1 :
神も仏も名無しさん :
2009/10/20(火) 17:26:44 ID:lzHI6FOB
4 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 19:31:15 ID:lzHI6FOB
>>1 の行数が一杯になりました。
次回からは以下をテンプレとし、2〜3で過去スレ、4で関連質問スレ、という形が良いかもしれません。
また、過去スレの量が増えているので、まとめた表記或いは省略(前スレのみ)という方法もあります。
◆
仏教に関するよろず質問スレッドです。
知識を有する有志によって仏教に関する疑問・質問に答えます。
主に参学の途にある方々の知識によって対応しますので、明確な答えは出ないかもしれません。
皆で協力しあって何かの参考になるスレッドを作っていきましょう。
初心者にはやさしく接してあげてください。
良ければ出典などを示してください。質問する人がどんな本を読めばいいかの目安になります。
明確な出展なく自説を述べる場合は、その旨はっきりさせると無用な議論の紛糾の防止になるでしょう。
無駄な荒廃や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。
*「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」
等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに
他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、
『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。
【前スレ・過去ログ・関連スレは
>>2-4 辺り】
◆
出家するにはお金が必要なのですか?
誰が(どこが)出すかということもありますが、必要です。 また、必ず「誰かの弟子である」という形が必要です。
いきなり着の身着のままで高野山に行っても お坊さんにはして貰えないのですね。
8 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 00:31:14 ID:yqXF4vXY
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/956 前スレ956
ですから、名前をなんとつけようと構いませんが、その名前に付随する機能を後から付け加えるのは、おかしいという指摘なんですが…
>譬喩は無常不定形の火が、個人の相続、二つのロウソクは現世と来世でしょう。
えーと、論点が良く理解されていないようですが、
どう対比させているかは別に問題にしてませんよ?
「ロウソク間の炎の移動」が、「主体なき炎の転移」である事も別に否定してません。
ただ、二つのロウソクが現世と来世、炎が個人の相続の例えだとすると、
現世(ロウソク1)から来世(ロウソク2)に個人(炎)が移った時に、
現世(ロウソク1)に、炎が残りますよね?
つまり、個人が二つに増えますよね?
また、現世(ロウソク1)が残ると言う事は、ロウソク3・4・5…と、多数のロウソクにも、炎を移せる可能性がありますよね?
ロウソクの例えは、輪廻の例えとして、不適切だと思いませんか?
9 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 00:36:23 ID:yqXF4vXY
>>5 出家するのにお金は掛かりません。
ただ、既成宗派で僧侶と認定される為には、事務費等それなりにお金が掛かります。
そして、
>>6 の指摘どおり、お金の問題より、「誰を師匠とするか」のほうが重大な問題かと思います。
>>9 それは、画家や歌手を自称するのと変わりません。
そして、現代社会(現代日本)は、そのような形での宗教者の存在を認めません。
世論・世間の目も同様です。
駅や公園で暮されているホームレスの方々も出家の方々ですw
また、装いはどうされますか?
住まいは?食事は?冬場はどう乗り切りますか?
(RPGではないですがwww)、初期装備としての衣服、貯え等は、掛かる費用として計上されていないわけですね。
ノシ
11 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 01:00:19 ID:yqXF4vXY
>>10 いや、だからさ、「出家」というのは心構えの問題だから、お金は掛からないけど、
「世間的に認められた僧侶」になるには、もろもろのお金が掛かると書いたつもりですが?
もしかして、一行目しか読まないで脊髄反射的に書いたんですか?w
>>11 いや。
心構えの問題なら、
「仮にw」志の高い世襲僧侶がいたとしたら、【彼は“出家者”ということに】なりますよね?
だとしたなら、「出家」とは何でしょう?
いみじくも、
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255345468/249 > 在家が在家に布施するのって滑稽でしょ?
というレスがあったりしますが・・・w
という感じで、「志さえあればいい」(志さえあれば出家者である)というニュアンスを感じたので、
敢えて、それだけ世間的に認知されう得るだろうか?という方向を示唆したかった。
すまん。 謝罪する。 m(_ _)m
で、寝る。 ノシ
うは、入力が大変なことになっとるw orz
>>7 >いきなり着の身着のままで高野山に行っても
>お坊さんにはして貰えないのですね。
人生ってのは「駆け引き」だから、
コネなし金なしだったら・・・これは殆ど駄目だろ?
だったら自分から条件を出すんだよ。
「住むとこと食うことができたら給金はいらない」。とか
このくらいの覚悟で、先ず寺男を希望する。
これだったら雇ってもらえるよ。
そこで1年間は辛抱する。
ここから成功が導かれる。坊主も夢ではない。
この手で自分は世間を渡り歩いたよ(笑
人生で成功するのは
「如何に人の心を掴むか」。これしかないんだよ(爆笑
これを座右の銘にしたら、必ず成功する(核爆笑)
>>14 >人生ってのは「駆け引き」だから、
俗物ですなw
>>15 般若波羅蜜多というのは俗に生きることであります。
(色即是空)→(空即是色)
_____________________
前スレの
940 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/20(火) 11:04:16 ID:QB0p0usu
>仏の縁を断っての悟りの境地は無いと思います。
いえいえ、そんなことはありません。
般若波羅蜜多の境地は、仏の境地であります。
ならば、如何に仏を対象化めされますか?
小一時間問いたいです。
_____________________
これについて御説明します。
(つづく)
(つづき) 中論(いわゆる般若波羅蜜多)の骨格とは主客未分でありますから、 勝義諦においては既に、仏の境地も寂滅します。 つまり、あらゆる優劣はなくるのであります。 因果の理法とて例外ではありません。 これを大因果と申して、尽十方界真実の位相であります。 中論には、これしか書いてないのであります。 つまり、これより離れたる法はないのでありまして、 輪廻云々の話も、全く意味を成さなくなります。
>人生ってのは「駆け引き」だから、 これは何かに執着するが故に取る行動では?
19 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 08:49:01 ID:cER6ep6f
>>5 日本だと必要、テーラワーダやチベット仏教なら不要。
しかし、テーラワーダやチベット仏教で出家するなら本当によく考えた方がいい。
すくなくとも一年ぐらいは、どこで出家すべきかよく観るべき。
テーラワーダやチベット仏教もピンキリです。
20 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 08:52:14 ID:cER6ep6f
>>8 >また、現世(ロウソク1)が残ると言う事は、ロウソク3・4・5…と、多数のロウソクにも、炎を移せる可能性がありますよね?
>ロウソクの例えは、輪廻の例えとして、不適切だと思いませんか?
どうも意識も複数になることもあるようなので、それもありかと。
>>19 心情的には、大乗が良いですね。
出来れば高野山で修行を積みたい。
22 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 08:55:44 ID:cER6ep6f
>>9 >出家するのにお金は掛かりません。
>ただ、既成宗派で僧侶と認定される為には、事務費等それなりにお金が掛かります。
日本では出家するのにお金がかかります。
出家ということをどう考えてますか?
本来は少なくともシャミ戒を受けないと出家と見なされません。
日本では受戒と得度が別になりましたが、得度するためには、
私が知る限り、お金がかかります。
23 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 09:00:41 ID:cER6ep6f
>>21 本気で大乗を学びたいなら、日本仏教はやめた方がいいよ。
大乗なら、チベット仏教を学ぶべき。
個人的にはサキャ、カギュ、ニンマを勧める。
ネパール、インドあたりに行ってみるといいよ。
縁があるなら、いい先生にであえるでしょう。
24 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 09:01:56 ID:cER6ep6f
>>18 机さんの言うことは無視しましょう。ただの一般人のつぶやきだから。
>>23 >本気で大乗を学びたいなら、日本仏教はやめた方がいいよ。
>大乗なら、チベット仏教を学ぶべき。
何故?
正直言葉の問題とか色々有るだろうし。
26 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 09:18:51 ID:cER6ep6f
>>25 隠れた聖者はいるかもしれないけど、ほとんど凡人が形だけ伝えてるものだから。
私も最初に日本仏教から入ったので、その限界はある程度知ってるつもり。
ほとんどがただの営業で、1/100ぐらい真面目に修行している人がいるけど、
その境地もたがが知れていた。もちろん、私の限られた知見なので、
誤っているかもしれないけれど、どの宗派も似たようなものだと思う。
28 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 09:34:43 ID:cER6ep6f
>>27 比叡山はよく知らないが、高野山はそう。
比叡山も高野山よりはマシと聞くが五十歩百歩でしょう。
とにかく比較にならないよ。修験の験者と言われて尊敬されてる人が、
チベット系だと並の行者ぐらい。もちろんチベット系にもろくでなしも沢山いるんで注意が必要ですが、
少なくとも日本仏教でいくよりいいでしょう。
100人ぐらいの先生にあって、いろいろ考えて出家は決めた方がいいよ。
そうそう、日本人でもサキャに立派な出家者がいるよ、
彼に会っていろいろ相談するのも手かも。
>>28 チベット密教を崇拝してる立場から
比叡山>高野山
としてる感が伝わりますな。
高野山での修行経験があるの?
>>20 どうも、学僧と言うのは実証的根拠もないのに、
喩えで事実上ごまかして説明しているケースが多い。
龍樹など「因縁心論」の中で
『地楡 的にあるものは、実際としてそうであることにはならないの である。』
などといいながら、
『あたかも師の諦唱を原因として生じた弟子の復 唱は [師の誦 唱 と]同一であるとも
別異であるともいうことができないように、死ぬ時点の心に依って[生じた] 生 まれる 時点の心も同じようであって、
[死ぬ時点の心と] 同一であるとも別異であるということはできないのであ る。』などと言っている。
いわゆる輪廻についての苦心の中道的説明だが、必ずしも成功した喩えとは思えない。
だから石飛道子はこれを龍樹が輪廻転生を肯定する根拠などと誤解するのだが、オバカと言う以外にない。
『答える、世界はすべて因と果であり、
地楡的にではなく、ここにはほかにいかなる有情もない。
これは真実として考察されてのことであって 、た だ 地楡 的
表現として ロ そうだというの」ではない。地楡 的にあるものは、
実際としてそうであることにはならないの である。
問 う、 もしそうであるならば、それでは誰が この 世からかの 世へ 行くのですか。
答える、 ここからかの 世へ 微塵ほどのものも 移りはしない。
そうではなくて、空にすぎないものから 空 なるものが生じるだけである。 』
最後の『生じる』は、石飛的馬鹿誤解を招きやすい。中道=不生だからである。
龍樹は因縁心論を書いた時、どうも二日酔いだったのではないかw
31 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 09:48:45 ID:cER6ep6f
>>29 一応、アジャリです。高野山で修行しました。
しないよりはマシだったと思うが時間を無駄にしたと思う。
>>31 そうですか。
何年位修行されたのですか?
あと、チベット密教との違いは何なのでしょう?
33 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 09:52:06 ID:cER6ep6f
>>29 チベット仏教であって、密教のみという捉え方は止めた方がいいです。
大乗で最も重要なのは菩提心だと思います。
菩提心さえあれば、すべてうまくいくけど、
菩提心がなければ、他のあらゆるものがあっても失敗すると思う。
34 :
30 :2009/10/21(水) 09:52:45 ID:CMbgjJoL
結局、龍樹は業報因果転生論を批判して、 事実上否定しているのだ。 戯論には『批判すれども、否定せず』だからだが、 これが誤解を招きやすいのだ。
35 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 09:55:08 ID:cER6ep6f
>>32 あまり細かいことは言えませんよw もう、遅いかもw
チベット仏教との違いは内容的にはそんなに違いないと思いますが、
聖者が伝えてるかただの凡夫が形だけ伝えてるかで大きな差があります。
36 :
析空 :2009/10/21(水) 09:57:47 ID:NmylKpux
>>前すれ952:696 :2009/10/20(火) 12:26:04 ID:BxdUkD6B [sage]
>
>>922 >>「あなたのいう輪廻の存在」が否定されても、釈尊の教えは崩壊しません。
>あなたは、>輪廻が存在することが前提となっている といってますよね?
→「あなたのいう輪廻」と仏教で前提としている輪廻はすこし違います。
>もしそうなら、輪廻の存在証明が出来ないなら、無我論は空理空論ということですか?
→輪廻の存在は証明できませんが、仏教は空理空論ではありません。
→仏教は真のあたりに体感できる理法です。
>二つの果報とは、何の事を言ってるんでしょうか?
一つは「今生における悟り」→解脱
もう一つは、煩悩の残りがあるなら、
「よきところに生まれる」
あるいは「一度だけ再生する」
>そして、残る方の教えとは何のことですか?
>正確に定義していただけますか?
→輪廻にはおおきく3つの意味があると考えられます。
→仏典では、あまり区別されずに使用されているため、若干の相違がでます。
→その3つとは何か?
→1.今生の輪廻、および解脱
→2.上生(よきところに生まれる)又は梵天界
→3.再生(うまれかわり)
【二つの果報】は、1と2の組み合わせと、1と3の組み合わせがあります。
>>35 自分が何年修行したかも言えないのですか?
私は弘法大師に非常に興味があり、日本人としては最高の天才ではないかと思って居ます。
それで高野山で修行がしたいと思ってるのですが。
38 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 10:03:45 ID:cER6ep6f
>>37 ほんとは高野山で修行したことも言いたくなかったのですけど。
弘法大師は最高の菩薩ですが、現在の高野山ではそれを心から伝えられる人がいないということです。
まあ、言うことは言ったので、あとはご自身で判断してください。
>>38 言えないのは、アジャリに成る為には何年掛かるか分らないからでは無いのですか?
40 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 10:13:54 ID:cER6ep6f
>>39 アジャリになる方法を知らないのは貴方ですよ。
アジャリになるのはそんなに難しくないんです。
得度、受戒して、100日加行を行い。その後、伝法灌頂を受けてアジャリです。
アジャリの大量生産です。
高野山で方法は三つあって、高野山大学で学生加行をする。
新別所で加行する。専修学院で加行をするの三つです。
まあ、ここで聞くので疑たがうのも仕方ないですが、
私の失敗した経験から、
高野山に反感を持たれるのを覚悟で書いているので心外ですね。
>>40 >アジャリになる方法を知らないのは貴方ですよ。
私は知らないから聞いているのですよ。
>私の失敗した経験から、
>高野山に反感を持たれるのを覚悟で書いているので心外ですね。
あなたが失敗したからと言って、皆が失敗するとは限らないし、
高野山に高僧が誰も居ないとは信じがたい事ですよね。
42 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 10:35:28 ID:cER6ep6f
>>41 じゃ、好きにしてください。それでは質問する意味がないでしょう。
それなら、最初から高野山で出家したからどうすればいいですか?
と聞けばいいだけのことです。
>>42 >それなら、最初から高野山で出家したからどうすればいいですか?
>>21 はそれに近いと思いますが?
あなたは一般人の私より理解力が無いのですか?
アジャリに成ると一般人との会話は成立しないのでしょうか?
私は揚げ足取りなど一度もしたつもりはありませんよ。
>それなら、最初から高野山で出家したからどうすればいいですか? >と聞けばいいだけのことです。
*「議論の白熱化、専門化」「話題の拡散、変異」「売り言葉に買い言葉のような応酬」 等の事態が生じましたら、関係各位は“自発的に”速やかに 他スレ・該当スレへ移るか、ふさわしい新スレを建てるかなどして、 『質問し易い雰囲気』作りに御協力ください。
>>18 >これは何かに執着するが故に取る行動では?
執着というよりも、般若波羅蜜多の完成とは世俗智ですよ。
世俗で行き抜く智慧のことです。
空性より、本に返り源に還る。という道筋がありまして、
ここで空性から甦ります。
これが沢庵で有名な句
「花は紅(くれない)、柳は緑」。の境地です。
そこから、自我ならざる自我、という境地に到りまして、
これで般若波羅蜜多の完成ですね。
つまり自我の思惑から解脱しました智慧が顕現されます。
47 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/21(水) 11:41:33 ID:rdWO3I95
>>45 ですね!
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】14
http://houjugusya.web.fc2.com/thread.htm ここの質問スレにも迷惑が生じます・・。
仏教内容の議論が生じたら、シリーズNo.14スレとして使ってはどうでしょうか?
主に業報輪廻と転生が主な議論対象になるでしょうし、
まだまだ納得してない人が大勢いますし、また新しい参加希望者もいるでしょうから。
また、過去ログの参照と引用にも便利かと思われます(優れた投稿も多々あった)。
シリーズのテンプレ案はリンクURLをご覧下さい!
*尚、私からは規制中にてスレ立ては無理ですm(__)m
善意の方のスレ立てによって、きっと役に立つかと思います。
48 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 11:58:39 ID:yqXF4vXY
>>20 >どうも意識も複数になることもあるようなので、それもありかと。
えーと、それを容認しちゃうんですか?
例えば、有るAさんが殺人の悪業と、偸盗の悪業を犯したとします、
そのとき、転生先が複数生じて、殺人の悪果を受けるBさんと、偸盗の悪果を受けるCさんの二人になりうるって事ですか?
しかも、数に制限が無いとなると、全く悪業の果を受けず、むしろ僅かに行った善業の果だけを受けるDさんなどと言う転生先も生まれると言うことになりますよね?
つまり、この世でどんな悪業を行っても、善果しか受けない転生先が存在すると?
さらにいえば、現世と来世が同時に存在する事も容認する事になるので、
現世のAさんが、来世に生まれたBさんと出会ったり、AさんがBさんを殺してしまうといった、訳の分からない状態が発生しえますよね?
もはや、業報輪廻の仕組みがむちゃくちゃになりませんか?
49 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 11:58:47 ID:yqXF4vXY
>>36 >「あなたのいう輪廻」と仏教で前提としている輪廻はすこし違います。
どう違うのでしょうか?
そして、「析空さんの定義する輪廻」とはどのようなもので、「その存在を証明するもの」は何であって、「何の前提」なんですか?
>輪廻の存在は証明できませんが、仏教は空理空論ではありません。
>仏教は真のあたり(目の当たり?)に体感できる理法です。
もし、「析空さんの定義する輪廻」が、「仏教の前提」であって、しかも存在証明できないなら、
まさしく、仏教は証明できない前提に立つ理論となり、「空理空論」となりませんか?
それとも、「仏教論理は、前提を必要としない体得される理法である」と言う主張ですか?
もしそうなら、「輪廻が前提である」必要は全く無いですよね?
二つの果報のうち、「私の言う輪廻」が否定されても残ると言うのは、どの果報のことなんですか?
輪廻が否定されれば、「解脱」と言う概念自体がありえないし、勿論来世によき所に生まれる事もありえませんよね?
50 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 11:58:55 ID:yqXF4vXY
>>45 ちょっと白熱化しすぎましたかね?
非常に素朴な疑問で、もっと簡単に回答が得られると思ったんですが。
まあ、色々言葉を変えて回答を頂きましたが、結局の所「仏陀がそう言ったから信じるしか無い」って事ですかね…。
>>47 スレ立てした事が無くてorz
どなたかが立てて下されば喜んで移住しますが…。
51 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 11:59:02 ID:yqXF4vXY
>>22 出家と言うのは、家族(社会)から離れて、仏門に帰依すると言う心の問題だと思ってるもので。
そのことと、社会的に「僧侶だ」と認識される事は、別問題だと思うんですか?
勿論、社会的に僧侶だと認識されるようになるには、それなりのお金が掛かるというのは、私も最初からいってますよ?
52 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 12:05:55 ID:cER6ep6f
>>51 出家というと文字からは家を出るという意味でしょうが、
本来は受戒してサンガの一員となるという意味なので、
誤解なきよう。
53 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 12:19:11 ID:yqXF4vXY
>>52 釈尊も「出家」なさったと思ってたんですが…
その当時には戒律もサンガも存在していなかった筈ですよね?
そうであるならば、「出家」とは、世俗を離れて、悟りを求めて修行をするという志の問題であると思ったんですが。
言葉の定義に違いがる様です。
どうやら私の定義はマイノリティのようですね…
54 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 12:28:51 ID:cER6ep6f
>>53 出家とか帰依について、サンガができるまでは色々例外があります。
これについて色々、律で述べられていますが、要するに例外で突っ込まれても困りますね。
言葉というのは曖昧でいい加減なものですが、ある程度指示する意味射程があって、
そこから逸脱して使用するのは誤用でしょう。
>そうであるならば、「出家」とは、世俗を離れて、悟りを求めて修行をするという志の問題であると思ったんですが。
そういう志、動機については「遠離」「厭離」などという漢訳仏教用語が
使われます。これらは原語は同じです。出家は別の原語です。
現代日本では混同して使ってるかもしれませんが、
ここは仏教スレなので使い分けた方がいいでしょう。
55 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/21(水) 13:30:56 ID:rdWO3I95
>>53 間違いじゃないと思います。
本来の出家とは、一人放棄の生活に入るサンニャーシ(Samnyasin)のことでしょう。
ゴータマの時代ではバラモンの非伝統出家者は「沙門」(samaNa)といわれました。
ただ、日本で普通にいう仏教的な出家とは僧侶となるべく得度すること。
56 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 13:39:49 ID:ArN832zt
般若心経の出だしの方に「行深般若波羅蜜多」とありますが、 その「行」とは具体的にはどのような方法なのでしょうか? 私の知人には「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」を 唱えるのが般若波羅蜜多の行のことだ、と言っていますが それで良いのでしょうか?
57 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 14:28:47 ID:cER6ep6f
>>55 違う違う、知らないのに適当に言わないこと。
pravrajyaa出家, pravrajita出家者
samnyaasa, samnyaasin はヒンドゥーで使うけど仏教では出家の意味で使わないようです。
すくなくとも私のコーパスでは用例なし。
58 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 14:34:46 ID:cER6ep6f
>>56 具体的には三昧・禅定によって精神集中した状態で、
縁起観、空観、無我観によって無我・空を悟ることです。
中論の1-25章、入中論の第6章、入菩提行論の第九章などに詳しいです。
その般若の心真言を唱えることによっても、可能と説かれます。
般若心経は、本来、その心真言のお経ですから、それでいいと思います。
59 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 14:39:36 ID:k3FGrKKp
>>56 >私の知人には「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」を
>唱えるのが般若波羅蜜多の行のことだ、と言っていますが
宗派によって解釈は全然違いますからね、ひと言では言えませんが、
禅宗の場合は真言の部分(いわゆるギャーティー)はリズム的要素で捉えております。
つまり応援歌のようなもんです。
ですから、ギャーティーを唱える、これが即「行」とは捉えておりません。
>その「行」とは具体的にはどのような方法なのでしょうか?
南宗禅の場合は、行は頓修です。
北宗禅の場合は、行は漸修です。
頓修といっても、中国禅と日本禅は、かなり捉え方も違ってます。
中国禅回帰的な禅僧(盤珪)などもおりますが、
一般的には、漸修に近いのが日本禅の「頓修頓悟」です。
61 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 15:39:44 ID:yqXF4vXY
>>54 釈迦の出家は例外事項ですか…。
戒律が整備された後の厳格な意味では、受戒していないと、出家とはいえないわけですか。
>現代日本では混同して使ってるかもしれませんが、
>ここは仏教スレなので使い分けた方がいいでしょう。
了解しました。
ただ、そうすると、サンガの人数規定から考えると、最初期の五比丘は出家じゃなくなるし、
戒律が整備されるまでは、受戒も出来なかったから、それ以前の人たちも出家じゃなくなりますね。
となると、どのぐらいの時代から『出家pravrajyaa』と言う言葉は成立し始めたんですか?
62 :
神も仏も名無しさん :2009/10/21(水) 15:41:16 ID:ArN832zt
>>60 > 南宗禅の場合は、行は頓修です。
> 北宗禅の場合は、行は漸修です。
実際に行う場合の具体的方法を教えていただきたいのですが。
(一日3時間坐禅するとか)
解説してあるサイトとかでも m(_ _)m
>>62 >(一日3時間坐禅するとか)
こういう発想がいわゆる漸修といわれるものです。
つまり一定時間において、その枠内で禅定する。って考え方ですね。
これだと禅定そのものが目的化します。
禅定(静中禅・道中禅とも)というのは、簡単にいいますと、
時間という流れ(概念)を際断するを実体験することでありますから、
頓修になりますと、
「修行」という概念そのものを放棄します。
(行為は時間概念を有する)
盤珪などが「無修行の修行」と言っておるのは、南宗禅の特徴的なものです。
しかしこれだと、勤勉を旨とする日本人の気質には合わないようです。
だから、日本禅は南宗禅(頓修)でありますが、北宗禅(漸修)に近くなってしまうようです。
>実際に行う場合の具体的方法を教えていただきたいのですが。
これはハッキリ言いますけど、
日本禅には、もはや残されてません。
具体的方法を知りたかったら、「六祖壇経」とか「中国禅」とか「瓦を磨く」とか
「南岳」とか「馬祖」あたりで検索すると参考になるかと思います。
私はサイトを「お気に入り」に入れてる訳じゃないので、
また適当なのが見つかったら貼り付けします。
(貴殿も気に入ったものがありましたら、貼り付けてください)
>実際に行う場合の具体的方法を教えていただきたいのですが。 結論から言いますと、修行を放棄する訳ですから方法はないです。 つまり日常生活が即修行となります。 ただし禅定(静中禅)を否定する訳ではありません。 菩提心の顕れこそ「禅定のカタチ」になります。 これが無為の修行であります。
65 :
析空 :2009/10/21(水) 17:07:30 ID:NmylKpux
>>49 :前スレ696 :2009/10/21(水) 11:58:47 ID:yqXF4vXY [sage]
>どう違うのでしょうか?
→
>>36 の輪廻の説明を参照してください。
>そして、「析空さんの定義する輪廻」とはどのようなもので、
→
>>36 の輪廻の説明を参照してください。
>「その存在を証明するもの」は何であって、
→証明はできません。
>「何の前提」なんですか?
【解脱】ですね。
>もし、「析空さんの定義する輪廻」が、「仏教の前提」であって、しかも存在証明できないなら、
>まさしく、仏教は証明できない前提に立つ理論となり、「空理空論」となりませんか?
→なりません。
>>36 で既に回答済みです。
>それとも、「仏教論理は、前提を必要としない体得される理法である」と言う主張ですか?
→「生死の輪廻」は証明不用です。
→体得される可きもので、それ以外に証明は出来ません。
>もしそうなら、「輪廻が前提である」必要は全く無いですよね?
→輪廻と涅槃は異ならず。輪廻が前提です。
>二つの果報のうち、「私の言う輪廻」が否定されても残ると言うのは、どの果報のことなんですか?
→
>>36 の1です。
>輪廻が否定されれば、「解脱」と言う概念自体がありえないし、勿論来世によき所に生まれる事もありえませんよね?
→輪廻が否定されればそのとおりですが、輪廻は否定できません。
※輪廻が証明できないのは、あなたが仏教の修行をしていないからです。
※あなたが縁起を体得すれば、輪廻が証明されます。
66 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 18:08:42 ID:yqXF4vXY
>>65 >→
>>36 の輪廻の説明を参照してください。
正直、
>>36 の説明は、さっぱり分からないんですが…
輪廻の定義に、「今生の輪廻」の様に、「輪廻」が出てくる時点で訳が分かりません。
「リンゴってなに?」と言う質問に、「リンゴだ!」といってるのと同じですよね?
2、3の違いもよく分かりません。
1=解脱=転生しない
2=よきところに生まれる=転生する
3=よくないところに生まれる=転生する
と言う事ですか?
つまり、「輪廻=生まれ変わらなかったり、生まれ変わったりする事だ」 と言う定義なんですか?
私の考えと、何処が違うのかがさっぱり分かりません。
>>「何の前提」なんですか?
>【解脱】ですね。
なるほど。輪廻は解脱の前提であるんですね。了解です。
そして、輪廻は証明不可能だけど、仏道修行をすると理解できると言う結論なんですね?
つまり、解脱も論理的な説明は不可能ということですか…
解脱に至るには、論理思考を捨てて、信仰するしかないという結論ですか?
>>二つの果報のうち、「私の言う輪廻」が否定されても残ると言うのは、どの果報のことなんですか?
>→
>>36 の1です。
えーと、つまり、輪廻が否定されても、「今生の輪廻、および解脱」はあると???
>輪廻は否定できません。
えーと、輪廻は存在証明不可能なんですよね?存在が証明できないのに否定も出来ないと?
「非存在の証明は、<悪魔の証明>だから、存在しない事も証明不可能だ」と言う事ですか?
あるいは、「自分は超感覚で理解してるから、存在する。それは否定できまい」と言う事ですか?
あるいは、「輪廻と言う概念はそもそも論理を超越してるから、証明とか否定が可能ではない」と言う事ですか?
67 :
前スレ696 :2009/10/21(水) 18:08:47 ID:yqXF4vXY
>※輪廻が証明できないのは、あなたが仏教の修行をしていないからです。 >※あなたが縁起を体得すれば、輪廻が証明されます。 余計なつっこみですが、対偶を考えると、あなたの主張は「輪廻が証明されないと、私は縁起を体得できない」と言うことになりますよ? ついでに言っておくと、ご記憶無いかもしれませんが、私の最初の質問は、 >>なんで、悟ると、輪廻しなくなるの? >>そもそも、何で輪廻するの? >>その根拠は何なの? >>そもそも、ココをハッキリ主張してくれないから、俺は輪廻を信じられないんだ。 >>さあ、俺を納得させてくれ。 >>ちなみに、 >>「なんでその程度の理解で仏教に執着するかねえ。 」とか、 >>「縁起を理解して無いから理解できない」とか、 >>「原始経典に書いてあるから」とか、 >>「仏陀がそういってたから」とか、 >>「俺は超能力で直感したんだ!」とか、 >>「そういう和辻解釈だからダメなんだ」とかは無しでお願いするw 結局、予想の範囲内のお答えしか出ないんですかね…。
>>65 あんまり、ホントのようなウソをつかない方がいい。
あんたも バラモン支配体制のために業報輪廻転生論をでっちあげたヤージュニャヴァルキャの
亡霊につきまとわれているにすぎない。
勃興する商品交換社会のエートスを体現した荷車のわだちを踏みしめる
ゴータマ・ブッダをイメージできないだけだ。
あんたのは歴史的社会的現実を直視しない初学者的スカスカのアナクロニズム概念仏教でしかない。
輪廻を否定すればこその苦行の放棄であり、初転法輪だ。
人は先ず最も大切なことを説く。
中道、四諦、縁起だ。
業報輪廻転生論などゼロ!だ。
業報輪廻転生に対抗するブッダの(倫理的にも)思想が縁起という革命思想なんだよ。
まあ、ここではなくいつか絡むこともあるだろう。
あばよ
>>65 >>「その存在を証明するもの」は何であって、
>→証明はできません。
人ごとながら、この馬鹿応答にはずっこける(爆笑
信じるものは救われる!←これがゴータマの教えか?
⇒信仰を捨てよ!
>>63 訂正
>禅定(静中禅・道中禅とも)というのは、簡単にいいますと、
(静中禅・動中禅)が正しい。
静中禅といいますのは、只管打坐のように坐ることです。
動中禅といいますのは、掃除とか、日常の雑用のことです。
71 :
析空 :2009/10/22(木) 11:41:58 ID:BY8+2680
72 :
前スレ696 :2009/10/22(木) 12:24:47 ID:BU9l1Oaz
>>71 >今生、生まれてから死に至る人生を輪廻といいます。今生の人生は否定できないでしょう?
なら、「今生の輪廻」ではなく、「今生の生死」と書いてくださらないと、意味不明です。
つまり、あなたの定義する輪廻は、
@、今生において、生まれて死ぬ
A−@ 死後別の肉体に生まれ変わる 生まれ変わる先はよきところ
A−A 死後別の肉体に生まれ変わる 生まれ変わる先はよきところではない
と言う大きく二つの部分から構成されているということですか?
つまり、あなたの仰る「輪廻の否定できない部分」というのは、@「今生に生まれて死ぬ」と言う部分だけで、
死後、別の肉体に転生するというA「生まれ変わり」の部分は否定できるということですか?
そして、輪廻は解脱の前提であり、輪廻が否定できないから、解脱も否定できないと仰いましたよね?
あなたは、@の「今生において、生まれて死ぬ」という部分が、「解脱」の前提のような書き方をしてますが、
解脱と言う概念が、「生まれ変わりをしなくなる」と言うものである以上、
前提となるのは、@ではなく、Aの、「死後別の肉体に生まれ変わる」でなくてはおかしいですよね?
つまり、輪廻の否定できる部分が前提となっている「解脱」の概念は、否定できるということではないですか?
それとも、インド人は、今生の生死と、生まれ変わりを区別しないから、「インド人には」輪廻の部分否定は出来ないと言う主張ですか?
例えば、
「私にとって神と言う概念は、@自然現象 A全知全能の能力を持った存在 の二つの概念の統合したものであり、
@は否定できないだろ?そして、私にはその二つを区別できないので、Aも否定できないから、神は存在する。」
と、言っているのと同じではないですか?
73 :
析空 :2009/10/22(木) 18:50:51 ID:BY8+2680
>>72 まず輪廻を3つのパターンで説明しました。
1.今生
2.よきところ→天界
3.生まれ変わり→来世
このうち、あなたのいう輪廻は3です。
仏教では、確かに2と3に言及していますが、積極的に主張している訳ではありません。
したがって2と3が仮に否定されても、仏教理論は崩壊しません。
2と3は、【通常の経験による判断が不可能な領域】であり、従って証明も否定もできないものです。
2.よきところとは何か。仏典には、得に説明がないため詳細は不明です。
いまでいう天国や極楽のような概念です。
肉体を持っているのかいないのかも不明です。
3.生まれ変わりが、もっとも一般人が考えている輪廻です。
しかし仏教ではあまり重要視していません。
重要なのは1.の輪廻であり、1.における解脱です。
※ここでもうひとつあることに思い至りました。
それは4.地獄です。
地獄も積極的に説明されている訳ではないので、詳細は不明です。
74 :
前スレ696 :2009/10/22(木) 19:48:13 ID:BU9l1Oaz
>>73 2と3の違いが、また良く分からないんですが…
私の言う輪廻(生まれ変わり)が3だけだとすると、2は一体なんなんでしょうか?
そして、私の
>>72 の後半の質問は全部スルーですか…
もう一度簡潔に質問しますが、
「解脱は、輪廻の1ではなく、3を前提としているのではないですか?」
そして、ここまでの議論をまとめると、
『生まれ変わる』という「輪廻」は証明不可能。
「この世に生まれて死ぬ」と言う当たり前の現象を、インド人が「輪廻」と言う単語で表現する事があった。
と言う事ですか?
つまり、私の聞きたかった質問
>>なんで、悟ると、輪廻(生まれ変わり)しなくなるの?
>>そもそも、何で輪廻(生まれ変わり)するの?
>>その根拠は何なの?
には全く答えられないと言う結論ですか?
75 :
神も仏も名無しさん :2009/10/22(木) 19:49:16 ID:cIgR6SJk
>>73 ちゃんと説明あるよ。変な半端な知識で説明しないようにと何度もいったんだけど。
せめて管見の限りとか、限定しなよ。ほとんど知らないんだから。
76 :
しんらんさま :2009/10/22(木) 20:12:11 ID:SwcWHBTn
皆自力の行をしても悟りを得る事は出来ない。 浄土真宗の教えはあなた達が熱く語っている第十九願と二十願(諸行往生)(自力念仏)は第十八願(至心信行の願別名本願)に誘い入れる為の方便にすぎない しかしあなた達みたいな自力に捕われている者であっても阿弥陀如来の本願力に摂め取りたい救いたいという願いなんですよ つまり摂取不捨です
>>76 >自力に捕われている者
初転法輪でブッダ自身が『悟った!』と認定されたコーンダンニャの悟りは、
>阿弥陀如来の本願力とやらに縁るものなのですか?
テーラガータその他の原始仏典には、阿弥陀如来なんて一向に出てきませんが、
阿弥陀如来は仕事をサボっていたのですか?
78 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 07:45:39 ID:Nt2wJjGn
おはようございます 「おしゃか様とは何か」ということについて質問したいと思います。 もちろん「おしゃか様とはゴーダマシッダルダというインドの王族として生まれ最高の悟りを開いた」というプロフィール的な事を聞きたい訳ではありません むしろ信仰対象としての釈迦仏陀とは何かという疑問に近いかもしれません というのは仏教原理主義や新興宗教では、西洋でのイエスキリストの如く いやそれ以上に、おしゃか様とは元々あらゆる世界を支配する宇宙究極の主であり、地球の創造主である。 この偉大なる釈迦仏に逆らう人間は「ポア」すら許されるというような思想も存在しています。 創価学会やオウム教にもそれは見られますし 幸福の科学やGLA、伝統仏陀でもチベット仏教の一部の思想にもそれはあります。 一方で、近代仏教学の中での釈尊は、単なる健康科学を問いた哲学者であったかのような解釈も一部見受けられます。 釈尊とは何か 皆さんはいかに思われますでしょう
仏とは除生存苦の教師なり たまに間違うこともある
80 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 08:16:48 ID:jnkZPWLr
釈尊とは法の人です。 その法を燈明として自ら信ずる道を往く、それが仏道です。
>>78 >釈尊とは何か
>皆さんはいかに思われますでしょう
何か?って問われても難しいですね。
わたしは出会ったことがありませんし。
経典類から類推する他ありませんけど、
非常に神経がナイーブで、
それでもイケイケの現代青年的イメージです。
常識人とは違いますね。
どこか変人的要素はあったかと思います。
独覚者ですから、
常人には計り知れない天才だったんでしょうね。
難しいですね、
人物像をイメージするのは・・・
82 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 10:23:23 ID:x03Lo9Ay
>>78 >おしゃか様とは元々あらゆる世界を支配する宇宙究極の主であり、地球の創造主である
このような思想は、どの宗教にも見られる「自己の願望の投射」でしょう。
すなわち、「自分の信仰する対象が、とにかく最高なんだ。他教の神よりも
偉いんだ。」みたいな心情が、その背景にあると思いますね。
実際の釈迦は、無意味な形而上の論争、観念論などを嫌う、極めて現実的な
地に足がしっかりと着いた、経験主義的な思考の持ち主である偉大な思想家
であったと思いますね。
仏は仏ではない、ゆえに仏という 仏がこの上ない正しい悟りを覚えたことはなにもない ゆえにこの上ない正しい悟りというのだ 現象界はまさに夢、幻、泡、影、露、電の如し この上ない智慧の完成を終る
金剛経かw
85 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 11:13:06 ID:NlkMjvHB
>>78 >おしゃか様とは元々あらゆる世界を支配する宇宙究極の主であり、地球の創造主である
それはキリスト教を初めとする一神教の概念ですよ。何を勘違いしているのですか。
佛教は、それとは対極にある宗教。「人間が考えても無意味な、神や霊など
考えるな」と戒めたのが、釈迦の比類のない偉大さです。そのお陰で、一神教
とは全く異なり、佛教は2500年間、殆ど人を殺していません。
86 :
だいおう :2009/10/23(金) 11:44:52 ID:GnLR4Eup
確かに、チベット密教は強烈だ、 ワイ、前世の功徳かw ニンマ派シャーマニズム仏教発掘能力抜群だからなあ、 でも、このワイの超能力ですら歯が立たない仏教があるw 禅、臨済宗、 ほんと、ニンマ派シャーマニズム仏教発掘能力超能力で 見性データーをただで手に入れられるのだが、 まったく手に負えないw 自力努力を要求されたよwww
87 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 11:49:09 ID:x03Lo9Ay
>>85 >何を勘違いしているのですか。
いえいえ、
>>78 の人は 「〜と考える人たちもいる」 ということで
自分がそのように考えているということではないでしょう。
88 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 11:56:45 ID:uDjd7ZRT
>>86 ただの妄想だって、何回か言ったんだけど。
「このワイの」なんて言ってる内は、仏教について何も分かってないと自覚されたし。
ほんとに神通とかがあっても、それはただただ集中力があるってだけだから。
基本的に仏教の本質とは無関係。
89 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/23(金) 12:00:17 ID:gvRa/rQP
釈迦像ってのは、確かに>82の指摘した様な「自己願望の投影」だが、 かの教えが、二千五百年間に様々な文化で多様な「自己願望の投影」に対応出来た優れた教えであるとも言えるだろう。 従って、単なるオカルト趣味の延長やリアリズム、虚無主義といった短絡思想の究極であるなどといった「釈迦像」が、山裾の視野狭窄な連中の願望であり、その遥か上空からのみに正しい釈迦像があるであろうと予測される。 (^。^)てか、理に帰依してるだけだから、釈迦がアレだったとしても、どうでもイイ話なんだがな♪(笑)
90 :
だいおう :2009/10/23(金) 12:10:54 ID:GnLR4Eup
88の名無し君に言われた記憶が無い、勘違い、君、妄想しているねw このワイの超能力て言うのを素晴らしいと言っている覚えが無いし、 これ自体が仏教と思ったことは無いがねw 君、妄想付け加えが多すぎだよねw
91 :
だいおう :2009/10/23(金) 12:12:58 ID:GnLR4Eup
86君はまず仏教の基本、如実如見、ありのままに見る、から学びなおしなさいw きちんと文章を読む訓練が必要w
92 :
だいおう :2009/10/23(金) 12:15:05 ID:GnLR4Eup
88君はまず仏教の基本、如実如見、ありのままに見る、から学びなおしなさいw きちんと文章を読む訓練が必要w 間違ったうぇへへw
93 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/23(金) 12:15:38 ID:gvRa/rQP
キャラ説明 大王・・・日本語記述乃至判読能力欠如。稀に妄想癖を露出して喜ぶ。
94 :
だいおう :2009/10/23(金) 12:17:34 ID:GnLR4Eup
キャラ説明 ショウキョウ・・・病んだ精神のオナニーキャラの露出には負けるけどねw
95 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 13:05:53 ID:uDjd7ZRT
>>90 まあ、オイラは名無しだから、記憶ないだろうが。
君の無理解は指摘した記憶があるが、記憶違いかもしれない。
君にニンマのことはおろか密教、仏教の本質は理解できてないことはハッキリしてるよ。
96 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 13:08:39 ID:uDjd7ZRT
>>91 ここは質問スレだから、荒らさないように。
君が「きちんと文章を読む訓練」ができてるってんなら、
中観仏教IIスレで、中論24.18についてきっちり、その読みを見せてもらいましょうか?
97 :
しんらん :2009/10/23(金) 15:35:43 ID:gX3AUAD/
浄土真宗が一番優れている 何故なら、苦行をやる必要がない ただ念仏を唱えれば煩悩具足の我々衆生は阿弥陀如来の本願力によって救われる
般若心経や真言宗の真言もそんな感じでは?
99 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 16:08:41 ID:gX3AUAD/
しかし天台宗とかは根本は自力だから 100%他力本願なのは浄土真宗だけ
100 :
神も仏も名無しさん :2009/10/23(金) 17:26:04 ID:jnkZPWLr
時宗なら、念仏を唱える必要もないらしい。
<カール・マルクス商品交換過程の定式> 売り=商品( W )→貨幣( G )において、商品の価値を実現し、 買い=貨幣( G )→商品( W´)を通じて、自己の目的を達成する。 <ゴータマ・ブッダ「縁起の公式」> これ( W )あるがゆえに→かれ( G )あり、 かれ( G )生ずるがゆえに→これ( W´)生ず マルクスはおそらく、ゴータマ・ブッダを相当研究したのだろう。 マルクスは階級支配からの解放、ブッダは輪廻転生からの解脱と、掲げた目標こそ違え、 めざすところはいずれも民衆=一切衆生の生存苦・疎外からの解脱=人間の解放にあった。 そのために二人は現世=商品交換(資本主義)社会を仔細に観照=分析して、 時空を貫徹する客観的法則を確立したのだ。 一方は唯物弁証法であり、他方は縁起の理法である。 このような視点からは、 バラモン的ゲマインシャフト(古代地域血縁共同社会)を背景とする『業報輪廻転生論』に対して、 ブッダ的ゲゼルシャフト(古代商業資本主義的自由社会)を背景とする『縁起の思想』は 完全なアンチ・テーゼであって、両立し難い。 前2世紀の統一王権の成立によって、その戦いも終焉を迎える。仏教の敗北である。 遠隔貿易の没落とともに、ふたたびバラモンの祈祷の声が溶暗の森に鳴り響き、 仏教仏典にもバラモンたちの思想を混入させ、ブッダはヒンドゥの超下級神として辱められる。 仏教内でも、仏典名目で無理やり両立させるために詭弁を弄し ブッダの革命思想を歪ませてきたのが仏教の歴史といえる。
102 :
101 :2009/10/24(土) 13:32:36 ID:rfTbRSNJ
訂正 × ブッダは輪廻転生からの解脱 〇 ブッダは業報輪廻転生論によるカースト支配からの解脱
103 :
78 :2009/10/25(日) 00:19:19 ID:5wwfzFUJ
ご意見ありがとうございます。 私はこう思うという意見が多いですが こう思うと言う根拠が「私がこう思う」からでは それこそ願望の投射でしかないように思います。 出来れば明確な根拠をもって、「正しい釈尊像」を示して頂ければと思う次第であります よろしくお願いいたします
104 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/25(日) 00:35:20 ID:We0AbjuV
>103 正しい釈迦像は、スッタニパータなどの初期の経典から推測するしかありません。 従って、脳みそがイカれたカルト宗教の妄想などは明らかに出鱈目という事ぐらいしかわかりませんね。(笑) むしろ、逆に正しい釈迦像を何故欲するかを考えてみるべきかと思います。 人は自ら望むものを欲するものです。 求道者ならば、自らにとっての道を模索するのみであり、仏道が望む道と違うならば捨て去れば良いだけの話ですから。 (^。^)エライ人なら数多居たんだし♪
105 :
神も仏も名無しさん :2009/10/25(日) 01:01:20 ID:mVpOVoOm
>>101 マルクスはクリスチャン。イエスと同様、富が共同体に対する貢献の対価であることに思い至らず、富を理由
なく憎悪(実は、羨望と嫉妬)しただけ。換言すれば、縁起(相互依存性・関係性)など、念頭になかったということ。
釈迦の思想とは対極にある。
>>105 >釈迦の思想とは対極にある
トンチンカンな固定類型的キメツケ「評論」は害悪
耄碌隠居がアタマが固い(アホ)証拠。
ブッダの真髄は自由(空相)にあるのであって、耄碌隠居では了解は無理。
107 :
78 :2009/10/25(日) 08:16:24 ID:5wwfzFUJ
おしゃか様は天人師とも言われあの世の神も説法を聴きに来たと言われています 近代仏教学では「あの世や神などいないのでそれは何かの比喩だろう」という事にしてしまいますが これらが文字通り事実ならばお釈迦様はただの偉人などとは違い人間を超越した大聖人であり その辺のチンピラゴロツキが悪口を言って許されるような存在ではないということになります チンピラ近代人より明らかに偉い上杉謙信や武田信玄、そしてあの織田信長ですら、釈迦より偉いとは言いませんでしたし せいぜい第六天魔王といきがってみたくらいのものです 遠い異国の大和の国の大王が会った事もないのに続々帰依したいったような存在でもあります 過去の大偉人が額ずくように帰依していた存在を チンピラ現代人が論評する事自体がそもそも間違っているのではないかと思われるほどです 一体何故仏教はこれほどまでの権威を持ったのか 「権力が統治の為に利用したからに過ぎない」とか「共同幻想だ!」いうかつての左翼思想のような考えもあるでしょうが それだけではないのではないかという気もします。 それを踏まえて是非過去のテキスト(仏典など)の読み直し、解釈の再解釈を行って頂ければと思う次第であります
>>107 そういう超越的権威主義=信仰宗教性と無縁なのがブッダの教えだ。
「仏」教のテキストにしても縁起から免れることはできない(
>>101 )。
『魚肉、獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢
にまみれることも、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中
でなされるような、不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠
も、季節の荒行も、それらは疑念を超えていなければ、その人を清めることはできない。
(スッタニパータ249)
『わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと、相の占いと、星占い
とを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりし
てはならない。』 (スッタニパータ927)
勃興する商品交換自由社会に出現した新しい人間類型「商人」を背景にサマナ(自由思想家)のひとりとしてブッダが戦ったのが、
旧来型四姓支配制度=バラモン主義のイデオローグ・ヤージュニャヴァルキャ(『ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド』
『チャーンドーギア・ウパニシャッド』など)のイデオロギーだ。
それはインド土着の封鎖農村共同体における素朴輪廻思想(先祖帰り)を壮大な御都合主義宗教イデオロギーとして演出創作した
業報輪廻転生論+梵我一如論を中核とする壮大な神々の虚構体系バラモン教→ヒンドゥ教だ。
ブッダの無常縁起思想も、商品交換社会の無限の商品流通を体得・分析しなければ
到底発想しうるものではない。ゲマインシャフト権威主義のバラモンたちには到底無理だ。
しかし「商品」は単に生存本能の充足以上の「欲望」の創出=執着渇望をもたらす。
ここにブッダ出現の宗教的意味がある。商品交換社会における新しい人間のあり方を説いたのだ。
ブッダは決して人間生命まで抹殺せよなどとは説かれないのだ。
盲目テキスト主義者は決して法を観ない。
109 :
神も仏も名無しさん :2009/10/25(日) 10:16:33 ID:u7W/q4CH
110 :
神も仏も名無しさん :2009/10/25(日) 14:29:11 ID:tFxDQfjp
>>107 >過去のテキスト(仏典など)の読み直し、解釈の再解釈を行って頂ければと思う
例えば何? 参考までに教えて下さい。
仏教の魔 mara には @五蘊 A業 B死 C神 D煩悩 という5つの魔があると聞きました。 このC神ですが、何故神を悪に据えているのでしょうか? 「存在するかしないか分からない存在の事で思い悩むことも、迷いの元である」 ということなのでしょうか?
112 :
神も仏も名無しさん :2009/10/26(月) 02:53:30 ID:81m69nib
108みたいな仏陀観ってもう嘘くさいんだよな 仏陀は平等主義をといた左翼の階級闘争家だったみたいな解釈をいいかげん捨ててでテキストの読み込みをして欲しいな
113 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/26(月) 04:20:27 ID:UzWOhMIG
>111 いわゆる第六天、即ち仏教を否定する自在天を言う。 信長が自称したのもこの第六天。 ヒンドゥーのシバ神に当たる。 因みに、眞言宗で用いられる理趣経では、この自在天の宮殿で説かれている設定である。 (^。^)さらに蛇足だが、魔とは仏教信仰の妨げを指し、必ずしも悪であるとは限らない♪
114 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/26(月) 04:28:32 ID:UzWOhMIG
>112みたいなカキコってチョー頭悪そうだよなW 仏陀はオカルトを説いた低脳の権威主義者だったみたいな解釈をいいかげん捨ててでテキストの読み込みをして欲しいなWWW (^。^)スッタニパータとかちゃんと読めよな♪(笑)
>>112 >108みたいな仏陀観ってもう嘘くさいんだよな
いや、そうでもない。
108は鋭い分析かと思うよ。
私は、釈尊在世当時というのは、
時代は違っても背景は60年代のアメリカを想起するんだよ。
あの時代はヤング・パワーが炸裂していて、
やはり釈尊のように「自由思想」が勃興してきた。
ただ、その「自由思想」というのも、寄せ集めのパクリもんでしたから、
直ぐに時代の波に押されて消えて行きましたけど、
「自由」というキーワードからすると、あの時代とピタリ一致する。
まあ釈尊というのは、時代における前衛の思想家だったのは間違いない。
116 :
111 :2009/10/26(月) 23:28:34 ID:Mr5VWudU
質問です。 利己主義はよくない。全てのものに慈しみの心をもつほうがいい。 ということについて詳しく述べられている仏典又は書籍を教えてください。 利己主義を乗り越える方法について考えております。 よろしくお願いします。
>>117 ・“自分が”乗り越えたいのか、
・乗り越える“手法の一つ(一種)として”“他者に”(参考、事例として)提示したいのか、
によって、若干言い方が変わってくると思うよ。
119 :
神も仏も名無しさん :2009/10/28(水) 23:47:58 ID:B80iy5FQ
*
120 :
神も仏も名無しさん :2009/10/28(水) 23:52:52 ID:B80iy5FQ
>>117 ダライラマ『愛と非暴力』『智慧の眼をひらく』『至高への道』
マチウ・リカール『僧侶と哲学者』『掌の中の無限』
121 :
神も仏も名無しさん :2009/10/30(金) 02:11:01 ID:Qi8p/QJG
>112 同感。 >108のような人は、自分が信じたいブッダ像、 信じやすいブッダ像を描いて、それにあてはめようとしているように思える。 お経に書かれていることを素直に読んで理解し、 その内容が信じられないなら信じられないと率直に認めればいいのに。 お経の内容を素直に信じたくない、 でも仏教を手放したくないというのは、「なんでかな?」と思う。 お経の内容を信じないなら、仏教教も仏教ファンもやめちゃえばいいのに。 なぜ、信じやすい仏教に無理矢理変えてまで、仏教にしがみつくのか?
122 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 00:13:52 ID:rWHBxsDK
宗教板の仏教徒の皆さんに質問です♪ なんか、他のスレで お釈迦さんが転生を法として説いた って事になってますが、何故、誰も間違いを正して上げ無いんでしょうか? (^。^)プトガラ派が頑張ってますけど♪(笑)
123 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 09:49:48 ID:JxmC9qBE
お経には輪廻転生がでてきますから。
124 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 09:52:39 ID:Pk9VSW+f
>>123 それは、科学が存在しなかった大昔の人々の多くの「迷信」のうちの
一つ。現代人が信じるべきものではない。
あると証明することも無いと証明することもできないから。 知りえぬことをあると言っても無いといっても信仰にしかならない。
126 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 10:11:46 ID:zwNHHC64
>>125 まだ「迷信」を信じたいのかね。宗教の開祖は、「当時の知識水準で、
当時の人々」に対して語ったもの。現代の科学の発達など「夢想だに」
しなかった。
開祖たちは、当時における最先端の改革者であったはず。彼等が何を
語ったか、ではなく、現代に生きていれば何を語るか、を常に考える
べき。彼等が、2000年前の迷信を信じよ、などという訳がなかろう。
知りえぬことに結論を出せと言うはずも無い。 別に迷信を信じるとかそんなことは言っていない。 現代科学がいまだに解明できないことなどいくらでもある。 解明できないものは存在しない、 なんて考え方のほうがよほど野蛮だと思うが。 わからないものは、今のところわからない、結論をさせない、ってことだろ。
させない × 出せない ○ だった。
129 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 11:34:53 ID:rWHBxsDK
なるほど、プトガラ派が増えている訳ですね♪(笑) (^。^)有り難うございました♪
130 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 13:59:06 ID:n1ReJPI1
>>127 >わからないものは、今のところわからない、結論をさせない、ってことだろ。
それは、初めからすべてが分かった「積り」の宗教に対して言ってくれ。
観察の実験の積み重ねによって検証されるまでは結論はださず、その結論も
反証によって常に変更できるのが、科学の基本。
131 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 14:03:24 ID:JxmC9qBE
>>124 それだったら、そう思う人は仏教も迷信だと言って仏教を捨てればいい。
仏教教を名乗る以上は、輪廻を信じる宗教の信者であるはず。
132 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 14:09:52 ID:1eniUfUg
>>131 そんなことはない。現代人が佛教を信じるとは、輪廻転生のような迷信
は排除し、「現代にも通用する佛教の思想」を選択して信じること。
佛教には、迷信ではない「現代に通用する思想」はないのかね。
133 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 14:39:03 ID:JxmC9qBE
>>132 それだったら、そういう思想を仏教から抽出して、
新しい宗教をつくればいい。
134 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 14:44:41 ID:xQHE9w5m
死んだら終わりって宗教、あるの? キリスト教だって形は違うけど終わりじゃない
135 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 14:53:47 ID:rWHBxsDK
>131 ココは縁起を説かれた仏に帰依する仏教の質問スレでつ♪ 輪廻に帰依する「仏教教」なる宗教の方は他スレにどうぞ♪(笑)
136 :
析空 :2009/11/01(日) 16:45:21 ID:3KVOlBi/
>>132 輪廻転生は迷信ですか?
迷信だと断定する根拠は何ですか?
科学的な判断とするなら、迷信と断定する根拠がなくてはならないと思う。
根拠がなければ「判断保留」が、真に科学的な態度です。
137 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 17:07:35 ID:Z8jBlucN
>>136 >輪廻転生は迷信ですか?迷信だと断定する根拠は何ですか?
現代の生物学で、「輪廻転生」「生まれ変わり」などと言う言葉は、一言も
出てこない。「生まれ変わり」なら明らかに生物学の分野のはず。宗教の出る
幕ではないw。
138 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 17:12:21 ID:nNkyp8Z4
>>133 >それだったら、そういう思想を仏教から抽出して、
>新しい宗教をつくればいい。
それは、現代の仏教徒がやるべき仕事だろう。それとも、現代の仏教徒は、
「古代人の迷信の宗教」であることに満足しているのかね。当時の最先端の
「改革者」であった御釈迦さんが泣いてるよ。
死んで終わるのは個人という幻想でしかない。 要するに自我とされている幻想。 本来の心身を構成するものは火葬なり土葬なりされて形は変わるが滅することもない。 輪廻転生、不生不滅を自我の観点で考えるからオカルトチックな話に陥ってしまうのではないか?
140 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 17:37:01 ID:rhru/9BE
>>136 「現時点においてその存在が実証されていないもの、
また、非常に有意な仮説により将来、その存在が検証されることが
期待されているもの」以外は「ないものと見なす」
これが一般的な科学のスタンスです
でなければ、想像できる全てのものが存在することになってしまう。
「ウルトラマンの存在確率」は厳密に言うとゼロではありませんが、
やはり「存在しない」と表現します。
「判断保留」とは、その存在が十分考えられるときに使われる表現であり
輪廻やウルトラマンの実在に対しては使いません。
どちらも、その真実性は科学の分野では限りなくゼロに近いです。
141 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/01(日) 17:41:26 ID:rWHBxsDK
(^。^)あー♪君たち♪ 生まれ変わりだのウルトラマンだのという愉快な話は他のスレでやりたまえ♪(笑)
142 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 17:46:28 ID:22uVV1hH
>>136 そもそも、何を根拠として、科学が存在しなかった2000年も前に、迷信がなかったといえるのかね。
科学が、その迷信を一つ一つ解明してきたことは、自然科学の歴史の常識ではありませんか。
釈迦が輪廻転生に言及したとすれば、彼も迷信を信じていた訳です。釈迦も、あくまで、「当時の知識水準で、
当時の人々に対して」説いたに過ぎないことを忘れてはなりません。釈迦も「時代の子」に過ぎないのだから、
釈迦を責めることはできません。釈迦の迷信を説いてあげることは、弟子としての現代の仏教徒の義務ではあり
ませんか。
143 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 17:49:41 ID:o8oZ11j7
144 :
析空 :2009/11/01(日) 22:37:40 ID:3KVOlBi/
いろいろ回答をありがとうございます。 アンケートの結果 輪廻は「無い」と断定する人は、およそ11パーセント 「有る」という人も11パーセント 「有るかもしれない」という人は44パーセントで、合わせて55パーセントの人が、 輪廻があると思っていることになりますから、輪廻思想が現代に通用しない、とは言えませんよね? 「輪廻は有る」でググってね。
145 :
神も仏も名無しさん :2009/11/01(日) 22:46:46 ID:xQHE9w5m
エネルギー無限の法則
>>144 おい、散々能書垂れてきたお前が、 >通用 なんて言い方をするかw
しかも(オーバーに過ぎる言い方だがw)、『通用してるから正しい』的ニュアンスとはwww
笑わしよる・・(´ー`)y━~~
≪『「通用」するかどうか』で判断するな!≫と述べてきたのは君達サイドだぞ?w
≪今、流通している、現代社会、現代の価値観、現代の唯物論的価値観ではない≫と豪語したのは君たちだぞ?w
あれだけ「論理を超えた勝義」を高らかに謳い上げながら、今度は統計による数字かよwwwwwwwwww
お前も宝珠と同じく救いようがねーなw
147 :
前スレ696 :2009/11/01(日) 23:20:02 ID:Vy8bNbd/
>>144 146さんに先に突っ込まれてしまいましたorz
ついでに言えば、あなたの統計解釈だと、全く同じデーターを見て、次のようにも言えます。
アンケートの結果
輪廻は「有る」という人は、11パーセント
「無い」と断定する人も、およそ11パーセント
「無いかもしれない」という人は44パーセントで、合わせて55パーセントの人が、
輪廻が「無い」と思っていることになりますから、輪廻思想が現代に通用する、とは言えませんよね?
統計を曲解しすぎですw
そもそも、統計を出すのに、サンプル数も、サンプルの抽出母体も、抽出方法も提示しない時点で、
統計の事を何もわかって居ないのが丸わかりですよ。
148 :
神も仏も名無しさん :2009/11/02(月) 00:16:15 ID:t+1SBa6I
>>142 神通力については、どう思いますか?
私は、禅定の訓練の副産物として神通力が得られると信じています。
ブッダは、神通力によって輪廻を知ることができたのでしょう。
私達には神通力がないから輪廻がわからないだけでしょう。
149 :
析空 :2009/11/02(月) 08:29:35 ID:845pvJFL
>>147 君ね、私に粘着するのやめなさいね。
男らしくないよ?
(まあ、男かどうかわからんが)
「有るかもしれない」が、どうして「無いかもしれない」になるのかね?
君のかってな思い込みだろ。
まあもとの情報はテレビのアンケートでサンプル数は数万人だったとおもう。
爆笑問題が司会やってるやつね。
有るかもしれない派は55パーセント、無いかもしれない派は45パーセントだった。
(証明はできないけどね)
150 :
前スレ696 :2009/11/02(月) 10:11:42 ID:lly73mDa
>>149 「粘着」と言えば、ご自分の意見が正当化されるとでも?
それとも、自分に反対する意見は「粘着」認定して、黙殺したいんですか?
あなたの書き方(
>>144 )では、選択肢が3つしか提示されていませんよね?
そうすると、真ん中の選択肢(有るかもしれない)は、有る でも 無い でもなく、
「有るか無いかわからない」と思った人が選択するものだと推測されます。
ですから、あなたの提示した情報からでは、
>>147 と言う推測はまっとうなものだと思いますが。
そもそも、サンプル数が明示されていないと、分散から言って、5%とか誤差の範囲の可能性がありますしねw
そして、アンケートにおいて、サンプル数も重要ですが、どのような母体から、どういうように抽出したサンプルで有るかが最も重要です。
例えば、「輪廻の謎を解明する!」とか看板を立てて、その上で興味を持った人だけがアンケートに答えたとしたら、
すでに輪廻に肯定的な人が多く集まると思いませんか?
あるいは、巣鴨でおじいさんおばあさん相手に聞いた場合と、大学で科学者相手に聞いた場合では全く違うと思います。
そもそも、回答率100%だと言う時点で、かなり信憑性が薄れますね。
151 :
神も仏も名無しさん :2009/11/02(月) 10:53:01 ID:k/H0gK4k
質問! Wikipedaで「世界三大宗教」を見ると、仏教は3億6千万人らしいけど、日本人は入っているの? (入っていない場合は、日本人はやっぱり神道なのかな? )
152 :
神も仏も名無しさん :2009/11/02(月) 11:24:38 ID:u6eH8hXn
>>148 神通力なるものは、教祖が信者獲得のために自己の「超能力」を誇示する
ためのでっち上げ、虚言。教祖そのものを客観的に調査すれば、「神通力」
など皆無なことが分る。信者が、教祖の嘘に騙されているだけ。
教祖が「予言」と称するものは、実は、メディアや学界の動向を調査して、
当たりそうなネタを探しだしているだけ。従って、当たることもあれば、
当たらないこともある。実は、当たらないことのほうがはるかに多い。
一般人の「推測」と何ら変わりはない。
すべての生物は、その生存に最も適した能力だけしか持たない。超能力
というなら、空を自由に飛べる鳥や水中で生存できる魚や、臭覚や視覚
の優れた犬や梟のほうが、段違いに「超能力者」である。麻原の「空中
浮遊」は何秒間?w
現代人なら、教祖の嘘に騙されない判断力と知性を持たなければならない。
義務教育は、そのためにある。
153 :
前スレ696 :2009/11/02(月) 12:15:15 ID:lly73mDa
154 :
前スレ696 :2009/11/02(月) 12:16:58 ID:lly73mDa
155 :
神も仏も名無しさん :2009/11/03(火) 20:43:08 ID:t7+d8cnJ
質問! 仏教は終末思想なの? (穢土とかいうし。エホバみたいだ) 終末思想は異端?
156 :
神も仏も名無しさん :2009/11/03(火) 20:46:13 ID:gV2ZHlzi
157 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/04(水) 03:42:52 ID:/w+E/um9
>155 本来、週末思想など無かったが、大乗くらい?から、末法思想なるものが発生した。 戦乱や疫病の時代に、日本でも一部で流行した。
お守りを買いに行きたいんですけど 観音さまのお守りと不動明王さまのお守りと2つ持ってても大丈夫でしょうか? 売り場の人に聞くのが恥ずかしいのでお願いします
159 :
白蓮 :2009/11/04(水) 08:43:22 ID:zNwDzsXy
>>117 :神も仏も名無しさん
※私も以前は、利己主義でした。ですから気持ちは理解できます。
多くの人々は自分の心をかえり見ようとはせず、心の外の
欲望の自由に翻弄されています。
その点、利己主義に気づき自己変革したい心は大したものです。
下記の書籍を紹介します。
「幸福の原点」P.124から「希望の法」P.175から「勇気の法」P.154から
関連のものが書かれています。上記書籍は、幸福の科学総裁大川隆法箸です。
大手書店で購入できます。
160 :
神も仏も名無しさん :2009/11/04(水) 08:51:40 ID:mnLb7fga
地獄で?押し寄せてくる大量の鬼を延々切っていた夢を見ました。 これはどんな仏ですか?
地獄の鬼は獄卒だから切ったらアカンだろ。 仏だったら殺生はアカンだろ。
162 :
神も仏も名無しさん :2009/11/04(水) 13:34:37 ID:mnLb7fga
>>161 納得しました。
ありがとうございます。
>>158 心配は御無用ですが、心配性の改善には様々な仏さまの御加護が必要とお見受けします
いっそのこと、十二支の守り本尊を全部お買い上げになってはいかがでしょう
売り場の人に代わっておすすめします
164 :
閻魔大王 :2009/11/06(金) 08:18:06 ID:vz0NzoOz
test
165 :
神も仏も名無しさん :2009/11/07(土) 05:40:46 ID:qQudpn+Q
>>155 終末思想というより無常です。全ては無常なので教えも永遠に存続するわけではないということ。
これはパーリ・ニカーヤから説かれています。
>>135 君は何も分かってないんだから黙ってるように。
縁起と輪廻は何も矛盾しない。寧ろ、輪廻がなければ縁起が破綻するだろう。
意識が縁起せず突然発生、創発することになったり、
意識が突然断滅することになったり、これを伝統的に断見と呼んできたことぐらい、いい加減分かろうね。
166 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/07(土) 06:07:20 ID:zIp1zZIS
>165 (^。^)はいはい、アンタが大将♪(笑)
167 :
絶対神 :2009/11/07(土) 06:52:21 ID:GYRZtuVj
>>127 信じられないと思うけど。
「解明出来ないものは「存在しない」」
「観測出来ないものは「存在しない」」
と考えるのが「科学」なの。
「だから科学的思考って実は結構野蛮なのよ」w
一般人から見れば、「そんな馬鹿な」と思う事を普通に言ってる。
>>140 まあ、少なくても、「神の存在」は実証されたな。
私のスレ「神がいる事と奇跡は実証された」を参照してくれ。
168 :
絶対神 :2009/11/07(土) 07:32:37 ID:GYRZtuVj
で、当たり前だが、「生まれ変わり」という以上、「元々、生きていない と成立しない」。 「単なる物質は元々生命ではないので、生まれもしないし死にもしない」 輪廻という場合、少なくても生物でないとそれは成り立たない訳だ。 当たり前だが、生命は死んだら「単なる物質」になってしまうので、 「物的移り変わりを輪廻と言う事は適当ではない」(飽くまでそれでは 比喩的表現以上のものではなく、縁起の法則はまったく生じない) つまり、「魂のようなもの」(オカルト的要素)を認めないと、元々、 生まれ変わり=輪廻は成立する余地はない。 『つまり、仏教はオカルトという事になる』 実は、原因があって結果があるというのも「科学的」ではない。 科学は必ずしも結果に原因を求めない、「単に今まで観測された多くの 現象では、結果の前に原因がある事が多かったから、一般的にそう表現 しているのに過ぎない」。 「結果には必ず原因があるのが科学だと考えているのなら、それは大きな誤解である」 科学は、そういう意味では(まあ、元々、ストレートな意味でも道徳的因果律なんて まったく支持しないが、物理的な因果律を科学は言っているだけで)、縁起を 支持しない。
169 :
117 :2009/11/07(土) 09:51:02 ID:bKNThQ5r
回答いただいた皆様ありがとうございました。 規制で御礼が遅れました。 喜や貧から離れるべく,努めていきたいです。
170 :
前スレ696 :2009/11/07(土) 12:47:35 ID:Uj5avWh8
>>167 存在しないと言い切っちゃうのは間違いだと思いますよ。
「存在しない」と言うのも科学的仮説に過ぎないんですから。
まあ、限りなく可能性が0に近いなら、一般的には「存在しない」といっても差し支えないと思いますがw
>まあ、少なくても、「神の存在」は実証されたな。
テンプレだけ見ましたが、「予言を何回か当てた」のは、証拠には全くならないような気がするんですが…
神を名乗るなら、「予言を全く外さない」ぐらいの事はやって頂きたいところですね。
171 :
神も仏も名無しさん :2009/11/11(水) 21:27:01 ID:C4+RFCMd
男となし女となして ってどういう意味
172 :
神も仏も名無しさん :2009/11/12(木) 12:20:10 ID:kKzA+8bb
>>171 >男となし女となして
それじゃ答えられません。どんな経論で説かれるものかや、
前後の文脈が分からないと。
173 :
神も仏も名無しさん :2009/11/12(木) 15:14:34 ID:hroERLuF
あなたは浄土真宗をどう思われますか? わたしはキリスト教みたいだと思う
174 :
白蓮 :2009/11/12(木) 15:18:36 ID:1aAZ3A+a
>転生輪廻するには、この世とあの世の場がいります。そしてあの世からこの世へ 移行して、またこの世からあの世に移行してゆくことで因果応報が自己完結し てまいります。では、移行するには乗り物がいります。この世の乗り物は肉体です。 あの世の乗り物は霊体です。心が乗り物の運転手になります。あの世の天国で は霊体の乗り物に乗っていますが、この世に生まれる前に国籍を選択し、両親 の霊を選択し承諾できたら、カプセルに入ります。そこで両親になるカップルが 結婚すると、母親の母体に宿ります。そうして、赤ちゃんとなると、肉体の内に 霊体がありその中心に心があります。そして、大人になって寿命が来て死ぬと、 肉体と多重なって入っていた霊体が、肉体から出てきます。いわば蝉の羽化登仙 のように、この世の乗り物の肉体は、火葬になって、心の運転手はこの世の乗り 物だった肉体に戻れません。あの世の乗り物の霊体を心が運転して、あの世の世 界に移行します。例えば、海外の旅行にしても、地下鉄という乗り物に乗って、 空港行きの列車の乗り物に乗って、国際線の飛行機の乗り物に乗って目的地の 外国に到着するように、乗り物を乗り継げば行けるのと似ています。
175 :
神も仏も名無しさん :2009/11/12(木) 16:22:47 ID:kKzA+8bb
>>173 それは清沢満之以降の近代教学でしょう。
少なくとも親鸞上人の考えはキリスト教的一神教とは全く違うと思います。
素朴な疑問。 釈尊って無我を説きアートマンを否定したんだから輪廻って何が回るの?
>>175 セム系宗教の唯一神と阿弥陀如来に似て非なるところがあるのは確かですが、
こと救済に関して親鸞聖人がパウロに似たところがあるという感じもやはりしますね。
教行信証のような膨大な抜き書きを作った心情的な背景を思うと。
179 :
神も仏も名無しさん :2009/11/12(木) 16:58:02 ID:r/HtuC8+
>>178 それらが亡くなっても、また来世、来世へと延々付いて回るなら、やはり無常では無くなります。
180 :
179 :2009/11/12(木) 17:12:39 ID:r/HtuC8+
質問スレなので主張は止めておきましょう。
181 :
神も仏も名無しさん :2009/11/12(木) 17:22:40 ID:kKzA+8bb
>>176 何がという問いが、アートマンと言われるような本質を想定した問いなので、
問いが間違ってます。
だから、現在、私は無我なのに私と呼ばれるように仮に魂、意識、自相続が輪廻すると言われます。
魂、意識、自相続とっいっても現在の私と同じように縁起するだけで、本来、無我・空です。
182 :
神も仏も名無しさん :2009/11/12(木) 17:23:46 ID:kKzA+8bb
救われることのないはずの身を、それでも救ってくれる道はないものかと必死に探す心情です。
184 :
神も仏も名無しさん :2009/11/12(木) 17:29:47 ID:r/HtuC8+
>>181 バラモン教のウパニシャッドには、「アートマンが輪廻の主体である」と書かれているそうですが、
釈尊はアートマン説を認めていない。つまり輪廻も認めていないと言うことだと自分は考えています。
185 :
白蓮 :2009/11/12(木) 18:21:41 ID:1aAZ3A+a
>>176 :神も仏も名無しさん
※無我説は我が無いから死んだら終りという意味ではありません。
無我説執着の意味もあります。苦しみの原因は執着から来ています。
俺が、俺がの我執を去って、己を虚しくして仏道修行に励みなさいという
意味です。また水の循環も無我で表現できます。雨が降って河となり、海
に出ます。そして海水が温まって水蒸気となって雲となります。そして、
雲から雨となって流れ循環しています。私達の心も執着から離れ我執を
去り、無我の悟りの境地になれば、苦しみは無くなり、安楽の平和な心が
明鏡止水の水鏡となれば、仏性は煌き、光の受ける光の器となれば、神仏
の光が、霊天上界の高次元の如来界を経由して菩薩界を経由して、この世
の修行者の光を受ける光の器の心に神仏の光が臨み、姿見の鏡で見れば、
上空から神仏の光の糸が頭部の天辺から神仏の光は入っています。
神仏の光を心に臨むためには、無我の悟りの心境が大切であります。
神仏は無我なる愛の最高の存在です。
あちこちのスレで輪廻してるなw
187 :
神も仏も名無しさん :2009/11/12(木) 20:08:38 ID:kKzA+8bb
>>183 それは悪人正機説の近代解釈だと思われます。
>>184 考えるのは自由ですが、伝統仏教ではそうは解釈しません。
そのように解釈するのは近代日本仏教の一部の人のみです。
188 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/12(木) 20:43:35 ID:hBBgU/l9
>186 カルトか生臭ハゲの信者が必死に営業やってんだろ?(笑) (^。^)転生なんてファンタジーなんざどうでもイイ話だし♪(笑)
189 :
176 :2009/11/13(金) 01:21:44 ID:sJbPPo08
190 :
神も仏も名無しさん :2009/11/13(金) 07:38:00 ID:X1cTYIJI
191 :
だいおう 笑った96君をww :2009/11/13(金) 12:03:03 ID:0ghvkB5Z
96君がずいぶん前に大口をたたいていたが、中観仏教スレを拝見させてもらったがw 彼は中論の冒頭句、戯論を消滅する、とあるが、 彼はいつも、戯論を創造しているw あきれて書き込み気分がうせたww
192 :
白蓮 :2009/11/13(金) 15:32:19 ID:82SevAb5
>>189 >176さんどう致しまして。
私も勉強になります。
193 :
白蓮 :2009/11/13(金) 15:36:09 ID:82SevAb5
>>190 >私は大川興業の信者ではありません。
本仏である大川隆法総裁先生の幸福の科学の一信者です。
お間違えの無いようにネ。
194 :
神も仏も名無しさん :2009/11/13(金) 16:50:08 ID:OiJvMv+R
質問ですが、仏教に自分に似ている人(だったかな?)に親切にすると、自分にもそれがかえってきて運命を変えられる・・・などと言う教義の宗派などはありませんよね? 話していた人は新興宗教ではないといっていたのですが、霊感のある人に見てもらうなどと思いっきり胡散臭いのですが・・・ 一応仏教系の宗教で仏を崇めているらしいのですが・・・ どなたかそんな宗教についてご存知でしたら教えていただけないでしょうか?
195 :
神も仏も名無しさん :2009/11/13(金) 17:26:17 ID:X1cTYIJI
>>194 情けは人のためならず、という意味なら仏教ですが、
「自分に似てる人」に限定したり、「運命が変えられる」などとは言わないでしょう。
「自分に似てる人」だけでなくあらゆる生きものに親切にすれば、果として楽が得られるというのは、
縁起であって、因果です。
別に「運命が変えられる」のではなく、現在の行為によって常に変わります。
ただし、過去の行為によって変化できる幅は限定されてるとはいえるでしょう。
例えば、一般に努力しても高飛びで2メートルぐらいしか跳べず、
100メートル飛び上がれないとかいった限定があるということです。
196 :
宝珠愚者 :2009/11/14(土) 00:24:28 ID:0cjwO6RW
>>185 >苦しみは無くなり、安楽の平和な心が
>明鏡止水の水鏡となれば、仏性は煌き、光の受ける光の器となれば、神仏
>の光が、霊天上界の高次元の如来界を経由して菩薩界を経由して、この世
>の修行者の光を受ける光の器の心に神仏の光が臨み、姿見の鏡で見れば、
>上空から神仏の光の糸が頭部の天辺から神仏の光は入っています。
>神仏の光を心に臨むためには、無我の悟りの心境が大切であります。
インチキカルトの突っ込みどころ満載の寝言なんだがw
突っ込んでイイ?かなり、エグイで。
198 :
神も仏も名無しさん :2009/11/14(土) 21:19:04 ID:tDf5nx6h
>>197 突っ込まんでええは
そんな広告代理店に書いて貰った安っぽいプランみえみえの大川興業なんだから、
それに引っかかるのがいるのが不思議だよ。
それも業なんだろうけど
199 :
白蓮 :2009/11/15(日) 09:51:19 ID:nLa1btgg
>>198 :神も仏も名無しさん
※安ぽかないですよ。審美眼が曇っているから、本物のダイヤモンドを安物ときめ
つけ、本物ダイヤモンドを選ばず、偽物ダイヤモンドを高価なものと思って掴ま
されるようなものです。気の毒な方です。
業(カルマ)は悪しき業は一般的ですが、善い行ないとしての業(カルマ)も
あります。幸福の科学の教えは本仏が説かれる、真の正しい教えや真の善の教え
であり、幸福の科学の教えを学ぶことで真理価値の審美眼が鍛えられます。
本仏であられる大川隆法総裁は仏陀再誕で、奇跡の中に魂修行として仏道修行と
して精進し、善念を推し進め、善行を積んで、正しき使命に生きる者は、すべか
らく善なる業(カルマ)が因果の理法の法則により展開してまいります。
200 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/15(日) 14:43:33 ID:HPSspyFe
と、仏教知識皆無の愉快なメンヘラが妄想しております♪(笑) (^。^;)知ると知らざると誰か罪過ぞとは言うものの・・・
201 :
白蓮 :2009/11/16(月) 00:00:42 ID:ntHPjVWS
>>197 :神も仏も名無しさん
※インチキカルトではありません。
真実を述べたまでのことです。
202 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/16(月) 00:33:22 ID:ieyMGrs1
カルトじゃない♪(笑) と唄うガンダムの主題歌みたいな某さんに質問します♪(笑) 不空真実サンマヤ経に於けるブンジュシリホサの段のシケンキシャクはイカな意味でつか?(笑)
203 :
神も仏も名無しさん :2009/11/16(月) 08:57:15 ID:HJSYUwi1
びるしゃなぶつ という神様みたいな宇宙の仏がいると聞きました。 詳しく教えてください。
そういう仏は存在しないのでしょうか? 私は本を読んだだけなので、著者の作り話だったのかな?
>>205 びるしゃな仏は奈良時代からの宗派、法相宗、華厳宗、律宗の本尊になっています。
古くから日本で知られていたのでしょう。
ただ、あなたの言う神様のような存在という意味がよくわかりません。
どんな本をお読みになったのでしょうか?
207 :
神も仏も名無しさん :2009/11/16(月) 12:34:41 ID:p/PujghC
>>205 びるしゃな仏、つまり大日如来ですね。
そのような仏への信仰はあります。
しかし、そのような仏が実在するのか、
また、仏教の開祖であるお釈迦様が
本当にそのような仏を説いたのかは、疑問です。
お釈迦様の死後に、他の宗教の影響で
仏教に取り入れられた信仰ではないでしょうか。
208 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/16(月) 12:57:33 ID:ieyMGrs1
ビルシャナは華厳経所説の如来。 大日は、マカビルシャナ。 宇宙神などとは異なる概念。 詳しくは華厳経参照♪ (^。^)出来るもんならな♪(笑)
根本仏教について質問します。 富永仲基が加上論において「釈尊が直接説かれた教えは、阿含経の数説に過ぎない」と記したそうですが、 この阿含経とは、スッタニパータやダンマパダとは別の経典なのでしょうか? それとも、スッタニパータやダンマパダをまとめた経典を阿含経と呼ぶのでしょうか? よろしくお願いします。
210 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/16(月) 14:35:45 ID:ieyMGrs1
私の気が確かなら、 阿含経典群は、釈尊所説とされる初期経典群の事。 (^。^)ググったらもっと詳しく出てますよ♪
211 :
209 :2009/11/16(月) 18:16:30 ID:bcG+oDoM
212 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/17(火) 05:28:07 ID:Wq/5G6Uu
スレチですみませんが質問します♪(笑) 南無台紙返上混合はどうしたんだろう? 誰か見てないか? (^。^)良いオモチャだったんだが。(笑)
213 :
神も仏も名無しさん :2009/11/17(火) 07:15:48 ID:CWPYovw3
214 :
亭白 :2009/11/17(火) 09:20:52 ID:hfhKOmyN
>>203 :神も仏も名無しさん
☆畏盧遮仏は、宇宙の真理としての法身の仏陀であります。
応身の仏陀として日本に再誕しています。
215 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/17(火) 11:09:56 ID:Wq/5G6Uu
(-_-)なるほど。イロシャフねぇ。 まぁ、名前借りてるだけで何一つ信仰して無いから間違えてもドウデモ良いんだろうが、 オオバカ氏を虚仮にするのと同じレベルの話だって、説明しても理解出来ないんだろうなぁ。
216 :
亭白白連天狗と大川天狗道 :2009/11/17(火) 11:39:28 ID:4KpZesjH
天狗道 「天狗」とは、現世において知識だけを追い求め精神的な修行を怠った者が変化したものであるとされ、 仏教世界の六道(地獄道、餓鬼道、阿修羅道、畜生道、人間道、天道)に属さない天狗道に墜ちたものを言います。 知者であり仏法にすぐれている「天狗」は、それ故人間道に残れず、地獄/餓鬼/阿修羅/畜生道には墜ちない。 しかし無道心ゆえ天道にもあがれない。結果、天狗道に落ち輪廻から見放されてしまう訳です。 平田篤胤氏考 大川アホりゅうほうの天狗道確定w
天狗道って言うんだね。 知識を自慢しても自分にも他者の為にもならないもんな。 仏の知識も実行して自他を救わなければ意味なしだからね。 いざ、実行してみると、自分に足りない部分はいくらでも出てくるし。 仏教でもなんでもだけど少し勉強しただけで、 自分が偉くなったと勘違いして他者を見下す人いるもんな。 自分も気をつけよう。
218 :
神も仏も名無しさん :2009/11/21(土) 17:44:17 ID:Hm7/Sbx0
仏教徒は何で同じ仏教の他宗の信者も他宗教信者も罵るの?
219 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/21(土) 17:53:09 ID:7Mks7zJs
>218 普通の仏教徒には、そんな人は少数でしょうね。 罵るのは、創価や日蓮、浄土などの特殊な宗派と、あとは私みたいなハグレ仏教徒でしょう♪(笑) (^。^)手を出したら噛みつきます♪出さなくても噛みつきます♪
220 :
神も仏も名無しさん :2009/11/21(土) 22:22:07 ID:VTt9bRkY
221 :
神も仏も名無しさん :2009/11/21(土) 23:43:53 ID:Hm7/Sbx0
222 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/22(日) 00:16:18 ID:5srxlHIM
>221 (^。^)言って無いだろ?(笑) 一部の特殊な宗派だけだよ♪(笑)
223 :
神も仏も名無しさん :2009/11/22(日) 18:32:57 ID:XkmrqfFG
仏教は、宗教というより人の生き方、宇宙の真理などを 説いた哲学に近いものだと思うのですが そこから何故、仏様や菩薩などを崇拝する崇拝宗教になってしまた のでしょうか? もちろん釈迦を超人と見た事から崇拝が生まれたのでしょうが 仏教に帝釈天や阿修羅など他宗の神などを取り入れる必要は あったのでしょうか? 本来の仏教とは、かなり形が変わってしまいましたよね?
>>223 まさに諸行無常ですね。
釈尊の教えどうりではないですか。
>>223 あらゆる物に仏が宿ると教えがあります。宇宙の真理にも。
本質的に自分以外の何物かに「仏」が存在する訳ではなく、自身の中の
仏を呼び起こす為に、仏の言葉(お経、真言)、仏の魂を彫った仏像
そういった物を実践したり触れる訳ですね。
226 :
神も仏も名無しさん :2009/11/22(日) 20:21:13 ID:OCNyCnpV
>>223 哲学に近いものというのは誤解でしょう。
答えは、空だからです。
崇拝するというか帰依するということは一貫して仏教にあります。
仏法僧の三宝帰依が仏教の基本というか、三宝に帰依して仏教とになるからです。
他の天を観想するのは、それを通じて空を悟るために他なりません。
また、一時的な苦を除くために利用する方便という側面もあります。
227 :
神も仏も名無しさん :2009/11/22(日) 20:28:58 ID:ZIjYIA6Y
>>225 あらゆる物に仏が宿ると教えはどの経典の
どの箇所に出ているのですか。
空空空空うるせーなw 「空」という語・概念を使わずに語ってみろや、タコ助。 だから2chの空教信者は嫌いなんだよ。
>>227 お寺でお坊さんに習った事だから知りません。
仏教は経典を読むことで会得できるものではない、とも教わりましたよ。
230 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/22(日) 20:53:53 ID:5srxlHIM
>228 (^。^)その台詞は中論を読んでからにしてくれ♪(笑) >229 (^。^;)えー、何それ〜。 >227 山川草木悉有仏性でググれ♪(笑)
231 :
神も仏も名無しさん :2009/11/22(日) 21:01:16 ID:OCNyCnpV
>>228 それが何かと認識される本質、実体がないという意味で置き換えましょう。
嫌いなのは結構だけど、もう少し言葉なんとかならないですかね?
仏教を云々するものなら
232 :
神も仏も名無しさん :2009/11/22(日) 21:02:11 ID:OCNyCnpV
>>230 君は読んだとしても何も分かってないよ。
ホントに読んだのかも怪しい。
>>231 世俗を無視する貴方に言われたくはないね・・w (´ー`)y━~~
235 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/22(日) 21:16:28 ID:5srxlHIM
>233 (^。^)そんな事言わずに、読もうぜ〜♪ 小林よしりんより面白いぜぃ♪(笑) >234 木予報変に関わるな♪(笑)
>>235 寧ろ、仏教を学ぶならアンパンマン(特に劇版)を視聴すべきだと思うがなw
色んな面で示唆に富んでいるぞw
237 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/22(日) 21:50:52 ID:5srxlHIM
>236 (^。^)俺はアニメならシンチャンからコーカク、エロアニメまで見るが♪(笑) だが古典も大事だぜ♪
>>237 草薙素子の存在形態を、仏教は許容するのかどうか?
考察してる大学のサークルとかないんかな?w
エヴァなんかよりよっぽど刺激的だと思うんだが・・・wwwww
239 :
神も仏も名無しさん :2009/11/22(日) 22:08:52 ID:OCNyCnpV
>>234 オイラは別に世俗を無視してないぜw
どっちかっていうと輪廻を撥無するセブンの方が行者世間を無視してると思うが?
まあ、凡夫世間は擁護してるかもしれないがw
240 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/22(日) 22:14:27 ID:5srxlHIM
>238 (^。^;)高卒のオッサンに聞く質問じゃねぇだろ。(笑) だが守護天使ってくらいだからデジタルのパライソになら行けると思うぜ♪(笑)
>>239 了解w
>行者世間を無視してると思うが?
無視してはいないが、軽んじているだろうとは思うw 不遜ながら・・・(^^;
242 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/22(日) 22:20:39 ID:5srxlHIM
(^。^;)やべっ、質問スレだっけW ニョンパとの雑談は罵りスレまでヨロ♪
243 :
神も仏も名無しさん :2009/11/23(月) 18:13:42 ID:avf+P3WQ
ゴータマの教えは仏教じゃないの?
244 :
神も仏も名無しさん :2009/11/23(月) 20:23:09 ID:6AKlZvng
>>243 もちろんですが、ただみなさん自分の思いを釈尊に投影されることが多いので、
そういった方の教えは仏教じゃありません。
>>244 伝承してきた多くの者達の投影はゼロだと?
投影の無い伝承があり得ると?
未だ投影されていないゴータマの教えを発掘し得ると?
笑わしよる・・w
246 :
神も仏も名無しさん :2009/11/23(月) 22:18:04 ID:6AKlZvng
>>245 伝承者のことではなく、文献学者のことですがな。
現代日本で伝承者から仏教を学ぶ人は殆どいないでしょう。
>>246 同じこと。
伝承者による投影が無かった、と? (尤も、貴方はそう信じている筈ですが・・・w)
248 :
神も仏も名無しさん :2009/11/23(月) 23:04:36 ID:6AKlZvng
>>247 全くないとは言わないが、和辻以降伝承を軽視して勝手に読むようになりました。
その象徴が輪廻や律の切り捨て、無明解釈など、
彼以前は、伝承者・聖者にしか分からないという傾向が強かった。
彼が西洋の宗教改革を真似た論理で、それを崩した。
彼以降は、勝手に解釈する人が多くなった。
>>248 隙のないイイ文章だw
この言い方なら、それほど咬みつかれることもなかろうに・・・w
ノシ
250 :
神も仏も名無しさん :2009/11/23(月) 23:57:29 ID:9GPdpVJ7
和辻もそうだが、宇井も重罪だ。当時の東大学者は新カント派(形而上は認識不可能派)にかぶれていたらしいな。
| |゚) < けど、【学問領域としては】必然且つ必要な流れでもあったんじゃないかな? | | |ミ |
252 :
神も仏も名無しさん :2009/11/24(火) 06:59:30 ID:R7i0cpjm
>>250 宇井さんも重罪だよもちろん。そんな列挙できないでしょ。
それに和辻は明瞭に近代主義・プロテスタン路線で有名なのに対して
宇井さんは仏教学は歴史学程度のことしか言ってないからね。
>>251 いや、木村先生や水野先生の流れが主流になるべき真っ当なありかただったと思う。
常識に基準を置いたゴリゴリの文献学ではなく、
ちゃんと伝統の悟りや体験を尊重しつつ文献学を利用するという方向。
仏教は本質的な部分は普遍妥当性を持ち得ないからね。
なぜなら、寝てる凡夫の認識と目覚めたブッダの認識はもちろんちがうし、
多少、行が進んだ行者の認識もそれぞれ違うからね。
そこを凡夫の認識で判断しちゃ何も分からない。
まあ、せいぜい宇井さんの仰るように歴史ぐらいしかわからない。
でもって、歴史主義では仏教は分からない。
その象徴的な事例が大乗仏教非仏説なわけだ。
ブッダを色身でしか観てないからそうなる。
色身にしても欲界の人間界だけ現れるものに限定して考えるから話しにならない。
>>248 仏法の番人を自認する坊さんたちが社会に対して何も回答してこなかったつけだから。
分かったような分からないような言い伝えを繰り返す坊さんより、経典を解読する学者の方が説得力ありってことだな。
254 :
神も仏も名無しさん :2009/11/24(火) 18:48:13 ID:NFrJazGJ
>>243 > ゴータマの教えは仏教じゃないの?
大陸から伝わって鎌倉時代に起こった宗教が日本で呼ばれてきたいわゆる「仏教」なので、
ゴータマブッダを信じる人は「ゴータマ教」とでも名乗りなさい。
と、大乗教信者は言います。
仏教とはゴータマ以降の「仏陀や如来」の教えだそうで、ゴータマはどうでもいいとして、
真のゴータマの姿に迫ろうとする学者たちを攻撃します。
彼らはなぜその様なことをするのでしょうか?
自分達の教えが仏教の看板を掲げた偽物だってことがバレるのを恐れているからです。
255 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/24(火) 19:01:10 ID:FwkkK9/a
>真のゴータマの姿 WWWWW(笑) (^。^)まぁ、言論は自由だしな♪(笑)
256 :
神も仏も名無しさん :2009/11/24(火) 19:59:58 ID:R7i0cpjm
>>253 そうじゃない。色々要因はあるが、二点が主要だと思う。
一つは科学の普遍妥当性や再現性からくる実証、あるいはただの盲目的な科学への信頼・信仰。
もう一つは、日本仏教僧団に聖者がほとんどいなくなったこと。
この二つに集約されるように思われる。
257 :
神も仏も名無しさん :2009/11/24(火) 20:01:19 ID:R7i0cpjm
>>223 みんなカルトですよ。オリジナル以外は。
日本にオリジナルの仏教やってる人は皆無なのですから、
一般に意見をきても無駄でしょ。
元の経典に書かれた内容も、
事実として全く証明できないです。
あれは、物語というか小説風の道徳の教科書ですから、
科学の教科書ではないですね。
オリジナルは違います。
>>226 それは釈迦のオリジナルとは違うのでは?
>>225 も。
259 :
神も仏も名無しさん :2009/11/25(水) 09:43:05 ID:JBhALnVE
オリジナルの仏教は縁起と四諦だ。 つまり釈尊は苦しみの傾向と対策という具体的なことしか言及していない。 この原始仏教(初期仏教、根本仏教、起源仏教)からすれば、上座部も大乗も密教もすべて釈尊の意志を否定するかねじ曲げる方向でしかない。 簡単に言えば仏教とは苦とはみずからの思い通りにならないことと知るという哲学。 もう少し言えば、 ・物事は相互に複雑に影響し合って発現する→縁起 ・よってあらゆる現象の奥には元となる原因が隠されている→十二因縁 ・では、苦しみの原因は何か?どうしたらそれを無くせるのか→四諦八正道 ・さらに、縁起(物事は複雑に絡まる総体)であるから、個別には実体がない。そして個別は常に変化する→無常、無我 ・このようにして苦しみの原因を理解し四諦を実践した人は悟った人である。彼は苦しみの世界であるこの世に存在しなくなったも同然である→涅槃
>>260 アナタの頭で考えたその理屈と、釈迦が菩提樹の下で身心で悟ったことは本当に同じなんですか?
>>261 中村元氏ならびに原始経典の研究者の発言を総合したもので、現在の通説だと思っています。
>>260 釈迦じゃないから、これが正しいか判らないが、
こんな感じで、原理的、理論的で、
科学と対峙するものではないな。
というより、今時分やっと科学が証明できた概念が、
すでにここにある。
悩み、迷い、苦しみとは何かということをみずからの経験と発見により人々に説いたものでしかなく、 また、釈尊自身の発言は紀元前としては驚くべきほど、理性的で合理的であった。 何か複雑な儀式を行い、神に犠牲を捧げ、呪文を唱えればすべて解決します、 といった類いの無明(宗教)を無益だと喝破したのが当時の釈尊。 その後に仏弟子を名乗る者たちが釈尊の教えを無明で覆い隠す歴史が仏教の歴史。
265 :
神も仏も名無しさん :2009/11/25(水) 20:54:44 ID:JBhALnVE
>>262 話しにならないよ。それじゃ仏教用語を用いていてもただの気休めの常識みたいなものじゃないか。
苦を消すためには戒定慧が必要なんですよ。
八正道に戒定慧が入ってるでしょ。
実践したから悟った人なのではなく、
禅定で精神集中します。
そうすると外界の現象とかは消えます。
その消えた状態で、縁起を観じることで無我・空を悟る。
これが慧に他ならない。
そうでなくただ言葉の論理なんか理解しても、
ほとんどなんにもならない。
知らないよりマシな程度。
そんな中村先生なんか根拠にしないで水野先生や
パユットー師、ダライラマ猊下などを読んで、
ちゃんと悟った先生についてください。
個人的にはダライラマの仏教入門が良いと思う。 非常に論理的、学問的に書かれていて、 それに何より安い。 姉妹巻に密教入門もあるぞ。
267 :
神も仏も名無しさん :2009/11/25(水) 21:37:09 ID:JBhALnVE
>>266 それより『智慧の眼を開く』『宇宙のダルマ』『仏教哲学講義』がいい。
>>265 上記を気休めの常識だと感じたなら、釈尊の時代の仏教は他でもない、そういうものだったのでしょう。
さて、あなたは座禅が好きなんですね。
黙って座っていて悟りが開けると思うのなら、あなたはそうしてください。
ただ、釈尊以降、座禅で悟った人がいるのでしょうか?涅槃に入った方は?
いませんね。そういうことです。
仏教を深遠なものだと思いたい心理はよく解ります。権威主義者ほど、ありがたい何かを戴きたいものです。
269 :
神も仏も名無しさん :2009/11/25(水) 21:57:43 ID:JBhALnVE
>>268 違います。私は文献学もやってます。
伝統教学もまなんでます。
どちらもある程度やくに立ちますが、
本当に重要なのは、その教えを習慣づけること。
そして自分の執着や妄想を破壊することです。
そのためには集中力と何に執着して妄想するか指摘する悟った師が必要なんです。
仏教が難しいのは狂った認識を正常な認識にする道だからです。
どこが狂ってるか分かる正常な聖者に指摘してもらう必要があるのです。
そんなことパーリ『梵網経』を読めば分かりそうなものですが。
和辻以降、そういう常識に引きずり降ろそうとするのは困ったことです。
もし、そんな常識みたいなものなら、現在まで残らなかったでしょう。
そして全ての伝統仏教はそんな常識みたいなものではありません。
文献学だが、仏教学だが 日本の学界は知らないが、 その信仰している経典が、 事実であるか確認はしたの?出来てるの?
271 :
神も仏も名無しさん :2009/11/25(水) 22:45:50 ID:JBhALnVE
>>270 経典の文献学的正当性とか由緒なんか辿っても無駄。
そんなことしても正にテキスト(織りなしたもの)だからだ。
そんなことより悟り・解脱を再現・体現している伝統・諸聖が重要。
あるいは自分で体験して再現することが、なによりの実験(experience)だろ。
文献学はこの種の実験を等閑にしてきたところに問題がある。
常識で判断してもらっては何もわからないのからだ。
なぜなら、意識レヴェルが違うのだから。
歴史は変わりますか?
>>271 ”文献学的正当性とか由緒なんか”
そんな事言ってませんよ、
書いてある内容が、
科学的に事実な事かどうかと言っています。
274 :
神も仏も名無しさん :2009/11/25(水) 23:56:09 ID:JBhALnVE
>>272 歴史なんて見方一つで直ぐに変わるでしょ。
例えば、コロンブスの新大陸発見は西洋人にとって輝かしい歴史だが、
ネイティヴ・アメリカンにとって忌まわしい蛮族の侵略以外の何物でもない。
そして、アジア人にとってはあまり意味のない話。
唯一の歴史的事実などありえない。
なぜなら、歴史という限り認識の問題だからだ。
こんなことは歴史学では常識。
かつて流行った唯物史観などありえないのは言うまでもない常識。
渡辺二郎『歴史の哲学』にベルンハイム以降の主要な歴史観が概観されてるから、ご一読あれ。
全くの歴史家・宮崎市定先生も歴史は誰が書いても同じ物にはなりえないといったようなことを『中国史』の一番始めに書いている。
275 :
神も仏も名無しさん :2009/11/25(水) 23:57:32 ID:JBhALnVE
>>273 君のいう科学とは何かな?
もしかして唯の素朴実在論なら、それは全く科学ではありえない。
276 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 00:06:23 ID:E16aPCJn
>>273 >書いてある内容が、
>科学的に事実な事かどうかと言っています。
ああ、以下は、
>>270 >その信仰している経典が、
>事実であるか確認はしたの?出来てるの?
「経典の」記述内容・指示内容が「事実であるか確認はしたの?出来てるの?」
と言いたかったわけ?
それなら科学とは相容れない、というか科学の有効領域を超えているから。
なぜなら、科学は凡人の認識を基準とした現象についての普遍妥当性を追求し、説明体系を提示するものでしょ。
仏教は凡人の認識領域も扱うけど、主に扱うのは行者からブッダの認識領域だから無理。
で、確認方法は
>>271 の第二段ね。
>>274 そういう意味ではなくて、因果関係が崩壊して新たに歴史が作りかえられ
その場合、古い歴史での個は意味を失い種がバラバラの個に内在される。
歴史が変化しても残るのは想いではないだろうか?
>>274 横レス入れていいか?w
≪「世俗的言語習慣によりコロンブスと呼ばれる人物」が、
「世俗的言語習慣により(“世俗的言語習慣で言う今”も)アメリカ大陸と呼ばれる地理的場所」に、
「世俗的言語習慣により船と呼ばれる乗り物」で「世俗的言語習慣での上陸」をした≫
という
≪「世俗的事象」が「世俗的言語習慣で言う歴史上(○×△□年に)」「所縁により生じた」≫
ことをどう見るのか? と、彼は問うているんだと思うぞw
279 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 00:09:53 ID:A2od9B6N
>>268 本当に悟った人はいなかったのでしょうか?
世の中には、100メートルを9秒代で走れる人もいる。
私なんかには想像もつかない速さだけど、実際にいる。
あ、彼は違うことを言ってたか・・・w ま、いいや、私個人からのツッコミとしといてくれ・・。 帰るwww ノシ
281 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 06:56:36 ID:E16aPCJn
>>277 >因果関係が崩壊して新たに歴史が作りかえられ
意味不明、例か譬喩で説明されたし
282 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 06:58:23 ID:E16aPCJn
>>278 宮崎・渡辺の両書を読まれたし。
年表は歴史じゃないんです。
基本的に仏教界は理系脳がいないんだよ。 だあれも、教義が事実に即しているのか研究しようとしない。 やってるのは文献のつじつまあわせだけ。 ぜひ理系脳を入れるべき。 腐った妄想経典は焼いて捨てろ。 いまどき、葬式宗教では生き残れないだろ。
284 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 08:26:19 ID:A2od9B6N
>>283 脳の問題かなぁ?
一番必要なのは、
ちゃんと戒・定・慧を実践する修行者でしょう。
>>284 修行で悟れるの?
また悟りを体得したと主張したところでその内容は釈尊が説いたところと一致するの?
釈尊の死後誰も悟らせていない修行の実践など何の意味もない。
286 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 08:56:12 ID:E16aPCJn
>>283 違う違う、君みたいに考えて賢い和辻が科学という名の常識・素朴実在論に歩み寄って、
ただの薄っぺらな倫理に変えてしまった訳だ。
それに追従してる仏教学者は結構いる。アホばっかだ。
そんなの以下のようにパーリ『梵網経』で釈尊が吐き捨ててる。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html 葬式仏教でも生き残れないが倫理常識仏教でも生き残れない。
倫理常識なら、デレク・パーフィットやヘアなどの倫理学がより科学に合致するだろう。
なぜなら、科学の範囲内のこと、つまり凡人の認識領域だけを対象としているからだ。
そんなもん仏教でもなんでもない。
もうちっと広い視野を持たないなら語らないように。
アメリカ・ヨーロッパじゃ仏教が、実用的に評価されてるぜ。
セブン、こんな常識仏教ならパーフィットやヘアなどの倫理学で十分だと思わないのか?
君のスタンスだとこちらに傾斜するように思われるが、そこはどうなの?
287 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 08:58:23 ID:E16aPCJn
>>285 ずーと続いてるよ。日本が断絶したか、ほとんど皆無にちかいだけ。
チベット圏とビルマではいまだに結構、多くの結果を出している。
288 :
神も仏も名無しさん :2009/11/26(木) 12:39:14 ID:A2od9B6N
>>285 悟りの第一段階である預流果なら、
日本の禅僧にもいそうな気がするけど。
289 :
神も仏も名無しさん :2009/11/27(金) 07:49:06 ID:uYP6h6UT
日本の仏教学者を、宗派を問わずにランク付けしてください。 独断と偏見で構いません。 できれば学者として権威がある順のランクでお願いします。 何人名前を挙げて頂いても構いません。 仏教、仏教学に詳しいかた、お願いします。
ダライラマの言うように、 仏教の教えを現代科学の観点から考察してみる必要があるだろうな。 もはや、信仰依存では、仏教人口は減る一方だ。
291 :
神も仏も名無しさん :2009/11/27(金) 10:15:09 ID:U66AlGis
>>289 翻訳・論文を参照すべき学者
水野弘元、片山一良、梶山雄一、荒牧典俊、榎本文雄、
福田洋一、御牧克己、生井智紹、村上真完、今西順吉、
木村清孝、辛嶋静志、石飛道子、長尾雅人、木村泰賢、
平川彰、赤松明彦、勝又俊教、堀一郎、辻善之助、山口益
翻訳は参照すべき学者
津田真一、宇井伯寿、高崎直道、中村元、丹治昭義、
桜部健、早島鏡正、玉城康四郎、奈良康明、立川武蔵、
宮元啓一、
参照を控えるべき学者
山口瑞鳳、松本史朗、並川孝儀、秋月龍ミン、鎌田茂雄、
和辻哲郎、増谷文雄、小川一乗、ツルティム・ケサン、
正木 晃、西嶋和夫、本田恵、ひろさちや、山崎龍明
とりあえず、思いつき。中間の方々は微妙な方もいらっしゃる。
292 :
神も仏も名無しさん :2009/11/27(金) 10:22:11 ID:Gua7YGEs
>アメリカ・ヨーロッパじゃ仏教が、実用的に評価されてるぜ。 中東や仏教国以外の東南アジア、中央アジア諸国ではどうなんでしょう。 一応アラビア語訳の「仏教聖典」もあるみたいですが、どれくらい普及しているのか……。
293 :
神も仏も名無しさん :2009/11/27(金) 11:27:03 ID:U66AlGis
>>292 中東はイスラエルには少しいる。
イスラム圏は多分、全く居ない。
294 :
白蓮 :2009/11/27(金) 12:01:10 ID:14LRekKP
>>97 :しんらんさん
※ 浄土真宗が一番優れているわけではありません。
浄土真宗には反省の教えが無いと思いますが、反省なくして煩悩だらけに心を
支配されては、心は汚れて真っ黒です。心が清浄でないと極楽には行けません。
例えば、田んぼで転んで頭から足先まで泥まみれのまま、綺麗に掃除され、整理
整頓されている家に入れますか?家には入れてもらえません。家の玄関に普段は
優しい奥さん等は鬼のように怒ります。「あんた。それ何よ。泥だらけじゃない。
そのまま家に、入るつもりなの。ダメです。入れるわけに行きません。納屋の横
樽に水が入っているから、洗ってらっしやい!!ほんとうもう!!体を洗って
綺麗になったら家に入れてあげるから、自分で洗いなさい!!私は家のことで忙
しいから手伝って上げれないわよ!!」というようにこの世の例をあげましたが、
極楽浄土に行くには、反省の自助努力があっての他力なのです。反省も反省の
仕方としての八正道等や仏法真理を学ぶことで理解できます。反省をして、心を
清め、煩悩を心の支配下において悪より善が多ければ、極楽浄土に行けます。
煩悩に振り回されて真っ黒の心では、仏を念じても真っ暗です。悩みや心配事が心に過ぎったり、
淫らな異性を妄想していては、念仏とは言えません。
阿弥陀如来の本願力は、反省等の自助努力あっての本願力であります。
親鸞聖人も反省行に打ち込んでいました。御仏は、あの手この手で、救いの手
を差し伸べています。ただ心が清くないと、救いの御手に気づかずに通り過ぎ
てしまうのです。あるいは拒否したり、慄いたりしているのです。
日本に仏陀が再誕しています。救いの御手は差し伸べられています。
救いの手を握るか握らないかは、各個人の選択の自由に委ねられています。
その選択の結果責任は、死後、あの世の世界で地獄か極楽浄土の天国に行く
かが明らかに結果として分かってまいります。
295 :
神も仏も名無しさん :2009/11/27(金) 12:52:55 ID:aJyM2jHj
>>294 浄土系宗派ではそのようには考えないと思います。
296 :
神も仏も名無しさん :2009/11/27(金) 13:20:33 ID:U66AlGis
>>295 その人は大川興業のファンなんでスル〜してください。
何を言っても無駄です。
297 :
神も仏も名無しさん :2009/11/27(金) 14:34:31 ID:DYTgqlap
慧能が大悟したといわれる「金剛般若経」の 応無所住而、生其心 を解説してほしい
>>286 この譬えで伝わるかどうか判らんがw、
≪【同じ『車』なんだから(→車として機能するんだから)】エスティマじゃなくてヴィッツでいいじゃん≫、
と言いたいわけだろ?w
けど、ヴィッツじゃ足りない部分・要素があったりもするわけだ。
エスティマならではの要素もあるわけだ。
宝珠は、(人間に対しても同様な態度を推奨するのか知らんがw)、
《気に入らない所があったらさっさと別れたらいいじゃんw》とかほざいてたが、
君もそう思うのかい?短所のある人間とはさっさと縁を切れ、と?www
それと、私にだってPCに触れない日もあるw
また、互いに名無しだ。人違いも多々生じようて・・・w
>>286 涅槃に至るまでの科学的な方法論と、
人間としてのあり方を説く道徳を、
明確に区別して扱えばよいのではないか?
前者は、物理学、医学、心理学等と同列同格であり、
あわせて道徳をとけば良い。
今の時代、科学で否定されたものなど、誰も信じない。
このままじゃ、日本の仏教はあと50年もたないな。
300 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/11/27(金) 18:35:30 ID:oNHU04vm
>>297 昔中国に「自分は何でも食える、食えないものはない!」。
と、豪語する香具師がおってな、
そこで某王様が「それなら、ドーナツの穴も食えるのか?。
って、問うたそうだよ。
で結果として、その豪語する香具師は、一切豪語しなくなったんじゃと。
つまり
「応無所住而、生其心」というのは、そういうことが書かれておるんじゃよ。
301 :
白蓮 :2009/11/27(金) 22:59:04 ID:39+dAlJU
>>295 :神も仏も名無しさん
※ 浄土系宗派ではどのような考えでしょうか?
302 :
神も仏も名無しさん :2009/11/28(土) 06:05:50 ID:BZmcOoBU
>>294 > 浄土真宗には反省の教えが無いと思いますが、反省なくして煩悩だらけに心を
> 支配されては、心は汚れて真っ黒です。心が清浄でないと極楽には行けません。
→浄土門には、自らを煩悩まみれの凡夫だと思って懺悔(反省)する
教えはありますが、しかし、心が清らかでないからこそ他力にすがるのです。
> 極楽浄土に行くには、反省の自助努力があっての他力なのです。反省も反省の
> 仕方としての八正道等や仏法真理を学ぶことで理解できます。反省をして、心を
> 清め、煩悩を心の支配下において悪より善が多ければ、極楽浄土に行けます。
→阿弥陀仏の名前を称えるだけで、過去の罪業はリセットされると考えますから、
過去に悪業が多くても往生できる教えです。
> 煩悩に振り回されて真っ黒の心では、仏を念じても真っ暗です。悩みや心配事が心に過ぎったり、
> 淫らな異性を妄想していては、念仏とは言えません。
→法然さんは、妄念が浮かんだなら浮かんだままで
念仏をとなえればよいと説いてます。
浄土門は、善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、
念仏すれば往生できるという教えです。
> 阿弥陀如来の本願力は、反省等の自助努力あっての本願力であります。
→自分を罪悪生死の凡夫だと信じることが阿弥陀仏の救いへの信につながるので、
そういう意味では、あなたのおっしゃるように、
念仏と反省(懺悔)はセットになっています。
しかし、臨終のときに罪業のために心が散乱して
仏を念じることさえできない者でも、
阿弥陀仏の名前を口でとなえれば往生できるという教えもありますので、
反省どころかわけがわからない混乱状態の中でも、
仏の名前をとなえるだけで救われる教えでもあります。
303 :
神も仏も名無しさん :2009/11/28(土) 06:19:58 ID:BZmcOoBU
また、念仏者の命終の瞬間には、 阿弥陀仏が極楽から迎えに来てくれるという教えです。 ですから、日頃から念仏してた人の場合は、命終の瞬間には、 迎えに来てくれた阿弥陀仏の力で妄念も心の散乱も、ふっとび、 正念(正しい精神集中状態)を得て往生すると言われています。 念仏をとなえるたびに、それまでの罪業はリセット。 妄想が浮かんだままで称えてもいい。 普段心が雑念だらけの人でも、 命終の瞬間には阿弥陀仏のお迎えで正念になる。 …という教えが浄土門の特徴です。
304 :
神も仏も名無しさん :2009/11/28(土) 06:31:19 ID:ECLrVMwL
>>297 x であると認識して掴むことを「住」すると言っていると思われ。
「其心」は「清浄心」を指し、「清浄心」は「荘厳仏国」を指しているから。
つまり、業が縁起した穢土が見える不浄な心ではなく、
如来が性起して荘厳された仏国、つまり、浄土が見える清浄な心が生じるということを言っている。
どうすれば生じるのかと言えば、x であると認識して我・本質を掴むことを止めれば「清浄心」が生じる。
我・本質を掴むことは、我見であり、何か自性が実在すると認識すること、
それを壊すのが無我・空に他ならない。
つまり、無我・空の状態に留まることが、「無所住」と思われる。
ただし、これは三昧を体得した人が縁起・空観などで無我・空を体験しなければ、
以上の論理を知的に理解しても、ただの屁理屈か奇妙な哲学・思想ぐらいにしか思えないでしょう。
305 :
神も仏も名無しさん :2009/11/28(土) 06:34:21 ID:ECLrVMwL
>>298 車のことは分からん。エスティマが高級車で、ヴィッツが大衆車なのか?
ヴィッツはよく乗ってたけど。それで何が言いたいのかも分からん?
短所のある人間を切れというのは修行中なら、そうでしょう。
成就したら、救うべし。
別に、答えは急がないよん。
306 :
神も仏も名無しさん :2009/11/28(土) 06:37:08 ID:ECLrVMwL
>>299 科学というか、素朴実在論みたいな今日的常識に迎合した和辻説みたいなものが主流になったから、
日本仏教はダメなんでしょ。
それは吉村均先生の諸著に明か。
科学でいいなら、もう仏教はいらないってことになるだろ。
そんな簡単なことなんでわからんかな。
科学的でないものが認められない、なんてことはないだろw
そういう意味じゃ、もう仏教いらねぇんじゃねぇの? 仏教で国を治める時代でもないし。 非科学的な信仰じゃ、政治団体の資金源にしかならない。
科学的な信仰って?
科学的なら信仰する必要がない。
科学は「現在知られている事実をもっともうまく説明する仮説を信じる」という信仰に支えられた宗教
>>305 最初はゼロクラウンとヴィッツが浮かんだけど、
それじゃホントに高級:大衆という対比になっちゃうからやめた。
エスティマは、ちょっと流線形のワゴンタイプだよ。8・9人は乗れるんじゃないかな?
対してヴィッツは軽手前の小型車だよ。 それぞれ使用法に区別が生じ得るだろ?w
5人家族6人家族で子供が小中となってくれば、ヴィッツじゃ不都合だろ?
或いは小さくとも会社なれば、あちこちに営業回って荷物の搬送もあるとしたら、
選ばれるのは軽ワゴンだろ?(経費のこともあるしw)
それを「【同じ“車”なんだから】ヴィッツでいいだろ?」という助言発言は盲目以外の何物でもなかろう?w
こういう図式のことだよ。
>>305 宝珠は、
「ゴータマの教えが信じられなければ、信じなければいい。仏教を捨てればいい。ゴータマから離れればいい」と言った。
貴方も同様のことを言う。
以前私は返した。恋人が怒りっぽいからといって別れたりはしない、と。
短所をカバーしてあり余る魅力があれば、(そしてそれが重要な要素であれば)付き合い続ける、と。
宝珠も君も、(たった一つ)意見の合わない点があった時は、(そしてそれが【些細なw】部分であっても!)、
「別れなさい」とアドバイスしてるんだよ。
だから、そういう狭量な男でどうする?と私は反対意見を述べ続けるのさw
俺みたいなスタンスの男が居てもいいだろ?と。
世界中が彼女のことを非難しても、「この一点、この一点こそが彼女の魅力なんだ!」と添い続けても構わんだろ?w
宝珠や君にとやかく言われる筋合いは無いってことだ。
私にとっては、ただ1割の批判が「三世に跨る輪廻及び転生」及び「物理的世界観を無視した神通」であり、
あと9割は完全同意なわけさ。そして、その中に仏教の核(コア)があると信じてるし、
君らの助言など大きなお世話だ。
また、「ゴータマのおしえ」「ゴータマのおしえ」と連呼するが、
君の嫌う文献学以外で何がそれを担保するんだい?
君の言う師資相承の伝統も、100%の信頼性ではない。(現に日本では途絶えている!?www)
そんな曖昧な中で、
「信じられなければ信じなければいいことです」なんて外道から言われてもな・・w むかっ腹が立つだけだw
>成就したら、救うべし (→いったん離れ、後ほど再接近という)
その構図でいけば、(自身の中で)リスクマネジメントを考慮した輪廻の語りが用意できた時、その時、
距離を置いていた「三世に跨る輪廻」を店先に並べることになろう。
今はまだ倉庫の奥にしまっておくよw (私は法王じゃないんでね・・・。)
御理解いただけたか?w
もう一言、駄弁を添えておこうか。 「三世に跨る輪廻及び転生」及び「諸神通」を、『核(コア)』とし、外せないものとすることは、 ≪【同じ“車”なんだから(→車として機能するんだから)】F1カーで宅配便配達してもいいじゃん≫ ということさw ここは質問箱だったな・・・。 続きがあるならあちらで・・・。 ノシ
314 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/11/28(土) 14:57:53 ID:qHo+jg07
>『核(コア)』とし、外せないものとすることは、 コアとは、コアと成らしめることにおいて、コアである。 つまり「成らしめる」ことと「成る」ことにおいては対立関係、 および依存関係において成立するのである。 ようするに、コア自体を「外す」とか「外さない」とかの範疇には属さない。 「応無所住而、生其心」 依存においてしか、ドーナツの穴は、穴ではないのである。 穴はあたかも「生じるが如し」。 「応無所住而、生其心」 よく熟考されたし。 >続きがあるならあちらで・・・。 続きなど・・・あろうはずはない。
「私」というのは現象でコアなんて無いんでしょ?
316 :
神も仏も名無しさん :2009/11/28(土) 17:05:33 ID:fDYJYiOV
>>286 まさにゴータマ・ブッダは倫理学のカテゴリで語られるべき人物だと思いますよ
自由を規範にした倫理学などがある中、
ブッダは苦を滅却するための倫理学。
ゴータマブッダこそ古代の哲人。何も科学とバッティングしない。
317 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/11/28(土) 17:08:20 ID:qHo+jg07
>>315 コアなどはなくて、ただただ生じてるのであります。
コアであることが生じたり、また
コアでないことが生じたり、
人の心と申すのは、かような生滅に過ぎんのです。
「応無所住而、生其心」
戯論を消滅する、縁起の法を説いた、
最も優れた者である、仏陀に礼拝する。
<中論・序章より>
そうだ、大事なことに答えてなかった。
>>286 >こちらに傾斜するように思われるが
そらそうでしょう。 (浅学にも和辻の論文や著作を読んだことはないが)、
《私もまた、「(若干なりともw)“その方向”へ寄せたい」と考える一人》だからだw
勿論、寄り切ってしまう必要はないが、(学会、市井共に含めて)今の宗教界は、
貴方の批判する「平凡な倫理哲学」という皿と「超能力・超常現象全開のオカルチック仏教」という皿と、
両極しかない天秤みたいなもんだ。(少なくとも2chではその傾向なので、必然、態度の方も絞られてくる・・w)
で、私はどちらにも与したくないが、まん真ん中もつまらんな・・とw
スレチ失礼した。 m(_ _)m
おまえら瞑想せいや。 特にツクエ。
320 :
白蓮 :2009/11/29(日) 00:08:22 ID:yQVTH8yA
>>302 :神も仏も名無しさん
☆浄土門の説明ありがとうございました。
気になる所ありましたので感想も含め述べてみたいと思います。
☆気持ちは分かりますが、あの世にもルールがあります。
極楽浄土の条件は一つ目は、心の清らかさが第一条件です。
二つめは無私の心で善行したかであります。悪より善が多ければ、極楽浄土に
行けます。阿弥陀如来が雲に乗って救いに来ても、罪の重さで雲に乗ったつもりが
ストーンと抜けてしまいます。
☆免罪符はありません。応急処置として「大丈夫だよ。傷は浅いよ」の気休め程度
です。
☆念仏で淫らな妄想が離れるのでしょうか?
本腰の救済ではないですね。一時的手当の応急処置ですね。
☆キリスト教と似た教えですね。深い地獄には堕ちないけど、浅い地獄に堕ちて
南無阿弥陀仏と集団で唱えている、阿弥陀地獄という地獄もありますから、過去
の人生を反省して心を清く爽やかにしたほうが、地獄に堕ちなくて済みます。
>>303 :神も仏も名無しさん
☆念仏をとなえるたびに、それまでの罪業はリセットでは悪行し放題になり、快楽
中心の生き方に流れやすいですね。反省する人がいなくなります。
他力のみでは、山師みたいな感じです。自助努力あっての他力です。
基本的に、日々の感謝と日々の反省があれば地獄には堕ちません。
白蓮=亭白
322 :
神も仏も名無しさん :2009/11/29(日) 01:18:04 ID:aADy/P/g
>>320 極楽浄土や阿弥陀仏という名前を持ち出すのであるならば、
極楽浄土や阿弥陀仏が出てくる経典の教えに順じて
その概念を理解するのが筋だと思います。
あなたが経典の内容を信じるか信じないかは別の話として、
経典に書かれていることが何かは理解しないと。
極楽浄土や阿弥陀仏の名前を持ち出さずに、一般論として、
善行を備えなければ来世で幸せになれないとか言うのは、
それはあなたの個人的な思想、
あるいはあなたの信じる何らかの信仰ですからかまいません。
しかし、それなら、極楽浄土・阿弥陀仏という、
特定の経典に出てくる概念を持ち出す必要もありません。
単に、悪人を救済する極楽浄土や阿弥陀仏の教えなんて私は信じない、
ありえねぇ、とだけ言えば足りるでしょう。
323 :
神も仏も名無しさん :2009/11/29(日) 01:28:20 ID:aADy/P/g
>>320 念仏により往生できることと、
この世にいながら善人になることとは、別の話なのです。
この世でいるときには最後まで善人になれなかった人でも、
念仏により極楽に往生できれば、
阿弥陀仏の力で善人に変身させてもらえるのです。
しかし、だからと言って、この世で悪いことし放題でかまわないとは、
浄土門では言いません。
浄土宗の元祖法然さんは、阿弥陀仏の心を親心にたとえています。
阿弥陀仏は、わが子がどんな悪い子でも見捨てない。
しかし、善い子を喜び、悪い子を嘆くというのです。
また、法然さんの時代に、実際に一部の信者達の中に、
念仏で救われるから悪いことしてもかまわないと言う者があり、
社会問題になり、教団弾圧の危機にまで発展したのです。
で、法然さんは、念仏信者に対して、
悪いことし放題という考えは間違いだと言っています。
浄土門も仏教なのだから、善人をめざすのが大前提です。
しかし、それでも罪を犯してしまうのが凡夫です。
そのような凡夫でも阿弥陀仏は見捨てない。
見捨てないけど、仏教徒であるかぎり、善人をめざすのがあたりまえなのです。
324 :
神も仏も名無しさん :2009/11/29(日) 01:39:47 ID:aADy/P/g
>>320 往生極楽の条件については、主に、
無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の
三つの経典(浄土三部経)に書かれています。
浄土門は、正依三部経・傍依一切経の立場であり、
浄土三部経をメインに信じてよりどころとしつつ、
同時に、その他のすべての仏教経典も信じるという立場です。
325 :
白蓮 :2009/11/29(日) 10:51:15 ID:eh1w6zQT
>> ID:aADy/P/g さん ☆「仏教徒であるかぎり、善人をめざすのがあたりまえなのです。」そうありたいです。 他力ばかりに頼らず、反省の教えが入れば、浄土に行く方も増えると思います。 ちなみに阿弥陀如来は存在しません。無量寿光で光明として輝いている様で、仏の 機能としての働きとしての救済力の光です。 仏は主エル・カンターレでお釈迦様の本体の本仏のことであります。
社会適応できない旧分裂病と 社会適応してえる・かんたーれ とか 言ってる奴とどっちが基地外なんだろ・・ R・Dレインの言葉が思い出される。
>>297 その方面の専門家は黙って坐ってるだろうから答えは期待出来ないと思う
328 :
神も仏も名無しさん :2009/11/30(月) 01:13:57 ID:3cBOX0As
念仏というのは、ホトケを念じること。つまり禅定です。善導の異端的 解釈が念仏の本義を歪めてしまっています。ご注意あれ。
329 :
神も仏も名無しさん :2009/11/30(月) 01:47:10 ID:V/ORYwo+
>>328 観無量寿経の下品下生の説明のところで、
仏を念じることができない人でも
仏の名をとなえるだけで往生できると書かれています。
観無量寿経を信じる場合には、
善導大師の解釈は間違いとは言えません。
少なくとも、お経に背いてはいません。
観無量寿経が本当にお釈迦様の説かどうかは、かなり怪しいけど。
お経をすべて仏説だと信じていた時代のことなので、
善導大師に罪はないと思います。
悪いのは、偽経を創った人でしょう。
330 :
白蓮は大川アホりゅうほう洗脳者なり :2009/11/30(月) 07:18:35 ID:u0cUATgj
1、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうは今まで伝えられた仏教の経典と基本を無視している霊媒優位にw 仏陀の本意、基本である、ありのままに見る、(これが八正道の正見) 、現実主義を放棄している。 仏陀の本来の認識である現実の生きていく「苦」に対する現実的考察と対応 を捨てている 2、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうは当人が利用する仏教用語の本来の意味を変えている(空を霊と言う) 空とは本来、実体が無く、無形、執着しない、であるのを、霊と言い出す始末w 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの脳では仏教用語を利用しながら、元々の仏教用語を無視し、 過去から伝えられた仏教用語の本来の意味を 現在の四流低級霊霊媒師の判断が先にあったと言う妄想、時間軸が狂っている、精神病か? 3、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうは空とは本来、実体が無く、無形、執着しない、であるのに、 国師、総裁とか言う地位を好む四流霊媒師大川アホりゅうほうw 4、思いつき低級霊的四流霊媒感覚の大川アホりゅうほうのお言葉を妄信を前提要求しているw 5、霊的認識と言う魔境と言う実体、有形なるものを重視w 6、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうは霊言とか言いながら、 色々の宗教の教祖と霊媒できうると豪語するくせに、 仏教各派、キリスト教などの、その宗教団体の教義、信徒とまともな対話不可能な霊言が真実と言う 7、また、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界で引用が多いのは、 日蓮、「立正安国論」など、仏教歴史上、正邪分別が激しい異端仏教の仏教用語を使用している、 末法とか、想定するw まあ、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの滑稽さは、 無宗教的、相対論的に考えれば、明確、 日本で無い、アマゾンの原住民世界で仮に生まれて、それ以外のヨーロッパ社会でもいいが、 生まれた最初に見る子供の世界から見れば、 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界など何処にもないw、 普通の感覚で、日本以外で生まれた子供が 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界よって認識しているのだろうか? 仏陀の本意、基本である、ありのままに見る、現実主義の方がどの世界でも普遍的に通じる。
食べられない腐ったものを まな板の上に乗せないように。
332 :
328 :2009/11/30(月) 12:11:15 ID:Nb7h9JYT
>>329 「悪いのは、偽経を創った人でしょう」のご意見に同意します。
333 :
神も仏も名無しさん :2009/11/30(月) 13:14:40 ID:4Ns7rk3t
>>332 偽経とか言ってる時点や、方便を認めない時点で、縁起を解してないと告白してるようなものだぞw
334 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/11/30(月) 14:54:23 ID:gHVuGp1e
>>329 >仏の名をとなえるだけで往生できると書かれています。
仏門といふのは、基本的に門戸が広くなっております。
故に方便も多々ございます。
赤子が泣いているような状態なら、飴玉をしゃぶらせば泣きやむ。
これは禅門では「即心即仏」といふ。
(レベル的には浅い状態です)
飴玉はちゃんと用意しておっての話しでありまして、
これで完結しているのではありませんです。
完結は「非心非仏」ですね。
毒矢の譬えの如し、先ずもって矢を抜く。
これが簡単なようで非常に難しいものでございます。
335 :
白蓮 :2009/11/30(月) 16:51:35 ID:/pXL8Bv1
>>330 >空とは本来、実体が無く、無形、執着しない、であるのを、霊と言い出す始末w
☆あなたの述べる「空」は心の有り様としての執着を取り去る無我なる心になることで、
今まで見えていない霊的実在を知ることになります。空の世界のこの世の世界だけで
ない、背後にある、あの世の実在界があることに気づいてまいります。人間に限らず、
死後、肉体から霊体として霊界で生活する存在として変わってまいります。
それらを含めて「空」と言います。そして一切皆空であることが腑に落ちてくるので
あります。あの世の霊界とか霊存在は、この世的に肉の目で見れば、実体が無く感じ、
無形に見えるので客観的証明は出来ません。
質問箱に議論仏教
337 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/01(火) 03:27:00 ID:AZ6pnEDx
仏教スレにカルト信者
338 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/01(火) 04:15:07 ID:AZ6pnEDx
つーか、名無しの偉そうな奴は何してんだろうな?(笑) 仏教質問スレを腐れカルトが荒らしてるんだから、お得意の中論で論破したら良いのに♪(笑) (^。^)汚汚川腐れカルト教祖が怖いとかだったら笑えるが♪(笑)
339 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 07:09:35 ID:u56H/VC1
>>338 大川教はどうにもならん。大川なんて広告代理店に著作や教義作らせてる確信犯的詐欺なのに、
仏教を語る際に過去の伝統や経典との矛盾をついても、
大川の言う新しい教えが正しいとのたまう始末だ。
こんな人たちはスル〜するしかないだろ。
340 :
哀れな白蓮を救済せよ! :2009/12/01(火) 11:38:50 ID:/BrN/vXM
なお、戯論は初期仏教も、もとより、大乗仏教の祖、竜樹の中論の冒頭の句で 戯論を消滅するとあり、 仏教の基本の現実をありのままに見る(如実如見)の前提として、 目の前の現実に対応できない戯論すなわち無駄な理屈理論説明を放棄する、とあり、 禅の実用的路線も継承されたものであるのだが、 大川アホりゅうほう捏造仏教用語知識、戯論すなわち無駄な理屈理論説明を生産して喜び、現実を見失う 大川アホりゅうほう信者の彼らは現実を直視できず、現実的指摘を受け入れることができないw 普通の現実的人生的問題を大川アホりゅうほう捏造仏教用語知識、戯論すなわち無駄な理屈理論説明で越えられると妄想している、 大川アホりゅうほう信者の彼らは現実を直視できず、現実的指摘を理解できない普通の人間性を失い、 大川アホりゅうほうを信じないと地獄に落ちる、と洗脳されており、 金を多くむしり取られようとも、洗脳内容を捨てることは=自己否定と思うようになった 哀れな白蓮でもある
341 :
哀れな白蓮を救済せよ! :2009/12/01(火) 11:48:05 ID:/BrN/vXM
あと、大川アホりゅうほう信者の特徴は 連中は禅定経験よりも、大川アホりゅうほうの妄言教義を妄信するのが重要だからねw 大川アホりゅうほうのお言葉の妄信だけw 大川アホりゅうほうのお言葉の妄信だけで、仏教教義の知っていると言う自信が異常であるw
342 :
哀れな白蓮を救済せよ! :2009/12/01(火) 11:50:57 ID:/BrN/vXM
325 :白蓮:2009/11/29(日) 10:51:15 ID:eh1w6zQT >> ID:aADy/P/g さん ☆「仏教徒であるかぎり、善人をめざすのがあたりまえなのです。」そうありたいです。 他力ばかりに頼らず、反省の教えが入れば、浄土に行く方も増えると思います。 これも大川アホりゅうほうのお言葉の妄信による異常な仏教教義の自信だ、 浄土宗、真宗の教義的には反省があるんですけどねw
343 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/01(火) 13:05:29 ID:AZ6pnEDx
>339 そんな事言わないで、あんな気違いでも相手してあげようぜぇ〜。 俺なんかより中論を深く理解出来てる人の捌き方って見てみたいんだけどなぁ♪(笑) (^。^)てか、見せろ♪(笑)
344 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 13:46:39 ID:u56H/VC1
>>340 >目の前の現実に対応できない戯論すなわち無駄な理屈理論説明を放棄する、とあり、
戯論は、そういう意味ではありません。
「目の前の現実」こそ、戯論という言葉の妄想本能・妄想力が作り上げた妄想以外のなにものでもないんだ。
戯論というのは、個物に一般・普遍の意味を妄想展開する妄想力、
言語本能みたいなものだよ。
仏教での用法・意味は一貫してこのようなもの。
345 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 13:48:37 ID:u56H/VC1
>>343 過去の経験から無駄だと分かってることは致しません。
つか、見たいなら、自分で中観スレ等で、素直に質問すれば答えるがな。
346 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/01(火) 14:12:20 ID:AZ6pnEDx
>345 (^。^)君たち一派に絡むツモリは無いよ。(笑) 飛び猿だか石猿だかを崇拝してる人はややこしいから遠慮します♪(笑)
347 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 16:28:12 ID:u56H/VC1
>>346 どうぞ、どうぞ。それなら、ここでも絡むなよんw
経典の「経」とは、釈尊が説いた話を記録しているものだとするそうですが、 そうなると現在世界中にある経の文書の内99%が偽物ということですね。 偽経を本尊にしている宗教の立場は?
349 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 17:11:21 ID:u56H/VC1
>>348 いやいや、そういう態度・見方は縁起を理解しない実在論的立場、
縁起を理解すれば大乗も密教も仏説としてなんの問題もない。
>>349 質問箱で、それは言い過ぎw
その方針は、
幸福の科学をも仏説として括り得る危険性を(【潜在的に】)内包しているという自戒が必須www
幸福の科学から独立して、なおかつ大川創造主説とかのギャグを捨て 北朝鮮やアフリカのヤバい地域で求道・布教しながら揉まれてくれば もしかしたら「仏説」と呼ばれるに足るものが生まれてくるのではないか?
352 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 19:07:10 ID:AH6Cr0R5
353 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 19:27:10 ID:y45Cqk63
>>285 >また悟りを体得したと主張したところでその内容は釈尊が説いたところと一致するの?
一致する。
>>352 たしか覚者が輩出されるかどうかが、一つの基準だった。
華厳経も複数のパーツで出来てるし、ダイアモンドヘッドも磨き上げて
他からいい部分を持ってきて合体させていって内容を高めていけば、
あと信者・僧侶の共同体を永続させていけば、いつか覚者(っぽいの)が
輩出されるのではないか。歴史が積もれば箔がつき、他の団体で
使われる可能性が大きくなるだろうから「実証」されるチャンスも増える。
355 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 20:19:47 ID:u56H/VC1
>>350 そんなことない。逆ですがな。実在論的常識視点に偏り過ぎてるから、
大乗批判とか大乗非仏説がまかり通っている。
大川興業なんか、経証にも理証にも合わないし、結果を何も出してないでしょ。
あんなもん信じる方がおかしいw
>>352 なんだそりゃ? テルマなどが承認されるにはそれなりの手続きがいるんです。
経典も経証と理証で検証され、結果を出すかどうかが検証される。
何よりも結果、つまり、悟った人を輩出しなければ、いずれ廃れてしまう。
>>354 パーツで出来てるというのは文献学的分析でしょ。
そんな分析すれば『スッタニパータ』でも『アッタカヴァッカ』でも
パーツ、つまり先行する文に分析可能だし、実際、苦行者文学が叫ばれている。
経典は、言語習慣に依存するから記号化する過程で既存のテクストに依存しなければならないのは明か。
そのような文献学的分析が、間違っているだけのこと。
>>355 縁起を解っていないのは貴方でしょう?w
「因により縁により、種々の仏典は記されてきている」ことしか貴方は指摘していませんよ?w
ならば、「因により縁により」「成立した」「あらゆる仏教関係の文献は、仏説足りうる」でしょう?w
『結果』?
誰が、何が、それを正当だとするんですか?www
>経証と理証で検証され、結果を出すかどうか
これらも、【既存の文献】でしょう?w
≪【各師匠が正当かどうかも】!【実質!】【文献に拠っている】んじゃないんですか?≫?
どうなんです?w ( ̄ー ̄)
357 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 20:50:50 ID:AH6Cr0R5
>>355 経証、理証?誰が検証するの?
何か正式な検証機関とかあるわけ?
それとも、覚者が認定するのか?
その人が覚者であるという保証は?
結果がでる?出来たばかりの経典にすぐ結果を求めるのは無理でしょう?
以上より、ダイヤモンドヘッド経を仏典でないとする正当な理由が
少なくとも現時点では見付からないと思うけど?
あ゛〜・・・、質問箱でやる話題じゃないなぁ・・・。 自己嫌悪・・・・・・ orz
(護教的)擁護をしてもらうまでの道のりは気が遠くなるほど長く険しいものなんだろうな…… 「聖イッサ伝」はニューエイジャーから、「バルナバの福音書」はイスラム教徒から 擁護してもらっているが…… 「発見場所」はインドやアジア地域にしたほうが良さそう。 名のある博物館、図書館で隠されていた、としても足がついてしまう。 神々から書き写させてもらった、とするなら気にしなくても良さそうだが。 これを応用すればアフリカやアメリカやオーストラリアで「見つける」ことは一応できる。 仏教に改宗したジンが伝承してきた経典とするならイスラム圏からでも発掘はできそうだが余裕で死ねそう。 こういう場合もモルモン書みたく、翻訳したもの、ということにしたほうが無難そう。 トールキンみたく言語を創造して、羅刹方言とか阿修羅語で書かれた仏典を発掘した人が現れたら凄いね。
360 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:00:34 ID:u56H/VC1
>>356 そんなことない。縁起を私が云々するのは、実在論的な実証歴史に矛盾するから、
大乗経典は非仏説だという主張である。
経証は、伝承されたアーガマとの整合性です。確かに。
理証は、論理なんで法性、あるがままの現象・因果との整合性です。
つまり、書いてあることが現象と一致するか、追体験できるか、
再現性があるかってことですね。つまり、科学でいう実験に近い。
文献学だと理証は、思考実験と論理だけですが、行者には体験との一致がありますがな。
悟った聖者たちが判定、承認するに決まってますがな。
悟った聖者たちも悟った聖者たちによって判定、承認されます。
これはテーラワーダでも原始仏教でも、かつてのシナ・日本でも同じでしょ。
361 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:03:12 ID:u56H/VC1
>>357 上を参照。その悟った聖者たちをサンガというんです。
本来、サンガは聖者のみを言うものです。
信用できないなら水野『要語』のサンガ・僧宝の項目を参照。
非常に感動的かつ明解で美しい『要語』の傑作の一つ。
>>357 本人が覚者って言ってりゃ保証もへったくれもないだろ?
覚者なんだから
それで世間がそいつを基地外と決めつけて死刑にしたところで本人には無問題だろ?
覚者なんだから
363 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:05:13 ID:u56H/VC1
>>357 でたばかりの経典でも修行法は書かれている。
その通りして結果、悟った聖者がでればいいだけのこと。
チベットでは今に至るまで、ずっと行われている縁起ですがな。
認めない派もあるけどね。
364 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/01(火) 21:07:43 ID:AZ6pnEDx
>356 (^。^;)こんな横レスはホントーに不本意なんだが。(笑) 曲がりなりにも縁起を説けば仏説だ。 それと因により縁を経て成立した狂人の妄執が仏説ってのとは意味が全く違いますぜ。 orzあぁ、何を言ってるんだ、俺は。
>>357 ttp://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha011.html >ジョージ・タナベさんはハワイの日系人で、この本ももとは英語で書かれてるようです。
>アメリカ人らしい表現にに思わず笑ってしまった部分は、「新聞の俳句欄に投稿するように、
>新しい時代に適応する経典をどんどん生み出そう。そしてその評価は、読者である人々にまかせよう」という呼びかけです。
>これは、とても楽しい発想です。
>タナベさんが仏教を評価しておられる点は、仏教が時代にあわせて変化してきた(=節操なく迎合的だった)
>という点に尽きるようです。変化しても仏教である限り、なにか仏教としてのアイデンティティを想定
>しておられるはずと思っていましたが、際立ったものはなく、ただ「時代に合わせて変化してきたこと
>(=迎合的であったこと)」が仏教の仏教たるゆえんといわんばかりの論調です。
>私には、タナベさんは、ただのハッピイな近代主義者に映りました。
>時代にふさわしい仏教を作るといいながら、その内容は、絶対的価値を相対化し、
>個人の自由・解放・主体性を主張し、進歩(=日常生活の利便化・快適化)を賛美しているだけに感じました。
そもそも著者がこのノリでは正典認定されるのは難しいかと。
367 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:14:20 ID:AH6Cr0R5
何? 覚者って結局は言ったもん勝ち? 自分で悟ったと言えば、覚者なのか? それとも「覚者」から「お前は悟った」と言われることが条件か? なんかの免許皆伝みたいな? んで、その認定する覚者自身がホントに覚者である保証? ぜんぜん悟ってない覚者が弟子に覚者認定証を出してても 笑い話にしかならないのでは?
>>367 >笑い話
けど、それが現実。
受け止めなきゃ!現実を!wwwww
369 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:24:37 ID:u56H/VC1
>>367 >それとも「覚者」から「お前は悟った」と言われることが条件か?
>なんかの免許皆伝みたいな?
>んで、その認定する覚者自身がホントに覚者である保証?
その保証に凡夫の普遍妥当性はありえない。
だから凡夫なんだよw
釈尊が悟ったかどうかも分からないでしょ、凡夫には。
それと全く同じこと。
>>369 を、ちょっと擁護しとくか・・。 w
>>367 >「覚者」から「お前は悟った」と言われることが条件か?
そうだよ。
少なくとも、釈尊(ゴータマ・シッダッタ)以来の伝統ではある。
※(釈尊は《初めて(もしくは「埋もれていた法を見つけた」という位置付けで)それを示した》
というポジションに於いて、『その“認証の最初の”ドミノ』ではあるw)
だから、その伝統が「途切れていない」という自負があるなら、
或いは、「事実・事象として継続している」と認め得るなら、
そこに、悟りの系譜は脈々と繋がっている・・・。
夜回り先生みたいな「覚者」からお前も覚者だ、と認められたら 疑わずに受け入れちゃうね。
372 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:37:34 ID:u56H/VC1
>>370 >だから、その伝統が「途切れていない」という自負があるなら、
>或いは、「事実・事象として継続している」と認め得るなら、
>そこに、悟りの系譜は脈々と繋がっている・・・。
そう、だから聖者の伝統、伝承によるサンガ・僧団の継続が、
仏教の継続になるわけだ。
聖者というサンガがなくなったら、法だけが残ってもほとんど意味がない。
なぜなら、凡夫では法を判定できないからだ。
凡夫の論理で判定しても、ほとんど分からない。
そしてそれが現代日本仏教学に他ならない。
特に和辻以降の。
373 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:38:05 ID:SgHaYzLV
そもそも仏って何?
374 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:39:32 ID:u56H/VC1
>>371 はぁ〜
そんなこといってるから、仏教がただの無用な好事家の知識自慢みたいなものとしか捉えられないんだな〜
>>372 で、(その発言を受けて)ちょっと質問箱っぽい流れに戻すが、
比丘尼の系譜は絶えてるよな?
どうすんだ?
女性は阿羅漢となる道は閉ざされてるのか?
(´ー`)y━~~
376 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:41:32 ID:u56H/VC1
>>373 捨てるべき煩悩を全て捨て、得るべき功徳を全て得て、
目覚め輪廻から解脱した一切智者ですね。
377 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 21:46:07 ID:u56H/VC1
>>375 そりゃ、律の問題だろ。
ビクニの律ね。シャミニの律は続いてる。
大乗では別にビクニにならなくても悟れるから ok!
それによく知らんがビクニの律も続いてると主張する者もいるぞ。
反対するものもいるらしいが。
どっちにしろ大乗なら、根本的な問題ではない。
尼にならなくても悟れるから、精進次第、器次第だけど。
>>377 この発言(377)が、前の(≒これまでの)発言内容
「
>>349 >縁起を理解すれば大乗も密教も仏説としてなんの問題もない」
と、不整合を生じていることに気付かんか?
っと、そうか・・・。
貴方は、「律」と「仏説」を別枠・別基準で見てるのか・・・。それは意外だった。
どちらも一緒に見てると思ってたよ。
「仏典」「仏説」は、因により縁により、脈々たる系譜があり、
「律」は、その系譜とは別の系譜だと・・・。 (いや、或る意味その通りなのだが・・・orz)
だが、 「>大乗なら、根本的な問題ではない」という発言は、
それ以外の系譜は、正当な系譜ではないという意味を含まないのか?
379 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 22:14:40 ID:AH6Cr0R5
釈迦な始まる「覚者認定」が一度の間違いもなく、即ち、悟ってないものを覚者認定してしまったことがないと 何故言い切れるのか? また、独力で悟り、覚者認定が始まった系列はないのか? もし、そういうのが混じっていたら、最初の覚者が本物かどうかわからんから、まるで信用の置けない流れとなる。
380 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 22:15:15 ID:u56H/VC1
>>378 別に不整合でないことは分かるよね。
帰依戒でも十分と考えるから。
もちろん、ビク戒も素晴らしいと思う。
だけど、大乗では必ずしも必要条件ではないということ。
これは大乗が在家集団とか小乗戒を否定するという意味ではありません。
テーラワーダも正統な系譜ですがな。
あたりまえでしょ。特にビルマ系ね。
セブンは、考え方がテーラワーダだから。
ちっと、大乗をまなばな、あかんよw
381 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 22:20:57 ID:u56H/VC1
>>379 そこら辺は、聖者たちを見て自分で信じるか信じないかだね。
凡夫の判断にしろ、ある程度の行者の判断にしろ、
そこは難しいとこだ。
要するに就いた師匠がいいかわるいかは、自分で決めろってことだ。
その判断基準は、理証と経証だが、判定は自分の意識が行うから、
必ずしも当たるとは限らないわけだ。
行者世界での評価、サンガ内での評価が必ずしも正しいとも限らない。
仏教は難しいんだよん。
狂った認識で、手探りで精進するしかないのだ。
>>380 >考え方がテーラワーダだから
それは否定せん・・w
ああ、そうだ。
>>382 に、もう一言加えておこうか・・・。
貴方が自慢げに謳う大乗も、女性僧侶を見下している事実を知らないわけではなかろう?w
「見下している」という言い方が気に入らなければ、
【正当な地位を与えていない】【肩書は与えても、実質的評価はしない】というのが
現在の大乗仏教だと判ってるか?
比丘尼戒に貴方も触れた。
現大乗もその流れにあるから、中国だろうが台湾だろうが、
比丘尼は、正当な存在じゃないんだよ。
(少なくとも日本では(上座部でないのに!w大乗なのに!w)無認可僧侶と言っていいw (なぜだい?w))
よーするに、
【リアルな在り方】への視線の取り方が、君は甘いんだよ。
そうだ。
スレチついでにもう一言
>>383 に補足。
>【リアルな在り方】への視線の取り方が、君は甘い
歴史性の無視の仕方も、
(その気概や意図に理解は示せるものの)
度が過ぎて目に余る・・というのが正直な所だよ。
385 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 23:06:00 ID:4hRAf9BN
>>360 「大乗経典は非仏説だという主張である」←阿含経だって非仏説だ、と言って
いる人もいるが。
386 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 23:18:43 ID:u56H/VC1
>>383 さて、どっちが甘いか?
オイラは釈尊が何故、尼に低い地位を与えたか分かる。
一般に女は、愛着が強くて正常な政治判断が出来にくいからだ。
もし、尼にもサンガ内での政治的発言権を与えたなら、
グダグダに政治闘争を繰り広げることが簡単に予想されるからだ。
これはサンガでなくても、ある程度の集団運営に関わったことがあれば分かるはずだ。
そして律を読めば、それが仏教内でも同様に起こっていたことが分かるはずだ。
そこらへんの現実を見ずに観念的平等にセブンは弱いような気がする。
もちろん、女の聖者も素晴らしい方が沢山いらっしゃることは認めるし、
女でも素晴らしい人がいることも認めるが。
一般には政治判断に不向きだということはどうしようもない。
そういう意味じゃなくて日本の僧団のあり方を言ってるなら、
そりゃしょうがないよ。日本に僧団なんかほとんどないといっていいんだから。
387 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 23:19:52 ID:u56H/VC1
セブンってテーラワーダなんだ。 ふーん。 好きになってしもうた。
女が悟るって至難中の至難だよ。 執着が強くないと子供なんて育てられん。 バーナデットは凄いな。
390 :
神も仏も名無しさん :2009/12/01(火) 23:39:19 ID:u56H/VC1
>>389 そんなこともない。結構、悟ってるな。
政治には向かないが、その愛着も上手く利用すればいいのだ。
まあ、テーラワーダの道では難しいでしょう。
確かに子供のための機能だよね。
まあ、男も暴力衝動とか収集癖とか醜い部分は沢山あるわけだがw
>>386 誰も(釈尊在世)当時の話はしとらんぞw
今、“ シ余 美珠 ” という(台湾の)比丘尼が、
(片山さんの指導の下?w)、発言を開始している。
暫く見守ってくれやw (併せて片山さんの律蔵和訳も見守ってくれw)
最近では、季刊原始仏教にも寄稿しているようだ。
(彼女の論考は重いぞw
もっとも、君はパーリ仏教を低く見ているから、彼女のことを鼻で嗤うかもしれんがな・・・w
>>390 )
ノシ
>一般に女は、愛着が強くて正常な政治判断が出来にくいから
|
|゚) <一面的過ぎるな・・・。 だから、(君の嫌うwww)歴史性(→この場合、当時の環境的事情)が重要なんだろ?
| 君に、それが解らんとは思えないが・・・。
(ちなみに私は、原始仏教は男女不平等だと認識しているが?w)
涂 IMEパッドで入れてみた。
仏教が流行った時代は、一般に科学が無かったからですよ。 一般でも義務教育で科学を知るわけだから、 今の仏教なんか本気で信じませんて。 今の仏教って、無知な農民を政治的にまとめる手段として 大昔から、工夫され、改変されていった末路ですって。 今の若い人には、妄想仏教より、体操ヨーガから入門して、 結果的に開放にいたった方が現実的ですって。 日本の仏教も、勝手は科学的であった釈迦のオリジナルに回帰すべきではないですか? 観光・葬式宗教はもうやめて。
394 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/02(水) 04:02:05 ID:FGB8oZD9
>389ー390 ショーマン経とか維摩経を読みたまえ。 女性が云々なんて、大乗仏教の本質を知らない葬式坊主の受け売りだろ。(笑)
395 :
神も仏も名無しさん :2009/12/02(水) 06:53:03 ID:hVEx+DiE
>>391 なんか前もリンクしてたような。
チベット仏教では既にツルティム・アリオーネという西洋女性が
フェミニズム的観点から物議を醸したことがある。
単なる我見にしか認識されてない。私もそう思う。
セブンの現代思想に捕らわれた姿勢は、輪廻といいフェミニズムといい、
ちょっと情けないと思う。
だから、次のような皮相な見解を生むんだよ。
>>393 西洋人が真剣に学んで居るんだが。
特にマチウ・リカール師は西洋科学を極めた後、
チベット仏教を深く学んでいて非常に成功した例だ。
君のような見解は、既に和辻が巧妙に行ったが、
和辻の仏教は噴飯ものだ。何も分かってない。
ただ現在の皮相な常識で仏教を読みかえただけ。
まさに『梵網経』で釈尊が吐き捨てた見解だ。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html >ビクたちよ、[教えを]聞いたことのない凡夫たちの如来に対する賞賛は、つまらないことを語り述べる。
>つまり、戒律のみ、欲望から離れていることである。
>>394 お前、律ぐら瞥見しろ。サンガがどのように構成されてから発言しろ。
尼にはほとんど発言権はなく、僧の従僕という形になっている。
聖者の尼でも凡夫の僧に従属するような形であることを知れ。
お前は、ほとんど何も分かって無くて、概説書ぐらいの知識しかないこと自覚しろよ。
397 :
344君同じですやんw :2009/12/02(水) 09:29:54 ID:DlqKL2tr
344 :神も仏も名無しさん:2009/12/01(火) 13:46:39 ID:u56H/VC1
>>340 >目の前の現実に対応できない戯論すなわち無駄な理屈理論説明を放棄する、とあり、
戯論は、そういう意味ではありません。
「目の前の現実」こそ、戯論という言葉の妄想本能・妄想力が作り上げた妄想以外のなにものでもないんだ。
戯論というのは、個物に一般・普遍の意味を妄想展開する妄想力、
言語本能みたいなものだよ。
同じ内容だぞw、
こっちの方が庶民的わかりやすいと言う自負あるけどねw
398 :
344君同じですやんw :2009/12/02(水) 09:36:13 ID:DlqKL2tr
目の前の現実に対応できない ていうのは、実践的に、究極的視点トップダウンなら、当然な表現、如実如見を前提ならw、 「に対応」を切って「目の前の現実」だけの読み方はどうかと・・ 階梯的修行で一切空とするなら、君の言い分は通るけどねw 否定論理の果てに見る、「・・でもなく、・・でもないこともない」と在家通用仏教の視点なら、 「目の前の現実に対応」と言うのが言語本能とか屁理屈戯論をつけられるのかね??
399 :
神も仏も名無しさん :2009/12/02(水) 09:46:12 ID:hVEx+DiE
>>397 どう同じ内容なのか、さっぱり分からないな。
結論・主張だけで、どう同じなのかの筋道・論理がないからだ。
同じというなら、その筋道・論理を示してくれ。
オイラには全く天と地、素朴実在論と縁起・空の違いにしか思えないよw
400 :
398 :2009/12/02(水) 10:03:50 ID:DlqKL2tr
あのね、中観派に二つの流れがあるんだけどねw ひとつは論理的に説明可能の中観派、 もうひとつは、論理的立てるの不可能、否定のみで可能な中観派、 で、 ワイは、否定派なのよ、 その仏教史基本を押さえず、論理的に、と言うのはね・・・
401 :
398 :2009/12/02(水) 10:04:55 ID:DlqKL2tr
まず、399君は、中観派思想の二つの流れを明晰に学ぶべきだねw
402 :
398 :2009/12/02(水) 10:11:24 ID:DlqKL2tr
ワイは基本、否定派の流れでやるんで、意見されてもなあw まあ論理的説明可能センスなら、インド本場は知らないけど(無論、知識だけでなく定慧を大方マスター前提で) 天台学派、 中観派ではないが唯識派(法相宗)と日本律宗は論理立て認識は(無論、知識だけでなく定慧を大方マスター前提で) マスターしているけどねw
403 :
398 :2009/12/02(水) 10:18:54 ID:DlqKL2tr
知識だけで、定慧の無い次元での話はなあ、 それで解決できるなら、 修行不要、 悟り不要、 論理的知識を持つ=悟り、説は信じないぞw 定慧プラス論理的には信用するけどねw ワイには論理的にプラス定慧のチャンネルはあるけど、 ワイのライフスタイルは否定派で在家派やからなあw
404 :
神も仏も名無しさん :2009/12/02(水) 11:06:39 ID:hVEx+DiE
>>400 その二つの流れってのは多分、チベットで政治的に作られた呼称だぜ。
月称菩薩を導入したパツァプ・ニマタクあたりが、自分の伝法を重視させるためにだ。
その上、仏教学で流通しているゲルク流の帰謬派見解は、全く月称菩薩と異なるもので、
自立派に近い。言語表現可能な論理領域に限定されたものになっているぞ。
月称菩薩も寂天菩薩も、その戯論を止滅させるために戯論を用いて、
論理を展開してるんだがな。
論理というのは何も、ディグナーガ・ダルマキールティ流の
自立的論証法だけを指すわけではないぞ。
『入中論』『入菩提行論』『中観荘厳論』あたりは最も得意とするとこなんだが。
君の帰謬派理解はどんなもんなんだw
405 :
神も仏も名無しさん :2009/12/02(水) 11:10:24 ID:hVEx+DiE
>>402 ああ、シナ・日本でも三論・天台・華厳と全て、論理を説いてますがな。
論理といっても因明だけを指すわけじゃない。
特に三論の吉蔵菩薩なんか明解な論理だろ。
もっともオイラは法蔵菩薩が好きだがな。『五教章』は素晴らしい。
しかし、難解だ。
406 :
神も仏も名無しさん :2009/12/02(水) 11:11:30 ID:hVEx+DiE
>>403 それに禅定・修行はしてまんがな。
それがなくては、仏教にならん。
オイラは行者派なんだよw
407 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/02(水) 13:36:42 ID:FGB8oZD9
なんか、またヤヤコシイのが来てんなぁ♪(笑) (^。^)楽しそうだから黙って見てますね♪(笑)
え?
409 :
神も仏も名無しさん :2009/12/02(水) 22:58:32 ID:tsjoe+Pn
>>369 自分の煩悩を自分でチェックすることはできるでしょう。
ですから、覚者かどうかは本人が一番よく知ってる。
410 :
神も仏も名無しさん :2009/12/03(木) 04:14:08 ID:Y5H55VnM
>>409 それは危険、なぜなら勘違いが多いから。
パーリ『梵網経』や世の中を見渡せば、直ぐ分かるでしょう。
411 :
398 :2009/12/04(金) 06:58:47 ID:3BKuvyBL
>>406 まあ、君は、定慧ない自覚がないのかね? 理屈は丈夫そうですが、暴走して、344で「言語本能」と言う一切空と思えない造語しますしねw 君の実用性のない本性が透けてみえますなw 前に >「に対応」を切って「目の前の現実」だけの読み方はどうかと・・ 言う意味合いがまったく御理解できないようでw 「毒矢のたとえ」を君はまったく理解できんのでしょうな、君が頭でっかちなのは理解できますなw まあ、頭でっかち過ぎて、 大乗仏教と言う意味合いと在家性、日常実践性すら理解できないのでは?? まあ、大乗仏教用語に 縁覚、声聞、と言う意味合いがあるが、 頭でっかち君にぴったりだw まあ、頭でっかちで定慧なく、実用性がなく、日常性のない344で「言語本能」と言うセンスには恐れいりますなw 縁覚、声聞の修行と禅定ていうのもありましすわなあw
412 :
398 :2009/12/04(金) 07:01:01 ID:3BKuvyBL
まあ、406君のセンスは幸福の科学君と相通じますなw まあ、頭でっかちで定慧なく、実用性がなく、日常性のない344で「言語本能」と言うセンス うーーん、戯論だw
413 :
398 :2009/12/04(金) 07:14:14 ID:3BKuvyBL
竜樹なら中論で、言語本能はない、と書いてありそうだ、 ほれ、君の期待の >君の帰謬派理解はどんなもんなんだw お答えしたぞw まあ、「お前のかあちゃんでべそ」レベルの反論を期待しているぞw まあ、せいぜい、「お前はなにもわかっちゃいない」 ぐらいの麻原ショーコーレベルの反論だろうけれどもw
414 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 07:18:09 ID:KAau2adG
>>411-413 わろた。承狂なみだな。半端な自負によるエゴと、非論理の幼児強弁。
もう、何も言うことはないよ。
行も知識も、全くないな。君は。
415 :
398 :2009/12/04(金) 07:23:01 ID:3BKuvyBL
君は素直やね、413で予言すると、413の内容に忠実に414で反応するw 尊敬するわw、 ワイ、超能力者の気分になるわw 戯論君、参りました、一生戯論君でいてくださいねw 縁覚、声聞の修行と禅定がんばってくださいw
416 :
398 :2009/12/04(金) 07:27:39 ID:3BKuvyBL
君にとっては「言語本能」と言う造語が非論理の幼児強弁ではないものなんでしょうなあw かわいいw 竜樹なら中論で、言語本能はない、 言ってくれそうだw 「言語本能」にまともに反論しない事が、 端な自負によるエゴを超えた414君のすばらしさ、とか??
417 :
398 :2009/12/04(金) 07:32:32 ID:3BKuvyBL
414君の行と知識は413でワシが予言したとおりの書き込みを414で行うw すばらしい、414君の禅定修行の成果なんでしょうなw まあ、まじめに仏道修行をし、如実如見、ありのままに、見る習慣があれば、413のトラップにハマル書き込みするはずがないのだがねw
とりあえず質問スレで喧嘩はやめて
419 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 21:15:04 ID:HtdjJumJ
知人から仏教の勉強をするなら宇井伯壽の「仏教汎論」を読むようすすめられました。 この「仏教汎論」はどういう本ですか? わかりやすいですか?
420 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 21:35:31 ID:nEGphtZ2
>>419 東京帝國大學教授の書物です。分かり易いはずがありません。
421 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 21:44:00 ID:HtdjJumJ
分かりやすい筈がないとはどういうことですか? 名著らしいのですが。
>>419 岩波新書(赤)「仏教入門」三枝充悳。
岩波新書(緑)「お経の話」渡辺照宏。
岩波新書(緑)「仏教」渡辺照宏。
これより他は、方向性が定まって(≒偏って)しまうので、
水野弘元「仏教要語の基礎知識」(春秋社)止まりだろうな・・。
423 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 21:48:21 ID:KAau2adG
>>419 非常に難解です。漢訳仏教用語に慣れてないととても通読できません。
それより同じタイプなら水野弘元『仏教要語の基礎知識』がいいです。
だいたい、こんなところから読むべきと考えます。
1.古坂紘一『宗教史地図 仏教』最も簡明で最も広範な仏教通史、しかも地図が豊富で、インドおよび日本については優れた知見を盛り込んでいます。
一応、歴史も知っておくと便利なので、最初に紹介しときます。
2.水野弘元『仏教要語の基礎知識』日本人学者で最も権威の高い著者が、原始仏教を中心に記述したもの、簡明でありながら見解も高い。索引が充実しているので辞典としても使用できます。
3.ダライラマ『智慧の眼をひらく』チベットの高僧が書いた優れた大乗仏教入門書。本来、チベット語から訳すべきなですが、英語からの重訳なのが惜しまれます。
英訳は、テーラワーダの僧侶が行いかなり補足しています。
さらに、和訳は近代仏教学の視点で行われているので、註を読むと面白い。
4.鎌田茂雄訳『八宗綱要』日本仏教の優れた入門書。他から丸写しの書き下しやフリガナは信用できますが、訳註は信用できません。余裕があれば平川彰訳の同書を薦めますが、そちらはもはや入門書の域を超えているかもしれません。 ハンディなのもいいです。
5.パユットー『仏法』テーラワーダの概説書。
勝れているが、訳がもう一つ。
もし以上が難しく感じたなら、
広沢隆之『仏教 (図解雑学)』
これは穏健妥当な見解を左頁にイラスト・図説、右頁に解説を一頁にまとめて簡潔の述べたもので、分かりやすく信用できるものです。
424 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 21:49:14 ID:HtdjJumJ
>>422 私が知りたいのは「仏教汎論」がどういう本なのかということなのです。
>>424 お前、友達いないだろ?
>>419 一行目、 >仏教の勉強をするなら と、薦められたとあるから、
【貴方は、仏教に興味を持ち、(ほぼゼロから)スタートするように読めたから】、
それなら、「原始仏教」「上座部仏教」「チベット仏教」「天台仏教」「華厳仏教」、
「禅宗」「浄土系」「真言系」、
「新興宗教系」etc.etc.etc. 種々あるから、
その方向性を自分で選べるような書を提示しただけだ。
君が、【最初から】【学ぶ方向性】を【決めている】のならば、
私の書き込みは、余計な御世話だろう。 だが、419のみでは、そこまで類推できない。
だから、無難なところで参考になりそうな書名を挙げた。
そんな態度なら最初から質問するな!ボケが!
426 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 21:58:52 ID:KAau2adG
>>426 初心者がコノ台詞(
>>424 )か?www
424は、意図的な裏があるようにしか見えんぞ?w
428 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 22:03:10 ID:HtdjJumJ
>>423 とても丁寧なアドバイスありがとうございます。
参考にさせていただきます。
重ね重ね本当にありがとうございました。
429 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 22:05:45 ID:KAau2adG
>>427 オイラにはそう見えないけどね。
セブンは怒りっぽすぎw
もうちいと、丸くなってもええんやない?
>>428 どういたしまして。
特に宗教板ではよく居るんだよ。 初心者のフリで質問し、 「ああ、やっぱりそうなんですね」という台詞から批判を始める下衆野郎が大勢なw 428を見ると違ったようだが、 これも、《2chに触れてしまって、(自ら浸ってw)、その結果薫習してしまった「考え方の悪癖」》だろうな・・w
>>429 君の環境への羨望や、自身をとりまく環境の圧力やら、
自身の本能(≒無明)故の煩悶や、そうした苛立ちにさいなまれてるからねw
或る意味、2chが解放場所とは言えるwww 棚上げなんぞ当たり前w
大目に見ろや・・・w (;´ー`)y━~~
432 :
神も仏も名無しさん :2009/12/04(金) 22:15:29 ID:KAau2adG
>>431 (/_;) うう〜
オイラは師匠にだけは恵まれたからな
>>432 そういうレスを返すなw
卑屈に鏡を見ちまうじゃねーか!www
orz
同情するなら、代替人・後継者をくれw
日本以外の仏教国にも、破戒はしたけど一目置かれる 一休さんみたいな僧侶はいるんでしょうか。
435 :
神も仏も名無しさん :2009/12/05(土) 05:57:02 ID:jV8lG2AP
>>434 破戒になるかどうかは分かりませんが、
インド・チベットには尊敬される密教行者がたくさんいます。
シナでは禅師で似たような人がいます。
朝鮮には元暁という最も朝鮮で尊敬すべき僧が正に破戒僧です。
というか元暁の場合は、超戒僧というのが適切だと思います。
436 :
神も仏も名無しさん :2009/12/05(土) 09:01:29 ID:cgDguNAG
437 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/05(土) 11:16:42 ID:WrimlDch
>>434 >破戒はしたけど一目置かれる
一休さんみたいな僧侶はいるんでしょう
これは少々誤解を招く世俗的見解ですね。
一休は、律もなく戒もなき境涯におられるわけで、
文献における「破戒僧」なる記述があるのは適当じゃない。
破戒僧=菩薩です。
438 :
神も仏も名無しさん :2009/12/05(土) 12:02:16 ID:jV8lG2AP
>>436 本屋で立ち読みした程度ですが、よさげだった記憶があります。
ただリンク先の引用を読みますと見解がシナ・日本仏教に限定、
あるいはそれらの見解が濃厚と思われます。
シナ・日本仏教入門としては適切なのではないでしょうか?
それ以外でしたら
>>423 をご参考ください。
>>437 >破戒僧=菩薩です。
誰がいってんのか? 少なくともインド・チベット・シナでは
そんなことないぞ。まったく相変わらず、何も知らんのにw
439 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/05(土) 16:21:39 ID:WrimlDch
>>438 >誰がいってんのか?
禅の階梯においては必ず体得するものだし、それは一休だけではない。
>少なくともインド・チベット・シナでは
世親の心相続においても、非常に誤解釈されておるようですけど、
あれは心が相続している訳ではなくて、
ドミノ倒しのように、滅すると同時に生起するエネルギーと考えたらいい。
440 :
神も仏も名無しさん :2009/12/05(土) 16:32:45 ID:jV8lG2AP
>>439 (!_+) は〜あ、ぽっとん
いつものように妄想のみ根拠なし
441 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/05(土) 16:47:25 ID:WrimlDch
>>440 妄想ではない。
私の書き込みは、道元、臨済、西田、ハイデッガーにも通じる。
先達が後世に何を伝えようとしているのか?
私の解釈で全てよし。
これで調ふ。
442 :
神も仏も名無しさん :2009/12/05(土) 17:06:26 ID:jV8lG2AP
全然だめ、そこに西田・ハイデガを持ち込むあたり何も分かってない証拠 だから妄想だっての 妄想じゃないってんなら、破戒僧=菩薩の伝承(アーガマ)を出して筋が通るように説明できないとね。
443 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/05(土) 17:22:17 ID:jCrJAyLR
>442 (^。^)気違いにマジレスして楽しいですか?(笑)
444 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/05(土) 17:39:16 ID:WrimlDch
>>442 竹林にカァ〜〜ンといふ澄んだ音が響き渡る。
この音を聞いて禅者が悟ったという。
じゃあ、悟った内容を筋が通るように説明しる。ったって、
それは非常に難しい。
臨済は説明したけど、これだって、ある程度のスキルがないと解釈は困難です。
臨済の解釈をマスターしたとする前程において、
西田やハイデッガーの論説もスムーズに解せる訳でして、
(世親も例外ではない)→正邪は別としても
それぞれに通じる脈絡ってのは、あるもんだよ。
まったくのアンチ的な立場ではない。
445 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/05(土) 17:57:58 ID:WrimlDch
>>442 >破戒僧=菩薩の伝承(アーガマ)を出して筋が通るように説明できないとね。
少しだけ解説します^m^
禅というのは破壊するもんだよ。
基本的にはそうなんだよw
伝承として、そうなってるw
446 :
神も仏も名無しさん :2009/12/05(土) 20:02:17 ID:jV8lG2AP
>>443 君や机さんにレスするのは勘違いして信じちゃう人がいると可哀想だからです。
>>445 仏教自体が破壊の体系だろ。
>446さんは素晴らしいので
俺もレスした次第。
448 :
神も仏も名無しさん :2009/12/05(土) 22:46:29 ID:gGuG08Qy
山口益他による「仏教学序説」は良書ですか? 仏教を本格的に学ぶ人には必携と聞いたことがあるのですが。
449 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/05(土) 23:42:14 ID:jCrJAyLR
>446 (^。^;)すると、アナタは菩薩さまか仏さまレベルで正しい訳ですか?
450 :
神も仏も名無しさん :2009/12/06(日) 05:05:00 ID:sBq4hsa6
>>448 随分、昔にちょっとだけ読んだ記憶ですがよかったと思います。
山口先生は今でも有益な御著書が多い優れた学者です。
たしか仏教研究入門なので、そういう意味ではもっと新しいものがいいかもしれません。
特に所謂・仏教論理学と言われる分野、チベット仏教などは、
もはやその時代の学問ではあまり意味がないと思われます。
>>449 そんなわけないでしょ。君らがあまりに酷いだけ。
誰でも指摘できる机、ちょっと勉強すれば指摘できる君です。
451 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/06(日) 08:51:22 ID:pGk5cecr
>>446 >君や机さんにレスするのは勘違いして信じちゃう人がいると可哀想だからです。
一休の生き方は、そのものが多くを学べる。
私の書き込みは、その考える切っ掛けになって頂ければいい訳で、
なにも私の書き込みを信じる必要性はない。
自分で考えねば教学にはならんですよ。
仏教は知識ではない。
(いわゆる借りもんでは、なんにもならん)
自らをもって信解せねばモノホンではない。
452 :
神も仏も名無しさん :2009/12/06(日) 09:36:56 ID:sBq4hsa6
>>451 >自分で考えねば教学にはならんですよ。
自分で考えたら、大抵、机さんみたいに陳腐な妄想になります。
悟った聖者たちが伝えてきたサンガから学ぶ必要があります。
>仏教は知識ではない。
>(いわゆる借りもんでは、なんにもならん)
>自らをもって信解せねばモノホンではない。
確かに行じて体得する必要がありますが、
その前に妄想のない正しい伝承を聞く必要があります。
臨済も道元も、法灯・伝承を非常に重視してるでしょう。
あなたみたいに勝手に慰みみたいな妄想して悦に入るのとは全く違います。
何度、言っても無駄でしょうがw
453 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/06(日) 10:56:29 ID:pGk5cecr
>>452 ]
>悟った聖者たちが伝えてきたサンガから学ぶ必要があります。
直指人心・見性成仏でして、サンガから学ぶということじゃないですね。
聖者が伝えてきたものを学ぶんじゃ〜ないですよ。
その聖者の「生き方」に学ぶのであります。
帰納法ではないですよ。
借りものじゃないですからね。
一休の「生き方」に学ぶのであります。
これが法灯であります菩薩道ですね。
破戒しただけで何かをぶっ壊せるものなのでしょうか。
455 :
神も仏も名無しさん :2009/12/06(日) 12:01:27 ID:sBq4hsa6
ツクエってここまで酷かったとは・・・
457 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/06(日) 17:16:01 ID:pGk5cecr
>>454 いや、発想が逆でありますね。
先ずは破壊ありきです。
これは作為ではないです。そのような位相となりましたのが空相といわれるもんです。
自らが蓄積した全てが崩壊する瞬間ですね。
カラスがカァ〜〜、と鳴いたその刹那でありますね。
それはもぅ、律も戒もありゃ〜せんのです。
戒を破壊するんじゃなくて・・・全てが消滅しちまうのです。
この一瞬のために、修行者は無駄なこと(禅定)をしている。と
言うてもいいくらいですね。
人間、カァ〜〜だけでは悟れませんからね、
無駄なことも必要なんですよ。
言うときますけど、サンガから学ぶんじゃないですよ。
それじゃ〜悟りにならんですからねw
458 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/06(日) 17:20:29 ID:QJXh/9za
>456 今頃気付いたのか?(笑)
君の酷さに気付く方が早かったぜ。。
460 :
神も仏も名無しさん :2009/12/06(日) 22:04:52 ID:pGSLoxf6
発展途中で入ってきた日本の密教はやはりチベット密教よりレベルは低いんですか? 空海の境地もチベット密教のマスターからみればまだまだなんですか?
461 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/06(日) 22:30:04 ID:QJXh/9za
>459 そりゃぁ、気付かない方がオカシイわな♪(笑) >460 チベットはボン教との習合。 純密、中期密教は日本の真言宗のみ。 但し、レベル云々は主観なので、判断はご自由に。
人を騙す犯罪と仏教とどう違うの?
463 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 02:19:48 ID:pO2xfcF4
いくつか質問があります。 人間道の畜生(猫とか犬)と畜生道って何が違うのですか? ペットの供養は仏教的には意味があるものでしょうか? 自分の中では3つの予想があります ペットが生まれ変わって人間に輪廻して、そこから成仏 ペットからいきなり成仏 ペットはそもそも成仏 誰か教えて
464 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/07(月) 02:36:26 ID:kH/BOs++
>462 似た様なもん。(笑) >463 本来的には、仏教は出家者を対象に説かれたので動物には関係無い話。 だが、宗教として派生したファンタジーで動物も成仏可能とされる。 んで、 >畜生〜 元は同じ意味。昔は生物学とか無いから偏見とか迷信を流用したもの。 >ペット〜 ペットを仏教徒にする儀式。非仏教徒には無意味だが、飼い主の安心の為の方便。らしい。 本来的には、死者は仏陀にならない。 日本の文化として、死者を祀り、神とする事から、日本式仏教も死者を仏とする様になる。 但し、一部の輪廻肯定派によると、死後の世界があるらしいから、該当するスレで質問するのも手でしょう。
これは、妄想の極みだな。
466 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 06:20:34 ID:lWRMX1rV
>>461 >チベットはボン教との習合。
誤解。それを言うなら日本密教も神道との習合。
インド密教がヒンドゥーとの縁起なように、
いろいろな対象を使用できるけど、
根幹は、空・菩提心・普賢行がきっちり据えられている、
ここから逸脱すると大乗仏教ではない。
>純密、中期密教は日本の真言宗のみ。
これも誤解。意識のどの部分まで降りるかってこと。
本覚門は、非常に微細な意識で行う。
467 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 06:21:54 ID:lWRMX1rV
>>462 全く逆でしょ本来。
確かに仏教を騙る輩は多いし、語ろうと思っても騙ってる輩も多いけど。
468 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 06:24:03 ID:lWRMX1rV
>>463 >人間道の畜生(猫とか犬)と畜生道って何が違うのですか?
同じカテゴリーです。
>ペットの供養は仏教的には意味があるものでしょうか?
意味あります。この結果が以下の質問ですか?
>自分の中では3つの予想があります
>ペットが生まれ変わって人間に輪廻して、そこから成仏
普通は、これ。
>ペットからいきなり成仏
ですが、希にこういう場合もあるそうです。
469 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/07(月) 07:01:52 ID:ttHYuV53
>>463 >人間道の畜生(猫とか犬)と畜生道って何が違うのですか?
差異はありません。
>ペットの供養は仏教的には意味があるものでしょうか?
仏教的には「無可無不可」です。つまり、可もなく不可もない。
どうでもいいことですね。
人間の情緒的部分は、しかじかの感性に委ねれば良きこと。
案じることなかし。
>自分の中では3つの予想があります
人間が予想することと・・・仏教とは全く関係ありませんです。
470 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 08:05:22 ID:dCEebFrx
>>463 人道とは人間のことです。
「六道」は、生きものの種類の名前です。
人道は、人間が住む場所のことではなく、
人間という種類の生きもののこと。
おいおい、 人道は人間らしい魂でいることだ。畜生道とは衝動で生きている状態。 人として生まれながら畜生にも劣る存在もいる。 六道とはそれぞれの精神状態を意味する。 ググればすぐ分かるが、それに4つの界を加えて十界といい魂とはそこをエレベータの ように行ったり来たりする、と説法で聞いた。 人と接して人間らしい魂を持った動物は人間になりやすいとは聞いたことはある。 (実はこれも方便ではあって仏教の真髄は存在そのものの追求にまでなるが)
>>468 >ですが、希にこういう場合もあるそうです。
知的生命体じゃなくてもそのまま解脱できるんですか?
473 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 11:15:29 ID:lWRMX1rV
>>472 師が圧倒的に優れている場合です。
カルマパ16世が鳥を飼っていて、その鳥に教え、
鳥はちゃんと行をし、死ぬ時にきっちり験が出たと、
カルマパ16世と親しい大学者タング・リンポチェから直接聞きました。
師の有能さに加え、その鳥は言語を理解できるほどに特別知能が高かったということでしょうか?
または肉体そのものの性質に制約されないほどの高度な霊の持ち主であったとか。
476 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 11:50:52 ID:lWRMX1rV
>>474 言語を理解したかどうかわかりませんが、
少なくとも他神通はありますね。
他神通はちょっとした行者でありますから、
カルマパ・レヴェルだともうなんでもありでしょう。
>>475 本物の化身ですから。17世も凄いそうです。
477 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 12:10:59 ID:pO2xfcF4
ペットについてさまざまな解答ありがとうございます。 人間道と畜生道はそのような世界があるのではなく 精神的状態というような話が出たと思います ということは六道輪廻はこの世界に6つの精神的状態があり 輪廻する際は、この世界をぐるぐると輪廻するということでしょうか 地獄道や餓鬼道というと怖いイメージがあり 別の世界のようなイメージを受けるのですが 地獄道も天道も餓鬼道もこの世の中にあるというイメージでいいのでしょうか
478 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 12:34:08 ID:dCEebFrx
>>477 餓鬼道なんかも、もしかしたら同じこの世界にいるかもしれないが、
お互いに見えないのでしょう。
六道は、人間の心の状態という解釈もできますが、
やはり生命を分類する呼び名だと思います。
ちなみに、仏教では三界と言って、欲界・色界・無色界という三つの世界
(三つのレベルの生きもの)があると考えます。
六道は欲界の生きものです。
あとの二つは、禅定(精神統一)状態の世界の生きもの(梵天)です。
たとえば色界の禅定(精神統一)をマスターして、
色界の心をつくれる人は、
死後に色界の生きもの(梵天)に生まれかわるそうです。
と、いうことは、畜生のような心をつくった人間は、
死んだら実際に畜生に生まれかわると言えるのでは?
>>476 >>475 は鳥のほうです。
やはり、知的能力・認識を持たない動物に対しては、
超常的能力・手段を用いて注ぎ込むしかなさそうですね。
480 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 13:11:08 ID:lWRMX1rV
>>477 世界という実体があるわけでもなく、
心という実体があるわけでもなく、
業により縁起して様々に見える、現れるだけのことです。
この世もあの世も縁起しているだけです。
死んで終わりということではありません。
この世もあの世も実体的にあるのではなく、
そのように見える感じる認識形態の限定をもって今、見える世界がこの世、
死んでから見える世界があの世と言われるだけで、なんら違いはありません。
481 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 13:13:31 ID:lWRMX1rV
>>479 動物は動物でそれぞれ限定された認識形態を持って縁起しています。
まったく知力がないわけではないでしょう。
動物それぞれによって違いますが。
482 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/07(月) 13:24:03 ID:ttHYuV53
>>477 貴殿は
>人間道と畜生道はそのような世界があるのではなく
と書いておきながら、
しかも、
>ということは六道輪廻はこの世界に6つの精神的状態があり
と続く論理矛盾をなし
さらに、
>地獄道も天道も餓鬼道もこの世の中にあるというイメージでいいのでしょうか
このように、矛盾を重ねております。
仏教の本懐と申すものは、この論理矛盾に気づいていくことであります。
これを如実知見と言いますが、
先ずもって、この根本義なる法を体得せば全て明白になりましょう。
これこそが肝要です。
483 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 13:27:40 ID:lWRMX1rV
>>482 机っちこそ矛盾と妄想の蘊界処でしょ(^^)
484 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/07(月) 13:40:16 ID:ttHYuV53
>>483 メクラでは私のレスポンスを解釈するのは至難ですね。
詳しくは説明しませんけど、
まあ、
>>480 の書き込みを参考にすれば、
いくらかは私のレスポンスも分かるんじゃないでせうか?
485 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 13:49:10 ID:pO2xfcF4
>>482 ご指摘ありがとうございます。
書いた文の矛盾は申し訳ないです。
自分の中で六道輪廻というのは
六つの実態のある世界があって
そこで生まれて死んで生まれて死んでと
くるくると回るイメージだったのです。
そして、その世界にいくと思考がその世界ベースになってしまう
悪いことをしたら地獄道や餓鬼道に堕ちるという話があるから
別の世界があると考えていたのです。
しかしペットの
畜生道と人間道にいる畜生が同じという指摘のもと
人間道と畜生道は同じ世界にあると考え
六道輪廻の2道だけが同じ世界と考えるのは納得がいかないので
他の六道も同じ世界にあるのだろうか
そうなると六道輪廻とはこの世界をくるくると回っていくことなのかなと
仮説を立てることにしたのです。
六道輪廻について
最初の考え方が正しいのか
他の方の意見を聞いて出た仮説が正しいのか
はたまた違う概念なのか気になったのです。
如実知見を体得すれば全て明白になると思いますが
まだまだ未熟な人間で如実知見を体得しておりませんので
六道輪廻が何かわからないのです。
486 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 13:49:50 ID:lWRMX1rV
>>484 机っちの説は何度もいってるけど単純明解でしょ。
ただの観念論的勝義説、ほんとは勝義でもなんでもないスローガンみたいなもの。
要するに「空」とか「無」というただの掛け声だけの現状肯定。
仏教でもなんでもない、ただの妄想、適当に禅とか西田、ハイデガとかから
自分の都合の良いように文や言葉を引っ張ってきて妄想をまくし立てるだけ。
そんで論理的に根拠だてて証明してみろと言われると、
体験とか悟りとか勝義といって逃げる誤魔化すだけ。
ほんとに体験や悟りがある人なら、典拠に添って、
筋道立てて論理的に述べることができるはず。
あらゆる時代の多くの聖者が、そのようにしてきた。
ネット聖者は、誤りを認めず体験・勝義を言い出すヤツばっか。
要するに幼児強弁となんら変わらない。
「机ちゃんが正しいから正しいんでちゅ〜」という。(^^)
487 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 13:53:24 ID:lWRMX1rV
>>485 体験はできなくてもお経は読めるでしょう。
六道のように形式化されるのは後代ですが、
『スッタニパータ』でもそれが読めますよ。
すっきり了解したい場合は、『往生要集』『十住心論』あたりをどうぞ。
輪廻は仏教の基本ですから、輪廻なくして仏教を正しく学ぶことはありえません。
>>487 |
|゚) < またそういう発言をしとるw
|
>形式化されるのは後代ですが、
これが、君の態度として矛盾してることに気付けんか?
489 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/07(月) 14:05:21 ID:ttHYuV53
>>485 >別の世界があると考えていたのです。
仏教は「一如の法門」ですから、「別の世界」といふ
対立した世界は在り得んのです。→
>>480 参照
(仏教根本法理はこれしかない)
六道輪廻の話は、メクラのために書かれたもんでして、
いわゆる「方便」というもんですね。
方便とは、つまり方法のこと。
(彼岸到達への道標)
前者が勝義諦でありまして、後者は世俗諦であります。
490 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/07(月) 14:26:59 ID:ttHYuV53
>>486 >ただの観念論的勝義説、
勝義諦は哲学的にも論理体系がありまして、観念論とは違いますね。
しかし勝義諦は悟入という、ある程度のスキルがありませんと、
その解釈は至難です。
つまり、ある程度の既成概念の破壊が前程となりまして、
これが修行と重なるものでございます。
お経類では、こういうことは書かれておりませんね。
491 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 14:42:33 ID:lWRMX1rV
>>488 え? 言語習慣として記号化されて形式化され定着するという意味だけど、
何か?
492 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 14:44:37 ID:lWRMX1rV
>>490 私が観念論と言っているのは机ちゃんのいうなんちゃって勝義であって、
経典論書に説かれるものではないんですがw
きっちり説かれてますよ。
お経を読んでないから知らないだけでw
494 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 15:19:54 ID:lWRMX1rV
>>493 片山先生の『ダンマパダ』がでるみたいだね
>>494 ほう。
大蔵出版の例のシリーズ「小部」として?
Snと並んで(以上に?)先訳が多いからね・・・。
どういう評価になってくだろうか・・・。
496 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 15:38:17 ID:lWRMX1rV
>>495 「小部」としてではないみたいだけど、大蔵出版ですね。
どうせなら、中村先生の文庫に変えて岩波文庫で出してほしかった。
いっそのこと全部、パーリ系は片山先生で置き換えてほしいなあ。
ダンマパダはヒニューバー&ノーマン本が出てるし、
片山先生本は、アッタカター、ティーカーがきっちり出てるだろうから、
定本になるじゃないかな?
ところで水野先生はダンマパダを訳さなかったの?
497 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/07(月) 16:23:01 ID:ttHYuV53
>>492 >きっちり説かれてますよ。
>お経を読んでないから知らないだけでw
黄檗宗の開祖である隠元は、きっちりお経を読んでおったのですが、
趙州和尚が「柏樹子」と逝った途端にですね、
もう読む必要がなくなっちまったようですね。
つまり、お経(蔵書)を全部捨置したんです。
この意とするところは、お経には勝義諦は書かれておらということです。
お経だけではどうにもならんですね。
勿論、経書・論書の類で駄目です。
草履をアタマの上に乗せる。とか、
そういうことの方が、はるかにいいんです。
して、猫には仏性はありや?なきや?
499 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 17:03:58 ID:lWRMX1rV
>>498 そう『法句経の研究』と晩年に「諸法句経の偈の比較対照」があって、
最後に完成品として訳もだしてほしかった。
そこら辺は、チェックしてる。
それよりも『金剛三昧経』の論文に共感した、テルマ認めてるとこ。
残念なのは如来蔵とか法身を認めてないようなところ
500 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 17:22:18 ID:I2K/2E82
最近テーラワーダ系の人が中村元を批判しているのをみかけますが、何故ですか? 中村元の何が悪いのですか?
>>499 完成品か・・、なるほどw
>残念なのは
それが、近代仏教学の一つの姿だろ?
色幅のあるグラデーション、この幅が飛躍的に広がったのが近代仏教学なわけで・・。
(歴史的に見れば、幾つかの大きな“うねり”は、これほど激しく、質的な変異を伴ってはいなくとも、
そうした幅の広がりだったろうし、逆にその幅をせばめようという流れもあったろう。)
で、君は、その広がりに危機感を抱く一人である、と・・・。
けど、水野さんは「仏道に触れ、沿って歩む者」だったかもしれないが、
君のような「行者、仏道をそのままに、ブッダの轍の上をそのままに歩く弟子」ではなかったということだろ?
だから片山さんは、そこを超えた(自身の)在り方を模索したんじゃないのかな。
歩む足の方向が選ばれるにあたって、悩みや迷いが無かったわけはなかろう。(もしかしたら今も・・・。)
大乗のお寺を維持せねばならず、且つ、種々の日本的伝統行事も、先祖供養の考え方も包含しながら、
その全てを漏れなく包み込むスタンスの取り方を・・・。
※(それが、「入門」に於ける宣言であろうし・・・。 だから、あの“あとがき”等を読んで、
学生時代に耳にした様々な言葉や、言動が、一本に収束してゆく感がある。
それは、貴方の今と共通するだろう(貴方はもともと大乗かもしれないがw)。
そうした懐の広さは、全てを、(「テルマ的なもの」をも含め(「テルマそのもの」とは言わないw))
釈尊から繋がる一本の糸の上に見る姿勢と言える。
「パーリ」の意味は、もともと「糸」や「線」だという。 深いねぇ・・・。この深さ、今のワシには潜れんわいw)
※森祖道さんと片山さんの違いってどの辺にあるのかな? やっぱり、行者・僧侶的在り様の深度?
ま、いずれにしろ、今一度お会いして、お礼を言いたい気持ちはある・・w
502 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 17:36:49 ID:lWRMX1rV
>>500 中村先生は色々問題があるよ。
岩波シリーズの訳とかもかなり完成度低いし、
中観とかは分かってない。
もっとも中観で私が認める学者は梶山先生と石飛先生だけだけど。
そして石飛先生がよりよい。
最も問題なのは和辻・宇井の問題点をきっちり批判しなかったことだと思う。
このお陰で、日本の仏教学はずーとおかしなものになっている。
しかし、訳とか理解に問題があるのは仕方がないよ。
完全なものなどありえないのだから。
寧ろ中村先生の辞書や現代語訳という流れを作った功績を称えるべきでしょう。
テーラワーダの人たちが批判する理由は分かりません。
503 :
神も仏も名無しさん :2009/12/07(月) 17:42:02 ID:lWRMX1rV
>>501 森先生は分かりません。文献学者というイメージがありますが。
私はパーリは弱いんだってw
そのまま歩んでるかどうかは、結構怪しいが、
あるべく歩みたい! とは思うですはい。
へ〜、パーリにはアーガマ(伝承・伝統)みたいな意味もあるんだ。
知らなかった。ありがとうございます。m(__)m
>>503 >パーリは弱い
>パーリにはアーガマ(伝承・伝統)みたいな意味も
そうか・・、根っから大乗だったのかw
すまんかった。もしかしたら、当然知ってるだろうとして大前提にしてきた面もあるかも・・。
だよな・・・w
「パーリ」が「線」や「糸」を意味するなんてのは、そっち方面でないとそこまでやらないよな・・・。
寧ろ、伝統として、正統な教えとして、伝承されているから(≒そうした内容を伝える言語であるから)
(自負も含むだろがw)パーリと呼ばれるわけで、その意味では、貴方の使う「アーガマ」の意とまったく同じです。
「パーリ仏教」とは、まさしく「正統仏教」と言い換えることができますw
水野辞書にある通り。
ttp://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/philologic/getobject.pl?c.2:1:2709.pali どういたしまして。
てか、ワシは学部卒なだけで“在野の原始仏教ファン”なだけだよw
ノシ
中村先生って晩年は「ナンマイダ」唱えてたんでしょう? 否定はしないけどなんだかなぁ・・
506 :
神も仏も名無しさん :2009/12/08(火) 00:59:14 ID:puW0Sdua
>>505 中村先生の功績ははかりしれないが、
やはり大乗の信者ってことですね。
ブッダの生没年を推定したのっつ中村先生でしたっけ?
テーラワーダの伝承する生没年とは一致してないですよね。
507 :
神も仏も名無しさん :2009/12/08(火) 03:57:12 ID:wYDCTFT3
>>506 え〜、テーラワーダの生没年と一致する学者なんていないでしょ。
誰か居ます? 昔はガイゲルとかそうかもしれないけど。
今はガイゲルに従う人は誰もいないと思いますが、
誰でも修正説に従ってると思います。
それに北伝系生没年の提唱者は宇井先生ですね。中村先生はそれを修正した説を唱えただけ。
これは弟子だからしかたないとこ。
いや、そんなつまんないことに拘ってるとは。
そんな生没年なんて縁起からしたら、どうでもいいでしょ。
100年前後のズレなんて大目にみろよ、と言いたい。
実在歴史観に従う文献学者が言うなら分かるが、
縁起に従う仏教徒の発言とは思えません。
508 :
神も仏も名無しさん :2009/12/10(木) 22:21:01 ID:Hm9HorrK
509 :
神も仏も名無しさん :2009/12/10(木) 22:38:30 ID:hWS+tt2O
>>508 単純にいえば現代常識への阿諛追従。
例えば、輪廻や律の排除、無明解釈、縁起を一義的に論理的関係としたことなど。
>>509 それじゃ暗号だよw
用語自体の難解さは論外としても、もうちょっと噛み砕けよ・・・(^^;
だから彼らが宗教(オカルト)を唯物論(現代病)に引き下げたのだよ
>>506 う〜ん・・おれが言いたかったのは
釈尊の仏法を通すというのは
かなりキツイ、厳しいものなんだなってことなんだよ。
元真言宗徒より。
オン・アビラウンケン・バザラダトバン
513 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 04:29:47 ID:sbqPskXg
>>512 レスの意味がよくわからないけど、
中村先生は、大乗も仏教思想として認めていたのでしょう。
初期仏教ではないと相対化した上で、思想としては認めていたのでは。
浄土や阿弥陀仏の実在を信じてなくても、
煩悩を克服できない凡夫でも救われる、救われるべきだ、
という慈悲の思想に共感して念仏してたのかもしれない。
初期仏教を学べば学ぶほど、自分の煩悩を自覚してしまう。
そうなると、ぐるっっ一周まわってきて、
「こんな私でも見捨てないという南無阿弥陀仏の思想も悪くはないなぁ」
とは思える。
浄土の存在をお経のままには信じてないが、
「みんなが救われるべきだというその気持ち、わかるなぁ」となる。
514 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 05:41:07 ID:YDtMNRxq
>>513 >浄土や阿弥陀仏の実在を信じてなくても、
大乗仏教でも浄土や阿弥陀仏も今の我々の知覚している世界も
実在などなく、空で縁起して現れているだけですがな。
それと日本の鎌倉期以降の仏教は特殊ですから。
さらにそれらの現代教義は、もはや仏教ではないでしょう。
ですから、そこら辺を基準に大乗を語られても困ります。
大乗を語るなら、チベットや『八宗綱要』『十住心論』あたりで展開される世界を理解してからにしてほすいw
515 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 07:59:30 ID:sbqPskXg
>>514 空であることを前提に「実在」と言ったんです。
つまり、中村先生などは、
大乗経典の内容は事実でなく創作だとわかった上で、
思想としては一定の評価をしているという立場なんじゃないかな、
という意味です。
516 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 08:34:29 ID:YDtMNRxq
>>515 >空であることを前提に「実在」と言ったんです。
幻ようような現れのなかで言語習慣としての存在、現実という意味ですか?
>つまり、中村先生などは、
>大乗経典の内容は事実でなく創作だとわかった上で、
中村先生はそう考えているかもしれませんが、
大乗経典は創作ではありません。
もし、創作だと考えるなら、それは縁起が分かってない証拠ですよ。
つまり、実在的歴史的に捉えているということ。
517 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 09:14:02 ID:GJMkMA9y
じつざい0 【実在】 (名) スル [1] 実際に存在すること。 ・ ―の人物 ・ 宇宙人は―するかどうか [2] 〔専門〕 哲 〔補説〕 reality 現実に在る物や事。思惟されたものや想像・幻覚など、単に主観の生みだしたものとは区別され、 客観的に独立して確かに存在するもの。また、事物の真の姿をいう意味で、 現実の変転する現象の背後にある究極の実体を意味する場合もある。 [ 大辞林 提供:三省堂 ] じつ‐ざい【実在】[名](スル) 1 実際に存在すること。現実にあるもの。「―の人物」「この世に―しない生物」 2 哲学で、意識から独立に客観的に存在するもの。 生滅変転する現象の背後にあるとされる常住不変の実体。本体。 [ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
518 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 10:14:40 ID:YDtMNRxq
>>517 そういう意味での「実在」など一切ないというのが仏教。
聖徳太子の「世間仮虚 唯仏是真」に端的です。
『スッタニパータ』『ダンマパダ』から始まってあらゆる仏教経典、
伝統で、この現れが実在するとか、本当のこと、真実のものなどとは考えません。
逆に現れを実在するとか、本当のこと、真実のものなどと考えることが、迷いであり、妄想であり、戯論に他ならないと一貫して説いています。
ただ世俗内の言い習わし習慣上の因果性や認識の妥当性を認めるだけですよん。
519 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 12:26:45 ID:sbqPskXg
>>516 世俗諦としての「実在」について言ったわけです。
勝義諦としては無自性・空・無我ですが、
仏教の話だから、そこはいちいち言う必要ないかと思って。
520 :
絶対神 :2009/12/11(金) 12:38:05 ID:OedVEdhP
>>516 現代人は実在を実在、非実在を非実在と捉えた上で生活しています。
現代では、唯物論的科学が主流的考え方で、この考えじたいは文明が
衰退しない限り変わらないでしょう。
「永遠という視点から見れば確かに現世は幻かもしれませんが」
『人間から見れば、「実在」します』
釈迦仏教の無理な点は、「所詮は宗教であって、「現実」を見ていない
という点ではないでしょうか?」
512さんが言っているように、仏教とキリスト教とイスラム教の間に、
「本質的な違いはあまりないんです」
『要するに、非現実的という事で』
それを実践する事は、不可能です。
理由は単純で、「単なる宗教理論にしか過ぎないからです」(別に、物質は
幻でもないし実在しない訳でもないし、空や縁起で存在している訳でも
なんでもない)。
つまり、創作と現実、実在と非実在を区別しない考えは、余り現実的
ではないし、ある意味、もう時代遅れなんです。
『神が実在してはいけない理由でもあるんですか?』
521 :
絶対神 :2009/12/11(金) 12:45:11 ID:OedVEdhP
その点、キリスト教やイスラム教の方が、「あるものある」「ないものはない」 という性質上、判りやすいし、「現実的」なんです。 物質は、『絶対的な意味(永遠的な意味)』では「実在しない」というだけの 話で。 「普通に言って実在する訳ですから」 こう言ってはなんだけれども、「神様」だけが言って良い理屈を「人間に言わせて いる」のが「仏教」じゃないかな? 前にも指摘したが、「私はそう思っています」。 で、人間は救われたいと思っていますが、「宗教の言う救いには根拠がないんです」。 実際、「神仏の慈悲だのなんだの言いますが」。 「単に人間が救われがたい存在だという現実が認識出来るだけの話で」 具体的な救いの根拠が宗教には何もない訳です(哲学や抽象論や神仏を持ちだして 誤魔化しているだけの話で)。 『これでは現代人にとって説得力はない訳です』 きちんとした根拠をもち「実在する存在」でない限り、人類は救えません。 「救われがたい人間を救うには、「絶対の実在」とも言える根拠がないとどう にもならない」という事なんです。
522 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 13:37:37 ID:YDtMNRxq
>>519 実在という表現は誤解しやすいですよ。
仮象と実在といった意味に捉えやすいので。
>>520 じゃ、常識に安住して仏教には口を出さないでくださいね。
>>522 >実在という表現は誤解しやすい
では、どのような日本語を使ったらいいですか?
たとえば、中高生に仏教の話をするとして、
「御釈迦さんというのは、2500年ほど前にインドに実在した人物で・・・」
と説明してはいけませんか?
|
|ー ̄)
|
>>522 つーか、「あらかじめコンセンサスをとって確認して」おかない限り、
相互理解の齟齬は不可避だろ?
「一般的意味」はまさしく「 >仮象と実在といった意味 」なのだから・・・。
(
>>517 大辞林(&もともとその意味から出発なんじゃね?哲学のことはよく知らんけどw))
そして、「その使用法が間違っているわけではない」。
『大日如来と釈迦如来の間に違いを見てはならない!』という貴方の意気込みは解る。
法身という概念こそ、大乗の大乗らしさとも言える。
だが、『同時に、差異をも見るべき』だと思わないか?
差異(≒世俗性)に言及しようとすれば、自然、(世俗的に)その差異を明らかにせねばならない。
※君が行っているさまざまな仕事や業績も、《「この差異」をはっきりとさせる作業》
にほかならないんじゃないのか?
仏教という枠内では、「実在」という用語を使用することは不可能なのか?
いや、よしんば
《「仏教という枠内でその教義を性格に述べる時」或いは「仏教という枠内でその教義に触れねばならない時」》は、
半歩譲って、違う言い方を模索してもよかろう。
が、《仏教と関連する話題・対話・情報提供等の時にもまた、「実在」という言い方を禁止》するならば、
不便なこと極まりない。 君はおそらく、「そういう時は使うよw」というかもしれない。
だが、よく、自身の言動を省みることだ。
君は、【そういう場面でも】【「そこで“実在”と言ってはいけない!」】と
司会者のマイクを奪い取り、発言者を指差し、糾弾してるんだよ。 (いつもいつもそうだw)
(古い話題を蒸し返す形になったが、質問箱でのことなので(一般ROM者も視野に入れながら)、
敢えて、〔「実在」という語の使い方講座〕の意味も兼ねて、横レスしてみた・・・。
※ 上の貴方の言による対比を採れば、仏教的には《一切は「 >仮象 」である》となるのだから・・・。)
ttp://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%BB%AE%E8%B1%A1/ では、教授、続きをお願い致しますw
525 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 15:01:09 ID:YDtMNRxq
>>524 大乗が創作だという言説には実在論が潜むでしょ。
それを指摘しないわけにはいかない。
大日如来と釈尊が同じとは言わない。
大日如来が法身か受用身なのに対して、釈尊は色身あるいは化身ですから。
つまり、前者は聖者しか見られない、後者は凡夫も見られた。
問題は、色身あるいは化身しか認めない実在論的視点、
つまり『梵網経』で釈尊が指摘した凡夫はつまらないことしか見ない点にあるわけです。
その凡夫の視点に仏教を引き摺り折りして、見えない部分を排除否定する和辻のような愚行はもう時代遅れも甚だしいということです。
526 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 16:25:01 ID:+Cx9FG+0
>>502 あれだけの大家に対して中観がわかってないなんてよく言えたな。
お前何様だ?
527 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 16:46:11 ID:YDtMNRxq
>>526 中村先生は大家とは思えないですね。
大家とは水野先生と梶山先生でしょう。
そして中観で思想的に見るべき先生は梶山先生、生井先生、石飛先生、
カルパハナ、ドゥ・ヨング、カルマ・プンツォぐらいしか私は知りません。
もちろん、チベットの伝統学者にはごろごろしてますが。
528 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 19:07:36 ID:6EBPwUuY
はいはい、あなたがどういう人かよくわかりましたwww
俺はしばらく仏教を離れて 量子物理学を勉強しようと思っている。 「女と素粒子は見られただけで反応する」というが 「観測」と言う作業は凄い結果を生むようだ。 自分の感情や思考をただ「観測」する。 なんか掴めそうだ。
>>525 >大日如来が法身か受用身なのに対して、釈尊は色身あるいは化身ですから。
そう。
【一般的使用法において】は、
【「法身」を「非実在」(≒仮象或いは概念)、「色身」を「実在」とする】わけだ。
人は、この差異を受けて「釈尊は歴史上実在した人物で・・・」と語る。
隣の太郎君は実在してて、毎朝「学校行こう」と誘いに来るのと同じ“存在形式”で釈尊も“インドに居た”、と・・・。
食い違って当然だ・・・w
いずれにしろ、
【たとえ仏教の枠内でも、「色身」を「実在」と(ゴータマ・シッダッタを『歴史上実在の人物』と)
しなければならない場面は生じ得る】ということだ。
そして見渡してみれば、(貴方の嫌うw)実在化(及び実体化)が「法身仏」に対しても為されてはいないだろうか。
(現在で言えば、オカルト系・神秘系・スピリチュアル系等に多く見られる傾向かもしれない。)
少なくとも描写の多くは、そこを区別していない。(寧ろ「色身」として描写してるのではないか?とも思われるくらいに・・。)
そして、それこそが仏教の「歴史の」(いや、この場合「文化」と言わねばならんか・・・)
主流となっている。(→教義として、勝義としてではない部分で・・。勝義に於いては貴方の言う通りでしょう。)
「色身仏を(一般的感覚として)五感で感知しうる存在として見る」のとまったく同様に、
「法身仏等各種諸如来をもまた、そのように五感で感知しうる存在として見る」のが大勢を占める。
近代仏教学以前、君が言う理想のベクトルとは別な(真逆な)形で、両者は区別されていないだろう。
(法華経の描写の、なんと壮大でスペクタクルなことか・・・w ルーカスもスピルバーグも真っ青だw)
どの程度のレベルの者が大乗経典編纂に関わったかは知れないが、
少なくともそこには、かなりの大きな幅があったのではないか?
(ちょうど貴方が今の学会を玉石混淆と見做すように・・・。)
>>525 >大乗が創作だという言説には実在論が潜むでしょ。
>それを指摘しないわけにはいかない。
(「創作」という言い方・語自体が、オーバーな表現なのかもしれんが)、
けど、『そう』言うしかないだろ?(ましてやそれが学者なれば!)
そして、それが許されないのは、【君のような立場にある者】だけだ。
勿論、程度の差ではある。文字化されたのが、遥か後代であり、伝承という形式が同じなれば、
その意味では、現存パーリや漢訳アーガマも創作経典と言えないこともないwww
だが、そこに(君の嫌う学者さん達がw)線引きをしているということは、
【そこに差異がある】ということだ。この差異を捨象するか拾い上げるかの違いでしかない。
そして、その拾い上げの区分は、【差異の顕著なところに楔を打つ】形となっているだろう。
(ちょうど、前世と現世、現世と来世を区分するのに、その肉体の滅を基準とするように・・・。)
所謂大乗経典を創作でないとするならば、浄土三部経や法華経は言うに及ばず、
延命十句観音経とか舎利礼文とか、或いは和讃とか、或いは臨在録とか正法眼蔵とか、
正統な系譜にある者が、その教えの内容を記したものは全て、正統な経典と言える。
今これから、誰かが(貴方でも構わないがwww)「如是我聞」から初めて、教えの肝要を記してもいい。
それが、伝統としての縁により生じた経典(著作)であるならば・・。
つまり、『教えの伝統に則っており、正統な継承者が、教えに(ブッダに)誠実に記した』ものであれば、
それは『創作ではない』『継承・伝承されたものである』と。
創作とは、『その伝統・伝承の外に発想の源があり、且つ正当な手続きを踏んでいないもの』を言う、と。
こういうことになる。
「正統な縁で連なっていれば」、貴方が書いても私が書いても、それは立派な経典である、と・・。
それはあたかも、【“テルマ”が掘り起こされるが如く、執筆者によって著される】のだ、と・・・。
>>525 また、
>>515 では、
《「歴史的事実」(この言い方も貴方は嫌いでしたが我慢してくださいw)として、
→「四大種所造の事象としての、(五感に感知される)種々の現象として)在ったこと》なのか、
《概念として(≒名称として)、ただ、識にのみ感知される事象・現象として在ったこと》なのか、
という差異を拾い上げて、その上で、
【後者を前者として記述するのは、事実を記すことではない】という意味で「創作」と言ったのだろう?
実在論が潜むのは当然だ。それを抜き出してしまったら【世俗で通用する言辞とはならない!】。
その姿勢は、世俗において世俗の事象を述べるには少々窮屈だw
※(なぜ、「名色(nAma-rUpa)」と、別して併記せねばならないか。
単純に一つに括れない差異があるからではないのか?)
貴方も、大日如来と釈迦如来との差異に言及した。決して無頓着に同じではない、と。
ならば、同様な差異の抽出により、「事実か事実でないか」は問われて然るべきだ。
《「大日如来は法身である」「釈迦如来は色身である」》 と言明するのと同様に、
《「シッダッタ王子は右脇から生まれていない」「滅後、釈尊の遺骨が分配された」》という区別がなされてもよいだろう?
《「通り向いに住む爺さんは、悪の組織の幹部ではない」「隣のあっ君のお兄さんは中学生である」》
というくらいの差異は見て取れるだろう?
この差異を指して、《 >内容は事実でなく創作 》 と言っているんだろ?
>>515 は・・。
※さすがに、法身と色身との差異を他と引き比べるのは乱暴か・・・w
533 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 21:33:25 ID:YDtMNRxq
>>530 >「色身仏を(一般的感覚として)五感で感知しうる存在として見る」のとまったく同様に、
>「法身仏等各種諸如来をもまた、そのように五感で感知しうる存在として見る」のが大勢を占める。
これも話にならない。常識もオカルト実在論もどっちもどっち。
>どの程度のレベルの者が大乗経典編纂に関わったかは知れないが、
>少なくともそこには、かなりの大きな幅があったのではないか?
編纂ではなく、記号化、言語化ですがな。
もちろん、その人の言語能力などによって幅、限界はあると思われる。
すくなくとも、その人の言語習慣が用いられるからですね。
534 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 21:37:50 ID:YDtMNRxq
>>531 そうは思わない。それは縁起を解さない証拠いがいのなにものでもない。
シュルティ、スムリティ、シャーストラの違いがあるでしょ。
テルトンはきっちり、テルマと論書、つまり、ブッダの教えと自著を分けてます。
だから言語化されるんだということですがな。
535 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 21:45:02 ID:YDtMNRxq
>>532 もちろん、世俗内の言語習慣・因果の話ですがな。
勝義・法界一味平等では言葉にならない。
それにしても、仏教の本質に関わる部分で、実在論的に考えては何も分からないだろう。
分かるのはせいぜい歴史とか文献の物理的・言語学的特徴ぐらい。
そんなこと分かっても本質的に意味はない。
ただの骨董趣味や文化研究で、まさにそんなこと研究して何になると言われてもしかたないと思う。
そう思わない。
まあ、辞書とかテキスト、翻訳を提供してくれるのはありがたいが、
実在論的立場に立つ限り、仏教の本質は何も分からない、これは断言できる。
>>534 それは失礼した。
私は「テルマ」という言葉を、貴方から初めて聞いたものだから、
一連の流れの中(と、ちょっとググった上で)、
「核(コア)としてのエッセンスを内包した埋蔵経典」、転じて「連綿と継承される真髄」のことだと
理解してたから。 そんなに種類があるとは知らなかったwww
けど、そうすると、やっぱり『線引き』は必要では?
『誰かが』(これはまあ行者自身がということになるのかな?それとも師?)
『どこかで』線引きしないと、その区別は生じないし現れない(見極められない)のでは?
537 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 22:27:55 ID:YDtMNRxq
>>536 認定法があるよ。何より成就者が輩出しないテルマは廃れていく。
テルマと大乗経典は非常に似てると思う。
テルマの縁起を読むと大乗経典の縁起が分かると思う。
この場合の縁起は所謂歴史ね。
シナでも『金剛三昧経』とかあるし
日本でも『天地麗気記』とかあるでしょ。
そういった経典を認めないなら、大乗を認めないことと同じ。
線引きするのはあくまで聖者であって凡人ではありえない。
538 :
神も仏も名無しさん :2009/12/11(金) 22:35:06 ID:ME2agmlG
なんで同じ仏教なのに宗派で教えが全然違うの? なんで統一しないの?
539 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/11(金) 22:58:28 ID:dBM4m5Ei
>538 例えば、富士山に登りたいって集団がいたとして、 裾野からちゃんと歩いて登る人とか、途中まで車でとか、ヒドイのだとヘリで見下ろすだけとか、色々居るでしょう? 仏教も、アプローチが無数にある訳です。 あと、不法投棄のゴミ山を真剣に富士山だと信じて登る幸福の科学みたいな気違いも居るから要チェックやで♪(笑)
(
>>537 )
やっぱり、(今回に限らず)、
貴方の言葉は初学者向きじゃないよw かなり上級者向きだ。
少なくとも、かなりの予備知識や或る程度の経験がないと・・・。
今回の私の問いは、一般的に、極々普通に生じる方向性のものだ。
今回の流れで、貴方の言いたいことがどれくらい一般ROM者に届いたかどうかわからんが、
「届く言葉」というのが、私の最終的理想なんで、ついつい噛み付いてしまう。
しつこく噛み付く理由は、(三世に跨る転生もそうだがwww)、
私自身の「よい言葉・届く言葉に出会えれば・・」という所に端を発してもいる。
(「初期仏教は素朴実在論的」という言い方をしたいのも、その解り易さにある)。
「縁起」と「実在」の対立も、その骨格は解る。
あとは、それを噛み砕き解説する際に「実在」の代わりになんと表現するか?だ。
(実は、貴方から巧い表現が出ることを密かに期待してるんだが・・・w)
「色(rUpa)としてある」ことと「名(nAma)としてあること」との差異を表現するには、
「概念」と「実体・実在」という対比が適切で直截的だ。
「名色」合わせて、いわゆる「諸行」として括ってその本質を示そうとしたなら、今度は
《どちらも「実在・実体」ではない。「所縁によって」束の間顕現している仮象・「仮説されたもの」である》
と言わねばならない。
では、もし、最初の段階で「名も色も同じく実体でない」とし乍ら、且つ「名と色の差異」を示さねばならないとき、
なんと表現するのか?
勿論、日本語でだ。 (※全然関係ないが、たとえば「テルマ」という語(及びその概念すらもw)はマイナー過ぎるw)
特に、術語が整備されない初期は、従来のもの・形を流用している語や表現が多いと思う。
その場(面と向かって相対した者同士)でならば、内容的に換骨奪胎されていても、換骨奪胎されていることが解る。
だが、時代を経るにつれ、地域を異にするにつれ、そこに、齟齬が生じてくる。
流用され使用された語が、その換骨奪胎されたこと(中身)が捨象され、その表現のみが伝承された時、
その軋みは決定的になる。
で、やっぱり、「言葉なんじゃねーかな・・・」と思うわけだよ。 「初めもよく、中ごろもよく、終わりもよい言葉を語りなさい」と釈尊は言われた。 (註によれば、この意味にも数種あるそうだがw) 罵詈雑言を重ねる時点で失格なわけだがw、あっちのスレの惨状を目にすれば、 今はまだ、外道&ヒール認定されたとしても、この方向で突っ走らねばならんなぁ・・と思うのさ。 ノシ
542 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 00:21:28 ID:IPngqSYM
で、結局、南無阿弥陀仏をとなえている人々は、 阿弥陀仏の実在を信じてるのか? お釈迦様の神通力によってイダイケ夫人が 阿弥陀仏や浄土を見せてもらったというできごとも、 歴史的な事実だと信じているのか? 信じていない場合、それでも念仏をしる心境は?
ああ・・・ また、「実在」&「歴史的事実」という“NGワード”が出てしまった・・・www ※ >>一代氏 こういう場面の一つ一つに反応してゆくおつもりか?w
ああ・・・ 一々、逐一反応しているのは自分だったわ・・・wwwww やはり背負った経典は、全部燃やすべきだなぁ・・・w 寝よう・・・。
545 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/12(土) 10:06:48 ID:7357DNUB
>>542 「実在」ってのは仏教的にどうかと思うけど、
一応は「実在」の流れでレスポンスすると・・・
実在するか、しないかよりも、
それでもなお阿弥陀仏に帰依するとこにその本分がある。
(つまり実在論は二義的)
>阿弥陀仏や浄土を見せてもらったというできごとも、
>歴史的な事実だと信じているのか?
浄土門の悟りというのは、実在論は全く関係はない。
禅門の、カラスのカァ〜で悟るのと本質的には同じ。
一遍上人の、悟る前と、悟った後の偈を比較すると一目瞭然。
悟った後は、阿弥陀如来の欠片もない。
>信じていない場合、それでも念仏をしる心境は? 暁烏 敏「歎異抄講話」を読めばだいたいわかります。 暁烏氏は信じてないというわけではないのですが、 なんとなくそういうものだろう、という感覚は持てます。 講談社学術文庫で出てますが高いのでお近くの図書館で 取り寄せしてもらえば(他館にも借りてる人がそういるとは思えないので) だいたい3週間くらいで届くのではないでしょうか。
547 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 10:23:42 ID:f9jtOO4T
阿弥陀さまは実在する人なの?
548 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/12(土) 11:43:19 ID:7357DNUB
>>547 実在ってのは、つまりは時間の流れを有している概念だね。
時間というのは、流れてなくて発生するもんだよ。
カァ〜ってのを聞いて、そしてカァ〜の前後が繋がる。
つまり、カァ〜から知覚を得て、同時に自己と時間が発生するんだよ。
阿弥陀さまも同じことで、
念仏を唱えることにおいて、自己&如来が現出するんだね。
つまり如来さま、というのは自己でもあるんだよ。
じゃあ、自己というのは実在するのか?
っていうたら、
カァ〜とか逝った縁に触れないと、自己は発生はしないお。
(つまり、時間の前後は繋がらない)
549 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 11:45:32 ID:CJvCgPbI
禅の悟りの境地とドラッグを飲んだ時の心境がよく似ているそうですが 同じものなんでしょうか?
550 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/12(土) 12:10:16 ID:7357DNUB
>>549 記憶喪失者が、自分とは何か?と悩むのは、
つまり自分というのが時間的な繋がりを有してないが起因する。
悟りってのは、この記憶喪失者が何かの縁において
時間の繋がりの発生の瞬間に立ち会うようなもんですね。
存在(実在)ってのは、つまり時間の問題ですから、
(輪廻転生論も時間の問題です)
これを抜きにしては法は語ちれんですね。
>禅の悟りの境地とドラッグを飲んだ時の心境がよく似ているそうですが
自分はドラッグの経験はありませんけど、
悟りってのは、アタマがロンパリになることとは違いますね。
もっとハッキリしたアタマになりますよぉ〜。
551 :
前スレ696 :2009/12/12(土) 13:16:46 ID:ho+/KBRb
552 :
前スレ696 :2009/12/12(土) 13:17:02 ID:ho+/KBRb
>>1 結局、貴方がこのスレを立てた根拠は全て論破されてしまったわけで、
このスレの存在価値はまったくなくなりましたねw
しかも、こちらの方が後発の重複スレであるし……。
まあ、あなたがここで回答を示したいというのであれば、お付き合いしましょう。
削除人が勘違いしてこっちを削除しない事を祈っていてください。
553 :
前スレ696 :2009/12/12(土) 13:18:24 ID:ho+/KBRb
554 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 18:23:41 ID:l0+o48vJ
スマナサーラは日本のどの僧よりも高い境地に至っているのですか? 臨済宗の室内に入って全ての公案を終えるより、スマナサーラについて ヴィパッサナー瞑想をする方が高い境地に至れますか?
555 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 18:43:16 ID:SqAAoqHo
そのとおり
556 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/12(土) 18:56:50 ID:7ZZh+sBV
(^。^;)・・・ >554 高い低いは主観的な判断に過ぎません。 その教派が万人に通じて最高なら、他派は廃れる筈ですし。(笑) 人は各々異なりますので、自分に合った教えは自分で探すしか無いかと。 まぁ、一般常識に照らして、バカげた要求をする連中は相手にしない事ですね。(笑)
557 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/12(土) 19:04:25 ID:7357DNUB
禅の悟りというのは、高いとか低いとかのレベル的想念は全て消し飛んじゃいますね。 つまりこういう戯論といのが寂滅しちまうんです。 戯論というのは、論理矛盾のことですね。 「高い境地」ってのは、それだけで論理矛盾してますよ。 これは公案です。 何故、論理矛盾があるのでしょう? この公案が解けたら印可証ですね。
558 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 19:04:54 ID:l0+o48vJ
でも禅もヴィパッサナーも「瞑想」には違いないですよね。 とすれば単なる思想ではなく、瞑想を続けることによる効果に差が出てきても おかしくないのではないでしょうか? どちらの方法がより効果的かということを知りたいんです。 これから修行するとすればどちらをすすめますか?
559 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/12(土) 19:23:52 ID:7357DNUB
>でも禅もヴィパッサナーも「瞑想」には違いないですよね。 達磨禅と止観では多少違いますね。 達磨禅でも、北宗禅と南宗禅では違いますから。 >瞑想を続けることによる効果に差が出てきても 瞑想の効果を期待するなら、ヴィパッサナー(止観)がいいんじゃないでしょうか? 禅では全く効果ってのは期待できないです。 効果もないし、功徳も全くない。 ないないづくしが禅です。
560 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 19:25:34 ID:SuCp6XIK
>>557 印可証って何ですか。仏陀と何の
関係があるんですか。
561 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/12(土) 19:32:45 ID:7357DNUB
>>560 印可証ってのは「悟った」という証明証のようなもんで、
ただの紙切れのことですね。
あっても、なくてもいいもんです。
562 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 19:34:47 ID:SqAAoqHo
所詮大乗
自我が生まれて消滅する刹那は10^-34秒ですか?
564 :
神も仏も名無しさん :2009/12/12(土) 23:42:25 ID:notAf9Sw
>>539 ありがとう。
悟りに遠そうな教えに成ってるけど?急がば回れって!回り道過ぎるね!
本当の教えは悟った人が出てからにして欲しいよね?
お金ばっかりかかりすぎるね!
565 :
神も仏も名無しさん :2009/12/13(日) 02:24:21 ID:akVoLC+Z
>>558 効果とは具体的に何なのか。
目指すのは、悟りですよね。
悟りとは、有身見・疑・戒禁取見・貪欲・瞋恚・
色貪・無色貪・掉挙・慢・無明
…という煩悩を滅することでしょう。
悟るまでに期待できる「効果」は、
できるだけ悪の心が生じないようにすること、
また、悪の心が生じても長引かないようにすることではないでしょうか。
これは、言い方を変えるなら、
できるだけ悪業を積まないようにする効果。
悪業を積むと、煩悩を強化して、より悟りにくくなる。
566 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/13(日) 07:36:20 ID:CqRpR5PH
>>563 自我の生起とか、自我の生滅とか、刹那の単位とかは、
つまり仮説ですから、思考上の問題であり、リアルで考える必要性は全くないですね。
この仮説をヒントとしまして、そのバックボーンを抽出するのが、
いわゆる悟りというもんで、
(これは帰納法的推論ですが、実際これでは悟りは無理です)
あらゆる理論体系は仮説、つまり戯論です。
この戯論である。ってことを暗黙のコンセンサスを得るのが
いわゆる「空思想」というもんです。
仏教の、思想的・哲学的な関心があるなら禅を勧めます。
仏教の、神秘性とか形而上学的なことに関心があるなら止観がいいかもしれません。
567 :
神も仏も名無しさん :2009/12/13(日) 18:08:36 ID:w7c/6V6I
>>561 印可証ってのは「悟った」という証明証
冗談やめて下さい。まるでブッダ気取りで
誰がそんな証明書を発行するんですか。
本家のブッダさえしなかったことを、偽ブッダごときが
すべきではありません!
568 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/13(日) 18:41:19 ID:3TpkIhFU
>567 印可は禅宗の風習で、机は只の仏教マニア。 マトモに相手をする価値は無いぞ♪(笑)
「伝法衣」という言葉もあるが、 起源を辿れば、慧能の袈裟受領からだろう。 さらに、禅の伝承・継承に於いては、 証悟だけでなく、『系譜(≒宗風・家風)を明確にする』機能を担うようになり、 それが、袈裟でなく、証書(一筆、紙)という形をとっていった。 ということではなかろうか?
570 :
神も仏も名無しさん :2009/12/13(日) 20:41:58 ID:LMOr23ER
唯識の勉強をしようと思っています。 一から学べる良い入門書があったら、教えてもらえないでしょうか?
571 :
神も仏も名無しさん :2009/12/13(日) 20:44:22 ID:ddKA2OgM
仏像って何であんな不細工なんですか?
572 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/13(日) 20:55:32 ID:3TpkIhFU
>571 欧米人も、仏像をグロテスクと思うそうです。 (^。^)美的センスの問題ですね。(笑)
法隆寺の弥勒、興福寺の阿修羅像なんかイケメンだろ?w
574 :
神も仏も名無しさん :2009/12/13(日) 21:44:05 ID:pnFq3Y5H
>>570 シナ・日本系唯識
仏教の深層心理 ― 迷いより悟りへ・唯識への招待 有斐閣選書 (875)
太田 久紀 (著) 266頁 ¥1,680(税込)有斐閣 ; ISBN: 4641023093 ; (1983/01)
<コメント> おそらく最も簡潔で要領を得た入門書である。
インド系唯識
唯識入門
高崎 直道 (著) 231頁 ¥1,890(税込)春秋社 ; ISBN: 4393135229 ; 新装版 (2003/10)
<コメント> これを読めば唯識という考え方の基本がしっかりおさえられる。
575 :
神も仏も名無しさん :2009/12/13(日) 21:54:08 ID:pn3I32Mz
>>568 印可は禅宗の発明ですか?
ろくでもないものを考え出したものです。坐禅では悟れないものだから、
どうせヒマつぶしに考え出したんでしょう。
576 :
神も仏も名無しさん :2009/12/13(日) 22:12:16 ID:pnFq3Y5H
>>558 >でも禅もヴィパッサナーも「瞑想」には違いないですよね。
禅は、本来サマタ。
ニューウウェーヴ・テーラワーダのいうヴィパッサナーは、四念処で、
本来のヴィパッサナーではありません。
577 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/13(日) 22:33:54 ID:3TpkIhFU
>575 禅宗は実際にお堂で座禅してみないと机みたいになるから要チェックや♪(笑) (^。^)でも、面白いヤツも沢山いたから、調べてみるのも一興ばい♪
578 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/14(月) 06:35:07 ID:ZLV3louq
>>567 印可証というのは、あってもなくてもいいもんです。
コンビニのレシートは金銭授受の証明になりますけど、
「ならなくていい」という客もおるわけで、
それならそれで、良きに計らえばいいことです。
人間というのは、どうでもいいことを思い煩うもんです。
「釈尊の歴史的実在」とか「輪廻転生」とか、「高い境地」とか、
ようは是か非か?が戯論であることを納得することが先ず先決ですから。
(毒矢の譬えです)
印可証というのは、その暗黙の了承(コンセンサス)としての
コミュニケーションの意味があります。
印可証は、市井の人間にとっては殆ど意味はありません。
579 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/14(月) 07:00:48 ID:ZLV3louq
>>569 >起源を辿れば、慧能の袈裟受領からだろう。
そうですね、弘忍から慧能への法衣継承は歴史的には重要でしたけど、
慧能以降は全くその機能は果たさない。
つうか、法衣継承がないから南宗禅は発展した。
慧能→神会→衰退
南岳→場祖→→百丈→臨済宗→→栄西(日本の臨済宗)
清原→→→雲門宗
→法眼宗
→→→道元(日本の曹洞宗)
質問です バーミヤンで発掘された経典研究の進捗状況は現段階でどうなっているのでしょうか? 般若経以降のいわゆる大乗経典は出てきたのでしょうか? どなたかお願いします
581 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 16:30:49 ID:x6281fWi
582 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 20:00:04 ID:p+K77xKs
何で仏教徒は人を見下すの?
583 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 20:09:00 ID:x6281fWi
>>582 それは出来の悪い仏教徒ですね。
サンガは来るもの拒まずなので、どちらかといえば悪い人が多いかもしれません。
584 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 20:10:44 ID:p+K77xKs
ありがとう。 悪い人を謙虚に改心させてくださいね。
煩悩の原因は、3つあって怒りと貪りとむちむちである
586 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 22:10:49 ID:QtLve7Be
>>583 スマさんが出来の悪い仏教徒だとでもいうのですか?
別スレでは空海より偉いお坊さんだとお聞きしましたが。
587 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 22:25:50 ID:wow9c9gW
>印可証は、市井の人間にとっては殆ど意味はありません。 誰にとって意味があるんですか? 印可証を発行する側に意味があるのかな?私は仏陀のしなかったことは 後世でもする必要はないと思うんですけど。 仏壇、仏像の前での読経なんかも不要。堕落仏教の象徴的セレモニー。釈迦 泣かせの最たるものです。印可証もそれと同類でしょう?
588 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 22:35:13 ID:x6281fWi
>>586 >スマさんが出来の悪い仏教徒だとでもいうのですか?
その人だとは思いませんでしたが、私はいい印象はありませんね。
テーラワーダを学ぶなら、ビルマ系がいいと思います。
>別スレでは空海より偉いお坊さんだとお聞きしましたが。
絶対ありえないと断言します。彼は色即是空空即是色さえ分かってない、
はっきり言って低い見解です。
>>587 >仏壇、仏像の前での読経なんかも
子供が、学校行く前に「婆ちゃん、いってきます」というのと同じだ。
上座部や原始仏教をイメージしてるんだろうが、
ならば尚の事、在家と比丘とを区別しとけ。 馬鹿垂れが。
590 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 22:49:51 ID:x6281fWi
>>589 テーラワーダ協会は、正統派ビルマ仏教にとっても悪い影響を与えそう。
チベット仏教に対するオウムみたいなかんじ
こうした苛立ちも、根っ子は「俺が俺が」なんだよなw 「どれだけ上辺を繕っても、自分可愛さ・自分大事が滓のように残る」。 「滅私奉公しているつもりでも、存外自分の為だったり、そういう自分に酔っていたりする」もんだw 2chの仏教マニアの大半はこの類となろう・・・w 自分も含めてなwww しかし、どいつもこいつも、トロくさい発言ばかりしやがるから、 ついつい、心に波紋が生じるw 大波と化さしめて、ぶつけることになってしまうw まったくもって成ってないw どこが仏道なんだかな・・・www ノシ
592 :
神も仏も名無しさん :2009/12/14(月) 23:02:39 ID:x6281fWi
>>591 セブン、熱いね
まあ、彼も仏教の基本を普及したという点では評価されてもいいかも
>>592 いやw
「苛立ちは“自分自身のせい”だ」というレスだよ。 (須磨某なんかに興味は無いw)
これが根幹だ、と・・。 (&だから、三世なんぞ必要ない、とねw)
「無我(非我)」の「理解」と「頷き」と「実践」が要だよ。
で、「理解」「頷き」までは大抵の人が行ける。(一部、困難な方々もいるが・・w)
難しいのは、最後の「実践」だよ・・・w (^^;
寝るw
595 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/15(火) 07:22:11 ID:5JmBNBzN
>>587 >印可証を発行する側に意味があるのかな?私は仏陀のしなかったことは
>後世でもする必要はないと思うんですけど。
仏陀の拈華微笑というのは、相互のコンセンサスを得る。という確認でありまして、
印可証もその意味合いがあります。
つまり、
彼岸到達者(つまり開眼)同士の相互に合い通じるものの確認です。
(禅ではこれを以心伝心といいます)
まあ、それよりも、
「高い境地」ってのは何故矛盾があるのでしょう?
ヒントは、時制(時系列)です。
「釈尊の歴史的実在」とか「輪廻転生」とか、全ての迷いの根幹はこれです。
これさえ解ければ印可証であります。
596 :
神も仏も名無しさん :2009/12/15(火) 07:51:58 ID:r4L0uIyV
>>595 と何も分かってない妄想家で有名な机ちゃんが言うのが 2ch
正統派ビルマ仏教って日本の修道会では 学べますか?
2番目の所に行ってみようと思います。 日本人に目覚めました。
600 :
神も仏も名無しさん :2009/12/16(水) 19:20:39 ID:lC1Gwf5U
ゴータマはいつ悟ったの? 生きてる時なの? 死んでからなの? いつ仏に成ったの? 生きてる時なの? 死んでからなの?
むかし。
むかし、あるところに
603 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/16(水) 19:42:18 ID:hlywshe1
>>600 どんな人間でも、答られるもんと、そうじゃないもんがあって、
ゴータマの消息は後者になる。
ゴータマについては謎です。
推論ならできる。
604 :
前スレ696 :2009/12/16(水) 20:09:10 ID:tql79oqa
605 :
神も仏も名無しさん :2009/12/16(水) 20:18:21 ID:lC1Gwf5U
>>603 ありがとうございます。
ゴータマは謎の人物なんですね。
ゴータマの悟りは知られていても、人物は良く解らないのですね。
606 :
神も仏も名無しさん :2009/12/16(水) 20:32:51 ID:lC1Gwf5U
607 :
神も仏も名無しさん :2009/12/16(水) 20:50:56 ID:BTZni74B
>>600 生きてる時に悟りました。その場所が、インドのブダガヤです。
その時に仏、つまり、悟った者になりました。
水野弘元『仏教要語の基礎知識』『釈尊の生涯』を読んでみてください。
608 :
神も仏も名無しさん :2009/12/16(水) 22:20:32 ID:lC1Gwf5U
>>607 ありがとうございます。
生きてる時に悟ったのですね。死んでからでは遅すぎますね。
本の紹介もしていただき、ありがとうございます。
>>608 遅すぎるかどうかは分かりませんが、日本人は死んだらみんな悟ることになってますよ。
元気がでますよね。
>>607 遊ばれたなw
なんで気付かなかったのかw
611 :
神も仏も名無しさん :2009/12/17(木) 04:16:10 ID:E+ve1opy
>>608 仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは、釈迦属(シャーキャ属)の王子で、
29歳で出家し、36歳のときに悟りました。
悟りを得たので、仏(ブッダ:真理に目覚めた者)と呼ばれます。
また、釈迦族出身の尊いお方という意味で、
釈迦牟尼世尊、釈尊、お釈迦さま、などのニックネームがあります。
612 :
神も仏も名無しさん :2009/12/17(木) 07:20:49 ID:uRySOhXh
>>611 それを言うならゴータマ・シッダッタ
大乗系ではサルヴァ・アルタ・シッディと呼ばれる。
『ラリタ・ヴィスタラ』『金剛頂経』
613 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/17(木) 07:24:02 ID:wiwHr8kN
>>603 >ゴータマは謎の人物なんですね。
歴史観については断定はできませんね。
情報の蓄積において推理する他ないです。
道元の「前後断滅せり」は、なにをもって前後なのか?つうたら、
これは刹那なんですね。
カラスがカァ〜と鳴いたら、それをカラスと認識するのは過去の記憶が蘇るからです。
これを自我の生起(つまり有時制の発生)なんです。
これを道元は三時と逝っております。
つまり歴史観といいますのは、刹那においての連続性(時制の発生)ですね。
縁生・縁滅とは、まさにこのことでして、
実体有でもなければ、実体無でもない、縁起です。
自己の記憶が蘇るのと同じことが・・・つまりゴータマの正体です。
>ゴータマの悟りは知られていても、人物は良く解らないのですね。
自己の幼少の頃の記憶が断片的でありますように、
情報の発露であります。
道元はこれを、配列と記してますけど、
このパクリが西田の非連続の連続でありますね。
614 :
神も仏も名無しさん :2009/12/17(木) 08:03:54 ID:E+ve1opy
>>613 世俗諦の質問には世俗諦で答えないと、話が混乱するだけです。
615 :
神も仏も名無しさん :2009/12/17(木) 08:41:22 ID:uRySOhXh
>>614 つか、この人は妄想家で有名ですからスル〜推奨
616 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/17(木) 17:25:01 ID:wiwHr8kN
>>608 >生きてる時に悟ったのですね。死んでからでは遅すぎますね。
そもそも仏教では、こういった死生観というのはないですね。
「生きている時」ってのはどういうことなんですか?
死ぬことを想定して・・・それで「生きている」なんですか?
私としては、どうもこういう死生観というのは分らんですね。
輪廻転生論もそうですよね。
「死ぬ」といふ必然性を想定しておる訳ですから、
まあ、まるで死ぬのを待ってるみたいですよ。
悟る、ってのは、つまり死ぬも生きるもなくなることなんですよ。
>>616 だからwww
室内言語を日常で語ってどうするよ?w
何度言っても解らん奴っちゃなぁ・・・。
618 :
神も仏も名無しさん :2009/12/18(金) 00:31:16 ID:qjRA4fSA
>>609 >>日本人は死んだらみんな悟ることになってますよ。
それは、虫が良すぎるような気がします。修行をしてそれなりの師に導かれないと無理かと思います。
>>611 ゴータマの名称について詳しく教えていただき、ありがとうございます。
>>613 良く解りません。すみません。
>>616 冗談が面白くなくて、すみませんでした。
死んだら皆仏とどこかの偉い先生が申されたとか。
なら、ゴータマは生存中に悟りを開いて仏に成ったのか、
死んで仏に成ったのか知りたくなりました。
ゴータマの死後、弟子達が仏として祀ったものが仏教に成ったのか、
ゴータマ自身が悟りを開き教えを広めたものが仏教に成ったのかとても知りたくなりました。
輪廻の輪が有るのか、無いのかは解りませんが、人生ゲームにも上がりが有る様に上がる事が悟りだと思います。
もし、輪廻の輪が有るのなら、上がれるまで輪廻の輪の中で人生ゲームを楽しみたいと思います。
619 :
神も仏も名無しさん :2009/12/18(金) 04:58:29 ID:UCXR1WLS
>>618 >死んだら皆仏とどこかの偉い先生が申されたとか。
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. は口から出任せの適当なことを言ってるだけですから、相手にするのは愚かなことです。
>なら、ゴータマは生存中に悟りを開いて仏に成ったのか、
>死んで仏に成ったのか知りたくなりました。
釈尊は生存中に悟りを開いて仏に成ったのです。
>ゴータマの死後、弟子達が仏として祀ったものが仏教に成ったのか、
>ゴータマ自身が悟りを開き教えを広めたものが仏教に成ったのかとても知りたくなりました。
ゴータマ自身が悟りを開き教えを広めたものが仏教に成りました。
釈尊が悟りを開いて仏と成り、法・教えを説き、
弟子が悟って聖者の集団・サンガ・僧が生まれた時、
仏・法・僧の三宝が成立し、仏教が成立したと説かれます。
狭義では釈尊が仏と成り、法・教えを説いた時と考えてもいいでしょう。
620 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 07:46:37 ID:8+b24x6u
>>618 >冗談が面白くなくて、すみませんでした。
いやいや、正直書きますと、世俗諦というのは冗談みたいなもんです。
私が冗談と受止めても、相手はマジで書いている場合もありますしね、
非常に見極めの困難なグレーゾーンというのもあるんです。
>なら、ゴータマは生存中に悟りを開いて仏に成ったのか、
>死んで仏に成ったのか知りたくなりました。
う〜む、これは難解な質問ですね。
公案なら簡単ですけど。
621 :
神も仏も名無しさん :2009/12/18(金) 12:41:36 ID:JsAPS02Q
>>620 質問箱なんだから、質問者には真面目に答えてあげたら?
明らかに世俗諦の質問なんだから、世俗諦で答えないと、
初心者をバカにしておちょくってるとしか思えません。
622 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 13:16:49 ID:8+b24x6u
>>621 死んで仏になったかどうか?なんて誰にも分らんもんです。
しかしながら、死に逝く者に敬意を表す意味で
「仏に成られました」。とはいう。
仏に成ったか、どうか?は、
確信もって言える人間などないです。
これは坊主も同じこと。
自分には嘘はつけんですねw
>>622 お前一回棍棒で頭殴られてみたら?
マシになるかもよ。
624 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 19:05:36 ID:8+b24x6u
>>623 まだ分らんのか?あほが(笑
わたしの書き込みをよく嫁(笑
625 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 19:47:26 ID:8+b24x6u
>>619 >釈尊は生存中に悟りを開いて仏に成ったのです。
これも大間違い。
スルーしようかと思ったけど、まあ、後ほど説明する。
(今日ではない)笑
>>624 だからwwwww
【お前は、初学者に話しかけるな】っつってんだよ。
妨害にしかならん世話を焼くなら害悪でしかない。
勝義を勝義のまま、(何も手を加えずに(加工せずに))投与しても何もならない。
ジャガイモの芽を取らずに料理として食わせるようなもんだw
机は、このような罪深い発言を繰り返しているという自覚が完璧に欠如している。
或る意味、貴重な存在かもしれんが・・・www
(もっとも、何人かからは、その依って立っている軸自体を批判されてるわけだが・・w)
627 :
神も仏も名無しさん :2009/12/18(金) 22:18:06 ID:Jag6gp1p
このスレの皆さんは鈴木大拙をどう評価していますか? 弟子の秋月龍ミンについてはどうですか?
鈴木大拙=神秘主義者 秋月龍ミン=このスレにうようよいるような唯物論者
629 :
神も仏も名無しさん :2009/12/18(金) 22:47:38 ID:qjRA4fSA
>>619 ありがとうございます。
ゴータマが生きているときに悟りを開き、悟りを弟子たちに広め、またその弟子へと広がり今の仏教に成ったのですね。
仏と仏の法と悟るための修行をする者、仏法僧の三宝もゴータマの生きているときに成立したのですね。
ゴータマは偉大ですね。
630 :
神も仏も名無しさん :2009/12/18(金) 22:58:12 ID:qjRA4fSA
>>920 冗談にまで気にかけていただき、とても恐縮しています。
修行無しに悟りは無いと思います。悟り無しに仏には成れないとも思います。
死んだだけでは仏には成れないでしょう。
残された者が、死んだ者を少しでも仏に近づけたいと思う気持ちが供養という形に成ったのだと思います。
仏に成れるかどうかは別ですが。
本当に輪廻の輪が有るのならいつかは成仏すると信じたいです。
631 :
神も仏も名無しさん :2009/12/18(金) 23:00:20 ID:qjRA4fSA
>>630 920は620の間違いです。
すみません。
一代よ・・。
>>630 だろ? (君が言いたい)最も美しい姿は・・w
こういうレスには胸を打たれるのに、
なんで、在家や宝珠やカラス(や机)のレスには虫唾が走るんだろう・・・?w
なんで、君のレスは眉唾で聞いてしまうんだろう・・・。
630は、すんなり腹の底に降りてくるのに・・。
633 :
神も仏も名無しさん :2009/12/18(金) 23:17:57 ID:qjRA4fSA
>>632 新参者なので良く判りませんが。
一代さんではありません。
すみません。
仏教のことはあまり分からないので最も美しい姿と言えるものなど見当も付きませんが、
争いの無い協調した穏やかな空間だと思います。
考えが浅はかですみません。お許しください。
>>633 ああ、ごめん!
630のレスを、一代が見たと仮定して、一代に話しかけたレスです。
ややこしくて、誤解を与えてすみません!!! o(><;)o
630のレス(→そのスタンス、距離感)は美しい、ということです。
635 :
神も仏も名無しさん :2009/12/19(土) 02:59:55 ID:ybuAlUUA
>>632 >なんで、君のレスは眉唾で聞いてしまうんだろう・・・。
その感覚が正しいから。
オイラ的には受けるように取り繕った書き方はしたくないですね。
それじゃ詐欺にちかいから、あくまで中身から変わりたいものです。
つか、そのうち消えるから安心してよ。
省略するならカズヨじゃなくて、縁起バカ、縁起、バカにしてほしい。
つまらん、趣味の問題ですが。
636 :
神も仏も名無しさん :2009/12/19(土) 03:03:51 ID:ybuAlUUA
>>627 >弟子の秋月龍ミンについてはどうですか?
最低、仏教が本質的に何も分かってない上、
詐欺に近い行為、人によく見せるように取り繕ってるので。
637 :
神も仏も名無しさん :2009/12/19(土) 03:05:43 ID:ybuAlUUA
>>626 つか、その人は勝義も分かってないでしょ。
単に現状肯定の凡夫まるだし且つ、常識も破壊するというなにも良いところのないお粗末さ。
638 :
神も仏も名無しさん :2009/12/19(土) 03:20:37 ID:mNeJhjMi
>>622 お釈迦様が仏だ(悟ってる)と信じることは、仏教徒としての第一歩。
お釈迦様が悟ったと信じ、人間には悟りが可能だ、
少なくとも過去には悟った人がいた、と信じる。
まぁ、そんな難しいこと考えなくても、
それまでの哲学者や宗教家の気付かなかった真理に
お釈迦様が気付いた、ということ。
人々がお釈迦様の教えを聞いて、その斬新さに驚き、
しかも教えの正しさに納得できたので、
仏(真理に目覚めた者)と呼んだ。
639 :
神も仏も名無しさん :2009/12/19(土) 03:45:11 ID:ybuAlUUA
>>638 その人は相手にしない方が良いと思いますよ。
640 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/19(土) 04:26:08 ID:Wiw9J1Ou
>639 (^。^)うむ。 俺も、机と話す様になったら人間としてどうかと思うな♪
641 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/19(土) 07:46:31 ID:KDjjL7jf
>>630 >冗談にまで気にかけていただき、とても恐縮しています。
いやいや、随分大漁でしたな(笑
釣られてない御仁が約2名(わたしを含むと3名)
正直言いまして、私は釣られてない御仁に敬意を表します。
貴殿は馬鹿なふりして・・・
公案をふっかけ殆どの人間が騙されちまったじゃないですか(苦笑
机龍之介は、このくらいじゃ釣れんですよ(爆笑
まあ、公案だから私が説明するのは無粋ってもんですから、
どうしても説明してくれ。ってんなら書き込みしてもいい(核爆
642 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/19(土) 08:07:26 ID:KDjjL7jf
>>638 まあ、気の毒だからヒントだけ書きます。
>仏(真理に目覚めた者)と呼んだ。
ほらほら、ここまで分ってるんなら
>>600 は引っ掛け質問なんだということに気づけ(笑
643 :
神も仏も名無しさん :2009/12/19(土) 13:22:26 ID:lkUhCpHT
白隠と道元ではどちらが偉いですか? その理由は何ですか?
644 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/19(土) 13:27:24 ID:KDjjL7jf
初学者のために、 「ゴータマは悟って仏に成った」。の間違いをご説明いたします。 大川隆法は、生まれる以前から悟っておったようです。 それなら大川は仏なんでせうか? こういうことになってしまいますね。 自称、悟った人間なんて日本中に無数におります。 これは仏ではありません。 仏と申すものは覚者における敬称であります。 よって、仏であるか?そうでないか?は ゴータマとの位置関係にあります。 つまり、仏といいますのは一人称において仏である。ってことはないのです。 (大川隆法はこれですね) ゴータマは大川とは違います。 よって「仏」の意も全く違ってまいります。 禅では、このお題とよく似た公案がございます。 この公案では答はありません。 仏道とは真剣勝負なのでございます。
645 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/19(土) 13:33:03 ID:KDjjL7jf
>>643 それなりに禅師はいい味を出してますから、
各人の好みですね。
偉いとか・・・そういうもんとは違います。
無可無不可でありますね。
646 :
神も仏も名無しさん :2009/12/19(土) 17:44:10 ID:0XeU70Zj
>>636 秋月は学者だよ。
漢文も相当できたし、室内も複数の室内を尽くしたレベルの高い禅者だった。
仏教の本質がわかっていなかったなんてよく言えたな。
デスクがやたら(笑)とか(爆笑)とか やってる時って多分 泣きながらタイプしてるんだろうな。。 こいつほんまもんの人格障害かもしれんわ。
前も書いたが自我の拠り所として 仏法に縋り付いたら頚動脈斬られちゃった、 みたいな。。
649 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/20(日) 08:42:14 ID:3xASQhL1
>>647 おそれいります。
今回は非常に難しいお題を頂き、わたしなりに勉強になりました。
>仏法に縋り付いたら頚動脈斬られちゃった、
仏教というのは、究極的に詰めて逝きますと、
ちゃんとカルト排斥に辿りつくのですね。
仏教を生かすも殺すも人間次第なり。
<机龍之介・花押>
花王石鹸で顔でも洗ってろコノたわけが!
651 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/20(日) 15:13:06 ID:3xASQhL1
まだ分らん御仁がおるようですから、再度ご説明します。
>つまり、仏といいますのは一人称において仏である。ってことはないのです
>>644 大川隆法は「仏陀再臨」という映画を作ったようですけど、
一人称(つまり私が仏である)で仏はないのです。
ここのとこは非常に重要です。
第三者(つまり大川信者)において仏陀?である訳です。
ここのとこは非常に重要です。
仏教は縁起の法でして、
関係性においてゴータマは仏陀であります。
これを無自性空といいまして、
これが大川とゴータマとの格段の違いです。
自称「仏陀再臨」というのは、こういうことは有り得ませんですね(苦笑
652 :
神も仏も名無しさん :2009/12/20(日) 17:30:08 ID:TA4dgNSK
>>644 仏と申すものは覚者における敬称であります。
違います。
「仏」はブッダ(覚者)を音写して「仏陀」とし、それを略した形です。特に敬称と
いうほどのものでもありません。
653 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/20(日) 18:08:32 ID:3xASQhL1
>>652 そうですかね。それは残念であります。
私を煽る者も、私に禿同をつける者も、差異なきをもって同じ仏教徒。
「仏陀」には共通の思い入れがあるんじゃないでせうか?
その心こそ敬意つうもんじゃないでせうか。
この敬意つうもんを、私は「敬称」としとるんでつよ。
言葉は言霊(ことだま)と言いまして、
「仏陀」にはそういう意味が含まれておるんですよ。
それは恒久の歴史を経ても、なお色あせることはあらず。
机は参禅の経験はあるんかいな?w
655 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/20(日) 18:29:53 ID:42Qc3FvX
>654 (^。^)机なんか持ち込もうとしたら叩き出されますけど♪(笑)
目糞、鼻糞を笑う。
657 :
机は臭いw :2009/12/21(月) 07:10:32 ID:cs3mF9LX
654氏へ、野暮な、お話ででしょうw 程度の低い師か、独学かw まあ、臨済宗の僧侶のクォリティーも最近落ちているらしいぜw 悟らずに禅堂出て、世襲が多いらしい、曹洞宗のほうがまだましらしいぜw ま、良心的な禅坊主の知り合いが言うのだから、まあ間違いないw
658 :
机は臭いw :2009/12/21(月) 07:15:05 ID:cs3mF9LX
大森曹玄老師の高弟の知り合いがいるんで、本物と縁があると、 机なんぞ、妄想の類だなw
659 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/21(月) 07:26:53 ID:jk1Pqsxe
>>657 いや、私のことはどうでもいいんですよw
それよりも、
また新たなお題が出ましたね。
>一人称(つまり私が仏である)で仏はないのです
>>651 机龍之介の、このレスポンスで宜しいのですか?
もし、間違ってたら遠慮なさらずに指摘してください。
私は法に基づいてレスポンスしてますから、
求められれば直ぐに応答する用意はあります。
660 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 07:37:09 ID:tooz4GzB
質問します。 素朴な疑問なのですが、生きることは苦しみですよね。(生老病死) 自分は子供が無いのですが、苦しみの世界に子供を出すのは、良くないことなのでしょうか? 親は苦しみの世界に生み出した罰など業みたいなものを背負うのでしょうか? 子供は自分の業で産まれてきたとしても、苦しみの受け皿(子供)を作ることは 仏教的にはどのような解釈なのでしょうか? 仏教がこの世を苦しみだと説いているのに、人間の数が減らないのはなぜだか、 気になって…(笑) グノーシスとかはいなくなっちゃったみたいですけど… よろしくお願いします。
661 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 07:46:08 ID:cs3mF9LX
人間の数増えても、場所によりゃ、苦しみはあるやろね、 最近、インド、中国の資本主義的暴力激しいらしいぜw 人間の数が増えると心理的な悩みが減ると思う根拠が不思議ですなあw
662 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 08:05:39 ID:MqLDCUek
test
663 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 08:18:10 ID:MqLDCUek
>>660 >生きることは苦しみですよね。(生老病死)
苦しみがあるから、喜びが存在し得る。そして、喜びが苦しみより大きいから
こそ、人類がこれまで存続し、ますます発展を続けているのです。
「一切皆苦」は、釈迦の鬱病の症状に過ぎないのだから、無視すべき
もの。圧倒的多数の健常者は、そのようには感じていません。
物質的・身体的な苦は、科学が解決すべく、日夜努力を続けています。
純粋に精神的な苦は、自己中心主義から生じるもの。自我を離れて、
家族などの身近な他者に心を移すことにより、苦は、軽減・除去されます。
人間界が本質的に共同体である所以です。人は、独りでは生きられないの
です。釈迦は、この真理には思い至らなかった。
664 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 08:24:32 ID:Dnl7w7Wr
>>660 あまり気にする必要はない。(修行の役にはたたない。)
しかし、一応、考えてみました。
確かに生きることは苦ですが、
生きものの中では人間がいちばん「マシ」です。
人間には悟る可能性もあるし。
在家であるなら、子供をつくることも禁止じゃない。
また、子供をつくるつくらないにかかわらず、
欲や怒りで考えたり行動したら、全部悪業です。
665 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 09:08:41 ID:f5fE4lF4
>>660 >素朴な疑問なのですが、生きることは苦しみですよね。(生老病死)
そうです。
>親は苦しみの世界に生み出した罰など業みたいなものを背負うのでしょうか?
動機の問題ですね。どういう動機でセックスするかが問題です。
普通、上のように考えないでしょう。
>仏教がこの世を苦しみだと説いているのに、人間の数が減らないのはなぜだか、
仏教徒の数を考えてください。
次に、仏教を修行できる身体を得ることは希で、貴重だと仏典によく説かれますから、
そのような動機で子供を作れば逆に善行でしょう。
666 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 09:45:59 ID:tooz4GzB
お答えありがとうございます。
>>663 お釈迦は鬱ではないのでは…(笑)
でも、全ては苦しみで出来ている。
この部分は聞く度に鬱になります…
仏教って幸せに生きるための教えじゃなくて、苦しみを捉える哲学なんですね。
>>664 子供を作るのはなぜ禁止なのか。
一番聞きたかったポイントです。
>>665 新興宗教の方ですね。
仏教のお話が聞きたかったのですが…
667 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 10:01:22 ID:f5fE4lF4
>>666 いやいや、私は伝統大乗仏教ですよ。
貴方は、文献学に毒されてる可能性があり。
668 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 10:30:41 ID:tooz4GzB
>>667 そうなんです。
仏教を生活に取り入れたいのですが、正しく学ぼうとするほど知識に偏ってしまいます。
身近に上手く取り入れている方がいらっしゃっれば参考にさせていただくのですが…
お釈迦様が近所に住んでいれば…(笑)
まあ、仏教に限らず素敵な生き方をされてる方がいらっしゃれば最高の先生なんですが。
669 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 10:56:29 ID:f5fE4lF4
>>668 テーラワーダと大乗のどちらに共感しますか?
670 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/21(月) 11:05:46 ID:jk1Pqsxe
>>666 >仏教って幸せに生きるための教えじゃなくて、苦しみを捉える哲学なんですね。
そうですね。
仏教は「虚無」ではありませんけど、虚無的な世界観ですよね。
私は、こういう世界観というのは個人的には好きです。
つまり、
「幸せ」とか「不幸」とか、考えるのがメンドイだけかもしれませんね。
>身近に上手く取り入れている方がいらっしゃっれば参考にさせていただくのですが…
虚無になってですね、随分わたくしは幸せになりましたよ。
仏教といふのは、こういふ根本義があるんですね。
これがいわゆる、色即是空 空即是色です。
671 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 12:31:11 ID:Dnl7w7Wr
>>666 子供をつくるのはなぜ禁止なのか。
特に、悟りをめざす出家者の場合ですね。
まず、煩悩は苦しみの原因です。
セックス等の快楽や、子供や家族への愛着も煩悩です。
仏教の理想は、身内でも他人でも関係なく、平等に慈しむことです。
また、お釈迦様は弟子に対して、
眠る間も惜しんで修行することを説いています。
家族の営みに時間をとられて修行できないようでは、
出家の意味がありません。
一人の堕落をほうっておくと、他の出家者にも堕落がうつります。
だから、生活すべてを修行にかけられる人が出家者の僧団に残り、
それができない人(たとえば家族をもちたい人)は、
在家信者として生活すべきです。
672 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 12:38:06 ID:Dnl7w7Wr
つまり、子供をつくるのは修行の邪魔ですから、 出家者は修行を優先して子供はつくるな、 そのかわり、出家者は生活を修行にかたむけても 信者からのお布施で食べていける。 それが嫌なら出家はあきらめて在家に。 在家でいるかぎり、家庭サービスや労働などの責任がついてきますので、 それらをこなした上で、できる範囲の修行でがまんするしかない。
673 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 14:06:33 ID:kUibZAeU
>>665 >動機の問題ですね。どういう動機でセックスするかが問題です。
性欲は、種属としての人間の生命の維持のために、性的に成熟した異性を見て
生じる、すべての人間に備わる普遍の真理、即ち「法」である。
釈迦もイエスも、この「法」に従って、この世に生まれた。
「動機」など考えてセックスをすることこそ、不純であり、パートナーに
対する侮辱であり、「法」に反していることになる。
674 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 14:19:21 ID:kUibZAeU
>>671 >眠る間も惜しんで修行することを説いています。
>家族の営みに時間をとられて修行できないようでは、
>出家の意味がありません。
そんな自分の趣味、娯楽でやる修行など、いくらやっても、何の悟り
も得られない。単なる引き篭もり、自己満足、精神的オナニーに過ぎない。
本当の修行とは、自己の選択を許さない、「他者との係わり合いの何に
おける生存努力」という「大修行」である。
釈迦は、引き篭もり、自己満足、精神的オナニーを教えたのかねw。
675 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 14:22:12 ID:kUibZAeU
>>674 の訂正
×「他者との係わり合いの何に
○「他者との係わり合いの中に
>>666 >仏教って幸せに生きるための教えじゃなくて、苦しみを捉える哲学なんですね。
『個人存在を構成している諸要素の生起と消滅とを正しく理解するに従って、
その不死(=不生)のことわりを知り得た人々にとって
喜びと悦楽なるものを、かれは体得する。』(ダンマパダ 374)
*無常=無我=縁起=空=中道というあるがまま(現)を無分別智で直覚する=現観
輪廻転生だとか余計な既成概念や我執の感情を取っ払って、
先ず最初に、時空際断(空っぽ)をパッと掴んでしまって下さい。
あとは、その真相を踏まえて慶安に生きてゆけばいいだけですよ。
仏教はそれだけだと思います。
677 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 14:59:56 ID:f5fE4lF4
>>676 >輪廻転生だとか余計な既成概念や我執の感情を取っ払って、
>先ず最初に、時空際断(空っぽ)をパッと掴んでしまって下さい。
>あとは、その真相を踏まえて慶安に生きてゆけばいいだけですよ。
>
>仏教はそれだけだと思います。
それはただの観念的現状肯定であって、仏教でもなんでもありません。
君は何も分かってないんだから、初心者を惑わすようなことはしないようにしましょう。
君のような考え方なら、パーフィットとかヘア、和辻とかの倫理学で十分、
仏教を持ち出す必要なし。
>>677 意味不明。
観念的現状肯定?←『輪廻転生だとか余計な既成概念や我執の感情を取っ払って、』
全文嫁。
仏教はとにかく先ず最初に縁起と空(時空際断)の体感的直覚=悟りを掴んで、
迷いなく慶安(脱苦)に生き抜くことが本懐・主眼。
ブッダの教えの真髄はこれだけだよ。
頭がいいと思っている迷妄の徒が、狂雑概念で超複雑化させているだけさw
>>677 >仏教を持ち出す必要なし。
『先ず最初に縁起と空(時空際断)の体感的直覚=悟りを掴んで、
迷いなく慶安(脱苦)に生き抜くことが本懐・主眼。』
俺は無知な人間だから、寡聞にして知らないのだが、
仏教以外でこういう教えを説くのは何かな?
ご教授願いたい。
680 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 16:03:25 ID:f5fE4lF4
>>678 >仏教はとにかく先ず最初に縁起と空(時空際断)の体感的直覚=悟りを掴んで、
>迷いなく慶安(脱苦)に生き抜くことが本懐・主眼。
そんな観念的現状肯定ですむなら出家する必要も、戒も禅定も何も必要なくなるだろう。
空は、禅定による精神集中がないと獲得できない。
>迷いなく慶安(脱苦)に生き抜くことが本懐・主眼。
これが唯、縁起・空を論理的に、つまり唯の言葉として理解したつもりになったことによる現状肯定、ありのままでいいとすること、
観念的現状肯定以外の何なのだろうか?
681 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 16:07:52 ID:f5fE4lF4
>>679 >『先ず最初に縁起と空(時空際断)の体感的直覚=悟りを掴んで、
「縁起と空」は、仏教で用いる記号だが、
その意味である「時空際断」というのは仏教ではないでしょ。
結局、あるがままでいいという現状肯定で、
そんな思想、どこにでもありふれてるだろう。
ビートルズの let it be からインド古代のローカーヤタまで、
つまり、凡人の現世肯定思想だということ。
仏教と真逆なことはいうまでもない。
682 :
678 :2009/12/21(月) 17:07:50 ID:0wzakFHC
>>681 たしかに言語なんて不自由そのものですが、
あなた、日本語による内容把握大丈夫ですか?
現状肯定もなにも、
⇒『輪廻転生だとか余計な既成概念や我執の感情を取っ払って、』
相変わらず、字句に拘る概念主義で、空気嫁ませんねえw
> 「時空際断」
『前後ありといへども、前後際断せり』(道元 現成公案より)
その他、『有時』参照。
自己・時間・空間(世界)の発生(縁起)は厳密に同時であることの論証です。
道元さんは仏教徒ですよね?
>禅定による精神集中がないと獲得できない。
修業・禅定を否定しませんが、コンダンニャさんや慧能さんはパッと掴まえましたよ。
しかし修定至上主義、苦行至上主義はブッダにおいて否定されております。
このことは禅でも、南獄と馬祖のエピソード(瓦を磨いて鏡をつくる)でも明らかです。
どんな形でも、心が静かならば、時空際断は直覚できます。
なにがなんでも、先ず悟り、迷いなくまっすぐに生き、死んでゆくのが、ブッダの不生不滅の教えと心得ております。
683 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 17:10:35 ID:86xCYD1O
>>681 >結局、あるがままでいいという現状肯定で、
>そんな思想、どこにでもありふれてるだろう。
あるがままを受け入れて心の平安を得ることが、実は最も難しい。それを「悟り」と呼ぶ。
それが出来ないから、釈迦の「苦」が生じた。つまり、釈迦は悟ってはいなかったので
ある。
あるがままを受け入れることが出来ず、引き篭もって自己満足と自己陶酔に耽り、精神的
自慰行為を繰り返しているのが、宗教者の姿である。
偉い宗教者が、長期間の不毛で無駄な修行の末、到達するのは、結局、「あるがままの世界」
「あるがままの自分」である。しかし、生活者である「凡人(世間、衆生)」は、生活という
選択が許されない大修行において、とっくに悟っていること。
684 :
678 :2009/12/21(月) 17:36:39 ID:0wzakFHC
>>683 >あるがまま
おまいのは我執まみれの現状『執着世界』、
仏教のあるがままは、「時空際断」を透過した縁起の現観をいう。
685 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 17:58:11 ID:86xCYD1O
>>684 「我執まみれ」とは、ひたすら「自分の輪廻」を逃れるために、引き篭もって
精神的自慰にふける宗教者の姿。そこにあるのは「自我への執着」のみで、
他者はない。
「縁起」とは、自他及び万物との「関係性」のことですよ。凡人(一切衆生)
は、他者及び自然界との関係性の中に生きているから、常に「縁起を現観」
している。他者や現実との関係性の中に生きていない、引き篭もりの宗教者
には、そもそも「縁起の現観」など不可能。
「修行しよう」「修行しよう」のオウム信者は、一体何を悟ったのかねw。
>>685 揶揄することしか知らず、歪曲三昧で
まともに理解する気のない耄碌隠居の
言語ゲーム趣味の相手はしない。
687 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 18:17:25 ID:86xCYD1O
>>682 >『前後ありといへども、前後際断せり』(道元 現成公案より)
結局、「あるがままの今ここ」がすべて、ということ。さらに言えば、
「今ここの生命」がすべて。「前世や来世など欲張るな」ということ。
道元さんは、悟っておられる。しかし、凡人(一切衆生)は、この悟り
の基盤の上で生きている。悟っていないのは、今ここの現世だけでは飽
き足らず、「前世・来世」まで欲張る宗教者たち。
>>680 (私もそうだが(たぶん他の者もそうだろうと思うが))、
《文字通り、何の工夫もない「あるがまま」でいい》などと、どこの誰が言ったのか?
君は、本覚思想等の系譜を真っ向否定するのか? 君は大乗の徒ではなかったのか?
初発心時便成正覚、とは、そのような工夫無き現状肯定を言うのか?
仏性とは「何もしなくて良い」という免罪符なのか?違うだろ?
これらは、短絡的・単純な現状肯定(→衆生の衆生としての在り方の肯定)ではなかろう?
御隠居に、「同じ場所に立っていても、トラック一周してきた後では違う」と言ったら鼻で笑われたよw
君もそう思うのかい? 《何十周しようと【そこに違いは無い!】》、と?
もう少し素直に他者の言葉を聞く訓練をしたほうがいい。曲解が過ぎる。
最初から斜に構えてるから、こういう遣り取りしか生じない。
業績的に(或いは“行”的にも?)、君の足跡は素晴らしいだろうと思う。
けど、足元が見えているのかどうか、少し不安になるんだよ・・。
>>687 道元さんは「仏道を歩むベクトルを踏まえた上での“あるがまま”」じゃないんかね?
>>680 君の言い方では、(君自身が提示した)
>>671 >それができない人は、在家信者として生活すべき
>>672 >在家でいるかぎり、○○などの責任がついてきますので、
>それらをこなした上で、できる範囲の修行で
という在家の状態での慶安の軽視に繋がりかねんが?(自分で提示しておいて・・w)
他の者がどうかは知らんが、
私が在家の「安心」を言う時は、 常にこの景色を彼方に設定している。
(で、本覚思想や如来蔵思想や煩悩即菩提等の言葉は(生理的にw)嫌いだw 袴谷・松本の影響だけじゃない。
『あるがまま(→如実に(yathA-bhUtaM、yathAtathA))』と言われる時、
それは、無加工に無工夫に無為にそのままというのではない。
《観察して、理解して、納得して、「ああ、確かにそうだ」という頷きの上に、現状を肯定してゆく視線》
を諭しているものと思う。 「如実に見る」とは「あるがまま、そのごとくに見る」ということだ。
その通り受け入れるということだ。無いものをねだったりしないということだ。
(大乗で)「あるがまま」が言われる時は、常にココを指しているんじゃないのか?
だから、(三世に跨った)輪廻を(―たとえば先天的障害にしても―)受け入れる時も、
「同じ観察と考察と理解と納得」があるべきだと、繰り返し述べてきた。
ま、いいか・・。ここは質問箱だった。
消えよう。 ノシ
が、671・672は見直したよ。こういうことも言える人だったんだ、とね。
バリバリ原理主義だと思ってたからwww
>>688 補足
6行目の括弧 >(→衆生の衆生としての在り方の肯定) は、
最終的に肯定されるべき在り方だが、短絡的・単純な肯定ではない。
文章が稚拙だった・・。 御容赦 m(_ _)m
691 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/21(月) 18:54:59 ID:jk1Pqsxe
>>680 >空は、禅定による精神集中がないと獲得できない。
これは止観だろう?
達磨禅は精神集中はしない。
だから禅定の目的そのものが違う。
っても、目的ってのがないのが禅定とされる。
故に、
修行といふ本来目的化されたものからの排斥・・・
これが南宗禅といわれる本来のものです。
日本禅は多少これとは違う発展をした。
692 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 19:03:49 ID:86xCYD1O
>>688 >道元さんは「仏道を歩むベクトルを踏まえた上での“あるがまま”」じゃないんかね?
佛教「観念」に毒された「あるがまま」は、「あるがまま」ではありえないよw。
693 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/21(月) 19:08:57 ID:jk1Pqsxe
>>689 >それは、無加工に無工夫に無為にそのままというのではない。
勝義諦というのは“そのままなのです”
これを加工したり工夫したり・・・作為に捏ね繰り回すのが世俗諦。
| |゚) < 中国を経由してきている以上、 | 「無為自然マンセー!」 となるのは致し方ないとしても、 なんだかなぁ・・・w | |゚) < 縁起馬鹿が眉間に皺寄せるのは、そうした | 「行住坐臥に於ける四念処なき“あるがまま”」なわけで・・・。 | |彡サッ |
695 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 19:33:07 ID:86xCYD1O
「あるがまま」まで、観念的論争の対象になるとはw。 「あるがまま」まで、宗教のベールを通してしまうのが宗教。 宗教観念を一切捨て、「動物としての人間」に立ち返らなければ、「あるがまま」 は見えない。 「宗教とは生活のこと」と言った道元さんは、宗教観念はもはや捨てていたのでは ないか。
696 :
神も仏も名無しさん :2009/12/21(月) 19:41:57 ID:86xCYD1O
「人間とは、生存本能を中核とする動物の一種に過ぎない」。 観念過剰によりこの根源を忘れ、根源から逸脱してしまったのが、宗教 である。宗教は、やればやるほど、「人間そのもの」から遊離する。
「あるがまま」自体が観念語だから仕方が無い。
698 :
本覚思想反対派 :2009/12/21(月) 22:25:08 ID:Dnl7w7Wr
「あるがまま」とは、結局どういう意味? もし、苦・無常・無我という「現実に気付くこと」を 「あるがまま」というなら、その「あるがまま」には煩悩の消滅がついてくる。 もし、「煩悩さえもそのままでいい」という「あるがまま」であるなら、 悩み苦しみも消えずにそのまま、欲や怒りに右往左往したり、 争ったりして生きて死んでいけばいいというのだろうか? そうだったら、そもそも仏教など必要ない。
>>698 そか。もともと反対だったか・・。 なら、9割了解w あと一割は・・・?
>悩み苦しみも消えずにそのまま、欲や怒りに右往左往したり、
>争ったりして生きて死んでいけばいいというのだろうか?
そうだと思うよ。
つーか、御隠居じゃないが、【それが、『ヒトとしての』本来の姿】だと思うよ。
>そうだったら、そもそも仏教など必要ない
そうだと思うよ。 仏教が必要の無い人もいると思うよ。
つーか、
【「宗教」(≒世界観、人生観)ってのは、視線の取り方のバリエーション】だってのが持論だから、
「三世に跨る輪廻及び転生」もそうだし、押し付けのような勧誘には反吐が出るし、
ましてや脅し文句をプラスして、
「この価値観、この世界観でないと救われませんよ?この苦難は続きますよ?もっと苦しみますよ?」
なんて、揉み手で近付くような奴らには虫唾が走る。
仏教は、あくまで『提示』であるべきなんだよ。
取捨選択は各自がするべきことだ。
真に必要とする者は、ちゃんと戸を敲くし、ちゃんと行じてゆくだろう。
いや、事象として必要なことであるならば、戸を敲き行じる縁が継続してゆくことだろう・・。
※で、初期釈尊は盛んに勧誘していたわけだが、(打率が何割だったかは不明だがw)、
積極的(或いは強引な)勧誘は、「教え」の(形・中身両者の)確立に必要だ
という判断・計算はあったろうと思う。
あ、ID違うのに気付かんかった・・・orz
どこかのどなたかさんA&Bは判別し難いんだよなぁ・・・。
両者とも、失礼しました・・・ m(_ _)m
700 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 03:07:41 ID:oWo/iNMg
>>699 しかし、人生の具体的な悩み苦しみについて、
執着がなくなれば悩み苦しみがなくなるというのは、真理だと思います。
「○○しなければならない」と執着してるから、
○○できないときに悩み苦しみが生じて、
それでずいぶん辛い人生をおくっている。
「べつに、○○しなくてもよかったんだ。」と執着が消えたら、
その分だけ人生は軽やかで安らかになりますよね。
目の前の具体的な悩み苦しみを消す方法を
具体的に示してくれるのが、仏教だと思います。
701 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 03:39:46 ID:Y7mKRWrx
いくら教学はあろうが肉食坊主は信じない 基本的に声色、人相、立ち居振る舞いで人物は判断する イデオロギーや主義やら地位や学問や金なんか全くあてにならん
702 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/22(火) 07:06:33 ID:YW0P5GyS
>>698 いいレスポンスですね。
>悩み苦しみも消えずにそのまま、欲や怒りに右往左往したり、
>争ったりして生きて死んでいけばいいというのだろうか?
>そうだったら、そもそも仏教など必要ない。
その通りです。
ここまでは誰でも逝きつくんですよ。
まったく仏教などは意味がないじゃ〜ないか。
これで終わってしまうんですね。
仏教の本懐ってのは、この先にアタマを突っ込むんですね。
(これがなかなか出来ないのが・・・歯がゆいんですけど)
このアタマを突っ込んだ、その状態が・・・
>「あるがまま」とは、結局どういう意味?
これ↑です。
これを禅では百尺竿頭進一歩、などと逝っておるんですね。
あはは、なかなか禅というのは粋なもんですよ。
703 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 08:45:36 ID:vUFSFOPo
>>698 >「あるがまま」というなら、その「あるがまま」には煩悩の消滅がついてくる。
>もし、「煩悩さえもそのままでいい」という「あるがまま」であるなら、
>悩み苦しみも消えずにそのまま、欲や怒りに右往左往したり、
>争ったりして生きて死んでいけばいいというのだろうか?
煩悩には、「悩み苦しみ」「欲や怒り」だけでなく、その反対概念として「喜び」や「他者への思いやり」
を含む。両者は「対」としてしか存在し得ない。前者が無くなれば、後者もなくなり、それは生きている
ことではなく、もはや死んでいることである。そして、すべての人間は、生来的に後者が前者より優勢で
ある。どんなに苦しい人でも、常に喜びを求め、他者への思いやりを失うことはない。だからこそ、人類
が生存を続けている。人間に対する洞察を全く欠いた思想である。
本覚思想の否定は、「人間差別」「選民主義」「我のみ良しの独善性」という卑しい思想に過ぎない。
人間の生の原動力、生の証である煩悩を、2項対立的に「排除すべき異物」としたのが、釈迦の最大の
誤り。「煩悩を排除する」という「欲望」こそ、最大の煩悩ではないか。その意味で、修行者こそ、「自我
と煩悩の塊」であることに気付け。
704 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 08:52:02 ID:vUFSFOPo
「己の生を以って生を否定する」という大いなる矛盾と倒錯に陥っている 釈迦や修行者の滑稽な姿を自覚せよ。
705 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 09:03:14 ID:vUFSFOPo
「生による生の否定」という釈迦や原始仏教の根本的矛盾と倒錯に気付き、 是正したのが、「関係性」「真如としての衆生心」「悉有仏性」「煩悩 即菩提」「生死即涅槃」「自利利他」の真理に思い至った大乗仏教である。
>>700 そうです。
「苦の滅」という唯一事へ向かう具体的方法論を、
(縁起を中核として)筋道立った形で提示したのがブッダであったろう、と。
そして、彼(の知見)を超える「苦の滅への方法論」は、いまだ現れていない。
707 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 12:20:55 ID:XajjxA9S
>>682 >> 「時空際断」
> 『前後ありといへども、前後際断せり』(道元 現成公案より)
> その他、『有時』参照。
> 自己・時間・空間(世界)の発生(縁起)は厳密に同時であることの論証です。
> 道元さんは仏教徒ですよね?
道元禅師を持ってくるかな〜。そもそも上は君の解釈であって、
道元禅師の読み、教えそのものではないだろう。
道元禅師が禅定を強調したのは言うまでもないだろう。
> 修業・禅定を否定しませんが、コンダンニャさんや慧能さんはパッと掴まえましたよ。
二人とも禅定体験があったからに他ならない。
> しかし修定至上主義、苦行至上主義はブッダにおいて否定されております。
苦行というのは、インドのタパス、犬のまねしたり、ずっと立ってたり、
片手挙げつづけるとか、寝ないとかすることをいうのであって、
禅定修行に専念することを言うのではない。
> どんな形でも、心が静かならば、時空際断は直覚できます。
そんなこと言ってないな。心静かというのは禅定状態のことを言っている、
これは少なくとも今、見ているような世界の現象が消えている状態、
色界の禅定を指している、その状態で縁起・空を悟る。
これがヴィパサナー、観であり、禅定がサマタ、止である。
そういうことが分からない、体験できてないなら、何も分かってないのである。
708 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 12:24:46 ID:82Z7fE8t
>>706 物質的・身体的な「苦の滅」は、専ら科学が行っている。
圧倒的多数の精神的苦も、物質的・身体的な苦から生じる。
純粋に精神的な苦は、自己中心主義から生じる。自我を離れて、家族などの
身近な他者に心を移すことにより、軽減・除去される。
釈迦は、これらのいずれにも思い至ってはいない。また、苦と楽とは、関係的
概念であり、相互依存の関係であることにも、思い至っていない。苦を滅する
ことにより消滅する楽については、どうするつもりだったのかね。
709 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 12:32:02 ID:XajjxA9S
>>686 君もほとんど変わらんけどねw
>>688 「縁起・空を悟ってあるがままに生きる」のが仏教とか言って、
輪廻を否定するヤツは、ただの手を切られて血まみれになっても、
これは縁起・空だからなんつって観念的に現実肯定してるだけでしょ。
>>688 >君は、本覚思想等の系譜を真っ向否定するのか? 君は大乗の徒ではなかったのか?
>初発心時便成正覚、とは、そのような工夫無き現状肯定を言うのか?
全然違う、認識が異なっているからね。
本覚門は、もはや聖者の認識なんです。
それは、単なる凡夫の現状肯定とは全く違う。
それを一緒にかんがえちゃう、松本とかはほんとセンスないとしか思えない。
いや、誤読してないと思うぞ。
そう「あるがまま」といっても、凡夫、道元禅師、本覚門ではまったく違う。
凡夫は、あるがままに実在してると思ってる。
道元禅師は、あるがままに現れているが、それは幻で空と悟っている。
本覚門は、もっと見解が高い。
言葉は、記号は一緒でも人によって意味が違う。
現れも一緒、見えるものは業によって違う。
710 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 12:33:22 ID:XajjxA9S
>>694 そうそう。そうなんだよ。セブンだけだよ(/_;)
711 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 12:43:41 ID:oWo/iNMg
>>708 楽と苦のどちらからも「おさらば」するのがブッダの教え。
ある人が、子を持つ人には子についての喜びがあると言ったら、
ブッダは、子を持つ人には子について憂いがあると否定した。
苦と楽がセットであることを承知した上で、両方からさよならする。
仏教がめざす涅槃とは、平安なる滅び。
712 :
神も仏も名無しさん :2009/12/22(火) 12:49:03 ID:82Z7fE8t
>>711 >苦と楽がセットであることを承知した上で、両方からさよならする。
>仏教がめざす涅槃とは、平安なる滅び。
それでは、人間に「死ね」ということ。生命の全面的否定。それを釈迦が
己のむき出しの生と我とを以って説いたのだから、その矛盾には笑える。
713 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/22(火) 18:19:38 ID:YW0P5GyS
>>707 >二人とも禅定体験があったからに他ならない。
慧能は禅定を全く見経験で悟った。
南宗禅の原点というのはこれで、
道元の只管打坐というのは、この南宗禅の原点からきてる。
頓修というのは、修行という目的性をもたない。
日常というベクトルから隔離するのが禅定とされる。
この非日常という空間において、日常というベクトルの切断こそ頓悟といわれる。
しかし努力と勤勉の日本人には、修行をせんと気が落ち着かない。
これがかえって頓悟の邪魔になる。
一般的に修行といわれる意味は、北宗禅の漸修です。
只管打坐の意味を本当に理解してる御仁は少ない。
714 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/22(火) 18:58:27 ID:YW0P5GyS
× 見経験 ○ 未経験
715 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/23(水) 07:56:35 ID:LxvBiYuz
>>706 「苦の滅」ってのは世俗諦で、
勝義諦ではこの「苦の滅」の方法論は全くない。
>「苦の滅への方法論」は、いまだ現れていない。
方法論を仏教に期待するのは無理。
だから「一切皆苦」であって、
ここまで透過する必要がある。
しかし人間というのは臆病なとこがあって、
なかなかここまでには到らない。
善行すれば輪廻転生で、いいポジションに付けるのではないか?
とか、自分の都合にいいことしか考えない。
善行しても、一切が地獄逝き。と、
諦めた途端に目が開く。
しかし人間というのは執着があって、どうしても輪廻は捨てられない。
716 :
神も仏も名無しさん :2009/12/23(水) 08:07:36 ID:Ntgm7Pjf
>>709 >道元禅師は、あるがままに現れているが、それは幻で空と悟っている。
>本覚門は、もっと見解が高い。
道元に比して、もっと高いとされる本覚門とは、
どなたを、或は、どのような論書を念頭しておられるのでしょうか?
弘法大師、或は、『起信論』、『十住心論』ということでしょうか?
717 :
神も仏も名無しさん :2009/12/23(水) 08:49:14 ID:31og5PDP
>>716 本覚門というのは、平安末期頃起こった中世天台の法門です。
岩波日本思想大系『天台本覚論』所収の諸論を念頭に置いています。
718 :
神も仏も名無しさん :2009/12/23(水) 08:55:11 ID:Ntgm7Pjf
719 :
神も仏も名無しさん :2009/12/23(水) 09:29:33 ID:vZR1J4zs
>>713 あなたがおっしゃるような悟りは、
四向四果でいえば預流果ではないでしょうか?
悟りの第一段階である預流果では、苦・無常・無我を悟って、
有身見・疑・戒禁取見の三つの煩悩が消えているが、
また、欲も怒りもプライドも捨てていない。
だから当然、欲や怒りやプライドに伴う悩み苦しみはある。
ただ、心も無常だと気付いているから、
悩みの心にもこだわらず、速やかに心を切り替えることはできる。
720 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/23(水) 10:14:04 ID:LxvBiYuz
>>719 >悟りの第一段階である預流果では、苦・無常・無我を悟って、
そもそも禅では、第一段階から違いますね。
四諦というのがあって、その解決法の根本というのは
「自分とは何か?」ってことですよね。
この疑をもって禅定に入るわけです。
段階的には「自分」というのが分かってきます。
(苦・無常。無我を悟るわけじゃない)→あくまでも自分探し。
>有身見・疑・戒禁取見の三つの煩悩が消えているが、
これも分らんですね。
そもそも禅というのは、段階的に煩悩が消える。ってのはないですから。
簡単に言いますと、自分というのがようやく分ってきた頃に、
突然ですが、アタマが真っ白になっしまいまして、
これが頓悟と言われるもんですね。
つまり、道元流に言いますと「即心即仏・円相の位相」ってやつでして、
これが空性にあたります。
つまり彼岸到達です。
(富士山に譬えますと、天頂到達です)
面白い発想。 1、輪廻転生を考える人間は、 「自分の都合にいいことを考える人間である。」 ( 輪廻転生をみる力が存在する、とは、発想にない。 または、何か不可思議な経験をして 輪廻などを思ったーこういう人は実にい多いであろうが、 そういう人達は、「すべて妄想」、ということにする。 ) 変わった人の犠牲になるよりはいいかも。 ただ、事実ではない、かもしれない。 2、仏教に方法論を期待する人間は 「臆病なとこのある人間である。」 「一切皆苦」だから「方法論」も所詮、苦につながるに違いないーこの発想は 面白く、すばらしい。 たとえ、方法論が全く別な、理由でダメであり、その原因こそがすべての 3、「 善行しても、一切が地獄逝き。 」 つまりは、「一切皆苦」だから、という発想かな? 「一切皆苦」、バンザイだ。 功徳なし、という禅的発想にも。 世の中は甘くはなく、そう、思って(善行して)いたほうが、動揺なく、 てれさのように、嘆かなくてすむだろうから、いいのか。 しかし、これまた、事実ではないかも、しれない。 この発想は女性的かな?
よく分からない
723 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/23(水) 17:00:37 ID:LxvBiYuz
>>721 >または、何か不可思議な経験をして
>輪廻などを思ったーこういう人は実にい多いであろうが、
>そういう人達は、「すべて妄想」、ということにする。
不可思議な経験をして、輪廻を悟った人達ってのがいるらしいですねw
わたくしには全くそれは分りませんけど。
>功徳なし、という禅的発想にも。
善行するなら、功徳を期待しては駄目ですね。
テレサは尊敬してましたけど、
やはり神の加護を期待してる向きがあったのは残念です。
一休(その他の禅師諸々)は菩薩でありましたが、
民衆救済とか、そんな考えは微塵もなかったと推測してます。
しかしながら、一休と関わりのある人達は随分救われたんじゃないでしょうか?
ゴータマは“仏に成った”わけじゃないけど、
ゴータマに関わることにおいて、それは仏に救われる。
724 :
660 :2009/12/24(木) 02:34:18 ID:s2zdz7R7
みなさんお答え下さり有り難うございます。 なるほど、子供を作ることへの禁止はそういうことだったのですね。 可愛いし、手間もかかる… なるほど、邪魔にはなりますね。(笑) シンプルですね。なんかもっと、呪術的な考えとか業が広がるからとか、 難しく考えてました。 色即是空とかは、正確では無いでしょうが、(虚無的な考えに偏る?)なんとくわかります。 みなさんのディスカッションを読ませて頂いて、仏教を生活に 密接には結び付けないようにしようと思いました。 自分が多く求めず、他者に多く求められず、あまり善い悪いに捕われずに… なるべく自由に生きたいです。 まとまらないコメントですが、お礼の言葉とさせていただきます。 有り難うございました。
転生なんて溜まったもんじゃない。今生で学んだ最も重要な事は 「対応を一歩間違えれば他人はあらゆる手段で攻撃してくる。 (成長後にしか出来ないが)危険と思われる人物は被害を被る前に 排除し、行動は安全を完全に確保してから行うべし。」 生まれ変わったらこの超重要な知識も忘れて再び悲惨な目に遭う。 消滅するのなら素晴らしいが、そうでなければ死は輪廻(繰り返し)の 強制。恐ろしい。死にたくない。
726 :
セブン :2009/12/24(木) 03:12:13 ID:BEDG00Tf
何の脈絡も無く、希望的観測・夢物語を吐露すれば、 今生・現世で仏法に近付くことは不可能なので、 「来世で頑張ろうかな・・」と思っている自分がいることを告白するw 現状、現世では、仏教を追いかけるのは無理なんでwwwww 来世なら、今生の「(仏教的)貯金」も加算されて、阿羅漢までいけそうな気がするw ノシ
727 :
神も仏も名無しさん :2009/12/24(木) 03:55:38 ID:Wz9FaFrd
>>726 死ねば、君の感覚器官も思考器官も灰になるのだから、仮に来世があっても、認識は不能。
無いのと同じ。ちょっと考えたら分る事ではないのかねw。
明らかに贅沢病の自己中心主義で鬱病患者であった釈迦の「生きざま」など、いくら追いかけても、
結局得られるものは、自己中と狂気だけであることを、いい加減で悟れ。
釈迦が「悟った」というのは、あくまで彼の「自己申告」。何らの証明もなされていない。
君は、狂人や詐欺師の「自己申告」を鵜呑みにするお目出度い人間か。少しは知性(批判力)
を養え。
この喰い付きの良さwww 漁師なら満面の笑みだろうよw ノシ
729 :
神も仏も名無しさん :2009/12/24(木) 04:06:39 ID:Wz9FaFrd
>>728 カルト教祖の釈迦に早速食いついて離れられなくなったのが、君の姿。
釈迦も、してやったりと、満面の笑みだろうw。
世の中には、詐欺師や狂人が多数いるのだから、もっと知性と批判力
を養わなければ、生きてゆけないよ。
730 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/24(木) 05:24:00 ID:wsr8/pM1
(^。^)確かに世の中には、詐欺師も気違いも多いが、表面しか見ない薄っぺらな奴も多い♪(笑)
731 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/24(木) 07:08:09 ID:4E0ufgHm
>>726 >現状、現世では、仏教を追いかけるのは無理なんでwwwww
いやいや、どうして・・・
追いかけるその姿こそ実に素晴らしいじゃ〜ないですか(ニッコリ
貴殿の仏教観はアホダラ氏に似てます。
私とは接点は殆どありませんがね(ニッコリ
しかしながら、随分わたしは勉強させて頂きましたよ(ニッコリ
>来世なら、今生の「(仏教的)貯金」も加算されて、阿羅漢までいけそうな気がするw
そうですか。
私見を言わせて頂くなら、私は来世には全く希望はないんですよw
来世があったとしても、同じことの繰り返し。
(ここはニーチェ的な考え)
今生で充分。全く悔いはない。
732 :
神も仏も名無しさん :2009/12/24(木) 08:11:19 ID:91tiUagy
>>720 悟ると、「自分」の性質が苦・無常・無我だと
心底からわかるのでは?
733 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/24(木) 08:31:51 ID:4E0ufgHm
>>732 いや、違いますね。
階梯が進むと、やがて「自分」というのが分かってきます。
(これは悟りではない)
そこからやがて「自分」というのが消えてしまうんです。
(これがアタマが真っ白けになる、ってことですよね)
悟ると、「自分」というのが消滅してしまいます。
「自分」が輪廻転生する、
などと考えておるようですと、つまりは悟ってないことですね。
悟ってる御仁は、輪廻などは考えておらんのでつよ。
734 :
神も仏も名無しさん :2009/12/24(木) 12:02:13 ID:MeVO+rFG
>>730 「薄っぺらな奴」とは、「生存本能(生命)」という「動物としての人間の
根源」に思い至らず、「借り物の思想」や「観念の遊戯」に現を抜かす宗教者
のことであろう。
735 :
神も仏も名無しさん :2009/12/24(木) 12:41:52 ID:91tiUagy
>>733 禅定に入ってるときには自分も消えるでしょうけど、
それと悟りは違うのではないでしょうか。
736 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/24(木) 13:25:57 ID:4E0ufgHm
>>735 禅定に入ってるときは、先ず悟らんですね。
禅定というのは「非日常」を体験するだけです。
禅定から離れた、日常において瞬間的に「非日常」を直覚する。
いわゆる禅定というのは、
その(直覚)への準備と考えたら宜しいんじゃないでせうか?
これがいわゆる頓修頓悟の基本的パターンですね^m^
737 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 02:15:01 ID:ZtOhAybI
仏教の世界での志が続く人と、志が折れてしまう人では、なにが違うと思われますか。 気合いの違いでしょうか?はたまた仏道修行を途中で投げ出す人は修行の仕方自体が間違っているのでしょうか。 出家、在家は問わないです。
738 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 07:16:50 ID:tbs1qU8t
>>737 >仏教の世界での志が続く人と、志が折れてしまう人では、なにが違うと思われますか。
いい質問ですよね。
仏教の世界に入るのは、なにかイイことを期待する訳ですよね。
「輪廻がなければ、生きる意味がないから自殺したほうがイイ」。
って御仁が散見されますけど、
これはテキメンで期待してるのがアカラサマですよね。
こういう御仁は、志が折れてしまうんじゃ〜ないでせうか?
先ず先入観で期待しちゃ駄目ですよね。
我見が強すぎますと、仏教の本懐には到らんかと思います。
(つづく)
739 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 07:17:33 ID:tbs1qU8t
(つづき) >気合いの違いでしょうか? 気合はあまり関係ないかと思います。 むしろ気合はないほうがイイんで、自然無為(じねんむい)が宜しいかと思いまふ。 >はたまた仏道修行を途中で投げ出す人は修行の仕方自体が間違っているのでしょうか。 いい質問ですよね。 あのですね、私はこれだけは言いたいんですけど、 「仏道修行」という考えは捨てたほうが宜しいんじゃないかと思います。 「修行する」ってのは、やはり「見返り」を期待するもんです。 人間ですからね、それが普通かと思います。 しかしながら禅(南宗禅)の系譜の原点は「修行にあらず」なんですから。 これを道元流に言わせて頂くと、 「仏道といふ道はない、ただ足跡だけが残るだけである」。 これは非常に深い意味があるんですよね。 つうか、中国禅への原点回帰ですよね。
740 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 08:10:22 ID:CfU5UkaG
>>737 修行が後退しなくなることを、「不退転」といいます。
「不退転」になること自体、すでに悟りの入り口だともいえます。
悟りの入り口に達しないかぎり、退転する可能性があるということ。
741 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 08:26:33 ID:CfU5UkaG
>>739 私は、あくまで煩悩をなくすのが仏教の最終目標だと思います。
が、日本の仏教のように、煩悩をもったままでも
互いに慈しみあい、自分をも慈しむ、
そんな癒し系仏教にも魅力を感じています。
そういう意味では、私はまだ迷っているのかも。
742 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 08:59:59 ID:BqBM5H6P
>>738 >「輪廻がなければ、生きる意味がないから自殺したほうがイイ」。
何も分かってない。オレが言ってるのは、仏教を信じる人で、
一切皆苦を認めて、もし輪廻がないなら、論理的に自殺すればいいだけということ。
しかし、伝統的な仏教では全て輪廻を認めるので、自殺してもより悪い状態で輪廻するだけだから、
なんの解決にもならない。
つまり、仏教が一切皆苦を認めて自殺しないのは輪廻という前提があるからであるという帰謬なんだが。
>>737 そんなこと一概に言えるわけないでしょ。
意志が弱い人、障害が強い人、理解力がない人などなど人それぞれですがな。
信が弱い、輪廻や一切皆苦に対する認識が薄いなどいろいろいえますが、
究極的には功徳がないということが言えるかもしれません。
解脱まで行じ続ける状態を維持するのは功徳ということが言えるからです。
743 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 09:10:44 ID:tbs1qU8t
>>741 悟ると完全に煩悩は消滅しますね。
純粋であります。いわゆるピュアってことですね。
これだとただ純粋なだけで、なんの面白味もありませんです。
(いわゆる非日常的な状態です)
人間というのは、普段の日常生活が大事なんですから、
やはりピュアだと、どうも勝手が悪いですよね。
程ほどの不純なものがなくては・・・
実際、不純というのは、それなりに魅力があるもんですよ。
いわゆるアンバランス状態です。
じつは、この世界もアンバランスなんであります。
人間が生きていくには、均衡のとれたピュアでは都合が悪いのでつ。
744 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 09:23:16 ID:tbs1qU8t
>>742 >何も分かってない。オレが言ってるのは、仏教を信じる人で、
>一切皆苦を認めて、もし輪廻がないなら、論理的に自殺すればいいだけということ。
いやいや、全然違いますね。
そもそも貴殿は仏教の本懐には到ってない証左であります。
一切皆苦といふのは、これは全否定を意味しておりますが、
「全否定」といいますのは世俗諦の話でして、
これが勝義諦になりますと、全く意味が違ってまいります。
勝義諦ですと、全否定は全肯定と同義であります。
人間は一切皆苦で全てが完全に救われるのであります。
自殺などdでもであります。
法は生きるために説かれたものであります。
どうか、仏教の本懐に到ることを祈念申し上げまふ。
745 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 09:56:20 ID:BqBM5H6P
>>744 あのな、適当に勝義を出すなよ。
そんなこというなら、市橋に殺されたリンゼイさんのお父さんに、
空ですからとか言えるのか?
お前は、飯くわなくても空ですから苦しくないのか?
お前を、バットで殴りまくっても空ですから苦しくないと笑ってられる境地なら、それもありだが。
ここで見る限り、唯の慢心オヤヂが日記代わりに自分の妄想好き勝手に書き散らして、
非難されたり、相手にされたりして一喜一憂している様が見えるけどなw
そんで全てに渡って適当な拾い読みのデタラメで、
最終的には「空」「勝義」の印籠を出して、大笑してめでたしめでたしのワンパターン
746 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 09:59:33 ID:BqBM5H6P
>>744 >法は生きるために説かれたものであります。
こんなこと釈尊も伝統仏教徒も言ってないな。
だから、空という記号を用いただけの観念的現状肯定に過ぎない。
禅定体験が有るように騙ってるが、禅定体験が有る人なら机みたいな
観念的現状肯定は決していわない。
747 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 10:03:09 ID:6qQueFI3
>>745 他スレより引用。
「大乗仏教に至ると積極的に仏の境涯や仏国土が説きだされるようになり、
煩悩も苦も悟りも無自生・空であって固定性をもたないという見方が基準
となったため、煩悩即菩提、娑婆即寂光といった言葉も生まれた。そこで
苦が最大の関心事ではなくなり、大乗の涅槃経では、仏は「常楽我浄」と
して逆に「楽」が強調されている。こうして苦を中心課題とした四諦説も
小乗の教えとして次第に顧みられなくなり、中国や日本の仏教ではさらに
現実肯定的な傾向が強くなって、苦という言葉の比重も軽くなったと
いうことができる。」(岩波佛教辞典)
大乗によって、釈迦の「病的心理」からようやく解放されたのである。
これは佛教の巨大な進歩といわざるを得ない。
748 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 10:16:29 ID:BqBM5H6P
>>747 それ該当スレで如何に適当な発言かコッテリ指摘されたんだが。
その辞典の記述に後の主張は依拠してないんだそうだ。
じゃ、なんのために辞書を引用したのか分からないし、
主張の根拠もなにもない、妄想に過ぎない。
そして、その辞書の記述自体の以下の部分は誤解である。
>中国や日本の仏教ではさらに
>現実肯定的な傾向が強くなって、苦という言葉の比重も軽くなったと
>いうことができる
これは華厳や、密教、本覚門を指していると思われるが、
全く現実肯定などしてない。
本性清浄とか、自性清浄などと言われるのは、凡夫の認識ではなく、
聖者の認識に他ならない。
文献学者で、その点が分かっている人は究めて少なく、
密教を生の肯定などと言っている学者は、全く何も分かってない。
749 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 10:40:37 ID:6qQueFI3
>>748 「本性」「自性」とは、文字通り「人間の」本性・自性の意味である。「人間」
であれば、凡人と聖者の区別はない。若し区別すれば、それは「人間差別」で
ある。
また、「本性」「自性」は、認識の「対象」ではなく、認識の「根源」である。
「本性」「自性」によって、他を認識するのである。これは、人間なら、すべ
て同じ。
「華厳」「密教」「本覚門」が「現実否定」というのは、これらの宗派の公式
見解なのか。現実界における人間の生の営みである宗教が、「現実否定」「生
の否定」などすれば、明らかに自己矛盾ではないか。現実の人間界においては
「矛盾の塊」「無用の長物」となる。
750 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 11:04:35 ID:6qQueFI3
>>746 >こんなこと釈尊も伝統仏教徒も言ってないな。
ならば、釈尊も伝統仏教徒も、「己の生を以って、生を否定する」と
いう笑うべき自己矛盾を犯したことになり、考慮にさえ値しない。
>>748 >本性清浄とか、自性清浄などと言われるのは、凡夫の認識ではなく、
>聖者の認識に他ならない。
<浄⇔不浄または穢>などという相対にこだわっていて、『聖者』とは笑わせる。
さらに 「現実否定」などナンセンス過ぎる。
現実も否定も、言葉を含め、何も掴めていないのだろう、とんだ『聖者」だw
>「華厳」「密教」「本覚門」 が、もしそうなら偽教だな。
仏教において、否定すべきなにものもない。
また肯定すべきなにものもない。
752 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 11:15:43 ID:6qQueFI3
>>746 釈尊が「苦の滅」を説いたのも、あくまで「生きるための技術」では
ないのか。死ねば、すべての苦は滅するのだから。しかし、釈尊は「死」
を最大の苦と捉えている。「老・病」を「苦」とするのも、それが「死」
に連なるからである。
彼岸に行くってこんな感じ? 悟り前 世間 ●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●● 私◎●●●●●●●●● ●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●● 悟り後 出世間 ○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○ 私●一◎○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○
754 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 11:21:43 ID:BqBM5H6P
最近、釈尊が四諦を説かれたのがよくわかる。 四諦ですら、誤解される。 認識が異なることを前提とする大乗や密教など無理に決まってる。
たとえば、「仏教は認識論だ」という発言は卓見と言える。
が、それは同時に、「
>>745 のレス内容が、そのまま返ってくる」ことに他ならない。
仮に「娑婆即浄土」「娑婆即涅槃」と言ってみる。
これを、短絡単純に受けて「同じことである」と首肯しても或いは「一緒にするな!」と否定しても、
どちらも浅いことに変わりは無い。(→前者の代表が御隠居であり、後者の代表が宝珠だ。)
こうした時、宝珠や在家等、スピリチュアルや神秘系は、
上の例の両者を「完全なる別物」とする。まるで『素晴らしき【別世界】があるような言い方』をする。
御隠居は、(別世界を想定しないだけマシかもしれんがw)【価値観の転換】を拒絶する。
認識上の転換こそが(―これを縁起馬鹿他は凡夫と覚者の視線の違いと言う―)最重要なことなのに・・・。
ダニヤの章の扱い方にそれははっきりと現れている。彼は、理解していないのではなく、「拒絶している」。
しかし、御隠居へ解説することは別にしても、
「認識論」であるという言明は、多くの補足説明を要す。
勿論、手っ取り早い回答は、宝珠のように「超人的能力を獲得できるから」とするものだが、
そういうことではないだろう?
再度触れておく。
自己で片足を失った者の苦の滅は、足が生えてくること(或いは元に戻ること)ではない。
>>754 >>753 はどうよ?w (いい線いってると思うがねw)
756 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 11:59:32 ID:6qQueFI3
>>754 誤解やさまざまの異なった解釈を生み出すような言説は、「真理」ではない。
「真理」とは、最も単純であり、すべての人間と万物に等しく適用可能な原理
をいう。
釈迦の四諦は、彼の鬱病の症状に過ぎず、「真理」ではなかったのである。
あ、自己じゃなくて事故。 ま、判るか・・・。
>>755
758 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 12:04:06 ID:tbs1qU8t
>>744 >そんなこというなら、市橋に殺されたリンゼイさんのお父さんに、
>空ですからとか言えるのか?
仏教にいう「苦の滅」というのは、リンゼイ父に「嘆くんじゃない」。って意味だよ。
自分には「苦の滅」でもいいけど、
他人には「苦の滅」は言えんだろ?
つまり、仏教の世俗諦というのは、自分サイドに“都合のイイ”ように書かれてあるだけ。
勝義諦といふのは「自分サイド」ではない。→「自他不二サイド」
よって、世俗諦の意味あいが全く違ってくる。
一切皆苦の意味あいが理解できないのは、常に「自分サイド」の眼力しかない御仁。
これだと到底、勝義諦は理解できんだろ?
>お前は、飯くわなくても空ですから苦しくないのか?
>お前を、バットで殴りまくっても空ですから苦しくないと笑ってられる境地なら、それもありだが。
ああ、なんか勘違いしておられるようですね^m^
空というのはそういう意味ではない。説明してあげよう・・・
「苦の滅」ってのは、それだけで自己矛盾があるんだよ。→自己放棄といふ。
勝義諦というのは、この矛盾に気づくことであり、
それは「一切皆苦」も同じこと。
疑をもってしか本懐には到らんでつよ(ニッコリ
760 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 12:24:51 ID:6qQueFI3
>>755 思考は、その基盤次第で百人百様。何を考えるかの前に、何を思考基盤
とするかを考えることが不可欠。さむなければ、すべての思考は無意味で
ある。
ここは人間界であり、君も人間なのだから、価値感は「不特定多数人
(衆生)」に求める以外にはない。その価値感を転換したら、釈迦も
君も「人間ではなくなる」「人間として狂う」ということだ。
釈迦がダニヤのこの価値感を狂わせ、平和な家庭を破壊した行為を
「拒絶する」のは、人間界における唯一の価値感としての、衆生の価値感
の故である。
761 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 12:33:19 ID:tbs1qU8t
762 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 13:08:18 ID:BqBM5H6P
763 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 13:13:45 ID:BqBM5H6P
>>758 >ああ、なんか勘違いしておられるようですね^m^
>空というのはそういう意味ではない。説明してあげよう・・・
>「苦の滅」ってのは、それだけで自己矛盾があるんだよ。→自己放棄といふ。
>勝義諦というのは、この矛盾に気づくことであり、
>それは「一切皆苦」も同じこと。
>疑をもってしか本懐には到らんでつよ(ニッコリ
つまり、ただの観念的現状肯定。
虫歯で歯が痛くても、空といって楽しい楽しいって思い込ませることね。
誤淫嘘と同じ。
なんにもならんよ。ほんと何もわかってない。
野狐禅の輩が多い。
禅ってのは、そもそも教学とか階梯を立てない、
つまり、論理的な筋道を言わないから、師匠が就きっきりで指導する必要がある。
それを師匠もなしに適当な本よんで観念的現状肯定に陥るヤツが多すぎ。
これって禅の師家がしっかりしないからだよな、セブン!
764 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 13:37:33 ID:tbs1qU8t
>>763 >禅ってのは、そもそも教学とか階梯を立てない、
悟るまで段階というのは、ありますね。
慢心状態で「悟った」と自覚する時期がありまして、
これは誰でも通過します。
(しかしこれは本物の悟りとは違う、その前段階ですね)
ここから涅槃に到達する者と、そうでない者の分起点になる。
>つまり、論理的な筋道を言わないから、師匠が就きっきりで指導する必要がある。
白隠でも「悟った」と勘違いする程だし、
(白隠の大悟は前段階)
その勘違いを克服するのは自分しかない。
(これは、数ヶ月〜数年の場合もある)
悟りは慢心ではない。挫折なのだ。これは師家ではどうにもならんですね。
(挫折と逝っても世俗諦の意味ではない)
765 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 13:46:03 ID:BqBM5H6P
>>764 そりゃ、ただの勘違い。魔境ってヤツだ。
それを勘違い、魔境だと師匠が指摘するんだよ。
お前は、道元禅師は認めるんだよな。以下「四禅比丘」『正法眼蔵』を読め。
以下に勘違いが多く、師匠が重要と道元禅師が考えているか分かるだろう。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/22.html もっともお前は四禅どころか、初歩の禅定体験があるとは思えない。
ちょっとでも禅定体験があれば智慧が出て、読解力がでる。
こんな誤読しない。
>>738 >「輪廻がなければ、生きる意味がないから自殺したほうがイイ」。
>って御仁が散見されますけど、
しかも誤読してきされても、そこはスル〜して
>>744 のように平気で妄想述べるなんてことはしない。
766 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 14:02:49 ID:tbs1qU8t
>>765 >そりゃ、ただの勘違い。魔境ってヤツだ。
魔境ってのは、慢心状態で“悟ったと自覚がある”場合のことでありんす。
この慢心状態で埋没してまうことが多いので、
「魔境」と逝っておるんです。
>もっともお前は四禅どころか、初歩の禅定体験があるとは思えない。
>ちょっとでも禅定体験があれば智慧が出て、読解力がでる。
いやいや、これも大間違いでありますね。
智慧が泉の如く湧きいずるのは、涅槃に到ってからで、
先ず禅定体験くらいでは何の変化もありません。
まあそれより、禅定に何かを期待するのは大間違いですね。
日本は南宗禅の系譜であることを念頭におくべきです。
漸修じゃないですから。
勘違いもはなはだしい。
767 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 14:06:43 ID:BqBM5H6P
>>766 いつもながら、恐れ入るよ。コイツらの妄想と自信には。
>>763 まあね・・。
けど、実際に指導を受けていれば、(行住坐臥の時空を共有していれば)、
あそこまではならないと思うが・・・w
それとも、見も知らぬ者の言動に責任を持て、と?
769 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 16:35:27 ID:BqBM5H6P
>>768 そんなこといわないよ。
見性も菩提心もないヤツが適当な本かいてるから、
こんなヤツを生み出してるんじゃないかってこと。
もっとも、密教を生の肯定なんて適当なこと書いてる本もたくさんあるから、
人のことは言えないが、野狐禅や世俗密教は困ったもんだと思う。
>>769 寧ろ、(ほんとにw)できた人は、あまり自分からは書かないよ。(現場で手一杯さw)
出るとしても、周りの人間が法話や講演録をまとめる形が多いだろう。
で、若手であればそんな機会もないし、諸先輩方への遠慮もあるし、
長老か、学校関係の繋がりのある人の著作が多くなるのも仕方あるまい・・。
で、そういう人達は、自分の足りなさをきっちり自覚してるから。
謙虚な人が多いよw
771 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/25(金) 17:14:50 ID:tbs1qU8t
>>769 >>770 君達が先ず勘違いしてるのは、
仏教に条理を求めていることなんですよw
勝義諦といふのは、世俗的条理というのが全くない。
法というのはここまで到ってる訳で、
「人間が救われる」ってのは、全くピュアな故に救われるわけで、
世俗的条理で救われる訳ではない。
釈尊が「我見と信仰を捨てよ!」。ってのは、
ピュアな法を得るには、ピュアな状態を訓練しなければならない。
その為の禅定であり、
禅定そのものは目的ではない。
773 :
神も仏も名無しさん :2009/12/25(金) 19:55:21 ID:BqBM5H6P
>>770 やっぱりね。どこでもそうなんだな。
いっぱい書いてる人はだいたい碌なのがいないよね。
774 :
神も仏も名無しさん :2009/12/26(土) 05:50:51 ID:OO09QPmG
>>745 一切行苦だから、生きてるうちは苦から離れられませんしね。
楽という認識こそ空(幻)であり、あらゆる刺激の本質は苦。
身は不浄、受は苦、心は無常、法は無我。
775 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/26(土) 07:24:16 ID:EWvnC4i1
>>774 >一切行苦だから、生きてるうちは苦から離れられませんしね。
まあ、そういうことですね。
>>745 は少し勘違いなさってるようですので、私が説明しときましょう。
>そんなこというなら、市橋に殺されたリンゼイさんのお父さんに、
>空ですからとか言えるのか?
リンゼイさんが殺されても、リンゼイ父が嘆き哀しもうと、
「空ですから」と言える。
空は私情とか世俗慣習は全く関係なし。
とは言っても、ただ、常識的に言わないだけであって、
世俗常識的価値判断を、法に求めるのはナンセンスである。
まあ、こういう難しい話は理解が困難だろうけど・・・
仏教とは、そういう教えだよ。
>>775 何故これ程お前が嫌いなのか・・
反吐が出るほど嫌いなのか・・
やっとわかったよ。
お前のへ理屈とオナニー癖が嫌いであった。
そしてそれは実は俺が持っていたものだったのだ。
俺の影(シャドー)は自我に統合された。
そしたらお前への嫌悪感が消えたよ。
ありがとな。
777 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/26(土) 18:07:05 ID:EWvnC4i1
>>776 法といふのは「捕まえようとすると逃げる」。らしい。
これは仏教における名言ですね。
非常に薀蓄があります。
つまり諦観のことですね。
諦観にもいろんな意味がある。
ここでいう諦観というのは「仏教には何も求めない」。ってことです。
これは退転とは違う。
そこまで自分の身を切って・・・
(禅の二祖が腕を切り落としたのは、そういう意味なんです)
それだけの菩提心がなければ・・・
到底、涅槃には至らぬ。
>そしたらお前への嫌悪感が消えたよ。 ありがとな。
おそれいります。
しかと承りまして候。
その「早漏」にも無関心になれたよ。
779 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/26(土) 18:41:23 ID:Fvw31Rz7
>778 (´ー`)マダマダだな。(笑)
780 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/26(土) 18:52:13 ID:EWvnC4i1
>>778 いやいや、早漏などはどうでもいい。
わたしの
>>777 のレスポンスで、いくらか片目くらいは開くかと思ったが、
やはり無理だったようだな(笑
>ここでいう諦観というのは「仏教には何も求めない」。ってことです。
こういう書き込みに「ウム」って感じないと、
やはり無理(笑
(当然、意味は分らんかと思うけど)
781 :
狸和尚 :2009/12/26(土) 19:36:22 ID:DYvCYqO+
>>773 >いっぱい書いてる人はだいたい碌なのがいないよね。
そうよ。
悟りが深くなるほど言葉で言い尽くせないのだから、自然と言葉から離れるものさ。
782 :
狸和尚 :2009/12/26(土) 20:16:13 ID:DYvCYqO+
例えばなんだが・・・ 『仏教には何も求めない』といいながら、 「それだけの菩提心がなければ・・・到底、涅槃には至らぬ。」 と涅槃を求めよというなんぞは、なんといってよいやら・・・・・。
783 :
神も仏も名無しさん :2009/12/26(土) 20:20:13 ID:j+vtIHqt
理屈をうまく捏ね回すのは才能による。 修行を持続することは心による。 修行は悟りへの手段ではない。 修行こそが悟りの姿。
784 :
神も仏も名無しさん :2009/12/26(土) 21:31:02 ID:RPdri/Ev
>>782 >『仏教には何も求めない』といいながら、
上は勝義・果、あるいは非常に高い果を道とする教え。
下は世俗・道。
>「それだけの菩提心がなければ・・・到底、涅槃には至らぬ。」
>と涅槃を求めよというなんぞは、なんといってよいやら・・・・・。
>>751 みたいなこと言ってるのは、勝義と世俗をごっちゃにしてる唯の観念的現世肯定だと思われる。
>>783 理屈をうまく捏ね回すのも馴れ。
修行を持続するのも馴れ。
修行は本来のあり方に馴れること。
「修行こそが悟りの姿」なんていってると唯の体育会的現世肯定臭いぞ。
785 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/27(日) 07:20:26 ID:6m7EYBrQ
>>781 >悟りが深くなるほど言葉で言い尽くせないのだから、自然と言葉から離れるものさ。
禅師といふのは、以外に語ちたがる。
論書類が禅宗系に多いのは明白であろう。→これが不立文字。
道元などはオマケまで書いてる。
このオマケの部分が、後世において論争のタネになる。
>と涅槃を求めよというなんぞは、なんといってよいやら・・・・・。
涅槃とは、全てが崩壊したことを意味するのであって、
それは「求める」こととは真逆であります。
「仏教には何も求めない」と「涅槃」は同義でありますゆえ、
ここは勘違いなさらぬようよろしこ(笑
786 :
神も仏も名無しさん :2009/12/27(日) 19:28:05 ID:dKVhO2Q+
仏教におけるバチ当たりについてお聞きします。 中途半端にご飯を残す者は目を潰すとかの話です。 最近は何で閻魔(地獄菩薩)が ネタキャラに書かれることが多いのでしょうね。 「ゲゲゲの鬼太郎」みたいに威厳のある閻魔をすっかり見なくなってしまいました。 せいぜい、東方花映塚くらいです。二次創作では結局はネタキャラ化してしまいますが。
787 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/27(日) 19:51:13 ID:6m7EYBrQ
>>789 >最近は何で閻魔(地獄菩薩)が
>ネタキャラに書かれることが多いのでしょうね。
基本的には日本経済状況に関係します。
景気が良いときはダイナミズム系が支持されますが、
不景気ですと癒し系が支持されます。
理由は簡単です。
「威厳のある閻魔」では精神的に疲れるからです。
CMでもなんでもそうです。
イケイケは景気の良い時代。
今は「癒し系」でないとモノが売れません。
788 :
狸和尚 :2009/12/27(日) 20:15:58 ID:XRESl69A
何の役にも立たず屁糞にもならぬ言葉だけのお遊戯が好きだねぇ。 それで自己満足しているのは実にノー天気。 そんなことでは悟れまいよ。 わしの傍で無心に寝ておる小狸のほうが余程ましというもんだよ。
789 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/27(日) 20:26:46 ID:Mx14IPgp
(^。^)狢どもが臭ぇことよなぁ。(笑)
790 :
神も仏も名無しさん :2009/12/27(日) 20:33:12 ID:dKVhO2Q+
>>788 哲学って元々そういう学問ですから。実用性を伴っていません。
なんでもかんでも定義したがる、理屈をつけたがる、
人間味のある学問ですね。
791 :
神も仏も名無しさん :2009/12/28(月) 00:47:30 ID:IIYl2CDr
>>786 今の若い親が子供をしかるときに、
閻魔さんなんかをだして「悪いものは悪いんだ」
というふうに教えてるのだろうか?
道徳よりも損得や金儲けのことばかりを教えてるんじゃないかと心配です。
あと、テレビでも時代劇が減ったため、昔ながらのセリフも耳にしなくなりました。
「お天道さんがみてらっしゃる」とか、「お釈迦さまでもご存じあるめぇ」とか、
ヘキサゴンにでてくるような若者は、
「おてんとさん」なんて聞いたこともないかも。
お釈迦様とお地蔵様の違いも知らない人がいるし、
お寺と神社の見分けもつかない人もいます。
792 :
神も仏も名無しさん :2009/12/28(月) 00:51:10 ID:8cOnxijF
今、可能な限り5戒を守って、時間があるとき アナパーナ瞑想をやっているのですが ほかにこれはやった方がいいということはありますか?
793 :
神も仏も名無しさん :2009/12/28(月) 00:58:00 ID:IIYl2CDr
>>792 ヴィパッサナー、あるいはは四念処はどうでしょうか?
上座部マンセーは消えろw
795 :
閻魔大王 :2009/12/28(月) 01:04:26 ID:CBJdlwZx
>>791 >閻魔さんなんかをだして「悪いものは悪いんだ」
俺になんかよーか?
んなこたー言っちゃいねーよ。
こーだよ。
『縁起現象そのものは無意味・無価値・無実体であって、
人間が我執分別で勝手に評価・喜怒哀楽しているに過ぎない。
ブッダは、人間の勝手な善悪・優劣評価などに意味はないといっているのだ。
ブッダは、道徳とか倫理とかの「塵を離れ」て、ただ「縁起」にのみ生きよといっているのである。』
>>792 >ほかにこれはやった方がいいということはありますか?
やりたいことは、心置きなく、ぜーんぶやっときなw
寝るわ
>>795 あの、小難しい経済学絡みのブログは貴方ですよね?w
宣伝して読んで貰って、専用掲示板でも作った方が効率が良い気がしますが・・・。
797 :
神も仏も名無しさん :2009/12/28(月) 01:14:12 ID:8cOnxijF
>>793 お勧めありがとうございます。
ただ私はまともに座ることもできない状態ですので
呼吸瞑想がまとにできるようになったら
考えたいと思います。
>>795 >やりたいことは、心置きなく、ぜーんぶやっときなw
自分なりに考えてやりたいことは今やっていますので
これを続けていきたいと思います。ありがとうございました。
798 :
神も仏も名無しさん :2009/12/28(月) 07:51:45 ID:IIYl2CDr
大乗ならば、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜が基礎。 布施は貪欲の制御につながるし、忍辱は怒りの制御ですよね。
799 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/28(月) 07:55:35 ID:oQhi/PQo
>>797 >ただ私はまともに座ることもできない状態ですので
胡坐(あぐら)をかいて出来る呼吸法があります。
腹式呼吸(丹田呼吸ともいう)
大きく息を吸って、お腹に空気を貯める感じで腹を膨らませる。→鼻から
そして静かにお腹を凹ませて空気を吐く。→口から
(身体の毒素を吐き出す気持ちで)
これは即効で効きます。
つまり腹が坐ります。→度胸がつくということ。
気力が出る、ってことです。
内気、どもり、あがり症、赤面・対人恐怖症、などにはいいですけど、
特に内気で口下手の方は、これをやったら、もうペレペラで口が達者になりますね。
一気に人格が変わったようになります。
鬱とかノイローゼなども効きますけど、
まあ、こういう病気の場合は、やる気力さえないだろうから無理かも?
私は、この呼吸法にて社交的に性格を変えました。
800 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/28(月) 09:32:48 ID:oQhi/PQo
>>788 >何の役にも立たず屁糞にもならぬ言葉だけのお遊戯が好きだねぇ。
仏教とは、それなりに意味を有しております。
例えばですが、涅槃には「有余涅槃」と「無余涅槃」がございます。
これは「生きて涅槃到達」と「死んで涅槃到達」の意でありますが、
つまり、
生きておっても、死んでおっても、涅槃であります。
つうことは、まあ、はっきり言いますと・・・
涅槃というのは、生きておっても、死んでおっても、同じ、ってことですよ。
このくらいのことは、別に悟らんでもビギナークラスでも容易に解せること。
何も難しく考える必要はない。
801 :
神も仏も名無しさん :2009/12/28(月) 12:05:09 ID:pj7k2R8M
802 :
786 :2009/12/28(月) 12:14:23 ID:pj7k2R8M
804 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/28(月) 16:09:22 ID:oQhi/PQo
>>803 仏教は一如の法門ですから、有余でも無余でも生死一如にて調へば宜しき。
結局、生死はあまり関係はないですね。
805 :
神も仏も名無しさん :2009/12/28(月) 16:17:23 ID:7lDnHd4/
>>804 例によって誤りを指摘されると勝義を持ち出し、自分の非を決して認めないインチキ野郎w
よく懲りずに書いてんな
806 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/28(月) 16:19:16 ID:oQhi/PQo
>>803 wikiより
>涅槃は如来の死そのものを指す。
と書いてありますとおり、有余涅槃の場合は「如来の死」を意味するのであります。
ですから、悟りといふのは、その時点で死んでおるんですから、
身体があっても、身体が滅しても、如来の死ということでは同じです。
>>806 >身体があっても、身体が滅しても、如来の死ということでは同じです。
一般的解釈とは違いますな。
同じであれば、涅槃をわざわざ二つに分ける必要が無い。
わざわざ用語を作って区別したと言う事は、そこに違いを見出したということだw
一般的仏教では、
>「生きて涅槃到達」と「死んで涅槃到達」の意
ではなく、「体がある状態での悟り」と、「体がなくなった状態での悟り」を区別してる。
煩悩を断滅したとしても、の肉体を保っているかぎり、その肉体にもとづくところの根源的な生命意識、
すなわち、あらゆる動物が共通して宿しているところの、本能としての生命的欲求、生命意識が、
依然として残存していると考えられるからだ。
すくなくとも、
>>800 の解釈は普通の仏教的解釈じゃない。
808 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/29(火) 07:09:33 ID:XMRRmo20
>>807 隠居氏には何度も説明しておるが、そもそも仏教に「生命」といふ概念はない。
つうか「生命」とは思想的に根本的に違う。
思想的に違うとういうのはどういうことか?
これは水と油のようなもんで、けっして交じり合うことはない。
生命、逝ってよし。
809 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 09:08:08 ID:IqynGPCX
>>606 >生命、逝ってよし。
お言葉を返すようだが、「生命によって生命を否定する」ことの矛盾と滑稽さ
を自覚されたい。
釈迦も、そのむき出しの生物的生命を以って教えを説いたのだし、死者には
座禅は出来ませぬw。生命によって知覚しなければ、この世界も存在しないし、
「世界を空と観じる」ことも出来ない。
机師の生命がなければ、そもそもその書き込みが出来ないw。
生物的生命こそ、宗教を含む人間の「すべての営みの根源」であることを、
座禅によってでも悟られたし。
810 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/29(火) 09:40:52 ID:XMRRmo20
>>809 そもそも板違いだから、
哲学板の「ドイツ観念論」あたりのスレッドを見つけて、
そちらに移動されたらどうですか?
それだったら話は充分できる。
「生物的生命」ってのは、仏教には一切関係なし。
811 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 11:03:15 ID:IqynGPCX
>>819 >>810 「ドイツ観念論」は、佛教と同じく、生物的生命など一切論じない妄想です。
佛教が、「人間の根源」に迫るのであれば、「根源としての生命」に思い至る必要が
あるのでは。「その他のすべて」は、「生命の機能」に過ぎないのです。
812 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 11:20:08 ID:IqynGPCX
>>810 ニーチェは、「生物学的」という概念を初めて導入し、キリスト教と
その亜流であるドイツ観念論を、根底から覆したのです。
ニーチェの「永劫回帰(正しくは、永遠の反復)」は、「生命の刹那性」
であると解します。仏教者、特に禅者であれば、容易に理解できるはず
だが。
813 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/29(火) 13:32:50 ID:XMRRmo20
>>811 >佛教が、「人間の根源」に迫るのであれば、「根源としての生命」に思い至る必要が
あるのでは。「
わたくしは、「根源の生命」どころか、それ以前のことを語ちてるのであって、
そもそも、わたくしの辞書には「生命」はありゅらんです。
涅槃とは、生命以前の純粋(ピュア)、専門的には無差別相といふが、
このことに関して、わたくしは語ちてます。
涅槃というのは、それは全くの真っ白けなのであります。
「生命」とか「根源」とか、それどころではない。
縁起の現観とは、現において観じるものでありますが、
それが「生命」と、おっさるなら、それ以前の真っ白けです。
観じる以前を涅槃といふ。
814 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 14:15:13 ID:3ftPjSwb
>>813 「根源としての生命」以前のことを、師の「生命」で語っているのですか。これほどの自己矛盾は
ないでしょう。師は、ユーモアが有りすぎw。
生きている限り、人間がいくら足掻いても、その生物的生命の呪縛から逃れることはできません。
「それ以前のこと」は、忌むべき一神教の神概念に連なりますから、警戒が必要です。
開祖の精神障害の症状としての「観念過剰」故に、「根源としての生命」に思い至らなかったことが、
すべての創唱宗教やドイツ観念論に共通する「精神病理」なのです。
815 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/29(火) 14:39:38 ID:XMRRmo20
>「根源としての生命」以前のことを、師の「生命」で語っているのですか。これほどの自己矛盾は ないでしょう。師は、ユーモアが有りすぎw。 自己矛盾はない。 むしろ「生命」といふ概念に矛盾がある。 この矛盾に気づくことは、すなわち世俗的に「死を迎える」のであって、 生きて死を迎えることを有余涅槃という。 無余涅槃というのは、実際に(リアルに)死を迎える訳だけど、 涅槃という意味に関しては、有余も無余も同義。 論理的矛盾を根底に論理を尽くしても、 それは戯論に過ぎない。
816 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/29(火) 14:47:41 ID:XMRRmo20
>この矛盾に気づくことは、すなわち世俗的に「死を迎える」のであって
>>815 世俗的に死を迎えるとは、勝義諦においては生死は超克。
ですから、涅槃到達後は、
(これを空性といふ)
もはや「生命」とかの概念が、それ自体が論理矛盾になる。
これで理解したか?
817 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 14:53:38 ID:3ftPjSwb
>>815 その書き込みも、師の「生命の機能」に過ぎません。師が亡くなられたら、
書き込みはピッタリと止みますw。腕も指も灰になるのに、どうやって
キーボードを操作するのですか。視覚がなくなるだけなら、ブラインド
タッチも可能だがw。
涅槃を「考える」ことも、生命の機能。生命の機能としての知覚や思考が
消滅する(いずれの器官も灰になります)死後のことを、生命で考える
ことは、笑うべき矛盾であることに気付かれたし。
818 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/29(火) 15:02:40 ID:XMRRmo20
>>817 >その書き込みも、師の「生命の機能」に過ぎません
これも大間違い。
生命の機能ではなく、縁起だよ。
貴殿がいう「生命」というのは、関係性とか条件がないと、
それ自体(いわゆる生命)は成り立たない。
つまり、関係性・条件が一義的であって、
二義的に生命とやらが成り立つ。
これを空即是色といふ。
819 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/29(火) 15:06:29 ID:XMRRmo20
隠居氏よ、貴殿は仏教には我執が強すぎて、 教義理解は困難です。 哲学板には、貴殿と同じような御仁がイパイいるから、 そちらで語ちたらどうか?
820 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 15:26:03 ID:3ftPjSwb
>>818 勿論、師の生命が関係性の所産であることは前提ですよ。従って、生命
の機能も、関係性です。涅槃も当然関係性の所産。従って、無自性故に
空である。
但し、関係性だから、固定したものではなく、常に変化する。その変化
した関係性が、色(現実界)として現われているのです。
師が亡くなられれば、死の身体は元素に分解し、万物を循環する。
万物との関係性には変わりはないが、その関係性は常に変化するのです。
この変化する関係性の所産を「現実界」と呼ぶ。人間という「関係性の
形」は、現実界においてのみ存在し得る。
色即是空。されど空即是色。従って、色と空とは「等価」なのです。
いずれか一方のみでは、決してない。
821 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 15:32:47 ID:3ftPjSwb
>>819 佛教、特に類い稀な竜樹の頭脳を経由した大乗仏教は、古今東西、並ぶもの
のない「大哲学」ですよ。
822 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 15:40:15 ID:3ftPjSwb
>>816 勝義諦と世俗諦の区別も、生命の機能としての観念作用の所産に過ぎない。
「世俗諦によらなければ、第一義(勝義)は語れない」(竜樹)。
従って、勝義は、世俗諦の所産。世俗諦に基づかない勝義は、「根無し草」
の妄想に過ぎない。
823 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 16:18:00 ID:3ftPjSwb
>>819 佛教をやること自体が、解脱・悟り・涅槃を求める「我執」「我欲」に基づく
ものです。
生命も、その他の万物も、「関係性の所産」だが、その関係性を認識・思考し得
るのは「生命」のみ。死体には不可能。従って「根源」は「生命のみ」である。
己の生命を以って、いくらくだくだ言ってみても、生命を逃れることは不可能で
あることを、いい加減で「悟って」ください。
824 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/29(火) 16:50:44 ID:XMRRmo20
隠居氏 論理といふのは、もともとは西洋論理を意味するものであって、 インド論理の「論理」は、これは西洋とは違うもんです。 しかしながら、インド論理を語ちる場合は、 西洋論理でもってしか論証はできない。 これが論理学の歴史であります。 例として、石飛道子氏がおりますね。 石飛はインド論理の専門家ですけど、やはり龍樹を語ちる場合はギリギリの限界を感じる。 石飛に評価が分れるのは、それに納得した御仁と・・・ それでもどうも物足りない。ってのはある訳で、 しかしながら両者は基本的には一致はしておるんです。 それは、西洋とインドは違う、というのを前程とするからです。
825 :
神も仏も名無しさん :2009/12/29(火) 21:20:08 ID:ZmNc26YV
>>824 >論理といふのは、もともとは西洋論理を意味するものであって、
>インド論理の「論理」は、これは西洋とは違うもんです。
それは、宗教とその亜流である観念論哲学に毒された論理のことであって、人間がその生存の
ために使う論理は、古今東西を問わず、それほど変わりはないと思いますよ。
論理も、その基盤次第で百人百様だが、論理が、究極的には人間の生存の方向に向っている場合
にのみ、それを「人間にとって正しい」というのです。それ以外には、正誤・正邪の判断基準は
「皆無」です。
石飛氏の論理も、生存とそれを支える自然とに基づいていない限り、「正しい」とはいえません。
石飛氏の文章は、いかにも女性らしく、いささかくどく、感情的な感じを受けます。竜樹に感心
したからといって、「椅子から転げ落ちそうになる」必要はない。
826 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 04:24:49 ID:RUrN8vSw
適当なことばっかいってんじゃね〜よ。おまえらなんもしらんくせに。 長阿含經 (No. 0001) 0036b29 - 0039a11: 縁天地始終劫盡壞時衆生命終皆生光音天自然化生以念爲食光明自照神 [show] (1 hit) 長阿含經 (No. 0001) 0069a15 - 0070a18: 此世間初壞敗時有餘衆生命盡行盡從光音天命終乃 [show] (2 hits) 長阿含經 (No. 0001) 0088b13 - 0094a13: 既生愛著願已復有餘衆生命行福盡於光音天命終來生空梵天中其先生衆 [show] (2 hits) 長阿含經 (No. 0001) 0137b02 - 0139c14: 在天他化自在天梵天衆生命終來生人間修無覺無觀第二禪身壞命終生光 [show] (1 hit) 長阿含經 (No. 0001) 0139c15 - 0141a20: 化自在天梵天光音天衆生命終來生人間修第三禪道 [show] (2 hits) 中阿含經 (No. 0026) 0439c25 - 0440c11: 梵志自高事若干天若衆生命終者彼能令自在往來善 [show] (2 hits) 雜阿含經 (No. 0099) 0061a27 - 0061b17: 來集凶害惡毒蛇能害衆生命如此眞諦言無上大師説 [show] (1 hit) 雜阿含經 (No. 0099) 0164a22 - 0164b01: 復以哀言答云乞我少時生命可至一月彼兇不聽如是 [show] (1 hit) 別譯雜阿含經 (No. 0100) 0378c02 - 0378c13: 有命捨除衆惱害汝害有生命未除黒闇業以是我言住 [show] (1 hit) 別譯雜阿含經 (No. 0100) 0404b03 - 0404b24: 祀者終不惱群生不害有生命設祀斷諸有是名爲正祀若設如是祀大仙必往 [show] (1 hit) 別譯雜阿含經 (No. 0100) 0419b14 - 0419c24: 少佛告迦葉如是如是衆生命濁結使濁衆生濁劫濁見 [show] (1 hit) 別譯雜阿含經 (No. 0100) 0464b14 - 0464c26: 我於明日當殺爾許種種生命是名竪於口刀云何名爲身刀汝若祀時手牽牛 [show] (1 hit) 増一阿含經 (No. 0125) 0592c10 - 0592c16: 曰願世尊長化愚冥恒護生命世尊告曰瞿曇彌不應向 [show] (1 hit) 増一阿含經 (No. 0125) 0628a29 - 0629a07: 命在汝手願垂原捨得全生命長生報曰我可活王然王 [show] (1 hit) 増一阿含經 (No. 0125) 0639a12 - 0641a24: 極短極壽不過百歳以衆生命短故如來壽亦短若當如 [show] (2 hits)
827 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 04:33:20 ID:RUrN8vSw
Jāti Jāti (f.) [see janati & cp. Gr. genea/, ge/nesis; Lat. gens; Goth. kind -- ins]. -- Instr. jātiyā (Sn 423) & jaccā (D ii.8; J iii.395; Dh 393); abl. jātiyā (S i.88) & jātito (by descent: D ii.8); loc. jātiyaŋ (PvA 10) & jātiyā (PvA 78). -- 1. birth, rebirth, possibility of rebirth, "future life" as disposition to be born again, "former life" as cause of this life.
828 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 04:36:11 ID:RUrN8vSw
Jīva1 (adj. -- n.) [Sk. jīva, Idg. *gṷīṷos=Gr. bi/os, Lat. vīvus, Goth. quius, Ohg. queck, E. quick, Lith. gyvas] 1. the soul. Sabbe jīvā all the souls, enumd with sattā pāṇā bhūta in the dialect used by the followers of Gosāla D i.53 (=DA i.161 jīvasaññī). "taŋ jīvaŋ taŋ sarīraŋ udāhu aññaŋ j. aññaŋ s." (is the body the soul, or is the body one thing and the soul another?) see D i.157, 188; ii.333, 336, 339; S iv.392 sq.; M i.157, 426 sq.; A ii.41. -- Also in this sense at Miln 30, 54, 86. -- Vin iv.34; S iii.215, 258 sq.; iv.286; v.418; A v.31, 186, 193. -- 2. life, in yāvajīvaŋ as long as life lasts, for life, during (his) lifetime D iii.133; Vin i.201; Dh 64; J ii.155; PvA 76.
829 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 08:10:47 ID:FVrYuojl
>>825 >それは、宗教とその亜流である観念論哲学に毒された論理のことであって
いやいや、そんなことはないですね。
発祥(ギリシャ)は自然への好奇心から哲学の基礎が出来上がってきたんであります。
そこから、それを対象とする人間へと好奇心が拡大して逝ったんでありまして、
それは自然と人間は対立関係として捉えられておったのです。
西洋論理はこれが基礎であります。
そもそもインド論理哲学と申すもんは、基礎自体から全く違うんであります。
それは、自然(世界)と人間は対立と捉えておらんうーたんです。
したがって論理の立て方も全く違うは理の明白であります。
そういうことでして「生物的生命」などと、論理の基軸を一義に立てること自体が
既に「論理矛盾」があるのです。
前述のとおり「世界と人間は対立しておらない」わけですから、
論理矛盾が御理解できたでありましょうか?
(つづく)
830 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 08:11:35 ID:FVrYuojl
(つづき) >石飛氏の論理も、生存とそれを支える自然とに基づいていない限り、「正しい」とはいえません。 石飛氏は専門はインド論理学です。 龍樹を、西洋論理で解剖する、といふ初挑戦でありましょう? 読者の関心はそこにあるんですから。 なにも石飛氏の持論に期待している訳じゃないのです。 石飛氏は、輪廻転生を川の流れに比喩されてましたけど・・・ 結論から言いますと、インド論理といふのは「結論はない」のです。 これを読者がどう読むか? ってのは、ある程度のインド論理に理解がないと無理です。 読み方によっては、石飛氏が輪廻転生肯定にも読めるんですから。 しかし、これは明確に否定しておるようですね。 インド論理といいますのは、結論がない。 これは否定を意味する。
831 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 08:49:06 ID:RUrN8vSw
>>830 >結論から言いますと、インド論理といふのは「結論はない」のです。
どこに書いてあんだ
>>826-828 で以下がハッキリ間違いだと分かったろ、
ほかにアーユという言葉もある。嘘八百並べてんじゃね〜
>>808 >隠居氏には何度も説明しておるが、そもそも仏教に「生命」といふ概念はない。
>つうか「生命」とは思想的に根本的に違う。
>>816 >もはや「生命」とかの概念が、それ自体が論理矛盾になる。
>>818 >貴殿がいう「生命」というのは、関係性とか条件がないと、
>それ自体(いわゆる生命)は成り立たない。
>>825 >石飛氏の文章は、いかにも女性らしく、いささかくどく、感情的な感じを受けます。竜樹に感心
>したからといって、「椅子から転げ落ちそうになる」必要はない。
もっとも感情的で非論理・無根拠なお前が言ってもな〜
832 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 08:57:14 ID:RUrN8vSw
>>830 >石飛氏は専門はインド論理学です。
>龍樹を、西洋論理で解剖する、といふ初挑戦でありましょう?
>読者の関心はそこにあるんですから。
何も読めてないな。マックス・ワレーザーあたりからずーと中論は、
西洋論理で非論理などと言われてきたんだよ。
その点、スタールにくわしい。
日本でも立川武蔵が生成文法で読んだり、
他にもたしか記号論理学で読んだりしたヤツがいた。
石飛先生は、それらの徒労をすべて否定して『方便心論』からブッダ論理学という新しい論理学を原始経典、『ニヤーヤ・スートラ』『チャラカ・サンヒター』なども駆使して再構成し、
その論理で『中論』を読み解くという画期的な仕事をされたんだ。
お前にはちっとも分かんないだろうがw
833 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 10:45:16 ID:jZ+M10wz
ブッダはカレーを発明したり歯を磨いていたり 様々な天才エピソードがありますが、他にも面白い説があったら教えて下さい。 既に否定されているものでも構いません。 出典:生活の雑学大辞典
834 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 12:03:47 ID:FVrYuojl
>>831 凄いですね。
>>826-828 ここに、インド論理が書かれてあって、
しかも、
わたくしの論が「ハッキリ間違いだと」論証されておるのですか?
おそれいります。
して何と書かれておるんですか?
輪廻転生とかですか?
それが、インド論理学は既に結論が出ておる。と、
かように仰るんですか?
>>261 また、「偶然性があるからこそ(定まっていないからこそ)、可能性は閉じていない」んだよ。
私が外道に甘んじる、もう一つの理由はここにある。『物語的必然』など却下だ。
縁起を、運命論的に宿命論的に捉えてはならない。
スクランブル交差点で肩がぶつかった相手に怒鳴った。「どこ見てんだ!ヽ(*`Д´)ノ」と。
スクランブル交差点で肩がぶつかった相手に謝った。「すいません!><;」と。
この一連の事態を、仮に分節化してみる。
「交差点を渡る」「肩がぶつかる」「イラっとする」「怒鳴る」。
「交差点を渡る」「肩がぶつかる」「恐縮する」「謝る」。
さて、この時、「怒鳴」ったこと・「謝」ったことを、「交差点を渡」ったことが必然だと言うかい?
或いは、「肩がぶつか」ったことを必然的理由とするかい?
或いは「イラっと」したこと・「恐縮」したことを必然的理由とするかい?
(・・・これのみが、辛うじて必然としての「縁」と言える。 が、それも個々別々だ。)
いいか、どれも否だ。 上記全て縁起ではあるが、「必然」ではない。「目的論的必然」なぞ適さない。
辛うじて、【個々別々に、当事者一人一人にとって、【事象の連鎖が】必然である】だけだ。
Aさんは「怒鳴った」。Bさんは「すいません」と謝った。
さて、それぞれの行為(≒事象)の必然的理由は何だい?
「イラっと」したら、必ず怒鳴るのかい? 「恐縮」したら、必ず謝るのかい?
違うだろ? この意味で、『君らの言う「必然」』に組したくはないんだよw
【縁によっては、違う反応(事象)も生じ得る】だろう。
「苦の生じる因、縁があり、それを(或いはその連関を)断つことで苦が滅せられる(生じなくなる)」
というのが、基本的骨格だ。 (そして、その“具体的内実”はケースバイケース、個々別々だ。)
「偶然」とは、君らのような『チョー(超)具体的な“必然”』に対するアンチワードだ。
とは言え、指摘されて私もやはり不適切だと学んだし、(気に入らないなら)今後使用は控えよう。
御了承願えるか?w
836 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 12:54:06 ID:bGVVD8bY
>>826 引用多謝。申し訳ないが、「一言で言えば」何を言ってるのかご教示願えませんか。
837 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/12/30(水) 13:11:04 ID:VH72W0sR
>>835 セブンが投稿先を間違えてしまったようです(精神的な乱れ?)。
皆さん、失礼しましたwww
838 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 13:38:59 ID:RUrN8vSw
>>834 いままで誤解してたようだ。机は唯のバカだと思ってたが、
平気で嘘がつける狸ジジイだったようだ。
なぜなら、
>>831 のような短文を誤読するはずがないからだ。
>>826-828 は「生命という概念が仏教にない」という嘘の反証だよ。
「生命」という漢訳と、生命の意味に相当するパーリ、
ジャーティ、ジーヴァ、そしてアーユがあるということだ。
インド論理学に結論がないという珍説は、どこに書いてあるんだと、
こっちが聞いてるだけだが。オレは見たことないな。
ニヤーヤにしろ、仏教にしろ、ローカーヤタにしろ、ジャイナにしろ、
結論のない論理などインドにあったことなど聞いたこともない。
いいかげん、嘘をとぼけてごまかし、勝義を持ち出して有耶無耶の陳腐なパターンはやめた方がいいぞ。
単に悪業つくってるだけだからな。仏教を意図的にねじ曲げて説くという悪業はこれはデカい。
839 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 13:40:20 ID:RUrN8vSw
>>836 >838 で書いたように仏教に「生命」という概念はおろか、
文字そのものがある証拠です。
840 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 14:06:03 ID:FVrYuojl
>>838 >は「生命という概念が仏教にない」という嘘の反証だよ。
>「生命」という漢訳と、生命の意味に相当するパーリ、
>ジャーティ、ジーヴァ、そしてアーユがあるということだ。
霊魂とか魂のことだろ。
それが輪廻する。ってことだろうよ。
書いてあるから、ったって、世俗諦で仮説の話だし、
自性といふ意味の「生命」じゃないだろ?
仏典に霊魂&魂といふのが書いてあったら、それは即自性を意味するのか?
そうじゃ〜ないだろ?
>インド論理学に結論がないという珍説は、どこに書いてあるんだと、
こっちが聞いてるだけだが
無自性だからだよ。
841 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 14:13:36 ID:RUrN8vSw
>>840 おっと狸の次は、いつもの勝義有耶無耶か。
仏教において言葉で指示されるものは、世俗以外にない。
なんど言っても狸だな。
>>インド論理学に結論がないという珍説は、どこに書いてあるんだと、
>こっちが聞いてるだけだが
>
>無自性だからだよ。
おっと、インド論理学ってのは、仏教だけじゃないんだぜ。
無自性なんて、ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ、ジャイナ、ローカーヤタでは言わないな。
しかも、仏教論理学もディグナーガ、ダルマキールティは、世俗では自性を認める立場なんだよ。
適当なこといってんじゃね〜よ。自分の無知をいい加減認めろ
842 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 14:16:37 ID:RUrN8vSw
>>840 >霊魂とか魂のことだろ。
>それが輪廻する。ってことだろうよ
ジャーティ、ジーヴァ、アーユが輪廻するなんて仏教じゃいわないぜ。
嘘八百ならべてんじゃねぞ!
>>841 >ディグナーガ、ダルマキールティは、世俗では自性を認める立場なんだよ。
唯識のその系譜はそうだね
中観思想帰謬論証派からは批判される立場だったけど
発言内容にケチつけてるわけじゃないので
それと「机龍之介」は速やかにNGワードに突っ込む事を推奨します
845 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 14:33:26 ID:FVrYuojl
>>841 >無自性なんて、ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ、ジャイナ、ローカーヤタでは言わないな。
>しかも、仏教論理学もディグナーガ、ダルマキールティは、世俗では自性を認める立場なんだよ。
わたしは、マイナーな話をしとるんではないんですよw
インド論理といったら、そりゃ〜メジャーを普通は意味する。
846 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 14:40:50 ID:avyZsd7s
>>839 > >838 で書いたように仏教に「生命」という概念はおろか、
>文字そのものがある証拠です。
お答え有難うございました。出来れば、佛教では、生命についてどの
ように考えているかも知りたいのですが。引用箇所のシナ語の日本語訳
がネット上で見られますか。
NG指定を推奨しておいてなんだが・・・ 机さん、あんた対論者のトラップにかかってるよ >インド論理といったら、そりゃ〜メジャーを普通は意味する。 対論者は多分あんたにこれを言わせて自爆させたかったんじゃないかと 新因明はインドにおいてメジャーすぎるほどメジャー
848 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 15:29:42 ID:RUrN8vSw
>>844 インドに帰謬「論証」派なんてもんがあったか疑問だ。
帰謬「論証」派という分類は、おそらくパツァプ・ニマタクかその弟子系統が、自分か師匠筋が訳した論書を権威づけるためにサンプ系の論理学の影響下に付けたチベット独自の区分だと思われる。
少なくとも月称菩薩や寂天菩薩は積極的に論証しようなどと考えていない。
要するに相手の妄想・戯論を止めるために言語習慣としての論理学を用いてるに過ぎない。
そして、ガッパというのは月称菩薩や寂天菩薩が用いる場合、
妄想・戯論寂滅を意味してるのであって、論理的否定を意味しない。
これは定説に反して寂護菩薩も同じだと思われる。
しかし、蓮華戒菩薩は違う。
そして、ゲルクがいうガッパは逆で論理的否定を意味してるのであって、妄想・戯論寂滅を意味しない。
この違いは大きい。ゲルクの中観が妄想・戯論内での論理を意味するのに対し、
月称菩薩や寂天菩薩が目指すのは妄想・戯論自体の寂滅を意味するからである。
ここらへんの混乱の原因は、ロシア仏教学がゲルクのみに依存して解釈してきたからと思われる。
中観は石飛先生と非ゲルグ文献の解読により新時代が到来すると思われる。
その際、今まで不当に過小評価されてきた三論宗などのシナ・日本の伝統の正当性も再評価されると思われる。
問題は、ゲルクの中観が部派やヴァイシェーシカ的であったことである。
と私は考えている。
849 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 15:32:43 ID:RUrN8vSw
>>845 >わたしは、マイナーな話をしとるんではないんですよw
>インド論理といったら、そりゃ〜メジャーを普通は意味する。
おいおい、インド論理学でニヤーヤ・ヴァイシェーシカ、
ディグナーガ・ダルマキールティ以上にメジャーなものがあるなら教えてくれよw
いいかげんにしろよ。シッタカととぼけは、禅ぐらいでしかできないぜ。
なにせ、論理学ってのは隅から隅まできっちりと定義された世界だからな。
お前の言説とは正反対だw
850 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 15:36:38 ID:RUrN8vSw
>>846 あんたか。いいかげんにしとき。
あんたの求めるものは仏教にないよ。
大乗にも。ただただ誤読してるだけ。
小学生みたいな「生命によって生命を否定することはできない」みたいなこというのは終わりにしよう。
ただの屁理屈だから。自殺がそうだしローカーヤタを除く全てのインド宗教が、それを求めてるから。
851 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 15:40:06 ID:RUrN8vSw
>>847 いや、机の場合、ずーと破綻してるんだが、
今回は禅を離れてシッタカしたのが完全な墓穴、勝義で逃げられない。
たしか、以前にも何度かやらかしてほとぼりがさめるとまた出てくるんだなw
852 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 15:41:44 ID:FVrYuojl
>>849 おいおい、二大学派の話をしとらんだろ?
少し忙しくなってきたから、またカキコする。
853 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 15:46:36 ID:RUrN8vSw
>>852 例によって不誠実に嘘とごまかしを重ねて行き詰まると遁走ですw
みっともないな。おまえ、バカにされたくてここに書いてるのか。
854 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 16:18:42 ID:5IH/Ad2c
>>848 系譜の呼称に問題があったかもしれん
チャンドラキールティ・シャンティディーバの系列、通りやすい 帰謬派 に訂正しときま
対応するのが自立論証派かな>蓮華戒等
こっちは「論証」でいいよな?w
>不当に過小評価されてきた三論宗などの
三論宗は自分は「日本に流れてきた中では」「割と正嫡に近い流れ」と思ってるんだけどね
過小評価されてるのかい?
意外だったな
石飛氏に関しては賛否両論あるみたいだけど、どうなんだろうね?
今後に期待しときましょう
>>853 で、そんな頭でっかちの知識で法の自得=縁起の現観に達しうるのかな?
また、あなたは達しているのかな?
知識のこれ見よがしのヒケラカシと罵倒語の『俺様主義』は見苦しいだけなのだがw
これは反仏教態度ではないのかな?
ここは仏教質問箱のはずだが。
856 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 16:43:16 ID:RUrN8vSw
>>855 机があまりにも見苦しいからだよ。こんなヤツ、上品にいってもしょうがない。
そりゃ、オイラが至らないからにきまってるでしょw
857 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 16:44:51 ID:RUrN8vSw
>>854 ゲルク的中観が評価されるあまり、三論が否定されてきたでしょ。
山口、松本、袴谷、ツルティムあたりを中心に。
858 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 17:15:24 ID:FVrYuojl
>>853 >みっともないな。おまえ、バカにされたくてここに書いてるのか。
いやそうじゃない。
仏教質問箱で、なんで二ヤーヤが出てくるんかな?
二ヤーヤが出る幕じゃ〜ないんだよ(笑
859 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 18:44:46 ID:fy1rQtoM
>>850 >小学生みたいな「生命によって生命を否定することはできない」みたいなこというのは終わりにしよう。
>ただの屁理屈だから。自殺がそうだしローカーヤタを除く全てのインド宗教が、それを求めてるから。
その「小学生みたいな素朴な疑問」にもまともに答えられないのでは、幼稚園児以下。
「みんなが言ってる」では、回答にはならない。
自殺しかないのなら、仏教とは自殺を勧める宗教なのか。それでは、自爆テロリスト
と同じ。大富豪の子供で何不自由なく贅沢に育てられ、人生の苦労を全く知らない点
でも、釈迦は自爆テロリストと同じ。要するに、幼稚な「自分探し」に過ぎない。
人間や人生を語る資格など、初めからないのである。単に釈迦が有名人だから
という理由で、初めから無批判にありがたがる、ミーハーの「ブランド信仰」
と何らの相違もない。
860 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 19:06:55 ID:fy1rQtoM
>>850 それから、大昔の文献について、ただ一種の解釈しかできない、というのも、
「誤読」というべきであろう。
861 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 19:18:15 ID:FVrYuojl
>>859 前にもカキコしましたけど、そもそも仏教に生命といふ概念はない。
もし生命というのが主体という意味でも、
主体と客体というのは明確な分類は出来ないのが仏教さ。
だから、一応は主体(いわゆる生命)も論法上の話であって、
これを西洋論理、って逝っておるんですよ。
これがメジャーな大乗仏教の見解です。
では、おやすみ。
862 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 19:53:26 ID:HhrA8Bhg
>>861 いくら生命を否定してみても、その否定自体、その書き込み自体が、
貴殿の生物的生命の所産であることは否定できない。
主体と客体の区別やそれを否定することも、生命の作用。
釈迦も、己の生命があったからこそ、教えが説けたのではありませんか。
釈迦が経典を一切書いていないのは、書く前に、彼の生命が消滅したから、
書けなかったのです。
「生き方」を説かない大乗仏教の宗派はありませんよ。
それから、宗教者、特に仏教者が、軽々しく「生命の否定」などを口に
すべきではない。それでは、忌むべき「自爆テロリスト」と何ら変わる
ところはない。空港で、「私は生命を認めません」などと言ったら、即時
タイーホですよw。「これは冗談です」と言っても、too lateですw。
863 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 20:02:16 ID:HhrA8Bhg
>>861 「相互依存性故の無自性」を誤解しておられるのではないか。「無自性」
とは、「存在しない」ということではない。「厳然として存在する生命」
が、関係性の所産である故に、「自分のものではない」、即ち「自分で
勝手にその存在を否定したり、処分してはならないもの」という意味ですよ。
864 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/30(水) 20:12:50 ID:FVrYuojl
>>863 >「相互依存性故の無自性」を誤解しておられるのではないか。
おやおや、おそれいります。
>「無自性」とは、「存在しない」ということではない。「厳然として存在する生命」
なるほど、そうでしたか。
>関係性の所産である故に、「自分のものではない」、即ち「自分で
>勝手にその存在を否定したり、処分してはならないもの」という意味ですよ。
自分のものではない。とおっさるのは、つまりブラフマンですか?
で、二ヤーヤさんが登場するんじゃないでしょうね?
勘弁してくださいまし><
865 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 20:20:34 ID:HhrA8Bhg
>>864 「自分のものでない」とは、あなたが言われる「主体と客体」とをあわせた
ものです。「主体と客体」は、分類できないのではありませんかw。
「生命の観念作用の産物」に過ぎないブラフマンなどではありません。
866 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 20:23:34 ID:RUrN8vSw
>>858 お前が嘘ばっかついてるからだろ
インド論理学を持ち出したのはお前だぞ、アホ
>>862 隠居
>いくら生命を否定してみても
否定など誰がした?
仏教において否定すべき実体などありゃーせんぞなもしw
隠居には世俗的左脳言語論理の世界への固執しかない。
素朴実在論的単純唯物論という一元論であって、仏教的にはいわば反中道のカタワだ。
これが隠居絶賛の龍樹の空=中道という無分別智直覚による
脱または超言語論理相(無限定主客無分別相)と、どういう整合性があるのか
説明できるのかな?
生命とはDNAの媒体なのだが、
隠居理論ではDNAはなにからまたは、なにと縁起しているのかな?
やはり年老いた犬に芸を仕込むのは無理かな?
868 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 20:42:37 ID:RUrN8vSw
>>867 誤淫嘘って若いヒキコだと思うけどな。
しかも、文が読めないタイプ。
>>865 >「主体と客体」は、分類できないのではありませんかw
言語論理によって隠居が勝手に分類している。
隠居は分類することで実体アリとの妄想=生命という名前の実体を左脳論理で妄想する。
この妄想を破るのは無分別智直覚によるしかないのだよ。
さすれば反中道カタワが直る。
>生命とはDNAの媒体なのだが、 遺伝子セントラルドグマはとっくの昔に崩壊している。
>>870 >遺伝子セントラルドグマはとっくの昔に崩壊
あのね、崩壊しているかどうかは学説が分かれているのだが、そんなこと自体より、
今の隠居への問いの趣旨は、DNAを中核とする生命現象はなにによって
縁起しているのか?
隠居の生命根源論は単純で勝手な戯論(形而上的言論)に対する『信仰』でしかないのでは
ないか、という反中道一元論に対する問いなの。
872 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 21:11:31 ID:HhrA8Bhg
>>867 DNAは無数の先人から承継され、それらと縁起している。DNAは
たんぱく質だから、原子の関係的集合体である。その原子は、電子や
素粒子の関係的集合体である。新たな素粒子が次々と発見されつつある。
原子は、万物を循環する。即ち、生命は、万物と縁起している。従って、
「自分のもの」ではないから、勝手に否定、処分はできない。
超言語論理を、2ch如きで言語で語るのは矛盾w。
竜樹の「相互依存性・関係性」は、「厳然として実在する現実界」の構成
原理である。関係性故の無自性である。素朴実在論単純唯物論的実在で
なければ、そもそも、「相互依存・関係性」などの概念は成立しない。
実在でない要素の間に「相互依存・関係」は成立し得ない。竜樹は、こ
の原理を、見事な言語を駆使して説いたw。
なお、釈迦の「縁起・中道」では、あくまでその両端における実在を
前提とするから、「空」は成立し得ない。竜樹の原理では、その両端も
空である。
釈迦とは異なり、竜樹には、妄想患者の要素は皆無である。極めて冷厳な、
透徹した「現実観察」がなければ、彼の「相互依存性・関係性」の原理は
発見し得なかったであろう。やはり、夜這いによる女体観察の効果かw。
私は、君たちのように、開祖や経典に合わせて踊る「猿回しの猿」には、
到底なれないねw。
>>872 やっぱりねw
突っ込みどころ満載で支離滅裂なんだが、
>隠居の生命根源論は単純で勝手な戯論(形而上的言論)に対する『信仰』でしかないのでは
なんの回答にもなっていない。
やっぱり、ここまで耄碌しているんだなあw
やっぱり、年老いた犬に芸を仕込むのはむりだ。
龍樹曰く、『俺は素朴実在論単純唯物論的実在なのか?
俺には主張がないと念を押しておいたはずだが(苦笑)』
874 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 21:39:48 ID:HhrA8Bhg
>>873 君の書き込みで、生命根源論が早速証明されたな。書き込まなければよかったのに。
竜樹は、「釈迦は何も説いていない」と言ったのだよ。釈迦の誤りがひどいので、
釈迦の口を塞いだのである。
君等「猿回しの猿」は、他人に芸を仕込むことなどできない。自分が仕込まれ
たのだから。
>>871 >今の隠居への問いの趣旨は、DNAを中核とする生命現象はなにによって
>縁起しているのか?
全く異なる。ヒトに関して言えば大脳に蓄積される情報量は遺伝情報の10倍だ。
「氏より育ち」偶然を装って現れる縁起による出来事はDNAによる物を凌駕する。
それに森羅万象・遺伝を含むあらゆる出来事は縁起による。
876 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 21:44:15 ID:RUrN8vSw
質問箱が妄想所になっちまった しかも、縁起でもなんでもない。素朴実在論だw
877 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 21:51:23 ID:HhrA8Bhg
>>876 縁起とは「幻」などと誤解しているのが「妄想」。
人類は、その発生以来、素朴実在論によって生存してきたのだよ。
素朴実在論以外を「妄想」「錯覚」と呼ぶ。
878 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 22:00:48 ID:RUrN8vSw
879 :
神も仏も名無しさん :2009/12/30(水) 23:42:29 ID:HhrA8Bhg
>>878 全くの誤解、または故意の歪曲である。
釈迦は、「世界を空と『観ぜよ』」と言っている。世界の実在を前提として、
「空と看做せ」と言ったのである。「世界は空だ」とは言っていない。
竜樹は、空の「説明のために」、「幻の『如き』」と言っているに過ぎない。
「幻だ」とは言っていない。
竜樹が女を抱いた時、「幻」だと思って抱いたのかね。とんでもない。「生々
しい実在の女体」として抱き、二人して、何度も涅槃に到達したのである。
すべて空なら、「色即是空」だけでよいはずなのに、何故「空即是色」を並列
に並べたのか。「色」と「空」とは、「等価」であるという意味である。これ
が仏教思想の真髄であることを、理解すべきである。
880 :
神も仏も名無しさん :2009/12/31(木) 05:47:54 ID:GuYLtncV
>>879 そんな思い込みの妄想だけで言われてもね。
テキストも伝統もそうなんだよ。
君のはすべて適当に言葉だけ切り取ってきて、
そこから妄想してるだけだからな。
>>879 みんなそうだぞ。
ほんと病院いってこいよ。
881 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/31(木) 08:24:28 ID:di1gRrxj
>>878 >龍樹菩薩は縁起は空で幻だといってるんだがな。
幻とは違いますね。
アタマに拳骨くれれば、それなりの反応はする。
>空なる諸縁が
空が主語になることは有り得ないです。
>それぞれの業によって縁起して
業によって縁起することはないです。
もともと仏教には業思想はありませんけど、
縁起において業が生起する。ってことはあっても、
その逆はない。
(これが道元の三時業の意味です)
882 :
神も仏も名無しさん :2009/12/31(木) 09:00:03 ID:GuYLtncV
>>881 また、妄想家か。あれだけ嘘とデタラメがばれても即座に出てきて、
また嘘とデタラメを並べるたあ、あんたホント恥知らずだな。
因果が妄想、幻だってことだ。
これは通仏教で、聖徳太子も世間虚仮唯仏是真と言ってるでしょ。
虚仮てのは、虚妄、妄想、幻だってことだ。
夢の中で殴られれば痛かったりするように一応の因果がある。
それと同じ程度の因果がこの現象だってこと。
>空が主語になることは有り得ないです。
空即是色は、主語だな。サンスクリットのだとシューニャターで主格、しかも、散文でルーパムの前に来てるから現代でいう主語に他ならない。
>業によって縁起することはないです。
>もともと仏教には業思想はありませんけど、
>縁起において業が生起する。ってことはあっても、
もともと仏教は業を前提にしているし、
業によって縁起するというのは、
過去の業が諸縁となって縁起し、現象として知覚されるという意味だ。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html 道元禅師もどうせ妄想して勝手に言ってるだけだろ。
嘘ばっかついてんじゃねえ。つか、仏教について何も分かってないの認めろよ。
悟りもこれっぽっちもないだろ、あんだけ嘘指摘されても一回も認めない頑迷さからはっきり分から〜w
883 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/31(木) 09:53:04 ID:di1gRrxj
>>882 >空即是色は、主語だな。
主語といいまのは、述語は常に相反性を有します。
例えば、
「わたしは生命体である」。って場合は生命体ではない意味も含む。
空と色は、こういった相反関係ではありません。
相反性は「色」になりますね。
その相反未分が空となります。
よって、空は主語とは言えんですね。
>過去の業が諸縁となって縁起し、現象として知覚されるという意味だ。
そもそも縁起というのは仮説においての意味であります。
縁生・縁滅が仮説であって、中道においては、縁生・縁滅はないですね。
故に、そもそも業なるものが縁起しようがない。
貴殿が前に書いた「非論理」というのは、
実は、こういう意味なんです。
(中論参照)
885 :
神も仏も名無しさん :2009/12/31(木) 11:07:06 ID:GuYLtncV
まあ、これで机と生命とか言ってるヤツが唯の妄想家だと皆に認識してもらえたろう。 一ヶ月に一回ぐらい指摘しないとな、間違ってしんじちゃう人がいるかもしれないから。 というわけで、みなさま善いお年をお迎えください。
886 :
神も仏も名無しさん :2009/12/31(木) 12:42:17 ID:oHICybAO
>「空と看做せ」と言ったのである。「世界は空だ」とは言っていない。 空でないのに、そう看做せ、というやり方は法句経冒頭に反するのでは。 878の「幻の現れ」は、そう感じるものすら無い幻覚だとかいう用法なのか? 「実在」とか話のキモである単語に込めている意味にズレがあるように見える。
887 :
神も仏も名無しさん :2009/12/31(木) 15:24:17 ID:U9Len4HR
>>885 >>886 「竜樹は、空の意味内容を論じ、『空』は『無に等しいのではなく』、『すべての事物が無自性に
して縁起することを意味する』」と説いた」(岩波佛教辞典)。
「空とは無(幻)である」となどと「誤解」している仏教者が多い。「無」どころが、厳然たる「有」
でもある。「相互依存性・関係性」の所産であるが故に、固有の自性を有しないから、執着の対象に
ならないだけである。般若心経では、「無もまた無である」と説く。「無の否定は、有」である。
「有るものが無い」「無いものが有る」と信じ込むのは、妄想患者だけである。佛教を、「妄想の
宗教」に堕さしめるべきではあるまい。
888 :
833 :2009/12/31(木) 15:43:23 ID:U6h6YHTu
なんだか私が場違いみたいですね。失礼しました。
889 :
神も仏も名無しさん :2009/12/31(木) 15:52:23 ID:jwLZEF0l
>岩波佛教辞典 なら「世界は空だ」で問題ないし一貫もする。 >「空とは無(幻)である」となどと「誤解」している仏教者が多い。 何もないというではなく、そこに業とか作用するものが「ある」として語っているように見える。 「存在」や「幻」をどういう意味合い・基準で用いているか、互いに精密に確認してみなというわけ。
>>888 もっともらしいもの、それっぽいものがあまり無いからじゃない?
私がすぐ思いつくのは、
たとえば、
「食後すぐ休む(横になる)→昼休みを取る」なんかは、仏教発と言えるかも?www
或いは、「クチャクチャ音を立てて食べてはいけない」とか
「食べながら(口に入れたまま)喋っちゃいけない」とかのマナーも仏教発祥かもよ?w
891 :
神も仏も名無しさん :2009/12/31(木) 16:31:28 ID:U9Len4HR
>>889 >なら「世界は空だ」で問題ないし一貫もする。
その空の意味内容が、問題になっている。
>何もないというではなく、そこに業とか作用するものが「ある」として語っているように見える。
趣旨不明。ここでは、「物質の実在」について語っている。
>「存在」や「幻」をどういう意味合い・基準で用いているか、互いに精密に確認してみなというわけ。
「存在(実在)」とは、(必要な場合には観測装置を使用して)、不特定多数人(平均人)の五感で知覚
できる対象。そのテストは、当該対象が、人間の生存に直接の影響を及ぼすか否かである。「幻」とは、
知覚異常や妄想により、その様な対象でないものを知覚し、若しくは実在すると信じ込むこと。「幻覚」
「妄想」として、精神医学による治療の対象となる。現代社会では常識。
892 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/31(木) 17:25:21 ID:di1gRrxj
>>岩波佛教辞典
>なら「世界は空だ」で問題ないし一貫もする。
この場合の「世界」とは、「自分」とどういう位置関係なのか?
西洋論理だと、世界と自分は対立関係にある。
インド論理だと、世界に自分が含まれて対立関係にはならない。
という論理です。
ですから、対立関係を筋道立てて論じることは不可であります。
これを言語化しますと、般若心経のように一貫して否定文になります。
これを西洋論理で解いたのが中論です。
つまり作為的に対立関係を設定します。
これを仮説というわけです。これを前程としまして、
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html 龍樹が輪廻を説くわけはないですね。
間違って説いたとしましても仮説ですから・・・
それに、
空においては対立関係の象徴である「輪廻」は、即寂滅します。
(輪廻と世界は対立関係にあります)
893 :
神も仏も名無しさん :2009/12/31(木) 17:38:23 ID:jwLZEF0l
>趣旨不明。ここでは、「物質の実在」について語っている。 本当に、わからないのか?ごく簡単なことで 「存在」や「幻」という言葉を相手も 隠居と全く同様な意味で使っているのか、という話だ。 ここが違っていて、またズレが把握もされてなかったら 言っている内容の把握ができてないということだ。 >「存在(実在)」とは、( 隠居のなかじゃ相手の頭はおかしい、ってことになってんだろ。相手も 完全に同じニュアンスで使ってるという前提にこだわることもあるまい。
894 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/02(土) 07:40:32 ID:AI/3YfAk
あけおめ☆ (つづき) 仏教に実在論が適当でないのは、世界が対立関係でない。って絶対条件がある。 つまり「実在」というのは“対立関係においての関係”を意味する。 ゆえに、 そもそも対立関係を設定することに論理矛盾としてある。 ところが、 龍樹は、まさに対立関係を仮に設定して論(仮説)を立てたのが、いわゆる中論です。 仮説であって、しかも中道ですから、そこに結論が出るわけはない。 結論てのは、対立関係においての結果ですから、 中論はそもそも、結果としての結論を期待するのは全く不可であります。 たとえ、龍樹が輪廻を肯定したとしてもです。 (こういうことは有り得ないですけど) 中論というのは、それしか書いてないので、 いくら中論を研究したとしても、それは無駄ってもんです。 実有論のアンチとして書かれたもんで、それ以上のことは書かれていない。 一度読めば、二度よむ価値はない。 勝義諦のことが書かれている。 勝義諦は、中論を読んだだけでは理解は不可です。
詳しく読んでないが、これは西洋哲学の論法だな。これを使うと永久に仏教の段階は踏めない。
896 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/02(土) 16:13:51 ID:AI/3YfAk
>>895 そう、そのとおり。
生半可に中論は読むべきでない。
演繹法的に”確認”として龍樹論は異才を放つが、
帰納法的には解釈は無理ってもんです。
897 :
神も仏も名無しさん :2010/01/02(土) 17:10:15 ID:2coZTGb7
>>894 >たとえ、龍樹が輪廻を肯定したとしてもです。(こういうことは有り得ないですけど)
>生半可に中論は読むべきでない。
だから、『縁起心論』や『中論』26章で説いている、と何度も言っただろ。
『中論』が問題になっているのに、ナーガールジュナ自身を無視して、
無根拠な妄想を垂れ流して悦にいる、こういうのを「生半可に中論」を「読む」と称する。
898 :
神も仏も名無しさん :2010/01/02(土) 17:16:29 ID:2coZTGb7
>>895 >詳しく読んでないが、これは西洋哲学の論法だな。これを使うと永久に仏教の段階は踏めない。
有識者様が先に仰ったように、三学の慧(プラジュニャー)、
つまり、観に対応しているのだと思います。
これは、『天台小止観』、アティーシャ『入喩伽修習』等でも同様です。
899 :
神も仏も名無しさん :2010/01/02(土) 17:24:11 ID:2coZTGb7
>>895 補足。
×つまり、観に…
〇つまり、中論は、観に対応しているのだと思います。
>>883 >そもそも縁起というのは仮説においての意味であります。
そもそも縁起とは、諸縁に取して果を施設することであります。
つまり、「生半可」だから、君は24.18の仮説の意味を誤解してる。
>縁生・縁滅が仮説であって、中道においては、縁生・縁滅はないですね。
>故に、そもそも業なるものが縁起しようがない。
諸縁に取して業が施設されるのであって、自性としては、生滅しないですね。
故に、そもそも業が縁って起った法であることが中道です
900 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/02(土) 17:49:15 ID:AI/3YfAk
>>899 >そもそも縁起とは、諸縁に取して果を施設することであります。
中論は非常に解釈は難しいのです。
縁起、いわゆる縁生・縁滅ってのは、仮説(いわゆる世俗諦)でして、
言語慣習においての仮の論法です。
正確には、縁生・縁滅するも、縁生・縁滅することはない。→これが勝義諦
理由としますと“不生不滅”でありますから、縁生・縁滅は仮の論法です。
(無自性だから、自発的縁生はありえない)
これは源始経典である、雑阿含経にも記してありますから、
古典においても、既に空思想はあったと解釈して宜しいでしょう。
中論の仮説を、そのまんま解釈しちまう典型ですよね。
(たぶん、その程度かと思ってましたけど)
>諸縁に取して業が施設されるのであって、自性としては、生滅しないですね。
>故に、そもそも業が縁って起った法であることが中道です
これも大間違いですね。
「業が縁って」ってのは、業とは自性なんでつか?
「〇〇が縁る」といふ論法自体がありえない。
無自性だから、縁る主体も客体も全くない。というのが中論の骨格です。
>>899 <小乗反対者の主張>
『生存するものは無明に覆われ、渇愛に束縛されている。
彼は業の報いを受けるものである。
また彼は、業の主体(業を作る人)と異なっているのでもないし、
またそれと同一人なのでもない』(中論17-28)
<龍樹の反駁偈>
『この業は、縁から生起したものではないし、
また縁から生起したのではないもの(非縁より生起しているもの)でもない。
それゆえ行為主体(業を作る者)もまた存在しない』(同17-29)
『もしも業が存在せず行為主体もまた存在しないのであれば、
業から生ずる報いは、どうして存在するであろうか。
また、報いが存在しないのならば、業の報いを受けるものがどうして存在するであろうか』(同17-30)
どうして、業報輪廻転生なるものがありえようか。
反対者(
>>899 )の論は単なる戯論であり、妄想でしかない。
『空は誤解した凡人を害する。』(24-11)
『牟尼は説くのを躊躇した。凡人には空は理解しがたいことを思って。』(24-12)
902 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/02(土) 18:02:42 ID:AI/3YfAk
>自性としては、生滅しないですね。 これは、そのとおりですよね。 よって、無自性ならば、生起するわけはない。 生起するわけがないから“論法上において生起即生滅としているわけです。 実際、 生起・生滅はないw 理由は無自性だから。
903 :
神も仏も名無しさん :2010/01/02(土) 18:30:49 ID:2coZTGb7
>>900 >中論は非常に解釈は難しいのです。
>縁起、いわゆる縁生・縁滅ってのは、仮説(いわゆる世俗諦)でして、
>言語慣習においての仮の論法です。
諸縁に縁って果が起り、諸縁が尽きて果が滅すること、ってのは、
果が自性として寂滅していることですから、勝義諦でして、
諸縁に取して施設された果は言語慣習です。
「生半可」君には「『中論』は非常に」「難しいのです」。
>正確には、縁生・縁滅するも、縁生・縁滅することはない。→これが勝義諦
「正確には、」
>一切存在は空である。故に、一切存在の縁起を無比なる如来は教示せられた。
>勝義はそれのみ。『空性七十頌』68-69
>勝義は、「一切の縁って起った存在は自性が空である」ということに尽きている。(同69偈釈)
「→これが勝義諦。」
つまり、『中論』でいえば、24.18-19(=『廻諍論』末偈)ですね。
「生半可」君にも分かるように言うと、
非縁已生法は何者も無い。“故に”、非空法は何者も無いわけです。
904 :
神も仏も名無しさん :2010/01/02(土) 18:31:29 ID:2coZTGb7
>>903 の続き
>理由としますと“不生不滅”でありますから、縁生・縁滅は仮の論法です。
>(無自性だから、自発的縁生はありえない)
「不生不滅」なのは、自性としては、であります(『六十頌如理論』19-20)。
それを広説すれば、四不生であり三時不去なのですけど。
「縁生・縁滅は仮の論法」と言い出すときの、「仮」の意味を「生半可」君は誤解してますよ。
>これは源始経典である、雑阿含経にも記してありますから、
>古典においても、既に空思想はあったと解釈して宜しいでしょう。
『勝義空性経』? 漢訳だけで、サムケータを見事に誤読した「生半可」な君が言うの?
>中論の仮説を、そのまんま解釈しちまう典型ですよね。
>(たぶん、その程度かと思ってましたけど)
自分の無根拠な妄想を、そのまんまナーガールジュナの真意だとしちまう典型ですよね。
(たぶん、その程度かと思ってましたけど)
>これも大間違いですね。
>「業が縁って」ってのは、業とは自性なんでつか?
>「〇〇が縁る」といふ論法自体がありえない。
>無自性だから、縁る主体も客体も全くない。というのが中論の骨格です。
>よって、無自性ならば、生起するわけはない。
「これも大間違えですね。」
「縁る」ことが「全くない」のに、「無自性なんでつか?」
905 :
神も仏も名無しさん :2010/01/02(土) 18:33:15 ID:2coZTGb7
>>901 >(同17-29)
17.21でいっているように、不生であるのは、無自性だからですよ。
無自性であるのは、7.16とか『六十頌如理論』19がいうように、
縁って起った法だからですよ。
>どうして、業報輪廻転生なるものがありえようか。
ですから、『中論』26章と『縁起心論』。それから『中論』は縁起の還滅門ですよ。
煩悩に縁って業が起り、業に縁って苦が起り、苦に縁って煩悩が起り…(これが流転)だから、
業は自性が無く、四不生であり三時不去なのです(還滅)けど。17.29とかは、そういうこと。
>反対者(
>>899 )の論は単なる戯論であり、妄想でしかない。
君の↓の「凡人」です。
『空は誤解した凡人を害する。』(24-11)
『牟尼は説くのを躊躇した。凡人には空は理解しがたいことを思って。』(24-12)
>>905 君は反対者の偈も龍樹の偈も、ご都合主義でごちゃごちゃに混同して読んでいる。
やっぱり、君は↓の「凡人」です。
『空は誤解した凡人を害する。』(24-11)
『牟尼は説くのを躊躇した。凡人には空は理解しがたいことを思って。』(24-12)
907 :
神も仏も名無しさん :2010/01/02(土) 19:16:11 ID:2coZTGb7
>>906 >君は反対者の偈も龍樹の偈も、ご都合主義でごちゃごちゃに混同して読んでいる。
では、私は、どの偈とどの偈を混同しているのですかね。
ちなみに、「煩悩に縁って業が起り、業に縁って苦が起り、苦に縁って煩悩が起り…」
という箇所は、『縁起心論』3偈ですよ。17.1-20だと思ったの?
やっぱり、君は↓の「凡人」です。
『空は誤解した凡人を害する。』(24-11)
『牟尼は説くのを躊躇した。凡人には空は理解しがたいことを思って。』(24-12)
908 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/02(土) 19:25:48 ID:AI/3YfAk
>>904 >「これも大間違えですね。」
>「縁る」ことが「全くない」のに、「無自性なんでつか?」
縁において生起する。というのは、その関係性が成立する。って意ですね。
その関係性が五蘊になりますけど、
なにか具体的なもんが「縁る」ってことではない。
ただ関係性が生起するだけの話ですよ。
注意しておかねばならないのは、
龍樹は「自性ではない」という意味で「無自性」としているわけで、
自性ではない、の論拠でありさえすればいいわけです。
それよりも重要なのは、
縁において五蘊がある。という縁起を第一義にしておるとこに
中論のコアがあるんです。
つまり、
縁るのは、主体でも客体でもない。ってことですね。
縁って(勝義諦)、主客が分別(世俗諦)できる。です。
また、詳細は後ほど・・・
おやすみ。
909 :
神も仏も名無しさん :2010/01/03(日) 01:03:20 ID:gEEKWNz+
910 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/03(日) 07:54:42 ID:uJ+NlPv8
>>904 >「縁生・縁滅は仮の論法」と言い出すときの、「仮」の意味を「生半可」君は誤解してますよ。
初学者ために、ここは詳しく説明しときましょう。
縁生・縁滅ってのは、すなわち関係性(縁起)のことだよ。
関係性だから、それ自体が生起したり、また生滅したりはしない。
よって、縁生・縁滅自体に論理矛盾があるのは明らかですね。
例示をもって説明すると・・・
カラスが「カァ〜」っと鳴く。この鳴き声を五蘊がキャッチする。→これが関係性。
この段階では縁生・縁滅はない。
これより、「カァ〜」がカラスであることを認識する段階において、我(と時制)が発生する。
これが縁生・縁滅であるわけです。
つまり、
関係性がなければ我は生起しようがない。
しかし、我と言っても、我というのは関係性のことだから、我自体が生起しているわけではない。
だから、我の生起としたうえで「即生滅」と否定をする。
これが縁生・縁滅の本当の意味ですね。
つまり、「カァ〜」の前に自性があったのか?なかったのか?が最も重要でして、
龍樹は、ただ「それはない」と、言いたいだけなんでつよw
これで説一切有部の自性を論破すればいいわけですから。
911 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/03(日) 08:22:53 ID:uJ+NlPv8
>>904 >『勝義空性経』? 漢訳だけで、サムケータを見事に誤読した「生半可」な君が言うの?
第一義空経の国訳一切経阿含部ですね。
【抜粋】
諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。
前文を見事に否定してますね。
「是の如く眼は實には而かも生ぜず」の部分です。
実際、わたくしもこれには驚きました。
912 :
神も仏も名無しさん :2010/01/03(日) 12:15:20 ID:gK0+88fx
>>906 24-11は、輪廻を否定する君に相応しい。
>>901 のような珍説は単に二諦を理解してないだけだ。
「二諦の区別を知らないものは深い仏の教えを理解しない」と『中論』24-9が説くようにだ。
なぜなら、
>>901 のように輪廻が世俗で否定されるなら「行く」もなく「私」もなく、
一切の言語活動が否定され、因果関係も否定される断見を超えた全くの虚無主義になる。
そんなことを龍樹菩薩が主張していないのは、火を見るより明らかだろう。
さらに、以下の『因縁心論』『廻諍論』自註『中論』の輪廻の記述をどう解釈するのか?
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html しかし、断見仏教のような破綻した非論理を主張する人はいつまでたってもいなくならないね。
913 :
神も仏も名無しさん :2010/01/03(日) 12:19:18 ID:gK0+88fx
914 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/03(日) 14:06:21 ID:uJ+NlPv8
>>913 >机は、漢訳もちゃんと読むわけないでしょ。
いやいや、貴殿は貼りつけたURLにちゃんと書いてあるじゃ〜ないか?
ちゃんと読んでるか?
第一義空経においては、前文が世俗諦で後文が勝義諦になってる。
つまり、古典においてもちゃんと二諦の概念はあった。と
かように解釈して宜し。
つまり、
>しかし、断見仏教のような破綻した非論理を主張する人はいつまでたってもいなくならないね。
二諦であるから、断見・常見は世俗諦の話であって、勝義諦においては殆ど意味はなさない。
これは私が
>>910 で説明したとおり、ちゃんと説明がつく。
即ち、
無自性であるなら、既に断見・常見は意味をなさなくなる。
主体としての本性が寂滅するからだ。
無自性は、決定的に輪廻転生論を破壊してしまうのだ!
つまり、
龍樹というのは、その破壊の張本人なんですよ(笑
議論は専用スレで
916 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/04(月) 07:26:14 ID:1eO3d6US
では総括します。
輪廻肯定派の最大の欠陥が
>「二諦の区別を知らないものは深い仏の教えを理解しない」と『中論』24-9が説くようにだ。
>>912 とあるように、勝義諦というのが全く無理解になってるとこだ。
勝義諦というのが推測の域を脱していない。
「たぶん勝義諦というのは・・・こういうことなんだろう?」とかの先入観が先ずありき。
これでは中論解釈は無理ってもんです。
中論は、先ず勝義諦を完全にマスターしませんと、その解釈は無理です。
つまり、中論から帰納法的に悟入に到る。ってのは所詮無理な話です。
>>912 >輪廻が世俗で否定されるなら「行く」もなく「私」もなく、
>一切の言語活動が否定され、因果関係も否定される断見を超えた全くの虚無主義になる。
これこそが単なる世俗諦の解釈。
そこに輪廻転生をプラスしたとしても、それは世俗の話。
いくら頑張っても、輪廻転生観念に苦しむだけです。
質問箱で机にレスすんなよw お砂場スレ立てて、そっちで好きなだけ妄想させときゃいいだろ
918 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/04(月) 19:54:54 ID:1eO3d6US
>>917 妄想ではない。
>従空無我我所煩悩業五種因、還生空無我我所假立七種苦果之法。
>彼即無我我所、彼此互無我我所。
>雖然、従自性無我法、還生自性無我法、應知。
これはどういうことが書かれているか?ってぇと・・・
我の生起と同時に時制が発生する。ってことだよ。
良い事を思い出したり、悪いことを思い出したり・・・
それを全部ひっくるめて、煩悩&業ということになる。
この現象は五蘊と言われるものだが、五蘊皆空であって、空である。
ということが書かれてあって、
刹那ではあるけど、そこに有時が発生する。ってことだよ。
この有時を、つまり従自性とかいてある。
つまり、カァ〜とカラスの声を聞くと、幼き頃を思い出したり、
また、それに伴い死んだ先のことを心配したりすることもある。
ってことだけど、幼き頃も輪廻転生も刹那の空に過ぎん。
って書いてある。
919 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/05(火) 07:51:11 ID:Sp84ubwb
>>912 >さらに、以下の『因縁心論』『廻諍論』自註『中論』の輪廻の記述をどう解釈するのか?
>
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html つまり、因縁心論は中論におけるオマケであって、煩悩・業において言及してる部分であります。
実際、道元も中論には傾倒してましたから、正法眼蔵においても全く同じ記述があります。
道元のオマケの部分は「素読でよい」と前置きしてから論が展開します。
なんでこのうように前置きするのか?てぇと・・・
つまり誤読しやすい部分だからです。
道元の三時業と、龍樹の因縁心論は殆ど同じ内容です。
さすが道元ですよね。
改めて道元を評価したい心境です。
禅師の中でもピカイチで頭が切れるらしいですから・・・。
>>917 縁起馬鹿一代
>質問箱で机にレスすんなよ
あまりにも哀れなので、一言だけ。
空気嫁ず、自己中でノー天気な奴だ、まさに裸のスコラ部派教徒だな。
批判済みで、スルーされているのはお前だよ(爆笑
『縁起一代よ。あなたは(自分のオカルトスコラ部派)教義にもとづいて尋ね求めるものだから、
執著したことがらについて迷妄に陥ったのです。あなたはこの(内心の平安)について微かな
想いをさえもいだいていない。だから、あなたは(わたしの説を)『ばかばかしい』とみなすのです。』
(スッタニパータ841改)
あなたのこの2ちゃんねるでの当り散らしぶりをみれば、あなたが道の人ではないことは明白です。
>輪廻を否定する君に相応しい
批判すれども、否定せず。
戯論派(ケロンパ)と同じ土俵には乗らないのです。
思い出したことがあるので質問。 なんか編笠かぶった坊さんみたいなのが数十人、 大声で読経みたいなのしながら 各家の前を走り回ってるのに遭遇したことあるんだけど、アレは何? 野太い声が辺り一帯朗々としててなんかすごい絵だったんだけど
922 :
神も仏も名無しさん :2010/01/05(火) 22:29:49 ID:3pz6xgBp
>>921 それは虚無僧といわれる普化宗でしょう。
普化宗は、完全な詐欺教団で、今で言えば大川興業みたいなものです。
>>920 >917 はオイラじゃないんだが、しかし、君も酷いね。机・生命常識教と良い勝負。
ラウンジクラッシックに避難所を建てました。
一応、浅知恵でテンプレ作ってみましたが、厳守事項ではありません。参考として参照してくださいw
(ただ、特定コテ(或いは特定スレ住人)の占有スレになる(見えてしまう?)のは避けたいと思いました。)
【@規制】心と宗教板避難所総合【@鯖落】
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1262698032/ ────────────
このレスも代行して頂いてるので、
心ある方、必要だと感じた方は、めぼしいスレに宣伝宜しくお願いします。
※(尤も、2ch自体「終焉、落日の頃合」wという噂があったりなかったりするが・・・w)
>>923 乙です。
わたくしは、中論について語ちてきましたけど、
中論といふのは、語ちれば語ちる程に論理矛盾に陥ってきます。
つまり、法からドンドン遠ざかり最終的には訳の分らん方向性に逝く場合もございます。
これは龍樹と暗黙の了承を得る以外にないんですね。
しかし、これじゃ〜納得のいかない御仁も多々あるでしょう?
語ちりたい。机とどうしても語ちりたい。というのであれば、
わたくしは語ちる用意はあります。
しかし中論は非常に難解です。
つうか、あまりにも簡単過ぎて・・・衆生は理解し難いのです><
中道とは、そういった一種特異性がございます。
関心のあるかたは、当該スレッドに書き込みしてください。
わたくしも共に学びとう御座います。
(かしこ)
925 :
921 :2010/01/06(水) 12:40:59 ID:xCdVV7xa
>>922 こむそーつったら一人で尺八吹いてるのかと思ってた
ありがとうー
>>922 >>925 禅宗の托鉢も、似たような形をとることはある。
皆が皆、詐欺集団だと思わないことだ。
(もっとも、「追いついたり」「集合したり」等必要な場面以外は走らないし、
ましてや、『走りながら声出して托鉢』ということはあり得ないが・・・w)
927 :
神も仏も名無しさん :2010/01/07(木) 09:17:20 ID:KTPsV9/U
しかし、このスレは知識馬鹿机と中観仏教スレ知識傲慢君414とで世界が動いている様だなあ
928 :
神も仏も名無しさん :2010/01/07(木) 10:27:34 ID:ft2wi1Cb
基本的に仏教は女性のセックスについてどの様な考えなのですか
929 :
神も仏も名無しさん :2010/01/07(木) 10:44:24 ID:B7J28M/K
>>928 どういう意味でしょう? 基本的にあらゆる活動は妄想ですね。
女性の絶頂は男性の9倍で ほんとに逝くと異次元まで飛ぶらしいぞ。 おれはそんな仕事はできんがな。
仏道も、女道も、極道も、道を極めるのは皆同じ。
>>930 氏が言うように、
私はそんなに女にサーヴィスするのは疲れる^_^;
そんなにイイんなら、 オンナにとっては、妄想のほうがいいのだろう。 涅槃よりエッチや! オンナが素朴実在論的リアリストであるのは当然だ。
質問の仕方が悪かったですね。 仏教徒の風俗嬢は問題無いのですか?仏法的に、教義的に。 それも経済的理由ではなく、好んでその仕事をしているような場合。
934 :
神も仏も名無しさん :2010/01/08(金) 20:16:03 ID:SHGCjLHk
>>933 自分の欲望でやってる場合よくないです。
>>933 仏教徒としては、(→三宝に帰依し五戒を守ることを旨とするならば)、良くないでしょうね。
ま、だからといって、それで全てがオジャンになる(完全悪と認定される)ことはありませんが・・。
「懺悔」という便利な概念もあるw
※(肉魚を毎日食べる或いは狩猟する等(『→殺生』)、世俗で生きるということと、
原理主義的禁忌との間には、齟齬が生ぜざるを得ない。)
※(だから仏教では、「出家と在家」というニ軸を立てる。)
「心の荷物となり得る」「”悪”業として縁を結ぶ可能性がある」行為として、
(懺悔文で、悔い、省みられるようなものとしての)「罪」とは言えるだろうが、
おそらく ≪『悪』ではない≫ 。
(周囲の(身近な)人間との関係性を絡めると「悪」認定せざるを得ないかもしれない。)
広く『仏法』としてなら上記のような位置付けとなろう。教義的には、何もない。
教義は「比丘(比丘尼)にとってのもの」であり、在家がそれに縛られることはない。
当人が「仏道(のど真ん中)を歩」まない限りに於いては、
仏法として「不善」であろう。教義としては「善でも不善でもな」かろう。
当人が「仏道(のど真ん中)を歩む」ならば、
仏法として「悪」であろう。教義としては「不善」であろう。
当人が出家者としてあろうとするならば、
仏法として「悪」であろう。教義としても「悪」であろう。
風俗嬢に石を投げつけられるほどの 善人ならば投げつければよかろう。 つまり質問自体が愚かである、ということだ。 ヨシュアならそういうだろうな。
世俗人間は、所詮ははイロとヨクですわw イロとヨクに善悪なんかない。 これこれって義務教育できちんと教えとかんとあかんのに、教えよらん。 だって、学校教師が習ってないし、わからんし、コントロールもできん。 だから、現状教育は表層知識と受験テクニックおよび体育系になってしまう。 簡単だモン。 問題は、これから先にあることを、誰も指摘しない。
938 :
神も仏も名無しさん :2010/01/08(金) 23:29:07 ID:JUE59Nec
性欲を発しようが、労働意欲を発しようが、優しさを発しようが、 それがその時に対応していたのなら、なんの問題もない。 と思う。
939 :
神も仏も名無しさん :2010/01/09(土) 04:05:13 ID:2V+aMNe8
>>933 宗派によって違う
教義的にいえば、好んでその仕事をしていようが、
苦労して働いているのであればジャンルを問わず許される
厳しい宗派もあるが
941 :
神も仏も名無しさん :2010/01/09(土) 05:25:43 ID:2V+aMNe8
>>940 >苦労して働いているのであればジャンルを問わず許される
どういう論理? どの宗派が言ってるの?
>>933 >仏教徒の風俗嬢は問題無いのですか?仏法的に、教義的に。
教義的には、職業の貴賎とか、純・不純とかの概念は全く問題はないです。
しかしながら、そういったことで悩むのであれば・・・それが問題です。
人間というのは、どんな偉い覚者であっても純粋には生きられない。
また純粋に生きるほど窮屈なことはない。
ある程度の不純があってこそ人生は楽しい。
無可無不可。
943 :
神も仏も名無しさん :2010/01/09(土) 08:45:40 ID:2V+aMNe8
>>942 この人は自分の妄想を仏教として騙る人で有名です。真に受けないように。
>仏教徒の風俗嬢は問題無いのですか?仏法的に、教義的に。 間違っても風俗してるからといって死刑にしたりはしません。 聖書は根本的に間違ってる人命軽視の本ですよ。仏教は優しいし現代的に見て常識的だと思います。
>>942 コイツはいつになったら
まっとうな凡夫になれるのだろう・・・
946 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 05:22:33 ID:VoGvO1BW
>>945 十回ぐらい生まれ変わったらなれるかな?
947 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/10(日) 07:24:54 ID:AcKGKzEX
>>943 >この人は自分の妄想を仏教として騙る人で有名です。
妄想とは違いますね。
難しく言えば、説似一物即不中ということになりますでしょうか?
俗な言い方をしますと、
「水清ければ魚棲まず」ということでしょうか?
もっと簡単に言いますと、因縁心論であっても不昧であります。
中道ですから、囚われず。でありますね。
簡単に言いますと。
948 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 12:12:38 ID:K1HDKzrm
竜樹の「縁起・中道・空(相互依存性・関係性)」を「因果関係」と誤解している仏教者 が多いのではないか。「因果関係」は、「一方的依存」であり、「相互依存」ではない。 「因果関係」では、「因」と「果」とが実体であることを前提とするから、「空」は成立しない。 従って、釈迦の「これがあるから、あれがある」は、因果関係に過ぎず、空は成立しない。 「これもあれもあるから、あれもこれもある」でなければならない。
949 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/10(日) 12:44:19 ID:AcKGKzEX
>>948 >竜樹の「縁起・中道・空(相互依存性・関係性)」を「因果関係」と誤解している仏教者
>が多いのではないか
それは因縁心論を誤読する御仁くらいなもんで、
相依性と因果は全く別もん。というのは定石です。
>従って、釈迦の「これがあるから、あれがある」は、因果関係に過ぎず
いやいや、これは因果とは違いますね。
全くの別もんです。
相依性は勝義諦でありまして、
因果は属性であります。
(つまり世俗諦です)
何故かと言いますと、勝義諦に時制はありませんです。
(不去不来ですから)
950 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 16:59:09 ID:kPjyIv2Z
仏教がなぜ哲学。それも仏教哲学と呼ばれる場合があるのか? それは簡単なことだ。 答えが出ないから。どこまで考えても辿り着かない。 キリスト教でいうところの確信が無い。 それでは西洋哲学でいうところの理性までも辿り着かない。 永遠に真理の探究をするして死ぬしかない。 しかもそれは科学的態度に立たないから、さらに悲壮感漂う。
951 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/10(日) 17:17:20 ID:ydduXfD/
>950 なぜ、仏教哲学と言われるか? それだけの論理体系が構築されているからだ。 腐れヤソの様に、妄執を受け入れなければ地獄に落ちるなどという愚昧なカルトとの違いだな。(笑)
952 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 17:30:02 ID:kPjyIv2Z
ほら。またそうやって多くの論理体系が内包されているとかのたまう。 仏教がおかしいのは言葉遊びを言葉遊びと認識できず、 また仏教と哲学の区切りを明確に出来ないところ。 科学と宗教の境を一体どこで区切るのか? 欧米哲学ではすでに通過しているのに、それすらまだできていないのが 明確な誤りであり、大きな勘違いとも言える。
953 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/10(日) 17:48:41 ID:ydduXfD/
>952 内容を理解すら出来ずに、 (神前提で)語り得ぬ事には沈黙しなければならない なんてヘタレを上位概念にしてる時点で、既に求道から外れている事にすら気付かないんだから、 これ以上の議論も無駄だろう♪(笑)
954 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 18:01:21 ID:kPjyIv2Z
>>953 宗教の根底にあるのはどれもみな同じで、信じるという大前提に
拠って成り立つ。なぜなら実証も反証も不可能だからだ。
それゆえに科学ではなく、また哲学でもない。
と言いたい所だが、宗教に拠るならば、信者間にのみ通用する
人生哲学のようなマイ哲学を閉じた世界で語ることはできる。
だがそこには何の証明もない。ただ自分はそう信じるという事実だけがある。
それが語りえぬという意味であり、宗教の実体ではないか。
その態度にも立てない仏教は自分達をまさに仏という神にまで
位置づけようとする高慢極まりない態度であり、知らないことを
知っているかのように語る、人を欺く行為ではないか。
自分達が知っていると思っていることについて
何の証拠も無いのならば、まず信じるしかないと真摯な態度で臨むべきだろう。
その中で信者達に仏教的な哲学、すなわち人生論、処世術、方法論を説いていれば良い。
キリスト教も仏教も根底はそこに位置するのに、あまり天狗になるなと
俺は言いたいだけだ。
955 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/10(日) 18:16:55 ID:ydduXfD/
腐れヤソが何を言うか。 異文化を蹂躙し、信を強制し、神々を滅ぼしたカルトの分際で、 よくも高慢だの真摯だのと言えたものだ。 だいたい、自分達だけが正しい宗教で楽園に入れるってなら、異教徒に関わるな。 勝手に化物の王国に生まれ変わればイイ話だ。(笑)
956 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 18:24:59 ID:kPjyIv2Z
笑わせるな。ヒンズー教徒もイスラム教徒と衝突しとるだろうが。 過去の歴史的な事件を引き合いに出して貶めにかかるとは詭弁も 甚だしい。 自分の受け入れられない、知りもしないことをただ拒絶するのではなく 互いに宗教という立場を弁えて行動するべきだと言ってるのが 理解できないのか? 特に仏教徒はその立場をまだこの時代にあっても理解できていない ようだから忠告したまでだ。
>>955 承狂行者
非礼わ詫びるからw
おながいだから隠居をクリスチャン扱いしないでwwwwww
>>955 承狂行者
非礼わ詫びるからw
おながいだから隠居をクリスチャン扱いしないでwwwwww
959 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/10(日) 18:38:27 ID:ydduXfD/
>956 先ずは自分達の足元を正視しろ。 >957 (^。^)偽善者で排他的。立派なヤソじゃないかね?
960 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 18:43:15 ID:kPjyIv2Z
>>959 ああ。俺はこのスレに数年ぶりに来たから、変なキリスト教徒が
腹の立つことを言ったなら、何の意味もないが代わりに謝罪しよう。
俺も言いたい事をスパっと言っただけだから、金輪際関わってくるなとまで
も言っていない。
これからも誰かの発言で腹の立つことがあれば、キリスト教スレに突っ込めばいい。
じゃあ俺からははもうこれで終わりにしよう。
961 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/10(日) 18:49:01 ID:ydduXfD/
>960 謝罪は必要ありませんし、もし、非礼があったなら詫びよう。 m(_ _)m だが、キリスト教のみが正しいとか、真理などという言動には今後も厳に抗議する。
962 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 19:21:50 ID:5E6Gn4UG
>>948 >竜樹の「縁起・中道・空(相互依存性・関係性)」を「因果関係」
>と誤解している仏教者が多いのではないか。
貴方こそが誤解してます。可逆的「相互依存」は「縁起・中道・空」ではありません。
ナーガールジュナにおける「縁起」の何たるかは、先ず、
『pratItyasamutpAda(縁起)-hRdaya(心髄・精髄)(縁起の心髄・精髄、縁起心論)』
を精読しましょう。
>「因果関係」は、「一方的依存」であり、「相互依存」ではない。
可逆的「相互依存」というのは、四生中の共生の亜種でしかありません。
そういうのは、ナーガールジュナ自身が論破しているのです。
>「因果関係」では、「因」と「果」とが実体であることを前提とするから、「空」は成立しない。
>従って、釈迦の「これがあるから、あれがある」は、因果関係に過ぎず、空は成立しない。
誤解です。『中論』24章詳述されるように、因も果も必ず空です。
故に、「空法から空法が生ずる(『縁起心論』4偈)」とされます。
また、これが、不生不滅の意味(『縁起心論』5偈参照)であり、
勝義(『空性七十論』68-69、
>>903 )なのです。
963 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 21:07:03 ID:VoGvO1BW
>>948 相互依存というのは月称菩薩の見解でしょう。
>>962 さんがいうことがもっとも。違うというなら、典拠を示して反証してくださいな。
964 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 23:00:46 ID:lweZqoJA
>>962 相互依存(関係性)は、常に変化している状態だから、可逆的も不可逆的も
ないと思う。可逆的相互依存がないのなら、それは固定した実体であり、空
にはならない。但し、時間的要素を一切排除すれば別だが。
相互依存では、いずれが因であるか、果であるかの区別が出来ないからこそ、
空なのである。
「これがあるから、あれがある」では、因果関係との区別がつかないので、
妥当ではない。
965 :
神も仏も名無しさん :2010/01/10(日) 23:29:03 ID:VoGvO1BW
>>964 あなたの意見じゃなくて、龍樹菩薩の縁起が問題なんだけど?
966 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/11(月) 07:44:45 ID:SQ71UQKe
>>964 「これがあるから、あれがある」というのは識別のことですね。
識別以前が空です。
ですからこれはあくまでも世俗諦としての解釈であります。
因果もまさにこの派生であります。
「生あるものは必ず死す」。というのも、
これは人間の経験則における知識でありますが、
知識と法とは全く別問題ですね。
法は必然性がないのです。
故に、
>相互依存(関係性)は、常に変化している状態だから
関係性は変化をすることはない。
<机龍之介・花押>
967 :
無明 :2010/01/11(月) 12:20:44 ID:P06++m3p
初歩の質問です。 掲示板で、曹洞宗での葬式において、49日過ぎると、大日如来になる、という人がいました。 それは、いくらなんでも、間違っていると私は思うのですが、だれも訂正しません。どうなのでしょうか?お尋ね します
968 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/11(月) 12:36:23 ID:SQ71UQKe
人間が生誕する(原因)があるから、 必ず人間は死ぬ(結果)がある。とは仏教は捉えていませんです。 因果はあくまでも世俗の話です。 何故なら、関係性は変化することはないからです。 この不変の法こそ、いわゆる空などと言っておるんです。 ですから、まあ、あまり難しく考えることはないです。 考えれば考える程に、法は遠のく。 悟りといふ鳥は、捕まえようとすると逃げる。 <机龍之介・花押>
969 :
与太郎 :2010/01/11(月) 12:38:42 ID:fJ4yGBfk
素人(凡人)の私がこのスレを見ていると、「もっと簡単に言いますと・・」で 尚更解からなく説明されている。ボンクラの私にでも解かる平たな説明はできない ものですか?まるで知者(痴者?)のマスタべーションの場としか思えない。 このスレのraison d’etreがよう解からない。
970 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/11(月) 12:46:13 ID:SQ71UQKe
>>967 禅宗で大日如来ってのは、そもそもオカシイですねw
でも、曹洞宗においての「在家向けの話」ですから、
そう本気にすることもないです。
これをいろいろと突っ込んでしまいますと、坊主の方が困ってしまいますので、
あまり坊主をイジメないでくださいまし><
971 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/11(月) 12:53:49 ID:SQ71UQKe
>>969 私は、書き込みの程度においてレスポンスも違ってきます。
誠意のある質問でしたら、それなりの回答はします。
今までの経緯(流れ)を、どうか吟味の程を・・・
972 :
神も仏も名無しさん :2010/01/11(月) 13:11:15 ID:BIOAPF1K
>>967 間違ってます。ただし方便として遺族を慰めるためならありでしょう。
973 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/11(月) 13:32:01 ID:SQ71UQKe
>人間が生誕する(原因)があるから、 >必ず人間は死ぬ(結果)がある。とは仏教は捉えていませんです。 この書き込みは、龍樹の中論を根本としたものですけど、 三世実有論などの有部とは、また考えが違ってきます。 了承の程を・・・
974 :
与太郎 :2010/01/11(月) 13:57:52 ID:fJ4yGBfk
>>971 >>969 と970の問答を聞いても世間常識の枠にとらわれているだけ。
こんな問答が何か意味があるの?
これなどは、本来の佛教を放り投げ、葬式仏教に安住してきたエビデンスでは?
慈悲と智慧の欠片もない説明は乾屎橛。縦入乳虎隊 勿践名利路
975 :
無明 :2010/01/11(月) 14:46:52 ID:yv3SDdPt
a
976 :
神も仏も名無しさん :2010/01/11(月) 15:01:43 ID:Bu1AOWBr
i
977 :
神も仏も名無しさん :2010/01/11(月) 15:20:00 ID:BIOAPF1K
love all.
978 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/11(月) 15:43:24 ID:SQ71UQKe
>>974 与太郎さん
>これなどは、本来の佛教を放り投げ
正法眼蔵の三時業ですら、坊主でも誤読しやすい。
(同和問題も、この延長線)
この道元の本義を、市井の人間に全て理解してもらうのは殆ど不可です。
よって、
どうにか世俗と馴れ合う。
ってのも、まあ、世俗智ということで仕方がないんじゃないですか?
坊主の肩を持つ訳じゃありませんけど・・・
仏教の知識は人並み以下のド素人です。 極楽浄土にゆくことと解脱することは別なのでしょうか? それならば解脱した先はどこに進んで何をするのですか? よろしくお願いします。
980 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/11(月) 19:41:35 ID:SQ71UQKe
>>979 極楽浄土といいますのは、阿弥陀如来の信の心を頂戴する。
といふことであります。
信の心とは、つまり疑が失せる。といふことであります。
疑なくば現世において極楽浄土到達であります。
解脱といふのも、また同じことであります。
しかしこれは、疑をもって到達する道筋であります。
道筋こそ違いなれど、両者とも仏教本懐に到ること必定なり。
>それならば解脱した先はどこに進んで何をするのですか?
すべてこの迷いは氷解します。
即ち、解脱した先は無であります。
981 :
神も仏も名無しさん :2010/01/11(月) 20:29:17 ID:BIOAPF1K
>>979 >極楽浄土にゆくことと解脱することは別なのでしょうか?
別です。 修行しやすい環境に転生することが浄土往生です。
>それならば解脱した先はどこに進んで何をするのですか?
輪廻から解脱して涅槃寂静の境地と言われますが、
解脱したなら何かとは問えないものです。
何かと言えない境地です。
これが如来の死後の無記に他なりません。
982 :
神も仏も名無しさん :2010/01/12(火) 20:43:36 ID:8+v8GS//
>>980-981 あなたたち2人は悟っているのかもしれませんけど、
それを言葉にして悟ってない人に説明するということは、
逆にその人を迷わせることになりませんか?
それとも悟りというのは文字にすれば、なんの修行も経ていない相手にも伝わるものなんですか?
私はあなたたち2人の言ってること、どちらが正しいのか判別することすら出来ません。
983 :
神も仏も名無しさん :2010/01/12(火) 21:10:17 ID:XdSn1Z+o
>>982 私は伝統的な説をお伝えしているだけです。
悟りではなく、そこへ至る道筋を説いているつもりです。
なかなか理解するのは難しいと思います。
なぜなら、問いが難しいからです。
素朴実在論的な思考法に馴染んでいる限り、ここらへん、
つまり、縁起・無我・空あたりを論理的に理解することだけでも難しいものです。
机さんが何も分かってないシッタカであることは確信しています。
それは過去ログを見れば分かります。
>>983 ツクエをまな板に乗っける事自体
大きな過ちだと思うが如何か?
985 :
神も仏も名無しさん :2010/01/13(水) 05:55:22 ID:C29hHp0C
>>984 もちろんそうですが、机さんが何も分かってないのにここで自信たっぷりに書き続けてるから、
始めてここを観た人はそんなこと分からないでしょう。
彼が知らないのに、しかも何度も誤解・無知・妄想を指摘されても書き続けるからです。
後で後悔するでしょうが、仕方ありません。
986 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/13(水) 07:48:33 ID:0flARqxV
>>982 私の書き込みは、
信の心をもつことと、
また、疑の心をもつことしか書かれてません。
そして結論は「無」を書いている。
全く矛盾したことは書いてないですね。
最後は自らが釈尊本懐に到達する以外にはない。
他力は「信」です。
自力は「疑」です。
987 :
ネ申 :2010/01/13(水) 09:42:19 ID:VwykrDuA
真空感 真空官 魑魅魍魎 苦を経て楽を知り道に入るのは花 苦に縁りて楽を知らぬ道には雑草 嵐が吹けば花びらが散り 草はなびいて方向転換す 神経がなければ伝達できず 感性がなければ共感できず 知識すなわち正見ではなく 懐疑すなわち正思ではない 正体は経験不足 心技体の技だけ得ようとするがオタクの正体 結論なき所に結論を持ちたがる愚かさは若さ 花咲けぬ 哀愁漂う 未練花 苦苦八十一難 このスレはお花畑なので嬉しいレス
988 :
ネ申 :2010/01/13(水) 10:03:12 ID:VwykrDuA
愚かさも若さの勲章 素質はあるが道を歩かず 苦苦に依れば難を迎える 自我に依る慈悲深き未練 大我を得て歩きだせば良 悲哀に捉われて止まる縁 さらに立ち塞がる未経験 春が来たら咲かせるだろうか 思い切って飛び込めないか この世を呪う栄養不足 ならば根を延ばしせば 届くだろうか咲くだろうか 咲いてもそれは未練花
>>987 貴兄のコテは好かぬが
ご自分の胆で書いたのなら
すばらしいですな。
含蓄に富んで居ります。
どこぞの花王石鹸ヤローには
わからぬでしょうな。
花王石鹸自体はわたしも愛用しております(冷や汗)
>>983 >>986 そんな説明のされ方をしても、私にはそれが正解なのかわかりません。
道元禅師「正法眼蔵」や親鸞聖人「歎異抄」を読むと、
バカな私なりに感動共感するところもあるのですが、
あなた方二人のレスは理屈を言っているだけで人を迷わせるものにしか思えません。
バカな人間をも救うのが仏法の道かと思いますので、どうか私の意見も心において考えてみてください。
992 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/13(水) 13:35:58 ID:Xt6ai1kU
やっぱりこのスレは乾屎橛。閉店、閉店。
993 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/13(水) 13:56:11 ID:0flARqxV
>>991 釈尊の本懐とは四諦です。
「四諦」で検索してください。
>それならば解脱した先はどこに進んで何をするのですか?
解脱した先といふのは、
般若心経に書かれております「無苦集滅道」です。
即ち、基本的には「無」であります。
私はこれ以上のことは知りませんです。
また、これが基本的なものと解釈してます。
後は個人の裁量です。
他に付与するものがあるのでしたら、全て個人に委ねられます。
>>993 「四諦」「無苦集滅道」「無」にしても、
言葉の上で理解しているのと、体得しているのとでは違うと思うのです。
私が言いたいのはこのことです。
995 :
神も仏も名無しさん :2010/01/13(水) 14:12:28 ID:C29hHp0C
>>994 そうですよ。四諦も三昧中に観察しないと本当の効果はないです。
ですが、ここでそんなこと言って意味あるでしょうか?
相手が帰依した信ある弟子で、自分がある程度の境地に達していて
面と向かってなら、本質的なことが伝わるかもしれませんが、
ここで不特定多数のわけのわからない人を相手に文字だけで伝えられるのは、
テキストの論理ぐらいだと思います。
それ以上を求めるなら、現実でちゃんとした師を捜すのがいいと思いますよん。
996 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/01/13(水) 14:15:53 ID:0flARqxV
>>994 「無」といふのは難しいですよね。
全否定の意味もありますでしょうし、
また、全肯定の意味もありますでしょうし・・・
この双方を同時に兼ね備える意味もありますでしょうし・・・
仏教の「無」とは、最後の後者です。
これもまた解釈は至難ですよね。
997 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/13(水) 17:26:38 ID:2kQejzCJ
まぁ、机ってのは、質問箱で妄執を撒き散らして荒らすのが楽しいって人なんだから、 笑って見てればイイんとちゃいますの?(笑) (^。^)所詮は2ちゃんなんだから♪(笑)
998 :
神も仏も名無しさん :2010/01/13(水) 18:17:33 ID:5/XIOF8Z
仏弟子の方、次スレ作って下さい。
999 :
神も仏も名無しさん :2010/01/13(水) 18:28:35 ID:5/XIOF8Z
誰も取らないなら、俺が千を貰っとこう♪
1001 :
1001 :
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