916 :
考える名無しさん:2015/02/19(木) 22:34:24.28 0
917 :
考える名無しさん:2015/02/20(金) 00:38:19.07 0
>>917 915ではないが一言。宅間が言った事が本当に宅間の本音かは分からない。
919 :
考える名無しさん:2015/02/20(金) 04:15:17.29 0
宗教でも道徳倫理でも法律でもなく、
哲学的観点のみの「殺人の是非」ですよね?
人は万物の霊長であり、
全ての存在を肯定するものである。
全ての秩序を知り、統治・支配する。
それが人として向かうべき方向である。
これって哲学かなあ…?
全てを生かす為に存在する者が、無駄に殺生するのは理にかなわない。ということになる。
920 :
考える名無しさん:2015/02/20(金) 08:46:55.17 0
921 :
考える名無しさん:2015/02/20(金) 16:44:05.11 0
>>918殺されたい、死にたい人間を殺してもいけないのはなぜか
922 :
考える名無しさん:2015/02/20(金) 17:44:43.57 0
>>854 > 「自分自身や自分の大切な人が殺されたらどう思う?」という当事者に立った場合どうするかという問いかけは
こういう場所では基本的に馬鹿にされ笑われる。これはどうしてなんでしょうか?
ああ、馬鹿にする人いるんだ? でも基本的なことだよな。殺す欲望を満たした
ときその行為の主体である個人にどういう反動が起こるかという。それを予め
思考実験するときにだいたい「大切なものが殺されたらどう思うか」という問い
も立てられる。殺人の禁止は、外的規範によるものではなさそうだから、殺人
を禁じる内的規範の形成こそがポイントとなる。
>>1 道徳、倫理、ルール、宗教を除いて「〜はいけない」という結論を出そうとしてるのかこのスレ
924 :
考える名無しさん:2015/02/20(金) 22:04:25.34 0
殺人に対して嫌悪感がない者には
殺人しないことの実利性を説かなくては
「してよい、してはいけない」
「したい、したくない」
「できる、できない」
を区別して考えないと混乱する
人間だからころしちゃいけないんだよ、人は一人じゃ生きていけない
一人(自分)で死ぬことはできる、できることはやってもいいしやらなくてもいいが
一人で生きていない以上、人として生きている以上生きるのはいいが(人間として
生かされている動物だから)生きないように殺してはいけないということになる。
927 :
考える名無しさん:2015/02/21(土) 11:15:31.37 0
>>926 自死はやってもいいしやらなくてもいい?
自殺幇助罪は違憲?
【正解】
誰だって〈殺されたくない〉だろ?
だから《殺人禁止》なのさ
「できる、できない」→ 物理的、現実的な問題
「したい、したくない」 → 個人の主観的な問題
「してよい、してはいけない」→ 集団の客観的な問題
可能性と願望と義務の問題
>>927 自殺は個人の判断でしてもいいししなくてもいい
したい人もいればしたくない人もいるし
できる人もいればできない人もいる
どれも、当人の選択自由
自殺と自殺幇助は別物なのでとりあえず自殺に関しては上記で
自殺ほう助罪はご存知の通り犯罪です。
932 :
考える名無しさん:2015/02/21(土) 23:39:50.37 0
933 :
考える名無しさん:2015/02/21(土) 23:50:27.74 0
934 :
考える名無しさん:2015/02/21(土) 23:55:43.60 0
>>921 自分で死なないということは、本当は死にたくない可能性があるのですよ、きっと。
見るに見兼ねて殺すというのは、殺す方の感情かもしれない。
935 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 01:11:44.32 0
自殺はしてもいいのか?
自殺は止められるけど違法ではないのは刑罰を課すことができないからだと思ってた
(自殺したら死刑!とかねw)
936 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 18:50:28.23 0
戦争で人は殺してもいいことになっている
937 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 20:47:28.32 0
【正解】
誰だって〈殺されたくない〉だろ?
だから《殺人禁止》なのさ
938 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 21:26:41.29 0
どうやっても「できない」ものに対して「してはいけない」と言うことはない。
やろうと思えば「できる」ことが前提となる。
個人の「したくない」が必ずしも「してはいけない」にはつながらないし、
逆に「したくない」けれども「しなければならない」ものもある。
個人の「したくない」(「されたくない」も含む)が集団の中で広く受け入れられることによって
逆に集団から個人への「してはいけない」という強要に転じる。
【提案】
誰だって〈殺されたくない〉だろ?
だから《先に殺す》のさ
940 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 21:33:06.45 0
>>938 で?
正義なんて多数決でしかないと言いたいの?
941 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 21:45:00.50 0
>>940 言いたいのは主観から客観への転換。
最初は多数決だったり権力者(の主観)の押し付けだったかもしれないが、
それが広く受け入れられて客観化すると、それ自体が個人に強要してくるようになる。
942 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 23:21:34.07 0
>>936 殺人の禁止を考える際、戦争における殺人が許容されるのは本質的。
世界共和国が実現すればそれも禁止される。世界史の終着点だな。
歴史の終焉は倫理の完成でもある。
943 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 23:27:26.88 0
>>941 それ、いわゆる道徳の説明にしかなってないけど。
それか、選挙を経て議会で多数を占めると「それが広く受け入れられて客観化
さ」れ、挙国一致の翼賛体制となり「個人に強要してくるようになる」。
そういう文脈かw
ま、頭悪そうだな。
944 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 23:35:27.96 0
うむ。
主観がいくら集まっても壮大な主観にしかならないな。
非常に共感力の高い人の意見だ(笑)。
945 :
考える名無しさん:2015/02/22(日) 23:37:44.51 0
>>938 これ、なにが「集団の中で広く受け入れられ」、何故「受け入れられ」たのか
こそが問題とされるべきではないのかw
しかしわからんな。「逆に集団から個人への「してはいけない」という強要に
転じる」。これ「法」のこといってんだよね? たとえば殺人が外的「強要」
(刑法)によって禁じられてるから、個人の殺人への欲望が抑えられてるわけ
ではない。
>>942 それが理想だね、それでも禁止されるということは
殺人という概念?自体が人間の頭から消去されはしないから
なぜ人を殺してはいけないのかの答えにはならないけど。
947 :
考える名無しさん:2015/02/23(月) 12:06:07.37 O
道徳・倫理が多数決で決まるなら哲学者も天才も要らないね
法律も判決もアホな一般市民がなんとなく決めればいい
948 :
考える名無しさん:2015/02/23(月) 12:40:40.97 0
629 :神も仏も名無しさん:2015/02/14(土) 00:13:15.58 ID:wsRZ9QZM
釈迦の悟りとは本当は何だったのか。
四更五輪書を読めば解るよ。
量子論、相対性理論、不確定性原理、シュレディンガーの猫、
国富論「見えざる手」、大本神諭、日月神示、梵我一如の思想等、
色々な事物を含んでいるからよくよく考えないと解らない。
釈迦がなぜあのような説法をしたのかがよく解るよ。
マジで。
>>936 これ読むといいよ。
949 :
考える名無しさん:2015/02/23(月) 12:40:50.98 0
この宇宙が俺を殺そうとしない限り、俺は存在する。
俺の見ている宇宙を壊そうとする存在がいるのなら俺はその存在を認める訳にはいかない。
その存在が人間ならば迷わず俺はそいつを殺す。
なんの矛盾もない。
951 :
考える名無しさん:2015/02/23(月) 23:39:11.34 O
国益とかいう地域エゴ
952 :
考える名無しさん:2015/02/23(月) 23:44:54.73 0
【正解】
誰だって〈殺されたくない〉だろ?
だから《殺人禁止》なのさ
953 :
考える名無しさん:2015/02/24(火) 00:45:28.72 0
命題が「何故、人を殺しては「いけない」のか」だから難しいけど
人が感情を持つ以上、結局は生物的な原因なんじゃないかなぁ
954 :
考える名無しさん:2015/02/24(火) 12:12:23.77 0
何故、人を殺してはいけないのか?
何故、凶悪犯を殺してはいけないのか?(死刑廃止国)
何故、寝た切り痴呆老人を殺してはいけないのか?
何故、重度の知的障害者を殺してはいけないのか?
何故、胎児を中絶してもいいのか?
何故、働かなくてはいけないのか?
何故、近親相姦してはいけないのか?
何故、不快害虫を殺してもいいのか?
何故、嘘を吐いてはいけないのか?
何故、本当のことを言ってはいけないのか?
955 :
考える名無しさん:2015/02/24(火) 13:23:05.02 0
【正解】
誰だって〈批判されたくない〉だろ?
だから《批判禁止》なのさ
【正解】
誰だって〈働きたくない〉だろ?
だから《労働禁止》なのさ
【正解】
誰だって〈勉強したくない〉だろ?
だから《義務教育禁止》なのさ
【正解】
誰だって〈女にフられたくない〉だろ?
だから《女はフるの禁止》なのさ
【正解】
誰だって〈知りたい〉だろ?
だから《隠すの禁止》なのさ 👀
956 :
考える名無しさん:2015/02/28(土) 20:10:02.91 O
殺し合うより
助け合う方が有益だから
これに尽きる
957 :
考える名無しさん:2015/02/28(土) 21:24:24.74 0
【正解】
偉い人が<殺されたくない>
だから《殺人禁止》なのさ
958 :
考える名無しさん:2015/03/04(水) 17:47:29.67 0
それって、
なぜ地下鉄にサリン撒いたくらいで大騒ぎするのか?
と同義ですかね。
959 :
考える名無しさん:2015/03/04(水) 17:49:25.87 0
なぜ放射能漏れぐらいでグダグダ言うのだ! …東電
960 :
考える名無しさん:2015/03/05(木) 01:25:40.43 0
第一
哲学は人を殺してはいけないと言っていない
前提に誤謬がある以上論理的な議論は出来ない
寧ろ初期における思想では復讐による殺人や他国に対しての略奪を推奨していたほど
第二
法律において殺人を禁止していない
その証拠に死刑制度も自衛に置ける殺人も罪に問われない
私達が殺人を控える理由は国家の具体的な暴力を恐るからだ
国家は国民全体と社会契約を結んでいるとして契約者から税金を徴収し社会制度の整備と生命の安全を提供している
国家の法で理由なき殺人者には国家が報復を行うと宣言しているため人は恐れて国家の法を守っている
世界が武力によって統治されているのは中世も現代も同じだ
961 :
考える名無しさん:2015/03/05(木) 02:09:09.06 0
人を殺していけないと云う人は
自らが殺されたく無いから人を殺してはいけないという
家族においては特に親子の間で強い精神的な軋轢が起きる為特に親が子供に殺人を禁止する
寝食を共にする為、無防備な時に殺されないためにだ
また殺人を犯した人間が家族からでれば殺人を抑制する教育が十分になされていない一族ではと疑われ排除される恐れがあるからだ
体制側は国民が安定して生産活動を行う事により利益を最大にすることができるため殺人を控えるように説く
利益を著しく損なう行動を起こしたものは体制側が悪として隔離、或いは再教育を施し時に殺処分も行う
962 :
考える名無しさん:2015/03/05(木) 08:55:44.71 0
>何故、人を殺してはいけないのか?
止める為の力は正義であり、止めること以上の力(暴力)は快楽であり悪だから。
逆に殺すしか止める方法が無いと国に判断された場合、死刑になる。
だから必殺仕事人やバットマンが殺人をしても、ほぼ正義の枠に入る。
だけど現代社会では薬物治療やカウンセリングなどで共感性(罪悪感)を上げて二度と再発しないように出来る可能性が有るので、殺人は良いとされない。
また法律は犯罪防止効果などで微妙にズレが生じるので完全な正義ではない。
963 :
考える名無しさん:2015/03/06(金) 00:22:53.67 0
もし私を殺そうとする人がいたら、先手必勝で相手を先に排除したい。
そしてどちらが先かの殺し合いになると思う。
つまり不毛。
964 :
考える名無しさん:2015/03/06(金) 05:29:58.30 0
一般的に戦闘の開始宣言せずに先手を取れば必殺となり得る
どちらが先かの殺し合いになるのは組織戦だ
個人同士においては片殺し
その後に親族や友人からの報復を受けて自らのコミュニティ同士の殺し合いに発展する
近代までは仇討ちや決闘は多くの文化で合法的に認められており
やり返さないのは不名誉(社会的弱者、またはコミュニティに対する裏切り)であるとされた
これは社会を統制する権力の手が生活の細かな所まで及ばなかったからだ
法が有ろうともそれを矯正させる力に欠ければ法は守られない
それ故に個人間の争いは個人間で決着をつける事も許す裁量を与えられていた
そして一族同士の抗争にまで発展し双方の訴え、もしくは近隣の住民の訴えによって初めて行政が仲裁に入った
現代においては行政の力は個人間にまで及んでいるため私闘を禁じている
敵を排除する行為自体は至っては自然な行為である
経済活動においては市場の寡占化を目指しライバルを締め出す戦略をとるのは常套手段
殺し合いの連鎖が社会全体に発展しない限りは不毛どころか
利益の独占に繋がり多くの国家で行われていた行為だ
965 :
考える名無しさん:
そして私闘を禁じているのは国家という大きな視点から見れば
敵は国内に在らず、外国が最も恐るべき敵だとの認識だから
国内においては安定させ国力をあげる事目を向けさせ外国との競争にベクトルを向けさせる
国の経済を超えて人口が溢れた場合は戦争による殺し合いになるのは現代の社会学においては避けられない結末
まだこれを解消した実例はない