1 :
神も仏も名無しさん :
2009/05/13(水) 12:00:17 ID:pErXNG/k
2 :
神も仏も名無しさん :2009/05/13(水) 23:17:30 ID:LjgS6G4E
>>875 前スレ
>>旧7さん
>それに、宝珠氏が確認したからといって、それが何になるんだい?
>世の学者方を差し置いて、「宝珠氏によって確認されたこと」が、
>もっとも妥当な(≒正解の)説だとでも言うんですか?w
他の人にも説明しましたが、この板の入り口の看板に
「*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの
引用と解説は特に歓迎します。」と書かれています。
原始仏典(長部経典)の中に記載があるのか否か?
記載がある場合は、経典全体の前後関係の中でサーリプッタの
表明した「常住論」は釈尊の教えと彼が認識しているか否か?
宝珠氏への確認依頼は以上です。
>誰か、それっぽい論文知ってる人居る?
参考論文として「法華経」で宜しいでしょうか?
法華経では、これまで「常住不変のものは無い」と説いてこられた
釈尊が一転して、「実は世界も仏(神)も実相は常住不滅である」
と説き、弥勒菩薩ら高弟でもびっくり仰天した次第と記載あり。
ミロク菩薩とサーリプッタとに共通した点は、バラモンでも
大衆(凡夫)でもなかったということです。
>宝珠氏も真言氏も意見を述べる予定のようだから、
>気長に、且つ多大な期待を持って待たせて貰うよw
そうですね、2500年待っておりますし。
3 :
宝珠愚者 :2009/05/15(金) 10:19:40 ID:lQwuKXJq
>>スレ1/934 元々、仏教では心の作用も五蘊の一部なので、「無常」です。 >>スレ1/953 >このスレ的に大乗「仏典」は最初から除外でいきましょう。 そうですね! 基本的には原始経典/根本経典の内容中心お願いしたいと思います。 (「大乗経典」は仏典ではないので、大乗仏典なるものはありません)
4 :
宝珠愚者 :2009/05/15(金) 10:21:07 ID:lQwuKXJq
>>スレ1/927
>あれー、シナの坊さん達が聴き手(凡夫)対象に大幅にカットしたのですか?
>長部経典の半数以上に、梵天、神、転生、神通について明記されてます。
>大本経では釈尊自ら如来の生まれ変わりを説かれてますよ。
>釈尊の無記も説法相手次第でしょう。
まったくその通りです!
(>>スレ1/962にも完全に同意します)
スッタニパータなどを含むクッダカ・ニカーヤ(小部経典)は殆ど漢訳されず、
パーリ五部から漢訳された四阿含は若干、支那(古代中国)化の色彩を受けているともいわれる。
つまり、霊的な部分は軽視され、現実合理主義的な色彩を帯びていると・・。
日本に伝来した仏教とは、このシナ(漢訳)仏教。
日本仏教はその影響下で育まれてきました。
だから、漢訳仏教の影響に染まった者は、
スッタニパータを読んで“これは反仏教だ!”などというのです。
『この『ブッダのことば(スッタニパータ)』の中では、発展する以前の簡素素朴な、最初期の仏教が
示されている。そこには後代のような煩瑣な教理は少しも述べられていない。
・・・したがってシナや日本の仏教には直接の連絡や影響はまずなかったといってよい。』
(「ブッダのことば」(中村 元著/岩波文庫)の解説)
http://www13.ocn.ne.jp/~ao1520/budda1.htm
5 :
宝珠愚者 :2009/05/15(金) 10:22:29 ID:lQwuKXJq
>>スレ1/933 >宗教は、生存本能を否定するから、それらのすべてが失われてしまうのである。 違うと思いますね。 ま〜宗教と云うといろいろありますから・・。 しかし、正しい宗教では、 生存本能の中に潜む“他を排除しようとする(凶悪な)意識”の制御について説くのです。 >>スレ1/957 >修行しろ、修行しろ、のオウム信者が、一体何を悟ったのかねw。 狂信者のカルト教団での洗脳、マインドコントロールと ゴータマの教え(仏教)を混同しないようにしましょう! 見た目の類似で中身(本質)まで処理しないようにして下さい。 ミソもクソも一緒では困ります。
>>1000 >>990 他人に自分の宗教を押しつけることをしなくなれば、
その問題は起きなくなります。
他の宗教に劣悪・無用のレッテルを貼るなら、それは昔のキリスト教と同じです。
信教の自由を認めない宗教は、活動を停止するか
信教の自由を認めるように改善すべきです。
>>4 > スッタニパータなどを含むクッダカ・ニカーヤ(小部経典)は殆ど漢訳されず、
> パーリ五部から漢訳された四阿含は若干、支那(古代中国)化の色彩を受けているともいわれる。
> つまり、霊的な部分は軽視され、現実合理主義的な色彩を帯びていると・・。
スッタニパータにある霊的な部分とはどこのことです?
>>5 >>宗教は、生存本能を否定するから、それらのすべてが失われてしまうのである。
>違うと思いますね。
別に失われてないこともイスラムを例にあげて説明されましたしね。
ID:iWl8sm7xさんとのやりとりを見て思いましたが
「宗教・信仰・思想に共通点がある」→「じゃあ取り締まる」
これがどれほど恐ろしい濫用を生むかを想像できないのでしょうか。
宗教批判のための対抗馬にはおそろしく能天気な物の見方をなさりますよね。
前スレの最後のレスを見ればわかりますが
結局ほかの価値観、他の文化、他の幸せの在り方が認められないだけなんですよ。
ところで「自称仏教徒」って誰だったんでしょう。
>>1000 > 一旦宗教の呪縛に嵌れば、幸いにしてその呪縛から逃れることが出来ても、
> 本人及びその家族とも、「のた打ち回る苦しみ」を経験しなければならな
> いのだぞ。
ここ、もう少し具体的にお願いします。
どんなことがあったのですか?
「信教の自由」を撤廃するとして、彼は何をするんでしょうか。というか、 それが過程や結果において何をもたらすかってのをそもそも考えてるんでしょうか?
11 :
曉 :2009/05/15(金) 11:00:44 ID:Jlklo/+J
これほど宗教に嫌悪感を抱くのは過去に何かあったのかね 宗教団体あるいはカルト団体などによる実害があったからとか、なんらかの思想本やらに影響されたとか 宗教すべてを一緒くたにして排斥したいみたいな感じだね
12 :
宝珠愚者 :2009/05/15(金) 11:39:54 ID:lQwuKXJq
>>スレ1/972/988
>「信教の自由」の見直しこそ、喫緊の課題でしょう。
「信教の自由を認めない」ということは、
殆どファシズムに近い全体主義的な恐怖です。
それは強制力によって人の自然な心を押さえつけようとする暴挙です。
「これ(無宗教)以外は認めない」とする圧政は恐怖政治。
それは地獄の社会の出現ですよ。
>>スレ1/979
>比叡山で世界の宗教者が集まって、それぞれの神に対して平和を祈ったそうだが、
>自分の神に祈れば祈るほど、対立は激化するということに、彼らは気付いて
>いない。祈るなら、他宗教の神に対して祈るべきだったのだが、
名前が異なっても同一であるという理解が重要でしょう。
それは自分が信じる神の名で構わないのです。
>宗教とは、「人為的に狂気を作り出す営み」以外の何物でもありません。>>スレ1/988
>宗教に精神を犯され、現実性と社会常識から逸脱し、一度きりの人生を
>ムダにしてしまった、多数の宗教被害者のことを、一体どう思っているのかね。>>スレ1/1000
完全にカルトと宗教を混同しているようですね。
カルトについて分ってないのでは?
http://houjugusya.web.fc2.com/cult.htm
13 :
宝珠愚者 :2009/05/15(金) 11:43:39 ID:lQwuKXJq
私は、 ID:iWl8sm7xさんの意見に全面的に賛成します! >反社会的な宗教は保護されていません。 >仏教といえども、他の宗教を攻撃し批判し蔑み、敵視しつづければ、 >今度は仏教が戦争の火種となっていくでしょう。 >>スレ1/977 >宗教よりも信教の自由。これが私がずっと言っていることです。 >他の宗教を蔑み、劣悪のレッテルを貼り、無用呼ばわりすることは、 >生命を尊重するといっていたとしても「宗教の危険」そのものです。>>スレ1/995 『ただ一部分のみを見る人々がこれを論じて互いに争うのである。象とはこんなものだ、 あんなものではない。象とはこんなものではない。あのようなものだ。』 (ウダーナVT.4) 『真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。』 (スッタニパータ884) 『われは世間と争わない。しかし、世間がわれと争う。法を語る人は、世間の何人とも争わない。』 (サンユッタニカーヤV,p.138 f/雑阿含経-第2巻37) 重要なことは相手(他思想/他宗教)に対する寛容さでしょう。 宗教間の違いについての理解は、 他宗教のそれぞれが、互いに真理の違う部分の側面を説いていたりします。 また、それぞれに時代(年月)の変色を受けてしまっています。 とにかく、1番必要なことは他を害さない(無害)ということでしょう。 “信教の自由を認めない”というは、人々の心の強制的な行為であり、 これも最も巨大な暴力の一つかと思います。
14 :
一在家お昼休み :2009/05/15(金) 12:25:08 ID:ob9wEnHa
>>963 /1
『ブッダのことば(スッタニパータ)』のテレパシーですか?
本の後ろの方で釈尊を試そうとしてバラモン青年達が訪れます。
一人が質問を頭の中で考えると、いきなり釈尊が回答されました。
他の経典でも、いきなり釈尊が回答のシーンは多く、弟子達は
すっかり慣れてしまって、「また誰か、神か人が質問したね。」と
談話されてます。
出典はご自身でどうかお調べ下さい。
無記は対話の相手次第だったことがよく悟れます。
スレ1/935 >宗教も、(1)現実界に100%依存し、(2)共生によって維持され >る、(3)生命、の営みに過ぎないのだから、これらの3要素のいずれ >かでも軽視・否定すれば、それは人間の営みとして、矛盾・倒錯であり、 >すべての宗教の教義は、その矛盾・倒錯をなくすべく訂正されなければ >ならない。 これはご隠居の見解である。卓見なので再掲したい。
16 :
宝珠愚者 :2009/05/15(金) 12:43:14 ID:lQwuKXJq
>>7 たくさんあると思いますが、私の目にとまった幾つかです。
『実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へ、暗黒から暗黒へと(生まれか
わる)。死後には苦しみを受ける。』(スッタニパータ278)
『あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、
清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という。』(517)
『前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅し尽くすに至った人、かれをわたしは〈バラモ
ン〉と呼ぶ。』(647)
『けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。
愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。』(666)
『非物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅を知らな
いので、再びこの世の生存にもどって来る。』(754)
前スレで、生命よりも大事な精神的な価値があるという主張があった。 まさにそれが宗教であり、その主張の趣旨は理解できる。 しかしその主張には危険なものが含まれている。 たとえばジハードを理由にした自爆テロ。 そういった危険性をいかにして回避するのかが問われている。
宗教法人の中心問題は、その収入が非課税であるという点にある。 非課税という特権を廃止するならほぼ解決してしまう。
ご隠居のアプローチが正しいのはつぎの点にある。 人は何かを信じた時点で、根拠のない、ある思い込みをもつことになる。 そして宗教との関わりに応じ、思い込みも深く深く刻まれていく。 それが思い込みであることに気づくのは容易ではない。 自分が自分に気がつくようなものである。 ご隠居はこの思い込みを指摘している。 その催眠状態を破るものが、現実・共存・生命ということなのだろう。
20 :
宝珠愚者 :2009/05/15(金) 13:24:02 ID:lQwuKXJq
>>17 最重要事項は「無害」です。
宗教的、霊的な概念を理由にして相手に危害を加えるなどは言語同断。
ましてやテロ殺人など・・。
相手がたとえ無宗教者、唯物論者、他宗教信者であろうと、
だからといって相手を殺害してもいい、という理由にはならない。
たとえどんな人間にも、
その本質には神(仏性)が宿ってる。全ての人間は同じ神の子であり、兄弟姉妹である。
という基本的理解が必要なのです。
見た目や如何なる条件(所属)にも関係なく、あらゆる人間はその本質において神聖であると。
まずは無害。
危害を加えようとするどんな宗教者よりも、
無害でいる普通の人のほうが遙かに優れている。
信仰の道がふたつある。どちらが正しいのかよくわからない。 1 何かの縁で、根拠不明なまま信仰の道に入る・・・易行道 2 疑い、疑い、自分の目で確かめながら信仰の道に入る・・・難行道 1の場合は、運不運があり、宗教の種類や指導者の良否に左右される。 2の場合は、本格的だが、信仰に到れるのかどうか不明である。
22 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 14:03:13 ID:QsP5jm0D
>>6 >信教の自由を認めない宗教は、活動を停止するか
これはまったく「信教の自由」を理解していない提案としか思えない。
活動を停止するような規制をつけることはすなわち信教の自由を認めない
ことになる。いかなる反社会的な思想であろうとその信教は自由でなければ
ならない。反社会的な行為があればそれは別の法律で規制すればいいだけ。
信教の自由を規制してはならないし、政治で規制できることではない。
23 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 14:18:21 ID:QsP5jm0D
宗教法人法は特定の宗教団体を国家が保護するもので 憲法第20条に違反する悪法である。 宗教法人でなくても宗教活動にはなんら支障ない。
24 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 14:29:00 ID:QsP5jm0D
>>16 これらは輪廻転生を前提にして釈迦が説法してるだけでしょう。
そのどこが霊的なんでしょうか?
輪廻転生は当時のインド社会での常識でありそれを下に説法するのは
当たり前のことでしょう。いわゆるウソも方便ということだね。
釈迦が輪廻転生を道馬手いたことも確かでしょう。しかしそれは不滅の魂
が輪廻転生するなんて考えてなかったのではないか?
輪廻は涅槃とまったく同じである、という考え方もある。
>>22 すべき、というのは個人的意見ですから、好きに思っていいですよ。
>>23 問題になるのは、裏寂れた神社なんかの場合で、
個人資産ということになると、遺産相続などで土地が分売されたりということが起ってくる。
他の法人にするというのもあるが、固定資産税が払えなければやはり売って金にかえるという現象が起きてくる。
非課税地であれば、長年そこにあるお社などが経営不振故に撤去されることを免れやすい。
収入が大きい新興宗教などからは普通に税金とっても多分問題ない。
信教の自由をやたらあげてるが ヨーロッパの新旧の争いは、結局、それぞれに国家を分けることで解決してるんだが・・・。 ドイツなんかはいまだに自分の国は自分の宗教の国と意識してる部分があるよ オランダとベルギーの区分もそうだったろ ただ、相手の存在を認めることに信教の自由があるわけで 宗教を理由にした戦争を極力政治からなくしていったところに意味がある。
>>21 易行道と難行道については難行道を正解にしたい。
なかなか悟れないから易行道があるのであり、
悟りの道が平坦になれば、自分の目で確かめるのがいいに決まっている。
これまでは時代の制約もあって易行道もやむをえなかったが、
いまや宗教組織に頼らなくても十分な情報を得られる時代になった。
情報を活用すれば悟れるはずである。
であるから、ご隠居のアプローチこそ、正解であると認定したい。
ご隠居は肝心の自分自身の思いこみについては、まったく反省も批判もする気がないから その点は頑迷なキリスト教徒と同じなんだよね。 人の話聞かないし。こんな風にはなりたくないな。
いまは昔に比べたら十分すぎる情報がある。 情報が少ないのではない。そうではなくて情報が多すぎる。 いまは情報を捜し求めるのではなく、 情報を料理し、活用することが求められている。
32 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 17:30:29 ID:vQ6mq02+
ご隠居は自分(我)を原点にしている。 そして素直に考えれば、自分(我)を原点にするのが正解だと思う。 思い込みに関しては、現実・共生・生命という視点と共に、 仏教の「空」という道具が重要に思う。 「空」は悟りではなく、思い込みを切開するメスではないだろうか?
33 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 17:35:41 ID:vQ6mq02+
>30 刺し傷を見せろとイエスに迫ったトマスに共感する
結局仏教は有情、無情を認めないのだ。ここから空なるものを 引き起こし、形而上学的基盤、場をつくることを目的とした。 有情、無情においても客体、外界が存在しえない、唯識、唯、意識のみ 存在するのだ。これが空である。
35 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 18:16:17 ID:SRBjeENw
前スレ>925 >私はオウム出家者から一般信徒が持たない資料も入手していますし、 麻原の肉声説法カセットテープ(今や貴重か?)も数巻持っています。 ↑ って、オウム脱退に協力した牧師等の関係者・・と自ら証明してるじゃん!
36 :
曉 :2009/05/15(金) 18:25:23 ID:Jlklo/+J
空を想定すれば空見風情と罵られそうだ(笑)
37 :
曉 :2009/05/15(金) 18:45:13 ID:Jlklo/+J
宝珠氏って脱洗脳家なの?
38 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 19:37:14 ID:QsP5jm0D
>>27 神社だってホントに大事なものだったら氏子中がきちんと
護ってけるんじゃないかね。どうでもいい無関心派がほとんど
だから立ち行かなくなるんじゃないかな。そんな神社なら
つぶれて当然じゃないか。諸行無常は人の世の慣いだね。
39 :
神も仏も名無しさん :2009/05/15(金) 20:13:04 ID:QsP5jm0D
>>26 そうですね。「すべき」なんて根拠も無く言ってみても始まらない。
40 :
宝珠愚者 :2009/05/16(土) 07:04:47 ID:SScx3FZ0
>>19 ご隠居のいいたいこと(これらの点について)は私も分ります。
歴史的な宗教の弊害部分やカルト犯罪(反社会性)に対する彼の怒りは理解できます。
>>29 >>31 求めさえすれば、
“教え”は入手できる時代となりました。
もう、組織に依存(加入しなければならない等々)したり、
導師(グル)に直接つかなければならない時代は終わりにきているのだと思います。
この依存体質という伝統は、帰依するグルが間違っていればすべて終わりです。
それは付随する皆んなも間違う・・。
自分で考えることなく、帰依者の命令を絶対として従うところに恐ろしさがあります。
また、宗教は組織化することで教えの本質を忘れ、
組織の維持拡大にエネルギーを費やす羽目に陥っている・・。
41 :
宝珠愚者 :2009/05/16(土) 07:07:22 ID:SScx3FZ0
>>35-37 いや、そういうことはしてません!
ただ、オウム/カルト問題については決して、
他人事にしていてはいけないと見なしているのです。
私も、そのような教団に洗脳されて熱心に陶酔している人には、一体どうしたら良いのか?
そういうことを真剣に考えます・・。
私もご隠居のように、たぶん「生命」や「社会」といった
人間生活としての基本については話すだろうと思う。
(ただ残念なことは、ご隠居は宗教世界にあまりに幻滅してしまい、
宗教の説くことすべてを否定してしまっていること)
オウムについては、サリン事件(松本)以前から、
彼らの気になる動向について関心を向けてきました。
まっ尤も、「オウム神仙の会」当時から興味深くみてきたのです。
また、自分と彼らのどこが同じでどこが違うのかを比較し、
それを明確化するという意味においてもです。
日本のサンガは戒律ももたず戒を授けることができる戒壇も結界もないから 組織として腐るのは当たり前
43 :
一在家通りすがり :2009/05/16(土) 09:07:01 ID:vJCV3rsW
『ブッダのことば(スッタニパータ)』のテレパシーですか? 本の後ろの方で釈尊を試そうとしてバラモン青年達が訪れます。 一人が質問を頭の中で考えると、いきなり釈尊が回答されました。 アートマン(魂)からアートマンへ、言葉(音波)を使わずに、 情報伝達できることが長部経典にも度々記載されております。 前世を読み取る漏尽通とともに、十分に霊的なことだと思います。
44 :
旧7 :2009/05/16(土) 10:51:36 ID:OBD5VGQs
このスレ1000まで使って、 一つ二つアンケートとってみるか・・。 0: 「初転法輪という出来事が実際にあった」と思うか思わないか。 1: 初転法輪に関して、「五比丘と釈尊の議論があった」と思うか思わないか。 2: その議論(の様子・内容)は、(転法輪経の記述のように) 「簡潔で、速やかで、スムーズで、形式の整ったものであった」と思うか思わないか。 これは、 仏典の記述を、記述通り読むか読まないか、とも関わるし、 仏典に記述されない部分にも多大な情報・重要な要素があったことを意味するし、 仏典の記述全てが、(たとえそれがどれほど古いものであろうと) (記憶や理解の便の為)『省略、捨象、まとめ、推敲、脚色、引用、慣用句・ことわざの使用、修飾』等 が、なされている可能性を示す。 釈尊と五比丘の間で、どのような議論がなされたのか。 現存仏典に於いては、その過程は略され、捨象されているが、 (―それが行・道として、智として“不要である”というのは解るが・・―) 私は、ここにこそ、このときのやりとりにこそ、 仏教の、最も仏教らしい部分が論じられていたと思うのだ・・・。 伝わっていないのが惜しまれる・・・。 転法輪経(≒現存仏典)は、要点のみの議事録だ。 もし、対話の全てが残されていたら、教義に於ける、このような大きな変容・多様化は無かったかもしれない。 同時に、今のように大きな発展もしなかったかもしれないが・・・。
>>44 0: 「初転法輪という出来事が実際にあった」と思うか思わないか。
思う。場所・人数は怪しいが、
まず最初に、同時期に修行していた人に説法するという事自体はあったと思う。
1: 初転法輪に関して、「五比丘と釈尊の議論があった」と思うか思わないか。
会話はあったと思う。論理的な討議みたいなものではなかったと思う。
論証的な雰囲気があるとは思えない。
2: その議論(の様子・内容)は、(転法輪経の記述のように)
「簡潔で、速やかで、スムーズで、形式の整ったものであった」と思うか思わないか。
思わない。人数も少ないし、形式に拘る理由がない。
> 私は、ここにこそ、このときのやりとりにこそ、
> 仏教の、最も仏教らしい部分が論じられていたと思うのだ・・・。
> 伝わっていないのが惜しまれる・・・。
文章に書き起こしても、他の人にはわからないかもしれない。
カラスが鳴くのを聞いて悟った人もいるし、桃の花を見て悟った人もいるけど、
その話を聞いて「ああ。なるほど」と思うことができるのは悟った人だけだしな。
46 :
旧7 :2009/05/16(土) 12:13:39 ID:OBD5VGQs
>>45 そんな身も蓋もないことを・・・・・・w
orz
47 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 13:22:25 ID:77nGeJQw
釈尊が説いたといわれる「空」は、バラモン(ヒンズー)教の ブラフマンとアートマンの文脈で理解すべきものである。 仏教のように「空」だけを取り出しても空論にすぎない。 実体がないものを認識できるわけがないからだ。「空」が悟りなら、 仏教の長い歴史において、だれひとり悟ったものはいない。 これからも永遠に悟れないだろう。
48 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 13:42:28 ID:9SADbRvg
スッタニパータ第五 彼岸に至る道の章、にすでに「空」は出てくる。 ブッダの言葉(岩波文庫)から引用する。 1119 (ブッダが答えた)、 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、 世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることが できるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王> は見ることがない。」 学生モーガラージャの質問に対する回答だね。 「空」の概念は大乗の般若経や法華経で突然出てきたわけではない。
49 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 14:05:24 ID:77nGeJQw
悟りに関連して 創世記3章「蛇の誘惑」の話は暗示的である 1 人は「善悪の知識」の木からその実を食べた・・・原罪 2 神によって人は楽園から追放された・・・ その理由は「命」の木からその実を食べさせないため。 3 楽園はケルビムときらめく剣の炎で守らせた。 「善悪の知識」・・・仏教は善悪を「空」と観じる 「命」・・・悟りは「空」。仏教は肝心の「命」を忘れてしまった。 楽園を守っているものがある・・・仏教はこの認識が欠けている? 蛇とは何か・・・悪魔だろうか?
50 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 14:37:53 ID:77nGeJQw
神の楽園を守っているものがある きらめく剣の炎・・・「空」であれば「剣の炎」が「空」を切る。 仏教の空観はこれに対応するものではないだろうか。 ケルビム(神を守る天使)・・・ 人は根源的に不浄である。そして不浄である限り神に近づけない。 ではどうしたらよいのか。→ 悔い改めしかない。 蛇(悪魔)・・・自分中心の思いを利用して罪に誘う。 自分を捨てることが可能かどうか。
51 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 14:43:45 ID:UMR2lX+h
>>50 >人は根源的に不浄である。
キリスト教とは全く異なり、仏教は人間を軽視・否定することはしない。
「一切衆生悉有仏性」。
52 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 14:48:36 ID:77nGeJQw
>>48 よく読めば「世界を空なりと観ぜよ」が手段になっている。
目的は死を乗り越えて彼岸に到ること。
創世記の話とダブル。彼岸とは神の楽園のことである。
53 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 14:55:17 ID:77nGeJQw
>>51 創世記には、神は「神の息」を人に吹き込んだとある。
だから人は、神ではないけど、神性を持つといってよいだろう。
人が不浄になったのは善悪の知識を身につけたため。
キリスト教はパウロが作った新興宗教です。
ここでいう善悪の知識は、分別知と大体同じことだろうね。 神性と仏性も大筋では同じことだろうと思う。
>>50 神の楽園を守っているものに「蛇」を入れてしまった。
何気に書いたけど正解だったかもしれない。
> 仏教は肝心の「命」を忘れてしまった。 大筋では仏性や菩提心に該当するんじゃないだろうか。 キリスト教ではイエスが命に該当するらしい。 > 楽園を守っているものがある・・・仏教はこの認識が欠けている? ケルビムの炎は「超えられない壁」のことを示していて、 若干微妙だけど仏教では輪廻という言葉で象徴されているように思える。
57 :
宝珠愚者 :2009/05/16(土) 15:20:13 ID:SScx3FZ0
う〜む。本日、 図書館で注文した4冊の文献(経)をやっと入手しました。 『原始仏典』第一巻・長部経典T-中村元監修/春秋社刊 『原始仏典』第三巻・長部経典V-中村元監修/春秋社刊 『現代語訳「阿含経典」長阿含経』第4巻/平河出版社刊 『梵網経』佛典講座14-石田瑞麿著/大蔵出版社刊 『自歓喜経』は、春秋社刊『原始仏典』第三巻と 平河出版社刊『現代語訳「阿含経典」』に収録されており、 真言氏により指摘を頂いた外道(バラモン)と仏教の決定的違いを説くという『梵網経』は、 春秋社刊『原始仏典』第一巻にも収録されています。 (これはイイですね!自分で欲しくなってきました) ザンネンながら、 石田瑞麿著のほうはパッ!と見で、 書籍そのものが古過ぎなのか文体があまりに古くて堅い・・。 これでは仏教関係でなくても読み難いので、たぶんパスかも(笑) 返却期日もあるので、必要箇所を重点的に読んでできればコピー摂ります。 それぞれ千葉県、宮城県、札幌市の図書館からの手配でした。 てかぁ、図書館担当の女性が可愛かった。また行こう! 感謝!! m(__)m
>>46 まぁそうは言っても、言語的には四諦しか説いていないんじゃないかとは思う。
苦行者は既に苦しみから逃げたいという心を自分が持っているということを十分体得しているし、
ましてや「この苦しみはおかしい」「苦しいなんて理不尽だ」という思いは生じにくくなっているから、
この世を苦しみとして見る(苦諦)ということがしやすくなってるんじゃないかと思う。
いくら言語的に苦諦を理解しても、自分のことになると心の底では「苦しいのはヤダ」
「そんな話聞きたくない」と思うのが凡夫だから、
その点では最初の説法の相手として苦行してた人たちを選ぶのは非常に妥当な気がしないでもない。
>>56 仏性や菩提心は「命」のようだけど、
具体的なイメージが欠けているので概念になってしまう恐れがある。
創世記では木の実という具体的なイメージで書かれている。
新約では、イエスが「命」であると表現される一方、
信じる者に「永遠の命」として与えられるものとしても表現されている。
神が楽園を守る理由については創世記3章に書かれている。
それは人が善悪の知識をもったことである。
ケルビムも剣もそれに備えるためと理解するのが合理的だろう。
輪廻には「命」そのものとは異なる由来がありそう。
たとえば差別を固定化するため。
60 :
宝珠愚者 :2009/05/16(土) 15:46:47 ID:SScx3FZ0
>>16 『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅を知らな
いので、再びこの世の生存にもどって来る。』(スッタニパータ754)
失礼-訂正します
× 非物質的領域に生まれる諸々の生存者
○ 物質的領域に生まれる諸々の生存者
61 :
一在家通りすがり :2009/05/16(土) 16:11:00 ID:DHGM51rW
>>57 >春秋社刊『原始仏典』第一巻にも収録されています。
>(これはイイですね!自分で欲しくなってきました)(中略)
>返却期日もあるので、必要箇所を重点的に読んでできればコピー摂ります。
>それぞれ千葉県、宮城県、札幌市の図書館からの手配でした。
是非、ご自身の手許におかれて、今後も仏教関連、宗教関連板での
かきこに活用されることをご祈念申し上げます。
>>56 ケルビムに輪廻の意味があるかどうかはよくわからない。
はっきりと断定できるほどにはまだ熟していない。
仏教には自利や自他や懺悔や慈悲などがあり、
これらを整理すれば、聖書の考え方とかなり似ているのではないか。
空を単なる道具にすればそうなる。
63 :
旧7 :2009/05/16(土) 20:05:33 ID:OBD5VGQs
>>58 要点として、
『中道』『(「一切無常」「一切苦」「五蘊無我(非我)」)「四諦」(「八正道」)』 しかないので、
確かにそうかもしれないが、
「五比丘は、どのように反論したのか」「それに対し、釈尊は何と返したのか」
そして、最終的に「どの時点で(≒釈尊のどのような言葉で、言葉の積み重ねで)理解納得したのか」。。。
残っていれば、大いに参考になったろうに・・・。
(また、仰るように
「四諦」が(中心として)説かれ、それが(特に集諦・道諦に於いて)「縁起」という考え方とリンクしているにしても、
舎利弗と出会ったアッサジが、≪縁生偈を【ブッダのメインの教説として】唱えた≫ことと絡めれば、
五比丘との間で交わされたやりとりの中には、実に多くのものがあったであろうことは想像に難くない・・。)
さぞ激しい論戦だったろう・・と、妄想が止まらないwww
彼らが最初の相手であったことは、
状況的必然でもあり、又、釈尊自身の期待・計算でもあったろうと、私も思う。
64 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 20:10:13 ID:qIlDX+Fs
創世記3章で注目すべきは「命」の木だろう。 生命が木の実としてたとえられる。 これは「命」が対象化される可能性を暗示している。 そして神は、この「命」が食べられることを恐れている。 食べられるとは知られることである。 この木の近くに神がいる。
65 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 20:27:11 ID:qIlDX+Fs
そして「命」の木になっている実に神通力がある。 それを食べることが「悟り」である。 創世記3章は短く簡潔であり、だれでもすぐに理解できる。 難しい古文書を読むより何十倍も役にたつ。
66 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 20:40:48 ID:iXhhL8S2
>>64-65 君の言ってることは、ピカチュウについて語る子供となんら違いはない。
>図書館担当の女性が可愛かった。また行こう! 喝!!
68 :
神も仏も名無しさん :2009/05/16(土) 20:52:54 ID:qIlDX+Fs
生半可な知識人は始末が悪い。 ゴミのような知識を学んで、学べば学ぶほど迷いを深くする。 何のために「空」を観じるのか。 悟るには子供のような単純さが必要なのだよ。
70 :
一在家通りすがり :2009/05/17(日) 01:01:11 ID:1KzqbaIy
長部経典「ディーガニカーヤ」には34経が含まれますが 神や転生や神通が記載された経典をカウントしてみました。 ・21の経典に神/梵天/悪魔に関する記載あり ・19の経典に前世/再生/輪廻に関する記載あり ・14の経典に神通力に関する記載あり ・8つ(2割強)の経典には形而学上の説法はない ・少なくとも2つの経典に形而学上の無記に関する記載あり 後世の経典の作者(編集者)やシナの坊さん達はこれらマイナー な「無記」に関する経典を大きく取り上げて、釈尊は無記の立場を 取っていたという擦りこみを行ってきたのかも知れません。 旧7氏のご指摘の通り、全体を見ずに部分だけ見ると誤りということです。 長部経典「ディーガニカーヤ」全体では神や転生や神通の説法が メジャーであるのに、マイナーな無記の説法を取り上げて仏教徒達を ミスリードしてきた坊さん達が多かったということです。
71 :
一在家通りすがり :2009/05/17(日) 01:02:39 ID:1KzqbaIy
形而学上の説法の無い8つの経典を調べてみましたが、説法相手は (私の仮説通りで)修行の浅い比丘達やバラモン達だったことが分かります。 01経では遊行者、500人の比丘 09経では遍歴の行者 ※形而学上の質問には無記 12経ではバラモン 15経ではアーナンダ(尊者と呼ばれる前の弟子の頃?) 16経では比丘達 22経では修行僧達 29経では修行者 ※形而学上の質問には無記 31経では資産家の息子 宝珠氏が認識されました通りに、シナの坊さん達のマイコンが 効を奏して、日本に伝来した経典に固執した仏教徒の多くは、 長部経典「ディーガニカーヤ」を読んで拒絶するかと存じます。
72 :
一在家通りすがり :2009/05/17(日) 01:04:03 ID:1KzqbaIy
これはヨハネの福音書の書記(編集者)のマイコンが効を奏して、 マルコ、マタイ、ルカでは「神の子、メシア、人の子」だった イエス様を、神自身だと信じているクリスチャンが実に多いことに よく類似しているかと存じます。 おあとは宜しいようで、私のハンドルは「通りすがり」ですので、 続きは宝珠氏にお任せします。
73 :
旧7 :2009/05/17(日) 01:14:12 ID:6XPh2blO
レスチェックしてシャットダウンしようと思った矢先に、このレスかwww
>>70 >全体を見ずに部分だけ見ると誤りということです。
てめぇのことだ!w 馬鹿たれw
寝る! (`ヘ´#) =3
>>69 子供のような心をもっていたら、
そんなこと気にしない。
>>70 ディーガニカーヤ自体が、スッタニパータなどに比べると随分新しいわけでね。
如是我聞で始まったり、三十二相やら超能力やら仏陀の神格化が著しい。
>>74 そういう逃げ方しているうちは、迷ってるってことです。
77 :
一在家通りすがり :2009/05/17(日) 02:44:14 ID:1KzqbaIy
>>75 >如是我聞で始まったり、三十二相やら超能力やら仏陀の神格化が著しい。
仏陀でなくても、修行完成者は六神通の内のいくつかを使えたと記載が
ありますね。
「如是我聞」で始まるのは、シナの坊さんが訳した「長阿含」の方ですか。
>>77 六神通というのがそもそも後代の追加を含むもので、
元々は漏尽通のみであったか、もしくは三明だったようです。
いずれにせよ仏陀の神格化が行われているのは間違いないと思います。
そういう意図のある経典ではないでしょうか。
> 「如是我聞」で始まるのは、シナの坊さんが訳した「長阿含」の方ですか。
パーリです。
79 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 06:27:32 ID:vgKORlWX
>>72 >おあとは宜しいようで、私のハンドルは「通りすがり」ですので、
>続きは宝珠氏にお任せします。
投稿する時間があまりないようですが、
そういわずに気長に宜しくお願いします。
>>14 >>43 >『ブッダのことば(スッタニパータ)』のテレパシーですか?
>前世を読み取る漏尽通とともに、十分に霊的なことだと思います。
>無記は対話の相手次第だったことがよく悟れます。
『質問者が何ごとをも聞かないのに、(ブッダが)質問に答えたもうたのを聞いて、
すべての人は感激し、合掌して、じっと考えた。── 』
(スッタニパータ1023)
『「神か、梵天か、またはスジャーの夫なる帝釈天か
──ともかく誰が心の中でそれらの質問をしたのだろうか?また誰に答えたのだろう?」』(同1024)
80 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 06:29:50 ID:vgKORlWX
>>75 >長阿含経(ディーガニカーヤ)の(I-3)阿摩昼経(AmbaTTha-sutta)は
>この経典の中で仏の三十二相の話が出てきますが>>スレ1/533
『諸々の神呪(ヴェーダ)の中に、三十二の完全な偉人の相が伝えられ、
順次に一つ一つ説明されている。』(スッタニパータ1000)
『肢体にこれらの三十二の偉人の相のある人、──かれには二つの前途があるのみ。
第三の途はありえない。』(同1001)
『そこで(アジタは)師(ブッダ)の肢体に円満な相好のそなわっているのを見て、喜んで、傍らに立ち、
こころの中で(ブッダにつぎのように)質問した。──』(同1017)
『[師いわく]、「かれは舌を以てかれの顔を蔽う。かれの両眉の中間に柔い白い毛(百毫) がある。
かれの隠所は覆いに隠されている。学生ょ、(かれの三つの特徴を)このように知れ。」』(同1022)
前スレにも取り上げられましたが、
しかし、仏の三十二相はすでに最古といわれるスッタニパータに出てくるわけです
(大舌相、白毫相、陰蔵相・・)。後代の神格化として処理するのにはあまりに古いものであり、
スッタニパータ(1000)によれば、その起源はヴェーダにあるという。
* ヴェーダのどこに仏の三十二相の起源が記されているのか?ご存知の方は教えてください!
81 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 06:33:47 ID:vgKORlWX
神格化(後代の)と真実の神通の記録と教えを区別、識別することは相当に困難なことです。 究極のところは、これは自らの体験にとって確認されていく事柄だろうと思います。 一つ分ることは、聖者を讃える事柄については訂正されることなく、 そのまま継承されている傾向については感じます。 しかし、物質科学的な否定的見解でそれらを全て“在り得ないもの”と見なし、 全て後代の神格化で処理するのは戴けません。 長阿含経(ディーガニカーヤ)は、 「原始経典のおいて最も後代に属する成立であり、神格化が激しい」という指摘をチラホラ見ます・・・。 しかし、神通の話を後代の神格化と決め付ける人々による判断であるかも知れず、 逆に内容的には、スッタニパータに通じる原初的な逸話の記載で満ちているのかもしれません。
82 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 06:35:51 ID:vgKORlWX
>>78 >六神通というのがそもそも後代の追加を含むもので
サンユッタ・ニカーヤ/雑阿含経でも「六通」(六神通力)は説かれています。
『サーリブッタよ、この五百の比丘たちのうち、六十人の比丘たちはすでに三明をえた者であり、
六十人の比丘たちはすでに六通をえた者であり、さらに六十人の比丘たちは倶解脱をえた者であり、
その他の者は慧解脱をえた者である。』(サンユッタ・ニカーヤ8-7/雑阿含経45-15)
PS:スレ1/575『サンユッタ・ニカーヤ8-6』はタイプミスでした。正しくは8-7ですm(__)m
増谷文雄氏によれば、
『「漢訳四阿含」のなかの『雑阿含経』、および「パーリ五部」のなかの『相応部経典』
(Samyutta-nika^ya)が、もっとも素朴な経典の集録であって、そこに原初的な基体に近いものが
存在すると考えられる。このことは、いまや、阿含部の諸経を研究する学者たちの、ひとしく認める
ところである。』(増谷文雄著『阿含経典』第一巻総論/筑摩書房刊)
83 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 08:37:22 ID:c6aPhoiZ
仏典を聖典や聖書と勘違いしてる人が多いね。 仏典(お経)はインド教(バラモン教)のヴェーダのような聖典ではない。 ブッダの言行記録の伝説がアーガマといわれるお経だろ。 古いものほど仏教の独自語(専門用語)がなく当時のインド文化の主流であるバラモン教 の言葉で説法している。まさに対機説法といわれるとおりだね。 それから現代に至るまでインド人の空想好き、フィクション好きは変わらない インド文化だ。神や悪魔や神通力の話はすべてフィクションであって形而上学 や宗教とは関係ない。 神通力などの話が好きなら法華経がその集大成だと思うのでお勧めだね。 たとえ話の文学として非常に面白いのが法華経だね。 法華経はちょっと長いのが玉に瑕だけど。
84 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 08:39:06 ID:vgKORlWX
そもそも、 経典の成立年代についての現代解釈(定説化)はどこまで進んだのでしょうか? 成立年代順に列記すると、 「スッタニパータ」(経集)→「ダンマパダ」(法句経)→「ウダーナ・ヴァルガ」(自説経) →パーリ五部の「サンユッタ・ニカーヤ」(相応部経典)→「マッジマ・ニカーヤ」(中部経典) →「ディーガ・ニカーヤ」(長部経典)→「アングッタラ・ニカーヤ」(増支部経典) (「ウダーナ・ヴァルガ」とは「スッタニパータ」や「テーラ・ガーター」などから編集された経) 対応する漢訳は、 「法句経」→「感興偈」→「出曜経」→四阿含の「雑阿含経」→「中阿含経」→「長阿含経」 →「増一阿含経」(「スッタニパータ」は対応する漢訳経なし) という感じでしょうかね? 是非、詳しい方の解説と提示を希望します。
85 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 08:41:46 ID:vgKORlWX
大舌相:
『舌が軟薄で広く長く、口から出すと髪の生え際にまで届くこと。
しかも、口に入っても一杯にはならない。』
http://www.bunkaken.net/index.files/kihon/32sou.html しかし、
ゴータマが質問者アジタの師/バーヴァリの特徴について述べた
という(スッタニパータ1022)
>>80 、「大舌相」については一体、どう見たらいいのか?
私は、
基本的にこういうのは「象徴」(喩え)なのだろうとして見ています。
つまり、例えばこれなどは、法(教え)を説く人というのは、
その話す言葉も語り口も流暢で上手だろうということです。
それが「舌」として象徴されており、
このことの誇張意は舌の大きさや長さとして表現されるのだろうと。
そうでなければ、蛇のような長い舌が大覚者の相(身体的特徴)だとはとても考え難い。
仏典の記述は実際の史実でもあり、
また且つ、象徴と宗教としての文学的な作品であるとして見なす必要もあるということです。
86 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 08:55:39 ID:c6aPhoiZ
>>85 >仏典の記述は実際の史実でもあり、
インドには正史がないから仏典の文献考証が難しいといわれる。
中国で翻訳された大蔵経のほうから年代考証されていると聞いたことがある。
中国は文字の国・歴史の国だから記録はしっかりしている。
お経がどこまで史実なのかは検証しようが無いのではないか?
いいつたえ・アーガマというのが本当のところだろ。
87 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 08:57:31 ID:jk8Ntp1P
>>82 人間の科学や理性の驚異的発達により、我々は、釈迦の時代は勿論のこと、ほんの
一昔前に比べても比較にならないほど恵まれた、人類史上最も恵まれた時代に
生を享けたことに感謝し、子孫のために、この時代をさらにもう一歩進めるこ
とが責務ではないのか。大昔の文献や思想にばかり執着するという、時代錯誤
の愚を犯すべきではなかろう。人生は短いのである。
一昔前に比べれば、現代は、まさに天国と地獄ほどの差がある。歴史を振り返って
見るだけで明らかであろう。
君は、この点に関し、一体どのような努力をしているのか。
88 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 09:02:44 ID:c6aPhoiZ
仏教の主義主張など仏法は論蔵、宗教的な儀式規約は律蔵を調べたほうが 早いのではないか?お経は説法集にすぎない。人を見て法を説くのが 仏教だろ。
89 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 09:08:27 ID:U/8vOLIw
論蔵、いきなり読んでもチンプンカンプンかもよ。
>>80 > しかし、仏の三十二相はすでに最古といわれるスッタニパータに出てくるわけです
> (大舌相、白毫相、陰蔵相・・)。後代の神格化として処理するのにはあまりに古いものであり、
> スッタニパータ(1000)によれば、その起源はヴェーダにあるという。
三十二相にはホモサピエンスには無理な身体的特徴がいくつか入っているわけです。
経典に書いてあるという理由で、それらの身体的特徴さえ釈迦の肉体的特徴を記した事実として
考えるのもひとつの方法かもしれませんが、
私としては、経典の新旧を問わず、その経典に三十二相について書かれていれば、
その部分は神格化の影響を受けていると判断します。
というより、三十二相の記述自体が、神格化のマーキングだと認識しています。
スッタニパータの記述も確認しましたが、釈迦が自分を信じさせようとして
自分の額や耳をペロペロなめるのは、正直異様です。
いくら説法のため、方便とはいえ、これでいいのか?釈迦よ、本当にこれでいいのか?
と思わずにはいられないわけです。私見ですが。
このペロペロが「事実」でないなら、経典において事実として捏造されたものですし、
明らかに精神的なものではなく「身体的特徴」として描かれている以上、
その意図は神格化以外にありえないということです。
> * ヴェーダのどこに仏の三十二相の起源が記されているのか?ご存知の方は教えてください!
リグ・ヴェーダの中にインドラの身体的特徴について記した部分があります。一番古いのはたぶんここ。
>>82 ttp://www.soka.ac.jp/soka/common/pdf/20_jinbun1.pdf 結論だけ抜き出すと、
「そして@の戒蘊の増広、及びDの六神通への発展については、戒蘊の性格を変化させ三明に神通力を付加することによって、
バラモン教や六師に代表される外教思想に対して仏教側がより優れていることを示す目的があったと考えられる60。」
91 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 10:16:39 ID:vgKORlWX
>>88-89 そうですか・・。
私は三蔵中の「経」(sutra)しか知らず、「論蔵」というのはよく分りません。
具体的にはどんな感じの記述(内容)なのか?
何かどこかの一部を抜粋で紹介してみてもらえませんか?
92 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 10:17:39 ID:vgKORlWX
>>87 >一昔前に比べれば、現代は、まさに天国と地獄ほどの差がある。
>歴史を振り返って見るだけで明らかであろう。
もちろん痛感します。
そこに有難い喜びを感じています(感謝)!!
こんな私などは・・もしも中世ヨーロッパなどに生れていれば、
間違いなく、すぐに火あぶりで処刑されているでしょう。
これは人類全体の意識の向上(進化)であり、
民主主義と科学の進歩の貢献(迷信の排除も含む)として計り知れないでしょう。
そこに到るまでに多くの血が流され、やっと獲得した叡智かと思います。
>君は、この点に関し、一体どのような努力をしているのか。
私は宗教者が推奨して説くような、
過剰な祈りと崇拝を捧げる人々の生涯には強く否定的です。
その時間があれば、実社会での自身の貢献に費やされるべきです。
人類(社会)の進歩と向上に貢献することが最上の美徳であり、また自己の向上にも益するものです。
そしてできれば、無償で貢献する部分があれば更にいうことはないでしょう。
「人類の進化(意識レベル)」が、この私の捉えているテーマです。
私個人は、
自然災害の悲劇から尊い人命の犠牲が少しでも減少するよう、
そのような分野に携わる民間研究家の一人です(詳細は伏せます)。
93 :
旧7 :2009/05/17(日) 11:22:28 ID:6XPh2blO
>>77 たしか、現存パーリでは、ほぼ、
経蔵は「 evam me sutaM. ekaM samayaM bhagavA 云々 」(Snも、散文部分はevam me sutaMからだったと記憶する)
律蔵は「 tena samayena buddho bhagavA 場所. ( tena kho pana samayena 云々. / atha kho (bhagavA) 云々) 」
論蔵は・・・ 忘れたw (多様過ぎてたのかな? てか、論蔵にはタッチしてないからなぁ・・・w)
と始まってたと思うんだけど・・・w
何と比べて話してるんだい?w
事実はどうだったのか、という知的好奇心を否定する理由にはならんなあ。 大仰な書き方をしているが、単に他人の好みにケチをつけてるだけ。 人生は短いというのに、不毛だなあ……。 少なくとも自分は興味範囲の違うだけの相手に「愚」とか言えるほど傲慢にはなれないわ。 たとえその趣味に全く共感できなくてもな。 >民主主義と科学の進歩の貢献(迷信の排除も含む)として計り知れないでしょう。 このスレでやっているのはその恩恵を生かすことであるとも言える。 本屋や図書館を使えば簡単に文献が手に入り、しかもこうした場所で 気軽に話し合うことができる。昔なら限られた人間にしかできなかった事。 ほんとうに素晴らしくて楽しい。
95 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 11:33:38 ID:vgKORlWX
従って、 私は人類の進化向上に益するものは全て、 人間に内在する本質(神性)に属するものとして見なします。 分野は政治、経済、医学、自然科学・・を問いません。 宗教分野の人々が優れ、 その他の分野の人々は劣るといって見方はありません。 どの分野で自分が貢献するか、です。 自分に向いている得意な分野が推奨されます。 また、この私からみて、 原因と結果の法則(業報)と再生誕(転生)についての認知は、 人類全体にとっての必然な進歩です。 これが当たり前の常識となった時代には、 かつて「宗教」などと呼ばれたカテゴリーは不要となるのです。 人類はそうして自己の行為に責任を持つようになり、無害について学ぶことによって 戦争や報復テロとも永久におさらばするのです。 従来の西洋医学の範疇を超えて、 人間の肉体構造についての理解が増したとき、 更に、人類の病苦からの救いや 子供たちの自然な肉体の発達に応じた適切な教育システムの確立が、 健善な子供たちの成長を促すと思います。 古くは東洋医学(経絡と気など)と新しくはシュタイナー教育などにその試みが見られます。
96 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 11:35:14 ID:vgKORlWX
>>90 >リグ・ヴェーダの中にインドラの身体的特徴について記した部分があります。
>一番古いのはたぶんここ。
なるほど・・この辺の説明はそのことのようです。
『釈尊はまず、帝王と転輪聖王を比較し、乞人と帝王の違いと同じくらいの差があることを説きます。
転輪聖王は古代インドの理想的国王で、正義や徳をもって世界を治める仁王のことです。身に三十
二相をそなえ、即位の時、天から輪宝を感得し、これを転じて天下を威伏治化するのです。
転輪聖王はそれほどに威厳にあふれ、この世でもっともすぐれているが、帝釈天[たいしゃくてん]に
くらべるとまた万億倍も醜く劣っている。
【帝釈天】たいしゃくてん: 仏教守護の神。インド神話の神インドラIndra(因陀羅)がその起源で、別
名をシャクラSakra(釈迦羅)という。いずれもリグ・ヴェーダのインドラ神の伝説に起源をもつ。』
http://www2.big.or.jp/~yba/teach/dai19.html リグ・ヴェーダ訳著、
辻 直四郎訳『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波書店刊は手元にありますが、
それは、「インドラの歌」の章のことですよね。どうも、今一つ分り難いですね・・。
97 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 11:38:59 ID:6ubq+oOO
>>69 >あなたは悟ったのですか?
わたしが悟ったかどうかは、あなたには基本的に無関係です。
同様に、あなたが悟ったかどうかは、わたしには基本的に無関係です。
おたがい、参考になりそうな話に興味をもつ、ということでしょう
98 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 11:44:38 ID:vgKORlWX
>>94 本当にそうですね!
同席していなくても、こうして会話ができる。
自分が持たない文献についても、他者でその内容を提示できる。
かつて在り得ない現象がここにある。
自分以外の
他人の意見やその人の持っている知識を見ることができるということが素晴らしい。
考え方の違いを知り、その確認が得られることが重要かと。
99 :
旧7 :2009/05/17(日) 11:46:08 ID:6XPh2blO
>>84 まず、単体の経が、それぞれに固有の成立年代を持つと考えることが間違い。
一つの経が、複数の成立年代を含むことは当然あり得る。
具体的に言えば、(偈文をG、散文をS、そして構成・順序をNとして図式化すれば)、
成立順 →
経A: G S N
経B: (G) S N
経C: S N (G)S
こういうこともあり得るわけだ。 (参:
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1229771174/244 )
(細かく順序をつけようと思えば、その様相は複雑なものとなろう。尤も詳細は不可能だろうが・・・w)
(だから、Sn・Dhpでは偈の考察が中心となる。「韻文経典」「散文経典」という言い方がされる理由もここにある。)
偈自体は古くても【「その場所への挿入」は新しい事】かもしれない!。
散文同士でも、その、互いの追加増補に、単純な一方向矢印が付与できるとは限らない。
たとえば「大般涅槃経の舎利弗の獅子吼」部分と「自歓喜経の一部」、そして「梵網経(沙門果経)の常住論の部分」、これらの関係は?
また、現存パーリよりも、漢訳阿含或いは単発経(或いは一部、或いは律部)の方が、古形を残している場合もあり得る。
84のような順列は、「あくまでも大まかな目安に過ぎず、個々の部分部分では、逆の場合もある」ことを頭に留めておいた方がいい。
経自体が(経の総体が)古いからと言って、中身全てが古いわけではない。
他の新しい経の、古形を保った一部より新しい場合もあり得る。こうした『可能性』を忘れ去ってはならないと思う・・。
また、>(「スッタニパータ」は対応する漢訳経なし) と言うが、Snに限らず、部分部分で共通しているものは多い。
だから、散逸しているけれども原初的異本が想定されるわけだ。(大乗諸経は特に・・。)
『漢訳で散らばっている内容が、パーリに於いて一ヶ所に(単体の一つの経に)まとめられている』ことは、
『パーリのその経の成立(≒完成)が漢訳よりも遅い』ことを示唆する。
たとえ断片でもSktでも、写本の発見が大騒ぎされるのはこういう理由による。
こうしたことを蔑にした単純な新旧比較はどうかと思うわけだ。(大乗非仏説も、この単純な新旧比較の延長上にある。)
100 :
旧7 :2009/05/17(日) 11:48:41 ID:6XPh2blO
>>84 ※ほんとなら、前田さん(恵学さんの方ねw)の
「原始仏教聖典の成立史的研究」くらいは読んでおくべきなんだろうけど、未だに読んでない・・・w orz
手元には、中村さんの「原始仏教聖典成立史研究の基準について」という小論のコピーがあるだけで、
あとは、学生時代の授業の記憶だけだから、曖昧なことしか言えないけど、
パーリ仏典至上主義、韻文至上主義、は嫌だなと思う。
それは、パーリ仏典内での(大乗非仏説に比せるほどのw)“散文非仏説”に他ならない。
仏教興起以前の言葉・概念・感性を多く有する偈文より、
精製された散文の内容の方が、よりビビッドに、直接的に、仏教としてのエッセンスを表現できてるかもしれない。
(それが、整理整頓されてしまい、原初の素朴さを失いかけているものだとしても・・・。)
※いずれにしろ、私も概要しかわからないので、
>>99 は、(怪しい意見としてw)話半分で読んどいてくれw
>>85 「史実であり、文学作品である」という表現には同意します。
まさに、そうした側面・特徴を仏典は持っているでしょう。
そして、
>>86 さんが言うように、
イイカゲンな(と言うと言葉は悪いがw)歴史観、無頓着感、大らかさに覆われたインド文献に於いて、
仏典の記述の(比較的なw)正確さが注目され、他の地域の情報と突き合わせることにより、
その頃のインドの様子を想定し得る資料となるわけだ。
で、漢訳仏典との比較が、その内容の比定に役立つわけだ。
101 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 11:54:31 ID:6ubq+oOO
創世記3章「蛇の誘惑」 楽園を守るケルビムが何であるかを長い間考えてきたけど、 「ケルビムは蛇である」という結論にしたい。 少し前までは自分自身だと思っていた。 しかしそうすると楽園側に不浄な自分がいるという矛盾が生じる。 矛盾をなくすには、ケルビムを天使にするか蛇にするかである。 しかし天使は人間に理解できない。創世記は人間相手の本。 であれば蛇ではないかと推測される。
>>97 > 悟るには子供のような単純さが必要なのだよ
上記ののことを悟った上で言っているのか、
悟らずに言っているのかというのは関係ありますよ。
単に自分の想像に酔いしれているだけなのか、
それともベースがちゃんとあって言っているのか。
あるいは、老子とか仏典の影響でなんとなくそう思って
その著者に同一化をはかっていい気分になっているのか。
つまりその言葉にどの程度の重みがあるのかを知りたいということです。
103 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 11:58:35 ID:6ubq+oOO
>>101 蛇 = 竜 = サタン
こういった存在が神の楽園を守っていることになる。
104 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 12:02:23 ID:6ubq+oOO
>>102 それはイエスの言葉です。
わたしが悟っていなくてもイエスは悟っていたでしょう。
105 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 12:04:29 ID:vgKORlWX
>>99 大乗経典は置いとくして、
納得いくような素晴らしい説明を有難うございました。
そのご意見については、私も尊重したいと思います。
かなり感心しました-さすが旧7さん^^
>>100 >仏教興起以前の言葉・概念・感性を多く有する偈文より、
>精製された散文の内容の方が、よりビビッドに、直接的に、
>仏教としてのエッセンスを表現できてるかもしれない。
>(それが、整理整頓されてしまい、原初の素朴さを失いかけているものだとしても・・・。)
私には後代だからダメだという見解はありません。
散文経典には、またそれとしての特性と良き点があると思います。
106 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 12:10:16 ID:6ubq+oOO
イエスをサタン・ルシファなどにたとえる論者もいるけど、 イエスは人だからサタン・ルシファではない。 イエスはアダムとエバの子孫であり、蛇の子孫ではない。
107 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 12:14:56 ID:6ubq+oOO
楽園を守るケルビムは天使であり、 ケルビムは蛇だから、楽園を守る蛇は天使である。 蛇が天使だなんて思ってもみなかった・・・ この蛇は竜ですね。命の木の実はドラゴンボールです。
108 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 12:15:38 ID:c6aPhoiZ
>>91 >何かどこかの一部を抜粋で紹介してみてもらえませんか?
このスレタイにぴったりなのは「中論」でしょうね。
「中論」第18章アートマンの考察から一部引用してみましょう。
六 もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、
「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマン
なるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。
(「龍樹」(中村元 講談社学術文庫1548)364ページより引用)
どうです。ちゃんとこのスレタイに回答してるでしょ。
え、やっぱりちんぷんかんぷんですか?
109 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 12:15:46 ID:U/8vOLIw
かくしてピカチュウの話はつづく。
110 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 12:17:17 ID:U/8vOLIw
>>108 わかってるなら、かみくだいた説明してあげればいいのに。
112 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 12:23:26 ID:6ubq+oOO
竜が「玉」を鷲づかみしていたり、口にしていたりするのは、 それなりの根拠があるのかもしれない。 竜とか三途の川というのは、 ユングの集合的無意識に属する形象だろう。
114 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 12:38:58 ID:vgKORlWX
>>108 私がいってるのは、
『パーリ七論』や『説一切有部七論』などといわれているものです。
115 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 12:43:14 ID:U/8vOLIw
>>113 仮面ライダー
ウルトラマン
バットマン
ジェダイの騎士
ケルビム
サタン
ルシファー
ピカチュウ
どれでも好きな単語とイメージを使って、空想して遊んでください。
>>104 事情は了解しましたが、聖書の言葉の時はそういっていただけると助かります。
117 :
旧7 :2009/05/17(日) 13:32:08 ID:6XPh2blO
>>91 南伝大蔵経で言えば、45〜58巻(及び62〜65巻の一部)が論蔵に当たるだろうが、
水野選集第3巻「パーリ論書研究」をパラパラめくって、(積読状態で読んでないw orz)、
目にとまったものを引用してみれば、(p.209)(p.224)、
「何法か無記なる。善不善の異熟たる欲界・色界・無色界・不繋の受蘊・想蘊・行蘊・識蘊及び
善にも不善にも業異熟にもあらざるところの唯作、並びに一切の色と無為界となり。これらの法これ無記なり。
この中、一切の色とは云何。四大種と四大種所造色となり。これ一切色と言わる。」(「法集論-色品序」)
(五蘊の名を挙げ次に)、「その中、色蘊とは云何。過去未来現在、あるいは内外、あるいは麁細、あるいは劣勝、
あるいは遠近なるあらゆる色、それを共に合し集めたる、これ色蘊と言わる。」(分別論-蘊分別品)
おそらく、本来最も代表的且つ重要なのは「清浄道論」だろうが(南伝62〜64巻の翻訳担当は勿論水野弘元)、
いずれにしろ、用語・述語の解説、詳説(或いは定義)という側面が大きいと思う。
(それが、原初の素朴さを超えた煩瑣な付加であったとしても・・。)
そして、それらの俯瞰的体系化が図られているのが、論蔵と言えるのではないか。
しかし、水野さん凄いわ・・・。 清浄道論、(大史・島史とも併せて)単品で買っとくべきかなぁ・・・。
118 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 13:50:44 ID:vgKORlWX
>>117 >水野選集第3巻「パーリ論書研究」をパラパラめくって、
>(積読状態で読んでないw orz)、
第一、そんなのを所蔵してることが凄いことです!
さすが博識の旧7さんですね。
ありがとうございました。感覚的には伝わりました
--感謝ですm(__)m
ID:6ubq+oOOさんのやり方は隠居のアートマン解釈とそっくりですね。
>>113 いいえ。全く別の文化の別の話です。ここは
実はもともと一つなのだ、同じことを語っているんだ
という教義の新興宗教を語るスレでもありません。
120 :
一在家通りすがり :2009/05/17(日) 16:05:56 ID:iOUdmDkK
>>2 >宝珠さんへ
もうそろそろ、読後感想をお待ちしております。
>原始仏典(長部経典)の中に記載があるのか否か?
>記載がある場合は、経典全体の前後関係の中でサーリプッタの
>表明した「常住論」は釈尊の教えと彼が認識しているか否か?
>宝珠氏への確認依頼は以上です。
121 :
一在家通りすがり :2009/05/17(日) 16:17:29 ID:iOUdmDkK
もし仮面ライダー、ウルトラマン、ピカチュウらから「死後の世界は?」 とか「神や霊は存在するのか?」と問われてたら、 お釈迦様も「無記」だったであろうことは容易に想像できます。 ここの住人の多くが軽く見ている法華経の作者は、少なくとも凡夫に対してと 高弟に対してとの説法の違いを法華経以前の原始仏典を読んで知っていたことが 「方便品第二」 釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。 (中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、 思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。
要約するとこうなる。 「説一切有部の連中は、仏陀になれるのは釈迦だけって言ってるみたいだけど、 あれは実はウソなんだ。あいつらが言ってるのは方便だから気にしないように。 法華経最高。これだけ信じてればいいから。信じられないやつは低能。以上。」 要は、方便品第二自体が、 説一切有部の主張を覆し、新勢力を確立するための方便。
123 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 17:20:14 ID:Co1TyAZg
真理の世界に人種も文化も国家もないと思う。 真理はひとつ。 真理を知ることができるなら、命がけでインドに出かけた人たちがいる。 いま思い浮かぶのは三蔵法師かな。ほかにもいる。 真理を知ることができるなら、命がけで中国に出かけた人たちがいる。 空海とか最澄とか。ほかにもいる。
124 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 17:28:31 ID:Co1TyAZg
僧侶は、そしてその息子は、空こそが悟りであることを証明したらいい。 そして空がどんなものかを示したらいい。 それができもしないのに経典を有難がるのはどうしてなのか?
125 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 18:20:24 ID:ZIZRAo2x
>>123 >真理はひとつ。
宗教においては、真理は、各宗教、各宗派ごとに別物。そして、真理は、常に
それらの間の争いの原因となる。検証の方法がないからだ。ということは、宗教
においては、真理など存在しないということ。
これに反し、自然科学においては、当然のことながら、真理は、現実界との照合
に基づく検証を条件とする。従って、全人類的な合意が容易に達成される。
126 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 18:38:23 ID:Co1TyAZg
真理がたくさんあったら、そのほとんどが妄想だろうと思う。 でもそれらのどれかは真理か、真理に近いと思う。 それを判定するのは人間の認識であるが、 人間の認識は外部だけでなく、心の内部も対象にしている。 心の内部に、全人類的な合意が可能である何かが存在する、 これが宗教の土台である。
127 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 18:59:45 ID:vgKORlWX
>>120 1度、目を通してみました。なるほど〜という感じです。
感想は暫し待って下さい・・m(__)m
128 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 19:01:16 ID:vgKORlWX
>>90 >スッタニパータの記述も確認しましたが、釈迦が自分を信じさせようとして
>自分の額や耳をペロペロなめるのは、正直異様です。
これのことですね!
『そこで師は、セーラ・バラモンが師の体の膜の中におさめられた隠所を見得るような神通を
示現した。次に師は舌を出し、舌で両耳孔を上下になめまわし、両耳孔を上下になめまわし、
前の額を一面に舌で撫でた。 』(スッタニパータ/第三、大いなる章-七、セーラ)
私の、これについての解釈(可能性の)としては二つです。一つは、あなたと全く同一のもので、
これは現実には無かったものであり、従って、神格化の意図で書き加えられた三十二相の記述
というものです。
そして、もう一つはこれが私が押す見解なのですが、つまり、これはゴータマを疑い信用していな
いバラモンに対して示した神通力であり、実際に舌が異常に長いのではありませんが、幻影を見せ
たか、または、その場に限って舌を伸ばして見せたというもの。
多分、幻影と見なすほうが正解ではないかと見ますが、しかし、ゴータマの神通力を以ってすれば、
実際に舌を変化させることなども意図も容易いだろうと思います。
では何故、そんなことをするのか?それは相手の思う覚者のイメージ(信念)に合わせてあげたと
いう、その場に応じた方便的な対応(手段)です。これは史実のゴータマご自身が三十二相について
どう思っているかとは、全く関係がないのです。
129 :
宝珠愚者 :2009/05/17(日) 19:03:13 ID:vgKORlWX
130 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 19:16:49 ID:Co1TyAZg
あと何年後か知れないが、臨終を迎えたとき、 ほとんどの人が、やっぱし悟れなかったか、と思って死ぬのだろうね。 人の一生は短いものだとか、 悟りを趣味のようにしたのが失敗だったとか思っても 後の祭りである。
131 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 19:23:19 ID:c6aPhoiZ
日本人にとっては輪廻転生や霊魂の不滅は死ぬことへの慰めと成っている 人がほとんどではないか? 以前、インド哲学での輪廻転生や霊魂不滅の考え方を説明したときに 感じたことだけど。 なにしろ、日本では死ねば誰でも神やホトケになれるんだから。
南贍部洲過去仏候補釈迦族ガウタマ・シッダールタ80歳 五比丘への四諦説法を出発点に対機説法家となり、 いまどき自らも比丘として十大弟子を輩出し、現在に至るも仏法を世に顕した大恩教主。 では続いて、ガウタマさんの大獅子吼です。 大衆諸君、私が釈迦如来である。 諸君、これまでの仏法は最悪だ。 阿含だとか律だとか論だとか、私はそんな事には一切興味が無い。 あれこれ分別して分析して問題が解決するような、もはやそんな甘っちょろい段階にはない。 こんな仏法はもう見捨てるしかないんだ、こんな仏法はもう滅ぼせ。 私には、体系的な煩瑣な教義なんかひとつも無い。 今はただ、方便アンド方便。すべてを説き直すことだ。 諸君、私は諸君を軽蔑している。 このくだらない仏法を、その出家主義・学問主義を、支えてきたのは諸君に他ならないからだ。 正確に言えば、諸君の中の出家比丘派は私の敵だ。 私は諸君の中の在家菩薩派に呼びかけている。 菩薩派の諸君、今こそ団結し立ち上がらなければならない。 奴等比丘派はやりたい放題だ。 我々菩薩派がいよいよもって理解不能な仏法が整備されようとしている。 菩薩派の諸君、阿含で何かが変わると思ったら大間違いだ。 所詮、経・律・論の結集なんか比丘派のお祭りに過ぎない。 我々菩薩派にとって結集ほど馬鹿馬鹿しいものはない。 比丘達が自分たちに解ることだけを伝えているならば、比丘派にしか解らないに決まってるじゃないか。
じゃあどうして改めて説法してるのか。 その話は、長くなるから法華経でも読んでくれ。 重要な如来や菩薩は大勢居るから、どれも見逃さないように。 私は、これまでの仏法の、菩薩派に対する迫害にもう我慢ならない。 菩薩派の諸君、比丘派を説得することなど出来ない。 奴等比丘派は我々菩薩派の言葉に耳を傾ける事は無い。 奴等比丘派が支配する、こんなくだらない仏法はもはや滅ぼす以外に無い。 比丘派の修行なんていくらやったって無駄だ。 今薦められている様々な修行は、どうせ全部すべて奴等比丘派のための行法じゃないか。 我々菩薩派はそんなものに期待しないし、勿論協力もしない。 我々菩薩派はもうこんな小さな乗物に何も望まない。 我々菩薩派に残された選択肢はただ一つ、小難しい教義など捨て信仰に生きることだ。 ぶっちゃけて言えば、もはや大乗仏教しかない。 菩薩派の諸君、これを機会に小乗軽蔑の恐ろしい陰謀を共に進めていこうではないか。 もうじき多宝塔が現れるから説法中でも、終わってからでも構わない。 塔の中に多宝仏を見つけ、供養してくれ。 もちろん男子に変成する前の女子の諸君や、天龍夜叉乾闥婆阿修羅迦楼羅緊那羅摩ゴ羅迦の諸君でも構わない。 我々菩薩派には阿含なんかもともとぜんぜん関係ないんだから。 最後に、一応言っておく。 私が真実を告げたら、奴等はビビる。 私は新たに授記をする。 法華経に盲目の帰依を、法華経にやけっぱちの帰依を、じゃなきゃ仏典なんか読むな。 どうせ小乗じゃ何も変わらないんだよ。 耆闍崛山上での、ガウタマさんの真実説法でした。
岩波書店で刊行中の『書物誕生』シリーズで 並川考儀『スッタニパータ 仏教最古の世界』が出てますね。 大乗仏典のやつも刊行予定です。
135 :
神も仏も名無しさん :2009/05/17(日) 22:18:25 ID:Co1TyAZg
>>131 死んだら仏になり、あるいは天国に行く、という話はどうなんだろう。
残される親族はそう思って心を穏やかにすることができる。
しかし当人はどうだろうか。例外もあるだろうけど、たいがいの人が、
死にたくないと思うばかりなのではないだろうか。
136 :
旧7 :2009/05/17(日) 23:16:38 ID:6XPh2blO
なんか、今シリーズは、 スレタイ、テーマ面で盛り上がりに欠けてる感じだな・・w みんな、発言に慎重になってるのか?www おやすみ ノシ
>>128 > これのことですね!
そうですね。
> そして、もう一つはこれが私が押す見解なのですが、
舌を物理的に伸び縮みさせて釈迦が「世界びっくり人間ショー」をが実演したという可能性については
否定できるだけの証拠もないわけですが、人間には通常無理ですね。
悟りを開いたら普通の人間じゃないんだからできる、という意見もあるとは思いますが。
ただ、実演してみせた場合、問題なのは「三十二相を見たから信じる」という外見でしか判断しないタイプの人間に
三十二相を見せたところで「その人の現実検討能力は、低いまま何も変化しないかむしろ悪化する」ということです。
信じる信じないの基準は身体的特徴にかかってきてしまうわけです。ここで三十二相で判断するクセを強化することで、
人が正しい事をいっているのか間違ったことをいっているのか、まともに判断できるだけの基準を自分の内部に「持ちにくく」なるわけです。
本当は「仏陀は外見によって仏陀なのではない、意・身・口の行いよって仏陀なのだ」くらいのことは言わないとまずい。
スッタニパータのこの部分は、結局「釈迦は偉大なり。偉大なるが故に”当然”三十二相を備えている。」
「だから、釈迦を無条件で信じろ。」ということを言いたいだけで、実質的な中身が何もない。
むしろ新興宗教のオルグ活動に似ています。
三十二相を備えたらどうだっていうんだと。
本心から悟りを求める人が聞きたいのは、釈迦が偉人だとか身体的特徴だとか、そんなことじゃないはずです。
対機説法というのはあるにしても、それぞれの形で悟りに向かうように促すのが経典の役割であるはずです。
しかしながら、ここの部分というのは、仏陀を中心とした権威主義を助長し、
精神的なものを考えるよりもむしろ身体的特徴で相手を黙らせるという、非常によくない影響を
読む人間に残していくわけです。三十二相を備えてない常人は、仏陀にはなれないという意味を潜在的に持ちますしね。
これだけのデメリットを残しながら、敢えて三十二相について語る意味があるとすれば、
仏陀を神格化させて他の宗教とかに対して優位性を持ちたいとか、新興宗教的に信者を獲得したいとか
そういう意味しかないんじゃないでしょうか。
>>129 クリシュナの神格化をはかって、アルジュナにクリシュナのいうことを受入れやすくする
というあたり、似てる部分はあるようにも思います。
成立年代からすると、仏典の影響を受けてるのかもしれませんが。
139 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 06:34:28 ID:ogkKxEwc
>>131 どっかの高僧(一休さん?)が、臨終に際して、「死にとうない」と言ったそ
うだな。これが「悟り」だろう。
140 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 07:35:21 ID:+3mjcwHU
>>135 >死にたくないと思うばかりなのではないだろうか。
今、生きている人が死にたくないと思うのは生物としての
本能でしょうね。
でも、輪廻転生や仏教で言う死にたくない=不死を得たい、は生きて
いたいからではなく、死んでからまた再生して輪廻転生を繰り返したく
ないからでしょうね。
輪廻転生からの解脱=涅槃が不死の目的ということでしょう。
141 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 07:38:24 ID:+3mjcwHU
>>139 >臨終に際して、「死にとうない」と言った
・・・それでは手遅れだろうね。即身成仏が悟りだろう。
142 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 07:50:58 ID:opl8zJ7/
>>140 輪廻転生や霊魂不滅はあまり一般的ではないでしょう。
むしろ、今生も来世も、自分だけは幸せでありたいという
欲の深い利己主義を感じます。
日本人には、身勝手な虫のよさがあるように思います。
143 :
曉 :2009/05/18(月) 08:01:27 ID:oADTXMcj
霊魂不滅の輪廻転生は金儲けには便利みたいだね
144 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 08:01:59 ID:+3mjcwHU
>>142 輪廻転生を信じてる人は少ないと思う。
でも、霊魂不滅やあの世の存在を信じてる
人はまだたくさんいるんじゃないか?
だからどうってことも無いけど。
145 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 08:11:03 ID:opl8zJ7/
創世記3章「蛇の誘惑」 楽園から消えた蛇=サタンはどこにいるのか? 野山にいる、という答えはともかく、 サタンともなれば人の心を住処にしているはずである。 サタンは八識であるアラヤ識にいる。 そこに三途の川があり、蛇=竜=サタンが生息している。 人はサタンではなく、サタンは神の使いである。
146 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 08:19:43 ID:opl8zJ7/
「蛇の誘惑」 サタンの役割は、人を誘惑して堕落させるものと理解されている。 それは悪いものであり、憎むべきものだとされている。 しかし実際には、人を銀のように、金のように精錬する役割がある。 神を守護する天使ガブリエルにふさわしい。 やはり蛇=ケルビムかもしれない。
147 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 08:25:27 ID:opl8zJ7/
「蛇の誘惑」 アラヤ識に蛇=竜=サタンがいる。そして蛇=ケルビム。 であれば、楽園は心の奥、アラヤ識のすぐ先にある。 この楽園が仏教でいうところの彼岸である。
148 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 08:34:41 ID:opl8zJ7/
{蛇の誘惑」 三途の川に竜がいる。そして三途の川は忘却の川。 であれば竜が忘却の主である。 心には最初から、前世を思い出さない仕組みがある。オチ
149 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 09:14:40 ID:+3mjcwHU
前世は思い出せないのではなく端的に無いだろ。
150 :
曉 :2009/05/18(月) 09:54:07 ID:oADTXMcj
要するに生まれないものは生じもしないし滅しもしないわけですな
151 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 10:06:45 ID:wosqA2f+
>>141 >・・・それでは手遅れだろうね。即身成仏が悟りだろう。
その高僧は、来世などないことと、かけがえのない現世の価値と意味を、
初めて悟ったのである。
>>141 死はいざそのときが来たら
現実があまりにも軽く、突然に生の責任を押しつけてくるので
とまどってどう対処したらよいか分からなくなるだろうね
でも、死にたくないという言葉が恐怖ではなく、願望ならあきらめの境地に達している
恐怖に駆られた死は他人も殺す、友人も売るかもしれない
今日死ぬと毎朝思って過ごすだけでもずいぶんちがう人生になる
不浄観だね
153 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 11:55:37 ID:L08u6iQE
まあ、一休はしょせん口のうまい破戒僧だからなあ。
上座部でもこういうのに人気が出ることがあるのかな?
>>151 一休さんは既に悟ってたよ。かねてから
ずいぶんとおたのしみでした。
一休は破戒僧だけど、精神の一点は異様に研ぎ澄まされてるね。 自分は破戒してたけど、弟子には同じことはさせなかった。
一休は高貴なおん方の落とし胤だから そういう風に見ないと寓話の義満とのやりとりも分からないよ
156 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 14:32:36 ID:opr4YBTK
スレッド変だなぁ。
157 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 17:24:05 ID:LiQsu/0M
>>156 そうでもないよ。
死ぬ間際でどう思うか、というのは、悟りの話に関連している。
SPでも死を乗り越えるとか、「死の王」は見ないという言葉が出てくる。
158 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 19:37:23 ID:+3mjcwHU
>>152 >死はいざそのときが来たら
俺は今まで送り人の経験しかないから・・・というのは言うまでも無いか。
いざそのときの気分はやはり経験してないから・・・これも言うまでも無いか。
自分の死はやはりわからない・・・これこそ言うまでも無いか。
でも、自分は送り人として最後に「ありがとう・・・」を聞いて送り出した。
俺は幸せな人なんだろうな。・・としか思えない。
映画見て現実と物語の区別がつかなくなったら人間おしまいだよ
160 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 19:45:45 ID:+3mjcwHU
現実と物語の区別はどこでつけるんだろうね? 現実の物語りもあるね。
161 :
旧7 :2009/05/18(月) 19:55:37 ID:n2KxuNqS
若い子だと知らないかもしれないが、 御巣鷹123便の事故の時は、 若い父親が、機内で家族へ向けて綴った手帳のメモが話題になっていた・・・。 あれから、もう24年くらいか・・・。 生存者の女の子も、もう幾つになるだろう・・。 阪神淡路の震災も14年前か・・・。尼崎の事故が4年か・・。 経験者の真剣さは、我々外野の、理屈による真面目さ・真剣さを、そうそう寄せ付けないだろう。 経験していない者にとっては、文字通り「絵空事」に過ぎない。 さて、誰もが迎える「死」。 親戚が多ければ、小さい頃からの慣れもあって、受け入れ易さは高くなりそうだ。 だが、「死」については、唯一人の例外もなく、 皆「未経験者」であり、誰にとっても「絵空事」でしかない。 「試しに・・」とか「練習で・・」とか「シミュレーションで・・」とかありえない。誰もが、ぶっつけ本番だ。(で、慌てる・・とw) 「絵空事」でしかない「死」を、(普段から)真剣に考えろと言ったって、 そうそうできるもんじゃない・・・www さて、ブッダは、何を伝えたかったのだろうか・・・。
162 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 20:10:44 ID:+3mjcwHU
>>161 >さて、ブッダは、何を伝えたかったのだろうか・・・。
不死すなわち輪廻からの解脱。
>>132 >>133 一瞬、華厳某の人かと思いました
旧7に何があったんでしょうか
状況が変化しつつあるのは感じてます
164 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 20:32:26 ID:+ezH1+zH
>>162 >>さて、ブッダは、何を伝えたかったのだろうか・・・。
>不死すなわち輪廻からの解脱。
仏陀の仏教が、「輪廻転生」という「脅迫」で脅し、「解脱」という「甘言」
で信者を獲得しようとするのなら、それは、「罪」という「脅迫」で脅し、
「贖罪」という「甘言」で釣るキリスト教と同じ悪質カルトであり、何の価値
もない。
キリスト教の影響を受けた者が原始仏教に擦り寄ってくるのは、両者の間の
親和性・相似性の故である。
伝統と封建性は結び付きやすいけれど対策はある。 あたらしい評価軸が設定されても個々人の煩悩はそれぞれが対処していくしかないから 順列自体には変化がない。特に意識して辺境にいる私などはw でも、15年前のあの時にも↑こう考えたんだよね
166 :
旧7 :2009/05/18(月) 20:40:22 ID:n2KxuNqS
>>166 もとねた あざーす
132、133のもっている根本的な姿勢、外山氏にも共通するパンク魂は
本来的には部派や上座の姿勢に近いものだと思います。
かれらは涅槃の後のことを考えてませんからね。
過去に彼らと同じ体験があるからこその大乗で、そこに日本の坊様の迷いも憂いも躊躇いもあるわけで
168 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 20:57:13 ID:+ezH1+zH
>>161 今日のNHK教育テレビで、奈良の興福寺の管主さんが講話していたが、死を
考えることの目的は、生を希薄化することではなく、強化することだと言って
いた。
輪廻転生の話など、一言も出なかったと思う(前半部分を若干聞き漏らしたが)。
やはり、キリスト教とは全く異なり、仏教は、どの宗派でも、人間とその生から
一歩も逸脱してはいないことを、改めて感じた次第。
よくわからんが、こうゆう時期なんだろう
170 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 21:23:13 ID:+ezH1+zH
>>169 時期は関係ないと思うよ。時期に関係なく普遍妥当しないと、宗教は無意味。
171 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/05/18(月) 21:26:18 ID:+Gca33e7
>169 (^。^)輪廻してますなぁ♪(笑)
>>168 > 改めて感じた次第
毎回同じこといってるね。
173 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 21:31:34 ID:+ezH1+zH
>>172 だから「改めて」と言ってるではないか。
「やっぱり」「やはり」「改めて」 いつも同じ。マンネリ。
基督教、仏教という大分類のまとまりをみたとき。 大乗の徒が人無我として仮設するのと同様のまとまりとして指摘することができる。 例)人は無我だけど目の前に個人は存在する。そゆこと。 (初めから拘束としての纏まりの側面を解消することを前提に仮設する) 上座部の人が増えることは脅威ではなく味方が増えることを意味する。
176 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 21:39:25 ID:+ezH1+zH
>>174 経典から一歩も踏み出せない宗教者は、マンネリではないのかねw。
ID:+ezH1+zHは、「体言止め」がお好きのようでw 言い切る快感に酔っているだけのように思える。 ただの唯物論なのに、さも画期的のように思っているw
178 :
曉 :2009/05/18(月) 21:42:44 ID:oADTXMcj
メビウスのなんたら!
釘パンチ!
180 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 21:44:54 ID:+ezH1+zH
>>177 釈迦もイエスも、言い切るのが大好きだったのだがw。
彼らがただの唯物論に到達できなかったのは、そちらのほうが困難で
あるということ。
このスレッドが愚図愚図続いてきたのは宝珠の人が真面目に修行しなかったからともいえる。 トランスヒマラヤ密教でも、ヒンズーでも現実に師について 一歩一歩解決してゆけばこんな駄スレは続かなかった。やれば結果はでるから。
本来的には教会には聖人があふれ、寺には臨済や普化がごろごろしててもおかしくない。 昔にくらべて暇もあるし情報もある。修養に励んでる人は励んでる。 現実にそうならないのは、仮にそうなった時、寺や教会が 一時的に修羅場になるのを恐れる人たちがいるからで、それについては言う言葉がない。
御心のままに ←誰のw? よくわからんが、こうゆう時期なんでしょう
184 :
旧7 :2009/05/18(月) 22:32:10 ID:n2KxuNqS
>>181-182 現代社会の中で、(必要な存在として)生活しながら、それができると思うかい?
宝珠氏は、現実の生活を捨てていない(≒出家していない)。
これは、現代日本仏教にも同じく言える。
だから、現代日本仏教の中に涅槃は見出せない。
現代日本仏教は、世俗を、生活を捨象できないからだ。
これは、道場の師家でも、孤高の野僧でも変わらない。
彼らもまた、一社会人としての、或いは組織の中の一員としての「負債」を背負って生きねばならない。
或いは、国民という肩書を逃れることはできない。国民としての負債は背負わされる。
(ここには当然、様々な義務・制約が生じる)。
現実問題として、人は、この他にも、実に様々な、膨大な数の負債を背負って生きている。
その内の幾つかは、心の持ち様で清算できる。が、その多くはそうはいかない。
それを放棄することは、道義的にも法律的にも許容されない。
だから、それ(そのジレンマ)が「苦」となってゆく・・。
日本に於いては(現代社会に於いては)、「出家者・遊行者・沙門・比丘」は法律上存在が許されない。
必然、在家でもOKということになる。 世俗的日常の中の悟りが模索されることになる。
(※その意味でも、禅的ベクトルは、極としての異端であると同時に、直系足り得る資格を持つ。
ジレンマを雲散霧消させる心の在り様を目指すのが禅と言える。
(→それが、仏教的に良いか悪いかは別にして・・・。) )
宝珠氏が(≒神智学が)、出家と在家の区別をしているかどうかは知らないが、
世俗の荒海の中で高みを目指すことを、彼は目指しているんじゃないでしょうか。
(だとしたら、ある意味、ダイレクトに大乗的であるけれど・・・w)
>>170 私がハゲで馬鹿なら、坊様も牧師さんも神父さんもシスターも
「wRav6WVsはハゲで馬鹿」
という。そのくらいの普遍妥当しかないし、それで充分。
宗教に期待しすぎです。
186 :
神も仏も名無しさん :2009/05/18(月) 23:32:16 ID:+ezH1+zH
>>184 >世俗の荒海の中で高みを目指すことを、彼は目指しているんじゃないでしょうか。
単に神智学を通じて原始仏教で洗脳されているだけ。
187 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 02:07:43 ID:E0R542PU
前すれ>6、宝珠氏 >仏教が「縁起」を説くところに最大の特徴があるとは思います。 >しかし、アートマンのようなものを想定せずして、 >業力は過去世から今生に、そして今生から来世に如何にして >“同一性の個”へと縁起していくのでしょうか? 三世が多義でないのは縁已生法だからです。
188 :
宝珠愚者 :2009/05/19(火) 03:42:39 ID:tB4c1R9b
>>2 >>120 取り合えず、『自歓喜経』の“常住論”の部分については読んでみました。
まず大変、驚かされました。---というのが、私からの正直な感想です。
一在家さんが読まれているという、春秋社刊『原始仏典』第三巻内の『自歓喜経』(岡田行弘訳)
を読むならば、これは確かに、一在家さんの指摘の通り、間違いなく(和訳を読んだ限りでは)ゴー
タマが認識するゴータマの見解における常住論について、サーリプッタが自分の理解を延べたもの
であり、その内容をゴータマは正しいものと評価していました。これを出家在家を問わず全ての弟子
たちを告げるようにと促しています。それにより、完成者に対する疑惑は消え去るだろうと。
その常住論はゴータマの説いた教えであるとしています。『世尊が常住論について教えを説かれた
やり方は最高のものです』(春秋社刊/自歓喜経)、『正しく考える修行者・バラモンは、精神を統一した
状態で』(同)といういい方をしており、これは“正しい修行者”の意味合いとして(外道の区別なく)広く
ゴータマが好んで使う言い回しです。
従って、外道たちの説くところの常住論(その間違った見解)は、という意味合いには取れません。
『アートマン(個我)と世界は、常住であり、なにものも生み出さず、不動であり、石柱のように固定し
ていて、かの生けるものたちは生死流転し、輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している』
(同)といっています。
これは大変なことです。つまり、私が述べてきた「それら(五蘊)はアートマンではない」(アートマンは
他に在ることを示唆する可能性がある)という非我どころか、アートマン存在の常住を明確に認めてお
り、それを正しいものとしていることになるからです。
ただ、これであればメデタシメデタシで、私的には大変、喜ばしい限りなんですけれども、どうも実情
はそう簡単ではないのかもしれないということです。
189 :
宝珠愚者 :2009/05/19(火) 03:44:06 ID:tB4c1R9b
何故ならば、私は平河出版社刊『現代語訳「阿含経典」』(神塚淑子訳)での『自歓喜経』も読んでみ たからです(これは真言氏によって推奨されたもの)。こちら漢訳経典からの和訳では、全くニュアンス は異なっていたからでした。 つまり、その常住論というのは外道の説く内容のことであり、それについてのゴータマの解説は正し いという意味に取れるからです。少なくとも、そのように受け取れる訳文だろうと思いました。ただし、 全体的な文章としてはあまりにぎこちなく、非常に違和感があり、これは明らかに可笑しなものです。 こちらでは、『常法とは(三通りあって)、沙門婆羅門たちがさまざまな手だてを用いて心の静かな状 態に入り』(平河出版社刊/自歓喜経)とあります。そして、『世の中の婆羅門たちには如来と並ぶこと ができる者はおりません』(同)と結びます。 ただ、非常に文章的にはぶっきら棒です。『如来の説かれた教えには、さらにまたすぐれたものがあ ります。それは常法を説かれたことです』で始まり、常法(常住論)の内容説明のあとに続けて、『この 如来の教えはこの上なくすぐれています』(同)と結んでいます。 文章的にはそのまま受け取れば、その常法(常住論)を説いたのはゴータマだとになってしまいます。 この違いは訳者による差というよりは、もしかすると、これはパーリ経典と漢訳経典の違いが出でい るのでしょうか?春秋社刊『自歓喜経』がパーリ経典からの訳ですが、前後、全てがスムーズで繋がり がよく、文章的には可笑しなものにはなっていません。 「“正しく”考える修行者・バラモン」と断わりを入れていることから、こちらが真実の説法に近い経であ る可能性を私は感じました。これはその常住論は正しいことを意味するからです。 何故、「ゴータマがアートマンを説いていた」として、大騒ぎにならないのかが分ったような気がしました。 これは漢訳経典の影響ですかね? 私が今、気になるところとしては、テーラワーダでのパーリ自歓喜経『サンパサーニーヤ』(歓喜すべき) の理解と評価です。 取り合えず、今のところの感想意見としては以上です。 是非、皆さんからのご意見ご教授を宜しくお願いします。
190 :
宝珠愚者 :2009/05/19(火) 03:47:37 ID:tB4c1R9b
>>137 私はたぶん、あなたとほぼ同じ感覚を抱いています。
「舌が長いから一体、それがなんなんだ!そんなことが覚者の証拠になるのか」と。まさか解脱
の最終段階においては人は舌が延びるんだとか、または最終段階レベルでの最後の転生では人
は長い舌を持って生まれてくるんだとか・・」そんなことはちょっと考え難いことです。舌の長さが人
の聖なる道における意識レベルと比例関係にあるなどとはとても思えません。
やはりこれは、説法の素晴らしさが舌に象徴されたものと見るべきではないでしょうか?よって
「舌が長い」などという話は、誤解からくる全くの迷信であると・・。
それを、いつものような合理的論理で相手を諭すべき筈のゴータマが、な〜んと自ら長い舌を伸
ばしてペロペロしたとw 「おいおい、そりゃ〜ないだろ!」って話ですよね。私も同感です。
そんな馬鹿な!という感じはしますが・・しかし、これが本当にあったことなのかどうか?というと、
結構、私は案外あったんじゃないかと思うわけです。つまり、相手の信じる姿によって心を開かせて
おいてから、それから存分にゴータマの教えが相手の中へと浸透するようになるわけです。舌ペロペ
ロは最初のキッカケに過ぎない。たぶん神通力を発揮して相手の信じる姿を現じたのでしょう(実際、
経の記載では陰蔵相について「神通を示現した」とあるので、大舌相についても同様でしょう)。
191 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 08:12:07 ID:CdsV+VWc
>>188 >>189 要するに、ゴータマの「真意」は、結局、誰にも、何も判らん、ということで
OK?
だったら、それを論じるだけムダ。
192 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 08:15:01 ID:CdsV+VWc
>>185 >私がハゲで馬鹿なら、坊様も牧師さんも神父さんもシスターも
「>wRav6WVsはハゲで馬鹿」
>という。そのくらいの普遍妥当しかないし、それで充分。
それ以上の、「時代を超えた普遍妥当」が、何かありますか。
193 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 09:32:25 ID:wbtqnWKY
>>151 >かけがえのない現世の価値と意味を、
>初めて悟ったのである。
だったら、この世に未練が残って死んで死に切れないだろう。
死に死に死に死に死んで・・・。www
空海は現在も生きてるそうで・・・。www
194 :
旧7 :2009/05/19(火) 10:29:20 ID:2HhkMaX0
195 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 10:53:26 ID:wJT+G1oh
>>193 >だったら、この世に未練が残って死んで死に切れないだろう。
だから、「死にとうない」と言ったのである。死に際しての究極の悟りであろう。
空海も、「死にとうなかった」から、今でも執念深く生きてるのだろうw。
196 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 12:13:59 ID:SWwqgUcP
見性成仏とは自分の霊魂を見ることを言う。 自分が霊魂であることを知れば安心して死ねるだろう。 半信半疑では足りない。安心して死ねない。 霊魂を否定? 生への執着で、死がつらいものになる。
197 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 12:47:55 ID:/bX2XZHi
>>186 霊魂(jiva)とは、まさに生命のこと。
釈迦は、霊魂と身体とは同一であるか、別異であるか、如来は死後に存在する
のか、存在しないのか、存在しかつ非存在であるのか、存在もせず非存在でも
ないのか、については「無記」とした。「無益で、法に適合せず、・・・涅槃
に導かないから」である。(以上、「岩波仏教辞典」より)
なお、道元は、「見性」を全く否定する。
198 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 12:53:57 ID:SWwqgUcP
「ケルビムの正体」 ケルビムの単数形はケルプであり、原義的に知恵を意味するらしい。 であればケルビムは善悪を知る木に関係している。 さらに剣の炎。それが細長いことを思えば、 そこから蛇を連想することはそれほど難しい話ではない。 このふたつを別々にではなく、同じひとつのものと理解するなら、 ケルビム(知恵)と剣の炎(蛇)で・・・<知恵のある蛇>になる。 そうすると楽園から追い出されたはずの蛇は、 罪人の侵入を防ぐための、楽園の番人になったということになる。 これが神から与えられた蛇=サタンの役割である。
199 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 13:05:17 ID:SWwqgUcP
>>197 霊魂が生命であることには同意する。
しかしそれが見えるのか見えないのかで立場が分かれる。
いろいろな説があるので無記という逃げ方はある。
話せば議論になり、話が混乱してしまうから。
それよりも、体験するのがよい、という立場だったのだと思う。
道元は、信仰があるから修行が可能、という立場だったのでは。
その考え方自体は間違っていない。
200 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 13:09:16 ID:/bX2XZHi
>>196 やはり「死にとうない」が「悟り」として正解。霊魂は生命であるから、
身体の死と共に霊魂も死ぬ。霊魂と身体とが同一であった場合も、同様
である。
201 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 13:13:34 ID:/bX2XZHi
>>199 >しかしそれが見えるのか見えないのかで立場が分かれる。
自分の生命を以って、生命を見ることはできない。見ることも、生命の
機能に他ならず、観測主体と観測対象とが同一であるから、観測そのも
のが成立せず、ナンセンスで不可能だからである。
202 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 13:27:18 ID:SWwqgUcP
>201 自分で自分が見えるかどうかは説が分かれる。 アートマンが語られるのは見た人がいたからだと思う。 火のないところに煙は立たない。オチ
203 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 13:31:39 ID:/bX2XZHi
>>202 きっと、他人が、表面に現われる「生命現象」を見たのだね。「生命
そのもの」は、誰にも見ることはできない。
定規は、自分で自分の長さは測れない。
生命現象に個が存在するわけがないと思うが 細胞ひとつひとつも生きているわけでかといってこれらにも輪廻の主体を認める話は聞いたことがない その生命共同体の代表的意志として「私」という現象が現れるだけで 私という存在の仮構がひとつの永遠なる存在としてあるわけではないだろう 私とはマインドであって、思索が置かれる場所にすぎないだろ 場所が前提であるから意識されないのは道理だ
トランジスタには固有の特性があるが、個別の製品には特性にバラつきがある ひとつひとつテスターで品質を管理するわけだが、全体として大きな相関の中にくくられる事実は変わらない トランジスタの特性は物性に支配されたものなのだから必然的に特性は限定されるのである 人間も同様だ。自分の感じることを他人がまったく同じように感じているとは限らない しかし、だからといってだいたいにおいて自分と他人は同じような感じ方をしているのである 自分も他人も人間という種に限定されているのだから。
206 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 15:45:26 ID:M6ncQX+B
>>190 聖典に書かれてしまうことで生まれる弊害ですね。
「深い意味」を設定することで、どんな記述であろうが問題でなくなってしまう。
純粋に感性・フィーリングでどうとでもとれる世界になってしまう。
>>191 おつかれさまでした。
207 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 16:19:41 ID:M6ncQX+B
超自然を駆使すれば大乗も非仏でなくなる。
208 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 16:59:07 ID:wbtqnWKY
>>195 「涅槃寂静」がモットーの釈迦仏教とは違うようですね。
釈迦涅槃図でも見ていたほうが良いのではないか?
209 :
一在家通りすがり :2009/05/19(火) 18:31:11 ID:SJT8+l0A
>>189 宝珠愚者様
丁寧で正直な読後感想を有難うございます。
>>195 旧7様
あなたのお蔭で同じ経を10回も読むことができ
有難うございます。
お二人に、合掌
210 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 18:55:15 ID:Em9RnqXK
>>203 203 :神も仏も名無しさん:2009/05/19(火) 13:31:39 ID:/bX2XZHi
>>202 >きっと、他人が、表面に現われる「生命現象」を見たのだね。「生命
>そのもの」は、誰にも見ることはできない。
>定規は、自分で自分の長さは測れない。
夢の中で自分を見るけど、それは現実の自分ではない。
人はそういう、対象化できる自分を見ることができる。
夢は、人の視力が心の内部にも向けられている、という証拠ではないか。
>210 レス冒頭のぎくしゃくは失礼しました。 このところ天使・悪魔のことを考えていて疲れ気味 orn
212 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 19:00:52 ID:2GUCn6n4
>>210 最新の研究によれば、夢とは、睡眠時における脳細胞の混乱。従って、
何の意味もない。
>>212 微妙なのだけど、夢によって人の視力が脳内にあることがわかる。
目それ自体は電気信号のようなものを脳に伝える器官にすぎない。
信号を映像化するのは脳の働きになる。
この脳の働きが心の内部にも向けられている。
夢は混乱ばかりではなく、意味のわかるものも多い。
214 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 19:17:54 ID:2GUCn6n4
>>213 >目それ自体は電気信号のようなものを脳に伝える器官にすぎない。
心(精神)も、脳の電気信号(電子)の働き以外の何物でもないのですよ。
大脳生理学を勉強してください。
>214 電気信号では無意味だけど、映像になれば意味がある。 無意味なレベルか、意味があるレベルかは雲泥のちがいがある。
216 :
旧7 :2009/05/19(火) 19:24:48 ID:9xyVEsK7
>>215 どんな場合でも、
『意味』なんてものは、あとから付与されるもんだwww
217 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 19:26:13 ID:2GUCn6n4
>>215 夢の映像も、所詮は睡眠時の脳の狂った電気信号。色即是空の典型。
たとえば夢の中でも、空に浮き上がることはきわめて困難である。 どうしてなのだろう? それなりの理由がある。 この現実によって、心の底からそう思い込んでいるから。 でもね、夢の中で人は空に浮くことができる。 忘却の川で宿命通を否定し、今度は神足通の否定をしている。 神足通を語るなら、まず夢の中で浮き上がれ
>217 夢には意味があるんだよ。 最近見た夢。猫が甘えて腕に絡み付いてきた。嬉しかった。 あったかい感触、心の通い合い。 これが夢だよ。
いろんな夢を見る。この体を通り過ぎていくアライグマの夢も見た。 その一方で、体の具合の悪い人を介護する夢も見た。 その人は男性なので重かった。 無意味どころか、みんな意味があり、それぞれにそれなりの感覚がある。
どれもこれもさ、宝石のような日々だった
222 :
宝珠愚者 :2009/05/19(火) 20:26:26 ID:tB4c1R9b
>>187 >三世が多義でないのは縁已生法だからです。
つまるところは、縁已生というのは分ります。
しかし、同一の個から個へと特定して業が継承されること
についての説明には、なっていないものと私は思います。
>>168 >生を希薄化することではなく、強化することだと言っていた。
元々、仏教とは人の生き方を説くものだと思います。
223 :
宝珠愚者 :2009/05/19(火) 20:28:38 ID:tB4c1R9b
>>190 追記:
ただ実際の、解脱された覚者はユーモアのセンスにも溢れている、という可能性があります。私とし
ては良いほうに捉えたいとは思います。
ただ迷信の排除は重要なので、いい加減、三十二相が仏陀の特徴であるとして強調する傾向は
終わりにすべきでしょうね。
この三十二相って、ちょうど借りてきた春秋社刊『原始仏典』第三巻に『三十二相経』というのが載っ
ているのですね!チラ見では、なーんとこれを説いたのはゴータマご自身ということになってます。た
ぶん大舌相というのは、本当は「説法の素晴らしい人のこと」なーんていう解説が経文に見られること
もなさそうですね。あなたのいう通り、これは明らかに身体的特徴のことです(通常は在り得ず不自然
で、解脱とは直接に関係があるとは思えない)。
これでは長部経典(及び長阿含)というか、この三十二相経といった部分においては、残念ながら
その評価をかなり下げざる得ないと思います。やはり、迷信や余計な神格化などは戴けない・・。
224 :
宝珠愚者 :2009/05/19(火) 20:31:19 ID:tB4c1R9b
>>188-189 追記:
『現代語訳「阿含経典」』の『自歓喜経』は、明らかに外道が説く常住論についてゴータマが説いた
ことは素晴らしいというものです。そして、とても重要な部分(記述)がありました。
『この人は明けても暮れても無知なまま、「世界は永遠に存在する、これこそが真実であり、他は
いつわりだ」と説く』(平河出版社刊/自歓喜経)といい、それが常法だといっています。尚、その世界
とは、成劫と敗劫を繰り返す世界のことです。
また、解説によれば、随分とパーリ経典にはない記述がこの漢訳経典の方にはあるようです。とい
うことは、パーリからの漢訳の際に、元々の『サンパサーニーヤ』経にはなかった記述を漢文で追加
したということなのでしょうか?もしそうであれば、この漢訳『自歓喜経』の方は信頼性が薄いことを
意味するのか??
225 :
旧7 :2009/05/19(火) 21:20:19 ID:9xyVEsK7
239 宝珠愚者 2008/12/24(水) 23:50:28 ID:C+j7Xu/z この中でも特に「スッタニパータ」「ダンマパダ」「テーラガータ」「テーリーガータ」「サンユッタ・ニカーヤ」 やパーリ長部中の「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ」などはゴータマの姿(当時の教え)を知る上では 重要といわれています。 私は特に漢訳経典よりもパーリ経典の方を重視します。漢訳四阿含は古代マガダ語→サンスクリット語 経典→漢訳経典と翻訳を繰り返されてきており、特に漢訳された際に微妙にシナ(古代中国)的変色を受 けた可能性があります。現在のところまだパーリ五部の原典となる古代マガタ語経典の発見がないといわ れていますが、わたしの直感ではそれは多分、元々からして「無い」のではないか?と思います。ゴータマ の説法は古代マガタ語でしたが、パーリ語で口誦され続けて、恐らくそのままパーリ語で書き記されたので しょう。 244 初代スレ7 sage 2008/12/25(木) 00:35:46 ID:wzjHZDF4 >> 239 歴史的位相はこんな感じじゃね? 知らんけどw 直・初期 在世 仏 弟子 古M語 P Skt Tib 漢 | ○ | ○ | ○ | ○ ..○ | ○ ..○ ○ | .○ .○ ○ | .○ .○─○ ○ | .○ .○─○ ○ | .○ .○─○ ○ | .○ .○─○ ○ ↓ .○ .○─○ ○ 現代
226 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 23:37:22 ID:T57sqOHv
>>222 >元々、仏教とは人の生き方を説くものだと思います。
輪廻転生の脅迫に怯えて、ひたすら「己の」輪廻から解脱するために、修行と
やらに励むことが、どこが「人の生き方」か。
そこには、他者の観念がまったくない。あるのは、己の畏怖心とエゴだけでは
ないか。
227 :
神も仏も名無しさん :2009/05/19(火) 23:48:48 ID:dzCm/LW9
その通り、全く下らないですねえ。塩崎雪生氏も言ってました。 仏陀という人物、仏教という思想は人が生きる事において全く資するところがないと。
228 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 01:40:01 ID:IQ6GZx25
>>227 少なくとも、原始仏教はそうだね。開祖と経典盲信のカルトに過ぎない。
大乗仏教は、原始仏教の「欠陥」を改良したもの。
宝珠愚者氏がこれほど原始仏教に執着するのは、彼が洗脳された、キリスト教
由来の神智学との親和性の故である。
>>226 自分が怯えてるからって、人もそうだと思うなよw
230 :
一在家通りすがり :2009/05/20(水) 02:05:55 ID:8PY3JzJp
昨日、釈尊が常住を説かれたという記載が法華経に続き、長部経典でも確認されました。 多分、法華経の作者は自歓喜経を知っていたのだろう。 如来の眼には世界もアートマンも常住に見えるらの
231 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 02:28:39 ID:YXgqymMH
>>229 そんな荒唐無稽を信じるほど、愚かではない。
信じ込まされて、精神を狂わされ、財産を巻き上げられている信者を救助する
ために言っている。
233 :
宝珠愚者 :2009/05/20(水) 02:58:38 ID:CHP1ABTR
>>226-228 >>229 >大乗仏教は、原始仏教の「欠陥」を改良したもの。
輪廻転生を説かないのは、浄土真宗と一部の禅系しかありません。
これでどこが大乗は、輪廻転生の脅迫を改善したものなのか?
まっ、浄土真宗は間違いなくそうみたいだから、
あなた方が支持できる大乗の門とはここくらいなものです。
そんなに仏教が嫌いなら、さよならすべきです。
>>230 確かに一在家さんのいわれる通り、
『ディーガ・ニカーヤ(長部経典)』における『サンパサーニーヤ経(自歓喜経)』
では、説かれているようでした。それが分っただけでも、
大変な可能性(史実のゴータマは常住を説いていた?)を示すものだと感じました。
>>231 輪廻が荒唐無稽だと思わなければ怯えてしまう、っていうのは
精神的に問題あるだろうね。
人のためを思うなんて10年早いんじゃないだろうか。
>>230 法華経が常住を説くようになったのは、
法華経をつくったグループが、仏塔崇拝をしていたことと関係があるという説がある。
仏塔崇拝ということは、仏陀を崇拝するということなわけだが、
その為には、仏陀に死んでもらっては困るということらしい。
分りやすくいうと、肉体としての仏陀が死んでも法身としての仏陀には
生きていてもらわないと、仏塔崇拝しても功徳をもらえない。
その意味で、滅び行く肉体の仏陀と同時に、「常住」である法身の仏陀が
仏塔崇拝的意味で必要だったという。
仏教において常住が説かれる必要性がもっともあったのは「釈迦」が
なんらかの形で今でも生き続けている必要があったから。
法華経と長部阿含の特徴は仏陀の神格化が著しいこと。
神格化するのは、仏陀崇拝が教団運営上必要だということ。
そのためには、仏陀が常住である必要があるということ。
>>233 ゴータマは常駐論を説く傍ら、それら現象世界は、無常説きます。
宝珠さんは、この矛盾をどう説明しますか?
237 :
宝珠愚者 :2009/05/20(水) 03:30:44 ID:CHP1ABTR
>>236 はぃ、カラスさんお疲れさまです。
私の個人的理解では、
“求めるべきものが常住”であるのは当然であり、そうなければ価値がない筈なのです。
その思想が古代インド思想ということだと思うわけです。唯一なる実在の探求がテーマなのです。
ゴータマはそれをニルヴァーナといい、古代バラモンはアートマンを説き、梵我一如だといった。
つまり、究極のところではアプローチの違いでしかなく、ゴールは同じではないかと。
求めるべき世界は“永遠にして不変(であり普遍)なる価値”です。
本当はどんな宗教ではこれはそうだと思うわけです。
それはつまり、この無常なる世界からの解脱によって成されるわけです。
従って、矛盾にはならない。
寧ろ、一切は無常でから、ホトケも無常とか。
一切は空だから、ホトケも空などという理解が矛盾なんです。
求めるべき価値がどこにもない・・。
238 :
宝珠愚者 :2009/05/20(水) 03:35:54 ID:CHP1ABTR
>>237 訂正:
×本当はどんな宗教ではこれはそうだと思うわけです。
○本当はどんな宗教でもこれはそうだと思うわけです。
239 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 08:06:59 ID:7gdbuI6O
仏教における常住の法は無為法の3種だけでしょう。 いわく、虚空・択滅(涅槃)・非択滅だね。 そのほかの有為法はすべて無常で無我である、というのが 釈迦の認識でしょう。 だから無為法が常住だと説くのは合理的な説法でしょう。 ところで常住の我(アートマン)があるとしたらそれは無為法の 中にあるということですね。 虚空はブラフマンだし択滅は涅槃であって我の否定だからアートマン では無い。 残る非択滅がアートマンであろうか? いずれにしろ無為法だから実在ではないでしょうね。
240 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 09:20:59 ID:K2TylGdq
「絶対」を説くイエスを含む凡百の宗教の開祖とは異なり、釈迦は、「相対」 「関係性」に思い至った唯一の開祖であり、それが仏教の偉大な普遍的価値と 理解しているが、違うのですか。
> 凡百の宗教の開祖とは異なり > に思い至った唯一の開祖 この考え方が宗教差別を生み、かつてのキリスト教のような迫害を生む。 仏教であってもこのような考え方をする者は、差別・迫害を生む。 キリスト教であっても、このような考え方をしない者は差別・迫害を生まない。
相対・関係性といいながら、 結局は他の宗教への「差別」と仏教の「特別性」への陶酔が目的なのである。 このようなものはおよそ仏教の普遍的価値とはいえない。 陶酔のためのツールとして相対や関係性というキーワードを利用しているにすぎない。 ここの生き方の部分には、相対・関係性の概念はまったく反映されていない。
243 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 09:56:54 ID:K2TylGdq
>>241 「人間」について、「相対」「関係性」を基盤とすれば、「人間」については
差別は生まない。
宗教が「人間」の営みである以上、「人間を軽視・否定する宗教」は、人間の
営みとして矛盾であり、少なくとも「人間界」からは追放されるべきもので
あることは、当然ではないのか。
244 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 09:59:12 ID:K2TylGdq
釈迦や仏教を高く評価したら非難されるとは、ここは一神教スレかw。
245 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 10:04:02 ID:K2TylGdq
>>242 宗教という単なる「システム」に対する差別は、「人間」に対する差別
を意味しないよ。
それが逆転して、宗教は絶対に批判できず、常に「人間批判」にしか
走れないのが、まさに宗教の「病理」である。宗教に、人間同士の争い
が絶えることが無いのは、これが理由である。
246 :
旧7 :2009/05/20(水) 10:21:27 ID:LdDjSU4n
>>230 確認? 馬鹿か?
宝珠の発言が、仏教界全てを代表し、仏典研究者を代表する発言だというのか?
(また、このスレに限っても、まだ、真言氏の見解は提示されていない。)
単に、宝珠が個人的見解・感想・読解の仕方に於いて、そう読んだ、に過ぎない。
あの程度で確認とは・・。片腹痛い。
「世には、(神通力によって知られ・確認される)《“我”と“世界”は常住である》という説がある」ということと、
「釈尊が、(神通力によって知られ・確認されるように)【《“我”と“世界”は常住である》と】、教えとして説いた」かどうかは別問題だ。
自歓喜経の一々の記述の仕方・構成の仕方から、
「世には常住論が三つあり(本当は四つだが・・・w)、【その内で】想起する生が最も多い三つ目が最上のものである」、
ということでしかない。 舎利弗は言う。
「世尊は、【常住“論”(sassatavAda)について】説かれました。(内、三つ目が(【常住論としては】)最上のものです))」と。
これは、必ずしも≪常住論が仏説であることを意味しない≫。(参:
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1146643240/379 )
ポイントは、読解の仕方として
〔『最上である』と評されている〕 ということを、〔教えとして(≒教義、必須事項として)説かれている〕
と【解釈するかどうか】だ。
≪釈尊は、《“我(attA)”と“世界(loka)”は常住である》 と説いたのか?≫ と・・・。
何度も言うが、経全体(の構成)もしっかり見ろ。(或いは経蔵全体の構成も見ろ。)
仮に、自歓喜経に於いては《“我”と“世界”は常住である》と、(釈尊のおしえとして)説かれていると読んだとしても、
長部第一の梵網経(及び第二の沙門果経)と、どう関連付けるかを解決してから言え。
説いた相手が違う? 笑わせんなw
自歓喜経で記述される各項目は、
【過去(様々な場所で)既に説かれており】【それを舎利弗が、あらためて提示し】
【舎利弗が一々を評価し】【釈尊が、その評価の仕方を妥当である】と許容したものだ。
≪一々の個別の内容が、【その場で】【舎利弗に対して】説かれたわけではない≫。
この程度のことも判らんか?
>>245 システムを差別するために、別のシステムをつくりあげることになるだろ
結局システムとシステムの対立にすぎなくなるだけ
そして、中にいる人間は実際はシステムに属する人間を差別している
>>243 > 宗教が「人間」の営みである以上、「人間を軽視・否定する宗教」は、人間の
> 営みとして矛盾であり、少なくとも「人間界」からは追放されるべきもので
> あることは、当然ではないのか。
まさにこの思考が「コーランか剣か」を生むのである。
キリスト教徒という人間が憎いわけではない。キリスト教から改宗すればいいのである。
イスラム教徒はそう言ったのである。
所詮、人間は差別して生きている存在なのだから 差別反対を錦の御旗よろしくかかげることが欺瞞になります。 自分のエゴが大衆の意見を代弁するところに 共同体の正義が現れてくるだけです。 しかし、共同体に属す人間に利害をとく中で、いざ自分が少数派になったときに 大衆の差別が自分を害することを恐れるために 大衆が共同体内、あるいは共同体間の差別を緩やかにするように社会がバランスをとるのです。 共同体そのものを害する動きに対しては、差別が適応されないのはこのためです。
250 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 10:56:05 ID:85UgbDLT
>>228 原始仏教がキリスト教に近いのは、より一流の○○に近いからですよ。
大乗「仏教」は三流によって薄められ、梱包し直されただけの代物とも言えます。
アレンジだの宗派レベルでなく、宗教というものを発生させてしまう人は
なんだかんだで格が違うのです。
>>243 生まれますよ。「理解する者」は理解できない馬鹿を下に置きます。
>>247 の内容はその意味で正しい。
真実だという認識に立てば相手から差別ととられようと実際は区別です。
差別だと思って苦しんでしまうのはそいつが阿呆だから、です。
ドジっ子は見ているだけなら愉快だったり愛嬌がありますが
同席させられるとウザいのです。さらに「関係性」において利害を共にし
それにより実害をこうむる立場にもなれば、もはや殊勝なことは言ってられないのです。
251 :
一在家通りすがり :2009/05/20(水) 12:11:08 ID:/97XEBaP
>長部第一の梵網経(及び第二の沙門果経)と、どう関連付けるかを解決してから言え。 第二の沙門果経で説かれている「漏尽通」では、常住のアートマンが無ければ どうやって前世、前々世、十世前の出来事を読み取れるのか??証明できますか とは申しません。 兎に角、ディーガニカーヤ全体が「アートマンは常住」にて統一されており、 修行レベルの低い者達に対する経典のみ「常住しない」と対機説法が記載されて おります。 皆さんも春秋社の「長部経典」を読まれましたら、シナ仏典との違いに愕然とされる ことと存じます。
252 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 12:22:21 ID:pkGEGBxB
>>237 >求めるべき世界は“永遠にして不変(であり普遍)なる価値”です。
>本当はどんな宗教ではこれはそうだと思うわけです。
その「永遠にして普遍(であり普遍)なる価値」とは、突っ込んで考えれば、
具体的には一体何で、何によって、何を基準として検証するのですか。
あなたのいう「価値」は、現実上の根拠皆無な(従って検証不能な)、一神教的
「観念」に過ぎないのではありませんか。
釈迦は、そのような「観念的な絶対的価値」に対する「執着」を去ることこそ、
説いたのではありませんか。執着があれば、涅槃に至らないからです。
それに、そのような「絶対的価値」を思考し、定めることも、「人間の生物的
生命の機能」ですから、「人間」が考える限りのどんな絶対的価値でも、「人
間の生命」には従属し、その絶対性は失われます。
253 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 12:25:00 ID:pkGEGBxB
>>250 >原始仏教がキリスト教に近いのは、より一流の○○に近いからですよ。
その「一流」「三流」の位付けの具体的基準は何?具体的基準がない
のなら、位付けは無意味である。
254 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 12:28:58 ID:8PY3JzJp
俺も春秋社を読んだ。 中国の坊主に騙されてたと悟った。www 買って嫁と仲間に伝える。
ひとつの宗教は、世界認識のひとつの体系であり、 その体系から導かれた生き方である。
256 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 12:51:00 ID:pkGEGBxB
>>255 現実世界において生きるためには、五感の知覚によってその世界を認識する
ことが不可欠。五感の知覚には、観念の介入を要しないし、また介入させては
ならない。世界を「あるがまま」に知覚することが必須である。
宗教観念は、五感の知覚に介入し、それを変容・破壊し、その結果として、
あるがままの世界を変容するから、その世界における「生き方」に資するどこ
ろか、「生き方」にとって、むしろ極めて有害である。
>>256 ・・・という宗教観念(社会主義的唯物論)を書き続ける256であった。
「自分だけは例外」という分りやすい例である。
そもそも「あるがまま」に知覚することなどできない。
知覚した時点で違うモノでしかないのである。
258 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 13:17:35 ID:pkGEGBxB
>>257 「違うモノ」でありうことを、何によって判断する?w
人間の知覚(感覚)器官は、御釈迦さんの時代から、五感しかないのですよw。
カントは、「知覚された物」と「物そのもの」とを分けたが、彼は「物そのもの」
をどうやって判断するのだろうねw。単なる妄想によってなのでは?
259 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 13:25:34 ID:pkGEGBxB
>>257 どんなに偉い宗教者でも、社会(共同体)において、「物」に100%
依存しない限り生存できない。生存できなければ、好きな宗教もやれない。
従って、宗教者も含め、「すべての人間」は、本質的に「唯物論者」である。
例外は「皆無」。
260 :
絶対神 :2009/05/20(水) 13:31:58 ID:7g/3s5Z8
>>252 だからさー。その涅槃とかなんとかが、「正しい」という証明はどう
なるのよ。
「証明不可能だろ」
「なんで執着を捨てるのが正しいの?」
基本的に、釈迦の言っている事も、一神教と一緒で、「検証しようが
ないんだよ」
釈迦の言っている事が、事実として万人に検証可能なら
「とっくに世界は仏教によって統一され、一神教は滅びているよ」
現実が、「釈迦の教説は一神教を上回っていない」という事を証明
しちゃってる訳(寧ろ、圧倒的に一神教徒の方が数が多い)。
つまり、客観的に言えば、「宗教の教説の信頼性」など、どの宗教にも
違いはない訳さ。
261 :
絶対神 :2009/05/20(水) 13:51:52 ID:7g/3s5Z8
逆に言いましょう。 「人間は、特に宗教を求める求道者は、人生に「絶対の答え」を求めて います。永遠的価値観を、求めているんです」 「これに対する執着を断ち切ることは、元々、不可能です」 そんなものが無い。などという答えは、何の救いにもならないし、「誰 にでも言える事です」。 別に、神仏に教えて貰う必要などないのです。 人間が、結局求めるのは、「五感を超える事」です。 唯物論で人が救われるのだったら、「そもそも、宗教は出来ていないし、 ここまで数が多くないし、世界に広まってません」。 人間の求道心は、結局は、「絶対の答え」を得る事でしか満足しない んです。 つまり、「絶対の答え」を示せないのなら、多くの人間にとって、 「釈迦も仏教も不要なんです」 だからこそ、一神教が世界最大の勢力になっている訳です(キリスト教一位、 イスラム教二位。世界の大半は一神教によって支配されている)。 もし、宗教が人々の需要に答えようとするなら 「永遠的な絶対的価値観を示す事が絶対に必要です」 人を超えた価値観を示せてこその、「神仏」という事なのです。
262 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 13:51:57 ID:7gdbuI6O
>>260 >つまり、客観的に言えば、「宗教の教説の信頼性」など、どの宗教にも
>違いはない訳さ。
これも所詮、君の思い込みの妄想であってなんら証明できる客観的事実ではない。
263 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 13:54:33 ID:pkGEGBxB
>>260 >「とっくに世界は仏教によって統一され、一神教は滅びているよ」
仏教は、パウロのような狂気の宣教と、暴力による異教徒の強制改宗などを
やらなかっただけの話。
>>258 > カントは、「知覚された物」と「物そのもの」とを分けたが、彼は「物そのもの」
> をどうやって判断するのだろうねw。単なる妄想によってなのでは?
純粋理性批判読めばいいじゃないか。
読まずに論じるほどバカバカしい事もなかろうよwww
265 :
絶対神 :2009/05/20(水) 14:01:07 ID:7g/3s5Z8
で、結局のところ、「本当に人間を超えた神仏みたいな存在は滅多に 生まれない訳」で。 「そこで宗教は頭打ちになってしまうんです」 そうです。 「真理なんて示せないんですよ」ww これが宗教の最大の問題点なんですよねえ。 それこそ、神仏が地上に降りてきて、どんどん教えればいいものをww 「宗教原理主義は、結局、現実の前に敗北する運命を背負っています」(大笑) でも、我々、宗教信者は、やはり、愚かにも、 「絶対を求める」 のです。 でなければ、「宗教など不要だから」です。
>>259 ご飯を食べて生活することを唯物論とはいわない。
非常に分りやすいスリカエである。
自分の正当化のためには手段を選ばない、ということかw
> 「なんで執着を捨てるのが正しいの?」 苦しむからだろ 「みんな喧嘩してるから、みんな自分の考えに固執しないでゆずるところはゆずろーぜ?」 「おまえのその考えも、ひとつの考えだ、その考えに固執するのはおかしい」 これじゃ、とりつくしまがない まあ確かに、今の世の中のように、人が自分の考えに固執することを憎んで すべての人間に強制的に固執するための考えをなくさせることもまたいきすぎだと思うが。 これらの論はあくまで人間の交際を円滑にすすめるための論理にすぎん。 実際には、自分をしっかりみながらも相手もみとめることが必要。 はじめに一方的に布教して信者を大量に獲得しておきながら、 有利な情勢にもっていけたら宥和的な態度をとって現状勢力の関係を保全するというのも 休戦の論理はともかくとてもに相手の心を考慮した態度じゃないよな そのへんの交渉事はどんなに綺麗な言葉で繕っても兵器を使わない戦争だよ 宗教は個人の心の領域にかかわる。 誰が何を正しいと思おうと誰もこれを止めることはできない。 本人が正しいと思うから正しいんだろ 人に押しつけるにはそれなりの論理が必要だがな
268 :
絶対神 :2009/05/20(水) 14:25:33 ID:7g/3s5Z8
269 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 15:03:55 ID:85UgbDLT
>>253 国や民族の枠組みを超え、新しい「文化圏」を作り出してしまうレベルの教祖を一流と呼びます。
教祖の個人的妄想に留まらず世界観や常識になってしまう域。
イエス、ブッダ、ムハンマドは一流です。
ムハンマドは宗教家以外の面でも有能であり、総合的にはトップでしょう。
270 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 15:17:48 ID:85UgbDLT
>>259 >従って
前後が全くつながっておりません。宗教者は物質も神の創造のわざとします。
神がなければそもそも物質も存在してないのです。
少なくとも括弧なしでの唯物論者ではないです。
>>266 本質的に、という言い回しと「 」を併用してる時点で察するべきだったのかもしれません。
仏教が苦の認識と原因の発見、そして原因の除去と常楽の境地を示すのに対して 一神教ははじめに神ありきなので、なぜ苦悩する人が生まれたのかという疑問がつきまといますね ユダヤ教はイスラエル王国で生まれたそうですが北のユダ王国では多神教を信じていたそうです。 人が自然に感じる霊性に先験的に存在するとしているところに 多神教から一神の権威の巨大化によって一神教へとシフトする流れがあるのかもしれませんね
272 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 18:01:09 ID:AtIX8lCK
>>271 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の、神→人のベクトルに対し、
仏教の、人→神のベクトル。どちらも必要だろうと思う。
ただ大乗仏教には空を道具と見る視点が必要でしょう。
空は手段であって目的ではない。
それから仏教は<聖霊>の力を知らない。
273 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 18:10:39 ID:mOoIL2k0
ただの概念ならどちらも必要、でいいけど 地球は丸いってのと、地球は平らってのを、どちらも必要とは言わないよね。 聖書の信仰は空想であって、事実ではないが、釈尊がいったのは 事実なんで、同じ土俵で比較するのは無理だよ。
274 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 18:12:20 ID:mOoIL2k0
あと、アートマン信仰は釈尊の仏教じゃない。
275 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 18:17:07 ID:7gdbuI6O
アートマンを信仰する宗教は無いだろ。
>274 釈尊はバラモン教徒ではないの?
277 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 18:19:02 ID:mOoIL2k0
アートマンがあると思ってる宗教のこと。 ほとんどの宗教はそうだろうけど。 アートマンを他の名前でいってみても同じ。
278 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 18:21:49 ID:mOoIL2k0
>>276 よく「真の婆羅門は〜」という言い方をして、バラモン教の間違いを
ただしているよね。
>278 それだったら、釈尊こそ真のバラモン教徒ですね
280 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 18:34:25 ID:mOoIL2k0
>>279 それは、その中身による。
「バラモン教」という名前で、あなたが表現しようとしているものによる。
バラモン教と言ったら、ブラフマンとアートマンだけど?
282 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 19:23:27 ID:mOoIL2k0
>>281 んで、「釈迦もブラフマンとアートマンを説いたのだ」っていう結論にもっていきたいの?
>>279 真の、ということは今までのバラモン教とは一線を画す、
別の宗教だということだろう。
284 :
旧7 :2009/05/20(水) 21:26:09 ID:VrydDBLw
如來説法復有上者。謂説常法。常法者。
諸沙門婆羅門。種種方便入定意三昧。隨三昧心憶識世間二十成劫敗劫。
彼作是言。世間常存此爲眞實。餘者虚妄。
所以者何。由我憶識故知有此成劫敗劫。其餘過去我所不知。未來成敗我亦不知。
此人朝暮以無智説言。世間常存唯此爲實。餘者爲虚。
是爲初常法。
諸沙門婆羅門。種種方便入定意三昧。隨三昧心憶識四十成劫敗劫。
彼作是言。此世間常此爲眞實。餘者虚妄。
所以者何。以我憶識故知成劫敗劫。我復能過是知過去成劫敗劫。我不知未來劫之成敗。此説知始不説知終。
此人朝暮以無智説言。世間常存唯此眞實。餘者虚妄。
此是二常法。
諸沙門婆羅門。種種方便入定意三昧。隨三昧心憶識八十成劫敗劫。
彼言此世間常。餘者虚妄。
所以者何。以我憶識故知有成劫敗劫。復過是知過去成劫敗劫。未來劫之成敗我亦悉知。
此人朝暮以無智説言。世間常存唯此爲實。餘者虚妄。
是爲三常存法。
此法無上。智慧無餘。神通無餘。諸世間沙門婆羅門。無有能與如來等者。
況欲出其上。
(長阿含十四/大正蔵(
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/database.html )
285 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 21:28:52 ID:mOoIL2k0
>>284 きみ一人だけ気持ちよくて満足だろうけど、見てる人はそうじゃないと思うぞ。
286 :
宝珠愚者 :2009/05/20(水) 22:01:53 ID:CHP1ABTR
>>276 ゴータマはバラモン伝統の中に生まれ、
バラモン伝統における間違いや迷信を正した、
ということだろうと思います。
ゴータマが優れた修行者を讃えて賛美する際には、
“真の婆羅門”といういい方を特に好んでいたと思います。
正しい真実のバラモンとは如何なるものであるか?
それを示そうとするのが、ゴータマの摂る姿勢でした。
基本的にはヴェーダと優れたバラモンは讃えています。
「前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、
完成すべきことをすべて完成した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。」(ダンマパダ423)
「諸々の煩悩の汚れの消滅の故に無病の起ることを正しく知って、省察して(食料を)受用し、理法に
住するヴェーダの達人は、もはや(迷いの生存者のうちに)数えられることがない。」(スッタニパータ749)
「ブッダは反ヴェーダ的自由思想家の一人であり、正統バラモン思想の否定者と見なされるが、必
ずしも単なる否定者ではなかった。ブッダはヴェーダやウパニシャッドの宗教・哲学の陥った過誤を正
して、アーリア人の本来あるべき真面目を回復するとともに、これを新時代に適応すべく自らの見解を
開陳した。つまり、ブッダはアーリア文化の回復者であったといえよう。」
(インド思想史/早島鏡正・高嶋直道・原実・前田専学著-東京大学出版会刊)
287 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 22:10:51 ID:zeKHGiBi
>>222 >>三世が多義でないのは縁已生法だからです。
>つまるところは、縁已生というのは分ります。
いえ、誤解しています。
>しかし、同一の個から個へと特定して業が継承されること
についての説明には、なっていないものと私は思います。
そう感じるのは、貴方が縁起を誤解してるからです。
果が因に縁って起る、ということは、無関係なものに縁って起るのではありません。
つまり、因果は多義ではありません。
無関係なものに縁って起るなら、例えば、火は水からでも起り得るのです。
そもそも、先ず、バラバラな三世が有る、
故に次に、それらを統一する我がなければならぬ
という類の誤解をしてませんか?
288 :
宝珠愚者 :2009/05/20(水) 22:17:20 ID:CHP1ABTR
>>285 意味も分らないのに、
ただ有難い呪文のような感覚でただ漢訳経を日々、
読誦することを習慣化させ続けてきた弊害により、
日本に仏教が伝来して1500年を経た現代においても、
未だに、一般大衆は仏教の何たるかを何を知らない。
ということでしょうね!
まず、
漢訳経読誦の習慣化の廃止から仏教改革から始まる。
もし、どうしても続けたいなら、それは僧侶限定にすべきです。
釈尊はクシャトリア出身でしかもネパール近くの人だろ
290 :
宝珠愚者 :2009/05/20(水) 22:28:22 ID:CHP1ABTR
>>287 >果が因に縁って起る、ということは、無関係なものに縁って起るのではありません。
>
分っています。
しかし、それを“規定したもの”を具体的に指し示していません。
いいたいのはそれだけです。
ん?
あなたは真言氏ですか??
法要多忙は落ち着いたのか?w
(人違いでしたらスマソ)
291 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 22:32:41 ID:mOoIL2k0
>>289 うん。
>>286 には「ゴータマはバラモン伝統の中に生まれ」と書かれており、
「バラモンとして生まれ」と書いてあるようには見えないのだが。
292 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 22:33:39 ID:mOoIL2k0
バラモン教の文化の中に生まれた王族出身の出家者だよね。
293 :
旧7 :2009/05/20(水) 22:34:43 ID:VrydDBLw
294 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 22:36:23 ID:mOoIL2k0
>>290 横からすまんだけど、「規定したもの」って例えばなに?
「規定する」って、人間が法律を制定するとか、そういうニュアンスに読み取れるんだけど。
地球が平らだと規定したからって、平らになるわけじゃないよね。
「【何】が此縁性を【規定】する」なの?
295 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 22:38:12 ID:mOoIL2k0
296 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 22:38:33 ID:mOoIL2k0
ただのコピペ厨かと思ったわ。
297 :
旧7 :2009/05/20(水) 22:42:14 ID:VrydDBLw
>>295 そうか・・・。アンカーが要ったか・・。
行数に余裕はあるので、普通なら入れるべき所だな・・。申し訳なかった。 m(_ _)m
298 :
宝珠愚者 :2009/05/20(水) 22:52:34 ID:CHP1ABTR
>>288 訂正:
×仏教の何たるかを何を知らない。
○仏教の何たるかを何も知らない。
×廃止から仏教改革から始まる。
○廃止から仏教改革が始まる。
>>252 >釈迦は、そのような「観念的な絶対的価値」に対する「執着」を去ることこそ、
>説いたのではありませんか。執着があれば、涅槃に至らないからです。
執着とは精神態度のバランスの崩れた状態のことです。
正しく志向すること、つまり正しい目標(目指すべき絶対的な価値)を据えること
そのものは執着ではありません。
>それに、そのような「絶対的価値」を思考し、定めることも、「人間の生物的
>生命の機能」ですから、「人間」が考える限りのどんな絶対的価値でも、「人
>間の生命」には従属し、その絶対性は失われます。
人間の肉体死で全てが崩壊するという教えは仏教ではありません。
それは断滅論=断見(唯物論)であり、
ゴータマは、それは間違っていると厳しく明言しました。
299 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 22:55:23 ID:zeKHGiBi
>分っています。 そうであれば、ああした発言にはならないでしょう。 >しかし、それを“規定したもの”を具体的に指し示していません。 つまり、縁起という法則を支える何某かが示されていない、ということですか? そうであれば、まさに縁起を誤解していますが。 こうした支えを求める動機の最大のものは、 先に示したような統一者を求める類の誤解が根底にあります。 >あなたは真言氏ですか?? 違います。ファンです。
300 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 22:56:08 ID:zeKHGiBi
301 :
旧7 :2009/05/20(水) 23:09:42 ID:VrydDBLw
>>299 自分が、大海に浮かぶ木切れであることに気付きたくないのさw その手の人たちは・・・。
「どこかに、足場(陸地)がある筈だ!」
「この大波に揺らいでいない、固定された安住できる足場(陸地)がある筈だ!」
「そうでなければ、あまりにも理不尽で、不安定で、安心できないじゃないか!」
「安心できる、寄り掛かれる陸地が、きっとある筈だ!」 とね・・・。
「縁起」という世界観に於いては、陸地なんてどこにもないのにね・・・。
無数の木切れが、ぶつかり合いながら浮いているだけなのにね・・・。
(※ だから、「自己を洲とし、法を洲としなさい」という言葉に重みが出るんじゃないかな?w ※)
302 :
宝珠愚者 :2009/05/20(水) 23:17:51 ID:CHP1ABTR
>>293 >(てか、判らなかったのか?)
いや、もちろんすぐに分ったよ ヽ(`Д´)ノプンプン
掲載に感謝 m(_ _)m
>>290 >「【何】が此縁性を【規定】する」なの?
法(自然界の法則/作用)です。
縁起によって三世を跨る際の個を特定する具体的な力とは?
ということです。“それを縁起という”では(分りきったことであって)、
回答したことにはならない。
何故、大乗が阿頼耶識なるものまで想定し出す羽目になったかということです。
303 :
神も仏も名無しさん :2009/05/20(水) 23:33:08 ID:mOoIL2k0
>>302 お返事どうも。
つまり、縁起を縁起たらしめている何ものかがあって、それを「法(阿頼耶識)」と
言っている、ということでしょうか。
このスレを読み始めたのは最近のことなんだけど、宝珠愚者さんが
スレ主(スレ番1の1を立てた人)で、大乗仏教で、アートマンを認める
立場ということでおkですか?
>>301 > 「縁起」という世界観に於いては、陸地なんてどこにもないのにね・・・。
> 無数の木切れが、ぶつかり合いながら浮いているだけなのにね・・・。
これ、いいね。
善光寺の胎内巡りとかもそんな感じだよね。
いわゆる暗中模索の中で、ただ暗闇を歩きつづけてる。
すると、時がきた時にフッと何かが手に触れる。
>>302 > 何故、大乗が阿頼耶識なるものまで想定し出す羽目になったかということです。
想定というか、自己観察してたら見えただけだと思うんだが。
306 :
宝珠愚者 :2009/05/21(木) 00:09:30 ID:Ro8Ua6Kz
>>303 阿頼耶識なるものはゴータマの教えではないわけです。
無我(アートマンはない)などといいながらも、
大乗が結局、アートマン的なものを説きだしたというのは、
個から個へと特定する業報についての説明に不足をみたからではないでしょうか?
個を特定する具体的な説明がない、ただ縁起だでしかない・・。
前シリーズ、
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】を建てたのは私です。
この無我問題のシリーズのテンプレは、
読者から次の議題として提案を頂いて私が書いたものです。
尚、投稿規制を受けて、実際、無我スレ1を立ててくれたのはその提案者です。
ただし(この私にではなく)、恐らくは真言氏による次の解説投稿を期待される方によるものですw
*真言氏とは、前シリーズの古いスレからの登場者で、博識な真言密教僧です。
307 :
宝珠愚者 :2009/05/21(木) 00:21:43 ID:Ro8Ua6Kz
>>306 追記:
私は大乗徒ではなく、神智学徒(個人の)です。
断見/断滅論に陥った自称仏教徒による輪廻否定の間違いを仏典から示そうとしてスレを起こしました。
また私は、究極においてはゴータマもバラモンの哲人も目指す境地は同じである、
というスタンスにあります(更に云うと、どの宗教から昇ってもゴールに到達すれば同じなのですが)。
違いは、方法論とレベルなどの差によるものです。
尚、大乗について幾つかの概念については素晴らしさを認めますが、
大乗によるゴータマの卑小化、及び教えの歪曲化を批難します。
308 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 00:28:14 ID:pQ8Q8Gh1
>>306-307 なるほど。
ありがとうございます。
大乗にせよ、何伝にせよ、「断見に陥ってませんか?」という問題提起と
いうふうに理解しました。
このスレの今までの内容を整理。 まず、上座部、説一切有部が、ゴータマの神格化を図り、 アーガマを独占して一般に対して封印し、 仏陀以外はアラカンの悟りしか得られないとした。 説一切有部は、三世実有・法体恒有を説く。 次いで、大乗が興り、 釈迦自身の思想にあったと思われる縁起・空をベースに 教義を再構築しつつ、説一切有部を批判。 人は皆最終的には仏陀になれると説く。 その中で、一部の大乗経典がやはり仏陀を神格化。
310 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 01:04:48 ID:vdvuENW9
>>270 >前後が全くつながっておりません。宗教者は物質も神の創造のわざとします。
>神がなければそもそも物質も存在してないのです。
どこの宗教者のことを言っているのか?「唯一創造神」など、「人間が考えても
無意味なものは考えるな」と教えたことが、仏陀の比類のない偉大さである。
>>298 > 正しく志向すること、つまり正しい目標(目指すべき絶対的な価値)を据
>えることそのものは執着ではありません。
執着とは、「自分が正しいと思うこと(物)」に対する執着のことだよw。
その「目指すべき絶対的な価値」の、具体的内容及び判断・検証基準を聞いて
いる。君の主観的妄想ではない。
>ゴータマは、それは間違っていると厳しく明言しました。
ゴータマが明言しようとしまいと、それが「法」である。「自灯明・法灯明」。
釈迦の教えを忘れたのか。
>>310 > >ゴータマは、それは間違っていると厳しく明言しました。
>
> ゴータマが明言しようとしまいと、それが「法」である。「自灯明・法灯明」。
> 釈迦の教えを忘れたのか。
第一文(ゴータマが明言〜)の文意 → 釈迦の発言など無意味
第二文(自灯明・法灯明〜)の文意 → 釈迦の発言に従え
> 「唯一創造神」など、「人間が考えても > 無意味なものは考えるな」と教えたことが、仏陀の比類のない偉大さである。 ソースあります? それともエルカンターレなんとかみたいな独自解釈?
313 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 01:33:20 ID:pQ8Q8Gh1
うわ かなり不毛だ。 知らないまま、調べもしないまま決め付けてるじゃん。
314 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 01:35:35 ID:pQ8Q8Gh1
>>312 「ソースあります?」じゃなくてさ
釈迦のいってることの、この部分が、こういう風におかしいです。何故なら〜」とか
言ってくるなら、見込みがあるけど。
自分で調べて、自分で考えなよ。
「ソースあります?」じゃねーよ。
ありますよ。
たくさんありますよ。
315 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 01:36:04 ID:vdvuENW9
>>311 分ってないな。釈迦の教えは、「俺の言ったことを、時代に合わせて、自分で
再構築しろ」と言うことだよ。時代に合わせて受け入れるものは受け入れ、排除
すべきものは排除しろ、ということで、当たり前のこと。何の矛盾もない。
この当たり前のことが言えた「宗教の開祖」は、釈迦だけ。生活者には、皆分
っていることだがw。
>>314 たくさんあるなら、ひとつくらい出してみては?
無記の話から引いてくるつもりなのかな〜と思ってね。
>>315 > 「俺の言ったことを、時代に合わせて、自分で 再構築しろ」
全然違ってると思うよ。
あんたみたいな独善的な裸の王様になることを推奨するわけないじゃん。
偉大なる神ブラフマンと一つになることを無我といいます。 禅でいう「無」と同じです。 無門和尚は「非風非幡」の公案で、 六祖、ちなみに風、刹幡をあぐ。ニ僧あり対論す。一人は云く「幡動く」と、 一人は云く「風動く」と。往復してかつて未だ理にかなわず。 祖云く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者が心動くなり」。 二僧悚然たり。 無門曰く、是れ風動くにあらず、是れ幡動くにあらず、是れ心動くにあらず、 何の所にか祖師を見ん。もし者裏に向って見得して親切ならば、方に知らん 二僧は鉄を買って金を得、祖師は忍俊不禁、一場の漏逗なることを。 頌曰く、風幡心動、一状に領過す。只口を開くことを知って、覚えず話堕することを。 無門和尚は是風動くにあらず、是幡動くにあらず、是心動くにあらず、 と言っています。 そして、風、幡、心動くという、二人の僧と祖師慧能は無門に よって有罪判決を下されたのでした。
> 第一文(ゴータマが明言〜)の文意 → 釈迦の発言など無意味 > 第二文(自灯明・法灯明〜)の文意 → 釈迦の発言に従え > 時代に合わせて受け入れるものは受け入れ、排除 > すべきものは排除しろ、 > 釈迦の教えを忘れたのか。 お前は自分が好き放題言うために、釈迦のカリスマを利用してるだけだな。
319 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 01:59:18 ID:vdvuENW9
>>316 >あんたみたいな独善的な裸の王様になることを推奨するわけないじゃん。
「時代に合わせて」という大きな限定を付している。「独善」とは対極にある
もの。
対極にあると断言しさえすれば、それで通ると思ってるところがホントに愚かだな。
321 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:06:57 ID:pQ8Q8Gh1
何千年経っても同じ議論が続いて、また次の世代が同じことで 同じように議論してくのか。 やっぱり関わるのはやめとくべきなのかな。この議題。
322 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:08:19 ID:pQ8Q8Gh1
証明終了済みの議題に関して、また証明しろっていうような話じゃない。
323 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:10:49 ID:vdvuENW9
>>319 >お前は自分が好き放題言うために、釈迦のカリスマを利用してるだけだな。
すべての宗教は、結果的には、「自分が好き放題言うために、神や開祖の
カリスマを利用している」のではないかねw。
「自分の好き放題ではないものは何か」を追求することこそ、肝要で
あろう。
>>323 つまり、お前はそういう宗教者たちと同類ということでいいんだな?
自分の好き放題しかやってないお前が肝要とか言ってもなぁ。
325 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:17:16 ID:vdvuENW9
>>324 「自分の好き放題でないもの」は何かは、既に提示済み。
>>322 ああ。ごめん。人違いしてた。
>>314 は彼向けに書いたものですが、私はわかってやってます。
確信犯で書いているので、混乱させちゃったと思います。
すみませんでした。
328 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:21:50 ID:vdvuENW9
>>326 「好き放題ではないもの」を「好き放題に提示する(出来る)」とは、
論理矛盾。
>>327 >>309 と同じ人だと後から気づいて「あれ?どっちだ?」と
思ってたとこでしたわ。
でもこの話題疲れる。
そもそも時代に合わせてというのが好き放題だしね。 なにが大きな限定だよ。実質的には好き放題じゃないか。
331 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:25:27 ID:vdvuENW9
>>330 時代は、個人の好き放題では、絶対に動かない。
>>331 時代が個人の好き放題で動くかどうかなんて、話してないだろ。
それで反論になると思うあたり、愚の骨頂。
まー、ほんとに文意がとれないんだろうな。 自分で釈迦の言うことなんて無視しろといった直後に、 釈迦の言うことには従えと言ってることにさえ気づかないんだから。
334 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:34:01 ID:vdvuENW9
>>332 「そもそも時代に合わせてというのが好き放題だしね」に対する反論。
>>334 いやー。残念だけどそれ反論になってないんだよ。
どうも論理的思考というのができないみたいだね。
理由は
>>332 に書いてあるんだけどね。分らなかったか。
336 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:41:50 ID:vdvuENW9
まあ、宗教者は、せいぜい、もっぱら「その時代に合わせた」開祖や 経典の言葉ではなく、「現代」において「自分の好き放題にならない ものは何か」を追求してください。
それ以前に、自分が好き放題言うために釈迦のカリスマを利用してるだけなんだって ことに気づいた方がいいけどね。所詮は金魚のフンみたいな存在なんだってことにさ。
338 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 02:54:49 ID:vdvuENW9
>>337 別に仏教者でも、宗教者でもないから、「釈迦のカリスマ」など利用する
必要はない。釈迦には、自分で考えるためのヒントが最も多いと思っている
だけ。
「金魚のフン」とは、開祖や経典に群がる宗教者たちのこと。
339 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 07:42:07 ID:Z/OjMg4e
中国の坊主達のマインドコントロールから解脱せよw 自称仏教徒ww
>>338 利用する必要はない、といえば利用してないことになると思ってるのか?
偉大だの比類がないだのと、仏陀を過剰に持ち上げて、自説を展開wwwwwww
現に利用してるじゃないかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
> 「金魚のフン」とは、開祖や経典に群がる宗教者たちのこと。
お前だよ、お前。
都合が悪いとこだけスリカエんなよwwww
341 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 07:57:14 ID:FcRzvvxB
>>301 >(※ だから、「自己を洲とし、法を洲としなさい」という言葉に重みが出るんじゃないかな?w ※)
まったくその通りと同意する。
仏教はこれだけ知ってればいいくらいだね。
342 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 08:45:42 ID:FcRzvvxB
>>333 >釈迦の言うことには従えと言ってることにさえ気づかないんだから。
たとえ「自灯明 法灯明」が釈迦の言ったことだとしても、この「法」
は釈迦が言った教えを指し示してるのではなく、自然法や実在を示してる
のだから、これにしたがことは釈迦の教えを盲信しろということではない。
「法」は時代とともに変わるものだということも物理法則など見ればよく解る
常識ではないか。
343 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 09:03:05 ID:FcRzvvxB
>>306 >個を特定する具体的な説明がない、ただ縁起だでしかない・・。
釈迦は現世において個を特定する物事は「名色」だと説明してるのではないか?
すなわち世間に認められた「名前」と身体の「色」形が同じだったら同じ個人
と判断する。現在のDNA遺伝子コードが同じならたぶん同じ人と判断するのと
変わらない。(一卵性双生児を除く)。
過去世や来世と同じ個人かは釈迦は無記を通した、というより、否定したのだろう。
「バラモンは生まれによってバラモンなのではない」なんてのは明らかに過去世を
否定している。
また将来に大望を持つことは苦しみにつながる、や死を恐れることも苦しみにつながる
というのも来世を否定することにつながる。
現世で輪廻から解脱し涅槃に入るべきだというのは、過去世や来世を思いわづらうな
という事だろ。
過去世・現世・来世を相続する「個」など考えても無駄じゃないか?
344 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 09:04:31 ID:B/i5IZ6N
>>310 >どこの宗教者のことを言っているのか?
創造神話や、そうでなくとも「神のはたらき」を説く宗教でなら全てです。
創造神、原初神なんざどの宗教・神話にもいます。
それら(宗教上の信仰)が正しい、と言っているわけではありません。
それらが「 」抜きでの唯物論ではない、というだけです。
310は私にとってはピンとこない返答レスです。アンカー間違ったのか?と一瞬思ってしまいました。
おそろしく噛み合ってません。
345 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 09:16:36 ID:B/i5IZ6N
>>342 法(ダルマ)は、本人らにとっては不変です。
本 人 ら に と っ て は
相手を理解してあげようと本気で思っているのなら、ここを忘れてはいけません。
意図的にやっているのなら、利用している、ということです。
346 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 09:47:56 ID:B/i5IZ6N
自然法、なるものに従えと言うなら、そもそも釈迦は王族の立場に戻ってるんじゃないかと思いますね。 ラーフラを還俗させて跡継ぎにしたり、新しく子供をつくったりもしてるでしょう。 さらに信徒団体を上手いこと体制に取り込めれば便利です。
347 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 11:33:27 ID:6M/9w3dc
>>844 仏教に「神」という言葉を使うのは、違和感を感じますね。仏教は、人間を
超越した「神」ではなく、すべての人間がなれる「仏」ではありませんか。
釈迦は、冷厳な合理主義者、経験主義者、現実論者、無神論者、唯物論者であ
るという評価もありますよ。
ニーチェは、キリスト教を徹底的に批判しましたが、仏教は「唯一の実証的宗教」
「優れた精神衛生法」として、極めて高く評価しています。
348 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 11:53:54 ID:lmqYdANd
>>347 「創造神話や、そうでなくとも「神のはたらき」を説く宗教でなら全てです。
創造神、原初神なんざどの宗教・神話にもいます。
それら(宗教上の信仰)が正しい、と言っているわけではありません。
それらが「 」抜きでの唯物論ではない、というだけです。」
大事なことなのでもう一回書きました。
>仏教に「神」という言葉を使うのは、違和感を感じますね。
別に違和感はないですね。仏教では神々も衆生の一種に過ぎません。
不思議なパワーや凄い寿命を持っていようが別に超越してる、とまでは見なされない。
そうした背景を踏まえることをせずに(例えば)西洋的な絶対神の観念を当てはめてしまえば、
当然違和感を感じるはずです。
349 :
一在家お昼休み :2009/05/21(木) 12:02:29 ID:I8eeiFiM
>>347 >仏教は、人間を 超越した「神」ではなく、
>すべての人間がなれる「仏」ではありませんか。
「神(梵天)」の似姿が「人」なので、全ての人には神性(仏性)が宿る
ということでしょうか。
「梵我一如」は深い瞑想により、その真理(ブラフマンの分身=アートマン)
を悟ることかな。
350 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 12:15:57 ID:ADCRGmNA
>347 釈尊はバラモン教徒だから、SPにも神々が登場します。 日本にも、梵天、帝釈天、毘沙門天などの神々がやってきました。 というか、神仏習合が仏教のすがたでしょう。 神と仏、ブラフマンとアートマンという構造になっています。
351 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 12:23:14 ID:6M/9w3dc
>>348 >不思議なパワーや凄い寿命を持っていようが
そのような言葉は、超越と誤解されかねませんよ。
>>349 >「神(梵天)」の似姿が「人」なので、全ての人には神性(仏性)が宿る
>ということでしょうか。
「神の似姿」など、聖書の言葉を持ち出す必要はありません。キリスト教とは
異なり、仏性は、最初から人間そのものに宿っているのです。
>「梵我一如」は深い瞑想により、その真理(ブラフマンの分身=アートマン)
>を悟ることかな。
梵我一如は、バラモン教の概念であり、仏教の概念などではありません。
352 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 12:30:52 ID:6M/9w3dc
>>350 >釈尊はバラモン教徒だから、SPにも神々が登場します。
バラモン教との「過渡期」だからに過ぎないのではありませんか。
神仏習合は、むしろ日本古来からの神道の寛大さを示すものではないで
しょうか。「本地佛」などの言葉もそうでしょう。
仏教をバラモン教などと呼べば、キリスト教もユダヤ教と呼ばなければ
ならなくなります。しかし、両者の間には本質的な相違がありますね。
353 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 12:31:06 ID:ADCRGmNA
ロムるたびに、だれも悟れないだろうといつも安心している。 しかしだれが悟りに近いのかとあえて言えば、 神を否定し、自分の正しさを主張するばかりのご隠居だろうか。 自分こそは正しいと思うこと これがヨブ的な、パウロ的な、180度展開をする大前提になる。 自分が正しいと思えばこそ、悔い改めが成立するからである。
354 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 12:34:01 ID:x4etHDcZ
>>345 >法(ダルマ)は、本人らにとっては不変です。
私には「本人ら」という日本語?が分かりません。
だからここであなたが何を主張したいのか理解できません。
ただ「法(ダルマ)」は人によって違うものではなく人間に普遍的な
物事と思量します。
たとえば、生滅法「生まれたものはいつかはだれでも死ぬ」は誰にでも
いつでも当てはまる「法」であると思っています。
たとえばキリスト教を<信じようと思って>信者になるなら、 信者には洗脳が行われ、信者は罪人であると思い込む。 さて、罪人であると思い込んだ人が、いかにして悔い改めるのか? ここでは悔い改めが罪の自覚にすりかえられている。 そして信者の特権として、罪はイエスによってすでに赦されている。 こうして信者は悔い改めのチャンスを失う。
356 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 12:48:15 ID:x4etHDcZ
>>346 >自然法、なるものに従えと言うなら
これまた、私にはまったく理解できない論理だね。
私の自然法は自然科学で言う法則みたいな自然に備わった法則という
意味で言ってるのだが、・・・。地球上では物は高いところから低いところへ
落下する、のような法則だが、これと釈迦やラーフラの人生とどのように関係
付けられるのだ?
事情は神道でも仏教でも同じだろう。 うまくいけば神仏のおかげ、うまくいかなければ信仰不足など、 言い訳はいくらでもできる。 神仏を信仰した時点のレベルを超えることは至難である。 信仰が逆に、悔い改めを困難にしてしまう。
宗教を信じる人たちに大きなワナが仕掛けられている。 それは宗教を信じない人を見下した、尊大な横柄な態度である。
359 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 13:06:26 ID:6M/9w3dc
>>357 「悔い改め」とは、神にかこつけて「自己正当化」を計るという、純粋
にエゴの行為。ここから、キリスト教の果てしない「選民主義」が発生
した。
そもそも「罪概念」は、キリスト教がまず植えつけるもの。罪概念を
植えつけておいて、「救ってあげましょう」という、典型的なマッチ
ポンプ宗教。すべての人間が「神の子」なら、「罪」などない。それでは、
神を「罪の元凶」としてしまうことになる。キリスト教ほど「神」に
反する、冒涜の宗教はない、といえよう。だからイエスは、神によって、
十字架で裁かれたのである。
>>356 わたしが理解した範囲では、仏教における法とは概念や命題である。
心が執着するのは法であり、これに対して諸法無我を説く。
>>359 それなりの見方だと思う。じっくり考えたいので時間をください。
罪の自覚、悔い改めなどは、宗教とは無関係な心の働きではないだろうか。
キリスト教はそれらの概念を私物化したに過ぎないと思う。オチ
362 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 13:51:51 ID:MOMSyFUp
>>351 >そのような言葉は、超越と誤解されかねませんよ。
それなら誤解だと指摘するだけです。
仏教的に見れば、犬の凄い嗅覚やイルカが早く泳げるのと同列でしょう。
>>354 本人らは本人達、という意味です。釈迦とその取り巻きのことです。
>>356 あなたを隠居と誤解してました。自然の使い方も全然違ってきますね。
>>359 ご家族が入信していたのは、どの宗派のどの支部ですか?
364 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 15:56:38 ID:FcRzvvxB
>>362 >釈迦とその取り巻きのことです。
なるほど。
法(ダルマ)は釈迦とその取り巻きにとっては不変です。
釈迦の取り巻きをどこまで考えるかだが、大乗仏教も取り巻き
にはいるなら、大乗では末法思想があるから、法は不変ではないね。
平安時代に末法の世の中といってたんだからたぶんもう法滅の世だろうね。
それに釈迦の説法の中でも法は不変であるなんてこと言ってないじゃないか?
法の条件としてブッダがいてもいなくても法は示されるというようなことは
いっていた記憶がある。
365 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 16:10:26 ID:8ogc8mxk
>>362 >仏教的に見れば、犬の凄い嗅覚やイルカが早く泳げるのと同列でしょう。
すべての動物は、その種属の生存に最も適した能力を持っている。人間が、
犬の嗅覚やイルカの水泳能力を持てば、それは人間ではなくなる。
麻原の空中浮揚も同様。
釈迦は、「人間止めろ」と教えたのかね。
>>359 キリスト教は問題の設定を旧約聖書からひいてきているので
どうしても民族宗教のくびきにつながられるのは仕方ないですよ
仏教もバラモン教の影響を受けているでしょ
原罪とは、エデンの園でりんごを食べたことですが、
これは比喩で、実際は仏教で言う煩悩と中身は変わらないと思います
都市の成立とともに人は実存を問うようになり、自分の醜さに目を向けていく
これは世界的に見て同様の流れです
仏教はきわめて分析的な対処をします
問題認識をきっちりしていてものすごく詳細なんですよ
解決法が智慧の獲得による煩悩の克服なんですけど
かんじんの智慧を伝えること問題で、経の解釈で口論乙駁になります。
キリスト教は神の子の許しによって解決しますよね
キリスト教のここらの論理は分かりやすく賛同するんですけど
疑問なのは、許しはうけても地獄にいく人がいたり
鯨を殺して怒るのに、牛を殺しても平気だったりすることなんですよね
わざわざ犬をたべることを日本人は犬への親近感から嫌いますけど
人が生きるのに罪を背負わざるをえないことについては基本的に是認してますよね
煩悩による業の連鎖は救われようが救われまいが関係ないんですよ
キリスト教の場合、許しによる救いの後、
自分の悪業の行使や不幸に出会うとどう対処するのでしょう
悪魔の仕業とか邪教徒のせいとか責任の転嫁へとつながることが多いのではないかと
すごく心配ですね
367 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 16:44:36 ID:8ogc8mxk
>>366 >原罪とは、エデンの園でりんごを食べたことですが、
原罪とは、神の命令に反して木の実1個食べたことなどという単純なものでは
ありません。命令の表面的な「言葉」ではなく、その「内容」を理解すること
が必要です。神がそんなアホな命令を出す訳がないでしょう。
旧約聖書によれば、命令の内容は、「人間が知恵付いて、自然状態を離れ、神
のようになり、善悪の観念を作り上げること」です。これは物凄い真理だと思
う。
しかし、キリスト教徒は、原罪を聖書の文字通りに解釈することは絶対に出来
ません。なぜなら、旧約聖書の通りだと、イエスこそ原罪の権化になってしまう
からです。
地獄も善悪も人間がつくりだすものであって、それこそが自然状態である リバイアサンであり、ただイエスを信じることによって、そうした罪から 解放されるというのがキリスト教であり、贖罪説は神であるイエスが人類を許す ために生贄になったということだろう。どのみち、信仰が条件になるのだろうが、 旧約よりはすすんでいるよね。
ホッブズの自然状態は万人の万人による闘争状態だろ だが、そういった野生動物のように戦々恐々とした状況では自由だが不安だ そのため、人が自然権を放棄して、お互いの痛み分けすることで 善悪基準のある、共同体(リヴァイアサン)が生まれるんだろ ロックの似非人権思想の自然状態とはまったくちがうよ ロックの自然権とは、もともと人間はエデンの園のように平和に暮らしていたというところに 根拠があるからね。だが、強盗のような存在がいるためにこれを防ぐための 自然権の発動が必要ということを主張している。 ここでは善悪概念も神からの所与としてとらえられている。
>>364 > 大乗では末法思想があるから、法は不変ではないね。
法自体は不変ではないかもしれないが、
少なくとも末法思想があるから、という理由ではない。
末法思想は、正法、像法、末法の世がくるといっているだけで
ダルマが変化するとは言っていない。
変化するのはその時代の人達の仏教観のようなものであって、ダルマ自体ではない。
371 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 17:32:49 ID:c73Xaa+S
>>367 イエスは旧約を学んでいた。イエスこそ原罪の権化で正解だと思う。
イエスの教えは「悔い改めよ」につきる。
ヒンズーの世界観では 世界は永遠に周期運動をくりかえすことになっているね 末法思想もこの世界観の影響を受けていると思う 人の寿命が一万才から100才に少なくなっていくところとか 正法(バラモンの教え)が地上界からなくなっていくとか でも、天界に避難した神はこれを住持するため消えないとか これらはギリシア人の進入で西方文化が入ってきたとき ゾロアスターの終末思想を克服した結果ではないかと思う
>>371 ユダヤ教徒にとって神は日本の神道と同じく
自然の中で肌で感じられる霊性に存在にすぎないんだよ
だから、苦の認識の前に先験的に存在していたものになる。
そして、民族の苦悩をエデンを追われた神話に仮託したんだけど
キリスト教をつくった人たちはイエスの代受苦とよべる慈悲を万人に敷衍し、
人間の根本的罪、原罪からの解放と位置づけたために
教義的な矛盾がでてきた。これは仕方ないことで別にせめるところじゃないと思うが。
374 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 17:58:20 ID:N9yUTl5G
>>365 えーとですね……仏教的に見れば、
神々が長い寿命や超自然的能力を持つことは、
犬の嗅覚やイルカの水泳能力と同次元ということになるでしょう、と
書いたんですよ。単にそういう生き物というだけの話です。
神々のような能力を得ること自体は目的ではない。よくてオマケ。前のスレに出た
水上を歩いて川を渡れるぞと言う行者に仏陀が川を通りたいなら渡し守に料金を
やればいいじゃない。と言ったエピソードからもそれは明らかです。
>>373 血統書つきの人間イエスが他人の罪を引き受けられる?
そんなこと妄想であり、不可能ではない?
キリスト教徒はおこるかもしれんが イエスは強姦されて生まれた子なんではないか? あくまで仮定だが マリアの夫ヤコブだったか?もイエスを愛そうとしても究極的なところで愛せないところがあったと思う こんな子が宗教にはまってヨカナンに弟子入りする理由もうなずけるよ それにユダヤ教徒はすべてが一神教をまもっていたわけじゃなくて 一神教に変わる前のユダヤ人が拡散していた地域にナザレやガリラヤがあるらしい そういった人々は一神教徒から軽蔑されたにちがいない
イエスが死後、神の子として信仰されたのは もともとあまり育ちがよくない人間にもかかわらず 人を憎みもせず、神の愛をといて、だまって殺されていった生き様が なんとも誰かに伝えずにおれない神話となってしまったことにあるのではないかと思う だから、イエス本人の教えは彼の死をもって完成し、真摯に受け止められたと思う ギリシア悲劇にはじまる、カタルシス、魂の浄化作用の典型が見られるが 民族宗教との密接な関係や物語ではなく、現実におこった出来事であるので 重みが異なっており、複雑なためより高度な宗教世界観がここに誕生したと言えるね でも、フランダースの犬が好きなのは日本人だけらしいね 世界の人は最後は救われないとおもしろくないらしい
>>376 マリアの夫ヨセフには、複数の妻がいたかもしれないね。
379 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 19:19:47 ID:zoKgOXsO
>>377 >もともとあまり育ちがよくない人間にもかかわらず
>人を憎みもせず、神の愛をといて、だまって殺されていった生き様が
新約聖書をいささかでも批判的に読めば、全く違う。
イエスは、精神医学的には、完全な統合失調症。その症状としての「誇大妄想」
から、「自分が神になりたい、なった積りになり」、自分以外の神を信じる
ユダヤ教徒に対して、強い反感を抱いた。彼にとっては、「自分を信じてくれ
ない人間」は、「裁かれるべき人間」に過ぎなかった。「隣人を、そして『す
べての人間』を愛せよ」とは、口が裂けても言えなかったのは、それが理由で
ある。
彼のすべての「教え」は、「自分の気に入らない者に対する、あくなき憎悪・
非難・排斥」とセットになっていることを、看破されたし。
キリスト教とは、このイエスの精神病の集団的一大感染(感応精神病)以外の
何物でもない。
仏陀は鬱病であったと思われるが、鬱病は「感情障害」であり、イエスの統合
失調症のような「人格の崩壊」はなかった。
キリスト教とは本質的に異なる仏教徒から、イエス擁護の言葉が出てくるとは、
全く意外である。
イエスの対立した表現は、空を思わせる相関関係を背景にしている。 心の分裂は、宗教者ばかりでなく、人間の本質でしょう。
381 :
旧7 :2009/05/21(木) 20:29:09 ID:syMJxulc
あれ? ここ、キリスト教のスレだっけ?w
382 :
宝珠愚者 :2009/05/21(木) 20:41:30 ID:Ro8Ua6Kz
>>309 スンマセンが個人的に補足したい!
*「説一切有部」は、「上座部」から後に発生した複数分派の一つ(最大勢力)。
*大乗の始祖たちは、「上座部」及びその後の「説一切有部」からの分派ではない。
*原始教団の「(根本)ニ大分裂」で「上座部」と「大衆部」とに別れ、
その「大衆部」及び「仏舎利信仰者」たちの潮流が大乗の起源となったと思われる。
*「説一切有部」への批判は「中観派」と呼ばれる大乗グループだが、
大乗そのものを生んだ勢力の発端は根本二大分裂にあった。
*「人は皆最終的には仏陀になれると説いた」のは、元々はゴータマご自身だったのであり、
初期大乗では来世成仏、後期大乗にてバラモン原点回帰を図って即身成仏道を説いた。
*大乗の発端となった反発は出家至上主義の長老派に対してであり、この長老派が「上座部」になった。
しかし、大乗の反発は(誤解によって)ゴータマご自身に対しても向けられ、仏陀を見下げてしまった。
383 :
宝珠愚者 :2009/05/21(木) 20:42:50 ID:Ro8Ua6Kz
>>343 >「バラモンは生まれによってバラモンなのではない」
>なんてのは明らかに過去世を否定している。
全くのデタラメ解釈です。
バラモンの家系に生れたからといっても(社会的にはバラモン階級者に間違いないが)、
行為が伴わなければ“真実のバラモン(正しい宗教者/修行者)”とはいえない、という意味です。
それが、「生まれによってバラモンとなるのではない、
人は行為によってパラモンとなる」というゴータマの教えですよ。
輪廻否定などではないから!
サーセン
385 :
宝珠愚者 :2009/05/21(木) 20:51:29 ID:Ro8Ua6Kz
>>379 仏陀を鬱病などといいたいのなら、どっか(他スレに)行って下さいな。
386 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 20:53:42 ID:/QkON08t
相手にしてくれる奴がいる限り、離れるつもりなどないッ!
>>382 > *「人は皆最終的には仏陀になれると説いた」のは、元々はゴータマご自身だったのであり、
ここまでは大体いいんですが、
> 初期大乗では来世成仏、後期大乗にてバラモン原点回帰を図って即身成仏道を説いた。
菩薩概念を登場させたことで、仏陀になれるということを言ったのであって、
来世成仏とは限らないのでは? つまり現世が成仏の世であるという可能性があるのでは?
あとバラモン原点回帰とは何ですか? 後期大乗とは密教のことですか?
> *大乗の発端となった反発は出家至上主義の長老派に対してであり、この長老派が「上座部」になった。
> しかし、大乗の反発は(誤解によって)ゴータマご自身に対しても向けられ、仏陀を見下げてしまった。
仏陀を見下げたというのはどういうことでしょうか?(できれば具体的に)
388 :
旧7 :2009/05/21(木) 21:36:53 ID:syMJxulc
前シリーズは、もう少しスレタイ絡みのレスが多かったと思うが、 今シリーズは、スレタイから逸脱しっぱなしだなw どうしたんだ?www
389 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 21:39:31 ID:FcRzvvxB
>>383 >行為が伴わなければ“真実のバラモン(正しい宗教者/修行者)”とはいえない、という意味です。
>それが、「生まれによってバラモンとなるのではない、
>人は行為によってパラモンとなる」というゴータマの教えですよ。
生まれによってバラモンであるというのはカースト制度だよ。
ブッダはそのカースト制度を否定したのだろう。
少なくともサンガではカースト身分は関係なかったはず。
出、そのカーストは現在の日本の国会議員の世襲議員のようなもので
親の身分が個の身分を決めていく、まさに過去世が現世を決定するという
輪廻に基づいたものだ。
>輪廻否定などではないから!
だから生まれによってバラモンではないというのは過去世を否定すること
と解釈されるのだ。
390 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 21:47:04 ID:FcRzvvxB
現在のインドでもカースト制度に反対してるのはアンベードカルによって 再興されたインド仏教教団だけだね。もちろん政治の建前では現在のインドではカースト制度 なんて無いのだけどね、実質の社会は違う。
>>389 先祖=過去世と考えているようだが、
自分の過去世が自分の親や祖父だったりするということはないと思うよ。
392 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 22:32:22 ID:FcRzvvxB
>>391 >自分の過去世が自分の親や祖父だったりするということはないと思うよ。
いや、「親の因果が子に報い」なんて昔からの考え方だよ。
現代の科学で合理的に輪廻転生を考察したとき、過去世が現世の自分に影響
してるとすればそれは遺伝子による親の身体特徴の遺伝や物心つく前の親や
家族の教育による文化の継承くらいだろ。今使ってる母語としての言葉も
それで決まるだろ。
「俺はブタの生まれ変わりだ」なんていまだに信じてるの?アホらし!
やわらか頭で考えたほうがいいよ。
393 :
神も仏も名無しさん :2009/05/21(木) 22:43:39 ID:vc1a9p9M
宝珠氏にヒントをあげよう。 信仰とはどういったものだろうか。神を知り自分を知って信仰するのではなく、 それがわからないから信仰するのではないか? であれば、自分の信仰を疑えば信仰を失う。 自分の信仰を守れば、神も自分も知らないで、信仰を信仰することになる。 信仰とは親鸞が言ったように、 法然にだまされてもいい、地獄に行ってもいい、という話になる。 こういった信仰になると<悔い改め>が消えてしまう。 しかし神を知り自分を知るには<悔い改め>が欠かせない。 であれば、宗教者と信者は、決して悟れないという道理になる。
>>392 まず自分がどう思うのかと、他の人々がどう思っているのかを区別しないとダメだろうね。
現代の科学がどうであるかと、古代からのインド人が輪廻を肯定してきたこととは関係がない。
自分にとってアホらしいかどうかと、輪廻思想やカースト制度が存在しているかどうかも関係がない。
自分がどう思うかということと、歴史的事実とは関係がない。
自分が今、輪廻をどう考えるかというのは、キミ自身の思想でしかない。
古代のインド人がどういう認識だったかということとは全く関係がない。
過去世と祖先を同一視するのは、新しい視点かもしれないが、
古代のインド人がそう考えていたわけではない。
キミがひとりで考えているだけ。
>>393 > 信仰とは親鸞が言ったように、
> 法然にだまされてもいい、地獄に行ってもいい、という話になる。
> こういった信仰になると<悔い改め>が消えてしまう
なんでよ? と思うのは恐らく自然なことだろう。
親鸞が悔い改めをしなかったかというとそうでもないだろうからな。
>>395 <悔い改め>が足りないということだろう。
だから、どの辺がどう足りてないんだよと。
398 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 02:39:11 ID:Lh3/NB3f
>>381 >ここ、キリスト教のスレだっけ?w
最初から、クリスチャンやキリスト教の影響を受けた仏教者が群がる、キリスト教
スレですよ。
399 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 08:54:09 ID:jJRRcC7N
哲学板か民俗・神話板に移動するべきだったか。
>>397 法然・親鸞の場合は、阿弥陀の浄土・来世で救われる。
来世で救われるのだから、今生での悟りは棚上げにされる。
それだけ<悔い改め>が不足する。
それを前提にした教義であり、信仰であり、宗派である。
宗教の否定ではなく、宗教とはこういったものだという話にすぎない。
それは基本的に、悟りを放棄した易行道である。
401 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 09:39:52 ID:My9M/HfQ
>>261 >人を超えた価値観を示せてこその、「神仏」という事なのです。
人を超えた価値観なんて人のためにならないじゃないか。
そんなもん人に示す必要はない。
人に理解されてこそ意味があり価値が有る。
>>400 悪人正機説には、悔い改めが入ってるよ。
悟りを放棄するというのと「自分が何者にも救われようがない存在であることに気づく」というのとは
違うと思います。
ただ、蓮如とか一般的な浄土真宗の理解では、悟りを放棄した易行道という認識でいいと思うんだが、
元のレスで親鸞が書かれていたので、ちょっとなと思った次第。
>>401 > 人を超えた価値観なんて人のためにならないじゃないか。
> そんなもん人に示す必要はない。
> 人に理解されてこそ意味があり価値が有る。
理解できるかどうかと、人のためになるかならないかは
必ずしも関係ない。
そもそも理解できないから意味がないっていうのは、
イソップに出てくる「すっぱいぶどう」と同じだよ。
自分に手が届かないぶどうは、みんなすっぱい味だというわけですよ。
甘かったら悔しいからね。
404 :
旧7 :2009/05/22(金) 11:08:51 ID:kWxF/Fuw
>>403 でも、手が届かないなら、関係なくね?w
酸っぱかろうが甘かろうが、【それを食すことが無いなら】→【関わりが無いなら】、どうでもよくね?
そんなの、【存在しないも同じ】じゃね?
405 :
旧7 :2009/05/22(金) 11:14:44 ID:kWxF/Fuw
>>403 >>404 の場合は、
「個人が」でなく、「人という種にとって」手が届かないなら、という意味ね。
手が届く人は居ない、ってことね。
(てか
>>401 も、その意味だったんじゃないかな?
>>403 は、「多くの者は手が届かないが、極一部の者は手が届く」って意味でそ?w)
406 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 11:23:37 ID:6KJqEvK/
>>261 >人を超えた価値観を示せてこその、「神仏」という事なのです。
人が人を超えた価値観を示しても、それは示した人の価値観に過ぎない。人が
いくら足掻いてみても、人を超えることはできない。
> 人間が、結局求めるのは、「五感を超える事」です。
人が「五感を越えたら」、一瞬も生存できないのだから、価値観もへちまもない。
宗教とは、つまるところは、人を超えるもの(非実在)を実在だと信じ込ませて、
他の人を「支配する」営みに過ぎない。一旦「人を超えるもの」を信じ込ませれば、
その真偽・正邪を判断する基準はないのだから、信じ込ませた人が、信じ込ん
だ人を自由に操ることが可能になる。宗教とは、このような「手段」により、
「人が他人を自由に支配する行為」以外の何物でもない。
407 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 11:36:00 ID:6KJqEvK/
「人を超えた存在(即ち非実在)」を示さない宗教は、
>>406 の宗教の
範疇には入らない。即ち、「人間にとって有害な宗教」ではない。仏教
にはそれを期待したのだが、仏教にも「人を超えた存在」を導入する
動きが見られるので、警戒が必要である。
408 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 11:45:05 ID:My9M/HfQ
>>407 仏教も無為として非実在を示すじゃないか?
人を超えた非実在が人と相互作用することは無い。
>>402 確かに悪人正機には悔い改めがあると思う。でも不足する。
その不足を阿弥陀如来が補う。
そういう意味で、浄土系は明らかに宗教だと思う。
禅宗系は、空観と唯識を柱にする哲学でしかない。 空を悟ろうとしても永遠に悟れない。 哲学なのだから、宗教のような顔をしてはいけない。 空観・唯識は、無神論・唯物主義と矛盾しない。 箱の中はカラッポ、という有神論など存在しないからである。 カラッポを説く法華経を信奉する系統も同じ。
ささげ・・る・・・
ユニークなのは禅宗系だろうか。 空の悟りを目的としているが、その空は永遠に悟れない代物である。 永遠に悟れないからこそ、 かえってそれが幸いし、いまだに生きのびている。 悟りの手段である空を、悟りの目的にしたことから生じた幸運だろうか。 しかし僧侶の悟りを、まじめに信じている檀家は不運である。
413 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 17:26:38 ID:0KnTEClN
棚からぼた餅(^^)
414 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 19:05:42 ID:tPHe9Y8a
たとえば殺人を犯した男が、懺悔の証しに山にトンネルを掘る。 この人の<悔い改め>の深さはどれぐらいだろうか? 山のこちら側からあちら側までだろうか。 それが悟りか。 殺人犯が悔いることはある。 しかしこの悔いが悟りなのかと言えば疑問だろう。
信仰それ自体の検討と、悔い改めの深さに関する検討、 これらが必要だろうと思う。 みんなの、悟りへの楽しみ、そういった趣味を奪ったというわけではなく、 悟りをより現実的にしただけである。
殺人て誰に対する悔い? 自分、相手、相手の家族、神? 仏教はこれらの罪業が悪果となり返ってきて、苦しむことになるから二度としないよう教える 自分の身に置き換えて自分のしたことの大きさを知り、後悔し改める これが仏教的悔い改め 神の入るすきまはない だが、悟りとは、そういった縁起の輪からさえ抜け出すこと 悔い改めさえ、死すら超越する。
>416 救いの担い手が欠けている。救いの担い手は誰? 自分が自分を救うことはできない。
信仰や宗教の意味については十分に知っている人がいる。 しかし<悔い改め>に関しては疑問ですね。 そしてここに秘密が隠されている。
419 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 19:57:23 ID:My9M/HfQ
「お食い初め」は知っていても<悔い改め>は知らないのが 普通の日本人だろ。
救いという概念すら超越する 相待の世界ではない ただ”ある”だけである あたかもカメラが虚空を撮しているが如くである
人間の根本的な罪からの救いは殺人といった罪とは無関係 殺人をしようがしまいが罪なのだ これを悔いたところで足しにも引きにもならない 絶望を受け入れるだけ、これでよい だが、殺人の罪の報いは受けねばならない これが仏道である
422 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 20:08:56 ID:My9M/HfQ
仏道に戒律はあっても罪は無いだろ。
>>420 空とは絵に描いた餅ということですね
>>421 その根本的な罪が聖書の<原罪>ですね。
これを意識するのは絶望のなかでしかありえない。
存在それ自体への限りない絶望。
生まれなかったほうがよかったという思いですね。
424 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 20:16:35 ID:My9M/HfQ
空は絵にもかけない。
煩悩だよ、キリスト教の人に分かりやすく説いているだけ そして、煩悩が生じるのは、智慧のない状態、無明、愚痴が原因 そのため、破魔の矢、智慧を体得する 戒は自分に誓う戒め、律は他人に誓う戒め 戒壇にて灌頂をうけ、菩提、真実なる幸福を誓う、これが出家者だ 在家者は出家者のえた智慧を拝するのみ
426 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 20:18:28 ID:kUE81U0d
>>421 >人間の根本的な罪
キリスト教とは異なり、仏教は勝手にそんな罪は認めない。仏教は「一切衆生
悉有仏性」である。
人間を「罪人視」するような宗教は、それ自体が罪である。
427 :
旧7 :2009/05/22(金) 20:22:37 ID:kWxF/Fuw
現代国家、近代国家、法治国家に於いては、アングリマーラは死刑か終身刑だろう。 (師匠の誘導が、どれくらい情状酌量の理由となるか・・・) 現状での裁判員制度でも、死刑となるだろう。(構成メンバーがよほどの仏教的価値観を持っていない限り・・) 少なくとも、経典にあるように「御咎め無し」とはいかないだろう・・。 (この意味で、当時の出家者の優遇され具合が半端ないことがわかるw) さて・・・。 『アングリマーラの「罪」』とは何だろう? 『アングリマーラの「罰」』とは何だろう? 『アングリマーラの「償い」』とは何だろう? 『アングリマーラの「救い」』とは何だろう? それらと、『アングリマーラの「業」』『アングリマーラの受ける「果』との関係は? アングリマーラは、業果を受け、且つ涅槃を見た。 彼は、業の償いをしたから涅槃を見ることができたのだろうか・・・。
一切衆生悉有仏性は大乗 初期の仏教教団では一闡提と言われる救われない人がいると説く 仏性とは仏になる可能性と思えばいい 因果によって救えない可能性がある人がいる、ということ これと根源的な苦である、無明とは別。
429 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 20:33:26 ID:kUE81U0d
>>428 「救う」「救えない」など、一体どこの「思い上がった人間」が判断す
るのかね。
人間の営みでありながら、人間を罪人視、無明視する宗教は、初めから
悪であり、人間にとって無益・有害な代物以外の何物でもない。
あくまで他人に伝えるための手段として救うと言っているだけ 実際は救うという言葉を超越している でも、人との関わりは、言葉や諸々の業の輪廻にとらわれて どうしようもないから一闡提がいるのだろうな さりとて、この報いもうけよう
431 :
旧7 :2009/05/22(金) 20:36:43 ID:kWxF/Fuw
気付き、自覚、努力。 この3要素がある時、涅槃は(悟りは)すぐそこにある。 その意味でいけば、親鸞の姿勢もその弟子達の姿勢も、仏教という大樹の枝先に位置付けられる。 逆に、上の3要素の無い所に、涅槃は無いし、救いもない。信も帰依も無い。 これが、下品(=泥中の蓮)と称されるのだろう。 泥中の蓮、水面の蓮、水上空中の蓮、この3分類は伊達じゃない・・。 気付いて初めて水面の蓮となる。自覚して初めて水上に伸びる力を得る。 そして、努力して初めて、空中に大輪の花を咲かすことができる・・。 蓮の花が悟りの象徴とされるのにも、それなりに意味がある・・。
大乗はおせっかいと言えばおせっかい だが、菩薩の大悲の大動が一闡提すらも救うと誓わせているのだから泣けるし すばらしいと思わせる 死すら覚悟する布教活動・・・ まあ、俺的にお断りだ 常に仏陀の慈悲の光にからめとられているのは悪い気はせんがね
433 :
旧7 :2009/05/22(金) 20:50:16 ID:kWxF/Fuw
てか、403は返事くれるかな? 仏教的には、すげぇ重要な論点なんだけどね・・・。
434 :
旧7 :2009/05/22(金) 21:21:53 ID:kWxF/Fuw
論客が減ったな・・・。
仏教において信とは、教えを聞くもっとも重要で基本的、初歩的なものだね 信じなければ、教えは聞けないし、効用も半減する だから、信じる因縁のあるものはすでに救われていると言える だが、この信を我がものと考えたり、他人よりすぐれていると考えると 本末転倒だね。何を聞いていたんだと。小一時間問いつめたくなるよと。 信じてもう悟ったつもりになったり、幸運がめじろおしになると勘違いしたりする者は 菩薩様のこころさえまだ理解していないのだろうね、 因果さえ壊すとする菩薩の願い、代受苦。もう一度考えてみるべきだね
436 :
一在家通りすがり :2009/05/22(金) 21:22:41 ID:pC1aHahF
>>428 >一切衆生悉有仏性は大乗
イエスが洗礼を受けたヨハネも所属していた可能性が高い
エッセネ派ユダヤ教(死海文書保存の民)と類似してますね。
・死海文書:「死海文書のすべて」青土社
(1)神の計画(死海文書の中の「宗規要覧」よりの筆者解説)
二つの道があり、光の道と闇の道、善の道と闇の道がある。(中略)
どの人間にも光の部分と闇の部分がある。たとえ光の子らの一人で
あっても、誰もが罪人なのである。
「人の子らの性格は二つの霊によって支配され、その存命中、
人間は誰でも二つの霊の一部を持ち、それらの道を歩む。」宗規要覧4・15
いや、それ典型的なゾロアスター的終末思想じゃん 光と闇の神に別れて最終戦争でしょ
438 :
旧7 :2009/05/22(金) 21:36:34 ID:kWxF/Fuw
>>435 >信じなければ、教えは聞けないし & >信じる因縁のあるものは
信じるきっかけって何?
何の先入観も、何の前知識も、何の前フリも、何の入力も無しに、
(何かを)『信じる』なんてことがあり得るのかな?
『信』というのは、何もない所に、いきなり生じるものなんだろうか・・・。生じさせ得るものなんだろうか・・・。
>>437 一在家は無視するが吉w
439 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 21:41:06 ID:My9M/HfQ
>>436 仏教とユダヤ教のどこが類似してるのかね?
>神の計画
仏教には唯一創造神は存在しない。
天界の守護神としての天神ならいる。
>どの人間にも光の部分と闇の部分がある
仏教の一切衆生は人間だけではなく生きとし生けるものすべてが対象だ。
>誰もが罪人なのである。
仏教に原罪はない。生まれつきの罪人などいない。行いによって悪業が
自得される。
>>RXZ+eddz つ不昧因果
>>438 そうだね、俺には信がどこからやってくるのか分かんないや
前世からの因縁か、その人の見た目がかわいかったからか、仏の慈悲か
信じた後から見てはじめて分かると言えば欺瞞だろうか
信じる不思議は偶然性を必然性と勘違いしてしまうところにあるのかもね
442 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 21:52:42 ID:RKpRyMMd
エッセネ派ユダヤ教は複数神があるそうだ。 複数のぼんてんが登場する原始仏典と似てないことももないさ。
>>440 代受苦や廻向は自因自果の法に反しているのではないの?
相手が本来うけるべき悪果を代わりに自分が受けるのが代受苦
自分が本来うけるべき善果を代わりに相手に差し向けるのが廻向
業はものじゃないし、人も物じゃないの
445 :
旧7 :2009/05/22(金) 21:58:14 ID:kWxF/Fuw
>>441 ですね・・。
戒・定・慧という三学がありますが、
「信・戒・定・慧」であるべきでしょう、そして、「信・戒・定・慧・信」となるのでしょう。
というようなことを言ってた教授が居たような居なかったような・・・w
>見た目がかわいかったから
最強の理由だと思いますwww
ともかく大乗では、因果を無視した菩薩の活動が認められているんだよ これが大悲行
447 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 22:00:34 ID:RKpRyMMd
大体唯一絶対神などと神自身でも断定せんだろう? より上位の神や仏は認識できんからな。 神クラスの存在に出会った人が定義したかもな。
そうか、がんばんなさい
>>446 結局仏教を貶めているだけ。
宣伝にすぎない。
>>445 いやあ、恐ろしいですよ
自分でも気づかないうちに体が勝手に反応しちゃってるんですからー
>>449 よく考えると危険ですよね
ポアとかされちゃいそう
そういえばオウムのポアって密教の経典に根拠があったんだっけか?
なんとかバジラヤーナという
452 :
旧7 :2009/05/22(金) 22:12:01 ID:kWxF/Fuw
>>450 >体が勝手に反応しちゃってるんですから
息子の反応だけならまだしも、
具体的な働きかけ・サポート・手助け・気遣い、を表に出してしまうと、
(てか、鼻の下が伸びてしまうとw)、周囲の視線&言葉が突き刺さってきますよw
453 :
宝珠愚者 :2009/05/22(金) 22:24:18 ID:Tov2gP5w
454 :
宝珠愚者 :2009/05/22(金) 22:25:29 ID:Tov2gP5w
>あとバラモン原点回帰とは何ですか?後期大乗とは密教のことですか? はぃそうです-密教が後期大乗です。インド仏教史における大乗は初期、中期、そして後期大乗 へと発展を遂げました。出家至上主義の上座部仏教に反発する在家中心の大乗仏教に不足する ものは、解脱成仏のための術(メソッド)と理論でした。 ヒンドゥー教(バラモン教が発展)の拡大する勢力に対抗するためには、どうしても魅力的な修行 システムと現世利益で大衆の満足を満たすパワー(超常的)を必要としたのです。アーガマを持た ない彼らは独自の教義を構築していく過程において、起死回生にために原点回帰をはかった。最 終的には、遂に古代バラモンの叡智を拝借することにしたのです。彼らは原初的な修行形態や呪 術的なパワーを求めて、古代バラモン/古代宗教の要素を積極的に導入していったのです。 ヴェーダ祭式/アグニ神の拝火ホーマ(homa)⇒護摩(ホーマの音写/ゴマ)、『アタルヴァ・ヴェー ダ』(Atharva-Veda)⇒真言陀羅尼、バラモンの祭祀舞踏書『ナーティア・シャストラ』(Natya Shastra) ⇒ムドラー/手印、更にはヒンドゥータントラ・シャクティー派⇒性愛左道的な無上瑜伽の発生まで。 >仏陀を見下げたというのはどういうことでしょうか?(できれば具体的に) つづく.....
仏教の涅槃は、仏を信じるということと共通のようですね。 というか、仏を確信するという意味ですね。 ゆえに仏教の涅槃などの教えは形而上学的すぎるために 哲学化したと同時に無神論になったのでしょう。
結局仏教とはこの世の原理を超越しようというわけだが、 大悪党が悟りを開いて仏になるという意味での 仏の慈悲とかはあるかもしれない。
457 :
神も仏も名無しさん :2009/05/22(金) 22:56:31 ID:w8446UoM
>>302 >法(自然界の法則/作用)です。
>縁起によって三世を跨る際の個を特定する具体的な力とは?
>ということです。“それを縁起という”では(分りきったことであって)、
>回答したことにはならない。
「個」なんてありません(『相応部』5.9-10参照)。
因に縁って果が起るならば、因果が一義であることなどありえません。
一義ならば無因生です(『相応部』12.26他参照)。
「分かりきったこと」ではありません(『相応部』12.60参照)。
現に貴方は誤解しているではありませんか。
三世が三世である、ということは、すでに現に縁已生ですよ。
このとき、個を特定する力、つまり、三世の統一者なんて不要なのです。
統一者が不可欠という誤解は、暗黙裡に三世がバラバラ=多義だと念頭しています。
多義だと誤解していなければ、我は何を個として特定するのですか?
>何故、大乗が阿頼耶識なるものまで想定し出す羽目になったかということです。
いや、蔵識は縁已生法ですよ。蔵識が無謬だとは思いませんが、
少なくとも『解深密経』自身が、「心意識相品」において、
貴方のように蔵識を我と邪見することを制しています。
458 :
旧7 :2009/05/22(金) 23:54:51 ID:kWxF/Fuw
>>457 そりゃそうでしょう。
阿頼耶識等は、
業を継承するものとして(≒業果を受ける(受け取る)者・モノとして)、「我(アートマン)」の代わりに設けられたのですから・・。
別物として立てられたにもかかわらず、(→言葉・用語・術語としては別であっても)、
担っている役割は一緒である可能性は無いんでしょうか・・?
( ※ 少なくとも、『外野から』は、「同じ」と見えてしまうと思います・・・。 )
459 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 00:26:44 ID:sEbynkFA
>>457 今、『相応部』5.9と『相応部』12.60は確認しました。
私は何も、これらの縁起の説明を否定などいていませんよ。
ゴータマは形而上の議論を避けたがっている(価値をみない)ので、
おそらく明確に説かなかっただけではないでしょうか。
「個」とは、AさんBさんというパーソナリティーこと。つまり、田中君と鈴木さんだ。
“因に縁りて”AさんBさんの違いが生じているのは分っている。
その異なる因縁が時空を超えて、どのように次の世のパーソナリティーへその果を結ぶのか?
といってるのですよ?その結果的な差異がAさんBさんとなって現れているわけですから。
業力の作用、そのメカニズムをゴータマは説明しているのかどうか?ということです。
まっ、聞いても「縁起だ!」を繰り返すことしか答えられないようです。
阿頼耶識はゴータマの説いたものではない。
しかし、結局これは業力の作用の説明に困った大乗がアートマン的な存在として説いたものでしょう。
要するに、業力が過去世から今生、そして未来世へと縁起の情報を伝達する媒体として。(
>>458 同意)
まっ、あなたが否定するのは分ってますが・・。
それと、真言氏が推奨された水野著『要語』は、
皮肉にも一在家さんが指摘する霊魂肯定を述べています。
460 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 00:27:49 ID:sEbynkFA
『仏教では、業の思想を、生死輪廻の中に考えている。行為の影響力が死後にまで及ぶと考え られる。このとき、もし行為の情報が身体に貯えられるとなると、死んで肉体を失った後は、その 情報は伝達されない。そこで身体ではなく、我々の意識し得ない心の領域があり、それは生死輪 廻を貫いて存続し続ける、そこに情報は貯えられるとされ、その心の領域として阿頼耶識が考えら れたという。』(竹村牧男『知の体系』佼成出版社、89〜100) 『外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体としての 業(ごう)を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。それは不生 不滅ではなく、輪廻の主体として業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。唯識 法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。』 (水野弘元著『仏教要語の基礎知識』春秋社刊149p)
461 :
旧7 :2009/05/23(土) 00:45:49 ID:j/BaFA8w
>>459 >それと、真言氏が推奨された水野著『要語』は、
>皮肉にも一在家さんが指摘する霊魂肯定を述べています。
もし、探せるようなら読んでみるといい。↓
平成2年12月5日第1刷発行 『霊とは何か』(大法輪閣)所収
「仏教の霊魂観/水野弘元」P.10〜20(特にP.14)
ノシ
462 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 01:00:29 ID:j5qI9PCj
>>458 ですから、「無謬だとは思いませんが」と前置きしていますよ。
463 :
旧7 :2009/05/23(土) 01:01:25 ID:j/BaFA8w
464 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 01:01:47 ID:j5qI9PCj
>>459 >今、『相応部』5.9と『相応部』12.60は確認しました。
>私は何も、これらの縁起の説明を否定などいていませんよ。
>ゴータマは形而上の議論を避けたがっている(価値をみない)ので、
>おそらく明確に説かなかっただけではないでしょうか。
こうした論法が許されるなら、教証は無意味ですよ。
説かれていなくても、自分の先入見に基づいて恣意的に解釈する、と言っているわけだから。
つまり、自己の先入見が理論武装され権威付けられることしか許容していないわけですよ、貴方は。
こうした姿勢では、カルトと何が違うのでしょうか。
>“因に縁りて”AさんBさんの違いが生じているのは分っている。
>その異なる因縁が時空を超えて、どのように次の世のパーソナリティーへその果を結ぶのか?
>といってるのですよ?その結果的な差異がAさんBさんとなって現れているわけですから。
>業力の作用、そのメカニズムをゴータマは説明しているのかどうか?ということです。
>まっ、聞いても「縁起だ!」を繰り返すことしか答えられないようです。
全然分かっていませんよ。現に『SN』5.9-10に背反して「個」があると前提しているのだから。
まっ、何度言っても、因果を多義だという誤解を繰り返すことしかできないようですね。
>阿頼耶識はゴータマの説いたものではない。
>しかし、結局これは業力の作用の説明に困った大乗がアートマン的な存在として説いたものでしょう。
>要するに、業力が過去世から今生、そして未来世へと縁起の情報を伝達する媒体として
>まっ、あなたが否定するのは分ってますが・・。
これは奇異なこと仰る。そもそも、蔵識を持ち出したのは私ではなく貴方ですよ。
釈尊が説いていないから無意味だ、と言うなら端から持ち出さなければ良い。
ちなみに、月称は『入中論』で明確に蔵識を否定していますね。
465 :
403 :2009/05/23(土) 01:09:50 ID:/ixF3t2v
>>404 手が届かないという現実に直面しても、心身を修めていれば
そのうち木に登れるようになるし、いつかは実をとれる日もくる。(こともある)
悟りがあると言われても、普通はハァ?妄想じゃねぇの?と思うものかもしれないが、
求め続けていれば、少しは違って見えてくるじゃん。
今の自分に理解できるかどうか、今の人類の水準的に理解できるかどうかを基準に
考えてばかりいると、自然にそのサイズにおさまってしまう。
それで本当にいいの?と思う。
もっと遠く、もっと高く。自分の想像力の限界を超える。
ほんの少し前まで、人間は30メートル以上潜ると水圧で肺が押しつぶされて
不可逆的な損傷を受けるといわれていた。もっと潜れば水圧で死ぬと言われていた。
生理的限界とさえ言われていたのだ。
ジャックマイヨールは、それでも素潜りで60メートルの壁を超える。
それまでの人類の理解を超えた世界に踏みこんだ。
面白いもので、ひとりが超えると、次々に超えるやつらが出てくる。
人類の理解の範囲ってのは「拡大していく」。
人は結構自分で自分をしばっている。勝手に限界をもうけて、その中で一生を終っていく。
でも釈迦はそこを超えたんだろう? 今となっては遠い人だけど、
でも確かに超えたんじゃないかって思うわけだよ。
466 :
403 :2009/05/23(土) 01:24:44 ID:/ixF3t2v
ただね、だからといってムーみたいやつの愛読者になることを勧めたりはしないよ。
それは「いきすぎ」。
>
>>403 は、「多くの者は手が届かないが、極一部の者は手が届く」って意味でそ?w)
うん。そう。そういう意味です。わかってくれて嬉しいよ。
ただね、手が届いてる人でも、
生きてるってことは、自分の限界を超えていくってことじゃないかという気はする。
暗闇の中を、ただ歩いていく。そこはどうしても孤独。
人の中にいて、そこで愛情を育んでいたとしても、限界を超える「成長点」の部分は
どうしても孤独だという気がする。
悟りを開けば生死を超越出来るとするならば、輪廻が有ろうが無かろうが同じこと。 悟れないとき、輪廻が有ればまた苦しみに生まれるし、輪廻が無くとも今の生死に苦しむ。 霊魂が有ろうが無かろうが、輪廻が有ろうが無かろうが、それを思う執着こそ、悟りを妨げるもの。 だから無記。
ついでに言えば、悟りを開けば生死を超越出来るか?を考えることも執着。 朝起きて顔を洗って歯を磨き、掃除して飯を食う。 そんなときに、そんなことを思いながらやることも変だよ。
470 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 02:34:12 ID:uonPZagB
>>409 >確かに悪人正機には悔い改めがあると思う。
浅薄な理解だな。悪人は、悔い改めもせず、阿弥陀如来など信じなくても、
往生すると言ってるのだよ。
有余涅槃無余涅槃と言うけど、有余涅槃無ければ、無余涅槃などあるわけ無いでそ。 阿弥陀信仰は、己を凡夫と知る有余涅槃だと思うよ。 悪人とは、己を凡夫と知る者の誓願者であって、そこに有余涅槃がある。 悪いことを知りながらやり倒して、 信じたから無余涅槃の極楽浄土は有り得んよな。
>>470 悪人の意味を取り違えている人は多いらしいね。
阿弥陀信仰には詳しく無いから、いいんだけど(笑
474 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 02:50:10 ID:uonPZagB
>>472 阿弥陀如来を信じさえすれば安直に許されるのなら、キリスト教と同じ
ではないか。人間をみな悪人と解するのも、キリスト教と同じ。
475 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 03:02:05 ID:uonPZagB
>>473 宗教者は、教祖を離れては、「悪人正機」の持つ宗教的・哲学的意味を
考えることは出来ないのかね。
>>474 ん?俺、阿弥陀信仰じゃないけど?
「許される 安直 キリスト教 悪人」
阿弥陀信仰にも、自力の果ての阿弥陀もあり、
末法の阿弥陀もあり、なんじゃないの?
478 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 03:07:38 ID:uonPZagB
>>476 そこに阿弥陀如来などを持ってきたら、悪人の弱みに付け込んで、自分
の宗教を布教することになってしまうよ。
あ、ご隠居さんならとりあえず、弱肉強食を生命と本能の輝きだとしてからに頼むわ。
480 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 03:17:06 ID:uonPZagB
はっきり言って、親鸞には、イエスと同様、人間そのものに対する洞察 と想いが足りず、浅薄である。 だから、家庭は破壊したし、浄土真宗は、一向一揆によって、社会に 大きな害毒を流した。また、弟子は取らないなどと言いながら、多くの 狂信者が発生した。
>>480 んじゃ、親鸞もイエスも弱肉強食の生命と本能に従った、群れの統率者たる生命と本能なんじゃね?
482 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 03:27:09 ID:uonPZagB
>>481 親鸞もイエスも、生存本能(生命)には、その行き過ぎに対する自動
制御機能が備わっていることに、思い至っていない。人間は、独りでは
絶対に生存できないことを、これも本能的に知っているからである。
>>482 ん?だから社会性に於いて、生命と本能が集団に補完されてんでしょ?
個人主義の虎と社会性の猿の違いであって、本質は生命と本能の弱肉強食でしかないわけ。
484 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 03:38:08 ID:uonPZagB
悪人も善人も、その「生命」においては等価であり、悪人は、己のなした 悪故に、程度の差はあれ、良心の呵責によって、既に報いを受けている。 宗教者なら、その程度までは、考えて欲しいねw。
ご隠居さんは、イマジン=人間革命なんだよ。簡単に言うとね。
>>484 団体組織としての宗教なんざ、否定してるけど?
真理さえ否定してるんだけどね(笑
わからんよね、たぶん(笑
487 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 03:42:55 ID:uonPZagB
>>485 イマジンは、薄っぺら。人間革命は、読んだことないから分からん。
488 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 03:45:28 ID:uonPZagB
>>486 「真理」などという言葉を軽々しく使った時点で、宗教者としては終
わっている。
>>488 あ!真理は軽々しく扱うものでもないし、宗教者なんだね?貴方は(笑
491 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 08:35:43 ID:t1Le0HV2
>>417 >自分が自分を救うことはできない。
自己こそ自己の主、自己こそ自己のよりどころ、
自己が自己を救えなくて他の誰が救えるのだ
犀の角のごとく、ただ独り歩め、
492 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 08:48:22 ID:t1Le0HV2
>>435 >信じなければ、教えは聞けないし、効用も半減する
スッタニパータなどの経典を見る限り、信は教えを聞いた結果と思える。
教えを聞いて理解してすばらしいことだと感動して仏法僧に帰依する、と
順に成っている。
また面白いことに説法に失敗した例まで経典に載っている。
493 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 10:59:00 ID:sEbynkFA
>>464 私はゴータマの教えに強い信頼を寄せてはいますが、
しかし、だからといって、
ゴータマ以外から発せられた思想を全否定するものではありません。
では、説明を宜しくお願いします。
過去世の行為が今生の特定すべき者に現れるそのメカニズムについて。
経典に明確な記述がある場合はその部分の引用掲載を希望します。
494 :
旧7 :2009/05/23(土) 11:34:09 ID:j/BaFA8w
>>465 言わんとすることは解るが、
≪ >手が届かないという現実に直面 ≫ という『現実』が、
そもそも存在しない状況を言うんじゃないかな・・。
それはちょうど、
ビデオカメラの中に映る人物がどんなに強く息を吹きかけても、ケーキの蝋燭が消えることがないように・・・。(逆でも同じ)
401は、まさに、このような事態についての感想だと思われる。
勿論、『未だ知られていない、為されていない、生じていない、起こっていない』だけで、
『絶対的にあり得ない』ということではないだろう。
だが、それは、「ある」ことを意味しない。(寧ろ、妥当性、確からしさの点で「無いとされる」ことも多い)
【今まで居なかっただけ】で、人間が生き返ることがあるだろうか?腐敗した身体が元に戻ったりするだろうか?
年寄りがどんどん若返って、やがて赤子になるなんてことがあるだろうか?
(ジャックマイヨールの例は、こういう次元の話でもある。)
また、何よりも、
>>401 は「価値観」(≒おそらくは世界観等、判断基準たり得る【考え方】を指していると思われるが)
について述べている。貴方が例に出したような潜水記録の話ではないと思う。
【人が】【使用できない考え方】を、人がどのように使用したら良いと言うのだろう・・。
それは、絵に描いた餅にすらなりはしない・・・。
401は、まさに
>>405 的意味で、「【使用できない】ものの持つ意義」を問うたのではなかろうか?
使用できないものを後生大事に抱えてて何の意味があるのか?と・・・。
495 :
旧7 :2009/05/23(土) 11:38:13 ID:j/BaFA8w
>>493 >>464 の
>こうした論法が許されるなら、教証は無意味ですよ。
>説かれていなくても、自分の先入見に基づいて恣意的に解釈する、と言っているわけだから。
>つまり、自己の先入見が理論武装され権威付けられることしか許容していないわけですよ、貴方は。
>こうした姿勢では、カルトと何が違うのでしょうか。
という批判に答えてませんよ?w
496 :
旧7 :2009/05/23(土) 11:44:21 ID:j/BaFA8w
>>494 補足。
「絵に描いた餅」ならば、まだ、何らかの役には立ちそうだw
(※宗教的価値観とは、往々にして【「絵に描いた餅」として】役立っているものかもしれない。
そして、「実際にある餅」でなく「描かれたもの」であるところに、最大の意義があるのかもしれない・・。
(実際の餅は、いつか食べれなくなるしね・・・w))
497 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 11:53:15 ID:ZLQuq1td
>>493 >過去世の行為が今生の特定すべき者に現れるそのメカニズムについて。
>経典に明確な記述がある場合はその部分の引用掲載を希望します
そんなメカニズムは、現代の科学では一切認められないのだから、経典に書いて
あろうとなかろうと、その話はもはや止めるべき。
釈迦は、時代錯誤を教えたのではない。釈迦が「何を言ったか」ではなく、
釈迦が現代に生きていれば「何を言うか」を思考することが、弟子の義務
である。
498 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 11:53:44 ID:sEbynkFA
>>495 自己(愚かなエゴではあるが)こそが最大の権威です。
これは決して、明け渡してはならないものであり、
これを放棄したときに人は洗脳される・・。
私は、原理主義者ではありません。
私はただ、自分が最大限に納得できる説明に信頼を寄せるだけのことです。
ゴータマの説法にはその満足度が高いということであり、
それが満たされないのであれば放棄するだけのこと。
(今のところは、そんなことはありませんが・・)
人はゴータマの権威によってではなく、
その説かれる内容によって「信」を持つべきなのです。
で
>>493 は、
私を納得させ得る説明はあるのか?
ということ。
499 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 12:04:36 ID:ZLQuq1td
>>498 釈迦は、「当時の社会状況において」「当時の人々」に対して説いたの
ですよ。当時は「科学が存在せず」、人々の知識や理性は「現代とは
全く違っていた」。
釈迦が「現代に生きていれば」、何を説くかを、考えてみたことがあり
ますか。
500 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 12:06:03 ID:sEbynkFA
>>497 >そんなメカニズムは、現代の科学では一切認められないのだから、
↓
唯物論など無価値(非真理)です。
科学というものは発展途上に過ぎない。
科学上の定説なるものは覆される定めです。
501 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 12:11:09 ID:zCyctGPo
自分が「賢い」認定した人を、強引に自分に近い立場にさせようと するから「利用している」と言われるのですが…… そもそもなぜ仏教改良スレでやらないんでしょうね。 構ってくれる人がいるからでしょうね。 宝珠さんも構うのやめたら?
502 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 12:11:55 ID:sEbynkFA
>>499 >釈迦が「現代に生きていれば」、何を説くかを、考えてみたことがありますか。
簡単ですよ。
唯物論の間違い及び無常なるものから恒久なる価値について説くでしょう。
503 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 12:32:03 ID:ZLQuq1td
>>500 >科学というものは発展途上に過ぎない。
>科学上の定説なるものは覆される定めです。
科学は、絶え間ない観察と実験に基づく「検証」により、「定説」の
誤りを廃棄できるからこそ、如何なる宗教の奇跡も及ばない進歩を
とげ、人類に巨大な利便と「苦からの離脱」をもたらしたのです。
「定説」に縋りつく宗教は、この数千年間、一体いかなる発見と進歩が
ありましたか。「ゼロ」ですね。
苦からの離脱を説く釈迦が「現代に生きていれば」、科学を否定するの
ですかw。一切皆苦からの離脱を実現し、実現し続けているのは、宗教
ではなく、科学ではありませんか。
人間を生かしてくれている、現実の人間を含む具象物に対する感謝を
忘れた人間は、人間の資格を失います。あなたは、釈迦を、そんな愚か者
だと考えているのかね。
504 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 12:41:14 ID:ZLQuq1td
>>502 「釈迦が現代に生きていれば、果たして科学を否定するか」。宗教者は、
この命題だけでも、じっくりと考えてみるべき。
釈迦が言う「一切皆苦」は、科学によってのみ離脱できるもの。宗教では
ありませんよ。虫歯で歯が激しく痛むとき、いくら「この痛みは空だ」と
考えてみても、いくら「修行」しても、いくら「祈って」も、「絶対に」
治らないが、鎮痛剤1錠飲めばケロリと治るのは、一体何故ですか。
505 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 12:46:51 ID:ZLQuq1td
純粋に「精神的な苦悩」は、自己中心主義から生じます。自我や悟り への執着を離れて、家族などの身近な他者に心を移すことにより、軽減・ 除去されます。これは、釈迦も思い至らなかった「苦悩の軽減・除去法」。 人間社会が本質的に共同体であり、この「他者への想い」によって、形成 維持されているからです。
> 、家族などの身近な他者に心を移すことにより また隣人愛か。
507 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 12:55:11 ID:ZLQuq1td
>>502 >唯物論の間違い及び無常なるものから恒久なる価値について説くで
>しょう。
この「恒久なる価値(絶対性)」などを追い求めるのが、まさに釈迦の
いう「執着・煩悩」なのです。釈迦は、そのような絶対性こそ、「無常
なるもの」として退けたのです。
508 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 13:00:21 ID:sEbynkFA
>>503-504 >科学は、絶え間ない観察と実験に基づく「検証」により、
>
>虫歯で歯が激しく痛むとき、いくら「この痛みは空だ」と考えてみても、いくら「修行」しても、
>いくら「祈って」も、「絶対に」治らないが、鎮痛剤1錠飲めばケロリと治るのは、一体何故ですか。
科学の業績を否定しているのではなく、
唯物論の間違いにいってるのです。科学は不完全で発展途上です。
科学(医学)が諦めた病気が宗教の説く力によって救われた事例(奇跡と呼ばれる)は無数です。
現状科学の理解と説明を超えた理論と力を宗教は示すもの。
>「定説」に縋りつく宗教は、この数千年間、一体いかなる発見と進歩がありましたか。「ゼロ」ですね。
宗教の説く超自然力は普遍の真実です。
これは覆されていないからそのままなのです。
変わらないものが真理と呼ばれる。
>釈迦が「現代に生きていれば」
もし、現代日本に生まれていれば、
普通の日本語(大阪に生れてれば関西弁か?)で話しをして唯物論の間違いを指摘し、
科学の否定する超自然力について実際に実演してみせるでしょう。
つまり、有無も言わせずに証明します。
そして2500年前のインドに出現したというゴータマなる人物を例材にとって、
ご自身の考えについて、日本語で現代的な説明で述べられるでしょう。
社会主義的唯物論って、20世紀の遺物だよね。 壮大な実験の結果、人類の歴史によってダメ出しされた、 今となっては化石的思考。
510 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 13:01:22 ID:ZLQuq1td
>>506 >また隣人愛か。
イエスが口にした「隣人愛」などという「人工的観念」ではなく、すべて
の人間の身体にビルトインされた「生存本能(生命・アートマン)」そ
のものの働きです。
> 宗教の説く超自然力は普遍の真実です。 そ、そうか? > これは覆されていないからそのままなのです。 いや、誰も相手にしてないだけかもしれないぞ?
512 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 13:04:16 ID:sEbynkFA
>>507 無常なるものには価値(一時的な仮のもの)はないと教えたのです。
それは執着とはいわない!
513 :
旧7 :2009/05/23(土) 13:08:25 ID:j/BaFA8w
>>466 孤独かぁ・・。
菩提樹下に於ける逡巡理由の一つとして、それもありそうだね・・。
「あれ、もしかして、これ、誰も解ってくれないかも・・・ (´・ω・`) 」とw
だから、「aJJAsi vata bho koNDaJJo!aJJAsi vata bho koNDaJJo!」だったのかもしれない・・・。
514 :
旧7 :2009/05/23(土) 13:14:23 ID:j/BaFA8w
>>498 >私はただ、自分が最大限に納得できる説明に信頼を寄せるだけのことです。
>ゴータマの説法にはその満足度が高いということであり、
>その説かれる内容によって「信」を持つべきなのです。
あれ?w 私と全く同じスタンスですねwww (じゃあ、貴方と私でどこが違うんだろう?w)
>私を納得させ得る説明はあるのか? ということ。
あれあれ? これも、私の過去の問い掛けと一緒だwww (ホント、貴方と私でどこが違うんだろう?w)
尤も私は、>それが満たされないのであれば放棄するだけのこと
と単純な行動は起こしませんが・・・w 抱えて生きていくことを選びます。
部分点の低さで総合点の高さを帳消しにするつもりはありません。
>自己(愚かなエゴではあるが)こそが最大の権威です。
>これは決して、明け渡してはならないものであり、
>これを放棄したときに人は洗脳される・・。
竹宮恵子の漫画「地球へ…」の、ジョミーの成人検査のシーンを思い出したよw
それはともかく、
他者の言説に振り回され、あっちへふらふらこっちへふらふらし、
自分で検証、納得していないような、そんなことがあってはいけない、
という意味でなら判らないでもない。
(尤も、その自己が正しい位置にあるかどうかも検証・確認・逐次チェックされるべきだろうけどね・・・。
さて、「自己」にとっての、そのような姿勢制御バーニアには何を用いたらいいだろうか?)
515 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 13:20:31 ID:ZLQuq1td
>>508 >科学は不完全で発展途上です。
科学は、不完全で発展途上にあることを「自ら知っている」からこそ、
進歩と発達があるのです。初めから「完全」だと「思い上がっている」
宗教には、数千年間、進歩も発展も「ゼロ」ではありませんか。
>科学(医学)が諦めた病気が宗教の説く力によって救われた事例(奇跡
>と呼ばれる)は無数です。
何時の時代の話をしているのかね。現代では、科学(医学)によって
救われている生命や苦痛は「無数」。宗教による「病気治し」によって
医学による診断と治療の機会を逸し、失われている生命こそ無数。
君の言っていることは、「病気治しカルト」の言ってることと、全く同じ。
時代錯誤はいい加減で止めなさい。釈迦は、時代錯誤を説いたのかね。
あくまで、「当時の社会情勢において、当時の人々」に対して説いた
ものであることを忘れてはならない。釈迦が現代に生きていれば、当然、
現代の科学も100%考慮に入れるだろう。釈迦は、君のような、「時代
錯誤の愚か者」だったとでも言いたいのかね。
516 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 13:26:11 ID:sEbynkFA
>>513 “理解者がいない”と感じる時って、「孤独」で寂しいのだと思う。
しかし、境地(意識)がステップアップすることそのものは「楽しい」という感覚らしい・・。
一般の俗な感覚からでは世俗の娯楽の一切を放棄し、
欲望を制しようなどとする遊行者たちは辛そうに見えます。
それらは、とても耐え難い生活として映るもの。
けれども当人である彼らは楽しさと喜びを感じていると。
インドのサドゥー(苦行者)たちにインタビューしたら、
「この生活は楽しい」と答えたという。w
517 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 13:32:17 ID:ZLQuq1td
>>509 >社会主義的唯物論って、20世紀の遺物だよね。
マルクス主義は、唯物論を自称するが、事実は、キリスト教から発生した
ヘーゲル直系の、西洋観念論。現実にはありえない「共産主義ユートピア
(神の国)」の「観念」を信仰する宗教の一種。「擬似宗教」と呼ばれる。
だから、一神教に劣らぬ悲惨な結果を招いたのです。イエスや宝珠愚者が
いうような「恒久なる価値(絶対性)」などを求めた結果です。
本当の唯物論なら、「物としての人間の身体」に最大の価値を置くから、
オウムのように「物としての人間」を傷つけたり、殺したりすることは
しません。
>>517 > イエスや宝珠愚者が
> いうような「恒久なる価値(絶対性)」などを求めた結果です。
絶対的価値を唯物論に求めた結果。おそろしいねぇ。
520 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 13:44:14 ID:ZLQuq1td
>>518 全く違いますよ。「隣人愛」が、すべての人間にビルトインされた肉体的
本能であることにイエスが思い当たっていれば、イエスは「愛」などを
説くことも無く、また、説いてはならなかったのです。
肉体的行動本能である愛を口にすれば、愛は、観念化、抽象化、精神化
されて、その実質を失い、偽善となります。その意味で、イエスは、
「愛」の「破壊者」なのです。イエスを熱心に信じるクリスチャンたち
が、史上そして現在も、最も多くの人間を、最も残虐な方法によって殺
した、という事実が、そのことを如実に証明している。
仏教者は、仏陀とイエスとの「本質的相違」こそ思考すべきなのです。
>>520 > 「隣人愛」が、すべての人間にビルトインされた肉体的
> 本能であることにイエスが思い当たっていれば、イエスは「愛」などを
> 説くことも無く、また、説いてはならなかったのです。
つまり、あなたは他者への愛を説いてはならなかったということですね?
いけませんね。自分で自分の言うことを破っては。
>>517 つまり、唯物論はキリスト教から発生した隣人愛を説く宗教ということか。
523 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 13:54:47 ID:ZLQuq1td
>>521 「説いている」のではなく、事実を述べているだけ。信じてくれなくても
一向構わない。
イエスのように「俺を信じない者は、裁かれる」などという「脅迫」は一切
ありませんから、ご心配無用w。
そもそも「目から鱗」の思想ほど胡散臭く、また恐ろしいものはない。
人間に価値ある思想は、無数の生活者の、他者との係わり合いの中における
ひたむきな生存の中からのみ、生まれるのです。
> 「説いている」のではなく、事実を述べているだけ。信じてくれなくても > 一向構わない。 結局、言ってることは同じなんだね。
525 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 14:05:43 ID:ZLQuq1td
>>522 「人間の平等」など「説く」点で、キリスト教の「隣人愛」と同じ。
マルクスの、富に対するあくなき憎悪(実は、羨望と嫉妬)は、イエスの
思想そのまま。マルクスはクリスチャンであり、イエスと同様に、ギリ
シャ哲学の「観念性」から出発した。
マルクスが宗教(観念論)でなければ、あれほどの大虐殺は不可能で
ある。ちなみに、ヒットラーもスターリンも、現代のアフリカの民族
浄化の指導者も、すべてクリスチャン。
>>525 だんだんスッキリしてきました。
ID:ZLQuq1tdの唯物論は、キリスト教と大体同じなんですね。
527 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 14:15:57 ID:ZLQuq1td
>>524 >結局、言ってることは同じなんだね。
彼らは、「すべての人間が生来的に有する肉体的本能としての生存本能
(生命)」「その生存本能から派生した共同体形成維持本能、自他の
死への恐れ、及び他者への思いやりという自然の感情」「その生命は、
実在物に100%依存しない限り、一瞬たりとも維持できない」「生存
本能による、本能の自動制御機能」という視点は、すっぽりと抜けている。
>>527 そんなゴチャゴチャした教義はかえって邪魔では?
一般の生活者はそんなこと意識してませんよ。
ただ人に親切にしたりしてひたむきに生きていれば十分でしょう。
そんなごたくは宗教者の自己満足だと思います。
いや、教育は押しつけだろ 人は躾によって人になる ただ、躾によって人になる因をもっているだけで 何もしなくてもよいってのはゆとりをうむだけ
530 :
旧7 :2009/05/23(土) 14:40:00 ID:j/BaFA8w
>>508 >もし、現代日本に生まれていれば、
>普通の日本語(大阪に生れてれば関西弁か?)で話しをして唯物論の間違いを指摘し、
>
>科学の否定する超自然力について実際に実演してみせるでしょう。
>つまり、有無も言わせずに証明します。
>そして2500年前のインドに出現したというゴータマなる人物を例材にとって、
>ご自身の考えについて、日本語で現代的な説明で述べられるでしょう。
所詮、貴方のフィクションでしかないですよね・・・。
同じように私も発言することができますw
もし、現代日本に生まれていれば、
普通の日本語(大阪に生れてれば関西弁か?)で話しをして、
日々を送る上で、何が「不安」であり「苦悩」であるのか、
その解消はどのようにして為されるべきか、
現時点で採り得る、人々が実行可能な方法論で、「安心(あんじん)・安楽」を示すことだろう。
科学の恩恵、医学の恩恵、伝統的文化、それらを踏まえた上で、更にその上に構築すべき心の在り様を、
自らの生でもって示してみせるでしょう。(病にかかれば、病院の世話にもなるでしょう・・。)
つまり、自らが、生き、実践し、提示し、証明します。
そして2500年前のインドに出現したというゴータマなる人物を例材にとって、
ご自身の考えについて、日本語で現代的な説明で述べられるでしょう。
どっちもどっちでしょ?w
いずれにしろ、どちらも駄文であることに変わりはない・・・w
531 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 15:04:26 ID:sEbynkFA
>>530 >日々を送る上で、何が「不安」であり「苦悩」であるのか、
>その解消はどのようにして為されるべきか、
>現時点で採り得る、人々が実行可能な方法論で、「安心(あんじん)・安楽」を示すことだろう。
しかし、それは無常なる世界観(世俗的な価値観)に基くものではなく、
“恒久なる価値”(ニルヴァーナ)を志向する方向性においてなされるものです。
そのことは決定的な違いです。
532 :
旧7 :2009/05/23(土) 15:22:52 ID:j/BaFA8w
>>531 胡散臭い文言だこと・・・w
それに、530に於いては、「無常か恒久か」なんてことには、
小指の先ほども触れてないけどなw
まあいいや。
これもまた、同じように私も言うことができますw
しかし、それは常住なる世界観(世俗的な価値観)に基くものではなく、
“無常なる世界観”(聖なる、勝義としての価値観)に基づくものです。
また、その行法に於ける基準の取り方は、涅槃を志向する方向性、善を求める方向性においてなされるものです。
そのことは決定的な違いです。
とね・・・w
言ったもん勝ちな流れになってきたなwww
533 :
宝珠愚者 :2009/05/23(土) 15:33:35 ID:sEbynkFA
>>532 仏教では“無常なるもの”に求むべき価値などは説きませんけどね。
まっ、「涅槃を志向する方向性」とあったから合格にしておきますよw
それと仏教が目指すニルヴァーナとは“恒久なる境地”です。
ホトケはその世界に常住しているのです。
それは明日にも転落しかねない不安定な世界ではない。
ゴータマは、単に外道の説く常住論の間違いについて指摘しただけ。
>>533 なんでそんなに偉そうなんだよ。
同じように議論してるようでいて
議論の全体性を把握してる分
旧7の方がしっかりしてるってのに。
535 :
旧7 :2009/05/23(土) 15:38:44 ID:j/BaFA8w
>>533 >ニルヴァーナとは“恒久なる境地”
>ホトケはその世界に常住している
>不安定な世界ではない
それって、思いっきり大乗仏教ですけど・・・w
大乗仏教は御嫌いじゃなかったでしたっけ?
>外道の説く常住論の間違いについて指摘しただけ
ほう・・・w
「ゴータマの説く“常住論”」と「外道の説く“常住論”」と、どこが違うんだい?
外道はどこが間違ってるんだい?
536 :
旧7 :2009/05/23(土) 15:55:10 ID:j/BaFA8w
もう一言添えとくか。
>>533 >仏教では“無常なるもの”に求むべき価値などは説きませんけどね
>>532 のどこにも、そんなこと書いてないけどな・・。どこ読んでるんだ?w
532のどこを読んだら、「“無常なるもの”に価値を求めている」という意味になるのかな・・?
老婆親切で強いて言えば、
「世の在り様を“無常”と見る」、そのような世界観、そのような価値観があり、
それが、仏教的には「聖なる世界観・価値観(≒視線)」であり「勝義」である、と。
こういうことになるんじゃないかね?
決して、『「無常なるもの」に価値を探している・求めている』わけではなかろう?
『「無常である」と見做す、そのような視線』に、価値を付しているという言い方ならできるかもしれんが・・・。
まず、お釈迦さんはブラフマン梵天だの、アートマン魂などという目に見えない、 手にとって見せることができないものについては生起しないもの、つまり縁起でもない ものとして退けているのです。なぜならこれはバラモン教の教え(祈祷)に通じていくか らです。ただこれはバラモンを否定したんであって、形而上学的な魂や不変なるイデア ・空を否定したわけではないのです。つまり仏陀は悟りの手順を示しただけであって、 悟りそのものは見せることができない。よって梵我一如を縁起とすることは不可能であり、 無意味であったわけです。 ただし、説法がかなりの量になってからは、法華涅槃時のような信仰の教えが説か れるようになったわけです。バラモンのようにブラフマンを人間の根本とするような、 釈迦が常住を認めないのは仏性が不変であるがゆえに、まだ説く段階ではなかった ということがいえるのです。
538 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 16:34:54 ID:ZLQuq1td
>>528 >一般の生活者はそんなこと意識してませんよ。
無意識にでも、日々の生活の基盤にしている。さもなければ、共生そのもの
が不可能だからだ。
それが判らないのは、生活や共生からかけ離れた、宗教の開祖たちだけ。
539 :
一在家通りすがり :2009/05/23(土) 16:50:48 ID:gB76111T
出典:「スッタニパータ」中村元訳(岩波文庫) 常住のアートマン、輪廻と再生、死後の世界に関する説法を参考までに一部紹介します。 【第一 蛇の章】 29 尊師は答えた、「わたくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」 139 犬殺しのマータンガは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、欲情を離れて、梵天の世界に赴いた。賤しい生まれも、彼がブラフマンの世界に生まれることを妨げなかった。 【第二 小なる章】 279 (争論を楽しみ、迷妄の性質の)修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれ変わり、暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。
540 :
一在家通りすがり :2009/05/23(土) 16:52:14 ID:gB76111T
【第三 大いなる章】 404 つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は、(死後に)「みずから光を放つ」という名の神々のもとに赴く。 509 施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれる。 535 諸々の汚れと執着のよりどころとを断ち、智に達した人は、母胎に赴くことがない。 656 三つのヴェーダ(三明智)を具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては梵天や帝釈と見なされるのである。 739 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その行きつく先は無明にのみ存する。
541 :
一在家通りすがり :2009/05/23(土) 16:53:07 ID:gB76111T
【第四 八つの詩句の章】 ★754 物質的領域に生まれた諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。 (※「消滅を知らない」は常住のアートマンを意味しているのでは?) ☆884 真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない。彼らはめいめいに異なった真理をほめたたえている。それ故に諸々の「道の人」は同一の事を語らないのである。 955 サーリプッタさんが言った、「わたくしは未だ見たこともなく、また誰からも聞いたこともない。このように言葉うるわしき師(ブッダ)、衆の主がト率天から来りたもうたことを。」 【第五 彼岸に至る道の章】 ☆バラモンのバーヴァリは十六人の弟子達に言った、 1004 「わが生れと、姓と、身体の特徴と、神呪と、また弟子たちと、頭のことと、頭の裂け落ちることとを、ただ心の中で(口にださずに)かれに問え。
>>538 > さもなければ、共生そのもの
> が不可能だからだ。
要するに意識する必要はないわけですから、
教義もいらんでしょう。
イエスも無意識的に基盤にしてるんですから、
同じでしょう。
543 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 16:55:44 ID:ZLQuq1td
>>539 原始仏典は、時代も異なる現代では、一切通用しない。いくら引用しても
ムダ。
時代錯誤は止めなさい。
544 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 17:02:16 ID:2JLmigN8
通用しない、っていったい何をさしてるんだろう。
しかも一切だしな。諸行無常とか通用しなくなったのかな。最近では。
546 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 17:17:06 ID:ZLQuq1td
>>542 無意識を、意識化しているだけ。
イエスは、発病後は大工の仕事はやめてしまったから、この無意識の
生活基盤も失われた。彼は、仕事の経験から得た知恵を、語ったこと
はない。
「目の中のおがくず」の話も、彼は、大工作業中おいて目の中に入る
おがくずの、実際的な防止方法、除去方法こそ、語るべきだったのである。
更に彼は、神やイエスという、「目の中の巨大な丸太」を取り除く方法
も教えるべきだった。
547 :
一在家通りすがり :2009/05/23(土) 17:18:12 ID:gB76111T
>>544 高橋さんの弟子の中川さんが書いた書籍群かも知れませんね。
> 「目の中のおがくず」の話も、彼は、大工作業中おいて目の中に入る > おがくずの、実際的な防止方法、除去方法こそ、語るべきだったのである。 大工じゃない人には興味ないし。バカみたい。 結局、唯物論=キリスト教、 隣人愛と同じことしかいってないってことだけが残ったな。
549 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 17:59:33 ID:t1Le0HV2
>無意識を、意識化しているだけ。 無意識は意識できないから無意識というんだね。 意識できるのは抑圧された意識だろ。抑圧を取り去れば意識できる。 物忘れしてるのがあるときふっと思い出されるのと同じことだね。 いくら意識化したくても脳の構造上意識化できない無意識がある。
550 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 18:47:14 ID:ZLQuq1td
>>549 >いくら意識化したくても脳の構造上意識化できない無意識がある。
その無意識を意識で考えている、フロイト先生やここの唯識派に文句言って
くれw。
551 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 18:51:44 ID:ZLQuq1td
>>548 >大工じゃない人には興味ないし。バカみたい。
聖書には、イエスの大工としての「実生活」から得た知恵が皆無である
ことの一例としてあげているのだよ。
イエスは、その統合失調症の発病により、現実感覚を喪失して、「妄想
のみ」となってしまったことの証拠である。
552 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 19:01:40 ID:t1Le0HV2
>>550 無意識があるということを思考することはできる。
だから無意識という言葉が存在する。
無意識を意識できないとは無意識に気づかないという
ことだ。
また色や音や匂いや味などのよう無意識を感じること
ができない、ということだ。
哲学では無意識には現象的意識が無い、ともいう。
553 :
旧7 :2009/05/23(土) 19:18:29 ID:j/BaFA8w
>>539-541 相変わらず馬鹿丸出しだなw
それらは、「輪廻」について述べられているが、
「常住なること」「常住なるアートマンのこと」「【この世ではない】死後の世界」についてなぞ、
これっぽっちも述べられていない。
一体、どこをどう読んでいるのか? 君の感性が理解不能だよw
たとえ、「死後の世界」という言い方について五十歩譲っても、
『輪廻する世界観に於いては、「死後の世界」とは「この世」のことに他ならない』
この世の他に世界があるなぞ、ちゃんちゃらおかしい。
いいか、原始仏教に於いては、神々の世界もこの世なんだよ。
大乗仏教は・・・、知らんwww
(地獄に関する記述を持ってきてれば、まだ良かったのに・・・w)
554 :
一在家通りすがり :2009/05/23(土) 19:34:45 ID:gB76111T
>>553 相変わらずのコメントですね。
【第四 八つの詩句の章】
★754 物質的領域に生まれた諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者
とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
※「消滅を知らない」は常住のアートマンを意味しているのでは?
>(地獄に関する記述を持ってきてれば、まだ良かったのに・・・w)
地獄に関する記述もあることも、貴方はよくご存じでしょう。
後日、まとめてアップ致しましょうか?
555 :
一在家通りすがり :2009/05/23(土) 19:38:09 ID:gB76111T
>この世の他に世界があるなぞ、ちゃんちゃらおかしい。 仮説ですが、三次元的には幽界も霊界も同じ空間にあるかも知れませんね。 我々が認識できる音波や画像の範囲(波長)が狭いので感知、認識 できないだけかも知れません。
556 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 19:40:39 ID:t1Le0HV2
>>553 >神々の世界もこの世なんだよ。
そうだね。神々の世界はこの世の人間の空想の世界だからね。
インド人の空想好きも知らないで自分勝手な解釈してるんだろね。
釈迦の説法は対機説法だから相手は誰か考えてその相手の概念に
あわせた解釈しなくちゃだめなんだけどね。
>>551 そんな一例出されても虚しいだけ。
大工じゃない人には興味ないし、バカみたいだという現実感覚を喪失してるのは
そっちだと思うよ。
558 :
一在家通りすがり :2009/05/23(土) 19:57:15 ID:gB76111T
【第三 大いなる章】の「10.コーカーリア」に紅蓮地獄を 始め多くの地獄について記載されております。 岩波文庫で6ページ以上もあるので打ち込むことは控えます。
559 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 21:04:55 ID:rCMQnrlO
>>544-545 ID:2JLmigN8・ID:/ixF3t2vの両氏は、自ら宗教の教義に嵌ってしまい
ご隠居氏の説が理解不能でただ難癖つけているということを証明してるだけ
560 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 21:10:26 ID:2JLmigN8
>>559 こそ難癖の最たるものじゃん。
一応議論スレなんだしさあ、どこに問題点があるのか
なるべく具体的に書くよう心がけようじゃないの。
561 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 21:25:42 ID:rCMQnrlO
マイコンされて宗教擁護に必死なところが<問題点>でしょw オウム信徒と一緒で聞く耳持たずに客観視も自省も出来ない
562 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 21:27:23 ID:2JLmigN8
理解しているらしい
>>559 に聞くが、何をさして「時代遅れ」と評してると思う?
現代人ってつっても隠居の視点に入ってるのはせいぜい日本人だろ。
その日本人にしてもガチムチの唯物論者は少ない。
何スレか前に宝珠愚者氏が資料出してなかったっけ?
で、世界的に見ると、宗教ゆんゆんな地域は非常に多い。
むしろ特に勢いのあるイスラム人口が増え続ければ世界的に
クルアーンの解釈のバリエーションのどれかが時代の先端、と言われる時代が来るかもしれない。
だから霊的事柄が実在とか事実とか言うわけではなくてね。
馬鹿らしい、とか下らないというだけなら兎も角、世間の気に入った部分を抜き出して
今の時代とやら代表させて自分の側につけるって姑息だと思いました。
昔だろうが今だろうが糞は糞、時代なんて関係ねー、と言えばスッキリするじゃない。
>>561 >なるべく具体的に書くよう心がけようじゃないの。
563 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 21:29:30 ID:rCMQnrlO
564 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 21:34:09 ID:2JLmigN8
嗚呼にげた。少なくともそんな部分は<問題点>ですね。 まさか、隠居がかわりに答えるのを待って そうなったら尻馬に乗ってはしゃいでAA貼り って行動パターンはないよね?ヤだよそんなの。
565 :
神も仏も名無しさん :2009/05/23(土) 21:42:44 ID:2JLmigN8
それにしてもマンセーすら具体的じゃないとは… これはひどい。 むしろマンセーだからなのか。 それじゃ支援にならないから次からは頑張ってね。 隠居の役に立ちたいだろ?
まぁ、この流れだと反論できなくなって 自演するに至ったという風にしか思えないがな
567 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 00:49:26 ID:BPy1PRT3
仏教スレで、釈尊を讃え、イエスを批判したら、猛烈な非難を受けるこの 不思議さ。 このスレに、仏教徒を騙るクリスチャンが群がっていることの明白な証明。 それとも、原始仏教、ヒンドゥー教、チベット仏教、キリスト教が化合して 発生した「化け物宗教」であるオウムか。 オウム事件の反省は、全くできていないな。
568 :
旧7 :2009/05/24(日) 01:02:42 ID:LMTzm/xc
流れが止まっとるなw
>>554 何が言いたいレスか、よくわからないが、↓原文と南伝大蔵経の水野訳な。
――――――――――――――――――――――――
754
ye ca rUpUpagA sattA, ye ca arUpaTThAyino ,
nirodhaM appajAnantA, AgantAro punabbhavaM.
色(界定)に至る諸々の有情、及び無色(界定)に住する人々は、
滅(尽定)を知解することなく、再有に来る人々なり。
755
ye ca rUpe pariJJAya, arUpesu asaNThitA ,
nirodhe ye vimuccanti, te janA maccuhAyino.
されど、色(界定)を遍知し、無色(界定)に善く住立し、
滅(尽定)の中に解脱する人々、彼等は死(魔)を捨てたるなり。
――――――――――――――――――――――――
で、
「 rUpa ,arUpa ,nirodha 」を、禅定の階層と解する読みはさておき、
「 nirodhaM appajAnantA 」が、
中村訳での「消滅を知らないので」、水野訳の「滅を知解することなく」に当たる。
appajAnantA → 否定辞a+pajAnAti+現在分詞語尾ant の主格複数。
「pajAnAtiしつつない者達は」ということ。偈の後半としては、
「“滅”を善く知悉していない者達は、また新たな生存へとやって来る者達である」ということ。
>「消滅を知らない」は常住のアートマンを意味して・・・
とは読み難いでしょw
(日本語で「アイツは退くことを知らないからなぁ・・・」と言う時のような、
“○○がない”“○○でない”―この場合は「滅がない」「滅しない」―という意味にはならんと思うよw)
ちなみに、PTS辞書では、ここでの nirodha を(i.e. nibbAna )としているぞw
569 :
旧7 :2009/05/24(日) 01:19:10 ID:LMTzm/xc
ついでに、もう一つ老婆親切しとくか・・。 一在家は勿論、宝珠氏も、 仏典を、『日本語訳でのみ』解読している。 良い訳、適切な訳であれば、或いは簡単な、単純な文、内容であればそれでも構わない。 だが、根幹にかかわる部分、微妙なニュアンスの違いに重要なポイントがある場合などは、 なるべく原文に当たるべきだ。(外国語訳や異本に当たれると尚良し)。 翻訳は所詮翻訳であることを忘れてはならない。 (このスッタニパータにしても、中村訳と水野訳を比べてみれば、 或いは、岩波版の中村さん自身の解説等を読めば、 そこに、訳者の価値判断、既成知識、恣意的操作が入っていることに気付ける筈だ。) ノシ
>>567 何言ってるんだ。ご隠居はイエス批判なんかしてないぞ。
それどころか、隣人愛を広める使徒の役を買って出ている。
それともご隠居がオウムだと言いたいのか?
確かに、ひとりよがりなところとか
オウムと似たようなものかもしれないが、ちょっと言い過ぎじゃないか?
>>494 人間の神は人間の形をしている、動物の神は動物の形をしている。
と、時々言われる。
人間は人間のフィルターを通してしか世界を見れない。
だから人間の神は人間の形をしている。当然のように。
でも、自分が人間であるという前提を取り外してしまった状態で
まっさらに世界を見てしまうと、神は人間の形をしていない。
そもそもそれは神という概念でいいものなのか?
ということが起きる。(この視点にもたぶん外側がある)
だが、そのことは「人類」には関係がない。
でも、それとは関係なく真実は存在する。
そして真実は、人類を含めたあらゆる視点を結局のところ包含している。
結局のところ、抽象性の高い視点は「より上位」である、という構造を
何故かはしらないが、厳然として持っている。
572 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 02:22:32 ID:APRmv2bq
>>570 イエスが「隣人愛を説いた」などというのは、全くの誤り。イエスは、「自分に
従うためには、家族を捨てろ」と説いている。
「最も近しい隣人」である家族も愛せないで、何が「隣人愛」かね。
「隣人愛」の例とされる「善きサマリア人」の話も、いささかでも批判力を以って
読めば、イエスの真意は、サマリア人にかこつけて、自分の気に入らない祭司と
レビ人を「悪人」にし、非難することであった。
イエスのすべての教えは、「自分の気に入らない者、自分を信じてくれない者に
対するあくなき憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、見破る必要が
ある。
573 :
宝珠愚者 :2009/05/24(日) 02:28:45 ID:ga5iLrwK
>>536 それならば同意します。
大変、申し訳ありませんでした。
>>568 フーム、勉強になりました。
>>567 たまにはイイことをいうね!gooの音も出ないw
>>535 >それって、思いっきり大乗仏教ですけど・・・w
>大乗仏教は御嫌いじゃなかったでしたっけ?
>「ゴータマの説く“常住論”」と「外道の説く“常住論”」と、どこが違うんだい?
>
>外道はどこが間違ってるんだい?
「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、
没することなき解脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29)
この“滅びてなくなり、没することのない”のがニルヴァーナ境地です。
たとえ現象界の一切が消滅しようとも、ニルヴァーナだけは永久であると謳っているのです。
つまりは恒久な世界ということであり、これがゴータマの説く常住論ということになるでしょう。
>「ゴータマの説く“常住論”」と「外道の説く“常住論”」と、どこが違うんだい?
>
>外道はどこが間違ってるんだい?
それは今後の展開かとw
574 :
宝珠愚者 :2009/05/24(日) 02:29:45 ID:ga5iLrwK
575 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 05:44:57 ID:3Rg5w/5y
>>568 5時間後に調べた結果を丁寧に紹介していただきまして、真に有難うございます。
>754
>ye ca rUpUpagA sattA, ye ca arUpaTThAyino ,
>nirodhaM appajAnantA, AgantAro punabbhavaM.
>色(界定)に至る諸々の有情、及び無色(界定)に住する人々は、
>滅(尽定)を知解することなく、再有に来る人々なり。
>755
>ye ca rUpe pariJJAya, arUpesu asaNThitA ,
>nirodhe ye vimuccanti, te janA maccuhAyino.
>されど、色(界定)を遍知し、無色(界定)に善く住立し、
>滅(尽定)の中に解脱する人々、彼等は死(魔)を捨てたるなり。
>(中村元訳)
>754 物質的領域に生まれた諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者
>とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。
576 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 05:46:05 ID:3Rg5w/5y
しかし、「無色(界定)に住する人々」、「再有に来る人々」が誰かは ますます興味深いですね。 本スレであの世はこの世界にあると言われた方がおられましたが、 この世に並行して「無色(界定)に住する人々」が存在し、私たちには知覚 できませんが、仏の眼にはハッキリと見えていたという説法だという認識で 宜しいでしょうか? 更に「無色(界定)に住する人々」が以前は「色(界定)の有情」であれば 仏は常住のアートマンが存すると説かれた「法華経(本スレでは不人気?)」 とも不一致はないかと存じます。
577 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 06:18:03 ID:3Rg5w/5y
また「無色(界定)に住する人々」の例として、心霊科学で言う所の 守護霊や指導霊も考えられます。 日蓮も釈尊が守護霊のことを説かれたと書簡に残しておられます。 【同名同生御書】(文永九年、51歳) 「人の身には同生同名と申す二のつかひ(使)を、天生るる時 よりつけさせ給て、影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、 大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさず、かはるかはる天に のぼて申し候、と仏説き給ふ。」 日蓮上人は同生同名(守護霊)がその人の行いを天(神)に報告して いると説かれております。
578 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 06:19:25 ID:3Rg5w/5y
仏(本来の姿)が衆生を救うために神(仮の姿)として現れていることを いい、その考え方を体系化して唱えたものが所謂本地垂迹説ですね。 例、天照大神=大日如来、観音如来 八幡神=阿弥陀如来 日蓮の書簡では51歳時点では天照大神、八幡神を大変敬っておられます。 (出典:「日蓮大聖人御遺文集」) それなのに大日如来、阿弥陀如来を信仰する国が栄え、当時の日本が荒れて いることに疑問を持たれたと伺います。(創価関連HP) 私は日本神道系も調べておりますが、仏教擁護の蘇我氏と神道擁護の物部氏の 戦いを見ても、天照大神=大日如来ではないと感じております。
579 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 06:20:32 ID:3Rg5w/5y
大日経を痛烈に批判していた日蓮上人が天照大神を敬うと思われ ますか。「大日如来は有名無実なり」とまで言っておられます。 また「日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり」とも。 長部経典を読みますと、仏と梵天と神とは明確に区別されております。 仏は肉体を脱いで梵天界へ赴くという記載はありますが、梵天=仏という 記載はなく、経典の中における神は人類を創造できるレベルではなく、 せいぜい心霊科学上の高級霊クラス(山の主霊、他)です。 スレ違いですが、本地垂迹説にお詳しい方はご教示いただきたく。
>>572 なるほど。ではご隠居はイエスに代わって
キリスト教の教義である隣人愛を広めているんですね。
>>579 > 私は日本神道系も調べておりますが、仏教擁護の蘇我氏と神道擁護の物部氏の
> 戦いを見ても、天照大神=大日如来ではないと感じております。
救い方が違うので、働きかけ方(効能)も異なる。
異ならないのであれば、垂迹する必要もない。
故に個々人にとっては、その効能への相性によって、
アマテラスは好きだけど、大日如来の効能は感知しにくい、ということは起こりうる。
一般に日本の神々は山岳系や自然霊のニュアンスが強い。
天照大神は、自然霊を感じさせるような太陽が日本を包む感覚の叡智。
大日如来は、もっと内面の光の方であって、抽象性が高い。
自然霊は好きだし感知しやすいが、抽象性には疎く感知しにくいという人はいる。
そもそも蘇我氏と物部氏の戦争は、祭祀階級とそうでないものの権益争いであって、
神仏の質の是非というのは口実的側面が強いように思う。
要するに、神と仏とは明らかに違う。が、神の属性というのを無視して
本質をたどっていくと、仏と同質のものに行き着く。
582 :
本スレのネタ? :2009/05/24(日) 08:18:19 ID:3Rg5w/5y
>>581 >要するに、神と仏とは明らかに違う。が、神の属性というのを無視して
>本質をたどっていくと、仏と同質のものに行き着く。
早速の解説を真に有難うございます。
583 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 08:34:59 ID:3Rg5w/5y
「本スレのネタ?」はキリスト板でのハンドルにて、失礼しました。
このスレのみなさんの文献学的造詣の深さには舌を巻くばかりです。 だけど、みなさん、ご自身で修行なされているのだろうかと疑問に思います。 百聞は一見に如かず 悟りとは、理解とはまた違うことではないかと思われます。 あえて表現すれば、直感的把握でしょう。
585 :
宝珠愚者 :2009/05/24(日) 10:07:54 ID:ga5iLrwK
>>584 確かにその通りです。
投稿者の半分以上はただ書物を読んだだけのような方々。
そのまた半分は、勤行(読経)してるかその体験者。
そのまた半分は、仏教知識に沿って様々な自己修養に取り組んだりする人。
更にごく一部にプロの僧侶などもおり。
まっ、人生体験そのものが修行ではあるが・・。
586 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 10:17:42 ID:+Y5W45wx
生きてることが修行だろ。 修行してない人はいない。 仏道だけが道ではない。
587 :
宝珠愚者 :2009/05/24(日) 10:25:26 ID:ga5iLrwK
>>586 それも正解ですね。
ただ仏教知識に沿った生き方及び精神修養(程度の差があれ)がないならば、
その人は仏道修行者とはいえないでしょうね。
仏教書の愛読者とはいえたりするでしょうが・・。
588 :
1/2 旧7 :2009/05/24(日) 10:31:15 ID:LMTzm/xc
>>562 >>574 アンケート調査というのは、
その『設問の仕方(…1)』と『回答の分類の仕方(…2)』に於いて、(→この二つの操作を以てして)、
望み通りの結果を構築することができるんだよw
そして、読み手の段階に於いても、(簡潔にする為の大雑把な括りとして)『どのように括るか(…3)』という点で恣意性が入り込む。
一例を挙げよう。たとえば、このような調査。
(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6#cite_note-48 )
また、2006年12月に実施された裁判員制度に関する特別世論調査[49]によれば、
『裁判員として参加したいかについて』 …A
・参加したい (5.6%、前回[50]4.4%)
・参加してもよい (15.2%、前回21.2%)
・あまり参加したくないが、義務であるなら参加せざるをえない (44.5%、前回34.9%)
・義務であっても参加したくない (33.6%、前回35.1%)
まず、(…1)に於いて、
≪是非参加したい/参加してもよい/できれば参加したくない/絶対に参加したくない≫…B
という設問の仕方もある。おそらく、数字は大きく変わるだろう。
また、実際の設問に於いては、2番目と3番目は同じだ。(こういう“からくり”がコワイのさ・・w)
むしろ、きちんとした分類こを目指すなら以下のような問の方がマシだ。
≪参加したい/義務ならば参加せざるをえない/辞退できるのなら辞退したい/絶対に参加したくない≫…C
589 :
2/2 旧7 :2009/05/24(日) 10:34:54 ID:LMTzm/xc
次に(…2)に於いて、
B及びCに於いては、2番目と3番目の設問の間には「肯定否定の分水嶺が、明確な形で想定し得る」。
だが、Aに於いては違う。狡猾な公式発表担当者ならば、
『“参加したくない”という否定的意見は33.6%にとどまりました。また、前回より1.5ポイント減少しました。
ほぼ認知されたとみてよいのではないでしょうか。』などと抜かすかもしれない。
しかし、もしBのように問うていたらどうか?Cのように問うていたらどうか?
Aのような問いかけでも、3番目+4番目が否定的見解の筈だ。下手をすれば2番目だって・・・。
逆に、Cに至っては、否定的意見が多くなるよう誘導する設問だとも言える。
反対陣営はCのような調査をするかもしれない・・・w
次に(…3)に於いて、(これは2と被るわけだが)、
Aという設問の結果を、上で述べたように、
『反対者は既に少ない』と読むか、『躊躇する人、不安を感じる人はまだまだ多い』と読むかは恣意的だ。
特にAの設問は、3番目の問いが「あまり参加したくない」という言い方でもって、【参加方向での設問】になっている。
本来なら、(4つの設問であるなら)、3番目と4番目は【否定方向での設問】であるべきではなかろうか・・・。
BやCならば、読み方のブレは少しは軽減できる。
しかし、≪大半の人は『参加せざるを得ない』『参加が強制されるのは仕方ない』と考えている≫
≪制度の進行をやむを得ないものとして「受け入れている」≫という読みはあるだろう。
それを。制度賛成と取るかどうか・・・。 やっぱり恣意的だな・・w
さて、
>>574 の調査は、どこまで上記のようなブレや恣意性を排除できてるんでしょうかね・・・w
590 :
旧7 :2009/05/24(日) 10:42:37 ID:LMTzm/xc
>>587 誰も皆、神智学徒の貴方に言われたくないと思いますよw
591 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 11:02:22 ID:+Y5W45wx
>>587 >仏教書の愛読者とはいえたりするでしょうが・・。
そうですね。私の仏教に対する興味は哲学や思想としての仏教で
宗教としての仏教には無い。まして宗論などどうでもいい。
仏像や禅画などの仏教文化はすきですけどね。
たまたま神田本屋街を遊行していて
「『スッタニパータ』−仏教最古の世界」(並河孝儀著 岩波書店)
を見つけたので読んでみた。
このスレ関連では「第U部第4章無我の提唱」が参考になるだろうが
私にとっては新しい見解はなかった。
592 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 11:18:05 ID:I16WtNgd
オウムが、原始仏典から発生したことを忘れてはならない。その原因は、原始 仏典そのものに存在するのである。 その原因の追究・解明・除去の努力が全く行われていない仏教スレなど、無意味 である。宝珠愚者氏は、「オウムは本物志向」とさえ言っている。その正体は、 明らかである。 原始仏典に嵌った中村元氏や水野氏にも責任の一端がある。宗教に嵌った宗教 学者に、宗教の「客観的」研究ができる訳がなかろう。 中沢新一は、「オウムの精神的指導者」として、厳しく批判されている。
無我の解釈のところで我のごとく常住なるものはないとか、あっても無意識になる 程度に考えているから、仏典をこの世的に解釈してわかったつもりになっている ということです。いまどき転生輪廻を信じている人のほうが少ないと思いますが、 あの世がないことが証明されていない現在、「無我(無霊魂)」を信じるという立場 にしかなということです。
594 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 11:55:06 ID:nIYOuXkE
>宝珠愚者氏は、「オウムは本物志向」とさえ言っている。 そのレスって何番目のスレにありましたっけ? >宗教に嵌った宗教学者に、宗教の「客観的」研究ができる訳がなかろう。 学者の業績は純粋に研究内容から問われるべきでしょう。 中村さんや水野さんのどこが駄目なのか具体的に書くべきでしょう。 客観的ではない、なぜなら奴らは嵌ってるからだ、では議論にならない。
595 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 11:56:38 ID:+Y5W45wx
>>591 >並河孝儀著・・・・・誤
並川孝儀著・・・・・正
人名なのであえて誤記訂正します。ごめんなさい。
596 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 12:14:57 ID:nIYOuXkE
前スレの215ですね。 >オウムの看板スタイル(少なくとも表向き)は原点回帰の本物志向だった。 「看板スタイル(少なくとも表向き)」は抜いてはいけない部分でしょう。 元レスの否定的ニュアンスも省かれており、印象操作と言われても仕方ない。 引用は正しく適切に行いたいものです。
597 :
宝珠愚者 :2009/05/24(日) 13:22:13 ID:ga5iLrwK
>>588-589 私はこのデータを取り上げて、
完全な唯物論者は11.8%しかいないようだといったのです。
設問の仕方によって変わる、という意味は理解しますが、
それで、実際にこの事例で何が問題だと?
旧7さんの見解では、この設問にはどんな不具合があるのですか?
4.の人々は言い切ってますから、
これは何か、特別な自己体験がない限りは変わらないでしょう。
しかし、3.と5.の51.1%の人々は説明のあり方などよっては変動すると思います。
『上記のアンケート調査では「死後の世界」が「ある」か「ない」かについても聞いているが、
その結果は「死後の世界」については3人に1人以上が「ある」という答えだった。
▲質問 「死後の世界」
1絶対にある……6.7%
2たぶんあると思う…30.3%
3たぶんないと思う…23.2%
4決してない……11.8%
5わからない,無回答……27.9%』
(NHK放送文化研究所の『放送研究と調査』(1999.5))
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no13.htm >>590 「いうよねぇ〜♪」w
598 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 14:06:31 ID:2vMs0F4w
>>594 >学者の業績は純粋に研究内容から問われるべきでしょう。
宗教に嵌れば「護教的」になるのは必然。宗教とは「主観そのものの営み」
だから、その「護教性」が「研究内容」に影響を及ぼすことも、また必然
である。
599 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 14:11:48 ID:2vMs0F4w
>>596 >>オウムの看板スタイル(少なくとも表向き)は原点回帰の本物志向
>だった。
「オウムの看板スタイル」を「本物志向」などと解釈すること自体に
問題がある。オウム信者も、まさにそう信じているのであり、オウムの
思考と軌を一にしているからである。
600 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 14:23:19 ID:an5pwdj0
>>598 要約すると「とにかく誰が言おうと護教的なんだよ!」ですね。
かくかくしかじかでこいつらの研究内容にはこのような偏りがある
→そらみろ護教的ではないか
てな感じで、なるべく具体的にお願いします。過程を抜いていきなり飛んじゃだめですね。
一人で叫ぶならそれでいいんですが、一応ここは他の人に伝える場でしょ。
いいからとにかく納得しやがれ!となってはいけない。
>>599 「看板」はそうだけど、中身は違った、というのが宝珠愚者氏の主張なのですが。
あなたは何を読んできたんですか。
601 :
宝珠愚者 :2009/05/24(日) 14:24:17 ID:ga5iLrwK
>>599 >オウム信者も、まさにそう信じているのであり
そんなの当たり前ですよ。それが彼らの“謳い文句”なんだから!
当人たち自身は大真面目に目指してたということ。
しかし、そこには狂信性があったのです。
「解釈すること自体に」じゃないって!
彼らはそのつもりだったのであり、それを看板にしていたといってるです。
あなたはどういう神経なの??それすらも分らずに、
一体、どうやってカルト分析/批判などができるというのか!
疲れる...勝手にやってw
602 :
宝珠愚者 :2009/05/24(日) 14:58:01 ID:ga5iLrwK
>>599 オウム(カルト)分析などあなたにはできない。
要するに、あなたはただ私がオウム同様のカルトだと批難したいだけなのです。
その姿勢は初代スレから一貫しているからねw
まっ、あなたから見れば私は愚か、輪廻を説く伝統仏教者なども全てカルトなんだから(笑)
そんなことでは、誰もあなたの意見に耳を傾けようなどとはしないでしょう。
あなたの想いそのものは、たとえ真剣なのかもしれませんが・・。
麻原の場合には、
他の新興宗教のパターンによく見られるような、意図的に人々を騙そうという側面ではなくて、
本人自身が大真面目の本気そのものだったのです。
それが正しい方向性ならば良いのですが、どうにも狂気の方向性へと邁進していった。
彼にとっては人類の生存を掛けた闘いだったのであり、
オウム対オウム以外との、聖と俗との戦争だった。
本人にしてみれば本気そのものだった。だから・・そこが恐いのですよ。
原始仏教がカルトとか・・そういうことじゃないから!
603 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 14:59:57 ID:NW+qryW0
>>600 クリスチャンは、たとえ殺されても、イエスを否定することはできない。
「研究内容」においておや、である。
オウムの「看板」には、問題がないとでも。
604 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 15:12:04 ID:an5pwdj0
>>603 >かくかくしかじかでこいつらの研究内容にはこのような偏りがある
>→そらみろ護教的ではないか
>てな感じで、なるべく具体的にお願いします。過程を抜いていきなり飛んじゃだめですね。
>一人で叫ぶならそれでいいんですが、一応ここは他の人に伝える場でしょ。
>いいからとにかく納得しやがれ!となってはいけない。
下二行をとくに強調したい。
605 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 16:17:10 ID:ykLS4M0c
【第三 大いなる章】の「10.コーカーリア」に紅蓮地獄を始め多くの地獄について記載されております。 岩波文庫で6ページ以上もあるので、ポイントのみ箇条書きにします。 657 人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。 愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。 661 嘘を言う人は地獄に堕ちる。 667 (地獄に堕ちた者は、)鉄の串を突き刺さるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。 668 敷き拡げられた炭火の上に伏し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。 669 (地獄の獄卒どもは)鉄槌をもって打つ。 670 火の燃え盛る銅製の釜の中で永いあいだ煮られて、浮き沈みする。 671 また膿や血のまじった湯釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。 672 また蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。
606 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 16:18:11 ID:ykLS4M0c
673 また鋭い剣のついた林があり、その中に入ると、手足を切断される。 675 そこには黒犬や斑犬や黒烏の群や野狐がいて、泣きさけぶ彼らを貪り食うて飽くことがない。 676 罪を犯した人が身に受ける地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、 この世において余生のあるうちになすべきことをなして、忽せにしてはならない。 678 人は清く、温良で、立派な美徳を目指して、常にことばとこころを慎むべきである。 以上が肉体を脱ぎ捨てたアートマン(魂)の地獄での様です。 地獄から再び「母胎に宿った魂」は善人になるかもしれませんね。 潜在意識(魂)の中で悪行の結果としての地獄生活を記憶しているでしょうから。
>>603 オウムの「看板」についての問題なんて考える以前に、
「看板スタイル」を取ると、文の意味が変ってしまうということが理解できない
キミ自身に問題がある。
相当に重症。
このくらいは理解できないと、通常のコミュニケーションがとれない。
幼児であれば、それでも共同体は受入れてくれるが、成人しているともう無理。
つまり、今のキミは共同体に迷惑をかける邪魔な存在になってしまっている。
宗教について論じる以前の問題。
608 :
1/2 旧7 :2009/05/24(日) 16:24:28 ID:LMTzm/xc
>>597 >この設問にはどんな不具合が
この設問に於いては、問いの立て方は(大筋で)妥当だと思う。
問題は、集まったデータの扱い方(588で言う(…2)と(…3))にある。
(5番は、その回答理由が不明なので、考察から外すべきだとは思うが・・・。)
そもそも、その設問で4番を答えた者が「完全な」「ガチムチな」唯物論者かどうかは、
その設問では判らないだろ? この時点で既に恣意的じゃないかwww(→588の(…3)の部分ね)
『「死後の世界は無い」と考えるのは唯物論者しかいない!それ以外あり得ない!』とね・・w
また11.8%という数字は、これだけ宗教的儀礼が盛んに行われている日本に於いて、
寧ろ多いのではないか?と分析することも可能だろ?3番と合わせれば35%だ。
【※個人的には、「1番を選んだ人なんか6.7%しかいないじゃんwww テラ少ナスwwwww」
と、データを読んでしまうけどね・・w ちょうど貴方方が「4番は11.8%しかいない」と読むのと同じようにね・・・。】
ま、50歩譲って【その考え方(4番)は唯物論的だ】としても、断定的・確定的に考えている人が11.8%だということで、
それ以上のことを含みはしない。
少し前、このスレだったか別スレだったか、「可能性」と「否定」「完全否定」について激論を交わしている方々がいた。
その時のやりとりとリンクするが、「4番が唯物論的なのは判った」。
では、4番以外は「唯物論的でなく、別の価値観を持つ者なのか」というと決してそうではない。
むしろ、「たぶんありえないよね・・・」という“あきらめ”【“否定ベクトルの色合いの濃い”回答】と見る方が自然ではなかろうか。
「信じたいし、その手の話を耳にすることもあるけれども、
実際の自分の身の回り、自分の経験から類推されるのは、【どちらかというと否定的見解】だ・・・」というニュアンスで。
【この部分は設問からは見えてこない】。「たぶんある」「たぶんない」の 《 たぶん 》 は曲者だと思うわけで・・・w
609 :
2/2 旧7 :2009/05/24(日) 16:25:19 ID:LMTzm/xc
(
>>597 )
その意味でいけば、「3番+4番は、寧ろ唯物論的世界観に依拠している者達」とも読める。
場合によっては2番を含めてもいいくらいだ。(まるで、「宇宙人がUFOに乗って偵察に来てるかも?」とか
「タイムマシンができたらいいよね」とか「どこでもドアや、もしもボックスがあったらいいね」などといった事案と、
さほど違わない次元での、希望的観測としての、夢物語としての捉え方の人が回答していないとも言いきれまい。)
データの読み方として、「2〜4番全て、唯物論的世界観で世の中を見ている人達」という分析もアリだ。
(※けど、実際はコワイ数字かもしれない・・・。もし、この30.3%+6.7%の人が、
オーラの泉等々を見て、本気で一喜一憂してるかと思うとね・・・w)
>それで、実際にこの事例で何が問題だと?
上で、煩瑣な文を重ねたように、1〜5番の回答をどう分類仕分けするかに於いて、
引用する者誰もに情報操作が可能であるということさ。
極端な形では ↓ という風にね・・・。
【※個人的には、「1番を選んだ人なんか6.7%しかいないじゃんwww テラ少ナスwwwww」
と、データを読んでしまうけどね・・w ちょうど貴方方が「4番は11.8%しかいない」と読むのと同じようにね・・・。】
また、『 >その結果は「死後の世界」については3人に1人以上が「ある」という答えだった。 』という言い方。
恣意的だよねぇ・・・w (これは、そこのサイト主の台詞かな。意図的だよねぇ・・・w)
3人に1人ということは30%超か・・。 さて、「絶対ある」は6.7%だが・・・「たぶんある」を加算しているのか・・・。
「たぶんある」は、「ある」と見做していいのかな?それとも勇み足かな?
私は、「たぶんある」と「ある」は違うと思うんだけどなぁ・・・w (せめて『「たぶんある」を含めると…』とでも言えばいいのに・・w)
> ▲質問 「死後の世界」
> 1絶対にある……6.7%
> 2たぶんあると思う…30.3%
> 3たぶんないと思う…23.2%
> 4決してない……11.8%
> 5わからない,無回答……27.9%
610 :
旧7 :2009/05/24(日) 16:29:27 ID:LMTzm/xc
設問もそうだけど、まとめ方も相当あるね。
>>606 このアンケートでわかるのは
1 81.4%の人が確信を持てずにいる
2 確信をもっている人のうち、絶対あると決してないの比率は約1対2。
ここまでだけだと、無いに傾いているともとれるw
3 絶対ある+たぶんある、わからない無回答、たぶんない+決してない
この三つの比率は、おおよそ、1対1対1。
ある無しに関しては、有意なバラツキは無いともいえる。
4 確信持てない人の中では、「たぶんある」の方が「たぶんない」の1.5倍も人数がいる。
無意識的には、あると感じている人が多いともいえる。
どれでも好きなまとめ方をすれば、好きな風に誘導できる。
612 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 17:44:06 ID:ykLS4M0c
国学院大学日本文化研究所・宗教教育プロジェクト(責任者・井上順孝教授) による「第七回アンケート調査」の結果が平成13年11月に報告された。 アンケート対象:三十八校に及ぶ大学・専門学校(有効回答、今年は5759人) 1 現在、信仰をもっている 538人 2 信仰はもっていないが宗教に関心がある 748人 3 信仰はもっていないし宗教にもあまり関心がない 588人 4 信仰はもっていないし宗教にもまったく関心がない 1503人 5 無回答 382人 信仰のある538人の内訳。 神道 9人 仏教 121人 キリスト教 93人 新宗教 301人 その他 5人 無回答 9人
613 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 17:44:57 ID:ykLS4M0c
まず神の存在について。 信じる 871人 否定する 796人 ついで、仏の存在について。 信じる 659人 信じない 766人 さらに、霊魂の存在について。 信じる 941人 信じない 603人 信じる率 霊魂 > 神 > 仏 霊魂の存在を信じる学生は神仏の存在を信じるよりも多い。
614 :
一在家通りすがり :2009/05/24(日) 17:46:10 ID:ykLS4M0c
まず神の存在について。 信じる 871人 否定する 796人 ついで、仏の存在について。 信じる 659人 信じない 766人 さらに、霊魂の存在について。 信じる 941人 信じない 603人 信じる率 霊魂 > 神 > 仏 霊魂の存在を信じる学生は神仏の存在を信じるよりも多い。
615 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 19:18:52 ID:+Y5W45wx
と、霊魂が言っています。
617 :
神も仏も名無しさん :2009/05/24(日) 19:25:41 ID:+Y5W45wx
は、霊魂に言葉があるの?
618 :
旧7 :2009/05/24(日) 20:21:28 ID:LMTzm/xc
れぇぇぇぇぇぇぇええぇいぃこん いい魂になったね 悟られると 魂は 本当に 変わるんだね 霊魂 ひとりで街も歩けない 自信のない 魂だった おまえが 嘘のよう ♪
誰か元ネタおしえてw
「世尊が常住論について教えを説かれたやり方は最高のものです」(
>>188 )
>>230 > 釈尊が常住を説かれた
ここの「常住論」の原語は複数形です。「釈尊が複数の常住論を説かれた」では変ですよね。
原語(sassatavAdesu)を訳すと「諸々の常住論に関して」となります。
「説く(deseti)」の目的語はダンマです。つまり、「世尊が、、、教え(ダンマ、法)を説かれた」
であって、常住論「を」説いたのではありません。
そもそも仏教の立場は、断見と常見の両方に偏らない中道(断常中道)です。
サーリプッタが讃えたのは、釈尊が、複数の常住論に関してダンマを教示する、その仕方です。
具体的には、パーリ註に、これら常住論の詳細は梵網経で説かれた、とあるように、梵網経で
常住論の成り立ちを縁起説で解き明かしているところだと思われます。つまり、ある沙門たちが
常住論などを主張する根拠も「接触の縁から」「感受されたものである」という縁起の教えです。
くわしくは、こちらを参照してください。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004708490/ 「初期仏典に見られる常住論, 断滅論, 無因論, 及び縁起説からの批判」
ちなみに、異訳である大正大蔵経no.18『信仏功徳経』には、常住論の話そのものが出てきません。
>>246 > 三つ目が(【常住論としては】)最上のものです)
ここは、ayaM(男性形)でなくetad(中性形)で受けているので、第三常住論(男性形)というより、常住
論の段落の最初の言葉を、一部省略して繰り返した、と解した方が漢訳にも合うかと思います。
[ aparaM pana, ] bhante, etad AnuttariyaM, [ yathA bhagavA dhammaM deseti ] sassatavAdesu.
………etad AnuttariyaM, bhante, sassatavAdesu.
世尊よ、諸々の常住論に関して[世尊がダンマを説かれる]これ(やり方)が無上のものです。
621 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 07:00:55 ID:F2lNMdhg
三種の常住論について説かれたとして、釈尊が三つ目が最高だと表明されたことをサーリープッタは繰り返して、釈尊から正しいと保証されたことになりますね。 釈尊は自らは説かずに、正しいものを選択されたと。 法華経では、自ら説かれたとしておりますが。 同じ経の中で漏尽通の理解も正しいと釈尊は保証されています。 常住のアートマンが無ければ成立しない神通力ではないですか。
> 常住のアートマンが無ければ成立しない神通力ではないですか。 何故そうなるのか詳しく。
623 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 08:10:38 ID:F2lNMdhg
当時の常住論の大半は誤りだと説かれた釈尊ですが、正しいとしたのは三つで、松竹梅を表明されたと記載された経典ですね。 サーリプッタの喜びは最高で、彼の後継者が自ら歓喜経と題したのでしょう。
624 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 08:29:30 ID:lOfZbEAP
>>623 >サーリプッタの喜びは最高で、彼の後継者が
サーりプッタはゴータマ・ブッダより早く死んでるじゃん。
なんでサーリプッタの後継者がいると思ったの?
626 :
旧7 :2009/05/25(月) 19:25:35 ID:gpCmINST
┼─┨ ┼─┨ ┼─┨ なんっつーか、こう、 ┼─┨ 溜息すら出んな・・・w ┼─┨ , ,_ ┷━┫ 酒⊂(д` ) ヤレヤレ… ┃ ==============⊂ \ ━━┛ || || ノ,_) ⌒~⌒~⌒~⌒~⌒ ⌒~⌒~⌒~⌒~⌒⌒~⌒~⌒⌒~⌒~⌒~⌒~⌒~⌒~⌒
627 :
旧7 :2009/05/25(月) 19:27:47 ID:gpCmINST
137番目か・・。結構下がったな・・・。 ageとくかw
629 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 20:27:24 ID:L41Ik534
>>628 >「幸福実現党」
名前からして胡散臭い。「幸福」「愛」等の看板を掲げるのは、内容も空虚
だということ。
本当の幸福や愛とは何かを知る者は、その「言葉」は口にしない。
宝珠愚者さん、看板だけで、内容も見抜けるものですよ。
>>629 > 本当の幸福や愛とは何かを知る者は、その「言葉」は口にしない。
なるほど。じゃあ629は知らないんだな。
631 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 21:14:24 ID:bsrQNkp1
>>630 少なくとも、大川やイエスのように、人に説いたり、看板に掲げたりはしない。
「神」「霊」などという言葉についても、同じ。
629で偉そうに説いてるじゃないか。自覚ないのか。
633 :
一在家コーヒータイム :2009/05/25(月) 21:23:13 ID:F2lNMdhg
福音書も経典もイエスや釈尊と高弟とのやり取りを横で聞いていた人か、高弟から口伝された後輩が記録するのが自然だと思ったからです。 何回も前の前世を正見する漏尽通が成り立つには、何百年、何千年も存在するアートマンが必要だと思います。
634 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 21:33:23 ID:bsrQNkp1
>>633 アートマンの原義は「生命」だから、死ねば消滅するのは当たり前。
「『死』後の『生』命」は、明らかに言語矛盾。
>>633 > 何回も前の前世を正見する漏尽通が成り立つには、何百年、何千年も存在するアートマンが必要だと思います。
前世を見通すのは宿命通では?
あと、何百年、何千年存在しても、その後滅べば常住とは言えないのでは?
杉でさえ、何百年とか千年とか生きてますが、常住ではないですよ。
コーヒーでFIREというのがあるけど、原義は火だから、 紙を近づけたら発火するのが当たり前・・・てかw
637 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 21:44:12 ID:bsrQNkp1
>>636 それは「喩え」。「アーマン」は、何の「喩え」かね。
633には少なくとも喩えという概念は理解できていない。 原義と実際の意味の違いというものも、どうやら認識できていないように見える。
639 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 21:57:26 ID:bsrQNkp1
>>638 だったら「アートマン」の意味を、その語源も含めて、正確に定義してくれ。
正確な意味も判らずに、アートマンをいくら論じても無駄。
>>638 アンカーミス。
×633 → ○634
>>639 正確な定義も何も、その辺話合っているのがこのスレであって、
最初からアートマンについて「正確に」定義できる状態なら、
常住かどうか話し合う必要もほとんどないだろう。
それ以前に、基本的な言語機能に問題を抱えている人に、
何を説明しても無駄。
642 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 22:14:02 ID:bsrQNkp1
>>641 定義できないものが「常住」かどうかを、一体どうやって判断できるのかねw。
643 :
一在家通りすがり :2009/05/25(月) 22:18:17 ID:VaKnv9cb
>>635 >前世を見通すのは宿命通では?
>あと、何百年、何千年存在しても、その後滅べば常住とは
>言えないのでは?
漏尽通で苦しみの原因を前々世まで遡ると記憶していましたが
間違ってましたか?
宿命通もまた常住のアートマンが存在しないと成り立たない
かと存じます。
私も心霊科学協会に10年近く在籍しておりましたが、
霊魂(アートマン?)にも誕生と寿命がありそうです。
生まれたてのアートマンは罪穢も無い代わりに知能も低い場合が
多いようです。
逆に何万年も輪廻を繰り返しているアートマンは知能が高く
潜在意識レベルの知識も豊富です。
案外「常住」というのは仏陀お得意の比喩かもしれませんね。
644 :
神も仏も名無しさん :2009/05/25(月) 22:25:14 ID:bsrQNkp1
>>643 その前に、「仏教」におけるアートマンの意味を、正確に定義してくれ。
「霊魂」とは、ヒンドゥー教における意味。
それに、「霊魂」とは、正確には何かね?どこの動物園に行けば見られるかw。
語源との関係は?
オオかわは元創価らしいな 国内の保守を削り取りにきたっつうかんじかな まあ、すんげー曖昧なことしか言ってないからまだ断定できんが こんなのにふりまわされるような日本になっちまったんだな 誰かまともな保守つくってくんねえかな
646 :
旧7 :2009/05/25(月) 23:40:13 ID:gpCmINST
さて・・・。 スレも後半に差し掛かったが、迷走したまま1000を迎えそうだなw
>>642 定義できないとは言ってない。
そのくらいは読み取れるようになってから、
書込みするように。迷惑だから。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/26(火) 00:27:12 ID:fMjEWzpG
読み取る読み取らない以前に、隠居にコミュニケーションの意思があるようには見えない。
649 :
旧7 :2009/05/26(火) 00:43:57 ID:sLQwPZtd
迷走をキーワードに、1個貼っておくか・・・。
ttp://nexx.jp/flash/jal123.swf (
ttp://hw001.gate01.com/virtua1994/record.htm )
初めてこのflash見た時は泣いた。
久しぶりに、何年ぶりかで見たが、
今でも、機長の「がんばれ!がんばれ!」には胸が詰まる・・・。
こんな目に遭うとは・・、亡くなった方々は、前世でよっぽどの悪業を積んできたんでしょうね・・・。
【当然の報い】と思ってあきらめなきゃいけないな。悲しんじゃいけないな・・・。
【当事者・関係者に対しては】、口が裂けても【言ってはならない】んでしょうが、
【考え方として】【真理・摂理として】【逃れられないカルマの法として】、
寧ろ、悪業が尽きて良かったね、と思ってあげないと(見做さないと)、やり切れないですよね・・。
【自業自得】なんですよね・・・。 ね?そうですよね?ね?皆さん?
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/26(火) 00:55:47 ID:fMjEWzpG
まったく、釈迦って人はこんなに醜い教義を肯定したんだなあ……としみじみと感じました。
「あの世とか、輪廻、悪業、というものは全て空だ。 そんなつまらない教えを、我が教えの本質と思ってはならない。 こういうつまらないものを追究させないためにも、これらを無記とする。」 と、こういう感じじゃないかなあ…。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/26(火) 01:23:04 ID:fMjEWzpG
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母、横田早紀江さんは 「因果応報」とか言われて嫌な気持ちにされたところに 「この人が罪をおかしたのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」 という聖書の言葉に出会ったのがきっかけでクリスチャンになった訳ですが、 めぐみさんを北朝鮮に攫わさせたのが神だろうと、この解釈をとれば少なくとも めぐみさんを(仮に前世だろうと)悪者にしなくて済む、本人のせいにせずに済むという点でマシだったのでしょう。 業報輪廻というのは、妖怪変化とか死神みたいなもんでしょう。 どんなにろくでもないものであろうととりあえずは説明原理を求めてしまう 人間の精神性の表れ。災害や死そのものと大して変わらない 恐ろしい怪物でも正体が全くわからない不安よりはマシ。 不条理に説明をつけられる点で、めぐみさんを北朝鮮に飛ばす神も無いよりはマシ。 ……というような思考が古代から連綿と続いているということですね。
>>649 まず、カルマについてですが、人を殺したから、自分が殺されるとか、
そういう単純な構造になっているとはどうしても思えない。
ただ、自業自得の概念であれ、逃れられないカルマの法則についてであれ、
他人に使うのでなく、自分のみに適用していくなら、それなりに有用だろうと思います。
自業自得の他にも、働かざる者食うべからずとか、いろんな言葉がありますが、
自分に対して使う言葉であって、人に対して使うと本来の意味が相当損なわれてしまう。
自業自得という言葉は、自分の苦しみを他者や環境のせいにせず、
全部真っ直ぐに受け止め、背負っていくためにあるのであって、
他者を評価するために使うのは、相手にとって酷いという以前に、
自分自身を分別知の世界に押し込めるだけでしかない。
他者が可哀想とかなんとかいうより先に、そういう言葉の使い方をしている自分の心が歪んでいる。
逆にいえば、歪んでいるのは心であって、輪廻とかカルマとかいう概念が歪んでいるわけではない。
こういう話を読んだ時、カルマのせい、輪廻せい、これらの思想や概念が冷たいのだという風に考えると、
自分自身が人をただ評価するような冷たい視点しか持っていない、ということに気づくことが遅れてしまう。
自分の心の冷たさに比べれば、実は思想のことなどは大した問題にはならない。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/26(火) 01:42:40 ID:fMjEWzpG
>まず、カルマについてですが、人を殺したから、自分が殺されるとか、 >そういう単純な構造になっているとはどうしても思えない。 強盗十回で殺人一回分に換算とかそんな感じでしょうか。
>>643 漏尽通については、一般的には、
煩悩が尽きて悟りに至ったという自覚をする能力といわれていますね。
当初は、漏尽通だけか、もしくは三明が仏典に書かれていたわけですが、
後に六神通が書かれるようになって以降は、
漏尽通も宿命通の習得を前提に表現するようになったのではないか、という気がしています。
「常住」が比喩だというのはありうる話です。
南無常住佛 南無常住法 南無常住僧 とかいいますが、
僧など特にですが、常住僧が人間の修行者であるはずもなく、
もうほとんどイデアとして認識しているようにしか思えません。
>>654 行動の意味の部分だけを抽象化した形で
カルマが返ってくるんじゃないかという風に思っています。
この辺は私見なので、どうでもいいのですが、
正当防衛で殺すのと、ウサ晴らしで殺すのとでは、意味が違ってきます。
戦争で人を大量に殺せば英雄になれるとかいいますが、
表面的にどういう理由であれ、本人の憎しみを晴らすために殺し続けていれば、
本人の心が黒くなる。
黒くなれば、その分黒い発言をするようになり、黒い行動をするようになる。
この人にとっての世界が黒くなっていく。
この辺がカルマなんじゃなかろうかと。
658 :
一在家通りすがり :2009/05/26(火) 07:09:32 ID:E/EE63WR
私は自称仏教徒ではありませんので伝統的な経典の読み方は知りません。 だから常識的読み方は知らないので、固執しません。 悟りをえた釈尊は一般大衆、凡夫、低い修行僧、バラモン達に比喩を用いて説かれました。 イエスの布教でも同様でしょう。 釈尊の説法はいつも比喩だと思い込むのは固執でしょう? 対機説法ですから、サーリプタ、アーナンダら高弟には比喩を用いず、そのまま直接に説かれたと考えます。 修業完成者達は真理をそのまま直受して歓喜したことと推察します。 だから原始仏典を読む時には、説法の相手が誰なのか?に注意しております。
659 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 07:16:18 ID:SyQwPuWh
>>652 めぐみさんの母親にとっては、わが子よりも、神やイエスのほうが大切に
なってしまった。
めぐみさんにとって、これほど残酷なことがあろうか。めぐみさんがそのこと
を知ったら、どんなに悲しい気持ちになるだろうか。
肉親間の情愛さえも、人為的な宗教のベールを通してしか見られなくなる。
人間としての自然の感情が破壊される。宗教の最大の病理であり、限りない
害悪である。
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/05/26(火) 07:44:09 ID:TpEqgMwZ
>>656 >>649 で死んだ人達は、正当防衛ではなく、ガチの殺人かそれに匹敵する重罪を犯したということですか。
そうでないなら何が原因だと思われますか。
>>659 クリスチャンになって、めぐみさんのための活動が蔑ろにされたことはありません。
これに「偽善的」理由をはっつけて母子双方を侮辱することが無いよう願いたいものです。
>どんなに悲しい気持ちになるだろうか。
北朝鮮というイカれた世界におかれた人ですから、
苦しいときに何かにすがりたくなる心理に理解を示されると思います。
実際にそれが明かされることになっても、あなたは
気をつかって本心を偽ったんだ、とか裏事情を設定するでしょうが。
この話はここまでです。
661 :
曉 :2009/05/26(火) 07:56:41 ID:P99KhlA9
業報輪廻や霊界やらを宣う輩も北朝鮮もキチガイっぷりではあまり変わらんね
662 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 08:21:35 ID:aX2MmuJ1
「魂の成長」のために、別に前世で罪を犯したわけでなくても あんな目に遭う、とすると「業報」「因果応報」では無くなります。 少なくとも例外的に起こるとしなければ成り立たない。 それでもその例外にも何か理由を考えないといけませんね。
663 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 08:52:51 ID:ybR/9ybM
輪廻・業の概念も現世に限定して考えればそれほど非常識な 考え方ではない。 輪廻は自己の心の持ち方で個の世界が変わるということに 過ぎないし、業は自業自得ということで自由と自己責任の考え方だね。 だから、釈迦は現世に限定して輪廻・業からの解脱を説いたのだろう。 インドの宗教・思想・哲学はすべて輪廻・業からの解脱を人生目標として 説くが、これを現世に限定した実存主義が釈迦の思想の目新しさだろう。
>>660 >
>>649 で死んだ人達は、正当防衛ではなく、ガチの殺人かそれに匹敵する重罪を犯したということですか。
そうとは限らないと思います。
> そうでないなら何が原因だと思われますか。
個々人によってまったく事情は様々なんじゃないかと思います。
最初にも書きましたけど、カルマについて考えるのは自分のことだけで十分です。
原因を考えるより先に、人に対する「批判的視点」をなんとかしないと、
結局、原因自体も本当にはよく見えないはずです。
>>659 > めぐみさんの母親にとっては、わが子よりも、神やイエスのほうが大切に
> なってしまった。
それはあなたの家庭の話では?
>>659 肉親愛は、単なるエゴなんだよ、ボケ。
ま、おまえら凡夫には、真理の愛は、理解できんだろうな。
666おめ
>>520 肉体的行動本能である愛なんてのは、獣の本能である、単なるエゴなんだよ。
ところで総合失調症はどうみてもおまえのほうなんだがな。
少なくとも自分のエゴを一方的に押し付けて、会話の成り立たない引き篭もりのおまえは、
発達障害のかたわなのは、確実だからな。ゴータマも、エゴに過ぎない
肉親愛は否定し、自分のサンガに三に参加する者は、家族の絆をきらせ、
当時の社会に以前のオウムのように問題を起こした。おまえには、ゴータマやイエスの
説いた真理の愛は理解不能だろう。おまえ、典型的なゴイムだからな。
ちなみbに俺がこいつに不快感を感じるのも、獣の本能、エゴである。
669 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 11:00:45 ID:ybR/9ybM
>>652 >神のわざがこの人に現れるためです。
神はどうしてそんな意地悪や悪いことをするんでしょうね。
寿命いっぱい生きさせてあげればいいじゃん。
アートマンとは、生命と言う意味でOKだ。事実語源もそうらしいからな。 そしてキリスト教のテーマは、永遠の命だ。 隠居の能書きは、キリスト教の劣化バージョン。唯物論者がキリスト教を 語ると、ああなる。 ところで、自称仏教徒の似非仏教徒さんたち、ゴータマはこの現象世界は 無常を説く傍ら、常駐だとも説いた。この矛盾を説明出来る者がいるか? ま、いてもお得意の言葉遊びでしかない中論を使った、不可知論でしかない、 詭弁論でお茶を濁すのがおちだろうがな。いっとくが実質的には何も意味も無い、 ただの言葉遊びでしかない、詭弁論でしかない不可知論は、ゴータマは、 はっきりと外道だと言っている。中論を元に、中道を使った表象上の言葉遊びでしかない 詭弁が仏教だと思ってるおまえら池沼は、ゴータマははっきりと外道だと言ってるんだよ。 たく、自分達の能書きは単なる表象上の言葉遊びに過ぎないことも気づかないで、 得意げに中論をベースに言葉遊びを得意げに語るこいつらは、みていてとても 滑稽だ。こいつらは、アホ過ぎるだろ。
671 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 11:05:09 ID:ybR/9ybM
>>655 >南無常住佛 南無常住法 南無常住僧 とかいいますが、
これは単に釈迦の教えを誤解してるだけじゃないのかな?
ナーガルジュナならそういうだろう。
672 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 11:08:39 ID:ybR/9ybM
中論は不可知論じゃないよ。きわめて論理的に妥当な論だ。 自分が理解できないからといって何でも不可知とするのはよくない。
>>669 神の業とは因果応報のことだ。本来神に似せて造られた我々は
本来、神そのものだからね。たしかにその男の今の肉の自我はなにもしていないが、
業は回っている。
真理とは二元のものでは無く、一元のものであり、縁起によらず、単独で存在
するもの。単独で存在しているものは、一相であり、無相。それは無自性ではなく、自性。
それは、相対ではなく、絶対。人は一元ののものを二つに分けた、その結果
私とあなたがいて、肉の自我が生まれた。同時に生と死が生まれ、人々の間に死が
入り込んだ。復活とは、元から在る本当の自分自身を取り戻すことである。
本来神に似せて造られた我々「人」は、神そのものなのだから。
>>672 おまえらの能書きは理解している。単なる言葉遊びだ。
中論を書いた奴は馬鹿だ。善と悪も無い中道は、あくまで言葉で表現するなら、
一元のせかいでのみ、通用する話だ。それをいくら二元世界で屁理屈
こねくり回して理屈が通ったように能書き垂れて、この世界は中道だべ〜と
話しても、それはただの言葉遊びにしかすぎない。ちゅうか君らの話は理屈すら
通ってないけどね。
君らが得意げに語る中道は、単なる言葉遊びにしかなっていないことすら
気づかないで、はなしているなら、君らは相当な池沼だよ。まさkに馬鹿に付ける
薬は無しだ。
675 :
一在家お昼休み :2009/05/26(火) 12:04:35 ID:YCHRGqOM
>カラスの唄さん 出典:死海文書:(エッセネ派ユダヤ教)全ての人に光の霊と闇の霊が宿る 人は神の似姿の神の子ですが、闇の霊も宿しているそうです。 必要悪を宿された人のミッションはいかに? これは、原始福音書でも原始仏典でも、まだ記載箇所が発見できておりません。 混乱しますので本ネタはまた見つかった時にアップします。
676 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 12:31:05 ID:VPdwez+7
>>664 >そうとは限らないと思います。
中には何人かそういう人もいた、と。
なんだか、仕組みをブラックボックス化することにより、
断言してしまうことで生まれる印象を緩和させる解釈に見えます。
人間には想像も及ばぬ、至高の神のお計らい、みたいな。
678 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 18:22:29 ID:SyQwPuWh
仏教哲学は、古今のいかなる西洋哲学も遠く及ばぬ「大哲学」である。 仏教者なら、「仏教哲学」を語り、論じたらどうか。 「輪廻転生」は、単なる仮想事実の記述に過ぎず、「哲学」ではない。
679 :
神も仏も名無しさん :2009/05/26(火) 18:37:03 ID:VPdwez+7
680 :
旧7 :2009/05/26(火) 22:03:49 ID:sLQwPZtd
>>676 「過去世の悪業のせいで命を落とした」
という、「事象の解釈」があったとする。
『そうかもしれない』し『そうじゃないかもしれない』。『知り得ない』領域に属している。
この時、或いは不確定な事象の時、
・だったら、【『そうかもしれない』、と受け止めて生きていくべき】というのが、
過去世の悪業肯定派、及びキリスト教、及び伝統的仏教諸派、
(→「だって、もし、そうだったら大変じゃん!」的に・・。)
・だったら、【『そうじゃないかもしれない』、と受け止めて生きていくべき】というのが、
過去世なんて無視しとけばいいじゃん派、
(→「たぶん、関係ないよ。大丈夫だよ。今の方がずっと大事じゃん」的に・・。)
・【『知り得ない』なら、関わらずに、考えずに、目の前の現実を如何に受け止めるべきかに目を向けるべき】
というのが、禅的及び現代(唯物)仏教派、
(→「たとえもし、過去世の悪業なるモノがあったとしても、
今、目の前の事象に対する態度が、姿勢が、そのまま、“それ”の解決になり、
未来への、向上への、善の積み重ねになってゆく筈だ」的に・・。)
って感じ?
けど、ブラックボックス化するという手法(テク)は、良い面もあるんじゃないかな・・・。
どんなラベル(解釈(解説))を表に貼るかは重要かもしれんけど・・・。
681 :
曉 :2009/05/26(火) 22:30:59 ID:P99KhlA9
中論を言葉遊びだの詭弁だのと言ってる時点で論破されてるように見える (笑)
682 :
旧7 :2009/05/26(火) 23:21:24 ID:sLQwPZtd
ここでは、たぶん誰も反応しないと思うので・・w
>>619 tp://miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba064.shtml
>>682 さんくすこ。なんとゆー記憶の谷間w
月曜深夜はオールナイトニッポンだったなー。そういえばw
684 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/05/27(水) 00:10:51 ID:+9xt5WPM
>>678 ゴータマの仏教が単なる哲学だと思うのは、おまえの願望でしかない妄想。
明らかに、業法による輪廻転生をうたっているゴータマの仏教は、哲学ではなく宗教。
仏教を単なる哲学にしてしまっている禅宗などは、
宗教を名乗り、在家から布施などもらうべきではない。
てか、ゴータマは、断滅論でしかない唯物論者は、はっきりと外道だといってるんだから、
おまえら唯物論者は、仏教を語るなよ。おまえら、そんなこともわからない池沼なんだな。
685 :
旧7 :2009/05/27(水) 00:31:31 ID:hEbVfRvl
>>684 いいかげん、「自性を認めるかどうかが分水嶺」だと気付いたらどうですか?
自性を認めれば、貴方や宝珠氏の立場となるし、唯物論とは対極でしょう。
反対に、
自性を認めなかったなら、真言氏や中観、或いは石飛信者の立場となるし、唯物論との“手打ち”も可能となる。
中論どうこう以前に、まず、
「“自性”とは何か?」、そしてそのような「“自性”はあり得るのか?」
ここのみに特化して議論したら如何?w
686 :
旧7 :2009/05/27(水) 00:41:43 ID:hEbVfRvl
さて・・、宝珠も在家も、暫くまともな書き込みはせんだろうな・・。 じっくり拈提せなならんだろうし・・・w (カラスは耳タコ内容の一発だけで、あとはジャブばかりだし・・・w) おやすみ ノシ
>>670 > ところで、自称仏教徒の似非仏教徒さんたち、ゴータマはこの現象世界は
> 無常を説く傍ら、常駐だとも説いた。この矛盾を説明出来る者がいるか?
できるとはいいませんが、ゲームに参加するつもりで。
あらゆる物質はエネルギーによって成立っているので、
全は一、一は全が成立する。(要するに万物は関わり合っている、縁起。)
その場合、相は生滅するが、エネルギー自体は不変。
相についていえば無常。構成要素であるエネルギー自体は常住。
688 :
カラスの唄 :2009/05/27(水) 01:32:53 ID:+9xt5WPM
>>681 ほう。俺のどこがどう論破されているのか、論理的に説明してもらおうか。
できなきゃ、おまえの負け。ちゅうか、おまうらは、
唯物論者が中道を語ったところで、言語上の遊びでしかない、
偽論にしかならないってことにも気づかないほどの池沼なんだな。気の毒にのう。
689 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 01:50:29 ID:+9xt5WPM
>>685 だから、おまえらの中論をベースにした中道論は、
ただの言葉遊びでしかない、偽論だから、話にならないと言ってるんだよ。
理解力の無い人だ。おまえらの中道論はただの言葉遊びだ。
そんなことも理解できないんだな。
前にも書いたが、中道とは、あくまで、一元の世界でこそ、通る話だ。
日頃言葉遊びばかり考えている君らのオツムじゃ難し過ぎる話しかい?(苦笑)
690 :
カラスの唄 :2009/05/27(水) 02:43:12 ID:+9xt5WPM
>>685 ちゅうか、ゴータマは、唯物論者ははっきりと外道だといっているんだから、
君ら禅宗は、仏教の看板下ろせよ。君らは宗教じゃなくただの
哲学(それも糞の役にも立たない、ただの言葉遊び)しか語っていないんだから、
在家を募って、布施を巻き上げるなよ。ちゃうか?
君らの結論は、結局なーんも無いんだから、それで金取るなんて、不正なんだよ。
自性を説けば縁起を否定したことになり、仏教ではなくなる。 ゆえに無自性を説かなければ、バラモンの有我思想を否定した釈迦の無我つまり 縁起が説けなくなる。ゆえに釈迦は「自性はない」と言い、縁起を説いた。 自性を認める常住論者は仏教徒ではなく、仏性を認めるシナ仏教および 日本の仏教は釈迦の教えではない、となる。 ただこの教えでバラモン教を否定したらどうなるか。 バラモン僧はたちまち仏になるのだということに気づかなくてはならない。 あくまでも、方法論としてだけども。よって、涅槃はあの世や輪廻があって、 つまり魂はあるのであり、仏教は宗教として成立するのである。
>>691 > ただこの教えでバラモン教を否定したらどうなるか。
> バラモン僧はたちまち仏になるのだ
ここがよくわかりません。詳しく。
まず、禅の百丈野狐の話にしても、断見をしたことにより、野狐になったというわけで、 百丈和尚が常見を説くことにより、野狐が輪廻を脱したとあるが、その後に山の奥で 狐の死骸があったと。しかしながら、この話だとあきらかに「迷いを断ち切れ、 断見も常見もないのだ。死んだら屍になるだけだ。以上。合掌」。みたいな話なわけで、 そもそも魂なんぞあるか、となる。 つまり常見も断見も空にはならないわけです。 こういったことを修行としてバラモン僧に釈迦は教えたともいえるのです。 しかしながら無我の教えで仏教が無霊魂となるのは間違いなのです。
694 :
カラスの唄 :2009/05/27(水) 05:58:01 ID:+9xt5WPM
>>691 自性を肯定しても縁起の否定にはなんねぇよ、ば〜か。
自性は、縁起を生み出した、全ての根源だと言ってるんだよ。
ゴータマは、自性(アートマン)は無いとは言っていない。
ただ、縁起してなるものには、自性(アートマン)は無いと言っているだけだ。
君らはそんなことも理解出来ないんだな(哀)
完全な無からは何も生まれない。全ての始まりに自性を置かないと、
今の宇宙の始まりの前にはなにがあった?その前は?と、堂々巡りになり、
説明出来ない。自性とは、生まれ得ず、滅することもない。始まりも無ければ、終わりも無い、
元から在って、縁起に依らず、単独で在る、存在。
始まりも無ければ、終わりも無い、元から在る存在というものは、
二元世界を生きる我々の、知識領域を超えている。
しかしここの自称仏教徒達の盲目度をみろ。日頃キリスト教徒をバカにしていても、末法仏教徒の
レベルなんて、こんなものだ。今の教会の教える幼稚なお伽噺を信じる、幼稚なキリスト教徒でも、
純粋に、至高の存在を信じている分だけ、まだ救いようがあるが、
屁理屈ばかりこねくり回している、単なる唯物論者の君らは、救いようがない。
日頃、屁理屈ばかりこねくり回しているので、筋の通った話しは、まるで理解不能なのが、
観察していて、まことに笑える。君らはある意味気の毒な人達だよ。
>>694 単独で「A」が存在するということは、一切外界が存在せず、それしかない、ということを意味する。
もし外界がAにとって外界として存在するなら、
その外界とAとが外界-内界という関係性をもっていることになってしまう。
相互に関係性があるということは、お互いに影響を受け合っているということを意味する。
お互いに影響を受け合っているということは、単独では存在しないということである。
従って、単独で存在しうるものは「宇宙全体」のこと以外では多分ありえない。
>>695 君は頭がいいね。そこに、ゴータマは、この現象世界は、
無常を説く傍ら、常駐論を説いた矛盾を解くヒントがある。
>>694 > 完全な無からは何も生まれない。全ての始まりに自性を置かないと、
> 今の宇宙の始まりの前にはなにがあった?その前は?と、堂々巡りになり、
> 説明出来ない。
全ての始まりに自性があったかもしれないが、
自性を置かないと説明できないというのは人間の都合でしかない。
説明できないことが、自性の存在理由にはならない。
> 始まりも無ければ、終わりも無い、元から在る存在というものは、
> 二元世界を生きる我々の、知識領域を超えている。
二元世界というのが何を指しているかは、この文章からはハッキリしないけれども、
そういう存在が我々の知識領域を超えているのはまず間違いない。
なぜならば、我々の知識は(基本的に)有限だから。
698 :
一在家通りすがり :2009/05/27(水) 07:10:21 ID:DpzXf9dx
ブラフマンの似姿、分身がアートマン。 仏の眼でエネルギー、素粒子を見れば常住。 エネルギー、素粒子の組み合わせの相は相対的で無常。 まして知覚できる存在は有限で無常。 修業完成者のサーリプッタは五感を超えていたので常住を直受できて歓喜した。 真理はシンプルですか。
699 :
宝珠愚者 :2009/05/27(水) 07:44:16 ID:VO1JyWC5
>>620 真言氏の復活?
詳しく有難うございます。
「初期仏典に見られる常住論, 断滅論, 無因論, 及び縁起説からの批判」についても、
後々、じっくりと読ませて頂きます。
>>629 >宝珠愚者さん、看板だけで、内容も見抜けるものですよ。
はぃ、
自称「最終解脱者」(麻原)とか自称「再誕の仏陀」・・・などいう
この自称なんたら〜〜とかいうのは“メッキ”ですねぇ。スグに剥がれる。
目が効く人にはメッキも判別できます。
しかし、大体の不慣れな人、つまり宗教世界に無知な人は
自称専門家からメッキを本物だと説明されるとかなり間違うものと思います。
(どうやら旗揚げ選挙の宣伝にきてるようですが・・麻原も選挙出てたね)
700 :
宝珠愚者 :2009/05/27(水) 07:46:33 ID:VO1JyWC5
>>608-610 大変、詳しく有難うございました。
旧7さんがいいたいことはよく分りました。
>その設問で4番を答えた者が「完全な」「ガチムチな」唯物論者かどうかは、
>その設問では判らないだろ? この時点で既に恣意的じゃないかwww(→588の(…3)の部分ね)
>『「死後の世界は無い」と考えるのは唯物論者しかいない!それ以外あり得ない!』とね・・w
すみませんが、どうも意味不明です。
「死後の世界/4決してない」は完全な唯物主義者以外には到底、考えられませんが?
肉体の死後は生命(意識)の存続を一切、認めないというのが唯物主義です。
まさか、「神は信じるが人の死後は終わり」なーんていう話は、
この私は聞いたことがありませんので・・。
ま〜旧7さんご指摘の通り、
確かに11.8%というのは、私も思ったよりも多いという印象を持ちます。
これはつまり、彼ら少数派は普段わざわざ荒波を立てることを控えて自己の見解を押し殺しており、
このようなアンケートで自己の意思を示したという可能性が伺えるように思います。
>>694 いろいろ理屈をこねて、仏教を装っているが、ようはバラモン教にすぎない。
702 :
宝珠愚者 :2009/05/27(水) 07:52:19 ID:VO1JyWC5
>>649 旧7さんからのこのような投稿をこれまでも度々、見てきましたが・・。ちょっといわせて貰います!
あなたの優しい気持ちは、もちろん私にも分ります。しかし、ハッキリというと・・仏教というのはその
ような“感傷に浸る”宗教ではないです。
読者から批難..轟々となることを承知でいうと、人は死ねばただの屍に過ぎないのであり、遺体など
は有機物の塊に過ぎない。やがて時間の経過に伴って各諸元素へと帰するだけでしかない。
これが無常ということであり、そのため仏教(原始初期教団)では本来、葬儀すらもしなかったのです。
遺体の死肉を野獣が貪り、残り肉には蛆虫が湧き、やがては白骨と化す。仏教の姿勢はこの事実に
端的に示されています。
もちろん、できればそのような悲惨な悲劇はないほうがいい。恐怖と絶望、壮絶な苦しみを伴う非業
な死。そして遺族も大変な悲しみを持つことになる・・。
けれども、この現象界における世俗世界の幸せなどは束の間に過ぎず長くは続かない。また、どんな
悲惨な出来事が襲ってくるやもしれない・・そんな不安な世界なのです。---だからこそ、早くそのような
境地を脱するように---と、仏教では輪廻からの解脱を説き、ニルヴァーナという絶対境地に到ることを
薦めるのですよ。
>>680 >「過去世の悪業のせいで命を落とした」という、「事象の解釈」があったとする。
>『そうかもしれない』し『そうじゃないかもしれない』。『知り得ない』領域に属している。
確かに、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」・・。けれども重要なことは、そういうこともあ
ると見なすのが仏教の基本的な理解です。
『(3)殺す人は殺され、怨む人は怨みを買う。また罵りわめく人は他の人から罵られ、怒りた
ける人は他の人から怒りを受ける。(4)この正しい教えを聞くのでなければ、真理を識ることが
できない人々は、誰か他人に対して怨みを結ぶ。---人生はこのように短いのに。』
(ウダァーナヴァルガ14-3.4)
703 :
宝珠愚者 :2009/05/27(水) 08:08:52 ID:VO1JyWC5
>>666 >肉親愛は、単なるエゴなんだよ、ボケ。
>>668 >ゴータマも、エゴに過ぎない肉親愛は否定し、自分のサンガに三に参加する者は、
>家族の絆をきらせ、 当時の社会に以前のオウムのように問題を起こした。
カラスさんの指摘は正しい。
可能な者には出家が強く推奨されたのは間違いない。
『妻子も父母も、財宝も穀物も、親族やそのほかすべての欲望までも、
すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。』(スッタニパータ60)
けれども誤解する輩がいるといけないので一応、この経も載せておきます。
『みずからは豊かに暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、
──これは破滅への門である。』(スッタニパータ98)
『母と父とは梵天とも言われ、先師とも言われる。子らは供養すべきもので、また子孫を愛する者
である。だから賢者は食物と飲料と衣服と坐床と塗身と沐浴と洗足とを以って、父母に敬礼し尊敬
せよ。このように父母に仕えることを以って、この世ではもろもろの賢者が彼を称賛し、また逝かば
彼は天上に楽しむ。』(アングッタラ・ニカーヤT,p.132)
704 :
宝珠愚者 :2009/05/27(水) 08:11:18 ID:VO1JyWC5
>>694 >ゴータマは、自性(アートマン)は無いとは言っていない。
>ただ、縁起してなるものには、自性(アートマン)は無いと言っているだけだ。
そう思います-絶賛!!
>>701 俺の話のどこがバラモン教なのか、説明してもらおうか。
俺はヴェーダの真我を誤謬していた当時のバラモンの説く、
永遠不滅の魂の話なぞしていないぞ。むしろ縁起でしか成らない
魂などは、自性ではなく、無自性だと言っている。
永遠の命とは、むしろこの魂を解消させたさきにあると前から言っている。
そもそもバラモン教のベースとなった、ヴェーダを知ってて、おまえ
能書き垂れてんのか?いっとくがゴータマは、ヴェーダを否定していない。
否定しているのは、外道の癖に仏教を名乗っている、君ら末法仏教徒だけだ。
ゴータマは、ただ、ヴェーダを誤謬していた当時のバラモン達の間違いを
正したに過ぎないんだよ。
ちゅうかお宅はレベルが低すぎて、話にならないな。
>>704 元々は真理を説いたはずのゴータマの仏教でありますが、
なぜか現代、真理からもっとも遠くにいる唯物論者の巣靴に
成り下がるとは、皮肉なものですね(苦笑)
707 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 08:24:44 ID:Hc/r+vY5
>>673 >神の業とは因果応報のことだ。
この一言で仏教を理解していないことがばればれだね。
議論するなら先ず相手の立場に立てることが最小条件だね。
相手と同じ立場で論争できてこそディベートが成立する。
>>701 ついでにいうと、俺は、ブラフマンの正体も知っているし、
ブラフマンより上の存在も知っている。また、俺は梵我一如の話もしていない。
女は、自らを男にしなければ、命は無い。女は男の前では黙っていなさい。
なにが梵我一如だ。俺の話のどこがバラモン教なのか、説明してもらおうか。
709 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 08:34:30 ID:Hc/r+vY5
>>670 >ゴータマはこの現象世界は無常を説く傍ら、常駐だとも説いた。
ゴータマがこの現象世界が常住(常駐は間違い)と説いたことがあるの?
諸行無常は仏教の法印だけどな。
常住なのは無為の法だけ、と説いたのではないか。
>>707 だからどこがどう理解していないのか、論理的に説明してみろよ。
ただ違う違うというだけなら子供でも言えるぜ。
おっと、ゴータマはなにも神を否定していない。仏典に出てくるのはほとんど
神ではなく、神々だけどな。おまえにはその違いは理解不能なんだろう。
711 :
宝珠愚者 :2009/05/27(水) 08:44:49 ID:VO1JyWC5
>>706 残念ながら同感です。
もっとも真理から遠いところ---非真理(非霊的)---にあるのが、
彼ら自称仏教徒(唯物論者)たちです。
712 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 08:48:02 ID:Hc/r+vY5
>>698 >修業完成者のサーリプッタは五感を超えていたので常住を直受できて歓喜した。
仏教ではもともと五感による五識だけでなく意による意識も説いている。
受想行識がこころの働きだろう。仏教で常住なのは無為の法だけだね。
択滅=涅槃を知るのは仏教修行の目標でもあるだろ。即身成仏は歓喜なんだろ。
>>709 おまえアホか。無為の法も所詮、今の宇宙が終われば共に終わる定めのものだ。
これのどこが常住なんだよ(爆笑)まさか今の宇宙は永遠不滅だとでも思ってんの?
ならばおまえは仏教を理解していないことになるな。
一切法無我。一切行無常。これは仏教の教えの根幹だ。無為の法は常住?
ゴータマはそう説いた?おまえ、仏教を何も理解していないんだな。ちゅうかスレを
よく読んでから、義論に参加しろよ。ゴータマは、常住論も説いているんだよ。
714 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 09:17:38 ID:Hc/r+vY5
>>713 やれやれ、無常と無我の違いもわからないのか。
無為法が無常でないのは無為の定義からあきらかじゃ。
有為法はすべて無常でありその有為の否定として無為がある。
無為法が無我であるのは当然だね。もちろん有為法も無我だね。
すなわち我である法はどこにも無い。これが仏教だろ。
715 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 09:20:20 ID:/vpMSE9K
>>699 以前に警察官についての本を読んでいたらあったのですが、
犯罪対策のために詐欺師にどんな相手をだますのか、と聞いて見たら
「自分はそんなものに騙されない」と考えている人、
と答えが返ってきて警察の皆さんはびっくりしたそうです。
隠居は変な自負心に惑わされてカモにされそうで心配です。
むい 【無為】 (3)〔仏〕 因果関係に支配される世界を超えて、絶対に生滅変化することのないもの。 すなわち、涅槃(ねはん)・真如(しんによ)といった仏教の絶対的真理のこと。無為法。ぶい。
>>714 わかってないおはてめぇだろ。
まぁいい、お宅の無為の定義とやらを聞かせてみろよ。
ちゅうかお宅、言い逃げばかりで、話にならんよな。
今回は逃げずに答えてみろよ、卑怯者。
718 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 09:26:07 ID:Hc/r+vY5
仏教で無為法に属するのは虚空だけだね。 宇宙は時空のすべてだから虚空とは別だ。 仏教ではもちろん時間は有為法だね。 時間が不変では論理矛盾だから。 ただ、仏教で無為法と考えていた虚空も現在の ビッグバン宇宙論からすれば有為法となる。 法もまた時代とともに変わる。
>>716 おっとそういう意味か。おれはてっきり、辞典に載ってる
無為の意味だと思ったぜ。そいつは失礼した。
720 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 09:42:10 ID:Hc/r+vY5
>>685 >「“自性”とは何か?」、そしてそのような「“自性”はあり得るのか?」
だから、それだけを議論すれば中論そのものにしかならない。
やはり説一切有部の「三世実有・法体恒有」がブッダの説法のどこから出てきた
のか追いかけるほうが仏教を理解しやすいのではないか?
>>718 >仏教で無為法に属するのは虚空だけだね。
それが違うんだよ。君らが無だとか虚空だとか言ってるのは
キリスト教のいうところの安息日に過ぎない。それは一つの完成だ。
君らは、ゴータマが悟りを開いたとき、七日間その境地にいたという
エピソードも、座を崩し、明けの明星をみたとき、ゴータマは全てを悟ったという
エピソードの意味を全く理解しない。
>>718 > ただ、仏教で無為法と考えていた虚空も現在の
> ビッグバン宇宙論からすれば有為法となる。
> 法もまた時代とともに変わる。
それはカラス氏が指摘していた内容では?
という気がしないでもない。
723 :
一在家通りすがり :2009/05/27(水) 10:03:26 ID:wkaA+ur2
釈尊の予言の通り、末法の世には似非仏教徒ばかりに なりますね。 ズバリ的中! プロでなく在家から正法を思い出す者が現れるという 予言をした経は無かったですか? 「在家から正法を思い出す者」の正体は多分、前々々々世 で釈尊のそばにいた修行者かも知れません。 彼らのアートマンに記憶が残っていますから強く確信できます。 もう、中国坊主達のマインドコントロールからの解脱者が 増えつつあることを嬉しく確認しましたよ。 以上、私が通りすがったミッションでした。
>>723 一応、お伺いしたいのですが、
あなたが「在家から正法を思い出す者」なのでしょうか?
725 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 10:13:33 ID:Hc/r+vY5
今のロケット技術ではまだ弥勒菩薩の世界までは遊行できないからね。 釈迦の予言どおりの時間を待つしかないかな?
>>721 > >仏教で無為法に属するのは虚空だけだね。
> それが違うんだよ。君らが無だとか虚空だとか言ってるのは
> キリスト教のいうところの安息日に過ぎない。それは一つの完成だ。
> 君らは、ゴータマが悟りを開いたとき、七日間その境地にいたという
> エピソードも、座を崩し、明けの明星をみたとき、ゴータマは全てを悟ったという
> エピソードの意味を全く理解しない。
この辺は全く理解が及びません。よかったらおしえてください。
>>725 56億7千万年も経つと、たぶん地球は太陽に飲み込まれるか、
死滅してしまうわけですがw
比喩的に理解するしかないんじゃないかと。
西方極楽浄土とかも物理的に理解するとかいうよりは、
曼荼羅的に理解するとかしかないでしょうしね。
>>726 探す者は見出すまでやめてはならない。見出すときに、
彼は当惑するであろう。当惑してさらに彼は驚くであろう。その時、
彼は天地万物を支配する。
日で満ちた老人は生命の場所について7日の幼な子に
問うことを躊躇してはならない。
そうすれば彼は生きるであろう。多くの最初の者は最後となり、
そして彼らは単独者として生きる事になるであろうから。
私は初めであり、終わりである者、私は輝く明けの明星。アルファでありオメガである。
あとは自分で考えな。あんたが本気で求めるなら、答えは見出す。
門を叩け。求めよ。探せ。求める者は与えられ。探す者は見出し、門を叩く者は、開けてもらえる。
ゴータマも死ぬほどに求めた。だから与えられたんだよ。
兄弟よ聞け。私はルシフェリアンである。
>>728 レスありがとう。
> 日で満ちた老人は生命の場所について7日の幼な子に
> 問うことを躊躇してはならない。
これが厳しいですね。私はここで完全に停滞しています。
口では求めているといいながら、心が完全に「もういい」といっている。
自分を捨てられないから、「当惑」の予感が、自分にとって耐えられない。
情緒的にひどく後悔懺悔するとか、完全な苦境に陥るとかで奮起するとか、
そういうことが必要な気がします。
730 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 11:09:37 ID:pw+ox30R
>>715 >「自分はそんなものに騙されない」と考えている人、
>と答えが返ってきて警察の皆さんはびっくりしたそうです。
現実上の根拠皆無な、大昔の開祖や経典に、完全に騙されているのが、すべて
の宗教信者。
「騙される」「妄想」とはは、「現実と合致しない」という意味ですよ。
宗教者は、開祖・教祖・経典の言葉の一つ一つを、「現実界」と照合して検証
し、合致しない要素は躊躇無く放棄すること。さもなければ、「騙される」こと
になります。
「現実界」とは、「(必要な場合には観測装置を使って)五感で知覚できる
世界をいうが、知覚された人間の本能や自然の感情も含む」。人間は、現実界
を離れれば一瞬も生存は不可能なので、考えること自体が、初めから無意味
です。
731 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 11:14:14 ID:pw+ox30R
>>723 >釈尊の予言の通り、末法の世には似非仏教徒ばかりに
>なりますね。 ズバリ的中!
その似非仏教徒の典型が、「イエスや唯一神を否定できない仏教徒」や
大川隆法。
>>731 末法の世の似非仏教とは、唯物論者が、仏教を唯物論的にアレンジして語る
おまえのような人のことを言うんだよ。肉親愛の執着。五感に感じるこの世界こそが
現実などとおまえの能書きは、仏典に出てくる悪魔、バービマンそのままだしな。
おまえ、いっそのこと、悪魔バービマンってハンドルで書き込めばどうだ?おまえに
ぴったりのハンドルだと思うぞ(苦笑)
おまえの能書きはどうみても外道なのに、必死で仏教のつもりでおまえオリジナルの
能書き垂れ流してる様は、観察していて、とても滑稽だよ。
ちゅうか、層化は、仏教を語るなよ。発達障害の吉外が。
733 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 11:34:55 ID:pw+ox30R
>>685 >「“自性”とは何か?」、そしてそのような「“自性”はあり得るのか?」
すべては、関係性によって成り立っているから、「"自性"はないし、あり得ない」。
逆に言えば、「関係性の塊としての"自性"はある」。
しかし、「自性があるかないか」を・認識・思考しているのは、各人の「生命
の機能」だから、「生命のみは、自性がある」。というか、生命に自性が
あるかないかを、同じ生命を以って判断することは出来ない。判断主体と判断
対象とが同一であるから、判断は初めから成立せず、ナンセンスで不可能だか
らである。
734 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 11:46:02 ID:pw+ox30R
>>732 既に、宗教によって「騙されている」君が、何を言っても無駄w。
そもそも、肉親愛や現実界がなければ、釈迦もイエスも宗教信者も、
この世に存在し得なない。
キリスト教的に言えば、創造主が創ったのは、「肉としての人間」
「具象物としての自然」のみである。肉を離れた「精神性」や、具象
を離れた「仮想現実」ではない。創造主は、「人間が、自然を離れて
神のようになり、勝手に善悪の観念を造り上げること」を「原罪」と
して戒めた。イエスもパウロもクリスチャンも、勘違いしまくりである。
735 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 11:52:52 ID:yoP/rcZM
私は貴方に宗教者と同じものを見ています。
中身ではなくあらかじめ貼り付けたレッテルでものを判断する点です。
中村氏や水野氏に対しても研究内容に言及することもなく念仏を繰り返していましたね。
>>730 そして宗教をやめることです。宗教者であってはいけません。
伝統や権威だけは引き続いて利用する、ということはあってはいけません。
仏教徒なら仏陀を騙す者とみなし、彼の教説に従うことをやめる事です。
あなたのレスを見るに、説いてる本人が真実と捉えているかどうかは無関係のようですし。
736 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:03:06 ID:Hc/r+vY5
>>727 >56億7千万年も経つと、
人類は銀河系から脱出してトソツ天に移住してるかもね。
兎に角、未来のことは誰にも断定できない。
737 :
曉 :2009/05/27(水) 12:10:01 ID:9eTiKjSs
>>688 そう見えただけ
論破されてるとは書いてない(笑)
敏感で香ばしいやつだな(笑)
>生命に自性が >あるかないかを、同じ生命を以って判断することは出来ない。 アホかおまえ。おまえはおまえ自身、おまえだと認識できねぇのかよ(爆笑) さすが吉外だな。寝言は寝てから言えや。ちゅうかおまえの話など、誰も真面目に 聞いてねぇし。引き篭もりはなんらかの精神的な欠陥を持っているから引き篭もっているものだ。 それはこいつらの負の業によるもので、いこいつら相手に法を語るほど馬鹿らしいものは無い。 2chはすぐに、強すぎる我によって他人とまともなコミニュケーション能力の無い引き篭もり共の 井戸端会議の場になるから使えない。こいつら発達障害の引き篭もり共には、法を語るには 値しない。こいつらの暇つぶしの相手にするほど下らないものはない。
739 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:11:16 ID:pw+ox30R
>>735 人間が、すべての人間の生命とそれを支える現実界(自然)に最大の
価値を認めることは、如何なる意味でも「宗教」ではない。人間界の
成員一人ひとりの「至上の義務」である。
釈迦を、後世の人々が、彼の教えを「盲信」せず、それに「ヒント」を
得て、あらたな思考を生み出すことに怒るような「狭量な」人間にした
いのかね。まさに、「自灯明・法灯明」と言い切った釈迦の、本当の意図
ではあるまいか。さもなければ、釈迦の教えは、人間の思想の発展を阻む
「障害物」以外の何物でもないではないか。
740 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:13:18 ID:Hc/r+vY5
>>733 >「関係性の塊としての"自性"はある」。
関係性の塊なら現象であって自性ではないでしょう。
>「生命のみは、自性がある」
生命とは動的平衡だという。つまり生命は無常であることで生きている。
自性があれば無常は成り立たない。
常に変わり続ける自己であることがすなわち生きている自己の生命だ。
741 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:16:20 ID:pw+ox30R
>>735 中村氏も水野氏も中沢新一も、「オウムを生み出した」という結果に
ついては責任がある。そのような結果が生じないよう、充分に配慮する
義務があった。それが、指導的立場にあるすべての人間(宗教の開祖を
含む)の義務である。
742 :
一在家通りすがり :2009/05/27(水) 12:18:53 ID:wkaA+ur2
>あなたが「在家から正法を思い出す者」なのでしょうか? 私はまだ思い出しておりません。 ただ私の祖父は寝ると、ケイシーみたいに仏説を話す人でした。 起きても記憶はなく、仏教の本もまったく読まない方でした。 祖母は枕元にノートを置いて、それを記載しており、数冊分になりました。 近所の坊さん達も仏説の出典は不明だとのことです。 毎晩、近くの地蔵さん達がよく訪れて、祖父のアートマンとよく対話して おりました。 寝言で漫才みたいなものです。 地蔵さん達は、祖父が釈尊の弟子だった頃の名前を「ナンダ」と 呼んでましたね。 そんな弟子はおりましたか? あまり、出来の良い弟子ではなかったようで、釈尊からよく叱られて いたそうです。 いつか私もハンドルを「ナンダの孫」としましょうか?
743 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:22:14 ID:Hc/r+vY5
>>735 >伝統や権威だけは引き続いて利用する、ということはあってはいけません。
そうですね。それが自己をよりどころとする、他人をよりどころにしない、ということです。
>仏教徒なら仏陀を騙す者とみなし、彼の教説に従うことをやめる事です。
誰が説いたことであろうとそれが「法」であるなら従うべきでしょうね。
法なのか非法なのか自己判断してね。
744 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:22:40 ID:yoP/rcZM
薦めるような言い方なんてせずに簡潔に「その宗教やめろ」と言えばいいのです。
どうせ現実界とやらも科学や物理法則だけを指しているわけではないでしょう。
断言しますが、あなたは相手が神話のある部分を字義通りにとることをやめるだけでは満足できません。
>>731 そして、あなた。口調は汚いですが、これまで貴方に対して
言われてきたことの全ては
>>732 に集約されてます。
・唯物論は仏教の否定するものである
・肉体的・生物的な本能・感情を第一とする立場を仏教は否定している
・外道(仏教が否定した見解)なのに、なんで釈迦にしがみついてんだろウゼェ
>>734 無駄だ、というなら相手にしなければいいのです。
>>739 宗教の徒では無くなったのですから、宗教者と名乗るのは止めるべきと書いただけです。
>「騙される」「妄想」とはは、「現実と合致しない」という意味ですよ。
なのですから。
歴史上の有名人が自分の側のひとだったら……という気持ちはわからなくもありません。
ですがそれは無意味なものです。仏陀をナアナア人間にする動機を私は持てません。
彼は残念ながら「狭量な」人間です。怒りはせずとも「それは真理ではない」と言うでしょう。
>釈迦の教えは、人間の思想の発展を阻む「障害物」以外の何物でもないではないか。
それで何か問題でも?障害物なら捨ててしまえばいいのです。
>>741 >中村氏も水野氏も
この二人ってオウムに何かコメントしてましたか?
745 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:24:21 ID:pw+ox30R
>>740 >関係性の塊なら現象であって自性ではないでしょう。
だから、"自性"と、括弧に入れている。原子相互の関係性によって構成
されている各種の化合物の一つ一つが、「異なった性質」を有するのと
同様である。
>生命とは動的平衡だという。
その動的平衡を保ち、それを思考しているのも、生命の機能w。
746 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:32:53 ID:Hc/r+vY5
>>745 >その動的平衡を保ち、それを思考しているのも、生命の機能w。
生命が機能だから生命の機能は冗語だね。
生命を持つものの名は生物でよい。
色形によって種名や個別名で呼ばれる。
747 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:34:37 ID:yoP/rcZM
中村氏や水野氏の研究が客観的ではなく、護教的だと いう理由をふたりの研究内容から明かして見てください。 単に「仏教学者であるから」という理由で そういうものだ、と確信しているなら、それはそれで もうそれで結構です。 最低でも研究内容からの判断か、肩書きからの判断かはっきりさせて下さい。
748 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 12:55:37 ID:yoP/rcZM
内容から判断したのか、そうでないのか。 なるべくイエス(肯定したほう)とノー(否定したほう)両方について断言してほしいです。 例: 彼が仏教学者だから、在家だから、僧侶と友達だからetcの理由で非客観的・護教的だと判断した。 研究内容から判断したわけではない。 片方だけだと話がぼやけちゃいそうな気がするんで。 これはただの確認です。これまでのやりとりでそうする気配すら見せなかったところから、 内容から非客観的・護教的と判断したわけでも、非客観的・護教的という想定を (後からでも)研究内容を読み解いて検証しようとしたわけでもない、と私は予想しているのですが とりあえず念のために確認です。早めにはっきりさせたほうが良いとも思いますので。 もちろん予想を覆してくれるのは大歓迎です。
749 :
旧7 :2009/05/27(水) 13:06:04 ID:hEbVfRvl
で、とりあえず、 このスレ及び前シリーズのスレでは、 「カラス氏の主張こそが仏教である」、少なくとも「ゴータマの時点ではそうであった」 ということでFA? (当然、付随して「宝珠氏の主張もまた、真に仏教である、ゴータマの仏教である」ということになるが・・・。)
>>746 では汝も今から「生命」と名乗るがよい。
>>750 ああ。ごめん。なんか大いに勘違いした。
752 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 14:11:07 ID:pw+ox30R
>>746 >生命が機能だから生命の機能は冗語だね。
生命の機能として表面に現われた、認識しうる「生命現象」とは、区別した
ほうがよい。
「生命そのもの」は、生命を以っては認識できない。「生命現象」によって、
生命の存在が推測されるだけである。
>>742 ナンダいますよ。難陀と書かれますが。大乗経典にはよく出てきます。
興味深いお話、ありがとうございました。
754 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 14:27:18 ID:pw+ox30R
>>742 難陀(Nanda)は、釈尊の異母弟。仏教者なら、岩波仏教辞典くらいは、
常に参照してくれ。
ご隠居とその仲間たちは、六師外道のひとりアジタの系譜に連なる者であって、 仏陀からは外道の烙印を押された邪教の人という指摘が既にある件。
756 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 15:04:10 ID:Q7GcQn1J
隠居さん、なにスルーしてるんですか。
757 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 16:22:04 ID:BeuDoUue
>>755 六師外道とは、いずれも当時の優れた思想家たち。悪い意味ではない。この点
を勘違いしている仏教者もいるのではないか。
仏陀も彼らから大いに学び、吸収したはずだ。
>>756 中村氏や水野氏が、仏陀を「批判」できたかどうかを調べてくれ。批判できて
いなければ、護教的と言われても仕方ないだろう。
オウムの原因が、「輪廻転生」の信じ込みであることは、否定できないのでは
ないか。キリスト教の終末論の影響も大きい。ハルマゲドンは、黙示録の言葉
である。
758 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 17:08:47 ID:Vqh0zo0s
質問を質問で返さないで頂きたい。
言い出したのはあなたです。
きちんと
>>747-748 に答えましょう。
759 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 17:13:24 ID:Vqh0zo0s
返していたのは質問ではありませんでしたね。これは失礼でした。 ですが、自分で言い出しておいて立証責任を丸投げするのは止めていただきたい。
>>757 正道から外れているという意味ですから、悪い意味です。
学んだかどうかは知りませんが仏陀が「捨てた」のは確かです。
ゴミ箱行きの思想ということです。
一般の人が、外道に惑わされないようにという配慮もあっての外道認定です。
外道は人を迷わす存在であり、間違った思想を振りまいているわけです。
要するに「これは仏教ではない」と仏陀が断言している対象が六師外道です。
761 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 17:42:04 ID:Vqh0zo0s
さっきから言っているのは、内容によって言っているのか 印象で言っているのか、ということです。何も具体的に答えずに言うのなら、こちらも 同じようにちゃんと分析できてるから客観的とだけ返すこともできるわけです。 じゃあ釈迦をマンセーするあまり不自然に曲げられちゃってるところ探してみてくれ、となるわけです。 曲げられていないのなら客観的・非護教的と言えるだろう……。 ここいらで私がどういう意味で非客観的・護教的という言葉を受け取り、使っているかを書きます。 客観的とは自分の信条・信仰と、科学・学問の場で行うことを分けることができることを指します。 例えば、大乗仏教徒が学問の場では大乗仏典を釈迦の直説でないという研究が出来ることがそれです。 問題は信条・信仰によって手法・成果が歪められることであるため、仮に信条・信仰に近いものであろうと 手法やデータの改竄が行われなければ、科学的に問題はないと考えます。 いっぽう非客観的・護教的とはその逆です。気に入らないデータを無視したりして 信条・信仰に合うよう捻じ曲げてしまうことを指します。 その研究をさして客観的・非客観的・護教的と言う場合は、こうなります。 議論の場で使うにはこういう言葉でないと印象の投げ合いになるんじゃないかと思いますね。
762 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 17:53:18 ID:Vqh0zo0s
しておきたい質問があります。 たとえ手法に問題があり、データが都合よく使われていても 研究対象を批判する結果になりさえすれば、客観的ということになりますか?
763 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 17:58:20 ID:6c0+i1ua
思いっきり話の腰を折るが、ブッダがアートマンを説こうが説くまいが「どーでもいい」んだよ。重要なのは「行動の崇高さ」だろ?チミたち捨身飼虎出来るんか?それが出来てから無我なり、非我なり論じなよ。まず、トラに喰われろ。痛いぞ、苦しいぞ
764 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 17:58:56 ID:Hc/r+vY5
>>742 >いつか私もハンドルを「ナンダの孫」としましょうか?
悪いことは言わない。
カンダの孫にしとけ。www
765 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:00:27 ID:6c0+i1ua
もちろん、トラに喰われるなんて、おいらにも無理だ。痛いのヤダもん。でも、それぐらい出来ない宗教家なんぞクソだと思うぞ。
766 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:05:29 ID:Hc/r+vY5
>>744 >・唯物論は仏教の否定するものである
そうですね。唯物論は仏教では外道だといっている。
>・肉体的・生物的な本能・感情を第一とする立場を仏教は否定している
これはどうかな?
仏教では感覚に基づく五識は現量として肯定してるはず。
デカルトとは違う。
>外道(仏教が否定した見解)なのに、なんで釈迦にしがみついてんだろウゼェ
この意味わかんない。
外道として否定した見解と釈迦(の言うこと)にしがみつくのとどういう関係があるの?
767 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:10:54 ID:Hc/r+vY5
>>745 >だから、"自性"と、括弧に入れている。
括弧に入れれば違う意味になるとでも?
自性は括弧がつこうとつくまいと自性に変わりわない。
あなたの言いたいのはその個物の属性に過ぎない。
自性も属性のひとつではあるだろうが・・・。
自性といわれる属性は無いというのが仏教の無我だからね。
ここは譲れないだろ。
768 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:11:22 ID:6c0+i1ua
くっだらねえ…こいつら要するに議論のための議論してオナッてんだけだな。アーナンダ、ソーナンダ(T_T)
769 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:14:20 ID:Vqh0zo0s
>>766 >仏教では感覚に基づく五識は現量として肯定してるはず。
いえ、もっと俗的な意味合いで使いました。豊かになりたい、自分や身内を贔屓にしたい、
あれが欲しい、子孫を残したい、楽をしたい、というレベルの話です。
>外道として否定した見解と釈迦(の言うこと)にしがみつくのとどういう関係があるの?
両者には本来関係ないはずなんですが……釈迦視点では「外道(非真理)」の立場なのに、
なぜか釈迦を自陣に組み込みたがる人がいるということです。
770 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:14:43 ID:Hc/r+vY5
>>768 そんな書き込みするほうがくだらないね。
でも、それがボンノウのなせる業なんでしょうね。わかるよ。www
>>768 すくなくともここでは無我を経験している人はいるよ。
煩悩を少しはとることをやってみな。
772 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:19:34 ID:Hc/r+vY5
>>769 >自分や身内を贔屓にしたい、あれが欲しい、子孫を残したい、楽をしたい、というレベルの話です。
これは感覚を超えた判断でいわゆる煩悩としかいいようがない感情ではないでしょうか?
感覚はもっと純粋なものであると信じたい私がいる。
花は紅、柳は緑あとなんだっけ?それが感覚だと思う今日この頃です。
773 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:23:38 ID:Hc/r+vY5
>>763 >まず、トラに喰われろ。痛いぞ、苦しいぞ
まず、トラに食われても惜しくないという教えを示してくれ。
話はそれからだ。
774 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:23:51 ID:yNSdjUlJ
>>769 >釈迦視点では「外道(非真理)」の立場なのに、
六師外道をちょっと調べただけで、「釈迦の視点」と同じ視点も相当
入っているぞ。「空」まであるw。
釈迦は、「いいとこ取り」したのではないか。
それに、六師外道は、バラモン教を批判できた、優れた自由思想家たち。
このスレでは、釈迦のバラモン批判が殆ど出ず、バラモンそのものの
ような論調だが、それでは、釈迦は、六師外道にも劣っていることに
なる。
775 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:27:10 ID:Hc/r+vY5
>大川隆法。 ブッダの生まれ変わりなどというありえないことを説くのが詐欺師たる所以だね。 生まれ変わらないのがブッダです。キリストとは違う。
776 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:28:03 ID:6c0+i1ua
「少なくとも無我を経験した人が…」いるわけねえ、いねえ、いねえって!アフォいぞ?朝まで生テレビで言えよ、そんなたわごと(笑)
777 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:31:30 ID:Hc/r+vY5
>>776 普通は無我だぞ。わざわざ我など意識する必要はないからね。
778 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 18:37:06 ID:Vqh0zo0s
とりあえず、非客観的・護教的の理由が知りたいです。
質問文をちょっと変えて見ますか。
単に印象を述べたみたのか、そうではないのか。
>>774 >それでは、釈迦は、六師外道にも劣っていることになる。
それで何か問題あります?少なくとも貴方が気にすることではないですね。
>>763 > 重要なのは「行動の崇高さ」だろ?チミたち捨身飼虎出来るんか?
> それが出来てから無我なり、非我なり論じなよ。まず、トラに喰われろ。痛いぞ、苦しいぞ
もっともな意見です。
自分の心理的性格的枠組みを崩す、というのは
たぶん最も重要なことです。
このスレ(というか宗教板)ではどうしても上から目線になりやすい。
私もそうですが。そういう部分に関して改善するとか
いろいろ必要なことはありますね。
>>774 > このスレでは、釈迦のバラモン批判が殆ど出ず、バラモンそのものの
> ような論調だが、それでは、釈迦は、六師外道にも劣っていることに
> なる。
心配しなくても、釈迦がバラモンそのものだというのは外道のいうことです。
釈迦がバラモンを否定し、「真のバラモン」について語っているのは明らかで、
カーストを否定し、既存のバラモンの権威を否定したのも明らかです。
たしか「バラモンから仏陀がでる」、つまり「真のバラモンがでる」と バラモンたちからは信じられていたんだよね。 ところがクシャトリア出身の釈迦が仏陀を名乗ったわけだよね。 真のバラモンはむしろバラモン僧に求められていたと思うんだが。
782 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 19:04:47 ID:Vqh0zo0s
つーか、バラモン批判の引用が少ないのって 釈迦がバラモンの権威を否定したことはあまりにも明らかで 議論の余地が無いからでは。 輪廻否定、無我否定にしても一応根拠となる記述は引かれてるわけですから。
783 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 19:19:52 ID:uGkCbo8Z
バラモン批判をスレの議題として長引かせたいなら簡単(?)です。 釈迦が「やっぱりクシャトリアよりバラモンだよな」 「バラモンは聖者の家系」「バラモンに生まれた者は真理に近い」 などと言っている記述を仏典から見つけ出してスレに投稿すればいいのです。
784 :
旧7 :2009/05/27(水) 19:36:53 ID:hEbVfRvl
>>783 問題はそういうことじゃなくて、
ゴータマ・シッダッタが、自分の考えを
明瞭に捉え、精錬し、整理し、構築し、語り、説くに際して、
当時の文化的思想的影響を、どこまで受けているのか。
「どこを踏襲し、どこを排し、どこを等閑視したのか?」
という所にこそ、鍵があるんじゃないかい?
>バラモンとの違い云々
>>784 ゴータマって結局、自分の心と彼岸しか見てないでしょう。
他の思想とか介入する余地あるのかという気がしなくもない。
悟りの過程では、ノイズがあると邪魔になるから消してしまうんじゃないかな。
786 :
旧7 :2009/05/27(水) 19:53:58 ID:hEbVfRvl
>>785 そういう方向って、あまり考える人居ないよね・・・w
それこそ、さっきまでの流れじゃないがw、護教的、或いは敬意の問題で、
そんな不遜なこと、普通は思いつかないだろうしw
(個人的には、生い立ちとかバックボーンとか(或いは性格とか)って重要だと思うけどね・・・。)
>>786 不遜なのかなー。なんか成道前の悪魔との対話とかから想像するに
悟る前って、自分の深層心理との葛藤が著しいでしょう。
そういうのをかいま見る気がすると、
よくそんなのに耐えられるなーと思うわけです。
たぶん苦行の方が楽。
そういう中、自分を支えるのはそれまで自分が培った
彼岸の光に向かおうとするベクトルみたいのしかないわけで、
そういう時に自分自身の本心に根付いていない思想とか外部の影響とかって
たぶんほんとに役に立たないんじゃないかなーという気がしなくもないってことなんですがね。
788 :
旧7 :2009/05/27(水) 20:08:24 ID:hEbVfRvl
>>787 >不遜なのかなー。
一般的、通常の感性では、ということです。
このスレ、及び前シリーズでの
『ゴータママンセー』『ゴータマ偉大!』『凡人とは違う』『俺たちとは違う』『大威力の持ち主』『大神力の持ち主』
といったレスの連続を見れば明らかでしょう?
通常、仏教的には、「ゴータマは、人間であってはならない」んですよwww
789 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 20:34:32 ID:yNSdjUlJ
>>778 >とりあえず、非客観的・護教的の理由が知りたいです。
>質問文をちょっと変えて見ますか。
>単に印象を述べたみたのか、そうではないのか。
仏教者でもないのに、中村氏の膨大な著作を全部読むほどの暇人ではない。
彼の仏教の概説書なら、数冊読んだ覚えがあるが。ここの中村氏ファンなら、
全著作を読んでるはずだろ。
中村氏は、「研究者」だから、研究対象を全く批判できないのは、やはりおかしい。
嵌っていると言われても仕方がないだろう。仏教に嵌った「研究者」の本など
読むのは無意味。イエスの研究に、パウロの書簡を読んでいるようなものだw。
必ずしも印象だけではない。オウム事件の分析・解明をやっている仏教研究者に、
「著名な中村氏の著書をよく読んでいれば、あんな事件は起きなかったのでは
ないか」と、自分の「印象」を述べたところ、その研究者は眉を顰めて、「むしろ、
中村氏の影響が大きい」と言われたからだ。中村氏が、輪廻転生などを無批判に
肯定していたとすれば、それは、オウムの原因に充分になり得る。
>それでは、釈迦は、六師外道にも劣っていることになる。
>それで何か問題あります?少なくとも貴方が気にすることではないですね。
前レスで、六師外道を悪し様に言った方がいたので、反論したまで。仏陀の教
えは、六師外道の教えの中に、すべて含まれているのではないかね。「現代」
の視点からは、仏陀より優れている思想もある。
790 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 20:42:00 ID:KNTZ2EW8
■ 時代も異なる大昔の経典の【言葉】だけにしがみつくことは、 単なる 狂信であり、カルトです〜 ☆★ 人 (__) (__) シャカ、シャカ・・・♪ (,,・∀・ ) シャカ、シャカ、 シャカ、シャカ・・・♪ (( ノ つ ⊃ )) (__ノヽ__)
791 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 21:26:04 ID:uGkCbo8Z
>>789 いえいえ。一部でも見つかるなら、例えば
図書館で何気なくとった一冊の一ページであればそれだけでも指摘はできます。
なんか、これから探すなんて……という文章になってますが
こっちはすでにどっかで読んでいたのだとばかり思ってました。
つまり、どこが具体的に研究のどこが護教的で非客観的かはご自分では指摘できないと。
嵌っているから護教的で非客観的、護教的で非客観的だから嵌ってる、という
トートロジーめいたものだとわかったのは収穫ですね。
>自分の「印象」を述べたところ、その研究者は眉を顰めて、「むしろ、
>中村氏の影響が大きい」と言われたからだ。
で、その方はどこらへんがそうだとおっしゃいました?意味のある情報はそこだけです。
極端に言えばエピソードだけなら捏造することもできるのです。
>中村氏が、輪廻転生などを無批判に
>肯定していたとすれば、それは、オウムの原因に充分になり得る。
輪廻肯定だけでは無理ですね。平和的に生活している多くの輪廻肯定者がいますし、
最低でもショーコーそのものを評価してプッシュしていなくては問えません。
ところで、
>>761 で説明した意味ではどうですか。
中村氏や水野氏の研究内容に歪みが見られると、その研究者さんはおっしゃいましたか。
これも思い出せる範囲で詳述してもらえると助かりますね。
792 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 21:36:57 ID:yNSdjUlJ
>>791 くどいよ。私は、中村氏の全作など読む気はないから、彼が釈迦を批判して
いる言葉が一つでもあれば、上げてくれ。それですべては解決だ。
中村氏のご家族の話では、彼は朝から晩まで、本ばかり読んでいたそうだ。
それでは、「人生」も「宗教」も、本当には理解できないな。
それに、典拠もあやふやな大昔の文献を、それほど信頼し、熱心になること
自体が不可解。
水野氏の本は、文庫本をちょっとだけ立ち読みしたが、嵌り込みが深すぎて
買わなかった。彼は、仏教徒よりも、バラモン・ヒンドゥー教徒ではないのかね。
793 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 21:47:05 ID:uGkCbo8Z
>>792 >くどいよ。
そうさせたのはどこのどなた?
>彼が釈迦を批判している言葉が一つでもあれば、上げてくれ。それですべては解決だ。
解決じゃないですよ。それが誤った「批判」なら妥当ではないのですから。
世間では「正しく評価すること」ことも客観的と言うでしょう?
ところで
>>762 にも答えてもらいたいですね。
>中村氏のご家族の話では、彼は朝から晩まで、本ばかり読んでいたそうだ。
そのエピソードもっと知りたいですね。何で読めます?
>それに、典拠もあやふやな大昔の文献を、
あれれ、成立年代も分析なさってたはずですが。彼って主張される由来を
丸呑みとかなさってました?
>それほど信頼し、熱心になること自体が不可解。
他者の情熱を理解するのは、しばしば困難なものですね。
794 :
一在家通りすがり :2009/05/27(水) 21:51:54 ID:wkaA+ur2
>>792 >私は、中村氏の全作など読む気はないから、彼が釈迦を批判して
>いる言葉が一つでもあれば、上げてくれ。それですべては解決だ。
書名は忘れましたが、書店で簡単に買える中村元氏の本の中で
「仏でも心変わりしたことが2回ある」と言ってましたね。
やや批判的のようにも思いましたが、不思議だったのでしょう。
1つ目はスジャータの乳粥を最初断ったのに、結局飲んだ時。
2つ目は梵天の願いを何回もむりーと断ったのに、よく世界を
見通せば説法できそうな人が若干見つかった時。
795 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 21:58:28 ID:uGkCbo8Z
>>794 『仏典のことば 現代に呼びかける知慧』 岩波現代文庫
『東洋のこころ』
『釈尊の生涯』 平凡社ライブラリー
『原始仏教 その思想と生活』 NHKブックス.日本放送出版協会
ありそうなのはこのどれかでしょうか。
下二冊は図書館にあるようなので、今度確認してきます。
報告は来週になると思いますが。
796 :
ナンダの孫 :2009/05/27(水) 22:09:26 ID:wkaA+ur2
>>753 >ナンダいますよ。難陀と書かれますが。大乗経典にはよく出てきます。
情報を有難うございます。
お地蔵さん達との対話(寝言の漫才)の中で、祖父の前々々々世は
とても綺麗な修行僧だったそうです。
釈尊の多くの弟子の中でも飛びぬけてイケメンだったそうです。
そういえば、現世でも美男子というよりも、内側から光っているような
肌の人でしたね。
寝言で語られる話は、釈尊とある村に行った時にこのような出来事があって
このようにして人々から感謝されたというようなのが多かったと記憶します。
祖父母はもう他界しましたが、叔母がその数冊のノートを持っておりますので
近いうちに入手して、内容を精査することに致します。
まるで「前世がマリー・アントワネット」を髣髴とさせる…… >近いうちに入手して、内容を精査することに致します。 内容の本公開は御自分のサイトでお願いします。 宝珠さんからリンクを貼ってもらえば良いのでは。
798 :
一在家通りすがり :2009/05/27(水) 22:16:35 ID:wkaA+ur2
>>795 >『仏典のことば 現代に呼びかける知慧』 岩波現代文庫
>『釈尊の生涯』 平凡社ライブラリー
タイトルは上のどちらかだったような。
しかし、文庫ではなく新書というサイズかな?
厚みは2cm位だったかも。 1500円位だったと思います。
実家の本箱にあるので週末にでも見てきます。
799 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 22:18:30 ID:yNSdjUlJ
>>794 >>795 有難うございました。中村氏が、釈迦を少しでも批判できていれば、立派な
ものです。
なお、水野氏の名は、岩波仏教辞典の、第1版、第2版の、編集委員はもとより、
多数の執筆者の中にもでてきませんね。これは何故なのか、ご存知の方がおられ
たら、教えてください。
宝珠愚者氏は、水野氏の名前が挙がっただけでも感激しているようだが、嵌り込み
が深く、輪廻転生を認めていることが、その理由なのですかね。
>>788 大学にいた頃、文化祭で麻原が空中浮遊とかやってたけど、
まったく興味もてなかったな。そういえば。
サーカス見るんだったら、中国雑伎団でも見てる方がいいしな。
人を尊敬するのって結局、その人の心意気とかでしょ。
空飛んだから、口から火を吐いたからって、尊敬したりしないよ。
「宇宙人、未来人、異世界人、超能力者に興味ありません。
このスレに心が清浄で、刻苦勉励を惜しまず、自分自身に向き合い続け、
悟りを開いた人がいるなら、書込みに来なさい!! 以上っ!!」
>>796 非常に興味深いので、もしよかったら精査した後、
その内容を教えてもらいたいです。
>>789 > 前レスで、六師外道を悪し様に言った方がいたので、反論したまで。仏陀の教
> えは、六師外道の教えの中に、すべて含まれているのではないかね。
それは無いな。
ゴータマ以外は、悟り、涅槃への道を提示しきれていない。
>「現代」
> の視点からは、仏陀より優れている思想もある。
20世紀だったら社会主義的唯物論とかも「現代的」だったんだけど
もう時代遅れだしね。
そういう意味では今は、宝珠愚者とかのスピリチャリズムの方が
トレンディーではあるね。
内省しなくていいの?という気はするけど。
803 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 22:41:15 ID:g51UmHFN
>>741 >そのような結果が生じないよう、充分に配慮する義務があった。それが、
指導的立場にあるすべての人間(宗教の開祖を含む)の義務である。
賛〜成!!
■ リーダーの資質は、世界を変える!! ■ ゚+。(*′∇`)。+゚
宗教学者が特定の宗教に肩入れすることは、冷静な客観視が出来なくなり危険!!
あってはならないことでしょう!!
少なくとも、オウムのような危険なカルトの警告発信が不可能になりま〜す!
彼らは、自ら<地獄>?・・に落ちることになります。
キリスト教にも嵌ってる宗教学者さんは、くれぐれも顔を洗って自省をドゾー(笑
人間は、現実上の根拠皆無な、誰が書いたのか不明な大昔の開祖や経典・・
等の【誇大妄想癖】が大好きで精神的に弱いのが弱点〜・・・
それは『絵本』のように面白く楽しいからで、現実と妄想を混同しないでね!(笑
■「騙される」「妄想」とは、「現実と合致しない」という意味 ■
お先におやすみ〜♪☆
804 :
旧7 :2009/05/27(水) 22:43:17 ID:hEbVfRvl
>>800 作家、映画監督、女優、代議士、先駆者・先駆メンバー、老舗料理屋の板長、
会社の創立者、事業の創始者、行事・イベントの旗揚げ者・初期メンバー、
などなどなどなど・・・。
別に宗教に限ったことじゃない。同じ畑に籍を置く者、或いは片足突っ込んでる者達にとっては、
(「継承している・継承せねば」というベクトルが加われば更に・・)
批判、改訂はタブーになりがちだよ。
それ自体は、人の世の在り様として(人の心の動きとして)寧ろ「自然」だw
805 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 22:57:54 ID:yNSdjUlJ
>>793 君は、それほどまでに、事実上の根拠についての突っ込みができるのに、釈迦
やイエスなどの「大物」に対しては、何故できないのかねw。そのほうが、
むしろ、大きな問題ではないのかね。
>>804 スッタニパータひとつとってみても、ゴータマの神格化は行われているし、
どこまでが本人の言葉なのかわかりにくいところがある。
真意を探る、ということが始まるベースがここにある。
しかし、仏教の場合は悟りとか涅槃という目標が最初から設定されている。
これがあるから、どんなに迷走していっても、必ず行き着くとこに行き着いていく。
そういう意味で、各人が各人なりに宗派を開き、時に対立しつつ、
統合しつつ、発展させつつ、本来仏陀と関係なさそうな念仏系や
密教まで行き着いたのはそれなりに意味がある気がしますね。
>>805 仏陀やイエスについて批判するより、自分自身を批判する事の方が遙かに重要。
仏陀やイエスを批判するのは容易い。自分自身を批判する事は難しい。
>>805 え?私がイエスの奇跡話や釈迦が母親の脇から沸いてきた
とかいう話がそのまま事実だと言った事がありますか?
いったいどこから出てきたレスなんでしょう。
唐突にでも「イエスはさあ……」とか定期的に書くようにしなくてはならないんでしょうか。
主張を書く際に必要だと感じたならとっくに書いてますよ。それだけです。
809 :
神も仏も名無しさん :2009/05/27(水) 23:08:49 ID:yNSdjUlJ
>>807 >仏陀やイエスを批判するのは容易い。自分自身を批判する事は難しい。
それは逆。クリスチャンは、自分は罪人だと常に罪悪感・自虐感に囚われて
いるが、イエスを批判することは、たとえ殺されても出来ない。
810 :
旧7 :2009/05/27(水) 23:14:32 ID:hEbVfRvl
>>806 だねぇ・・・。
奈良さんは、半分冗談めかして(いや、本気も本気、大本気か?w)、
「仏教風呂敷論」なんて言い方をするが、(学問的な利便性・必要性は別としても)、
『仏教』という呼称の利用範囲をどこまでとするか、
(→どこまでを許容し、どこからを区分し、どこからは該当しない、とするのか)、
個々の価値観・スタンスが、思いっきり作用する場面だよね・・・w
>>810 このスレはある意味、博物館のようで面白いですね。
・ゴータマは唯物論者である。
・ゴータマは唯一神エルカンターレである。
・ゴータマは超能力者である。
・ゴータマはバラモン教徒である。
(おいおい、おまえら仏教徒ってことで仲良くできんのかよw)
教義的にも
・輪廻を説いたのが仏陀である。
・輪廻を説かないのが仏陀である。
・常住のアートマンを説いたのが仏陀である。
・常住のアートマンを説かないのが仏陀である。
・有部が仏陀の生の言葉であり、大乗は仏陀からかけ離れている。
・有部は仏陀の生の言葉ではなく、大乗は仏陀に回帰している。
魔女の鍋の中身みたいな状態ですな。
煮詰めていくことで、何ができるのかしりませんがwww
異臭漂う中、生暖かく見守っていきたいと思います。
813 :
神も仏も名無しさん :2009/05/28(木) 00:31:02 ID:UnqnYIda
>>810 取りあえず、小乗・大乗に分けるべきでしょう。そして、日本は大乗仏教の国。
小乗は、開祖と原始仏典盲信のカルト。小乗は、ライト兄弟の飛行機。大乗は、
それを大幅に改良したジャンボジェット。小乗のどぎつい装飾は、合わない。
それに、小乗の国は、争いが多い。
814 :
旧7 :2009/05/28(木) 00:35:51 ID:WUiiTS3v
(多少、細部に於いて、用語や言い回し、使用法で難が見られないでもないですが・・・(^^;) )
>>812 は、不説氏や真言氏の感想が聞きたくなりますね・・w
煮詰めた方がいいのか、蒸留した方がいいのか。
裏漉しした方がいいのか、更に調味料を加えた方がいいのか。
はたまた、
鍋モノで、最後の雑炊が美味しく頂けるのと同じように、
(出汁的な意味でw)「エッセンス」こそが重要なのか・・・。
おやすみ ノシ
815 :
神も仏も名無しさん :2009/05/28(木) 00:44:05 ID:UnqnYIda
バラモン、ヒンドゥーとは、明確に区別すべきです。さもなければ、「仏教」 ではない。 このスレでは、その区別がさっぱりわからない。
816 :
神も仏も名無しさん :2009/05/28(木) 07:02:24 ID:q6mFWnYk
少なくとも大智度論は勉強すべきだね。小大乗兼学だからなぁ。龍樹さんはやはりすごい。また、大乗的文脈から言えば、世界のどんな宗教も哲学も謙虚に教えを請う態度を取るだろうよ…
817 :
神も仏も名無しさん :2009/05/28(木) 08:22:20 ID:GmeFEG3b
>>812 >このスレはある意味、博物館のようで面白いですね。
前383頃、ゴータマ・ブッダが入滅して、まもなく王舎城
にて第一回仏典結集が行われたときも、こんな状況ではなかったかな。
如是我聞・・・ということでブッダの説法を集めてみるとそのあまりの
いい加減さというかよく言えば対機説法にどう編集すればいいのか
解らなくなってしまった。また、これなら自分でどんどんお経を作り
ブッダの名のもとに説法すればいいんだと思った人たちも多かっただろう。
いずれにしろ仏教が原理主義では無く「自由」と「法」を大切にする教え
だったところから、その思想が小乗・大乗・密教と自由に変転していった
のだろう。
諸行無常、諸法無我を法印とする仏教にはふさわしいことだろう。
818 :
神も仏も名無しさん :2009/05/28(木) 09:50:06 ID:nBjex4+i
819 :
神も仏も名無しさん :2009/05/28(木) 10:24:14 ID:GmeFEG3b
>>818 ゴータマ・ブッダの苦集滅道の四諦は現代の科学的方法とまったく
変わらない思考法でしょう。
また、考察の範囲を現実世界の経験できる事柄に限ったのも
経験科学と同じだね。
>>819 あの世を信じなければ無理なんですけど。
仏はあの世にいますし。
821 :
旧7 :2009/05/28(木) 22:49:43 ID:WUiiTS3v
>>820 あの世の仏に用は無いw
出直してこい。屑。
あの世を説くことは必要だと思うけどな あの世の実在性はともかく 今の時代にマッチしないからあの世のことを説かないのでは やはり片手落ち あの世のことが説かれているからあの世はあるって論理は論外だけど
>>822 > あの世を説くことは必要だと思うけどな
何故必要?
自分的には、あの世関連はツールとして意味があるけど、
必要不可欠なのかといわれるとやっぱり疑問な気もしてくる。
>>822 霊能力を得ていなければ、あの世は
説く必要はないでしょう。
仏典にもあの世の実在が説かれている以上、
仏陀は霊能力者であることは認めるべきです。
>>824 仏典に書いてあるという以外に、
仏陀が霊能力者であることを認める理由はないの?
仏典には宇宙論とかいろいろ書いてあるけど、
いまどき平板な大地とか信じるべき?
長阿含とかに書いてあるから信じないとダメですか?
826 :
旧7 :2009/05/29(金) 00:31:23 ID:f9V0O5Io
>>822 > あの世を説くことは必要だと思うけどな
ああ、必要だと思うよ。
子供にとってのサンタクロース、
ウルトラマン、セーラームーンやプリキュア等と同じレベルでなw
※それから、
>>822 >>824 少なくとも、浄土や法界、数多の仏や菩薩達が安住し管理する世界が想定される以前には、
「あの世・死後の世界・この世でない世界」は仏教では地獄しかなかったんじゃねーの?
それに、
【仏教の世界観に於いて】【『あの世』或いは『“死後の”世界』】とはどのようなものなのか?
を定義せんことには(コンセンサスをとらなければ)、対話にならんと思うぞw
827 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 00:34:32 ID:5IcAafQt
>>324 >仏典にもあの世の実在が説かれている以上、
仏典は、科学のない時代に書かれた。たとえ書かれていても、現代の科学に
合致しないことは、片っ端から削除すること。それが仏陀の意図である。
仏陀が大昔に何を説いたかではなく、現代に生きていれば何を説くかを考える
こと。それが、現代の佛弟子の義務である。
>>824 ただそうやると、神通力なんて信じなくなるでしょう。
騙されないぞって感じでね。
829 :
旧7 :2009/05/29(金) 01:08:53 ID:f9V0O5Io
しかし、つまらんスレになったな・・・。 というか、論客のバリエーションの幅が狭いのかもしれんw やりとりも内容もマンネリ化しとる。 誰か、斬新な切り口を入れる若き精鋭は居らんか?w (ワシは遠慮しとく。若くないからw) 寝るw
>>826 いきなり地獄ができるわけでもないし、
やはり天国ができてから、それでだんだんと地獄ができてきたということでしょう。
そうするとなぜ地獄ができたのか、仏が地獄をお創りになったのか?
などの疑問がでてくるでしょう?
本来、仏や菩薩たちがいればいいわけですから。
アプローチとしたら、こんな感じでしょうか。
>>828 あの世が常住と思ってるの? 実相の世界と?
>>830 > いきなり地獄ができるわけでもないし、
理由は?
> やはり天国ができてから、それでだんだんと地獄ができてきたということでしょう。
どうしてそうなるんですか?
>>828 そもそも自分が使えるわけでもないのに神通力を信じることに何の意味があるのですか?
自分に対して使ってもらうのですか?
833 :
一在家通りすがり :2009/05/29(金) 06:57:26 ID:ru3cm+D3
仏の眼で見れば、世界は常住です。 科学の進歩が仏の悟りを実証しつつあります。 真の空は無く、エネルギーも素粒子も常住です。 ただこれらの組み合わせの相は変化し無常です。 仏の眼で見ればアートマンも常住です。 遺伝子まだ解明した科学の進歩が脳を素粒子レベルで 解析できれば証明されると思います。 かく言う私は科学者の一人です。科学技術が生業です。
834 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 06:59:55 ID:Ca1MxZky
傷が深いからか?
835 :
一在家通りすがり :2009/05/29(金) 07:12:03 ID:ru3cm+D3
やっと脳波を取り出してロボットを動かせるまでに 科学技術も進歩しました。 修業完成者の読心通と似てます。
836 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 07:48:03 ID:yxBxcs6G
あっそ!はいはい(ニコニコ)v(`∀´v)
837 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 08:05:26 ID:Q+fciEnW
>>835 >修業完成者の読心通と似てます。
いくら修行完成者でも、自分の脳波だけでロボットを動かすことはでき
ない。脳波の検知・増幅・ロボットの動作への電気的・物理的変換が必
要になる。これらはすべて、科学の成果。無理に宗教に結びつける必要
はない。
仏教の「縁起・空」の「原理」を、科学のどこに位置づけるかです。
838 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 08:08:43 ID:Q+fciEnW
>>827 > 仏陀が大昔に何を説いたかではなく、現代に生きていれば何を説くかを考える
> こと。それが、現代の佛弟子の義務である。
自分で勝手に推測してるんだから、師弟関係にあるとはいえないでしょう。
師に叱ってもらえてこその師弟関係。
弟子が勝手に自分の意見をいいはじめたら、もう独自宗教ですよ。
独自宗教は独自宗教で構わないけど、
それを現代の仏弟子とかいいはじめるから胡散臭くなる。
現代に転生した仏陀が現代に合わせた仏教を説いているとする
某宗教とどう違うのかと。
840 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 08:32:05 ID:Q+fciEnW
>>839 >現代に転生した仏陀が現代に合わせた仏教を説いているとする某宗教とどう
>違うのかと。
現代の常識と科学では、「転生」など認められないから、初めから没である。
いずれにせよ、大昔の教祖・教典の「言葉」の盲信よりも、はるかにマシで
あることは、否定できない。
841 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 08:40:23 ID:yxBxcs6G
なに言ってんだろ、この人…
842 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 08:40:32 ID:Fve4w+XA
>>840 >現代の常識と科学では、「転生」など認められないから、初めから没である。
「転生」をどう解釈するかによる。「転生」とは親から子に生命が引き継がれること
と解釈すれば現代の科学でも転生は認められる。
しかし仏陀が転生することは仏陀の定義に反するからいつの世でも不可能。
輪廻転生から解脱して転生しない者を仏陀と呼ぶことになっているから。
843 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 08:50:33 ID:Q+fciEnW
>>842 >「転生」とは親から子に生命が引き継がれることと解釈すれば現代の
>科学でも転生は認められる。
ならば、「転生」などという言葉は使わず、「生殖」「遺伝」というべき。
「転生」とは、親子間の生殖によらずして生命が発生することだから、
明らかに現代の常識と科学にに反する。
「業報」も同じ。「業」は「行為(獲得形質」だから、「獲得形質は、遺伝
しない」。これが、現代の生物学の大原則。
844 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 09:10:24 ID:Fve4w+XA
>>843 >「獲得形質は、遺伝しない」。これが、現代の生物学の大原則。
そうですね。獲得形質は遺伝しない。でも遺伝子の突然変異は遺伝する。
突然変異や遺伝が業だと解釈すればよい。遺伝なんか親の形質が子の形質
に影響するそのことだから。
845 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 09:30:55 ID:u8ycpDaW
カルマは解放されると何処へ行くんですか?
846 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 09:34:17 ID:Fve4w+XA
>>820 >あの世を信じなければ無理なんですけど。
>仏はあの世にいますし。
スッタニパータ第一蛇の章一、蛇
15 この世に還り来る縁となる煩悩から生ずるものを
いささかももたない修行者は、この世とかの世とを
ともに捨て去る。−−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て
去るようなものである。
仏はあの世(かの世)にはいないようですね?
847 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 09:36:23 ID:yxBxcs6G
中論読め。説明がめんどくさい。それから腐れ理系宗教オタは来ないでください。議論がつまらなくなります
848 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 09:42:01 ID:Fve4w+XA
>>826 >【仏教の世界観に於いて】【『あの世』或いは『“死後の”世界』】とはどのようなものなのか?
>を定義せんことには(コンセンサスをとらなければ)、対話にならんと思うぞw
仏教の世界観でも当時のインド社会の世界観と同じで輪廻転生と業を認めた世界観だと
思う。だから涅槃はその輪廻からの解脱とされたのではないか。
ゴータマ・ブッダが仏に目覚めたとき最初に「不死」が得られたといってなかった?
>>827 素直に仏教をやめて仏陀に従うことをやめろ、と言うべきですね。
>>840 手や品が違っても、やっていることは同じというのが
>>839 の論点です。
例えば、現代科学のある理論があるとしましょう。宗教聖典の記述を
それにこじつけ付会させて「本当の意味はこうだった」などと主張したとしましょう。
「現代科学の理論」は正しくても、そのために歪曲や付会をさせて利用するのは不適切です。
本人の意図を捏造して利用している点で、幸福の科学とあなたは変わりません。
>>841 本当はスルーしたほうがいいのでしょうね。
>>842 転生前の人間と転生後の人間が同時に存在する輪廻転生論なんてあるんですか?
それは解釈じゃなくて強引な入れ替えでしかないでしょう。
この点に限って言えば
>>843 は正しい。そもそも意味が無いんです。
下半分には同意ですが。
>>843 >親子間の生殖によらずして生命が発生することだから、
転生先の肉体自体には父親と母親がいるので「この理由では」誤りではありません。
>>829 >やりとりも内容もマンネリ化しとる。
100パーセント同意です。マンネリどころではなく、そっくりそのままのループもかなりの部分を占めている……
自分もそれに関与してしまっているので心苦しいです。
>>830 仏教に創造神話はなかったかと思います。何かそういう記述のある仏典があればいいのですが、
そうではなくて仏教の世界観に合いそうな生成論を考えることだとすると、
それはアプローチではなく「二次創作」「設定補完」ということになります。
>>839 >独自宗教は独自宗教で構わないけど、
>それを現代の仏弟子とかいいはじめるから胡散臭くなる。
ほんと、その通りですよね。
書いててたるくなってきた…… >宝珠愚者氏 見てます?前に出したループ対策用ページのことですが、 これまでのスレから私が自灯明・法灯明ループについて まとめたら、サイトに載せていただけますか? 載せてもらえなくてもスレのどこかに貼りさえすれば 「2ch DAT落ちスレミラー変換機」を使って読めるようにはできるか……。
853 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 11:49:11 ID:Fve4w+XA
>>849 >>842 >転生前の人間と転生後の人間が同時に存在する輪廻転生論なんてあるんですか?
輪廻転生ではな「転生=うまれかわり」の解釈だけどね。
「自分が自分に生まれ変わる」というコマーシャルコピーもあったね。
「おじいさんの生まれ変わり」とか「おかあさんの生まれ変わり」なんて
今でも普通に使う言葉じゃないかな?
>>853 >「自分が自分に生まれ変わる」というコマーシャルコピーもあったね。
それは単なる言い回しですね。それも自分という主体があって、過程(死と誕生)を経て
以前とは違うものになる、という転生説の考えを反映したものですね。
>「おじいさんの生まれ変わり」とか「おかあさんの生まれ変わり」なんて
おじいさんやおかあさんが生きている内から使われる例なんて
ドラマや小説でもお目にかかったことがありません。
855 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 14:14:39 ID:dWt6F25R
>>852 >そうでなくても妊娠・子供の誕生が、男女のセクロスと関連付けられていな
>い社会でもなければ「性交なしに生まれてくる転生」という概念は生まれてこ
>ないのでは?
それは、「新たな生命の誕生」であり、「転生」ではない。そもそも、「転生」
などという概念は、現代科学では一切否定されている。さもなければ、「幸福
の科学」になってしまう。「死者の書」は、科学の発達前に書かれたもの。
大昔の「宗教聖典」を、帰納的に現代に当てはめようとすることこそ、コジツケ
以外の何物でもない。聖典は、あくまで、当時の社会情勢における、当時の人々
に対して説かれたもの。順序が逆。
聖典を書いた人は、現代における科学の驚異的発達は、想像もできなかったはず。
科学が発達した現代の視点から、大昔の聖典に現代にも通用する部分を探す、
ことのほうが、はるかに合理的ではないのかね。
> そもそも、「転生」 > などという概念は、現代科学では一切否定されている。 ソース。
857 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 14:41:53 ID:ru3cm+D3
大本経では、仏は六回以上生まれ変わって、釈尊は七人目の仏と記載。 どうも仏であったことを忘れてしまい、苦行や瞑想にて思い出す。 人知では分からんが、仏もまた進化しているのかも。
858 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 14:43:16 ID:dWt6F25R
>>856 現代人の常識。どんな生物学、産科学の教科書にも、中学校の理科の教科書
にも、「転生」などという言葉は、一言も出てこないw。
>>858 出てこないことと、一切否定されていること
は同じじゃないでしょ。
860 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 14:58:30 ID:AUnFuMBA
>>741 「配慮」も何も・・輪廻転生というだけで
カルト認定するあなたなどが納得いくようなものなどどこにもありません。
>>837 >いくら修行完成者でも、自分の脳波だけでロボットを動かすことはできない。
>脳波の検知・増幅・ロボットの動作への電気的・物理的変換が必要になる。
ふざけるのは辞めよう!
思念によって動かすことなど完成者にとっては容易なこと。
呆れ果てる・・。
>>839 >弟子が勝手に自分の意見をいいはじめたら、もう独自宗教ですよ。
>独自宗教は独自宗教で構わないけど、
>それを現代の仏弟子とかいいはじめるから胡散臭くなる。
正解!
861 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 15:00:31 ID:AUnFuMBA
>>742 それは面白い話ですね!
仏教的観点からみて真っ当な内容であるかどうか?は、
一在家さんが目を通せばその判別もつくでしょう。
もしも内容の中に、
生前の祖父が知り得る筈もない古代インドの様子(詳細)が書かれてあり、
それが専門家の考古学的な検証によって事実だと確認されれば、
これは本物のスピリチュアルな現象の一つとされるでしょう。
>>851 >サイトに載せていただけますか?
はい、できます。
>>855 転生の概念上の話ですってば。両親無く子供ができる、というのは転生説の説明ではないのです。
>「この理由では」誤りではありません。
とはそういうことです。主張していないことを理由に否定するのは
論の運び方として不適切です。
>「死者の書」は、科学の発達前に書かれたもの。
転生が事実か、という根拠としてでなく、転生説ではこうなっているという例示です。
>大昔の「宗教聖典」を、帰納的に現代に当てはめようとすることこそ、
それをあなたはやっちゃってるんです。時代性や文脈を無視して
「現代」に合うように言葉の意味を改変してしまっているのです。
それを真意と称しまでして。
863 :
曉 :2009/05/29(金) 15:11:20 ID:4ilMt9G8
「過去世において、われは有ったか、また、無かったか」など、「これらの世界は常住である」などという二種の四つの見解は、過去の一方的見解に依っている。 未来の世においてわれは存在しないのであろうか、あるいは他のものとして存在するのであろうか、 また、[世界は]有終である、などというもろもろの見解(他の二種の四見)は、後の[未来の]一方的見解に依っている。 「過去世において、われは有った」というこのことは成立しない。何となれば前の生涯において有ったものは、そのままこの[われ]ではないからである。 しかしながら、[前の世にあった]アートマンがいまこのわれとなっているのであるというならば 執著のもと(個人存在を構成している五要素)が[アートマンとは]区別されてしまう。 では、執著のもとを離れた[それとは異なった]いかなるアートマンが汝に存するのであろうか。 「また執著のもとを離れた[別の]アートマンは存在しない」ということが成立したならばアートマンとは執著のもとであるということになる。 では汝にとっては「アートマンは存在しない」ということになる。 また執著のもとがそのままアートマンなのではない。その執著のもとなるものは消失し、また興起する。 実に執著のもとが執著して取る主体であるということが、どうしてありえようか。 また執著のもとと異なる主体なるものはありえない。何となれば、もしも両者が異なるならば、執著のもとをもたない[主体]なるものが認識されるはずである。 しかし[そのようなものは]認識されない。 このように、そのアートマンは、執著のもとと異なったものでもないし、また執著のもとと同一でもない。 執著のもとをもたないアートマンは存在しない。またそのようなアートマンが存在しないというものでもない。このように決定される。 中論第二七章「誤った見解の考察」
>>861 ありがとうございます。これからとりかかることにします。
865 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 15:51:31 ID:mLEYCwKw
>>860 >ふざけるのは辞めよう!
>思念によって動かすことなど完成者にとっては容易なこと。
>呆れ果てる・・。
ふざけてるのはそちら。ロボットどころか、路上の石ころを1ミリたりとも動
かすことさえ出来ない。動かせたら、大ニュースになっているはず。そんな
「呆れ果てたこと」をいうから、宗教が批判の対象となるのです。
866 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 16:05:30 ID:AUnFuMBA
867 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 16:07:49 ID:AUnFuMBA
ゴータマの言葉でないと意味がない。
『悪い行いをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。人よ。真実である
か虚偽であるかを、汝のアートマンが知っているのだ。証人よ(sakkhi)。実に尊いアートマンを汝
は軽視している。---自己のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝は---。』
(アングッタラ・ニカーヤ.T,p.149G.)
“不滅の境地”に到達した自己が常住の存在です。
『本来の自己とは、「不死の境地」(『テーラーガーター』947.980.1110、『テーリーガーター』309)、
「不滅の境位」(『ダンマパダ』225)、「不死の領域」(『サンユッタニカーヤ』)、「不死の獲得」(『テー
ラーガーター』1103)等、原始経典のいたるところで説かれています。「客体的に把捉し得るありとあ
らゆるものが、アートマンならざるもの」であるということは、真実の自己とは、わたしたちの知性や
理性等の思惟をもってしては、決して捉えることのできない境地であり、自己ということになります。』
(Yahoo!知恵袋)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413969844
868 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 16:44:02 ID:AUnFuMBA
近年、世界的に報道されたヒンドゥー寺院の奇跡現象
ミルクを飲む神像(動画あり)
仏教2.0的ニュースコラム
http://www.higan.net/blog/news/2007/07/post_14.html 奇跡現象についてはキリスト教文化圏(何十万人が一斉に目撃した現象や)が多いが、
情報網の整備が悪いインド(ヒンドゥー文化圏)でも本当はもちろん多い。
では何故、純粋?な仏教文化圏にはこれらの現象が少ないかというと、
仏教世界には、愚かにも唯物論に嵌った自称末法仏教者たちが大量に徘徊しているからです。
これらの奇跡現象は信仰の証しの祝福として行われているのです。
信じない者には、「信」の確認の証は示されない。
869 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 16:58:50 ID:AUnFuMBA
「私の眼前で奇跡現象が起これば信じよう。でなければ、一切認めない!」 などという唯物論者の前には、残念ながらそれは起きない(笑)。 これが古しえの基本スタイルのようです。 「どうぞご自由に」ということで、それは示してはくれない。 これは、当人の自由(意志)が最も尊重されるからです。 その人が、自ら選び取る破滅の唯物論から救い出すキッカケはついに与えられない。 その人は破滅の道程を遠回りで苦しみ続けて、やっと心を入れ替えることになる。 これが奇跡現象の起こる起きないの違いでしょう。
870 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 17:22:25 ID:/9B1HCkP
>>867 >ゴータマの言葉でないと意味がない。
その開祖・教祖盲信が、カルトなのだよ。
「真理」は、誰が言っても「真理」ではないのかね。
それに、ゴータマが直接書いたものは全くないのだから、ゴータマの
真意は、あの世に行って直接聞いて見なければ判らない。
仏教スレには、10年近く前にも書き込んだことがあるが、これほどの
カルトではなかった。論理的な議論に大汗をかいたものだ。やはり、
キリスト教の影響だと見ている。
天台宗あたりで、何とかしなければ、日本の仏教がカルト化してしまう。
871 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 17:23:40 ID:AUnFuMBA
本物の解脱者が人類の眼前に忽然と出現し、 有無も言わせない奇跡現象を示せば問題は実に簡単なことなのです。 もし、そうなれば幼稚な科学理論などはスっ飛んでしまう。 そして、彼の語る言葉に全て従おうとして人類は平伏すことでしょう・・。 では何故、こんな簡単なことをしないのか? それは人類、自らの自由意志を最も尊重するからに他ならないからです。 或いは、信仰を持つ大勢が確認できるよう“回転する太陽” (1917年ポルトガル/ファティマで7万人の群集が目撃)を見せても、 科学の証明になっていない、という反論があるかもしれません。 しかし、それは信仰を持つ者に対する祝福であり、 科学の証明は科学者、自らがするべきものだからです。 そこで科学者の自由意志を侵害はしない。 私はそういう理解です。
872 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 17:32:47 ID:AUnFuMBA
>>870 >仏教スレには、10年近く前にも書き込んだことがあるが
ほ〜随分と古くからご活躍で。
まっ、私は放置してあげていただけですけどね w
>天台宗あたりで、何とかしなければ、日本の仏教がカルト化してしまう。
五時八教なるトンデモを広めた天台?
そのお陰で日本は阿含経が闇に葬られてきた・・。
その功罪の主犯にですか??
873 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 17:48:07 ID:Fve4w+XA
>>871 >それは人類、自らの自由意志を最も尊重するからに他ならないからです。
人間に自由意志などないという科学者は多いけどね。
そういう人に奇跡を見せてあげれば。www
874 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 18:14:17 ID:AUnFuMBA
>>873 という、
あなたの見解が自由意志といわれるw
つまり、“自分で考えること”が成長だということですよ。
それが真理に合致していなければ「証」は示されない。
私だったらヤル!!
いくらでも、「これでもか!!!」って、ゲップが出るほどの奇跡を見せる。
そして、「これまでの自分の唯物論は間違いでした。
もう二度と馬鹿なことはいいません」という反省文を書かせる。
レベルの低い私なら、たぶんこれを痛快な趣味としてやる。
875 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 18:33:15 ID:AUnFuMBA
876 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 18:44:08 ID:AUnFuMBA
>>837 >仏教の「縁起・空」の「原理」を、科学のどこに位置づけるかです。
逆です。
ものごとの考え方が間違っています。
科学というものが仏教の説くどの部分に該当するかです。
877 :
旧7 :2009/05/29(金) 19:07:06 ID:f9V0O5Io
>>860 >思念によって動かすことなど完成者にとっては容易なこと。
こっちが呆れ果てるわいwww
てか、宝珠のどこが嫌いかと言えば、
>>869 や
>>870 のような考え方や物言いが、傲慢で鼻につくからだよ。
「“人という生き物”の在り様」に対する視線の欠如に呆れるからだ。
理念・理想(いや、「こうであってほしい!」という願望・希望かな?w)
を追うあまりに足元を見失ってる姿を哀れに思うからだ。
で、
>>876 の発言なぞ、愚鈍に過ぎるw
>>876 が、≪受け止め方≫であるなら同意しよう。
だが、「仏教という【真の姿の】【一部が】科学である」などとほざくなら、
やはり貴方とは喧嘩する関係でしかないなwww
878 :
旧7 :2009/05/29(金) 19:09:49 ID:f9V0O5Io
アンカーミス。
>>877 中の869・870は
>>869 >>871 。
リアルでイライラしてるんで、レスもそれを反映してるなwww
愚か過ぐる俺www
879 :
旧7 :2009/05/29(金) 19:18:25 ID:f9V0O5Io
そうだ。
面白い動画を貼っておこう。
神様が意図的に波紋に働きかけたとしか思えない一瞬が見られるぞ。
やっぱ、神様っているよね。いないと、こんなこと起きないよね!ね!
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm6806992 <皆の者!アンパン神に跪くがよい!!!
ハハァーッ!
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880 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 19:30:46 ID:AUnFuMBA
何のために奇跡現象はあるのか? それは、その宗教の教義の正しさの証明でも、 その個人の思想見解の詳細について、その正しさを示そうとするためでもない。 理由は実に簡単であって、 神を信じることや唯物主義は間違いである、という信に対する証としてです。 それがまだレベルが低くて、自ら普遍的な神や霊に対する認識能力が欠如している者にも その正しさを確認できるよう、その確信を補強してあげるためのものです。 つまりこのことは、逆に言い換えるならば、 唯物論というものが如何にあらゆる真理の否定に繋がる諸悪の根源である として否定されているか、ということになるのです。 カラスさんが指摘するよう、 ゴータマは明らかに唯物論は最も真理から遠い見解であるとして示した。 そのゴータマの見解が気に入らないのであれば、どうぞ仏教は間違いであるとして離れなさいな、 ということ。都合良く聞こえる狭き部分だけを抜き出して身勝手に使用するな、といってるのです。
881 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 19:41:10 ID:AUnFuMBA
>>879 入会しないと見れないのでは?
最初は無料でも放置したり、
退会手続き(面倒)をしないと自動的に会員処理(有料)されるのでは?
それと
そんなにカリカリしなくても
あなた方には科学という強〜い見方がいるじゃ〜ないか!自信を持って!!w
882 :
旧7 :2009/05/29(金) 19:41:22 ID:f9V0O5Io
>>880 だから、チャーマーズでも読んでみろと・・・。
その唯物論理解が如何に浅いものか解るからw
883 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 19:47:00 ID:Fve4w+XA
>>880 >神を信じることや唯物主義は間違いである、という信に対する証としてです。
だからどうして神を信じない人にそれを示せないの?
奇跡なんか無いからではないの?
884 :
旧7 :2009/05/29(金) 19:47:55 ID:f9V0O5Io
>>881 ほうw
>あなた方には科学という強〜い見方がいるじゃ〜ないか!自信を持って!!w
貴方のお好きな神秘的宗教で、現代社会の諸問題を解決して見せてごらんw
それとな。
仏教的には、ヒンドゥの神々に奇跡が起きても意味が無いんだよ。
この意味が解るか?
885 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 19:57:20 ID:yxBxcs6G
宝珠って文字通り愚か者だね…超能力への渇望…言いたい事はわかる。しかしそれがキサマの命取りよ…ククク(笑)阿含のちいさな島でさ迷いながら仏陀の真意を理解できずくたばるわけさ。天台をナメると火傷するぜ…俺にはわかる、きさまは力量不足だ…スレ閉鎖を薦める
886 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 20:43:28 ID:Fve4w+XA
>>880 >ゴータマは明らかに唯物論は最も真理から遠い見解であるとして示した。
唯物論と唯仏論は一字違い・・・もっとも近い論だというのはおいといて・・・。
ゴータマは六師外道のいいとこどりをしてるね。ミックスジュースにして中道
としたようなものだね。だからサーリプッタ・モッガーラナ・カッサパなどなど
みんな弟子にできたではないか。教えがまったく違ってればそんなことはありえない
というのが常識だね。
六師外道と仏教との決定的な違い。 四諦・八正道・涅槃。
888 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 21:09:02 ID:Fve4w+XA
>>887 >六師外道と仏教との決定的な違い。
>四諦・八正道・涅槃。
涅槃は輪廻からの解脱ということでは六師外道と変わらない。
889 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 21:09:04 ID:EK6WdCwg
>>863 ただの言葉遊びですね。
しかも内容は、お釈迦様が外道の烙印を押した不可知論と変わらないものですし。
前スレから論証されたように、お釈迦様は業法輪廻転生を説き、
現スレ
>>867 で宝珠愚者さんが示した原始経典から、
不死の境地、恒常不変のアートマンも説いているのは明らかです。
これらからかんがみても、中論を書いた竜樹の思想と、お釈迦様の仏説は、
全くの別物だと考えるのが合理的ですね。論じる以前に不可知論は外道ですし。
しかしここの仏教徒を自称しながら、業法輪廻転生を否定し、
不死の境地である恒常なアートマンを否定する末法仏教徒達の
自説の根拠が、原始経典からではなく、竜樹の中論なのが、非常に奇異に感じられます。
そして原始経典からみますと、彼らの言説は、ことごとくお釈迦様の仏説とは違うものだと理解できます。
ここの末法仏教徒達は、仏教の看板を下ろし、
中論教を名乗るべきでしょう。仏教をただの言葉遊びにしてしまった竜樹の罪は大きい。
彼には末法仏教の始祖という称号がふさわしいでしょう。
890 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 21:12:21 ID:SSsDr1nK
「『空』の主張は、初期仏教の根本主張をことばを換えて言い直したものだった と考えることもできる。そしてそれは、ひとことで言うなら、この世に超越は 存在しない、という認識である。 実際の仏教の歴史の中で、「空」についてのこのような理解が、さまざまな 信仰形態を伴った「宗教としての」仏教の主流となったことは、ほとんどなかった と言って大過ないだろう。しかし、仏教「思想」の独自の部分、他の宗教や思想や 神秘主義とは決定的に違う部分を追いつめてゆけば、こうした理解も可能になる はずである。そしてもしそうであったら、仏教は実にユニークな現実主義を説いた 思想だった、ということになるだろう。」(「事典 哲学の木」講談社発行より)
891 :
864 :2009/05/29(金) 21:13:01 ID:BEkW5mZ1
>>888 > 涅槃は輪廻からの解脱ということでは六師外道と変わらない。
では、どの外道がどういう解脱を説いているのか書いてみてくださいな。
893 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 21:15:55 ID:SSsDr1nK
「色即是空、空即是色 このことばは、言い換えるなら「現実世界はそのまま絶対である、絶対がその まま現実世界である」ということを意味することになる。これは、「経験的次 元の存在」と「表現不可能な絶対」との対立自体を、さらに「超越ー突破」し、 等号で結び付けようとしたところのことばであり、まさにこれ以上ありえない ような「現実肯定思想」を表現していることになる。」(「事典 哲学の木」 講談社発行より)
894 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 21:19:04 ID:Fve4w+XA
>>889 >お釈迦様は業法輪廻転生を説き、
ばかか?お釈迦様は業法輪廻転生の否定、すなわちそれらからの
解脱を説いたんだね。インド哲学・宗教のいずれも輪廻転生・業法を
を肯定してるものは無い。すべてそれらからの解脱が目標になっている。
仏教の涅槃はアートマンの完全否定の末に行き着く境地だ。
仏教は諸法無我を説いたのであって我の肯定などしていない。
ちなみに、バラモン教の基づいているウパニシャッドでもアートマンは
否定でしか表現できないものだ。これは我でない、あれも我でないと・・・。
895 :
曉 :2009/05/29(金) 21:22:37 ID:4ilMt9G8
>>889 言葉遊びに論破されてるていたらくに見えるが?
言葉遊びとは便利な言葉だよね
>>880 > それがまだレベルが低くて、自ら普遍的な神や霊に対する認識能力が欠如している者にも
> その正しさを確認できるよう、その確信を補強してあげるためのものです。
そんな確信では、よりパフォーマンスの上手い手品師にただ流れていくだけだろうよ。
せっかく生きているはずの人間を、電撃殺虫機に飛び込む虫にしてどうするよ。
「そこ」に意識をとられる人間は、「そこ」に意識をとられないようにしないとダメなんじゃないか?
暗闇で念仏ひたすら唱えさせて、意識が朦朧としたところで
パッと雨戸を一瞬開け、阿弥陀如来が金色に輝くのを一瞬だけ見せて
「おおお」と感動させる。
それに何の意味が?
プロセスが分らなければ、こういうパフォーマンスも本物の奇蹟も
それを見る人にとっては「等価値」なんだよ、実際。
こんな形で超能力のショーを見せるのって、愚民化計画でしかなくね?
俺は密教の加持祈祷とかまで否定する気はないけど、
奇蹟を見せるとかは、ちょっとバカバカしいような気がする。
897 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 21:31:21 ID:SSsDr1nK
>>889 開祖・教祖の盲信・狂信は、カルトだよ。
原始仏典がライト兄弟の飛行機なら、大乗仏教は、その原理に基づき、
それを大幅に改良・発展したジャンボ・ジェット機。今時、ライト兄弟
の飛行機などに乗る者はいないw。
釈迦の偉大さは、その「空」の思想により、大乗仏教の巨大な体系の
確立を可能にしたことにある。
>>894 >業法輪廻転生の否定
これは空相としての否定じゃないの?
つまり、あの世もこの世も空相だと。 諸法空相の中にあの世が無い、という否定じゃないと思うけどな。
899 :
旧7 :2009/05/29(金) 21:34:21 ID:f9V0O5Io
>>889 君らの大好きな・依拠するパーリ系統の原始仏典「長部15“大因縁経”」でも読んでみろw
900 :
旧7 :2009/05/29(金) 21:51:19 ID:f9V0O5Io
>>896 同意ですね。
またそこが、(何度か指摘しましたが)、リスクマネジメントの欠如なんですよ。
奇跡や神秘を全否定・全却下、この世から抹消しようとは思いませんけど、
関わる者は、その使用法・利用法を(受け止め方を)必要に応じて教示できた方がいいように思います。
また(用いるなら)、その副作用についても熟知し、その危険性を同時に提示し、誘導すべきではないでしょうか。
抗癌剤のようなものかもしれませんね・・・w
901 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 21:56:49 ID:SSsDr1nK
>>900 >抗癌剤のようなものかもしれませんね・・・w
抗癌剤というより、麻薬でしょう。一旦、依存症になると、もはや制御も、離
脱も不可能になる。抗癌剤は、副作用はあるが、依存性はない。
902 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 21:56:54 ID:4ilMt9G8
インドの雑貨屋でサイババのステッカーあったよ
>>826 昨日のものだが、
そういった、とるにたらないものとしてのあの世というか、死後か
これを想定することをおれは否定している。
無記ということは、つまりは、相手を導くために、あるいは境地を表現するために
それを利用できるということでもある。
現在の人は死後を信じていないから、それにだけ合わせるべきだというのは
結局、仏教を今の人に巻き込むどころか、今の人の死後観に仏教をまきこんでしまう。
過去世、未来世という関係性の中で現在の生が基底されるということを考えれば
来世も過去もないという見解は現在生を、刹那的な快楽への依存と
己が知覚する世界のみがすべての世界という、自我の檻との中へ閉じこめてしまうのではないかと
思う。
かといって、日本人には戒律を守っている人はいないし、
きちんと法脈を受け継いでいる人もいなさそう。
だから、素人が他人の死後を語ったりすることは避けるべきだ。
だが同時に死後がないと語ることも避けるべきだ。
904 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:03:05 ID:EK6WdCwg
>>894 馬鹿はあなたですね。
あなたは前スレからの、原始経典からみると、
あなたがたの主張はことごとく誤りであると論証されてきた話しの流れが、まるで理解できていない。
お釈迦様は業法輪廻転生は無いとは言っていない。あくまであるのを前提に、
そこからの解脱を説いたんですよ。
あとウパニシャッドはアートマンを否定していない。
それどころか、明確に真我思想をベースにするものどす。
あなたの知識は滅茶苦茶で、話になりません。
905 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:09:57 ID:SSsDr1nK
>>903 >来世も過去もないという見解は現在生を、刹那的な快楽への依存と
>己が知覚する世界のみがすべての世界という、自我の檻との中へ閉じこめて
>しまうのではないかと思う。
そのような結論は、簡単には出せない。全く反対の結論を出せる可能性のほうが
大きい。
この世が一度きりのものであるからこそ、より良く生きるという意欲が生じる
とも言えるではないか。一度きり(希少性)こそ、価値があるのではないか。
何で、一度きりの大切なものを、粗末にできるのかね。人間は、それほど愚か
ではないよ。
>>905 それは相手を見て決めればいいことだろ
別に導く上でないと仮定して説くことを否定してはいない
それに経験からいって、 現在生のみを説く人は、慈善活動を仏教だと思っている人が多い気がする。 この世に浄土を〜みたいなかんじで。 人と人とのコミュニケーションのずれを直すことが仏教ではない。
908 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:15:38 ID:SSsDr1nK
>>903 そのような結論には、「すべての人間は罪人である」という、忌むべき
キリスト教の影響を感じるね。
909 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:17:59 ID:SSsDr1nK
>>906 語るなら、万人に共通する「真理」を語れ。いちいち、相手の顔色を
窺うな。
910 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:19:28 ID:EK6WdCwg
生存への執着をも否定し、 現世利益を否定したのがお釈迦様の仏教。 それが末法の今の世。現世利益最優先の唯物論者達の巣窟になっている。 皮肉なものですね。
現世利益と唯物論は関係ないと思う・・・
912 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:22:53 ID:SSsDr1nK
>>910 一切皆苦は、現世の苦であり、その除去は、最大の現世利益ではないのかね。
御釈迦さんは、そんなアホではないと思うぞ。
913 :
旧7 :2009/05/29(金) 22:23:53 ID:f9V0O5Io
>>910 なにやら、資本主義を憎む赤い人達みたいな台詞ですねw
で、≪生存への執着を否定≫しながら常住を説く。
好きにすれば?www
914 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:28:35 ID:SSsDr1nK
>>911 現世利益は、身体も含めて、「物」以外の何があるのかね。教えてくれ。
現世利益とは、人間の生存に必要な「物質的利益」以外にはありえない。
人類の歴史は、常に、生存に必要な「物質的利益」の追求であり、甘っ
たれた「精神的利益」などではない。人類史的に考察されたし。
915 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:29:15 ID:EK6WdCwg
>>911 唯物論者が宗教の目指すところの真の幸福を追求すると、
現世利益の追求になります。
その代表各は、さしずめ、草加でしょう。
しかしここの末法仏教徒達は、馬鹿ばっかりですね。
916 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 22:36:32 ID:AUnFuMBA
そろそろ次スレですね。
>>894 誤解が起こるといけないので・・、
業法輪廻転生がないとして否定したのではなくて、
業法輪廻転生している世界からの解脱を説いた。
>否定でしか表現できないものだ。これは我でない、あれも我でないと・・・。
「無い」といったのではなく、それらは違うといってるのです。
客観的に示せるものはアートマンではない、という意味です。
>>889 >>904 は正解です。
917 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:38:07 ID:SSsDr1nK
>>915 >宗教の目指すところの真の幸福
君は、「幸福の科学」「幸福実現党」さんか。
君は、「絵に描いた餅」のほうが、「現実の餅」よりも価値があると思っている
のかね。それは、完全な倒錯・狂気であることを、自覚して欲しい。
狂気とは、「現実との接触の喪失(loss of contact with reality)」と定義
される。
>>915 いや、神道やインドの土着宗教は現世利益型だよ
人事を尽くして神命を待つところに神道の深さがある
唯物論者は物質的な幸福のみを求めている。
919 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 22:39:46 ID:AUnFuMBA
>>905 「人生、1度きり」という概念は自分の好き勝手にするということにも繋がり、
他者を害してまで行うことを制する倫理がないのです。
「次の世(生)」という概念は、今生のあり方が引き継がれることを意味しているのです。
そこに自己責任が生ずる。仏教は自己の行為は必ず返ってくると説く。
それからは決して逃れられないといっているのです。
仏教を信奉するとは、この基本を理解し信奉することをいう。
できない人は仏教徒ではない。簡単な話です。
『賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報
いとを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者
は業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。』
(スッタニパータ653-654)
『けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。』(スッタニパータ666)
『罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生
のあるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。』(スッタニパータ676)
920 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 22:42:10 ID:AUnFuMBA
『ブッダと同時代の自由思想家の中には、プーラナ・カッサパやアジタ・ケーサカンバリンのよ
うに、業の因果応報を積極的に否定したものもあった。彼らは善悪の行為が後に安楽と苦しみ
の果報をもたらすことはないと考えた。これらに対し、仏教やジャイナ教は、このような人間の行
為の効力を認めない説を行為否定論(akiriyavAda, akriyAvAda)と呼び、道徳を破壊する説とし
て非難した。
彼は唯物論を説き、業・輪廻の思想を否定した。善悪の行為の報いはなく、死後の生れ変りも
ない。人間は地水火風の四要素からなるもので、死ねば、四要素に帰り消滅する。死後存続す
ることはない。布施に功徳があるとは愚者の考えたことであるとする。
だから、宗教的な行為は無意味で、この世での生を最大限利用して楽しみ、そこから幸福を得
るべきだという。この思想は宗教や道徳の根本を破壊するものと恐れられ、他のインド思想諸派
から激しく攻撃された。』(インド思想史略説)
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bukkyou1.htm#ch1.4
921 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:45:40 ID:SSsDr1nK
>>919 神智学経由で原始仏教に洗脳された自分自身を基準にして、すべての人
間を語るのは、おかしいのではないかね。
他の人間は、君ほどは愚かでない、ということだよ。
922 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 22:46:29 ID:AUnFuMBA
>>891 了解。大変ご苦労さまでした。
これから確認します。
>>877 いいですか。
『現代人の常識。どんな生物学、産科学の教科書にも、中学校の理科の教科書にも、
「転生」などという言葉は、一言も出てこないw。』
>>858 といった彼の指摘は正しいです。
つまり、学校教育の場では「こんな宗教があります」とは教えますが、
神の存在なり、転生なり、神通力を真実のものとして教えることは一切ない、というのが事実。
その価値観によって現代社会のシステムを構築、運営されているのです。
しかし、だからといって、
仏教までも勝手に唯物論に摩り替えるなどは断じて認められない。
923 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 22:48:06 ID:AUnFuMBA
>>896 ちょううど良かった。
いいたかったことを取り上げているのでw
>パッと雨戸を一瞬開け、阿弥陀如来が金色に輝くのを一瞬だけ見せて
>「おおお」と感動させる。それに何の意味が?
そう、大して意味がなくそんなに役にも立たない。
ミルクを神像が飲んでも、一体それが何になると・・。
これは、よく聞かれる批判でもある。
いいでしょうか!
役に立つ意味あることというのは我々、人類が自分ですべきこと。
自分たちで考え、自分たちで行動を起こして解決すべきなのです。
この世界から苦悩と悲劇を瞬時で解消する奇跡が起きないのはそのためです。
924 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:52:06 ID:SSsDr1nK
>>922 教えることは、人間にとって無益・有害だから教えないだけ。
教えるとしたら、ゴマンとある宗教のうちの、「どの宗教を、どのように
教えるか」について紛争が生じ、日本は大混乱に陥るぞ。
925 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:52:21 ID:pzmHmMHw
証明しろ
926 :
旧7 :2009/05/29(金) 22:52:50 ID:f9V0O5Io
>>923 結局、愚者は文字通り愚者だったと・・・w
927 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:56:24 ID:EK6WdCwg
>>912 一切皆苦とは、文字通り、一切は、皆苦です。
現世利益もこの一切に含まれるもので、現世利益なるものも、
苦でしかないと説くのが仏教です。
あなたは、お釈迦様とは真逆な主張をしながら、仏教マンセーしている。
あなたの主張は原始仏典にでてくる悪魔ナムチそのものなのに
仏教マンセーしている様は、みていててても滑稽です。
頭大丈夫ですか?
928 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:57:33 ID:pzmHmMHw
929 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 22:58:19 ID:SSsDr1nK
>>926 そこまでは言わないがw、精神医学的問題があるのは確かだね。
いつから、どんな原因でそうなったのか、発病の経過を教えて欲しい
ものだ。宗教に起因する精神病治療のアドバイスは、いくらでも出来ます。
930 :
曉 :2009/05/29(金) 23:00:26 ID:4ilMt9G8
何故に業は生じないのであるか。それは本質をもたないもの(無自性)であるからである。 またそれが不生であるが故に(生じたものではないから)、滅失することはない。 もしもその業がそれ自体として(自性上)存在するならば疑いもなく常住であろう。 また業は作られたものではないことになるであろう。 何となれば常住なるものは作られることがないからである。 もしも業が作られたものでないならば、人は自分のなさなかったことについても報いを受けることになるであろう。 またその説においては、清浄な行いを実行しないでも[その果報が得られるという]欠点が不随して起こることになる。 [そうだとすると]一切の世の中の活動と矛盾することになることは、疑いない。 また善をなした人と悪をなした人との区別が立てられないことになる。 「中論第十七章」
『世尊よ、人々は生存に対する執着の原因となる五つの身心構成の要素を実在と固執して、 それらが無常であるのに常と思い、苦であるのに楽と勘違いし、無我であるのに、アートマンがあると想定し、 不浄であるのに浄と見あやまります。 かれらは見方がてん倒しております。 他方、声聞や独覚たちは、その点については正しく、無常、苦、無我、不浄と見ておりますが、 そのような「浄智」をもってしても、全知者のみの智の対象たる「如来の法身」については、 まだ理解したこともなく、てん倒した見方をしております。 これに対し、もしひとびとが、世尊の御子、後継者として、如来を常住と思い、楽と思い、 アートマンと思い、清浄と思うならば、そのものたちは、その見方がてん倒しておらず、 正しい見方をもつ者といえましょう。 そのわけは、「如来の法身」こそは、究極完全な常住性、究極完全なアートマン、 究極完全な安楽性、究極完全な清浄性でございます。』(勝鬘経)
932 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:04:30 ID:SSsDr1nK
>>927 ならば何故、苦からの離脱という「現世利益」を説くのかね。生が苦なら、
死ねば簡単に解決すること。よりよき現世のために、現世を生き抜く
ために、現世の苦からの離脱を説いているのではないか。
933 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:08:34 ID:SSsDr1nK
「良いことも、悪いこともした人間(すべての人間がそうであろう)」 の来世はどうなるかを説明できない限り、「輪廻転生」の理論は崩壊する。
934 :
旧7 :2009/05/29(金) 23:09:22 ID:f9V0O5Io
>>922 私の昔のレスだ。熟読してみてくれw
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1146643240/ 551 1/2 sage 2006/06/08(木) 14:43:09 ID:Y4N/7cKg
>> 550
>細胞分裂(発生)や、食事によって成長することに関しても、
>識が深く関わっているという印象を受けるのだがどうなんでしょう?
特に心経等は、学者・僧侶問わず様々な人が、解説書≒生き方指南書を記している。
そのように、現代へ・・・いや、自身の生き方へ敷衍させることを否定するつもりは毛頭ない。
原始仏典を座右の銘として生きることは素晴らしい。
また、仏教【的】視点を利用して、現代の様々な事象へ斬り込んで行くことも、
有効で有意義なことであろうと思う。寧ろ大いに各分野の人にやっていただきたい手法である。
けれども私は、
仏教の理論(理屈)を、そのまま現代へ持ってくることは良くないと思っている。
(特に古代の思考は)時代背景抜きに語ることは出来ないと考える。
同様に、現代の価値観・知識等を仏典に投射することもまた、
細心の注意を払って、慎重になされるべきだと考える。
輪廻や無色界、四禅、神通等等等w
(最新の科学的知見との整合性を探るという作業も面白いだろうし、なされる価値はあると思う。
現代においては、説法の際の武器の一つとして、かなり効果的なものになるだろうとも思う。
しかし、それはあくまでも、仏教の周縁の周縁でしかない。プラスアルファ以上のものではない。
たとえ、仏典を再編纂するとしても、本文ではなく新たな註として加えられるものであろう。)
935 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:12:27 ID:EK6WdCwg
>>913 お釈迦様が否定した生存への執着とは、
今の我々の、肉の自我による生存のことです。
肉の自我は、いつかは滅びるもの。お釈迦様は、肉の自我による命。現世利益など、
この世のもの一切は、いつかは滅びるものなので、
そんなのには執着するなと説いたんですよ。あなたも理解力の無い人だ。
何年仏教やってるんです?
936 :
旧7 :2009/05/29(金) 23:12:33 ID:f9V0O5Io
うはwwwww
勝鬘経まで出て来たしwww
>>931 って、噂には聞くけど「勝鬘経」って実際どうなん?
読んだことない俺に三行で宜しくw
937 :
旧7 :2009/05/29(金) 23:14:42 ID:f9V0O5Io
>>935 でも、「常住なる自己、肉に依存しない自己」が望みなんですよね?w
938 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:21:01 ID:SSsDr1nK
>>918 神道は、すべての「物」に「神」を認める。かまどの神、トイレの神まである。
そして、人間の生存を支える「具象」としての自然に、最大の価値を認める。
罪など、禊をすれば、簡単に洗い流せる。
また、「事挙げ」しない。即ち、教義もない。
神道は、世界で最も優れた自然宗教であるといえる。
但し、平田篤胤あたりがキリスト教の影響を受けてカルト化した。明治維新が、
日本の歴史には珍しい「流血革命」となったのは、それが理由である。
939 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:24:05 ID:pzmHmMHw
イエスも釈迦も、自分の<寿命>を伸ばすことも出来なかった普通の人間でしょw (*´・ω・)(・ω・`*)ネー (*´・∀・)(・∀・`*)ヘー 「完全な人間」「超越した人間」であるように勘違いしてひたすら盲信するのは間違いで狂気の始まり (*´・∀・)(・∀・`*)ヘー (*´・ω・)(・ω・`*)ネー
940 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:25:24 ID:SSsDr1nK
>>935 アホですか。四苦は、すへて、肉の苦しみではないか。
霊肉二元論はキリスト教。仏陀は「無記」として、二元論を否定した。
941 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/29(金) 23:26:00 ID:AeO0NgKr BE:384731633-PLT(13230)
|ω^)・・・
942 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:27:22 ID:EK6WdCwg
>>932 現世からの苦の離脱は現世利益ではありません。
現世はあくまで苦です。あなたはまるで話にならないな。
>>938 平田篤胤はキリスト教の影響なんて受けてねえよwww
儒教、朱子学の影響から、皇室の幕府に対する優位や
日本の精神的なものの抽出、仏教が科学的に不適合であることなど
純粋な神道というものを体系的に探ろうとしたものだよ
しかも明治維新もさして流血してねえ
944 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:33:41 ID:SSsDr1nK
>>942 >現世からの苦の離脱は現世利益ではありません。
これ以上の現世利益はないよ。さもなければ、仏陀は、何故、死を勧め
なかったのかね。その反対に、何とかして現世の苦をなくそうと努力
されたのではないのかね。
釈迦が無常を悟ったのは、城門を出た際に「現世の苦」を目の当たりに
したからである。
945 :
旧7 :2009/05/29(金) 23:35:29 ID:f9V0O5Io
はぁ・・・。 ホント、ロクな論客が居らんなw カラスの威勢の良さが目立つ筈だわwww
>>944 >仏陀は、何故、死を勧めなかったのかね。
死んでもどっかでまた生まれちゃうからでしょうね。
彼ら視点では死なせる事で苦のループを終わらせることはできないんです。
947 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:37:20 ID:SSsDr1nK
>>943 >平田篤胤はキリスト教の影響なんて受けてねえよwww
もっとよく調べられたし。彼の賛否は別として、影響を受けたことは確か。
流血が少なかったのは、仏教の影響だろう。
948 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:42:22 ID:SSsDr1nK
>>946 >死んでもどっかでまた生まれちゃうからでしょうね。
>彼ら視点では死なせる事で苦のループを終わらせることはできないん
>です。
だからいずれにせよ、あくまで「生」の苦しみであることには、違いは
ない。死後の「生」など認めれば、それも「生」ではないか。
>>948 >死後の「生」など認めれば、それも「生」ではないか。
そうです。だからこそ来世(死後の生)がなくて済むように
輪廻から脱出することを説くわけです。
950 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 23:45:56 ID:AUnFuMBA
>>893 以前、その一文の間違いについて指摘したというのに
〜成長力の欠如ですか?
>>897 ライト兄弟、ジャンボ・ジェット機・・・
飽きずにいつも同じフレーズ^^
>>933 何度も答えたでしょw
疲れるから、あなたへの相手は番号だけになるよ。
1003#みたいにね(笑)
>>929 自己診断では精神分裂症というヤツですね!(笑)
まっ、あなたがた唯物主義者からすれば、
超自然を本気で信じていれば全部コレに該当するでしょう。
この私は生まれつきです。
宗教と出会う以前からの信念&確信ね^^
---これ強調!!!
951 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 23:48:06 ID:AUnFuMBA
>>884 >仏教的には、ヒンドゥの神々に奇跡が起きても意味が無いんだよ。
宗祖クラスとか、空海、天海といった密教僧。
或いは、チベットのミラレパとかの神通力の話はあるんでは?
古いか・・。
>>900 >その副作用についても熟知し、その危険性を同時に提示し、誘導すべきではないでしょうか。
仏典は説いてるでしょう!
経典に詳しいあなたが何を今更〜w
952 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:48:14 ID:SSsDr1nK
>>949 どこまで行っても「生」の苦しみ。生・老・病・死は、すべて「生」の
苦しみ。
解脱の目的は、「生」の苦しみを逃れることに他ならない。
953 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/29(金) 23:50:25 ID:AeO0NgKr BE:1709916285-PLT(13230)
世界が無常であることを明らかにすることによって、この世の苦しみを説明 する一方で、苦しみを滅するために、苦しみを生み出す原因が何であるかを追 究することも行われた。いわゆる「縁起説」である。 「縁起」ということばは、現在では、もっぱら「縁起がよい、悪い」という ように「ものごとの起こる前ぶれ、前兆」の意味で用いられている。しかし、 もともとはそのような意味ではなかった。 「縁起」とは「よって起こること」で、具体的には「苦しみは、なんらかの 原因・条件(因縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、 苦しみもなくなる」ということである。 「縁起説」は、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼって、苦しみの根源 をさぐりあて、それを滅することにより苦しみを解消することをめざすもので ある。これは後に整備され、因果系列の項目が十二にまとめられる(十二縁起 )。十二縁起説では「根源的な無知」が苦しみの根本的な原因とされ、「悟り 」と対置される。
954 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/29(金) 23:51:28 ID:AeO0NgKr BE:1538925449-PLT(13230)
十二支縁起(十二因縁) 十二の項目とは、@根源的な無知(無明)、A生活行為(行)、B認識作用(識)、 C心と物(名色)、D六つの感覚機能(六処)、E対象との接触(触)、F感受(受)、G本能的な欲望(渇愛)、H執着(取)、I生存(有)、J誕生(生)、 K老いと死(老死)である。 十二番目の項目「老いと死」には「愁い(愁)、悲しみ(悲)、苦しみ(苦)、憂い(憂)、悩み(悩)」が加えられることがある。「老いと死」が苦しみの代表とされているのである。 これによって、「老いと死」に象徴されるこの世の苦しみがいかにして生ずるかが明らかにされる。それと同時に、その根源を「根源的な無知」からはじめて順に滅すれば、苦しみが消滅できることを説き示している。
955 :
Φιλοσοφ ◆d........o :2009/05/29(金) 23:52:10 ID:AeO0NgKr BE:1196942047-PLT(13230)
( ^ω^)だおだお
956 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:52:23 ID:SSsDr1nK
>>950 >以前、その一文の間違いについて指摘したというのに
筆者は、君よりはるかに仏教について勉強した人だよ(神智学などでは
ないw)。君が誤りを指摘できるはずがないだろ。
>>952 >解脱の目的は、「生」の苦しみを逃れることに他ならない。
だから、そうだと言ってます。
958 :
宝珠愚者 :2009/05/29(金) 23:53:35 ID:AUnFuMBA
すみませんが、
どなたか次スレ建てを宜しくお願いします。
できれば、
(仏教以外の専門的な内容はスレ違いなので他でお願いします!)の一文を
「再び、当スレではこの仏教の根底を覆しかねない大問題について討論します。 」
の下段にでも追加して下さい。
------------------------------------------
>>889 >仏教の看板を下ろし、中論教を名乗るべきでしょう。
ですね!
そういうことならば誰も文句はありません。
中論教、禅教でも好きに説けばいい。好きな人が信奉すればいいのですよ。
>>931 勝鬘経・・・って、
でも、その一文は正しいのかもw
>>924 さしあたっては、
人間は肉体死で終わりではないことが確認されれば、取り合えずそれでOKでは。
その時、「科学的にも-----と確認された」とだけ説明し、死後とそれ以降の意識(生存)
の状態ついては、「各宗教によって様々に説かれている」といえばいい。
959 :
神も仏も名無しさん :2009/05/29(金) 23:56:50 ID:SSsDr1nK
>>953 >>954 誰でも知ってる概説は結構です。竜樹のいう「縁起」は、その意味では
ない。
自分の哲学を、述べられたし。
960 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:01:06 ID:SSsDr1nK
>>958 日本は、大乗仏教の国。原始仏教や小乗仏教のほうがよいのなら、日本を
離れて、東南アジアの国に帰化してくれ。日本には、カルト仏教は不要。
961 :
旧7 :2009/05/30(土) 00:01:35 ID:f9V0O5Io
>>958 >勝鬘経・・・って、
>でも、その一文は正しいのかもw
おいおいw
大乗仏典否定派じゃなかったのかい?
大乗仏典でも、【貴方の基準に合致すれば】【仏説】ということか・・w
原始仏典(パーリ仏典)でも、【貴方の基準に合致しなければ】【仏説ではない】ということか・・w
結局、成立年代とか系譜とか関係なかったんだねwww
どの経典が古いとか新しいとか、関係なかったんだねwww
>>960 二大勢力の日蓮系と浄土系は追放しなくていいんですか。
963 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:06:44 ID:7a573LA0
>>958 批判力の不十分な子供が、人間は肉体死で終わることはない、などと信じ込ま
されたら、オウム同様、平気で人を殺せるようになるぞ。あまりにも無責任な
発言をしてはならない。
>>963 殺したほうはただでは済みませんね。地獄行きか犬畜生に生まれるか
はっきりとした基準は知りませんが。
965 :
旧7 :2009/05/30(土) 00:11:10 ID:EIWTP7gH
>>951 >仏典は説いてるでしょう!
仏典全てを網羅してはいないので何とも言えませんが、
多分、注意書きにあたる(≒注意書きと見做せる)記述はあるでしょう。
しかし、貴方方の系譜の方々は、そこを伏せて語っていませんか?
産地偽装・消費期限偽造とまでは言いませんけどw、それに近い語りをしていませんか?
966 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:12:02 ID:7a573LA0
>>964 そんなことは、現代の小学生でも信じない。せせら笑っているだろう。
「肉体死で終わることはない」のほうだけ信じたら、一体どうする積り
か。信じ込ませたほうも、共犯になり、地獄に落ちるぞw。
967 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:13:48 ID:Wgw50lEJ
>>961 やはり、彼は自説が理論武装され権威付けられることしか許容していない、
ということでしょう。
真言様が発言されないのも、その辺りが原因なのかな…。
1スレは、代理設置したが、もういい…。
968 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:14:31 ID:7a573LA0
>>964 オウム事件の反省は皆無なのか。それとも、君も、オウムか。
969 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:17:21 ID:7a573LA0
>>967 「真言様」って、一体誰か?「様」をつけるほど、偉い人なのかw。
970 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:21:23 ID:7a573LA0
>>962 >二大勢力の日蓮系と浄土系は追放しなくていいんですか。
いずれも一応大乗だから、取り敢えずは、カルト性の極めて強い原始仏教
と小乗だけでよい。
971 :
宝珠愚者 :2009/05/30(土) 00:22:00 ID:8vHB5wnZ
>>961 つまり、大乗はゴータマから離れて何でも在りになった。
従って、たまたま原始仏教に合致する内容に戻った部分もあるだろうし、いろいろですよ。
有益な概念(思想)もなくはない・・。
私には「仏教以外は邪教だ!」などという見解はありません。
仏教(ゴータマの教え)は原始経典に拠るべきといってるだけです。
972 :
宝珠愚者 :2009/05/30(土) 00:25:46 ID:8vHB5wnZ
>>965 >しかし、貴方方の系譜の方々は、そこを伏せて語っていませんか?
>産地偽装・消費期限偽造とまでは言いませんけどw、それに近い語りをしていませんか?
私からも何度もいったと思いますが・・。
まだフランスに行く気がない人に、フランスに行く際の注意事項は詳細に述べないのでは?
神智学的に詳しくやりますか?w
973 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:26:50 ID:7a573LA0
>>971 原始仏典が、釈迦の真意であるという保証は「皆無」である。「俺はそ
んなこと言ってはいない」と言われたら、一体どうする積りか。
また、開祖に対する過度の執着も、釈迦が戒めた執着の一つだよ。
974 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:30:35 ID:7a573LA0
>>971 ゴータマなどと言っているが、要するに、原始仏典が、一神教に近く、
親和性があるからに過ぎないのだろ。君は、自分の一神教のために、ゴ
ータマを「利用」しているのである。
>>973 > 「俺はそんなこと言ってはいない」と言われたら、一体どうする積りか。
なんですかこの妄想は。
釈迦が生き返るとか、転生するとかいう前提でもあるんですか?
976 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:31:42 ID:Wgw50lEJ
>>971 >たまたま原始仏教に合致する内容に戻った部分もある
誰がどのような基準でそれを判断するの? 貴方の自説に従って、でしょ。
>仏教(ゴータマの教え)は原始経典に拠るべき
と仰るが、先に挙げた『SN』5.9-10を無視したではないか。
>>974 > 君は、自分の一神教のために、ゴータマを「利用」しているのである。
あのセリフをいうチャンスが巡ってくるとはw
では、言うぞ。
「オマエモナー!!」
978 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:33:11 ID:7a573LA0
>>975 君たちは、死後の生命や転生を信じているんだろw。
979 :
旧7 :2009/05/30(土) 00:35:10 ID:EIWTP7gH
>>972 >神智学的に詳しくやりますか?w
仏教に足りない所があり、神智学が、そこもカバーできていて、
且つ、仏教の領域も十分に包含しているなら、そのように神智学が優れているなら、
仏教要らないじゃんwww 神智学だけでいいじゃんw
なんで「『仏教』という名称」、「『ゴータマ』という人物」が必要なんですか?
ゴータマ、及び弟子達は、神智学の領域へ到達し得なかった人々ですよ?
固執する理由が不明になっちゃいますねw
980 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:36:20 ID:7a573LA0
>>977 私は、無宗教・無神論だから、他の宗教や神のために利用しているのでは
ない。専ら、すべての人間のために、利用させてもらっている。これなら、
ゴータマもきっと喜ばれるであろう。
>>923 毎回、こうやってスルーしていくけど、
こっちの言いたいことに、真っ直ぐ答えようとは思わないのかな。
超能力なんてあったとしても人に見せない方がいいし、
見せるのはむしろ害悪なんじゃないかということなんだが。
そんな状態の相手にヘタに「確信」なんて持たせない方がいいってことなんだがな。
>>978 いや、わからない。というスタンスだな。
無いとも断定しないが、あるとも断定できない。
983 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:38:51 ID:pyqCS1/a
>>932 自殺すれば終わりとはならない。
輪廻からの解脱がないと、相も変わらず苦でしかない迷いの生存を繰り返すので、
自殺してもなんの解決にもならないどころか、
その負の業は、来世、悪い結果をもたらす、こんなのは仏教思想の基本です。
あなたはこんなことも理解できていないで、ここに居着いているんですね。
正直呆れます。
>>980 すべての人間のためじゃなくて、キミのエゴのためだろ。
少なくとも俺のためにはなってないから。
> ゴータマもきっと喜ばれるであろう。
この手の妄想はキモイからやめた方がいいと思うよ。
釈尊をオナニーの道具にするのはどうかと思う。
985 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:45:02 ID:7a573LA0
>>983 生が一度きりなら、もったいなくて自殺などできないという理屈も、
同時に成り立つぞ。一度きり(希少)だからこそ、価値がある。
死後の生など信じ込ませる弊害のほうが、はるかに大きい。
986 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:48:32 ID:7a573LA0
>>982 >無いとも断定しないが、あるとも断定できない。
そんな曖昧なことを言うから、迷いと苦しみが増す。どちらかはっきり
してくれ。なお、生死の問題は、医学の専門分野である。宗教の出る
幕ではない。死亡診断書を書くのは医師であり、僧侶ではないw。
987 :
宝珠愚者 :2009/05/30(土) 00:50:45 ID:8vHB5wnZ
>>967 随分と悲しい態度ですね。
あなたは私が主張するような常住論がスレで展開されるのは、面白くないのかもしれませんが・・
これは仏教の一般常識を覆すかもしれない大切なものです。
まだ、「梵網経」の内容で意見交換が十分に行われていないのですから、
終るわけにはいかないのではありませんか?
>自説が理論武装され権威付けられることしか許容していない
私の見解が仏教的観点から見て間違いであるとハッキリできるにならば、
それはそれで良いことではないのですか?
それをこの私にも判るよう、読者にも分るように示すことが必要なのでは?
とにかく、梵網経問題もまだ終わってないので
そのつもりで宜しくお願いします。
>>979 確かに不足している全ての説明がある。
しかし、これらはまだ一般化されておらず認知されていません。
また、オカルトという悪しきイメージのレッテルが貼られています。
少なくとも仏教は違う。
仏教を・・というより、ゴータマの思想を改ざんするな、といってるだけです。
ゴータマ思想の基本は大切なものです。
988 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:52:04 ID:7a573LA0
>>984 >釈尊をオナニーの道具にするのはどうかと思う。
私は仏教徒ではないから、釈迦はオナニーの道具にはなり得ない。オナニー
の道具にしているのは、釈迦から離れられない仏教徒たちである。
>>986 断定するだけの根拠がないのに、どっちかに断定したって何の意味もないだろうが。
断定しないことで、苦しみや迷いが増すのはキミの問題であって、
私には関係ないし。
>>988 なり得ないも何も、現にゴータマも喜ばれるだろうとかいって
ゴータマの妄想に快感感じてるじゃない。手遅れってやつ?
991 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 00:59:32 ID:7a573LA0
>>984 >少なくとも俺のためにはなってないから。
君が洗脳から目覚めた時に、ようやく、君の長い人生にとっての大きな
価値に気付くであろう。洗脳中は、何を言っても、耳には入らない。
>>991 洗脳されてるという前提があるのが、既に妄想。
根拠もないのに、適当なことだけ書くよなー。
自分の家庭の話を他人にまで適用するのはやめた方がいいと思うよ。
993 :
宝珠愚者 :2009/05/30(土) 01:05:13 ID:8vHB5wnZ
>>976 >仰るが、先に挙げた『SN』5.9-10を無視したではないか。
私も何でも経典が読める環境ではないし・・
しかし、5.9はあなたにいわれて確認しましたよ。
私の見解では、何ら問題とはならないと判断しましたが。
だから、ただ「それも縁起これも縁起」だけじゃなくて、
転生のメカニズムについての仏教上の説明(あなたの理解する)をして下さい、といったのです。
或いは、その部分の経文を提示して欲しいといったのです。
阿頼耶識が登場した背景というのは、「それも縁起これも縁起」だけじゃ、
やはり納得いく説明にならないからではなかったか、ということです。
>>987 > 仏教を・・というより、ゴータマの思想を改ざんするな、といってるだけです。
長阿含経とかにも言ってやってくださいよ。
> ゴータマ思想の基本は大切なものです。
その基本が何かってことで紛糾しているわけですよ。
神通力はあたりまえ、これ基本中の基本とか、
そういう基本も人によっては唱えるわけでね。
本当の基本、これだけは必須というのが何かということです。
995 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 01:07:11 ID:7a573LA0
>>989 私は医学もやっているし、宗教に嵌っていないから、そんなものは無いと断定
できる。宗教などに嵌るから、余計なことで悩み、苦しむのである。
死んだおばあちゃんが、墓の陰から出てきてくれるのかね。そんなことは、一度
もない。
所詮は、宗教から人為的に植えつけられた観念に過ぎない。
なお、生死のことは、医学の専門分野。宗教の出る幕ではない。
996 :
旧7 :2009/05/30(土) 01:08:29 ID:EIWTP7gH
997 :
旧7 :2009/05/30(土) 01:10:57 ID:EIWTP7gH
998 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 01:11:05 ID:7a573LA0
>>992 死後も生きているなど、まさに、ライフスペースそのままではないか。
君は、ライフスペースは、妄想だとは認めることができないのか。
999 :
宝珠愚者 :2009/05/30(土) 01:13:42 ID:8vHB5wnZ
>>973 何度もいったように、記述された内容で判断するということです。
それはゴータマだからではなく、内容によって賞賛されるべきものだと。
>また、開祖に対する過度の執着も、釈迦が戒めた執着の一つだよ。
同様返答。
1000 :
神も仏も名無しさん :2009/05/30(土) 01:14:23 ID:7a573LA0
>旧7さん 中途半端な態度はよくない。洗脳を強化するだけ。
1001 :
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