1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 04:59:19.10 ID:XL7eCbuC
生命が概念とか頭悪すぎでクソ笑う
3 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 07:52:38.28 ID:5OWzu6MQ
4 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 09:31:47.77 ID:ZiVi9JRr
特定の状況において、己の「生命の声」に従った行動なら「すべて正しい」。
君も、己の生命を声を聞いて、己自身の判断をせよ。
己の生命の声が釈迦に学んで悟りを開けと言っている。
5 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 09:53:48.66 ID:XL7eCbuC
生命の声に従って戦争が起こり、殺戮が起こる。
正しいのかね。
6 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 10:48:34.48 ID:z8iC8Z9e
悟りの末
飢えた虎に食われるの釈迦
悟りを開いたといわれる仏教徒とでも無抵抗に喰われたものはいない。
つまりインチキ。
7 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 11:15:21.82 ID:XL7eCbuC
悟りを開いた仏教徒って誰?
8 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 13:32:08.48 ID:AgMgZXzC
9 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 13:50:37.56 ID:XL7eCbuC
証明ってどんな方法か知らんのだろうなぁ。
引用
その際、数学者ユークリッドが行ったように、公理、公準、定理を駆使して推論し、
目標の真理にたどり着くのである。公理、公準、定理などは、すでに正しいことがわかっているものである。
以上のようなプロセスを踏んで「そこにある」事実が成立することを保証するのが、証明という作業である。
ろん‐しょう 【論証】
[名](スル)ある与えられた判断が真であることを妥当な論拠を挙げて推論すること。
その論拠が公理・公準などか、または経験的事実かによって演繹(えんえき)的・帰納的の別があり、
また帰謬(きびゅう)法によるか否かによって間接的・直接的の別がある。証明。立証。
さて証明してみ。
10 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 14:28:26.32 ID:5wJNUF6w
>>9 宗教者の「公理・公準」である「釈迦・イエス」が間違っていれば、証明も
へちまもないよw。
嵌った証明だからそうならないだろ。
頭悪いなぁ。
生命の声とやらと釈迦の関係性は何だ?
13 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 19:13:27.26 ID:nqG22e4z
>>11 己の生命の声に耳を澄ませば、君たちの公理・公準である釈迦とイエスの
狂気と誤りが判明する。
クリスレ(談話室)に行ってみ。まさにイエスで狂乱状態だ。
生命の声に従う。
↓
すべて正しい
---
生命の声に従う。
↓
殺戮が(も)起こる。
---
これが間違いなのか、正しいのか。
正しいのかね?と聞くと狂気の理由は何?
15 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 19:51:45.10 ID:nqG22e4z
>>14 殺戮は、「開祖の声」に従った宗教が「桁外れに」多いことを直視せよ。
それは生命の声じゃないの?w
都合いいなぁ。
17 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 20:14:37.37 ID:nqG22e4z
>>16 それは「狂った生命の声」だからだよ。その典型が宗教の開祖。
「生命=肉体(超超精密機械)」だから、狂うこともある。
狂う、狂わないって何?w
だれが狂うって判断するの。
生命の声に従えば生き残れるとかオカルトだよね。
生存欲求は生きたい生きたいと泣き喚くだけで実際に頑張るのは主に理性だし。
なんでもかんでも生命の手柄だとこじつけすぎ。
21 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 22:52:12.21 ID:u2Mt+qo1
>>19 理性も、生存本能から生じることも判らないのか。「生きる」ために理性を
働かせる。宗教以外の人間の営みは、すべて「生」の方向に向けられている。
宗教の開祖はそうではないから、人間としては「狂気」なのである。
>>21 じゃあ理性がキリスト教ないし仏教を選んだのだから、正しい生命の行いなんだね。
生存欲求「死にたくな〜い」
理性「どうすれば死なないですむかわかんな〜い」
キリスト教「神に委ねるんですよ〜、今の肉体が滅んでも神が再生して永遠に生きられま〜す」
理性「え? ほんと? するする、信仰する!」
生存欲求「わ〜い、永遠に生きられるよ!」
はい、生命の行い。生存本能から生じたものだから、これを狂気という隠居が間違い。
23 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 23:02:37.01 ID:u2Mt+qo1
>>22 よく判ってないな。生命が狂ったから、宗教に嵌ったのだよ。宗教は、生命を
狂わせるためにあらゆる手段を尽くす。
>>23 え? 理性って何でも解答持ってるほど超越してないぜ?
自分で考えても解らないからって他人の考えを参考にすることのどの辺が狂気?
隠居が何もわかってないんじゃんww生命のことちゃんと勉強してねww
>>23 宗教に「人格」や「意思」があるの?! Σ(゚д゚;)
つか、狂うことがある生命が、どうして、根源であったり、絶対的基盤足り得るんだろうね・・。
26 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 23:09:09.13 ID:u2Mt+qo1
>>25 宗教や他の精神病で狂わされない限り、生命は根源であり、絶対的基盤であり、
最上位概念である。生命は超超精密機械だから、狂うこともあると前レスで
言っているだろ。
スレの主旨に外れるが、そもそもキリスト教では死後に天の国へ行くわけでなく、
生き返った後に天国で永遠に行き続けるって設定だから生存欲求の追求そのものなんだけどね。
隠居が嫌い=狂気のアホ設定どうにかならんものかなぁ。
>>26 で、その、≪生命を狂わす宗教は、どこから生じた≫んだい?
29 :
神も仏も名無しさん:2012/04/09(月) 23:16:45.47 ID:u2Mt+qo1
「生命=生命現象を現す肉体」。生命は、肉体と生死を共にすることが重要。
従って「死後の世界」などありえない。
生命の無い世界を、生命で思考することほどの、滑稽な矛盾はない。
釈迦が、己の生命を以って無我を説いたと同様の滑稽さである。
>>29 じゃあキリスト教は狂気じゃないで良いんだね?
異教徒の殺害も自己が永遠に生きるためだもんね。
一旦肉体が分解されても再構築して生きる死後の世界じゃないから。
狂う、狂うわないを誰が判断するの?w
そこを答えられないんだなw
生命は概念ってのもキチガイだなぁ。
生命は物質であって概念ではないぞ。
いや、生命って現象、物質の運動の一種だろ。
>>31 つか、
生命が「個」と「公(共同体)」のどちらを優先しているのか?
についても考察を避けてるからね・・。
共同体を優先するなら、「個としての生命」の絶対性が崩れるわけだから。
個が滅ぶことによって共同体が維持されるケースを、彼は完全スルーしている。
生命は自己保全を旨とすると言いながら、(それが一切皆苦への反駁であるわけだが)、
同時に、共同体維持の爲に働くと言う。
だから、徳川さんにとって、徳川家存続のためには自分が死なねばならないとき、
生命の声は、自分の命を守れと言うのか言わないのか?ってことなんだけどね・・。
>>33 その観点であれば自己増殖を伴う有機体って表現になるかな。
36 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 00:25:05.14 ID:Yfqut6nD
>>33 >いや、生命って現象、物質の運動の一種だろ。
それを観察するのも生命だから、その観察の正確さの担保は皆無。
生命は、人間が対象化できない唯一の存在。
生命以外のすべては、生命によって対象化が可能だから、生命の下位概念に
過ぎない。
自分を自分と認知できない痴呆の話はお腹一杯。
>>36 んなご高説はどうでもいいからさ、キリスト教を信じることは狂気じゃなくて正しい生命の活動だって認めれよ。
キリスト教の言う救済の真偽はさておき、永遠に生きたい、でも方法わかんない、キリスト教のやり方を見習おうってだけなんだから。
ついでにイエスも精神病じゃなくなるね。まぁ、妄想癖という意味で精神病かもしれないが、生存本能にまったく逆らってない。
一旦体壊れても治るし〜な、人ですから。
そもそも生命が狂うって判断も
自己を対象化出来ないと仮定すれば
正確さの担保は皆無
ですよね?w
精密機械 → キリッ
精密機械だけど概念 → キリッ
・・・・
(゚Д゚)ハァ?
うちのパソコンも概念!
41 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 00:35:52.15 ID:Yfqut6nD
一つだけ確かなことは、「生命の等価・至上性」により、すべての宗教は吹っ飛ぶ
ということだ。宗教やその開祖が、生命の下位次元に過ぎなくなるからだ。だから
宗教患者たちが必死に反論してくるw。その反論も、生命の機能、生命の下位次元
であることを自覚せよ。
あのさw
生命に上位次元、下位次元なんてあると思ってるのw
>>41 生命によって反論するから生命がその論より上ってコトにはならないよ?www
>>41 生命そのものを使いこなす霊がいれば
霊は生命より上だな^^
霊は四次元で生命は三次元といいたいのかw
四次元と三次元に上位関係なんてないぞw
46 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 00:41:55.14 ID:Yfqut6nD
>>38 イエスが「永遠の生命」や「死後の裁き」などと妄言を吐いた時点でアウト。
生命は、肉体の死と共に消滅する。「生命=生命現象を現す肉体」。
>>46 死後に生き返って肉体として再構築された上で裁き受けるんですけどー?
千年でも千億年でも壊れない肉体の構築も理論的には可能なんですけどー?
キリスト教を隠居が嫌いだからって生命教を捻じ曲げないでくださいな。
いい加減にせんとお前破門すっぞ。
生命現象って何を指してるのw
明治維新の立役者、大久保利通が死にました。 大久保の死後も利通の意思は
生命として残ってることを立証してやろうか?w
50 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 00:53:36.75 ID:Yfqut6nD
>>43 生命に依存しない限り反論は不可能なのだから、生命が上位であることは
明らか。「死人に口無し」w。
>>44 神や霊を思考・空想するのも生命の機能だから、生命の上位は聊かも揺るがない。
君が死ねば、君の神もイエスも瞬時に吹っ飛ぶ。
上位とか下位とか無いからw
どんだけ頭悪いんだ。
>>50 反論云々は無関係
生命は道具と考えられるし^^
53 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:02:01.89 ID:Yfqut6nD
>>48 ミイラも化石も、もはや生命現象を現わすことは出来ない。
イエスは既に生命教から破門済み。
>>47 「感覚」も、生命の機能。君が死んで火葬されも、熱さは感じないから、
心配するなw。もし死後も感覚があれば、君は火葬中に熱さで狂いまわる。
>>53 隠居が破門だね。神が居るかどうかは解んないから、キリスト教の教義も真実かどうか解らない。
生命維持の極限としてキリスト教があるのに、それを認めないんだから、自分の感情ために教義を捻じ曲げた隠居は精神病。
今の人生よりも長く生きられる可能性を否定するんだから、あれだ狂った生命の声だな。
隠居基準で隠居が精神病認定されましたwwついでに生命教からも破門されました、ざまぁwwww
>>53 >ミイラも化石も、もはや生命現象を現わすことは出来ない。
修理すれば現すだろ? はい、意味のないたわ言ですね。
56 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:09:20.45 ID:RUKm4Qxx
>>53 ミイラが残るなら消滅はしてないね。常識的な日本語表現では
生命活動をしなくなった、変質した、となるはず。
みょうちくりんなエネルギー論への未練は無くなっておらんようだね。
57 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:09:38.67 ID:Yfqut6nD
己の生命を以って「永遠の生命」を説いたイエスも、「無我」を説いた釈迦と
同程度の低脳者。お話にならん。死んで感覚器官が灰になり、また腐敗した
のに、一体どうやって「死後の世界」を知覚できるのかw。イエスが世界を
知覚・認識できたのも、彼が「生きている」からだということに、思い至れ
なかった。
内容が無いようw
>>57 だからぁ、一旦死を向かえ肉体が壊れても神が修復してくれるんだって。
その上で裁くから死後の世界なんてないの。キリスト教の世界は全部生者の世界。
死=一時的な分解状態なの。相手を貶めるために曲解するのよくないよ?
60 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:16:19.37 ID:RUKm4Qxx
法華経のアレが「生命」の象徴でいいなら、イエスのでもいいよね。
61 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:16:49.82 ID:Yfqut6nD
>>54 神は、(観測装置を使っても)人間の五感で知覚できないから、人間にとっては、
非実在、空想、妄想である。従って、人間の生命の維持に何らの直接の影響も
及ぼさない。食物がなければ、宗教者、無宗教者を問わず餓死する。釈迦も
イエスも同じ。
個人死んだあとも
その個人の生命が続いてる事例が山のようにあるんだが・・・
隠居もその生命に繋がってる。
隠居だと思ってる人は実は別人格の個人だったって立証できるぜw
>>61 はいはい。知覚出来ないからどうした?
知覚出来ないから無いとして扱うことと、実際にないことの差は何十回と説明されてきただろ。
キリスト教は生命教で、虐殺に見える行為も正しい生命の声に従った結果でしたって認めろよwwww
神が居るか居ないか解らない、で、自己の生命の声が「居るんじゃね?」って言うから居るほうに賭けて行動してるだけなんだからさw
64 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:24:30.16 ID:Yfqut6nD
>>56 ほほう。ミイラを修理したら生き返るのかねw。エジプトのファラオのミイラ
でも修理してくださいw。
>>60 神の冒涜罪で処刑された犯罪者イエスは、孫子の代まで、生命の象徴にはなり
えない。生命が汚れる。
>>64 またすり替えかよ。人間に出来なくても神ならできるだろ。なにせ神なんだから。
なんだ、生命とかいう奴は各種保存則を無視して消滅でもすんのか?
でなきゃ原子や分子の単位で生前と同じ状態に再構築すれば動くに決まってるだろ。
66 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:28:48.91 ID:Yfqut6nD
>>63 君は朝から晩までの生活で、「物の実在・非実在」を一体どうやって判断して
いるかを、胸に手を当ててよーく考えてみよ。判らなければ、赤ん坊や幼児に
教えてもらえw。
>>66 はい逃げない。破門するよ?
実際に神が居る居ないと、人の認識に関係はない。
今、その辺に居ないから、宇宙の何処にもいないとは限らない。
死んだ、知覚が停止した後に現れることだってある。
いい加減にキリスト教は生命教でした。虐殺に見える行為も生きるための賭けでしたと認めなさい。
でなければ貴方は自分から生命教を破門されることになります。
>>65 隠居は基本、すり替えとスルーで言いたい放題のテキートな寝言よねw
生命についても詳しくないしw
同じ事しか言えんし、内容は薄っぺらで専門知識皆無だしw
>>57 ちょっとずつちょっとずつ生命教を削っていく、
教義を確かなものにしていくと、
何が残るんだろうとワクワクして頑張ってるんだw
70 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:35:39.95 ID:Yfqut6nD
>>65 アリンコ一匹作り出せてから言ってくれw。
>>69 生命とは何かの基本すら理解してない困ったちゃん。
>>62 > 個人死んだあとも
> その個人の生命が続いてる事例が山のようにあるんだが・・・
その具体的な例を教えてください。
隠居って基本、アドホックでフレキシブルって議論するには最低にも届かない自己愛さんだから、
過去の自分と今の自分で衝突すんだよね。
過去ベースなら今が狂ってることになるし、今がベースなら過去は狂ってることになるんだよな。
>>73 おまえさんの生命は父ちゃんと母ちゃんの生命だろ?
その父ちゃん、母ちゃんは・・・
76 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:43:39.95 ID:Yfqut6nD
>>67 狂人イエスからなど、こちらから破門されたいよw。
そんなに神が実在して欲しいのなら、「神の観測装置」の研究開発でもしたらどうかね。
さすがに、そんなことをしている会社は聞いたことが無い。研究開発費の無駄である
ことが、初めから分かっているからだろう。そんなことを提案した社員は、稟議が
通らないばかりか、精神病者としてクビになることは確実。
>>76 いいえ、過去の貴方の基準で今の貴方が生命教から破門されるんです。
キリスト教は生命維持の努力であり、狂ってませんから。
個人的感情で生命存続の可能性を否定するなら貴方は生命教ではありません。
狂った生命の声に耳を傾けずに正しき生命の声に従いなさい。
生命が狂うなら生命教なんて信用ならんよねw
だれか
僕は生命教を信望します!
隠居
いや、生命教って狂うから。
だれか
生命教を信じろって何やねん・・・・
80 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 01:56:27.23 ID:Yfqut6nD
>>77 イエスが基地外であったことは、聖書の中でも、イエスを身近に良く知る
家族、郷里の人々、仲間のユダヤ教徒が証言している。昔も今も、基地外は
基地外。君はクリスチャンなのに、聖書を信じていないの?w。
キリスト教が生命教に改宗したいのなら、教義の全面的改定が必要。
まず、生命(創造)を軽視・否定した、イエスの首を挿げ替えなければ
ならないw。
>>80 クリスチャン? いや、個人的には禅宗ですが。
キチガイだのなんだの、そんなのは人の風聞です。有名税ですよ。
結局キリスト教という奴は、このままいけば五十年百年で必ず終わる生命を
神に愛されることで万年億年に伸ばそうとする生存努力ですから最初から生命教です。
改定だのなんだの破門状態の貴方が口にする権利はありません。
今の貴方は生命教の専門家を騙る詐欺師でしかありません。
クリスチャンの禅の奴は有名な詐欺師だから気をつけろ
どこにでもいるから
83 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:03:37.38 ID:RUKm4Qxx
>>64 なぜヤハウェを冒涜すると
その教説が生命の象徴に採用できなくなるのかね。
84 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:04:13.19 ID:Yfqut6nD
「生命の等価・至上性」により、すべての宗教は生命の下位次元となるから、
宗教者がいくら足掻いても、「神や開祖の超越的至上性」は消滅し、すべての
宗教は崩壊する。今後の身の振り方でも考えたほうがよい。
>>82 クリスチャンの禅ってなんじゃらほい?
座禅とかで仏教のフリして忍び寄る統一教会みたいなのか?
86 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:07:02.50 ID:RUKm4Qxx
カトリックには禅に取り組む人がおる。
彼が言っているのはそれとは違うようだが。
>>84 超越者に頼った生存努力を認められない貴方は生命教徒じゃないので黙ってくださいwww
生存努力を否定する宗教は貴方ですよwwww
88 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:12:51.33 ID:RUKm4Qxx
ヤハウェはいかにもご隠居好みな豊穣神信仰を否定してるんだがね〜。
ご隠居はイシュタルの神殿で神聖娼婦とセクロスしたかっただろ?
カトリックで禅に取り組むって私のことですか?
90 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:14:25.04 ID:Yfqut6nD
>>83 「すべての人間の、生命における等価・至上」など念頭にもなかった犯罪者イエスが、
「生命の象徴」になれるはずがなかろう。
聖書の中のどこで、イエスが「生命の等価・至上性」を説いたか。「皆無」である。
91 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:16:15.13 ID:RUKm4Qxx
別にヤハウェは関係ないと。
じゃあ最初からそう言いましょう。
92 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 02:23:46.87 ID:RUKm4Qxx
特定の職業差別していようが異性に親近することを戒めようが
批判者を脅迫していようが生命の象徴になれるなら
イエスの教説でもバッチリおっけーであります。
職業差別が無いおかげでむしろイエスに分がある。
93 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 04:42:14.48 ID:81D2sTHv
>>81 >神に愛されることで万年億年に伸ばそうとする生存努力
生命は、肉体と生死を共にするから、その限られた生命を精一杯生きるというのが、
生命教の中心思想。個の生命は、限りがあるからこそ尊いのです。
どうせ死ぬから、自分勝手、悪い事をする、などということは、生命からは生じません。
ソレは生命教の思想の対極にある、生命に対する侮辱です。生存本能から、共同体
形成維持の本能や、他者への思いやり(愛)という自然の感情が生じます。
生命は、独りでは絶対に生きられないことを知る叡智があります。
なお、禅宗の思想は、あるがままの現実と日常生活を重視する(生活のすべてが修行で
ある)ことであり、神概念など存在しないと解しますが、そうであれば、キリスト教とは
対極であるはず。「禅キリスト教」とは、一体何でしょうか。
www
あのさl、生命から見ると尊いとかないからw
尊いってのは概念であって機能ではないぞww
バカすぎて泣けてくる。
生命は生理や機能であって概念ではないし
良い、悪いとオバカさんが判断するものでもない。
精一杯生きようが精一杯で無かろうが
生命は生命としてそこにあるだけで
尊いなんてもんはねーですよw
それは個人的な感想であって生命ではない。
生命教なんて寝言は個人の感想文ですかw
生命の真理ではなく、生命に対する感想が教義とか
バカすぎて泣けてくるですよ。
細胞からみれば善悪論なんてものは情報に過ぎない。
それなのに善悪、尊いなんて持ち出すのはオバカナンセンスですぜ。
そろそろ議論スレから独立して生命教スレ立てろよ
97 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 08:36:42.40 ID:Y857vu5/
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■一つだけ確かなことは、「生命の等価・至上性」により、すべての宗教は吹っ飛ぶ
ということだ。宗教やその開祖が、生命の下位次元に過ぎなくなるからだ。■
だから 宗教患者たちが必死に反論してくるw。その反論も、生命の機能、
生命の下位次元 であることを自覚せよ。★☆♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
上位次元、下位次元て何w
99 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 08:50:15.44 ID:DAV5EUz9
_
/〜ヽ ペチ ☆ 宗教者達の狂気の見苦しい断末魔の叫びの沢山のレスを堪能してください★
(o・-・)っ―[]/ 論理にもならないナリフリ構わぬコジツケ・イチャモン・アラシレスです★
[ ̄ ̄ ̄ ̄](´・ω・`) 非常に醜悪そのもので〜す(笑)★☆♪
下位次元ってなんだろうねw
次元に上下関係があるのだろうか・・・w
まさか次元にヒエラルキーがあって
社長次元!部長次元!のように考えているのだろうか・・・
それとも下 位次元なのだろか
騎乗 位次元 正常 位次元がある考えているのだろうか・・・
生命の下位次元とは何なのだろうかw
101 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 12:11:52.89 ID:1Ni9/yRf
>JvZ43yQz氏へ
何物も希少な(限りある)ものを「貴重」と呼ぶだろ。その意味。
個の生命は「今ここ・瞬時」。即死すれば瞬時に消滅する。個の一生も、
この「瞬時の生命」の反復(積み重なり)に過ぎない。ニーチェのいう
「永劫回帰(永遠の反復)」である。
「生存努力」とは、突き詰めれば、この「今ここ」を生きる努力である。
個の生命が「永遠」であったら、それは単なる「粗大ゴミ」。「貴重」
ではない。
人間のすべての営みの根源を「最上位次元」と呼ぶ。開祖の説教も、
信者の信仰も、世界の認識も、思考も、価値観も、生命がなければ一切
存在し得ない。
>>101 「共同体の護持存続」と「個の生命の護持存続」とが対立した場合どうなんるんだい?
ここをクリア(解決)しない限り、「生命」を基盤とする思想は社会に受容され得ない。
別の案件を考察してみよう。(これは「個」と「個」ではあるが)
産科医が、母体の護持存続と胎児の護持存続の対立場面に遭遇した場合、
彼は、どちらの生命を優先すべきだろうか?
母親の居ない子を世に送り出すべきか?母親から子供を奪うか?
(勿論、双方助けるのが第一段階ではあるがw)
なんるんだいって何だwwwww
んー? んー?
釈迦、イエスは狂人だ!と叫び理解しようともしないのに
脳に疾患を帯びていたニーチェの言葉を借りるとか全くもってナンセンス。
生命の声的には狂った代表ではないのか?w
自分の言葉に対し、自分で否定しながら肯定してる人格分裂かね?
それと最上位次元って何w
オリジナルの用語で語らないくれよwww
おれもオリジナルの用語でキミと会話しようか?
キミって最上位ルパンだね。
キミの最上位ルパンは狂気に満ちていて
最上位ルパン的に生命ではないよ。
とてもニーチェを語れるような最上位ルパーンな感じがするんだが
どう思うかね?
>>93 より長く生きようと生命継続の努力をするのが自然な生命です。
短い生命がそんなに偉いならさっさと死になさい。
それは隠居の勝手な思い込み、ただの好き嫌いです。
長かろうと短かろうと尊いものは尊く、有限なために尊のだから無限なら尊くない筈というのは生命への侮辱です。
これで隠居は無限の生命に唾吐きかけたので大乗である根拠もなくしましたし、生存努力を侮辱したのでもはや生命教でもありません。
よって破門ですね。生命教は貴方の玩具じゃないんでさようなら。
こんどは短命自殺教でも立ち上げたらどうです?
あと禅についても知ったかぶりやめてね。
>>75 > おまえさんの生命は父ちゃんと母ちゃんの生命だろ?
あなたの言っている生命とは遺伝のことなのですか?
108 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 18:24:45.12 ID:Vj5/rL/v
>>102 共同体は「より多くの等価・至上の生命」を有するのだから、共同体優先は
当然のこと。
母体保護法では、母体保護のための人工妊娠中絶を認めている。胎児の生命と
すでにこの世に生まれ出た生命とを同一視することは、やはり無理があると
思う。そこまで言うのなら、避妊さえ問題であるという、非常識な結果が生じる。
109 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 18:36:31.15 ID:Vj5/rL/v
>>105 いくら努力しようとも、死は一定の期間が経過すれば、すべての人間に例外なく
公平に訪れる、生命の新陳代謝のための大自然の摂理。また、生命は、事故に
よって何時失われるかもしれない。だからこそ「今ここ」の生命が尊いので
ある。
「無限の生命」とは、「個の生命」ではなく、「種属としての人間の生命」の
こと。誤解してはならない。
毎日変わる不思議な教義w
>>109 「己の」と言ったり「種族の」と言ったり蝙蝠かお前は。
事故にあうから事故にあわないように努力し、寿命が来るから寿命を遠ざけるように努力する。
真偽はともかく延命の可能性としてキリスト教を容認できない時点で教祖失格。
破門です破門。隠居に生命教を語る資格はありません。
112 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 19:37:27.31 ID:Vj5/rL/v
>>111 「種属の生命」は、「個の生命」の集合体。それぞれの「個」が、それぞれの
「我(自己)」である。
キリスト教は、「生命の維持」のために神やイエスに祈る。「主」はあきらかに
「生命」であり、神やイエスは単なる手段、生命の奴婢に過ぎない。
>>112 匿名性の陰に隠れてコスイ言い方してんじゃねーよw
「種族の生命」護持存続の爲に、“鈴木さん”の命を絶たねばならないケースがありうることを
>>108で認めているのにw
無限の生命って言わずに初めから
種族の系譜って言えよw
また種族には生命なんてないぞw
種族は分類であって生命なんて表現するもんじゃないw
無限の生命やら種族の生命やら何か勝手な造語連発だなぁ・・・w
>>112 じゃあ「己の」生命の声を聞くのは「集団の」生命こと無限の生命の信奉じゃないんだから大乗じゃないね。
奴婢って何? ただの手段でしょ? どうしてわけのわからん過激な表現すんの?
あぁ、そう言わないと自尊心がキリスト教を認められないとwwww
まぁ、それはさておき、やっと生命維持のための手段としてキリスト教を認めたわけね。
キリスト教は生命教の一派閥、神に愛されることで生き残ろう派だってことだ。
116 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 20:30:34.03 ID:qGYrNM/E
>>115 生命教の「主」は「生命」である。「神」や「イエス」の首は挿げ替えw。
神もイエスも生命の産物、従って生命の下位次元に過ぎない。
>>116 うんうん、これで言質がとれた。
つまり、隠居は散々宗教が行ってきた虐殺を見ろと言ってきたが、
実際はキリスト教を手段とした生命教徒の仕業だったわけだwwww
生命教徒の虐殺を見て、生命教になれって?wwwwいやぁ、意味解らんねwww
私は
> おまえさんの生命は父ちゃんと母ちゃんの生命だろ?
という言い方には、やはり違和感があります。
遺伝は情報であり、それ自体は生命と呼ぶものではない。
そして父母を大切に思うことに異論はありませんが、
私がいなければ、私の父母もいないわけだから
私と父母とは、どっこいどっこいの関係にあるのだと思います。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■生命教は一般的な意味での宗教ではない。☆
生命教の非信者ですら無意識的には生命教を実践している。
この世にあるあらゆる思想や宗教の基礎付けともなるもっとも根本的な思想である。
何のおふせも必要ないし、何か他の権威に従う必要もない ☆
その意味で究極の宗教であり最高の啓発哲学であろう ★☆♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
_
/〜ヽ ペチ ☆
(o・-・)っ―[]/ ID:lzR9bJs/ は、やはりクリスチャン!★
[ ̄ ̄ ̄ ̄](´・ω・`) そのコジツケ強引レスは非常に醜悪そのものです♪
>>119 生命教を批判的に見て、教祖こと言いだしっぺを批判できないので
お前も生命教の教義に従い破門だなwww
>>121 残〜念!(^-^)
生命には教祖はあいにく存在しません!
万人全てが教祖です。勿論君もねン〜♪
>>102 医者と家族(当事者)との生命と法律内で考えれば良いことでは?
君は、エホバの輸血問題やカトリックの中絶禁止?・・(宗教に
興味がないから詳しく知らないが・・・)にレスした方が妥当でしょw
オヤスミ☆
>>122 隠居生命教こと偽の生命教の教祖様が居るので。残念でした。
はやく偽の生命教から離れ、真の生命教に帰りなさい。命令ですよw
昆布ちゃん必死だなwww
127 :
神も仏も名無しさん:2012/04/10(火) 23:22:23.46 ID:ub97huTF
>>127 《「個としての生命」は絶対ではない(至上ではない、最上位概念ではない)》
ということを、貴方自身が
>>108で仰ったのですよ?w
そしてそれは、これまでの発言の「個としての生命の絶対性」と相反しているわけです。
『共同体としての生命』(これ自体、甚だ難解な概念ですがwww)と、
『個としての生命』では、前者の方がより上位概念であるということですよね?
生命には2種類あり、それは『共同体としての(≒種としての)生命』と『個としての生命』である、
ということで宜しいですね?w
さーて、
>>122は、どういうレスを返してくるかな?それともスルーかな?w
もうそろそろイジメルのをやめろよ。
何も考えてないって分かってんだろ?
見てるこっちが辛いわ。
>>130 ここは、仏教関係なしに、
(社会が持つべき倫理観として
→社会は、個人に対してどうあるべきか?個人は社会に対してどうあるべきか?
という点で)重要なんでね。
133 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 00:26:25.96 ID:lOLal9uN
>>128 >ということで宜しいですね?w
全く間違いw。「すべての人間は生命において等価・至上」。
共同体とは、その「等価・至上の生命」が複数集合したもの。「より多くの
等価・至上」を助けるために、「より少ない等価・至上」が犠牲になる。
差し引きすれば、「より多くの等価・至上」が守れる。簡単な算数。
共生には、不可欠の原理。すべての他者も、それぞれ「自己」「我」である。
>>133 だからw
匿名性の陰に隠れて姑息な言辞を弄するな、というのです。
共同体のためには鈴木さんが死ぬ必要があるんですよね?
鈴木さんの「自己」「我」は、『生きようと望んでいない』んですか?w
それとも、共同体の生命と鈴木さんの生命は、完全同一ですか?
さすがの滅茶苦茶ぶりですねw
135 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 00:46:59.41 ID:lOLal9uN
>>134 勿論、完全に同一であるからこそ、死ぬ必要がある。さもなければ、鈴木さん自身も
含めて、共同体は全滅する。
「共生」のためには、不可避なルール。
怖い怖い。お国のために死ねぇ!! って怖い怖い。
>>135 いやいやいやw
完全に同一なれば、
『鈴木さんの生命』が失われれば、『共同体の生命』も失われるのでは?
或いは、『共同体の生命』が生き延びれば、『鈴木さんの生命』も生き延びるのでは?
でも、≪鈴木さんは生き返らない≫んですよね?
死者は2chできないんですもんね。火葬してしまって、鈴木繁春さんはこの世に居ませんよね?
まさか、≪その遺志が・・・≫とか言い出さないですよね?w
それは『今話題にしている生命、及び貴方が言ってきた生命』とは違いますもんね。
『生命』は『生命現象を現す【肉体】である』と再定義できるんですもんね。
? おや?
『共同体の《生命現象を現す肉体》』って、どんなものなんでしょうね・・・?wwwww
138 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 00:56:50.00 ID:lOLal9uN
>>136 だったら、君自身も死ぬだけの話。
こんな時こそ、釈迦の「無我」だろwww。
139 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:08:10.26 ID:lOLal9uN
>>137 「生命現象を現す肉体」が複数集まっただけの話。
鈴木さん他少数派が死んでも、残りの多数派が子孫を作ることが出来るから、
共同体(人類)の生命は「無限に」継続することが出来る。
自己保存、自分の血族を永久に残すことで無限の〜とでも言っておけばいいのに。
血の繋がりのない他人のために〜なんて自然から離れたこと言うから馬鹿見るんだよ。
>>139 いやいやw
だからw
【鈴木さんの生命】は、「その鈴木さんの生命の声」に反して失われているんですが・・・w
鈴木さんの生命は失われていないんですか?w
142 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:16:52.99 ID:lOLal9uN
>>140 生命(生存本能)は、宗教者の「宗教エゴ」とは本質的な異なることを理解せよ。
前者には、「他者」が存在する。
>>142 そうだね。他人のため、多数のために死ね・死ぬって宗教者の宗教エゴそのまんまだよね。
144 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:29:03.37 ID:lOLal9uN
>>143 釈迦の「悟り」には「他者不在」といわれる。
>>144 釈迦を精神病といったり持ち上げたり大変だねぇ。
そろそろどっちかに落ち着いてくれない?
146 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:31:47.97 ID:lOLal9uN
>>145 持ち上げたことなどない。持ち上げられる理由が見当たらない。
>>146 あそう。じゃあ他者不在は精神病でしょ?
じゃあ他者のために死ぬのは精神病だね。
なにせ血の繋がりもないただの他者なんだから。
148 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 01:37:48.56 ID:lOLal9uN
>>147 他者が存在するから、他者のために死ねる。
釈迦は、釈迦族のために死ねなかった。
>>148 愛する者、主に家族とかのために死ぬのが自然だから。
まぁ、共同体・お国を愛してる、愛国心のために死ねるとかならあるかもね。
でも、たかだか共同体のために死ねるとかキチガイだけだから。
あんまり狂った生命の声(笑)に惑わされんなよ〜。
何かのために死ぬとか生きるとかw
基礎の基礎の仏教で簡単に答えが出る
他者のために死ねるのが生命教なんか?
俺の為に隠居死んでくれるの?
>>139 じゃあ、鈴木さんを去勢したり高齢になったりして生殖活動が出来なくなったら、鈴木さんは「共同体の生命」から除外されるのか?
逆に言えば、「個人の生命」と「共同体の生命」が「等価」であるのは、「生殖が可能な時だけ」という条件が付くという事か?
さらに、この理屈に従えば、先天的に生殖が出来ない人は、「生命の声」に従うと、「己の生命」より「共同体の生命」を、常に優先することになるな。
154 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 11:48:44.18 ID:filzb3iL
ゴ・インキョー将軍様の「チェチェ思想」の賛美できうるかの議論かw
将軍様はおもろいなあw
155 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 11:52:05.99 ID:filzb3iL
ゴ・インキョー将軍様にとって、世襲制は絶対重要なのであり、
世襲制を放棄した釈迦は弾圧の対象であるとおおせにございまするw
156 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 15:07:48.08 ID:+ePnZeTE
宗教者が、己の生命を以っていくら生命を否定しても、それは生命の肯定に
過ぎない。いくら足掻いても無駄な努力。
中央公論5月号に、高村薫が「だからわたくしは佛教に期待する」の一文を
書いているが、行き着いたところは、「生きること」「生命」である。
宗教の害悪については、同書に、藤田庄市氏が「『信教の自由』に奪われた
自由」のタイトルで書いている。結論的には「検察や裁判所は世俗的理解の
枠内に終始し、事件の本質から目をそらし、教訓を学ぼうとしないから、オウム
はまた起こる」である。オウム後の宗教被害を列挙している。「信教の自由」
の制限の必要性を示唆している。
>>156 >宗教者が、己の生命を以っていくら生命を否定しても
誰一人として生命を否定していない件
あまり考えすぎると本末転倒になることがありますね
その子、病人だから聞こえないはずの声が聞こえる子なの
昔の書物はゾウとかカメさんが根拠ですから。
今は神様仏様がいるなら見せてみろ?
な?いるわけねーんだよ?という無根拠の時代です。
おバカさんによい子になってもらう方法を考えないと
いると在るは違う。
在るものは在る。
夢はいるものか在るものか。
愛はいるものか在るものか。
思い出はいるものか在るものか。
神を在ると思えばそこにあるし、無いと思えば無い。
夢は無いと思えば無いのだから無意味なのか。
愛は無いと思えば無いのだから無意味なのか。
祖父母の思い出は実在として存在しないのだから無いのだろうか。
恋のトキメキなんてものは実在ではないのだから無いのだろうか。
さて在るのだろうか、無いのだろうか。
お釈迦様は出家するという欲望のため、
家を捨て、妻を、子を捨てた。
仏教は誰が人間を作ったかについてはそれほど語らず
死んだらどこに行くのかについて詳しく書かれています。
輪廻で人間になるとか動物になるとか某手塚さんの
マンガにも描かれていますが。
人間になりたくない人には悪いことをすると人間に生まれ変わると言えば
悪いことをしなくなるんでしょうか?
サイバンチョも「残りの人生を使って反省してください」とか言いますしね。
凡人は輪廻なんてグダグダと無駄なことを
考えるのはやめろと言っているぞw
凡人じゃないなら考えろw
口に出すと「自分は頭がおかしいと思われる」と考えて
口にしない人が多いですが頭の中はそんなもんです。
頭がおかしいと思われることは少ない。
知ったかぶりしてると馬鹿にされるだけ。
自分の思いつきと、実際の真偽の区別がつかなくなると病気扱いされますが。
輪廻なんてつまらんもんを考えるより
東北に寄付でもしとけ。それが縁起であって道だよ。
ついでに「欲」について書きますと、欲が無いのが良いらしいですが
欲を満たそうとするとなぜか不幸になったりすることが多いので
欲は無い方がいいというのは中略省略させていただいて正論だと思います
そういうわけで今夜はカレーです
170 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 16:27:48.50 ID:aOy3NabY
>>161 「在る(実在する」ものは「物質」のみ。それ以外の対象を「観念」「感情」「空想」
「妄想」「非実在」などと呼ぶ。
宗教者は、この両者の区別を学ぶこと。人間は「実在(物質)」に100%依存しない限り、
一瞬たりとも生存できないのだから。「非実在」を思考するのは、短い人生の貴重な時間の
無駄・濫用。
生命のみが、知覚により「実在を作り出す」のである。
>>170 その考えは妄想ですか?
お前さんの考え自体が無駄と言ってるのに気づいてるかね?w
隠居爺さんの話を聞くといつもブーメランで脳天直撃していて
頭大丈夫なのか?と思うぞw
173 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 16:39:24.69 ID:aOy3NabY
>>171 「妄想」であるかないかは、「生命の維持に直接影響するか」によってテストできる。
宗教者は、教典の言葉の一語一語についてテストしてみられたし。
>>173 その考えも
>「非実在」を思考するのは、短い人生の貴重な時間の
無駄・濫用。
ですぞ?w
175 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 16:44:31.71 ID:aOy3NabY
>>174 実在・非実在のテストは無駄・濫用ではない。生命の維持がかかっているから。
テストなんてものは実在なのか考えてみろよww
178 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 16:52:11.40 ID:aOy3NabY
やってみればわかる。実在物で自分の頭を思い切り殴れば、又はそれを腹いっぱい
食えば、間違いなく死ぬ。だから「実在」が証明されたw。
分かる、分からないは実在か?w
証明は実在か?
wwwwww
無駄じゃないのwww
>>178 ねぇねぇ、隠居は一度も試したことないんでしょ?
だって生きてるんだからさ。じゃあ、実験自身の正統性が証明されてないよね。
さ、ダンプに飛び込むんだ。ファイト。
181 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 17:38:31.45 ID:aOy3NabY
>>180 宗教者とは違って、予め五感の知覚で実在・非実在を判断しているから、そんな
ヤバイことはやる必要がない。
「生命の維持に関係テスト」は、専ら、知覚異常者、妄想患者、宗教患者用の
「補助テスト」。
必要は実在か? テストは実在か? テストは実在か? 判断は実在か?
無駄ですよ。
>>181 なに言ってんの?
テストで実在が確認できるかどうかの確認。
必要とか不要ではなくテストそのものの正当性の実証責任の問題。
さ、やるんだ。やらないとテストの正当性が皆無となってしまうじゃないか。
184 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 17:46:01.85 ID:GTfkzPMe
>>102 >「共同体の護持存続」と「個の生命の護持存続」とが対立した場合どうなるんだい?
↑ が
>ここをクリア(解決)しない限り、「生命」を基盤とする思想は社会に受容され得ない。
↑ どうしてこうなるのか例を出して説明してみ
日本社会は既に「生命」を基盤とする思想・法になってると思うけどね
一神教の聖地・中東での争い・自爆テロなどは社会に受容されないけどね
185 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 18:01:39.82 ID:GTfkzPMe
>>134 >共同体のためには鈴木さんが死ぬ必要があるんですよね?
例えば、どんな例・ケースなのか出してみ
漠然と考えるより、例を出して検討した方が思考しやすいね
世の中、複雑で人間の頭では不明なこと・想定外なことは沢山ある
キリスト教の過去の宗教戦争などは教会の勢力拡大の為に信徒○○
さん達が死んだことはあるだろう。日本でも過去の戦争で沢山の若者
が国家・国民・家族・・を守る為に亡くなった。先の原発事故では死者
はまだ一人も出てはいないようだけど、他の生命を守る為に職員が
危険を冒して日夜、職務に当たってくれている。ダムや海底トンネル
・・・・等を作る為にも作業員の犠牲者は出ているでしょう。
186 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 18:05:46.41 ID:GTfkzPMe
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■「生命=生命現象を現す肉体」。生命は、肉体と生死を共にすることが重要。☆
従って「死後の世界」などありえない。★☆♪
生命の無い世界を、生命で思考することほどの、滑稽な矛盾はない。
釈迦が、己の生命を以って無我を説いたと同様の滑稽さである。☆
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
188 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/11(水) 18:30:37.26 ID:s7WxMoul
>186
何度もみたコピペだが、つくづく中身の無い駄文だ。
そも、生命とは何か、未だに生物学で確定されておらず、というか釈迦が何を説いたかすら理解していないな。
イメージとしての「生命」で仏教哲学大系とは無関係の「仏教から連想したイメージ」を、これまた否定しているイメージで作った駄文でしかない。
(^。^)儒教の模造品程度には仏教批判なんか無理だよ。(笑)
189 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 18:39:09.32 ID:aOy3NabY
>>188 >そも、生命とは何か、未だに生物学で確定されておらず
「人間の生命は、人間が対象化できない唯一の存在」と何度も言ってる。
>釈迦が何を説いたかすら理解していないな。
釈迦佛教の本なら、書店に山積み。そんな難しく、深いことを言ってるわけ
ではない。釈迦仏教徒が、やたらと難しく、深遠なものにしているだけ。
さもなければ「有り難味」がないからだw。
おめえ絶対神だろお?
192 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/11(水) 18:51:56.46 ID:s7WxMoul
>189
(^。^)ほうほう。(笑)
「人間が対象化できない」ものを使って仏教批判ですかwwwwwwwww(笑)
「書店に山積み」されているのが「難しく無い」のか?(笑)
つまり君は、様々な専門書も「難しくない」全知全能な、「人間が対象化出来ない」ものを駆使出来る人外なんだwwwwwwwwwwww(笑)
(^。^)人でなしが2Chなんかすんなよ。(笑)
193 :
神も仏も名無しさん:2012/04/11(水) 20:00:48.81 ID:J4+tM4ya
>>192 ぱっと見た目、2つのことを指摘しておきます。
1.他人に対して「人でなし」などと言う、態度は仏教徒のとる態度ではない。
従って、あなたはあなたが仏教徒ではないと自白しました。
2.「人でなしが2Chなんかすんなよ」とのことであるが
2Chが人でなしの巣窟であることは一般的に認められています。
>>194 丁寧な言葉遣いであれば仏教徒か?
といえば、そうとも限りませんよね?www
そういう慇懃無礼な態度は2chではヘイトの対象ですよw
>>195 同感です。
たとえ丁寧な言葉遣いであっても他人に対して
「人でなし」的なことを言うべきではない。
それは仏教徒のとるべき態度ではないと思います。
思うのは良いんじゃない? 思うのはw
>>197 私はあなたのことを、好きだとか嫌いだとか以前に、
何とも思っておりませんのでどうかご安心を。
>>200 >>195に読むべき内容など、なにも無いのですが、
時間を持て余しているあなたにレスさしあげて、漫才的気分を味合わせてあげたのです。
いわゆる慈悲というやつでしょうか。
あしたは私の番なので朝3時に起床しなければなりません。
したがって、もう寝ます。また気が向けば相手をしてあげます。
>>201>>202 wwwwwwwwwwwwwwwwww
>>196で >同感です とレスしておきながら、この台詞w & この上から目線w
こりゃ、このスレでは袋叩きだなw
一代がなぜ、ほぼ全員から一目置かれているか、わかってないよう棚w
貴方が何時に起きようが、私には関係ないことです。
わざわざ書き込まないでくださいな・・ ノシ
こりゃ、てすとが言う筈だよなw
仏教徒が傲慢なのは、もともとの教えに傲慢さを助長する要素があるからではないか?
とね。 いい見本だわ、
>>202はwww
宗教やってる哲学やってるって顔してる奴の上から目線って仏教に限らずじゃね?
ハマル奴=増徴しやすい奴って等式が成り立ってる気がする。
>>204 いや、それだけじゃなく、やっぱり、
「やっている(関わっている・知っている)ことの中身」にも一因あるでしょ。
それが、非常によくできていて完成度高く、自らが高評価を与えている時、
そういうときに発生するんだと思うんだよね。
単なる、コレクターの自慢や車自慢、フィギュア自慢と違って、
そこに≪「インテリジェンス」の要素が大きく入っている≫ってのが発動条件に入ってるんじゃないかな。
つまり、【世間的に、『高尚である』という評価のコンセンサスが成立しているもの】については、
どうしても、【それを知る者>それを知らない者】というヒエラルキーが成立してしまうから。
(アニメキャラのフィギュア自慢で上から目線は、発動し難いだろうし、
たとえ発動しても、冷たい視線の返り討ちに合うだけだろうw)
最初から高尚な顔をしたい奴が、高尚な顔できる道具を使ってドヤ顔始めるのか。
高尚と評価されるものを普通の人に与えると知らぬ間にドヤ顔始めてしまうのか。
難しいなぁ。
高尚な顔したネコを知ってる。けどむつかしいことは言わない。
>>206 前者も後者も両方居るよ。
(ちなみに自分は後者だなw
ついつい熱くなると「なんでこの程度のことが解んねーんだよ!」
ってなっちゃうからw)
2chには前者が多いと思う。リアルでは後者が多いだろうと思う。
宗教に限らず、どんな分野でもね。
>>207 悠悠としてるノラを見ると、
コイツ悟ってんじゃねーかな・・・って思っちゃうときあるよなw
金にせよ権力にせよ知識にせよ、持つと人って変わるからなぁ。
という小市民な観点で見てると、仏教の教義が増長を引き起こすというより仏教が含まれるカテゴリ、
いわゆる思想的な知識というもの自身の特性じゃなかろうかとも思う訳さ。
ホイホイになるのもブースターになるのも。
>>210 >いわゆる思想的な知識というもの自身の特性
そう思いますね。
で、その中身の色合いによって、その程度が強かったり弱かったり・・。
(当然、一神教系が一番顕著だろうし、仏教なら、哲学的色彩の強いものにその傾向があると思う。
たとえば空とか中論とかwww)
空思想や中論ってまともに組み合うと「わかんない俺に絶望だよ!」って
嘆き悲しむ卑屈な人間を大量生産する逆の性質持ってるはずなんだが。
世の中不思議だね。
それより阿弥陀仏の水先案内人ことクラブ阿弥陀の客引き兼サンドイッチマン風情が偉そうにしてるのは納得いかん。
とくにお東、大谷派の連中。あぁもう死ねば良いのにあいつ等。浄土行けるし丁度いいだろ。
>>212 >わかんない俺に絶望
www 言えるw
>阿弥陀仏の水先案内人ことクラブ阿弥陀の客引き兼サンドイッチマン風情
いや、(特に)浄土系は、まさにそれこそが本分なんじゃないの?
それでこそ、親鸞の(或いは弥陀への信心の)系譜を自称できるんじゃないの?
(寧ろ、そうでなく、自分はそこそこいけてる立場にあるなんて考えたら、
それはもう親鸞の系譜とは言えないんじゃね?)
今この瞬間、他スレで感動したレスw
765 名無しさん@京都板じゃないよ sage New! 2012/04/11(水) 23:36:08.36
阿弥陀仏「てやんでぇ!おまえらどうせ釈迦課長の言うことなんて理解できね〜んだろ?
ガタガタ言ってねーでこのでかい船に黙って乗っとけよ。悪いようにはしね〜さ」
浄土門って、まさにコレなんじゃないかと思うんだよね・・・。
>>213 まぁ、本分。ただ、本分がその程度だって態度はしてない。
どこまで行こうと阿弥陀仏が凄いのであって自分に積み重ねられたものはない。でも俺偉いって態度が理屈に合わない。
修行したから俺力持ちなりました〜だから見下しま〜すって成金的な増長理由よりも道理が立たない。
あぁもう蹴りたい。蹴りたい禿頭だよ。剥げてないけどあいつ等。
>>216 そだよ。だから理屈に合わないと。
他の宗派では、他の人が知らないことを知ってたり、他に比べて自分が上を行く要素があるから自惚れるのも仕方がない。
でも、浄土真宗では自分は他に比べて自惚れる、あるいは見下すための要素を何も抱えてないのに、
そういう態度が見え隠れするから蹴りたくなるんだよ。態度そのものより理屈に合ってないところが特に。
>>217 全部がそうではないのだろうし、傾向としても、どれほど強いものなのかわからないけど、
(近世だけでなく、近現代も含め)、
『世間的に高座を用意される僧侶』という立場はあるわけで、
それは、『世間的な僧侶の扱い方』だから、宗派は関係ない。
つまり、そういう、(親鸞の骨子である)底辺的ポジションが本分であっても、
世間の扱いに乗ってしまっっていることの延長にあるんじゃないのかな。
ま、それは、親鸞の系譜により顕著に、ダイレクトに乖離が見えるだけで、
他の宗派も同様ではあるけれど。
>>218 センセェセンセェ言われてるうちにその気になっちゃって的な?
解らんでもないが、死んでしまえ。とっとと浄土に行ってしまえ。好んで毒飲んでんじゃねぇや。きぃぃぃ。
まぁ、個人的なヘイト感情ですけど?
220 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 00:56:31.44 ID:QtN2MV/b
>>205 結局は「開祖・教祖自身の上から目線」の影響・感染だと思う。哲学は「批判」
という要素があるから、宗教とは異なり、「不可逆的に嵌る」ことはありえない。
221 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 01:03:31.31 ID:QtN2MV/b
釈迦やイエスの「上から目線」は半端じゃないw。
ニーチェの上から目線ぷりを見てありえないのかw
223 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 03:01:04.96 ID:dRguEBqC
仏の法を学んだ人でも平気で死ねとか
平気で経典を謗り
高僧や菩薩を中傷する
まさに末法で濁世
一般の人々は仏法すら関心を寄せず
仏教を学ぶものでもこの有様
こんな末法で清浄な修行などできるはずもなく悟れるものなど存在しないのも当たり前
まともに話しても意図的に聞かない奴に
懇切丁寧に話すほどお人好しはいないよw
10年も狂った持論を唱え耳を貸す意思すらもたん御仁に
何をすれとw
寺の障子に穴を開けて遊ぶ子供に説いても無理。
境内を放火して遊ぶようなオッサンに何を言えとw
10年ですよw
生命教って理論体系がしっかりしてれば
話を聞くにもなれるが
中学生が作ったようなスカスカの内容で
自己矛盾で崩壊しそうな教義なので誰も魅力を感じないのが
本音でしょう。
底が浅い教義なのに最強!俺の話を聞け!なんて10年も続けたら
うんざりして相手にしなくなりますよ。
相手にしてないのに横からチャチャを入れに来るから
万人から嫌われる。
>>223 隠居のおっさんが必ず釈迦やキリストの罵倒フレーズを
挿入するのは相手にされなくて寂しいから。
宗祖を罵倒することで、会話してくれる、僕の話を聞いてくれると考えてるからだね。
幼稚園児がウンチ!ウンチ!と叫び、注目を浴びようとする行為と同じ
振り向いて欲しくて女の子にイタズラする子供と同じ。
だからね
隠居おっさんは死ねと呼ばれる行為に快感を覚えているんだよ。
その行為が自己確立であってアイデンティティなの。
家にゴミを貯めこんで愉悦に耽るゴミおばさんと同じなのさ。
キミは表層してみておらず、相手の内面をみれんのかね。
ゴミの王隠居はあれで楽しいんだよ。
相手をしてもらえるからね。
227 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/12(木) 06:16:57.14 ID:q0z1BC7v
お?
隠居の糞がレスしてたんだ。(笑)
>194
「2Chは人でなしの巣窟」なのに「人でなし」になると指摘した事を否定して楽しいのか?(笑)
(^。^)しかし、人でなし程度で仏教徒じゃないとは、相当なお坊ちゃんだなぁ、おい。(笑)
228 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 07:58:32.84 ID:+YngWWvn
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
■「麻原」「釈迦」「イエス」を「生命」にすり替えれば、「生命」を
批判し、損ない、奪い、ましてや大量に殺戮することなど、心理的に
絶対に不可能となる。★☆♪〜
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
そんな訳ないだろw
生命が言ってる
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
これで暴力がなくなるのか?w
230 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 09:13:07.80 ID:+YngWWvn
>>229 意味不明
ご隠居氏の生命を全く理解できない宗教者
完全に宗教に洗脳され嵌っている〜
すり替えて意味不明って頭大丈夫か?
232 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 09:23:31.81 ID:+YngWWvn
233 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 09:25:34.36 ID:+YngWWvn
聖書?の言葉を出してくる時点でアウト
ご隠居氏の生命を全く理解できない
只の屁理屈〜
オチ
どうやってすり替えるんだよwww
235 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 12:44:00.92 ID:qj0EKZy1
>>229 >だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
この言葉も、イエスの無数の誤りの一つ。
まず、イエスは左利きだったのかw。
片側の頬を打たれて逃げるか抵抗したりせず、反対側の頬を差し出すことは、
むしろ相手に対する侮辱と挑発である。相手は更に猛り狂って、暴力を振るう
ことになる。
こんな教えを実行できたクリスチャンは、イエスを初めとして誰もいない。
イエスは、神殿で自分とその家族を養うために誠実に商いをする商人たちを
「鞭を振るい、屋台をひっくり返して」追い払い、彼等を「強盗」呼ばわりした。
無花果に実のないことに腹を立て呪い枯らした。9.11でイスラームに30
00人を殺されたことの報復として、ブッシュは合計7万人の生命を奪った。
人類の歴史は殺戮の歴史
本能に従えばうまくいくなんてことはありえない
それでも石器時代より殺戮が減ってきたのは
文化(=宗教)を作り出したから
237 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 12:57:10.71 ID:qj0EKZy1
>>235の続き。
生命は、イエスのような、誰にも実行不可能な、アホなことは言わないだろう。
相手から打たれれば、打ち返すか逃げるかして、生命を守る。
「目には目を、歯には歯を」の本来の意味は、「相手から受けた以上の被害を、
相手に与えてはならない」ということである。現代では、正当防衛、過剰防衛と
して立法化されている。イエスはこの意味を理解していなかった。
>>235 いや生命教の誤りだしw
---
■「麻原」「釈迦」「イエス」を「生命」にすり替えれば、「生命」を
批判し、損ない、奪い、ましてや大量に殺戮することなど、心理的に
絶対に不可能となる。★☆♪〜
239 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 13:09:00.78 ID:qj0EKZy1
>>236 文化とは、「人間の生存(共生)のための工夫」である。宗教は、生存の方向
に反した、開祖の狂気の感染。史上そして現代も、「最も多くの人間を、最も
残酷な方法で殺す」のが宗教。「文化=宗教」などと考えている宗教者は、
とんでもない勘違い。
240 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 13:27:15.32 ID:qj0EKZy1
>>238 「麻原」「釈迦」「イエス」が、「すべての人間の生命における等価・至上」
など、唯の一言でも教えたか。「生命差別」「生命軽視」ばかりではないか。
「どんなことをしてもよいが、生命という最後の一線では踏みとどまる」。
宗教には、この「越えてはならない、最後の一線」が存在しない。
生存の工夫?
うそつけー、マヤ文明はどうすんのよw
>>240 自分の言葉を自分で否定してどうすんのさ。
>>239 > 文化とは、「人間の生存(共生)のための工夫」である。
これには同意できますが、
> 最も多くの人間を、最も残酷な方法で殺す」のが宗教。
> 「文化=宗教」などと考えている宗教者は、とんでもない勘違い。
これは、いかがなものでしょうか。
宗教は団体・組織を結束させます。
同じ程度の力を持ったどうしが戦いをする場合は、もし片方が宗教を
もたないとしたら、宗教をもつ方が間違いなく勝利します。
戦い、争いが避けられない状況では、宗教は団体・組織が引き続き
生存する確率を高めるための強力なツールになります。
しかしそのことと、その団体・組織が好戦的であるということは
直接的には結びつきません。
また宗教を持った団体・組織にはその考え方に見合った特有の文化が
生じるのは自然なことだと思います。
文化とは無価値なものに価値を見出す
または価値を付加する興隆だ。
価値の再発見、価値の発明、価値の付加行為を文化と呼ぶ。
共存じゃないよw
無価値のものなどあるのでしょうか。
私は無価値のものは世の中にないと思います。
ただ、その価値に気づいていない、というものはあると思います。
仏教的に言えば、たとえ当人が気づかないとしても、
仏の種はそのなかに既にある、ということになると思います。
価値なんてものは本来無いんだよ。
価値を感じ、価値を作り、価値だと思うことで無価値から脱する。
紙幣は信用の名の紙切れ
紙幣に価値を感じるから紙幣となる。
雑草に効能を見つけた途端に薬になり
石に価値を見出して貴重な鉱物として扱われる。
価値が無いものに対し価値を付加するからこそ有り難がられる。
仏性に価値を見出すから仏性が敬われるのだろう。
仏性に、仏性が、仏性を用いて
どれでもいいけどねw
雑草に効能を見つけた途端に薬になり
石に価値を見出して貴重な鉱物として扱われる。
それは価値が無いものに対し価値を付加したのではなく
もももとあった価値に気づかなかっただけのこと。
気づいたことには敬意を払います。
>>245 をよく読んでねw
無価値であるものに価値を見出す行為ですよ。
無価値なものなど無い、と言うことです。
価値を見出すまでは無価値ですよ。
物には最初から価値が内包されていてそれを見つけ出したのか、
物には価値がなく使い道と出会って価値が生じたのか。
価値と言う言葉は使い道と等価なのか。
まぁ、もう少し時間をかけて考えることではある。
例えば
古い鉄道に価値を感じたとしよう。
その価値は郷愁や哀愁や思い出、ロマンだとしよう。
それは本来、内包されてものではなく
価値として見出したものだ。
古い鉄道が絵でも建物でもいい。
見出すことによって価値が産まれる。
宇宙人が
お札を見て価値を見出すのか
象が
鉄道を見て価値を見出すのか
悟りの目とは
煩悩の視線を排し
価値や仕組みを紐解いて
その本質は何か を見極めることだと
考えているよ。
そうやって 普遍の名の真理 を見ることが
仏の種であり、仏の目ではなかろうか。
255 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 16:07:55.69 ID:qj0EKZy1
>>246 >紙幣は信用の名の紙切れ
>紙幣に価値を感じるから紙幣となる。
「何故」価値を感じるのか。紙幣は「生存」に必要、または有益な物資や
サービスが購入できるから、価値がある。購買力がなければ、価値を感じない。
紙幣はコンパクトな「信用取引」だから価値ある
紙幣なんだよw
生存なんて関係ないしw
リンゴをダンプ一杯でも、スコップと交換でもいいだろw
信用取引の名目がなければマンガ本と変わらない代物だよw
257 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 16:15:33.09 ID:qj0EKZy1
>>256 その「信用」の根源は何かを追求してみよ。結局は「生存」に行き着く。
購買力の無い紙幣には「信用」など成り立たない。
> 古い鉄道に価値を感じたとしよう。
> その価値は郷愁や哀愁や思い出、ロマンだとしよう。
> それは本来、内包されてものではなく
> 価値として見出したものだ。
その価値とは対象に属するのではなく、その本人に属します。
それは時間とともに本人の中で成長したものです。
その人にはもともと郷愁や哀愁や思い出、ロマンを感じる
要素があったのです。
生存に行き着くってwww
じゃあ生存はビックバンにいきつくからビックバン教になるかね?
260 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 16:19:14.09 ID:N4kDoIZy
>>258 そうなると内包されてないことになるよ。
どっちでもいいけどね。
262 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 16:25:20.97 ID:qj0EKZy1
金融危機は、紙幣が、生存に必要な物資とサービスの購入という、その本来の
機能から切断され、紙幣そのものに対する信仰という倒錯が生じたからである。
宗教と同じ。
対象にあるのは触媒としての作用なのでしょう。
仏教では、その目を自分に向けることが肝だと思います。
「三界狂人不知狂四生盲者不識盲」だから「脚下照顧」であり
目的は「如実知自心」にあるのだと思います。
264 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 16:28:53.31 ID:DMxmYmtc
そんなこと言ったら石器時代に逆戻りだろww
貨幣が産まれてほどなく投機や投資、貯蓄が生まれたんだがww
隠居は竪穴式住居に住むべきだな。
267 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 16:44:01.39 ID:DMxmYmtc
>>265 現代でも中東の一神教の果てしない紛争は醜悪でしょう!
268 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 16:44:54.09 ID:DMxmYmtc
>>243 >宗教は団体・組織を結束させます。
>同じ程度の力を持ったどうしが戦いをする場合は、もし片方が宗教を
>もたないとしたら、宗教をもつ方が間違いなく勝利します。
>戦い、争いが避けられない状況では、宗教は団体・組織が引き続き
>生存する確率を高めるための強力なツールになります。
興味深い分析です。それは何故でしょうか?
269 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/12(木) 18:13:36.81 ID:q0z1BC7v
中東の紛争を宗教が原因とする、腐れヤソの醜悪なプロパガンダを鵜呑みにし、
あるいは金融危機を貨幣価値への疑念にすり替えるなどという安易な現実逃避に浸るなどという幼稚な思考レベルでは、
縁起という基本的概念すら理解出来ていないのだがな。
OSとしての精神構造が三層の相互作用である以上、政治経済宗教がそれぞれ様々な要因から構築された多重心構造であり、かつ三者は相互補完し機能しているのだよ。
隠居の生命云々という似非儒教的机上理想像妄想へのアンチテーゼに……
(^。^)むむ、いかん。飽きてしまった。(笑)
270 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 18:47:51.86 ID:ROsMfmV+
>>268 宗教が勝っても負けても、「人間にあらざる空想上の神」のために死ぬことは、
明らかに反生命。
>>289 抽象的でさっぱり判らん。「釈迦の縁起」などから演繹するのは、方法論的に
誤り。
宗教という「後天的・人為的所為」は、そもそも、生来的三層構造には含まれて
いない。
271 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 18:51:23.32 ID:ROsMfmV+
272 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 18:56:50.75 ID:ROsMfmV+
出家信者は、「生きるための職業」
在家信者は、「生きるための趣味・娯楽」
いずれも、「生存」が優先する。
反生命ってw
原発を止めるために死ぬのは反生命かね?
>>269 中東って意識古代だからね^^;
中世がすっ飛んでるのよ
275 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:03:54.20 ID:ROsMfmV+
>>273 放射線は「実在」である。従って、「生命の維持」に直接影響する。
神は「非実在」である。従って、「生命の維持」には無関係。
神の為に死ぬのに実在じゃない死に方って何wwww
277 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:08:38.44 ID:ROsMfmV+
>>276 神のために死んでも、人間一人の生命も救ったことにはならない。犬死である。
キリスト教の殉教者が好例。
神を「非実在」というあなたは「実在」という意味を狭く解釈していると思います。
すくなくとも神仏はそれを信ずる者の脳における作用としての実在があると思います。
その作用が実在しないというのであれば、そもそも非実在と思うことさえできません。
>>277 だからどうやって死ぬのかと聞いている。
ナイフで? 剣で? それは実在ですね。
さてどうやって死ぬのでしょうか。
280 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:15:09.08 ID:UVTWspSp
>>272 確かに。生きるために「生存」が優先する。
生命・生存がなければ全ては無意味
大地震が来れば宗教者も神仏に祈ったり祈祷・
読経したりしないで、一目散に逃げる筈〜、
切羽詰れば本能が出てきま〜す(笑
281 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:19:03.57 ID:ROsMfmV+
>>278 「実在(物質)」とは、「(必要な場合には観測装置を使用して)五感で
知覚できる対象」。それ以外の対象を「空想」「妄想」と呼ぶ。
「実在判断」の補助的テストは、「対象が、生命の維持に直接関係するか否か」
である。
「実在」とは何かがわからなければ、生まれたばかりの赤ん坊にでも聞け。
「神仏概念」は、宗教による後天的な植え付け。赤ん坊にとっては、母親の
オッパイだけが「神仏」である。
>>281 その考えは実在ではないですが。
その考えを信仰してる矛盾を感じませんかね?
関係ないかもしれませんが、ちょっと思い出しました。
> 切羽詰れば本能が出てきま〜す(笑
「アラモの戦い」というのがありました。
攻撃側のメキシコ軍は4000人以上。一方、防御側のアメリカ軍は188人。
防御側は降伏することを拒否し、188人全員が戦死しました。
284 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:30:37.46 ID:UVTWspSp
「アラモの戦い」におけるアメリカ軍は、まさに切羽詰った状態です。
切羽詰れば本能が出る、のであれば、
まったく勝ち目が無くても、戦って戦死することが彼らの本能だったということに
なります。
アラモは何のために死んだのかと言いたいんだろ。
287 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:45:14.86 ID:X3xFgMe8
>>282 死ねば、実在も非実在も無くなるのだから、あくまで「生きている人間」に
対する「実在・非実在」を論じなければ無意味である。
意味、無意味は実在するのかね?
実在しないもを信仰してますよ?
意味がある
無意味である
これを五感でどうやって知覚するのか
意味がある、無意味であると妄想を積み重ねてるだけではないかね?
290 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:52:07.09 ID:UVTWspSp
>>285 メキシコの領土になっていたテキサスがそれから独立するための
反乱を起こしたとあるから、彼らには立派な目的があった。
その目的(独立)の為に彼らは戦死したわけで、それは
本能とは言えませんね
>>280の突然の大地震とは、状況も環境も精神も異なり
比較にはならないでしょう
291 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:53:08.63 ID:X3xFgMe8
>>288 意味・無意味も、信仰も、「生きている人間」から生じる。すべての根源は
「生命」。生命を以って生命の無い状態を思考するのは、滑稽なナンセンス。
>>291 だからさw
意味や無意味なんて実在しないものをどうして思考してるの。
ナンセンスは実在するの?
滑稽は実在するの?
思考は実在するの?
妄想、思想は無駄と言い切ったのに何で
ナンセンスなんて言ってるのさw
>>291 >生命を以って生命の無い状態を思考するのは、滑稽なナンセンス。
ほー、ご隠居は死体について考える事が出来ないんだw
294 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 19:57:27.40 ID:UVTWspSp
295 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 20:02:29.24 ID:UVTWspSp
>>293 死体は見えるから実在するじゃん
いつものトンチンカンなお馬鹿の質問だね(笑
296 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 20:04:02.22 ID:UVTWspSp
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■神は、(観測装置を使っても)人間の五感で知覚できないから、人間にとっては、
非実在、空想、妄想である。従って、人間の生命の維持に何らの直接の影響も及ぼさない。
食物がなければ、宗教者、無宗教者を問わず餓死する。釈迦もイエスも同じ。★☆♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
>>295 死体と言う「生命の無い状態」を思考するのは、滑稽なナンセンスらしいぜw
298 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 20:16:15.10 ID:UVTWspSp
>>297 死体は物体でしょw
神は、物体ではありません
299 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 20:17:59.68 ID:X3xFgMe8
>>297 死体は、生命現象は一切現さないことはすでに万人が証明済み。
死体は腐敗するが、生きている人間は何故腐敗しないのだろう?これ宿題。
>>292 実在(物質)と非実在(空想・妄想・観念)の区別くらいつけてね、判らなければ
赤ん坊に聞け。
君たち宗教患者は、「何らかの物質が存在するか否か」の問題と「その物質が何で
あるか」の問題とを混同しているから、思考に混乱が生じる。後者は、あくまで、
共同体における共通の合意(存在論ではなく、観念論)の問題に過ぎない。
宗教患者は、まず、「存在論」からしっかりと勉強せよ。
だからさw
ナンセンスや滑稽は実在するのかと聞いてるんだがw
301 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 20:22:22.79 ID:UVTWspSp
302 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 20:24:07.62 ID:UVTWspSp
>>300 君はどう思うの?
それを聞いた方が早そうねン(笑
304 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 20:27:26.17 ID:UVTWspSp
いや、君の意見を聞きたいだけ?
屁理屈だからね(笑
オチ
分かるは実在か
問題は実在か
混同は実在か
思考は実在か
混乱は実在か
生じるは実在か
合意は実在か
共通は実在か
観念は実在か
勉強は実在か
実在か否かを問うべき項目がたくさんあるね。
306 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 20:27:56.01 ID:X3xFgMe8
>>300 実在とは「物質」であり、存在とは「物質」と「観念・空想・妄想」とを含むから、
「実在」という言葉と「存在」という言葉とを「区別して」使用しないと、
君たちのような思考の混乱を生じる。
実在か非実在かの区別が出来ないのなら、その対象で、自分の頭をぶん殴って
見ること。実在なら怪我し、場合によっては死ぬ。
頭を殴って
分かるは実在か
問題は実在か
混同は実在か
思考は実在か
混乱は実在か
生じるは実在か
合意は実在か
共通は実在か
観念は実在か
勉強は実在か
証明できるのかね?
>>301 それでは大地震が来ても逃げないで、神仏に祈ったり祈祷・
読経したりするのは、そこで生き続けるための本能だということも
ありうる、というわけですね。
隠居説によれば非実在であるから
問題や混同や合意や観念、共通・・・は
生命に関係ないから考慮に値しないということだね。
よってズラズラと隠居が書き連ねた文章はほぼ無駄な作業。
影響を及ぼす話でもないと。
310 :
神も仏も名無しさん:2012/04/12(木) 22:59:13.89 ID:/GeZInPD
>>309 宗教によって頭を狂わされて、実在と非実在の区別さえ出来なくなっている
君たちにとっては無駄な作業ではない。健常者にとっては無駄な作業。
まず、君の目の前のPC(コップ、鉛筆、その他何でもよい)が実在するとは、
どういうことか、から考えてみよう。
判らなければ、赤ん坊や幼児が、どのようにして実在・非実在の判断を行なって
いるかを観察し、それから学べ。
赤ん坊は、生まれて直ぐから、だれにも教えられないのに、母親のオッパイに
しゃぶりつき、生きようとする。宗教患者のように、このオッパイは果たして
実在か、などと迷ったりはしない。他のすべての哺乳類についても同じ。
哺乳類の本能ということで思い出しました。
脱糞行為というのを考えてみます。
犬などにおいては寒冷地であろうと熱帯であろうと、ほ
ぼ同様の行動様式をとります。
しかし人間の場合、その行動様式はかなり局所性を
もつそうです。
人間の赤ん坊が乳を求める行為はどうなのでしょうか?
それには局所性はないのでしょうか?
312 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 00:07:17.29 ID:6hYon8Kj
>>311 生存本能に局地性などない。ただ、環境によって、対応方法が異なるだけ。
ですから、それはどのように検証されたのかな、ということです。
本能とは先天的にもっている一定の行動様式ですから、
局所性をもっていても不思議はないように思います。
たとえばある集団の赤ちゃんは太陽光下での飲む乳の量が
暗いところで飲む乳の量より少ないとか、またその逆の
集団とかは無いのでしょうか。
>>310 だからさw
非実在を考えるのは無駄な作業なんだろw
考えるは実在か?
判断は実在か?
区別は実在か?
どこにある?
お前さんは、考えず、判断せず、区別もしないのかね?
315 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 07:08:46.95 ID:8BumUypW
>>308 いや、それは生存本能ではないでしょう。
宗教の教義に洗脳されて生来の生存本能が蓋をされた状態
だと考えます。
>>301とは違うでしょう。
316 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 07:16:32.24 ID:8BumUypW
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
人間界は徹頭徹尾共同体だから、共同体の不特定多数人のほぼ共通の
知覚で知覚し得る可能性があることが必要。★☆♪
知覚異常者、妄想患者、宗教患者の知覚を除外するためである。☆
「神や霊」は不特定多数人のほぼ同一に知覚できないから、「実在」
ではなく、「非実在」「空想」「妄想」である。★
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
毎日変わる不思議な生命教www
318 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/13(金) 09:50:54.56 ID:ZPG8846Q
>316
( ´_ゝ`)フーン
じゃぁ、キミ以外全員キリスト教徒なら、キミは「妄想患者」になるんだね。
実は、生物学では本能という言葉はあまり使いません。
むしろ使うのを避けています。
その理由は私たちが一般に使われている本能という言葉が
極めて多義語のためです。
320 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 13:57:03.96 ID:fQjiAbpJ
>>317 君は何回か同じレスをしているが、
どこが毎日変わる不思議な生命教なの?
指摘をドゾー
321 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 14:07:27.14 ID:fQjiAbpJ
>>318 ははは・・・(笑
キミ以外全員キリスト教徒なんてあり得ない妄想を考えて
絶対に宗教を否定出来ない宗教者
M・テレサだって神を感じることが出来なくて長い間悩んで
いたのを知らないの?
>>320 君は何回か改変コピペをしているが、
どこが毎日変わらないのか分からずに貼ってるの?
指摘をドゾー
323 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/13(金) 15:06:51.84 ID:ZPG8846Q
>321
キミさぁ、共同体の意味が解らないの?それとも、キリスト教共同体を知らないの?それとも日本語が解らないの?
(^。^)あぁ、想像力が無いのか。(笑)
324 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/13(金) 15:13:14.48 ID:ZPG8846Q
>319
その事を以前指摘されても、「生命教一派」は全く理解出来なかったよ。
それどころか、「生命」という定義すら出来ない連中だ。
培養された体細胞に「生命」は有るのかと聞くと、「そこまで考えて無い」と言ってドヤ顔してた。(笑)
325 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 16:20:47.91 ID:g2nCVO6L
キリスト教って天動説や十字軍の誤りや輸血拒否や避妊具禁止で
エイズ蔓延させたり、セクハラレイプ神父は沢山出すし・・・
何でこのスレの宗教者は批判しないんだろう
ご隠居氏のレイプ論批判なんかばかりしておかしいなぁ?
327 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 16:29:30.87 ID:g2nCVO6L
どこがカタカナサヨク思考wwwなの?
329 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 18:30:10.15 ID:g2nCVO6L
>>324 ( ´_ゝ`)フーン
では、君が「生命」を定義してみ
培養された体細胞に「生命」は有るのか言ってみ
330 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 18:47:57.93 ID:g2nCVO6L
>>319 >その理由は私たちが一般に使われている本能という言葉が極めて多義語のためです。
そうなの?例えば?
具体的にドゾー
331 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/13(金) 19:01:08.62 ID:ZPG8846Q
>329
キミは中学生なのかな?
生物学について、どの程度の知識か知らないが、とりあえず、隠居の言う「生命」は生物学の言う「生命」とは違う事くらいは理解出来るかな?
生物学的にも未だ定義は確定していない「生命」を「人が規定出来ない」のに「生命の声に従え」などと意味不明な妄想を主張しているのはキミ達な訳だよ。
そして此処は「仏教議論スレ」なんだよ。
キミ達が「仏教批判と称して意味不明な書きこみを続けている」の。
わかるかな?
そして、キミ達の意味不明な「擬似科学用語」は「非論理的だ」と指摘される訳だよ。
生命に関する記述なら、Wikipediaでも見なさい。
(^。^)ま〜、要するに、ggrksって話だ。(笑)
332 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/13(金) 19:18:55.39 ID:ZPG8846Q
>330
人体の脳髄構造は、ニューロン群で構成され、古皮質、新皮質、辺縁系という三層に大別される。
生物学に於いて本能とは、お婆ちゃん細胞と同様の前世紀以前の古典モデルであり、様々な臨床例や実験結果から誤りである事が立証されている。
ところで、具体的な本能の多義性についてだが、これは脳髄作用に対する社会的幻想の対用語に過ぎず、キミ達に科学的素養が無ければ無意味な専門用語の羅列に過ぎない事は理解出来ないかな?
333 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 20:45:02.23 ID:33Iw88eH
>>299 >死体は腐敗するが、生きている人間は何故腐敗しないのだろう?これ宿題。
死体には生命が既に無いからでしょ、荼毘に付すまでは物質としての肉体は残っているけど・・
生きている人間には「生命現象を現す肉体(生命)」があるから腐敗しない
334 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 20:46:47.09 ID:33Iw88eH
>>306 ご隠居氏の言葉は理解出来るが、彼に反対の宗教者のレスが
さっぱり解りません。ので質問お願いします
>実在とは「物質」であり、存在とは「物質」と「観念・空想・妄想」とを含むから
>「実在」という言葉と「存在」という言葉とを「区別して」使用しないと、君たちのような思考の混乱を生じる。
実在 → 人間
存在 → ナンセンスや滑稽
となるのでしょうか?
そして
>>305の内容は全て存在になるのでしょうか?
. . . ┌固定的・不変的に存在する ・・・哲学的語義
. . . │ (顛倒妄想として)
. . . ├恒常的に存在する ・・・哲学的語義
. . . │ (顛倒妄想として)
. . . │━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
.┌『実在』(する)┴五感に知覚されるものとして存在する ・・・一般的・日常語義…★
『ある』(在る) ┼〔 *1 〕(エアポケット・用語が無い) ・・・仏教で言う「存在する(bhavati)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして。)
.│ ――(特に「生じたもの」という意味で?)
.├〔 *2 〕(エアポケット・用語が無い) ・・・仏教で言う「ある(atthi)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして。)
.├五感に知覚されるものとして『存在』(する) ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、
.│ 仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして。)
.│────────────────────────────────────
.│────────────────────────────────────
.├観念・思考・思想・感情・想い等“(所謂)非物質的在り方で”『ある』 ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、
.│ ※(意によって知覚されるもの) 仏教で言う「ある(atthi)」「存在する(bhavati)」
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして)
.│-------------------------------------------------------------------
.├動き、様相、関係性、構造的なものとして『ある』 ・・・一般的・日常語義で言う「ある」、
.│ ※(意によって知覚されるもの) 仏教で言う「ある(atthi)」?
.│ (縁起し仮設・認識されたものとして)
.│━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
.├理念的なものとして(理として)のみ『ある』 ・・・一般的・日常語義でも「ある」と言い得る、
.│※(意によって、智慧によって知覚されるもの) 仏教で言う「ある(atthi)」
.│ (例えば、「勝義」「涅槃」(或いは「縁起という理」)等)
.│━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
.└幻想されたもの・妄想されたもの・想像されたものとして『ある』
※(意によって知覚されるもの)
・・・言語表現上「ある」と言われるもの(仏教で言う「ある(atthi)」?)
もういいよ
生命教の話は
仏教徒なら隠居の渇きや歪みを治さなければ口が閉じないと諦めれ。
>>338 ネットじゃなく、リアルで(面と向かって)対話してたら、
全然違うんだろうけどな・・。 ここではこれが限界だよ。
叱責も懐柔も褒めも同意も、凡そ言葉のかけ方としてはやり尽くしてるよw
ただ、容量や連投制限あるし、ダイレクトな応答になりにくいし、
実際の資料を手元に置いて参照しながらとかができないし、限界だよ。
>>338 仏教徒は主治医じゃないぞw
何を勘違いしてるんだね。
>>340 あんで治すこと前提?
止める手立てがない以上、明日も日は昇るでしょう。
隠居の口は閉じないでしょう。その上で扱い考えるもんじゃろ。
閉ざすという方向を諦めれと。
>>341 おいおいw
仏教徒なら隠居の渇きや歪みを
↓
治さなければ
↓
口が閉じないと諦めれ。
---
隠居の渇きは
嘲笑の名の希望
---
治す?
治るとは
自己変質なのだから
自己の変質を希望してない者に何をしろと。
---
諦め?
彼は彼の心をぶつけてるだけだよ。
言葉は鏡
彼の発言の反対が 彼の真意だよ。
>>331 >生物学的にも未だ定義は確定していない「生命」を「人が規定出来ない」のに
「生命の声に従え」などと意味不明な妄想を主張しているのはキミ達な訳だよ。
何千年も前のあったこともない釈迦を神格化し、経典にのめり込んでいる
君達や、輪廻転生・カルマ・地獄極楽・・・等々の未だ科学では証明されて
いない意味不明な妄想を主張し盲信しているカルトに言われたくはないヮ
>そして此処は「仏教議論スレ」なんだよ。
ご隠居氏は大乗仏教者だし、自分も真言宗の在家信徒です。
君達は、やはりオウム等の原始仏教=釈迦カルトですか?
>生命に関する記述なら、Wikipediaでも見なさい。
なら君もご隠居氏に無駄なレス付けないようにねン
オヤスミ☆
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
すべての生物は、その発生時から、生命教の信者。だからこそ、38億年前
から 現在まで生命が存続し、ますます発展を遂げている。☆
それを破壊しようとしたのが、創唱宗教の開祖の精神病の症状としての「肉体
(生命)を忘れた精神性」という倒錯である。★
人類は、そろそろ、開祖の精神病の呪縛から離脱して、最上位概念である
生命に立ち返るべき。それが、次世代に対する現代人の喫緊の責務である。★☆♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
>>330 そういう時は、まずあなたが『本能とはなにか』について、どう考えているか
を書いてくれるといいのですが。そういうことに本能的に気づかない方もいるの
かな、と思います。←この『本能的』の使い方についてはどう思いますか?
じゃあ、ここでは本能の定義ということではなくて具体的な事例を考えてみましょう。
・光に集まる蛾がいますが、それはその蛾の本能でしょうか。
・ガンやカモのひなが最初に見た動くものを親だと認識するのは本能でしょうか。
2つ例をあげてみましたが生物学では、これらのことをその対象に備わっている
本能とは、普通は呼びません。
346 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 23:07:41.13 ID:U490zbEd
>>345 蛾、ガン、カモなどの他種属の動物まで広げなくてもw、人間という種属の
「生への欲動」は、いかなる研究者も否定できない。だからこそ、人類は、
現在まで存続し、ますます発展を続けているのだから。
科学も生命の機能。科学でいくら生命現象を解明しようとも、その原動力で
ある生命そのものは解明できない。解明者と解明対象とが同一であるから、
解明の「正しさ」の保証はどこにもないからである。
受精によって細胞分裂が始まり、それぞれの器官が形成されるという「生命現象」
は解明できても、その生命現象の原動力は何かについては一切解明できて
いない。
生命は、人間が対象化できない、唯一の存在。
347 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 23:10:34.98 ID:AidaNA3p
>受精によって細胞分裂が始まり、それぞれの器官が形成されるという「生命現象」
>は解明できても、その生命現象の原動力は何かについては一切解明できて
>いない。
wwwww アホか?
全て分子レベルで解明されているけどww
ウソつくんじゃねえよ、カスwwwww
そうですね。確かに一切解明できていない、というのは
ちょっとどうかな、と思います。
>>346 さんは人間が生きるためになぜ水が必要なのか
考えたことがありますか?
349 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 23:18:15.97 ID:AidaNA3p
>ご隠居氏は大乗仏教者だし、自分も真言宗の在家信徒です。
これも、オオウソwwwww
隠居はカルト「生命教」の教祖、そして、お前は「オウムの信者」wwww
>生命は、人間が対象化できない、唯一の存在。
隠居は自分を分からないんだな。
可哀想に。
351 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 23:31:05.58 ID:U490zbEd
君らが、生命を以っていくら生命に反発しても、死ねば反発はピタリと止む。
これ、「決定的」。
A.生命を解明が出来ていないことと
B.対象化できない
この二点の関連性がないねぇ。
では
対象化すると 解明出来るのか?
解明は 対象化と同義なのか?
同一と解明の関連性。
生命は何を同一なのか。
穴だらけの理論ですな。
353 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 23:34:58.43 ID:U490zbEd
>>348 >
>>346 さんは人間が生きるためになぜ水が必要なのか
>考えたことがありますか
水がいくら沢山あっても、死体には、その摂取は出来ません。
354 :
神も仏も名無しさん:2012/04/13(金) 23:37:52.39 ID:AidaNA3p
>君らが、生命を以っていくら生命に反発しても、死ねば反発はピタリと止む。
>これ、「決定的」。
何?反発って?www
「生命」を否定してる者なんて、一人もいないけどww
皆んなが指摘してるのは、お前が主張してるような「生命というわけの分からん
未知のエネルギーの不存在」wwww
対象化? 出来てますがwww 出来たからこそ、医学、生物学が発展してきたわけどwww
>>353 ととと、
お尋ねしたのは「死体に水が必要なのか」ではなくて
「人間が生きるためになぜ水が必要か」、これは
「なぜ多くの生物には水が必要か」と言い換えてもかまいません。
きょうはちょど、金曜どうでしょう?
A.対象化
B解明できない
Bが不可であるから Aが出来ない根拠となる。
ならば
Bが可ならば Aは可なのか。
----
その定義であれば
Bなものは Aとなるのか?
解明できていないものは 対象化できていないものなのか
----
357 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/13(金) 23:52:06.57 ID:ZPG8846Q
>343
( ゚д゚)……
( ゚д゜)
生物学とか、話がずれてきたかも知れませんが、
私は人間の心(それが脳の作用でもかまわないのですが)には、なかなか理屈では
納得しないというところがある。しかし、それを「いわれのない不安」では
かたずけられないのが人間ではないのかなあ、と思うのです。
例えば、あなたがコンクリートに床に寝そべっていて、あなたの上10mのところに
10トンのコンクリートブロックがロープでつるされているとします。
そうすると、あなたは
「もしロープが切れてあのコンクリートブロックが落ちてきたら、
ものすごく痛いだろうな」と思うのではないでしょうか。
ちょっと考えれば、ロープが切れてからコンクリートブロックがあなたに届くのは
約1.4秒後、そしてその0.02秒後には、あなたはぺちゃんこになっている
のですから、「痛っ!」とか思う時間的余裕はないのですが、
それでも多分あなたの中には「あー痛そう」と思う感情があるのではないでしょうか。
こういう、感情に対処するのも宗教の目的ではないでしょうか。
宗教の目的は色々じゃないかな。
単なる庇護を求めるもの。
安寧を探しているもの。
逃避先としてるもの。
本来の仏教は
宗教からみると異質で妄執を払い真理を見るためのものだよ。
神にすがる宗教が多いなかで
神ではなく仏、悟りを目指すものだからね。
さて、本質的に苦しみから逃げたいの一言で同種だと思うのだけど。
苦しみから逃げたい
を定義にしてしまえば
病院も宗教になるし、啓発本も宗教になるよ。
信仰が前提になるのが宗教じゃないかな。
動機が「苦しみ」にあったとしてもね。
宗教と言うカテゴリのなかで方法論が違う同種のものだと言いたかったのだけど。
右を行くか左を行くかの違いであって、たどり着くところは苦しみのない所であり大体一緒でしょ。
>>362 今、仮に「苦しみ」を「痛み」で言い換えてみると、
「麻酔で痛みを消失させること」
と
「病巣を摘出して(或いは投薬等含め治療を施して)痛みを消失させること」
とを 《同じ》 と言ってしまっていいかどうかというう問題もありますよ。
どちらも、「痛みが消失している」という一事象としては同じですけどね・・。
そうとも言い切れないんだなぁ
オーディーン神のヴァルハラ(楽園)に行くために
戦士として名誉を携えて死に場所を探す宗教やら
苦しみ以外のものもあるよ。
「仏、悟りを目指す」というのは思考の結果ではないでしょうか。
その原因はやはり「不安」なのでは。
原因がその結果に先行しない、ということも確かにありますが、
信仰の場合は、原因がその結果に先行する、のではないでしょうか。
>>362 方法論が違う(手段が違う)、というのは、
>>363的側面を否応なしに含んでしまうのです。
その意味で、キリスト教的救いと仏教的救いが同じかどうか?という問題は論じられ続けるわけですw
ギリシア神やらインディオ神やら趣きが違うし・・・
やっぱり信仰が主軸じゃないかな
ものの本によれば宗教と言う奴は、
天国や涅槃などの理想郷や理想状態を目指す道標としての宗教と、
単純に超越的なものを敬う精霊崇拝の形をした宗教のどちらかにタ大分されるんだとかなんだとか。
地獄に対する怖れというのは、やはりあると思います。
でも地獄に対する考えも宗教によって違うのでしょうね。
本来の仏教には地獄なんて無いんだけどね。
さて寝ます。
いまの仏教徒の多くがそういうことを思っていたら、
本来の仏教とか言っても、どうにもならないと思うのですよ。
373 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 00:57:24.89 ID:Q86sShSB
最新刊の「生物から生命へ(共進化で読みとく)」(有田隆也著、ちくま新書、2012年4月10日発行)で、
著者は、身体内の器官や他の生物の種属間の「共進化」を語る。竜樹の「相互依存性・関係性」の世界である。
「生物とはモノであるのに対して、生きているというのはコトである」との命題を立てる。しかし彼は、
「共進化が、何故、どうやって可能であるのか」については、一切語ることができない。これが「生命」で
ある。
>>370 地獄よりも主宰神の審判への恐れではないかなと思うのだけど。
超凄い力を持ったお偉い様に気に入られれば幸せに、機嫌損ねれば不幸せにって不安すぎる。
お偉いさまが人格を持たない法という形をしてる場合もあるが、大体似たような怖さだ。
375 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 01:27:54.74 ID:Q86sShSB
>>358 >>374 宗教の正体は、まんま、「脅迫」と「甘言」。いずれも、それ自体で「地獄に
墜ちるに値する犯罪」。キリスト教では「罪」と「救い」。佛教では「苦・輪廻
転生」と「解脱」。
376 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 01:43:41.00 ID:Q86sShSB
>>354 >対象化? 出来てますがwww
対象化できるのは、知覚できる「生命現象」だけ。生命現象が何故生者だけに
生じ、死者には生じないのかは、誰にも判らない。
「俺は生命が判った」などという医学者や生物学者が一人でもいたら連れて来て。
377 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 01:46:40.11 ID:Q86sShSB
>>356 対象化できないものを、どうやって解明するのか。初めから、順序が間違っている。
379 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:04:48.31 ID:SfGXC87E
>>376 >対象化できるのは、知覚できる「生命現象」だけ。
当たり前ww だって、お前が言う「生命」などという「未知のエネルギー」
なんて、そもそも存在しないのだから、対象化もクソもないわwwwww
>生命現象が何故生者だけに
>生じ、死者には生じないのかは、誰にも判らない。
そんなこと小学生でも、わかるけどwww
「死者は、何らかの原因で生体の機能を維持することが不可能になったからww
つまり、生命現象を現すことが不可能になったのwwwww それを死者と呼ぶのwww」
生命現象を現してるものは死者ではないのwww→だから死者は生命現象を生じないwww
真正のアホか?wwwwwww
380 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:13:34.94 ID:SfGXC87E
>>376 >「俺は生命が判った」などという医学者や生物学者が一人でもいたら連れて来て。
wwwwww 誰が、いつ、「生命」 (→これはお前がいうような「わけの分からん未知のエネルギー」
のことじゃねえぞwww) を「完全に解明した」学者がいるといったか?www
生体の構造、そのシステムは、まだまだ未解明領域だからけww
だから、通常、学者は「生命がわかった」などという誤解を招く発言はしないわなww
しかし、まともな学者は、その未解明領域を、「生命」などいうわけの分からん
エネルギーに帰結させて、思考停止などしないわけw
お前のようなカルト教祖以外はなwwwww
381 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:25:08.33 ID:6zPf5+Mu
>>380 言ってる事が矛盾してるぞ。「判ったとはいえない」とは、「わかが判らん」
ことではなのかねw。
それに、己の生命を以って、「生命が判った」と思っても、その理解の正しさ
を担保する基準はない。理解も、生命の機能に過ぎないのだから。
382 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:30:02.98 ID:6zPf5+Mu
>>354 >「生命」を否定してる者なんて、一人もいないけどww
否定しないのは、「否定できない」からだろw。「わけのわからないもの」が
「わからない」限り、否定はできない。ひたすらに「肯定」あるのみ。
383 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 02:45:00.92 ID:SfGXC87E
>>381 何言ってんだ? このバカはwww
>言ってる事が矛盾してるぞ。「判ったとはいえない」とは、「わかが判らん」
>ことではなのかねw。
どこが矛盾?www 人類は、生体について「完全には」理解していないが、
数百年前に比べて、その知見はとてつもなく進歩してるのww
「完全に分かったとはいえない」→「全くわからん」でないのw
お前の読解力は小学生以下か?wwww
>それに、己の生命を以って、「生命が判った」と思っても、その理解の正しさ
>を担保する基準はない。
実際に、医学、生物学領域において、「判った」知見を元に実用してますが?www
医療技術が、500年前と全く同水準だとでも思ってるのか? このバカはww
>>382 >否定しないのは、「否定できない」からだろw。
「否定してないのは」一般的意味における生命ねwww
お前が言うような、「わけの分からん未知のエネルギー」なら、
みんな否定してるぞwwww
384 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/14(土) 06:06:41.67 ID:UjJkufce
>382
だからwwww(笑)
「解らない」ってのは否定も肯定も出来ないって事だろうがwwww。
ダークマターが何かは「解らない」。
お前らは、ダークマターが「エーテル」だと勝手に盲信してる似非科学信者と同レベルなwwwwwwww。
(^。^)寝言は寝て言え、ボケがwwwwww。
>>377 なんで対象化できないのw
具体的に対象化できない理由を述べよ
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
信仰とは、対象化可能な特定個人の開祖や「架空の神」を信じること。
生命は、すべての人間が己の中に有し、それを信じることも己の生命の機能
だから、対象化は不可能で、「信仰」は成立しない。★☆♪
生命とは、その指示に従って、ただ、いまここに、「生きる」だけのこと。☆
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
>>349 君こそオオウソwwwww 人を中傷するのもいい加減にしなさい!(^-^)
↓
>618 :神も仏も名無しさん:2012/03/25(日) 21:14:35.22 ID:XuwTD4O2
生命は、すべての人間に共通する唯一の普遍の基盤であり、その意味で、すべて
の人間は、生来的に「生命教信者」だから、「生命カルト」とは呼べない。
しかし1個人に過ぎない釈迦や麻原を信じる者は、「釈迦カルト」「麻原カルト」
であり得る。
>>385 ご隠居氏のように勉強家でも頭脳明晰でもないから上手く言えないけど・・
生まれた時に最初の声を発するのも、呼吸するのも生命の指示なのだから・・・
自分の中に生まれた時から既に内在してその指示によって誰でも
生きているのだから、自分で自分のそれを考えて君には何か分かる?
私はさっぱり分からない
只、生きていくのをひたすら生命が守り指示してくれてるのが分かるだけ、
つまり、自分の守護神のような有難いものかな?
■自己の生命を以って、自己の生命そのものを認識することはできない。
認識主体と認識対象とが同一だから、認識は初めから成立せず、ナンセンスで不可能だからである。■
>>388 生命の指示が
↓
自分に内在してる
↓
だから分からない。
これが根拠?
390 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 09:51:02.35 ID:SfGXC87E
>>387 どうした? キチガイオウムwwww
隠居の自己弁護なんか挙げても、何の反論にもなってないがwwww
「生命」などという、今だに発見されてもおらず、科学的根拠皆無の
「わけの分からん未知のエネルギー」の存在を主張する時点で、十分、
カルト宗教ですが?wwww
お前もカルト信者だから、カルト同士、親近感いっぱいで擁護せずには
いられない ってか? オウム信者wwww
391 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 09:53:25.75 ID:1YDPHH7a
>>383 >医療技術が、500年前と全く同水準だとでも思ってるのか?
それでも、アリンコ1匹、細菌1個さえ「作り出す」ことはできないw。
作れないことと生命の関連性は何?
A.
作れない
B.
偉大だ
だと仮定するなら
A.
作れた
B
偉大ではない
A.
.作れない
B
偉大ではない
になるのかね?
393 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:02:42.08 ID:1YDPHH7a
>>384 あなたは仏教者だから、「仏道とは、己にならふなり。己にならふとは、己
を忘るることなり」の意味を解説して御覧なさい。この「己」とは何ですか。
ダークマターは対象化が可能だから、既に解明されかけていますよ。
>>393 なぜ仏教者はその意味を解説できなければならない、と考えるのですか?
あなたは「人はアリンコ1匹、細菌1個さえ「作り出す」ことはできないw」と言いました。
その通りだと思います。
では、アリンコはなぜ生じたのでしょう?
人知が及ばないのであれば、それは人知の及ばない神仏によって創造された、
と考えることに不思議はないのではないでしょうか。
創造されたのではなく、出来たのだ、と言ったところでその本質は変わりません。
396 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:20:05.00 ID:1YDPHH7a
>>392 「作れる」「作れない」「偉大だ」「偉大でない」も、生命の機能に過ぎない。
そんな下位概念の話をしているのではない。
397 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:23:26.83 ID:SfGXC87E
>それでも、アリンコ1匹、細菌1個さえ「作り出す」ことはできないw。
「現時点では」、技術的にアリのような複雑な生物を創造するのは、まだ無理w
だが、前にも言ったが、すでに「人工生命」といえるレベルの生命体は創造してるのww
そして、原理的に、将来、高等生物を創造する可能性についても、それを否定する
生物学者は一人もいないのwwww
398 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:25:50.21 ID:SfGXC87E
確か、「医学は半年ごとにその知見を進歩させている」 とか言ってた奴が
このスレにいなかったか?wwwww
399 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:26:40.25 ID:1YDPHH7a
>>395 >神仏によって創造された、
>と考えることに不思議はないのではないでしょうか。
そう「考える」のも、生命の機能。死者には不可能。従って「神仏」は生命の
下位概念・生命の産物。
>>396 生命の機能があるから何なの?
詳しく解説してみ。
なんだか知らんが
隠居のオッサンは
生命って分からないよね。
だから凄いんだ、僕も凄いんだ
って内容しかない気もするがw
分からない、作れないから凄いんだ!
以外に何かあんの?
402 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:31:21.12 ID:1YDPHH7a
>>397 >原理的に、将来、高等生物を創造する可能性についても、それを否定する
>生物学者は一人もいないの
それを創造するのにも、学者の生命を要する。いくら足掻いても無駄だよw。
>>399 死者には不可能となぜ分かるのですか?
そう考えるのは、あなたの生命の機能ですか?
もしそうだとしたら、他の人の生命の機能があなたの生命の機能と同一でなければ
ならない、と考える理由は何ですか?
生命が原因であり、機能はそれによる結果であるとしても
原因は結果に対し必ず先行しなければならないということにはなりません。
404 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:35:06.37 ID:SfGXC87E
>>402 なんの反論にもなってねえwwww
人間が、生命を創造できるなら、「対象化不能」でもなんでもなく、
上位概念でもなんでもねえwwww アホかwwww
405 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:44:05.48 ID:1YDPHH7a
>>401 「だから凄いんだ、僕も凄いんだ」などとは一言も言っていませんがw。
要するに生命は、宗教、神仏概念を含む、人間のすべての営みの「上位概念」
だということ。生命がなければ、釈迦もイエスも神仏概念も存在しない。
406 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:45:36.80 ID:SfGXC87E
>そう「考える」のも、生命の機能。死者には不可能。従って「神仏」は生命の
>下位概念・生命の産物。
これが隠居のアホの証明wwww
「神を考えることが出来るのは生命の機能。だから生命が上位である。」・・・・wwwww
アホか?wwww 有神論者が、「その考える機能を人間に与えたのは神です。
だから神が上位です。」 と言ったらどうするの?www
なんの反論もできまいがwww
神の存在を拒絶するには
「神の存在が現時点で、観測、確認されていないから。また、
その存在を示唆する如何なる証拠もなく、存在する必然性もなく、
存在を肯定する有意な仮説もないから。」 という唯物的視点から
その存在を拒否するしかないのwwww
無新論者は皆、このスタンスねwwww
でも、お前には無理w 「生命」という未知のエネルギーを主張するからwww
だから、お前はオカルト教祖って言われるのwwww
神仏がなければ生命は存在しない、ともいうこともできますね。
408 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:51:10.26 ID:SfGXC87E
まあ、それ以前に、「〜〜を『考える』ことが出来る。だから、
人間は〜〜より上位概念である。」なんて誰が決めたのか?wwww
『考える』なんて、人間の精神活動の一種。それが、上位だの下位だの
ランク付けの基準になる保証は?www
その「考える」人間さまも、「何も考えない」地球がなければ生まれることさえ
出来なかったわけだがwwww
409 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 10:58:30.03 ID:1YDPHH7a
>>406 「死者には神を思考できない」。これで反論終わりw。
>>405 概念に上位も下位もありませんが。
あえて上位!上位!と言いたがる辺りに
僕は凄いんだ!が見え隠れしてますよ。
411 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 11:00:55.14 ID:1YDPHH7a
>>410 >僕は凄いんだ!が見え隠れしてますよ。
それは、釈迦とイエスに対して言ったらw。
412 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 11:05:10.06 ID:SfGXC87E
>「死者には神を思考できない」。これで反論終わりw。
だから、何の反論にもなってねえってwwww
「死者は思考できない」・・・・当たり前wwww
「〜〜〜〜を思考できるからって、人間が〜〜〜〜より上位だなんて
保証はないのww お前が勝手にそうやって決めてるだけw」
「死者には神を思考できない」ようにしたのも、実は神様なんです。
だから、神が上位www
有神論者がこう言ったら、何も反論できないwwww
「思考出来るか、思考できないか?」なんて、何の根拠にもならんわwww
>>411 概念に上位、中位、下位があることを説明しないのかね?
414 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 11:13:40.89 ID:1YDPHH7a
>>412 >「死者には神を思考できない」ようにしたのも、実は神様なんです。
やっぱり生者が「神を思考してる」じゃんw。
415 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 11:17:47.04 ID:SfGXC87E
>やっぱり生者が「神を思考してる」じゃんw。
wwwww そのように、「神を思考できる機能」を「生者に与えた」のも
神なんですww
生者が、「神を思考できる」のも神のおかげなんですwwww
こう言われたら終わりwwww
上位、下位を前提と言い換えてみたら、どうですか?
> やっぱり生者が「神を思考してる」じゃんw。
それは、神がそのように考えられる仕組みを人間に組み込んでおいたからです。
というのはどうでしょうか。
あ、
なんか415さんとダブった。
タッチの差。失礼しました。
★「死者には神を思考できない」ということは、死人に口無し〜ということ★
今まで生還して神・永遠の命・天国地獄・輪廻転生・カルマ・因果応報・・
等を証明した人は皆無です!
↓
何千年もの間にこれは非常に大きく痛〜い証明です!!♪
宗教者が半狂乱レスを返す根拠が分かりやすい〜♪!!
(^。^)ね!
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
■「生物的生命が、人間のすべての営みの根源である」という事実に
異論のある者は、「死者にも書き込みが可能である」
ことを立証しなければならない。どなたか出来ますか?★♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
420 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 11:22:25.56 ID:SfGXC87E
また、オウムバンドで脳みそ溶かされた、オウム馬鹿が、
論点ずらして宗教者批判を始めましたああ〜〜〜〜wwwwwwwww
422 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 11:30:24.90 ID:SfGXC87E
>どこが論点ずらしたの?(笑
うわ〜〜〜〜〜、それさえも分からない位、劣化が進んでるんだwwww
オウムバンドに一度、やられると、進行性の脳疾患を引き起こす可能性が
高いなwwwww
>wwwww そのように、「神を思考できる機能」を「生者に与えた」のも
神なんですww
>生者が、「神を思考できる」のも神のおかげなんですwwww
しかし、誰も神を証明できた人はいません。
死者も又、しかり〜、見てきた人はいません!
>>419 あなたは
「神がすべての根源である」ということに対して
「そうではない」と言っているのではないですか?
「神がすべての根源である」という考えは
多分、あなたの生れる以前からあったと思いますから。
ですから、それに異論をとなえるのであれば、まず
異論を唱えたほうに、その言い分の立証責任があります。
426 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 11:33:18.44 ID:SfGXC87E
>>423 うわ〜〜〜〜〜、流れも全く理解できずに
頓珍漢なレス付けてるバカがいる〜〜〜wwww
427 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 11:35:27.11 ID:SfGXC87E
>論点ずらしは、君の十八番ジャン!(笑
と、オウムに洗脳されたバカは、相変わらず妄想ふいとりますwww
>>393 「仏道とは、己にならふなり。己にならふとは、己を忘るることなり」
己って、ひょっとして生命のこと?
生命だとすれば、生命を忘るるんだな。
我田引水していいところじゃないね。
430 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 14:15:18.00 ID:M2NfRL40
>>429 >生命だとすれば、生命を忘るるんだな
そうだね。ひたむきに生きている者は、生命など意識しない。ここの宗教患者
たちのように、生命と聞いて狂乱状態に陥ることはない。人間は、自明のこと
には無関心である。呼吸をすることを、一々意識しない。しかし、呼吸が2,3
分間途絶えれば、人間は間違いなく死ぬか、脳に不可逆的な障害を生じる。
どの辺が狂乱なのか解説してくださいなw
432 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 14:21:46.21 ID:M2NfRL40
>>431 書き込みを読めば分るじゃんw。「呼吸行為」に反対しているようなものだよ。
概念に上位や下位があるのかを聞くと狂乱なのかね。
狂乱状態とやらを解説してくださいな。
お前さんは定義を聞かないとコロコロと話を変えちゃうから
聞いておかないとな。
>>430 つまり毎日毎日、生命生命と言ってる隠居はひたむきに生きてない自覚あるのか。
>>430 息をするように嘘をつくのですか?
私はそれは良くないことだと思うのですが。
マイヨールが100メーター素もぐりをしたとき、
それに要した時間は約5分でした。
そのことにより脳に特段の障害は生じなかったですし、
もちろん死んでもいません。
素もぐりのような厳しい環境でなくても、水中息止めの
世界記録は15分以上ですし、江頭さんでも4分は息を
止めます。
グランブルーか
437 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 15:21:25.50 ID:Ov0OAP0J
>>435 それは、息を止める前に意図的に多量の空気を吸い込んで、肺の中に溜めている
から。試しに、息を吐き出してから呼吸を止めてみろw。
438 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 15:29:35.98 ID:Ov0OAP0J
ちなみに、旧約聖書でもバラモン教でも、霊魂や聖霊の原義は「息、呼吸」
である。素朴な古代人は、人間の本質を把握していた。
釈迦やイエスが「生命」に思い至ったか。イエスにいたっては、聖霊とは
「人間のどこか外部から鳩のように舞い降りてくるもの」などととんちんかん
なことを口走っている。
また後だしで言い訳を。なんと恥ずかしい。
>>429 に「呼吸が2,3分間途絶えれば」と書いてあるのですよ。
それに
「息を止める前に意図的に多量の空気を吸い込んで、肺の中に溜めているから。」
これは本当ですか?
もぐる前に時間をかけて深呼吸をして血液中の酸素濃度を上昇させた、という可能性は
考え付かなかったのですか?
間違えました。
>>429 に「呼吸が2,3分間途絶えれば」と書いてあるのですよ。
これは
>>429 ではなくて
>>430 です。
申し訳ありません。
441 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 15:37:25.21 ID:Ov0OAP0J
>>439 肺に空気を溜めれば、肺胞による酸素交換の結果、血中酸素濃度は高まる。
このオッサンは定義を聞いておかないと
いつもこのパターン。
>>441 またまた後だしで言い訳を。恥ずかしい。
時間をかけて何回も深呼吸をするのと、どちらが効果的だと思いますか?
マイヨールのビデオを見たことがありますか?
5日で半分弱。
来週末待たずに次スレが必要になるな・・w
あの震災以後
劇的に住人が増えたな
世の中が変わりつつあるぞ
446 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 19:09:22.26 ID:xACXp9Nb
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
最も当たり前のことのプレゼンが最も難しい。★☆♪
当たり前の人はすべて知ってることだから。知らないのは、当たり前でない宗教信者だけ。
竜樹も、最も当たり前のことを説くのに苦労した。☆
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
竜樹はプレゼンに成功してないけどなw
クリスマスに煙突から侵入してくるんじゃないの。
靴下にOJT入れに。
今、クリスマスプレゼントのありがたいお経が入ったUSBメモリを取りに西の方に行ってます
450 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 20:46:27.73 ID:gNagimt+
ふ〜ん。。。
■「仏道とは、己にならふなり。己にならふとは、己を忘るることなり」
<己とは生命のことなり>
■旧約聖書でもバラモン教でも、霊魂や聖霊の原義は「息、呼吸」である。
霊魂や聖霊の原義は「息、呼吸」→ <生命のことなり>
成る程。。。<生命のことなり>で、一致しますね!☆★ヽ(▽⌒*)
凄〜い発見! 宗教の根源の神仏は、<生命のことなり>となりま〜す!!
やはり、ご隠居氏は素晴らしい!!
ヽ(^。^)ノ
お先にオヤスミ☆
エジプト方面で昔ミイラを作っていたことについてオネガイシマス
>>450 > ■旧約聖書でもバラモン教でも、霊魂や聖霊の原義は「息、呼吸」である。
> 霊魂や聖霊の原義は「息、呼吸」→ <生命のことなり>
これはちゃんと確認、検討したほうが良いとおもいますよ。
例えば オリンピック・モットーというのがあります。
Citius,Altius,Fortius (ラテン語) ですね。
これは swifter,higher,stronger
「より速く、より高く、より強く」とされています。
でも以前はおなじものを
faster,higher,braver
「より速く、より高く、より勇敢に」としていました。
最後の単語はずい分意味合いが違うように思いませんか?
古い語を訳す場合は、色んな可能性を検討する必要があります。
453 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 23:24:32.56 ID:5teF3gi1
>>452 一般的には、strongは、「肉体的・物理的に強い」、brave(勇敢な)は
「精神的に強い」の意味だから、大差はないと思う。swiftとhighが物理的
意味だから、それに合わせてstrongerとしたのだと思う。ラテン語系である
フランス語のfort(e)には、それらの両義がある。
フランス語古語の「esprit fort(強い心)」が「不信仰者」の意味であるのには
驚いたw。
なお、旧約聖書の「聖霊」が、ヘブライ語でルーアッハ、ギリシャ語でプネウマ
(いずれも、生命を与える息吹の意味)であることは周知。新約聖書の「外部から
鳩のように舞い降りてくるもの」は、旧約聖書の改竄。
バラモン教のアートマンも、同じく「呼吸」「生気」「生命原理」「自身」の
意味。現代ドイツ語でも、「呼吸する」は「atmen」であるw。「霊魂(jiva)」
は、「個我」の意味。
454 :
神も仏も名無しさん:2012/04/14(土) 23:49:41.73 ID:5teF3gi1
>>453 ×「個我」の意味
○サンスクリット語で「生命」の意味
☆★・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥★♪
ご隠居氏がイエス・釈迦・アサハラ・・等々の創唱宗教を
<神仏=生命>をもって完璧に論破されましたね!!☆♪
素晴らしいことで〜す!!☆★ (^。^)ね!
ヽ(^。^)ノ
☆★・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥★♪
言葉は容易に変質し、新語が産まれるたびに改変される。
現在、語源通りに使用されているかと考えてみれば
ニュアンスに重きをおき、語源を重視していないのが殆どであろう。
辞書が膨れ上がる現象をみればよく分かる。
語源の意図から離れ、変質し、流転し、違う意となるからこそ
辞書が時代を追うごとに改訂され、時代を写す内容に書き換えられる。
語源にどれほど価値があるのか・・怪しいものでもあるね。
語源の意味合いで使用したのか?を考えると些か眉唾でもあるね。
ヤバイ!ヤバイ!まじウケル。
その話、サバ読みすぎ。
ウィトゲンシュタイン的にはどうだろうねぇ
誰もイエス・釈迦・・・に異論を唱えることが不可能
だったのに、歴史的な素晴らしい偉業でしょう!♪
彼の人類愛が皆の目・頭を覚ましたので〜す!!☆★ヽ(。・_・。)ノ
◆ご隠居氏は、日本人の頭脳明晰な象徴、誇りで〜す◆
ご隠居氏、o(_ _*)oアリガトォ、スバラシイ!
ヽ(^。^)ノ
>>456 どうやら君の生命は、未だに蓋をされてるようだねン
どうやったら救うことが出来るのか・・?
オチ
>>457 オバカな子だねえw
スラングの発生を考えれば変化、変性がよく分かる。
厨房
意味合いは調理場
スラングでは中二病
厨房の本来を語源を考えれば、調理場と考えるのが順当であるし
日常的にも調理場の意味合いで使われる。
しかし、特別なコミュニティでは中二病な人と理解される。
新しいコミニュティが発生するたびに
新しいスラングが産まれ、スラングとしての意味合いを付加される。
このスレッドでは隠居
隠居の語源を適用すれば隠居なのかも怪しいが
隠居として流用されている。
語源は語源であるだけで、言語の意味合いとしてそれが正解か?は眉唾でもある。
460 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 09:09:04.88 ID:NDD4QSRo
>>459 言葉は、人間の生活そのものだから、語義の変化が、必然的な場合がある。
「聖霊(生命)」が何故「外部から鳩のように舞い降りてくるもの」になったのか。
それは、イエスの精神病の症状としての「観念の遊戯」により、聖霊の本来の意味を
人間の生存から切断してしまったからである。イエスは、「聖霊を侮辱することだけは
赦されない」などと言ったが、己は「聖霊を侮辱した」のである。
一方、大乗仏教は、生活者である多数の在家信者の関与により、歴史的釈迦
(釈迦個人)の意味を本質的に変更し、「生命の象徴」に棚上げすることによ
り、釈迦の狂気から離脱しえたのである(最新刊の論文集である「シリーズ大
乗仏教」(全10巻、既刊3巻、春秋社発行)を参照)。
日本の葬式仏教は狂気だと思うがw
大乗はどんな狂気から脱し、どんな狂気に着地したんだね?w
悟りとは何かを考えれば大乗とは何かが見えてくる。
そもそも 人とは個である 人々であっても個であるのだよ。
個の悟りこそなくして何があるのかね。
真理をみつめる目だろ
464 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 09:40:23.78 ID:NDD4QSRo
>>461 社会に貢献しているのは葬式佛教のみ。人の嫌がる死後の始末をやってくれ、
遺族は、会葬者の接待やお布施の工面・支払いなどに追われ、その悲しみをしばし
忘れることが出来る。声明は、死者をも生き返らせるような、第一級の生の芸術。
葬式佛教は、死ねば必ずお世話になるのだから、悪く言わないほうがよいw。
「悟り」の概念が不明。共同体では、個人が悟ろうと悟るまいと、他人の知った
ことではない。単なる「自己満足」「自己陶酔」。「悟ろうとする者は悟れない」
(道元)
「個は、他との関連においてのみ存在し得る」。これが大乗の中心思想として
の、竜樹の「空」である。釈迦の「悟り」には、他者がなかった。これでは
悟りとは程遠い。
社会の貢献しているセレモニーホールは芸術家で
仏教徒なのかね・・・w
生命的には死は死であって
装飾ではないだろう。
お前さんは生命教、生命教と下らない事を叫ぶ割りに
死の装飾を賛美してるのかね?
生物、動物において死は一過程であって過剰に華美装飾する類のものではないだろう。
人は死を喰らい、死を糧に、死を消化しながら生をつないでいる。
その死を目の当たりにしていながら
花一輪 献花しよう。
その花にも生があり、献花が花の死であるのだ。
その意味を伝えることが教えだろう。
>>464 最近は市町村でやってる安い葬式が多いよ
わざわざぼったくりの葬式仏教に行かなくても良くなった
467 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 09:58:53.30 ID:NDD4QSRo
>>465 死ねば、当人にとっては「全世界」が失われる。「一過程」などではなかろう。
「死の装飾」は、専ら生者の「死への恐れ」を和らげるための「生の装飾」である。
死者にはもはや関係ないのである。
生命教的には
死を和らげるために、他者の死を華美しろと教えるのかね?
469 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 10:03:49.55 ID:NDD4QSRo
>>468 死の賛美ではなく、死者の生を賛美しているのである。
死者の生とは何ぞや。
生者の生の賛美ではなく、なぜ死者の生を賛美するんだね。
471 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 10:42:46.03 ID:NDD4QSRo
>>470 死者の「生時」の生である。弔辞では、必ず死者の生時を賛美するだろ。
宗教者は、こんな簡単なこともわからないのか。
言葉を付け足してわからないのかってw
生命教的には死の生は賛美する事項なのかね?
当事者の家族からして「やっと死んだ」と安どと憎しみが渦巻く中
お坊さんがやってきてきれい事を述べるのは何とも言いようがないこともあるかも
>>473 ま、それは仕方ないよねw
事前にそういう会話がされてれば、ちゃんとそういう事情を盛り込んだことを喋ると思うよ。
そういう内心や内情をお寺側に伝えずにいれば、
型どおりの(≒悲しみを伴ったものとしての)葬儀がおこなわれるだけ。
それは、一般的傾向として適切と思われる対処ではある。
そうした世間的色合い(脚色)を除けば、
本来そこには、悲も喜も惜も憎も無く、ただ、一つの死があるだけだろう。
定刻にホームへ滑り込む電車。
別れを惜しむ恋人達にとっては「もう来たの?もっと遅くていいのに・・」かもしれないし、
待ち合わせ急ぐビジネスマンなら、「やっとかよ!もっと早く来てくれよ」かもしれない。
それは、各々の人が、そこに自身の想い(≒エゴ)を投影しているだけで、
事象は「定刻に到着した電車」でしかない。
死もまた、実は、ありふれた事象に過ぎなかったりするわけで・・・。
だから、これからは葬儀も多様化に時代が進むだろう
>>464 >共同体では、個人が悟ろうと悟るまいと、他人の知ったことではない。
>単なる「自己満足」「自己陶酔」。「悟ろうとする者は悟れない」(道元)
確かに。悟った人がいるならば、原発事故で起きた森林・土壌汚染
問題のベスト解決方法を子孫の為に示して救済して欲しいもの
悟ったものは子孫や森林などという生や愛の執着から解脱してるとおもう
>>479 たまに発見される孤独死の中にもそういう意味で悟った人も含まれるんですか?
>>481 悟った人の悟った後の境地は
完全に悟った人(仏陀)に聞かなければわからない
つまり悟った後の境地やその行動は仏陀の言葉(仏陀の教え)に聞くべし
ここで聞くべきではない
推測だが
悟った人はこの世界の苦悩に襲われることは二度となく
この世界に絶望して死ぬこともないだろう
安穏なる日々が待っているだけである
たといその世界が火に包まれようが水に沈もうが
>>479 全く宗教洗脳ロボットの証明でつ
悟った人にも慈悲・慈愛はあるでしょ
485 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 18:17:41.61 ID:VrOGGHfz
>>482 「悟り」とは何?仏陀が「悟った」ことの証拠は?「自称」なら、悟りの対極、
即ち「迷妄」である。
>>484 悟ったものの慈悲と
ただの愛からうまれる執着心の愛情とは
根本的に異なる
悟ったものの慈悲とは完全な仏の智慧から発生する囚われから解脱した
慈悲
すべての生きとし生きる衆生すべてになんの区別差別もなくふりそそごうとするのが慈悲
わたくし達の子孫だから愛を降り注ごうとか
わたくしたちの森林だから大切にしようとか
それはすでに執着してしまって自我に囚われた愛情であり
慈悲では決してない
488 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/15(日) 18:20:47.61 ID:mG9sgSIP
>484
安易なイメージで仏教を妄想して半端な科学知識で否定しているから、生命教なんて幼稚な妄執に取り込まれるのだよ。
(^。^)このウツケ者めが。(笑)
わたくしの子供と
そこらへんの蟻んこや小動物とを分け隔てなく
まっったく平等に慈悲を注げるならばそれは慈悲だろう
と、ただの凡夫がわかったようなことを垂れてしまった
すまぬ
自己内省自己内省っと
491 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 18:25:13.87 ID:VrOGGHfz
>>489 慈悲とは身近なものから始まるもの。アガペーは、慈悲でも愛でもない。
>>486 >すべての生きとし生きる衆生すべてになんの区別差別もなくふりそそごうとするのが慈悲
ならば悟った人は、どんなことなら出来るの?
493 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 18:30:56.04 ID:VrOGGHfz
>>488 君の親でもない赤の他人の釈迦を批判されて、そんなにカリカリするなよw。
おかしいとは思わないのかね。
釈迦を乗り越えたのが、大乗仏教。
>>492 悟ったもの(ゴータマブッダ)は
わたくしたち無明の衆生に真理という苦悩を打ち砕く光(教え)を与えてくれてます
2500年経った今現在でも
すくなくともわたくしにいまここで
日本における教祖が梵語で読んでいたのかどうか?
また、おおよそ正しく理解していたかどうか疑問なんですがどうなんでしょうか?
大乗って名前のわりに範囲が狭くなっちゃったよね
497 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 18:36:20.64 ID:VrOGGHfz
>>494 一切衆生を「無明」呼ばわりした時点で、悟りではない。釈迦の「悟り」には
他者がない。それは単なる独善と傲慢に過ぎない。
あなたの自我がそう評価するならそうなんでしょう
わたくしと真理との関係にはまったく関係ないんです
>>494 君の宗派は何?
釈迦佛教ですか?それとも大乗ですか?
>>495 比叡山ではそういうものが学ばれていた形跡はある。しかしどこまでのレベルであったのかは不明。
でも、主流は漢訳だっただろうし、写本もわずかにしか発見されてないからそこまで盛んではなかっただろうね。
まあ、主要経典の漢訳は多くは質の高いものだし、それを現代の学者に引けをとらないぐらいの理解はしてただろうね。
>>496 範囲が狭いとはまったく感じないが?
上座部も大乗の教えも
ラディカルに触れてるつもりです
そして上座部のも大乗的なことが書かれてますし
大乗にも上座部的なこともかかれてて
かんたんにわたくしごときの虚妄分別やわたくしごときの自我の範囲で
これが真の仏教とかこれは偽物とはとてもじゃないが判断は避けるべきだと
釈尊の教えに従います
503 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 18:51:51.21 ID:VrOGGHfz
>>502 仏教徒なら、大乗と小乗との「思想的相違」くらいは理解してね。
日本は大乗仏教の国。釈迦佛教は、単なるカルト。
>>503 わたしはそうは思いません
初期仏典に心動かされたことは山ほどありますので
そういうわたくしの分け隔てや自己のや自我の範囲のはからいや
一般常識とされてる概念を超えなさいというのが
釈尊の真理ですので
>>500 だって中途半端に満足して死ぬまで人間なんだもん
その先を一緒に歩きたいのに
506 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 19:05:05.62 ID:VrOGGHfz
>>504 それを「開祖盲信のカルト」というのだよ。
社会の一般常識と大きく超えたら、それは単なる基地外。
釈迦には、精神障害、自己満足、自己陶酔、精神的オナニーの要素はないか。
常に批判して接すること。
釈迦は「自己」は否定しているはずだがw。
>>506 どうでもいいけど社会と釈迦を変えても文章成り立つよね
横からごめん
経典はなぜ文章として書かれたのでしょうか?
口述だとまずいんでしょうか?
>>493 > 釈迦を乗り越えたのが、大乗仏教。
これは違うと思う。乗り越えてしまっては釈迦は置き去りになってしまう。
大乗仏教は釈迦を内包し、その根本精神を発展させたものではないか。
>>509 発展じゃなくて人間社会に日和っただけじゃないの?
楽だし
511 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 19:18:26.35 ID:VrOGGHfz
>>509 「根本精神」が違うのだよ。つまり、大乗によって、釈迦は置き去りにされた
のである。
大乗は、2000年前に、すでに釈迦を超えるという大仕事を成し遂げた。
小乗には、その後いかなる進歩があったのけね。「ゼロ」だろ。
インターネッツの世の中ですが、世界の仏教徒は
お互いに知り合う機会は多いんですか?
また、経典に対する解釈はどうなんですか?
葬式仏教が越えたってw
セレモニーホールに勤務しなよw
生者に背を向け
死者に説経を説く葬式仏教の何が大仕事なんだ。
>>505 日本語でおk
>>508 文字の普及以前は口伝。口伝だけだと紛失や間違いの恐れがあるから文章に起こされた。
>>512 いろいろな学術機関で宗派を超えた形での交流がある。
さっきから質問ばかりだけど、グーグルというサイトで検索をすればいずれも答えが見つけられますよ。
516 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 19:56:38.11 ID:VrOGGHfz
>>514 キリスト教の牧師とは異なり、お坊さんは葬式で説教など垂れない。
深い悲しみには、「言葉」はないことを知っているからだ。
訳のわからん経を読んで、お布施を貰ったらさっさと帰る。そこが悟っている。
社会に役立っている佛教は、葬式佛教だけ。
>>453 おしい。
私は「大差ない」ではなくコペルニクス的「思想の転換」であると思う。
その理由を言う前に、そのモットーを確認しておこう。
「より速く、より高く、より強く」最後の部分は前二つと同列ではない。
もしそれが同列であり格闘技などのための表現であるとしたら、
「より遠く」(砲丸投げ等)「より正確に」(アーチェリー等)の立場はどうなるのか。
ですから、前の二つは「より強く」の具体例としてのサンプルだと思う。
構造的には心経の「亦復如是」に相当的なものでしょう。
そして重要なのは「速く」とか「高く」の部分ではなく「より」の部分。
つまり他と比較することです。
「より勇敢に」から「より強く」への変更は、オリンピックにおける意義が
「参加すること」から「他より具体的内容で勝る」ことに転換したことを明確
に宣言したのだと思います。
こういうのは、どのように深読みしていくか、が面白いのですよね。
>>516 死者に向かって説経をたれて何の意味がある。
生者に語りかけてこその大乗ではないのか。
死者で商売するまがい物め。
そもそも死者とはなにか。
生命は思想に先行するのか。
「われ思う、ゆえに、われ在り」これはおかしい。
「われ在り、ゆえに、われ思う」でなければならない。
よく言われることですね。
なぜ生者に背を向け
死者に読経するのだ。
死者は坊主より悟ってるではないか。
なぜ死者に説経をたれる。
皆を先導して歩くのに、後ろ歩きする馬鹿はいないだろ
破戒僧がどこに先導するのかね。
死者が悟りであれば破戒僧などいらぬ。
それは同じことではないのかな。
なぜ「死者に語りかけた」ことが、なぜ認識されたのか。
それは生者がそれを見聞し、そのことを認識したからではないか。
生者は自分が認識したことを自分なりに理解すればよい。
自分に直接語りかけるものだけが認識の対象ではないでしょう。
524 :
神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 20:12:48.27 ID:VrOGGHfz
>>520 だから、葬式は「生者のため」と言ってるだろ。
悲しみに沈んでいる遺族に何を「語りかける」?深い悲しみには、言葉は無用
なのである。
具象的な儀式の持つ「癒し」の力を理解せよ。「精神性」ではない。
>>520 言ってるだろだとw
ドンズラしたお前が言うなよ。
生命教では儀式が大事なのかね?
>>520 最初に断っとくが、これは、俺が聞いた話だから、宗派、地方、その他によって違うかもしれない。
個人的意見として参考にしてくれ。
ぶっちゃけて言うと、葬儀屋の都合。
戦後すぐ位までは、奥から、本尊、僧侶、棺、遺族、参列者の順で座ってて、
僧侶はまず本尊に向って、遺族と共に読経する。
これは、故人と遺族の先導となって、読経の功徳を積むためだ。
そして、その後に振り返って、本尊を背にして、棺に向って引導文を読む。
しかし、時代が下るにつれ、「見栄え」が求められるようになり、葬儀屋が本尊があった位置のすぐ近く(下手したら、本尊が無くて、その位置にw)棺を置くようになった。
だから、今の形を見ると、死者に経を聞かせているように見えるが、本来はそうではない。
皆を先導する形で、経を読み、自分を含めたみんなが積んだ功徳を、故人にお裾分け(=回向)しているだけ。
みなさんが死ぬときにここで論じたことを思い出すことはあるでしょうか?
>>526 その理屈であれば
儀式に功徳があるとするなら
現状のホトケさんは浮かばれぬな。
>>528 >儀式に功徳があるとするなら
>現状のホトケさんは浮かばれぬな。
その行間の理屈が分からないんだが、なんで浮かばれないんだ?
>>528 ああ、現在の配置での儀式だと浮かばれないって意味か。
別に、どっちに向いていようと、読経の功徳を回向するのに不都合はあるまい?
本尊を背にすることに意味合いがあるんじゃろ。
>>531 「棺に向う」為に振り返るだけだと思うが。
今でも、引導読むときは、正面の本尊じゃなくて、棺の頭の方を向くし。
結局のところ、今の形でも意味が解りにくくなっただけで、やってることは一緒だよ。
もし、「本尊を背置くことに意味がある」なら、先師が配置換えに猛反発しただろうしね。
では故人と遺族の先導はどうするんだね
実は儀式などいらぬ、体裁でやってるだけかね。
>>533 >では故人と遺族の先導はどうするんだね
そこは葬儀屋の都合だから、仕方がないw
かつては、引導渡して、仏の世界に行くようになってから、本尊と僧侶の間に置いたらしいが、
ちょっとフライングで、故人は「亡くなった事で既に仏の世界に半歩足を踏み入れた」と解釈するしかないなw
儀式の功徳はどうしたんだね。
葬儀屋の都合で功徳を曲げてもいいような代物って
ことになるぞ。
実は功徳など重要ではないと放言してるようなものだ。
おお、そうだ!
葬儀での引導ってのは、要するに、僧侶の弟子にするって事なんだが、
通常、若い弟子程、前列に座らされる。
これは、後ろから弟子の挙動を見守り、指導するためなんだが、
きっと、今の葬儀の配置はこれだ!
故人を後方より見守り、きちんとあの世にたどり着けるか、見守ってるに違いないw
遺族の悲しみを否定してるわけではない。
大乗のありようを聞いてるだけだが。
まぁ、いい寝るか。
>>535 だからさ、「葬儀の功徳」は、「経を読んで、その功徳を回向する」部分にあるから、配置は関係ないんだよ。
配置は、「先導する形をとるかどうか」と言う問題だから、別問題だよ。
他人の在り様にケチつけるくらいなら自分でやれよで終わっちゃうな。
>>494 やはり狭い宗教のドグマとしか感じないな
ご隠居氏が既に論破されてるように肉体を忘れた精神性追求の狂気
2500年前の会ったこともない釈迦に現実逃避してるのでは?
他者のお布施や協力で仏教者も生きてきているのだから
社会に恩返しも出来ない悟りはやはりおっかしい
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
「生命の等価・至上性」により、すべての宗教は生命の下位次元となるから、
宗教者がいくら足掻いても、「神や開祖の超越的至上性」は消滅し、すべての
宗教は崩壊する。今後の身の振り方でも考えたほうがよい。 ★☆♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
他者や社会は人間だけじゃねーぞー
といいたいな
すべてがど〜でもいいです
好きなように解釈して結構です
あたしゃしょせん悟りがなかなか開けぬ凡夫で
あなた方に真理を伝道する正しい智慧もなければ清らかな慈悲もない
葬式仏教は騒動集が始めたらしいね
暇だからきたよ
仏教の修行って修行しなくてもいいんだってことを悟るために修行してるのが滑稽だと思う
>>545 それはなんでも同じだよ
基本は定石を学んでから新手を出す作業になるからな
いきなりは出ない
>>545 浅学乙
仏教の修行って一元的に括っているがその立場を取るのは一部にすぎない。
さらに、そういった修行は悟るためだけを目的としたものでもない。
とりあえず適当な概説書でもいいから読んでからおいで。
おそらく釈尊が最終解脱する冥想中に
このスレのように不浄な悪魔や人々が常に釈尊を誘惑し揶揄していったことだろう
これも修行かもしれん
自分の中の悪魔に出会うチャンスだ
>>547 ひどい解釈だな
よくそれで仏教やってるなw
>>550 修行することが必要ではないことを悟るために修行してるってことだよ
>>551 ごめん、意味がわからない。
手間だけど説明してもらえない?
不求不得の苦悩ってけっこう辛いな
これ
554 :
神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:56:35.14 ID:xhjDCzEh
>>538 死者に経を読むことで
生者のどこに回向するんだね?
読まぬことで何が回向しないんだね?
読む、読まぬ違いは何だね。
>>555 www
「行為(業)」「功徳」「回向」といったことがまるっきり解ってないじゃんかwww
沢山種類あるけれど、どれでもいい。
一つ二つくらい「回向文」読んだことあるか?
読んで字の如くなくらい、明解に説明されてるぞw
ん?
死者に読むことでどこに回向するんだね。
読まぬことでしないのかね?
と聞いてるだけやが。
言葉の意味を理解していると称するものが意味に反して
他人を挑発し諍いを起こすとはこれ如何に?
>>557 だからw、どんな回向文も、
「何の行為が」「何の爲に」「回向される」かは書かれているし、
というより、上記3つを「明示する・宣言する」のが「回向(文)」なわけ。
それは
読むことで起こり
読まぬことで起こらないのかね?
葬式仏教批判する俺カッコいいで一人満足してろよめんどくせえ。
先ずは仏教用語の基礎知識でも読もうぜ
ろくすっぼ知識もないのに批判はいっちょまえって素敵ですね。
564 :
神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 09:39:36.69 ID:CSM/ezSq
大乗の葬式仏教を批判してる人って、どんな死様・形ならOKなのかな?
好きなようにしたら良い。
釈迦は葬儀に関わるなと言っているぞ。
大乗の親鸞でさえ、死んだら川に放り魚に食べてもらえと
言ってるではないか。
>>560 そうみたいです。
お経にはよく「読誦するといいことがある」みたいに書いてある。
思うのですが、
読むことによりお経が波動となって、
それを受取る側に作用するのではないでしょうか。
>>555 色々基礎的な仏教用語に誤解があるようだね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%90%91 >死者に経を読むことで
死者に経を読み聞かせてるんじゃなくて、生者(僧侶、遺族)が自分自身の口で唱えるor聞く事で、自分自身の功徳を積んでるだけ。
>生者のどこに回向するんだね?
ですから、生者は既に、自分自身で功徳を積んでいるので、生者に功徳を廻し向ける必要はない。
(もちろん、現世利益的な意味で、回向するのはアリだが)
むしろ逆で、生者が積んだ功徳を、死者にも分け与えられるように願う事が「回向」
釈迦は葬儀自体を否定してるのではなく
その時代外道がおこなっていた葬儀というバラモンの儀式や卜占祭祀的な要素のある葬儀行為からなるべく
離れなさいという意味で言ってる
永久なる魂への祈りという葬儀行為そのものへの批判でしょ
なるほど。
折をみて読んでみるかな。色々と有難う。
読んだ結果が葬儀に関わるべきではないと
無いとなるかもしれんけれどね。
その時はまた頼むよ。
ゲルクだかニンマだか忘れたが死者の書はまんま死者に聞かせるお経だよな。
回向とか功徳とか行為の正当化にしちめんどくさい理屈こねてなくていいわ。
572 :
神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 21:06:05.62 ID:6Ddo6qOq
その手の話は今は書けませんね
574 :
神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 22:09:39.25 ID:IXE+I7PY
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
人為的な精神操作による変性意識によって見える神や仏や正しさを「幻覚」と
呼び、専ら精神医学による治療の対象になる病理現象に過ぎない。論じるに
値しない。☆
精神は、具体的外的状況に適応して肉体(生命)を維持するために備わって
いるもの。宗教による精神操作は精神の濫用であり、精神に対する不法行為、
犯罪である。★☆♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
>>552 修行することで修行そのものが不要だったって理解することに修行の意味があるってことだよ
わかりにくくてごめんな
576 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 07:30:11.20 ID:XoDqQ3Fz
>>575 その通り。生存努力から離れた、釈迦や仏教徒の「人為的」修行は、単なる
「自己満足」「自己陶酔」「精神のオナニー」「精神の濫用」「趣味・娯楽」。
悟れるわけがない。脳内麻薬による「快楽」を追求する「煩悩」以外の何物で
もない。
本当の修行は、選択不能な「生存努力」という大修行。価値や悟りは、生存努力
のみに存する。
オウムの信者は、釈迦の猿真似の「修行」で、一体何を悟れたか。
どうしてもオウムしたいオッサンがおるのねw
どの辺が釈迦と同じなのさww
人殺しのまねと言って、人を殺せば本物の人殺し。
馬鹿のまねを一生すれば本物の馬鹿。
菩薩の猿真似修行でも、一生猿真似すれば本物の菩薩。
どの辺が同じなの。
581 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 14:32:27.26 ID:J2pMGiKt
「修行」って、脳内麻薬ですごくキモチよくなるらしい。前レスでの藤田庄市氏の
中央公論本年5月号の「『信教の自由』に奪われた自由」を参照。
釈迦も菩薩もオウムも、ひたすらこの「快楽」を追求した「煩悩」の塊。
「滅煩悩」とは笑わせるw。
しかし、「麻薬」は、結局は身心を蝕む。
バカだなぁ
脳内麻薬なんて生命教!生命教!って悦に入ってても
出てるのに。
身を蝕むから辞めたほうがいいよ。
583 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 14:54:15.67 ID:J2pMGiKt
>>582 「脳内麻薬」は、「状況に適応した生命の維持・生存」のためにあるのであって、
釈迦やオウムのような「生存に無関係な精神のオナニー」のためにあるのではない。
状況に適応した生命の維持・生存
の為に生命教!生命教!と悦に入ってるのかね。
585 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 15:35:57.63 ID:lNOqV+dB
>>583 「脳内麻薬」により肉体的痛みや精神的恐怖を軽減することができたとしても、
それにより痛みや恐怖をもたらした実質的原因が無くなるものではありません。
むしろそれにより、より危険な状態を当人にもたらすこともある。
例えば自殺に対する恐怖がなくなって手首をカットすれば、恐怖はなくとも
その当人は死去するのです。
それに関する文献としては貴志祐介さんの『天使の囀り』あたりで勉強してください。
あなたも頭の中で天使が囀さえずっていませんか?チチチチ・・・と。
586 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/17(火) 18:08:49.88 ID:Vn9uhmdx
「人が対象化出来ない」とする「生命」を意識する事を正しいとする「生命教」は「幻想」であり、
専ら精神医学による治療の対象になる臨床例に過ぎない。
本スレでは論ずるに値しない。
精神は、外的状況に適応して個体と種を維持するために進化の過程で獲得したもの。
「生命教」による精神操作は精神の誤用であり、精神に対する無知、曲解である。
(^。^)ボケナスめが。(笑)
マタマタ、ヘンテコリンナ幼児的論を持ってきた宗教者達(笑
ナニカンガエテンダカナ・・・( ̄∀ ̄) 絶対に理解不可能らしいw
生命の誕生も仮説にすぎないけど
おおよそ確からしい答えが出るまでは
作られたことにしておいてもいいかもしれん
義務教育も分かんないのに考えろとか無理だから
あのー
そもそも生命教を唱えたのはだれ
2ちゃんだけの遊びでしょ
生命教の教義って
何だかすげえ、俺すげえ、生命すげえ
だから信じろ。
すっげえだろ、わかんねーだろ、生命教さいこう!ヒャッホー
くらいの内容しか語ってくれない。
591 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 19:47:46.78 ID:lVloGS42
>>585 >例えば自殺に対する恐怖がなくなって手首をカットすれば、、、、、、
↑
「脳内麻薬」で自殺に対する恐怖がなくなるって、そんなことあるの?
「状況に適応した生命の維持・生存」のためではないじゃん!
一神教の洗脳で自爆テロや宗教戦争の恐怖がなくなるのは解るけどw
592 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 19:50:08.78 ID:lVloGS42
>>586 何処が「幻想」だよw
倒錯漫才もいいところだろ
(^。^)ボケナスめが。(笑)
593 :
神も仏も名無しさん:2012/04/17(火) 19:51:08.04 ID:J2pMGiKt
釈迦は、こともあろうに、自殺を「肯定」している。
仏典に詳しい方は、直ぐに挙げられるはず。
その前に一度ケームショみたいな何もない部屋で一日過ごしてみるべきですよ
意外と気分がイイ
>>593 外科医は、他者の身体を切ってるよな?
≪なぜ、傷害罪に問われない≫んだ?w
597 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/17(火) 20:09:17.09 ID:Vn9uhmdx
>593
なら、お前は自殺で死んだ人を悪し様に罵る訳だな?(笑)
>592
なら、心身問題に解答出してみろよ、タコ。(笑)
ケームショに入った人は頭が冷えて良いですね
>>591 それが、あるらしいのです。
脳内麻薬の影響で、死というものにとても興味を持つようになって、
どうしてもそれを自分で体験してみたくなるとか。(未遂に終わった人の話)
ドルイドが邪教て・・ハロウィンも邪祭扱いにすべきだなw
ドルイドが邪教なら天皇も邪神なんだろうなぁ。
昔の人が空想で書いた正しいかどうか分からないものについて
それを理解したとか悟ったとか信じるとか真理だとか言う人がいますがどうなんでしょうか?
悟ってるなら真理を聞き
それが本質をついているかで判断すればいいじゃないの。
キリスト教が邪教。
書かれていることは真実であり真理であり批判することは許されません
ってどうなの?
真理じゃないなら批判してもいんじゃないの。
だってそれは真理じゃないから。
本当に真理なのかと考えることは重要よ。
607 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 07:43:25.71 ID:qAAXp3dU
>>596 >外科医は、他者の身体を切ってるよな?
>≪なぜ、傷害罪に問われない≫んだ?w
それは、「患者の生命を助けるための行為」だから。「正当業務行為」と呼ばれる。
犯罪成立の3要件は、(1)構成要件該当性(法律の条文に該当するか)、(2)違法性
(社会常識から見て、違法であるかどうか)、(3)責任(善悪を判断する精神的能力が
るかどうか)である。正当業務行為は、違法性を阻却する。
これは、刑法の基本中の基本。
>>596って愚問〜、宗教者の脳内を如実に現しているな(笑
>>597 心身問題ってどういうこと? タコ。(笑)
>>605 真理は真理たりうるから尊いのであって
真理でないなら尊くもない。
普遍たりうる真理を曇りなき眼で探求するから
尊いのだよ、
許す、許さないもない。
真理は目の前にあって気づかぬだけ。
誰が許す、誰が許さない
そんなものは無いんだよ。
例えば 愛
愛が真理だと考えよう
愛を批判したとして だれが許す、許さない?
愛とは何か、なんだろう?
と考えることは重要ですよ。
愛するとは何だろう、愛されるとは何だろう。
と思わないですか
611 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 08:51:08.37 ID:qAAXp3dU
>>619 >愛とは何か、なんだろう?と考えることは重要ですよ。
愛とは「考える」ものではないよ。愛とは「相手の窮状を目の当たりにして初めて生じる、
助けるための具体的行動の原動力となる自然の感情、生命の声」である。すべての人間が
程度の差はあれ生来的に有する「肉体的行動本能」だから、他者から教えられたり、
口にすべきものではない。口にしたら、肉体的行動本能が観念化、抽象化、精神化されて、
変質し、破壊されてしまう。
浅薄にも愛を「唱えた」唱えたイエスが、その好例。
>>611 キミの答えは考えて出てきたものですよ。
それが何か、何だろうと。
真理かどうかはコメントしませんがね。
613 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 08:56:44.93 ID:qAAXp3dU
>>611の訂正
×「唱えた」唱えた
○「唱えた」
614 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 09:05:50.56 ID:qAAXp3dU
>>612 「考えた」のではなく、「人間観察」の結果。
なお、「真理」などという具体的意味不明な、百人百様の意味を持つ観念語・
抽象語は使わないほうがよい。「言葉の遊び」に堕してしまう。
ニーチェは「真理」「真理」と口走るイエスに対してピラトが発した「真理とは
何か」という質問が、「聖書の中で『唯一の』価値ある言葉」と述べている。
ニンゲン観察は考えずに出来るかね?
>>585 それって「魔境」の話ですか?
宗教に関わらなければ「魔境」もない
そろそろ退散するかな?(笑
617 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 09:14:47.50 ID:qAAXp3dU
>>615 「観察」と「思考」とは別物。観察に思考を交えたら、観察が狂ってしまう。
自然科学にSomething Greatなど思考したら、自然科学が成立しない。
貴志祐介さんの『天使の囀り』ってホラー作品のようw
恐怖が好きねぇ・・・気持ち悪w 暇人で非健康的〜
こんなのばかり読んで宗教者は精神の濫用に憑かれてるんじゃ?
↓
(アマゾン調査から戻ったメンバーが、次々と不審死を遂げていく所から悪夢は始まります。
その自殺の方法というのが奇妙で。生前最も自分が恐れていた死に方をするのです…。
尖端恐怖症の人は目を付いて死に、動物恐怖症の人は自ら猛獣の前に身をさらす。
自殺する前に、彼らに共通しているのは<天使のさえずりが聞こえてくる>という事。
そして、皆幸福そうな顔をして自らの命を絶っていく。)
一体、アマゾンで彼らを襲った出来事とは何なのか?? 死の連鎖を断つ事はできるのか??
オチ
>>617 では推論はどうやって建て、仮説はどうやって導くのかね。
620 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 09:25:37.13 ID:qAAXp3dU
>>619 まず観察ありき。観察の結果に基づいて、推論し、仮説を立てる。
推論・仮説にも、「一応の現実上の根拠」が必要。さもなければ「妄想」に
過ぎない。
ところで
愛を観察しないと誰が言ったんだね?
また
推論や仮説によって論が成されるのではないかね。
キミは観察によって成されると断言したようだが。
ご隠居のブーメランは見てて面白いなw
言えば言うほど自分に返ってきて、しかも、受け損なってずたぼろになってくw
せめて自分に返ってくる事を予測して、上手く捕まえろよ
省略して理論と理論は時に相反し矛盾する。
ケームショの何も無い個室に入ってゆっくり考えるのもいいんじゃね?
ふん。愛愛愛、、、と愛を連発する人はオウムとクリのミックスだろうな
愛と仏陀の慈悲は違うんだろ?
すべてが愛であることを知らずに、この世で苦しんでいる人々を哀れんだのが仏陀の慈悲。
では愛とは何だね。
愛の名でなぜ悲劇が紙面を賑わすのかね。
愛と慈悲を別スレの悟りすれで綺麗に解説してた人がいた
かなりの常連のようなひと
すべての経験を善悪だけで分けて、それを罪と結びつける。
人は生まれれば死ぬ、災難に遭わない人間など存在しないのに
それが受け入れられない、自分には罪が有るから罰があたったと感じる。
だからあらゆる計らいに余念がない。
経験そのものが、出会いそのものが、自分が自分に送った素晴らしい贈り物であるのに
他人を恐れ、疑い、捨てられることを嫌う、その恐れが自分を雁字搦めにしてしまっている。
その結果を刈り取っているようなものだが、それを知ることも自分が自分に送った宝石だろう。
オームのサリンばらまきそのたもろもろも考えても分からないから暴走したんでしょ
そんとき慈悲はすげ〜て思った
仏教徒でよかったと思う
福音です。キリストは死にました。
日本て実は仏教哲学が進化発展しまくった国で
キリスト教が入り込めなかったんじゃねーの?
いまさらそのレベルの愛とかを語られても
はいはいwって感じですよね
底の割れた器が渇かないようにするとき、
西側では神の力で無限に注ぎ込めば良いよ、
東側では器を修繕すれば良いよでアプローチが違いすぎるから受け入れがたくはある。
アメで大量消費、日本でモッタイナイが発生したのも然もありなんというところか。
この世のレベルに落ちちゃダメだ
この世のすべては幻だから
まあ、ギャンブル、酒、女体とかに惑わされて落ちちゃうんだけど
どの世のレベルならいいのさ?w
世の中の人の気にいることのために、間違った言葉を喋ってはいけない
>>607 よーするに、
【条件付で】【許容されるケースがある】
ってことだろ?w
同じだよ。 仏典中自殺が黙認・了承されたケースもな。
無条件に肯定されたわけではない。
まさに、
【条件付で】【許容されたケース】
なんだよw
(
>>608も含め)、んとに、頭悪いな・・。
640 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/18(水) 18:45:07.42 ID:emi7g4S2
>639
そりゃあ、今まで色んな風に論破されてるのに全く理解出来ない連中なんだから仕方ないわな。
641 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 19:34:58.94 ID:gb06mDrQ
>>639 >>640 「開祖の『無条件』盲信」ご苦労さんw。それが「洗脳」という心理状態
なのだよ。
「知性」とは「批判力」のことである。
>>641 ハァ?(゚∀゚)
宗教関係なしに、
【事象のみを】【その構造と論理から】評しているだけですが?
なぜ、私が、貴方方左巻きになぞらえて揶揄するかわかりますか?
貴方方には、『論理』や『構造の相似性』『性質の相似性』『特徴の共通性』等等を
観察し、見出す能力に欠けているからです。
発言に於いても、論理性が欠落しているからです。整合性が欠如しているからです。
(もう、何度も提示指摘済みですので、今更詳解しませんが・・。)
批判?w 貴方のやっているのは批判ではなく、脊髄反射ですよ。
そこには、「理」も「論」もない。 あるのはただ「感情」だけ・・。
早く自覚して更生されることを望みます。 (-人-)
643 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 19:57:22.61 ID:gb06mDrQ
>>642 >あるのはただ「感情」だけ・・。
それがまさに宗教。「論理」も「整合性」も、「開祖盲信」の範囲内だけ。
その範囲から一歩も踏み出すことはできない。即ち「すべての人間」に通用する
普遍性がない。釈迦の「一切皆苦」がその好例。あくまで彼の鬱病の症状でしか
ない。「人間観察」から得られた命題からは程遠い。
なお、「条件付肯定」も「肯定」である。
>>603 >昔の人が空想で書いた正しいかどうか分からないものについて
悟っているか誰がどうして判断するの?
現在だって何の証明基準もなさそうで本人の自己申告だけなのに
他スレであったレス、確かに2ch宗教板の真実ですね
↓
>533 :神も仏も名無しさん:2012/04/15(日) 16:13:01.02 ID:UY3CtEoQ
人は反論できなくなる真実を示されると、内容に反論するのではなく、
人格批判をするしかなくなり、それを一般化することで自らの弱さを
取り繕うための考えを維持しようとする。★
その見本のようなレスだね。
これが真実の辛らつさであり、人の弱さだよ。★☆
646 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 20:04:10.25 ID:kUdh+aR4
即非論理とか空論って何の価値があるの?それによってどうなるの?(注:実用性を問うてるんではない)
そうなんだからそうなんだ(真理厨)、っていうのなら統合失調症か何かの疑いあり
>>643 w
宝珠シリーズから数えれば、70・80スレくらいいくと思うが、
何も憶えてないんだな・・。
こちらが、【完璧な論理構成で】【詳細に】【論証及び批判】差し上げたら、
完全スルーばかりじゃないですか?w
何か一つでも有効な反論がありましたか?w 無いでしょうwww
一言も反駁できずに逃走が重ねられたのがこのスレの歴史ですよ。
650 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 20:21:38.75 ID:gb06mDrQ
>>648 開祖盲信の範囲内では「【完璧な論理構成で】【詳細に】【論証及び批判】」
でも、何の説得力もないからだよ。その調子で、まず開祖を批判してみ。
それは「絶対にできない」だろw。
大乗は、健常者の生活者(在家信者)の介入により、「開祖個人」は単なる象
徴として、脇へ追いやったのである。つぶさに見れは「開祖批判」は到るところに
見られる。「一切皆苦」の大原則は「常楽我浄」の大原則によって置換された。
仮想空間と脳をつなぐ時代が来たとき、あるいは明晰夢でどんな効果を発揮するの?
652 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/18(水) 20:23:31.26 ID:emi7g4S2
>641
( ´_ゝ`)ヤレヤレ
いいかね?
生物学でも西洋医学でも、生命とは未だに定義は確立されていないと、これまで何度も何度も多くの人に指摘されて、
また善悪というのは時代背景や文化、思想、個体間で様々な視点があり、相対的概念でしかないとこれまた何度も何度も数多くの人から指摘されたにも関わらず、
まだキミ達は自分達の妄執が絶対だと信じる訳だね?
(^。^)ところで、キミ達。当スレという「共同体」で異常者だという自覚はあるかね?(笑)
643
>釈迦の「一切皆苦」がその好例。あくまで彼の鬱病
医者でもないのに失礼なやつだ
>>650 しましたよw 詳細にね。(貴方もアンカー付けている筈ですw)
で、当の貴方自身が、竜樹批判をしていませんが?
平川彰批判はしましたか?三枝批判はしましたか?岩波辞書批判はしましたか?
こういう姑息さを、時折指摘差し上げているわけですw
655 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 20:34:14.46 ID:gb06mDrQ
>>652 >生物学でも西洋医学でも、生命とは未だに定義は確立されていない
当たり前だ。「生命を以って生命を定義する」ことの矛盾くらいは理解せよ。
釈迦が「我を以って我を否定した」と同じ滑稽な矛盾。釈迦がいくら馬鹿でも
やはり「歯切れが悪かった」のは、無理からぬことw。
>>620 まず観察があるのは良いのですが、
観察には多分に主観が入り込む可能性があります、
ですから、それを計測・計量し客観化、再現可能化ておくことが必要です。
>>655 その方法でも矛盾なく定義できる方法もあると思います。多分。
それには、その定義の中に自己参照の終了条件を決めておけば
良いのではないでしょうか。
658 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 21:02:23.35 ID:gb06mDrQ
>>654 彼等は「開祖」じゃないよw。あくまで参考程度。
平川さんの「仏塔在家信者起源説」は、彼の知識が該博すぎて、仏教学者でも
反論が難しいらしね。
セブンさん自身の「大乗起源論」を聞きたい。まだ最終結論は出ていないの
だから、博士号は確実w。仏教学における最大のアポリア。2chの佛教議論
スレには最適のテーマ。既に克服された小乗ばかりいくらやっても、無意味・無駄。
はははw
生命が生命を定義できないとは
どういうこったw
頭悪いだろう。
>>658 大乗小乗については既にレス済みです。
貴方には記憶というものが無いんですか?w
661 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 21:09:01.50 ID:gb06mDrQ
>>659 「定義主体」と「定義対象」が同一なのに、その定義の正しさはどうやって
担保するのかねw。定規は「自分で自分の長さは測れない」。
662 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 21:13:42.13 ID:gb06mDrQ
>>660 ほほう。もう「解決済み」なのですか。世界の仏教学者は驚嘆するw。
生きとし生けるものには生命があり
死とは生命がないもの
その生命はどからきて
どこへ行くの
>>661 はははw
では、おまえさんと私は同一なのかね?
お前さんと虫は同一なのかね?
お前さんとミジンコは同一なのかね?
面白いことを言うねぇ。
すべてに実体はない
そんな幻に夢中になってるのがほとんどの人間
666 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 21:29:35.04 ID:OZNRfG6N
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
■すべての真理は、凡夫の生存努力の中にのみ存在している。☆
大乗による「衆生心の発見」は、この真理(根源)に迫る巨大な出来事。
釈迦もイエスも、完全なピント外れ。 ★☆♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
>>662 未来永劫、最終結論なんて出やしないwww
せいぜい、「蓋然性の高さを比べ合う」だけだろうよ。
668 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 21:34:40.83 ID:OZNRfG6N
隠居と虫は同じである。
自己は自己を測れない。
ならば隠居は虫を虫だと判別できない。
なぜなら自己だから。
ってことかね。
670 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 21:40:47.22 ID:OZNRfG6N
>>667 仏教者が釈迦や解脱・輪廻転生・・・などへの執着を捨てれば早い
オヤスミ☆
671 :
神も仏も名無しさん:2012/04/18(水) 21:42:09.55 ID:OZNRfG6N
>>669 どうでもいいけど君の頭は相当イカレテルね(笑
>>671 では明晰な知能の持ち主のキミが
解説したらどうだね。
>>670 そういう問題じゃないだろwwwww
『資料が揃わない』ってことだよw
んとに頭悪いなw
宗教はことばあそび
時期に適わない話は
何を言っても馬鹿にされ
語れば語るほど
気が狂ったと見なされはしないだろうか
慎ましやかな人は自分自身の
言うことはすべて間違いだと思う
そう理解して語らない人は
人から尊敬される
それだけ行数並べて「尊敬されたいです」の一言かww
677 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 06:54:17.33 ID:7NQkgSsg
人に尊敬されたいw
人は幻
幻に尊敬されたいとかアホかw
>>672 頭脳明晰なご隠居氏の論が理解できない君達
宗教者の欠陥はもはや致命的〜、残〜念!
NHKでマイム言葉なき感情
を見たが役者ってスゲエなぁ。
表現とは何かを考えさせてもらったわ。
>>679 ははは
理解するために解説したらどうかね。
もしやキミは致命的な欠陥者なのかね。
681 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 09:54:44.76 ID:nVJgUJHr
在家起源説、法師起源説も根拠が薄いんだよなあ。
経典がつくられて、また作られる過程でどうやってアーガマと同等かそれ以上の
「仏説」としての権威が備わるのか、という視点が全く無い。
682 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 10:24:16.27 ID:IwTxX13J
>>681 >アーガマと同等かそれ以上の「仏説」としての権威が備わるのか、という
>視点が全く無い。
その「開祖個人の権威」から離脱して、「一切衆生」という普遍へ展開しえた
のが偉大なのだよ。「権威」などではなく「思想の改善・発展」として フォロー
すべき。「人間の叡智」の問題。在家信者だけではなく、出家信者の中にも、
「叡智ある人間」がいたのである。北朝鮮の人間が金一家の呪縛から離脱する
のと同じ程度の困難さだっただろう。
683 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 11:06:32.47 ID:nVJgUJHr
ごめん、どこから教えてあげればいい?
文脈を読む力?それとも日本語そのもの?
684 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 11:10:06.08 ID:nVJgUJHr
問題です。
>>681における「権威」とは
誰にとっての、どういう意味での「権威」でしょう?
685 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 11:29:01.06 ID:IwTxX13J
>>683 君の脳味噌から「釈迦」を取り除けば治るよ。まず最新刊の論文集「シリーズ
大乗佛教」(春秋社、全10巻、既刊4巻)を読み込め。
>>684 専ら「大昔の1個人に過ぎない鬱病患者釈迦」の、その盲信者に対する権威
(洗脳・感染)。
そもそも釈迦をそんなに崇めてもおらんぞ。
釈迦が説いた真理に偉大さを感じてもw
隠居のおっさんは
何に憤慨してるんだろうな
病人(仮定)だから嫌い
に尽きるのかね。
大乗とやらは 病人(仮定)を排除するのが目的なのかね。
688 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 12:09:42.38 ID:nVJgUJHr
>>685 「どういう意味での?」
こっちが残ってるよ。
あとアンカーふるならちゃんと内容対応させましょうね。
>>687 病人は排除しないけど、法華経だと
畜産業者とか特定の職業の人は排除してるね。菩薩大士が近づいて親しんではいけない人々扱い。
法華経での理論上は彼らでも仏像作ったりすればもんのすごい未来に仏にはなれるんだけど。
689 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 12:37:21.80 ID:nVJgUJHr
法華経をめぐって 大乗仏教教団はインドに存在しなかった?
ttp://togetter.com/li/14299 教団経営の必要があったとして、「仏語の捏造」という手段をとるか?
大乗の起源説に完全にすんなり納得できる、というのはないなあ。
他派と同じようにアーガマを伝承してきたグループの僧侶・修行者が
行法によって感得したものが原型、というのが、今の所一番だが。
これもわざわざ「釈迦の時代に、釈迦が同時代人に説法する」形で描写する
というフォーマットがどのように成立したか、という経緯について説明不足の感がある。
信者やお寺のガイドさんが作った「お話」に対して、
伝承を担ってきた出家者グループが
好意的に「文学的、思想的によくできた話」とは
受け取ることはあっても「釈迦が説いたもの」とみなすだろうか?
仏説、とガチで主張されれば逆に忌避・嫌悪の対象にもなりうる。
>>688 隠居の話から推測するに
病人の話は聞くに値しない。
病人だから聞くべきでは無いとも取れるよ。
病人だから盲信してはダメ
病人でないなら盲信してもよいって話なのかねぇ・・
それとも病人であるから排除するべきってだけの話なのかしらね。
>>659 >生命が生命を定義できないとは どういうこったw 頭悪いだろう。
あはは・・・君が頭悪いんじゃないの?(笑
誰も自分のことでさえよく分からないから、自分探しとか自己開発
とか宗教・・・とかが出て流行るのでは?
ましてや、自分の命のことなんて分かるはずが無いことは自明〜、
ご隠居氏の論は事実に即した無駄の無い優れたもの☆♪
君達宗教者は、自分のことも分からない不思議な生き物、何も考え
ずにオウム返しのムチャクチャコジツケ論は赦されませんYO!
それなら御自分で定義されたら如何?
>>691 んーw
まず前提に 分かる(キミの定義のw) とあるが
この分かるの前提おかしいですよ。
では、この世に分かってるものはあるのでしょうか?
無いのでしょうか?
キミはこの世の中で何か一つでも「分かってる」(キミの定義のw)ことがありますかね?
693 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 15:06:22.63 ID:IwTxX13J
>>689 >これもわざわざ「釈迦の時代に、釈迦が同時代人に説法する」形で描写する
>というフォーマットがどのように成立したか、という経緯について説明不足の感がある。
簡単なこと。釈迦の洗脳がまだ残っている者たちに「全く新たな思想」を説くと、
このスレのように狂乱状態やいたずらな反発を招くので、釈迦の権威を「『利用』
して、継続性を保ったもの。初期大乗では、そのためにさまざまな仏典上の根拠
や理論を準備している。現憲法を明治憲法の継続としたのと同じ。竜樹の
「釈迦マンセー」もそうであろう。賢明な方法である。しかし、思想内容的には
全く異なる。
初期大乗では、上座部教徒と大乗教徒が同一寺院で共存し、同一の「律」に
従った。
竜樹はインドの人です。
694 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 15:13:46.97 ID:ZIkGZPck
@
宗教が単なる洗脳だということに気付けよ。
どんな洗脳か中身が違うだけだ
696 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 15:32:45.43 ID:IwTxX13J
>>695 すべての人間、いや、すべての生物は、生まれながらに「生命(生存本能)」
によって呪縛・洗脳されているのだから、それはもはや「洗脳」とはいえない。
宗教による「生命に反する後天的・人為的植え付け」が、「洗脳」である。
本能のままに生きてみればいいよw
それが洗脳じゃないのなら。
ところで隠居は本能の赴くままに生きているのかね?
698 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 16:48:40.08 ID:IwTxX13J
>>697 >ところで隠居は本能の赴くままに生きているのかね?
勿論そうだよw。それ以外に何がある?w。「自他の死への恐れ」や「窮境に
ある他者への思いやり」も、生存本能から派生する。
そうでないのは、開祖の狂気の感染により生存本能を破壊された宗教盲信者だけ。
多数のために死ねと言ったり本能のままに生きろと言ったり、
相変わらず生命教は矛盾ばかりで大変だなぁ。
>>698 中には本能のハードルが低い人もいるが
それはOKなのかい?
本能教では勿論肯定ですよね?
万引きしちゃう子やら、盗撮しちゃう子やら
盗んだバイクで走りだしちゃう子やら
学校に乗り込んで殺しちゃう子やら
700
>>700オレの700・・・・・10円で売ってください
703 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 17:23:50.04 ID:cWzxh6pX
仏教で最も重要な問題は「空」の解釈だと思います。仏教に於ける「無」
と数学のゼロ(0)とは概念が異なる。仏教の「無」とは既存の認識、
既存の存在など、全てを取り除いた、ありのままの状態です。このありのままの状態が
「空」と解釈される。「色即是空、空即是色」の色(自我)と空(無我)との関連、
そして、生命と人の心と現代医学の在り方を、この「空」を中心にして社会全体の
諸問題を考える事も必要と思います。
世界のすべては空
それなのに、みんな家、車、女体とか欲しがるからなあ
こういう空虚なものを欲しがるバカのせいで世界がおかしくなる
今の物理学的な前提なしで、なら語れますが。
宗教的な「物体の本質」を様々な形で追っていったものが
今の姿だとい思いますが。その意味で宗教は有意であったと言えます
はぁ、それで他人とかいう空虚なものにこだわるのか。
まぁ、頑張れ。
入り込んだら誰でも同じです。
性格とか見た目ややることなど外見は違いますが
中身は誰でも同じです
あはは〜
全部他人事やんけw
自分は空虚ではないんかいな
いやいや、他人の同意とか、他人の肯定とか、他人の評価とか、他人の賞賛とか、欲しくて頑張ってるんでしょ?
だから、頑張れよと。励ましただけ。
生まれた時はみな同じですから
他人なんてせいぜい自分の想像やわな〜
ほな、自分は想像ちゃうんけ?
人それぞれとか、人はみんな同じとか言うやつほど、自分でいっぱいなんちゃうかw
『空』というのは、0とか無いとかいうのではなく、『仏の世界』を表現したものです。
『色』というのは存在とか言うのではなく『私たちの、この世界』を表現したものです。
『色即是空』 この世界は即ち仏の世界である
『空即是色』 仏の世界は即ちこの世界である
これは真言宗のお坊さんの講義で聞きました。
たくさん意味はありますがこのように考えることもできます
人それぞれ:なぜそのようにするのか理解できない。理解するつもりもない
人はみんな同じと:誰とでも同じに接しないと不平等になるという「平等にしないといけない」という自分への強迫観念
安心しろ。その坊さん自身がよくわかってないから。
何しろ仏じゃないんだから。
おい、あいつのほうが量が多いぞオレのにも足してくれ(食べ物・酒など)
検察官のバッチも平等を示す「てんびん」ですよ
なかなかするどいやん
坊さん自身がわかっとらんくても、伝言ゲームやでぇ
聴聞をするとどのようにいいことがあるのか、ということは『ウダーナヴァルガ』には次のように説かれています。
聴聞によって諸法を理解する
聴聞によって罪障を退ける
聴聞によって無益なことをやめる
聴聞によって涅槃を得ることとなる
私たちは聴聞をすることで、ブッダが我々に教えてくれたことが一体何なのかが分かるようになります。そしてそれを分かるようになったら、ブッダが行動・言動・心の動きとして何をすべきであり、何をすべきではないのかということを理解できます。
それを指して岩とよぶ。
ある人は土の塊とよぶ。
ある人は宝石とよび
ある人は神仏の化身とよび
ある人は邪魔な置物だと
ある人は大地の奇跡とよび
ある人は未来のニューエナジーとよぶ。
はたして岩は岩なのだろうか
岩と考えてるものは
なんだろうか
宝石と考えるから宝石があるのあるし
神仏の化身と考えれば・・・
大地の奇跡と考え・・・
それはあるものだろうか、ないものだろうか。
宝石と考えなければ宝石にあらず
神仏の・・・
大地の・・・・
それはあるのだろうか、ないのだろうか。
昔は食いものが無くて食いものがあるところに行ったら人がいたけど
自分はものすごく空腹だから仕方なく相手を殺したとか、
食べ物を盗みに来られて襲撃されたから反撃したとか
そんな感じだったと思います。
食べ物の恨みとは何とやら
自分があればあるやろうし
自分がなければないやろうなー
食べ物のこれもある意味矛盾
岩を人に変えてみれば
どうなるかな。
いや、人やと中途や
自分に変えてみなはれ
物理も数学も分からないものは「X」であり、
分かっているものをそれぞれ関係させて
「X」を求めるんですよ
うまいこと言うな〜
X=空っちゅうことかいな
恐れ入りましたm(_ _)m
732 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 18:20:57.06 ID:VVPoW5J2
宗教の論はどれもこれも新しさが無い。
過去にすがってるだけ。真理だからは言い訳
数は象徴です。
6月6日午前6時にダミアンは生れました。
666はヨハネの黙示録でキリストの敵を表す数字です。
どっかで聞いたが
空は数学上の「点」で説明しやすいらしいよ。
三角形の「交差点の点」は理論上はあるが無いとも言えるとね。
聞いた話なんで何ともいえんが。
この点を求めよ
の点はあるようで、ない。
6がみっつでミロクっちゅうことか
救世主VS救世主やな〜
宿命かいな
ボクはダメモトで円周1メートルの円の直径を出して
円周率を発見してのーべるしょうをもらうんです
名誉市民はイランとです
三角形より、円の方がええんとちゃう
>>733 みたいなことを笑い事ですまさないのが現実です。
アポロ11号の乗組員は アームストロング、オルドリン、コリンズの3名でした。
旧約聖書における地上で初めて生れた人間であるアダム、アベル、カインと
同じイニシャルです。
今の聖書をひっくるめて旧約にして新しいものを書くべきですね
ちなみにアラン・シェパードが月で3個のゴルフボールを打った時に
使ったのは6番アイアンでした。
741 :
ミロクマン:2012/04/19(木) 18:37:26.37 ID:wBSUTxsR
キリストさんよかかってきなされ
命がけでご苦労さんでした
わたしたちは、物事のほんの一部しか知らない。
例えば、多くの人が白馬シルバーがローン・レンジャーに愛馬であることは知っていても
なぜシルバーがローン・レンジャーの愛馬になったのかをほとんどの人は知らない。
それはシルバーが野牛と戦って傷ついたところをローン・レンジャーに助けられ、
それ以来彼の愛馬になったのです。
744 :
ミロクマン:2012/04/19(木) 19:08:19.64 ID:wBSUTxsR
どうでもええわw
ミロク戦隊、ミロクレンジャーの方が格好ええんとちゃう
自分も良くわかんないけど分かることは置いたからあとはたのむねえ〜
746 :
ミロクマン:2012/04/19(木) 19:14:29.48 ID:wBSUTxsR
きみも入るか?ミロクレンジャー
後、四人枠あるで
色も選んでええよ
シルバーと言えばビートルズとローリングストーンズです。
はじめは ザ・シルバー・ビートルズ The Silver Beatles
ザ・シルバー・ローリングストーンズ The Silver Rolling Stones
だったのですが、両方ともすぐにシルバーをはずしました。
>>692 んーw
日本語でドゾー、君の言葉はさっぱり分かりませんヮ(笑
>>699 その位複雑な世の中で、矛盾に満ちているのでは?
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
生命こそ、竜樹の言う「相互依存性・関係性」によって成立し、維持されている
ことは、ちょっと考えれば判ること。☆
空を唱えながら、釈迦だけは空にできず、絶対・常住であるのは矛盾だね。☆★♪
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
751 :
ミロクマン:2012/04/19(木) 19:18:59.26 ID:wBSUTxsR
ほな、シルバーレンジャーも作るかな〜
人の一面だけを見てそれがすべてであると思っていはいけません。
アルセーヌ・ルパンは大怪盗として有名ですが、また
バーネット探偵社においては名探偵としても活躍しています。
753 :
ミロクマン:2012/04/19(木) 19:27:48.40 ID:wBSUTxsR
人を外に観るのがキリスト的
人を内に観るのがミロク的
内と外のたたかいやな〜
754 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 19:35:40.30 ID:VVPoW5J2
右脳左脳占いでいうと、宗教ってどれも左脳的だな(…左脳)
例:「これが真理だ」「これこれはこういうものだ」「違う」
755 :
ミロクマン:2012/04/19(木) 19:40:46.00 ID:wBSUTxsR
右と左のたたかいでもええでぇ
756 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 20:00:29.01 ID:7QDNFEV+
若いころの臨済禅師(りんざいぜんじ)の修行は、直向き(ひたむき)で、純一(じゅんいつ)であった。
それを見ていた首座(しゅそ、)が 「この人はまだ若いが、人と違ったところがある」 と感心し、質問した。 「そなたはここに来てどれ程か?」
臨済 「三年です」。
首座 「これまで黄檗(おうばく)和尚に参(さん)じた事があるか」
臨済 「まだ参じたことはありません。何を聞いたらよいのかもわかりません」
首座 「どうして、仏法の根本は何ですか?と問わないのだ」
臨済は黄檗和尚に参じて 「仏法の根本」を質問したが、その声がまだ終わらないうちに 打ちすえられた。
戻ってきた臨済禅師に首座が様子をきいた。 「まだ言い終わらないうちに打ちすえられ、訳が分かりません」
主座 「ならば再度質問してこい」
こうして、三たび質問して、三たび打たれた。
臨済は首座に言った。 「幸いに慈悲をこうむって和尚に質問することができ、三度問いを発して三度打たれました。深い意味を悟ることができません。他の所で修行したいです」
首座は答えた。 「下山する時には、必ず和尚に挨拶してから行きなさい」
首座は先に黄檗和尚に会って言った。 「あの若者は甚だ真面目(まじめ)です。やって来たら導いてやってください。将来かならず一株の大樹となり、人々のために涼しい木陰を作ることでしょう」
臨済が出立(しゅったつ)の挨拶に行くと、黄檗禅師は言った。 「そなたは 大愚(たいぐ)和尚の所に行きなさい。その他の所に行くな。きっとそなたのために説いてくれるだろう」
臨済は大愚和尚のところに行った。
大愚 「どこから来た」。
臨済 「黄檗和尚の所から来ました」
大愚 「黄檗和尚はどのように教えているのか」
臨済 「私は三たび仏法の根本を聞いて、三たび打たれました。私に落ち度(おちど)があったのかどうか、それすらも分かりません」
大愚 「なんと、黄檗和尚はまるで老婆(ろうば)のように親切だ。くたくたになるまで教えてくれたのに、更にわしの所までやって来て落ち度があったかどうかと聞くのか!」
臨済は言下(げんか)に大悟(たいご)して言った。 「黄檗和尚の仏法は、根本そのものだ」
臨済禅師は黄檗和尚のもとに帰り、その法を嗣(つ)いだのであった。
ボクも昔は先生はなんでも知っていると思ってました
釈迦も空だよ
759 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 21:38:27.24 ID:JETJK+P+
>>693 ほうwご隠居の中では
洗脳が残っている相手でも、開祖の名において好き勝手に創作され
仏説としての正当性まで主張されてもまっさらな人間よりも
狂乱状態やいたずらな反発を招かないのかw
ふつう逆だろ。むしろ薄くないと効かない。そうでなくとも
維摩経における仏弟子への侮辱なんて、たかが戦略でやれるものではないし、
得策でも何でもない。
ここらへんも在家発祥説の根拠なのかもしれないね。
伝承や教義について碌に知らない人間のほうがアレンジ物で洗脳しやすい。
全く新しい思想だとスタート地点は同じだが、下手に連続性を主張すると
アレンジ前の教義や伝承との齟齬が洗脳の邪魔になる。
760 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 21:46:30.38 ID:JETJK+P+
>初期大乗では、上座部教徒と大乗教徒が同一寺院で共存し、
ちょっと出典を書いてくれんかね?上座部ではないだろう。
あったとしても場所を共有する、使わせてやる、という意味だけでだろう。
スリランカには無畏山派という大乗の教学に寛容な宗派があったらしいが、
その類の団体がインドにもあったのだろう。
761 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 22:07:53.06 ID:JETJK+P+
大乗仏教に教化されるのは、釈迦の教義やその伝承に洗脳されたことが無い人間、
それでいて、何となく釈迦という人物にシンパシーを感じてる人間だろうな。
あと、他人がどう考えてるかについてあまり意味を問わない人。
大乗経典が釈迦にとって大切な教えなら、なんでそれを伝承しない人々がいるんだろう?
といった発想を持たない人間。この部分はけっこうクリアするのは簡単かもしれない。
あいつらはクソだ、と思えば一発だ。クソな連中なら大切なものを忘れちゃったり無かったことにするだろう。
これはよくある発想に思える。そうでなくとも信仰というのは感情的な要素が色濃い。
大乗への改宗者が改宗する起点になったのは、部派の僧侶や在家信者相手に嫌な思いをした
という経験かもしれない。その当時のその場所でのあの相手の特定の状況に過ぎないが、
そういうのをすっ飛ばして、その派のサンガ全体や伝承者全体にその印象を投影して一般化して切り捨てる。
ありそうな話ではある。
762 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/19(木) 22:11:29.57 ID:NoG0gJUQ
因みに、右脳型、左脳型というのも擬似科学。
763 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 22:49:22.11 ID:JETJK+P+
かなりワロタw
大乗非仏に対する言い訳は今も昔も苦しいものがあるんだなwww
765 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 23:02:40.64 ID:JETJK+P+
ニューエイジやイスラムが聖書やキリスト教に言うように
伝承は改竄されている!部派の連中は真理(大乗)を覆い隠した!
ほんとはマジで文殊菩薩が結集に参加してたのに無かったことにするなんて!
俺達は小乗な部派では覆われていた真実の仏説を忠実に伝えてるんだYO!
または仏菩薩から新たにその経巻とか口授を頂いたんだYO!
と獅子吼するべきだった。
それをしないところ、できないところ、言うとしても最後のやつしかやらない所が
また大乗の良さなのかもしれないが。
小乗て人気なくなったよね
ここの板でも何年か前までは盛んだったのに
すっかりテーらワーだとか過疎ってる
インスタントな時代だからなぁw
念仏だけで良いなんて嘘で勧誘すりゃ
そうなるんじゃね。
一時期てらわだ連中が大乗非仏説といいふらして
学生を騙してたようだが
もうすっかり勢いがなくなったにゃ
ようはほんとうに救われるのかどうか?やってみたけど
冥想がカルトだとだんだん気づかれたといったところか
時間とともにメッキが・・・
ま、上座部は上座部で頑張れ
ぼくなら冥想カルトなんてあやしいものに加盟せずに
修行系なら禅宗を研究しますね
道元あたりのほうがはるかにがっちりしたものをもってる
瞑想しないで念仏で何するんだかww
771 :
神も仏も名無しさん:2012/04/19(木) 23:27:14.12 ID:JETJK+P+
まさか浄土門が上座部より難信難解な教えになる時代がくるとは
ま、学生相手に頑張ってくださいな
瞑想(笑)も念仏(笑)も似たようなもんだろが。
結局はもたらされる結果よ結果。世知辛いね。
775 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 01:16:40.95 ID:jomjrO9N
>>760 >ちょっと出典を書いてくれんかね?
「シリーズ大乗仏教」第一巻「大乗仏教とは何か」の巻頭の斉藤明の同名論文に
引用された、法顕、玄奘、義浄の報告。これが平川説に対する反論の根拠の一部
となる。
いずれにせよ、大乗仏教の発生には、原始仏典の「思想」に対する再検討・再考慮が
なされたことは否定できない。
「大乗経典を信奉するのが大乗仏教」という下田正弘説は、循環論法の恐れがある。
大乗の念仏で救われるならキリスト教でも救われるんじゃね。
777 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 06:14:19.83 ID:LQ0nj2J4
>>776 「救われる」の意味次第だが、仏教的に「救われる」なら、ありえない。
なぜなら、浄土はアミダの誓願によって成立するから。
大乗と小乗の関係はいろいろ言われてるが、先ず対立関係ではありえない。
なぜなら、大乗も別解脱戒はかならず、どっかの部派の別解脱戒を受けるからだ。
いまのところ、大乗独自の別解脱戒があった痕跡は全く見つかってない。
大乗経典はチベットのテルマみたいなもので、本質的に大乗教徒は放浪行者か篭もって修行する行者だったと思われる。
だから、始めのうち大乗は僧院を持たず、小乗僧院の中にも少し行者がいただけだったと予想する。
ところがチベットでも大乗が僧院化したようにインドでもナーランダーなど大乗僧院ができた。
これは恐らく唯識系が主流だったと思われる。唯識系はアビダルマ的で始めから僧院仏教的だからだ。
逆に中観系は行者的で、チベットでもカダム、サキャ、ゲルクの僧院仏教はアビダルマ、唯識的で、
カダム、ニンマ、カギュの非僧院仏教が本質的に中観的だ。
生命教のいう大乗はデタラメなのはみんな知ってるでしょ。
仏教の議論なんちゅーのは、料理の本を観ながら味があーだ、こーだ、言うとる様なもんやで
料理は食べてなんぼや
実践あるのみ
>>777 公理とするなら
「救われる」の意味次第だが、◎的に「救われる」なら、ありえない。
なぜなら、▲は■の誓願によって成立するから。
◎、▲、■は方便であって
行為によって成就されると仮定するなら
どうだろうね。
浄土は方便、
仏教は理論体系
アミダは概念。
ならば、◎、▲、■に他のものを適用すれば
どうなるだろう。
念仏の短い内容でそうなるであれば
他の宗教でもそうではないかね?
780 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 10:10:37.11 ID:9vL2BN0z
>>779 それでは論理形式の是非を問うだけで、命題なり記号なりの意味内容を問わないので話にならない。
問題は命題、あるいは文なり、記号、あるいは言葉自体の意味内容なのだから。
言い換えれば、問題は構文の是非にあるのではない、記号が指し示している対象や内容の妥当性にあることをよく自覚した方がいいぞ。
781 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 10:13:30.21 ID:rVepTqXx
>>777 >大乗経典はチベットのテルマみたいなもので、
チベットでも使われているという三転法輪説は
単なる「モデル」みたいなもので実際にそうだった、とは考えられてないんかな?
>本質的に大乗教徒は放浪行者か篭もって修行する行者だったと思われる。
>だから、始めのうち大乗は僧院を持たず、小乗僧院の中にも少し行者がいただけだったと予想する。
>>689のまとめは、修行者やそのグループは僧院という建物を拠点にするもの、
という一種の決めつけなのか。
782 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 10:14:31.16 ID:9vL2BN0z
おっと、LQ0nj2J4=9vL2BN0zだ
783 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 10:20:57.34 ID:9vL2BN0z
>>781 >>修行者やそのグループは僧院という建物を拠点にするもの、 という一種の決めつけなのか。
決め付けというより思い込みでしょう。
チベットでも三転法輪説は 実際にそうだったと考えられてますよ。
ただ、第二第三の聴聞者が凡人の知覚を超えていたと考えられています。
そして、ジャンブ州以外で伝承されたと。
>>780 念仏という行為によって成されるのならば
行動様式によって成されると考えることも出来るよ。
概念が大事なのだろうか
行動様式が大事なのだろうか
概念は在るものなのか、無いものなのか。
短い句で成就なるものと仮定するなら
行動様式で成就すると判断しても差し障りあるまい。
神社の御札を拝んでも同じではないかね。
785 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 10:43:59.19 ID:9vL2BN0z
>>784 だから、念仏というのはアミダの誓願の力によって、そう縁起するとインド、チベット、シナ、日本の仏教徒は考える。
なんだ、生命教なのか答えて損した
救われる
救われない
も概念であって在るとも無いともいえる。
ならば誓願を仮定することによって
救われることにしようってことかね。
自らの精神で作りあげた苦を
自らの精神で解くのでなく
架空により解いていく。
であるから請願でよいと。
787 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 11:00:47.31 ID:9vL2BN0z
生命教と話す気はないよ
無駄だから、先ずはアホだという自覚と間違えを認められる態度を身につけよう
話はそれからだ
親鸞は念仏はただの阿弥陀如来へ称名報恩という結果であると説いてるわけだから
念仏で救われるは間違いだろう
念仏を唱えるという結果までのいきさつのほうが遥かに大事
信心正因が大事
789 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 16:48:19.14 ID:9vL2BN0z
そういう細かい過程や前提を云々しているのではないよ。
問題は『大アミダ経』の四十八願なわけだ。
特にその第十八願が問題とされる。
この第十八願によってアミダを念仏した時、極楽浄土に五逆以外は往生できる。
という誓願によって往生できるという意味で、救われるといえる。
尚、この場合の念仏は日本的な称名念仏ではなくアミダ仏を念じる、心に留めるという意味。
以上の意味で、インド、チベット、シナ、日本で一貫している。
近代真宗教学は、特殊なものなので根拠にならない。
近代真宗教学というより
親鸞の著してある書物にそう書いてあるといってるだけなんだが・・
791 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 17:04:08.41 ID:9vL2BN0z
それは分かるが、オイラの親鸞聖人諸著を読んだ印象とは異なるので、
近代真宗学の印象が強いんだは。
親鸞聖人は断片で読むと誤解すると思う。インド、シナ的な伝統の文脈に立ち返ると
それほど特殊なことは仰ってないように思う。
もっとも見解は高いと思うが。
>>787 >生命教と話す気はないよ
なるほど。生命には全く歯がたたないという敗北宣言でつね(笑
本にも、いかにもなタイトルでさも真実とかそんなことが書いてあるような
某団体さんの冊子みたいな感じで昔は釣られて読んでしまったけど
結局遠まわしに訳のわからないことが、いえ、ぼくにはよくわからないことが書いてあって
それは書いた人がたどった思考の過程だったんでしょうけど、
結論としてどうでもいいことでした。
794 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 18:21:31.55 ID:eugpERLf
親鸞は念仏を通じて、自力(自我)から他力(無我)へと融合すると述べているが、
この他力と、仏教に於ける「空」とは、どの様な関係にあるのか。又、蓮如により人々
は組織化し、多大な社会貢献した、宗教的エネルギ−は、他力本願の関係と「空」の認識
にあると思われる。
無我への融合って何ですの。
何をどうやったら融合なんて芸当が出来るのさ。
>>794 自力とは自分の力で自我の壁をぶち壊して涅槃に入ること
他力とは自我を破れない凡人のために如来の回向により自我を抱えたまま
自我があればこそ衆生にはたらく力
自力てなんかキリスト教的
ずべて神にゆだねる神にひたすら祈る
すべて阿弥陀さまにゆだねる
798 :
797:2012/04/20(金) 19:10:52.92 ID:2LFnx/dz
あれー
他力だった
自力で涅槃に入れれば話は簡単なんだが
世の中の修行僧の99.999999%は自我なんて破れてない
そんな悩みを抱えたままモヤモヤしたじょうたいのまま人生終わるのが現実
とすると仏教の世俗を救う力はあまりにもミジンコ並の救済力だといわざるをえない
他力とは悪を見つめさせられ歓喜に至ると親鸞は
言ってる
キリストは悪を神に誤り許しを貰う
歓喜には至らない
801 :
諸星あたる ◆vl0X4POXN2 :2012/04/20(金) 19:25:04.79 ID:L08QvOx4
キリストはあくまでも契約したもののみ救済する
待ちの姿勢の神
阿弥陀は自力がすたったものすべてに阿弥陀側自ら働きかける救済
責めの如来
懺悔など必要ありません
自我や悪を抱えたまま阿弥陀のいわれを聞くだけですなわち摂取不捨の境地にあるだろうと
キリストは信じるもののみを救済すると説く
ところが親鸞にいたってはそもそも煩悩に沈み真理を見抜く力もない凡人には如来を信じきれるほどの力はわたくし側にはなく
信じる力すら与えられるのでありそれが信心であるといい
信じないものすら救おうとするのが阿弥陀如来の慈悲だと
おまえたち凡夫が如来を信じられないのはとうにお見通しであるぞと
私に寄り掛かれ頼めよとよびかけられつづけている存在であると
キリストさんはよくわかって無くても言うことを信じると「信じた」ことになります
阿弥陀如来は信じないものすら救おうとは語弊があった
阿弥陀如来は信じられない凡夫だからこそ救うのだが正解
806 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 20:10:12.03 ID:eugpERLf
道元禅師は「百尺の竿頭にありて、なお一歩進めよ」と述べていますが、そのさきに入った状態が
「悟り」の世界であり、色(表象=自力)と空(他力)の融合した世界と解釈しています。
この融合の意味を、真言宗の、大日如来と不動明王のように、同じ霊体でありながら
姿が異なる。この様な意味で「融合」を解釈しています。
行間に新約聖書も顔負けな文意が込められてるのかw
他力は仏教とはもう関係なくなっちゃってるだろ。
超越的な存在を想定してそれに頼る普通の宗教と同じだ。
810 :
神も仏も名無しさん:2012/04/20(金) 23:57:33.15 ID:ELwV30K/
浄土真宗は、忌みべきキリスト教と、思想的に如何なる相違があるのか。
「救う」とは、誰が何からどうやった救うのか。阿弥陀仏は架空の存在だから、
人間を救うことはできない。人間を救えるのは、生きた人間のみ。
救うべき害悪を予め植え付け、それから「救ってあげる」というなら、それは
地獄に墜ちるに値する犯罪である。
そもそも
救われる
救われない
なんてものは存在しない。
端から無いのだから犯罪でもない。
また地獄もない。
方便であるなら
縁起を重視すべきである。
念仏が縁起的に合理かはコメントしないがw
なにをいまさら法然の偉い天台の僧侶集めての吉原談義してんだよ
あれから何年だよ
法然と親鸞は仏教に裏切られ
仏教に救われたのは間違いない
815 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2012/04/21(土) 01:57:52.86 ID:pRaMJAae
何言ってんだか。
念仏は招入門だろ。浄土で説教される為に念仏すんだよ。
腐れヤソの人類全否定のゾンビ王国とは全く違うだろ。
(^。^)なぁ〜んつってな。
自分抜け落ちれば、世界しか無くなって
世界が自分になるから、自力が他力になるんやな〜
817 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 06:00:19.48 ID:tOQyMu8Y
>>816 「自分」が救われるために念仏するのでは、永遠に「自分」への執着である。
>>810 >救うべき害悪を予め植え付け、それから「救ってあげる」というなら、それは
地獄に墜ちるに値する犯罪である。
同感。人間を救えるのは、生きた人間のみ。
宗教は妄語を並べるばかりなりw (^-^)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
釈迦は、自己(己の生命)の外部。教えを聞くなら、己の生命の教えを聞け。
他人の教えでは、己の生命が変容され、破壊される。釈迦の生命は、その心の
病故に、すでに破壊されている。
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
>>818 だから「何から」「何を救う」んだよww
ようは気の持ちようだろ。
救われないと考えるのも
救われたと考えるのも
思考でしかない。
初めから在りもしないし
初めから無くもない。
無いものをどうやって救うんだ?
おまえバカだろ。
なして無自性をたんなる無にしてしまうかな。
本来は何もないんだよ。
無いものに執着すると何かが現れる。
その何かが不足したと感じるから
救われないと思うんだろ。
では何が不足したのか。
それが煩悩だろう。
思考面で煩悩を廃し
現実面では縁起を考案することによって
少しづつ状況の緩和に向ける。
この形をとるから好転するのだろうて。
ゆえに瞑想と縁起に価値がある。
念仏がどれほどの意味あいがあるのかについてはコメントしないがね。
ふーん、がんがれ。
824 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 12:06:23.32 ID:S8o+Hl9Y
>820
>救われないと考えるのも
>救われたと考えるのも
>思考でしかない。
自分や家族が食べる食物を買う金がない。病気なのに医療を受ける金がない。
これは「思考」ではなく「生死」の問題。
阿弥陀様は、この生命維持に不可欠な金をくれるのかねw。
「人は、明日のことに思い煩わなければ、生きてゆけない」。イエスの「明日を
思い煩うな」も、彼の無数の誤りのうちの一つ。
だから
縁起が大事なんだろ。
ど阿呆め。
大震災が起きても被害に遭っても神仏は、何も救えません
只、只、救えるのは生きた人間のみ。
日常をあるがままに見れば誰でも分かること
当然に、人間=生命=神仏となりま〜す☆♪
円周率について、点が1メートルの円を一周するにかかる時間・・・・・って誰かもうやってるかな?
828 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 12:35:49.78 ID:pxtj7udh
>>826 仏教は生命を救うことが第一義ではないからね
生命教は長生きするのが目的なのか?
というか、災害や病気を神仏に救っもうらおうなんてのは、
仏教でも宗教でもないんだけどな
829 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 12:38:46.33 ID:pxtj7udh
救っもらおう→救ってもらおう
困ったときの神頼みこと神道は宗教じゃないって、どんな宗教の定義を。
831 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 12:51:39.42 ID:pxtj7udh
リンゴの味を定義してもムダ。
食べてみないと味はわからない
問答無用さようなら
本来の神道の神は感謝と畏敬だろ
個人的な事柄を頼むようなもんじゃないよ。
公共的な安寧を神(万物)に祈るんだろ。
ポンポン痛いから治してよって頼むしろものじゃないよ。
神主さんを呼んで安全祈願するのは文化
豊作祈願・豊作祝いのお祈りも文化
ボーズになったところで食っていけるわけでもなく、副業する人の方が多いです
>831
食べても分からなかったりしてw
それに毒だったら釈迦のように取り返しが不能ですね
>>828 >というか、災害や病気を神仏に救ってもらおうなんてのは、
>仏教でも宗教でもないんだけどな
そう? でも生命教という命名は君達宗教者でしょw
では誰が何からどうやって救うの?
837 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 13:46:06.19 ID:pxtj7udh
>>836 生命の危機から救われる人と救われない人、どちらもいる。
生命の危機とまで行かなくても、
イジメから助けられる人と、
助けがない人、どちらもいる。
ていうか、なんでそんなに救われることに重点を置く?
人の危機を見ても知らんふりする人間だっていくらでもいるだろ?
で、人間は人間しか救えないというあんたの意見はなんか意味あるの?
仏教者には病気やイジメを神仏に救ってもらおうと考える人はいない。
いたとしたら妄想で神仏を勝手に作り上げている人だ
生命教の思う神仏と、宗教者の言う神仏は別物なんだよ
災害を起きぬように
病気にならぬように
縁起を大事にせよ
災害にあったら
病気になったら
縁起を大事にしろ。
人は死ぬ
死は逃れられぬ生の約束だ
悲しんでも、怒っても、叫んでも
笑っても、楽しんでも
死ぬのだ。 偉かろうが、貧しかろうが、美貌であろうが、なかろうが
誰でも死ぬのだ。
ならば、
微笑みの中で死ねれば幸いであろう。
そのために心を平穏にすればよかろう。
それが救いだろうて。
では
平穏にするために何をするべき
それが仏教だろう。
念仏は知らん、コメントする気にもなれんがw
840 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/21(土) 14:30:21.62 ID:182VD6w3
>>799 >自力で涅槃に入れれば話は簡単なんだが
そういうのは、
今生だけで涅槃に到達できるかできないか・・・
といった誤った視点から論じた誤解というものです。
ゴータマは須陀桓、斯陀含、阿那含、阿羅漢の四向四果(四沙門果)を説いて、
仏道において幾生涯の経験を要するのかを具体的に教えました。
そして、仏道を真摯に歩む修行者が高次の存在に守護されない道理はない。
841 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/21(土) 14:32:42.05 ID:182VD6w3
>>802 >キリストはあくまでも契約したもののみ救済する
それはユダヤ教の
(契約者である自分達だけが救われるとする偏狭な)概念の悪影響であり、
また、後のキリスト教徒らが、
“イエスを信じなければ救われない(つまり、結果的には地獄行)”などという、
イエスが言いもしなかった勝手なデタラメを公言するようになっただけのことです。
『わたしに向かって、「主よ、主よ。」と言う者が皆、天の御国に入るのではなく、
天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです。』(マタイ伝7章21節)
『わたしの父の家には、住まいがたくさんある。もしなかったならば、
わたしはそう言っておいたであろう。』 (ヨハネ伝14章2節)
『もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。』
(ガラテア人への手紙3章28節)
これらの聖句のどこが、
“イエスを信じない者は地獄行きになるのか?”を説明して下さいな。
聖書を読みもしない輩ばかりがホント・・・。
要するに、
父の御心(真理に根ざした正しい行動)に適うならば、
その人がイエスを知っていようがいまいが全く関係ないでしょ!
842 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/21(土) 14:34:34.93 ID:182VD6w3
>>827 永久に無理でしょうね!
何故なら、「点」とはその大きさを規定できない大きな(小ささ)だから。
その長さも面積もなく、在るのはただ概念だけ。
>>809 同意!!
“絶対他力”を謳ったが最後、
それはもう仏教とはいえない。
1メートルを1分で回るとして1秒にすすむ角度を
三角比以外で求めればおkじゃないんですか?
つまり円は360度であるということ以外の概念の発見ですよ
<お題目>
南無妙法蓮華経・・・・日蓮宗、日蓮正宗、創価学会等日蓮系
<念仏>
南無阿弥陀仏・・・・・浄土宗、浄土真宗、真宗大谷派等々本願寺、浄土系
<お経>
般若心経・・・・・・・天台宗、真言宗、禅宗系等々
ややこしいなぁ〜w
>>840 悟れないものにも来世に希望をつなぐことで現実を肯定しようという作戦か
しかし、来世なんてフィクションを使えるんだったら、天国でありとあらゆる望みがかなう
っていうフィクションでもいいような
>>837 >仏教者には病気やイジメを神仏に救ってもらおうと考える人はいない。
>いたとしたら妄想で神仏を勝手に作り上げている人だ
大震災が起きて被害に遭ってもとは言ったが、いつから病気やイジメに
変わったの?
浄土真宗の親鸞の「南無阿弥陀佛」の念仏信仰は阿弥陀仏の他力本願ではないの?
どうも救いというのは、↓ でキリスト教と似ているヮ →
>>810 >阿弥陀如来(あみだにょらい)の根本の願いとして「あらゆる人々に、南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)を信じさせ、称えさせて、
浄土(じょうど往生(おうじょう)せしめよう」と誓われた願いのことです。この本願(ほんがん)のとおりに私たちを浄土(じょうど)に
往生(おうじょう)させ、仏に成らしめようとするはたらきを「本願力(ほんがんりき)」といい、「他力(たりき)」といいます。
>>837 >生命教の思う神仏と、宗教者の言う神仏は別物なんだよ
どこが別物なのか具体的にドゾー
多分、宗教のドグマ内の神仏だから狭い範囲の筈〜
849 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/21(土) 16:03:55.67 ID:182VD6w3
>>864 それはゴータマが言ったことです(とされている)。
業報による輪廻転生(来世)を否定するのは
「邪見」といって最もいけない考え方です。
別に信じられないのなら、仏教徒になる必要はない。
まっ、ご自由にどうぞ。
『仏教においても常識的な穏健説として業報思想を採用した。この常識的な業報説を受け
いれないならば、仏教独自の四諦や縁起の教えに入ることはできないとして、仏教独自の学
説に入るための準備として業報説が用いられたのである。三世因果の業報説を疑ったり否
定したりすることを、仏教では邪見といっている。仏教では邪見がもっともいけないものであっ
て、これがあるかぎりは、決して仏教信仰に入ることはできないとされる。邪見は善も悪も否
定し、善悪の報果も認めないものである。』(水野 弘元著『仏教の基礎知識』)
850 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/21(土) 16:05:29.53 ID:182VD6w3
>>837 >で、人間は人間しか救えないというあんたの意見はなんか意味あるの?
勿論、意味は大有り〜(笑
人間が出来ることも神仏には全く不可能=無能だということが証明されますた☆★
つまり、宗教の神仏より人間の生命の方が上位概念ということ☆♪
↓
■いずれにせよ、「下位概念」に過ぎない釈迦、イエス、その他の宗教を放棄して、
「最上位概念」である「生命の指示」に従うことが、物事の順序であることを理解すべきである。■
>>849 輪廻も天国もどちらも信じるに足る理由がないけど、
なんで信じられるの?
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
「生命現象を現す肉体(生命)」以外に「神」など存在しない。神は、生命の
機能としての空想作用の産物に過ぎない。☆★
イエスは、上記以外の神が存在するという倒錯に陥った。釈迦は、こともあろうに、
生命を「無明」呼ばわりした。両者とも「生命教」とは対極にあるもの。★
イエスは、自分の命・からだのことで思い煩うなと言った。冗談じゃない。
思い煩わなかったら、人類はとっくの昔に滅亡している。また、空の鳥、野の
花は思い煩わないが「天の父」に養われている、などとピント外れのことを
言っている。空の鳥も、野の花も、一瞬の休みも無く「生きる努力」を続けて
いることに、思い至っていない。
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
円の計算に時間を入れるのは進む距離がわかるからです
855 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/21(土) 16:27:18.48 ID:182VD6w3
>>852 ハハハッ!!
肉が勝手に喋りますか?(笑)
その方が可笑しいでしょ!
唯物論者などと対話する暇はないです。
私は現代科学が認めない事柄を直に見聞き体験してきました。
ご自由にして下さい。
856 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 16:34:55.85 ID:QnrmKHkF
「意識は私たちが頭の中で自ら上演する
ミステリアスなマジックショーにほかならない」
だそうです。
物質の運動で感覚の成立が説明出来ないからって、
霊という物質を仮定して説明始める神智学もどうかと思う。
時間を入れると縦横高さ時間の4次元になります
どらえもーん
今なら東大に入れる!
たぶん教官の方がぼくより若い
そもそも、時間ってなんや?
やつを追う前に言っておくッ!
おれは今やつのスタンドをほんのちょっぴりだが体験した
い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……
,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『おれは奴の前で階段を登っていたと
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ 思ったらいつのまにか降りていた』
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ |
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言っているのか わからねーと思うが
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ 頭がどうにかなりそうだった…
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
/'´r ー---ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \ 催眠術だとか超スピードだとか
/ // 广¨´ /' /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
ノ ' / ノ:::::`ー-、___/:::::// ヽ }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::... イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
864 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 16:57:11.24 ID:3BHrXA4a
>>841 >これらの聖句のどこが、
>“イエスを信じない者は地獄行きになるのか?”
その統合失調症の症状としての誇大妄想故に、「自分が神になりたかった、
なった積りの」イエスにとっては、人が自分(イエス)を信じてくれることが、
唯一最大の関心事であった。「自分(イエス)を信じるためには、親も子も捨てよ。
信じない者は裁かれる。信じない者は死ね(一粒の麦の話)」と脅迫している。
だから彼は「隣人を、『そしてすべての人間を』愛せよ」とは、口が裂けても
言えなかったのである。
イエスにとって創造主(神)は、実は目の上のたんこぶ、邪魔物であったので
ある。彼は「自分が創造を完成するために来た」などと大言を吐いている。
イエスの「創造(あるがままの人間と自然)に対する畏敬の著しい欠如」を
看破されたし。イエスの十字架は、彼の大罪に対する神の処罰である。
これにイスラムが加われば宗教雑談スレ
ポルナレフよ、それがわからにゃ、鬼女の空論や…
いや、机上の空論や
時間の相対性理論の登場を待ちますか
868 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 17:15:45.31 ID:pxtj7udh
生命の指示とはなにか?
たとえば生命教が彼女と遊んでいたら、
暴走族に絡まれたとしよう。
暴走族は彼女を置いていけば生命教を逃がしてやると言いナイフを見せた。
この場合、生命教には、ナイフで刺されるのは怖いから彼女を生け贄にする気持ちと、
男として彼女を守るべきという気持ちがわいてくる。
生命の指示とは、この場合どちらの感情なのか?
欲望と理性、どちらが生命の指示なのか?
時間を超えよ!?
時間をさかのぼって暴走族を作らない、が正解
どうでもいいけど特に化学の数打てば当たる方式がひどい
872 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/21(土) 17:25:25.22 ID:182VD6w3
>>857 「霊」は“非物質”です。
あなたはの話はどこの情報?
>>864 それらはキリスト教徒らが勝手にいったことでしょ。
しかし、あなたは何度いってもデタラメばかり。
ホント頭悪いな・・・。
ある事柄について複数の解釈があると対立が起こるんですね。
同じ日本語をしゃべってても意味が通じないこともありますし
>>872 神智学ではアストラルとか波動とかなんとか名称付けてても、
結局の取り扱いは電子や陽子ではない”物質”あるいは”エネルギー”だろ?
現世の物体の他に、説明の都合に良い”物体”を用意して説明してんだからさ。
人間は子孫を残すが「霊」を内包し、いわゆる存命中の行いにより
いわゆる死後の処遇に差がある。
↑を偽であると証せよ
また
↑を正であると証せよ
オレ的にはどうもいい
放置すれば消えるであろう過激派の一派を消すために
物理的発見をもって説得せねばならんのか?
巧妙なトリックを見破るのは一番馬鹿な奴って言うし
余計なことは教えない方がいいのかもね
生命教の見解をどうぞ
>>873 おまえさんに富士山の話をしよう。
東京からも富士山が見えるそうな。
もちろん、静岡や長野や山梨群馬からも見える
国際宇宙ステーションからの富士山
海から見た富士山
どれも富士山だが
どれも見え方、形が違う
ではどの富士山の解釈が正しいのだろうか。
それと同じで、立ち位置によって見え方が変わるし
意味合いも通じなくなる。
どの視点から富士山を見れるのか
これが大事でもあるな。
881 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/04/21(土) 19:00:18.61 ID:182VD6w3
>>874 ならば素晴らしいじゃないですか!
科学ぱりの詳細な理論と解説を世に提供したのは神智学が始めてのこと
882 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 19:08:54.38 ID:3BHrXA4a
>>868 >生命の指示とは、この場合どちらの感情なのか?
生命の指示は、具体的状況においてしか発動しないよ。だから、愛を抽象化
したイエスのアガペーは、生命的には全くの誤り。
孟子に出ている話だが、ある王様が屠所に引かれてゆく牛をみて哀れになり、
部下に、「羊に代えよ」と命じた。王様は、羊を見たことがなかったのである。
この意味が判るか。
なお、感情と理性とは分離することはできない。ヒュームは、いみじくも、
理性とは感情の束だと言っている。
883 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 19:14:08.67 ID:3BHrXA4a
>>872 >それらはキリスト教徒らが勝手にいったことでしょ
そうやって、開祖は絶対に批判できず、専ら人間としての信者を批判するのが、
開祖の盲信という宗教の特徴。信者は、開祖の狂気の感染の痛ましい「犠牲者」
なのである。信者には罪は無い。
諸仏は罪業を洗い流してくれるわけではない
彼らの手は衆生の苦しみを抜き去ることもない
彼らの悟りの境地を他者に与えることもできない
ただひたすら法性の真実を説くことで解脱させる
素で言うが、アホだなぁ。思考が水平でしかないことに気づけよ。
この世の物質で説明できないからあの世の物質を持ってきて、
それでも足りないから超あの世の物質を持ってきてで終わらんぞ。
思考が水平とは何ぞな。
>>881 >>884 途中で送信しちまったい。
物質やエネルギーといった既知の延長線上でしかない解釈で唯物論を越えた気になっても、
結局は物質の種類を増やしただけの唯物論でしかないことに気づけって。
神智学にはもっと想像力が必要だな。思考の飛躍、ブレイクスルーが足りん。
>>887 思考は物質かね?
ここを考えてみたことがあるかな?
思考で宇宙へも行けるし、空も飛べるよ。
楽園にも地獄へもね
>>889 思考は脳、物質の運動ですよ。それを感覚という段階まで引き上げるなにものかについては知りませんが。
お前さんこそもっと考えれば?
>>891 物質の運動だっていってるやん。オナ禅に付き合いたくないわぁ。
>>892 ではキミにとっての幸せとは
ドーパミンやセロトニンなのかね?
>>893 めんどくちぃなぁ。五蘊も蓋を開ければ化学反応とか電子の流れだ。
ただ、何処までいっても化学反応と電子流の堆積物でしかないそれを五蘊にまで引き上げてる何かは知らんと言ってる。
宗教的な疑問を問うと学問になり、ある程度分かると宗教に戻るが
結局分からねえで終わって死ぬ
896 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 19:52:25.64 ID:a5Tdpd5F
>>841 > 『わたしに向かって、「主よ、主よ。」と言う者が皆、天の御国に入るのではなく、
>天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです。』(マタイ伝7章21節)
父とは、旧約の神ヤハウェのことです。ヤハウェの性格はご存知かと思います。
「主よ、主よ。」と言う者の中でも、「父の御心を行う者」だけが神の国に入れる、というむしろ厳しいものですね。
聖書を読んでいるとのことなのでイエスの倫理や振る舞いへの厳しい規律はご存知かと思います。
> 『わたしの父の家には、住まいがたくさんある。もしなかったならば、
>わたしはそう言っておいたであろう。』 (ヨハネ伝14章2節)
前後のくだりを見ていただければわかりますが、弟子たちに対して述べています。
> 『もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。
>あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。』
ガラテア人への手紙はパウロと彼といっしょにいるクリスチャン達から、
ガラテヤ地方の諸教会の人々にあてた書簡です。
一つ前の章句にこうあります。
「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」(3:27)
>>894 唯物的に考えれば
アンフェタミンやドーパミンなどの増減で幸福感を得るが
その何かが満ちれば
キミにとっての幸せなのかね?
>>897 感覚として幸せが生じて、その感覚を幸せと認識するなら元が何でも幸せだよ。
唯物的な幸福私感はそうなるのかぁ
いやいや勉強になるわい。
思想による解放ではなく
物質的な解放、いわゆる医学を経た幸福論もあるのねえ。
向精神薬を常用する人が増えるわけだ。
これ飲んだら効くと思って飲めばラムネでもそうなるよ
>>855 >私は現代科学が認めない事柄を直に見聞き体験してきました。
では、あなたの自己申告と言われる評価や等質という評価を避けるためにも、
御自分で万人に理解・説得可能な手段・方法等を宗教者の慈悲・慈愛として
当然に考えなければならないでしょう
>ご自由にして下さい。
では、余りに無責任で慈愛が全く感じられません
また
宝珠先生が皆からいじめられてるのでした
904 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 20:30:38.73 ID:a5Tdpd5F
イエス本人の意識としては、彼の教えは自分の創作ではなくて
神(父)からのメッセージなので、自分の言うことに従わない、
あるいは否定的であることは、父なる神に対してそんな態度をとることに等しいです。
ヨハネ伝の三章がそのあたりあからさまですね。
そういや、またうっかり水平思考と垂直思考を取り違えてた。
既知の延長線上でのみ物事を考えるのは垂直、とっぴで益体のない思考が水平。
うっかり間違いが拡散しないように訂正しとく。
前提(仏道修行の前提)
1.師匠
2.有暇具足
小士(在家の人)
3.死を思う
4.来世のことを考える
5.帰依
6.善業・悪業とその果報
中士(出家者)
7.苦諦
8.集諦
9.解脱への道
大士(大乗仏教者)
10.菩提心
11.七つの因果の秘訣
12.自他交換の瞑想
13.菩薩行
14.智慧波羅蜜
15.密教
どの段階も必ず経ていく必要があり、それぞれの段階がそれ以降の段階の準備・前提となっている
なんだそれw
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
宗教の正体は、まんま、「脅迫」と「甘言」。いずれも、それ自体で「地獄に
墜ちるに値する犯罪」。キリスト教では「罪」と「救い」。佛教では「苦・輪廻
転生」と「解脱」。
(*^。^*)
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
誤解するとそうなるね。特に日本語訳は誤解しやすい
あなたはことによると自分を健全な生き物だと思いこんでいるかもしれないが、そうだとしたら、そんな考えはすぐに捨て去るがいい。
あなたは始まりとてない遠い過去から輪廻の大海にあって、貪り、瞋り、愚かさという三つの毒におかされ、それがもたらす苦しみを味わいつづけてきたのではなかったか。
この三毒のもたらす病は意識を完全に狂わせてしまうので、病人自身にも自分が病気にかかっていることがわからないほどである。
普通の病気は死をもたらすが、三毒の病は死んでも輪廻に再生する原因となる。
流石、仏教議論スレ
あたまでっかちばっかりや〜w
禅やったら、バシッ!
やろな〜
913 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 22:10:11.50 ID:HPoTdkTq
buddhaM zaraNaM gacchAmi
dhammaM zaraNaM gacchAmi
saMghaM zaraNaM gacchAmi
あほ? 弟子でもなけりゃ叩かんわ
自分が禅してるからって人叩いていいわけないだろ
瞑想すれば聴き学ぶ必要はない、と
愚かで度量の小さい人は言う
聴き学ばずに瞑想だけに
励んだところで畜生の修行である
因果の法に例外はない、とは
一切智者のすぐれた教えである
学ばずに全智に至るなら
因果の法がどうして真実か
たとえ話ながな〜
真面目やの〜
ちった〜肩の力ぬきなはれ
ほとけは、りらっくすぢゃ
あたま、まっさらにするから、因果がわかる
これが、道理ぢゃ
しかしま〜
それだけぢゃ足らんから、しっかり勉強する、ほんで綺麗さっぱりすてるんぢゃ
捨てるんは、知識やない、自分ぢゃ
919 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/04/21(土) 22:21:57.57 ID:7J46yn2p
>>896 あんたキリスト教徒?イエスの言った天の父とは、旧約でモーセの前でベラベラくっちゃべってた
ヤハウェとかいうのとは全く違う。そもそも敵おも愛せとイエスに愛を説かせた天の父と、
敵は皆殺しにしろとモーセに命じた旧約のヤハウェとは性質が全く違うし、イエスは、私の他に父をみた者は
いないといっているのだから、イエスは、モーセがみたヤハウェとは違う存在を語っていると
考えるのが筋だ。そんなこともわからない今のキリスト教徒は救いようがない。イエスの言った天の父とは、
志向の存在であり、全ての根源である。キリスト教のいう独り息子とは、
真我のことであり、真我も彼の内にいるものである。悪いけど今のキリスト教では誰も救われないよ。
牧師も神父もイエスの教えを正しく理解しているのは皆無に等しい。カトリックは無意味な儀式しかしてないし、
プロテスタントに至っては口先だけの信仰告白だけで救われるなんて思ってるんだから救いようがない。
救われるのはあくまで父の御心に叶う者だけである。なぜ肝心なことは全て喩えで書かれている聖書が君らキリスト教徒に与えられたのか、
聖書の記述をよく読んで、よく考えたほうがいいと思うよ。まだ悔い改める時間は残されているんだからさ。
愚者は学ぶことを恥ずかしがり
賢者は学ばないことを恥ずかしがる
だから賢者は年老いても
来世のために学問する
智恵がないという理由で
愚者は学問をしない
考えてみれば智恵がないからこそ
愚者は一層努力すべきである
前世で学ばなかったので
今生で愚者なのを見て
来世で愚者に生まれるのを恐れて
今生で苦労しても努力して聴き学ぶべきである
>>915 観る為に瞑想するんじゃろ。
邪な目で見れば邪な世界に見え
幼き子の目でみれば幼き世界に見え
性欲溢れた目でみれば性欲な世界に見える
そう考えてみれば
瞑想できずに聞きかじったものは
どのように見えてくるか
順番の問題じゃろ。
もちろん先人の智慧に頼るのは否定はしないよ。
残念ながら、智恵と智慧はちがう
智慧ないものが一生勉強したってわからん
智恵は積み上げるもの
智慧は自分落とすもの
智慧が現れればはっきりわかる
恥ずかしい自分なんてのが残ってたら偽もんぢゃよw
聴き学ばない瞑想は
暫くは成就してもすぐだめになる
金銀はよく溶けても
火から離せばすぐ硬くなる
智恵によって深く観察し
過ちの原因を捨てるのが瞑想である
身体の汚れを洗うように
瞑想しても永いことすると元通りになる
すぐれた因果が完成しなければ
たとえ無我を理解しても仏にはなれない
最高の方便で達成しなくても
真実を見るものは阿羅漢である
で、あんたはど〜なんだ?
一休宗純みたいな坊さんもおる。
道は一つではないよ。
一休さんが仏になったかは知らん。
知らんがそれも生き方じゃろう。
仏になることだけが道ではないぞ。
凡夫であっても立派であれば
それはそれで良かろうて。
927 :
神も仏も名無しさん:2012/04/21(土) 23:18:00.90 ID:NVsfncQH
>>919 >あんたキリスト教徒?
違います。
>旧約でモーセの前でベラベラくっちゃべってた ヤハウェとかいうのとは全く違う。
モーセ云々言っていたのも、旧約の預言者を引用するのも、
律法を完成するために来たというのも外向けのフェイクだったということですか。
ユダの福音書みたいなイエス観ですが、信仰においてそういう誤魔化しをする人物とは思えません。
>敵は皆殺しにしろとモーセに命じた旧約のヤハウェとは性質が全く違うし、
地獄で罪人をさいなむあたり、一貫してますよ。
旧約の神には寄留者や寡婦、孤児への保護を命じる面もある。ヤハウェは
愛の神としての顔と危ない神としての両面を旧約でも新約でも持っています。
>イエスは、私の他に父をみた者は いないといっているのだから、
モーセが見た(とされる)のはあくまで顕現であって実物じゃないですよね?そもそも実物見たら死んでしまうんですから。
神が燃える柴の姿をしている、という理解はユダヤ教にもキリスト教にもないでしょう。
縁起によらず、単独で存在する彼の本質は「無」である。なぜなら単独で存在するということは、
相が無いからである。相が無いという存在は言葉で表現するなら無である。だが彼を無と言い切るのは間違いである。なぜなら
完全な無からはなにも生み出さないからである。幻にせよ、この物質世界はここにある。
今の仏教徒は無我思想を誤謬するあまり、あろうことか、一番肝心要の至高の存在である彼を無いものにしてしまった。
今の仏教徒が悟れない理由はこれである。キリスト教徒同様、今の仏教徒の迷いも深い。どんなに優れた瞑想をしようとも彼の
御心に叶う者でなければ真理に到達することはできない。なぜなら、
真理に到達するということは、彼と一つになるということだから。世俗の欲を捨て去り、己の心の要であるエゴイズムを滅ぼし、
好きな人も嫌いな人も、敵も味方も生きとし生けるものは全て幸せであれと思える心を完成した者だけが父をみ、真理に到達できる。
だがそれはとても難しい道。私と貴方を別ける今の自我は死ねば消える幻。そんなものに執着するな。
我々は本当は一つ。この真理を知れば、なぜ我々は愛し合わなければいけないのか、善因善果。悪因悪果の
因果応報の法があるのか理解するだろう。全て他人にしたことしなかったことは、自分自身に
したこと、しなかったことと知れ。だから他人を泣かしてはならない。イエスは至高の存在である彼を、
天の父と呼んだ。ゴータマは彼のことを仏と呼んだ。あの時代の人だ。ゴータマは瞑想の時、
きっと聖音オームを唱えていたはずだ。賭けてもいい。聖音オーム。それは彼を表す聖なる音。
今の修行僧が悟れない
末法の時代の修行者が悟れないのは
あまりにも情報が多すぎて心が乱されるから
2ちゃんなんてやってるといらない情報ばかりが入ってきて
雑念となるし惑わされる
いらぬ空論をまじえまた乱される
かといってニート生活ややま篭り修行生活ばかりしてると
キリスト教徒に文明否定世俗否定とおしかりを喰らう
釈尊の時代は世俗にしても修行者にしても
こんなに汚れてはいなかったのだろう
釈尊がこうだといえば限りなくスポンジのごとくそれを聞き入れる心が
あったんだろう
いまはまず科学やら近代的自我でそれらを疑うのが正しいと脳が指令を出してくる
ダメだねあたしゃぁ
すべての有情を救済しようという願いによって
悟りの真髄に至るまで
仏陀・仏法・僧伽に
常に私は帰依いたします
智慧と慈悲を持って精進し
すべての有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる菩提心を生起いたします
この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように
仏教をオカルト化した大乗嫌い。
質問箱に間違えて投稿したけどいろいろと意見がありそうだしこっちで。
翻訳研究(梵文倶舎論の和訳だとか大智度論のフランス語訳だとか)を抜いた
東西の近代仏教学(Mミュラー以降)の記念碑的ともいっていいような名著を
五冊に限定して挙げるとするならば何だろうか?
またただの押し付け合いにならないために推挙する理由も挙げてほしい。
とりあえず自分は
西からは
@HermannOldenberg のBuddha : Sein Leben, seine Lehre, seine Gemeinde.
西洋の近代仏教学の一つの集大成であると思うし、原始仏教の資料論と基礎を築いた一冊だと思う。
AFranklin Edgerton:のBuddhist Hybrid Sanskrit
翻訳研究に分類されそうだけど、文法論はこれがあってこそだと思う。
東から
B中村元 『東洋人の思惟方法』
東洋の思想をひとつの体型として仏教を基準に論じた現仏教学の最高の名著。
C木村泰賢 『阿毘逹磨論の研究』
従来の資料論をしっかり批判して独自の視点で以後の仏教学に多大な影響を与えた作品。
D鈴木大拙『禅』
霊性という視点の発見。
だと思う。@Bはしっかり挙げれるものだと思うけどACDより名著としてあげれるような作品は多いと思う。
どー思うさ?
仏法を学んでる傍から
女からメールが入りドキドキしてる俺
だめだねこりゃ
世俗は楽しすぎる
あんたら、自分抜きにしてるからだめなんだよ
自分理解する、ただこれだけ
うぉ〜しっ
華の土曜の夜を満喫してくるぜっ
ゴムに穴が開きますよ〜に
まさかとは思いますが、この「女」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。
941 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 00:33:34.15 ID:5c3G8IgF
>>941 神秘的な儀礼や、人助けという大儀名分や、来世などの解りもしない未来や、超常的な救い主といったものに逃げ込んで、
今現在の自分自身を放り出した一切合財が嫌いです。個人的な嗜好としてオカルト色強けりゃ上座部でも嫌いです。
えぇ、ただの愚痴ですよ。
943 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 00:56:02.82 ID:e4r8iEj2
>>934 最近、2ch書き込み用に佛教学の論文をかなり読んでいるが、結局は、大昔の、
現実上の根拠は皆無な膨大な教典や後世の多数の注釈書を読んで、その後を「追い
かけている」だけ。教典が、何か「価値ある物」との先入観を以って勘違いしている
のではないか。
944 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 00:58:26.18 ID:e4r8iEj2
>>843の続き
そんなことに時間を浪費するのなら、自分の人生経験に基づき「自分の宗教」を
作り上げたほうがはるかに時間が有効に使えるのではないか。若しくは、現代
外国語や自然科学、特に己に最も身近な医学でも勉強したほうが、よほど役に
立つ。
現代の基準から批判的に読めば、教典も注釈書も、大したことは言っていない。
むしろ、現代の知識水準と照らして、改めるべきところのほうがはるかに多い。
945 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 01:03:29.53 ID:e4r8iEj2
>>944の続き
知識において現代人よりもはるかに劣る大昔の開祖・教祖を盲信するより、
むしろ、各人が「自分自身の宗教」を創造することのほうが、価値が大きい
と思うね。一度きりの人生の時間は短い。宗教程の「時間の浪費」は他にない
>>945 あのさ、素朴な疑問だけど、自分自身の宗教創造したならそりゃもうスレ違いだよね?
どこでも好きなとこに行っちゃえよもうw
947 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 01:11:49.64 ID:e4r8iEj2
しかし自分が新しく創造したと思ったことは実は、様々な宗教や思想の中に既に存在していたものに過ぎないことの方が多いし、過去の偉大な思想を参照する方が時間はよっぽど短縮される。
もちろんその際に適宜の猜疑心と冷静な判断力が要求されるが、過去の仏教の伝承というものがどのようであったのかを知ることは、自分が仏教徒としてどのように有るべきなのか、ということを考える際の一助となる筈である。
949 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 01:21:08.29 ID:e4r8iEj2
>>946 佛教を改善・進歩させる宗教ならスレ違いではない。大乗佛教は、如何にして
発生したかw。
>>949 あぁいうのは発展って言わない。迷走って言うんだ。
いずれにせよ求道は結局一人でやるもんだ。
完全に終えないうちにベラベラ未完成の見識で人を惑わすもんじゃない。
951 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 01:31:12.47 ID:e4r8iEj2
>>950 日本の仏教は大乗仏教のはずだが、貴方はどこの国の方?
「未完成の見識」というが、「完成した見識」の現実上の判断基準は何?
>>951 日本で主流の仏教が大乗だから、日本人は全員大乗を信仰しなきゃならないって?
いやだわぁ、結局ふんぞり返ってるだけのあいつ等と同じカテゴリに入れられるのは。
基準? 役に立つかどうか。実用に耐えるかどうか。
少なくとも本人がこれさえあれば金がなくても殴られても蹴られても、自分も世界もどういう状況であろうと大丈夫と言えるほどに。
953 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 01:43:15.33 ID:e4r8iEj2
>>952 そんな言葉使いが出来ることで、小乗の程度の程が判る。
その基準を、日本では「カルトの洗脳」と呼ぶ。江戸時代の「踏絵」は、その
基準を応用した。
>>953 そだねぇ、人のためだとか、仏道だからとか、それが徳だからとか、
あれこれ大義名分に逃げ込み自分を隠して善人面するだけの大乗とは比べ物にならんねぇ。
おいおい、役に立たない。時が来れば、状況が変われば即役立たず。
こんな見識がそんなに見たいのか?
955 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 02:38:37.06 ID:IP/P5cqQ
なんかこのスレ見てると
仏教徒はキチガイ揃いに見える・・・
956 :
神も仏も名無しさん:2012/04/22(日) 02:54:38.86 ID:e4r8iEj2
>>948 科学が宗教の如何なる奇跡も及ばない驚異的な発展を遂げた現代の視点から、過去の
「偉大な思想」の「借り物」「猿真似」ではなく、それらを批判し、自分自身の生活
体験から帰納して考えることに価値がある。
>>943 先に挙げたのは仏教学の著作で、宗学的な立場や信仰的な立場にたったテキストはないと思う。
けれども、
>現実上の根拠は皆無な膨大な教典や後世の多数の注釈書を読んで、その後を「追い
>かけている」だけ。教典が、何か「価値ある物」との先入観を以って勘違いしている
と仰ったと言う事はそういう事に陥ってる箇所があるのだろう、
しかしながら自身によっては該当する文意を汲み取る事ができなかったので、
もしよろしければ後学の為にそのように該当する箇所を是非御教示して頂けないだろうか?
>>927 旧約ではヤハウェはモーセの前で姿を表し、くっちゃべっているんだが(苦笑)
ま、聞く耳の無い人にいくらいってもしかたがないので聞く耳のある人に話そう。新約の書簡には、世の権力者に
逆らってはいけません。なぜなら彼等の裁きが神の裁きとなるからです。といった内容の記述がある。
たとえば人を殺す。捕まる。そして国という権力機関から死刑の裁きをうける。こういうことをキリスト教の裁きという。つまり
因果応報のことを言っているのだ。自分の気に食わない者は直接殺しまくる旧約の神の裁きとは根本的に意味が違う。
我々は本当は一つだ。他人を幸せにする者は自分自身を幸せにしている。いずれその果報は受けるだろう。
我々は本当は一つだ。他人を不幸にする者は、自分自身を不幸にしている。いずれその報いは受けるだろう。
我々は本当は一つだ。他人を殺す者は自分自身を殺している。人殺しは生きない。
だから殺してはならない。善い報いの最高の果報は、真理に至り、生ける者となることであり、
悪い報いの最悪なものは、滅びである。この世界は流転している。始まりあるものには必ず終わりがある。
それはこの宇宙も同じこと。御言葉という種は蒔かれた。それを受け取り真理の道を進むも、
御言葉を拒み続け滅びの道を進むも自分次第。御言葉を拒み続け、輪廻の輪の中、
今の時(宇宙)が終わるまでに真理を掴まない者の末路は、完全な滅びである。これをキリスト教では第二の死と呼ぶ。
こうなっては全ては手遅れである。この滅びも聖書では神の裁きと比喩されるが、
結局は因果応報。自業自得のことなのだ。イエスの教えは勿論のこと、原始仏典など読むと
随分道徳的なことが書いてある。我々は本当は一つだ。この真理を悟る者は、今生において道徳の完成こそ、
真理に至る道だと悟るだろう。
>>953 お前さんは大乗にすら沿ってないカルトではないかね。
いやいや池田大作に似てるからそれは違うか。
960 :
神も仏も名無しさん:
>>934 資料的な面では近代仏教学はめざましい業績をあげたと思います。
ですから、本文批判、翻訳、辞書、目録とかには名著が多いと思います。
近代仏教学ということで、チベットやビルマなどの現代伝統学者の著書は除きます。
ですが、ここでそのようなものを挙げても意味がないと思うので、教え、
こう言いたくはないけど「思想」的に優れたものというとかなり少く、
以下の五つ以外はほとんどないのではないかと思います。
1.山口益『般若思想史』
山口先生の著書は名著が多いのですが、いまだにまともな類書がないこれを挙げます。
2.水野弘元『仏教要語の基礎知識』
伝統教学と文献学が見事に融合した仏教概説であり、見解も高く内容に信頼できる名著。
3.羽田野伯猷著作集
あの時代にこれほど高いチベット学があったのかと驚嘆する内容、いまだにこれを超えるものはないでしょう。
4.片山一良『ブッダのことば パーリ仏典入門』
これまた伝統仏教と文献学の希有な融合、パーリ大蔵経個人全訳という偉業をなしつつある著者による綱要。
5.石飛道子『龍樹』
ソシュールがパーニニから現代言語学を変えたように、釈尊・龍樹菩薩から現代論理学を変えようとする書。
恐らく近代仏教学を思想的に評価した場合、唯一といっていい意味をもたらすと思われる。
シャイエル、ボヘンスキー、スタール、マティラル、山内得立などが超えられなかった
西洋論理や四句分別という論理形式を、中道という戯論寂滅に至る仏教の道筋を『方便心論』『中論』『ニヤーヤ・スートラ』
などから再構築中、この業績は圧倒的だと思う。