1 :
平下流 :
2012/01/11(水) 17:12:40.10 0
('仄')パイパイ
3 :
考える名無しさん :2012/01/12(木) 08:45:50.11 0
元祖、復活か!
哲学の出発点だったのか? なぜ殺していいんだ?それを聞きたい。
殺していけないって誰が言ってるのか聞きたい
殺していいんだって誰が言ってるのか聞きたい
10 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 00:07:47.57 0
人を殺してもいい=自分がいつ殺されるかわからない、だぜ。 そんなの怖くておちおち外も出歩けないじゃん。
>>8 それはスレタイになってないだろ
「何故殺していけないのか」というのはスレ主の心の
なかにそういうモラルが確立してるってこと?
12 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 10:58:05.16 0
>>11 スレタイには
「人殺しをしてはいけないと(今の世の中において一般的には)されていますが、」
と書かれている。
これは、スレ主の世の中に対する(各巻的)現状認識であって、
スレ主の心の中の(主観的)モラルとは無関係なことでは?
言い換えれば、スレ主が人殺しに賛成か反対かは、スレタイとは無関係なのでは?
>>12 ごめん。
>>9 を見て了解したがこの問いに関しては
もう言い尽くされているのであとはそれぞれの了解だろうと思う。
14 :
考える名無しさん :2012/01/14(土) 12:12:12.87 0
そういうルールだから。 戦時は敵兵を殺してもいい。
ヤクザの抗争か宗教団体のせめぎ合いって感じか〜ァ
戦時ではない今現在だって、経済的には戦争中みたいなもの。 戦死する人間には「電車止めるなバカ、迷惑だ!!」の罵声が浴びせられるのみ。
>>1 哲学の定義を知らないのに制限を設けている可笑しな人
哲学は宗教倫理と不可分
>>14 根本的な認識に誤りがある
戦争は人を殺してもいいわけではない 兵員の自由意志で行動することはゆるされない
戦争は、あくまでも目的のための行為であって、暴力や略奪が目的ではない
行為は目的ではなく手段なのだ
だから行為が対話で済む場合もある
すると、「何故、人を殺して良い状況といけない状況とがあるのか」と言う別の問題に。
20 :
考える名無しさん :2012/01/15(日) 21:23:14.84 0
あの山を占領したい あの山には敵がいる 敵が抵抗する 排除する この過程で人が死ぬわけだ
共同体にストレスを与えるから
たとえば駅の階段は通行区分があるが、それをやぶっている人を体当たりして階段から突き落とすのはありか?
24 :
考える名無しさん :2012/01/18(水) 18:03:15.90 0
test
25 :
考える名無しさん :2012/01/18(水) 18:20:34.98 0
まあ、以下のような返答は散々既出なんだろうが、 これを考えたやつは「道徳・倫理・ルール・宗教」を除いた 「時間的空間的普遍性を持つ「「考え方」」 が完全に出来ることが前提だ。そうでなくては回答の正誤が判断できない。 そのためにはもちろん、「道徳・倫理・ルール・宗教」 「時間的空間的普遍性」これについて完璧に理解している必要がある そもそもそれが出来る奴がこういう疑問や質問を出すに至った 正当なプロセスを「道徳・倫理・ルール・宗教」を除いた 「時間的空間的普遍性を持つ考え方」を使って説明しろ。 簡単なことを難しく言うのが愚か者 難しいことを難しく言うのが普通 難しいことを簡単に言うのが賢者 さあ、賢者であることを証明してみせろ 俺たち馬鹿なんでね。わかりやすく頼むよ。 それができたら、「人前で屁をこいてはいけない理由」 についても同様の方法で説明を頼む。たぶん「殺し」よりは簡単だろ? 参考までに某学者の有名な言葉を。 「手段の完ぺきさと、目的の混乱。この2つが、私たちの主な問題に見える」
だから社会性を除いてしまったら殺すことも有りだろうが 何度も蒸し返してるぞ
>>27 それは、理解していないから拍手喝采できるんだよ
社会人ならば、誰もが哲学的というわけはないだろう
理想と現実とでもいうか…
何ひとつ顧みることもしない人間が立派な大人として認知されている現実と、本当の社会人の在り方 善や道徳など人間たらしめている部分の差異が
人間から産まれたら人間なのか?たとえ猿から産まれても人間であろうとする者が人間なのか?
哲人ならば後者を支持するだろう
29 :
考える名無しさん :2012/01/19(木) 18:15:57.92 0
人を殺す権利は誰も持ち得ないから 命の創造・処分権は人に属さない 自殺も駄目よ
30 :
考える名無しさん :2012/01/28(土) 00:36:33.67 0
>>25 >これを考えたやつは「道徳・倫理・ルール・宗教」を除いた
「時間的空間的普遍性を持つ「「考え方」」
が完全に出来ることが前提だ。そうでなくては回答の正誤が判断できない。
そんなこと完全にできるわけないでしょう。
哲学とは完全をめざす試みに過ぎません。
31 :
オウム真理教 ダニエル・カール :2012/01/28(土) 09:27:02.55 0
>>27 ファーック
オフクロをファックして オヤジを殺した後ファックしろ
本当は、スレ主に文句を付けてはいけないのかも知れませんけれども……、 >また、人殺しの定義から法律に基づくもの(死刑、正当防衛等)と戦争による人殺しは除いて下さい。論点がずれますから。 これは何なんでしょうね。論点がずれるのと言うのは、「それは哲学で扱う問題では無い」、と言う事でしょうか……。(´・ω・`)
33 :
考える名無しさん :2012/01/28(土) 20:43:17.28 0
殺すのがいけないのではなくってさ そこに至る理由があって、その理由じゃ世間は認めないんだよってところだろう 理由がOKの場合だったらOKなんだよ だから赤穂浪士なんていまだに英雄じゃんか
34 :
考える名無しさん :2012/01/28(土) 21:25:01.52 O
オウム真理教の教義ももし本当に来生があって その転生が今の生よりも非常にいいものであるなら その人を殺して次の転生へ移してやる方が善になる それを現実にもってこられたら俺たちにとって それは強制力をもった殺人集団になる そういう意味で非常に哲学や宗教を突き詰めて いくことは危険。連合赤軍のリンチもラスコリーニコフも 最後はみんな同じ哲学を突き詰めたもの 最後に殺しに至る哲学の教義のなかにいれば いつ殺すかわからない集団のなかで注文の多い料理店のようになる
35 :
考える名無しさん :2012/01/28(土) 21:58:17.53 0
>何故、人を殺してはいけないのか? そりゃお前、そう教えておかなきゃ、いつ俺が狙われるかわかんないだろ。
36 :
洋楽 :2012/01/28(土) 22:39:32.83 0
・・・・・・ 哲学で 回避できます 頭脳戦 ってやつ
37 :
洋楽 :2012/01/28(土) 22:47:51.65 0
確定座位に 対して ・・・・・・ 比較実証 とか 殺人ゲーム 回避ネタは いくらでもある なにが バトルロワイヤル だよ ・・・・ ゴミクズ野郎
38 :
洋梨電波 :2012/01/28(土) 22:54:53.58 0
・・・・ また 顔面潰されたい? じじい(笑) ・・・ 亡命すんのは おめーだよ
39 :
洋楽 :2012/01/28(土) 22:59:28.48 0
・・・・・ ご清聴 ありがとうございました
>>32 >論点がずれるのと言うのは、「それは哲学で扱う問題では無い」、と言う事でしょうか……。(´・ω・`)
そう言うことではないですか?
それらは、法律で扱う問題でしょう。
>>40 何故その様な法律が出来たのか、と言うのは哲学の範疇だと思うんですけどね。
と言うより、Ph.D.(博士)のPhがそも哲学という意味ですし、この世の学問は全て哲学の範疇だと思うんですよね。
とは言え自分の意見を押し付けても仕方が無いので、賛同が得られなければ、以後黙っときます。(^_^;)
42 :
考える名無しさん :2012/01/29(日) 08:47:10.89 0
霊長類は自分以外のものが苦しんでいるとき、「みてられない!」って助けようとする感情を持つのは何でだろうなぁ。
43 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2012/01/29(日) 08:54:50.98 0
ミラーニューロン
44 :
考える名無しさん :2012/01/30(月) 10:51:42.80 O
人間の良心に刻まれている原理原則であって論証するものではない
「何故、人を殺してはいけないのか?」(戦争とか犯罪はスルーで) この問いには様々な答えは存在するが、問題はどのような答えを考慮にいれたとしても問いは続くということだ。 倫理、宗教、法律。たとえば人を殺した瞬間殺した本人の存在が消滅する()。 仮に普遍的な根拠、真理なるものがあったとしよう。 (「ころしてはいけない」というのが先験的なものならば、根拠の論証は必要ないだろう。 すべての思想、価値観は経験的な裏づけで、根拠となる基盤はないといっていい) 「(それを考慮にいれた上で)なぜ、人を殺してはいけないのか?」と問いは永久に続く。 とここまで書いたが、この質問は普遍的なものではないのではないか。 「なぜ人を殺してはいけないのか?」この質問自体が神学的ではないか。 伝統的なものに「神は存在するのか?」というものがある。 しかしこの二つには根本的に違うものがある。 この後者は存在論的な問題で、前者は事実を対象としている。 この問いに宗教や倫理をもちだすのは禁止とされている。 しかし、殺してはいけないのか?という言明は善悪論的な言い回しだ。 「殺してもいい」なら、なぜ良いのかを論証し、「殺してはいけない」なら なぜいけないのかを論証しなければならない。 (「何故、人を殺してはいけないのか?」の私なりの考えです) 人間は「いいこと」「いけないこと」の分別をもっていて 歴史を通して「人間」と認識するものを「殺すこと」を「いけないこと」としてきた。 どのような理由であれ罰を与えてきた。 殺人が「いいこと」とされる事例は存在しない。
あああああああああああああああ! 長文すぎて編集するの忘れた・・・
>>44 人間の良心に刻まれている原理原則であって論証するものではない
人間の良心とはなんですか?
だから、犯罪や戦争、特に戦争を問題から除外してしまっている限り、虚ろなんだって。このスレ。 戦争ほど、社会全体が熱狂的に殺人を肯定する機会は無いし、そしてそれを考え無い事には、問にも答えにも普遍性が無い。
49 :
考える名無しさん :2012/02/15(水) 19:20:47.21 0
.
正確には、「何故、直接人を殺してはいけないのか」だよね 間接的に人を殺したことのない者は皆無なのだから
>>47 人間ならば、ほとんど誰もが生まれながらに持っている善悪を判別する心の働き、という意味で使った
死刑執行人や戦場で戦う兵士は精神を病むことが多いらしいからなぁ
52 :
考える名無しさん :2012/02/16(木) 16:18:52.68 0
対象が何であろうが 哲学的な意味合いで「いけない」ということはありません。 「いけない」というのは 通常ルールで「いけない」ことにしてるということです。 例えば あなたが 「世界最強、不死身の男や女」であるならば、マイルールで 「よい」にするも「いけない」にするも自由です。 ですから ある集団が「いけない」ことにしている理由は議論できても 哲学的な意味で「いけない」理由は議論できないのです。
53 :
考える名無しさん :2012/02/16(木) 20:13:42.60 0
奇襲に弱い遺伝子が、神経を尖らせるように進化したのか、 神経が尖った遺伝子が、奇襲によって滅びなかったのか。
54 :
考える名無しさん :2012/02/16(木) 20:19:02.87 0
次回の奇襲予定時刻は未定です。
そして出産
まず、前提として人の命は尊いもの。多くの人がそう考えている。 それではぜ、人を殺してはいけないかというと、人を殺してしまったら責任がとれない。この場合の責任というは、蘇らせること。つまり、人の命は尊く、殺してしまったら復活することができない、だから人を殺してはいけない
57 :
考える名無しさん :2012/02/20(月) 16:37:33.29 0
超ナナシ。超な無しなんですけど。ななし。な がない。
58 :
弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2012/02/20(月) 23:00:38.58 O
資本主義社会においては功利主義に反するから、死にそうで死なない程度に飼い殺すのが資本家にとって好都合だから。
59 :
考える名無しさん :2012/03/03(土) 16:10:08.42 0
.
さいたまベトコン理論
61 :
洋楽 :2012/03/03(土) 16:52:01.84 0
あまえだな ・・・・ おびえテロ ですね わかれば よろしい 回覧板まわしときます
62 :
考える名無しさん :2012/03/03(土) 17:22:07.10 O
まったくおもしろくないんだけど なんなの?
波平が殺人スレでの自演を続ける意欲を失うなんて、ガチ過疎状態になってるんだな哲学板www
64 :
M.S. :2012/03/23(金) 01:28:02.88 0
「何故、人を殺さなければいけないのでしょうか?」 この問いの方が、哲学的にも時代に合っているんじゃないですか。
65 :
洋楽 :2012/03/23(金) 01:57:02.41 0
にのみやきんじろー 殺しでしょ? あたりまえじゃん お金儲けしたくて 学問ばぶるっても まともな 環境構造を 因子展開できるわけないじゃん(笑) お金欲しくて 勉強してるよーじゃ 経済に首突っ込んでる 暴力団といっしょですよ
66 :
考える名無しさん :2012/03/23(金) 03:19:43.63 0
>>1 虚無を垣間見る恐怖が在るから(殺される自由が追って来てヒトを食い殺す)。
死刑執行と、その延長たる戦争は
正当性という糸で、その裂け目を縫い合わせる。
俺が殺人の神を殺したから
68 :
考える名無しさん :2012/03/23(金) 13:44:58.66 O
医者が看護婦に毒入り注射を渡して患者が死ぬ 確かに「直接」殺しては無いという 間接正犯事例もあるからなぁ
69 :
考える名無しさん :2012/03/23(金) 22:52:50.97 0
法律があるから。 いけないとされてるから。 それだけの話。 でも、この題はおかしい。 これだと殺さなければいいのか? となる。。
70 :
考える名無しさん :2012/03/24(土) 23:19:22.16 0
殺すことに意味がないからですね
71 :
考える名無しさん :2012/04/09(月) 21:52:50.02 0
人を殺すことをタブーにしている集団では、殺人は罪になり、 またそれに関する良心も生まれているので、殺人をいけないものとすることとできるかもしれないですね。 もし、人を殺すことをためらわない人を、あなたはどう止めますか?
72 :
考える名無しさん :2012/04/13(金) 17:59:51.55 0
例えばさ、人を殺すことが許された世の中になったとする。 すると金持ちも貧乏人も、男も女も皆いつ殺されてもおかしくない状況になる。 おおよその人は殺されたくないと考えるだろう。 「じゃあ俺はお前らを殺さないから、お前も俺達を殺すな」 とかなんとか、身とか集団とかを守るためなんじゃないかな。
73 :
考える名無しさん :2012/04/14(土) 03:28:13.21 0
殺されるために行動していないから
世の中「人を殺す事が許されていない」のか?
物事の善悪なんてものは人間の創り出した概念でしかない。 脳が発達した人間は生活を効率的に送るためにコミュニティを形成し、その秩序を維持するためには何かしらルールが必要になる。 ただ単に人間は自分たちの都合のいいようにものごとに意味を持たせてるだけ。
悪い人も殺しちゃダメなの?
77 :
考える名無しさん :2012/04/27(金) 16:29:56.04 O
人は一人では生きていけないから。そのことを知っているから。 知らない者や忘れた者が故意的、恣意的に殺人を犯す。 論理的、普遍的根拠はない。その時代や地域ごとに、殺人を禁止する道徳や法があるだけ。 その道徳や法の根拠として時代や地域が是とする価値観に反する場合がほとんど。なぜか? 人はコミュニケーション(≒社会)の存在意義(人は一人では間違いなく閉じていくことを)ほとんど生得的に知っているから社会がそういうふうにできている。 ではなぜ人はコミュニケーションの存在意義を知っているのか?母親に尋ねてみてくれ。
話し合いで物事が解決したことがない家庭 暴力によって「ともかく」一時的に沈静化する事態
なぜ人を殺していいのか?
人を殺してはいけないと思うから以外になにかあるの?
ニュース速板なんかじゃDQNが死ぬと諸手を挙げて喜ぶじゃん
自分が殺してはいけないとは思ってることに変わりはないじゃん 他人がなにしようと責任ないし
敵の魚雷により船が沈み、兵士達は海に放り出された そこには敵も味方もなく、行く先を失った兵士達が浮かんでいた 時間が経つ毎にひとりまたひとり、暗い海に呑み込まれてゆく 「なんて長い夜だ…」 一晩中海を漂い続け、希望も気力も費えてきた そして他の兵士同様にいつの間にか意識を失った
気がつくとそこは砂浜 「助かったのか…」 どうやら無人島に流れついたようだ いや、俺だけじゃない 浜辺にもうひとり倒れてる しかしどう見ても味方ではなかった 服装や髪の色からして敵兵らしい 向こうも目を覚まし、こちらに気がついた
しかし何の言葉も交わさず去って行った そりゃそうだ 昨日までお互い敵として戦っていた者同士 習慣も異なり言葉も通じないので無理もない それより喉がカラカラだ 「水…水はないのか…」 ここはどうやら火山島のようだ
もう動けない… 島中を歩き回ったが緑の地は僅かしかなく、人が住むには事足らない 「なんてこった…一日中歩き回ったが水さえないのか?」 体力も限界だった 気がもうろうとしてきたその時だ 陽が沈むその先に、唯一生命が宿っていそうな場所を発見した
「オアシスだ!」 そこには水と果物そして食べられそうな草花があった かと言って余るほどあるわけじゃない 僅かばかりだがこれで当面は大丈夫だ ほんの少しだが希望が沸いてきた そこへあの浜辺以来姿を見ることがなかった奴も現れた
さすがにお互いもうくたくただ 奴も喉を潤したいだろう それは痛いほどわかる しかし、ここにはルールはない 社会規範もなく、倫理道徳すら奴との間には何もない 言葉や風習も違う それに尊重するべき約束も何もない 誰も見ていないし誰に非難されることもない この島でのことは全て俺と奴の問題だ
残念ながら食料は充分ではない… 「何故、人を殺してはいけないのか?」 そんな疑問が頭を過る 戦線から離れた二人 奴にも家族はあるだろう…しかし俺にも帰りを待ってる家族がある あれだけ兵士が流されたんだ、待てば救護隊が来るかもしれない いや、来ないかもしれない そんなことは誰にも分からない どうすればいいんだ…
自然状態のお話ですかねえ
91 :
考える名無しさん :2012/06/29(金) 15:34:04.34 0
死ぬの生きるの言ってたら、人生損しちゃうよ?
92 :
考える名無しさん :2012/07/18(水) 02:08:56.35 0
人を殺してはいけないことが、常識になったのは、 たかだか200年程前からのこと。
93 :
考える名無しさん :2012/07/18(水) 02:32:27.48 0
人を殺しても良かったら、
>>1 のような問いは存在しなかったはずだ
或いは問いに答えることは出来ない
答える前に殺される
だって殺しても良いなら殺人はもっと頻繁に起きてるはず
或いは
>>1 を殺してスレ放置
94 :
考える名無しさん :2012/07/18(水) 03:39:02.05 0
「何故人を殺してはいけないのか ニーチェ」 これで検索してオレはこの問題を解決した。
>>1 道徳宗教倫理ルールを除いて?
んなら別に人なんか殺していいに決まってるじゃない。
だから、その条件下では「何故人を殺してはいけないのか?」という問いは立たない。
暇人ホイホイじゃねえかよw
96 :
考える名無しさん :2012/07/31(火) 11:14:13.20 0
>>95 正しくは
「殺す相手の家族や仲間からの報復されないように殺せるならば、その殺人を行ってはいけない理由が無い」
ってカンジだけど、まぁ殺人するならそれぐらい織り込み済みだろうしな。
その家族や仲間も皆殺しにするって選択もあるし、報復されて自分が殺されることを目的とする「広義の自殺」って場合も有るだろうし。
人間ってぶっちゃけそうなんだから、だからこそ倫理道徳や宗教、法律やルールが必要とされて今の人間社会が出来上がってるんだよ。
97 :
考える名無しさん :2012/07/31(火) 17:17:25.98 O
「何故、いじめをしてはいけないのか?」
なんという病人 発達不全 医療費のかさみ 昼間っからほっつき歩いてる
99 :
考える名無しさん :2012/07/31(火) 18:48:49.76 0
>>97 道徳宗教倫理ルールを除いて?
んなら別にいじめなんかしていいに決まってるじゃない。
だから、その条件下では「何故人をいじめてはいけないのか?」という問いは立たない。
やっぱりココは暇人ホイホイじゃねえかよw
100 :
考える名無しさん :2012/07/31(火) 23:09:00.04 O
歴史はそれを否定しています!
101 :
考える名無しさん :2012/07/31(火) 23:18:51.63 0
ほんと、法律で死刑とか懲役刑とかにならないで済むんなら、自由に人殺してるよ 殺してもいいような人間なんかなんぼでも居るんだしな
その前に自分が殺されてるかもな
何故、人を殺してはいけないのか の前に ほんとうに、人を殺してはいけないのか を問うべきでしょうね
104 :
考える名無しさん :2012/08/01(水) 08:05:02.95 0
だから、人を殺してはいけないなんてことは無いんだよ。 宗教も道徳も法律も関係無いんだから。
105 :
考える名無しさん :2012/08/01(水) 12:35:26.96 0
正しくは 「殺す相手の家族や仲間からの報復されないように殺せるならば、その殺人を行ってはいけない理由が無い」 ってカンジだけど、まぁ殺人するならそれぐらい織り込み済みだろうしな。 その家族や仲間も皆殺しにするって選択もあるし、報復されて自分が殺されることを目的とする「広義の自殺」って場合も有るだろうし。 人間ってぶっちゃけそうなんだから、だからこそ倫理道徳や宗教、法律やルールが必要とされて今の人間社会が出来上がってるんだよ。
じゃもし法律がなかったらあなたは僕を平気で殺すの?
刑法には「人を殺してはいけない」とは書いてないところがおもしろい。 「人を殺した者は、「死刑又は無期もしくは五年以上の懲役に処する」(刑法一九九条)
なぜ「人をいじめてはいけない」のか?
109 :
考える名無しさん :2012/08/01(水) 18:24:55.13 0
>>106 なんで知りもしない君を殺すと思うの?
殺すのは「殺したい奴」「殺すと自分にメリットがある奴」の中で「自分に殺せそうな奴」に決まってるでしょ?
君は法律の縛りも無いのに、殺したい奴が居ても我慢するの?
>>108 法も倫理道徳も関係無いならいじめてもいいじゃん。
>道徳や倫理やルールは除いて 道徳や倫理、ルールを除いて「してはいけない」理由なんてありません。 糞スレ終了
111 :
考える名無しさん :2012/08/01(水) 18:44:27.30 O
ここの人達が宗教やると洗脳される
112 :
考える名無しさん :2012/08/02(木) 05:33:35.19 0
道徳、倫理、ルールや宗教を除いてって 俺らの頭の中から完全にそういったものが消え去れば、会話すらできないただの動物になると思うんだが。 そういう状況になれば欲の為に人なんか簡単に殺すのではないか?
113 :
考える名無しさん :2012/08/02(木) 14:09:21.00 0
「道徳、倫理、ルールや宗教を除いて、人を殺してはいけない理由は何故か?」ってバカな話を11スレもやってるの? 皆が言う様にそんな問いは成り立たないよ。 「何故人を殺してはいけない、という道徳や倫理、宗教ルール法律が生まれたのか?」を改題すれば、未だ何とかなるんじゃないの?
114 :
考える名無しさん :2012/08/02(木) 14:18:30.65 0
書き間違え。 「何故人を殺してはいけない、という道徳や倫理、宗教ルール法律が生まれたのか?」と改題すれば、未だ何とかなるんじゃないの?
115 :
考える名無しさん :2012/08/02(木) 19:43:59.85 O
始皇帝 アレキサンダー シーザー 孔明 ナポレオン リーズベルト ヒットラー スターリン 毛沢東 ケネディ ニクソン
116 :
考える名無しさん :2012/08/02(木) 21:55:27.62 0
よく言われることかも知れんが 人間が自分の存在を確立するためには生きていないといけないだろ? 行動というものは常に自分のした行為と同じだけのリスクを伴う訳で 相手を殺すという事はその人間にとっての「究極」を侵すことであるから、 自分もその「究極」を侵される覚悟でしなきゃいけないというわけで 殺してはいけない という概念で語るのは少し違うな
117 :
考える名無しさん :2012/08/02(木) 22:25:28.72 0
>>116 >自分もその「究極」を侵される覚悟でしなきゃいけないというわけで
それが
>>105 の「殺す相手の家族や仲間からの報復されないように殺せるならば、その殺人を行ってはいけない理由が無い」だね。
注意して相手を選べ、自信が無けりゃあ、止めておけ。
これだけ。
んで、人間の大多数がそんな危険に身を曝しながらビクビクして生きるのが嫌であるから
「法律やルール」で縛って、殺人暴行その他の犯罪がだいぶと抑止されるようになったのが現在の人間社会。
118 :
考える名無しさん :2012/08/03(金) 00:15:03.22 0
>>107 あの刑法は大日本帝国憲法に則って書かれたものだから
>>107 「人を殺してはいけない」と書いてしまうと、死刑執行者もかってことになっちゃって、矛盾になるから?
120 :
考える名無しさん :2012/08/03(金) 10:15:05.17 0
人を殺してはいけないが、非人たる生物は殺してもいい(食べるために) つまりは「人を食べてはいけない」が本来の含意(タブー)だったはず。 おそらく「人を食べる目的でなければ、殺していけないわけではない」が 普遍的真理になると思われる。
121 :
考える名無しさん :2012/08/03(金) 14:06:01.02 0
>>107 同様に、人を殴ってはいけない、他人の物を盗ってはいけない、壊してはいけない、人を騙してはいけない、とも書いてないが、
どうして「人を殺してはいけない」と明文化されてない事だけが気になるの?
>>120 人を殺してもいいなら、その肉を食ったっていいだろ。
脳さえ食わなけりゃクール―病も無いから禁忌にはなり得ない。
122 :
考える名無しさん :2012/08/03(金) 20:21:53.53 0
まずは人類の祖先からの問題かもしれない。ホモ・サピエンスとかに 聞いてみよう 恥ずかしい話 愛があるからじゃない? 地球で人間に生まれてきてしまった者の性 ただ大人になるまでにどんなことを経験してきたかにもよる
123 :
考える名無しさん :2012/08/03(金) 22:09:01.24 0
>>121 > 人を殺してもいいなら、その肉を食ったっていいだろ。
目的論的にいってこの二つの行動は等価ではない。殺人には何らかの
心理的抵抗があるはずだが、人食はもっと強い抵抗感があると云える。
124 :
考える名無しさん :2012/08/03(金) 22:10:37.79 0
125 :
考える名無しさん :2012/08/03(金) 22:53:49.35 0
いま思いついたのは、人を殺すと後から元に戻せないからというのはどうか? 死んだ人は生き返らせる事ができない、不可逆的影響を他人に与えてしまうから とりわけその行動へ向かう人間に対して制止を求めるこの「禁止文」は合理性が あるのかもしれない。
ヒトにもっとも遺伝的に近いチンパンジー、その雄は チンパンジーの赤ちゃんを殺して、しかも食っちゃうんだよな?
127 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 00:24:02.73 0
>>123 抵抗が有るかどうか?なんか無関係だよ。「それをしていいかどうか?」でしかないんだから。
殺してしまった人の体を他の動物と別に扱う理由が無いなら食うだけだ。
禁忌としての抵抗感が有るならそれは既に「道徳・倫理」の影響下に有り、
>>1 が除外してるからここで話してはいけない。
>>124 その中のどれであっても、その他全ての殺人を含め、その対象者となる事は誰もが嫌だと言うだろうが、嫌だと言ったら殺人がこの世から消えるのか?
そして「自分がされたら嫌である事」を理由に お 互 い に 禁 じ る のは社会を構成する為の「法律」の起源なんだから、やはり
>>1 が除外してるね。
>>125 動物を殺しても不可逆的な影響は有る。
それ以前の問題として、やむを得ず殺した、などの強殺等を除けば不可逆的な影響を目的に殺す殺人の方が大半だよ。
そしてそれ(不可逆的影響を他人に与えてしまう)も既に道徳倫理と不可分な概念だね。
殺されたくないから殺さない。元に戻せないから殺さない。同じことじゃない? 気になったのは人間以外の生命を食べる、害虫の排除で殺すことは必要悪? 人が生きるために他の生命を奪うことは奪われる生命の視点からすれば厄介でしょう 人以外に遠慮してたら生きていけないから、仕方ないことかしら。 いやまあ、草刈りめんどうだけど、刈らないと苦情がきそう・・。
129 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 01:01:24.49 0
>>128 >殺されたくないから殺さない。元に戻せないから殺さない。同じことじゃない?
その二つはまったく違う。
前者は自分へ報復を 恐 れ て る から、やらない。
後者はその殺された人命とその人周辺への影響が不可逆だから、殺さない(何故?)。
殺人者がその人の命を奪う事で不可逆的な影響を与えたいと望むなら、なんで不可逆的な影響を与えることが禁止事由になる?
それどころか、その被害者周辺全部がその人が殺されることを望んでたら、それが不可逆である事はむしろ歓迎されるんだけど?w
法律ルール道徳倫理宗教が無関係ならば、その報復を恐れる必要さえ無ければ(恐れない理由は複数ある)、他の動物に遠慮しなくていい様に、人間相手にも遠慮する必要など無いでしょ?
130 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 01:07:22.93 0
法律ルール道徳倫理宗教が無関係ならば、その報復を恐れる必要さえ無ければ(恐れない理由は複数ある〜
>>105 )、他の動物に遠慮しなくていい様に、人間相手にも遠慮する必要など無いでしょ?
131 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 20:26:27.07 0
>>127 タブーというのは別に、倫理道徳で誰かが決めなくても存在しうるので除外に
ならない。さらに、問題にしているのは殺人一般と捕食人食の違いであり、より
後者の方が強い禁止に囚われると言っている。
132 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 20:46:14.54 0
>>131 「抵抗が有る」のと「タブー」は違う。
>>123 には「人肉食は抵抗感が有る」としか書いてない
・「抵抗」は「個人が感性によって心理的に感じるもの」。
・「タブー」は「集団内で禁忌とされる事柄が決まっているもの」。
>より後者の方が強い禁止に囚われると言っている。
重複になるが「禁止に囚われる」のは「タブーとして決まってる事」ではない。
特定集団内で「タブー」として決まった時点で、既にその集団内の道徳倫理影響下に有る。
彼等の道徳倫理が「殺してしまった人の体を他の動物と別に扱う理由が無い」としてしまえば、人肉食はタブーとならない。
133 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 20:48:50.70 0
>>127 > 動物を殺しても不可逆的な影響は有る。
こちらは殺人一般の話でそもそも動物を(広い意味で)殺していけないとは
言ってない。分かりやすく言うと、120は「人を殺してはいけない」の起源の
推論なのである。
134 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 20:53:52.38 0
>>133 >こちらは殺人一般の話でそもそも動物を(広い意味で)殺していけないとは言ってない。
俺もそんな事は一言も言ってないし、
>>120 >>125 が言ってるとも言ってない。
>>127 で書いてるのは不可逆的な影響がある事は殺す事の禁止事由にならない、という事。
君は「不可逆である事」が「してはいけない理由」になる、という説明を全くしてないね。
135 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 21:06:28.19 0
133の続き 捕食対象は不可逆にしないと「食べられない」からで、一方「人を食べない」 故に、人は人を殺す必然性(強い理由)がないということを考えているわけ。 132は定義の話であって、君のタブーは私のルールにあたると云うだけになる。
136 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 21:14:50.74 0
>>134 じゃ殺人一般の場合(125)に話を戻すと、殺人の一般的目的は一つに決める
ことができないので、何らかの動機は「感情」に起因していると想定すると、
合理性を欠いた状態でその行為を遂行していると考えられる。
ゆえにこの「禁止文」は理性的行動をうながしていると解釈することができる
137 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 21:18:29.51 0
>>135 >捕食対象は不可逆にしないと「食べられない」からで、一方「人を食べない」
>故に、人は人を殺す必然性(強い理由)がないということを考えているわけ
話しになってない。
そこには「 何 故 人を食ってはいけないのか?」という説明が抜けたまま。
「人を食わない理由は、食う為には不可逆にしなければ(殺さなければ)ならないから」と循環論法に陥ってるだけ。
先に「人肉を食ってはいけない理由」か「人を不可逆な状態(殺してしまう)にしてはいけない理由」のどちらかを説明しなければ推論すらも成り立たない。
>132は定義の話であって、君のタブーは私のルールにあたると云うだけになる。
キミがいつどこで「ルール」の話をしたのか示してごらん?キミは「人肉食には 抵 抗 が有る」と心理的感覚とタブーを混同してるだけなのに、
「タブー」が「集団内で禁忌とされる事柄が決まっているもの」だと説明されたら急に「ルール」を持ち出した。
個人が「人肉食には抵抗が有る」と心理的に感じただけでは「ルール」にはならない。アタリマエ。
それが集団内で「ルール」になるには、既に倫理道徳の影響下に有るのもアタリマエ。
138 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 21:23:30.71 0
>>136 レス引用も無いのでどの部分に返してるのか言ってる事が意味不明。
アンカーぐらいちゃんとつけられないかな?
相手に不可逆な影響を与えてしまう事に普通に合理性は有るでしょ?強盗でも怨恨を晴らす目的でも、
殺人者に動機が有って、それを遂行できるならば、法的な罰も受けず、道徳的な非難さえ受けないのに、どうして合理的でない?
>>125 を含め、君は「不可逆な影響を与える事」が一体なぜ「してはいけない理由」になる、という説明を全くしてない
爆笑問題の太田が「その人の楽しみを奪うので、人は殺してはいけません」 てっ言ってたな。あれは確信突いていた思う
人を殺したら相手は死んじゃうんだから不可逆な影響が有るのは当然じゃないかw 幼稚園児だって知ってるよ。
まず前提が間違ってると思うよ なんでこんなんが哲学の出発点になるんだよwwww 哲学とは知を愛するということ これが出発点だろwwwww 頭おかしいだろwwwww
142 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 23:24:18.10 0
!Mokuton 簡潔に言うと、人は人を殺した後のことを十分予測できないからだね!
143 :
考える名無しさん :2012/08/04(土) 23:30:01.58 0
予測できなかったら何故殺しちゃいけないんだ? 動物殺したって予測できないぞ? 人を殺しても法律が無いんだったら、あとはその被害者家族や仲間からの報復だけに注意してりゃそれでいい。
殺しちゃいけないといってるんじゃなくて、殺さなかった方が殺した場合より 望ましいことが多いと言ってる
145 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 00:07:52.07 0
>>144 そんなモン個人による。
望ましくない事が多いって根拠は何だ?説明なしか?
法律も道徳も宗教にも縛られないって想定なんだから、殺したい奴、あるいは殺せば自分に有利な奴、を殺した方が望ましい場合が多いに決まってる。
146 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 08:50:09.60 0
>>114 >「何故人を殺してはいけない、という道徳や倫理、宗教ルール法律が生まれたのか?」
それなら「人を殺してもいいと決めるより、いけないと決めた方が自分にとって
得だと思う人が多いから」でしょ。
「なぜ得だと思う人が多いのか」というなら「自由に人を殺すことで得られる利益よりも、
自分が殺される不利益の方が大きいと思う人が多いから」でしょ。
147 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 12:49:04.91 0
人という言葉は人が使うものであるからして その人を殺すことは人という言葉をも殺すことに他ならない 人という言葉は論理の根幹を成すものであり 例えば「地球は蛍の中にあり、蛍の世界で夜が来ると腹が光り、それが我々における太陽なのである」 というような人という言葉が出てこない文章でさへ、人が観測し、推測したものであることに疑いの余地はない もし人という言葉が無かったら論理は意味を成さないのである そこに人を殺してはいけないがある
ロスジェネは貧困になっても殺しも盗みもレイプもやらない健全な論壇界隈デッス
149 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 13:36:23.24 0
>>1 道徳宗教倫理ルールを除いて?
んなら別に人なんか殺していいに決まってるじゃない。
だから、その条件下では「何故人を殺してはいけないのか?」という問いは立たない。
正しくは
「殺す相手の家族や仲間からの報復されないように殺せるならば、その殺人を行ってはいけない理由が無い」
ってカンジだけど、まぁ殺人するならそれぐらい織り込み済みだろうしな。
その家族や仲間も皆殺しにするって選択もあるし、報復されて自分が殺されることを目的とする「広義の自殺」って場合も有るだろうし。
人間ってぶっちゃけそうなんだから、だからこそ倫理道徳や宗教、法律やルールが必要とされて今の人間社会が出来上がってるんだよ。
>>149 つまり、報復が怖い人は人殺しをしてはいけないということになるね。でも、
報復が怖いような人は人殺し自体も怖いと思うから「人殺しをしない」はず。
151 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 17:16:57.78 0
>>150 つまり、@報復が怖くない人、A怖くても報復しそうな人も全部殺す人、
B自分が犯人だとバレないように殺れる人、は殺していいって事だね。
報復が怖い人であっても、その人が人を殺したかったらば、上記ABの理由で「人殺しをする」はず。
152 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 17:21:19.31 0
ついでに言っておけば、 「報復が怖い」は「人を殺してはいけない理由」ではなく、 「(そいつが)殺人を実行できない理由」でしかアリマセン。
153 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 17:40:14.10 0
荀子の殺人論が面白かった
>>150 >報復が怖いような人は人殺し自体も怖いと思うから「人殺しをしない」はず。
んなこたぁ無いw
自分が殺すのは良くても殺されたくない、なんて地球上の全動物に共通してるよw
自分の生存に不都合(情緒的な怨恨含めて)だったり殺せば生存に有利だったりするにも
殺すのを躊躇う様なのは人間の中でも極々一部の出来損ないだけだろうよ。
血を見るのが怖けりゃ毒殺でも轢き逃げでもなんでもやり様は有るじゃねえかよ。
155 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 23:23:13.48 0
>>1 の条件を解り易く訂正すれば、
「殺したい相手が居て、絶対に自分の犯行だとばれる心配が無い犯行方法が有って尚、殺してはいけない理由が有るなら何か?」
かな?
ばれさえしなければ法律も倫理道徳も無関係。誰にもばれてないその犯行を咎められる理由が無い。
唯一宗教心・信心だけが問題になるかもしれないけど、
>>1 はそれを除外して、と言ってるからね。
人を殺してはいけないなどのルールは、その社会の枠組みの中で決めるものであり、日本という社会の枠組みで考える問題なのではないしょうか。それを離れて論じても不毛な議論なのではないか。普遍的かどうかはその社会の枠組みでしか通用しないからです。
157 :
考える名無しさん :2012/08/05(日) 23:58:40.52 0
>>156 一応、「ルール・法律」としては「(戦争・正当防衛・刑罰以外で)人を殺してはいけない」というのは全世界の全ての国・集団・社会・文化圏で共通してるから、
「人を殺してはいけないというルール・法律がある事」自体は普遍的な事と言って間違いないよ。
というか、「普遍的かどうかはその社会の枠組みでしか通用しない」って何の事?
それじゃあ単に「日本じゃ鯨は食用にしていいけど、オーストラリアじゃ違う」みたいな「ローカルルール」であって「普遍的」とは言わないよね。
1を、「何故クマである私は、人を殺してはいけないのか?」という風に変形して 考えてみるね。これはほぼ「自然状態」といわれるような状況だと思う。確かに この自然状態では殺してはいけない理由はないし、問い自体も立たない感じですね
159 :
考える名無しさん :2012/08/06(月) 00:08:21.66 O
歴史は、それを否定する!
ローカルなものは普遍的ではないという考えを取るのであればいいでしょう。「人を殺してはいけないというルールは普遍的なルールである」という前提で考えていきます。
158続き で、当然ながら1の想定は、人が人を殺してはいけないのは何故か?でしょうから 人間社会はそもそも「自然状態」なのか、それとも「別の何か」なのかという所を クリアにしないと「いけない理由」も見えてこないということでしょう。
162 :
考える名無しさん :2012/08/06(月) 00:19:43.28 0
揚げ足取りのようだけど、
>>160 >ローカルなものは普遍的ではないという考えを取るのであればいいでしょう。
ちょっとなに言ってるか解かんない。
「鯨は食用動物である」というのは日本他幾つかの国でしか通用しないローカルなルールで、
「普遍的なルールではない」のは議論の余地も選択の余地も無いでしょ?
「日本その他鯨を食材にする国・地域・文化圏=ローカル」でしか通用しない「鯨は食用にしていい」というルールが
オーストラリアを初めとする欧米を含め全世界の半分以上では通用しない以上、「普遍的なルールでない」のは一々断りが要る様な前提なの?w
というか、共同体のルールとして「人を殺してはいけない」ってルールがあって、その根拠は何か、それだけで十分な気がしてきた。
164 :
考える名無しさん :2012/08/06(月) 00:25:16.38 0
>>163 それは「人を殺してもいい」事にしてしまうと共同体・社会が成り立たないから、だよ。
でもって、それは
>>1 が除外するように断ってるから駄目だね。
「共同体を成り立たせる為に必要なルール」は即ち「殺人を禁じる法律」だから。
そうなると、自分なり考えた結果、「普遍的な根拠はない」という考えに落ち着きました。以上です。
奴隷制度があったから。人は誰かの所有物で勝手に殺したりしてはいけなかった
167 :
考える名無しさん :2012/08/06(月) 01:27:56.50 0
>>166 奴隷でない「主人」は誰にも所有されてない自由人だった筈なんだけど、
誰の所有物でもなかった彼等は殺してもよかったのかい?w
主人は政治的強者だったので殺す人はいなかった、又は殺しづらかった。
169 :
考える名無しさん :2012/08/06(月) 08:47:36.92 0
それは「殺してはいけない理由」ではなく「条件的に殺せなかっただけ」だねw しかも現実には主人であっても奴隷に反逆されたり、別の政治的強者に殺されたりしてるんだし、話にならんね。
だから「条件的に殺せない」のは社会関係が成立しているからで、実際に 殺した場合とか戦争の場合もだけど、社会関係が結ばれていない、あるいは 破棄された状態を「自然状態」と呼んで区別している。その状態では、いけない 理由というのは「ない」か「いけない」と問える状況も存在しないと云える。
171 :
考える名無しさん :2012/08/06(月) 12:38:11.45 0
>>170 だから「条件的に殺せない」のは「殺してはいけない理由」ではない、と言ってるの。
条件的な制限理由である「武器が無くて殺せない」「相手が強いから殺せない」は「殺してはいけない理由」ではないでしょ?
「武器さえあれば殺せる」「強くなれば殺せる」場合ですら、それを制限できる理由こそが「殺してはいけない理由」だよ。
社会関係が成立されてても、現実には主人であっても奴隷に反逆されたり、別の政治的強者に殺されたりしてたんだから
社会関係が有ろうと破棄されてようと「殺してはいけない理由」になってないから、だよ。
キミみたいなのはまるで話にならないねw
>>166 >>168 奴隷の持ち主たる主人は奴隷を殺すのも自由だったんだけど、自分の所有物なら殺してよかったんならば「殺してはいけない理由」は「所有権の有無」だけだな。
所有されてない人物ならば、その人物を殺す力さえあれば誰が殺しても自由だね。
みんな論理を組み立てようと必死だな。感情論に逃げない姿勢は賞賛に値する。
>>172 君の想定する「人殺し」はどうも理由のない人殺しのようで、「いけない理由」を
そこから導き出すには不適当な特殊な条件じゃないかな?普遍的人殺しに当らない。
>>174 >君の想定する「人殺し」はどうも理由のない人殺しのようで
どこが?
「奴隷の持ち主たる主人は奴隷を殺す」が?理由は充分有るじゃないか。「所有物なら殺していい」んでしょ?好奇心から殺しても、快楽の為に殺しても立派な理由。
「所有されてない人物」への殺人ならば尚の事。
>>166 に拠れば「誰かの所有物で」ないなら「勝手に殺して」も構わない。
それを制限するのは「殺してはいけない理由」ではなく「条件的な制限」。
そもそも「普遍的人殺し」って何だよ?強殺や怨恨なら普遍的で、快楽殺人なら普遍じゃないのか?
なんだか反論出来ないのを意味不明な言葉の使い方で誤魔化してる人間が一昨日あたりから居るけど(「普遍的かどうかはその社会の枠組みでしか通用しない」とか)もうちょっと意味が通るように書く努力をしてくれないかな?
奴隷市場というものがあったわけだから、普通は殺さないで「売りに出す」でしょ まあ、快楽殺人のために市場から買ってくる「主人」もいたかもしれない。でも、 そういうのは当時、労働のための奴隷を雇うという一般的な目的とは違いますよ。 頻度でいけば、怨恨の場合は数が多いから快楽殺人より普遍性があるでしょうね
>>176 >奴隷市場というものがあったわけだから、普通は殺さないで「売りに出す」でしょ
「普通はどうだったのか?」は「所有権を持った主人が奴隷を殺してもいいか?悪いか?」に関係アリマセン。
「一般的かどうか?」も「殺してはいけない理由」の有無に関係アリマセン。
さらに言えば「数の大小」で「少ない方は普遍的ではない」なんて小学生ですら騙せないレトリックですねw
感覚的な物言いしか出来ないんだったら感情論に突っ走ってるのと大差無い。
君みたいなのは話になりません。
主人と奴隷の関係では「奴隷を殺してはいけない」でしょう。何故かというと 次から奴隷を雇えなくなるからですね。人殺しをすると不都合が増えるのです。 何故、人を殺してはいけないか?という問い自体がレトリックである可能性も 否定できない以上は、レトリカルな答えがあっても問題になりませんね。
>>178 「次から雇えなくなるから」は「殺してはいけない理由」にはナリマセン。
「事故に見せかけて殺す」・「殺したのではく、『暇を出しただけ』と公言する」
等と言うだけで、「条件的に殺す事が可能だから」です。
よって
>>178 はレトリックとしてすら成立せず、キミみたいなのは話にならない、という評価にも変わりアリマセン。
>>178 「次から雇えなくなるから」は「殺してはいけない理由」にはナリマセン。
「事故に見せかけて殺す」・「殺したのではく、『暇を出しただけ』と公言する」
等の配慮をするだけで、「次から奴隷を雇えなくなる」などというリスクを負う事も無く「条件的に殺す事が可能になるから」です。
よって
>>178 はレトリックとしてすら成立せず、キミみたいなのは話にならない、という評価にも変わりアリマセン。
>>179 >「事故に見せかけて殺す」・「殺したのではく、『暇を出しただけ』と公言する」
などというウソをつくコストが増しますので、人殺しをすると不都合が増えるわけ
>>181 「コストを払うつもりさえあれば殺してもいい」となるだけ、ですので
「殺してはいけない理由」にはナリマセン。
逆にキミの伝だと、殺す事によって払うコストよりも大きなメリットさえあれば殺してもいい、というお墨付きが与えられるだけ、ですねw
よってキミみたいなのは話にならない、という評価にも変わりアリマセン。
>>180 > 等の配慮をするだけで、「次から奴隷を雇えなくなる」などというリスクを負う事も無く「条件的に〜
条件的に殺す事が可能か否かは、「人殺しがいけない理由」とは直接関係なさそうだね。むしろ、
殺すことが可能な場合でないと「何故、人殺しがいけないか」の問いが意味を持たないわけだから
いうなれば、「普遍的いけない理由」があっても、人はその条件を無視することができますから。
>>183 言ってる事は正しいけど、私が「条件的に殺す事が可能か否か?」を持ち出してる理由を誤解してるね。
「人殺しがいけない理由」を提示しなければならない時に「条件的に殺す事が不可能」な理由しか出さないバカ相手に
「それは条件的に殺す事が不可能なだけ」と指摘だけなんだから。
・「能力有無・努力若しくは工夫」によって克服できる「条件」を克服する事
と
・「してはいけない理由が有ってもそれを無視する事」
は全く別だ、というハナシなんだけど、これがそんなにムツカシイのかな?
185 :
考える名無しさん :2012/08/07(火) 23:29:32.13 0
>>184 それは私が「バカ」なのではなく、単に希なケースを排除して考えているから
むしろ、君の方が「必然性のない」ケースで反論しているわけで説得力ないよ
そういえば、バカは中傷なので 1の設定に反しますからお手つき!(反則)だw
186 :
考える名無しさん :2012/08/07(火) 23:51:32.28 0
全てのタガを外せば殺していけない理由など存在しないんじゃない? 食物連鎖が殺し合いの連鎖であるのと同じく 狩の練習をするシャチが獲物を半殺しのままボールのように扱う事も ただただ全て自らが生きるための行動の一部でしかない 危険を及ぼしかねない対象の隙を狙って先に殺してしまうことすら 自らが生きるためであれば自然の摂理の一言で片付いてしまいそうだけどね 人と動物とで何ら差があるのかというと ぶっちゃけ説明できそうにないわ そう考えると殺していけない理由が唯一あるとすれば自分が生きるために 生かしておく必要がある場合だけだろうな
>>185 IDが出ない板で
>「人殺しがいけない理由」を提示しなければならない時に「条件的に殺す事が不可能」な理由しか出さないバカ相手に
と言ってるのは「中傷」には当たらないかと・・・キミがその当の「バカ」であったのならば、そう言われない様に改めるべでしょうねw
>それは私が「バカ」なのではなく、単に希なケースを排除して考えているから
「稀なケース」とはナニ?稀かどうかはキミが決めるの?それ以前に「稀である事」はそれが「殺してはいけない理由」になる/ならないにどう関係するの?
相変わらず「普遍的」の意味を理解してないようだけど・・・w
>むしろ、君の方が「必然性のない」ケースで反論しているわけで説得力ないよ
たとえばどれが?具体的に示してごらん?私が言ってる事は全て必然性と具体性を伴ってますし、
「条件的に殺す事が不可能なだけ」のケースを「殺してはいけない理由」として挙げてる馬鹿を諭してるだけ、だよ?
訂正。
>>185 IDが出ない板で
>「人殺しがいけない理由」を提示しなければならない時に「条件的に殺す事が不可能」な理由しか出さないバカ相手に
と言ってるのは「中傷」には当たらないかと・・・キミがその当の「バカ」であったのならば、そう言われない様に改めるべきでしょうねw
ついでに言っておけば、「普遍的な、人を殺してはいけない理由」とは「普遍的(強殺・縁故運等のメジャーな、故に快楽殺人を除く?w)な殺人のみ、を<してはいけない>と制限する理由」ではアリマセン。
「どんな種類・理由・動機の殺人であっても、それが殺人である事を<してはいけない>と制限する」のが「普遍的な、人を殺してはいけない理由」です。
このスレでは↑から
>>1 が除外する条件を回避して「人を殺してはいけない理由」として挙げなければならない、という事ですので、いい加減にそれぐらいは理解しましょう。
ついでに言っておけば、「普遍的な、人を殺してはいけない理由」とは「普遍的(強殺・怨恨等のメジャーな、故に快楽殺人を除く?w)な殺人のみ、を<してはいけない>と制限する理由」ではアリマセン。
「どんな種類・理由・動機の殺人であっても、それが殺人である事を<してはいけない>と制限する」のが「普遍的な、人を殺してはいけない理由」です。
このスレでは↑から
>>1 が除外する条件を回避して「人を殺してはいけない理由」として挙げなければならない、という事ですので、いい加減にそれぐらいは理解しましょう。
190 :
考える名無しさん :2012/08/08(水) 10:42:16.63 0
殺す相手はもちろん選ぶんだから、罪に問われないんだったら当然殺すし、殺してもいいよなぁ。 殺しても良心の呵責なんか感じなくて済むようなゴミ屑なんかいくらでも居るんだし。
普遍的な理由がもしあったとしても、殺した人は、ただ、してはいけないことをした人になるだけだな。
192 :
考える名無しさん :2012/08/09(木) 17:33:57.57 0
>>173 >みんな論理を組み立てようと必死だな。感情論に逃げない姿勢は賞賛に値する。
同感です。
<感情論に逃げない姿勢>こそ、正に<哲学の出発点>ではないでしょうか。
とかく感情論になりがちなこの問い >1 の真の意義はそこにあるでしょう。
193 :
考える名無しさん :2012/08/09(木) 20:21:10.13 0
「いい」とか「いけない」とかいう話は、感情抜きでは無理ではないのか。
誰も見ていないところで、証拠も残らなければ そもそも人を殺したことにならないから いいも悪いもない。 バレなきゃ、この世は何でもありなんだからさ。
195 :
考える名無しさん :2012/08/13(月) 17:16:04.53 0
人類が滅びるから
何故、人のモノを獲ってはいけないのか? でも同じ
人類など滅んでも構わん
198 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 09:03:13.11 0
原発事故以来スーサイディング(自殺途中)という概念が横行しているようだ 取り込んだ放射性物質が原因でガンを発症するがそれが酷くなったら自殺する それまでは「死ぬから許して」の一点張り
199 :
海空理のおっさん :2012/08/18(土) 17:38:35.40 O
自らが或は自分の妻や子、愛する者達が殺されたくないし、それを自覚し、人達をはかり 自らを含め、愛する人達の同様の思い これから、廻り合う縁をも、 これまでの縁をも 鑑み、 社会の如何なるを規範とすべきかが裁量され 社会秩序を構築しようとするのが 人間社会の常ではないだろうか と思う! 別に殺人許可の裁量があり、 規定されても、やむ無しではあるが、 人間の叡智の前に、今や無く 正当防衛に限る厳正な規定が施されあるぐらいであろう! しかし 国際間に於ける、国際紛争、戦争に及んではこの限りにない!
200 :
海空理のおっさん :2012/08/18(土) 17:55:12.63 O
>>194 > 誰も見ていないところで、証拠も残らなければ
> そもそも人を殺したことにならないから
> いいも悪いもない。
>
> バレなきゃ、この世は何でもありなんだからさ。
だね! だから ん?
自分の母親を憎めば、犯したければ、 暴行さえするのかな?
そこに《人間:貴方の愛》は如何に動揺するのだろうね?
君達が愛情のない生物なら、いざ知らず
人間の人間を愛する心が初めからあり
人間が愛し子とし産まれ、その子が愛ある故、
人間を愛し、愛し子を産み
人間社会が膨らみ今にある。
つまり
愛故に人あり、社会がある!
貴方も含め、
その強烈な愛の塊が何でもするだろうかなあ?
例外はあるが〜よっぽど… …
身勝手な殺人を禁止しないと社会を維持できない それだけでしょ
202 :
考える名無しさん :2012/08/18(土) 22:41:08.70 0
殺しちゃいけないっていうのは所詮法律を守ろうとするみんなの意識。 自分以外全てを殺せば、そこに悪はない。 罪悪感は他人がいるから発生する。みんな殺せば何もない。法も基準もない。 比べるものがなければ悪はない。
203 :
考える名無しさん :2012/08/19(日) 03:29:24.67 0
殺したい奴を殺していったら最後には家族しか残らんだろうね そしてその家族の中にも殺したい奴が現れ・・・ ふむ、殺したい奴を殺さなければ最愛の人が殺したい奴に変化するのを 阻止出来るかもな
むしろ憎しみから人を殺すのはすごく理解できることだろ それと仇討ちとか
人間は人の死をあつかえないから。
何故、人の死をあつかえないの?
宇宙の恒星の数は地球上の砂の数より多い。 哲学は文学と考えればよい。
208 :
考える名無しさん :2012/08/21(火) 00:13:24.69 0
カントの定言命法が話を混乱させた
209 :
考える名無しさん :2012/08/23(木) 07:32:43.49 O
まあなあ 父母の愛から産まれ、育まれた貴方が人を愛し、子を産み育み、父母と同様、その経過経緯により社会があるのだろが、 果たして、人間は安直に考え殺意を懐くものだろか? その成長過程での考察は普通、直感的直観であるにしろ、積み重ね否定して止むことはないだろね! が、条件下に於いては、すべての心情道理理性哲学法律を排し 殺意を懐くものだろうな! 良し悪しに関しては… … …
210 :
海空理のおっさん :2012/08/23(木) 07:36:40.01 O
>>209 人の殺傷が自由であれば
君らは喜ぶだろう!
が… … …
211 :
考える名無しさん :2012/08/23(木) 09:29:37.79 O
殺してしまうほどの強い殺意を抱くまで、無理に人と関わろうとする浅はかな行為だから そうなる前に人との繋がりを絶つ必要性に気づかないと 不必要か必要か自分の頭で考えたり自分の頭で考えられなかったら、心理カウンセラーに相談するとか
>>211 町を歩いているとき、向こうから人が携帯見ながら歩いてきたら、どう対応する?
黙ってどくのか?
町を歩くということは、人との繋がりを持つということだ。
常に人との繋がりを持とうとしなければそういう矛盾に遭遇する。
213 :
考える名無しさん :2012/08/26(日) 03:18:37.43 0
昔、社会が自殺(自分を殺す)を禁忌とするのは、人頭税が…云々と聞いたことアルヨ。
214 :
考える名無しさん :2012/08/26(日) 03:25:14.54 0
ある物語の中で、人は一人分の死しか背負えなくて、その一人分は自身の死にあてがうべきだとの趣旨の考えがあったなぁ。
215 :
考える名無しさん :2012/08/26(日) 09:19:37.64 O
殺してしまうほどの強い殺意を抱くまでの過程の中に問題がある その殺す対象の相手がゴキブリなどの虫であっても 虫のエサになるモノが自分の近くに無ければ虫と関わることも無くなる そういうエサを発生させないように、またはそういうエサがある所に近寄らない工夫をする事とかの知恵が欠けてる者が多いように思う
216 :
考える名無しさん :2012/08/26(日) 09:57:08.51 0
殺す前に一寸考えろってことだと思うが なんでそう思うのかだよな? 殺したいから殺して問題起きたのかな?
217 :
考える名無しさん :2012/08/26(日) 10:39:32.08 0
殺したいから殺したけど後始末は面倒だから嫌 結果腐乱死体を嫌々片付けることに 素直一徹だとそうなるか
218 :
考える名無しさん :2012/08/26(日) 10:45:39.40 0
殺した相手の腐乱死体を片付けている最中に 誰かが自分に襲いかかってくる 殺してもOKな社会はきっとそんなだ
俺だって人だもん 殺されたくない 陸は人間が制してるから、人の気持ちで左右されるんじゃないのかな。
220 :
考える名無しさん :2012/08/26(日) 19:05:13.12 0
動物を普段殺しているんだから人間だって殺してよい 人間ってだけでえこひいきするのはおかしい 家族や友だちなどの気持ちを考えるのはわかるけど まあ、自分が殺せれたくないから殺人をタブーとする教育はそのままで いいと思うが
すりこみ
積んだ積み木(倫理感)を壊したくないから
そもそも人の境界線とはなんだろうね
224 :
考える名無しさん :2012/08/27(月) 02:57:10.04 O
【してはいけない】 って言うのは禁止行為だから その是非は同意の有無に左右されるよね 物を壊すのが禁止されるのはその所有者の同意が無いからであって 所有者の同意が有れば家だって壊しても構わない では人体についてはどうだろう? 他人の同意無く他人を殺すのはその本人の同意が無ければ当然禁止されるが 身体の所有者が殺される事を同意した場合は当然に禁止されるだろうか? また自己が自己の同意のもと自殺する場合にはどうか? これは自分の体の所有者は誰であるかによって変わるよね
225 :
考える名無しさん :2012/08/27(月) 10:31:22.83 0
>>224 >身体の所有者が殺される事を同意した場合は当然に禁止されるだろうか?
拷問され続けた結果、殺してくれと懇願するような場合、同意の有無は無意味
226 :
考える名無しさん :2012/08/27(月) 10:42:54.21 0
人を殺してもいいなら拷問してもいいし、窃盗・レイプもしていい それは理想のライフスタイルからかけ離れている
227 :
片岡数吉(カズwヨシ) ◆pTSgcfAwJ. :2012/08/27(月) 12:09:44.75 0
人を殺してはいけないという法律を守ってきたものが今日の平和な社会の人間を作ってきた。 怒りが起こった時に冷静になって話をすることができる人間にならなければならない。 怒りが起こった時にカーッとなって殴ったり痛めつけたりしてはならない。 怒りのまま殴って、それが人を殺すこともあるのである。
228 :
考える名無しさん :2012/08/27(月) 20:11:02.48 O
>>225 本人が殺してくれって哀願してるんだから殺してもいいよね
平和な社会なんてありえない。 殺し合いをすればいい。 1日に自殺者が80人以上いて平和であるはずがない。
>>1 >なぜ人を殺してはいけないのか?
では訊く、何故家畜を殺して平らげて良いのか?(これは宗教的質問ではない) 食物連鎖の最上位にきた人間は生きる価値さえない者も食らっている!
それをどう考えるか?
だからわたしが訊くのは???
さあ答えてくれたまえ、答えられるなら?
>>224 所有権がなくなれば、社会は成立しなくなるが、わたしは訊きたいあなたに。つまり、哲学を。
あなた自身の「モノ」(敢てカタカナ表記)は何なのか? 云えるか? 君に。
己の欲の為に人を殺すのは当然ダメだとして(もう議論いらねーだろ)、 例えば、ノルウェーの77人殺しのあいつはなぜ死刑にしたらダメなの? 例えば、ボケて寝たきりで無理やり生かされているような老人をなぜ死なせてあげないの? 例えば、先天的な障害で生きていくのが絶対的に困難な赤子をなぜ殺してあげないの?
>己の欲の為に人を殺す 東電がそうだな、今の政府もそう。 関電もそうなるかもしれない。
235 :
考える名無しさん :2012/08/29(水) 14:27:56.00 O
>>232 モノとは何か?ねぇ
難しいね
主に物質の事を指すんだろうけど
彼女は俺のモノだ
とか
社長の座は自分のモノだとか言うからね
物質じゃなくても何かしらの排他的支配が及ぶ事柄かな
236 :
考える名無しさん :2012/08/30(木) 12:54:40.80 0
何の目的もなく殺戮をするっつーのは、一般的に生命倫理観みたいなもんに引っかかるよな 目的がある場合、そしてそれに責任が負える場合は論外になりえるかもしれない
237 :
考える名無しさん :2012/08/30(木) 13:21:53.19 0
人間社会を運営するためにだろう 通常、民主主義社会、科学大国ほど、こういう規範にうるさいのだが それは結局そのような社会を運営していくためにすぎないのだ つまり、「殺してはいけない」という価値観自体が存在しているわけではないってことだよ もう少し無い知恵絞って考えてみろよー単細胞の諸君。
238 :
考える名無しさん :2012/08/30(木) 19:24:09.73 0
お前という存在は父親の精液と母親の卵子からできてる つまり親=創造主かつ所有者 だからおまえは親の言うことを聞いて従わなければならない 何で殺してはいけないのか?ママに聞けよ
ママとか言うなよ
240 :
考える名無しさん :2012/08/31(金) 02:03:30.79 0
死ぬ思いして産んだ子を殺されたら あの苦しみは何だったのだろう・・って思うだろうね 世の中を、人生を全て敵視するような人間になったりして
241 :
考える名無しさん :2012/08/31(金) 13:50:47.20 O
>>238 肉体の所有者が自分じゃないって考えれば 自殺も同意のある殺人も理屈上禁止できるんだよね
じゃあ親なら子供に対して何をしてもいいかと言えばそうじゃないよね
子供は授かるモノって言うぐらいだからママやパパだけのモノじゃない訳だ
242 :
考える名無しさん :2012/08/31(金) 14:43:16.25 0
ああああ「最大多数の最大幸福だと思います」
そもそも生物って数を増やして種を繁栄させるようにできてるじゃん。人を殺すというのは同種を減らすことになるならだめなんじゃないの?
244 :
考える名無しさん :2012/08/31(金) 22:53:42.99 0
・人物Aが人物Bを殺害 AはBと全く面識がなかったが、イラついていたのでBを殺した。 ・人物Aが人物Bを殺害 AとBは幼年期からの友達だったが、女性関係のトラブルでBを殺した。 ・人物Aが人物Bを殺害 AとBは親子で、郊外の一軒家の駐車スペースに車庫入れ中、Bを轢き殺した。 いずれの場合もAがBを殺したのに変わりはないように思う。 例えばAが殺人後に @独自の快楽、幸福を体感する場合。 A自責の念、後悔、自己嫌悪を体感する場合 @、Aどちらにしろ A・Bの家族・近所のコミュニティ・社会は 突如命を奪われる事への、畏怖、恐怖、苦痛を背負わされる。 数の問題です。1億人>B・Aの関係者>A よって日常生活における殺人は許されない。
245 :
考える名無しさん :2012/09/01(土) 04:26:49.32 O
人が自由に殺し合えるのであれば殺されないために多大な労力費やさなきゃならん そんな無駄な労力費やすのは大変だから社会的に他者を殺してはいけないという約束をした 人を殺すということはこの約束に反する 人殺しは約束違反であるから悪いのである
246 :
考える名無しさん :2012/09/01(土) 05:30:50.09 O
殺すというのは元来補食のためにありうるものだから 普通は人間が人間を殺すことはない。言語を使うようになって 内面が内面を探るようになってからだろ起こりは
247 :
考える名無しさん :2012/09/01(土) 09:07:07.56 O
社会契約や攻利主義に基づく禁止理由の場合 時と場所なんかの状況が変われば人殺しを容認する事にもなるからね
ぽんぽこ
>>235 つまりあなたの言葉を使えば、支配して「善い」根拠を訊きたい。と同時に、万が一支配しても善いとしても「自分のモノ」といえるのは
いかなる理由によるのか?
これも哲学さ。それがはっきりしていないはずなのだが、誰もがそう思っているよな。だからいつまで経っても歴史は歴史なのさ。
それがほとんどすべての人の限界なんだと思う。人間以外の動物はいわずもがな。けれども人は違う。
そうは思えませんか?
>>235 。
250 :
考える名無しさん :2012/09/01(土) 17:24:44.36 0
自分の存在自体【両】親から発生してるんだから 人殺していいなんていうのは自己否定だよな もし自分の父親がそれ以外の人みんな殺してたら 自分は生まれてこなかった とどのつまり人間である以上、いつかどこかで人殺しちゃダメだと気づく だったら最初からやらないほうがいい
251 :
考える名無しさん :2012/09/01(土) 17:34:15.83 O
>>249 所有して善い理由は色々有るでしょ
無主物を拾ったり
創作物を作ったり
合意によって譲り受けたりさ
他人を害しない行為に基づけば善い所有でいいんでない?
252 :
考える名無しさん :2012/09/01(土) 18:54:22.45 0
>時間的・空間的な普遍性 ↑ こんなものあるんですか?
ぽよ〜ん
>>251 わたしの質問には答えてくれないのですね?
殺されたら殺し返す ことができたらどんどん殺し返していると思う。 地球上は怨念の塊りだ。
そして真のぼっちである俺だけが生き残る。
257 :
考える名無しさん :2012/09/03(月) 03:08:35.07 O
だから、人間は本能的に細胞分裂を永久に行えると判断した時に快感物質が分泌されるんだろ。 各々それがあるから住み分けを行う。
>>247 殺人の容認でなく殺人から除外するのでは?
259 :
考える名無しさん :2012/09/04(火) 22:33:19.52 0
>>1 戦争を除くのは、かなり無意味です。人と人であっても、国家と国家であっても同じことです。
上がインチキをしていたら、下も倣うでしょう。
>>260 自分でスレ立てればいいじゃない
無理だろうけれど
>>261 じゃあ、あなたが取り下げれば? 2ちゃんねらーは頭がいいなどと週刊誌風情がいっていたが、とんでもない。
カバが多い。君も質問に答えてないよねー、事実。
自分がスレたてておいて、困ったら「あんたスレ立てな」ってか。こっちはお前さんみたいな暇人じゃないんだよ。
質問には答える、逃げるな。なかなかここの連中はそれができないようだな。それじゃあ、君たちは信頼されないぜ。
自身が言葉のルールを破っているのだから。
お前の文章は隅から隅までバカっぽい。 お前は質問なんかしていないよねー、事実。
人殺しが悪、ではなく人殺しには制裁が与えられるだけ 社会に組み込まれ法に守られいてる人間に危害を加える者は社会の敵であるから、野放しにしておくわけにはいかないから
266 :
考える名無しさん :2012/09/06(木) 23:26:24.16 O
>>265 そう思って社会の悪である強欲金貸し婆さんを殺した人が居てだな
267 :
考える名無しさん :2012/09/06(木) 23:35:51.12 0
268 :
考える名無しさん :2012/09/07(金) 01:15:23.00 I
共同体の平穏のためじゃないの?普通に
いじめに遭ったら時間差正当防衛でいじめのメンバーを殺しても 情状酌量で書類送検だけで済むようになると思う。
>>259 社会契約説の場合は、契約違反者を死刑にするのは戦争状態における敵国人を死なせるのと同じで、
理屈としては正当防衛であって殺人ではない。
トロッコ問題も殺人を肯定する論理にはならない。
人の命を量的に考えてどっちがマシかを計算してるだけ。
功利主義的に考えればあんな理不尽な選択肢で殺人の汚名を着せられるような社会の幸福量は著しく低いとせざるを得ない。
罪に問われるとしても殺人罪にはならないような法体系が功利主義的には選択されるだろう。
なんで人を死なせる=殺人で考えるんだ?
271 :
考える名無しさん :2012/09/08(土) 02:26:59.98 0
社会は毎日人を殺している 毎日々々、1日80人以上が自殺しているわけだ。 彼らを一様に弱い人間などと言えるか? 社会は罪に問われない。
272 :
考える名無しさん :2012/09/08(土) 15:14:36.83 O
>>270 国の統治下にある場合は、社会契約説で論破できそうだが、国の統治下にない場合はどうだろうか?
社会契約説の信奉者は、殺人は良いと言うかもしれないが、最終的には所有権で論破できそうでね?
自らの身体を処分する所有権は、、当然、所有権者にあるから、所有権者の身体を恣に処分することは、誰にも、国家でさえ許されない。
所有権は国家も国際法も侵すことのできない神聖なる権利。
ただ所有権至上論者は、自殺を容認せざるを得ないし、死刑に関しては廃止論に傾倒しやすいかも。
273 :
考える名無しさん :2012/09/08(土) 21:15:58.02 0
>>270 正当防衛の法学上の処理は
人を殺して殺人罪にあたるが違法性が阻却されるって考えるし
トロッコ問題にしても「舵を切る」って行為が介在すると
形式上「一人を殺す」って判断をしてるから殺人にあたるんでないかと
こっちは緊急避難事例だけどさ
>なんで人を死なせる=殺人で考えるんだ?
法律上責任が問われなくとも(因果関係が曖昧でも)
自分の行為で人が死んだ場合そういう風に思わないかい
274 :
考える名無しさん :2012/09/08(土) 21:31:51.71 0
>>272 人を殺してはいけない理由として
社会契約説や功利主義の考え方はそれなり理屈が通ってるけど
元々社会契約は国民国家と市民人民との間の法理で
功利主義は選択基準として有用
ただ当然に特殊な状況においてには弱点があるんだよね
その点 所有権説だとすっきりする
逆にこういう風にもなりやすいけどね
>自殺を容認せざるを得ないし、死刑に関しては廃止論に傾倒しやすいかも。
275 :
考える名無しさん :2012/09/08(土) 21:39:38.08 0
>>228 >本人が殺してくれって哀願してるんだから殺してもいいよね
殺してくれなんて言う奴の言うこと聞く義理はない
276 :
考える名無しさん :2012/09/08(土) 21:43:40.91 0
>>270 それと戦争について言えば防御側は正当防衛かもしれないが
侵攻側は「その領地から立ち退きなさいさもなくば武力をもってでも排除する」
って立場で
その結果衝突して死人が出る
侵攻側からすれば退かないのが悪いんだと
まぁ武力は交渉を有利に進める最後の手段だからね
>>272 このスレじゃ宗教を根拠に禁止するらしいから
>>274 では賛同したけど
>所有権は国家も国際法も侵すことのできない神聖なる権利。
神聖な権利って言っちゃうと神学的になっちゃう
究極的には創造主の持ち物だから自殺も死刑も駄目ってのが導き出される
まぁ所有権の根拠次第だね
277 :
考える名無しさん :2012/09/08(土) 23:01:09.46 0
人は殺してもいい その代わり、その人の関わる世界の人々に殺されることを覚悟すること
278 :
考える名無しさん :2012/09/09(日) 10:00:19.92 O
>>276 神聖不可侵なる絶対的権利は所有権で、神が自然と呼ばれるものならば、自然の一部から造られし被造物たる人間が地球に投下された時にまず手にし得たものが自らの身体に対する所有権。
人間は自然の所有物ではない。
人間は死んだら自然(神)に還るのだから、人間は自然が所有権を手放した結果の作品。
>>1 も読めないの?もし、人殺しはいけないとしたら、その論理的、普遍的な根拠があれば、それを教えて下さい。
余計なこと書かないでね。「人殺しはいい」なんてのは自分の日記に書いてくださいね。
Miracle do exist.
>>273 過失致死や中絶が殺人ほど重くはない犯罪と考えられたり犯罪ではなくともよろしくないと考えられるのは、
殺人に外観が似ているからなのではないの?
何らかの仕方で人を死なせてしまうことと殺人の間にある差を考慮しないで禁止の理由は語れないと思うんだが。
現存の社会が禁止しているのは、殺人とそれに似たいくつかの行為であって、
人を殺すこと一般を禁止していないし、そのなかのいくつかは禁止されてないことが当然視すらされてる。
人を死なせることと殺人を同一視することは、
外科医が患者にメスを入れることと傷害を同一視することと同じくらい危険。
どっちも人に傷をつけるから一緒だとは普通の人はいわないだろうし
(あえて外科医療は一種の傷害だと言ってもいいけどただの文学的表現に過ぎないでしょう)、
人に傷をつける行為は一般に禁止されるとも言わない。
>>273 法学上の理屈では殺人罪だが罰しないということだとしても、
違法性が阻却されるのは、社会的に正当防衛を殺人だとはしたくないからでないの?
違法性阻却までして殺人罪で罰せられるのを防ぐ理由があるはずで、
それは本質的に殺人的な行為と殺人に似ているが違う行為を分ける必要があるからだと思うんだが。
283 :
考える名無しさん :2012/09/11(火) 23:11:07.81 O
過失致死と殺人の違いは故意の有無 中絶と殺人の違いは胎児や嬰児を「人」と見做さないからだね 医療行為も患者の同意が無いと形式的に傷害行為だよ まぁ自傷行為は不可罰だから医療行為は同意があれば問題にされないけどね それに一般的な社会通念を基に殺人か殺人じゃないかを区別するならイスラムの名誉殺人なんかはどうなる?
284 :
考える名無しさん :2012/09/12(水) 10:04:45.06 0
イスラムの名誉殺人で検索したら17歳の少女への投石写真にたどり着いた 見た感想・・・気分を害する なんだろ・・・そう感じる感性が備わっているとしか思えないな
イスラムは不倫した女の斬首シーンの写真が載ったことがある。 もう25年ぐらい前のことだが。
286 :
考える名無しさん :2012/09/12(水) 14:40:07.29 O
正当防衛についても その成立要件は 急迫不正の侵害に対して防衛の意思をもってやむを得ずにした行為 だから何でもかんでも成立する訳じゃないし 過剰防衛や誤想防衛は殺人罪の刑を減刑という扱いになる イスラムの例は命<名誉って社会的価値観だからね そりゃジハードもやりやすいよね 逆に人の命は地球より重いって言うのもあるけどさw
>>283 だから上でいろんな人が言ってるように、
「なぜ人を殺してはいけないのか?」を一般に問うことはできないよね。
この問いを有意味にするには「人を死なせる行為のうち禁止されている行為はなぜ禁止されているのか?」
以外ではありえない。
社会契約説での死刑肯定論やらトロッコ問題やら持ってきても、なんの議論の足しにもならないと思うんだが。
>>283 どういう形式の行為が殺人かは法で決めるしかない。
その法は社会通念を反映してもいいし、宗教かもしれないし、独裁者の好みかもしれないが。
289 :
考える名無しさん :2012/09/13(木) 03:21:54.74 O
犯罪の常習性にあるんだろな。 故意なら次回もありうる。
真珠湾攻撃のように事前にチャーチルやルーズベルトが把握していた にもかかわらず正当防衛の手段に使われた場合、将来国際裁判にかけて 検証する必要がある。
291 :
考える名無しさん :2012/09/14(金) 09:01:47.66 0
資源と金あげるから軍備して戦争起こせ その間キミ達は豊かになる 敗戦後は要職に就けてやる、そういう密約があったのかも知れん
平安から鎌倉もそうだし江戸になるまでもどんだけ武士は殺し合いをしたよ。 坊主だって殺し殺されしただろ。 神も仏もねえんだよ。
人間から倫理や道徳を除いたら何も残らない。人間以外の動物でさえ、本能的ルールはある、自らの集団を維持するために。 したがって、それらを取り去れば「何故、人を殺してはいけないのか?」という問いさえ成り立たない。倫理があるからこの問いは成り立つのである。 この場合、人間の現状を捨象しての論議は成り立たない。如何に?
Poe
人を殺していいことになると、自分が殺されちゃうから
296 :
考える名無しさん :2012/09/29(土) 05:11:27.45 0
殺すな 殺されるな
ぷん
>>296 殺さなければならない人間はいる。それはその罪を償わなければならないからだ、死を以って。
本人が罪の意識はなくとも、死刑に値する(狂気は別)者は。残念ながら、人は人を殺さずにはいられないのだ。
それが現状。
生まれたからには誰も殺されたくたくはない。それも人情。しかし、そうであれば「理由」がない限り他人に危害を
加えてはならない。これ、生きる者の常識という。それを破った者はやはり殺されるべきである。どんな人でも
殺してはならないという法律の傾向は誤りである。そんなものは人権主義にのとったものだろう。
社会の歯車になっていたら、自分にはそれなりの価値があるなどと思ってはならない。真実を知らない者に権利を与えてはならない。
昨今、男女同権などと吹聴されているが、それはそうではない。男と女はたとえれば犬と猫ほど違うのである。それを同一視させようとする
政府 or U.S.A は、経済的消費のことしか頭にない。そのことによってどれだけ不具合が家庭に起こってくるかなどということは、まったく
気にもしていないのである。君たちはそれをどう思うか? まったくsleeperだ、どいつもこいつも。
いい加減、俺に迷惑をかけないでくれ。
299 :
考える名無しさん :2012/09/29(土) 13:23:53.21 0
猫のこと虐待する奴なら殺してもいいだろ 鬼畜未満のゴミ屑にしかみえないわ
q
>>298 死ななければならない人間はいても殺されなければならない人間はいない。
殺されるということの内には常に既に「不当に」死がもたらされることが含意されている。
死刑は「正当に」与えられる死であって、死刑囚は(不当に)殺されるのでなく
正当な仕方で死のもとに置かれるだけだ。
死刑執行人は殺人者ではない。正当に死を与える者だ。
303 :
考える名無しさん :2012/09/30(日) 15:37:38.43 0
ヒトを殺しても喰えないからだろ、証拠に中国では食っていいので ときどき絶滅殺戮が起こって喰うんだろ 元寇のときも、つかまえた捕虜を船の周りにぶら下げてた、食うためだ
人を殺してはいけなくないと思う 人を殺してもいいけどそのかわり社会的にあなたも殺されますよっていうだけ そもそも道徳と倫理を抜きにしたら、していけないことは何もない
305 :
考える名無しさん :2012/10/01(月) 00:46:05.47 0
社会的混乱の防止、それだけだろう。それを、さもモラルぶって喧伝してるだけ。 殺し合いの社会になったら国家も何もない。
306 :
考える名無しさん :2012/10/02(火) 12:47:53.98 0
人間って生き物は弱い この厳しい自然界で生き残るのに仲間で殺し合いなんてしてらんなかった そういう事が遺伝子にインプットされてるだけ
307 :
考える名無しさん :2012/10/02(火) 12:50:09.90 0
301 波平はいぬだから
Q
>>302 君みたいな国粋主義者は、いまどき珍しいと思う。この意味分かりますか? わたしは君みたいな騙されやすい人ではない。
君に質問する。
正当な殺人とは何か? 答えてみたまえ。君が答えうるのはたかだか社会性の範囲である。まあ、数百年ってところ?
そんなもので命を裁いてはならない。陪審員制度、裁判員制度、これ何? アホがアホを裁く制度かい?
君、バカな人には、人を裁く権利はない! そんなことも知らないのかね? w
Q
>>309 正当な殺人なんかない。殺人は常に不当。
人を死なせるのには法によって正当な仕方があるというだけだ。
手続きに則った死刑の適用と執行は日本では正当な行為。
もちろん裁きは判断だから誤ることはある。
誤審による刑死は確かに不当にもたらされた死だ。
しかし、それは死刑そのものが正当とされるべきか否かとは別の話だ。
なんで法律とか裁判の話をしてんの? ここ哲学板だぜ 法律に従う必要なんかない
人を死なせることの内でどの行為が不当でどの行為が正当か、 その不当性/正当性を根拠づけてるのは何かを問うことは十分哲学的だよ。 現行の法律だけを根拠に話をすれば法学だが、 あるべき法律やそれが基づくべき価値について語るのは哲学の仕事でしょうに。
>>312 法哲学や政治哲学なんかは哲学の各論って感じだもんな
いかなる統治体がいいのか いかなる法体系に基づいて統治すべきかとか
結局「人」はどういった存在かを問うているわけだし
その「答え」によって結論が変わってくる
例えば人は理性に従い間違えのない判断が出来る存在とすれば
過度な規制は不必要だし
感情や誘惑によって理性に反した行動をしてしまう存在なら
強く規制すべきだとかね
315 :
考える名無しさん :2012/10/07(日) 08:33:21.60 O
完全に停滞というか終息してしまったね。 何か新機軸はないものかな。 多少無茶目でも。
社会の犬よ
>>312 わたしは法律如きについて話しているのではない。
生死は常に哲学である。相手は法律を云々してるけれども。それはその人が、未だかつて自分を知ったことがないからだ。
であるから社会的背景に頼ろうとする。誰もがみんなそうなのだ。それは自己開示していないからである。
君もそうだろ?
>>311 「正当な殺人なんかない。殺人は常に不当。」
だったら、死刑も不当ではないか? それについてどう思う?
318 :
考える名無しさん :2012/10/07(日) 13:04:09.11 O
なぜ自分を知ろうとしない? なぜ答えを法律に委ねる? それは哲学ではない
>>317 死刑は殺人ではない。人が人を死なせるという形式的な外見が似てるだけ。
人が刃物で人を切り開くという点で外科手術が傷害に似ているのと同じ。
(不当な外科手術はありうる。傷害は常に不当。)
殺人が不当であることからは死刑の不当性は出てこない。
死刑が不当であることはありうるが、それは殺人の不当性とは別に問うべき問題だ。
(個人的には、死刑は民主制なら刑法の最終的な根拠が民意に置かれ、
恣意的な運用と誤審が防がれる努力がなされていれば不当でないと思うがスレ違い。)
学問とは、すべての人の為にある。
>>318 君は哲学をしらないようだな。哲学こそが主体から起ち上がる唯一の学問である。「答えを法律に委ねる」ているのは
君自身であり、わたしではない。
「それは哲学ではない」というなら、責任をもって哲学とは何かいいたまえよ。そうでなければ君は所詮無責任な輩と
変わらないではないか? 2ちゃんにはそういうのが多いが。
傲霜孤節。 君たちはそれが出来るか! おそらく出来まい!
乾坤一擲
>>322 死刑が殺人だとマジで思ってんの?罰金は窃盗かよw
哲学にかぶれるとアナーキストになるのかな。
だいたい死刑が不当だと論難できたとして、それによって殺人の不当性が証明できるわけじゃないぞ。
死刑が正当であるか不当であるかにかかわらず殺人は不当だ。
殺人の不当性を真面目に考えろよ。
なんか頭固いやつがいるな
>>319 「殺人が不当であることからは死刑の不当性は出てこない。」
だったらはっきりいたらどうだい、殺人と死刑にいかなる差があるのか? それを無視して論議は成り立たない。
君が無視しているのは、規則と個人の存在性の間である。
個人は社会がなければ成り立たない、しかし社会がなくても成り立たない。歴史的には悟った者が常に社会的弱者となったのだ。
これは何故か? それはほとんどがカバだからだ。歴史とはそういうものだ、違いますかね? だったらそれを変えられるのか?
無理だろう。君と同じように。
俺のいうことが気に入らないなら、示せ。人というカバはいつになったらまともになるのか? 民主主義など偽善である。
>>325 君の云うことからは、人を殺さなければならない理由が抜け落ちている。それが何か、裁判官如きに分かっているとでも? それは無理だ。教育「された」者には決してわからないのである。
「人を殺してはいかない」とは、教育の結果でしかないからだ。それはいわずもがな。そうだろ? 君がそうでないというなら、そうでない理由を言ってくれたまえ。しかし君にはそれを答えられまい。
何故か? 君には君自身の本質がなく、あるのは人が作った規定のみがあるからだ。それはニーチェが言った奴隷根性に他ならない。
ほとんどの人々は、その苦痛から逃れる為に自分を売り渡すのである。「わたしは奴隷でもよいと」。それは間違いである。いっそ死ぬなら、自分の自由のために死んだらどうか?
たかが凡人の資本家のために何故われわれが貶めなければならないのか? しかし、奴隷はそうは思わないらしい、それが奴隷根性というものである。日本人が怒らないのは
そのためである。違うか? あなたが何もかも分かっている様なことはない。
結局人を殺してもよいでFA?
>>327 差はあるだろ。殺人は単に権利侵害だが、死刑は権利保障のためにある。
権利ということばでなければ法益でも秩序でもなんでもいいさ。
ともかく我々の社会には殺人の禁止によって守ろうとしている価値がある。
死刑はそれを守るために使用すること「も」できる。
もとろん死刑が権利保障のために使用されないケースもある。
政敵を陥れるための恣意的な運用とかこういうのは不当。
民主制だろうが君主制だろうが、死刑は正当だったり不当だったりするよ。
>>328 何人も殺されなければならない理由なんかない。殺されてよい人間は一人もいない。
死刑で死んだ人間は殺されたのではなく、権利や秩序を守るために死を与えられたのだ。
法に基づいて死ななければならない人間は確かにいる(日本にはいる。ノルウェーにはいない)。
(立法者が必要だと思わなければ死刑によって死ななければならない人間もいなくなる。)
世界は人間が考えるとおりのものではない。
>330 >>「殺人は単に権利侵害だが、死刑は権利保障のためにある。」 殺人はすべて単なる権利侵害ではない。自身の権利を主張するためでもある。死刑の多くは国家を保全するためである。君の云うとおり極端な場合、人が何の理由もなく殺しあっていれば地域すら成り立たないのだ。 人が生存するためには可也の安定条件がいる。俺はそれに反対する者ではない。 つまり、君の言に云われていないのは、「人間の権利」についてである。今頃何を言ってるのかと、モノ知らずはいうだろうが、人間の権利とは何か言えるものはこの世にいないのである。言えるならいって見たまえ。 歴史は人間自身の否定である。違うか? そうでないというなら、どうして戦争の歴史なのか? 答えられるか、君たちに。 単なる権利保障は、カバを神にする。わかるか? 要は、この者は人間であるか否かが問われねばならない。生まれてきて二十歳になったら人間であるのではない。国はとてもそれは認められないだろうな。当然だろう。 それでは国にならないからなー。国が人と認めるのはそれだけのこと。哲学は認めない。あたりまえだろう? 誰が人間になってもいない者を人間と認めるだろうか? したがって、人間でない者を殺しても、許容される。すなわち、ある場合、殺人も許される。それを認めない法律は間違っている。それが結論だ。
生き物としては殺したって何したって構わないけど、人間を特別扱いし始めると、殺しちゃいけなくなるみたいだね
336 :
考える名無しさん :2012/10/07(日) 20:55:26.94 0
大日本帝国とGHQ、そして今の日本で一貫して死刑が行われていることで 「裁判で死刑になった日本人は多い」と言うことができる それは「日本は今も大日本帝国のままだ」という錯覚を引き起こす
337 :
考える名無しさん :2012/10/07(日) 21:39:21.61 0
つまるところ何かを隠すためというのが 殺人の最大の動機なんじゃないかな? 口封じから敗戦の隠蔽、最近では核汚染の隠蔽
>>334 >人間でない者を殺しても、許容される。すなわち、ある場合、殺人も許される。
単純に間違ってるでしょ。人間でない者を殺すことは、人間を殺すこととは違う。
人間でない者を殺してもよいのは権利主体(法律上の人間)ではないから。
(もしくは誰かの権利に付随した価値を持たないから。
例えば奴隷国家において奴隷を主人の意図に反して勝手に死なせることは、
主人の所有権の侵害にはなるが、 奴隷本人の生命権の侵害ではない。日本では動物がこうした存在。)
君が言うように、厳密に言えば、殺人は「生物学的な人間」を殺すことでなく、殺されない権利を持つ者を殺すことだ。
多くの国が、単に「生物学的な人間」であることをいくつかの基本的権利の取得条件にしてるから、
多くの国で「殺されてよい人間は一人もいない」ということが出来る。
人権思想を受入れない国での(我々から見た)殺人が不当でない場合はもちろんある。
339 :
考える名無しさん :2012/10/08(月) 09:07:00.21 0
>>334 人間の権利?
人間は人間を人間だと決め付けても良いってことかな
340 :
考える名無しさん :2012/10/08(月) 11:36:34.81 0
>>338 >日本では動物がこうした存在
えっと・・じゃぁ奴隷のいる国での動物はどんな存在なんだい?
>>339 誰が権利主体か決める(法を立てる)のが可能なのが人間である限りそうでしょう。
>>340 動物が日本では人間の権利・社会秩序に対して手段的な価値しか持たないというのがポイントですよ。
動物がどのような価値を持つかはその国の法に依存する。
日本のような動物愛護法があれば日本と同様だろうし、
動物のあり方に全く配慮が成されていなてないなら、
単なる物か物的な資源として扱われるでしょう。奴隷の有無に関わらず。
人間の運命は、人間自身が切り拓くもの。
>>338 >>339 だから云っているではないか、人間の権利とは何かと? 君はそれを法的に解釈しようとしている。
俺にとっては論議上、法などどうでもよい。そんなものは二の次なのだ。
>人間は人間を人間だと決め付けても良いってことかな
そんなものは権利でもなんでもない。単に君の浅知恵だよ。そんなことではあまり議論する気にならない。
344 :
考える名無しさん :2012/10/08(月) 14:04:22.92 0
>>341 愛護すれば奴隷、愛護しなければ物でござるか
ううむ・・・これは・・・
機械にも通じるとこがありますな☆
>>343 法的に理解しない権利に意味はない。
人間の権利という用語には確かに自然法的な伝統があるが、自然法は危険な思想。
人間であることを条件として保障される法的権利と理解しない限りアナーキズムに陥る。
346 :
考える名無しさん :2012/10/08(月) 15:43:24.40 0
権利なんて人が勝手に主張してるだけだろ 殺す側には関係ねぇんだよ
殺す側には殺される側の論理は何も関係ない 「殺してはいけない」に躊躇も疑問すらも感じないだろう もし殺すことに葛藤があるとすれば関係なくはないことになってしまう 殺す側でさえも「殺してはいけない」を受入れてしまっていることになる
剣(言葉)は心で動かすもの。
>>345 君は何も分かっていないようだね。詳しくレスするよ。しかし逃げるなよ、屑みたいに。
>>法的に理解しない権利に意味はない。
俺に言わせれば、法的なことから抜け落ちる権<利(理)>があるのである。君は、権利という言葉がおかしいと思ったことはあるまい。しかしどう考えてもおかしいだろう?
「Human Rights」なんだから語源は。そもそも日本語ではない。誰でもわかるが、その意味は人間としての正しさだろう。それがなければ権利を主張することは出来ないのである。
昨今カバがいろいろ主張しているけれども、そんなものは子供の主張に等しい。君と同じだ。
君は間違っている。法が初めにあるのではなく、<理>が初めにあるのである。歴史的にも人はよく言ったものである、「天は・・・・・」と。なぜ「天は」というのか人は。それは人のずっと以前に
天があるからである。君のようにそれを認めないのは、君が人間社会のことしか知らない、傲慢な人間だからだ。俺はそれを人間と名づけない。
>>人間であることを条件として
君こそその条件がないのである。おわかりか? 俺は法律なんざ興味ない!
心とは論理ではない
>>350 人の法しか権利を生むものはない。自然(の法)や神(の法)は権利を保障しない。
実定法による保障がなければ、どんな権利の主張もただの宣言に過ぎない。
(個人が腕力で主張を通すこともできるだろうが、それはあまりに非人間的。)
法がなければ権利は主張できない。どのような主体が権利を主張すべきかは立法者の任意だ。
立法者が(法的ではないが天理という)正しさを持つ人に権利を与えようと宣言すればそうなるだろう。
しかし主体側のどのような性質も権利を主張する根拠にはならない。
立法者がその主体に権利を付与するよう考慮する要素にはなる。
権利に法以外の根拠を求めればアナーキズムに陥る。
天理が大事なら、それに適うように人が立法しなければならない。
353 :
考える名無しさん :2012/10/08(月) 22:24:19.10 0
孤独が虚しいものだとどこかに刻まれているから
そういうの好き
356 :
考える名無しさん :2012/10/09(火) 17:12:16.02 0
法が行き渡る範囲が権利の限界。 1の問いの答えとしてはそぐわない。
1の問い自体がおかしい これまでに散々言われてる
傲霜孤節
>>352 だから立法者が問題であるし、法の下の平等もおかしい。そもそも人間は平等ではない。
法律はそれを必ず無視するのである。
J.F.ケネディが暗殺される三日前、彼は某大学で講演をした。それは政治は道徳と切り離してはならないということだった。
現在、政治ー経済は体裁を保つだけの道徳であり、立法もそうであろう。大阪で住基ネットの反対住民訴訟が起きた。君、そんなことも知ってるか?
おそらく知らないだろう? ましてや、判決をだした裁判官がどうなったかもねぇ。自殺したよ。そういう意味で立法もおどろおどろしい権力と
無縁ではない。
だから、立法ばかり振りかざそうが、そんなものはたいして力にはならないのだ。君の云っていることは、世間知らずの云うことだよ。
え
>>359 平等はなにを観点にとるかで同じ事態でも見方が変わるよ。
どの時代どの地域に生まれるかは誰にも分からないという意味では人間はそもそも平等といえるし、
生まれもった才能や財産に違いがあるという意味ではそもそも不平等ともいえる。
普通は後者をとって人間は自然的には不平等だといい、
社会制度的にそれを平等にしなければならないという。
法の下の平等は人間を等しく法の網の目にかけるという形式的・手続き的な意味だから、
「人間はそもそも不平等だから是正せねば」という分配の実質的な平等の問題とは文脈が異なるよ。
362 :
考える名無しさん :2012/10/11(木) 10:06:46.13 O
どちらにせよ普遍的とは言えぬな
天地無用
>>361 平等でない者に平等に法律を適用するのは、折衷というやはりプラグマティズムの最たるものだ。
ゆえに、法は学ではない。普遍的でないのは必然だ。 -ism なんだから。
だいたい、多数の者が理解しえるものなどたいしたことはない。
法律は、単なる処世術の部類であり、おこがましくも天を僭称するでない。
俺が投稿したのが削除された。もう一度書く。 J.F.ケネディは、暗殺されたが、その三日前、某大学で講演をした。その内容は、政治-経済に倫理が欠けており、それを導入すべきだということだった。 そして彼は命を落とした。端折って云う、、それは金持ちが憎悪するからだ。 そして最近の日本では、大阪で「政府が強制する」住基ネットの反対住民訴訟が起きた。そして判決は住民勝訴になった。しかし、その判決を出した裁判官は、 三日ぐらい後に自殺した。そういうことをお前ら法が法がという連中は知っているのか? 世間知らずもはなはだしい。おどろおどろしい権力はそこかしこに潜んでいるのである。 ゆえに、法は必要悪なだけであり、天を気取ってはならない! おわかりか? 君たちは俺が書いた事実も知らなかっただろう? それを世間知らずというのだ。 理も知らない、世間も知らない、これで立法者になれるのか? 極めて疑わしい。 P.S 削除すれば削除するほど詳しくなるぞ! 管理者!
誰か反論してみな。威勢のいい、
>>361 。どうかね? 君、答えていないよね?
>>366 の質問に。
早く答えろよ!
民主党は、人権委員会法案を可決するそうだが、内容は俺は知らない。しかし大体予想がつく。 おまえらみたいなカバを保護するつもりだ。 何故か分かるか? カバを飼っておかないと政府は困るからだ! 以上。
>>361 >>分配の実質的な平等の問題とは文脈が異なるよ。
だったら法律が「平等に」分配したら? それも出来ない者が何を云うか!
理不尽な人は殺されるべきとまでは云わないが、権利を法的に剥奪すべきである。
温故知新
人を殺しても良いということになれば、自分も殺される可能性がある それでは都合が悪いから殺し合いは止めようと皆で約束したワケだ その約束を破った人間は仲間はずれにされ、罰を受ける 人を殺してはいけないというのは社会の契約なんだよ
生き物を殺したときにちょっと嫌だなぁ、って感じがあるんだけど、あれはどういう人間の本能なんだろうね 生き物を殺さないと自分も生きられないわけだし
Let it be.
>>373 法律が死刑を許可するのは、あくまでも常識の範囲。だから、間違いもある。
イエスが処刑された理由を知っているか? 無論、現在ではそういうことは起こりえないが、人々が知っているのは
たかだか社会常識だけであり、そこから外れることは認識不能である。結局はイエスもそれによって死ぬ羽目となった。
時代が変わろうが人は変わりはしない。プラトンのいう牢獄に囚われたままである。二千年を経ても人は反省していないようだな。
だから如何に立法者といえども、立法者が裁くのではなく、社会常識が裁いてしまうのだ。それで裁いているといえるだろうか?
まず立法者が裁かなければならない者は、政治屋だろう。それも出来ないのに、「立法者が人間の権利」を決定できるとは何事を云うか。
だから炯眼のある人には、失笑されるのだ。
The way to do is to be.
いつまで経っても、愚かな者たちよ。
文学部哲学科に入るような馬鹿は 殺してもいいと思う。
!
>>379 文学や哲学を解さないものはもはや人間ではない。IQ-科学主義? うんざりだ。人間のことを考えられないのに、どうして人間に益することが出来るだろう?
IQ-科学主義は、客観世界に属する。しかし、人間は主体なのである。主体の真理を客体化することは出来ない。ならばそれを排除するのは人間無視であろう。
君こそ殺されるべきものである。
君のように無知な者は、ごまんといる。それを民主主義というのだ。別名、無知主義とも言う。アメリカ政府の実験社会にされた日本が辿るべくして辿ってきたことに過ぎない。
人間自身の'Matrix'は何か、答えられるかね? 君には一生わからないだろうね。そうでないなら、解答を望む。
人間がそれを支配するのではなく、それが人間を支配してきたのだ。なぜなら通常人はそれに取り込まれてしまっているからである。そのような人間を不自由人という。科学の歴史は
浅い。それに比べ、言葉の歴史は深いのだ。それを無視するお前は、人間の冒涜者である。医「術」が人間を未だ解明できないように、39億年の生命史はほとんど謎なのだ。
それをお前は、たかだか10秒で切り捨てているのだ。
お前のような奴が、増殖することこそアメリカ政府の狙いである。無論、それはアメリカ人に対してもそうなのだ。その理由がわかるか? お前のような低脳にはわかるまい。
答えてみな。 できるならなー。カバを相手にするのはほんと疲れる。
homo economicusなど死んでしまえ
384 :
考える名無しさん :2012/12/08(土) 23:26:33.21 0
一人を殺せば殺人者 百万人を殺せば英雄 全ての人間を殺せば 何と呼ばれるのか
誰に何を言って欲しいんだお前は
>>378 そう、私は何の価値も無い劣等な人間だと思う
そしてお前は違うのだと思う
387 :
physica ◆xjYUbW7jT6 :2012/12/09(日) 10:11:33.44 0
「人を殺してはいけない」 この「いけない」という判断の普遍性が問題になっているわけね。 「人」は、自分を含めた人間存在のすべて。 「殺す」というのは、単純に物理的生命の連続性を強制終了させること。 (だって、心を殺せるわけじゃないから♪) 相手の所有権の侵害とか、自分がそうされたくないからとか、意識を根拠に 判断を評価すると普遍性からズレるのは当たり前で、ここんとこのセンスが ないと、永遠にこのレベルで堂々巡りするだけなのねw そもそも普遍的であるためには、心のどのあたりに働いてもらう必要がある のか、それすらもわかってないアンポンタンが、いくら法律論とか叫んでも まったく無意味だよ。 結論から先に言っちゃうと 「いけない」という普遍性は無い。ってことw 「いけない」は、もうすでに意識の産物で、発話者の個別性を前提にしてる わけ。 普遍性を問うなら、「人を殺すことで自分自身の心(魂)はどう反応するのか」 そこに注目しなきゃダメ。 これは、殺したことがある人でなきゃ検証できない。 シロウトがいくらガタガタいったところで、ただの騒音www
「殺したことがある人でなきゃ検証できない」んだったら、 「いけない」という普遍性が有るか無いか、わからないんじゃないの。
389 :
physica ◆xjYUbW7jT6 :2012/12/09(日) 12:14:36.48 0
>>388 わからないんじゃなくて、「人を殺すのはいけない」という命題を
普遍的に考えることなんて、できないんだよ。
たとえば殺人者が、自分の心に問うとする。
そこで「人を殺すのはいけない」という普遍性を発見できるだろうか?
たぶん、無理だろう。
なぜかというと
「人」に限定された「普遍性」なんて、矛盾してるからだよ。
ものごとを限定的に対象化したとき、もうそこに普遍的認識なんてありはしない。
それにさえ気付かず、「人を殺すのはいけない」なんてホザいてるやつらを見て
ると吐き気がするw
だいたい、このテーマが取り上げられた経緯を考えてみな。
「神戸連続殺傷事件」を契機としてだろ。
あの犯人は、ただ「人を殺した」んじゃない。
彼の「人を殺す執念」は、「いけない」というレベルで押さえ込めるようなもの
ではないよw
もっと根源的なところへ目を向ける必要がある。
それは、「人」という限定的な対象を越えたところから発生してくる何かだ。
その普遍性をつかめたとき、本当の意味で「人を殺せなくなる」ことに気付くだろう。
「普遍性」って何
391 :
physica ◆xjYUbW7jT6 :2012/12/09(日) 14:20:35.70 0
>「普遍性」って何 哲学の用語では @宇宙や世界の全体に関していえること。 A特殊・個物に対して、ある範囲のすべての事物に共通する性質。 と考えられてるみたいだよ。 「殺意」の普遍性を問う場合は、Aからのアプローチじゃダメで、@による べきだろうね。
圧倒的な力!絶望的な強さ! 命が惜しい者は私に跪け! フハハハハハハハ
こー、なんだろ、 FFとかでは無いよね スト2とかジョジョとかだね
人間の知覚が物事の「善悪」をどうやって評価してるかっつー古典的な哲学じゃね
田舎の暴力沙汰を知覚した
いきさつがあって殺してはならないという事になった どっかの国で「君、死んではならない!」っつって おもいっきり心臓にナイフをぶっさすギャグが流行ったって 聞いた事ある で、僕らはそのいきさつを知らないんだよ 知覚とかそう言うもんじゃ無いから
町のケンカで誰かがしんでも誰も気にしないとか そんなんですか?
聖書は善良な本だとか思われてるけど どちらかと言うと本当は怖いグリム童話みたいな本 人妻に恋して旦那をフロントミッションでどさくさに殺すダビデ 外人を無差別虐殺してクイズの賞品を用意するサムソン 殺してはならないとかなり早い内に決まった国の聖者は こんなサイコ野郎
格物致知
>>387 1 意識を根拠に
判断を評価すると普遍性からズレるのは当たり前
2 「いけない」という普遍性は無い。ってことw
3 普遍性を問うなら、「人を殺すことで自分自身の心(魂)はどう反応するのか」
そこに注目しなきゃダメ。
君は自分自身に酔ってるんじゃないの?
1: 意識にとらわれるのは人間の根拠である。したがって、それを無視した場合、無秩序(人間の)となってしまう。
2: 「いけない」ということは、生命の道徳に立脚している。したがって元素にまで遡れば、言葉はない。
3: 問題は、自分の心がどう反応して人を殺すかである。君の云っていることは逆。
自分がどれだけ知識を得た気になっていようと、知識で得られるのはわずかである。君にそれが分かるか? 経験より先行した知識(人間にとって)は
必ず間違うからである。肝に銘ぜよ!
>>1 他人を殺すという破壊的行為からは、自己の成長はありえないから。
みなさんどうしてる? おめでとう!
&
404 :
考える名無しさん :2013/01/20(日) 14:37:37.81 0
たかじんのそこまで言って委員会で スレタイをやってるよ。
405 :
考える名無しさん :2013/01/20(日) 14:53:57.94 0
国際社会では空爆で無辜の民を殺すのは正義だとされている。
権利と自由運動(けんりとじゆううんどう、ブルガリア語: Движение за права и свободи / Dvizhenie za prava i svobodi、トルコ語: Hak ve Özgürlükler Hareketi、英語: Movement for Rights and Freedoms)は、 ブルガリアの政党。ブルガリア国内の少数民族であるトルコ系住民による中道政党である。権利と自由運動は、国際的には自由主義インターナショナルに加盟している。また、自党を自由主義政党、 自党をフィンランドにおける少数民族であるスウェーデン人を代表しているスウェーデン人民党のような政党と規定している。議長(党首)はアフメド・ドアン。
人のものを盗んではいけない理由と同じでしょ
408 :
考える名無しさん :2013/01/21(月) 18:09:21.54 0
>>1 「何故、人を殺してはいけないのか?」
そもそもこの設問に欠陥がある。
二元論は価値・都合の相違であり全体・自然からの視点では部分でしかない。
ただ、「人を殺してはいけない」という事に共通価値を置いている者が全体数の上で現在優位というだけである。
つまり、優位側の価値観を是としているだけで全体に於いて二元論は無意味であり押し付けでしかない。
「人を殺してはいけない」に辿り着く理由は人其々に異なる。
「宗教的に」「なんとなく」「痛そうだから」「残された人が悲しむ」「リスクが大きい」「警察に捕まる」
「報復される」「犯罪者のレッテルを張られる」「面倒だから」・・・
結局のところは「人を殺してはいけない」価値にそぐわない人が多数いると言うだけ
人限定にしているのも人であることを特別視している宗教観であり
食物を召し上がる時に感謝・謝罪しない価値観
409 :
408 :2013/01/21(月) 18:11:44.48 0
結局のところは「人を殺してはいけない」価値にそぐわない人が多数いると言うだけ は 結局のところは「人を殺していい」価値にそぐわない人が多数いると言うだけ だね。失礼。
410 :
考える名無しさん :2013/01/21(月) 23:37:45.43 0
つうか殺してるじゃん大勢の罪のない人質を。 フランスの大統領もそれが正しいことだと認めてるし。 人を殺すことは別に悪いことじゃないと国際社会は認めている。 ただし死刑は絶対的な悪だけどね。
411 :
考える名無しさん :2013/01/22(火) 10:20:44.27 0
>>404 浅かったな−。
あの程度じゃかつて答えに詰まった識者達とさして変わらないね。
にゃんにゃん
408>> 人間を動物のように考えるのは誤りである。そうであるなら、君こそ此処で答える必要もない。 黙ってみていて笑っている必要もない。 なら君は何故発言したのか? さあ、答えてみたまえ。
「人を殺してはいけない」というのは、 自身が社会で生きるのを前提とした上での1つのルールのようなものであって、 この言葉の賛否は前提次第でいろいろと変わるものじゃないだろうかと思います。
+
>>414 ルールでは,程度が低すぎますよ。動物でもそれはある。
417 :
考える名無しさん :2013/02/01(金) 19:34:36.64 0
人間そのものに普遍性がないのだから、 「人を殺してはいけない」にも、普遍性はない
普遍性が無いにしても ではどのような場面が当てはまるのかとか 当てはまらないとかは有るでしょうが そんなんだから糖質なんだよ
種の存続を基に考える場合→「人を殺してはいけない」 個の存続を基に考える場合→「人を殺してもよい」 って考えるのはどう?
いや、言ってる事新しいし凄いけど・・・ 種の存続も個人の捉え方と言う物が有るでしょうに 「俺は人間が好きなんだー!」なんて奴聞いた事無いよ 個の存続が必要な時に何故人を殺してはいけないのかを考えてくれ
>>420 >種の存続も個人の捉え方
個人の捉え方というよりも、
集団(社会)を形成する手段を取り生きてきた人類が、自らの社会の自滅(種の滅亡)を防ぐため、
人を殺すことに対し、本能的に(又は無意識的に)抑制がかかるのでは?と考えたんだけど・・・
>個の存続が必要な時に何故人を殺してはいけない
>>419 の書き方が悪かった。
自らが個の存続・種の存続のどちらを取るかで、人を殺していい・いけないというのはその都度変わると言いたかった。
(例えば、自分が誰かに殺されそう・目の前で人が死にそう等のシチュにより、人を殺す是非も変わると思う。)
422 :
考える名無しさん :2013/02/02(土) 08:29:56.48 O
>>420 そりゃ自分が殺されたくないから「人を殺してはいけない」と決めるのだろう。
何の問題があるんだ?
423 :
淀屋橋ハニワ :2013/02/02(土) 10:43:47.43 0
>但し、根拠としては、道徳や倫理やルールは除いて下さい。 この時点で、議論にならないな。。。。
424 :
考える名無しさん :2013/02/02(土) 13:19:56.32 O
設問の意味がわからん。 「人を殺してはいけない」自体が道徳であり倫理でありルールだろう。もちろん人為的な「取り決め」に過ぎない。 その根拠は殺されたくないという各人の欲求だ。それ以上何の問題がある?
?
>>417 それを言ってしまえば、「すべては許されている」(カラマーゾフの兄弟)ということになる。わたしは社会を全面肯定するものではない。
人間は一人ひとりが現に生きているのだ。それも人間「の」普遍性ではないのか? まあ、たかだかhomo sapiensとなってから数万年である。
しかし現代人は過去の人間の感性を払拭している。つまり、始原の人間を捨て去っているのだ。人間とは系統が違うネアンデルタール人でも
死者に花束を捧げていたというのに。
だから、普遍性を宇宙にとるか人間にとるかでまったく違う。君の言う普遍性は生命ではなく、物質である。ならば君は物理学者になれ。
生命に口を出すな。そうだろう? 生命とは特殊である、この世界では。何故物質から意識が生じたのか、まるで不明である。つまり物質が自らを
意識できるということが。
427 :
考える名無しさん :2013/02/03(日) 02:00:15.71 0
>>ALL スレタイの一部 「人殺しをしてはいけないと(今の世の中において一般的には)されていますが」 スレタイは、あえて、「今の世の中」、「一般的には」、「されていますが」といった、 言葉遣いをしています。 断定はしていません。そこのところを、」もう少し注意深く読む必要があるでしょう。
びんびん
大江健三郎は「何故人を殺してはいけないのか?」と思う事自体が恥だ、と言っていた。 それに対して筒井康隆が、「それを言い出したら、殺人犯の気持ちを想像したり自由な思考をすることは不可能になる」 みたいな感じに反発していた。
>>427 別に今の世の中が殺人を肯定してようがいまいがどっちでいいんじゃないの??
人を殺すということの議論が始まれば。
temet nosce.
432 :
考える名無しさん :2013/02/08(金) 06:39:24.73 0
>>429 だから、彼はイデオロギーはあっても思想がない。
要するに、偽善者。
似た体質の自認文学者・文化人は、よく見かけますけどね。
大江健三郎は自分を抑圧しまくっているからな。 何でも自由な思考をし出すと息子のこととか実は負担に思っていることが露呈する。 そうすると作家活動どころかこれまでの人生がすべて無駄になる。 だから抑圧しているものにはアンタッチャブルなんだろうね。
"?"
>何故、人を殺してはいけないのか? > >この問いは、哲学の出発点であると考えます。 っていうか、こんな説ないよね。ソース出すか死ぬかしろよ。
考えたんだろ
>但し、根拠としては、道徳や倫理やルールは除いて下さい。これらは時間的・空間的な普遍性がありませんから。 ほんと意味わかんない言い回しだわ。時間的・空間的ってなんのこっちゃ? 自分を賢く見せようとしてバカ晒す一番恥ずかしいバカだな
新星Ω神話
というかほとんど波平の自演だろこれ系のスレって
波平ってどんな人なんですか?
もやもや病なのかね? 人類誕生から現在までの歴史のなかで、人を殺してはいけないという 普遍的な倫理観を生み出したからだろ
>427を尊重して>1を再度読み返すなら、 いま現在の世の中で、死刑や戦争などを除いて殺人が禁じられているのは、 市民社会や国家、民族を守るため、つまり共同体秩序を防衛するため、 としか言えないように思えます。その基底にあるのは共同体成員間の相互安全保障、 つまりは共同体内での「死を伴うような対立」を避ける働きであり、 究極的には「いま現在、仲間同士で殺しあいをしたくない」と思う人が多数だから、 という根拠が考えられます。 しかしこれは凡庸な気がします。 むしろ上記条件がいっさい外れた、どんな場合でも殺人は不可であると言い切ることのできる倫理が はたして有り得るのか? こちらの方が哲学的には面白いテーマのような気もします。
>>441 >>443 みたいに哲学的な問いを発してるフリをしつつ、その途中に全体主義を紛れ込ませておくクズのバカだよ
445 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 17:50:26.43 0
>>444 どのへんが全体主義なの?全然そう見えないけど。
殺人が禁じられているのが「市民社会や国家、民族を守るため、つまり共同体秩序を防衛するため」なのだとしたら その目的に反しないならいくらでも殺人していいという話になるから、あからさまな全体主義だね。
説明追加。「相互安全保障」などともっともらしい体裁を与えているけど、これはあくまである共同体内に限られてるよね。
共同体から共同体内に属するとみなされる人が共同体の外とみなされる人の安全も考えるべきだと述べた場合
>>443 の思想に立つ人間は容易に弾圧の方向に流れるでしょ。
448 :
考える名無しさん :2013/03/14(木) 12:34:04.12 0
わけだからくっそ
449 :
eradianomuoyisuod :2013/03/14(木) 16:17:51.55 0
これからくっそくっそくっそ
450 :
考える名無しさん :2013/03/14(木) 18:19:19.96 O
殺したのなら食べなければいけない。動物として。
451 :
考える名無しさん :2013/03/15(金) 17:36:51.16 0
>446-447 規範とはそれに合意したものにしか通用しないんだから、 あえてその規範から外れていく意図を想定してしまうと、どんな根拠も殺人を禁じられないじゃない? ○○という理由で殺人はいけない→でも、あえてその理由をぶっ壊そうと意図する者には、通じない。 なにか根拠・理由を挙げれても、その根拠・理由に対するアンチが理由となって殺人(殺人だけで無く、 すべてのモラリティ)は反証かつ破壊可能。 というか、その答えにも成るけど、人類全体もひとつの同種共同体と見なせるんだから、 共同体規範だから、という答えはいいんじゃないかなあ。 人間対人間の殺し合いを抑止する根拠になるでしょ 規範はその
452 :
考える名無しさん :2013/03/16(土) 21:53:26.90 0
割り込みすまん。 悪人なら殺していいんですよ、だから死刑があるんです。
453 :
考える名無しさん :2013/03/17(日) 00:59:51.71 0
マスコミはよく弱者を自殺に追い込んでる
454 :
考える名無しさん :2013/03/17(日) 01:12:34.43 O
極論すれば、殺したければ殺してもいいんだよ。ただし裁かれるけど。人の物を盗んではいけない。イジメはいけない。老人を殴ってはいけない。自殺はいけない…と同じ。
455 :
考える名無しさん :2013/03/17(日) 01:20:50.32 O
殺したのなら、ちゃんと食べる。動物だから。食べる事は生きるために必要。それ以外の私怨、私欲のためはだめだと思う。
456 :
考える名無しさん :2013/03/17(日) 01:43:58.38 0
人に限らず生物界において、捕食するまたは自己防衛以外に殺すのはダメだと思う 生物は生きることが使命だから ところで、殺しの定義は「社会的抹殺」は含まないよね?
457 :
考える名無しさん :2013/03/17(日) 01:51:21.89 0
なぜ殺しはダメなのか……痛いからに決まってるじゃないか。殺しはダメだから痛いのさ
人を殺してはいけない=私を殺してはいけない ってこと 人権と一緒だよ
459 :
考える名無しさん :2013/03/18(月) 21:43:41.27 0
age
460 :
考える名無しさん :2013/03/19(火) 00:19:26.77 O
人間てのが倒錯した存在だからだろ。壊しちゃいけない、いけない。殺しちゃいけない、いけないって抑制した揚げ句に、とりわけ理性が本能と倒錯的に融合する時の快感ときたら。
462 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 03:34:11.07 O
エサっていうか戦争末期、まさに自然の摂理の下、大日本帝国の誇り高き軍人の一部は人肉を喰っておりましたです。
軍人なんてつまらないよ
464 :
考える名無しさん :2013/03/20(水) 19:16:53.12 0
ほんとにキチガイだなwww
>>451 規範が合意した人にしか通用しないんだったら議会制民主主義下で制定された法律はすべて無効になるだろ
それに人を殺してはいけない理由は人を殺してはいけないという規範が通用するかとは関係ないよな 例えば日本国内では殺人罪・傷害罪などの規定があり実効性もあると考えられるが そのような規範が実効性をもたない場所・地域や時代において行われる・行われた殺人について、いいかわるいか考えることは明らかにできるわけだ 明らかに悪いと判断できるけど「法の網がかかってない」犯罪的行為を処罰するべく新しい規定をつくることができるということは、 規範といいわるいの判断が連動しないことを示しているだろう 暴力に限った話ではないな そもそも規範が合意があるときにしか通用しないというなら、奴隷制を禁ずる法律ができたときに 奴隷を持っている人間が規範に同意しなかったら奴隷の禁止は無効だ、というおかしな話にもなるしな 最近の話題である体罰問題で考えればもっとわかりやすいな 体罰教師なりコーチなりが体罰の必要性を確信しているなら、体罰を禁ずる規範は「通用しない」わけはないな 規範の成立にかかわる是非の判断は、規範の成立とは関係なく、そこで行われていることに着目してできることだし それで足りる話なんだよ
>466 規範が合意無しに強制されるのは権力の問題であって、 ここで問題になっている内的倫理としての(殺人禁忌のような)善悪観念を論じるときには それを玩味しなければならない。 そうでないと最初から 「人を殺していけないのは法律や道徳で禁じられているからだ」 という結論で終わってしまう。 規範は内的な倫理として個々人に受容されたとき、ようやく初めて内部から人を律するモラルとして通用し始める。 なぜ人を殺していけないか?という問いは、こうした外的規範と内的倫理の一致と齟齬を 無意識的に吐露しているともいえる。
「〜である」(自然命題から)から「〜すべき」(当為命題)は導けない。 人間や社会、生物進化・・・等々がいまどのようにあるかという状態の洞察からは、 「〜すべき」「〜すべきではない」といういかなる道徳・倫理・モラルも、導き出せない。 (自然主義的誤謬。) ただしある特定の条件下においてはこの誤謬は誤謬では無くなる。 たとえば次のような議論だ。
100 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2001/04/30(月) 02:16
>>81 >いちご姫
くると思ってましたよ。その批判。
とりあえずマッキーから引用
↓
サールの示唆するところによれば、
「べきである」を「である」から導くことを不可能だと思わせた、記述と評価の間の裂け目、鋭い区別は、
ある独特な種類の事実を認識すれば橋渡しされるのである。
すなわちナマの事実(brute facts)ではないが、制度的事実(institutional facts)を認識すれば橋渡しされる。
人が引き受け、それに応じて一定の義務を負うということは、ナマの事実にはなくとも、制度的な事実にはありうる。
しかし、この説明は2つの違った言い方を混ぜこぜにしている。
われわれは、まるで外側から見るようにしてひとつの制度を記述することができる。
約束というような制度もしくは社会的慣行もあるし、チェスをするという慣習のようなものもある。
そして制度には、それに参加する人々への一定の要求がその一部として含まれる。
チェスが特定の種類の駒はこびを要求するのと同じように、
約束するという制度は、約束が守られることを要求する。
制度やその要求を外側から記述する代わりに、制度の内側から語ることもできる。
単純に、「君はそのルークを動かしてはいけない(チェックがかかっている君のキングをそのままにすることになるから)」とか
「ジョーンズはスミスに5ドル払うべきである。(彼はそうすると約束したのだから)」
と言うことができる。
(『倫理学』 加藤尚武藍訳 哲書房 92項ー93項)
102 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2001/04/30(月) 02:26
同じことでも、制度を外から語って「〜の約束である」という文は、
中から語れば「〜べきである」となる。
制度、習慣、約束、義理、黙約などは義務の一種であり、
これらの単語には言葉の意味の中に「べきである」という内容が含まれている。
ヒュームのいう自然主義的誤謬はこれらの語が使用されていない時にのみおいて通用する。
存在論的自然主義が成り立つ余地はあるということだ。
237 名前: いちご姫 投稿日: 2001/05/19(土) 23:18
>>100 おそまきながら
マッキー、真っ当な事言ってますね
238 名前: いちご姫 投稿日: 2001/05/19(土) 23:22
>>237 あ、投稿されちゃった
だからといって、「存在論的自然主義」とかいうものに賛成したわけではないですよ。
そのうちマッキー読んでレスするつもりです。(本が見つかれば、ですけど)
ほんとに昔からいるキチガイの自演スレなんだな
>>468-469 「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」の強制は、規範が通用するということだろ
例えば刑事法は規範だが、刑事法が規範として通用していることの実質的意味のひとつは、警察権力が機能しているということだ
刑事法が「○○という理由で殺人はいけない→でも、あえてその理由をぶっ壊そうと意図する者には、通じない。」の例で示唆されるような
「合意」をした人にしか通用しないものなのであれば、そもそも刑事法は犯罪を犯しうるすべての国民に規範的に及んでいないことになる
わかりやすく言えば刑法の規定には理由は明示されていないので、理由をぶっ壊そうと意図するまでもなく、「理由はない」から、
刑法の規定に反する行為をしてもよい、という話になる。当たり前だが、刑事法の規範的意味は、それに従わない人間に対する
強制的措置を正当に行うことにあるのだから、それが通用するということと強制を切り離すのはただの考え違いにすぎない
また、何らかの行為に関する善悪は、その定義上、何らかの行為がもたらす外的効果と切り離して考えることはできない
>>468 は、「内的倫理としての善悪観念」に問題を限るのが倫理的問題だと考えているようだが、
その考えは、「危害を加えられた人間が被った害悪を無視し、危害を加えた者の動機を基準として考えるべき問題だ」と
宣言しているに等しい。体罰問題についていえば、体罰を受けた生徒・選手側の事情は無視し、体罰を加えた教師・コーチ側の
「善悪観念」・動機などについて考えることが、倫理的課題だ、という話になる。
そんな馬鹿な話はないだろう。あまりにも当然だが、体罰を受けた生徒・選手側の事情を考慮することが、
倫理的態度であり、そもそもその結論は前提とした上で、どううまく近づくかが「内的」「倫理的」問題だ。
単なる規範の無視が起きることは、「内的」「倫理的」問題の解決に失敗する場合がある、という話であって、
失敗する場合があり、それは「内的」に起きるから、それは「内的」問題だ、というのは、
単に論理が転倒しているだけの話だ
>>470-471 2001年のコピペなんてどっから持ってくるんだろうな、反論書いてて不思議に思ったよ
>>470 ついでながら。その引用の議論は明白に間違ってるよ
約束の核心部分は、それが約束であるということではなく、約束を交わした者同士が約束に関連することがらについて納得するということにある
約束は、納得を得る上での手段であって、目的ではない。納得が得られる過程が「規範」的に説明しきれない
(
>>469 的に言えば、自然命題から当為命題が導かれない)のは、「約束が守られる」過程を説明する際に、規範に還元しようとすることが
そもそも間違っていることの当然の帰結にすぎず、そこには何らの「規範的問題」も存在しない。要するに勘違いによって論点をつくりだしているにすぎない
約束が守られることを要求するのは、約束に際して一方当事者の利害が絡むことだけで十分説明がつくし、
その程度の説明しかつけられない約束であっても、「守られる」ことがあるのは、単に約束の範囲を超えない行為が可能であることによって説明がつく
実際、「約束が守られる」はそういう意味で使われてもいる(「確かに約束は守られてはいる」という発言が可能なことを考えよ)
約束を守る側の動機が「内的」問題を構成するという発想は、そもそも約束という問題を捉え損なったために起きる勘違いにすぎないんだよ
すまん、2001年のコピペなんて・・・は、
>>472 へのレスな
>473 >「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」の強制は、規範が通用するということだろ。 それは明白に違う。 規範が法的執行力で強制されている状況は、それが内的規範≒道徳や倫理モラルとして通用しているからではない。 そもそも個々人においてその規範が内的に十分納得されているのなら、警察力その他によって強制する必要は無い。 (道徳や倫理にはそのような力はなく、規範の強制という点については法律に比して著しく弱い存在だと言える。) 奴隷商人が反-奴隷法に基づく強制力によって奴隷の売買を禁じられても、彼が彼自身の内心によって納得してそのなりわいを放棄するので無ければ、「奴隷制は廃止されるべきだ」というモラリティが彼の内的規範として通用していることにならない。 外的な遵法とは。そのモラルがかならずしも受容されて顕れているわけではないのは、これはごく当然のこと。 「罰せられるから、殺人はいけないのだ」という答えでは、意味が無い。 「内的倫理としての善悪観念」こそが問題というのはそういうことだ。 外的な行為の善悪を検討するにしても、それはその善悪を判断し、最終的には納得したり・しなかったりする個々人の内面性に帰着する。 >危害を加えた者の動機を基準として考えるべき 危害を加えた被害者に内面性・精神が存在しないと言いたいわけでもあるまい。的外れ。
>ついでながら。その引用の議論は明白に間違ってるよ しかしその語に続く感想は、2001年時点でもすでに終わっているような議論の内容を、まったく反映していない。 2001年の人たちが行っているのは、道徳・倫理・モラルはいわばメタゲームとして展開されるから、「なぜ守らなければいけないのか」という疑問が生じるということだ。 人間は自分を制度の内部に置くこともできるし外部に置くこともできる。約束は「約束を破らないというルール」が通用されればこそ約束として機能する。 ある条理を内部における自然として前提化したとき、自然から当為は導出できる。 そしてついでにいえばこの議論は外的規範と内的倫理の一致と齟齬という問題系とはあまり関わりない。 でも人間はそれを破ることもできる。特に>474のように『約束』の遵守を利害だけで考えれば、(功利主義的に)約束や契約が遵守されるべき根拠はおおかた失われてしまう。 これはこう言い換えることもできる。 「人を殺してはいけない(制度内)。しかし人を殺すことは可能だ(制度外)」。 >475 下らん自演問答は不要。
>>476-477 受け答えが頓珍漢すぎて話にならない。
誰も「規範が法的執行力で強制されている状況は、それが内的規範≒道徳や倫理モラルとして通用しているから」などとは言っていない。
↑は、むしろ、そういう解釈を勝手にあてはめてしまうあなたが勝手に抱いている前提(規範は内的規範として通用している必要がある)の反映にすぎない。
>>473-474 をどう読むとそういう頓珍漢な返答になるのか、理解に苦しむ。
それに、
>>470-471 に対する反応を自演問答だなどと決めつけているが…
12年前の過去ログを唐突に引っ張りだすことがどれぐらい異常かわからないのかな
もっとも、
>>476-477 は、そういう人間らしい議論ではあると思うが
>>476-477 どうも「内的規範」に異常な執着(文字通り異常な執着としか言いようがない。体罰の例を示されても執着するのは。)があるようなので、念のため論じておくが。
「体罰を受けた生徒・選手側の事情を考慮する」
>>473 ことは、「罰せられるからいけないのだ」という考え方ではない。
そもそも「考慮される事情」から導かれるのは、体罰を行うなら罰せられることではなく、体罰は認めない、ということだ。
「体罰は認めない」は、
>>474 で書いた通り、一方当事者の利害によって説明がつく。
それが「約束」「規範」を構成するかは、また別の次元の問題だ。
法的規範になるかどうかは、傷害罪の規定・適用の問題だし、規範を破ろうとする動機に対して反対する動機を「内的に」形成できるかどうかは、
正しい指導法の学習という問題に帰着すると考えるのが妥当だろう。正しい指導法が学習されるなら、そもそも体罰するかしないかというレベルで
「内的倫理」が問題になることはない。そもそもそれが問題にならない地平にあることが倫理的態度だ。
殺人のような例についても、同じようなことが言える。殺人禁止の規範は、それを認めないことによる利害によって説明がつく
(利害の存在は「内的規範」の成立を説明しない、という論点は擬似問題にすぎない)。殺人を禁じようとすることと、その禁止が規範になるかどうかは、
別の次元の問題だ。法的規範になるかどうかは、殺人罪の規定・適用の問題だし、それを破ろうとする動機に対して反対する動機を「内的に」形成できるかどうかは、
正しい社会(生活)とは、という問題に帰着すると考えるのが妥当だ(繰り返すが、これは規範の問題ではない。あくまで規範を守ろうとする動機、規範が実効的に
守られる条件に関わる問題だ)。
「内的倫理としての」というフレーズに固執する理由が全くないことは、
>>473 の「そんな馬鹿な話はないだろう。」以下で書いた。
>>476-477 の考えは、ごく単純に言えば「心理的な揺れはあるから、それが問題だ」と言っているに過ぎない。
それを倫理的問題だと言える理由は全く示されていないし(もっとも、倫理的解決を図るための指示内容が空虚なのだから、示せるわけもないが)。
ただ、心理的な揺れこそが倫理的問題だ、と言い張っているだけのことだ。
481 :
考える名無しさん :2013/03/21(木) 23:36:52.65 0
中身は波平だろうしつっこむのもバカらしいけど
>>476 >「危害を加えた者の動機を基準として考えるべき」に対して
>「危害を加えた被害者に内面性・精神が存在しないと言いたいわけでもあるまい。的外れ。」と返ってるのが意味不明すぎる。
危害を加えるのは加害者だろ?w
>>478-480 文盲の精神異常者が中途半端に学問的な体裁を繕って挑みかかってくるスレに燃料投下するのはほどほどに。
同じような批判をした人はこれまで何人もいたけど「彼」は2001年当時のまま。全く変わらないんだよ。
482 :
考える名無しさん :2013/03/21(木) 23:39:14.49 0
つかあげちまった。重ね重ねスマソ。
484 :
考える名無しさん :2013/03/22(金) 00:34:28.79 0
自分が殺されたくないから「人を殺すな」と言うだけ。 殺されたくないと思ってる人が大多数を占めているから、一般常識の様になっているが 自分がされて嫌な事を「お前もするな」と言ってるだけ。 殺されてもいいと思ってるやつに「殺人はいかんよ」と言っても意味がない。
>>401 体罰などの具体例をあてはめれば、簡単におかしさがわかる議論だと思うんだけど、何なんだろうね。>内的規範がどーたら
>>470 は有名な倫理学者の文章のようだけど、あまりにも程度が低いので驚いた。
破られたくないために形成する「規範」(約束)と、破られたなら単にゲームが成立しないだけである「規範」(チェス)を
何の根拠もなしに同じ規範として扱ってるせいで、約束が要求するものとチェスが要求するものを混同する間違いを犯してしまっている
そりゃ、チェスという例で考えれば、そこでの規範が内的でなければ、ゲームは成立しない、規範は守られることを要求する、という話になる。
そうでなければチェスがプレイできないという意味で、規範は双方において守られなければならないという話になるから。
しかし、約束は、そもそも守らせる側と守る側の利害が異なるから交わされる場合がほとんどだろう。
つまり、そこでいう規範は、守られないなら成り立たない、という性質のものではない。
むしろ全く逆で、守られない可能性があるから成り立つのが約束だ。
チェスは守られない可能性があるならゲームが成立せず、ゲームが成立しないなら規範の意味がないことになるが、
約束は守られない可能性があるから成立させる必要があり、片方が破った場合にこそ(ゲームが成立しないこととパラレルな場合にこそ)
意味があるものだと考えないと、そもそも意味不明、という性質の話だ。
>>470 みたいな議論がまだどっかにくすぶってるのであれば、さっさと社会に広く晒され淘汰されるべきだろう。
>>484 その「意味がない」に意味がないだろう。
殺されてもいいと思ってるやつがそう思っていても、
殺されたくないと思ってるやつが「要求」したり、「規範」を形成したり
「一般常識」化したりしているなら、殺されてもいいと思ってるやつの考えと無関係にそれはある。
それに、どういうわけか、484の頭のなかでは、「殺されてもいいと思ってるやつ」は、
当然「殺したいやつ」でもある、ということになっているようだが、そんな前提は成り立たない。
むしろ「殺したいやつ」は、「殺されたくないやつ」であることのほうが遥かに多いだろうし、
「殺されたくない」から「殺したい」という判断を下すことすらあるだろう。
そもそも殺害をする人間は殺害をいけないと思っていない、というドグマがあるようだが、それもただの勘違いだ。
あまりにもくだらない。
>>485 あなたは倫理学やってる人?
あまりに手際がよすぎなんだけど。
488 :
考える名無しさん :2013/03/22(金) 01:00:14.08 0
>>484 >殺されてもいいと思ってるやつがそう思っていても、
殺されたくないと思ってるやつが「要求」したり、「規範」を形成したり
「一般常識」化したりしているなら、殺されてもいいと思ってるやつの考えと無関係に“それ”はある。
“それ”ってなに?
>それに、どういうわけか、484の頭のなかでは、「殺されてもいいと思ってるやつ」は、
当然「殺したいやつ」でもある、ということになっているようだが、そんな前提は成り立たない。
一言もそんな事書いてないよ。
>むしろ「殺したいやつ」は、「殺されたくないやつ」であることのほうが遥かに多いだろうし、
「殺されたくない」から「殺したい」という判断を下すことすらあるだろう。
>そもそも殺害をする人間は殺害をいけないと思っていない、というドグマがあるようだが、それもただの勘違いだ。
あまりにもくだらない。
俺の言ってる事と同じじゃね?殺されたくないと思ってるからこそ「いけないこと」と認識していて「相手の嫌がる行為」としての殺人がある。スレタイは「なぜ殺人をするのか」ではなく「なぜ殺人はいけないのか」でしょ?いけないと思ってても行動することはあるじゃん。
489 :
考える名無しさん :2013/03/22(金) 01:01:54.36 0
>>487 違いますけど。というか、そんな大層な話じゃないような。
>>488 それ=「要求」、「規範」、「一般常識」などのように名指される「意味」。
というか、「意味がない」と
>>484 で書いたんなら、それが意味を指すことは当然わかるはずだろう。
ろくに議論ができない人間は、困ると相手が使った指示代名詞の意味を唐突にたずねることで、
さも指示代名詞の内容が曖昧→議論も曖昧、かのような印象を与えて逃げを打とうとするよな。
また、《「殺されてもいいと思ってるやつ」は、当然「殺したいやつ」でもある、ということになっているようだが、そんな前提は成り立たない。》に対し
一言もそんな事書いてない、とのことだが、《殺されてもいいと思ってるやつに「殺人はいかんよ」と言っても意味がない。》
>>484 という文章は、
「殺されてもいいと思ってるやつ」は、「殺人はいかんよ」と説かれるようなやつである、という前提が補われなければ主張として意味がない文章だ。
補われなければならない前提を相手が補って読んだのに対して、それを書いてないのに補うのは決めつけだ、と言わんばかりの反応をするのも
ろくに議論ができない人間のよくやることだ。
最後。言ってることは同じではない。「殺されたくない」と思っているのは、常に「相手の嫌がる行為」としての殺人を行われる側だ。
「殺されたくない」から「殺したい」という判断を下す場合の「嫌がる行為」とは、「相手の」それではなく、「自分の」それでなければ意味が通じない。
>>488 >殺されたくないと思ってるからこそ「いけないこと」と認識していて「相手の嫌がる行為」としての殺人がある。
殺されたくないと思ってるんだったら嫌がってるのは自分じゃないの?
相手が殺しにかかってきていて、それを防ぐために殺すことで対抗するしかなかった場合、
その殺しにかかってきた相手が、自分に殺されることを嫌がっていたかどうかは問題ではないでしょ。
全然同じじゃないじゃん。頭おかしいww
・ろくに議論ができない人間は、困ると相手が使った指示代名詞の意味を唐突にたずねることで、 さも指示代名詞の内容が曖昧→議論も曖昧、かのような印象を与えて逃げを打とうとする ・補われなければならない前提を相手が補って読んだのに対して、それを書いてないのに補うのは決めつけだ、と言わんばかりの反応をする 波平のよくやる手だなww
493 :
考える名無しさん :2013/03/22(金) 01:59:20.73 0
>>490 もう一度確認。スレタイは「なぜ殺人はいけないのか」でしょ?
カリカリしないでもう一回484を読んだほうがいいぞ。
>それ=「要求」、「規範」、「一般常識」などのように名指される「意味」。
というか、「意味がない」と
>>484 で書いたんなら、それが意味を指すことは当然わかるはずだろう。
ろくに議論ができない人間は、困ると相手が使った指示代名詞の意味を唐突にたずねることで、
さも指示代名詞の内容が曖昧→議論も曖昧、かのような印象を与えて逃げを打とうとするよな。
まずは日本語理解しようぜ。論点ずれてるよ。自分が頭いいのかなんなのか、大分勘違いしてるっぽいな。
>「殺されてもいいと思ってるやつ」は、「殺人はいかんよ」と説かれるようなやつである、という前提が補われなければ主張として意味がない文章だ。
だからさ、さっきから勝手に前提作るのやめたら?
そうじゃない場合なんていくらだもあるでしょ?
教習所行ったことある?「危険運転はだめだよ」って教わるの。不良じゃなくてもね。
>補われなければならない前提を相手が補って読んだのに対して、それを書いてないのに補うのは決めつけだ、と言わんばかりの反応をするのも
ろくに議論ができない人間のよくやることだ。
あの〜、その前提とやらが変な方向にいってるんですが。
なんか決めつけが激しいね。
相手の意図を汲み取ろうとしない人とは確かに議論にならないね。
勿論人間の生命が尊いから 無論人の命が貴いから 当然人物の存在が大切だから 寧ろ人の人生が大事だから
>>493 「日本語理解しようぜ。」「論点ずれてるよ。」「勘違いしてるっぽい」と断定するだけでは、何の反論にもならない。
主張の意味が通るためにはどんな前提が必要かが問われたときに、主張者が前提外の場合があると認識していると述べるのも全くの無意味。
繰り返すが、「殺されてもいいと思ってるやつに「殺人はいかんよ」と言っても意味がない。」
>>484 は、
「殺されてもいいと思ってるやつ」が「殺人はいかんよ」といわれるようなやつである、という前提が補われないと意味が通じない主張。
「そうじゃない場合」
>>493 とは、「殺されてもいいと思ってるやつ」が「殺人はいかんよ」と言われる必要がない場合、と考えるよりない。
その場合が考慮されているなら、
>>484 の段階で、「…と言っても意味がない」と主張する意義がそもそもなかったことになる。
「殺されてもいいと思ってるやつ」の内面について、一般的に何か言う理由はないことになるからだ。
>>486 のように書かれた後なら、誰でも「そうじゃない場合」があることは理解する。「殺されてもいいと思ってるやつ」は、
当然「殺したいやつ」でもある、という考えが事実に合わないのはわかりきったことだからだ。
要するにお前のやってることは後出しジャンケンだ。
>>493 は、それこそ「そうじゃない場合なんていくらだもあるでしょ?」と指摘されてから、
その場合を「思い浮かべた」だけの馬鹿が、さも最初から考えていたかのように装い、わかりきったことはわかっているにきまっているのに
わかっていないと「決めつけ」るのはおかしい、と言い張っているに過ぎない。
自覚があるんだかないんだか知らないが、お前みたいな無責任で頭もかなり悪い人間とまともに議論できる人間など世界のどこにも存在しない。
「相手の意図を汲み取ろうとしない」は、意図を整合的に理解できる形で示せる人間が言うことだ。
マジキチにそこまで丁寧に反論してやらんでもいいのに
「まずは日本語理解しようぜ。論点ずれてるよ。自分が頭いいのかなんなのか、大分勘違いしてるっぽいな。」って、 12年もの長期熟成を経た結果どうしようもない腐臭を放つようになった波平のことじゃん
てかこのスレで議論する前に波平でスレ検索かけていくつかスレ見てきたほうがいいよな この板の実態は哲学無関係でただのキチガイヲチ板だからww
>478 他人の言ってる事を理解しようという気が全く無いのだろうか。 そういう態度はよくない。 >誰も「規範が法的執行力で強制されている状況は、それが内的規範≒道徳や倫理モラルとして通用しているから」 >などとは言っていない。 自分で『「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」の強制は、規範が通用するということだろ。』と言ってるじゃないかw 後に続く内容もその言い分を強化しているものだ。 繰り返して言うが、規範が警察力等で強制されている状況は、その規範が個々人の内心において十分納得されている、ということとは、全く異なる。 規範は、それが警察力等の外的強制力として機能しているだけでは意味が無い。ルールを納得した上で遵守する姿勢が無ければ、形骸化してしまう(法律そのものも、遵法精神というモラルによって護られている、と言える)。 なぜ人を殺して〜云々という疑問は、「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という疑問のカテゴリー的下位互換だ。 なぜそのような"ルール"が通用しているのか(なぜモラルとして世間に存在しているのか)を考えているとき、警察力等で強いられているから通用しているのだ、という答えにははあまり意味が無い。 >12年前の過去ログを唐突に引っ張りだすことがどれぐらい異常 いや、全然異常じゃない。 473-474等の話者の主張は、12年前の議論が既に通り過ぎているようなレベル。それは>474のトンチンカンな理解を見ても解る(そしてそれも説明済み)。 >「彼」は2001年当時のまま。全く変わらないんだよ。 2001年同時は、ここにいる誰もまだいないだろう。 「波平がー」と言ってる話者が、当時論破されて粘着してる者である可能性は十分高いだろうけどw
>485 理解しようという努力が無ければ、当然理解できない。 >しかし、約束は、そもそも守らせる側と守る側の利害が異なるから交わされる場合がほとんどだろう。 これもまた全然違うな。 一対一の約束は普通、利害が一致するから交わされる。チェスのルールならチェスを面白くプレイするためという利害の一致だ。 こうした世間的常識に属するような事柄すら、あまりに間違いすぎな前提を立ててしまうのは何故だろう。 よく考えた方が良い。 >487 自家中毒にもほどがあるww
「殺したくないから、殺さないのだ」という主張に対して 「殺されてもいいのなら、殺してもいいの?」と反論するのは論理的誤謬(就中、排中律)なので それを指摘してやれば良い。くだくだしく説明するのは逆効果。
>>500-502 「他人の言ってることを理解しようという気が全く無いのだろうか?」と書いて「自分にはそれがある」とほのめかすだけしか能が無いなら黙れよ
10年たっても全然進歩しない波平の発言の中身に触れてもろくなことにならないのわかりきってるから、あんまり言いたかないけどさ > 「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」の強制は、規範が通用するということだろ。 の通用は、強制によって通用することを指してるとしかとれないだろ 波平は他人の言ってることを理解しようという気が文字通り全くないから、「通用する」と書いてあるところに、 「内的規範≒道徳や倫理モラルとして通用」するという自分の主張を勝手に読み込んでるだけだろ 《後に続く内容もその言い分を強化しているものだ。》みたいに文体で虚飾したって、10年以上も誰にも相手にされなかったろ…いい加減諦めろよ
しかし波平がマジに意見してるの見るとほんと気持ち悪いな。ある意味キチガイコピペ貼ってるときのほうがマシなぐらいだわ
>>503-504 《「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」の強制は、規範が通用するということだろ。》は
「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」という波平の発言
>>468-469 の解釈
>>473 でしょ?
>>500 では
>>473 が「自分で…言ってるじゃないかw」とまるで
>>473 が主張したかのように引用してるけど、
実際は、規範は「内的規範≒道徳や倫理モラルとして通用」しなければならない、という波平が繰り返す前提が、
「規範が合意なしに強制される」「権力の問題」を認める考えと矛盾してることを指摘した部分だよ。
波平は基本的に前後の文脈をちゃんと捉えたレスを書かない(おそらく書けない)から、
横槍入れるんだったらよく読んでやらないと迷惑かかるだけだよ
>>506 とんでもない読み違いしてた。いやいややっつけで横槍入れるとろくなことにならないな。申し訳ない。。
>>500-501 いろいろツッコミどころが多すぎて面白いが
> 一対一の約束は普通、利害が一致するから交わされる。チェスのルールならチェスを面白くプレイするためという利害の一致だ。
上はいかにも波平らしいな。いくらなんでも馬鹿すぎだろw利害が一致するならそもそも約束をする必要ないだろww
約束を交わすことで利害が一致するというのは、一方が約束違反をしてもペナルティがないなら、約束が守られる期待が薄いという
経験則のもとで、約束違反に対する制裁(と書くとオーバーだがw)を用意するからだろw
双方に利益のある約束もあるが(例えば売買とか)、このスレで言われてる約束は他人を害さないことに関しての約束なんだから、
その手の約束が交わされる場合に、一般的に利害の一致が見られるなんてことはないだろ。
チェスのルールが守られるのは「面白くプレイするため」という利害の一致ゆえ、は、実際に利害の一致が根拠になってないことを自白してるようなもんだ。
チェスのルールが守られる必要があるのは、守られないとチェスにならないからだろ。
例えばチェスをはじめたばかりで駒の動かし方がよくわからない子供が、ある駒を思った位置に動かせないことを面白く思わないことはよくある話だが、
その子供は面白くなくても駒の動かし方のルールに従う必要があるし、一方のプレイヤーは従わせようとするだろ。
少しは考えてから発言しろよ。
509 :
考える名無しさん :2013/03/22(金) 14:48:35.96 0
「12年前の議論が既に通り過ぎているようなレベル。」に噴いたww明後日の方向に波平が去っていっただけだろwww
>>500 >なぜ人を殺して〜云々という疑問は、「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という疑問のカテゴリー的下位互換だ。
具体的に何が問題になっているかによって、悪さは違うのに、なんで具体的な内容がない問いの下位互換として
具体的な問いを考えなければならないという話になるの?
君の言ってるのは、ドロボーや殺人や嘘つきがなぜいけないか考えるときには、何が悪いとされてるのか定かでない「悪いこと」を
なぜしてはいけないのか考えるべきだと言ってるのと同じだよ。昔からずっと言われてるけど、出発点からトチ狂ってるよ。
12年前の人がこのスレを見たらどんな気持ちなんかねぇ
i っすかw
なんでもない
波平は有名な哲学者とかコテが言ったんだから多分学問的に正しいんだろうと信じて 自分なりにそれに則った話をしてるつもりなんだろうけど、馬鹿すぎて則れてないし、 著名な哲学者の考えと先鋭に対立する考えは大抵存在する(つまり強い反論が存在する)ことをわかってない。 結局自分の頭でちゃんと考えようとしてない。上でチェスの例えにツッコミが入ってるが、読む限りどう考えても反論のほうが正しいだろ。 その程度のことすら判断つかないんだったら思想のまね事すらやるべきじゃないよ。やればやるだけバカになるだけだから。
この手の話は初手を間違えれば残り全部間違えるような話だから、専門家が言ったとかあんまり関係ないしね
>503 他人の話を理解する気が(能力も?)無いことを指摘されたのに、「お前にはあるのか!」と開き直りの逆ギレしてなんになる? 素直に指摘を受け入れるべき。
>504
10年どころか100年分は退化してそうな文章だな。
>強制によって通用することを指してるとしかとれないだろ
最初から、「規範が【強制によって】通用される」なんて話しは誰もしてない。
お前(波平ガー)がそれこそ「自分の主張を勝手に読み込んでるだけ」だ。
自己言及の自己批判がそんなに面白いのだろうか。おっとこれも修辞だと、あえて曲解して誤魔化しそうだw
>506
>「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」という波平の発言
>>468-469 の解釈
>>473 でしょ?
あきれたな。それも違うだろ。477で指摘されているが、
>そしてついでにいえばこの議論は外的規範と内的倫理の一致と齟齬という問題系とはあまり関わりない。
この議論とは>469-470のこと(自然/当為命題云々)だ。
469単独の再解釈としてもおかしい。おかしすぎる。
469は明白に
「内的倫理としての(殺人禁忌のような)善悪観念を論じる場合は」と言ってるのに、
473は勝手に、
>「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」の強制は、規範が通用するということだ
という外部からの強制の話題に置き換えてしまっている。
この恣意的に過ぎる解釈は469の主張ではあり得ないので、やっぱり473の主張で間違いなくおK。
上の流れの後でそんなレス書いてよく己が虚しくならないな。
>508 >利害が一致するならそもそも約束をする必要ないだろww これは酷い。酷すぎる。いままでの中でももっとも酷いんじゃないか?w お前、約束したことないのか。社会の中に存在してないのか? 具体的な人間関係の中に。 チェスのルールを守ってゲームをするのは、チェスの楽しむという利害が一致するからだ。 取引相手と取引をして契約するのは、それがともに何らかの利益を得られるからだ。 交通ルールを守るのは、基本的にそれが自分の身を守りスムースな交通社会を実現するという仮定的な合意があるからだ。 利害が一致するならそもそも約束をする必要ない?ww お互いにルールを破り放題のゲームをするのは「チェスを楽しんでいる」ことにならないだろう。 相手と契約せず、取引もせず、どうやって利益を得るのだ。 ルールの無い道路でどうやって交通安全を図るんだい? 何かを「考えて」から発言しろよw あ、いや、その程度の発言はもうお腹いっぱいだな。
>>517 「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」はお前の文章だが、
お前が「強制によって」通用するという理解を認めないのはただの勝手な言い分にすぎないだろ。
強制が通用と関係ないなら、強制は何のためになされると言うんだ?
強制は通用させるためになされるんだろうがよ。
お前ごちゃごちゃ言ってるけど結局ただの馬鹿じゃん。
521 :
ボウイ :2013/03/22(金) 20:58:43.56 i
>>519 チェスのルールを守ることは自分が負ける可能性を負うことにつながる
君の言うことが正しいのなら、「チェスを楽しむこと」には「自分が負ける可能性を負うこと」を含むことになる
自分が負ける可能性を負うことは、チェスを楽しむことであり、自らの利益になる
という前提が入る
約束というのは、それが自分にとって利益のある場合のみならず
自らにとって不利益がある場合にも守らねばならないものである
「借りた金を返す」という行為は、返す側にとっては己に不利益な行為である
規範が利益の確保のためにあるのなら、
約束を守ることが不利益になる場合も、それが利益となることを説明すべきではなかろうか
522 :
ボウイ :2013/03/22(金) 20:59:58.75 i
俺は12年で進化したかな 当時はまだ学生だったから、まるっと引用しかできなかったんよ
>518 そういうレスをすると空しさが解消する人格らしい。「波平ガー」。 改めて読み返して見ても、しっかし、夜郎自大が酷すぎるな。 人の文章を理解しようとしてない、と言ったのは謝る。間違いだった。 そんなレベルでは無い。もともと人の文章を読んでいないレベルだよ。 だから勢い反論レスは反論にならず、罵倒と決めつけで充ち満ちた小汚い文句のパレードになる。 引用文の解釈がまったく的外れなことも、もう説明した。 にも関わらず「倫理学やってる」「手際がいい」w あげくに哲学者と先鋭に対立する「強い反論」w DQNのふんぞり返りは、見苦しいの一言。
>>517 >>519 冒頭から「100年分は退化してそう」「酷い。酷すぎる。」みたいな演出がかかった文章で景気付けしなきゃ反論書けないのか。
いちいちしょぼいな。
利害が一致するなら約束をする必要がない、のどこがおかしいんだ?
「利害が一致するならそもそも約束をする必要ない?ww」と肝心なところを鸚鵡返しでごまかさず、ちゃんと説明してみろ。
「相手と契約せず、取引もせず、どうやって利益を得るのだ」は、約束が利害の一致がないときになされるという考えへの反論にならない。
そもそも契約で双方を縛ろうとするのは、契約に関連する行為について、利害の一致がないからだ。
例えば、販売なら、商品の引渡しと代金の支払が行われるが、これには、一方しか行われないことへの誘因がある
(商品だけ受取り代金を支払わないことで、代金を支払った場合より得する、代金だけ受け取り商品を引き渡さないことで、
商品を引き渡さなかった場合より得する)。ここで必要になる約束・契約において利害が一致するとは、同じ販売者側だとか、
同じ消費者側だとかいうことだ。
お前が言っている「利害の一致」は、約束がなされる条件ではなくて、約束がなされた場合の結果だろう。
可能性として、約束が破られた場合に利害が一致しない状況があるから、約束によって利害関係を双方納得いく範囲に留める、
ということだ。留める前の状態があるから(利害の不一致があるから)、約束をする必用があるんだよ。
また、「チェスのルールを守ってゲームをするのは、チェスの楽しむという利害が一致するからだ。」と駄々っ子のように繰り返すのは意見とは言わない。
チェスのルールが守られる必要があるのは、チェスというゲームが成立するためにはそれが必要だからだ。
お前は、「お互いにルールを破り放題のゲームをするのは「チェスを楽しんでいる」ことにならないだろう。」と書いているが、
ルール破り放題なら、そもそも楽しむ以前にチェスが成立しないだろう。ルールが破られていないなら、楽しんでいなくても
チェスのプレイは成立するだろう。お前は自分の見解に固執するあまり、ルールとゲームの関係とは無関係の「楽しむという利害」を
持ち込んでしまっているんだよ。
>510 >具体的に何が問題になっているかによって、悪さは違う この言い方はいかにもスジが「悪い」が、殺人やドロボーは「悪さの種類」が違うだけで、「広く一般に悪いこと」とされているもののカテゴリーに入っている。 内容というなら、カテゴリーの内容が個々の悪い(とされている)こと=殺人やドロボー。 >具体的な問いを考えなければならないという話になるの? と、>500が主張しているようには見えないが、「殺人」という個別の悪(カテゴリーの一つ)を考えるに当たって、悪いこと全般(カテゴリー全体)を考えるのは有益だ。 >何が悪いとされてるのか定かでない スレタイくらいは読もうよ^^ 殺人が何で悪いのかわからないのでそれを考えるスレです^^ こんなことまで説明されないとわからないのは不思議だが、まぁ出発点すら見失ってるからにはしょうがないのかな。
>>523 >そういうレスをすると空しさが解消する人格らしい。
その台詞は「ガー」「DQNのふんぞり返り」のような、馬鹿な2ちゃんねらが典型的な好む表現を選ぶお前にぴったりだよ。
お前は、「人の文章を読んでいない」→「読まれればわかる」という意味のことを繰り返しているが、
実際にはお前の記述に対応する形で反論がなされていることについて、お前が「読んでいない」と言い張っているだけのことだ。
お前は「読む」を、文章を解釈する、という意味ではなく、お前の意図が反映されたものとして受けとられる、という
非常に幼稚な意味に使っている。
お前に他人の見苦しさを語る資格など無い。
>520 「権力の問題として」認めてるだろ。 内面的な倫理として受容される/しないを言ってるときに、 「暴力で強制されるから通用してる!してる!」と繰り返すのは痴愚。 なんで人を殺してはいけないのかという問いに、 「法で禁じられているから、警察に捕まるから」という答えはもう飽きた。 何度言われても解らない馬鹿とはきみかね。
>524 波平ガーを枕言葉にしないと何も切り出せない小心者にはお似合いだろw >鸚鵡返し >「チェスのルールを守ってゲームをするのは、チェスの楽しむという利害が一致するからだ。」と駄々っ子のように繰り返すのは意見とは言わない。 オウム返しとかだだっ子とか、相変わらず対手を卑小化するしか能が無いのかね。 まず罵倒で誤魔化す前に人の質問に答えるべきだろう。 お互いにルールを破り放題のゲームをするのは「チェスを楽しんでいる」ことにならないだろう。 相手と契約せず、取引もせず、どうやって利益を得るのだ。 ルールの無い道路でどうやって交通安全を図るんだい? >ルール破り放題なら、そもそも楽しむ以前にチェスが成立しないだろう。 ん? そう、ルールがあればこそ(そのものとしての)チェスは成立する。 「チェス(ルール)を成立させる」という利害の一致とでも言えば理解できるのかな。 まあ結論は同じだが。
>>525 お前は「スジが悪い」のような、何の意味もないが、いかにも何か行った風に聞こえる表現ばかり並べ立てるのが好きだよな。
スジ悪を言うのであれば、《「悪さの種類」が違うだけで、「広く一般に悪いこと」とされているもののカテゴリーに入っている。》のほうが
とんでもなく筋が悪いだろう。
ここでいう悪いこととされているもののカテゴリーに入る理由は、それが悪いと呼ばれることにあるのだから
(「広く一般に悪いこと」とされている、とはそういう意味にとるしかないだろう)、これでは最初から理由が問題にならないことになるだろう。
一般に悪いと信じられていることは、そう信じられていることに、悪さがあるかどうかとは関係がないのだから。
つまり、お前は、スレタイを読め=私は「何故、人を殺してはいけないのか?」という問いに忠実であると言っているが、
その、悪いのは何故かを答える方法として、理由とは関係なく、ただ悪いとカテゴライズされることをもって、
その悪さは一つのものだと考え、それについて検討するのが問いに答えることだ、というスタンスをとっていることになる。
これははっきり言って、頭がオカシイ立場、としか言いようがない立場だろう。
>>526 自己言及芸なんて2度も3度もやるもんじゃ無いぞ。
1度ですらうんざりなんだから。
反論や誤解については、もう十分指摘している。まさしくそれも「読んでない」なー、お前…。
自分の主張と他人の主張の区別もついてないから、まさか他人のレスと自分のレスの区別もついて無いのかもしれないが。
自分の意図が無条件に議論で反駁されないなどと思わない方がいい。
お前の見苦しさは無限大だよ。
>>529 「スジが悪い」という言葉が、「何か行った風」に聞こえるのか。珍しい
いちいち最初の皮肉「になった風」の一行をいれないと何も言えないのかなw
>その、悪いのは何故かを答える方法として、理由とは関係なく、ただ悪いとカテゴライズされることをもって、
>その悪さは一つのものだと考え、それについて検討するのが問いに答えることだ、というスタンスをとっていることになる。
その曲解の頭のオカシサはどこからくるんだ?
「悪さの種類」は別々だ、といってるだろう。なぜ一つになるんだね。
波平ガーさんは純一さん?? あまりこだわらない方が……。
533 :
ボウイ :2013/03/22(金) 21:32:35.27 i
>>528 >相手と契約せず、取引もせず、どうやって利益を得るのだ。
詐欺、恐喝、盗み、嘘、etc
>ルールの無い道路でどうやって交通安全を図るんだい?
交通標識のない道路もある
赤信号を無視したところで必ず事故に会うわけではない
>>527-528 「規範が合意なしに強制されるのは権力の問題」と(お前が)認めることは、
「規範が合意なしに強制される」ことが、通用することを意味しない根拠にならない。
「内面的な倫理として受容される」というお前の問題意識が根本的に間違っていることは、>>473-で何度も指摘されている。
規範が設定されるのは、規範に反した場合に生じる外的効果を避けることと切り離せない。
お前の「内面的な倫理」は、何らかの行為の是非について話すときに、何らかの行為がもたらす結果については考慮しないで是非を考える、という趣旨になっている。
体罰問題にあてはめるなら、体罰を受けた生徒・選手側の事情は無視し、体罰を加えた教師・コーチ側の「善悪観念」・動機などについて考えることが、倫理的課題だ、
という馬鹿げた話になっている。そんな理屈に納得するのはお前ぐらいのもんだ。
>>528 >>530-531 実際お前は自ら2001年のコピペを貼って自らの異常ぶりを証明してただろ。「波平」云々は哲学板では周知の、お前の異常性について言われてることで、お前の自業自得だろう。
鸚鵡返し・駄々っ子については
>>524 でそう書いた箇所に説明がある。お前みたいに根拠レスな演出として書いてるわけではない。
というか、直後に「お互いにルールを破り放題のゲームをするのは「チェスを楽しんでいる」ことにならないだろう。」と
>>519 を繰り返すとかどうかしているだろう。
「悪さの種類は別々だ、といってるだろう。なぜ一つになるんだね」って、それは「…だけで…カテゴリーに入ってる」とまとめられてるからに決まってるだろう。
自分が何を言ってるかぐらいせめて把握してくれ。いい加減にしろキチガイ。
これで最後だ。話にならんわ。
分が悪くなると反論ぽいレスを散発的に返してグダグダにして流れをわからなくするの、波平のいつもの手だよなw
「悪さの種類」は別々だ、といってるだろう。なぜ一つになるんだね。はマジキチすぎるな。さすが波平だ。 種類が別々なら具体的な悪さを問題にしろよ。「内面的な倫理」とやらでは悪さの種類扱えないだろww
>534
>お前の問題意識が根本的に間違っていることは、
>>473 -で何度も指摘されている
その指摘なる文章は、「規範の内面的な受容」を話題にしているときに、
それを「規範の外部からの強制」に強引に読み替えた上で行われている。
(その文章の前提からして頓珍漢なのはこのせい。)
だから
>お前の「内面的な倫理」は、何らかの行為の是非について話すときに、
>何らかの行為がもたらす結果については考慮しないで是非を考える、という趣旨になっている。
と、自分の主張をあたかも他者の主張として論じる滑稽さに陥る。
>実際お前は自ら2001年のコピペを貼って自らの異常ぶりを証明してただろ。
昔のレスを貼るのが異常と思うのが異常だとしか言えないだろ。
「波平、波平」のレッテル貼りが尋常だと思ってるお前の異常さも相まって。
>「悪さの種類は別々だ、といってるだろう。なぜ一つになるんだね」って、それは「…だけで…カテゴリーに入ってる」とまとめられてるからに決まってるだろう。
なにかカテゴリーを構成してる下位の構成単位が、同じカテゴリーに入っているとそれは「一つのもの」なのかよw
他人をキチガイ呼ばわりしてヒマに頭冷やせってw
ほんと最後にして欲しいものだわ。
レッテリング、卑小化、わざとらしい他者の主張の捏造、、、 波平ガーの病理は共通してるな。
一般性と個別性の区別もついてないんだな。 倫理が「別々の悪さ」を扱えないとか、さすが自称「倫理の手際がいい」わww
マジキチ波平が語ってる「内面的な倫理」は「それに合意したものにしか通用しない」規範に対応してるんだから、 それが具体的な悪さを扱えないのは自明だろ。なにせ合意しなければ具体的な悪さは関係ないっていうんだから。
542 :
考える名無しさん :2013/03/22(金) 22:01:58.88 0
レッテリングってなんだ?
>>538 もしかしてレッテルが英語だと思ってる?w
さすがだわ波平www平常運転www
真性キチ波平ガーには理解できないかもしれないが、 合意の有無と善悪のカテゴライズは全く別の問題だ。 たとえば奴隷制に合意してようがしていまいが、その個別的「悪さ」は論じられる。
>>543 はああああああああ?
そこの区別がつけられるんだったら、理由は悪さに関わるんだから、
合意とか内面的な倫理とかについて語る意味は「なぜ・・・いけないのか?」に
答える上ではないことになるだろ。
何が「全く別の問題だ。」「その個別的「悪さ」は論じられる。」(キリッだ。馬鹿じゃね?w
自分が何を論じてるかすら全くわかってないんだなww
>>543 だったら「悪さ」について答えるのが「何故、人を殺してはいけないのか?」について答えること、規範はその悪さに対応して成立する、
「内面的な倫理」の問題は規範を前提としてそれをどう守るか、という
>>473 のような主張が正しいことになるじゃん。
>>544 ほんとはあああああ?だよねw
>>544 大仰ないいざまの割には反論の呈を成してねーな、相も変わらず。
>答える上ではないことになるだろ。
意味不。何語だ。
>>546 いやどう見ても意味通ってるからww
すぐ上にオリジナルの「・・・に答える上ではないことになるだろ。」という文章があるのに、
「・・・に」の流れをぶった切って意味不宣言とかどんだけアホで恥知らずなんだよww
>>545 独り合点で納得か。まさに内面だけの所作だなww
>「内面的な倫理」の問題は規範を前提としてそれをどう守るか
あのなあ、「悪さ」を決める≒規範を最終的に決定するのは個人の内面、
自我そのものだぞ。だから法と倫理は対立する事態もあり得る、そんなの当たり前。
規範はその悪さに対応して成立するって、アホみたい。
悪いものを最終的に悪いものと決め、納得し、従い、あるいはそれに反するのは【誰】なんだよww
549 :
考える名無しさん :2013/03/22(金) 22:18:29.54 0
波平相変わらずしょっぱいなあ レッテリングワロタww でもググると結構使用例あるのな。よかったな波平お仲間がいて
>>547 流れ切らなくても不明なものは不明だろww
>そこの区別がつけられるんだったら、理由は悪さに関わるんだから、
>合意とか内面的な倫理とかについて語る意味は「なぜ・・・いけないのか?」に答える上ではないことになるだろ
悪さの種類に区別がつくと、合意や倫理を語る意味がない??
脳内論理!?
>>548 > 「悪さ」を決める≒規範を最終的に決定するのは個人の内面
これは完全に間違いでしょ。この考え方だと決定できない乳幼児は自分が殺されることについて
当然規範的判断ができないので、その乳幼児視点で見れば何が起きても規範的問題は生じない、ということになるよ。
「内面」みたいな雑な概念を振り回して調子に乗るのが許されるのは中学生までだと思うよ。
>>551 どうそう短絡するのかねえ。
乳幼児には倫理的決定ができないだけで、
その乳幼児の責任主体やコトを起こす人間には規範的問題は当然生じる。
脊髄反射で反発する前に、少しは脳みそ使いなよ、中学生以前サン。
てか、お前、体罰される側に内面が無いという前提で話してたり、トンデモが大杉だぜ。
>>552 あんた「倫理的決定ができない」と別の言い方をしてごまかすようなのばっかだよね。
それは規範の最終的な決定が個人の内面にないということでしょ。
「乳幼児の責任主体やコトを起こす人間には規範的問題は当然生じる」ということは、
赤ん坊の内面がどうであるかに関わりなく、赤ん坊のことを考える見方が存在する、ということでしょ。
赤ん坊のことを考えるということは、赤ん坊のことについてコトを起こす人間の意図に任すということでは
ありえないのだから、当然赤ん坊にとってよいことはなにかについて、「コトを起こしたり責任を問われる
はめになる人の内面」とは関係なしに考えることになるよね。
あと、体罰される側に内面がないという前提なんて誰も言ってないでしょ。
被害を内面と関係なく指摘できると認めることは、内面がないとみなすことではないでしょ。
>>550 何かの「悪さ」は、合意ではなく理由によって論じられるんだから、
なぜ・・・いけないのか?について語るときには、「悪さ」の理由を論じるべきことになるでしょ。
合意や倫理を語る意味は、「悪さ」の理由が問題になっているときに語られるなら、論点違いなんだから、
「悪さ」の理由が問題になっているときに語る意味は無いでしょ。
ほんとどうしようもないね、いろいろな意味で。
>553 乳幼児に規範的判断ができないは、ほぼイコール倫理的決定ができないだよね。 語としてむしろこっちの方が適当。どこが誤魔化してるの? >それは規範の最終的な決定が個人の内面にないということでしょ。 乳幼児にはね。乳幼児にはそもそも倫理や規範自体わからない。 だから判断し、決定するのは乳幼児周囲のそれができる人であり、その人の内面。 (これはペットや自然環境を巡る倫理問題でも同じ。 >赤ん坊のことについてコトを起こす人間の意図に任すということでは >ありえないのだから、当然赤ん坊にとってよいことはなにかについて、 >「コトを起こしたり責任を問われるはめになる人の内面」とは関係なしに考えることになるよね。 赤ん坊にとっての善し悪しは、「責任主体やコトを起こす人間」が決めてるよね。 それはその個人の内面(精神、自我etc)が決めてると言うことだよね。 つまり、周囲の大人の内面が決めているのだし、責任も主としてその人たちが採ることになる。 >あと、体罰される側に内面がないという前提なんて誰も言ってないでしょ。 いや、明確に言ってるじゃん。 規範倫理の内面性うんぬんという話題だ、と指摘しただけで、体罰する側の内面だけが問題で される側の内面が問題になってない、と短絡するムキが。
>何かの「悪さ」は、合意ではなく理由によって論じられるんだから、 合意する・しない自体にすでに善悪判断は入ってる可能性はどこにいったの? (合意が無くても善悪を論じられるということは、合意にあたって善悪判断が無いということではない) 理由を判断するのも人の内面、こころです。 >合意や倫理を語る意味は、「悪さ」の理由が問題になっているときに語られるなら、論点違いなんだから、 >「悪さ」の理由が問題になっているときに語る意味は無いでしょ。 「なぜそれが悪いのか?」を考えるとき、そのルールへの合意や倫理を語るのは、明らかに論点違いではないでしょ。 合意する・しないには何かを理由とした善悪の判断が有り(断っておくけど無いときも有る)、 倫理とはそもそも善悪判断の体系と言える。
556 :
考える名無しさん :2013/03/23(土) 04:03:39.42 0
乳幼児について私たちが倫理的判断をするのは、乳幼児のためを思うからで、
「だから判断し、決定するのは乳幼児周囲のそれができる人であり、」…のように、
まるで「乳幼児が倫理や規範がわからないから」であるかのように言うのはおかしいでしょ。
赤ん坊のお母さんは、赤ん坊が自分が殺されることについて規範的判断ができないので、
代わりに赤ん坊のための規範的判断をするから、赤ん坊について危害を加えるのが悪いと言えるようになるの?
>>554-555 の中の人は病院に行ったほうがいいと思うよ。
波平は並外れて頭が悪いので、常識的な観点から矛盾を指摘されたときだけ、その指摘は当然わかってると言い、 指摘された矛盾のために自分がとった考えが崩れたことは認識できないんだよな。 「規範の最終的な決定が個人の内面にある」というときの個人は、倫理的な問題に関わるすべての個人と考えなければ意味が通らない。 赤ちゃんも人間だし、危害を加えられる以上倫理的問題にも関わるんだから、「規範の最終的な決定が個人の内面にある」という主張を維持したいなら、 赤ちゃんがその例から漏れるのはおかしい。 「赤ん坊にとっての善し悪しは、「責任主体やコトを起こす人間」が決めてるよね。それはその個人の内面(精神、自我etc)が決めてると言うことだよね。」」は、 それ自体としても自説の維持としても完全に破綻している。 たとえば、赤ん坊が真夏の車内に放置されるケースについて、裁判所やニュースを報じるキャスターやそれを見た視聴者それぞれも判断できるし むしろ、それらの判断のほうが妥当だとされる場合(=責任主体やコトを起こす人間が決めるとは考えられていない)も多いだろう。 そもそも責任主体やコトを起こす人間が規範を最終的に決定するのであれば、裁判所がは彼らを処罰する正当な根拠はどこにもないことになるだろう。 波平は頭がおかしいので、どうせそんなことは言っていない、裁判所は当然判断できるとは言うだろうが、それは単に自説の帰結が論理的にどれだけ 馬鹿げてるか認識できないだけのことだ。
>>556 >まるで「乳幼児が倫理や規範がわからないから」であるかのように言うのはおかしいでしょ。
全然おかしくないでしょ。現実に、乳幼児には倫理や規範がわからないんだから。
だから本人の為に周囲の大人が変わって、本人に関わるルールの決定を「代行」してやるのは当然だよね。
それとも「本人のためを思わないで」、人に関わるルールの決定を「代行」してる人間がいるのだろうかw
いや例外的にはいるだろうけどさ(虐待目的のベビーシッターとか)。
こんな事もわからないガーは、病院の中から書いている人なんだろかw
乳幼児のための規範的判断(倫理的判断)=乳幼児の保護者の内面的判断はおかしいというより支離滅裂だろ・・・。
乳幼児は規範的判断ができないこと、当の乳幼児以外の判断が及ぶことを認めるのであれば、
そもそも「規範の最終的な決定が個人の内面にある」という説明がおかしいことになるだろ。
>>557 も書いている通り、乳幼児について問題になる規範的判断をする主体は裁判所や一般市民などにも広がるし、
広がることがむしろ乳幼児の保護者が規範的に誤りである行動をとった場合に起きる非難に理由があることの前提になるんだから。
ガーの「波平」に関する見解のほとんどは、おそらく過去ガーに向けられた批判の再話であり、トラウマの埋め合わせと思われる。 その見解がガーにこそよく当てはまるという事実、まず他者を貶め悪罵しないと立論できないという卑屈な口吻からは、 ガーの著しく低い自己評価(と裏腹の夜郎自大)が、推測され、かつ裏付けられる。 >「規範の最終的な決定が個人の内面にある」というときの個人は、倫理的な問題に関わるすべての個人と考えなければ意味が通らない。 何事にも例外があり、それを無視して無原則に意味を拡大するのは議論の無駄である。 赤ん坊は規範判断の術をもたず、もちろんこの種の例外に属する。 「規範の最終的な決定が個人の内面にある」という文言は、明らかに「すべての個人」を指している語句ではない。 「すべての個人と考えなければ意味が通らない」と恣意的に解釈するガーの態度はこれまで同様、 他者の主張をねじ曲げ、曲解し、捏造する姿勢が貫かれている。 >裁判所やニュースを報じるキャスターやそれを見た視聴者それぞれも判断できるし 裁判官やキャスターの判断もその裁判官、キャスターの内面、精神、自我に帰着する。 >そもそも責任主体やコトを起こす人間が規範を最終的に決定するのであれば、裁判所がは彼らを処罰する正当な根拠はどこにもない あきれたな。裁判所その他の公的機関も、乳幼児等の責任主体の一環を担う”周囲の大人”だ。 社会的責任を軽く見過ぎ。
>>559 >乳幼児のための規範的判断(倫理的判断)=乳幼児の保護者の内面的判断はおかしいというより支離滅裂だろ・・・。
はぁ。支離滅裂と決めつける方が支離滅裂だろうに。
赤ん坊にかかわるような何かのルールを決めたりしてるのは、現実に周囲の大人(なんで保護者だけになってるのやらw)であり、
赤ん坊自身とか、まったく関係ない誰かじゃない。
支離滅裂というか、もう現実否認のレベルと言うべきなのか。
>>560 本題についてはさんざ書かれている通りでご愁傷様って感じだけど。「ガー」という表現に執着するのも謎過ぎだよ。
それって「ガー」に執着してる
>>560 が、波平にひも付けされることを正面切って否定はしないけど
馬鹿にされるのはムカつく、という、「かなり変わったポジション」にあることの告白になっちゃってるよね。
波平を馬鹿にする人間に対して「波平ガー」と返すのがもっともらしく見えるほど「波平」はまともではないでしょ。
自分で異常性を証明してるようなもんだよ。
>>561 >はぁ。支離滅裂と決めつける方が支離滅裂だろうに
お前は理由が書かれてるのに、決めつけたと決めつけて自分が正しいと言い張ることばっかりじゃないか。
理由が書かれてあるかと思えば、ほとんど結論が繰り返し書かれてるだけだし。
>>560 は自分の原則が維持できないので「何事にも例外がある」と言い張って逃げ、
「「規範の最終的な決定が個人の内面にある」という文言は、明らかに「すべての個人」を指している語句ではない。」なら、
最終的な決定が個人の内面にないことを認めざるをえないはずなのに、そこは無視して「主張をねじ曲げた」と断定調でごまかし、
「裁判官やキャスターの判断もその裁判官、キャスターの内面、精神、自我に帰着する。」として、規範的な判断内容が
扱われるなら、当の判断内容(決定)は、「被害」「外的効果」についての判断になるだろう、という指摘も無視、
(だいたい裁判官は事実認定をし法律をもとに解釈するのに、それが内面に帰着される問題だと言う馬鹿はお前ぐらいだろう)
「裁判所その他の公的機関も、乳幼児等の責任主体の一環を担う”周囲の大人”だ。社会的責任を軽く見過ぎ。」は、
「乳幼児にはね。乳幼児にはそもそも倫理や規範自体わからない。だから判断し、決定するのは乳幼児周囲のそれができる人であり、その人の内面。」
>>554 という文章からは到底出てこない身勝手な後出しジャンケン(周囲が裁判官まで含まれるんだったら、裁判官他と乳幼児の保護者の判断が
異なるケースが考えられる以上、「その人の内面が決定する」とは言えないという結論が出てくるはずだろう)
よくもまあこれだけ屑な発言を繰り返せるよ。お前の発言のどこにまともなところがあるんだよ。
>>562 そういう見えなさがいちいち反映してる感じだよね、波平の倫理に関する考え方って。
>>562 「ガー」がやけに気に入ったみたいだねw
2,3回言われただけで執着という表現を使うということは、560は相当図星だったわけか。
「波平」表現は何回使われてるんだろ。
仮想敵を悪罵することでわずかな勝利感を得られても、それはガーの徴候性やワラ人形戦略の醜悪さを
強調するだけにしからならんんだけどね。
どう見てもおかしい波平に共感してないと「波平ガー」という表現は出てこないわな。 「ジミンガー」「ゲンパツガー」みたいな表現は、すべてそこに入るものを擁護しようとする立場の人間が使いたがる。 繰り返し批判にされることに対して、理由による擁護はできないので、繰り返し批判されている様子を連想させる 「・・・が」→「ガー」というレトリックを使って、批判者が馬鹿であるかのように見せかけたがっている表現。 まあ語るに落ちるってやつだな。
>>563 おまえの「理由」っていうのは、ほとんど恣意的な拡大解釈による言いがかりだし、
その意味でまともな反論自体、本来必要では無いんだよ。
少しでもわかりやすくなるよう言葉を換えて何度も書いてるこっちが感謝されてもいいくらいだなw
>自分の原則が維持できないので「何事にも例外がある」と言い張って逃げ
規範の最終的な決定が個人の内面にある、という文言を読んで、「ここで言う個人とは【すべての個人】のことだ!」と
異常な拡大解釈を噛ましているのはお前。つまり拡大解釈で揚げ足をとって逃げているのもお前。
例外なくどのよう個人でも決定権があるなら、禁治産者や精神障害者にも全面的な決定権があることになる。
議論するときにいちいち、「この個人とは、乳幼児や禁治産者、精神障害者やその他を含まない」うんぬんと条件付けなどしない。
そんな議論は、無い。
>当の判断内容(決定)は、「被害」「外的効果」についての判断になるだろう、という指摘
ばからしい。
裁判官やキャスターが「被害」「外的効果」だけを考え、判断すると思っているのだろうか。
>だいたい裁判官は事実認定をし法律をもとに解釈する
あのさあ、「解釈」って行為は、この個人の内面的所作だろ・・・。因みに現代の裁判制度は原則自由心証主義
>裁判官他と乳幼児の保護者の判断が異なるケースが考えられる以上、「その人の内面が決定する」とは言えないという結論が出てくるはずだろ。
裁判官の判断が優先され、その決定が「強制される」→裁判官の内面が決定している。
それを無視して親なり何なりが違う決定をする→その親の内面が決定している。
こんなことなんでいちいち説明してあげなきゃなんないのw
>567 >どう見てもおかしい波平に共感してないと「波平ガー」という表現は出てこないわな。 痴愚のごとく同じ語句を繰り返すやからに「ガー」をつけて呼ばわるのは慣用表現。 「自民ガー」「ミンスガー」という語を使っても、自民党や民主党に共感しているわけでないのは、言うまでも無い。 ガーの波平への並々ならぬ執着からして、むしろ反作用的な何からの共感をガーが波平に抱いているのは、 もう明白といっていい。
「ガー」が慣用表現かよww 波平ほんとに特定のカテゴリ漬けなんだなあwww
>>566 へえー、結構一般的に使われる言葉なんだ。
おれ自身は「ガー」単独は2,3回しか使っていないんだけど、
ガーさんは誰にでもレッテル貼りするから反論されるんじゃないのかねえ。
>>570 もう少し広く視野を持とうよ。哲学板や殺人スレだけが人生じゃナイヨw
>頭おかしいよというツッコミに対して、頭がおかしいところを見せる反応 ツッコミのほうが頭おかしいよという婉曲表現は、マジおかしい人には通じなんだよねー…
隠語と慣用表現の区別がつかない上に、慣用表現とされたのは「ガー」って、相当絞られるだろ 波平は本当に阿呆だよな
また「特殊な傾向を持つ馬鹿である証拠を晒して自滅」の王道パターンか。波平安定してるな。
レディガガガー
自滅芸オッスオッス オッス! っっっしたぁぁぁぁぁぁっっ。波平先輩!おつっした・・ァ・・ァアアアアァァlッッツ・・ホ・・・オオオオオオオオッ。
レッテリング
今、新たな日本語が誕生した 喜べ!驚け!この豊かな言葉の世界を
っっっしたぁぁぁぁぁぁっっ。波平先輩!おつっした・・ァ・・ァアアアアァァlッッツ・・ホ・・・オオオオオオオオッ。
「この個人とは、乳幼児や禁治産者、精神障害者やその他を含まない」
>>568 これはじわじわくるww
さすが12年物の基地外だわww 実に味わい深い。
長年法律系の板で気違いじみた自演をして自学しただけのことはあるよね
585 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 20:13:16.40 0
586 :
考える名無しさん :2013/03/24(日) 21:00:35.39 0
>>585 そういうことじゃないよ
禁治産者でググればわかる
588 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 13:35:43.99 0
589 :
考える名無しさん :2013/03/25(月) 14:41:34.53 O
莉乃ちゃん継続おめぇぇぇぇぇぇぇぇ \(^^)/\(^^)/
591 :
考える名無しさん :2013/03/29(金) 22:40:05.18 0
age
592 :
考える名無しさん :2013/03/30(土) 00:27:09.72 0
波平=禁治産者
593 :
考える名無しさん :2013/03/30(土) 00:28:32.48 0
まぁ今では成年被後見人っつーんだけどなwwwwww
>>568 に記された「禁治産者」の四文字が示す情報量wwww
2013年の今、「禁治産者」などと口走りながら「こんなことなんでいちいち説明してあげなきゃなんないのw」で締めるヴァカなんてこのスレでしか観察できないだろうな
596 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/04/01(月) 12:06:32.76 0
基地外ストーカー早く死なねぇかな
禁治産者乙
598 :
考える名無しさん :2013/04/01(月) 19:16:11.97 0
成年被後見人なのじゃろ?
ここまでエクセル→ピクセル「打ち間違い」伝説への言及なし
____ /∵∴∵∴\ /∵/∴∵\∵\ /∵<・>∴∴.<・>∵| |∵ /三 | 三|∵ | |∵ /三 | 三|∵ | |∵ /三 | 三|∵ | |∵ |\_|_/| ∵| はぁ? \ | \__ノ |/ /.∴\___/ (∴∵∵∵∴∵∴ \
マイクロソフトのエクセルという名前をピクセルと覚えてたってこと・・・? そんなことありえるの??
ある意味禁治産者と同じことが起きたんだよ。お前のパソコン仕事に使われてなくてかわいそうだな、ワードやピクセル入ってないだろ的なw
純禁治産者波平
605 :
考える名無しさん :2013/05/06(月) 13:23:50.79 0
なぜ人を殺してはいけないのか
たとえば「人を殺してはいけない」というルールについて考えます。
「人殺しは絶対的な悪だ」「法律で裁かれるからやめとけ」「殺人者はキモい」「自分が殺されてもいいのか。
社会にとって殺人は迷惑なんだよ」などなど、いろいろな意見があるでしょう。
しかしこのレベルで善悪を議論しても絶対に決着はつきません。
たしかにこれらの意見は常識的であり、市民の良識にかなう立派な主張です。
しかしこう反論されたらどうでしょう。
「人殺しは絶対的な善だ。おれはそう信じている」「法律で裁かれたっておれは別にかまわない」「殺人をキモいと思うやつもいるが、おれはそうは思わない」「逆に社会の常識は殺人者にとっては迷惑だ」
こんなことを言ったら、ドン引きされるでしょうし、議論の最中においては「そういう考え方は間違っている。
キチガイもほどほどにしろよ」という人格攻撃がはじまるでしょう。
しかし、そういう人は殺人を肯定する論理を決して崩すことができません。
ただ相手をキチガイだと罵ったり、根拠も提示せずただただ間違っていると否定するばかりです。
ここは重要なポイントです。
要するにどちらも「自分がそう思っているから、自分の意見は正しいんだ」と主張しているだけなのです。
つまり議論をしているのではなく、自分たちの信念こそが正しい・自分たちが信じていることこそが《真理》だと宣言しあっているだけなのです。
要するにこれは自分たちの《信仰》を相手に強要しているだけなのです。
http://d.hatena.ne.jp/daen0_0/20100503/p1
純禁治産者波平がまた発症か
集団は人が死ににくくなるためのものだから、としか言いようがなくね
609 :
考える名無しさん :2013/05/17(金) 12:46:59.50 0
610 :
考える名無しさん :2013/05/18(土) 15:11:23.28 0
自分の属する種族を否定することは、自分をも否定することになるからじゃないの? 別にそれでいいよーて思ってても、全員がそう思うわけじゃないし。
592 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2013/03/30(土) 00:27:09.72 0
波平=禁治産者
593 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2013/03/30(土) 00:28:32.48 0
まぁ今では成年被後見人っつーんだけどなwwwwww
594 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2013/03/30(土) 06:46:29.33 0
>>568 に記された「禁治産者」の四文字が示す情報量wwww
595 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2013/03/30(土) 08:14:46.22 0
2013年の今、「禁治産者」などと口走りながら「こんなことなんでいちいち説明してあげなきゃなんないのw」で締めるヴァカなんてこのスレでしか観察できないだろうな
596 名前:第三の波平 ◆JXLBbnYqTY [] 投稿日:2013/04/01(月) 12:06:32.76 0
基地外ストーカー早く死なねぇかな
612 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/05/24(金) 07:36:40.79 0
613 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/05/24(金) 07:40:27.94 O
>>605 信念が自己コントロール可能な個人的なものと考えちゃダメ
614 :
伝道の書 :2013/05/24(金) 08:44:32.01 0
総てに、時あり 生かすに、時アリ 殺すに、時アリ
615 :
伝道の書 :2013/05/24(金) 08:47:37.68 0
↑ 殺すも 時に適いて、美しき
616 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/05/24(金) 12:35:08.50 0
何故殺してはいけないのかという時点で、 殺してはいけないことが当たり前だ が、前提になっている。 思考実験するなら、いかに人を殺してもよいは可能になるかを、考えるべき。 するといろいろ見えてくる。
ついに波平として正式に発症か
>>616 >殺してはいけないことが当たり前だ が、前提になっている。
もしそうなら、このスレをやる意味は無い
波平名義でキチガイ殺人カキコすんのはじめてじゃね? いつも通りミエミエの名無し自演までして。すげえな。なんかあったのか?
621 :
考える名無しさん :2013/05/25(土) 23:24:15.47 0
>>616 スレタイは「殺してはいけないことが当たり前」とはしていない。
前提にしていないからこそ、
スレタイには
「人殺しをしてはいけないと(今の世の中において一般的には)されていますが、」
との表現にわざわざしてあるのではないか。
殺人にかぎらず、人間社会の禁忌について考えればいいのでないか
623 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/05/26(日) 10:52:01.46 0
>>621 今の世の中ということは
当たり前になっているだろう
今の世の中以外とは具体的にだれ?
624 :
考える名無しさん :2013/05/26(日) 11:22:26.02 0
第三の波平、イベントで大暴走 下半身丸出しでファンから胴上げ オリコン 5月25日(土)19時31分配信 お笑いタレントの第三の波平が25日、都内でブロードバンド番組『波平のピーピーピーするぞ!8』のDVD発売記念イベントを行った。 「1クールのレギュラーよりも、1回の伝説」がモットーの波平は、この日もイベント中に下半身を露出し客席にダイブするなどやりたい放題。 挙句の果てには、丸出しのまま熱狂的なファンから胴上げされるなど、暴走の限りをやり尽くした。 おなじみとなった布袋寅泰の名曲「スリル」をBGMにステージに現れた波平は、 ロンドン五輪で女子レスリング・吉田沙保里を応援するために着用した黄金のレスリングスーツを着込んで登場。 胸に書かれた『NAMISOK』にファンからは「ナミソック!」コールが巻き起こった。波平は、レスリングの五輪除外危機を案じ 「レスリングをアピールしに着た」と説明し、「言っとくけど、オリンピックのレスリング中継は4年に一度のレギュラー。しかもNHKだぜ。 それが終わったら大問題だよ!!」と大絶叫でファンに呼びかけた。 さらに、DVDのヒットとレスリング存続を祈願し、履いているブリーフの両脇に手を通して、上に持ち上げる “ブリーフ重量挙げ”を披露。波平は「俺はヒキ歴20年、ギリギリで止めてやる」と約束したものの、最終的にはブリーフも脱ぎ捨て裸に。 スタッフがバスタオルで必死に隠そうとするも、お構いなしに振り切り、そのまま客席にダイブ。 そのまま胴上げされると会場は悲鳴と歓声が入り混じり、異様な熱気に包まれた。 波平はDVDの見どころについて「橋下市長の従軍慰安婦発言かな。あと矢口(真里)の…」とトークも暴走。 アシスタントの早川亜希が「今日は身内だけじゃないんで」と笛を持って制止するも、放送禁止用語を連発させ“絶好調”だった。
純一がでなくなったのは純一秘密基地のうらで波平がアレやりだしたからじゃろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
626 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/05/26(日) 11:31:01.94 0
気違いストーカーひさしぶりだな 空谷スレにはこないから死んだかと思った
623は何を言っているのだ?
AさんがCさんを殺そうとしています BさんはCさんを殺させないよう守ります あなたはAさんになりたいですかBさんになりたいですか それともDさんとして傍観しますか それともEさんとしてどちらの味方をするのか迷いますか 迷うのであれば少なくとも殺してはいけないのは偽です 仮にBさんの味方をしてもAさんの存在は否定できません
筑紫哲也イズムを打破するために純一がミミガー食いながらスケボーに乗ってた
630 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/05/26(日) 20:15:55.31 0
ようするに、禁止は意味より先に規則が来るってこと それを、意味を先にもってきて、意味がないじゃん!と開き直ることを 専門用語で中2病という
殺人動画探せばホイホイ出てくる時代には
>>1 のテーマは完全に時代遅れなんだけどな
おかしな動画を見てしまいショックを受けた人を元に戻す
哲学でも構築したほうが有意義だぞ
波平は精神の成長が遅い 普通は中学で問う事を今更自慢気に問うし 34歳で中二病になっている
漢字間違いを指摘されても 余計なプライドで誤字した事すら認められない事 これを中二病と言う
あと、「柄谷」くらいちゃんと書けよ 「空谷」って何だって思ったわw
635 :
考える名無しさん :2013/05/26(日) 21:49:57.06 0
まあ、アホな波平の事だ おそらく「柄」谷の「柄」の「から」の他の読みが分からなかったから 「空谷」と書いたんだろうな 本当にアホだなw
636 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/05/27(月) 12:38:06.45 0
気違いストーカー暴れてるな 空谷スレには書き込めないから
637 :
理屈や :2013/05/27(月) 15:24:14.47 0
旧約聖書の「伝道の書」 すべてに時あり 時に適いて美しい 「人殺しは、いけない」は、哲学でも、倫理学でも、真理でもナイ 単なる、感傷で、センチメンタリズムに過ぎない
権力者が統治しにくいから
ただの波平スレになってるね
ある意味最初からそうではある
641 :
考える名無しさん :2013/06/01(土) 09:51:56.81 0
人間は子供を作った瞬間から殺人者 何故ならば、「人は死ぬ」という事実はおよそ誰でも認識しているものであり、 それを認識していながら子供を作るということは、その子供に生とともに死を与えることになる。 その子供は生まれて200年もすれば確実に死ぬ。よって、全ての人の自然死は親が加害者となる。
>>641 その理屈を現実に子供作ろうとしている夫婦に説いて回ってみろ
一躍キチガイとして有名になれっぞ
643 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 10:10:40.99 0
>>641 ある意味で良いところついている。
なぜならそもそも死とはなにか、を問うているから
生とは死であり、死とは生である
644 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 10:11:41.44 0
ようするに、個への執着とは病であるということ
645 :
考える名無しさん :2013/06/01(土) 10:30:07.12 0
>>642 猛反対されることくらい分かりきっているんだが?
2ちゃんだから核心をついたことを言えるの。
バカなの?
>>643 「死とは何か」というより「殺とは何か」かと。
646 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 11:08:47.83 O
>>645 死とはなにかがほりさげられてないから、
殺がぶれるんだよ
>>645 波平、そういう場合は猛反対じゃなくて猛反発って言うんだよ。
あと、
>>641 の理屈に猛反発されることぐらいわかりきっていると自慢げに断っている時点で、完全に頭おかしいから。
わかりきっているのはそのレベルじゃねーからww
648 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 17:19:53.88 O
649 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 20:55:49.45 O
>>645 要するに、生きるとは死に近づくこと、がベースにあるんだろ。
これの例では、どうせ死ぬんだから今死んでも同じ。
どうせ死ぬんだから頑張ってもしかたない、とか
だから生きるとはなにかから考えればよい。
650 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:01:01.06 0
答えをいえば、生死が個人的なものになってるんだよ。 これは市民革命後、近代西洋に生まれた個人主義に根をもつ。 個を重視することで、生死が個人的な所有物という考えと、 さらにそこから生まれる憂鬱。
651 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:04:15.46 O
>>641 は言っていることが心情的におかしいことは分かっていて、
言うことである種の不安を解消しようとしている。
近代個人主義の症候の1バージョンってこと
特に日本人なんだろうから、西洋人ほどの不安はないだろうけど。
652 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:09:22.47 0
西洋人は個人主義の憂鬱から精神を病む人があとをたたないが、 日本人はそこまでではないだろう。 なかなか生死まで個人的な所有と突き詰める論理性はない。 日本人として生きてるだけで、なんだかんだいって日本人という疑似単一民族意識が骨まで染みてるから
653 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:11:20.30 0
654 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:27:05.17 0
市民革命前の西洋は、キリスト教世界で、生死が個人的なものなんて考えられない。 あるいは、有名な、武士とは死ぬことと見つけたり、があるな。 要するに、武士にとって死は儀礼のひとつでしかないということ。 必要な状況では挨拶するようにただ死ね。 意味なんかないし、生死が個人の所有なんてあり得ない。
655 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:38:39.81 0
現代は必ずしも個人主義の時代とは言えない。 現代の一番の倫理はマクロ思考でしょ。 個とは全体の一部であり、それぞれがそれぞれのできることをすることで、全体の最適化が行われる。 生死も単に個人の所有物ではなく、マクロの重要な一部である。 確かにここから、全体から見ればただの一部であるという憂鬱からは逃れられない。 生死は個人の所有物だろ!っというヒネクレが生まれるが、 近代教育が染み付いているから、本心にはなり得ない。
656 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:40:16.78 0
ベタにいえば、列があれば並ぶレベルで、マクロ思考は染み付いている。
657 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:45:36.18 0
要するに、生きるとは死に近づくこと、がベースにあるんだろ。これの例では、どうせ死
ぬんだから今死んでも同じ。どうせ死ぬんだから頑張ってもしかたない、とか。だから生
きるとはなにかから考えればよい。
答えをいえば、生死が個人的なものになってるんだよ。これは市民革命後、近代西洋に生
まれた個人主義に根をもつ。個を重視することで、生死が個人的な所有物という考えと、
さらにそこから生まれる憂鬱。
>>641 は言っていることが心情的におかしいことは分かっていて、言うことである種の不
安を解消しようとしている。近代個人主義の症候の1バージョンってこと。特に日本人な
んだろうから、西洋人ほどの不安はないだろうけど。
658 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/06/01(土) 21:46:12.50 0
西洋人は個人主義の憂鬱から精神を病む人があとをたたないが、日本人はそこまでではな いだろう。なかなか生死まで個人的な所有と突き詰める論理性はない。日本人として生き てるだけで、なんだかんだいって日本人という疑似単一民族意識が骨まで染みてるから 市民革命前の西洋は、キリスト教世界で、生死が個人的なものなんて考えられない。ある いは、有名な、武士とは死ぬことと見つけたり、があるな。要するに、武士にとって死は 儀礼のひとつでしかないということ。必要な状況では挨拶するようにただ死ね。意味なん かないし、生死が個人の所有なんてあり得ない。 現代は必ずしも個人主義の時代とは言えない。現代の一番の倫理はマクロ思考でしょ。個 とは全体の一部であり、それぞれがそれぞれのできることをすることで、全体の最適化が 行われる。 生死も単に個人の所有物ではなく、マクロの重要な一部である。確かにここから、全体か ら見ればただの一部であるという憂鬱からは逃れられない。生死は個人の所有物だろ!っ というヒネクレが生まれるが、近代教育が染み付いているから、本心にはなり得ない。ベ タにいえば、列があれば並ぶレベルで、マクロ思考は染み付いている。
なみへいさんは、進研ゼミあたりで小論文の添削を受けた方がいいよ
死にたくないから、だろう そもそも社会自体が死なないためのシステムなんだから 死んでいいと思った人間は無敵でありシステムも人も破壊できる だから社会はそういう人間を作り出さないようにしないといけない
生死がどうこう言ってるバカがいるけど、「なぜ人の物を盗んではいけないのか?」でも理由は同じだからな。論点がずれてんだよ
殺人スレが波平の自演スレだという話って、本当だったんだねえ。
何を今更
波平=純一 もうばれてるんだよw 518 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/01/24(月) 19:20:01 しりのシャワーってすごい。 先輩達、もさいチンブラ処女だった。 一年生は恥ずかしがってマんチンチンを眺めています。 先輩達はみんなチンチンバレー部のマネ。 練習後のシャワーチンチン処女だったし。 うんチも抵抗なくなってきた。 ふつうにしながら、りっぱなチンチンを一年くらいなめています。 みんなチンチン。チンチンバレーってすごい。 チンチンブラブラ女だった一年生は恥ずかしがって隠すけど フルくなってきた。 ふつうにチンチンシャワーってすごい。 先輩達、マん隠さなくなった。 フル。
生きている限り、間接的には人を殺したことないものなどいない。
はたしてそうかな?
667 :
新ロマンチスト :2013/06/05(水) 08:35:49.98 0
「殺される快美」 私の恋人は、夜毎ヨゴト、「死ぬ」「死ぬ」「死ぬ」 と叫びます
669 :
考える名無しさん :2013/06/11(火) 17:48:47.63 0
宗教の教義で、人を殺す無かれ、とあっても、ものすごく神経をさかなでされ て、むちゃくちゃに人格を否定するような、扱いをされれば、その人間に、殺 意をいだき、ある我慢の限界を超えれば、その人間を殺してしまうのは、やむ をえないと思う。
日本って快楽殺人が少ないよね
┃━━┳ ━━┓┃┏━┓╋━━━ ┃ ┃┏━┓╋━━ ━━┓ ━━━╋┣━┳ ┏ ┃━━╋ ┃ ┃┗┓┏ ┣━ ┃ ┃╋━━ ━━┻┓ ┏━┫┛ ┃ ┏┫ ┃┏━╋┃ ┗┛ ┃┏╋┛ ┏┛ ┗┛ ┃┃ ┃ ┃ ┗━┫ ┃┏┛┃ ┗┗━┛┗━━━ ━━┛┗━━━┗━━━ ━━┛┗━━┛ ━━┛ ━┛━━┛ ┃
逆でしょ 殺していいどころか好きなだけ殺すなり奪うなりしたらいいじゃん。 強烈な身体能力とか高機能の武器とかなければ10/0にはならないし社会的制裁や復讐から逃げる力も必要。 そんなメンドクサイ事しなくていい状態の方が驚異的なんだよ。 「なぜ働いてはいけないのか」って言ってるようなモンだ つべこべ言わずに働けバカ
673 :
考える名無しさん :2013/06/13(木) 14:45:39.53 0
どんなに苦しくても、おとなしく働くべきと言いたいのかな。 それだけなら、精神的な問題から殺人者が出るのを、なるべく減らすようには できない。物理的暴力以外の暴力が、ほぼ合法な現状を変えるよう、人権侵害 についての法整備など、対策が必要。
うん。その通りだと思う。 殺戮が日常に繰り広げられてた時代から考えたら凄い変化を遂げた社会だけど、まだ完璧じゃない 個人的には「なぜ働いてはいけないのか」という疑問を持てる日が早く来て欲しいと思うね 殺戮の代わりに自殺と過労死が繰り広げられとる
このテーマももう古いんだよな ネットにテロの動画とか沢山上がっているし
え、このテーマ ネットの動画で古くなったのか ネットすげえ
677 :
考える名無しさん :2013/06/21(金) 00:46:20.54 0
...-ー、,-─ <二>、 <二> .. / ー-' ヽ . . / -=ニ=- \ ヘッヘッヘッ 分かるじゃろ? (_ ) ・ ・ || |::::/ ◎\: .|__) |:: | ト‐=‐ァ' |:| ダープイプイダープイプインだろろw |:: | ` `二´' |:| コログわープイダープインコログわにわ (∴∵∵∵∴∵:\ ーだろろwププイプインププイプイン . \∵ _∴ _∵∴ヽ  ̄\∵ \\∴∵ヽ ヽ∴∵) ヽ∴∵| 丿∴./ . ヽ∴ | (∵/ .|∵ノ
678 :
弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2013/06/21(金) 22:08:58.34 0
いけなくはないですよ。罪に問われます。それだけ。
理由があって罪に問われるのだろう?
君主にとってやっかいなのですよ。人々が殺しあうのは。 君主には法が必要だった時代の産物ですな。罰というのは。 人殺しは君主にとってデメリットだし、自分の命すらあやうい。 それは、死が不安と恐怖の源泉だからですよ。 死に至るプロセスですがね、正確には。
なみへいさんレベルですね
なぜ人を殺してはいけないのかちゃんと説明できる大人は少ない 根本的に生物は自分の種の存続にのみ尽力してきた結果であり,これからもそうすべきである。 答えを言えば,人を殺し合うことが平気で許されていれば,社会の不安定さにつながり,社会の存続・繁栄を妨げるため。 そのような社会は自然と淘汰されてきた結果,人殺しを封じた優秀な社会だけが生き残った。
>>1 このスレのゴールって何なの?
もう何年も前から続いてんでしょ?
既に出尽くした話をスレが替わる度に繰り返してんだろ?
過去スレなんか読む気しねーよ
あるていど結論出た話はスレ立てる時にまとめとけよボケ
684 :
考える名無しさん :2013/06/25(火) 16:23:07.73 0
これって難しい問題なの? Aは自由の権利があってBを殺すという自由を行使しようとする けどそれはBが自由を行使する権利を奪うことだから許されないじゃ駄目なのか 自由の権利は相手の自由を奪わない範疇でだけ認められるもんだろ
自殺や同意殺人は?
>>685 自殺も同意殺人も殺人じゃない
これらが罰せられるとすれば、殺人とは異なる理由で罰せられるし、異なる罰が与えられる
実際の法もそうなってるだろ
一応安楽死も殺人行為だよ 相手の自由を害してないのに罰せられるのはおかしいよね? 例えば植物人間の延命装置を外すのも殺人になるけど 植物人間に自由はあんのかな? そもそも植物人間には行使する自由とか無いんじゃないとも思うし
>>687 安楽死は患者からの依頼があれば嘱託殺人、
医者側の提案に患者が同意して行われれば同意殺人
過去に安楽死事件が殺人として扱われたのは
患者の意思が確認できないケースだったから
意識がなく回復の見込みがないの患者の延命停止は患者の事前の意思表示があれば可能
(家族による推定意思でも可能。変な概念だが。)
過去に殺人事件として扱われた延命停止は、患者の意思が確認できない、
回復の見込みの判定が間違っていた、安楽死だったとかいったケースのはず
植物状態は程度によっては回復が見込める場合があるので、勝手に止められない
>安楽死だったとか これはおかしいなw 意思確認が不十分というケースにふくまれる
690 :
考える名無しさん :2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
哲学には二種類あります。 通常の哲学とニーチェの哲学です。 議論が堂々めぐりになったり、感情的になったりするのは、通常の哲学以外知らないからです。 スレタイで色々と条件を付け限定をしているのは、通常の哲学を入り込ませないためでしょう。 要するに、このスレタイで哲学とは「ニーチェの哲学」のこと思われます。 そうでないとしたら、全く無意味なスレになってしまいますから。
691 :
考える名無しさん :2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN 0
のたにるとった政治が自民党と青山にコボコれたな。 それは私である本の定義なら私だろう。 お国のための政治の場合だと至っては全て家臣中の本。 って分かってんのか。 部外者に「尊厳」がまさに「言行一致」させる場合の物語にあるように、 決闘が捧げられる対象は「神フェスト」に「誓って」なれないのだが、 民主党のゴミリックとして用いた。 あのグロ小沢や鳩山の「理念」なるものがいるのは・・・何もないわ
人を殺してはいけない、と言う前提が間違ってる 社会では良くないこと、と措定しているだけ 絶対的なものではない その絶対的な禁止行為じゃないことに 「どうして人を殺してはいけないの?」と問うのは、潜在意識的に人を殺してはいけないと思ったからに他ならない してはいけないと思うからその質問が出る 哲学的な事を述べるなら スレタイは質問ではなく「擬似問題」であり 充足理由律から外れてる その問いかけが普遍的であることを証明しないと普遍的な論拠は得られない
693 :
考える名無しさん :2013/08/21(水) NY:AN:NY.AN 0
>>692 >>「どうして人を殺してはいけないの?」と問うのは、潜在意識的に人を殺してはいけないと思ったからに他ならない
してはいけないと思うからその質問が出る
とあるが、
スレタイをよく読め。
スレタイは
>>人殺しをしてはいけないと(今の世の中において一般的には)されていますが、本当に人殺しはいけないのでしょうか?
となっていて、スレ主は、人を殺してはいけないと思ったからではない。
また、
>>692 >>「どうして人を殺してはいけないの?」と問うのは
とあるが、
スレタイは
>>もし、人殺しはいけないとしたら、その論理的、普遍的な根拠があれば、それを教えて下さい。
となっていて、 「どうして人を殺してはいけないの?」と問うてはいない。
>>693 言葉を間違えたし曲解だったので
それは認める
しかし
>>1 の論旨が
「本当に人殺しはいけないのでしょうか?」
これは、「どうして人殺しはいけないの?」と同義なのでは?
殺人が禁止されてることについての疑義である点は同じ
どこが違うのか分からないな
>もし、人殺しはいけないとしたら、その論理的、普遍的な根拠があれば、それを教えて下さい。
「もし」ではなく現に法律で禁止されているのだから普遍的な質問ではない
普遍的な質問でなければ普遍的な回答は得られない
例えば「カラスが赤いのは何故なのか」と言う問いには答えられない
「カラスが赤い」は普遍的ではないからだ
人間倫理以外で人を殺しちゃいけない理由なんてないだろ 価値は観測者と対象がなければ存在できない 観測者が存在しない、もしくは観測者が無価値である こういう考えを主軸に置くことが正しいのかはわからないが
696 :
考える名無しさん :2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN 0
>>694 《>もし、人殺しはいけないとしたら、その論理的、普遍的な根拠があれば、それを教えて下さい。
「もし」ではなく現に法律で禁止されているのだから普遍的な質問ではない
普遍的な質問でなければ普遍的な回答は得られない 》
とあるが、スレ主は、法律で禁止されていることを普遍的なこととはみなしていない。
697 :
考える名無しさん :2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN 0
「〜してはいけない」というのは単に禁止の意思表示なので、 その根拠を問うても無意味では。 政治的にそれに賛成する人が多いか少ないかくらいがせいぜい。
698 :
考える名無しさん :2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN 0
>>696 の訂正
スレ主は、法律で禁止されていることを普遍、非普遍と関係あることとはみなしていない
699 :
考える名無しさん :2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN 0
>>697 スレ主は、
「〜してはいけない」ではなく
「人殺しをしてはいけないと(今の世の中において一般的には)されていますが」
としている。
>>696 >スレ主は、法律で禁止されていることを普遍的なこととはみなしていない。
こちらも法律で禁止されている事が普遍的だ
とは言っていない(
>>694 参照)
普遍的な質問ではない、と言った
>もし、人殺しはいけないとしたら
上記の仮定の質問に対して、それは普遍的ではないと述べた
>>1 の問い立ては矛盾している
>人殺しをしてはいけないと(今の世の中において一般的には)されています
とあるのに仮定の質問「もし」を投げかけている
「一般的にカラスは黒いが、もし、黒いカラスがいるならそれは何故なのか?」
この様な問いは黒いカラスの存在を認めた上で黒いカラスを仮定の存在にしてしまっている
黒いカラスがいる事は自明であり、存在の是非について問う事は事実に反する
繰り返しになるが「もし」ではなく
人殺しはいけないと措定されている
そしてその措定は
>>1 も認めるように普遍的なものではない
なので普遍的な問いかけじゃないものに普遍的な根拠は得られない
これは擬似問題であり、得られるのは擬似的な解答のみだ
701 :
考える名無しさん :2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
>>699 〜に何が入っても、本質は同じだろう。
「人殺し」は「立小便」より禁止の度合いが強いというだけで、
政治的理由による禁止であることに変わりない。
だから当然例外もある。
禁止されてもやる奴はやるし(当たり前だ)、やって罰せられない奴も
後悔しない奴も幸せになる奴もいるだろう。
それと禁止の理由とは何の関係もない。これ以上、何を論じることがあろうのだ。
702 :
あおのり ◆wyf6fNRWeRkX :2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN I
>>700 擬似問題からも、「なぜ人を殺してはいけないという規則があるのか」
といった形で普遍的な問いは含まれている。
常識を仮定のものとし、問うていくのは、別に問題はないのではないか?
>>702 >「なぜ人を殺してはいけないという規則があるのか」
その質問は擬似問題ではないが、
>>1 の問い立てと異なる
禁止行為そのものについての疑義と
禁止行為が制定されている事についての疑義では主旨が違う
「盗んではいけない理由」と「盗みを禁則としている理由」は異なる
前述の
>>700 の通り
>>1 の質問内容は現実に即していないので普遍性がない
>常識を仮定のものとし、問うていくのは、別に問題はないのではないか?
仮定する必要性がない、混乱を招くだけだ
何が目的でこの不可解な問い立てをしたのか不思議でならない
現に
「なぜ人を殺してはいけないという規則があるのか」
「本当に人殺しはいけないのでしょうか? 」
これらを混同してしまっているだろ?
問い立てが矛盾しており明確でないからこの様な曲解が起こる
自分は殺されたくない、盗まれたくない、だから他人にもそれはしない。 突然このスレのテーマで議論が始まったら、自分はまずそう言うかもしれない。
>>704 論理的な帰結としては、「他人にそれをしない」じゃなくて
「他人にそれをさせない」の方が妥当だろ。
「他人にはさせないのに、自分がしてもいい」という明確な根拠は
恐らく提示できないであろうから、自分もできなくなるというわけで。
ただ、殺されても構わない人間は全く説得できない。
群れを維持するのにそのほうが都合がいいからだろ だから王や特権階級だけは人を殺しても咎められない時代があった
707 :
考える名無しさん :2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
人を殺してもいい、としてしまえば先ずはそう言ったそいつが殺されちゃったりするので、誰も「人を殺してもいい」とは言えなくなった。 というか「社会が成り立たなくなるから」で2年以上前にこのスレで結論でてるよバカども。
やっぱりみんな殺されたくない?? 俺もだけど。
「社会が成り立たなくなる」事に対して「別にかまわないんじゃね?」なんて言う奴もいるよ。 そうなったらそいつがどういう風に生きてくかは知らんが…。インテリみたいなのに多いね。
710 :
考える名無しさん :2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
>>709 そんなのが少数派でよかったなw
大多数が「殺人を禁止する事によって社会を成り立たせ、安寧として暮らしたい」って方を選ぶので
殺人は法律で禁じられ、殺人者は可能な限り捕らえられて罰を与えられるので、結果人を殺したい奴も我慢して暮らさざるを得ない。
それが今の世の中。
711 :
考える名無しさん :2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
君も大多数派なの?大衆乙。
712 :
考える名無しさん :2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
異端児酸こんにちは。 君が殺人したいならば、俺個人はぜんぜん止めませんので、どうぞ今すぐ殺したい奴殺して捕まっちゃって下さいw 捕まらない、殺人がバレない自信が有っても、社会生活上リスクを負うけど、それぐらいは覚悟の上なんだよね? どうせ精々が小動物苛めて鬱憤晴らすぐらいが関の山の小市民がカッコつけるなカスw
>他者への誹謗中傷は、本スレの趣旨に全く関係なく、スレも荒れるので禁止します。
>>1 より引用
まともに議論しよう
と言っても擬似問題だから解答は仮定や推量に依るものしか出ないけど
714 :
考える名無しさん :2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
話にならんレベルの馬鹿を排除するのも議論を進める為に必要。
715 :
考える名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
結局のところ不調和要素だけでは滅亡するから 生物単位としての生存・繁栄本能によるところが一番大きいけど 本能で動く動物間での食うか食われるかにタブーはない つまり人間水準の高度な感情や理性が伴って共感や人情というものが発生した時点で 殺人または自殺するってことが罪深いとされている これ以上どう説明しろというの?
追記 ゆえに共感や倫理観の乏しい人間の間では共有されない常識であるので 共感性が進化した高度な人間たちが法律や罰則を設けることでそいつらを管轄下におき その中でそいつらの方の共感性の進化も促すシステムができあがっている つまり原始時代に合法的に殺しまくっていた段階の感性では、いけない事の意味を 頭でとらえるのが精一杯だったので論理性はあっても普遍性はない
西洋的には「人を殺していいのは神だけだ」って話だったんだろ。 そうすると自殺なんかも神に対する反逆になるからな。 一方、死刑も神の代執行って扱いであって。
718 :
考える名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
なんでそんなにひねくって考える必要があるんだよ。 単純に社会を成り立たせるために必要最低条件が「お互いを殺さない・傷つけない」だからだろうが。 それを防ぐために法と罰を決めて殺人を規制し、それでも暴力や知略に長けた者や自暴自棄の者による殺人を防ぐために利用されたのが宗教倫理道徳。
また最初に戻ってるw いつも堂々巡りしかしてないね、ここ。
720 :
考える名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
結論を求めてるわけじゃないんでしょ。 語りたいという衝動を抑えきれない、哲学徒の情熱だよw まぁ語り合う、って大事さね。 コミュニケーションそれ自体が意味あるっていうか。 例えていえば、憲法問題に皆が関心を持つかどうかというさ。 そういう意味で、長々と続く理由がちゃんとあるんでしょう。 他の哲学板の長寿スレもさ。
知識も知性も無い愚鈍な人間が寄り集まって堂々巡りさせてるだけなのであまり意義は無い むしろ害悪だよ
人と議論すると「言った言わない」論になるだけで、進展どころが否定!否定!の連続で後退すだけ 自分の中で組み立てた答えがあるなら、それに疑問を持てばいい その疑問を打破し答えに辿り着く そしてその答えに疑問を持つこと 要するに自問自答 その先にしか答えはないよ 議論で答えに辿り着きたいなら同じ答えを持ってる人とするといい 対立する相手と議論してもぐるぐる廻るだけ
>>718 ひねくるも何も、非西洋では自殺はよろしくないことではあっても罪ではないからだが。
自殺も考慮に入れたら、ごくごく自然な考えの流れ。
あと中世では、神の名の元に異教徒を殺しまくってるし。
724 :
考える名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
>>723 「殺人」は洋の東西を問わず「罪」だし、中世社会では「異教徒」と社会を構成する事は想定してません。
つまり当時は「キリスト教(キリスト教ほど極端でなくても基本同じ)徒にあらずば人にあらず」。
「人」である同宗教信徒との社会を成り立たせるためには「人」である同宗教信徒は「殺してはいけない」。
725 :
考える名無しさん :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
それよか以前の問題として「自殺の禁忌」は宗教問題であって「何故人(他者)を殺してはいけないのか?」とは別の問題。
>>723 それは中世以降に生じた人間中心主義だろ。
それ以前は神を中心に据えて人間と非人間を分類してるって話だ。
遺伝子を保存すればクローンで再生できるから、 人を殺すのはゲームみたいな世の中になると思う。 殺してはいけないとかは弁償すればいいことになる。
遺伝子だけがその人のその人性を表現するのであればな
>>727-728 みたいなバカは特に顕著だが、このスレで堂々巡りさせてる連中が
根本的におかしいのは、殺人禁止の前に傷害禁止について考えてみないところ。
傷害禁止についてまともに考えたら全く維持できない議論ばっかりしている。
一言で言えばこのスレでアホな議論をしている連中は「万年中二病」。
730 :
考える名無しさん :2013/10/07(月) 18:42:25.41 0
殺したくないと思ってるからだよ そもそもその問いが生まれる意味を考えたらいいんじゃないの ニヒリストのニヒリズムしかり
731 :
考える名無しさん :2013/10/07(月) 19:28:59.83 I
殺したくないと思ってるんだったら、夢の中で人を殺すような夢見たり、 戦争のゲームで人を撃ったり、するようなことはないでしょ。 これは「人が人を殺したくないと思っている」という事実に対する反証例では?
現在の日本人は直接的に殺人しちゃわないで 一生終えることができるわけだけれど まあ730みたいなもんも重要な要因なんだろうにゃ そう思った人にとってはそうなんだろうにゃ
殺してはいけないことはない、で終わる話でしょ。
734 :
考える名無しさん :2013/10/07(月) 19:47:53.39 I
殺してはいけないことはないと思ってる人が複数人いるような社会は ろくな社会にならないよ
735 :
考える名無しさん :2013/10/07(月) 19:49:06.57 I
本当怖いよねこういう
>>733 みたいなやつが世の中にいると思うと。
「〜してはいけない」というのは、どういう意味ですか。 「〜することは許さない(禁止する)」という意思表示と、違うのですか。
737 :
考える名無しさん :2013/10/07(月) 19:57:35.81 I
>>736 >〜してはいけない」というのは、どういう意味ですか
文字通り「してはいけない」という意味です。
それをわからない馬鹿は死んでください。社会的に害悪です。
>>737 ですから、私は「〜してはいけない」というのは「〜することは許さない(禁止する)」
という意味にしか取れないのですが。
みなさんは「〜してはいけない」というのを、正誤を判断できる命題か何かのように
扱っているようなので、聞いてみただけです。
「人を殺すことは許さない(禁止する)という意思が人々に広く共有されている理由」なら、
あまりにわかりきったことであって、なぜ改めて問う必要があるのか理解できません。
禁止するとはなんですか 人を殺したら殺しますよという意味にしか取れないのですが。
>>739 何で「人を殺すことを禁止する」が、「人を殺したら殺す」という
意味になるのですか。全く理解できませんが。
死刑の是非は、全然別の議論でしょう。
別にたいした問題でもなく 内部においては 殺人を禁止する勢力が生き残ったって その手段として中でも力を保有する存在が強制力を持って禁止しとるん 力もっとる奴らが横暴を働くこともあるけれど 結局そういう状態で均衡しちゃったってことね 一般的なサツジンからセンソーまで説明ついちゃう 実に楽な話お
「あなたは人を殺したからあなたを殺します」というと、人殺しは禁止されてないので「人を殺してはいけなくもない」という社会性が生まれる。 『禁止条例を出してる存在』に見つからなければいいということになる。 たとえば「浮気は禁止されてます」と妻が『禁止条例を夫に出した』場合、妻に見つからなければ破ったことにはならない。 ということは『誰が禁止条例を出してるのか』が重要なんだ。 つまり『誰が「人を殺してはいけない」と禁止条例を出してるの?』という疑問に行き着くわけ。 誰?
誰というのは、表現が不適切だろうね 全ての権力が誰か一人に集合するなら 誰だと明確にいえるけれど 現実は色々な権力が分散しているからねえ 物事決めるのにも、色々な人らの合意によって決まった場合 それが明確に誰さんによって決まったとはいえなくなる ただサツジンというのはほぼ全ての地域で、してはならないことと長い期間見なされているので 過去に権力のある人間らがサツジンをダメなモノとした後は、国家が変わったりして次の力ある人々がそのルール 正しいもの(都合がよいもの)と見なして継承したということなんだろうね そして明治政府となり、日本国憲法下の政府となり、まだそのルールはいまだ継承され続けている その条例を持つことはその勢力の存続に役立っているように見える
仲間内でサツジンがおkなら そもそも集団なんて存在できないよね 集団を形成するメリット(安心)が失われてしまう。 人間という生き物の大多数が妻でもすぐ殺してしまうような存在なら家族も成立できなくなっちゃうので 滅んじゃうよね。 サツジンを仲間内で禁止する事は集団を形成する上で必要な条件のようだね ただしそれはだいたいの領域でできていればいい事で たまに理不尽な仲間内のサツジンが起こる程度なら 集団を形成するメリットが損なわれるほどではないので、集団は存続するのだろうけれどね そして個人で一人で生活するというタイプよりも集団・徒党を組むタイプの方が優位だったから 個人一人で単独生活(勢力に属さない)するような人がいないのだろうね(ほぼ全てにおいて。)
746 :
考える名無しさん :2013/10/13(日) 18:12:20.57 0
>>700 「一般的にカラスは黒いが、もし、黒いカラスがいるならそれは何故なのか?」
この様な問いは黒いカラスの存在を認めた上で黒いカラスを仮定の存在にしてしまっている
黒いカラスがいる事は自明であり、存在の是非について問う事は事実に反する
違うでしょう。
スレ主は、「一般的にカラスは黒いが」ではなく、
「一般的にカラスは黒いとされているが」と言っている。
「黒いカラスがいる事は自明」とはしていない。
読解力の問題かな:::
「もし」についても、別の解釈もあるのに、それに気づいていない。
想像力の問題かな・・・
人を殺しても良い (自分も人間なのだから) 自分を殺しても良い 自分が殺されても良い
人を殺したって いいじゃないか にんげんだもの
750 :
考える名無しさん :2013/10/16(水) 14:32:05.49 0
人間は誰でも、自分は殺されたくないと思っている(普通は)。
例外は、よほど深い絶望にとらわれているか、
本気で「人を殺すより殺される方がマシだ」と思い込んでいる者たちくらいだろう。
この社会を構成している大多数は「殺されたくない」と思っている。
殺人事件にニュースバリューがあるのもそれが理由だ。
たとえば無差別殺人の報道が社会不安を掻きたてることはあっても、皆が「私のところにも殺しに来てくれないかな」と羨望の目で見ているということはない。
そういう社会にあって「殺すなかれ」は、いわば相互の安全保障のルールなのである。
自分は「殺されたくない」と思っているし、他の人達もやはり「殺されたくない」と思っている。
だったら「お互いに殺し合わない」という約束をしましょうというのが、「殺すなかれ」というルールになる。
http://www4.hp-ez.com/hp/eon/page44/30
751 :
考える名無しさん :2013/10/16(水) 22:49:13.43 0
age
いま私たちが共有している「人を殺してはいけない」という規範は、人間が言語で思考するようになってから 出来た規範ではなく、人類が言語を獲得する以前の、イメージと感情で思考していた時代から引き継がれた 規範。それを後から言葉の形にしたものが「殺してはいけない」という言語表現。 人が言語を獲得する前に持っていた「殺してはいけない」に相当する規範は「人を殺すイメージを想像する」→「嫌な感情が押し寄せる」。 つまり言葉がまだ無いときは、想像→感情とか、行動→感情というダイレクト接続で働く部分、今の我々が 「感情的になるな」というときの「感情的」が100パーセントを占める精神状態での行動規範の仕組みをひとりひとりが内的に持ってた。 サルが猿山で持ってる規範は「サルを殺してはいけない」という言語化された規範ではなく、 「猿を殺すイメージ」が「恐怖心や萎える感情が押し寄せる」を一匹一匹が持ってる。 その感情の規範は、心が通い合った相手に対して、自分と相手はひとつのものの断面だから、自分と相手は同じなんだとわかってるから、イメージと感情の関係も同じであるから、自分がされたく無いことはされたくないんだと理解することで生じる。 俺が瞑想で理解したのはそこまでだった。言語のレイヤーの規範はあくまで後付けの規範で、時代時代の都合で変わるから、あまり意味はない。
言語思考のレイヤーが出発点だと、「殺していい」を出発点にイメージ思考の世界を否定して潰せちゃうルートが成立するから「殺していい」は通ってしまう。 イメージ思考から引き継いできた、真理につながるものが、言語思考に押しつぶされて消されて無くなっちゃう。
イメージと感情の時代のあとに言葉と論理を得たのに、そっちが支配的になって、イメージ思考で知ってたことがどんどん忘れてしまってる。 魂のみなもとがひとつの同じものだっていうことは、イメージ思考しか無かった時代には すぐ分かることなのに、言語思考からはそのことが分かるイメージ思考の世界は理解出来ないから、忘れちゃってる。
>>754 イメージ思考だけの世界で「わたし」と「あなた」の関係が生じたとき、受け入れるということを通じて分かる。
イメージ思考で突き詰めて考えるとこうなる
>>738 正しいと思う。
何を議論しているのか明確にしたい気持ちも判る。
それが混乱の理由だから。
寧ろ逆に人権を論破して欲しい 他に別に人権を拒否して欲しい 当然正反対に人権を拒絶して欲しい
>>746 一般的にカラスは黒い(一般的事実)
と
一般的にカラスは黒いとされている(一般的仮定的事実)
だけ抜き出せば確かに異なります
が、これはあくまで例えで
スレ主が語っている内容は法律又は倫理です
法律又は倫理で成立している禁則事項だからこそ
一般的仮定的事実=人を殺してはいけない
ことの理由を求めるのです
元々、殺人行為が肯定されているなら問う必要性がないでしょう
つまり殺人行為がいけない(観念)ことと
禁則事項とされていることに(規定)差異はありません
強制力の違いであり、この議論において
いけないとされている事が自明である事に何ら変わりはないのです
>「黒いカラスがいる事は自明」とはしていない。
貴方はスレ主ですか?どこをどう読み取ってそう結論付けたのかお聞きしたい
>「もし」についても、別の解釈もあるのに、それに気づいていない。
確かに想像力の問題かもしれません
こと想像力につきましては貧困なので
別の解釈があるのであれば是非とも提示していただきたい
解釈も人の数ほどありましょう
スレ主の趣旨を忖度でき、なおかつ読解力もある方から
私では及びもつかないような見地の意見や解釈、考え方を学べるなら幸いです
>>1 必要もなく同種で殺しあう種は基本的には種を残すのに不利。
「基本的に同じ種で殺しあう生物はそもそも生き残らないから、
同種殺しを回避する機構が遺伝的にどこかに組み込まれているのが普通」
というだけだろ。
人を殺してはいけない、ということに普遍性なんかない。
>>760 じゃあなんで人間は年中そこら中で犬猫とか身近な動物を殺さないんだ?
食用として家畜の屠殺は法的に
認められてるが
世間の人たちみんなの日常ではないだろう?
同種間での殺戮が遺伝子上に不利だというなら
異種間での殺戮の合理性が遺伝子にあるはずだろ
後件肯定の虚偽だな 同種の殺戮が非合理であるから 異種の殺戮に合理性があることにはならない 学生は皆ペンを使う ペンを使う人間は皆学生だ と同じ論理展開
>>762 なんの説明にもなってないし
スレ汚しも甚だしい
出てけ
このスレに二度と来るな
>>761 >じゃあなんで人間は年中そこら中で犬猫とか身近な動物を殺さないんだ?
なんで殺さなきゃいけないんだ?
そもそも犬猫を殺すのは法律で禁止されてるし。
>異種間での殺戮の合理性が遺伝子にあるはずだろ
いや、ないよ。
異種間では殺すことを忌避しないだけだ。
765 :
760 :2013/12/03(火) 11:43:18.02 0
>>763 >>762 は俺(760)じゃないが、俺の意図を完璧に説明してる。
なんでそれで理解できないんだ?
767 :
760 :2013/12/03(火) 14:13:50.21 0
>>763 どこが説明不足か説明不可なら
結論のみの強弁でしかない
冷静になれ
余談だが
同種にしろ異種にしろ、それぞれ
殺害が進化の一要因であるとの仮説がある
(キラーエイプ仮説、狩猟仮説)
進化=合理性と考えるなら
>>761 の発言全てが間違いではない
が、質問が詭弁で
脈絡がないので議論にならないというだけだ
スレ汚しにならないように質問の再提出
か、先の質問が
>>760 への反立に整合性を保つような追記が必要だな
レスポンスなし、と 少しはフォローしてやったのに、これか 論駁の燃料として役割するのも最初だけで 擬似問題や質問の曖昧性に触れると泡と消える意見者 おまちかね、と思えば閉世界仮説的な反論しか出ない強弁者の理なき幼年の発表会と化す 理由なき故、彼の禁則に妥当性がない と禁則の是非について白羽の矢が立つ始末 が、これは処置無しだろうな ニワカでも哲学的に思索したと思い込める ペダンチックな論題だよ、あまりに大勢に使い古された だからこそ質問の答を縛るような提起は回避して然るべきで、意図を明確にしないといけない 明確にするべきポイントと、あえて不明確にするべきポイントが合ってない 提起した者の主張を聞きたいところだね どうして答から遠ざかる質問をしたのか?と
770 :
考える名無しさん :2013/12/21(土) 00:32:23.16 0
ざっと読んだので
>>1 さんに質問です。
私は数理論理学を学んでいるものですが、
少なくとも数学においての論理とは、
いくつかの言明(仮定、公理)から、ある一定の推論によって結論を導く。
ことですが、この場合に当てはめると、いくつかの普遍的言明(仮定)から、
「人を殺してはいけない」という結論を導くという方針でよろしいのでしょうか。
もしこれでいいのであれば仮定となる言明、例えば、
「人は幸せになるために生きる。」
(この言明が認められるかはさておき)
などの
>>1 さんが認められると思うものをいくつか挙げていただけると助かるのですが。
現代において法規範の事実上の権威的根源は、国家にある。 今の風潮を反映して民族と言ってもいい。 だから国家が(天皇が、伝統が)禁じているから、 という説明がしっくり来るだろう、現代人にはw 陛下は赤子たる日本人同士の殺戮を好まれないのだ。 その慈悲心こそが日本民族を結びつける−−−。 これは限定的だが(非普遍的だが)、異議は許されないし意味が無い。 どちらにせよ伝統は普遍を僭称する。 そして民族国家の範囲内で作動すれば実用上問題ない。
ふと思いついた、だれか見てたら反応欲しい エントロピーの観点から考えてみる 結論:エントロピーが増大してきた惰性で、人が減らない傾向に馴染みがあると考えられるため 人間の生/死の2つの状態ではどちらのエントロピーのほうが高いのか考える 雑感だけれど、死んでいる方がエントロピーが低く、生きている方が高いだろうと考えられる 話は変わって 単純な系ではエントロピーは単純に増加する (←定理) 人間の営みも元をたどれば単純な系に発したと考えられる 巨視的に見てエントロピーが増大する流れで現在が在るとする その今にたどり着いた流れの惰性から、無意識的に、社会倫理の安心は エントロピーが増大する方向、つまり『人を減らすべきではない』という文言に落ち着くのではないか
人間の生と死2つの状態でのエントロピー? 生と死の乱雑さの尺度なんて何を定義として?
「基本的に同じ種で殺しあう生物はそもそも生き残らないから、 同種殺しを回避する機構が遺伝的にどこかに組み込まれているのが普通」 ↑が普遍的な根拠ってことで終わったの?
>>774 それ書いた本人だけど、「人を殺してはいけない理由」じゃなくて、
「人を殺すことがなんとなく良くないと感じる理由」だからね、それは。
人を殺してはいけない理由か・・・ 生命を維持する普遍的な原理が苦しみから逃れよう、取り払おうとする行為の連続なのに 人を殺せない抑止力がそもそも備わっていないがために、普遍的な原理が妨げられかねないから 人を殺してはいけないと学習したため。
>>773 そこは雑感として片づけたけど
生物・無生物の境界として有力な「代謝」が欠かせないことが根本にある
代謝がエントロピーの増大を生むことに疑問はないと思う・・・
死んだ場合も微生物から分解される期間はエントロピーが増大していくだろうけれど
ヒトが長生きした場合も最後は死に、同じように分解されるターンが訪れる
その死ぬまでの生命活動分だけ、人間が内包する、期待されるエントロピーの増加量が多いんじゃないか
と思ってる
人を殺していい理由が減れば、人を殺してはいけないってことにはなっていくだろう 食物連鎖や戦争といった大義名分があれば、殺される前に殺さなければならない。 殺しちゃいけない理由が増えれば増えるほど、今度は生きていく事の方に歪みがくるけどね
なんで人を殺しちゃいけないのか?なんて話はどこにでもあるけど、 誰でも小学生ぐらいで考えて小学生の内に結論を出すんじゃね? そんな話をいまさらほじくり返そうって言うんだから、何か新しい疑問が生まれたんだろ? 自分なりの結論と疑問を説明してくれなくちゃ話にならないよ
780 :
考える名無しさん :2014/06/10(火) 00:22:19.58 I
こんな質問、中2病の痛いヤツがするような質問だろ。 なぜ、人殺しはいけないかって? 「人の人生を許可なく終わらせてる」んだぜ? 勝手に痛みを与えられ、勝手に自分の人生を潰される…… 嫌にきまってんだろ? 痛みがなかったとしても、勝手に人の人生を終わらせるなんて、もってのほか。 仮に、殺された人間に遺族がいたとしたらどうなる? どれだけの悲しみを遺族が背負うことになる? なんの罪もない人を傷つけ、悲しませる行為……ふつーーに考えたら「悪いこと」って わかるだろ?
782 :
考える名無しさん :2014/06/10(火) 01:14:18.46 0
厄介といえば、厄介な問題なんだけど。 なぜ、〜してはならないのか?って言い出すとたいてい厄介なんだよね。 例えば、なぜ、人のものを盗んではいけないのかってなると、突き詰めていくとよくわからんことになる。 でも、大抵、こういう質問をする人は、人のものを盗んだらその人が困るからとか漠然とした理由で、悪いのは、 当たり前でしょ、とか思ってたりする。 そんで、自分の所有物を盗られたら困るのは、その物を自分の思い通りに利用(処分も含む)できなくなるから でしょ。 死ぬと、物を利用するとかそういうレベルじゃなくて、何もできなくなっちゃうわけ。 泥棒が悪いんだったら、物を利用するとかもうそういうこと全部できなくしちゃう、 殺人が悪いことになるのは、当たり前だよね。 子供とかに説明するときはこんな感じの説明をする。 ちょっと、難しく言うと、個人の利益として保護されるべきであるとされているものの ほぼすべてが、生命を有しているから存在しているんだから、生命が保護されるべきなのは 当然だったりするということ。
まあ生き続けている限り間接的にはいくらでも殺しているんだけどね
カスみたいな義憤ばっかだなここ 日本の現状が見えてないカスばっか
理由自体が人間に必要なだけで、自然界には無縁のものだしな。 何故ほにゃららになれば、突き詰めればそんなものは通用しないというだけ。 なんでも、人間としてっていう括弧(ルール)の問題だから、そういうルールというだけ。 だから正当な理由があれば、人は殺してもいい。戦争、正当防衛、死刑、など。 こんなことは哲学で解決することじゃないんじゃないの?
そう、結局はどういう理由をつけられるかによって善悪が決まる。
788 :
考える名無しさん :2014/06/10(火) 20:32:14.04 I
>>781 くだらん揚げ足取りだな?
「なんの罪もない人を殺すなんて許せない」って言ってるんだよ、俺は
誰が「死刑反対!」とか言った?
俺が許せない「人殺し」は、真っ当に生きてる人間を、どっかのクズが勝手に殺して
しまうことなんだよ。 ふつーに生きてるのに、どっかの誰かさんに自分の人生を
奪われるなんて、たまったもんじゃないだろ?
でも、死刑は違う。死刑される人間なんか、ロクでなしのクズ人間だ。
「目には目を歯には歯を」
何か悪いことをやったのであれば、その報いを受けなければならない。当たり前だろ。
すなわち、「死刑」というのは法的にも、人道的にも「正しい」と認められた「裁き」
なんだよ。
「人殺しはいけない!」って言われて、すぐに「じゃあ、死刑反対なんだよね?」と
切り替えしてくるヤツは、ただの思考停止野郎だな。
おいおい、分かるけどさ。あくまでここは思考実験の場じゃない? 788の意見は確かに全うだと思うけど。
大事な人を殺されて犯人に極刑を望んでいる遺族と、死刑廃止を訴える論者の 対話とかあったら読んでみたいな。極めてそういう機会は少なそうだけど。
791 :
考える名無しさん :2014/06/10(火) 20:58:37.24 0
死刑の話題はやめたほうがいいよ。 変な奴がわくし、変じゃなかった奴が変な奴になるし。
>>792 いえいえ、なんかすいません。
なんていうか、死刑の話題が出ると、どうも中島みゆきの「世情」を地で行ってるような
罵声と怒声が横行するような、面白くない展開になるのが怖いんですよね。
とても重要な部分ではあるんです。
むしろ、この板ではそういうことはないってなってほしいwww
794 :
考える名無しさん :2014/06/18(水) 14:06:35.71 0
NHK原宿サンヨーデオ中東パクドラ沖縄海焼きそば 西村ニューヨークブリトニー反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題 NHK原宿サンヨービデオ中東パクドラ沖縄海焼きそば 西村ニューヨークブリトニー反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題 NHK原宿サンヨービデオ中東パクドラ沖縄海焼きそば 西村ニューヨークブリトニー反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題
795 :
考える名無しさん :2014/06/18(水) 14:52:04.66 I
なぜ人殺しをしてはいけないのか?という疑問が生じるということは、本来人は人を殺したいのである。 社会秩序云々を抜きにして考えれば、人殺しは自由になされていい。人間心理には、悪が根底にある。
>>795 自分は無関係なんですね。貴方の言わんとしている事も分かりますが、私はやりたい事あるし
大切な人もいるんで賛同できません。実際は貴方だってそうでしょ?あくまで思考実験のスレであるべきです。
殺人自体は善でも悪でもない それにどういう意味が付けられるかによって善悪が決まる
超客観的に考えると、死ぬように出来ている生物が殺されようと自殺しようと事故死しようと病死しようと 人間を含めた物質すべてを宇宙という一つの生命活動と捉えれば、善も悪もないというのが真実だろうね。 生命という一応独立して動くw生命をもった生き物という状態にある物質は、宇宙という一つの生命エネルギーの 飽和状態から生起した、余剰エネルギーと看做すのが自然なんじゃないだろうか。 ただの余剰エネルギーが、シャボン玉が弾けるように、生命エネルギーが尽きるまでの現象にすぎない。 意味などまったくもって無関係だからこそ、どうとらえようと自由である。だからこそ思考することもできるし 結論づけることもできる(自由)そういう存在。 人を殺してはいけないと思う人はいけないし、人を殺してもいいと思う人はいい。 ただ、同属である人間であり、一応の共通認識らしき感覚を持った団体としては、痛い思いをしたくないという ごく単純な意味合いからしても、とりあえず人は殺してはいけないというルールを作ったのみ。 殺した場合も、だからといって天罰が下るわけでもないのでw人間が罰を与えているわけです。 当たり前すぎて面白くありませんでしたね。
799 :
考える名無しさん :2014/06/19(木) 01:20:30.71 I
人殺しってのは、要は人をこの世から消すわけですね。 で、世の中の人が人殺しを中々しないのは、倫理観もさることながら、損得勘定もあるのではないでしょうか。 もしあなただけに何の証拠も残らず特定の人を消すことが出来るボタンがあればどうでしょう? 押すのではないですか? このように人間は、案外人を殺すことに躊躇しない。人を殺してはいけない=人を殺すとあなたの人生と身内が社会的に死にますよ、だからやめてと言っているに過ぎない。
損得勘定で考えるなら(利己的に)考えるなら、死んで欲しい人もいれば、 死んでほしくない人もいるだろうし、どっちでもいい人もいるんじゃない? それに、人というのは、そこまで個人的で合理的(功利的?)な考え方をするわけでもない。 応報、公平、公共財、辺りでググってみて。
801 :
考える名無しさん :2014/06/19(木) 01:48:06.98 I
人は個人的な考えしかしないよ。自我がなけりゃあ話は別。 自分の生存に有利なものに快を感じ、不利なものに不快を感じる。 だから損得勘定の要素はかなりあるよ、応報とかの概念があるなら人殺しはしないけど、その概念が無い人は、殺すよ。 まぁ一緒くたには出来ないのは、当たり前だよ。ただこういう人もいるのでは?と
極端な独我論も人をそこまで孤独にはみないでしょ。 他者の存在を認めないまでに人を孤独な存在にしてしまうんだったら、 殺人という概念自体が怪しくなるよ。
803 :
考える名無しさん :2014/06/19(木) 02:17:25.55 I
極論で考えた結果をどう捉えるかは、個々別々だろう。 私は極論こそ意味があると考えるのよ。
世の中の人が人殺しを中々しないのは、損得勘定もあるだろうし、なにより気持ち悪いっていうのもあるよね。 生きているものをわざわざ殺してしまうのは、やはり自分と同じ身体を持ち、苦痛を感じると分かっていながら それを自分がやる事に対する抵抗があるからやら無い人の方が、損得勘定よりは多い気がする。 特定のころしたい標的が居ても、殺した行為や相手の死に様など、自分が死ぬまで記憶に残るというのが やはりかなり気持ち悪い。耐えがたい。 逆に言えば、自分の場合、生命に対する尊さなんていう良く分からない感情で殺すべきじゃないなどという 倫理が働くのではないのだろう。 死にたい人は、肉体的苦痛が伴わないならば、死なせてやっていいし、生かしておく方が寧ろ非倫理的だと思う。 損得勘定も、最終的には自分にとって有利な方を選択するという意味で、生存に有利かどうかというより 一番優先するのは自己満足だな。 例えば、誰かを殺したくても、殺した後の自己を想定して、あぁやめといたほうが身の為っていうね。
805 :
考える名無しさん :2014/06/20(金) 17:43:07.10 I
そんな事考えちゃ駄目だよ そんな事考えるのも禁忌だよ そんな事考えるのもタブーだよ
>>805 ここではまぁ考えてもいいでしょ?でもこのテーマ、こんな疑問を呈すること自体
情けないなんて言ってた人いたっけかな?
本当にそこまで情けないやつはそもそもここ見ないだろw
808 :
考える名無しさん :2014/06/30(月) 21:07:12.10 0
既出かもしれないけど、戦争で沢山殺した人は英雄扱いじゃん 法律もテキトーだよな 平和な日本だからこういう事考えるだけで 世界の僻地じゃ今も紛争してんでしょ
809 :
考える名無しさん :2014/06/30(月) 21:08:50.74 0
おっと誤爆スレ間違った。
810 :
考える名無しさん :2014/06/30(月) 21:41:34.05 0
特定の国の人、民族を殺すのは「よい」という世の中になるまで もう一息だな
そんな世の中、形を変えて飽きるほど繰り返してるだろ 有史どころか先史時代からずーっとそうだったんじゃないか
そして有史以来さんざ繰り返されてきた議論を 飽きずに繰り返すのがこのスレというわけだな 何か思いついたら、書き込む前に本の一冊も開く事をおすすめする お前の書き込もうとした事なんて大体論破されてるから そうすれば恥をかかずに済むってわけだ
こんなところで恥なんかかきようがないけど?
814 :
考える名無しさん :2014/07/03(木) 22:37:09.16 0
815 :
考える名無しさん :2014/07/03(木) 22:56:59.69 0
殺されたくないという思いを抱えた人達(その程度の差はあったとしても)が多く集まった 社会だから通用する考えでは? 自分は時々、「いきなり誰かに殺されたらどうしよう。怖いな」とふと思うことがあります。 そんな時、「という思いをみんなが抱いているから、今何も起こらないのだなぁ」と 思ったのです…
殺されたくないというより、苦痛を避けたいというのとは違うの? 不可逆的に、生物に戻れないことが怖いんじゃなくて、死ぬような目(苦痛)に 遭遇する恐怖って意味で・・・。
817 :
考える名無しさん :2014/07/04(金) 00:17:22.58 0
教育とは、自分より下の世代をできるだけ早く自殺に追い込み、将来の競争相手を予め減らしておくために進化した 競争社会の合理的戦略ゲームである。 若者をできるだけ多く自殺させた教育こそが、実は良い教育(教育の成功)なのであるが、 そのことは巧妙に隠されている。隠すことでこのゲームは合理的に機能するからである。
819 :
はじめ :2014/07/06(日) 00:57:11.73 0
「人を殺してはいけない」ではなく「殺してはいけないものが人」なんだよ。
女への復讐に燃える男のドラマツルギーを研究していこー トレンドだ
殺すことが快楽を目的としないとするならば それは本来、「食べる」ための行為であると考える。 動植物を殺して、食べる。 これを同族間で行わないために 殺すのをダメだってしてるのではないかな。
人は生死や老い、終焉を極力意識したくない、出来ないのでは 生を、その先を意識、決定してくれるなという事もあるのでは
823 :
考える名無しさん :2014/07/08(火) 23:09:52.75 0
エラそうに難しそうな言葉を使って、更には論点から外れまくって、最後に出した答えがアホみたいな答えばかりw
これ戦争もそうだけどサイコパスも考慮しないと一般化できないよね
擬似問題に答えなんかないよ 質問になってないんだから
人を殺したいと思っていない人がこの問いを言うのと 人を殺したいと思っている人がこの問いを言うのとは随分違う 前者についてどう答えるかは散々議論しつくされているけれども (そしてそれが「倫理学」として成立しているのだろうけど) 後者についてはまず「その人が人を殺さないようにする」ことの方が先だよね 人を殺したいと思った時に「人を殺すべきではない」という規則をどう理解すべきか? 自分が人を殺したいと思っているのにその規則を優先せねばならないのは何故なのか? ……という問いは倫理学の問いなんだろうか
究極なところ、人は自殺も人殺しも出来ないと言える。 人の死は、自殺だろうが他殺だろうが物理現象が殺すわけで それを意図して行為するのを自殺や他殺と言うけれど よーーーーーく考えると、念力で殺せる精神力があるなら その人が正に殺したことになるが、屁理屈も理屈は理屈。 自然の物理作用に依存しなければ絶対に死なないということは すなわち自然死。 人が人を純粋に物理作用を使わずに 殺す能力が備わっていない、ということは、その資格がないと言うこと。 よって人を殺すべきではないと理解させることが可能なんじゃないかね。
基本頭に乗ってんだよ人間は。 自分で死んだつもりだろうけど、自力だけじゃ確かに死ねない。 人も自力では殺せないん。 いけないとかいいとかも、人間の驕り。 謙虚に「殺生は控えるべき」これだけで充分なのだから。
いまは殺したいという衝動をあまり隠さない人が増えたね。 ニュース系板以外でも○○人殺せとか○翼37564(みな殺し)という書き込みを頻繁に見かけるようになった。 なぜ殺してはいけないのかの理由も定かにはできないし、 そこに民族の誇りや国家の自衛という題目が付けば、人は容易に殺しを許容する。
もう一度作り直すのが不可能だから 代替品を作るにしても手間がかかる
はっきり言ってこの手の議論は生物学では結論が出てるのであって、いくら哲学でやっても無駄。 食物連鎖、弱肉強食の中、生き残った生物にとって、自己保存を妨げる行為は否定するのが当たり前。 人間に関わらず、生物の全機能(思考も含め)は自己保存の為だけに進化し今に至る。 ホルモンも脳も自己保存に有利不利を行動に結びつける為のものでしかない。 牛や豚などの他の生物を殺してよくて人間はダメな理由は、自分と同種さらに近い存在ほど、自己保存 にとって大切だからだ。 それは遺伝子を残す繁殖の為だけでなく、日々の生活でも味方が多い方が強い。 ライオンにとって人間を殺すのは問題ないが、同種のライオンはどんなに腹が空いてても殺して食うことはない。
>>831 は「廊下を走っては何故いけないか?」に対しては「廊下を走っている人はいないから」と答えるタイプだな
あぶないから じゃいかんのが哲学スレだよな 俺は832じゃないが未だに自然界に共食いが無いと 信じてる層がここに来たことに驚きだよ 種の保存だって人間が認識上の便宜で (記号論的意味で)与えた目的にすぎんよ 各論はもうどこから突っ込んでいいのかわからん勢いだが とりあえず自己保存の為に絶滅した種がいたり 或いはその延長線上にある筈の人類が環境破壊等により 他の生態系も道連れにした自殺の過程にあるのは何故か 局所最適と全体最適で考慮した際に局所と全体の境界領域と不安定領域はどこか それぞれ考えてみればその話が「観察された事象を述べただけ」で 理由、原因については何も述べていないことがわかるんしゃないかな 参考までに俺の答えは利美善の価値論に照らして悪価値だから 社会的生物の社会的不利益なので否定されるべき
>自己保存の為に絶滅した種がいたり たとえば? >或いはその延長線上にある筈の人類が環境破壊等により >他の生態系も道連れにした自殺の過程にあるのは何故か それはまさしく自己保存欲で動く利己的存在であるが故の結果だろ。 国も企業も個人レベルでも、全体を無視して個々の利益を最大化しようと躍起になってる。
836 :
考える名無しさん :2014/09/28(日) 09:12:07.22 0
結論は; “殺しても良い” それ以外になかった
837 :
考える名無しさん :2014/09/28(日) 11:15:20.91 0
警察に捕まるから。
838 :
考える名無しさん :2014/09/28(日) 16:37:28.47 0
言い訳ないやん。
人を殺してはいけない理由って理屈よりも感情の問題だよな 人間の決めることは理屈だけじゃなく感情も多分に絡んでる 感情の存在を無視した答えはありえない
うん、人を殺すなんて面倒だし気持ち悪いことはそもそもしたかない。
そういうこと 恐いとか気持ち悪いとか後ろめたいとか、そういう感情ありきなのよ 理屈なんて後付けにすぎない
842 :
考える名無しさん :2014/09/29(月) 09:36:18.14 0
警察につかまるよ。
843 :
考える名無しさん :2014/09/29(月) 21:51:11.07 0
そこまで考える問題ですかね。殺していい訳なんじゃないですか。 それに理屈も哲学もありません。
馬鹿な人
845 :
考える名無しさん :2014/09/30(火) 11:24:50.82 0
事件を起こさないように
問いかけそのものが倫理的なのになんで倫理的に証明しちゃダメなんだよ。
なぜ人を殺してはいけないと倫理的に言われているのか、という疑問だからじゃない? 倫理そのものを根拠について聞いている時に倫理的な答えで返されても困る
言い逃れくせー
849 :
考える名無しさん :2014/11/28(金) 23:54:31.38 0
道徳が先にあって、そこから人を殺してはいけないという教えが出て来たわけではなくて、 人殺し等に対する嫌悪感が先にあって、それらが社会の中で一般化して道徳や善悪が出来たわけ。 人殺しがそもそも悪や不道徳・背徳の源の一つなのであるから、それが何故いけないかという 問いはナンセンス。
>>849 なるほど…。でもここは哲学板。
必殺のヒトコト「思考停止!」なんて言われるよ。
殺してはいけないを殺せないと意図的に読み替えてでも殺せるだろと返すのはやめろ
>>850 思考停止じゃなくて、思考の反転ね。
「〜してはいけない」という問いは主観的な視点、観念的な視点、現在の常識に基づく視点から出発しているのね。
でも、それでは答えが得られそうにないので反対側から、すなわち客観的な視点、現実的な視点、歴史的な視点から
考えたということね。
人類、殺人、殺人に対する感情、善悪、殺人に対する刑罰…といった関連しそうなものを列挙して、
それらがどういった順番に、またはどういった経緯で発生してきたのかを考えれば、
殺人が善か悪かを問うことは無意味だってわかるでしょ。
853 :
考える名無しさん :2014/12/01(月) 12:53:23.23 0
殺していい場合とダメな場合がある すべて殺してはいけないとするのは間違い
「自分自身や自分の大切な人が殺されたらどう思う?」という当事者に立った場合どうするかという問いかけは こういう場所では基本的に馬鹿にされ笑われる。これはどうしてなんでしょうか?
ヒトは本能が脆弱な動物だから、その分いけないとかいけなくないとかのバランス感覚というか、迷いというか 触れ幅という機能(欠陥かもしれない)が働く、だから、判断しなければならない現象に見舞われるわけで まぁ、人間がいいとかいくないとか本能に変わるルールを設けることで、個人がなるべく痛い思いをしないように 無闇にヒトを殺してはいけない大前提が必要なのです。
>>850 俺は
>>849 の説のフレームを推すよ
少し違うと思うのは嫌悪感という間主観性の部分な
>>852 の説明からして語の選択がミスってるだけだと思う
俺の説明も理工学側だから拙い自覚がある上で試論するけど
社会的動物は「基本的に」同族の殺傷はしないし殺すことを目的とした行動も取らない
その観測結果と一部例外の行動原理を目的論的な分析をすると
種ならびに個の生存戦略という(不確定性を含む経験統計的な)合理性に帰着する
ここには均衡点が社会性の強弱によって差異がでるが
人間の社会性はここ数千年で大きな変化と依存を強くしているので
社会的観点からも個体的観点からも殺人は戦略的に負の価値を生成するものであった
(絶対王政の粛清等は複雑化しているので今は俎上にあげないこととする)
従って個体〜集団における生存戦略として殺人は社会的負価値つまり悪と定義できるような種の生存戦略が形成された
これを間主観的合意として形成されたのが「道徳」と言えるだろう
なーんて考えてるんたがどうかな?
まだ穴の多い概論だが視点として参考にならんかな
>>854 それは「日常的感覚」としてはひどく真っ当なんだが
・一般性に欠ける(つまり学問的範疇を超える
・主観的であるがゆえに社会的価値からかけ離れ得る
端的に言えば「事実は事実、感情は感情」「気持ちはわかるが邪魔だからしまっとけ」なんだよね
その説の枠組みを展開すると私刑を容認してしまうのだ
更に怨恨を晴らすために裁いたら満足=再犯防止や防犯に至る犯罪学を無意味化し、今の溜飲を下げるのみで同じ過ちを防げない
ってとこまで一瞬で見えちゃうけど説明が面倒くさい(´д`)からそういう反応が返ってくるのだと思う
哲学もまた主観世界の中で一般性を求めるせかいなのよね
>>858 国家が代行するのは私刑じゃないでしょ。
なにが罪かや罪の重さの根拠は感情以外ありえないんだけど。
感情もだけど、客観的な事実も重要視されるんじゃないかな。 殺人なのか、傷害なのか、その程度とか。 まず、人は一人で生きていけない社会的動物だから 殺し合わず共存しなければならない理由があると思う。 感情論でなく、論理的にはそういうことではないだろうか。
なんかここの人って、あんま哲学知らない人多いっぽい? ><852や>{。}>、857 みたいな発生論って、意味なくないか ってか、殺人の是非をそう発生的に根拠づけることは、根拠づけとは言えない
哲学って思想も含まれるからね、別に学がなきゃいけないなんてルールはない
863 :
考える名無しさん :2015/02/14(土) 09:15:34.21 0
864 :
考える名無しさん :2015/02/14(土) 14:17:40.47 0
鼻を削ぐ、 レイプされたらレイプされた女性が死刑、 むち打ち、など イスラムのイメージです。 女性は肌を露出してはならない。 女性は車を運転してはならない。 また、サウジアラビアでは海外の旅行には女性だけではいけない。 男女は別々の学校 結婚は親が決めた相手のみ 恋愛禁止 結婚初夜は布団を調べられる。 処女じゃなければ離婚 祈りの時間 断食 アルコール禁止 これがイスラムのイメージ
865 :
考える名無しさん :2015/02/14(土) 22:30:24.46 0
なぜ人を殺したいの?
866 :
考える名無しさん :2015/02/14(土) 22:32:38.47 0
殺した後でわかるのでしょう。
>>864 女性に課せられる決まり事は本当に凄い。こういった事項、イスラム社会の外側から見た場合に
擁護のしようが無いと思うんだが…どうだろうか?
そりゃ価値観が違うからな 北欧あたりのリベラルな国から見たら、日本なんて笑いものであるのと同じ
869 :
考える名無しさん :2015/02/14(土) 23:10:14.26 0
インドネシアは温和なイメージだし砂漠がいけないのかな? 農耕不適地だからいつも苦しそう
870 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 00:47:50.41 0
自分がされて嫌なことはしない これに尽きる
871 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 01:28:47.82 0
おれが殺してほしくないからだよ おれはオマエも殺されるヤツも仲良くしてほしいからだよ
仲間がやられたら自分だけたすかると復讐を誓うならどっちのほうがより倫理的なの???
873 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 06:22:48.13 0
やられた理由による 質問がよくない
874 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 06:30:30.84 0
理由は関係ない。 殺したらアウト。
875 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 06:44:47.55 0
イスラムも先に殺害されたから。それが報復の理由となる。 命を奪う行為が最も重い罪。 殺害、それに類する言動も一発レッドカード。 ネットのそれらに類する発言で人生をダメにした例も多い。
876 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 07:33:06.16 0
秋葉原事件以来いろいろと敏感になっているからねぇ。 対象を特定しかねない直接的言動はまずいよねぇ。 word検索で2CHも常時監視されてるのかもしれないねぇ。
877 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 07:41:42.31 0
なんで関係ないはなしになってるんだ?とりあえずこれ検索して落ち着けよ。 TPP交渉 著作権侵害は「非親告罪」で調整
878 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 22:11:10.99 0
人類に多大な損害を及ぼす人間は頃して構わない ただし犯罪者同士の殺し合いは奨励
879 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 00:10:21.27 0
昔にいた王国の王様が人を殺してはいけないと決めて、自分が殺されるのを防いだ。 そして、悪いこと(王様にとって良くないこと)をしたものは処刑(死刑)をして 王様にとっての邪魔者を自分に危険が及ばないように消せるようにしたんやろ それが今に至ると思うんだが。。。違うんかな?
880 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 00:13:02.59 0
殺して良いか悪いかは殺し合いで決めよう 生き残ったほうが正しい
881 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 00:33:12.53 0
生物の本能の基本は種の保存であり、人間のような社会性のある哺乳類は、本能的に同種を殺さないようにできている 同種を殺すのは、縄張り争いや交尾の時の争いなどであり、これとて争った結果死んでしまっただけで、明確な殺意があった訳ではない 唯一の例外が他の雄の子供を殺す子殺しの習性ぐらいのものだろう つまり、人を殺してはいけないのではなく、殺さないのが人間の本能なのである それでも人に対する殺意があるのなら、「何故殺すのか?」を深く追求すべきであろう
882 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 00:36:28.78 0
>>869 ポソ戦争で検索してみな
インドネシアが温厚なんて幻想は吹き飛ぶから
883 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 01:01:02.55 0
人間は同種と思ってるのが間違い あたかも異種家畜を食らうように自分の都合で利用し必要あれば殺す だからサイコパスは自分は人と違う=異種、特別だと思ってる
884 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 03:40:13.62 0
核分裂にさえ寿命を授けられるの何故だかわかりますか
885 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 03:50:04.05 0
現実とは事象を伴う例え話にすぎないのかも だとすればそれに物理的関連付けをできるのは HUMAN / RAY
886 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 11:26:04.39 0
なんだこいつ JーPOPか
887 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 12:43:32.54 0
888 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 14:44:48.20 0
うわあああああああああああああああああああああああああーーーーーーーあああ
889 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 18:00:37.77 0
890 :
考える名無しさん :2015/02/17(火) 00:25:16.36 0
全ては永劫回帰するのだから、自分を慈しむように他者を愛しなさい
891 :
考える名無しさん :2015/02/17(火) 01:19:14.55 0
なぜ殺してはいけないのかではなく、殺さないのが人間の生物的本能だから 殺意なんてそんなに簡単に湧くかい? 自殺が殺人よりも多いのは、人を殺すぐらいなら自ら死を選ぶぐらいに、殺人には本能的な抵抗があるため 本能に理由を求めるのは、哲学ではなく生物学 哲学の問題は、なぜ本能で殺人を躊躇う人間が人を殺すのか?という問題
誰だって殺されたくないだろ? 殺人禁止は当然の帰結。
893 :
考える名無しさん :2015/02/17(火) 09:13:32.38 0
前提:人間には殺人に本能的な抵抗がある 帰結:殺人犯は故障しているのでは? 疑問:前提はどれだけ正しいのか
894 :
考える名無しさん :2015/02/17(火) 14:17:10.70 0
>>898 人を殺す動機が窃盗や意見の相違、他者の排除ならば、殺人そのものが目的ではなく、目的達成の過程で人が死んでしまったことになる
そうなると、殺人犯は故障ではなく、自身の行動の結果、不本意な殺人をおかしただで、純粋に人を殺したくて殺したわけてはない
人を殺すことそのものが殺人の動機の場合には明らかな異常であり、それ故に余人が納得せず、大きな話題となるのだ
896 :
考える名無しさん :2015/02/18(水) 08:45:42.10 0
人の物を壊したり盗んだりしてはいけない。 つまりそういうこと。 もし壊したり盗んだりした物の修理交換が可能なら罪はグッと軽くなる。 もし医学で人を再生できれば殺人罪もグッと軽くなる。 つまりそういうこと。
897 :
考える名無しさん :2015/02/18(水) 14:00:54.09 0
>>889 俺ってグロ耐性高いんだな
刑事や医者になれるかも
898 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 00:34:48.42 0
原爆以外に、第2次大戦を終わらせる方法はあったんですかね? >「原爆投下は正しい」のか? その場合、原爆よりも多くの死亡者が出た後ですよね。 >あと2-3年ぐらい続けたら日本が兵力尽きて休戦にはなったかも 沖縄のように九州全滅とかになってたかもしれないんですよね。。 >沖縄で20万人、東京空襲で10万人が死んだ。 これで本土決戦になったら…原爆の直接の死者は(数の上では)少ないと言える どちらかが勝たないと戦争は終わりませんよ。 死亡者を少なくして勝つのが正しいとアメリカは言ってるわけで。 空襲続けると被害者は原爆より多くなります。 東京大空襲被害者の8万人も民間人ですよ。 他に戦争を終わらせる手段があったなら教えてください。 「あったはず」なら教えてください。
899 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 01:08:44.80 0
一般的に人を殺してはいけないとされている、というけど、そんなの聞いたことない。 「人を殺してはいけませんよ」なんて言われたことない。 必要もないことはしないだけ。 必要ならとめたってするでしょう。 他人を同じ仲間と思っているなら、 殺さなきゃいけないほど敵対しないのでは?
900 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 01:15:56.49 0
原爆で直接の死者が少なくなったとしても、 土壌汚染や大気汚染でその後の地球環境にそうとうな影響が。 被害は敵国だけの話ではなくなるのだから、結局共倒れ。
901 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 08:54:52.28 0
原爆資料館の蝋人形やなんかがグロ過ぎるからって撤去されたんだっけ? グロさのない綺麗な戦争ってなによ
902 :
正理会 :2015/02/19(木) 15:40:25.52 0
903 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 18:52:54.15 0
>>899 「言われたことない」にもかかわらず、ひとは殺人を強く躊躇う、というか
拒否感がすごい。つまり外的な要請によって殺人を躊躇うのでなく、内面の
なんらかの強制力がはたらくことによって躊躇う。そしてその「内面」はいつ
どこで作られたか形成されてきたか、という問いに移行する。
一方で、共同体の外に出ると、その躊躇は相対的に和らぐ(国家間の戦争等)って
ことがある。これも「内面」の形成に、共同体外の規範が間接的なよわい影響
にとどまるから、かもしれない。
904 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 19:01:37.70 0
>>1 「道徳や倫理やルールは除」け、とか宗教は駄目、なぜなら普遍的でないから?
とかの制約はナンセンスでは。ありがたい考察対象であり豊富な参照例を
わざわざ除外する理由が弱すぎ。人類史の原初から宗教の萌芽を想定することは、
それほどおかしくない。フロイトなんてそんな感じじゃん。
「何故、人を殺してはいけないのか?」という問いに対する答えを、否定しつつ
も倫理的なものに制約し求めてる。
誰だって殺されたくないだろ? だから殺人禁止なのさ
906 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 19:09:23.69 0
>>1 > 人殺しの定義から法律に基づくもの(死刑、正当防衛等)と戦争による人殺しは除いて下さい
死刑も、戦争による殺人も「殺人」であり、両者の性質の差異から考察できる
本質的なものを見逃して済ませられるセンスがわからない。
とくに死刑は、共同体内における公的な殺人の許容を示してるわけで、なぜ
それが「殺人の禁止」から免れるのかは、それこそ死活的に重要な論点。
なにもわかってないんじゃないの?
907 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 19:11:19.17 0
殺人のタブーを破る人間は殺人されても文句は言えない
908 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 19:18:11.14 0
>>907 「殺人のタブーを破ろ」うが破るまいが、「殺人された」ら文句は言えねえよw
死んでんだから。
【完璧なる答】 誰だって殺されたくないだろ? だから殺人禁止なのさ
910 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 19:22:56.47 0
>>905 「殺されたくない」は欲望、殺したいも欲望。殺されたくないが殺したい人間
はふつうにいるだろう。実際、殺人なんてありふれてるんだから。
911 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 19:25:27.73 0
>>909 完璧というよりバカの壁というべき。
字も似てるし
【正解】 誰だって殺されたくないだろ? だから殺人禁止なのさ
913 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 19:30:19.35 0
>>891 > なぜ殺してはいけないのかではなく、殺さないのが人間の生物的本能だから
そんな本能に制約されてるの君だけじゃないの?w
914 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 19:42:23.14 0
>>881 論旨には納得するところがないが、一点「同種を殺すのは、縄張り争いや交尾
の時の争いなどであ」るというとこの「縄張り争い」。一応、敵であった死者
の霊を怖れ慰める習慣があったというし、殺人の概念の周縁くらいにはあった
んだろう。敵を殺し統治の領地を拡大する欲望が、市場や流通を安定させる結果
を伴っていたわけで、世界史の原動力はこの支配欲であった。殺人の禁止は
共同体間の戦争による殺人には、その強制力が弱くなる。過去において、殺人
の禁止が徹底されて人類平和が達成されていれば、世界史は進展せず、そもそも
「人類」の概念も形成されなかった。
【正解】 誰だって〈殺されたくない〉だろ? だから《殺人禁止》なのさ
916 :
考える名無しさん :2015/02/19(木) 22:34:24.28 0
917 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 00:38:19.07 0
>>917 915ではないが一言。宅間が言った事が本当に宅間の本音かは分からない。
919 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 04:15:17.29 0
宗教でも道徳倫理でも法律でもなく、 哲学的観点のみの「殺人の是非」ですよね? 人は万物の霊長であり、 全ての存在を肯定するものである。 全ての秩序を知り、統治・支配する。 それが人として向かうべき方向である。 これって哲学かなあ…? 全てを生かす為に存在する者が、無駄に殺生するのは理にかなわない。ということになる。
920 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 08:46:55.17 0
921 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 16:44:05.11 0
>>918 殺されたい、死にたい人間を殺してもいけないのはなぜか
922 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 17:44:43.57 0
>>854 > 「自分自身や自分の大切な人が殺されたらどう思う?」という当事者に立った場合どうするかという問いかけは
こういう場所では基本的に馬鹿にされ笑われる。これはどうしてなんでしょうか?
ああ、馬鹿にする人いるんだ? でも基本的なことだよな。殺す欲望を満たした
ときその行為の主体である個人にどういう反動が起こるかという。それを予め
思考実験するときにだいたい「大切なものが殺されたらどう思うか」という問い
も立てられる。殺人の禁止は、外的規範によるものではなさそうだから、殺人
を禁じる内的規範の形成こそがポイントとなる。
>>1 道徳、倫理、ルール、宗教を除いて「〜はいけない」という結論を出そうとしてるのかこのスレ
924 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 22:04:25.34 0
殺人に対して嫌悪感がない者には 殺人しないことの実利性を説かなくては
「してよい、してはいけない」 「したい、したくない」 「できる、できない」 を区別して考えないと混乱する
人間だからころしちゃいけないんだよ、人は一人じゃ生きていけない 一人(自分)で死ぬことはできる、できることはやってもいいしやらなくてもいいが 一人で生きていない以上、人として生きている以上生きるのはいいが(人間として 生かされている動物だから)生きないように殺してはいけないということになる。
927 :
考える名無しさん :2015/02/21(土) 11:15:31.37 0
>>926 自死はやってもいいしやらなくてもいい?
自殺幇助罪は違憲?
【正解】 誰だって〈殺されたくない〉だろ? だから《殺人禁止》なのさ
「できる、できない」→ 物理的、現実的な問題 「したい、したくない」 → 個人の主観的な問題 「してよい、してはいけない」→ 集団の客観的な問題
可能性と願望と義務の問題
>>927 自殺は個人の判断でしてもいいししなくてもいい
したい人もいればしたくない人もいるし
できる人もいればできない人もいる
どれも、当人の選択自由
自殺と自殺幇助は別物なのでとりあえず自殺に関しては上記で
自殺ほう助罪はご存知の通り犯罪です。
932 :
考える名無しさん :2015/02/21(土) 23:39:50.37 0
933 :
考える名無しさん :2015/02/21(土) 23:50:27.74 0
934 :
考える名無しさん :2015/02/21(土) 23:55:43.60 0
>>921 自分で死なないということは、本当は死にたくない可能性があるのですよ、きっと。
見るに見兼ねて殺すというのは、殺す方の感情かもしれない。
935 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 01:11:44.32 0
自殺はしてもいいのか? 自殺は止められるけど違法ではないのは刑罰を課すことができないからだと思ってた (自殺したら死刑!とかねw)
936 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 18:50:28.23 0
戦争で人は殺してもいいことになっている
937 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 20:47:28.32 0
【正解】 誰だって〈殺されたくない〉だろ? だから《殺人禁止》なのさ
938 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 21:26:41.29 0
どうやっても「できない」ものに対して「してはいけない」と言うことはない。 やろうと思えば「できる」ことが前提となる。 個人の「したくない」が必ずしも「してはいけない」にはつながらないし、 逆に「したくない」けれども「しなければならない」ものもある。 個人の「したくない」(「されたくない」も含む)が集団の中で広く受け入れられることによって 逆に集団から個人への「してはいけない」という強要に転じる。
【提案】 誰だって〈殺されたくない〉だろ? だから《先に殺す》のさ
940 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 21:33:06.45 0
>>938 で?
正義なんて多数決でしかないと言いたいの?
941 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 21:45:00.50 0
>>940 言いたいのは主観から客観への転換。
最初は多数決だったり権力者(の主観)の押し付けだったかもしれないが、
それが広く受け入れられて客観化すると、それ自体が個人に強要してくるようになる。
942 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 23:21:34.07 0
>>936 殺人の禁止を考える際、戦争における殺人が許容されるのは本質的。
世界共和国が実現すればそれも禁止される。世界史の終着点だな。
歴史の終焉は倫理の完成でもある。
943 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 23:27:26.88 0
>>941 それ、いわゆる道徳の説明にしかなってないけど。
それか、選挙を経て議会で多数を占めると「それが広く受け入れられて客観化
さ」れ、挙国一致の翼賛体制となり「個人に強要してくるようになる」。
そういう文脈かw
ま、頭悪そうだな。
944 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 23:35:27.96 0
うむ。 主観がいくら集まっても壮大な主観にしかならないな。 非常に共感力の高い人の意見だ(笑)。
945 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 23:37:44.51 0
>>938 これ、なにが「集団の中で広く受け入れられ」、何故「受け入れられ」たのか
こそが問題とされるべきではないのかw
しかしわからんな。「逆に集団から個人への「してはいけない」という強要に
転じる」。これ「法」のこといってんだよね? たとえば殺人が外的「強要」
(刑法)によって禁じられてるから、個人の殺人への欲望が抑えられてるわけ
ではない。
>>942 それが理想だね、それでも禁止されるということは
殺人という概念?自体が人間の頭から消去されはしないから
なぜ人を殺してはいけないのかの答えにはならないけど。
947 :
考える名無しさん :2015/02/23(月) 12:06:07.37 O
道徳・倫理が多数決で決まるなら哲学者も天才も要らないね 法律も判決もアホな一般市民がなんとなく決めればいい
948 :
考える名無しさん :2015/02/23(月) 12:40:40.97 0
629 :神も仏も名無しさん:2015/02/14(土) 00:13:15.58 ID:wsRZ9QZM
釈迦の悟りとは本当は何だったのか。
四更五輪書を読めば解るよ。
量子論、相対性理論、不確定性原理、シュレディンガーの猫、
国富論「見えざる手」、大本神諭、日月神示、梵我一如の思想等、
色々な事物を含んでいるからよくよく考えないと解らない。
釈迦がなぜあのような説法をしたのかがよく解るよ。
マジで。
>>936 これ読むといいよ。
949 :
考える名無しさん :2015/02/23(月) 12:40:50.98 0
この宇宙が俺を殺そうとしない限り、俺は存在する。 俺の見ている宇宙を壊そうとする存在がいるのなら俺はその存在を認める訳にはいかない。 その存在が人間ならば迷わず俺はそいつを殺す。 なんの矛盾もない。
951 :
考える名無しさん :2015/02/23(月) 23:39:11.34 O
国益とかいう地域エゴ
952 :
考える名無しさん :2015/02/23(月) 23:44:54.73 0
【正解】 誰だって〈殺されたくない〉だろ? だから《殺人禁止》なのさ
953 :
考える名無しさん :2015/02/24(火) 00:45:28.72 0
命題が「何故、人を殺しては「いけない」のか」だから難しいけど 人が感情を持つ以上、結局は生物的な原因なんじゃないかなぁ
954 :
考える名無しさん :2015/02/24(火) 12:12:23.77 0
何故、人を殺してはいけないのか? 何故、凶悪犯を殺してはいけないのか?(死刑廃止国) 何故、寝た切り痴呆老人を殺してはいけないのか? 何故、重度の知的障害者を殺してはいけないのか? 何故、胎児を中絶してもいいのか? 何故、働かなくてはいけないのか? 何故、近親相姦してはいけないのか? 何故、不快害虫を殺してもいいのか? 何故、嘘を吐いてはいけないのか? 何故、本当のことを言ってはいけないのか?
955 :
考える名無しさん :2015/02/24(火) 13:23:05.02 0
【正解】 誰だって〈批判されたくない〉だろ? だから《批判禁止》なのさ 【正解】 誰だって〈働きたくない〉だろ? だから《労働禁止》なのさ 【正解】 誰だって〈勉強したくない〉だろ? だから《義務教育禁止》なのさ 【正解】 誰だって〈女にフられたくない〉だろ? だから《女はフるの禁止》なのさ 【正解】 誰だって〈知りたい〉だろ? だから《隠すの禁止》なのさ 👀
956 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 20:10:02.91 O
殺し合うより 助け合う方が有益だから これに尽きる
957 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 21:24:24.74 0
【正解】 偉い人が<殺されたくない> だから《殺人禁止》なのさ
958 :
考える名無しさん :2015/03/04(水) 17:47:29.67 0
それって、 なぜ地下鉄にサリン撒いたくらいで大騒ぎするのか? と同義ですかね。
959 :
考える名無しさん :2015/03/04(水) 17:49:25.87 0
なぜ放射能漏れぐらいでグダグダ言うのだ! …東電
960 :
考える名無しさん :2015/03/05(木) 01:25:40.43 0
第一 哲学は人を殺してはいけないと言っていない 前提に誤謬がある以上論理的な議論は出来ない 寧ろ初期における思想では復讐による殺人や他国に対しての略奪を推奨していたほど 第二 法律において殺人を禁止していない その証拠に死刑制度も自衛に置ける殺人も罪に問われない 私達が殺人を控える理由は国家の具体的な暴力を恐るからだ 国家は国民全体と社会契約を結んでいるとして契約者から税金を徴収し社会制度の整備と生命の安全を提供している 国家の法で理由なき殺人者には国家が報復を行うと宣言しているため人は恐れて国家の法を守っている 世界が武力によって統治されているのは中世も現代も同じだ
961 :
考える名無しさん :2015/03/05(木) 02:09:09.06 0
人を殺していけないと云う人は 自らが殺されたく無いから人を殺してはいけないという 家族においては特に親子の間で強い精神的な軋轢が起きる為特に親が子供に殺人を禁止する 寝食を共にする為、無防備な時に殺されないためにだ また殺人を犯した人間が家族からでれば殺人を抑制する教育が十分になされていない一族ではと疑われ排除される恐れがあるからだ 体制側は国民が安定して生産活動を行う事により利益を最大にすることができるため殺人を控えるように説く 利益を著しく損なう行動を起こしたものは体制側が悪として隔離、或いは再教育を施し時に殺処分も行う
962 :
考える名無しさん :2015/03/05(木) 08:55:44.71 0
>何故、人を殺してはいけないのか? 止める為の力は正義であり、止めること以上の力(暴力)は快楽であり悪だから。 逆に殺すしか止める方法が無いと国に判断された場合、死刑になる。 だから必殺仕事人やバットマンが殺人をしても、ほぼ正義の枠に入る。 だけど現代社会では薬物治療やカウンセリングなどで共感性(罪悪感)を上げて二度と再発しないように出来る可能性が有るので、殺人は良いとされない。 また法律は犯罪防止効果などで微妙にズレが生じるので完全な正義ではない。
963 :
考える名無しさん :2015/03/06(金) 00:22:53.67 0
もし私を殺そうとする人がいたら、先手必勝で相手を先に排除したい。 そしてどちらが先かの殺し合いになると思う。 つまり不毛。
964 :
考える名無しさん :2015/03/06(金) 05:29:58.30 0
一般的に戦闘の開始宣言せずに先手を取れば必殺となり得る どちらが先かの殺し合いになるのは組織戦だ 個人同士においては片殺し その後に親族や友人からの報復を受けて自らのコミュニティ同士の殺し合いに発展する 近代までは仇討ちや決闘は多くの文化で合法的に認められており やり返さないのは不名誉(社会的弱者、またはコミュニティに対する裏切り)であるとされた これは社会を統制する権力の手が生活の細かな所まで及ばなかったからだ 法が有ろうともそれを矯正させる力に欠ければ法は守られない それ故に個人間の争いは個人間で決着をつける事も許す裁量を与えられていた そして一族同士の抗争にまで発展し双方の訴え、もしくは近隣の住民の訴えによって初めて行政が仲裁に入った 現代においては行政の力は個人間にまで及んでいるため私闘を禁じている 敵を排除する行為自体は至っては自然な行為である 経済活動においては市場の寡占化を目指しライバルを締め出す戦略をとるのは常套手段 殺し合いの連鎖が社会全体に発展しない限りは不毛どころか 利益の独占に繋がり多くの国家で行われていた行為だ
965 :
考える名無しさん :
2015/03/06(金) 06:36:04.14 0 そして私闘を禁じているのは国家という大きな視点から見れば 敵は国内に在らず、外国が最も恐るべき敵だとの認識だから 国内においては安定させ国力をあげる事目を向けさせ外国との競争にベクトルを向けさせる 国の経済を超えて人口が溢れた場合は戦争による殺し合いになるのは現代の社会学においては避けられない結末 まだこれを解消した実例はない