仏教 議論スレッド 10

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いずれにしても、かかる内容のものを、その言葉だけ捉えて、
【「有」「無」から「空間的関係」を、「生」「滅」から「時間的関係」を引き出し、そのどちらかに重きを置くならば】、
多因多果の「縁」と「果」を過不足なく説明することができぬものとなってしまうだろう。
あえて空間/時間に区別すべきものではない。【「空間」に偏れば行動に、あるいは目に見えるものに溺れ、
「時間」に偏れば観念に、あるいは目に見えぬものに流されてしまう】のがふつうだからである。

 法が先か仏が先か。これについては、「論考」に指摘された通り、【仏が先であると言わねばならない】。
ただこの問い自体がまことに大乗的である。伝統仏教においては、仏と法と僧とについての問いとなるからである。
また仏とは何かということを抜きにした仏教の議論もないからである。特にそれが実在論に及ぶときはなおさらであろう。
【教義上は世俗諦と勝義諦によって、実践上は戒律によって】答える以外この問題の解決はないと思われる。
 再び、「論考」が、わが国における仏教教義の理解のために、きわめて重要な視座を提供するものである
ということを申し述べ、一つのコメントを終えることにしたい。

(引用終わり)