仏教 議論スレッド その4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275992988/673 673 神も仏も名無しさん sage 2010/06/30(水) 22:34:06 ID:7FwI/oJs
御隠居の言う「生命」は、(或いは一般的語彙としての「(広義の)生命」も同様だが)、
『(五蘊存在としての)【人間(ヒト)により】【観念として】構想されたもの(→仮設されたもの)』
なんだけどねぇ・・・。
目を塞いでるんだよねぇ・・。「肉体」とか「生きている状態」を引っ張り出して当て嵌めて・・。
自分で、そういう具体性に置換できないもの、それらは一部分・顕現した様相、或いはそれらを生み出す源、
として述べているのに、それに気付かないんだよねぇ・・。
そこが、「生命教」と言われる所以なのにねぇ・・・。
〜後略〜
仏教議論スレッド 07
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/317 317 10(3-2)/36 sage 2010/10/25(月) 20:32:15 ID:x4Z4l4k5
> 彼の生物的生命がなければ、いかなる教えも不可能であることには、思い至っているのか。
だからw 何度も、「五蘊があるでしょう?w」と言っているのです。(五蘊の項参照)
「 > 生物的生命 」とは、貴方がいつも言う『生命』のことですか?同じものなのですか?
一般的な意味での「生命」は、仏教に於いても認められていますし尊重されています。
慈悲や、戒めの多くはそこに依っています。
下記(5-1)に述べるように、各種「生理的働き」によって五蘊は維持されているわけです。
(当時ならば「四大によって」と解されていたでしょうが・・。)
十分でしょう? これ以上何が必要なのでしょうか?
〜後略〜
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/318 318 11(3-3)/36 sage 2010/10/25(月) 20:33:25 ID:x4Z4l4k5
〜前略〜
そして、仏教的には、《諸相が観察されることにより、その背後に「想定」されている》もの、ということです。
仏教に於いても現代科学等の知見に於いても、『諸条件がととのわなければ生じない』ということです。