1 :
名無しさん@3周年:
会員の人もそうじゃない人も、
手堅く語りあいましょう!
∧_∧____
/(*゚ー゚) ./\
/| ̄∪∪ ̄|\/ けんかしないでね、厨房のみなさま。
|____|/
,,,,∪∪,,,,,
■ルール
・荒らしは原則「放置」です。
・コピペ荒らしは禁止。
・渡海難さんは悪いけど他の所に行って下さい。
・一般会員の個人名を出さないようにね。伏せ字でも。
・人を罵ったりする人は来ないで下さい。
最近とても良識ある大人とは思えない発言をする人がいます。
一般常識を守って、みんなが見て気持ちの良いレスを心がけましょう(^^)/
■公式サイト
http://www.shinrankai.or.jp/
2 :
名無しさん@3周年:04/12/04 22:52:41 ID:PBizdnoO
3 :
名無しさん@3周年:04/12/04 22:53:52 ID:PBizdnoO
4 :
名無しさん@3周年:04/12/04 22:56:10 ID:PBizdnoO
5 :
名無しさん@3周年:04/12/04 23:04:33 ID:s8JnFBm8
6 :
名無しさん@3周年:04/12/04 23:05:07 ID:PBizdnoO
7 :
名無しさん@3周年:04/12/04 23:05:13 ID:s8JnFBm8
9 :
名無しさん@3周年:04/12/04 23:06:00 ID:PBizdnoO
11 :
名無しさん@3周年:04/12/04 23:11:34 ID:PBizdnoO
15 :
名無しさん@3周年:04/12/05 00:39:38 ID:XfiHOBYd
ID:PBizdnoOは会員
ID:s8JnFBm8はアンチ
すぐにわかる。
昔はアンチがスレ立ててたけど、今は会員が立てて進行するようになったな。
>15
あっちはそれで飯食ってる人間だからね。
17 :
名無しさん@3周年:04/12/05 02:34:20 ID:vacOuX++
通行人さん、住人一同こっちでも質問の回答待ってるぞ。
18 :
通行人:04/12/05 02:38:44 ID:id/bZY8M
となりの学籍が誰かまで知ってるよ。
でもそれいうと、私の本名がばれてしまう・・・。
つか、もうばれてもおかしくないよ。
>>18 おい、しょうしんげの他は何が出たんだ?
答えろよ。
20 :
名無しさん@3周年:04/12/05 02:40:26 ID:vacOuX++
通行人、おまえの嘘は白日の下に晒された。
まだ間に合う、正直に素性をいってみろ。
おまえは人間相手に、ただ場面を糊塗して生きている恥知らずなのか?
(ノ∀`) アチャー
22 :
通行人:04/12/05 02:42:30 ID:2xl/tgUd
23 :
名無しさん@3周年:04/12/05 02:43:45 ID:vacOuX++
通行人、ただ逃げ回ってるだけか?
このままだと、ここの住人はみんなおまえがウソツキと思ってしまうよ。
正信げの他には何が出たんだ?
いえないの?
>>22 じゃあ、さっさと答えな。( ゚Д゚)ヴォケ!!
25 :
名無しさん@3周年:04/12/05 02:44:51 ID:vacOuX++
正信げの他には何が出たのか言ったって、
おまえの名前などばれないだろが。
違う?
26 :
通行人:04/12/05 02:45:34 ID:2xl/tgUd
>>しかも回生が変わったなんて言い訳にならない。
なぜなら、俺の後輩が現に今、2回生と3回生と4回生にいるからだ!
なるほど、先輩にあたる人か。
ぜひ面拝みたいものだね。
後輩がいるってことは、何かのサークルに入ってたのかね?
何のサークル?
27 :
名無しさん@3周年:04/12/05 02:46:33 ID:vacOuX++
>>18 >となりの学籍が誰かまで知ってるよ。
こんなこと誰も聞いていないと思うが。
正信げの他には何が出たのかいいなさいな。
28 :
通行人:04/12/05 02:47:41 ID:2xl/tgUd
>>25 何が出たっておかしくないか?
後期試験は自由なとこ選ばせてもらったよ。
んで、漏れはしょうしんげの最初の二行選んだだけの話。
29 :
名無しさん@3周年:04/12/05 02:47:57 ID:vacOuX++
>>26 >後輩がいるってことは、何かのサークルに入ってたのかね?
何のサークル?
話題変えるな!
逃げ回ってるだけか?
こんなのが親鸞学徒か?
会員はこの通行人にたいしてどう思っているんだ?
無視か?
あんた親鸞会の恥だな
31 :
通行人:04/12/05 02:49:12 ID:2xl/tgUd
>>26 逃げですか・・・、ほんと見苦しいです。性根入れなおすことをお勧めします。
何が真剣に仏法聞きましょうだ!だれがそんな奴の言う仏法なんか
聞くんだよ。
勤式だけは特殊だからな。ググってもなかなかみつからんだろう。
ひとつだけみつかるとこがあるんだが。
まあ、本当に試験を受けてるのなら、すぐに答えられるはずなのだが・・・。
もう時間切れです、消えな。
33 :
通行人:04/12/05 02:51:11 ID:2xl/tgUd
>>32 何にも逃げてないわけだがw
これが逃げたように見えるのかな?君はw
知ってるんだから、ググル必要なんかまったくないよw
34 :
通行人:04/12/05 02:53:23 ID:2xl/tgUd
>>32 だいたい、真宗基礎演習Tの授業で紫のテキストが来るなんてググっても
わかるはずないじゃないですかww
35 :
名無しさん@3周年:04/12/05 02:53:28 ID:vacOuX++
おそらく元ボラオの名無しさん、ご挨拶遅れてすみません。
以前ちょっとだけお話したものです。つい横レスしまくって大変失礼しました。
失礼ついでにw、ここの住民の便宜のために前スレの確信部分を引用します。
通りすがりさんの貴重なご発言もうずもれないように、なんとか工夫したいと
思っています。以下引用その1
888 :名無しさん@3周年 :04/12/05 02:19:21 ID:ST8WEyN8
>>886 教える必要はない。お前が龍大生で、しかも教師資格講座を修了して
さらに布教使になれる資格も持っていると発言したことについて
真偽のほどを確かめるのが目的だからだ。
はい、第2問
教師資格検定は試験がある。
勤式の試験では、何と何と何が実唱試験で出たか?答えなさい。
あと、
>>28 後期試験だ?なんで、教師資格に前期後期があるんだよ。
はあ・・・、こっちが恥ずかしくなってきた・・・。
てか、もう時間切れ。ホント消えてください。
あとの判断は、住人の皆様におまかせします。
今回の
通行人のテスト結果 ・・・・ 0点
37 :
名無しさん@3周年:04/12/05 02:55:38 ID:vacOuX++
>>35 スマソ、訂正。
>おそらく「元ボラオ」と名乗っておられた名無しさん、ご挨拶遅れてすみません。
に訂正しますm(__)m
s会にいると、嘘をつくのが平気になるんだね
39 :
通行人:04/12/05 02:58:35 ID:2xl/tgUd
>>36 ちょっと待て。まだ終わってないだろ。
大学の授業に前期、後期がないわけないだろう?
君何の話してるの?大学の勤式という授業の話でしょ?
これは確かに、土曜日の授業で、1限2限とあったんだよ。
んで、後期の最後に唱和試験みたいなのがあったんだよ。
そのはなしをしてるんだよ?
君、何の話してるの?
40 :
前スレから引用:04/12/05 02:59:15 ID:vacOuX++
通行人の存在目的は「攪乱」だとおもいます。
荒らしとみなして今後は相手をしないことを提案します。では、いきます。
844 :通りすがり :04/12/04 21:43:37 ID:Nm+r7xVe
ぜひこの名言、阿弥陀仏の願意を心に留めておいてください。
「十八願だけでは救いからもれる人がたくさんでてしまう。
そこで救いにもれる人がでないように、これでもか、と
最後の救いの網として如来は十九願、二十願をたてたのだ。」
つまり
「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
ここで「阿弥陀仏の御心だ」、ということを強調しておきたい。
阿弥陀仏の御心、おはからい=他力ということです。
自力はそのままなのに他力?と思われるでしょう。
この部分は自力他力の水際です。深く慎重に進めましょう。
41 :
前スレから引用:04/12/05 03:00:04 ID:vacOuX++
844 :通りすがり :04/12/04 21:43:37 ID:Nm+r7xVe
(つづき)
>>819 >阿弥陀仏の願心は、19、20願の人も全て「救うぞ」
>その19、20願の願心の「顕の義」の中にある、
>18願の「陰の義」をえぐり出されたのが親鸞聖人。
>そのあたりのことが
>>719で書かれているのでないかな。
まさにその通りです。顕彰隠密ということをみなさんご存知ですか?
これと関連しますが、
>>822 >ところで500さん、
>大経にも説かれている「辺地往生」についてのあなたの見解を話してみてください
良い質問ですね。ようやく核心に迫ってきたと思います。
鍵となる言葉は
三願転入、顕彰隠密、返地往生、三信三心、三信一心。
42 :
前スレから引用:04/12/05 03:01:55 ID:vacOuX++
845 :通りすがり :04/12/04 22:17:17 ID:Nm+r7xVe
>>828 VXさん
>そのご和讃では確かに「地獄に落ちる」と直接的に明記されてはいませんが、
>「宮殿」がいかなるところであれ、「五百歳(想像できないほど長い時間)」を
>「むなしく」過ごさねばならない=何故生きるかが分からないまま、存在しつつけねばならない
>=後生(ちょっと変な言い方かもですが、我々の立場からあえて想定した言い方をすれば「次の次の生」)暗い心
>は晴らされない
>=後生暗いまま(s会的表現としては「何故生きるのかわからない」)
>生き続けるという、根源的な苦しみが解決されていない
>=疑情が晴らされていない
>という解釈も可能ではないでしょうか?
『歎異抄十七節』
「辺地の往生を遂ぐる人つひには地獄におつべしということ。
この条いづれの証文にみえ候ふぞや。」
「信心の行者すくなき故に、化土におほくすすめ入れられ候ふを、
ついにむなしくなるべしと候ふなるこそ
如来に虚妄をまをしつけまゐらせられ候ふなれ。」
『往生要集』
「報の浄土に生まるる者は、極めて少なく、化の浄土の中に生まるる
ものは少なからず。故に経に別に説けども、其の実は相違せるなり。」
阿弥陀仏が化土を勧めるのは(十九、二十願)、
報土に入れしめんがためである。(十八願)
十九願、二十願をたてたのは
阿弥陀仏のおはからい、御心、他力ということである。
43 :
通行人:04/12/05 03:01:56 ID:2xl/tgUd
>>36 かってに恥ずかしがってるみたいだけど、
自分卑怯じゃないか?
あなた、さっきから何も具体的なこと言ってないじゃないか。
あなたこそ、後輩がいるなんてでっち上げてるんじゃないか?
こっちは、いくつも具体的なことあげてますよ。
テキストの色まで言ってますよ。
こんなの、ググってもでませんよ。
44 :
前スレから引用:04/12/05 03:02:43 ID:vacOuX++
847 :通りすがり :04/12/04 23:10:38 ID:Nm+r7xVe
>>西阿人
>そうなってくると、結局、先生自身が体験体知し、確信しておられる一念の体験が
>現実にあるか否か、というところに話は戻っていき、VXさんやその他の方々(一応、
>私もそちらの側に組しているつもりではありますが・・・)が呈示していた疑問が
>再び問題になってくるのではないかと思います。
「阿弥陀仏は本当に救ってくれるのだろうか?」
「人間がそんなにハッキリスッキリするものなのだろうか?」
「今死んだら、と思うとどうも不安だ。」
「念仏さえ称えておけば地獄へは堕ちないだろう」
このような心が信心決定するとツユチリほどもなくなる、
というのが高森氏の主張であり。
「こんなことが知りたい3」に御聖教の根拠を述べています。
この高森氏の主張を検証すべきだ、ということでよろしいですか?
>>35さん、乙です。
元ボラ夫です。
もうあきれはてています。
スレのしょっぱなから、こんなんでめんぼくないつД`)。
急いで、書き込んでたもので(逃がさないため)・・・。
コテ入れたほうがよろしいでしょうか?
もしそうであれば、
今後は極力コテ入れるようにしますです。おつかれさま〜。
あと、通りすがりさんとか500さんの三願転入等についての本線からは脱線してしまい、
大変申し訳なく思っております。ちょっと、ゆるせなかったもので・・・
今後はスルーの方向にしますです。
46 :
通行人:04/12/05 03:05:03 ID:2xl/tgUd
47 :
元ボラ夫:04/12/05 03:10:14 ID:ST8WEyN8
>>39 >>46 お前、ほんとウザイ。
>大学の授業に前期、後期がないわけないだろう?
>君何の話してるの?大学の勤式という授業の話でしょ?
教師資格の試験について話してんだろうが。お前、受かったんだろ。
資格があるんだろ?それなら、答えられるだろうが。
もう糸冬 了。これ以上かまうと、わしまで荒らし扱いになるからな。
これが最後のレスです。
48 :
通行人:04/12/05 03:11:10 ID:2xl/tgUd
>>45 おまえさん、後輩がいるとかうそでしょ?
だってあなたさっきからなんも具体的なこといってないもん。
ホントにR大学いってるなら、人権論とか聞くとクラス分けあったね〜とか
そういう話がでてきてもおかしくないもん。
真宗教団史の先生と聞くと、前田とかいう熱血気味先生に変わったねとか
そういう話がでてきてもおかしくないでしょ。
真宗基礎演習なら、玉木こうじは元気か?とかひとつも言ってこないしね。
学生手帳の1p目に何書いてる?とか(もちろん漏れは知ってるよ)なんで出てこないのかな。
49 :
前スレから引用:04/12/05 03:12:16 ID:vacOuX++
通行人、相手をあきれされるのもs会の定石どおりか・・
って勝利宣言なんかしても無駄だよ。
悪あがきはやめなよ、もう。
あんたは答えられなかった。だから嘘がばれた、ただそれだけのこと。
853 :通りすがり :04/12/05 00:07:13 ID:awzAXE4J
>>848 >>849 賢いふりをしてしまう私へのありがたい戒めのお言葉です。
>そこまで仏法をしることができたのは
>誰のおかげか考えてみてください。
私が仏教へ足を踏み入れることがでたのはまさに高森先生の御布教あってのことです。
しかし私を安心まで導いてくれた善知識はまた別のお方なのです。
>また、高森先生のバックには阿弥陀さまがおられることも、どうやらあなたは
>わかってないようですが、
高森先生の信心は、私の信心、これはすなわち阿弥陀仏の信心です。
これ以上の考えはございません。
50 :
通行人:04/12/05 03:13:51 ID:2xl/tgUd
>>47 俺がいつ受かったとかそんなこと言ったよ。
H寺みたいな糞寺に就職する気もないし、
気もないんだから、それ系の試験も受ける必要ないよ。
ただ、成績表に取ったやつだけ「G」のマークがつくんだよね。
仏教史をまだとってない。
51 :
前スレから引用:04/12/05 03:14:56 ID:vacOuX++
元ボラ夫さん、御疲れでした。
今後、s会がどのように通行人を処分するかで、
その浄化機構が問われるところでしょう。
860 :通りすがり :04/12/05 00:17:10 ID:awzAXE4J
>>853 >高森先生の信心は、私の信心、これはすなわち阿弥陀仏の信心です。
高森先生と私の信心は同じである、と私が知っているかのように書いていまいました。
正しく訂正すると、
私の信心、これはすなわち阿弥陀仏の信心です。
そして高森先生の信心も阿弥陀仏からいただいた信心であるのだから、
私の信心と高森先生の信心は同じなのです。
52 :
前スレから引用:04/12/05 03:15:48 ID:vacOuX++
864 :通りすがり :04/12/05 00:26:42 ID:awzAXE4J
>>856 >聞法第一の生き方をされることを阿弥陀如来はいちばん望んでおられます。
これは嘘でしょう。
聞法第一の生き方を望んでいるのは阿弥陀如来ではなくてあなたでしょう。
他力ということがわからないあなたでしょう。
高森先生でさえ聞法第一などとは言いません。
善知識の仕事は聴聞に極まり、聞即信、信に入れ、と教化することです。
阿弥陀仏の言葉、釈尊の言葉、親鸞聖人の言葉、高森先生の言葉。
それぞれをごちゃごちゃにして聞いてははなりません。
53 :
前スレから引用:04/12/05 03:16:20 ID:vacOuX++
865 :通りすがり :04/12/05 00:39:49 ID:awzAXE4J
>>862 全くもって議論の流れからずれています。
>三願転入のご文を読んで「これから真剣に19願の道を進ませて頂きたい」と言う人があれば、それは誤りです。
>残念ながら、そのように読み誤る人はいつの時代も多いです。
残念ながらこのスレッドにはそんなことを言っている人は一人もいません。
>三願転入の真意を知れば「これから真剣に18願への道を進ませて頂きます」と言わずにおれない筈なのです。
その三願転入の真意が如何なるものかを今、議論しているんです。
>「三願転入のご文は、親鸞聖人が自らの獲信までの道程を記されたものであって、我々が他人に説く必要もなければ、話すべきことではない」
残念ながらこのスレッドにはそんなことを言っている人は一人もいません。
親鸞会の教学をそのままコピペされても困ります。
54 :
通行人:04/12/05 03:18:33 ID:2xl/tgUd
元ボラ夫って人R大学になんて行ってないと思うよ。
具体的なこと、何一つ言えてないです。
その点、私は具体的なこと、ググッても出ないR大生しか知らないこといくつもいいましたよ。
これで、信じないなら、直接会うしか方法なくなってしまうよ。
55 :
前スレから引用:04/12/05 03:22:49 ID:vacOuX++
866 :通りすがり :04/12/05 00:55:34 ID:awzAXE4J
>>856 > また、御縁の浅い方や退会者の中には、なかなか高森先生が何百年に
> 一度の善知識であること(ちなみに、私は、ご説法は阿弥陀如来の
> 直説と受け取っておりますが)がなかなか、わかられないとは思い
> ますが、信仰が進めば自ずと知らされてくることです。
オウムの人も信仰が進めば自ずと知らされてくるといいます。
邪教に洗脳されてゆくのとは違うと主張したいのであれば根拠が必要なんです。
何百年に一度の善知識であることが自ずと知らされる、という根拠をどうぞ。
>(ちなみに、私は、ご説法は阿弥陀如来の 直説と受け取っておりますが)
「ちなみに私は」ですか? 勝手な自分流の聞き方をしているんですか?
867 :通りすがり :04/12/05 01:04:47 ID:awzAXE4J
全体的に高森先生の説法も聞けてない親鸞会員が多すぎます。
高森教学と議論を戦わせたいのに、なぜ私が「それは高森教学じゃないよ」と
わざわざ教えなきゃならないんでしょうか?
親鸞会員の方は自分の発言が親鸞会全体を背負っている、ということを
肝に銘じて慎重に書き込んでくれ。
高森先生に手紙でも書こうかな…。
56 :
通行人:04/12/05 03:27:37 ID:2xl/tgUd
>>47 逆にこっちが元ボラ夫って人にクイズを出してみたいw
答えられると思えないんだけどな。
語学の授業はどこで受けてる?とか、
英語の必修科目でコンピュータで受ける授業があるでしょ?(あそこ5号館だったっか?)
とか、そういう話を期待したのにな。
たとえば、パソコン教室開放してるけど、前にいる管理人みたいに座ってる人
いつも何してるんだろね?とか、いっぱいネタあるんだよね。
57 :
通行人:04/12/05 03:29:22 ID:2xl/tgUd
で、そろそろ、やめて、通りすがりさんの大失言を貼ってあげなきゃかわいそうですね。
58 :
前スレから引用:04/12/05 03:30:56 ID:vacOuX++
まだ懲りずに悪あがきしているひとがいるけど、哀れだ。
あるいは虚言症のひとかも・・・。
なんか、R大のことしっているんだろうけど情報が古そう・・。
ともあれ、リアルタイムの質問に答えられなかったという厳然とした
事実だけは残ります。
あとは某さんはその責任を背負わなくてはなりません。
以上、独り言でした。もう落ちます。
ボラ夫さんがたをはじめ、みなさま、おつかれでした。
大体通りすがりさんの引用はこんなところかな。
他に意義深いご発言の補足がありましたら、
気づかれたかたがまた引用願います。
では、議論再開!!
60 :
通行人:04/12/05 03:46:26 ID:2xl/tgUd
>>58 教団史の先生が変わったのは、リアルタイムの話です。
もっとリアルタイムの話をすると、
真宗伝道学は深川という人がやってます。
61 :
通行人:04/12/05 03:48:04 ID:2xl/tgUd
>>58 この方、部外者だから知らないでしょうけど、
いくつもリアルタイムの事を言ってますよ、すでにね。
62 :
通りすがり:04/12/05 03:59:29 ID:9z1PTcYz
みなさんお疲れさまです。通行人さんもお疲れさまです。
>>58 引用どうもありがとうございます。
はじめはただ通りすがるつもりでやってきましたが、
すっかり常駐コテハンになってしまいました、
ということで「通りすがり」はやめて、
これからは「念仏者」とでも名乗ります。
63 :
念仏者:04/12/05 04:01:03 ID:9z1PTcYz
それでは僕も今日はこのへんで休ませていただきます。
議論の続きはまた明日しましょう。
失礼します。
64 :
通行人:04/12/05 04:02:39 ID:2xl/tgUd
もう、みんな寝たのか。
これじゃ、漏れだけ言い損じゃないか・・・。
これで身元ばれないかだけ心配だ。
いやばれてもいいかな・・・。
もっと、心配なのは、他の会員だ・・・。
噂ではR大にも、私以外に会員がいるらしいからね。噂だけどね。
ホントだとしたら、その人に、「あれ、お前だろ。」なんてことにはならないかな
やばいな。考えすぎか。
ここを見てる学友部のみなさん。
私は、あなた方の知り合いではないと思うので、
知り合いをうたがうのはやめてくださいね^^;
以上・・・。
まだいたのか・・・、もう寝るが・・・。
>>61 俺はもう卒業してだいぶになるから、現在の状況は知らん。
>>56の問題については、後輩に聞いとく。
通行人よ。俺は、お前が教師資格(もしくは布教使になれる資格)を取ったと発言したこと
について言及しているんだ。
>>50はなんだ?前々スレで言ってることと矛盾してるだろうが、うpしようか?
あきれ果てて、ものも言えんわ。
何故、俺が勤式についての問題を出したかといえば、こればっかりは実際に習って練習して
試験を受けたものでないと解らないからだ。龍大生でも真宗学を専攻し、なおかつ教師資格と
くれば、誰だって答えることはできるだろう。
前々スレ・前々々スレがうpできるようだったら、近々お前の布教使資格とったのなんだの云々の
ところを抽出して皆さまに見ていただくことにしよう(そんな暇じゃないんだけどなあ・・・はあ・・・)。
とにかく、俺の質問に答えられなかったんだから、嘘を言っていたところについては、正直に
言って、まず皆さんにお詫びしろ。できないのなら、過去のお前の発言をうpして真偽決判すること
にするか、荒らしとして放置するよう皆さんにも呼びかけることする。
67 :
通行人:04/12/05 04:15:15 ID:2xl/tgUd
通りすがり=念仏者君の、ぶっ飛びレス
776 名前:通りすがり 投稿日:04/12/03 23:05:46 Lvm8UedV
>>500 まずそのへんの僕の主張の肝をまとめます。
「十八願だけでは救いからもれる人がたくさんでてしまう。
そこで救いにもれる人がでないように、これでもか、と
最後の救いの網として如来は十九願、二十願をたてたのだ。」
つまり
「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
私が、この発言に執着するのは、これだけは絶対に許せる発言じゃないからです。
「自力を捨てよ」の親鸞聖人のみ教えを根底から破壊する教えであり、
このような邪説は絶対しんじてはいけません。
過去信じられないような発言がここでなされてきましたが、
今回、このような、暴挙とも言うべき発言を絶対許してはいけません。
根拠などない話ですが、あえて根拠はどこにあるの?と徹底的に問うていこうかと思います。
他の方も、この発言だけは許してはいけないと思います。
>66
×呼びかけることする。
○呼びかけることにする。
>>67 だからさ、すでに
>>40で引用してあるでしょ。
引用するならば、そのあとのここも引用しておいてね。
ここで「阿弥陀仏の御心だ」、ということを強調しておきたい。
阿弥陀仏の御心、おはからい=他力ということです。
自力はそのままなのに他力?と思われるでしょう。
この部分は自力他力の水際です。深く慎重に進めましょう。
70 :
通行人:04/12/05 04:25:14 ID:2xl/tgUd
>>66 ちょっと待てよ。勝手に捏造されても困る。
私がいつ本願寺派の布教使みたいなのになったと言ったんだ?
私は、本願寺派教師の資格をとってますと言ったはずだぞ?
(あなたにしたら、これも厳密には間違いと言いたいのでしょうね)
あなたが、勝手に誤解して試験を受けたと思っただけでしょう。
大体、私は試験の存在すらはじめて知りましたよ。
いや今でもよく理解してないと思います。
興味ないのですから、仕方ないでしょう。
確かに言葉足らずだったかもしれませんが、少なからず、私は本願寺派布教使です
などとは言った覚えはありません。
言ったことありませんので、謝る必要もありません。
で、私がR大学に行ってる事はお認めになりますか?
許すとか、許さないとかじゃなく、自力他力の水際について、
念仏者氏の解説を待ちます。
>>70 俺は全然知らないんだけど、本願寺派教師の資格ってのは、
どういう資格なの?
73 :
通行人:04/12/05 04:34:01 ID:2xl/tgUd
>>69 自力のままで来いよが阿弥陀仏の御心である根拠などありませんよ。
阿弥陀仏の御心は「そのままこいよ」だ。
そのままこいよは自力のままで来いよとはちがう。
ましてや、19願で救うぞとか20願で救うぞは阿弥陀仏の本心じゃない。
間違えんな。
もしかして、会員はこんなことも知らないのか?
74 :
通行人:04/12/05 04:35:36 ID:2xl/tgUd
>>72 漏れもよく知らん^^;;;;
成績表に書いてあるとしか言いようがない
>>73 19願、20願をたてられた阿弥陀仏の願心に対し、
「19願で救うぞとか20願で救うぞは阿弥陀仏の本心じゃない」
と断ずるのは、
本願をたてられたみこころに泥を塗っていませんか?
そもそも本心とか本心でないとか、いったいなんですか?
「19願、20願をたてることで、十方衆生を18願に
導こうとした」というのであれば、まだ分かります。
ただ、本心とか本心でないとか、そういう言葉はどうかと
思いますよ。
77 :
通行人:04/12/05 04:48:14 ID:2xl/tgUd
>>75 簡単に言うと、そもそも18願だけでいいの。
阿弥陀仏の本心はこれひとつ。
「信楽」これひとつなの。
ところが、うぬぼれごころがいっぱいの私たちですから、
本心ではない、19願、20願もたてられたの。
これを、方便の願と言う。
方便の願で救われた人は、ありえません。
阿弥陀仏の四十八願の中には、阿弥陀仏が「本心でなく」
たてられた願がある、ということこそ、邪義。
親鸞聖人は、20願を通って18願に救われたからこそ
「果遂の誓(20願)、まことに由あるかな」と言われました。
80 :
通行人:04/12/05 04:54:09 ID:2xl/tgUd
ほんと、真仮を知らざるによりてって感じだよね。
改邪しょうに、自力をすてて他力に帰するのが宗の極致だって書いてあるでしょうに・・。
念仏者かなんかしらんけどオhル
それでは
「19願、20願で救われた人はありえない」
という親鸞聖人のお言葉をお願いします。
82 :
通行人:04/12/05 04:58:22 ID:2xl/tgUd
>>78 願海に就きて、真有り仮有り。 こんな有名な言葉も知らないの?
あなたの言うことが正しいなら、がんかいにつきて、しんありしんありになっちまうよ。
「阿弥陀仏の願心は18願一つ」
「19願、20願は18願へ導くため」
ここまではいいです。
だけど「19願、20願は阿弥陀仏の本心でない」は
それこそ「許せません」
18願だけでは
「救いからもれる人がたくさんでてしまう」(
>>40)
「うぬぼれごころがいっぱいの私たちですから」(
>>77)
という理由で、19願、20願をたてられた、
それは阿弥陀仏の本心です。阿弥陀仏に、本心でない、
虚仮のこころはありません。
そして
>>40 >>77 を比較すると、
>>40の方が味わい深い。
>>82 「仮の願海」をたてられた阿弥陀仏のみこころが、
阿弥陀仏の「本心でなかった」と断ずる所を
問題にしているのです。
85 :
通行人:04/12/05 05:10:07 ID:2xl/tgUd
>>83 19願、20願が本心である根拠は?
言い方変えれば、19願で救われました、20願で救われました、という根拠がありますか?
19願20願が方便でない根拠がありますか?
方便ということは、本心ではないということですよ。
これじゃ救えないということですからね。
あなたは、そういうことを言っているようにしか見えない。
86 :
通行人:04/12/05 05:13:01 ID:2xl/tgUd
>>84 「仮の願海」ということは本心ではないということでしょう。
本心は18願ひとつなんです。
「信楽」でしか救えないことは、阿弥陀仏はとうにお見通しであります。
>>85 > 19願、20願が本心である根拠は?
> 言い方変えれば、19願で救われました、20願で救われました、という根拠がありますか?
言い方変えすぎ。雲泥の差。
いいですか、阿弥陀仏の心に「本心でない」心はありません。
阿弥陀仏には、一念一刹那も、清らかでないこころはありません。
>>86 > 「仮の願海」ということは本心ではないということでしょう。
だから、そこがおかしい。
阿弥陀仏が、なぜ「仮の願海」をたてる苦労をなされたのか、
それを本心でないといえるのはまったくもっておかしい。
89 :
通行人:04/12/05 05:26:43 ID:2xl/tgUd
>>87 >>88 あなたが、勝手におかしいといわれても困ります。
19願20願では救われないことははっきりしてるんです。
「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」なんです。これひとつですよ。
これ以外では救われないのですから。
救おうとしている阿弥陀仏は18願だけで充分なんです。
しかしながら、方便の願を作ったんだよ。
こういうの、難しい言葉ですまんけど、髄他意の願って言うんだよ。
本心は18願なんです。むしろこれしかできませんから。
阿弥陀仏には「本心」と「本心でない心」がある
これは通行人の勝手な説ですか?
それとも、T森先生からそのように聞きましたか?
「髄他意の願」「願海に就きて、真有り仮有り」
という御聖教の御言葉から、
「阿弥陀仏には本心と本心でない心がある」
という説をひっぱりだすのは、そのようにしか
聞けない、ということなんだろうね。
言葉を変える事で、いかに意味が変わるかを知るべし。
92 :
通行人:04/12/05 05:33:40 ID:2xl/tgUd
>>90 19願20願が本心であるというのは、あなたの勝手な根拠ですね。
93 :
通行人:04/12/05 05:35:23 ID:2xl/tgUd
「19願で救うぞとか20願で救うぞは阿弥陀仏の本心じゃない」
当たり前じゃないですか。
できもしないことは、阿弥陀如来が一番知っておられます。
できもしない事が本心であるはずありません。
其の根拠は、「いづれの行も及びがたきみなれば・・・・」です
19願20願いづれの行もおよびがたきみなんです。
そのようなことを阿弥陀仏が知らないという根拠がありますか?
>>92 私は「阿弥陀仏の心は一念一刹那も清らかでない
心はない」ことを根拠としていますが、
本心という言葉は聖典にはありません。
で、
>>90に答えてください。どっちですか?
今は「本心」という言葉について問題にしています。
だから、T森先生から「19願、20願は阿弥陀仏の
本心ではない」と聞いたかどうか、を聞いている。
あなたが、どのように聖教を解釈したのかは問題にしていない。
96 :
通行人:04/12/05 05:40:14 ID:2xl/tgUd
阿弥陀如来が五こうも一体何を考えてきたと思ってるんだよ。
いづれのぎょうもおよびがたいことはすでに知っておられるんですよ。
ところが、私たちはなにを思ってか、いづれのぎょうもおよぶとおもっている
だから、本心ではないけども、こんなのですくえるとは思ってないけども、
19願20願をたてられたのですよ。
>>96 だから、その「あなたの解釈」はもういいから、
>>95に
答えてくださいよ。はいかいいえか、「結論だけ」
どうぞ。
98 :
通行人:04/12/05 05:52:51 ID:2xl/tgUd
>>94>>95>>97 あなたと私で話してるんですよ。
高森が一体何の関係があるの?
さぁ、はやく、19願20願が本心である根拠を出してもらえませんか?
阿弥陀仏が清らかでない心はないことはわかりました。
だから、嘘ではなく方便と言うんですよ。
私の聞いてるのはそんなことじゃない。
方便が本心であるこんきょなんてどこにあるのですか?
救われないことを知っておられての願だから方便なんですよ。
19願20願で救われるのなら、仮とは言わないし、方便とも言いませんよ。
救われるのなら、まさしく、真門じゃないですか。
救おうとしている阿弥陀仏であるのに、救われない本願は本心ではありません。
わけあっての方便なのではないのですか?
いよいよ、19願20願が本心である根拠が知りたいですね。
>>98 本心という言葉が聖典にないのだから、本心であるという
根拠も本心でないとい根拠もないでしょ。
> 救われるのなら、まさしく、真門じゃないですか。
20願は方便の真門ですよ?
通行人は「阿弥陀仏に本心でない心がある」という
T森氏が言ってないことを言って、必死に本心の
意味(自分の解釈)を書き込んでいるんだろうな。
本心は、「本当の心」ですよね?阿弥陀仏の心に、
本当でない心があるんですか?
「方便が本心である」のではなくて、阿弥陀仏の
心は真実も方便もすべて本心である、というのが
私の解釈です。
101 :
通行人:04/12/05 06:03:27 ID:2xl/tgUd
>>99 救おうとしておられる阿弥陀仏がいて
方便の願で救われないのはわかっているのだから、
唯一救われる、18願が本心であると考えるのは当然ではありませんか。
これを選択本願とか王本願と言うんでしょ。
真門ではなく真と言うべきでした。
「18願が本心である」とだけいうのならばいいですね。
「19願、20願は本心でない」というのはまずい。
私は「四十八願の中に、本心でない願はない」という解釈。
で、聖典の根拠もこれ以上は出ない(本心という言葉が
使われている文章がない)ため、これ以上進まないかな。
念仏者氏が戻って来たら、解釈を聞きます。
T森先生ならば、「18願が本心である」と言われることは
あっても、「19願、20願は本心でない」とは言われないと
思いますよ。そういうところは、かなり慎重に言葉を選ばれて
います。同じじゃないかとあなたは思うでしょうが、全然
違うんです。よく、アシスタントがそういった微妙な言葉
使いを間違えて直されますよね。
だから、T森先生から聞いたか、と聞いたのです。
104 :
通行人:04/12/05 06:17:29 ID:2xl/tgUd
>>本心は、「本当の心」ですよね?阿弥陀仏の心に、
本当でない心があるんですか?
ありますよ。19願20願です。
これは、できないとわかっていながらたてられた願です。
救えるとは思ってないんですよ。
不必要という意味ではないですよ。
必要だからたてられてるんですよ
本心は18願ですよ。
こればっかりは、本当に18願に直入した人でないとわかりずらいかもしれませんね。
どっちにしても、19願で20願で救われるなんてぶっ飛んだせりふは出てきませんがね。
105 :
通行人:04/12/05 06:23:25 ID:2xl/tgUd
>>103 そだね。特にあなたに言う場合危ない危ない。
言葉は選ばないとね。
>>19願、20願は本心でない」とは言われないと 思いますよ。
言われてはいませんが、教学テキストに書いてあるんですから、
高森先生が言ったも同じですよ。
私が、教学テキストを手に入れてないとでも思ってました?w
ついこの前、うおすげってことで手に入れました。
そこには、
18願は、阿弥陀仏が本心を誓われた願。
19、20願は、本心ではないが、導くために、衆生の心に随って建てられた願。
と書いてあります。
100点満点の解答ですね。
107 :
通行人:04/12/05 06:31:10 ID:2xl/tgUd
通りすがり=念仏者君の、ぶっ飛びレス
776 名前:通りすがり 投稿日:04/12/03 23:05:46 Lvm8UedV
>>500 まずそのへんの僕の主張の肝をまとめます。
「十八願だけでは救いからもれる人がたくさんでてしまう。
そこで救いにもれる人がでないように、これでもか、と
最後の救いの網として如来は十九願、二十願をたてたのだ。」
つまり
「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
私が、この発言に執着するのは、これだけは絶対に許せる発言じゃないからです。
「自力を捨てよ」の親鸞聖人のみ教えを根底から破壊する教えであり、
このような邪説は絶対しんじてはいけません。
過去信じられないような発言がここでなされてきましたが、
今回、このような、暴挙とも言うべき発言を絶対許してはいけません。
根拠などない話ですが、あえて根拠はどこにあるの?と徹底的に問うていこうかと思います。
他の方も、この発言だけは許してはいけないと思います。
108 :
名無しさん@3周年:04/12/05 11:31:48 ID:D7RGj/DD
>>105 >19、20願は、本心ではないが、導くために、衆生の心に随って建てられた願。
教学の話題はむずかしいけど、
「本心」の解釈のズレが、通行人氏とID:X8fvnPP9氏の見解の違いかと。
ID:X8fvnPP9氏は、無濁、清浄な心なのだから本心以外にありえない、
という解釈。
s会=通行人の解釈は、
本当の気持ちはほかにあるが、導くためにやむをえず建てられた願が19,20
という解釈ってことかな?
T森氏が後者の言及をしていることのみに関していえば、通行人氏の言うことは間違い
ではなかったと思う。
しかし、定義が違っている以上、核心部分は実のところ全く議論になっていないかった
のでは?
109 :
名無しさん@3周年:04/12/05 11:32:17 ID:D7RGj/DD
>>107 通行人さんに質問
親鸞聖人が関東の同行たちに何度も何度も勧められたことが明らかになっている
隆寛律師の「自力他力事」。
もちろん読んだことあるよね。その内容のなかには
>「十八願だけでは救いからもれる人がたくさんでてしまう。
そこで救いにもれる人がでないように、これでもか、と
最後の救いの網として如来は十九願、二十願をたてたのだ。」
つまり
「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
と明白に解釈できる部分があります。
(前スレに引用したけど。)
そのあたりについて教えてください。ほかの親sのかたでも結構です。
110 :
名無しさん@3周年:04/12/05 11:48:06 ID:D7RGj/DD
>>109 >親鸞聖人が関東の同行たちに何度も何度も勧められたことが明らかになっている
隆寛律師の「自力他力事」。
を以下に示すように訂正します。
>親鸞聖人が関東の同行たちに対して、聖覚法印の「唯信抄」と並んで何度も何度も
拝読することを勧められたことが明らかになっている隆寛律師の「自力他力事」。
111 :
名無しさん@3周年:04/12/05 12:05:12 ID:z6Pq/H8E
なんか昨日はすごく面白いことになってたのね。
通行人ホントボコボコだなww
会員を子に持つ親御さん方、これが浄土真宗親鸞会の姿です。
112 :
西阿人:04/12/05 12:17:39 ID:ZcQxEJAf
素朴な疑問を一ついいですか?
19,20願では、救われるとしても「仮土往生」ってことですよね。
今白熱した議論を展開されている皆さんは、それぞれ仮土往生を
救いと見らる、見ない、どちらの立場に立たれているのですか?
外野の私が見たところ、要するに、この議論では、通行人さんは真の救いとは見ておられないけれども、
念仏者さん、その他の方々は仮土も(地獄に落ちないのだから)救いである、と考えておられる、
という違いがあるに過ぎないと思うのですが。
(あるいは、「方便」を本心そのものと見るかどうか、ということ?)
とすれば、まず仮土についての解釈をハッキリさせておかないと、
分かるものも分からなくなってしまうと思うのですが、どうでしょう?
念仏者さんも仮土についての質問に「いい質問ですね」
と応じておられたように思いますし。
113 :
念仏者:04/12/05 12:23:31 ID:x7de+jvX
おまたせしました。白熱しているようですね。
今日は昼間は私用があるので、あまり書き込めないかと思います。
申し訳ございません。
教学テキスト
>18願は、阿弥陀仏が本心を誓われた願。
>19、20願は、本心ではないが、導くために、衆生の心に随って建てられた願。
>と書いてあります。
この書き方が巧妙なんです。「本心」とは御聖教にない言葉だ。
御聖教にない新しい言葉を使うときは必ず、
その新しい言葉が、御聖教のどの言葉を意味する言葉であるかを示し、
明確に定義しておかなければならない。そうしないと誤解を招くからだ。
そこを定義してないなら、この解答は0点だ。
そして通行人がその定義を知らないのなら、通行人も0点だ。
僕は前スレの
>>703でこのように書いた。
1.「御聖教の根拠はそのままで、独自の言葉で真実の法を密かにねじ曲げる。」
2.「高森氏の言葉は、親鸞聖人の言葉と字面はさほど変わらないが、
その意味が親鸞聖人の御本意から致命的なほど大きく外れている。」
3.「高森独創の言葉、高森語を鵜呑みにするな」
114 :
念仏者:04/12/05 12:39:05 ID:x7de+jvX
通行人さんの発言には失言、突っ込みどころが多すぎる。
>>96 通行人
>いづれのぎょうもおよびがたいことはすでに知っておられるんですよ。
>ところが、私たちはなにを思ってか、いづれのぎょうもおよぶとおもっている
>だから、本心ではないけども、こんなのですくえるとは思ってないけども、
>19願20願をたてられたのですよ。
本心ではない=すくえるとは思ってない、と解釈しているようですが、
「阿弥陀如来は十九願、二十願で衆生をすくえると思ってます。」
「十九願、二十願ではすくわれない、と思っているのは君の心です。」
自分の心と阿弥陀仏の御心をごちゃごちゃにしてはいけない。
115 :
念仏者:04/12/05 12:54:23 ID:x7de+jvX
阿弥陀如来の御心と、親鸞聖人の御心があるということに注意してください。
阿弥陀如来は辺地往生でも衆生を救おうとお誓いになられた。
辺地往生は阿弥陀仏の他力のおはからいです。辺地往生は救いです。
しかし親鸞聖人は辺地往生の因、雑行雑修自力の心を厳しく戒めています。
ただの他力を受け取らず、万行諸善、称名念仏に励むのは何事だ、と。
親が我が子を家に入れ、ひざもとに招きいれようとしているというのに、
お前はどうして親の心がわからない、と。
でも辺地往生が地獄行きの因だ、救いからもれる、などとは一言も言っていません。
>>42から引用
『歎異抄十七節』
「辺地の往生を遂ぐる人つひには地獄におつべしということ。
この条いづれの証文にみえ候ふぞや。」
「信心の行者すくなき故に、化土におほくすすめ入れられ候ふを、
ついにむなしくなるべしと候ふなるこそ
如来に虚妄をまをしつけまゐらせられ候ふなれ。」
『往生要集』
「報の浄土に生まるる者は、極めて少なく、化の浄土の中に生まるる
ものは少なからず。故に経に別に説けども、其の実は相違せるなり。」
阿弥陀仏が化土を勧めるのは(十九、二十願)、
報土に入れしめんがためである。(十八願)
十九願、二十願をたてたのは
阿弥陀仏のおはからい、御心、他力ということである。
116 :
念仏者:04/12/05 13:06:15 ID:x7de+jvX
阿弥陀仏の衆生を救おうとする他力の御心=大経の三信
万行諸善して助かろうとする自力の心=観経の三心
称名念仏して助かろうとする自力の心=小経の一心
三心はすなわち三信、一心はすなわち三信、これはみな阿弥陀仏の他力の心である。
万行諸善して助かろうとする自力の心=阿弥陀仏の他力の御心
称名念仏して助かろうとする自力の心=阿弥陀仏の他力の御心
このことが『化身土巻』の
三信と三心の一異の問答、三信と一心の一異の問答、
のところで、顕彰隠密ということを説明しながら示してあります。
117 :
念仏者:04/12/05 13:13:41 ID:x7de+jvX
通行人さんがどのような立場の人かは知りませんが、
先輩によく質問してから書きこむことをお勧めします。
あるいは先輩を連れて来てもOKです。
三願について、各々異なる表現を取ってはいるが、
その「本」の部分はあまり違わない希ガス、(つーか同じ?)
前スレ500さんへ
あなたの前スレ>820 :500 :04/12/04 01:39:34 ID:6sHS3u0H
通りすがりさん。
真宗の者が絶対に言ってはならない言葉というものはありますよ。
本願寺の多くの学者が、常識として認めるような、絶対に曲げてはならない真宗の肝要があるのです。
自力を捨てて他力に帰せよ、と生涯貫かれた聖人のみ教えに真っ向から対立する、
「自力あるままで助かる」などということを言いながら、根拠も提示せずに、
矛盾した言明だけ残して「疲れたから休みます」ですか?
あまりにも無責任でいい加減です。
当会だけ意識しているが、仏教界全体にはとんと無頓着、という印象を受けます。
あなたの発言は、本願寺から見ても邪義、邪説と断じられることは間違いないでしょう。
理由説明のあるなしに関係なく、です。
それはご自覚の上、なんですか?
に対する前スレ821−823へのお返事キボン。
>>119 前スレ821 :名無しさん@3周年 :04/12/04 01:50:49 ID:xTLSREEJ
>>820 本願寺の学者が本当に絶対に言わないものなのか、適当に検索してみた
自力の念仏そのまんま
他力とわかる時がくる
http://www.shin.gr.jp/howa/2004/9.html これなんかはどう思います?
前スレ822 :名無しさん@3周年 :04/12/04 01:59:15 ID:kzVTOxVY
>>821>>820 「自力の念仏そのまんま他力とわかる時がくる」
読みましたが、少なくとも
>>820の
>あなたの発言は、本願寺から見ても邪義、邪説と断じられることは間違いないでしょう。
理由説明のあるなしに関係なく、です。
は間違いっぽですね、500さん。
ところで500さん、
大経にも説かれている「辺地往生」についてのあなたの見解を話してみてください。
>>119 前スレ823 :名無しさん@3周年 :04/12/04 02:17:15 ID:kzVTOxVY
たとえば、他の末端会員はともかく、
500さんくらいだったら、親鸞聖人は、隆寛律師の影響が非常に強いって
ことぐらいはご存知ですよね。その隆寛律師は、こういわれた。
加様にわが身をつつしみととのえて、よからんとおもうはめでたけれども、
まず世の人をみるに、いかにもいかにも、おもうさまにつつしみえんことは、
きわめてありがたきことなり。そのうえに、弥陀の本願をつやつやとしらざる
とがのあるなり。されば、いみじくしえて往生する人も、まさしき本願の極楽
にはまいらず、わずかにそのほとりへまいりて、そのところにて本願にそむき
たるつみをつぐのいてのちに、まさしき極楽には生ずるなり。
これを自力の念仏とはもうすなり。
s会から見ればびっくり仰天説も、こうしてみればそれほどトンデモ説
でもないのでは?
通行人さんへ
あなたの前スレ810に対する前スレ836への弁明キボン。
前スレ836 :名無しさん@3周年 :04/12/04 13:49:57 ID:/ZCSUm2H
>>810 >通行人
>>2)信前のものも仏恩報謝できる、という趣旨の発言しました?してない?
>2)してない。
>>801ではないが。 過去スレより
376 名前:通行人[sage] 投稿日:04/09/03 01:50 ID:fI83Wy0y
>>自信教人信の文に
>仏恩報謝は、信心をいただいた後とか、いただく前にすべきだとかどこに書いてあるのでしょうか?
>もうね・・・
287 :名無しさん@3周年 :04/10/06 01:01:31 ID:jKHV8jAr
380 名前:通行人[sage] 投稿日:04/09/03 02:10 ID:fI83Wy0y
>>378 >そらあんたの浅はかな解釈じゃん。
>自信教人信の文に
>仏恩報謝は、信心をいただいた後とか、いただく前にすべきだとかどこにも書いてません
>ただ、大悲伝普化 真成報仏恩としか書いてませんよ。
>感じてない恩は返せないとか、変な解釈しないでよ。
>感じる感じないは問題じゃない。
>>89 >こういうの、難しい言葉ですまんけど、髄他意の願って言うんだよ。
随他意だろう?
通行人は会のR大生から話を聞いて書き込めば信じてもらえると思ってるのかな。
現役学生なら同じ大学で一緒に行動するのから
噂ではいるらしいなんて曖昧な話になるはずが無いだろ。
>>64 語るに落ちるとはこういうことだ。いつも詰めが甘い。
616 名前:通行人[sage] 投稿日:04/09/29 09:31:57 ID:bu1fBv02
おまえら、ちょっと敗残者といわれるゆえんを説明してやるよ。
仏法を聞くのをやめた人というのは、
「こんなの聞いても無駄だ」「もっと別のことしたい」「無常の幸福が欲しい」などの
天魔の囁きで、欲に流され、自分の心に負けた人がほとんどだから昔から敗残者と言われるんだ。
親鸞会としては、親鸞会しか真の仏法を説いているところはありませんから(私もそう思っています)、
親鸞会を脱会するということは、事実上仏法を聞くのをやめた人たちになる。
決して見下すとか見下さないとかの意味ではありませんよ・・・。
あわれには思うけどね。それが見下してるといいたいのでしょうね。
私は本願寺派布教使課程の単位まで取っている仏法者ですが、
聞法をしないものは、皆、敗残者(言い方は色々です)とみなしております。
仏法は遊びではありません。
本来「そんな言い方はないだろう」と言って自分にも他人にも、甘えを見せていい問題ではないのです。
親鸞会が、会員の気を引き締めるという意味でも
脱会者を敗残者と言い切ったのは、よく言い切ったと賛嘆すべきものでしょう。
>私は本願寺派布教使課程の単位まで取っている仏法者ですが、
>聞法をしないものは、皆、敗残者(言い方は色々です)とみなしております。
さくさくっと語ろう親鸞会
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1094921612/
373 名前:通行人[sage] 投稿日:04/10/29 01:38:43 ID:76WyzncE
>>370 ボランティアなんてせず、本来の仕事なさったらどうですか?布教使さん?
374 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:04/10/29 01:38:44 ID:Mf68KPZI
やば、答えたんか!寝れないやんけ
>>369 それは、教師だろーが、布教使じゃないんだよ。
教師と布教使、間違ってましたーなんて言わせねーぞ!
龍大で真宗学やってりゃ、だれでもわかることだからな。
本日の通行人うそつき率92%
377 名前:通行人[sage] 投稿日:04/10/29 01:43:40 ID:76WyzncE
>>374 教師と布教使どう違うの?
私は、寺子じゃないので、そこんとこあんまり詳しくありません。
これ以上は、誰かわかるからなマジで。
378 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:04/10/29 01:44:41 ID:5wGxl89x
>>377 つーかなんで知らないんだ?
布教使の資格を取ったのなら知っているはずだ
380 名前:通行人[sage] 投稿日:04/10/29 01:49:31 ID:76WyzncE
>>378 興味ないからです。
一応かいてあったから取っただけです。
386 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:04/10/29 02:08:51 ID:5wGxl89x
>>380 一応でも取れば、布教使と教師の違いぐらいわかると思うがね。
それに一応程度の意識で取った資格を、鬼の首を取ったように振り回されてもな
気長に語ろう親鸞会
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1097889242/
あれだ
>私は本願寺派布教使課程の単位まで取っている仏法者ですが、
>聞法をしないものは、皆、敗残者(言い方は色々です)とみなしております。
などと、鬼の首を取ったかのように誇っていたが、その実
>380 名前:通行人[sage] 投稿日:04/10/29 01:49:31 ID:76WyzncE
>
>>378 >興味ないからです。
>一応かいてあったから取っただけです。
これだもんな
というか布教使が何かすら知らないで言ってるのは明らかだしな。
通行人って、少なくとも驚愕講義に出る人じゃないよね。
前日の夜遅くまで、ここでカキコしてるんだもん。
>>125 欲に流され、自分の心に負けない善人様しか往生できない、
というのがS会の教えです。
ありゃ、これじゃ否定の使い方が変か。
欲に流されず、自分の心に負けない善人様しか往生できない、
というのがS会の教えです。
>>114-115 阿弥陀仏の心、親鸞聖人の心、私の心をごっちゃに
考えるから、分からなくなるのですね。
よくよく区別して御聖教を拝読せねばと思いました。
座談会や昔の教学講義で、辺地往生についての質問が出ると、
T森氏は、不快な顔をしてまともに答えようとしなかった。
だから、s会にいたときは辺地往生については全然分からなかった。
今思うと、このあたりは、T森氏にとっては聞かれて一番困る
「弁慶のなきどころ」だったのではないだろうか。
ある時期からは、辺地往生、化土往生については質問する
事自体がタブーみたいな雰囲気になって、質問がでる
ことすらなくなったなぁ。
>>125 子牛も会員もみな信がないから
やめる人はみな一律にこのようにしか見られない。
かくして19願の実践に敗れた人を20願に導く事もなく、
救いの手を差し伸べるべき人を全て蹴落とし、捨てている。
136 :
名無しさん@3周年:04/12/05 19:49:22 ID:XBGrNnt6
>>115 >『往生要集』
「報の浄土に生まるる者は、極めて少なく、化の浄土の中に生まるる
ものは少なからず。故に経に別に説けども、其の実は相違せるなり。」
以前、親sのひとが
「報の浄土に生まるる者は、極めて少なく、
化の浄土の中に生まるるものは無し。」
という見解を言っていましたね。
s会は、源信僧都「往生要集」を否定した、ということでしょうか。
137 :
名無しさん@3周年:04/12/05 20:09:36 ID:mYFzenNV
いずれにしても、第一に勧められるのは、聞法に違いない。
それは、報土往生を目的としていなければならない。
化土を念頭に置いては、いけないのだ。
で、いいのか?
『観経』の三心は、定散二機の心なり。定散二善を回して、
『大経』の三信をえんとねがう方便の深心と至誠心としるべし。
真実の三信心をえざれば「即不得生」というなり。「即」は、
すなわちという。「不得生」というは、うまるることをえずと
いうなり。三信かけぬるゆえに、すなわち報土にうまれずとなり。
雑行雑修して定機散機の人、他力の信心かけたるゆえに、多生
曠劫をへて、他力の一心をえてのちにうまるべきゆえに、すな
わちうまれずというなり。もし胎生辺地にうまれても、五百歳
をへ、あるいは億千万衆の中に、ときにまれに一人、真の報土
にはすすむとみえたり。三信をえんことを、よくよくこころえ
ねがうべきなり。
唯信鈔文意
http://www.fureai.or.jp/~bandou/sinsyu/yui_mon.txt
>>137 「化土を念頭に置いてはいけない」という教えはないと思います。
三信をえんことを、よくよくこころえねがうべきなり。
ということでしょう。
続いてs会が「鍵を閉ざしている」20願について、
浄土和讃から。
至心・回向・欲生と
十方衆生を方便し
名号の真門ひらきてぞ
不果遂者と願じける
果遂の願によりてこそ
釈迦は善本・徳本を
「弥陀経」にあらはして
一乗の機をすすめける
定散自力の称名は
果遂のちかひに帰してこそ
をしへざれども自然に
真如の門に転入する
阿弥陀仏の心:名号の真門ひらきてぞ不果遂者と願じける
釈迦の心:善本・徳本を「弥陀経」にあらはして一乗の機をすすめける
ということかな。阿弥陀仏の心は「救うぞ」ですね。
142 :
西阿人:04/12/05 21:05:38 ID:ZcQxEJAf
なんとなく、「19,20願による仮土往生は説かれてないことはない」、ということが証明されて、
一件落着、という雰囲気になっている様な気がしますが、気のせい?
>念仏者さん
高森先生が親鸞聖人の教えを「こっそり捻じ曲げ」たことが、なぜ要門、真門に鍵をかけた事になり、
「あれじゃあ誰も入れない」ということになるのか、ということが知りたいです。。。
高森先生が要門、真門じゃあ救われない、として一気に弘願門に進むように説くから、結果として
方便である要門、真門を無視することになり、弘願門にも入れない、ということでしょうか?
ところで親鸞聖人の教えは子を叱る父親のごときもので、なぜ18願に直接進まないのか!と
叱るようなものだ(正確な言葉遣いじゃなくてスミマセン)とも、どこかでおっしゃっていた様に
記憶していますが、そうだとすると結局高森先生も聖人と同じことをしている、ということになりませんか?
あなたを攻撃していると誤解してして頂きたくないので申し添えますが、私は念仏者さんの
三願転入の読みにとても感銘を受け、いままで自分の知りえなかった新たな視点を教示して頂いた、
と感謝しておりますし、高森先生が正しいとの絶対的な前提の上に立って質問させて頂いているのでは
ありません。単純に、念仏者さんのご説だと、どうして高森教学が瓦解するのか、ということが
私には見えてこないので、解説して頂きたいと思っているだけなのです。どうか反論のための反論ばかりするヤツ
というようには見ないでくださいね・・・
(前スレ621番)
最後の一念がどう間違っているのか?
高森氏は最後の一念に鍵をかけたんですよ。
真門に鍵をかけた。あれじゃ誰も入れない。
別の言い方をすれば高森氏は阿弥陀如来の前に立ちはだかって、
来る人来る人を突っぱねている。
143 :
名無しさん@3周年:04/12/05 21:24:23 ID:XBGrNnt6
>>120で
あなたの見解が間違いであると指摘したものです。
500さん、あなたは親鸞学徒として真摯な質問から
逃げることはしませんよね。
144 :
名無しさん@3周年:04/12/05 21:44:05 ID:XBGrNnt6
>>142 二十願の人を「化城の人」と仮定できないでしょうか。
ともかく一心不乱の念仏に安心を落ち着かせたい人という意味で。
こんなに念仏称えているし、どんどん念仏は出てくるし、
往生間違いなし、というような信心の人です。
s会に、いわゆる「化城の人」は少ないのではないかと思いますがいかがでしょうか?
ある意味、念仏を称えているひとを、言葉は悪いですが、バカにしている面がs会には
ないでしょうか。「化城の人」を見て、
「あ〜あ、あの人、自力の念仏で救われようとしている、そんなんじゃ駄目だ」、みたいな。
そういう意味で、s会的教化ではいつまでも十九願にとどまる場合が多くなってしまうのでは
ないか?と思っています。それが、念仏者さんの、
>>真門に鍵をかけた。あれじゃ誰も入れない。
別の言い方をすれば高森氏は阿弥陀如来の前に立ちはだかって、
来る人来る人を突っぱねている。
というご意見になるのではないかと思いますが、如何でしょうか?
多念往生にこだわるのも駄目、一念往生にこだわるのも駄目、が親鸞聖人の教えです。
s会は一念往生にこだわり(一念覚知)、多念往生を排除しているように思いますが
いかがでしょうか。
>>144 > s会に、いわゆる「化城の人」は少ないのではないかと思いますがいかがでしょうか?
> ある意味、念仏を称えているひとを、言葉は悪いですが、バカにしている面がs会には
> ないでしょうか。
そうですね。その問題について、聞法会場で念仏が聞こえない、
という指摘をしました。
>>145 バカにはしてないだろう。
むしろ「念仏」に凝り固まる本願寺を非難している、と言った方が正確か?
「念仏」では救われない。
しかし、信仰が進めば称えずにおれなくなるそうだ。
ありゃ?
S会って自力無効を思い知るために善を積めって言ってるんでしょ?
だったら善本徳本の名号を沢山唱えるぺきなのに。
自力称名は諸善万行より、すぐれた善だったよな?
>>146 信仰が進む→NGワード
弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、
往生をばとぐるなりと信じて
念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、
すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。
おもいひたつではあるが、念仏は信心の初歩と言っても良いだろう。
>>148氏
>信仰が進む→NGワード
これの詳細もお願いします。
s会会員さんで、この表現に依拠される方は
多数おられると思うので。
>>146 > 「念仏」に凝り固まる本願寺を非難している
念仏誹謗の有情は
阿鼻地獄に堕在して
八万劫中大苦悩
ひまなくうくとぞときたまふ
(正像末和讃)
>>149 言葉としては、あまり適当ではなかったかもな
念仏もうさんとおもう心がおこらない信心はない、ということ。
>>150 S会では信仰と信心を使い分けてる?
信仰=信心であるなら、信仰が進むはNG。
信心は信心
法然上人の信も、親鸞聖人の信もおなじ。
如来からの賜り物である信心が深まることはあり得ない。
ただ、信を得た喜びや味わいは深まるだろう。
なぜなら、如来の至心はおなじであっても、受け取る凡夫の感覚はいい加減だから。
(ために、信心はおなじでも、得た喜びや味わいは人それぞれ違うだろう)
如来の慈悲と救いを感じる人生の折々に、それぞれ違った喜びを持つことになる。
というか、退会して何年もたつ俺がなんで
>>151の
ような指摘をせにゃならんの?
s会員、しっかりせい。
ええと、では昔話を一つ。昔、学生部ではそれこそ
「念仏を茶化す」部会が行われていた。
本願寺では、腰の曲がったじいさんばあさんに向かって、
布教師が「〜」といったら、
「ナンマンダブ、ナンマンダブ、ありがたや、ありがたや」
といった感じで、念仏をとなえるじいさんばあさんの
姿を面白おかしく部会でやって、「これが本願寺の
実態ですよ」みたいにやった。
で、あるとき、T森の法話のときに、アシがこれをやって
しまって、T森氏激怒。
「お念仏を茶化すとはなにごとだ」
それ以降、あからさまに茶化すことはなくなった。
>>152氏
信心獲得に向かう(表現としておかしいかな?)道程における、自力の信心のことを指して
「信仰」という言葉が用いられていたと記憶します。
156 :
500:04/12/06 00:23:20 ID:2M2Dqe0N
今日は時間がないので一言だけ。また明日の夜に。
>念仏者氏
あなたの解釈が正しくて、会の解釈が間違いだと言える理由、根拠はもう十分に
提示されたのでしょうか。根拠は散見されますが関連性は不明瞭です。
核心がまだ残っているなら早めに出していただきたいのですが。
これが前置きなら長すぎです。
あと以下の点はあなたの主張の確認です。訂正があればお願いします。
1.19願20願を通って18願に転入すると信前の者に説くのは誤りである。
2.自力そのままで助かる、とは化土往生のことであり、
浄土真宗には化土往生をたのめ、という教えもある。
つまり、我々は化土往生ができると説かれている。
3.救われてもはっきりしない。はっきりすると説くのは誤った解釈である。
>>156 読解力なさすぎ。
> 1.19願20願を通って18願に転入すると信前の者に説くのは誤りである。
そんなこと言ってない。
> 浄土真宗には化土往生をたのめ、という教えもある。
そんなこと言ってない。
> 救われてもはっきりしない
そんなこと言ってない。
俺は念仏者氏でないので、それ以上のコメントはしない。
158 :
通行人:04/12/06 00:28:53 ID:30SKCcM5
おまえら、全員馬鹿じゃね?w
わらかすのもいい加減にしろよ。
19願で救われるってどういうことか経験が伴わず、理屈でもわかってないから、
簡単に、19願で救われますだの、20がんで救われるとか
適当なこといえるんだよww
159 :
名無しさん@3周年:04/12/06 00:30:58 ID:Q9qfhRW5
今夜も負け犬が吠える
はじめは500氏の頭脳明晰さに感服したけど、
今回のコメントはさすがに「なんだかな」という感じだ。
思うに、s会は「要約信心」だな。ちょっとでも長い
説明をすると、「それで、結局なにが言いたいの?」
と迫る。長い説明は理解できないのだろうか。
そして、短い言葉で表現をすると、鬼の首をとった
ようにその言葉を「自分たちの都合のいいように」
解釈して非難する。その「自分たちの都合のいい」
解釈をするときには、それまでの長い説明はまったく
無視。そういうことのないように、聞き誤りやすい
ところだから、じっくりと説明してもらっているのに、
その説明は「まったく聞けてない」。
お粗末。
三願転入の真意をそんな簡単に理解できてたまるかよ、
まったく。で、s会の方は聞く耳がないようですが、
私は聞いていますので、どうぞじっくりと説明を
続けてください。>念仏者氏
163 :
通行人:04/12/06 00:44:39 ID:30SKCcM5
まぁ、でもこれだけ、19願で救われるのではないかという意見がでてきただけましだよな。
ちょっと前まで、「19願要りません、だから善しません」とかそんな意見ばっかりだったもんな
すごいのは「念仏でよい」と言う人もいたしな。
おいおい18願はどこへ行ったんだよって感じだったけど。
念仏者氏は「阿弥陀仏の心」「親鸞聖人の心」「私の心」を
明確に区別することを強調している。
「19願、20願で救うぞ」というのは阿弥陀仏の心。
「19願で救われる」「19願で救われない」「20願で
救われる」「20願で救われない」というのは、すべて
私の心。
親鸞聖人の心は、はやく18願の世界に転入せよ。
こうやってきちんと分けて考えれば、すっきりするのに。
165 :
通行人:04/12/06 00:53:18 ID:30SKCcM5
私も、19願成就できると思ってましたからね。
ですから、菩提心をどう起こせばいいのかよく知らずに、聞法は善だろうということで、
修諸功徳を繰り返してましたから、自分は至心発願してると思ってましたね。
とりあえず、至心廻向もしとこうとおもって、
植諸徳本は念仏のことだろうと思って、欲生我国してましたね。
18願は大事だとは聞いていたけどどう大事なのか
いまいち、よくわからなかったから、ほっておいたころが懐かしい。
「救うぞ」は阿弥陀仏の心なので他力。
その救いを信じる(19願で救われるとか、救われないとか)
心は、19願、20願についてはすべて自力。
ただし、18願は他力から賜わる信心だから、
信じる心も他力。
こういう解釈でいかがでしょうか?>念仏者氏
>>155 そういえば110は宿善が厚くなるとか言っていましたな。
S会は「自力無効を思い知るまで自力で善を積まなければならない」
そして、その典拠は三願転入の文。
しかし、三願転入の文に明確に「自力で善を積まなければ信を得られない」と書いてあるわけではない。
そう解釈できる、そう受け取ることができる、ぐらいのもの。
三願転入以外もそうだが、教行信証の中には「自力の善を積まなければ信を得られない」
と明確に指示する文はないんじゃないかな?
(蓮如上人の文にもないと思う)
あの緻密な教行信証に、ハッキリ・ズバリと書かれていないのはおかしい。
てなことを、110とその他大勢で延々議論してたね。
168 :
名無しさん@3周年:04/12/06 01:01:34 ID:khF81esK
>>156 500さん、念を押しときますが、明日夜はもちろん私の質問
>>120を
スルーしませんよね。
500さんの発言:
>あなたの発言は、本願寺から見ても邪義、邪説と断じられることは間違いないでしょう。
理由説明のあるなしに関係なく、です。
は、撤回ということでいいですね。
あと「辺地往生」についての見解も楽しみにしていますので是非語ってくださいね。
これだけs会批判側が「辺地往生」についての見解を根拠をもって示しているのだ
から、次は500さんが見解を披露する番だと思いますので。
>>167 親鸞聖人の教えは「自力をすてて他力をたのめ」だけど、
そう教えられると、「じゃあ、どうやって自力を捨てるの?」
となる。自力を捨てようと頑張るのも自力。ただだから
なにもしなければいいのか?と思っても、すっきりしない。
で、19願ならばいいのか、20願ならばいいのか、
とたのむ心が出て来る。その自力に対して、親鸞聖人は
「その自力をすてて阿弥陀仏をたのみなさい」と教えられる。
いずれにしろ、そんなに簡単な教えじゃない。
救われると、こんなに簡単な教えはない、となるそうだけど。
170 :
通行人:04/12/06 01:11:07 ID:30SKCcM5
みなさんも19願で救われるのですから、
修諸功徳 至心発願してください。
菩提心も起こさないとだめですよ。
発菩提心と書いてありますからね。
いい加減な気持ちじゃ、19願成就は不可能でしょう。
肝心のどんな事が功徳になるのかということも大事ですね。
聞法なんか功徳になると思うのだけど如何かな。
至心廻向なんてのもあるよ。
植諸徳本はきっと念仏のことだから、毎朝毎晩称えること大事みたいです。
20願なんか楽そうでいいかもしれませんよ。
どちらの願にしても我が国に生まれんとおもわんとか書いてあるので、
常に阿弥陀仏の浄土に参りたいと思わないとどうやら成就は不可能ではないですか。
171 :
念仏者:04/12/06 01:29:44 ID:DSjyMk2j
御質問の解答をお待ちしている皆様方、大変お待たせしております。
申し訳ございません。
>>156 500氏
>核心がまだ残っているなら早めに出していただきたいのですが。
>これが前置きなら長すぎです。
お忙しいところ申し訳ございませんが過去レスを全部読んでいただきたい。
1.2.3もすべて見当はずれです。そんなことは一言も申してません。
私のことを早くやっつけたいと苛立つ心はわかりますが、
そんな心では永遠に論破できませんよ。
172 :
通行人:04/12/06 01:31:43 ID:30SKCcM5
>>171 念仏者君、君にあるいみ感謝しないといけないな。
君のおかげで、19願や20願成就しようとする人が出てくるかもしれないよ。
やったね。
173 :
念仏者:04/12/06 01:42:59 ID:DSjyMk2j
>>166さん
>「救うぞ」は阿弥陀仏の心なので他力。
>その救いを信じる(19願で救われるとか、救われないとか)
>心は、19願、20願についてはすべて自力。
>ただし、18願は他力から賜わる信心だから、
>信じる心も他力。
ここは慎重によく味わっていきましょう。
「十九、二十、十八願で救うぞ」は他力。阿弥陀仏の御心=「大経の三信」。
「十九願、二十願で救われよう」と思う心は自力。
「十九願、二十願で救われよう」=「観経の三心、小経の一心」=自力
「観経の三心、小経の一心」=「大経の三信」
「十九願、二十願で救われよう」=「他力」
親鸞会の方は驚かれるでしょう。
174 :
通行人:04/12/06 01:51:08 ID:30SKCcM5
>>171 君を非難して悪かったな。
実は深い心があっての発言だったんだな。
いやぁ、最近「19願必要ない」とか言う人がどっかでいてね。
君のおかげで19願も大事なことがみなさんもわかったみたいよ。
発菩提心 修諸功徳 至心発願の大事さがさ。
みなさん、何を思ってか「20願必要ない」と言う人はあんまりいないんだけどね。
君のおかげで20願の大切さがもっとよくわかって、
きっとみなさん、植諸徳本してくれると思いますよ。
其の前に、至心廻向しないとだめみたいだけどね。
175 :
通行人:04/12/06 01:57:24 ID:30SKCcM5
>>173 いやぁ、私も驚きました。
これだけは聞きたいのですが、
19願や20願で救われるのですよね?
176 :
名無しさん@3周年:04/12/06 01:58:55 ID:khF81esK
>>174 >いやぁ、最近「19願必要ない」とか言う人がどっかでいてね。
あなたは今回もまたそうだけど、短絡的な解釈に基づいてバカとか糞とか
品性のない発言するし、信用できないんだよね。
荒らしとか、相手するなとかいわれて時々キレるみたいだけど、
自業自得だと思いますよ。
ともあれ、最近「19願必要ない」とか言う誰かの発言を、
あなたのいらぬ解釈抜きで、そのまま挙げてくれないかな。
挙げるの面倒くせえ、なんていうかもしれないけど、
もしそういったら、無責任の烙印をあなたに押してあげようと思っています。
177 :
通行人:04/12/06 02:00:38 ID:30SKCcM5
>>176 ともあれ、最近「19願必要ない」とか言う誰かの発言を、
あなたのいらぬ解釈抜きで、そのまま挙げてくれないかな。
ええっ!?たくさんいましたよ!!
ジャンヌ掲示板の時もたくさんいましたよ。
もう消えてるかな??
で、19願20願で救われるんですよね?
178 :
名無しさん@3周年:04/12/06 02:02:13 ID:khF81esK
でも、某氏の相手をすると、相手をするんじゃない!
相手をするものもまた荒らし、とかいわれて叱られたりして・・。
179 :
名無しさん@3周年:04/12/06 02:03:09 ID:khF81esK
>>177 何だ、挙げられないのか。
やっぱりな。もう落ちる、おやすみ。
180 :
通行人:04/12/06 02:06:04 ID:30SKCcM5
>>179 もう消えてた・・・。
元S改印と言う人なんか特に19願必要ないと言っていたんですよ。
聖道自力の行者の為にだけあるとかで、僕らには必要ないんだと。
20願でよいといいたげな口ぶりだったな。
181 :
通行人:04/12/06 02:07:47 ID:30SKCcM5
いくら2ちゃんねるだからってここははっきりしとかないとだめだと思うんですよ。
19願で救われるのか?
20願で救われるのか?
特に念仏者君に答えてほしいな。
182 :
名無しさん@3周年:04/12/06 02:09:40 ID:khF81esK
>>177 おっと言い忘れた。
おやすみ、無責任さん。
わざとらしく大げさに書き込むところもなかなかステキだったな。
そんな表現で誤魔化されるほどここの住人はアフォじゃないと思うよ。
君がその「発言」を主観抜きでそのまま挙げる事ができたら、
無責任、は撤回してやるよ、約束する。
183 :
念仏者:04/12/06 02:10:01 ID:DSjyMk2j
「十九願で助かろうとする自力の心も、阿弥陀仏の十八願の心だぞ。」
「二十願で助かろうとする自力の心も、阿弥陀仏の十八願の心だぞ。」
十九願、二十願で助かろうとする人もすでに如来の他力の中にあるのだ。
十九願、二十願で助かろうとする人は他力の中にあって、他力を思わぬのだ。
阿弥陀仏の心はこちらに向いているのに、我々の心はそっぽを向いている。
十九願、二十願は阿弥陀仏の家であり、十八願は阿弥陀仏のおひざもとである。
十九願、二十願で助かろうとする人は阿弥陀仏の家にすでに入っておるのだから
あとは阿弥陀仏のおひざもとで母親に甘えれば良いというものなのに、
母親に地獄に落とされるのではないかと母親を疑っている。
親が我が子をすでに家の中へ招き入れているのにもかかわらず、
子は親を親と思わず、仇よ的よ、と親の心を刃物でえぐるのだ。
しかしそんな我々にもかかわらず、我が子を愛してくださるのが
阿弥陀仏の広大なる御慈悲である。
これを他力という。
184 :
通行人:04/12/06 02:10:39 ID:30SKCcM5
急に念仏者君のカキコがなくなったな。
もう寝たのかな。
ぜひ、ここは念仏者君に
19願で救われるのか?
20願で救われるのか?
に聞かないとだめだと思うんですよ。
この答え次第で、もっと20願励もうとか、19願励もうとかなると思うんですよね。
185 :
通行人:04/12/06 02:17:54 ID:30SKCcM5
>>183 >>親が我が子をすでに家の中へ招き入れているのにもかかわらず、
子は親を親と思わず、仇よ的よ、と親の心を刃物でえぐるのだ。
しかしそんな我々にもかかわらず、我が子を愛してくださるのが
阿弥陀仏の広大なる御慈悲である。
これを他力という。
いまいち、何を言っているのかよくわからないなぁ・・・。
親の心をえぐるのをやめればいんですか?
私は、19願、つまり功徳を積めば臨終の時に来てくださるんですよね?
と聞きたかったんですよ。
20願でもいい、至心廻向して念仏称えれば往生できるんですか?
とそういうことが聞きたいんですよ。
まぁ、親をえぐるのをやめるとは、どういうことをするのか、
具体的に言ってくれないと、みんな迷いますよ?
186 :
念仏者:04/12/06 02:18:33 ID:DSjyMk2j
>>183 訂正。仇よ敵よ、です。
肝心なところなのに台無しにしてしまい申し訳ございません。
やっぱり私はだめですね…。
ちなみにこのたとえ話はご存知の方もおられると思いますが
『法華経』の「長者窮子の譬喩」からです。
非常に感銘深いところなので皆様にもぜひ味わっていただきたい。
187 :
名無しさん@3周年:04/12/06 02:21:35 ID:khF81esK
念仏者さん、お疲れ様でした。
横レスですが、前スレから引用。
880 :通りすがり :04/12/05 01:57:16 ID:awzAXE4J
>>通行人よ
君は以前、
>>765 >>766で
「通りすがりも何言っているかわからん、結論だけ書けばいい」
などと言っていたな。
>「自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
>こんな程度の教学しかないのに、
君は一つのセンテンスだけを抜き出し、結論だと思い、それが全てだと思っている。
僕のレスを全部読んでいたら「こんな程度の教学」などとは言わないはずだ。
君が「こんな程度」しか理解できていない、ということだ。
つまり君が「こんな程度」の教学しかない、ということだよ。
まずその根性を叩き直せ。
188 :
通行人:04/12/06 02:30:24 ID:30SKCcM5
>>183 「十九願で助かろうとする自力の心も、阿弥陀仏の十八願の心だぞ。」
「二十願で助かろうとする自力の心も、阿弥陀仏の十八願の心だぞ。」
十九願、二十願で助かろうとする人もすでに如来の他力の中にあるのだ。
十九願、二十願で助かろうとする人は他力の中にあって、他力を思わぬのだ。
阿弥陀仏の心はこちらに向いているのに、我々の心はそっぽを向いている。
いまいち何が言いたいのかよくわからないですよね。
考えることをやめろとかそういうことが言いたいんですか?
そりゃ無理ですよ。考えてしまいますよ、人間ですから。
何をすればいいのか、言ってくれないとみんな迷うじゃないですか。
何もしなくていいとおっしゃりたいのですか?
でも19願20願の文には、何もしなくてよいとか何も思わなくてよいなどと書いてませんよ?
こんなんじゃ、真剣に救いを求めてる人にとってますます疑問を深めるだけじゃないですか?
189 :
通行人:04/12/06 02:38:04 ID:30SKCcM5
>>186 はっきり言いまして、念仏者君に、19願20願の文の説明が聞きたいんですよね。
何が書かれてあるのか、聞きたいんですよ。
ちゃんと、言葉にそってその説明を聞きたいんですよ。
そして、何をすべきなのか、言わないとだめだと思うんですよね。
だってそうでしょう?18願でしか救われないと聞かされてきたものがほとんどのはずです。
19願や20願で救われるなら、其の願には何が書かれてあるのか、知りたいと思うのが、
普通ではありませんか。
じゃないと、何もできないではありませんか。
少なからず、19願や20願に何もしなくてよいなどとは書いてませんよ。
悶々とするだけですよ。もっと迷うだけですよ。
190 :
念仏者:04/12/06 02:42:52 ID:DSjyMk2j
>>142 西阿人さん
>ところで親鸞聖人の教えは子を叱る父親のごときもので、なぜ18願に直接進まないのか!と
>叱るようなものだ(正確な言葉遣いじゃなくてスミマセン)とも、どこかでおっしゃっていた様に
>記憶していますが、そうだとすると結局高森先生も聖人と同じことをしている、ということになりませんか?
整理しましょう。
親鸞聖人も高森先生も「全く同じ言葉」で教えています。
「雑行雑修自力の心を捨てよ。他力に入れ」と全く同じ言葉です。
「十八願ただこれひとつをたのめ」と全く同じ言葉です。
親鸞聖人の教えは唯一つ、阿弥陀仏の御心を明らかにし、他力ひとつをたのめ、と教えることです。
高森先生の教えは唯一つ、阿弥陀仏の御心を明らかにし、他力ひとつをたのめ、と教えることです。
そして阿弥陀仏の御心は
>>183の通りです。
高森先生は阿弥陀仏の御心、他力の真髄を明らかにしていない。
191 :
念仏者:04/12/06 02:50:29 ID:DSjyMk2j
伝説的名言を残しましょう。
高森先生は他力の真髄を明らかにして伝えていないのにもかかわらず、
他力をたのめ、と人々に教えている。
これが親鸞会の核心、すべてです。
192 :
通行人:04/12/06 02:52:55 ID:30SKCcM5
>>190 念仏者君、
「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
なのではないのですか?
では私たちは自力のままでよいということなのではないのですか。
なぜ他力をたのめと善知識は言うのでしょうか。
ますます、疑問を深めることを言っていますよ。
だって、自力と他力は自分の心の中で共存できませんよ?
どっちかしかありません。
善知識は阿弥陀仏の御心に反したことを言っている。
そういうことがいいたいのですか?
193 :
通行人:04/12/06 02:59:53 ID:30SKCcM5
>>191 もしかして、念仏者君は、19願20願の説明ができなかったりするわけですか?
194 :
念仏者:04/12/06 03:03:01 ID:DSjyMk2j
>>192 >>通行人さん
>では私たちは自力のままでよいということなのではないのですか。
>なぜ他力をたのめと善知識は言うのでしょうか。
>善知識は阿弥陀仏の御心に反したことを言っている。
>そういうことがいいたいのですか?
なぜ他力をたのめと善知識が仰るか?その答えは阿弥陀仏の御心にあります。
高森先生に阿弥陀仏の御心はどのようであると教えていただきましたか?
私は阿弥陀仏の御心を
>>183で書いたように受け取っております。
あなたはどのように受け取っておられますか?
195 :
念仏者:04/12/06 03:08:11 ID:DSjyMk2j
>>142 西阿人さんおよび皆様へ
>単純に、念仏者さんのご説だと、どうして高森教学が瓦解するのか、ということが
>私には見えてこないので、解説して頂きたいと思っているだけなのです。どうか反論のための反論ばかりするヤツ
>というようには見ないでくださいね・・・
もちろんです。こちらこそみなさんに警戒心を抱かせてしまい申し訳ないです。
私はついつい偉そうに、賢いふりをして相手をおどかすようなものの言い方をしてしまう。
我ながら情けなく思われます。
御質問にはぜひ喜んで答えさせていただきますよ。
196 :
通行人:04/12/06 03:13:07 ID:30SKCcM5
>>194 念仏者君の意見が聞きたかったのに、なぜ高森先生の名前が出てくるのでしょうかね。
あえていいますと、信ずる一念で救うぞというのが阿弥陀仏の御心だとおっしゃっています。
(間違っていましたら、会員さん指摘してください。)
念仏者君は
>>183のように受け取っておられるらしいですけども、
私は、どう受け取るかとかそんなこと聞きたいわけじゃないんですよね。
みなさんも一緒でしょう。
聞きたいのは、19願で救われるのか?20願で救われるのかです。
あなたは
「十九願で助かろうとする自力の心も、阿弥陀仏の十八願の心だぞ。」
「二十願で助かろうとする自力の心も、阿弥陀仏の十八願の心だぞ。」
とおっしゃっていますが、これでは何も考えようとしないのがいいみたいに取れます。
第一、20願で助かろうとする心は阿弥陀仏の18願の心などとははじめて聞きました。
意味がまったくわかりません。
197 :
念仏者:04/12/06 03:24:39 ID:DSjyMk2j
>>通行人さん
>第一、20願で助かろうとする心は阿弥陀仏の18願の心などとははじめて聞きました。
『教行信証』の「化身土巻」に三信三心、三信一心、一異の問答
という所があります。
十八願で救おうとする他力の心を大経の三信といいます。
十九願で助かろうとする自力の心を観経の三心といいます。
二十願で助かろうとする自力の心を小経の一心といいます。
ここで、
三信=三心、三信=一心ということを顕彰隠密ということから明らかにされています。
このあたりを教学聖典で調べていただきたい。
そして親鸞会教学ではどのようになっているか教えてください。
198 :
通行人:04/12/06 03:33:19 ID:30SKCcM5
>>197 その前に、私たちは、他力になるべきか、自力のままで救われるのか。
どちらか明らかにしてほしいですよ。
そうでないと、自力のままで往生できるのなら、他力にたのみませんし、
たのむ必要ないですよ。
他力と自力は自分の心の中で共存できませんしね。
ちなみにどっちかしかありませんよ?
199 :
通行人:04/12/06 03:45:05 ID:30SKCcM5
>>「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
これが、本当なら、無理に他力にたのむ必要ないのではないですか。
200 :
念仏者:04/12/06 03:53:37 ID:DSjyMk2j
>「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
>自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
>というのが阿弥陀仏の御心だ。
>これが、本当なら、無理に他力にたのむ必要ないのではないですか。
まず、「これが本当」である根拠を私はすでに
>>197で示しましたが、
ここは納得していますか?御聖教の根拠についてどうお考えですか?
201 :
通行人:04/12/06 03:59:06 ID:30SKCcM5
>>200 一字一句そのままで、抜き出してもらえませんか?
202 :
念仏者:04/12/06 04:06:03 ID:DSjyMk2j
>その前に、私たちは、他力になるべきか、自力のままで救われるのか。
>どちらか明らかにしてほしいですよ。
このような疑問を他の多くの人ももたれていると思います。
何度でも説明させていただきます。
「他力で救われるのか?自力が間に合うのか?どちらか?」
という問題を議論するにはまず、
まず最初に御聖教の根拠から「他力」を明確に定義しなくてはなりません。
「他力」ということが如何なるなもであるかを明らかにしなくてはならないのです。
私の他力の定義は
>>183 >>197に示しました。
ですから
>>197 >>200にも述べましたが、
親鸞会の他力の解釈を示す必要があります。
203 :
通行人:04/12/06 04:09:23 ID:30SKCcM5
>>「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
これが本当である根拠ならとても重要な根拠です。
抜かりなく抜き出してください。
特に自力はそのままで救ってやるぞの根拠はとても重要です。
なぜなら、雑行、雑修、自力は捨てよとの根拠があるからです。
204 :
通行人:04/12/06 04:13:11 ID:30SKCcM5
>>203 つけくわえて、がいじゃしょうには
今の真宗においては、専ら自力をすてて他力に帰するをもって
宗の極致とする
とまで書いてあります。
205 :
念仏者:04/12/06 04:30:30 ID:DSjyMk2j
根拠は『化身土巻』にもありますが、『浄土文類聚鈔』にもあります。
浄土文類聚鈔
『大経』の三心と『観経』の三心と、一異いかん。
答ふ。
両経の三心すなはちこれ一なり。
なにをもつてか知ることを得るとならば、宗師の釈にいはく、至誠心のなかにいはく、
「至といふは真なり、誠といふは実なり」(散善義)と。
人につき、行について信を立つるなかにいはく、
「一心に弥陀の名号を専念する、これを正定の業と名づく」(同)と。
またいはく、
「深心すなはちこれ真実信心なり」(礼讃)と。
回向発願心のなかにいはく、
「この心深信せることなほ金剛のごとし」(散善義)と。
あきらかに知んぬ、一心はこれ信心なり、専念はすなはち正業なり。
一心のなかに至誠・回向の二心を摂在せり。
さきの問のなかに答へをはりぬ。
また問ふ。以前二経(大経・観経)の三心と、『小経』の執持と、一異いかん。
答ふ。『経』(小経)にのたまはく、「名号を執持す」と。
「執」といふは心堅牢にして移らず、「持」といふは不散不失に名づく。
ゆゑに「不乱」といへり。
執持はすなはち一心なり、一心はすなはち信心なり。
しかればすなはち、「執持名号」の真説、「一心不乱」の誠言、かならずこれに帰すべし。
ことにこれを仰ぐべし。
206 :
念仏者:04/12/06 04:32:02 ID:DSjyMk2j
>両経の三心すなはちこれ一なり。
>あきらかに知んぬ、一心はこれ信心なり、専念はすなはち正業なり。
>執持はすなはち一心なり、一心はすなはち信心なり。
根拠は山ほどあります。
207 :
通行人:04/12/06 04:38:08 ID:30SKCcM5
>>205 いまいち、よくわからないのですが、
これのどこが、
>>「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
の根拠なのでしょうか?
詳しく教えていただけませんか?
208 :
念仏者:04/12/06 04:38:55 ID:DSjyMk2j
『御文章』にもあります。
一帖の十三 此方十劫邪義
しかれば向後においては、まづ当流の真実信心といふことをよくよく存知すべきなり。
その信心といふは、『大経』には三信と説き、『観経』には三心といひ、『阿弥陀経』には一心とあらはせり。
三経ともにその名かはりたりといへども、そのこころはただ他力の一心をあらはせるこころなり。
親鸞聖人一流の他力の一心、真実信心が三信=三心=一心であることを
明らかに示しています。
209 :
通行人:04/12/06 04:42:17 ID:30SKCcM5
>>206 つけくわえて、覚如上人が
自力を捨てよとおっしゃってますが、なぜだと思いますか?
自力では救われないからではないでしょうか?
どう思われますか?
210 :
念仏者:04/12/06 04:46:22 ID:DSjyMk2j
>>207 十八願で救おうとする他力の心を大経の三信といいます。
十九願で助かろうとする自力の心を観経の三心といいます。
二十願で助かろうとする自力の心を小経の一心といいます。
御聖教の根拠によると 三信=三心=一心
であると明らかに教えています。ここまではいいですね?
よって以上から
十八願の他力の心=十九願で助かろうとする自力の心=二十願で助かろうとする自力の心
十九、二十願で助かろうとする自力の心でさえもすべて他力の心である。
211 :
通行人:04/12/06 04:50:37 ID:30SKCcM5
教学テキストには、
「りょうげもん」
「もろもろの雑行・雑修・自力の心をふりすてて、一心に「阿弥陀如来われらが今度の
一大事の後生御たすけ候え」とたのみ申して候。たのむ一年のとき、往生一定・
おんたすけ治定とぞんじ、・・・・」
と書いてあります。
これが本当なら、自力の心はますます捨てよの根拠ばかりです。
阿弥陀仏がどう思っていようと、これは揺るがなくなりましたが、どう思われてますか?
212 :
念仏者:04/12/06 04:54:41 ID:DSjyMk2j
>>209 なぜいきなり覚如上人…?
覚如上人も親鸞聖人の御教え一つを教えられました。
自力を捨てよと教えているのは親鸞聖人が教えられているからです。
>自力では救われないからではないでしょうか?
「他力で救われるのか?自力が間に合うのか?どちらか?」
という問題を議論するにはまず、
まず最初に御聖教の根拠から「他力」を明確に定義しなくてはなりません。
「他力」ということが如何なるなもであるかを明らかにしなくてはならないのです。
そこで、今、他力とは、真実信心とは何かを議論しているんですよ?
213 :
念仏者:04/12/06 04:59:05 ID:DSjyMk2j
>>212 >>209と同じ内容ですね。
>>212を読んでください。
>阿弥陀仏がどう思っていようと、これは揺るがなくなりましたが、どう思われてますか?
阿弥陀仏がどう思っていようと、とは何事ですか。
絶対揺るがないのは阿弥陀仏の方です。阿弥陀仏の御心です。
他力の真実信心、これひとつをまず明らかにしましょう、という議論です。
214 :
通行人:04/12/06 04:59:10 ID:30SKCcM5
>>
十八願の他力の心=十九願で助かろうとする自力の心
=二十願で助かろうとする自力の心
十九、二十願で助かろうとする自力の心でさえもすべて他力の心である。
>>「自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
上記2つは一体どういう風につながっているのでしょうか?
十九願で助かろうとする心が他力の心であったとして、
だから、自力はそのままで救ってやるぞと早々に結論づけたのは
間違いではありませんでしたか?
なぜならば、上記にあげましたとおり、自力の心は捨てよの根拠ばかりだからです。
百歩譲って、そうであったとしても、阿弥陀仏は自力でも救うと思ってらっしゃるが、
自力では救われませんので、その辺誤解しないで下さいと
一言付け加えるべきではなかったですか?
215 :
通行人:04/12/06 05:02:52 ID:30SKCcM5
私が、一番心配することは、自力のままで救われると
勘違いしてしまう人がいるのではないかということです。
あなたは、さっきから、全然「自力では救われない」ことを言いません。
何故ですか?
そう言わないと、「自力のままで救われる」と勘違いするではありませんか。
216 :
通行人:04/12/06 05:07:06 ID:30SKCcM5
はぐらかしてはいけない問題なのです。
「自力では救われない」これが、あなたの口から聞きたいのです。
それとも、「自力で救われる」と思ってらっしゃるんですか?
善知識が、自力を捨てよと言われた事実にしりを向けるのですか?
阿弥陀仏がどう思われているかは、大事ですが、
「自力を捨てよ」とせめてもっとはっきりおっしゃるべきですよ。
217 :
念仏者:04/12/06 05:12:50 ID:DSjyMk2j
>>214 >十九願で助かろうとする心が他力の心であったとして、
>だから、自力はそのままで救ってやるぞと早々に結論づけたのは
>間違いではありませんでしたか?
百歩譲っても千歩譲っても間違いではないです。
「自力はそのままで救ってやるぞ」
自力はそのまま = 十九願、二十願をたのむ自力の心
= 三心一心 = 三信 = 他力の心 = 救ってやるぞの心。
ここは明らかに証明されましたね。
>百歩譲って、そうであったとしても、阿弥陀仏は自力でも救うと思ってらっしゃるが、
>自力では救われませんので、その辺誤解しないで下さいと
>言付け加えるべきではなかったですか?
百歩譲っても千歩譲っても付け加えるべきではないです。
なぜなら「自力はそのままで救ってやるぞ」は他力の心。
他力だから絶対救われるのです。
218 :
通行人:04/12/06 05:15:30 ID:30SKCcM5
>>217 私が聞きたいのは、そこではないんですよ。
なぜあえて避けようとするのですか?
わたしが、、聞きたいのは、
「自力で救われる」と思ってらっしゃるんですか?ということなんですよ。
そして、19願で救われるのですか?20願で救われるのですか?
何ですよ。
イエスノーで答えられることを、なぜあーだこーだと避けるのでしょうか?
219 :
念仏者:04/12/06 05:23:06 ID:DSjyMk2j
>>218 避けようとしているのはどちらですか?
>>202 >その前に、私たちは、他力になるべきか、自力のままで救われるのか。
>どちらか明らかにしてほしいですよ。
>このような疑問を他の多くの人ももたれていると思います。
>何度でも説明させていただきます。
>「他力で救われるのか?自力が間に合うのか?どちらか?」
>という問題を議論するにはまず、
>まず最初に御聖教の根拠から「他力」を明確に定義しなくてはなりません。
>「他力」ということが如何なるなもであるかを明らかにしなくてはならないのです。
>私の他力の定義は
>>183 >>197に示しました。
>ですから
>>197 >>200にも述べましたが、
>親鸞会の他力の解釈を示す必要があります。
220 :
通行人:04/12/06 05:25:31 ID:30SKCcM5
>>217 「自力で救われるのですか?」と聞いています。
イエスかノーで答えられるでしょう。
そこが知りたいんですよ。
いまいちど、はっきり、我々は自力で救われるのか否かはっきりさせてください。
イエスノーで充分でしょう。
221 :
念仏者:04/12/06 05:38:34 ID:DSjyMk2j
>>220 自力の解釈、定義が私とあなたで違うのであるのだから
その問い自体が全く意味がないことだとわからないのですか?
222 :
通行人:04/12/06 05:45:05 ID:plcxA/Gt
自力の意味や定義がなぜ人によってあれこれ変わるのでしょうか。
他力でないのは、全部自力ではないですか。
いまさら何言ってらっしゃるんですか。
其の他力は、「他力というは如来の本願力なり」と書いてあります。
あなたが、知らないはずないでしょう。
本願力以外を、自力と言うんですよ。
で、答えてくださいよ。
223 :
通行人:04/12/06 05:51:57 ID:plcxA/Gt
>>221 なぜ、イエスかノーで答えられるのを避けるのでしょうか?
19願で救われるのか?
20願で救われるのか?
>>184からずっとこれが聞きたいわけですよ。
224 :
通行人:04/12/06 06:02:08 ID:plcxA/Gt
>>221 念仏者君は本気で人によって自力の解釈が変わるとでも思ってらっしゃるのでしょうか。
225 :
念仏者:04/12/06 06:02:18 ID:DSjyMk2j
>>自力の意味や定義がなぜ人によってあれこれ変わるのでしょうか。
自力の真実の意味は唯一つです。
しかし人によってあれこれ間違って解釈してしまうから、
真宗の邪教がたくさん生まれるのです。
そして今は、その解釈を問題にしているのです。
>其の他力は、「他力というは如来の本願力なり」と書いてあります。
そうですそうです。100点満点です。
他力=本願力=十八願の心=三信=三心=一心 ですね。
「自力はそのままで救ってやるぞ」
自力はそのまま = 十九願、二十願をたのむ自力の心
= 三心一心 = 三信 = 他力の心 = 救ってやるぞの心。
終了です。
一方的な質問を押し付け、Yes or Noを迫るのはどこのカルトのやり方ですか?
前に「結論だけ言えばいいのに」などと言ってましたね。
あなたは何も変わってない。
仏教は自分自身の心との対決です。
まず、自分自身の心を深く観察してごらんなさい。
今日はもうおしまいです。また明日。おやすみなさい。
今日の議論はきっと多くの人にとって有意義なものとなるであろうと思っております。
通行人さんを縁として仏法を伝えることができたのであればこの上ない幸いです。
ありがとう。南無阿弥陀仏。
226 :
通行人:04/12/06 06:09:52 ID:53FmU7ju
>>225 自力はそのまま = 十九願、二十願をたのむ自力の心
= 三心一心 = 三信 = 他力の心 = 救ってやるぞの心。
なんですか、これ?
これはあれですか。あなたはやっぱり「自力のままで救ってくれる」と思ってらっしゃる
と理解してよろしいようですね。
イエスノーで答えられることをわざわざ、はぐらかして、答えを迫ると
カルト発言ですか?
私はなにも親鸞会の代表者じゃありませんよ。
念仏者君の主張がほしいから答えを迫っただけではありませんか。
もう、多分、あなたは、「自力のままで救われる」と思ってらっしゃるとしか思えないです。
さんざんチャンスをあげましたが、そういう風に判断します。
227 :
通行人:04/12/06 06:13:52 ID:53FmU7ju
>>225 本気で、自力を捨てよの善知識の仰せを無視して、
本気で、「自力のままで救われる」と思っている、念仏者君だとしたら、
なんともいえないものを感じます。
結局
19願で救われるか?
20願で救われるか?
も答えませんでした。
これも、念仏者君は、何の深い心があるわけでもなく、本気で、19願や20願で
救われる、と判断してよろしいようですね。
228 :
通行人:04/12/06 06:20:28 ID:53FmU7ju
>>225 他力=本願力=十八願の心(=三信=三心=一心)
本願力と十八願の心がなぜイコールなのでしょうか。
こんな恥ずかしい等式見たことありません。
なんという粗雑な感覚なのでしょうか。
自分で気づかないのかな。
まさか、本気で、本願力とは何かを書いてあるところを知らないのでしょうか。
あわれ・・・・。なかなか愚かなり。
229 :
名無しさん@3周年:04/12/06 09:01:25 ID:2sRaY/Np
>>228 >あわれ・・・・。なかなか愚かなり。
御自分のことですか?
さすが、深いですね、通行人さん。
230 :
西阿人:04/12/06 09:44:42 ID:OQDBUKmc
>念仏者さん、通行人さん、乙です!
念仏者さんのおっしゃるとおり、大変有意義なご縁だったと思います。
深く、深く、味わわせていただきます。
十九願、二十願は阿弥陀仏の家であり、十八願は阿弥陀仏のおひざもとである。
十九願、二十願で助かろうとする人は阿弥陀仏の家にすでに入っておるのだから
あとは阿弥陀仏のおひざもとで母親に甘えれば良いというものなのに、
母親に地獄に落とされるのではないかと母親を疑っている。
すでに如来の家の中に入っているのに、「どうすれば救われるのか?こうか?ああか?」
と、母親の手回しに気づかずになんとか助けてもらおうともがいている姿が、
「疑情」であり、「自力の心」なのですね?
そして、如来の家の中(萌え盛る三界=地獄(:この等式はヤバイかも)の外)にいながら
すぐに弥陀の膝元まで行かずに、玄関先で「靴は脱ぐのか」「上着はどうするんだ」
「やっぱり金一封包まなきゃならんかな?」と、小ざかしく思案してもじもじしている状態が辺地往生。
そのつまらない思案をすてて、母親の胸に飛び込むことこそが、弥陀の本心に適うことであり、18願の往生。
しこうして、そもそもどうして如来の家に入ったかといえば、弥陀がそのように手配したから。
玄関先に来ている状況はまさに他力によるもので、玄関先にこなければ出てこない、上記のような思案をしている心は自力。
だから、19,20願で助かろうとする自力の心も、結局のところは他力ということになる。
図式的に理解すると、このようなことになりますでしょうか。
231 :
西阿人:04/12/06 09:45:23 ID:OQDBUKmc
230のつづき
ところで、これを高森教学との関係で言うとどうなるでしょう。
高森先生は他力の真髄を明らかにして伝えていないのにもかかわらず、
他力をたのめ、と人々に教えている。
という「伝説的名言」、およびそのずっと前に書いておられた聖人と高森先生の言葉遣い
についてのご解釈を併せて考えてみると、聖人は上の図式のようなことを明らかにした上で、
あえて「父親」(「兄」の方がイメージは合うかな)の役回りを引き受けて、厳しい口調で
「そんな所に突っ立ってつまらん思案をしてないで早く母親の愛を知ってここまで来い!
そしてみんなにもこのことを伝えよ」と叱咤激励されているのに対し、高森先生は家の中にいる
ということを説かずに、「口で言ってもお前たちはわからんのだから、母親の愛を思い知るために
お前達のつまらん思案をとことんまで突き詰めろ。『やっぱりダメでした・・・』と反省したら、
俺が母親の元に連れてってやるから」と玄関先で説教している、という感じ(?)でしょうか?
この情景が、つまりは、「鍵をかけ」、来る人来る人を追い返しているので、「誰も入れない」
ということで、すなわち、聖人の「他力を知れ」は「弥陀の本心・ご恩をよく思い知れ」とのお諭し
であるのに対して、先生のそれは、弥陀の本心を知ることが救いの条件であるかのように教えているので、
却って弥陀の膝元まで行くのを妨げることになっている、と。
以上が一応私の理解ですが、いかがでしょうか?「聞き誤り」があれば正してください。
念仏者さん、どうもありがとうございます。
特に、
>>183 >>225 については度肝を抜かれました。
今まで、如来の本願力をいかに「小さく」見くびって
いたのかを反省します。
じっくりと味わいたいと思います。
>>228 > 本願力と十八願の心がなぜイコールなのでしょうか。
如來、清淨の真心をもって、円融無碍不可思議不可稱不可説の
至徳を成就したまへり。すなはちこれ利他の真心を彰す。
この至心はすなはちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。
この心すなはちこれ不可思議不可稱不可説の一乗大智願海、
廻向利益他の眞實心なり。 (教行信証信巻)
至心 = 一乗大智願海 (本願力) と教えられています。
みなさま、お疲れ様です。
お昼休みを利用して書き込んでいます。
しだいに教学チックなスレッドになってきていますが、
活動内容、組織に矛盾があれば、教義にもなんらかな矛盾があるのでは?
と判断されるのも尤もな話だと思います。
念仏者氏などの深夜,早朝までにわたる大活躍のおかげで
久々の名スレッドの予感!です。
とくに、
>>233氏のご明解!な説明に対して、↓とまで豪語した通行人氏は
どんな聖典の根拠をもって反論するのでしょうか、いまから待ち遠しいです。
通行人氏も真実開顕のため頑張ってください。
また皆様いろいろと教えてください。
>本願力と十八願の心がなぜイコールなのでしょうか。
こんな恥ずかしい等式見たことありません。
なんという粗雑な感覚なのでしょうか。
自分で気づかないのかな。
情けない。
「念仏者」の邪信心がハッキリ明らかになったね。
話にならない。
軽々と「念仏者」という名前は使わないでほしい。
また、親鸞聖人は難思往生をすすめられなかった、という
方に対しては、教行信証化身土巻にて、
また問う。『大本』と『観経』の三心と、『小本』の一心と、一異いかんぞや。答う。
(中略)
いま三経を案ずるに、みなもって金剛の真心を最要とせり。真心すなわち大信心
なり。大信心は希有・最勝・真妙・清浄なり。何をもってのゆえに、大信心海は
はなはだもって入りがたし、仏力より発起するがゆえに。真実の楽邦ははなはだ
もって往き易し、願力に藉ってすなわち生ずるがゆえなり。いま将に一心一異の
義を談ぜんとす。当にこの意なるべしとなり。三経一心の義、答え竟りぬ。
と、大経、観経、小本のすべてに金剛の真心を説かれていることを明らかに
された直後に、
それ濁世の道俗、速やかに円修至徳の真門に入りて、難思往生を願うべし。
と、はっきりと「難思往生を願うべし」とおっしゃっています。
>>235 >情けない。「念仏者」の邪信心がハッキリ明らかになったね。
どうハッキリしたのか説明していただけますよね。
>話にならない。
どういう点が?
>軽々と「念仏者」という名前は使わないでほしい。
なぜ?
批判のための批判といわれないためにも、アンチにしろ、親sにしろ、
理由を述べるくらいは最低限すべきことではないでしょうか?
親鸞聖人の教えって、こんなにすごかったのか、
となんだか久々に感激中。お聖教を、じっくりと
読み直します。
通行人って今まで馬鹿にしていたけど、
実はすごい人なんじゃないかって思い始めた今日この頃。
通行人って今まで馬鹿にしていたけど、
実はすごい人なんじゃないかって思い始めた今日この頃。
241 :
通行人:04/12/06 15:27:06 ID:XZ+/MXht
自力諸善のひとはみな
仏智不思議を疑へば
自業自得の道理にて
しっぽうの獄にぞいりにける
よく一念喜愛の心を発せば、
煩悩を断ぜずして涅槃を得、・・・・
本願の名号は正定の業なり、
至心信楽の願を因と為す、・・・
信を獲て見て大に慶喜すれば、
即ち横に五悪趣をちょうぜつす。
しかるに今大本によるに、真実方便之願を超発す。
亦「観経」には方便・真実の教を顕彰す。
「小本」(阿弥陀経)には、唯真門を開きて方便の善無し。
是をもって三経の真実は、選択本願を宗と為す。
報土の真因は信楽を正とするが故なり
涅槃の真因は唯信心を以てす
242 :
通行人:04/12/06 15:27:57 ID:XZ+/MXht
「横超」とは、本願をおくねんして自力の心離る、
専修とは唯仏名を称念して自力の心を離る、
是を「横超他力」と名づくるなり。
自力作善の人はひとへに他力をたのむ心かけたる間、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力の心を廻して他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を遂ぐるなり
若不生者のちかいゆえ
信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは
往生かならずさだまりぬ
結論「自力を捨てて、他力に帰することこそが、善知識の仰せであり、
、救いは一念である。一念慶喜するひとは、往生かならず定まりぬ。
信楽の身になること一つです」
以上。
おまけ(三心と言ふは、一つには至心、二つには信楽、三つには欲生なり。)
243 :
念仏者:04/12/06 15:44:01 ID:Jw/hMx+v
次第に真実が明らかにされてきているように感じます。
>>231 西阿人さん
>俺が母親の元に連れてってやるから」と玄関先で説教している、という感じ(?)でしょうか?
他力の真髄を明らかにしない=帰る家がどこだか教えない
他力をたのめと教える=母親の胸に飛び込めと教える
高森氏は「家を教えず、母の胸に飛び込めと説く。」
教えを聞いた者は「帰る家がわからず、母親を求め闇夜を永遠に徘徊する。」
これが親鸞会の実相です。
私は前に、親鸞会の三願転入の 十八願 | ←二十願 ←十九願
この一次元的イメージの絵は他力を正しく教えていない、と言いました。
それでは今こそ正しい絵を明らかにしましょう。
家の中に母親がいる。十九願、二十願、の中に十八願がある。
家の絵を描いてください。その真ん中に母親を描いてください。
これが正しい絵であり、すべては阿弥陀仏の御心、他力である。
ここまで描けば一目瞭然ですが、
十八願 | ←二十願 ←十九願
この直線的に走っていく絵が正しくないことが明らかになります。
念仏者さんの話ですが‥‥
弥陀は18願で善をしなくてもそのままで助けると約束している。
だから善をしなくても助かるのだが、私たちにはそうは思えない自力の心がある。
それで、弥陀は、善をしても助かるよと、19,20願を建てられた。
ここで疑ぐり深い私たちのために弥陀は「善をしたら助かるよ」と相手に合わせて願を建てられた。
しかし、弥陀がその善で助けようというのに、本当に自分の善で助けてもらえるのかな?詐欺じゃねぇの?
と疑わしく思う私たちはやはり助かるように思えない。そんな約束を信じることができない。
聖人は、そんな私たちを見て、その心が弥陀を悲しませている、だから早く自力を捨てよ、他力に入れと言われた。
ということなのかな‥‥
しかし、長者窮子のたとえだと、あれ確か長者の全財産をあげるっていう設定だったと思うけど、
長者が「君が善いことしたから私の全財産をあげよう」という心があったとしても
肝心の窮子が受け取らないんじゃやはり全財産を受け取れないのでは?と思います。
つまり、弥陀が自力のままで助ける気満々でも、私たちが助かるかどうかはまた別問題なのではないでしょうか?
でないともう助かってるんだと勘違いする人もありましょうし、十劫安心とかぶるような感じするし。
どうなのでしょうか。
私は別にs会の肩を持つわけではありませんが、疑問をもったので質問してみますた 爪・ω・)
今、問題になっているのは「十九願、二十願は自力か他力か」
ということです。そのことを、教行信証からどのように
読み取ればいいのか、じっくりと味わっているところです。
家=十九願、二十願
母親=十八願
というたとえを用いられましたが、これは
顕の義(十九願、二十願=自力)からは、十九願、二十願は
まだ仏智を疑っているために、真の報土に生まれることは
できない、つまりまだ阿弥陀仏のお膝元にいない
彰の義(十九願、二十願=他力)からは、十九願、二十願は
他力(家の中)であり、すでに家の中にいる
といった解釈でしょうか?かなり難しいところだと思います
ので、よろしくお願いします。
>>241>>242 通行人さん、それは
>>233に対する反論?
どうしてその抜粋から「本願力と十八願の心がイコールでない」
という結論が導きだされるのかわかりません。
素人にもわかるように少し解説してくれないかな。
247 :
念仏者:04/12/06 17:02:30 ID:Jw/hMx+v
>長者が「君が善いことしたから私の全財産をあげよう」という心があったとしても
>肝心の窮子が受け取らないんじゃやはり全財産を受け取れないのでは?と思います。
「全財産をあげる」というのは「十八願で救うぞ」、ということです。
しかし長者はこのように思っているが、窮子はその心はわからないのです。
だからその心がわからぬうちは全財産を受け取ることはできないのです。
だから方便として、十九願、二十願で助けるぞ、とお誓いになられたのです。
窮子は助からんと思っているようだが、こっちはそれでも助けるぞ、と。
窮子は助からんと思っていても、すでに十九願、二十願、他力の中にあるのです。
>助かってるんだと勘違いする人もありましょうし、十劫安心とかぶるような感じするし。
これは十劫安心とは全く違います。
十劫安心とは、十劫の昔に本願は成就されているのだから、
修善も念仏もいらん、ということでしょう。
このたとえで言うなら
十劫安心とは母親がいるのだから、何もしなくても全財産受け取れると
闇夜を歩きながら思っているだけで、
まだ絶対他力の家に入ってないのです。
『御文章』
「それ、弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることを、
いまにわすれず疑はざるがすなはち信心なり」とばかりこころえて、
弥陀に帰して信心決定せしめたる分なくは、報土往生すべからず。
さればそばさまなるわろきこころえなり。
>>245 その通り。そのような解釈で間違いありません。
ここは反論の余地はないのです。
「もう助かっている」は、十九願でも二十願でもありませんよね。
「修諸功徳」あるいは「植諸徳本」がなければ、家の中に
いることにはなりません。
>244
つーか、この疑問自体が計らいなのかw。
他力の真髄を明らかにしない=帰る家がどこだか教えない
他力をたのめと教える=母親の胸に飛び込めと教える
ということは、
「大観三心小経一心一異問答」について、
一なることを教えずに、異なることを教える
これがs会の教えだ、ということでしょうか。
251 :
念仏者:04/12/06 17:42:02 ID:Jw/hMx+v
>>250 >「大観三心小経一心一異問答」について、
> 一なることを教えずに、異なることを教える
>これがs会の教えだ、ということでしょうか。
これが親鸞会の教えだ、などと私が口をすべらせたら袋叩きにされるでしょう。
親鸞会も「三信、三心、一心、これ一なり」と言葉では教えているのです。
何度も確認しますが、
「高森氏は親鸞聖人と全く同じ言葉で教えているが、
阿弥陀仏の御心を明らかにしておらず、
高森氏の言葉の意図は親鸞聖人の言葉の意図と致命的に異なっている」
「十九願で救うぞ、二十願で救うぞ、と如来が用意された要門真門を
まるで地獄の門のように味わっている」
> 「十九願で救うぞ、二十願で救うぞ、と如来が用意された要門真門を
> まるで地獄の門のように味わっている」
ようやく、なにを問題としているのかが見えてきたような
気がしてきました。
> 「十九願で救うぞ、二十願で救うぞ、と如来が用意された要門真門を
> まるで地獄の門のように味わっている」
ようやく、なにを問題としているのかが見えてきたような
気がしてきました。
ありゃ…二重カキコすみません
s会は、要門については、むしろ推奨する立場ですよね。
親鸞聖人の教えに善はある、善をせよ、と教えている
わけですから。もっとも、その教え方、つまり、できると
思っているから、できないと知らされるまで進め、
という教え方に問題があり、「できると思ってうぬぼれて
いるそのままで救うという本願だぞ」と教える必要が
あるわけですよね。そして、要門ではかなわぬ、親鸞会の
活動にはついていけない、という退会を希望するような
人に対しては、そういう要門ではかなわないというあなたの
ために、阿弥陀仏は真門を用意された、と導かなければ
ならないのに、「敗残者」「仏縁がない人たち」と
切り捨てるところが問題なのですね。
そう考えると、退会者には「阿弥陀仏一仏に向かい、
念仏の日暮らしをしなさい」と教えなければならない
のに、それどころか一時「貸与」した本尊を奪い返す
行為は、まったくもって逆だな。
257 :
元ボラ夫:04/12/06 19:50:45 ID:/YxS1hcK
遅レススマソ、すばらしい議論の腰を折ってしまいごめんちゃいm( __ __ )m 、すぐ消えますね。
>>125-128 遅ればせながら、めんどくせーなさん(でよろしいのでしょうか?)、うpご苦労様でした。ありがとうございます。
(毎日忙しくて、まとめられませんでした。職場からカキコです(つд・)
>>48 たまきさんは、伝道部顧問だそうです。わしのころはいなかった(歳がばれるなw)。
>通行人へ
通行人クンよ、久しぶりに後輩に電話をしてみたよ。
君が龍大生であるなら、どうやら君だと思われる人物が一人だけいるそうだ。周りからもそう思われているらしい。
故に、君もしくは君の仲間が龍大生であり、真宗学を専攻していることについては認めよう。
(卒論等、先が思いやられるが・・・、まあ院生じゃないから甘いか・・・)
しかし、教師資格云々については、君は勉強しなおした方がいい。君が履修したのは、教師資格課程であって、
教師資格(住職になれる資格)を取得したわけではない。教師資格の試験が免除になるという特典があるだけだ。
実際には習礼所で教習を受けて、はじめて教師資格取得と相成るわけだ。
258 :
元ボラ夫:04/12/06 19:52:28 ID:/YxS1hcK
つづき
>>257 >私は本願寺派布教使課程の単位まで取っている仏法者
などと、誤解を招く表現(本願寺派のシステムを知らない人達が多いと思って、ハクつけようと思ったのだろうが)
は撤回してもらおう。大体、龍大を出ただけでは、布教使にはなることができない。世の中、驚くほど勉強している
人がいるのだよ(まあ、私の知る限り少数ではあるが・・・、しかも布教使じゃない人が多いw)。
本願寺の学林からはじまった龍大の歴史が、現代はこうなっているのかと君の領解を聞いていると感慨深いものがあるね。
あ!三業惑乱も学林から発生したんでしたっけ。
以上、通行人クンに関しての疑惑論議は糸冬 了..._〆(゚▽゚*)。
>皆様へ
三願について、意義深い議論が行われています。今後も真宗の核心をつく意見を期待してます。
通行人クンも卒論のことを考えて、コピペしといたほうがいいんじゃない?
>>255 あなたのために、阿弥陀仏は真門を用意された、と導かなければならないのに、
「敗残者」「仏縁がない人たち」と切り捨てるところが問題なのですね。
全く同感。ここで皆様のご参考のためにかの名文を引用したいと思います。
インターネットで、他を非難中傷し、喜んでいる輩がいる。
闇夜の辻斬り強盗のごとく、自分の正体を隠し、悪口雑言の限りを尽くす。
どうせばれはしないだろうと、心の中の怒りや、ねたみそねみの醜い愚痴を、ありったけぶちまける。欺瞞、捏造、歪曲、針小棒大、誤解曲解、何でもありだ。
昔は便所の落書きで済んだが、今は、多くの好奇の目にさらされ、尾ひれがついて、とんでもないうわさにもなる。
「火の無いところに煙は立たない」
はずだが、ネット社会では、火の無いところに放火して、煽り立てる者までいる。
たとえだれかは分からずとも、無責任な誹謗中傷の報いは、自業自得で本人が、受けていかねばならない。
ましてそれが、仏法に向かえば、謗法の大罪。最も恐ろしい無間業の重罪だ。
「善知識をおろかに思い、師をそしる者をば、謗法の者と申すなり」
と、親鸞聖人は「末灯抄」に仰せである。
真実開顕に全力を傾注する世界唯一の幸せな集まりである本会に対する中傷も、謗法罪である。
(つづく)
(犬笑新聞9月15日号つづき)
ネット上では、「S会と法論してはならない」という不文律あるらしいのが面白い。
外道邪教、群賊悪獣、悪僧たちも、教義安心の法論では、とても真実に太刀打ちできないのは承知しているようだ。
だからせいぜい、根拠の無いデマを飛ばすのが関の山。聞法の敗残者も、愚痴を言い散らして去っていくのみ。
だが、恐ろしい結果は、必ずその身に現出するであろう。
(省略)と、親鸞聖人は、謗法罪を厳戒しておられる。
蓮如上人もまた、仏法をネジ曲げた者に対し、
(省略)切り刻んでも飽き足らぬと、厳しい。謗法罪は、冗談にも造ってはならないのである。
また、納得できないことには従えないと、不平不満をぶつけるのも、恐ろしい結果を招く。
聖人のお弟子だった信楽房が、あまりに強情我慢が強すぎて仏法が聞けず、聖人を罵倒して去っていったのは有名である。
一時の怒りで、尊い仏縁まで焼いてしまったのだ。 自戒しなければならない。
261 :
西阿人:04/12/06 20:37:22 ID:OQDBUKmc
>260さん、うp、乙です。
これ、犬笑新聞なんですか!?
> 聞法の敗残者も、愚痴を言い散らして去っていくのみ。
他は聞き流すことができても、これは見逃せませんねぇ。
公式見解にも「聞法の敗残者」という言葉を使っているんですねぇ。
s会アニメ第6部より
http://www.tulip-k.co.jp/anime6.htm > 聖人の弟子・信楽房があるとき、聖人を非難して立ち去った。
> あまりの態度に弟子たちは怒ったが、「親鸞は弟子一人も
> もたず候。ともに御同朋、御同行」と背いて去りゆく信楽房
> さえも、合掌して幸福を念じられた。
こういうアニメを作りながら、自分たちのやっていることと
聖人の違いに気がつかないのだろうか。
口伝鈔の中にこのことが書かれている。
弟子の蓮位房が、「あずけわたさるるところの
本尊をめしかえさるべくやそうろうらん」
と親鸞聖人に聞いたときの聖人のお言葉は、
本尊・聖教をとりかえすこと、はなはだ、
しかるべからざることなり。そのゆえは、
親鸞は弟子一人ももたず、なにごとを
おしえて弟子というべきぞや。…
退会者から「本尊を取り返す」行為は、この親鸞聖人の
教えからまっこうから背く行為であることを強調して
おきます。
>>198 凡夫が自力心を捨てられるか?
自力で自力を捨てられるのなら聖者である
阿弥陀仏は凡夫の自力を廃するか?
獲信しても、凡夫は凡夫、聖者になるわけではない。
人の執心、自力のしんは、他力信を領受しても、なお深く残る。
>>212 他力とは何か?
= 真如、空、一法句
= 執着を脱した悟りの境地から見える真実の世界
= あらゆるものを含み、あらゆるものに含まれる全体
自力も救いの内にある、というのは間違いではない。
が、十劫安心に繋がりかねないかも?
疑いの内にある者に安心はない。
疑いを捨て切れない行者こそを目当てに阿弥陀仏は救う、
これを領受するまで、その者に救いはないのでは?
ありゃ
全部読むべきだったな。
265 :
名無しさん@3周年:04/12/06 21:47:08 ID:1cXVgwrM
>>247 >だから方便として、十九願、二十願で助けるぞ、とお誓いになられたのです。
窮子は助からんと思っているようだが、こっちはそれでも助けるぞ、と。
窮子は助からんと思っていても、すでに十九願、二十願、他力の中にあるのです。
19願、20願で助かる人って誰?
>>262 既出。
「本尊やお聖教を打ち捨てる行為はよいかわるいか」考えようね。
>>261 >聞法の敗残者
「敗残者」と言われて腹の立つところがごりっぱ。
高地に蓮華は咲きません。
>>265 > 「本尊やお聖教を打ち捨てる行為はよいかわるいか」考えようね。
まさに…
ハア?
「本尊を大切に、念仏の生活をしてください」
と退会者に伝えればいい、という話をしているのですよ。
というか、
親鸞聖人の言動と違うことをしていて、なにが親鸞聖人の
御教えを徹底する、ですか?恥を知れ。
>>265 「敗残者」といわれりゃ腹もたちますよ。
あなたはたたないんですか?
それこそ、さぞご立派な方ですね。
むしろ、こういえばよかったのかな?
「敗残者」と言われて腹が立たないあなたは聖者。
そんな聖者をも救うという本願ですよ。
>>265氏
>高地に蓮華は咲きません。
さぞ高地におられる方なのでしょう…アタマガm(_ _)mアガリマセヌ
皆様、煽りに応じる応答は避けましょう。僕のように信頼されない厨になっちゃうゾ〜。
>念仏者氏
一通り読ませて頂きました。僕からもいくつかお問い合わせしたいことがありますが、
改めて読み返してから、法論のお邪魔にならないようであればうpいたします。
270 :
名無しさん@3周年:04/12/06 22:10:57 ID:PpNM12Y3
>>265横レス失礼。
>「敗残者」と言われて腹の立つところがごりっぱ。
また日本語読解力の無いあんたか。すぐわかるね。
書き込みに癖があるからね、オブザーバーさん。
2つ前のスレの続きはどうなったの?
>>他は聞き流すことができても、これは見逃せませんねぇ。
公式見解にも「聞法の敗残者」という言葉を使っているんですねぇ。
なぜこれが腹が立った発言と解するのか理解に苦しみます。
s会の切捨て的な発想とs会教義の関連が議論されているんだと思うけど。
わざとずれた解釈を繰り返し、相手を感情的になっている大人気ない香具師と
住人に誤認識させ、討論相手をいらだたせる心理作戦?
でも、このボケ技もネタバレですね。
> 皆様、煽りに応じる応答は避けましょう。
あ、すみません。そのあたり、まだなれてないもので。
以後、気をつけます。
>>271氏
いえいえ。僕も来た道ですからw
でも、議題の重要な点を掴んでいらっしゃると思いますよ。
>s会の切捨て的な発想とs会教義の関連が議論されているんだと思うけど。
で、今までの議論を元に
> 19願、20願で助かる人って誰?
に対してはどんな答えになるのかな、と考えましたが、
「誰」とはなにごとですか?
あなたを助けるために19願、20願をたてられたのですよ。
という答えはいかがでしょうか。
274 :
西阿人:04/12/06 22:24:11 ID:OQDBUKmc
>265さん
別に腹を立ててるわけではないですよ。
これまで散々退会者やアンチを「見下していない」と言ってたけれど、
機関紙にばっちり、解釈では切り抜けられない、そのものずばりの
言葉が載ってるじゃないのさ、と言いたかっただけですよ。
275 :
西阿人:04/12/06 22:30:43 ID:OQDBUKmc
あれ、すみません。
すでに私の意図を代弁してくださった方がいらしたのですね。
有難うございます! >270さん
VXさん、こんばんは。今日はお早いご登場ですねっ!w
>僕からもいくつかお問い合わせしたいことがありますが
どんな質問なのでしょうワクワク
楽しみなのですが、明日早いので今日はこれで落ちさせていただきます。
みなさま、ごきげんよう!
>西阿人氏
こんばんはwとりあえずご挨拶でカキコを…と思ったので。
>どんな質問なのでしょうワクワク
微妙です^^;スレの空気次第によっては、アンチからも撃たれるかもですw
一先ずは念仏氏からの更なるカキコを待ってみたい所でもあるのですが…
また明日ね!お休みなさ〜い。
あれ?この時間にもなって誰もカキコしない筈はないんじゃないかな?
僕のカキコは相当遅くなっちゃうと思うので、皆様、ご自由に議論を進めて頂いて大丈夫ですよ。
一念で無明の闇が破られたら、どうなるのでしょうか。
「往生一定」 (領解文)
「往生治定」(聖人一流の章) と、蓮如上人はおっしゃっています。
いつ死んでも、極楽往き間違いなし、と心がハッキリするのです。
『御文章』五帖目六通 には、
「三世の業障一時に罪消えて、正定聚(しょうじょうじゅ)の位 、また等正覚(とうしょうがく)の位なんどに定まるものなり」
とあります。
「正定聚の位」とは、正しく仏になることに定まった人たちの位、それは仏のさとり(正覚)に等しい位だから、「等正覚(とうしょうがく)の位 」ともいわれます。
一念でその位に入るのです。
すると、死後の浄土往生がハッキリするのです。
後生が明るくなるのです。
未来が明るく晴れ渡るから、現在ただ今、幸せ一杯、満足一杯、光明輝く人生が開かれるのです。
そして、人間に生まれてきた喜びを、心の底から満喫し、人生の醍醐味を心行くまで味わうことができるようになるのです。
これこそが、万人共通の究極の目的なのです。
念仏者氏の説の中で、注目すべき点は2つあると思っています。
1つ目は
>>40 「十八願だけでは救いからもれる人がたくさんでてしまう。
そこで救いにもれる人がでないように、これでもか、と
最後の救いの網として如来は十九願、二十願をたてたのだ。」
つまり
「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
2つ目は
>>44 「阿弥陀仏は本当に救ってくれるのだろうか?」
「人間がそんなにハッキリスッキリするものなのだろうか?」
「今死んだら、と思うとどうも不安だ。」
「念仏さえ称えておけば地獄へは堕ちないだろう」
このような心が信心決定するとツユチリほどもなくなる、
というのが高森氏の主張であり。
「こんなことが知りたい3」に御聖教の根拠を述べています。
この高森氏の主張を検証すべきだ、ということでよろしいですか?
>>277 じゃ質問
自力無効を思い知るために諸善万行を積むことをS会は推奨しているけど、
五正行は勤める?(十九願)
あるいは称名念仏を勤める?(二十願)
十九願の諸行とは身分詐称勧誘や聴聞ではなく、五正行だったはずだけど、
称名念仏をしないと聞いて以外に思った。
阿弥陀仏を観ずるとか、一日に一万回称名するとか、三部経三千回読誦等の諸行はしないの?
1つ目の点について、懇切丁寧に説明をしていただきました。
この点がはっきりすれば、2つ目の点について検証をお願い
したいところですが、1つ目の点があまりにも衝撃的だった
ため、まだ1つ目の点について十分に議論が尽くされているか、
このまま2つ目の点に進んでしまっていいのだろうか、
という気持ちもあります。そのあたりは、念仏者氏におまかせ
します。
>>280 五正行については「朝晩のお勤め」をすすめています。
称名念仏については、あまりすすめていません。
「信心決定して、仏恩報謝の念仏をとなえる身にはやく
なりましょう」という言い方ならば、よくされます。
>>278 >未来が明るく晴れ渡るから、現在ただ今、幸せ一杯、満足一杯、光明輝く人生が開かれるのです。
>そして、人間に生まれてきた喜びを、心の底から満喫し、人生の醍醐味を心行くまで味わうことができるようになるのです。
そうだな…
絶望に満ちたこの世に希望を見いだす。
苦悩・不幸・喪失・失望・裏切りなどの人生の有り様を、醍醐味として味わえるようになるかもしれない。
それらを心の底から喜んで幸せ一杯に、とはいかないだろうがな。
信を得ても悟りを開いたワケじゃない。
信を得ても相変わらず物事に執着し、愛欲に溺れ、過ちを犯し、偏見を持つ凡夫であることに変わりはない。
聖人は、善鸞を幸せ一杯、満足一杯、心の底から喜びを満喫しながら義絶したと思うか?
>>282 >五正行については「朝晩のお勤め」をすすめています。
自力無効を思い知るほどの行には思えないですね。
親鸞聖人は、比叡山でそんな生ぬるい行をしていたんでしょうか?
記録は残っていませんが、聖人の生真面目な性格から推察すると
千日回峰行クラスの修行をしたのではないかと思いますね。
称名念仏を一日一万回ぐらい読誦しないと、修行にならない気がします。
ところで、T会長は信を得るのに五正行等の諸善万行をお積みになったのですか?
286 :
500:04/12/07 01:09:39 ID:BCkRtxCy
120ですが特に撤回はありません。
件の言葉は本願寺的にはグレーゾーンだと思います。
自力のままで助かるとはさすがに言わないかと。
浄土真宗じゃなくなりますから。
>念仏者氏
三つの質問とも、私が理解したあなたのご主張です。
読み直したところ、はっきり、の点はまだ明確に言われていないようですので保留します。
ですがあとの二点はどこが誤りか分かりません。
誤っている点を御指摘、訂正していただきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
>念仏者氏
あまり遅くなっても何なので取り急ぎで失礼いたします。
三信一心の解釈(僕の立場上このような表現をさせて頂きます。悪しからずm(_ _)m)、拝読させて頂きました。
退会者をも弥陀の救いの対象とされる見解には、退会しながらもなお、仏道を求めんとされる方々にとって、
改めて仏意の深さを感じせしめるものであろうと感じ入りました。
しかしながら、僕としては以下のような疑問が残ります。
僕の読み取りに誤りがあったらご指摘頂きたいと存じます(他の方からもお願いします)。
あなたの解釈からすると、「自力の信心」を2つに分けるものだと読み取れるのですが、いかがでしょうか?
s会では、縦の一線で「自力」と「他力」が分かれるとされ、「自力の信心」は
あくまでも他宗教・他宗派の信者や、無宗教者が「幸福」を求める上で抱く「信じる=賭ける」心と同じものとして
一元化して看做される
(ですよね?現s会会員様方。それともあれは初期部会だけで語られる方便でしたっけ?
自己レス・前スレ
>>686-689では、この点については500氏を始めs会側から取り立てて異論が挟まれることはなかったので、
そのように捉えていますが…)わけですが、
あなたの解釈では、「家」に入っている者と、「家」の外にいる者とでの「自力信心」の性質を異にされるものだと思うのです。
「家」の中にある人は、十九願・二十願に則ったうえの「自力」ですが、この「自力」は
僕のような立場、言わば「家」の外に出てしまった退会者までは敷衍し得ないものですよね。
僕の「信心=信じる=賭ける(s会的表現に則った「自力信心」)」は、少なくとも今現在、弥陀に向かうものではありません。
引き続き>念仏者氏
「家」の中にいる・いないで、一定の「切り捨て」の線引きは確保され、
そうである以上は、僕のような立場にある退会者は、
あなたや、あなたの解釈に同意をよせる方々からも「切り捨て」られ、
「見下」されることに甘んじなければならない立場になるとも想像されるのですが。
また、僕のような者や、現在、仏とも法とも知らぬ者を、あなたはどのようにして弥陀の救いに導こうとお考えでしょうか?
(もっとも僕は、「『家』の外にいても救ってくれ」、などと厚かましいことを言わんとするものではないのですけれども…)
あなたの解釈を以って、s会の行う、無理を生ぜしめるような勧誘・批判者や退会者に対する「見下し」になることはない、
とするには、いささかの疑念を禁じえないでいたので、至らぬながら質問させて頂きました。
以上、乱文めいた質問で申し訳ありません。僕は今朝が早かったので、この時間まで起きてるだけでももうダメポです…
一旦落ちます。オヤスミナサイマセ。
ついでに余談ですが、2つ。
1.500氏から寄せられた僕への疑問(ここのところ、彼とはよくニアミスするな^^;何か「他生の縁」でもあるのかちら?)
議論する上で、アンチ側のマナーが実質的に遵守されているこの頃にあっては、500氏の疑問は「どうでもいい」です。
もっとも僕自身、それは専ら500氏が地ならしして下さったことと見ているので、これについては感謝しております。
2.前スレ
>>709氏>無常観にせきたてられて聞くんだよ。
「無常観」は、あなたの視点ではなく、仏眼から説かれたもの。
>>284 「自力無効を思い知るほどの行」によって助かるのでしょうか?
>引き続き コピペミスった(>_<)
それに「せきたてられ」るとするかどうかは、あなたの主観次第(s会において言われる「自力信心」)ですから
「そうではないんだよね」ではないでしょう。
291 :
念仏者:04/12/07 01:34:17 ID:FaKpg3eV
今こそ他力ということが明らかにされたのではないかと思います。
それではみなさん他力の真髄をよくご理解し深く味わい、
今こそ如来の願意についたでしょうか?
おそらくまだ多くの方が疑問をもたれていることだと思います。
みなさんの心を勝手ながら察するに、
以下のような疑問をもたれているのではないかと思います。
十九願、二十願で助かろうとするこの自力の心でさえも他力のおはからい。
だから、十九願、二十願でも地獄に堕ちないことはわかった。
しかし十九願、二十願でも地獄に堕ちないことは頭では理解したが、
それでは修善、念仏に励めばいいということなのだろうか?
でも親鸞聖人の教えは雑行雑修を捨て十八願に入れ、ということだしなぁ。
しかし十八願に入れと言われても、雑行雑修も隠の義では十八願の心だというし。
じゃあ結局、雑行雑修さえしてればいい、ということか。
でも雑行雑修は捨てよ、だし。
十八願を受け取るとはどうすればいいのだろうか?
このような疑問が頭の中をぐるぐるまわっているのではないでしょうか?
>念仏者氏
あ、あなたともニアミスしてしまったみたいです…。
僕の質問は後回しで結構ですので、カキコを進めて頂いて大丈夫です。
> 十八願を受け取るとはどうすればいいのだろうか?
結局、そこが一番分からないところなんですよね。極難信。
どうすればいいのでしょうか?
294 :
500:04/12/07 01:46:11 ID:BCkRtxCy
>VX氏
がーん、どうでもいいんですか。これは驚きました。
じゃああなたのあの長文レスもどうでもいいですね。今そんな人いないから。
なんという結末でしょうか…。
295 :
念仏者:04/12/07 01:54:47 ID:FaKpg3eV
>>286 >120ですが特に撤回はありません。
>件の言葉は本願寺的にはグレーゾーンだと思います。
勝手に「〜だと思います」。なんてことは言ってはならない。
本願寺に勝手なあなたの予想を押しつける気ですか?
「本願寺がどう解釈するか私は知らないわからない」、と正しく言いなさい。
>自力のままで助かるとはさすがに言わないかと。
>浄土真宗じゃなくなりますから。
あなたは講師なんですか?通行人さんと全く同じことを仰っている。
自力他力の解釈が、私とあなたとで違うのですよ。
他力の真髄を明らかにし、他力をたのめと教えるのが浄土真宗です。
私と通行人さんとの対話を読みなさい。
あなたが知りたがっている多くのことを通行人さんは私から引き出してくれましたよ。
296 :
念仏者:04/12/07 02:07:09 ID:FaKpg3eV
>>500 私のレスを全部読んだのであれば、
私が1.2.のような主張をしていないことは明らかです。
1.2.はどちらも全く的外れです。
500さん、あなたは忙しいのか、奢り高ぶっているのか知りませんが
そんな心では議論はできません。私を論破することなどできませんよ。
私のすべてのレスを読んで、的確なするどい質問をしてください。
500さんの質問
>1.19願20願を通って18願に転入すると信前の者に説くのは誤りである。
>2.自力そのままで助かる、とは化土往生のことであり、
> 浄土真宗には化土往生をたのめ、という教えもある。
> つまり、我々は化土往生ができると説かれている。
297 :
500:04/12/07 02:09:20 ID:BCkRtxCy
対話を読んだ上で言ってます。
信前に19願20願云々は曖昧ですのでこれも保留で構いません。残る一つだけで結構ですのでお願いしますね。
学のあるあなたならたやすく答えられることだと思います。
>500氏
>>294ユーモアあるレスに負けました。前言撤回します。
あの時は、スルーされる身を一度感じて頂きたいと思ったものですから…
それに、スレには流れがありますしね^^;
その節は僕の冗長レスにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
実のところ、僕が一番懸念していたのは、僕が「s会工作員」よばわりされるのではないかと
危惧していたことです。
あなたと真っ向から絡み合う方も珍しいでしょうから、初見でしかもコテハンの僕を
そう見るスレ住人の方もあったと思うのです。
それは議論を交わすあなたにとっても、アンチから寄せられる中でも最も不本意な
言いがかりだと思っていたので、「あえてアンチ側」のみの立場に徹して討論してきました。
でも、少なくとも…あなた程の直截さでアンチの態度を変えられるように仕向けはしなかったものの
僕なりに、僭越ながら「質問を投げかける者のあり方」を態度で示してきたつもりです。
今後のスレの流れにもよりますが、あなたとの間で交わしてきた議題については
改めて復活させようとは思っておりますので、一旦はご了承下さいm(_ _)m
あなたからの「疑念」は、これからの僕なりの「態度」で応じていこうと思っていますし。
今のところは、念仏者氏の議題に集中いたしましょう。
スレの閲覧者全員がかなり注目されていると想像しますので。
余談ですが、僕はs会にいて、「よかった・学ぶことも多くあった」と今でも思っているネタもいくつかあるので
それらも追々(機会があれば)語っていきたいと思っております。
場合によっては「諸刃」かもしれませんが…(-_☆)
…こうやってリロードしてるから寝不足になるんだな…反省。もう寝ます。また後日に。
299 :
500:04/12/07 02:16:33 ID:BCkRtxCy
的はずれなら訂正して下さいとお願いしているのです。
今時間が非常に厳しく、失礼しているのはその通りですが、
だからこそ僕の理解を率直に御本人に尋ねて確認しようとしているのです。
300 :
念仏者:04/12/07 02:18:10 ID:FaKpg3eV
>自力そのままで助かる、とは化土往生のことであり、
誤解のないように申しますが、
ここでいう自力とは、十九願二十願の自力のことであり、
十九願二十願の自力では化土往生します。
>浄土真宗には化土往生をたのめ、という教えもある。
>つまり、我々は化土往生ができると説かれている。
浄土真宗には「化土往生をたのめ」という教えはないです。
親鸞聖人の教えは唯一つ、報土往生をたのめ、です。
しかし一方で化土往生は地獄行きということではないぞ、と教えています。
化土往生をたのめ、は阿弥陀仏の他力の御心です。
阿弥陀仏の御心、親鸞聖人の御心、あなたの心
をごっちゃにしてはいけません。
301 :
500:04/12/07 02:23:07 ID:BCkRtxCy
>VX氏
ユーモアなんてなかったですが…。
普通にショッキングでしたので。
でも了解しました。
納得もしました。
それではまた。
302 :
500:04/12/07 02:27:24 ID:BCkRtxCy
回答ありがとうございました。
それを足掛かりにもう一度読み返して、
まとまった時間があるときにレスをさせていただきます。
では。
303 :
元ボラ夫:04/12/07 02:35:31 ID:59y3gCRl
寝るけど・・・、横レススマソ
500さんへ。
頭の中、まっさらにして念仏者サンのレス読み直してみる方がいいと思いますよ。
ちゃんと、念仏者サンさんの言っていることを咀嚼してから、反論してほしいです。
私は、まっさらにして読ませていただきました。
真宗の教学については、江戸200年の間、緻密に煩瑣に研究しつくされている。
(なぜなら、幕藩体制の中、他の宗教的発露が制限されていたから、教学が
特に発達したと私は見ている)
安易な意味づけや、簡単に=で結びつける方法は、見てて危なっかしいです。
今までの、煽り煽られのスレ進行を変えたいと私は思っているので、
前々々々々スレから続く堂々巡りの議論から、一歩踏み出してほしいです。
そのためには、深まりのある議論(相手が親鸞聖人の教えをどう受け取ったかを十分に
咀嚼した上で、自分がこう受け取ったから、そう思える。もしくは思えない、というように)
必要がありをする必要がありますね。
まあ、あなた自身が望んでいないのであれば、致し方ないのですが・・・。
304 :
念仏者:04/12/07 02:37:33 ID:FaKpg3eV
>>293さん
> 十八願を受け取るとはどうすればいいのだろうか?
>結局、そこが一番分からないところなんですよね。極難信。
>どうすればいいのでしょうか?
私もはじめのうちは、
「頭ではなんとなくわかったが、じゃあ一体どうすればいいの?
っていう感じでした。大変難しいところです。
考えても考えてもわからない。じたばたしてもわからない。
修善してもわからない。念仏してもわからない。
だからこそ聴聞が重要なのです。聴聞するしかないのです。
真の聴聞を今こそはじめるのです。
真の善知識から説法を聞くのです。
あなたにはあなたと一対一で問答してくださる善知識が必要なのです。
そしてあなたにとって真の聴聞は今からはじまるのです。
305 :
元ボラ夫:04/12/07 02:47:10 ID:59y3gCRl
>>303 ×念仏者サンさん
○念仏者サン
×必要があり→削除
スマソ・・・、 (つ∀-)オヤスミー
306 :
念仏者:04/12/07 02:55:13 ID:FaKpg3eV
>>303 元ボラ夫さん
>安易な意味づけや、簡単に=で結びつける方法は、見てて危なっかしいです。
御指摘ありがとうございます。私もついつい安易に=で結びつけてしまいます。
危ない、間違って伝わる恐れがある、とわかっていながら申し訳ないです。
>そのためには、深まりのある議論(相手が親鸞聖人の教えをどう受け取ったかを十分に
>咀嚼した上で、自分がこう受け取ったから、そう思える。もしくは思えない、というように)
>必要がありをする必要がありますね。
これもありがとうございます。私も相手の理解を考えず、一方的になりがちです。
深みのある議論を私も望みます。
307 :
念仏者:04/12/07 02:59:51 ID:FaKpg3eV
>>304について
「ここまで引っ張っておいて肝心なところで他の人にあたれ、
とはなんという無責任な発言だ」と思われてしまうかもしれません。
私は名前の通り、ただの念仏者のひとりであるので、
教学もなければ、信心は他力なれど信心の味わいも浅いのです。
だから自信がないのでこのような発言をしてしまいました。
私の師匠を明らかにしようかとは思いますが、私もできるかぎり努力します。
阿弥陀仏「自力をぶちやぶって報土へ救うぞ(18願)」
「自力そのままで化土へ救うぞ(19願、20願)」
親鸞聖人「自力を捨てて報土をたのめ」
高森先生「自力を捨てて報土をたのめ」
つまり、親鸞聖人の教えそのままを徹底しているのが高森先生、
ということです。念仏者氏が主張するところの、親鸞聖人と
高森先生の違いは
親鸞聖人「19願、20願の自力の心だと化土へ生まれる」
高森先生「19願、20願の自力の心だと地獄へ堕ちる」
高森先生の説は蓮如上人の「この信心を獲得せずば極楽には
往生せずして無間地獄に堕罪すべきものなり」を根拠として
いますので、まったく根拠がないわけではないです。しかし、
それ以上に、親鸞聖人の著作には19願、20願の自力の
心だと化土へ生まれる、ということは何度も何度も書かれて
いますので、前提の事実としてこれは間違いのないことです。
次に問題になるのが「私の心」です。
親鸞聖人「自力を捨てて報土をたのめ」
「19願、20願の自力の心だと化土へ生まれる」
と教えられると、「それはたしかに報土に行きたいけど、
たのめといわれてもどうたのんでいいか分からないなぁ。
それよりは、念仏を称えていれば、地獄には落とさないと
阿弥陀様はおっしゃっているのだから、一生懸命称名に
はげもう」となります。その自力の心に対して、その
自力を捨てよ、と教えられるのが親鸞聖人です。
高森先生「自力を捨てて報土をたのめ」
「19願、20願の自力の心だと地獄へ堕ちる」
こう教えられると「地獄に堕ちるなんて大変だ。
なにがなんでも自力がなくなるまで進まないと」と
なります。ところが、ここでは「自力の心あるがままで
救う」という前提となる阿弥陀仏の大慈悲心が十分に
伝わってない、というところが問題になる。
おそらく、そのあたりの違いでしょうか。
310 :
親鸞学徒:04/12/07 11:16:49 ID:xqtjq3rp
完璧に19、20の願のお約束通り実行できる人なら、化土へ行けるでしょう。
できない我々凡夫は、やはり無間地獄へまっさかさまなのです。
釈尊、親鸞聖人、蓮如上人が
大宇宙が火の海原になろうと
その中かきわけて聞けよと言われる
言葉の重みがわからない人が多いですね。
311 :
親鸞学徒:04/12/07 11:18:41 ID:xqtjq3rp
310は、
309氏、「念仏者」への回答です。
>>310 「できない我々凡夫は、やはり無間地獄へまっさかさまなのです」
というところが、一番問題なのではないでしょうか。
阿弥陀仏は、そんなお前を救うぞ、とおっしゃっているのに、
こちらは「できない私は阿弥陀仏は救ってくださらない」と
思っている。その仏智を疑う罪が深い、と教えられているのが
親鸞聖人です。
阿弥陀仏は18願をたてて、信ずる心もない衆生を救う、
と誓われた。さらに、そういっても信じられないから、
19願、20願で諸善、念仏をすすめられ、諸善、念仏に
よって救うぞ、と誓われた。
ここまで阿弥陀仏はされているのに、こちらは「どうせ
19願、20願通りできない、そんな私は阿弥陀仏は
救ってくださらない、地獄行きだ」と思っているから、
阿弥陀仏は血の涙を流されている。
そういうことではないでしょうか。
いや、その「疑っている私をもかわいいとおっしゃって
いる」でしたっけ?
まあ、いずれにしても信のなき私が、話を聞いて想像を
している範囲なので、たいしたことはないです。
>>310 > 釈尊、親鸞聖人、蓮如上人が
> 大宇宙が火の海原になろうと
> その中かきわけて聞けよと言われる
この点に関しては、念仏者氏も共通しています。
仏法は聴聞に極まる、善知識から聞け、とおっしゃっています。
そのときに「なにを聞くか」となればそれは阿弥陀仏の本願で
あり、本願他力です。その本願他力の伝え方に問題があるの
ではないか(「他力の真髄を伝えていない」)、というのが
念仏者氏の指摘であり、もしもそこに問題があるとすれば
大変なことなので、検証をしているわけです。
ただ、他力が分からない凡夫が他力を正確に伝えているか
どうかを検証する、というのはやはり限界がありますね。
>>289 「自力いっぱい求めて」
「自力無効と知らされて」
「自力がすたる」
というのであれば、それは自力によって自力無効が
知らされる、それだけの自力がある、ということですよね。
ところが、そもそもそれだけの自力がないわけだし、
そもそも「自力いっぱい求める」ことが推奨されて
いるわけではない(自力を捨てよ)なので、
結局どうすればいいのか分からん、となるわけです。
こういう議論こそ、どんどんs会の中でするべき
なのだけど、俺が学生部にいたときは、新勧が
どうのとか、アニメ販売の本数がどうのとか、
そういう沙汰はいっぱいあれど、信心の沙汰が
なされていなかった。それは、信心の沙汰をしない
俺の問題ではあるのだけど、組織として、とにかく
目標とか週間日程表だとかそういう形にばかり
とらわれる体制に、問題があったような気がする。
今がどうなのかはしらないけど。
仏恩の深きことは懈慢辺地に往生し、疑城胎宮に
往生するだにも弥陀の御誓のなかに、第十九・
第二十の願の御あわれみにてこそ、不可思議の
たのしみに遇うことにて候へ、仏恩の深きこと
こそ其の際もなし。いかに況や、真実の報土へ
往生して大涅槃のさとりを開かんこと、仏恩
よくよく御案ども候べし。(末燈鈔)
「自力の称念きらわるる」の類のお言葉が多数
あることをふまえた上で、このようなお言葉も
あります。
「十九願、二十願にて、化土に往生する人は
いない」などということは、親鸞聖人は
おっしゃっていません。
「19願、20願の通りに実行できる人はいないから、
19願、20願で救われて化土に往生する人はいない」
という親鸞聖人のお言葉がありましたら、根拠を示して
ください。これは、さすがにないはずです。
>>318 私も、あくまでも親鸞聖親人が最も勧められたのはあくまでも報土往生であったという
前提のもとで、「十九願、二十願にて、化土に往生する人はいない」説を支持しません。
以下のようなお聖教もあります。念仏者氏のご見解そのものであると思います。
しかれば、わが身のわるければ、いかでか如来迎へたまはんとおもふべからず、
凡夫はもとより煩悩具足したるゆゑに、わるきものとおもふべし。またわが
こころよければ往生すべしとおもふべからず、自力の御はからひにては真実の
報土へ生るべからざるなり。
「行者のおのおのの自力の信にては、懈慢・辺地の往生、胎生・疑城の浄土まで
ぞ往生せらるることにてあるべき」とぞ、うけたまはりたりし。
(中略)
仏恩のふかきことは、懈慢・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、
弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、
不可思議のたのしみにあふことにて候へ。仏恩のふかきこと、そのきはもなし。
(ご消息83歳)
化土往生というのは、菩薩方の話です。
われわれ人間は、阿弥陀如来の18願によって救いとられなければ
無間地獄です。
すくいとられた一念で極楽往生がハッキリいたします。
322 :
名無しさん@3周年:04/12/07 17:36:06 ID:goTFiYKv
>>321 >化土往生というのは、菩薩方の話です。
お聖教上の根拠を求む。
324 :
名無しさん@3周年:04/12/07 20:16:10 ID:a/Q/wQMK
>>323 「もろもろの雑行をゆるし諸行の往生を談ずる義、とおくは善導和尚の解釈にそむき、
ちかくは源空聖人の本意にかないがたきものをや。」(浄土真要鈔本)
浄土門で諸行往生を説かれる方はおられません。諸行往生を願うのは聖道門です。
「聖道というは、すでに仏になりたまえるひとの、われらがこ
ころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至
極の教なり。仏心宗というは、この世にひろまる禅宗これなり。また、法相宗・
成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教というは
すなわち、すでに仏になりたまえる仏・菩薩の、かりにさまざまのかたちをあら
わしてすすめたまうがゆえに、権というなり。」(末灯鈔)
聖道門というのは、「すでに仏になりたまえるひとの、われらがこころをすすめんがために」
「かりにさまざまのかたちをあらわしてすすめたまう」との仰せです。
>>324 IPが321さんと違いますが、横レスですか?
あなたの説明では、私の頭が悪いせいか、どこが
>>321説の根拠になっているのか
理解できません。
諸行往生を説く説かないとか、諸行往生を願うとか願わない、などという話
ではなくて、「菩薩しか化土往生できない」説の根拠を求めています。
それと、ついでに
>>323さんのご質問にも答えてあげてください。
326 :
名無しさん@3周年:04/12/07 20:31:09 ID:gYJRpf4f
>>324 「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にし
て、清浄の心なし。虚仮諂偽にして真実の心なし。」(信巻)
十方衆生には「至心」は無い、との仰せです。
「至心に発願して」「至心に回向して」と誓われる19、20願に相応できる
はずもありません。
「弥勒、当に知るべし。汝、無数劫よりこ
のかた菩薩の行を修して衆生を度せんと欲う。それすでに久しく遠し。汝に従い
て道を得て泥●に至るもの称数すべからず。汝および十方の諸天人民、一切
の四衆、永劫よりこのかた五道に展転して、憂畏勤苦具さに言うべからず。乃至
今世まで生死絶えず。仏と相値うて経法を聴受し、またまた無量寿仏を聞くこと
を得たり。快きかな、甚だ善し。」(大経)
弥勒でさえ「永劫よりこのかた五道に展転」すると言われているのに
誰が諸行往生できるのでしょう。
「すでに仏になりたまえるひと」以外にはありません。
>>324 諸行往生と双樹林下往生、難思往生は違います。
十九願、二十願の相手は十方衆生です。
よくよく心得てください。
双樹林下往生、難思往生は、阿弥陀仏の願力によって
往生するのであって、決して諸行(自力)によって
往生するのではありませんよ。
「19願、20願の通りに実行できる人はいないから、
19願、20願で救われて化土に往生する人はいない」
という親鸞聖人のお言葉は、だれも示しませんでしたね。
化土に往生する人はいる、という証文ならばいくらでも
あります。それなのに、「いない」と主張するという
ことは、往生できないという「自分たちの解釈」で
親鸞聖人の教えを曲げていることにはやく気づくべきです。
330 :
名無しさん@3周年:04/12/07 20:49:07 ID:7ZvWMQVy
>>325 >「菩薩しか化土往生できない」説の根拠を求めています。
19願、20願に「菩薩に限る」とは書かれていませんから
菩薩でなくても「至心に発願して」「修諸功徳」
(あるいは植諸徳本して至心に回向)できれば
化土往生できるんでしょうね。
具体的に誰なんでしょうか?
だれもいないなら「還相の菩薩に限る」ことになります。
「十方衆生」と書かれているのは、18願に誘引する
方便であることを示された明証です。
というか、19願と20願が「聖道門である」という
解釈ですか?めちゃくちゃです。
19願と20願は「浄土他門」であって、「聖道門」
では決してありません。
332 :
名無しさん@3周年:04/12/07 20:54:36 ID:RveSDSpY
>>329 >「19願、20願の通りに実行できる人はいないから、
19願、20願で救われて化土に往生する人はいない」
という親鸞聖人のお言葉は、だれも示しませんでしたね。
っていうか、還相の菩薩は実行できるから化土往生人は
たくさんおられる、ってみんな言ってるんじゃない?
凡夫の中にはいない、ということで決着。
333 :
名無しさん@3周年:04/12/07 20:58:20 ID:RveSDSpY
>>331 >19願と20願は「浄土他門」であって、「聖道門」
では決してありません。
誰もそんなこと書いてない。
わざと紛らわして混乱させてるなら悪質。
わからないで言ってるなら頭悪。
>>332 そういうことであれば、質問を変えます。
「19願、20願の通りに実行できる人はいないから、
19願、20願で救われて化土に往生する人は還相の菩薩
以外にはいない」という親鸞聖人のお言葉を示してください。
>>333 たとえば
>>324 >>326は、聖道門の諸行では往生できない、
という根拠ですよね。
ここで問題にしているのは、19願、20願の往生であり、
それは聖道門の諸行往生とはまったく違います。
なぜならば、阿弥陀仏の願力によって往生するのであり、
諸行によって往生するのではないからです。
336 :
名無しさん@3周年:04/12/07 21:17:41 ID:25KTL2CM
>>334 >化土に往生する人は還相の菩薩
以外にはいない」という親鸞聖人のお言葉を示してください。
どこらへんに話の常識の線を設定すればよいのか、判断に苦しみます。
「願に相応しなくても、十方衆生と書いてあるから往生できる」という
論理ならもうお話する必要はないと思います。
19願で往生できるのは19願に相応したひとですし
20願で往生できるのは20願に相応したひとだけです。
20願についても「悲しいかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた
助正間雑し」と20願では出離はできないとの聖人の仰せです。
助正間雑しては20願には相応できませんから。
今日はこのへんで。
無間地獄に堕ちたくない、
何とか化土ぐらいには行きたい。
と、われわれには横着な心があるからでしょうね。
しかし、そんなに甘くはないのです。
逆謗の屍、無眼人、無耳人のわたしたち。
そんな者と見抜いて絶対の幸福に助けんとされてる弥陀の十八願。
浄土真宗には、0点か100点しかないのです。
ど真剣に弥陀の誓願聞かせていただきましょう。
>>336 ふむ、なるほど。その御文と
>>318 >>320 をどのように
味わえばいいのか、しばらく考えます。
ちなみに、常識の線は「なるべく低く」設定しておく
方がいいと思います。いろいろな人が読んでいるので。
339 :
西阿人:04/12/07 21:57:04 ID:kKCjpk5P
う〜ん、なんだかちょっとご無沙汰しているうちに
ものすごくハイレベルな話なっていますね。
317さんがおっしゃっていましたが、こういう沙汰が
会の内部で日常的になされていれば、さぞかし実りが多かったでしょうし、
それこそ高森先生が本来目指しておられたところの集まりだったのかもしれませんが、
これまた317さんのおっしゃるとおり、正直日々の活動はイベント・サークルでも
やっているか!?といった感覚でしたからね。真面目にマーケティングの手法や
DMの作り方なんかを研究してましたよw 500さんによれば、今は違うとのことですが。
マターリ回顧録オヤジでした。たまには頭休めということで。。。
340 :
元ボラ夫:04/12/07 22:18:39 ID:59y3gCRl
横レススマソ 感想一言。
>>321さん
「地獄」の因は「不信」ですか?
まず、仏教で言われるところの「地獄」の「果」を得しめる「因」
は何なのか、整理する必要がありますね。
なぜ、親鸞聖人が「化身土」と言われたのか?
今一度、整理なされてみてはどうでしょう。
昨日まではいい流れだったのに、もったいない。
結論を急がずに、できうる限り「聖教」に基づいて(しかも様々な箇所を通して)、
緻密に考えたほうがいいと思うのですが、どうでしょう?
例えば、読み進んでいくと、教行信証には○○とあったが、愚禿抄には●●とあった、
その○○と●●が一見矛盾しているという風に見えることがある。
どう考えれば、どう体系づければ、○○=●●と言えるのか、親鸞聖人の意図は何なのか?
よくよく考えて学んでいかれたら良いと思うのですが・・・。それが、勉強というものでしょう。
341 :
元ボラ夫:04/12/07 22:26:36 ID:59y3gCRl
さらに横レス感想文。スマソ×2
>>331さん
教学の議論に関しては「めちゃくちゃです」なんて(心で思っても)言わないほうがよい
と思うのですが。
結局は煽りの原因になってしまって、折角の議論が深まらず、煽り煽られで、終わってしまう。
過去スレの流れはそんな感じで、有意義な議論も中途半端に終わってしまっています。
少しづつ、その流れを変えてほしいなあと私などは希望しているのですが・・・。
>>336さん
>どこらへんに話の常識の線を設定すればよいのか、判断に苦しみます。
この発言もそうなのですが、私には自己完結のように思えます。
相手の立場を把握しようとする想像力が欠けてはいませんか?
例えば、「私の常識の線はこうであるのですが、あなたはどうなのでしょうか?」
と提示してからレスを返せば、こんなぶっきらぼうに議論を中断させることには
ならないでしょう。
相手の意見を聞き、想像し、それに対して答えるのでなければ、議論が成り立たない
と思います。過去スレをROMっていて思ったのだけれど、こういう感じでおしまいに
なってしまう議論が多すぎますね。一向に深まらない議論をだらだらと続けることに
意味があるのでしょうか?
お互いに成長できるような、 発見があるような議論を望みます。
「未信の者は伝える資格がない」という言い分ですが、そんな消極的なことを言っているから浄土真宗は今日まで急速に衰退してしまっているのです。
まだ信心決定していない人でも、知らされた親鸞聖人の教えをそのまま伝えることはできます。無論、絶対に親鸞聖人の教えを曲げて伝えてはならないのは大前提です。
親鸞聖人の時代にも、その教えの素晴らしさに感動した多くの人が弟子となり、
正しく親鸞聖人の教えを伝えていったのでありました。
有名なのが関東の二十四輩を始め挙げればきりがありません。浄土真宗では、人間の言葉や行為によって救われるということは絶対にありません。
ただし言葉によらねば伝えることはできませんから、一切の秘事幻惑呪術等を否定して、
正しい信心を伝えられたのが親鸞聖人です。特殊な「体験」によって人を引き込むのは浄土真宗ではありません。親鸞聖人の教えを聞かれて、
喜ばれた人が自ら法礼を出されるのは尊いことです。
仏教の教えに何ら感ずる所のない人は、
1円も出されずに聞いて帰るでしょう。決して、説く人が尊いのではなく、説かれる法が尊いのです。
343 :
元ボラ夫:04/12/07 22:56:33 ID:59y3gCRl
過去スレにも三願転入の議論があったけれど、
>>336 >19願で往生できるのは19願に相応したひとですし
>20願で往生できるのは20願に相応したひとだけです。
>20願についても「悲しいかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた
>助正間雑し」と20願では出離はできないとの聖人の仰せです。
>助正間雑しては20願には相応できませんから
ということは、一切衆生は第18願もしくは第19願に相応した人ということに
なるという理解の仕方ですよね。
親鸞聖人は果たしてそう考えていたのだろうか?
例えば、
定散自力の称名は 果遂の誓いに帰してこそ
おしえざれども自然に 真如の門に転入する
この和讃は誰に向けて書かれたものなのでしょうか?
344 :
元ボラ夫:04/12/07 23:05:44 ID:59y3gCRl
>>342 ついでに、これも和讃でレスしてみようと思います。下手の横レス好き、スマソ。
そうですね。親鸞聖人の和讃(誡疑讃)に、
信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も
如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし
と言われているので、その通りに如来大悲の恩を知って、
称名念仏はげむべきですね、親鸞聖人の言葉に従うのであれば。
ただし、
自力称名の人はみな 如来の本願信ぜねば
うたがう罪のふかきゆえ 七宝の獄にぞいましむる
とも言われていることも受け止めねばならないと思います。
横レススマソ
19.20願は他力という仮定で話しますけど、
「19,20願の行者が既に他力にいる」ということは、裏をかえせば
「19,20願に今入ってるな、入ってないな、という制御が自分でできるものではない」ということでもないでしょうか?
だから
@自分が19,20願にいるつもりで、辺地往生できると聞いて
助かるんだと安心している人は、実は19,20願にはいなくて十劫安心かもしれない…
また
Aたとえ疑っていて自分では19、20願で助からないと思ってても
助かろうとして念仏唱えようかな?諸善で回向してもらおうかな?と思い立つ心が起きたときには
自分は自力のつもりでも実は他力にいるかもしれない…
ということが起こるまいか?
結局実際に18願に入ってみなければ、自分の自力が地獄行きかどうかはっきりしないということでは?
地獄行きかどうかはっきりさせるという考え方がなんか嫌だけど('A`)
訂正>345
誤 自分の自力。
正 自分が自力だと思ってる自力。
348 :
通行人:04/12/08 00:43:37 ID:kN8t7uz5
>>通行人クンよ、久しぶりに後輩に電話をしてみたよ。
君が龍大生であるなら、どうやら君だと思われる人物が一人だけいるそうだ。周りからもそう思われているらしい。
故に、君もしくは君の仲間が龍大生であり、真宗学を専攻していることについては認めよう。
なんて言われたのか知らんが、たぶん違う人だと思うよ。
いや、わからんけど。
親鸞会員である人は他にもいると聞くし。
349 :
通行人:04/12/08 01:04:03 ID:kN8t7uz5
みんな、混乱してるみたいだけど、
二種深信のことを表してあるのは、48願のうちどれか、よくよく考えてみるといいよ。
考えてわかるもんじゃないけど。
350 :
名無しさん@3周年:04/12/08 01:27:02 ID:TdezGmrh
>>349 矛盾
考えてみるといいよ
考えてわかるもんじゃないけど
目障りなんですけど。
>>336 > 20願についても「悲しいかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた
> 助正間雑し」と20願では出離はできないとの聖人の仰せです。
この場合の「出離できない」は報土往生できない、ということでは?
この文章を読み進めていくと、「故に報土に入ることなし」と
はっきりと書かれています。
>>345 > 結局実際に18願に入ってみなければ、自分の自力が地獄行きか
> どうかはっきりしないということでは?
そうです。それが機の深信です。
化土往生ははっきりしません。
つまり、仏智を疑っているということです。
354 :
名無しさん@3周年:04/12/08 01:42:53 ID:TdezGmrh
>>349 まあ、お前、結論から言わせてもらうが、
どうやらお前の知りあいの椰子がR大みたいだな。
そいつから情報もらって、R大生だってハクをつけようと装ってるだけだな
お前らしくていいんじゃねーの、絶対の幸福を貰った生活が
お前みたいなインチキ生活か・・・。ますますいらねーよ、絶対の幸福とかいう
(ノ・∀・)ノ = ●ウンコー!!
355 :
名無しさん@3周年:04/12/08 01:52:18 ID:OyPF5Wn6
>354
あんな深夜に協力してくれる人がいるとは考えにくいけど、
それはどう説明するの?
それとも説明放棄?
356 :
通行人:04/12/08 01:54:27 ID:kN8t7uz5
>>354 まぁ、結論から言わせてもらうけど、
R大生だからって何のハクも付きません。
すこしでも行ったひとならわかると思いますが、
仏法のことなど何にも知らないのがほとんどです。
嘘だと思うなら、教学的な質問をしてみればいい。
何人の人が正確に答えられるか。
べつに、R大学の学生だとは最初から信じてもらう必要ありませんし、
信じる必要ありません。
絶対の幸福は親鸞会的な言い方ですが、間違っちゃいません。
あなたが要らないというなら、なくていいんじゃないですか?w
はじめからこんなところに来る必要もないと思うのですが、どうかな。
こんなところにまで来て、何がしたいのでしょうね。
>>351 そして「助正間雑し」とは自力のことで、自力の念仏だから
報土往生できないということかなと思いました。
助正間雑すると20願に相応しないというのはどういうことですか?
358 :
名無しさん@3周年:04/12/08 02:01:58 ID:TdezGmrh
>>355 (´ー`)チラネーヨ、どうだってできるだろーが、一般人じゃねーんだぜ。
お前も含めてな。
カルトに入ってる椰子はカルト団体守るためにはなんだってするってこった。
>>356 カルト潰し
359 :
名無しさん@3周年:04/12/08 02:04:45 ID:TdezGmrh
>>356 お前も正確に答えられてねーじゃんか。
目くそ鼻くそ。
360 :
名無しさん@3周年:04/12/08 02:16:29 ID:TdezGmrh
>>絶対の幸福は親鸞会的な言い方ですが、間違っちゃいません。
創価学会でも言ってるぜ。まあ、椰子らもカルトだけどな。
間違ってませんって思ってるのは、お前らカルトグループの仲間うちだけ。
断言してはばからないのが、ますますカルト。
どこまで逝くのかね、この国のカルトブーム。
わけわからん
362 :
通行人:04/12/08 03:19:03 ID:kN8t7uz5
>>360 無宗教あるいは無神論者の方なのかな?
無宗教もカルトの一つだよ。
どうせ、カルト潰しなら、無神論者とか無宗教とかいうカルト信仰潰したらどう?
カルトって特定の人物・事物への崇拝を言うんだけど、
何にも信じないというのも、なにも信じないぞという事物への崇拝だからねぇ。
なにも信じないという中身もいい加減なもんさ。
実態は、自分の信念や人生観を信じて生きてるからね。
ひどいカルト信仰だよ。
363 :
名無しさん@3周年:04/12/08 03:37:17 ID:TdezGmrh
いや、お前らが先だ。
364 :
名無しさん@3周年:04/12/08 03:52:27 ID:OyPF5Wn6
だね。
自己を客観視、相対化できないのは精神的な未熟さと言える。
このような場にいても養われないだろうな。
よほど心がけてる人は別だろうけど、そんな人はそもそも養わなくていいし。
元ボラ夫さん(違ったらゴメソ)もそのへん考えてほしいな。
それと、裏表ありすぎなのもどうかな(^-^)
>>362 >カルトって特定の人物・事物への崇拝を言うんだけど、
違う。
その定義だと、ほぼ全ての宗教がカルトになってしまう。
また、哲学や、アイドルのファンクラブなどもカルト集団になるだろう。
一般的にカルトとは「過激で反社会的な新興宗教集団」を指す。
>実態は、自分の信念や人生観を信じて生きてるからね。
凡夫だからな。
聖者のようにはいかんよ。
366 :
通行人:04/12/08 04:52:11 ID:kN8t7uz5
>>365 んだね。一般人は結構間違えてる人おおいんだね。
カルトって悪い言葉でもないんだけど、
だれかさんが悪いイメージにしたみたいだね。
反社会的な思想の信仰は、「破壊的カルト」とか「反社会的カルト」と言うのが本当は正解。
カルト自体は世の中にいっぱいあるわけです。
「退廃的カルト」とか「拝金的カルト」とかね
アイドルのファンクラブは思想でも信条でも考えでもないからカルトとは言わないと思うね。
哲学なんか「論理的カルト」「理論志向的カルト」とでも言うべき。
普通は、カルト=「破壊的カルト」「終末的カルト」の事として通ってるらしいけど。
通行人さん、あなたの過去発言が
>>122に引用されているようです。
>仏恩報謝は、信心をいただいた後とか、いただく前にすべきだとか
どこにも書いてません
というご発言内容でしたが、
「釈迦・弥陀の慈悲よりぞ願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ仏恩報ずる身とはなれ」
「弥陀の尊号となへつつ信楽まことにうるひとは
憶念の心つねにして仏恩報ずるおもひあり」
○信前のものには仏恩報ずる思いは無い、報ずることもできない、
できないことを報じなさいと勧められることもありえない、ということで
よかったですか?
○信心いただいた後でないと仏恩報ずることはできない、
ということでよかったですか?
369 :
西阿人:04/12/08 10:57:29 ID:spoXJCwa
カルト、というのはもともと「儀式・崇拝」を意味する言葉で、現在では特に
「一般の常識では理解できない信仰・儀礼をもった宗教集団」を指して使われます。
まあ、あまりいい意味では使われないですよね。
というか、念仏者さんの指摘を前面的に認めることになったら、
高森先生は真宗の獅子身中の虫、大悪知識、ということになりますよ。
家の在り処を隠して、中に入れないようにしている、ということは
締め出された方は仮土にも行けず、それこそみんな地獄行き、
ということになるわけですからね。
日蓮正宗総本山の大石寺(静岡県富士宮市)が、信徒の寄付金で建立した
「正本堂」を解体したことをめぐり、寄付をした
元信徒で創価学会の会員ら計324人が「精神的苦痛を受けた」として、大
石寺と阿部日顕法主を相手に約2億6000万円の損害賠償を求めた訴訟の
控訴審判決が8日、東京高裁であった。宮崎公男裁判長は、請求を棄却した
一審・静岡地裁判決を支持し、学会員側の控訴を棄却した。
判決によると、正本堂は72年、信徒らの寄付金計約355億円を投じて
建設され、本堂として使われた。99年、本尊を別の建物に移したことに伴
って解体された。
原告の学会員らは「大石寺側は建設の際、正本堂を合理的期間、参詣(さ
んけい)や儀式に使い、維持管理することを約束した。わずか26年余で解
体したのは不法行為にあたる」などと訴えていた。しかし、判決は「当時の
書面にそのような約束の記載はない。正本堂が長期間使われるべきだとの考
えは願望や期待にとどまる」などとして原告側の主張を退けた。
371 :
名無しさん@3周年:04/12/08 18:02:24 ID:lH8QIT47
>>368 > 仏恩のふかきことは、懈慢・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、
弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、
不可思議のたのしみにあふことにて候へ。仏恩のふかきこと、そのきはもなし。
(ご消息83歳)
誰かが前にあげてた御文ですが。
十九、二十願に導かれているひとにも仏恩の深いことはきわもないわけです。
>できないことを
「できない」というのは仏眼から御覧になって「まことでない」ということ
ですから、信前信後凡夫の三業については「できない」のは同じです。
「弥陀回向の御名」だから「功徳は十方にみちたもう」のであって
信後に凡夫の三業が清浄になるわけではありません。
でも「報恩しなさい」といわれてできないから懺悔するんです。
信前も信後も善をすすめられています。
御恩を感じてそれに報いることは善業を開く初門、と言われています。
ソボクな疑問(・ω・)
s会の人って、自分らの行動は全て「善」だと思っとるんじゃろうか?
「会の活動とはいえ我ながら、こんなことしていいのかなあ?」なんて思ったことある人とかいないのかな?
>>336 >助正間雑しては20願には相応できませんから。
これの御聖教の根拠はどれですか?
>>371 「弥陀回向の御名」だから「功徳は十方にみちたもう」のなかに
信後の御恩報謝も含まれるんじゃないの?
だから信前は御恩報謝はできないと思うが。
>>371 >十九、二十願に導かれているひとにも仏恩の深いことはきわもないわけです。
仏恩の深いことは、信後にならないと信知できません。
信前の十九、二十願に導かれているひとが「仏恩の深いことはきわもないこと」を
信知できる、という根拠はありますか?
>でも「報恩しなさい」といわれてできない
信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われは物をもたずして
人に物をとらすべきといふの心なり、・・・・・。
「自信教人信」と候ふときは、まづわが信心決定して、人にも教へて仏恩に
なるとのことに候ふ。『蓮如上人御一代記聞書』
「憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり」
「他力の信をえんひとは仏恩報ぜんためにとて 」(和讃)
「信心の智慧にいりてこそ仏恩報ずる身とはなれ」で、まづわが信心決定せずして、
人にも教へては仏恩にならないということです。
>御恩を感じてそれに報いることは
信前のものに対して「御恩を感じてそれに報いなさい」とできないことの実践を
勧められるということでしょうか?
お聖教の根拠を求めます。
376 :
名無しさん@3周年:04/12/08 20:39:46 ID:O7kEfgvM
元ボラ夫
元ダミーサークル員
元通行人
377 :
西阿人:04/12/08 21:01:19 ID:spoXJCwa
>372さん
元会員ですが・・・
「私が伝えなくて誰がこの人に伝えるのだ」と、善だと思って活動していた時機もありました。
今年の目標は○○人だから、なんとか達成しなければ、と思って責任感でやっていたこともありました。
今年の目標は○○人だから、なんとか達成しなければ、と思って義務感でやっていたこともありました。
今年の目標は○○人だけど、無理に決まってんだろう、と惰性でやっていたこともありました。
大体時間軸に沿っての心の変遷です。
真面目な会員の皆様の名誉の為に申し添えますが、
私は特殊な例かもしれませんw
>>377 私もだいたいそんな感じでしょうか。ただ、時間軸としては
一方的な道筋を通というよりは、2つ以上が同時にある
ときもあれば、惰性から善へ戻ったりと、いろいろと
揺れたりもしました。
もっとも、ここにカキコしている西阿人氏や私のような
「元会員」は全員聞法の敗残者であり、会員様方と比べる
のはおこがましいのかもしれませんね。真面目な会員の
皆様はきっとそんなことなく仏恩報ずる思いいっぱいで
活動をなされていることでしょう。
おそらく目標を決めている中心的人物であろう
M晴氏あたりは、不倫騒動を起こしながら、
そういった人が決めた無理な目標を、なにが
なんでも達成しよう、それが最も信心決定へ
速く近づくことであると、心から信じて活動する、
そういう会員の皆様方は、とても仏縁の厚い
尊い方たちであると合掌します。
そういえば、あの目標が決められるプロセスって
どうなってんだろう?俺の曖昧な認識では、
まず全体の目標があって、その目標を達成するために
各部署ごとの目標がたてられる。たとえば、学友部
という部署であれば、学友部としての目標があり、
これは学友部長が責任を持つ。学友部長の最大の
任務は、この目標を達成すること。そのために、
学友部の中で関東地区とか北陸地区とか(この
あたりの分け方が今どうなっているのかよく
分からないけど)、地区ごとの目標を割り当てる。
今度は、それぞれの地区部長がその目標を達成する
ことを最大の使命として活動をする。こんな感じで
上から下へ目標が決まっていく。こんなプロセスを
経て、各大学の目標が決まっていくのだと思う。
その大本となる「本部の目標」を決めるところでは、
M晴あたりが実質的な命令権を持っていると思うん
だけどどうだろう?
「それは違う」という意見があれば、訂正を希望。
381 :
西阿人:04/12/08 22:51:41 ID:spoXJCwa
聞法の敗残者にして無宿善の西阿人ですw(卑屈だ・・・)
>380さん
我々の頃は(まだ学生部といっていましたが)まずそれぞれの大学の幹部が担当講師
などと相談して数字を出し、部長がそれを地区の幹部会合(LD)で発表します。それを
また集計して地区の目標として上にあげて・・・という、ボトムアップな感じでやって
いたと記憶しています。
もちろん、末端の大学の幹部会合をリードするのは担当講師なので、彼らには予め大体の線
というのが伝えられていたのかもしれませんけれども。
ところで・・・
>379さん
>おそらく目標を決めている中心的人物であろう
>M晴氏あたりは、不倫騒動を起こしながら、
500さんには「なんのことやら」としらを切り通されてしまいましたが、
やっぱりありましたよね。「お手つき、(あるいは)未遂事件」!
>念仏者さん
あなたに出てきていただかないと、またまた話題がこうした
下世話(?)なものに戻ってしまうようです。
ご登場を心より期待しております。
>>381 まあ、「その人尊からずしてその法尊し」ですから、
上司の尊さはあまりどうでもいいことなのでしょうね。
てか、あれだよな。善鸞義別の話をするときのT森氏って、
あれは絶対長男に対する説教だよな、と思ふ。
ただ、我が子かわいいことばかりはどうしようもないん
だろうな。
>>381 なるほど、そういった感じですか。
まあ、いずれのプロセスにおいても目標は本人が出す、
という形を取らせるのでしょうね。そうした方が、
「自分で決めた目標が達成できないとはなにごとか」
とできますし。その厳しさは、上に行けば行くほど
当然厳しくなるでしょうから、学生本部長クラスが
学生本部の目標を決めて、さらにそれを達成するための
気合いというのは、実にすさまじいものがあるはずです。
集金組織みたいだな。
ヤクザでも絡んでいるんだろうか?
まあ、いずれにせよ、各地区の担当講師には、当然
自分が担当している部門に関する目標を決めて、
それを達成する責任が課せられるわけです。
したがって、その自分が担当する部門の目標を
達成するためには、担当する大学の目標を達成して
もらわにゃならん。それで、LDでは「こんな
調子で目標が達成できると思うのか?目標に対する
執念がないということは、後生の一大事に対する
執念がないということだぞ」とかなんとか、
なんとか発破をかけて幹部の学生を奮起させないと、
となるわけです。こうして発破をかけられた
幹部学生から、学生は発破をかけられて、勧誘を
する、とこういう構造ですな。
>西阿人氏
げげんちょ。今夜、名乗り上げでやろうと思ったことを先にやられてたw
凡凡相念ってやつだろうか?思いついた時間とあなたのカキコの時間もほぼ一緒なんですが…w
勧誘の目標数の決定は、僕もボトムアップかトップダウンかは判然としないのですが、
大筋で皆様方の見解
>>377-386に同意です。LDでは、学生側から上がった目標数に
学生本部長が「やる気あるのか」と叱咤激励されて、数を引き上げさせていたことは確かですね。
>>372氏
僕も聞法の敗残者なので、会員様方からのご回答を共にお待ちしているものです。
僕としても興味深い問いです。
>>385氏
まあまあw一般の企業でも、営業成績の目標設定は
売上の見込める数値から想定したラインをトップダウンで各部門に通達し、各部署責任者は
営業員に発破をかけつつ、個々人の努力目標を決定させ(ボトムアップ)て、
付き合わせる、ということはやりますから、893さんまではちょっと…^^;
ただ、宗教法人がそこまでする必然性は、よく分からないですね。
一般企業が売上を図るのは、雇用者を抱える責任上必要なことですが、
宗教法人は非営利団体ですからね。
人数が大事か、一人一人が大事なのか、一定の答えがs会にはある筈ですが…。
>>386氏
>LDでは「こんな
>調子で目標が達成できると思うのか?目標に対する
>執念がないということは、後生の一大事に対する
>執念がないということだぞ」
こういう言われ方は、何度もされましたね。
タテに向かうヨコ線の図式を意識した文言だろうと類推されるだけに
念仏者氏からの更なる言及を待ってみたいですね。
っとと、今はまだ、念仏者氏陣営とs会陣営との、緊迫した法論の最中でした。
割り込んですみませんm(_ _)m
388 :
西阿人:04/12/09 01:05:53 ID:cL5fnUbi
>VXさん
今回は私が先に行かして頂きましたw 唯凡与凡の境地ですな
LDでは叱られまくり、発破かけられまくりでしたが、たま〜にK玉本部長が、仕出し弁当や
プロテイン&牛乳、はたまた会員御用達の「りぽD」なんかを差し入れて下さったりすることがあって
そんなときは妙に感動して「一生あなたについていきます!」なんて思ったものでしたw
こういうマターリな進行が妙に居心地よく感じる西阿人でありました
>>388 K玉本部長は、あめとむちの使い分けと言うか、
人の心をつかむ技術に長けていますね。
あれは、かなりの研究の成果です。
議論に取り立てて関係ない雑感をお許し下さい…誰のカキコも来ないようなので
僕の「立場」に関わることも多少交えつつ…。
>西阿人氏
ああ、何か妙に体格に合わないのに、やたらにプロテイン飲んでる方が多いなあと思ってたましたが
あれは差し入れの一つだったんですね。
マターリいいよね。
思うにさ、元会員さんって、なんというか「寂しさ」みたいなものを抱えてると思うんですよね。
s会にいたことを他の人に話しても、中々分かって貰えるものでもない。
あらぬ誤解を与えてしまうこともあるし、ある程度分かって貰えたとしても、
共感を共にするレベルで話し合える機会なんて、そうそうないですからね。
自分の過ごした青春時代のことを、共感を持って話せる・共有し得る情報や知識を前提として会話できる、
といった機会に恵まれないなんていうのは、(通常の感覚から言っても)寂しくて悲しいことです。
これはs会に限らず、他の宗教や思想団体に関与し、そこから離れた人に共通する感覚だと思う。
(だから現会員方、このレスでの僕の愚痴は、特にs会を指弾する目的でのカキコではないことを理解して頂きたい)
個人差はあると思うけど、元会員さんって基本的に
s会に対してある種アンビヴァレント(好悪並存)な立場になっちゃうと思う。
「なんであんなことをしてたんだろう」という自己嫌悪を交えながらs会時代を思い出すこともあれば、
無関係な人からs会を安易にカルト呼ばわりされたりすると、それはそれで「オマエにs会の何が分かる!?」なんて
内心どこか腹立たしく感じる…ようなことありません?
ここへ来て、s会に暴言を吐いて去って行く元会員さんもいるみたいだけど、
結局は、そういう「寂しさ」の裏返しなのかな…なんて思ったりしています。
これを以って「弱い」「敗残者の愚痴」等と断じるのは、いささか非情に感じられてしまうことは否めません。
そこには、彼・彼女なりの精一杯な悲痛の声が隠れているようにも思うことがあります。
仏法で重んじるのは何でしょう?「心」ではないでしょうか?(まあ勿論これは、
その発言内容の程度にもよります…。あんまり酷いのは僕も望みません。マナー違反は無視の方向で)。
また、議論の重要な点に来て、
回答をはぐらかされ(これは、あくまでも僕の目で見てのことでしかないことを断っておきます)たり
すると、
>>153氏のような思いに駆られることも、少なからずあるのではないかと想像します。
余談ですが、500氏の「がーん」「ショッキング」等を、僕が「ユーモア」だと感じたのは、
あれらがある種の、s会内で通じるスラング(?)だったから。ノスタルジーに絆されちゃったんですね…。
先輩「VX君、こないだの教学試験模試、かなりやばいよ?」
VX「がーん。ショック!」なんていう懐かしいやりとりを思い出しちゃったんですよw
彼にににその意図はなかったようですが、図らずも元会員の心の琴線に触れたとでもいいますか…。
自分達の、かつて知ったる言葉や話題に惹かれてここに出入りする人は、僕だけではないと思う。
>>389氏 同感です。
僕も今、会社でそれなりの立場なので、あの技術には見習いたいところもあるのですが
いかんせん「むち」がなかなか…なんて人情派ぶってみたりしてwどちらも遠く及びませんね…w
何だか取り止めのないカキコになっちゃってすみませぬm(_ _)m
今夜のカキコで最後ながら、3つほど…それぞれ、僕の内心にある感情を一部増幅させて申し上げます。
ハラを割って申し上げますと、今夜の僕はこれらの矛盾しあう感情のバランスを取るので大変です^^;
バリバリアンチからは撃たれちゃうかな…>500氏ゴメソ。また一時的感情が発露しちゃう…
元会員様方>
生きる意志を持ち続ける限り、
あなた方は「聞法」ではどうか知らないが、少なくとも人生の敗残者なんかではないぞ!ガンガレ!
s会陣営様方>
僕ら元会員が信じていたs会は、問いをはぐらかしたりなんてしないよな?
疑義には真っ向から立ち向かうハズだ!ガンガレ!
念仏者氏陣営様方>
生法論は初体験です。あなた方から仕掛けないと、相手がどう出てくるか予断は許さない状況だ!ガンガレ!
…改めて…
>っとと、今はまだ、念仏者氏陣営とs会陣営との、緊迫した法論の最中でした。
>割り込んですみませんm(_ _)m 今夜はこの辺で落ちます…変なナキ入れてすみませんでした。
393 :
375:04/12/09 05:32:30 ID:RvdF3kX3
昨日質問を書き込んだものですが、今晩はマターリ進行でしたね。
こういうのが本来かもしれませんよ、西阿人さん、VXさん。
勧誘目標の決め方についてのご意見はなかなか興味深かったです。
s会は完全にトップダウン方式の組織ですからね、私のころは上官の命令は天皇の
命令、ならぬ上司の指示は善知識の指示、を幹部合宿で叩き込まれました。
いまは民主化されてきたのかな、と思いきや、大して変わっていませんね。
>>390 >元会員さんって基本的にs会に対してある種アンビヴァレント(好悪並存)な立場
VXさん、同感です。自分のなかに両方を認めますし、今後もそうでしょう。
自分の青春(死語?)そのものでしたし、自分の生きてきた人生の一部を否定できないし、
s会体験あっての現在のわたし、ですからね。嘘つき勧誘やダミー体質などは彼らも
模索中じゃないでしょうか、きっと。
打倒s会というよりは、体質を改善して欲しいと思っています。
通行人さん、または他の会員さんでも結構ですから、
>>109>>368>>375 どなたかお答えください。
394 :
西阿人:04/12/09 09:46:22 ID:cL5fnUbi
>VXさん、393さん
アンビヴァレンス、まさにおっしゃる通りだと思います。
いつも私の舌足らずな思いを言語化してくださるVXさんに感謝です。
自分の過ごした青春時代のことを、共感を持って話せる・共有し得る情報や知識を前提として会話できる、
といった機会に恵まれないなんていうのは、(通常の感覚から言っても)寂しくて悲しいことです。
本当にそのとおり・・・私が会に在籍したのは学部生時代の4年間ですが、浪人してまで入った憧れの大学で
4年間やってきたことといったら会の活動のみ、ということを思うたびに複雑な心境になりますし、
在籍時代の楽しかったこと、有意義だったこと、その時の友人のことなども親しい人にすら(というか、
親しい人だからこそ・・・)話せず、「大学時代何していたの?サークルは?」とか聞かれても、
「いや、その・・・講演会なんかを企画するインカレのサークルで、自分たちも日本中をバスで回ったよ」
とごまかすことしかできない。(このごまかし方も「ウソはついていない」式の親鸞会方式w:余談ですが
(元)会員かどうかを判定するテストの一つとして「しんらいかん」と言わせて見る、というのがありましたねw)
今回も、その寂しさの為に、ついついS会関係のスレが出来てないかな、と探しちゃったんですよ。
書き込みしたりするのは初めてだったんですけどね。
いつもながら取り留めの無い話ばかりです。ゴメソ
395 :
念仏者:04/12/09 14:51:40 ID:9/BGC06U
久しぶりの書きこみです。
ここ数日体調があまり良くなくて書き込めませんでした。
三願転入の議論についてですが、繰り返しになりますが、
阿弥陀仏の御心と、親鸞聖人の御心、私の心をごっちゃにしてはいけません。
「他力の真髄を明らかにせず、他力をたのめと教える」
これが親鸞会の間違いの核心だと言いました。
つまり今は他力の真髄、阿弥陀仏の御心を問題にしていたはずです。
「十九願、二十願で化土往生させる。地獄行きにはしない」
という阿弥陀仏の御心を問題にし議論していたのが、
「十九願、二十願で誰が往生できる?菩薩しか往生できない?」
という私たちが往生できるか否かの問題にすりかわっています。
まずは阿弥陀仏の御心について議論しましょう。
396 :
名無しさん@3周年:04/12/09 22:55:41 ID:cL5fnUbi
age
今、2ちゃんブラウザで読み込めない?
板更新して下さい。
移転です。
>395
それはすりかえじゃないよ。
我々凡夫がその対象かどうかは極めて重要な問題でしょ。
あなたはまだ19、20願で救われると主張するの?
撤回すれば議論は先に進むかもね。
400 :
名無しさん@3周年:04/12/10 08:22:02 ID:ZC3pMvrt
>>399 >我々凡夫がその対象かどうかは極めて重要な問題でしょ。
横レススマソ。あなたは業感縁起を認めますよね。
我々、というのもまた、すりかえではないでしょうか。
十九願、二十願は十方衆生相手です、それが阿弥陀さんの御心。
それを疑うのは一人一人業のちがう個人で後生は一人一人格別のしのぎ。
399さんが地獄にいくのか極楽にいくのか化土にいくのかは、他人には
絶対に分からないのと同様、他人のことは仏様で無ければわかりません。
だから、「我々凡夫」と勝手に決め付けたらイクナイと思う。
399さん自身が、「わたしは19、20願で救われない」、と主張するのは結構。
でも、他人(十方衆生)に勝手に敷衍したら、阿弥陀仏の心をふみにじることになる、
と念仏者さんはおっしゃいたいのかな?違ってたらゴメン。
>>395 ふむ、なるほど。結局のところ
> 「十九願、二十願で化土往生させる。地獄行きにはしない」
> という阿弥陀仏の御心
阿弥陀仏の御心に関しては、教行信証にはっきりと書かれている。
この点に関しては、特に反対意見、あるいはその根拠は出て
いないと思われる。
これについては誰も反論なし?ここまでは「議論の余地のない
事実」としてしまったオッケーなの?
ageます
403 :
名無しさん@3周年:04/12/10 19:58:09 ID:Zx+/reOw
>>401 そうです。議論を進めるにはまず第一に
阿弥陀仏の御心を明らかにする必要があるのです。
「十九願、二十願で化土往生させる。地獄行きにはしない」
という「阿弥陀仏の御心」に関しては皆さん反論はないですか?
反論がないようであれば議論を進めます。
404 :
念仏者:04/12/10 19:59:03 ID:Zx+/reOw
阿弥陀仏が願われたこと。
厳密に言えば、法蔵菩薩が願われたこと。
一切衆生を仏と成す。
悟りの内容、真実明・平等覚・難思議。
仏陀たる資格に必要なこと=自利利他の完成。
真実明・平等覚・難思議を一切の衆生が悟らなければ、
成仏しないというい誓い。
つづめてみれば、第18願。
ひろげてみれば、48願。
48願、どの願も虚しくたてられた願ではない。
すべての願が、一切衆生を成仏させんがための願。
阿弥陀仏の目的=一切の生きとし生ける者が仏になること。
第1願であろうが、第19願であろうが、その目的から脱線する願なし。
406 :
500:04/12/10 20:50:13 ID:S6YiH00b
>念仏者氏
それだけでは不十分と思われます。
19願20願で衆生を済度するのが弥陀の御心なのかどうかが問題です。
19願20願で、たとえ化土どまりでも、衆生を救う狙いがあったのか。
それとも19、20願はあくまでも18願に導きいれる方便で、十方衆生全てを18願で救うのが弥陀の狙いか。
その点を抜きにしては、19、20願の弥陀の御心は分かりません。
真実と方便の関係もわかりません。
ただし、その点をこれから議論するならそれでも構わないと思いますが、
以下のように訂正する必要があると思います。
「十九願、二十願に誓われていることを実行できる人は、化土往生させる。地獄行きにはしない」
これなら特に反論はありません。
407 :
念仏者:04/12/10 22:34:01 ID:Zx+/reOw
>>500さん
「十九願、二十願に誓われていることを実行できる人は、化土往生させる。地獄行きにはしない」
これでも結構です。
それでは次に十九願、二十願をたてた阿弥陀仏の御心はどうでしょう?
なぜ、十九願、二十願が必要なのでしょう?
十九願、二十願も結局は他力ならば、最初から十八願で救ってあげれば
いいじゃないですか?
私の主張
「十九願、二十願の通りに衆生は実行できないから十八願をたてた。」
のではなく、
「十八願で救うのが目的であるが、十八願を衆生は初めから受け取らないから
まず十九願、二十願に導いた」
のである。
違いがわかりますか?
親鸞会では十九願二十願をおたてになられた阿弥陀仏の御心をどう解釈していますか?
408 :
念仏者:04/12/10 22:42:00 ID:Zx+/reOw
『こんなことが知りたいA』
(51)十九願、二十願、十八願の人とは、どんな人なのか?
「〜しかし(十八願は)あまりにも素晴らしい弥陀のお約束(本願)でありますから、
なかなか私たちは信じ切れません。
そこで阿弥陀仏はそれらの私たちをも絶対の幸福に救わんがために、善巧方便して、
建立されたものが十九願や二十願なのです。」
高森先生もこのように仰っています。ここはいいですね?
409 :
念仏者:04/12/10 22:46:28 ID:Zx+/reOw
『こんなことが知りたいA」
追加です。
「そして、諸善を勧めたり、念仏を勧めたりして自力無効を知らせて
遂には十八願で約束なされている絶対の幸福にまで導き入れんとなされているのです。」
410 :
名無しさん@3周年:04/12/10 22:47:38 ID:pA3Hu37k
お聖教のお言葉を出さずに論議をすすめるのはなんか独特のものがありますね。
「たとい本願の正機たりというとも、これらの失、難治不可得なり。
いわんやもとより自力の称名は、臨終の所期、おもいのごとくならん定、
辺地の往生なり。いかにいわんや、過去の業縁のがれがたきによりて、
これらの障難にあわん機、涯分の所存も達せんことかたきがなかにかたし。
そのうえは、また懈慢辺地の往生だにもかなうべからず。
これみな本願にそむくがゆえなり。」(口伝鈔)
「懈慢辺地の往生だにもかなうべからず。」との仰せです。
411 :
名無しさん@3周年:04/12/10 22:57:35 ID:pA3Hu37k
>>410つづき
「諸行往生の機は、臨終を期し、来迎をまちえずしては、
胎生辺地までもうまるべからず。このゆえに、この穢体亡失するとき
ならでは、その期するところなきによりて、そのむねをのぶるか。
第十九の願にみえたり。」(口伝鈔)
「諸行往生」というのは19願に誓われてあることだ、との仰せです。
「第十九の願文にも「現其人前者」(大経)のうえに、
「仮令不与」とら、おかれたり。仮令の二字をば、「たとい」とよむべき
なり。「たとい」というは、あらましなり。非本願たる諸行を修して、
往生を係求する行人をも、仏の大慈大悲、御覧じはなたずして、
修諸功徳のなかの称名を、よどころとして現じつべくは、その人のまえに
現ぜんとなり。不定のあいだ、仮令の二字をおかる。
もしさもありぬべくはと、いえるこころなり」(口伝鈔)
「現じつべくは....現ぜん」「もしさもありぬべくは」というのが19願との仰せです。
412 :
名無しさん@3周年:04/12/10 23:05:04 ID:pA3Hu37k
このゆえに高祖善導和尚の解釈にも「弥陀如来は娑婆にきたりたまう」とみえ
たるところもあり、また「浄土をうごきたまわず」とみえたる釈もあり。
しかれども当流のこころにては、「きたる」といえるはみな方便なりとこころ
うべし。『法事讃』にいわく、「一坐無移亦不動 徹窮後際放身光 霊儀相好
真金色 魏魏独坐度衆生」といえり。こころは「ひとたび坐してうつること
なく、またうごきたまわず。後際を徹窮して身光をはなつ、霊儀の相好真金色
なり、魏魏としてひとり坐して衆生を度したまう」となり。
この文のごとくならば、「ひとたび正覚をなりたまいしよりこのかた、まことの
報身はうごきたまうことなし。ただ浄土に坐してひかりを十方にはなちて、摂取の
益をおこしたまう」とみえたり。おおよそしりぞいて他宗のこころをうかがうにも、
「まことにきたる」と執するならば、大乗甚深の義にはかないがたきをや。
されば、真言の祖師善無畏三蔵の解釈にも、「弥陀の真身の相を釈す」として、
「理智不二 名弥陀身 不従他方 来迎引接」といえり。こころは「法身の理性と
報身の智品とこのふたつきわまりて、ひとつなるところを弥陀仏となづく。
他方より来迎引接せず」となり。
乃至
この機は聖衆の来迎にあずからず、臨終正念ならずしては辺地・胎生の往生も
なお不定なるべし。(浄土真要鈔)
「来迎引接せず」との仰せです。
「来迎にあずからず、臨終正念ならずしては辺地・胎生の往生も
なお不定なるべし」とも仰せです。
413 :
名無しさん@3周年:04/12/10 23:13:16 ID:pA3Hu37k
一 蓮如上人、仰せられ候う。「仏法には、まいらせ心わろし。
是をして御心に叶わんと思う心なり。
仏法のうえは、何事も、報謝と存ずべきなり」と云々(御一代記聞書)
「何事も報謝と思ってしなさいよ」との仰せです。
信前の者が財施しても御報謝というのはこの仰せからです。
414 :
名無しさん@3周年:04/12/10 23:19:52 ID:bvFuiC4q
s会の次々と挙げる根拠は親鸞の著書ではなく、
覚如に存覚に蓮如ばっかりか・・
親鸞会というよりは
本願寺会というところか。
親鸞の著作の根拠はあげれないの?会員さん
415 :
500:04/12/10 23:22:12 ID:xt0Sek+G
>念仏者氏
凡夫が19願20願で化土往生できるかどうかは、話を進める前に確認すべきでしょう。
できないということでよろしいですね?
これによりて『大経』には「易往而無人」とこれをとかれたり。この文の意は、安心を取りて弥陀を一向にたのめば浄土へは参り易けれども、信心をとる人稀なれば浄土へは往き易くして人なしと言えるはこの経文の意なり。
「時節到来」という事、用心をもして、その上に事の出来候を「時節到来」とはいうべし。無用心にて事の出来候を「時節到来」とはいわぬ事なり。聴聞を心がけての上の「宿善・無宿善」ともいう事なり。ただ信心を聞くにきわまる事なる由、仰せの由に候。
(御一代記聞書)
如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。もし多念をもって本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす。
419 :
名無しさん@3周年:04/12/10 23:33:16 ID:bvFuiC4q
>>413 >信前の者が財施しても御報謝というのはこの仰せからです
ええ??親鸞会では本当にそんなふうに解釈するんですか?
「何事も」とは信に生かされる生活の一切、身口意の三業にわたる総ての営み
を指すのではないですか?「報謝」とは、意識的ないわゆる自力の報謝を超えた
ものです。「報謝の念仏」というと、報謝を意識している念仏のように思って
いませんか?
仏恩より催される念仏、他力の念仏こそ報謝ではないのですか?
悲しいかな、垢障の凡愚、無際より已来、助・正間雑し、定・散心雑わるが故に、出離その期無し。自ら流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。良に傷嗟すべし、深く悲嘆すべし。
落としはせぬぞ
と方便で建てたれた19願を実践しつづけると
行者の修行不備によって、阿弥陀仏はその人を救い損ねるということでしょうか
他力の信をえんひとは
仏恩報ぜんためにとて
如来二種の廻向を
十方にひとしくひろむべし
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
423 :
500:04/12/10 23:42:18 ID:xt0Sek+G
>落としはせぬぞ
>と方便で建てたれた19願を実践しつづけると
実践できれば誓われている通りに化土往生できます。
実践できるかどうかが分かれ目です。
人間悤々として衆務を営み、年命の日夜に去ることを覚えず。灯の風中にありて滅すること期し難きが如し。忙々たる六道に定趣なし。未だ解脱して苦海を出ずることを得ず。云何が安然として驚懼せざらん。
>>413 信前に「まいらせ心」(自力回向の心)なく「仏法のうえは、何事も、報謝と存す」
ことができますか? 「まいらせ心」なき信心は他力信心では?
>>411 >「諸行往生」というのは19願に誓われてあることだ、との仰せです。
>>324 >浄土門で諸行往生を説かれる方はおられません。諸行往生を願うのは聖道門です。
19願に誓われてるのは聖道門ということですか?
/ _ノ ヾ、ミ ゙ヽ
/ ,/ \, ヘ
/ ,_/ _ _ \ ';、
,{ y'" -―ー一-二 ヽ, l
信 i / _ニニ二ニニ__ ,,__,, __ _,ニニ‐-;, ヽ |
| 〃 i | '´ ニ=―一- ~ .,、~"-ー一‐-;_ ヾ, 〃 I
,! , ! l ‐- ハ -‐ i ミ !
心 i, |, { _-ーニ―-一'´ `'ー-―ニー-_ ,, | ノ
'yー-! ´,;'~ ̄ ~`ヽ. ,;'~ ̄~`ヽ` Ir‐-ソ
!r=_{ ;'’ ◎ '; ;'’ ◎ '; ;ニ=' ! 地
決 し | i } - `';、__ _, . '" .__ `';、__ _,.ノ - !ヾ i |
,l j′ ー / .ヽ -一 ヾ |ソノ ,I 獄
. ゙i、,!、 / '⌒'ヽ jノ ノ
定 な Iヽ、i . /ミ `''ー''´ 彡\ ,;イ/
l"入`i ! ,、_,、 i r'/" } 逝
|ン'ヽ| { /.=ニ=ヽ. } i/ /
か / ヾI, A `'ー-ー'´ A ! !'ー;'、 き
i ノ i ' ´ ` ′ j゙ソ ヽ、
っ ! ィ, ト、_ 〃 〃 ,ノ゙人
`'ー-;_, ,ィ'゙
た :`ヽ、'―--―'_,ィ'"iノ !、
ら
何とかしたら何とかなれる、その気になれば実践できると
うぬぼれている心が阿弥陀様の御心に反しているのです。
その心が自力の心であり、疑情であり、無明の闇なのです。
阿弥陀さまが見ておられる十方衆生の姿は、逆謗なのですから。
仏法は聴聞に極まると言われるとおり、
親鸞会で真剣に阿弥陀如来の御本願、聞かせていただこうではありませんか。
では、高森会長の説かれる「阿弥陀如来の御本願」を検証しましょう。
408 :念仏者 :04/12/10 22:42:00 ID:Zx+/reOw
『こんなことが知りたいA』
(51)十九願、二十願、十八願の人とは、どんな人なのか?
「〜しかし(十八願は)あまりにも素晴らしい弥陀のお約束(本願)でありますから、
なかなか私たちは信じ切れません。
そこで阿弥陀仏はそれらの私たちをも絶対の幸福に救わんがために、善巧方便して、
建立されたものが十九願や二十願なのです。」
高森先生もこのように仰っています。ここはいいですね?
409 :念仏者 :04/12/10 22:46:28 ID:Zx+/reOw
『こんなことが知りたいA」
追加です。
「そして、諸善を勧めたり、念仏を勧めたりして自力無効を知らせて
遂には十八願で約束なされている絶対の幸福にまで導き入れんとなされているのです。
>念仏者さん どうぞ↓
親鸞会は、唯一絶対の宗教、阿弥陀如来の誓願を正しく伝えているのです。
しかし、他の邪教と同一の範疇、枠組でしか捉えてない人が、多いのが残念です。
これは、人間には、真実を真実と見極められるほどの眼光がないということなのです。
要するに眼が節穴なのです。
私もそのうちの一人でしたが、阿弥陀如来の「必ず絶対の幸福にしてみせる」という広大無辺なお力により
現在、真実の道を進ませていただいている身の幸、喜ばずにおれません。
何とか皆さんも、阿弥陀如来の救いの厳存を知っていただきたいと思うばかりです。
限りなき過去から私たちの生命は苦しみ迷いの世界をへめぐってきました。
ともに仏教を聞き求め、弥陀の誓願に救いとられ、ともに真の幸福、絶対の世界に生きたいものです。
親鸞学徒の鑑というべき大先達は、蓮如上人や覚如上人です。
蓮如上人はあれだけ多くの御文章の中で常に親鸞聖人のみ教えしか書いておられません。
覚如上人もしかりです。
両上人とも、ご自分のことで書きたいこともあったとは思いますが、全く書かれていません。
朝晩の勤行で拝読する「聖人一流の章」は、親鸞聖人の一生涯教えられたことは、で始まり、最後までそればかりです。
蓮如は、こう思う、蓮如はこうした、などご自身のことは何もありません。
それは、御文章すべてに一貫しております。
ご自分のことを書かれたのは
「他力の信心ということをば今、既に獲たり」
「あら、心得やすの安心や。また、あら、行きやすの浄土や」
これは、ご自身のことともいえるが、信心獲得した人すべてでもあります。
覚如上人の多くの著作にも、ご自身のことは、
「われ既に本願の名号を持念す、往生の業すでに成弁することをよろこぶ」
ぐらいで、あとは皆、親鸞聖人の教えばかりです。
これが親鸞学徒の姿です。
両上人とも大学者であり、いろんな体験があったに違いないでしょうが、ひたすら親鸞聖人のみ教えの徹底にのみ、力を尽くされました。
蓮如上人は、それだけで親鸞聖人の教えを日本全国に弘宣されています。
常に親鸞聖人のお言葉を提示して懇切に説き明かされたのです。
それでこそ、日本中に浄土真宗を浸透せしめたのです。
高森先生も
「親鸞聖人は、こうおっしゃっておられます。」
と、常に親鸞聖人のお言葉を、まず示されます。
親鸞聖人のみ教え一つを伝えられた蓮如上人や覚如上人のごとく。
『なぜ生きる』も全くそうです。
親鸞聖人のお言葉は、それだけ尊く、重く、深い、比類のないお力があるのです。
弥陀の直説であるからです。
親鸞聖人のお言葉を提示して、正しい意味を徹底しいく。
これは、絶対に変えてはならないことです。
親鸞学徒である私もそういう自覚を努めて持ちたいと思っています。
プロパガンダに何の興味も無い。
コピペや根拠の曖昧な断定口調は、
傍から見て「うろたえているのか?」という誤解をも生ぜしめますよ?
逆効果なので、ご注進申し上げます。
>>433 高森会長が抜けているのは何故?
>
>>433 >高森会長が抜けているのは何故?
訂正。あったね。ゴメソ。でも根拠不明な断定は以下略
仏法では幸福といわれるものを二つに分けます。
一つは相対的幸福といわるべきものと、絶対の幸福といわれるものです。
相対的幸福といいますのは、一時的な喜びや満足をいい、やがては必ず壊れたり、悲しみや苦しみに転化する幸福をいうのです。
たとえば、好きな人と結婚できた喜びとか、願っていたマイホームが新築できた満足とか、普通 一般の人々が求めている生きがいや喜びといわれているものです。
このような喜びや満足は断じて永続するものではありませんし、やがては必ず滅びる幸福です。
どんなに素晴らしい人と結婚しても、相手がいつ病に倒れるやら死ぬ やら分かりません。また変心して不仲になり破鏡の憂き目にあい、骨肉相食む争いをせねばならないかも分かりません。
世間に未亡人となって苦しんでいる人、妻を失って悲嘆している人、裏切られて激怒している人があふれているのを見ても、それは明らかなことです。
また、一生、汗と脂で築きあげた家屋が一夜の中に灰になり悲泣している人もあり、昨日まで一家和楽の家庭も、今日は交通 事故や災害で地獄の悲惨を味わっている人もたくさんあります。
これらの幸福は、今日あって明日なき無常の幸福ですから、常に壊れはしないかという不安がつきまとっていますから、本質的にいっても真の幸福とはいえないのです。
たとえ大過なく続いたとしても、臨終を迎え死に直面すれば、たちまち総くずれになること必定です 。
しかも私たちは死の運命を遁れることはできませんから、このような幸福で心から安心や満足ができるはずはないのです。
死の前に立たされた時、金や名誉や地位や財産が何の喜びになり満足を与えてくれるでしょうか。
たとえ求まったにしても、真の満足も安心もできないこれらの幸福を求めて、すべての人間は今日もあくせく苦しみ悶えているのです。
これはすべての人々は絶対の幸福があるということを知らないからです。しかも、この絶対の幸福は阿弥陀仏の本願によって、誰しもなれるのだということも知らないからなのです。
そしてこの絶対の幸福こそ、すべての人々の生きる究極の目的であることも知らないのです。
では絶対の幸福とは何か、結論を急ぎましょう。
この場合、絶対というのは、無上、最高不二という意味と、どんな事態が起きても壊れない安心、満足、喜びということです。
最悪の死に直面しても変わらぬ安心、満足の境地をいうのです。死に直面 しても変わらないものならば、その他の障害によって動乱することは毛頭ありませんから、
いつでもどこでも満足一杯、喜び一杯、安心し切って明るい生活ができるようになり、人生の醍醐味を心ゆくまで味わうことができるようになるのです。
そんな絶対の幸福なんてあるものか、という人は阿弥陀仏の本願の妙法を知らないのです。知っていても体得していないのです。
親鸞聖人は、この絶対の幸福を体得なされて「正定聚(しょうじょうじゅ)に入る」とか「不退転(ふたいてん)に住す」とか、「無碍の一道なり」とおっしゃっています。
「大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静に、衆禍の波転ず」(教行信証)
は、その境地を喝破なされたものです。
また、
「念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし」(歎異鈔)
「有漏の穢身はかわらねど
こころは浄土にあそぶなり」(和讃)
と、おっしゃっているのも、この絶対の幸福のあることの一大宣言であります。
しかもこの絶対の幸福は、弥陀の本願を聞信するという一筋道をたどって到達できるのだと、
「たとい大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは
ながく不退にかなうなり」
と断言なされていることも申し上げておきましょう。
「『正信偈』の〈帰命無量寿如来、南無不可思議光〉のあの二行に、人生の目的が完成したという平生業成の御心がおさまっていたとは、ただただ驚きです」
大阪府の山田さん(50代:仮名)は、今年9月、初めて親鸞会館に参詣し、『正信偈』の冒頭の意味が分かった喜びを語った。
『正信偈』を7年間、ずっと拝読していたという山田さんは、その意味を知ろうと、何度も寺へ足を運んでいた。
「大学教授とかが話をするのですが、難しいことしか言わなくて……。聞いていてもサッパリ」
子供が独立し、後は死ぬのを待つだけと思うと、無性に寂しく、何のために生きていくのか、ずっとモヤモヤしていた。
問 現代人には宗教や信心などいらないのではないのか?
答 信心はなぜ必要なのかとおっしゃいますが、私達は何かを信じなければ生きてはゆけないからです。信心とは、何かを心で信ずることです。信ずるということは言葉をかえればたよりにする、あて力にするということです。
私たちは何かをたよりにし、あて力にしなければ生きてはゆけません。すなわち、何かを信じなければ生きておれないのです。
妻は夫を信じ、夫は妻を信じ、親は子供をたよりにし、子供は親をあて力にして生きております。その他、自分の身体や生命、財産や金銭、家や名誉や社会的地位 等、何かをあて力にして人間は生きております。
だから生きるということは信ずることなのです。
神や仏を信ずることだけが信心ではありません。昔から鰯の頭も信心からと言われますが、つまらぬ ものでも信じていればその人の信心です。だからすべての人は何らかの信心をもっているのです。
ところが私たちは、ただ生きているのではありません。幸福を求めて生きている人ばかりです。そして一切の苦しみ悩みを厭うております。
苦しみ悩みはどこから起きるのか考えてみますと、信じていたものに裏切られた時に起きてくるのです。
病人の苦悩は健康に裏切られたからであり、家庭の悲劇は夫を信じ切っていた妻が、夫に裏切られたからです。
子供に裏切られた親、親に裏切られた子供。家の子供にかぎってと深く信じていればいるほど、裏切られた時の親の苦悩や悲しみ怒りは大きいのです。
これで分かるように我々は何かを信じなければ生きてはゆけませんが、やがては我々を裏切ることのあるものを信じて生きるということは馬鹿げたことです。
では、この世で生命をかけて信じても後悔のない、いわゆる、絶対に裏切ることのないものはあるでしょうか。結論を急ぎましょう。何もないのです。
この世の一切は死ぬ 時にはなんのあて力にもなりません。
この肉体さえ焼いてゆかねばなりませんから。
今死ぬ という時でも変わらぬもの、それは三世諸仏をして成仏せしめた本師本仏の阿弥陀仏あるのみです。
この御仏を信ずるものこそ、永遠不滅の無上絶対の幸福で生きぬ くことができるのです。
http://www.shinrankai.or.jp/qa/index.htm
442 :
名無しさん@3周年:04/12/11 01:41:49 ID:bqasajJh
親鸞会の会員は法論を続けたいの?続けたくないの?どっち?
>>442 大勢は決着がついたということでしょうか?
続くかどうかは念仏者氏の出方次第でしょうね。
444 :
名無しさん@3周年:04/12/11 02:09:39 ID:KZLAJujH
>>ID:szp6J/Wa
コピペはやめれ。
つまらん。
思うにT氏は、全人類救われる法を、全人類地獄逝きの法に変えてしまった。
>>407 そこの違いについて、もう少し分かりやすくお願いします
>>437 > 仏法では幸福といわれるものを二つに分けます。
> 一つは相対的幸福といわるべきものと、絶対の幸福といわれるものです。
そんな仏語はありません。
>>443 決着が着いたようには見えない。
>>407 念仏者氏の主張
「十九願、二十願に誓われていることを実行できる人は、化土往生させる。地獄行きにはしない」
「十八願で救うのが目的であるが、十八願を衆生は初めから受け取らないから
まず十九願、二十願に導いた」
そして、もしそうであるとするならば、s会の主張とは
この点までは変わらないのでは?ここで問題となるのは、
阿弥陀仏は「凡夫は十九願、二十願に誓われていることを
実行できないから、十九願、二十願では本当は救えないの
だけれど、まず十九願、二十願に導いた」のか、それとも
「凡夫を十九願、二十願でまず救ってから、十八願に
救おうとされた」のか、つまり凡夫を十九願、二十願で
実際に一度は救おうとされたのか、という点でしょう。
そこで、
>>415 の点について確認しないと話が進まない
のではないかと思う。
450 :
名無しさん@3周年:04/12/11 05:01:51 ID:nHD/uYHk
>>449 そこが肝要と思います。
s会側の、コピペや、お聖教やその他の単なる引用をだらだらと繰り返
している書き込みが目立ちましたが、撹乱戦法か、気持ちだけ先走って
文言を咀嚼せずに書き込んでいる印象を受け、いかにも見苦しくみえます。
流れを無視した一方的な決着宣言もいかにも焦っているかのようです。
そのように思われたくないのでしたら、つまらない策を弄するのは
辞めることです。
議論はまだ中途です。念仏者氏のお返事を待ちましょう。
451 :
ゆん:04/12/11 05:15:59 ID:KA1JlpJj
関係ないかもしれないがうち実家 浄土真宗 念仏
念仏の家は短気が多い気がするの
>>330 >>336 s会の説では、未信の凡夫は、18、19、20願のどれにも相応してないという
ことでいいですか? 過去に18願に相応してない未信のひとは、自動的に19、
20願に相応してるとかいってた親sのひといたような。
s会では、
>>400さんのいう「業感縁起」についてどのように解してられますか?
>>410-412は臨終正念を失えば、化土往生できないという文ですから、還相の菩薩しか
化土往生できないの根拠とするには弱いのでは? 還相の菩薩しか「臨終正念」できないと
いう御聖教の根拠は?
454 :
念仏者:04/12/11 11:41:06 ID:BrI215MP
「凡夫が19願20願で化土往生できるかどうか」
このことをまず明らかにしたいのなら、そうしましょう。
>>410 >>411 >>412 善導大師の勧めた念仏、観経の念仏、十九願の念仏、万行随一の念仏
この念仏は臨終まで持続しないと来迎にはあずかれず辺地往生も定かではないという根拠ですね。
それでは阿弥陀経の念仏、二十願の念仏、万行超過の念仏に関してはどうですか?
二十願の念仏では辺地往生も定かではない、という根拠はありますか?
455 :
念仏者:04/12/11 11:48:33 ID:BrI215MP
年末で忙しく、あまり登場できません。
肝心なところであるのに大変申し訳ないです。
>>支持(?)してくださっている方々へ
どうもありがとうございます。たいへん感謝します。
しばらく書き込みができないと、反論できない、終了と思われ、
コピペの嵐をされてしまうのは非常に遺憾です。
456 :
名無しさん@3周年:04/12/11 12:46:19 ID:GE88C4GO
このゆえに高祖善導和尚の解釈にも「弥陀如来は娑婆にきたりたまう」とみえ
たるところもあり、また「浄土をうごきたまわず」とみえたる釈もあり。
しかれども当流のこころにては、「きたる」といえるはみな方便なりとこころ
うべし。『法事讃』にいわく、「一坐無移亦不動 徹窮後際放身光 霊儀相好
真金色 魏魏独坐度衆生」といえり。こころは「ひとたび坐してうつること
なく、またうごきたまわず。後際を徹窮して身光をはなつ、霊儀の相好真金色
なり、魏魏としてひとり坐して衆生を度したまう」となり。
この文のごとくならば、「ひとたび正覚をなりたまいしよりこのかた、まことの
報身はうごきたまうことなし。ただ浄土に坐してひかりを十方にはなちて、摂取の
益をおこしたまう」とみえたり。おおよそしりぞいて他宗のこころをうかがうにも、
「まことにきたる」と執するならば、大乗甚深の義にはかないがたきをや。
されば、真言の祖師善無畏三蔵の解釈にも、「弥陀の真身の相を釈す」として、
「理智不二 名弥陀身 不従他方 来迎引接」といえり。こころは「法身の理性と
報身の智品とこのふたつきわまりて、ひとつなるところを弥陀仏となづく。
他方より来迎引接せず」となり。
乃至
この機は聖衆の来迎にあずからず、臨終正念ならずしては辺地・胎生の往生も
なお不定なるべし。(浄土真要鈔)
「来迎引接せず」との仰せです。
「来迎にあずからず、臨終正念ならずしては辺地・胎生の往生も
なお不定なるべし」とも仰せです。
457 :
名無しさん@3周年:04/12/11 13:04:11 ID:D43Hrhvo
「雑行雑修して定機散機の人、他力の信心かけたるゆえに、多生曠劫
をへて、他力の一心をえてのちにうまるべきゆえに、すなわちうまれずというな
り。もし胎生辺地にうまれても、五百歳をへ、あるいは億千万衆の中に、ときに
まれに一人、真の報土にはすすむとみえたり。三信をえんことを、よくよくここ
ろえねがうべきなり。」(唯信鈔文意)
「定機散機は多生昿劫をへる」「もし化土に生まれても」
いかに化土往生が不定かは明らかです。
458 :
念仏者:04/12/11 13:10:26 ID:BrI215MP
>>456 そこには十九願のことが書かれているんですよ。
>>410も然りです。
二十願の念仏では辺地往生も定かではない、という根拠はありますか?
459 :
念仏者:04/12/11 13:29:46 ID:BrI215MP
sかいの主張
18願はぶっとびすぎていきなりは無理
↓
19願から入ろう
↓
辺地・胎生の往生もなお不定
↓
地獄逝き
↓
終了
461 :
名無しさん@3周年:04/12/11 15:14:01 ID:su8jBoG+
>426
ふたつに浄土門というは、今生の行業を回向して、…中略…
ただし、この門に、またふたつのすじ、わかれたり。ひとつには諸行往生、ふたつには念仏往生なり。(唯信鈔)
諸行往生は浄土門みたいです。
462 :
500:04/12/11 16:03:20 ID:w7Mfb2lH
>念仏者氏
>454
確認ですが、
「19願20願で凡夫が化土往生できる」という御主張でよろしいですか?
それとも19願は相応しないが20願ならできるという御主張になったのですか?
>>426 >諸行往生は浄土門みたいです。
s会のひとですか? だとすれば
>>324さんの
>浄土門で諸行往生を説かれる方はおられません。諸行往生を願うのは聖道門です。
はs会としては「間違っている」ということですね?
ひきつづき
>>452-453へのs会のひとの回答を待ってますよ。
念仏者さんのレス、反論しているのかしてないのかわからない要領を得ないレスだし。
はじめの頃の覇気はどこかへ行ってしまった様子。
大勢は決着がついたと思われる訳です。
>>465 「反論しているのかいないのかわからない要領をえないレス」
はs会も同じ。決着が着いたと結論をいそぐところがみっともない。
>>462の500氏の発言は要領を得ているのと思うし、
念仏者氏と500氏の一対一でじっくりと話し合えば
いいのではないかと思う。
>>464 そこらあたりがポイントかもしれませんね。
化土往生は「不定」であるために、いつまでもはっきりと
しない、その意味では「救われた」とは言えない。
ただし、化土往生が「できない」、ということはない、
化土往生する人はたくさんいる。
という解釈はどうなんだろう?
んー、そうですか?
じゃあしばらく見守りましょうか。
女なんて、ふざけてる。あほか。
そういや、念仏者君は最初こんなこと言ってたな・・・・。
776 名前:通りすがり 投稿日:04/12/03 23:05:46 Lvm8UedV
>>500 まずそのへんの僕の主張の肝をまとめます。
「十八願だけでは救いからもれる人がたくさんでてしまう。
そこで救いにもれる人がでないように、これでもか、と
最後の救いの網として如来は十九願、二十願をたてたのだ。」
つまり
「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
というのが阿弥陀仏の御心だ。
通行人が名無しで来てるな。
通行人の存在と同じくどうでもいいことだが。
473 :
念仏者:04/12/12 00:23:33 ID:ZcYe6asF
「十九願、二十願に誓われていることを実行できる人は、化土往生させる。地獄行きにはしない」
「十八願で救うのが目的であるが、十八願を衆生は初めから受け取らないから
まず十九願、二十願に導いた」
ここまでは明らかになりました。いいですね?
>500さん
>「19願20願で凡夫が化土往生できる」という御主張でよろしいですか?」
>それとも19願は相応しないが20願ならできるという御主張になったのですか?
阿弥陀仏の御心を明らかにしたところであり、凡夫の往生できるか否かについては
まだ一言も主張などしていませんよ?
しかしみなさんは十九願で往生できるのか?二十願で往生できるのか?
議論を進める前にこれをまず知りたいようであるので、
この際皆で検証しているんですよ。
十九願で往生はできないわけではなく、往生は不定であるという根拠が出ました。
それでは二十願で辺地往生はできない、もしくは不定である御聖教の根拠は何かございますか?
では<不誠実>通行人がいない、いてもコピペと勝利宣言しかできないようなので質問
>>473 二十願の化土往生は、行者の自力信と自力念仏によって成されますが、
その自力の行に”至心”は必要でしょうか、不必要でしょうか?
>>では<不誠実>通行人がいない、いてもコピペと勝利宣言しかできないようなので質問
( ´,_ゝ`)プッ
方便であるはすの19願をやりつづけた為に
地獄へ落ちましたよ、となったら
何のための方便?
>>463さんに対する、
>>324さんの反論、撤回、修正意見はないのでしょうか?
浄土真要鈔は、存覚師、そして
>>411の口伝抄は覚師の著作だけどどうなんでしょう。
口伝鈔によると、諸行往生の機=十九願の機ということらしい。十九願は浄土門です。
一方で、浄土真要鈔本を良く読むと、存覚師は
「もろもろの雑行をゆるし諸行の往生を談ずる義」を否定しているのであり、
>>324さんの「浄土門で諸行往生を説かれる方はおられません」はその解釈として
認めるとして、
「諸行往生を願うのは聖道門です」は飛躍・誤りと考えられるが・・・。
>>324さん、どうなんですか?撤回ですか?
あと、
>>452-453は無視すべきでない重要なご質問群だと思います。
>>500さんでも
>>324さんでも通行人さんでも、親sのどなたでも結構です。
s会の親鸞学徒としての明快なご回答を、私も期待します。
>>478 自己レススマソ。
>「浄土門で諸行往生を説かれる方はおられません」はその解釈として
認めるとして、
やはり認められないかな、と思ふ。
覚師は「真宗で諸行往生を説かれる方はおられません」
という意味で書かれたのではないかな?
だって観経=浄土門で諸行往生説いてるもんね。
いずれにせよ、「諸行往生を願うのは聖道門です」は間違いでしょう。
480 :
名無しさん@3周年:04/12/12 20:05:50 ID:B1WPBb8D
>>443 決着が着いたようには見えない。
>>407 念仏者氏の主張
「十九願、二十願に誓われていることを実行できる人は、化土往生させる。地獄行きにはしない」
「十八願で救うのが目的であるが、十八願を衆生は初めから受け取らないから
まず十九願、二十願に導いた」
そして、もしそうであるとするならば、s会の主張とは
この点までは変わらないのでは?ここで問題となるのは、
阿弥陀仏は「凡夫は十九願、二十願に誓われていることを
実行できないから、十九願、二十願では本当は救えないの
だけれど、まず十九願、二十願に導いた」のか、それとも
「凡夫を十九願、二十願でまず救ってから、十八願に
救おうとされた」のか、つまり凡夫を十九願、二十願で
実際に一度は救おうとされたのか、という点でしょう。
そこで、
>>415 の点について確認しないと話が進まない
のではないかと思う。
481 :
名無しさん@3周年:04/12/13 02:40:24 ID:xsuOA51A
だめだこりゃ 一遍
482 :
名無しさん@3周年:04/12/13 09:54:09 ID:AO/S2oF0
483 :
名無しさん@3周年:04/12/13 20:10:49 ID:b/jrmDM9
>>479 >だって観経=浄土門で諸行往生説いてるもんね。
いずれにせよ、「諸行往生を願うのは聖道門です」は間違いでしょう。
天台宗でも観経等を用いて念仏三昧の行をします。
こういうのは諸行で往生しようとしているわけです。
しかし法然上人は「諸行は廃のために説く」と
はっきり諸行対念仏で諸行は廃されています。
浄土門にある諸行往生は18願に至る方便、
仮門であり、「不定であるから念仏往生を」と
すすめられるためのものです。
まあ法然上人と親鸞聖人の御おしえはちがうと
思っている人たちに言ってもしかたないが。
484 :
名無しさん@3周年:04/12/13 20:25:30 ID:pUZcVlEz
>>457 > 「雑行雑修して定機散機の人、他力の信心かけたるゆえに、多生曠劫
をへて、他力の一心をえてのちにうまるべきゆえに、すなわちうまれずというな
り。もし胎生辺地にうまれても、五百歳をへ、あるいは億千万衆の中に、ときに
まれに一人、真の報土にはすすむとみえたり。三信をえんことを、よくよくここ
ろえねがうべきなり。」(唯信鈔文意)
「定機散機は多生昿劫をへる」「もし化土に生まれても」
いかに化土往生が不定かは明らかです。
定機散機が唯称仏名するのが20願です。
「雑行雑修して定機散機の人、他力の信心かけたるゆえに」
「他力信のかけた雑行『雑修』のひと」なら20願の同行が
含まれるのは当然じゃないですか。
「来迎」も20願に通じるのは常識。
「19願だけ」というなら根拠をあげなさい。
485 :
名無しさん@3周年:04/12/13 20:51:08 ID:Qv8UhADt
> 浄土門にある諸行往生は18願に至る方便、
仮門であり、「不定であるから念仏往生を」と
すすめられるためのものです。
三願転入が浄土門=念仏往生=浄土真宗であって
19願を、18願と切り離して独立した願と見るのは
親鸞聖人が教えられた「浄土門」のおしえではない、ということ。
> 方便であるはすの19願をやりつづけた為に
地獄へ落ちましたよ
当然、地獄行きです。
19願の願意も知らずに謗ったもののうける報いは
それ以上です。
自分のことを棚にあげて「19願で化土云々」
言っている連中相手にしても力が入らない。
会員だったことがあるなら
もうすこし後生を心配したらどうなんだろう。
と思うのは私だけ?
486 :
名無しさん@3周年:04/12/13 21:00:30 ID:Qv8UhADt
「唯信鈔」の御文を読んでいるなら
「浄土門」といわれている「諸行往生」に
「三密」なんかが書いてあるだろう。
真言宗じゃなかったっけ?
それだけでも法然上人とは「浄土門」の分け方が違うのは
わかるんじゃないでしょうか。
「願に相応しなくてもよい」とか
「不定だからいけないわけじゃない」とか
なんかあきれちゃって.....
487 :
名無しさん@3周年:04/12/13 21:22:39 ID:3zfuRSyO
この教団では、やめるとはっきりと意思表示をしたのに、
やめさせてくれないようなことありますか。
488 :
500:04/12/13 22:09:27 ID:8PNM4i2O
>>念仏者氏
>「十九願、二十願に誓われていることを実行できる人は、化土往生させる。地獄行きにはしない」
>「十八願で救うのが目的であるが、十八願を衆生は初めから受け取らないから
>まず十九願、二十願に導いた」
>ここまでは明らかになりました。いいですね?
一つ目は当然のことですし、二つ目はまだ明らかになっていません。
弥陀は19願と20願だけで衆生を救う狙いがあったのかどうか、という点を
明らかにせずに、19願意、20願意が分かるはずがありませんし、真と仮の関係も分かりません。
凡夫を救うために立ち上がられたのが弥陀です。
どうすれば衆生を助けられるか、ということ一つ考え抜かれたのが、
五劫思惟、思案の頂上なのです。
あなたはまさか、衆生が助かるかどうか気にされない弥陀だとお思いなのですか?
方便の願だけでも、我々は地獄を免れ、化土へ行けるのか。
弥陀から言えば、それだけで助ける狙いがあるかどうか。
我々から言えば、それだけで助かるかどうか。
なぜそれを明らかにせずに、19願、20願の弥陀の御心を明らかにできると思われるのか。
絶対に避けられない問題です。
>しかしみなさんは十九願で往生できるのか?二十願で往生できるのか?
>議論を進める前にこれをまず知りたいようであるので、
>この際皆で検証しているんですよ。
皆で検証する必要はありません。あなたの見解をお尋ねしているのです。
「会の教学を根底から覆す」あなたの教学ではどうなのか、明快にお答え下さい。
yesかnoで答えられる質問です。
>>483 >>485-486 結局、461の聖覚法印の
「ふたつに浄土門というは、今生の行業を回向して、…中略…
ただし、この門に、またふたつのすじ、わかれたり。ひとつには諸行往生、ふたつには念仏往生なり。」(唯信鈔)
でいう「浄土門」と法然上人、親鸞聖人とは「浄土門」の分け方がちがうということですね?
法然上人や親鸞聖人の廃された「諸行」と19願の諸行は違うということですか?
お聖教の根拠で教えてもらえますか?
ひきつづき
>>452-453 >>464の回答まってますよ。
490 :
名無しさん@3周年:04/12/13 23:58:54 ID:uOKMSl7P
アンメルツ横スレ。
つまんね。
>>500 >方便の願だけでも、我々は地獄を免れ、化土へ行けるのか。
親鸞聖人が方便の願で地獄に逝くと言っている?
ソースキボンヌ。
あと、我々から言えばっていう議論ではなく、
阿弥陀仏の願意について、まず考察するのはどうです?
ひとまずは、我々(意はあなただととりますよ、我々って、あなたと私は
業がちがうので、よって引く果も違うのですから。勿論、念仏者サンとも
違います)という出発点を離れて、阿弥陀仏の願意を伺ってみましょうよ。
我々からの視点はその後で論議することにしませんか?
491 :
名無しさん@3周年:04/12/14 00:05:52 ID:qdrYjC3T
492 :
500:04/12/14 00:15:00 ID:Mc5SKYhF
我々とは凡夫という意味で理解して下さい。
煩悩具足、一生造悪の凡夫、という意味です。
そのような凡夫ではない人は、「我々」には含めていません。
上、念のため。
493 :
名無しさん@3周年:04/12/14 00:29:44 ID:bfrlYxI2
漏れもアンメルツ。
>>492へ
>>490の言う「我々」はそれぞれに「ちがう」というのは
>>400の「業感縁起」に基づいて為されたことではないでしょうか?
となれば、
>>452-453に回答して頂く必要があります。
まあ、それでは話題があっちこっちに飛んでいってしまうので、
一旦は
>>490 >我々から言えばっていう議論ではなく、
>阿弥陀仏の願意について、まず考察するのはどうです?
支持age
494 :
500:04/12/14 00:49:49 ID:Mc5SKYhF
どちらでも構いません。
弥陀に、19、20願だけでそのような凡夫を救う狙いがあったかどうか、です。
問いは変わりません。
s会の論理だと、依然として衆生は地獄逝きのままなんですけど。
蓮如上人の言うとおりなら、信心決定いがいは皆地獄行きですね。
しかもただの地獄じゃないね。無間地獄だね。
18、19、20の中で信心決定を表すのは18願ですね。
だって、信心決定するってことは、信楽になることなんでしょうよ。
信楽と書いてあるのは18願だけですよ。
ということは、
>>親鸞聖人が方便の願で地獄に逝くと言っている?
という問い自体おかしいのではないですか?
蓮如上人以上に親鸞聖人の教えに詳しい人っていないと思うよ。
そんなひとが、信心決定以外は地獄行きだって言ってるんだから、
間違いないと思うよ。
もし、19願や20願で満足できるなら、信心決定以外の往生の道があることになるよ。
私が知らないだけで、あるとするなら、とことん求めましょうよ、それを。
とことん「至心廻向」「至心発願」どちらかをしましょうよ。
こんなところで、机上の空論を繰り返しても意味ないですよ。
ここは、実践してみてはっきりさせるしかないのではないですか?
497 :
名無しさん@3周年:04/12/14 07:56:50 ID:qdrYjC3T
>>496 >>親鸞聖人が方便の願で地獄に逝くと言っている?
>という問い自体おかしいのではないですか?
>蓮如上人以上に親鸞聖人の教えに詳しい人っていないと思うよ。
>そんなひとが、信心決定以外は地獄行きだって言ってるんだから、
>間違いないと思うよ。
蓮如上人は、ひとまず置いといて(つ´∀`)つ
親鸞聖人の著作からソースキボンヌ。
論点がずれてくるので。結論急がずに、ひとつひとつ丁寧に
重箱の隅をつつきながら、やってきましょう。
498 :
名無しさん@3周年:04/12/14 09:47:59 ID:5tfXtPw2
「十九願、二十願に誓われていることを実行できる人は、化土往生させる。地獄行きにはしない」
「十八願で救うのが目的であるが、十八願を衆生は初めから受け取らないから
まず十九願、二十願に導いた」
ここまでは明らかになりました。いいですね?
>500さん
>「19願20願で凡夫が化土往生できる」という御主張でよろしいですか?」
>それとも19願は相応しないが20願ならできるという御主張になったのですか?
阿弥陀仏の御心を明らかにしたところであり、凡夫の往生できるか否かについては
まだ一言も主張などしていませんよ?
しかしみなさんは十九願で往生できるのか?二十願で往生できるのか?
議論を進める前にこれをまず知りたいようであるので、
この際皆で検証しているんですよ。
十九願で往生はできないわけではなく、往生は不定であるという根拠が出ました。
それでは二十願で辺地往生はできない、もしくは不定である御聖教の根拠は何かございますか?
499 :
名無しさん@3周年:04/12/14 10:08:21 ID:IYp3UR0X
横レスマソ
読んだところ、顕彰隠密は、阿弥陀仏の目から見たら18 19 20願は同じで、
衆生の目から見ると18 19 20願は異なるように見える。のように受け取りました。
ここから類推するに、阿弥陀仏は1920願で化土往生させるとはいっておらず、そのねらいもないはず…
衆生が弥陀の御心を疑っているから、結果として化土へ行くということだと思います。
500 :
名無しさん@3周年:04/12/14 11:45:16 ID:IYp3UR0X
500ゲト
あっ、わかった。要は三願転入の解釈の仕方では?
s会は19願に相応しないから20願、20願も相応しないから、18願へ行くという意見。
念仏者氏は、19・20願に相応しながら18願へ出るという意見。
>>496 >>497 >信心決定いがいは皆地獄行きですね。
ひきつづき、「一切衆生 必堕無間」について、s会シンパがたによる、
親鸞聖人、七高僧がたの著作からのソースを希望します。
私は寡聞にして知りませんので。
ちなみにコウゴウをキョウリャクせん、とかのご文は根拠になりませんし、
一切の群生海云々、一切凡小云々のご文も根拠になりませんよ
502 :
名無しさん@3周年:04/12/14 12:50:32 ID:IYp3UR0X
自己レスだが、
>>500 相応って機と法の相応だから19・20願に使うの適切じゃないね…
503 :
名無しさん@3周年:04/12/14 19:29:36 ID:5tfXtPw2
このゆえに高祖善導和尚の解釈にも「弥陀如来は娑婆にきたりたまう」とみえ
たるところもあり、また「浄土をうごきたまわず」とみえたる釈もあり。
しかれども当流のこころにては、「きたる」といえるはみな方便なりとこころ
うべし。『法事讃』にいわく、「一坐無移亦不動 徹窮後際放身光 霊儀相好
真金色 魏魏独坐度衆生」といえり。こころは「ひとたび坐してうつること
なく、またうごきたまわず。後際を徹窮して身光をはなつ、霊儀の相好真金色
なり、魏魏としてひとり坐して衆生を度したまう」となり。
この文のごとくならば、「ひとたび正覚をなりたまいしよりこのかた、まことの
報身はうごきたまうことなし。ただ浄土に坐してひかりを十方にはなちて、摂取の
益をおこしたまう」とみえたり。おおよそしりぞいて他宗のこころをうかがうにも、
「まことにきたる」と執するならば、大乗甚深の義にはかないがたきをや。
されば、真言の祖師善無畏三蔵の解釈にも、「弥陀の真身の相を釈す」として、
「理智不二 名弥陀身 不従他方 来迎引接」といえり。こころは「法身の理性と
報身の智品とこのふたつきわまりて、ひとつなるところを弥陀仏となづく。
他方より来迎引接せず」となり。
乃至
この機は聖衆の来迎にあずからず、臨終正念ならずしては辺地・胎生の往生も
なお不定なるべし。(浄土真要鈔)
「来迎引接せず」との仰せです。
「来迎にあずからず、臨終正念ならずしては辺地・胎生の往生も
なお不定なるべし」とも仰せです。
504 :
名無しさん@3周年:04/12/14 20:14:50 ID:cX+ghzP0
諸行はこれ本願に非ず.(選択集)
念仏往生は仏の本願なり。諸行往生は本願にあらず。(口伝鈔)
「18願でもれるものがいるから19願、20願で助ける」なんて
「とんでもない発言」と思うのは私だけ?
「18願には相応できないけど、19願、20願なら相応できる」ってことか?
「相応しなくても化土には行ける」ってことかな?
「十方衆生があいて」だから相応しなくても助かるなら
18願で助かるはずだが......
>阿弥陀仏の願意について、まず考察するのはどうです?
考察するのは結構だが、お聖教の御文をあげて話することと
自分の発言への質問には答えるべきだろう。
あなたのつまらん推論につきあうのは時間の無駄。
505 :
名無しさん@3周年:04/12/14 20:25:35 ID:FXLpMw9r
自力の称名をはげみて、臨終のとき、はじめて蓮台にあなうらをむすばんと期する
ともがら、前世の業因しりがたければ、いかなる死の縁かあらん、火にやけ、み
ずにおぼれ、刀剣にあたり、乃至寢死までもみなこれ、過去の宿因にあらずとい
うことなし。もしかくのごとくの死の縁、身にそなえたらば、さらにのがるるこ
とあるべからず。もし怨敵のために害せられば、その一刹那に、凡夫としておも
うところ、怨結のほか、なんぞ他念あらん。また寢死においては、本心いきのた
ゆるきわをしらざるうえは、臨終を期する先途、すでにむなしくなりぬべし。い
かんしてか念仏せん。またさきの殺害の機、怨念のほか、他あるべからざるうえ
は、念仏するにいとまあるべからず。終焉を期する前途、またこれもむなし。仮
令かくのごときらの死の縁にあわん機、日ごろの所存に違せば、往生すべからず
とみなおもえり。たとい本願の正機たりというとも、これらの失、難治不可得な
り。いわんやもとより自力の称名は、臨終の所期、おもいのごとくならん定、辺
地の往生なり。いかにいわんや、過去の業縁のがれがたきによりて、これらの障
難にあわん機、涯分の所存も達せんことかたきがなかにかたし。そのうえは、ま
た懈慢辺地の往生だにもかなうべからず。これみな本願にそむくがゆえなり。(口伝鈔)
「 自力の称名をはげみて、臨終のとき、はじめて蓮台にあなうらをむすばんと期する
ともがら前世の業因しりがたければ」
「臨終を期する先途、すでにむなしくなりぬべし。」
「また懈慢辺地の往生だにもかなうべからず。これみな本願にそむくがゆえなり。」
「かなうべからず」「本願にそむく」との仰せです。
よくよく心得られるべきでしょう。
506 :
名無しさん@3周年:04/12/14 20:26:39 ID:qdrYjC3T
誰に対するレスか知らないが・・・。
アンメルツ横ズレ
>>503 「浄土真要鈔」は存覚上人の著作ですね。
難しいこと書くなあ、さすが八宗を学んだ方は違うねえ。
あなた意味わかる?漏れはわからん。
>「理智不二 名弥陀身 不従他方 来迎引接」
これどういう意味?
あと、
>法身の理性 >報身の智品 の説明キボンヌ。
てゆーか、折角なら全文現代語訳してほしいなあ。勉強になるよ、きっと。
さらに言わせていただけば、今のスレの流れに
この引文はちと的外れな気もするが?
どうせなら、親鸞聖人の引文した方が前に進むと思われるが、どう?
507 :
名無しさん@3周年:04/12/14 20:33:57 ID:FXLpMw9r
>>501 >ちなみにコウゴウをキョウリャクせん、とかのご文は根拠になりませんし、
一切の群生海云々、一切凡小云々のご文も根拠になりませんよ
根拠を認めちゃうとどうしようもなくなるからしかたないよね。
根拠にならない、ということをみんなに「わかりやすく」説明したほうが
よいよ。
「御自分の領解を言われた」とかいう類の解説はあなたの解釈でしかないから
それこそ「根拠にならない」と言われると思うからよろしく。
508 :
名無しさん@3周年:04/12/14 20:36:50 ID:FXLpMw9r
>>506 > あなた意味わかる?漏れはわからん。
>さらに言わせていただけば、今のスレの流れに
この引文はちと的外れな気もするが?
自分のいってることおかしいとおもわんか?
思わんから書いてるんだろうなあ。
509 :
名無しさん@3周年:04/12/14 20:40:05 ID:FXxyN3l1
>>502 >相応って機と法の相応だから19・20願に使うの適切じゃない
わかりやすい解説があるといいなあ。
「機教相応」って ふつうに使ってるもので。
博学なところを見せてくれ。
511 :
名無しさん@3周年:04/12/14 20:49:33 ID:3dWLZlkm
>>508 存覚上人や覚如上人、蓮如上人は根拠にはならんということかな。
先哲のお言葉よりも自分で親鸞聖人のお言葉を解釈したほうが
いい、というひとも多いな。ごりっぱなことだ。
親鸞聖人のお言葉よりも、自分で経典を解釈するのを
優先していたアンチもいたし。
512 :
名無しさん@3周年:04/12/14 21:20:24 ID:qdrYjC3T
香ばしい椰子がでてきたな
>>508 いや、全く思わんが。そういうあなたは、あの引文の意味解るの?
わかるのなら、現代語訳キボンヌ。
>>504 顕彰隠密ってわかる?ちゃんと「教行信証」化土巻を嫁。
しっかり読めば、
>「18願でもれるものがいるから19願、20願で助ける」なんて
>「とんでもない発言」と思うのは私だけ?
なんて感想は出てこないと思うのは私だけ?
たぶん念仏者サンの発言に対しての感想だと思うんだけど、
漏れは念仏者サンの領解というか味わいは、逆転の発想で非常におもしろいと思ったよ。
まず、要門ね。
>〜ここをもって釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生界を誘引し、阿弥陀如来、
>もと誓願を発してあまねく諸有海を化したもう。すでにして悲願います。
>修諸功徳の願=第19願となづく、また〜
聖教開いて、〜の前後も読んでね。
ちなみに無間地獄なんて何処にも書いてないよ。まあ、それは別の話・・・。
513 :
名無しさん@3周年:04/12/14 22:14:08 ID:qdrYjC3T
>>511 根拠として強いのは、どうしたって親鸞聖人の著作。
浄土真宗は、それが出発点であり到着点でしょう。
各祖師の著作を軽視するわけではないが、あくまで助顕である
という認識を持ったほうがよろしいと思われ。
アンメルツ真似レス
>>504 >あなたのつまらん推論につきあうのは時間の無駄。
だったら来なければいいでしょうに。
・・・などと誰かの真似をしてみる。
>>513同意
会の中や真宗学内の範囲では、どなたも善知識として同格に扱われるでしょうが、
世間一般の文献解釈からすれば、浄土真宗の第一次資料は親鸞聖人の著作。
その後の方の著作と差異が見られる場合だと、
学術上では「真宗思想の変遷」としか受け取られない。
>>504 横レスすまんが、
>>411の口伝抄でいう19願の「諸行往生の機」は、
>>483でいう
「こういうのは諸行で往生しようとしているわけです。」とは違うのですか?
口伝抄では、19願の行者について、「非本願たる諸行を修して往生を係求する行人」
と書かれてますけど。
関連して
>>489 >>452-453 >>464への親sの方の回答をひきつづき求めます。
>>513さんに聞きたいのだけど、
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」
と蓮如上人がご文章でおっしゃってるわけですけども、
私は、これは嘘だとは思えませんがいかがなんでしょうか?
私たちは、蓮如上人の言葉を信じてはいけないのですか?
蓮如上人以上に、親鸞聖人の言葉に詳しい人はいないのではないですか?
助顕かなんか知りませんが、信心獲得しなければ
地獄行きだとおっしゃってるではありませんか。
こんな、明らかな言葉を私は信用しますが、浄土真宗では信用しないのですか?
>>514さんにもお聞きしたいのですけども、
真宗思想の変遷があるとするなら、
親鸞聖人の時代は、信心獲得しなくても地獄に落ちなかったのですか?
蓮如上人の時代になって、解釈みたいなのが変わったと受け取るのがよろしいのですか?
そもそも、親鸞聖人と蓮如上人とでは真宗思想が違うのですか?
518 :
名無しさん@3周年:04/12/14 23:42:44 ID:qdrYjC3T
>>516 モー寝るが、レスサン9。
>「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」
なんで、蓮如上人がそう言ったのかを親鸞聖人の著作に
照らし合わせてみるほうが先決かと。
蓮如上人の書かれた事、それだけを見るのではなく、
必ず、親鸞聖人の書かれたことと対照すべきでは?
それが勉強ってもんじゃないのかなあ。
>助顕かなんか知りませんが、
勉強する態度を放棄してはなりません。あくまで、宗祖は親鸞聖人です。
御文も、必ず親鸞聖人の言葉を介して領解すべきだと思われ。
しかしながら、君は偉い。疑問を持ちつつ教学を学ぼうという姿勢は
非常にすばらしいことだと思いますよ。て漏れが褒めても一文の価値にもなりませんが。
封印せずに、まずお聖教を開きなさい。
>>516 >助顕かなんか知りませんが、信心獲得しなければ
>地獄行きだとおっしゃってるではありませんか。
つまりS会講師は全員地獄行き、S会員もほぼ地獄落ち。
え?
S会員以外なら、ほぼ、でなく確実に地獄落ち?
会員にならなくても信心決定した人は沢山いるよ。
520 :
名無しさん@3周年:04/12/15 00:09:39 ID:YZeTSnA/
>>517 横横。東横のれん街。
違うと言わざるを得ません。
だって、別人でしょ。しかも時代的背景も違うわけだし。
しかしながら、真宗の教学では、なんとか一致させようと努力してきた。
否、その中で共通して言えること、もしくは一見全く違う、相反する言葉のように
見えるが、ある観点から言えば、それは矛盾なく領解できる、もしくは味わわれることができる。
そこを勉強してきたのでしょう、先哲といわれる方々は。
頭くしゃくしゃにしながらね。
例えば、
竜樹菩薩は、「大智度論」等の著作があり、般若空(よく知らんけど)思想の
大成者と言われる。どうやって、その著作と浄土教を結びつけるのか?
真宗にとって七高僧といわれる所以は、
十住毘婆沙論の易行品に説かれるところでしょうが、
それ以外の著作とも対比することも必要でしょう。
古来より仏教徒が行ってきた勉学法を安易に放棄すべきじゃないと思われ。
(つ∀-)オヤスミー
さあ、疑問があったら、それを出発点としてお聖教を開きましょう。
疑謗を縁として、学び、考え、目からウロコを落としましょう、お互いに。
521 :
名無しさん@3周年:04/12/15 00:09:50 ID:A1RC2H4y
>>517 >そもそも、親鸞聖人と蓮如上人とでは真宗思想が違うのですか?
違うかどうか・同じなのか・変遷があったか無かったかを
検証するには、一般的な学術上の見地からすれば
蓮如上人のお言葉にぴったり合致する箇所を
親鸞聖人の著作の中から明示する必要がある、と申し上げたまでですよ。
どう受け取るかは人それぞれでしょう。あなたが「信用」するのもあなたの自由です。
ただ、一般論からすると主張の信憑性に今一つ欠けるかなぁ…というだけのことですので
一応、あなたへの助言ということで悪しからず。オヤスミなさい。
なんか、てきとうにあしらっただけのような気がするね。
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」
こんな言葉、どう転がしても、ごまかしようないではないですか。
古文のわからない人でも、これは、「信心決定しないと無間地獄に落ちるんだな」って解釈しますよ。
こんなのどう解釈してもそうしか取れませんよ。
私は、蓮如上人の言葉を信じています。
真宗に生きる者ならみな蓮如上人の言葉を信じると思います。
蓮如上人がなぜそういう風に言われたかを考えたとしても、
信心決定しないと無間地獄に落ちるからそう言われた、と理解するほうがもっとも自然ですよ。
実は嘘であって、特別な計らいがあってのことだとは思えません。
だっていくらなんでもこんな言葉別なように解釈できませんよ。
これは時代背景によって変わる事柄であるとも思えません。
そもそも19、20願の正統な果報とは化土往生なんでしょうか?
>>499あたりも考えたい。
蓮如上人が親鸞聖人と違うことを言われたとも思えません。
蓮如上人は、難しい親鸞聖人の言葉をよりわかりやすく、誤解を受けやすそうなところを、
もう一度、言われただけのお人としか思えません。
他に、蓮如上人の独特な教えがどこに混じってるというのでしょうか。
実は自分が勝手に蓮如上人と親鸞聖人が違うことをおっしゃってると思ってるだけとしか思えませんよ。
もうひとつ言わせてもらえば、私たちは仏法の勉強をするために勉強をしてるわけではありません。
本当の救いを求めてやっています。
阿弥陀仏が本当のところどう思っているかなんて、自分にはまったくわからないことであります。
かといって、頭で考えることを捨ててるわけではありませんよ。
19願や20願で往生がきまるなら、まず実践しないといけないと思いますよ。
こんなところで、机上の空論を繰り返してもまったく意味ないわけです。
できるか、できないかは、まずやってみないことには、わからないと思います。
具体的には、至心発願しないといけません。諸々の功徳を修めないといけません。
あるいは、20願なら至心廻向しなければいけません。
そして徳本を植えないといけないのではありませんか?
諸々の功徳といっても、具体的に何を言っているのか考えないといけません。
徳本もしかりです。
こういうところに頭を使ったほうがよっぽど有益ではありませんか?
それに加えて、どうやったら、19願に相応できるかも考えないといけません。
もちろん考えるだけでもいけません。実践しなければいけません。
私たちはどうやって20願に相応することができるのでしょうか。
おそらく、至心廻向はしないといけないと思うのですよ。
では至心廻向の状態ってどういう状態でしょうか?
たぶん心のことだと思うのですよ。
わたしなんか、考えてもいまいちわからないわけです。
でも三願のうちどれにも相応しなくてよい真宗などありません。
20願で救われるという人は、各々どうやって20願に相応することができたか、
あるいはどうすればできるのか?できるなら、なぜ、実践しないのか?
そういうこと、考えたほうがよっぽど有益ですよ。
私の考えを述べさせてもらうと、
19願20願は、自力無功を知らせるための(嘘ではなくて)方便だと思うのですよ。
なぜならば、どうやっても、至心発願や至心廻向ができないからです。
できる人がいたなら、教えてほしいです。
少なからず私はできませんよ。
18願だけなんとかなると思うのですよ。
18願の至心信楽はなぜできるのか?
自分なりの考えを述べますと、この至心だけは、他の願と違って阿弥陀仏の心だからと思うのです。
阿弥陀仏の心で、わが国に生まれんと欲うのだからできて当たり前ではありませんか。
だから、真宗は他力というのだと思うのですよ。
528 :
名無しさん@3周年:04/12/15 01:39:07 ID:A1RC2H4y
>1w09/GGVさん
ご高説賜り誠にサンクス。コピペの次は場違いな信仰告白でツナギ?
では既出ですが具体例を一つ述べておきます。
コピペはあんまりしたくないのですが。
>>42から引用
『歎異抄十七節』
「辺地の往生を遂ぐる人つひには地獄におつべしということ。
この条いづれの証文にみえ候ふぞや。」
「信心の行者すくなき故に、化土におほくすすめ入れられ候ふを、
ついにむなしくなるべしと候ふなるこそ
如来に虚妄をまをしつけまゐらせられ候ふなれ。」
『往生要集』
「報の浄土に生まるる者は、極めて少なく、化の浄土の中に生まるる
ものは少なからず。故に経に別に説けども、其の実は相違せるなり。」
と、
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」
の整合性についてはどのようにお思いですか?
>こんなところで、机上の空論を繰り返してもまったく意味ないわけです。
ですから、無意味だと思ったら来なければいいだけの話でしょうに・・・
ってか、あなた。このスレ、過去レスからちゃんと追って来てますか?
我々は今、s会の方々を交え、より精緻な検証を試みようとしているところです。
確かに「仏意測り難し」とは言いますが、突然大雑把にあなたの主観的な結論だけ振りかざされても…
あなた個人の信仰告白は大変立派なものですけど、残念ながら今の流れでは
その重要度が低いことは明白なことだと思われ。
まあ、教義を語る上で「思います」とか「思いません」などの個人的主観を
ここまで前面に出したs会側の発言はとても珍しいので、私としてはとても貴重なカキコを拝見したと
感嘆するばかりです。
本当にお疲れ様でした。改めておやすみなさい。・・・って、俺釣られたんだろうなw
529 :
名無しさん@3周年:04/12/15 01:48:43 ID:Dg4XabKC
>>528 あんた、かってにスレ仕切るなよ。
このスレ、いつから三願転入の「検証」?のスレになったんだよ。
「検証」じゃなくて、迷いに満ちた解釈だけどな。
530 :
名無しさん@3周年:04/12/15 02:23:28 ID:Dg4XabKC
2年ほど前の教学の言い合いといまのレベルを比べるとなぁ。
レベル低いよ、今。
このスレで出張っているの、もっとご本典、学んだほうがいい。
531 :
名無しさん@3周年:04/12/15 05:30:22 ID:YZeTSnA/
おはスタ。
>>528 禿同。
>>42 再々掲示。
漏れも慎重に深く聞思していこう。
真宗の教義はどうやら単純じゃないようだ。
もし、地獄もしくは死の恐怖をあおったり、罪悪感をつのったりするやり方
をするのであれば、結局それは、いたずらに人心を惑わし不安にする効果を
生むだけなんじゃないかなあ。ますます問題の解決からは遠ざかっていくとしか
思えん。ID:1w09/GGV氏の発言を聞いてふと思いますた。
整合性が見つからないと簡単に答えを出そうとせず、
整合性が見出せるまで聖教を穴が開くほど読むべきだ罠。
頭ふりしぼって考えよう。
って漏れも釣られたみたい♪
>>528 全然知りません。
整合性って何ですか?矛盾してるとでも?
矛盾してるのはあなたの頭だけなのでは?
報の浄土に生まるるとは、18願成就したということなんでしょうね。
辺地の往生を遂げることできないと言ってるのに、遂げたら地獄に落ちないと
言われても無理だよな。
確かに、できた人は辺地往生遂げるんでしょうね。何も矛盾してない
私はできませんがね。できたつもりになるのはできますけどね。
誰かできたひといる?
できた人いたら挙手してほしいな。
たぶん、蓮如上人は、お前らは化土往生できる玉じゃないから
報土往生を願っとけっていいたいような気がするね。
みなさん考えても見ろよ。
人が化土往生したからといって自分が分不相応なら意味ないでしょうが。
人といっても、そんな人しりませんよ、私は。誰のことですか、それ。
みなさん、どう思ってるか知らないけど、化土往生より報土往生の方が
宇宙と地球の差以上に報土往生の方が簡単ですよ。
あえてみなさん難しい方を選択するのね。
報土往生はあまりにもすばらしい往生で、慶喜するといいますね。
なぜ報土往生を願わないのかな。
化土往生で慶喜したって根拠は見たことないな。
信を獲て慶喜したとかなら書いてるけどな。
至心信楽の願を因と為すと言ってるのに、なぜ至心発願や至心廻向の願の事がでてくるのかな。
535 :
念仏者:04/12/15 09:01:31 ID:8g1pkGsx
善をしているのだから地獄へは行かないだろう、
念仏称えていたら間違いはないだろう、
聴聞しておればいつかは他力がわかるだろう、
こんな自力の心がとれないのが我々であるが、
この自力の心でさえも十八願に入れしめんとする如来からの賜りものである。
凡夫の自力で往生しようとする心を知っているから十九願二十願をたてたのだ。
凡夫の自力で往生しようとする心も如来からの賜りものである。
我々の心など如来に知り尽くされている。すべてお見通しである。
五劫もの間お考えになられ、たてられた願である。
どうあがいても他力の手の中にあるのだ。他力の網にすくいとられている。これを絶対他力という。
十八願がよくわからぬからまずは十九願二十願、と思ってもその心がすでに他力である。
「摂取不捨と云うは逃ぐる者を助くる心なり」蓮如上人
このことがわかってもまだ十八願の心がわかりませんか?
ああこの自力の心も如来廻向の他力の心なんだな、ということが知らされれば
ただちに自力が廃るではないか。
もはやただただありがたい、と念仏するしかないぞ。
まずは化土を目指しなさい、という教えはない。
十八願を受け取れ、が真実の教えである。
そして十八願に導くための十九願二十願、化土の教えである。
536 :
念仏者:04/12/15 09:04:58 ID:8g1pkGsx
とりあえず言いたいことを。流れからずれていて申し訳ないです。
明日がちょうど仕事のピークなので、そしたら落ち着いてまた書きます。
仏教は対機説法ですよ。
御文章は、教行信証のような系統立てて書かれた書物ではありません。
蓮如上人は学問書を著すよりも書簡による布教活動をより重視された、ということでしょう。
御文章は、あくまでも各別の相手が存在して、その相手に対する様々なお手紙をまとめたものです。
あくまでも、対機の信仰の程度を蓮如上人が熟知している相手に対して、
その相手の信仰に応じて説かれたものですから、それをs会のように十方衆生
に敷衍すると
>>528さんがご指摘のように整合性が崩れるには当然のことでしょう。
御文章は、あくまでもその点を理解しながら読むべきでしょう。
掟などもそうですね。s会でも確か読まないところがあったんじゃなかったでしたっけ?
時代背景を無視して、蓮如上人のかかれたものだから、と現代の全ての人々にあてはめて
金科玉条視するべきではありませんん。
そういう意味でも
>>528さんに賛成ですし、s会の方は
>>528氏説に対して返答するべきでしょう。
s会だって、新入学生にいきなり「一切衆生必堕無間」の話はしないでしょう。
相手の理解度に応じて哲学サークルだ、とか宗教でないとかいって「育成」したでしょう。
蓮如上人は嘘つき勧誘はしなかったと思うが、相手に応じてお話されたのです。
そもそも親s派は、死んだら「地獄逝き」の大前提になる業感縁起思想などについての
>>489 >>452-453 >>464への回答を無視すべきではないと思います。
親鸞学徒を自認するのならばぜひ答えてください。
538 :
名無しさん@3周年:04/12/15 13:21:24 ID:Kh9dgdXD
宗教はやめたほうがいい
本当に仏法を求めている人は、「思想」という言い方を好みません。
それはなぜだかわかりますか?
>>537 あと、この人は勘違いしている。
時代背景で変わる事柄と、とてもじゃないが変わらない事柄がある。
なぜ、ここの人は、蓮如上人の明らかな言葉に目を背けるのでしょうか。
信心決定しなければ無間地獄と書いてあるではありませんか。
こんな大事なことが、人によって言い方が変わる内容だと思えますか?
信仰の程度によって、変わる事柄とでも本気で思ってるのでしょうか。
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり」
こんな教えの根幹にかかわるような事柄が、時と場所、相手によってコロコロ変えられてたまりますか。
整合性が取れてないのは、頭が矛盾してるからでしょう。
こりゃ、苦労して御文章を書いた蓮如上人も、報われないな。
「信心決定しなければ無間地獄行き」
「19、20願成就すると化土へいける。化土往生できる。」
この二つは、矛盾なんかしてませんし、整合性も取れてますよ。
>>540 >こんな教えの根幹にかかわるような事柄が、時と場所、相手によってコロコロ
変えられてたまりますか。
相手によってはかわることはあるでしょう。対機説法なのだから当然です。
極端な例と思うかもしれませんが、自力で歓喜地に達せられた竜樹菩薩も
浄土門にはいっていなければ無間地獄ゆきですか?
聖道門の聖者もみんな無間地獄ゆきですか?
「エ悪オゼンにして清浄の心なし」、は阿弥陀仏の心から見た場合です。
一切衆生の全部が全部、無間地獄ゆきなど親鸞聖人はおっしゃっていません。
大事なのは、現在生きている「わたし」です。
お釈迦様も、死後については無記、といわれましたし、それが本来の仏教のあり方です。
一切衆生が死んだら無間地獄、といって脅す親鸞会のやりかたは本来の仏教とはかけ離れています。
三界唯一心心外無別法 心仏及衆生是三無差別ってご存知ですか?
あなただって高森会長が信心決定しているかどうか証明することなどできないでしょう。
他人の死後のことなど、所詮はわからない、という話をしているんです。
>>541 >こりゃ、苦労して御文章を書いた蓮如上人も、報われないな。
あなたにとってはそうかもしれませんね。
>>540-
>>542 親鸞会では蓮如上人のおことばだけで十分という理解かもしれないが、
世間には必ずしもそう思わない方々も少なくないのです。
1)「一切衆生 必堕無間」はどの経典にありましたか?
2)「一切衆生 必堕無間」説の親鸞聖人、七高僧がたの著作から根拠を
あげてください。
そして、蓮如上人のおことばも「一切衆生 必堕無間」というふうには解されません。
>542
「信心決定しなければ無間地獄行き」
これを機の深信と受け止めれば、さして念仏者の話も整合性とれないこともないよ。
そもそも、無間地獄ゆきのものがどうして人間に生まれることができたんだ?って
ことを信心決定してない過去世の自分にききたいね。
過去世で相当善をつんでたんですかね。
それとも人間界の者が信をとらずに死んだら無間地獄で
他の畜生道とかだと死んでも無間地獄に行かないようになってんですかね。
546 :
名無しさん@3周年:04/12/15 19:52:18 ID:YZeTSnA/
スレの流れとは関係ないが、参考までに歴史背景を( ゚д゚)ノ ドゾー(甚だ大雑把ではござりますが)。
>この信心を獲得せずは極楽には往生せずして、
>無間地獄に堕在すべきものなり
これは、御文章第二帖二通が出拠。
この御文章の最後には、文明第五、十二月十二日夜これを書く、とある。
蓮如上人は、文明第五年十一月には、真宗行者中可停止仔細事として、
十一箇条を制定している。掟の御文章(第二帖六通)は、翌文明六年二月十七日に出されている。
上の御文章にも、当流の掟として、「他宗・他人に対して信心のようを沙汰すべからず」
「一切の仏・菩薩・諸神を軽ろしむべからず」「一切の諸法においてそしりをなすべからず」等の掟が著されている。
すなわち当時は、守護・地頭・寺社領主・白山/立山(天台修験)との関係が次第に険悪となってきた時期であり、
政情も非常に不安定であった時期である。
文明七年、懇意であった蓮崇が加賀富樫家の内紛に乗じ、ついには有名な加賀の一向一揆となるわけである。
専修寺は相手側に加勢したため、加賀国内の専修寺派寺院は本願寺門徒にすべて破壊された。
蓮如上人の消息(七尾光徳寺・金沢専光寺蔵)には、一揆をする者達に対して、
「永可放親鸞聖人之御門徒中 此趣堅可有成敗者也」とある(製作年は不詳であるが此の頃出されたものであろう)。
「実悟旧記」も、此の頃の蓮如上人の嘆き悲しみを伝えている。
同年八月、蓮如上人は吉崎を逃れ、近畿にて教化をはじめることとなる。
(参考文献:「本願寺史」第1巻・「日本仏教史中世篇」辻善之助)古くてスマソ・・・
547 :
名無しさん@3周年:04/12/15 20:13:47 ID:v4YzwGVt
このゆえに高祖善導和尚の解釈にも「弥陀如来は娑婆にきたりたまう」とみえ
たるところもあり、また「浄土をうごきたまわず」とみえたる釈もあり。
しかれども当流のこころにては、「きたる」といえるはみな方便なりとこころ
うべし。『法事讃』にいわく、「一坐無移亦不動 徹窮後際放身光 霊儀相好
真金色 魏魏独坐度衆生」といえり。こころは「ひとたび坐してうつること
なく、またうごきたまわず。後際を徹窮して身光をはなつ、霊儀の相好真金色
なり、魏魏としてひとり坐して衆生を度したまう」となり。
この文のごとくならば、「ひとたび正覚をなりたまいしよりこのかた、まことの
報身はうごきたまうことなし。ただ浄土に坐してひかりを十方にはなちて、摂取の
益をおこしたまう」とみえたり。おおよそしりぞいて他宗のこころをうかがうにも、
「まことにきたる」と執するならば、大乗甚深の義にはかないがたきをや。
されば、真言の祖師善無畏三蔵の解釈にも、「弥陀の真身の相を釈す」として、
「理智不二 名弥陀身 不従他方 来迎引接」といえり。こころは「法身の理性と
報身の智品とこのふたつきわまりて、ひとつなるところを弥陀仏となづく。
他方より来迎引接せず」となり。
乃至
この機は聖衆の来迎にあずからず、臨終正念ならずしては辺地・胎生の往生も
なお不定なるべし。(浄土真要鈔)
「来迎引接せず」との仰せです。
「来迎にあずからず、臨終正念ならずしては辺地・胎生の往生も
なお不定なるべし」とも仰せです。
548 :
名無しさん@3周年:04/12/15 21:05:04 ID:YZeTSnA/
549 :
名無しさん@3周年:04/12/15 21:40:17 ID:7ltnRhK3
最近のスレの流れ面白くない。
いつから、このスレ法論スレになったの?
こんなの現役のオナニースレじゃん。
こんなところで法論するんなら、部室で同じ会員と法論しとけや。
下らん。
550 :
ふぁーふら:04/12/15 21:50:43 ID:+qi3m9Z+
ふぁーふらー ふぁーふらー ふぁーふらー ふぁーふらー
ふぁーふらー ふぁーふらー ふぁーふらー ふぁーふらー
ふぁーふらー ふぁーふらー ふぁーふらー ふぁーふらー
万年ずじゅ 万年ずじゅ 万年ずじゅ 万年ずじゅ
551 :
名無しさん@3周年:04/12/15 22:12:29 ID:vvBEo9aK
>>549 下らんのと思うなら、もっと有益なこと書き込んでみろ。
書き込めないなら、黙ってみてろ。
552 :
名無しさん@3周年:04/12/16 00:09:11 ID:PUOfyCif
>>532-534ID:CZl1p0OA
あなたの解釈でいいから「三願転入」を説明してみて。
そもそも、開山聖人の教えたことのすべては、信心ということが先に来る。
その信心というのは何の事かというと、善も無く、悪を造りどうしの
私たちのような、浅ましい凡夫が、たやすく弥陀の浄土に
参らせるための基本となる事です。
この信心というものを獲得しなければ、極楽には往生せず、無間地獄に堕在するのです。
これは大事なことなので、その信心をとるということはどういうことか詳しく説明すると
その、弥陀如来一仏を深くたのみ、自余の諸善・万行にこころをかけないで、
諸神・諸菩薩につかえる心を失い、また、悪い、自力なんていう間違った考えを
なげ棄てて、弥陀を一心一向に信楽して(18願成就)二心(一心に定まった)のない人を、
弥陀は必ずあまねく照らす光明(力)をもって、その人を摂取して捨てたりはしないように
してくださるということなのです。
かように信をとった上での話で、寝てもさめても常に称える念仏は、かの弥陀の、
我らを助けたまいし御恩を、報じあげる念仏と心得なければいけません。
このように、心得た人こそが、まことに当流の信心の正しい道理をよりよく理解したというものでしょう。
このほかに、別の信心をもっていると言う人がいれば、それは大きなあやまちですよ。
そんなものはすべて承諾してはいけませんし、しません。
○今、この文にしるしてあるところの趣は、当流の親鸞聖人がすすめておられる
信心というものの正しい意義です。
このことをよく心得た上で、みなさんは、他宗・他人に対して、この信心のことを
あれこれ言うのはやめてください。また、自余の一切の仏・菩薩、ならびに諸神等のことも、
私は信じないというだけなのです。これを、軽く見てはいけません。
このことは、弥陀一仏の功徳のなかに、みな一切の諸神の利益はこもっていると思うべきです。
世の中の一切の法、全部ひっくるめて、謗りをしないでください。(あなたに危険が及びます。)
これをもって当流の掟をよく守れる人とします。
聖人の言うには「たとえ、牛の盗人とは言われても、後世者・善人・仏法者と見えるように
振舞うな」とまでおっしゃっておられます。この意味するところをよくよく理解して、
私たちは私たちで勝手にやらせていただきましょう。
○文明第五、十二月十二日夜、之を書す。
555 :
名無しさん@3周年:04/12/16 06:04:42 ID:6cvVkCB6
>親sの方々、会員の方がたへ
私の質問と他の方がたの質問
>>543 >>489 >>452-453 >>464 親鸞学徒を自認するのならばぜひお答えになってください。
とりわけ「一切衆生 必堕無間」説は経典上も七高僧がたの根拠もいまだに
挙がりませんので、仏説でない、ということでよろしいですね?
556 :
名無しさん@3周年:04/12/16 06:12:47 ID:6cvVkCB6
>>555 >>553 おめー2つ上のレスぐらい読め。
蓮如上人が仏説以外のことを言うわけないだろう。
蓮如上人の言葉は根拠にならないはずはないんだよ。
>>555 一切衆生 必堕無間というのは、
信楽して(18願成就)二心(一心に定まった)のない人以外に向かって言った言葉ですよ。
ほとんどがそうだからね。
あと補足すると、この言葉は、二種深信の機の深信の事をも言われてるんだと思うよ。
本当はそっちの意味かもしれないね。
だから本当は、信楽になっても、地獄行きの身には変わりないわけなのよ。
あなたそんなことも知らないのかよ。
深信とは言うけど、勝手にそういう風に深く信じてるという意味でもないんだよ。
はっきり知らされましたというのが本当のところなのよ。真実の事なんだよ。勘違いするけどね。
だから、地獄に行くしかない身でありますとはっきり知らされるということが、
二種深信のうちの機の深信なのよ。
だから、私地獄落ちませんというのは、まだまだ自惚れ心が取れてない、自力作善の人で、
機の深信が立ってないってことだから、真の信心じゃないね。
ほとんどの人は、法の深信ばかり言うんだけどね。寂しいね。
>>553 >>554 失礼ながら、これ現代語訳なんですか?
もし、そうだとしたら、指摘したい箇所が多く見受けられるのですが。
今日は忙しいので、明日にでもよろしければ添削しましょうか?
(その前にどなたかがして下さるかも知れませんが・・・)
560 :
名無しさん@3周年:04/12/16 07:33:45 ID:6cvVkCB6
>>557>>558 >にならないはずはないんだよ。
>言うわけないだろう。
>われてるんだと思うよ。
>かもしれないね。
親鸞学徒で、こういう掲示板で主観を述べて、自己の信仰を表明するひとは
珍しいですね。
ともあれ、親鸞会流では蓮如上人のおことばだけで十分という理解かもしれないが、
世間には必ずしもそう思わない方々も少なくないのです。と
>>543にある通りで、
何度いっても蓮如上人以外に根拠を挙げられんじゃ、仕方がありませんね。
そしてその根拠についても「一切衆生 必堕無間」説以外に解釈できるとあなたも
お認めらしいですね。
あなたのおっしゃるとおり、御文章第二帖二通は上人の機の深信のご表明と理解して
いますが、「一切衆生 必堕無間」説の根拠はどうなりましたか?
あなたもやはりその根拠は、挙げられませんよね。
当たり前でしょうけど。こんなの仏説じゃありませんよ。
>>559 添削するだけなら今すぐできるのにね。
じつは、あなたみたいな意見が出てくるの期待して、載せたのよねん。
>>ともあれ、親鸞会流では蓮如上人のおことばだけで十分という理解かもしれないが、
世間には必ずしもそう思わない方々も少なくないのです。
思わないなら、それでいいのではないかい?w
蓮如上人の言葉だけでは信用できない人まで、親鸞会は責任もてないと思うよ。
563 :
名無しさん@3周年:04/12/16 07:46:35 ID:6cvVkCB6
>>562 あなたは、御文章第二帖二通は、「一切衆生 必堕無間」説の根拠であるが、
他の七高僧がたや親鸞聖人の著作からは根拠をあげることが出来ない、
と表明していると解していいのですか?
もしもそうでないのでしたら他の根拠をあげてみてください。
>>あなたのおっしゃるとおり、御文章第二帖二通は上人の機の深信のご表明と理解して
いますが、「一切衆生 必堕無間」説の根拠はどうなりましたか?
あなた、馬鹿じゃないの?
機の深信そのものが、地獄より行き場の無い私であったことが知らされることじゃないの。
地獄は地獄でも、等活や黒縄ですむような地獄だと思えませんよ。
無間地獄に間違いなし、これが、機の深信というものですよ。
深信という言葉に惑わされてはいけせんよw勝手に深く信じてるのではありませんよ。
これは、はっきり知らされたという意味です。だから、そもそも事実を表してるんですよ。
はっきり知らされる前は違ったということではないですよ。
こんなこと、「自分は無間地獄に行くような者ではないと思ってます」と自ら告白してるのと
一緒じゃないのw
>>563 あげられんことも無いけどね。
ぶっちゃけ、親鸞聖人の言葉理解できないでしょ?あなた。
566 :
名無しさん@3周年:04/12/16 07:56:07 ID:6cvVkCB6
>>564 あなたのご信仰の表明はどこか他の掲示板でやっていただくことにしまして、
「一切衆生 必堕無間」説の根拠はどうなりましたか?
あなたは質問に答えられず話しをそらしているだけですよ。
馬鹿とかいう罵倒することばを吐くのがいい証拠です。
非常に見苦しいです。
親鸞会員として恥ずかしくないのですか?
では仕事にいきますのでまた。
>>566 蓮如上人の明らかなご教示に背く人に見苦しいといわれてもなんとも無いね。
>>ともあれ、親鸞会流では蓮如上人のおことばだけで十分という理解かもしれないが、
世間には必ずしもそう思わない方々も少なくないのです。
蓮如上人ほど親鸞聖人の教えに詳しい人なんてそうはいないのに・・・。
それでも、蓮如上人の言葉が信用できないんだね。
>>566 蓮如上人が、何の根拠も無く、この信心決定せずば無間地獄に堕在するとか
「弥陀を一心一向に信楽して(18願成就)二心のなき人を、
遍照の光明をもって、その人を摂取して捨てたまわざるなり」とか言うはず無いでしょうが。
「この外に、なお信心ということの、ありという人これあらば、大なるあやまちなり。」
とまでおっしゃってるんですよ。
何の根拠も無くこんな事言うはず無いでしょうが。
>567
蓮如上人を勝手に神格化しないでくれるか。(神の定義でいちゃもんつけないでね)
あなたのその考えは敬虔な真宗の者として立派だとは思いますが、
それは思ってても口に出さないのがマナーではないですかね。
真宗の教えに初めて出会った方があなたを見られると
親鸞聖人の教え=真実を他人に押しつけていると感じるでしょう。
あるいは(破壊的)カルトと思う人もいるでしょう。
もっと広く真宗の教えを聞いて頂くためにも566さんの言い分は
まったく正当な要求では?
>>570 真宗以外の人ならはじめからそういえばいいのに。
それだったら、経典の根拠がいるね。
釈尊を勝手に神格化しないでくれるか。と言われたら、どうしようもありませんがね。
ちがう、ちがう。
566さんも、もちろん立派な一真宗人だと思いますよ。
ただ、真宗の教えをお互いに正しく理解していくために
自分の思いこみというものを排除しようという考えなのではないでしょうか。
そして、そうすることが広く真宗の教えを流布することにつながる
と考えているのではないでしょうか。
気の知れた仲間内なら、蓮如上人の言葉を根拠として使うことはさして
問題ないとおもいます。しかしここは公の場なのですから、
もっと客観的な論議をするべきだと思うのです。
もちろん、釈尊の神格化に関しても、程度によりますが、問題とするべき
時にはすうるべきではないですか。
>>572 思い込みを排除するのに、蓮如上人のご文章じゃ役不足ということはないでしょう。
真宗人ならなおさらです。
仏法を信じていて真宗を信じてないというなら、経典を根拠にするしかありません。
仏法すら信じてないなら、客観的な論議もないでしょう。
なんだか親鸞会側は、質問にこたえられなくて
逃げ口上とか、個人攻撃で場面を糊塗しているようにしか
みえないのだが。
>>573 >経典を根拠にするしかありません。
そうでしょ、そうでしょ。
「一切衆生 必堕無間」
の経典上の根拠待ってます。
>>574 それに加えて、どうやったら、19願に相応できるかも考えないといけません。
もちろん考えるだけでもいけません。実践しなければいけません。
私たちはどうやって20願に相応することができるのでしょうか。
おそらく、至心廻向はしないといけないと思うのですよ。
では至心廻向の状態ってどういう状態でしょうか?
たぶん心のことだと思うのですよ。
わたしなんか、考えてもいまいちわからないわけです。
でも三願のうちどれにも相応しなくてよい真宗などありません。
20願で救われるという人は、各々どうやって20願に相応することができたか、
あるいはどうすればできるのか?できるなら、なぜ、実践しないのか?
そういうこと、考えたほうがよっぽど有益ですよ。
>>575 >そういうこと、考えたほうがよっぽど有益ですよ。
今度は話題そらし戦法かな?
経典を根拠にするしかありませんっていっているから
経典上の根拠を求めてなにが悪いの?
「一切衆生 必堕無間」の経典上の根拠があるかないかの議論も
非常に有益だと思うけど何ですか?
三願転入については念仏者さんがたと別の濃厚でエキサイティングな議論を
すすめてくれればいい。邪魔はしませんよ。
で、親鸞会発行の書物にもある、「一切衆生 必堕無間」の経典上の根拠は?
追い詰められて何とかごまかそうとしてるのは
どう見てもアンチだろうが…。
まぁ認めたら終わりだから何でもするよね。
「一切衆生 必堕無間」の経典上の根拠は?
579 :
念仏者:04/12/16 15:20:22 ID:yBMflND+
流れからは逸れますが、思いついたことを。
親鸞会の教義
「十九願、二十願は十八願に入るための条件ではない。
善や念仏をしていれば十八願に入れるわけではない。
しかし十八願に入るには十九願、二十願の道は必ず通る。
十八願に入るには聴聞に極まり。
しかし説法を聴いていれば十八願に入れるわけではなく、
聴聞せよ、とは善知識から弥陀の本願の謂れを聴き、
そして聞即信、他力に入れ、ということである。」
そして本願の謂れとは何かというと、
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、
念仏まうさんとおもひたつこころのをこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。
これを聞いてあなたはどうしますか?
「本願に救われ往生を遂げるぞ、南無阿弥陀仏」と念仏しますか?
きっとあなたは
「念仏称えても自力の心だからこれではダメだ」
「自力称名は二十願、浄土宗の教えだからダメだ。」
「念仏は自然法爾の御恩報謝。信心がまずなくてはダメだ。」
と「ダメだダメだ」と思っていることでしょう。
580 :
念仏者:04/12/16 15:20:44 ID:yBMflND+
ここでみなさんにぜひ言っておきたい。
後生の一大事に驚かれたのであれば「ダメだダメだ」などと頭から思わずに
教えの通り読んで字のごとくそのまま
「本願に救われ報土往生を遂げさせていただこう」と思いたち、
「南無阿弥陀仏」と真剣に念仏してみてください。
これを勧めない教えは親鸞会以外にないと思う。
自力を捨てよ、他力に入れ、とは念仏を称える心を問題にしている。
また信心の味わいというものは口から出てくる念仏を通して味わわれるものである。
念仏を称えてみなければ称える自分の心がわからないではないか。
だからまず念仏が称えられないようではいけない。
s会
鳥を探して頑張ったけど、結局見つからなくて、もう見つからないとあきらめて家路につく。
しかし帰ってみるとびっくり家に青い鳥おったよ的な解釈。
念仏者氏
お釈迦様から逃れようと、雲に乗ってものすごい遠くまで来て尿で名前まで書いたけれど、
実はお釈迦様の手のひらを出ていなかった的解釈。
>>580 だから、親鸞会はちゃんとお勤めしてるじゃないですか。
古い会員さんなら、すでに、五千回以上は絶対称えてるよ。
それでも、残念ながら、信心歓喜する人は少ないようだけどね。
いや、もっと、念仏称えてると思うよ。
親鸞会はどこよりも真剣にお勤めします。
そりゃ、真剣の度合いは、人にもよるけどね。
別に、遊びで、南無阿弥陀仏と称えてるわけじゃないですよ。
>>576 私でよければ答えますが、
「必堕無間」、ようは無間地獄に堕在するというのは蓮如上人の達見なんですよ。
だから、蓮如上人と同じ体験をした者でないと、なかなか理解しがたいものなのかもしれません。
地獄へ堕ちる根拠自体は、経典の中にあります。
S会の教学聖典にも載ってるぐらいです。
わざわざあげる必要もありません。
ただ、具体的に、無間地獄の名前をだしてそこに堕ちると言われたのは、
蓮如上人しか私はしりません。誰か知ってますか?
ちなみに「一切衆生 必堕無間」そのままの言葉は、経典の中で見たことはありません。
一切衆生というのは、高位の菩薩や仏は除かれるのですが、そんな人がほぼいないことから、
一切衆生ということだと思いますよ。
蓮如上人のこの信心決定せずば無間地獄に堕在すべきものなりというのは、
自力廻向ができる人にはまったく関係ない話であります。
ですが、末法の今日、できるひとはまずいません。これが、蓮如上人の達見ですね。
ここまで、踏まえたうえで、あえて根拠出すと(親鸞会の本から出すほうがいいですね)。
「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。」
「心常に悪を念じ、口常に悪を言い、身常に悪を行じ、曽て一善無し。」
「大命将に終わらんとして悔懼(けく)交(こもごも)至る。」
「従苦入苦 従冥入冥」
「教語開示すれども信用するものは少なし。生死休まず、悪道絶えず」
「地獄に堕ちる者は十方世界の土の如く、人間に生まれる者は爪の上の土の如し」
「応堕悪道」
これだけ、そろえば、いかに自分が無間地獄しか行き場の無い私であったか、知らされる
かも知れませんね。ようは、悪をつくりどうしの私たちであることがわかれば、
未来の果はそれだけの影響をうけるのですよ。
しかも、死ぬときに、後悔や懼れがかわるがわるやってくるそうですね。
何にも悪いことしてないのに、なぜ悔いや懼れがやってくるのでしょうか?
教語開示しても、末法と呼ばれるだけあって、誰も信用しない。
地獄に堕ちるに決まっています。
どの地獄かは、私は無間地獄だと思いますよ。
586 :
名無しさん@3周年:04/12/16 19:13:01 ID:YvLngtjs
>>555 「答えてちゃん」は自説もあげないし「根拠にならない」とくりかえすだけ
なので相手にされません。
「根拠にならない」ならその理由をあげるべきでしょう。
「根拠」として認めたら、それで終わりだから認められないんだろうが
論議にならないので、持論を展開しないなら退場してください。
>>582 >古い会員さんなら、すでに、五千回以上は絶対称えてるよ。
>>583 >いや、もっと、念仏称えてると思うよ。
一日に念仏一万回とかじゃなく、通算でたったそれだけ?
勧誘などより、余程善行になるはずなのに、たったそれだけ?
>>145-147、
>>282にもあるしな。
そもそも、開山聖人の教えたことのすべては、信心ということが先に来る。
その信心というのは何の事かというと、善も無く、悪を造りどうしの
私たちのような、浅ましい凡夫が、たやすく弥陀の浄土に
参らせるための基本となる事です。
この信心というものを獲得しなければ、極楽には往生せず、無間地獄に堕在するのです。
これは大事なことなので、その信心をとるということはどういうことか詳しく説明すると
その、弥陀如来一仏を深くたのみ、自余の諸善・万行にこころをかけないで、
諸神・諸菩薩につかえる心を失い、また、悪い、自力なんていう間違った考えを
なげ棄てて、弥陀を一心一向に信楽して(18願成就)二心(一心に定まった)のない人を、
弥陀は必ずあまねく照らす光明(力)をもって、その人を摂取して捨てたりはしないように
してくださるということなのです。
かように信をとった上での話で、寝てもさめても常に称える念仏は、かの弥陀の、
我らを助けたまいし御恩を、報じあげる念仏と心得なければいけません。
このように、心得た人こそが、まことに当流の信心の正しい道理をよりよく理解したというものでしょう。
このほかに、別の信心をもっていると言う人がいれば、それは大きなあやまちですよ。
そんなものはすべて承諾してはいけませんし、しません。
>>585 それだけ上げても無間地獄とは決まってないし
必堕でも一切衆生でもない。
それと
>>584 >一切衆生というのは、高位の菩薩や仏は除かれるのですが、
そんなことをs会は教えているのですか?
>>590 お釈迦様は、地獄に堕ちることは無いしね。
漏れるね。
ちなみに、初歓喜地以上に到達した菩薩は、無間地獄に堕ちることはないんじゃないかな。
知らないよ。なったこと無いから。
あまりにも喜びが大きいので、それ以上修行する気が起きなくなることから、
初歓喜地以上が、菩薩の本当の地獄といわれてるらしいけどね。
どっちにしろ、我々には縁のない話だね。
592 :
名無しさん@3周年:04/12/16 23:47:29 ID:4mecwwb+
こんなこといっちゃなんですけど、ここに来ている人たちって、
やっぱり「救い」とか、本当にあると思っているんですか?
念仏唱えれば極楽いけるなんて本気で信じているんですか?
僕には本気で信じている人たちが信じられないんですけど
593 :
名無しさん@3周年:04/12/17 00:08:11 ID:Dadjo9OT
港のヨーコ横浜横レス
>>584 >地獄へ堕ちる根拠自体は、経典の中にあります。
>S会の教学聖典にも載ってるぐらいです。
>わざわざあげる必要もありません。
こういう見解を持つことをドグマって言うんだよ?仏典よりも自分の思いを優先する仏教徒なんて・・・凄・・・
>>586 Quo vadis 先輩!?先輩よ、何処へ行き給う!?
「疑問があったら何でも言ってよ。納得のいくまで説明するよ」
とさわやかな笑顔で相手にしてくれたあの先輩は何処へ行ってしまったんだろう???
答えられない質問には回答拒否ですか・・・
>それで終わりだから認められないんだろうが
仮に555が認めても、終わらないと思う。納得できない人は他にも出てくるだろうし
s会で指摘すべき点はまだまだ残されてる上に、まともな回答を得ていない件だって幾つもある。
むしろ、根拠を明示できないのなら、その方がs会にとって致命的じゃない?
>>588 >このほかに、別の信心をもっていると言う人がいれば、それは大きなあやまちですよ。
s会もそういう人ばっかじゃないの?
最近、お聖教から根拠を示すs会の人を見ないけど…なんでだろ。
「私なし」とか言って個人的見解を拒否してみたり、
「根拠をあげるまでもない」とか「思うよ」とか言って個人的見解に終始してみたり。
なんじゃそりゃ。
>>592 おおっ、ストレート過ぎてビール噴き出したじゃねえかw
まあ、救いが有るか無いか、信じるかどうかは人によるだろうが、
少なくともここは、本気で論じ合う人が出入りするスレってこった…で、いいよね皆さん?
>>591 仏は最終目的を果たした人だからいいとして
現に初歓喜地の菩薩が阿弥陀仏の他力に救われてるのに
一切衆生に入らない?
>>594 入らない。
自力で、初歓喜地までいくひとは例外中の例外。
末法の今日ではありえないだろうね。
596 :
名無しさん@3周年:04/12/17 02:05:16 ID:dGx14McQ
>>589 横レスです。
「必堕無間」って、正法念処経にありませんでした?
>>595 なるほど、龍樹菩薩は一切衆生には入っていないけど
一切衆生あいての他力によって救われ、易行道を勧められた人か。
と言うのがs会の教えでFA?
593 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/12/17 00:08:11 Dadjo9OT
港のヨーコ横浜横レス
>>584 >地獄へ堕ちる根拠自体は、経典の中にあります。
>S会の教学聖典にも載ってるぐらいです。
>わざわざあげる必要もありません。
こういう見解を持つことをドグマって言うんだよ?仏典よりも自分の思いを優先する仏教徒なんて・・・凄・・・
あんた、地獄に堕ちる経典の根拠をわざわざあげてもらわなきゃ知らないの?
自分の勉強不足を棚にあげて、仏典より自分の思いを優先するとはよく言うよね。
>>598 >あんた、地獄に堕ちる経典の根拠をわざわざあげてもらわなきゃ知らないの?
分かりませんが何か?
>自分の勉強不足を棚にあげて、
分かった分かった。漏れも一緒に探したるきにそう喚くな。
>仏典より自分の思いを優先するとはよく言うよね。
じゃあ言い換える。
仏典よりs会発行書籍を優先するのがs会、ね。
600 :
名無しさん@3周年:04/12/17 07:40:12 ID:5ff3S6ne
s会の書物
いままでの議論で結論
1)経典の中に「一切衆生 必堕無間」とは出ていない
2)s会では、初歓喜地の菩薩は一切衆生に入れない
601 :
名無しさん@3周年:04/12/17 07:47:16 ID:5ff3S6ne
>>585 「地獄に堕ちる者は十方世界の土の如く、
人間に生まれる者は爪の上の土の如し」
地獄に堕ちるものが多いという根拠にはなるかもしれないけど、
むしろ、一切衆生 必堕無間を否定する根拠では?
だって人間界に生まれる衆生があるのだから。
やはり「一切」は撤回ですよね。
>>600 >入らない。
竜樹菩薩は本願で誓われた十方衆生には入りますか?
もしはいるとすれば、s会的には竜樹菩薩は一切衆生には入らなくて
十方衆生には入るってことですか?
↑まちがえた、
>>600でなくて、
>>595だった。
あと、
>>584 >一切衆生というのは、高位の菩薩や仏は除かれるのですが、
こんなこといっちゃっていいんですか?
一応ソース求む。
親鸞会の人に質問
達磨大師も、天台大師も、弘法大師もs会的には無間地獄ゆきなんでしょうか。
戯論とかいって逃げないでね。
「一切衆生 必堕無間説」を検証しているのだから。
605 :
名無しさん@3周年:04/12/17 12:10:41 ID:t7KW9iVJ
ここまで、踏まえたうえで、あえて根拠出すと(親鸞会の本から出すほうがいいですね)。
「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。」
「心常に悪を念じ、口常に悪を言い、身常に悪を行じ、曽て一善無し。」
「大命将に終わらんとして悔懼(けく)交(こもごも)至る。」
「従苦入苦 従冥入冥」
「教語開示すれども信用するものは少なし。生死休まず、悪道絶えず」
「地獄に堕ちる者は十方世界の土の如く、人間に生まれる者は爪の上の土の如し」
「応堕悪道」
これだけ、そろえば、いかに自分が無間地獄しか行き場の無い私であったか、知らされる
かも知れませんね。ようは、悪をつくりどうしの私たちであることがわかれば、
未来の果はそれだけの影響をうけるのですよ。
しかも、死ぬときに、後悔や懼れがかわるがわるやってくるそうですね。
何にも悪いことしてないのに、なぜ悔いや懼れがやってくるのでしょうか?
教語開示しても、末法と呼ばれるだけあって、誰も信用しない。
地獄に堕ちるに決まっています。
どの地獄かは、私は無間地獄だと思いますよ。
606 :
名無しさん@3周年:04/12/17 12:56:00 ID:xDIuYHwq
>>593 >「疑問があったら何でも言ってよ。納得のいくまで説明するよ」
とさわやかな笑顔で相手にしてくれたあの先輩は何処へ行ってしまったんだろう???
答えられない質問には回答拒否ですか・・・
疑問があるなら、お答えするのを拒みませんが。
疑問があって質問してるんじゃないじゃないですか?
「それは根拠にならない」「その根拠は」「そのまた根拠は」のくりかえし。
「正しいことの証明の証明の証明の......」では会話にならないと言っているのです。
ひとが間違いだというなら、正しいことを自分が明らかにすることでしょう。
607 :
名無しさん@3周年:04/12/17 16:22:39 ID:RKY1AIc5
>>606 >正しいことを自分が明らかにすることでしょう。
横レス失礼しますが、正しいことは、「『一切衆生必堕無間説』は間違い」という
ことです。それが明らかになってきています。
その検証とともに、親鸞会でいう「一切衆生」の定義がどうも会員によってまちまち
な印象を受けますが、いかがでしょうか。s会的には竜樹菩薩は一切衆生でないが本
願で誓われた十方衆生である、ということでいいのですか?また、達磨大師も、
天台大師も、弘法大師は一切衆生に含まれることは自明ですが、彼らもみんなs会
的には無間地獄ゆきなのでしょうか。ハッキリさせていただきたいものです。
また、「高位の菩薩は一切衆生でない」説はs会的には根拠をあげる必要もないほ
ど自明ということでしょうか?
ところで親s側は、多くの質問を無視しているようにみえますが、なぜですか?
みんなの知りたい本質的な質問も多く含んでいるように思われますが、いかがでし
ょうか。たとえば
>>543>>489>>452-453>>464>>373-375>>419>>425-426などです
が、なぜ答えないのでしょうか?
609 :
名無しさん@3周年:04/12/17 16:34:18 ID:RKY1AIc5
610 :
名無しさん@3周年:04/12/17 17:00:15 ID:m+A3KXEU
これも面白かった
>>607 http://www.nurs.or.jp/~juunenso/kakorogu/200412zen.htm 12/7
しかし開設〜1万ヒットに一年ぐらいかかってたけど、
1万ヒット〜2万ヒットまでは大体半年。
しかもサーバーに追い出されて以降一ヶ月活動してない上それまでの常連さんも減ったので、
以前と比べて相当数の人に新しく来訪していただいたようです。
どうやら「カルト宗教に潰されたサイト」ってことで話題性があったみたいです。
つまり、
ウチのサイトのコンテンツが多くの人の目に触れないよう頑張った親鸞会にとっては、
自転車をかわしてダンプカーに轢かれたようなものです
さすが、
因果の道理は絶対ですね
>>604 本人しかわからないだろうが、全員地獄行きでしょうね。
達磨大使でさえ30段の覚りまでしかいけなかったと言われてるしね。
天台か弘法かどっちか忘れたけど、
天台も死ぬときまでに9段目の六根清浄位までしかさとれなかったみたいだしね。
初歓喜地は40段の悟りです。完遂できなかったんだろうね。
親鸞聖人で何段覚れたのかな。
たぶん一段も覚れなかったような気がするね。
>>610 こいつ、自分がダンプカーだと思ってるのか?
2万で喜んでいるよじゃ、子供だね。あほらし。
割り込んでゴメソ
>>611 >本人しかわからないだろうが、全員地獄行きでしょうね。
さくっと平気で、こういうことを言えるs会会員の感覚が凄く怖いんだよね…。
(勿論、会員全員がそうじゃないんだろうけど)
傍から見ると「ウチの信者じゃない香具師なんてどうでもいいじゃん」的な態度を感じさせるというか。
私は悟りの段階と堕地獄とがどのような関係にあるのか知らないけど、
憶測だけで他人を「地獄行き」って断じるのは、まず人としてどうかと思うよ?
経典からの根拠があっての発言でもないのに。
これを書き込んだ人が、ただ自分の信仰を正当化するだけの為に
「俺のじいちゃん?地獄落ちたみたいね。本人じゃないから知らないけど」
なんて平然と言ってのけたりしないように願うばかりです。
これまでも何度かs会会員の、(仏法ではなく)自分の見解を正当化するだけの為に
まるで他人の人生を無意味なものと見下すかのような発言に会ったこともありましたが、
いよいよ背筋が凍りつきそうな恐怖をあなたのレスに感じ取ったので、
レスいたしました。話が逸れたみたいで、議論中の方々にはすみませんでした。
>>611,614
てゆーか、1段でもさとったら後生も変わってくるんじゃないのかぁ?
616 :
500:04/12/17 20:43:48 ID:KiauPFo7
>s会の説では、未信の凡夫は、18、19、20願のどれにも相応してないという
>ことでいいですか?
そうです。未信だが、まことの心のある聖者があれば、その限りではありません。
>s会では、
>>400さんのいう「業感縁起」についてどのように解してられますか?
特にお聞きしたことはありません。
人のこと以前に、自分の後生さえ、凡智では分かりませんから。
仏様はどのように我々を見られているのか、聖人はどのように教えられているのか、
ということを論じるべきです。
>
>>410-412は臨終正念を失えば、化土往生できないという文ですから、還相の菩薩しか
>化土往生できないの根拠とするには弱いのでは? 還相の菩薩しか「臨終正念」できないと
>いう御聖教の根拠は?
まことの心が凡夫にあるかもしれない、ということですか?
それとも、19願20願の救いに我々の至心は不要ということですか?
617 :
500:04/12/17 20:59:51 ID:KiauPFo7
>>念仏者氏
>十八願を受け取れ、が真実の教えである。
>そして十八願に導くための十九願二十願、化土の教えである。
それは分かりました。
しかし、まことに残念ながら、先の質問には答えていただいていないようです。
弥陀に、19願20願だけで凡夫を救う狙いがあったのか。
凡夫が19願20願で化土往生できるのか、と言い換えてもよいでしょう。
ごく単純な、yes、noで答えていただける質問です。
19願、20願の願意を知る上で、18願との関係を知る上で、避けては通れない疑問のはずです。
三願の真意を明らかにすることにどうか後ろ向きにならないでいただきたい。
ましてや、あなたは、会の教学を根底から覆すと言われていた方です。
弥陀の三願の解釈が根底から誤っているのなら、これ以上の大事はないでしょう。
どちらが正しいのか、どうして曖昧なままにしておけるのでしょうか。
全人類の後生の一大事がかかっていることなのです。
お答え下さい。
618 :
名無しさん@3周年:04/12/17 21:17:27 ID:tmTDVb26
>>608 >親鸞会でいう「一切衆生」の定義がどうも会員によってまちまち
な印象を受けますが、いかがでしょうか。
この話も既出なんですけど。
個人がこんな落書き板で会を代表して
話すことなんて誰もできないと思います。
ほんとに会の見解が知りたいなら質問状を郵送されればよろしい。
>s会的には竜樹菩薩は一切衆生でないが本 願で誓われた十方衆生である、ということでいいのですか?
竜樹菩薩も御在世のときは(往相では)「一切衆生」であり「十方衆生」です。
還相の菩薩さまという点からみれば「衆生」ではありません。
それは私達の知れるところではありません。
>また、達磨大師も、 天台大師も、弘法大師は一切衆生に含まれることは自明ですが、彼らもみんなs会
的には無間地獄ゆきなのでしょうか。ハッキリさせていただきたいものです。
そのとおりです。彌勒菩薩でさえ五道をめぐるのに達磨、天台、弘法がそれ以外であるはずもありません。
「必堕無間」は機の深信の内容です。
菩薩界も弥陀仏教からいえば所詮は迷いの衆生。
「疑情」という大罪悪をもったままでは仏覚は得られません。
「現在の因」から「未来の結果」を見るのが因果の道理を教える仏教の根本。
「疑情」と「煩悩」からできている衆生に、「地獄の因はない」と考えるほうがどうかしている。
>「高位の菩薩は一切衆生でない」説はs会的には根拠をあげる必要もないほ
ど自明ということでしょうか?
「高位の菩薩」って何?還相の菩薩なら仏さまだから「衆生」じゃないよ。
末法になったら人間に生まれる衆生いなくなんのかなぁ。
そうなったらさー、女の人はどんどん不妊になってくんだろうね。
>>616 >まことの心が凡夫にあるかもしれない、ということですか?
>それとも、19願20願の救いに我々の至心は不要ということですか?
質問に対して質問で返すのですか?
>そうです。未信だが、まことの心のある聖者があれば、その限りではありません。
というところからみると、「菩薩界」の自力修行は「まこと」ということですね?
化土往生は「まこと」ということですか? そうだとすれば御聖教の根拠をお願い
します。
>>618さんの「菩薩界も弥陀仏教からいえば所詮は迷いの衆生。」とは見解が異なる
みたいですが。それに還相の菩薩は未信じゃありませんから、化土往生できるのは、
還相の菩薩には限らないということでいいですね?
>人のこと以前に、自分の後生さえ、凡智では分かりませんから。
これも
>>618さんの
>>また、達磨大師も、 天台大師も、弘法大師は一切衆生に含まれることは自明ですが、彼らもみんなs会
>>的には無間地獄ゆきなのでしょうか。ハッキリさせていただきたいものです。
>そのとおりです。彌勒菩薩でさえ五道をめぐるのに達磨、天台、弘法がそれ以外であるはずもありません。
とは違うということですね?
>>618 質問です。
初歓喜地以上の菩薩は各々の功徳により、各々の往生を遂げるのではないのですか?
>>621 菩薩界の修行はまことですか?って質問の意味が、不明ですよ。
化土往生はまことですか?も質問が意味不明。
話の意味が理解できてないでしょ?あなた。
>>618 初歓喜地以上の菩薩は、過去世からの功徳により、各々の往生を遂げると思ってた。
違うのですか?
>>624 まことって「真実」の意味じゃないの?
それに500さんへの質問ですよ。
596 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/17 02:05:16 dGx14McQ
>>589 横レスです。
「必堕無間」って、正法念処経にありませんでした?
ありますね。
弥陀経往生というは、植諸徳本の誓願によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号をえらびて万善諸行の少善をさしお
く。しかりといえども、定散自力の行人は、不可思議の仏智を疑惑して信受せず、如来の尊号をおのれが善根として、みず
から浄土に回向して、果遂のちかいをたのむ。不可思議の名号を称念しながら、不可称・不可説・不可思議の大悲の誓願を
うたがう。そのつみ、ふかくおもくして、七宝の牢獄にいましめられて、いのち五百歳のあいだ、自在なることあたわず、
三宝をみたてまつらず、つかえたてまつることなしと、如来はときたまえり。しかれども、如来の尊号を称念するゆえに、
胎宮にとどまる。徳号によるがゆえに、難思往生ともうすなり。不可思議の誓願、疑惑するつみによりて、難思議往生とは
もうさずとしるべきなり。(浄土三経往生文類)
どうやら地獄に堕ちなくてすみそうだ、
>>627 >「必堕無間」って、正法念処経にありませんでした?
>ありますね。
また、すぐそういうでたらめを言う。
大蔵経はダウンロードできるから、すぐ確かめられるんだよ、
こういう嘘を言っても。
>>622 >>425-426への横レスというか逆レスというか。お望みの親sからではないのでスミマセン。
十九願・二十願の回向は弥陀の他力によるものか、凡夫の自力によるものか・・・
浄土門か聖道門か・・・
一つには、至誠心といふは、至とは真なり、誠とは実なり、即ち真実なり。
真実に二種有り。
一つには自利真実なり、
難行道、聖道門、
竪超(しゅちょう)、即身是仏・即身成仏・自力也。
竪出(しゅしゅつ)、自力の中之漸教・歴劫修行也。
二つには利他真実なり、
易行道、浄土門、
横超、如来の誓願・他力也。
横出、他力の中之自力なり・定散諸行也。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 『愚禿鈔 下』
定散諸行は「横出」と言われる、浄土門・易行道の一つ。
確かに自力をたのむものですが、それ自体が既に「他力の中」でのことだそうです。
最も、親鸞聖人は何よりも「横超」を勧められたことに異存はありませんが、
「かならず一念ばかりにて往生す」といひて、
「多念をせんは往生すまじき」と申すことは、ゆめゆめあるまじき事なり。『唯信鈔』をよくよく御覧候べし。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『御消息集』
じゃげな。
ついでに、上の 『愚禿鈔 下』のお言葉からすると、
>>617 500さん 横レス失礼をば
>ごく単純な、yes、noで答えていただける質問です。
みたいに、単純な問いに還元できる問題でもないのでは?
より慎重な問い立てを要する場面と思われます。
なんか、「根拠」を、
”自分の意見を補強するため”に出している人がいる気がする。
自分(自分達)の意見・考えが先、根拠はただの理由(権威)付け。
あと、「地獄行き」って、少なくとも”脅し文句”として使われるためのものじゃないと思ふ。
「地獄に行く」って言うと脅し文句になるんだ。
じゃあ釈尊は脅しまくりなんですね。
そんな次元の問答には誰も付き合わないでしょうよ。
>>631 親sでは、自説の正当性を根拠もなく主張するのですか?そんなことはないでしょう。
ま、カキコした私のことなぞは、法の前にあっては至って下らぬものですから
どのように捉えて下さっても結構。人に付かず法に付くべきでしょう。
とかく、お聖教のお言葉に耳を傾け、お互いに研鑽を深め合いましょう!
634 :
念仏者:04/12/18 02:48:13 ID:uNOq8wLg
「この信心を獲得せずは極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」
「もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、かえってまた曠劫を径歴せん。」
これらはみな信を基礎としてその上での教えであり、機の深信の告白、懺悔の言葉である。
そして機の深信の言葉であるのだから当然、その裏には法の深信が同居している。
信後の味わいである「無間地獄に堕在すべきものなり」だけを取り出してはいけない。
信心決定すると自分は無間地獄に堕ちる身、罪悪深重であったことがわかり、
信心決定すると自分は極楽浄土に往生する身、本願のお目当てであったことがわかる。
信心決定しないと無間地獄に堕ちるぞ! と教えるのは
信心決定しないと極楽浄土に往生するぞ! と教えるのと同じである。
わかりますか?
「この信心を獲得せずは極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」
「この信心を獲得せずは無間地獄には堕在せずして極楽に往生すべきものなり」
絶対他力の大慈悲心を深く知り、このように読めるようにならなくてはならない。
635 :
念仏者:04/12/18 03:18:07 ID:uNOq8wLg
信前の者はみな、自分が如来のお目当てであるとは到底思えないのだ。
信心決定したら、如来のお目当てになると思ってはいませんか?
信心決定という条件を満たした後に救われると思っていませんか?
信心決定とは条件を満たすということではない。
親鸞会の三願転入のあの絵を見ると、信心決定というゴール、条件まで走って、
ゴールにたどり着くと同時に救われると思ってしまう。
それは大間違いである。
三願転入とは深さなのだ。
十九願二十願とは卵をあたためて生まれさせようとする親心である。
「信心決定しなければ無間地獄」と凡夫の悪い心だけを取り出して脅かし、
如来の御慈悲を教えぬ者は悪知識の中の悪知識。言語道断である。
いいですか。自分の悪い心をつきつめて信に入るのではないぞ。
自力をつきつめて自力無効が知らされるのではないぞ。
他力をつきつめて自力無効が知らされるのだぞ。
御慈悲ということをつきつめて知らされて信に入るのだぞ。
ここを間違ってはならない。
更に
>>584 >一切衆生というのは、高位の菩薩や仏は除かれるのですが、そんな人がほぼいないことから、
>一切衆生ということだと思いますよ。
の発言を巡っての
>>590等への横(逆)レス。
阿弥陀仏のお誓いの対象、つまり一切衆生とは・・・
悲願は喩へば、(一)・・・中略・・・
(十九)猶 大地の如し、三世十方の一切如来 出生するが故に。
(二○)日輪の光の如し、一切凡愚の痴闇を破して信楽を出生するが故に。
・・・中略・・・
(二二)猶 厳父の如し、一切の諸(もろもろ)の凡聖を訓導するが故に。
(二三)猶 悲母の如し、一切凡聖の報土真実の因を長生するが故に。
『教行信証二巻』
>>603 >こんなこといっちゃっていいんですか?
>一応ソース求む。
阿弥陀仏のお誓いの対象として、一切の如来・凡愚・そして凡・聖が示されています。
ここまで親sから寄せられてきた回答が、この親鸞聖人のお言葉に合致したものであるかどうか、
「いっちゃっていい」のか、このソースでいかがでしょうか?
>>618 落書き板であっても、会の代表でなくとも、
親鸞聖人のお言葉にケチをつける親鸞学徒はよもやありますまい・・・
私のことはいくらでも詰って頂いて構いませんが。
637 :
名無しさん@3周年:04/12/18 03:52:05 ID:TIrovnwu
念仏者さん、
これ以上500さんの質問から逃げないでね!
法論をしに来たんでしょ?
言いっぱなしで後は適当にお茶を濁してたらなんとかなるなんて思ってたら、
お粗末すぎるよ!
>>「この信心を獲得せずは極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」
「この信心を獲得せずは無間地獄には堕在せずして極楽に往生すべきものなり」
絶対他力の大慈悲心を深く知り、このように読めるようにならなくてはならない。
はぁああああ?これの、どこが深い読みなんだ?
蓮如上人はそんなこと言ってないよ。
「この信心を獲得せずは無間地獄には堕在せずして極楽に往生すべきものなり」
この通りだったら、信心獲得してはいけないことになるね。
どういう人が、阿鼻地獄に堕ちるのか、正法念処経に書いてますね。
原文の資料が手元にないんですが、あらかた説明すると、
要は、八大地獄が列記されており、その中で一番恐ろしいのが、八番目の阿鼻地獄です。
間断の無い苦しみを受ける地獄です。
他の七つの地獄を合わせたものの千倍の苦しみを受けると書かれています。
肝心のどういう人が落ちるのかというと、「謗法」「五逆」「四重」の者です。
「讒法」というのは、仏法をねじ曲げ、誹謗し、間違った教義を広めることです。
四重」とは、「殺生、偸盗、邪淫、妄語」。
「五逆」とは、「父殺し、母殺し、
阿羅漢を殺すこと、仏を傷つけること、和合僧を破る事です」。
この中でも、とりわけ、「謗法」の罪の深さが説かれてます。
僕らのために用意されてるかのような場所ってことですね。
確か、この無間地獄は、とてつもなくひろく、
しかも、7重の鉄壁に囲まれていて、7層の頑丈な鉄の檻があって、18に分けられて、
その周りには刀が林のように突き立っていると『往生要集』に書いてあったね。
ちなみに、七宝の牢獄って、無間地獄の事ですよ。
641 :
念仏者:04/12/18 07:10:51 ID:te5P9IsU
常にどうやって書いたら伝わるか考えています。
そして大事なこと伝えたいことから書いています。
500さんの質問についてまず整理しましょう。
私の主張
>>407 >「十九願、二十願に誓われていることを実行できる人は、化土往生させる。地獄行きにはしない」
>「十八願で救うのが目的であるが、十八願を衆生は初めから受け取らないからまず十九願、二十願に導いた」
この主張を受けて500さんの質問
>>617 >弥陀に、19願20願だけで凡夫を救う狙いがあったのか。
>凡夫が19願20願で化土往生できるのか、と言い換えてもよいでしょう。
>ごく単純な、yes、noで答えていただける質問です。
500さんの質問を受けて500氏派の方々の主張
十九願の条件である至心発願は定散の機に限り、凡夫には難しく不定である。
その根拠は「口伝鈔」「浄土真要鈔」の体失不体失往生のところにある。
二十願に関しても臨終の来迎を待つのだから十九願と同じで凡夫には難しく不定である。
642 :
念仏者:04/12/18 07:12:14 ID:te5P9IsU
まずは質問に答えます。
>弥陀に、19願20願だけで凡夫を救う狙いがあったのか。
阿弥陀仏の御心ですね。
十九願、二十願だけで凡夫を救うねらいは無いです。
十八願、十九願、二十願で凡夫を救うねらいです。
>凡夫が19願20願で化土往生できるのか、と言い換えてもよいでしょう。
言い換えてはよくないでしょう。
阿弥陀仏の狙いがどうか、ということと凡夫の往生がどうかということは別問題です。
質問に答えるならば「口伝鈔」「浄土真要鈔」にあるように
できないことはない。不定である。臨終まではわからない。
十九願、二十願で救われ化土往生する人はいるようです。
500さんの質問にそのまま答えるとこのようになります。
643 :
念仏者:04/12/18 07:12:54 ID:te5P9IsU
しかし500さんの質問の真意はというと
>念仏者曰く
>「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
>自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
>というのが阿弥陀仏の御心だ。
こんなことを聴いたら普通の人は、
「じゃあ十八願は無理そうだから十九願で。善をすればいいのだな」
と自力修善に励むことになるでしょう。
しかし本当にそれが阿弥陀仏の御心なのか?
それに本当に十九願だけで化土往生できるのか?
ということではないのでしょうか。
しかし阿弥陀仏の御心を聞いて、
「じゃあ十八願は無理そうだから十九願で。善をすればいいのだな」
というふうに受け取るべきであるとは私は断じて言ってない。
「十九願でも二十願でも何でもいいよ。善でも念仏でもしてれば地獄へは行かないよ」
などの主張であれば、臨終に間に合うのか、菩薩にしかできない、などの議論が必要になりますが、
まず私はそのような主張をしてないのですよ。
三願転入は絶対他力を知らしめて十八願に導くために教えるのです。
善をして往生しよう、念仏して往生しよう、と思い立つ心ですらも
十八願の御心より流れ出た他力回向、如来からの賜りものであることを知れ。
至心に回向せしめたまへり、と読まれた親鸞聖人の御心を知れ。
そしてすでに他力の家の中にいるのであるから、速やかに十八願を受け取れ、
というのが私の主張なのです。
644 :
名無しさん@3周年:04/12/18 07:24:30 ID:+UElPhKo
>>639>>640 正法念処経には
一切衆生 必堕無間
とは書いていないということがよくわかりました。
>>627 「一切衆生」が問題になっているんですよ。
誤魔化してはいけませんな。
こんなことが知りたい1にある、
『経典に釈尊は「一切衆生 必堕無間」とこれを説かれています』
は、T森氏の勉強不足からくる、間違いと言う事で確定します。
>640
>ちなみに、七宝の牢獄って、無間地獄の事ですよ。
これ根拠どこにあった?
調べた限りでは見あたらなかった
647 :
名無しさん@3周年:04/12/18 08:31:24 ID:+UElPhKo
>>640 >ちなみに、七宝の牢獄って、無間地獄の事ですよ。
これ、ひどいね。
根拠なんてあるわけないし、
いくらなんでもs会の公式見解ではないでしょう。
s会の人は、早く訂正してあげてください。
648 :
名無しさん@3周年:04/12/18 08:33:56 ID:+UElPhKo
>>645 >君も、七宝の牢獄に逝くのにね。
意味わかって言ってます?
651 :
名無しさん@3周年:04/12/18 11:01:17 ID:hUkBCLm1
18願は難しそうだから、19,20願で・・・というけど、
18願が難しいだと思うのは、三願転入を聞いているからじゃないの?
字面だけみたら、一番簡単そうなのは18願でしょ?
だけど、文面どおり心の底から喜んで一回だけ念仏を唱えてみても
ほんとうにこんなんでいいのかいな?という思いが出るから
それじゃあ、というんで19,20と進むんじゃない?
18,19,20という順番を見てもそういう順序だと思うけどな。
652 :
名無しさん@3周年:04/12/18 11:05:14 ID:hUkBCLm1
自己レス
>>651 あ、もちろん最後に転入するのは18願の世界だということは知っているよ。
18願は導入でもあり、最後に帰するところでもあるんじゃないか、ってこと。
はじめから19,20願に目をつけるひとはいないんじゃないの?、ということです。
653 :
名無しさん@3周年:04/12/18 12:43:32 ID:z/xebh3O
>>622 論議をかわすつもりのない「答えてちゃん」は退場してください。
654 :
名無しさん@3周年:04/12/18 13:03:31 ID:OpO9OGJd
>>644 >間違いと言う事で
ということは無間業を持たないものが
十方衆生にいるということですが
誰でしょうか?
名前をあげてください。
「出離の縁あること無い者」のなかに無間業を持たない
衆生と無間業を持つ衆生があるというわけです。
彌勒は五道(六道)をめぐっても無間地獄だけは
いかないというわけですから、理由と根拠を
あげてください。
確定された方に答える義務があります。
655 :
名無しさん@3周年:04/12/18 13:10:57 ID:DDeh2GAH
s会さん、
これ以上
>>622さんの質問から逃げないでね!
法論をしに来たんでしょ?
言いっぱなしで後は適当にお茶を濁してたらなんとかなるなんて思ってたら、
お粗末すぎるよ!
>>630>>651 化身土巻ってそもそも、浄土他門の「異流義」について書かれたものなんですね。
自力無効の絶対他力こそ、いま現に親鸞一人が救われた浄土の真宗であり、真実門なん
ですが、浄土門の弥陀の救いを聞いてさえ弥陀の真意がわからずに自力に執着して聖道
門的に自力の善業をたのんで迷いを重ねてきた。しかしそれも、方便仮門としても弥陀
のお育てであったとして、真実ではない「仮とは何か」を明かされることで、逆に「真
実とは何か」を明かされてるわけですね。
それに書かれた背景を考えることが大事と思います。
末法無戒の世に持戒を条件とする自力諸善(六度万行、定散二善のなかの散善三福)が説かれた
背景ですね。
658 :
名無しさん@3周年:04/12/18 16:24:14 ID:ycVDbxiJ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
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ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ(;´Д`)ケンタンハァハァ
659 :
名無しさん@3周年:04/12/18 17:03:19 ID:sgYudWPS
>>656 >五道をめぐる弥勒菩薩は高位菩薩ではないと主張しているように読めるの
ですが
正直、本気でよみちがえてるなら頭悪。
あなたがそう読んだらどこがどうおかしくなるの?
詳しく書いてください。
「高位の菩薩」って私が言ったことではないので。
>あとの
>>543>>489>>452-453>>464>>373-375>>419>>425-426に
>>515 は議題に関連した教義上大事な問題を含むと思うが、違うというなら理由
を述べてね。というわけでひきつづき親sの方の回答まってますよ。
教えてもらうのにこんな無礼な質問のしかたがあるか。
それぞれ一行程度にまとめて自分の見解も書きなさい。
書く気がないなら自分が「答えてちゃん」であることを認めるのですね。
親sさん、
これ以上656の質問から逃げないでね!
法論をしに来たんでしょ?
言いっぱなしで後は適当にお茶を濁してたらなんとかなるなんて思ってたら、
お粗末すぎるよ!
661 :
500:04/12/18 17:44:11 ID:UsJsBw20
>>念仏者氏
回答ありがとうございます。
>言い換えてはよくないでしょう。
>阿弥陀仏の狙いがどうか、ということと凡夫の往生がどうかということは別問題です。
どうして別問題でしょうか。
凡夫を救うのが弥陀の狙いではないのですか?
弥陀に助ける狙いがあっても凡夫が助からないことがありますか?
逆に弥陀に狙いがなくても凡夫が助かることがありますか?
十方諸仏の本師本仏の弥陀の狙いが外れることがあるのですか?
別問題どころか、根は同じ一つの疑問です。
19願、20願の教えは末代の凡夫に相応しているのか、機教相応しているのか、
という問題です。三願の真意を開顕するには、避けられぬ問題のはずです。
>できないことはない。不定である。臨終まではわからない。
>十九願、二十願で救われ化土往生する人はいるようです。
一生造悪の凡夫であっても、という意味でよろしいですか?
662 :
500:04/12/18 17:57:11 ID:UsJsBw20
>「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
>自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
>というのが阿弥陀仏の御心だ。
>こんなことを聴いたら普通の人は、
>「じゃあ十八願は無理そうだから十九願で。善をすればいいのだな」
>と自力修善に励むことになるでしょう。
>しかし本当にそれが阿弥陀仏の御心なのか?
>それに本当に十九願だけで化土往生できるのか?ということではないのでしょうか。
>しかし阿弥陀仏の御心を聞いて、「じゃあ十八願は無理そうだから十九願で。善をすればいいのだな」
>というふうに受け取るべきであるとは私は断じて言ってない。
「そう受け取るべきである」とは言われていませんが、あなた自身もお分かりのように、
普通の人がそう受け取ることをあなたは言われているのです。
そう受け取っても構わないと言われるなら、あなたの教えは実質、18願一つを勧める教えではない。
そう受け取ってはならないのなら、その点を明らかにしなければならない。
19、20願は末代の凡夫に相応した教えではない、と明言しなければなりません。
ことは、極楽に往生する道、です。
曖昧なままにしておけることではありません。徹底的に明らかにすべきです。
663 :
500:04/12/18 18:19:39 ID:UsJsBw20
>化土往生は「まこと」ということですか? そうだとすれば御聖教の根拠をお願い
>します。
当然、根拠は19願、20願文の至心です。
>それに還相の菩薩は未信じゃありませんから、化土往生できるのは、
>還相の菩薩には限らないということでいいですね?
はい。19願、20願の通り実行できる人が仮にあれば、還相の方でなくとも化土往生できます。
>>人のこと以前に、自分の後生さえ、凡智では分かりませんから。
>これも
>>618さんの
>>また、達磨大師も、 天台大師も、弘法大師は一切衆生に含まれることは自明ですが、彼らもみんなs会
>>的には無間地獄ゆきなのでしょうか。ハッキリさせていただきたいものです。
>そのとおりです。彌勒菩薩でさえ五道をめぐるのに達磨、天台、弘法がそれ以外であるはずもありません。
>とは違うということですね
凡智では分からないから、仏様、聖人の教えの通りにお話するしかありません。
教えとは、法の真実と機の真実です。
法の真実とは弘願の一法であり、機の真実とは逆謗の一機です。
真実は、たった一つです。法も、機も、たった一つです。
多くの、いろいろな人がいて、いろいろな機があるように見えても、
突き詰めれば、たった一つの機しかありません。その機が救われる法もまた、
たった一つなのです。それが真実の相です。
664 :
500:04/12/18 18:39:11 ID:UsJsBw20
646 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/12/18 08:20:39 nFAyeIJY
>640
>ちなみに、七宝の牢獄って、無間地獄の事ですよ。
これ根拠どこにあった?
調べた限りでは見あたらなかった
そらないだろね。無間地獄が七重に牢獄みたいになっていて逃げられないところから、
七宝の牢獄と言われたんだもん。
これ以外に、七宝の牢獄の意味は無いよ。
他にあるのなら、教えて?
どういう人が、阿鼻地獄に堕ちるのか、正法念処経に書いてますね。
原文の資料が手元にないんですが、あらかた説明すると、
要は、八大地獄が列記されており、その中で一番恐ろしいのが、八番目の阿鼻地獄です。
間断の無い苦しみを受ける地獄です。
他の七つの地獄を合わせたものの千倍の苦しみを受けると書かれています。
肝心のどういう人が落ちるのかというと、「謗法」「五逆」「四重」の者です。
「讒法」というのは、仏法をねじ曲げ、誹謗し、間違った教義を広めることです。
四重」とは、「殺生、偸盗、邪淫、妄語」。
「五逆」とは、「父殺し、母殺し、
阿羅漢を殺すこと、仏を傷つけること、和合僧を破る事です」。
この中でも、とりわけ、「謗法」の罪の深さが説かれてます。
僕らのために用意されてるかのような場所ってことですね。
君らは、堕ちないあるいは縁のないとこだと思ってるの?
法謗の罪を作ってないと言えるの?四重を犯してないとでも?五逆は?
親鸞聖人は、逆謗の屍とまで我々のことを仰いました。
そんな我々が、縁の無い話なのでしょうかね。
こんなにも、仏法をしりながら、何の罪悪感も無い人がいるとは思わなかった。
凡夫ってこの事だったのかな。
自分の心をよくよく眺めてみれば、表は仏法を信じている振りして、
心は、疑いどおしの私たち、これは、無間業ではありませんか。
人を憎しみ、怒りに身を焦がし、仏法を忘れて欲をみたすことばかり考え、
自分なりの勝手な教義を内に秘め、殺生を繰り返し、淫らな妄想に耽り、
人のもっているものに執着を示す、身を守るためには嘘ばかり吐くのも厭わず、
父母までも時には憎しみ、僧に布施をすることもなく、仏の心から血を出だしてるのは、誰か?
よくよく、お考えになさったらよろしい。
どうして、s会の人たちは「19・20願は絶対地獄行き」を定説にしたいのかね。
聖人のじきじきの言葉があるならともかく、あくまで推論の域をでないことなのにさ…
19・20願は絶対地獄行きだと思わなきゃ助からないんですかね?まったく
s会員が最期のときまで、地獄行きだ、地獄行きだと思いこもうとしている光景が目に浮かぶよ。
それは皮肉にも最期のときまで、極楽行きだ、極楽行きだと信じこもうとしている人に似てる。
哀れだね。
人間、
19・20願は極楽行きだと言われれば、地獄行きだと思う心を忘れようとし、
19・20願は地獄行きだと言われれば、極楽行きだと思う心をなくそうとする
もんじゃないかね。
どちらも弥陀の心を無視して参らせ心丸出しの気がするけど。
まあ、そういう人こそ、弥陀のお目当てなのかな?
19、20願は化土行きだよ。
地獄行きなんて誰も言ってない。
根本的に間違ってるから、よく読んで理解した方がいいよ。
670 :
名無しさん@3周年:04/12/18 20:45:47 ID:bvyO51zQ
ここまでの感想。
助かりたい、地獄に落ちたくないという凡夫の思いを根本として
浄土真宗の法義を聞いていくのが、s会の出発点。
凡夫の助かりたい、地獄に落ちたくないという思いは、ひとまず
捨てておいて、阿弥陀仏の助けたい、地獄に落としたくないという
願いを聞いていくのが、念仏者さんの出発点。
根本が違うので、相互理解することが難しい。
助かりたい、地獄に落ちたくないと切実に思っている者に対して、
阿弥陀仏はどう応えるのか。
直接当たるべきではないか?
「正法念処経」なんて親鸞聖人の引文されてない経典を押し頂くより、
「教行信証」を押し頂くほうが先決ではないか?
このスレ、読むのがメンドクサイ。
つまんね。
672 :
名無しさん@3周年:04/12/18 21:07:35 ID:bvyO51zQ
>>671 なら、書き込むなよ。
バイバイ。
って釣られたクマ〜っw
673 :
631:04/12/18 21:59:10 ID:0HFao+Iv
言葉足らずだった。
>>632 >「地獄に行く」って言うと脅し文句になるんだ。
>じゃあ釈尊は脅しまくりなんですね。
そういうつもりで言ったのではなく、
「地獄行き」の話をする側(するときの自分)に相手を脅す様な意図があることはないか?脅しに使ってないか?
という問いかけのつもりでした、これを見ている全ての人に対しての。
、、ごめん本音言うと、「s会の人で話するときに(特に新勧)、自分はそういうつもりで言ってないか?もしそうならなんかちゃうやろ」ってこと。
そういう意図がないんならいいっす。軽やかにスルーして。
>>633 「”自分の意見を補強するため”に出している人がいる気がする。」
で言いたかったのも、見ている人への問いかけです。(こっちは本音で親s、反s、その他問わず)
お聖教に対し、自分の考えに合うように解釈をしようとしてないか、自分の考えを先にしてないか、お聖教を軽んじてないか、という。
なんかそう見えるカキコがあったし、自分も拝読しててそうなりがちなんで。
2GeQbKI3さん、勘違いさせてしまった、スマヌ。
>人に付かず法に付くべきでしょう。
>とかく、お聖教のお言葉に耳を傾け、お互いに研鑽を深め合いましょう!
同意です。私もお聖教のお言葉に耳を傾け、研鑽していきたいです。色々勉強させていただきます。
>>670 大筋で同意
s会・念仏者側双方に、
「まだ全てを言い切っていない」という感を持たれるとは思いますが、ここまでの流れで見ると、
s会は「機の深信」を・念仏者側は「法の深信」を出発点として
噛み合わぬ論議を進めてきているように思いました。
ただ、ここで私が「噛み合わぬ」というのは、決して
議論の進め方が悪いとかいう批判を込めた意味では全くなく、
ここまでのせめぎあいそのもの・噛み合わぬ様そのものが、機法二種深信の教えを前に
思いあぐね、若存若亡する凡夫の内実そのものではないかとさえ思いました。
投稿者個々においては、お互いに煽り・釣り・言い掛かりなどの応酬などをも経て
不快な思いを禁じえなくなってきている方もあると思いますが、
一閲覧者として、内容的には良スレの予感がしています。
>>667 >こんなにも、仏法をしりながら、何の罪悪感も無い人がいるとは思わなかった。
>凡夫ってこの事だったのかな。
投稿者が皮肉で言っているのでなければ、これは実に深みある「気づき」かもしれません。
本スレでアンチ側から投稿してきた者として、この言葉に私は正直ビクリと来ました。
また、この「ビクリ」とくることそのものが、私の自力の有様かと思い至るものでした。
これを踏まえた上でちょっと添削をお許し下さい。
助かりたい、地獄に落ちたくないと切実に思っているつもりでいながら実は何とも思わぬ者に対して、
阿弥陀仏はどう応えるのか。
「教行信証」に直接当たるべきではないか?
>>673 ニアミスでしたね。大丈夫ですよ。
了解しますし、改めて自分の反省材料としたいと思っていますw
>>668 自力作善だから。
自力作善の人は、自業自得の道理で、七宝の獄に堕ちるんだよ。
S会、まぁ高森先生が、なぜ、地獄へ堕ちることを強調するかというと、
機の深信そのものだからです。
これは、18願に書いてある、唯除五逆 誹謗正法の存在意味にまでつながるわけよ。
機の深信が立たなければ、法の深信も何も無いわけよ。
自力で脚下照顧できるなら聖者だな。
鏡なしには自分の目玉が見えないように、
仏の導きなしに、自己の脚下に広がる深淵を凡夫が悟ることができるだろうか?
もし親sが機の深信を強調するに徹するならば、ここで法の深信をも
述べておく必要があるでしょう。
法の深信が立たなければ、機の深信もありません。
両者がバラバラに極論まで突き詰めてしまうと
機の深信だけを強調すれば土蔵秘事、
法の深信だけを強調すれば十劫安心・本願だのみ
に繋がりかねません。我々はより慎重になるべきでしょう。
なあにこの人たち、自分が地獄に落ちないとでも思ってるのププッ
みたいな物言いをする人がs会に多い気がする。
こうやって相手の徳性を貶めて口を封じるような空気がs会には充満している。
こういう辱めを受けないように会員は言論統制されている。
こうやって上から押し付けられた地獄から会員は逃れられず、牢獄と化しているのはs会じゃないのか。
>>659 >あなたがそう読んだらどこがどうおかしくなるの?
>>618の「「高位の菩薩」って何?還相の菩薩なら仏さまだから「衆生」じゃないよ。」
は、その質問者の言うところの「高位の菩薩」が還相の菩薩だとしたら、「衆生」では
ないという文だから、還相の菩薩しか高位菩薩を認めてないのか?と思ったのですが違う
のですか?
>>656に書いたように「その点の真意を確認したい」のですよ。
で、真意は?
>教えてもらうのにこんな無礼な質問のしかたがあるか。
>それぞれ一行程度にまとめて自分の見解も書きなさい。
詳しく書けといったり、まとめて書けといったりw。
質疑応答は、論議の基本スタイルですよ。別に教えを請うてるわけではありません。
親sの方はあなた一人じゃないでしょうから、あなたが答える答えないは自由ですよ。
上から押し付けられた地獄?
あなたにとっては仏説も押し付けなんだね。
自分の考え最優先なんだね。
全然地獄なんて行かないと思ってるんだね。
それじゃあ仏教が分かるはずないよ。
>>663 >当然、根拠は19願、20願文の至心です。
19、20願の至心や「化土往生」は、「浄土真実」(まこと)ということですね。
親鸞聖人は「化土往生」は「方便化土にとまるなり」「或生辺地ときらひつつ」と
「真実ではない」と言われてますがこれ如何に?
>凡智では分からないから、仏様、聖人の教えの通りにお話するしかありません。
あなた自身は、その仏様、聖人の教えを信知されてますか?
>多くの、いろいろな人がいて、いろいろな機があるように見えても
ですから、「業感縁起」についての見解や「一切衆生必堕無間」の経典の
根拠が問題になってるんじゃ?
>>664 三願の問題とか、真と仮の問題とか、浄土門のたて分けとかどれも、本題と
関連すると思いますが。報謝の問題も真仮の問題と関連すると思いますよ。
>>681 >>679のレスを注意深く読みましょう。
彼が「上から押し付けられた」とするのは「言論統制」であって
仏説を指してはいないようです。
685 :
念仏者:04/12/19 05:06:18 ID:MaIJysyS
・十九願、二十願は末代の凡夫に相応した教えではない
・十九願、二十願は定散の機に限る。一生造悪の凡夫には成就できない
・十九願、二十願を求めても凡夫は化土にすら往生できず地獄に堕ちるぞ。
・だから十八願を求めなさい
信前の者を十八願に導くのにこのように明言して教えるべきである。これが親鸞会の教え方ですね?
方便とは如来のしかけた罠ですか?
「十九願二十願は罠だ。十九願、二十願を求めていたら地獄に堕ちるぞ。罠にはまるなよ。」
私は以前、「親鸞会は要門、真門をまるで地獄の門であるかのように教えている」
と書きましたが、まさにこの教え方のことです。
親鸞聖人の教行信証の三願転入は如来の絶対他力の大慈悲心の味わいをあらわされたものです。
三願転入に関して御慈悲を明らかにせず
「十九願、二十願を求めても無駄だ。凡夫は化土にすら往生できず地獄に堕ちるぞ」
と教えることはもう言語同断である。
>>679 >なあにこの人たち、自分が地獄に落ちないとでも思ってるのププッ
>みたいな物言いをする人がs会に多い気がする。
>こうやって相手の徳性を貶めて口を封じるような空気がs会には充満している。
そういう空気はs会に非常に感じますね。
「s会で発行されている文言『一切衆生 必堕無間』が経典にあるかないか」
を検証しようとしているのに、正法念経かなんか、一切衆生 必堕無間と
書かれていなくて、教行信証にすら引用されていない経典とかもってきて
「自分が地獄に落ちないとでも思ってるのププッ」
というような内容で返されても、全く根拠を為しません。
一切衆生についての定義などについて、いくら弁明したって無駄です。
『一切衆生 必堕無間』は経典の引用ではなく、T森氏の造語ということで
決着ですね。
>>665-667 >そらないだろね。無間地獄が七重に牢獄みたいになっていて逃げられないところから、
七宝の牢獄と言われたんだもん。これ以外に、七宝の牢獄の意味は無いよ.
「無間地獄=七宝の牢獄」説ですね。これをを検証してみましょう。
「自力諸善の人はみな仏智の不思議をうたがえば
自業自得の道理にて七宝の獄にぞいりにける(正像末和讃)」
と親鸞聖人は仰っていますが、もし自力諸善の人=十方衆生と解するとすれば、
人はみな、ということで「一切衆生が七宝の獄に入ってしまう」というように
一見読めるかもしれません。
しかし、T森先生は七宝の獄=無間地獄と話された事はあるのでしょうか。
こんなことが知りたい1には、こう出ています(P7)。
>経典に釈尊は、「一切衆生 必堕無間」とこれを説かれています。その他、
後生の一大事が説かれていない経典はありません。親鸞聖人はこれを、
「念仏誹謗の有情は、阿鼻地獄に堕在して、八万劫中大苦悩、ひまなく受くぞと、
説きたまう」と仏意を述べておられます。
ここで、阿鼻地獄とは無間地獄です。また、
「本願疑惑の行者には含花未出のひともあり
或生辺地ときらひつつ或堕宮胎とすてらるる」(正像末和讃)
とありますように七宝の獄は辺地です。
辺地・懈慢、疑城・胎宮は片隅ながら如来の浄土に属しています。
ID:/l3kk9Hgさんのお説ですと、辺地=七宝の獄=無間地獄=阿鼻地獄となり、
阿鼻地獄は浄土の一部となってしまいますが、それでいいのでしょうか?
念のため、親鸞聖人はあくまでも辺地往生ではなしに、報土往生を勧められた、
ということは最後に強調しておきましょう。
>686
で、結局地獄に堕ちないと思ってるんですか?
それなら実際問題とんでもないうぬぼれですよ。
自分自身の後生がもっとも重要な問題ですが、何でそこには答えず高位の菩薩のこととかばかり問題にしてるんでしょうか。
いつまでも逃げ回ってちゃあ決着はつかんよ。
自分の後生が抜けた議論が戯論なのは自明です。
689 :
念仏者:04/12/19 11:20:09 ID:MaIJysyS
>>688を見れば明らかであるように
親鸞会の会員は
信前の者が無間地獄に堕ちないなどと思うのはうぬぼれであると思っている。
今のままでは自分は無間地獄に堕ちるものだと思っている。
そしていつかは阿弥陀仏の本願を聞き開いて救われようと思っている。
未信の者にこのように思わせる者は悪知識に間違いない。
高森氏の教え方では信の一念は永遠におとずれない。
そのままで救うぞ、ただ今救うぞの阿弥陀仏の御慈悲は永遠に受け取れない。
会員は臨終まで自分は今のままでは無間地獄に堕ちるものだと思い続けているだろう。
高森氏は一体何を考えているのだろうか…。
>>685 >十九願、二十願は末代の凡夫に相応した教えではない
横レスすみません。 へ〜! s会では↑のように説いてるんですか?
過去に、末代の凡夫に相応してないのは聖道門で、十九願、二十願、
とくに要門の定散諸善は、末代の凡夫に相応した教えだと盛んに主張する
親sの人いましたが・・・。
691 :
名無しさん@3周年:04/12/19 11:28:32 ID:j0/N3Mz+
阿弥陀如来は架空の存在でしょ?
>689
何その分析。
信後も信前も地獄一定の実相はかわらんよ。
そして、いつか救われようとしてるんじゃなく、
現在の一念の救いを求めるんだよ。
こうしていればいつかそのうち、という心は、一念までは離れきらない。
それは、自力の本性だからね。
693 :
名無しさん@3周年:04/12/19 14:14:07 ID:nSpJlBD3
>>689 念仏者さんの意見は、非常に的を得ているように思える。
長期にわたって、議論が繰りかえされてきたが、
s会の「教義的・宗風的特徴を顕す」ひとつの結論とも言えるのでは?
s会員さんの反論もあろうことかと思うが、今後、実りある議論に
期待したい。
694 :
念仏者:04/12/19 15:11:20 ID:MaIJysyS
そして極めつけは「ハッキリする神秘的体験」である。
「信前のものにはわからぬ境地」「疑いの心がツユチリほどもなくなる体験」である。
これが最後の決定打となり、親鸞会の会員が信に入ることは永遠に無くなるのだ。
私は親鸞会には一年弱しかいなかったのだが、先輩からこう聞いたことがある。
「善知識の仕事とは信前の者に対して、
それではダメだダメだ、自力はダメだダメだ、それは信ではないぞ、地獄行きだぞ、
ハッキリする体験がなくてはダメだ、疑いの心が少しでもあってはダメだ、
このように教え、どこまでも自力を戒めることである。」
「〜がなくてはダメだ」という教えは、救済の条件を課していることである。
みなさんにここで明言しておきたい。
阿弥陀仏の救済は無条件である。そのまま来いよの誓願である。信心は無条件に頂くのである。
信心決定しなければ救われぬと思っているうちは救われないぞ。
疑いの心がツユチリほども無くならなくてはならぬと思っているうちは救われないぞ。
我々が自らに課している「こうならなくてはならぬ」という条件は満たされないまま信心決定するのである。
これは私が実際に体験したことです。
695 :
名無しさん@3周年:04/12/19 19:00:10 ID:4eN8k5U6
なあにこの人たち、自分が地獄に落ちないとでも思ってるのププッ
みたいな物言いをする人がs会に多い気がする。
こうやって相手の徳性を貶めて口を封じるような空気がs会には充満している。
こういう辱めを受けないように会員は言論統制されている。
こうやって上から押し付けられた地獄から会員は逃れられず、牢獄と化しているのはs会じゃないのか。
age
辺地往生なんて、できないよ。どうやって、するのさw
どれだけ難しいことだと思ってるのかね。
その証拠に、辺地往生したつもりでも、慶喜の心が出ない。
化土往生したぞー!!という喜びのこころが出ない。満足できないからだよ。
ほんとに辺地往生したなら、それなりの慶喜の心がでるはず。
出ないのは、できてないから。
辺地往生した喜びがある人がいたなら、ぜひ会ってみたいもんだよ。
辺地往生が決まったら、後生の不安は少なからずなくなるよ。
だって、辺地といえど往生だから。
辺地往生が簡単に出来るなら、報土往生捨てるよ、私は。
簡単なほうがいいもの。
そもそも、地獄に堕ちる身分じゃないんでしょ?
無間地獄逝きの自分だったと臨終に後悔なんかすることも無いんだから。
一念慶喜もへったくれもないよ。
>>高森氏の教え方では信の一念は永遠におとずれない。
そのままで救うぞ、ただ今救うぞの阿弥陀仏の御慈悲は永遠に受け取れない。
会員は臨終まで自分は今のままでは無間地獄に堕ちるものだと思い続けているだろう。
いや、全然思ってないよ。
みんな、臨終までになんとかなるだろうとか、
こんなに会で聴聞してるから大丈夫だろうとか、
財施ちゃんとしてるから地獄に堕ちはしないだろうとか
そんなこと考えてるもんばっかりだよ。
君らもそうでしょ?
親鸞会に限らず、人間は死んでも自分は大丈夫だろうなんて考えながら
臨終迎えるんだろね。
678 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/19 00:25:59 4WXXeBgW
もし親sが機の深信を強調するに徹するならば、ここで法の深信をも
述べておく必要があるでしょう。
法の深信が立たなければ、機の深信もありません。
法の深信とても強調してるよ。
弥陀助くるぞ、助くるぞ、助くるぞ、何遍も何遍も何遍も何遍も、
どうやったら、伝わるか、心に涙を流しながら、仰ってるよ。
「若不生者 不取正覚」の言葉の意味も何遍言われたかな。
それと、同じだけ「唯除五逆 誹謗正法」の説明も何遍されたよ。
辺地往生って、悪いことじゃない。往生の一種だよ。
簡単に出来るのなら、辺地往生願ってもいいよね。
出来るも何も、死ねば皆、辺地往生するんだったっけ?
少なからず、辺地往生を確保してから、報土往生願えばいいんじゃないかな。
むしろ、報土往生捨ててもいいんじゃないかなあ。
辺地往生も立派な往生の一種だもん。悪い世界じゃないよ。
やったね。これで地獄に堕ちないし、後生の不安はまずない。
これが、正しい浄土真宗の教えです。
>>701 >むしろ、報土往生捨ててもいいんじゃないかなあ。
そんなこといってるのあんただけだよね。
>>697 >ほんとに辺地往生したなら、それなりの慶喜の心がでるはず。
十九願、二十願よく嫁。
辺地往生は現生往生ではありません。
辺地往生は死後でないと確定しません。
だから「それなりの慶喜の心がでる」ことはありえないでしょう。
>>701 >簡単に出来るのなら、辺地往生願ってもいいよね。
「臨終正念」が最低限の必要条件ですから、簡単なはずはないでしょうね。
さらに十九願なら諸善を回向しなければならないし、
二十願なら一心不乱の念仏を称えて回向しなければなりません。
弥陀のお奨めはあくまでも十八願です。
親鸞聖人は数多くの
「化土往生を願わずに報土往生を願いなさい」
と戒められた趣旨の和讃をつくられています。その第23首には
「仏智うたがうつみふかし この心おもいしるならば
くゆるこころをむねとして仏智の不思議をたのむべし」とあり、
「已上二十三首仏(智)不思議の弥陀の御ちかいをうたがうつみとがをしらせん
とあらわせるなり」
と結んでいます。
>>704 ということは、無理なんじゃないか。
期待させんなよ。
>>703 死後で無いと確定しない往生でも、死後で確定すると信じてるなら、喜ばないですか?普通は。
それとも、辺地往生は死後で確定するかどうかわからん往生なのですか?
そんなの、地獄に堕ちるかどうかわからんということじゃないですか。
>>702 だってそうでしょ?
辺地往生は立派な往生の一種です。地獄ではありません。
しかも、死ねばみな辺地往生するんでしょ?
出来ないとしたら、辺地往生する人と、しない人との境目はどこで決まるのさ。
>>704 簡単なはずは無いことを、なぜ皆に勧めるんですか?
上記のレス読めば、死ねばみな辺地往生するのかと誤解しますよ。
>>さらに十九願なら諸善を回向しなければならないし、
二十願なら一心不乱の念仏を称えて回向しなければなりません。
こんな事できませんよ。出来る方がおられるのですか?
やっぱり私は地獄逝きではありませんか。
一心不乱の念仏なんて出来ません。体はできても心まで念仏に向きません。
ここの人たちは無責任だ。地獄に堕ちないと平気で言って置きながら、どこへ行くのかはっきりさせない。
辺地往生するとか、適当なことを言う奴ばかりだ。
ここの住人は、
自力諸善の人は皆、自業自得の道理で、七宝の獄=辺地に行くと思ってるんでしょ?
辺地に行くってことは、辺地往生遂げるってことじゃないの。
あとから、死後でないと確定しないとかいい加減な事言ったら混乱するよ。
死ねば辺地往生するんでしょ?
>>704さんに聞きたいんだけど、報土往生と辺地往生どっちが簡単なの?
711 :
名無しさん@3周年:04/12/20 11:35:39 ID:RlGNy6DR
>>694 > これは私が実際に体験したことです。
その体験はハッキリしていないのですか?
その体験は信前のものにわかる体験ですか?
その体験には疑いの心があるのでか?
712 :
名無しさん@3周年:04/12/20 11:37:14 ID:RlGNy6DR
>>711 ×その体験には疑いの心があるのでか?
○その体験には疑いの心があるのですか?
>>712 だめだ、そこは分かってても、突っ込んでは駄目だろうがw
オラもうsの相手するの疲れただ…
そもそも、開山聖人の教えたことのすべては、信心ということが先に来る。
その信心というのは何の事かというと、善も無く、悪を造りどうしの
私たちのような、浅ましい凡夫が、たやすく弥陀の浄土に
参らせるための基本となる事です。
この信心というものを獲得しなければ、極楽には往生せず、無間地獄に堕在するのです。
これは大事なことなので、その信心をとるということはどういうことか詳しく説明すると
その、弥陀如来一仏を深くたのみ、自余の諸善・万行にこころをかけないで、
諸神・諸菩薩につかえる心を失い、また、悪い、自力なんていう間違った考えを
なげ棄てて、弥陀を一心一向に信楽して(18願成就)二心(一心に定まった)のない人を、
弥陀は必ずあまねく照らす光明(力)をもって、その人を摂取して捨てたりはしないように
してくださるということなのです。
かように信をとった上での話で、寝てもさめても常に称える念仏は、かの弥陀の、
我らを助けたまいし御恩を、報じあげる念仏と心得なければいけません。
このように、心得た人こそが、まことに当流の信心の正しい道理をよりよく理解したというものでしょう。
このほかに、別の信心をもっていると言う人がいれば、それは大きなあやまちですよ。
そんなものはすべて承諾してはいけませんし、しません。
これが、ほんとのところなんじゃないの?
716 :
名無しさん@3周年:04/12/20 14:47:13 ID:BQyE+RLK
【海外】 理科室で核爆弾を密造した中学校教諭を逮捕
フランスの朝刊ル・モンドが7日伝えたところによると、ストラスブール市警は同市内に住む中学校教諭ヌマンシアナ・ルポワール容疑者(26)を逮捕したと伝えた。
ルポワール容疑は勤務する中学校の理科実験室で小型の核爆弾を密かに製造した疑いをかけられていた。
市警が小型爆弾を押収し、国立核化学研究院に調査を依頼したところ、ヒロシマ型爆弾の約25%ほどの能力があったという。
同容疑者は2年前にパリ第7大学大学院で原子力工学を修めた後、出身地のストラスブールで理科の教職に就いていた。
逮捕の直前、ルポワール容疑者はAP通信のインタビューに応じていた。
それによると同容疑者は大学院卒業時、原子力の研究所に就職を希望していたが叶わなかった。そこで自分の能力を認めてもらい、転職の好材料にしようと、核爆弾の製造を行ったという。
ルポワール容疑者は大学時代、準ミス・パリに選ばれたこともある才色兼備の女性。
モデル事務所数社からスカウトされたが、本人はあくまで原子力に興味があったようだ。
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news7/1094217861/ (準ミス・パリ受賞時の写真あり)
ここの住人にもいろんなスタンスがあると思います。住人がみんな辺地往生を
目指しているとか、勝手なレッテル張りするのはs会の論客の悪い癖です。
>>707 >辺地往生は立派な往生の一種です。地獄ではありません。
「立派な往生」の根拠を挙げてください。
「うたがうつみのふかきゆえ七宝の獄にぞいましむる」
「或生辺地ときらいつつ或堕宮胎とすてらるる」
とまで親鸞聖人は仰っているのに立派なわけないでしょう。
あくまで報土往生をお勧めです。
>>709 >あとから、死後でないと確定しないとかいい加減な事言ったら混乱するよ。
「来迎は不定の益なり」とおっしゃった存覚上人は間違いですか?
>>697 >ほんとに辺地往生したなら、それなりの慶喜の心がでるはず。
臨終に来迎があれば、それなりの慶喜の心は出るでしょう。
>>710 >報土往生と辺地往生どっちが簡単なの?
「この一念の安心一つにて浄土に往生することの、あら、やうもいらぬとりやすの安心や。
されば安心といふ二字をば、「やすきこころ」とよめるはこのこころなり。さらになに
の造作もなく一心一向に如来をたのみまゐらする信心ひとつにて、極楽に往生すべし。
あら、こころえやすの安心や。また、あら、往きやすの浄土や。」
信心獲たひとにとって、報土往生は容易ですが、そういう人は稀である、とご教示です。
>>708 >出来る方がおられるのですか?
あなたはできないと仰る。でも出来る方がいないと言ったらそれは間違いで傲慢な
考えでしょう。往生要集で源信僧都は化土に往生するひと少なからずとおっしゃっ
ていますが、源信僧都は嘘つきなのですか?
>どこへ行くのかはっきりさせない。
個人の業がみんな違うのに、勝手に他人の死後の行き先をはっきりさせるほうが
いい加減ではありませんか。
>辺地往生するとか、適当なことを言う奴ばかりだ。
ですから源信僧都に文句いってください。
「自力諸善のひとはみな仏智の不思議をうたがえば
自業自得の道理にて七宝の獄にぞいりにける」
親鸞聖人にも文句いってください。
719 :
名無しさん@3周年:04/12/20 15:37:52 ID:xE2uo5Rh
私は地獄ゆきです、と個人が主張するのは結構です。
しかし、業をろくに知りもしない他人に向かって、あんたも、あんたの親も、
みんながみんな無間地獄ゆき、(一切衆生 必堕無間)といって脅すのは
おかしいと思う。
そういう意味でも念仏者氏のお説は興味深いと思いました。
個人の業は違う、って、
それは無間業を持たない個人とか、至心を容易できる個人もいるはずだ、といいたいの?
それとも末代の凡夫以外の人を指して言ってるの?
そろそろはっきりさせましょう。
化土を目指している人たちばかり、ではないかもね。
しかし、非常に多くの人が化土の救いをあてにしてるのはよく分かる。
しぶとい自力が最後目を向けるのが化土。
それを夢見て善や念仏に一心に向かおうとする人がいれば、
それだけ自分の後生を大事に思う人と言える。
でもそれをしようとせず、できるかどうかの思慮もなく、
机上の空論で化土にいける、と主語の不明確な主張を繰り返す人が非常に多い。
>>721 >個人の業は違う、って、
それは無間業を持たない個人とか、至心を容易できる個人もいるはずだ、といいたいの?
それとも末代の凡夫以外の人を指して言ってるの?
どうしてそんなに他人の後生が気になるのですか?
>机上の空論で化土にいける、と主語の不明確な主張を繰り返す人が非常に多い。
資質のあるひとは化土にいける、ということでしょう。
誰が資質があるかなんてわかりません。主語が不明確なのは当たり前です。
真宗では化土往生を勧めていません。
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha217.htmlから >生物学的な死を基軸とした「生まれ変り」や「死後の生存」に関して、ブッダは一貫
して否定も肯定も拒絶する、無記の姿勢を堅持したというのが私の見解です。
・・・・ブッダは無記の範畴に関して、特に覚者と衆生の区別を設けておりません。
「タターガタ」の語釈にしても原始佛教の段階では「如来」といういわば超人的意味は
未確立であったと考えておりますが、・・・
「生死輪廻」も以上のような前提で捉えるのが妥当ではないかと思います。
という意見をどうおもわれますか?。
>723
自分のまわりの他人のことを心配するのは人として当然のこと。
資質も説かれているんだから、まわりの人にその資質があるか、仏説に照らして
判断し、ちゃんと救われる道を勧めなければならない。
救われないのなら迷わぬようにそう言わなきゃいけない。
そこまで言わせるのか。
>724
それだけではなにが言いたいか分からんよ。
727 :
名無しさん@3周年:04/12/20 17:56:58 ID:5OiYWZTF
>>694 念仏者氏
>みなさんにここで明言しておきたい。
>阿弥陀仏の救済は無条件である。そのまま来いよの誓願である。信心は無条件に頂くのである。
>信心決定しなければ救われぬと思っているうちは救われないぞ。
>疑いの心がツユチリほども無くならなくてはならぬと思っているうちは救われないぞ。
>
>我々が自らに課している「こうならなくてはならぬ」という条件は満たされないまま信心決定するのである。
化土に目を奪われたs会員ID:dXZjKmV6にとってはどうでもいいこととして、
その他の皆さんは決して、目をそらしてはならぬ一文と思われ。
>>726 きっとあなたはs会の中でも、「いいひと」なんでしょうけどね。
いやおだてているんじゃなくて。よくある親s論者のように相手を頭から見下して
いないからね。
>自分のまわりの他人のことを心配するのは人として当然のこと。
これは倫理道徳のレベルの話でしょう。どんな状況においても、結局は
自己本位の我執から逃れられず、他人を心配するなんぞいう心を持ち合わせて
いない自身に気がつくように説かれているのが真宗ではないのですか?
まあ、布教活動に甚大な価値を認めるs会のひとにこんな話をしても
無駄なんでしょうけどね。
要するに、あなたはちがうんでしょうけど、自分の機すら信知されていない会員が
他人に向かって、あんたは地獄に落ちるからs会で仏道求めろ、とかいってもほとんど
詐欺行為に当たるのではないか、ということをいいたいのですよ。
>>724はs会の人たち一般に対して、あるいはここの住人に対して、
原始仏教における「無記」と「必堕無間」をどのように整合させているのか
知りたかっただけです。あなたに答えていただく必要はありません。
T森先生は、「死後の世界は実在します」とハッキリとK1に書いておられますが、
s会は常見外道?と思うかたは少なくないと思いますよ。
>
慈悲なき我が身を知らされるから、慈悲はかけないほうがいいの?
かけるほうがいいの?どっち?
それと、経文に明らかなことでも信知していないと
人に言ってはいけないの?
あと、無記について語りたいならお聖教の根拠を出さないと始まらないと思うよ。
>>729 >経文に明らかなことでも信知していないと人に言ってはいけないの?
あなたが「経文に明らかな」人なら別に止めませんよ。
s会は大学2年ともなるともう勧誘行為させてるじゃないですか。
さらにはダミーサークルつくって嘘ついて、身分詐称してね。
そういう点は今後も批判しますよ。
>慈悲なき我が身を知らされるから
自信教人信で、知らされるほうが先じゃないですか。
>無記について語りたいならお聖教の根拠を出さないと始まらないと思うよ。
別にいいですが、みんなの出方をみてからね。
少し話がずれるから、他の議論の邪魔したくないし。
私はここで落ちます。今日お返事できるかどうかわかりません。
では。
批判したいことがあればしたらいいよ。
でも経文に明らかなことに反するものを排除することが先でしょう。
先の質問にあなたはまだ答えていないからね。
話をそらさないように。
慈悲については、信善はそのまねごとをする方がいいか、しないほうがいいか、
という質問ですよ。
732 :
渡海 難PARTU:04/12/20 18:58:41 ID:VTe4AhHh
今年こそは信心決定しようと思ったのに。
今年もあとわずか10日。10日でできるかな?
かなり難しい!
>>724はs会の人たち一般に対して、あるいはここの住人に対して、
原始仏教における「無記」と「必堕無間」をどのように整合させているのか
知りたかっただけです。あなたに答えていただく必要はありません。
T森先生は、「死後の世界は実在します」とハッキリとK1に書いておられますが、
s会は常見外道?と思うかたは少なくないと思いますよ。
本願寺では死後について「無記」説をとっているのかな?
「一切衆生必堕無間」と教えられているのかな?
興味深いね。
734 :
名無しさん@3周年:04/12/20 21:23:19 ID:b05ojtBQ
>>733 >あなたに答えていただく必要はありません。
だれに言ってるんだろう。
みんな答える必要はなさそうですな。
>T森先生は、「死後の世界は実在します」とハッキリとK1に書いておられますが、
s会は常見外道?と思うかたは少なくないと思いますよ。
少ないんじゃないですか?
常見と断見の意味を知っていればね。
横レスすまんが、
>>726 >資質も説かれているんだから、まわりの人にその資質があるか、仏説に照らして
>判断し、ちゃんと救われる道を勧めなければならない。
凡夫が、仏説に照らして他人の三業を判断できますか?
>>729 >慈悲なき我が身を知らされるから、慈悲はかけないほうがいいの?
>かけるほうがいいの?どっち?
>>731 >慈悲については、信善はそのまねごとをする方がいいか、しないほうがいいか、
慈悲って仏教でいう心の問題なのに、道徳の問題それも行動の問題にすり替えてない?
仏菩薩の心である「慈悲の心」なんてまねしようがないよ。
717 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/20 15:36:28 UNuGztF+
ここの住人にもいろんなスタンスがあると思います。住人がみんな辺地往生を
目指しているとか、勝手なレッテル張りするのはs会の論客の悪い癖です。
>>707 >辺地往生は立派な往生の一種です。地獄ではありません。
「立派な往生」の根拠を挙げてください。
「うたがうつみのふかきゆえ七宝の獄にぞいましむる」
「或生辺地ときらいつつ或堕宮胎とすてらるる」
とまで親鸞聖人は仰っているのに立派なわけないでしょう。
あくまで報土往生をお勧めです。
辺地往生が往生じゃなかったら、なんなの?地獄なの?
>>731 >慈悲については、信善(前?)はそのまねごとをする方がいいか、しないほうがいいか、
という質問ですよ。
自分でも「ほんとかなぁ」と疑っていることを
「間違いない」「絶対に」「真実である」と、他人に断言するのは
控えるのが筋ではないでしょうか?
「これは真実である」と言うのと「これは真実だと思う」と言うのはまるで違う。
自分の信じることが何であるかを他人に示す上で、
自他に対して誠実(一般的な意味での、ですよ)な態度の取り方というものが
どちらであるかは、人それぞれの倫理観によってしまうのかもしれませんが。
よもや「まねごと」とやらに付き合わされる人のことまでは気が回らない、
なんてことはないでしょう。
ま、この話題はメインから外れそうなのでまた追って。
>>727注視
如何にも凡夫チックな疑問で失礼ながら、
「念仏者さんはいわゆる機決定ではないのか?」という私からの疑問を呈しつつ。
738 :
名無しさん@3周年:04/12/21 00:18:01 ID:bN/SOyMX
>>733 本願寺(派?)では無記説(この無記を唯識の無記説ととるのか、倶舎のをとるのか、
あなた流の解釈なのかどうか知りませんが・・・)について、
もし、問題とするのであれば、本願寺派では、唯識説を基に「無記」については考えているようです。
というか、考えていました(過去形:江戸時代)。現代はどうであるか知りませんが、
現代本願寺派の教学においても、空華学派の教学を根幹としているようですので、
そう言ってかまわないのでは?と独断と偏見にて、思います。
死後について(の思い)は、凡情にまかせているところが多いのではないかと現場的には感じます。
あの人が逝ったのは地獄か浄土か?、それこそがはからいの極まりでは?。
実際に逝ってきた人なら答えられるでしょうが。もどってきて具体的に教えてくれた人は見たことが
ありませんし、万が一いた人がいてそのことを語ったとするなら、この人おかしいいんちゃうか?
と思います。丹波哲郎の大霊界を信じるのは別に人の好き好きでしょうが・・・
一切衆生必堕無間なんて言葉は、s会の教義中でしか聞いたことがありませんし、
仏教学の立場から言えば、そんな大雑把な物言いは相手にされません。
宗学上でも、まずは宗祖の引文にあるか?という所から考察すべきでありましょう。
ちなみに法華経には、もっとすごいことが書いてありますよ。
もちろん、本願寺(東西問わず)では使うわけはありません。
第一、祖師のお言葉には全く出てきませんので。
718 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/20 15:37:41 UNuGztF+
>>710 >報土往生と辺地往生どっちが簡単なの?
「この一念の安心一つにて浄土に往生することの、あら、やうもいらぬとりやすの安心や。
されば安心といふ二字をば、「やすきこころ」とよめるはこのこころなり。さらになに
の造作もなく一心一向に如来をたのみまゐらする信心ひとつにて、極楽に往生すべし。
あら、こころえやすの安心や。また、あら、往きやすの浄土や。」
信心獲たひとにとって、報土往生は容易ですが、そういう人は稀である、とご教示です。
ということは、報土往生のほうが簡単なのね。
辺地往生が簡単にできるなんて簡単に考えては駄目なんだね。
>>708 >出来る方がおられるのですか?
あなたはできないと仰る。でも出来る方がいないと言ったらそれは間違いで傲慢な
考えでしょう。往生要集で源信僧都は化土に往生するひと少なからずとおっしゃっ
ていますが、源信僧都は嘘つきなのですか?
でも、他に出来そうな人が見当たらない。
どちらにしても、全員化土往生するわけじゃないんだね。
業が深い人は、それなりのところに行くんだね。
>どこへ行くのかはっきりさせない。
個人の業がみんな違うのに、勝手に他人の死後の行き先をはっきりさせるほうが
いい加減ではありませんか。
人によって変わるんだね。
じゃあ、僕は無間地獄だろうね。
往生なんてとてもじゃないが出来る身分じゃないよ。
あなたは?あなたはどこへ行くの?
715 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/20 12:31:36 dXZjKmV6
そもそも、開山聖人の教えたことのすべては、信心ということが先に来る。
その信心というのは何の事かというと、善も無く、悪を造りどうしの
私たちのような、浅ましい凡夫が、たやすく弥陀の浄土に
参らせるための基本となる事です。
この信心というものを獲得しなければ、極楽には往生せず、無間地獄に堕在するのです。
これは大事なことなので、その信心をとるということはどういうことか詳しく説明すると
その、弥陀如来一仏を深くたのみ、自余の諸善・万行にこころをかけないで、
諸神・諸菩薩につかえる心を失い、また、悪い、自力なんていう間違った考えを
なげ棄てて、弥陀を一心一向に信楽して(18願成就)二心(一心に定まった)のない人を、
弥陀は必ずあまねく照らす光明(力)をもって、その人を摂取して捨てたりはしないように
してくださるということなのです。
かように信をとった上での話で、寝てもさめても常に称える念仏は、かの弥陀の、
我らを助けたまいし御恩を、報じあげる念仏と心得なければいけません。
このように、心得た人こそが、まことに当流の信心の正しい道理をよりよく理解したというものでしょう。
このほかに、別の信心をもっていると言う人がいれば、それは大きなあやまちですよ。
そんなものはすべて承諾してはいけませんし、しません。
ねぇ、やっぱり、これが、ほんとのところなんじゃないの?
凡夫が判断するんじゃなく、仏が判じておられるお言葉に従うんだよ。
もともと法論とはそういうもの。
自分の考えではなく仏、高僧の教えを聞く上で、
見解が分かれたとき、どちらが本当の教えか決するものでしょ。
その法論の意義そのものを否定するとでも?
>>742 釈迦仏が判じておられるとおりだとすると、
法謗罪を犯すものはみな、無間地獄へ堕ちるそうですよ。
そのほかに、四重、五逆も同じくだそうです。
この世の中に、法謗罪を犯してない人がいるとは信じられない。
いても一人じゃないの?
ほとんど、仏法なんて聞くと馬鹿にするものばかりだよ。
>>709 >あとから、死後でないと確定しないとかいい加減な事言ったら混乱するよ。
「来迎は不定の益なり」とおっしゃった存覚上人は間違いですか?
存覚上人の言うとおりなら、
やっぱり、臨終来迎なんてたのんではだめなんだな。
不定なんだよ。
745 :
名無しさん@3周年:04/12/21 00:33:23 ID:bN/SOyMX
>>741 スマヌ。明日、必ずちゃんとした訳を出すよ。ここんとこ忙しくてごめんね。
この訳はあまりに酷いので。
あとね、ヒントというか解答は、
自分の化土往生・報土往生・地獄往生(?)という観点から脱却すべきじゃないかと。
何処にいくのかわかんないよーという視点をひとまず置いておいて、
それを置いておいて、阿弥陀仏もしくは法蔵菩薩が願われたことを聞くべきではないかと。
他力だよ、他力。
ごめん、あさってになるかも。明日、忘年会だった・・・w
chao!!
>>741 >その、弥陀如来一仏を深くたのみ、自余の諸善・万行にこころをかけないで、
>諸神・諸菩薩につかえる心を失い、また、悪い、自力なんていう間違った考えを
>なげ棄てて、弥陀を一心一向に信楽して(18願成就)二心(一心に定まった)のない人
これはつまり信後の人の境地を語っているわけですよね。
じゃあ信前の人はどうやって十八願まで導かれると仰るのでしょうか?
十九願・二十願を通さずに導くのがs会の教えですか?
未信の者がこういう言葉を振りかざすのって、私にはどうも
「まねごと」のし過ぎのせいか、頭だけ十八願に入ったつもりになってしまって
前後の脈絡を損なっているように思えてしまうのですが。
ああ、釣られてしまったorz
>>745 訳なんか出さずとも原文だそうか?
このぐらいの古文読めない人はいないでしょう。
あなた、それから、忘年会なんか行くのやめなさいよ。
そんなんじゃ、化土往生どころか、お酒が入ればいやらしい妄想も起こす可能性があるので、
無間地獄逝きですよ?
お酒が入れば、仏法の事なんか忘れてしまうでしょ?
法謗罪ですよ、それ。
748 :
名無しさん@3周年:04/12/21 00:52:46 ID:bN/SOyMX
.
>>747 人生は仕事がつきものなの。
いろんなもの背負って生きてなきゃいけないの。
思いはかって下さいな、社会人としてw
orz
おやすみ
>742つづき
それと、慈悲は、心であり、行動ですよ。
苦を抜くを慈という。楽を与うるを悲という。
他人の苦を抜き、楽を与えてやりたいと思うことは、人間にもある。
本当はそんな心がないと知らされててもせずにいられない。
そんな心がないと知らされるからこそ、つとめて心から他人を思いやろうとする。
それはいいことですか?悪いことですか?
抑(そもそも)、開山聖人の御一流には、それ、信心ということをもって先とせられたり。
その信心というは何の用ぞというに、無善造悪の我等が様なるあさましき凡夫が、
容易く弥陀の浄土へまいりなんずるための出立なり。
この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。
これによりて、その信心をとらんずるようは、如何というに、それ、弥陀如来一仏を
深くたのみまつりて、自余の諸善・万行にこころを懸けず、又諸神・諸菩薩に於て
今生の祈りを、のみなせる心を失い、又、わろき、自力なんどいう僻思をもなげ棄てて、
弥陀を一心一向に信楽して二心のなき人を、弥陀は必ず遍照の光明をもって、
その人を摂取して捨てたまわざるものなり。
斯様に信をとる上には、寝ても起きても常に申す念仏は、かの弥陀の、
我等を助けたまう御恩を、報じたてまつる念仏なりと心得べし。かように心得たる人をこそ、
まことに当流の信心をよくとりたる正義とはいうべきものなり。
この外に、なお信心ということの、ありという人これあらば、大きなるあやまりなり。
すべて承引すべからざるものなり。
これが、原文ですね
このほかに、なお信心があるという人は、大きなるあやまちと仰せです。
>>750 が事実だとすると、信楽して二心のなき人でないと、
弥陀の遍照の光明はないということになりますね。
信心獲得しないと、無間地獄だそうです。
しかも、この外に、なお信心ということの、ありという人は、
大きなるあやまちとまでおっしゃってます。
iーj;二二;,__r‐、
>>747 忘 年 会 め っ ち ゃ こ え 〜
{~タ-―=二、`ヾ、~l
,-r'"_,,........,__ ` -、 `i)
彡;:;:;:;:;/~_Z_ ̄`ー、_ `l、 ,.-=-.、. ,..ィ"~~~~~:::::ヽ
7:;:;:;:;:/. `ー-ヲ t‐-、!`ヽi::r ,:、 ,..ム.゚.,..゚..,.、l ,r'"::;;;_;;::::::::::__:::::::\
;:;:;:;:;/ / ,.、 `!~|:::)::/ / :K"/ r:'" ,iii ~\ ,,...-,-、 /,.r''" ヽ:::::::::::i!
:;,;-〈 / Fニニヽ | .|:::l:::ヽ ラ-{ `"・ ・ ・ 。。 llL_/! /-v" `丶、 i" ,.-。-ュ-.ヽ:::::::::;!
' fヽ ヾ--" l,/::/r'" /`ー!: |~r-。、~`-、゚_ lソ / l ` 、 i ,r・')、 |:`''''' " ヽヽ:::::::ヽ
| ` 、___,..- '"|::::ゝ / l ノ i/`"'" ´゚-y' ./メ, / (・・)`丶、 '''ヽ l :~ ヽ! ,..-、 ヾ;:::::::::|
ヽ / レ"`‐.、_./ .レ /:; r-ニ、 K ./ 「 r'' //~~`''ーヾ'ー、 ノ l f'" '"~ノ l |::::::::L
ヽ _,.-‐−―`ー"ヽ_l ヾ `ー'",.! | |_/ | /、,,..-i'''t=ニ;ラ",l|`ゝr' ヽ ヽ-‐" //'"二
`,.-―'''''''''''<.,_ i" l ヽ....,,-" く__/ `ヽy:|`T"~、.,,__ `,i|ヾ | ヽ、 ,.:-‐-'',/,.r‐''"
'' " l i. ` / |,~`-、 | :i| F‐'''"| ! |ヽイ、_ ,..-‐f彡ゝ--‐"
| `: 、_ ノ ヽ ヽ'、 l!;;;;;;;/ / /:::::::`t''''丶、
l ~ '' ー― '' " /"`'' -、 r|ヽ ,......,,..;:"/:::r:、:::::::ノ
>>749 思春期に異性と付き合ったことあるかな?
一方的な思いやりは時として、単に相手を傷つけるだけで終わっちゃうこともあるんだYO!
あなたの慈悲心が実りますように(はぁと
>737
仏様がこのように説かれているという点で、
何の疑いもありませんよ。
思いなんかじゃない。
仏説をお伝えするだけ。
仏教なんて信じない、という人には何の説得力もないし、
逆に、だからこそ重く受けとめる方もある。
相手の仏縁次第ですね。
仏教に照らして、人間の慈悲がいいことか悪いことかっていう話してるの分かってる?
一般論の話ですよ?
時には、なんて特殊な例を持ち出して、
煙にまこうとしてるのかい?
邪魔するつもりならよしとくれ。
あ、上は>752ね。
>>753-754 他人への思いやりが行き違いして自損損他することは
決して特殊な事例じゃないと思うなあ。全人類の抱える悩み所だと思うよ。
誰もが自分の信じる正しさを人に伝えようとしている。なのに、それがいがみ合いを生じてしまう。
s会でも用いられてる極楽と地獄の食卓の喩えなんか、モロにそうでしょう?
あなた自身、そう実感される場面は多いのではないですか?
だからこそ、人に非ず=佛の教えを求めようとされているのでは?
仏説に「疑い=自力信心」を持たぬ方ハケ〜ン!が今夜の収穫かな。おやすみー
慈悲がいいかわるいかって話してるんだって言ってるの、意味分かってる?
やるようにするのがいいか、やらないようにするのがいいか、って話だよ。
話ずらしてる自覚ある?
だいたい相手を傷付けないように控えるのもまた思いやりでしょ。
それは単なる言葉の定義の問題。
教義上、かなり重要な点でもあるんで、あんまり酔っぱらいみたいにからんでこないでくれ。
>>736 >辺地往生が往生じゃなかったら、なんなの?地獄なの?
質問に対して質問で返すのですか?
辺地往生が往生でないなんて誰もいってません。
立派な往生、の根拠をあげるのが先。
立派というのは少なくとも勧められない、という意味ではないはずですが。
私は「勧められない根拠」「立派でない根拠」を出しています。
759 :
念仏者:04/12/21 07:58:23 ID:q/OmJZvb
釈尊は獅子身中の虫は獅子を殺すように、
仏法を滅ぼす者は仏法から出ると仰られました。
如来のお慈悲を知らされた者からすれば、
高森氏こそがこの獅子身中の虫であることは明らかなのであるが、
如何せん自力信前の者に伝えるのは骨が折れる。
高森氏の言葉を借りればまさに「壁に向かって話しているよう」である。
自力疑心の者が高森氏の教えを聞いても、
聖教に字面だけは根拠なるものが示されており、
あながち間違っているとは思えないのであるが、
絶対他力の大慈悲心が知らされ念仏申すようになった身から見ると、
その教えが間違っていることは大いに明らかなのである。
三願転入や廃立の教え方などは特にとてもじゃないが
お慈悲に生かされている者の教え方とは思えない。
しかし「諍論のところにはもろもろの煩悩発る、智者遠離すべし」
これはそんな議論を好む私には大変ありがたい言葉である。
私は如来の御心を解剖して検証するようなことなどはやめ、
ただむずとお助けを喜び念仏申すのが良いのかもしれない。
本願寺などはこのような立場ではないだろうか。
しかしどうしても親鸞会を見過ごすわけにはいかないのだ。
阿弥陀如来の御心、そして親鸞聖人の御心がねじまげられて伝えられるのは、
私を慈しみ育て上げてくれた親を目の前で殺されるような気分であり、くやしくてたまらない。
正直私はどうしたらいいかわからない。
なぜなら高森氏もこれと同じことを言っているのだから。
>>738 >一切衆生必堕無間なんて言葉は、s会の教義中でしか聞いたことがありませんし、
仏教学の立場から言えば、そんな大雑把な物言いは相手にされません。
宗学上でも、まずは宗祖の引文にあるか?という所から考察すべきでありましょう。
ちなみに法華経には、もっとすごいことが書いてありますよ。
同感です。
ちなみに一切衆生必堕無間なんて言葉は宗祖の引文にはありませんね。
それをs会の会員は知っていますから、どうしても、おまえはどうなんだ、
とか的外れなことばかりいって場面を糊塗しようとしています。
さすがに正論に対しては誰も反論しませんね。
>>740 >>往生要集で源信僧都は化土に往生するひと少なからずとおっしゃっ
ていますが、源信僧都は嘘つきなのですか?
>でも、他に出来そうな人が見当たらない。
まず質問に答えてくださいね。
源信僧都は化土に往生するひと少なからずとおっしゃっていますが、
源信僧都は嘘つきなのですか?
あなたが何年生きたかしらないですが、主観的経験からの物言いなんて
興味ないので。
>>744 >>あとから、死後でないと確定しないとかいい加減な事言ったら混乱するよ。
「来迎は不定の益なり」とおっしゃった存覚上人は間違いですか?
>存覚上人の言うとおりなら、やっぱり、臨終来迎なんてたのんではだめなんだな。
これも話をそらしていますね。あなたの意見
「(辺地往生は)死後でないと(往生)確定しないという説はいい加減な説」
に対する反論としてあげた根拠です。
他の説の補強材料に使うのも結構ですが、その前に、
「(辺地往生は)死後でないと(往生)確定しないという説はいい加減な説」
というあなたの意見は撤回ということですね。
>>747 >ID:ZsubC9LLさん
>そんなんじゃ、化土往生どころか、お酒が入ればいやらしい妄想も起こす
可能性があるので、無間地獄逝きですよ?
>法謗罪ですよ、それ。
こんなことばっかり書いていたらs会はオ○ム並のカルトと思われますよ。
ひょっとしてID:ZsubC9LLさんて以前にボランティアの人に対して辞めろとかいってた人では
ないですか?物言いが似ているので。
>>749 >他人の苦を抜き、楽を与えてやりたいと思うことは、人間にもある。
歎異抄第4章読まれました?
自身の煩悩をすべて断ち尽くす道と、煩悩は煩悩のままにして、
その煩悩に影響されない道のどちらが浄土真宗ですか?
765 :
名無しさん@3周年:04/12/21 10:07:22 ID:hq7ijd1i
釈尊は獅子身中の虫は獅子を殺すように、
仏法を滅ぼす者は仏法から出ると仰られました。
如来のお慈悲を知らされた者からすれば、
「念仏者」こそがこの獅子身中の虫であることは明らかなのであるが、
如何せん自力信前の者に伝えるのは骨が折れる。
高森先生の言葉を借りればまさに「壁に向かって話しているよう」である。
自力疑心の者が「念仏者」のレスを読んでも、
聖教に字面だけは根拠なるものが示されており、
あながち間違っているとは思えないのであるが、
絶対他力の大慈悲心が知らされ念仏申すようになった身から見ると、
その教えが間違っていることは大いに明らかなのである。
三願転入や廃立の教え方などは特にとてもじゃないが
お慈悲に生かされている者の教え方とは思えない。
しかし「諍論のところにはもろもろの煩悩発る、智者遠離すべし」
これはそんな議論を好む私には大変ありがたい言葉である。
私は如来の御心を解剖して検証するようなことなどはやめ、
ただむずとお助けを喜び念仏申すのが良いのかもしれない。
本願寺などはこのような立場とはいえないだろうが。
しかしどうしても「念仏者」を見過ごすわけにはいかないのだ。
阿弥陀如来の御心、そして親鸞聖人の御心がねじまげられて伝えられるのは、
私を慈しみ育て上げてくれた親を目の前で殺されるような気分であり、くやしくてたまらない。
正直私はどうしたらいいかわからない。
なぜなら「念仏者」もこれと同じことを言っているのだから。
ID:hq7ijd1iも往生ハッキリなんだ?
s会では、上の心と下の心とで、心を分けて考え、
上の心では地獄一定と理解せよ、しかし、下の心(自力の親玉)は、地獄一定の真実を受け入れようとしない、
だから、下の心に、因果の道理を徹底させ、地獄一定の自分であると聞かせよ。と教えている。
またs会では、
・因果の道理が知らされれば、善をせずにおれなくなる。(19)
・諸善では後生に間に合わないと知らされ、極善たる念仏を唱えずにおれなくなる。(20)
・そして善などできる私ではなかったと知らされると同時に信心決定。(18)
三願転入をこう解釈している。
よって、s会では我々すべてを地獄一定と定めて、信前の者が助かるかどうか思いあぐねることは、悪としていると言える。
768 :
名無しさん@3周年:04/12/21 12:44:40 ID:UhEIqOkW
>>761 > 源信僧都は化土に往生するひと少なからずとおっしゃっています
還相の菩薩方はたくさんおられるでしょう。
凡夫にいるかどうかが問題なのでは?
769 :
名無しさん@3周年:04/12/21 13:23:17 ID:SBoKfMjt
>>768 >還相の菩薩方はたくさんおられるでしょう。
つか、なんで還相の菩薩方はわざわざ19、20願で助かろうとしてんの?
馬鹿なんじゃないの?
770 :
500:04/12/21 17:04:17 ID:O0cPgDmb
>>念仏者氏
会の問題をそのように考えておられることは良く分かりました。
その点についてもお話すべきだとは思いますが、そのためには、先に、
明らかにしなければならない問題があります。
あなたの教義解釈について、いまだに返答いただけていない問題がありますので、お答え下さい。
この質問は、あなたの主張の核心に関わるものです。
19願20願も他力だから、その行人も他力におさめられているのだ、と主張されているのですね?
19願の人、20願の人とはどんな人ですか。あなたは無条件だ、ただの救いだとずいぶん強調されていますが、
19願20願、18願にも、全て具体的な約束の内容があるのです。
本当にただなら、その内容に相応せずしても救われるということですか?
それとも、相応した人だけのことを言われているのですか?
具体的には、修諸功徳 至心発願、植諸徳本 至心回向、とありますが、
それは一生造悪の凡夫にできるという主張なのか。
果から言えば、一生造悪の凡夫が化土往生できるという主張なのか、ということです。
我々の真実の機が、一生造悪の凡夫であるという見解があれば、当然の疑問でしょう。
如来の御心を解剖云々と仰いますが、18願と19願、20願の関係を知るには、
分けて説明するしかないでしょう。分けられないということは、分からないということです。
あなたが如来の真意がお分かりでない証です。
771 :
500:04/12/21 17:04:39 ID:O0cPgDmb
以下、先のレスを引用しておきます。
>>できないことはない。不定である。臨終まではわからない。
>>十九願、二十願で救われ化土往生する人はいるようです。
>一生造悪の凡夫であっても、という意味でよろしいですか?
>「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
>自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
>というのが阿弥陀仏の御心だ。
>こんなことを聴いたら普通の人は、
>「じゃあ十八願は無理そうだから十九願で。善をすればいいのだな」
>と自力修善に励むことになるでしょう。
>しかし本当にそれが阿弥陀仏の御心なのか?
>それに本当に十九願だけで化土往生できるのか?ということではないのでしょうか。
>しかし阿弥陀仏の御心を聞いて、「じゃあ十八願は無理そうだから十九願で。善をすればいいのだな」
>というふうに受け取るべきであるとは私は断じて言ってない。
「そう受け取るべきである」とは言われていませんが、あなた自身もお分かりのように、
普通の人がそう受け取ることをあなたは言われているのです。
そう受け取っても構わないと言われるなら、あなたの教えは実質、18願一つを勧める教えではない。
そう受け取ってはならないのなら、その点を明らかにしなければならない。
19、20願は末代の凡夫に相応した教えではない、と明言しなければなりません。
ことは、極楽に往生する道、です。
曖昧なままにしておけることではありません。徹底的に明らかにすべきです。
772 :
500:04/12/21 17:23:47 ID:O0cPgDmb
仏教は自分のこととして聞くのが正しい聞き方です。
自分はどうか、と常に自分を見つめていかなければなりません。
それが的外れだ、などと言う人こそ的外れもはなはだしいですね。
>19、20願の至心や「化土往生」は、「浄土真実」(まこと)ということですね。
>親鸞聖人は「化土往生」は「方便化土にとまるなり」「或生辺地ときらひつつ」と
>「真実ではない」と言われてますがこれ如何に?
「まことの心」は至心の意味です。それ以外の意味はありません。
方便に対する真実の意味とは違います。
>>凡智では分からないから、仏様、聖人の教えの通りにお話するしかありません。
>あなた自身は、その仏様、聖人の教えを信知されてますか?
知らされた範囲のことをお話しているだけです。信知とは違います。
>>多くの、いろいろな人がいて、いろいろな機があるように見えても
>ですから、「業感縁起」についての見解や「一切衆生必堕無間」の経典の
>根拠が問題になってるんじゃ?
どう問題になるのか分かりません。真実の機は逆謗の一機ではないという主張ですか?
それとも、そもそも衆生の多様な機が本質で、
真実のたった一つの機に収まるものではないという主張ですか?
>三願の問題とか、真と仮の問題とか、浄土門のたて分けとかどれも、本題と
>関連すると思いますが。報謝の問題も真仮の問題と関連すると思いますよ。
関連はしますけど、それを言ったらなんでも関連してます。
ただでさえ発散しがちなんだから、もっと絞るべきだと思います。
僕としては、まずは後生の一大事(無間地獄)と、19願20願の対機から入らねば
到底集約しないと思います。
773 :
名無しさん@3周年:04/12/21 17:33:06 ID:zhSSvIy7
774 :
500:04/12/21 17:34:02 ID:O0cPgDmb
横レス失礼します。
>>他人の苦を抜き、楽を与えてやりたいと思うことは、人間にもある。
>歎異抄第4章読まれました?
>自身の煩悩をすべて断ち尽くす道と、煩悩は煩悩のままにして、
>その煩悩に影響されない道のどちらが浄土真宗ですか?
浄土真宗が煩悩を断てと説く教えではないことに誰も異論はありません。
信前は(信後でもそうですが)そのようにつとめるほうがいいか、つとめないほうがいいか、
っていう問題ですよ。話がそれてます。
あなたの見解は?
775 :
名無しさん@3周年:04/12/21 18:24:44 ID:B5zwYB2Y
>>500 >如来の御心を解剖云々と仰いますが、18願と19願、20願の関係を知るには、
>分けて説明するしかないでしょう。分けられないということは、分からないということです。
>あなたが如来の真意がお分かりでない証です。
信心を得た証は、分けて説明できるとかそういうことなのですか?
それは自力の学者の仕事ですよ?
500さんのような自力執心の者には念仏者さんの意図がわからない。
あわれなり。
776 :
名無しさん@3周年:04/12/21 18:31:13 ID:q1RCdfwM
>>775 しかし、自力の凡夫は、分けずにいられないのじゃないですか?
かといって、分けるのを正当化されても困りますが…
分ける、分けないの議論は不毛だと思いますよ。500さん
777 :
名無しさん@3周年:04/12/21 19:08:22 ID:73oZLBIa
>>769 >なんで還相の菩薩方はわざわざ19、20願で助かろうとしてんの?
馬鹿なんじゃないの?
還相の方々は衆生済度にあらわれられるのですよ。
ほんとに馬鹿なんじゃないの?
>>768 >還相の菩薩方はたくさんおられるでしょう。
>>663の500さんのいわれる「はい。19願、20願の通り実行できる人が仮にあれば、還相の方でなくとも化土往生できます。」とは意見が違うということですか?
それに、還相の菩薩方なら未信じゃない(自力疑情がない)のだから化土往生じゃないんじゃないの?
>>742 >凡夫が判断するんじゃなく、仏が判じておられるお言葉に従うんだよ。
>もともと法論とはそういうもの。
未信の者が「自力で」仏のお言葉に従うことができますか?
それに教学もない凡夫にほんものの「法論」(呆論じゃなくてw)ができますか?
>>753 >仏様がこのように説かれているという点で、
>何の疑いもありませんよ。
>思いなんかじゃない。
>仏説をお伝えするだけ。
仏説に疑いを持ってる「未信の者」は、仏教を伝えることはできないということで
いいですか?
>>656の質問群への親sの方の回答待ってます。
779 :
名無しさん@3周年:04/12/21 19:10:49 ID:B5zwYB2Y
500さんは何年聴聞してるのかな。
偉そうな物の言い方してるけど、言ってる内容は他のゴミ会員と同じじゃん。
親鸞会のやつは信心を得たという人を見つけると
妬みの心が燃え盛り躍起になってその人の信心を疑う。
そんな信心は異安人だ地獄行きだとね。
自力の人が他力の人にケチつけても宿善にも何にもならんよ。
780 :
名無しさん@3周年:04/12/21 19:11:45 ID:ownQPRUs
>>777 だから、なんで衆生済度にあらわれられたはずの還相の方々が、
19,20願で助かろうとしてんのかってことでしょ?
781 :
500:04/12/21 19:55:46 ID:O0cPgDmb
>信心を得た証は、分けて説明できるとかそういうことなのですか?
信心を得れば、体験で、真仮の水際、分かれ目を信知します。
別に仏教用語を駆使できる必要はありません。自分の言葉で語ればよいのです。
分かっていれば話すことができます。話せるから本当に分かっているとは限りませんが、
分からなければ話せませんね。
>親鸞会のやつは信心を得たという人を見つけると
>妬みの心が燃え盛り躍起になってその人の信心を疑う。
あなたは念仏者氏の信心が浄土真宗の真実信心だという見解ということでしょうね。
残念ながら僕は全くそう思わないので妬みも何もありません。
あなたも、念仏者氏の信心が正しい信心だと主張されるのなら、
念仏者氏に向けた質問に答えて下さい。ぜひ、正義を明らかに致しましょう。
782 :
500:04/12/21 20:03:21 ID:O0cPgDmb
横レス失礼します。
>未信の者が「自力で」仏のお言葉に従うことができますか?
>それに教学もない凡夫にほんものの「法論」(呆論じゃなくてw)ができますか?
従おうとすることはできます。従うことを人に勧めることもできます。
お言葉を、そのままお話することもできます。
教学がないと法論はしようがありませんよ。
>仏説に疑いを持ってる「未信の者」は、仏教を伝えることはできないということで
>いいですか?
こういう仏説がある、と知っていれば(教学があれば)未信でも話せるでしょう。
仏説があることもよく知らなければ伝えることは無理です。
>>772 >「まことの心」は至心の意味です。それ以外の意味はありません。
再度確認したいのですが、親鸞聖人の教えでは、「化土往生」は真実ではなく、したがって
「化土往生」できるような(自力の)「至心」も真実の心ではないというのはいいですか?
500さんの言う「まことの心」というのは、浄土真宗ではなく「他門」(自力門)でいう
「まことの心」ということでいいですか?
>真実の機は逆謗の一機ではないという主張ですか?
>それとも、そもそも衆生の多様な機が本質で、
>真実のたった一つの機に収まるものではないという主張ですか?
真実の機は逆謗の一機というのは、阿弥陀さまからみた場合、自力疑情の化土往生人も
弥勒菩薩も最低の凡夫も「等しく」逆謗流転の一機に収まるということですね。それが
浄土真宗でいう機の真実でしょう。その機を開けば500さんも言われるように、「至
心」ができて「化土往生」できる機や、菩薩界へ進める機や、人間界に生まれる機や、
「必堕無間」の機など多様な機があるでしょう。500さんも言われるように「仏教は自分
のこととして聞くのが正しい聞き方です。」であり、「無間地獄に堕在すべきものなり」は、
機の深信の内容ですから、「他人の後生」や「一般論」を聞くのではないでしょう。
いろいろな機が一般論として「一切衆生必堕無間」という経説があると言われるから根拠を
お聞きしています。
>>772つづき
>知らされた範囲のことをお話しているだけです。信知とは違います。
あなたが凡夫であれば、凡夫自力の信念ということで「思い込み」と大差ない
ということでいいですか?
>僕としては、まずは後生の一大事(無間地獄)と、19願20願の対機から入らねば
>到底集約しないと思います。
あなたが何をチョイスされるかは自由です。しかし、上記の問題と
>>373,
>>375,
>>489,
>>426,
>>515,
>>543の回答はかぶってる部分多くありませんか?
あと、19、20願(要門、真門)は、至心のできる聖者を対機として説かれた教えという
ことでいいですか?
785 :
名無しさん@3周年:04/12/21 20:18:12 ID:0hVE9unJ
>>780 還相の方々というのは
魚になって食べられたり
人間に生まれて親となったり、友人になったり
あらゆる変化をされて衆生と縁を結ばれます。
特に、王舎城の悲劇は諸仏方の演じられた壮大なドラマでした。
それは「凡愚底下の罪人」を18願の世界に
導き入れんとされた方便であったのです。
聖人はイダイケも権化のひとといわれています。
還相の方々が19、20願で化土往生されるのは
「至心に発願して善を積んでごらん。化土へ行けるから」
「自力の念仏の功徳を至心に回向してごらん。化土へ行けるから」と
実際にやって見せられて、「至心に」発願し、回向すれば
化土往生できることを見せておられるのです。
「至心になれる」と思っている十方衆生には実際にできるか
どうか、やらせてみるしかない、やるせない仏さまがたの、
18願へ導くための方便です。
786 :
名無しさん@3周年:04/12/21 20:25:39 ID:0hVE9unJ
>>783 >機の深信の内容ですから、「他人の後生」や「一般論」を聞くのではないでしょう。
いろいろな機が一般論として「一切衆生必堕無間」という経説があると言われるから根拠を
お聞きしています。
意味不明。
機の深信は、本願の目当てである十方衆生にたつのだから
「一切衆生 必堕無間」になるのが当然では?
「一切凡小....」「一切の群生海....」も、そこから出てくる
お言葉でしょう。
787 :
名無しさん@3周年:04/12/21 20:33:31 ID:CZibGEtV
「敵の陣に火をとぼすを、火にてなき、とは思わず。いかなる人なり
とも、御ことばのとおりを申し、御詞をよみ申さば、信仰し、うけたまわるべき
ことなり、と。」(御一代記聞書)
未信のひとの言うことだから、真実ではないとおもうべきではない。
お言葉のとおり、読みひとに語るのなら、尊んでお聞きしなければ
ならない、との仰せです。
788 :
500:04/12/21 20:51:07 ID:O0cPgDmb
>500さんの言う「まことの心」というのは、浄土真宗ではなく「他門」(自力門)でいう
>「まことの心」ということでいいですか?
意図があまりよく分かりません。
「まこと」の意味は、三業の所修、一念一刹那も清浄ならざるなく、真心ならざるなし、のお言葉の中で
言われているような、真実心、清浄心と解釈すればよいでしょう。
そこでは弥陀の〜という意味で使われていますが、もちろん19願の至心は自力ですよ。
>いろいろな機が一般論として「一切衆生必堕無間」という経説があると言われるから根拠を
>お聞きしています。
すべての機が真実の機に収まるのなら一般化できるのではありませんか?
つまり、すべての人の機の深信の境地でもあるのです。
そして、弥陀の光明によって照らし出されたその自己の相は、大袈裟でも脅しでもない、
まぎれもない本当の自分の姿です。
僕はお経の根拠としては存じ上げませんが、五逆、謗法といった無間業の教説、
19願、20願、18願の教えから、必然的帰結と言えます。
業道は秤の如し。重き者まずひく。(教行信証)
>あなたが凡夫であれば、凡夫自力の信念ということで「思い込み」と大差ない
>ということでいいですか?
凡夫の信念に価値があるのではなく、仏語に価値があります。
>あなたが何をチョイスされるかは自由です。しかし、上記の問題と
>>373,
>>375,
>>489,
>
>>426,
>>515,
>>543の回答はかぶってる部分多くありませんか?
本筋に必要とは感じません。
>あと、19、20願(要門、真門)は、至心のできる聖者を対機として説かれた教えという
>ことでいいですか?
一生造悪の凡夫に相応しないという点はよろしいですか?
そこがまだよろしくない方が多いようなのでなかなか話を進めにくいです。
昨日の、再掲しときます。
個人の業は違う、って、
それは無間業を持たない個人とか、至心を用意できる個人もいるはずだ、といいたいの?
それとも末代の凡夫以外の人を指して言ってるの?
そろそろはっきりさせましょう。
790 :
名無しさん@3周年:04/12/21 21:27:49 ID:bN/SOyMX
>>789 います。私個人の判断ですが・・・
いない。これもあなただけの個人の判断。
いようがいまいが、それは個々の経験上における判断に
異ならない。いる可能性もゼロとはいえない。
なぜなら、ゼロと主張する人が全人類の一人ひとりを見てきた
わけではないから。
いない可能性もゼロとは言えない。上に同じ。
断言できる素材などない。
ということは、断言できないということが真実だということ。
791 :
名無しさん@3周年:04/12/21 21:32:51 ID:bN/SOyMX
>>790 親鸞はなんと言ったのか、聞け。とにかく聞け。
喪前のわけわからん胸に聞くのでもなく、T森に聞くのでもなく
門主に聞くのでもなく、私どもに残された聖教に聞け、てゆーか、
そういう風に努力しろ、( ゚Д゚)ヴォケ!!
792 :
念仏者:04/12/21 22:09:30 ID:q/OmJZvb
>>500 >>788 「一切衆生 必堕無間」という言葉はお経にない言葉である。
まずお経にない言葉をむやみやたらと振り回すのはいけない。
こんなことが知りたい@
「経典に釈尊は一切衆生必堕無間と説かれています」
自分で作った言葉を釈尊があたかも仰ったかのように言っている。
書かれています、ではなくて、説かれています、というところがさらに悪質である。
これは高森教学が間違っているとかそれ以前のとんでもない問題である。
>凡夫の信念に価値があるのではなく、仏語に価値があります。
一切衆生 必堕無間は仏語ではなく高森語でしょう。
高森語に価値があるとするのは自力のあなたの主観、思い込みでしょう。
高森語、高森解釈に仏語と等しい価値があると言いたいのなら、
高森語は真であったとハッキリ知ってからどうぞ。
そうでないのなら慎みなさい。
全人類を一人一人見てきたわけではない親鸞聖人が、
一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日今時に至るまで、
穢悪汚染にして清浄の心なく、虚仮諂偽にして清浄の心なし、
と言われています。
どうして至心があったり無間業を持たない末代の凡夫がいる、
なんて結論が出てくるのか教えて下さい。
>>767 質問
>・因果の道理が知らされれば、善をせずにおれなくなる。(19)
その諸善の中には、多くの称名念仏は含まれないですか?
795 :
500:04/12/21 22:17:27 ID:O0cPgDmb
念仏者さんとお話してたのはそんなことじゃなかったでしょう…
>自分で作った言葉を釈尊があたかも仰ったかのように言っている。
僕らが知らないだけでそういう結論になるわけないでしょう。
教学以前の問題です。先生ご本人にお尋ねされれば済むことです。
>高森語は真であったとハッキリ知ってからどうぞ。
はっきりしていることしか言ってないと思います。
796 :
500:04/12/21 22:21:08 ID:O0cPgDmb
>>794 含まれます。
ただ、そのときは自分の善より優れた善だ、ぐらいに思っている念仏
(万行随一の念仏)です。
はるかに優れた善だと思っている念仏が20願の万行超過の念仏です。
助けていただいたお礼に称えるのが、18願、自然法爾の念仏です。
797 :
名無しさん@3周年:04/12/21 22:28:58 ID:nTkwlUYH
>>785 意味わかんないです。そう考えれば、化土に往生する人が多くいる
説明がつくという都合のいいあなたの妄想にしか聞こえません。
お聖教上の根拠はありますか?
また
>還相の方々が19、20願で化土往生されるのは
>「至心に発願して善を積んでごらん。化土へ行けるから」
>「自力の念仏の功徳を至心に回向してごらん。化土へ行けるから」と
>実際にやって見せられて、「至心に」発願し、回向すれば
>化土往生できることを見せておられるのです。
>「至心になれる」と思っている十方衆生には実際にできるか
>どうか、やらせてみるしかない、やるせない仏さまがたの、
>18願へ導くための方便です。
これと王舎城の話ってまったく関係ないよね。
王舎城は実際にあった出来事、もしくは起こりうる出来事でしょ。
反対に、あなたの主張だけど
還相の方々が19、20願で化土往生されるの誰か見たことあるの?あるはずがないよね?。
19,20願で助かろうとしている人を還相の菩薩の化身と見る考え方はありうるけど、
s会の解釈だと、凡夫だと助からないらしいから、化身でさえ起こりえない。
私たちの見えない世界で、勝手に化土に往生しているらしい還相の菩薩方は
一体何をされているので?
根拠があるなら分かりますが、あなたの作り出したお話を仏説と言われても困りますよ。
798 :
名無しさん@3周年:04/12/21 22:33:38 ID:bN/SOyMX
>793
阿弥陀仏の本願力に照らされた、慈悲に照らされたご自身の
姿を、親鸞本人の姿をそう言ったととらえることはできませんか?
普遍的に、全人類=凡夫、=悪人とか、=地獄逝きと捕らえるのでは
なく、親鸞聖人「自身においてはこうである」という捕らえ方をされていたのでは?
親鸞聖人(自分)=凡夫=悪人であるが、他の人はどうであるか知らない(というかわからない)、
もしかしたら、昨日会った他人は、私にとっては還相の菩薩であるかも知れないのです。
私親鸞は地獄に落ちても所詮なきものではあるが、あなた自身が私がいただいた
法然上人の教えに共感されるのであれば、ともどもにその心にあずからせていただきましょうよ。
というのが、親鸞聖人の勧め方じゃないんですか?
再考求む。
799 :
念仏者:04/12/21 22:36:27 ID:q/OmJZvb
>会員の方々
高森氏は2chで破邪顕正せよ!と仰っているんですか?
ネットで親鸞会に法論をしかけてくる者の相手をせよと仰ってますか?
120%そんなことは教えてないと思います。
魚屋と喧嘩するなとの教えでしょう。高森氏からよくよく聴聞されたら良い。
しかし信心がどうにもこうにも得られなくて辛くて仕方なくなったら
他の先生を当たってみるのもいいですよ。
>信を求める住人の方々
何よりも問題にすべきは自分自身の信心決定でしょう。
2chで親鸞会の嘘を暴くのも良い縁になるかもしれません。
でも真剣に安心を求めるのであればやはり善知識から聴聞せねばなりません。
信心を見せびらかすような馬鹿な振る舞いをして申し訳ないです。
我ながら情けなく思います。南無阿弥陀仏。
一切の群生海とはどういう意味ですか?
801 :
500:04/12/21 22:52:22 ID:O0cPgDmb
お待ちなさい、念仏者さん。
さんざん大口を叩いておいてそれはないですよ。
自分で言ったことの説明もできないようでは、自分の尻も自分で拭けぬ幼子と同じです。
三願の真意を明らかにするために来たのではなかったのですか。
三願の真意の議論をしに来たのではないのですか。
その願意を質問されて、逃げるとは何事ですか?
本末転倒もここに極まれり、でしょう。
仏教徒の自覚があるなら、教義上の問題に、
体当たりでも何でもぶつかってみたらいかがですか?
見解が違えば根拠に照らして決するのが当然の流れ。
まだ、僕はごく単純な質問しかしておりませんから、yes・noで明快にお答えできるはずです。
仏説の開顕に、背を向けないで下さい。
ことは未来永劫浮かぶか沈むかの大事なのです。
>高森氏は2chで破邪顕正せよ!と仰っているんですか?
>ネットで親鸞会に法論をしかけてくる者の相手をせよと仰ってますか?
先生は破邪顕正せよと仰っています。2chでするなとお聞きしたことはありません。
>800は、
>798に対してのレスです。
よろしく。
803 :
念仏者:04/12/21 22:58:49 ID:q/OmJZvb
>19願20願も他力だから、その行人も他力におさめられているのだ、と主張されているのですね?
そうです。善をしよう、念仏称えようと思う心ですら如来からの賜りものです。
>19願の人、20願の人とはどんな人ですか。あなたは無条件だ、ただの救いだとずいぶん強調されていますが、
>19願20願、18願にも、全て具体的な約束の内容があるのです。
>本当にただなら、その内容に相応せずしても救われるということですか?
>それとも、相応した人だけのことを言われているのですか?
何度言えばわかりますか。十九願、二十願は他力の中の自力であり。
他力の中にすでにいること、十九、二十願をたててくださった御慈悲を知って喜びなさい、
そして十八願の他力に入れというのが私の主張です。
>具体的には、修諸功徳 至心発願、植諸徳本 至心回向、とありますが、
>それは一生造悪の凡夫にできるという主張なのか。
>果から言えば、一生造悪の凡夫が化土往生できるという主張なのか、ということです。
何度も繰り返すが、凡夫が至心を回向できるできない、化土往生できるできない、
という主張は一度もしたことがないぞ。
なぜ会員のみなさんは化土往生できるかできないか、という話にもっていくのでしょうか?
十八願の心がわからぬと逃げようとする私を十九願二十願でもらさず救いあげるぞ、
と誓われた御慈悲が身にしみて自力の皮をとっていただけるというものである。
804 :
名無しさん@3周年:04/12/21 23:00:57 ID:bN/SOyMX
>>785 の方がアンチかどうか知りませんが、
>「自力の念仏の功徳を至心に回向してごらん。化土へ行けるから」と
>実際にやって見せられて、「至心に」発願し、回向すれば
>化土往生できることを見せておられるのです。
>「至心になれる」と思っている十方衆生には実際にできるか
>どうか、やらせてみるしかない、やるせない仏さまがたの、
>18願へ導くための方便です。
この解釈は「念仏者」さんの解釈とは違いますが。まあ、それは個人個人
考えるべき、というか、どこまでも深く考えるべきところでしょう。
>>797&皆様
「念仏者」さんが問題にされているのは、たぶん「疑惑の心」なのだと思います。
何故に、19・20願では化土往生なのかといえば、疑心があるからと私は結論づけます。
教行信証をご覧下さい。疑蓋無雑ということばが沢山でてきます。
疑惑とは何か?
T森さんの話を疑問に思うということでもなく、東西門主の言葉に疑惑を持つということでもない
ということは教行信証をご覧いただければお解かりになられることだと思います。
「必ず、お前を浄土往生させる。地獄に落とさせることなど断じてさせない。
なぜなら、俺にとって、お前が何にも変えることができない大切な存在だからだ。
お前の罪を喜んで背負いましょう。喜んで、諸の苦しみ、毒を得ましょう。
決して後悔はしないよ、なぜなら俺はお前のことが大事でならないから」
名号(十方世界に告げる名乗り)を私たち自身がうけとめるか、否か?
親鸞聖人はどう受け止めていたのでしょうか?
南無阿弥陀仏
805 :
念仏者:04/12/21 23:02:08 ID:q/OmJZvb
>500
逃げてはいません。何よりも先に伝えるべきことを書いたのです。
それからyes noのデジタル思考は何とかしてください。
806 :
名無しさん@3周年:04/12/21 23:02:57 ID:bN/SOyMX
>>802 ごめんね、一切群生海=親鸞聖人自身です。
私の見解だとね。
ちゃお。
>>796 >万行随一の念仏、万行超過の念仏、
(これ造語ですね?)
この念仏は勧誘より優れた行であると認識しているのでしょうが、
S会では実際に念仏を沢山称えることを勧めていますか?
808 :
念仏者:04/12/21 23:10:10 ID:q/OmJZvb
>>500さん
高森氏は破邪顕正せよ、と厳しく教えているのは知っています。
ひとつ質問してよろしいかな?
キリスト教や日蓮宗や本願寺など、親鸞会以外を全て破邪顕正せよとの教えですか?
その場合破邪顕正、廃立とはどのように行うことと教えていますか?
809 :
名無しさん@3周年:04/12/21 23:14:04 ID:bN/SOyMX
>>804追記
>>785 の方がアンチかどうか知りませんが
と言っておいて、私の立場を申しておりませんでした。
私の立場では、今のままのs会では、アンチです。
今のままの本願寺執行部のあり方に対してもアンチです。
すんません、追記ということで・・・。
おやすみなさい。御苦労さま。
>>807 >この念仏は勧誘より優れた行であると認識しているのでしょうが、
どうなんでしょう。
念仏より勧誘のほうがs会的には上のような気がするが・・。
毎日毎日念仏と、
毎日毎日勧誘、
s会会員さあん、どっちがいいんですか?
811 :
名無しさん@3周年:04/12/21 23:41:13 ID:RQypAxZo
横レス…
化土往生の至心の件ですが、
凡夫が19,20願を信じて、助かろうと諸善や念仏を唱えようとしたとき、
これは自力とはいえ、阿弥陀仏がそうさせようとのお力添えがあったのだから、
そうしようと思った心は、至心と言えるのではないでしょうか?
>>799 >でも真剣に安心を求めるのであればやはり善知識から聴聞せねばなりません。
ひとつだけ。
たしかに聴聞が信を領受するよい縁となることは多いでしょう。
しかし信を得るのに”〜をせねばならない”というのはないと思います。
たとえば法然上人は善導大師の文によって獲信したのでは?
人間は自分の体験を絶対化・普遍化しがちです。
しかし、ある人の辿った道を他の人も必ず通ら”なければならない”わけではないでしょう。
弥陀の願力は不思議であり、あらゆる方法で行者を摂取しようと迫って来るのですから。
(それこそ獲信後には、すべてが自然法爾であったことを知らしめられます)
「学問を”しなければ”信を得られない」
「多くの称名を”しなければ”信を得られない」
「自力無効を知るところまで行を”しなければ”信を得られない」
「善知識から聴聞”しなければ”信を得られない」
色々ありますが弥陀の願力を知るのに必勝法はないと思います。
813 :
500:04/12/21 23:44:01 ID:O0cPgDmb
>逃げてはいません。何よりも先に伝えるべきことを書いたのです。
>それからyes noのデジタル思考は何とかしてください。
それは失礼しました。早とちりでした。
ところで、教義上の質問に明快に答えないということは、グレー、曖昧、ということです。
浄土真宗は白黒はっきり、分別のつく教えです。
信の一念とは19願、20願と18願の区別がつくところですよ。
真仮廃立とはその分際を明確にして、仮を捨てて真に入れと説くことですよ。
ご存知でしたか?
違い目が曖昧なままで、どうして廃立ができますか?
立てるものと捨てるものの違い目を明らかにしないで、廃立せよなどと
どうしていえますか?
それでは捨てようも、立てようもないのです。
>何度言えばわかりますか。十九願、二十願は他力の中の自力であり。
>他力の中にすでにいること、十九、二十願をたててくださった御慈悲を知って喜びなさい、
ですから、その19願20願の人とはどんな人ですか、とお尋ねしているのです。
以前、19願20願に誓われていることを実行できる人だ、とあなたはお答えになっていますね。
ならば、願文にあるとおり、
修諸功徳 至心発願、植諸徳本 至心回向、が実行できる人、ということですね。
それは一生造悪の凡夫にできるというご主張ですか?
(これは、果から言えば、一生造悪の凡夫が化土往生できるという主張なのか、という質問にもなります。)
あなたが言われる19願の人、20願の人とはどういう人か、という質問です。
何度言えば分かりますかといわれても、まだお答えいただいていません。
お願い致します。
>>788 >もちろん19願の至心は自力ですよ。
19願の至心は、「真実心」「清浄心」ではないというのはいいですね?
>すべての機が真実の機に収まるのなら一般化できるのではありませんか?
>つまり、すべての人の機の深信の境地でもあるのです。
「すべての人の機の深信の境地」って何ですか? 二種深信って何時のことですか?
そして誰の心ですか?
それに、無限に多様の業を持った凡聖も他力真実の弥陀法の前では、真実ならざる清浄
ならざる迷いの機であることが、真宗でいう「機の真実」なわけですから、機相は、弥陀
に対して真実ならざることは一様に収まりますが、収まるものは「開いて」「各別に取り出す」
こともできるわけで、例えば500さんの言われるような「19願の至心」=「まことの心」の
ような場面では、「聖者の至心」と「凡夫の業相」は当然違いますね。まさか「化土往生」=「堕
無間」とは言われないでしょう?
815 :
500:04/12/21 23:57:06 ID:O0cPgDmb
>19願の至心は、「真実心」「清浄心」ではないというのはいいですね?
いえ、真実心、清浄心です。弥陀の、ではありません。
>「すべての人の機の深信の境地」って何ですか? 二種深信って何時のことですか?
>そして誰の心ですか?
十方衆生が、弥陀に救われたときの一人一人の境地、信心ですよ。
>こともできるわけで、例えば500さんの言われるような「19願の至心」=「まことの心」の
>ような場面では、「聖者の至心」と「凡夫の業相」は当然違いますね
もちろん違います。その通りです。
>>788 >凡夫の信念に価値があるのではなく、仏語に価値があります。
その、「仏語に価値があります」と言われる500さんの今現在の信念が、
「思い込み」と大差ないのでは? という問いですよ。
>一生造悪の凡夫に相応しないという点はよろしいですか?
はい。
>>815 >いえ、真実心、清浄心です。弥陀の、ではありません。
19願自力の真実心、清浄心は真ですか仮ですか?
>十方衆生が、弥陀に救われたときの一人一人の境地、信心ですよ。
深心(深信)というのは、仏心じゃないのですか? そして阿弥陀さまは、
「今現在説法」されてるんじゃないのですか?
>もちろん違います。その通りです。
聖者と凡夫では、後生の業報が違うということでいいですね?
>>785 >還相の方々が19、20願で化土往生されるのは
これの根拠は何? イダイケ夫人は「化土往生」ってこと。
元会員だけど・・・しばし雑感をば失礼いたします。
我聞如是@s会
信心決定すると、仏法を求めてきたこれまでの全てが、
「自分が頑張ってきた(自力)」と思っていたことが、
実はみんな阿弥陀様の一人働きであったのだなあ、と
そのご恩の深いことを知らされる」
s会でも、信後の味わいとして、凡夫自身が十九願・二十願を経たことを他力とみなされている、
ということではないでしょうか?
これは私の勝手な味わいなのだけれど、
十九願・二十願での善や念仏というのは、
ただ野放図にやればいいというものではない。
「欲生我国」、つまり「阿弥陀仏に向かって」行う善であり念仏ですよね。で、
仏とも法とも知らぬ、否知り得もせぬ筈の五逆・法謗にして自惚れ深い凡夫が、
「阿弥陀仏に向か」わせられる、というところに
大前提としての他力回向の働きが、諸善や念仏といった自力行の
土台にあるのでは・・・などと愚考いたしましたが…。
>>819の続きです。
発想の根拠としては、上記s会での聞き覚えの他に、
>>630で出ていた『愚禿鈔 下』です。
> 二つには利他真実なり、
> 易行道、浄土門、
> 横超、如来の誓願・他力也。
> 横出、他力の中之自力なり・定散諸行也。
勿論、十九願・二十願のみに相応して往生する方は、「まことの心」で修諸功徳 至心発願、植諸徳本 至心回向
できる方です。その意味で、一生造悪の凡夫の自力ではどう頑張っても相応しない願。
しかし、「それが出来ない・相応しないと身を以って知らしめ、十八願・真実へと導く為の方便の願」という
阿弥陀仏の狙いに沿った文脈においては、「他力の中」と言える。
デジタルな考え方かもしれませんが、この文脈に則った上でちょっとyes/noで考えてみて下さい。
問・あなたは、その身を以って、自力で十九願・二十願に相応しましたか?
yes→自力往生or化土往生(?)
no →「地獄は一定」=十八願の機に相応
と考えれば、十九願・二十願は詰まるところ、十八願の凡夫の往生に直結する願ではないでしょうか?
(だからと言って、それが化土往生に繋がるかどうか、私には興味のない話とだけは強く明言しておきます。)
十八願への転入を目的として立てられたのが十九願・二十願ですよね。
この目的を外して、十九願・二十願のみで捉えようとしてしまうから
これらを単に「捨て物」と見てしまうのではないでしょうか?
そもそも、「三願転入」と言えば、十九・二十・十八願、即ち方便と真実が1セットになった教えですよね?
それらを切り離す発想の方が、私にはちょっと疑問です。
>>820ちょっと訂正スマソ。
阿弥陀仏の狙いに沿った文脈においては、「他力の中」と言える。
↓
阿弥陀仏の狙いに沿った文脈で捉えられたからこそ、
親鸞聖人は「他力の中の自力」と仰ったのではないでしょうか。
なんかもう、どっちに向かって言ってるのか分からないですが(汗
取り止めもなくて失礼いたしました。
>806
以前、安易にイコールで結ぶやり方は危ういって言ってた人がいたけど、
正反対の意味のものをイコールで結ぶなんてひどすぎるよね。
まさか言ってたご本人ではないでしょうが、
自分の都合と仏説、
どっちが大切なんだい?
それとも、そう読むべきだとする根拠があるの?
>>820更に加筆でごめんちゃい。誤解されると何なので。
それらを切り離す発想の方が、私にはちょっと疑問です。
↑
ここでの「切り離す」というのは、「真仮の水際を分けるな」という意味ではなく、
単に着想の上で・・・ということです。
凡夫往生の「真仮の水際」を、あえて私の先の文言で示すならば、
「問」に対して、「yes」or「no」でくっきりと応じたところ・時・場面、、、です。
以上、雑感ではありましたが、至らぬ点など多いかと思われます。
500氏、念仏者氏を始め皆様方からのご指導・ご鞭撻等賜れれば幸いと存じます。
>>822 私も安易に「=」使うてしもうたo...rz
763 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/21 08:19:48 jketOtWQ
>>747 >ID:ZsubC9LLさん
>そんなんじゃ、化土往生どころか、お酒が入ればいやらしい妄想も起こす
可能性があるので、無間地獄逝きですよ?
>法謗罪ですよ、それ。
こんなことばっかり書いていたらs会はオ○ム並のカルトと思われますよ。
ひょっとしてID:ZsubC9LLさんて以前にボランティアの人に対して辞めろとかいってた人では
ないですか?物言いが似ているので。
どこが、(破壊的)カルトなんかな。
お釈迦様が、四重を犯すものは、無間地獄だって言ってるんだよ。
お経をまったく読んだこと無いんだね。
しかも、お釈迦様は、お酒を禁じておられますよ。
お釈迦様の教えが(破壊的)カルトと思ってるなら、勝手に思えばいいけど。
819 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/12/22 00:33:26 h0LIdGaZ
元会員だけど・・・しばし雑感をば失礼いたします。
我聞如是@s会
信心決定すると、仏法を求めてきたこれまでの全てが、
「自分が頑張ってきた(自力)」と思っていたことが、
実はみんな阿弥陀様の一人働きであったのだなあ、と
そのご恩の深いことを知らされる」
s会でも、信後の味わいとして、凡夫自身が十九願・二十願を経たことを他力とみなされている、
ということではないでしょうか?
そうだよ。
照育の光明は、信後になって気づくんだよ。
信心決定もなくして、「他力だなぁ〜」なんて勝手なこと思っちゃいけないし、思えないよ。
思えたとしたら、別の洗脳にかかってるんだろうね。
806 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/21 23:02:57 bN/SOyMX
>>802 ごめんね、一切群生海=親鸞聖人自身です。
私の見解だとね。
ちゃお。
あなたの見解は、間違っています。
758 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/12/21 07:56:08 jketOtWQ
>>736 >辺地往生が往生じゃなかったら、なんなの?地獄なの?
質問に対して質問で返すのですか?
辺地往生が往生でないなんて誰もいってません。
立派な往生、の根拠をあげるのが先。
立派というのは少なくとも勧められない、という意味ではないはずですが。
私は「勧められない根拠」「立派でない根拠」を出しています。
辺地往生は、往生です。辺地ですから、すばらしい往生とは言えませんが、ちゃんとした往生です。
地獄なら、辺地地獄と書かれるはずです。
もともと、死ねば皆辺地往生へ行くなどというのは、デタラメです。
辺地往生どころか、凡夫は皆死ねば無間地獄でしょう。
>>824の補足みたいになりますが、凡夫は、法謗、四重、五逆から抜けがたいからです。
ひとつでも抜けることが出来たならば、凡夫とは言えないです。
法謗、四重、五逆のいずれかひとつでも犯すものに、後世になんらの往生などありません。
もちろん、辺地往生などあり得ません。無間業の大罪人としてそれなりのところへ赴くことになるでしょう。
一切衆生 必堕無間も、凡夫で無い人ならば、関係の無い言葉でしょう。
凡夫もそうですが、お釈迦様も含めた十方諸仏が讃嘆しておられる、阿弥陀仏、
その阿弥陀仏の本願疑う人は、法謗の無間業にてあの世は無間地獄に違いないのです。
>>827の補足
>>一切衆生 必堕無間も、凡夫で無い人ならば、関係の無い言葉でしょう。
凡夫で無い人は関係ないというのはどういうことかというと、
さとりには五十二の位があると言われており、
その五十二位のさとりのうち、四十位の悟り(初歓喜地)まで到達した人は、
現生で心に歓喜が湧き、死後は各々の業により、地獄へ堕ちることがないと言われています。
逆に、ここまで悟れないものは、各々の業により、それなりの場所に赴くことになります。
もちろん、他力信心がないので、阿弥陀仏の浄土へは行けません。
過去地球上で、ここまで到達した人は、龍樹菩薩と、むじゃく菩薩しかいないと言われています。
もちろん定かではありませんが、この方たちは、凡夫とは言えません。
また、この方たちは、すでに心に歓喜が湧きながらも、十地を越えて、仏覚にいたることの道の遠さに、
悲嘆にくれると言われています。
また、歓喜が起こるので、これ以上修行する気が起きなくなることから、菩薩の地獄という人もいます。
>>813 >真仮廃立とはその分際を明確にして、仮を捨てて真に入れと説くことですよ。
ご存知でしたか?
横レス失礼します。わたしは、
「真仮廃立とは『わたし』が仮を捨てて真に入ること」
と理解していましたが、違うのでしょうか。
>>827 >法謗、四重、五逆のいずれかひとつでも犯すものに、後世になんらの往生などありません
19、20願は、法謗、四重、五逆から抜けがたい凡夫を対象とするものではないと
いうお説でしょうか?
「19、20願は法謗、四重、五逆を除く」とするお聖教上の根拠を教えてください。
仏説無量寿経&梵文版でも19、20願に唯除はありませんが・・
>>824 >しかも、お釈迦様は、お酒を禁じておられますよ。
お釈迦様の教えが(破壊的)カルトと思ってるなら、勝手に思えばいいけど。
問:酒飲むは、罪にて候か。 法然上人の答:まことには飲むべくもなけれども、
この世の習い。
お酒をこの世の習いと仰った法然上人に対しても
どうぞ容赦なく非難してください。
>>832 法然上人は、凡夫ということでしょう。
聖者は、お釈迦様の教えをよく守るので、酒など嗜むことない。
>>833 >聖者は、お釈迦様の教えをよく守るので、酒など嗜むことない。
そんな話をしているんじゃないですが・・。
どなたかが「これから忘年会にいく」と仰って、親sと思しきかたがそれを非難し、
忘年会にいくなんてやめなさい、酒を飲むのを釈尊が禁じられたとか、
法謗だなんだと難詰しておられたので「忘年会にいく」ことの是非を
問うているのですが。
それで、続きです。
蓮如上人御一代聞書末(212)
一、蓮如上人あるいは人に御酒をも下され、物をも下されて、
かやうのことどもありがたく存ぜさせ近づけさせられ候ひて、仏法を御きかせ候ふ。
蓮如上人に対しても、どうぞ容赦なく非難してください。
830 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/12/22 09:19:55 EL1WMfIo
>>827 >法謗、四重、五逆のいずれかひとつでも犯すものに、後世になんらの往生などありません
19、20願は、法謗、四重、五逆から抜けがたい凡夫を対象とするものではないと
いうお説でしょうか?
「19、20願は法謗、四重、五逆を除く」とするお聖教上の根拠を教えてください。
仏説無量寿経&梵文版でも19、20願に唯除はありませんが・・
意味が理解しがたい問いです。
お釈迦様が言われたとおり、法謗、四重、五逆の罪人は、無間地獄に堕ちます。
これは、まず前提としてあり、曲げられないものです。
私が勝手に言い出したことではありません。
>>835 では質問を変えます。
無間地獄に堕ちる法謗、四重、五逆の罪人は、
「法謗、四重、五逆のいずれかひとつでも犯すものに、後世になんらの往生などありません」
という表現からは、19、20願で往生することは最初からありえない、最初から望めない、
(だから19、20願を修しても無駄)というお説のようにきこえますがその点はいかがですか?
>>834 蓮如上人、ばかだなぁ〜、浅ましき凡夫の姿そのものだなぁ〜、
酒など勧めるなんて、お釈迦さまが禁止されたのになぁ〜。
これでいい?
>>837 よほどご自分はすばらしい善人か知りませんが、相手のことをよく知りもせずに、
法謗だ、五逆だ、といって責めるのはどこかのカルトのやりかたそっくりだし、
子供じみているといっています。
その返し方もね。
ユイマ居士は売春宿にも法を説きにいかれたのではなかったでしたっけ。
高踏的なのもいいですが、それでは法は広まらない、と法然、蓮如両上人は
ご教示なんだと思いますよ。
>>838 何の話してるんだか。皮肉がわからん人は大変だね。
「忘年会にいくな」というのは、皮肉なんだよ。
別に、言った本人はお酒ぐらい飲むよ。むしろ、すきかも知れない。
これは、「忘年会にいって、酒色にふける人が、化土往生遂げるわけないだろw
至心廻向して、日課何万遍の念仏してろよw」
「浅ましき凡夫の身にて、無間地獄に堕ちるのはお前自身じゃないか」
っていう皮肉なんだよ。
それぐらい理解できないといけないと思うよ。
>>836 祖師聖人は、19、20の願は方便であると言っています。
蓮如上人は、信楽して二心ないもの(信心獲得)以外、往生どころか無間地獄に堕ちると言っています。
>>840 なんで親鸞聖人て地獄行きなのに助かったの?
自力を自分で捨てられたから?
自力を自分の力で捨てられる人しか助からないのが真宗の教えということですか?
842 :
念仏者:04/12/22 13:34:22 ID:7lhdjegF
500さん
>>813 >>何度言えばわかりますか。十九願、二十願は他力の中の自力であり。
>>他力の中にすでにいること、十九、二十願をたててくださった御慈悲を知って喜びなさい、
>ですから、その19願20願の人とはどんな人ですか、とお尋ねしているのです。
>以前、19願20願に誓われていることを実行できる人だ、とあなたはお答えになっていますね。
>ですから、その19願20願の人とはどんな人ですか、とお尋ねしているのです。
これがまず質問になってない。
凡夫が成就できるできない、したしない、に関わらず如来の御心について主張してるのです。
私を早くやっつけたい気持ちはわかりますが、落ち着きなさい。
真面目にレスを読む気はありますか?
十九願二十願は他力の中の自力である、と言いいました。
これは凡夫が十九願二十願を成就できるできない、したしないに関わらず、
善をしよう念仏しようと思う自力の心は如来からの賜りものである、という意味です。
そしてそのご恩を知れ、十八願に入れ、と言っているのです。
843 :
念仏者:04/12/22 13:48:04 ID:7lhdjegF
>真仮廃立とはその分際を明確にして、仮を捨てて真に入れと説くことですよ。
>ご存知でしたか?
人に勧めるのは結構だが、まずあなた自身が真に入ったらどうですか?
親鸞会以外でも信心は得られるということは認めていますよね?
私は信心を得ましたよ。親鸞会の活動は私には間に合いませんでした。
あなたがいくら疑っても結構です。地獄行きの信心と罵っても結構。
ここでの議論も結構ですが、あなたも早く信心決定してください。
念仏者さんは地獄行きですか?極楽行きですか?
>>844 横レススマソ 俺が言ってもしょうむないこっちゃろうが、
地獄行きじゃね?地獄行きをそのまま救うのが阿弥陀仏の本願だもの。
南無阿弥陀仏
846 :
名無しさん@3周年:04/12/22 15:24:05 ID:2iv0P5E/
異安心に陥ってしまうと大変だね…
847 :
名無しさん@3周年:04/12/22 15:44:44 ID:tz8wVCFJ
>>849 どんな異安心か言ってみな。
親鸞会のやつはバカの一つ覚えのように異安心だ異安心だと騒ぐ。
高森と言ってることが違うから高森と違う信心といいたいのだろう。
848 :
名無しさん@3周年:04/12/22 15:53:49 ID:tz8wVCFJ
悪知識に捕まってしまうと大変だね…。
念仏者が信を得ていると言うのなら、
親鸞会も信心決定した人を出せばいいのに。
自力のものが他力の人に何を言ってもダメなんじゃないか?
自力と他力では立場や視点が違いすぎる。
>>841 法の深信が立ったから。
自力を捨てようと思う心も廃ったのが他力です。
廃ったつもりになってるのは自力です。
俗に無力と呼ばれるものです。
判断は、二種の深信がたってるかどうかでわかります。
法の深信ばかり言って、機の深信がたってないものは、まず間違った安心でしょう。
>>849 念仏者も機の深信はたっているみたいだけど。
地獄行きを何度も言ってることは冷静にレスを読んでればわかる。
そういや、ちょっと前まで、
「19願必要ない。19願を実践させているS会は間違いだ。」
などという、勘違いな事言う人がいたのにね。
今は、「19願でもいいからたのめ。阿弥陀仏はすくうと誓われている。
19、20願で救われないと言っているS会は間違いだ」
などという、これまた勘違いが流布してるのね。
>>850 地獄に行くより、ほかに行き場がなかったとハッキリ知らされたと同時に、
極楽にうまれるに間違いないと明らかになった言うなら、
それは、他力の信心と言えますね。
口だけというのもありますが、それは、会話してたらわかるかな〜・・・。
慶喜の心がでないのは間違いなく異安心よ。
あと勘違いしそうなところに、深信というのは深く信じてるという意味じゃないよ。
明らかに知ったということだよ。
>>849 >法の深信が立ったから。
>自力を捨てようと思う心も廃ったのが他力です。
>廃ったつもりになってるのは自力です。
>俗に無力と呼ばれるものです。
結局、その自力が廃ったのは、自分の力によるものなんですか?
それとも、弥陀の力(他力)なんですか?
それとも、これ以外の第三者がいるという考え方ですか?
>>853 さぁ?しりませんねぇ〜。
第三者はいませんがね。
855 :
念仏者:04/12/22 17:24:39 ID:7lhdjegF
>>851 >今は、「19願でもいいからたのめ。阿弥陀仏はすくうと誓われている。
>19、20願で救われないと言っているS会は間違いだ」
>などという、これまた勘違いが流布してるのね。
いや全然流布してないです。そんな勘違いをしてるのはもはやあなただけでは?
そんな杜撰な読み方では高森氏からの聴聞もしっかり聴けているのか心配です。
>>852 地獄行きも極楽行きも明らかです。飛び上がるほどの大慶喜です。
>口だけというのもありますが、それは、会話してたらわかるかな〜・・・。
わかるの?わからないの?ハッキリお願いしますよ。
>>852 仰ることは分かるのですが、
>口だけというのもありますが、それは、会話してたらわかるかな〜・・・。
三業で人の信心を計ろうというのは、また別の議論を呼んでしまうのでは・・・?
その意味で
>>850が「分かる」というのも、ちょっと考え物かな、と。
妙好人の言動なんかでも、一見するだけだと
教義のお言葉にそぐわないようなものだってあったりするし。
ま、お互い気をつけつつromっていきましょうやってことで。
>>855 「十九、二十、十八願、どれでもいいからこれをたのめ、
自力はそのままで救ってやるぞ、地獄には落とさないぞ」
これ、あなたの台詞じゃないの。
>>818 訂正
>>785 >還相の方々が19、20願で化土往生されるのは
これの根拠は何? イダイケ夫人は「化土往生」ってことですか?
すまん、「?」が抜けてた。
860 :
名無しさん@3周年:04/12/23 00:21:25 ID:ntVBMZ3/
なんだか、化土往生の議論は不毛のような気がしますね。
親鸞聖人が言ってないことまで、勝手に想像して膨らますのは
あまり意味あることとは思えない。まあ、興味本位といったところですかねえ。
T森氏は化身土巻を具に読んでないのではないかな。具に読めば、
念仏者サンの19願20願に対する考察が非常に的を得ていることを
理解できると思いますよ。
s会員さん方は、聖教嫌いなのかなあ?地獄が怖い、あなたがたの
気持ちはわからんんでもないが(それが煩悩が引き起こす欲望すなわち
怖いの嫌、自分だけは特別というような思いが雑じっていることもよくよく考え直すべきですが)、
言葉の通り厳密に読もうとする姿勢をもっと大切にした方がいいと思いますよ。
日本人の文章読解能力が低下しているとの記事を読みました。
己の思いは置いておいて、筆者が何を述べようとしているのかを先にしなければ、
本当に読書したことにはならない。ということさえ、解らなくなっている人が増えているということか。
s会員さんにとっては、釈迦に説法かも知れませんねw
>>念仏者さんへ
自身が信心決定したと言うべきなのでしょうか?親鸞聖人は「我信心決定せり」みたいなことを
述べているかしら?雑行を捨て本願に帰す、とありますが、それ以上のことは述べていないと
思われるのですが・・・。如何なものでしょうか。
861 :
名無しさん@3周年:04/12/23 00:24:36 ID:ntVBMZ3/
さて、次スレに移動しんましょうか?
立ち上げていただいた方、お疲れ様です。
(゚∀゚ )センキュゥー♪
>>861 ああ、もちょっと待って。残り物出すと勿体ないオバケが出るぞい♪(←邪義くさっw)
次スレへ飛んじゃう前にまずは皆様・とりわけ念仏者氏と500氏へ
(次スレに投稿したほうがよかったかな?)
『歎異抄』や善鸞義絶などを見る限り、親鸞聖人は徹底して異安心を排斥された方です。
阿弥陀仏のお厳しい智恵の表れと読み取れましょう。
しかしまた、親鸞聖人の教えは、阿弥陀仏の広大無辺な智恵と慈悲をお示しくださる教え。
慈悲の御心にも、妙好人・因幡の源佐の言行録から噛み締めさせて頂きましょう。
一〇九 異 安 心
淺津村で中村圓蔵、源佐に、「甚左衛門同行は異安心でにくい奴だけ」。
之を聞いた源佐、「にくいつてえ。おらあ甚左衛門さんがかわゆうてのう」。
『妙好人 因幡の源佐』(柳 宗悦・衣笠一省 編)
ご存知の方も多いと思いますし、s会でこの著をどのように扱っているかは存じませんが、
一応紹介として、柳氏は近代日本の津々浦々を訪ね、妙好人の言行録を編纂した学者。
衣笠氏は、妙好人源佐の手次寺の僧侶にして、彼と常々、非常に懇意にしておられた人。
因みに源佐は、信後の境地から顧みて、自身の善智識を「牛」とされた。
「2chが善智識」などと顧みる方の現れんことを願いつつw
尤も念仏者氏は、T森会長を指して異安心とは仰っていないので、上の文言は当らぬかもしれませんが、
最近の発言、ちょっと苛立っておいでかな?などと思われたものですから、、、ご了承下さい。
私からも次スレ立てた方へ。ありがd!
もうみんな向こうに行っちゃったの?
このスレたてて一ヶ月たってないのに…、早すぎるんじゃないか、おまえたち
ヽ ノ `ヽ r´ ヾ ソ
 ̄ヽヽ U /ノ
ヽノ
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-´⌒二⊃. |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ ⊂二⌒丶
_ソ. |::( 6 ー─◎─◎ ) ヾ__
. |ノ (∵∴∪( o o)∴)
| < ∵ 3 ∵>
/\ └ ___ ノ
.\\U ___ノ\
\\_渡海難_.) ヽ
今までの調査によって明らかになった渡海難の実態は、
1.勉強も仕事もしていない。(最終学歴、中卒)
2.引き篭もり歴約30年。
3.1日中PCの前でティンポを握り締めている変態。
4.50にもなって親に金を無心(これは度々出てくる渡海難のトラウマ)
5.友達は全くいない孤独なヒキコモリ。
6.14歳の頃小1〜小2女児を3人強姦&妊娠(5年の少年院での保護処分)
7.ルックスはデブ、不潔、不細工、バーコードハゲ(渡海難の頭をPOSで読み取った結果1円)
8.風呂は滅多に入らない。(最後に入ったのはおよそ半年前)
9.服装は3年前のコミケで買ったラムちゃんのTシャツにケミカルジーンズ(黄ばみ付き)
10.家族にも見放されている。
11.家族構成は1級建築士の父と専業主婦の母と東大卒で弁護士の弟、家族の中でこいつだけが駄目
12.コンパに行けないことを僻んでいるロリータアニメ好き。
13.外出恐怖症(ヒキー)
14.居留守魔(対人恐怖症、人と面と向って話せない。だからPCだけが唯一の拠り所)
15.卒業アルバムでオナる変質者。
16.実態に見合わない分不相応な病的プライド。
17.コンプレックスの権化
日蓮正宗のサイト見たら、案外s会の言ってることと同じ言葉が出てる。
@何物にもくずされない絶対的幸福、それは正しい宗教によってはじめて得られることをよく知るべきです。
A宗派は別でも宗教の目的は同じなのだから、どの宗派でもよいのだ、と主張する人の中には、「分け登る 麓の道は多けれ
ど 同じ雲井(くもい)の月をこそ見れ」という歌を引き合いに出すことがあります。しかし、これはあくまでもひとつの古
歌であって、実際は同じ麓の道でもひとつは他の嶺(みね)に至るもの、別 な道は山ではなく池に至る道かもしれません。
B信教の自由は、個人個人が自分の意志で、宗教の正邪・浅深を判断し、より正しく勝れたものを選び取る権利を持つとい
うことであり、その権利の行使には、それを正しく役立てていく、主権者としての責任もあるのです。
C一器の水を一器に移すように
D今あなたは信仰の必要性を認識したものの、もし日蓮正宗の信仰をすれば、このような人々から奇異な目で見られはしな
いかと心配しているのでしょう。
しかし周囲の目といっても、宗教の正邪をわきまえない人々の宗教観は当を得たものではなく、無責任きわまりないもの
です。もしあなたがこれらの人々の言うことに従ったとしても、これらの人々があなたに対して幸せになる道を教えてくれ
るわけではありません。
欧米では「あなたはなにを信仰していますか」と聞かれた時に、「私は信仰を持っていません」と答えると、かえって周
囲からなんの信念も、指針ももっていない人だと軽蔑され、奇異な目で見られるそうです。
また現代は宗教の時代といわれ、世間でも人生を充実させるために宗教の必要性を痛感している心ある人がふえていると
いわれています。
その他諸々ありました。
∞〜プーン 〜
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ 〜 プゥーン
( 人____) 〜
〜∞ |ミ/ ー◎-◎-) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
プーン (6 (_ _) )<オレはこう見えても結構モテるんだぜ!!!!
|/ ∴ ノ 3 ノ \_________
\_____ノ,, ∩_
/,|┌-[]─┐| \ ( ノ
/ ヽ| | バ | '、/\ / /
/ `./| | カ | |\ /
\ ヽ| lゝ | | \__/
\ |  ̄ ̄ ̄ | プーン〜∞
⊂|______|
|l_l i l_l |
◆渡海難の正体◆
・引篭り歴10年以上・童貞、彼女&女友達無し(というか友達1人も無し)
・身長159cm以下体重75kg以上 体脂肪率38%以上 ・年賀状は1枚も来た事が無い
・3流大学卒、アニメサークル所属、合コン歴無し ロリコン
・今行きたい所:秋葉原、オタワ(カナダの首都、ヲタクが集まる所だと思ってるらしい)
・前科5犯(万引き、食い逃げ、性的暴行、強制猥褻、痴漢(存在自体が痴漢))
・好きなゲーム:ゲーム関係なんでも、但しホラー以外(ションベンちびって3日以上放心状態になるから)
・所持エロゲーは軽く1000を越える
・コンビニの処分された弁当しか食べられない、というか最近家族に手料理を作ってもらってない
・風呂には3日に1回しか入らない ・50M走タイム11秒5以上 ・自分の年齢=彼女いない歴
・AV、アニメビデオを1日最低3回は見る ・“ラップ”と聞くと「サランラップ?」とボケでなくマジで答える
・趣味:2CH心と宗教板への書き込みをすること、座禅念仏
そして浄土真宗関連スレを見つけるとここぞとばかり攻撃し、チンポをこすりながらレスを待つ
・カラオケで歌うのはいつもアニソン、というか友達がいなくてカラオケも行けない
・真宗教団と親鸞会とと真宗の僧侶を目の敵にしている ・ギャルゲグッズを多数所持
・メル友募集をしても女性からは1通も来ない、(ネカマからは来る、しかも普通に女と勘違いする)
・自分にレスする者全員に対して「坊主」「親鸞会」と言う恥知らずのリアル精神病患者
続・体験発表
s会には、とても親しい友人がいました。しかし、
しばらくして、友人は、だんだん部室に来なくなり、気づくと止めてました。
止めるなら、言ってくれればよかったのに…とは、思いながら、
その心も分かるようで、いたたまれない気持ちになりました。
講師は、友人のやめた直後の部会で、辞める人というのを分析して、笑って、
辞める理由は結局五欲と簡単にかたずけ、まるで人間の尊厳もないかのように扱いました。
私は、講師に憤りを感じながらも、一方でやめずらい空気になったなあと内心自分の保身も考えてしまい、
複雑な気分で、なんかそこにいるのが悲しくなりました。
今辞めれば、友人が辞めたから自分も辞めるという優柔不断な決断のようで、
様子を見て辞めた卑怯者、根性なしと、言われ笑われ物にされるようで‥‥
自分が五欲におぼれていると他のs会の友人たちに思われそうで…
また実際、五欲におぼれていくようで、そんな自分を認めたくなくて…
やめた友人にしても、私をそそのかしたと決めつけられ、後ろ指をさされることにはならないか?
辞めないのは、これら自分の名誉欲からのいいわけなのか、それとも信心決定はないにしても、
真宗への小さき信仰心があるせいなのかは、よく分かりませんでしたが、
今はとりあえず、脱会すまい、本当に辞めたいならいつでも辞めれるさ、と、いつ辞めるのか?を
考えないようにしてました。……
>>865 > 憲法20条には信教の自由が定められているが、信教の自由とはどういうことか、その正しい意味を知らない人が多い。
>「信教の自由なんだから、人の信心をあれこれ言うべきではない」などと考えている人である。
> 戦前は政府が神道を正しい宗教として国民に強制していた。本来、政治というものは多数決で決まるものである。
>しかし、宗教の正邪は多数決で決められるものではない。だから、国家が多数決によって正しい宗教を決めて、
>これを国民に強制することは絶対にしてはならない。これが信教の自由の第一の意味である。
> 次に、では宗教の正邪はどうやって決めるのか。それは国民の討論によって明らかにするものである。
>そのためには、布教活動が自由にできなければならない。これが信教の自由の第二の意味である。
> 言い換えると、「人の信心をあれこれ言うこと」こそが、信教の自由として憲法で保証されているのである。
>「信教の自由だからあれこれ言うな」とは、誤解もはなはだしい。
> 法律では常識だが、誤解している人が多いので、正しい意味をここに示す。
ここで、一句
衝撃! M春似の稚児 初参り
あの子は誰?と 電話殺到
>>862 > みなさん、有り難うございます。
> 無上の法に生きる我が身の幸せは、何にたとえることができましょう。
> 南無阿弥陀仏と称える念仏は、阿弥陀さまが私を呼んで下さる直の弥陀の声であります。
たとえ昼であろうと夜であろうと、雨が降ろうと風が吹こうと、常に呼んで下さる阿弥陀さまのお慈悲です。
> みなさん、この世は浮世、夢の世です。何と儚い世でありましょう。無常の世にありながら、こんな無上の幸せに生かされるとは。
阿弥陀さまの御心のまま、未来に私のような凡夫の考えは要りません。後生に不安は全く要りません。自分の思いや考えは、何一つ間に合いません。
> 阿弥陀さまは、すべてをお見抜きでした。仏を嫌がり、法を聞かない私でも、それが正客逃がしはしないと、しっかりと摂取してくださりました。
こんな慶びはありません。
> どうかみなさん、聞いてください、真剣に聴聞してください。必ず必ず頂けます。
> 真剣な聞法こそ命です。阿弥陀さまは、すべてをお見抜きです。
> 有り難うございました、有り難うございました。
> みなさん、真剣に聴聞してください。永い永い、過去無量劫から迷い苦しんできた心に死に別れて、安心安心大満足の往生一定の身にさせて頂けます。
> この真の信心を頂く信一念で、心は浄土に遊ぶなり。1日1日、1時間1時間、1分1分、1秒1秒が、楽しい明るい日暮しをさせて頂けます。
阿弥陀さまの信楽のお約束、間違いありませんでした。まことでした、まことでした。何と嬉しい、何と喜ばしいことでしょう。
> 今生から正定聚の身にさせていただき、助けさせてくれよの阿弥陀さま大悲が届けば、阿弥陀さまも喜べば、私も大安心大満足。
この娑婆の縁尽きれば、阿弥陀さまの極楽浄土間違いなし。有り難うございました。有り難うございました。
> みなさん、本当に真剣に聞いてください。親鸞聖人のみ教えを、火の中かきわけても聞き抜きましょう。真剣な聞法、生きた聞法、こそが命です。どうかどうか、お願いです。
>阿弥陀さまの直の呼び声が聞こえた時は、不思議不思議の他はありません。遠い遠い過去から、お前一人を助けるぞと約束された阿弥陀さまが、直の呼び声届いた時に、喜んで下さりました。
私も歓喜にむせぶばかりでありました。
> 有り難うございました。こんな世界があろうとは知りませんでした。自分の罪で堕ちてゆくのが業ですが、阿弥陀さまはそれが悲しいと泣き泣き本願をたてて下さりました。
明らかでした本当でした、阿弥陀さまの御本願。聞いてください、聞き開いてください。
> 大慈大悲の阿弥陀さまの、五劫の思惟は誰のためでもありません。真剣に聞いてください。聴聞してください。間違いありません。
無明の闇が晴れて、大安心大満足できる世界があります。
どうかどうか、この身にさせて頂くまで、求め抜かせて頂きましょう。南無阿弥陀仏の宝をまるもらいさせて頂くところまで。
> 合掌