http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1323483875/437 >反旗を翻すようにして飛び出したグループが大衆に布教を始めるべくして、
>止む無く自作経典を製造するようになったのです
あくまで手段として「仏が語った」ということにした、というのは無理があります。
少なくとも本気で何らかの意味で「仏が語った」と作成者たちが信じている必要があります。
不妄語戒は基本的な戒めであり、とりわけ、仏について意図して「作り話」することには最も大きなタブーがあると考えられます。
>簡単に言うと、大衆受けが良くて受け入れられやすいもの、
>つまり、ゴータマ在世当時のような厳しい出家者向けの修行ではなくて、
>誰にでもできる容易で簡単な内容のレベルへ下げられ(他力信仰も含め)、
>それでいて、解脱成仏を保証するものとして提示していったのです。
私は顕教の観無量寿経や観普賢経の観想ですらなかなか上手く出来ないのですが、
あなたは簡単に出来るんでしょうか?このスレの常連の方々にとっては楽勝なのでしょうか?
般若経の表現形式もさっぱり頭が受け付けないのですが、これもすらすら体得できるのでしょうか?
浄土教は来世に浄土で修行することが前提だと思うのですが。
当時のインドなら、釈迦のいるところまで移動するのは簡単だからといって、
彼の元で悟りを開くのまで簡単だった、と言う様なものです。
「易行」という言葉をそのように解されることは、当の浄土教・念仏信仰にとって不本意でしょう。