【親バカの心】親鸞会総合スレNo.24【子もバカ】
最近のベストセラーって「ワンピース」以外だと何だっけ?
ですから、その大好きなお母さんの「あなたが大好きよ」という一言が子供にとって「いのち」と同じくらい大切なのです。
否、いのち以上といっても良いでしょう。
954 :
名無しさん@3周年:03/10/12 18:04
これだけの量の真宗関係または雑多な哲学関係の文章をコピペ
できるってのは普通の荒らしでは考えにくい。
ネット上にあるとも思えないモノもあるし、仮にあっても
わざわざサイトをまわってコピペしてくるには労力がかかりすぎるし
またこれだけ短期間に1スレ潰す量を貼り付けられるとも思えない。
やはりこれは、普段からコレ関係の文章を勧誘用などにワープロ等で
電子化してストックしているようなs会関係の輩か…
それにつられて通常の荒らしも引かれてやってきているような感じか?
頭の悪い人間でも、一日一回何かの機知を働かせれば、
子供はいつも大好きなお母さんの愛情を確認しています。
そうして、お母さんの愛情をしっかりと確認できさえすれば子供は見違える様に伸び伸びと成長していくのです。
私も打っています。
959 :
名無しさん@3周年:03/10/12 18:06
>>957 おまえ今パソコンの前にいるなら今すぐ止めろボケ!
山崎さんは「伸びている子供は例外なく安定した精神基盤を持っている」と語っています。
普通のパソコンでやったらアダプタつけないと読めないじゃん。
埋め立て開始?
_,.. -‐' ´r ' ̄ .>ヽ‐'' ´ ̄ ̄ ` ヽ 、
_ -=ニ._ ト._,ィ´ // //ハ \ 「 パ ソ コ ン で す よ 。」
(´__ ` ー --ァ/ //-‐ァト、// | li ヽ
 ̄ ̄ `ソ| // レ'-li ハl l L!_ l i ヽ._
/_!レ ,ィ{ );;:リ l| }l.._! lヽ| i.リr‐`ヽ、
{ r} { ソ::/ / )ハl| /l l ハ ) 、
ヽ{ `'ー { ソ;;:リレ | /ヽ、`ー' ヘ
ヽ ,、__ ゝジ ,ィレ \ `ヽ、 ヘ
\ - ' /) ノ \ \. ',
ヽ、_ _ , ..ノ- '´ ヽ、 ヽi
ノ,メ  ̄ ソ| `ヽ..j
,ィ' ⌒i 7 ミ|' ⌒ヽ
{ |了` '´ ゝi、 }
nソ从从_K、 , ソ从ハろ
r‐- ミ-r,.'ニ- | ^ゝr'^ 〉ニ_ヽゞ
| ヾ.-‐ー L...ノゝ、ァー-、ソ.. -‐ー‐ァ
l l l''ヽrr'´Y / / _ii_ ii_ __ 〃
l_ | lv 个`l | / ll、 ll / ll` ─ 、ヽヽ/
!> /l ト<_ゝ,' i-‐= _,.ノ __,) (_フヽ {_,,.ノ ノ ノ
__,ユ.. ___l レヒトl l| / C h i y o b i t s
__,ゝ _,.. -=_,.l ト/lV ヒ_ーソー- 、
l_,. - / / ト、 V.リ {\、 ー-= `ヽ、
,.ィ ´ / / /,ィト-=...-V- ... ..ゝ、ヽヽ /
``< /..-‐ ''イ/VVヾ从人ハ八ゝ`ゝレヽ- .>
_,..- '" '´レし^ヽ|/ヽト、l`` `` ー 、_
(´..___________人__________ ,... )
その安定した精神基盤を作っているのが「お母さんは自分が好きだ。お母さんは自分を宝物だと思っている。
お母さんはどんなことがあっても自分の見方だ」という意識なのです。
世界的文豪・ゲーテは生涯にわたって、熱烈な恋愛を重ねた。
知られている相手だけでも、十人は下らない。
文学はもとより、幅広い才能にも恵まれていた。
にもかかわらず、「苦痛と重荷にすぎなかった」人生だとは・・・。
八十二年の生涯をのぞいてみよう。
ヨーハン・ヴォルフガング・ゲーテは一七四九年、ドイツ中部のフランクフルトに生まれた。
十四歳で、年上の少女に一目ぼれしたのを最初に、恋多き人生を送る。
大学時代には、レストランの娘・アンナと恋に落ちた。
しばらくは楽しく過ごしたが、次第に暴君的になっていく。
根拠のないつまらない嫉妬のために、
わたしは自分と彼女のもっとも幸福な日々をだいなしにしてしまった。
彼女はしばらくのあいだ驚くほどの忍耐でそれにたえていたが、
わたしはその忍耐を極度に追いつめるほどざんこくであった
と回想したほどに。
破局を迎えたあと、ゲーテは自分になぞらえ、嫉妬に狂う男が主人公の、
最初の戯曲『恋人の気まぐれ』を書く。
二十一歳で知り合ったフリーデリーケとの恋愛からは、『五月の歌』『野ばら』など、
ドイツ詩史上、画期的な抒情詩が生まれた。
しかしその夏、面と向かって決別を告げぬまま、ゲーテは彼女の元を去る。
ですから、子供の安定した精神基盤を作るためにはどうしても、この「魔法の言葉」が必要になってくるのです。
自分のお母さんが大好きな子供は決して非行に走らないと山崎さんは断言しています。
緊急で、誰か次スレたてよろ
私は最も美しい心を奥ふかく傷つけた (詩と真実)
自責の念に駆られた彼は、戯曲『ゲッツ』や『クラヴィーゴ』に、
純真な少女を捨てた男を登場させて毒殺する。
またもや自分に似せた者を描き、悪報を与えて、懺悔の気持ちを表したのだ。
哀れなフリーデリーケは、六十一歳で世を去るまで独身だったという。
本書には家庭内暴力、登校拒否、非行といった家庭内の深刻な問題をいかにして解決していったか、
その具体例が数多く紹介されていますが、その解決の鍵は唯一つ、我が子が心の底から親の愛を確認、
できるかどうか、そこにあるのです。
大学卒業後には、婚約者のいるロッテを、
朝な朝な重苦しい夢から目ざめるとき、僕は彼女を求めて空しく腕をさしのべる
ほど、恋い焦がれるようになる。苦悶の末、身を引いたゲーテは、この恋愛をモチーフに、
『若きウェルテルの悩み』を著した。
すでに『ゲッツ』で知られていたゲーテであったが、二十五歳でこの作品が出版されるや、
大反響が巻き起こる。
「ウェルテル熱」と呼ばれ、ゲーテが再版の扉に、
すべての青年はこのように愛さんと、あこがれ、
すべての少女はこのように愛されんと、あこがれる
と添えたとおりだった。
種々の言語に翻訳され、称賛の声は世界に広がっていく。
ヨーロッパは私をほめた。・・ドイツは私をまねた。 フランスは私を読みたがった。
イギリスよ!おん身は心乱れた客(ウェルテル)をやさしく迎えた。
・・シナ人さえ細心な手でウェルテルとロッテをガラスに描いている(ヴェニス警句)
ゲーテとドイツ文学が、世界に認められた瞬間であった。
山崎さんがおっしゃっている親の愛というものは、
まさしく阿弥陀さまの大悲の心に通じるものがあります。
阿弥陀さまの慈悲の源は、私たちすべてが我が子であるというところから出ています。
我が子である以上、どんな子供であろうとも決して見捨てることなく、
心の底から慈しみ育み、いかなる時でも私の味方になってくださる。
それが阿弥陀さまのお心です。
そのままの私を無条件で認めてくださる愛です。
その仏さまのお心を言葉にしたものが「南無阿弥陀仏」です。
「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまの呼び声です。
楽天家の苦悩と最後
『若きウェルテルの悩み』で彼は、人妻との恋に敗れた男を自殺させ、罪を償おうとした。
書き終えて、
私はこう勧めたい。何も無理じいをせぬことだ。
何もできない日や時には、
後になって楽しめないようなものを作ろうとするより、
ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい、と(ゲーテとの対話)
「処世のおきて」と題し、こんな言葉も残している。
気持よい生活を作ろうと思ったら、済んだことをくよくよせぬこと、
滅多なことに腹を立てぬこと(警句的)
七十四で、十九の少女・ウルリーケへ求婚した時には、さすがに周囲も困惑したらしい。
彼女にとって彼は、尊敬できるおじいさん≠ノすぎなかったのだから。
結局、あきらめ、愛の詩をしたためた。
かくまで楽観的なゲーテでさえ、七十五の時に、
結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、七十五年の全生涯において、
真に幸福であったのは四週間とはなかった、とさえ断言できる。
私の生涯は、たえず転がり落ちるので
永遠にもち上げてやらねばならぬ岩のようなものでしかなかった
と嘆いている。
晩年、病に伏して、
死神がわたしを取り囲んで部屋のすみずみに立っている
と漏らす。極度に死を恐れ、部屋が暗くなるのも怖がった。
ああ暗い。光が欲しい、光が欲しい
が最期の言葉であったという。
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本書の魔法の言葉は、まさに「南無阿弥陀仏」を
家庭教育の中で言葉にしたものだと思います。
こうしてみますと山崎さんの教育論はお念仏のみ教えそのものです。
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. / ! ≫金とられたのが悔しいだけだろゴルァ!! ≪
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ヽ .n ` `二´' .丿.ノ
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平成11年、戦後を代表する文芸評論家が、
66年の生涯に自ら終止符を打った。
鎌倉の自宅で倒れている江藤淳氏が発見されたのは、
慶子夫人を亡くして一年に満たぬ、七月の夜だった。
そうして、その教育実践に「南無阿弥陀仏」の呼び声を取り入れられたと言っても良いでしょう。
江藤夫妻は、慶応大学の同級生である。恋に落ち、卒業と同時に結婚した。
在学中の『夏目漱石論』で、気鋭の評論家として注目されていた江藤氏は、
本格的な執筆活動を始める。
歯にきぬ着せぬ辛辣な批評は、政治や現代社会にも及び、
石原慎太郎や大江健三郎らとともに、新世代の旗手と称されるようになる。
執筆に現れた完全主義者ぶりを、批評家・福田和也氏は、こう記す。
(江藤氏は)完璧な原稿を編集者に渡すことが誇りだった。
原稿には直した跡もなく、つまり江藤氏は、筆を降ろす時には、
脳裏においてすでに完成した文章の姿ができあがっていたのである。
(中略)講演にしろ、対談にしろ、氏は話し言葉においても、
語ったそのまま活字にして一切直す必要がない、
脈絡と修辞で語ることの出来る現在唯一人の文学者とされている
(『江藤淳という人』)
一卵性夫妻
卓越した集中力と妥協なき強さを支えたのが、慶子夫人だった。
子供の無い江藤氏にとって、妻は、ただ一人の家族であり、
原稿の締め切りを把握するなど、秘書役もこなす、パートナーであった。
四歳で母親を失った江藤氏の、母でさえあっただろう。
夫が執筆中、来客や電話に煩わされぬよう、
慶子さんは一切外出せず、待機していたという。
「僕は電球も取り替えられないんだ」
冗談半分に江藤氏は、語った。
書斎の机に妻の写真を置き、本ができ上がると感謝の言葉を添え、真っ先に贈っている。
妻の第一印象を楽しみに、大事に受け止めた。
夕方には、よく二人で散歩に出掛け、
「一卵性夫妻」と呼ばれるほど、よい仲だったのである。
あまりの惨状にあきれてスレ立てる気おこらん。
妻が末期ガンと知った時、江藤氏は、魂を抜かれたように茫然と空を見つめた。
体の弱い江藤氏に比べ、慶子さんは体力に自信があり、水泳で鍛えてもいた。
結婚生活四十一年間、大病を患ったことがない。
先に逝くのは自分、と江藤氏は信じていたのだ。
脳と肺に十八ヵ所の病変があり、手術は手遅れ。長くて半年との宣告を受ける。
「尽くしてくれた時間を返したい」
江藤氏は、献身的な看病を始める。 無宗教のはずの江藤氏が、とげ抜き地蔵に祈った。
大学での講義を休み、麻痺していない妻の左手を握り締める。
病院近くのホテルに泊まり込み、少しでも長く、そばにいようとした。
モルヒネで、昏睡状態になってもなお、水滴がたれる顔をふき、
「大丈夫だよ」と話しかけた。
ガン宣告から八ヵ月後、慶子さんは静かに息を引き取る。
「家内の死と自分の危機とを描き切りたい」と筆を執った
『妻と私』は、事実上の遺書といわれる。
984 :
名無しさん@3周年:03/10/12 18:14
家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、
決して家内を一人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、
家内が逝ってしまったいまとなっては、そんな目標などどこにもありはしない。
ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、
意味のない死に向って刻一刻と私を追い込んで行くのである(『妻と私』)
やるせない哀感が描かれた手記は、短期間に反響を呼んだ。
だが、悲しみはいやされることなく、激しい雷雨の夜、江藤氏は浴室で手首を切る。
夜勤のお手伝いさんの通報で、消防署員が駆けつけたが、意識はすでになかった。
人間の理性のもろさ
慶子さんが健在だったころ、江藤氏は書いている。
最後の最後まで仕事が続けられるように心がけ、
そしてひと握りの理解者に囲まれて生を全うしたいものだ(『批評と私』)
ほかにも江藤氏は、生き抜く意志を各所に表明していた。
生きることに意味があるから生きているのではない。
意地で人が生きられることを自分に納得させるために生きているのだ(『同』)
私はある瞬間から死ぬことが汚いことだと突然感じるようになったのである。
さりとて人生に意味があるとは依然として思えなかったので、
私には逃げ場がなくなり、自分を一個の虚体と化すこと、
つまり書くことよりほかなくなった(『文学と私・戦後と私』)
自殺当時はしかし、「幼年時代」の連載を開始したばかり。
執筆活動も、生きるよりどころにはならなかったのだ。
生の意志を表明した理性も、あっけなく吹き飛んだ。
作家・高井有一氏は、死の二ヵ月前、江藤氏の、こんな言葉を聞いている。
このところ、子供による残忍な事件が相次いでいます。
しかも、事件を起こす子供の年齢が非常に低年齢化しています。
その背景にはさまざまな要因があろうと思いますが、唯一つ言えることは本書のような家庭教育が施されていれば、決して起こることのない事件だと思います。
夜はまだいい。周りが闇に閉ざされているから。
昼は光が入って、家の隅々、庭まで見えてしまう。
そこに、それまで居た人がいない。この空白感が耐え切れない。
日本最高の知性といわれた江藤氏も、苦しくとも生きねばならぬ理由を、
ついぞ知りえなかったのではなかろうか。
一九一〇年秋、レフ・トルストイは、住み慣れたわが家を後にした。
妻の追跡におびえ、衰えた足をよろめかせながら――。
落ち着く所も決まらぬうちに、旅先の駅で倒れ、八十二年の生涯を閉じた。
トルストイは、ロシア中部の村に、広大な荘園を持つ伯爵家の四男として生を受けた。
小説を書き始めたのは、二十三歳の時である。
雑誌に掲載された『幼年時代』は、おおむね好評だった。
続けて発表した一連の戦記も熱狂的に読まれ、
ツルゲーネフら文壇にも注目されるようになる。
宮廷医の娘・ソフィヤと結婚した三十四歳、トルストイは、幸福の絶頂にいた。
家庭は厳しく鍛える訓練センターでもなければ、冷たく裁く裁判所でもありません。
「許し」「励まし」「癒し」「安らぎ」の憩いの場所でなければなりません。
そしてそこには「どんなことがあってもあなたの味方よ」と深い愛情を持って包み込んでくれる親の存在が必要なのです。
通報したほうがいいな。
ぼくは三四の年まで生きてきて、これほど人を愛し、
これほど幸せになれるとは思ってもみませんでした。(略)
自分に予定されていたのではない幸福を盗んできてしまったような感じを
ずっと抱いています (親戚への手紙)
翌年、長男が誕生し、こんな手紙も残している。
ぼくは自分の立場にすっかり満足している夫であり父親で、
それに慣れてしまったので、自分の幸福を感じるためには、
それがなかったらどうだろうと考えなければならないほどです。(略)
ぼくは自分の知的な、そしてさらに道徳的な力のすべてが、これほど自由で、
これほど仕事へと向かっているのを感じたことがありません。(略)
ぼくは今、全身全霊、作家であり、
まだこれまで一度も書いたり構想したりしたことがないほど、
書いたり想を練ったりしているのです。
『戦争と平和』の執筆は、こうして開始された。
喜々として清書する妻に助けられ、幸せを絵にかいたような生活が続く。
かの大作が世に出るや、彼は、押しも押されぬ、ロシア一の作家≠ニなった。
そうすれば、子供は太陽の光を一杯浴びた若葉のように、何のしつけをしなくてもすくすくと伸びていくのです。
四十五歳で着手した『アンナ・カレーニナ』の連載は、読者を一層、くぎづけにする。
しかし、トルストイはこの時期に、四男、五男、三女と二人のおばを相次いで失っている。
人生への懐疑が、彼の心に暗い影を落とし始めた。
五十歳過ぎに書いた『懺悔』に、胸中が吐露されている。
私の行く手に待ち構えているあの避け難い死によって、
滅せられない悠久の意義が、私の生活にあるのだろうか?
これこそ、トルストイに突きつけられた深刻な問いだった。
きょうあすにも病気か死が愛する人たちや私の上に訪れれば
(すでにいままでもあったことだが)
死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。(略)
よくも人間はこれが眼に入らずに生きられるものだ―――
これこそまさに驚くべきことではないか!
生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、さめてみれば、
これらの一切が―――ごまかしであり、
それも愚かしいごまかしであることに気づかぬわけにはいかないはずだ!
自問自答して、さらに言う。
家族、つまり妻や子供達も、やはり人間である。
彼らもやはり私と同じ条件の下に在るのだ。(略)
著者の山崎さんは惜しくも平成5年65歳で亡くなられましたが、
混迷する今の日本社会を思う時、このような子育て論がもっともっと
多くの家庭に生かされることを願わずにはおれません。
きょうあすにも病気か死が愛する人たちや私の上に訪れれば
(すでにいままでもあったことだが)
死臭と蛆虫のほか何ひとつ残らなくなってしまうのだ。(略)
よくも人間はこれが眼に入らずに生きられるものだ―――
これこそまさに驚くべきことではないか!
生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、さめてみれば、
これらの一切が―――ごまかしであり、
それも愚かしいごまかしであることに気づかぬわけにはいかないはずだ!
自問自答して、さらに言う。
家族、つまり妻や子供達も、やはり人間である。
彼らもやはり私と同じ条件の下に在るのだ。(略)
一体なぜ彼らは生きなければならないのか?
またこの私は何のために彼らを愛し、いたわり、はぐくみ育て、
保護してやらなければならないのだろう?
精力を傾けてきた芸術すら、死の前には無価値だった。
よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピヤや、モリエールや、
その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかも知れない。
―――が、それがどうしたというんだ?
997 :
名無しさん@3周年:03/10/12 18:18
age
確実な未来を凝視した彼の世界は、無数の破片にひび割れ、一切が光を失ってしまう。
トルストイは真剣に、解答を探し求めた。
だが、科学は人生問題を初めから無視していた。
哲学は、ただ〈知らない〉と答えるのみ。
「人生は無意味」
と結論づけざるをえなかった。
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名無しさん@3周年:03/10/12 18:19
薩摩sage
1001 :
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。