777 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 03:30:19 ID:CYag9cct
>714氏へ
まあ、人並みに一生懸命働いて、自己と家族のために生活費を稼げ。
そうすれば、下らんことは考える余裕はなくなる。人間と人生の真実が
初めて判ってくる。
池田は、人生経験なさ過ぎ。人間や人生を語る資格そのものがない。
『人間の有限性(生死)の問題』。そんな決まりきってことを考えて、
一体何の意味がある?女子中学生ならまだしも、いい大人が考えること
ではないだろ。
本からの「借り物の見解」をいくら並べてみても無意味。
778 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 03:47:24 ID:CYag9cct
>>773 >修行者は今夜どこで寝ようかとか思い煩うなとか、
御釈迦さんには、寝るところが決まっていたか、またはそのアテがあった
からではないの。
大体、弟子からの差し入れで明日の糧には困っていないイエスが、「明
日のことを思い煩うな」などと言っても、説得力は皆無、イエスの弟子
たちは、皆、相当の資産家だったと、荒井献氏は言っている。要するに
「金持ちの道楽」。億万長者の鳩山氏が、「貧しい人のため」と言うの
と同じ。「故人献金」までやる余裕があるのだからw。
現代でも、新興宗教の教祖は、信者からの献金で、皆大金持ちw。
779 :
析空:2009/10/07(水) 06:35:04 ID:fa+5lbkC
>>730 解脱はあくまでも心の解脱です。
「身体の患いは残る」小空経
780 :
析空:2009/10/07(水) 07:05:21 ID:fa+5lbkC
>>735 >>585 宝性論は知りませんが。
Aが無いときAは空である。
BがあるときBがあると如実に観察することが、正しい見方である。(小空経)
マサに小空経で説かれている内容と同じですね。
しかしながら、
「BがあるときBがある」→すなわちBは煩いであると知ることです。
如来蔵は煩いですね。
ご紹介いただいた本については、機会をみて検討させていただきます。
※ご紹介ありがとうございます。
781 :
T:2009/10/07(水) 07:41:20 ID:iwxMj8rm
730 :神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 16:30:18 ID:1A9QnlR4
>何とも無知な質問かもしれませんが、どなたか教えて頂けますか?(笑
>解脱しても苦から逃れられないのではないかと思ったりします。
苦から逃れるのでなく、苦が消えるのです。
苦が消えるとは、そこに分別を使用しないという意。
その事に気がつきますと、大珠が言うように「最初から人は束縛されていない、
故に、解脱を求める必要はない。」という事が解ります。
つまり、人は生まれらがらに自由であった。しかし、分別意識を自分意に使用したが故に、
不自由を拵えたという事です。
782 :
T:2009/10/07(水) 07:47:55 ID:iwxMj8rm
781 :T:2009/10/07(水) 07:41:20 ID:iwxMj8rm
>しかし、分別意識を自分意に使用したが故に、
「自分意」という処は単に「自分」です。
失礼いたしました。
783 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 08:04:57 ID:K9VJfpNH
>>776 >存在が存在することの神秘・・縁起の現観
粋ですなぁ〜。
最後に〆る書き込みが、庭前柏樹子を想起してしまいました。
「賊機あり」ってのは、こういうことを言うんでしょうね。
貴殿が以前に書き込みした、正岡子規の俳句も素晴らしかった。
784 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 08:30:56 ID:K9VJfpNH
>>757 >分からないことを分かったように言う方がおかしいし、今の世の中分かったような
>良い顔ばかりしていたら<詐欺>にばかり引っかかってしまいますからね。
世の中には、
「分けることができないもの」と
「分けることができるもの」とありますけど、
仏教の勝義諦といいますのは、この前者でありますね。
「分けることができないもの」は、つまり言語表記は基本的に無理ですから、
これは以心伝心する他ないのでありまして、
ズンズンと伝心する書き込みはありますよ。
例えば、714氏の書き込みはズンズンですね。
ビンビンと拙者の胸に突き刺さる感じであります。
正岡子規の俳句も素晴らしいです。
どこが素晴らしいのか?ってのは、
こればかりは説明不可です。
自らが感得するもんですね。
これも縁起の現観であります。
そのように、拙者にはズンズンと伝心する電波を感じますね。
785 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 09:14:46 ID:tkx4EcF+
>>781 >苦が消えるとは、そこに分別を使用しないという意。
これは間違いだろう。
苦を滅するためにはその苦の原因を分別してその原因をたたなければ
苦は滅しない。無明は苦の根本原因といわれる。
苦が生じたものなら「生じたものは滅する」という生滅法を適用する。
苦が生じないものなら不生不滅の縁起法が適用される。
「諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽」
786 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/07(水) 10:34:16 ID:dKRW5ios
>>762 遂に、
シャクティ・フォースを解放してしまった方のご登場ですか?w
エーと情けないかな・・ご覧になった通り、
ここの自称仏教たちというのは唯物論化した人が多いのです。
仏典中の神通力の記述は後代に付加された神格化に過ぎないとし、
なんとゴータマ仏陀までも、ただの凡人(もしくは哲学者か道徳家)にしてしまう人たちなのです。
中には、輪廻転生すらもバラモンの迷信が経典に入り込んだものに過ぎないと見なしたりします。
私がポルターガイストの物品移動を目撃したといった話しをすると、
それは薬物を使った幻覚であるなどと、
人様を勝手に薬物中毒扱いする始末なのです(今流行りの薬物疑惑かぁ〜w)。
是非、あなたのような方に
その“自然と浮きまくって大変”な様子を動画にしてこのスレに掲載して欲しいと願いたいところです。
どっかの人のようなジャンプした瞬間の恥ずかしい写真などでなく。
>>730 解脱者というのは、自分の死期と死に方を自分で好きに選択することができるのです。
「無常」とは何かを身を以って示すため、チュンダの心からの供養(食事)を受けてあげるため・・・
そして、恐らく凡人には測りきれないほどの、いろんな奥深い意図で選ばれた最後(死期)であったろうと私は思います。
尚、その気になれば、死を避けたり、延命したり等々・・も解脱者は意のままです。
マハー・パリニッバーナスッタンタにおいても、ゴータマは延命が可能であったことを示唆しています。
「苦」については、
>>733の通りです。
787 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/07(水) 10:35:55 ID:dKRW5ios
(大乗)仏教の広大な受容性という意味は理解できる。
それによって時代と場所を問わず継承されてきたのだと。
しかし、私は大いに疑問ですね・・・仏教の「法」“無常、無我、縁起、空”などが説かれてさえいれば
>>669、
あとは本当にどうなってもいいのか?どんなに改変されていても大丈夫だというのか?
名号にすべてが集約されているので、
「南無阿弥陀仏」を唱えれば三部経の全部を唱えているのと同じ(効力)だとか。
“唱えただけで死後の安楽を約束し、極楽往生を叶えられる”といった考え方について。
或いは、法華経を所持し、読んだり書いたり、唱えたりすれば、
>>671(法師功徳品 第十九)
のような信じがたいまるで奇跡のような功徳が得られる等々・・・。
マニ車をクルクル回していれば、経文を唱えていると同等の効果(功徳)であるとかも同じ。
私だって何も・・これが真実ならばそれでいいのですよ。
名号だけ唱えれば、三部経全部を唱えたのと同じ効力とかね?
これが本当ならば有難いことであり、大変な奇髄ですよ。
本当であるならばイイ!!
けれども、そんなことはないわけでしょう??
こんな話しは、ただ(創作者が)勝手にそう言ってるだけなんだから!
方便なんてもんじゃ〜ない。そんなものは、ただの「嘘」「偽り」以外の何ものでもないわけでしょう!
違いますか?
もし、これが真実だというのならば、
“唱えただけで死後の安楽を約束し、極楽往生を叶えられる”という、
そのことを保証する何かどこかに、その確かな記録はあるのか?
実績はどこにある?
788 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 10:37:31 ID:CYag9cct
>>776 >存在が存在することの神秘・・縁起の現観
縁起とは、神秘主義ではなく、物事の存在・構成原因を分析・解明した合理主義。
神秘主義の対極にあるもの。神秘主義なら、竜樹の大哲学など不要。
佛教は、「唯一の実証的宗教」(ニーチェ)。徹底した合理主義と現実主義。
甘ったれた感傷的神秘思想などではない。
幼稚な嘘に騙される人がいるから
カルト被害が絶えないわけで。
カルトの連中は一つも科学者に超能力を証明できていないんだよ。
791 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/07(水) 10:46:57 ID:dKRW5ios
>>789 オウムなんぞに興味ないわ。
「神仙の会」当時から知ってるって!
パラマンサ・ヨガナンダ教団の正式会員である私が、今更なんでオウム教団などに?
有り得な〜い。
味噌とクソの区別もつかない人たちと一緒にしなさんな!
超能力に頼らざるを得ないその心の弱さ。
それをこそ見つめなおさなくてはいけない現実。
人の弱みに付け込むのが金儲けの一番簡単な手段だけど。
偽者をつかませて、金も時間も奪い取って、何の責任もとるつもりないんだろ?
全部読んでみろよ、
>>789のリンク先をさ。それはもう憐れなものだ。
793 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 10:57:05 ID:CYag9cct
>>784 >仏教の勝義諦といいますのは、この前者でありますね。
「分けることができない」はずの人間性や事象を、勝義諦と世俗諦に
「人為的に」分別することが、誤謬の始まり。最も愚かな「二分法」
「二元論」です。
「勝義諦は、世俗諦によってしか語れない」(竜樹)
794 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:05:52 ID:CYag9cct
>>784 「物事を、勝義と世俗などに計らいを以って分別することを止め、
あるがままに受け入れて精神の安定と平安を得ること」が、「悟り」
であり「涅槃」です。
795 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:10:28 ID:byssHVx+
物事を分別するのがあるがままの人間
燃えるゴミと燃えないゴミを分けて捨てるが如し
あるがままなら原始時代になっちゃう
796 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:17:20 ID:byssHVx+
知性というのは分析する能力だろう
この能力が弱体化するとアルツハイマーと言われる
ちなみに「涅槃」というのもヨーガ行者に言わせるといわゆる五感を越えた信仰の世界ではなく
五感を研ぎ澄ましたその先に現にある世界らしい
仏教の眼目は中道にあり。
さすれば答えも自ずと出ようものを。
〜を生かそうとするも不可、〜を殺そうとするも不可。
798 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:22:07 ID:CYag9cct
>>795 それは、勝義諦と世俗諦との分別とは意味が違う。いずれも、世俗に
おける分別。
最近では、ゴミ処理方法の発達により、分別の必要はかなり緩和された。
人間が「悟って」きたということだろうw。
799 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:39:43 ID:CYag9cct
>>796 >五感を研ぎ澄ましたその先に現にある世界らしい
人間が生来的に有する五感を「人為的に」研ぎ澄ましたりしたら、人間
が狂う。人間が人間ではなくなる。やってはならない危険なこと。
アルツハイマー病の主症状は、脳細胞の減少による「(特に短期)記憶の
消失」。つまり「亡我の境地」。しかし、長期記憶は残っているから、
「本来の我」への執着からは離れられない。これらは、仏教と同じw。
800 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:43:17 ID:byssHVx+
799
野球選手は五感を研ぎ澄まし、中には「ボールが止まって見える」ような境地に至る人もいるらしい
五感を研ぎ澄ます事が駄目ならプロ野球の選手はちびっ子野球にも負けてしまうだろう
801 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:48:38 ID:byssHVx+
野球選手に限らずその辺のサラリーマンだってある意味で超人で、ある程度「あるがままの人」の境地を越えないと社会人としてはやっていけないのだ
802 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:49:18 ID:CYag9cct
>>800 皆がイチロー並になったら、野球がちっとも面白くなくなる。いや、
野球自体が消滅するw。
苦しみを滅する以外の目的で仏教を使おうとするとか。
アホか。
804 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 11:53:14 ID:byssHVx+
皆がイチローになったら勿論、超イチローが出て来るんだろうし
だからこそ記録の更新も有り得る
超人を否定したらオリンピック自体が成り立たない
805 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 11:57:43 ID:K9VJfpNH
>>788 >縁起とは、神秘主義ではなく
いや、語義そのまんまの文意とは違う。
貴殿が
>>793で書いてある
>「勝義諦は、世俗諦によってしか語れない」(竜樹)
これは↑そのことだよ。
つまり、池田がいう「神秘」というのは、
その語義を越えて伝わるものがある。
(これを言語を越える、とかいう)
つまり以心伝心というのは、全体的な文意の流れにおいての「神秘」というのを、
語義を越えたところに自らをマッチングさせることだよ。
「祖師が西来したのは、どうしてでつか?」。って問われて、
「それは、云々こうなんでつよ}。
って単純なことではなく、
「ほれ、そこにある柏樹子だよ」。ってのが・・・ズバリ
>「勝義諦は、世俗諦によってしか語れない」(竜樹)
このことですね。
解説しますと、
文意を越えたところで、問う者と、問われる者が、相互に感応しあう。
これが拈華微笑というもんですね。
806 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 12:30:54 ID:CYag9cct
>>804 それでは、結局は、超イチロー、超超イチローばかりになってしまうから、
結局は同じこと。
>>805 語義以外の意味を自分勝手に付け加えたら、共同体における意思伝達手段と
しての言語の機能が破壊されてしまいますよ。神秘主義、超越主義に堕して
しまい、共同体は混乱・崩壊する。共同体の一部でしか通用しないものとなり、
意味伝達の普遍的手段としての言語の意味はなくなる。辞書も仏典も不要にな
りますw。
807 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 12:36:55 ID:QIp4GPco
>>799 研ぎ澄ました五感を何に使うかが問題。
仏教は、苦・無常・無我(空)に気付くために五感を使う。
808 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 13:17:40 ID:byssHVx+
超イチローやイチローばかりなのがその道のプロというものだろう
809 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 13:21:56 ID:byssHVx+
ご隠居の理論だとイチローやアインシュタインや仏陀は精神障害者だから
病院に閉じ込めろという話になるが
だったら文明の進歩などありえない
あるがままの猿ばかりでは動物園になるだけ
810 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 13:31:32 ID:Cjjm+380
乙
811 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 13:35:03 ID:K9VJfpNH
>>806 >語義以外の意味を自分勝手に付け加えたら、
悟ると、悟った者同士でコンセンサスが出来てしまうんですよ。
だから自分勝手ではないですね。
>共同体における意思伝達手段としての言語の機能が破壊されてしまいますよ。
ええ、ですから破壊していいんです。
「貴殿の目の前のパソコンは、存在してますか?」。
この問いを破壊してください。
つまり言語の機能を破壊するところから・・・
仏教は始まるのです。
貴殿は破壊するどころか、生命概念に固執しておるようですねw
それだと目が開かんですよ。
>『存在が存在することの神秘は、 いかなる仕方によっても理解する
>ことができない、ということを私は理解している』
(池田晶子)
812 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 14:25:55 ID:NUegSBCe
>>811 >目が開かんですよ。
↑ 具体的にお願いします。
少なくとも、大乗側は、
部派が歪めた仏教を本来のブッダの教えに戻すという
自負はあったようですね
経典見ただけでも、本来在家でも誰でもほいほい悟ってるはずなのに
部派サンガでは出家者が崇拝され、在家は救われないとなっていた。
ここに欺瞞を感じるのは極めて自然な流れでしょう。
本来平等主義で貧しい市民も救うはずだった仏教が、なぜか僧だけに独占されている。
ここで改革運動がおこるのは自然の流れでしょう。
ブッダは法を師とせよといってる以上、
そこで法、縁起の神格化とその前においての平等を説くという改革を行った。
法の前にはバラモンも僧もシュードラも無いという思想です。
>>813 >経典見ただけでも、本来在家でも誰でもほいほい悟ってるはずなのに
馬鹿発見www
815 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 15:13:52 ID:K9VJfpNH
>>812 池田晶子というのは、非常に文才のある方と拝見しました。
「存在」と「理解」を双方2度使ってます。
もちろん言語の語義の違いを鮮明にすることにおいて、
女史の文意を伝えておるんですね。
つまりこういうことですね。
「いかなる仕方においても理解することができないことを知った」。
つまりこれは直覚のことですね。
目が開く、っていうのは、
知識とか理解とかの範疇ではなくて、
こういったベクトルの切断された瞬間、つまり刹那のことですね。
瞬間に目が開いちゃうんですよ。
まあ、目が開くというのは光明が射すわけですから、
明智を得る、ってことですよね。
これが、
>>776に「現観」と書いてある通りで、
目が開く、って意味ですよ。
816 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 15:42:39 ID:CYag9cct
>>611 >「生命概念」
生命は「概念」ではありませんよ。あなたの思考、座禅、書き込み、その他
あなたのすべての行動の根源です。あなたの生命で、あなたの生命を対象化、
概念化することは出来ません。概念化の主体と、その対象とが同一ですから、
概念化は初めから成立せず、ナンセンスで不可能だからです。従って、「生命
概念」への固執などあり得ません。「生命への固執」なら、「すべての生きとし
生けるもの」は、生命に固執するからこそ存在しています。「存在の神秘」
とは、まさにそのことです。池田が、自己の生命を以って「存在の神秘」を
理解できないのは当たり前のこと。
あなたの目の前のパソコンの存在をまず確認しなければ、あなたのその書き込み
は出来ませんw。
>『存在が存在することの神秘は、 いかなる仕方によっても理解する
>ことができない、ということを私は理解している』
「理解している」のなら、いい大人が、なぜ人前でそんな「甘ったれた
言葉」を公言するのかね。そこがすでにおかしい。池田晶子は、ただ他人の
本を読んで「借り物の見解」を振り回すだけの、人生経験も殆ど皆無な、
若い女性に過ぎない。そもそも釈迦が「存在の神秘の理解」などというアホな
言葉を、どこかで使いましたか。
817 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:00:35 ID:CYag9cct
>>611 佛教では、「存在の神秘」とは、「眼横鼻直」「庭前の柏樹子」、即ち、
何の神秘も不思議も無い、日々の生活における知覚の当体のことです。
その意味で、池田は、佛教とは程遠いキリスト教的概念の持ち主に過ぎ
ない。その池田の「存在の神秘」などという言葉に、禅者である机師が
「感動」されるとは驚きw。
818 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:13:52 ID:I/0uzxYS
>>817 >その池田の「存在の神秘」などという言葉に、禅者である机師が
「感動」されるとは驚きw。
大変鋭いご指摘でしょう。
819 :
T:2009/10/07(水) 16:16:19 ID:iwxMj8rm
785 :神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 09:14:46 ID:tkx4EcF+
>>781 >苦を滅するためにはその苦の原因を分別してその原因をたたなければ
苦を滅するのではなく苦はそのままで楽です。
苦即楽、楽即苦の処で解脱です。
また。「苦の原因を分別してその原因」とあるが分別意識からは
原因は解らない。分別意識上からは解決できない。それゆえに生死輪廻する。
苦の外に苦と違った楽があるなら、それは無明の輪廻でしょ。
>苦が生じたものなら「生じたものは滅する」という生滅法を適用する。
>苦が生じないものなら不生不滅の縁起法が適用される。
生滅と不生不滅を切り離して考えては、一般論理の諸法で、それは禅仏教ではない。
生滅しながら、不生不滅であり、しかも、不生不滅でありながら生滅する
そこには、無明(自己に目覚めていない)縁起と真如(自己に目覚めた)縁起があり
共に生滅の縁起です。
諸法実相(禅仏教)は 真如(自己に目覚めた)縁起であります。
> 「諸行無常 、 是生滅法 生滅滅已 、寂滅為楽」
この無常と言うのは
諸行無常そのままが寂滅為楽ですね。
そこは、喜びもなく、憂いもなく 、また喜びもあり、憂いもありです。
それを、喜びも憂いも立ち消えになっておると言うのであります。
820 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:21:57 ID:zVZvrtTu
>>816 経験も知識もなく妄想を声高に語る誤淫嘘ってのがここにいますがね
821 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:22:39 ID:byssHVx+
苦即楽というのが空疎な標語ではなく事実だというならライターで指をあぶってみたらいい
「ハッハッハ、火もまた涼しである」と冷や汗一つ垂らさずに大笑できるなら、それもまた悟りだろう
822 :
◆0X0XQc1Pepx3 :2009/10/07(水) 16:22:57 ID:E6tKARq1
>>811 机氏
>つまり言語の機能を破壊するところから・・・ 仏教は始まるのです。
これまで貴兄を「机上空論者」と「禅者」との中道と見ておりましたが、
今回は「禅者」が勝ち、机上(言語世界)で空を論じる機能を破壊された
と認識致します。
823 :
神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 16:23:53 ID:CYag9cct
>>815 >池田晶子というのは、非常に文才のある方と拝見しました。
>「存在」と「理解」を双方2度使ってます。
>もちろん言語の語義の違いを鮮明にすることにおいて、
>女史の文意を伝えておるんですね。
つまり、机師の言われる「言語の破壊」とは正反対w。
池田の結論はそれでよいとして、「存在の神秘」という言葉がまずい。「存在
の神秘とは、根横鼻直のことです」だけでよかった。しかし、西洋の思想に
完全に汚染された池田には、その「禅の精神」は絶対に理解できなかった。
「光明」とか「明智」などという言葉は、クリスチャンが特に好む内容空虚な
観念語。禅者が使うべき言葉ではない。
824 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 16:24:29 ID:K9VJfpNH
>>816 >概念化は初めから成立せず、ナンセンスで不可能だからです。従って、「生命
>概念」への固執などあり得ません。
いや、別に無理しなくていいんですよ。
ここまできたなら、自分の信念を貫くのも生き方なんですから。
で、なんで拙者の書き込みで信念がぐら付いたのですか?
いくらか机龍之介に傾倒してきたのですか?
貴殿は書き込みだけ大風呂敷で、
釈尊とイエスをアンチにして、第三極を目指すんじゃないんですか?
そういう信念なら、
拙者が少しくらいは応援してあげてもいいですよ。
なにも机龍之介に傾倒することはない。
825 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/07(水) 16:36:23 ID:K9VJfpNH
>>823 >つまり、机師の言われる「言語の破壊」とは正反対w。
文脈の流れにおいて、言語の語義も変化する。
これを不立文字といって
解釈するには、それなりの境地に到らねば無理ってもんです。
池田の「神秘」ってのは、語義的には「摩訶不思議」に近い。
「不思議」って意味は「思議にあらず」
つまり「思議を越えた」の意。
826 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :
>>822 >今回は「禅者」が勝ち、机上(言語世界)で空を論じる機能を破壊された
と認識致します。
禅者も空も、言語破壊です。
般若心経における、否定文の羅列は
この言語破壊の意にて候。