1 :
神も仏も名無しさん :
2009/09/07(月) 19:22:57 ID:+CDanLXw
4 :
神も仏も名無しさん :2009/09/07(月) 22:19:54 ID:L5YezuKR
あ、前スレより下がってんのかwww age
5 :
析空 :2009/09/08(火) 06:55:51 ID:LxWOVfhw
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート21
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228643678/ 前スレ>997
前世のAさんと再生したaさんは別人ですが、因果関係が連続していること
については、例えていえば、子供の時の貴方と現在の貴方は同一人物かどうか、
と考えてみてください。
別人ですが、子供の時の貴方がいなければ、現在の貴方はいません。
別な例えでいえば、マンゴーの種を植えて、20年後、マンゴーの実が成ったとします。
マンゴーの種とマンゴーの実は別物ですが、相互に依存しています。
このように、Aさんが因となってaさんとして再生するのです。
6 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 08:29:32 ID:iag+KjHH
>>5 >子供の時の自分と現在の自分を繋ぐ同一性は、様々な要素により可能性が絞り込まれている。
夜寝て朝起きる、この時、
なぜ人は「(はっきりした意識を失い、その連続性が断たれているのに)、同じ自分として認識し、生活するんだ?」
三世に跨った時、このような連続性を『自覚』できるのか?
この自覚が、輪廻を恐れ、悪を為さない倫理的動機として作用するんじゃないのか?
また、実は、もう一つ問題がある。
君がまさしく「 >子供の時の貴方と現在の貴方は 」と、
《自覚を、主観的認識を》問うているように、本来は、それのみであるべきではないのか?と。
最初の問いの立てられ方は、《「自分が」ではなく!》、
《第三者であるAさんについて、外から見てその同一性を問う形になっている》。
《最初の問いは、客観的に見た同一性が問われている》ということだ。
本当は、ここも区別しなければならない。(貴方は、図らずも
>>5 に於いて混ぜてしまったが・・・。)
5で言われている連続性は、『自覚』とは無縁だ。
5のような連続性に、どのようにして倫理的役割を担わせるのか?
7 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 08:58:00 ID:ucrNMYHU
>>5 前スレの974ですが、まずあなたは、子供のときの自分と現在
の自分は「別人物」としていますが、何をもって「別人物」と定義
しているのか、あいまいです。
さて本論にいきますが、私の指摘も
>>6 の旧7さんのいってることと
ほぼ同じです。
子供の自分と大人の自分は、「空間的連続性」および「記憶の連鎖」
により、その関係性は認知されます。しかし、
前世のAさんと生まれ変わりのaさんとの間には、その両方が欠落して
います。この場合に、「何によって」 Aさんの生まれ変わりがaさんで
あると認識できるのか? そこが問題なわけです。
縁起によって、aさんがAさんの生まれ変わりであると担保されると
言っても、「何故そう言えるのか?」の説明を欠いていたら何も言ってない
のと変わりません。
『何故、Aさんからaさんへの1対1対応が縁起によって保障されるのか?』
そこの説明が欠落しているかぎり、これは論としては成立せず、
信仰の範疇に留まるものに過ぎないように思われるのですが。
8 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 12:56:27 ID:ih9gjkRb
生まれかわりという表現がややこしいのかも。 心が存続していて、その心は、常に執着の対象、 つまりはオモチャを求めている。 今のオモチャが死んで壊れるまでは、今のオモチャで遊んでいる。 まぁ、リカちゃん人形になりきって遊んでるみたいに。 で、あるときに、リカちゃん人形が壊れて死んでしまう。 すると心は、すぐに新しいオモチャを探しだす。 それが、そのときに新しく製造されたジェニーちゃん人形とか。 リカちゃん人形が壊れたから、心という子供が、 新しいジェニーちゃん人形で遊ぶことにした。 リカちゃんになりきって遊んでいた心が、 リカちゃん人形を捨てて、 次はジェニーちゃんになりきって遊びだす。 遊び道具を失いたくないから、次のオモチャをみつける。
9 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 14:52:36 ID:I0Y1vhlT
>>5 Aに縁ってaが起るとき、両者は、多義ではありません。また、一義でもありません。
一義や多義では、縁起ではないからです。
したがって、「別人」とするのは適当ではないと思います。
10 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 15:50:36 ID:ucrNMYHU
>>8 残念ながら、そのお話に出てくる「心」は表現を変えているだけで
やはり「魂」「霊」と何ら変わるところはありません。
スマさんあたりが、よくそのような表現を用いますが、その属性を
「実体がない」「無常である」から、魂や霊などとは異なると解説しても
基体を設定してることに変わりはありません。
例えばあなたのお話の「心」を「実体の無い魂」という語に置き換えても
全く不都合が起こらないことからも明らかです。
11 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 15:54:09 ID:ucrNMYHU
>>9 >Aに縁ってaが起るとき、両者は、多義ではありません。また、一義でもありません。
一義や多義では、縁起ではないからです。
したがって、「別人」とするのは適当ではないと思います。
これも、よくわかりませんでした。
一義でもないし、また、多義でもない? それでは、何なのでしょう?
また、縁起により、どのようにして Aさん→aさん の1対1対応が
起きるのでしょうか?
12 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:09:31 ID:/zWotsTQ
輪廻転生は霊魂の否定から入らないと仏教は外道化する。 特に近世には仏教が精霊を相手にする宗教であるかのような誤解が定着し 寺院と僧俗は大いに屈折した。 識は、因・縁・果・報の弛まぬ流れに変化し続ける現象を呼ぶ。 「眼」がある(眼根)のではなく、 「色」がある(色境)のではなく、 両者の無常の中での関係(眼識)があるにすぎない。 「耳」がある(耳根)のではなく、 「声」がある(声境)のではなく、 両者の無常の中での関係があるにすぎない。 以下、「鼻・舌・身・意」と「香・味・触・法」の「根」と「境」も、 所詮は、因・縁・果・報の善悪の法則にしたがい、 理の秩序をもって苦と楽とを「自己」としたり「他者」としたりしていくのである。
13 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:19:42 ID:/zWotsTQ
なんの原因の無い事物はあらえない。 なんの結果もなく断絶する消滅もない。 これは科学の基本である。 今、「自我」を感じるその心身に受けて その息をしているそこの時間と空間とにあるかの如きは 原因があって結果となりその結果が同時に次の結果の原因・・・という延々とした因果の流れに苦だの楽だのを分別しているにすぎない。 輪廻転生の話に、心身の奥底に不変不滅のモノ(霊や魂など)などを 自我の本質であるかのように仮定してはならない。
14 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:29:05 ID:/zWotsTQ
善因は善果を結ぶ。 悪因は悪果を結ぶ。 これが因果律の基本であるが、 善因を積んでいる者も油断すれば力の強い悪縁に触れて悪果に陥る。 悪因を積んでいる者も力の強い善縁のおかげで慚愧の心が芽生え 懺悔の道に入り善果を得る恵みにあずかる。 修行し続ける心身が作仏(さぶつ)の相であり、 衆生は性(しょう)としてはすでに仏と不二である。 仏法は、 修行の結果で心身が何か全く別に変化してスーパーマンになるような教えではない。
15 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 20:55:49 ID:4Zy4zW6S
>>14 それだと戒定慧解脱の戒だけで、全く『梵網経』で凡夫が仏教をどうみるかになっちゃいますね。
現代人の仏教観は定と解脱が抜け落ちてて、ほとんど戒だけで、
慧はただの観念的スローガンみたいなものになっちゃってるんですよね。
今、修羅界にいます。至る所敵だらけ。先手必勝、喰うか喰われるか?
17 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:12:55 ID:4Zy4zW6S
>>16 そこで、無我や慈悲が起こせるなら勇者で勝者でしょう。
無理難題を言いますな。
19 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 21:55:23 ID:4Zy4zW6S
>>18 仏教は難しいんです。我は強敵ですから。オイラは百戦百敗かもw
20 :
神も仏も名無しさん :2009/09/08(火) 23:46:18 ID:ucrNMYHU
再度、前スレにおいて提示した疑問点をあげておきます。 これは、「基体を設定しない、輪廻業報思想支持者に対するものです。 >析空さん、アートマンスレでも、あなたのように、基体を設定せず 業のエネルギーによる縁起によって輪廻業報を説明する人がいました。 しかし、この説の問題点としては 1・「この説は、いわゆる『現象の連鎖』として生まれ変わりを捉えているが この連鎖はaさんが「果」を受けるのに十分な必然性を担保しているか? 2・ この連鎖の説明をただ「縁起」によるとだけしか解説していませんが その構造システムが全く明らかにされておらず、精密な検証はともかくとしても モデル提示がなされていないのは問題では? 「縁起」という語に全能性を付加するのは問題ありだと思うのですが? 以上、1 2 について解説できるでしょうか? これに回答を与えられる人は、いるのでしょうか? さらに問題点を明確にするため、補足しておきます。 >子供の自分と大人の自分は、「空間的連続性」および「記憶の連鎖」 により、その関係性は認知されます。しかし、 前世のAさんと生まれ変わりのaさんとの間には、その両方が欠落して います。この場合に、「何によって」 Aさんの生まれ変わりがaさんで あると認識できるのか? そこが問題なわけです。 縁起によって、aさんがAさんの生まれ変わりであると担保されると 言っても、「何故そう言えるのか?」の説明を欠いていたら何も言ってない のと変わりません。 『何故、Aさんからaさんへの1対1対応が縁起によって保障されるのか?』 そこの説明が欠落しているかぎり、これは論としては成立せず、 信仰の範疇に留まるものに過ぎないように思われるのですが。
21 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 05:25:48 ID:KFALggyU
>>20 縁起のみ。実体、本質としての基体はなく、無常で何か特定できない諸行があるだけ。
この諸行は、いわゆる業。そして業は思慮を超えたもので探求してはならない四不思議の一つ。業不思議。
これはパーリ経典でも言われることだが、出典は失念した。
以上の縁起・空を疑問視することが、何か基体が存在しないと納得できない形而上学的前提で、
それこそ我見、有身見と呼ばれる、実在論、実体論、本質主義、アートマン論です。
そして、仏教でも何か期体を想定してきた、正量部の不失法、トクシ部の非即非離蘊の我
有部の無表業、唯識のアーラヤ、ゲルク派の消滅物などなど、
しかし、どれもこれも方便としてはありかもしれないが、
本質的に縁起・空を逸脱していると思われる。
本物の仏教の見解は、縁起・業のみ。
22 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 10:52:31 ID:hjnQdeXD
>>21 あなたのご意見は
「縁起によって輪廻業報が成り立つ。ただ、その詳細は説明できない。
よって、
>>20 の1や2に対する回答もできません。
そこは追求してはいけないところなのです。ただ、そのように
信じましょう。」
と、まあこのようなものですね。
「とにかく、縁起によるんだ」の連呼だけで、その解説がなければ、他の
宗教によくある「ただ信じるのです」という教えと変わりがないようにも
思えます。「そこは信仰するしかない。それが仏教なんだ。」とのご意見
ならば、「仏教とは、そういうものですか」と返答するしかありませんが。
どなたか、この「基体を設定しない輪廻業報思想」の支持者で
整合性のとれた回答ができる方は、おられないのでしょうか?
23 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 11:31:44 ID:KFALggyU
>>22 >「縁起によって輪廻業報が成り立つ。ただ、その詳細は説明できない。
>よって、
>>20 の1や2に対する回答もできません。
>そこは追求してはいけないところなのです。ただ、そのように
>信じましょう。」
それを説明することが実在論にほかならないということなんです。
貴方の問いは、如来が涅槃した後どうなるか、説明できなければ
涅槃などありえないとか。
無我・空なら、現在の我々の現れが説明できないと同じでしょう。
あるいは、ここはあまり知らないので理解のためのただの譬喩と受け取っていただきたいのですが、
実在論的説明がつかなければ、物理学の理論として成り立たないということもできるでしょう。
24 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 11:56:17 ID:hjnQdeXD
>>23 「実在論」であるとか「実在論」ではないとか、そのような
区分けはどうでもよいのです。要は、「ただ信じましょう」というのでは
なく、「論理的整合性のとれた解説」ができるのか? ということなんです。
論理的に無矛盾な解説ができるのであれば、それが「実在論」であろうと
なかろうと問題ではないのです。
この「基体を設定しない輪廻業報思想」の支持者で、このような
無矛盾の論理構成が可能なひとはいますか?と尋ねているのです。
>貴方の問いは、如来が涅槃した後どうなるか、説明できなければ
涅槃などありえないとか。
全くちがいますね。如来の死後は不可知領域のことであり、無記ですが
生まれ変わりのその帰結、すなわちaさんの誕生という現象はこの現象界
における形而下のはなしであって、同列には論じられません。
>無我・空なら、現在の我々の現れが説明できないと同じでしょう。
このようなことも言ってません。論点が著しくずれています。これはひとつの認識論ですね。
現在の我々の存在は、無我、空の視点からは相衣性、関係性により
説明が可能であると思います。
>実在論的説明がつかなければ、物理学の理論として成り立たないということもできるでしょう
これは全く違います。複素数の導入をみてもわかるように物理は全く「実在論」
に固執してません。求められるの「論理的に無矛盾な整合性のとれた理論」
だけです。
25 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 12:29:52 ID:KFALggyU
>>24 現れは現象ですが、説明体系は形而上です。
縁起も業も同じことです。
もう、一歩ですね。ちょっと忙しいので、説明しませんが。
まあ、してもかわらないでしょうけど。
私以上に説明できる人は少ないと思いますよ。
26 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 12:43:59 ID:9mxKH7T6
>>20 仏教にはアビダンマという思想体系がありまして、
その中で、業と輪廻についての説明があります。
『アビダンマ講義シリーズ(第5巻)
業(カルマ)と輪廻の分析〜ブッダの実践心理学』
という本があります。
27 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 13:51:25 ID:KFALggyU
>>26 上の影響を受けた人の記述を読む限り、それだと、実在論に傾斜してるみたいだけど、
ヴィスッディ・マッガは免れてるみたいだけど。
>>27 認識論であるなら、余計に、
『同一性が【認識されない】なら、倫理的に作用しない』→『(凡夫に対してすら)方便として、導入として使用できない』
のでは?
29 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 21:22:16 ID:KFALggyU
>>28 同一性は認識されるよ、それが縁起、仮設。しかし、実体は空、同一性、我などない。
つまり、無我・空。
この縁起が分かんないと、仏教はほとんど分かんないぞ。
>>29 それは、(仮設でも左折でもいいけどw)、ジャータカに言うように、
「その時の○○はダイバダッタであり、その時の××は私であった」という形(≒意味)での同一性ですか?
宿命通で言う、
「これこれの名前があり、これこれの食べ物があり、これこれの楽と苦を経験し、これこれの寿命があった。
その私は、そこから死んで、あそこに生まれ、これこれの名があり、云々・・・」という形(≒意味)での同一性ですか?
俺が昔夕焼けだったころ、弟は小焼けだった。父さんは胸やけで、母さんはしもやけだった。
33 :
神も仏も名無しさん :2009/09/09(水) 23:47:55 ID:hjnQdeXD
>>25 残念ながら、 ID:KFALggyU さんのレスは何の回答にもなって
いません。業報思想というのはAさんの業の結果を生まれ変わりであるaさんが
受けると言うものです。そこには、明確に Aさん→aさん への1対1対応が
なければなりません。あなたは、それを「縁起」が担保すると言いますが
ただ「縁起によって」と言うだけで、その構造、システムの詳細を解説でき
ないのであれば、何も言ってないのとかわりありません。そこには
ただ「信じましょう」という「信仰」があるだけです。
そうであるならば、例えば「天国の神様が、悪いことをした人を地獄に
送ったり、または、来世で同じような目にあわせるのです」
このように言っても全く同じことですね。要はそれを「信じるか否か」しか
ありません。
私が問うたのは、そのように「信じることを無批判に受け入れるのを良し」
としない人に提示できる「整合性のとれた解説」ができるのか? ということなんです。
「信仰」を介入させることなく行える、無矛盾の説明が可能か? ということなんです。
私は現時点まで、この「基体を設定しない輪廻業報思想の支持者」による
整合性のとれた説明というのを見たことがありません。
あなたを初め、「それは業のエネルギーによる」「それは縁起による」
と言うばかりで、その「業のエネルギー」「縁起」により、どのように
1対1対応がなされているのか? の説明が皆無なのです。
>私以上に説明できる人は少ないと思いますよ
あなたは、このように言っておりますが、ならば、この説の支持者は全て
論理的解説は不能であると解するのが適切なわけですか?
34 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 02:58:27 ID:O3e+aeRM
>>31 いやいや、そんなもの持ち出さなくても、貴方が貴方自身がずっと同じだと思ってること、
目の前のモニターが、モニターという同一性をもって縁起していることで十分でしょう。
35 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 03:08:53 ID:O3e+aeRM
>>33 それこそ倒錯した実在論的理解。
実在論とは、何か確固とした根源、基盤、実体、存在などがないと現象は成立しないというもの。
現在の私>私'でさえ同一性を持って1対1で対応などしてません、
ただ縁起して同一性を持って仮設、認識されているだけ。
これを逆に同一性の基盤があるという見方で見るから、
>明確に Aさん→aさん への1対1対応が
>なければなりません。
と考えるだけで、これこそが無明、倒錯した誤った前提なだけです。
まあ、これ以上はいいません。
これで納得できないなら、他は全て実在論的方便説明だと思いますよ。
アビダルマ、唯識、ゲルク説などは典型です。
もしかすると、私が無理解なだけかもしれませんが。
36 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 03:14:17 ID:O3e+aeRM
>>33 >そうであるならば、例えば「天国の神様が、悪いことをした人を地獄に
>送ったり、または、来世で同じような目にあわせるのです」
>このように言っても全く同じことですね。要はそれを「信じるか否か」しか
>ありません。
違います。縁起というのは対象作用がないものを排除できます。
対象作用というのは、習慣で仮設された意味・対象どおり機能するかしないかです。
これにより、創造主、アートマン、運命など他の形而上学的説明、
ピュシス、神話的物語を排除できます。
これはもっと説明が必要でしょう。
37 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 03:37:49 ID:mCt4s0QN
>>35 ですから、それでは何の回答にもなってないのが、わかりませんか?
「実在論であろうと、なかろうとそれはどうでも良いのです」
要は整合性の取れた説明ができるか否かということです。
>現在の私>私'でさえ同一性を持って1対1で対応などしてません、
ただ縁起して同一性を持って仮設、認識されているだけ。
このように1対1対応を否定するのであれば、それはそれでひとつの
認識論としてはよいのです。しかし、その視点にたつのであれば
Aさんの業をaさんが受けることも、同時に否定しなくてはならなくなります。
何故ならば、Aさん→aさん への対応を否定したわけですから。
いいですか?
>明確に Aさん→aさん への1対1対応が
>なければなりません。
と考えるだけで、これこそが無明、倒錯した誤った前提なだけです。
と、このように記述されていますが
業報輪廻思想の根幹は、この1対1対応の関係なくしては成り立たない
ものです。Aさんの積んだ業の「果」が、Aさんと全く関係の無いbさん
に起こってしまったら、めちゃくちゃですね?Aさんの業は、必ず
その、生まれ変わりであるaさんが、受けなければなりません。
つまり、ここではAさんの生まれ変わりはaさんであって、bさんでは
ないのです。 A→a であって A→b ではないのです。
明確に1対1対応が成立してなくては、「業報輪廻思想」は、その
根幹からして崩壊してます。
あなたの、私の見解に対する批判は、ただ「それは実在論である」
と繰り返すばかりで、具体的に私の見解のどこが矛盾しているのか、
どこが整合性がとれてないのか の指摘が全くありません。
私の見解の瑕疵を具体的に指摘してもらえますか?
38 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 04:32:45 ID:O3e+aeRM
>>37 縁起というのは幻のような因果性は保たれるんです。
それこそ、これあらばこれあり、これなくばこれなし。
例えば、ジャガイモの種から、吉高由里子は生まれない。
ジャガイモの種があるから、ジャガイモがある。
吉高由里子は、死ぬまで吉高由里子と認識され、
マイケル・ジャクソンともマハトマ・ガンジーとも、ジャガイモとも認識されない。
ところが、20ぐらいの頃の牧瀬リホと今の牧瀬リホは同一性を持って認識されるが、
まったく別人のように見え、本来別人であり、すべては同一性などない。
しかし、連続して縁起しているものは世俗において同一性を持って仮設され、
認識されるだけである。
しかし、それは連続した法則性があり、むちゃくちゃな現れ方をするわけではない。
その法則性、認識論、存在論などを縁起として説明体系を与えているというわけです。
私の説明は上手くないでしょうが、釈尊の説かれた説明体系は非常によくできていて、私が知る限り世界史上、無比の説明体系です。
そもそも有無の存在論を超えた思想は、釈尊以外にない。
しかし、貴方は有の前提での説明体系を要求するから、説明になってないというだけなんです。
アビダルマとか唯識などは、まさに有の説明体系です。
しかし、それでは縁起ではない。
39 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 08:06:13 ID:zkSP6Xzy
心は、ひとつの瞬間にひとつの心しか現れないといわれるらしいから、 単純に考えて、一人(一匹)から一人(一匹)に転じるのでは?
40 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 08:28:15 ID:zkSP6Xzy
たとえば本を読みながら音楽を聞いてる場合、 普通私達は、本と音楽を同時に認識してると錯覚してます。 しかし、細かくみると、本と音楽を交互に認識して、 本を見てるときは音を聞いていない、 音を聞いているときは本を見ていないらしい。 ひとつの瞬間にはひとつの心。 ただ、心の入れ替わりが早いため、 本と音楽を同時に認識してると錯覚してるだけ。 心は、一本の鎖のように、連なって相続している。
41 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 10:58:38 ID:mCt4s0QN
>>38 >縁起というのは幻のような因果性は保たれるんです。
これもただ「対応関係」を「因果性」という語に置き換えているだけで
説明になっていません。
「縁起というのは幻のような『A→a の対応関係』は保たれるのです」
問題は、「縁起によって、どのようにそれが保たれるか?」なんです。
牧瀬リホの話も前に析空さんがあげた「子供と大人の話」と同じです。
過去の自分と現在の自分を同一人物と認識する根拠は「空間的連続性」
と「記憶の連鎖」の2点において担保されるからです。その2つがともに
無い場合は、其々の「個」の間に何ら関係性を認めません。すなわち
「別人物」ですね。 その2つ以外に同一人物であることを示すものを
提示しようとするならば、「魂」や「霊」などの、それ以外の「基体」を
設定しなくてはなりません。
そして Aさん→aさん では、「空間的連続性」も「記憶の連鎖」もともに
失われています。この現象界における「同一人物の過去と現在」を「生まれ変わり」に
比することはできないのが、わかりますか?
あなたがよく言及する「縁起」の言葉 「これなくばこれなし」
に当てはめてみますと「空間的連続性と記憶の連鎖」なくば「生まれ変わり」なし。
このようになってしまいますね。
42 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 10:59:29 ID:mCt4s0QN
>私の説明は上手くないでしょうが、釈尊の説かれた説明体系は非常によくできていて、私が知る限り世界史上、無比の説明体系です。 私は、なにも「あなた独自の説明」を求めているわけではありません。 無矛盾であり整合性のとれた解説であるならば、誰の説明でも良いのです。 >そもそも有無の存在論を超えた思想は、釈尊以外にない。 しかし、貴方は有の前提での説明体系を要求するから、説明になってないというだけなんです。 あなたは、このように言いますが「業報思想」はそもそも「有」が前提の思想です。 業を積む基体(それが実体のない仮説されたものであろうが)があり、また その果を受ける来世の基体がなければ初めから成り立ちません。 我々自身の存在をどのように認識しようとも、この「業を積む属性」と 「果を受ける属性」を有するものを設定しなければ「業報思想」は成り立たない のです。「実体があるなし」や「有無の存在論」などは全く関係ありません。 要は「業の作り手とその引き受け手」があれば、良いだけで「業報思想」には それだけは絶対にはずせないものです。そして私が問うているのは 「業の作り手」と「その引き受け手」との対応関係が「縁起によってどのように 担保されているのか?」 ということなんです。 あなたは、そこを全く説明せずに「実体はないんだ。」「それは実体論だからダメ」 と繰り返すばかりなのです。
43 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:23:52 ID:O3e+aeRM
>>41 >牧瀬リホの話も前に析空さんがあげた「子供と大人の話」と同じです。
そうかもしれません。
>過去の自分と現在の自分を同一人物と認識する根拠は「空間的連続性」
>と「記憶の連鎖」の2点において担保されるからです。その2つがともに
これを私たちはただの習慣と呼びます。空間の連続性や、記憶の連鎖も、
ただの習慣や生得の限定された認識機能です。
では例を変えて、言葉にしましょう。特に文字ではなく。
話言葉を想定してください。
「こんにちは」と発話する時、音と意味の同一性は何で保証されるのか?
ちょっと考えてみてください。「こんにちは」という音も意味も、
人や状況によって全くバラバラに不同に発話されるのは分かるでしょう。
例えば「こ」という音を IPA などの音素記号に分析しても、
数値化して限定しても境界も本質も捉えられないのは直ぐ分かるでしょう。
意味となれば、なおさらです。
しかし、習慣によって適当に音も意味も認識可能に縁起する。
そして、同一性が確保される。人の同一性もただの習慣です。
つまり、記憶も習慣の一部ということ。
>に当てはめてみますと「空間的連続性と記憶の連鎖」なくば「生まれ変わり」なし。
>このようになってしまいますね。
なりませんね。分析が甘すぎる。業の連続は、空間も記憶も必要としないからです。
そのような前提が不当で、ただただあなたの認識が甘いだけのことです。
44 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:30:33 ID:O3e+aeRM
>>42 >あなたは、このように言いますが「業報思想」はそもそも「有」が前提の思想です。
>業を積む基体(それが実体のない仮説されたものであろうが)があり、また
>その果を受ける来世の基体がなければ初めから成り立ちません。
これが不当前提です。『勝義空性経』『因縁心論』『中論』『清浄道論』に明かです。以下のように
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html マチウ・リカール『掌の中の無限』特に英訳か仏語原本を読むことをお勧めします。
まず、自分が不当な前提に立っていることを理解しないと、それで終わりです。
まあ、それでも結構ですが。それで分かったつもりで人に説くのは止めた方がいいと思いますよ。
45 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:33:45 ID:O3e+aeRM
>>44 >>あなたは、このように言いますが「業報思想」はそもそも「有」が前提の思想です。
>>業を積む基体(それが実体のない仮説されたものであろうが)があり、また
>>その果を受ける来世の基体がなければ初めから成り立ちません。
補足として習慣として基体はある。私などと呼ばれるもの。
しかし、それは本来無我で、基体ではなくアートマンもない。
幻のように仮設された因が、幻のように仮設された果として縁起するのみ。
これ以上の因果はなにもない。
46 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:45:24 ID:mCt4s0QN
>>43 また論点がずれていますよ。
あなたのいう言葉の話はカントの認識論そのままです。
子供と大人の連続性を単なる習慣による認識にすぎないというのであれば
何故その視点に立つと「業は連続する」と言えるのか?
そこが問題なわけでその説明がまったくないのです。
>なりませんね。分析が甘すぎる。業の連続は、空間も記憶も必要としないからです。
そのような前提が不当で、ただただあなたの認識が甘いだけのことです。
これも全く同じです。あなたは「業の連続は、空間も記憶も必要としないからです。」
といきなり断定して、そこから論じていますが、これでは何の説明にもなって
ないのがわかりませんか?
「業は時空を超えて連鎖する。だから、Aさんからaさんへと連続するのだ」
論点は「何故そう言えるのか?」でしょ?そこを説明しなければ
この「業」を「魂」に置き換えてもよくなってしまいますよ。
47 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:52:36 ID:mCt4s0QN
>>45 >補足として習慣として基体はある。私などと呼ばれるもの。
しかし、それは本来無我で、基体ではなくアートマンもない。
幻のように仮設された因が、幻のように仮設された果として縁起するのみ。
これ以上の因果はなにもない。
ですから、何度も言うように「無我」でもいいし「基体」という語が
気に入らなければ別の語でも良い。「実体はなくて仮設されたものでも
いいんです。」 要は
それが「業を作り出すもの」であれば良いし「業を引き受けるもの」
であれば良いのです。この2つの対応関係が「縁起によってどのように
担保されているのか?」 そこを問うているのです。
48 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 11:57:09 ID:mCt4s0QN
>>44 >まず、自分が不当な前提に立っていることを理解しないと、それで終わりです
不当な前提??
業報思想はそもそも「業の作り手」と「その業の引き受け手」
この2つがなければ成り立たない思想です。
どこが「不当な前提」なのですか?
49 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 12:14:16 ID:O3e+aeRM
>>46 >あなたのいう言葉の話はカントの認識論そのままです。
カントは実在論でしょ。それなら、ソシュールや認知言語学にしてほしかったw
>>48 仮設と勝義をごっちゃにしてるだけのこと。
仮設なら、輪廻の基盤が魂でも、意識でも、自相続でもなんと読んでもいいが、
それが勝義では空だということ。
これで終わりにします。時間がたては貴方も私も認識が変わるかもしれない。
その時、縁があれば。
50 :
神も仏も名無しさん :2009/09/10(木) 12:44:39 ID:zkSP6Xzy
>>42 時間的連続性で説明できないでしょうか?
午前0時ちょうどに死んだ生きものがいて、
その次の瞬間に宇宙のどこかに生じた生きものがいる。
こっちで死んだとき、あっちで生まれたものがいる。
空間・位置の違いをいったん無視して、
この宇宙のすべての生命の行動をひとつの年表に記載したとしたら、
時間的連続性で説明できないだろうか。
劇の舞台の上では複数の登場人物が動いているが、
みんな同じ台本に出てくる一連のシナリオどおりに動いている。
たった一人の脚本家の、一連の思考、ひとつの連続した心が、
あるときには主人公のセリフになり、
次の瞬間には、同じ脚本家の心が今度は脇役のセリフに転じる。
51 :
質問したい初心者 :2009/09/10(木) 16:41:20 ID:wU/wEh+6
ここは仏教の質問箱です。議論はテーマに沿ったスレッドを作成して、 そちらで心行くまでやって下さい。
52 :
析空 :2009/09/13(日) 05:41:24 ID:LhTlkuAp
あまり規則に【こだわらない】で、【友が友に聞くように】気楽に質問をしてください。
53 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 19:54:59 ID:aLJF3diF
質問です。世親の浄土論ですが、そこに説かれている奢摩他・毘婆舎那は 自力の行です。それがなぜ他力本願の論書として扱われているんでしょうか。
54 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 20:19:05 ID:LthXlV2s
>>53 由緒正しい、インド撰述の浄土論として認められているから。
シナの浄土教の源流であり、つまりは日本の浄土宗の源流だから。
55 :
神も仏も名無しさん :2009/09/13(日) 21:33:30 ID:l9y2qFlj
>>53 浄土三部経に浄土論を加えて、「三経一論」といいますね。
浄土門にとっては、お経に次ぐ聖典です。
そもそも、浄土三部経だって、
そこにでてくる修行のほとんどは自力の修行です。
一般的な仏教の修行は、自力で悟りをめざす修行ですからね。
57 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 06:44:14 ID:oykZeNPa
>>56 意味あるよ。ただ苦労したからって成功するとは限らない。
ただ良い意味で苦労するなら、心は良くなるでしょう。
58 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 07:54:37 ID:ysmu3Sah
「苦労」と言っても色々でしょうけど。 「苦労」の解決方法として、道徳的・法律的に正当な道を歩くように、 そういう道徳観を教えてくれる大人が周りにいたほうがよい。 苦労の解決方法として安易に犯罪行為などに走ってしまっては、 人生台無しになる可能性がある。
59 :
53 :2009/09/14(月) 11:32:31 ID:LXZJlvs8
>>54 自力の行を説いているのに、それがなぜ「浄土教の源流」なのか、そこの
ところを簡潔にお願いします。
>>55 「三経一論」という言葉は初めて聞きました。
お経の教えのほとんどが自力の修行なのに、それでもなお他力本願の教えは
仏説でしょうか。
60 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 11:43:49 ID:oykZeNPa
>>59 自力/他力という概念を重要視する絶対他力とかが、
日本浄土特有の見解だから。
仏教は縁起だから。教えも時代、環境に依って縁起します。
特に大乗では方便を重用視するので、相手に合わせて教えも変わります。
縁起などの根本を外してなければ仏教と考えるのが大乗です。
私の個人的見解では浄土真宗は仏教と認めますが、
日蓮系は仏教ではありません。
61 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 12:02:44 ID:W1RqELZm
>>59 法然さんが、そのように解釈されたからです。
論理的には、ちょっと無理筋なんだけど、末法の世には許されるということです。
もっと極端に言ってしまえば、自力作善もまた迷蒙なんだという解釈です。
自力作善という自己を放下したところの仏教、それが浄土宗です。
>>60 >日蓮系は仏教ではありません。
どのような理由ででしょうか?
63 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 13:53:06 ID:oykZeNPa
>>62 色々ありますが、融和的法華経を誤解して排他的にしているのが大きいでしょう。
いずれにしろ日蓮は問題外です。
仏教の皮を被った中世の国粋主義宗教、中世神道の変形と見るのが正しいと思います。
ご回答ありがとうございます。
65 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 18:04:57 ID:Wtli/DCM
どうでもいい質問なんだけど、梵天勧請についてちょっと聞きたいんだが… ご存知の通り梵天勧請とは 釈尊が彼の菩提樹下で悟りを得た際、このまま黙って涅槃に入ろうとしたのだが、 梵天に教えを広めるよう勧められて鹿野苑で初転法輪した。 ってのが定説だが、釈迦にどのような心境の変化があったのか凄い疑問なんだ。 教えを広めるかためらったが梵天の説得でそれを広めようと確信した! …ってのじゃ釈尊に明らかに迷いがあるんじゃないか?ってちょっと思うんだ。 以前、増谷文雄さんの「仏教概論」って書籍には「正覚者の孤独故に思い立った」 って書いてあったが、悟りを得た人間が孤独という苦に苛まれるってのは根本から矛盾してるし それだと大悟そのものがとても脆弱なモノになってしまうと思ってさ。 本当にどうでもいい質問で申し訳ないんだけど、暇つぶしにでも回答してくれると凄く嬉しいですw
66 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 18:20:24 ID:B0tCKLIj
>>65 増谷文雄はダメ。あれは三流です。水野弘元から学んで下さい。
>>66 駄目出しする前に、(こういう理由があったであろう)、
と、自分の見解を述べたら?w
68 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 20:23:58 ID:oykZeNPa
>>65 オレも増谷本は捨てた方がいいし、水野先生がいいと思うけど、
その質問は難しい。伝統説だと独覚にならずにブッタになったとか説明されるが、
たぶん、縁起だと思う。どういうことかというと問いというか、
他による働きかけがないと説法しようという意が縁起せず、
そのまま涅槃されちゃうんじゃないだろうかということですね。
つまり、特に意志とか迷いがあるのではなく、
自然なあるがままの状態で、他の働きかけがあって、
法を転じようという意志が縁起したのではないかと。
まあ、ただの推測だから。
>>68 やっぱり貴方も、お釈迦さんのこと人間として見てないんですよね・・・。
自分のスタンスに益々孤独を感じるよw
70 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 20:46:38 ID:oykZeNPa
>>69 人間ですけど、凡夫じゃなくてブッダですから、
そりゃ、違いますよ。
人間っていうと、まさか凡夫と同じとは思ってないでしょう?
オイラはもともと大乗なんで、もうそれはそれはw
71 :
65 :2009/09/14(月) 20:59:05 ID:Wtli/DCM
>>68 なるほど。あくまで何かのきっかけで自然の流れとしてってことですか。
確かにそれはアリですなw
でもそうなるとその働きかけた何かってのは何だと思います?
>>69 俺も釈尊は人間だと思う。
だからこそこんな思想を作りえたシダッタ太子は本当に崇敬すべきだと思うww
ってか増谷さんってそんなに評判悪いのか…個人的にはけっこう面白い人だと思ったんだがwww
>>70 へぇw
イチローと羽生善治と、二人の間で何が違うと思う?
その違いは、片方を人間という範疇に収め得、片方を人間外へと押し上げるものでしょうか?
君たちの位置付けでは、人間を超えた存在になっちゃってるんだよ。
たぶん自覚無いと思うけど・・・。
スーパーマンの教えに意味はない。
人であることをやめてしまっては意味がない。
人が、人のまま「涅槃を見る」のでなければ、それは
八番目のチャクラを回してしまうような、伝奇小説的邪法だよw
私が言った「同じ人間」とはそういうことだよ。
ま、貴方的には、
勝義で言えば《「人間」すら居ない(無い)》、《ただ「縁起あるのみ」(縁起する諸法あるのみ)》
ってことなんだろうが、それを言っちゃあ、おしめぇよw
追記:もし、
>>68 のようであるなら、
梵天勧請の逸話が、文字通りの形での梵天の依願でないなら、いったいどのような縁として
説法に傾いたんでしょうね・・。それは、伝えられる内容の吟味から見えてこないでしょうかね・・。
そしてそれは、ブッダであろうが如来であろうが、『人であるが故の事象・心象』ではないだろうかね・・。
仏典には、煩わしさを避ける合理的対処が、ささやかなエピソードとして幾つも垣間見えると思うが・・・。
ま、いいか。質問箱だし・・。
ノシ
73 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 21:34:56 ID:oykZeNPa
>>71-72 もちろん、梵天でしょ。
それは揺るがない。信じられないのは分かる。
信じなくても結構。
>773 名無しさん@3周年 sage 2006/11/16(木) 17:03:40 ID:YX/dL9md
> >> 752
> 一 とっつきにくい考え方ではあるが、聞く耳を持つものも居よう。(b語る喜び)
> 一 聡い者は、聞いて理解することもあろう。
> 一 聞くことにより安心(あんじん)を得る物が一人でもいれば、その人のためにもなろう。(d貢献する喜び)
> 一 もし、より多くの者が理解したならば、社会はずっと良いものになろう。(d貢献する喜び)
> 以上、慈悲の観点。
>
> 一 この考え方は、果たして普遍性を持ちうるだろうか?独りよがりなものでないだろうか?
> 誰もが理解できることであろうか?私以外理解できないのではないか?(思考内容・手法の普遍性)(d貢献する喜び)
> 一 外部へ発信することにより、内容が整理・洗練される。(多少結果論ではあるが・・)(b語る喜び)
> 以上、悟りの論理的側面。
>
> 一 自分以外の者と思考を共有することにより、孤独が緩和される。
> (勿論、お釈迦さんが寂しがったわけではないが、そうした側面も1%位はあるだろう)(a孤独の解消)
> 一 この(悟りの)喜びをわかってほしい。分かち合いたい。この(悟りの)喜びを味わって貰いたい。(c与える喜び)
> 以上、心理的側面。
>
> abcdどれも、心理的に「人間釈尊」を見た場合のもの。
> 勿論、孤独を厭うたり、喜びを求めるような、言葉通りのものではないが、
> シッダッタ本人に聞いても、そうした側面を否定はしないだろう。
> ゴータマ・シッダッタも、仏である前に人間なのだから・・・。
(※abcdそれぞれや本文について訂正したい所もあるが、面倒なので原文ママw)
>>73 やっぱり貴方とは上手くやってけないようだわw
おやすみ ノシ
75 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 21:56:37 ID:oykZeNPa
>>74 お〜、それは悲しい(T_T)
ほぼ、唯一の理解者が〜
77 :
神も仏も名無しさん :2009/09/14(月) 23:52:01 ID:ysmu3Sah
最初、ブッダは、悟りの内容が世間の常識からかけ離れていて、 どうせ理解してくれる人なんていないだろうと考えたわけですよね。 ということは、悟りの内容が一般人にも理解しやすいものならば、 最初から迷わず人々に説こうと思ったんじゃないでしょうか。 つまり、何かの境地を悟った聖者は、 他人にその境地を説くのが当然だ、 という認識は最初からあったのでは? かつての弟子入りした二人の仙人にしても、 弟子に教えを説いていたわだし。
梵網経いがいに別々の違う仏典が同じ名前で呼ばれる例は どれくらいありますか?
79 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 00:03:41 ID:ysmu3Sah
>>59 大乗経典を仏説だとみなす立場から言えば、
浄土三部経の内容も仏説だということになる。
あとは、浄土三部経の内容のどの部分にスポットをあてるかの違いです。
アンパンマンにたとえましょたい。
アンパンマンが、毎回イタズラをするバイキンマンをやっつける物語です。
それを見て、バイキンマンは、やられてもやられても復活する不死身のキャラクターだ、
という部分にスポットをあてれば、
バイキンマン教のできあがりです。
書いてある物語のどこに注目するかの話です。
おなじ無量寿経を読んでも、
お釈迦様が、浄土では善行がやりやすい、
善行を実践しにくいこの世で善行を行うことは、
浄土で善行を行うことよりもっと尊いのだ、
と言ってる部分にスポットをあてれば、
無量寿経は自力の修行を勧めるお経に読めます。
80 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 08:26:51 ID:1NYDxUVb
>>78 涅槃経なんかも、パーリ語と大乗では内容に違いがあるけど…。
そういう意味の質問?
82 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 11:48:28 ID:ptsrNvY8
>>79 浄土三部経のメッセージは何ですか。象の部分々々を取り上げて、この牙が
本当の象だ、この鼻が本当の象だと言い合っても正しい理解になりません。
どの部分にスポットをあてるかではなく、浄土経典の全体、象の全体を見て、
正しい形を捉えるべきかと思いますが。
83 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 12:46:25 ID:1NYDxUVb
>>82 浄土三部経のメッセージは何か、
まさにそのメッセージについての解釈を変えることで、
他力の浄土門が確立されていったわけです。
岩波文庫の浄土三部経(上・下)でも、
ひととおり読んでみてはどうでしょうか。
「念仏」ひとつとっても、
精神統一して仏や浄土のビジョンを見る「観想念仏」も、
口で阿弥陀仏の名前をとなえる「口称念仏」も、
両方お経には載っています。
高度な瞑想である「観想念仏」を重視するのか、
誰にでも簡単にできる「口称念仏」を重視するのか、
まさにそれは、お経のメッセージをどうとらえるかの違いです。
84 :
神も仏も名無しさん :2009/09/15(火) 12:52:34 ID:1NYDxUVb
>>82 何が正しい解釈かの前に、
どのように解釈したいのか、どんな教えを求めているかが入ってきます。
「煩悩を克服して善人になるにはどういう修行をすればいいか」
という目でお経を読むのか、
「悪人でも救われる教えはないだろうか」
という目でお経を読むのか、同じお経を読むのでも、
読む人が何を求めて読むかで違います。
浄土三部経にはどちらも書いてあって、
どちらを重視するかは読む人次第です。
仏教に疎いのでお尋ねしたいのですが 浄土真宗を信仰されている方は本願寺の顕如を今でも英雄扱いしているんですか?(仏敵・織田信長と戦った英雄として) また延暦寺に関係の深い方は焼き打ちを指揮した信長を今でも嫌っているんですか?
86 :
析空 :2009/09/16(水) 23:15:10 ID:ggyergS7
浄土三部経はともかく、念仏によって救われるという思想そのものが、 釈尊の教えの基本(八正道)と大きく矛盾すると思います。
87 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 00:14:23 ID:VR/QWaNC
>>86 生老病死の根本解決を「死後の世界」に先送りしてしまう発想が
そもそも仏教から掛け離れている。外道と見なすことが正解。
88 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 02:45:40 ID:f5HA/j0N
>>87 それを言い出すと、在家信者もみんな出家して
悟りをめざしなさいということになる。
しかし、釈尊の時代にも在家信者はいた。
ささやかな功徳を積んで、来世で天界に生まれればいいか、
みたいな信者もいたでしょう。
89 :
神も仏も名無しさん :2009/09/17(木) 16:39:10 ID:PWBM49f/
>>88 釈尊は在家信者に出家を勧めていたはずです。出家主義によって、卓越した
指導者が誕生したわけで、龍樹や世親もみんな出家主義の仏教者です。今すぐ
出家して、釈尊の教えの基本(八正道)を実践して下さいませ。
写経をする時の心得とはどんな物がありますか?
91 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 06:50:28 ID:u5skN59+
>>90 最初に一切衆生のために写経すると発心すること
書くときは集中すること
最後に書いた利益を一切衆生に廻向すること
92 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 17:06:38 ID:p8FQveIR
>>90 余計なことですが一言。
写経には宗教ビジネスとしての一面があります。寺院が「納経料」を徴収して、
増収とするという隠れた思惑です。何が目的の写経かは知りませんが、仏教の
中核は正しい禅定に励むという「実践」の教えです。写経は仏道に含まれません。
念のため。
93 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 17:19:37 ID:vRaFUiAm
↑本当に余計なことですね。断定はよくない。 たしかにビジネス写経は問題がある。 しかし、意味もわからず禅定とか仏道とかの語彙を使わないほうがいいよw
94 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 17:40:44 ID:u5skN59+
>>92 禅定が中核かどうかは、疑問ですね。
縁起や慈悲、菩提心あたりは中核だと思います。
その意味で、写経を上に書いたよう発心集中廻向とともにするなら、
第四禅定に一日とどまるより優れていると大乗は言いますし、
私もそう思います。
まぁ、どれも車軸の両輪のようなものでしょう
96 :
神も仏も名無しさん :2009/09/18(金) 20:44:48 ID:PAKqor7z
お経を大量に複製するというのは、 教えを広めるのには重要な作業だったはず。 今みたいに印刷技術もコピー機もない時代には。 それに、書く過程でお経を一字一字読むことになるから、 教えの勉強にもなる。 写経したあとに、「お経のこの部分はどんな意味ですか?」 って住職に質問してみるのもいい。 また、書き間違えないように集中して注意力を維持するというのは、 瞑想にも通じる修行だ。
97 :
亭白 :2009/09/18(金) 21:45:49 ID:mUFfPY9Y
>>65 :神も仏も名無しさん
>梵天勧請について… 釈迦にどのような心境の変化があったのか凄い疑問なんだ。
☆釈迦は大悟して実在の真実を知って、瞑想して幽体離脱してあの世
の実在界に参入して、高次なる高級霊との交流をしてあの世の実在
の世界を教えてもらい、悦楽の境地で至福の時を静かに過ごして、
のまま人生を終えてしまおうと考えていました。そんな折梵天が現
れて、インドの人々に大悟した内容をお伝えしてください。と勧進
を受けました。
そして釈迦は深遠な悟りの内容は到底多くの人々は分かろうはずも
ない。と思って、仏法の伝道を渋っていた所、また梵天が現れ伝道
の勧進を勧め、梵天が三度の勧進で釈迦も伝道の旅にでることを決
意し、初転法輪の釈迦の説法をしました。
98 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 02:05:09 ID:p5RtsphU
>>97 >☆釈迦は大悟して実在の真実を知って、瞑想して幽体離脱してあの世
> の実在界に参入して、高次なる高級霊との交流をしてあの世の実在
> の世界を教えてもらい、悦楽の境地で至福の時を静かに過ごして、
これは幸福の科学だよね。仏教では「実在の真実」などと言わない。
縁起・無我・空を悟ってという、
「高次なる高級霊との交流をしてあの世の実在の世界を教えてもらい」といったことはあり得ない。釈尊より高次な霊などありえないし、
霊に勝義を教えて貰うことなどないですね。
99 :
析空 :2009/09/19(土) 11:17:14 ID:OzcZ714u
幽体離脱だとか高級霊だとか、もはや仏教とは呼べません。 幸福の科学は、仏教を「知らない」としかいいようがありません。 ※創価学会より酷い。
100 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 12:25:37 ID:qfwm5qyz
>>99 智の教相判釈を史実扱いしている創価学会も決して負けとりまへん。
どっちが酷いかは主観でっせ。
※キリスト教も十分酷い。
101 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 12:49:14 ID:lZxzOSMD
教相判釈を行わない、伝統的な日本仏教てあるの? 草加も含め教判を、歴史的事実としてる宗派なんかないだろ! 教判が行われた当時でさえ、シナの高僧たちも歴史的事実などと思ってはいないわなw
102 :
析空 :2009/09/19(土) 13:15:29 ID:OzcZ714u
>>101 念仏も、禅も、真言も。
教判はしないと思いますよ。
創価学会は、歴史的事実として思っていたとしかいいようが無い。(折伏の根拠)
いまは、事実ではないことに薄々気がついているが、公式には何も認めていない。
103 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 14:50:15 ID:lZxzOSMD
念仏=浄土門:聖道門 禅=教外別伝・不立文字 真言=顕密二教判・十住心の教判 経典に優劣つけるのが教判でそ。もしも 五時という、時間軸での説明のこといってるなら、慧観も智も歴史的事実などと思ってはいないわなw シナの哲学の基本は功利的実用主義。事実より、真実ってとこじゃね?
104 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 14:54:18 ID:JLHJDF8a
>>102 法然念仏、親鸞念仏は、特定の経典の特定の箇所を「釈尊出世の本懐」と
言い張っている。法然も親鸞も歴史的事実のつもり。それを否定したら
教義がガラガラ崩れてしまいます。w
106 :
析空 :2009/09/19(土) 16:10:11 ID:OzcZ714u
回向って、どういうメカニズムなんですか? 回向って、どうやるんですか? 回向って、そもそも可能なんですか?
107 :
亭白 :2009/09/19(土) 16:11:14 ID:U0EoixZa
>>98 :神も仏も名無しさん
>☆そうです。幸福の科学ですね。
「仏教では「実在の真実」などと言わない。縁起・無我・空を悟ってという、」
☆縁起にしても無我にしても空にしても実在の真実の顕れです。
「釈尊より高次な霊などありえないし、霊に勝義を教えて貰うことなどないですね。」
釈迦が大悟して梵天勧請で大悟の喜びを一人だけにせず、伝道の旅に出るよう再三
梵天勧請を受けて初転法輪の旅に出たのです。梵天達の高級霊から大悟する前から
真理の教えを受けています。高次な高級霊の関与なくして悟ることは容易でありま
せん。釈迦は入滅する前に人類の希望の予言をなしました。「2500年後に東の国に
本仏が再誕します。」と釈迦の口から予言をなしています。
アジャンタ石窟寺院には過去七仏と王冠を頂いている未来仏が本仏となって
細々と伝承の言い伝えどおり、東の国の日本に本仏が再誕しました。
正に奇跡です。
インドで釈迦入滅後2500年になって西暦1956年に仏陀再誕をお祝いしました。
その年に本仏大川隆法総裁が四国徳島県で誕生しています。
西暦2009年10月には「仏陀再誕」の映画が上映されます。インドにも「仏陀再誕」の映
画を上映します。「仏陀再誕」の映画が上映されることは社会的信用がある証であります。
108 :
析空 :2009/09/19(土) 16:21:41 ID:OzcZ714u
>>107 釈尊は、不還果といって、二度とこの世には戻らないとされていますが、
【仏陀再誕】などというデタラメをどうして信じられるのですか?
109 :
亭白 :2009/09/19(土) 16:41:08 ID:U0EoixZa
>幽体離脱無くして大悟はありません。 梵天勧請した梵天は高級霊の一人です。肉体を持った梵天ではありません。 梵天は何処に還るのでしょうか?ヒマラヤに還るのでしょうか?ガンジス川 に還るのでしょうか?高級霊の梵天の帰還先はあの世の高次な天国に帰還し ます。あの世の霊を認めない仏教は仏教ではありません。 釈迦の十大弟子の大目蓮(目連)が「亡くなった母を霊視すると母があの世 の地獄界に落ちている。何とか助ける方法はありませんか」と釈迦に懇願し て、盆供養ができたのです。ちなみに地獄霊も霊ですから。本物の仏教は霊 を認めるし、あの世の存在も認めています。仏陀に帰依する仏帰依の三宝帰 依と反省の教えもあります。唯物論の仏教は仏教ではありません。
110 :
析空 :2009/09/19(土) 18:07:58 ID:OzcZ714u
>>109 釈尊が覚りを啓いたとき、梵天が顕れて、弘教を勧めたという教典はあります。
しかし、幽霊離脱したという教典はありません。
なぜ、そんなデタラメな話しになっているのですか?
111 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 18:12:06 ID:y8bLeWp4
なんで卍マークはかの悪名高いヒトラーと同じマークなんですか? すごくそこに因縁があるように感じます。なんでですか? あと、釈迦は修行で、飢えてる虎の親子に自分の体を差し出したという話 がありますが、そのあと、人間の肉の味を覚えた虎の親子は、人間の村を 襲ったりしなかったんでしょうか?海外のある村では、人食い虎が出るようで TVでニュースになってました。虎って、一度人間の味を覚えたら、次にも 襲うようですよ。また母虎が子虎に人間の肉を与えるので、子供の虎も人間を 獲物として、村を襲うらしいですよ。そうして、虎は人間のハンティングを 代々教えていくそうです。すごく迷惑な話です。
>>97 ご回答ありがとうございます。65です。
まぁ幽体離脱とかの不可知論的な領域はこのさい割愛するとして、
僕としては釈尊の梵天勧請後の心理的な変化に対してとても疑問なんですよね。
…まぁ覚者の心理なんてものは他の覚者にしかわからないモノですが。
113 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 20:20:40 ID:p5RtsphU
>>106 テーラワーダにも廻向あるんだけど、否定していいのw
114 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 20:21:41 ID:p5RtsphU
>>109 とりあえず、盂蘭盆経は、中国産偽装経典だぞ?
116 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 20:37:39 ID:p5RtsphU
コテが偉そうに語ってたんだが、悟りの定義は本当にこれであってるのか?
日月神示 日本大預言 其の十二
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251425331/l50 884 :宮崎の天使:2009/09/19(土) 18:01:58 ID:bAdl5BOh
>では、其方の言う悟りの定義は何か?
悟りの世界は、霊能を開いた人でないと到達が難しいと言われる。
悟り=霊能と言う人も居て、悟りを開くと、世の中の事が
怒涛の如く、意識の中に流れ込んでくるのだそうだ。
886 :宮崎の天使:2009/09/19(土) 18:29:04 ID:bAdl5BOh
真言密教で定義されている『究極の悟り』は、
大日如来と一体化し、周囲の仏を自在に操れる状態とされている。
ほぼ、創造神と同格の能力を持つ状態を言う。
弘法大師ですら、到達出来なかった領域だろうと思うけど。
>>111 とりあえず、卍(左まんじ:日本の寺院マーク)と、ハーケンクロイツ(右まんじ)は、別の文字。
良く見ると、回転方向が違う。
そもそも、サンスクリット(古代インド)における吉祥のマークで、左右両方があった。
インドヨーロッパ語族の広がりと共に、ヨーロッパでもハーケンクロイツは幸運のマークとして使われていた。
日本では、仏教と共に伝来し、吉祥万徳の集まる所の意味として、「まん」と呼ぶようになった。
そして、ヒトラーは、アーリア人の象徴として、インドヨーロッパ語族の象徴とも言えるハーケンクロイツを、象徴として用いるようになった。
別に因縁とかじゃないんでご安心を。
119 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 20:53:42 ID:p5RtsphU
>>117 >怒涛の如く、意識の中に流れ込んでくるのだそうだ。
これは宿命通というものとおもわれる。
霊能というのはどうかと思うが、仏教では神通という。
>886 :宮崎の天使:2009/09/19(土) 18:29:04 ID:bAdl5BOh
>真言密教で定義されている『究極の悟り』は、
>大日如来と一体化し、周囲の仏を自在に操れる状態とされている。
>ほぼ、創造神と同格の能力を持つ状態を言う。
>弘法大師ですら、到達出来なかった領域だろうと思うけど。
これは完全な誤解です。大日如来も空だし。
神通より上の神変という能力にも限界があるし、
そういった創造神は、仏教も密教も認めません。
たしかに真言宗の現代学者でミクロコスモス・マクロコスモスみたいなことを
唱える学者がいらっしゃいますが、完全が誤解です。
それではヒンドゥーと変わらない。
普通の卍と逆向きのスヴァスティカもあるよw
121 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 21:50:47 ID:y8bLeWp4
でも、マークって真理を現すものでしょ? 卍マークとハーケンクロイツが同じなのもそこに同じ起源のものがあるからだと 思います。
122 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 21:54:10 ID:vFLq091l
突然失礼します。 私は浄土真宗です。他力 自力ありますが、私の視点から見た時 どちらとも根底にあるのは自分の力での行動です。その後の変化 周りの変化を自分がどう感じるのかが 自力 他力の違いなのかな と思いました。あくまでも自分一個人の意見です。
123 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 21:56:12 ID:y8bLeWp4
でも、マークって真理を現すものでしょ? 卍マークとハーケンクロイツが同じなのもそこに同じ起源のものがあるからだと 思います。
124 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 21:56:41 ID:vFLq091l
突然失礼します。 他力 自力ありますが、私の視点から見た時 どちらとも根底にあるのは自分の力での行動です。その後の変化 周りの変化を自分がどう捉えるのかが 自力 他力の違いなのかな と思いました。あくまでも自分一個人の意見です。
125 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 21:57:17 ID:h9DSlabo
>>106 回向をうけとることを随喜と言うそうです。
回向(送信)を一方的にすることは可能。
それを相手が随喜(受信)してくれるかどうかは、相手によりけり。
生身の人間同士なら可能ですが、
相手が死んだ先祖とかの場合は、本当に随喜してくれてるかはわからない。
回向とは、送り手が善行のお手本やデモンストレーションをやって見せること。
で、その善行を見た受け手が、随喜して心で共感したら、
心に善の思考が流れるため、善の功徳になる。
126 :
神も仏も名無しさん :2009/09/19(土) 22:04:15 ID:h9DSlabo
たとえば、誰かが人助けをしてるのを見たとする。 見た人は、「すばらしいことだな」と随喜して、 自分の心が人助けモードになる。 実際に人助けをしたわけではないが、 思考でシュミレーションをすることで、 人助けしやすい性格が蓄積される。 普段、人を殺すことばかり考えていると、 そういう思考回路が太くなる。 怒れば怒るほど怒り癖がつき、欲張れば欲張るほど欲張り癖がつく。 思考や行為が、心に癖を刻む。 だから、相手に善の思考をさせるきっかけを与えるために、回向をする。 その回向を見て、「すばらしいな」と随喜して善の思考を起こせば、 その分だけ心に善の癖がきざまれる。
でも現実は「幾時代ありまして」
俺には人を見れば殺人鬼に見える。
>>121 >>118 の書き方が悪かったか。
現在、日本で使われている卍と、ナチスのハーケンクロイツは、別の文字(形が違う)
だが元々は、サンスクリット語の、吉祥のマークから、分化した同じ文字。
文化が伝播する仮定で、使用法が微妙に変化した。
130 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 05:28:08 ID:EjZPzjXM
>>125 随喜は共感なんだが。
廻向も相手の随喜など考えていませんよ。
それより自分が廻向したという意識さえない
無我、三輪清浄の廻向が望ましい。
131 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 05:31:57 ID:EjZPzjXM
>>128 それだと苦しいでしょう。
なるべくそう見ないように習慣づけよう。
どんな生き物も楽を望み口を嫌います。
しかし、楽を自他が感じるためには、そういう見方では難しい。
逆に人がみなやさしく親切だと思えると自他ともに楽を感じるのは優しいとおもいませんか?
もちろん、すぐには習慣は変わりません。少なくとも三ヶ月はかかります。
132 :
亭白 :2009/09/20(日) 10:01:06 ID:Np2J13wK
>>108 :析空さん
>釈尊は、不還果といって、二度とこの世には戻らないとされていますが、
【仏陀再誕】などというデタラメをどうして信じられるのですか?
☆大悟すれば、人間としての人生の課題としての問題集が解き終えてお
り、人間としての人生の課題があって、指導霊から「地上に転生しなさ
い」と命令されることは無くなったので、人間的修行は終わったと言う
意味での不還果です。如来でも地上にて、人類救済の使命に終わる時は
ありません。永遠の輪廻転生で約千年数千年おきに、地上に降臨し法に
よる人類救済で、時代的精神の最大遺物を遺す使命があります。
今から2500年前にインド時代に大悟なされましたが、それが大悟の最初
ではありません。遥か以前より仏陀であったのです。過去七仏を説かれ
ていますが、過去七仏で言えば過去七回仏陀であったのです。
アジャンタ石窟寺院には過去七仏と王冠を頂いている未来仏が本仏となって
合計八仏となっています。東の国に仏陀再誕する伝説は細々と伝承の言い伝
えは嘘ではありません。お分かりでしょうか?
133 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 10:30:19 ID:z7RG7VdF
法華経の久遠の釈迦みたいなもんですね。 本仏の存在を掲げる必要はないと思います。 単に、新たに悟った人が現れたと言えばいいでしょう。 まぁ、そんなことはいいや。 ブッダと同じ最高の悟りを得たのならば、 すべての煩悩がなくなっているはずですよね。 本当にそう思いますか? 欲や怒り、慢(プライド)もなくなっていますか?
いやいやw 幸福の科学の肩を持つわけじゃないが 久遠の釈迦ってのは、 法そのものもしくはそのモノの本質をわかり易くしただけだろうww その意味で釈迦は既に輪廻はしないし歴史上ではとっくに亡くなってるが 逆に言えばどこにでも居る。山にも街にも川にも、 そして繁華街の糞と落書きだらけの公衆便所の中にもねw
135 :
神も仏も名無しさん :2009/09/20(日) 15:33:14 ID:z7RG7VdF
>>134 「どこにでもいる」という想いの中に、
存在することへの執着がかくれている気がするのです。
「死んでしまってもういない」という事実から、
目をそらせようとしている気がする。
136 :
析空 :2009/09/20(日) 20:36:57 ID:iJOQel8u
>>132 【不還果】について、あなたの説明は、経典と違います。
経典を少しでも読めばわかりますが「再生の素因」が無くなったから、
「もはや再びこの世に生を受けることはない」と書かれています。
あなたの説明は、どのような根拠があるのですか?
幸福の科学は、【仏陀の覚り】を、理解できていませんね。
釈尊が再誕しないのは、【執着がない】からです。
【仏陀の覚り】とは、【解脱】です。
【解脱】とは、【輪廻からの解脱】であって、再生しないという意味です。
再誕するのは、覚っていない証拠です。
こんな仏教の基本も分かっていないから【でたらめ】だと申し上げているのです。
137 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 11:28:20 ID:UFvhVHnY
坊主の人で、地元の祭(神社)に参加している方はいますか? (御輿を担いだり) 本来は参加しないほうがいいのでしょうか?
138 :
亭白 :2009/09/21(月) 11:35:12 ID:s6i5pakj
>>136 :析空さん
>「もはや再びこの世に生を受けることはない」と書かれています。
釈尊が再誕しないのは、【執着がない】からです。
【仏陀の覚り】とは、【解脱】です。
【解脱】とは、【輪廻からの解脱】であって、再生しないという意味です。
再誕するのは、覚っていない証拠です。
☆釈尊が仏陀として大悟して「執着がない」と言う意味の落とし込みが無
いですね。
単なる字図ら読みに囚われては本質を見誤りますよ。
「執着しない」とは心の執着です。執着をすると、心が落ち着き無くイ
ライラしますね。このイライラ感を水鏡で例えると水が波立って、水面
に写る、あなたの顔が鬼のような顔になったり、化け物の顔になったり、
顔自体が波立ちで隠れてしまい、水面に顔が見えなかったりします。
「執着が無い」と水鏡の例えで言えば明鏡止水の水面に、あなたの良い顔
が歪み無く見えてまいります。別の言い方をすれば透明感があって明鏡
止水であれば湖の底が見え宝物が見えることを般若の智慧といいます。
般若の智慧を手にすることで大悟することになり、執着なく自由自在の
境地になります。
自由自在とは仏陀の正しさにおいてやりたいようにできるということです。
139 :
亭白 :2009/09/21(月) 11:37:55 ID:s6i5pakj
>>138 続きます
> お釈迦様の当時はインド人の多くは、この世の苦役から早く自由になって、
あの世の天国に帰還したいという思いが強く、悟りを得れば、苦役の輪廻
転生のくびきから自由になり、高次な天国に居続けることを夢を見て精進
していたのでしょう。
仏陀がこの世の人類の病・貧・争の苦しみ悲しみ畏れを仏法の教えを説い
て「執着の心が、いかに悪しき思い、悪しき行為となって未来に悪しき種
を蒔いています。それを仏法の教えを学び、いかに悪しき執着がいけない
か知って、反省を通してさらさらした執着から離れた心境こそ幸福の安楽
を楽しめます。幸せになったら一人締めにすることなく、幸福になった余
力でまわりの人々に幸福になる方法を伝えてください。そうすることで、
利自即利他の許しの愛としての菩薩行の道となってまいります。
もっと解りやすい例えを述べましょう。悟りとは縁はありませんが、あな
たは中学校を卒業したと思います。中学校の教師の先生に「あなたは中学
校を卒業したから、明日から中学校にもう来なくていいですよ。」と言わ
れて、絶対に中学校に行けないかと考えると、そうではないですね。
中学の教師の教員資格を取得して、中学校の教師の先生になって後輩の生
徒を教えることができますね。
140 :
亭白 :2009/09/21(月) 11:40:19 ID:s6i5pakj
>>139 続きます。
> 故に自由自在の如来の悟りを持てば、この世の人類の病・貧・争の苦
しみ悲しみ畏れを見捨てる薄情な如来はいません。薄情なのは私たちが、
執着の虜になって自分の我執に囚われて、自分のことしか考えていない
からでしょう。慈悲深い如来が如来界に未来永劫いるわけでもありません。
この世に生まれ、法を説いて人類の病・貧・争の苦しみ悲しみ畏れの苦役
を取り除く教えを説くは如来の仕事です。
釈尊も入れて仏陀も過去七仏として、この世に輪廻転生しています。
でなければ「過去七仏」の伝承は出て参りません。
釈尊が初めての大悟ではありません。釈尊が初めての仏陀ではありません。
遥か以前の人類が住む以前に仏陀であったのです。未来仏の王冠のある仏陀
は本仏です。本仏が日本に再誕したので、アジャンタ石窟寺院の合計八仏伝
承は成就したのです。
結論として「仏陀再誕」は世界の教師として輪廻転生するということです。
141 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 11:58:38 ID:UFvhVHnY
>>140 如来界などありません。
涅槃は滅びです。消えてなくなっておしまいです。
ブッダは涅槃に入られて、二度と再生も輪廻もしません。
入滅してほしくないと願うのは、凡夫の愚かな執着です。
142 :
亭白 :2009/09/21(月) 14:19:03 ID:s6i5pakj
>>141 :神も仏も名無しさん
>>☆因・縁・果・報の縁起の理法が、この世てだけで完結しません。
お釈迦様が嘘を教えているのでしょうか?
あの世の世界を含め永遠の輪廻転生があるからこそ、因・縁・果・報の縁起の理法
が成立完結するのです。
143 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 14:45:53 ID:UFvhVHnY
>>142 仏や阿羅漢は、死後には完全な涅槃に入りますから、
二度と再生しません。
存在することへの執着が輪廻の原因になるのです。
執着がなくなれば輪廻から解脱し、輪廻が終わります。
煩悩という原因・条件があって輪廻している。
煩悩という原因・条件がなくなれば輪廻が終わる。
144 :
析空 :2009/09/21(月) 16:15:42 ID:0KHMXxLz
>>142 お釈迦さまが嘘を教えているのではなく、仏典には明確に真理が書かれています。
あなたの話しが、仏典と違うと指摘しているのです。
仏典には真理が書かれており、それによって、仏陀の再誕は不要なのです。
再誕したら仏陀ではありません。外道です。
145 :
析空 :2009/09/21(月) 18:14:32 ID:0KHMXxLz
仏典に書かれた真理などというと、随分大袈裟におもえますが、 その辺の仏教入門書に、普通に書かれています。 すなわち、【四諦】です。 諦とは、真理という意味です。 苦、集、滅、道の四つです。 聞いたことがあるでしょう? 縁起と縁滅の二法が説かれています。 この真理を説かれたことにより、もはや娑婆世界で法を説く必要がないのです。 ですから仏陀は再誕しません。 仏典に「再生しない」と、書かれています。 【仏陀の再誕】は、もっとも仏教らしからぬ思想といわなければなりません。
146 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 21:31:49 ID:Asq5g6Va
法華経を素直に読めば、お釈迦さまは今も生きてるんじゃないんですか?
147 :
神も仏も名無しさん :2009/09/21(月) 22:57:52 ID:XAljRfhC
148 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 02:06:40 ID:kDCXX1Tf
>>146 法華経はお経ではなくファンタジー小説。
149 :
析空 :2009/09/22(火) 07:43:49 ID:Ywoz+tct
>>146 法華経には、法身【常住】としての釈尊が説かれています。
釈尊が説いた教えではなく、常住という思想は、仏教らしからぬ発想から生まれた、
後世の創作経典とされています。
150 :
亭白 :2009/09/22(火) 11:35:27 ID:bh0RlFEv
>>143 :神も仏も名無しさん
> 仏や阿羅漢は、死後には完全な涅槃に入りますから、
二度と再生しません。
☆そのとおり再生はしません。この世に再誕はします。
>存在することへの執着が輪廻の原因になるのです。
執着がなくなれば輪廻から解脱し、輪廻が終わります。
☆執着とは悪しき思いや欲をはらしたい思いや家族への愛着や嫉妬による恨み等で
心の健康に良くないので悪しき執着は持たないで、無執着の心は幸福に到る道で
す。心の統御の継続を求めたのです。仏神がつくった輪廻転生の仕組みを壊すこ
とではありません。
>煩悩という原因・条件があって輪廻している。
煩悩という原因・条件がなくなれば輪廻が終わる。
☆煩悩が消えて終わるわけではありません。明日になれば雑草という名の煩悩が、
勝手に出てまいります。放っておくとボウボウに雑草と言う名の煩悩は盛んに
なるので、煩悩を消す事はできないが、雑草を刈り取るように煩悩を鎮めること
はできます。煩悩を鎮めることはでき、心を統御の継続ができれば、仏神の光が
臨んでまいります。「世人を照らす光の使命を果たしなさい。」と使命の自覚が
問われてまいります。私は心を統御し悟りを得て、「至福の中で一生を終えたい」
として使命を放棄すれば、使命の自覚の課題が残ります。また釈尊が世界人類の
救済に初転法輪して伝道の旅に出ても法による救済はしても、全人類の救済成就
とならないならば、その点が課題となってまいります。世界の教師に終わりは無
いのです。今世に何回も全人類救済に向けて輪廻転生することは大悟して人類救
済に当たることは当然の使命であります。
151 :
亭白 :2009/09/22(火) 11:38:12 ID:bh0RlFEv
>>150 続きます。
> 故に過去七仏の伝承どおり、過去に仏陀として少なくても七回輪廻転生している
根拠でもあります。大悟したら輪廻転生しないというのは、仏弟子の悟りの向上
と伝道を進めるための方便であったと思います。
152 :
析空 :2009/09/22(火) 13:51:24 ID:Ywoz+tct
>>150 【再生】の意味知っていますか?
【再生】とはどういう意味だとおもっていますか?
【再誕】という言葉は仏教について正しい知識人のあるひとは使わないものです。
外道の言葉ですから。
>>152 誰かさんは、【敢えて】そっちをスレタイに使ってたけどなw
154 :
亭白 :2009/09/22(火) 16:26:45 ID:bh0RlFEv
>>152 :析空さん
>【再生】の意味知っていますか?
☆>【再生】は現代になじむ漢字になって、ビデオの【再生】とかDVDの【再生】
に良く使われています。現代的には【再生】は過去の出来事を再度繰り返すという
意味の位置付けになっているので、古来の【再生】の意味との解釈が違うように
ように思います。クローン人間のでき得る現代科学においては【再生】と呼ぶので
しょうか?
析空さんの【再生】は再び生まれるさいは、同じインドの地に生まれ、お釈迦様と
同じ肉体遺伝子を持って生まれることを【再生】というのでしょうか?
【再誕】の方が国を選び両親の霊人を選び、まったく違った環境で肉体遺伝子も違う
なかでゼロから生まれることを意味します。ぬくもりのある、血が通っている感じ
がします。現代の人々と析空さんへの気づきのキッカケの一転語として【再生】と
【再誕】は同じではないと否定し、また【再生】も【再誕】も同じと肯定すること
で、大悟した仏陀も輪廻転生をすることの考えを深める一助になればと思います。
お釈迦様は仏法は絶対視してはいけないと他の教えも正しいものもあるという見解
もありますから、お釈迦様は信仰を捨てよと申されています。古来の仏典信仰は捨
て、現代にマッチした幸福の科学の本仏の教えを学ばれると良いでしょう。
155 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 17:12:56 ID:kDCXX1Tf
>>154 幸福の科学ももう時代遅れだ。
インターネットの普及により、
仏教について素人でも、基礎的な知識くらいは
すぐに調べられるようになった。
ブッダ(お釈迦様)や仏教とかけはなれた教え
であることが、すぐにバレちゃうよね。
156 :
析空 :2009/09/22(火) 17:18:30 ID:Ywoz+tct
>>154 【再生】とは、因縁によって、再び輪廻することを再生といいます。
仏教ではは霊魂のような基体を認めていません。
【再誕】とは、霊魂のような基体が、再び肉体に宿ることとされています。
あなたがた幸福の科学が、曲がりなりにも【科学】を標榜するのであれば、
仏教を正しく認識してから、話しをするべきではありませんか?
157 :
気まぐれ :2009/09/22(火) 17:52:25 ID:wq7qfjD5
質問。 仏教の研究者によると、釈迦は結局の所、『唯物論』を説いたという理解でいいだろうか?
158 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 18:00:42 ID:0KEVo5iX
宇宙にいる神様は一人ならば 仏陀に法を説くように促したのはブラフマン=イエスキリストですよね なのになぜ仏教とキリスト教の内容は違いますか?
159 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 18:02:25 ID:MEoHDkd9
>『唯物論』を説いたという理解 法華経によれば『唯物論』ではなく『唯佛与佛』論だろ。 佛のことは佛が知っている。
160 :
気まぐれ :2009/09/22(火) 18:10:31 ID:wq7qfjD5
>>159 ところが、仏教の研究者は、法華経をファンタジーであり、作り話だと言っている。
161 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 18:16:18 ID:0KEVo5iX
トマスによりキリスト教がインドまで広まりました そこで仏教がキリスト教に影響を受けて作りだされたのが法華経と言われてます
162 :
亭白 :2009/09/22(火) 18:24:17 ID:vVgjpGXF
☆仏教は唯物論ではありません。 無我は死んだら無になると勘違いしています。 無我は心の作用であり我執の執着を去って、心を軽くして、仏神への感謝と周りへの感謝で 感謝されるように無私なる奉仕をしたり、優れた才能あれば、周りに役に立つことをするこ とが、死後、あの世の天国に帰還できます。というこの世もあの世も幸福になる教えであり ます。唯物論の考えを捨てて「霊的人生観」を取ることが正しく生きることになります。
163 :
気まぐれ :2009/09/22(火) 18:26:04 ID:wq7qfjD5
釈迦が本当はどういう事を言っていたかは知らない。 しかし、『唯物論』は外道の説と言っていたらしい。 だとすれば、仏教の研究者は外道が多いと言えるのではないだろうか?
164 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 18:44:40 ID:mDTEL1lx
人が悟って仏になるという考え自体がファンタジー、イエスの復活と五十歩百歩、かな?
165 :
気まぐれ :2009/09/22(火) 19:37:38 ID:wq7qfjD5
まぁ、神秘体験をした人間としては、法華経の『久遠実成の釈迦』というのは真実だという感じがする。 [たとえ、法華経がファンタジーであり、作り話だとしても。] それから、世親の『唯識論』も正しい感じがする。 つまり、物質の世界は、現象の世界であり、無我・縁起・空であるが、霊魂の世界も第2の現象の世界であり、無我・縁起・空である。 そう見做した時に、否定できない何かがある。 それが真実の悟りの世界だと思う。←自説。
166 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 20:20:49 ID:vViUrh0d
>>158 宇宙にいる神様が一人ならば、それはアッラーです。仏陀に法を説くように
促したのはブラフマン=アッラーです。分かるかな。w
>>164 仏=仏陀=悟りを開いた人の事 だから、「悟りを開いたら仏になる」でなんら問題ないと思うが?
ああ、仏=神のような超越者という解釈かw
168 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 20:37:39 ID:mDTEL1lx
悟りを開くなんて、人にできる訳ないでしょう。
169 :
神も仏も名無しさん :2009/09/22(火) 21:05:37 ID:SXDlXmsE
質問スレなんで、議論は他所でやった方がいいと思います。
>>168 悟りを開く=超越者になるなら無理だなwww
171 :
析空 :2009/09/23(水) 12:08:42 ID:5Va+pDIE
>>157 学問仏教では、「唯物論」ではなく「縁起、空、中道」を説いたとされています。
「唯仏論」などという人は、中道を理解できないだけです。
172 :
亭白 :2009/09/23(水) 12:23:42 ID:cdmGF1Am
>>166 :神も仏も名無しさん
>仏陀に法を説くように促したのはブラフマン=アッラーです。分かるかな。
☆なかなか鋭い指摘ですね。
アッラーはナザレのイエス様が「主なる父よ」と崇めていた偉大なる方です。
東洋の梵天は如来の下の世界ですが、インドのお釈迦様に梵天勧請したのは
アッラーの偉大なる大霊であり、また大如来の神々の大霊であります。
西洋と東洋を統合したる主なる父はエル・カンターレが本来の名前であります。
旧約・新約に秘して明かされていない名前であります。
てゆーかここのスレの大部分の奴はは霊魂とか霊界とか普通に言ってるけど、 そもそもそーゆーレベルの論議は釈迦はあえてしなかったじゃないか。 何回議論しても答えが出そうも無いし、もっと学ぶべきことがあるだろうと言ってたぞ。 なんか最近、少しオカルトっぽいぞw
174 :
亭白 :2009/09/23(水) 16:09:24 ID:cdmGF1Am
>>171 :析空さん
>学問仏教では、「唯物論」ではなく「縁起、空、中道」を説いたとされています。
☆仏教は、「唯物論」ではありません。形而上の仏神の真理であり、霊的世界で
もあります。「縁起、空、中道」はすべて形而上の領域であり、形而下の領域
を含んだ世界観であり、真理の法則でもあります。
175 :
神も仏も名無しさん :2009/09/23(水) 16:56:02 ID:cGUW64wt
質問箱をカルトの勧誘場所にしないでください。 >>ALL また、 質問し難い空気が生まれています。 少しは自重されたらどうですか?
176 :
神も仏も名無しさん :2009/09/23(水) 18:59:19 ID:Vcj0FQky
>173
>>175 大部分、all じゃなくて亭白さんね
>>157 学問仏教が何を指すか不明ですが、文献学による仏教学を意味するなら、
唯物論という人もちょっと居ますが、それはかなりレヴェルの低い学者のみ。
仏教は縁起ということで多くの学者が一致していますが、
縁起が何かということでは一致をみない。
まあ、水野弘元、片山一良、平川彰、梶山雄一、藤田宏達、村上真完、
石飛道子、オルデンブルグ、フラウヴァルネル、ドラヴァレ・プサン、
あたりをみてください。
177 :
ひみちゅ& ◆vDcZR9esO2aG :2009/09/23(水) 19:49:19 ID:ylSMaYw3
ほぴ
178 :
析空 :2009/09/23(水) 21:57:48 ID:5Va+pDIE
>>174 仏教に「霊的世界」はありません。
縁起を理解できれば、霊魂は無いと分かります。
また「高次の霊」などという発想は、中道を理解できていない証拠です。
179 :
神も仏も名無しさん :2009/09/23(水) 22:08:45 ID:Vcj0FQky
180 :
神も仏も名無しさん :2009/09/23(水) 22:12:44 ID:Vcj0FQky
>>178 それに縁起を理解できれば霊魂が仮設されることも分かるだろう。
パーリでもヴィッニャーナが霊魂のように仮設されていることは知ってるよな。
君は大して分かってないって自覚したらどうだ。
181 :
気まぐれ :2009/09/23(水) 22:53:16 ID:TOBR3KTC
質問に答えてくれた人達、ありがとうございました。
182 :
亭白 :2009/09/24(木) 00:39:02 ID:/2TT5n/h
>>180 :神も仏も名無しさん
>さすが見抜いていますね。
183 :
亭白 :2009/09/24(木) 01:27:00 ID:/2TT5n/h
>>178 析空さん
>仏教に「霊的世界」はありません。
☆梵天勧請した梵天はどこから来たのでしょうか。
梵天はボウフラがわくようにでてきませんし、
卵の中に入っていたわけではありません。
あの世の霊天上界から梵天は来ています。
>縁起を理解できれば、霊魂は無いと分かります。
☆縁起を理解できれば、霊魂はあることが分かります。
梵天勧請した梵天とお釈迦様との縁起の関係を考えれば
分かる事です。
因はお釈迦様が大悟したら、梵天が現われました。肉体はないので霊魂で現われま
した。縁は梵天とお釈迦様とお会いしました。梵天勧請しました。
果は初転法輪の旅にでました。大乗伝道の実践しました。釈迦仏教が拡がりました。
報はお釈迦様は入滅し霊魂となってあの世の霊天上界の大如来の世界へ還りました。
高次な霊天上界では肉体はないので霊魂同士仏陀と梵天が会話されている確立は高い
と思います。因・縁・果・報はこの世だけで完結しません。この世とあの世と永遠の生
命で仏神より生かされています。輪廻転生で来来世で果・報になることも可能です。
霊魂を持った梵天は足はありません。仏陀も足はありません。
仏陀は光の光源です。この世の人間も心があり霊魂と不即不離の関係にあります。
人間に限らず霊魂が宿っているのです。死んだら死体から霊魂が抜けて、シルバー
コードが死体の頭部の天辺と霊魂の霊体の頭部と繋がっています。
シルバーコードまたは霊子線と言います。丁度御通夜の頃霊子線が切れたら本当の
死を迎えます。真実です。
>また「高次の霊」などという発想は、中道を理解できていない証拠です。
☆中道は、「高次の霊」は、真理の則と人生の目的と使命遂行に不惜身命仏神の御心
に適うことが、中道の意味です。中道は固定されたものでなくて流動的であります。
184 :
神も仏も名無しさん :2009/09/24(木) 01:50:40 ID:fovvzwH5
>>183 ここは佛教の質問箱スレです。よって佛教についてよく知らない
人たちも見ることを前提とするならば、あなたのような「佛教もどき」の
とんでも説を仏教と勘違いしてしまう人もいるかもしれません。
あなたが、どのようなとんでも説を信じようとかってですが、それをこのような
スレで語ることは極めて不適切であると考えます。
どうぞ「幸福の科学スレ」で好きなだけ語ってください。
185 :
析空 :2009/09/24(木) 08:44:40 ID:o/yDA+ob
そうですね。余りにも仏教の常識に無知なので、間違いを指摘しましたが、 いくら指摘しても聞く耳をもたないようです。 カルト宗教に騙されないように気をつけましょう。 【梵天】については、経典に出てきます。 しかし、霊界から来たなどと書かれていません。 それを根拠も無しに霊界から来たと断定するのがカルト宗教です。 【梵天】は、仏教以前のインドの最高神であり、宇宙に遍在しているといわれています。(霊界ではなく)
186 :
神も仏も名無しさん :2009/09/24(木) 09:21:11 ID:Uwd8z5Ib
>>185 貴方もいくら誤認を指摘しても認めないようですが。
187 :
お告げ選挙運動する大川りゅうほう盲信者荒らすなw :2009/09/24(木) 11:45:41 ID:sIU0Hn+Z
亭白と盲信者消えろ!!!!
188 :
お告げ選挙運動する大川りゅうほう盲信者荒らすなw :2009/09/24(木) 11:47:36 ID:sIU0Hn+Z
霊媒お告げ宗教なんぞ、クソだww 大川霊媒選挙運動クソお告げ運動宗教荒らし消えろw
189 :
お告げ選挙運動する大川りゅうほう盲信者荒らすなw :2009/09/24(木) 11:51:06 ID:sIU0Hn+Z
析空も。程度の低い、霊媒妄想洗脳文字クソ宗教信者を相手し過ぎ、 スルーの方がいい、 洗脳盲信者は相手するほど狂う、 析空は幸福の科学スレで論破してやる方がこのスレの為w
190 :
お告げ選挙運動する大川りゅうほう盲信者荒らすなw :2009/09/24(木) 11:58:45 ID:sIU0Hn+Z
大川霊媒りゅうほうは、高級霊の指導で、勝てない選挙戦に打ってでるw それが真理らしいwwwwww 大川りゅうほうていうのも、大本から、生長の家の分派の分派、 信者に本を多く買わせて、勝てない選挙運動資金へ、 貪りとられたカネ、無駄な選挙でみな消えるwwww
191 :
お告げ選挙運動する大川りゅうほう盲信者荒らすなw :2009/09/24(木) 12:11:15 ID:sIU0Hn+Z
192 :
神も仏も名無しさん :2009/09/24(木) 13:19:08 ID:TgAGez5b
>>185 :析空さん
>【梵天】は、宇宙に遍在しているといわれましたが、
この世の宇宙に遍在しているのでございましょうか?
この世の宇宙でなければ、どこの宇宙に遍在しているのでございましょうか?
よく分からないのですが?
193 :
析空 :2009/09/24(木) 16:38:03 ID:o/yDA+ob
>>192 【梵天】は、古代インドの神ですね。
仏教以前からインドの人々が信仰していました。
したがって仏典では梵天について何も説明されていません。説明の必要がなかったからです。
また、この様に古い神については、決まった定義などありません。
この世の何処にでも存在していると考えられているから【遍在】といいます。
代表的なものは、この宇宙は【梵天】で出来ているという思想です。
また、あらゆる生命は【梵天】であるとも考えられています。
因みに、釈尊は「神々と人間の師」と呼ばれています。
高級霊に指導されるということはありません。
194 :
神も仏も名無しさん :2009/09/24(木) 16:47:19 ID:TgAGez5b
>>193 :析空さん
>なるほどね。
分からない所ばかりで御質問なのでございますが、
梵天と釈尊はどちらが師になりますのでしょうか?
195 :
天国は自己責任??? :2009/09/24(木) 17:33:44 ID:w2AvJv9G
疑問があります。仏教は、死んだあと、生きてる人に供養してもらえないと 成仏できないって聞きます。ですが、この宗教の自由が認められている 国で暮らしている以上、自分が死んだ後に、家族の者がイスラム教や別の 宗教に改宗してしまうことがあるように思います。イスラム教は、偶像礼拝 禁止ですし、死んだ人を拝むなんてことはもってものほかですし、もしそのよう に他の家族が別の宗教に改宗してしまった場合、仏教で死んだ人はどうなるん でしょうか?
196 :
神も仏も名無しさん :2009/09/24(木) 20:36:08 ID:zcEaase8
過去ログ読んでないんで同じ質問あったらごめんなさい。 そして俗物的な質問でごめんなさい 檀家をやめたいです。何か必要なものはありますか? 親が死んで、そのまま村の檀家を継いだのですが、 自分にはどうしても檀家システムが馴染めません。 寄進、お布施、檀家費、そういうものにお金を払いたくないです。 仏教の教え自体はとても好きで、それを否定したくありません。 主に日本にあるような教えとしてではなく、根本的な仏教を心の指針にして 生きて生きたいです。 そもそもこういう考え自体が悪なのでしょうか・・・?
197 :
析空 :2009/09/24(木) 22:03:10 ID:o/yDA+ob
>>194 釈尊が覚りを啓いた時、それ以前の聖者と同じ様に、誰にも話しをせずに
そのまま入滅しようと考えたようです。
それを見ていた【梵天】が「このままでは世界は滅びる」と見て、釈尊に、
覚った内容を人々に説くよう要請したと仏典には書かれております。
そこから釈尊は「神々と人間の師」→天人師と呼ばれています。
【梵天】の師は、釈尊です。
あらゆる神々の師が、釈尊です。
(目に見えるものも、目に見えないものも)
198 :
析空 :2009/09/24(木) 22:18:28 ID:o/yDA+ob
>>195 【先祖供養】は、本来、仏教とは関係が無いといわれています。
古代インドでは、そしていまのインドでも先祖供養という意識は無いようです。
仏典(スッタニパータ)にも、死者を林に捨てて【親族も返り見ない】と記述されています。
従って、先祖供養にこだわる必要はありません。
199 :
神も仏も名無しさん :2009/09/24(木) 22:22:40 ID:Pjzq6EiW
>>167 キリスト教では人間が神のようになれるわけがない、そんな考え自体おこがましいと教える
でも仏=神ならば仏教は反対の考え方
キリスト教は神と人間の上下関係がはっきりしてるけどそもそも聖書は誰が書いたの?とか考えると怪しくなる
200 :
析空 :2009/09/24(木) 22:32:56 ID:o/yDA+ob
>>196 檀家を辞めたいという考えは悪くはありません。
しかし、周囲の迷信との闘いが待っているでしょう。
檀家を辞めるには、墓を移動しなければなりません。
墓を移転することに、あなたの親族が同意するかどうかですね。
後は13回忌などの法要をどうするかなどの問題もよく考えたほうが良いです。
201 :
一応坊主 :2009/09/25(金) 00:02:57 ID:1h7BJ++6
>>195 死んだあとに供養してもらえないと成仏できない、
などということはありません。
というか、供養してもらったぐらいで簡単に成仏できるほど甘くはありません。
法事は、生きている人の信仰心を育てるきっかけになるものです。
死んで輪廻してしまった者を法事で救える保証はありません。
救える可能性もないことはないけど…。
202 :
196 :2009/09/25(金) 00:05:11 ID:zcEaase8
>200 ありがとうございます 墓なんですが・・・相続放棄に墓は含まれるんでしょうか? 含まれるのであればすでにその権利を放棄しているので、 移動も何もないのかもしれません。 家族は血縁の無い母が一人です、同意に関しては快く思わないかも しれませんが、そもそも血縁がないのでどうしようもない問題なのです。 法要に関しては現在もしていませんし、する予定もありません。 明日、世話人に相談してみます。がんばってます。
203 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 00:27:33 ID:q6nAcCsk
>>202 寺側としては、墓を放置されたら正直たまらんが、
しかし、相続放棄してるなら仕方ないですね。
残された墓は、いずれ無縁仏として処理するしかないですね。
204 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 00:42:08 ID:YzznTiNp
>>201 輪廻転生は存在しません
各々一回限りの人生です
宇宙の唯一神イエスが言われてます
205 :
析空 :2009/09/25(金) 07:01:33 ID:Ze8VM1Gp
>>202 相続放棄は、あなたと国との間の税金の問題です。
墓については、あなたとお寺との契約の問題ですので、
お寺に相続放棄する旨を伝える必要があります。
その際、骨をどうするか、無縁仏にするのか、合祀するのか等を
決める必要があります。
206 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 08:04:12 ID:q6nAcCsk
>>205 それはおかしい。
今のケースは、もともと質問者本人がお寺に入信したのではない様子。
亡くなった身内やその先祖が寺の檀家であったけれども、
相続放棄したのなら、質問者はもともと相続人ではなかったとみなされる。
遺骨も墓も引き継ぐ義務はない。
いやむしろ、相続放棄したら他人だから、
遺骨やお墓を他人に勝手に引き渡すのは、寺側としても無茶な行為。
本物の相続人が現れたときに、
赤の他人にすでに渡しちゃいましたと説明できない。
207 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 08:18:14 ID:q6nAcCsk
たしかに、寺に相続放棄した旨を連絡してあげる必要はある。 黙って放置は寺側が困る。
208 :
亭白 :2009/09/25(金) 10:35:38 ID:6MnDcTcW
>>204 :神も仏も名無しさん
> 輪廻転生は存在しません 各々一回限りの人生です 宇宙の唯一神イエスが言われてます
☆ あの世の天国から両親の霊を選んで、この世に生を受けて大人になって死後、あの世
に帰還して、天国に住んで時期到来すれば天国から両親の霊を選んで、この世に生を受
けて大人になって死後、あの世に帰還する輪廻転生があるから人類の人口は減らない
のです。「各々一回限りの人生」で終わりなら死後あの世に帰天して輪廻転生しないな
ら、あの世の霊人口は激増しこの世の人口が激減しますね。そうすると地球に人類が、
いなくなります。あなたの述べる内容は人類滅亡論になります。
輪廻転生で循環しているからあの世もこの世も霊人口や人口も激増激減なく循環して
こそ人口秩序は保てるのであります。イエス様の伝道期間が約三年と非常に短いため
愛の教えを説きましたが、法敵が早くに出たため、弟子たちの養成もままならず、弟
子達等の認識が輪廻転生を説くまでに到っていなかったと思われます。
救世主が輪廻転生を知らないはずはありません。
209 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 10:47:31 ID:V72DvLZ8
>>208 この地球上で、(いや、宇宙でか?www)、人間様だけ特別なんだなw
これまでに、どれだけの動植物種が絶滅してきてると思ってるんだ?
「人間だけは絶滅してはいけない」と? こんなにも環境を悪化させているのに?
地球という惑星に生じた癌細胞並みの悪劣種なのに?
なんとも傲慢な思想だ・・・。 カルトらしい。 死ねよ、お前。
210 :
亭白 :2009/09/25(金) 11:16:45 ID:6MnDcTcW
>>209 :神も仏も名無しさん
>「死ねよ、お前。」の暴言のほうが遥かに傲慢ですね。
あなたが、動植物を愛しているとは到底思えません。
霊長類の人間が滅びて存在しない地球は、魂の修業の
場とはなりません。仏神が地球に新たな原初の人間を
創造すれば、子孫繁栄して人口増になることは可能だ
と思います。
211 :
こらこら、北朝鮮ミサイル病はスルーしたほうがいいぞw :2009/09/25(金) 11:41:29 ID:51RmDrY8
212 :
見極めし者 :2009/09/25(金) 11:53:19 ID:YzznTiNp
>>208 いえ私も実はそう思うんです
しかし最近教会に行ってみたら牧師に「輪廻や因果はない、なぜなら聖書にそう書いてるし神イエスが言ってる、クリスチャンのみがイエスを信じれば復活し永遠の命を得る
それ以外は永遠の死しかない」
と力説されました。
じゃあ私はつらい人生なんだから永遠の命なんていやだからクリスチャンにならなくていいやと思いました
イエスは実際は釈迦のような次元の存在だったのにローマの権力の利用の為に極端に神格化されたんだと思います
イエスは神ではなくあくまで最高に偉大な人間だったのだと思います
祈るべき対象は自身の神性であり宇宙の神という法則にします
イエスに祈るのは間違いでありイエスの望むことではないと気付き教会に通うのをやめました
世界で一番優れた宗教は仏教、法華経だと思います
213 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 15:50:42 ID:phHqpoND
>>212 失礼ですが、どこのイエスのお話をされているのでしょう。「イエス」は
平凡な名前なので沢山いましたし、今も沢山います。ただ多くのイエスの
中に福音書に書いてあるようなイエスは歴史の中には見つかっていません。
キリスト教会の伝承の中だけに登場しているのですから、お間違えないよう
にして下さい。完全虚構の疑い濃厚。
その点釈迦の史的実在は確実で、疑えません。
215 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 22:12:50 ID:t5bWQrJp
>>214 イエスは実在しています。処女マリアから生まれ、処刑後3日目に生き返って
、オリーブの丘からフワフワと天に昇っていった神の子キリストが歴史の中に
確認できていない、と言っているだけです。
イエスは実在していたとちゃんと言っているのに、文句があるんですか。
216 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 22:29:42 ID:cwHIObmG
キリスト・ネタはスレ違いですよ
質問です。 出家して悟りを開く→輪廻の輪を抜けるためには、在家の人々の助けが不可欠かと思うのですが、 在家の人々にとって何かメリットがあるのでしょうか? 大乗仏教の教えでは、その辺がフォローされているような気もするのですが、 初期仏教では(といってもよく知らないのですが)輪廻の輪を抜けられない 限り、苦しみが続くとのことなので、たまたま人に生まれて人の解脱を助けになっても、 悟りを開くところまでいかなければ、また一からやり直し、 というのでは在家の人々が報われないような気がするのですがその辺、 初期仏教の教えではどのようになっているのでしょうか?
218 :
神も仏も名無しさん :2009/09/25(金) 23:52:49 ID:cwHIObmG
>>217 出家者に食べ物などを供養することで福徳善業を積むことができます。
また、在家でも戒定慧を学べるので解脱も可能です。
219 :
167 :2009/09/26(土) 01:16:18 ID:UualaDk9
>>199 とりあえず、おまえが日本語読めないのだけは分かったw
俺は仏≠神であって、164が仏=神と考えているのはおかしいと主張してる
その上で、そもそも「仏」とは、仏陀(目覚めた人)=悟りを開いた人と言う意味だから、
言葉の定義から、悟りを開いた人を仏と呼ぶのに何の問題も無いと言ってるんだ。
仏を、神のような超越者であるという解釈をしているから、
「人が悟ると仏になる」と言うのを、
「人が悟ると神になる」と誤訳して、異常に見えるだけ。
実際には、異常なのは164、199の解釈w
220 :
神も仏も名無しさん :2009/09/26(土) 08:03:45 ID:l0cXWCti
>>217 在家信者は、出家者から仏教を学べます。
それで物足りないなら出家すればいい。
在家生活は続けたいけど仏教は学びたい、という人もいますよね。
仏教を教えてくれる出家者達の団体をサポートすることは、
仏教を教えてもらいたい信者にとってもメリットになります。
もちろん、三宝に帰依したり布施をすることも、
仏教的な善の心を養うための訓練になります。
お釈迦様の時代には、在家信者でも悟りを得た人がたくさんいたようです。
221 :
神も仏も名無しさん :2009/09/26(土) 10:00:37 ID:bCYcDdRL
出家しないで解脱できるって言った人誰?池田大作?
どうもありがとうございます。 仏陀の時代に在家でも悟りを得られた人もいたのですか。 まだ初期仏教について勉強を始めたばかりなので、ちょっと想像ができないです。 初期仏教の教えでは、自分自身の正しい行い→気づきのようなものが重要視されていて、 善行&慈悲の心はそれほど強調されていないように思いました。 この解釈は間違っていますか? 大乗仏教的には220さんのおっしゃるように在家と出家者がよい関係にありそうですが、 最初を読んだだけなのですが、 蛇の章7.賎しい人128 他人の家でもてなされながら、返礼としてもてなさない人は賎しい人と知れ とある一方、 蛇の章12.聖者217 (食をあたえてくれた人を)ほめることなく、罵ることもないならば賢者は彼を聖者と知る 同220 両者は住所も生活も隔たっていて、等しくない。在家者は妻を養うが(略)出家者は執着がない。 在家者は他のものの生命を害って節制することがないが、聖者は自制していて常に生命あるものを守る。 同221 在家者は林の中で瞑想する出家者にはおよばない。 初期仏教では在家者の施しを受ける割には在家者が大事にされていないような気がしました。 なにかお礼をしているようでもないしw また仮に私が出家した場合、受けた施しに対してどう考えればいいのかという疑問もあります。 もちろん報われる報われないなどというレベルで考えてはいけないとは思いますが、 なにか納得できません。時代&思想が違いすぎるのですかね?
223 :
神も仏も名無しさん :2009/09/26(土) 16:57:17 ID:l0cXWCti
>>221 大パリニッバーナ経で、
在家信者でも悟りの段階に入った人々のことがでてきます。
224 :
神も仏も名無しさん :2009/09/26(土) 17:44:03 ID:fJ1rxzRY
現代で唯一効果のあるのは法華経?
225 :
神も仏も名無しさん :2009/09/26(土) 22:50:13 ID:l0cXWCti
226 :
神も仏も名無しさん :2009/09/26(土) 22:56:34 ID:fJ1rxzRY
うん、祈り実践することで幸福感を得られるという現実的な効果
227 :
神も仏も名無しさん :2009/09/26(土) 23:22:51 ID:l0cXWCti
228 :
析空 :2009/09/27(日) 11:44:44 ID:/WEglNMU
>>226 「祈り」が叶わなければ不幸になるから、何の解決にもならない。
229 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 12:10:25 ID:RII6Lgn7
幸福に執着することが不幸の因 不幸を感じるのが果 幸福は不幸がなければ成り立たず、不幸もまた幸福がなければ成り立たない。 諸覚者さんたちは対立する概念を越えたのかな?
230 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 12:27:40 ID:WbCmBTuP
理屈乙 難しいこと言わずにシンプルにいきなさい 幸福になりたいかなりたくないか それだけ 頭でっかちはやめなさい
231 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 12:35:24 ID:WbCmBTuP
祈りが叶うかどうかではなく大宇宙のリズムに合致して 生命力豊かになるかどうか、生きてること自体楽しくなるかどうか それが宗教の役割 仏陀も理屈を嫌った
232 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 12:52:50 ID:RII6Lgn7
仏陀が理屈嫌っていようが関係なくね? キミはゴータマ・シッダールタになりたいのか?
釈迦は幸福の追求ではなく苦の滅をかたった。
234 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 12:56:02 ID:WbCmBTuP
なりたい 仏道修業すれば釈尊程度の仏には誰にでもなれると日蓮は言った
235 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 12:58:15 ID:WbCmBTuP
力関係 弥勒(イエスキリスト) 〉日蓮〉釈尊〉空海
言うだけなら俺でもいえるw
237 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 13:00:01 ID:WbCmBTuP
君は仏じゃないからね
まあ本気で言っている訳じゃないんだろう
信仰は自由。 仏教徒は信仰しないけどw
241 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 13:07:15 ID:WbCmBTuP
はっきり言います 釈迦の教えは既に賞味期限切れており救われない 今の末法では
でたw
243 :
本当は万物一体 :2009/09/27(日) 13:11:34 ID:RII6Lgn7
>>241 どう見てもキミは救われていない。
というより、この世で救われていないのはキミだけだ。
はっきり言うとね
さて、外で遊んでくるかw
245 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 13:12:35 ID:WbCmBTuP
まあまあww
246 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 13:16:11 ID:WbCmBTuP
>>243 それだったら最高にうれしいです
何故なら他全人類はもう救われておりもう二度と戦争や事件が起きないからです。
私はそれなら幸せです
戦争や事件がおきなければ救われているだと? キミはジョン・レノンか? 悲しみがなくなったら、キミの求めている幸せもなくなるんだぞ・・多分 議論は終わりにします。
248 :
析空 :2009/09/27(日) 13:47:44 ID:/WEglNMU
今も戦争は起こっているし、事件も起こっている。 世の中を見たまえ。 原因は煩悩だ。
249 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 13:53:36 ID:WbCmBTuP
>>247 なくなれば救われるんじゃなく
救われてるならそういった事を起こさない、が正解
喜怒哀楽を満喫することも幸せである
250 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 15:10:50 ID:yzR5GZ4u
悟りって、本当にあり得るのかな?
251 :
白蓮 :2009/09/27(日) 17:10:55 ID:+fQIq/C3
>>250 :神も仏も名無しさん
>悟りって、本当にあり得るのかな?
※悟りの道は100%ありますよ。
でも誰でも悟れるものでもないのです。
悟りは苦行で得るものではないですね。
いかに仏陀を目指し、心軽やかにして爽やかな心を統御し
継続できるかが、悟りのポイントの一つですね。
252 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 17:21:05 ID:yzR5GZ4u
参考にさせていただきますm(_ _ )m
253 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 17:25:00 ID:WbCmBTuP
南無妙法華経と唱えるだけで悟れます
254 :
白蓮 :2009/09/27(日) 20:57:41 ID:gKrmRnnt
>>253 :神も仏も名無しさん
>南無妙法華経と唱えるだけで悟れます
※南無妙法華経と唱えるだけでは悟れません。
>>253 そりゃすごいや。
一回でイイの?何回?w
257 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 21:35:46 ID:G8kqualt
258 :
白蓮 :2009/09/27(日) 22:11:34 ID:gKrmRnnt
>>257 :神も仏も名無しさん
> あなたは悟っているの?
※悟りに段階がありますから、
阿羅漢の悟り
菩薩の悟り
梵天の悟り
如来の悟り
がありますが、自分からは言いづらいでしょう。
日本に仏陀再誕し大悟された方を知っています。
私も仏弟子になっています。
259 :
神も仏も名無しさん :2009/09/27(日) 22:17:33 ID:iBqIc2A+
>>258 大川興業の営業なら帰った、帰った。ここは仏教について質疑応答するとこで、
政治に笑いを持ち込む芸人さんを議論するとこじゃないぞ(^^)
260 :
妖拳 :2009/09/27(日) 22:34:38 ID:yzR5GZ4u
>>258 250は自分です。悟りに段階があるとは知りませんでした。
これも参考にさせていただきます(@_@)
261 :
白蓮のクソ、勝てない選挙運動奴隷宗教おおかわアホりゅうほう :2009/09/28(月) 12:26:15 ID:tjU1r5YV
白蓮のクソは、勝てない選挙運動奴隷宗教おおかわアホりゅうほう宗教です、 勝てない選挙運動奴隷宗教の意見など、 勝てない人生を勝てると妄想思想者と会話するものだwww
262 :
('∀') :2009/09/28(月) 13:43:12 ID:+p8p5Dn4
>>206 相続放棄しても骨等々は相続放棄の対象にはならないよ
法律あるから
そもそも骨等は相続財産には含まれないから
263 :
神も仏も名無しさん :2009/09/28(月) 14:50:25 ID:rB0SH1fr
>>251 > いかに仏陀を目指し、心軽やかにして爽やかな心を統御し
> 継続できるかが、悟りのポイントの一つですね。
どしてそう言えるの?
264 :
神も仏も名無しさん :2009/09/28(月) 14:55:28 ID:75BvZzMf
265 :
196 :2009/09/28(月) 19:00:39 ID:dUpReTMG
たくさんのレス、ありがとうございます。
お寺の世話人さんとまだ直接お話が出来ていないので、保留の段階です。
教えて君も嫌だったので自分でもググッてみました。
http://questionbox.jp.msn.com/qa2014784.html のような回答が一般的なので、
>>206 さんのお話の通りかもしれません。
少し現状をお話すると現在、血縁の無い義母と二人暮しです。事情があって
別々に暮らそうかということになり、準備をしています。
今までは義母の願いもありお寺を続けてきましたが、自分自身はその意志は全くありません。
先祖を疎んでいるわけではありませんが、生活だけで手一杯の現状で、檀家費だ、墓の維持費だ、
管理費だお寺改築の積立金だ、寄進だと迫られるのに耐えられません。
およそ村と呼ばれる所に住んでいるため、義母に肩身の狭い思いをさせたくなかったので
黙って払っていましたが出て行くにあたって、もう縁を切ってしまいたいのです。
なぜ供養に、多額のお金が必要なのですか?(それはまた別の議論かもしれませんが)
最低の金額(檀家費や管理費)程度ならば払い、波風立てず辞めずに続けていこうかとも思いますが・・・。
積立金や寄進というのは断れないものなんでしょうか・・・?
無理ならば、全てを放棄したいのですが・・・。
辞めるのならば「○○代を払え!」というような事を言われるのでしょうか?
やっぱり教えて君になってしまいましたが、ご存知でしたら教えて下さい。
また、ご意見あれば否定、肯定どちらでも構わないのでお言葉を賜りたく思います。
266 :
白蓮 :2009/09/28(月) 20:49:01 ID:iQ1vh0JO
>>263 :神も仏も名無しさん
>どしてそう言えるの?
※悟りは真理の姿が正しく見えてこそ、正しく悟りとは何かを掴むことは可能であります。
すべての人々の心の深く底に綺麗な般若の池の底に、悟りの智慧の宝物があります。
ただ、心が恐怖で動揺したり、怒りの炎で心が波立ったり、嫉妬や恨み心も心は雲って
していては心の底の宝物は宝物として見えないのであります。堆積物で真っ暗に見えた
り、恐怖心で化け物が来るように見えたりして、心の底の姿を正しく結べないのであ
ります。そのために心の統御が大事になります。心の底に澱が溜まりば、反省によって
かき出さなくてはなりません。それは長年の心の傾向性によって出来た心の澱は心の
重りになり反省によって短期間で全て澱が取れるわけではありません。
日頃の正しく爽やかに生きる精進が大切であります。
宝物を見るには心の明かりが必要であります。その心の明かりこそ仏法真理の学び
仏法真理をいかに実人生に組み込んで行く事で真理を腑に落とす智慧としてストッ
クして行くことであります。真理の智慧のストックは自己の心の明かりにもなり、
他者への心の明かりの気づきの機会になるのであります。いわゆる利自即利他の精
神が大事になります。これは取りも直さず仏神への正しい方向性となるからであります。
反省によって正しい方向性の軌道修正は日々必要なものです。
心のチリやホコリをはらい、心の澱を取り出して行くと、心が軽くさわやかな気持ちに
なり、心の波立ちもなく水鏡の明鏡止水の心の統御の継続が、心の底の正しい姿が映じ
てまいりますと、心の底に般若の智慧の宝物が、見えてまいります。何故見えるかとい
うと、自らの心の明かりを照らしているが故に、心の底に般若の智慧の宝物が見えてま
いります。般若の智慧の宝物を手にする時、悟りの世界は展開してまいります。
雑駁ではありますが、悟りと心の軽さの爽やかさの密接な関係について述べさせて頂き
ました。お分かりになりましたでしょうか?
268 :
現役僧侶 :2009/09/28(月) 23:32:23 ID:HhCcs5nB
堕落仏教徒はあの世を嫌う。 釈尊は生天論を説いたのだぞ。 白蓮先生がんばれ。
269 :
神も仏も名無しさん :2009/09/29(火) 01:46:31 ID:hh22k/Cz
270 :
神も仏も名無しさん :2009/09/29(火) 05:29:31 ID:XzVVDWyG
ティク・ナット・ハン僧侶のインタービーイングってなに?
271 :
白蓮 :2009/09/29(火) 09:29:26 ID:LXKh9BX1
>>268 :現役僧侶さん
>※強力な応援を頂きまして誠にありがとうございました。感謝です。
勇気百倍・元気百倍の情熱を頂きました。
現役の僧侶さんで釈尊は生天論を説かれていた。と明言なさる方は
なかなか勇気のいった行為であると思います。
檀家等の信用問題もあり、僧侶の中では、鶏群の一鶴の貴重な御仁
であります。
共に仏国土ユートピアのジャパニーズ・ドリームに向けて頑張ってま
いりましょう。
272 :
析空 :2009/09/29(火) 09:54:02 ID:sWXwE3hW
>>268 現役僧侶さんへ
【仏陀の再誕】は、ありえますか?
273 :
神も仏も名無しさん :2009/09/29(火) 10:18:38 ID:k9pAsKNQ
質問なんだが、仏教はインドが発祥だよな? なんで今のインドはヒンデゥー教なの?
274 :
白蓮、勝てない選挙運動奴隷地獄w :2009/09/29(火) 12:05:27 ID:YTji2FFm
白蓮は現世において勝てない選挙運動奴隷地獄wの修行中ですw 白蓮相手し過ぎだぞw 白蓮はかまって頂戴餓鬼地獄の現世の修行中だぞw 大川アホりゅうほうは、病的自己愛、病的虚栄心だからねw 総裁とかネーミング付けるのだから、 大川アホりゅうほうよれば、仏陀は勝てない選挙運動奴隷地獄の修行し、北朝鮮ミサイル病であり、 信者、衆生からカネを貪るものでwwwwwww、 大川アホりゅうほうは仏陀再誕であるらしいがwwww
275 :
析空 :2009/09/29(火) 14:38:15 ID:sWXwE3hW
>>273 13世紀、イスラム教徒が、インドの仏教寺院をことごとく焼き打ちしたため、
インドでは仏教が滅んだ。
276 :
神も仏も名無しさん :2009/09/29(火) 21:21:14 ID:8yByV6cR
>>268 じゃ、大川イコール釈迦なの?
それとも…
277 :
白蓮 :2009/09/29(火) 23:02:41 ID:dTpcOl5s
>>276 :神も仏も名無しさん
>じゃ、大川イコール釈迦なの?
それとも…
※大川隆法総裁は、お釈迦様の本体であり「本仏」であります。
この板初カキコです。 さっき不思議な体験をしたので、質問させてください。 三分ほどお経を聞いただけで肉体的苦痛がスゥーッと消えてなくなる事は有り得るんでしょうか? ちなみに、生で聞いたのではなく、携帯の着うたフルです。 自分は宗教は全く興味がなく、神社に行った時に五円玉を投げてチャリンチャリンする程度で、 知識も何もありません。 仏教の宗派も学校で習ったけどすぐ忘れたし、一応田舎の古い家の習慣で祀るものとかあって仏壇もあって、でもそういうのは全部祖母がやっています。 家の宗派も知りません。 家族で宗教的な話をする事も一切ありません。 悪い事したら罰があたる、とかは小さい頃言われてましたが。 お経を聞いた経緯は、音楽が好きで、着うたサイトでお経というジャンルがあり、興味本位でたまたま選んだものをダウンロードし、聞いた、という所です。 そしてその時たまたま、本来の自分の体質と体験からはすぐにはおさまらない肉体的苦痛があり、紛らわすために携帯サイトを見ていたのですが・・・ 上記の質問の現象が起こりました。 信心も知識も全くなくてもこういうことって有り得るんでしょうか? それともただの偶然でしょうか? 気になるので、もう一度同じ苦痛(自分で行った結果)行い、同じお経を聞いてみる、というのは冒涜でしょうか? 罰が当たりそうで今の所その欲求は抑えています。
やはり信じがたく謎に対する探求心から、自ら苦痛を引き起こす事を実行してしまいました。 既に軽い苦痛があるのですが、徐々に苦痛が酷くなるので、限界を感じた時にもう一度先程のお経を聞いてみます。 それまでお経は封印ですw 結果はよろしければ報告させて頂きます。 但し病気に関連する事の為、万が一昏睡状態になった場合は報告出来ないかもしれません。 万が一です、ある程度の自制はしたので大丈夫です。
すみません、今目が覚めました。 あれから一時間、苦しさにもがきつつも、リズムがあったので、まだまだ、と思っていたら半昏睡状態に。 さっき寒さで目覚めました。 が、吐き気が酷いので今南無妙法蓮華経二回目のリピート中。 本来の目的には使えませんでしたw そういえば半日以内に二度もしたせいか、普段と違っていました。 普段は苦痛にリズムなどないのに、思わず唸ってしまう事を繰り返していました。 まさか意識を失うとは・・・ 苦痛が酷く、動けなくなることが多い(痛み関係なく)ので、いつも布団で横になるのですが、それがよかったみたいです。 と、書いている間に吐き気が消えたのですが、物理的には横になったまま携帯をうっていただけなのですが、なんなのでしょうか、これは? ただの吐き気とむかつきだし、実験失敗だし、やはり偶然でしょうか? 信心もしていないのにマインドコントロールはないですよね? どなたか、最初の質問にだけでいいので答えて頂けると幸いです┏о あれだけはやはり納得がいきません。 これから寝るので、レス遅くなるかもしれません。 と言うか、経典とか文献とか難しい事関係なく、長文・連投非常に失礼いたしました。 不快に思われたスレ住人さんがいらっしゃったら、その旨レスお願いします。 二度とこのスレにカキコしないので。。
281 :
神も仏も名無しさん :2009/09/30(水) 07:01:49 ID:ldRMP/+K
>>280 まず、お経を気軽に聴いたりしても
罰があたったりはしませんので安心してください。
お経の一定のリズムに意識を合わせて聴いていると、
瞑想的な効果はあるかもしれません。
痛みを気にしなくてすむ可能性はあります。
>>281 回答ありがとうございます┏о
瞑想はわからないですが、リズム感ですか。
音楽療法やリトミックと同じですね。
違うこともしながらバックミュージックにしていましたが。
でも普段なら5時間は苦しむ事(一回目)が、お経じゃない曲に変えてからも再発しなかったのが不思議です。
気軽に聞いていいと聞いて安心しました。
今朝祖母に話したところ、般若心経だったら寝ながら聞いたら罰が当たるとこだったよ、と言われました。
そういう意味の違いとかあるんでしょうか?
ちなみに家は真言宗でした。
お経、詠歌など興味が湧いてきたので、これから色々収集したいと思います。
読めないので音だけ。
地域ごとでお経も違うと祖母が言いましたし、私も実家と家では車で一時間ですが違っていた気がするので。
実家の方の祖母は詠歌の資格を持っているそうなので、今度会ったとき録音させてもらいます。
後、詠歌は真言宗?以外でもありますか?
283 :
白蓮 :2009/09/30(水) 15:04:23 ID:D7Hm24AE
>>280 : ◆ArUUQ423Kgさん
あなたは、霊体質かもしれません。
吐き気でゲロゲロしたり
背中に痛みが走ったり
押さえつけられるような圧迫感があったり
頭が締め付けられるような頭が割れるような痛みがあったり
腰まわりがイライラするような痛みだったり
肩が凝って痛かったり
耳鳴りがしたり
腹痛が差し込むように痛いとか
下痢しても、また下痢したり
していましたら低級霊体質で、霊障に気おつけてください。
霊障は宗教遍歴すると深みにはまります。気おつけてください。
霊体質の方は、人ごみの中や気持ちの悪い所は出入りしないほうが良いです。
284 :
神も仏も名無しさん :2009/09/30(水) 15:31:26 ID:UIq1B6mY
>>282 お経は呪文ではありません。しかし神秘的な力があるのではないかという
先入観をもって接すれば、深層意識が反応して、非日常的な現象を体験して
しまうことはあり得るでしょう。
お経は決して神秘的なものではありませんから、いちど口語訳されたものを
お読みになって、理性でそのことをよく納得なさって下さい。
285 :
現役僧侶 :2009/09/30(水) 16:38:26 ID:w/7HZhMc
286 :
現役僧侶 :2009/09/30(水) 16:52:07 ID:w/7HZhMc
288 :
神も仏も名無しさん :2009/09/30(水) 19:25:50 ID:mx0jlkL4
幸福の科学のスレあちこちあるじゃん 少しでも、良心があるなら来ないでほしい。 それでも来るなら幸福の科学の信者であること名乗ってくれよ。 それなら、そうと思って…素人ものぞくんだから
289 :
神も仏も名無しさん :2009/09/30(水) 20:10:11 ID:hY+hw3jD
>>288 そうそう大川興業が仏教を語るのは詐欺だよね。
ところで現役僧侶って、ホントなら止めてね。
290 :
風の旅人 :2009/09/30(水) 21:27:10 ID:Il0a1f10
僧侶や仏教の研究者にお尋ねしたい。 あなたにとって、『悟り』とはどういうものだろうか? (ちなみに、当方は完全に『無執着になった状態』だと考えている。)
291 :
白蓮 :2009/09/30(水) 22:49:44 ID:n37hLv2q
>>現役僧侶さん ※物凄い勇気ありがとうございました。 「仏陀再誕」の伝承の元になるアジャンター石窟寺院の動画 ありがとうございます。 現役僧侶さん勇気百倍の行為によって「仏陀再誕」の伝承と 映画「仏陀再誕」の上映予定が、日本から全世界に無限の良き 感化力となつて、日本に仏陀が再誕されていることを、日本中 に世界中に駆け巡り、日本に限らず全世界にミリオン動員の計 り知れない熱き情熱のうねりが起きて、映画「仏陀再誕」の上 映にミリオン動員で、全ての上映する映画館に連日連夜満員に なって、ロングランヒットとなりますよう心より祈念申し上げ ます。本当に感謝です。
292 :
風の旅人 :2009/09/30(水) 22:55:24 ID:Il0a1f10
ちょ……、ここは、『幸福の科学』の宣伝スレではないと思うが(-.-;)。 でも、まぁ、白蓮さん、あなたにとって『悟り』とはどういうものだろうか?
293 :
白蓮 :2009/10/01(木) 00:15:12 ID:E7zM6vrb
>>290 :風の旅人さん
>僧侶や仏教の研究者にお尋ねしたい。
あなたにとって、『悟り』とはどういうものだろうか?
(ちなみに、当方は完全に『無執着になった状態』だと考えている。)
※「悟り」にも段階はありますが、登竜門として阿羅漢の悟りまでは、
誰でも可能であります。まず仏法真理の学びから入ってまいります。
仏法真理は幸福の科学の教えであります。仏法真理の正しき価値基準
の正しい物差しをつくることが大事です。今までのこの世で得た価値観
や成功体験を全て白紙にして自己の半生を仏法真理の学びを通して反
省します。毎日良心に照らして恥ずべきものがあれば、瞬時に反省に入
ります。そして心の軽さと爽やかさの点検を確認し続けます。
仏法真理の霊知識を腑に落とすよう学ぶことです。仏法真理が思想の一
つであるという考えはまだ腑に落ちていないのであります。
大川隆法総裁は大悟されておられます。日本に仏陀再誕された御本人で
あります。
仏法真理の基礎固めしつつ、真理の学びは続けてまいります。
そして静かな誰もいない所で、瞑想の邪魔になるのはあらかじめ取
り除いておきます。瞑想の習慣は悟りに到るためには大事なポイン
トであります。瞑想する場所の磁場管理が大変であると思います。
幸福の科学の正心館に礼拝堂とか瞑想室がありますが、私は礼拝堂
で行います。人の出入りの少ない時に瞑想をします。
294 :
白蓮 :2009/10/01(木) 00:21:51 ID:E7zM6vrb
>>293 (続き)
>正心館の礼拝堂は結界があり心配はありませんが、自宅等瞑想する
場所の磁場管理が大変であります。
ただ、瞑想中に体が勝ってに揺れて動いたり、体が具合悪くなった
り、体が寒くなったり、体の一部が異常に熱くなったり、煩悩が湧
いてきたり、体が痛くなったり、呼吸困難になったり、イライラし
たり、黒い影が見えたりしたらなど少しの変調があれば、瞑想を解
くことです。
瞑想スタイルは椅子瞑想で良いですが、無理の無い姿勢で行ないます。
まず口から息を吐き出して、鼻から空気を吸います。腹式呼吸です。
できない人は深呼吸からはじめてください。
鼻の穴が小さくて呼吸困難になる方は口から息をはいて、口から空気を
吸ってください。瞑想に嫌気がさしたり無理を感じても瞑想を解いてく
ださい。
確かに『無執着になった状態』も大事なポイントです。
無執着は心の統御による心のコントロールの持続が大事であります。
最低一時間心が統御されて無執着になった状態が継続できることで
あります。この状態は受身の心の放散状態であります。
水鏡に水が張って波立たない明鏡止水の心境の維持になってまいり
ます。この悟りの下地作りの基礎から始まります。
放散の心の状態から、自助努力から利自利自即利他の念いで、仏神
への方向に心を集中してまいります。心の放散から心の集中、そし
て放散しそして集中して、繰り返しになります。
個人差もありますが、中には順調に行けば阿羅漢の悟りを得る方は
出てこられます。
>>292 じゃあここで聞かないで下さいよ。スレ違いを認識してるなら、
誘導して別スレで質問してください。
仏教を信仰されている人は、解脱したいと思っているのでしょうか? 解脱するということは輪廻をはなれて、もう人間として生まれてこないということになりますけど、 そのほうがいいのでしょうか。 私は輪廻転生があるなら、また人間としてやり直したいと思いますので、 解脱したくないです。
>>284 音として楽しみたいだけなので、せっかくですが、訳までは興味がありません。
英語の曲を良く聴き、この曲好き、とか言っているけど、歌詞は知らないのと同じ感じです。
落ち着く音楽とか、気分がのる音楽とか、古来のアフリカの音楽とか、一年弱前に出た眠つきがよくなるCDとか、
そういうのを浅く広く楽しみたいレベルなんです、申し訳ありません。
スレチでした。
>>283 宗派?を変えるつもりはありません。
田舎で風習が根強いですし、それに慣れ親しむのもなかなか難しいです。
祖母に生け花を教わるのと同じように、代々やってきたやり方(線香立てたりチンしたりする順番とか)を教えてもらうつもりです。
お経についても上記の通りです。
あと、誤解を招いたようなので、昏睡に陥るメカニズムについては、低血糖症、でお調べください。
苦痛と言うのは、単に人より内蔵器官が極端に弱っているため、固形物を摂取するとなるのです。
自分のよく知らない名前の体質だそうですが、人ごみは通院などのため避けられませんし、おどろおどろしいところは元から嫌いなので行きません。
ご忠告ありがとうございます。
298 :
神も仏も名無しさん :2009/10/01(木) 03:18:44 ID:YRBKH2Pq
>>290 悟りとは、煩悩がなくなることです。
悟りには4段階あり、煩悩が消える順番が決まっているようです。
悟り1(預流果ヨルカ)で、有身見・疑・戒禁取見の3つの煩悩が消える。
悟り2(一来果イチライカ)で、貪欲・怒りの2つが弱まる。
悟り3(不還果フゲンカ)で、貪欲・怒りの2つが消える。
悟り4(阿羅漢果アラカンカ)で、色貪・無色貪・掉挙・慢・無明の5つが消えて、
すべての煩悩が消え、悟りのゴール。
299 :
神も仏も名無しさん :2009/10/01(木) 03:26:53 ID:YRBKH2Pq
>>296 解脱したいです。
というか、本気で解脱したいと思えるようになりたいです。
>>299 回答、ありがとうございます。さらにお聞きしたいのですが、解脱したい理由はなんでしょうか。
仏教では、覚りと、輪廻からの離脱がリンクしていると思いますが、もし、りリンクしていないとしたら、
解脱したい理由は、(1)覚りたいから、(2)輪廻から外れたいから、(1)、(2)の両方、のどれでしょうか。
もし、覚りながら輪廻にとどまれるとしたら、それを希望しますか?
もし、輪廻から外れたいとしたら、あなたは現世を生きるのが嫌なのでしょうか?
301 :
神も仏も名無しさん :2009/10/01(木) 04:40:59 ID:YRBKH2Pq
>>300 お釈迦様の教え(四諦)に頭では納得できたから。
もちろん、輪廻があるのかどうか、また、
悟って煩悩がなくなったら本当に輪廻から解脱できるのかは、
私にはわかりません。(そう信じてるけど確かめようがない。)
ですが、お釈迦様の教えには納得できたから、
お釈迦様が示してくれた道にのっかりたい。
今はまだ、頭で納得できただけで、心がついていけてません。
だから、本気で解脱を求めるような強い心にはなれていない。
(もしも本気で解脱したいと思えたら、
もう悟りに片足を踏みこめてるのかも。)
302 :
神も仏も名無しさん :2009/10/01(木) 04:49:01 ID:YRBKH2Pq
>>300 煩悩がなくならないと悩み苦しみがなくならない。
生きることは苦しみであり、
苦しみがなくなったら生命はストップ(解脱)するのだと思います。
お腹がすくという苦しみがあるから、食べる。
食べたらまた生きながらえてしまう。
食べたいと思うこともまた苦しみ。
食べたいという苦しみがなくなれば、
食べものを求めて動く必要がなくなり、つまり生きる必要がなくなる。
食べたいという苦しみだけじゃなく、あらゆる苦しみ(刺激への反応)がなくなれば、
生きるという活動の必要がなくなり、生命であることから卒業できる。
だから、悟り(煩悩がなくなる)と解脱はリンクして考えています。
303 :
白蓮、勝てない選挙運動奴隷地獄w :2009/10/01(木) 11:22:45 ID:A/09KaHf
白蓮は現世において勝てない選挙運動奴隷地獄wの修行中ですw 白蓮相手し過ぎだぞw 白蓮はかまって頂戴餓鬼地獄の現世の修行中だぞw 大川アホりゅうほうは、病的自己愛、病的虚栄心だからねw 総裁とかネーミング付けるのだから、 大川アホりゅうほうよれば、仏陀は勝てない選挙運動奴隷地獄の修行し、北朝鮮ミサイル病であり、 信者、衆生からカネを貪るものでwwwwwww、 大川アホりゅうほうは仏陀再誕であるらしいがwwww
304 :
白蓮、勝てない選挙運動奴隷地獄w :2009/10/01(木) 11:25:38 ID:A/09KaHf
仏陀の言葉より大川アホりゅうほうと白蓮の個人崇拝妄信信者をカルト性の問題点を追及してみようw それゆえに、この世でみずからを島とし、自らをたよりとして、他の人をたよりとせず、 法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。 (大パリニッパーナ経2章26節) 大川アホりゅうほうをたよるなw 愚かな者をみちづれとするな。 独りでいくほうがよい。 孤独で歩め。(ダンマパダ330) 大川アホりゅうほうを妄信するなw 親しみ慣れることから恐れが生じ、 (スッタニパータ207) 大川アホりゅうほうに親しみ溺れるなw 内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、 このようによく気をつけて行っている人の認識作用は止滅するのである。 (テーラガーター) 大川アホりゅうほうが素晴らしいと思い妄信する内は止滅不可能w 妄執を友としている人は、この状態から かの状態への永い間流転して、輪廻を超えることがない。 (スッタニパータ740) 大川アホりゅうほう妄信、個人崇拝を妄執としているものは・・ 人がなにかあるものに依拠して「その他ののものはつまらぬものである」 と見なすならば、ソレは実にこだわりである、と (真理に達した人々)は語る。 それゆえに修行者は、見たこと、学んだこと、思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない (スッタ二パータ798) 大川アホりゅうほうの本に依拠して判定するなw
305 :
白蓮、勝てない選挙運動奴隷地獄w :2009/10/01(木) 11:28:37 ID:A/09KaHf
想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。 智恵によって解脱した人には、迷いが存在しない。 想いと見解とに固執した人々は、他人と衝突しながら、世の中をうろつく。 (スッタ二パータ847) 大川アホりゅうほうの本の知識に固執して狂った盲信者が如何に多かった事かw マーガンディヤよ。 「わたしはこのことを説く」ということが わたくしにはない。 諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、 諸々の見解における過誤を見て、 固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。 (スッタ二パータ837) 大川アホりゅうほう及び白蓮盲信者はとかく、「このことを説く」と言う意識と執着が多いw 妄執は苦しみの起こる原因である。 (スッタ二パータ741) 大川アホりゅうほう妄信信者の苦しみは多そうだw 貧欲と嫌悪とは自身から生ずる。 好きと嫌いと身の毛をよだつこととは、 自身から生ずる。 諸々の妄想は自身から生じて心を放つ、 (スッタ二パータ271) 大川アホりゅうほうも好き嫌い激しく、盲信者も激しいw 快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で弁舌さわやかに、 信ずることなく、なにかを嫌う事もない。 (スッタ二パータ853) 大川アホりゅうほうへの妄信は快く、反する意見を強烈に嫌悪するw
306 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 15:46:39 ID:uPBAfg8P
おんあ ぼきゃべい ろしゃのう まかぼだらまい はんどま じんばら はらばいたいやう 真言だと思うのですが、意味を教えていただければ幸いです。 小さい頃から唱えていました。 父が真言宗です。 続きにお経(?)もあるんですが、長い上に漢字もわからないから書きませんでした。
307 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 16:02:32 ID:Qh/Cpgt4
>>306 オーム 不空遍照の大印よ! 宝、蓮華、光明を転じたまえ。スヴァーハ
光明真言です。意味より称えることと、光明を観想することが重要だと思います。
200 :ファルコン ◆7XmPtxANMU :2007/06/12(火) 01:52:21 ID:mDi+uu42
【ファルコン告発による大川隆法の女性問題】
・大川は現広報局長の山田美星が職員饗庭との結婚を望んでいたにも関わらずこれを無理やり別れさせた上、山田美星を愛人にした。
・大川は女性職員A子と職員須呂との結婚にも反対し、やはり無理やり別れさせた(事実として確定)。
・大川は家庭内別居をした際、宇都宮仏宝館の3階に居住した。妻きょう子は2階に居住。 山田美星はここで肉体関係を持ったと告白。
・さらに、大川が家出をし、軽井沢の別荘に篭った際にも、山田美星と大川は不倫をしている。これは目撃談あり。
・軽井沢では大川夫妻が旧A棟に篭ると、不寝番の女性が必ず旧A棟に一人ついた。つまり家出をして大川が一人でやってくると、「夜中に若い女性と2人だけ」で旧A棟(一般民家と同じ)で過ごしていた。これだけでも非常識な話。
・さらに情報を総合すると、大川はこの時に「大川番」として付いた女性ほぼ全員に手を出していたと考えられる。と言うか、二人で夜を過ごしていたのだから、そう想定されて当然。
・ここで受け入れた女性と、逃げた女性、口を閉ざして誰にも話をしなくなった女性と主に3種類のタイプに別れる。
・大川は女性職員に「君は僕の子供を産む事になっている」と迫っている。
・従って大川に隠し子情報が出てくるのも不自然でも何でもない。
大川に隠し子がいるという情報あり。ただし母親は未確定。
・変死を遂げた元幹部の真杉氏は、大川の愛人の存在(山田美星より前)を周囲に語って左遷され、結局職員を解雇された。
・大川は軽井沢で「セックスは天国で光を入れるのと同じ」というセックス教義を女性職員達に語っていた。
・山田美星は「先生は性欲の抑えが効かなくなって・・・」とファルコンに嘆いていた。
・大川はきょう子との別居時、女性職員とすぐに二人きりになろうとしていて、女性職員達が怖がっていたと山田美星は嘆いていた。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/life8.2ch.net/psy/kako/1181/11814/1181456526.dat
309 :
白蓮 :2009/10/02(金) 16:52:29 ID:IvwZOKsj
>>296 :神も仏も名無しさん
※悟りの探求を諦めたらそれで終わりです。自分に向かないなら悟りの山から下山して下さい。
解脱を求めるには、この世で生きる苦労より大変ですよ。したくない恐ろしい魔との対戦もし
なければなりません。
そんな苦労するならやりたくない方は慧解脱の道は諦めてください。
安心する正しい信仰の道もあります。
310 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 16:52:33 ID:Qh/Cpgt4
311 :
風の旅人 :2009/10/02(金) 18:22:31 ID:/zbSzImC
『悟り』について答えてくれた人達、ありがとうございました。 [ただ、白蓮さんには、色々とツッコミを入れたい所がありますが、スレが荒れる可能性があるのでやめておきます。] また、『悟り』については、個人や所属する組織などによって捉え方が違うようですが、仏教ではとても重要な事柄だと思います。 できれば、大勢の人に答えて頂いて、『統一見解』のようなものを見出していけたら、と考えていたのですが、それには及ばなくて残念でした。
312 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 18:36:44 ID:CAvw2W0N
舌を切って伸ばしていく行法を教えてるお寺や経典ってどっかある?
313 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 20:25:45 ID:f7bRs4t5
>>309 私はもともと悟りを探求していません。解脱も求めていません。
私がお尋ねしたかったのは、
1) 輪廻があるなら、輪廻の中にとどまっていたほうが楽しいのではないか。
2) 解脱したら、輪廻からはずれてもう生まれ変わらないが、それがいいのか?
3) そんなに解脱したいという人は、現世を生きるのが嫌なのか?現世は楽しくないのか?
ということです。
314 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 20:45:45 ID:Qh/Cpgt4
>>313 仏教はあらゆる現象、知覚、感受が苦であるという認識に始まりますから。
1)あらゆる経験、輪廻に楽はありえない。苦諦 一切皆苦
2)それだけ、涅槃だけが楽である。滅諦 涅槃寂静
3)感受として楽は経験するが、それが本質的楽だとは思わない。
>>314 すみません「楽」と「楽しい」は違うと思うのですが、
「楽」というのは苦痛や苦労がないというどちらかというと消極的ことばですが、
「楽しい」はそれをするのがウキウキして、やりたいと思う気持ちだと思います。
ご回答について確認させてください。
1)輪廻の中にとどまるのは楽しくない。苦しい。 ということですね。
2)涅槃で暮らすほうが、輪廻の中にいるより楽しいということですね。
3)現世を生きるのは嫌である。現世は楽しくない。
こうゆうことでよろしいでしょうか?
316 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 21:24:55 ID:Qh/Cpgt4
>>315 楽は、快楽とか気持ちいいこと、プレジャー、快感の意味です。
>2)涅槃で暮らすほうが、輪廻の中にいるより楽しいということですね。
>3)現世を生きるのは嫌である。現世は楽しくない。
涅槃は暮らしませんよ。天国みたいなものではありませんから。
仏教では天国の快適な生活も苦とします。
317 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 21:32:06 ID:+cOMHXvH
>>316 天国はやっぱり快適なのですか?
地獄よりはましなのではないですか?
>>316 「涅槃」は難しいので、解脱にしました。
1)輪廻の中にとどまるのは楽しくない。苦しい。
2)解脱したほうが、輪廻の中にいるより楽しい。
3)現世を生きるのは嫌である。現世は楽しくない。
こうゆうことで、よろしいでしょうか?
319 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 21:44:43 ID:Qh/Cpgt4
>>317 快適です。しかし、本質的には苦です。
>>318 他はそんなとこです。
>2)解脱だけが楽である。
>>319 回答、どうもありがとうございます。
しかし、解脱をして楽を求めるということは、楽に対する執着なんじゃないですか?
321 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 22:12:09 ID:Qh/Cpgt4
>>320 その楽は感受ではなく、静まりですから。
執着ではありません。
例えば、世俗の楽を満願全席などや酒池肉林の五感を楽しませる贅沢豪奢の方向だとするなら、
涅槃はそのような贅沢豪奢に飽きたものが簡素な山の庵で静寂で素朴な方向での静けさを楽とするようなものです。
もちろん、以上は譬喩で涅槃には感受はありません。
>>321 その求めているものがどんなものであろうと、それを求めることは執着なんじゃないですか?
「静けさ」に対する執着ということでしょうか。
>>320 う〜ん・・。
「次元、レベル、階層、種別、・・・」謂い方は色々考えられるが、
たとえば、休み時間にグラウンドの片隅で相撲をとる子供たちがいたとする。
彼らは、足でグルッと円を書き土俵を作る。2本、しきり線を書く。
サイズも、間隔も、何もかもが相撲協会の規定に合いはしない。
【厳密に言えば】、それは相撲とは言えないわけだ。
回しもしていない。靴を履いている。服を着てるので掴むところも変わってくる。
何もかもが、【本来の(相撲協会の)】【正式な基準】を満たしてはいない。
だから、≪厳密に言えば、子供達のそれは相撲ではない≫
≪奉納の意義すら持っていない(ま、これは今の、年6場所も持っているかどうかと言われそうだがw)≫
しかし、それでもそれは『相撲』と言われる。
同じように『相撲』という名称で呼ばれ得るが、その内実においては、大きな差異を含むことはある。
仏教に於ける「苦」も「楽」も、そのような【ある基準、ある枠組みに於いて、どうなのか】
というものであることを理解していただけると幸いである。
>>323 仏教を信仰している人も日常はあって、普通の日常の会話をしていると思うので、日常における
日本語の意味というのは当然知っているわけですよね。
お考えになっていることを、普通の日本語で語るというのは難しいのでしょうか。
325 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 22:39:00 ID:A2FD391R
>>324 「解脱」を目指して、修行に入る。この時点においては確かに「解脱」に対しての「執着」が存在するでしょう。
そして、一つ一つ執着を消していき、最後には、その最終目標
である「解脱」を望む気持さえも消しさる。
これが、解脱なのでは?
まぁ、以上は部外者による単なる推測ですが。
326 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 22:40:49 ID:Qh/Cpgt4
>>322 それはありえない。なぜなら、無願が解脱の門とされるから。
最終的に涅槃を求めるような欲望、執着がある限り涅槃・解脱はありえないとされるからです。
それと、そのような貴方の発言はつまらない論理上の整合性、
辻褄合わせ、粗探しですから止めた方がいいでしょう。
>>324 >普通の日本語で語るというのは難しいのでしょうか。
難しいですね。
なぜかと言えば、同じ言葉(この場合「楽」や「苦」ですが)を用いながら、
その指し示しているものが違うのですから・・・。
仏教という枠組みに於いては、「解脱(涅槃)の楽」のみが「楽」であり、
その他(の感受し得る全ての事象)は「苦」(変化し、失われるもの)なのです。
カテゴリーのパーティションの設置位置が(一般≒日常≒世俗と)違うのです。
>>326 そういう冷淡さは、今の時代、逆効果ですよw
328 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 22:49:34 ID:Qh/Cpgt4
>>327 >そういう冷淡さは、今の時代、逆効果ですよw
(^_-)-☆
329 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 22:51:48 ID:+cOMHXvH
>>319 >快適です。しかし、本質的には苦です。
意味がわかりません。
具体的に言えば、天国はどんなところなのですか?
天国は死後の世界(霊界)のことですか?
331 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 23:08:16 ID:Qh/Cpgt4
>>329 現世で考えましょう。
例えば、快適な音楽を楽しむ。これは快感ですが、
これを求めだすとよりよい音楽がないと苦になり、
さらには悪い演奏を聴くと苦になるでしょう。
食べ物はもっと端的です。非常に美味しいものも、
食べ過ぎれば苦になります。また、美味しさを追求すると、
普通の食べ物が不味くて苦になります。
美しい恋人もより直接苦と分かるでしょう。
その人が好意を寄せなければ苦しみ、
寄せて相思相愛でも、その人が死ねば苦の原因です。
天国、仏教では天界と言いますが、その快適さも結局同じです。
無常なものに永遠を求めることが苦の根本です。
332 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 23:09:01 ID:Qh/Cpgt4
>>327 もともと「苦」と「楽」の定義が日常語と違うということですね。
そうすると、仏教の本を読んだりすると日常語で理解していましたので、
だいぶ誤解がありますね。
解脱のみが「楽」と定義してしまうと、この世は一切苦というもの納得できます。
それしか「楽」がないのですから。それに、変化し、失われるものが苦とすると、
確かにこの世には、変化し、失われないものなんて、まずありませんから、
やはり一切、苦ですね。
恋人ができたり、親が作ってくれた弁当がおいしかったり、自分の子供が生まれたりするのも
その定義なら皆苦ですね。
確かにこの世は苦で満ち溢れている。
334 :
神も仏も名無しさん :2009/10/02(金) 23:17:10 ID:+cOMHXvH
>>331 この世もあの世も苦であるのはわかりました。
あの世(死後の世界)は本当にあるのですか?
>>333 スッタニパータの18〜34偈を読んでみてください。
この件の根っ子が端的に表れてますから。(この際、岩波文庫青「ブッダのことば」p14-17でもいいやw)
仏教が333であることがはっきりと判ると思います。
>>335 「ブッダのことば」は持っているのですが、P14-17だと牛飼いダニヤの話ですよね。
ずっと、「神よ、雨を降らそうとするなら・・・」が続く・・・。
ここを読むと、苦と楽は、そんな意味に解釈されるのでしょうか。
わたしには、さっぱり、わかりません。
>>336 自己レスです。確かに、喜びが心配の種になったりしますし、楽と苦は磁石のS極とN極みたいなもので
切り離せないと思いますが、喜びは喜びで喜び、苦は苦で苦しめばいいのではないかと。
どっちもない人生はつまらない気がします。
>>336 >そんな意味に解釈されるのでしょうか
そうですw
「雨を降らそうとするなら・・・」は、枕詞と思ってくださいw
重要なターム(≒表現)は
「○○のある者は○○について喜ぶ」(→「○○について幸せを感じる、満足する、○○を愛おしく思い大切にする」)、
「○○のある者は○○について憂う」(→「○○について苦・負担(・ストレス)を感じる、嫌悪を感じる、○○を厭い、遠ざけようとする」)、
という対比です。
なぜ、禅に於いて「本来“無一物”」と言われるのか。
なぜ、無我の説明(解説)に於いて、《「我がモノという想い」の無いこと》と言われるのか。
世俗的「楽」とは、そうした「所有」や「感受される利益・楽しみ・心地よさ(≒快楽)」を指すからです。
しかし、それらは、「いずれ消失する」或いは「決して手に入らない」或いは「享受し続けることはできない」ものです。
それに「こだわり」「執着し」「求め」「ずっと続くかと思い」「失うまいと必死になり」「失くしてしまって悲嘆にくれる」ようでは、
まさに『苦』なわけです。
ダニヤとの対話、そして魔との対話は、このことを(図式的に)表現しています。
私は、このダニヤの章が一番好きです。一番重いです。(多分少数派でしょうが・・・w)
>>337 そのスタンスを積極的に肯定しているのが、(近代の)禅宗ですw
おやすみ ノシ
340 :
白蓮 :2009/10/03(土) 00:08:02 ID:DzMcvU7C
>>313 :神も仏も名無しさん
>1) 輪廻があるなら、輪廻の中にとどまっていたほうが楽しいのではないか。
※あの世天国は楽しいですね。仏神の光が射してきて、心が温まり至福の時
を経験するでしょう。、自由に飛ぶ事もできます。
光速を越えて霊速で瞬間移動します。会いたい人に、行きたい場所に瞬間
移動ができます。でも永遠に天国に止まれなくて、時期が来たら天国から
この世に生まれる前に国を選んで、両親を選んで、この世に生まれて来ます。
大人の認識は消されて、赤ちゃんとしてゼロからはじまります。そして人生
四苦八苦すると思います。
2) 解脱したら、輪廻からはずれてもう生まれ変わらないが、それがいいのか?
※人間的課題の輪廻転生からはずれますが、使命としての転生輪廻で周期的に
生まれ変わってまいります。
普通の善人の平凡の輪廻転生よりは苦しみは多いですね。
3) そんなに解脱したいという人は、現世を生きるのが嫌なのか?現世は楽しく
ないのか?
※確かにこの世は生きにくいですね。この世は地獄に行くような方々が多く
評価されて、多くの人々の幸福と不幸を決めるのは好ましい姿ではないの
で、世直しをして行きたいですね。
この世は苦しみが多いですね。 そのためにも善人が評価されて住みやす
い世の中をつくっていかなければと思っています。
>>338 解説どうもありがとうございます。
確かに楽(喜び)には苦(不安)がおまけでついてくるけど、楽の本質が苦ということにはならないと、
私は思います(仏教ではそうなっていないとか、他の人はそう思わないということはあるでしょう)。
私は銀行に預金を持っていますが、確かに預金を持っているために、それがなくなったりしないか
多少不安を感じる時もあります。だからといって、預金がなければいいとは、とても思えない。
やはりお金はあったほうがいい。
なくていいというのはやはり出家者でしょうね。
342 :
風の旅人 :2009/10/03(土) 01:26:14 ID:Yy+i8uIx
343 :
神も仏も名無しさん :2009/10/03(土) 01:31:31 ID:Wrtmbp/O
>>341 生きものの特徴は、動くことです。
では、なぜ動くのか?
答えは、苦しみ(不満)があるからだそうです。
また、絶対的な「楽」はないのです。
苦しみ(不満)から逃れたときに「楽」だと錯覚するだけ。
たとえば、食べることは絶対的な楽ではない。
空腹の苦があるときに食べたら楽だと感じるだけ。
しかし、そのまま食べ続けていたら苦しくなって食べたくなくなる。
実は食べることも、体に負担をかける苦痛なのですが、
空腹の苦痛が強いときに食べる苦痛にのりかえたら、
楽だと錯覚できるのです。
344 :
神も仏も名無しさん :2009/10/03(土) 01:39:53 ID:Wrtmbp/O
>>341 呼吸も苦しみです。
息をとめてみたら、苦いですね。
で、息を吸ったら、止める苦しみから逃れられたから楽に感じる。
しかし、吸い続けてたらそれもまた苦しいから、
次は吐きたくなり、吐いたら楽に感じる。
しかしまた、吐きつづけてたら苦しくなって、吸いたくなる。
吸うことも吐くことも、実は苦痛なのです。
ただ、一方の苦痛が強くなったときに、
違う苦痛にのりかえたら楽に感じるだけ。
ずっと立ってたら苦しいから座りたくなる。
しかし、ずっと座ってるのもやはり苦しいから、寝てみる。
寝てても苦しくなって寝返りをうったり、
また立ったり座ったりしたくなる。
生きるということ、生命が生命として動くこと、生命現象は、すべて苦痛です。
生死輪廻とは、苦痛から苦痛へ逃げまわること。
苦痛から逃げるためにまた別の苦痛につかまる。
つかまることをやめて、一切を手放せば苦痛から解脱できるのに、
手放せず、苦しいとか辛いとか言いながら生きている。
345 :
神も仏も名無しさん :2009/10/03(土) 01:48:29 ID:Wrtmbp/O
苦痛、不満があるから、生命は動くのです。 完全に満足したら動く必要がなくなるのです。 (もっと)食べたいという苦痛・不満があるから食べるために動く。 食べることに満足したら、食べることが止まる。 動くこと、生命現象の裏には、苦痛・不満があるのです。 生きることに満足していない、もっと生きたい という苦痛・不満があるから、生きようという方向に動くわけで、 だから苦しいはずの生きることを手放せずに、輪廻してしまう。 では、もしも生きることに完全に満足したら? 「もう充分生きた、生きることはもうたくさんだ」となったら? 生きることが止まるのです。 生命現象、生命としての動きが必要なくなり、 輪廻する必要もなくなり、停止、寂滅、平安なる滅び、 すなわち輪廻からの解脱、全き涅槃です。
346 :
神も仏も名無しさん :2009/10/03(土) 02:06:41 ID:Wrtmbp/O
満足したら不満がなくなります。 食べることに満足したら、食べもののことを考えることさえなくなる。 性欲という苦痛がなくなりに満足したら、 エッチなことを考えることもなくなる。 苦痛がなくなり手放せば、そのジャンルについて考える必要さえなくなる。 テレビが見たいという苦痛・不満があるから、テレビを見る。 物音が聞こえたら、その方向を見たいという苦痛・不満が生じるから、 物音の方向を見たくなる。 見たらそれがテレビであった。 興味深い映像であり、「もっと見たい」「見るのを中断したくない」 という苦痛・不満が生じるため、さらに見てしまう。 苦痛・不満がなくなれば、物音にも反応しない。 音だけじゃなく、あらゆる物理的刺激、精神的刺激に対しても、 全く苦痛・不満が生じないということは、 つまりは反応する物質も精神も全く存在しなくなるということ。 光も音も素通り。たとえ天の神様がテレバシーで呼びかけても返事がない。 全く反応がない、現象がみあたらない。 釈尊は、すでにそのような涅槃に入られました。 物理現象も精神現象も消え去りました。 苦痛がないから動きがない、つまり、滅びました。
>>346 楽というのは本当はなくて、苦が減少するのを楽だと錯覚するのだというのは、納得できません。
苦も当然存在するように、楽というのも存在すると思います。食事をするのは空腹から逃れたいという
のもあるでしょうけど、やはり楽しみの部分があると思います。食べるのは楽しみです。
生物的にも楽というのは確認されています。脳内にドーパミンやエンドルフィンが分泌されて
A10神経が刺激されると人間は快感を感じます。もちろん、苦痛を感じる神経もあります。
苦も楽もどちらも同じように、脳内の神経刺激です。
苦痛というのもある意味とても重要で便利です。世の中には痛覚神経に問題があり、痛みを
まったく感じない人がいます。そうした人は、怪我をしても気がつかないので、いつも気をつけ
ていないといけません。子供だったりすると、屋根から飛び降りて、骨折しても捻挫しても平気
だったりして、親は大変です。
苦を感じないというは、生きるうえでは、ものすごく不便そうです。
お腹が空かないと、いつ、どれだけご飯を食べたらいいのかわからない。ウンコもおしっこもできない。
それが求めるすばらしいことのようには思えないです。
348 :
神も仏も名無しさん :2009/10/03(土) 07:58:16 ID:Wrtmbp/O
苦や楽にふりまわされて生きることが空しいのです。 苦や楽が生きるために必要なのはわかります。 仏教では、生きること自体がくだらないことだというのです。 生きることへの執着をなくし、 苦や楽にふりまわされて動くのをやめるのです。 滅びを求めるのです。
> やはり楽しみの部分があると思います。食べるのは楽しみです。 楽しむために食べないと苦を(不満を)感じるから。
350 :
みんなで救おうカルト教大川アホりゅうほう病白蓮とぼ :2009/10/03(土) 10:03:40 ID:5dv4WRY7
哀れな大川アホりゅうほう盲信者の白蓮は、正統な仏教に救いを求めてきているので、みんなで白蓮を救うべし!! 仏陀の言葉より大川アホりゅうほうと白蓮の個人崇拝妄信信者をカルト性の問題点を追及してみようw それゆえに、この世でみずからを島とし、自らをたよりとして、他の人をたよりとせず、 法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。 (大パリニッパーナ経2章26節) 大川アホりゅうほうをたよるなw 愚かな者をみちづれとするな。 独りでいくほうがよい。 孤独で歩め。(ダンマパダ330) 大川アホりゅうほうを妄信するなw 親しみ慣れることから恐れが生じ、 (スッタニパータ207) 大川アホりゅうほうに親しみ溺れるなw 内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、 このようによく気をつけて行っている人の認識作用は止滅するのである。 (テーラガーター) 大川アホりゅうほうが素晴らしいと思い妄信する内は止滅不可能w 妄執を友としている人は、この状態から かの状態への永い間流転して、輪廻を超えることがない。 (スッタニパータ740) 大川アホりゅうほう妄信、個人崇拝を妄執としているものは・・ 人がなにかあるものに依拠して「その他ののものはつまらぬものである」 と見なすならば、ソレは実にこだわりである、と (真理に達した人々)は語る。 それゆえに修行者は、見たこと、学んだこと、思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない (スッタ二パータ798) 大川アホりゅうほうの本に依拠して判定するなw
351 :
みんなで救おうカルト教大川アホりゅうほう病白蓮とぼ :2009/10/03(土) 10:06:18 ID:5dv4WRY7
哀れな大川アホりゅうほう盲信者の白蓮は、正統な仏教に救いを求めてきているので、みんなで白蓮を救うべし!! 仏陀の言葉より大川アホりゅうほうと白蓮の個人崇拝妄信信者をカルト性の問題点を追及してみようw 想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。 智恵によって解脱した人には、迷いが存在しない。 想いと見解とに固執した人々は、他人と衝突しながら、世の中をうろつく。 (スッタ二パータ847) 大川アホりゅうほうの本の知識に固執して狂った盲信者が如何に多かった事かw マーガンディヤよ。 「わたしはこのことを説く」ということが わたくしにはない。 諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、 諸々の見解における過誤を見て、 固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。 (スッタ二パータ837) 大川アホりゅうほう及び白蓮盲信者はとかく、「このことを説く」と言う意識と執着が多いw 妄執は苦しみの起こる原因である。 (スッタ二パータ741) 大川アホりゅうほう妄信信者の苦しみは多そうだw 貧欲と嫌悪とは自身から生ずる。 好きと嫌いと身の毛をよだつこととは、 自身から生ずる。 諸々の妄想は自身から生じて心を放つ、 (スッタ二パータ271) 大川アホりゅうほうも好き嫌い激しく、盲信者も激しいw 快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で弁舌さわやかに、 信ずることなく、なにかを嫌う事もない。 (スッタ二パータ853) 大川アホりゅうほうへの妄信は快く、反する意見を強烈に嫌悪するw
352 :
亭白 :2009/10/03(土) 13:02:52 ID:2tCSUzf/
>>342 :風の旅人さん
>単なるゴシップですね。
ゴシップをまに受ければ、正見ができなくなりますね。
353 :
風の旅人 :2009/10/03(土) 14:31:39 ID:Yy+i8uIx
………(-.-;)。 白蓮(=停白)さんにレスをつけると、スレ違いになるので、他の人にお尋ねしたい。 白蓮(=停白)さんの場合は、大川隆法を“仏陀”と信じなければ『正見』ができないという。 本当にそういう“信仰”がなければ、できないものなんだろうか? また、『正見』の正しい基準はどういうものなんだろうか? 詳しい人に教えて欲しい。
卍
355 :
神も仏も名無しさん :2009/10/03(土) 20:52:01 ID:rc8KBjEj
356 :
風の旅人 :2009/10/03(土) 20:58:31 ID:Yy+i8uIx
>>355 すみませんが、もう少しわかりやすく書いて頂けると、有り難いのですが。
357 :
神も仏も名無しさん :2009/10/03(土) 21:16:00 ID:rc8KBjEj
>>356 自分自身や知覚対象が自立的に実在しているというのが誤った見方。
それらはただ縁起して知覚されるだけで無我・空であると直観するのが正しい見方、これが正見です。
一般に正見と説明されているのは唯の信です。
以上については水野弘元先生の『仏教要語の基礎知識』を読んでください。
358 :
風の旅人 :2009/10/03(土) 21:29:25 ID:Yy+i8uIx
>>357 うゥ〜む(-_-;)。
ごく普通の人間は、事実をありのままに見たり、勘違いを避ける事が『正見』に当たると考えますが、仏教の『正見』はそういうのとはまた違うとわかりました。
その本も機会があったら、是非読んでみます。
どうも有難うございました。
359 :
白蓮 :2009/10/03(土) 21:33:46 ID:anymrMgr
※真理の学び無くして正見なし 反省なくして正見なし 主観を離れ、第三者的無我と空を知ることなくして正見はできません。 ゴシップを書いた方々は正見なく、主観で述べたものでありますから 正しい見解ではありません。
360 :
風の旅人 :2009/10/03(土) 21:54:22 ID:Yy+i8uIx
みなさん、少しスレ違いをお許しを。 白蓮さん。 あなたは『ただの信』しか出来ていない。 仏教の『正見』ができていない。 仏教的に見れば、大川隆法は『無我』であり『空』である。 『仏神』と見る時点で、すでに仏教的には失格である事[→『正見』が不可能な事]を知らなければいけない。
361 :
神も仏も名無しさん :2009/10/04(日) 23:23:21 ID:DgcO1ll8
一向宗に関する質問です。 このお経は、なんというのでしょうか。 「な〜〜むあ〜〜み〜だ〜〜〜、あ〜〜〜んぶ〜〜〜。な〜〜〜〜、むあ〜〜あ〜〜みだんぶ〜」 祖父が亡くなった時に聞いたことのあるお経なのですが、久しぶりに聞きたくなりました。 ユーチューブで聞こうと思うのですが、何をキーワードに探せばよいか不明です。 真面目に知りたく存じますので、どうかご回答よろしくお願いいたします。
362 :
神も仏も名無しさん :2009/10/04(日) 23:28:25 ID:AAYXColB
>>361 親鸞が作った漢詩、『正信念仏偈』です。お尋ねのメロディーは西本願寺の
もの。東本願寺ではありませんね。
363 :
神も仏も名無しさん :2009/10/04(日) 23:41:34 ID:DgcO1ll8
>>362 すごい、まさに探していたものです。
念仏和讃六首引も聞いたことがありました。
当時を思い出します。非常に落ち着きます。
若干リズム(無教養な表現で恐縮です)が違うのですが、西・東の違いなのでしょうか?
364 :
白蓮 :2009/10/05(月) 00:06:11 ID:4IUfTxOr
>>360 名前:風の旅人 さん
※八正道の反省の目的は心の洗濯で心を清浄にすることです。
八正道の一番目に正見があります。正見は情報の入口を正し
く判断して見ることであります。
出口は正語です。入口と出口を正しくすることは反省の半分
以上を占めていると言っても良いでしょう。
仏法真理価値に基づき、正見は入口の情報の善悪の判断力で
善と悪を峻別する力が、正しい見方ができるポイントです。
大川隆法総裁は大悟し仏陀であり、仏陀の法の教えによって
正しさとは何かが解ります。それ無くしての正見はありません。
ゴシップに限らず、正見のフイルターにかけることが大切です。
主観ではなく、仏法真理の価値を踏まえた第三者的立場として
守護霊の立場や指導霊の立場から反省を行なう事です。
365 :
みんなで救おうカルト教大川アホりゅうほう病白蓮 :2009/10/05(月) 11:33:55 ID:gIMK6NAy
哀れな大川アホりゅうほう盲信者の白蓮は、正統な仏教に救いを求めてきているので、みんなで白蓮を救うべし!! 仏陀の言葉より大川アホりゅうほうと白蓮の個人崇拝妄信信者をカルト性の問題点を追及してみようw それゆえに、この世でみずからを島とし、自らをたよりとして、他の人をたよりとせず、 法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。 (大パリニッパーナ経2章26節) 大川アホりゅうほうをたよるなw 愚かな者をみちづれとするな。 独りでいくほうがよい。 孤独で歩め。(ダンマパダ330) 大川アホりゅうほうを妄信するなw 親しみ慣れることから恐れが生じ、 (スッタニパータ207) 大川アホりゅうほうに親しみ溺れるなw 内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、 このようによく気をつけて行っている人の認識作用は止滅するのである。 (テーラガーター) 大川アホりゅうほうが素晴らしいと思い妄信する内は止滅不可能w 妄執を友としている人は、この状態から かの状態への永い間流転して、輪廻を超えることがない。 (スッタニパータ740) 大川アホりゅうほう妄信、個人崇拝を妄執としているものは・・ 人がなにかあるものに依拠して「その他ののものはつまらぬものである」 と見なすならば、ソレは実にこだわりである、と (真理に達した人々)は語る。 それゆえに修行者は、見たこと、学んだこと、思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない (スッタ二パータ798) 大川アホりゅうほうの本に依拠して判定するなw
366 :
みんなで救おうカルト教大川アホりゅうほう病白蓮 :2009/10/05(月) 11:45:45 ID:gIMK6NAy
本来、仏教の成立は、ヒンズーや、カルト大川アホりゅうほうの様に、 現実を見失ったのを見て、 釈迦が、現実の現象を直視して分析、観察し、悟りであったのものが・・ カルト大川アホりゅうほうのような現実喪失アホウ人間洗脳宗教を生み出すとは、とほほ れな大川アホりゅうほう盲信者の白蓮は、正統な仏教に救いを求めてきているので、みんなで白蓮を救うべし!! 仏陀の言葉より大川アホりゅうほうと白蓮の個人崇拝妄信信者をカルト性の問題点を追及してみようw 想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。 智恵によって解脱した人には、迷いが存在しない。 想いと見解とに固執した人々は、他人と衝突しながら、世の中をうろつく。 (スッタ二パータ847) 大川アホりゅうほうの本の知識に固執して狂った盲信者が如何に多かった事かw マーガンディヤよ。 「わたしはこのことを説く」ということが わたくしにはない。 諸々の事物に対する執着を執着であると確かに知って、 諸々の見解における過誤を見て、 固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。 (スッタ二パータ837) 大川アホりゅうほう及び白蓮盲信者はとかく、「このことを説く」と言う意識と執着が多いw 妄執は苦しみの起こる原因である。 (スッタ二パータ741) 大川アホりゅうほう妄信信者の苦しみは多そうだw 貧欲と嫌悪とは自身から生ずる。 好きと嫌いと身の毛をよだつこととは、 自身から生ずる。 諸々の妄想は自身から生じて心を放つ、 (スッタ二パータ271) 大川アホりゅうほうも好き嫌い激しく、盲信者も激しいw
367 :
白蓮 :2009/10/05(月) 16:45:05 ID:nUdT1yu5
>>361 :神も仏も名無しさん
>一向宗に関する質問です。
このお経は、なんというのでしょうか。
「な〜〜むあ〜〜み〜だ〜〜〜、あ〜〜〜んぶ〜〜〜。な〜〜〜〜、むあ〜〜あ〜〜みだんぶ〜」
※「南無阿弥陀仏」ですが、直訳すれば「無量寿光に帰依します。」という解釈になります。
阿弥陀仏は存在しません。仏の救済の機能としての慈悲の光のことです。
368 :
析空 :2009/10/06(火) 00:00:05 ID:rguURAd7
釈尊の仏教には、救済という思想はありません。 釈尊の仏教は、あくまでも解脱です。 【仏陀の再誕】で救済を説くなら、釈尊の再誕ではありません。 (そもそも釈尊は再誕しない)
370 :
神も仏も名無しさん :2009/10/07(水) 22:38:50 ID:A6USPREv
>>369 間違っていない。仏教は検証の道。浄土経典にしても観仏(禅定)のお経。
死後の救済を説く経典など元々1つもない。仏教の目的はあくまでも修行者
自身の解脱。
371 :
神も仏も名無しさん :2009/10/08(木) 06:29:19 ID:6tHypIit
>>370 少なくとも釈尊は救済のために教えを説かれた。それが梵天勧請に現れています。
浄土経典に限らず大乗経典は、方便、利他、菩提心、菩薩行、
普賢行、無住処涅槃、廻向などが説かれます。
これらはまさに救済の教えに他ならない。
大乗では方便と般若、慈悲と空性は不二と言われます。
なぜなら、無我・空に基づく他者への慈悲ことが自他を解放するものだからです。
まさに「情けは人のためならず」です。
>>371 >他者への慈悲ことが自他を解放する
不二といいながら、二項相対+目的ベクトル論 乙!
これを支離滅裂というw
大乗なまぐさ坊主の書いたほとんどの経典がクサイのは上記による。
>方便、利他、菩提心、菩薩行、普賢行、無住処涅槃、廻向
こんなのゼーンブ、二項相対+目的ベクトル論
賊気なし。アウト
仏教に不二という一元論は相応しくない。 中道に非ず。
374 :
神も仏も名無しさん :2009/10/08(木) 13:05:06 ID:6tHypIit
>>372 あほだろ。不二という境地に達してる人には言語習慣や記号、
方便としての教えは必要ないが、
そうでない人には方便で言語習慣によって、
方便としての道を示す必要がある。
不二という言語記号も二項相対、二現相対の言語習慣の中で
用いられるだけの話。
君のようにいうのは、不二という言葉の意味が分かっただけで、
本質はなにも分かってない証拠だよ。
375 :
神も仏も名無しさん :2009/10/08(木) 13:07:36 ID:6tHypIit
>>373 おいおい、不二も中道も同じものを指す、別の記号に過ぎないんだが。
中道と記号を変えても二項相対、二現相対の言語習慣の中で
用いられるだけの話であることはなんら変わらない。
376 :
神も仏も名無しさん :2009/10/08(木) 21:11:38 ID:NlEUTvmL
大乗をもちださなくとも救済的なものはいくらでもあるぞ
377 :
神も仏も名無しさん :2009/10/08(木) 22:26:35 ID:URVWaTZn
お聞きします。 一部のお寺にある、仏像だか墓石だかをピラミッド状に積み上げたもののことは なんというのでしょうか?てっぺんにはまた別の観音像のようなものがあったりします。 説明不足かもしれませんが、それっぽいと思われるものを知っていたらお教え願います。
378 :
神も仏も名無しさん :2009/10/08(木) 22:31:34 ID:fWbkkt8k
無縁仏(むえんぼとけ)とか無縁塔とか無縁さんという 呼び方を聞いたことがあります。 墓守りをする身内のいないものばかりを集めて、 供養しているのではないでしょうか。 お寺によって違うかもしれませんが。
379 :
神も仏も名無しさん :2009/10/08(木) 22:41:21 ID:URVWaTZn
>>378 お答えありがとうございます。
無縁仏は言葉ではしっていましたが、なるほどこれがその形なんですね。
墓石のように見えたのは、ずばり守り手のいなくなった墓石そのものとは。
381 :
神も仏も名無しさん :2009/10/08(木) 23:12:28 ID:URVWaTZn
>>380 そうそう、それですね。
見た目がわかっても呼び名がわからなかったので
検索して確認しようにも自分ではわかりませんでした。
こちらもありがとうございます。
382 :
白蓮 :2009/10/10(土) 21:45:44 ID:rG40MUtg
>>372 :神も仏も名無しさん
>他者への慈悲ことが自他を解放する
※利自即利他こそ悟りの要諦です。
梵天勧請の梵天は、あの世の霊天上界の高次元から
この世の釈尊の前に現れたのです。
梵天勧請の梵天は人間ではありません。霊存在なの
です。ですから転生輪廻を含めあの世の霊界も説い
ておられます。 分かりましたか。
383 :
析空 :2009/10/11(日) 12:38:07 ID:AENOBOgt
>>371 解脱と救済は違います。
釈尊は解脱の為の方法(道)を示しました。
救済ではありません。
それを理解できない人が「救済」を叫ぶだけです。
→幸福の科学とか。
384 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/11(日) 14:06:49 ID:yp1Kowiv
>>382-383 仏典中に梵天が出現した記述があるから、それをそのまま文字通りに受けて、梵天なる神霊存在が
実際に出現した話しだとして解する必要はないものと思います。
私は何も神霊存在がいないという話をしたいのではなくて、仏典における文意文脈やその教えの背景
といったものを考慮する必要をいっています。
この梵天勧請のエピソードでいえば、これはゴータマご自身による心の中の葛藤を表現した宗教文学
的表現であるとして解することができるものなのです。要するに、これは教えを説くことを躊躇う心境から、
布教への決心に至る心境的な変化の様子を伝えるものなのです。
同様に、このことは度々、ゴータマを邪魔するかのように出現した悪魔ついても然りです。事実、ゴータ
マは弟子にその悪魔とは何か?と尋ねられて、その悪魔の正体を実は「五蘊」であるとして明確に教え
たのです。
『「大徳よ、悪魔、悪魔と仰せられますが、大徳よ、いったい、なにを悪魔と仰せられるのでございます
か。」「ラーダよ、色(肉体)は悪魔である。受(感覚)は悪魔である。想(表象)は悪魔である。行(意志)は
悪魔である。識(意識)は悪魔である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪を離れることができる。貧
を離れることによって、解脱する。」』(相応部経典23:11/羅陀相応魔)
確かに、梵天勧請の逸話でいうところの、法を説く布教が救済のための行動にあるという見方は全く間
違いというわけではないとは思います。
つまり、解脱が“個人の救済”であるという表現はあるだろうと。
ただし、これがメシア的な救世主的な意味合いであるならば、仏教の本質からみれば違うものだというこ
とになるでしょうね。それが折空氏の主張であると私は思います。
私は基本的には折空氏に同意します。
385 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/11(日) 14:28:44 ID:yp1Kowiv
仏教の摂るスタンスというのは、 あくまでも法に従って自分自身で修行して自己解脱を果たすことにあります。 そのための教えと方法をゴータマ説いて廻ったのです。 これは他力的に意味合いで救済を願ったり、 救済してくれるといった話しではないということです。 そのような意味合いから、 “私が救世主である”と自己主張することは仏教的にはあまり考え難い表現なのです。 また、 「仏陀再誕」というのも実に考え難いことであり、 というよりは、仏教的には到底、有り得ないものだといえるでしょう。 ゴータマは、繰り返し二度と自分は再生しないといったのであり、 であるから、最後の遺言として、自分が残した教えを拠り所として自分たちで修行していくようにと語ったのです。 そのゴータマが、二度と再生しないと述べたのは実は方便だったのであって、 このようにして何度でも繰り返し再誕しては法を説く救済をされる存在なのである、などとするのは、 あまりにも自己都合的な勝手な解釈といわざ 仏教の摂るスタンスというのは、 あくまでも法に従って自分自身で修行して自己解脱を果たすことにあります。 そのための教えと方法をゴータマ説いて廻ったのです。 これは他力的に意味合いで救済を願ったり、 救済してくれるといった話しではないということです。 そのように意味合いから、 “私が救世主である”と自己主張することは仏教的にはあまり考え難い表現なのです。 る得ないのです。 ゴータマは、アーナンダの延命の願いすらも拒否したのです (以前であれば可能だったが、おまえはそのとき三度いわなかったなどといって延命を断わった)。 そうまでして、為すべきことをすべて為し終えたといい、 今や静かに涅槃入りしようとされたというゴータマが、 死後に再び胎内な宿る心変わりが起ころう筈はないのです。
386 :
不空成就如来 :2009/10/12(月) 11:59:56 ID:JtWUl1GQ
ところで、悟りにいくつも種類があるって ホントなの?
387 :
神も仏も名無しさん :2009/10/12(月) 12:12:44 ID:jzlhgwln
>>384 > 仏典中に梵天が出現した記述があるから、それをそのまま文字通りに受けて、梵天なる神霊存在が
> 実際に出現した話しだとして解する必要はないものと思います。
俺もそうは思うが、救済はあるよ。
間違いなく。
388 :
白蓮 :2009/10/12(月) 13:57:06 ID:tpUIEcyw
>釈尊が大悟したのは利自即利他の観点無くして大悟するにあたわず 利自の中に利他あり、利他の中に利自があります。 ゆえに大悟までは利自で自らの救済し終えて、梵天勧請で利他、つまり 大乗の救済で、大きな乗り物で多くの人々の救済を願い、初転法輪の伝 道の旅に出て、法による救済の旅に出たのであります。沢山の方々を法 による救済で大きな釈迦教団になったことは、すでに大乗伝道を成した 成果が出ているからであります。 自らの救済のみであれば、初転法輪の伝道の救済の旅に出る必要はない のであります。 釈尊は自らの救済のみではなく、法による救済として大乗伝道をしてい たのであります。
389 :
析空 :2009/10/12(月) 14:48:14 ID:Bcrezqo+
>>386 悟りには種類があります。
悟りの反対語が「迷い」ですから、その内容によって、
小悟、中悟、大悟などともいいます。
その他、縁覚、独覚、妙覚、正覚という用語もあります。
釈尊の悟りを得に【覚り】と書き、また無上正等覚ともいいます。
390 :
析空 :2009/10/12(月) 14:53:20 ID:Bcrezqo+
>>388 釈尊が「大乗伝導」?
でたらめですね。
幸福の科学は、仏教の「肝心」なところを悟っていません。
391 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/12(月) 15:06:05 ID:NznwAj6b
>>390 同意します。
『近世以降の大乗非仏説には、宗教に関するインド人の伝統を無視している、との批判がある。 それ
によれば、「インドでは古来、宗教の聖典は口伝によって伝承し、文字にして残さないという伝統があっ
た。よって、釈迦が大乗仏教を説いていたとしても、釈迦の死の直後に文字に記されなかったことはむ
しろ当然であり、釈迦の死の直後に記された大乗経典の実物が発見されていないことは大乗仏教が
仏説ではないことの根拠にはならない」とするものである。具体例を挙げると、
・大乗非仏説は経典が文字に記された時期を主たる根拠としているが、上記のようにインドには聖典を
文字に記さないという伝統があったため、釈迦が生前に説いた大乗仏教を弟子たちが文字に記さなかっ
たとしても、何ら不自然ではないということになる。 』(Wiki)
元々、口伝で伝承されてきたのが仏教の教えであるから、ゴータマが大乗を説いていたといっても間違
いとはいえない、などといった大乗擁護の姿勢は全くの詭弁ではないか?
てか・・次第に議論スレになってきたようですw
392 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/12(月) 15:08:29 ID:NznwAj6b
エーとすみませんが、
チョイと拝借しま〜す m(__)m
ウ〜ム...。それは皆さんが楽しく、
そして、真剣な仏教対話ができるようなスレを建てられればそれで宜しいのではないかと f(^ー^;
こちらなどには、
その後の机氏やセブン氏らしき?人物の投稿がありますが・・。
全体的には仏教関係の各スレ共に過疎ってきたような印象がしています^^
【根本仏教】中観仏教について語ろう【龍樹】U
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1254219116/l50 哲学版/◆ 仏教全般 ◆
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1249244477/l50 ま〜もしも私が建てるようなスレであれば、
恐らく、平均的仏教徒の皆さんの反発を招くようなものばかりですよぉw
より良き方向性へと志向すべく熱い議論(討論)には成り得るかとは思いますが・・・。
下記が、
私からの「タイトル」と「テンプレ」の1案です(テンプレ長文ですかね?)。
これなら、長期にまたがってじっくりと幅広い内容を扱って意見投稿が続けられるような気がします。
が、どうでしょうか?
私からは2ch規制にてスレ建てはできないので、皆さんにお任せ致します。
どうか楽しく、皆さんからの建設的で意義深いご意見と投稿ができるようにと願っております^^
393 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/12(月) 15:13:48 ID:NznwAj6b
私が造った論題(考えるための疑問点)のリンクもご覧下さい!w
------------------------------------------------------------------------
提案1.
---論題---
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1
http://houjugusya.web.fc2.com/subject.htm 前スレからは、「大乗と日本仏教について」の議論が始まりました。
が、今回は更に、大乗仏教の発生と発展の経緯を踏まえた上で、
日本仏教(大乗)の今後のあるべき理想の姿(変革の必要の有無)を問うべく議論します。
議論の方向性としては大乗(特に日本仏教の実情)の問題点についてです。
要するにここでは、大乗の“負の部分”といえるものを洗い出し、
その改善方向について話し合われるべきかと思われます。
これまで大衆を仏教信仰に繋ぎとめておくべく“方便として”導入されたものについても、
仏教の本質的には衰退ではないか?という視点で以って再確認されるべきです。
このまま日本仏教界に大改革が図れないならば、本当に未来の存続はないのではないか?
要するに、現在の中高齢信仰者が他界したそのときが、そのまま消滅の危機となるでしょう。
また、仏教の原点回帰に視点を置く方向性においては、
特に宗教(仏教)の「聖」と「俗」といった葛藤面についても問題視されることになるでしょう。
果たして、仏教信仰と社会生活との関り方は如何にあるべきなのでしょうか?
〜〜本スレは日本仏教と共にマッタリと進行します〜〜
*引用をする際には出典を(なるべく正確に)明らかにして下さい。
**投稿「750-800」を目安に善意の方どなたか次スレを立てて下さいm(__)m
394 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/12(月) 15:15:59 ID:NznwAj6b
395 :
神も仏も名無しさん :2009/10/12(月) 15:57:46 ID:nymkF5/W
俺達が肉食えるのはお坊さんのおかげだよ
先祖代々の娑婆の知恵にもとずく日本文化=葬式仏教は 日本人が米の飯を食っている間は 巨人軍とともに永遠です(矛盾って突っ込むなw)。 原理主義というおこちゃまランチは、清濁娑婆では禍をもたらします。 日本人の娑婆の知恵、日本的仏教仁義、渡世の礼節のまえでは無効です。
397 :
神も仏も名無しさん :2009/10/12(月) 20:15:12 ID:4nrgWkXv
398 :
不空成就如来 :2009/10/12(月) 20:26:13 ID:JtWUl1GQ
>>389 幸福の科学と違いますね。
どちらでしょうか?
399 :
白蓮 :2009/10/12(月) 22:22:10 ID:HEHnaD79
>>384 :宝珠愚者 さん
※梵天勧請は心の外でもあり、心の内でもあります。 釈尊の指導霊として指導して
いたもので、心が迷っていると心の内に梵天はおりてまいりません。
※降魔成道後に大悟し、その後に救済に躊躇していて、梵天勧請しに梵天の指導霊
が現れたのです。
※大悟した時点で個人の救済は終わっているのであります。その後、利他の救済に
赴かない釈尊を見て梵天勧請があるのです。つまり大乗伝道の旅にでなさいと指導
していたのです。
※釈尊は既に大悟し仏陀であるけれども、大悟のあとやるべき使命は救世主としての
法による救済の大乗伝道の旅にでることは、至極当然の行為である。
例えば、刻苦勉励して医師の免許取得して、病人を治療するように至極当然の流れ
であります。病人を救わない医師がいないように、迷える者を救済しない仏陀はい
ないのです。
400 :
白蓮 :2009/10/12(月) 22:32:15 ID:HEHnaD79
383 :析空:2009/10/11(日) 12:38:07 ID:AENOBOgt
>>371 解脱と救済は違います。
釈尊は解脱の為の方法(道)を示しました。
救済ではありません。
※当たり前の事です。
解脱は大悟です。
救済は解脱し大悟したら後は、法による救済になるのです。
当然のことです。
401 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/12(月) 22:39:20 ID:NznwAj6b
>>399 ゴータマは、
「自分が法を説くのを辞めることで大衆が成道できる可能性を閉ざすことになる」と判断したのですから、
それで良いのではありませんか?
あまり、拡大解釈にあれこれするような部分でもないと思います。
また、“指導霊がどうしたこうした”という理解や表現は仏教的ではないでしょう。
救世主の概念も適切ではないと思います。それは大乗の後代の思想です。
>>399 >>400 >釈尊の指導霊
>救世主
爆笑!!
俗物根性ガチガチカルトは、逝ってよよし!!
403 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 00:39:42 ID:dYVWVQZK
>>397 「大乗」で検索してもそれらしいのが出てこないのですが、
よければリンクを貼ってください。
404 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 00:47:01 ID:dYVWVQZK
検索ワードを間違いました。失礼しました。
405 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 01:33:39 ID:IoxVzpwt
>>386 四向四果と言われる、悟りの段階があります。
10種類の煩悩があり、煩悩が消えるときには、
どの煩悩から消えるか、順番が四段階に決まっている。
407 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 09:44:05 ID:Y5JleoaS
悟りに種類なんてないよ 死んでしまえば凡夫も阿羅漢もみな同じ それが仏教 仏教の教えってのは、ただ生きてる時の心持ちが若干違うってだけ
408 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 12:19:57 ID:fw/D3E3j
>>407 その生きてるときの心持ちに、種類があると思います。
煩悩が悩み苦しみの原因なので、
生きてるときに煩悩が軽減できれば、
その分人生が平安になる。
409 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 12:28:47 ID:VoefhieT
>>407 単に何も知らないだけ。もし仏教がそんなくだらない慰めみたいな内容なら、
インドから一歩も外へ出ることがなかったし、
インドであれだけ尊崇することもなかったろう。
君の考えはインドで最も卑しまれるローカーヤタに他ならない。
これは現代人の常識に最も合致する死んだら終わりという考えで、
釈尊が否定されたことは以下のパーリ『梵網経』に明か。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html パーリ『梵網経』だけでなく、あらゆる地域、あらゆる時代の伝統仏教で
この死んだら終わりという考え、断見は最悪の見解として蔑まれる。
例外は、現代日本仏教の一部と、インドに起きた新興宗教の仏教ぐらだろう。
もちろん、異端説はいろんな時にも場所にもあったろうが、それらは例外である。
410 :
白蓮 :2009/10/13(火) 16:26:18 ID:0W3PPpFe
>>401 :宝珠愚者 さん
※釈尊は大悟して、到底悟りの内容を開示しても解るような内容ではない。
悟りのことは自分の手の中に握り、この安楽の至福の境地に静かに禅定しながら
生を終えて行こうとのお考えでした。そこで梵天以上の高級霊が、梵天勧請し、
悟りたる内容を多くの方々にお説きください。と三回梵天勧請されて、釈尊は
初転法輪の伝道の旅にでかけました。五人の沙門を霊視すると相変わらずの
修行をしていた。そして五人の沙門を伝道し始め、そしてカシャパー三兄弟も
伝道し、一挙に数千人を越える方々が釈尊に帰依して、大きな釈迦教団になり
大乗伝道は着々進められ、まわりの教団に布施が集まらず、釈迦教団に布施が
集まり出したため、まわりの教団から嫉妬される大教団になりました。
大乗伝道が無ければ大教団にはなりません。
※仏教に限らず正しい宗教には指導霊がつきます。大きな使命があるときは
その道のプロとしての指導霊はつきます。
守護霊は全ての方々につきます。平凡の方には指導霊はつきません。
釈尊はこの世に生を持つ前に、あの世の救世主の世界から生まれています。
釈尊はこの世に生まれる前から大悟していました。
大乗伝道は釈尊の時代にありましたが、文殊菩薩は金の首輪やら宝石を身
に着け髪も剃ってはいませんでしたが釈尊はそのままの姿で比丘として許
された方です。釈迦入滅後、釈尊の遺言どおり文殊菩薩が男装の麗人とし
て十二人の供を従えて文殊菩薩は象に乗って実家に帰り、大乗伝道して、
文殊菩薩は大乗の祖と後の世に言われるようになりました。
411 :
白蓮 :2009/10/13(火) 16:30:21 ID:0W3PPpFe
>>410 訂正します。失礼しました。
X 比丘として許された方です
O 比丘尼として許された方です
412 :
407 :2009/10/13(火) 16:47:30 ID:Y5JleoaS
>>408 > 煩悩が悩み苦しみの原因なので、
> 生きてるときに煩悩が軽減できれば、
> その分人生が平安になる。
真の苦しみの原因ってのは、飢えのつらさや、病からくる痛みなどだ!
煩悩が原因ではない!
煩悩は、飢えや病や怪我などからくるのだ!
飢えや病をそのままにしておいて、煩悩(わずらい・なやみ)が消えるわけないだろ!
413 :
407 :2009/10/13(火) 16:49:38 ID:Y5JleoaS
>>409 > 単に何も知らないだけ。もし仏教がそんなくだらない慰めみたいな内容なら、
> インドから一歩も外へ出ることがなかったし、
> インドであれだけ尊崇することもなかったろう。
じゃお釈迦様は、人間は死んだらどうなると説いたの?
414 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 16:56:48 ID:VoefhieT
>>413 輪廻するに決まってるんですが。
このあらゆる仏教に一致した見解に対して和辻が無理矢理近代主義で、
輪廻を否定した。それ以降、日本で何人か輪廻を否定する珍説を仏教とする学者が出て、
最近ではお坊さんまでその珍説に従っている人が結構いるというのが
奇妙な日本仏教。
知らないなら黙ろうね。
415 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 17:31:34 ID:dl1jvxOe
>>413 悪いことをすれば地獄に行き、良いことをすれば神々のいる天に生まれる
とする経典があることは確か。
しかし、それらを実際に「お釈迦様」が説いたかどうかは不明。
信じるか信じないかに過ぎない。
416 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 18:39:55 ID:VoefhieT
>>415 そういう文献学説は、無意味。
少なくとも仏教と名の付く集団で輪廻を信じない集団はなかった。
しかも、輪廻に対して抵抗のある諸外国にも必ず説かれている。
抵抗の跡を示すのが、シナ、日本、西洋にはっきりと現れているが、
伝統仏教では輪廻に対する理解がなければ仏教に入門できないとしている。
このことは釈尊が最初に昇天など輪廻に対する理解がない弟子に
輪廻の理解を求めた態度にきっちり対応している。
417 :
407 :2009/10/13(火) 18:56:01 ID:Y5JleoaS
>>416 ん?ではなんだ?
仏教ってのは煩悩をなくすと生まれ変わらなくなるって教えか?
418 :
407 :2009/10/13(火) 19:05:58 ID:Y5JleoaS
>>415 結局、仏教なんてわかりません所詮宗教ですからって話だよね
突き詰めれば、四諦や八支聖道だって釈迦の直説やらどうやらあやしいってことだ。
419 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 19:07:48 ID:dl1jvxOe
>>416 俺は事実を述べただけだが?
どこか間違っているとこがあるか?
420 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 19:17:16 ID:IoxVzpwt
>>410 >そこで梵天以上の高級霊が、梵天勧請し、
>悟りたる内容を多くの方々にお説きください。と三回梵天勧請されて、
これは、ゴータマご自身の自己の心中内での葛藤のことであって、梵天とは我々(衆生)にとって
有難いゴータマの心境を示す象徴なのです。それを、“梵天が現れてゴータマにお願いしたのだ”
という宗教的な作品(仏教文学形式)として書いただけです。
こういうのはどんな世界宗教でも同様なのです。イエスの荒野の体験(悪魔の誘惑)というのでも
全く同じことです。
>仏教に限らず正しい宗教には指導霊がつきます。大きな使命があるときは
>その道のプロとしての指導霊はつきます。
>守護霊は全ての方々につきます。平凡の方には指導霊はつきません。
心霊主義的な見解は、仏教の本質としてはこれを必要としません。
>文殊菩薩は金の首輪やら宝石を身に着け髪も剃ってはいませんでしたが
>釈尊はそのままの姿で比丘として許された方です。
大乗が生み出した創作のホトケでしょう。ただの神話です(実在のモデルが元となっている可能性は
あるが・・)。事実(ゴータマの教え)と創作神話とをごっちゃにするのは宜しくないです。
>大乗伝道が無ければ大教団にはなりません。
>大乗伝道は釈尊の時代にありましたが、
>大乗伝道して、文殊菩薩は大乗の祖と後の世に言われるようになりました。
ゴータマの時代に大乗伝道なる出来事はありません。
すみませんが・・・まずは基本的な事実関係とか、仏教史(インド仏教史)について確認するべきです。
どこその宗教者の話しではなくて、学術的な基本的事実/定説を一通りは把握してから個人の好きな
信仰の道を歩まれることをお奨めします!
>>416-419 「輪廻を信じるかどうか」は、仏教という学校へ入学する際の制服みたいなもんだ。
その学校が、制服以外での登校を認めないなら、制服を拒否する者は入学できない。
もし、寛容な、制服以外の装いでの登校が認められている学校なら入学できる。
で、416は、
「後者のような学校は原則存在しない」「存在したとしてもそれは無認可校だ」
という主旨だよw
輪廻を信じてはいない。 だが否定もできない。 論証できないことを信じるも信じないも結局信仰。
423 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 20:12:15 ID:VoefhieT
>>417 そう。煩悩>業>苦>煩悩>業>苦という円環に縁起するのが輪廻
業を止め、煩悩を止め、苦を止めて輪廻から解脱する逆縁起が涅槃
そのためには行が必要
>>419 事実ではなく、ただの歴史主義、文献実証主義による一つの通説だろ
つまんね〜説だ。仏教とほとんど関係ない。
>>421 そんなとこ
>>422 あらゆる現象も体験も、その説明体系も結局信仰だからw
>>423 で、じっさいの学校界(とは言わないかw 教育界?)では、
「制服の必要性・長所短所」が議論されることもあるわけだが、
さて、
仏教(界)では、それはやっぱりタブー(禁忌)になってしまうかね?w
> あらゆる現象も体験も、その説明体系も結局信仰だからw そこまで行くと極端だな。 誰かが言ったことを納得できるならそれはそれで説得力あるよ。
426 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 20:41:48 ID:VoefhieT
>>424 断見は最低の見解だと釈尊以来、ずっといわれてまんがな、セブン
>>425 縁起、空、仮設とはそういったことですがな
427 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 20:42:52 ID:dl1jvxOe
>>423 何言ってんだ?
俺は、地獄や天について記述されている経典がある
という事実を述べただけ。
その記述内容を信じるか否かは各人の自由。
と言ってるの。
それとも、お宅は「そんな経典はない。」
とでも言うわけか?
>>426 > 縁起、空、仮設とはそういったことですがな
世俗諦ってことかな。
ま、それはいいけど輪廻があると無いとか言い合っても無駄だとおもう。
どっちでもいいし。
仏教って輪廻転生説が崩れたらそれで終わりってもんでもないわけだし。
429 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:04:17 ID:VoefhieT
>>428 いや、輪廻は重要だ。輪廻なければ仏教なし。
どっちでもいいなんて伝統仏教は、野古善ぐらいだろw
ほかにそんなこと言う伝統仏教があったら教えてくれ。
>>427 もう、ええわ。勝手にせw
430 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:09:25 ID:dl1jvxOe
>>429 人の書き込みに勝手に横レス付けて
最後はそれか?
カスだね、お前は。
輪廻があろうが無かろうが人が心清く生きていけるのが仏教ってもんだよ。
アパンナカで行こう
433 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:18:03 ID:VoefhieT
>>431 いや、伝統はそうは言わないな。
そんなこという伝統仏教はない。
伝統仏教がどうだっての。 おれの感想言っただけ。
435 :
407 :2009/10/13(火) 21:21:16 ID:Y5JleoaS
>>423 > そう。煩悩>業>苦>煩悩>業>苦という円環に縁起するのが輪廻
> 業を止め、煩悩を止め、苦を止めて輪廻から解脱する逆縁起が涅槃
ん?君の言う苦って何のこと?
436 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:24:12 ID:VoefhieT
>>430 くだらね〜ヤツだな。いいか
>>415 >悪いことをすれば地獄に行き、良いことをすれば神々のいる天に生まれる
>とする経典があることは確か。
上は事実、下は文献学説だ。
下のように解釈する伝統仏教はない。あるのは仏教文献学だけ。
特に和辻がプロテスタント神学に真似て造った珍説だけだ。
>しかし、それらを実際に「お釈迦様」が説いたかどうかは不明。
>信じるか信じないかに過ぎない。
>>427 >その記述内容を信じるか否かは各人の自由。
>と言ってるの。
437 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:25:18 ID:VoefhieT
>>435 あらゆる経験、知覚は苦でしょ。四諦は知ってるよね。
どこの説がどうだとかどこぞの経典にこう書いてあるとか、 まあ趣味だから好きにすればいいと思うけど 要は自分の生活に役に立つとこだけ頂けばいいんだよ。 おれは仏教ファンだけどイスラム教だろうとキリスト教だろうと 役に立つところは学ばせていただくよ。
439 :
407 :2009/10/13(火) 21:31:05 ID:Y5JleoaS
>>437 > あらゆる経験、知覚は苦でしょ。四諦は知ってるよね。
あらゆる経験が苦ってどういうことよ。
四諦をどう解釈するとそうなるんだ?
440 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:33:32 ID:VoefhieT
>>439 苦諦、一切皆苦。あらゆる現象、経験は苦であるという真実だろ。
442 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:35:24 ID:VoefhieT
>>438 仏教は趣味ではないんです。本気でとりくまなければ一応の理解すら難しい道です。
そういう趣味の人がここで答える立場に立ってほしくないですね。
>>440 一切皆苦って、そんな意味だっけ?
「一切は苦につながる」であって、「全ては苦である」じゃないと思ってた。
美味しいご飯は美味しいし、楽しい事は楽しい。
だが、それは無常であるから、苦につながると言う意味だと思ってた。
ニュアンスの違いと言えばそれまでだがw
444 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:37:19 ID:VoefhieT
>>441 本来、向こう側、あちらといった意味なので誤記と考えるべきでしょう。
445 :
407 :2009/10/13(火) 21:38:39 ID:Y5JleoaS
>>440 > 苦諦、一切皆苦。あらゆる現象、経験は苦であるという真実だろ。
君には、楽しい時ってなかったの?
446 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:39:27 ID:dTHEOOYl
>>438 ここは仏教質問箱です。スレッドの主旨をわきまえるように。
447 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:40:23 ID:VoefhieT
>>443 それは誤解、あるいは阿諛説。
世間的、快楽の享受は苦でしかないという意味。
アビダルマなどでは快楽の自性・本質があると解釈されることもあるが、
本来は、あらゆる知覚・経験は苦という意味。
448 :
407 :2009/10/13(火) 21:40:59 ID:Y5JleoaS
煩悩>業>苦>煩悩>業>苦 これ↑の、これ→業>苦、を説明してほし
449 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:42:53 ID:VoefhieT
>>445 楽とか快感というのが妄想だというのが仏教なんだけど。
ここに異論を唱えるようなら、苦諦を認めない。
つまり、仏教を信じないということになるわけ。
信じないのは自由だが、勝手に意味を変えて喧伝しないでほしい。
450 :
407 :2009/10/13(火) 21:48:52 ID:Y5JleoaS
>>449 > 楽とか快感というのが妄想だというのが仏教なんだけど。
へー 楽は妄想なんだ
たしかお釈迦様は 楽しいっていってたけどな
>>445 仏教という枠組みに於いて、『苦(dukkha)』という語の最広義はそうだ、ということさw
sabbe saNkhArA dukkhA なんだよ。
「一切の行(作られしもの(→縁起性のもの))は苦である」というのが、
三つ(四つ)ある最重要スローガンのうちの一つだ。
(さすがの私も、これを外すことはないwww)
452 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:50:24 ID:VoefhieT
>>448 業についてはそれ以上考えるべきではないというのが釈尊の言葉。
つまり、本来複雑で凡人の理解を超えているだけど。
業は行為と、その行為の結果としての潜在力を意味します。
単純化して例を出すと、食べ物、酒、麻薬など。
ちょっとやると楽をもたらすけど、過度にやると苦をもたらす。
根本的にはあらゆる行為が、輪廻してしまう苦をもたらす。
という意味。これでいい?
453 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 21:55:12 ID:VoefhieT
>>450 ヴァイシャーリーは美しいだろ。
それは、たしかネハン経のサンスクリット本にだけある一説で、
アーナンダに対して長生きしても苦ではないという文脈。
それを現実を肯定するように解釈したい世間に阿った学者が
無理に解釈誇張しただけの話。
もちろん、釈尊も美味しいとか気持ちいいという感受はある。
しかし、それが本質的に苦であるという認識は外さない。
これが一切皆苦、でなければ一切皆苦とは言わないでしょ。
>>447 >>449 感じた時点では、「楽」であっても、その本質は「苦」であると言う説明なら分かる。
でも、あらゆる物は感じた時点から「苦」であると言う意味にしか
>>440 は読めないんだが?
「少なくとも感覚の時点では「楽」と認識するものがあるが、
それらは無常(諸行無常)であるがために、それに執着する事で苦しみが生じる。
故に、全ての者は本質的に苦につながる」
と言うのが、仏教の四諦だと思ってたんだが…
途中をすっ飛ばして初っ端から、知覚全てが「苦」であると言うのは、チョット論理が飛躍しすぎでないかい?
全てが本質的に苦であると言う事と、全ての知覚経験が苦であるということは、微妙にニュアンスが違うと思うんだ。
>>454 sabbe saNkhArA と言われてしまっている以上、
『 >感じた時点から「苦」である >知覚全てが「苦」である 』と、世尊は説かれた
と受け止めるしかない。
456 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 22:09:21 ID:VoefhieT
>>454 感受、受蘊としては楽と仮設される。
凡夫はそれを楽そのものと認識、意識、記憶する。
聖者はそれを苦そのものと認識、意識、記憶する。
これに関する細かい解釈は別にして以上の大まかな解釈は、
仏教に一貫したものだと思うけど違う?
457 :
407 :2009/10/13(火) 22:10:33 ID:Y5JleoaS
>>452 > 根本的にはあらゆる行為が、輪廻してしまう苦をもたらす。
だから
煩悩>業>苦>煩悩>業>苦
煩悩が業を作り、業が苦を作るって言うけど、
最初に書いたように
真の苦しみの原因ってのは、飢えのつらさや、病からくる痛みだろ!
とすれば仏教では煩悩からくる業が病を作り飢えを作り死を作ると称えてるわけ?
458 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 22:12:39 ID:VoefhieT
>>455 たしかクシャだと受蘊は楽、凡夫と聖者で想蘊が違うので、
識蘊が別々になるといってなかったか?
個人的にこういったアビダルマ的な細かい話は好きじゃないので、
苦手だす。一切皆苦でいいよ。それは間違いない。
459 :
407 :2009/10/13(火) 22:15:21 ID:Y5JleoaS
>>453 楽しいの云々の話はもっとたくさんあるよ
それから、苦であると認識してればそれでいいの?
460 :
407 :2009/10/13(火) 22:18:21 ID:Y5JleoaS
>>454 とりあえずだけど あなたに一票
正確には半票
461 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 22:21:47 ID:VoefhieT
>>457 >真の苦しみの原因ってのは、飢えのつらさや、病からくる痛みだろ!
ここが違う。苦しみの原因は無明からくる煩悩と、煩悩によってなされた業。
「飢えのつらさや、病からくる痛み」というのは苦の現れ、感受に他ならず、
原因ではなく結果に他ならない。
>とすれば仏教では煩悩からくる業が病を作り飢えを作り死を作ると称えてるわけ?
上はその通り。行為が全てを生み出すもとというのが仏教。
釈尊ご自身も業論者と仰ってるぐらい。
462 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 22:23:48 ID:VoefhieT
>>459 いや、戒定慧にそって行しなければならない。
最終的に解脱・涅槃しなければ意味がない。
えーかげんで中途半端な理解で仏教説くな。 趣味で無いんだろ
464 :
407 :2009/10/13(火) 22:34:09 ID:Y5JleoaS
>>461 > ここが違う。苦しみの原因は無明からくる煩悩と、煩悩によってなされた業。
無明からくる煩悩が病や飢えを作る経緯ってどんなよ?
465 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 22:37:07 ID:xl7GQjuE
仏教はキリスト教やイスラムやヒンドゥーの脅威を乗り越えて これからも生き続けることはできるんでしょうか。
>>457 『苦』には、(200%の粗雑さで言ってw)ニ階層あってだな、
苦. ─┬四苦八苦
. . . . . └楽
↑ ↑
↑ 世俗・一般・日常に於ける苦楽
↑
勝義に於いて理解され受け止められる次元での苦
となw
で、勝義に於ける苦に対比される「楽」が、“涅槃の楽”ということさw
当然、大般涅槃経のヴェーサーリーやウデーナ霊域が美しい・楽しい(≒喜ばしい・素晴らしい)というのも、
「感受の表現としては日常レベルでのもの」であり、
「対象への評価としては、人の分別計らいの無い、あるがままの佇まいとしての価値を讃してのこと」となろう。
また、「煩わしさ」や「痛み・苦しみ」は如来にも感受される。(「日常レベルの苦」としてね。)
が、如来にとっては、それは「苦」ではなく、あくまでも五蘊に生じている一事象に過ぎない、
ってことさ。これは日常レベルでの「楽」も同様。
≪事象として感受はある。そしてそれは、凡夫に於いては苦楽へ直結する。だから、広義の「苦」とされる。
聖者に於いては、事象としての感受は事象としての感受でしかなく、それ以上でも以下でもない。
なぜか。 そこに、「捉われる」「こだわる」「執着する」ということがないから。
パーリ大般涅槃経をよく読んで欲しい。
晩年最後の道行きに際し、どのような事件(事象)が釈尊の身に降りかかり、
世尊はどう対処されたか(少なくとも弟子達の眼にどう映っていたか)・・・。
成立年代云々や編集の多さ云々等色々あるかもしれんが、やっぱり、胸に迫る一経だよ。≫
>>458 倶舎だかクシャミだか知らんが、そんな難しいことは解らん!www
467 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 22:41:57 ID:VoefhieT
>>463 どこが「えーかげん」なのか?
>>464 そこは四不思議といって考えないことになっている。
なぜなら、複雑な縁起だから。単純化して言うことは可能だが。
それぞれ、無限に複雑な因縁をもっていることはちょっと考えれば分かるだろう。
468 :
407 :2009/10/13(火) 22:54:41 ID:Y5JleoaS
>>466 ようするに、苦しみ自体は消えない
ぶっちゃけて言えば
あとは心の持ちようだってことにならない?
そうなると最初に俺が書いた通りになるのよ
丁寧なレスに感謝
469 :
407 :2009/10/13(火) 23:02:05 ID:Y5JleoaS
>>467 > そこは四不思議といって考えないことになっている。
> なぜなら、複雑な縁起だから。単純化して言うことは可能だが。
> それぞれ、無限に複雑な因縁をもっていることはちょっと考えれば分かるだろう。
因縁はいいんだけど
分からない部分を因縁と言って繋げちゃだめでしょよ
無明→煩悩→苦
これらを思い起こさせている、基本となる因縁の事例ってなんなわけ?
470 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 23:03:36 ID:VoefhieT
>>468 心の持ちようと言うことも可能だが、
心を上手く制御するために戒定慧の三学の行が要請される。
凡人の散乱した心の状態で、心の持ちようなんて気休めみたいな道ではないですよ、仏教は。
471 :
407 :2009/10/13(火) 23:16:17 ID:Y5JleoaS
>>470 > 心を上手く制御するために戒定慧の三学の行が要請される。> 凡人の散乱した心の状態で、心の持ちようなんて気休めみたいな道ではないですよ、仏教は。
そういう言い方はとっても美しいけど
言い方を変えても表現してもまったく同じだよ
真剣なんだってのは分かるけど、ただそれだけだ
だからインドで廃れたんだと思うな俺は。
>>468 >あとは心の持ちようだってことに
そ。
(アビダルマ的だとの批判もあるがw)、根境識の和合と言われるように、
境(対象)と根(感覚器官・能力)の接触において感受が生じるわけだが、
ここに於いて、『感受のみ』或いは『これは「(所謂日常的)痛み」であるとのみ』見るのが聖者であり、
その感受から、「好、嫌、楽、苦、喜、悲、憂、悩、などなどなどなど」【を生起させてしまう】のが凡夫なわけさw
※この作用を、(五蘊の)「行」と言う。 一切行苦の行とは、その適応範囲が狭くなってはいるが、
「苦である」こと「苦の因・縁となる」点では共通するか・・。
473 :
407 :2009/10/13(火) 23:22:59 ID:Y5JleoaS
>>472 > ここに於いて、『感受のみ』或いは『これは「(所謂日常的)痛み」であるとのみ』見るのが聖者であり、
それはお釈迦様の説なの?
474 :
白蓮 :2009/10/13(火) 23:40:37 ID:Vs3yQPhX
>>420 ※お釈迦様は、悟りを説いても衆生には解ろうはずもないから、悟りの内容を
心の内に秘めておこうとして至福の時を過ごしていたら、梵天(i如来・大如来)が現れ、梵天勧請を三回勧められ、衆生に悟りの法の
教えを説いた。ゆえに梵天は象徴のような飾りではありません。
釈迦入滅後後代の仏弟子が霊的認識が無く唯物論の認識の仏弟子が梵天の存在
を象徴として形骸化して宗教的な作品(仏教文学形式)に変えてしまったから
だと思われます。
※あの世の救世主の世界から来たのはナザレのイエス様しかりお釈迦様しかり
です。大悟する前は悪魔が悟らせまいとして邪魔をします。降魔成道して大悟
することができます。
※お釈迦様が心霊主義の認識がなければ、大悟することもありませんし、梵天
勧請する霊的姿も目にすることは無いのです。
※文殊菩薩はお釈迦様の仏弟子です。実在の人物です。
※二千五百年も経てば、伝説から神話になることはありますが実在しています。
創作神話ではありません。事実です。
※カシャパー三兄弟の教祖を伝道したのは誰でしたか。お釈迦様です。
竹林精舎や祇園精舎等で仏弟子が大衆を伝道して大衆を集めて、お釈迦様が
説法して教宣を広めていったのです。
在家の裕福な名士の所も在家達が大衆を伝道して大衆を集めて、お釈迦様が
説法して教宣を広めていったのです。
既に大乗伝道はお釈迦様御存命の時代にあったことです。
※本来の仏教の本質を骨抜きにしてしまった学術的な基本的事実/定説を読ん
でも本質が、なおざりにされている心霊主義が書かれていないものは読む
気もおきません。日本に仏陀再誕しておられますので、本仏大川隆法総裁
の書籍を拝読するほうが、仏教の本質が深く学べるものであります。
475 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 23:44:41 ID:+XpUpaxi
>>436 おい、クソやろう。
誰が「伝統佛教」云々の話をしたか?
俺が言ったのは、経典にそのような記述があるという事実指摘と
それを「お釈迦様」が、実際に説いたことか否かは各人が、判断するべきこと
だと言っただけだろうが?
仏典は全て、釈迦没後数百年を経た後の製作であり、釈迦自身が説いたという
確たる証拠はない。其々の記述の内容は各自が判断すれば良いだけのこと。
476 :
神も仏も名無しさん :2009/10/13(火) 23:46:47 ID:fw/D3E3j
>>412 煩悩が完全になくなれば輪廻しないから、
生命現象が終了、病も空腹もなくなる。
いざ、平安なる滅びへ。
>>473 前者「感受のみ」は、ほぼ近い表現が仏典にあったように記憶するが、すぐ出てこないw
詳しい人宜しくw
後者は、大般涅槃経等での疲労や病、(或いはコーサンビーの一件、或いはニ大弟子の死去等)に際しての
釈尊に生じている心の波を見れば、という踏み込んだ解釈による。(または、禅的な視点と言ってもいい。)
いずれにしろ、(長老尼偈等なら、潰した目が治ったとか)、
種々の奇跡(―たとえば、自己で失くした脚が生えてくる等―)をあり得るものとするなら、
472のように解し受け止める必要はない。 実質的に、個別に、具体的に、個々の苦が完全に消去されるのだから・・・。
だが、もし、そうした種々の奇跡を、あり得ないことと位置付けるなら、
必然的に472とならざるを得ないのではないか、と私は考えている。
>>477 >種々の奇跡(―たとえば、自己で失くした脚が生えてくる等―)を
自己じゃなくて事故な・・・w 解ると思うけど一応・・・(^^;
479 :
407 :2009/10/14(水) 00:17:45 ID:4f1IJUVa
480 :
不空成就如来 :2009/10/14(水) 01:28:05 ID:zUEAWmqc
481 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 08:25:55 ID:IyyPp6lM
日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は、 苦(ドゥッカ)のことを「不満」「不満足」と表現していますね。 食べて「おいしい」というのも、一見「楽」にみえるが、 「もっと食べたい」という欲が裏にある。 「もっと食べたい」ということは、まだ満足していない。 まだ刺激を求めている。 満足したら、もう食べたくなくなるはず。
482 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 08:55:25 ID:K7ssd9uE
>>475 >仏典は全て、釈迦没後数百年を経た後の製作であり、釈迦自身が説いたという
>確たる証拠はない。其々の記述の内容は各自が判断すれば良いだけのこと。
上の前文は縁起・空に基づく仏教の見解ではなく、素朴実在論に基づく歴史実証主義、文献学の見解である。
しかも製作というのは不正確で、文書化された、あるいは編纂されたとあらゆる文献学者がいう。
後文は、プロテスタント神学の真似をした和辻流の近代仏教解釈学であって、仏教ではない。
こんなくだらない考えなら仏教にほとんど意味はないだろう。
ほとんど和辻流の倫理学と変わらない。
そこに戒はあるかもしれないが、定慧は全く抜け落ちている。
『梵網経』で釈尊が嘆いた凡夫が見た仏教そのものである。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
483 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 08:59:25 ID:K7ssd9uE
>>480 死とは違います。仏教的には死んでもなんら解決になりません。
なぜなら、輪廻するから。また何かに再生して苦を感受するだけ。
現代日本人は、全ての終了を求めて自殺する人が多いようですが、
仏教的には全く解決になりません。
解決を求めるなら、修行して解脱するしかありません。
484 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 09:03:31 ID:K7ssd9uE
>>481 >苦(ドゥッカ)のことを「不満」「不満足」と表現していますね。
それは方便的説明でしょう。その説明だと壊苦はまあまあですが、
苦苦や行苦は説明できない。上の説明は苦というより貪欲にぴったりですね。
485 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 10:29:57 ID:S2evT7Xx
>>482 まだ絡んでくるのか、このバカは。
くだるとか、くだらないとか、誰もお前の感想など聞いとらんわ。
いいか?俺がいったのは、「経典には〜のような記述がある」という
事実紹介と「それらの記述を『お釈迦様が実際に言ったこと』か否かは
各自が判断すればよいこと」 の2点だ。
お前は、現存している「全ての経典」の「全ての記述」が、「お釈迦様が
実際にそのように語った」ことに間違いない。
口伝においても、「全てが間違いなく正確に」伝えられ、また、
経典製作の過程においても、後世の仏教徒たちの改変、改作、付加、また、
製作者の独自解釈による表現法の変更などは、一切無く、「全てが」
間違いなく「お釈迦様がそのように語った」と主張するキチガイ野郎なのか?お前は。
そうでないならば、個々の記述に対しては個別に判断するしか、なかろうが?
486 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 10:55:39 ID:4f1IJUVa
痛みが消えない、心だけの仏教なんてどうでもいいや。
487 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 10:58:34 ID:K7ssd9uE
>>485 ビュルヌフあたりから始まるギリシャ・キリスト教文献学を真似たインド文献学については
君の何倍も知ってると思うぞ。ちなみに現代で権威ある西洋人学者とその業績を君はあげられるかな?
しかし、そのような素朴実在論に基づく歴史主義・実証主義に基づく文献史、
思想史と
縁起・空に基づく仏教は全く別のものだ。
君が仏教と呼んでるのが文献学者が妄想した仏教像であって、
聖者を生み出す意味のある伝統仏教とは似ても似つかない紛い物なんだよ。
そのくだらない知識と認識不足のお粗末さに気付けw
488 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 11:00:53 ID:K7ssd9uE
489 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 11:03:27 ID:S2evT7Xx
>>487 お前はホントにクソ野郎だね。
なに勝手に論点ずらしてるの?
誰が佛教に関する知識の多寡について話したか?
俺が言ってるのは
>お前は、現存している「全ての経典」の「全ての記述」が、「お釈迦様が
実際にそのように語った」ことに間違いない。
口伝においても、「全てが間違いなく正確に」伝えられ、また、
経典製作の過程においても、後世の仏教徒たちの改変、改作、付加、また、
製作者の独自解釈による表現法の変更などは、一切無く、「全てが」
間違いなく「お釈迦様がそのように語った」と主張するキチガイ野郎なのか?お前は。
>そうでないならば、個々の記述に対しては個別に判断するしか、なかろうが?
逃げずにきっちり答えろや、カス。
490 :
407 :2009/10/14(水) 11:07:53 ID:4f1IJUVa
>『感受のみ』或いは『これは「(所謂日常的)痛み」であるとのみ』見るのが聖者で こういう事を主張する人は、麻酔無しで手術でも受けてから言って欲しいや。 ギャーギャー騒がずいられるのかな? 俺は釈尊の言動をみてみて思うに、とてもこんな馬鹿を言う人には思えないんだけどな。
491 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 11:14:27 ID:K7ssd9uE
>>489 >>お前は、現存している「全ての経典」の「全ての記述」が、「お釈迦様が
>実際にそのように語った」ことに間違いない。
>口伝においても、「全てが間違いなく正確に」伝えられ、また、
>経典製作の過程においても、後世の仏教徒たちの改変、改作、付加、また、
>製作者の独自解釈による表現法の変更などは、一切無く、「全てが」
>間違いなく「お釈迦様がそのように語った」と主張するキチガイ野郎なのか?お前は。
>
>>そうでないならば、個々の記述に対しては個別に判断するしか、なかろうが?
君はバカだろ。上の立場が文献学以外のなんなんだ。
文献学は、実在論に基づく歴史実証主義だから上のような話になる。
仏教は、悟るための道であって、悟ったものが仏、
その教えが法、その法の伝承を体得し伝える聖者の集団が僧である。
この仏法僧の三宝が、仏教を伝えるのであってテキストは補助に過ぎない。
だから、凡人が実在論に基づく歴史実証主義で仏教の本質など分かるはずがない。
分かるのはテキストの伝承過程、テキストの異同、テキストの言語学的分析程度のことだ。
492 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 11:30:30 ID:S2evT7Xx
>>491 お前は、人のレスをちゃんと読めるくらいの読解力を
身に付けてから、書き込みしろや、カス。
誰が「文献学が否か?」などの話をしている?
誰が「実在論に基づく歴史実証主義がどうか?」などの話をしたか?
俺が言ったのは「経典にある〜のような記述に関しては、それが
『お釈迦様が語ったこと』か否かは個別に判断すれば良い」
といっただけ。 あくまでも事実認定の話。
だから、
>仏教は、悟るための道であって、悟ったものが仏、
その教えが法、その法の伝承を体得し伝える聖者の集団が僧である。
この仏法僧の三宝が、仏教を伝えるのであってテキストは補助に過ぎない。
だから、凡人が実在論に基づく歴史実証主義で仏教の本質など分かるはずがない。
こんな、佛教の本質が云々などの話は全く論点はずし。
俺が言ってるのは、あくまでも「経典にある個々の記述に関して
それが『歴史上に実在した釈迦という人物が実際に語ったことか否か』
は、個別に判断するべきもの」ということ。
「テキストが補助に過ぎない」かどうかなど、だれも問題にしとらんわ、ボケ。
またやってんのかw
物好きだな、お前らwww
>>491 >分かるのはテキストの伝承過程、テキストの異同、テキストの言語学的分析程度のことだ
まさにその通りだろ? で、【そのレベルでの】話だろ?
そこへ、次元の違う横槍を入れてきている、【場違いなツッコミ】をしている、のは自分だと気付くべきだ。
私は何度も何度も何度も指摘している筈だ。君は一向に理解できていないようだが・・。
だから、宝珠とそっくりだと言うんだよ。机と同じ轍を踏んでいるまさに同類だと言うんだよ。
君に、机を罵倒する資格はない。なぜなら、同じことをしているのだから・・・。
マジでそろそろ気付こうよ・・w
494 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 11:40:14 ID:S2evT7Xx
>>493 >またやってんのかw
物好きだな、お前らwww
いや、そろそろ、止めようかと思ってる。(笑)
カラスの口調をまねて、縁起バカをからかってただけだよ、セブン。
495 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 11:55:12 ID:K7ssd9uE
>>493 いや、逆だよ。セブン。そろそろ仏教文献学のテキスト分析の歴史と、
仏教が全く別だと気付こうよ。
テキストをいくら追求しても、三学を伝統的聖者に従って学ばなければ、
仏教にならない。せいぜい仏教思想ぐらいにしかならないとどうして分かんないかな。
仏教を各自が「個別に判断するべきもの」なんていうのはプロテスタント神学の真似だろ。
仏教は聖者が伝統に添って教えるもの、そこは輪廻やアートマン問題同様本質的問題で外せないぜ。
496 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 12:09:45 ID:S2evT7Xx
まだ、わかんないのか、お前は。 俺は「佛教がどうあるべきか?」などと言う話は一切していない。 俺が言及しているのは、「経典にある記述」と「それが歴史上の 人物である釈迦が実際に語ったことか否か?」の関係、すなわち あくまでも、『事実認定』のはなし。 それをお前が、まったく別の次元の話で余計な突っ込みを入れて くるから、ややこしいことになるの。 いいかげんに、そのくらい、わかれや。 以前、お前が析空氏との歴史上の事実に関して、同じような ポイントのずれたレスを繰り返してたのを見てたんで、 少しは、進歩したか?と思って、やりとりを継続したが 全く同じだね、お前は。
497 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 12:24:17 ID:K7ssd9uE
>>496 >俺が言及しているのは、「経典にある記述」と「それが歴史上の
>人物である釈迦が実際に語ったことか否か?」の関係、すなわち
>あくまでも、『事実認定』のはなし。
その事実が実在論に立った歴史実証主義だからだめだってことだ。
歴史上の釈尊なんて言ってる時点で何も分かってないってこった。
君は仏教に関して本質的になにも分かってないよ。
単に文献学者の概説書程度の知識を持ってるだけだ。
悪いこといわん、知らんことはだまっとけ。
498 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 12:53:36 ID:IyyPp6lM
>>484 一切の生命現象は不満をエネルギーにして動く。
なので、不満を手放せば一切は止む。
しかし、不満のかたまりである一切に執着する「無明」のせいで、
新たな不満を発生させている。
苦しみたくない壊れたくないという不満から本当に解放されるには、
苦しみを生む心身、壊れる心身を手放せばいいのに、
無明のせいで手放せず、新しい心身に乗換えてしまう。
車が古くなっていやなら車を買わなきゃいいのに、
また新しい車に買い換えてしまう。
499 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 13:41:19 ID:K7ssd9uE
>>498 それは無明の新解釈ですね。
無明は無常・苦・無我・不浄を常・楽・我・浄と思い込むこと、
特に無常・無我なあらゆる現象、知覚を恒常・我、
つまり、確固として自立した実体だと思い込むことだと説かれるのが、
一般的ですが、経論の根拠はどこにあるのでしょう?
たぶん、彼の方便説だと思いますが。
500 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 15:32:47 ID:S2evT7Xx
>>497 はい、それでは、ひとつ聞いておこう。
「釈尊という人物は2500年前に実在した人物であるか否か?」
YESかNOで答えてもらおう。何も難しい質問ではないな?
縁起がどうとかで、逃げるんじゃねえぞ、カス。
501 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 15:50:31 ID:S2evT7Xx
>>497 お前は異常に理解力がかわいそうみたいなので補足しておくが
俺が言っているのは「2009年、4月時点での日本国首相は麻生太郎
であった。そして、彼の発言は〜」というレベルのものだ。
「いや、全てが無我であり、麻生などと呼称される人物も五蘊の
仮和合であって、それは縁起が・・・・・・」なんて話をして
るんじゃないからな。それくらいは理解できるな?
502 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 16:22:10 ID:K7ssd9uE
>>500 じゃ、yes
エゴまみれだな。 君は仏教とは縁ないから歴史でも勉強して蘊蓄でも語ってればよかろ。
503 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 16:49:02 ID:SS1Z9Cjh
>>502 俺が言っているのは、その「歴史上存在した釈尊」の語った内容について。
経典の全て記述が、「実際に釈尊が語った」こととは
考えられないのであれば、個々の記述については各人が、個別に判断していくしか
ないわけ。分かったかい?ぼくちゃん?
それとも、お前は「経典の全ての記述が実際に釈尊が語ったことである」
このように主張するキチガイなんですか?
そういえば、これにも逃げて答えてなかったな?
答えてみな。
504 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 16:54:30 ID:SS1Z9Cjh
>>502 「エゴまみれだな」
お前が言うなよ(笑)
お前ほど、エゴにまみれた奴は仏教スレでも
珍しいと思うがな(笑)
505 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 16:57:45 ID:K7ssd9uE
>>503 だからそういうテキストの歴史実証主義による真偽は文献学であって、
仏教ではないといってるんだが。
釈尊が実在するという問いに対する答えも、言語習慣として yes なだけで、
リアルに確固として実在するなどと考えるなら仏教ではない、ただの素朴実在論、常識の立場なんだな。
キチガイでいいよ、キチガイで。縁起バカもキチガイも名誉なことだw
506 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 17:10:24 ID:K7ssd9uE
>>503 >俺が言っているのは、その「歴史上存在した釈尊」の語った内容について。
>経典の全て記述が、「実際に釈尊が語った」こととは
>考えられないのであれば、個々の記述については各人が、個別に判断していくしか
>ないわけ。分かったかい?ぼくちゃん?
それと重要なことを一つ付け加えておこう。
上のような考えは、ヘレニズム・ヘブライニズムに基づくロゴス中心主義、
本質主義なんだよ。なにか言葉は真実を本質的に指しているとか、
唯一無二の真実が実在するとか。だから、ソクラテス・プラトンあたりから
西洋人は本質を追究して言葉の意味を定義しようとしたりした。
インドでもヴェーダを神聖視するヒンドゥーなどで同じような傾向がある。
ところが仏教は、言葉はただの習慣に過ぎず、言葉の指示対象も、
無常・無我・空でただの縁起によって仮設されるものとした。
だから、経典、伝承、アーガマは尊重するが、
「言葉に依らず意味に依れ」と言われる。
当然、意味は聖者から聖者に伝えられる、それ以外に伝承法はない。
単にテキストを見てもしょうがない。これはチョムスキーが行動主義を批判した内容によく似ている。
507 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 17:31:25 ID:SS1Z9Cjh
>>506 また、論点をずらす。ホントに姑息なやつだな、お前は。
いいか?俺が言ったのは「経典には〜という記述がある」そして「それを『歴史上実在した釈尊という人物』が
実際に語ったことか否かについては確たる証拠はないので、各人が
個々に判断するしかない」
こう言っただけ。誰が「言語表記の限界」や、解釈論の話をしたか?
アホかね?まったく。
経典の記述は全て釈尊が実際に語ったことか?
はい、まだこたえてないよ。
> 「言葉に依らず意味に依れ」と言われる。 誰が言ったの?
>>505 貴方の使用する「実在」という語は、哲学業界での真の意味での「実在」であり、
日常言語での、言語習慣に於いての「実在」ではない、ことをまた忘れてしまいましたか?w
貴方の使用する意味合いで「実在」という語を使う人は、【一般にはいない】んですよ。解ります?w
貴方の使用法は、【マイナー】で【専門的】で【一部の人しか理解しない】【一部の人しか使用しない】ものなんですよ。
その辺のところの(→自分がマイノリティで、日常言語を使用しない特殊な人種であるという)自覚が足りないようですね・・・w
てか、ここは質問箱なんで、皆さんそろそろ“じじゅう”しませんか?w
;´ー`)y━~~
510 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 19:44:57 ID:K7ssd9uE
>>508 ブッダ
>>509 いや、日常言語の意味で「実在」と言えば「本当に確固としてあるもの」という意味でしょ。
ほとんど素朴実在論、つまり、目に見えるものがあるがままに自立的にあるということ。
511 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 19:52:49 ID:K7ssd9uE
>>507 オレは一貫して伝統仏教だぞ。
君が勝手に文献学を仏教だと言った。それをオレが否定した。
君は文献学を仏教だと言い続け、オレは文献学は仏教ではないと言い続けるだけだ。
512 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 19:58:45 ID:SS1Z9Cjh
>>511 ちょっとまて。
俺がいつ「文献学が仏教だ」だと言ったか?
レス番あげてみろ
514 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 20:07:43 ID:SS1Z9Cjh
>>511 人の書き込み内容を勝手にねじ曲げるなよ。
俺がここで言ってきたことは「経典には〜のような記述があるが、
経典の記述全てが歴史上実在した釈尊の語ったことである
という保証はないので、個々の記述に関しては各人が判断するべき」
これだけだ。
お前、ホントに頭大丈夫か?
515 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 20:35:15 ID:Uu9sbUhZ
K7ssd9uEさんの主張をまとめるとこうなる。 ブッダ以来聖人から聖人へと口承で伝えられた教えこそが本当の仏教であって、 経典や論釈による仏教は本物ではない。 K7ssd9uEさんも聖人から口承で教えられたので間違いないのだ。 では、K7ssd9uEさんに口承で仏法を教えたという聖人とは誰なのか? K7ssd9uEさん、その聖人のお名前を教えてください。
516 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 20:39:34 ID:K7ssd9uE
>>513 大般涅槃經 (No. 0374) in Vol. 12
T0374_.12.0401b27: 如佛所説是諸比丘當依四法。何等爲四。
T0374_.12.0401b28: 依法不依人。依義不依語。依智不依識。依
T0374_.12.0401b29: 了義經不依不了義經。如是四法應當證知
T0374_.12.0401c01: 非四種人
上の「依義不依語」ですね。他にも沢山の典拠あり。
517 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 20:42:55 ID:K7ssd9uE
>>514 >
>>511 人の書き込み内容を勝手にねじ曲げるなよ。
>俺がここで言ってきたことは「経典には〜のような記述があるが、
>経典の記述全てが歴史上実在した釈尊の語ったことである
>という保証はないので、個々の記述に関しては各人が判断するべき」
アホだな。上の説は文献学でなくてなんなんだ。
伝統仏教で上のような説を唱える仏教など近代日本仏教だけだろ。
文献学とその影響を受けた近代日本仏教以外で、
上の説を唱える仏教があるなら教えて貰いたいなw
518 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/14(水) 20:44:48 ID:Ym1zYH45
>>474 ----白蓮さんへ
>ナザレのイエス様しかりお釈迦様しかりです。
>大悟する前は悪魔が悟らせまいとして邪魔をします。
>降魔成道して大悟することができます。
フーン、悪魔がね・・・?。何も私は「悪魔は存在しない」などといっているのではなく、イエスの荒野に
出現した悪魔というは、自己意識の成長に伴った意識の変成における最後の足枷的なものであり、自
己意識の闘いを現す葛藤の模様を伝えたものであったということ。
ゴータマの成道の場合における梵天勧請の話しは、また少し違う次元になるのですが・・・。これも自己
の意識内での葛藤と心理的な整理過程を現したものだといっているのです。ま〜分らないようですね。
しかし、経典製作者自身が、悪魔や梵天が実際に現れて語ったことなんだと読者に解されてもいいと、
そういうつもりで書いたのだと見なすことは可能でしょうね。そう解されても誰も文句はいえないw
>日本に仏陀再誕しておられますので、
>本仏大川隆法総裁の書籍を拝読するほうが、仏教の本質が深く学べるものであります。
自分の信仰に対する疑問が自分自身から沸き起こらない限り、つまり、他者からの指摘などでは、ただ
余計に反発心を誘発するだけでしょうから・・・。ご自由にされて下さい!
しかし、それにしても・・・再誕の本仏(ホトケご本人)であれば、尚更、何故にこうも原始経典の内容との
違いが大きいのでしょうかね?合致してるならば、初めて再考する余地が出てくるかもしれませんが・・。
519 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 20:45:56 ID:K7ssd9uE
>>515 >K7ssd9uEさんの主張をまとめるとこうなる。
>ブッダ以来聖人から聖人へと口承で伝えられた教えこそが本当の仏教であって、
>経典や論釈による仏教は本物ではない。
ちょっと違う。「経典や論釈による仏教は本物ではない」とは言わない。
聖者が伝える「経典や論釈による仏教は本物」ですよもちろん。
文献学者が実在論・歴史実証主義に立って「経典や論釈」を解釈した「仏教は本物ではない」
という意味です。
聖人の名前はこんなとこで言えませんよ。
520 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 20:51:57 ID:SS1Z9Cjh
>>517 バカ野郎が。
俺がいつ、自分の書き込みが文献学でないと言ったか?
俺の書き込みがいつ仏教であると言ったか?
俺の書き込みが、文献学であろうが、仏教であろうがそんなことは問題ではないの。
俺の言ってること理解できないの?
お前は真性のアホか?
521 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 20:54:08 ID:Uu9sbUhZ
>>519 大乗経典の大般涅槃經は本物なんですか?
>聖人の名前はこんなとこで言えませんよ。
釈尊の弟子たちは、師匠の名前を聞かれても答えないものなんですか?
522 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 21:00:57 ID:K7ssd9uE
>>521 私は大乗仏教徒ですから。
2chでは言えないでしょ。
523 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 21:11:23 ID:K7ssd9uE
>>520 君の立場は単純な近代文献学だ。よく分かるよ。
要するに実在論に立って物理的証拠から、仏教を解釈するものだ。
だから歴史的釈尊とか聖典の編纂などが問題になる。
そして、実在論だけでなく本質主義に立つから、
テキストは唯一無二の真正なものがあるはずであると
真正なテキストの復元を追求する。それが文献学の基本的立場。
本来、文献学はここで踏みとどまるはずなんだが、
意味も追求してしまう。意味も本質主義で追求するので、
把握できない。なぜなら、仏教は縁起で説かれているから。
呆れたことに和辻は伝統僧団からテキストの解放を叫んだ。
要するにカトリックに対するプロテスタントの姿勢の模倣だ。
それで経典は勝手によんで個人個人が勝手に解釈していいという倒錯が始まった。
これは仏教ではない。現に文献学者が悟ったという話は聞いたことがない。
効果がないのである。逆に文献学者は往々にして我が強い。
524 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 21:14:07 ID:Uu9sbUhZ
>>522 >2chでは言えないでしょ。
なんで言えないような場所で書き込みしているんですか?
>>510 > いや、日常言語の意味で「実在」と言えば「本当に確固としてあるもの」という意味でしょ。
そうだよ。
ただし、
『「想像上、空想上」のものには適用されない』、
『そうした「想像上のもの」と【対比される形で】使われる』、そういう語だけどなw
そして、この対比を超えて、無効化して、より広い意味を持たせたものとして、(その時初めて)、
『仏教(中観)に於いて却下される「実在」』となる。
そう、ちょうど、
>>466 において「苦」をニ階層に分別したのとそっくり同じ形で、
ここに「実在」という語のニ階層性が見られるわけです。
そのように考えれば、貴方の横槍が、階層間の無用なジャンプであることがお解り頂けるのではなかろうか・・。
貴方は、
【対比される形を持たない「実在」という語を用い】、【対比される形を持つ「実在」という語の使用法】について、
その使用法は間違っている、と発言しているのです。
このような対立は、私の知る限り今回で3回目か4回目位になると思われますが、
1回目を除き、あとは、上記のような≪「実在」という語の使用法の差異≫が原因となっています。
どちらかが、「そのレベルでその語義を使用するなら許容する」態度にならない限り、
この対立は永遠に終わらないでしょう。
※論点がズレているようですが、この問題はけっして、
『文献学vs仏法』『文献学的分析vs師資相承の、実体験を伴う解釈』ではない。
少なくとも発端はそこではない。 みんな熱くなって見失ってるかもしれんが、
今回もまた、
『一切は縁起性であり、「夢幻泡影の如きである」という言明vs所縁によって、とりあえず今ここに「ある」という言明』
という対立だよw
※K7ssd9uEさんの言わんとすることはよく解る。それこそが仏教の骨子であることは解る。
だが、やたらめったら咬み付き過ぎじゃねーの?という危惧があるだけw (狂犬病かよってなw)
>>510 ついでにチェックするなら、
> いや、日常言語の意味で「実在」と言えば「本当に確固としてあるもの」という意味でしょ。
〔日常言語で言う際〕、
・『本当に』という言い方が示すのは、
>>525 の「想像上のもの等」に対比される形での『本当に』だ。
・『確固としてある』というのは、『名(nAma)ではなく色(rUpa)としてある』ということだ。
※これを【勝義に於いて「実在でない」「所縁により仮設されているだけ」と言う】ことは勿論可能だ。
また、そうでなければ『勝義』とは言えんしw
> ほとんど素朴実在論、つまり、目に見えるものがあるがままに自立的にあるということ。
〔日常言語で言う際〕、
・『目に見えるものが』というのは、まさに上記「色(rUpa)」としてということだ。
・『あるがままに』とは、「所縁によってそのように顕現している、まさにその在り様」を指すこととなる。
そして、
・『自立的に』ということは、〔日常言語で言う際〕には、【通常、普通は】【考慮されることはない】。
※貴方が勝手に付加して、その付加部分に自ら咬み付いている絵図なわけです。
私も“じじゅう”しよう。 (このスレでは)これを最後にする。 ノシ
527 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 21:21:28 ID:K7ssd9uE
528 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 21:26:22 ID:K7ssd9uE
>>525 > ※K7ssd9uEさんの言わんとすることはよく解る。それこそが仏教の骨子であることは解る。
> だが、やたらめったら咬み付き過ぎじゃねーの?という危惧があるだけw (狂犬病かよってなw)
煩悩だから、ちょっと分かって嬉しくてしょうがないんだよ。
説き方が悪いのは分かってる。これは直していきたい。
529 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 22:12:13 ID:Uu9sbUhZ
>>527 聖人から聖人に口承伝承されてきたというので、
てっきり聖人を自負されておられるのかと危惧しておりました。
ここでの粘着も煩悩の所産だということで安心しました。
わたしも、このへんで失礼します。
最後に、皆様方に、スレ汚しをお詫びいたします。
530 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 22:14:45 ID:SS1Z9Cjh
>>523 だから、俺のスタンスなど全く関係ないの。
文献学であろうが、仏教でなかろうが、関係ないの。
俺が繰り返し言ってることは
>>514 に書いてあるだろ?
それをお前が勝手に文献学だの仏教ではないだの喚いているだけ。
そんな分類はどうでもいいの。
俺は「お釈迦様は人間の死後についてどのように説明しているか?」
との問いがあったから
「〜のように記述してある経典がありますよ。ただし、経典の記述全てが実際にお釈迦様が語ったこと
である保証はないので個々の記述に関しては各人が吟味してくださいね」
と書いただけ。そこにお前が勝手に次元の違う認識論による横やり
入れてきたんだろうが?勝手に論点すり替えるんじゃねぇぞ。
531 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 22:23:41 ID:K7ssd9uE
>>530 >「〜のように記述してある経典がありますよ。ただし、経典の記述全てが実際にお釈迦様が語ったこと
>である保証はないので個々の記述に関しては各人が吟味してくださいね」
だから、これが文献学であって仏教の見解ではないだつーの
君は、なんもわかっとらん。
以後スル〜
仏壇をお墓がわりにして家でお骨を供養していくのはダメですか?
533 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 22:32:25 ID:SS1Z9Cjh
>>531 おい、キチガイ野郎! お前は何回言ったらわかるの?
文献学だの仏教だのの分類は関係ないってのが
なぜこの低脳にはわからんのかね?
スルーだ?
反論できなくなって、逃げ出すなら初めから
横やり入れるなカスが。
534 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/14(水) 22:42:17 ID:Ym1zYH45
>>532 ダメというのはないと思います。
お仏壇の中に位牌を置くことでお墓代り(先祖供養などの意味として使用)となるのではないですかね?
また、お墓がない家庭では大抵、お寺の納骨堂に遺骨を納めているのでは?(お寺ではない納骨堂もあるらしい)
もし、詳しい方がいたら教えてあげて下さい。>オール
>>532 構いませんよ。
「お墓代わり」ということでなく、単に祠堂に御骨が祀られているというだけですから。
その位置付けは、位牌や写真と何ら変わりません。
ただ、お参りにきた、それを見た来客の方(外の方)からは、
「なぜ?」「御墓に入れないの?」と質問されるでしょうが・・・w
その時の返答は用意しておいた方がいいかもしれません。
勿論、「ここでお祀りしてゆくのです」と胸を張って言えるような。
>>533 531が言いたいのは、
伝承されたものを(―宗派等、系譜が違えば、また違ってくるのかもしれんが―)、
《疑い、「独断で」「現代に即すように」取捨選択する行為》は《継承する者・三宝に帰依する者のとる態度ではない》、
ということと思うよ。
その意味で、「文献学」と「仏法」は違うし、
「文献学的取捨選択は、教えを継承する者のとる行為としてふさわしいのか?」という指摘だと読んでみてほしい。
(って、俺もしつこいな・・・w 寝るw ノシ )
536 :
神も仏も名無しさん :2009/10/14(水) 23:28:26 ID:S2evT7Xx
>>535 いやね、セブンよ。
俺が言ってるのは、経典の中に「実際に釈迦が語ったものでないものが、
混入してる可能性が高い」限り、『何らかの方法』により、識別する必要性が
生じる。「全てが実際に釈迦の語ったことである」というスタンスをとるので
あれば、そのようなことはないが、さすがにそう主張するものはいないだろ?
(このバカは答えようとしないので、そう考えているのかもしれんが)
その『識別法』の適否を俺は論じるつもりは、もうとうない。
文献学的アプローチが正しいとも、師による教えとの照合によるべき、
とも、あるいは、その他の方法によるべきとも言ってはいない。
あくまでも「各人が」と其々が最も適切であると考える方法によればよい
と考えている。
俺が言っているのは、そこまで。
それをこのバカは、勝手に、文献学だからダメ、実在論だからダメ、
歴史実証主義だからダメ、と勝手に分類して喚いているわけよ。
「王宮・美女伝説」に彩られ乱交パーティ三昧だった、カピラ城の白皙の王子、ゴータマ・シッダールタという伝説のでっちあげは、 あの当時の布教戦略にとって必要だったのだろう。 なんせ商人階級はジャイナ教、農民階級はバラモン=ヒンドゥ教にがっちり固められてる。 ターゲットは生活に困らんエリートアホぼん連中しかないやろ。 商業資本主義勃興のなかで既成概念否定の下層階級出身の自由思想家では、エリート受けが悪い。 で、その陰でしずかに姿を消していったのが、古代インドにおける自由で合理的な商業資本主義のエートスを体現した 「荷車を曳くブッダ」だったといえるだろう、と思う。 エリートぼんぼん連とそのエピゴーネンは、タコツボ洞窟の中で夢想教義三昧に耽り、 「荷車を曳くブッダ」が伝えようとした単純素朴な内容を、 壮大で空虚なバケモノ宗教に変身させたのである。
仏陀とは、俺のことか?とブッダ問い。
539 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 00:03:43 ID:3LiFxKtQ
>>532 仏教に「お骨の供養」という発想は
ありません。
540 :
白蓮 :2009/10/15(木) 00:20:39 ID:PcuvYa6u
>>518 :宝珠愚者さん
※積極的悪を犯すのが悪魔です。単なる足枷的なものではありません。
大悟後は悪魔は邪魔してきますが、解決できる認識力で悪魔を追い払う事ができ
ます。
※大悟直前は沈思し明鏡止水の澄み渡る心ですから、葛藤はありません。
悪魔の積極的妨害です。釈尊が心の葛藤があれば、悪魔に負けてしまいます。
※単なる葛藤と心理的な整理過程の精神的作用ではありません。
大悟すれば、葛藤はありません。至福の日々が続いたのです。悟りの内容は、
到底理解できない内容だから悟りの内容を開示しないまま、一生を大悟の至福の
中で生きようとされていたのです。
それで、このまま大悟されて法による救済がないまま入滅すると、予定していた
使命が達成しないので、あの世の高級霊の梵天が見かねて法による救済の伝道の
旅に出るように促す梵天勧請があったのです。
高級霊の存在です。心理的な整理過程に梵天の存在を象徴化しは梵天の存在が無
く無力化してしまいます。
※霊的認識の高い方は悪魔や梵天の存在は分かるかもしれませんが、後代の仏弟子
が、唯物論者の考えで霊的なことが解らず悪魔や梵天存在を、単なる心理的作用
として解釈してしまったのでしょう。
過去に限らず、現代においても悪魔は積極的に悪しき妨害はします。また梵天に
限らず、あの世の天国の高次元に菩薩や如来や大如来は存在します。
※既成の仏教の仏弟子が仏典を追記訂正した歴史で、玉石混交の古来の仏典は中身
は違うものに変わってしまっているので、古来の玉石混交の仏典では悟ることは
難いのであります。
541 :
白蓮 :2009/10/15(木) 00:22:46 ID:PcuvYa6u
>>540 (続く)
※玉石混交の古来の仏典と玉のみの現代の仏法真理には質において大きな開きがあ
ります。釈尊の時代に説かれなかった霊天上界の構造論や発展の思想が説かれて
います。現代社会は心不在の利益至上主義になって沢山の苦しみをつくり、年間
3万人以上の自殺者が出ています。現代社会は正しい発展とは何かが解らなくなっ
ています。現代に社会にマッチした仏法真理が必要なのです。
本仏大川隆法総裁は既に五百冊を越える書籍を刊行されています。
釈尊の予言である「東の国に仏陀が再誕する」という伝承が、アジャンター村に
先祖代々語り継がれいます。
応身の仏陀の本仏として大川隆法総裁が日本に再誕されています。
釈尊の予言が成就したのであります。
大川隆法さんのどういうところが釈迦の再誕という決め手なんですか?
>>540 >>541 あんたの言っていることは、反仏教的な二項相対論の上、
なんらの経験的検証もできない妄想ばかりだということは判るか?
大川のコンセプト=ビジネスモデルは『宗教を出汁にした出版業』という、
既成宗教とは逆転の発想による出版社モデルを創った事にある。
あくまでビジネス=事実上のカルトでしかない。
先ず、自分の主張を文献上なり、経験主義的なりに『証明』してから御託を述べな。
大川がこう言っているなんてクソなことは言うなよ。
突っ込みどころ満載であまりに馬鹿馬鹿しいのだが、本気でやっていいのか?
546 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 02:20:05 ID:9OSIZ7yL
>>499 一切皆苦を理解しない原因も無明でしょう?
一切皆苦も無常も無我も同じことを表現しているのだそうです。
苦がわかれば無常・無我がわかるし、
無常がわかれば苦・無我がわかる。
苦(不満)にふりまわされているだけの
生命という存在のむなしさに気付くと、
生命であることへの執着がなくなる。
息を吸いたいという苦(不満)を満たすために息を吸い、
吸ったら今度は、息を吐きたいていう苦(不満)が生じるから息を吐き、
吐いたらまた吸いたくなる…と、
刻一刻と変化する苦(不満)にふりまわされて反応しつづけることが、生命。
そのむなしさ、アホらしさに納得したとき、無明が消える。
「我」だと思っていたのは、
因縁により変化する苦(不満)の連なりにすぎない。
547 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 02:57:56 ID:9OSIZ7yL
>>532 好きにすればいいが、
何かあったとき(どこかに納骨する必要が生じたとき)のために、
火葬証明や埋葬許可証は保存しておきましょう。
参考までに紹介。
大阪に一心寺という浄土宗のお寺があり、
宗派を問わず納骨できます。
で、納められたお骨をくだいて、
そのお骨を材料に、何年かに一回仏像をつくるそうです。
548 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/15(木) 07:33:58 ID:Kv4QGHOs
>>540 >>541 「幸福の科学」の殿堂が、小さな地方都市にもドンドン建てられてますね。
しかも国道沿いで、かなり土地も高価。
また建物もデザイン的に優れていて、かなり建築費は掛かったかと思います。
信者数からして、一個人が出資した額というのは相当なもんだと推測される。
信者が全て金持ちとは限らないですから、
無理して金を出した人が殆どなんじゃないですか?
(もっとも、大川の著作物で大金を払っていての話ですから)
まあ、大川の教義とは別問題で、金は大事に使ってください。
大川は口は達者ですけど、飯を食わせくれますか?
いざとなったら、オニギリ一個でもくれませんよw
応身の仏陀というのは、困った時に助けてくれる、
あなたの親とか、カミさんですよ。
質問です。 仏教書でこれだけは押さえておけ、という書物はありますか? 水野先生の「要語」は読みました。 これから片山先生の「パーリ仏典入門」にとりかかります。 パユットー師の「仏法」も所蔵しております。 アドヴァイス宜しくお願いします。
550 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 09:47:12 ID:Uevj80iH
>>549 その三つを三回ずつ読んだ後で、片山一良先生訳の『梵網経』を読むのがいいかと思います。
その後で『清浄道論』を読めばテーラワーダの考えは大体分かるでしょう。
その後で大乗に向かうなら、梶山雄一先生の『龍樹論集』からですね。
551 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 09:53:21 ID:Uevj80iH
>>546 流れは良く分かりますが、苦を不満に一元的に還元して説明するのが
ちょっと無理だと思います。
例えば、満足した状態は四無量心で表されますが、
それぞれ慈悲喜に対して満足して愛着しているなら、
梵天に転生するだけで解脱できないと一般仏教で説明されます。
もっともだと思います。
まあ、彼の現代人に対する方便なのでしょうが、
それを一般仏教に通用する説としてここで述べるのは問題だと思います。
それは例えば彼の言うヴィパサナが四念処なのに、
あれこそがヴィパサナだとここで一般仏教説として述べるのは問題だということです。
彼の説は方便説だと認識した方がいいと思いますよ。
現代的にわかりやすく不満って言葉を使っただけだろう。 コップにたまった水が溢れ出す。 傾斜にあったものが滑り出す。 そういう一種の限界点を人間で語るとそうなるんじゃないかな。
553 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/15(木) 10:03:24 ID:Kv4QGHOs
>>549 私は小学生の頃から仏教書は読んでました。
その時点では日蓮に憧れてましたけどね。
なんというか、日蓮のバイタリティーに惹き付けられました。
あとは、図書館とかです。
タイトルを眺めているだけで、自分の求めてる本というのは自然に手が伸びます。
そういう本を、っさっと流し読むくらいです。
自分の蔵書ってのは殆どないです。
図書館司書と仲良くなったりすると、チョッとレアなものまで読めます。
最終的には国会図書館まで逝って探してくれたりね。
あと、リクエストすれば税金でレアなもんを買ってくれたりしますよ。
仏教書に嵌って、文献学者になる輩も多いですから、
そうなると鉄道オタより始末におえんようになります。
いわゆる「書物愛好家」ってやつですよw
>>550 3回も読むんですか?!
やはり皆さんもこのように勉強されてるんですね。
感服しました。
アドヴァイスどうりやってみます。
ありがとうございました。
555 :
亭白 :2009/10/15(木) 10:40:04 ID:/c3pu3pN
>>545 :神も仏も名無しさん
☆それは古来の仏典は釈尊が書いた仏典ではありません。
仏弟子が編纂した仏典ではないですか。故に釈尊の悟りではなく、仏弟子の悟
りの集大成です。後代の仏弟子は霊的認識がなく、無我は我無しだからあの世
は無いとし、死んだら終わりとし、俗人と同じ唯物論に堕して古来の仏典にも
追加訂正して、俗人と同じ価値観に貶めたら、玉石混交の多い仏典の価値は無
くなっています。抜け殻同然の化石化に他ならない。
本来の仏典の編纂した当時とは変わってしまっています。
酒の樽に酒は無く水に変わっていて、側は酒樽でも中身は水になって、「お酒で
すよ」と皆さんに振る舞い、水を飲ませていることに気がついていないのです。
妄想の水酒になっているのです。酒樽の姿に騙されてはいけません。
それが文献といえば文献ですが、中身の伴わない文献で名ばかりの文献です。
☆釈尊も当初は新興宗教でまわりから見たらカルトに見えたのです。
既成宗教のバラモン教から見たら釈尊の説法はバラモン教と違う教えを説いて、
伝統あるバラモン教の方から見れば、釈尊が妄想を説いていると判断されても
不思議ではありません。釈尊が大悟したら文献は本当は不要なのです。
なぜなら釈尊の悟りを越える文献は無いからです。文献は仏弟子の作成した文献
であって、釈尊の文献ではありません。文献は仏弟子の小さな悟りの内容です。
霊的認識の理解できない方々は唯物論の妄想で理解しょうとしているから、本仏
の説く直説金口の悟りの内容が理解できないのです。
本仏の説く大悟の法による仏法真理は、現在の文献をはるかに凌駕しているゆえ
に基本的に文献は必要ないのです。
既成の仏教の仏教徒は釈尊の本体である本仏エル・カンターレの応身の仏陀とし
て日本に再誕した以上、仏帰依の選択はおのずから明らかになるでありましょう。
556 :
亭白 :2009/10/15(木) 10:44:01 ID:/c3pu3pN
>>555 続きます。
☆本仏である大川隆法総裁として約二十数年間に五百冊以上刊行しています。
本仏が刊行した書物は未来の仏典になります。約二千年以上に渡り仏弟子
によって、法灯は繋がれて、未来の仏弟子は本仏の仏典を命を賭して守り、
伝道していくであろうことは想像に難くありません。本仏大川隆法総裁の
直説金口の仏典は、後代の方々の最尊最高の文献になっていくでありまし
ょう。
☆こちらも本気で仏法真理を述べるまでです。
557 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 10:51:54 ID:HWugOjcd
ひとつ、お聞きしますがね、あなたの諸説の論拠となっているのは 「大川の説法」以外に、あるのですか? また、大川の説くことが真理であることは、何によって担保されて いるのですか?
558 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 11:14:11 ID:Uevj80iH
559 :
オナニー病幸福の科学論破w :2009/10/15(木) 11:16:59 ID:q/febjuR
本来、仏教の成立は、ヒンズーや、カルト四流霊媒師大川アホりゅうほうの様に、 現実を見失ったのを見て、 釈迦が、現実の現象を直視して分析、観察し、悟りであったのものが・・ カルト四流霊媒師大川アホりゅうほうのような現実喪失アホウ人間洗脳宗教を生み出すとは、とほほ 仏教において釈迦の着眼は、現実を直視し、如実如見、ありのままに現実を見るが基本である、 そして一切は実体が無く、人間の思いついた妄想によって世界があるように見える、 これが基本であり、釈迦以来、インド仏教は、カルト四流霊媒師大川アホりゅうほうのような現実喪失やヒンズーとかの霊、神という実体否定論争をして、 中国かから日本へ来た、 仏教の根本は一切は実体が無く現実を直視し、如実如見、ありのままに現実を見るが基本であり、中心であり、それが悟りと言われ カルト四流霊媒師大川アホりゅうほうのような現実喪失やヒンズーとかの霊、神が中心ではないのである。 エルカンターレや、地獄の霊人、霊子線とか異常な宗教用語の様な実体は想定しない。 霊媒が中心でなく、霊媒的要素が仏教に現れたのは、真言宗日本開祖空海の死後の神社と融合した神仏習合仏教、修験道、日蓮宗なのである、 明治維新の明治政府によって、霊媒が中心でなく、霊媒的要素があった神社と融合した神仏習合仏教、修験道は弾圧され、 その結果、大本教などの霊媒至上主義、キリスト教的一神教要素のある新興宗教が増殖、 そして、霊媒新興宗教文化が強い現在日本宗教の中に、 カルト四流霊媒師大川アホりゅうほうのような現実喪失宗教が生まれて、 日本語辞典にない、エルカンターレや、地獄の霊人、霊子線とか異常な宗教用語を用いるカルト宗教が生まれた、
>>553 そうですか。
私はスマ長老の本を20冊くらい読んだのですが
皆さんの話が良く理解できないんですよ。
で、正当(?)な仏教の基礎を押さえておきたい、
と思いまして。
普段は瞑想ばっかやってるもんですから。
561 :
オナニー病幸福の科学論破w :2009/10/15(木) 11:37:22 ID:q/febjuR
幸福の科学の様なオナニー宗教がハコビルのは 既存仏教の責任はあるなw 基本の如実如見、現実をありのままに見て観察する、と言う現実主義が弱いせいだ、 故に現実喪失したオナニー教説を騙る大川バカボン総裁は仏陀だと言う妄想思想が生まれたw
やめとこう。信仰心に拍車がかかるだけ
563 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/15(木) 11:43:36 ID:Kv4QGHOs
>>556 >☆こちらも本気で仏法真理を述べるまでです。
わかりました。
でも「お金」だけは大事にしてください。
人生は長いですから、
「お金」に関しては、中高年あたりになりますと、相当こたえてきます。
心労が重なって、エル・カンターレどころじゃないですからね。
ちなみに伝統宗派や神社でも、寄付金となると〇百マン円単位ですから。
この寄付金で夫婦仲が悪くなって離婚とか、よくある話です。
昔はね、大金持ちとか、相場で儲かった人がドンと寄付したもんですが、
今は末端の信者までナケナシの金を出さないと神社・仏閣の築造は出来なくなってる。
ここが大問題。
貧乏人は寄付することはない。
見栄を張る必要はない。
断固、宗教には金を使うな。
564 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 11:52:10 ID:Uevj80iH
>>560 長老に就いてるんでしたら、長老の言う通りやった方がいいと思います。
ここはいろんな人が勝手なこと言ってますから、
あまり気になさらない方がいいと思います。
混乱するだけです。
565 :
オナニー病幸福の科学論破w :2009/10/15(木) 11:55:16 ID:q/febjuR
オナニー病幸福の科学論破、相手する有効な手段は、 基本の如実如見、現実をありのままに見て観察する、と言う現実主義を 繰り返し指摘して、正しい、正しくないとか、仏教用語で相手しないこと、 基本の如実如見、現実をありのままに見て観察する、と言う現実主義を 貫くのが有効。 これに限定すれば、信仰心無関係、 仏教入門の基本となるだろう。
>>564 いえ、スマ長老に就いているわけではありません。
テーラワーダのきっかけを与えて頂いただけで
マハシ式もやりましたが、今はアナパナをやっています。
お気遣い感謝いたします。
567 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/15(木) 12:01:05 ID:Kv4QGHOs
>>560 私は禅宗系(中国禅)ですので、
スマさんにはあまり興味がなくて、
しいて言えば、
六祖壇経とか無門関、臨済録などは好きですね。
好きといっても、蔵書にする程の本オタではないですから、
一度読めば、もう二度と読む気にはならないです。
日本禅だと、正法眼蔵の、あの道元の二面性の謎解きはオモシロいですね。
これは蔵書にしてもいいくらい。
道元を研究する、ってよりも、
推理小説的な興味がある。
正法眼蔵は非常に難解です。
故に、謎が解けたときには感動がありますね。
>>555 >後代の仏弟子は霊的認識がなく、無我は我無しだからあの世
>は無いとし、死んだら終わりとし、俗人と同じ唯物論に堕して
スッタニパータ、ダンマパダなどの原始仏典から具体例を、
10箇所以上見繕って提示してごらん。
あんたの釈迦=原始仏教に対する研究度を検討させてもらうわ。
それに、>あんたの言っていることは、反仏教的な二項相対論の上、
>なんらの経験的検証もできない妄想ばかりだということは判るか?
>先ず、自分の主張を文献上なり、経験主義的なりに『証明』してから御託を述べな。
>大川がこう言っているなんてクソなことは言うなよ。(
>>545 )
569 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 12:10:10 ID:Uevj80iH
>>566 でしたら、ビルマの先生に習うのがよいと思います。
御存知かもしれませんがスマ長老のヴィパサナはマハーシ流で、四念処をヴィパサナという方便です。
これは恐らく現代人のための方便でしょう。ここらへん混乱する要因です。
本もそれほど紹介したものでそれほどズレてないと思いますが、
ビルマの先生に従うのがよいと思います。
570 :
568 :2009/10/15(木) 12:10:50 ID:q/febjuR
仏陀の言葉より大川アホりゅうほうと白蓮の個人崇拝妄信信者をカルト性の問題点を追及してみようw それゆえに、この世でみずからを島とし、自らをたよりとして、他の人をたよりとせず、 法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。 (大パリニッパーナ経2章26節) 大川アホりゅうほうをたよるなw 愚かな者をみちづれとするな。 独りでいくほうがよい。 孤独で歩め。(ダンマパダ330) 大川アホりゅうほうを妄信するなw 親しみ慣れることから恐れが生じ、 (スッタニパータ207) 大川アホりゅうほうに親しみ溺れるなw 内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、 このようによく気をつけて行っている人の認識作用は止滅するのである。 (テーラガーター) 大川アホりゅうほうが素晴らしいと思い妄信する内は止滅不可能w 妄執を友としている人は、この状態から かの状態への永い間流転して、輪廻を超えることがない。 (スッタニパータ740) 大川アホりゅうほう妄信、個人崇拝を妄執としているものは・・ 人がなにかあるものに依拠して「その他ののものはつまらぬものである」 と見なすならば、ソレは実にこだわりである、と (真理に達した人々)は語る。 それゆえに修行者は、見たこと、学んだこと、思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない (スッタ二パータ798) 大川アホりゅうほうの本に依拠して判定するなw
>>567 曹洞宗でも臨在宗でもないんですか。
中国禅と言えば、三祖大師、六祖大師、
馬祖、黄檗、臨在、各禅師などがいらっしゃいますね。
私も昔わかりもしないのに臨在録やヘキガンを読みました。
道元禅師は修証義くらいしか読んだことはないですが、
こんな美しい文章を書いた方は
日本宗教家で他にいないと思います。
572 :
亭白 :2009/10/15(木) 12:14:53 ID:/c3pu3pN
>>557 名前:神も仏も名無しさん
☆大川隆法総裁の本仏に勝る論拠無し。
☆大悟され仏法の法の高みと法の深みです。
これはあくまで読み手の霊的認識力によって理解度は異なります。
☆霊的認識の確信です。
25歳頃の心の内にインスピレーションがあり、「30歳になったら
人生の師を見つけなさい。」と言われて35歳になって日蓮聖人の書籍
が一冊だけあって、書籍をパラパラとめくって立ち読みして、二・三行
読んだら、「これだ!!やっと本物を見つけた!」と書籍を購入して
飛び跳ねて家路に帰ったのを思い出します。
☆ある講演会で遠めに善川三朗元顧問と大川隆法総裁を見た時に、会場
の方々に見えなかったオーラが黄色く丸く見えて、聖人に間違いないと
その当時は思いました。これは私の限界の霊的認識です。
☆そして入会して数年後幕張メッセで二万人の参加者で私も参加していま
した。大川隆法総裁先生の講演会で、御説法中、大川隆法総裁先生の手
から光が放出し、電信柱のような太いすざまじい光が、参加されている
方々の胸元を貫いて串刺し状態になっていました。驚きの感動でした。
☆大川隆法総裁は「仏陀再誕」宣言もされておられます。
☆本仏エル・カンターレの使命を明らかにされています。
☆仏弟子の認識に合わせて段階論で本来の姿を明らかにされたのです。
☆アニメの映画「仏陀再誕」が10月17日から東映系の映画館で上映さ
れます。 本当に求道心があれば、拝観されて下さい。
「太陽の法」「黄金の法」「永遠の法」「釈迦の本心」等の教典書籍は
大手書店で宗教コーナーありますので、お読み頂ければと思います。
☆私が述べる以上に理解が行くかと思います。心の琴線にふれ感動なさって
頂ければ幸いです。
573 :
572 :亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:18:10 ID:q/febjuR
幸福の科学はオナニーの幸福なのだろうw 仏陀の本意の基本の如実如見、現実をありのままに見て観察する、と言う現実主義 捨て、現実を喪失しオナニーの幸福を選ぶ哀れな奴よw
574 :
572 :亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:22:10 ID:q/febjuR
亭白のリアルなコミュニケーション不能の オナニー的白液的書き込み、 あああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw
575 :
572 :亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:24:24 ID:q/febjuR
亭白には、 仏陀の本意の基本の如実如見、現実をありのままに見て観察する、と言う現実主義よりも、 亭白の脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー がいいのだw 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw
>>569 わたしもいろいろ調べてマハシ式を離れました。
ただアナパナを指導しておられるミャンマーの
長老を知らないんです。
パオを終了した山下さんくらいしかわかりません。
ただ初禅までは一人でも行けるという人もいるので
今はネットのテクストを見ながらの独習なんです。
所謂ピーチ(喜び)が溢れてくるところまでは
来たのですが、魔境的な現象も現れ師に就く
重要性がわかってきました。
ところでスマ長老の教えは方便が多くて所謂正当派仏教とは
違うのでしょうか?
577 :
572 :亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:29:06 ID:q/febjuR
576氏へ、横槍、 スマ氏は知的要素が強すぎるかもねw ま、結局、禅定で舞い上がって、自己の精神の偏り分析をせず慢心すいやすから師は必要なんだろうな、 知識だけで偉くなった君は2ちゃんでも多いからなあw
578 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 12:34:42 ID:9OSIZ7yL
>>551 慈悲喜や禅定に愛着するのは、
手放したくないという不満、
ぎゅっと握りしめてはなさないぞという不満があると思います。
慈悲喜にも飽きて満足したら、もうそれ以上慈悲喜を求めない、
慈悲喜をつかみつづけようとするエネルギーがない、
慈悲喜を手放すことになるでしょう。
存在しつづけようとするのは、存在することに飽きていない、
存在という食事について「お腹いっぱい」ではないから、
まだ存在というごはんを食べ続けたいのです。
「もうお腹いっぱい、もうたくさんだ」と飽き飽きしたとき、
それ以上存在する必要がなくなる。
579 :
亭白 :2009/10/15(木) 12:35:51 ID:/c3pu3pN
>>549 :神も仏も名無しさん
☆仏教の学びにうってつけの書籍を御紹介します。
「悟りの挑戦の上卷」「悟りの挑戦の下卷」大川隆法箸の二巻を読まれる
ことで、古来仏典等の難しい解釈が、糸球がほどけるようにわかりやすく
理解ができます。大手書店にあります。
580 :
亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:38:17 ID:q/febjuR
「悟りの挑戦の上卷」「悟りの挑戦の下卷」大川隆法箸の二巻を読んで、 仏陀の本意の基本の如実如見、現実をありのままに見て観察する、と言う現実主義 捨て、現実を喪失しオナニーの幸福を選び、 亭白様な脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー がいいのだw 現実喪失し、もだえる亭白の様になりと射出する亭白様な白液書き込み人物になるのですか??w
581 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 12:38:44 ID:9OSIZ7yL
何かを継続するということは、 その対象をまだ求めている、つまり満足していないのです。 もうたくさんだと満足したら、その対象を手放すのです。 生きることに満足してないから、もっと生きていたい。 もう充分です、もうたくさんだ、 もうこれ以上生き続ける理由はないです…となったとき、 生きることを手放し、平安なる滅び、全き涅槃に入るのです。
>>577 そうですね。ま、学僧の限界ってのも
あるんでしょうね。
583 :
亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:43:22 ID:q/febjuR
亭白の脳を如実如見、現実をありのままに見て観察する 亭白の脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー 選択が真理と言う 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw
584 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 12:43:53 ID:9OSIZ7yL
満足していないから、いろんなものを握りしめている。 満足したら、手放して捨てるのです。 慈悲喜についても、満足したらそれを手放して捨てます。 一方、大乗の菩薩道の場合は、 慈悲喜を手放さないぞとあえて誓ってから、 修行に入るわけですね。
>>579 せっかくのご好意ですが・・・
乱読家の私でもオウムと降伏の科学の本だけは
一冊も買ったことがないんですよ。
これだけは自慢できますね。。
あなたも早く片目が開くといいですね。
586 :
亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:49:38 ID:q/febjuR
>>582 スマ氏は余計な評論が多そう。
上座仏教の究極は無念無想だし、滅するんだから
他宗派の評論は不要なんだけどねw
言語化、伝えるにしろ、無念無想、滅する所からの慈悲のみでいいんだし、
587 :
亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:52:02 ID:q/febjuR
パオ・システムて、ちょい読みだけど、 密教的雰囲気あるなあ、物質の要素の観察とか、四大か、密教だと六大らしい。
588 :
568 :2009/10/15(木) 12:54:10 ID:HrMpLGOc
>>572 >>579 for亭白
おいおい、
>>568 の問いを無視して逃げまくるなよw
そんな態度だと単に大川を信じているというだけで、根拠にならず無意味だぜ。
自分の発言の根拠を問われているのだから、
故意に無視すればインチキ丸出しと判断されるのが当然だ。
>>555 >後代の仏弟子は霊的認識がなく、無我は我無しだからあの世
>は無いとし、死んだら終わりとし、俗人と同じ唯物論に堕して
スッタニパータ、ダンマパダなどの原始仏典から具体例を、
10箇所以上見繕って提示してごらん。
あんたの釈迦=原始仏教に対する研究度を検討させてもらうわ。
それに、>あんたの言っていることは、反仏教的な二項相対論の上、
>なんらの経験的検証もできない妄想ばかりだということは判るか?
>先ず、自分の主張を文献上なり、経験主義的なりに『証明』してから御託を述べな。
>大川がこう言っているなんてクソなことは言うなよ。(
>>545 )
逃げるなよ!
589 :
亭白 :2009/10/15(木) 12:55:18 ID:/c3pu3pN
>>548 ☆どうも御心配頂きましてありがとうございます。
お金の心配は今のところ心配していません。
☆この世は波動が厳しく暗闇の世界で、建物の精舎は光の磁場
で光の充電ができる所です。
地獄界にも天使は降りてまいりますが、拠点としての光の
キャンプがあり、天使達の光の補給する拠点のように、
ユートピア運動の拠点としてまた支部精舎として、また
正心館として光の出城でもあります。
建物の精舎が増えることは光の補給場所が増える事で、光は
無限広がることにつながります。暗闇のこの世を真昼間の如
くユートピア建設をしていくことで、世界人類70億人の救
済に繋がってまいります。この世とあの世を貫く幸福者を限
りなく増やしていくための建物の精舎です。
御理解のほどを。
590 :
亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:55:29 ID:q/febjuR
物質要素観察て、マハーシの生滅智あたりなんだろうか? 光ってくる、ていうやつ、 マハーシ上座はそれを滅するらしいw 密教はソレを活用するらしい、チベット密教はルンとか言ってw
591 :
亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/15(木) 12:58:17 ID:q/febjuR
亭白の脳を如実如見、現実をありのままに見て観察する 亭白の脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー 選択が真理と言う 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw が基本ですので、 亭白の脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー 以外は除外されるように、 亭白はカルト訓練されていますw 亭白の脳の情報処理選択ですw 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw
>>590 よくわかんないですね。
パオはアナパナで4禅まで行かないと
ヴィパサナは指導してくれないらしいんで、
初禅にも入れない私はそれどころじゃ
ないんですよ。。
密教は使えるものはなんでも使いますからね。
593 :
568 :2009/10/15(木) 13:05:48 ID:HrMpLGOc
>>598 for亭白←逃げるな
カラマ・スッタ
1.人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。
2.どんな伝統も、ただそれが古いからとか、何代も受け継がれているからとか、
多くの地域で受け継がれているからというだけの理由で信じてはいけない。
3.噂になっているからとか、人々がよく話しているからという理由で信じてはいけない。
4.昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
5.自分が思い描いたことを、それが尋常でないことだからといって、
神や素晴らしい存在によって啓発されたのだと信じてはいけない。
6.ありそうなことだからとか、長年に渡る慣習のため真実らしいというだけの理由で信じてはいけない。
7.何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。
ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、
自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。
同様の考察が、と仏陀は言う、彼の教えにもなされなくてはならない。
「私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから」。
詭弁家のブラーミンに仏陀は答える。
「おお、ブラーミンよ、夜を昼と、昼を夜と主張する人はたくさんいる。しかし私は、夜は夜であり昼は昼であると主張する」。
なんと、大川隆法の態度と天地の落差があることよ!
亭白 さあ、答えろ。
594 :
亭白 :2009/10/15(木) 13:20:51 ID:/c3pu3pN
>>568 :神も仏も名無しさん
>あんたの釈迦=原始仏教に対する研究度を検討させてもらうわ。
☆あなたが本当に悟りの探究心がお有りだったら、大手書店で大川隆法箸の仏法真理
を求められては如何でしょうか?
☆映画「仏陀再誕」が十月十七日から都道府県にて上映されるということは、社会的
に認知されている証です。あなた一人に検証を立ててもらってもどうしようもありま
せん。
595 :
568 :2009/10/15(木) 13:37:48 ID:HrMpLGOc
>>594 for亭白←逃げるな
ここは仏教質問箱。
あんたが
>>568 の質問に直答せよ。
『あんたが』行った発言の根拠を問いただしている。
大川隆法ごときに聞いているのではない。
596 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 13:52:14 ID:Uevj80iH
>>576 ニューウェーヴですね。ビルマが伝統的だと思います。
仏教は師がないと分かりませんよ。なぜかというと、勘違いをただして貰うためです。
もともと、自分自身の認識が間違ってるわけですから、それを頼りにしては無理です。
>>578 まあ、言葉の問題でしょうが。伝統説とは違いますね。
>>584 >一方、大乗の菩薩道の場合は、
>慈悲喜を手放さないぞとあえて誓ってから、
>修行に入るわけですね。
違います。大乗は、始めから空・無我・三輪清浄を前提にしてるので、
捨で慈悲喜を修習するんです。
大乗は見解が高く方便が豊富で、しかも日本仏教は混乱してるので、
大乗についてなかなか正確な理解が得られないと思いますが。
597 :
亭白 :2009/10/15(木) 14:46:23 ID:/c3pu3pN
>>593 :568:
カラマ・スッタ
1.人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。
☆真理の物差しの学びが必要です。
2.どんな伝統も、ただそれが古いからとか、何代も受け継がれているからとか、
多くの地域で受け継がれているからというだけの理由で信じてはいけない。
☆伝統仏教を信用していない。
3.噂になっているからとか、人々がよく話しているからという理由で信じては
いけない。
☆正しさは何処にあるかを考えねばならない。
4.昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
☆古来の仏典は信じてはいけない。
5.自分が思い描いたことを、それが尋常でないことだからといって、
神や素晴らしい存在によって啓発されたのだと信じてはいけない。
☆第三者的視点で客観視することです。
6.ありそうなことだからとか、長年に渡る慣習のため真実らしいというだけの
理由で信じてはいけない。
☆難行苦行をしている者が、本物の修行僧に見えるかもしれないが、騙されて
はならない。難行苦行で真実悟ることはないのです。
7.何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。
ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、
自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、
その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。
☆幸福の科学の教えは世界人類70億人の救済を目指して世界の主要都市に精舎
を建立し仏法真理を広め、この世とあの世を貫く幸福を得てこそ本当の幸福で
ある。日本に仏陀再誕し世界の教師としての使命を遂行するでありましょう。
全世界のメッカが日本になるであろう。全世界から日本に感謝の巡礼が始まる
であろう。
598 :
亭白 :2009/10/15(木) 15:01:29 ID:/c3pu3pN
>>597 続きます。
7.何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。
ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこ
と、自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入
れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。
☆幸福の科学の教えは世界人類70億人の救済を目指して世界の主要都市に
精舎を建立し仏法真理を広め、この世とあの世を貫く幸福を得てこそ本当
の幸福であります。日本に仏陀再誕し世界の教師としての使命を遂行する
でありましょう。
>同様の考察が、と仏陀は言う、彼の教えにもなされなくてはならない。
「私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で
試してみなさい。金は火によって試されるのだから」。 詭弁家のブラー
ミンに仏陀は答える。「おお、ブラーミンよ、夜を昼と、昼を夜と主張す
る人はたくさんいる。しかし私は、夜は夜であり昼は昼であると主張する」。
☆現代のこの世は仏神の真理を知らず無明の明かりの無い、真っ暗な世界を
真昼と勘違いして、誰も真理の灯明に集う事もない。まさに手探りの状態
で歩いています。悟りたる者が伝道するとき、現代のこの世は砂漠のよう
に真っ暗な夜のように見えるのであります。通り過ぎる者は無明の明かり
無く昼間と思って、悟りたる者を軽視し欲望の自由の中に埋没しています。
欲望の自由の代償は大きい。しかし夜だというのに、真昼間のごとく歩い
ている。
>なんと、大川隆法の態度と天地の落差があることよ!
☆無知無明に気づく者のいかに少ない事か。現代のこの世を真昼の明るさと
勘違いするから、再誕の仏陀大川隆法総裁を無知無明にて軽んじるのであ
ります。悟りたる再誕の仏陀大川隆法総裁は真理の真昼間の光源そのもの
であります。無知無明の中に生きるものは、無知無明の地獄に赴いている
ことを知らないのです。
再誕の仏陀である大川隆法総裁を大師と仰ぎ、仏法真理の真実に則して人
生を生きているのは幸福の科学の私達以外にありません。と自負していま
す。
599 :
亭白 :2009/10/15(木) 15:17:29 ID:/c3pu3pN
600 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/15(木) 15:41:17 ID:Kv4QGHOs
>>571 一休や良寛というのは、立場上は宗門を離れてますから
論書類は「自由人」でいいのですが、
ところが道元というのは、宗門を管理する側だから、
そんなに自由な論書は書けない。
ってのが非常に難点なのですが、
その難点な部分が、僧俗という接点においての仏教。
というとこに着眼すると、
非常に参考になる資料かと思います。
つまり経典類の「方便」という問題ですね。
これをいくら考えても結論は出ないわけで、
正法眼蔵でも、そこの見極めがないと・・・あるいは誤読します。
まあ、一般的に経典というのは誤読しやすい。
誤読したまんまで仏教解説する学者もいるくらいですから。
そういう訳で、私はあまり仏教解説書などは
あまり当てにはしておりません。
(解説書類、ということですよ)
601 :
568 :2009/10/15(木) 15:44:55 ID:HrMpLGOc
>>598 for亭白←いつまでも逃げてるな!
>>598 >>599 は <落第>
あたま大丈夫か? 大川隆法と一緒に都立松沢病院を受診することを薦める。
>あんたが
>>568 の質問に直答せよ。
>『あんたが』行った発言の根拠を問いただしている。(
>>595 )
カラマ・スッタに『無根拠』でトンチンカンなコメントせよ、などと問うてはいない。
上記では『ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること』の文言がポイント。
この点でも、「亭白」とやら、あんたはアウト。
>あんたが
>>568 の質問に直答せよ。
602 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/15(木) 17:48:20 ID:Kv4QGHOs
>>589 停白氏
幸福の科学の殿堂、説明ありがとうございます。
>世界人類70億人の救済に繋がってまいります。
世界人類、ったって(笑
世界にはいろんな宗教があって、その全てを救うってのは間違ってますよ。
幸福の科学の信者だけ救われればいいんじゃないでしょうか?
ちなみに「エホバの証人」は、信者だけしか救われないですよ。
まあ、これだったらいくらか正当性はある?
私は幸福の科学に入信しておりませんが、
大川総裁は、私でも救ってくださるのですか?
(ちなみに金は出しませんけど)
ロハで救ってくれると申すのですか?
603 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 18:04:27 ID:DrNHSeGw
>>567 禅宗系(中国禅)ということですが、なぜ
仏陀系(印度禅)ではないのですか。
604 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/15(木) 18:25:55 ID:Kv4QGHOs
>>603 禅の開祖・菩提達磨はインド人ですけど、どういう訳かトコトコ中国まで行ったのです。
つまり中国で禅を開宗したんですね。
で、「なんで達磨は中国まで来たんでつか?」って、ある禅僧が趙州に尋ねると
「ほれ、庭前にある柏樹子だよ」ってんですよ。
なにか意味不明ですけど、
やはり中国は、それなりに禅を開花させる土壌が元々あったと思います。
中国特有の大陸文化ですよね。
中国禅は非常にドラマティックですよね。
破壊的ダイナミズムがある。
日本禅は、文化(気候とか風土も関係)的に繊細禅です。
(繊細な日本人は、自殺者が年間3マン人)
605 :
亭白 :2009/10/15(木) 18:49:45 ID:cXNKh2wp
606 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 18:51:54 ID:Uevj80iH
607 :
神も仏も名無しさん :2009/10/15(木) 20:04:06 ID:Uevj80iH
カラスも大川興業もなかなか
608 :
亭白 :2009/10/15(木) 20:10:13 ID:cXNKh2wp
>>602 :机龍之介 さん
>幸福の科学の殿堂、説明ありがとうございます。
☆恐縮します。
>世界にはいろんな宗教があって、その全てを救うってのは間違ってますよ。
幸福の科学の信者だけ救われればいいんじゃないでしょうか?
☆一宗一派で終わるわけではありません。一宗一派を越えて宗教の正邪を正して
世界宗教や民族宗教等の教えの正邪を正し世界の宗教の教えを統合して、世界
の教師として本来の宗教の有り様を正して行くと思います。
>ちなみに「エホバの証人」は、信者だけしか救われないですよ。
まあ、これだったらいくらか正当性はある?
☆信者を恐怖心で妄信させて、あの世を否定している宗教に正当性はありません。
信者が不幸になるだけです。
>私は幸福の科学に入信しておりませんが、大川総裁は、私でも救ってくださるの
ですか? (ちなみに金は出しませんけど)ロハで救ってくれると申すのですか
幸福の科学は免罪符ではありません。「自助努力あっての他力です。」
社会環境や健康生活を大切にすることは悪い事ではありません。
ただ、死後に不動産とか貯金通帳とかお金や会社とか家族に執着や愛着があると
あの世の旅立ちは難しくなります。自縛霊になってしまう可能性もあります。
この世の執着や愛着などの囚われがなければ、あの世の旅立ちはスムーズになり
ます。お金はあの世に持って還れません。天国は信仰心が求められます。天国に行
く方法を学ぶためにも、幸福の科学の正しい信仰生活に入ることをお勧めします。
609 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/15(木) 21:03:23 ID:Kv4QGHOs
>>608 >ただ、死後に不動産とか貯金通帳とかお金や会社とか家族に執着や愛着があると
いやいや、執着というよりも、
執着するほど金持ってる人は稀なはなしですよ。
この時世、金がないと生きてはいけないですから、
宗教教義云々よりも、先ずもて人(国家とか)に迷惑が掛からないように、
貯金の蓄積は大切です。
>あの世の旅立ちは難しくなります
あの世、とか恐ろしいことを言いますね。
あの世には絶対に逝きとうないです。
この世がいい。
死にとうないです。
610 :
568 :2009/10/15(木) 23:16:50 ID:HrMpLGOc
>>605 for亭白
>無記
???????????無記???????????
(大爆笑!!!!!!!!!!!!!!!!!
プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!!!!!
プギャー!プギャー!プギャー!
プギャー!プギャー!プギャー!プギャー!
プギャー! m9 m9 ノ) プギャー!
プギャー! 川 m9 川彡'三m9 プギャー!
プギャー! m9ミm9、m9ミm9彡m9 プギャー!
プギャー!m9三ミm9(^Д^)彡三彡三m9 プギャー!
プギャー! m9彡川m9彡川ミm9 プギャー!
プギャー!m9彡川m9m9 m9川彡m9 プギャー!
プギャー! (ノ m9 川 m9ミ) プギャー!
プギャー! m9 プギャー!
プギャー!プギャー!プギャー!
プギャー!プギャー!
おい、亭白、当ハクチ認定委員会は謹んでおまえを ハ ク チ と鉄板認定する。
おまえは故障中のジャンク・アナログテープレコーダーだ。
ハクチの統合失調症『大川隆法』をここに呼んで来い!!!
611 :
亭白 :2009/10/15(木) 23:28:18 ID:cXNKh2wp
>>609 >この時世、金がないと生きてはいけないですから、
宗教教義云々よりも、先ずもて人(国家とか)に迷惑が掛からないように、
貯金の蓄積は大切です。
☆本多静六氏は収入の半分を貯蓄にまわすことが蓄財のコツとか本多静六氏
に関した書籍にありました。大川隆法総裁先生も経済的に豊かであれば、
悩みの80%は解決すると言われていますので、蓄財も大切なことですね。
松下幸之助氏のダム経営で自前の資金で会社運営すると不況に強い会社に
なるともいわれいています。
>あの世には絶対に逝きとうないです。 この世がいい。 死にとうないです。
☆気持ちは分かります。仏神を信じ、日々感謝と祝福の心と反省して清い心が
あれば、基本的に地獄界にいきません。
道元禅師や白隠禅師や鈴木大拙氏等は高い天国で待っています。
心の修行次第で憧れの師に会えますよ。あの世の楽しみが増えましたで
しょう。貧乏になってもお金に執着します。
お金は何億あってもいいのです。ただ、お金に執着しなければ良いことです。
執着すると心が歪んでしまいます。そうすると執着の虜になっている霊が憑依
してまいります。それで反省をして心の歪を修正し軽い心に戻ります。
そうすると地獄の亡者も離れます。
本当は尊い方にお布施することで、お金の執着は離れてまいります。
612 :
568 :2009/10/15(木) 23:28:24 ID:HrMpLGOc
いやー、久しぶりのストレス解消 大爆笑!! !!!!!!プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!!!!! ほんと 『幸福の科学』(お笑い!)代表亭白はエエ狂言回しであることw で、 亭白よ、何のことか判っているのか?(爆笑
613 :
568 :2009/10/15(木) 23:43:15 ID:HrMpLGOc
>>611 for亭白
おまえ、机氏の>あの世には絶対に逝きとうないです。 この世がいい
この仏教的なシニカルな意味が全く!!判っていない(爆笑
どーしたら、ここまで馬鹿になれるのか、実に神秘的だw
カルトは実にここまでマインドコントロールで馬鹿にしてしまうのか!
『理性と経験によって承認できること』(カラマ・スッタ)って、何のことか判る?
・・・・わけないか、マイコン・ハクチには無理だw
>>600 あなたは難しいですね。
人の悟りを得る。水に月の宿るが如し。
月濡れず水破れず。
でしたっけ?私はこれだけでいいですね。
一休道歌も好きです。
禅はインドで種として生まれ、中国で
大木に育ち、日本で花を咲かせた。
と誰かが言ってましたね。
615 :
568 :2009/10/15(木) 23:55:07 ID:HrMpLGOc
これから亭白 のことを、 大川隆法のウンコが1/3大脳前頭葉に詰められた ロボトミー亭白 と名付けようw ありがたく拝命するように。
616 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/16(金) 03:12:32 ID:C/S1BIVj
>>554 >3回も読むんですか?!
>やはり皆さんもこのように勉強されてるんですね。
>感服しました。
読書については、
沢山の書物を読む(そして所蔵している)人もいるし、読み方も数回、繰り返し読む人もいれば、
1度、読んだ書籍は敢えて、もう二度と読まないようにするという人もいます。
また、読書という習慣を廃棄して、もう一切、読むことを辞めてしまった人なども
(所蔵した書籍を総て手放すなど)。或いは、これまでの読書習慣から培われる様々な自己性質
からの脱却を図る段階とか・・。〜いろいろでしょうね。
読書は最初期の必要な梯子(まずは知るという段階)であって、
いずれは捨てられるべきものだともいえます。
しかし、基本的には私も、まずは可能であればいろいろと読書して、
その読後での思索の習慣を持つことを推奨します
(重要な書籍であれば、私も3回ほどお奨め^^)。
617 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/16(金) 03:13:57 ID:C/S1BIVj
>>540 >大悟後は悪魔は邪魔してきますが、
>
>悪魔の積極的妨害です。
典型的な宗教的迷信による信仰症候群ですね。
まっ、いわゆる信仰者たちというものはそんなものではあります。
>大悟直前は沈思し明鏡止水の澄み渡る心ですから、葛藤はありません。
>
>大悟すれば、葛藤はありません。至福の日々が続いたのです。
大悟後での段階における葛藤、
つまり、世に法を説いて周る(布教)かどうか・・といったものは、
我々のレベルでの感覚で理解できるような境地ではないですから。
それは、大悟した者にしか分らない感覚なのです。
618 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/16(金) 03:16:31 ID:C/S1BIVj
>本仏大川隆法総裁は既に五百冊を越える書籍を刊行されています。 確かに、大川さんの著著出版のペースはギネス級らしいですね。間違いなく頭はいいのでしょう! 東大出で記憶力も高いと・・。それで読み漁った書籍の内容をいろいろと自己流にアレンジして執筆 したと。 ただ、大川さんの書籍に感銘を受けた人というのは、まず殆どが“宗教的なものに触れ、そして仏教 的な内容に接したのが初めて”という人ばかりなのだろうと思います。それで初めて読む宗教的な教 えに出会って感動したわけです(これは他の新興宗教の信徒も同様であり、殆どがたまたまのキッカ ケだっただけなのです)。 しかし、詳しい人が見るとその内容が薄いことが判ってしまうのです。---つまり、ただ書籍をいろい ろと読んで書いただけだな〜というのが・・・。 大川さんは神智学に関する事柄にも触れて書いていますが、それらは全て間違っているので、正直 いって止めて欲しいわけです。到底、神智学は大川さんのような一夜漬け読書などでは理解できるシ ロモノではないのです。 それにしても大川さんは霊の話しが好きそうですが・・もし、そんなに霊界の話しが重要なものであ れば、どうして仏典には、もっと霊界についての明快で詳細な解説がないのです?霊界話しが好きな 仏陀とは・・これ如何に? 大川さんはさまざまな霊言集を出版してきていますが、そのチャネリングした霊存在に関する本物の (霊故人に関る)専門家からは不評酷評ばかりです。どうやら、大川さんが呼び出す著名人方というの は死後に別人になってしまうもののようですね!生前の教えとか、そういうのは全部、忘れちゃうよう です。
619 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/16(金) 03:25:55 ID:C/S1BIVj
私は何も仏教だけではなく、さまざまな他の宗教や新興宗教も含めて、その教祖レベルにはそれな りに宗教人としての素晴らしい側面を見たりし、また感銘もしたりしますが、大川さんにはだけは、未だ にそれが一つも感じられないのです(私個人の印象に過ぎませんが・・)。 普通、宗教家というものはそれ以前において、自己の様々な環境や病苦といった苦境の中で生きた 実経験が元になって(であるから、人様の苦しみも我身のように理解できる)、それが宗教意識への “目覚め”のキッカケとなっているわけです。大川さんにはそれはあるのか?? また、今回の選挙に打って出た姿は特に印象を悪くする決定打になったようです。本来の意識(宗教 家としてではない)が露呈したという印象を私は受けました。 どの教えを学ぶも自由ですが、1度は言っておきたいと思いました。 尚、信徒の皆さんに対しては信仰の真摯な姿勢ということでは同じく敬意を申し上げておきます(教 祖にではなく)。まっ、これでもう止めておきます。〜失礼しました。 *議論的な内容を扱いスレではないので、 以降〜は、議論めいた投稿は控えたいと思います。
620 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 07:37:48 ID:hLNboZUG
>>611 停泊氏
> 本当は尊い方にお布施することで、お金の執着は離れてまいります。
ほらほら、だから「あの世は恐ろしい」と言うておるんです。
あの世の為に布施をするというのでしょ?
つまり、あの世に投資する。ってことですよ。
その投資の額において、あの世のポジションが決定される。
これが恐ろしいと言うております。
> ただ、死後に不動産とか貯金通帳とかお金や会社とか家族に執着や愛着があると
あの世の旅立ちは難しくなります
>>608 この書き込みも恐ろしいですよね。
これは、死ぬ前に財産を処分せよ!!
ってことですよね。
大川もアタマが良すぎて、ボヤってしてたら大川の言いなりになる。
(大川の教義の裏を読まなければ駄目です)
だから私は【金には気をつけろ】って言っておるんですよ。
あのね、今の時世で1千マンとか2千マンとかの金はね、
無職になったら数年で消えてしまうんですよ。
蓄財は大変だけど、消えるのは早い。
このくらいの単位の金は蓄財ではない。
621 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 08:09:50 ID:dnxIptmo
大川興業はマンガだけど、試金石にはなるようですね。 エゴの塊やただの常識人であることをくっきりすっきりと。
622 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 08:25:44 ID:9qA5gJ4+
質問スレなので、大川批判も読むのめんどくさい。
>>本仏大川隆法総裁は既に五百冊を越える書籍を刊行されています。 『刊行』であって、本人の直『著作』ではないところがミソ 霊界、霊魂などインチキ・カルトお得意の詐欺文言からわかるように、 ゴースト様がお書きになっておられるw それを大川がパクルという構図のインチキ宗教ネタのビジネスモデル出版屋
本日(2009年10月16日)朝日新聞13版9面に 『さらばヒンドゥー教〜インド最下層で相次ぐ改宗〜』の6段の特集記事がある。 アンベードカルー佐々井秀嶺氏の運動が、現在巨大なうねりとなってインド社会に トレンドをもたらしているようだ。 ほとんどが、シュードラ(隷属民)のなお下の犬の暮らしからの開放を願う不可触線たちだ。 しかし、ヒンドゥー至上主義団体RSSによる弾圧も激しいようだ。 具体的な信者数は、仏教もヒンドゥ教の一部との論理で当局発表にはインチキも多いと思われる。 仏教においても業報輪廻転生論の残滓の完全破壊が追行されるべきだろう。
625 :
624 :2009/10/16(金) 09:41:51 ID:ySQaYLH/
× 不可触線 〇 不可触賎民 仏教への改宗予備軍はインド全人口の25%、 なんと2億5000万人〜3億人に達するというから巨大なトレンドというべきだろう。
626 :
624 :2009/10/16(金) 10:09:27 ID:ySQaYLH/
,'⌒,ー、 _ ,,.. X 〈∨⌒ /\__,,.. -‐ '' " _,,. ‐''´ 〈\ _,,r'" 〉 // // . ‐''" ,ゝ `</ / 〉 / ∧_,. r ''" - - - -_,,.. ‐''" _,.〉 / / . {'⌒) ∠二二> - - - - - - - グヲ〜〜〜〜〜〜ン!! _,.. ‐''" _,,,.. -{(⌒)、 r'`ー''‐‐^‐'ヾ{} + '-‐ '' " _,,. ‐''"`ー‐ヘj^‐' ;; ‐ -‐ ちょっとインドで飯食ってくる - ‐_+ ;'" ,;'' ,'' ,;゙ ‐- ー_- ‐ ______,''___,;;"_;;__,,___________ ///////////////////////
627 :
亭白 :2009/10/16(金) 10:32:37 ID:JdyNIBbc
>>620 :机龍之介さん
>だから「あの世は恐ろしい」と言うておるんです。
あの世の為に布施をするというのでしょ?
つまり、あの世に投資する。ってことですよ。
☆あの世に投資をしているのではありません。別段布施の金額の高によって
決まるのではなく、布施する心の有り様を問われるのであります。
布施で天国の居場所を買うみたいな対価ではありません。お金で何億積も
うとも、天国の門は開きません。お金は免罪符でないからです。
布施を対価交換みたいに考えると布施の功徳は生じません。商取引だからです。
悟りたる者に無私無償の心で三輪清浄で対価を求めることがない布施は尊い
のです。
>その投資の額において、あの世のポジションが決定される。
これが恐ろしいと言うております。
☆勘違いされています。お金を投資しても天国の門は開きません。
免罪符ではありません。布施はしないより布施したほうが心の学びになります。
投資の額であの世のポジションが決定される訳ではありません。
>ただ、死後に不動産とか貯金通帳とかお金や会社とか家族に執着や愛着があると
あの世の旅立ちは難しくなります。
☆この世において不動産とか貯金通帳とかお金や会社とか家族はこの世に生きて行く
上で大切ものですが、心の清浄さが失われるものとして執着や愛着があります。
心の執着や愛着が彼岸に渡るときは船の錨を海底に落としたまま運行するのに似て
います。そのままでは沈没する可能性が高くなります。車であればサイドブレーキ
をかけたまま車を走らせている状態です。それでは彼岸の目的地の天国には行けま
せんよ。と述べているのであります。要は心が清らかで軽い心と感謝と祝福と他者
にお役に立ちたい心が、天国の条件であります。要は心のあり方が問われているの
です。
628 :
亭白 :2009/10/16(金) 10:35:02 ID:JdyNIBbc
>>627 続きます。
>これは、死ぬ前に財産を処分せよ!!ってことですよね。
☆死ぬ前に財産を処分するのは勝手ですが、死ぬ前に財産を処分し高額の布施をせよ
とは言ってはいません。自分さえ良ければ良いの心は悪の心です。
悪を捨て善を取り心に思いやりの愛を持って善行することなのです。
>大川もアタマが良すぎて、ボヤってしてたら大川の言いなりになる。
(大川の教義の裏を読まなければ駄目です)
だから私は【金には気をつけろ】って言っておるんですよ。
☆なにか勘違いをなさっているようですね。
お金はあの世に持っていくことは出来ませんが、お金はこの世において重宝しま
す。お金自体に善も悪もありません。お金をどのように使うかによって善となり
悪となります。お金の奴隷にならない事です。
利自即利他の実践修行として布施波羅蜜多があります。布施の中で一番尊い功徳
のあるものは法施であります。
大悟して仏陀となり直説金口の法による救済をされている大川隆法総裁は世界一
の法施の尊い功徳を積まれておられる至高最尊の本仏です。
悟りの無い者が法施を行なえば教えを曲げて人々を迷わせると最深部の地獄界に
いくことになります。法の解説も法施にあたります。無畏施は怖れを抱いている
心を安らいだ心にすることです。
一般的布施の功徳は財施で収入の一割を無私の心で布施することは常識の範囲内
です。時間布施で体を使った奉仕活動もあります。真理の集いの場を提供するこ
とも空間の布施になります。顔施は笑顔ですね。病人でも笑顔で接すればまわり
が明るくなります。
>あのね、今の時世で1千マンとか2千マンとかの金はね、無職になったら数年で消
えてしまうんですよ。 蓄財は大変だけど、消えるのは早い。 このくらいの単位の
金は蓄財ではない。
☆気持ちは良く分かりますね。確かにそうですね。減るしかないからね。
無くなる前に、就職口を探さないと生活できないですね。
でなければ生活保護になりますからね。一千万円や二千万円あるだけでも恩の字
です。本当に恵まれているほうだと思います。感謝ですね。
629 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 10:57:15 ID:dnxIptmo
>>624 >仏教においても業報輪廻転生論の残滓の完全破壊が追行されるべきだろう。
逆だ。アンベードカルはただの社会運動か、新興宗教みたいなもの。
本来の仏教とは全く違う。
輪廻なくして仏教はありえない。
↑↑↑↑ ロボトミー亭白が必死にカルトお笑い狂団「幸福のインチキ化(化ける)学」の 『お召し揚げ』詐欺論理を展開しておりますw おいロボトミー亭白、大川 隆法 をこの質問箱に呼べや。
631 :
630 :2009/10/16(金) 11:02:13 ID:ySQaYLH/
632 :
630 :2009/10/16(金) 11:11:29 ID:ySQaYLH/
>>629 >本来の仏教
あんたのいう「本来の仏教」とやらを簡明に説明してみ。
カルト寺和田だったらカルトお笑い狂団「幸福のインチキ化(化ける)学」なみか?
アンベードカルー佐々井秀嶺氏の運動の仏教的立場は、
密教化=ヒンドゥ汚染する以前の初期大乗的立場かと思われる。
633 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 11:25:14 ID:dnxIptmo
>>632 一言でいうなら縁起・空
あらゆる知覚・感受・経験が苦であり、
その原因が自分自身と諸現象が実在するという無明に基づく苦の集起という
縁起、輪廻であり、
その逆の無我・空を悟り業・煩悩を滅する縁起が涅槃であり、
その涅槃を目指して戒を守り、禅定で心を集中させ、縁起によって無我・空の智慧を悟って解脱する道を聖者から学び、行ずるのが仏教である。
634 :
630 :2009/10/16(金) 11:25:54 ID:ySQaYLH/
誰がなんと言おうと、 最下層の犬の暮らしを輪廻転生名目で強いられている状態からの開放を願う不可触賎民の運動を 手助けする姿は大乗の菩薩精神に叶うといえよう。 すくなくとも、部派寺和田は背中から襲うような策動は止めるべきだ。
635 :
630 :2009/10/16(金) 11:35:08 ID:ySQaYLH/
>>633 >輪廻
なんでコソ泥的に「輪廻」なんて言葉を潜入させるの?
輪廻残滓の完全破壊をやればすっきりするよ。
上記文言から輪廻の語を除けよw
ブッダの本懐は生存苦からの開放=解脱であって、
輪廻なんか駆ると丸出しの形而上学的思弁であって「無記」なんだから、
ホトケほっとけw
636 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 11:43:03 ID:hLNboZUG
>>628 >利自即利他の実践修行として布施波羅蜜多があります。布施の中で一番尊い功徳
> のあるものは法施であります。
「布施波羅密多」というのはないですよ。
「波羅蜜多」というのは“彼岸到達”って意味ですから。
大川は、金で彼岸へ行くとでも思っておるんでしょうか?
金をいくら積んでもですね、金では彼岸に行くには無理です。
あとね、仏教で功徳を期待しても無理です。
こういうことを期待するから、直ぐに騙されちまうんですよ。
>心の執着や愛着が彼岸に渡るときは船の錨を海底に落としたまま運行するのに似て
います。そのままでは沈没する可能性が高くなります
でも、まあ、大川は上手いこと言いますね。
これじゃ〜金を持ってたら彼岸は行けんでしょうね。
じゃあ、全部金を捨てる他あるまい。
了承しました。
(つづく)
637 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 11:45:41 ID:hLNboZUG
(つづき) >布施を対価交換みたいに考えると布施の功徳は生じません ほらほら、ここが自己矛盾でしょ? 「布施を対価交換ではない」と言いつつも、 その腹の中では功徳を期待する。 自分に偽りがあるから・・・直ぐに騙されてしまう。 金に関しては、もっとシビアに考えてください。 非常に冷静な判断が必要です。 波羅密多というのは、その判断のできる智慧を得ることです。 お金は全く関係はないです。 ロハで智慧を得ることができる。 般若波羅密多。
638 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 11:55:06 ID:dnxIptmo
>>635 君ような理解は和辻に始まる近代文人のおもちゃ仏教ね。
仏教は自身が輪廻にいることと、あらゆる経験が苦であるということを信じることから門が開かれる。
もし、輪廻を信じずに苦諦だけ信じるなら自殺すれば済む話だ。
これは実際にそのように誤解したビクの話が律に載っているし、
論理的に考えれば当然の結論だ。
そう考えずに適当に常識に阿るのがおもちゃ仏教に他ならない。
日本テーラワーダ教会の説く仏教もいろいろ方便説もおおく、
大乗に対する無理解も多いが、おもちゃ仏教よりは比較にならないほど正統である。
639 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 12:07:04 ID:hLNboZUG
>>614 >禅はインドで種として生まれ、中国で
>大木に育ち、日本で花を咲かせた。
そうですかね?
まあ、一応系譜を書いてみますけど、
六祖慧能→神会→衰退
南岳→場祖→→百丈→臨済宗→→栄西(日本の臨済宗)
清原→→→雲門宗
→法眼宗
→→→道元(日本の曹洞宗)
六祖慧能→南岳→場祖、あたりが南宗禅の開花期なんじゃないでしょうか?
六祖以降は、5家7派に別れてますが、
日本はそのうちの3派が残ってます。
いわゆる3派というのは、中国禅の末裔ですよね。
640 :
630 :2009/10/16(金) 12:08:51 ID:ySQaYLH/
>>638 >もし、輪廻を信じずに苦諦だけ信じるなら自殺すれば済む話だ。
あんたのように輪廻がなく「一切皆苦」なら自殺するしかないなどという主張があることは承知している。
しかし「一重の原理」(一度生じたことは二度と生じない)は仏教の根幹である。
苦を滅するには苦と一体ななればよい、苦を生きればよい。
そうすれば苦は不苦になる。それを可能にするのが「一重の原理」だ。
自受用三昧(道元)
(黒崎「純粋仏教」172頁〜、「般若心経」94頁)
正岡子規「禅の悟りとは、いつでも、どこでも死ぬる覚悟ができることだと思っていたが、
よく考えてみると、それは大変な誤りで、いかなる場合でも、平気で生きることであることがわかった。」
この子規の悟りの言葉はあんたにはとうてい理解できまい。
641 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 12:12:22 ID:y4xZfw/v
なにをもって「真の佛教」とするか? その見解の違い。現在も宗派は多数存在し、其々が「佛教」を名乗る。 そして、それぞれが「これこそ佛教である」という。 そして、「・・・は、佛教ではない。・・・・・はいい線いっている。・・・は新興宗教だ」 などと勝手に評価しあう。 みな、自分こそ正当と信じてる。
642 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 12:43:11 ID:9qA5gJ4+
日本の仏教団体についていうなら、 伝統的宗派は大乗含めてすべての経典を仏説とみなし、 テーラワーダ系はパーリ語三蔵のみを仏説とみなすはず。 ちなみに、どちらの経典にも輪廻はでてくる。 大乗の宗派は、基本的にすべての経典を仏説としているが、 どのお経をメインにするかは宗派によってちがう。 たとえば、浄土系なら、「正依三部経、傍依一切経」と言う。 メインのお経は浄土三部経だが、その他一切のお経も仏説だから尊ぶ。
643 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 12:50:19 ID:9qA5gJ4+
>>641 日本の宗派の違いは、どのお経を重視するかの違い。
何が真の仏教かといわれれば、
すべてのお経が真の仏教だと言える。
仏教学的には明らかに後世に付加された経文でも、
宗派の教義的には仏説とみなす。
仏教学はあくまで学問の世界の話であり、
仏教学の学者と兼業の僧侶でも、
僧侶として信者に説法するときは、
伝統的な教義を説明するはず。
学者として学生に教えるときには偽経典だと教えても、
僧侶として信者に教えるときには仏様のみ教えだと教える。
644 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 13:35:40 ID:dnxIptmo
>>640 まず、道元禅師が輪廻を前提としてることは『修証義』だけで十分わかる。
輪廻を認めない仏教など近代日本とインドの新興宗教ぐらいしかないからね。
次に「一重の原理」(一度生じたことは二度と生じない)は仏教の根幹であるというが、
普通は無常、縁起、空、無我などといわれる。
もちろん、輪廻と矛盾しない、君が「一重の原理」をもって輪廻、
あるいは「輪廻を信じずに苦諦だけ信じるなら自殺すれば済む話だ」という文を
否定する論理がさっぱり理解できない。
次に子規とか黒崎さんがなんで根拠になるのかさっぱり分からない。
子規はただの明治の文人、黒崎さんはウィトゲンシュタインの研究者、
ウィトの言語哲学と仏教の仮設が多少共通するから仏教に言及してるだけで、
なんら仏教に関して深い理解があるわけではない、子規も一緒だ。
ただし、子規や漱石は和辻より仏教に対して理解があるとは思うが、
それだけで、根拠となるような人ではない。
そして子規のその言葉は、仏教者としておかしくないが、
重要なことは修行した結果として平気で生きることであり、
ただの凡庸な凡夫が輪廻も苦諦も認識せず自覚せずに、
平気で生きることとは全く違うのである。
ここらへんを現代人は勘違いして今のままで気にしないのが仏教だと
勘違いしている人がいるが、全く話しにならない誤解である。
それなら、釈尊を始め多くの聖者が行を出家して戒定慧を行ずる理由が全く無駄な苦行となるだろう。
そんなことはありえない。全く分かってないだけのことである。
645 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 13:38:35 ID:dnxIptmo
>>641 解脱した聖者から伝えられてきた伝統こそが正統な仏教。
聖者から伝えられたのでなければ仏教の伝統は途絶えているのである。
そういうもんです。だから聖なる僧団と、三宝の一つとして敬われるのである。
ここらへんは水野先生『要語』の僧宝に美しく書かれている。
東京には、大きな地震が少なくとも三つは来ます。 おそらく、一九九八、一九九九年ごろに来る地震が 最大のものであろうと思います。 (中略) この、首都圏を中心とした次なる大震災に、 いかに対応すべきか──。 私もここ一週間ほど考え抜いたのですが、 残念ながら、現実的方法として、打つべき手はほとんどありません。 すでに、世紀末まで押し迫っているこの時期において、 こうした大きな震災を止めうる手段はないと思います。 (大川隆法著『奇蹟の時代を生きる』 22〜24頁)
647 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 13:57:39 ID:hLNboZUG
>>644 >まず、道元禅師が輪廻を前提としてることは『修証義』だけで十分わかる。
横ヤリですけど、
正法眼蔵というのは誤読しやすい。
>>600 参照
これを書いたのはいろんな経緯がありまして、
ようするに在家向けに書かれたものです。
道元は二面性があって、
この謎を解くのも、ひとつの正法眼蔵のオモシロミでもあります。
三時業ってのは間違いじゃない。
しかしこれもトリックがあります。
道元はアタマが良いですからね、
いくらでも説明のつくスキルは持っていての『修証義』です。
648 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 14:10:11 ID:dnxIptmo
649 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 14:15:30 ID:hLNboZUG
>>648 >在家向けは近代に編纂された『修証義』だろ。
そうだよ。
だからそういうふうに書いてある。
>これを書いたのはいろんな経緯がありまして、
>ようするに在家向けに書かれたものです。
在家向けで、三時業の話だよ。
650 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 14:33:38 ID:dnxIptmo
>>649 おうおう、じゃ机っちは三時業を越えてるとでもいうのか?
じゃ、明日、何か特殊なことを起こるの予言してくれよw
たく、何も分かってないくせに目線だけは道元禅師や釈尊より高いつもりだからなw
651 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 14:38:54 ID:hLNboZUG
>>650 三時業を某スレッドで説明したろ?
貴殿もROMってたはずだ(笑
まあもう一度、例のスレを読んでくれ。
まあ、あのスレで私が書き込みしたのは未完のままだけどねw
652 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 14:55:03 ID:dnxIptmo
>>651 机っちの書き込みなんか読むかよ。レス付けるから今回は読んじゃったけど。
コテ観ただけで、普段はスル〜
ほとんど、何も分からずに一回だけ斜め読みした記憶から、
適当に妄想で語ってると知って誰が、そんなもの読もうか。
読まねばならない聖典がたくさんあるのにw
653 :
630 :2009/10/16(金) 15:47:02 ID:ySQaYLH/
今日はいい天気ですね、カメラもって相棒と散歩に行ってきたよ。
キレイなねーちゃんいっぱい撮ったぞ。
こんないい天気なのに、部屋で2チャンネルって、アホか←あっ、俺もだw
>>644 コメントありがと。
>「一重の原理」をもって輪廻、あるいは「輪廻を信じずに苦諦だけ信じるなら
>自殺すれば済む話だ」という文を否定する論理
『メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解き明かすであろう。
その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執着を乗り越えよ』(スッタニパータ1053)
ここから明らかなようにブッダの理法は「経験されうる理法」(=「一切」内:カラマ・スッタに言う「理性と経験」)を説かれる経験主義者だとわかる。
これを踏まえて、
「一重の原理」は竜樹の例の「去るものは去らず」、大乗仏教の根本ですよ。
こちらから逆に聞きたい。八不特に不生・不滅からどうして来世(死後の世界)だとか輪廻が導かれうるのか、
その>論理がさっぱり理解できない。
はからずもあなたがいわれたように輪廻は>「輪廻を信じ」るかどうかという
信仰問題=反経験主義的戯論にしかなり得ない。←信仰を捨てよ!
輪廻否定論のうえで、自分なりに学びえた苦を滅する大乗仏教的境地を書いている。
苦を滅するには苦と一体となり、苦そのものを生きること、苦を平気で生きる(子規)こと、
それにより苦は不苦=福となる。苦しむものは苦しまず。←竜樹 八不の応用。
ブッダはこの境地におられたのだと思う。それが竜樹の八不=一重の原理だ。
>ただの凡庸な凡夫が輪廻も苦諦も認識せず自覚せずに、
だからこそ現に年間数万人の自殺者が出ている。
654 :
630 :2009/10/16(金) 16:14:33 ID:ySQaYLH/
『生(=苦)来たらば、ただこれ生。滅来たらば、これ滅に向かいて仕うべし。 厭うことなかれ。願うことなかれ。』(道元) ↑ ↑ 自受用三昧の生活による新生:道元禅の極意と仕りまする
655 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 16:29:19 ID:dnxIptmo
656 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 16:32:26 ID:dnxIptmo
>輪廻否定論のうえで、自分なりに学びえた苦を滅する大乗仏教的境地を書いている。
大乗ももちろん輪廻がなければ成立しない。普賢行や無住処涅槃など輪廻なしにどう解釈するのか?
私は大乗教徒なので大乗には結構、詳しいですよ。
>苦を滅するには苦と一体となり、苦そのものを生きること、苦を平気で生きる(子規)こと、
>それにより苦は不苦=福となる。苦しむものは苦しまず。←竜樹 八不の応用。
>ブッダはこの境地におられたのだと思う。それが竜樹の八不=一重の原理だ。
上はただの現代人の考えであって、仏教とはなんの関係もありません。
>>ただの凡庸な凡夫が輪廻も苦諦も認識せず自覚せずに、
> だからこそ現に年間数万人の自殺者が出ている。
そう輪廻しないから、死ねば終わりと考えるから自殺が解決と考える。
>>654 >『生(=苦)来たらば、ただこれ生。滅来たらば、これ滅に向かいて仕うべし。
> 厭うことなかれ。願うことなかれ。』(道元)
その境地はあるけど、凡夫がそのままで苦が苦しくないと思い込むような
ただの慰めではないんですよ。戒律を守り、禅定して縁起によって無我・空を悟って始めて到る門に入るものです。
そこを勘違いするとどうしようもないただの現状肯定になる。
仏教はそういうものではありません。
657 :
653 :2009/10/16(金) 16:33:01 ID:ySQaYLH/
訂正 × 輪廻否定論 〇 輪廻批判論 戯論ゆえ、批判すれども否定せず
658 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 16:36:04 ID:hLNboZUG
【道元・三時業解説】
63 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 07:19:56 ID:OajCfSLE
>>54 の
>セセラギの音がありますね。
>そこで1拍の刹那の間がありまして、次ぎの刹那に知覚(五蘊)があります。
これについてプロセスを書いてみます。
セセラギの音、この時点では主観溶暗であります。
ここで音を感知します。→これが一拍の刹那であります。
次ぎの刹那が認識であります。
ここで過去の無数なる刹那に繋がるかどうか、で自己生起&有時発生の分起点になる。
「子供の頃に、魚取りをして遊んだことがあったなぁ〜」。→(これは例示です)
この刹那に繋がると、これで自己・有時が発生します。
この刹那はまた、無数の刹那に繋がって逝くのであります。
「そういえば、川で溺れそうになったことがあったよなぁ〜」。とか
刹那は刹那同士でどんどん繋がりをして逝きます。
(これがいわゆる道元の排列というもんですね)
この刹那同士の繋がりは、つまり意味連関というもんです。
日常生活においては、この意味連関において生活が営まれておるんです。
煩悩とか雑念とか言われるものは、つまり意味連関なのであります。
659 :
653 :2009/10/16(金) 17:21:50 ID:ySQaYLH/
>>655 >上の『梵網経』で聖者とブッダは多くの過去世を経験したと明示し、
>それが凡夫には経験的に知覚できないことがハッキリ釈尊の言葉として書かれています。
(過去世と未来世なるものは、)
それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、
〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために おののき狂躁したものにすぎない。
・・・・と返って、批判否定されていますが、なにか?
そもそも『梵網経』なるものがブッダの真説であることを証明してください。
>『カーラーマ・スッタ』には輪廻が説かれていること
"'Suppose there is a hereafter and there is a fruit, result, of deeds done well or ill.
Then it is possible that at the dissolution of the body after death, I shall arise in the heavenly world,
which is possessed of the state of bliss.
' This is the first solace found by him.
これって、業報輪廻転生論と全く関係がない論説ですが、なにか?
660 :
653 :2009/10/16(金) 17:29:59 ID:ySQaYLH/
>>655 私は自分なりの見解を述べているのだから、あなたの自分なりの見解を述べて欲しいと言っています。
だから
>こちらから逆に聞きたい。八不特に不生・不滅からどうして来世(死後の世界)だとか輪廻が導かれうるのか、
>その論理がさっぱり理解できない。
われわれは仏典のテープレコーダーではない。
私は現代人ですから、現在しかありません。
化石をありがたがることはありません。
過去も未来もないのです。
現代人としての現代の考えを述べるのが当然です。
あなたは過去に生きるシーラカンスですか?
661 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 17:35:50 ID:dnxIptmo
>>660 そうですか、ではどうぞご自由に。
ですかが、そのような和辻的な立場に立つなら人に仏教とはこうであると説くのは止めるべきだと一応、いっときます。
『梵網経』と『カーラーマ・スッタ』についての貴方の解釈はただの誤解ですよ。
662 :
653 :2009/10/16(金) 17:45:29 ID:ySQaYLH/
>>661 >『梵網経』と『カーラーマ・スッタ』についての貴方の解釈はただの誤解ですよ。
両者とも、あなたの事前のコメントと反対または無関係な内容です。
だったら、誤解を正してください。
663 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 18:11:34 ID:zUKKjMoC
>>661 横からちゃちゃ入れるが「仏教とはこうであると人に説くのはやめるべき」
このような発言は意味ないだろ?
お互い、「仏教」と言う語彙に対してそれぞれの見解があり、お宅の言う「仏教」も、
その一つに過ぎない。自分の見解にそう「仏教」が唯一の「本当の仏教」であるなどと考えること自体が
思い上がりでは?何も、お宅が「仏教の正統系統者」というわけでもなかろう?
まぁ、そう思い込むのは勝手だが。
664 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/16(金) 18:23:05 ID:hLNboZUG
>>655 貴殿の中論解説を読んでみましたが、
最大の誤読をしておるようですね。
まあ、いろいろありますけど、ひとつだけ指摘しておきましょう。
中論というのは三時否定であります。
よって「現在の私」というのも勿論否定に入るのであります。
(詳しくは省略させて頂きます)
じゃあ、何故に中論に傾倒しておった道元が三時業を説くのであろうか?
まあ、こういったことは略させて頂きます。
665 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 18:29:34 ID:kHC+E167
>>644 >重要なことは修行した結果として平気で生きることであり、
>ただの凡庸な凡夫が輪廻も苦諦も認識せず自覚せずに、
>平気で生きることとは全く違うのである。
自分から好き好んで「修行」するのは、趣味・娯楽の類い。それから得られた
「悟り」「解脱」などは、単なる自己満足・偽物に過ぎない。釈迦の「悟り」
「解脱」も、その類いであろう。
本当の修行とは、「自己の選択を許さない」日々の生存の努力である。子規の
病との闘いこそが本当の修行であり、それから得られた彼の悟りは、本物で
あるといえる。
「修行しよう」「修行しよう」のオウム信者が、一体何を悟ったのか!!!
宗教者の、「趣味・娯楽」としての修行は、そもそも修行とはいえない。
生老病死含めた苦と闘って勝て無いことなどわかってるから 苦を克服しようとしたんでしょう。 勝つことではなくて。 修行はその方法に過ぎないのではないですか。
667 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 19:34:52 ID:kHC+E167
>>666 勝てないのに、克服するとは、言語矛盾。
苦を去る唯一の方法は、苦をあるがままに受け入れることである。受け入れれば、
苦はもはや苦ではなくなる。また、それによって、他者の苦を理解する能力の養成、
即ち「人間の成長」が可能になる。
苦を、敵対すべき異物とし、修行によって逃れようとすればするほど、苦は
増大する。
「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」という人生の真理に目覚めることが「悟り」
である。釈迦には、その意味での悟りも解脱もなかった。
一面だけ見てすべて理解したと思わないでください。
669 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 20:11:33 ID:dnxIptmo
>>664 どこが誤読なのかな? 教えて貰おうか?
『中論』は三時否定というが、そんなもんじゃないよ。
何か x と認識するその認識や認識対象は幻に過ぎないということ、
それを唯の観念、概念として理解するのではなく、
三昧状態で直観するために全ての言語習慣も含む生物の根源的言語能力である、
妄想力として戯論を止滅して縁起・空を悟るためのもの。
いっちょ、机のハッタリを久々に追求してみっかw
670 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 20:13:02 ID:kHC+E167
>>668 >一面だけ見てすべて理解したと思わないでください。
それは、宗教者にこそ当てはまること。本来的に生存本能を中核とする動物の
一種に過ぎない人間そのものの本質に思い至らず、開祖や経典の「現実上の根
拠皆無な観念や言葉の遊戯」から一歩も踏み出せないのが、宗教者の姿である。
671 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 20:22:23 ID:dnxIptmo
>>669 そうそう、机っち、ここじゃ悪いから。
中観仏教II で待ってるぜ、中観は最も自信あるとこだ、
ドーンとこい ドキュン机!
>>670 あなたは仏教を理解せずに批判しようとしてるように見受けます。
もう少し理解してからここにきてはどうですか?
>>670 あ、ここ質問箱だったね!w
あなた質問者?回答者?
674 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 21:13:18 ID:dnxIptmo
>>673 その人は誤淫嘘と呼ばれる妄想家と思われます。そっとしてあげるのがよいと思います。
675 :
亭白 :2009/10/16(金) 21:13:21 ID:8fO+GBW6
>>636 >「布施波羅密多」というのはないですよ。
「波羅蜜多」というのは“彼岸到達”って意味ですから。
☆波羅蜜多は到彼岸の意味であります。つまり「理想状態に達すること」
という意味です。理想状態に達するために実践修行が必要です。
修行者でありば悟りを開きたいわけです。如来の悟りが修行者にとっての
理想であります。波羅蜜多には六つの実践修行が必要です。
六波羅蜜多の最初の徳目で布施波羅密多があります。
六波羅蜜多の実践修行は菩薩から如来へと至るための架け橋であります。
六波羅蜜多は八正道を実践部門に展開したものであり、菩薩、さらには
次の如来へと至るための修行方法であります。
「釈迦の本心」書籍大川隆法箸一部抜粋しました。
>大川は、金で彼岸へ行くとでも思っておるんでしょうか?
金をいくら積んでもですね、金では彼岸に行くには無理です。
☆
>>628 で「お金はあの世に持って行けません。」ーーーって述べましたけど。
>仏教で功徳を期待しても無理です。
こういうことを期待するから、直ぐに騙されちまうんですよ。
☆お布施して見返りを期待したら対価交換の心は布施の功徳は生みません。
功徳を求めぬ心こそ功徳の始まりです。
>心の執着や愛着が彼岸に渡るときは船の錨を海底に落としたまま運行するのに似て
います。そのままでは沈没する可能性が高くなります
☆この世に執着や愛着があると天国に行けず、地獄界に堕(沈没)ちるということです。
>でも、まあ、大川は上手いこと言いますね。これじゃ〜金を持ってたら彼岸は行けんでしょうね。
じゃあ、全部金を捨てる他あるまい。
☆お金をドブに捨てることではなく、心の執着のことです。心の磁石の執着・愛着を無磁石にして
バラバラと離す心です。利他の心は布施の心です。
676 :
亭白 :2009/10/16(金) 21:39:18 ID:8fO+GBW6
>>637 (つづき)
>ほらほら、ここが自己矛盾でしょ? 「布施を対価交換ではない」と言いつつも、
その腹の中では功徳を期待する。
自分に偽りがあるから・・・直ぐに騙されてしまう。
☆腹の中では功徳を期待する布施は、偽りの布施です。腹の中に布施の対価交換を
求めているからです。自分に見返りを期待すると、三輪清浄に反します。
>金に関しては、もっとシビアに考えてください。 非常に冷静な判断が必要です。
☆そうですね。お金の奴隷には要注意ですね。
>波羅蜜多というのは、その判断のできる智慧を得ることです。
お金は全く関係はないです。
☆気持ちは分かりますが、財施も奉仕活動もお金を使いますよ。
波羅蜜多ではないけど、反省修法の八正道はお金は掛からないですね。
ロハで智慧を得ることができる。
般若波羅密多。
☆ロハの日常の中に非日常を発見する智慧は限りなく、ローリスク・ローリターン
かもしれません。般若波羅密多は六波羅蜜多の六番目の最後の実践修行です。
心の窓を開かなければ般若の智慧に至ることは決してありません。
輪廻がないならゴタゴタ議論してないで 迷い、苦を断ちたいなら自決すればOK。
678 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 22:33:57 ID:dnxIptmo
>>678 この当たり前の論理をどうしても
認めたくない方達がいるんだよね。
まともに反論できた人はいないんだよ。
詭弁を使って逃げるだけ。
輪廻が存在しないなら初転法輪は「自決のすすめ」に
なっていたことは間違いないと思いますがね。
貴殿の論理展開はまっとうです。
>輪廻が存在しないなら
文盲ですか?
批判すれども、否定せず。(
>>657 )
戯論主義ドアホと席を同じくせず。
経験主義的に輪廻が存在することを証明してみな。(cf.
>>653 スッタニパータ1053)
>>680 それを詭弁というんだよ。
死んで終りならなんで悟りを得る必要があるんだ?
答えてみよ。
なんでおっかさんのオッパイが恋しい年齢で出家して
永平寺なんてクソ田舎に出家して
真冬はつらくて朝起きたら涙が凍って
目を開けられないような想いをして
修行するんだ?
馬鹿かおまえは?
683 :
681 :2009/10/16(金) 23:03:19 ID:ySQaYLH/
寝る。 また後日。
>>677 それは、或る一種の思考パターンのみに通用する論理だと気付いてくださいw
それはどのようなものか?《一切合財の停止、消去を求める思考、スタンス》がそれである。
そうではなく、《自身の生の「ある部分は停止・消去し、ある部分は継続・確立(或いは生じせしめ)よう」という思考、スタンス》においては、
自決は解決にならない。 君の論理的ってのは、随分と限定的条件の上でのものなんだなw
その程度で真理を称するか?片腹痛いな・・・w
過去何度も反駁してきたが、私の説明が論破されたことはないが?w
むしろ、君たちの《その『論理的』思考》が《極論だ》と指摘したが、それについて有効な反論は無かったように記憶するが?w
そこんとこどうなん?www
>>681 おまえも基本的に馬鹿だな。
大体生を肯定して死を否定する分別があるから
そんなセンチメンタリズムにはまるんだよ。
一切の感情を廃して思考してみよ。
輪廻がないなら自決が最大の苦の解決だ。
686 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 23:07:36 ID:dnxIptmo
>>679 全くその通り。この論理が通らないから笑っちゃうよね。
現状を肯定したい、でも仏教も好き。妄想詭弁展開w
>>680 勝手に妄想展開ください。そういった人と時間を無駄にしたくないので、
以後、スル〜
687 :
681 :2009/10/16(金) 23:09:17 ID:ySQaYLH/
>>682 眠いんで一言だけ。
>死んで終り
誰がそんな馬鹿を言った?
なんで生死に迷う?
不生不滅=中道
>>684 おまえたち詭弁論者と話す時には
あくまでも話を原点に戻しつづけなければならない。
おまえのテクニックはディベートでいう拡散というものだ。
オウムの上祐が得意としていたテクニックだ。
それを破ったのは江川しょうこが常に話しを
原点に戻し続けたからだ。
だからおれもそれに習う。
死んで終りなら何故修行などする必要があるのか?
答えてみよ。
寝る。詭弁を弄せず論理的に模範解答を書いておけ、たわけが。
689 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 23:17:15 ID:dnxIptmo
>>684 いやいや、セブンのこれについての反論は全く感情論だったと記憶するが。
セブンの追求で真っ当なのは、最終的に信か、それとも普遍妥当性を持った証拠を提示できるかだけだったと記憶する。
そりゃ最終的には信だけだ。分析探求すれば、世の中の現象も経験も全て信だけだ。
すべての対象がある程度の曖昧で適当な共通認識による一定の普遍妥当性ぐらいしか提示できない。
ついでながら、机っちの根拠とした『正法眼蔵』「三時業」今、風呂で読んだんだけど。
全く逆で、因果を信じろってことしか書いてないぞ。
どうせ読んでないんだろ、ネットの適当なカキコを受け売りだろ。
そんな根拠で、堂々断言するからな、机っちの法螺は、昔から相変わらずだw
690 :
681 :2009/10/16(金) 23:24:17 ID:ySQaYLH/
>>686 >『梵網経』と『カーラーマ・スッタ』についての貴方( ID:dnxIptmo)の解釈は
過去の馬鹿には通用した単なるインチキ・ハッタリかましの使いまわしにしか過ぎない。
インチキ詐欺師のウソと無関係のみ!!!!!
!!!! m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー !!!!
おい、低能!
宿題やっとけよw
ねるわ。
>>687 >なんで生死に迷う?
なに気取ってんだ馬鹿。
生死として厭う事も、涅槃として願うこともなく
ただ生死即ち涅槃と心得よ。
その時初めて生死をはなれる。
と道元禅師は仰った。
師の三時を否定して詭弁を弄して居るものが
なにが生死だ。
片腹痛いとはこのことだ。
692 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 23:28:15 ID:3GLVQbR+
>>688 オウムがああなったのは、「死んだら終わり」という自明の事実を
否定し、ひたすら無意味な「修行」に励んだからである。
江川に何が分る?彼女に、「信教の自由」は、実は信者自身を最も
害している、と言ったら、ぽかんとしていた。
>>692 タコ。江川にアドヴァイスをしたのは誰だ。
オウムの背景はそんな単純なものではないわ。
今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、
善悪を弁えざる邪見のともがらには群すべからず。
道元禅師はお前たち邪見のものたちに
はるか昔に鉄槌を加えておるわ。
695 :
神も仏も名無しさん :2009/10/16(金) 23:45:00 ID:3GLVQbR+
>>694 >オウムの背景はそんな単純なものではないわ。
原始仏教+チベット仏教+ヒンドゥー教+キリスト教という、単純なもの。
特に、キリスト教の影響が根本的。
オウムは、竜樹や道元はやらなかったはずだ。カルトは、この両者を特に嫌う。
>>677-679 どんな論理だw
苦も無くなるが、死んだら意味がないだろw
輪廻がない=死後の世界がないなら、死ねばそこで全て終り。
仏教の目的は、苦の無い「生き方」だと思うんだが?w
単に「苦を止めたい」だけなら、確かに死ねばいいがなw
だが、「苦を止めたい」だけが目的なら、輪廻するとしても、生まれた瞬間に自殺し続ければいいだろ?w
だから、輪廻があるなら、赤ん坊は生まれた瞬間、悪業を生む前に、殺してやるのが最上の手段と言う事にならんか?w
さあ、産婦人科にナイフを持って突撃だ!?w
697 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 02:41:50 ID:T5azCSe+
>>696 仏教が生き方なんてどういう読みしてんだ。
滅諦ってのは生がなくなった状態だ。
死んだら意味がないという発想が非仏教、
仏教は生きることは苦なんだよ。
生まれた瞬間に自殺し続ければいいだと、
アホ丸出しだな、輪廻は人間だけじゃないんだよ。
地獄、餓鬼、畜生では自殺する意識もないだろ。
それに人間に生まれても、自殺する意識もあるとは限らないな。
苦諦を認識することは、本当の意味では聖者でないと無理だからな。
君が「死んだら意味がない」なんて凡人の発想してること自体がそれを証明してるだろ。
あらゆる生きものは生きんとする盲目的意志を持っている、
盲目に「死んだら意味がない」と考えてエゴイスティックに生き、
そして苦しむだけだ。
698 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 02:52:02 ID:aWKt1P8M
地球に誕生した最初の生命って何から輪廻したの? 生命の固体数が増え続けているけど、いったい何処から輪廻してるの?
699 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 03:10:05 ID:aWKt1P8M
もし、地球が爆発して全ての生命が死んだら、次は何処に輪廻するの? 仏教って、ちゃんと、そのあたり説明できるの? それとも、そのへんは考えないことにしましょうって誤魔化すの?
700 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 03:15:04 ID:T5azCSe+
>>698 地球以外からだよ。仏教はビックバン以前も想定する多元宇宙論だから。
そしてその多元宇宙も実在ではなく、ただ縁起するだけだから。
それに個体数とかないから、一つの実体的意識が永遠に形を変えて輪廻するのではないから。
始まりのない時から、無常に縁起してるだけだから。
そういった実在論的古典物理学の質料保存の法則は当てはまらないよ。
>>696 なんでその程度の理解で仏教に執着するかねえ。
仏教は思想的ファッションじゃないんだよ。
案の定>697にバッサリやられたな。
>>698 >>699 普通仏教徒はそんな質問はしないよ。
703 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 06:26:28 ID:T5azCSe+
>>701 だよね。和辻流個人解釈でいいなんてありえな〜い。
>>699 はまあ古典物理学、あるいは素朴実在論を信仰する立場からの
素朴な疑問ですね。この発想が我見・有身見に基づいていて、
縁起に対する根本的理解がないことに気付いてほしいものです。
まあ、仏教が知りたければですが、常識に安住して仏教に沈黙するのもまたよし。
ただ、常識に安住して仏教を語ろうというのは止めてくれ〜といいたいね。
704 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/17(土) 07:44:33 ID:/5EBv0WY
>>689 >ついでながら、机っちの根拠とした『正法眼蔵』「三時業」今、風呂で読んだんだけど。
>全く逆で、因果を信じろってことしか書いてないぞ。
あ〜〜っはっは
正法眼蔵は全九十五巻ありまして、貴殿が傾倒してます修証義の他に在家向けに書かれたものも他にあります。
眼蔵は全体的にバリエーションがあり、これを私は「道元の二面性」と指摘しております。
この二面性を把握してないと、つまり誤読がある。ってことなんですね。
で、貴殿は中論を考え過ぎてますね。
あんなに捻って考えたら中論が台無しになる。
もっとシンプルに解釈しないとね。
中論は一回読めばいいんだよ。
勝義諦が書かれているんだから解釈はいらない。
ところが正法眼蔵は別。
アタマを捻らんと道元の本義には至らない。
つまり不立文字の世界になる。
貴殿は私を別スレに誘導しておるようだが、先ずは中論を把握してませんと、
私の書き込みは意味不明であります。
705 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 08:20:15 ID:aWKt1P8M
何か勘違いしてる奴がいるが、俺は仏教徒じゃないよ。 ここは仏教徒以外は、書き込み禁止なのか? それから、レスは全く回答になってない。ただの言葉遊び。「ビッグバン以前」とか「始まりのない無限の時」 「多元宇宙論」 こんな話なら中学生でも出来るよ。 古典物理とか関係ない。 ビッグバン以前がどのようであったか?無限の時とは何か?地球外の世界とは何か?これらをきちんと 説明しなくては回答になってないでしょ? 俺が聞いたのは、仏教はそれらに対して言葉遊びではなく、きちんとした説明が可能 かどうかなの。
>>703 貴殿はかなり頭も良さそうですので
頑張って正論を貫いてください。
私も勉強になります。
詭弁の大家、机さんに惑わされないようにw
>>705 それは失礼しました。
貴方が仏教徒じゃなくてよかったです。
708 :
亭白 :2009/10/17(土) 08:30:20 ID:2fEQyJc6
>>696 :神も仏も名無しさん
>☆この世で完成せず執着で苦しんだものは、死後、あの世の地獄界
で苦しむことになります。
殺人推奨は悪因悪果の不幸のカルマをつくることになります。
殺人推奨は苦の増大になります。これは仏の教えではありません。
709 :
亭白 :2009/10/17(土) 08:33:00 ID:2fEQyJc6
>>708 訂正します。失礼しました。
X 完成せず
O 反省せず
710 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 08:36:14 ID:aWKt1P8M
>>707 つまらん奴だな。
「貴方が仏教徒でなくて良かった」
このような発言は「仏教徒」の品性を自ら下げるものだと思わないのか?
他の仏教徒の迷惑になるよ。
711 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 08:49:27 ID:T5azCSe+
>>704 そんな文献学的なことは誰でも知ってるよ。
少なくとも「三時業」は因果、輪廻を大事にしろって言ってるだけだな。
誤読ばっかだな。
『中論』一回読めば分かる? オイ、現代学者で真っ当に現代語訳を誰もできない難解で知られた論書を、
「三時業」も読まずに、自分の妄想一本で分かったかw
やっぱ相手にならんは、妄想男、じゃな
712 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 08:55:35 ID:T5azCSe+
>>705 そうか、仏教は x とは何かみたいな説き方を必ずしもしないからな。
解脱、悟り、行に役に立たないことはあんまり説明しないんだよ。
特に宇宙のあり方とかは
「きちんとした説明」ってのはどういうものをいうんだ数式化できることか?
普遍妥当性を持つことか? それとも物質に還元できることか?
そういう西洋思想的文脈ではぜんぜんきっちりしてないよ。
なぜなら、実在論でも本質主義でも歴史主義でもないからね。
時に始まりがないのは縁起だからだ。
縁起を理解すれば十分だ。
713 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 08:57:11 ID:T5azCSe+
>>706 ども、机っちはもう白旗というか、妄想詭弁を高らかに宣言したので、
付き合いきれません。以後、スル〜します。
714 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/17(土) 09:24:29 ID:/5EBv0WY
>>675 亭白氏
>六波羅蜜多の最初の徳目で布施波羅密多があります。
六波羅蜜多は、大乗成立以前からあるもので、
やはり「金」に絡むものは、それなりのカラクリってのがある。
つまり布施波羅蜜多は、出家者が在家者に求めるもんで、
「布施すれば功徳がある」ってのは出家者の論理。
こういう大義(互助)で、布施を「在家者の自発性」に委ねるというもの。
(良い・悪いは別問題)
大乗になりますと、一般的には般若波羅蜜多ですね。
正式には「摩訶般若波羅蜜多」と言いまして、非常に優れた般若波羅蜜多。
という意味になる。
これは無料です(つまりロハです)
金というのは、宗教と絡むと厄介になる。
最初は千円・二千円の単位でも・・・金の感覚が段々麻痺してくる。
この段階にきますと、もう手遅れですね。
十マン・二十マンは、アタリマエになってきますからね。
根こそぎ金を持ってかれて、
空をボンヤリ眺めていて、ッハっと気づく。
(だいたいが、このパターンが多いです)
715 :
亭白 :2009/10/17(土) 09:49:02 ID:2fEQyJc6
☆仏教の本来の目的は、心の修行にあったはずであります。 心の修業が飛んでしまって、仏教学の学問になって、心不在の 喧喧諤諤になってはいないだろうか。本来の趣旨から外れてい ると思われます。 心の修行を通して、心の有り様を戒める中に言葉を調えることであります。 言葉を調え、心の思いは恨みなく行く川の如く流れ留めておく思いも無く、 水鏡のように明鏡止水の湖面のように波立つこともない心境こそ求める 心の修業こそ霊的認識の探求であります。 霊的認識を踏まえた心の修行あっての仏法真理の学びであったはずです。 漢文の先生みたいに霊的認識をなおざりにして、心の修行に蓋して、仏教 を学び智慧として生かすことははなはだ難いのであります。 言葉を調律するには戒があります。 ・他の人への悪口は言わないこと。 ・二枚舌を使って他の人を翻弄させないこと。 ・過ぎたお世辞は言わぬ事。他の人を慢心・堕落のもとになります。 入口の正しく見るから思いを調え、言葉の出口をまず調えることが寛容で あります。少なくとも他者の心を汚さない消極的要件ですが、反省する時 も楽に行なえます。それでこそ悟りに至る道であります。
716 :
亭白の現実喪失オナニー幸福w :2009/10/17(土) 10:04:56 ID:Fdiy89MV
亭白の脳を如実如見、現実をありのままに見て観察する 亭白の脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー 選択が真理と言う 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw が基本ですので、 亭白の脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー 以外は除外されるように、 亭白はカルト訓練されていますw 亭白の脳の情報処理選択ですw 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw
717 :
亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 10:19:38 ID:Fdiy89MV
仏陀の本意、基本である、ありのままに見る、現実主義を放棄し、(これが八正道の正見) 過去の仏教文献を無視し、 思いつき低級霊的四流霊媒感覚の大川アホりゅうほうのお言葉を妄信し、 亭白の脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー 選択が真理と言う 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw を繰り返す
718 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 10:24:11 ID:Zs+4NnCF
>>712 >「きちんとした説明」ってのはどういうものをいうんだ数式化できることか?
普遍妥当性を持つことか? それとも物質に還元できることか?
俺が
>>698 >>699 にあげたのは、仏教徒以外が輪廻説に対してもつ
「素朴な疑問」だよ。それに対して佛教は、「言語、または数式などの他の
ツールにより、通常の理解力を有する一般人に普遍性の高い(大方の者が
了解できる)説明体系を提示できるの?」と問うているわけよ。
「そのような、説明体系はありません。そこは考えてはいけないところなんです。」
あるいは、
「そこは各人が、(言語を越えた)直覚により、了解してもらうよりありません」
と言うのであれば、
『輪廻というのは、生まれ変わりという形而下の事象に言及しておきながら
疑問点を形而上に丸投げして、説明責任を回避する極めて無責任な説としか
いえないだろ?』これでは、
「霊というのは、確かに存在するんだ。何故、存在するか?何処に存在するか?
などは、説明できないが、『霊能力』のあるものには、ちゃんと、わかるんだよ」
こんなこと言ってるオカルトバカと大差ないだろ?
違うかい?
719 :
魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 10:25:17 ID:Fdiy89MV
大川四流霊媒主義は、魔境と言われる、仏教において。 霊的認識と言う魔境、故に、国師、総裁とか言う地位を好む四流霊媒師大川アホりゅうほう。 下記の魔境に喜ぶ姿w 715 :亭白:2009/10/17(土) 09:49:02 ID:2fEQyJc6 ☆仏教の本来の目的は、心の修行にあったはずであります。 心の修業が飛んでしまって、仏教学の学問になって、心不在の 喧喧諤諤になってはいないだろうか。本来の趣旨から外れてい ると思われます。 心の修行を通して、心の有り様を戒める中に言葉を調えることであります。 言葉を調え、心の思いは恨みなく行く川の如く流れ留めておく思いも無く、 水鏡のように明鏡止水の湖面のように波立つこともない心境こそ求める 心の修業こそ霊的認識の探求であります。 霊的認識を踏まえた心の修行あっての仏法真理の学びであったはずです。
720 :
レミエル :2009/10/17(土) 10:29:13 ID:lioMtlO1
コレ、アホンターレってのもあったような
>>715 ロボトミー亭白
ここにはインチキお召し上げ専門カルト「大川だけ幸福の化(バケ)学」に
ひっかかるようなアホはおらん(と思う)。
おまいのいう「布施」とは、インチキカルトの身ぐるみ剥がす
追剥ぎマインドコントロール手口や。
追剥ぎ金は「大川だけ幸福の化(バケ)学」にお召し上げすることになる。
こんな古典的手口は天理教はじめインチキカルト(とくに大川の鬼父)の物まね。
インチキカルトの出入り禁止。
二度とこのスレに顔を出すな
退場を命じる。
722 :
魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 10:41:39 ID:Fdiy89MV
まあ、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの滑稽さは、 無宗教的、相対論的に考えれば、明確、 日本で無い、アマゾンの原住民世界で仮に生まれて、それ以外のヨーロッパ社会でもいいが、 生まれた最初に見る子供の世界から見れば、 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界など何処にもないw、 普通の感覚で、日本以外で生まれた子供が 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界よって認識しているのだろうか? まだ、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界の霊的認識よって捨てられたw 仏陀の本意、基本である、ありのままに見る、現実主義の方がどの世界でも普遍的に通じる。
>>718 >「そのような、説明体系はありません。そこは考えてはいけないところなんです。」
あくまで私見ですが、そう答えざるを得ません。
「釈尊は悟っていたと何故わかる?」
「釈尊の教義は鬱病から生まれたんだよ」
などと言われるとはっきり言って答えようがありません。
証明はできません。
自分で経典読んで実践して確かめるしかない。
としかいえないですね。
725 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 10:52:10 ID:4NRjoopi
726 :
魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 10:53:54 ID:Fdiy89MV
まあ、ワイもちょっと間違えば、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの魔境に陥りかねないセンスはあるけどね、 キリスト教にも付き合いがあるが、霊的にあっても、教義体系に忠実に関わろうとするがね、 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの魔境の教義のように、 自分を国師、総裁と言う妄想地位をアピールする気や、自己解釈、自己創出のエルカンターレとか宗教用語や理論を構築する気はないがねw キリスト教ですら、本来は自己思考自己理論放棄による主の御心のままに、が基本だが、 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの魔境は聖書にあるイエスに対するサタンの誘惑丸出しだw サタンは言った「ワシ(エルカンターレ)について行けば、この国をさしあげようw」 国師、総裁の称号を愛した、 サタンに誘惑された四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの魔境 と言うところかなあ? イエスキリストによればねw
727 :
魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 10:55:10 ID:Fdiy89MV
おっとw718隠居がいる、イエスの名を出すと絡まれるwwwwww
728 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 11:05:17 ID:Zs+4NnCF
ポイントがずれないように、繰り返すが、俺が今、ここで問うていることは 「佛教は輪廻を前提としているか?」「『仏教的』視点による(一般人には理解 できないような)解説によれば・・・・・」 などと言うことではないの。 この「輪廻」というのは、『仏教徒』だけが輪廻するのではないよね? 仏教徒ではない俺も輪廻するんだと、輪廻説支持者は主張するわけよ。 それなら、俺も無関心でもいられない。自分に関することだから、疑問は 問い正したくなるわけね。 この輪廻というのが「佛教内限定」の事象であれば、関係ないが、現実に 存在している我々、全てに干渉する、あくまでも『形而下』の現象なわけ。 「我々は・・・・・のように認識することができる」などという単なる形而上の 認識論を越えて「我々は過去の・・・・の生まれ変わりである」という 極めて具象性の強い主張をするわけよ。ならば、当然、一般人に理解できる 形而下の説明があってしかるべきだろ? と、こう言いたいわけ。 そうであるならば、オカルト板に多数生息する 「俺は霊とはなしができる。俺は神と話せる。俺は霊能力、超能力がある。」 と、『ただ言うだけで』なんの根拠も示せず、自分だけがそのように 思い込んでいるトンでもさんと変わらないでしょ? 佛教の輪廻説とは、そんなものか? 違うんだろ? そんなキチ外のたわ言とは、一線を画す、十分な妥当性を有する説明体系が あるんだろ?輪廻説には。 こう聞いてるわけ。
729 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 11:10:24 ID:Zs+4NnCF
>>727 こら〜〜〜〜〜〜〜、俺は隠居じゃねえよ、
勘弁してよ、もう(笑)
730 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 11:11:29 ID:qb3BpxBo
仏教は全てマヤカシである。 例外はない。 インチキカルトと実は 変わらない。
731 :
魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 11:12:52 ID:Fdiy89MV
729すまぬ。 >「釈尊の教義は鬱病から生まれたんだよ」 が隠居説の18番なんで、 彼はキリスト教よりも仏教にシフトしているからなあw
732 :
魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 11:14:03 ID:Fdiy89MV
仏教は 「全てマヤカシである。 例外はない。」 と教える教えが正統なのよんw いいセンスだね、
733 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 11:15:32 ID:T5azCSe+
>>718 数式にしろ、普遍妥当性にしろ、凡庸な凡人の経験を真実としている。
仏教はその経験が縁起・空・無我に過ぎないと悟る道だからね。
基盤となるものが違う。
例えば、狂った人の認識を基準に正常な人を判断されても困るように
凡人の認識基準で把握できない聖者の認識領域について判断されても困るということ。
まあ、納得できないなら。仏教はつまんないものと思ってもオレとしては一向にかまいません。
>>728 私の意見ですが無いと思います。
涅槃についても同様です。
また輪廻が存在しない、という体系立った説明も
ないと思います。
735 :
魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 11:15:59 ID:Fdiy89MV
仏教は 「全てマヤカシである。 例外はない。」 と教える教えを 無視して色々実在する様に言うのが多くなってきたから、 「インチキカルトと実は 変わらない。」のが出てきたのよんw。
736 :
魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明 :2009/10/17(土) 11:21:15 ID:Fdiy89MV
四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの魔境の教義や魔境亭白や、 彼が書き込みたくなる会話をしかけるのも、 色々説明し始めるから起きるのだなw
737 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 11:24:16 ID:T5azCSe+
>>724 全く違う。輪廻業報なくして仏教なし。
佐倉さんは『サンユッタニカーヤ』の一切を誤解してるよ。
一切に五感以外に識と法界が含まれてるでしょ。
それで宿命通とかで直接知覚するわけですね。
でなければ、以下の『梵網経』が理解できないし、
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html 長部・中部アーガマ、ニカーヤで必ず、輪廻が説かれ、
輪廻や業を否定するものが邪見と説かれることと整合性がとれないでしょ。
ヒンドゥー混入説にしても、その説が正しいとすれば。
釈尊はローカーヤタで、弟子は大乗小乗あらゆる伝統が誤解したことになるね。
少なくとも現在残る文献で輪廻を前提としない文献も伝統は全くない。
並川などの説はただの誤解だし、近代インド仏教や近代日本仏教の一部はもはや新興宗教でしょ。
738 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 11:36:43 ID:Zs+4NnCF
>>734 まず、お宅は
>>707 で「 貴方が仏教徒じゃなくてよかったです。」
のようなレスを返す、実に陰険なつまらない奴であると、思ったが
>>723 や
>>734 で自己の見解による回答を提示してくれたので、
認識を改め、礼をのべておく。
お宅の見解は了解しました。
>>733 佛教における認識基盤と一般における認識基盤が異なる
ことなど、改めて言及するまでもない。
俺が聞いているのは、普遍性を有する説明体系を佛教はもってないのか?
こういうこと。
>「我々は・・・・・のように認識することができる」などという単なる形而上の
認識論を越えて「我々は過去の・・・・の生まれ変わりである」という
極めて具象性の強い主張をするわけよ。ならば、当然、一般人に理解できる
形而下の説明があってしかるべきだろ? と、こう言いたいわけ。
ないというのならば、ないでいいの。それなら、俺が聞きたいのは
「オカルト信者の言動」と「輪廻説支持者の主張」は、どこが違うの?
ここが聞きたい。それから、
>まあ、納得できないなら。仏教はつまんないものと思ってもオレとしては一向にかまいません。
こう言う発言は止めな。 他にも多々「お宅が信じないのは自由ですがね」
などと、自己の見解を受け入れないものに、すぐ、このような発言をする
者がいるが、実にくだらなく感じられるな。
739 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 11:51:05 ID:T5azCSe+
>>738 輪廻・業に関して凡人の普遍妥当性をもった説明体系はない
740 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 11:53:09 ID:T5azCSe+
>>739 ないと断言してしまったが、私の管見の限りないと訂正しておく
おそらくないと思う。そこは信じるか信じないかだ。
>>738 とにかく佐倉さんのHPを読まれてから、感想を述べてください(
>>724 )。
(「オカルト信者の言動」と「輪廻説支持者の主張」)=戯論(経験的に検証不能な立論)を
仏教(ブッダの教え)は相手にしません。
<戯論(形而上学的論議)の消滅と言うめでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、
もろもろの説法者のうちで最も勝れた人として敬礼する>
(龍樹 中論 帰敬序)
742 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 12:10:48 ID:Zs+4NnCF
>>739 なるほど、それならば、以前セブンが提示した問題に
帰結されることになるな。すなわち、「佛教は独我論を越えられるか?」
『聖者による認識』 この正当性がどのように担保されるのか?
『聖者』と『単にそのような言動をするのが得意な、頭のおかしな
おっさん』とを隔てるものは何か?
輪廻が普遍性を有する説明が不可能であるのならば、その真理を担保
するものは、ひとえに「聖者による認識」ということになるが、そのためには
上記の問いに回答できなければ話にならないと思うが?
>>741 紹介、ありがとう。佐倉さんの説は、大分以前から了解して
おります。ご紹介のHPも全て、読んでおります。
>>737 >『梵網経』
梵網経なるものが、部派の勝手なでっち上げではなく、
ブッダの真説であることを検証可能な裏付け証拠により証明してください。
744 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/17(土) 12:17:38 ID:/5EBv0WY
>>728 >この「輪廻」というのは、『仏教徒』だけが輪廻するのではないよね?
>仏教徒ではない俺も輪廻するんだと、輪廻説支持者は主張するわけよ。
噺家でもそうですけど、最後まで聞かないと本義ってのは伝わらないですね。
「輪廻」というのは、
落語を聞いてて途中で退場してしまうようなもんです。
(これだと輪廻については分らない)
最後のオチを聞いて、その落語の仕上げになります。
正法眼蔵にも輪廻のことは書いてありますけど、
道元はちゃんとオチを付けてます。
粋ですよね。
>>738 >733氏の反論もあろうが
私は「輪廻がない、という体系立った説明もない」
と言ったはずだ。お宅も人のレスをよく読むがよい。
信じる信じないは自由、これは当たり前の発言であろう。
輪廻がある、と言う仏教など興味ない、
輪廻無しの立場で仏教をやろう、
もともと仏教などどうでもいい、
お宅がどう考えようが自由だろう。
そもそも仏教徒で無いものが
輪廻に興味を持ってどうするの?
おれはキリストが復活しようがしまいが
処女懐妊しようがまったく興味ないがね。
キリスト教徒じゃないから。
746 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 12:29:45 ID:4NRjoopi
747 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/17(土) 12:29:46 ID:/5EBv0WY
>>742 >『聖者による認識』 この正当性がどのように担保されるのか?
これが拈華微笑というもんだろう。
聖者同士のコンセンサスはある。
それをもって担保とす。
輪廻否定論派仏教徒に聞きたいんだが、 何故釈尊は口うるさく「煩悩を切れ」 といったんだ? はっきり言って煩悩を切るってとてつもなく 苦しいよ。 輪廻がないならなんでそこまで修行させたの。 人生の苦に耐えるかあるいは自決の選択の方が ずっと合理的だと思うが。 それと涅槃について「蝋燭の炎を吹き消すとその炎は どこに行くか」と仰っているが、凡夫の死の比喩にも 使えるものをなぜ涅槃のみに使ったのか? 凡夫の死では炎は消えないと解釈するのが当然だろ。 あっちこっちに輪廻としか解釈できない 言葉が書いてあるし、その辺はどう処理してるの?
749 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/17(土) 12:48:13 ID:/5EBv0WY
>>711 >『中論』一回読めば分かる?
>オイ、現代学者で真っ当に現代語訳を誰もできない難解で知られた論書を、
中論は勝義諦が書かれたもので、
龍樹以前は、勝義諦は説明不可というのが一般的なコンセンサス。
これを言語において体系つけたのが龍樹。
勝義諦に悟入すれば、中論解釈は必要ない。
でも君は、何故勝義諦が説明不可なのが理解できるであろうか?
理解できたなら「現在の私」などという発想はないはず。
つまり中論が理解できてない。
現在ってのは、来つつあるもので、なお且つ、去りつつあるもの。
ならば現在が、ありようがない。
>>742 >『聖者』と『単にそのような言動をするのが得意な、頭のおかしな
おっさん』とを隔てるものは何か?
判断の術は無い。
個人的には机氏の拈華微笑しかないと思っているが
非仏教徒のお宅には、無いとしか答えられない。
>輪廻がない、という体系立った説明もない
当たり前田の、クラッカー(ふ、ふるー)。
批判すれども、否定せず。
戯論と同じ土俵に乗るのは自己矛盾だからだ⇒
>>741
>>749 またお邪魔虫ですが座ってわかったことは
現在に在ることはできるが
現在を観ること、分析することなどはできません。
>>752 「現在に在る」っていう刹那の瞬間を実体験してきたのが、
歴史に残ってる覚者の直覚というもんですね。
これを正法眼蔵において、道元は克明し説明している。
この延長線において三時業とかを書いていますが、
この文脈の流れを読んで行かないと、
正法眼蔵は誤読する。
755 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 13:20:24 ID:T5azCSe+
756 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 13:25:15 ID:T5azCSe+
>>742 その言説の再現可能性に見るしかないでしょう。
釈尊やブッダの言葉は、諸聖者によって長い間、体験検証されてきたという
2500年の多くの伝統がある。現代日本ではほぼ死に絶えたけれど、
いまだにテーラワーダやチベット仏教では聖者を輩出している。
それらの聖者が証拠といえる。
ソリプシズムはほとんど関係ないよ。
輪廻や業といった一部が問題となるだけで。
>>755 >以下のように中論も輪廻を前提としてるよ、
まあ、気の毒だから少し中論を解説します。
(ほんの少しね)
龍樹はそもそも時制(つまり有時)を否定してるから、
時制においての中論展開は戯論になる。
758 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 14:52:38 ID:ROqH+Sgi
>>670 本能に操られる生命の愚かさを自覚した上で、
生命であることを止めようという教えです。
759 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 15:41:02 ID:Zs+4NnCF
>>745 おい、こらカス。
>私は「輪廻がない、という体系立った説明もない」
と言ったはずだ。お宅も人のレスをよく読むがよい
なんだ?これは。
>>738 の書き込みのお前へのレスは、「お宅の見解は了解しました。」
で終わってんだ。俺に対してまともな回答を提示したので一度は筋を通した。
以下は ID:T5azCSe+ 宛てのものだ。
一瞬でもお前がまともな奴と勘違いした自分が、あほらしいワイ。
>そもそも仏教徒で無いものが
輪廻に興味を持ってどうするの?
ほんとクソだね、お前は。ならば、「仏教で言う輪廻とは、仏教徒限定です。
仏教徒以外は輪廻しませんよ。」って言っとけや。
>おれはキリストが復活しようがしまいが
処女懐妊しようがまったく興味ないがね。
キリスト教徒じゃないから。
知らねえよ、お前のことなんか。
お前はもう黙っとけ、カスが。
>>759 お宅の汚い波動が移るから
もう話しかけないでくれる。
2ちゃんでしかタンカ切れない
小心者君。
君は臭いよ。
仏教に興味ないんだろう?
もうくるなよ。
>>759 なんで仏教徒じゃないのに
自分が輪廻するかなんて
心配してんの?
火病クン
水野先生は輪廻情報を伝える当体として 無常なる霊魂を想定してもいいのでは ないか、という様なことを書いてるよね。 原田祖岳老師は仏教徒の信条として 輪廻を信ずを挙げているし 道元禅師も三時を説いている。 輪廻否定者はこれを全部論破してください。 >748にも答えてください。
764 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 16:51:44 ID:aWKt1P8M
>>761 お前こそ、消えな。くそカスが。
お前の書き込みからは、「仏教やってるボクちゃんは、凡夫などと違って偉いんだ。」っていう、
いやらしい波動が感じられるんだがね。
お前のような「宗教やってるから偉い」みたいな選民思想の持ち主が
他の多くの真摯に取り組んでいる宗教者たちの迷惑になってる
ことくらい悟れや、バカが。
>>755 >『梵網経』
>
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html >深遠で、 見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
>微妙で、賢者だけが理解できる諸法
これは当然だろう。勝義から還滅する(空即是色)と正道の何たるかが掴める
→空(正道⇔邪道の分別を排した中道):=無苦集滅道=仏智。
勝義諦は言語論理(→『思考と思惟』)を超えている(無分別)のは当然だ(相が異なる)。
そのような勝義から還滅して、シャモン・バラモンの六十二邪見を批判するという構成になっている。
>ビクたちよ、これらのうちで、かれらシャモン・バラモンたちは
>・・・・
>六十二の根拠により、過去の限界(過去世)と未来の限界(未来世)に関して種々の浮説を主張するが、、
>それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、
>〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために
>おののき狂躁したものにすぎない。
こいつらシャモン・バラモンは過去世だとか未来世だとか勝手にでっち上げて、
ホントのことがわからん世俗的俗物に過ぎんと「批判」している。
以上、逆に輪廻転生論批判であって、中論の趣旨(時制度批判)と一致するのであって、
業報輪廻転生論なんか前提とはしていないことの逆証明となっているといえよう。
766 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 17:04:09 ID:aWKt1P8M
>>762 おい、カス。
誰が、いつ「心配している」などと読める書き込みをしたか?
レス番あげてみろや。
勝手に妄想してんじゃねぇぞ。
いいか?俺が問うたのは
輪廻に関して一般的に生起される素朴な疑問
に対して仏教は説明体系を提示できるのか?
と言うことだ。誰がいつ心配したって?
妄想してんじゃねぇぞカス。
767 :
765 :2009/10/17(土) 17:04:39 ID:mmWfTTmV
>>〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために 分別世俗諦論理であーだこーだ罵りあっているおめーらのことを批判してるんだって、 判るよな?
都合の悪い質問はスルーだし どうしようもない邪見ですな。
>>768 修証義は素直に読むなと、いうことですか。
祖岳老師をも否定するんですか?
771 :
765 :2009/10/17(土) 17:12:36 ID:mmWfTTmV
訂正 × 時制度 〇 時制
>>770 >修証義は素直に読むなと、いうことですか。
素直というより「素読でよい」と、道元がわざわざ注釈を付けてますな。
正法眼蔵全九十五巻には、重要なもんと、そうでないもんがあって、
その見極めが肝心です。
ようするに、在家向けは素読で構わん。
これには教団と在家との経緯があって、
その延長線で書かれたもの。
773 :
亭白 :2009/10/17(土) 17:40:36 ID:W1BdBgeS
>>714 :机龍之介さん
>つまり布施波羅蜜多は、出家者が在家者に求めるもんで、
「布施すれば功徳がある」ってのは出家者の論理。
☆在家に限らず出家も布施波羅蜜多はあります。
>こういう大義(互助)で、布施を「在家者の自発性」に委ねるというもの。
☆無私の利他を思って自発で布施波羅蜜多の実践修行が大事ですね。
命令されて布施波羅蜜多しても功徳はありません。
>大乗になりますと、一般的には般若波羅蜜多ですね。
正式には「摩訶般若波羅蜜多」と言いまして、非常に優れた般若波羅蜜多。
という意味になる。
これは無料です(つまりロハです)
☆般若波羅蜜多は心の窓が開いて守護霊始め指導霊が智慧を授けるので、
菩薩から如来の智慧が湧くようになれば、高次元の霊存在の交流も盛
んになると般若波羅蜜多の実践することになっています。偉人の境涯
になる心境になります。
>金というのは、宗教と絡むと厄介になる。
最初は千円・二千円の単位でも・・・金の感覚が段々麻痺してくる。
この段階にきますと、もう手遅れですね。
十マン・二十マンは、アタリマエになってきますからね。
根こそぎ金を持ってかれて、
空をボンヤリ眺めていて、ッハっと気づく。
☆なるほどね。あなたも邪教に騙された経験があったのですね。
お気持ちは分かります。
私は幸福の科学の会員ですが、全然後悔はありません。
今世にて、最尊最高の再誕の仏陀のお役に立てるのですからありがたいことです。
無理の無い程度で、布施も無私の心で利他の発露でさせて頂いています。
もしかして祖岳老師をご存知ない? まさかね・・・ ウパニシャッドも釈尊在世の頃はカルマ=行為だったが 釈尊は明確にカルマ=意志と主張されたそうですね。 いろいろ調べるとヒンデゥーから仏教が輪廻の思想を 受け継いだという日本の学者は誤っているようです。 むしろ隠れ仏教徒を言われたシャンカラこそ 仏教をパクッタのでしょう。
曹洞宗宗務庁に電話して 輪廻を認めてるのかどうか 聞いてみましょうかね。
776 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 17:53:17 ID:sMctoaS7
>>757 三時不成は、輪廻に約せば、輪廻は縁已生法だから自性としては存在しない、ということです。
輪廻が縁已生法としてもありえません、という話ではありません。
この辺りは、『中論』以外の彼の諸論も読み込まないと、
『勝義空性経』を漢訳だけで誤読していたように、誤解する可能性が高くなるでしょう。
>ID:aWKt1P8M氏
>>1 「無駄な“荒廃”や議論の紛糾防止のため、皆様のご協力をお願いいたします。」
777 :
765 :2009/10/17(土) 17:59:59 ID:mmWfTTmV
>755 八不特に不生・不滅(勝義諦・空)からどうして来世(死後の世界)だとか輪廻が導かれうるのか、 その論理がさっぱり理解できない。
>>773 >☆般若波羅蜜多は心の窓が開いて守護霊始め指導霊が智慧を授けるので、
これは大間違いですよね。
般若波羅蜜多は空思想が骨格になってますから、
「霊」とかの形而上学的観念は捨置されます。
というか、こういうマヤカシの論を市井の人間に吹聴するのは、
大川自身が仏教とは全く関係なくて、
ただ仏教教説を利用してるだけです。
その根底には、信者の無知があります。
よく基本から仏教を学ぶことをお奨めします。
779 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:11:21 ID:aWKt1P8M
>>776 おい、ちょっとまで。
ここは仏教に関する質問スレだな?
だから、俺は輪廻に関する疑問点を提示した。
それに対して
>>745 が、バカなレスつけるから荒れたわけよ。
>>745 に対して何も言わず、俺だけに対して非難するのは何か意図があるのか?
780 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:18:04 ID:sMctoaS7
>>779 今回も「バカ」と発言しているが、複数の方に対して、
罵詈雑言を並べながら延々と粘着し現に「荒廃」させている。
781 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:21:47 ID:sMctoaS7
>>777 『六十頌如理論』19-20、『縁起心論』5偈と自註を御覧下さい。
>>757 >三時不成は、輪廻に約せば、
中論は約しようがないですね。
基本的に、相待の仮説において書かれたものでして、
これをどう約するのか?
(無理に約するのなら「無」しかない)
これは殆ど公案の部類ですね。
アタマに草履を乗せて逃げる他あるまい。
783 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:25:19 ID:aWKt1P8M
>>780 お前、俺のレスを始めから読み返してみろ。
俺は自分の書き込みに対して、真面目にレスを返してきた者には
其なりの対応をしている。くだらんレスを付けてきたものには当然、其に対応したレスを返す。
それだけのことだ。
784 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:27:29 ID:sMctoaS7
>>782 >中論は約しようがないですね。
「中論は」とは述べていません。「三時不成は」です。
他の諸論でも使用されているからです。やはり、他の諸論をまるで読んでいないようですね。
それでは、『勝義空性経』と同じ道をたどるでしょう。
>基本的に、相待の仮説において書かれたものでして、これをどう約するのか?
「相待の仮説」なる三枝訳語は、誤りだと中観Uスレで示したはずです。
785 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:30:01 ID:aWKt1P8M
>>780 複数のもの?
>>745 と「縁起バカ」のことか?
「縁起バカ」については、今回は一文を除き、それなりの回答を提示しているので、こちらとしても、無礼な対応はしていないつもりだが?
>>773 ロボトミー亭白
『メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに解き明かすであろう。
その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執着を乗り越えよ』(スッタニパータ1053)
ここから明らかなようにブッダの理法は「経験されうる理法」(=「一切」内:カラマ・スッタに言う「理性と経験」)を説かれる経験主義者だとわかる。
これを踏まえて、
>☆般若波羅蜜多は心の窓が開いて守護霊始め指導霊が智慧を授けるので、
>菩薩から如来の智慧が湧くようになれば、高次元の霊存在の交流も盛
>んになると般若波羅蜜多の実践することになっています。偉人の境涯
>になる心境になります。
『いま眼のあたり体得される』経験的に検証可能な方法で証明してください。
そうでなければゴータマ・ブッダの再誕だといえないでしょう。
また、業報輪廻転生論を前提とすれば、ゴータマ・ブッダは
輪廻から解脱していないことになります。
なぜゴータマ・ブッダは解脱者仏陀とよばれるのでしょうか。
解脱していない根拠を、
『いま眼のあたり体得される』経験的に検証可能な方法で証明してください。
787 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:32:43 ID:aWKt1P8M
788 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:37:39 ID:sMctoaS7
>>787 >お前自身が「縁起バカ」かい。
違いますよ。あの方に失礼ですよ。
そして、やはり、「お前」等と発言しながら
>>783 、
>>785 という具合に粘着し、
罵詈雑言を正当化しながら「荒廃」させる。
>>784 >「中論は」とは述べていません。「三時不成は」です。
そもそも中論は恒常の時制というのはない。
と書かれてまして、
(これが勝義諦)
しかしながら、我が生起したと同時に三時は発生する。
(これが世俗諦)
これを縁生・縁滅とするが、
勝義諦においては、縁生することもなく、縁滅することもない。
と、説かれてまして、
これを世俗諦にて還滅したのが「縁起の現観」であります。
どうか彼岸到達を祈念申し上げます。
790 :
セブン :2009/10/17(土) 18:50:01 ID:Yj3lLqwR
どっちもどっちだ。
荒廃させてるのは双方共にだ、馬鹿たれ。
自分達がどれだけレスを消費してきたか、遡ってみろ。
いいか、今の流れこそ、まさに、辞書通り「スレ違い」だ。
問いと答えは、
>>723 >>734 で一応の完結を見ている。
これ以上掘り下げるなら、他所へ行くか別スレ建てろ。ボケナス供。
791 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 18:51:37 ID:aWKt1P8M
>>788 違ったか?
荒廃させる?
俺は自分に対して付けられた、レスに対して、それなりのレスを返しているだけのこと。
真摯なレスには、こちらも真摯に応じている。
792 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 19:51:25 ID:5EM9iF/2
大昔の誰かが「輪廻転生」を説こうと、説くまいと、現代の生物学では絶対に 認められないのだから、廃止すべき概念。 カルト宗教が、「輪廻転生」という虚言で信者を脅迫し、金を奪うという被害 が多数発生している。明らかに公序良俗違反の概念だから、法律によってでも 禁止すべきもの。 佛教を、「脅迫」と「甘言」のカルト宗教に堕さしめてはならない。
793 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 20:07:24 ID:sMctoaS7
794 :
亭白 :2009/10/17(土) 22:58:32 ID:W1BdBgeS
>>778 :机龍之介さん
>般若波羅蜜多は空思想が骨格になってますから
「霊」とかの形而上学的観念は捨置されます。
☆般若波羅蜜多や空の思想は形而上学が入らないと意味なさないのです。
般若の智慧は何処から来るとお思いですか。般若の智慧を渡す存在が
いて、智慧が湧くと言います。 あなたこそ勘違いしています。
空の思想は執着を取るばかりではありません。
色即是空は、色は仮ものの肉体のことです。空は霊であります。
色の肉体だけでも生存できません。空の霊だけではあの世に行ってしま
います。色の肉体と空の霊が一つとなるとき肉体は歩いたり、食べたり
して生存できます。万物の働きもそうです。肉体は霊の乗り物であります。
肉体が死んだら肉体から霊が出てあの世の住人になります。
空は時間論です。存在に時間を与えられて、写真の世界から出てきて変
転して動きまわる状態になります。それが肉体だったり霊だったりしま
す。霊長類の人間は、悟ることが許されています。あの世からこの世に、
この世からあの世にと永遠に転生輪廻して進歩と調和の執着を断って限り
なく空の心境になれて、この世の知的分析的「識」からこの世の知から
離れ「般若」の智慧に至る可能性は大であります。般若の智慧の宝庫は
大如来や如来の存在の智慧に外なりません。
>こういうマヤカシの論を市井の人間に吹聴するのは、
大川自身が仏教とは全く関係なくて、ただ仏教教説を利用してるだけです。
☆飛んだ誤解です。
>その根底には、信者の無知があります。
よく基本から仏教を学ぶことをお奨めします。
☆机龍之介さんの方こそ再誕の仏陀大川隆法総裁の「釈迦の本心」の書籍を
読まれたら良いと思います。
795 :
神も仏も名無しさん :2009/10/17(土) 23:13:18 ID:5EM9iF/2
>>794 「霊」とは、英語では、"spirit"または"soul"。即ち、「人間の精神」の
こと。「霊」という言葉は、「人間を離れた幽霊」を想像させるからよくない。
「霊」と言う言葉は一切止めて、「人間の精神」という言葉を使用すること。
今度は言葉狩りだよ。 しかも上から目線で。ダメだな。
>>794 ロボトミー亭白
ここは仏教質問箱です。
>>786 の質問に直答してください。
大川隆法はいつ仏陀になったのですか?
だれが仏陀であることを検証しましたか?
その検証根拠を提示してください。
また、2500年前のゴータマ・シッダールタが仏陀であったのかどうかについての
検証根拠を開示してください。
「無記」(大爆笑)で逃げないでください。
そこまで自信を持って主張されるのですから、
検証成果の全面開示が当然でしょう。
なにしろ大川センセは衆議院議員選挙に立候補されたのですから、
「経歴詐称」は立派な公職選挙法違反です。
>>786 >>797 の質問にお答えになるのが当然の責務と存じ上げます。
そうでなければ、インチキ・カルト(犯罪団体)と連呼罵倒されても文句は言えません。
よろしこ。
799 :
696 :2009/10/18(日) 00:16:37 ID:4KBUzqqp
外出から帰ってみればw
お前ら、暇人だな。人の事はいえないがw
>>697 >滅諦ってのは生がなくなった状態だ。
おいおいw
死ぬ事が仏教の目的なのか?w
つまり、悟りを開くためには生がなくならないといけない=死なないと悟りを開けない=仏陀は悟りを開いてないって主張か?
あるいは、生がなくなった状態が滅諦=死ねば滅諦が成就する=死ねば悟れる=さっさと自殺しようぜ! という主張か?
どんだけトンデモ理論なんだwww
毎度思うんだが、輪廻を主張する方々は、毎度、「縁起だから、主体のない輪廻なんだ」と言う。
つまり、業の果を受けるのは、今世の記憶を持たない、別の肉体を持った存在。
なら、今苦しいなら、自殺すれば良いじゃないかw
自殺が悪業であっても、その悪果で苦しむのは、他人であって、自分自身は苦しまない。
やはり、輪廻を仮定すると、自殺の勧めにしかならないと思うんだが?w
ああ、「自分」が輪廻から抜け出せないで永遠に苦しむとか出だすんだろ?
でも、「輪廻は主体のない縁起で、無我とは矛盾しない」じゃなかったっけ?w
言って置くが、別に俺は自殺を勧めたいわけじゃないぞ?
自殺云々は、お前さん達の理屈に沿った場合の論理的帰結だ。
俺としては、輪廻を否定するので、寧ろ自殺は回避して、より良い生き方を模索して欲しい。
800 :
696 :2009/10/18(日) 00:19:27 ID:4KBUzqqp
>>701 >>703 どの辺が「その程度の理解」なのか、明示しろよw
いつもの決まり文句↓でおわらせるなw
「輪廻は縁起である」
「縁起を理解して無いから理解できない」
「和辻解釈だからだめなんだ」
「並川解釈だからだめなんだ」
「梵網経に反する」
「それは仏教じゃない」
<なぜダメなのか>、その内容を書かないと、全く反論になってないぞw
自分の言葉で書けよw
人の尻馬にのってると、「親亀こけたら皆こけた」になるぞw
801 :
696 :2009/10/18(日) 00:19:55 ID:4KBUzqqp
いい加減スレ違いなので、この辺でスレの趣旨に沿って、質問しとこう。 当たり前すぎて、誰も触れていないんだが、 なんで、悟ると、輪廻しなくなるの? そもそも、何で輪廻するの? その根拠は何なの? そもそも、ココをハッキリ主張してくれないから、俺は輪廻を信じられないんだ。 さあ、俺を納得させてくれ。 ちなみに、 「なんでその程度の理解で仏教に執着するかねえ。 」とか、 「縁起を理解して無いから理解できない」とか、 「原始経典に書いてあるから」とか、 「仏陀がそういってたから」とか、 「俺は超能力で直感したんだ!」とか、 「そういう和辻解釈だからダメなんだ」とかは無しでお願いするw
802 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 06:49:06 ID:yyElVVft
>>775 この宗教の世界というのは言葉で誤魔化して抽象化していくので、もっとハッキリ明確化すべきです。
つまり、問題視される部分とは「人間は死後に生まれ変わりしているのかどうか?」であり、仏教はそれ
を肯定して説くものなのかどうか、ということにあります。
仏教者というのは、すぐ転生といった言葉は本来の仏教言葉ではなく、すべては「縁起」として説くのだ
とか、正しくは「再生」といってるとか・・実に意味を分り難くしていくわけですよ。
そうではなくて、問題はキッパリと“人間の生まれ変わり”の是非のことです。
因みに、この私は数ヶ月前に日本の主だった中心的な宗旨宗派の18宗派の総本山に電話FAXでこれに
ついての宗派見解を問う質問をしています。数箇所、電話で問い合わせてみたところがどこも直接の電話
回答は応じられないようでした。つまり、返答できる立場の方が不在であったり、また重要な内容に相当す
るので誤解が招じては困るから、しっかり調べて確認した上で文章回答したいというものでした。それで改
めてFAXで質問状が欲しいという返答があったのです。
また、それはどこかの出版物に掲載されるのか?私がマスコミなのかどうか?などと、かなりの警戒心が
伺われました。
803 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 06:49:53 ID:yyElVVft
ということで、私はお寺側の事情を理解した上で、すべて改めてFAXにて質問状を送信したのです。しか
し、その結果は実に残念なものでした。つまり、返信があったのは僅かに1箇所だけだったからです。
その一通は、真摯に文献/経典からの根拠と引用付きで丁寧な解説をした返信FAXでしたから、素晴らし
い対処かと思われます。それは「浄土宗」からのものであり、教義の専門担当ということでこちらからの回答
でした(浄土宗総合研究所
http://www.jsri.jp/index.htm )
その回答は、人間はすべて輪廻転生を繰り返しており、輪廻による生まれ変わりは阿弥陀の救いによっ
て初めて離脱できる、というものでした。
他からは一切、“音信なし”だったのです。私には、「放っきゃ〜なんとかなる、無視が最善の対処」という
発想ではないかと思われましたね。なんと自信を以って、堂々と回答を明言できる姿勢がないのですね!
あと、禅系黄檗宗の総本山からは、途中から電話の替った高僧らしき人物が語気を荒立たせたような大声
で、「ない!!」と明確に豪語w
804 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 10:59:23 ID:yjZCZBmY
>>794 >般若の智慧は何処から来るとお思いですか。般若の智慧を渡す存在が
> いて、智慧が湧くと言います。 あなたこそ勘違いしています
そうですか。
大川総裁も上手いこと言いますね。
では大川総裁から智慧を受けて、般若波羅蜜多を完成してください。
つうか、
大川氏の教義には驚嘆することばかりですね。
>仏陀大川隆法総裁の「釈迦の本心」の書籍を
> 読まれたら良いと思います。
大川氏の本は読んだことがあります。
大川氏が一大ブームになったことがありまして、
書店の平積みが、大川氏一色になったことがございます。
私はこれを、一過性の宗教ブームと捉えておったのですが、
現状を鑑みますと・・・そうでもないようですね。
私の地域では、幸福の科学の殿堂が
夜になりますと、スポットライトに照らされて燦然と輝いております。
まるで、かのテーマパークに逝ったような錯覚に陥ります。
不景気な世の中でありますが、
この一角だけは景気が良いようです^m^
805 :
閻魔大王 :2009/10/18(日) 12:41:21 ID:9+Y77d/8
>>803 >途中から電話の替った高僧らしき人物が語気を荒立たせたような大声
>で、「ない!!」と明確に豪語w
ドあほ!!!
喝〜〜〜つッ!!!!
その意味がわかっているのか?相手は禅僧だぞ。
wなどとふざけて書き込みをしている場合ではない、
と気がつけばやっと仏教の端緒まできたと言っていい。
おまえは落第だ。おまえのすべてがナンセンスだ。
クズが!!
*『無門関』第一則 「趙州無字」:「犬にも仏性はあるか」に対し、「無」と答えた
*宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk「人間は死後に生まれ変わりしているのかどうか?」
に対し、「ない!!」
みごとな返答だ。
この公案を解いてみろ。
806 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 12:50:10 ID:yjZCZBmY
>>801 >なんで、悟ると、輪廻しなくなるの?
>そもそも、何で輪廻するの?
>その根拠は何なの?
根拠は人それぞれですが、
私の場合は空思想が根拠になっております。
空思想の根本義は中論でありますが、
この中論もいろいろあるようで、輪廻を肯定しているという解釈もあるようです。
そもそも中論は演繹法で書かれてまして、帰納法ではありません。
つまり、いくら考え抜いたって・・・そこから解明されるもんでもない。
例えば、無自性・空なら、
そもそも縁生することはない。→自性なら有り得る。
しかし中論においては、堂々と縁生(生起)のことが記してある。
これを貴殿は理解できるでしょうか?
また、無自性・空で「縁生」になんら論理的矛盾はないのでしょうか?
つまり言語で、中論はギリギリの限界で論理の整合性を保ってる。
もはや原義がどうなんか?とか、それをどう訳するのか?
ってよりも、
そもそも世俗諦で正邪を付けるものでもない。
あくまでも勝義諦よりの演繹でしか意味はなさない。
ここまで到達しまして、やっと輪廻も解せるようになるかと思います。
ご理解できましたでしょうか?
807 :
上記と別人の大王w :2009/10/18(日) 12:51:03 ID:A9s8rZ4d
似たコテで禅の話をやられるとたまらんわwwwww 机龍之介は幸福オナニーの科学の妄信者に餌をやり過ぎ、 禅をやっているつもりなら、屁理屈相手せずぶち殺ししてやればいいものを 話の餌やり過ぎだ、仏教的視点の指摘もしないから、奴の妄想増えて垂れ流しするばかり、 机龍之介の禅の程度も低いなあw
808 :
上記と別人の大王w :2009/10/18(日) 12:53:21 ID:A9s8rZ4d
書き込む気が失せるようにぶち殺しのやり方w 722 :魔境亭白の現実喪失オナニー幸福wの証明:2009/10/17(土) 10:41:39 ID:Fdiy89MV まあ、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの滑稽さは、 無宗教的、相対論的に考えれば、明確、 日本で無い、アマゾンの原住民世界で仮に生まれて、それ以外のヨーロッパ社会でもいいが、 生まれた最初に見る子供の世界から見れば、 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界など何処にもないw、 普通の感覚で、日本以外で生まれた子供が 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界よって認識しているのだろうか? まだ、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界の霊的認識よって捨てられたw 仏陀の本意、基本である、ありのままに見る、現実主義の方がどの世界でも普遍的に通じる。
809 :
上記と別人の大王w :2009/10/18(日) 13:05:57 ID:A9s8rZ4d
書き込む気が失せるようにぶち殺しのやり方w 仏陀の本意、基本である、ありのままに見る、(これが八正道の正見) 、現実主義を放棄し 過去の仏教文献を無視し、 思いつき低級霊的四流霊媒感覚の大川アホりゅうほうのお言葉を妄信し、 大川四流霊媒主義は、魔境と言われる、仏教において。 霊的認識と言う魔境、故に、国師、総裁とか言う地位を好む四流霊媒師大川アホりゅうほう。 下記の魔境に喜ぶ姿w 亭白の脳に快楽物質を与えてくれるあああああーーー「えるかんたーれ」エクスタシー 選択が真理と言う 現実喪失し、もだえる亭白と射出する亭白白液書き込みw を繰り返す
>>805 いや、マジで黄檗宗は輪廻を認めてないらしいぞ。
あと真宗な。
自分で自分に喝と棒をいれることだな。
棒は変なとこに入れるなよ。 キモイからな。
812 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 13:24:13 ID:yyElVVft
>>805 はぁ.実にクダラナイ。
「落第」の言葉はそっくり、あなたやこの高僧にお返ししますよ。
輪廻を説かない仏教(仏典)などはどこにもないから!あるなら根拠を出しなさいな。
最近、このスレで輪廻についての解説を繰り返した縁起バカ一代氏に100%、激しく同意する !!
私から見てもあの方の理解と解説こそが、間違いなく正当な伝統教理であることを保証する。
>なんで、悟ると、輪廻しなくなるの?
>そもそも、何で輪廻するの?
>その根拠は何なの?
>>801 それは無明に陥っているからです。
その根源的な原因は「渇愛」(タンハー)といわれている。
「生(存)」に対する生命本能的な執着心ではないかと、私は理解しています。
これが在る限りは「生」は止まない、とゴータマはいっているのです。
私は“悟り”などといった漠然表現を使いません。
それは、原因であるところの渇愛意識の消滅に他ならない。
涅槃境地における「滅」とはこのこと。
813 :
777 :2009/10/18(日) 13:28:01 ID:9+Y77d/8
>>781 >『六十頌如理論』19-20、『縁起心論』5偈と自註を御覧下さい。
>・あれやこれに依存して生起したものは、自性をもって生起したのではない。(六十頌如理論 19)
⇒ 不生の謂いだわな
>・原因の滅することによる静寂が「滅尽」といわれている。
> しかし、実体として(prakrtya)滅尽しないものがどうして滅尽すると言えるであろうか。(六十頌如理論 20)
⇒不滅の謂いだわな
これでは> 来世(死後の世界)だとか輪廻が導かれうるのか、
>その論理がさっぱり理解できない。(
>>777 )
あと、探したが、『縁起心論』5偈と自註 とやらが見つからん。
わるいが、教えてもらえんだろうか?
814 :
閻魔大王 :2009/10/18(日) 13:41:22 ID:9+Y77d/8
>>812 >はぁ.実にクダラナイ。
俺は公案を解いてみろ、と言っている。
おまえは世俗諦言語論理の世界というタコツボにへばりついているいる
俗物タコにしか過ぎん。
仏典はすべて世俗諦言語論理での方便にしかすぎない。
誤解を怖れずいえば、
最近ブッダは原理主義者ではなく、機能主義者だと腑に落ちたよ。
一般仏教徒が考えるより、ずっと大人だ。
で、宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk は仏典原理主義・概念主義者だということだ。
これでは法はみえんだろうということも確信したよ。
815 :
エロい仏陀w :2009/10/18(日) 13:46:45 ID:4hYoxgoB
200 :ファルコン ◆7XmPtxANMU :2007/06/12(火) 01:52:21 ID:mDi+uu42
【ファルコン告発による大川隆法の女性問題】
・ 大川は現広報局長の山田美星が職員饗庭との結婚を望んでいたにも関わらずこれを無理
やり別れさせた上、山田美星を愛人にした。
・ 大川は女性職員A子と職員須呂との結婚にも反対し、やはり無理やり別れさせた(事実
として確定)。
・ 大川は家庭内別居をした際、宇都宮仏宝館の3階に居住した。妻きょう子は2階に居住。
山田美星はここで肉体関係を持ったと告白。
・ さらに、大川が家出をし、軽井沢の別荘に篭った際にも、山田美星と大川は不倫をして
いる。これは目撃談あり。
・ 軽井沢では大川夫妻が旧A棟に篭ると、不寝番の女性が必ず旧A棟に一人ついた。つま
り家出をして大川が一人でやってくると、「夜中に若い女性と2人だけ」で旧A棟(一般
民家と同じ)で過ごしていた。これだけでも非常識な話。
・ ここで受け入れた女性と、逃げた女性、口を閉ざして誰にも話をしなくなった女性と主
に3種類のタイプに別れる。
・大川は女性職員に「君は僕の子供を産む事になっている」と迫っている。
・従って大川に隠し子情報が出てくるのも不自然でも何でもない。
大川に隠し子がいるという情報あり。ただし母親は未確定。
・ 変死を遂げた元幹部の真杉氏は、大川の愛人の存在(山田美星より前)を周囲に語って
左遷され、結局職員を解雇された。
・ 大川は軽井沢で「セックスは天国で光を入れるのと同じ」というセックス教義を女性職
員達に語っていた。
・山田美星は「先生は性欲の抑えが効かなくなって・・・」とファルコンに嘆いていた。
大川はきょう子との別居時、女性職員とすぐに二人きりになろうとしていて、女性職員
達が怖がっていたと山田美星は嘆いていた。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/life8.2ch.net/psy/kako/1181/11814/1181456526.dat
816 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 13:55:21 ID:yyElVVft
817 :
閻魔大王 :2009/10/18(日) 14:25:48 ID:9+Y77d/8
>>816 そのお姿は、バラモン教の教義及び修行体系「苦行」のナンセンスさを
全否定し、悟られる直前をイメージした工芸品だ。
⇒中道への改悟とその深耕へ
>真の仏教者とは
>仏典の記述と矛盾しない実体験を実際の自己の修行によって実体験し、
>その(仏典の)正しさを確認していくのです。
まず、なにが真の「仏典」であるか、経験主義的に検証・証明せよ。
コーンダンニャは何故にあのような短期間で「悟った!」のか説明せよ。
たしか以前、
削除→たしか以前、 >仏典に逆らったことを説いて、何が公案なのか *『無門関』第一則 「趙州無字」:「犬にも仏性はあるか」に対し、「無」と答えた *宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk「人間は死後に生まれ変わりしているのかどうか?」 に対し、「ない!!」 この問いのどこが仏典に逆らっているのか、説明してくれ。
>>816 訂正 すまぬ
× この問いのどこが仏典に逆らっているのか
〇 この問いのどこがどの(真の)仏典とやらに逆らっているのか
俺はアホだから、よーわからん。
虚無の会をなすことなかれ、有無の会をなすことなかれ
821 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 16:24:47 ID:yjZCZBmY
>>781 >『六十頌如理論』19-20、『縁起心論』5偈と自註を御覧下さい。
>>・あれやこれに依存して生起したものは、自性をもって生起したのではない。(六十頌如理論 19)
>> しかし、実体として(prakrtya)滅尽しないものがどうして滅尽すると言えるであろうか。(六十頌如理論 20)
これ↑のことを逝っておるのか?
とんだ中論解釈だなw
どこに輪廻が書いてある?
説明してみな。
822 :
696 :2009/10/18(日) 16:25:38 ID:4KBUzqqp
>>806 え〜と、
「空思想を突き詰めると、輪廻は論理的に矛盾するけど、中論に書いてあるから輪廻は有る。
理解できないのは、世俗諦で考えてるからで、勝義諦で考えれば理解できる」と言いたいので?
色々書いてますが、ざっくり要約すると、「勝義諦だから論理的には説明できない」って事ですか?
禁止ワードに抜けてましたが、「勝義諦」と言う概念も、今ひとつ理解できないんですが。
いつも突き詰めていくと、「勝義諦だから」で議論が終わるんですよね。
結局、議論に何の意味もなくなる。
>>812 結局「ゴータマが言ったから」ですか…。
なんで、「「生(存)」に対する生命本能的執着心があると、輪廻転生するのか?」が知りたいんです。
悟りと言う言葉が嫌いなようなので質問しなおしますが、
「なんで、渇愛意識が消滅すると、輪廻しなくなるんですか?
そもそも、渇愛意識があると、なんで輪廻するんですか?
その根拠は何なのですか?」
また「仏陀が言ったから」と言うのは止めて下さいね。
結局、「神が言ったから、天国はあるんだ!」と同レベルの議論しか無いんですか?
皆様、こんな基本的な事もハッキリと説明できないのに、輪廻を主張してたんですか?
823 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 16:32:01 ID:yjZCZBmY
>>・あれやこれに依存して生起したものは、自性をもって生起したのではない。(六十頌如理論 19) >> しかし、実体として(prakrtya)滅尽しないものがどうして滅尽すると言えるであろうか。(六十頌如理論 20 これの解説です。 無自性・空であるから、そもそも生起することはない(不生) しかしながら仮説として(想定として)生起するが、それは即生滅と解釈。 解釈は非常に単純明快!
824 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 16:51:36 ID:yjZCZBmY
>>822 >中論に書いてあるから輪廻は有る。
中論には輪廻のことは書いてないですよ。
>「勝義諦だから論理的には説明できない」って事ですか?
そもそも中論というのは、勝義諦を言語慣習(つまり世俗慣習)において書き記されたもんです。
だから縁生・縁滅にしても「無自性」だから説明にも一応は無理がある。
それを言辞とおりに解釈しても・・・勝義諦には届かない。ってことです。
有部あたりに「無自性じゃ縁生しようがない!」とか、いくらでも突っ込める要素はある。
だからあえて龍樹は
>>・あれやこれに依存して生起したものは、自性をもって生起したのではない。(六十頌如理論 19)
というように、わざわざ断わりを入れてるじゃないですか?
(この龍樹の本意ってのが分らんと、中論解釈もdでもになる)
825 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 17:16:28 ID:yjZCZBmY
>>822 >「勝義諦」と言う概念も、今ひとつ理解できないんですが。
単純に言えば、勝義諦というのは一元論ですね。
世俗諦というのは二元論です。
これも本義はそうじゃなくて、
一元論でもなく、二元論でもないのが仏教ですね。
826 :
696 :2009/10/18(日) 17:30:32 ID:4KBUzqqp
>>824 >中論には輪廻のことは書いてないですよ。
>>806 の、
>>この中論もいろいろあるようで、輪廻を肯定しているという解釈もあるようです。
>>しかし中論においては、堂々と縁生(生起)のことが記してある。
と言う部分が、中論を根拠に輪廻を説明してるように読めたんですがね…
中論が輪廻の根拠で無いとすると、何で引用したんです?
そもそも、「勝義諦」 を、「言語論理を超越した真理」という意味で使用してますよね?
そうすると、
>そもそも中論というのは、勝義諦を言語慣習(つまり世俗慣習)において書き記されたもんです。
>それを言辞とおりに解釈しても・・・勝義諦には届かない。ってことです。
と言う一文は、中論は、超感覚による体感を根拠に、全てを論理展開したものだから、
超感覚による体感を鵜呑みにしないと、中論の全ての論理は崩壊する。
よって、龍樹の言う事を信じるしかないって意味になりますよね?
それから、何度も言いますが、「勝義諦」という言葉を使わないで解説できませんか?
結局、「論理を超越した感覚が根拠なんで、言語では理解できない」=「俺は超能力で直感したから、輪廻はあるんだ!」という主張なんですか?
あるいは、「龍樹が論理を超越したものを論理的に書こうとした結果、輪廻はあると解釈できるような事を書いているから、輪廻はある」という主張なんですか?
>>825 解説になってないですよw
私は頭が悪いんで、「この物体は何ですか?→『べろべるぐきょ〜』です」みたいな事を言われても困ります。
827 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 17:56:08 ID:yjZCZBmY
>>826 >中論を根拠に輪廻を説明してるように読めたんですがね…
>中論が輪廻の根拠で無いとすると、何で引用したんです?
私は輪廻否定派です。
最近分かったのですが、中論を根拠に輪廻肯定をする者がスレを立ちあげました。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1254219116/l50 その流れからのレスポンスです。
>超感覚による体感を鵜呑みにしないと、中論の全ての論理は崩壊する。
>よって、龍樹の言う事を信じるしかないって意味になりますよね?
いや、そういうことでなないです。
簡単に言いますと、仏教は一如の法門ですから、これを説明するには言語というのは不自由なんですよ。
言語というのは、そもそも相対概念で意味を持ちますからね。
相対概念を「迷い」とする仏教において、
相対の象徴たる言語で説明するのは、いたって難儀する。ってこってすw
これを信解了解したうえでの論理が勝義諦となりますけど、
基本的には、このコンセンサスがあって・・・中論は読まれるべきと思います。
>「俺は超能力で直感したから、輪廻はあるんだ!」という主張なんですか?
これとは全く違いますね。
>>827 横レスだが、中論の著者、龍樹菩薩は、断見など主張しておらぬよ。
常・断の二見を超えたものが、中なのだが。きみなどを、一知半解の徒というのだよ。
龍樹菩薩の宝行王正論や、勧誡王頌(輪廻はここに詳しい)を学び、一知半解を埋めて欲しい。
常・断の二見を超えたものが、仏教。2chとはいえ、間違いを声高に叫ばぬが、肝心。
>>828 「私は輪廻否定派です」。
と書いてあるとおり、断見というのは中論から導き出されたものではなく、
私の私見です。
>龍樹菩薩の宝行王正論や、勧誡王頌(輪廻はここに詳しい)を学び、一知半解を埋めて欲しい。
ほらほら、貴殿がいうように
断見・常見を越えたら輪廻はないだろ?
非有非無。
「有る」ということはない。
830 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 20:17:30 ID:FUBQQSGw
>>814 >仏典はすべて世俗諦言語論理での方便にしかすぎない。
これはその通りだが。その世俗の言語習慣を用いて説いた解脱、
あるいは悟りへの道、その道は、言語習慣の中で整合性がある。
この整合性の中で輪廻・業は必要とされる。
言語習慣の中で妄想かどうかは、対象作用があるかないかで決定される。
この対象作用という言葉は、ダルマキールティが術語化したものだが、
言葉はなくても意味は釈尊以来と思われる。
要するに言葉の指示対象が、言語習慣の意味に一致した機能、作用があるかないかということだ。
例えば、眼と言った場合、言語習慣で指示される顔にあって、
視覚をもたらすものを指し、その通りに指示対象も把握できる。
ところがアートマンは感受できない。どんな体験もそれは別の感受の勘違いだと釈尊は『梵網経』で言っている。
輪廻・業は、あらゆる仏教で対象作用があると説かれる。
ダルマキールティ以降は、輪廻の論証ということが盛んになった。
簡潔な論証は梶山雄一訳『論理のことば』にみられる。
*「輪廻には涅槃との区別はいささかもない。また涅槃にも輪廻との区別は何もない」〔中論 25・19〕 *「また、涅槃の極限と輪廻の極限とは同じであって、この両者のあいだには、たとえごく微細なものであっても、いささかの区別も存在しない」〔中論 25・20〕 愚かな人たちの認識が及ばない極限の本性は、両者(輪廻と涅槃)とも不生起であるから実体として生起することがなく、 それゆえ輪廻と涅槃は一つである。 したがって、涅槃と異ならないから、依存関係による生起をまた法といい、それを見る人は涅槃も見るから、 だれであろうと依存関係による生起を見る者は法を見るのである。 法の本性と尊き師仏陀とは異ならないから、それを見る者は仏陀を見るのである。 結局、論者の言うようないわゆる業報輪廻転生論なるものはなんら説かれてはいない。
832 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 20:46:15 ID:FUBQQSGw
>>821 「とんだ中論解釈」はお前だろ。机、いい加減に適当な法螺は止めるこった。
中論に輪廻が書かれていることが読めないとは。以下
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/27.html 及び『中論頌』26章は以下は輪廻以外のなにものでもないだろ。
衆生は、癡に覆われ、後のために三行を起す。
是の行を起すを以ての故に、行に隨つて六趣に堕す。
諸行の因縁を以て、識は六道の身を受け、
識着あるを以ての故に、名色を増長す。
名色増長するが故に、因て六入を生じ、
情塵識和合して、六觸を生じ、
六觸に因る故に、即ち三受を生じ、
三受を以ての故に、渇愛を生じ、
愛に因りて四取あり、取に因る故に有あり。
若し取者が取せずんば、則ち解脱して有なし。
有より生あり、生より老死あり。
老死による故に憂悲の諸苦惱あり。
是の如き等の諸事、皆生よりあり。
但だ是の因縁を以て、大苦陰を集む。
是れ謂く生死、諸行の根本たり。
無明者の造るところ、智者の爲さざるところなり。
是の事滅するを以ての故に、是の事、則ち生ぜず。
但だ是の苦陰聚は、是の如くして正しく滅す。
>>832 >及び『中論頌』26章は以下は輪廻以外のなにものでもないだろ。
読んでみたが、これは縁起の連関ですね。
つまり縁起の連続性を説いてるもん。
輪廻には全く関係なし。
では、おやすみ。
834 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 20:54:15 ID:FUBQQSGw
>151 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2009/10/18(日)
>例えば、無自生・空なら、
>そもそも縁生することはない。→自性なら有り得る。
>しかし中論においては、堂々と縁生(生起)のことが記してある。
>これを貴殿は「精読」して理解できるんでしょうか?
あっちでこんなこといって、
>155 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/10/18(日) 09:41:49 ID: FUBQQSGw
>全く逆。なにも分かってない。縁起というのは実体、自性があったら縁起にならない。
>それがお前が
>>72 引用した24.18の意味に他ならない。
誤りを上のように指摘されたら、
>>823 >これの解説です。
>無自性・空であるから、そもそも生起することはない(不生)
>しかしながら仮説として(想定として)生起するが、それは即生滅と解釈。
さっそく意味もわからず自分で分かってるように解説かw
また、なにもわかってなんだから、偉そうに語るなっつの
>>832 ついつい、いつものハッタリを効かす悪い癖が出たなw
これを仏教坊主のたとえで大袈裟という。
m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー!!
どアッフォ!
837 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:01:03 ID:75Njf4OX
確かに釈迦の時代は人生は苦だったかもしれないが、今は結構楽しいじゃないか。 仏教は時代にあわないのじゃないか。 結局、仏教とは厭世主義なわけでしょ。 生きることが楽しくならない宗教は変だと思う。
838 :
831 :2009/10/18(日) 21:02:33 ID:9+Y77d/8
>>830 >>832 煩悩即菩提⇒
>>831 m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー!!
どアッフォ!
839 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:03:53 ID:FUBQQSGw
>>833 生死ってのは輪廻の別訳で、原語はサムサーラなんだがな。
どうよんでも十二縁起で輪廻することが説かれてるだろ。
少なくとも『明句論』もそう解釈してるぞ。
そしてその解釈は『因縁心論』の輪廻、縁起解釈に一致し、
『勝義空性経』に一致するんだがな。
もう、読んだことないって告白したらどうだ。
>>834 >>全く逆。なにも分かってない。縁起というのは実体、自性があったら縁起にならない。
自性があったら縁起にはならない。
じゃなくて、
そもそも縁起というのは、自性と仮説されたものを生起として、
その生起を否定する意においての生滅ってことで論を立ててるんです。
それは何故かと言いますと、
対象化されたものが縁起するのではなく、
関係性としての縁起であるから、生起しようがないもんを
あえて生起として即生滅です。
841 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:06:51 ID:FUBQQSGw
>>835-836 なんも分かってないぞ。
勝義と世俗をごっちゃにして適当に自分の思い込みで説いてるだけだ。
それで分かったつもりなのが、哀れというかw
>>839 >どうよんでも十二縁起で輪廻することが説かれてるだろ。
輪廻じゃなくて、現世のことが書かれている。
まあ、つまり人生について書かれたもん。
843 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:09:40 ID:FUBQQSGw
>>840 おやおや。以下とは見解が変わったな。
縁起が無自性でないと縁起できないことは分かったのか?
>>834 >>151 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2009/10/18(日)
>>例えば、無自生・空なら、
>>そもそも縁生することはない。→自性なら有り得る。
>>しかし中論においては、堂々と縁生(生起)のことが記してある。
>>829 >断見・常見を越えたら輪廻はないだろ?
非有非無。
「有る」ということはない。
非有非無は、空とは、有でも無でもないとの意。而二不二。きみなどを、一知半解の徒というのだよ。
龍樹菩薩の宝行王正論や、勧誡王頌(輪廻はここに詳しい)、中論を正しく学び、一知半解を埋めて欲しい。
常・断の二見を超えたものが、仏教。2chとはいえ、間違いを声高に叫ばぬが、肝心。
>私の私見です。
仏教ではなく、机教ということかね
845 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:15:41 ID:FUBQQSGw
846 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:18:08 ID:FUBQQSGw
>>844 その通り。机はなんどその適当さを指摘しても時間がたつと素知らぬ顔で
同じこと書くからね。タチがわるいや
>>843 >おやおや。以下とは見解が変わったな。
>縁起が無自性でないと縁起できないことは分かったのか?
そもそも貴殿は縁起ってのを分ってない。
まあ、それはいいとしても、
中論において輪廻が書かれてる文献を出してみそ。
私が吟味するから。
>>844 >龍樹菩薩の宝行王正論や、勧誡王頌(輪廻はここに詳しい)、中論を正しく学び、一知半解を埋めて欲しい。
だから、龍樹が輪廻を説いてるんなら、
その文献を提示して頂きたいですw
だから、お前ら、いいかげんにしろよ。 スレタイとテンプレを百億回読み直せ! お前らの辞書には、「反省」「自重」「場の尊重」ってのは無いのか? 何度注意されりゃ分るんだよ。 鳥頭か? 3歩ならぬ3レス過ぎたら忘れちまうのか? そんな脳味噌でよく仏典が読めるもんだw お前らが、どんなに正しいことを正確に語ってても、クズの発言に変わりはない。 人間呼ばわりしたくねーよ。クズ、カス、ゴミは失せろ。
>>837 多分誰も君を相手にはしないだろうから
不詳この私が相手をしてあげよう。
不感症の来る所ではない。以上
>>848 >龍樹菩薩の宝行王正論や、勧誡王頌(輪廻はここに詳しい)、中論を正しく学び、一知半解を埋めて欲しい。
勧誡王頌(輪廻はここに詳しい)と。
日本語で記してあるのだが。
>>849 そのとおり、ですね。
わたしは、これにて、失礼いたしますorz
853 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:35:40 ID:75Njf4OX
とても仏教を信じているとは思えない口汚いやりとり。 宗教を信じても人間の本性は変わらないのですね。
854 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:39:04 ID:IgKG+noY
う〜〜〜ん、困ったね。これでは、いつかセブンが血管切れて倒れるね(笑) やはり、議論OKのスレを立てる必要がないかな? ある程度テーマに柔軟性をもたせたやつを。 どうかね?
855 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 21:40:03 ID:FUBQQSGw
>>849 そうなんだが、机があまりに酷い説を垂れ流しするから、叩かんといかんだろ
>>847 だから中論26.8だ 原語はサムサーラ、輪廻だ。
しかも、文脈からきっちり肯定してることがわかる。
『明句』も支持している。
論争になるのはまぁしょうがないとして、
もうちょっと言葉を選んでできないもんですかね
仏教学んでる人全体が誤解されかねないですし
>>853 みたいな感じで
857 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 22:07:04 ID:FUBQQSGw
858 :
696 :2009/10/18(日) 22:12:54 ID:4KBUzqqp
>>827 輪廻否定の文章だったんですかw
全然理解できませんでした。
で、結局、言語で説明不可能なものを前提とした、演繹が中論であるから、
言語では説明不可能であると言う事なんですね…。
>>830 >これはその通りだが。その世俗の言語習慣を用いて説いた解脱、
>あるいは悟りへの道、その道は、言語習慣の中で整合性がある。
>この整合性の中で輪廻・業は必要とされる。
>言語習慣の中で妄想かどうかは、対象作用があるかないかで決定される。
>輪廻・業は、あらゆる仏教で対象作用があると説かれる。
え〜と?
「論理に整合性を持たせる為に、輪廻・業があることにしないといけないから、輪廻は存在する」と言う主張に読めるんですが?
ぜんぜん、「輪廻が存在すると言う根拠」の説明になってないですよね?
>>832 >愛に因りて四取あり、取に因る故に有あり。
>若し取者が取せずんば、則ち解脱して有なし。
ここが論拠のようですが、意味がさっぱりですw
むしろ、
>>833 が指摘しているように、現世内での十二因縁の説明に読めるんですけどね…。
まあ、ここが輪廻を示しているとして、あなたの主張は結局、
「中論に書いてあるから、輪廻は有るんだ」と言う主張ですか?
859 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 22:19:09 ID:FUBQQSGw
>>858 私は、テキスト内、仏教体系内での論理しか説きません。
つまり、テキスト内にはこう説かれているということだけ。
その文は、たしか貴方あてではありませんよね。
貴方の質問に私は答えられません。
はじめまして。みなさんは、大日如来とか、阿弥陀如来とかが実在すると信じているのですか?
861 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 22:23:17 ID:FUBQQSGw
>>860 仏教だと何も実在しません。縁起・空です。
大日如来も空、ただし働き、加持は縁起すると思います。
862 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 22:28:11 ID:75Njf4OX
>>860 少なくとも仏陀はそんなもの実在するとは考えていなかったでしょう。
私も実在するとは思いません。
863 :
860 :2009/10/18(日) 22:31:15 ID:jJJk9MdK
ありがとうございます。 真言宗の知人から光明真言を唱えるように勧められたのですが、信じてもいない大日如来により頼むという行為にどうしても違和感を感じてしまいます。 真言宗の方達は、やはり大日如来の存在を信じているのでしょうか? それとも、大日如来の存在そのものにあまり重点は無く、宇宙の真理に何らかの期待をしつつ、自分自身が叡智を求めてひたすら精進することの方に意味があるのでしょうか? 不勉強なので、はなはだ幼稚な質問かもしれませんが・・・。
864 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 22:39:11 ID:FUBQQSGw
>>863 現代真言宗や真宗の多くの人は、ブラフマンや絶対神みたいなかんじで法身を考えているようですが、
それは誤解で、本来、法身仏も空です。
信じてない光明真言を唱えても効果は少ないでしょう。
それよりもご自身が信じられることをやった方がいいと思います。
865 :
860 :2009/10/18(日) 23:07:09 ID:jJJk9MdK
>>864 ありがとうございます。
理解力が乏しくて申し訳ないのですが・・
>信じてない光明真言を唱えても効果は少ないでしょう。
もしも大日如来が実在しないならば、信じていても信じていなくても光明真言を唱えることに効果は無いのではないか、と思ってしまいます。
>>861 さんのコメントの「大日如来も空、ただし働き、加持は縁起すると思います。」とも関連するかと思います。
実在しない仏に願う、ということがよく理解できずにいます・・・。
866 :
831 :2009/10/18(日) 23:17:31 ID:9+Y77d/8
>>855 >だから中論26.8だ
『その生存はすなわち五つの構成要素(五陰)である。生存から<生>が生ずる。
老死、苦等、憂、悲、悩、失望―これらは<生>から生ずる。このようにして、
この単〔に妄想のみ〕なる苦しみのあつまり(苦陰)が生じるのである。』(中論26.8-9)
この文言のどこが業報輪廻肯定やねん。十二縁起の説明だけやないか。
陰険なハッタリかますのはええかげんにさらせ!
だから、クソ坊主はしろーと相手のこけおどし、はったり大袈裟連中と
歌舞伎でも馬鹿にされてきて『葬式仏教』と揶揄されている。
867 :
831 :2009/10/18(日) 23:20:00 ID:9+Y77d/8
>>845 >『中論』27.3でも輪廻が前提になっている。
中論第27章はおまえらみたいな妄想業報輪廻転生論を完全批判論破しているんだよ!
以下と同趣旨で、おまえらは逆に龍樹に完全論破されている。
『ビクたちよ、これらのうちで、かれらシャモン・バラモンたちは、
過去の限界(過去世)について考察し、未来の限界(未来世)について考察し、
過去の限界と未来の限界とについて考察し、過去の限界と未来の限界とについて見解をもち、
六十二の根拠により、過去の限界と未来の限界とに関して種々の浮説を主張するが、、
それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、
〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために
おののき狂躁したものにすぎない。』<『梵網経』>
さあ、明日は仕事、寝るぞ。
868 :
831 :2009/10/18(日) 23:29:18 ID:9+Y77d/8
〔真実を〕知っておらず,〔真実を〕見ていないシャモン・バカモンたちよ、 君たちは、渇愛に陥っているためにおののき狂躁しているにすぎない。 おやすみ
869 :
白蓮 :2009/10/18(日) 23:35:49 ID:QiK1WTSr
>>804 :机龍之介さん
>大川総裁から智慧を受けて、般若波羅蜜多を完成してください。
☆ありがとうございます。
>大川氏の教義には驚嘆することばかりですね。
☆本仏ですから、
>大川氏の本は読んだことがあります。
大川氏が一大ブームになったことがありまして、書店の平積みが、大川氏一色
になったことがございます。
☆そうでしたか。真理の光を心に灯すためにも、これからも読まれることをお
勧めします。
>私はこれを、一過性の宗教ブームと捉えておったのですが、現状を鑑みますと・・・そうでもないようですね。
☆その通りですね。
>私の地域では、幸福の科学の殿堂が夜になりますと、スポットライトに照らさ
れて燦然と輝いております。
まるで、かのテーマパークに逝ったような錯覚に陥ります。
不景気な世の中でありますが、この一角だけは景気が良いようです^m^
☆精舎の建物も伝道になっています。都道府県や世界の都市に精舎を建設して、
天使が降りる光の磁場づくりが、何より大事です。そこから光を心に入れて
日本中に世界中に、仏の子人間が永遠の生命で転生輪廻し、この世からあの
世を貫く幸福の霊的人生観を伝道して愛から発展の全世界ユートピア建の成
就を目指しています。
映画「仏陀再誕」の登場人物に謎の美少女天河小夜子のお父さんの考え方に
に似ている所があり、「あれ、机さんにソックリだ゛」と思いました。
アニメ映画ですが、東映系で上映しています。映画「仏陀再誕」の観賞しま
すと感動します。良ければ机さんのソックリさんに会えますよ。
870 :
白蓮 :2009/10/18(日) 23:52:30 ID:QiK1WTSr
>>869 :机龍之介さん 失礼しました。
ネームの白蓮を亭白に直し忘れました。
871 :
神も仏も名無しさん :2009/10/18(日) 23:57:25 ID:77fb1we6
>>869 大川氏は、仏教徒を自称しているが、本当はクリスチャンか、キリスト教の
猿真似をしたいる部分が多い。パンフ見ても、半分はキリスト教的概念。
神や霊を認めているのもそうだ。佛教は、そんな「人間が考えても無意味な
もの」は認めない。
「キリスト教の影響があると、すべての宗教はカルト化する」という原則の
一例。
872 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 00:05:12 ID:4U3QxbHO
『中論』26.10 この故に、無明者は、“輪廻(saMsAra)”の根本である諸行を為す。 それ故に、無明者が作者なのである。有明者は真実見する故に〔作者〕ではない。 『縁起心論』は、梶山先生『空入門』と『龍樹論集』に瓜生津先生訳が所載。 輪廻は縁已生法だから、当然、因果一義・多義・一義且多義ではなく、 常・断・常且断ではないし、有・非有・有且非有ではない。
>>872 |
|゚) < だから、(語りが)難解だと言うとろうが・・・w
| ここは学部のゼミじゃないぞw
|
|ノシ
|
874 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 00:49:20 ID:huo7czVl
>>872 平川氏は、その「輪廻」を「流転」と訳している。「輪廻」という言葉の持つ
弊害と、竜樹の全体思想との矛盾を考慮した上での訳語であろう。
竜樹が「輪廻」を否定していることについては、中論の頌第27章を熟読されたし。
修羅界から出られないね。昔は地獄界にいたから同時と比べりゃ極楽浄土だけど。
876 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 07:13:13 ID:hTqp8cL1
>>865 > 実在しない仏に願う、ということがよく理解できずにいます・・・。
仏教の無我・空、一切皆空は、あらゆる現象・知覚が本質・実体がないという意味です。
ですから、実在するものはありません。
本来、実在しませんが、この無我・空・縁起の理解がない人には、
浄土に実在するアミダ仏とか、実在する大日如来などというのでしょう。
実在しないというのは、我々が実在しないという意味です。
我々が実在すると世俗的にいうなら、阿弥陀仏も大日如来も実在すると言うことができます。
877 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 07:15:09 ID:hTqp8cL1
中論に関しては中観仏教II に書くよん。みさなんもそちらにどぞ。
>>858 >結局、言語で説明不可能なものを前提とした、演繹が中論であるから、
>言語では説明不可能であると言う事なんですね…。
基本的にはそうであります。
空思想は古典にもその萌芽はありまして、
雑阿含経・第一義空経には、
「生起するも・・・・生起することはない」。と、
前文を否定する文脈において「空」を説明してます。
これは般若心経もそうですね、否定文の羅列しか記してないですから。
つまりこれは、「言語では説明不可」のいい例であります。
ところが龍樹は、この言語説明不可と思われる「空」を
言語慣習において理論体系つけたところに、その天才ぶりを見ることができます。
中論は空思想です。
つまり重要なのは、そもそも「空」を解ってないと
>>832 氏のように
dでも論に発展し、やがてはカルトの餌食になるのです。
879 :
析空 :2009/10/19(月) 08:07:44 ID:4N2utuXE
「輪廻」について、仏教が統一的な説明体系を持っていないのは、 釈尊当時のインドでは、「輪廻」という概念が、常識だったからです。 当時の人は「輪廻」を前提とし「何が輪廻するか」ということを問題としました。 この「何が」に対しては「無我」という答えです。 釈尊滅後、ギリシャ人がやって来て「輪廻とは何か」と質問したのに対して 多くの修行僧は沈黙しました。 ただひとりナガーガセーナ比丘が答えたというのが「ミリンダ王の問い」です。詳しくは「ミリンダ王の問い」を参照してください。
880 :
860 :2009/10/19(月) 09:00:54 ID:Pgqy84n2
>>876 解答ありがとうございます。
>実在しないというのは、我々が実在しないという意味です。
>我々が実在すると世俗的にいうなら、阿弥陀仏も大日如来も実在すると言うことができます。
この部分が理解できません。
世俗的な意味で私たちが実在する場合、世俗的な意味でその実在を裏付ける根拠があります。
質量や形、コミュニケーションなどがそれにあたると思います。
阿弥陀如来や大日如来は、世俗的な意味でどのような存在の根拠があるのでしょうか?
光明真言がなぜ大日如来により頼む形になるのかの答えがなかなか見つかりません・・・。
>>869 停泊氏
>>大川総裁から智慧を受けて、般若波羅蜜多を完成してください。
>☆ありがとうございます。
般若波羅蜜多といいますのは、つまり空思想であります。
空思想といいますのは、簡単に言えば「今に生きる」ということです。
「今に生きる」というのは、未来に投資をしないのであります。
未来には期待しない。→(布施はしない)
功徳を期待しない。→(布施はしない)
仏はいない。→(布施はしない)
ということであります。
ヒトの心は絶えず揺れ動いております。
過去に逝ったり、また未来へ逝ったりします。
「応(まさ)に住(じゅう)する所無くして、而(しか)も其の心を生ずべし」
(金剛般若経)
布施をするのも迷いであります。
仏に遇ったら、仏を打ち殺して、
どうか涅槃到達の智慧を
大川総裁から伝授されることを祈念申し上げます。
>>880 横槍ですけど
>阿弥陀如来や大日如来は、世俗的な意味でどのような存在の根拠があるのでしょうか?
阿弥陀如来については、凡夫は存在の根拠など知ろうはずはありません。
それでもなお阿弥陀如来に帰依(念仏)するとこに、
(つまり無心になること、無為になること)
阿弥陀如来の本分があるのかと思います。
念仏は他力ですから、やがて阿弥陀如来の正体が解ってくる。
これを浄土門の「悟り」というんでしょうね。
念仏の悟りも、正法眼蔵のこれなんだろうなあ。 「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、 これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。」
885 :
四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの魔境の教義の特徴w :2009/10/19(月) 11:38:15 ID:Fr9v+/jQ
マゾ魔境亭白液=白液蓮の現実喪失オナニー幸福wの証明も含むw 1、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうは今まで伝えられた仏教の経典と基本を無視している霊媒優位にw 仏陀の本意、基本である、ありのままに見る、(これが八正道の正見) 、現実主義を放棄している。 2、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうは当人が利用する仏教用語の本来の意味を変えている(空を霊と言う) 空とは本来、実体が無く、無形、執着しない、であるのを、霊と言い出す始末w 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの脳では仏教用語を利用しながら、元々の仏教用語を無視し、 過去から伝えられた仏教用語の本来の意味を現在の四流低級霊霊媒師の判断が先にあったと言う妄想、時間軸が狂っている、精神病か? 3、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうは空とは本来、実体が無く、無形、執着しない、であるのに、国師、総裁とか言う地位を好む四流霊媒師大川アホりゅうほうw 4、思いつき低級霊的四流霊媒感覚の大川アホりゅうほうのお言葉を妄信を前提要求しているw 5、霊的認識と言う魔境と言う実体、有形なるものを重視w まあ、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの滑稽さは、 無宗教的、相対論的に考えれば、明確、 日本で無い、アマゾンの原住民世界で仮に生まれて、それ以外のヨーロッパ社会でもいいが、 生まれた最初に見る子供の世界から見れば、 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界など何処にもないw、 普通の感覚で、日本以外で生まれた子供が 四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界よって認識しているのだろうか? まだ、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界の霊的認識よって捨てられたw 仏陀の本意、基本である、ありのままに見る、現実主義の方がどの世界でも普遍的に通じる。
886 :
881 :机龍之介 ◇8Z1PfzdK1正常認識不可能か? :2009/10/19(月) 11:42:57 ID:Fr9v+/jQ
>布施をするのも迷いであります。 仏に遇ったら、仏を打ち殺して、 どうか涅槃到達の智慧を 大川総裁から伝授されることを祈念申し上げます。 霊を前提としているヤツにこの意見、異常だぞw また餌やりだw 机は幸福オナニーの科学の盲信者かもねw
887 :
696 :2009/10/19(月) 11:53:47 ID:tG4Wux0F
>>859 >その文は、たしか貴方あてではありませんよね。
それは失礼しました。
まあ、結局、
>私は、テキスト内、仏教体系内での論理しか説きません。
と言う事で、輪廻の存在は説明不可能って事ですか…。
>>879 >釈尊当時のインドでは、「輪廻」という概念が、常識だったからです。
>当時の人は「輪廻」を前提とし「何が輪廻するか」ということを問題としました。
つまり、当時の常識だったから、輪廻は存在すると言う考えですか?
すなわち、「中世以前の人間にとっては、天動説が常識だったから、太陽は地球の周りを回っている」と?
釈迦は、天動説を元に惑星の運行を説明したプトレマイオスのような存在だということになりますよね?
結局、釈迦の教えは、「輪廻の存在を否定されると、全て崩壊する空理空論である」と言う事ですか?
>詳しくは「ミリンダ王の問い」を参照してください。
たしかに、回答はしてますが、突っ込みどころ満載の説明だったと記憶しているんですが。
どの箇所が、輪廻の存在に対する論理的な回答になっているとお考えですか?
888 :
四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの魔境の教義の特徴w :2009/10/19(月) 12:06:31 ID:Fr9v+/jQ
また、四流低級霊霊媒師の大川アホりゅうほうの四流教義の世界で引用が多いのは、 日蓮、「立正安国論」など、仏教歴史上、正邪分別が激しい異端仏教の仏教用語を使用している、 末法とか、想定するw
■9次元 大魔神界 ヒトラー スターリン 毛沢東 ■8次元 上級魔物界 池田大作 金正日 ■7次元 中級魔物界 大川隆法 文鮮明 このコピペで大川の次元が上がってたw
890 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 12:20:54 ID:CZ41fU2h
>698>699 仏教では、肉体のない生命も説かれています。 無色界の禅定に入っている、心だけで動く、 いわば神様みたいな生命です。 仏教では、神様にも寿命があると説きます。 神様達が死んで地球に輪廻する可能性もある。
891 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 12:29:28 ID:CZ41fU2h
生命の数が一定であるはずだという決めつけもおかしい。 涅槃に入ったら生命がひとつ減る。 つまり、生命の数が減ることを仏教は認めている。 減ることができるなら、増えることもありえる。 死者からの輪廻だけでなく、 新たに生命が増える可能性も否定できない。
アストラル体ってあるんでしょうか?
893 :
亭白 :2009/10/19(月) 12:56:39 ID:/mIfTIkB
>>881 :机龍之介さん
☆「今に生きる」は道元禅師の専売特許みたいになっています。
これは空の思想というよりも、この世的修行論であって、五体の体を使って、
明日の未来にやるべきことを伸ばすのではなく、現在ただ今にやるべきことを行
なうことであります。
反省や心の修行も真理知識の勉強も、いかなる環境下においても、現在やれるべ
きことの修行を怠り無く精進せよ。それが、未来にあって悟りの心境が上がるこ
とになります。ただ今にあって最善の修行を選択し怠けることなく修行を完成さ
せて行く事であります。現在ただ今に修行を怠けて、環境や人のせいにして未来
に悟りの修行の成果がでるとは思いません。あなたの替わりに他の人がただ今に
修行して、あなたの悟りの心境が上がるわけではないのです。現在ただ今に生き
るとは、因果の理法として未来への果として成果があらわれることを知れば、未
来に投資していることでもあります。
☆布施をするしないはあなたの自由です。仏がいないと人間仏の子の親がいなくな
ります。ですから仏はおられます。
☆心は波のように揺れやすいものですが、この世の愛着・執着心から離れて、真理
の光を宿りたる心は平和で安らいでいることができます。
つまり心の統御はできることで心の王国を築くことができます。これは悟りの向
上にとって大事なことなのです。
☆お釈迦様も托鉢で布施の功徳を大衆に仏弟子の姿勢で教えていました。
☆「仏を打ち殺して」が理解できません。意味をお教え願いますか?
894 :
亭白 :2009/10/19(月) 13:07:29 ID:/mIfTIkB
>>889 神も仏も名無しさん
大川隆法総裁は本仏であり天国の最高峰九次元救世主の世界のヘッドです。
毛沢東は天国の五次元善人界です。
自由には責任が伴います。適当なことを書くと地獄界へマイナス点の罪に
なります。あなたにとって危険なことは止めなさい!!
■9次元 大魔神界 ヒトラー スターリン 毛沢東 ■8次元 上級魔物界 池田大作 金正日 ■7次元 中級魔物界 大川隆法 文鮮明 ■2次元 初級魔物界 亭白
896 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 13:38:39 ID:e+ipDbfN
>>895 大川隆法のランクはもっと下だろw
自称ブッダのくせして世俗中の世俗である政治に色気を出し、
神通力も使えず選挙に落ちまくって、300億円を国庫に布施しだけで終わった。
宗教界のお笑い文筆家は、3次元初級まがい物界だ。
二次元って平面じゃないwwワロタww
898 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 13:42:43 ID:5st6QRMR
信仰を否定されるという事は その人の人格を否定される事にも直結する と考える人も多いので 宗教を批判する事は一般に難しい。 しかし宗教が政治のツールとして 使われているなら 政治を変えるためには 宗教を変えざるを得ない。 ひたすら真理の追求を行う。 当方のスタンスは そういう事だ。
899 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 13:45:34 ID:5st6QRMR
当方がダミーと分析した 創価学会、幸福の科学、日蓮宗、 キリスト教、浄土真宗・・・・ これらで飯を食っている人は多い。 生活がかかっているので そういった人が束になって 襲ってくる。 そういう状態だろう。
>>893 停泊氏
>☆「仏を打ち殺して」が理解できません。意味をお教え願いますか?
そうですか。
では、般若波羅蜜多の奥義であります根本義を書きます。
「仏を殺す」とは、全ての拘りを切り捨てることに他なりません。
仏を大事にしてる者においては、これほど辛いことはありません。
しかしながら般若波羅蜜多は、
この一番重要である「拘り」を自ら切り捨てるのであります。
宮元武蔵のようにです。
つまり「神仏に頼らない」。この心こそ般若波羅蜜多なのであります。
こういう私も既に、仏を殺しております。
そうじゃなければ般若波羅蜜(涅槃)には到達できないのです。
これが貴殿には出来るか?
大事な仏を殺すことが出来るのか?
これが重要です。
(注意:この書き込みは、犯罪予告ではありませんので、警察への通報はしないように)
901 :
860 :2009/10/19(月) 14:24:50 ID:5P/HLJCD
>>883 コメントありがとうございます。
>阿弥陀如来については、凡夫は存在の根拠など知ろうはずはありません。
>それでもなお阿弥陀如来に帰依(念仏)するとこに、
>(つまり無心になること、無為になること)
>阿弥陀如来の本分があるのかと思います。
これでは、新興宗教とあまり変わらないように思うのです。
大日如来にしても、阿弥陀如来にしても、信じるに値する理由・信憑性はどこにあるのでしょうか。
>>901 大日如来については、如来像思想が根本ですので、
私はコメントを差し控えさて頂きます。
で、
阿弥陀如来ですが、
> これでは、新興宗教とあまり変わらないように思うのです。
浄土門の本義といいますのは、つまり念仏を唱えることにおいて、
「自らの計らいを捨てる」。ということです。
新興宗教というのは、先ず教義を前面に出してきますが、
浄土門の場合は、教義より先ず念仏を唱えることにおいて
結果的に(無意識に)無心になってることです。
この無心というのは、自力の禅に通じるものでありまして、
「計らいを捨てながらも、その方向性は彼岸到達への方向性をもつ」。
というカラクリがありまして、
理屈・理論(つまり教義)よりも、先ず実践を優先させた
浄土門の凄いところかと思います。
>>901 >阿弥陀如来にしても、信じるに値する理由・信憑性はどこにあるのでしょうか。
理由とか信憑性とかは、個人が決めるものですね。
ある人が「何故信じてるのか?」ってのは、
他人には分らないです。
大川隆法を本仏と信じ込んでる人もいるくらいですから。
その人に、
「何故、貴殿は大川を本仏と信じてるんでつか?」。
って聞いたって、
それは他人には分らない世界かとおもいます。
>>887 おれもミリンダ王気になって検索してみたら
ナーガセーナ長老は、
輪廻するのは「現象的個体」と応えてたぞ
現象的個体って解りやすくないか?
905 :
860 :2009/10/19(月) 16:47:05 ID:5P/HLJCD
>>902 新興宗教的である、と言ったのは、少なからず洗脳的である、という意味です。
「理性はおいといて、とにかくすごいんだから」というような印象を受けてしまいます。
大川某を本仏と信じるのは、おそらく大川某に上手に洗脳されているからではないか、と思いますが、ともかく大川某も存在がはっきりししているという点で、大日如来や阿弥陀如来よりもまだましか、と。
如来は、やはり釈迦の思想に後付けされた人工物のような気がしてきました。
>>865 の疑問は解決しないままです。
906 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 17:33:00 ID:NNgML2QB
机って、まだ、いたんだぁー。w 懲りないオッサン顕在だな。 こいつ、どこいってもコテンパンに論破される馬鹿オヤジなんだぜ。www
誰でも知ってます。
>>905 >如来は、やはり釈迦の思想に後付けされた人工物のような気がしてきました。
それは、良い意味で貴殿が健全だからじゃないでしょうか?
世の中には、社会の不条理は全て理性的合理性で解決できる。
って、頑なに信じている者がおりますから、
そういう人間というのは、宗教に嵌りやすいかと思います。
(輪廻思想とは、そういった合理性の結実したもんです)
そして何らかの対象(これが神仏)に回答を求めようとします。
しかしながら、それで全ての不条理が解決できるのでしょうか?
私はそうは思いません。
不条理も条理も、ないかと思います。→(これを不昧因果という)
これを自証・自省していくのが仏教の本懐かと思いますね。
909 :
神も仏も名無しさん :2009/10/19(月) 18:13:28 ID:MWqlBINT
大日如来も曼荼羅も、「自然界」「生命」の象徴。いかなる場合にも、自然と 人間とから超越することがないのが、佛教全体を通じて流れる底流である。 ここに、「人間」と「自然」とから隔絶しまくりの、キリスト教を初めとする 一神教との本質的相違があることに思い至るべきである。
話題沸騰中の「仏陀再誕」
コピペ
興行成績速報! 『カイジ』が1位を死守。2位には初登場『仏陀再誕』がランクイン!
2009年10月19日19時02分 / 提供:映画ジャッジ!
本日、10月17〜18日の全国映画動員ランキング(興行通信社調べ)が発表された。
ランキングでは先週に続いて福本伸行氏の漫画が原作の映画『カイジ 〜人生逆転ゲーム〜』が1位を死守した。
2位には長編アニメーション映画『仏陀再誕』が初登場ランクイン。
映画批評家、前田有一氏による評価は25点と低かったものの、大物声優たちが出演することもあり、注目を集めたかたちだ。
3位には先週より1つ順位を落として『ワイルド・スピード MAX』。
新作はディズニーのラブコメ『あなたは私の婿になる』が5位に、3Dになった定番ショッキングホラーシリーズ『ファイナル・デッドサーキット 3D』が8位にランクインしている。
今週は作家・山崎豊子氏の名作『沈まぬ太陽』、チャン・ツィイーがヒロインを務める『ホースメン』、井上真央×岡田将生による純愛ストーリー『僕の初恋をキミに捧ぐ』が公開を控えており、『カイジ 〜人生逆転ゲーム〜』が1位を守れるのか?
そして『仏陀再誕』がその人気を維持できるのかに注目したい。
http://news.livedoor.com/article/detail/4403771/
某カルトのアニメ映画についての私見。 勿論、日本葬式観光コスプレ協会は何の反対もしないだろうが、(笑) 海外の上座部の仏教国などで上映されたら暴動もんだろう。 んで、また日本が海外から笑われる訳だな。
912 :
786 :2009/10/19(月) 23:01:17 ID:GkrB2AkJ
>>894 ここは仏教質問箱です。
指名して問われた以上、答える義務があります。
あなたが所属しておられる『幸福の科学』につき、
>>786 >>797 >>798 と、なんどもお尋ねしているのですが、
一向にお答え願えません。意図的にスルーしておられます。
なにか不都合があるのでしょうか?
当然社会的に明白にすべき義務のある質問ばかりです。
どうぞ、真摯なご返答を謹んでお願い申し上げます。
ブッダ再臨か? 公開前日に駅前で券配ってたぞ。 21時位かにラジカセで音楽鳴らして配ってた。
幸福の科学は仏教じゃないでしょう。 スレ違い。
915 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/19(月) 23:57:40 ID:Dzi5/pwb
>914 確かに単なるカルト宗教ですが、 全く違う意味でも、仏教用語は使ってますのでスレチでは無いのでは? (^。^;)てか、カルト宗教を仏教から除外したら、日本式仏教の・・・(笑)
916 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 00:44:36 ID:TL9lR06+
>>891 >新たに生命が増える可能性も否定できない
佛教では、全ての生命は何らかの輪廻により誕生したとするわけでしょ?
すなわち、過去世をもたない、それが第一回めであるという生命、すなわち
なんの業もない生命というものを想定してるの?
そうでないならば、地球上の生命体の個体数の増加は、単に地球上の他の生命の死による
輪廻以外に、この地球上に誕生することを待って、どこかで待機している
生命体?の存在を想定する必要がでてくる。
原初からの比較によれば、その増加数は、人間以外も考慮すれば、おそらく
数百兆どころでは、すまないはずだ。それほどの個体がどこかで、地球での
誕生を待って待機していたと佛教では説明するのかな?
917 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 00:47:40 ID:E0k7jSFG
仏陀と輪廻転生を信じる仏教者は、大川が仏陀の生まれ変わりであることを 否定することは、絶対にできない。否定すべき証拠は皆無なのだから。 これからも、仏陀の生まれ変わりは、続々と誕生する。要するに、言った者 勝ちw。イエスも、「私は神の子」と自称して、神になり上がったw。
918 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 01:00:48 ID:TL9lR06+
俺が
>>698 >>699 で挙げた問いは輪廻説に対する素朴な疑問の
代表例なんだ。 つまり、「輪廻説」は現代の科学的知見に対して
無矛盾の説明体系があるのですか? という問いかけ。
もちろん、その他にも
1 輪廻は全ての生物間における現象であるとのことだが、それでは
「生命」を何をもって線引きしますか?バクテリアや細菌は輪廻
しますか? 人工生命体は?(現時点では、まだ『生命』とよべる
ものは作られていないが、将来的にその可能性を否定する科学者は
いないでしょう。)
2 確率的に他の惑星にも生命体が存在する可能性は非常に高いわけです
が、他の惑星の生命体との輪廻はどうなっているのでしょうか?
輪廻とは「地球上の生命体限定」の現象なのですか?
などなど、いくらでもあるわけです。
これらの疑問に対して、佛教は整合性のとれた説明体系を有するのか?
と、問いかけたわけですよ。
919 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/20(火) 01:36:24 ID:N1JjepI5
仏教の線引きっつーか見方の問題ですね。 輪廻って俗説が先に有って、その人らにお釈迦さんが説かれたから、当然輪廻云々も言ってる訳だ。 まるっとコミコミで信じるか、その方向性を踏襲するかで、 ベースの輪廻の扱いは変わるわな。 (^。^)客観的には、ファンダメンタリズムってのはアレだろ?(笑)
920 :
696 :2009/10/20(火) 02:08:03 ID:BxdUkD6B
>>904 >現象的個体って解りやすくないか?
全然分かり易くないね。
しかも、誤読してるしw
ここでの現象的固体と言うのは、簡単に言えば「肉体」の事を示していて、
この肉体が滅んだ瞬間に、別の所に肉体が生じるから、それが輪廻だと言う主張をしている。
だが、結局、何の証明にもなっていないのは言うまでもないことだと思うが?
ミリンダ王の問いは、王様が物分りが良すぎて、つっこみどころ満載の説に対して、
毎回「おみごとです、ナーガセーナ長老」といって、納得してしまうから、訳の分からない論になってる。
>>920 現象的個体=肉体までは理解できてるくせに、
なんでそんなわけのわからん事言い出すのか…
全ては物理的現象に何らかのことばを当てはめて実在すると見なしているだけ
という仏教の基本的教えとなんら矛盾しない見事な応えだと思うが?
なんか確固たる魂みたいなモノがあって、それが生まれ変わったりする。
みたいな輪廻観はは捨てたらどうですか
922 :
析空 :2009/10/20(火) 05:45:38 ID:tpkPd/se
>>887 :
>>696 >
>>879 >つまり、当時の常識だったから、輪廻は存在すると言う考えですか?
→違いますよ。
輪廻が存在することが前提となっている、という話しをしているのであって、
輪廻が存在することを証明するつもりは無いということです。
>結局、釈迦の教えは、「輪廻の存在を否定されると、全て崩壊する空理空論である」と言う事ですか?
→「あなたのいう輪廻の存在」が否定されても、釈尊の教えは崩壊しません。
→なぜなら、目の当たりに体得される理法=涅槃を説いたからです。
→そもそも「輪廻の存在」は肯定も否定できないものです。
→「あなたのいう輪廻の存在」が仮に否定されたとしたら、【二つの果報】のうちの一つが否定されるだけです。
923 :
析空 :2009/10/20(火) 05:54:32 ID:tpkPd/se
>>887 >どの箇所が、輪廻の存在に対する論理的な回答になっているとお考えですか?→「輪廻の存在」ではなく、「主体なき輪廻」の説明が書かれています。
→「輪廻が常識」というのは、言語そのものにその概念が組み込まれていて、
「生死」のことも輪廻といいます。
→インド人は今生の人生と次の人生を区別していないといえば伝わるでしょうか。
924 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 07:59:52 ID:Qq+Z/65b
>>918 たとえば、植物に宿る神様。
それに、肉体のない生命もいるから、
肉体のある生命が増加した分は、
肉体のない生命から輪廻したのかもしれない。
もちろん、地球外生命からの輪廻もありえるし。
そんなことをあれこれ考えるのは楽しいけど、
悟りの役にはたたないでしょうね。
925 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 08:06:18 ID:Qq+Z/65b
>>920 無色界の、肉体のない生命もあるので、
肉体が輪廻するのではない。
輪廻とは、執着の対象を乗り換えることでしょう。
今まで「これが私だ」と執着していた個体が死んで、
新しい執着の対象を欲した心が、
次の執着の対象をみつける。
926 :
析空 :2009/10/20(火) 08:21:41 ID:tpkPd/se
>>918 その疑問は仏教の縁起における輪廻には当て嵌まらないと思う。
魂があって、一つ二つと数えられるなら、人口が増えることは説明できないし、
そもそも魂はどうやって生まれたかという話しにもなる。
仏教では生命は仮に和合した存在だから、一つ二つと数えない。
因と縁によっていくらでも増えるし減りもする。
だから個人の輪廻は、再誕とは言わず、再生という。
業報輪廻転生(サンサーラ)論は、バラモン支配を永遠に担保するという あくまでバラモンご都合主義的動機のためにヤージュニャヴァルキャによって 整備・創作された“虚構”でしかない。ヤージュニャヴァルキャは、 『業(カルマ)の思想』を開発することによって、輪廻転生説を 稚拙なインド土着死生観から恐るべき因果応報の理論に変えることに成功したのだ。 『業』とは、本来はたんなる「作用」とか「行為」を意味したが、 先の行為が後になって輪廻転生をあらしめる潜在力となると変容創作させたのである。 完全なでっち上げである。 この際の善悪の判定や応報におけるグレードの格付けはあくまでもバラモンの設定する基準による以上、 彼らのさじ加減ひとつで、過去および現在世のカルマを原因として未来世には獣や虫、 はては「それ以下の」不可触賎民の境涯におもいのままの虚言によっていくらでも陥れられてしまう。 現在のインチキ霊感商法の源泉だ。 しかし、今生における善行や悪行を受けて、それを未来に運んでいく自身の行為の果報を担う いわば真の自己がなければ因果応報は担保されないという理論的欠陥がある。 そこで彼は、苦肉の策として『アートマン』なる概念を“発明”したのである。
幼稚な土着的輪廻転生生死観を『業』『因果応報』『アートマン』『ブラフマン』などの キーワードを創作・発明することで強固なバラモン支配体制を理論的に構築したヤージュニャヴァルキャの虚構は 現在も続き、多くの人々を思想的宗教的社会制度的経済的生存苦に縛りつけているのである。 現在でも輪廻転生肯定論者はゴータマ・ブッダではなく、ヤージュニャヴァルキャの手のひらの上で 妄想踊りを続けるアキメクラだ。 そこには原始共同体を脱し、合理的な商業資本主義的商品交換社会の自由と平等のエートスを体感した、 荷車のわだちを踏みしめる先進的な自由思想家ゴータマ・ブッダの姿はない。 修辞学的論争に明け暮れる妄想輪廻転生論者は現在でも悪の片棒を担いでいるのである。
929 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 09:12:46 ID:TL9lR06+
>>924 >たとえば、植物に宿る神様。
ですから、植物もほとんど存在しなかった原初の地球から、比較しての
現在の個体数の増加を問題としているのですよ。
>肉体のある生命が増加した分は、
肉体のない生命から輪廻したのかもしれない
ですから、この「肉体のない生命」というのが、数百兆もの数で、
どこかで地球での誕生を待っていたと佛教では説くのですか?
と聞いているわけです。
>もちろん、地球外生命からの輪廻もありえるし。
佛教は「宇宙人」からの輪廻も説いていると言うわけですか?
>悟りの役にはたたないでしょうね。
これは、論点と無関係です。
「悟りに役立つ、立たない」は、関係ありません。
930 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 09:26:45 ID:TL9lR06+
>>926 >仏教では生命は仮に和合した存在だから、一つ二つと数えない。
因と縁によっていくらでも増えるし減りもする。
析空氏、これでは「業の対応」が崩壊してしまいます。
業報思想では、「個」の概念は必須です。
A→a であって A→b ではないという、「業の干渉」においては
「個の概念」がなければ、そもそも初めから論が成立しません。
また、「いくらでも増える」としてしまうならば、ひとつの「業」が
複数の「個」に干渉することになってしまい、これもまた、論理崩壊
してしまいます。
輪廻というのは、この「業」の継承理論と切り離して、論じることは
できず、「個」の概念、業の対応関係、などを無視して語ることは
できません。 少なくとも「佛教」においては。
931 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 09:53:54 ID:Oxy5vFod
>>930 >輪廻というのは、この「業」の継承理論と切り離して、論じることは
>できず、
なるほど、そう思う。しかし、下の個の概念とか業の対応関係というのは
なにやら実体的だが、部派以外で何を根拠に仰るのだろうか?
>「個」の概念、業の対応関係、などを無視して語ることは
>できません。 少なくとも「佛教」においては。
>>931 寧ろ、《「(三世に跨る)輪廻」は「仏教という枠」(枠組み)を超えてしまう》所が問題かと思われ・・・。
933 :
亭白 :2009/10/20(火) 10:29:14 ID:3SsnrJFi
>>900 :机龍之介さん
>「仏を殺す」とは、全ての拘りを切り捨てることに他なりません。
☆実際に仏を殺したり、人を殺す事ではなく、心の内にて一切の拘わりを切り捨てる
となれば仏への信仰心が成り立たなくなります。仏帰依が成立しないということは
仏法僧の三宝から離れることになります。
仏の縁を断っての悟りの境地は無いと思います。仏が悟りの向上に向けて修行せる者
が悟りを掴む一歩前に魔軍と戦う時、魔軍の親分は最初から魔の姿として出てきません。
仏から来た高次なる装いで来ます。それを魔として見抜いたら、魔の親分として発揮し
ます。一人にて立ち向かう独立不羈の勇気を求められます。そして魔軍を心の平静心に
と魔軍の攻撃を無力化する智慧によって魔軍や魔軍の親分が負けることで、悟りたる者
に仏の他力が及ぶと宇宙即我の世界が展開してまいります。そのような意味としてな
らば理解がいきますね。良いヒントになりました。ありがとうございました。
934 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 10:37:18 ID:Oxy5vFod
>>932 そういう近代日本のみの珍説は問題外。
一部の近代日本文献学者説以外で三世に跨る輪廻を説かない伝統があるなら教えて欲しい。
935 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 10:38:49 ID:TL9lR06+
>>931 誤解があるといけないので、断っておくが、俺の意見は「仏説」
に基ずくものではないよ。あくまでも、一般的に「佛教の説く輪廻」についての
疑問点を提示し、それについて「佛教は整合性のとれた説明体系」を提示
できますか? と、こう問いかけてるわけ。
よって、>「個」の概念、業の対応関係、などを無視して語ることは
>できません。 少なくとも「佛教」においては。
この記述は
過去世に積んだ業が、今世の「生まれ変わり」である者に干渉するというのが
「佛教における輪廻業報思想」だね?
であるならば、当然、そこには『個』の概念、『業の対応関係』の概念が
なければ、初めから論が成立しませんよ と、言ってるわけ。
他の宗教の「生まれ変わり論」については、知りませんが
「佛教の輪廻」については、それらが必須でしょ? と言うわけです。
>>934 またかよw
《学問的にとか、歴史的にとかで)、「仏教がそうだ」》 と言うんじゃなくて、
【《「輪廻」という概念・考え方》は、仏教という枠を超えて人間(人間存在)に干渉してくる】
と言ってるんだよ。 (特に彼は。)
なんで理解できないかなぁ・・・。
この世よりかの世に微塵ほどの事物も移り行きはしない。 そうであれば輪廻の輪は誤った分別の習気によって生じさせられたものである。 (龍樹 因縁心論) 龍樹は有部よりも一歩も二歩も進めて、この世からかの世へは微塵ほどのものも移りはしない、といいます。 習気とは習慣性、潜在的な印象のことです。輪廻の観念は人の誤った判断にほかならない、というのです。 輪廻は夢のようなものです。夢はない、とはいえません。悪夢に苦しんでいる人にとっては、これほど深刻な事実はないでしょう。 しかし夢から覚めたときに、人はそれが現実でなかったことをはじめて知るのです。 それと同じように、私たちが迷いの生存を生きているかぎり、輪廻は事実です。 しかし、さとったときにはじめて、私たちは輪廻が存在しなかったことを知るのです。 (梶山雄一『空入門』、春秋社、191〜196頁引用) アキメクラの世俗諦俗物が業報輪廻転生論というヤージュニャヴァルキャの亡霊を妄想する。 彼岸に到達すればすべてが明白となる。 真正な仏教にとって業報輪廻転生論は狂雑物である。 戯論狂雑物である以上、批判すれども否定せず。
938 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 10:53:39 ID:Oxy5vFod
>>935 それは仏教の縁起に基づく輪廻に個体、実体、実在がなければならないという
本質主義・実在論を持ち込んでいるから、そう考えるだけ。
前と同じ結果になるので、もう論じないが、私見ではという限定を付けていただかないと、
仏教、あるいは仏教経典ではそう述べている、記述していると誤解されますのでよろしく。
>>933 停白氏
>人を殺す事ではなく、心の内にて一切の拘わりを切り捨てる
> となれば仏への信仰心が成り立たなくなります。
勿論そうなります。
般若波羅蜜多は、仏という対象化されたものが既に寂滅してしまうのです。
ですからそこには仏の欠片さえもありません。
(大川隆法も無に帰すのであります)→これが悟りであります。
>仏帰依が成立しないということは
> 仏法僧の三宝から離れることになります。
涅槃では、もう既に世俗法は無に帰すのであります。
(つづく)
(つづき) >仏の縁を断っての悟りの境地は無いと思います。 いえいえ、そんなことはありません。 般若波羅蜜多の境地は、仏の境地であります。 ならば、如何に仏を対象化めされますか? 小一時間問いたいです。 >そして魔軍を心の平静心にと魔軍の攻撃を無力化する智慧によって 涅槃には、魔軍も仏も、平等一枚で何ら差異などないであります。 (この分別から離れませんと、到底、涅槃には到りません) >悟りたる者 に仏の他力が及ぶと宇宙即我の世界が展開してまいります。 悟りたる者は既に仏であります。 ならば、仏の他力などとは妄想である。と、かように悟るのであります。 #、では、これから外出します。
941 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 11:05:14 ID:Oxy5vFod
>>936 その立場はよく分かる。要するに差別の温床といったことに代表されるということだろう。
しかしながら、仏教は輪廻を説くのである。ここは仏教の質問箱であって、
現代思想から輪廻の是非を論じる場ではないだろう。
>>937 まったく読めてない。因縁心論は輪廻を前提としている。
>この世よりかの世に微塵ほどの事物も移り行きはしない。
とは実体が原因となって結果の実体が移動するのではないという意味だ。
つまり、実体である恒常なアートマンや魂が輪廻するのではないという意味。
ナーガセーナの現象的個体[原語はナーマ・ルーパ(名色)と記憶する]も同じこと、
これが中論24.18では仮設と呼ばれる。
あらゆる現象は縁起して x と仮設されるが、空で実体などないという意味。
>それと同じように、私たちが迷いの生存を生きているかぎり、輪廻は事実です。
>しかし、さとったときにはじめて、私たちは輪廻が存在しなかったことを知るのです。
だから、現在の自分自身を始めとしてあらゆる現象・知覚を事実とするように
悟らない限り「輪廻は事実」と梶山先生も書いているだろ。
まったく読めてない。
942 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 11:08:08 ID:TL9lR06+
>>938 ちょっと、まてよ。お宅は、自称「縁起バカ」氏か?
>それは仏教の縁起に基づく輪廻に個体、実体、実在がなければならないという
本質主義・実在論を持ち込んでいるから、そう考えるだけ。
お宅は前スレで「本質主義・実在論『でない』」論によって、何ら
回答を提示することができず、「そこは信仰しかない」と言ったのを
もう忘れたのか?
なんなら、もう一度初めから、徹底的に論破しましょうか?
お宅が「それは縁起によります」という回答を繰り返すばかりなのではなく
「縁起によってどのように『輪廻業報システムが成り立つのか』の
説明を提示するというのであれば、こちらとしても是非うかがいところですね。
943 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 11:17:44 ID:Oxy5vFod
>>942 仏教的には十二縁起だ。それ以上ない。
君らは実在論的に考えるから、それでは説明にならないという。
業の基盤などは四不思議と説かれ凡人には知覚不可能。
だから、信仰によるというわけ。
忘れた訳ではないから、あのように言ったまでのこと。
私がいいたかったのは仏教ではというなら根拠を示せということのみ。
君の表現に問題があったことは認めないのか?
944 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 11:19:14 ID:Oxy5vFod
>>942 ついでながら縁起バカは他称だよ。自ら x と名乗ったことなどない。
945 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 11:30:05 ID:TL9lR06+
>>943 >君の表現に問題があったことは認めないのか?
これについては、誤解があるといけないので
>>935 に補足しているが?
佛教における輪廻業報思想というのは
「過去世において殺人などの悪行を積んだものは、今世の生まれ変わりに
おいて、それに見合うような報いを受けることになる」
単純化して述べれば、このようなものだね?
ここには、はっきりと「個の概念」「業の対応関係の概念」が存在する。
と言うよりも、それらがなければ、初めから論が成立しない。
ある人の積んだ悪行の「業」が、複数の人間に降りかかったり
全く関係のない(その人の生まれ変わりでない人)に、降りかかるので
あれば、メチャクチャだね。
だから、「佛教の説く輪廻業報思想」には『個』の概念と『業の対応関係』
は必須だと言ってるわけですよ。
946 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 11:34:10 ID:TL9lR06+
>>944 そうか、「縁起バカ」という呼称は不快かな?
947 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 11:53:30 ID:TL9lR06+
>>943 さらに補足
>君らは実在論的に考えるから、それでは説明にならないという。
そもそも、佛教が輪廻業報思想を
「過去世において殺人などの悪行を積んだものは、今世の生まれ変わりに
おいて、それに見合うような報いを受けることになる」
と、このように『実在論』として、説くから、こちらも実在論としての
説明を求めることになる。 輪廻思想が初めから、純粋な形而上の観念論
としてのみ論じられ、この現象界に干渉するものでなければ(すなわち
純粋な認識論に留まれば) 何の問題もないのですがね。
948 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 11:57:35 ID:Oxy5vFod
>>946 別に結構、なんと呼ばれようが、どう非難されようがどうぞ。
嫌なのは自分からなにか言ったように書いてあるとこね。
君とはスタンスが違う単純にいうと。
私はここでやってるのは仏教のテキストにどう記述されているか。
君がやってるのは現代的意味での思想的整合性とかいったことだろ。
話してもむだでしょ。
949 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 12:04:04 ID:TL9lR06+
>>948 だからね、俺は上記のような「佛教における輪廻業報思想」
に関する素朴な疑問点を解説できる仏教徒はいますか?
と、「ここにいる仏教徒全員」に問いかけたわけですよ。
お宅が説明できないのは、了解済みです。
業報輪廻転生論は人類に害悪をもたらしてきた最悪思想です。 仏教からの完全放逐が必要です。 捨てれば満ちます。 少なくとも釈迦仏教は業報輪廻転生論などなくとも十分に成立します。
951 :
696 :2009/10/20(火) 12:25:55 ID:BxdUkD6B
>>921 >全ては物理的現象に何らかのことばを当てはめて実在すると見なしているだけ
つまり、あなたの主張は、
「今日お爺ちゃんが死んで、その瞬間に隣の家で赤ん坊が生まれたから、
その赤ん坊は『輪廻したお爺ちゃん生まれ変わり』と命名しよう!」
と言う事ですか?
まあ、ここまでは良いとしましょう。命名するのは勝手です。
ですが、その赤ん坊は「輪廻したお爺ちゃん」だから、「お爺ちゃんが生前に犯した悪業は全てその赤ん坊に責任を取らせる」と?
現象に適当な名前をつけるのはいいですが、適当につけた名前から、現象に機能を付け足すのはどうかと思いますよw
>なんか確固たる魂みたいなモノがあって、それが生まれ変わったりする。 みたいな輪廻観はは捨てたらどうですか
ミリンダ王も、そこのところが訳分からなくて質問してますよね?(以下意訳)
ミ 「悪業を保持して新しい心身に伝える『何か』が存在するんですか?」
ナ 「いや、存在しない。
例えば、ロウソクから、別のロウソクに炎を移す時、何かが転移しますか?」
ミ 「ナルホド」
おいおいw
ロウソクの例えは、移動した際に元の方にも炎が残るから、輪廻の例えにはふさわしくないと思うんですが。
転生前の心身と、転生後の心身が同時に存在してしまっていいんでしょうかね?w
952 :
696 :2009/10/20(火) 12:26:04 ID:BxdUkD6B
>>922 >「あなたのいう輪廻の存在」が否定されても、釈尊の教えは崩壊しません。
あなたは、>輪廻が存在することが前提となっている といってますよね?
これまでも、輪廻肯定論者から、「輪廻を否定するということは釈迦の教え自体を否定することだ〜!」と散々言われてきたんで、この前提と言うのが「釈迦の教えの前提」だと理解したんですが…
違うならば、「何の前提」なんですか?
もしかして、「無我」の議論の前提が「輪廻」であると?
もしそうなら、輪廻の存在証明が出来ないなら、無我論は空理空論ということですか?
>「あなたのいう輪廻の存在」が仮に否定されたとしたら、【二つの果報】のうちの一つが否定されるだけです。
二つの果報とは、何の事を言ってるんでしょうか?
そして、残る方の教えとは何のことですか?
正確に定義していただけますか?
953 :
696 :2009/10/20(火) 12:26:13 ID:BxdUkD6B
>>923 >「輪廻の存在」ではなく、「主体なき輪廻」の説明が書かれています。
私は、下の
>
>>879 >>釈尊滅後、ギリシャ人がやって来て「輪廻とは何か」と質問したのに対して
>>ただひとりナガーガセーナ比丘が答えたというのが「ミリンダ王の問い」です。
>>詳しくは「ミリンダ王の問い」を参照してください。
を読んで、てっきり輪廻の存在証明をしているのだと理解したんですが、
ミリンダ王の問いでは、輪廻の存在証明は全くされてないということなんですね。
>「輪廻が常識」というのは、言語そのものにその概念が組み込まれていて、「生死」のことも輪廻といいます。
つまり、輪廻はインド人特有の常識であって、言語の違う日本人には通用しないということになりませんか?
>>925 >新しい執着の対象を欲した心が、次の執着の対象をみつける。
「無我」に反しませんか?
954 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 12:57:56 ID:Qq+Z/65b
>>929 肉体のない生命とは神様みたいなもんだし、
肉体がないんだから、空間に位置しない
955 :
神も仏も名無しさん :2009/10/20(火) 13:24:25 ID:Oxy5vFod
>>950 >少なくとも釈迦仏教は業報輪廻転生論などなくとも十分に成立します。
全然成立しないし、釈尊も輪廻がないというのが邪見だと
長部・中部でたくさんとかれてるぞ。
956 :
神も仏も名無しさん :
2009/10/20(火) 13:31:40 ID:Oxy5vFod >>951 横レスだけど。何かがあって、それを x と命名するのではなく、
何か x と言えない不定形の流れが x と仮設されて認識されることを、
ナーマルーパ、現象的個体という記号で指示していると思われます。
そう考えればナーガセーナの譬喩も分かるでしょう。
因縁心論の譬喩も全く同じ。
譬喩は無常不定形の火が、個人の相続、二つのロウソクは現世と来世でしょう。
現世と来世は、本来、認識の問題で対象をもって機能するものではありませんが。