の空とは、本質的に異なることくらいは理解しよう。
釈迦は単なる精神病者だが、竜樹は完全な健常者、そして古今東西比肩する
者のいない天才哲学者。両者は「頭の出来」が違う。
竜樹は、釈迦の「世界を空と観ぜよ」の一句にヒントのヒントを得て、
釈迦の空(縁起)に「新しい意味を与え、それを換骨奪胎した」ので
ある。
879 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 13:41:52.33 ID:PtJ8iNvw
>>871 一切が空なら、戦いができないとでも考えているのか?
空とは単になにものにもとらわれていない心だろ。
俺は禅の持つ瞬発力に期待しているね。
これは国際社会においても十分通用すると踏んでいる。
ちなみに、仏教では神によって戒律を決められているわけじゃないと聞いた。
戒律は自分で守るものだ。他者の恨みつらみなどの余計なカルマを背負わないためとか、
修行のためであるとか、人格を高めるためとかそんな感じだ。
訳の分からない絶対神に勝手に決められているものではない。
880 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 13:51:22.76 ID:ijPp/Ohv
>>879 >俺は禅の持つ瞬発力に期待しているね。
日本では禅宗の人が最も「仏教的」だね。「人間が出来てる」感じ。キリシタ
ン到来時に、彼等を論破して日本を守ったのも、禅僧たちであった。
>>878 釈迦が精神病者だという文献又は確固たる証拠を早く提示してくださいよ。
以前もそう言ったらはぐらかして逃げましたよね?
海外の文献でもいいですよ。あなた個人の主観だとしたら僕はあなたの
意見を「精神病患者の戯言」だと判断します。
882 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 14:04:01.40 ID:VhBffJFE
>>881 彼にそんなこと求めても無駄
最初の頃の輪廻説以来、否定され続けてきて、ここ数年は根拠を否定された結果、
「自分の頭で考える」つまり、ソースは俺ちゃんの妄想と宣言して憚らない境地に至った方だから
883 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 14:12:29.67 ID:ijPp/Ohv
>>881 自分で最新の精神医学の本格的教科書を2,3冊熟読し、自分で判断し
たら?釈迦には、躁うつ病のすべての症状がピッタリと当てはまる。
統合失調症の可能性もかなり大きい。
スッタニパータは完全なカルト書。釈迦の「我のみ良しの独善性」
「人間差別」「初歩的な論理矛盾」に満ちている。釈迦の言動は明らか
に「病的」。
精神医学者があまり正面から取り上げないのは、宗教に遠慮している
から。宗教の祟りは恐ろしいw。
信者が釈迦を「精神医学的に観察」できないのは、信者に釈迦の精神病が
逆転移(感染)してしまっていることの証拠。
>>883 教科書よんで、自分や他人が精神病じゃないかと思うことはよくあることだよ
そうやっていちいち思いつめて決めつけることはやめたほうがいい
と兄が言っていた。
兄は医者です
885 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 14:16:00.89 ID:PtJ8iNvw
>>883 なるほど。つまり、あなたの相手をしていると、
精神病が感染するのですね。よくわかりました。
日本の坊主どもはチベットやスリランカに行って写経してこいよ 寺族どもが豪奢な暮らししやがって 親が坊主じゃなきゃ坊主になれない特権階級なんだろ 檀家から金まきあげられるんなら、本山はよほどの事業たてられんだろ 明治の精神を思い出して欲しいわ つーか、行ってくれよ
887 :
大滝秀治 :2013/01/05(土) 14:25:45.57 ID:wciJGRb4
>>877 >竜樹の「空」を、何と「因果関係」と解釈している。
お前もしょせん外野席で野次を飛ばして野球解説をやってるオッサンだ。
禅的にいえば、
・即心即仏 ― 非心非仏(無門関33)
・即因即果 ― 非因非果
・即業即報 ― 非業非報
しょせん業報輪廻転生論など問題にもならない。
これで掴めんかったら、置いてゆく。
>>883 あんまりまともにレスするのも面倒くさいけど、
自分はアメリカの精神医学者の書いた本も原文のままいくつか読んでいます。
その中にはむしろ仏教の思想や瞑想を取り入れる方法が推奨されていたりするんですよ。
合理主義社会のアメリカでは瞑想の有用性が高く評価され全米でメディテーションセンターが増えつつあります。
脳科学者が瞑想者の脳波を調べたら明らかに一般人とは異なる動きがあるのも証明済みです。
あなたが精神病と罵る方が伝えた心の治療法が合理的社会のアメリカで有用性が実証されつつある
現状をどうお考えですかね?アメリカ社会の国民や医者も皆精神病なんですかね?
アメリカの医者や国民は精神病が逆転移してるんですかね??
精神病とか心の病ってのは人間が決めた定義に人間を当てはめて決め付けているだけにすぎない。
極論で言えば誰しも精神病に当てはまる。
秀治さんもうお亡くなりになったのでは・・・
>>877 >竜樹の「空」を、何と「因果関係」と解釈している。釈迦の
>忌むべき業報論を維持するためであろう。「因・果」の概念を否定したのが、
>まさに中論であるのに
中論では、法の実有を前提とすると因果が説けないから空って言ってるんだよ
で、何だか実有を批判した部分ばかりが強調されている気がするけど、
諸法が空だからこそ釈迦の因果が説けるってこと。
どんな縁起したものでも、それを我々は空性と説く。
それは仮説(prajnapti)されたものであって、それは即ち中(madyama)である。(24−18)
ところで、恩て、因の心と書くじゃん 現在受けている果に対して、感謝するのはその因を知る心から来ているからと個人的に思ってるんだけど 辞典調べたら、めぐみであるとかそこまでの意味が書かれていないんだよね これって支那訳で混流した思想ってことなんかな 餓鬼は、もともと幽霊のような存在だったらしいんだが これは結構的確な訳なんだよな 鬼ってのは、もともと死んだ人間のすがたを象った文字らしいので 田の部分が死んだ人間が入る瓶を表しているらしい 鬼が鬼神のように人に仇なす神的存在であるかのようにかなり後の時代だそうだ なので、訳語がそれほど支那人視点のみに重きを置いているとも思えない 恩の訳語になった梵語の正確な意味って教えてもらえませんか? 今、仏教系書物って全部実家にあるので調べられないしw
やっぱ会意だよな、漢字は圧倒的に形声が多いけど。 ところで、梵語のほうは・・・やっぱ恵みという意味しかないのだろうなぁ
894 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 15:48:24.74 ID:lHYRxtrO
阿弥陀仏の本願力によって生きているので、この迷界から俗界に行くことさえ 不可能に近い。なぜなら、恥じらいがあるからである。俗界でうまくやっていける だろうかという躊躇いもある。だからいけない。私たちは俗人ではなく、迷っている獣である。 なぜなら動物と一緒であるから。その俗人の上に僧がいて、その僧は仏に向かっている。 私たちは迷っているのである。この迷いから覚めるということは、けっして、 悟りを見せびらかすことではないです。その点で私たちが昔、仏であったという御冗談は 消え失せることと思う。唯識のwikipediaを見ていると気づいたことである。 私が今分かることはそれくらいです。
895 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 15:53:58.80 ID:lHYRxtrO
だが断る
13時〜14時 NHK/こころの時代〜宗教・人生〜 「心に枠のない世界〜鈴木大拙館をたずねて〜」 大谷大学講師/鈴木大拙館名誉館長 岡村 美穂子 再放送らしきをたまたま見ました。 大拙師、晩年の15年間を秘書として共に生活したという岡村女子による師のエピソードの紹介。 こういう実際に見聞きし、触れてきた本物の生きたエピソードはいいね。ためになるから。
>>860 >ブッダは、チュンダが作った食事が痛んでいることもわからなかった。
>そんな一切智ってw。アホラシ。
すべてお見通しです。
完成者は自ら死期やその死に方のすべてを自分自身で決めます。
チュンダを涅槃入りの大役として選択したということです。
ちゃんと食中毒を起すようにすべてを意図的に計らうのです。
別にチュンダでなくても誰にでもこれをさせることができる。
チュンダを選んだのはカルマ的な縁や仏縁に拠る。
どう、わかった?
>>873 >長い道のりを、尺取虫のように五体倒地しながら聖地に向うチベット
>仏教徒の姿は、完全な基地外。
私もこういうものは推奨できないが、
その篤き信仰心については尊いものとして称賛はします。
ただし、見方を替えれば、
ゴータマが離れた苦行一辺倒的な歩みに思えます。
>>879 「空」というのは仏教の存在論であり、
この現象世界の本質を示そうとしたものです。
そこには確たる実在といえるものはないから、
それらを自己と同一視したり、自己のものとなると見なしてはならないということ。
尚、その性質(実態)は如来によって勝手に規定されたものではなく、
この世に如来が出現しようがしまいが無始の元から定まっているもの。
外教からみれば、これが絶対神の力に他ならないのだが、
仏教では、無記(形而上的存在を扱わない)として、敢てこれを説かなかった。
900 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 16:19:13.50 ID:lHYRxtrO
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E5%AD%90_ (%E5%94%AF%E8%AD%98)
迷界から俗界はみんな行ったことないらしい。
なぜみんな輪廻から解き放たれないのであろうか。
いつの迷界でも、文字通り迷っていたからではないであろうか?
非僧非俗と言った親鸞聖人は、894の解釈が正しいなら迷界から一気に極楽浄土に
往生する道として念仏を示したのであろう。
しかし此処で暮らす人々は怪しいもので、もしかしたら俗人や僧であるかもしれない。
だから俗や僧に騙されず、賢や愚にも騙されず、本当に此処しかない人々を
救おうとされたのであろう。俗や僧も賢や愚も此処(迷界)では、目に焼き付いた魂
の入った人々でしかないからである。非僧非俗である人がもし、仮にもしいるとしたら、
私は親鸞聖人の意見を訂正したいと思う。階段は一つ一つのぼるものだ。
だから俗界、僧、仏と順々にのぼっていくことを勧めたいと今思った。
一足飛びに極楽浄土に往生しても、悪人や善人と一緒なんだぜ?
着実に一つ一つ階段のぼっていこうよ。此処(迷界)で推理することは、
次に生かすことだろう?終わりとか永遠とかじゃなくて、次元だろ?
進化していくんじゃないのかよ。
901 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 16:37:58.18 ID:gIQ7BReo
>>888 >極論で言えば誰しも精神病に当てはまる。
「病気」とは、「不特定多数人の平均値からの有意な偏倚で、生存に弊害をもたらすもの」。
基準はあくまで「不特定多数人(一般の生活者)」である。人間界(生物界)が徹頭徹尾
「生存共同体」であるからである。
902 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 16:38:51.11 ID:lHYRxtrO
俺は道って考えかたあまり好きになれない考えなんだよなーーーー。 中道とか白道とか。 仏教徒が歩んでいる感がすごくある。 俺も何回も人として生まれてきたと思うけど、此処のような素晴らしい迷界 他に見たことないと思うなー。 その点ですごく混乱して、行動面でよくなかったけど、けど言葉にすごい助けられたんだよなー。 仏教徒って仏教の徒でしょ? 仏教って河渡るために必要な船でしかなくて、渡ったらもういいものなんだから、 この迷界でなぜ仏教徒にならなきゃいけないのかなーって思って。 なんで此処から彼岸に行けると思うのかなーって。 そんなの不可能でしょう? 徐々に次元が上がっていくのが理なんじゃないですか? それを理解しないと、賢愚俗僧または、仏教徒に騙されるんだよなー。 このスレッドの人ってやっぱり仏教徒っすか? 言葉で乗り越えていく方がスマートだと思うなー。 今まで行動面で、どの前世でも、何も起こらなかったし。 此処では、言葉でいくらでも前世でさえ変異させれるでしょう? そこがすごいなーって思う。 そんな世の中ほかにないって。 娑婆はお釈迦様にもう救われているのかも?!
903 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 16:43:56.32 ID:gIQ7BReo
>>898 >すべてお見通しです。
チュンダの料理に毒が入っていることを知りながら食べた、とでも
いうのか。若しそうなら、釈迦は「自殺」であり、地獄に堕ちるに
値する罪を犯したことになる。
904 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 16:48:06.59 ID:lHYRxtrO
ぞんぶんに言葉をこの世界で味わい尽くしたいと思っているのが、仏教徒である。 だから言葉がどんどん洗練されていく。 真のアセンション信者は言葉をつむぎだすことはするが、洗練させていこうと いう気は全くなくて、ただ無常の中で生きているので自然に、言葉が不思議に なっていく。 俺は真のアセンション信者だー。俺は誰?その今の最高の答えは真のアセンション信者であるということです。 それ以上のこの迷界での奇跡の言葉を僕は知らない。 なんかあったら知らしめてくれ俺に。
905 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 17:01:09.82 ID:PtJ8iNvw
>>903 >釈迦は「自殺」であり、地獄に堕ちるに値する罪を犯したことになる。
キリスト教と混同してないか?
>>900 ちゃいまっせ
当時、僧籍ってのは朝廷が管理してたんだよ
浄土宗ってのは、法然が立宗した日本独自の宗派で
天台宗にあった浄土門(門というのは教えのことね)を別立して一つの宗派としたから
立宗当初からかなりの他宗からの批判もあった
まあ、源信僧都のころから、天台宗内で浄土門の研究はかなりされていて
往生要集は仏教がすでに退廃していた支那で注目をよせていたりするのだけど
法然の特異性は歴史的に意義深いものであった
そんなわけで吉水は尊崇を受けており、当時関白であった兼実も法然に教えを受けていた
しかし、そのような隆盛を快く思わなかった南都北嶺の朝廷への奏上があり
念仏停止令を受けるんだな、それで法然も親鸞(当時は善信だったか)も僧籍を剥奪されて流罪になったわけ
それ以来、僧ではないが、俗でもないとして、非僧非俗として浄土の教えを広めていったんだよ
流罪先の北陸での教化があり、流罪を許されたのちも僧籍に復帰することなく朝廷の権威から離れて
法然はすでに亡くなってしまっていたから、関東へ下り同じく布教に専念した。
老齢にいたり京都に戻り著作活動を行うこととなった。だから浄土真宗は北陸関東京都が地盤となる
関東の教化を行っていた善鸞はのちに義絶されるが、その子の如信は東北へ教化へ向かう
よって東北に広まった。室町期にはご存知連如による教圏の広がりがあり、戦国期には、中国へも広がる。
それはともかく、非僧非俗というのは、親鸞の朝廷や旧仏教宗派への怒りという面があるっちゅうことかな
そのほかに御同朋御同行という考え方の面や悪人でも救われると示すための肉食妻帯の面もあるとも言われるけど。
俺は公的な布教ではなく、民衆とのマンツーマンの仏教というものを目指した産物だと思うね
だから、浄土宗というのは特にその教えを本依とした宗の師資相承があったわけじゃないんだよね 親鸞は七高層を立てていて、自己の法脈を示しているのだけど それぞれ 竜樹 天親 曇鸞 道綽 善導 源信 源空(法然坊源空ね) なんだけども 親鸞の名前は善信、綽空、親鸞と変遷していくが、奇しくも七高層の名前から一字ずつとっている 竜樹はないが・・・。 親鸞が流罪後、親鸞と名を変え、天親、曇鸞系の思想を取り入れていくのだけど もっぱら曇鸞の影響が強い、高僧和讃で詠まれている首数が多いのが曇鸞であり 正信偈で本師と称えられているのが源空と曇鸞だからね その曇鸞は論註の作者なのだが、中観寄りと言われている 法然死後、浄土宗は法難があり、というのも選択本願念仏集が流布されるようになったから 批判を浴びた、よって宗内が乱れてくるわけだが 京都に戻った親鸞は、証空と知己があったのか不明だが、そういった論難について 自己の見解を著作に表していて、解釈はわりと証空と似ているらしいな 鎮西派はわりと経の字面に忠実だが、親鸞とはかなり違う
今更だけど、天親という訳は旧訳らしいね、 玄奘が訳したいわゆる新訳では世親と書かれる 世界史の教科書ではもっぱら世親だよね ネイティブ的にはバスバンドゥだけど 密教系では竜樹は竜猛と言われるが、それは何訳なのか知らん ナーガ・アルジュナらしいが、ナーガを竜、アルジュナは神のならしいが これは音訳から樹としたらしいね、ちょっと適当すぎる気が・・・。
909 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 18:01:33.56 ID:gIQ7BReo
>>905 「自殺:
仏教では「じせつ」と読む。一般に、殺生は十悪の一つに数えられ、はらい罪
を犯すものであるとして、五戒の一つであるから、自殺といえどもそれに抵触
するものとして禁じられている。」(岩波仏教辞典)
虎に自身を捧げた釈尊の過去生はどういうことに?
911 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 18:31:56.31 ID:j8ZH0pVy
投身自殺すると黒縄地獄の等喚受苦処ってところに落ちるそうな。 セットで「間違った法を説いた者」も落ちるらしい。 普通の身投げじゃなく、頭破七分的なものなのかもな。 ダルマに背くことを言っちゃったせいで変なスイッチが入って 崖までダッシュ→死ぬ。 みたいな。
ところで、2chで自己マンよろしく語っちゃったりしてるけど こういうのって案外危険だよね 宗教板なんてのは頭おかしいのが多いから こっちが相手を信頼して知識をひけらかしても それを悪用して、他人を惑わしたりする輩が多いから きっと、スリランカでキリスト教と対峙した仏教僧にしても その討論で打ち負かされたイギリス人はその論理を利用して キリスト教に取り込み本国で一儲けを試みるものや 他人を惑わすために悪用した輩は多かっただろうと思うよ 真剣に我が身のこととして聞いているのかと、聞く者を見極めず、タダで知識を与えるってのは 結局世の中を混乱させているのかもしれんな 思わず密教の精神に共鳴してしまうよ 黙して答えない僧というのも、いじわるしたり、答えをもっていないのではなく 相手を見極めているんだろうな 俺のような下っ端がやすやすと話していいことなのか、少し自重すべきだな まあ、この程度話せば、世間にいる井の中の蛙の尊大な輩が 仏教を軽んずるような不逞を働いても一般人はだまされないだろうから、それはそれでよしとするか
913 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 18:34:01.55 ID:CdAi1UFy
>>909 釈迦の自殺説は、釈迦を神格化した副作用じゃないか。
釈迦が神に類似した存在だったら食中毒なんてありえないものね。
>>910 釈迦の前世など作り話だよ。そういった話はやめよう。
914 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 18:36:34.50 ID:/mpuy/Or
釈迦が自殺しようが虎に身を捧げようがどうでもいいだろ それで地獄に落ちるとか、浄土に生まれ変わるとか関係ないから 仮に誰かが地獄落ちるか、浄土に生まれ変わるとして、 それがオマエの人生になんか関係あるの? と思うんだよな
915 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 18:38:20.11 ID:gIQ7BReo
>>910 「他の人間の命を救うために、万やむを得ず己の生命を棄てること」は、
認められるが、「己の宗教的満足のため」や「人間以外の動物のため
(捨身飼虎)」は、やはり五戒違背の罪であろう。身近な者たちを、
悲しみのどん底に陥れるからである。
確か、飢えて死にそうな虎だったはずだが・・・。 いやもう止めよう。つまらないよ、少し調べることもできない者を相手するのは。
917 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 18:43:41.54 ID:lHYRxtrO
>>906 それは別にいいんだけど、僧侶を馬鹿にするのはいけねーなー。
>>886 他人事なのにそこまで不特定多数の僧侶に罵ると、すっごいことになるから。
輪廻の中で分かると思うよ。なぜ、罵った?僧侶は僧侶だよ。それがどのような
ことしても僧侶として変わらなかったら、僧侶だよ。その僧侶を否定したり、
僧侶を脅したり、僧侶の悪口言ったら、すっごいことになるからな。
未だ、2ちゃんで、否定、脅し、悪口言っているのは事実だから。
https://twitter.com/srkw_buddha この人もとうとう僧侶のことを、「坊主ども」とため口で話してた。
「坊主ども」という言葉で、傷つかない僧侶はいないでしょう。
このようにして、人は知らぬ間に、言葉の真意から行動で真を発揮するという
愚弄に終わるである。
みなさんはいい言葉を使いましょうね。
918 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 18:46:05.94 ID:CdAi1UFy
阿弥陀なんて作り話だよ 目を覚ませ
919 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 18:51:13.54 ID:gIQ7BReo
>>918 すべての宗教は、「現実上の根拠」は皆無な作り話。騙されてはならない。
920 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 18:53:30.46 ID:lHYRxtrO
>>918 あなたはどこに向いて、誰に話しているんですか?
921 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 18:55:08.00 ID:/mpuy/Or
>>918 人を殺してはいけないという法も道徳も作り話だぞ
>>917 はいはい、高野聖と揶揄された時代から僧侶はバカにされつづけですけど
ひと握りの高僧の出現のために在家はクソ坊主にも稽首頂礼しないといけないんだね
市中に虎を見るような非日常を期待してさ
つーか、坊主は自分の身を心配した方がいんじゃねえのか?
四重禁戒犯しまくりだろ、みんな地獄行きじゃねえか
唯摩経は作り話だろうが、叱咤された十大弟子に学ぶ方が先では?
923 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:00:25.05 ID:CdAi1UFy
>>919 ほとんど正しいが、約1%程度間違っていると思う。
人類の誰かが偶然、神を知ったからこそ、
神という概念が人類に誕生したのではないだろうか。
神を肯定しなくてもいい。
しかし神を否定することには謙虚でありたい。
924 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:02:16.18 ID:/kRoUq+h
身内が自殺しました 自殺すると永久に地獄で苦しむんでしょうか? それを思うと辛いです 供養などで救う方法はあるのでしょうか
925 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:04:02.91 ID:j8ZH0pVy
八大地獄見てみたら、アウトなのは投身自殺だけだったわ。 ようわからんな。
926 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:06:20.98 ID:/mpuy/Or
>>924 オレの祖父は自殺だけどそんな心配が心によぎったこともないな
927 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:06:44.23 ID:CdAi1UFy
法華経は焼身自殺を勧めている 仏教は自殺OKだよ
928 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:09:46.85 ID:/kRoUq+h
その人の魂が苦しみ続けるのかどうか、それだけ知りたいです 実際どうなのか知りたいです 供養か本人の気づきで地獄から這い上がれるのかどうか もし不快な思いを少しでもさせてしまったら色々とにかくごめんなさい・・・
逆修説法でもすれば? 自殺するような世の中をなくす方が先だし
自殺OKなんてちょっと考えりゃわかるだろ 仏教に依存するでない 大酒のみとは即ち自殺しているのと同じこと 即ち執着こそが我が身を殺すことになるわけだが そんなものは個人の勝手ともいえる。 即ち釈迦とは単なる自然延長線上の裸の哲学者達の一人に過ぎない。
931 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 19:17:04.05 ID:lHYRxtrO
>>922 いいえ地獄へ行くということをイメージすることこそが、こころに地獄を
作ります。よくない言葉をむやみやたらと使うと、本当にすぐに自分に返って来ると思います。
だからK氏はこう言いました。「酒飲んで女かまっている坊主のようにはなるな、
坊主は地獄に多い」、と・・・。僧侶にもいろんな顔の人がいますよね?
それを見るだけでもすごいありがたいことだと思うんですが・・・。一人一人の
個性を再認識させてくれる。それに気取ってもなく、自然体な僧侶。
そのように私は感じていますが。非日常ではなくて、日常ですよ!
あなたたちは此処(迷界)にいないから、そんなことが言える。
俗界や僧や仏、そのようなところに本当はいるから・・・そんなことが言える。
誰かの目に焼き付けられて生まれた人がほとんどだと思います。
異形な顔がほとんどいないことから明言出来る。
932 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:18:23.80 ID:/mpuy/Or
>>928 オレは思うんだけど、それは身内の自殺を縁にして、
あなたが苦しんでるんだと思うよ
死んだ存在に人間世界の苦しみはないんだからさ
はいはい、やさしさライセンスでも取ってろよ 巷にある癒し本みたいな話しやがって
934 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:26:06.84 ID:/mpuy/Or
935 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:28:39.87 ID:/mpuy/Or
民衆とマンツーマンの仏教(笑) こんなこと言ってる奴こそ巷にあふれる癒し本とか、 弱者でございますのエセ人権家の戯言だ(笑)
936 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:30:28.78 ID:CdAi1UFy
>>928 自殺だけでは決して罪に問われない。
自分の魂に気づかない、これが罪になる。自殺も他殺も関係ない。
空などと言って魂を認めない連中は全員罪人であり、地獄に落ちる。
ウソも方便は間違っている。常に真実を説くべきだと思う。
937 :
ノスタルジア :2013/01/05(土) 19:31:33.52 ID:lHYRxtrO
言葉の棘を俺にぶつけるなんて・・・。 でも結局は誘導されて、俺が愛着することに変わるんだけどね。 所詮、賢や愚と俗や僧と仏教徒に誘発される恐れには此処(迷界)から離れる まで変わらないなー。話が通じないということはやはり・・・。
前世や死んだ後どうなるというのは全部作り話というのは真理だな そんなものに捉われていること自体が仏教に反する こういうのに捉われる輩はいいかげん目を覚ませ
940 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:40:32.92 ID:/kRoUq+h
みなさん、真摯にお答えを頂いて恐縮です それだけでありがたい思いです 苦から逃れるために自殺したのに、死んだ後もくるしいくるしいって言っているとしたら 身内としては耐えられないと感じています でも確かに私自身が苦しいだけで本人は苦しみの中にないのかもしれませんね しかし実際はどうなのか・・・知る術はありませんよね 執着こそ苦の元というのは重々わかっています でも総て、それから離れるのは難しいことですね その身内も執着(自殺の原因)からはなれることで苦から開放されるのでしょうか それともその瞬間の囚われに縛られているのか それは例えば供養という形で本人の魂に知らしめることが出来るのでしょうか 自殺したらもう永久に地獄をさまよう、というのでなければいいと思っています それだけが心肺です 救いの道が残されているか否か、それだけです ここは色々知識の豊富な方々が議論するところだったようなので、お邪魔だったようでした 仏教は好きですので色々勉強したいと思います 私自身色々限界なので少しでも宗教的なお答えを頂いて救われた思いです ありがとうございます
941 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:41:52.70 ID:/mpuy/Or
>>939 アホ
オマエをぶん殴るくらいコンビニ行く感覚だよ
942 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:42:00.32 ID:CdAi1UFy
まず、阿弥陀という作り話をやめろ 話はそれからだ
>>941 バカだな
腕力自慢なんざ毛の生えきっていない包茎がすることだよ
>>942 確かにそれも単なる妄想だな
めんどくさいから仏教の中の虚偽的妄想を一掃しようや
それがでけんヤツは現代人とは言えない
945 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:53:39.16 ID:/mpuy/Or
>>943 情けない奴だな
癒し本の軟弱さを否定するくせに(笑)
日本一の頑張り屋さんですよ ズル剥けだし
947 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 20:01:38.52 ID:/mpuy/Or
>>946 ズル剥け強調しすぎ
包茎手術で剥いた手合いか?
948 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 20:04:42.53 ID:CdAi1UFy
>>940 あなたの気持ちはわかりますが、死者と生者は住む場所が違います。
亡くなった人にすれば、元気なうちに神のことを学んでくれと、
伝えたいのではないでしょうか。あなたが宗教に関心を持ち、
少しでも宗教心を育てるなら、それが最大の供養になると思います。
細かいことは、自分が死んでから話せばいいのです。
そう思ってゆったりしていれば、夢の中で笑顔に出会えますよ。
話が本当かどうか、ここは油断ならない場所なので失礼しました。
包茎手術に詳しんだな、とっくりセーターは
涅槃とは現実の中にしか存在しない 真実を求めない者は苦脳に堕ちる 真実を求め実践する者のみが涅槃に向かう 真実とは仏教になく現実の中にある 即ちそこらじゅうに転がっている
>>942 作り話はそんなにだめ?
作り話が役に立つっていう現実は本当にないのかい?
なんか虚しいな。。。
>>940 その人は苦悩から解放されるために自殺を選択し
実際に苦悩から解放されたのである。それ以上の事実はない。
大酒のみは苦悩があるから大酒を飲むのである。
それはやはり苦悩からの解放が根底にあるのである。
阿弥陀がどーたらも同様の作用なのである。
しかし大酒や阿弥陀は空であり、そんなものは認められない。
過程においての何らかの誤りが絶対にあるのである。
954 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 20:23:15.22 ID:CdAi1UFy
ウソはダメ。ウソをつくなら黙っていればいい。 ウソは仏教でもキリスト教でもユダヤ教でも禁止されている。 役に立つかどうかは問題外、 浄土教はウソを土台にしているからダメ。
20歳になり酒タバコを解禁されて君は大人であるとされ自由を手にするが、 さて、なにをやったらいいのかわからない?ってなりませんか?
956 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 20:25:15.71 ID:UKW0dwlP
>>951 小説など、作り話を作り話として読めば、害はない。しかし宗教の作り話は、
それを「真実」だと信じ込ませるから、大きな弊害が生じる。一神教という
全くの作り話で殺し合う信者たちを見よ。釈迦カルトも例外ではない。
>>924 >>940 お悔やみ申し上げます。
「永遠に苦しむ」なんて事は絶対無い。
必ず転生し、また別の生を生きることになる。
ただし、その来世では、今生において積んだ自殺と言う業の報いを受ける事にはなるだろう。
あくまでも自業自得(自分のやった事の責任は自分で取れ)が仏教のスタンスなので、こればっかりはしょうがない。
少なくとも「永遠に苦しむ」なんて事は絶対無いので、その点は安心して欲しい。
また、日本の大乗仏教では、我々が積んだ功徳を廻らして故人に差し向ける事が出来る(回向)とも説かれている。
私自身も、心を込めて故人の為に供養を積めば、その「心」は必ずや故人に届くと信じている。
形式にばかりこだわらず、ただひたすらに故人の事を念じることが肝要だと思う。
>>957 それも即ち空であり虚偽の苦悩の代弁なのである。
そんなものは絶対に認められない。
>>958 貴方は、手を火傷した患者を診て、「冷やせ」と言って川に叩き込むような人間だなw
960 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/05(土) 20:48:43.26 ID:dzJpq1sR
>957 君の様な転生信者が一部で見受けられるが、 少なくとも俺が師事した方を始めマトモに勉強した僧侶は、 「生まれ変わる個人主体」 など無いと断言しておられた。 法を謗るのは止めとけ。
追善供養て亡くなった人が残した財産でもって善行を行えばその人の善根になるらしいよ おまえが幸せになることが何よりの供養じゃね? って誰かが言ってたよ そんなことより 部屋にコバエが発生してとまらないんだ どうすればいい?
>>959 それも即ち空性であり虚偽だ。
そんなことをしている暇があったらだな
自分の役に立つことでもしたらどうだ
体を鍛えろ、胆力を鍛えろ、常識を身につけろ
それが即ち毒矢の喩えだ
>>940 その方をよく供養してあげてください。よく慈しんでください。
亡くなったその人だけでなく、いま生きている周りの方をもよく慈しんでください。
>>962 いやだからさ、貴方の主張(火傷の時は冷やせ)を批判してるんじゃなくて、時と場合を弁えろと言ってるんだよw
966 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 21:04:24.30 ID:/mpuy/Or
「自殺すると地獄に落ちる」という方便が遺族を苦しめるパターンだな ただの方便だから自殺したら地獄なんてことはないんだけどな
967 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/05(土) 21:05:58.07 ID:dzJpq1sR
>964 生まれ変わりという与太話を広めたい「仏典原理主義者」か宗教詐欺師か知らんが、あんまり偉そうにすんなよな。(笑)
968 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 21:08:17.46 ID:/mpuy/Or
ウソついたらナマハゲに連れていかれるよ! と同じで、実際はウソついてもナマハゲは来ないのと一緒 仏教も歴史長いから方便や道徳や秩序のためのウソがどうしても混ざる ていうかスッタニパータのような原始仏典の時点でそういうものは混ざってるよね
ダメだ、もうこの部屋は汚染されている・・・ 早く逃げるんだ
971 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/05(土) 21:21:01.33 ID:dzJpq1sR
>970 (^。^)ん?バカなのかね、君は。(笑)
生まれ変わりは無いって言ってる人は、現世さえ実は生まれてはいないってこと?生まれたように錯覚するだけで。 それとも、来世と過去世は無いが、現世に限っては生まれるってこと?
>>971 うん。馬鹿ですね。
小学生に「なんでリンゴは落ちるの?」と聞かれて、相対性理論持ち出して「重力とは質量による空間の歪みであり〜」とか始めちゃう、天才気取りの人には負けますからね。
>>972 何を言ってるんだ?現世は生まれてるから君がいる。
それは錯覚ではない。
来世と過去世は単なる空だ。そのような事実は無い。
即ちだな「彼が滅すれば此れ滅す」なのよ 彼とは過去世とか来世。此れとは執着や苦悩なの。 だから五蘊皆空なんだよ。五蘊の否定なのよ。
976 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/05(土) 22:04:46.89 ID:dzJpq1sR
>972 おそらくアナタは、仏教系統の迷信が受け入れられた環境で育ったのでしょうが、 少なくとも現代の日本社会では、生まれ変わりとは「幼稚な非論理的迷信」という共通認識があるという現実を理解すべき。 そして、ここは仏教スレだと理解出来るなら、日本仏教の礎たる中論で「個人主体は無い」と論破された事を理解すべき。 (^。^)まぁ、出来ないバカもいたが。(笑)
>>976 逆、むしろ合理主義だったし、再生否定派だった
>少なくとも現代の日本社会では、生まれ変わりとは「幼稚な非論理的迷信」という共通認識があるという現実を理解すべき。
これは理解してるよ
>日本仏教の礎たる中論で「個人主体は無い」と論破された事を理解すべき
「個人主体は無い」なら、そもそも1回も生まれてこなくていいんじゃなくて?
あと、断見についてはどう思う?
断見や常見とは空だ。 即ち、そんなことに捉われることなき道を中道という 死んだ後をどーこう言うことにこそ中道に反する
>>976 なんつうか、昔の自分を見るようで、見てて痛々しくなってくるなw
世間はそんなに悟りきった人間ばかりじゃねえぞ〜
>>978 それなら974の時点で、現世もひっくるめて空と言うべきなんじゃないの?
なぜ現世に限って確実に有るというのか
それなら、現世さえ初めから生まれてないって言った方がまだしっくりくるんだよなぁ
即ち我見もそーゆーこと、超どうでもいい問題であり苦脳ということ 即ち釈迦でさえそれは困難を極める作業であり、プロパガンダを掲げたものの 結局は我見に陥ったのである。
982 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/05(土) 22:42:30.28 ID:dzJpq1sR
>977 先ず、自分が特別な存在だという思い込みを断つべきかと思います。 全てが相依性であり仮に設けられたと理解し、体感すれば、自ずと「生まれ変わる個人的主体」が正しいかどうかも理解出来るかと思いますよ。 因みに、「仏典原理主義者」に言わせると私は「断見」らしいですが、元拝み屋見習いだったりします。(笑) (^。^)あとバカは970踏んだんだから次スレ立てるか依頼しろよ。(笑)
>>980 それは現世を現世と割り切るからだ
現世と割り切るから苦脳が生じるのだ
現実が一切なのだ。これは現実という空の肯定である。
985 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/05(土) 22:54:54.96 ID:dzJpq1sR
(^。^)同じバカでもヤソ病じゃないから助かるわww 所で>983君よ。 他人様を小学生呼ばわりするような増長慢を推奨してたのかね?君の読んだ本では。 (^。^)この『莫伽梵』♪(笑)
986 :
前世は一在家 :2013/01/05(土) 22:58:46.50 ID:4dLyVwik
>>967 :承狂様
>生まれ変わりという与太話を広めたい「仏典原理主義者」か宗教詐欺師か知らんが、あんまり偉そうにすんなよな。(笑)
私の祖父は寝言で聞いたこともない仏説や前世の話を233回繰り返しました。
その中には釈尊が涅槃に入る前の話も数話含まれており、大般涅槃経での涅槃前の話と比較すると、言葉は異なるのに意味する所が妙に一致しておりました。
(参照:ホームページ「浄土への道標」)
知り合いの精神科医も脳とは異なる未知の意識体の存在を仮設しないと説明できない現象だと述べております
>>984 >現世は生まれてるから君がいる。それは錯覚ではない。
>来世と過去世は単なる空だ。そのような事実は無い。
と言ってしまうのは、来世は来世、過去世は過去世と割り切るからだ。
このように割り切るから、来世と過去世について「そのような事実は無い」という分別が生じるのだ。
と、そのまま置き変えられないかい?
だから、現世さえ初めから生まれてないって言った方がまだしっくりくるんだよ
>>985 >他人様を小学生呼ばわりするような増長慢を推奨してたのかね?君の読んだ本では。
普通の人間なら、自分が知ってるからと言って、誰もが相対性理論を知っている(=相手は小学生じゃない)ことを前提で話したりはしないわな
差別と区別は違うって、習わなかったの?
流石、天才と紙一重様は考える事が常人と違いますねw
>>987 何を言ってるんだ?
現実は空想でない。過去や未来は空想だ。
これなら満足…できんだろうなw
一体何を求めているんだw
990 :
前世は一在家 :2013/01/05(土) 23:09:34.81 ID:4dLyVwik
>>986 >その中には釈尊が涅槃に入る前の話も数話含まれており、大般涅槃経での涅槃前の話と比較すると、言葉は異なるのに意味する所が妙に一致しておりました。
(参照:ホームページ「浄土への道標」)
「我汝を救わずは正覚を取らず、此の世はつらきものなり」と仰せられた。
「我他界するとも汝等我を相継ぎ相継ぎて衆生済度に努むべし、此の本願を立てずんば諸の衆生如何にして救うべき、多くの衆生を救うには……
然る上に於て不巧不変の本願を相継ぐ者は汝に譲る」と仰せられた。
阿難曰く「勿体ない事でござります」
月明の中夜、釈迦如来は斯くして御涅槃に入り給う。百獣百鬼生あるものは相集いて相悲しみ地に伏し天に慟哭し天を仰ぎ地に慟哭した釈迦如来 ほほ笑み賜い
「衆生よ 諸の衆生よ、嘆く事なかれ、必ず汝等と共に相見ゆる時来らん、汝等の責任重大なり、汝等の弘めによりて又一人づつ助かる。かくの如くにして救うが御本願じゃ。我、浄土に於て衆生と共に楽しまん」
斯くして御涅槃に入り給う、釈迦如来後涅槃に入り給う時がんがこうと云う鳥が来て妙音をかなで遂に浄土に入り給う。
(「浄土への道標」昭和6年 第26回)
991 :
前世は一在家 :2013/01/05(土) 23:15:08.72 ID:4dLyVwik
>>986 御涅槃の事を四枯四栄と云う。釈尊は沙羅双樹の下に於て月明の中夜に入滅せられたのである。沢山の弟子、鬼神や、生物や動物迄嘆き悲しんだ。
其の時の御姿は頭を北にして顔を西に向け右の手を下にして御休みなされた。多くの人の寝姿の恐ろしきは真実の喜びをして居らぬ証拠じゃ。
御涅槃の事を四枯四栄と云うは四本の木が栄えて四本の木が枯れたと云う事じゃ、釈尊は其の樹の下に頭北面西右脇して涅槃に入られたのである。
円い生活、悩みの無い生活、喜びの生活をせねばならぬと云う御教訓の為に北枕に御休みなされた。
其の時分は今と違って科学の進歩もしない昔であったけれども千年万年の後迄も科学の力でも動かす事の出来ぬ真理を御説きになったのである。
地球の自転磁気の関係で北は高いで北枕で寝れば安眠する事が出来る。西向に右を下にして寝れば心臓の圧迫を防ぐ事が出来る。其の外多くの御話がある。
釈尊常に我に対して仰せられた。
「我今幾多の教訓を残せり、汝は必らず我教えを忘るる事なかれ」と仰せられた。
(「浄土への道標」昭和6年 第23回)
>>990 それが日本語でないなら大したもんなんだがなw
単なる個人的希望に過ぎない
人間は経験以上のものを決して有しない
>>989 現実が仮想世界でないことを確かめる方法はないよ。
マトリクス的世界観は決してジョークじゃない。
つか、過去や未来は、記憶や想像だけれども、現実もまた、
五感による認識の情報処理の結果でしかないという意味で等価だと、仏教では見るのさ。
>>989 >一体何を求めているんだw
全てが空だと言いながら現世だけを特別扱いしてるからダブルスタンダートだ、と批判してるんじゃね?
面倒くさがらずに、空観だけじゃなくて、仮観と中観も説明すれば?
>>993 補足
つまり、 過去も未来も現実(現在)も、「認識のシャープさの違い」でしかないってこと。
隠居なら「つねってみろ」とか「死んでみろ」とか言いそうだがw、
そういう肉体限定の感覚のみを見るからそうなる。
過去でも未来でも、心は痛むし、身体的変化は生じるからね。
だから精神科が流行るんだろ?w
996 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/05(土) 23:23:05.56 ID:dzJpq1sR
>988 その分別心を無くす努力をしろよ。(笑) ホントに恥ずかしい奴だな。 >986 だから、俺は元拝み屋見習いで、その程度は体験済みだっての。 いいか? 俺は霊位を否定した事なんざ一度たりとも無い。 お前らが『生まれ変わりは絶対的前提』だと言うから違うって言ってんの。 相依性で仮設の世界で『確立した絶対的システム』なんか有る訳無ぇだろうが、この春日局が。
おもしろくなってきたけど、そろそろこのスレも終わりか…惜しい。
次スレでもこの話題をつなぎたいんだけど。
>>989 ごめんごめん、別に悪意はないよ。俺も、現世は確固たるもの、来世は妄想だって思いもある
その思いを持った上で、改めて再考を試みてるだけ。
998 :
前世は一在家 :2013/01/05(土) 23:24:34.71 ID:4dLyVwik
>>992 >人間は経験以上のものを決して有しない
カルマも経験も蓄積しながら輪廻する意識、有為法を仏教では認めているそうです。
(参照:「仏教要語の基礎知識」水野弘元)
>それが日本語でないなら大したもんなんだがなw
日本語でない寝言もあったそうですが、祖母が速記できなかったとのことです。
>>993 つまり一切がどの時点で生じているかを観察しなさい。
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