1 :
神も仏も名無しさん:
仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。
主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。
皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。
初心者にはやさしく接してあげてください。
良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。
明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。
無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。
*「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」
等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに
他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、
『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。
【前スレ】
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート29
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1296312118/ 【過去ログ・関連スレは
>>2-5辺り】
※みみずん変換は、URLの 「 /psy/0000000000 」を残し、
それより前を「
ttp://mimizun.com/log/2ch/ 」へ。
2 :
神も仏も名無しさん:2011/12/10(土) 11:25:08.51 ID:7z+pCN6t
3 :
神も仏も名無しさん:2011/12/10(土) 11:28:40.95 ID:7z+pCN6t
4 :
神も仏も名無しさん:2011/12/10(土) 19:24:34.64 ID:gsnFo624
裾上げ
5 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2011/12/11(日) 01:59:31.92 ID:zZ170h0v
6 :
神も仏も名無しさん:2011/12/16(金) 00:30:10.38 ID:5KL/QLwA
age
7 :
神も仏も名無しさん:2011/12/17(土) 07:35:16.29 ID:cqYq3fCq
人コネ━━━━━━(゚Д゚)━━━━━━ !!
8 :
侍子孫 ◆mTfVdNqrZY :2011/12/22(木) 20:32:21.85 ID:WkX5/w2l
真言宗御室派の者です。
分割で失礼します。
9月に祖父が他界してしまいました。
これから泥沼の相続争いが始まった訳ですが
私独自に調査したところ、私の父の悪行が全ての原因だと判明しました。
父は全く反省していないどころか開き直っています。
9 :
侍子孫 ◆mTfVdNqrZY :2011/12/22(木) 20:34:36.45 ID:WkX5/w2l
父の弟さんが怒りのあまり勝手にお寺も宗派も変えて喪主になって葬儀が行われ
本来のお寺さんは疑問を抱かれていました。
父も「そんなの適当、どうでもいい」と無茶ばかり言っています。
若後家までも出してしまいました。
10 :
侍子孫 ◆mTfVdNqrZY :2011/12/22(木) 20:41:39.45 ID:WkX5/w2l
本来のお寺さんに筋を通す為に私が謝罪を行い、過去帳をお願いしましたが
複雑に絡んだ糸はなかなか解きほぐせません。
情けなくて涙が止まりません。良い知恵を下さい。
11 :
侍子孫 ◆mTfVdNqrZY :2011/12/22(木) 20:44:18.82 ID:WkX5/w2l
ちなみに祖父は分家で、父は長男。私も長男です。
父がまともで無い以上、私が全てを取り仕切らなければならないのは分かります。
しかし、私には全く知識や作法がわかりません。
よろしくお願いします。
12 :
神も仏も名無しさん:2011/12/22(木) 22:59:00.11 ID:3XgszoV0
13 :
侍子孫 ◆mTfVdNqrZY :2011/12/22(木) 23:39:14.43 ID:WkX5/w2l
本来の状態に戻そうと努力していますが
知識的に全く分からないので重要なキーワードがあったら教えてください。
調べようにも全く手がかりが無い状態で困っています。
「基本的な作法」も知らない私の完全な知識不足です。
宗教的に重要な行事、呼称などの基礎を教えてください。
14 :
神も仏も名無しさん:2011/12/22(木) 23:41:02.39 ID:lm+8rGU1
15 :
侍子孫 ◆mTfVdNqrZY :2011/12/22(木) 23:45:42.00 ID:WkX5/w2l
そうします。
失礼したしました。
16 :
神も仏も名無しさん:2011/12/23(金) 00:46:07.62 ID:GbOCpFKp
天上天下唯我独尊の意味は何ですか。
哲学的な問いでもないのに模範解答が多すぎます。
そして互いが互いを"誤解"としていて答えがわかりません。
大別すると
・釈迦は尊いよ (傍若無人?自己中心?)
・人間は尊いよ (人文主義?)
・個人は尊いよ (ボクらはみんなオンリーワン)
Wikipediaでは「釈迦は尊いよ」としてあげているが
誤解の項にてそれを否定しているようにみえる。矛盾。
人間が尊いというのは他の生命に対するおごりであるし
個人が尊いというのもなんか変。
全生命みな尊いか、みなクソってなら納得いくんだけど…。
だからと釈迦は尊いよ説で理解しようとしてもイマイチわからない。
それで質問。
1. 仏教的に王道な解釈はどれ? (宗派によって誤差があるのは承知)
2. 釈迦が「おれ尊いわぁ〜」と思った理由は? (悟ってないよね?)
18 :
神も仏も名無しさん:2011/12/23(金) 17:50:52.98 ID:o/+mjCf2
>>17 釈迦がどう思ったかではなく、大事とは、あなたがどう思うか?でしょ
天上天下の間にあって、他人の解釈など何の役にも立ちません
唯我独尊が臓腑に落ちるてくるような修行をしなさい
禅家ならば、そう答えるでしょうね
まあ、それでは身も蓋もないので質問箱らしく書くと
どれでも正解です
釈迦も人間も個人も尊いのです
もっと言えば、四生はおろか山川草木ことごとくが尊い
仏教では、放射線に汚染されたガレキさえもが尊いのですよ
唯我独尊
釈迦が誕生した時に言ったとされる言葉である。
釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれた、とされるが、その直後に七歩歩いて右手で天を指し、
左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と言った、という伝説から出てきたものである。
しばしば釈迦を、崇める言葉として使われる。
元来、「天上天下唯我独尊」は、釈迦が言ったのではない。
釈迦以前に出世したといわれる過去七仏の第1仏である毘婆尸仏(びばし)が誕生した際に言ったとされる。
しかしそれが、釈迦が生まれた際に、他の人々がそのように讃嘆したという説が生じて、
のちに釈迦自身が誕生直後に自ら言ったと信じられるようになったものである。
『大唐西域記』(646年成立)の中に記載されている、釈迦の誕生当時を伝える誕生偈と呼ばれる偈文には、
天上天下唯我独尊
今茲而往生分已尽
という一節が記されている。現代語に訳すと「全世界で私が一番尊い」という意味である。
「天上天下唯我独尊」の意味を「全世界で私たち一人一人の人間が一番尊い」と解釈する説もあるが、
経典上の根拠が全く無い説である。
釈迦の誕生を伝える仏典には、『佛本行集経』卷八・樹下誕生品下、
『佛説太子瑞應本起経』卷上などがあるが、代表的な『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、
天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之
とあり、欲界・色界・無色界の三界の迷界にある衆生はすべて苦に悩んでいる。
私はこの苦の衆生を安んずるために誕生したのだから、尊いのであると言う。
ところが残存するパーリ仏典はやはり大乗仏教の影響を受けており、
『大唐西域記』と同じように、釈迦自身の解脱という点で尊いとしている。
この利他の面で尊いとするのか、解脱という利自の面で尊いとするのかに、時代による釈迦観の違いが現れている。
さらに、「天上天下」という言葉で、仏教の立場を説いているという解釈もある。
「天上」とは、世界の一切の事象をすべて神の意思であるとする、当時の「尊有論」の立場とし、
「天下」を、一切の事象は偶然によって支配されていると考える「偶然論」の立場と説明する。
この両極端を否定して、釈迦は真実の姿は縁起によって現象するのであると自覚したから尊いのであると説明する。
縁起(えんぎ)
仏教における縁起(えんぎ、サンスクリット:pratiitya-samutpaada、パーリ語:paTicca-samuppaada)は、仏教の根幹をなす思想の一つで、
世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す。
縁起の語は「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。
ある結果が生じる時には、直接の原因(近因)だけではなく、直接の原因を生じさせた原因やそれ以外の様々な間接的な原因(遠因)も含めて、
あらゆる存在が互いに関係しあうことで、それら全ての関係性の結果として、ある結果が生じるという考え方である。
なお、その時の原因に関しては、数々の原因の中でも直接的に作用していると考えられる原因のみを「因」と考え、それ以外の原因は「縁」と考えるのが一般的である。
因縁生起
経典によれば、釈迦は縁起について、
私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである。
— 『南伝大蔵経』12巻、234頁、と述べた。
またこの縁起の法は、
わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。
如来の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
如来は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり
と述べ、縁起はこの世の自然の法則であり、自らはそれを識知しただけであるという。
縁起を表現する有名な詩句として、『自説経』では、
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す
— 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)、と説かれる。
>>18 解釈は自由ってことですか…なんだか不思議ですね。
まぁいろいろと違う見方が出来るから宗派がわかれてるんでしょうけど…。
"尊い"の理由がイマイチわかりませんが
仏教も神道と同じように"全てが尊い"て解釈でいいんですねぇ
何だが仏教は"諸行無常"のイメージで
「全てはクソッタレだけどそれでも頑張って生きてる生命って素敵やん?」
的な感じだと思ってたんで、唯我独尊もわりと悪い語感に受け取ってました。
>>19-20 流行の「ドヤ顔でWikipediaのコピペレポートを提出する大学生」ですか
>>19 > 釈迦は真実の姿は縁起によって現象するのであると自覚したから尊いのであると説明する
↑ これはウィキペディアの説明ですが
− − −
私、個人の解釈としては『釈迦(ブッダ)は、輪廻の世界から解脱する為の方法(解脱法)を提示した』
だから釈迦(ブッダ)は優れている、と考えてます
23 :
神も仏も名無しさん:2011/12/23(金) 21:26:11.23 ID:o/+mjCf2
>>21 人は、様々な主義思想を衣装のように着替えながら生活しているわけで
会社にいる自分と、自宅にいる自分とでは別々の服装でいても不思議ではない
釈尊はそれを糞僧衣一枚で十分とされた方ということになります
その根本思想は、あなたの言われた「諸行無常」に代表される「法」の自得です
尊いのはその「法」であって、それは拾うことも棄てることも出来ない衣装です
釈尊はそれを、一度自得すれば、着替えることのできない衣装だと説かれたわけです
「唯我独尊」と「全てが尊い」とは、同じその衣装の裏表ということになります
まあ、譬え話というのはこんなもので、訳がわかったようなわからないようなものです
また、仏教やるのなら、新しい宗派を創設するくらいの気構えでやられるといいですよ
疑問を解決するのは私のような解説者ではなく、あなた自身です
24 :
神も仏も名無しさん:2011/12/23(金) 21:38:59.26 ID:vyRb8VPo
>>21 けど、ほぼ
>>19の通りなんだが・・w
改めてまとめれば、
現在、解釈の種類は多々ある。(貴方が17で挙げた如くに)
が、原義、もともとの使用法は、
【《「誰かに教わったのでなく」「自ら」、「正しき見解(世の真の在り様)」を「知り」、「一切の迷いや苦を脱した」者である》が故に尊い】、
【他に、同様に心理に到達した者がいない。(だから“唯我”であり”独り”なわけですが)】、
ということです。 人間一人一人が尊いというのは後付のものです。
まず、上記内容が
・『釈尊への讃嘆の言葉』 ・『釈尊自身の(“無師独悟”による)真理への到達という自負』
という2種の扱い方を生みます。前者の解釈はあまり流通しません。
(伝記として「本人の言葉」とされているのですから、当然といえば当然ですが・・。)
そして、後者の解釈として、上記の内容にバリエーションが生じます。
しかし、ぶれていない軸としてはやはり、「無師独悟」「他に覚者が存在しない」の2点は抑えられている筈です。
その意味で、
>>17の問いの
1は、 >・釈迦は尊いよ であり、
2は、 「無師独悟」「他に覚者が存在しない」 の2点
となります。
これを、傍若無人、傲岸不遜と見るかは、感性の問題かと思います。
そのように見えてしまう色合いを有していることを否定はしません。
宗教も含め伝承された概念が腑に落ちないのならば
信仰なんかに興味もつだけ時間の無駄だぞ。
遊ぶために生きな。
26 :
神も仏も名無しさん:2011/12/23(金) 23:13:29.88 ID:iB6/2kv7
腑に落ちないものは信じないのが、
本当の宗教心。
腑に落ちないものを信じたり、無理やり信じさせられるのが、
カルト宗教
27 :
神も仏も名無しさん:2011/12/23(金) 23:21:21.53 ID:iB6/2kv7
仏教を学ぶ者だからと言って教典のすべてを理解する必要はない。
自分が理解できない文章を無理矢理理解しようとしてはダメ。
今は理解出来ないが、この先、理解出来る日がくるかもしれない。
くらいにしておけばいい
>>26-27 信じないものを学ぶの?(それで、真摯に(≒迷うことなく)学べるの?)
腑に落ちるまでは信じることなく関わるの?(見合い結婚と同じ理屈?)
けど、>今は理解出来ないが、この先、理解出来る日がくるかもしれない には同意w
>>28 〉信じないものを学ぶの?
悩む人が本屋でなにかの助けとなればと仏教書を手に取る。
半信半疑で読む本に共感出来ることと、
共感出来ないことが同時に存在することはよくあるよ。
普通の本なら共感出来ることだけ取るけど、
宗教書は全て理解しなければいけないと妄信しやすいので
31 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2011/12/23(金) 23:50:38.27 ID:O08ZGEdx
脇腹から産まれて直ぐ歩いて喋った、なんて事はおとぎ話に過ぎない。
シナの白髪三千丈と同じ事。
もちろん、そう書いた人々の想いはあるが、それは信仰という話であり、教えとはまた別の事。
質問です。
小池龍之介さんの本を読んだのですが、欲・怒り・迷い
という言葉がたくさん出てきました。
この言葉は仏教全般の中でメジャーな言葉なのでしょうか?
それとも小池さんが特に提唱しているものなのでしょうか?
《貪・瞋・痴》:貪り・欲望、怒り・恚り、愚かさ・無知・迷い・迷妄・無明( rAga、dosa、moha )
の三毒と言ったら基本中の基本でしょw
>>32
34 :
32:2011/12/26(月) 21:39:53.56 ID:c4gRhThj
>>33 基本なんですね。
回答ありがとうございます。
仏教系の本を読んだのが初めてだったので、初歩的過ぎる質問を
してしまいました。
35 :
神も仏も名無しさん:2011/12/28(水) 10:50:27.00 ID:dwnvJp5U
仏教にはキリスト教のミサみたいなのはないんですか?某信濃町のは活発みたいですが、
伝統的な仏教はどうなのでしょう。
36 :
神も仏も名無しさん:2011/12/28(水) 11:10:21.69 ID:zS7ZlTkv
すごく基礎的なことで疑問なんですが、
浄土真宗のお坊さんが教義で肉食妻帯を許可してて妻や子がいてお肉を食べるのはわかるのですが
他宗派のお坊さんも当然のように肉食妻帯してますが、あれはどういう経緯でなったのでしょうか?
浄土真宗の教義に迎合したということなんでしょうか?
37 :
神も仏も名無しさん:2011/12/28(水) 11:26:25.31 ID:zS7ZlTkv
すいません
ここはほとんど使われてないようなので議論スレで聞いてみます
人口減ってるというのもあるけど、
こことか神仏板とかは、区分で行くと過疎スレだから、2・3ヶ月後にレスがつくのが当たり前だったけどね・・。
最近は、そういうマッタリ(質問)スレも少なくなったよね・・。
確かに、…疑問を早く解決したいという気持ちはわかるけど、宗教上の疑問は一生ものだからね
自分で何度も推敲して、その上で識者の意見を聞きたいというような問題を抱え込まなければ嘘になる
知識が増えても、それで安心が得られるわけではないし、かえって邪魔になることも多い
特に仏教では、棄てることが一大事とされるから、何を採るかではなく何を棄てるかが肝心だ
死ぬる時には何もかも棄てるしかないのに、後生大事と抱えているものから疑う必要がある
比丘・比丘尼の戒律も経典も七堂伽藍も、守れなければ捨てるがいいのさ
などと、のんきな父さんを決め込んで呟いてみる
40 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2012/01/04(水) 02:18:10.63 ID:8OdVU3PX
>>35 そもそも法華経自体が本来の仏教から見れば邪道なんだよ。
題目を唱えるだけでいいなんてのはおかしい。
41 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/01/04(水) 05:47:27.41 ID:vi7pajgZ
八万四千の砲門は並べて金蓮を示す道標に過ぎず。
(^。^)まぁ、今のホッケは腐ってっから食えたもんじゃねぇがなwwww
42 :
神も仏も名無しさん:2012/01/04(水) 06:57:51.70 ID:JfvDPxOC
>>そもそも法華経自体が本来の仏教から見れば邪道なんだよ。
いやいや、大乗仏教徒なら、認めない人はいないと思う。
>>題目を唱えるだけでいいなんてのはおかしい。
それは日蓮でしょ。日蓮は完全に仏教から逸脱している。
彼の法華経解釈は完全な倒錯。
彼は法華経だけという排他的な一乗を妄想したが、
本来、法華経の一乗というのは宥和的、あらゆる教えは最終的に一乗になるという意味。
だから、声聞乗など色々な道を尊重する教えに他ならない。
こんばんは! 親父が補律師?と言う称号を持ってて、 仏教のお告げで その人の 気持ちが分かる。 映像が出てくる。 未来が見えると マジ顔で言ってくるのですが、親父は頭がおかしいんでしょうか?
44 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/01/06(金) 08:13:20.10 ID:d+j35YOJ
>43
律師は僧階の一番下。
まぁ、階級は学歴や金で決まるから大した意味は無いが、
未来が分かるとか言ってるなら拝み屋レベル。
俺が知る限り、拝み屋なんてのは既知外が詐欺師。
関わらない方が良いでしょう。
>>44ありがとうございます。
父の家系が、代々信仰してて 毎週 お参りに行かなきゃならず、金も取られ意味不明なお告げを聞かされすごく悩んでいます。頭が痛くないのに、「頭が痛いだろう。仏様が治してくれる。」難聴になると「病院に行かなくていい 薬も飲まなくていい
仏様が治してくれる」 物を買おうとすると「仏様がまだ早いと行ったから待て」 元々深く悩む方なので苦しい
>>40 紅音矢 ◆R/kUipgeiA
あなた禅宗でしょ
天上天下唯我独尊は文字どうり解釈したほうが良い
釈迦以外、偉大なる有情は存在しないと思う
48 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/01/07(土) 10:03:40.44 ID:mukN9NyW
ちなみに、唯我独尊とは、他者の権威や社会階級に囚われる必要は無く、皆がそれぞれに尊いとするのが伝統的解釈。
(^。^)厨二の「俺様だけ尊いww」ってのとは違うからな。
いいや
そんな伝統的解釈など嘘だとみんなうすうす気がついている
釈迦のみ偉大であり、それ以外の有情はとるにたらない虫けら的意味合いにおいて
釈迦は天上天下唯我独尊と述べたと考えるのが妥当であろう
街角のホームレスと天皇陛下は人間としての価値が違う
天皇に人権がないのはわかっている
ホームレスには言葉だけの空虚な人権しか与えられていない
だいたい「悟った人」と「凡夫」が同じわきゃない。同じあつかいを受けることもありえない
金持ちは暖かい部屋でぬくぬくと冬を楽しみ、ホームレスは路上にころがり
生と死のはざまを漂うサバイバル
うすら寒い、夕暮れ時に、心臓停止ですでに冷たく息を引き取ったホームレスを
テレビで見た
こんなやつら死んでもどうでもいいが、天皇がこいつらと我々と同じわけがねえ
それと、同じ。いくら生命の尊厳やら平等を唱えても念仏みたいに意味がない
釈尊はおよそこの世界で考えられるすべての「偉大さ」を超越して偉大だった
から、「我、一人偉大」と獅子吼したと「素直」に解釈すべき
50 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 15:01:15.23 ID:s/M2p71F
天上天下唯我独尊を「皆がそれぞれに尊いとする」とするのは、
人間の尊厳・平等が常識になった現代社会へ阿った現代解釈で伝統解釈ではありえません。
伝統では菩薩や如来が世界で一番尊いという意味以外ではない。少なくとも表面的意味はそう。
なぜなら、これは誕生時に説かれたものだけど、同じ句が悟りの時の言葉だったり、
成道後に外道に「私は如来である」と伴に説かれた言葉だから。
なにより、言語では aham 私という主語を用いているので人間の尊厳解釈は有り得ないものです。
52 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 16:37:33.80 ID:s/M2p71F
>>51 つか、
>>48 みたいなどうしようもない解釈というより詭弁を伝統説なんて得々と言う人がいるからでしょ
彼も如何に分かってないか、そろそろ自覚して欲しいが、基本的に机とか生命教とかわんない人だから。
53 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 18:12:47.33 ID:V8dY64DQ
>>52 釈迦が自分から「自分だけが尊い」などと言ったら、彼は、鼻持ちなら無い
「独りよがりの思い上り」になってしまうぞ。
54 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 20:18:35.92 ID:s/M2p71F
>>53 これ以上は議論スレにしてくれ。
「自分だけが尊い」というのは誤読だよ。特に「だけ」という限定は文にないでしょ。
まあ、原義が「私は世の中で最も優れている」という意味だから、
それほど変わりはないかもしれないけど。
それは厳然たる事実で、独りよがりでも思い上がりでもなんでもないでしょう。
過去から未来、天界から地獄まであらゆるものを直接知覚した結果だから。
まあ、信じられないでしょうが。
「 天上天下唯我独尊 」
余計な解釈など全く必要ありません。 そのまんまです。
悟った者には、ただ我独り尊いのです。
間違っちゃいけません。迷った者が我独り尊いのではありませんよ。
ここが分かってないから、迷った者は、ああだこうだと解釈をしたがるのです。
輪廻について質問です。
釈尊の得た真理は、輪廻説の実在を仮定しないと説明できないことなのでしょうか。
仮に輪廻の実在を仮定せずともこれらの教義が成り立つとすれば、
オッカムの剃刀といいますか、無理に仏教教義の中に含めずとも、
インド土着の思想としてしまってもいいのではないでしょうか。
57 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 23:09:10.03 ID:He1GbJnj
インドネシアのジャワ島のボドブドォール遺跡の仏教遺跡に行ってきます!
58 :
神も仏も名無しさん:2012/01/07(土) 23:37:54.65 ID:mVqx/YYS
>>54 「唯我独尊」。ちゃんと「自分だけが尊い」になっているw。
>>55 それを「自分から言っては」オシマイよw。イエスも、「わたしは神の子」と
自分から言ったw。自分から言う人間は、詐欺師だけ。
59 :
神も仏も名無しさん:2012/01/08(日) 04:36:43.28 ID:ntWdh6RX
>>56 輪廻は完全に前提になってます。
輪廻という前提なしに仏教は成立しません。
ただ実在というのは仏教ではいいません。
現在の我々も我々の知覚も、その対象も実在ではありません。
この意味で輪廻は実在ではありません。
逆にいうと現在の我々や対象が有るように輪廻も有るということはできます。
>>58 ああ、すまんそうだ。全てはその漢訳が悪い。
>>58 > それを「自分から言っては」オシマイよw。イエスも、「わたしは神の子」と
> 自分から言ったw。自分から言う人間は、詐欺師だけ。
迷った者が悟りを言える筈がないものを、
悟った自分が言わずして、誰が言うのかいな。
迷った者が、悟った者の言葉を借りて成りすますのは詐欺師。
だが、所詮、借り物の言葉。すぐに化けの皮が剥がれる。
61 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/08(日) 23:49:13.24 ID:dfYHpoiJ
「唯我独尊」というのは、
----「I AM」“我はそれなり”
ということ。
つまり、
自己と対象(神)という二元意識を超越し、見るものと見られるものとの分離が消失。
“自己が神そのものであった”という一元意識に目覚めた状態をそのまま表現したもの。
ただし、
赤子が「唯我独尊」を示したなどというのは、
後代による神格化であると見なすことが妥当。
>>59 輪廻を前提にしないと仏教が成立しない、ということについて
詳しくお聞かせください。
輪廻がないと解脱と涅槃が成り立たないため、ということでしょうか?
63 :
神も仏も名無しさん:2012/01/09(月) 05:49:21.15 ID:91FO4CRV
>>61 唯其妄想 そんな意味はない。
神などなんらかの実在、基盤、本質、実体を想定する限り覚りがないというのが、
『梵網経』以来の仏教の根本的立場。
これが則ち、無我、縁起、空性などの根本概念と直接対応する。
>>62 先ず、仏教の立場では輪廻というのは現状認識で、思想とか方便ではありません。
そして、仏の教え自体がその輪廻からの解脱のため、道として仮設されたものなので、
輪廻という現状への信がなければ、ほとんど意味がありません。
全くないとは言いませんが。
仏教に関してほとんど知らない方は仕方ないと思いますが、
文献学者で輪廻を説かないなどと言う人は、テクスト内の論理性という意味で、
文が読めないか、あるいはテクストに誠実でないか、どちらかでしかないと思います。
64 :
神も仏も名無しさん:2012/01/09(月) 06:55:37.36 ID:oj/U6jTq
>>83 輪廻は、証明できない代物だし、そのために大きな害悪を振りまいていると
いう現実を、批判すべきであろう。
65 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/09(月) 22:59:45.28 ID:HP3S2hn8
>>63 また、
いつもの繰り返しになりますが、
“実在というものはない”というのは
一切法(現象界「有為」の性質についての法則の教え)においてのこと。
“如来も空”などいった馬鹿げた発想は改めるべきですよ。
色即是空/空即是色という表現は実に的を得たものであって、
空とは色(現象界)の性質のことなのですから、無為(涅槃)は色(現象界)=有為に在らずです。
従って、無為に住する如来が空である筈がないのです。
そういうのを中身カラッポというのです。
では何故?
人間には「輪廻」「仮設」が生じ、
そして、「解脱/涅槃」・・・が生起し得るのか?・・・
この如来が出現する以前から定まっているとする法(法則)については、
仏典によってはその詳細解説は得られないでしょう。
そこに一つの大いなる意思(意識)が在るからと見なし、
これを「神」であると表現呼称するのです。
ただし、誤解の多いクリスチャンのような人格神の概念とは全く異なるものです。
66 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/09(月) 23:13:15.47 ID:HP3S2hn8
---余談として、
以前の指摘でありました、
「何故、きみ(宝珠)は(密教の)真言の有効性を認めるのか?」というのに答えますと、
サンスクリット語(梵語)の発声には霊的に有効性の高い独特な波動が空間に生じるということが、
(神智学が説くところのハイアラキーの)覚者の訓練によって、
超人的なオカルト能力を身につけた特定の神智学徒によって、
その放たれる霊的色彩光の輝きと共に確認されています。
従って、私もバラモンの叡智であるところのサンスクリット語の呪文、
密教真言の効力に信頼性を置いています。
67 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/09(月) 23:53:50.56 ID:HP3S2hn8
>>65追記:
『「一切の形成されたものは空である」と明らかな智慧をもって観るときに、
人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である。』(ウダーナヴァルガ.12:7)
空とは形成されたもの---つまり、現象界の性質のことです。
68 :
神も仏も名無しさん:2012/01/10(火) 06:48:10.40 ID:FUX52PIc
>>65 そのように法性を神と見なすのが如何に間違っているかは『梵網経』以来仏教の伝統ですよ。
>>66 そんな説明で誰が納得するのでしょう?
だから、オカルト、ムー・レヴェルなんですよ。
>>67 それはそれでいいとしても、現象以外のアートマンなどの実在は仏教で認めませんよ。
例外はいくつかありますが、それらは異端です。
あなたは仏教が分かってないのだから、質問箱で答えるのは止めてください。
最終的な根拠が神智学説じゃ話にならない。
それとアナタと議論する気はありませんので、これで終わりにします。
宝珠@神智学徒さん
また怒られてる
仏教徒でないからね
他の板で布教したらいいよ
70 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/10(火) 23:50:34.44 ID:8YudcnNr
>>68 >そんな説明で誰が納得するのでしょう?
>だから、オカルト、ムー・レヴェルなんですよ。
これらは高い超常能力によって確認されたものであり、
そのようにして、通常では不可視の領域においても
詳細かつ鮮明なカラー図解を提示してきたのです。
その解説も実に具体的なものであって、空想の類いとはレベルが違います。
>それはそれでいいとしても、現象以外のアートマンなどの実在は仏教で認めませんよ。
>例外はいくつかありますが、それらは異端です。
“すべて”を間違えたからでしょうね!
ゴータマの教えは、「実在ではないものには価値はない」というものですよ。
もし、如来も実在でないのならば、(真義上はほぼ)無価値に等しいことになる。
「無我」とは「苦」だといっているのです。であるから、それ(無我/苦)は我が本体には在らずと。
どうして、涅槃にある如来が無我・空だと?理論崩壊でしょう。
まっ、間違って書かれた超古代の書物である経典に
全権を依存する限りは無理なことです。
『すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である。そしてすべて無常なるものは
「こはわが所有にあらず、こは我にあらず、こはわが本体にあらず」と、そのように、正しき知恵を持って、
これをあるがままに観るべきである。』(相応部35.1)
>それとアナタと議論する気はありませんので、これで終わりにします。
はーい(^O^)/
71 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/11(水) 23:04:29.08 ID:S013eQuC
>>70 追記:
>間違って書かれた超古代の書物である経典
すみません。m(__)m
「経典の解釈上の間違いと誤解」という意味に訂正します。
72 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2012/01/15(日) 17:31:58.73 ID:7bUmkx2q
場違いだぜ、クソ坊主共
>>70 宝珠愚者の言う事は全くもって真理からは程遠い!
宝珠愚者が間違った事しか言っていないという事は、
我が超絶超能力によって確かめられた真理であり、
その心理は宝珠愚者が知りうる程度の低能力では知り得ない領域であり、
宝珠愚者の知識と、我が超絶超能力による真の知識を比べれば、
16色ビットマップと26ビットビットマップ位の違いがある。
74 :
神も仏も名無しさん:2012/01/17(火) 15:42:47.68 ID:ymYB/tMU
如来って言葉の意味だけど、
真理から来たもの
一切諸法の自性をありのままに存じていて、それを説く人物
かくのごとく真理の世界に行った者
とかの意味で仏の称号の一つとして普段使われてるよね。
でも実はハイブリッド登場以前はこれらの意味で用いられずに実在しない想定上の模範者を指し示す言葉として仏教内外で用いられていたって菩提寺の坊主から聞いたんだけど本当なの?
最古層の経典でゴータマ自身が自身は如来だって言ってる様な箇所とかないの?
だれか物知りな人教えてください。
75 :
神も仏も名無しさん:2012/01/17(火) 17:14:54.53 ID:M8oRqQ2q
タターガタ論争、懐かしいなw
焼き肉くいてー
77 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/18(水) 00:37:08.04 ID:hTmRu/sw
>>74 『比丘たちよ、如来は、この二つの極端を離れて中道を悟った。それは、眼を開き、智を生じ、
寂静・証智・等覚・涅槃に至らしめる。--中略----
しかるに、比丘たちよ、わたしは、この四つの聖諦について、このような三転十二行をいとなみ、
如来知見のことがすっかり明瞭になったからして、比丘たちよ、わたしは、はじめて、天神・悪魔・
梵天をふくむかの世界、沙門・婆羅門・人天をふくむこの世界において、最高の正等覚を悟りえ
たりと称したのである。』(相応部56-11/如来所説)
>>75 論争というと諸説あったということですか?
もしよければ、その事について詳しく教えていただけませんか?
>>77 すみません。
意味が良く理解できません。
79 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/19(木) 00:00:02.63 ID:hTmRu/sw
>>78 “タターガタ論争”とは多分、
『毒矢のたとえ』(中部第63経/小マールンキャ経)の中で使われた
「無記」とよばれる形而上学的問題には回答せずに沈黙する姿勢での
「如来の死後におけるその存在の有無」を問うものについて、
これは原語“tatha^gata”の文字通りに「如来」とすべきというものと、
否そうではなく、これは広く、
「人間(人)の死後についての問い」であると見なすべきだ、
とする異なった意見がある話のことではないかと思われます。
私の意見は、
人間の死後については、断見常見で以って解答を示されているのであるから、
この場合というのは、解脱を果たした如来は一体どうなるのか?
という問いであるとこの私は見なします。
>>77での引用部分の意味は、
文章通りでそんなに難しい話ではないです。
「如来は中道を悟った」というのは、
もちろん自分自身(ゴータマ)のことをいっており、
自分がその如来となったのであるから、
当然、「如来知見のことがすっかり明瞭」になるということ。
----あとは、詳しい方からの解説に期待して下さい。
神知学的にはどう解釈するんだろ
異教徒との戦いにおいて戦士した人を死人
と言ってはならぬ
聖戦で倒れた者は生きて天国に入ることができる
コーラン
自爆怖すぎ
81 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/19(木) 01:22:37.88 ID:1kwrMuk1
>>80 相手側の殺人も止む得ない義務として見ますし、
殉教死もそれ相当の等価を得るでしょう。
けれども、戦争への自発的参加そのものが高評価されることはありません。
82 :
80:2012/01/19(木) 01:35:02.27 ID:IXHQyHl9
なるほど
特攻隊はどうなんだろ
靖国に行ったが
なにもない空箱でした
恐ろしいほど空でした
83 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/19(木) 22:57:28.75 ID:1kwrMuk1
>>81 追記:
私の話というのは、
自分の乏しい力では避けることが出来ずに止む無く戦場で戦闘につく場合には、
己れの義務をただ淡々と遂行する以外にないというものです
(聖典『バガヴァッドギーター』では、
戦いに躊躇するアルジュナを御者になったクリシュナが激励する場面が展開する)。
もちろん、殺人は基本的にダメであるし、
であるから当然、戦争そのものが本来は起きてはならない出来事なのです。
ただ、一部の狂信的なイスラム教徒による自爆テロというのはまた違うもののように思う。
あれは自らの意思で望んで復讐のための自爆テロを敢行しており、
それを身勝手に聖戦といっているのではないでしょうか?
質問
ダライラマや釈迦のように一度輪廻から解脱しても
衆生のためにこの世界に戻ってくる
その動機 慈悲なども実体は無いの?
85 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/20(金) 23:35:54.34 ID:qNV9Cv78
>>84 ダライラマは解脱した完成者ではないでしょう。
確かに、敬意に値する大聖者に違いはありませんが・・・。
戻ってくる完成者も、また、
戻ってこない完成者も伝統解釈では同じく実体無き「空」と見なすでしょう。
それ以外の解釈は認めないようなので。
私個人は完成者だけが唯一なる実体と同化した存在と見なすので、
「空」などという見解は認めませんが・・・。
「戻ってくる」という考え方はあり得ません。
「とどまり続ける」という表現のみが、その教義として(論理体系として)認め得るものでしょう。
少なくとも、どのような大乗仏教でも、その形を取っている筈です。
《【戻ってきた】仏》は、只の一人も存在しなかったと思いますが・・・。
はたして空を理解してる人ているんだろうか
悟りを開いた人のスレにもいないようだが
仏教議論スレには ID:4INynt4Dの新人が暴れてるし
89 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/21(土) 00:15:49.31 ID:6MpY3Fen
>>86 あなたは大乗が何でも在りということをご存じないの?
久遠仏思想(久遠実成)といって、
ゴータマの菩提樹での解脱悟りというのは衆生救済のための演技であって、
それまでの苦難と修行の日々は大衆への教訓のためのストーリー展開に過ぎない。
つまり、元々からして完成された如来が大衆を教え導くために出生された、
というのがゴータマブッダ(の物語)です。
90 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/21(土) 00:21:02.47 ID:6MpY3Fen
>>88 一代には叱られると思うけれども、ハッキリいって何も難しくもナンとも無い。
この現象界には実体といえるものは何もないということに過ぎない。
それが何故、我々らは実体視されるのかの詳細理論は
仏典よりもヴェーダーンタ哲学やシャーンキャ論の方が具体的で詳しい。
正直、仏教というのは理論解明には力を入れなかった。
難しいのは体感(経験)すること。
>>89 だからw
「(ホントは)入滅しなかった」
「うそぴょ〜んw びっくりした?泣いた?ほんとに死んだと思った?居なくなったと思った? んなわけないじゃんwwwww」
という形の筈だが?
《戻ってきた仏》が居るなら、三拝拈香してその御尊顔を拝したいので是非御紹介いただきたい。
92 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/21(土) 01:23:11.31 ID:6MpY3Fen
>>91 完成者というものは、
意識上では常時ニルヴァーナに在りながらも、
そのまま肉体的には物質現象界への活動であろうと何でも可能。
>《戻ってきた仏》が居るなら、三拝拈香してその御尊顔を拝したいので是非御紹介いただきたい。
戻ってきたという表現はどうかと思われますが、
完成者が再び肉体を持ったり、保持し続けている存在は何人でも知っています。
ただし、仏教界の枠内では知られていません。
>>92 だからw
「戻ってくる」ということはありえないわけです。
それは、縁起に反するからです。一旦滅してしまえば、それは再度生じることはないからです。
たとえ凡夫の後生、後有であったとしても、【同一のものとして】再び生じるわけではないからです。
継続している必要があるなら、それは、【滅していない形で】継続する必要があるわけです。
≪たとえ意識体やら何やらであっても≫ですw
少なくとも、仏教の枠組みでは、一旦滅した仏・如来が再び生じたという形をとることは無い筈です。
(だから「入滅は方便であった」という表現がされるのではありませんか?
パーリに於いても「もし望まれるなら、とどまり続けることが可能」という表現になっているのではありませんか?)
神智学の方では≪【一旦滅したものが】、再び【同じものとして】生成してくる≫ことを認めるのですか?
>>79 何度もありがとうございます。
75で述べられた”タターガタ論争”は仏教内で用いられた如来の語義解釈についての諸説を指し示していたのですね。
了解できました。
(相応部56-11/如来所説)なのですが、
自分の質問の仕方も悪かったのですが、
自分が知りたかったのは
釈尊の説法の上で指し示される規範を実行していると想定される人物を如来と称しているだけで
「私は煩悩を吹き消した」や、「私は覚った」のように
「私は如来となった」「私は如来である」のような記述があるのか気になったのです。
教えていただいた箇所は如来が得ている事象の一つを釈尊が得ていることを説いてるのみで
釈尊が自身を如来と直接的に言ってなく、自分が求めていたモノとすこし違いました。
後日、悔しいですが菩提寺の坊主の所に聞きにいってみます。
どうもありがとうございました。
>>84 質問者の質問ですが
無我説というのはあくまでアートマンが無いという事を述べているものに過ぎず。
アートマンは無いけど輪廻の主体となる種子や無表業やプトガラを認める立場もあり、
アートマンも無く、主体も無く、言語活動によってしか想定されえないものであるとする立場もあります。
このように無我説と輪廻の矛盾解決は立場によって回答が異なるので仏教全体としての模範回答は難しいと思います。
もし、それでもなんらかしらの正確な回答が必要なのでしたら、
宗派や立場を特定すればそれに順じた模範解答が得られると思います。
バラモン
『アートマン(魂)は絶対不滅、常住不変で、常見として輪廻が続くのだ!』
ブッダ
『解脱する為の智慧によって、解脱した人の場合は、次の生存に戻る事はない』
『解脱する為の智慧によって、解脱した人は常見ではない』
『解脱してない人は断見ではない』
『有ではない無でもない』
沙門果経
―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる
(初期仏教経典解説シリーズ)
アルボムッレ・スマナサーラ (2009/05)
327ページ参照
過去を見る智慧(による禅定(瞑想))
どこまでも過去に遡っても
自分が渇愛(タンハー)によって輪廻転生したこと
未練を残しながら死んで逝った事を発見できるから
渇愛(タンハー)が有る限り、輪廻を繰り返す
と言う事を発見できる
アートマンとか輪廻などの事を確かめたいのなら
『本当に渇愛(タンハー)によって、輪廻を繰り返しているのか?』
過去を見る智慧(による禅定(瞑想))で
過去世を体験した方が良いんじゃなイカ?
100 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/21(土) 14:13:37.82 ID:6MpY3Fen
>>95 >無我説というのはあくまでアートマンが無いという事を述べているものに過ぎず。
そういうのは、
まったく時代遅れの間違った古い解釈です(一代などのいう伝統法門はコレ!!!)。
しかし、これが現代の定説ですよ。
勉強して下さい!!
『anattan(無我、我ならざるもの)の語は、ブッダも使います。ブッダの教えの中で重要な用語です。
これは、「主語+述語」の文の、述語に置かれます。「苦であるものは、我ならざるものである(=我
ではない)」ということで、「無我」は「我がない」という意味ではありません。「我ではない」という意味
です。
ブッダの教説の中では、attanが主語におかれて「我がない」とか「我がある」とかいう文は作るこ
とはできないのです。『ブッダ論理学』の【難問5】にあります。彼の教説は、生じ滅するものだけを扱
うからです。しかし、生じ滅する「色」が、我ならざるものであることは、述べることができます。述語
には、規定はありません。だから、「無我(我ならざるもの)」という言葉も出てきます。
ただ、いつの頃からか「無我(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。(部派時代
頃かな) これは、経典を作りかえたとかそういうことではなくて、解釈として、このような解釈が入っ
てくるということです。』(管理人エム/マニカナ掲示板過去ログ2739.)
『これまで、伝統的な解釈に従って「無我」に「自己はない」という意味を便宜的に与えておいたが、
実際には、阿含経典では「無我」は「自己でない」の意で用いられていることがわかるだろう。ブッダ
が「自己はない」は説きえないことがはっきりしている今となっては、これは当然のことだが。』
(石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社刊)
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm
101 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/21(土) 23:47:13.78 ID:/DcfLTmX
>>93 しかし、いつも宗教板はサーバートラブルが永い(苦笑)
エーと、
一度の肉体崩壊など、解脱完成者にはどうってこともないこと。
そんな簡単な話が、何故、分らないのかが不思議というもの。
まずは無我の理解について、その誤解を解くことから始められれば分りますよ。
縁起も無我も現象界についての限定法ですから。
ニルヴァーナに到達した如来は、これを超越しています。
論理矛盾(本来の仏教には矛盾は無い)に気付きましょう!
>>100参照
信仰と宗教分野においては、
正直いって、“信じてない者には示される恩寵がない”という現実的な実態があります。
これは過去の歴史が証明してきたことです。
単純に言うと、
幽霊を信じない者には出現せず、霊は感じられず、
神の奇蹟を信じない者にはその奇跡は起こらず・・・ということ。
聖なる存在(意志)には、“人間の自由意志は犯さない”という基本方針が存在するからです。
つまり、無我を「我が無いこと」といった間違った信念で以って頑なに固執する者には、
これも当然、「まっ、どうぞお好きにして下さいね!」ということなのでしょう。
であるから、仏教圏には完成された如来の肉体による再出現が起こらないのです。
ヒンドゥー神智学世界にはそのような迷信はないから、
肉体の半永久保持や、自己の意志力による肉体の創造(好きな肉体を着用する)の完成者は存在する。
102 :
海野土左衛門:2012/01/22(日) 13:16:35.99 ID:+bzfyb45
>>101 >幽霊を信じない者には出現せず、霊は感じられず、
日航123便墜落事故の際、現場で活躍した自衛隊員の100人以上が幽霊を目撃したらしい。
この話は有名でして、
その後、これらの自衛隊員は心が病んでしまった方が多かったらしい。
直近の話題では、東日本大震災においても自衛隊員の心が病んでしまった話題が多くありますが・・
さすがにこれは「幽霊」の話は出てこない(自粛してるか?)
そんな折、今度は被災者側から幽霊の話がドンドン出てきて
その対応に行政は現在は苦慮しているそうです。
結論といたしまして、
「幽霊を信じない者でも、幽霊は出現する」とおもいます。
103 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/22(日) 13:29:57.29 ID:KZiIQV/K
>>102 もちろん、私も信じてなかった者がついに初遭遇した
という話があるのは存じていますが、
ちょっと極端過ぎたでしょうか?
おおっ!
とにかく、これは貴重な情報に感謝です!!m(__)m
机先生と海野土左衛門先生の場合は
『すべて無である!』
『心の働きも無である!』
しかし
『幽霊は存在する!』
と言う事で、ございましょうか?
− − −
机先生と海野土左衛門先生は
どうぞ ↓ こちらに
☆ 2ちゃんが落ちた時の為に ☆
http://jbbs.livedoor.jp/study/10338/#1 → オカルト? ←
↑ 2ちゃんが落ちた時の為に
ライブドア板に
携帯で書き込み出来るか?
書き込み 『 test 』 してみなイカ?
105 :
海野土左衛門:2012/01/22(日) 14:00:09.40 ID:+bzfyb45
>>104 >『幽霊は存在する!』
>と言う事で、ございましょうか?
私は仏教徒ですから「存在」するとは思っておりません。
縁起において現観しているだけのこと。
縁起においては、幽霊も美人も等質・等価であって空であります。
どうか野狐にならんように、幽霊と美人にはくれぐれも気をつけなされ。
106 :
海野土左衛門:2012/01/22(日) 14:16:23.19 ID:+bzfyb45
107 :
神も仏も名無しさん:2012/01/22(日) 15:12:37.65 ID:T7n/Ko7e
美人は別れても心の中に住み着くからな
これほど厄介な存在もない
醜女に罵倒されても何ともおもわんが
美人に批判されると惚れてしまうというね
美人への執着を断ち切る方法はないものかね
藤子に翻弄されるルパンの気持ちが大人になってやっとわかったよ
ある意味でルパンの生きる原動力でありながら
最大の弱点というね
>>101 だからwww
肉体かどうかなんか問題じゃないのw たとえ意識体だろうが幽体だろうがナンチャラ体だろうが同じなのw
「とどまり続けてる」ってことじゃん。
とどまらず、滅し、去っていったものが戻ってくることはありえないわけ。
だから大乗諸経は「方便によって滅を示した」という形をとるわけさ。
君が言っていることも同様で、消えず(滅せず・去らず・失われず)に、そのままあり続けるものが、
「見えるか見えないか(知られるか知られないか)」の差でしかないじゃん。
だから、 >≪【一旦滅したものが】、再び【同じものとして】生成してくる≫ことを認めるのですか?
と問うたんじゃないかw ( ̄ー ̄)
109 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/22(日) 16:27:39.62 ID:H64SIg+/
>>108 >「とどまり続けてる」ってことじゃん。
勝義的には去ったものも戻ってきたものない。
無始の昔より常に留まり続けてきた。
>だから、 >≪【一旦滅したものが】、再び【同じものとして】生成してくる≫ことを認めるのですか?
完全に同一のパーソナリティーとして再度、現象界に還ってきたという事例はない(知らない)。
これは同一の真我が異なるパーソナリティー(自己)として、
想念力で意識的に形成した肉体(不老の驚異的な肉体)で現象界に戻ってくる(母胎に宿ることなく)
というのが、神智学を教えられた完成された大師方です。
110 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/22(日) 16:35:49.94 ID:H64SIg+/
>>104-105 「存在」するしないとして「空」を語るなどというのは、
インド思想においては究極の真理というものではなくて、
単なる教えの初歩部分でしかない。
これが全面に押し出されて説かれる必要とその意義があるのは、
本当に、インド思想の存在論を何も知らない一般大衆に対してのことです。
我々の観点からではあまりに当たり前過ぎて、
何もイチイチ、「存在するとはいわない」などといった
回りくどい謂い回しなどは無用で、ただの邪魔でしかない。
だから私は、イチイチいわない。
メンドクサくて邪魔。
>>109 >同一の真我が
だからw (それだと)滅してもいないし消えてもいないし去ってもいない。 そこにあり続けてるじゃん。
「戻ってくる」という表現がナンセンスなわけ。少なくとも『仏教の世界観』ではね。
仏教以外ならば、そりゃ色んな世界があるから、
「そこからここへ、あそこからここへ」と「戻ってくる」という表現が成立することもあるでしょうが・・。
なぜ、般涅槃(parinibbAna)という表現を用いざるを得なかったか。
仏教には(次元の違う)別世界がないからです。だから「不還」なわけです。
112 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/22(日) 16:54:01.53 ID:H64SIg+/
>>111 >だからw (それだと)滅してもいないし消えてもいないし去ってもいない。
>そこにあり続けてるじゃん。
それが「真我」。ニルヴァーナも同様、
“没することなき境地”(ウダーナヴァルガ26:29)です。
>「戻ってくる」という表現がナンセンスなわけ。少なくとも『仏教の世界観』ではね。
私は肉体の話をしているのですよ。
「仮設」も「非実在」も「縁生」の話もまったく無用です。
業報再生して何度も転生してくる衆生とは異なり、
完全に解脱を果たしてニルヴァーナに住する如来、
不生不滅で再生する必要がないホトケたちも、
場合により必要とあれば、
今度は業報に依らず己れの意志力で自由自在に
肉体を持ちます。しかも、母胎を用いず不老不死の完全なる肉体にて。
これは衆生が望まなくても再生を繰り返し、
死にたくなくても死なねばならないのとは全く異なる話ですから。
こちらは、
それらの驚異的な大師存在たちが何処何処にいるのかも知っています。
仏教徒らは(無知で知ろうともしてないから)何も知らない。
>>112 >私は肉体の話をしているのですよ
もともとの問いは、そうい限定無しの筈だが?
>>84 それとも、輪廻からの解脱は、単に肉体の有無の問題か?(そんなことはないのでしょう?w)
*(尤も、彼女の論点というか真の問いはそこにはなく、
《「再帰する際の理由」を実在として捉えるか否か?》だったわけだが・・。
勿論、仏教としてはNOだ。動機や慈悲が実体であるという考え方は想像もできないw)
浄土真宗の仏教徒の私が
はっきり言う
霊なんか存在しない
信じたらカルトや神智学さんになる
115 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/22(日) 17:48:45.61 ID:H64SIg+/
>>113 >もともとの問いは、そうい限定無しの筈だが?
>>84 ハハァ....(;´Д`)
>それとも、輪廻からの解脱は、単に肉体の有無の問題か?(そんなことはないのでしょう?w)
通常はそういう意図を持っていると思います。
もちろん、意識レベルの話ですから肉体の有無を意味しませんが・・・。
>動機や慈悲が実体であるという考え方は想像もできないw)
そりゃ〜「動機」や「慈悲」について
これそのものの実体を問うという質疑自体が有得ないと思う。
けれどもここで聞きたい意味というのは、
如来の慈悲心という衆生済度を動機とする現象界への帰還についてでしょう。
現象界(色)には実体はないものとするならば、
衆生済度のために帰還した如来も実体はないのか?
という質問でしょう。
ですから、私は肉体そのものは実体といはいわないけれども、
通常の有機物生体としての肉体を伴って出現されることは十分に可能であると、
その如来としての意識そのものはニルヴァーナに留まり続けているというのです。
まっ、セブンは原理主義者ではないようですから、
理解できる柔軟性を十分に保持してると思う。
---では、勤務仕度の時間です。
また、ご機嫌宜しゅう ´Д`)ノ~
116 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/22(日) 17:52:22.84 ID:H64SIg+/
>>114 原始経典にはシッカリとその存在は説かれています。
原始経典すらも信用せず否定して、一体、どんな経典に依存すると?
それと真宗さん!
死後には“ナニ”が浄土の阿弥陀様のもとに赴くと?
まっ、よーく考えて勉強されて下さいね。
>>115 >けれどもここで聞きたい意味というのは、
>如来の慈悲心という衆生済度を動機とする現象界への帰還についてでしょう。
百歩譲って、一旦、貴方のスタンスを踏襲した上で言えば、
現象界への帰還は、2種、その理由をもつことになります。
「煩悩、業等によるもの」と「慈悲心によるもの」とです。
そして、その上で、
>現象界(色)には実体はないものとするならば、衆生済度のために帰還した如来も実体はないのか?
と繋げるならば、
≪「実体的存在から解脱して」、「実体でないところから」、「再び実体化する」≫ ということです。
【戻ってくる】という表現に敢えてこだわるなら、こういうことなのです。
再び実体化する理由は、通常は煩悩と業によります。
慈悲心によってもまた実体化させ得るとみるかどうか、ということです。
これに関しては、何ともですが・・・w 少なくとも、可能性をゼロとはしませんが、
そういう物語を仏教では用意していません。(それは仏教外の物語となります。)
仏教に於いては、解脱した者が戻るということは在り得ないし、また、あってはならないわけです。
不退転とはそういうことなのですから・・。(だから、菩薩は一歩手前で寸止めしているわけです。)
また、彼女はキ教サイド故、問いの主軸は >帰還した如来も実体はないのか ではなく、
>慈悲心という >動機 の実体性かと推察する。それは、精霊や神の愛等とリンクする部分であろうから。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111224-00000000-pseven-soci 被災地で幽霊騒動 ゼネコン社員「彼らは冗談で言っていない」
NEWS ポストセブン 2011年12月24日(土)7時5分配信
3・11から9ヶ月以上が経ち、東北地方は本格的な冬を迎えようとしている。
そんな中、復旧作業にあたる作業員たちの一部で「背筋の凍る」噂が広がっている。
「夜になると、出るんですよ、幽霊が」。こう囁くのは岩手県沿岸部でがれき撤去に従事する作業員の男性。
この男性によると、深夜から未明にかけて海沿いを歩く複数の人間の姿が見られるという。
作業時間は過ぎているし、現場はがれきだけで人らしきものは一切ない。また、別の作業員も同様の証言をする。
「最初は『窃盗団か何かが悪事を働きにきたのだろう』と仲間と一緒にその姿を追ったのですが、海岸に着くと誰もいない。恐くなってすぐ宿舎に戻りましたよ」
このため「早く帰りたい」といった声もあがり、現場の士気に影響を与えているという。
岩手県災害対策本部資料(12月9日現在)によると、東日本大震災での死者は計4665人、行方不明者は計1385人。
陸前高田市や大槌町など、沿岸部に被害が集中している。ウワサが広がっているのは、主に沿岸部である。
現場で指揮を執っているゼネコン社員は
「最初は、冗談にしても程があると怒りましたが、かなりの人間が目撃したと話していることから、彼らは冗談で言っているのではないと分かりました。
ご存知の通り、ただでさえ復旧が遅れているのに、幽霊騒動で作業員の士気が低下しているのであれば何か手を打たないといけない」と頭を抱える。
あくまでウワサであり、真偽のほどは定かではない。ただ、一定の数の作業員たちが「幽霊騒動」に巻き込まれていたのでは、復旧へ与える影響が懸念される。
>>118 >東日本大震災での死者は計4665人、行方不明者は計1385人
>海沿いを歩く複数の人間の姿が
少な過ぎだろwwwwww
ほぼ10割が未練残した人たちじゃねーのか?w
他の人たちはなんで出てこないんだよ。
笑わせんな・・。
> 笑わせんな・・。
↑ 自分自身が幽霊になるまで笑っていれば良いんじゃなイカ?
> 蓋然性って言葉、知ってるか?
↑ 漢字が読めない、そして、意味もわからないけど?
まあいいw
ここは質問箱だ、攻め方を変えよう。
>>122 「幽霊」とは、そもそも「どういった【事象】」なんだ?
少なくとも「(>>のように)人間に知覚認識されたとされる現象」として、具体的にどのようなものと
記述し得る(言い得る・説明し得る)ものなんだ?
それは、世の中に数多ある思想の中で、共通して括り得る【事象】なのかい?
確率(蓋然性から転送)
確率(かくりつ、probability)とは、ある現象が起こる度合い、ある試行が行われたあとある事象が現れる割合のことをいう。
偶然性を含まないひとつに定まった数値であり、発生の度合いを示す指標として使われる。
数学においては、主にある事象の確率から他の事象の確率を求める方法を記述することと、統計的な確率の正当化が中心となる。
確率は理論的な事象の発生頻度を与える。たとえば、コインをトスして、手で伏せる。
表と裏の確率はそれぞれ50%である。その後、手を除けて観測すると、表か裏かは判明する。
これについて、多世界解釈では可能性の数だけ世界が分岐するという解釈がなされる。
量子論と確率
量子論では、確率という概念は決定的に重要となる。
古典物理学の世界では、事象は決定的であるが、量子論の世界では、事象は決定的でなく確率的に決まるだけである。
量子論の世界で事象が確率的に決まる理由は、よくわかっていない。
事象が確率的に決まることは、実験結果からわかったことである。
わかっていることは確率が確率振幅の自乗に比例することのみであり、それは量子力学の基礎原理のひとつである。
別の何かの原理から導くことはできない。
客観確率と主観確率
確率(客観確率)を拡張してできた、主観確率という概念もある。
「幽霊」とは、そもそも「どういった【事象】」なんだ?
少なくとも「(>>のように)人間に知覚認識されたとされる現象」として、具体的にどのようなものと
記述し得る(言い得る・説明し得る)ものなんだ?
それは、世の中に数多ある思想の中で、共通して括り得る【事象】なのかい?
− − −
(私を除いて)地球の全員が幽霊否定派
私だけが幽霊肯定
↑ これで良いんじゃなイカ?
>>125 頭の悪いお前に解り易く言うとだな。
「キリスト教で言う幽霊」と「イスラム経で言う幽霊」と「ブードゥ経で言う幽霊」と
「創価学会で言う幽霊」と「天理教で言う幽霊」と「大本教で言う幽霊」と・・・・・・・
同じなのか?同じ事象・現象を指しているのか? ってことだよ。
上記それぞれが「幽霊」という概念を有しているのかどうか知らんが・・w
私は頭が悪いので
その人それぞれの幽霊が
同じなのか、どうかわからないけど?
その人それぞれの幽霊の意味合いが
違っていても良いんじゃなイカ?
>>127 異文化同士の出会いに於いて、そんなことが言えると思うのか?
下手したら戦争だぞw
右と左だって、逆の捉え方だったら大変だ。
きつねそばとたぬきそばもそうだ。雑煮だって関東と関西では違う。
他にも、上京して言語や概念の相違に戸惑った話は数多い。
ぞういう意味で、概念にズレがあるということは、
もしかしたら、全く違うモノ(事象・現象)を同じ言葉で指し示しているケースがあり得るということだ。
これがどれだけ危険なことか解るか?
たとえば、危険通知の際に、その通知内容が伝達されないということだからだ。
「ちんちろりんが近づいています。高台に非難してください」という警報が出るとする。
Aさんは、それが、(我々の言葉で言う)津波であることを知っているから避難する。
Bさんは、それは(我々の言葉で言う)台風だから、戸締り等を厳重にすればよいとして避難しない。
そこまでの深刻さではないにしても、そうした違いを生じ得るということだよ。
君は、言語に対して傲慢過ぎる。もっと謙虚になれ。
129 :
神も仏も名無しさん:2012/01/22(日) 23:25:38.30 ID:4Cr+U1/8
セブン、もう相手にするなw
こんなゲス野郎には何を言っても無駄ww
他板にもこういう奴がいたw
「例えば、会話においては予め確認する必要もない暗黙の了解というものがある。
花、地球、数学・・・・これら一般の語彙に関しては、通常その定義をお互い確認
し合うこともなしに共通認識が成立しているものとして対話を進行させる。
ところが、自分の見解を批判されたり、反論に困難を覚えると、とたんに
『いえ、貴方が考える花と、私が考えている花が同一である必要はないでしょ?
お互いが個人個人の概念をもっていて良いと思いますが?』 と、見解の妥当性
の検討を放棄して、『個人の内心の自由』に帰結させ、自己正当化を図るww
まさに『内心の自由の濫用』なわけだww
(まともな宗教家には悪いがw)
宗教に携わっているものには、ここが分かっていないバカが多いと思うw
「個人の見解、思想、信仰」・・・・これらは十分、尊重されるべきものであるが
それらが外部に発信されるとなれば、それなりの責任が付随する。
個人個人、何を「思っても良いが」、何を「言っても良い」ことにはならない。
それが分からないバカは、
>死刑になる覚悟があれば、人を殺しても構わない
と、発言するww
このようなことを言うキチガイは、ほっておくに限るwwww
だよねぇ・・w
日の丸・君が代も、その背後に見えているものが違うから、
こんな大問題になってるわけで・・w
違っているケースがあるのは百も承知。
その上で、「コンセンサス」をとるわけだ、社会的動物である、言語を使用する人間という存在はね・・。
違ってていいんじゃない?なんて台詞は、通用する場面と通用しない場面とがあるわけだ。
*(で、これの逆の位相が、違いゼロ、勝義に於いては全てが一!という方向性。
向きが真逆の同じベクトルなんだよね・・。それ自体は確かに勝義なんだが、濫用されるとね・・・。)
> 個人個人、何を「思っても良いが」、何を「言っても良い」ことにはならない。
↑ 発言の自由があっても良いんじゃなイカ?
> 守秘義務って言葉知ってるか?
↑ 知らないけど?
134 :
神も仏も名無しさん:2012/01/23(月) 01:02:14.62 ID:BlALnCmc
> ↑ 発言の自由があっても良いんじゃなイカ?
wwww バカがwwwww
「発言の自由」とは、時、場合、および、その内容によるわ、キチガイがwww
無制限に許容すれば、「名誉毀損罪」「侮辱罪」など、ないわwww
さらに、補足
ここは「質問スレ」なので、これ以上バカを晒したいのであれば、『お前のスレで』www
神智学の先生は
仏教を批判するのはルール違反ですよ
136 :
海野土左衛門:2012/01/23(月) 08:06:40.22 ID:SBs+O6dd
>>127 >その人それぞれの幽霊の意味合いが
>違っていても良いんじゃなイカ?
縁起というのは「葦束のたとえ」というのがあってな、つまり複合的なものなんです。
「こういう原因があって、それでこういう現象になる」とか、決定的結論は出せない。
ヒントとしますと・・・
>美人は別れても心の中に住み着くからな
>これほど厄介な存在もない
>>107 つまり「心の問題」なのです。
「幽霊を目撃した」というのは私は信じます。
禅坊主も幽霊を目撃するらしいですから。
問題は、幽霊を目撃した禅坊主が、それによって心象の変化をもたらすか?
もし幽霊に翻弄されるようでは、その禅坊主は眼が開いてないのは確かです。
野狐にならんように、どうか瞑想でもいいから明鏡止水において鑑みなされまし。
> 明鏡止水
↑ 漢字が読めない、そして、意味もわからないけど?
前から思ってた。2chとはいえ
仏教スレで乱暴で攻撃的な言葉遣いを
する人が多いのはどうなのか?と
「幽霊」という言葉を、どのように定義するかがまず問われるけど、
アルボムッレ・スマナサーラ長老「宝経」法話 の見解
P12-
それでは、霊に関する仏教徒たちの一般的な考えを説明します。
人間には全く興味のない、高次元の神々や梵天などの霊的な存在もあれば、
人間に関わりを持つ霊もいるのです。その霊は、人間の生き方に迷惑をかける
悪霊と、人間に協力的に働く善霊との二つに分かれます。……存在している
かのように感じるが、見ることも触ることもできないので、霊と名付けている
のでしょう。霊はこころに影響を与える存在です。人間の感情を当てにして、
憑いてくる存在なのです。…
自分の感情は管理できるものなので、霊の存在を信じるならば、自分に悪玉の霊が
憑くか、善玉の霊が憑くかは、自分のアプローチ次第だと理解したほうがよい。
他人に頼んで除霊してもらうなど、あり得ないと思います。一時的に霊が
手を引くことがあっても、また憑くでしょう。幸福になりたいと思う人々は、
自分の努力で、悪感情を善感情に置き換えることです。
霊のことは措いて、感情についてさらに勉強したほうがよいのです。…
他人の悪感情に染まらないように、乗らないようにと厳しく注意していないと、
不幸の原因を作った人々と道連れになってしまいます。
141 :
海野土左衛門:2012/01/23(月) 14:42:02.07 ID:SBs+O6dd
>>137 明鏡止水とは、幽霊に落ちない、幽霊に惑わされない、心の在り方を言います。
ちなみに私のハンドルは、どういう意味かご存知であろう?
「海に浮かぶ死体」の意味なんじゃよ(笑
縁起を説くこの海野土左衛門が・・・
なんと縁起の悪いハンドルを付けておるのか?
これはのぅ、縁起であっても、縁起に惑わされず。と
かようなことを表しておるんです。
どうか精進あられまし。
142 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/23(月) 15:04:07.46 ID:8+s3Pqx4
>>117 >≪「実体的存在から解脱して」、「実体でないところから」、「再び実体化する」≫ ということです。
>【戻ってくる】という表現に敢えてこだわるなら、こういうことなのです。
逆が真なりでょう。全く反対です。
非実体的存在から解脱することで、実体へと留まり、
今度は意識上において実体に留まりつつも非実体的肉体を意識的に纏うのです。
ただし凡夫は異なる。
非実体的存在である仮和合の自己を実体そのものを思い込み、
真実の実体に気付くこともないままにその再生状態を繰り返します。
143 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/23(月) 15:06:55.55 ID:8+s3Pqx4
>>119 そりゃー皆さん、
未練100%ですよ。予期せぬ出来事であり、不慮の死です。
皆さん、すべてが様々な想いで何かしら行為の途中でした・・・。
しかし、皆して不成仏霊(霊界入りできず幽界にさまよう状態)となるわけではなくて、
カルマの累計、日頃からの行動及び意識状態など・・・の多くの諸条件において全員が異なります。
実際、不成仏霊となる人の方が割合的に少ないと思われます。
数日、数週間と時間を経過するほど自然消滅していきます(どうしても、最初はやや彷徨う傾向はある)。
四十九日とはよくいったもので、
これはかなりいい線いく期間でしょう。
それと幽霊も皆、一斉に出てくるというわけではないし、
目撃者との意識の波長とたまたま同調した幽霊が見られるのだともいえます。
電波受信と同様です。
----真宗さんには悪いけれども、
死者供養を最も軽んじてるのが彼らの宗派です。
阿弥陀さまにお任せすればそれで済むだのといった、そんな単純なものではない。
ましてや、殆ど断滅論紛いの思想を持ちつつも、死後に極楽浄土へ赴くとはコレ如何に?
144 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/23(月) 15:08:04.87 ID:8+s3Pqx4
>>135 違います。
一部の自称仏教徒の説く事柄に対する批判です。
145 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/23(月) 15:09:25.18 ID:8+s3Pqx4
------?さんへ
“死刑になる覚悟があれば、人を殺しても構わない”
もし、本気でそういう考え方をしているのであれば、
これはとんでもないでもないことですよ。
誤解であれば、真面目にちゃんと撤回して下さい!
死刑になる覚悟を持つも持たないも本人の勝手です。
しかし、殺人は絶対悪です。これは他者に対する最大の侵害行為ですからね。
危害を受ける側はたまったものではない。
その加害者の心情、死刑覚悟の有無などはどうでもいいこと。
いいでしょうか?
神智学でも、他人に危害を加える宗教者などよりも、
無害なただの普通の人がその100倍勝れていると説きます。
何よりも、まず第一に重要なことは無害であること。
これなしに、たとえどんなに宗教知識に長けていようとも無意味です。
ゴネてるコテハン
スレチだろ、移動しろよ
147 :
海野土左衛門:2012/01/23(月) 17:32:08.47 ID:SBs+O6dd
>>243 >目撃者との意識の波長とたまたま同調した幽霊が見られるのだともいえます。
>電波受信と同様です。
よくそういう話は耳にします。
例えば自衛隊員における幽霊目撃談は、その現場を分析しますと
@現場は凄惨であり、それはかなりの精神的ストレス状態である。
A加えて、肉体的には非常な重労働である。
B精神的・肉体的に限界になる状態になる。
Cこのような状態においては平常心でいられる訳はない。
Dよって幻覚、あるいは幻聴など起きる可能性は充分にある。
E自衛隊員が幽霊を目撃したのは事実であろう?
よく日常的に幻覚があるのは、ドライブ中に眠気が差し、
道路に人間らしきモノが立ってる場合がある。
これを幽霊と思えば幽霊であろう?
148 :
神も仏も名無しさん:2012/01/23(月) 19:12:34.08 ID:Nm06o3pQ
>>139 「神や霊」など、人間が検証不能な「架空の存在」は一切排除したのが、佛教の
最も優れたところ。だから、キリスト教とは異なり、佛教は2500年間、殆ど
人を殺さなかったのである。特筆すべき偉大さである。
「神や霊」を語る宗教は、すべてカルトと考えて間違いない。
>>148 キリスト教をカルトとは、個人的には思わないけれど、
教えを悪用する人間がいること、悪用する余地を与えてしまったことは
イエスさんのふとしたケアレスミスだったのだらうか
また隠居に餌を・・・w
> 自分に死ぬ覚悟があるのならば … … … しても良いんじゃなイカ?
↑ 自分になにがしろの覚悟がなければ何も出来ないんじゃなイカ?
> 殺人肯定ということですね?w
↑ 自分が死刑になる覚悟があるのならば良いんじゃなイカ?
>>153 自分のことしか眼中にないんですね・・。
犯罪や事件に巻き込まれて両親を失った子供の悲しみも眼中にないということですね。
はっきり言いましょう。
貴方のような考え方が、
市井で頑張っている、名もなき宗教者の足を引っ張り、評判を貶め、
「宗教的なるものは害悪である」という印象を世間に植えつけているのですよ。
>>153 それが、どれだけの人間を不幸に陥れているか・・。
キ教的に言えば、まるでサタンの所業ですよ?w
> 自分のことしか眼中にないんですね・・。
> 犯罪や事件に巻き込まれて両親を失った子供の悲しみも眼中にないということですね。
自分が体験した事ならわかる
自分が体験してない事はわからないんじゃなイカ?
> サタンの所業ですよ?w
↑ サタンの所業で良いんじゃなイカ?
>>157 たとえば、犯罪被害者の遺族に対して、
面と向かってその台詞が言えますか?
もし言えるなら、貴方のスタンスは本物でしょう。
それはそれで境涯として認めましょうw
『 私は貴方と同じ体験をした事がないので貴方の気持ちを推し量る事は出来ません! 』
790 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2012/01/23(月) 14:17:19.12
妻帯しないと家庭を持つ者の悩みや苦しみがわからないと先輩住職に言われたことがある
791 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2012/01/23(月) 16:14:32.43
その上で離婚すればいいわけですからね
…いやいやいやwww
792 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2012/01/23(月) 17:53:01.09
まず結婚しないと…
793 名無しさん@京都板じゃないよ 2012/01/23(月) 18:03:54.53
>> 790
溺れる人の気持ちが分かるために自分も溺れましょうって理屈だな
794 名無しさん@京都板じゃないよ 2012/01/23(月) 20:10:22.23
住職寺族でも結婚できない人はできないし不幸な人もいますよね
795 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2012/01/23(月) 20:21:19.68
人を殺した者でなければ、その苦しみ(そこへ至る軌跡、決行してしまう勢い、事後の後悔等)を理解できない。
人を殺した経験がないものが、どうしてそうした者を救えようか?
人を救うには殺人を犯さねばならない。
結婚しなければ・・・という考え方は、上記と同じだ。
796 名無しさん@京都板じゃないよ 2012/01/23(月) 20:32:45.61
>人を殺した経験がないものが、どうしてそうした者を救えようか?
頭がおかしい
797 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2012/01/23(月) 20:34:09.87
>> 796
だから、結婚する必要ないだろ?w
>> 790の先輩住職の台詞は、詭弁以外の何ものでもないってこったw
>>159 人間が、互いに理解しあうことは不可能だと言いたいわけですね?
↑ その人、本人でなければ、その人の心の働きを理解できないんじゃなイカ?
>>162 では、「思い遣り」とは何? 「同情」とは何? 「慈悲」とは何?
「慈しみ」とは?「愛情」とは?
貴方は、人の精神活動を全否定しているわけです。
よーするに、人は共生する必要がない、という意見だとも言えるわけです。
自分の発言の反社会的素養に、まだ気付けませんか?
人間は、個体で生きる生物ではなく、共同体として生きる生物なんですよ?
> 人間が、互いに理解しあうことは不可能だと言いたいわけですね?
↑ 表面意識が表面的に 『 お互いに理解しあっている! 』 と勘違いしているだけなんじゃなイカ?
↑ 唯識も勉強した方が良いんじゃなイカ?
>>164 だから、机や他の悟った君たちのように、
勝義と世俗を混ぜ合わせないでください。
貴方は、幼稚園や保育園での保育・教育の在り方を全否定するのですか?
戯論
【定義】
読み方は「けろん」。
戯れに弄する談論の意味であり、
具体的には、妄想分別が言語に表れること。
差別的対立に基づく議論。形而上学的な議論。
無益な言論、無意味なおしゃべり、仏道修行に役立たない思想や議論。
道理を欠いた思慮分別に基づく議論などの意味である。「八大人覚」では、不戯論が説かれる。
華時の前後を胡乱して、有無の戯論あるべからず。 『正法眼蔵』「空華」巻
【内容】
『中論』巻三「観法品」などに依れば、戯論にも2種類あるとされ、まずは、
事物に愛着する迷妄の上から行われる不正の議論のことを愛論という。
諸種の偏見から起こる言論を見論という。
さらに、鈍根や在家や凡夫の者は愛論を起こし、
利根や出家や二乗の者は見論を起こすという。
− − −
↑ 私が戯論(けろん)に取り憑かれている、と言う事で良いんじゃなイカ?
そこまで開き直られると、恐れ入りましたと引き下がるしかないじゃないかw
ノシ
168 :
海野土左衛門:2012/01/24(火) 08:44:48.46 ID:Ov64NN1W
>>165 >だから、机や他の悟った君たちのように、
>勝義と世俗を混ぜ合わせないでください。
勝義と世俗は等質等価です。
色即是空 空即是色ですから。
二締はそもそも分別不可ですね。
では、勝義と世俗はなにが違うか?
それは「相」が違う。
169 :
神も仏も名無しさん:2012/01/24(火) 11:20:23.03 ID:p+eE52t/
サッカーしないで外から眺めているのが「覚者」で、実際にサッカーしているのが「俗人」だろう
俗人は自分がサッカーと言うゲームをしているという客観的意識はなく
覚者は必ずしもサッカーが上手い訳ではない
170 :
神も仏も名無しさん:2012/01/24(火) 11:23:27.23 ID:p+eE52t/
サッカーなど所詮ゲームなんだという意識でサッカーをやるというのが
中論的な考え方ですかね
人生などゲームであると達観出来るなら失敗しても恥を欠いても破産してもそれはそれで楽しい
『 波の位相が違うから世俗からは勝義を理解するのが難しいのである! 』
と言う意味かしら?
自分自身に何がしろの覚悟があるのなら
人生などゲームであると達観出来るなら失敗しても恥を欠いても破産してもそれはそれで良いんじゃなイカ?
173 :
神も仏も名無しさん:2012/01/24(火) 12:42:47.41 ID:Ag/gwj9k
>>149 >キリスト教をカルトとは、個人的には思わないけれど
カルト信者は、誰でも、自分の宗教がカルトとは思わない、思えない。
イエスの思想自体が、すべてのカルトの元凶。
いい加減、議論スレに移るとか専門スレに移るとかしろよ
175 :
神も仏も名無しさん:2012/01/24(火) 16:18:36.10 ID:QwNiuaYN
>>174 佛教を、他宗教と比較して語ることも、佛教の理解には不可欠。
176 :
海野土左衛門:2012/01/24(火) 17:26:22.83 ID:Ov64NN1W
>>171 >『 波の位相が違うから世俗からは勝義を理解するのが難しいのである! 』
>と言う意味かしら?
四諦というのは世俗の矛盾ですね。
矛盾があるからこそ勝義を導きだせる。→色即是空
勝義においてしか世俗の矛盾が寂滅できない。→空即是色
結論→二締(世俗締・勝義締)はそもそも分別不可です。
つまり、
色即是空 空即是色は並列において意味をなす。
177 :
神も仏も名無しさん:2012/01/25(水) 07:48:08.96 ID:RN9hrlMW
机さんと同じこと言ってるから
すぐ見破られる
ここにはコテハンは数人だもね
おそらく住人は10人位で回してるね
常駐組は片手で足りるでしょw
180 :
海野土左衛門:2012/01/26(木) 07:18:56.46 ID:gRSHRCW9
私のハンネが気にいったようですね(笑
なんだったら自由に使っても構わんですよ。
トリップもないことだし・・・
181 :
神も仏も名無しさん:2012/01/26(木) 10:58:09.59 ID:R1MZNxvt
182 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/26(木) 14:31:18.97 ID:hyxhPYr+
>>181 宝珠の見解は♪
確かに「浄土」はまた別世界でしょうね。
仮に、「濃密物質界」-「浄土」(精妙界)-「涅槃」としておきましょうか。
で、この三界というのは、“有為”としての二界「生死を繰り返す界」と「休息/安穏」の界、
そして、“無為”としての涅槃「不還」の界ということになる。
「濃密物質界」は業報作用によって、望まなくても戻っている世界です。
時には浄土に立ち寄りながら・・・。
「涅槃」は業報による再生はないから、そういう意味において不還という。
望むならば自らの意思によって、自由に自在に“肉体を纏う”ことが可能。
それが完成者である如来の驚異的能力。
どうも私には、
阿弥陀如来と地蔵菩薩の意味合いの違いがピンときません。
三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)から救い出して
阿弥陀のいる浄土へと連れて行ってくれるのが地蔵という意味合いかな?
死の間際で阿弥陀様を思えば(または唱えれば)、
それで阿弥陀様のお救いがあるのかどうかは私には分りません。
しかし、良き信仰者であれば、その対象を問わずに死後の救いへの祈りに
何かしらの聖なる介在があるものと私も信じます。
183 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/01/26(木) 14:34:11.15 ID:hyxhPYr+
>>182 訂正
×「望まなくても戻っている世界です。」
○「望まなくても戻ってくる世界です。」
死んだ事がないのによく無責任な発言ができまっすね?
でも、まあいいや
天国や浄土は無いより、有ったほうがいい
それよりせっせと菩薩行でも行える能力とたぐいまれなパワーが欲しい
185 :
神も仏も名無しさん:2012/01/26(木) 14:50:53.82 ID:S/f+2wTT
>>180 いやいや、似合いのコテをプレゼントするよ
「尿臭庵苦茶居士」
> 死んだ事がないのによく無責任な発言ができまっすね?
↑ 前世(過去世)の事を憶(おぼ)えていないだけじゃなイカ?
いや、たしかにその前世の記憶喪失は重要な議題だな
輪廻転生が無ければ
仏教はまったく意味のない教えと化し、崩壊する
だから、なにがなんでも過去世と未来世は個人個人において存在しなければならない
承狂とかいうバカは輪廻否派なんだけどね
ほんと腐れ儒者め!と言いたい
承狂先生って輪廻否定派だったの?
机先生とか海野土左衛門先生とか尿臭庵苦茶居士先生とかは
『すべて無だ!』『すべて無なのであるから輪廻も無だ!』
と御教示しているようだけど
189 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/01/26(木) 15:26:57.05 ID:NF9B40Zw
先生言うな。
(^。^)このプトガラ派どもめが♪
承狂先生って輪廻否定派だったの?
御教示、よろしく
http://semi.natura-humana.net/2003/contents/genzemi/bunken/2004-aki/abidaruma.pdf 仏教では輪廻もまた、無明(avidoya)によって生起した迷妄にすぎず
そのゆえに、解脱とともに消滅してしまうのである。
だが、輪廻を否定すると業の主体や因果応報、また人格の連続性を否定されてしまう。
そこでアビダルマで考え出されたのがプトガラ(人我)という考え方であるが
『ミリンダパンハー』では、このプトガラの存在を認めず
かわりに業の相続、つまり行為の連鎖的持続という考え方で
この難問をかわしたと考えられるが、これではまたアビダルマの
小乗的な法の恒有に戻ってしまうのではないだろうか。
そこで、このアポーリアをクリアするために
仏教の深層心理学である唯識思想が登場してくる。
(アビダルマは大乗仏教への架け橋 世親もここから出発している)
唯識では阿頼耶識という無始以来のすべての有情の
記憶が(大脳新皮質と古皮質の問題と考えあわせると興味深い)存在し
それが末那識(いわゆる無意識層)に働きかけ
結果的に意識上に表象された(業によって影響されているが)世界
つまり、識転変こそが我々の認識のすべてである、世界そのものであるとする。
業(行為)はまた、その阿頼耶識に沈潜されて上記のプロセスを経ることで
我々の業を形成し続け、無明の世界の我々の存在となる。
192 :
神も仏も名無しさん:2012/01/26(木) 17:09:51.29 ID:6Lgl65vq
質問箱と議論スレってなんで分かれてるん?
こっちで議論してたら意味なくね
宗教好きな人はどこでも議論したいのよ
発言の場があればね
宝珠@神智学徒さんを批判してるわけではないよ
194 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/01/27(金) 12:20:15.00 ID:OVPHibKE
曰経爾時大地六種震動云々問何以故為地震為瑞兆耶
(^。^)にゃ〜んで?
>>194 地震はしょっちゅうあるもんでなく珍しいものだから
その地震の原因として珍しいことがどこかで起こったからと関連づけられたからだと思う。
その関連性の理由について追及されてるテキストは自分は今まで見たことは無いな。
仏教大辞典な婆沙論でも
謂佛成就二種大法。一者大捨。二者大悲。
<省略>若佛現起大悲法時。撃大捨山令其振動。
(大正蔵の27-160-a12)
ってな感じでさも当然な吉祥であるかのように処理されちゃってる。
あまりしっかり検証されたものではないけど六種振動について書いてあるのに
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004640068 ってものもある。
まあ、すごすぎる事した事によって地面もびっくりしてるよ!ってな感じなんじゃないかな
196 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/01/27(金) 13:23:12.27 ID:OVPHibKE
(^。^)漢文於Kww
197 :
神も仏も名無しさん:2012/01/30(月) 21:44:35.85 ID:jFIRHzSy
さるべーじ
198 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 11:13:57.13 ID:hyKD5hGU
仏教でいう不浄って何?
エッチなことは不浄?
邪淫
200 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 11:24:36.27 ID:hyKD5hGU
邪淫ってエッチなことですか?自慰とかもそうですか?
>>198 不浄とは清らかではない事
仏教でいう不浄って使われる用例は大きく二種類あって
@肉体は醜く老うものだとして浄ではなく不浄であるって概念。
A精液を指す言葉の漢訳。
ここでは全体的な不浄の意味だと思うから前者で
体とか髪の毛とか骨とか内臓とかしょんべんとか肉体と肉体の中にあるもの全部は
外側から容姿だけを見たら清らかなものに見えるかもだけど
実際は汚いモノなんだよって感じ。
エッチな事もそのような不浄な肉体を求める事から不浄な事として捉えられる。
自慰も同じく不浄なる肉体を求める行為だから不浄な事として捉えられる。
仏教の初期では不浄は絶対ダメって否定的に捉えていたんだけど、
後代に至っては不浄を求める事肯定的にとらえる考えも出現している。
だから一概に不浄はダメなものって捉えるのは誤解を招く。
また日本仏教では不浄=穢れってカンジが強いけどこれは日本の佛教受容の弊害で厳密には違う概念。
202 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 12:30:53.27 ID:hyKD5hGU
確かに本当の意味の不浄はそうだけど
お坊さんや在家の人にとってはそれを浄と解釈していいのだよね
まぁ自慰なんて行為は恥ずかしいかもしれないけど…
だったら子供産むときどうなんだろねって話
>>202 不浄を浄として解釈してしまうのは四顛倒(四つの間違った解釈)となってしまうからダメだと思う。
あくまで不浄は絶対ダメなものではなくて、それが世間の習いなら不浄を全て否定するのではなくて
不浄を不浄のまま肯定する感じとして捉えるのがいいと思う。
考え方としては「不浄なものに執着してしまってはいけない。」というのが仏教のスタンスだと思う。
もうすこし細かな話が聞きたかったら
真宗だったら〜とか原始仏教だったら〜とか限定してもらえれば、
もう少し細かな説明ができると思う。
>>201の@Aは確かにそうだけど、それは単語にこだわり過ぎで、
多言語ではどうかという話にもなるから、全体としては肯いながらも少し補足。
201を受けて3義を見ていいと思う。
1.老い、壊れていく肉体
2.性的な行為、思考
3.道徳を外れた性的な行為、思考
1は最大語義と言える。 一切皆苦と言う時の「苦」のように。
狭義で言えば、2と3であり、2が出家者においてであり、3が在家者において。
なぜ、出家に於いては2のレベルかといえば、
(201にあるように壊法としての肉体、老い、朽ち、腐敗する肉体(への執著・志向性)だからではあるが)
「欲望(煩悩)の肯定」「欲望(煩悩)への服従」という形を取ってしまうから。
出世間の価値観に於いて、出世間の果を求める者が世間的欲望に従うということは矛盾以外の何ものでもない。
家庭を持ち、子孫を増やした古尊宿・聖者が皆無であることをみれば、
通仏教的価値観であるとみるのが妥当と思う。
要するに性行為はいっさいダメっちゅうこった
聖者になんかなれないと思う俺であった
206 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 18:32:51.99 ID:hyKD5hGU
>>203 わかりました。
その仏教での不浄は不浄だと解釈しないと駄目なんですね。
なかなか素晴らしいですね。
でも好きな人とでもエッチはあまりよくないんですね。
ほどほどにしたほうがいいんですね。
ほどほど?
いや、完全禁欲だと思うけど・・・
>>207 出家と在家が違う、ってのは基本中の基本だと思うが?
209 :
神も仏も名無しさん:2012/02/02(木) 20:10:06.06 ID:hyKD5hGU
じゃあエッチが不浄ならお坊さんは何故子供がいるのよ?不思議
こうのとりが運んできたんだろうよ(笑)
>>209 何度も言ってるが仏教は統一された思想を持ってるのではなく、多種多様な考え方が併存しているんだ。
だから一概に仏教では「絶対こうだ」ってのは言えないんだ。
宗派ごとに細かい差異があるから緩くしか言えないんだけど、
日本で普及している仏教は大乗仏教といって、出家して世俗から離れる事を絶対視していなくて、
家を出る事や家財を持つ事や戒律を守ることを徹底するのではなく、
一般の人たちと同じラインに立って生活し助け合うことを目的としているんだ。
だからお坊さんでも財産を持ち、奥さんを貰って、エッチして子供を作る。
これに対して、スリランカ等で流行っている上座部仏教と呼ばれる人たちは、
出家して世俗から離れることを絶対視していて、
家を出る事や家財を持つ事や戒律を守ることはやらなければならない、
って考えて財産を持たず、結婚せず、エッチもしない人が多い。
このように仏教と一口にいっても色々な立場の人たちがいるので、
一概に「エッチは不浄だ。不浄な事はやってはいけない。」と捉えることは色々な誤解が生じるんだ。
もし、これでもわからないことがあるのならば、もうちょっと細かく質問してくれれば助かります。
かなりわかりますよ。
日本ではありえませんよね。
僕がいうのは日本の仏教のことです。
あまりそんな濃いところまでは知りません。
ありがとう。
213 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 01:23:39.67 ID:GpWGwqer
>>208-209 普通の
日本における末寺のお坊さん方というのは、
出家修行者といった感じの意味合いよりも
法要などを修する職業をしている方々、
というのがピッタリ。
普通に家庭を持って妻子を抱えて、
その時間がきたら法要などの業務や仕事に就く、と。
214 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/03(金) 01:26:45.82 ID:GpWGwqer
よって、
本来の出家修行者としての意味合いが薄くても大して問題なし・・・。
本人、自らが職業人としての僧侶ではなくて、
解脱と悟りを求める出家修行者だという意識が高い人は根本が違う。
もちろん、そういう方もいるでしょう。
215 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 17:34:07.91 ID:h1/42f/5
また落ちてたのか・・w
唐揚げ
216 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 19:01:37.87 ID:sPu4XydY
諸行無常の
sabbe-saMkhaaraa-aniccaa
のsabbeの構造ってどんな仕組みなん?
sarvaでこんな格変化するん?
217 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 19:51:52.66 ID:2Awkp09q
>>216 sarva はサンスクリット。
その訛った形であるsabba がパーリ語の語幹。
sabbe は sabba が格変化した形。
218 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 21:21:33.77 ID:sPu4XydY
>>217 え?
ってことはこれはパーリ文なん?
これと対応するサンスクリットの箇所ってある?
220 :
神も仏も名無しさん:2012/02/16(木) 22:55:52.58 ID:2Awkp09q
『ウダーナヴァルガ』だと
anityān sarvasaṃskārān
『カショウ品』だと
anitye nityasaṃjñāyāḥ anityāḥ sarvasaṃskārā iti cikitsā
『修習次第』だと
sarve saṃskārā anityā
『ネハン経』だと
anityā bhikṣavaḥ sarvasaṃskārā
そのパーリには『修習次第』が一番合うね。
質問です。
父方のお墓が臨済宗、母方のお墓が曹洞宗です。
いえ、冠婚葬祭の話ではありません。
中村元先生の「ブッタの言葉」とか、誰でしたか「超訳・ブッダの言葉(?)」を読んで、
仏教精神で心が自由になれるのではないかと思案している者です。
このあと誰か師匠について勉強したいのですが、近くにはなさそうです。ねぐらは宮城県です。
誰か師匠とか、まだ知らない和尚さんとかいますかね?
☆ おすすめの書籍 ☆
ブッダのことば スッタニパータ (ワイド版 岩波文庫)
ブッダの 真理のことば 感興のことば (ワイド版 岩波文庫)
ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 (ワイド版 岩波文庫)
223 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 14:04:57.95 ID:/R5Dl5K4
224 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 14:26:29.16 ID:FuppSzeU
>>221 テーラワーダならビルマ系、大乗ならチベット系をお勧めします。
とりあえず、一年ぐらいはいろんな先生に会って話を聞くのがいいでしょう。
ビルマなら、ビルマ系の先生に会って、その先生が勧める先生方にビルマでお会いする。
チベット系なら、とりあえず今度来日されるガルチェン・リンポチェにお会いするのがいいと思います。
その後、ネパールあたりでいろいろな先生に会うのがいいと思います。
>>224 >ネパールあたりで
w
ハードル高過ぎだろw おそらく彼はそこまで求めてない筈。
普通に日々を送りながら、教えに触れ続ける、ということが大事なんじゃないの?
それとも、221に出家しろと?w
真剣ならネパールどころか世界中駆けめぐり良師を探すはず
>>226 仕事はどうすんだ?
家族はどうすんだ?
一般的日常を送ることを選んだ者は真剣ではないとでも?
日々の安心(あんじん)は必要ないと?(凡夫は無様に苦しんでいろとでも?w)
最低だよ、てめぇは・・。 ( ゚听)、
質問者が独身であると想定して書けば、確かにその通りである
229 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 15:51:08.97 ID:FuppSzeU
喧嘩はやめて、ダルマのために。
まあ、ご本人次第でしょ。
確かにいきなり外人だったりして、ハードルは高かった。
2005年の中学英和辞典(ニューホライズン)に
Buddhism was brought from Korea.って書いてあるけど、そうなんですか?
仏教の伝来を三法(仏法僧)の伝来であるとするならば
538年に百済の聖明王によって正式に三法が伝来した事は史学的資料から立証されてる。
けれどもコリア=百済ってしていいのかはシラン
>>230 最初期は百済経由で伝来したという話だから、そうだね。
>>231-232 ありがとうございます。
今の韓国に仏教のイメージがなかったからちょっと意外でした。
もちろんキリスト教が多い理由はわかってますが。
遣唐使とかが自分で持ってきたのかと思ってた。
「なんみょうほうれんげきょう(?)」と唱えるだけで幸せになれる、というのはどこの仏教でしょうか?
結構強引な勧誘をしてくるんですけど、何教か知らないので教えて下さい。
236 :
神も仏も名無しさん:2012/02/17(金) 18:08:54.21 ID:/R5Dl5K4
>>234 日蓮宗系列が「南無妙法蓮華経」を唱える事を推奨しています。
それを踏襲したカルトも多く出現しているので、情報がそれだけであれば細かな特定は難しいと思います。
>>237 そうでしたら、創価学会の可能性が高いと思います。
>>238 創価学会はお寺や神社にも入れないんですか…初めて知りました。
ありがとうございました。
>>222 ご回答ありがとうございます。
岩波文庫は最近本当に高くなっていますね。
教えてもらった書籍はアマゾンで確認しました。
ワイド版は、あとからの校正や注釈が加わっているのでしょうか。
実はサイズ的に通常の文庫版が好きです。
>>223 ご回答ありがとうございます。
明日は午後に戻ってくるので、そのサイトをじっくり拝見致します。
しかし初めて聞く「教派(?)」です。
>>224 ご回答ありがとうございます。
学生時代に仮に東京などの大都市に住んでいれば、先生に巡り会えたかと思うと残念です。
ただ外国は厳しいですね。私には渡航経験がありません。
まず教わったテーラワーダ仏教を調べるとして、「ブッダの言葉〜〜」系を読んでみます。
貧相な質問にお付き合い頂き、ありがとうございました。
> ワイド版は、あとからの校正や注釈が加わっているのでしょうか。
↑ 内容は同じだと思うけどワイド版の方が文字が大きくて読みやすいと思う
− − −
☆ おすすめの書籍 ☆
アビダンマ講義シリーズ
第5巻 業(カルマ)と輪廻の分析
ブッダの実践心理学
アルボムッレ・スマナサーラ (著), 藤本 晃(著)
出版社: サンガ (2009/07)
あんぱい(安牌?)経って
243 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 05:53:30.76 ID:z8rUGkk1
あんぱい(安牌?)経ってどんな意味があるんですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3 ☆ ウィキペディア参照 ☆
さまざまな流儀のものが存在するが、
共通するのは「今という瞬間に完全に注意を集中する」ということである。
何をしていても「今・ここの自分」に気づいていく。
この「気づき」(サティ、sati、梵smṛti、英語mindfulness、漢語「念」)が、
この瞑想のもっとも大切な技術である(したがって、「気づきの瞑想」とも呼ばれることがある)。
このようにして自分を客観的によく観ていく実践によって、心を成長させることを目指すのである。
また、特にマハーシ系では、「気づき」を言葉によって確認(「ラベリング」)し、「実況中継」していくという方法がとられる。
ヴィパッサナー瞑想に入る前に、「慈悲の瞑想」がサマタ瞑想として行なわれる。
ゴエンカ系ではヴィパッサナーに入る前段階として、集中力(定)を養うことを目的に、
「アーナパーナ」と呼ばれるサマタ瞑想の一つをまず練習する。
「アーナパーナ」を重視する思想はパオ系においても同じである。
これら二派においては、マハーシ系の言葉による「ラベリング」は行われない。
座る瞑想では特に呼吸に集中することが基本となる。この点は、北伝仏教でも広く用いられる「数息観」と大きな違いはないとも言えるが、
数息観とは、あくまでアーナーパーナ(安般念)の一部であって、二つを同一視することはできない。
呼吸に集中することに関しては、南伝仏教の教義の枠内においても、「サマタ瞑想」と大きく区別されるわけではないという点が指摘されている。
この「気付きの瞑想」は、必ずしも座って行なわれるだけでなく、歩く瞑想(伝統的には「経行(きんひん)」と呼ばれてきた)や、
立つ瞑想、あるいは日常的な動作における瞑想などがある。これら外見的な所作や振舞いについては、
天台の止観や禅宗などで行なわれてきたことと大きく異なるものではないとも言える。
> あんぱい(安牌?)経ってどんな意味があるんですか?
↑ あんぱい(安牌?)じゃなくて『安般念』の事なんじゃなイカ?
☆ おすすめの書籍 ☆
大安般守意経に学ぶ
釈尊の呼吸法
村木 弘昌 (著)
春秋社; 新版 (2001/12)
ブッダのことば
パーリ仏典入門
片山 一良 (著)
大法輪閣 (2008/06)
例えば
安般念(あんぱんねん)などの場合は
数息観などの呼吸に集中する事によって禅定の状態をつくりだす
と言う事であるらしい
248 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 11:47:14.08 ID:z8rUGkk1
249 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 12:24:49.89 ID:8WAhTBxO
>>248 『仏教儀礼辞典』311頁、黄檗宗の葬儀儀礼の項目に以下のように
位牌を荘厳し、この安牌諷誦を行う。『大悲心陀羅尼』等を読誦し、
廻向文を唱える。この安牌諷経は、曹洞宗の安位諷経、臨済宗の安骨諷経にあたる。
それぞれの箇所を見て勘案すると、位牌をダラニなどの経文を読誦する功徳によって安らかにするという儀礼だと思われます。
教わったテーラワーダ仏教のサイトで「五戎文」があって、
「私は淫らな行為をしない」ってあったけど、これを受け入れられない。
ああ、おれは原始・初期仏教で心の自由を得ようと思ったが、無理なのか。
>>250 戒文ではそのように記されているけど在家と出家でその文句の捉え方が違ったりする。
あまり難しく考えずに一度テーラワーダの集会か何かに行ってそこのお坊さんと話してみたらいいと思う。
ここで質問して回答を得るよりずっと自身の為になると思うよ。
テーラワーダ(上座部)の場合は
煩悩を滅却して、その次の段階として
輪廻から解脱して
カルマに囚われている状態から解放され自由になる
と言う順序があるんじゃなイカ?
お返事どうも。
実は今日ねぐらのある県(上述)で、集会があったのだけども、
住所の大きなくくり(区)で、これは某・破防法の団体の近くでは、と疑ってしまい、怖くていけなかったw
次の機会があれば、運命に飛び乗ってみようと思います。
>>250 kAmesu micchA cArA veramaNI sikkhApadaM samAdehiyAmi
(カーメース ミッチャーチャーラー ウェーラマニー シッカーパダン サマーディヤーミ)
直訳:私は、愛欲に於ける邪(よこしま)な行為から離れるという学処を守ります。
→ 私は、邪な性行為を離れるという戒を守ります。
つまり、非道徳的・非倫理的、非道義的な性行為をしません、ということ。
つまり、不倫や浮気をしません、ということ。
(もう少し厳しく言えば、滅多やたらと求めたりしません、という方向性も含意してはいるけれどw)
で、出家者は、上記から「 micchA 」の部分が抜けていて、「一切の性行為から」という戒となるわけです。
255 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/18(土) 18:33:51.62 ID:Z2vHB7kC
>>225>>227 まったく同意!!
ネパール及び世界中駆け巡って師匠を探す者が真剣で、
それ以外の者はそうじゃない。つまり所詮、その程度でしかない・・・と。
それが先達としての適切なアドバイスだというのであれば、
あまりに酷過ぎで呆れ果てます(苦笑)。
>>224 “自分はそうしてきたからだ”と言いたいのでしょうが、
まさにコチコチの原理主義者に相応しい出家者至上主義ですね。
>>226 仏教の教えに触れたばかりで感銘を受けたという新参者が、
なんで、いきなりネパールに飛ばねばならないのか・・・
普通、そんな奨めがありますかね?
殆ど狂気ですね!
256 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/18(土) 18:35:50.59 ID:Z2vHB7kC
257 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/18(土) 18:37:46.22 ID:Z2vHB7kC
>>254 あっ、解答/解説がでてました・・・。
失礼!
258 :
神も仏も名無しさん:2012/02/18(土) 18:37:53.03 ID:z8rUGkk1
>>249 なるほど。ググってもあまりヒットしないあたり
臨済宗であっても普遍的な作法では無いのかな・・・
性の自由さを求めています
姦淫とかじゃなくて。
例えばある神道の宗教家の話では、同性愛も問題ではない。
キリスト教は、逆の意味で言わずもがな。
じゃあ、仏教はどこまで許してくれるのかと。人間のそんなに欲張らない自由さを。
何か参考にならないかと思って考えて思い出したのが、医学部言った奴の言。
精神科の人だけども、「女にはフェチシズムはわからんからな」と言っていた。
あるいは、「エロい奴なんていっぱいいるよ。あわせてやるか(w」とか。
どこまでが許されるのやら。
>>259 そっち方面の方ですか?w ま、いずれにしろ
置かれている文化、環境次第でしょう。
倫理や道徳の基準や幅は、そうした文化や共同体の共通価値観に他ならないのですから。
出家者(或いは篤信の徒)であれば、当然制限の幅は狭くなりますが、
そうでないなら、文化的に共用される範囲内であれば許容されると思っていただいて結構です。
そういう意味では、仏教はすこぶる寛容です。
(勿論、それが仇となって、融合・変容が大き過ぎて別物になるとか、
溶け込んで雲散霧消するといった危険性もありますけどね。)
>>260 どっちの方角かは、別のものとお考えください。(;;
書き込みの「文化的」というお話ですが、
宗教もある時代・ある思想潮流みたいなものに支配されるのですか?
こちらとしては(性でも、性以外でも)社会からあぶれているから、
そのはみ出した先の受け皿として仏教が在るということではないのでしょうか。
また、瀬戸内寂聴さんのように、俗世では色々あったと思われる方もおられるようで・・・
性に寛容であるのは有難いことです。
このさい、仏教の真髄に触れるために色々と読むことから始めます。
近所にあるお寺に法事で行った時。
本堂に上がる時の階段の両脇にある柱の横に、白い象の置物みたいのが
ありました。
普賢菩薩の乗り物であることはわかります。
何と言う仏具、法具なんでしょうか?
ただの瀬戸物、飾りなんでしょうか。
教えてください。
チベット仏教
チベット仏教では、
ガネーシャ(象頭財神)は大黒天(Mahakala)によって調伏された姿でも描かれるが、
観世音菩薩を本地とする護法神としても信仰される。
上座部仏教
上座部仏教国のタイでも、ガネーシャは仏教徒に信仰されている。
日本密教(台密・東密)
天台宗・真言宗ではガネーシャを起源に持つ歓喜天(聖天)が天部の護法神として信仰される。
スリランカ仏教
ナーラーギリ(Naragiri)という災厄と疫病を司る象頭の悪魔にされている。
− − −
普賢菩薩が乗っている象は
例えば、『ガネーシャ』と関係があるんじゃなイカ?
後期密教
中期密教ではヒンドゥー教の隆盛に対抗できなくなると、
理論より実践を重視した無上瑜伽タントラの経典類を中心とする後期密教が誕生した。
後期密教では仏性の原理の追求が図られ、
それに伴って法身普賢や金剛薩埵、
金剛総持が最勝本初仏として最も尊崇されることになった。
インドにおいてはヒンドゥー教シャークタ派のタントラやシャクティ(性力)信仰から影響を受けて、
男性原理(精神・智・方便・金剛界)と女性原理(肉体・感・般若・胎蔵界)との合体(性交)を
修行する無上瑜伽の修行(瞑想・修法)も無上瑜伽タントラとしての後期密教の特徴であり、
男尊(男性原理)と女尊(女性原理)が性交する歓喜仏も多数登場した。
− − −
後期大乗密教
場合によっては、『人間の男女合体(性交)も良しとする』と、勝手に拡大解釈しても良いんじゃなイカ?
律師?の称号をもつ父について質問させてください。父は、親戚が自営を始めるとき会社名を、仏様にお参りして聞くといい仏様が授けてくれるといいます
仏教を勉強すると 仏様からお告げが聞こえるんでしょうか?
仏は悟りだから自分が自分にお告げするの?
瞑想で冷静な判断が出来るならどうかしら。
お告げなんてないし、悟りの智慧があるだけ。
お告げとか死ねばいいのに。
スーパーパワーなんて無いし
超常現象もない、神が降臨しないし、先祖や英霊が降りてくることもない
そんなものはないし、在ると考えるのは仏教ではない。
生きていく上での「人間の特性」について「知る目」をもつだけだよ。
269 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 11:19:30.77 ID:AI7HoqMH
>>266 そういうことは縁起しますが、非常に怪しいところです。
魔かもしれません。そこは微妙です。
>>268 誰の受け売りか知りませんが、そういう和辻的近代主義はもはや仏教以外のものですよ。
仏教では神々や魔と対話してますし、神通、神変がキッチリとかれています。
そして神通は方便や譬喩ではなく、アーガマ・ニカーヤで戒定慧の慧として説かれているので、
これは通仏教で認められるものですよ。
認められないなら、それはアナタが変な妄想を仏教に懐いているだけでしょう。
271 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/02/20(月) 11:34:00.62 ID:70V2Athe
経論や道徳だけを仏教とするのは、独善的考え。
(^。^)術のない宗教なんてのはヤソくらいだ。(笑)
272 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 11:38:52.41 ID:AI7HoqMH
>>270 ないと思うのは勝手ですが、それは仏教ではなくアナタの思いです。
伝統仏教では、そういう縁起もあるとどの時代、どの地域でも考えます。
ここは仏教質問箱であって、アナタの思いや現代の常識を云々する所ではないでしょう。
速やかにお引き取りください。
>>271 おやおや、断見者のアナタがそんなことを言うとは。
それと外道でも非難しないのが仏教なのですが。
空想の産物にすがり
空想の産物の思い
空想の産物に対し祈りや願いなど
あるわけがない。
274 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 11:50:57.67 ID:WDw4Zyrb
臨済宗で葬儀あげる場合、一般に最小構成はどんなですか?
お布施80万、葬儀全体で200万円はさすがに重い
せめて総額50万円以内に収まるプランはないでしょうか
神をガンダムに置き換えよう
ガンダムに祈ってガンダムが救うのか
ガンダムを呪ってガンダムが反撃するのか
ガンダムにすがってガンダムが救済するのか
ガンダムの加護で世界が平和になるのか
そんなものは無い
276 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 11:59:34.09 ID:WDw4Zyrb
要するにお寺さんとの関係をこじらせずに
出来るだけ安く今お寺にある我が家の墓へ納骨する方法を知りたいのです
身内と縁の深い人だけ呼んで送別会でもして
ささっと焼いてささっと納骨
公営霊園へ移るのも考えてますが以前亡くなった祖父母の手前
出来ればそれは避けたい
277 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 12:02:02.89 ID:WDw4Zyrb
>>276は文章が切れてた。些細なことだけど・・・
ささっと焼いてささっと納骨がベスト
>>276 それこそ菩提寺の坊主と相談したらいいと思う。
神や魔は在るものなのか
信じるから在るのか
信じなければ無いのか
在るから在るのか
方便として在るのか
心の拠り所として在るのか
心の中の思いとして在るものなのか
よく考えてみろ
280 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 13:48:33.18 ID:AI7HoqMH
>>279 はいはい、アナタがただの素朴実在論を信仰しているのは分かったから、
いいかげん荒らすのは止めてね。
ここは質問箱なんで
「恐れ」や「怒り」は在るものなのか
信じるから在るのか
信じなければ無いのか
在るから在るのか
方便として在るのか
心の拠り所として在るのか
心の中の思いとして在るものなのか
「恐れ」 でも 「魔」 でも 「神」 でも
変わらない
神や魔を特別なものにすることは 「恐れ」や「怒り」を特別なものにするのと同じ
そんなものは無いんだよ
性に関してですが、異性装などは禁忌ですか?
>>282 それは、宗教ではなく社会(・・・文化、常識、社会通念、マジョリティ仕様、或いは公的記号)の問題でしょ。
>>283 つまり、仏教では何も問題がなく、宗教よりも包括範囲の狭い
繰り返せば社会より宗教の方が受け入れ枠が広いという意味において、
仏教では許されることなのですか?
この問題が解決できれば、仏典を読み始めるのだが・・・
>>284 極端な言い方をすれば、
人は、白のワイシャツだろうが、アロハシャツだろうが、どちらを着ても構いません。
本来それを制限するう権利者は存在しません。
しかし、会社で、或いは冠婚葬祭で、上にジャケットを羽織るにしても、
そういう場面でアロハを着る方は通常いらっしゃいませんし、またTPOとしても許されないでしょう?
それを制限しているのは、社会的要請ということです。
勿論、(上で冠婚葬祭と記したように)宗教的案件に於いても、
それが儀式的要素を大きく持つような場合、或いは周囲の状況も含め、礼儀礼節が必要とされる場面であったなら、
当然、装いに制限はかかります。(しかし、それとて、社会的要請の宗教分野であるに過ぎません。)
287 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 15:22:12.12 ID:AI7HoqMH
>>285 本来仏教はxだからダメってことはないよ。
百人ほど人を殺したアングリマーラでさえ受け入れられていることからも解るでしょう。
ただし、因果としてすべきこととすべきでないことは説かれるけど、
それも戒律を受けるのでなければ、自分ができる範囲ですればいいだけのこと。
つまり、どんな人でもちょっとでも楽になれる教えでもあるのです。
これでいいかな?
出家して托鉢するのは異性服で良いですか?
って質問なら駄目だろうね。
仏僧として世俗を捨てる必要があるから
世俗に飾ることは由しとしない。
在家で経典よむってのならマサイ服でも、宇宙服でもどうぞ。
宇宙服ワラタw
290 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 15:38:16.43 ID:ft9P7/dM
>>287 アングリマーラは地獄に行ったのですか。行ってなければ、輪廻転生は「嘘」だと
いうことになる。
そもそも、「良いことと悪いこと」の両方をやった人間の来世は一体どうなるのか。
それは、誰がどのような基準で判断するのか。それが判らなければ、輪廻転生は無意味。
>>290 あのう・・、アングリマーラは悟ったんですけど・・・w
とりあえず、世俗に生きる予定なのですが、
例えば戒名(ここでは意味を成さないかも知れませんが)において
何とか居士を大居士にするには、村内清掃でもありなのですか?
村内清掃 => そんな、異性装
とりあえず、岩波文庫「ブッタの言葉」でも再読します。
良き縁起を
ところで「縁起」と「因果」は違うものなのでしょうか?
297 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 16:11:13.79 ID:ft9P7/dM
>>291 人を100人殺しても、「悟った」と「自称」すれば地獄行きを免れるのか。
そんな輪廻転生や解脱は無意味。悪人共が「大手を振って歩けるようになる」
だけ。「悟り」や「解脱」は、あくまで「自己満足」で、他者の知ったこと
ではない。他者には無関係。
地獄なんてないし
悟ったと自称して悟れるのか教えて欲しいな
何の経典かな
300 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 16:30:47.17 ID:gz5iftVY
>>276 葬祭業者に予算とお寺を告げて任せてみてはどうかな
あまり、いい顔はされないと思うけど
301 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 16:31:09.04 ID:AI7HoqMH
>>291 ft9P7/dMは生命教だよ。
>>296 縁起の一面が因果です。縁起は難しいので解るまで時間がかかりますよ。
例えば、因果といってもそれは習わしによって仮設されたもので、本来空性です。
これが本来の意味で一応の理解を得るためには実在論から縁起論への認識変換が必要です。
この実在論から縁起論への認識変換を得て初めて正見になります。
そしてコーンダーニャやサーリプッタが悟ったと言われるのは、
正にこの認識変換、今までの実在論から縁起論に見方が変わったからに他なりません。
これは文献学者で指摘している人は、私が知る限りいませんが、
これこそ仏教の核心でしょう。
302 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 16:53:10.31 ID:gz5iftVY
>>296 どちらも似たようなものです
強いて言えば、時間軸を中心に据えれば「因果」となるし
空間軸を見据えて言えば「縁起」となる
あなたを、あなたならしめている成長の記憶が因果だとするなら
世界の中心で愛を叫ぶあなたは縁起に依存している
一応龍樹以来、因果よりも縁起が仏教界の流行なんだそうですが
あまり気にせず使ってください
机居士が飛びつきそうなネタですけどもね
303 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 17:29:30.71 ID:WDw4Zyrb
>>300 言ってみれば値切る客なわけで決していい顔しないよなぁと想像する
別に豊かな寺でもないし極端に安くすれば余計な前例になりかねない思うし
最終的にはもちろん菩提寺側との相談になるんだけど
臨済宗一般にどこまで葬儀をシンプルかできるのか
菩提寺の住職とは別視点の意見を事前に聞いてみたいなとね
304 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/20(月) 18:12:44.58 ID:gyTCvzAX
>>296 一休宗純は、闇夜のカラスの鳴き声で悟ったとされる。
@闇夜からカァ〜の声がする
Aこれをカラスと認識するまでに多少の空白があったとしても、一応カラスと認識。
(縁において生起するから、これを縁起という)
Bカラスと認識するのは、過去にカラスの鳴き声を聞いたことがある。
Cつまり、過去と現在を繋ぐもの・・・これが因果。
Dこの因果において、過去と現在の自己同一を確認。
Eつまり、因果において一休宗純は「我」の発生に立ちあう。
Fこの瞬間に、一休宗純は無我を悟ったとされる。
Gようするに、無自性であるが縁起においてしか我は生起することはない。
つうことで、これで印可証許可ですが一休は却下したらしい。
皆様書き込み有難うございます。
しかしこちらの頭のスペックが不足しているために、難しくてさっぱりわかりません。
時間をかけて勉強しようと思います。
今回キーワードが幾つか出てきたので、それでググります。
☆ おすすめの書籍 ☆
アビダンマ講義シリーズ
第5巻 業(カルマ)と輪廻の分析
ブッダの実践心理学
アルボムッレ・スマナサーラ (著), 藤本 晃(著)
出版社: サンガ (2009/07)
307 :
海野土左衛門!ninja:2012/02/20(月) 18:32:11.66 ID:gyTCvzAX
>>305 >今回キーワードが幾つか出てきたので、それでググります。
そうですか。
因果ってのは、つまりどうにもならんもんですから、
基本的には「因果に囚われず」が仏教の教義かとおもいます。
「不昧因果」「不落因果」とかでググってみたら、
なんかのヒントになるかもしれません。
308 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 20:11:05.89 ID:AI7HoqMH
>>305 縁起は難しいですから。ただ縁起を実在物の関係性と捉えるなら、それは完全な誤りです。
この質問箱は変な答えが多いので、多くはスル〜した方がいいですよ。
ネットを参照するより、以下のどれかを三回読むことをお勧めします。
山口益『仏教思想入門』
パユットー『仏法』
水野弘元『仏教要語の基礎知識』
309 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 20:30:21.20 ID:cxwQV1gu
>>308 >ただ縁起を実在物の関係性と捉えるなら、それは完全な誤りです。
それは小乗仏教の考え方。日本の仏教は大乗佛教ですから、回答者は小乗
佛教を持ち込まないようご注意ください。日本のROM者の誤解を招きます。
あくまで、大乗に基づき回答すべきです。さもなくば、大乗・小乗の区別
をはっきりと明記してください。
310 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 20:44:06.59 ID:cxwQV1gu
>>308 日本の最も包括的な仏教辞典である岩波佛教辞典の200名近くの執筆者の
中にも、山口益及び水野弘元氏の名前は見当たりません。ここは日本の仏教
質問箱ですから、回答は「日本の仏教」でお願いします。小乗は、南アジア
に限定された佛教で、日本の仏教ではありません。
311 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 20:55:39.74 ID:vr21dvab
仏教初心者です
上にあるような縁起であるとか
お釈迦様の教えを純粋な形で勉強したいのですが
わかりやすい良い入門書在るでしょうか
>>310 w
現存する日本仏教のいかなる宗派も、貴方の考え方と一致しないんですけど・・・w
貴方の言う日本の仏教というのは、いったい【どこに】存在してるんでしょうね?www
仏教において世界を想像したのは誰なんでしょう?
314 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 21:12:20.61 ID:AI7HoqMH
315 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 21:17:10.37 ID:AI7HoqMH
>>313 それは問いが間違ってます。
無我なので誰がと言えません。
創造というのは無から有を作り出すという意味なら、
それは仏教的にありえない問いです。
仏教的にはこう言い換えられます。
無明と業によって世界が縁起する。
>>314 石飛さんは教義に特化しすぎでしょw
その3冊に加えるなら、渡辺照宏さんの岩波新書緑「仏教」とか「お経の話」とか、
水野さんなら「釈尊の生涯」(春秋社)とか、その辺かな、と。(伝記を押さえるのは基本だとも思うし。)
三枝さんも、岩波新書赤の仏教入門はまとまってて良いと思うよ。
古坂さんの「宗教史地図−仏教−」は良いね。
中村さんの東書選書の語源シリーズも、初心者には面白いと思う。
>>314>>316 ありがとうございます
読めるものから読んでいこうと思います
しかし仏教って哲学の趣が強いのですね〜キリスト教みたくもっと盲目的な宗教だと思ってました
☆ おすすめ書籍 ☆
ワイド版 岩波文庫 中村元
ブッダのことば
スッタニパータ
(1991/01)
ブッダの
真理のことば
感興のことば
(1991/06)
ブッダ最後の旅
大パリニッバーナ経
(2001/10)
319 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 22:17:00.33 ID:AI7HoqMH
>>316 「縁起とか」ということでの選択なんですが。
要するに難解な縁起を易しくかつ正確に述べてるものという意味での選択です。
梶山先生とか生井先生とかは正確だと思うけど、難解なんで外しました。
だから語源シリーズはないでしょ。
三枝はないは。縁起の理解が間違ってるよ。
渡辺先生は好きだけど、アンチ創価で記述が偏向してると思わない?
伝記なら「釈尊の生涯」は名著だし、仏教史なら「宗教史地図−仏教−」は簡明かつ最も包括的で、
しかもインドと日本の部分は優れてると思います。
だけど、縁起の理解という意味では違うでしょ。
伝記ならサダーティッサ『ブッダの生涯』が最も易しいと思います。
320 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 22:25:15.52 ID:cxwQV1gu
>>312 日本の無数の寺院の中で、小乗仏教を銘打っている寺院がどこにあるか。
日本仏教の総本山である比叡山は、大乗仏教である。
>>318 >ブッダのことば
>スッタニパータ
>(1991/01)
この本は読んだが、全くのカルト書。洗脳されるから、読むべきではない。
釈迦は、現代のカルト教祖と何らの相違も無い。日本の仏教は「大乗仏教」。
釈迦佛教は「開祖盲信のカルト」である。
大乗仏教は、釈迦佛教の数々の誤りを是正した佛教。大乗と小乗とは、原理的に
ことなる宗教。混同すべきではない。
>>319 なるほど。
けど、最初から明確に「縁起を軸に見ていきたい!」って人は少ないでしょ。
件の彼にしたって、【上の方で】【縁起中心に語られてたから】「>上にあるような縁起であるとかお釈迦様の教えを 」
という言い方になったのでしょう。 もし、無我につちえ対話が重なってたら、
「>上にあるような無我であるとかお釈迦様の教えを 」になってたかもしれない。
そういう意味で(質問する際の)、お釈迦さんの教えのラベルとしてのものと思ったから、
普通に全体像の方がいいと思う。
また、手に入り易い読み易いということであれば、多少の部分は目をつぶるべきだと思っている。
(たぶんこの辺はスタンスの取り方だから、相容れない価値観の相違だと思うけどw)
そりゃ、最初からベストなものに触れ得ればそれに越したことはないけど、
みんながみんなそれが可能ってわけじゃない。そういう求め方の者(→求道者・学者志向)じゃない。
偏らずにいくつか読んでいけば、自然と修正されてくる。修正は後からでもきく。
少し前の「師匠を探すとよい」にしても、《知り得る限りの、より良いモノを提示する》という姿勢は、
理想だし重要だし、そうあるべきなのかもしれないが、相手の条件次第では、却って枷になる可能性もある。
それこそ、キサーゴータミーの例を出すまでもなくw、たとえば
愛する者を亡くして嘆いている人に八不を示してもあんまり意味はなさそうじゃん?w
そういう意味で、私の方は今回(というか、基本、入り口としては)広い目次・目録的な方向が良さげだと判断した。
けど、ちょうど複数意見&注意点提示になって結果オーライでしょ?w
322 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 22:41:16.13 ID:AI7HoqMH
323 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 22:49:51.01 ID:AI7HoqMH
>>321 もっともだけど、ここでは最初に三枝なんか読んで納得されちゃったら、
それで終わりかもしれないでしょ。
だから、実在論に立って仏教解説してる人の本はないと思うわけ。
上で師匠についても意見が分かれたけど、始めに就いた師匠が運命の分かれ道になる可能性が高いと思う。
だから、師匠選びは慎重にと。まあ、慎重にしても結局は福徳次第なんだけどね。
福徳がないと良い先生を良いと見られないから。
324 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 22:55:34.91 ID:cxwQV1gu
「日本の仏教(大乗佛教)」についてなら、「大乗仏典」(中村元編、筑摩書房発行、定価¥4000)
がよい。代表的な大乗仏典がすべて網羅され、執筆者はいずれも日本の最高権威者そろいであり、
定価も手ごろ。小乗仏教は「日本の仏教」とは異なる「東南アジア宗教」だから、読むべきではない。
また、浄土真宗は、「佛教のキリスト教」といわれ、日本の仏教としては異質だから、避けたほうが
よい。
日本には「小乗仏教」の寺院など、どこにもない。
325 :
神も仏も名無しさん:2012/02/20(月) 23:33:44.15 ID:7Uu8Hs3q
オウムは、釈迦佛教(原始仏教、小乗仏教)、チベット仏教、キリスト教を
起源として発生した。これらの宗教は、いずれもカルト宗教であり、洗脳される
恐れがあるから、絶対に手にしてはならない。
326 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 00:19:27.23 ID:t7Kg/aXt
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、かな?
カルトは、密教からも日蓮宗や真宗からも出てくる、所嫌わずというやつだ
法燈明というものは足元を照らす明かりにもなれば、世間を焼き尽くす業火にもなる
それだけの力がなければ、逆に人を突き動かす魅力もないということなのだろうね
カルトに嵌るも煩悩、嵌らぬも煩悩、自燈明自燈明
異性装と「縁起と因果」を質問したものです。
上の方で岩波文庫「ブッタの言葉」がカルトと書かれてありました。
しかし、読んでいて気持ちが楽になります。
詳しい人にお伺いしたい。
それはマジなのですか?
>>327 考えてみてください。
「では、岩波書店はカルト宗教の出版部門のような会社なのでしょうか?」と。
329 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 00:54:36.33 ID:FGyL6U8E
>>327 「ダニヤの章」を読むとよい。仕事と家庭を大切にし、心豊かに生きている
若者ダニヤに、釈迦が「異常な精神性」を植え付けて洗脳してしまう。ダニヤは
出家し、家庭も仕事も崩壊したであろう。現代のカルト教祖そのもの。
「肉体を忘れた精神性」は、例外なく、精神の崩壊と狂気を招く。終わりまで、
読むに耐えない本である。
釈迦の多くの誤り、矛盾、問題点については、「佛教議論スレ」で詳細に指摘
している。彼が、その双極性障害の症状からの「一切皆苦」という「厭世観」を
説き、真如としての一切衆生の「衆生心」に思い至れなかったことが原因である。
大乗仏教は、釈迦個人崇拝から、釈迦の象徴化という、思想的大転換を行い、
釈迦の精神病理を克服したのである。釈迦とは異なり、「苦」や「煩悩」を
問題にしない。「あるがままの生」が「涅槃」なのである。「煩悩即菩提」
「生死即涅槃」。
330 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 01:19:08.36 ID:FGyL6U8E
>>328 岩波書店は「有名人」が無条件で好きなようだ。本が売れるからw。かつての
「マルクス主義・リベラル擁護」を見よ。
>>330 wwwww
岩波辞書の執筆陣の顔ぶれを気にする権威主義者の台詞とは思えませんなwww
「偉い学者先生が書いたものは正しい!」とかw
アボガドバナナ
喧嘩をやめて〜♪
なんだか何読めばいいかわかんなくなるじゃん。
333 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 01:34:05.50 ID:FGyL6U8E
>>331 それよりも、「有名人釈迦」が無条件で好きな君たちが、水野・山口「両大家」が、
執筆陣から締め出さされているのを気にしないほうがおかしいね。片山氏も
締め出されている。「テーラーワーダ」は、独立した項目もない。
>>332 >>314の3冊とかでしょw
「釈尊の生涯」(水野弘元/春秋社)は是非とも押さえたい。
あとは無難なとこで奈良康明とかかな。 パーリ系(東南アジア)なら片山一良、森祖道、生野善応とか。
各宗派の偉いさん(お師家さんとか管長さんとか)の著作でもいいし。
314さんは中身について厳しいけど、仏教関係の本はそこらに溢れてるから、外れを引かない限りよいと思うよ。
とりあえず ひろさちや、田上太秀、松本史朗、は避けといた方が無難。w(後から比較参照には良い。)
314は、その他に和辻哲郎、山口瑞峰、袴谷憲昭、三枝充悳とか駄目出しの学者多いけどw
>>333 だからw
締め出されたのは、単に学閥の違いでしかないのさ。
岩波辞書は東大印哲系・東方学院系だよ。
この件も論破済みなんですけどねぇ・・・。 ホント、鳥頭ですねぇ・・。
>>334 流行に疎くてすみません。
中村元先生の出身大学知りません。。。
何でもオウムの連中も中村先生には一目置いていたとか。
やはり実力が学閥を超えらられるくらいの人なのですね。
今上陛下の心臓パイパス手術の東大以外の先生みたいに。
336 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 02:09:44.20 ID:FGyL6U8E
>>334 また、水野とその弟子の片山かw。松本さんは、結構、釈迦佛教だよ。
松本さんは正直。「中論の現実志向を防ぐために、自分は時間制を導入した」
と言っているw。
岩波辞典は、歴史家や国文学者まで含めた多彩な執筆陣だ。皆、東大かw。
大乗仏教についての最新の論文集は、春秋社の「シリーズ大乗仏教」。
私はすでに2巻まで読破したが、セブンさんは読んだのか?「日本の仏教」
には興味ないだろw。
突っ込みはまだ足りないが、「釈迦個人崇拝から、釈迦の象徴化」という
大乗の原理は、私の見解の通りのようだ。
337 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 02:21:50.12 ID:FGyL6U8E
>>335 中村先生は東大。ただ、佛教全般についての造詣が極めて深いから、
釈迦佛教に影響を受けたことは否めない。そこが、オウムにも影響を
与えた。
西欧佛教学者からの引用が極めて多いから、それを通じて、キリスト教の
影響も受けたと思われる。彼の卒業論文は中論だそうだ。「空は、無ではない」
と声高に言っている。釈迦カルトには、それが気に入らないのだろう。
>>335 各学者の著を幾つか、御自身で読んでみるしかないと思いますw
その上で、誰の発言が的を射ていたか判断してください。
私は、仏教の根源というか出発点を意識する意味で、
「釈尊との対話」(奈良康明/NHKブックス)を推薦したいとこですけどw
ノシ
>>337 >空は、無ではない
そんな基本中の基本を得意顔で言わなくてもwwwww
学部一年生が一学期中に知ることです。
340 :
パーピマン:2012/02/21(火) 02:33:22.88 ID:3nLsM8Wc
う〜〜〜〜〜ん、困ったねww
ここは質問箱だから、隠居のことを知らない人も当然、沢山いるわけでww
ID:HFVUdvWL さんに一言アドバイスしておくと、
ID:FGyL6U8E の言うことには一切、耳をかさないことww
仏教のことを全く知らないトンデモさんですww
341 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 02:34:33.13 ID:3nLsM8Wc
コテ消し忘れたwww
意味ありませんww
342 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 02:34:45.96 ID:FGyL6U8E
>>338 大分譲歩したなw。しかし、奈良さんは岩波辞書の執筆者の一人だから、
一応、安心できるw。
「日本の仏教」を理解するためには、「小乗仏教(南方佛教)」は必要ないか、
あくまで参考程度でよい。大乗を中心にすべき。一旦釈迦に嵌ると、大乗の本当の
理解は不可能になる。両者は、奈良さんも言うように、「違った二つの宗教」だからだ。
343 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 02:42:54.24 ID:FGyL6U8E
>>339 >学部一年生が一学期中に知ることです。
ならば、何故中村先生が、声高に注意しなければならないおのかね。
誤解している仏教者が多いということだろ。「空とは幻」などと
誤解している人もいる。
344 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 02:59:18.79 ID:FGyL6U8E
>>340 君た釈迦カルトは、「釈迦の言葉(であると言われるもの)」であれば、無批判に
信じ、ありがたがる。私は、常に、より普遍的な「生命」という違った観点から、
批判しながら読む。それだけの相違だ。
学問には、批判がなければ、進歩も理解もない。
345 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 03:01:34.84 ID:pHsjSI1t
日本仏教の悲惨さをつぶさに見て
日本仏教を賛美するとは・・・
チベットやブータンを参考にするならまだしも
堕落してる日本仏教のどこが誇れるんだ?
347 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 04:34:01.71 ID:neCUlNAh
浄土教における死後は、阿弥陀の浄土に往生→成仏(事実上)確定
とロジックがわかりやすい
他の宗派には在家信徒の成仏(事実上)確定要素ってないんでしょうか?
臨済宗の49日までの法要はよりマシな6道どれかに生まれ変わるための
サポートでしかないように思えたのですが
色々仏教教義みてみて
異質な主張してたら要注意
それはオリジナルの教義だから。
349 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 07:42:38.98 ID:S98dlnkY
>>327 「ブッタの言葉」がカルトというのは、妄想家が自分の思いに合わないから言ってるだけです。
ただ中村先生の訳はあまりよくない。変に訳しすぎて意味が取れなくなってます。
スッタニパータなら、南伝大蔵経24の水野弘元先生訳か
講談社原始仏典の榎本・荒牧先生訳がいいと思います。
そうそう村上真完先生の註付きのヤツは最高ですが、
あまりにも高すぎです。
村上真完先生のやつが、岩波文庫になればいいのになあ。
岩波の仏教書は、だいたいダメなものが多いですよ。
和辻以来の伝統というべきか。
350 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 09:40:00.61 ID:OZ2srO+V
堕落しているということは堕落していないということ。
ゆえに堕落している。
しかし堕落しているとも言えない。
いいかね。この世には真の意味で堕落しているものなどいないのだ
堕落しようとする人間は堕落していないのである
堕落した人間も堕落していない
ゆえに堕落しているのだ
葬儀で飯を喰ってる似非が堕落していないだと。
聴衆者に背を向け説く経に何の意味がある。
漢訳の経でだれが感銘を受ける。
教えを伝えるために仏僧がいるのか
葬式をするために仏僧がいるのか
よく考えろ。
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353 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 10:48:45.18 ID:9pZtcu7I
>>351 身内を失って悲しみのどん底にある遺族に「説教」などされては堪らん
(キリスト教の牧師が、よくやる)。悲しみは深まるばかりです。
訳のわからんお経を聴き、会葬者やお坊さんに対する接待やお布施に
心を奪われることにより、遺族はしばし悲しみを忘れることが出来ます。
お坊さんは、お布施をもらうと、さっさと車で帰ってしまうところが、よい
のです。
堕落は、「人間性の現われ」。教会の堕落を批判したルターの「聖書のみ、
信仰のみ」がどれほどの大殺戮を生み出したかを、忘れてはならない。
一向一揆も、また然り。
悲しみを救えないなら大乗の意味がないだろ
355 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 11:19:57.58 ID:9pZtcu7I
>>354 悲しい時には悲しみ、うれしい時には喜ぶ。それが大乗の真髄である。「煩悩即菩提」
「生死即涅槃」。
人の弱みに付け込んで、甘言を弄して勧誘する宗教は、「地獄に墜ちるに値す
る大罪」。「俺俺詐欺」と同じ。
悲しみも救えず、喜びも増幅出来てない大乗の現状は?
357 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 11:51:31.65 ID:9pZtcu7I
>>356 他人の悲しみや喜びは、「黙って暖かく見守ってあげる」だけでよい。
さもなければ、「余計なお節介」になる。
深い悲しみや喜びには、「言葉」はありません。ただ「黙っている」
だけです。
あってもなくても変わらないなら必要もない
359 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 12:13:38.23 ID:+k4gbrPa
かつての戦では敵国には従軍牧師が同行したらしいが
わが国では従軍僧侶がいたのだろうか
特攻で死んで行くとき坊主が靖国で待っててねとか言うわけねえか
361 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 19:40:50.03 ID:5ukHPbDu
ざっくりと縁起ってなんやねん?
因果論でいいのん?
>>361 因果論の定義によるだろうが、
ざっくり言ったら因果論でいいと思う。
363 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 20:12:11.17 ID:AoNiQ7ZB
>>362 「因果論」は、「因」と「果」を前提とするから、「空」は成立し得ない。
「空」とは「不生不起」である。「因果論」は、「業報論」を導き出すため
の解釈論に過ぎない。
>>363 それは中観的な価値観にたって追求した場合だろ、
厳密に追求するなら縁起は因果ではないかもしれないが、
ざっくりと捉えるなら因果論でいいだろ。
365 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 20:53:27.68 ID:S98dlnkY
>>361 ざっくり言うと言い表せない本来のありようを常識でも分かるように言い表したもの。
そして本来のありようを悟るための観法でもある。
言い表せない側面を強調すると空性であり、不生不滅などの八不。
言い表す側面を強調すると因果であり、よりあつまって起こり消えていくこと。
「よりあつまって起こり消えていくこと」というのは、物事が実在しているのではなく、
諸因縁がよりあつまることで現象生成され、認識されることを意味しています。
つまり、空性・不生不滅と因果・よりあつまって起こり消えていくことは、
言葉としては逆ですが、本質的には同じ現象の表裏を言っているだけです。
因果を強調した生滅の縁起が小乗で強調され、
空性を強調した不生不滅の縁起が大乗で強調されますが、
それは世俗面から説くか、勝義面から説くかの違いで本質的には同じです。
>>364 そりゃ生命教ですがな
367 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 21:05:09.28 ID:AoNiQ7ZB
>>365 ほほう。「空」とは「よりあつまって起こり消えていくこと」ですかw。
その「起こり消えていくもの」は、「空」ではありませんね。
般若経の空
『般若経』が説かれて初めて大乗仏教の根幹をなす教えが完成した。
その中で、空が繰り返し主張されている。
その原因の一つは、この経典を編纂した教団が批判の対象とした説一切有部の教えが、
存在を現に存在するものとして固定化して観ずる事に対して、
厳しい否定を表し、一切の固定を排除し尽くすための事であろうと考えられる。
『般若経』の空は、このように全ての固定的観念を否定する事を主目的としている。
『大品般若経』では「空」を「諸法は幻の如く、
焔(陽炎)の如く、水中の月の如く、虚空の如く、響の如く、ガンダルヴァの城の如く、
夢の如く、影の如く、鏡中の像の如く、化(変化)の如し」と十喩を列挙して説明している。
− − −
↑ 幻の『如く』という「喩え・説明の手段」であって、『幻そのものではない』らしい
わかったようなわからんような
因縁があるとして
その因縁は物質的な何に依拠するんだよね?
370 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 22:03:18.49 ID:S98dlnkY
>>369 縁起は難しいから、なぜなら凡人は考える筋道の前提として実在論があるから。
何に依るかとか、何らかの実在に帰着、還元させて筋が通るとしているですよ。
そうじゃないというのが縁起なわけ。
だから、仮設された物質に依るけど、実体的実在の物質に依るわけではないんです。
だから、空なる物質によるわけで、実在の物質に依るわけではない。
だから物質として働くけど、それは幻のような空なるものが縁起しているだけのこと。
こう考えずに実在する原子が関係して実体的な物質が現象すると考えるなら、
それは縁起とは全く違うただの実在論のヴァリエーションですよ。
重力とか電磁力のような作用するだけの力であると考えればいいのだろうか
それとも抽象的な因がただ存在するのだろうか???
わからん
372 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 22:30:03.69 ID:8kXtVGQ1
禅宗における在家信徒とはいったい何なのか
死後に即席で受戒して49日まで法要して
それによって何が得られるのですか?
業(ごう)とは、仏教の基本的概念である梵: कर्मन् (karman) を意訳したもの。
サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞で、「行為」を意味する。
業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。
アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、心の流れ(心相続)に付随するものとされた。
− − −
因→縁→果→報→因→縁→果→報→因
心の流れ(心相続)と言う事で良いんじゃなイカ?
374 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 22:36:14.90 ID:4E07DPAN
>>373 心は「我」からしか生じないのだから、「無我で心相続」とは論理矛盾。
中陰(ちゅういん)、中有(ちゅうう)とは、仏教で人が死んでからの49日間を指す。
死者があの世へ旅立つ期間。四十九日。死者が生と死・陰と陽の狭間に居るため中陰という。
浄土真宗では、故人は臨終と同時に仏(諸仏)になると考えるので、中陰期間は、
故人に対する追慕、故人を通して「生と死」について考え、謹慎し求法の生活をする期間である。
発祥地であるインドの仏教においては、臨終の日(命日)を含めて7日ごと、7週に渡り法要を行っていた。
(古代インド文明の七進法により、七ごとなのである。)輪廻の思想により、
人の没後49日目に、次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まる、と考えられていたからである。
また、その、元の生と次の生との中間的な存在である、49日間の状態「中陰」、もしくは「中有」と呼んでいた。
それが日本に伝わり、宗旨によって考え方は様々であるが、人は死後、
魂を清めて仏になる為に中陰の道を歩き、あの世を目指す。その所々に審判の門があり、生前の罪が裁かれる。
罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が法要を行い、お経の声が審判官に届けば赦される。
それが下記の7日毎に行う法要である。また四週目と五週目の法要の間に、最初の月命日が来る。
− − −
『遺族が法要を行い、お経の声が審判官に届いて赦される。』と言う事で良いんじゃなイカ?
376 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 22:52:34.65 ID:4E07DPAN
>>375 その「審判官」って、キリスト教の「唯一人格神」概念と同じだな(「カラマゾフの
兄弟」の「大審判官」参照)。それに、人間は「罪人」などない。浄土真宗が
「佛教のキリスト教」と呼ばれる所以である。
瑜伽行唯識派(ゆがぎょうゆいしきは)
瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を獲得して、教理にまとめた。
とりあえず、心(識)は仮に存在すると考え、
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)。
− − −
瑜伽行唯識派の場合は
『とりあえず、心(識)は仮に存在すると考える』
これを肯定的に捉える考え方があっても良いんじゃなイカ?
最初に因があってそこから物ができたということだろうか?
物を生成する法則ってことかしらん
ワイド版 岩波文庫
ブッダのことば
スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1991/01)
スッタニパータ 877
…解脱した人は
変化的生存を受けることがない
− − −
解脱してない人は
渇愛(タンハー)が滅尽できてない人は
変化的生存が、輪廻を繰り返す、と言う事で良いんじゃなイカ?
380 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 23:26:44.43 ID:4E07DPAN
>>377 阿頼耶識が「空・不空」を判断するのだとすれば、阿頼耶識は自己の
「空・不空」を判断することはできないから(自己が空なら、判断は
不可能)、その論理には無理がある。
382 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 23:32:07.42 ID:4E07DPAN
>>379 >…解脱した人は 変化的生存を受けることがない
解脱も変化的生存の機能だから、変化的生存がなければ解脱は出来ない。
循環論法で、誤りである。
383 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 23:35:30.29 ID:4E07DPAN
>>379 スッタニパータは、すべて論理矛盾で誤り。
>>374 > 心は「我」からしか生じないのだから、「無我で心相続」とは論理矛盾。
↓
>>377 瑜伽行唯識派(ゆがぎょうゆいしきは)
>>379 スッタニパータ 877
385 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/21(火) 23:39:02.91 ID:45uBRfQQ
>>327>>329 まず、
仏教そのものそれ自体の性質の中には、
最初から元々、反社会的な側面を内包していることを認めざる得ないということなのです。
何故なら、この凡夫によって形成構築された社会構造というのは、
人々の欲望(悪しきものを肯定しているつもりはないが・・・)を満たそうとすることを意図しているからであり、
欲求の充足による満足を得ることが人々の幸せを育むものとしているからです。
対して仏教というのは全くの逆であって、その欲望が人間の苦悩の元であることを説いて、
人々の意識を欲望への集中から解きほどく方向性にあるからです。
本質的な意味で反社会なのです。
ただし、違法なことをしたり、人々を騙したり、
攻撃性を顕したり・・・といったカルト教団に見られるそれらとは異なります。
> 解脱も変化的生存の機能だから、変化的生存がなければ解脱は出来ない。
輪廻から解脱する為の禅定(瞑想)によって解脱に至る
↑ こんな感じで良いんじゃなイカ?
387 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 23:42:39.57 ID:4E07DPAN
>>394 >瑜伽行唯識派(ゆがぎょうゆいしきは)
ヨガは「行為」であり、行為は、後天的形質、つまり「獲得的形質」である。
「獲得的形質は、遺伝しない」。
↑ 遺伝しなくても良いんじゃなイカ?
389 :
神も仏も名無しさん:2012/02/21(火) 23:54:28.38 ID:t7Kg/aXt
お釈迦様が毒矢の喩えを持ちだした理由が分かる気がする
390 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 00:00:24.60 ID:GKAH2tu7
>>388 遺伝しなければ、「輪廻転生」「心相続」などありえない。
なお、ミームは、単なる情報の伝達。従って、遺伝(輪廻転生、心相続)では
ない。情報えストップすれば、その伝達はない。
391 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 00:05:26.08 ID:GKAH2tu7
>>385 釈迦も、「生の苦」を説くという欲望を追求し、その行為の中に「生の喜び」
を見出した。滑稽な矛盾である。
遺伝−肉体、身体が輪廻するんじゃなくて
心相続−変化的精神(霊的なものも含める)が輪廻するんじゃなイカ?
393 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 00:22:28.17 ID:GKAH2tu7
>>392 心相続だとしても、輪廻前の存在と輪廻後の存在との間には「同一性」が
なければならない。さもなければ輪廻転生は無意味である。この同一性は、
「記憶・思考の同一性」によって担保される。死によって、記憶器官も思考
器官も腐敗するか灰になるので、すべての記憶や思考は失われる。従って、
輪廻後の存在との同一性などない。輪廻転生は、科学について無知蒙昧だった
古代人の妄想である。
沙門果経
仏道を歩む人は瞬時に幸福になる
初期仏教経典解説シリーズ
アルボムッレ・スマナサーラ
(2009/05)
327ページ
過去世を見る為の禅定(瞑想)
どこまでも過去に遡っても
自分が渇愛(タンハー)によって輪廻転生したこと
未練を残しながら死んで逝った事を発見できる
渇愛(タンハー)が有る限り、輪廻を繰り返す
と言う事を発見できる
− − −
『本当に渇愛(タンハー)によって、輪廻を繰り返しているのか?』
過去世を見る為の禅定(瞑想)で
『過去世を体験する事が出来る』らしい
395 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/22(水) 00:45:30.59 ID:ggsENcDv
>>265 歓喜仏、宜しく性交を用いる・・・
なーんていうのは、在家で夫婦揃って解脱を志向している場合に、
夫婦の営みまでも修行の一貫として化すことができるというものです。
通常、解脱を求める出家者が態々、タントラと称して女性と交わる必要性などどこにもないでしょう。
ある程度の段階になれば性欲も昇華されているからその気もないし、
態々、SEXなどする必要がない。まったくの時間とエネルギーの浪費にしか過ぎない。
インド後期密教の一部では僧侶が無上瑜伽タントラと称して、
比丘尼や女性信者とSEXに明け暮れたとも言われていますが、
そのような手法を用いる必要性がまったくない。
堕落、左道の極み以外の何者でもない。
これらを肯定するのは辞めといたほうがいい。
396 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 10:09:02.75 ID:oif2HsVp
>>395 君は、新婚早々なのにセックスレスか。それは「生命の声」即ち「法」に真っ
向から反している。奥さんが泣いているぞw。
397 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 10:37:12.74 ID:oif2HsVp
>>394 「解脱しようとする欲望」こそ、最大の「乾愛」「エゴ」であることを悟れ。
> 「解脱しようとする欲望」こそ、最大の「乾愛」「エゴ」であることを悟れ。
輪廻から解脱する為の禅定(瞑想)を人為的におこなう行為によって
輪廻から解脱する事が出来るんじゃなイカ?
インド後期密教の一部では僧侶が無上瑜伽タントラと称して、
比丘尼や女性信者とSEXに明け暮れたとも言われていますが、
そのような手法を用いる必要性がまったくない。
堕落、左道の極み以外の何者でもない。
これらを肯定するのは辞めといたほうがいい。
− − −
後期大乗密教の場合は
『男女合体(性交)について寛容である』
と言う概念があっても良いんじゃなイカ?
400 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 13:51:37.16 ID:oif2HsVp
>>398 輪廻から解脱したいという「煩悩」に基づく限り、解脱は絶対に不可能ですよ。
解脱を忘れ、現世をひたむきに生きるという「大修行」を行なうことにより、
初めて悟りが得られる。
「輪廻転生」は、佛教の信者獲得のための悪質な布教手段に過ぎない。
「輪廻転生」と言う嘘で「脅迫」し、解脱という「甘言」で信者を獲得し、
営利を得る、地獄に墜ちるに値する悪質な商法。
401 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 13:57:50.57 ID:6daWiZCZ
402 :
神も仏も名無しさん:2012/02/22(水) 14:03:25.08 ID:oif2HsVp
>>401 宗教という「無意味な執着」さえ捨てれば、虐殺されることはない。
キリスト教の殉教者も、神は常に「私を捨てて生きよ」と呼びかけていた
はずだが、イエスで狂わされた彼等には、その神の声が聞こえなかった
のである。
チベット人がなんぼ死のうが迫害されようが、俺には何の関係もない。
むしろ滅びる運命ならチベット人は無常の法則に従い滅ぶべし!「愛などいらぬ!」Byサウザー
406 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/22(水) 23:00:30.68 ID:trUei4cB
>>399 世界における多くの諸宗教(例えばカトリック教会)が、性(SEX)に対して罪悪感を抱かせたり、
これらは不浄な行為であるという意識を人々に植え付けようとしてきたのに対していえば、
もちろん、良い意味で大らかで寛容的でいいです。
ただし、性の営みの内奥に潜む生命の神秘的メカニズムや、
シャクティ・エネルギーの性質を象徴的に理解する上でのものとしてならば、もちろん問題はない。
これを男女混合の秘儀と称して積極的に導入するような方向性は有得ないということ。
その必要性はない。
>>396 心配ご無用!!
連夜、ダーキニー妻との秘合三昧じゃw
歓喜歓喜
お前、ひどい下半身だな・・・
408 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 04:28:42.69 ID:RFuPgfjE
曹洞宗の僧として一人前?になるには
どれぐらいの勉強量が必要なんでしょうか?
テキスト量はどれぐらいになりますか?
409 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 05:42:16.66 ID:eR9ltycu
>>408 曹洞宗の僧として出世したいなら、
曹洞宗という組織の型にハマって先輩和尚に気に入られる行動をすればよいと思う。
410 :
神も仏も名無しさん:2012/02/23(木) 08:42:12.51 ID:wq544J14
>>408 曹洞宗はそういう文字を勉強する道じゃないよ。
とりあえず永平寺などの寺に三年篭もって修行するのが相場。
ただ永平寺がいい修行の場かどうか分からないので、
まずは良い師家を探すのがいいと思う。
一年ぐらい師家を探して、これだという師家に出会ったら、
その師家について真剣に学べば10年もすれば一人前になるんじゃなかろか?
どうしても読みたいなら『正法眼蔵』を繰り返し読むことでしょう。
20年もすれば、あるいは分かるかもしれない。
411 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 02:29:25.63 ID:m+4TrrYP
正法眼蔵の現代語訳で一番大丈夫なのはどれでしょう。講談社学術文庫版でしょうか。
412 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 03:20:39.66 ID:cuPVU1RW
河出文庫の正法眼蔵持ってるけど、
現代文でも何言ってるのかほとんどわからん(笑)
413 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 07:15:06.35 ID:GqNFUZgH
正法眼蔵は極めて高度な思想だから、やはり原文から「自分の頭」で解釈することが必要。
しかし、聞いたこともない難しい表現や言葉が出てくるから、現代語訳や注釈は、少なく
とも「参考」としては必須。内容的には「最も当たり前のこと」を言っているのだから、
20年もかけないと判らないというのは、頭が悪いか、誤解していることの証拠。道元を
「世界最高の思想家」と評する人もいる。一旦釈迦に嵌ったら、道元は到底理解できない。
414 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 07:15:13.02 ID:2OX/QEzQ
>>411 原文を読むべきでしょう。意味的には難解ですが、文法的にはそんなに難しくないです。
参考として読むなら、玉城訳と森本訳でしょうか? あくまで参考にしかならないと考えてください。
それより『大智度論』を読んだ方が『正法眼蔵』の理解になりますよ。
とにかく実在論的な視点で読んでいては読めません。常識となっている実在論を打ち破り縁起的視点ができた時、結構すらすら読めると思います。
その縁起的視点を提供するのが『大智度論』で『正法眼蔵』も全面的に依存しているように思います。
重要な箇所で、よく『大智度論』が引用されているでしょう。
ああ、それから吉村均さんの著書もヒントになるかもしれません。
415 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 08:13:49.12 ID:ZbO8wlfH
在家の死後につける戒名ってのはどんな意味があるんですか?
中有期間中に出家。来世はそのまま僧として
菩薩行をするという設定なんでしょうか
416 :
神も仏も名無しさん:2012/02/24(金) 08:52:43.26 ID:GqNFUZgH
>>414 実在論を打ち破っているとは、具体的にはどの言葉ですか。
道元は、竜樹に全面的に依存しているというよりも、竜樹の思想を一歩進めた
のでなければ無意味だが、そうだとすれば、その「一歩」とは、具体的には
どういうことでしょうか。「魚と水」「鳥と空」の話は、極めて高度な思想だが、
それは「実在論」そのものです。「現象学」「ゲシュタルト」「世界内存在」に
も通じる。
417 :
神も仏も名無しさん:2012/02/25(土) 15:10:47.49 ID:nNLeF6Ta
鴻盟社の『正法眼蔵』ってふりがなついてますか?
漢訳経典の引用にも読み下しついてますか?
418 :
平井政司:2012/02/25(土) 15:13:06.66 ID:ijdnrfuk
>在家の死後につける戒名ってのはどんな意味があるんですか?
お寺様の大事な収入源です
420 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/02/26(日) 13:46:30.20 ID:RWKfXmOE
>>415 まっ、そんな感じだろうと思います。
せめて死後には仏弟子となり・・・(こうして高い境地へと)
という遺族側からの願いを表現したものでしょう。
それが、僧侶の収入源に繋がった。
過剰に高過ぎる戒名についてはしばしば問題視されます。
でなければ、どちらかというと良い習慣ではないかと思われます。
421 :
神も仏も名無しさん:2012/02/26(日) 21:21:56.46 ID:Mw53fItf
修証一如って如来になっても無限修行しろってことだよね?
如来が修行するとなにになるのさ?
もっとすごい如来(笑)
スーパーサイヤ人3みたいなもんかw
オセロ黒を救うか
もしくわ
別の宇宙領域で仏になるね
成長するのは自我、マインド、知性であってそれら全てを超えた
涅槃の領域を知ればむしろ足枷になるんではないか。(涅槃を経験するまでは成長させる必要がある)
だから「自分の心を清らかにすること。これらが諸仏の教えである」となる。
426 :
神も仏も名無しさん:2012/03/02(金) 16:22:06.79 ID:IvB0MkIZ
後世勝手に作られた偽経はたくさんありますが
それらはどのようなプロセスで当時の仏教界に受け入れられたのでしょうか
それホント?ウソくせぇってことに、なぜならなかったのか
それぞれにそれぞれの理由があるのでしょうが
1つくらい知っておきたいのです
427 :
神も仏も名無しさん:2012/03/02(金) 17:13:45.22 ID:NZNeI6rH
>>426 すばらしい!!!
偽経もそれなりの理由、プロセスがあるって考えるの賛成!!!
私も知りたい
>>400>>402 ご隠居氏、ここにおられたのか
やっぱり、一刀両断、段とつでな〜んかすっ〜きり〜!!
溜飲が下がる思い〜♪
楽しくさえなりまする〜♪
ヽ(^。^)ノ
>>400>>402 ご隠居氏、ここにおられたのか
やっぱり、一刀両断、段とつでな〜んかすっ〜きり〜!!
溜飲が下がる思い〜♪
楽しくさえなりまする〜♪
ヽ(^。^)ノ
ごめん!ミスって2回投稿してしまった
大体の成立のプロセスは漏れているモノもあるだろうがざっと以下な感じだと思う。
インドだと
自分の学派の教えをさらに堅実なものにする為に展開するケース
現行の経典の教えに含まれない人々を対象に新しく展開するケース
現行の経典の欠点をディスってその点を補填して展開するケース
ヒンディズムとか別宗教や文化とのフュージョンによって展開するケース
中国だと
翻訳段階でごっちゃになるケース
翻訳段階で訳者の価値観が入っちゃうケース
現行の教えをより中国的に改変するケース
思想家の思想をそのまま経典として仏説にしちゃうケース
何れにせよ今みたいに文献学的な研究ってのができなかったから、
どれが正しくてどれが間違っているってのは厳密には追及されなかったんよ
中国ではいろいろな経典が氾濫してたからそれらに価値判断を与える教相判釈っていう文化も生まれたりした。
いずれにせよ近代仏教学以前は批判する人はいたけど少数派に過ぎずあまり言及されなかった背景がある感じ
432 :
神も仏も名無しさん:2012/03/02(金) 20:00:10.53 ID:PVBRYLSC
>>426 いや、勝手に造られた、書かれたものじゃないよ。
感得されたもの。インドでもチベットでもシナ、日本でもある。
そういうなんというか素朴実在論的な思考法は、反縁起的で仏教に基づかない、
歴史主義の仏教学による誤謬の最たるものでしょう。
判定法もある。シナ、日本では『金剛三昧経』が有名、判定者は元暁。
チベットでは判定法が確立してる。
日本でも判定が行われた有名なのは『釈マカエン論』ね。
あるいは『真言宗未決文』なんかが有名。
433 :
神も仏も名無しさん:2012/03/02(金) 20:47:11.03 ID:RtHTjwiT
>>432 だからw
たった一つの例外も無く、すべての経典が、(各地の写本・異本含め)
感得されて記されたと言える?(それはやはり信仰だよね?)
426は、そういう信仰者として、求道者として、或いは宗教者・仏教者として質問したんじゃないと思うよ。
とするならば、(質問箱としては)、
>>431が正答だと思うよ。
(勿論、それぞれがそれぞれに、真摯な想い(≒感得)の上に誕生しているとは思うけれどもね。)
先々週くらいに異性裝に関して質問したものだ。
今カネがないので、あまり本に金をかけることができない。
物議を呼ぶかもしれないが、1冊買うなら何かを教えてくれ。
持っているのは、
・ブッダの言葉(岩波ぶんk)
・超訳ブッダの言葉
・漫画の「ブッダ」(手塚治虫作)
・般若心経入門(松原泰道)
・禅語百選(同)
・一生幸福になる超訳般若心経(苫米地英人)
が、持っている仏教関連の本です。
仏教を理解し、さらに「空」の概念を理解するにはどうしたらいいだろう?
1冊と書いたが、3冊ぐらいでいいので絞って教えて下さい。
437 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/02(金) 23:29:07.78 ID:rC2C3kSo
>>426 基本的な理解は簡単です。
ゴータマ在世当時というのは、
生きた如来であられるゴータマ直々の直指導ですから良かったのです。
問題はゴータマの死後からです。
その後に、ゴータマがいなく直指導が受けられないばかりか、
直説の伝承経典アーガマを保持したまま山野に篭り切りとなった長老派に
反旗を翻すようにして飛び出したグループが大衆に布教を始めるべくして、
止む無く自作経典を製造するようになったのです。
簡単に言うと、大衆受けが良くて受け入れられやすいもの、
つまり、ゴータマ在世当時のような厳しい出家者向けの修行ではなくて、
誰にでもできる容易で簡単な内容のレベルへ下げられ(他力信仰も含め)、
それでいて、解脱成仏を保証するものとして提示していったのです。
あとは、選り取りみどり。
その製造経典の内容部分というのは、
ゴータマが教える筈のない勝手デタラメを多大に含みます。
“勝手デタラメ”でも、
縁起/感得されたものだと謳うのですから、もうお話になりません。
>>432 自分勝手もここに極まり!!
438 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/02(金) 23:38:08.43 ID:rC2C3kSo
>>435 "How To もの"としてならば、
歴史がおもしろいシリーズ
『図解 ブッダの教え』田上 大秀(監)西東社刊 700円+税
これが簡単明瞭ですべてが楽しく書かれてある。
強力にお奨めです!!
>>435 タイトルだけだったらアレだし俺の雑感付きで、
@水野弘元『仏教用語の基礎知識』
総合的に仏教の基礎知識を入れるなら断然オススメ、
基礎的な概念は全て説明されていて、しかもわかりやすい。
印哲の一回生が春に大抵読まされ、ある程度の暗記を強いられるテキスト。
A三枝充悳『バウッダ<仏教>』
仏教の入門書としては広く概説していて、重要な表現はしっかりと説明されている。
『仏教用語の基礎知識』より扱うテーマを少なくして、一つ一つを細かくした感じ。
三枝先生の見解は一部賛否両論ある節もあるけど、読みやすいって点でおススメ。
できる事ならコレを読んで後でほかのテキストも読むっていうのが一番いいかもしれん。
B梶山雄一『仏教の思想 3 空の論理』
空とそのまわりの背景や思想をすべてコンパクトに説明した一冊。
空について知りたいのならとりあえずコレ読めばいいってぐらいまとめられている。
しかしがら他のテキストと比べると若干難しい表現が多い。
別のテキストを読んでからのがいいかもしれない、現状で空関連のテキストでは随一だと思う。
C山口益『仏教学序説』
一昔前のスタンダードな入門書、自分も入門はコレだった。
古い本だから仕方がないんだけど、考えが古い所もいくつかあったりする。
けれども仏教思想というものをとても広く扱ってくれている。
岩波『仏教辞典』と一緒に読み込むとすごい良い。
書店での購入は絶望的で古本屋での購入になると思う。
って感じかな、とりあえず@かAを買うことをオススメする。空についてはどっちも書いてある。
そしてある程度基礎がわかったらBを読めばいい。
Cは古い入門書で有名なやつ。古本屋で見つけたら買うぐらいの認識でいいと思う。
440 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/03/03(土) 00:04:44.09 ID:KvFLs9pI
仏教ってのは文献学ではないし、ましてやエセオカルトの世迷い言でもない。
法脈を承った者が、それなりの見識と覚悟で様々な経論を遺されたのだ。
妙吉祥が一切如来をキシャクしたと書いてあるからデタラメだとか、舎利子を女にしたからデタラメだなどという上っ面しか読めないタコは、仏教になんぞ係わるな。
(^。^)ボケどもが♪(笑)
441 :
神も仏も名無しさん:2012/03/03(土) 09:00:45.79 ID:mMn/BhO4
>>434 セブンの悪い所は文脈を外すとこだな、オイラは伝承については言ってないぞ。
>>435 そんな本、一冊も読むなよ。前に
>>308で示したでしょ。
>>439 とも大体一緒だけど恐らく彼は文献学に傾斜して、私は伝統に傾斜してる。
山口益『仏教学序説』の山口先生の部分が一番いいけど、共著なので他の著者の部分はもう一つ。
『仏教学序説』をより分かりやすく山口先生だけで書いたのが『仏教思想入門』なのでこれがいいよ。
三枝充悳『バウッダ<仏教>』は避けるべき、歴史主義文献学者の悪い面が遺憾なく発揮されている。
そして縁起が分かってないことが、最大の理由ね。
>>440 言ってることは、珍しく全うだが、断見者がそう偉そうに言ってもな〜
それと悪口は、仏教徒なら避けるべき基本でしょ。
君の場合は、仏教がどうみてもエゴの飾りにしか見えないんだは。
>>435 >仏教を理解し、さらに「空」の概念を理解するにはどうしたらいいだろう?
>1冊と書いたが、3冊ぐらいでいいので絞って教えて下さい。
はい、承知しました。
>・禅語百選(同)
ここに「平常心是道」といふ項目がありますから、そこを読めば全て解決いたします。
異性装です
本・読み物のご紹介ありがとうございました。
とりあえず控えて、明日図書館に行ってきます。
ところでまたまた物議をかもす質問なのですが、
今刑務所(刑事収容施設)に送られると、親戚などから縁を切られたり、
その後の就職にも大きく差し障りがある状況があります。
まず、刑事収容施設にて何年か過ごすことによって、それで贖罪は済むものと考えます。
犯罪による被害者からの恨みは消えないが、服役で罪は許されると考えます。
この様な刑務所から出てきた人がいた場合、仏教的には救済の対象となるのでしょうか。
「悪人」の概念は咎人なのでしょうか。
皆様のご意見を賜りたく思います。
質問の理由は、人間が自由になるために仏教が救ってくれるかということです。
444 :
神も仏も名無しさん:2012/03/03(土) 18:50:34.70 ID:mMn/BhO4
>>444 横だけど、このテキストってどんなテキストなの?
差し障りなければ概要と背景を教えてもらってもいい?
446 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/03(土) 19:07:07.74 ID:wlXf7/aZ
>>443 もちろん、“万人が救済の対象”ですよ
(救済という言い方は仏教的には不適ですが・・・)。
ただし人間の自由とはいっても、
当然、好き勝手デタラメが許されるという意味ではありませんけれど。
ゴータマがアングリマーラという殺人鬼を弟子として受け入れ、
国王より、殺人鬼をかくまっているという疑いで引き渡すよう命じられても、
これを強固に断わって追い返しました
(国王は、すっかり変貌を遂げて修行に明け暮れている犯罪者の姿を見て驚き引き返しました。
ゴータマに底知れない崇高さを認めたからです)。
その後、彼(殺人鬼)は立派な修行者へと成長していきました。
もし引き渡していたら、そのまま拷問の果てに処刑されていたでしょう・・・。
447 :
神も仏も名無しさん:2012/03/03(土) 20:14:42.41 ID:mMn/BhO4
>>445 日本人に最も分かりやすい説明は、中沢新一さんの『虹の階梯』と同じ教えを、
原典に忠実に訳したものというのがいいでしょう。
内容は龍樹菩薩の『経集』や慧信僧都の『往生要集』に密教を加えた教え。
448 :
神も仏も名無しさん:2012/03/03(土) 21:08:52.21 ID:EdUHqV+e
>>426 最初の世代(の自己意識)は感得方式だったでしょうね。
「ヴェーダ 聖仙」で検索されたりすると、インド的な伝統として掴めるところはあるかと。
感得(真理を感受し文章表現へ「翻訳」)だからこそ阿含経と異なる記録であっても問題とされなかった。
法華経に書かれたような情景が事実なら、弟子たち信者たちの記録や記憶に残らないはずがありません。
外部からすると、それは突っ込み所にはなったでしょうが、当人たちは上記の事情で問題としなかった。
しかし世代が下り、インド外にも仏教がつたわると、インド的発想ともともと無縁な人々の手で、
法華経をはじめとする大乗経典は阿含経と同じように当時の釈迦が語ったことにされ、説法の順番が云々されることになります。
449 :
神も仏も名無しさん:2012/03/03(土) 21:41:52.41 ID:EdUHqV+e
451 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/03(土) 22:57:56.89 ID:wlXf7/aZ
>>449 私は大乗良かれ主義、
大乗マンセーの流れには大いに疑問だ、
という姿勢にあります。
では、後ほど少しだけ議論スレで。。。
452 :
神も仏も名無しさん:2012/03/03(土) 23:05:19.90 ID:qQ/aXdXQ
453 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 19:25:46.08 ID:p1iesfz8
名僧列伝読んでると
禅僧ってのはなんでああも苦行を行うのか
お釈迦様は中道っていうてるやないか
454 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 19:31:55.14 ID:0Rv7BiHI
>>453 禅僧とは違って、釈迦が苦行には耐えられなかっただけ。
その言い訳に、中道を唱えたのかなw。
>>453 中国の禅僧の多くが苦行的な側面を持ち合わせているのは
印度原産の仏教を中国的に解釈した時の中国的側面が強くでた面だと思う
これは大乗仏教の一つの側面であり、仏教に各地域の文化が合わさって変化した仏教の一つの形。
としか言いようがないな。
釈尊原理主義的に見ると別物としか言い切れないのは確かだと思うが地域も時代も違うからしょうがないと言えばしょうがない。
>>454 「言い訳に中道を唱えた。」は可能性は否定できないが根拠の乏しい推測にすぎないと思う。
伝記に見られる釈尊は苦行を積極的に行い他の人々に畏怖の念を与えていたことが読み取れる箇所が多数あり、
ジャイナ文献などからもそういった点が見られる箇所があり、ゴータマブッダは熱心な苦行者であったと見る方が適切で、
「苦行に見切りをつけ新しい道を探した」という従来の解釈をする方が良いと思う。
また、その言い方だと、恰も禅僧が釈尊より高いステータスにいるようにも見られるからやめた方が良いと思う。
達磨さんに弟子入りするため腕を切ったとか
生涯脇をつけなっかた脇尊者とか
なんだろ
道元さんが修行僧に奮起をうながしたんだろな
457 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 21:16:43.82 ID:tNPTaxgf
こんばんは
仏教では人間の「意=考え」と「身=行い」と「口=言葉」は一体のものだと教えているとか
自分もそうですが周囲を見るととてもそんな風には思えませんし、難しい教えだと思います。
損得によってコロコロ変わり、又、周囲を見て行動する人達ばかりのようですが………
どのように捉えたら良いのでしょうか?
>>457 こんばんは
それらの三種は関連性が確かにありますが、それらは常に更新され積み重ねられるモノであるので
それらの三種は移り変わるモノとして見られればいいと思います。
通仏教的には『「意=考え」と「身=行い」と「口=言葉」』は三業の事を指し示す言葉であろうと予測されます。
仏教では行動とその行動に伴う余勢や結果を一言で業といいます。
そして、すべての業とは身口意の三業である。とする考え方があり、その三業が
身業:身体的な行動とそれに伴う余勢や結果
口業:口によって発せられる言葉とそれに伴う余勢や結果
意業:意識によって起こされる意志や想像とそれに伴う余勢や結果
であります。
これらの業によって良い報いを受けたり悪い報いを受ける。というのが仏教での理解です。
そして、意業の意思発生によって身業も口業もなされるので、一つの側面として「身口意の三業は一体である。」とも言えます。
けれども業というものは毎秒毎に更新され新しく生成されるものなので、
今日は良い事をしようとおもって行動したときには善性の三業が積まれ、
今日は悪い事をしようとおもって行動したときには悪性の三業が積まれ、
といった具合で一つ一つの行動のそれぞれに三業があると考えていただければいいのじゃないかと思います。
しかし、これらの考えは宗派や部派によって解釈に異なりがあるので、
その疑問の原因となった話を仕入れた場所か典籍を明らかにしていただければ、それに伴った回答ができると思います。
459 :
神も仏も名無しさん:2012/03/07(水) 22:24:18.64 ID:tNPTaxgf
>>458 早速のご回答有難う御座います。
>今日は良い事をしようとおもって行動したときには善性の三業が積まれ、
>今日は悪い事をしようとおもって行動したときには悪性の三業が積まれ、
そんな幼児のように単純な心の人ばかりとはとても思えません。
極端な例では、詐欺師や偽善者のような場合には、心は黒やグレーでも
彼等の目的の為には表面上、その言葉や行動は良心的・善かもしれません。
このような場合には、「身口意の三業は一体である。」とはなりませんね
そして普通の人でも、いろいろな条件下で異なる場合は起きるのではないでしょうか?
このような場合には仏教ではどのように判断されるのでしょうか?
>>459 行動を大きな単位で見るのではなく、全ての細かな行動の一つ一つに業があり余勢が現れるようなものだと思ってください。
例えば、「ある人が心の中では悪態をつきながらも悪意を以て自身の利益の為に他人を褒め、施しを与えた」とします。
この場合、この内容の行動が一つの業となるのではなく、
ある人が心の中で悪態をついた事によって意業による悪業が積まれ、
悪意を以て自身の利益を考えた事によって意業による悪業が積まれ、
他人をほめたことによって褒めようとした意業と褒めた口業による善業が積まれ、
施しを与える事によって与えようとした意業と与える身業による善業が積まれる。
このようにそれぞれの細かな行動の裏側に三業が潜んでいて、
それら三業は善性のものと悪性のものとどちらでもないものの三種に分類され、
それらの総合点によってその人物の評価が定まるとなっております。
また何を以て善業となし何を以て悪業となすかはいろいろな主義主張があるような感じです。
繰り返しになりますが、
「身口意の三業は一体である。」はどのような立場からの主張なのかによって解釈が変わるので、
もしよければその話の出典や、聞いた場所や、見た場所を教えていただけると
貴方の求めている答えに近いものを提供できるかもしれません。
461 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 01:08:18.45 ID:hLsa3Jp4
家は他力本願の浄土真宗だから関係ねぇや。南無阿弥陀!
462 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 01:18:29.65 ID:RCT23Hq0
>>457 口で嘘をつくときには意でも嘘をつこうと思って嘘をついてるわけで、
口業と意業がバラバラではありません。
463 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 01:25:15.94 ID:9jR1LsiA
>>455 何もかも釈迦の猿真似と正当化をするのは、部外者から見れば滑稽極まりなく、そ
れでは思想としての進歩は皆無である。
そのためにこそ、釈迦は「自灯明・法灯明」という、他のいずれの宗教の開祖に
もいえなかった優れた遺言を残している。この遺言を「悟って人」への教え
に限定するような解釈は、その価値を台無しにするもの。
開祖といえども欠点があるのが人間ではないか。開祖の無条件盲信と正当化は、
そのままカルトの特徴であることを自覚する必要がある。それではイエスを
神格化する忌むべきキリスト教と全く同じではないか。
宗教としての佛教の最も優れた特徴は「自灯明・法灯明」という言葉である
ことを忘れてはならない。竜樹や道元は、釈迦をヒントとしながらも、その思想の高度さと現代にも通用する
真理性は、釈迦をはるかに越えている。そこに、大乗仏教の「宗教としての巨大な進歩」がある。
釈迦個人崇拝のカルトなどではなかろう。アンドレジードの「シッダルダ」における、釈迦に対する痛烈な批判を読まれたし。
464 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 01:30:34.52 ID:9jR1LsiA
>>468の訂正
×アンドレジード
○へルマンヘッセ
465 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/08(木) 12:15:24.15 ID:QuBPpW28
>>462 >>457さんは、もっと一般的な話をしていると思います。
つまり、周囲を見回してみると、
多くの人々が心にはないことを言い、そして行動を摂っていると。
言っていることと、行動が伴わなかったりし、
身口意がバラバラです。
仏教でいう身口意の三業(三つ行為や働き)を
すべて仏さまの御心に適う方向で一つにする、ということ。
つまり、三密(仏さまの三業)を自己のものとするべく、その修行が三密加持と呼ばれます。
密教の日常勤行の場合などであれば、
心に仏さまを想い、口に真言(仏さまに通じる特殊言語)を唱え、
手に印契(諸仏と繋がる手のポーズ)を結ぶことで、
仏さまとの一体化を求めます。
◆『シッダールタ』再考
http://www.shiga-med.ac.jp/library/sazanami/41/4102.htm 人生の多くの出来事に遭遇した後、すべての希望に破れ、倦み、疲れたときに、川で渡し守のウ゛ァスデウ゛ァに出会う。
彼は一見、ただの渡し守の老人であるが、シッダールタは毎日、川を眺めてこの人のもとで暮らすうちに、この人の中に
ブッダの持っていたあの晴れやかで、平和な表情を見てとる。・・・・(ry
↓
下記に帰結するのではないか
↓
■一切衆生は、その生存努力という大修行において、「苦れば楽あり、
楽れば苦あり」という真理(中道)を悟っている。悟れないのは釈迦だけ。
■あるがままの現実」をそのまま受け入れて、精神の平静と安定を維持できるのが「悟り」である。
俺は悟りについてはまったく知らないが
その程度のもんが「悟り」なわきゃない事ぐらいは
わかる
人を馬鹿にするのもいいかげんにしなさい
468 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 22:02:49.02 ID:+hktKHoy
>>460 >それら三業は善性のものと悪性のものとどちらでもないものの三種に分類され、
>それらの総合点によってその人物の評価が定まるとなっております。
笑われてしまいそうですが、人間の視点からでは沢山の人達・沢山の行為等・・
によってかなりそれらを分析することは困難な大作業になると思われます
仏教では誰が何が総合点によってその人物の評価を決定出来るのですか?
東日本大震災で亡くなられた方達の個々のカルマが解るものが存在するのでしょうか?
地震で亡くなられた人達と生き延びた人達と地震に合わなかった地域の人達とのカルマ
が極端に違うようには思えないし、どちらにも善悪合わせ持った人がいたとも思えます
(宗教は、信じる信じないの範疇ですからと言われればそれまでですが)
>>468 「評価」という単語は適切ではありませんでした。
「総合点がその人物の徳になる。」という方が適切でした、誤解を招く事となりすみません。
あくまでこれらの業の考え方は修行を理屈によって肯定する時に机上の論理としてこのような考え方ができあがったものとされています。
悪業を為すであろう行為を想定し規制する事を目的として成立した価値観です。
一般の人々には自己分析でしか判断ができないものであろうと思われます。
(しかし、仏陀やある段階以上の聖者はその者の徳(業の総合点)を見抜くことができたとする記述があります。)
そしてこのカルマの総合点がが善性の方向に傾いていれば良いことが起こり、
悪性の方向に傾いていれば悪いことが起こる、とされています。
また、この果報は現世で受けるのか来世で受けるのか再来世で受けるのかは特定の果を除きわからないものとされています。
この点の誤解を招いた原因に一般的なカルマという語に追随する価値観が
本来の仏教が持っていたものから日本的なものに少し変異している事によるものだと思われます。
一般的な価値観においてはカルマとはその人物が現世において背負ってしまった、現世において贖われるべき罪として理解していますが、
仏教的な価値観においてカルマは自分の前世より継続され自分の来世にも継続され、その果報はいつ来るかわからないものとして理解されています。
此の度の地震でなくなられた人々の事をカルマによって解釈するならば、
前世や前前世などに積み重ねられてきた悪業の果報として、現世にてこのような苦しみが与えられたとして解釈されるものでしょう。
470 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 23:17:25.48 ID:oZoVmWKi
>>469 あのなあw
>此の度の地震でなくなられた人々の事をカルマによって解釈するならば、
>前世や前前世などに積み重ねられてきた悪業の果報として、現世にてこのような苦しみが与えられたとして解釈されるものでしょう。
このような言及はするべきではないでしょう?
震災で死んだ人は、過去世で悪行を積んだから? この言辞を遺族の人たちが
見たらどう思う? たとえ「仏教という視点」から見ると、そうであっても
現実の災害とリンクさせて語ることの弊害に思慮が及びませんか?
仏教徒というのは、それほど無神経なんですか?
仏教徒でなくカルト
>>470 468において
>東日本大震災で亡くなられた方達の個々のカルマが解るものが存在するのでしょうか?
>地震で亡くなられた人達と生き延びた人達と地震に合わなかった地域の人達とのカルマ
>が極端に違うようには思えないし、どちらにも善悪合わせ持った人がいたとも思えます
と聞かれたことに対する回答として上記のような回答を行った。
もし、不適切だというのならば、あなたはどのように回答を行いますか?
473 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 23:46:07.25 ID:oZoVmWKi
>>472 >もし、不適切だというのならば、あなたはどのように回答を行いますか?
「東日本大震災の被害者の方々を例にとり、話を進めるのは、遺族の方々の
心情などもあり、適切ではないと思います。」と断り、「一般的事例」に
話をシフトさせれば良いと思いますが?
>>473 すみません、確かにそのように回答すれば誰の心をも害する事がありませんでした。
気が付けませんでした。
以降、このような事象を例示として取り扱われた場合は「一般的事例」に話をシフトさせるように心がけます。
配慮が足りたい回答で心を害させてしまいすみませんでした。
475 :
神も仏も名無しさん:2012/03/08(木) 23:57:21.83 ID:oZoVmWKi
>>474 なるほどw
貴方は自己の瑕疵を認められる稀有なかたですな、この宗教板では。
(一代的に言えば、随喜ww)
476 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 00:19:30.16 ID:QrN0+JA1
477 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 00:21:51.62 ID:QrN0+JA1
>>465 >心に仏さまを想い、口に真言(仏さまに通じる特殊言語)を唱え、
>手に印契(諸仏と繋がる手のポーズ)を結ぶことで、
>仏さまとの一体化を求めます。
信じて行えば安心が得られるのでしょうね
信じられるかどうか…… が鍵でしょうか
478 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 01:32:06.23 ID:5ftwi3w1
>>473-474 私が言い出しっぺでした。
配慮が足りず申し訳ありませんでした。
以後、気をつけますm(_ _)m
479 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 01:48:42.72 ID:WTNxwXfd
>>468 カルマをわかりやすく言うと、心の「癖」です。
普段から善の癖をつけておくと、とっさのときに善がアウトプットされる確率が上がるわけです。
「とっさのとき」とは、たとえば臨終の瞬間とか、災害の瞬間とか、
恋人に別れ話持ちかけられた瞬間とか、交通事故に遭った瞬間とか。
交通事故を起こした瞬間に、怖くなって逃げてしまう人とかいますよね。
冷静に考えると、逃げて得することはありません。(飲酒運転をごまかすためとかは除く)
彼女に別れ話出された瞬間に殺害しちゃう人もいますが、冷静に考えると得することない。
それでもとっさに怒りが爆発するのは、積み重なったカルマ(癖)のせいです。
480 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 01:51:16.54 ID:WTNxwXfd
憎めば憎むほど憎み癖がつき、殺せば殺すほど殺し癖がつき、
悲しめば悲しむほど悲しみ癖がつき、落ち込めば落ち込むほど落ち込み癖がつく。
そのように積み重なる心の癖がカルマだと思います。
慈しめば慈しむほど慈しむ癖がつくし、許せば許すほど許し癖がつく。
ならその癖をよい方向に修正する方法は?
482 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 09:31:14.92 ID:NhMeM/yQ
>>480 人間の「自然の感情」を「心の癖」と呼ぶのなら、その癖は、宗教の人為的観念で
直してはならないもの。自然の感情は、状況に応じて生存を維持するために生じて
いるものだから、直せばかえって不自然な心の癖がつく。その典型が宗教。宗教者には
常に「心の臭み」がある。宗教のために焼身自殺するチベットの僧侶がその例。
例によって
>>479をガン無視www
ま、平常運転かw
484 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 09:45:53.84 ID:K9v4r5sZ
>>481 その方法こそが仏教という道に他ならない。
もっとも悪い癖、癖の根本が我執だから、無我と習う。
その我執の根本にあるのは見たまま実在していると考える癖だから縁起を習う。
より具体的には戒定慧で実践される。
戒は戒律で、悪い癖を行わない戒め。基本的に他を害さない身体的、言語的、精神的働き。
つまり、殺さない、盗まない、淫しないを基本とするのが身体的戒め。
嘘吐かない、仲違いさせる、気を悪くする、無駄なことを言わないのが言語的戒め。
怒らない、愛着しない、邪見を持たないのが精神的戒め。
邪見とは縁起・空性・仮設と取らず、実在論や虚無論などと捉えること。
以上の戒めを守ると癖が脱けてくると同時に精神的散乱も減少して、次の定に入りやすくなる。
定とは、禅定、三昧で要するに精神的散乱を無くし意識を集中させること。
これが深まると意識がよく見えるようになります。
その状態で観を行う。観とは縁起観や空観が基本で、
これを行うことにより、無我・空を悟ることができる。
そうなると我執という癖、実体視という癖から解放される。
ざっとこんなかんじ。ほんとうにやりたかったらちゃんとした師に就きましょう。
486 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 10:32:05.44 ID:y46S8+CQ
ある所に、毎日、荷物を満載した車を、朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。
つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか、一体自分を苦しめているものは何なのか』。
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのはこの車だ。この車さえなければ苦しまなくてもよいのだ。この車を壊そう』。
牛はそう決意した。
ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、木っ端微塵に壊してしまったのだ。
それを知った飼い主は驚いた。
こんな乱暴な牛には、余程頑丈な車でなければ、また壊される。
やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。それは今までの車の何十倍の重さであった。
その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、以前の何百倍も苦しむようになった牛は、
今更壊すこともできず、深く後悔したが、後の祭りであった。
牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。
それと同じように、あなたはこの肉体さえ壊せば、苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。
あなたには分からないだろうが、自殺すればもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。
その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、大きくて深い苦しみである。
↑のエピソードの原典は何経なんですか?
487 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 11:31:37.73 ID:NhMeM/yQ
>>484 開祖・教祖の教えや、無我・空と言う観念に執着するのは、他ならぬ我執である。
その我執は、人為的精神操作を排して、あるがままの人間を受け入れることにより、
初めて離脱が可能である。
宗教こそ、我執の最たるもの。
489 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 12:42:54.66 ID:WTNxwXfd
>>482 自然のままがいいなら、子供に教育することはすべてダメ?
泣きたいときに泣いて、遊びたいときに遊び、ケンカしたくなったらケンカし、
汚いおもちゃでも執着して、おもちゃをなめまわし、
食事も手づかみでこぼしまくりでいいの?
大人から見たら「そんな汚いおもちゃ捨てなさい」という場面でも、
子供にとっては「捨てたくない」のです。
仏教が目指すのは究極の大人で、究極の大人に比べて子供な私達は、
究極の大人である仏や阿羅漢たちから「そんなのもう捨てたほうがいいよ?」と指摘されても、
「やだやだやだ!ボクのたいせつなモノだもん!」と怒るのです。
490 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 12:48:59.86 ID:WTNxwXfd
>>482 そして、子供たちが集まって大人のやることに怒って愚痴をこぼしたりするのはよくある場面でしょ?
しかし、その子供たちも、大人になれば大人の言ってたことの意味を悟り、
昔の自分が大人から言われて嫌がってたことを、今度は自分が子供に同じように言うのです。
単に、心の成長段階によって価値観が変わっていくだけであり、
あなたがまだ仏陀(究極の大人)に達してないから理解できないだけなのです。
491 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 13:46:53.35 ID:lKhmxY/l
>>489 >>490 それらは、社会常識(共生の知恵と科学)を学ぶということ。
宗教の「開祖・教祖個人崇拝」は、社会常識からは程遠い。
>>486 そのような話が載っている経典は読んだことが無いなぁ
牛車の喩は仏教で古くから用いられる喩の対象の一つだけど、
この喩には出合ったことが無く、コレってものは挙げられないや。
以下は推測に過ぎないんだけど。
日本や中国の註釈家の著した文章じゃないかな?
動物が思惟する経典はその殆どがジャータカのもの、
けれども話の結論が失敗で終る話ってのは釈尊のジャータカではあり得ないから
ジャータカで有れば釈尊のジャータカに付属された仏弟子のジャータカであると考えられる、
けれども話のテーマが、自殺を戒める事となっていて、
言い方は悪いかもしれんが初期仏教的な価値観とちょっとずれていてジャータカの可能性も低い。
次に、牛車で喩える事は法華経の影響で中国や日本の註釈家が好んだ表現の一つだし
予測に過ぎないが、そのような影響下で著された中国や日本の註釈家の一か所ではないだろうか?
493 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 14:55:01.54 ID:vUMZxiIq
>>486 「苦を逃れようとすれば、更に大なる苦を招く」という点で、釈迦の思想よりも
はるかに優れているな。
494 :
絶対神:2012/03/09(金) 15:05:40.20 ID:qENfOCWu
>>491 「なにをいってるんだかしらないが」
『そもそも、キリスト教も仏教も、いろんな国において』
「社会共通のルールだった訳だけど?」
「今でもそうであるところもあるけど」
『馬鹿なのかい? 君は?』
495 :
絶対神:2012/03/09(金) 15:08:02.51 ID:qENfOCWu
「それと、科学と共生は何の関係もないよ」
『核兵器で、10万を一瞬で殺すのも「科学」だから』
「科学というのは、単なる物理法則の事であって」
『生き方には何の関係もしてこないし』
寧ろ、コミュニュティの常識とか、道徳とかいうものは
「はっきり言うと元々、非科学的な要素をもとにして成り立ってるんだけど?」
>>494 それ以上の追及はスレチだから議論スレ池
497 :
絶対神:2012/03/09(金) 15:11:50.23 ID:qENfOCWu
「科学的にいえば別に」
『人間の命になんて一文の価値もないけど?』
「ついでに言っておくと、自然界においても「人間の命」なんて」
「なーんの価値もないけど?」
『津波で10万人死ぬとか言う事も普通にあるからね』
なんか、生命とか、自然とかいうものに
「幻想を抱いているみたいだな、こいつ」
498 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 15:44:51.69 ID:vUMZxiIq
>>494 > 「社会共通のルールだった訳だけど?」
> 「今でもそうであるところもあるけど」
> 『馬鹿なのかい? 君は?』
そんなことはない。人間の生存活動は、宗教ではなく、生命(生存本能)の指示に
よって行なわれたきた。人間は、宗教によって生きてきたのではない。勘違いするな。
宗教は、せいぜい、生存努力の中での「気晴らし」「お遊び」に過ぎない。
499 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 16:02:25.47 ID:vUMZxiIq
>>497 宗教も科学も、それを生み出したのは専ら「人間の生命」である。自然を認識
し利用し闘うのも、また生命である。
優れた文学は、すべて、「本来の神」である生命(生存本能)と宗教の「人工
的な神」との間の相克と描いている。
500 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 16:04:36.45 ID:vUMZxiIq
>>467 >人を馬鹿にするのもいいかげんにしなさい
いえ、全く自分的には大真面目で思考してレスしています。m(_ _)m
あなたは、シッダールタがただの渡し守の老人の中に ブッダの
持っていたあの晴れやかで、平和な表情を見てとったということ
を否定するのですね?(残念ながら私は、本を読んでいませんが)
でも、私はそうかなぁと解る気がする
只、それだけのことです
悟るとどんな兆候が出ればあなたは納得されるのでしょうか?
是非、教えて下さい
無神論者には何を言っても無駄なようですね
503 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 19:58:13.31 ID:SxsbMHzp
504 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 20:13:22.28 ID:HrtzmS8s
>>469 そうですか。。。
雲をつくような話のように私には感じます。
善いカルマ・善行ばかりの人ってこの世にいるのでしょうか?
菩薩になれる人ってこの世にいるのでしょうか?
僧侶だって自衛の為なら僧兵にもなるし………
↓
■「善悪中毒」の心理学 ■
http://www.j15.org/GoodEvil/index.html 善悪という言葉/考え方は、様々な条件付けを通して、多くの人々の心を深く規定し、
支配していると想像することが出来ます。 そして、その支配は、善悪の錯覚とあいまって、
何千年もの間、様々な悲劇を生み、幾億もの人々を犠牲として来たのではないでしょうか。
(詳細は、弊著「善悪中毒」リベルタ出版、 「原爆への復讐」、下記WEB絵本集をご参照ください)。
本絵本は、そうした悲劇を地球上から無くすことを目的に、善悪を巡る心の支配の一つをテーマとして、執筆したものです。
>>504 貴方は全体的に自身の先入観によって仏教を判断している節があります
色々質問するのもいいですが、一度、一般的な仏教書を手にとって見てはどうでしょうか?
新書にでてるようなモノや、現代解釈の本などではなく
このスレッドで再三挙げられている
水野弘元「仏教用語の基礎知識」
山口益「仏教思想」
三枝 充悳「バウッダ」
バユットー「仏法」
あたりを読んでから質問されてはどうでしょうか?
506 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 21:02:13.00 ID:SxsbMHzp
>>504 宗教の過疎たちは、やたらと「善悪」を語るが、それを定義できた者は皆無
である。彼等は、単に、自分でも理解できていない「言葉」に自己陶酔して
いただけ。
私は、善悪を次のように定義する。善悪とはあくまで共同体における共生の
ための「行為技術概念」であり、独りで生きているのであれば、善悪概念は存
在しない。
「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。
507 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 21:04:18.89 ID:SxsbMHzp
508 :
神も仏も名無しさん:2012/03/09(金) 21:11:42.37 ID:SxsbMHzp
>>505 他人の見解を猿真似することは無意味。少しは自分の頭で考えたらいかが。
常に、誰も言えなかった「自分だけの見解」を出す努力をすること。さも
なければ、思想の進歩はない。
生命は、宗教の上位概念であることを忘れてはならない。
>>508 入門したての、まだ何も学べてないものが、
師匠のやり方を超えて、且つ(ここが重要だがw)不適切な品とならないような完成度で
「自分だけのオリジナル品」を創出できると思ってんのか?w
そういう職人の世界と一緒だよ。学問の世界もな。
因数分解も、加減剰余も学んでない者が、数学の新たな定理を見出し得るとでも思ってんのか?w
なんつーか、「教育」そのものの全否定しちゃってるところが、相変わらず痛いよなぁ・・・。
510 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 00:20:06.87 ID:2qqY6FwX
>>509 職人も科学も(数学を含む)、「現実界」という確固たる真理判断の基準がある。
これに対し、宗教や形而上学は、現実上の根拠は皆無な、いわば百人百様の見解
に過ぎない。従って、「基礎」も同様に百人百様である。勘違いしてはならない。
たとえ数学であっても、リンゴ1個にもう1個加えれば2個になるという現実上
の事実が無ければ、1+1=2の証明は出来ないのである。いくら精緻な数学
理論を駆使して建てた建物でも、その建物が他の何の原因もなく倒壊すれば、
その数学理論は誤りだったのである。
>>510 違う違うw そうじゃなくてw
何も学ばないうちから、
≪【その分野での】
【クレームを受けないレベルで(=ツッコミを受けないレベルで(=消費者センターに通報されないレベルで))】
自分だけの見解(オリジナルな境地)の確立≫
なんてありえないだろ、と言っている。 日本語大丈夫か?www
>>511 もう一つ例を出そうか。
入学式翌日の、まっさらなじょうたいの医学生に手術を任せられるか?
その学生は、本も読まず、先生(=師匠)や先輩の教えも受けずに、
医学について何を学び得るというのか。手術のスキルアップやリスクマネジメント、
咄嗟の判断の機微(その際に押さえておかねばならないポイント)をどうやって学ぶことができようか。
>>508は、こういう『学びの形式』を否定しているから一言添えてやったのに・・・w
513 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 00:39:29.76 ID:2qqY6FwX
>>505 >このスレッドで再三挙げられている
>水野弘元「仏教用語の基礎知識」
>山口益「仏教思想」
>三枝 充悳「バウッダ」
>バユットー「仏法」
水野氏は、はまり込みの深い小乗(テーラーワーダ)信者。パユットーも同様。
大乗仏教の国である日本の仏教質問箱に、それら小乗信者の著書を挙げるのは、
ROM者を誤導し、その佛教に関する理解を混乱させる恐れがある。小乗と大乗
のは、原理的に異なる二つの佛教であるから、小乗信者の著書を日本の初心者
に勧めるのは、妥当ではない。
>>513 >大乗仏教の国である日本の仏教質問箱に、
ふ〜ん・・w
じゃあ、日本に、英語表記の看板があるのもおかしいよね?w
外人相手の各種サービス(それこそ質問箱的な役割の窓口とかw)も撤廃すべきだよね?
最近では中国語や韓国語の看板表記まである。(大きな(国際的)観光地でもないのにw)
それらもおかしいよね。
だって、日本は日本語を使用する国なのだから。
マジで、通院した方がいいぞ。 精神病み過ぎw
515 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 00:56:21.72 ID:2qqY6FwX
>>514 英語は今や国際語。日本人も義務教育の段階から学ぶ。中国語や韓国語は、
専ら観光客向け。
言葉はくまで手段。宗教・思想とは異なる。
釈迦佛教(小乗仏教)は、釈迦盲信のカルト。大乗仏教とは、思想的に異なる。
>>512 ご隠居の頭の中じゃ、素人が「生命」の命ずるままに、出刃包丁で患者の腹を掻っ捌けば、癌が完治するとでも思ってるんだろw
きっと、出刃包丁で腹を切り開くという「現実界という確固たる真理判断の基準」から、インスピレーションを得て、名医並みの術技を自然と身に着けるに違いないw
517 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 01:07:28.32 ID:QY88gzEd
まずパユットーさんの「テーラワーダ仏教の実践」という本を読んでみてください
それから隠居さんが普段書いてる駄文読んでみてください。
隠居さんがアホということがよくわかりますw
別に小乗信者にならなくてもいいです。
隠居さんがアホだということを信じましょうw
519 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 02:10:52.15 ID:2qqY6FwX
>>518 君はもう、小乗カルトに洗脳されてしまっているね。
私は、カルト宗教は読まないことにしている。君たちのように洗脳されると、
一生涯取り返しがつかないことになるから。
オウム信者も、書店でふと手に取った一冊の本で、教祖崇拝と死刑台への運命が
決まった。
520 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 02:25:31.83 ID:2qqY6FwX
開祖盲信の宗教は、すべてカルトであると判断しても誤りではない。
思考が、開祖の段階で停止してしまい、いくらあがいても、一歩も踏み出せなく
なってしまうからだ。
521 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 03:53:53.46 ID:OzVQX7Nk
>>506 仏教の基礎は四諦です。
悩み苦しみの原因をなくせば悩み苦しみはなくなるという筋道です。
ですから、仏教で言う悪とは悩み苦しみの原因になる方向のことであり、
善とは悩み苦しみを消す方向のことです。
功徳(善の業)を積むとは、心に悩み苦しみを消すような思考の「癖」をつけること、
つまり善の思考の反復練習で心に善の癖をつけていうことです。
悪業を積むとは、逆に、悩み苦しみの原因になるような思考の「癖」(習慣)を心につけさせることです。
522 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 04:01:03.56 ID:OzVQX7Nk
>>504 こだわればこだわるほどこだわり癖がつく、
欲張れば欲張るほど欲張り癖がつく、
怒れば怒るほど怒り癖がつく、
怠ければ怠けるほど怠け癖がつく、
威張れば威張るほど威張り癖がつく。
これらの「悪い」習慣が、悩み苦しみやすい心の癖を増強していくのです。
殺せば殺すほど、盗めば盗むほど、嘘つけば嘘つくほど、
浮気すれば浮気するほど、酔っぱらえば酔っぱらうほど…
523 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 08:36:42.07 ID:ueQbm8NI
>>521 それは小乗それとも大乗?はっきり区別してください。
病気の時、苦痛がなかったらどうなる?間違いなく治療の機会を逸して「最
大の苦」としての死に至る。明日の生活のことを思い煩わなかったらどうなる?
間違いなく野垂れ死にだ。
他者やわが子が病気や怪我や飢えで苦しんでいるのに、心を痛めなかったらど
うなる?その人は間違いなく最大の苦としての死に至る。
そして君が死ねばどうなる?家族を苦悩と悲嘆のどん底に陥れる。
釈迦の4諦め誤りに気付き、それを訂正するのが「自灯明」だ。いつまでも
釈迦の恥をさらすような下らない発言は止めたがよい。
524 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 09:01:32.57 ID:ueQbm8NI
>>522 すべて誤り。
それらの欲望は、すべて己の生命を維持するための自然の感情・生命の指示。
欲望が満足されれば、欲望は止む。欲望が自他の生存を維持するために不可勝
な心的採用だと自覚してそれに感謝すれば、余分の欲望は消え去る。
欲望は、生命から発する「法」だ。例えば、空腹の時、腹いっぱい食べれば、
それ以上は、どんな美味い物を出されても、見るのも嫌になる。食べれば
間違いなく胃腸を壊し、最悪の場合は死に至る。仕事が無い者にとっては、
働くことこそ最大の喜びである。
宗教者は、「生命の指示」としての欲望を軽視・否定するという、「法に反した
悪い癖」こそ直すべきである。
525 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 09:05:41.38 ID:ueQbm8NI
>>524の訂正
×心的採用
○心的作用
×悪い癖
○悪い心の癖
>>523 解ってないのか、わざと目を逸らしているのかw、
>病気の時、苦痛がなかったらどうなる
《「痛み」はある(残る)けど「苦」はない状態》 を目指すわけです。(何度同じことを書き込んだでしょう・・w)
そこにあるが、「苦痛」ではなく「痛」のみになるようにするのです。
*(貴方が言っている「代替手法」は、相似する面もあるのですよ?w
たとえば、同じ労働でも、わが子のためと思っているから、その人にとってそれは苦役とならないようなものです。)
お釈迦さん臨終時も、激痛に襲われたとちゃんと記されているw
527 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 10:00:48.32 ID:OzVQX7Nk
>>423 宗派を問わず、四諦は仏教を貫く基礎だと思います。
ただ、法則を知ることと、その法則をどう使うかは別の話。
運動と食事制限がダイエットに効果的という法則を知ることと、
実際に自分が本気でダイエットしたいのかどうかは別。
仏教は、ダイエットしたい人にはダイエットの方法を教えるけれど、
万人にダイエットしろというわけではない。
世の中にあまりにもドカ食いしつつ「やせられない!」と言ってる人が多いから、
仏教は「本気でやせたいなら良い方法あるよ?」と説いている。
528 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 10:06:53.56 ID:OzVQX7Nk
>>524 「生きていたい、私が私のままでいたい」という渇愛こそが苦しみの根本なのです。
煩悩なくしたら生きてられなくなるのは、全くそのとおりであり、
生きていかなきゃならないという「勘違い」から解放するのが仏教です。
ただし、自分の煩悩が減ると他者への慈悲が出てくる。
悩み苦しみの原因をとりのぞき悩み苦しみを減らすのが仏教ですから、
赤ちゃんから無理矢理おもちゃをぶん取って赤ちゃんを泣かすことはしない。
赤ちゃんに成長して自分からおもちゃを手放せるように教えるのです。
自分が死んで悲しむ他人がいるなら、自分は生に執着なくても他人のために生きることはできます。
529 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 10:20:46.57 ID:ueQbm8NI
>>526 >《「痛み」はある(残る)けど「苦」はない状態》 を目指すわけです。
>(何度同じことを書き込んだでしょう・・w)
そんな屁理屈は、まず、自分が麻酔無しで手術を受けてみてから言ってくれw。
何度言おうと、誰も納得しない。
すべての苦は、突き詰めれば、肉体的生命を失うことの恐れから生じていること
を洞察すべし。例えば、不当な取り扱いを受けたと感じる苦は、それが収入に
影響し、生存を不可能とするという恐れから生じる。
釈迦であれ誰であれ、その肉体的苦を想像できないものは、もはや人間ではない。
「すべての人は死を恐れる。己が身に引き比べて、殺してはならない、殺さしめ
てはならない」。この法句経の言葉が、すべてを尽くしている。これは釈迦の言葉
ではあるまい。
530 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 10:34:58.28 ID:dpB47DHM
>>505 あるがままを見るのが仏教の姿勢だと思ってましたので
↓ に率直なレスを頂けないのが残念でした。
>善いカルマ・善行ばかりの人ってこの世にいるのでしょうか?
>菩薩になれる人ってこの世にいるのでしょうか?
>僧侶だって自衛の為なら僧兵にもなるし………
531 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 10:56:16.44 ID:dpB47DHM
>>526 >《「痛み」はある(残る)けど「苦」はない状態》 を目指すわけです。(何度同じことを書き込んだでしょう・・w)
>そこにあるが、「苦痛」ではなく「痛」のみになるようにするのです。
>たとえば、同じ労働でも、わが子のためと思っているから、その人にとってそれは苦役とならないようなものです。)
↑
理解不能で確かに誰も納得しませんね
>お釈迦さん臨終時も、激痛に襲われたとちゃんと記されているw
>悩み苦しみの原因をなくせば悩み苦しみはなくなるという筋道です。(
>>521)
激痛に襲われた時、お釈迦さんはどのように悩み苦しみの原因をなくして
悩み苦しみ・苦痛をなくされたのでしょうか?
「彼は苦しみながら死んでいった。それでいいのです。人間ですから」と言った
僧侶も確かいましたが・・記憶では
532 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 11:14:43.66 ID:dpB47DHM
>>528 >生きていかなきゃならないという「勘違い」から解放するのが仏教です。
この世に生まれてきた赤ちゃんや家族に「おめでとうございます」
と皆でお祝いしますが、仏教的には「勘違い」に当たるのでしょうか?
泣いてすがれと、言われたんだが泣かないと願いは通じないらしいんだが そうなの?
>>506 「>善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。
↑
ご隠居氏の洞察は、いつも素晴らしい!(^。^)
シンプルなこの2点だけなら無用な争いを減らせる
宗教は、今まで施しをしなさい・嘘をつくな・無駄口を言うな・
汝の敵を愛せ・天国に富を積め…………etc.の戒律や命令が多すぎて
それが人と人を規制しあい争う材料になってきたのではないだろうか
■「善悪中毒」の心理学 ■
http://www.j15.org/GoodEvil/index.html
535 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 13:44:17.71 ID:OzVQX7Nk
>>532 仏教に出会える可能性の高い人間に生まれたことはすばらしいですが、
生きることへの執着もまた悩み苦しみの原因であると思います。
まぁ、妊娠した以上、母子ともに無事に出産できたらおめでたいですが。
悩み苦しみの原因を消して悩み苦しみを消すのが仏教ですから、
わざわざ生まれたての赤ちゃん抱いてる親に「お気の毒に」なんて言って、
相手に嫌な思い(悩み苦しみ)を与えるようなまねはしません。
赤ちゃんのおもちゃを無理矢理奪って赤ちゃんに苦痛を与えることはしないのと同じ。
しかし、例えば赤ちゃんが成長して学校に行くときまでおもちゃを持って行くわけにいきませんから、
そのときまでにおもちゃへの執着から離れさせるようにするのも、
その子の悩み苦しみを防ぐことになります。
執着してるおもちゃなのに学校に持ってけないとなると悩み苦しみの種になるから。
536 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 14:53:38.75 ID:ueQbm8NI
>>535 >生きることへの執着もまた悩み苦しみの原因であると思います。
生命への執着(生存本能)は、すべての生類に共通する普遍の事実。「法の
中の法」である。その法を曲げようとしたところに、釈迦の誤りがある。
精神医学的には、釈迦佛教の構図は極めて簡単。釈迦の「生存苦」「厭世観」
は彼の躁病の症状。その躁病が感染したのが小乗仏教。しかしその誤りを知った
多くの人々が、釈迦を個人ではなく「象徴化」することにより、釈迦の精神病
を克服し、大乗仏教を確立した。これは、宗教史的には例外的に巨大な業績で
ある。キリスト教の宗教改革では、「聖書のみ、信仰のみ」として、却って
イエスの狂気を増幅する結果となった。ここに両宗教の相違が存在する。
イエスの精神病が統合失調症であったため人格の崩壊を伴ったのに反し、
釈迦の病気は「感情(気分)障害」であり、人格の崩壊までには至らなかった
のがその原因である。小乗は、釈迦の精神病が克服できないでる一群の人々の
名称である。
小乗教徒は、己が未だに執着している「釈迦」というおもちゃを手放すことに
努力すべき。さもなければ、釈迦の精神病の症状としての悩み苦しみは絶える
ことがない。
537 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 14:57:10.06 ID:ueQbm8NI
538 :
絶対神:2012/03/10(土) 14:57:46.90 ID:LrUgRtH7
>>528 「勘違いでなく事実である」
『人間は生きていかねばならない』
寧ろ、自殺したり色々な面がある事から
「人間の方がそれから自由である」
『他の生物はそんな事を考える知能すら授けられず、ひたすら生きていく事を強いられる』
539 :
絶対神:2012/03/10(土) 15:00:58.60 ID:LrUgRtH7
「無駄なものをなくすというが」
『そもそも、人間は無駄な色々なものを抱え込んでいるから生きていけるのであって』
「そういうものを一切省いたら生きていけない」
『娯楽のない世界が地獄のような世界であるのと一緒である』
「仏教は、人間とか生物の本性に、そういう意味では「無知」であるか、意図的に
無視している面がある」(まあ、出家いうのは世俗に対して死ぬ事なんだから
当然だけど)
ダイエット関連で言うと
「好きなものを好きに食べられない健康的な生き方というのは」
『実はストレスをため込む不健康な生き方であるという事は知られている』
「だから、最新の研究によると、実は、食事管理している人の方が『早死にする』w
という結果もあるらしいぞ」(嘘か本当か知らないがw)
540 :
絶対神:2012/03/10(土) 15:04:00.40 ID:LrUgRtH7
「仏教というものが結局、マイナーな宗教になってしまったのは」
『結局、「きちんと現実を見つめる事が出来ない点」が大きいならなんです』
「生物とか人間の本性に根本から反しているのです」
ならば、完全に人間を超越した存在によって助けて貰えばよいのですが
『仏教は、そういうものすら結局「否定」してしまいます』
「人間性を否定しておきながら、絶対神を否定しては」
『結局、なりも成り立ちません』
しばしば、宗教が「神」を想定するのは、人間の力だけでは、欲望を超える事が
「不可能である事を理解している為です」
541 :
絶対神:2012/03/10(土) 15:07:21.96 ID:LrUgRtH7
『神がいなければ、確かに「キリスト教」に成り立ちませんが』
「仏教は、「いようがいまいが」、ストレートに「成り立ちません」」
私は寧ろ、「神」に助けを求める
『幾らでもこの世界にある「宗教」の方が』
「正直だと思いますよ」(ありのままの不完全で、弱い部分を
持つ人間というものをはっきり認識している)
542 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 15:19:04.67 ID:ueQbm8NI
>>540 「人間を超越した存在(神)」を想定するのも「人間の生命」の機能。死者には不可能。
何処まで行っても「人間の生命」が常に優越する。
キリスト教とは異なり、人間が人間を超越した存在を想定することが無意味なことを
知り、神を否定したのが大乗仏教の最も偉大な功績。だから佛教は、2500年間
殆ど人を殺していない。キリスト教は、一体、何億人、何十億人の人を殺したか。
キリスト教こそ、人類に巣食った巨大な悪性腫瘍であることは明らか。すべて、
ナザレ村のイエスの狂気の感染が原因である。一刻も早く人類から摘除すべきもの。
一応ここは仏教質問箱って名前なんだから
突飛な独自解釈をさも正当であるかのようにリードするのはおかしいだろ
とりあえず通仏教的解釈を述べた上で
また、大乗なり小乗なりの考え方に寄るならばこのような見解であるってするべきだろ
それと議論がしたい人は議論スレにいけよ
向こうに燃料落としてやれよ
544 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 20:33:41.01 ID:+EdONd96
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
>>536 >小乗教徒は、己が未だに執着している「釈迦」というおもちゃを手放すことに
>努力すべき。さもなければ、釈迦の精神病の症状としての悩み苦しみは絶えることがない。
>>529 >「すべての人は死を恐れる。己が身に引き比べて、殺してはならない、殺さしめてはならない」。
>この法句経の言葉が、すべてを尽くしている。これは釈迦の言葉ではあるまい。
>>524 >宗教者は、「生命の指示」としての欲望を軽視・否定するという、「法に反した悪い癖」こそ直すべきである。
又、又、素晴らしいご隠居氏のレス!! ヽ(^。^)ノ
誰も真似ることが出来ない深〜い洞察力!!☆♪★
>>523>>519-520>>515>>510>>508>>542・・・も切れ味抜群で〜す!!(^。^)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
545 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 21:58:08.41 ID:OzVQX7Nk
>>544 死を恐れている人を殺そうとすることは、
それは悩み苦しみを与えることになりますから、仏教的にはよくありません。
北風と太陽の話でいうと、北風のやりかたは、旅人に悩み苦しみを与える。
仏教のやりかたは太陽のやりかた。
相手の嫌がること(死にたくないのに殺す)はしない。
相手が嫌がる気持ち自体を消すのは、悩み苦しみを発生させなくてすむからいい。
546 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 22:25:39.36 ID:GnMgmpt4
>>492 ありがと。検索すれば同じ話は色々出てくるんだけど
誰も原典は明記してないんだよこれ
かなり最近の創作なんかね・・・
547 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 23:19:12.00 ID:NAcHGHYX
>>545 >相手が嫌がる気持ち自体を消すのは、悩み苦しみを発生させなくてすむからいい。
嫌がらない者は殺してもよい、とでも。それでは、自殺幇助罪という犯罪ですよ。
「すべての者は死を恐れる(法句経)」。これが正解。「死にたい」と思うのは、
釈迦のような鬱病患者だけ。死を嫌がる気持ちを消して殺すのは、モノホンの殺人
罪です。
法句経の、いや佛教における最も優れたこの一節さえ、理解できていませんね。
548 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 23:38:59.04 ID:NAcHGHYX
>>545 小乗教徒にとっては、法句経のこの一節が実は邪魔なのではないか。
テーラーワーダ教徒の片山一良氏の和訳は、この佛教最高の一句を
滅茶苦茶に破壊している。
549 :
神も仏も名無しさん:2012/03/10(土) 23:55:01.52 ID:6nOR6/7D
>>543を読んで議論スレッドに移動してください。
550 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 00:09:04.72 ID:DtkODPWc
>>549 日本の仏教質問箱で小乗仏教を布教しようとしている方も、小乗スレに移動
してください。突込みが入るのは当然でしょう。
>>550 w
『小乗仏教』じゃないからw
カテゴリは正確におながいします。(´・ω・`)
552 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 00:19:52.84 ID:W6dpxicw
法を見るものは我を見る
つまり仏陀を見たい者は法を見よ
法こそが仏陀の人格そのものである
既に我は無く我が物もないさすれば善く煩悩を絶つ事ができる
なかなか私生活で実践できません
>>550 わら人形論法も言い訳も結構。
自分から誘導して移動すればいいだけの話です。
さて、あなたも移動してください。
> 日本の仏教質問箱で小乗仏教を布教しようとしても突込みが入るのは当然でしょう
↑ 例えば日本でも『根本仏典が基本である!』と言う考え方が、有っても良いんじゃなイカ?
>>519 あなたもうキリスト教だけ批判してたらいいんじゃないかw
仏教批判にあなたは役不足だわ。
だって批判というより印象操作の類だもの。
というわけで「隠居が完全に馬鹿に思える本」
ユネスコ平和賞受賞パユットーの「テーラワーダの実践」読んでみてください。
宗教に入信しなくていい せめて隠居さんを馬鹿と思ってほしい。
556 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 10:20:39.84 ID:csWSKmvl
>>555 >宗教に入信しなくていい せめて隠居さんを馬鹿と思ってほしい。
アキメクラさん!一体誰と間違ってるの?(笑
宗教者にあるまじき言葉です → エゴ
宗教は、君が信仰するような完全なものではないでしょう?
何せ、根拠がない絵空事を信じてるのだからw
世界平和も実現できない欠点にも目を向けることが必要
(^。^)ワロタ♪!→
>>544に
>>519が入ってますがね----
557 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 13:13:15.88 ID:qHecl/8u
>>554 >例えば日本でも『根本仏典が基本である!』と言う考え方が、有っても良いんじゃなイカ?
「(1個人に過ぎない)釈迦が言ったからすべて正しい」という、現実上の根拠皆無な
「開祖・教祖盲信」こそが、カルトの最大の特徴。それは人間の知性(批判力)と現実
感覚・社会常識を奪う。
基本は「すべての人間の生命における等価・至上性」でなければ、「人間界」の営みと
しては無意味で有害。人間同士の争いを生み出すだけだから。
>>557さんの場合は
『批判する事が正しい事なのである!』
と言う妄執の念に取り憑かれて、そして、洗脳されているんじゃなイカ?
559 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 15:46:19.78 ID:vXObSSaz
>>558 根源としての生命を基盤とする批判は、妄執ではない。すべての人間・生物が
既に、例外なく、その基盤の上にのみ存在しているからである。
生命の基盤からは、開祖・教祖はもとより、己の知性(批判力)自体もまた批判の
対象となる。
この知性(批判力)が完全に失われているのが、宗教の「開祖・教祖盲信」である。
「正しい」という言葉を使ってはならない。何が正しいかは、特定の具体的状況に
おける、生存と関連する「具体的行為」においてのみ判断されるべきもの。従って、
このような行為を離れた「正しい」という抽象語は、意味不明な廃語に等しい。
「八正道」も、全く意味不明なナンセンス。
> 「八正道」も、全く意味不明なナンセンス
八正道
正見(正しい見解)
正思惟(正しい考え)
正語(正しい言葉)
正業(正しい行為)
正命(正しい生業)
正精進(正しい努力)
正念(正しい念慮、気づき)
正定(正しい集中)
− − −
↑ 『念慮、気づき、集中』を人為的に実践しないと、八正道を理解する事は出来ないんじゃなイカ?
>>546 >検索すれば同じ話は色々出てくるんだけど、誰も原典は明記してないんだよこれ
>かなり最近の創作なんかね・・・
君がそれに興味があるのは何故ですか?
カルト宗教・信者・だったら、輪廻転生やカルマ・地獄の審判・
天国と地獄・・・・等の根拠の無い地獄の恐怖を人に植えつけて
人の心を支配する目的で、捏造するか利用・引用するでしょう。
カルトは布教のためには何でもします。殺人までも………w
562 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 17:14:37.92 ID:A0WOIB92
>>560 「正しい」を判断する具体的基準は何?
「人為的な変性意識」で判断するのは無意味・有害。釈迦は果たしてそんなアホ
なことを言ったのか。それとも「正しい」とは何かがわからなかったのか。
一切衆生は専ら「平常心」に基づいて生存しているという事実が「法」である。
> 「正しい」を判断する具体的基準は何?
◎非想非非想処と言う禅定(瞑想)によって − 非想非非想天と言う領域に到達する
◎想受滅定(滅尽定)と言う禅定(瞑想)によって − 心のあらゆる動きが全く止滅した状態に到達する
↑ 想受滅定(滅尽定)と言う禅定(瞑想)によって、何が「正しい」のか?判断する事が出来るようになるらしい
>>563 なぜなら、正しさそのものを見るから。
正しさそのものとは「神」。
目的あっての正しさだから。
問題も無いのに正解だけがポツンとあるような勘違いはよろしくない。
◎非想非非想天 ← 神の領域であるらしい
◎想受滅定(滅尽定) ← 神の領域を超えた、仏(ほとけ)の領域であるらしい
567 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:05:08.60 ID:Ot6zbXLi
>>564 人為的な精神操作による変性意識によって見える神や仏や正しさを「幻覚」と
呼び、専ら精神医学による治療の対象になる病理現象に過ぎない。論じるに
値しない。
精神は、具体的外的状況に適応して肉体(生命)を維持するために備わって
いるもの。宗教による精神操作は精神の濫用であり、精神に対する不法行為、
犯罪である。
>>567 知らないことには謙虚でいよう。神を信じなくてもかまわないが、
世界中の大多数が神を信じて生きている。
お互いが仲良くやるには、お互いの考えを理解しなければならない。
理解し合うには「忍耐」が必要だろうと思う。
569 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:36:40.66 ID:Ot6zbXLi
>>568 理解するためには、こちらも気が狂わなければならない。困ったねw。
すべての創唱宗教は、開祖の精神病の感染の結果である。
570 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 20:42:08.66 ID:/8Tdl7X3
パチスロで負けて
辞めたはずのタバコを吸って罪悪感と敗北感に打ちひしがれていたはずなのに
雲間から射す太陽の光りに満たされ
充実感と不安感に心が奮えました
これは神の光をみたのでしょうか?
>>569 忍耐することで学ぶことも多い。
というか、忍耐によって、人は学ぶのではないかと思う。
572 :
神も仏も名無しさん:2012/03/11(日) 21:06:11.30 ID:Zk9paQU6
確かに、教祖の多くは、狂気と現実の狭間で耐えた人たちだったように思える
>>486 >あなたには分からないだろうが、自殺すればもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。
>その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、大きくて深い苦しみである。
↑こういう根拠のない地獄極楽・最後の審判・・・等というもので人を脅す者は
卑怯・卑劣・心の人権侵害・オオカミだと思う。これに似た宗教は、カルトw
↓
■《解説》地獄の恐怖と善悪『良い子にならなきゃ』-絵本の心理学
http://www.j15.org/Picturebook-BeGood/index.html から抜粋
この絵本では、地獄の恐怖が、善悪の錯覚とあいまって、いかに人間を凶暴化させるか、その心理の流れ
を描いています。(描いているのは、心理だけです。地獄の有無そのものを問題にしている訳では全くありません)
地獄に限らず恐怖は、人を支配し、コントロールするために大変に有効な手段です。
動機付けとして考えた場合、恐怖には、他の感情とは比較にならないほどの即効性/確実性があるのです。
―例えば、銃を突きつけられた銀行員が、初対面の強盗に大金を渡すのは、強い恐怖で動機付けされたからに他なりません。
しかしながら、恐怖から「愛」が生まれることは有りません。恐怖から生まれるのは、憎しみであり(いかに愛を装っても)、
抑圧であり、闘争です。人が、「動機付けとして恐怖を利用する」という心の癖を保持する限り、自分自身の心にも、
社会にも、地球にも、愛、平安、信頼、調和、平和、…つまりは和を達成することは出来ません。
>>573の続き
■<恐怖への信仰によって;>
● 個人の心の葛藤/心の悩みは永遠に続きます。
● 人と人との葛藤、例えば、広義の「いじめ」も永遠に続きます。
● 恐怖の源、軍備は永遠に拡張されます。核兵器も、もっともっと恐ろしい物となります。
● テロ(もともと恐怖という意味ですね)や戦争も、永遠に繰り返されます。
恒久的な平和が世界に達成されることは有り得ません。
◆(地獄の)恐怖への信仰/信頼は、善悪の錯覚と有機的に結合し、一つの大きな世界観/
文化/コンプレックス(複合体)となって、21世紀初頭現在でも、多くの人類を苦しめ続けています。◆
>>563>>566 >◎非想非非想天 ← 神の領域であるらしい
>◎想受滅定(滅尽定) ← 神の領域を超えた、仏(ほとけ)の領域であるらしい
↑
こんな言葉を持ってきたって煙にまく目くらましにしか見えないなぁ(笑
神仏ならもっと万人に理解出来るような優しい言葉で言える筈
上記の絵本のようにね(ホントの内容はかなり難しい)
>>520>>557のご隠居氏の鋭い指摘は全て当たってま〜す! パーフェクト!
オウムも現実上の根拠皆無な「開祖・教祖盲信」で、インテリ信者の知性等
何の役にも立たず現実逃避、そして人間同士の争いを生み出すだけだった。
前に三枝のバウッダが批判されていたけど、
平川のインド仏教史はこのスレ的にはどんな評価?
インド仏教史をしっかり把握したいんだけど、読み込むならコレでいいのでしょうか?
インド仏教史 上〈新版〉 (2011/08)
インド仏教史 下〈新版〉 (2011/09)
平川彰(著)
出版社: 春秋社
− − −
宗教史地図
仏教
古坂紘一(著)
出版社: 朱鷺書房 (1999/10)
− − −
平川彰さんの『インド仏教史』は読んだ事はないけど
古坂紘一さんの『宗教史地図−仏教』は、けっこう良かったような気がします
578 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 12:29:52.78 ID:hMcD2fGK
>>547 死を嫌がる気持ちがあろうとなかろうと、全ての人は必ず死にます。
しかし、死を嫌だと思うたびに悩み苦しみが起きる。
死ぬのは1回でも、「嫌だ」が百回なら悩み苦しみは百回起きる。
仏教は、「嫌だ」を減らして悩み苦しみを消す道。
☆ おすすめの書籍 ☆
新アジア仏教史02 インドU
仏教の形成と展開
奈良康明、下田正弘
出版社: 佼成出版社 (2010/10)
内容紹介
インド仏教について経典などの文献資料を根拠としながら、
1原始仏教の時代、2部派仏教の成立まで、3大乗仏教の成立、4密教の成立という四区分法にしたがって見ていきます。
教団形成からその後の分派・展開まで詳しく解説しています。
加えて、13世紀初頭のインドでほとんど姿を消した仏教が、近代になって再受容されていく過程を探ります。
また、特考古学的遺品、美術品、建築物等の文献外資料については、写真を対応させながら考察しています。
出版社からのコメント
本シリーズの導入の役割をも担った巻です。仏教研究そのものにも光をあてています。
・カラー写真などの図版を収録。ビジュアル的にブッダの世界を示す。
・インド仏教の全体像を歴史的にとらえ、平易な言葉で解説した一冊。
・研究成果の粋を凝らした6編のコラム。
【目次】
【第1章】 近代仏教学の形成と展開
【第2章】 原始仏教の世界
【第3章】 仏教教団の展開
【第4章】 大乗教団のなぞ
【第5章】 密教の出現と展開
【第6章】 造形と仏教
【第7章】 近代から現代へ
580 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 12:43:42.42 ID:hMcD2fGK
>>547 いちおうツッコミいれておくと、死を嫌がらない人がいたとしても、
わざざ殺す必要もないし、戒律上も殺人は禁止されてる。
さて、仏教は自分と他人の悩み苦しみを消したり制御したりする教え。
相手が嫌がることをすればその相手に悩み苦しみが発生するから、仏教の方向性に反している。
この場合は、相手が嫌がることをしないように努めるとか、
相手の嫌がる気持ちをなくすように仕向けることが、仏教的な方向性である。
もちろん、殺人など戒律で禁止されてることは、相手が嫌がってなくてもしない。
また、本人は死ぬの嫌がってなくても、例えばその家族がそれを嫌がってたら、
家族に悩み苦しみを与えることをわざわざする必要があるのかも配慮すべきでしょう。
でも、あなたは死刑廃止運動の先頭には立っていないでしょう?
こいつを殺さなければ、あの人が不幸になり苦しむというケースでは
どうするんじゃ?
殺す、殴る、罵る、ことで苦しみを絶つこともありうるのでは?
安楽死の問題もある
きれいごとで解決し割り切れる程、人間は「生やさしくはない」
人間とは愛する者のためにポアすることもある
人間とは同情からポアすることもある
じゃあきみは秋葉原で将来を悲観し暴れまわって、多数の死傷者をだした
加糖くんを「無罪」に「せめて無期懲役に」減刑できるか?
おそらくできまい
見殺しにするならだれでもできる
そして見殺しにした時点で、あなたも人殺しなのである
582 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 18:56:47.63 ID:hMcD2fGK
>>581 お釈迦様は連続殺人犯のアングリマーラ尊者を教団に受け入れ、
アングリマーラ尊者は悟りを得ました。
仏教徒にとっては参考にすべきモデルケース。
輪廻を前提に考えるなら、悪人が死んでもまた邪悪なままでどこかに生まれかわる。
刑務所に30年入れておけば少なくとも30年はシャバに戻らないが、
1年後に死刑になればすぐに生まれかわってシャバに出てくることになります。
一番良いのは、アングリマーラ尊者みたいに悟っていただいて、
二度と殺人犯にならないように人格改造してもらうことです。
まぁ、それでも死刑を残すとしたら、仏教的には行政が殺人を侵すのはよくないので、
事前に国民が、成人式のときにでも国と契約しておいて、
「私が罪を犯したら私を殺してください」と
自分であらかじめ国に委託しておくとかがいいと思います。
>輪廻を前提に考えるなら、悪人が死んでもまた邪悪なままで
どこかに生まれかわる。
親鸞は悪人も念仏すれば往生です
といっとる
>>582 文全体の結論として、モデルケースになってませんが?
アングリマーラの逸話の、どの辺が「参考にすべき手本」となるのですか?
文中には、そのようなことは露ほども出てきていないんですけど・・・。
585 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/12(月) 22:10:01.57 ID:Tb4usu3g
>>583 モッガラーナですら過去世の悪業によって、
最終的には「殺害される」という果報からは逃れられなかったといわれています。
悪人とて同様でしょう!
もしも、悔い改めて心を入換え、
その後は悪に手を染めず善行に勤しむ余生を過ごしたとしましょう。
或いはその効果があって、死後の暫くは安穏でいられる可能性があるものとしてもです。
やはり来世では、間違いなく受けるべく自業自得を味わう羽目になります。
犯した悪業は自分に同じ力で返ってきます。
念仏、信仰心は無駄とはならないでしょうから、
もしかしたら、マットレスはひいてくれるかもしれませんね。
それでも、悪業の果報で屋上から落ちるべき者はやはり落ちる。
586 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 22:14:53.48 ID:hMcD2fGK
>>585 涅槃に入った場合は悪業の報いを受ける対象がなくなるんじゃないでしょうか?
殺された目蓮尊者はそのあとは涅槃に入ったと思いますので、
二度と苦しみを受けることもないし、生まれかわってまた罪を犯すこともない。
587 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 22:19:58.39 ID:hMcD2fGK
>>584 仏教教団が残虐な殺人犯でも死刑にせずに受け入れ導いたというモデルケース。
仏教徒はこれを見習い、犯罪者への怒りを捨てるよう努めるべきであり、
死刑や復讐を望むのは仏教的にはよくない。
588 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 22:30:18.05 ID:hMcD2fGK
>>585 極楽浄土の衆生の寿命は無量であり、
最高の修行環境で、悟るまでいつまでもいつまでも修行できるのです。
見方を変えれば、阿弥陀仏が用意した無期懲役みたいなもんです。
589 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/12(月) 22:38:24.34 ID:Tb4usu3g
>>585 追記:
『けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。
愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。』(スッタニパータ.666)
590 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/12(月) 22:49:26.37 ID:Tb4usu3g
>>586>>588 モッガラーナの場合は最後の足枷としての果報でしたからね。
もちろん、そのカルマの清算によってニルヴァーナに到達したから、
生死と苦悩のすべてから解放されたのです。
しかし、この場合は凡夫の悪人の話でしょう?
モッガラーナですから受けるべき悪業の果報は避けられなかったというのに、
ただの凡夫が、念仏やらお題目によって回避できるわけはないのです。
精々、死後の暫くの間だけ平穏に過ごせるだけ。
来世では果報を受けて苦しみを味わう。
>>589ですよ。
>最高の修行環境で、悟るまでいつまでもいつまでも修行できるのです。
そんな都合の良いものは存在しません。
大乗が勝手に創作したものに過ぎません。
少なくとも、ゴータマの理法の中にはそういう概念はありません。
絶対他力などという概念そのものが仏教にはないのですから。
>>587 アングリマーラの事例は、
世間的な法的な裁きを受けていないのですよ?
たとえば、最近で言えば光市母子殺害事件の犯人を、(或いはオウムの麻原でも榊薔薇でもいいですw)、
「拘留もせず」「事情聴取もせず」「起訴もせず」「罪を問わない」ということですよ?
よーするに、【司法手続きを踏まない】ということなんですけどね。
現に、犯罪者がサンガに入れたのは、このアングリマーラの一件だけで、
以降は、サンガ入団前に全て世間法の裁きを受けることが前提となっている筈ですが?
そして、その世間法に於ける裁き方について仏教は口出しをしていない筈ですが?
犯罪者の無条件入団は禁ぜられた筈ですが?
モデルケースではなく、『考え方』だと言うべきだったと思いますよ。
宝珠さんは、前世や来世を気軽に語るけど、
そういったものを体験的に知って言っているのですかね。
それとも単なる本の知識?
>>587 つまり、
「司法手続きを無視して、罪を許し、教団が“求道者、懺悔する者”として受け入れるべき」
そのようなモデルケース、ということですか?
594 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 22:55:18.57 ID:iNcUyeMP
なんでもええねん
とりあえず座れや
って道元さんが言ってた
595 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/12(月) 23:08:25.30 ID:Tb4usu3g
>>592 私は幼少の頃(入学前)から人間の意識の不死性を。
そして、小学低学年の頃には転生の概念を、
なんの宗教とも出会うことなしに自分自身の力で思考し、
これを理論的に納得していました。
これが私を支えるすべての根本となっています。
後に18歳頃に仏教を知り、これが真理であると理解しました。
三世に跨る転生というのは業報という因果律の延長上にあるものです。
私には、これこそが普遍的な絶対的真理であるとの内的直感があり、
これが強い信念となっています。
書物(仏典や解説書)の語る転生理論というのは、
私の内的信念を具体的に表現してくれたものに過ぎません。
これがないと、
善因善果/悪因悪果という基本が崩壊してしまいます。
私はそういうことは有得ないものと思っています。
>>595 つまり、厨二病どころか、小二病が完治しないまま大人になっちゃったって事かw
597 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 23:17:35.75 ID:+tMtgvlz
>>595 小学生で転生の概念を納得した? ほんとですか。
何を読み、何を見て転生を理解したのですか。手塚の漫画とか?
598 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/12(月) 23:28:05.97 ID:Tb4usu3g
>>597 一切、何も読んでいません。TVやラジオの情報でもありません。
家庭にも何ら宗教的な特別な環境はありません。
両親も信仰心こそありますが、宗教には殆ど無知な普通の大衆です。
「意識」とは何か?
「死」とはどういうことか?
「生」とは何か?
そもそも自分は生れたのか?
何処から来てどこへ行くのか?
・・・
それが毎日の自分が思考を巡らせる内容なのでした。
そして、誰に教わることもなしに瞑想を行う少年でした。
すべて生まれつきです。
599 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 23:29:30.10 ID:hMcD2fGK
>>591 まぁ「考え方」でもいいです。
要は、仏教徒は怒りの感情を制するよう努めるわけで、
相手が犯罪者であっても怒りの感情を抱くのは善くないし、
犯罪者の死を望むのも善くない、ということです。
> すべて生まれつきです
過去世(前世)からの心相続によって
『輪廻している!』
と言う感覚が残っていたんじゃなイカ?
601 :
神も仏も名無しさん:2012/03/12(月) 23:36:06.02 ID:hMcD2fGK
>>593 心構えの問題です。
犯罪が起きるたびにワイドショーが怒りや憎しみを煽ったりして、
それを視て怒りを伝染されたら、罪業を積む(悩み苦しみの原因を刻む)ことになりますから。
被害者でもない私が、なぜ被害者と一緒に怒って不愉快にならないといけないのか。
>>598 信じられないけど、まあいいや。
わたしなど、生まれたその最初から親に放置されてたのか、
蛇が枕元にいたという。宝珠さんもそうだが、
生まれつきはあるかもしれないね。
603 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/12(月) 23:51:58.80 ID:Tb4usu3g
>>600 分りません。憶えているというものではなくて、
内的な直感(正しいと感じる響き)、ただそれだけです。
>>602 蛇が?
あと憶えているのは、
座っている真っ白な不思議な老人が眼前に出現する夢を、
連日、1週間も見続ける恐ろしい体験がありました。
この夢の伝えているイメージは、私は至らずに為すべきことがあってこの生を受けた、
といった感じのものでした。老人は仙人のような何者で何か私のことを叱っているのです
(言葉は聞こえず、ただ怒っている印象だけが伝わり、この私は汗ビッショリに平伏し続ける・・・)
>>601 そうです。心構えの問題です。
というか、心構え以上には踏み込めないからです。
たとえば、近年、裁判員制度が始まりましたが、裁判員に選ばれたとき、
(貴方の一連の発言を踏まえるならば)、
「どんな事件でもどんな犯罪者でも、無罪の票を投じるべき」
ということになるからです。
でなければ、「心では許しながら、世俗法には従わせる」という妥協が必要になります。
それは、≪世俗法として、社会が死刑を認めているならば、それを許容する≫ということに他なりません。
仏教者が死刑反対運動に加担すべきかどうかというのは、物凄くデリケートな問題なのです。
宝珠さんには攻撃的なところがあるからね。
コテから神智学徒をはずしたほうがいいと思うよ。
とりあえずスレタイ読めないバカ以外は議論スレにうつろうぜ!
それでもここで議論したいってバカは一万回
>>1を読んでくれ。
そしてここは仏教質問スレだから特定宗派について聞かれていない限り最初の回答は通仏教的な回答をするべきだろ。
宗派や宗義に則った回答をするならそれがどういう立場からの物なのかも明記しろよ。
その理論が正しかろうが間違ってようがとりあえず議論になりそうなら誘導しろよカス
> 老人は仙人のような何者で何か私のことを叱っているのです
↑ 『ブッダのような立派な人を目指しなさい!』と言う神様からの啓示なんじゃなイカ?
608 :
神も仏も名無しさん:2012/03/13(火) 00:34:36.28 ID:pK7i1p5V
>>604 死刑反対でも「有罪は有罪」でしょう。
個人的に私が裁判員になったら死刑は求めないと思いますが。
で、有罪になったら現行法ではまず死刑になるであろうと思われるときに、
死刑を避けるために本音は「有罪」なのに「無罪」と嘘の判定をするかというと、
仏教的には嘘もダメですからそれはダメでしょうね。
610 :
神も仏も名無しさん:2012/03/13(火) 11:39:03.62 ID:8vmOZ7iz
密教ってなんなん?
真言唱えるのと、おきょう唱えるのとで何の違いがあるのさ?
真言だって意味あるんでしょ?
じゃあ顕教と一緒じゃん
>>610 真言そのものも秘匿すべきとするから密教
ネットで検索すればコロコロ出てくる今現在では形骸化しただけ
ようするに古代の品薄商法
612 :
神も仏も名無しさん:2012/03/13(火) 15:12:33.23 ID:BfmRnSQk
これって本当の話?皆、信じてるの?
◆真言密教、真言八祖八代の空海、弘法大師
http://urano.org/kankou/topics/kuukai/index.html から抜粋
780年(宝亀11年)空海7歳は、家の西にある捨身岳(しゃしんがたけ)に登り、「私は将来、
仏道で多くの人を救いたいと思います。この願いが叶うならば命を救って下さい。もし叶わない
ならば命を捨ててこの身を仏に供養します」と云い、崖の上から谷底めがけて身を投げると、釈迦如来
と天女が現れ真魚を受け止めてくれたので、、、、、(ry
785年(延暦4年)空海12歳の時、両親が云った事が、「遺言真然大徳等(ゆいごうしんぜんだいとくとう)
全集2・814頁に記載され、それによると、「我が子は昔、釈迦の弟子だったのでしょう。両親が同じ夢を見、
印度の立派なお坊さんがスーと懐に入って、母が身ごもり、そして生まれた子だから、将来仏弟子にしましょう」
とあり、これを聞いた空海は大変嬉しく思い、泥をこねて仏像を作り、家の近くに小さなお堂を建てて安置し、
毎日礼拝するのが常でしたが、、、、、、
> 密教ってなんなん?真言唱えるのと、おきょう唱えるのとで何の違いがあるのさ?真言だって意味あるんでしょ?じゃあ顕教と一緒じゃん
− − −
伝真済撰『空海僧都伝』によると死因は病死で、
『続日本後紀』によると遺体は荼毘に付された(火葬された)ようである。
しかし後代には、入定した(即身仏となった)とする文献が現れる。
とくに承和元年(834年)12月から入滅までの3ヶ月間は、
後七日御修法が申請から10日間で許可されその10日後には修法、
また年分度者を獲得し金剛峯寺を定額寺とするなど、密度の濃い活動を行った。
すべてをやり終えた後に入定、即ち永遠の禅定に入ったとされている。
− − −
空海(くうかい)の場合は
「(入定)即身仏となった」、とする文献が現れたらしい
『この現世において輪廻から解脱する』
と言うところが顕教と違うんじゃなイカ?
空海の場合は
『法華経は薬の効能書きのようなものであって薬そのものではない』
『密教は薬そのものである』
『法華経に、たくさん書いてある御利益を実際に具現化する事が出来るのが密教である』と主張してたらしい
↑ ここのところが顕教と違うんじゃなイカ?
615 :
神も仏も名無しさん:2012/03/13(火) 18:25:01.64 ID:8vmOZ7iz
よーわからんが
密教て呪文みたいなものなのか
念仏称名のわかりやすさを見習えと言いたい
616 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/03/13(火) 20:25:53.73 ID:S6n7M9bw
>615
その念仏は天台宗からの派生だがな。
つーか、密教ってのは、真言がメインじゃなくて、唯識瑜伽中観派を基礎とした呪術大系だが。
(^。^)まぁ、法華の呪も棄てたもんじゃないが、呪式という点では、先ず密教に先立つもんは無いよ。
関係ないが
阿修羅の興福寺て
密教ですかねえ
618 :
神も仏も名無しさん:2012/03/13(火) 21:37:24.27 ID:zSq41Tzv
仏教もキリスト教もそうですが
言葉を書き写して伝えてはならぬ言霊として伝え広めろと言うのはほんとですか?
偶像崇拝もだめだと
619 :
神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 09:21:47.84 ID:OqrUjHd+
ttp://nikkan-spa.jp/170177 >「キリスト教や仏教は、持ってるモノをすべて捨てて貧しい者に施せ……など、信徒の権利に肯定的でない。
>僕からすれば、人間の尊厳の否定だし、納得いかなかった。
仏教って全財産を貧者や教団に寄付しろ、と命じていましたっけ?
>>618 聞いたことないです。
アブラハムの宗教の用語としての「偶像崇拝」の観念は仏教にはないですね。
漢訳阿含経では釈迦が生きていた時代に仏像が立てられてますし。
アーガマでは書写が説かれない(この時代には宗教伝承を文字にする習慣がない)のですが、
大乗仏教の、例えば法華経や金剛般若経では経典書写の功徳が説かれます。
興福寺
◎奈良県奈良市登大路町48番地
◎法相宗
◎本尊 − 釈迦如来
法相宗(ほっそうしゅう)の所依経典・論
◎解深密経
◎瑜伽師地論
◎成唯識論
> 言葉を書き写して伝えてはならぬ
口伝(くでん)
1).情報伝達方法の一つで、口頭で伝えること。くちづたえ。
また、伝える行為や伝えられる事柄そのものを指す。同義語に口承、伝説、伝承。
2).1から転じて、伝統芸能や古武道などの芸道において、
師匠が弟子に流派の奥義や秘伝を口伝えに教授すること。
また、そうして授受される奥義や秘伝のこと。
流派の重要事項や秘匿事項が必要以上に外部に知られるのを避けるために行われる。
同義語に口訣(こうけつ)、口授(くじゅ、こうじゅ)があるが、現代ではあまり使われない。
3).2から転じて、奥義や秘伝を記した書物。口伝書、伝書とも。いわゆる秘伝の書。
継承内容の正確性などが向上する反面、外部への情報漏洩の危険性は高まる。
時代小説や時代劇などでは、こうした書物を巡る事件を描いた作品がしばしば見られる。
− − −
↑ 密教の場合は『外部に知られるのを避ける為に』と言う事なんじゃなイカ?
承狂さまへ
承狂さまは『人を呪い殺す為の呪法とか』をおこなった事はあるんですか?
ご教示願います!
623 :
神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 16:02:40.27 ID:7cZZ37vF
>>617 もとは藤原鎌足の氏寺で、不比等の時代に平城京遷都に合わせて移築された
>>620にもあるように唯識派の法相宗がメインだが
空海が初めて手がけた興福寺南円堂は当然ながら密教様式で建てられている
不比等以降の藤原氏の隆盛に、真言密教が大きく関わっていたとも言える
624 :
神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 21:53:39.23 ID:i9uwjQL0
625 :
神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 22:03:22.32 ID:/gGYtqrA
>>619 仏像を作りそれを拝む行為は禁止されていました
そもそもその行為事態が
教えに背くものだし
仏像が造られ始めたのは仏陀の死後数百年後ですよ
その前は人間像ではなく
象徴的に描いた物だけでした
>>625 禁止ではなく、遠慮なw
強いて言うなら「暗黙の禁止」。
>>612 多くの「縁起」「因縁」は、後付け。
類似・相似した事跡が実際にあったケースもあったろうが、由来が必要だから創作されたものが殆どでしょう。
特に弘法大師絡みの因縁は、全国にありすぎw
627 :
神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 22:28:46.43 ID:/gGYtqrA
そうですね偶像を拝めば苦が滅するなんてあり得ませんから
教えを理解できていない事と同じです
628 :
神も仏も名無しさん:2012/03/14(水) 22:41:58.79 ID:b9Y6juYI
曹洞宗swも真言を用いているのが納得できね
630 :
神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 00:56:52.13 ID:lGZvgoOI
>>627 仏像や仏塔や仏舎利を拝むことは、仏の徳性の回顧・随喜の効果があります。
偶像を拝むことをきっかけに、偉人を思い出して、
偉人の人格を見習い初心に帰ったり、モチベーションアップしたり、
修行の習慣化につなげたりする効果がある。
偶像自体に魔法みたいな力があるわけではないけど。
数珠だってそうで、数珠を身につけることで毎日念仏する習慣につなげる効果、
修行することを忘れない効果ががある。
631 :
神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 01:03:40.65 ID:lGZvgoOI
マニ車を回したらお経を一回呼んだのと同じだけの功徳(善の癖を心に刻む効果)があるというのも、
不思議な魔法アイテムの力、とかじゃなくて、お経の内容を理解してる人にとっては、
お経のことを思い出すだけでお経を読んだときの感覚を思い出せるから、
功徳になるということだと思います。
坂本龍馬がすきな人は「龍馬」の二文字を見ただけで
その人が知ってる坂本龍馬の全情報を一瞬でフラッシュバックできる、みたいな。
人間が入力、飲み食いしたものや見たこと聞いたことで形作られていることを考慮すると、
密教的な行為、真言や念仏を使って自身に仏を入力して仏に成りあがろうとする行いに道教の外丹と似た発想を感じるんだが、
単純な現世利益から超人化思想の変遷とでも言うべきか、インドの密教と中国の密教ではその辺の毛色は違うものですか?
633 :
神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 19:34:39.09 ID:dAInuk8a
>>619 >「キリスト教や仏教は、持ってるモノをすべて捨てて貧しい者に施せ……など、信徒の権利
>に肯定的でない。僕からすれば、人間の尊厳の否定だし、納得いかなかった。一方、イスラム
>教は人間の権利に肯定的で、みな平等だという。決定的な違いですね」
↑
常岡氏の主張も解る。何故、宗教が個人の金銭にお節介・執着し指示するのか
今いち解らんわ
カルトは特にそんな傾向があるw
634 :
神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 22:19:36.18 ID:ffyBVB65
真面目な疑問なんですが、日蓮正宗と浄土真宗ってありますよね?
昔、戦国時代に浄土真宗が急進的に広まった時がありましたがその理由はなぜでしょうか?
また、現在において日蓮正宗系の新興宗教(顕正会・創価学会)は現代において広まったのに、
浄土真宗はなぜ広まらないんでしょうか?教義などの専門的な分野の面などから教えて頂けるとありがたいです。
635 :
神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 22:22:28.79 ID:ffyBVB65
>>634の追記ですが、皆が助けを求めるような混沌の時代であったから仏教が広まったというのはわかります。
ただ他の宗派ではなく、浄土真宗や日蓮正宗のどこに魅力を感じたのかなというのを教義的な部分を絡めて知りたいなと思いました。
636 :
神も仏も名無しさん:2012/03/15(木) 23:00:38.70 ID:avSB91Yq
>>634 単純に言えば需要と供給の関係ですが
もっと言えば、布教・宣伝に成功したかどうかで決まることです
浄土真宗は、親鸞が流罪になった先で布教に成功し
蓮如の宣伝工作によって本願寺の勢力が一気に拡大します
現代では創価学会などは折伏という布教方法によって成功しました
逆に、浄土真宗が広まらない理由は、来世利益に重点を置くからです
日蓮宗は、浄土真宗の否定から出発したため、現世利益を優先しています
多くの人は、先の利益より目の前にぶら下がった利益を欲しがるものですからね
鎌倉新仏教が台頭した理由は、それが末法思想を克服した仏教であって
しかも、大衆が在家のままで仏教を実践できるという簡便さにあったという点にあります
念仏や題目に特化して、それ以外の行を要求しない新仏教は
当時の大衆の精神的需要を満たすことが出来たということができます
>>634 真宗拡大の理由
・予習(基礎知識)が不要。一心に念ずるという一行でよい(・・・実際はもっとシビア。必ずしも易行と言い切るのは語弊あり)
・過酷な現実と安楽浄土の対比、及び地獄の描写の流布。(≒乱世と地獄の相似と浄土の清らかさ)/
・弥陀誓願の成就による絶対的救い/
・悪業が、必ずしも救いの否定となっていない(寧ろ、弥陀の慈悲に気付ければ、より救いに近い者となる)/
現代に拡大発展しない理由
・現実の過酷さの質が違う。(→浄土が希求されにくい)/
・念仏という行為への低評価、及び心理的救いへの低評価、及び唯物論的価値観の蔓延/
・社会全体としての宗教的価値観や文化への低評価/・現物的利益、物理的充足による幸せの希求傾向
日蓮派生系の発展理由
・もともと日蓮由来の「法華経(≒名号)一本」の至上性による、解り易さ/
・折伏(排斥)を含む、そうした唯一主義(国粋主義)が、近代日本の成長発展とリンク。
(→折伏:敵が存在することでの結束及び自説の確実性担保)
・日蓮系のみならず全宗派含めた僧侶の(宗教界の)世俗化への叛旗。世俗化する宗教界との対立軸により、
共感を得やすい。(・・・実際の発端は身内争い、仲違い。故に、最初から敵の一端は僧侶であった)/
・ネズミ講的システム/・崩壊した地域共同体、村落共同体に代わる互助会として機能
ざっとこんな感じでしょうか?
638 :
神も仏も名無しさん:2012/03/16(金) 03:06:01.07 ID:xWl4rlC5
>>634 既成宗派で檀信徒数が一番多いのは浄土真宗であるし、熱心な信徒も多いと思います。
しかし、浄土系の新興宗教には日蓮系新興宗教ほどメジャーなものはない。
浄土系の場合、教えがシンプルだし、僧侶でも在家でもやることは同じ念仏だし、
浄土系ではわざわざ新興宗教をつくる余地がないのかも。
宗派争いなどくだらん。
政治家の党派間抗争や派閥争いと同様に何も生まんクソ騒動。
641 :
神も仏も名無しさん:2012/03/16(金) 08:06:16.39 ID:xWl4rlC5
642 :
神も仏も名無しさん:2012/03/16(金) 10:58:55.87 ID:UvmqUnQX
>>641 メジャーではないけど、親鸞会は真宗の鬼子だね
あの辺りは親鸞在世当時から秘事法門の歴史がある地域だしね
まあ、真宗教義が、目に見える修行から目に見えない信心に力点を移した結果だから
これは痛し痒しといったところだと思う
歎異抄で唯円が嘆いたそのままに、現代の異安心(異端)として存続していくのだろうね
みんなゴチャごちゃ言うてるけど
物欲、性欲、ありとあらゆる欲求
精神的欲望
そして「悟り」までサプライズしてくれる宗教があれば
それに俺は食いつく
ただ、それだけだ
> 物欲、性欲、ありとあらゆる欲求
> 精神的欲望
> そして「悟り」までサプライズしてくれる宗教があれば
> それに俺は食いつく
↑ (日本なら真言宗とか)後期大乗密教が良いんじゃなイカ?
645 :
神も仏も名無しさん:2012/03/16(金) 17:56:51.52 ID:UvmqUnQX
立川流とかね
教祖は立川談志
646 :
神も仏も名無しさん:2012/03/16(金) 18:31:06.31 ID:WR3/qn3Y
室町後期くらいじゃないかな
仏教が庶民に親しまれ始めたのは
それまでは寄進やお布施の額で極楽へ行けると思われていたから
庶民からしたら高値の花
公家や武士の為だけに存在した宗教だったのを
庶民信仰へ導いたのが浄土真宗じゃなかったな?
いずれにしろ間違った教えが日本には広まったよね?
>間違った教えが日本には広まったよね?
え間違った?
>>646 >いずれにしろ間違った教えが日本には広まったよね?
何を以て「間違った」と言うかによるね
ぶっちゃけ、歴史上インドに生きたゴータマシッダルッタの言動と一致しない事を示して「間違った」と言うなら、
現存する全ての仏教は「間違った教え」だろうね。
そもそも、宗教として見れば、信者が「信じた」ものが真実だよ。
歴史としてみるなら話は別だけど、歴史を語るならスレ違いだろうね。
教えがあっても「ブッダ」のような指導者がいなければ
どんな仏教教団であろうと「食いかすのみかんの皮」に等し
彼は経典をみるに「弟子にほとんどの場合」瞑想などさせてはいない
ただ一言、二言の説法で弟子を悟らせているのがわかるだろう
ソースは「阿含経」
650 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/17(土) 15:43:15.89 ID:ZvjSpZ+Q
>>649 ただの“(教えについての)悟り”と
覚者(成仏)となることとは異なります。
「阿含経」の名を利用してテキトウなことをいわないように!
完成した覚者と成るには瞑想は不可欠。
このことの重要性は(経典中で)明確に説かれています。
反論できるなら経文の引用で提示願う。
こちらは自信あり!
桐山に騙されてはいけないよ
652 :
神も仏も名無しさん:2012/03/17(土) 21:26:27.69 ID:PbxO3KWZ
仏教かどうかわからんけど
今日、営業で個人宅訪問したら
「こうやって会ったのも縁だから祈らせてください」みたいなこといわれて
5分くらい祈られたんだが
これってなんか意味あるの?ちょっと怖かったんだけど。
手順としては
・祈りのおじさんと一緒に合唱して「○○様(←名前は忘れた)ありがとうございます」と三回唱える
・目を瞑って両手は座禅組むときみたいな感じで5分くらい静止
・最後にまた「○○様ありがとうございます」って3回言って終わり
653 :
神も仏も名無しさん:2012/03/17(土) 21:41:29.08 ID:A6QO5a+f
仏教に呪術があることが信じられん
お釈迦様がそんなもん知ったらどう言うか
>>652 たぶん、明主様ありがとうございます〜から始まる神慈秀明会の浄霊(儀式の名前)じゃなかろうか。
キリスト教(異教)の牧師(神官)にアーメン(祝詞)と祈られたのと似たようなことだと思えば気は楽。
仏教エッセンスは混じってるが仏教の直系ではないから、この辺で。
655 :
神も仏も名無しさん:2012/03/17(土) 22:14:31.11 ID:PbxO3KWZ
相変わらず難しくてついていけないよ。
> 仏教に呪術があることが信じられん、お釈迦様がそんなもん知ったらどう言うか
バラモン(ヒンドゥー)とかの呪術と仏教が混合して後期大乗密教が出来たかもしれない
バラモン(ヒンドゥー)とかの呪術も根本仏典も後期大乗密教も
肯定的に捉える考え方があっても良いんじゃなイカ?
例えば
根本仏典はバラモン(ヒンドゥー)に対して
批判している所もあるかもしれないけど
− − −
禅定(瞑想)の事については
バラモン(ヒンドゥー)も根本仏典も後期大乗密教も
共通している所もあるんじゃなイカ?
まあ実際のところ釈迦は呪術と科学の境目がなかった時代の人だからどうとも思わないだろうな。
呪文を唱えれば病気が治る、リモコンのボタンを押せばチャンネルが変わる、行為Aをすれば結果Bが表れる。
今でこそ行為と結果の間に理屈があると判っているが、二千五百年前は科学と呪術の違いが判らないもの。
> 行為Aをすれば結果Bが表れる
因 → 縁 → 果 → 報 → 因
呪術をおこなうと言う行為によって何がしろの結果が現れるかもしれない
『有ではない、だけど無でもない』
新興宗教ではオウムに代表されるように、超常の力を利用できるのがウリのところがある。
例えば、霊と会話ができるとか、新しく政党を立ち上げた代表が本まで出している。
では仏教(もちろん伝統キリスト教も)では、何か超常の力を利用できるようになるのだろうか。
あるはずがないから奇跡と言うと思うんだけどね。
奇跡が具現化する場合もある
奇跡が具現化する事は『有ではない、だけど無でもない』
奇跡というものはないでしょう。ナニガシかの原因が。
キリスト教というか聖書なので、ユダヤ教かもしれませんし、
影響的にイスラム教もそうかもしれまえんが、
そっちの書物、新約か旧約かわからないものの、
エホバをやっていた奴によれば、
精神病は悪魔の所業とかなんとか。あいにく詳しく覚えていません。
じゃあ仏教で精神病の扱いは?
665 :
神も仏も名無しさん:2012/03/23(金) 20:30:31.84 ID:u09zpk2S
>>460 >もしよければその話の出典や、聞いた場所や、見た場所を教えていただけると
>貴方の求めている答えに近いものを提供できるかもしれません。
下記
>>53氏(多分、テレサの擁護者)のレスが疑問だったからです。
M・テレサは、果たして身口意が一体だったのだろうか?それとも否か?
◆マザー・テレサについて語ろう 2
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/psy/1231514994/ >53 : 名無しさん: 2009/01/15(木) 21:06:53 ID:Eli8yQta [11/12回発言]
>>49 >何を考えていたかではなく
>なにを行ったか
>マザーテレサの残した言葉
仏教では人間の「意=考え」と「身=行い」と「口=言葉」は一体のものだと教えているよ。
その人の考えが正しいかどうかは、その人の行いと言葉を見れば分かるし、
その人の言葉が正しいかどうかは、その人の行いと考えを知れば分かる。
身口意のどれが上とか下ではなく、どちらも大切。
>>665 460です。
そのような絶対的な身口意の三業一体論は自分が知りうる限りの仏教においては説かれた事は無いと思います。
>>666 >そのような絶対的な身口意の三業一体論は自分が知りうる限りの仏教においては説かれた事は無いと思います。
そうなのですか。。。ご回答有難うございます。
宗教のそのような区別まではなかなか解りにくくて紛らわしいことです。
よく、「人を見るには言葉ではなく行動をみれば解る」というようなことを書かれて
いるのを何回か目にしたのでそんなに単純なもの?・・と疑問に思っていたのです。
上記>53を詐欺者や偽善者に例えると
「詐欺・偽善者」の考えが正しいかどうかは、「詐欺・偽善者」の行いと言葉を見れば分かるし、
「詐欺・偽善者」の言葉が正しいかどうかは、「詐欺・偽善者」の行いと考えを知れば分かる。
やはり、彼らの<心の中>までは第三者には不明ですから単純に↑のように決定づけは出来ませんね
では、多分、M・テレサ擁護・反論のために持ち出してきただけなのでしょう
668 :
神も仏も名無しさん:2012/03/25(日) 14:24:31.82 ID:BKYNvKa+
ててて
669 :
神も仏も名無しさん:2012/03/25(日) 18:42:08.91 ID:BKYNvKa+
最強の如来は誰?
薬師如来?
観世音菩薩に一票
多砲如来かな。やっぱり戦闘は火力だよ。
>>669 最強って考えが無いと思う。
あったとしても各々の立場によって変動するものにすぎないと思う。
コーラとペプシとドクペだとどれが最強?って聞いてるようなもの。
673 :
神も仏も名無しさん:2012/03/26(月) 19:57:55.77 ID:e2J/VaC0
如来ってなんで複数いるの?
阿弥陀如来様さえいればみんな救われるやん
他の如来の存在理由が分かんね
>>673 如来は時代におけるそれぞれのニーズによって発生したから複数の種類の如来が存在している。
またl、発生が遅くなるにつれて如来の能力が上がる傾向がある。
(前の如来によって救われない対象を救おうとする為)
675 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/26(月) 23:33:24.34 ID:VCTH5wzc
>>673 阿弥陀はあくまでも死後の救済を謳い文句にしているであって、
現世におけるこの身の苦悩の救済にきてくれるわけではない。
これを実現されるホトケが観音であり、三十三化身で以ってあらゆる救済力を発揮されるという。
よって、これが最強!!
衆生済度の誠の現実とは、
ホトケの格(ランク)は下げられるもの。
676 :
神も仏も名無しさん:2012/03/27(火) 10:15:24.79 ID:VAp517z1
>>676 俺の個人的な見解だったらダメだと思う。
仏教側からの見解になるが、論理的に問題は無いともいえると思う。
(もし、大乗仏教の定義を「衆生への大悲」とするならば、
一つの方便として成り立つという側面がある為。)
しかし倫理や信仰の面では推奨されるモノではなく憚られるモノであると思う。
かじった知識だが、キリスト教的には大問題だと思う。
また、新宗教になるが生長の家などは仏教やキリスト教やイスラムの上位概念を信仰するものとして
これらの教理を並行させることを肯定している。
それは
いいとこだけの美味しいとこだけの寄せ集め
今はそれが合理的しょうな
なんだろね
679 :
676:2012/03/27(火) 20:49:50.25 ID:VAp517z1
>>677さん
ご回答をありがとう。
仏教とは、何でも「許す」もの(語彙が乏しくて申し訳ない)だと思っていたので恥ずかしいかぎり…。
キリスト教に関しては無知な自分でも、その歴史からいって問題ありだと思う。
>>678 伝統的やり方や在り方に固執するのは、
ガソリンバンバン食う、でかいアメ車でなきゃアメ車じゃない!
ってのと同じかもしれんね・・・。
けど、ヴィッツやマーチの如き車には、もはや「アメ車」の称号はふさわしくないわけで・・・。
難しいところだw
>>679 いや、仏教としては許すのみで批判はできず、一般倫理に基づいて批判するしかできない。
そんな感じ。
おっしゃる通りに様々な文化や考えを許容し吸収してしまうのが仏教。
その理解は間違ったものではないと思う。
そして大乗仏教の枠組みが大きすぎるから
「私は仏教だ。」
と自称されてしまったらそれは仏教として認めるしかなくなってしまう。
けれども、コレといって定義のできない抽象的な概念に過ぎなくなってしまうけれども
「仏教が仏教であるために守らなければならない最低ライン」ってものが一般的な倫理観の上にあって、
上述の事象はそれが破られてしまっているから、
仏教者としてや、仏教としてではなく一般的な倫理観に基づいて批判される事象だと思う。
682 :
神も仏も名無しさん:2012/03/28(水) 19:32:14.88 ID:wiprnm85
現世で救ってくれる如来様はおらんのかー?
683 :
神も仏も名無しさん:2012/03/28(水) 19:35:55.42 ID:8nOsWa3I
観音様は如来ちゃうやないか
大日様に現世利益あるんかいな?
>>684 どんなものを求めているのかはわからないが、
大日だったら大日如来の化身である不動が守ってくれたり色々してくれるじゃん?
それと経典によっちゃどの如来からもその名を唱え礼拝すれば寿命が延びるとか病気にならないとか現世利益があるって説かれてるモノもあるじゃん。
如来は、部下(実働部隊)がいっぱい居るからね・・。
で、人(部下)を使わず全部自分でやるのが、観音さんや地蔵さんw
687 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/29(木) 00:07:08.75 ID:7JB/YhwY
>>682>>684 大日如来が衆生を実際的に教え導く姿が観音で、
その救済力は三十三化身に表現される。
如来の格のままでは衆生と距離があり過ぎるという見解なのでしょう。
現実世界において衆生の中に生きたのが釈迦如来。
688 :
神も仏も名無しさん:2012/03/30(金) 10:32:55.43 ID:W1LHtSQR
さっきやってた朝の番組で悪いことしたら地獄におちるという教育はアメリカじゃ絶対できない
多神教の国だからできるみたいなこといってたんですけどアメリカで多いキリスト教でも
地獄天国の概念や罪深い人は地獄へ落ちるという教えがあると思うのですが
なぜアメリカではできないのでしょうか?
>>688 アメリカではどんな犯罪を犯しても無罪になって許されるという変な宗教が教育の基本だからだよ。
それって何教?
キリスト教でも地獄へ落ちる教えはあったと思うんだが。
地獄の炎も、天国の幸福にも無関心な宗教こそ本物
>>690 地獄へ落ちるのは異教徒。
異教徒は死ぬべき、という麻原も驚くような教義だからキリストを舐めちゃいけない。
>>692 イスラムも恐いがキリスト教も唯我独尊かよ。
>>688 公的な教育機関では宗教を持ち出すの法律で禁止されてるんじゃなかったかな。
アッラーを信仰しない(悪いこと)から、お前は地獄行きだってイスラム教徒の教師がキリスト教徒の生徒に言い出したら大問題だ。
悪=神や聖人の定めた法に背くこと、って、日本人の善悪感とちょっとちがうから。
青森むつの木村藤子女史によれば、この世こそ天国であり地獄だそうだ。
イスラム教徒の国は先進国には永遠になれないですね
政治と宗教が結びすぎ
697 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/03/31(土) 01:07:49.48 ID:mZe1IMnN
>>692 それは、
キリスト教徒(カトリック)らが勝手に言い出したデタラメ。
イエス当人はそんな偏狭で狂信的なことは決して言わない。
いらぬ誤解を招くから、イエスとキリスト教は明確に区別すべし。
これら下記の言葉こそが、
キリスト教らが無視するイエス自らの言葉。
『自分が裁かれないために、人を裁くのを止めなさい。』(マタイ伝7章1節)
『他の人を裁くその事柄において、あなたは自らを罪に定めているからです。』(ローマ人への手紙2章1節)
『たとえわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかまし
い鐘やシンパルと同じである。たとえ山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは
無に等しい。』(コリント人への手紙13章1〜2節)
『高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたち主キリスト・イエスにおける神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのである。』(ローマ人への手紙8章39節)
『わたしの父の家には、住まいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。』
(ヨハネ伝14章2節)
『もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・
イエスにあって一つだからである。』(ガラテア人への手紙3章28節)
<イエスの変な言葉>
■6:41−47.
イエス「私は天から降ってきたパンである」。
聴衆…『これはヨセフ(人間)の息子ではないか』。
イエス「信じる者が永遠の命を得る」。
■6:51−58.
イエス…「パンとは、私の肉のことである」。
聴衆…『どうやって自分の肉を食べさせるのか』。
イエス…「食べれば永遠の命を得る」。
■6:60−64.
聴衆…『実に酷い話だ。だれが聞いていられよう』。
イエス…「中には信じない者もいる」。
■6:66−68.
多くの弟子がイエスのもとから離れる。
ペテロ…「私は信じる」。
■20:25−29.
トマス『私は実際に見なければ、決して信じない』。
イエス「見ないのに、信じる者は幸いである」。
699 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/01(日) 02:21:50.03 ID:ItelCWY+
>>698 ただ“秘教的理解”の無い者にとっては変なだけ。
要するに、
これらの記述の意図する内容というのは、
肉体はヨセフ(人間)の子に過ぎないが、
その内的意識の到達点(内在のキリスト)は不死であり、永遠の生命だということ。
私(イエス)の示す教えを歩む者はいずれ必ず不死を得るという意味。
ここでいう血肉とはキリストエネルギーの象徴であって、
これを授けるイニシエーターとしての役職を担うキリストとしての立場を述べている。
復活はキリストの不死性を現実に証明して見せる実演ですが、
理解している者は復活した姿を目撃しなくても、
これが事実として起こり得ることを知っているということ。
まっ、この程度も分らない者は
まだまだ到底、100年は早いですわ。
自分の未熟(無知/無理解)をイエスのせいにしないこと。
仏教スレにてこの辺までとします。。。
700 :
神も仏も名無しさん:2012/04/01(日) 13:19:19.54 ID:RRJTmQZG
宗教だ!宗教を一杯作ればいいんだ。人間の純真な心を逆手にとるんだ。人間は馬鹿だから自分の信じる神様のためなら
殺し合いをしても平気になるぞ。まず、「自分の宗教は、宇宙で一番偉い神様の教えだ」と信じさせるんだ。次に、「他の宗教
は邪教だ!」 と宣伝するんだ。これなら 「邪教を滅ぼすことは一番の正義だ」 という論理になるぞ。そうしたら、殺し合いを
しても良心の呵責を感じずに平気な顔でいるぞ。「良心を麻痺させる」 にはこれしかないぞ。盛大な殺し合いが見られるぞ。
おお、わくわくしてきたぞ。
宗教を作るには教祖がいるぞ。部下で口のうまいやつを教祖に指名しよう。いるいる、そんな部下は一杯いるぞ。彼らが布教
するときには、奇跡を人間に見せてやれば一発で信じるだろう。どんな奇跡がいいかな・・・・・・・“病気治し”なんか手ごろだな。
人間は病気が治ると結構喜ぶぞ。・・・・・・・・・(ry・・・・・・・・最後の仕上げだ。「良いことをすれば天国に行ける」と宣伝しよう。
どうせ死んだら生き帰りはしないんだ。何を言っても大丈夫だぞ。良いことで一番の良いことは、「自分の神を守ることだ」 と
宣伝しよう。そうすれば 「他の宗教の神を信じている人間を殺すのが天国に行く近道」 と言う論理になるぞ。
宗教ほど人殺しを要請するのに便利なものは無いぞ。なんでこんな簡単なことに早く気づかなかったんだろう。やった!!
↓
★ 宗教は、サタンが人間に与えた戦争誘発兵器だ!!★
◆
http://slicer93.real-sound.net/5-7.html から抜粋
701 :
神も仏も名無しさん:2012/04/01(日) 13:59:13.91 ID:8PhOxaKC
702 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/01(日) 15:21:16.74 ID:ItelCWY+
>>701 この私は、
イエスの達成した神性とその輝かしい栄光を称賛こそすれ、
中傷したことなどは一度もありません。
単に欺瞞に満ちた教会の偽りが嫌いなだけ。
『キリスト教』には興味なし。
もちろん、
個々の真面目な信者たちは基本的に尊敬しています。
その深い信仰心には敬服します。
現在でもキリスト教が繁栄しているのは、批判的聖書研究の結果が知られていないお陰です。
『マールブルクのフィリプス大学で神学の学位を得たヨアヒム・カールはこういっている。《キリスト者の無
知は、神学者、教会史家による情報の不足の結果である。学者たちは著作で、スキャンダル的事実を否
認するのに二つの方法を知っている。現実を曲げて全く反対のものにするか、被い隠すか、だ》--私はそ
れをともに信者に対する欺瞞と呼ぶ。』--------(「奇跡」エーリッヒ・V・デニケン著/角川文庫)
>>698 いやまあ初対面の人間とどう接するのか
初対面で人の話真に受けて差別するのはおかしい
みたいな話が中心になってると思うけど
そうですね、仏教スレなのでこのへんで
704 :
神も仏も名無しさん:2012/04/02(月) 07:42:19.22 ID:cVKcZxKa
義父の一周忌に夫(長男)だけ呼ばれて妻子は呼ばれなかったんですけど、
都会の方の法事はそんなものなのですかね?
田舎の方だと長男の嫁と子が一周忌にきてないと
離婚予定もしくは夫婦仲が上手くいっていないと親戚は思うと思います。
ちなみに実家へは飛行機でいかないといけない距離です。
>>704 私は田舎者ですけど、普通は一世帯代表(この場合は長男)ひとり参加ですよ。
妻子がよばれたら、一世帯3人じゃないですか?
これじゃ大杉><
三人参加すると、三人分(オカネ)包まなけりゃならないでしょ?
(引き物も三人分?)
包む方も大変だろうし、ましてや主催側だって用意するのが大変ですから、
合理的考えは「一世帯ひとり」。
これで逝ってよしです。
706 :
神も仏も名無しさん:2012/04/02(月) 10:10:29.52 ID:cVKcZxKa
>>705 そうなんですか?
そうだとすれば、結婚式も血縁者だけ呼べばいいのにね。
>>699 “秘教的理解”って何?
不死を得ることはそんなに大切なことですか?
>>704 様々なケースが考えられるからね・・・。
貴方の言うように、もし、ざっくりとした『普通に』ということであれば、
長男家族は全員が基本形です。 が、
・子供が「産後一年未満や乳幼児」であれば、面倒を見るために母も残るということはありえます。
(小学生でも同じです。中高生になると、本人の意向や予定で、子供だけ出ないということもありますし、
じゃあ、お父さんだけで・・・ともなります。(義理の血縁でもありますし。)
或いは又、
・人数が多ければ、(最近では少ないですが、子供が3・4人もいれば)、
>>705にあるように、
顔見せや、場のにぎやかしという意図が必要なければ、代表一人だけの方が双方にとって負担が減ります。
(ただ、お包みも引き物も、古来は705の如くあるべきですが、「今は」一家一包、一家一つです。)
また、
・基本的に食事がセットです。当然費用は施主負担です。(だから、お包みが必要なんですが、
最近は、(身内だけのことも多いので)お包み無しの場合も多々見受けられます。)
となれば、(たとえ子供でも)一人増えれば何千円ずつ増えていくわけです。
出席者を代表で済ますというのは、現代的な工夫と言ってもいいでしょう。
また、(それほど多くあるケースではありませんが)
・縁のある方、お世話になっている方を大勢招待する場合、バランスとして、
身内の出席を削るケースも考えられます。(勿論、顔見せ、縁故の確認でもあるので、
長男は必須ですし、できれば、長男家族は追従していた方がよいとも言えますが・・。)
また、(これはまずないとは思いますが)
・寧ろ、代表者が出るもの、女子供は内に留守するもの、という慣習があったりとか?
(これは、可能性としてゼロではないというだけで、「普通は」考えにくいですw)
いずれにしろ、その他にも、各家庭(家系)で種々の状況があると思いますので、
一刀両断はできないですよ。
>>706 また、結婚式は、
(式自体は少数の身内だけで行い、披露宴は大勢呼ぶ、という形がありえるように)、
上の、法事での「顔合わせ」「互いの安否の確認」「現況情報の交換」等は勿論、
(葬儀が「後継者の発表、確認」の場であるように)、
関係者への「周知」と「今後の支援依頼」の場でもあるので、寧ろ血縁者でない人をどれだけ招くか
ということが大切になります。
>>702 >イエスの達成した神性とその輝かしい栄光を称賛こそすれ、
>中傷したことなどは一度もありません。
最初から「あなたのキリスト教観は」と言っています。
>単に欺瞞に満ちた教会の偽りが嫌いなだけ。
>『キリスト教』には興味なし。
関心はあるようですね。私がすすめたのは貴方が喜ぶだろうから、ではありません。
知識に乏しいまま、理解の貧しいまま、このまま通り一辺倒のネガキャンを続けるなら
貴方(と貴方のキリスト教批判)が成長しないだろう、と思ったからです。
批判対象について知識を増やすことも理解を深めることも拒絶して
何年も同じことを言い続けている名無しを貴方も知っているはずです。
>個々の真面目な信者たちは基本的に尊敬しています。
尊敬しているなら、なおさら学ばないといけません。
肯定するにせよ批判するにせよ、きちんと知る努力をするべきです。
彼らが大切にしているものなんですから。
711 :
神も仏も名無しさん:2012/04/02(月) 17:42:50.41 ID:3sEgzBPr
宗教は、何千年前も前から同じことを言い続けている専門家
712 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/02(月) 23:38:08.77 ID:Wbq0kQfM
>>704 私は、
これら幾投稿かのご解答ご意見の内容には疑問視です。
そもそも根本(の意味)が違うでしょう、と。
本来はお互いに、
「参拝したい」「参拝に感謝します!!」という意識と姿勢が根底になければならないでしょう。
代表して一人でいいんだとか・・・そういう問題じゃないから。
食事と引き物の負担問題についても、参拝者がそれ以上の御仏前金を包めばそれで済むこと。
また、夫婦というものは一心同体であって、常に行動を共にするのが基本です。
---以上
713 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/02(月) 23:43:43.08 ID:Wbq0kQfM
追記:
わからない者ばかりだから、更に付け加えておきます。
主役は供養を受ける(故人の)側にある。
こういう時にこそ、一人でも多くの血縁者が心から集うことが最大の供養となる。
これが有難くて貴重な集いの機会だということ。
>>713 お前、日本人じゃないだろw
日本的な儀礼解釈ができないなら、日本から出てけw
嫌われてる人は行かなくていいよ
故人の意志を尊重
716 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/03(火) 00:23:34.29 ID:Q6SfI+9M
>>714 もしこの私が法要を営む僧侶だったら、
最後にそういう法話を語りますけれどね。
これは親族一同が集う大切な機会であり、
残された親族が仲良く助け合って繁栄していく姿を見るのが故人の喜びだと。
最大の供養となるのだ、と。
ごめん。
あたしゃ・・偽善が嫌いなんでね!
>>701 「異教徒を殺すことは殺しではなく刑が執行されているだけ」というのがキリスト教徒の標準解釈です。
kill(死刑)とmurder(殺人)は違う、と彼らは本気で思ってるんですよ。
>>716 偽善?
お前、日本の伝統的慣習や考え方を根本的に否定するんだな。
隠居じゃないが、そういう考え方の人間に、質問箱で“したり顔”でレスする資格はねーよ。
議論スレで我慢しとけ。 ( ゚听)、
いいか、(―父の葬儀を出したなら、通夜の時の階層の状況も判ってる筈だ―)、
毎回毎回法事の度に、通夜と同じ対応が必要となるってことだぞ?
わかってんのか?
ああ、「会葬」な。 変換ミスったわw
そろそろ議論スレへどうぞ。
721 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/03(火) 00:38:02.03 ID:Q6SfI+9M
>>718 そう?
我家の親族では、ごく当たり前のように本家側の何回忌法要でも同様にしてきたが?
用事や事情で来れない者はそれはショウガナイこと。
それだけのことでしょう。
>>720 おわりだからイイよぉ^^
>>721 金持ちは違うねぇ・・・www
ホスト側は食事の用意、引き物。
訪れる側はお包み(近年は無いことが多いのかもしれないが)、旅費。
(704は飛行機だと言ってたぞw 格安航空券なんてのは最近の話だw)
親族全員集まるには、確かに理想だが、『現実』ってもんがあるんだよ。馬鹿垂れ。
宝珠は、婆に庵焼かれる自称優等生の劣等生だからほっとけって。
あんまり質問スレの方を荒らすなよ。
724 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/03(火) 00:48:35.62 ID:Q6SfI+9M
>>722 遠方/飛行機代は当然、止む無き理由の一つでしょう。
当然、我家の親族においても同様、出席率は低くなりますよ。
近くても来ない者はいつも来ないし、ただそれだけのことです。
725 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/03(火) 00:51:06.57 ID:Q6SfI+9M
仏教スレにて詳しくはやりません。
“秘教的理解”とは、背後にある本当の目的なり意味を知る智慧のことです。大切どころか、
不死を得ることが最終的な目標だからですよ。不死とはいっても肉体の維持そのものが主眼
ではなく、意識の不死性のことであり、その意識そのものに目覚めるということ。
(キリスト教においてもというか・・・)イエスの教えそのものが本来、不死を示すことにある。
「復活」(再生)と「昇天」を示すことがイエスの物語の主眼です。イエスの示したかったもの
は、当然、この「復活」及び「昇天」なのでしたが、しかし残念ながら、キリスト教はイエスの御
心に反して感情的な反応で以って十字架へと心を奪われました。
確かに、愚かなユダヤ人がイエスを理解できなかったことに磔刑の原因がありますが、イエ
スはこれをそのままに利用することにしたのです。その気ならば、いつでも逃れることができた
イエスがそれをせずに、弟子ユダへ自分(イエス)の居場所を伝えてくるよう命じたのも磔刑に
架かる計画を遂行すべく、そのゴーサインを出したものだからです。
726 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/03(火) 00:52:57.44 ID:Q6SfI+9M
>>707へ
>>725のつづき
イエスの絶大な力を信じるユダは、イエスが意図も容易く逃げてくれるものと楽観的でしたか
ら。しかし結果は、なんとそのまま拷問の末に処刑されてしまったので、あまりの結末に驚いて
しまい、自分のしたことの重荷に耐えかねて自殺してしまったのです。
このユダが勇気在る貴重な大役を引き受けた名誉在る弟子という見方ができるです。
(しかし、キリスト教というのは無知なので、ユダをただの裏切り者として忌み嫌いますが・・・)
この場合の仏教との類似性でいえば、実にゴータマを死に追いやった信者チュンダの食事の
意味にもこれは当て嵌ります。ゴータマはチュンダを責めることを禁じて、彼が最も重要な役割
を果たした者であり、その食事が素晴らしい供養であったと彼を称賛しているのと同様です。
これは完成者というものは自分で死を決めるからであって、自分の死とその経緯を事前にす
べて知っているどころか、このような死へ経緯へと運ぶのは完成者自身による意思決定による
ものです。
従って、完成者には事故死というものはないということ。
---余談---これでお・わ・り
子孫の負担や子孫への先祖供養の強制を望む先祖はいない。
先祖の唯一の願いは、子孫が「安らかに、精一杯『生きて』くれる」こと
であろう。
>>724 それがまさしく、
―旅費だけでなく、“諸々の事情を勘案して、斟酌して”招く側・参る側双方が受容する―
落とし所・『工夫の成果』としての
>>708なんじゃねーかw
>>725 生き続けることは執着。
魂の永続をいかにも体の永続を求めるように、巧妙に言い換えて
肉体に固執させんとする基督教の悪知恵。
これに騙されて苦しむ人が多い。
730 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/03(火) 01:08:05.34 ID:Q6SfI+9M
>>728 無理を強いない。
負担を掛けない負わない方向性に反対するわけじゃないから。
じゃー、心込めて代表してきてねぇw
>>729 肉体復活(不老不死)がイエスの教えの御心ではなかったのだけれども、
イエスの復活の出来事から案の定、誤解してしまったのです。
彼らキリスト教のいずれは肉体の復活を信じる教義から、
遺体の火葬を拒む(土葬の)風習が現在も根強い。
おかげさまで病気の蔓延に一役買っているのです
(火葬の習慣へと切り替えることで病気も減少するものと期待される)。
>>730 魂は別にそのままで永遠なわけですが、
何をもって殊更に永遠の生命などと言っているのか
理解に苦しむところがあります。
また永遠に天国に住せるということもない話であって、天国に入れたとしても、
そこで歩みを止めれば落ちてしまうんです。
>>730 だったら、『
>>712 >内容には疑問視』という書き出しで、
あたかも、
《そうした工夫を忌むべきニュアンスとして、本来の(神智学的w)意義の下に切って捨てる》
かの如きレス(言い回し)をすることはないでしょう?
*( >そういう問題じゃないから >そもそも根本(の意味)が違うでしょう )
ここは仏教質問箱ですよ? それは、『仏事質問箱』でもあるわけです。
だとするならば、慣習として、或いは近代の仏教的法要の傾向として「コレコレこうなってます」
という回答こそが“基本”だろうが? (だから、隠居が質問箱にふさわしくないんだろ?w)
そこへ、―712はまだ、ベーシックな先祖供養の型を外してはいないけれども―
(少し乱暴に捏造意訳するならw)「邪道です。本当はこうするべきです。」
みたいな言い方はふさわしくない。
また、その方向での『本来』を言い出すと、『どの宗派での本来か』という点を設定せざるを得ないからです。
そういう意味でも、そこまで踏み込まず、常識的慣習としての回答が、まずは704に示されるべきと思うし、
結婚式に触れて話が広がったので、
>>709も踏まえて更に、問いが重ねられた時(問いの方向性が絞られた時)
そのとき、○○では本来は・・・、という流れがベターだと思いますよ。
734 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/03(火) 01:36:26.15 ID:Q6SfI+9M
>>732 >魂は別にそのままで永遠なわけですが、
自覚できないことには無意味です。
ただの知的理解ではそれを知覚できませんから。
意識の焦点が肉体レベルから、
「魂」と「霊」のレベルへと実際に昇格変換しなければなりません。
それは実践的歩みだけが可能にすることです。
>>733 本来の真義の理解を取り戻すことと
社会常識との線引きや如何に?
なーんてねぇ
叱られたから消えますわw
トホホ
>>730 誤解したわけではありません。
イエスは不滅なのは霊などではなく、肉だ、と自分の肉を触らせましたよね。
イエスが言っているのは肉の不滅です。
ゾンビになること、何をやっても死なないし、罪も帳消し、そんな教え
トンデモカルトでないといえますか?
宗教は狂気!
(・・ )コヮ〜
739 :
704:2012/04/03(火) 11:51:21.16 ID:D3LqqFzn
>>712 同意です。
田舎の方では直系の長男家族が義父の一周忌に出るのは当たり前のことだと思います。
(3回忌、7回忌などではなく1周忌です。)
それは次の世代(長男夫婦の子供の世代)に信仰と墓と法事をつなぐということだからです。
お坊様がそういったことを推奨しない限り、義母の代、もしくは夫の代で、
信仰と墓と法事は途絶えるし、ゆくゆくは仏教やお寺も途絶えていくと思います。
740 :
神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 12:14:00.29 ID:4ImAWeSk
■ 医師宅にミイラ化遺体、娘「生きている」と点滴 ■
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120402-OYT1T01067.htm?from=main5 2日午前10時頃、東京都小金井市本町の男性医師宅で、警視庁小金井署員と同市職員がミイラ化した遺体を発見した。
遺体は男性医師とみられ、生きていれば88歳になるが、死後数年が経過しているという。同居していた長女(61)と
次女(58)は同署に対し、「父はまだ生きている」などと話している。同署は3日に司法解剖を行い、詳しい死因を調べる。
同署幹部によると、遺体は2階の和室に敷かれたペット用のトイレシートの上に横たえられた状態で発見された。
全身にガーゼがあてられ、その上からラップが巻かれていた。首までは上からブルーシートがかけられていた。
遺体は一部が白骨化していたが、酸素吸入器が取り付けられ、点滴の針も刺されていたという。目立った外傷はなかった。
男性は自宅に併設された診療所で診察を続けてきたが、数年前から姿を見かけなくなり、近隣住民が市に相談。市職員が
訪問したところ、長女と次女に入室を拒まれたため、2日、高齢者虐待防止法に基づき、署員と一緒に立ち入ったという。
近所の住民らによると、男性は数十年前に診療所を開き、医師の長女と2人で内科や小児科の診察をしていたが、
2010年頃に診療所は閉鎖された。長女は周囲に「自分には霊能力がある」などと話していたという。
>>699 この事件の “秘教的理解” とは?
↓
>同居していた長女(61)と次女(58)は同署に対し、「父はまだ生きている」などと話している。
遺体は一部が白骨化していたが、酸素吸入器が取り付けられ、点滴の針も刺されていたという。
目立った外傷はなかった。
744 :
神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 14:59:12.56 ID:Ql88gpx1
え〜〜〜〜〜と、言わなくてもわかるとは思いますが、
宗教のネガキャン を必死にやってる馬鹿が一匹おります。
こいつはオウムの修行で狂わされて、ここが「質問箱」であることも理解できない
キチガイです。(おそらく、ちょっと前に自慢してた、ナントカバンドってのが
良くなかったのでしょうww)
くれぐれも相手をしてスレを荒らすことのないようにww
特に、宝珠w 相手するなよww
745 :
神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 15:13:44.09 ID:4ImAWeSk
>>744 無宗教者と「自称」しながら、必死で宗教を擁護する君が「宗教の黒幕」。
宝珠も君の仲間であることを自白している。
746 :
神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 15:39:36.67 ID:Ql88gpx1
>>745 www お前は、生命だ、なんだと喚き散らす前に、
「ルール、マナー」というものを学べやww
言いたいことがあるなら、「議論スレ」でwwwww
仏教スレでの自演は困ります。迷惑です。
いくらキリスト教が否定されてるからってレスを流すのはやめてください。
>>744>>746 君のレスと比較すれば、どちらがキチガイwwwww かは自明
宗教批判されたからって!余り喚くなょw・・・wwwww君!
新たな宗教戦争が勃発です
仏教徒はなんでも許す
十字架の人はねえ
750 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/03(火) 22:18:26.99 ID:Q6SfI+9M
>>739 そう、でしょう〜♪♪
私のいってる意味が分りますよねぇ!
これら法事を良い機会として、
残された親族一同(できれば、なるべく皆して)が数年振りに集うということ。
親族の皆さんが互いの元気な顔を見て、それを確認し合うのです。
孫や曾孫、甥っ子などの小さな子供たちの成長も披露するのです。
この故人を偲びながら、親族が和気藹々と元気に集うことが良い供養となる。
夫婦ならば尚更のこと、なるべく一緒に出席することが望ましい。
法事とは、そういう風習であるべきです。
あるべきではねえ
模範解答
現実見てない夢見がちな珍回答にしか見えないがw
753 :
神も仏も名無しさん:2012/04/03(火) 23:41:50.96 ID:qOotaHW7
日蓮って日蓮宗開く前は何の宗派の僧侶だったのですか?
あと日蓮は日蓮宗以外のご本尊は破棄しろみたいなこと言っていますが
これは仏教ではふつうのコトなんですか?
754 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/04(水) 06:16:27.37 ID:paOUAg5T
日蓮という奴は、天台宗で勉強して、それからアレを始めたハゲ。
政府に迫害されてかなりアレになり、ナニがアレとか言ってただけ。
仏教界ではかなりアレな人。
(^。^)まぁ、最近の仏教界だとアレな人は多いから、その先駆者とも言えよう。(笑)
>>753 他宗を捨てろと言い出したのは浄土宗の法然が先駆者だな。
>>755 それは、違うんじゃね?
他宗を捨てろって意見は法然が登場した当時の人々や明恵がした誤解に他ならないだろ。
彼は従来の仏教でも解脱を目指すことは難しいから、念仏によれば簡単に解脱が可能と言っている。
さらに、念仏さえできるならば、どのような環境や宗派に属していようが大丈夫ってのが法然だろ。
どこにも捨てろなんて言っていない。
もし、他宗の教えもあるが念仏宗のほうが正しい、と主張した、つまりは他宗を捨てろ
ってだけの意見であれば、それは教相判釈として中国からある文化。
これも法然が先駆者ではない。
757 :
神も仏も名無しさん:2012/04/04(水) 16:38:27.93 ID:PKzp/Y87
>>727に賛成!
特に女性は、いろんな事情から親類・身内の集まりを好まない人は多い。
身内は無遠慮な傾向にあり、過干渉になりやすくそのために争いが発生する
人数が多ければ多いほどその傾向があると思う
宝珠氏のレスは理想論ポイ、 表面上は参列していてもその下にはいろんな
感情が隠れている。そういうことに敏感な人は避ける傾向にあるかも・・
>子孫の負担や子孫への先祖供養の強制を望む先祖はいない。
>先祖の唯一の願いは、子孫が「安らかに、精一杯『生きて』くれる」ことであろう。
↑を最重要に考えるべき
だから最近の冠婚葬祭は自由に多様になってきている♪〜
しきたりも時が変われば変わるもの、宗教も例外ではなく無常です
宗教や開祖が何千年も変わらないで続くなんて変―――――w
★子孫の負担や子孫への先祖供養の強制を望む先祖はいない。
★先祖の唯一の願いは、子孫が「安らかに、精一杯『生きて』くれる」ことであろう。
↑
ほんとだよなぁ、自分に置き換えても同じだ。
墓参りだの○○回忌の法要だのお経だの坊さんだの皆が集まって
何とかだの…………
そんなことは死んだらどうでもいいよ。
そうは言っても
自分の心のけじめが居る
できうる範囲内で出来る限りの供養
生前できなかったから
760 :
神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 03:42:38.07 ID:JZHZCSVC
>>758 冠婚葬祭くらいしか親戚が集まる機会がないので、
嫌々であってもたまに顔を合わしてネットワークを維持することには、
メリットもあると思います。
が、昨今は親戚付き合いのネットワークを利用することが少ないので、
メリットを実感できないのでしょうね。
たとえば、ネットで古着の子供服を安く買うママさんも多いけど、
そんなの昔なら親戚の子のお下がりをもらって済ましてたし。
761 :
神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 03:54:57.24 ID:JZHZCSVC
子孫が仲良く助け合っている姿は、先祖も望むところだったのではないでしょうか。
親戚付き合いは面倒くさい面もあるけど、生命保険のような役割もある。
病気になればお見舞い、死んだら香典、付き合いがあれば、
必要なときにはそれなりに助けが来るようになっている。
法事で集まるのも法要はオプションにすぎず、
メインイベントは親戚で集まって宴会すること。
762 :
神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 04:06:28.53 ID:ZbSR1EUa
仏教なんてただの馬鹿の集まりだよな。
南無阿弥陀仏だの南無妙法蓮華経だの、呪文唱えて極楽行けると思ってる基地外どもだから。
坊主なんて、葬式やって死人にテキトーに名前付けるだけでウン十万円取るしな。
納経してその証しとして納経印をいただこうと思うのですが、納経所があるような大きな寺はまだしも小さなお寺だと寺務所がまんま住職のお宅の場合が多いのですが普通にインターホンを鳴らして納経印を頂いてもいいのでしょうか?
>>763 んー、本堂に収める場所を設けているお寺や
写経会を催しているお寺にであれば大きくても小さくてもあるだろうけど、
写経会をやってないところだと納経印なんて準備していない、または作法や手法を知らない寺が多いと思う。
そもそも納経印ってのは四国四十八か所などの著名な霊場やお寺のグループが始めたものの筈、
普通のお寺であれば、印じゃなくて一筆になると思うし、そもそもそういう風習が無いところの方が多い。
何が言いたいかというと、とりあえずそのお寺に電話して聞いてみるのがいいと思う。
765 :
神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 19:11:01.82 ID:R5jef9Hf
昔から、「遠くの親戚より近くの他人」とか言うけど確かに
遠い親戚は疎遠になるし、他人のようになってしまう
まぁ、人それぞれ千差万別の環境だから多勢の意見が取り入れられる
のは仕方ないが、単なる義理ごと強制であってはならない。
★子孫の負担や子孫への先祖供養の強制を望む先祖はいない。
★先祖の唯一の願いは、子孫が「安らかに、精一杯『生きて』くれる」ことであろう。
↑
これを是非、最優先にと既に時代の声は言い始まり実践している
宗教者は商売上がったりだから勿論猛反対、潰したいだろうがね……w
766 :
神も仏も名無しさん:2012/04/05(木) 19:12:40.41 ID:R5jef9Hf
時代の流れには逆らえないだろう→無常
767 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/05(木) 21:26:55.42 ID:ETEKNQaY
>>763 もちろん、構いませんよ。
ただし、必ず事前連絡(電話)して、
参拝訪問の時間などを伝えてお寺側の確認を受けてからにして下さい。
(当然、霊場登録されている中の小さな寺院として話しています)
本堂の玄関から直で入れるか?
或いは、自宅玄関からとなるかはその時に分りますから心配無用です。
確かに小さなお寺は自宅玄関から入るパターンが多いです。
そして、必ず本堂へと通らされて、参拝後(写経を収めたり、読経の後)に頂ける筈です。
そのまま本堂内で渡されるか、別の呼ばれた先で貰えるでしょう。
768 :
神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 02:44:58.99 ID:KGHvDAny
急にすまん。
出家したい。
やめたほうがいいだろうか?
>>768 なぜ、出家したいのか。出家して何を得たいのか。それを聞かなければ答えようが無い。
出家しても手に入らないものを望んでいるなら止めるし、出家して得られるものであれば勧めるしかない。
770 :
神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 03:12:50.75 ID:KGHvDAny
>>769 ありがとう。
いま仏教以外に関心がわかない。
なにも手につかないといった状況で。
いまいち冷静は判断もできんくて。
771 :
神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 04:07:05.95 ID:KGHvDAny
続けると今の環境、会社や家庭や世間で一生やってく自信がないな。
だから生きていく自信がほしいんだろう。
そこで遍路をしたりで心の平穏を仏教に求めた。
そして次何しようと思ったとき自然と坊さんの道を意識したわけ。
まぁお経上手に詠んでみたい気は多少ある。
そんなとこ。
でも坊主の世界は窮屈はイメージが消えない。
それを気にしている。
772 :
神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 08:43:28.32 ID:f1P+tTa2
>>757 序列やしきたりがなくなれば、宗教や神社仏閣なんて必要なくなるね。
773 :
神も仏も名無しさん:2012/04/06(金) 08:49:03.92 ID:f1P+tTa2
墓もいらなくなる。
>>768 なんか、情報が少なすぎて漠然としてて助言はあまりできん。
坊主ってパンピーからだと修行と読経しかしてないイメージあるけど
実際はお寺一本でやってくことができずに副業しつつお寺を存続させるような形になるよ。
だから社会のしがらみから抜けるために坊主ってのは今の時代じゃ厳しいかも、
日本で遁世ができたのは明治まで、結局はなんらかのしがらみの中でという事になる。
あと、宗派に由るけど縦社会なのは大体どこも一緒。
とりあえずお寺にでも行って話を聞いてみるがいいさ。
日本大乗を考えてるなら菩提寺のおっさんの所、
オレンジの服を着てるようなテーラワーダを考えているならテーラワーダの講習会に行けばいいよ。
>>772-773 >墓もいらなくなる。
ぶっちゃけ自分は死んでも狭くて陰気くさいお墓なんかに入りたくはないな
お花や線香を焚かれたり水掛けられたり・・・ヤダことw
皆はどうなのかなぁ〜、本当に死んだらお墓に入りたいわけ?
>>775 お墓なり何なりのお参りする目印がないと遺族として寂しい。
そして目印としてあるならば、それなりの雰囲気をしていてくれないとやっぱり寂しい。
自分のことしか眼中にない子供じゃあるまいし、俺が死んだら、俺が俺の意思だけが、というものでもない。
オウムで有名な宗教学者の島田なんか
墓はいらないと言ってる
>>777 一面的でしかないよなw
宗教学者の発言としては、浅いどころか薄っぺら過ぎるw
いったい何を勉強してきたのか?と。
世界各地の文明で、墓が設けられていない(→死者への思慕&畏れ・懼れのない)文化があるのか?とw
779 :
神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 18:59:02.14 ID:dT+o29CR
>>778 鳥葬もあれば水葬もある。死ねば意識も知覚も消滅するのだから、残った人々
に任せればよい。何を心配してるのやらw。
>>776 まぁ、ここは宗教板だから猛反対レスは想定内
商売上がったりで死活問題だからね
今は少子化になってお墓を守る子供が日本にいないとか
煩わしたくないと言う理由で集団墓碑?とかペンダント
にするとか・・・いろいろ多様になっているらしい
>>779 隠居かw
前半 >鳥葬もあれば水葬もある は、まあいい。
そのような葬り方が、多数のコンセンサスとして受容されていれば、
『墓所の無い文化』ではあろう。778は不正確なレスだったということだ。
で、問題は、続く『 >死ねば意識も知覚も消滅するのだから 』だが、
これは関係ないだろw
残った人間がどう考えるか、であり、(意識なり知覚なり魂なりが)消滅しようが残ろうが、
「メモリアルとして」或いは「自身の記憶の具象として」、「碑」的なものを求める志向性はあり得るだろ?
だから、お前さんは「人間観察(心理観察)」が甘いと言うんだw
>>780 反対意見に見えてるならちょっとそのヘイト感情を抑えてくれないか。
商売云々ではなく墓の問題は死ぬ当人と見送る遺族の総意で成り立ってる問題だと言ってるわけだ。
俺は墓が要らないと思う、までは良いが、俺が要らないと思うからお前等も要らないだろ? と、なると話がおかしくなるよと。
785 :
神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 21:07:26.94 ID:y/Ap99vf
>>782 正論だが、私の言いたいのは、死者を悼む感情は、あくまで、生者の生存本能
から生じる「死へ恐れ」を緩和する欲求から生じているということ。「生命が
等価」であれば、他者の生命の消失は、己の生命の喪失にも連なる。その意味
で、「死者は関係ない」のである。
786 :
神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 21:10:54.19 ID:y/Ap99vf
>>786 ま、仏弟子になるつもりがなければ、
そりゃ戒名なんて要らんわw
>>786 そういうアンケートも、
「自分が死んだ場合」と、「近親者が亡くなった場合」の区別とか、
「実際に近親者の葬儀を行ったことのある人間」と「ない人間」の区別とか、
を入れたアンケートをすると、割合がガラッと変わったりするんだよなw
都市部と、農村部でも全然違うしなw
ま、簡素化に向いてるのは確かのようだな
生活全般でも簡素化・合理的になってるし
790 :
神も仏も名無しさん:2012/04/08(日) 23:48:47.44 ID:byKeH2RX
苦行によって解脱を得ることは不可能。
これは仏教共通の立場。
っていうかその箇所(1章)は中村元が後代の加上部分であるって指摘している。
追記
仏陀の頃は無かったんだけど、仏陀以後になるとマヌ法典がゆっくりできあがっていくんだよね、
過程においてもマヌ法典は権威で、それはインド的価値観を反映させたもので、その中で苦行も当然のごとく推奨されてんだよね、
それが加上された時はマヌが絶好調の時だから、踏襲しようぜ!ってなったんだろうね、
ソースも一緒に挙げれればよかったんだけど、失念しちまってどこにのってたか出せないんだ、
このスレには知識人多いから誰かが典拠上げてくれると思うよ
>>790 当該77偈の水野訳:
信は種子なり、苦行(根律儀)は雨なり、
智慧は我が軛と鋤なり、慚は鋤棒なり、意はたづななり、
念は我が鋤先と鞭なり。
原文:
‘‘SaddhA bIjaM tapo vuTThi ,
paJJA me yuganaNgalaM ;
hirI IsA mano yottaM,
sati me phAlapAcanaM.
文献学的先後は一先ず措くとして、考え方としては、
「苦行」と言われているからといって、
それが、【所謂苦行】、【仏教に於いて、菩提樹以前に却下された苦行】であるとは限らない。
人口に膾炙した言い方をすれば「頭陀行」と言われるものも、苦行の亜種に他ならない。
中道に於いて退けられる「苦行」がどこまでの範疇かは、
単に言葉のみの「苦行tapas」としての括りでは見失われる領域にある。
794 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 01:34:37.19 ID:vjDeC0SA
795 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 10:59:03.11 ID:hyseHcUJ
>>777 →
>>781 やはり答えがないのでいつもの口から出任せのデタラメレスか
いつもカルト宗教者は悪質だな
ちゃんと見ている人がいるんだぜ
反対の場合には、執拗に粘着して口汚く罵るくせにお笑いだなw
796 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/09(月) 12:02:31.17 ID:HGgz9LUl
>>778 私は“散骨”を否定はしないけれども、今のところ特に推奨もしません。
確かに、亡骸に執着しない方向性は仏教的な無常観を意味するものとは思いますが、
ゴータマによって、祖霊供養の必要性が説かれたことを思えば、
墓には、故人(先祖)に対する想いを結びつけていく窓口的役割を果たす意義があるものと思う。
人類学的に見て、
仲間の遺体を葬った時に人類は猿(動物)から卒業したものと見なされている。
これが、人が霊性を認識した証拠であるともいわれている。
797 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/09(月) 12:04:33.79 ID:HGgz9LUl
あっ、反論ではなくて、
同意的な意味合いです^^
798 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/09(月) 12:05:08.75 ID:HGgz9LUl
>>790 一般に、仏教の特徴とされやすい部分である所謂、“苦行を棄てた”といういい方というのは、
恐らく、実は後代における過剰に強調されたものだという可能性があります。
原始佛教の当時においては、苦行は積極的に導入されていましたが、ただしその内容がジャ
イナ教、その他の沙門たちの比べて過激性が少ないものだったのです。そのところをジャイナ
教徒らに突付かれたので、「苦行は棄てたのだ」という言い方を採ったわけです。
尚、仏教が認める苦行というのは、やはり当時の肉体を痛めつけるだけの無意味的なもので
はなくて、精神を鍛え上げる効果を狙った意味での修練でした。よって、苦行という表現は誤解
を招くものなので改められるべきで、「錬行」とか「修養」とかいう表現の方が相応しいでしょう。
実際、この練行の無い仏教諸派というものは基本的にはないのであって、ただし、自力を否定
する阿弥陀信仰のような派はそういったアプローチは好まないと思われます。
参考:
『この場合の修行は、元の言葉で、「タパス」といいますが、「修行、修養」のことをいうんです。
学者によってはこの「タパス」を「苦行(くぎょう)」と訳す方もございますし、また実際苦行を意味
することもあるのですが、仏教の場合には、世間の苦行者が苦行を行っているから、その彼ら
の立場を一応思いやりを持ってみて、なるほど、タパスというのはいいことだ、と。けれども本
当のタパスは身体を苦しめるようなことではないんだ、と。自分を修養することだ、というので、
中味を改めているわけです。』
(NHK「東洋の心を語る」@開かれたこころ
--東方学院院長 中村 元/駒沢大学教授 奈良 康明)
http://www1.kcn.ne.jp/~hk2565/kokoro-223.htm
799 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/09(月) 12:19:13.96 ID:HGgz9LUl
追記:
誤解をされるといけないので断わっておきますが、
「苦行によって涅槃を得る」という見解はゴータマは否定しました。
また、「苦」「楽」両極端の姿勢を認めず、「中道」を説きました。
これは間違いがありません。
仏教の修行者より
社会で活躍して娑婆で揉まれてる社会人のほうが
人間が熟成されてくるという
実際社会で揉まれてるさまざまな世界の人々のエッセーなどのほうが
衆生の心に生で響いてくる文言が多い
娑婆世界にまさる修行道場はない
社会経験が薄い人がどんなに仏教の知識武装したところで
そんなメッキは簡単に娑婆人社会人に見抜かれてしまう
あっこの人社会で揉まれたこと無い人だなって
802 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 12:50:14.49 ID:MqlqIP3Q
>>801 ブッダの時代、小学生くらいの歳の人でも悟った人がいたという話があるので、
悟り(煩悩がなくなる)と社会経験とは必ずしも比例していないかも。
社会において悟りにつながるような経験をする可能性はあるけど。
悟った人なら
その文言は後世に多大な影響のある文言があるはず
ゴータマの文言のように
そういうのが無い人はただの理論武装で観念論争しているにすぎない
非常に薄っぺらい
自分の言葉じゃなく釈迦の言葉だから
苦行なんて必要ない
娑婆から逃げずにただ生き抜くこと以上の苦行などありゃせん
805 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/09(月) 13:27:24.85 ID:HGgz9LUl
>>804 私は純粋な仏教徒ではないので、
仏教の持つ“出家至上主義”には賛成しない者です。
また、宗教者(特定の信仰を持ち実践している)が非宗教者よりも勝れている、
という見解にも反対します。
よって、あなたの謂わんとすることは理解できるつもりでいます。
ただし、日常の社会生活の中ではどうしても精神は静まらないので、
絶対的な必要条件としては、独りきりで過ごせる空間と時間を得るということです(家族がいても)。
時間はある程度は長いほうがいいですが、無理ならば僅かでも構いません。
独りで静かに座して、簡単な瞑想に取り組むこと。
そこまでしなくても、一人で読書でもいいですから静かに過ごす時間を持つことです。
漫画などの娯楽は(この場合は)辞めるべきで、
静かに思索できる精神的な内容の書物を。
>>804 たとえば、職人さんのようなものです。或いは芸術家の如く、と言うことも吝かではありません。
本来仏教徒(僧侶・比丘)とは「専門職」なのです。
二足三足の草鞋を履ける、多才器用な人も中にはいますが、
たいていの人は「二兎を追う者・・」になるわけです。
また、手に宝石を握っていた場合、その手を自由に使うことはできません。
常に「ハンズフリー」な状態を目指すのが仏教なのです。(だから、禅では無一物と言われるわけです。)
俗人として、アマチュアとして、であるなら、貴方が仰るような形(≒ライフスタイル)でも構いませんが、
スペシャリストであるなら、それではちょっとマズイわけです。
或いはまた、
『アンパンマンが、誰か特別に大切な個人・守るべき個人を持ってよいか?』
という問いに変換してみるのも面白いかもしれませんw
仏教にはプロ、アマという線引きがあるんだ?
初めて聞いたわ
凄い選民意識ですね
さすがです
>>807 >初めて聞いたわ
嘘でしょ? マジで?
2500年間、お釈迦さんの時代から「僧・俗、出家在家、世間・出世間」という区分はされてきてるし、
ありとあらゆる経典、文献、研究書、入門書etc.etc.に
明確に述べられているのに?
>>808 仏教には詳しくは無いけど
君の言うことがそのまま釈迦の言葉だとすると
仏教にはその時点でまったく合点がいかないし
興味もなくなった
ほな、さいなら
少なくとも原始仏教が平等主義な訳ないじゃん。平等主義そのものがニーチェ的に毒蜘蛛タランティラ。平等主義の毒にやられてしまったね。ちなみに釈迦とニーチェを戦わせてみると面白いぞ
人間とはまこと不潔な河よのう…ニーチェ先生の前にはすべての人類は生きる価値を有さないとは… でも、どことなくブンむくれた仏教徒的だ
結局のところニーチェは自分を救えなかった人だから、参考意見程度かな。
晩年、幸せに過ごせなかった思想家は、自身の思想の至らなさを体現しちゃってるとこあるよね。
>>807 「選民意識」と言う意味が解らんのだが。
出家したければ、だれでも「プロ」になれるんだぜ?w
それのどこに「選民」があるんだ?
選民意識ってのは、「選ばれた人間にしか資格がない」場合に言う言葉だろ。
出家でもアマがいる
ブッダは相手のレベルに応じて説く
いわゆる方便だな
815 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 21:25:14.14 ID:Ft5GlGl9
>>796 家も墓も永久品ではなくて耐用年数がある
先の大震災・津波がくれば一たまりもなく飲み込まれて無くなる
これから都市直下型地震が来れば想像を絶する
元墓の場所に分譲マンションができる可能性もある
そうやって戦争・火災・天災・・・焼け野原を潜り抜けて
歴史が今まで続いているのだろう?
>ゴータマによって、祖霊供養の必要性が説かれたことを思えば、
>墓には、故人(先祖)に対する想いを結びつけていく窓口的役割を果たす意義があるものと思う。
いつまで何千年も前の亡霊のような釈迦の夢物語から君の目が覚めないのか?
千の風でもペンダントでも何かの形見でも心があれば充分だろうに
>>815 「心掛け」の問題だよ。
≪諸行無常、(ひとたび大震災が起これば)、それまでの伝統が霧消することもある≫
≪だから、こだわる必要は無い≫
≪諸行無常、(ひとたび何かあれば)一瞬にして命を失うこともある。また、必ず死を向かえる≫
≪だから、(どうせ死ぬんだから)、一瞬一瞬を楽しく生きればいい≫
いくらなんでも、後者を容認はしないでしょう?w
どうせ死ぬんだから、適当に面白おかしく生きて、責務や配慮なんてすることすら勿体無い
という考え方もありえるでしょう?
けど、それではよろしくないわけです。
同様に、≪どうせ瓦礫となるにしても、
【今はまだ瓦礫ではあらず】、【そこに、何らかの精神的滋養が見出されるうちは】、
それを有効活用して≫何がいけないのでしょう?
お墓を作らないと絶対ダメ!という理由を教えて
別にお墓でなくても他の方法でも心がこもっていれば良いんじゃマイカ
お寺様と石屋の収入原だから
819 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 12:06:51.46 ID:CeYM77nt
祖霊が霊性がどうの・・・とかの理由はないの?
820 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 18:33:20.75 ID:wGtRss3c
>>819 仏教的には遺骨も髪の毛や爪や歯と似たようなもので、
故人の遺徳をしのぶときのオカズとなる思い出の品ではあるが、
それに霊が宿るとかはない。
基本的には仏教は輪廻を前提としてる(ただし仏や阿羅漢は輪廻せず涅槃)。
だから、墓や位牌に霊はとどまっていない。
(餓鬼道におちてさまよってる場合など、呼ばれてでてきてる可能性はあるかも)。
821 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 08:41:20.28 ID:kO9Gnxw5
行き残された人は故人になにもしてあげられない
その悔しい思いを
せめて位牌や墓を作り
形あるものに対し祈りたいじゃないかな
形がないといつも心のなかで弔うことになるし
822 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/12(木) 09:18:23.26 ID:oiUpzCsA
>>819 概ねは、
>>820の通りです。
「墓」の存在意義とは、故人を弔う遺族たち(遺族とは限らないが)の想いを振り向ける場所。
つまり、遺骨を粗末には扱いたくないということと、
埋葬した場所に礼拝して故人への供養としたいがためです。
確かに、故人の霊体はそこには居ませんが、
参拝者たちの想いはその地での礼拝を通して届けられるものと思われます。
まず、故人の遺骨をどうするか?ということであり、
たとえ散骨というものであったとしても、これは墓を造るのが面倒であるとか
まったく無駄で無意味であるから・・・という理由ではないのであって、
インドであれば、聖なるガンジスの大河へと散骨することで大きな供養になるものと考えるからであり、
その他のどんな場所であっても同様に故人を大切に思う心があればこそです。
そして、「位牌」が故人の霊体とを繋ぐ通信機の役割を担っています。
密教僧侶(日本では真言宗と天台宗)による開眼法要が、
位牌を供養のための本物の通信機にするでしょう。
尚、私の個人的見解では正直、
他の仏教諸派の位牌にそういう力があるかどうかはやや疑問に見ています。
特に、真宗においては、本尊として祀られている阿弥陀仏ですら何の効力もない可能性を疑います。
何故なら、真宗は自ら開眼なる見解を全く認めていないからです。
この私から見れば、開眼されてない仏像などはただの模型(か芸術品)に過ぎないのですが・・・。
私が密教の神秘力を信用するのは、密教が古代バラモンの叡智(呪力)を受け継いで取り込んでいるからです。
ただし、上座部テーラワーダの高僧はそれ相当の法力を修得するであろうことが期待できます。
>>821 はい、そう思います。
無意味ではない(想いは届く)です。
823 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/12(木) 09:27:08.90 ID:oiUpzCsA
>>796でも述べたように、
人間があるとき仲間の遺体を葬る行為をしたことで
人類が動物から分つ進化を遂げたのだ、といえるというのがあります。
同様にして、人間の意識の中に神の概念を想起するのです。
この神の概念を抱かない民族の発生というのは皆無だということ。
それが何故なのか?私は、ここに非常に重要な鍵が隠されているように思います。
宝珠先生
真宗をバカにするのは止めて下さい
826 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 03:08:53.77 ID:JBVWqXkd
大パリニッバーナ経(岩波「ブッダ最後の旅」)には、仏や大王や
仏弟子など人徳ある人の遺骨を納めたストゥーパ(仏塔、卒塔婆の
由来)を拝むと心が清められるというような内容が説かれている。
これはおそらく、遺骨を納めた仏塔という物理的シンボルが、
偉大な人の人徳を思い出させる機会を与え、偉大な徳を思い出す
ことでその徳をすばらしいなと随喜して見習おうという心掛けの
習慣につながるので、結果、善心を養う訓練になるということだ
と思います。
つまり、それくらい偉大な人の遺骨ならばストゥーパや墓をつくっ
て拝む価値がある(他人に善い影響与える)が、他人に善心を起こ
させるほどの偉大さをもたない我々一般人の遺骨の場合、墓をつく
って拝む価値があるのかは疑問。(何様のつもりだ)
827 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/13(金) 09:06:09.81 ID:PPh6xBEm
>>826 >つまり、それくらい偉大な人の遺骨ならばストゥーパや墓をつくっ
>て拝む価値がある(他人に善い影響与える)が、
基本的に一般人の墓というのは、
故人に対する“弔いの想い”の表れでしょう。
これも“美徳”の範疇だと思います。
よって、私は墓の無用論にはちょっと疑問です。
もしもガンジス川のような散骨の習慣の地があるならば、
確かに後は自宅の位牌だけで良いでしょうが・・・。
828 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/13(金) 09:06:30.58 ID:PPh6xBEm
>>824 元々、さほど特別な死者供養の祭祀をしてこなかった仏教が
中国に入ってきた際に、親孝行と祖霊祭祀というものに対して
非常に重きを置く儒教的立場からの批判を浴び、
確かに、最初は止む無く導入した位牌(儒教式祖霊の依り代)だったかもしれません。
が、結果的には、これが見事に祖霊供養のための通信機として
効果的に機能するものとなったのでした
(日本式葬儀の基本形は中国道教が起源の模様)。
私も一時期は、ゴータマは祖霊供養を説くことはなくて、
日本の先祖供養なるものは中国の影響に過ぎない。
業報の法則として、生前の行為によって死後の行き先や状態もすべて確定するのならば、
子孫による祖霊供養などはあまり意味がない、
そう考えていました。
けれど、これは一つの極端な見解であって、
実際には“ゴータマは祖霊供養の必要性を説いていた”のでした(『シンガーラワーダ経』)。
ということで、あくまでもこれらは仏教の歩みにおける本道ではありませんけれど、
無意味や効果なしというのは間違った考え方であると改めるようになりました。
829 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 00:13:18.40 ID:G3t0sqbt
830 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/15(日) 10:47:30.98 ID:soopJ9lK
>>829 まっ、
「霊友会」が“先祖供養の悪用に”該等するかはわからないけれども、
すでに続ける意志がない者に正式な退会手続きもなく、
会費だけが、入信を奨めた者(「親」と呼ばれる)によって肩代わりされ続けるという不思議。
つまり、会費だけを徴収し続けようとするシステム
(幽霊会員=実際の信者は会費人数よりも少ない意)は如何なものかとは思う。
確かに“先祖供養と称し”、
これが商売にされやすいのが宗教の世界であることは間違いがない。
だから、あまり過剰な行き過ぎは考えなければならないでしょうね。
供養するといって多額の金額がかかるとか・・・は、やはり気がつかないといけないでしょう。
普通に伝統仏教諸派であれば、「何代前の誰それは成仏できずに苦しんでいる云々・・・」
などと言い出したりすることもないでしょう。
また人は、死後に輪廻転生していくことからすれば、
普通に五十回忌を目安に一故人に対する供養には区切りをつけて、
“先祖代々の諸精霊”の一人としてお祀りするのが良いでしょう。
(詳しくは、菩提寺で指導を受けて下さい)
■『ナヌムの家』 毎日新聞(夕刊) 1998年2月4日
<憂楽帳>
「好きでやったんだろう」「売春婦!」「うるさい、最後まで見ろ!」
先月14日、東京・中野のBOX東中野で開かれた試写会でとげとげしい、やじが飛んだ。韓国の元従軍慰安婦たちの
現在を追うドキュメンタリー「ナヌムの家・パート2」が上映されていた。やじっていたのは、客席前方に陣取っていた
中年の男性2人組だ。会場は騒然となり、収集がつかなくなった。そのとき、会場にいた元慰安婦の女性がすくっと
立ち上がって、身の上話を始めた。日本軍に連行される前からもつらい暮らしだったこと。父親は酒乱で、よそに女性が
いて母親を顧みなかったこと。たまに帰宅すると子供たちに暴力をふるったこと…。
場内は水を打ったように静まりかえった。さて、くだんの男性はというと。なんと、体をがたがたと震わせているでは
ないか。「もういい、帰るぞ」 そのひとは精いっぱいの強がりを吐いて、会場を出ていった。友人が「ちょっと感動的
でね」と教えてくれた。「ナヌムの家」(パート1、2)の劇場公開は今月14日から。【佐藤由紀】
http://www.jca.apc.org/usokiji/yuraku.html ↓
■毎日新聞(夕刊)1998年2月5日 <訂正>
4日憂楽帳「ナヌムの家」の記事中、BOX東中野で先月行われた試写会でとげとげしいやじがあったとあるのは、
一昨年の別の試写会での出来事でした。先月の試写会は平穏に行われました。また元従軍慰安婦の女性が身の
上を語ったとあるのは、映画の中のことでした。確認不足のため関係者にご迷惑をかけたことをおわびします。
http://www.jca.apc.org/usokiji/teisei.html ↓
■映画新聞(1998年8月1日号)
ところが映画の中に「身の上」話なぞ出てこない。
訂正でさらに嘘を重ねることに。「認識不足」という次元ではないにもかかわらず、またウラも取らず、虚報に虚報を
重ねるとは報道機関としての体質を問われるところである。
http://www.jca.apc.org/usokiji/eigashin.html
読経のやり方の一つで、山折り谷折り交互にたたんだ経典をパラパラっと始めから最後までめくって行くことで
一回読み通した事にする簡略化の手法をなんて言うか解る方いらっしゃいませんか?
わかりにくかったらごめんなさい。
834 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 20:47:45.78 ID:yfDvwSkW
法華経のどこらへんが難解難入なのか教えて下さい。
法華経は難解難入でお前には理解出来んみたいなこと言われて、岩波文庫の法華経を一通り読んで見たけど、
方便話しばかりで難解難入に該当しそうなところが見当たりませんでした。
どの品のことなんでしょう?
南海でないし
ダイエーか
>>834 いろいろ解釈があるんで、一言には言えないが
経典を素直に読めば、その直後で、「所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。」と説いている部分の事だろうね。
他には、仏の悟り全体(≒他の経典全部)を指して、難解難入と言っているという解釈もある。
日蓮宗的には、如来重量本第十六に書かれている、久遠実成の本師釈迦牟尼仏の事じゃないかな。
即ち、仏は永遠の過去から永遠の未来にいたるまで存在する仏であり、我々を救ってくれるという教え。
そんな荒唐無稽で証拠もない事を信じるのは、難解難入であろう。
ついでに言えば、その難解難入の教えを、信じる事で悟れると説いたのが、譬喩品第三だと言われている。
>>833 あぁ!転読です!
ありがとうございます!
839 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 17:41:51.90 ID:uP3WwPNn
浄土真宗の法名に使われる釋という字なんですが
法名軸に書かれてあるのはノゴメヘンに上部が又、下部が二本横線に一本縦線の字かと思っていたのですが
微妙に違うことに気がつきました
釆へんはそのように思えるのですが又の横に二つ点がついていますし
その下は三本横線に一本縦線のように見えます
ネットで調べてもそのような字が見当たりませんが、できればその字を大きく見たいのですが
ご存じないでしょうか
840 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 19:58:46.25 ID:nnTtuN9L
>>837 ありがとうございます。
>>834です。
いろいろ解釈があるということは、やはり解釈によるという話なのですね。
法華経になにかしら難解難入の教説が書いてあるわけではなさそうですね。
どうやら、ムッとして28品読んだ僕は「折伏逆化」乙。って感じですね(笑)
とりあえず第三と第十六は読み直してみようと思います。ありがとうございました。
841 :
839:2012/04/18(水) 21:10:19.52 ID:uP3WwPNn
自己解決しました
ネットの台湾の異体字事典で発見しました
>>840 >法華経になにかしら難解難入の教説が書いてあるわけではなさそうですね。
二番目の解釈以外は、法華経内部に難解難入の内容が書かれているという解釈なんだが……
843 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 22:00:41.31 ID:nnTtuN9L
>>842 そうなんですか?
とりあえず、譬喩品第三を読み直してみましたが、一般的な仏教の教説を超えるような内容の教えには気付きませんでしたが、具体的にどのへんのくだりでしょうか?
十如是については、教説の内容ではなくて、如来にしか現象の実相はわからないと言うのを詩的に表現しているだけでは?
如来重量本第十六は明日までに読みなおしておきます。
読むて
どんな本をよむの
誰の本
>>843 >とりあえず、譬喩品第三を読み直してみましたが、一般的な仏教の教説を超えるような内容の教えには気付きませんでしたが、具体的にどのへんのくだりでしょうか?
↓日蓮正宗のHPだが、日蓮系の解釈であれば、どれも似たようなんで
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/nichiren_kyogi8.htm >十如是については、教説の内容ではなくて、如来にしか現象の実相はわからないと言うのを詩的に表現しているだけでは?
まさしく、「如来にしか現象の実相はわからない」からこそ、如来ではない人にとっては「難解難入」の内容じゃないですかw
>如来重量本第十六は明日までに読みなおしておきます。
如来寿量品を重視する日蓮系の読み方は特殊なんで、日蓮系の解説書を読まないと、如来寿量品を重視した解釈は理解できないと思いますよ。
846 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 06:44:00.04 ID:W6UHQZse
>>844 岩波文庫「法華経」(坂本幸男・岩本裕 訳注)です。
847 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 19:38:54.90 ID:W6UHQZse
>>845 >日蓮系の解釈であれば、どれも似たようなんで
「以信代慧」自体は日蓮の言葉のようですね。経典では「以信得入〜非己智分」あたりでしょうか。
「自分勝手に解釈しないで、仏の語を信じてこの経に随え」って意味だと思いますが?違うのでしょうか?
>まさしく、「如来にしか現象の実相はわからない」からこそ、如来ではない人にとっては「難解難入」の内容じゃないですかw
十如是は難解難入の内容ではなくて、なぜ難解難入の理由だと思いますがどうでしょう?
読み方があり、解説書が必要ということならば、難解難入の法が書いてあるということにはならないのではないでしょうか?
848 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 20:25:13.54 ID:W6UHQZse
如来重量本第十六を読みなおしてみましたが、難解難入の法らしきものは見当たりませんでした・・・orz
強いてあげれば「三界之相〜無有錯謬」のくだりでしょうか。
といっても、般若心経の「不生不滅〜」のくだりと同じことなので難解難入というには不足な気がします。
うーん、法華経の出来た2千年前なら難解難入だった?
御寺でお参りしてる時に、別の方が数珠をジャリジャリ擦りながら読経し始めたのですが、数珠をジャリジャリさせるのは何か意味があるのでしょうか。
うっとおしくてしょうがなかったのですが、チキンなので何も言えなかったのです。
>>847-848 >「自分勝手に解釈しないで、仏の語を信じてこの経に随え」って意味だと思いますが?違うのでしょうか?
>十如是は難解難入の内容ではなくて、なぜ難解難入の理由だと思いますがどうでしょう?
いや、だからさw
様々な法華経の解釈がある中で、「日蓮系の解釈では」そういう意味で解釈されていると言ってるだけだってw
貴方がそう解釈したければそれでもいいんじゃない?
しかし、譬喩品を通読したなら、他の経典では否定されている二乗(声聞と縁覚)の成仏が説かれている事に疑問を覚えなかったの?
>読み方があり、解説書が必要ということならば、難解難入の法が書いてあるということにはならないのではないでしょうか?
いやいや、直接「難解難入」の解説をしてるんじゃないってw
難解難入の内容についての解説じゃなくて、何が難解難入であり、法華経をどう解釈するかの解説だから。
>如来重量本第十六を読みなおしてみましたが、難解難入の法らしきものは見当たりませんでした・・・orz
お釈迦様が、永遠に生きてるなんて事を素直に理解して信じられちゃうの?w
それまでの仏教では、あらゆるものは無常であり、永遠なるものなどないと言ってたりするんだがw
851 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/19(木) 23:05:30.31 ID:ycYfmccA
>>849 これも一つの祈念の仕方(作法)であり、
“108の煩悩を磨り砕く”という意味を持つ主に密教の作法です。
手を横に差し違えて磨ったり、右手側を手前に引いて磨ったり、
逆に右手を奥側へと磨ったり等々、派の違いや伝によって異なります。
通常、寺院で導師(僧侶)が法要で読経されている際には、
参拝者は念珠を磨ってはいけません。
(自分個人の参拝についてはこの限りではありません)
また、あまりジャラジャラと磨り続けるべきではなく、
一つの真言につき3回擦りくらいが目安です。
>>849 一般的には、スラない宗派が多いね。
宝珠愚者も言ってるが、密教系では作法としてあるけどね。
数珠は本来、念仏などを行う際に、何回唱えたかを数える為の道具。
キリスト教のロザリオと同じ役割。
まあ単純に、人間じっとしているというのはちょっとした苦行で、長時間合掌してると手を動かしたくなって、自然と数珠が音を立てるw
それに、数珠をじゃらじゃら音をたてながら唱えてると、なんか自分がカッコイイ事している気分にもなってくるしねw
853 :
849:2012/04/19(木) 23:19:18.43 ID:KTCqnt0k
宝珠殿、
>>852殿
ご返答ありがとうございます。
東日本大震災の慰霊法要で見かけまして(道師がおられました)、そんなやり方もあるのかと思ってましたが、ホントはだめなんですね。
854 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/19(木) 23:43:41.14 ID:ycYfmccA
>>853 はい。密教の作法なのだと思って下さい
(そして、逆に他の宗派では慎むべき行為と心得た方がいいです)。
時折り、参拝者の中で導師の作法に合わせて一緒にやる人が見受けられます。
本人は悪気はなく、導師に合わせて一緒にすることが望ましいものと思っていますが、
しかし、導師による法要というのは導師としての作法であったり、合図であったりしているので、
参拝者はただ静かにしているべきです。
855 :
849:2012/04/20(金) 00:05:39.14 ID:UmZmA3ra
宝珠殿
再度のご返答ありがとうございました。
856 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 01:32:21.40 ID:jomjrO9N
>>837 >久遠実成の本師釈迦牟尼仏
「歴史上の人間釈迦」ではなく、「種属としての人間の無限の生命」と解すれば、
一発で解決。極めて明快。
857 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 06:28:05.74 ID:DUR2cFck
>>850 久遠実成仏については、単純に物理法則のようなものとして理解しました。
重力は宇宙の初めから存在していますが、ニュートンが初めてその数学的原理を「発見」して数式にあらわしました。
二乗作仏についても僕の理解は「果たして重力に影響されない人間が居るか?」でした。
僕は何かしら難解な数式に類するような難解な教えが「法華経」に書かれているのかと思っていましたが違ったようです。
長々とありがとうございました。
>>857 ちょっと理解が浅薄だね。
>久遠実成仏については、単純に物理法則のようなものとして理解しました。
それまでの仏教では、悟り自体が人を救おうと能動的に動くわけではないから、
貴方の言うように、教えの内容は、物理法則にも例えられる。
しかし、それに対して久遠実成の釈迦は、永遠に存在し続けて、かつ、能動的に人々を救おうと活動している。
それを端的に表したのが、寿量品最後の「毎自作是念。 以何令衆生。 得入無上道。 速成就仏身。」の四句。
物理法則が人格を持ってるなんて、そうそう信じられるか?w
>二乗作仏についても僕の理解は「果たして重力に影響されない人間が居るか?」でした。
重力に譬えるなら、それは「一切皆苦」の方であって、それから脱出するという仏教の教えは、空を飛ぶ飛行機に譬えられる。
重力に影響されない人は居ないが、自力で重力を断ち切って空を飛べるのは鳥ぐらいしかいない。
それを、「飛行機に乗れば、鳥じゃなくても空を飛べるよ。信じれば誰でも飛行機に乗れるよ」と言ったのが法華経。
>長々とありがとうございました。
まあ、信仰だし、貴方が「法華経には何もない」と信じるなら、それでいいんじゃない。
859 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 19:15:47.19 ID:DUR2cFck
>>858 まあ、色々言いたいことはありますが、これ以上は議論でしかないので止めておきます。
結局は信仰の話だってことで(笑)
質問箱にしようかと思ったけどいろいろと意見がありそうだしこっちで。
翻訳研究(梵文倶舎論の和訳だとか大智度論のフランス語訳だとか)を抜いた
東西の近代仏教学(Mミュラー以降)の記念碑的ともいっていいような名著を
五冊に限定して挙げるとするならば何だろうか?
またただの押し付け合いにならないために推挙する理由も挙げてほしい。
とりあえず自分は
西からは
@HermannOldenberg のBuddha : Sein Leben, seine Lehre, seine Gemeinde.
西洋の近代仏教学の一つの集大成であると思うし、原始仏教の資料論と基礎を築いた一冊だと思う。
AFranklin Edgerton:のBuddhist Hybrid Sanskrit
翻訳研究に分類されそうだけど、文法論はこれがあってこそだと思う。
東から
B中村元 『東洋人の思惟方法』
東洋の思想をひとつの体型として仏教を基準に論じた現仏教学の最高の名著。
C木村泰賢 『阿毘逹磨論の研究』
従来の資料論をしっかり批判して独自の視点で以後の仏教学に多大な影響を与えた作品。
D鈴木大拙『禅』
霊性という視点の発見。
だと思う。@Bはしっかり挙げれるものだと思うけどACDより名著としてあげれるような作品は多いと思う。
どー思うさ?
議論スレだと思って書き込んだらこっちだった。議論スレに移ります。
863 :
神も仏も名無しさん:2012/04/26(木) 13:36:07.27 ID:mfEuJOf8
私は元顕正会員ですが、佼成会から名前をもらったと知りそっちに移動しました。
しかし、移動してから功徳というものを感じられなくなりました。
顕正会の勤行唱えた時はいい事あったのですが佼成会の経典唱えてからは。
これは自分に顕正会の方が合ってるって言うことですか?名前をもらったから佼成会の方がいいと思ったのですが。
もし自分が顕正会やったらご先祖様に反しますかね?親とやってる宗教違う方とかいますか?
真剣に悩んでます。顕正会の勤行やるべきか佼成会の経典やるべきか。
>>863 >私は元顕正会員ですが、佼成会から名前をもらったと知りそっちに移動しました。
冨士大石寺顕正会はたしか、日蓮正宗の信者団体が破門されて立ち上げた団体だったはずだ。
「顕正」という名前自体も、三論玄義の「破邪顕正」から取ったと思ってたが……
だから、顕正会と、佼成会って全然関係ないと思うw
>顕正会の勤行唱えた時はいい事あったのですが佼成会の経典唱えてからは
そもそも、両方とも唱えてる経典は「法華経」で一緒じゃないっけ?w
(抜粋している部分が違うかもしれないが)
それはさておき、立正佼成会だって霊友会から派生した団体だ。
霊友会もそもそもは法華経信仰からの派生だし、
法華経信仰自体が大乗仏教からの派生だし、
大乗仏教自体が上座部仏教からの派生だし、
上座部仏教自体も原始仏教からの派生だ。
だから、派生元に戻るというなら、中途半端に戻らず、おおもとに戻って原始仏教に親しむという道もある。
貴方が気にしている「先祖供養」という面では、先祖供養自体が仏教由来じゃなくて儒教由来なんで、
顕正会や佼成会じゃなく、儒教に戻るべきだろう。
そして、先祖が何を喜ぶかと言えば、先祖自身が信仰していた宗教・宗派の供養方法が一番だろうね。
自分が功徳を感じたいだけなら、今、貴方が功徳を感じるという佼成会の経典を唱えればいいし、
将来、佼成会の経典に功徳を感じなくなれば、別の宗教に移ればいい。
実際に唱える事で「いい事」が起きる事を期待するなら、……ビリケンさんの足を撫でるのって、もすごい功徳あるぜw
865 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/26(木) 18:33:49.42 ID:8wZJmbvW
>>863 先祖が喜ぶ供養が何かを考えてみた場合に、
例えばこのような分け方があるでしょう。
つまり、
@「先祖が信仰していた宗教」なのか?
A「祖霊供養の効果的な宗教」なのか?
いや、そうではなくて、
B「心がこもっていれば基本的には何でも良し」とするのか?
というのがあるでしょうね。
たぶん特に手厚い供養が必要と思われるのは5代くらいまでと思われますが、
まず本来の菩提寺が何宗何派かということが問われるでしょうね。
しかし、もっと古く遡れば仏教そのものが外来であり、
日本人ならば基本、神道ではなかったかとか・・・ね。
ちなみに私のところでは、
つい最近、父の逝去に伴いABを中心理由とし改宗しています
(「臨済宗」→「真言宗智山派」)。
本家の元菩提寺はあまりに遠くて実際上、これまでご縁がなかったことと、
近くでお付き合いできるこれといった同宗派の良さげな寺院がなかったこと。
そして、母の年齢と身体的な障害、自動車を運転できない等々の理由なども重視。
加えて、知人からのご縁で現在の良心的な寺院を紹介頂いたのです。
結果は大変、満足しております。
もちろん、ご先祖にも効果的な供養が行き届いているものと信じております。
ご参考まで
そもそも功徳を最優先にもとめる
が間違い
仏道に反する
>>866 求めるも何も、
(善行を為せば)必然的に付随してきてしまうんだが・・ >功徳
≪敢えて、渇望して、「求める」≫ということが戒められるものだとしても、
―スタンスとして、功徳に対して『ツンデレ』であるべきではあるとしてもw―、
(特に大乗に於いては)功徳の積重は、初歩ではないかい?
(それは或る意味最優先とされていると言っても良い。
付言すれば、尚且つ、その功徳(功徳果)を回向することが要請される、と。)
868 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/26(木) 21:44:36.73 ID:8wZJmbvW
>>866 健康な庶民のごく自然な姿ですよ(まっ、健康な証拠!!)。
それを間違ってるなどといって奪ったら、
仏教信仰など(信者がいなくなって)殆ど壊滅しますね。
そうですか
ごりやくを求めいろんな宗教に手を出すのですね
870 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 01:14:05.12 ID:UC15zV4N
功徳とは、心に積もる善の癖、つまり、
善の思考回路を使えば使うほど、善の回路がぶっとくなるみたいなもの。
善の癖(功徳)が積もると、煩悩(悩み苦しみの原因)の制御が上手くなる。
なので、功徳を求めることこそ仏道。
871 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 05:59:34.02 ID:rqB+12ox
>>870 善とは、善の思考回路とは何ですか。日常用語で具体的に説明してください。
善悪とは、共同体維持のための概念だと思うが、「己の」煩悩と苦悩を去る
ことは、共同体とは関係ないように思いますが。それでは、己の欲望の追求と
いう新たな煩悩にはなりませんか。
具体的な意味不明な、抽象語・観念語は一切使用しないでください。
功徳を勧めて、信者から金を吸い上げ、その生活を破綻させる宗教は善ですか。
872 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 07:58:58.34 ID:UC15zV4N
>>871 仏教における善とは、煩悩(悩み苦しみの原因)とは反対方向のことです。
つまり、善の心が増えれば、悩み苦しみは減ってゆく。
たとえば、怒りの煩悩による感情が減って、1日のうちの怒っていない時間が増えれば、
怒りによるストレスを受ける時間(悩み苦しみの時間)が減るわけです。
この場合、怒らない性格になる方向が善です。
怒りだけでなく、執着や貪欲や怠けやプライドなども煩悩であり、
これらを制御したり減らす方向が善です。
873 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 08:02:55.55 ID:UC15zV4N
>>871 善の思考回路と表現したのは、
有身見・戒禁取・疑・欲貪・瞋恚・色貪・無色貪・掉挙・慢・無明
という煩悩を制御したりなくす方向の感情・思考のことです。
874 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 08:54:05.87 ID:GOIzAi4z
>>872 煩悩は、生きるために必要があるから生じる自然の感情です。その煩悩を不自然に、
無理やりに押さえ込むことのほうが、悩み・苦しみや、害悪、ひずみが大きそうですねw。
>>874 センターラインも無い住宅街を時速100キロで走りますか?
「住宅街内に“ふさわしい”速度」で走るでしょう?
同じことです。
そして、車を使わないことが、最大の安全なわけです。
しかし、日常(世俗)を生きる上でそうはいかない。
だから、日々制御して生きましょう、ということです。
876 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 12:26:10.01 ID:UC15zV4N
>>874 感情を無理矢理に押さえ込むというと、ニュアンスが違うかも。
思考が感情を生むわけで、思考が変われば感情が生じない。
生じないものを無理矢理に押さえ込む必要はない。
たとえるなら、ケーキを目の前に見つめながら食べるのをガマンするのではなく、
ケーキを視界から外すことでケーキのことを忘れてしまうのです。
べつにケーキは食べてもいいんですよ
ただ、ケーキを3食がわりにしたりして
食生活が乱れ、健康を損なうのは本末転倒ですよ、と
>>875-877 例えがねぇw
>>871氏は
↓
>功徳を勧めて、信者から金を吸い上げ、その生活を破綻させる宗教は善ですか。
と問うているでしょう
>>878 w
善のわけないでしょw
宅配トラックが事故を起こしました。
“宅配トラック”は悪ですか?
“宅配トラックの運転手”は須らく事故を起こす危険人物ですか?
「功徳」が「悪」だとでも言いたいんですか?w
880 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 15:36:37.84 ID:9wWm4grc
>>879 宅配トラックは「過失」。宗教は「故意」。大違い。
881 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 15:49:20.80 ID:wCyLRb71
宗教と宗教団体を同列にして語ってるね
宗教団体は金儲けと怒ってる人って、
その人自身がカルトに金騙し取られた経験者なんだろうな
伝統宗派のまともな寺なら家の墓の管理費なんか、
年単位で一万円もとらないんだけどな
882 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 18:05:59.76 ID:6rpq6pQV
>>851 金儲けではなく、生来の人格の変容、現実感覚と社会常識の喪失が原因。
金儲けは、その結果に過ぎない。
「功徳」「輪廻転生」「神や霊」は、そのまま上記洗脳の目的に利用できる。
「脅迫」と「甘言」は、すべての宗教の不可欠の大要素。
ところで質問者
>>863 にこの回答で納得してもらえたかな
884 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 20:59:07.69 ID:UC15zV4N
>>863 先祖は輪廻して違う生き物になってるので、
あなたのことなんかいちいち気にしてません。
とりあえず先祖のことは気にせずに、
自分自身の慈悲喜捨の善心や集中力を育てるようなお勤めになって
るかどうかをチェックしてみては。
885 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 21:48:45.54 ID:6rpq6pQV
>>884 質問者は、「輪廻」や「功徳」で洗脳されているから、それらを聊かでも肯定
したら、間違いなく洗脳を深めてしまう。はっきりと否定しなければいけない。
質問箱でカルトの布教を行なうのは止めて欲しい。
>>880 w
変わらんよw
小学校教諭が、生徒にわいせつな行為をしました。
その教諭を雇用している学校は、生徒にわいせつ行為をする人物と判って雇っているのですか?
その教諭を雇用している学校は、生徒にわいせつ行為をすることを教諭の職務としているのですか?
“小学校教諭”は悪ですか?
“小学校教諭”は須らく生徒にわいせつ行為をする人物ですか?
「功徳」が「悪」だとでも言いたいんですか?w
887 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 22:43:43.30 ID:6rpq6pQV
>>886 意味をずらした喩えなど持ち出すのが、カルトの論理。
功徳などという具体的意味不明な語を「輪廻」をと組み合わせると、完全に
カルトの武器となる。
何故まず「輪廻」を否定しない?
>>887 「功徳」ってのは、今風に言えば《「成果」「結果」「得」「メリット」「利益」》といったものなんだよ。
否定する必要あるまい?w
また、輪廻と結びついていない(日常の種々の行為・思考の結果である)功徳の方が
圧倒的に(事例としても)多いわけで、わざわざ輪廻に言及する必要はあるまい?
この流れに、輪廻などという要らぬ概念を持ち込むのはやめてくれw
(ちなみに、“私個人は”、《三世に跨る輪廻》については懐疑的だよw)
889 :
神も仏も名無しさん:2012/04/27(金) 23:23:03.03 ID:6rpq6pQV
>>884では、明らかに輪廻を肯定している。輪廻概念を植え付けると、強力な
脅迫となる。功徳とセットで「脅迫」と「甘言」が完成する。
「輪廻」「一切皆苦」「解脱」「悟り」などの言葉は、「脅迫と甘言」を構成
するから、「犯罪」として法律で禁止すべきもの。キリスト教の「罪」「救い」
も同様。
宗教は、「脅迫・甘言」を構成する用語は、自立的に一切廃止すべきである。
すべてのカルトは、釈迦とイエスから発生しているのが現状。
>>872-873 なるほど。善とはゼロ、中庸の心のことですね。
やっぱり翻訳が悪いから解らないんだなぁ。
891 :
神も仏も名無しさん:2012/04/28(土) 01:33:47.71 ID:7PmzkxPz
日本では髭を剃らない社会人が無礼だったり
悪いことをしたら頭を丸めたりというように毛を毛嫌う風潮がありますが
これはなんらかの宗教の考え方と関係のあることなんでしょうか?
892 :
神も仏も名無しさん:2012/04/28(土) 01:54:47.88 ID:zYdBHGXK
>>890 中道が正しい訳ではないよ。「中道政党」は何となく胡散臭い。この点で、
釈迦の「中道」は誤り。
893 :
神も仏も名無しさん:2012/04/28(土) 01:59:50.95 ID:41/LpWJU
お分かりかと思いますが、6rpq6pQV、zYdBHGXKは生命教と言って、
単に自分の我が儘な性欲を肯定したいだけの妄想男なので
スル〜してください。
仏教のことはもちろん全く分かってないし、文を正確に読もうとすらしない人です。
894 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/28(土) 05:21:25.11 ID:e2dF1XwN
>891
無精ヒゲは、どこの国でもだらしないと思われるだろ?
まぁ、坊主頭は仏教の影響かも知れんが。
だいたいヒゲは坊主も神主でもいたしなぁ。
そーいや、ヤソはどーなんだろうか?
まぁ、仏教にしても別に毛は全て剃れなんて戒律は無いし、単なる流行なんじゃね?
895 :
神も仏も名無しさん:2012/04/28(土) 06:54:57.20 ID:+nNynTk2
>>891 頭を丸めるというのは、仏教の出家の影響が大ではないでしょうか。
出家者が頭を丸めるのは、単にお手入れが楽で衛生的だからでしょう。
896 :
神も仏も名無しさん:2012/04/28(土) 08:04:59.69 ID:nlggcwvU
>>893 それよりも、日本の仏教質問箱で、南アジアの佛教を布教するのは止めるべき
だろう。
日本の仏教は大乗仏教であり、「釈迦(小乗)カルト」ではない。回答者は、
両者をはっきりと区別すべき。さもなければROM者を誤導する恐れが大きい。
897 :
神も仏も名無しさん:2012/04/28(土) 11:28:38.94 ID:BeoePgHD
>>891 う〜〜ん、仏教的に修行者は頭を丸める・・・・この起源が何に
よるのか? 以前、読んだ本の中にあったと思うが失念したwww
近世以降の日本においては、「毛を嫌う」という意味合いよりも、
『通常社会の人間では無い』・・・という意味合いの方が強かったのでは?
坊主というのは、世俗を脱した聖なるもの、通常の価値体系、身分系列の埒外
のもの という認識があった。
医者が坊主のように頭を丸めるのもそれに倣ったもの。
将軍のような身分の高い者に接し、身体に触れざるを得ない医者は、
(本来はそのようなことが出来る身分ではないにも拘わらず)、「埒外の者」と
することで、それが便宜上、許された。 つまり、表向き、「通常社会の人間」
ではありませんよ と、アピールすることで世俗のルールを超越させたわけ。
・・・と、そのような意味合いもあったわけだwwww
898 :
神も仏も名無しさん:2012/04/28(土) 11:59:23.77 ID:eBbUqbq7
>>897 ムンダカ・ウパニシャッド(剃髪教徒の奥義書)という先行例があるように
シュラマナ(行者)のメルクマールでしょ。
律から推測すると釈尊は、仏教徒が一般人にたいして質素で清潔品行方正に見える態度や身なりを作られたと思うので、
剃髪は、汚くなくしかも華美で煩雑じゃないように剃ったと予測します。
あるはもっと重要な因縁・縁起があるのかもしれませんが。
>>863 >>866の
>そもそも功徳を最優先にもとめるが間違い
に賛成です
■功徳や因果応報・輪廻転生・カルマ・悟り・解脱・地獄極楽・・・・等々
の<宗教の観念用語>は、根拠が今まで誰にも証明されていません。★♪
誰もが信じるか信じないかの<信仰の範疇内>です。
■あなたは、大震災に合った人達が全員、功徳が無かったからとお考えですか?
その人達の中には宗教者もお寺もお墓も・・・あったかもしれません。★
■そして彼らを救済したのは神仏ではなくて多数の人間達でした・・☆★
■オウムの犯罪信徒達(優秀な医学生や医師・弁護士達・・)は功徳が無かったからとお考えですか?
■そして未来に起きる予定の天災に合う人達も功徳が無かったからとお考えですか?
■それらは宗教の神仏にお布施・献金して功徳を積めば、回避出来るものとお考えですか?
よ―――くご自分の頭で考えて功徳の為の「宗教依存の愚」に気付いて頂きたいものです。☆★♪
(^。^)ね!
>>865 >もちろん、ご先祖にも効果的な供養が行き届いているものと信じております。
やはり信じているだけで、何の根拠もありませんね★
>結果は大変、満足しております。
やはり言えるのは、ご自分とご家族の自己満足だけですね
>>871 >功徳を勧めて、信者から金を吸い上げ、その生活を破綻させる宗教は善ですか。
勿論、他者の生活を破綻させることは他者の生存を害する行為ですから悪でしょう。
カルト宗教は、長い間、沢山の人達=信徒達や家族・身内・・・を苦しめて来た筈★
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
宗教の開祖たちは、やたらと「善悪」を語るが、それを定義できた者は皆無である。
彼等は、単に、自分でも理解できていない「言葉」に自己陶酔していただけ。☆
私は、善悪を次のように定義する。善悪とはあくまで共同体における共生のための
「行為技術概念」であり、独りで生きているのであれば、善悪概念は存在しない。
■「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。■☆
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
共同体だとか他者の生存だとか物質的なところにしか目が行かない人はキリスト教やってりゃいいんだよ。
■カルト宗教は、長い間、沢山の人達=信徒達や家族・身内・・・を苦しめて来た筈★
↑
に絶対目が向かなくて認められないのが<洗脳された ロボット>の証明(笑
オウムの逃亡信徒も、世間で生活してようやく気が付いたのです
臨在の坊主は剃ってる
真宗の坊主は短め
夜遊びするためか
905 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/28(土) 19:00:18.95 ID:ZLqXYWKt
>>891>>985 古代インドでは、剃髪は恥辱であって刑罰などとして行われたものらしいです。
一般に、“頭を丸めて来い”などといっているのは反省を促すという意味合いでしょう。
仏教においては、ゴータマが出家の際に剃髪したことが、
現在の弟子にもそのまま受け継がれてきたのです。
意味としては、
“お洒落や身嗜みの代表といえる毛髪などは全くの無用”となるからであり、
そのような俗世間(俗意識)から脱する意味を象徴的に、
そして現実的に無用のものとして排除する行為だということ。
その後の手入れが楽などというのは、
ただ付随した結果に過ぎません。
906 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/28(土) 19:01:41.83 ID:ZLqXYWKt
>>905 >その後の手入れが楽などというのは、
剃るのってすげえめんどいぜw
毎日やらんとすぐ伸びるし、毛がないと、寒いわ熱いわ怪我するわで、日常生活送るのに超不便
ちなみに、かつては毎日剃るのは大変だから、二指と言って、指の幅二本分の長さになったら剃る習慣があったと聞くね
908 :
神も仏も名無しさん:2012/04/28(土) 21:22:09.55 ID:+nNynTk2
髪の毛にシラミがわいたりすると処理するために殺生しなくちゃならないからかも。
今みたいなツルツルじゃなくて、高校球児みたいな感じだったのかもよ?
バリカンで刈っただけみたいな。
いや、バリカン発明されたの19世紀だしw
バリカンの丸刈りって、意外と難しいだぜ
ハサミじゃ一定以上短くするの無理だろうし、カミソリ系の刃物しかない時代なら、剃るしか選択肢がなかったんじゃないかな
911 :
神も仏も名無しさん:2012/04/29(日) 07:13:42.29 ID:jxWaTW8o
>>881 >その人自身がカルトに金騙し取られた経験者なんだろうな
宗教詐欺に合った人は宗教板に書き込んではいけないということでつか?
カルトかそうでないかは名無しでは不明。
クレーム付けられるのが嫌なら、宗教者は所属宗派を明記すること。
宗教被害で苦しんでいる人達・人生変わった人達は現在まで沢山います。
企業なら悪質な偽物は、自社とは異なることをはっきりとメディア等で警告・明記します。
912 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/29(日) 08:35:17.92 ID:afa/s5KK
>>900 父方の菩提寺は「臨済宗」といいましたが、
実際上、自宅での本尊及び仏壇荘厳は母方の菩提寺に合わせた「浄土真宗(西)」でした。
「臨済宗」(付き合いなし)-「真宗」(母方菩提寺) → 「真言宗智山派」(改宗)という感じ。
(父方の寺院は殆ど縁がなかったことと合わせ、母方の家系に気になる先祖と親族が多かったために、
こちらの供養を優先したいという両親の意向による。)
>やはり信じているだけで
>ご自分とご家族の自己満足だけですね
父の逝去後、暫くの間は(心霊的な)障りが生じていましたが、
成田山新勝寺(真言宗智山派大本山)の魔除け札を取り寄せて祀った途端に、
これが驚くほどピタッと静まりました。
また、母は霊感が強くて、その後、父と思わしき影存在が仏壇の中へとスーと入っていく様を目撃しました。
これは、父がここで供養を受けられるものと、穏やかに理解できたのだろうとみなしています。
オカルトくせ〜
914 :
神も仏も名無しさん:2012/04/29(日) 13:02:16.28 ID:p2G87EDA
>>912 >父の逝去後、暫くの間は(心霊的な)障りが生じていましたが、
(心霊的な)障りって・・・オカルトっぽいけど
差しさわりがなければ具体的にドゾー
915 :
神も仏も名無しさん:2012/04/29(日) 13:10:28.53 ID:s1fEVSBE
>オカルトくせ〜
wwwwwwww いや、オカルトそのものですwww
こいつのいいところは、自分でそれを認めているところwwww
「個人的信仰」なら、それでOKでしょ?
オレ個人としては、そのような自己の信仰に真摯な姿勢自体は良しなんだがなあwww
だが、ときどき宝珠はそこを踏み越えて、
「それが真実なんです。あんたらが分かってないだけ。」とやり出しますww
そんときは、呼んでねwwwww
まっ先に叩きにかけつけますんでwwwwwww
916 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/29(日) 16:59:06.73 ID:afa/s5KK
>>913-915 では、まー無知な唯物論者たちを相手に詳細に述べてもショウガナイだろうから、ザッとだけねぇる!
夜中、自宅周辺の砂利を歩く足音がしている。動く人影が見える。何かが母の上体に圧し掛かって
きて苦しい・・・。そして、常に体が重くて息苦しい感じの体調が続く、といったことが起こりました。
これらの異変が、この私を除く母と姉の二人の間に数ヶ月間、生じたのです。
取り合えずはその後、まず私の持つ知識で簡単な清めの幾つかの方法を試みて3ヶ月ほど様子を
見ましたが、その程度ではまったく効果が見られなかった。(私はこのことに軽いショックを受けた。ど
うやら、本物の心霊現象の場合は気休め程度のことでは歯が立たないらしい・・・。)
そこで成田山の呪力に頼ることにしたのです(菩提寺住職による仏像開眼では呪力が弱いと思われ・・)。
やはり、平将門の障りを一発で鎮めたともいう成田の調伏力は伊達ではないようで、新勝寺の魔除け札
を祀ったその日から異変は嘘のようにピタッと静まり返った。
そしてまた、まるで仏壇で供養が受けられることをやっと悟ったかのように、仏壇の中へとスーと消え
ていった父と思わしき人影を最後に、それまでのすべての異変が納まったのです。
まっ、ここ2CHスレというのは、三世に跨る業報輪廻は否定するという自称仏教徒ばかり参加してるよ
うであり、これらの否定論者というのは、ただこれだけを否定するのではなくて、
やはり、あらゆる不思議(現代物理学の常識定説)についてをまったく認められないといった、ただの
唯物論者たちだということです。これらすべては仏典においても認められているというのに・・。
917 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/29(日) 17:14:45.03 ID:afa/s5KK
訂正
×(現代物理学の常識定説)
○(現代物理学の常識定説では否定される事柄)
918 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/29(日) 19:31:04.19 ID:WZQXRr2P
魔除けとかヒデェ。
寄ってきただけの無縁でも、ちゃんと供養してやれっての。
(^。^)つーか、成田は噂通りなんだな。(笑)
やっぱ宝珠先生には
我々はついて行けません
神智学をきわめて下さい
920 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/29(日) 22:33:40.06 ID:afa/s5KK
>>918 どうみても私の実父でしょ!
これは死が自覚できずに、
ただ渇愛を訴える状態になっているカーマローカ/幽霊と化してるものと理解します。
こういうのは、霊的知識と理解に乏しい人間が死後にこうなりやすい典型例なので、
まさに親父にピッタリでしょうね。
>魔除けとかヒデェ。
>寄ってきただけの無縁でも、ちゃんと供養してやれっての。
そんな心配は無用!!
成田のお札にはすべて不動尊の御分霊が宿っています。
可能な範囲で最善の方向(結果)へとあらゆる諸精霊を導きます。
その通りとなったと思われます。--感謝!!!
>>919 フン。何が神智学ですか!!
この程度の話など・・・どんな宗教でも常識の当たり前のコンコンチキです。
もちろん、仏教とて例外ではない。
2CH内の多数派が正しいなどと錯角するでないわ!!!
(特別、仏教的話題ではないのでこの辺にします)
>>917 聞いた話だけど体に不思議現象が出た知人は、教会・成田・
除霊系・・・等行ったが何の効果も無く現在まできている
ようです。ある所では、彼が気持ちよさ気な表情をしている
と言われそのままでも良いのでは?と言われたとか………
922 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/29(日) 23:09:07.11 ID:afa/s5KK
あっ、一言だけ忠告しておこう!
唯物論者というのは死後、
自分の死を知らずに幽霊状態となって周囲に迷惑を掛けやすいので
気をつけましょうね!
>>865は、高感度抜群の、信ある一般人なんだけどな・・w
924 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/29(日) 23:53:27.08 ID:afa/s5KK
>>923 心霊的異変が寺院お札で鎮まった。
そんなごく日常のありふれた一般的な話題しかしてないけど・・・。
925 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/29(日) 23:54:50.69 ID:WZQXRr2P
>923
(^。^;)キミキミ、その書き方だと呆呪が信ある一般人みたく見えるよ?
あちゃ〜完全にオカルトだわ
心霊的異変・不思議現象が寺院お札で鎮まったのもあるし、
鎮まらなかったのもあるし・・・ヤラセもあるし・・
殆ど全く宗教について知らないです、詳しい方教えて下さい。
どこかのサイトで、鎖のような長いもので
心臓を縛り、滅したり、罰を与える仏の伝説?を読みました。
でもそのサイトや仏の名前も忘れてしまい…
仏ではないかもですが、宗教的な伝説(オカルトかもですが)に出てくる存在だったように覚えています。
知ってる方いたらお教えください。お願いします。
なら
聖水でもぶかっければいいさ
931 :
神も仏も名無しさん:2012/05/01(火) 22:59:18.72 ID:ASq33d2N
祖父や父が亡くなったときに悲しいことは悲しかったのですが、
祖父や父は遺伝子、血となって自分や他の子孫の体の中、心の中で生きていくので、
無になったわけではないと感じ、救われました。
これは仏教を信仰しているから、そういう考えを感じたのでしょうか?
932 :
神も仏も名無しさん:2012/05/01(火) 23:17:37.21 ID:+C0tSLL+
>>931 佛教とは関係ない自然の法則。佛教の輪廻転生では、子孫とは関係なく、全く
別の人間、動物に変わるのだから。つまり、輪廻転生は、大自然の法則に反して
いるということ。従って「脅迫目的」のための単なる「虚言」。
>>931 そうかもしれませんね。
なお、仏教的にはさらに一歩進めて、遺伝子や血の繋がりだけではなく、
生前の言動による影響や、記憶の繋がりと言った、「縁」でもつながっていると考えられます。
お爺様やお父様がいらっしゃったからこそ、今の貴方がいらっしゃり、
また、会社や近所の人々も、有形無形の影響を受けています。
そのつながりは果てしなく、その人が亡くなっても無くなる事はありません。
935 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 00:24:28.35 ID:hBLa/nNe
初心者です。初歩的な質問ですが怒らないで下さいね。
仏とは仏陀という悟りを開いた人、目覚めた人って意味と聞きました。
つまり悟りを開いたお釈迦様は仏陀(仏)になられたということですよね。
この仏様は、仏教では如来にあたる人を言うのですか?そしてこの域に達していない修行中の身の人を菩薩と?
○○如来とか、○○菩薩とかいっぱいいますが、数えきれないほどいるんですよね?元は人間ですか?
あと、数えきれないほどいるのに、名前が出てくるのは限られていますが、数ある中のスターだけが
出てくるという認識でよいですか?
936 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 00:30:40.47 ID:hUmOjK+2
>>934 おっしゃる通りだと思います。ありがとうございます。
そういった説法をお坊様がもっと折にふれて行うようにすれば、
仏教も維持できると思うのですが。。。
新興宗教徒が増えているようで残念です。
937 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 01:05:05.18 ID:abQ60/BZ
>>934 >そうかもしれませんね。
質問者は、重要な質問をしているのですから、そのような曖昧な回答ではなく、
もっと誠実に回答すべきではありませんか。
先祖が子孫以外の人間に「生まれ変わる」ことはありません。遺伝学的に証明
されています。
子孫以外に「生まれ変わる」ような含みを残すから、カルトの温床となるのです。
人が作った宗教で、大自然の摂理を変えることはできません。宗教も「大自然の法」
には従わなければならないのです。
>>935 仏事のような大事なことを
こんな便所の落書きで質面しないほうがいいですよ
2チャンネルは人の不幸が蜜の味で
あなたが仏教で救われてる状態を妬むひとが大勢居ます
940 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 01:15:08.63 ID:abQ60/BZ
>>938 大自然の摂理に反する「嘘」では、救われることはない。
腐乱臭を漂わせながら
おまえらなんてすくわれるわけないだろ〜
とか言ってきます
942 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 01:22:51.06 ID:abQ60/BZ
>>941 「腐乱臭」を発しているのは、「宗教の嘘」。
943 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 03:28:58.98 ID:v0iZ9EW/
>>935 おっしゃるとおりの認識で合っていると思います。
如来とはブッダのことです。
あと、如来・ブッダのことを「両足尊」と言うこともあります。
二足歩行の生き物(つまり人間)の中で最も尊い存在、という意味です。
阿弥陀経という経典によると、私達の世界から見て東南西北上下の無数の世界に、
「ガンジス河の砂の数ほどの」たくさんの仏がいるそうで、その一部の名前が紹介されています。
944 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 07:18:26.64 ID:WZePfdw9
>>943 >二足歩行の生き物(つまり人間)の中で最も尊い存在、という意味です。
そのような「人間差別」は誤り。
すべての人間は、生命において等価・至上である。
>>936 耳の痛い話です。
近年は、宗教と言うだけでアレルギーのある方がいらっしゃるようで、
なるべく現代にも通じるように、また通仏教的な話をするように心がけていると、
ついつい一歩引いてしまいがちです。
(このスレにもアレルギーのある方が沢山いらっしゃるようですね。)
新興宗教が全て悪いものだとも思いませんが、
少なくとも反社会的なカルト宗教が蔓延しないように、声を上げていきたいと思います。
>>937 >>そうかもしれませんね。
>質問者は、重要な質問をしているのですから、そのような曖昧な回答ではなく、
>もっと誠実に回答すべきではありませんか。
質問が、「そういう考えを感じたのでしょうか?」との事で、
仏ならぬこの身では、「質問者の思考経路」まで読み切ることはできませんので、
あくまで「推測」としてお答えしました。
>先祖が子孫以外の人間に「生まれ変わる」ことはありません。遺伝学的に証明されています。
貴方が仰る「生まれ変わり」が、仏教的な輪廻転生を意味しているのならば、それは間違いです。
仏教的には、六道すべてに生まれ変わる可能性があると説かれています。
なお、遺伝学的には、「生まれ変わり」そのものが証明されてません。
生まれ変わりは、宗教上の信仰ですので、疑似科学を持ち出して批判するのはお門違いです。
言動から推測するに、おそらく貴方は「生命教」という新興宗教の信者だと思いますが、
一応、ここは「仏教」質問箱ですので、仏教以外の新興宗教の方の回答はお控え願えませんか?
「生命教」のお勉強が全く足りませんね、新興宗教ではありませんよw
949 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 18:11:55.32 ID:/OwEaelS
>>947 現代人が、自然科学について無知蒙昧だった古代の開祖の妄想を、そのまま
信じるべきではなかろう。「生まれ変わり」など、現代の生物学では到底
認められない代物。
すべての新興宗教は、伝統宗教を母体として発生し、その洗脳テクニックを
利用している。開祖・教祖・教典の盲信という意味では、原理的には伝統宗教
と何らの相違も無い。釈迦も麻原も、「信者にとっては」全く同じ。
家族の一員が宗教に入信したため、家庭が破壊され、多くの人々が苦しんでいる
という事実を忘れてはならない。
生命は、すべての生物が生まれながらにその呪縛の下にあるのだから、「宗教」
ではない。釈迦もイエスも例外ではない。
なお、日本の宗教は大乗仏教だから、日本の宗教質問箱で、小乗を布教する
ことはやめるべき。小乗仏教(釈迦佛教)は、大乗によって佛教が抜本的に
改良される前のカルトである。
>>948-949 先ほども言いましたが、ここは「仏教」質問箱ですので、仏教以外の方は回答を控えて頂けますか?
少なくとも、レイプ肯定とか、欲望の赴くままに生きれば救われるとか、
生命と言う謎のエネルギーを信仰すれば救われるとか、
そんな一般常識からもかけ離れた教義を提唱する宗教は、仏教ではありません。
自分の宗教を布教したいなら、別のスレでお願いします。
うーん
生命自体だれもわからんから生命 生命と声明するんだろ
朝に生きてた人が夕に死んだ
は?生命はどこへ
新しい宗教を立ち上げるかね
953 :
神も仏も名無しさん:2012/05/02(水) 20:48:19.63 ID:5HxiVcEb
>>950 あなたの宗派はどこですか?
「仏教」も色々あるのでは?
>>953 日蓮宗です。
ですが、なるべく宗派色の無い、通仏教的な回答を心がけてるつもりですよ。
そして、生命教は、あまりに仏教とはかけ離れてます。
生命教の人は竜樹の中論をよく引用しいて、一見、仏教の亜流のように見えますが、
実際には、自説の権威づけの為に、都合のいい部分だけを引用して、都合の良いように解釈しているだけで、
やってることはオリジナル宗教の教義を布教しているだけです。
956 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 00:20:04.91 ID:+ZD++KZZ
>>954 自分に都合の良いことを言わない宗教が、世の中にあるかねw。
仏陀の教説なかで、仏陀自身に都合のいい文言って何かあったかしら
>284 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2012/03/21(水) 11:55:07.38 ID:MPDjmv1y
輪廻転生なんて、どんな偉い覚者でも分からんのですよ。
私は一貫してこのように掲示板に書き込みしてきました。
しかし君達は、講釈師のごとく、あたかも死後の世界を見てきたように
掲示板に輪廻転生肯定論を書き連ねてる。
それをあたかも「これこそが仏教教説」と虚言を発する。
こういうことを私は「恐ろしい」と言っております。
959 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 07:08:04.00 ID:zq5HnS6e
そんなアホの書き込みコピペするな。
仏教は『梵網経』以来、輪廻を明らかに直接知覚として説いているよ。
960 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 08:21:39.87 ID:fPSfVD9t
>>959 それは、生物学について無知蒙昧だった古代人の妄想。科学の発達によって
廃棄された、古代人の誤り。
先祖の遺伝子の子孫への伝達のみが、現代における輪廻転生。
961 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 08:41:27.24 ID:aErSdyNq
>>960 インドで、動物なども先祖の生まれかわりかもしれないと想像して、
不要な殺生をしないように心掛けている人もいますよね。
実際には輪廻がなくても、そういう生き方ってステキだと思います。
962 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 08:50:10.45 ID:fPSfVD9t
>>961 それは「先祖の生まれ変わり」などという視点からではなく、「すべての生命に
対する慈しみ」の視点から発するべきのもの。「先祖ではないから殺しても良い」
ことにはならない。
963 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 09:27:40.88 ID:zq5HnS6e
fPSfVD9t は今日の生命教です。スル〜しましょう。
まともなことを言ってるのに何故、スルー?
965 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 10:49:08.32 ID:zq5HnS6e
>>964 一見、常識的でまともに読めるよね。でも、彼の言うことは、単なる宗教への怨念の吐露だから。
そして、明快に根拠を示して、その発言が誤りだと指摘しても一度も認めたことがないんです。
さらに、ここは仏教の質問箱なので、仏教内でどのように考えられているか問う場でしょう。
つまり、仏教内で妥当性を持ったことが答えられるべきでしょう。
仏教は間違っているという信念に基づいて言い訳ばかりの擬似根拠に基づいて
ヒステリックに叫ぶ声が聞きたいなら、他に求めるべきだと思います。
>>964 「仏教」で説くところのものではないからです。
ん〜・・・
たとえば、電車に乗ったとしますよね。
その列車の路線図(停車駅の図)があることも多いと思いますが、
このとき、違う路線の図が表示されているようなものです。
今まさに乗っている列車の、今後の停車駅が記されていなければ意味がありません。
或いは、A校の生徒手帳に、B校の校則を記載するようなものです。
そのような意味で、
仏教には仏教の枠組みがあり、その中で、どのように世界が語られているかが重要なのです。
967 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 12:24:18.17 ID:aErSdyNq
>>962 輪廻という視点を持ち込むことで生命への慈悲を起こしやすくできるのです。
お墓や仏壇にしたって、実際にそこに故人や仏様が宿ってるとは思いませんが、
どこかで先祖や仏様が見ているんじゃないかとイメージすることで
日々の生活を正したりするわけです。
「おへそを出して寝たら雷さまにおへそをとられるよ」とイメージして、
子供がお腹を冷やさないように気を付けるのです。
968 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 12:27:22.88 ID:aErSdyNq
>>962 あなたは、「雷様におへそをとられるよ」と言ったら、
「雷様」を持ち出して子供達を強迫するカルトだと言うのでしょうか?
969 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 13:17:20.30 ID:7golCH63
>>965 宗教も、人間共同体における無数の営みのうちの一つに過ぎない。しかも、
外部社会に対して強力な影響を有する。従って、常に、外部社会による
監視と批判にさらされるのは、当然のこととして覚悟すべきである。
970 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 13:28:16.69 ID:7golCH63
>>969 「雷様」による脅しは、子供が成長すれば、すぐに嘘だとわかる。しかし、
輪廻転生、神や霊、罪や苦概念の植え付けは、殆ど一生涯離脱が不可能である。
そこが違う。
なお「雷様」であっても、根拠の無い害悪の告知による「躾」は、子供の心を
傷つけるものであるから、望ましくない。躾も、人間共同体における他の成員の
生命の尊重(共生)の視点からなされるべきである。
971 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/05/03(木) 13:33:36.27 ID:uK/P0vxa
輪廻思想についてだけだが、隠居を支持する。
卑しくも仏教質問箱というなら、一般常識からの批判には、
たとえあの無知蒙昧曲学阿世生命教教祖のバカ相手でも、
一応の誠意を以て応えるべきである。
(^。^)つーか、今時生まれ変わりとかアホかとwwww
>>971 議論スレが建った経緯を御存知ないようですね・・。
973 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 14:34:18.38 ID:aErSdyNq
>>971 よく「もし生まれかわったらになりたい」とか言うように、
日本では、素朴な輪廻転生の観念はわりと市民権を得ていると思います。
大事なのは、業報輪廻があるから正しく(仏教的な善=煩悩軽減方向)生きようということ。
あるいは、業報輪廻を前提に、今の自分の苦悩を他人のせいにせず、
「これも過去のカルマだな、オレっ大昔から馬鹿だったんだな」と受け入れたり。
974 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 14:45:16.67 ID:aErSdyNq
>>970 もし輪廻があったら死んだときにわかるし、
もし輪廻がなくて消えて滅びるだけなら「輪廻なんかなかったのか!」と
後悔する自分がいないんだから何も困らない。
デメリットは少ないと思います。
なお、仏教には五戒があるので犯罪行為を勧めるようなカルト集団はそもそも仏教的に間違い(破戒)
なので、仏教系カルト宗教の存在を理由に仏教を批判するのは的はずれです。
975 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 14:58:34.50 ID:aErSdyNq
>>970 社会の共同体に害悪を与える行為をあえてする場合には、
たいていは仏の教えに反しているケースであり、
仏の教えに従っていればそんなことにはならないわけで、
つまりは仏教を守れなかったその個人が未熟なのであって、仏教が悪いわけではないのです。
逆に、他人のためになるような行為をしたり他者に慈しみで接するような仏教徒がいたら、
それば仏教のおかげでそのようなすばらしい人格になった可能性があるので
仏教を褒めるべきなのです。
976 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/05/03(木) 15:06:12.12 ID:uK/P0vxa
隠居が曲がりなりにもボケ老人なりの動物的直感で奇しくもかろうじて指摘しているのは、
仏教が輸入した「生まれ変わり」(日本古来の「氏神」という思想とは全く異なる異文化)が、
創価や幸福の科学やスピなどのカルトに利用され、多くの被害者が出ているという点である。
俺様ルールで明らかに非科学的な過去の迷信を垂れ流すのが仏教だと言うなら仕方無いが、
良識ある伝統宗教の末席を汚す者としての自覚があるなら、無名掲示板といえども、一般常識に配慮した書き方というものがあるだろう。
(^。^)スレチらしいから、これくらいで勘弁してやる。(笑)
977 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 15:45:21.29 ID:zq5HnS6e
はあ、だったら仏教、信じてないってことだろ。
ここにこなけりゃいいのに。仏教と関係ない世界で思う存分いきてください。
978 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 16:01:43.92 ID:uDSXIlnk
>>974 死んだときに輪廻があるかわかるってのはおかしい。
輪廻があったとしても来世に今世の意識と記憶が残るかどうかわからないのに。
だって過去世の記憶ないだろ?
というか仏教の輪廻転生は生まれ変わりとは違うと思うけどね
979 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 16:10:50.88 ID:zq5HnS6e
>>978 同じだよ。論じたいなら議論スレでお願いします。
980 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 16:40:41.44 ID:uDSXIlnk
>>979 自我はないのだから太郎さんの前世は花子さんだ!とかはありえない。
太郎さんが死んで土にかえり植物となり虫となり牛となりまた人となるならわかる。
とにかく自我はない
981 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 16:45:34.54 ID:zq5HnS6e
なんでだ? じゃ、なんで自我がないのに君は生まれてから、ずっと君なんだ?
続きがやりたきゃ、議論スレだってば
オイラはもうここで、このテーマでは書かないよ。これじゃ荒しでしょ
982 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 17:19:25.76 ID:aErSdyNq
>>978 来世以降に禅定により神通力を得て、過去世の記憶を思い出せるようになったらわかる。
いずれにせよ、あるかどうかわからない場合、あるかもしれないと想定したほうがメリットが
あるなら、あると想定して生活すればよいと思います。
輪廻を想定して生活してたのに死んで「おしまい」だった場合のデメリットと天秤にかけて、
仏教の場合は、輪廻を想定して生きたほうがメリット大だという立場なのでは。
983 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 17:24:49.14 ID:ZkfaDe4l
>>981 輪廻転生は、生物の増殖(自己複製)の問題だから、生物学にまかせるべき。
宗教の出る幕ではない。
釈迦が輪廻転生に言及したのは、単にバラモン教の洗脳が抜けていなかっただけ。
自我意識は、生体における脳の機能。死んで脳が腐敗し、又は灰になって機能を
失えば、自我は消滅する。己の自我を以って無我を説いた釈迦の、そもそもの誤り。
984 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 18:09:11.96 ID:aErSdyNq
自我を弱体化させれば、苦悩の少ない人生を送れる。
だから、生きてるうちにいかに自我を弱体化させるかが仏道。
で、もし輪廻があったら、自我が弱体化した場合に、
来世以降の苦悩もひきつづぎ軽減できる。
自我があって苦しいからこそ、自我を弱体化させる。
だから、自我がありながら自我を否定的にとらえるのは矛盾しない。
病人が病を治したいと言ったときに、「病人のくせに病を否定するとは愚かなり」なんて言わない。
985 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 18:37:32.19 ID:Rev/Vx5d
>>984 「自我の弱体化」とは、「より強力な自我」の存在を前提としているという
ことだな。それでは「無我」ではない。釈迦は「自我への執着」が強すぎw。
贅沢三昧の環境で、「自我を忘れて生きる」必要がなかったからだろう。
ひたむきに生きる衆生のほうが、はるかに「無我」を悟っている。
前提厨wwwww
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■宗教における幸福は、その脅迫と甘言によって死ぬまで騙されることであり、
これが果たして真の幸福と言えるか。結局は人格の崩壊と現実及び社会常識
からの逸脱と崩壊を招く。人権侵害の極致である。★☆♪
(オウムのインテリの死刑者をごらん!!)(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
十字架の人は死んで天国に行く
浄土宗は阿弥陀のもとに帰る
宗教は基本的に同じかな
>>988 所詮、人間の考えることだからね・・。
(願望が叶う形で)似通ってきて当然と思うよ。
一神教のサイトのようですが、ちょっと拝借
↓
■仏教は何の役にも立たないカルト宗教
http://book.geocities.jp/anti_buddhism/001.html から抜粋
仏教は何の役にも立ちません。日本で異常な数のカルト宗教が活動を
続けていられるのも仏教が役に立たないからです。カルト信者も元は
大半が仏教徒でした。しかし彼らは伝統的仏教の中に救いを見出せず、
口の巧いカルト宗教に縋ってしまったのです。
それでは仏教には救いはないのでしょうか。
本来の仏教は悟りを開くことが目的です。救済とは正反対の考え方です。
無茶苦茶厳しいのです。わたしたちが毎日楽しみにしているものは全て
「煩悩」と切り捨てられます。これらは一切断ち切らねばならないのです。
愛さえも切り捨てるべき煩悩と言ってのけます。
事実、ブッダは家族を捨てました。カルト宗教でも取り込まれた信者は
家族との関係を絶たれます。物理的に隔離されたり、さらには精神的に絶たれます。
「家族はサタンの手先」などと洗脳されてしまうのです。インドの王子様でありな
がら家族を捨てて修行に走ったのがブッダです。どこか現代のカルト信者と似ています。
991 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 21:48:23.43 ID:zq5HnS6e
それは議論スレでやってくれよ。書くなとはいわん。2ちゃんだから。
しかし、スレぐらい選んでクレヨンしんちゃん
992 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 21:53:46.76 ID:ggnhPvj3
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
>>933 >>929です。レスありがとうございます。
残念ながら、羂索ではなさそうでした。
もっと生々しく心臓自体を縛る感じでした。
994 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/05/04(金) 17:48:54.31 ID:W3qQEyco
>>994 ありがとうございます。ダキニ天ではなさそうです。
ほんとに、自分が見たのはオカルトサイトの何かかも…
996 :
忍法帖【Lv=19,xxxPT】 :2012/05/06(日) 05:51:44.56 ID:Wccxe9xn
な
998 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/05/06(日) 16:15:45.03 ID:76zoXuBY
神話が作られた時点で鎖の工法が確立されていたのは、ギリシャ北欧神話くらいだろう。
仏教では、というか当時のインドではヴァジュラなる武具はあったが鎖は聞いた事が無い。
従って、仏教の伝説では無いと推定する。
承狂さん
宝珠先生が回答がほしいそうです
1000 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/05/06(日) 20:17:38.69 ID:76zoXuBY
>999
あんなんの相手なんか嫌wwww
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。