1 :
先祖マニア:
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしよう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/ ttp://www.uploda.org/ CURL貼り付けたかったら貼る
2 :
先祖マニア:2006/10/23(月) 23:38:01
1高祖父
17曽祖父
2高祖母 25祖父
3高祖父
18曾祖母
4高祖母 父
5高祖父
19曽祖父
6高祖母 26祖母
7高祖父
20曾祖母
8高祖母
9高祖父 あなた
21曽祖父
10高祖母 27祖父
11高祖父
22曾祖母
12高祖母 母
13高祖父
23曽祖父
14高祖母 28祖母
15高祖父
24曾祖母
16高祖母
3 :
先祖マニア:2006/10/23(月) 23:38:47
1通あたりの手数料(大体の目安)
全部事項証明書(戸籍謄本) 450円
個人事項証明書(戸籍抄本) 450円
除籍全部事項証明書(除籍謄本) 750円
除籍個人事項証明書(除籍抄本) 750円
改製原戸籍謄本 750円
改製原戸籍抄本 750円
附票 300円
4 :
先祖マニア:2006/10/23(月) 23:39:22
手紙その1
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
<相手とあなたがつながる家系図を書く>
<あなたが知っている情報を書く>
<あなたが先祖に興味を持った理由を書く>
<教えて頂きたいことを列挙しておく>
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
<あなた宛の葉書を同封しておく>
と、もうしましてもなにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
<あなたの住所氏名電話番号メールなどを書く>
5 :
先祖マニア:2006/10/23(月) 23:39:53
手紙その2
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を○○といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
実は私の高祖母の実家が△△という姓で祖母に聞いたところ明治か大正の終わりごろに
県外に移住したと聞きました、そこで電話帳で調べたらあなた様の名前が電話帳にあり
恐らく子孫の方と思いなにか少しでもご存じないかと思い手紙を書いた次第です
<相手とあなたがつながる家系図を書く>
少しでもわかっている内容を書く
<あなたが知っている情報を書く>
由来やエピソード
<あなたが先祖に興味を持った理由を書く>
書きまくってください
<教えて頂きたいことを列挙しておく>
ここも書きまくる
大体10個くらいないかな?
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
<あなた宛の葉書を同封しておく>
と、もうしましてもなにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
6 :
先祖マニア:2006/10/23(月) 23:40:24
先祖を調べる手順(詳細版)
@戸籍・除籍謄本入
自分の戸籍謄本請求→親の戸籍謄本請求→父方、母方、の父(祖父)、母(祖母)の謄本請求→それぞれ・・・
戸籍・除籍謄本を請求する際、請求理由を書きます。請求理由は「先祖供養」が妥当かと思われます。
請求理由を詳しく聞かれた場合「新しく仏壇を作るのでその先祖を調べる」「墓を作るので必要」でいいでしょう。
(理由を聞かれた場合のみで、自分からは言わない方が無難です。「家系図調査」での請求は認められません。)
A死亡記載の戸籍・除籍謄本請求
請求する戸籍・除籍謄本は、その人間の生から死まで記載されているものを請求します。
戦前は、分家しない限りは戸籍が独立しませんでした。
また、戸主が長生きすると隠居して子や孫の戸籍に入っていました。
その場合はその子供や孫が戸主となっている戸籍を請求しましょう。
原則は直系尊属しか請求できませんがその戸籍の中に自分の直系尊属の祖先が記載されており、ほぼ請求できます。
請求する際は「生から死まで出してください」と言って下さい。
7 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:44:04
乙
8 :
先祖マニア:2006/10/23(月) 23:44:24
B家系図作成
戸籍を読み取って家系図を作成しましょう。
昔の戸籍は何かと複雑で、しかも手書きです。名前や親子関係を間違わないように、しっかりと読みとりましょう。
生没年も一緒に書き込みましょう。
さて、ここまでで、父方、母方の高祖父母が全員(16人)判明したのではないのでしょうか。
その方々は、江戸末期から明治にかけて生きておられたのではないのでしょうか。
坂本竜馬や勝海舟など「幕末の志士」と同時代に生きておられた先祖です。ロマンを感じませんか・・・?
データベースの基礎の基礎がここで出来上がります。「基礎の基礎」とは言え、史料価値は相当のものです。
C旧土地台帳調査
旧土地台帳の調査は少し特殊で、土地の持ち主から先祖を探します。(登記簿・閉鎖登記簿なども同様です)
ここは「案ずるより生むが易し」の典型で実際やってみれば簡単です。
旧土地台帳とは、現在の土地登記簿のようなもので一冊が電話帳と同じくらいの厚みがある本です。
また、閲覧、証明は手数料ゼロ、運転免許証や印鑑も不要です(法務局によって違うかもしれません)
費用が掛からない代わりに、手間と時間が掛かります。戸籍で得られなかった情報が手に入る確率は低いですが、調べる価値はあると思います。
旧土地台帳調査を、後回しにして、親戚まわりをしても構いません。
9 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:44:48
先祖マニアさん 乙
D親しい親戚宅で過去帳、墓石調査
家系図と戸籍類を持参で、親しい親戚や本家に行って、過去帳、位牌、墓石、仏壇を見せてもらいます。
ここで、頑張って作成した家系図が役立ちます。過去帳、位牌、墓石で分かったデータは全て写して帰りましょう。
戒名、俗名、没年(いつ死んだ)、享年(何歳で死んだ)などです。付録の「生没年月日調査表」を活用して下さい。
ここからは戸籍謄本のように続柄が記載されていないので、推測になってしまいます。(過去帳には「○○兵衛父」など若干記載があります)
E親戚の紹介で寺の過去帳を見せてもらう
親しい(血縁関係が近い)親戚の紹介で寺の過去帳を見せてもらいます。
@)親戚からお寺(先祖の菩提寺)に新たに過去帳作成を依頼して貰い、出来上がったら見せていただきましょう。
しかし親戚に(過去帳作成にかかる)高額な謝礼も負担して頂く訳ですから、後日ご仏前を供える等の配慮をしておきましょう。
A)それが無理なら、親戚に菩提寺を紹介してもらってお寺の過去帳を見せてもらいます。
お寺さんも「檀家のプライバシーに関わる」と言って見せてくれない場合もあります。が、そこは粘り強く、
10年越しを想定して交渉し、お寺との信頼関係から築きましょう。
B)10年も待てない場合には「先祖供養がしたいので、新しく過去帳を作って下さい。」とお願いしましょう。
当然謝礼(3〜5万円位)が必要ですが、一番現実的かつ確実な方法です。
ここからは難易度が高くなります自分の家ではなく親戚の家が絡んでくるので
相手方に拒否されたらまず無理ですね、お寺は更に難易度が高いです。
F付き合いの無い遠縁親戚に手紙を出す(手紙の書き方は別項を読んで下さい)
ここからは遠い親戚です。(曾祖母の実家など親戚付き合いをしたことがない家)
まず、家を特定しなくてはいけません。戸籍に書いてある住所に対応する現在の住所近辺を、
電話帳で同じ苗字の人を調べ(全国の電話帳は図書館にあります)片っ端から手紙を書きます。
古地名→新地名の対応は地名事典か役場に問合せます。手紙を書く手間を省く事もできます。
手紙には、証拠として戸籍謄本のコピー、記載人物と自分の関係がわかる家系図(手書きで構わない)を同封しましょう。
戸籍で分からなくなるのは明治19年の戸籍が出来る以前で、江戸の終わりか明治の初めに亡くなった方です。
ということは跡継ぎがいなくて断絶した家や分家をして他のところへ引っ越した方を除けば、親戚が見つかる可能性は高いです。
手紙を出しても分からない場合がありますが、それはそれで良いと思います。
G遠縁や親しくない親戚宅での調査
これは親しい親戚との調査とあまり変わりません。DEを参考にしてください。
ただ、初めて行くお宅もあるでしょうから、「ご仏前」(5,000〜10,000円)、お供え物(お酒など)は持参しましょう。
H図書館などで研究
特筆すべき事はありません。
分からない場合はインターネットや図書館員、図書館内備え付けの検索システムを利用しましょう。
ここまで調べて、どうにも分からないところで調査は終りです。江戸中期、7〜8代前になったら難しいでしょう。
旧家でしたら更に遡れるかもしれませんが
12 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:47:28
やっときたか
戸籍(除籍)の郵便請求の仕方
1まず自分の本籍地の役場に自分の戸籍を請求する(個人証明は免許証のコピーがあればいいです、なければ保険証のコピー)
2それがきたら次は父親、祖父、曽祖父、高祖父の順番で請求する
3ただし戸籍が一つとは限らないので全て請求する(出生の記載がある戸籍と死亡記載のある戸籍はだいたい別々になっている)
4しかも昔は戸主の戸籍に全て入っていたので戸主が祖父の兄若しくは曽祖父の兄とかになっている可能性もある(そうしたら戸主が兄の除籍を請求することとなる)
これを手紙で説明するのが面倒なので一筆書いとく
先祖供養のため私の直系尊属の『生から死まで』を全て請求します。(この役場にあるもの全て) また破棄した場合は破棄証明を出してください
(破棄証明は必須です)
母方や祖母方も同じ役場にあるのならば全てもらっておきましょう
注:費用は除籍で1通750円 だから750円の倍数で郵便為替を入れとく
だいたい最大で10通くらいなので(実際にはこんなにはないと思いますが)
7500円分いれとく 余ったら返ってきますのでまた郵便局にいけば現金になります
封筒の中には返信の封筒(切手の貼ってあるもの)を同封しておく事
(当然自分の名前と住所はあらかじめ書いときましょう)
切手は重くなるといけないので相当の重さ(戸籍10冊くらい)でもOKなものを
貼っておく
なにかあった時の場合に携帯番号とメールアドレスは書いとく(役場がすぐに連絡できるように)
返信されたら精査します(誰かの死亡記載の戸籍が欠落してはいないか等)
役場の係も人間ですので失敗はあります・・・だからこちら側でしっかりともう一度
見てみる
あとは返信されたときに担当者の名前が書いてあるので控えておいてください
直接電話するときには直接担当者の話した方が話が早い
最短なら1週間、不手際で再三請求をすることになったら、最長で1ヶ月です
14 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:50:34
先祖マニアらしくないな
もう7なのね
16 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:59:07
ありがたや。先祖マニアさんのスレ、待っておりましたよ。
ご先祖様を大切にしない人は、子孫からも大切にされませんからねえ。
62:ひよこ名無しさん :2006/07/21(金) 11:17:22 0
竹石はかなりの変態野郎だよ。だから、実際に会って話してみれば判るって!
身体は大人、頭脳は子供、それが竹石圭佑。本当は乳児程度の知能だろうけど。
身体の成長に頭がついていけてない。
今年、成人式に現れるかも知れんから話しかけてみるわ。
名古屋の痰壺、竹石圭佑!
18 :
やすべぇ:2006/10/24(火) 20:54:25
先祖マニア様、新スレ立ち上げ、おつかれさまです。
当方、相変わらず目立った進展はないのですが、
アドバイスいただいた「当たって砕けろ精神」を念頭に、
亀の歩みながらも、総本家への手紙を書き進めております。
>>16 そういっていただけると嬉しいです
>>18 着実に一歩一歩前進して行きましょう!
ちなみスレが遅かったのはどういうことかエラーになってしまったからです
以前にも同じようなことがありました
21 :
造り酒屋:2006/10/25(水) 21:52:07
先祖マニアさん、新スレありがとうございます。
ご無沙汰してしまっていますが、皆さんもお元気ですか?
私は、プライベートが忙しく全く進展がなく、
何も書き込むことができないので寂しいのですが
毎日、一度は覗きにこさせていただいています。
早く、何かご報告ができるように頑張ります。
>>21 先祖探しも毎日がテンション高めでいく訳ではありません
日常生活で忙しい時もあります
また落ち着いた時に少しずつはじめるのもいいかと思います
はじめは戸籍でかなり遡れますし広い範囲を攻めれると思いますが
遡れば遡るほど濃密になるので一歩一歩確実に慎重に探していかなければ
いけません
まあ 追々とですね
23 :
藤:2006/10/25(水) 23:47:38
新スレ立て、お疲れ様です。
わたしも今のところ進展がありませんが、母方曾祖母の単独除籍を本日請求しました。
これが来ると、母方曾祖母の死亡年月日が判明します。
母が生まれる前なので、母自身も知りません。
某県立図書館から借りたい本も、地元の図書館に利用登録に行ったところで終わっています。
大きめ図書館で得た資料のコピーもまだそんなに読めてないし…。
中世の資料がまったく足りないです。
本によって年が一年ずれてるし。
天正十五年と十六年のどっちを信じたらいいのか、わかりません。
これによってほぼ直系の人の死亡時期もずれるし…。
天正15年とはかなり古くまで遡れましたね
誤謬の可能性もありますね
こればっかりはいろんな資料をあたって見るしかなさそうですね
浅右衛門さんが詳しそうですが・・・・
私の経験でも1年違うことで???ってなったことがあります
干支とかで分かることはありませんか?
(これも浅右衛門さんから教えられたことですけど・・)
26 :
藤:2006/10/26(木) 00:33:16
>>25 本のコピーから拾ってきているので、干支まではわかりません。
同じ出版社のAという本には天正十五年、
Bという本には天正十六年、という感じで書いてあります。
27 :
浅右衛門:2006/10/26(木) 08:05:06
先祖マニア様
新スレ立て、ありがとう御座います。
トラブルお疲れで御座いました。
史料によって、異なる記述になっているというのは、
そんなに珍しいことではないと思います。
四〜五百年前の事ですから、「分からなくて当たり前」だと思います。
藤様の場合は、現時点ではそのまま、そのことを受け入れられれば
いいと思います。「二つの説があり、詳しくは分からない」と。
自分の経験から申し上げますと、そのうち、忘れた頃に、
また別の史料に出会えますよ、きっと。
>>26 その出版社に質問してみるのはどうでしょうか?
どちらが正しいのか?を
29 :
先祖隊:2006/10/26(木) 21:55:44
先祖は東京市本所区の出身ですが、東京大空襲で戸籍関係が焼失しています。寺も同様に火災焼失をしました。
これから先を辿るには、どうしたらいいでしょうか。教えてください。
まずはどこまで遡れるのですか?
曽祖父くらいですか?
31 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 23:22:25
かえって余計なことがわからず、せいせいしていいじゃないか。
>除籍全部事項証明書(除籍謄本) 750円
>除籍個人事項証明書(除籍抄本) 750円
どうちがうんですか?
戸籍謄本と戸籍写本の違いみたいなもん
×写本
○抄本
スマソ
35 :
先祖隊:2006/10/27(金) 21:44:39
先祖マニア様 有難うございます。
ご指摘の通り、曽祖父までです。法務局へ行きましたが、相手にされませんでした。
>先祖は東京市本所区の出身ですが、東京大空襲で戸籍関係が焼失しています。寺も同様に火災焼失をしました。
公的な記録ではさかのぼれない状態ですよね。これ以外で解る可能性としては、
・曾祖父の位牌が伝わっている親族に過去帳が無いかどうか。
・祖父母世代で戦前生まれの親族が居ないかどうか。
私たちの様な普通の一般市民だとこれ以外に見つかる可能性は低いと思われ。
37 :
友三郎:2006/10/27(金) 23:38:28
先祖マニアさん、こんばんは
前スレ937でお世話になった者です。現在のご先祖様調査の状況です。
01高祖父...名前判明 故郷不明 生年月日不詳
02高祖母...不詳
03高祖父...名前判明 新潟県 生年月日不詳
04高祖母...不詳
05高祖父...名前判明 福井県 文政九年
06高祖母...名前判明 福井県 文政十年
07高祖父...名前判明 石川県 生年月日不詳
08高祖母...名前判明 石川県 天保十三年
09高祖父...名前判明 福井県 文化十四年
10高祖母...名前判明 福井県 天保七年
11高祖父...名前判明 福井県 天保ニ年
12高祖母...名前判明 福井県 嘉永五年
13高祖父...名前判明 徳島県 天保九年
14高祖母...名前判明 徳島県 嘉永元年
15高祖父...名前判明 徳島県 天保十一年
16高祖母...名前判明 徳島県 嘉永三年
38 :
友三郎:2006/10/27(金) 23:39:31
私は01高祖父と同じ苗字です。母方は09高祖父と同じ苗字です。
名前が判明した高祖母は、旧姓までわかりました。
ありがたいことに、13高祖父は、その父の名前と生年月日(文化十年)、
さらにその父(13高祖父の祖父)の名前までわかりました。
01〜04で難航しています。
17曽祖父の除籍謄本が80年基準で廃棄されてしまった為です。
80年を経過しても、きちんと保存してくださる良心的な市区町村がある中で、
とても残念に感じています。ご本家にお手紙をお送りしたところです。
何か手がかりだけでもわかればよいのですが...。
>>35 そうですかそれは曽祖父の戸籍があるということですか?
それとも祖父の戸籍しかなくてそこに曽祖父の名前があるということですか?
36さんの指摘が一番的確だと思われます
本所というと昔ながらの下町だと思いますので先祖の方は借家とかでしょうか?
それとも土地を持っていましたか?
土地を持っていたのなら旧土地台帳からの検索も可能ではないでしょうか?
ただこれまた空襲で消失していれば残念ですが
また先祖の方は昔から本所に住んでいるかを確認してみれますか?(親族等に)
本所なら昔からすんでいる可能性が極めて高そうですが
ひょっとしたら地方からの移住の可能性もないかなって思いました
そうなると仮定ですが明治中期に高祖父はとある地方から来たことが証明できれば
その本家となる家を探せないかな?と思った次第です
これは殆ど可能性は低いと思いますが諦めたら終わりなのでやるべきことは
やってみたらどうでしょうか?
まずは親族の古老から何かしらの情報を得ることですね
友三郎さんこんばんわ
1,4に関してですが
1の故郷は17の戸籍から推測できませんか?
17曽祖父の戸籍の「生から死まで」の全てが破棄されているのですか?
次にその故郷の該当法務局に行き土地台帳を閲覧して高祖父の名前が記載されている
ものを調べてみるのもいいかもしれません
でも一番はやはり本家に聞くのが良いですね
真摯な態度で臨めば活路は見出せると思います
41 :
やすべぇ:2006/10/28(土) 01:48:59
>>29 >>35 先祖隊さん
土地を持っていたのなら、少し大きな図書館で
『都道府県別資産家地主総覧 東京編』を見るという手もあるかもしれません。
私の先祖・親類は土地を持っていなかったようで、一人も載ってませんでしたが・・・
さて、私事ですが、やや進展が。
総本家への手紙は未だ作成中ですが、本家には簡単な手紙を書き、送りました。
近々祭りがあるので、それに参加しつつ、訪問したいとお願いしたところ、OKとの返事が。
電話したところ、20年前は見せてもらえなかった系図をもしかしたら見せてもらえるかもしれません。
20年間の付き合いの賜物が得られるといいですが。
このスレに触発されて先祖調査を始めた者です。
半年くらい調査して結構わかりましたが
戸籍などからの情報も限界です。
やはり次の段階としては手紙作戦が有効ですか?
その前 3/144判明
|
その前 3/72判明
|
高曾祖父母 7/36判明
|
高祖父母 12/16判明
|
曾祖父母8/8判明
|
祖父母
|
両親
|
私
>>41 少し進展しましたね、系図が見れたらかなりの情報が得れますね
どうして20年前は見させてもらえなかったのですか?
>>42 まずは祖父母や叔父、伯母のツテで縁戚を紹介してもらうってのはどうでしょうか?
高祖父母は私たちからすればかなり昔の全然知らない先祖になりますが
祖父母からすればその祖父母ですので家の場所も分かっているのではないでしょうか?
(その祖父母も小さい時には遊びに行ったとか)
もしそれが出来ないのであれば、やはり手紙作戦しかないですね
46 :
友三郎:2006/10/29(日) 00:44:32
先祖アニアさん こんばんは
「1高祖父」〜「4高祖母」でつまずいている友三郎です。
「17曽祖父」の戸籍の「生から死まで」の全てが破棄されているようです。
「生から死まで」とはお願いしなかったのですが、「17曽祖父の戸籍」は廃棄済であると言われました。証明書はもらっていません。
「25祖父の戸籍」は、生れた時の記述がないものです。「26祖母」との婚姻のことは記載されています。
「25祖父」は、住んでいた場所はわかりますが、どこで生れたかわかりません。
「25祖父が住んでいた場所」=「17曽祖父の故郷」=「1高祖父の故郷」とは限らないようにも思いますし....。「25祖父」の生れた場所がわからないのが問題ですね...。
「25祖父」の謄本に書かれている「26祖母」の記載ですが、父親(3高祖父)の名前書かれているものの、母親(4高祖母)の欄は空欄になっています...。
「26祖母」の入籍の記述から、「3高祖父」の謄本を新潟県の某村役場に請求しましたが、見つからない旨の回答でした(破棄とは言われませんでした)。
そんなわけで「4高祖母」の名前もわからない状況です。
「25祖父」の謄本ですが「25祖父が生れたときのことが記載されている戸籍」ということでは請求していません。
ただ、「25祖父が生れたときのことが記載されている戸籍」は「17曽祖父の戸籍」とイコールではないか、つまり破棄済ではないかと考えていますが....。
試しに、「25祖父が生れたときのことが記載されている戸籍」を請求してみようかと思っています。
47 :
友三郎:2006/10/29(日) 01:07:20
05〜16の高祖父、高祖母をみると、江戸時代ということもあり、同郷です。
当時は、新幹線や飛行機など無かったわけで、遠距離恋愛は考えにくいので同郷なのだと思います。
なので01高祖父と02高祖母、03高祖父と04高祖母は同郷である可能性が極めて高いのだと思います。
03高祖父の謄本は見つかっておりませんが、25祖父の謄本に書かれている26祖母の入籍の記述から、新潟県の某村であることがわかっています。
なので、04高祖母も新潟県の某村、若しくは近隣の村であると思います。
01高祖父、02高祖母も新潟県某村と考えられなくもないですが、
05高祖父、06高祖母が福井県なのに対し、07高祖父、08高祖母が石川県なので、01〜04の4人とも新潟県と考えるのは早計のようにも思えます。
本家から何か教えてもらえると嬉しいのですが..。
48 :
藤:2006/10/29(日) 01:19:36
>>47 >当時は、新幹線や飛行機など無かったわけで、遠距離恋愛は考えにくいので同郷なのだと思います。
決めつけるのはよくないですよ。
人には先入観というものがありますから、決めつけてしまうとその考えから抜け出せなくなります。
私の7高祖父の弟は長崎から嫁をもらっています。
(7高祖父及び弟は東北地方です)
こういう例もありますので。
49 :
友三郎:2006/10/29(日) 01:26:21
47の記述に誤りがありました。失礼いたしました。
間違い
03高祖父の謄本は見つかっておりませんが、25祖父の謄本に書かれている26祖母の入籍の記述から、新潟県の某村であることがわかっています。
訂正後
03高祖父の謄本は見つかっておりませんが、25祖父の謄本に書かれている18祖父母の入籍の記述から、新潟県の某村であることがわかっています。
>>47 うちも藤さん同様、遠距離なのに婚姻してますね。
先入観や憶測で決めてしまわない方が何事も良い結果を生むかと思います
51 :
先祖隊:2006/10/29(日) 07:46:06
先祖マニア様 やすべぇ様 有難うございます。
祖父の戸籍に、曾祖父夫婦の名が出ておりました。また、地籍台帳には同姓の名が有りましたが、親戚かは不明です。
祖父の戸籍内に、曾祖母の 本籍地記載が有りました。これを手がかりに、再度確認をいたします。
先祖に興味を持ち始めた頃には、先祖に詳しい者は他界をしており、もっと早くから行えばよかったと後悔をいたしております。
進展がございましたら、ご報告させていただきます。
>>46 「26祖母」の入籍の記述から、「3高祖父」の謄本を新潟県の某村役場に請求しましたが、見つからない旨の回答でした(破棄とは言われませんでした)。
そんなわけで「4高祖母」の名前もわからない状況です。
何かしらの証明書は必要かと思います(破棄でももともと無くても)
あと曽祖父の戸籍が破棄ということは友三郎さんは私の1つ上の世代なんですね
となると私の五代前の先祖になりますので江戸後期から明治初期には亡くなっているかもしれません
(推測ですが曽祖父の死が明治の後期と仮定してです)
とりあえずは祖父の戸籍の精査から初めて見ましょう
現在何もできないのならまずは本家に聞くこととと同郷からの調査から
始められたらどうでしょうか?
そうして少しずつ調査範囲を広げていきましょう
3〜4にかんしては18曾祖母の実家ですのでその子孫の方を探すのが先決だと思います
父親はご存命でしょうか?父親からすると祖母の家になりどこにあるのか判りませんか?
もし分からなくても戸籍から18曾祖母がどこにいたかは分かりますので
現在の子孫がどこにいるのかは分かると思いますので、ここからは手紙攻撃しか
ありません!!!
>>51 そうですか、戸籍を何回も何回も見てください
その度に新しい発見があるかもしれません
そして、その疑問を解決できた時にまた少し前進すると思います
また報告お願いいたします
54 :
友三郎:2006/10/29(日) 23:48:03
先祖マニアさん
48 :藤さん
50さん
こんばんは
高祖父、高祖母が明治時代の人なら、遠距離恋愛もありだと思います。
私の場合は、高祖父、高祖母が江戸時代・幕末の方です。
生年月日が判明しているのは、16人中11人ですが、1817年〜1852年です。
故郷が判明したのは16人中12人ですが、カップルは皆、同郷か隣村です。
この時代で遠距離恋愛は、よほど家柄のよい武家とか公家だけだと思います。
曽祖父は25祖父の兄の謄本「戸主とナリタル原因及ビ年月日」欄によると、
明治38年7月5日に亡くなったようです。25祖父は次男で、その兄が相続して戸主になっています。
■17曽祖父の故郷を調べる件
25祖父の戸籍の精査ですね。アドバイスありがとうございます。
25祖父の戸籍で、25祖父が生れたことが書かれている謄本を請求してみます。無い場合は廃棄証明をもらうようにします。
■18曽祖母の子孫を調べる件
手紙攻勢には電話帳の購入が必要でしょうか。電話帳から住所を調べて、お手紙を出すことだと思いますが、自分と違う県のタウンページは購入可能でしょうか?
25祖父の兄の謄本によると、明治15年に入籍しています。新潟県の某村が18曾祖母の故郷ですが、村の名前と父親の名前までで、村の地番は書かれていません。
父の祖母なのですが、父はご先祖様にご興味が無いようで、昔のことは何も教えてもらえません。何かいやなことでもあったんだろうか...(TT)。
電話帳は県立図書館に行けば全国のがありますが、近くにありませんか?
購入も可能です
村の地番がかかれていない場合は同姓全てに手紙を書くしかありませんね
父親に積極的に聞きましたか
それで父親に教えてもらえないのならいやなことでもあったのでしょうかね
まあ一概には言えないと思います、昔のことに興味のある人間ましてや
先祖に興味のある人間は一握りです、ですから興味のない人間は先祖のことを知らない
と思います。教えようにも教えられないのではないでしょうか?
56 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 14:36:23
>>23 単独除籍とは、どういうものなのでしょうか?
今まで出なかった言葉に思えたので、教えていただけませんでしょうか。
57 :
藤:2006/10/30(月) 20:23:15
>>56さん
「曾祖母一人だけが記載されている除籍」の意味で書きました。
この曾祖母は曽祖父の死後、息子(祖父)の戸籍にいましたが新戸籍を編成したので
そちらには曾祖母一人しか載っていないのです。
58 :
やすべぇ:2006/10/30(月) 22:25:47
>>44 先祖マニアさん
>どうして20年前は見させてもらえなかったのですか?
単純に信頼されていなかったのではないかと。
20年越しの付き合いで信頼されたのならよいのですが。
>>54 友三郎さん
江戸時代に婚姻が近郷同士で行われていたというお考えで大方の方向性に外れはないと思います。
ただ、何が起こるか分からないのが先祖探しですので、
遠距離の婚姻も0%ではないということだけを頭の片隅に置いておいていただけたらいいのではないでしょうか。
ここの住人の皆さんは多かれ少なかれ思い込みで痛い目に遭ったことがあるようですので(私もあります)、
そうならないようにというアドバイスとして受け取っていただけたらと思います。
電話帳ですが、電話帳ソフトという手もあります。
全国の電話帳が収められています。
いくつかの会社が出しているようです。
使っていますが、う〜ん、やや使いにくい部分がありますね。
手紙作戦はいずれ私も着手したいと思っています。
59 :
友三郎:2006/10/30(月) 23:05:27
先祖マニアさん
やすべえさん
こんばんは
58>そうならないようにというアドバイスとして受け取っていただけたらと思います。
そうですね。何事も思い込みは遠回りになってしまうので、客観的な判断が大切ですね。
55>教えようにも教えられないのではないでしょうか?
冷静に考えると、そうなのだと思いました。
父が生れたとき、既に曽祖父は亡くなっておりました。
そして、父が2歳のとき曾祖母が亡くなっています。
特に先祖に興味がなければ、祖父、祖母から聞くことも無いでしょうし、
知らないのだと思います....。
そういう私自身、私が生れる前に祖母は亡くなっています。
そして、私が3歳のとき祖父が亡くなっています。
なので、祖父や祖母のことがわかっていない状況です.....。
60 :
友三郎:2006/10/30(月) 23:15:03
■18曾祖母の子孫を調べる件
18曾祖母の故郷で除籍謄本が見つからない現在
(廃棄証明はまだもらっていません)、子孫の方を探すべく、
新潟県某村が掲載されているハローページを申し込みました。
ttp://tpnet.nttds.co.jp/index.html ttp://tpnet.nttds.co.jp/zenkoku/ichiran/index.html ttp://tpnet.nttds.co.jp/toi/toi_01.html 届いたら、子孫の候補の方にお手紙を出します。
■17曽祖父の故郷を調べる件
25祖父の戸籍の精査。
25祖父の戸籍で、25祖父が生れたことが書かれている謄本を請求。
これから請求します。廃棄証明だと悲しいかも...。
■本家に調査依頼
本家にお手紙を出しましたが、音沙汰無しですね(TT)。 実は、本家には、祖父の兄の長男の嫁、父のいとこの嫁がお一人 残っているだけなんです....。で、大正8年生まれなんです。
87歳ですね。ご健在なのですが、そのような方に私の曾祖父や高祖父の ことをお尋ねするのは、考えてみれば酷であったと思います....。私の直系の方ではないわけですし...。
本家には、その方だけで跡継ぎがいらっしゃいません....。
父のいとこの方が健在のときに、先祖に興味を持っていればと思うと悔やまれてなりません...。20年前にご先祖様を調べていたら(TT)。
ただ、私が本家と呼んでいるのは、祖父(次男)の兄(長男)の家系だから です。実は、高祖父や曾祖父自身が長男でない可能性もあるわけで大本の本家もあるのかもしれませんが、それさえもわからない状況です。
現状では、本家調査をあきらめなければならないかもしれません。
61 :
やすべぇ:2006/10/30(月) 23:40:47
本家に位牌や過去帳がある可能性はないでしょうか。
墓地は分かっているんでしたっけ?
これらを調査できれば、突破口になるように思います。
本家に残っている方々は墓地の場所をご存じないでしょうかねぇ。
>>58 では20年越しの信頼で是非とも家系図を拝見させて頂きたいですね
いつごろになりそうですか?
>>60 現状では、本家調査をあきらめなければならないかもしれません。
絶対に諦めてはいけません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
87歳です 手紙の返事のために返信用の手紙を同封しましたか?
相手がイエス ノーで答えれるようなものを手紙の裏に印刷して出しましたか?
手紙が難しい場合の事を仮定して家の電話や若しくは携帯番号を教えていますか?
イトコの嫁に分かるように父親のことを詳しく手紙に記しましたか?
私の経験上ですが年配の方は音信不通になる傾向があります(というか、みんな)
そんな時には電話をしてみてください
必ず手紙を出そうかと思ったんだけどなかなか忙しくてとなります
そのタイミングでお宅に伺いたい旨を伝えると(情熱っぽく)
ではいいですよって事になる事が多かったです
行く時目的は61のやすべえさんにあるように
位牌、過去帳、墓の有無
伝承の本家の確認ですね
絶対に諦めてはいけません!!!!!!!
あとは直接自宅に伺うのもいいのではないでしょうか?
これは友三郎さんの腹のくくり方になりますが
行かないで諦めて後悔するよりは行って見ることをお勧めします
絶対に
>>63 忙しくてってのは建前で、よくわからない人にプライバシーを教えるのは気持ち悪い
あたりが本音だろなって察するのが普通なのに、電話はしてくるわ直接来るわって・・・
知りたい気持ちはとてもよくわかりますよ。
けれど自己の欲望を優先させすぎて、他人の気持ちを考えなさすぎではないでしょうか
失礼ですが大人の良識ある行動とはとても思えないです
まあまあ
テクニックエピソードを語るスレなんだからいいんじゃない。
そもそも先祖探しに困った人が来るスレなんだし。
返事がしたいけど体調が悪くて手紙書けないのかも知らんし。
先祖探しに限らず人にものを尋ねるときは礼節と相応の配慮は大事だとは
思うがね。
先祖マニアさんの言葉も足らないとは思うけど、礼節と配慮を持って
伺いなさいということだと思うけど。
俺の場合は手紙出して駄目だったら、親しい親戚に聞いてもらって、
了解を得られたら、アポ取りの電話して、菓子折り持参して行ったけどな。
本当に嫌だったら断ると思うし。
結構前のスレでこの辺のコミュニケーションの取り方についても語られていたような気がするが。
親戚へ訪問した経験者さん、常連さん情報求む。
67 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 11:17:41
>>57 よくわかりました。ご丁寧にありがとうございます。
>>63 >>66さんのように間に親しい親戚の方が入られて
アポを取れてOKをもらえているならいいと思います。失礼しました
69 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:29:17
6親等以内の近親なら調査協力を迷惑がられないかな?
70 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 17:19:42
何でもいいけどさ、他レスを引用するときは、「>」つけてくんない。
読みにくくて、しょうがない。
71 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 19:51:22
>>70 たぶん、書き込み方がわからないんだよ。
俺も分からなかったもん。
すぐに分かるところには、書いてないだろ?
二重になった不等号「>>」さえも、どうすればいいか
相当悩んだもんだ。「>」を二回打つだけだけどね。
それから、すべて半角で打たないといけないんだったよね。
73 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 20:17:08
>>72 どういたしまして。ついでにもう一つ教えてくれ。
名前の色が「青」だったり、「緑」だったりしてるけど、
どうやって色付けすればいいのか、ずっと悩んでるんだが。
よろしく。
74 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 20:18:34
>>69 6親等以内でもまったく付き合いがないと他人と同じだからなあ
75 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 20:20:34
>>73 名前の色は勝手に変わってるんじゃないか?
俺の専ブラだとこの板で名前の色は変わってないみたい
76 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 20:23:35
>>75 そうか。サンキュー。
勉強になった。こういう質問は、スレ違いだな。
申し訳ない、ここの住人のみんな。去るよ。
ウンコ 下痢 チンチン 小便 尻の穴 糞 下痢 金玉
肥溜め 脱糞 チンチン 腐った尻 腐ったウンコ 脇毛
チン毛 ハラ毛 腐れ毛 肛門毛 肛門の臭い チンチンの先の臭い
水戸肛門 肛門からウンコ下痢屁がドップン 牛豚の尻
チョンの尻 チャンコロの尻 腐った屁 腐った肛門
本州+九州+四国+佐渡島+淡路島+隠岐諸島+壱岐+五島列島+男女群島+天草諸島
+平戸島+甑島列島+伊豆諸島(八丈島まで)+伊勢湾と若狭湾が元々陸地=大本州
地続きになれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
77はご先祖様からも見捨てられた哀れな人
78は何でいきなりそんなことを言い出すのかね?
>>66 フォロー有難うございました
私の言いたいのはまさにその事ですよ
確かに長年調べていくと色々な方に出会います、断られる方もいますし
前のスレで書きましたが キッツイ方もおられます
しかしその反面 是非とも来て下さいという方や会えて嬉しいという方も多くいます
そのような時には今までの苦労が吹っ飛ぶ気分になります
人の縁とはそのようなものですね
あともう1つ 先祖を探すのは基本的には一人でします、時には落ち込むことも
ありますし躊躇する事だってあります。
でもここの住人の方の暖かい励ましや叱咤激励で次の扉を開けることも可能なのではないでしょうか?
私もここの住人に励まされて今迄諦めていた事や躊躇していたこと、もういいかって思って
やめていたことを更に進めていけたことがあります。
まあお互い励ましあって行きましょう!!!
81 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 17:24:14
五代前の先祖は五世祖父母、親の従兄弟は従伯父・従伯母であってますか?
82 :
日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:52:41
>>81 五代前の先祖は「高祖父の父」とか「高祖父の母」
「高祖母の父」とか「高祖母の母」と言うのが一般的。
六代前なら、 「高祖父の祖父」とか「高祖父の祖母」
「高祖母の祖父」とか「高祖母の祖母」。
親のいとこは、「いとこちがい」という。
詳しく言うと 「伯従父(親より年上)」「叔従父(親より年下)」
「伯従母(親より年上)」「叔従母(親より年下)」と書いて
「いとこおじ」「いとこおば」という。
名前の色が緑だったり青だったりというのは…。
マジレスするけども、メール欄に何がしか入力されてれば青になる。
例えば"sage"。
別にsage推奨でもage推奨でもないんだよね?ここ。
85 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 05:29:29
名高く先生と呼ばれる人々・内閣総理大臣
・政治家
・議院
・議員
・軍人
・武士
・士族
・華族
・公家
・朝廷
・武将
どれかに名前書き込みググレ
先生と呼ばれるなら教師だろw
87 :
藤:2006/11/03(金) 14:15:49
母方の曾祖母の死亡年月日がわかりました(除籍が届きました)。
曾祖父も早くに亡くなったため、『この曾祖父母は孫(私の母親)の誕生を知らないんだ』
そう思うと、ちょっと感傷的になってしまいました。
11高祖父の兄(高祖父が婚姻したときの戸主)の除籍もダメモトで申請してました。
……やっぱり、ダメでした。
これがもし取れていたら、高祖父と親の続柄(現在、原本から消されています)が判ると思ったんですが。
高祖父の母の名前とか。
88 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 14:21:05
なぜ駄目だったの
元々無かった?
それとも請求不可?
89 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 14:36:29
>>87 80年で廃棄されたの?
これでは駄目だった理由がわからないね。
90 :
藤:2006/11/03(金) 15:34:01
>>87-88 これ以上ない、が正解です。
言葉足らずですいません。
できれば続柄が知りたかったので、今回請求しました。
こっそり載ってないかな、と思ったので。
本州+九州+四国+瀬戸内海の島々+佐渡島+淡路島+隠岐諸島+壱岐+平戸島+五島列島
+男女群島+天草諸島+甑島列島+伊豆諸島(八丈島まで)+伊勢湾と三河湾と若狭湾が元々陸地=大本州
地続きになれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
>>87 >11高祖父の兄(高祖父が婚姻したときの戸主)の除籍もダメモトで申請してました。
……やっぱり、ダメでした。
これがもし取れていたら、高祖父と親の続柄(現在、原本から消されています)が判ると思ったんですが。
高祖父の母の名前とか。
兄弟は兄しかいないのですか?
高祖父の弟 姉 妹とかはいませんか?
古いので探せないかもしれませんが一応親類に聞いているのはどうでしょうか?
(おじいさんの兄弟姉妹とかに)
93 :
友三郎:2006/11/04(土) 12:42:21
>>63 先祖マニアさん
こんにちは
はい、あきらめず努力します。
先ほど、17曾祖父の除籍謄本が廃棄済である旨、廃棄証明書が届きました(TT)。
25祖父の生年月日はわかりますが、祖父が生れた場所もわからない...。
手元の祖父の除籍謄本には、生れた場所の記載が無いんです...。
17曾祖父の除籍謄本の廃棄とともに、25祖父の生れた場所も不詳になりました。
自分と同じ苗字のご先祖様の故郷がわからない...。
現在のステータス
1高祖父 名前だけ判明 生年月日、故郷不明
2高祖母 不詳
3高祖父 名前と故郷だけ判明 生年月日不明(謄本が見つからず)
4高祖母 不詳
7高祖父 生年月日だけ不明(頂戴した謄本は、既に長男が戸主になっていた。)
17曾祖父 名前だけ判明 生年月日、故郷不明
18曾祖母 名前 生年月日 故郷すべて判明するも、故郷側で謄本が見つからず
自分と同じ苗字のご先祖様のことが、一番わからない...。
本家にお電話してみます。
94 :
藤:2006/11/04(土) 18:54:24
>>92 他にもきょうだいはいたのかもしれませんが、名前が判るのは戸主であった兄と父親
だけです(母親の名前もわかりません)。
高祖父の親類とはまったくつき合いがありません。
>>93 本家に聞くしかないですね
まずはそこからです
96 :
日本@名無史さん:2006/11/04(土) 23:15:11
お寺の過去帳でわかる範囲について、教えてください。
法名、俗名、命日、続柄くらいまででしょうか。
生年月日や生誕地は無理でしょうか。
無理です
家の過去帳なら
誕生地はひょっとしたらあるかもしれませんが
誕生地というよりかは婿養子とか出来てその土地の名前と苗字や屋号が
書いてあるケースもあるかもしれませんが
お寺はないと思いますよ
98 :
96:2006/11/04(土) 23:27:01
>>97 そうなんですね。ありがとうございます。
除籍謄本が廃棄されてしまうと、遡るのは辛いですね。
本家に何もなければ、もう遡れませんね。
そうですね
基本的には除籍で江戸末期運がよければ1800年前半までは行きますが
それより遡る場合は位牌や過去帳、墓からになりますからね
でもこれらの資料を発見してあ〜でもない こ〜でもないと考えるのが
楽しい時間です(お酒でも飲みつつ)
位牌、過去帳、墓の3点セットが見つかることは稀かもしれませんが
1つはあるのではないでしょうか?
確かに過去帳があればかなり遡れますが無くても位牌や墓やお寺の過去帳で
もう少し位は遡れるのではないでしょうか?
それでも私の家は庶民だったので1700年代後半まで終わりましたが
それでも200年以上前で7〜8世代位前まではなんとなく分かりました
100 :
96:2006/11/04(土) 23:41:25
>>99 1700年代後半とはすごいですね。
本家で位牌、過去帳、墓のどれかがわかるといいのですが。
本家に尋ねてみます。
そうですね
3つそれぞれあるかを聞いてみましょう
特に墓は何箇所にも分かれている場合もありますんで注意が必要ですし
過去帳も親戚や遠縁の方が古い代のことを詳しく書き写して残されている
可能性もあります
私の例では位牌が跡取りではなくて嫁いだ娘の系統の家にあった!ということがありました
あと本家も実は分家で総本家があるかもしれませんのでここら辺も慎重にいきましょう
102 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:36:05
あげとく
>>101>本家も実は分家で総本家があるかもしれませんので
これ多いみたいよ。戦前金のある家は教育の為都会に出して
そのままって感じらしいし、田舎帰っても仕事も無いし。。
孫分家なんて云うのは珍しくないもんな。
105 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 11:15:51
うちは祖父が祖母に婿入りしていて、祖父の父の姉の息子の娘が祖母なんですが、二人とも同姓なのです。
これは祖父の父の姉が婿取りしたのかと思ったのですが、
祖父の祖父は祖父の父がいるのに祖父の父の姉の夫を養子にしたのか?と不思議なんですが、
普通こういう事はあるんでしょうか?
106 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 14:53:46
よくはないが全く無い訳でもない
なにか事情があるな
107 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 17:45:11
>>105 昔、特に商家では、優秀な跡継ぎを求め、
親が息子に商いの才能が無いと判断したときは、
娘のほうを跡取りにして、商いの才能のある優秀な婿養子を求めたそうです。
ふと、そのことを思い浮かべました。
家紋はどこまで信用できるものなのでしょうか?
一部、サイトで江戸時代に使用が禁止された葵紋位しか信用できないと記載されていたのですが。
>>108 厳密にご法度だったのは葵紋ぐらいで他は自由に使えました。
菊ですら皇室とは関係ない家が江戸期に使っていたこともあります。
婚姻や代替わりや個人的趣向で変えたり、武功によって下賜されて変えたり
ひとつの家がたくさんの家紋を持っていたりと、家紋というのはかなりアバウトなものなので
お家と家紋を直結させて考えても正しい答えは出てこないと思います。
参考程度に捉えていればいいのではないでしょうか
110 :
108:2006/11/08(水) 19:23:54
>>109 レスありがとうございます
家の家系図を数年前にお寺が紛失しまして、実家は一応それなりの旧家なもので家紋から辿れないものかと思った次第です
葵紋とは明治時代に付けることは出来るものでしょうか?
古いお墓に左離れの立ち葵紋と思われるものが彫ってあります
>>110 明治時代は体制が変わったので菊紋の使用が厳しくなり
逆に葵紋の使用はお咎めはなくなりましたね。
旧家なら昔は婚姻しているお家も相応のお家なので
明治時代あたりの婚姻先の旧家から辿られたほうが正確なのではないでしょうか。
旧家なら地元の人がよく知ってますよ
都会に出た分家より、地元の他人の方が事情通だったりします('A`)
113 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 20:10:50
>>107 しかし墓を調べると婿養子?の高祖父(祖父の父の姉の婿)の名前がないのです。高祖母(祖父の父の姉)はあるんですが。
もしかして婿取りじゃなく、嫁いだ跡に単に離婚して旧姓(私の名前)に帰ったんでしょうか?
114 :
118:2006/11/08(水) 20:22:34
>>111,112
レスありがとうございます。
伝えられている話によると今の家がある場所に移ってきたのは300年位前みたいです
天明の飢饉の餓死者の供養塔(これにも葵紋が彫ってあります)がありますので200年前には確実に今の場所にはいます
家自体も町中にあるわけではなくひどく辺鄙なところにあります
当時困窮していたためか、明治期の婚姻はお金がある家と結ばれていてあてに出来そうもありません…
115 :
108:2006/11/08(水) 20:23:38
116 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 20:31:41
>>113 要するにあなたの祖母が、分家から(曽祖父のいとこである)祖父を
婿にとったわけですね。
高祖母の父母のお墓とかは同じ墓地にありますか?
無いのは高祖父の墓だけですか?
「高祖父の名前」とありますが、「高祖父の墓石」の意味ですか、
それとも、墓地改葬されていて、「墓誌」みたいなかたちになっているのですか?
117 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 20:44:55
>>108 葵紋は誰でもつけて問題なかったのではないですか。
「三つ葉葵」のことではないでしょう?
「三つ葉葵」ならば徳川家の紋ですから、つける方は徳川家から嫁に行ったか、
養子に行ったか、特別に下賜された者だけでしょう。
「左離れの立ち葵」ということですから、「一家紋」ととらえていいと思います。
>>108 テンプレは実行されましたか?
旧土地台帳や宗門人別帳、町史や県史
同じ地区の同じ苗字、家紋のお家を調べるとか・・・
旧家なら本家にお寺の過去帳の写しがある場合が多いですよ。
119 :
108:2006/11/08(水) 21:29:52
>>118 本家の当主の代理として過去帳に関して菩提寺にお願いしていますがお坊さんが東京に出ていないなど様々な理由を付けられてはぐらかされております
恐らく、家系図とともに紛失したのではないかと内心思っています
本家では二つ家系図をもっていまして一つは屋敷に、もう一つは菩提寺に置いてありました
しかし数年前、屋敷の小火で一つが燃えたため、菩提寺のものを写すことをお願いした時に、紛失が判明しています
本家自体は神式で冠婚葬祭を随分前から行っていますのでお寺との関係も弱いです
市史を調べ、曾祖父に関しての記述を見つけることが出来ました、戸籍を取り寄せ数代前までは何とかわかるという状況です
120 :
108:2006/11/08(水) 21:36:29
>>118 付近に住んでいるのは大体は分家です。
一番古い分家は約200年前に別れたらしいのですが、家紋も家を分けたときに替え紋を家紋にしたため分家は別の紋です。
分家の系図も本家が管理していたため、やはり一緒に焼失してしまいました。
121 :
浅右衛門:2006/11/08(水) 21:42:47
>>119 お寺からの情報収集は厳しそうですね。しかし
神式といっても明治以降ですから、それまでは必ずお寺に「所属」していた
わけですから、菩提寺には必ず「鬼籍簿」(宗派により違うと思いますが)、
というか「過去帳」というか、その種の記録は残っているはずですよ。
お寺にとって一番大切な書類ですから。
あとはあなたの家と菩提寺とのお付き合いの程度により、どこまでの情報が
得られるのかですね。
菩提寺に家系図を置いていたというのもちょっと考えにくいのですが、
いつ頃、どなたが、お寺に預けられたのか、その経緯が分かれば、何か
手がかりが出てくるかも知れませんね。
>>119 神社にもその手の記録は残ってるもんですよ
神社の方も当たられては。
123 :
108:2006/11/08(水) 21:55:17
>>121 屋敷に何かあったときの為に曾祖父が写しを作って菩提寺に予備として預けたそうです。
124 :
108:2006/11/08(水) 21:59:18
>>122 本家の敷地内に氏神を祭った神社がありまして管理は分家の一つがしているのですが、大事な文書などは本家の家系図などを置いていた建物に同じく置かれていたため残っていないんです。。
>>119 お寺は過去帳のようなものを保管場所を変えて保存していると聞きました
なぜならそれで食べてるようなもので、なければお寺はやっていけないからです。
ですので片方が燃えても片方は残るというわけです。
なにかと理由をつけて見せてもらえないのは、お寺とのお付き合いの浅さのせいでは。
代理ではなく御当主本人に出向いてもらった方が確率が上がるかもしれませんね
126 :
108:2006/11/08(水) 22:13:20
>>125 確かに、お寺との付き合いの浅さは否めません。。
現在、当主である叔父は病気で病院から出れる状態で無いため一番、本家に近い分家の私が代理で行った次第です。
叔父は子供もなく、当主の座を来年中には私に譲ると言ってます。
正式に、本家の当主になってから出向いたほうがよいでしょうか。
127 :
浅右衛門:2006/11/08(水) 22:15:29
>>123 >>124 そうですか、曽祖父さまがということは、50〜60年前の事でしょうか。
お寺が檀家(宗派によって違うかもしれませんが)から預かったものを
紛失するとは考えられません。あると思いますよ。「無い」と言う返事
があったわけでもないようですし。
同時に墓石の調査等も進められたらいいのではないでしょうか。
テンプレを実行されたらいいと思います。よくできてますよテンプレ。
128 :
108:2006/11/08(水) 22:29:48
>>127 あると信じて粘ります。。
墓石の調査は出来る状況にないです。
墓石の劣化が激しく6代前までしか溯れてません。
そもそもの系図自体も200年前の当主から始められていたらしくそれより前がわかっていません。
しかも家紋から本多家に繋がっているのでは?と勘ぐる分家もあり、一部には先走って改易された本多家の足取りなどを調べ始めた者もいて、どうしたものかと苦慮しています。
129 :
浅右衛門:2006/11/08(水) 22:44:40
>>128 家紋は、あてにならないと思いますよ。
誰が何をつけてもいいわけですし、一家に一つということでも無いですし。
墓石で6代前まで分かっているということは、だいたい200年くらい前
ではないでしょうか?
ということは、「無くなった系図」からは新たな情報は得られなかった
可能性も高いですね。
気持ちをきりかえて、あせらず地道に、ご自分で調べられたらいいです。
130 :
日本@名無史さん:2006/11/08(水) 23:10:16
>>116 みんな高祖父以外は一つの同じ墓です。
祖父方では、六世祖父━五世祖父━高祖父━曾祖父━祖父━父━自分
祖母方では、七世祖父(祖父方での六世祖父)━六世祖父(祖父方での五世祖父)━五世祖父(祖父方での高祖父)━高祖母(祖父方での曾祖父の姉)━曾祖父(祖父方での祖父の従兄弟)━祖母━父━自分
となります。
131 :
108:2006/11/08(水) 23:18:57
>>129 これから心機一転もう一度、一から始めてみます。
長々とありがとうございましたm(__)m
132 :
浅右衛門:2006/11/08(水) 23:23:56
>>131 先祖探しの旅は今からですね。
きっと先祖の導きがありますよ。
なぐさめでも何でもありません、経験からです。
がんばっていきましょう。
108さんへ
お寺の過去帳や家系図に関しては当主として正式に依頼をされたほうがいいと
思います
当然お布施も必要ですが
親密な関係になってから切り出すものいいかもしれませんがやっぱり最後は
金銭的なものになってくるのではないでしょうか?
お布施だから難しいでしょうね
始めにお渡しするので家系図が本当になくてもお布施は帰ってはきません
浅右衛門さんも書かれていますが
200年前からなら戸籍でも遡れる範囲ですし
お墓もボロボロでも何回も何回も見たら少しは判明できるのではないでしょうか?
また本家の位牌は確認しましたか?
確かに火事で家系図は消失したかもしれませんが位牌の有無は確認しましたか?
(過去帳も)
こちらの方で調べれるだけ調べてデータベースを作ってからそれを元に
お寺さんに正式に依頼をするのが確実だと思います
旧家なら絶対に過去帳に記載されていると思うのですが
(お寺が火事になった事が無い場合は絶対にあると思います)
105さんへ
戸籍(除籍)謄本で遡れるまで遡りましたか?
戸籍にはなんらかのことが記載されているかもしれません
(なぜ養子に行ったのかの謎がとけるかもしれないし)
苗字が同じ理由とかもわかるかもしれません
祖父は結局イトコの娘の家に養子に行っていますね
昔は血縁どうしの婚姻関係が非常に多かったとききます
(同じ格式の家どうしで結婚することが多かったので親類どうしなら同じ格式だから)
ただ単に親類同士で婚姻したということはありませんか?
135 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 01:12:59
カモンなんて当てにならねえよ
やっぱりお寺とは信頼関係が重要だと思う。
今年の夏に古い過去帳を整理してお寺に続き柄を書き出してくれるように頼んだら
「お寺から持ち出せなければいくらでも見て構わないから
今度お祖父さんと調べに来てください」
って言ってくれた。
お寺の過去帳を見たことないんだけど、1家に1過去帳じゃなく
年代で村ごと管理されてるので他の人のも必然的に目に入るとネットで見た。
そこには身分も書き添えてあるので、プライバシーの問題もあってか
外部の人には見せないって書いてあったけどどうなんだろう
138 :
浅右衛門:2006/11/09(木) 20:05:59
>>137 「村ごと管理」?
「身分も書き添えてある」?
これは宗門人別改帳と混同されているのではないでしょうか?
過去帳は一般的には二種類の記入方法で書きつがれています。
お寺自身が作る帳面です。
1,編年体のもの
いわゆる年代順、年月日順に命日が記入してあるものです。
檀家(宗派により呼び方が違うと思いますが)すべてが含まれます。
2,日順
朔日から晦日まで一日ごとに記入したもの。
その日にちの分が、古い年代から新しいものへと記入してあります。
139 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 20:36:56
今度、自分の家の過去帳をお寺で作ってもらおうと思ったんですけど、
祖父母の葬儀以降、法事すらしていないのでいきなり「過去帳作って」
なんて切り出すのも難しいし、日頃の付き合いもまったくないので
どうしたらいいでしょう。
>>138 過去帳と書いてあったので宗門人別改帳ではないと思います
たぶん1方式だと。
身分云々は三島の家がヒニンだった時があったと書かれた時
証拠として確認するためにお寺に過去帳を見せてもらうという事件があったらしいです。
もちろん拒否したそうですが。
村ごと管理というか、檀家全部管理と言う意味です
141 :
137:2006/11/09(木) 22:01:04
スマソ、過去帳を元に検証しようとしたとのことです
スルーして下さい
142 :
浅右衛門:2006/11/09(木) 22:03:02
143 :
飛瀬:2006/11/10(金) 14:24:06
途中経過です。
現在28祖母の甥(母の従兄弟)に手紙を出しています。
返信を待っている状況です。
ただ、かなり望み薄でよくて曾祖父母の戒名、写真を見せてもらえるぐらいだと思います。
実際はそれもままならないような気がしますが・・・。
144 :
飛瀬:2006/11/10(金) 14:27:03
連投すいません。
手紙などをだして情報提供をしていただいたり、会って頂いたりした方へのアフターケアなのですが、年賀状出してもいいですかね?
みなさんどうされてますか?
あと喪中だし(母方の祖父母の死去により)どうしようかなとも・・・。
つ【寒中見舞い】
>>144 年賀状はいいと思います
あとは墓参りに行った時に自宅に伺うとかはどうでしょうか?
(手土産持参で)
喪中ならどうしたものか・・・
年賀状ではなくよく喪中につき新年の挨拶を控えさせていただきます
というのが11〜12月にくると思いますがそれを使用して尚且つ
そこにすこしばかり文章を書くのがベストだと思います
147 :
浅右衛門:2006/11/10(金) 21:09:45
>>146 喪中欠礼状のことですね。
この喪中欠礼状に、他の事を書くというのはいただけません。
好ましくないことですよ。
心をこめつつ儀礼的に出すのが、この喪中欠礼状です。
どうしても感謝の気持ちを改めて伝えたいということであるなら、
心を込めて手紙を書くのが自然だと思います。
一度はお礼の手紙は出されているわけでしょうから。
148 :
飛瀬:2006/11/10(金) 21:53:13
>>145 >>146 >>147 ご意見ありがとうございます。
年賀状、喪中欠礼状、寒中見舞い・・・どうしましょう。
状況を考えると寒中見舞いが一番のような気もしますが考えて見ます。
149 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:37:12
宗門人別改帳について教えてください。
歴史資料館とかにある場合、見せてもらえるもんなんでしょうか。
見せてくれるケースと見せてくれないケースがあるんでしょうか。
目的は、自分のご先祖様探しなんですけど。
>>147 確かに冷静に考えればそうですね
失礼しました
>>149 宗門人別改帳は見たことがありませんのでなんともいえませんが
なんか断られそうですよね
ここの住人のなかで見たことある人いますか?
また先祖の名前が出てきた人っていますか?
ご無沙汰しております。
先週末ですが、法事があり、実家、叔父、いとこに、
簡単ながら調査結果をまとめた資料を渡しました。
家の歴史の概略、扇形系図、父系の系図程度の数頁のものでしかありませんでしたが、
非常に喜ばれました。みな興味がないと思っていただけに、正に「予想外」でした。
もう少しきちんとしたものをまとめたら、また渡してみようと思います。
本家は来週末に訪れます。
系図を見せてもらえるといいのですが。
過去帳、位牌は以前にも既に見せてもらっていますが、
念のため、もう一度、見せていただこうと思っています。
今回は祭り参加がメインですが、調査のほうも可能な範囲で臨んでみます。
>>148 寒中見舞いなら無難なように感じます。
もっとも、季節のあいさつと関係なく、お礼の手紙を出す、
ということでもよいように思います。
>>149 >>151 見たことないですねぇ。
対応は自治体によってまちまちなような気がします。
市史や町史の史料として出版しているところもあるようですが、多くはないですよね。
153 :
飛瀬:2006/11/12(日) 01:29:41
>>149 いつか前のスレで出てたような気が・・・。
誰か覚えてないですかね?
>>152 そういうものですよ。
僕も一族が集まったときに調査してるものを見せたらかなりの話題になり盛り上がりました。
そしてそこで情報収集ができたりするんですよね。
おまけに今まであまり話したことのない親戚とも仲良く話せるし。
僕は今日進展?というか・・・収穫がありましたが、今日は書くほどのことではないのでそのうち報告します。
154 :
藤:2006/11/13(月) 19:54:16
>>149 明治六年の人別改帳だったら、あります。
町史の史料編に載ってました。
これには先祖が(今のところ)三人載っていますが、戸籍の移動がない限り当時の戸主名しか
出ていないのが玉に瑕です。
155 :
149:2006/11/13(月) 20:04:13
>>154 りっぱな町ですね。うらやましいです。
私の町の、図書館で公開されている町史にはそのような資料が無いですね。
歴史資料館に、存在の有無や参照の可否を尋ねてみます。
ありがとうございました。
立て看板 設置させてください、<(_"_)>ペコリ・・・緊急、募集中!
『 ☆彡 目も見えず、耳も聞こえぬお人が、桜の木に抱きついている。
桜を、見たい、聞きたい、と言う。
さて、どうやって桜を見せようか?
☆彡 坐禅と見性 四十六章 公案見性
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1161444933/ 而二不二(ににふに)、不二而二(ふににに)、
二ではない(不二、ふに)、一の如し(一如、いちにょ)、それは、ほとけさま(さとり)のことです、どうですか、参禅していきませんか?
問う。
『 この場に坐したままで、30メートル先のローソクの炎を吹き消せ。 』
答える。 ・・・と。
☆彡沢木興道老師のなぞなぞ?
アメリカに 「我が妻は我が父の母なり、我が父は我が子なり、我が妹は我が孫なり」 という言葉があったそうな。
☆彡碧巌録(へきがんろく)第45則 趙州布衫(じょうしゅうふさん)
禅僧「万法は一に帰す。では、一はどこに帰しますか」
趙州「私は若い頃、青州に住み、一領の布衫(実務着、サラリーマンなら背広と言うことかと)を作った。 その重さは7斤(4.2kg)もあった」
☆彡 人が木に登って口で枝を咥えて手足を離してぶら下がっているとき、下の人が「達磨がインドからやってきた真意は何か」と聞いた。答えなければその質問を避けたことになるし答えれば木から落ちる。どうしたらよいか。
「二者択一を迫られたら注意せよ。答はその中にはないことが多い」とは、マネジメントの講座でよく指摘されることですが。
☆彡 あるひと(ジャック、ラカン) 曰く(いわく)
「世界をキリストが支えている。キリストを聖クリストファーが支えている。では、その聖クリストファーを支えているのは何?」という謎々と同じかと。
☆彡‥……━★ 友好スレ
精神世界で癒される第16章仙界の癒し大混浴場(バトルなし)
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1162179911/
157 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 16:49:37
旧日本橋区の祖先の戸籍を取ったら関東大震災でやられてた。
再製されてるけど、震災以前の記録はおろか、戸主の父母、および続柄もなかった。
当時の日本橋区のひとはちゃんと調べてくれなかったらしい。
158 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:29:43
159 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 20:31:09
旧樺太(サハリン)の戸籍簿67冊、約2万人分が地元の
公文書館で発見されたらしいですね。
関係のある方には朗報ですね。
160 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:04:50
地元ってロシアの事?
161 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 18:39:05
系統的に家系図を遡って調べているわけではないのですが、
俺の母方の父方は瀬戸内海の漁民なのですが、元は琵琶湖湖畔が
ルーツの家系だそうです。なんで滋賀県の人が瀬戸内海で漁師を
やるようになったのか謎です。
また父方の父方は江戸中期に士族から金で苗字を買ったということですが、
身分は百姓なのです、苗字だけ買って身分はそのままというケースは
よくあることなのでしょうか?
162 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 18:56:23
163 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 19:40:35
>>160 そうです。ロシアのサハリン。
樺太千島交換条約でロシアの領土になったとこ。
164 :
:日本@名無史さん :2006/11/16(木) 19:44:46
【ここで一句】
チョン囚人
六代たどれば
朝鮮人・・・
サハリンってことは閲覧するにも大変そうですね
でもあってよかったです
今日遠縁のお宅に電話して12月11日に伺うことにしました
なにか分かればいいのですが(墓は高祖父までしかないのは確認済み、過去帳もなし)
せめて位牌でもあればいいのですが・・・
167 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 00:22:45
朗報を期待しています
168 :
飛瀬:2006/11/18(土) 21:47:40
ガンバです!
本家を訪問してきました。
系図を見せていただくことができました。系図というより系譜でした。
残念ながら、高祖父1の父までしか載っておらず、新しい先祖は分かりませんでした
それでも、高祖父1が分家して店を開く前の修行先を知ることができました。
更に、高祖母2の写真も初めて見ることができました。これは特にうれしかったです。
ただ、新たな問題も。
これまでの調査結果と異なる部分が出てきました。
特に、高祖母2の実家の姓と町名が、除籍に載っていたものと全く異なるのです。
二つの町は25キロ近く離れており、どっちが正しいのか、全く分かりません。
系譜が書かれたのは大正辺りのようなので、伝承が間違っていたともいえなくはありませんが・・・
いったいどうしたものか。
それから、高祖父1の次兄の子孫にも引き合わせてもらいました。
話を伺うきっかけができました。
ちなみに、本家の当主に総本家(高祖父1の長兄の子孫)との付き合いについて聞きましたが、
今は全く付き合いがないとのことでした。
こちらは手紙作戦で行くしかありませんね。
本家訪問のほかに、県庁所在地まで足を運び、県立の公文書館に行ってきました。
こちらに高祖父1家、高祖父3家がともに暮らした当町の近世史料が所蔵されており、一般公開されています。
高祖父1家について得るものはありませんでしたが、高祖父3家については進展がありました。
明治初期に書かれた資料に高祖父3の父の年齢が載っており、墓誌と照合したところ、
続柄がはっきりとしていなかった先祖のものと一致しました。
高祖父3の父の墓と見てよいのではないかと思います。
ただ、史料に載っていた名前と、除籍に載っていた名前と、墓に彫られている名前が異なるのです。
(資料に載っていた名前と墓の名前とは漢字一字が共通しています)
高祖父3の父は代々の名前を襲名しているようなので、
(幼名)→(襲名)→(隠居後の名前)のように3つの名前を名乗っていたのかも、と仮説を立てています。
皆さんのご先祖にも襲名しているかたがいらっしゃいますが、
襲名前の名前と隠居後の名前が違う、といった例はありませんか?
もらってきた所蔵文書一覧をよく見ていたら、
当町の教育委員会が所蔵している古文書群の一部について、マイクロフィルムを所蔵しているらしいことが分かりました。
目録によれば、壬申戸籍を編製したときの下調帳が収録されているはずなので、ぜひ照会してみたいです。
>>170 補足:
除籍に載っている名前は、代々襲名していた名前です。
高祖父3の亡父として記載されているだけです。
調査が進んでよかったですね
あとは総本家ですね
ただ、新たな問題も。
これまでの調査結果と異なる部分が出てきました。
特に、高祖母2の実家の姓と町名が、除籍に載っていたものと全く異なるのです。
二つの町は25キロ近く離れており、どっちが正しいのか、全く分かりません。
>ただ、新たな問題も。
これまでの調査結果と異なる部分が出てきました。
特に、高祖母2の実家の姓と町名が、除籍に載っていたものと全く異なるのです。
二つの町は25キロ近く離れており、どっちが正しいのか、全く分かりません。
先妻、後妻の可能性はありませんか?
下の名前は同じですよね?
ヴァカは疲れるね
176 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:46:35
>>170 >県立の公文書館
>教育委員会が所蔵している古文書群の一部について、マイクロフィルムを所蔵
うらやましいです。
こういう資料がある地域と無い地域では、佐賀でますね...。
177 :
浅右衛門:2006/11/20(月) 19:52:04
>>169 >>170 やすべぇ様、進展している様子よかったですね。
高祖母2の実家の姓と町名が全く異なるのですか?
それは、これまでに得た情報(除籍)と異なると言うことですね。
除籍の他には情報は無かったのでしょうか?
以前に得ていた情報と今回の情報とで
「同じ点」と「異なる点」をひと目でわかるように書き出して、
検討を加えると、何か手がかりが出てくるかもしれませんよ。
高祖父3の父の名前の件ですが、私の先祖も改名を何度かしています。
我が家では、家の制度として「○○○」という名を代々名乗るという
ことはありませんが、子供のときの名、元服してからの名、隠居してからの名
と、名はいくつもあります。
ということで、仮説はかなり真実にせまっているのではないでしょうか。
178 :
浅右衛門:2006/11/20(月) 20:46:49
>>171 連投すみません。
高祖父3の父の件ですが、もう一度読み直したら、ちょっと分からない点が
でてきました。
「墓誌」とは、いつ誰が記したものですか?
単独の墓石のことではないような気がしますが?
「年齢」と「名前の漢字一字」が合致しただけでしょうか?
それだけで、断定するのは無理があるような気がします。
一人が名をいくつか持っていると言う点での仮説が真実に
せまっているのではないかと考えただけで、
今回の高祖父3の父の「除籍」=「墓」=「史料」とするには、尚検討を
要すのではないかと思います。
>>174 先祖マニアさん
> 先妻、後妻の可能性はありませんか?
> 下の名前は同じですよね?
下の名前、没年月日は系譜、除籍、過去帳、墓碑で共通です。
他に、戒名は系譜、過去帳、墓碑で共通です。
系譜に書かれた「○○町△△家の出身」という部分だけが
除籍の「××町●●●●二女入籍ス」の部分と異なるのです。
ちなみに、先妻は別におります。
高祖母2は、比較的若くして死んだ高祖父1の跡を受け、
店の基礎を築き上げたと系譜にあり、
本家の当主も小さいころからご自身の祖母にいつも言い聞かせられていたとのことです。
強い尊敬の対象となっていたということだと思うのですが、
旧姓、出身地という事実の正確性と、尊敬の強さとが
必ずしも両立しない場合もあるものでしょうか。
なお、除籍における実家の記載は壬申戸籍編製時のものではないかと思います。
(婚姻がいつであるかの記載は全くありません)
>>176 公文書館に行ってみて初めて、出版されている史料目録に載っているものの他にも、
実はいろいろな文書の原本やマイクロフィルムを収集・公開していることを知りました。
それにしても、かなり少ない人数で運営しているようですね。
浅右衛門さん
>>177 改名の例についてご教示いただきありがとうございます。
高祖父3の父について当てはまるかは検討を要しますが、
念頭において調査を進めようと思います。
>>178 > 今回の高祖父3の父の「除籍」=「墓」=「史料」とするには、尚検討を
> 要すのではないかと思います。
的を射たご意見、ありがとうございます。
確かに、作業仮説の一つにとどめ、更に証拠を集めようと思います。
> 「墓誌」とは、いつ誰が記したものですか?
「墓碑」と書くべきだったかもしれません。
戒名、没年月日、俗名、享年のことを指して使った言葉でした。
高祖父3家には江戸から明治までの墓石は3基あり、
高祖父3夫婦(ともに明治30年代没)の入っている墓の隣に、
明治7年没の男と明治17年没の女とが入った墓があります。
次に古い年代の墓は天保年間になることから、
明治初期没のこの男女ペアが高祖父3の父母ではないかと考えていました。
今回、判明した事実は、明治7年没の先祖の生年と、
史料から明らかになった高祖父の父の生年とが同じだったということまでであって、
明治7年没の先祖と高祖父の父とが同一人物かどうかは更に調べてみます。
>>179 ということは今の段階ではこれらの資料からはどちらが本当かは不明ですね
1つは総本家に事実確認をする方法と
もう1つは○○町△△家の同姓に手紙を書くそして××町●●●●二女
の同姓に手紙を書く
それで裏が取れないかなと思いました特に××町●●●●二女の場合は
●●●●まで名前が判明しているのですから、分かる可能性がありませんか?
さらに考えたのはこれは空想が過ぎるかもしれませんが
最初に○○町△△家で生まれた高祖母2が養女とかで××町●●●●に行った
のではとも思いました
高祖母2に関しては私の独断では 江戸末期の商家→婚姻関係が広域
結婚するためには家の格式が同じでなくてはいけない→養女にして格式上げてから
婚姻した・・・・などと思った次第です
話が飛躍してますね すみません
>>181 そうですね、手紙作戦に挑んでみます。
> 高祖母2に関しては私の独断では 江戸末期の商家→婚姻関係が広域
> 結婚するためには家の格式が同じでなくてはいけない→養女にして格式上げてから
> 婚姻した・・・・などと思った次第です
> 話が飛躍してますね すみません
いえいえ、参考になります。ありがとうございます。
どっちが正しいか、だけでなく、両方正しい、という可能性も考慮しなくてはならないですね。
それにしても、思えば、調べる楽しみが拡がったということですよね。
183 :
浅右衛門:2006/11/20(月) 23:42:42
>>179 先妻さんの出身町とかは確認済みでしょうか?
先妻と後妻の間での混同の可能性はいかがでしょうか?
先祖マニアさんが言われるとおり、いったん他家に養女に行き、その後
嫁に行くというケースは、私の親類にもあります。
空想が過ぎると言うことは無いと思いますよ。
「下の名前は同じ」ということは、苗字は別なのですよね?
「△△家」と「●●家」でしたよね?
そうなると、ますます可能性は高まりますね。
>>170 俺の家も代々の通り名があってそれとは別に
元服までの初名と、実名である諱があった。
中でも一番名前が変わった人は幕末から明治にかけて当主だった人。
初名 … 英太郎
(諱 …… 英成)
↓
通り名…英左衛門
↓
改名 … 英蔵
「英左衛門」から「英蔵」へ改名した理由は
明治3年の「国名官名の通称名使用禁止令」の施行を受けてのものと言われている。
>>183 先妻は幕末に死んでおり、除籍には一切記載はありませんが、
今回、見せていただいた系譜には出身地と旧姓が載っていました。
こちらは後妻である高祖母2のものとは全く異なります。
混同があるかないかはなんともいえません。
今のところ、他に資料がありません。
ちなみに、先妻についても問題があり、俗名が墓石や過去帳に書かれているものと異なります。
没年月日、戒名は同じなのですが。
なお、系譜では、戒名のうち、「妙○大姉」の○の音読み(カタカナ書き)が
そのまま俗名となっています。
墓石・過去帳の俗名(前者:変体仮名、後者:カタカナ書き)とは全く異なる読みです。
○を訓読みしても墓石・過去帳の読みにはなりません。
他の人についても、系譜と戸籍や過去帳などとの異同が数点あります。
> 先祖マニアさんが言われるとおり、いったん他家に養女に行き、その後
> 嫁に行くというケースは、私の親類にもあります。
やはり実際にあるのですね!
養女の可能性についても仮説の一つとして当たってみようと思います。
両方の町のことも比較しながら調べてみようと思います。
186 :
日本@名無史さん:2006/11/21(火) 20:09:05
除籍謄本の読み方について教えてください
戸主 吉田茂(前戸主の長男)
従妹
父 (空欄)
母 (吉田ハナ)
家族との続柄 伯母ハナの子
花子
吉田ハナ自身の名前は、「花子の母親の名前の欄」だけに登場します。
ですので、この除籍謄本のときは、既に亡くなっていたと思われます。
父親が空欄ということは、吉田ハナは離縁されて、
娘を連れて吉田家に戻ってきたということでしょうか?
花子自身の欄には、特に戻ってきた旨の記載はありません。
一世代前の謄本には書かれていたのかもしれませんが...。
「父親の欄が空欄」であることの解釈について教えてください。
187 :
藤:2006/11/21(火) 21:21:40
>>186 ・吉田ハナが離婚して、花子を連れて戻った
の他に可能性としてあるのは、
・一世代前の謄本にも元々書かれていない。
・ハナと夫が離婚後、花子が生まれた(離婚直前に懐妊)。
・ハナが未婚で花子を産み、その後、認知をしなかった。
・花子が生まれる前に父が亡くなったため、結婚及び認知ができなかった。
などが考えられます。
>>184 そんな目まぐるしい例もあるのですね。
>>186 藤さんがお書きになっている中にもあるとおり、
婚姻を経ないで子が生まれたという解釈が私にはしっくり来ます。
他には、例えば、明治の初めに戸籍を編製したときから既に不明であったために
その後も空欄だった、ということもあるかもしれません。
続柄は「子」だけなのでしょうか?
ハナさんが離婚して吉田氏の戸籍に戻ってきたのなら、
離婚の時点で父親は分かっているように思いますので、
空欄になる可能性は低いかな、と感じました。
私の例でもありますが
ちょっと違います
前の戸籍では記載されているのに
次の戸籍(転籍後の戸籍では)記載がないのです
昔の戸籍はどうなのでしょうか?
あとUPします
190 :
186:2006/11/22(水) 00:41:08
>>187-189 みなさん、レスありがとうございます。
いろいろ考えられるのですね。
ひとつ前の世代の戸籍があればよいのですが、
80年基準で廃棄済のため入手できませんでした(T^T)。
別件のケースで、母の欄が空欄の場合は、
ひとつ前の謄本に遡ると名前が判明することがありました。
でも、父親の名前が空欄で、母親だけ名前が入っているなんで、
私にははじめてのケースなんです。
やっぱり未婚の母だったんだろうか...。
記載事項から、花子が分家していることがわかったので、
分家先の住所に謄本を請求してみたのです。
もしや、転出先では父親の名前が書かれているかもしれないと
思ったからです。
結果は、「直系尊属じゃないからダメです」だって(T^T)。
分家してるので、本家の過去帳にも記載が無いです。
「兄弟は他人のはじまり、分家は他人のはじまり」ですか。
自分の直系尊属を調べる観点からは外れていますが、
父親が空欄だったので、気になって調べたかったのでした..。
おそらくこの例も未婚の母だったのでしょうね
認知されたので父親の名前を記載できたのかもしれません
でもそれなら次の戸籍
>>191の戸籍には父親の名前が記載されてもいいものなのに
なぜ記載されていないのでしょうか?
私は単純に戸籍史のミスなのではと思ったのですが・・・・
戸籍史のミスは、けっこうあるのかもしれません。
女性の名前で「ミヨ」と書かれていても、ひとつ遡ると「みよ」だったりします。
再婚、後妻とかではないのに、ひとつ戸籍を遡ると、母親の名前が違っていたケースもありました。
父親名前欄、母親名前欄って、大切な部分なのに、そんな適当なことでいいのかと思ってしまいます。
どうでもいいいけど、戸籍「吏」なw
マニアが聞いてあきれる‥‥
>>186 吉田ハナが死んでるかどうかは確定できない。「亡」がない場合、どちらもありうる。
>>191-192 例として不適当。続柄欄に父名がない点では、どちらも同じ。
また大正戸籍(の上部履歴欄)に記載がないかどうかは、
アップされたものでは判断できない。
法律で認められていない、傍系戸籍を請求するのはやめてください。
ただでさえ、個人情報関連でうるさい時期です。
ましてや他人の出生履歴を、好奇心で知りたがるのは以ての外です。
これから調べようとしている他の方々の、不利益になるのでやめてください。
>>195 2ちゃんで誤字の指摘とは・・・プギャ
>>197 キミは、思い出した頃にわいてくるね。
突っ込みどころ満載だけど、もうちっとkwskよろ。
>>198 こういうのは誤字とは言わない。無知と言う。
2chで(てゆうかネットで)変換間違いを指摘するのはドキュソだが、
無知は大いに指摘すべき。ガイシュツしかり。
少なくとも某氏もこれで実社会で恥をかかずにすむ。
某氏は実社会から隔離されてる専業主婦50歳オーバーな感じだけどな
202 :
日本@名無史さん:2006/11/22(水) 21:22:17
>>198 プギャ?
>>199 kwskよろ?
>>200 ドキュソ? ガイシュツしかり?
じんたちゃ掲示板の暗号かなんか知らんばってん普通の日本語ば使えよ
203 :
藤:2006/11/22(水) 21:38:59
>>186=190さん
花子は吉田茂が戸主の時に分家しているんでしょうか?
もしその子どもの代に分家しているなら、一世代下の除籍にないですかね?
傍系かつ分家もしているようでは、直系子孫と直接のつながりがないと
花子の父親の名前を見つけるのは難しいと思います。
(例えば、今も近所に住んでいてつきあいがあるとか)
父親欄や母親欄が空欄なのは、昔の戸籍にはよくあるようです。
私もある先祖は結婚後の母欄には名前がなく、さかのぼった結婚前のものにはきちんと
書いてあったりもしました。
204 :
日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:28:00
9高祖父の父と9高祖父と21曽祖父の兄のことが書かれた本を読んでみた。
その本によると9高祖父の子は二人(21曾祖父の兄と21曾祖父)しか書かれて
いなかったが、22曾祖母から昔聞いた話だと、21曾祖父は6人兄弟の末っ子
だったそうだな。
ちなみに21曽祖父の兄をインターネットで検索するとたくさんヒットしたな。
おまけに語録まで載っていたな。
>>204 ここはあなたの日記帳ではありません
ひとりごとはチラシの裏にでも書きましょう
日本のスレは必死な奴多すぎだなww
たかが2ちゃんだぜw
日本語でおk
>>186=190さん
ハナが花子を連れ子して、吉田家に入籍した。
ハナが亡くなった。花子だけが残った。
なので、その謄本では
・父親の名前が空欄
・ハナの名前が「花子の母親の名前の欄」だけにしか登場しない」
という可能性は無いだろうか。
>>191-193 先祖マニアさん
父欄が空欄になっている除籍では、
上の欄(身分事項欄)に藤本八蔵さんの子である旨の記載はありますか?
詳しいことはよく分からないのですが、
一つ前の戸籍(19年式の方)の続柄欄に母名しか書かれていなかったので、
そのあとの戸籍にも母名しか書かず、父名は書かなかった、ということなのかなと思ったりしました。
ただ、私の乏しい知識では、戸籍吏のミスである可能性を否定することはできません。
一つ前の戸籍で上の欄に書いてあるので、次の戸籍では父欄に書いてもいいような気もしますよね。
本当のところ、よく分からないです。
>>194 > ひとつ戸籍を遡ると、母親の名前が違っていたケースもありました。
同じような例を見たことがあります。
ミスは起こりうるもの、ならば、訂正で対応する、ということなのでしょうかねぇ。
>上の欄(身分事項欄)に藤本八蔵さんの子である旨の記載はありますか?
それが全くないのです
>一つ前の戸籍(19年式の方)の続柄欄に母名しか書かれていなかったので、
そのあとの戸籍にも母名しか書かず、父名は書かなかった、ということなのかなと思ったりしました。
私もそう考えました
明治19年戸籍に藤本八蔵の子供と記載されている時点で正式に婚姻していないのでは?
と想像します、壬申戸籍の認知というものがあったのかが不明なのでなんとも
いえませんが、戸籍からみるとそのように思えます
さらに次の戸籍大正4年番になぜ父親の名前が載っていないのかが不思議ですが
父親と姓が違うのだからですかね?
>少なくとも某氏もこれで実社会で恥をかかずにすむ。
もう、すでに数えられない程かいているので、今更遅いです。
そしてこれからもそうです。こおゆう人は一生直りません。
かき続けるのです。もちろん周りの誰も教えてあげません。
字がきれいな謄本を見ると感動する。
字が汚い謄本を見ると幻滅する。
戸籍吏、おまえそれでもプロなのか、
その字の汚さが後世に誤解や間違いを生む原因だろうと、
タイムマシンにでも乗って、小一時間言ってやりたくなる。
213 :
先祖隊:2006/11/23(木) 21:22:51
ご無沙汰をしております。
先日、曽祖母の戸籍を取得してきました。その中に曽祖父の本籍地の記載が有り、現在の私の本籍地と相違がありました。
曽祖父が転籍を行った事実と、転籍前の本籍地が判明し大変感動をしております。
東京府浅草区のため台東区役所に確認をいたしましたが、戦災・関東大地震等にて焼失の可能性が有りとの事。
今度、申請を行います。本籍地の変更と言う新しい事が判り、古くは天保時代まで氏名が判りました。
行き詰まっては立ち止まり、ゆっくりでは御座いますが徐々に前進をしております。
214 :
飛瀬:2006/11/24(金) 01:44:02
おめでとう。
これから難易度があがるので、くじけそうになることがあるかもしれませんが頑張って下さい。
私たちは、江戸時代の年号が戸籍にあると、嬉しかったり
するわけですが、そのうち明治年号を見つけて喜ぶ世代とか
出てくるのでしょうね‥‥
80年で廃棄って、マジやめてもらいたい。
これからの新しい世代のは、電子管理なんでしょ。
新しいのはペーパー管理ではないから、時代が進んでも
別に倉庫が手狭になるわけないんじゃないの。
貴重な資料を廃棄するの、やめてください>市区町村
217 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 18:57:50
>>213 焼けてなければ浅草区なら明治40年以降の除籍がありますよ。
ただ、町名変更が激しいですけど。
218 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 19:16:07
廃棄した方がいいよ。
218は戸籍があると困る密入国者の朝鮮人
ある人間が生きていたっていう、最も確実な証拠ですよね。死語百年もたてば、
もうその人を見知ってた人もいなくなり、その人が存在してたなんてことは、誰にも分からなくなる。
一般庶民である限りはね。著名人とかではない大多数の国民の場合。
戸籍こそ唯一その人が存在してたってことを公的に証明できる。
それが廃棄されてしまったら、もうその人の存在を示すものは無くなってしまう。
私が入手した除籍の中にも何人か跡の絶えてる幕末・明治生まれの傍系親族がいます。
もうその人が生きていたことを知ってる人はいないでしょう。かろうじて私は何かの
縁で知ることができましたが、お墓がどこにあるかも分からない。でも、まだ存在が
わかっただけでもましでしょう。存在すらもう分からない人がいる。昭和40年代に
80年を経過してしまった除籍に恐らくその人(たち)は載っている(た)と思うのだが。
もう少し私が早く調査を開始していれば、と悔やまれる。そのころは壬申も見れたから尚更だ‥‥
過去帳や宗門人別帳とかもあるけどな
まあ確かに電子化が進んでる今の時代に廃棄する理由はないよね
222 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 14:49:05
何故電子化が可能なのに破棄するの?
223 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 17:02:33
田舎の田子作やゴンベエの名前なんて残らなくていい。
永久に土百姓の末裔ってのがついてまわるのは、なんだかなあ。
224 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 17:49:22
↑
こいつ必ず出てくる
225 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 18:01:33
「↑」使って必死だな
223はご先祖様の御加護も得られないバチアタリ
ご先祖様を大切にしない223は、子孫からもあっさり忘れ去られる存在。
廃棄に疑問を持つ人は、ご先祖様を大切にする高徳のある人。
>>223 自分だって土百姓の先祖が頑張った歴史を背負って生きているのに・・・
>>213 進展おめでとうございます
まだ諦めてはいけません
なにか少しでも分かることがあるかもしれませんですからね
まだまだ色々な可能性があること(調査できること)は素晴らしいことです
>>220 同感です
私たちの先祖だって正直100年たったらもう殆どの子孫はわからないのでは
ないでしょうか?
死後100年といえば私たちの高祖父母です
先祖に興味のある人物ならば高祖父母の名前を知っている方もいるかもしれませんが
興味の無い人間は自分の祖父母の名前すら分からないものです
今私たちがしっかり書き残しておけば後世の人(子や孫や甥や姪)が興味をもった
時に必ず役立ちます
私の10代前(推測ですが)の先祖仁兵衛さんは名前と没年と戒名しか分かりません
しかし1700年ころに絶対にこの世に生存していたことは確実なのです
そのことに思いをはせるのもいいことだと思います
そういう態度、行動が子や孫に伝えていければまた幾世代あとでも
忘れ去られないのではないでしょうか?
230 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 08:47:31
おじいさんからいいこと聞いた
米一俵で4斗(40升、0.4石)だって。これでいろんな計算ができる。
あと、普通の水田で7.5〜8俵だってさ
231 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 09:49:06
土百姓の先祖のことなど、ムリに知る必要も調べる必要もない。
先祖がいたから現在の自分があるというのは一見正論だが、
会ったことも話したこともない数代前や数百年前の先祖のことなど、
別に知らなくても何も困らない。
そんなショボイ先祖を調べ上げることに時間と労力をさくくらいなら、
自分自身のいまを精一杯生きた方が、よほど前向きだあろう。
明治時代の古い戸籍など、廃棄してくれてけっこう。
232 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 12:21:13
スレの主旨に反している スレ違いだろう
231は先祖を大切にしない朝鮮人
歴史から何も学ばない朝鮮人
>>231 先祖など知らなくていい人がここを見ている意味がわからん
235 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 14:46:47
ショボイ先祖って言っちゃったよ あ〜あ〜
236 :
220:2006/11/26(日) 19:15:35
>しかし1700年ころに絶対にこの世に生存していたことは確実なのです
>そのことに思いをはせるのもいいことだと思います
全く同感です。私の5代前のうち半分以上は庶民ですが、少数ながら中には
偶然公文書に名前の見える人がいたりします。
そのときそこにいたってことを示すだけのものなんですが、士族のように
藩文書に名前があって当然な人よりも、かえって見つけた時の感動は大きかったりします。
32人のうち一人でもいなかったら、あるいは別の人生を歩んでいたら、私は存在しない
わけですから。ほんと感謝々々です。
>>236 私の先祖は5代前32人全て庶民ですが、だからこそ調べ甲斐があるのではと思います
私たちの祖父若しくは曽祖父の時代までは殆どの人がが夏の暑さ、冬の寒さをしのいで
農業に携わってきた人だと思います、戦後高度経済成長で少し裕福になり
またその先祖の苦労を忘れているのは悲しいですね
私も先祖の苦労を実際見たわけではないので偉そうにはいえませんし自分自身が先祖の徳で生きているとも思っていません
しかし 220さんの言う通り一人でもいなかったら存在しないという畏敬の念と
感謝の心は持っています
私の祖母は90歳でまだ健在ですが当然生きていますので親近感があります
(おばあちゃん子ですし)
その感覚と同じ感覚で1700年代の先祖にも同じような思いを抱いています
>>236 多くの場合、先祖を調べることが、直接、現在の自分のためになるということはないと思います。
俗な言い方をすれば、直接、自分の利益につながることはないでしょう。
また、直接の利益を求めて先祖を調べている人も通常はいないと思います。
ただ、先祖がいたことにより今の自分があり、そして生かされている、という実感が、間接的には、
現在の自分をよりよく生きようという意欲につながっていくのではないかと感じております。
深く思い悩み、出口が見えなさそうなとき、
庶民としてつらく苦しい時代を生きた先祖たちのことを思い、
その先祖たちのおかげで今の自分があり生かされているということに思い至ったとき、
もう少しがんばってみようか、と励まされます。
32人全員と血が繋がってるんだと思うと、ちょっと感動なんですがねー。
除籍の目的欄に、「先祖供養」と書きますが、今まで名前も生没年も
知らなかったご先祖を知ることは、確かに先祖供養と思います。
自分が、この人たちあっての存在だったんだとも、思います。
それはそうと、家系図ソフトを買ったのでぼつぼつ打ち込んでますが、
自分に近い世代の家系図が、明治初期あたりに比べて余りにも細いことに苦笑です(w
240 :
飛瀬:2006/11/28(火) 09:14:13
僕なんかは祖父母の死でくわしく先祖についてしりたいとさらに思うようになりましたね。
家系図ソフトいいですね。調査資金を貯めようとしているのですが、合宿とかで金がなくなり思うようにいきません。
241 :
日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:05:22
家系図ソフトはどれくらい役立つの?
家系図書くなら、エクセルで書いたほうが自由度は高いよ。
エクセルが使えないとだめだけどね。
家系図ソフトは、選んだ人をクリックすると、
生年月日、没日、その他のエピソードが参照、編集できるんでしょ。
一種のデータベースだよね。
エクセルでも、家系図とは別に生年月日などは管理できますよ。
エクセルできない人には家系図ソフトは便利かな。
私もエクセルを活用しております
案外自由に使っていますよ
家々によって家系図って様々だと思います
(先妻、後妻がいる、子供の数やその子供が養子に行った場合など)
エクセルなら工夫すればそれらを網羅できますし、慣れですよ
どんなふうにすればいいんですか?
ここで説明してもらうのは難しいですかね‥‥
>>244 どんなふうにまとめたいか具体的に聞いてみたら?
家系図を作りたいとか、生没年まとめたいとかさ。
246 :
239:2006/11/29(水) 09:23:12
家系図ソフトは ルーツ2006 ってやつです。
これの、自分にとって最大の利点は、大家族の除籍謄本で、子や兄弟や甥姪入り乱れたのを
一人づつデータを打ち込んでいけば勝手に整理できることです。
不満もいろいろ。専用ソフトのくせに、年号が明治までしか対応してないとか。
まあ、一度買えば、バージョンアップは無料だそうですが。
エクセルで家系図書くなら、各セルに人名を配置して線で結ぶ感じですかね?
セルにコメントも付けられるし。
名簿は別のワークシートで管理、かな? そこから各セルの人名をひっぱってくる。
>>244 ちょっと作成してUPしてみます
しばしお待ち下さい
お〜分かりやすいな
自分の直系尊属のご先祖様のある世代に、先妻、後妻がいた場合
さらにそれよりも前の世代に関して除籍謄本を請求するとき、
どちらの直系尊属も除籍謄本は請求できますか?
それとも自分と血縁関係のあるほうだけでしょうか。
自分は、どちらもご先祖様には違いないと考えています。
また、自分のケースではありませんが、
先妻の子で、今の母が後妻である人の場合、
後妻の直系尊属の謄本は請求できるのでしょうか?
ご存知の方教えてください。
過去帳に記載されている年齢についてお尋ねいたします。
昔は、年齢の数え方は「数え年」が主流であったと聞いています。
数え年
生まれた時点を「1歳」とし、以降1月1日(元旦)を迎えるたびに1歳加えるという方法。
この数え年は、どのくらいの時代まで使われていたのでしょうか。
私の家は分家であるため、過去帳をまだ見たことが無いのですが、
少なくとも、明治時代に亡くなった人達は、数え年の年齢が書かれていると
考えてよいのでしょうか。
253 :
日本@名無史さん:2006/11/30(木) 20:56:04
今でも古い人は数えだよ
254 :
浅右衛門:2006/11/30(木) 21:10:17
>>251 仮に自分が先妻の子の場合
自分と後妻との間で養子縁組をしていれば、法律上の親子関係があるので
後妻の直系尊属の謄本は問題なく取得できるはずです。
養子縁組してないなら、後妻は父の配偶者と言うだけで自分とは親子関係は無い
ですから、謄本の取得は無理です。
前段のご質問についても、ほぼ同じように考えていいのではないでしょうか。
血縁はなくても養子縁組がなされていれば取得できるでしょうし、
養子縁組がなければ血縁の無いほうは、取得できないでしょう。
255 :
浅右衛門:2006/11/30(木) 21:19:30
>>252 >>253 253さんがおっしゃるとおりですね。
今でも役所の書類を除けば、数え年を使うことは多いです。
長寿の祝いとか、ほとんど数え年ですし、厄入り厄払いなども数え年でしょ。
子どもの祝い事も私の地方では、数えの三歳で「髪置き」、数えの四歳で「紐解き」。
正月を迎えると「一つ歳をとる」という感覚が結構残っています。
過去帳なら、今でも数え年で記入するのではないでしょうか。
逆に、「満年齢」なら「満○○歳」と書くのではないでしょうか。
家系図ソフトを使ったことはありません。
エクセルも家系図用に使ったことはまだありません。
以前、ワードで罫線文字(シフトJISコード84AF辺りの文字)を使って
簡単な系図を書いたことがありますが、はっきり言って実用的ではないと感じました。
(編集が困難)
>>251 浅右衛門さんのご発言のとおり、残念ながら、養子縁組がない限り、
原則として、 血縁関係のあるかたの除籍謄本しか請求できません。
ただ、除籍謄本は請求できませんが、ご先祖様として大切にすることは、
特別な事情がなければ(例えば、血縁のないほうの子孫が激しく反対している、など)、
差し支えないのではないでしょうか。
>>252 過去帳から離れますが、私の家の墓石や位牌の享年は今も数え年で書かれています。
>>256 書き忘れました。
エクセルは使いやすそう&分かりやすそうなので、今度、挑戦してみます。
>>253,255,256 さん
252です。
過去帳は「満○○歳」の表記でなければ、「数え年」なのですね。
ありがとうございました。
>>252 私の祖母は今でも数えですよ
>>257 是非チャレンジしてみてください
コツをつかめると案外簡単ですよ
>>251 私の場合は血の繋がっている方の先祖を優先的に調べていきます
(先妻、後妻の区別無くです)
251
254 浅右衛門さん
256 やすべぇさん
260 先祖マニアさん
血縁関係が無い場合は、養子縁組の有無がポイントなのですね。
ありがとうございました。
関連して質問なのですが、
ご先祖様で、男子が生れなかったため、他家から養子をもらって
家督相続がされた場合です。
例えば、田中権兵衛と妻サトの間に男子が生れなかった為、
佐々木家から佐々木継男が養子に入り、田中継男になった場合、
で自分は、田中家の子孫なのですが、田中権兵衛の謄本だけでなく、
田中継男の佐々木時代の謄本や、さらにその前の佐々木家の謄本も
申請できるのでしょうか。
262 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 17:22:20
出来ます
263 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 18:41:33
養父母、実父母は共に直系尊属となるので請求可能
264 :
浅右衛門:2006/12/01(金) 19:07:02
265 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:11:00
昔家系図をつくろうとしたときに、何とか七代前までは調べられたのですがそれ以前の探求は難しく一旦断念しました
私は今の家系の七代目で、つまり調べられたのは直系の祖先まででそれ以前の記録が家に残っていないのです
なんとか更に昔の祖先を調べる方法はないかご教授ください
テンプレを読みましょう
267 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:36:53
大丈夫 大丈夫 まだまだいける
テンプレの最後を見てみよう
268 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:55:04
テンプレ読みました
15
269 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 23:01:45
テンプレ読みました
1〜5までの戸籍うんぬんは飛ばして直接親戚に聞いて周り七代前までさぐりました
ど田舎で親戚などはほとんど近所に集結しており、テンプレにも最終手段は親戚に聞くことと書いていたので、これ以上のことは自分では思いつかなく質問致しました
テンプレ見落としなどがあるならば教えていただけると嬉しいです
>>265 >>269 どの程度の資料までお調べになったか、ということによるかと思います。
家には記録が残っていないとのことですが、菩提寺の過去帳は既に調査済みでしょうか?
墓地はいかがでしょうか?
町史なども参考になる場合があります。
地元の教育委員会や県立の古文書館などに村の旧家の文書は残っていないでしょうか?
そうした中にご先祖の名前が出てくる場合もあるかもしれません。
あと、戸籍調査はまだでしょうか?
基礎固めという意味もありますし、
戸籍で初めて知った傍系尊属(例えば、他家に嫁したり養子に行ったりしたかた)の子孫が
7代よりも前のご先祖の伝承や位牌、古文書を持っている、ということもあるかもしれません。
もちろん、これらは「そういう場合もあるかもしれない」という可能性でしかありませんが。
以前のスレでちょっと書込みにくい流れになってしまったので
お礼を言っていなかったものです。
皆さんのアドバイス等をもとに調査をすすめています。
ありがとうございました。
誰だかお分かりにはならないと思いますが、とりあえずお礼をしていなかったので・・・
流れぶった切りですみません。
272 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 18:06:07
頑張れよ
251,261です。
262〜264の皆さん、ありがとうございました。
>>269 やすべえさんのおっしゃる通りですね
まず戸籍でどの親戚がその先祖から分かれたものか?
戸籍で存在しているが今はいない子孫が現在どこにいるのか?
などを完璧につめていかないといけないと思います
例えば本家だと思っていた家が実はそれよりも古い総本家がありそこの当主は
明治の終わりごろに町に出て行ったとかがあればそこの子孫の家にも確認しなくてはいけないと
思います
269さんが何歳かわかりませんが7代前ってことは1750年くらいですよね?
普通で言えば相当古いですし庶民の限界点なのかもしれませんが、諦めたら終わりです
1戸籍に基づいた詳細な家系図の作成で子孫を一人一人つぶす(子孫全てです)
2位牌、墓の確認
3お寺の過去帳の閲覧
4村の名士の家(庄屋など)に宗門人別帳がないか確認する
5郷土史研究家の意見を聞く(先祖のこととは関係ないと思いますがなにかのヒントになるかもしれまん)
たとえば昔は○○村の城主だったとか 戦争に負けて帰農したとか
あの峠の向こうには同姓の家が多いので先祖は実は峠の向こうからきたのではないか?とか
最低ここまではしましょう
庶民でもがんばれば江戸初期、悪くても中期まではいけるよ。
過去帳、人別帳、その他郷土資料がそこそこあれば。
7代じゃ戸籍調査で分かるのとそう変わんないじゃん。
絶対まだまだ調査の余地はたくさんある。
276 :
藤:2006/12/04(月) 23:10:13
母方伯母から、過去帳のようなものの転記を本日郵便で受け取りました。
上から下まではっきりと戒名がわかるのは三、四人。
上の文字が書いてない人が何人もいました。
生前の名前が書いてない人もいて、除籍謄本と照合して読みました。
百姓なのに、屋号があったというのも初めて知りました。
どうやらこの帳面の原本は1832年(天保三年)に亡くなった人から始まっているようですが、
全員の名前が判るわけではなく、また、代がどう続いているのか判らないものです。
現在、家を継いでいない伯母と一緒に菩提寺に行ったら、
過去帳の原本って見せてもらえるでしょうか?
もしくは両親と落ち合わせて、伯父(家を継いだ)の家で
転記されたものの原本を見せてもらうか…。
>>276 進展おめでとうございます
>百姓なのに、屋号があったというのも初めて知りました。
百姓のほうが屋号があります逆に武士階級は屋号はなかったのではないでしょうか?
武士には苗字があったので
過去帳はまずは叔父の家の原本を拝見してそれから
お寺の原本を見せていただく段取りがいいと思います
内容の濃いさは禅宗だったら詳しいと思いますが浄土真宗ならば厳しいかもしれません
>内容の濃いさは禅宗だったら詳しいと思いますが浄土真宗ならば厳しいかもしれません
具体的に教えていただけませんでしょうか。
当方真宗‥‥
>>278 過去帳や位牌ですが
禅宗の場合 戒名 俗名 行年 続柄などが記載されいますが
浄土真宗の場合は 戒名と行年(俗名は若干はあります) しか記載されていないものが多いです
続柄の記載が少ないです
おそらく浄土真宗の場合は死んだら仏様になるので俗世の名前や続柄は必要ない
という考え方があるのではないでしょうか?
私の場合は父方は禅宗で母方が浄土真宗なので違いが分かりました
100%絶対ではありませんがその傾向が強いと思われます
あつかましいお願いで申し訳ないのですが、お力をお貸しください。
http://www.uploda.org/uporg605458.jpg 山内家ニ石出 の次に続く2文字が読めません…。
レ のように見えるのは、カタカナの シ かと思うのですが、
πみたいなのがさっぱりわかりません。
明治期に作られた系図の一部です。記載の出来事があったのは、
1500年代前半のことです。どうぞよろしくお願いします。
281 :
220:2006/12/05(火) 15:49:29
召出され(めしいだされ)
282 :
280:2006/12/05(火) 18:36:09
なるほど、サ、ですか。
ググってみましたが、変体仮名で、サを七と表記することがあるみたいですね。
それに近い感じなのかも。
うぅん、心底すっきりしました! 本当に本当にありがとうございます!
>>280様
283 :
280:2006/12/05(火) 18:37:11
何書いてるんだorz タグミス(泣)
>>220様 ありがとうございました。
こんばんは
私もあつかましいお願いですが、ご容赦ください。
除籍謄本で読めない文字があるのです。
ご先祖様の死亡に関する記事だと思うのですが、
判読できず困っております。
http://www.uploda.org/uporg605898.jpg.html 明治参六年
午後九時死亡 届出 受付
あたりは何とか読めたのですが、
あまりに戸籍吏の時が達筆で判読しかねております。
判読できた方、部分的だけでもかまいませんので
お教えいただけないでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。
後で名人が書いてくれるはずだから、深く考えずに読むと、、、
明治参拾壹年四月拾壹日午後九時死亡同月拾参日届出同日受付
286 :
浅右衛門:2006/12/05(火) 22:48:55
>>284 明治参拾六年四月拾壱日午後九時死亡仝月拾参日届出仝日
受付
「仝」=「同」
母
亡祖父奥蔵長女 亡父奥左エ門妻
文政二年十二月十七日生
287 :
284:2006/12/05(火) 23:36:59
財産
貳
すいません、酒飲みながらなんで。
289 :
浅右衛門:2006/12/05(火) 23:54:20
>>287 「願済相続人ヲ廃ス」
「参拾弐年」 「弐」=「2」
戸のあとは族称が記入してあったと思われますが抹消してあります。
「小林長之助」 「小」は?
>>287 一つ目の前半は「明治廿五年六月九日願済相続人ヲ廃ス」
「願済」という用語は古い戸籍でよく目にします。
一つ目の後半はよく分かりませんが、明治参拾弐年でしょうか。
二つ目は、番戸のすぐ下は族称を消したあとだと思うのですが、
長之助さんの姓はよく分かりません。
>>287 婦として明治37年生まれなら次の明治31年か大正4年の戸籍が必ず存在
しますので(明治19年戸籍に死亡記載がないため)そちらの父親欄から
父親の姓名を判明させるしかないですね
292 :
284:2006/12/06(水) 00:27:06
>>288-291 皆さんご親切にありがとうございます。
そうですね、長之助さんの苗字は「小林」にもみえますし
族称の消し忘れ+「林」にも見えますね。
最後に、あと二つだけ教えてください。
(1)
http://www.uploda.org/uporg605898.jpg.html 戸主の母ですが、
亡祖父奥蔵長女亡父奥左エ門妻 とあります。
これは、「奥蔵」の長女が「奥左エ門」を外から婿養子に迎えて
家を継いだと解釈すればよいでしょうか?
(2)
「戸主」の欄に「亡父奥左エ門長男」とあります。
さらに「兄」の欄にも「亡父奥左エ門長男」とあるのです。
戸主の兄は廃嫡されたと考えてよいのでしょうか。
「兄」は、別居していたようで、「同居人○○○○方ニテ病死ス」と
書かれています。親の許しの無い人と駆け落ちしたとか?
そこまでは考えすぎでしょうか?
解釈のしかたについて教えてください。
>>292 (1)はその通りの解釈でいいように感じます。
(2)については長男が二人になっている理由はよく分かりません。
私の親類にも廃嫡された長男がいますが、跡継ぎとなった弟の続柄は二男のままでした。
廃嫡される理由にはいろいろあるのだと思いますが、私の知っている例では疾病によるものでした。
死亡地は他の家族とは違う場所でした。伝わっているところによると療養先とのことでした。
284さんの場合がどうかは分かりませんが、こういう例もあるということで。
294 :
浅右衛門:2006/12/06(水) 07:44:41
>>292 (1)につきましては、やすべぇ様も書き込まれているとおり、その解釈で
いいのではないかと思います。
(2)につきましては、差し障り無いなら、ふたりの「長男」の部分もアップ
できませんか?
両方とも見てみないと何とも言えないです。
>>292 長男が2人いるケースはあると思います
ヤフーとかで『長男が2人』で検索すると出てきます
コピペしたかったのですが文書が長すぎて出来ませんでした
どうやら 先妻の子供と後妻の子供が何とかって書いていましたので
正式な夫婦の子供ではなくて 先妻、後妻や養子縁組などの場合におこりうる
ケースなのではないでしょうか?
296 :
292:2006/12/06(水) 17:39:57
293 :やすべぇ さん
294 :浅右衛門さん
295 :先祖マニアさん
こんにちは
苗字の部分だけマスクさせていただきました。
http://www.uploda.org/uporg606648.jpg.html 残念ながらこれよりも古い謄本は無い旨、役場からのお話をいただきました。戸主、兄共に「長男」になっています。
戸主が家を相続したのが、ここには載っていませんが
明治元年1月15日になっています。
戸籍制度ができる前ですね。
本来であれば次男であるところですが、
戸籍がはじめて作られた時点で、
既にその家の長(おさ)・戸主であったこと、
兄が既に家を出ていた?(推測)こと、
などの事情で「長男」と戸籍に明記されたように思いました。
297 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:55:46
>>296 もしかしたら「兄」の左側に「違」とか「庶」が入っていた可能性はありますね。
奥左衛門さんが認知して、壬申戸籍時代に入籍させていたのかも知れませんね。
298 :
藤:2006/12/06(水) 20:51:05
>>277 先祖マニアさん
菩提寺は曹洞宗のようです。
(HPもあり、確認しました)
しかし、『〜禅門』『〜善女』って曹洞宗で使いますか?
祖母が亡くなって曹洞宗になった時に『〜大姉』をつけたので、そちらが一般的だと思っていました。
(父方及び祖母方は元は臨済宗です)
祖母方の苗字のことが記された本を図書館から借りていたのですが、
ようやく目を通せそうです。これに載っている人はほぼご先祖にあたります。
母方のことを教えてくれた伯母にお礼代わりに送ろうと、今、手書きで系図を書いています。
印刷したものの方がいいのかも知れませんが、プリンターがないので…。
299 :
浅右衛門:2006/12/06(水) 21:00:21
>>296 確かに長男がお二人ですね。難しいです。わかりません。
確かに妻が複数の場合、続柄変更といって、後妻の子供を改めて
長男〜・長女〜にする場合がありますが、この場合は292さんの推測どおり
なのではないでしょうか。
ところで、逆にお尋ねしたいのですが、奧左衛門さんは養子になったので
この名前になったのだと考えられますが、それ以前の名前から改名した旨、
284に書かれたりはしていないのでしょうか。
301 :
292:2006/12/06(水) 22:28:53
ちなみに兄の欄には
明治廿六年八月七日後志国岩内郡岩内三嶋町十一番地
同居人□□リカ方ニテ病死ス
とあります(苗字は□□で伏せさせていただきました。
□□には兄の苗字とは異なる苗字が書かれています)
病気で亡くなった旨が書かれています。
亡くなった理由(病気)まで記載しているのを見たのは、はじめてです。
302 :
292:2006/12/06(水) 22:44:39
297,299,300の皆様
ありがとうございます。
300さんからご指摘の件ですが、
奧左エ門については、戸主の右横の欄に
「前戸主 亡父□□奧左エ門」
と記載があります。
戸主の□□一郎の欄には明治元年1月十五日相続とあり、
明治の初めに亡くなったようです。
ですが、前戸主であった奧左エ門に関する記述欄は
残念ながらありません。なので、旧姓も不明です。
一つ前の戸籍(壬申戸籍?)があれば、わかるのかもしれません。
残念です。
青山さん
>>298 >しかし、『〜禅門』『〜善女』って曹洞宗で使いますか?
使いますよ私の先祖にもいました
305 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:48:09
古い曹洞宗には善男 善女がいますね
禅門はただ定を省いただけですか
306 :
藤:2006/12/09(土) 20:12:27
>>303-304 使いますか。
よかった。本当は他の宗派だとかいうことではないんですね。
『〜禅門』は書き付けからの引用及び墓石からの情報です。
(母方は、この人だけしか墓石に名前がないのです。墓名碑などもないですし)
明日(今日かな)
遠縁の家に伺います
また報告します
今戻ってきました
結果は収穫0でした
当主の祖父が早くに亡くなったことまた父が寡黙だったため幼少のころから
先祖に関する話をされてきてないため、全く知らないとのことでした
興味もないみたいでした(奥さんの方が興味がありました)
また墓は当主の父親が移転してきたのでその祖父からしかなく(大正年間)
位牌、過去帳はありませんでした(わずかに当主の祖父母の戒名を記した木の
板が2枚あるのみ)
逆にこちらがその家の説明をした次第です
しかし同じ高祖父母の遺伝子をもった人物と出会えたことに感謝しました
あとは別の収穫として大根とかぶと白菜、りんごを頂いて帰りました
収穫は0でしたが縁のある方と出会えて話ができたので行ってよかったです
これで5代前で家が判明している全ての先祖の家に伺うことができました
309 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 21:24:50
>>308 >これで5代前で家が判明している全ての先祖の家に伺うことができました
これはすごい!
5代前って32人のご先祖様判明しているんですか!
さらには、その32人の子孫のお家が判明しているんですか!
そしてその子孫の家にお伺いしているんですか。すごいですね。
子孫のお家は電話帳なんかで調べるのでしょうか?
>>308 おつかれさまでした。
先祖に関して収穫がなかったのは残念でしたが、
新たに子孫の方々にお会いになれたのはおめでとうございました。
感謝のお気持ち、よく分かります。
私も最近、高祖父の次兄の子孫に会えて、大変うれしく思いました。
ご当主の元気な子供たちを見て、
この子たちとも共通の先祖を持っているのだなあと深く感じました。
311 :
日本@名無史さん:2006/12/12(火) 08:01:19
>>308 >逆にこちらがその家の説明をした次第です
喜ばれたでしょうね^^
奥様の方が興味あるときってありますよね。
私の場合は旦那さんの方が「先祖探し?うーん?」という感じでも
奥さんが「協力してあげたら?」と優しく協力してもらったコトが何度もあります。
>>309 >さらには、その32人の子孫のお家が判明しているんですか!
そしてその子孫の家にお伺いしているんですか。すごいですね。
子孫のお家は電話帳なんかで調べるのでしょうか?
32全てではありませんが(断絶している家もありますので)
分かる家は全て行きました
本籍から分かる場合もありますし、電話帳で探した家もあります
5代前は大体江戸末期〜明治初期に亡くなっていますがその子供の世代は
(高祖父母の世代)戸籍がありますので本籍も比較的探しやすかったです
>>310 そうですよね
同じ共通の先祖がいると思うだけでも感慨深いものがあります
>>311 奥様が興味があった理由はその方の家は昔から両親や祖父母が家の言い伝えや
歴史などを話していたため自然と覚えて興味を持ったらしいです
キーワードは幼少のころから先祖のことについて話すことですね
あとそこの家の当主の子供も全く興味がないみたいですが
父親が話していなかったら興味を持つことは少ないでしょうね、墓参りも
夫婦で行って息子は連れて行かなかったと言っていました、それでは興味も沸きませんね
私の家は娘ですが墓参りに一緒に連れてっています、今は分かりませんが
将来記憶の片隅にでも墓参りしたことを思っていれば、必ずや先祖を敬う心を
もってくれるのではないでしょうか?
そうでもないですよ
子供の頃から先祖話を聞かされて育ち
お参りもかかさない家の親戚の子はみな揃ってまったく興味がなく
お墓参りは帰省した時のお盆だけ
先祖話もほとんど聞かされてなかったおいらが興味の塊ですからね。
性格と嗜好の差みたいですよ
315 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 15:38:55
もうすぐ正月だから親戚に聞こうっと
上のほうでエクセルで家系図ができるようなのですが
マクロとか組めないと無理でしょうか
>>316 いえいえ、マクロは不要です。
エクセルをお絵かきソフト的に使うのですよ。
罫線とテキストボックスを駆使すれば、
家系図ソフトよりも自由度の高い家系図がかけます。
ただし、家系図の中の各人の生年月日、没年、享年、戒名などは、
家系図とは切り離して、エクセルで別シートの中で表形式で管理するんです。
・家系図
・生年月日、没年月、戒名、備考などの管理表
それぞれを、リンクせずに別シートで作ればいいんです。
318 :
316:2006/12/14(木) 23:29:37
>>317 おおっ
それらしいのが出てきました。
しばらくいじってみたいと思います。
ありがとうございました。
319 :
先祖隊:2006/12/16(土) 06:54:59
213での結果を、ご報告をいたします。
台東区役所に曽祖父の戸籍申請に行きましたが、廃棄処分済みとの事でした。
ただ、処分済みの回答が出るまで約40分もかかり、担当者がしきりに上司とパソコンの画面を見て話し合っていました。
持っている資料の確認・続柄確認・申請目的等々、かなりしつこく確認をされ、その結果処分済みとの事でした。
今までの戸籍申請とはちょっと違い、大変気になります。
戸籍関係では最終段階に入ったような気がします。新しい調査方法を、検討中です。
320 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 07:12:11
>>319 おつかれさまでした。
40分も何を確認してたんでしょうか…???
身分記載は無いだろうし、「あるけど出さない」って雰囲気ですな。
321 :
飛瀬:2006/12/16(土) 16:01:27
確かにそういう臭いがぷんぷんしますね。
僕廃棄の時でもそんなに時間かかりませんでしたもん。
322 :
先祖隊:2006/12/16(土) 18:41:06
日本@名無史さん 飛瀬さん
ご推察の通り、私も何かあるな・・・と感じました。
正直に有るけど出せないと言えばいいのに、二人でコソコソしていました。
出せない理由を言うより、廃棄処分の方が簡単な回答ですね。
仮に、身分記載が有っても、こちらは全く気にしないのに。
時期をおいて、再度申請に行ってきます。
323 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 21:43:47
>>322 そうですか、残念でしたね。
でも、素直に受けとめていいのではないですか。
行政にとって、交付できるものを交付しない利益は
全くありませんしね。
逆に、交付すれば手数料収入が入ってくるわけですから。
一通750円くらいでしょ?
行政にとっては大きいですよ、この収入は。
末端の公務員が行政収入750円入ってくるとか
いちいち考慮して処理してくれたらいいわなw
全ての公務員がそうだとは言わないが、
公務員は、民間人じゃないから利益のことは考えない。
だから平気で、無駄使いするし、財政破綻も起こす。
「750円というお客様からのお金が、私達の給与になっている」なんて
これっぽっちも考えていない。
考えていたら、こんな税金を無駄使いするひどい国になっていない。
750円の収入につながる除籍謄本を、80年で廃棄しているのがその証拠。
326 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 07:21:48
>>319 私も本籍が台東区ですので、同じ思いをしたことがあります。
ただ、下谷区は関東大震災で全滅だし(確認済み)、浅草区は明治40年以降なら廃棄されてないと聞いてますが。
似たような名前があったか、廃棄し忘れ、なんてのもあるかも?
でも、廃棄なら廃棄証明がでますよ。それも廃棄年月日がはいったのが。
パソコンから書き込み出来ません
なぜか規制がかかっています
どうすれば直るのでしょうか?
>>327 コテる前に2の仕組みぐらい把握しとけよ・・・
>>327 先祖マニアさん
詳しいことは全く分からないですが、
ネットへの接続を一旦切断して、
もう一度、接続してから書き込んでみてはダメでしょうか?
あるいは、パソコンを再起動してから書き込んでみるとか?
可能なら、別のプロバイダー経由でアクセスしてみる、なんてのもどうでしょうか?
原因は不明でした
でも一旦電源を落として再度書き込みしたら出来ました
皆様有難うございました
BBQで焼かれたかdsbl入りしたIPでも回ってきてたってオチだな
334 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 17:50:18
幕末期、黒羽藩師範代を努めていた「ささぬま」という方の子孫いませんか?
どんな小さなことでもいいので情報をください。
337 :
336:2006/12/19(火) 22:15:29
上の質問ですが、文字は承応と読むということで別スレにて解決しました。
承応の巳年は二年だけなので、転記の際に二の上の部分を
十にしてしまったものと思われます。
あと、「イロ」の下に「土」と書く漢字ということで質問しましたが、
「土」ではなく「士」でした。失礼しました。
ちょうどこんな漢字で、そこそこな数のご先祖様に付いていました。
イロ
士
338 :
浅右衛門:2006/12/19(火) 22:21:57
>>338 レス有り難うございます。「信士」ですか。
同じ時代や近い時期に、信士ときっちり書いてあるのもあれば、
この文字で書いてあるのもあったため、悩みました。
ほんと情報有り難うございます。
浅右衛門さんの博学ぶりにはいつも関心させられます
341 :
浅右衛門:2006/12/19(火) 23:33:35
>>340 ありがとうございます。
皆様より、ちょっと長く生きているだけです。
一般的に過去帳に載ってる先祖は、自分と同じ名字と考えていいのでしょうか?
>>342 自分の家の過去帳なら同じ苗字でしょう
中には嫁に行った娘の戒名とかも載っているケースもありますが
それはごく稀なことではないでしょうか?
本日家に届け物がきました
何かと思ったら先日訪ねに行った縁戚の方から御礼ということで
お酒セットが届いていました
あと手紙の中に戸籍を請求したが古いものは分からなかったとのことでした
この前自宅に伺った時に雑談のなかで
『この地域は酒どころですよね私は今日本酒にはまっているんですよ〜
ここにくる時に造り酒屋があって少し興奮しました』との会話を覚えて
いらっしゃったのだと思いました
少しビックリしましたがほほえましいエピソードだと思いますので
報告いたします
ふとしたきっかけで縁戚に会いそこからこのような交流が芽生えた事に
人の縁を感じますしこのような経験をすることでいやな経験が吹っ飛ぶ
思いがします
明日御礼の電話をします
345 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 00:30:23
ええ話しやな
>>344 ほほえましい話をありがとうございます。
先祖探しの調査が人と人との関わり合いの中で進んでいくものなのだと
改めて実感しました。
>>346 昨日御礼のお電話を差し上げました、その中で奥様が出られましたが
ものぐさな主人がすぐに役場に戸籍を取りに行ったのは凄いことだと
おっしゃっていました。親戚の少ない家らしいのですが、遠い先祖の
共通の先祖がこれだけいるということが驚きのようでした
実際に今少し調べましたが私の高祖父(伺った当主の曽祖父)ですが
早世していない子供が4人 孫が7人以上 曾孫が15人以上
玄孫が30人以上 更にその子供も15人以上います(分かる範囲で)
ある一人の遺伝子を受け継いでいる子孫がいかに多いかを改めて実感しました
>>346 > ものぐさな主人がすぐに役場に戸籍を取りに行ったのは凄いことだと
ご主人にとって本当に大きな出来事だったのだと伝わってきます。
> ある一人の遺伝子を受け継いでいる子孫がいかに多いかを改めて実感しました
確かに下へたどっていくと、こんなにも子孫がいるのか、という先祖がいますよね。
その人の生きた数十年が150年近く経った今も数多くの子孫の人生につながっている
ということですね。
さて、年末に少し早く休みを入れて、再び文書館での調査をしようかと目論んでいたのですが、
尻上がりに忙しくなってしまい、とても休みなど取ってる状態ではなくなりました。
年明けにトライする予定です。
>>348 お疲れ様です
みなさん年末、年始に親戚の家に行く人って多いのですかね?
私は今回の件でやること全てやった感がありますので
少し停滞するかもしれません
あとはかなり前にレスした母親がかなり若い時に出産した家の位牌を再度
見せてもらうくらいかな
(墓は確認済み、過去帳は無しです)
350 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:08:57
>>349 ウチは行かない。
祖父母も亡くなって年始の親戚の集まりもなくなっちゃったなー。
親戚に連絡してみようかしら。
曾祖母の子孫、若しくは親戚と思われるお家へ、お手紙を出しました。
年末、年始に親戚の人達が集まって、できるだけ多くの方に
お手紙を読んでもらえると嬉しいのですが。
ああ、それにしても明治は遠くなりにけり...TT
352 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 14:28:56
明治で100年以上だもんな
江戸にいたっては・・・
今年の正月はどうも祖母が田舎からくるので(父が連れてくる)
実家で過ごすことになりそうです
でも個人的には田舎で正月を迎えたいですけど
田舎に行くとなぜか心が落ち着くですよね
特に寒い正月はしゃんとします
私の家は新年の初詣(田舎なのでとても小さな神社で神主さんもいません)
に深夜0時になった瞬間に行く家なのですが(村で一番に早く行こうとしているらしい)
小学生の頃は眠たくて嫌でしたが社会人になってからはこの小さな神社に
初詣に行くことが正直楽しみだったりします
高祖父から代々生活に密着してきた神社だと思うと愛着も沸くのだと思います
354 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 02:22:27
こんばんは
除籍謄本で読めない文字があるのです。
どなたか教えていただけないでしょうか。
http://www.uploda.org/uporg633587.jpg.html 1.右から二人目は、「変体かな」なのですが、
一文字目は何と読めばよいでしょうか。
「○や」
2.右から四人目の「ふむ」ですが、
婚姻に関する事項と思われる部分が読めません。
明治○ニ年七月九日仝村尼ヶ谷 本塚新○○妻ニ嫁○
3.一番左の人は「新作」でよいでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。
すごく・・・大きいです
356 :
浅右衛門:2006/12/28(木) 07:59:29
>>354 1 はや
2 明治22年7月9日 仝(同)村尼ヶ谷 本塚新左衛門
妻ニ(に)嫁ス(す)
「廿=二十」
3 新作
以上です。
357 :
354:2006/12/28(木) 13:28:16
>>356 浅右衛門さん
ありがとうございます。とても助かりました。
354さん
戸籍みましたけど
凄いですね戸主の孫の後に自分の娘が生まれるなんて
はや や あき からすれば伯母のふむの方が年下なんて
まあ昔はよくありましたが
私の祖父もそんな感じです
祖父は次男なのですが曽祖父が40過ぎてからのこどもです
子供ももう出来なくて長女に婿養子をもらって孫が出来た矢先に
息子(祖父)が生まれたそうです
戸籍では恥ずかしいとのことで出生の日にちを変更して祖父を先に産まれた
ことにしていたみたいですが・・・
359 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:22:47
最近釣れないねww
360 :
354:2006/12/29(金) 01:41:56
先祖マニアさん こんばんは
父母の誕生日は、違うページに記載ですが
父 文政9年(丙戌・1826)
母 文政10年(丁亥・1827)
となっています。
長女 ふむ 明治元年(戊辰・1868)11月朔日
父42歳 母41歳のときの子のようです。
お嫁に行ったのが、浅右衛門さん に教えていただいた
明治22年(1889)7月9日なので、 誕生日が11月朔日だから、
20歳のときですね。
はや 明治14年4月7日
あき 明治17年11月6日(六日ですよね?) なので
はや、あきよりは年上ですね。
でも、はや、あき よりも後ろに記述とは...。
父親が戸籍の届け出を忘れていたということでしょうか(汗 ?
http://www.uploda.org/uporg634786.jpg.html
仕事納めでした。明日から休みです。年始は元旦に実家に顔を出します。
仕事始めの直後に休みを入れました。文書館に行く予定を固めました。
>>360 詳しいことはよく分からないですが、
どういう順番で戸籍に人を載せるかというルールと関係があると思います。
明治20年すぎに壬申戸籍から明治19年式戸籍への改製が行われました。
UPしていただいた戸籍はこの改製で編製されたものだと思いますが、
その際に、戸主、その妻、長男、その妻、長男の子、長女という順番で載せたのではないかと推察します。
明治24年生まれの孫は長女よりも後ろですよね?
ということは、明治24年までの間にこの戸籍が壬申戸籍から編製されたことを物語っていると思えます。
私の手持ちの除籍のうち、明治19年式への改製で編製されたものには、
戸主、母、戸主の長男、戸主の弟や妹たちという順番で載っているものがあります。
戸主の弟や妹たちの方が戸主の長男よりも年上です。
ただ、他の除籍では、戸主、その妻、長男、二男、長男の妻、長男の子になってるんですよね。
明治29年にこれら全員で転籍してきて編製されたものなのですが、
明治19年式への改製のときとは運用が違ったのでしょうかね?
ちなみに、あきさんの生年月日が
明治17年11月20日のように読めたのですが、
いかがでしょうか?
363 :
浅右衛門:2006/12/29(金) 07:54:22
>>362 やすべぇ様の見解に同意です。
明治17年11月廿(=20)日ですね。
よくみればそうですね
ふむさんを明治20何年?だと見間違えました
あきさんよりも後に記載されていたために固定観念でそう見えたのだと思います
固定観念って怖いですね
あとこのような推測は出来ませんか?
ふむさんは明治16〜17年ころに初婚で関から抜けた(壬申戸籍時に)
明治19年年戸籍を作成するタイミングで実は離縁してもどってきた
(明治17年以降明治22年までに)
そのあと明治22年に別の家に嫁いだという仮説は?
つまりあきさんが生まれて届けをだした後に離縁して戻ってきたために後に
記載されたとか
やすべえさんは今日からお休みですかいいですね
私は31日まであるのでまだまだです
先祖マニアさん
こんにちは
そうですね、そのような可能性もあるんですね。
壬申戸籍、見せてもらえないんだろうか。
通常の除籍謄本だった「平民」とか「士族」のところ
消して交付してますよね。壬申戸籍だけ特別扱いの理由が理解できませんが...。
明治17年11月廿(=20)日ですか...。
六日にしか見えないのですが...。ひどい癖字ですね。
底辺部分の直線が無いのですが(汗。
http://www.uploda.org/uporg635326.jpg.html
壬申戸籍には身体的特徴(指欠落など)なども記述してあるそうなので
差別問題と関わってくるんでしょうね
368 :
浅右衛門:2006/12/29(金) 16:40:33
>>366 これは癖字ではありません。
漢字の「廿(にじゅう)」の普通の書体です。
慣れが必要になります、昔の字は。
でも今回ひとつ、覚えられたと思います。
福井の名族
370 :
366:2006/12/30(土) 03:26:38
>>367 身体的特徴まで書かれていたんですか....
そのへんを消して公開するだけの手間はかけられないと、
いうことですかねえ。申請してから半年かかってもいいから、
交付してもらえないものなんですかねえ...。
>>368 「六」に見えても「廿(にじゅう)」なんですねえ。
勉強になりました。
>>369 「福井の名族」って356の「本塚」のことですか?
371 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 18:11:57
>>367 違います。盲、唖というような欠陥です。
人相書じゃないんですから。
そういった意味をちょいぼかしで書いたつもりだったんですが・・・
盲、唖 とかは、平民、士族とかと一緒に消せば無問題だと思うが。
公務員の守秘義務は当てにならない
お金で情報を流す輩がいる
遺伝的なものだったら結婚等で相手の家系血筋を調べてる人には
すごく欲しい情報だろうしね
200年ですかぁ..。自分は生きていないものTT。
除籍謄本は80年廃棄してしまうし、日本の行政はひどいわ。
休みには入ったのですが、雑用もあり、なかなかゆっくりはできないですね。
>>364 ふむさんの記載について、離縁されて戻ってきていたという可能性自体は否定できませんが、
残る問題は、壬申戸籍での順序がそのまま明治19年式戸籍に引き継がれたか、ということだと思います。
(もし、明治19年式戸籍の編製後に離縁され戻ってきているなら、上の欄にその記載があるはずなので、
戻ってきているとするなら壬申戸籍での段階になると思います)
壬申戸籍を見たことがないので、明治19年式戸籍との関係がどうなっているのか、
全く分からないのが何とも難点ですが・・・
>>370 底辺部分の横棒がない字体は崩し字辞典なんかを見ると出てきます。
ちなみに、私が「廿」だと感じた決め手は、右の縦棒が横棒の上下で連続していることです。
「六」の場合は上が点で、下が右へ反れるので、連続した縦棒にはならない、と思ったのです。
私がまだ確信をもって結論できないのは、経験が不足しているからです。
379 :
浅右衛門:2006/12/31(日) 17:10:00
>>378 20=「廿」という漢字は「十」プラス「|(縦棒一本)」
30=「卅」という漢字は「十」プラス「|」プラス「|」
ということを理解しておけばわかりやすいと思います。
漢字そのものがどうやってできているのか(どんな意味があるのか)を、
その字に出会った際に、ひとつひとつ興味を持って、
覚えていくしかないかもしれませんね。
数多くの文字に触れていけば、自然に身につくと思います。
過去帳に、私の名字と異なる俗名(姓)が書いてある先祖が
一人だけいました。
これはどう考えればいいのでしょうか?
基本的に過去帳に載ってる先祖は、
同一姓ではないのでしょうか?
381 :
日本@名無史さん:2006/12/31(日) 20:11:25
壬申戸籍見たがる連中って、悪趣味というか諦め悪いよね。
見せたら社会的に拙いものだから非公開なのに、なんで見たがるわけ?
いい加減、無理なものは無理、駄目なものは駄目って納得しろよ。
公的機関は系図オタクやマニアのためにあるんじゃないぞ。
>>380 お嫁に行った娘さんや養子に出した息子さん
籍に入れられなかったお妾さん等を書いてる場合など割とあるようですよ
>>382 即答ありがと。結構気になってましたので助かりました。
384 :
日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:06:31
私は本家に生まれたんですけど過去帳みたら12代先まで書いていました。
過去帳には誰々の父とか母とか長男、長女など書かれていたが、順番がよく
分からないので戸籍謄本と除籍謄本を市役所で取り寄せたんですけど江戸末期
までしかの分しかないと言われたんですが、これ以上先の除籍謄本を手にする
ことは可能なんでしょうか?
それから浄土真宗なんですが、戒名はいつぐらいから付くようになったのか
ご存知の方宜しくお願いします。
381は日本人じゃなくて、密入国した朝鮮人か
或いは、不祥事だらけの公務員か
壬申戸籍には犯罪歴まで書かれてたんだね
情報てんこ盛りだw
今年は、御先祖様の子孫とたくさん知り合えるといいな。
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします
皆さんの先祖が一人でも多く出会える事を願っています
今年もスレで色々語りましょう!!!
>>384 12代前まで記載されているって事は凄いことですよ!!
戸籍の最初は明治5年ですのでそれ以前はありません(実際には明治五年の
戸籍は請求不可なので明治19年戸籍に記載されている人物が最古に人物になります)
ですからそれ以前は過去帳で判別するしかないですね
続柄か記載されているのならそれから推測していけばある程度は
繋がってくるのではないかと思います
浄土真宗の場合は戒名ではなくて法名といいます(私も昔は間違えていました)
庶民の場合は過去帳に記載されはじめたのは1600年後半から1700年代前半が
最古ではないでしょうか?
ですからそれ以前は支配者層でないと難しいのではないでしょうか?
12代前とすればだいたい1700年頃になりますので丁度過去帳に庶民が
記載され始めた頃と一致しますよ
あとは位牌や墓などと複合的に調査されたほうがいいと思いますよ
あけましておめでとうございます
あけおめことよろ
謹賀新年
あけましておめでとう
394 :
384:2007/01/01(月) 10:08:49
あけましておめでとうございます。
>>389 ありがとうございます。 その過去帳に書いてあった初代は1603年生まれ
と書いてましたよ? 法名って言うんですか? ありがとうございます。
法名は初代から書かれてましたけど地域によって違うんでしょうかね・・・。
それと除籍謄本の私の高祖父とその父親は江戸生まれでした。でも明治5年前に
相続と書いてあっただけで土地の番地がその父親と高祖父が違ってました。
よくわからないです。
>>394 私の場合は過去帳を所有していた家が一軒しかなかったのでなんとも
いえませんが普通は初代からでしょうかね?
>それと除籍謄本の私の高祖父とその父親は江戸生まれでした。でも明治5年前に
>相続と書いてあっただけで土地の番地がその父親と高祖父が違ってました。
>よくわからないです
明治5年以前に相続は明治19年戸籍ではよく記載されています
しかし、土地の番地が違うという意味がよく分かりません
UPしていただければ分かるかもしれません。
396 :
飛瀬:2007/01/01(月) 10:37:47
いよいよ新しい一年の始まりですね!
みなさん、よい一年となるよう頑張りましょう。
僕は今年こそ・・・彼女をおpjk・・・高祖父母をコンプリートできるように
頑張ります。
ちなみに1603年生まれの初代ってとても珍しいですよ
384さんの家は名家ですか?
私の浅い経験ですと1600年後半生まれ位の人のお墓や位牌、過去帳は
ありましたが1600年前半の人は皆無です。
だいたい先祖供養に余裕が出始めたのはやはり1700年代位だと思いますので
それ以前の人物が記載されているということは地元の名士レベルなのかな?
と推測しました。もっと突っ込んだ調査をしたらまだまだ分かるかもしれませんね!!
>>397 そうなんですか?
うちの過去帳では、1653年に亡くなったのが一番早い記載です。次が1657年。
浄土宗だと、過去帳に続柄や生まれた日まで書いてないのが残念です。
(位号が信士なのでそこそこの歳で亡くなったと思うのですが、、)
便乗して、そこそこ珍しいのかな、、
そのお寺が1616年に開創ということなのですが、それ以前のお墓や
名字の伝来がどういう状態だったか知りたいのですが手段がありません。
更に1703年の元禄の大津波で、お寺の古記が流れたそうで、、、(´・ω・`)
399 :
松屋 【大吉】 めし大盛り 【1518円】 :2007/01/01(月) 17:06:38
なんで+で立ったんだと思ったら立ったのは今日か
お正月っぽいスレが欲しかったのかな
401 :
浅右衛門:2007/01/01(月) 20:25:19
新春之御慶目出度奉存候 各様益御安泰披為成御座 奉珍重候 尚奉期永春之時候 平成十九年 元旦
402 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 10:44:00
>>399 交通費自己負担だから費用はかなりかかることになるだろう。自分で時間つくって金つかって汗かいて探した方が供養にもなるよ。そこまでできない人が頼むんだろうけどね。そういう時代なんだろうね、今は。
除籍謄本の交付請求に関連して教えてください。
除籍謄本を請求するとき、正確な町名や地番が不明なのですが、
それでも請求できるでしょうか。
どこの市区町村か、管轄している役所はわかるのですが、
明治時代の本籍地の町名や地番がわからないのです。
転籍先の謄本が廃棄済なのですが、転籍元にはもしかして
残っているかもしれないのです。転籍したというのはご本家からの
情報です。ただ、転籍元時代の本籍地の正確な町名や地番が
わからないのです。
管轄区域の小さな村役場だったら探してくれるとか、
管轄区域の大きな市役所だったら探してくれないとか、
そういった感じでしょうか?
404 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 16:57:30
そんな感じ
405 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:07:47
そんな感じでしょ。同じ公務員なのにな、なんか変だよな。国家公務員じゃなくて地方公務員だから、その自治体独自の考えなんだろう。しかたないな。
406 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:19:07
それを探しだすのがここのテクニックスレ
安心しろ
>>403 戸主の名前は分かっているでしょうか?
除籍の検索は本籍と戸主名をキーにして行われているようですので、
本籍が正確にわからない以上は、戸主名が重要になってきます。
廃棄済の除籍の戸主名と同じでよさそうな気がします。
戸主名が同じ除籍が複数ある場合は、どれが目当てのものか区別するために、
他に記載されている人の名前や生年月日等も必要になってくると思うので、
現在までに取得できている一番古い除籍謄本のコピーを添付するとよいのではないでしょうか。
なんにしてもトライなさってはいかがでしょうか。
前にも書いたが、私の経験だと役所によると言うよりは、担当者個人の個性によると思う。
私の場合、いちど申請してダメだったものが、1年後くらいにもう1回トライしてみたら、
今度はこちらが求めていた以上のものを探し出してくれたことがあった。
結局どの担当者にあたるかに左右されると思う(たぶん戸籍・除籍担当って複数いるんでしょ)
つまり運次第。前述の例でも2回目にまた同じ人、あるいはもっと厳しい人にあたる可能性も
あったわけで。実際別の役所では2回目にめっちゃ厳しい人で閉口したことがある。
ちなみにあまり性別・年齢は関係ないと思うが、私の経験だと若い女性担当者が比較的寛容な
ような気がする。一概には言えないけど。年輩女性はいい人もいるし、そうでない人も。男性は
あまりよかった記憶がない。別に悪い人ってことはないんだけど。なにぶん、こちらの求める
ものが通常以上だから仕方ないんだが。
409 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:16:11
その役場は家から近い?遠い?
直接行ける?
役場は市街 町村?
私も同意見です
複雑なものを要求した場合の対応のよさは、女性の方が求めるもの以上のものを
出してきてくれたことが多いです。しかも対応がどれも早かった
男性はまだ年配の方が誠意ある対応をしてくれたことがあるかな
若い男性だとほとんどハズレばっかりでした(^_^;)
>>403 役場は家から近いのでしょうか?
行けるのが可能であれば直接いって事情を説明してから請求したほうがいいです
住所は分からなくても408さんの書いているように探してくれる場合も
ありますのでチャレンジしてみてください
駄目なら該当法務局の旧土地台帳を閲覧して
その地目というところが宅地になっている場所が番地ですので
それを確認した後に再度請求してみましょう
ただ町名が分からないのは厳しいのではないでしょうか?
まずは当時の町名だけは確実に抑えていく必要はあります
412 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:28:47
>>404-411 ありがとうございます。
担当者の個性・感性、スキル、自分の職務に対する取り組み方などが関係することがよくわかりました。
そういえば、除籍謄本自体も、すごくきたない字で書かれていたり、とてもきれいな字の場合もあり、
戸籍吏による差があることを実感しています。手書きだからしかたがないのかもしれませんが。
本籍と戸主名がキーと思われるのですね。
今回は正確な本籍がわからないのですが、いい担当者であることを祈りながら請求してみます。
その役場は市役所ですが、私の家からはとても遠いです。
413 :
日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:36:27
下手に下手にがポイントだよ。担当者の心にうったえないと、こちらの満足いくものは出てこない。怒らせたり、気分を害するようなことをしてしまうとまずいな。人間だからな、公務員といえども。
414 :
飛瀬:2007/01/02(火) 21:37:52
>>403 市町村が分からないといいましたが、それなら現在の管轄している役所のサイトの町の歴史を紹介しているところなどを参考にしてはどうでしょうか?
また、それがダメなら市町村史などに詳しく書いてあると思いますし、最終手段として○×村の○山というところは明治ごろの何村に当たりますかと役所の人に聞けばイイと思います。
もしくは郷土史家か。
ここまでは分かるはずです(たぶんですが。)
さて番地ですが私の時は「なし」でも通りました。
勝率100%です。
ただ、これは408さんも言っているように人にもよるでしょうから安心は出来ません。
あとやすべぇさんの言う様に何事にも挑戦ですよ!
挑戦してみないと結果は生まれません。
失敗したにしても失敗してからこれを糧に別の作戦を練ることが出来ます。
415 :
飛瀬:2007/01/02(火) 21:44:01
途中経過です!
今実家に帰省中(寄生虫ですがww)ですが、親戚がカナリ昔の戸籍(当の昔に廃棄された戸籍?)を所有しているとの情報を得ました!
箪笥の中から出てきたらしい・・・。
もしかすると壬申戸籍かもっていう淡い期待も抱いていたりします。
帰省中に手土産持参で行って見るつもりです。
416 :
浅右衛門:2007/01/02(火) 21:59:14
》415
それは期待できますね。
吉報をお待ちします。
>>413 確かにそうですよね 私も役場では下手に下手にでてましたし
本当に必要なんだという必死さも訴えかけていました
あとは名札見て○○さんの責任においてこれでもう分からないのですねと
釘をさして見たり
>>415 素晴らしい
また報告お願いします
418 :
飛瀬:2007/01/02(火) 22:11:48
>>416 >>417 必ず報告しますね!
なんかそのうち報告しますがこの家は先祖調査をする上での重要な鍵を握っています。
出来るだけ多くの情報を仕入れてくるつもりです。
419 :
藤:2007/01/02(火) 22:57:23
みなさん、お久しぶりです。
喪中につき、寒中お見舞い申し上げます。
今年は手紙作戦と史料探しに奔走しそうです。
>>403さん
正確な旧町名がわからないのですか。
旧町名をWikipediaなどで検索するというのはダメでしょうか?
私は母方の町名が今の行政区でどこなのかわからない時に検索しました。
番地は私も「なし」で通りましたので、おそらく大丈夫だと思います。
>>415 飛瀬さん
あるところにはやっぱりあるんですね。
情報がたくさんあるといいですね。
420 :
四郎右衛門:2007/01/03(水) 00:32:19
私も父方母方の直系先祖(10家)の戸籍は現存すると思われるものはすべて取り寄せました。
ほとんどが郵送での請求でしたが、送ってもらえました。
請求理由は「先祖調査のため」ではなく、「墓石改修のため」とかの方が無難です。
請求用紙とは別に手紙を添えると良いでしょう。
個人情報保護法の関係で、税理士等の有資格者でも請求が難しくなりました。
請求は一刻も早く、をお薦めします。
421 :
浅右衛門:2007/01/03(水) 11:52:11
>>420 そうですね。
経験から「もう少し早く請求していたなら取得できたのに。」ということが
ありましたね。急を要することです。お急ぎください。
四郎右衛門様は直系のご先祖10家の戸籍取得済みとのことですが、
高祖父母の代まで16家のうち10家取得でしょう。
これからが少し難関ですね。
422 :
四郎右衛門:2007/01/03(水) 13:09:55
>>421 そうなのです。16家すべて網羅したいところですが、
母の名が記載されていなかったりで、足踏み状態です。
壬申戸籍を持っている親戚でもいたらいいのにね。
423 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 13:58:13
403です。
>>414 :飛瀬さん 419 :藤さん
「○○県の○○地方から転籍した。」という情報しかないのです。
つまり、具体的に「旧□□町××番地」という情報が無いのです。
「旧□□町××番地」という情報があれば、現在の町名を調べることはできます。
でも「○○地方」しかわからないのです。
でも、「○○県の○○地方」は、どこの市区町村の管轄かはわかっています。
なので、本籍地はぼやけているが、申請してみようと思います。
424 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:51:09
>>423 まとまりのない文章ですね。
請求のときはわかりやすく、役所の人に好印象を!
425 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 15:06:45
言っている意味は分かる
426 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 15:12:12
熱意は伝わってくる。好印象。ここでリハ
しとけばきっとうまくゆくよ。
427 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 16:25:51
役所には月曜金曜大安あたりは忙しいので避けたほうがいいかもしれません
428 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 16:27:50
(^-^)/
429 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 16:39:15
403は役場遠いので直接は行かない
請求で成功する方法を考えるべし
>422
母親名が分からないと結構難関になりますよね
もうその家に行って墓や位牌を見ないと分かりませんからね
頑張ってください
>>423 >「○○県の○○地方から転籍した。」という情報しかないのです
○○地方はどこまで詳細なのですか?
例えば
青森県北津軽郡板柳町赤田 とあれば
大字の赤田までは判明していますか?
町名の板柳町までの判明では厳しいかもしれません
432 :
友三郎:2007/01/03(水) 21:24:22
あけましておめでとうございます
旧年中は、大変お世話になりました。
皆様からいただいたアドバイスにより、
多くの御先祖様を知ることができました。
高祖父、高祖母のうち、14名の氏名がわかりました。
高祖母1名は、ご本家の過去帳から名前、享年、没年がわかりましたが
婚姻前の旧姓はわかりませんでした。
高祖母1名は、残念ながら不詳です。曾祖父の謄本が廃棄済であるため、
高祖父の名前はわかりましたが、高祖母の名前は確認できませんでした。
自分の苗字や母の旧姓だけが御先祖様ではないことに気づきました。
また、多くの方から命をいただいていることに気がつきました。
先祖代々の家系図があるようなりっぱな家ではありません。
集めた情報をもとに、自分から高祖父・高祖母までの家系図を
作りました。
この自分家系図を額に入れて、毎日感謝をしつつ手を合わせています。
調査の中で、自分が分家の端くれであることがよくわかりましたが(w。
それでも、ご本家関係の方にお会いできて嬉しかったです。
433 :
浅右衛門:2007/01/03(水) 22:00:03
>>432 よかったですね。
御手製の家系図すばらしいことです。
そこにでてくるお一人お一人が皆
お喜びのはずです。
新春からとてもいい話しを聞かせてもらい
ありがとうございます。
434 :
四郎右衛門:2007/01/03(水) 22:19:26
私の高祖父のひとりは過去帳によると、24歳で亡くなっています。
結婚しないままに亡くなっていたら曽祖父から下の卑属何十人はこの世に
生を受けていなかったことになりますね。
そう考えると不思議です。
ご先祖様に感謝です。
>>432 つまり16人のなかで14人は判明しており
そのうち1名は過去帳から下の名前は判明
もう1名は高祖父は分かるがそれ以上は不明というこですね
下の名前が分かっているのであれば判明していると言っても差し支えないと思います
もう一名はその高祖父の直系卑属を探して位牌、墓等からの調査で判明できませんか?
本家の人に出会えてよかったですね
これも縁なんですよね〜
旧番戸が現番地のどこなのか、あるいはその逆を知るには
どうすればよいのでしょうか。
437 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 11:36:31
番戸と現在の番地は対応してないよ
だから探すのは不可能でしょう
なにか支障をきたす事ありますか?
438 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 11:48:03
>>436 番地までは難しいでしょう。町名の変遷であれば、
図書館の郷土史のコーナーで調べられるでしょう。
440 :
友三郎:2007/01/04(木) 18:18:08
441 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 19:51:37
>そこで、私も公開させていただくことにいたしました。
すごい見やすいですね!
442 :
飛瀬:2007/01/04(木) 20:09:30
>>440 いい具合に仕上がっていますね!
それにこのようにして自分の名前を残してもらえるご先祖様は
幸せかもしれませんね。
まさにオナニー
無名の家の名前並べただけの系図に興味を持つ人はあんまいないだろうなw
番戸と番地につきお答えありがとうございます。てゆうか、ちょっとびっくりしてしまったのですが、
ということは、○○村△番戸が現在のどこかを知ることはできない、ということなのでしょうか。
いくら何でも行政当局には、番戸がどういう順番(方向。平行式・千鳥式とか)で設定されたかにつ
いて何か残ってそうに思うのですが。無理なんでしょうか。
>>445 法務局では土地建物の登記を扱っているから、そこではわかるのでは
ないだろうか。或いは都税事務所とか県税事務所なら分かる気もする。
ただ、実際にそういった用件で行った事が無いから不確実な情報スマソ。
447 :
浅右衛門:2007/01/05(金) 08:01:53
448 :
浅右衛門:2007/01/05(金) 08:01:54
449 :
日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:59:02
>>445 とりあえず、法務局へ。
番戸と現在の番地の対応、が完璧には判らんかもしれないが
大体この辺りってのは判るかもしれない。
古地図とか。
>>440 分かりやすいですね
曾祖父の名前をコテハンにしてるのですね
452 :
日本@名無史さん:2007/01/05(金) 17:53:26
↑
このスレッドはレスが恐ろしくつくな
家系や先祖に興味のある人物って意外と多いのか?
先祖に興味のある人は結構多い。親戚にも何人かいるもの。
ただ、なかなか調べ方が分からないんだよね。ネット環境がないと尚更。
だけどそこのスレが伸びてるのは、先祖調査なんて意味がない、ヤメレ!ってのと、
へ〜面白そう♪な天然な人との、攻防のような気がするw
今の自分だけが大事で、先祖が何していたかなんて何の意味もない、
って必死になって言う人がいるんだよね。
どうせ農民なんだから無意味だってね。庶民であるところの農民でさえ、
しっかり歴史を持った存在であるってことがわかってない。
+は人口多いからね。ちょっと興味がある程度でもとりあえず1レスして去ってくんだよ
黒ID多いだろ
455 :
日本@名無史さん:2007/01/05(金) 19:25:11
へぇーーそうなんだ
農民のほうが探し甲斐があるのにな
大体先祖なんか関係ない自分が大事という人間に限ってたいした事してんの?って感じだが
あそこは煽り屋も住んでるからね
本人自身はその問題自体は別にどうでもいいんだけど
とりあえず煽って食いついてきた奴をさらに煽る
そして叩かせてうまく朝鮮、宗教、地方、一流企業などへの叩きにもっていく
いろんな思惑のある各種工作員たちが跋扈する板だから真に受けちゃダメ。
半哂いでヲチする位でないとね
457 :
友三郎:2007/01/05(金) 22:41:04
大丈夫です やれば出来るの精神でいきましょう!!
実際に手紙を書いていますのでここは電話をするのはどうでしょうか?
あと祖父はご健在でしょうか?
>>440 扇形系図の感想
遅くなってすいません。
出遅れてしまいました。
今更ではありますが、感想を。
率直な感想ではありますが、きれいに表されていて、いいですね。
5代前や実家へのつながりが添えてあるのもわかりやすいと思います。
親戚の皆様にお見せすると喜ばれるのではないでしょうか。
それから、やや実利的になりますが、こうしてわかりやすく表しておくと、
調査の進み具合が一目瞭然なので、今後、調査すべき事項もつかみやすいですね。
>
ttp://www15.plala.or.jp/atyann/graph-01.html それにしても、10代前までで1022人、20代前までだと1048574人!
ここの住民の皆様とも共通のご先祖がいるのでしょうね。
実はさっき、公文書館での調査から戻ってきました。
>>459の書き込みが遅れたのは出先から書き込めなかったからです。
結論から言うと、成果は・・・う〜ん、思ったほどではありませんでした。
公文書館が出している案内には、
目当ての文書群がマイクロフィルム化されているリストに入っていたのですが、
実際にマイクロフィルム化されていたのはその一部で、
特に見たかった肝心の文書はその中に入っていませんでした。
事前に問い合わせておけばよかったです。
所蔵者に見せてもらえるか問い合わせてみようと思います。
>>460 ドンマイです
確かに成果は思った以下かもしれませんが
そのバッククランドで何かが分かったのではないでしょうか?
その時代及びその地域の何かをつかめたのでは?
そこから又少しずつ進めればいいと思います
462 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:28:29
先祖を探す事に意味があると思う
それは人間の幅を広げないか?
463 :
友三郎:2007/01/06(土) 00:49:22
>>458 >>459 先祖マニアさん、やすべぇさん
ありがとうございます。
父方祖父は私が3歳の時に亡くなってしまい、覚えていません。父方祖母は私が生れる前に亡くなりました。
ご覧いただいたように、土田家の高祖母の名前が不詳です。曾祖父の友三郎の謄本が2年前に廃棄されているのが痛恨の極みです。そのために土田家について詳細に遡れていません。
土田トヲが友三郎と婚姻したのが明治15年です。ただ、記述がぼやけていて、旧姓時代の本籍地の記載が村の名前までなのです。地番の記載がありません。
旧姓時代の謄本を請求しましたが、該当無しでした。こちらは廃棄済ではなく該当無しです。
「土田一郎が父、長女が土田トヲ」という謄本は無い旨の回答です。廃棄証明ではありませんが、該当無し証明を文書で発行していただきました。
明治15年当時、一郎は隠居をしたか、亡くなっていたかの理由で、既に戸主が変わっていたのかもしれません。
戸主名が特定できれば、あらためて請求できるのかもしれません。
ただ、婚姻が明治15年なので、壬申戸籍でなければ、旧姓時代の謄本は存在しないようにも思えます。
なので該当無しなのかもしれません。
曾祖母土田トヲの直系卑属は特定できていません。
特定できたのは、祖父の兄の嫁がトヲと同じ地域で、同じ土田姓であることから、何からの関係があると思い、特定できた卑属の方へお手紙をお出ししています。本家(祖父の兄の家系)の直系の卑属の方の協力と許可を得て行っています。
これがご返事待ちです。もう少しお待ちしてみます。
>ここの住民の皆様とも共通のご先祖がいるのでしょうね。
私もまったく同じように感じています。
464 :
飛瀬:2007/01/06(土) 01:09:51
>>460 挫けず頑張ってください!
次に期待ですね。
>>463 2年前・・・歯がゆいですね。
僕も数年前に廃棄されたものがあったとき、あの時始めておけば!って思いましたもん。
地番がないとのコトですが、僕の取ったものにも地番がないものはたくさんありました。
まぁ、申請したら村名だけでいけましたが。
該当がないということについて、私も一度ありました。
ただしこのとき父の名前がある戸籍があり、作成時三女がいなかった(長女や四女がいるのに)
おそらくこの家を出たのだろうという推測で出してもらいました。
友三郎さんの場合、一郎が既になくなっていたということも考えられますが。
代替わり・・・。
難しいですね、良策ある人お願いします。
ただ手紙はいいかもしれませんね。
5世代もさかのぼったら先祖は親戚ばっかでしたww
465 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 02:00:43
後ろ向きのスレだな。
小作人や水呑みの先祖なんか調べたくもない人もいっぱいいることがわかってない。
わざわざ時間と労力と神経と金を使って、田吾作のことなんか調べてもねえ・・・
マジでそんな過去は忘却の彼方に消えてほしいと思ってる人もいっぱいいるよ。
466 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 02:04:03
誰とは言わないけど、けっこう出世してる人でも2chで先祖のこと暴き立てられて
足軽だのなんだの言われてるよねw
たいしたことない先祖なんかできるだけ思い出したくない、隠したい人もいるんでは?
先祖はたいしたことなかったけど、俺は頑張って出世したんだぞって威張れるんじゃ
逆に先祖が有名で現在ニートの方が辛いって
468がいいこと言った
>できるだけ思い出したくない、隠したい人もいるんでは?
在日や部落なんかはそうだろうな。
471 :
藤:2007/01/06(土) 15:15:33
>>464 >父の名前がある戸籍があり、作成時三女がいなかった(長女や四女がいるのに)
>おそらくこの家を出たのだろうという推測で出してもらいました。
飛瀬さん、できればこの詳細を教えてください。
私も同じ状態で請求したのに出なかった除籍があったもので。
うちの場合はある高祖父の母親でその親のいる除籍(息子が戸主になっていた)を取ろうとしたら、
長女である高祖父の母親の記載がないということで却下されました。
今のところ、同姓同名の他人扱いされています。
結婚して明治六年に高祖父を産んでいる人なので、難しいかもしれないですが。
472 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:05:42
>>468 自分が成功すれば、わざわざショボイ先祖になど言及しない。
隠しようのない親の世代くらいならともかく、明治や江戸にまでさかのぼって調べはしない。
自分が出世していようがどうであろうが、たいしたことのない先祖など、
あえて調べる必要など全くない。
大半の人間は先祖をわざわざ調べるような後ろ向きのことに労力は使わない。
473 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:57:00
海外でもそうですが財力と階級は必ずしも一致しません。
日本の階級は、
上流階級(The upper class) 皇族(旧十四宮家)、公家(摂家、清華家、大臣家)、武家(将軍家、大名家)、
政治家一族(衆参議員クラス)、神職及び僧侶(僧正、浄階クラス)、軍人(将官クラス)
中流階級上(The upper middle class) 公家(羽林家、名家、半家)、元士族(旗本、御家人)、政治家一族(県知事、市長クラス)
大学長クラス、経営者及び役員クラス(年商100億以上)、神職僧侶(僧都、明階クラス)、軍人(佐官クラス)
資産家(地主、馬主、山主、大株主)、官僚(キャリアトップ)の家系、豪農、豪商、大庄屋の家系
中流階級(The middle class) 公家(地下)、元士族(藩士、郷士)、政治家一族(県、市議会議員)
経営者及び役員クラス(年商1億以上)、神職僧侶(律師、正、権正、直階クラス)、家元(伝統芸能)
大学教授クラス、上級公務員(キャリア組)、投資家、芸術家(書道家、画家etc.)
医者、弁護士などの各種専門職(独立開業可)、軍人(尉官クラス)
上記がブルジョア階級
474 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:59:39
下記がプロレタリア階級
労働者階級上(The upper working class) 芸能人(プロダクション所属)、スポーツ選手、
自由業(作家、トレーダー、フリーランサーetc.)、自営業、公務員(事務系)、
サラリーマン(部長以下、一流企業含む)、などのホワイトカラー職系の家系
労働者階級(The working class)公務員(現場系)、肉体労働者などのブルーカラー及びグレーカラー職系
貯蓄残高ゼロ世帯の家系
下層階級(The lower class) 花柳界、ホームレス、生活保護、などの家系
階級は家柄であって教養や文化や政治に対する考え方など家庭の中で話す内容は格階級によって違うかと思います。
話してる内容は各家庭に於いて多少温度差があるでしょうが、大体こんな感じではないでしょうか?
上流階級 政治、皇室、芸術、歴史、趣味 、宗教
中流階級 経済、文化、ビジネス、哲学、歴史、法律、ファッション、科学、
資産運用(投資)、学歴(留学、大学etc.)、習い事
労働者階級 飲食、車、家など目に見える物、ギャンブル、芸能、スポーツ、観光旅行、ローン返済 、
会社内の仕事話
下層階級 会話の内容が無いがお金の話が多い。 黄色い声が入り混じってストーリーが掴みにくい。
(注意)
親族の中でどの職業が多く占めているかで判るかと思います。
同じ階級でも幅があるので同じ位置ということではない。
プロレタリアであってもブルジョアを凌ぐ財力がある場合もある。
ご先祖を調べることは、そのご先祖を通じて彼らの生きた日本の社会を
知ることにつながる。
父方も母方も、ともに関東から数百年前に現在の場所へ移ってきたんだけども、
当時からこんなに人間が移動していたのかと驚いた。
と同時に、いままで全く関心のなかった戦国時代の武将やら、郷土史やら、
ありとあらゆる資料、古文書に至るまで、とにかく何でも読んで知りたいと思ったよ。
こんな面白いこと他にない。
「歴史から学ぶ」ということはとても大切なことです。
歴史から何も学ばない人は、社会に悪影響を及ぼします。
自分の先祖のことを知ろうとせず、敬意も払わない人は、
他人に敬意を払うこともしないし、歴史から学ぶこともしません。
477 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:26:08
>>476 素晴らしい意見だと思います。
私も同じ意見です。
478 :
飛瀬:2007/01/06(土) 20:39:36
>>471 詳細ですか・・・。
資料の多くが下宿さきにあるのであまり詳しくはいえませんが、状況は説明します。
上記の状態で申請をしました。
するとなにやら戸籍係りのお姉さんと偉い人?とがPCみながら話しています。
10分はかかったと記憶しています。
で係りの人が「花子さんの記載はありませんでしたがお父さんの又三郎と名前が一致する人がおり、三女がいないので(三女かどうかは正確には覚えていませんが)たぶんこの戸籍になります」
っていって出してくれました。
これは係りの人が優しかったんだと思います。
だって別の町では番地なしの場合など半分嫌そうな顔して出しましたから。
ま、運が良かったんでしょう。
藤さんの場合、僕と同じようなのでおそらく係りの人がこれはダメだと判断したのではないのでしょうか?
もしかしたら時間を置いて申請したら通るのでは?
なんか聞きたいことあったらお願いします。
479 :
藤:2007/01/07(日) 14:48:18
>>478 詳細を教えてくださり、ありがとうございました。
飛瀬さんは直接、役所に出向いて取られたんですよね?
私は郵送で取ったんですが、そのへんの裁量は係の人にもよるのかもしれないですね。
名字がけっこうたくさんいる(佐藤とか高橋とか)人だったので、
名前だけでは決め手にならなかったのかな、と思いました。
これが取れていれば、高祖父の母の母の名前が判ったのに…!
480 :
飛瀬:2007/01/07(日) 17:02:40
少しでもお役に立つことが出来光栄です!
僕は直接お役所に行きましたよ。
めげずにまた挑戦してください。
あと親戚の家へ伺うといっていましたが、課題が思うように進まないため課題優先で行きます。
残念ですが次に帰省した時に行こうと考えています。
481 :
友三郎:2007/01/07(日) 19:28:55
>>464 飛瀬さん
そうなんですよ。2年早く調査を始めていれば....。
「土田一郎が父、長女が土田トヲ」だけでは、特定できないのかもしれません。
トヲの兄弟姉妹の名前でもわかるとよいのですがねえ。
直系卑属の方を探すべく、手紙の準備をしています。
例えば土田一郎やトヲの生没年月日は分かりませんか?
昔私も役場に行った時に戸籍破棄のため続柄が確定出来ない戸籍を
請求しましたが駄目でした
その戸籍の戸主の名前は同姓同名なので可能性は非常に高いのですが
名前は岩田弥三郎ですので同姓同名がいるとは思えないのですが
やはり役場では戸籍の連続性が無いため無理でした
しかし役場の方がこの岩田弥三郎の生没年どちらかがもし分かれば
可能性がかなり高いので戸籍は出しますといわれました
当然本籍地が分からないので後日しれっと請求することもできませんし・・・
ただ役場での交渉術には使えると思います
確定したものは無いが 該当者の名前が一致するのと及び生没年(どちらか)が
一致する戸籍で他人の者はないのでは?
また別の役場ではこのような例で請求が受理されたのにここの役場では
なぜだめなのか!!
などなど を腰を低くして言ってみたらどうでしょうか?
483 :
飛瀬:2007/01/07(日) 23:40:00
>>481 あきらめずに手紙書いて頑張ってください。
では。
>>480 出来るだけ早くいたほうがいいですよ〜
戸籍の廃棄みたいになるかもしれませんし
次に行った時には当事者が亡くなっており
欲しかった資料が散逸していたとか詳しいことを聞けなかったとかのないように
しましょう!!
私も昨年市町村史を手がけていたとても詳しい郷土史家に手紙を書きましたが
そのその一ヶ月前に脳溢血で倒れて意識不明になったためどうにもこうにも
ならないという経験をしましたので・・・・
最近では先月遠縁にいきましたがそこの当主の親は去年の4月に亡くなっていました
1年前にいっておればもう少し詳しいことが聞けたのにと悔しい思いをしました
人の命こそいつどうなるかわかりませんしね
485 :
友三郎:2007/01/08(月) 00:00:31
>>482 先祖マニアさん
土田一郎の生年月日はわからないです。土田トヲ(一郎の長女)の生年月日はわかります。
珍しい名前だといいのですが、土田一郎は一般的な名前ですね。
実は、祖父の兄の嫁が土田タキといいます。その父も土田一郎です。土田タキは一郎の次女です。
最初、私はてっきり、曾祖母の土田トヲと土田タキが姉妹なのだと思いました。ですが、違ったのです...。
トヲとタキは姑と嫁の関係だったのですが、年の差が33歳あります。
本家筋の方から委任状をいただいてタキの謄本を請求し交付してもらいましたが、長女は別名で生年月日も違っておりました。
そして、タキの父である土田一郎と、トヲとの年の差は10歳でした....。10歳の時の子供ということは無いですよね...(汗。
代々「土田一郎」という名前なのかとも思ったら、タキの父の一郎の父は土田奥左エ門でした。
そんなわけで、土田トヲの旧姓時代の戸籍は入手できておりません。
ただ気になることがひとつあります。土田トヲは、安政元年(1854)12月2日生まれです。
その父は、それよりも20〜40年前に生れていると推測していますが、そんな時代に「一郎」なんて名前が本当に存在したのかどうか.....。あまりに現代風に思えるのですが....。
「土田一郎の長女」というのは入手できた明治40年代の謄本からの情報なのですが、戸籍吏が前の謄本から転記ミスをしていないことを祈るのみです。
住所が村の名前までで、地番が書かれていないのも辛いところです。地番があれば特定できるのに...。
「明治拾五年四月拾六日 ○○県○○郡○○村 土田一郎長女入籍」これだけです。
やっぱり、トヲの兄弟姉妹がわからないと難しいですね。
手紙をお出しして、卑属の人がみつかって、何か糸口が見つかると嬉しいのですが。
486 :
友三郎:2007/01/08(月) 00:02:59
>>485 >土田トヲは、安政元年(1854)12月2日生まれです
>「明治拾五(1882)年四月拾六日 ○○県○○郡○○村 土田一郎長女入籍」これだけです
28才で結婚してますね
トヲの死亡記載が書かれた戸籍は入手しておりますか?
例えば70歳で亡くなっているのなら1924年大正13年になります
その時に兄の戸籍に母親として記載されておれば
大正4年戸籍になっているのではないせしょうか?
そうなると母親の名前が記載されている可能性が若干あると思われます
489 :
飛瀬:2007/01/08(月) 00:41:48
>>484 そうですね。
僕も早い方がいいとは思うんですけどね。
人はいつ死ぬか分かりませんから。
先日通っている大学の先生がまだお若いのに亡くなってから余計思うようになりました。
なんで一族で集まったりするときは最近必ず写真を撮るようにしています。
僕は写真が嫌いなのですが、万が一を考え自分も撮るようにしています。
ま、親戚の件については親に「もしレポート終わったら手伝いしてくれ」って言われたんでどっちにしろ無理でしたね。
490 :
友三郎:2007/01/08(月) 01:26:47
>>487 488
先祖マニアさん
残念ながら、土田トヲの亡くなったときの謄本にも、母の名はありませんでした。
「母の名不明」で空欄になっています...。
ご紹介いただいた「水橋売薬の歴史」を拝見いたしました。
苗字ではなく、名前で使ってはいけない旨禁止令が出て、
改名を余儀なくされた人達がいたとは知りませんでした。
これは驚きました。
土田一郎の「一郎」も改名を余儀なくされて変えた後である可能性があるのですね。
491 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 17:41:15
祖父母の菩提寺に「自分のお墓を作りたいので、
過去帳を写させて欲しい」と頼んだら、
「戦災で全て焼けて何も残っていない」といわれました。
位牌も過去帳も焼けて、お寺本体もお墓も全焼してしまったそうです。
お坊さんは代替わりして息子のお坊さんは古いことは何も知らないそうです。
「過去帳などのお寺の重要記録は疎開させたり、どこかに保管してあるのではないか」
と尋ねたら、そういうことはしなかったらしい、という答えでした。
こういう場合、このお寺のことはもう調査不可能でしょうか。
>>461 >>464 先祖マニアさん、飛瀬さん、心に浸み入るお言葉、ありがとうございます。
確かに、全く成果がなかったわけではなく、
幕末から明治初期にかけての町の様子を把握するのに役立つ資料を見ることができました。
具体的には、維新直後、庁舎を造営するための寄付金を町全体で集めた記録がありました。
明治初期、町の自治のため、いくら徴収するか一軒一軒記録した史料もありました。
それから、高祖父1の兄の家系が使っていた印鑑が押された慶応年間の史料もありました。
その印鑑では姓と店のマークとが並んでいました。
印鑑の上には署名があり、姓と名が記載されていました。
この史料は商売仲間での覚書のようですが、高祖父1の兄の家系は姓を「私称」していたようです。
(他に、役所に出した書類の控えもありましたが、そちらでは姓はなく名だけでした)
ところで、この覚書では他にも多くの商人名が出ていますが、
姓が書かれている人と、○○屋という屋号が書かれている人とが混在していました。
全員ではないですが、姓が書かれている人の印にはマークも一緒に入っています。
○○屋と称する代わりに、こうしたマークを屋号として使っていた、ということなのだと思ったのですが。
>友三郎さん
戸籍で辿るには、やはり土田トヲさんの兄弟の籍に母親が在籍しているか、
母欄に名前があるかにかかっていますね。
そのためにも手紙作戦は使えそうですね。
あと、旧土地台帳で土田一郎さんの跡取りを探す、というのはいかがでしょうか?
現地法務局まで出向かないといけない上、村全体の台帳を見ないといけないのが難点ですが。
>>491 難しいそうですね。
稀に寺の過去帳全体(の写し)が旧家に所蔵されている例もあるようですが、一般的ではないですし。
ただ、本当に戦災で焼けたことがあるかどうかは、一応、裏を取ってはいかがでしょうか。
町史などの史料で確認できないでしょうか。
494 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 19:16:01
やすべえさま ありがとうございます。
地域史の本を調べてみます。
菩提寺のある一帯は戦災で焼け野原になって
お寺も民家も何もかも無くなってしまったらしいです。
付近の住人も戦争後入れ替わった家が多いみたいです。
お寺の過去帳は、そのお寺以外に写しを保存しないのが一般的であったのですか?
496 :
友三郎:2007/01/10(水) 00:34:17
>>492 やすべぇさん
はい、是非とも土田トヲの兄弟姉妹の名前を探して、
そこからトヲの母の名前を知りたいところです。
9日に、トヲの故郷の土田姓の方へお手紙をお送りいたしました。
解明の糸口がつかめると嬉しいのですが。
地元の法務局ですね。遠い地なのですが、是非行きたいところではあります。
近くで気軽に行ける場所とは違うので、辛いところです。
平日に行かなければならないのが、さらに難易度を高めていますね...。
497 :
先祖マニア:2007/01/11(木) 00:26:40
手紙頑張って下さい
498 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:29:37
すいません。油田って苗字の知り合いいるんですけど何か情報ありませんか?
7066 油田 約1,300 下総国香取郡油田邑発祥、桓武平氏千葉氏族。現在、鹿児島県に多い。
あまりお役に立てませんが
>>499 ありがとうございます。この情報あってますね。
>>494 >お寺の過去帳は、そのお寺以外に写しを保存しないのが一般的であったのですか?
一般的ではない、というのは言いすぎだったかもしれません。
お寺ごとに扱いは違うかもしれないですね。
>>496 友三郎さん
あと、苦労して旧土地台帳を調べたからといって、
探していた名前が見つからない場合もありうる、という点にも気をつけてください。
>9日に、トヲの故郷の土田姓の方へお手紙をお送りいたしました。
こちらで突破口が開けると、本当にいいですよね。
>>496 トヲの家の直系卑属の家を確定しないといけませんね
家が断絶していなければいるとおもいますので
なんとかなるかもしれませんが
いかんせん、すぐにいけそうな距離ではなさそうですし・・・
503 :
友三郎:2007/01/12(金) 03:55:22
>>497 >>501 >>502 先祖マニアさん、やすべぇさん
そうですね
土地を持っていたかどうか、定かではありません...。
トヲの記録が、どこかの土田家に残っていて、直系卑属の方が
探し出してくれることを期待しているのですが...。
504 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:51:22
トヲはいつ亡くなってるの?
明治なら分かると思う
人様の先祖を呼び捨てにするおまいらの良識のなさ
506 :
友三郎:2007/01/12(金) 17:45:17
>>505 別に、かまわないです。
敬省略でかまいません。
>>504 トヲは、昭和7年1月29日に亡くなりました。
このときにお葬式に来てくださった土田家の方がいて、
その子孫の方がわかればいいのですが...。
昭和7年なら墓あるしょ
508 :
飛瀬:2007/01/12(金) 20:32:38
昭和初期なら墓ないかもしれませんよ。
今、合祀してるとこおおいですよ。
それで古いのは廃棄。
まずは家を特定してからですね!
510 :
飛瀬:2007/01/12(金) 21:46:38
511 :
浅右衛門:2007/01/12(金) 21:58:33
>>510 それは知りませんでした。残念です。
皆様、いろいろと勉強させていただきありがとうございました。
>>510 マジっすか!!!
それは残念ですね
あ〜とても残念です
非常に残念です
いつもの閉鎖するする詐欺だよ
ひろまろが金払うのやだから、ねらーに寄付させるつもりなのと
マスコミにタダで報道させて新規客呼ぶ為の作戦なんで
気にせずに
そうなんですか?
安心しました
閉鎖したとしても一時的なものだろうね
運営はドメイン変えて復活するようなことも言ってたし
>>506 昭和7年ならお墓ありませんか?
その親も明治の初期〜中期頃に亡くなっていると思いますので
絶対とは言いませんがお墓がある可能性は高いと思います
お墓さえあれば(見つければ)除籍謄本が破棄されても先祖の名前は
発見できます!!
>>503 逆の立場、例えば、私が祖父の姉の子孫からその姉のことを聞かれたら、
一応、答えられますし、曾祖父のことも教えられます。
それと同じように、土田家のご子孫がトヲさんのことを知っているといいですね。
>>508 合祀された上に、戒名、俗名、没年月日などの墓誌が省略されてしまうと、
墓を見ても、そこがご先祖の墓かどうか分からなくなってしまいますよね。
>>517 合祀されたら痛いですね
私の場合合祀されていた墓があまりないので
イメージがわかないのですが
明治時代のしっかりした墓(戒名とかもある河原石ではないもの)
でも合祀されるのですかね?
私の母の家の墓に合祀した墓がありますがそれは江戸時代以前の
河原石で誰の墓か分からないものだけ合祀していました
区画整理などでお墓を移転するところは割とありましたよ
移転先がきっちり区分けされ、以前の墓所より狭くなっていると
今までの墓石の数を立てられなくて合祀します。
しっかりした家でも国の方針に逆らって居座り続けることはできませんw
520 :
友三郎:2007/01/13(土) 02:19:13
>>506 あ、すいません。
土田トヲは、武田友三郎と明治15年に婚姻し、
武田トヲとして昭和7年1月29日に亡くなりました。
そのときに、土田姓の方がお葬式に武田家に来てくれていればいいのですが。
そして、お葬式に来てくれた土田姓の子孫の方が、武田トヲ(旧姓土田トヲ)について、
何かご存知であればいいのですが。
という意味です。
トヲのお墓は、武田トヲとして武田家にあります。
いやぁ〜、アクセス規制を食らっておりました。
>>518 合祀について
スペースの問題もあるかと思います。
>>519さんの仰るとおりです。
高祖父1系統の総本家の墓では明治になくなった人の墓が合祀されていました。
合祀される前の墓石は無縁仏が集められる場所に積まれていました。
幸いにも、合祀後の墓石に墓誌は移記されていました。
もともと所有していた区画が狭かったのに墓石が増えてきたので、合祀したようです。
一方、高祖父5系統の墓は昭和30年代に合祀されたと叔母に聞きました。
寺の共同墓地を区画整理するためだったそうです。
そのため、何基かあった墓石がたった一つだけになり、
しかも、残念なことに、墓誌は一切移記されませんでした。
過去帳を確認できていないので、いったいどこまでの先祖が眠っているのか、見当もつきません。
>>521 合祀されても墓誌があればいいのですが
墓誌がないのはどうしてなのでしょう?
伯母さんに合祀前の墓の状況とかはお聞きになりましたか?
ひょっとしたら合祀前も名前の彫っていない石だったのかも
しれませんね
何かここの皆さんちのお墓って、一人一人ないし一代ごとにあるみたいですね。
うちは「先祖代々」の墓が一基あるだけです。てっきりそういうのが普通だと思ってました。
(テレビドラマや漫画とかでもよく見かけるし)。うちの菩提寺は他家も皆そうです。
単純な疑問なんですが、一人一人に建ててたらとんでもない数になりません?
>>523 本家の人なら、先祖代々の墓に入れます。
でも分家は、先祖代々の墓に入れません。
過去帳も墓も本家とは別になります。
分家の宿命です。
>>524 いや、
>>523がおっしゃってることは、
本家だろうが分家だろうが、亡くなった人が出たら
一人ずつあるいは一代ごとに新たに墓石を建てる、ということじゃない?
526 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 14:46:02
OO家の墓になったのは戦後じゃないの
戦前、特に明治以前は一人か夫婦で一つの墓だよ
大都市の寺なら分からないが村ならなんぼでも土地はあるしな
>>523 菩提寺が戦後作ったものでは。
昔のお墓は
>>526さんのおっしゃるとおり
一人、または夫婦で一基で、分家すると別の場所にお墓を作ります
先祖というのは分家した一代目のことを指すのは
こういうところでもわかりますね
http://www.imgup.org/iup315632.jpg 昔は大体こんな感じだったのではないでしょううか?
城下町のお寺では分かりませんが
村のお墓のイメージはこれであっていると思います
江戸時代は人口も3000万人以下なので今みたいにたくさん人口もいませんし
また昔はそんなに立派な墓でもなかったのでこれくらいの面積があれば
十分だったと想像できますUPした墓は一番古くて1750年ころです
新しいのでも1850年ですので100年でこのくらいの墓の数でしょうね
ここの家の明治になれは共同墓地に移転していますし(ただし一人または夫婦で1つの墓)
更に戦後は○○家の墓として1つになっております
529 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 08:11:43
これまた沢山あるね
子供の墓とかもあるんでしょう
530 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 21:56:06
俺は先祖分からないから、俺を初代としよう。
531 :
日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:18:19
そんなお前も探せばいるって
532 :
523:2007/01/15(月) 23:49:02
>>525 その通りです。
>>526 うちのは明治初年ですし、同寺にある他家のには江戸時代のものも多くあります。
確かに大都市近郊にある寺なので、村とは違うのかもしれません。
>>532 菩提寺さんにお墓の由来を聞けば墓所の詳しい経緯がわかるかも
534 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:55:10
もう落ちてるスレだし入れる必要ないと思う
読みづらい理由もわからないし関連スレも意味不明
>>535さんがまとめサイトを作り、過去ログ検索できるようにして
くれるなら過去スレURLは張らなくてもいいけども、それはやはり
面倒くさいでしょう。
ここはせっかく、タメになる知識が豊富な良いスレなのだから、
過去にどのような話し合いがなされ、どのような知識が集約されて
いるのか、万人が見やすいよう整理しておくべきだと思うよ。常に
このスレをチェックしている人ばかりではないのだし。
また、落ちているスレでも読める人は読めるよ。例えば私のように
●という2ちゃんねるビューアを購入している人や、肉ちゃんねる等
無料のDAT落ちスレ閲覧システムを使っている人は。
あ、もちろん先祖マニアさんがまとめてくださってる
手紙の書き方や手順は素晴らしい出来なので、それは
それでテンプレのままが良いなとおもっている。
ただ過去ログや関連スレ等への誘導があると、もっと
2ちゃん的に便利だなという話で。実際、自分も本日この
スレに初めて来て、良いスレだから過去ログも読みたいと
思ったんだけど、リンクがなかったので自力で調べて
しまったよ。
538 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 17:51:25
リンクなくてもpartスレで同じスレタイなんだし、にくちゃんで検索できる
dat落ちしてるリンクは読めないし●持ちはそんなにいない
540 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 19:24:09
今日来たばかりの人が仕切ってるようだが半年ROMることをお勧めする
関連スレとか勝手に関連付けてるし。荒らしか
中身のない感想ですが、過去ログと除籍のイメージがダブって感じられました。
ところで、私は過去ログを、貯めたモリタポで閲覧したことがあります。
ただ、2chのシステムは実はよく分かってません。
過去ログ読めるP2Pも出来てるよ
ダウソへGO
544 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 22:07:52
先祖マニアさんも他の人も、2ちゃんのこといまいちわかってないみたいなので一応。
スレ立ては誰がやってもいいし、立てた人のスレってわけじゃないよ
だからテンプレうんぬんは先祖マニアさんが一存で決めることではないです
他の掲示板のルールとはちょっと違うとこですな
まあテンプレのリンクは俺はどっちでもいいけどねw
調べてもわかりませんでした。ぜひ教えてください。
ご先祖様の調査では、「改製原戸籍」と「除籍謄本」の両方が必要ですか。
「改製原戸籍」は、必ずどの自治体にもありますか。
壬申戸籍から明治19年式戸籍の切り替えのときの「改製原戸籍」とか
明治19年式戸籍から明治31年式戸籍の切り替えのときの「改製原戸籍」とかも
ありますか。そして除籍謄本は廃棄済みでも「改製原戸籍」が残っていること
はありますか。
除籍(個人じゃなくて戸籍全体として)後あるいは改製後八〇年たてば廃棄。
それ以外の何ものでもない。
>>545 >ご先祖様の調査では、「改製原戸籍」と「除籍謄本」の両方が必要ですか。
そのとおりです。取れるものは全て取ることが基本中の基本、大原則です。
>「改製原戸籍」は、必ずどの自治体にもありますか。
>壬申戸籍から明治19年式戸籍の切り替えのときの「改製原戸籍」とか
>明治19年式戸籍から明治31年式戸籍の切り替えのときの「改製原戸籍」とかも
>ありますか。
戦後の改製と、(コンピュータ化しているところは)平成の改製のときのものは
どの自治体にもあると思います。
それ以前のものはよく知りません。私が取った中にはありませんでした。自治体によるのかも?
壬申戸籍からの改製のものはないでしょう。だって、壬申戸籍そのものですからね。
>除籍謄本は廃棄済みでも「改製原戸籍」が残っていることはありますか。
ややご質問の真意をつかみかねる点はありますが(時間的な前後関係など)、
例えば、大正の終わりの除籍は廃棄済みだけれども、
その次の戸籍は戦後の改製原戸籍として残っている、という場合はあると思います。
個別ケースについては、具体的に質問なさると、
いろいろなかたから有用な回答が得られるものと思います。
ちなみに、改製原戸籍も「除かれた戸籍」という意味で、除籍の一種です。
除籍の理由が、全員の除籍によるか、改製によるかの違いです。
そして、新たに改製原戸籍なるものが作られるのではなく、
それまでの戸籍がそのまま改製原戸籍として別綴りになるのです。
548 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 10:32:11
>>541 できたらで良いんで、もし良かったら、お願いします<(_ _)>
・・にしても良いスレですね。先祖探しにこんな技がたくさん
あるなんて知りませんでしたから、昨日から読み耽ってます。
自分も己のルーツを知ることには興味があったので、よく
祖父母や両親から昔の話を聞いたものです。GWとお盆に
一丁やってみようかな〜!
550 :
545:2007/01/17(水) 17:24:05
>>546-548 ありがとうございます。
そうしますと、
「明治31年式戸籍」ができた時点で、
「明治19年式戸籍」は「明治31年式戸籍作成の為の改製原戸籍」に変わった
ということでしょうか。
ということは、「明治19年式戸籍」を除籍謄本として請求する行為と
「明治31年式戸籍作成の為の改製原戸籍」を請求する行為は
同じ行為と考えてよろしいのでしょうか。
551 :
無知:2007/01/17(水) 17:46:45
全くの初心者なのですが、名字が同じなだけでは先祖である確立は低いですか?
低いですね
同じ村内で同じ苗字・家紋でも血族でない場合がありますから。
明治になって姓を知らない、持たない人たちが
村長や宮司から苗字や家紋を分けて貰ったりしましたので
同じ小さい村の中で、
その地方には珍しい苗字を共有する場合は、
親戚の率が高いかな?
きちんと辿りたいのなら本家に行ったり資料を調べるのが一番です
憶測では何もわかりません
556 :
無知:2007/01/17(水) 21:44:42
そうですか。ありがとうございました。けど553さんの意見と一致しているのですが・・・確立低いですよね。
確立とか言ってる間に除籍謄本は消えていきますよ
きちんと知りたいなら調べればいいし
どうでもいい、知りたくないなら調べなければいいだけです
558 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:43:05
とにかく行動を起こせ
トライアンドエラーの精神で
>>550 「明治19年式戸籍」から「明治31年式戸籍」への改製は
全ての自治体で行われたわけではないようです。
ですので、「明治19年式戸籍」には改製原戸籍に変わったものもあれば、
そうでないものもある、ということのようです。
改製原戸籍に変わらなかった「明治19年式戸籍」は、
その後もそのまま戸籍として使われました。
>ということは、「明治19年式戸籍」を除籍謄本として請求する行為と
>「明治31年式戸籍作成の為の改製原戸籍」を請求する行為は
>同じ行為と考えてよろしいのでしょうか。
これは同じではないと思います。
「改製原戸籍は除籍の一種」とは言いましたが、それは概念上の話で、
実際の請求の場面では、除籍と改製原戸籍を別物として扱っています。
そもそも、「明治19年式戸籍」が改製原戸籍になっていない自治体であれば、
改製原戸籍謄本として請求のしようがないわけです。
残念ながら、私自身は、戦前の改製原戸籍の謄本というものを手にしたことがないので、
経験談としては確実なことが言えません。
どなたか実物を見たことのあるかたはいますか?
>>550 改製原戸籍って昭和23年戸籍のものしかないのではないでしょうか?
若しくは平成6年にコンピュター化された市町村では昭和23年版の戸籍の
改製原戸籍があるかもしれませんが
明治19年、明治31年、大正4年の改製原戸籍は存在しないと思います
明治31年版になった時と大正4年になった時は強制的に全部書き換えたのでは
なくて全て除籍された時点でたまたまそれが明治31年以降ならば31年戸籍
大正4年以降ならば大正4年戸籍に書き換えられた(新しく作られた)と思います
私の家の場合 明治19年戸籍→大正4年戸籍になっている例が多く
明治31年戸籍は少ないです おそらく当主の死亡や隠居なので戸籍を
変更するタイミングがたまたま大正4年が多かったのでしょうね
562 :
545:2007/01/18(木) 02:14:59
>559-560
ありがとうございます。
ずばりお尋ねいたしますが、みなさんはご先祖様を調査するときに
取り寄せるのは除籍謄本のみですか、それとも改製原戸籍もでしょうか。
>>562 私が取り寄せた謄本の種類を挙げてみると、
戸籍謄本(自分自身が載ってるもの)、
平成改製原戸籍(コンピュータ化直前の、自分が載ってるもの)、
除籍謄本(明治19年式、明治31年式、大正4年式、昭和23年式各種)、
昭和改製原戸籍
です。
除籍であるか改製原戸籍であるか、というのはあまり意識せずに、
とにかく順々に遡って謄本をもれなく取っていく、というのが肝要です。
564 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:10:48
>>545さん
何か思い違いしてないか?
とりあえず戸籍を遡れるだけ取ってみなさい。
除籍謄本も改製原戸籍も載っている内容は同じ
先祖探しに必要な情報が載っている。
なぜそこまで「改製原戸籍」にこだわるのかね?
理由を説明してくれたら皆の対応も違うと思うのだが。
>>550 「除籍謄本を請求する行為」と
「改製原戸籍を請求する行為」は
同じものだ
というか「遡れるだけ遡って下さい」と
除籍を請求したら勝手に「改製原戸籍」が出てくる
(事もある、ケースバイケース)
566 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:41:23
除籍も改製も戸籍の種類に過ぎない請求したら改製が出て更に遡れば大正4や明治31 19が出てくるだけ
言葉で説明しても分からないと思う自分で役場に行ってから(又は郵送で)現物を見てみないと理解は出来ない
とりあえず行動しろ
やってみて疑問点が出たら聞けばいい
568 :
545:2007/01/18(木) 19:07:58
>>563-567 みなさん、ありがとうございます。
要は、私が知りたいのは、先祖調査をするときに
謄本申請書に「除籍謄本750円」と「改製原戸籍750円」という欄があって、
両方請求しないといけないのか、「除籍謄本750円」だけでいいのか
知りたかったのです。このへんの申請書の書き方を知りたかったので、
改製原戸籍の意味からお尋ねしたわけです。
つまり、申請書では
「改製原戸籍」、「除籍謄本」の両方にチェックをつけて、
「遡れるだけ遡って下さい」、「生から死まで全て下さい」
と書けばいいということですね。
「除籍謄本」だけをチェックして
「遡れるだけ遡って下さい」、「生から死まで全て下さい」
と書いても「改製原戸籍」が抜けていてもらえない危険性が
あると解釈してよろしいわけですね。
>>568 郵送での申請ですよね?
ひとまず両方にチェックを入れて請求すれば良さそうな気はしますが。
心配でしたら、欄外か別紙に、
改製原戸籍もあったらその謄本も必要だと書き添えておいてはいかがでしょうか。
570 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:25:56
>>568 >「改製原戸籍」が抜けていてもらえない危険性が
>あると解釈してよろしいわけですね
危険性はないと思われる。
>>569でやすべぇ氏が書かれておられるように、一言書き添えたら良い。
まず請求しない事には何も始まらない。
545さん
>「除籍謄本」だけをチェックして
「遡れるだけ遡って下さい」、「生から死まで全て下さい」
と書いても「改製原戸籍」が抜けていてもらえない危険性が
あると解釈してよろしいわけですね。
可能性はありません
「生から死まで」の請求をするわけですから抜けることはありません
545さんが何歳か分からないのでなんともいえませんが20〜40代ならば
祖父の戸籍が改製原戸籍のものがあります
今私のを見ましたが大正4年戸籍が改製原戸籍ですね
昭和32年までに戸主の人物の戸籍が改製原戸籍になっています
そして昭和32年に新しく同じ戸主で戸籍を作成しています
(ただし一律昭和32年ではありません私の祖父は昭和37年に作成されていました)
とにかく役場にいって545さんの直系尊属の戸籍(除籍)を遡れるまで
遡ってくださいと請求すればいいです
やすべえさんも言っている様に除籍とか改製原戸籍とかに固執する必要は
ありません。
私は全く意識しませんでした。結果たまたま発行された戸籍に改製原戸籍も
あったにすぎません。
572 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 03:46:51
話題がそれてすみません
ちょっと前にニュース+でスポニチで家系図代行の
記事があったのですがリンクありますか?
ググれば
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::: : : : : : : ...
:::::::::::::::::::::::::::::::: : :: :: : ::: : : ヽ i
::::::::::::::::::::::: : : : :: ヽ マジデ〜?
:::::::::::::::::: : : : \ ヽ
:::::: ::: : : : ∧_∧
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: : : : : (´Д` )←
>>572 ( ^∀^) )(^ワ
___ l⌒i⌒⊂)___ ヽ ( ) | | ∩
/ ⌒'⌒ / \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄ ̄
__/_____/|| ||\_____\_
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||| し し .|| || || || |||
||| || || ∧_▲
( ´∀`)/
( (
575 :
545:2007/01/19(金) 18:05:29
>>569-571 そうしますと、郵送で申請するときは
「改製原戸籍」にチェックは入れず、
「除籍謄本」だけにチェックをつけて、
「遡れるだけ遡って下さい」、「生から死まで全て下さい」
と書けばいいということですね。
お役所のほうでは、「除籍謄本」だけでなく
「改製原戸籍」も含めて、送ってくれるということですね。
ありがとうございました。
いるよね。こおゆう人。前のことばっか気にして前に進めない人。
きっと恋愛でも奥手なんだろうねw
>>575 改製原戸籍も念のためチェックを入れておいたほうがいいのでは。
地方自治体によって、また戸籍の担当者によって温度差がある。
お役人がそんなに気配りがあって優秀とは思えない。
慎重なのはいいけど除籍謄本の段階でこれだと
本家やお寺や役所や博物館に行ったり
つきあいのない親族に会ったりするのも一苦労そうだね
>>573 >1
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
代行業はスレ違いだろ
ググレでいい
宣伝乙
通報しとくか
>>581 昭和天皇の扇形家系図ではありませんか!おどろきますた!
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586 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 09:34:34
587 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 11:48:27
旧土地台帳の写しを法務局へ申請したいのですが、
くぐっても書式が見つかりません。
便箋に手書きでも交付申請できますか?
ハンコ押すの忘れずに
天皇でも5代前となると某が多いね
591 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:54:54
一般に公表してないだけだろな
野間幾子だって両親の名前は分かっているはず
>>589 法務省で聞いたほうが正しく聞けるだろうに
なんでなんでもここで聞こうとするんだろう
なんでも相談スレじゃないっつの
>>1見ろ
先祖調査に関してはなんでも相談するスレだろ
>>588 結構いろいろあるんですね
しかもあるHPでは
>>4がパクられていましたし このスレ結構有名なのかな?
それにしても行政書士にしても家系図作成業者にしてもほったくりすぎですね
自分でやれば高祖父母16名の家全ての戸籍請求しても5万円くらいなのに
何十万と請求するなんて・・・
他にも江戸初期やそれより前も調べますよとか安易に答えていいものか・・・
殆どの家は1800年までが限界なのではないでしょうか?
お墓や位牌などがあったりお寺で過去帳が保存しており尚且つこのご時世で
閲覧許可が下りた場合で1700年までだと思います
武士の家ならば探せるかもしれませんが人口比率は武士(卒のぞく)で全体の2%前後ですからね
江戸時代で武士は2%ってこと?
597 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:53:42
>>595 × 調べる
○ 適当に捏造する
系図調査関係の胡散臭さはすごいぜw
よくあんなとこに頼めるもんだと思うが、頼んだ本人も本当のことを知るより
名門の血筋とか捏造されてるものの方が喜ぶんだろうな
598 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:02:22
小作人や水呑の先祖のゴンベエだのジンベエだのの羅列された系図など、
誰が喜ぶかw
599 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:08:44
明らかに土民、土百姓のたいしたことない先祖なら、わからないままの方が幸せ。
今さら百姓の先祖の名前や没年月日など引っ張り出して何の意味がある。
4〜5代以上前の会ったことも見たこともない先祖の名前をわざわざ調べあげて、
ゴンベエだのジンベエだの田子作の名前ばっかりだったら萎えるわw
世の中には知らぬが仏とかなかったことにしておきたいものもある。
そういうのをわざわざ調べる必要はあるまい。忘却の彼方に消し去れよ。
wikipediaはソースにしちゃダメだよ
誰でも書けるからね。特に日本史wikiは捏造がひどいのは有名
「歴史から学ぶ」ということはとても大切なことです。
歴史から何も学ばない人は、社会に悪影響を及ぼします。
自分の先祖のことを知ろうとせず、敬意も払わない人は、
他人に敬意を払うこともしないし、歴史から学ぶこともしません。
興味のない人に何を言っても無駄だと思うけどね
しかし興味ないのにわざわざ覗いてる意味がわからんが
他人にいやがらせをするタイプの人間ですな。
まさに社会に悪影響を及ぼしていますね。
>>595 先祖マニアさん
>
>>4がパクられていましたし このスレ結構有名なのかな?
確かにパクっているサイトがありますね。
ROMを含めると多くの人が見ているのかもしれません。
すぐに役立つという意味ではテンプレは注目されやすいんでしょうね。
>>599 実社会で相手にされない方
どうせ匿名の2ちゃんでしか自分をアピールできない悲しい方です
同情してやりましょう
鳥って自分でウンコするしないを決められないって聞いたことあるぞ
とにかく体重を軽くするために意志と関係なくでるんだそうな
610 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 11:30:28
これは解読困難
難しい過ぎる
612 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 14:45:28
来年度から戸籍がまた変わると聞きましたが本当でしょうか?
横書きになるみたいです、このタイミングで80年廃棄が大量発生しそうです
613 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 14:48:04
>>612 日本人はもおしまいだわ。
御先祖様の記録を廃棄するという、とんでもないことを行政がするんだから。
ご先祖様からも見捨てられて、もう救いようが無いわ。
自分達がご先祖様を見捨てたんだから、しかたないわ。
これから日本の衰退は急激に加速するわ。
>>609 ところどころ読めそうに見える漢字もあるのですが・・・難しいですね
>>612 戸籍の電算化ですね。
導入されている自治体では横書きになっています。
現に私が載っている戸籍は既に横書きです。
自治体によって導入の時期がまちまちのようですね。
電算化を機に廃棄する傾向があるらしいと確かに耳にします。
電算化するなら書類の保存も大変じゃなくなるのに
変なことをしますねえ
617 :
浅右衛門:2007/01/23(火) 21:20:07
>>609 これは難しいですね。
善鏡御下り而 其元之様子具(つぶさ)ニ被仰越 過分至極ニ
懸御用たる存 満足候事 去年備後之御倶とて
山口龍福寺へ御下り候由 承及候条 御床敷存 尋申候処ニ
福山御倶とて 折々龍興寺へは被成御出候由 被仰候条
何たる御馳走も不仕 御残多候事
御方様 五調ニ而御座候由 千万目出度□□□一生之
間 今一度懸御用度念願 直々御息達 障多御座候
解読は後刻。
618 :
浅右衛門:2007/01/23(火) 22:37:58
善鏡御下り而
「善鏡(人名?)おんくだりて」
其元之様子具ニ被仰越
「そこもとの様子、つぶさにおおせこされ(詳しくおはなしくださり)」
過分至極ニ懸御用たる存 満足候事
「このうえなくご面倒ををかけたと思いますが、満足です」
去年備後之御倶とて山口龍福寺へ御下り候由 承及候条
「去年、備後(ここは人の名か?)のおともで、山口の龍福寺(山口にありますか?)
行かれた事を聞き及び」
御床敷存 尋申候処ニ
「心ひかれ、お尋ねしましたところ」
福山御倶とて 折々龍興寺へは被成御出候由 被仰候条
「福山おともとして、時々龍興寺へはおいでになるとおっしゃいまして」
何たる御馳走も不仕 御残多候事
「何のおかまいもせずに、心残り多いです」
御方様 五調ニ而御座候由 千万目出度□□□一生之間
「御方様、五調(?、好調か??)である由、千万めでたく、□□□一生の間」
今一度懸御用度念願 直々御息達 障多御座候
「今一度、御用をかけたくおもいねがう 直々御息達(息子達?)
支障が多くあります。」
この文書がどのような文書の中の、どんな場面なのかが分かりませんので
解読は難しいです。「字づら」だけの判読で申し訳ありません。
全体が見えないので何ともいえないですね。
日記風ではあります。山口にお住まいの方が書かれたものでしょう。
「下る」は京都から「くだる」でしょうから。
浅右衛門さんはいつもながら博識だなあ
620 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 23:39:20
千万目出度□□□一生之間
古文書は詳しくないが、単純に読んで
千万目出度候さてさて一生之間
ではだめ?
普通「さて」は「扨」か?
ヴァカばっかし
浅右衛門さん 大変有難うございました
これは 私の先祖の発祥の地(備後での)の地域を支配していた長井氏の
家録です 直接関係ありませんがその時代の時代背景などが分かるものかな
と思いました
あと10枚くらいありますが解読お願いできませんか?
よろしくお願い致します
龍興寺の過去帳に私の同じ姓の戦国武将がいます(私の先祖の可能性が極めて高いのですが
証拠がないので断定はしません)
長井氏(永井氏)は関が原の戦いで毛利が萩に移動になったときにつき従えて
ますので山口に行っていますからそれ以降の文章かもしれませんね
それにしても浅右衛門さんの古文書解読には脱帽します
有難うございます
625 :
浅右衛門:2007/01/24(水) 07:41:53
>>620 なるほど。「さてさて」ですね。そのように読めますね。
>>622 どこまで解読できるかは、わかりませんが、
それでよければ、いくつでもどうぞ。
私も勉強になりますから。
浅右衛門様 素敵で〜す 感動レベルです
よく読めますね。国学者ですね。すごいな。
629 :
浅右衛門:2007/01/24(水) 21:47:48
>>627 >>628 恐縮です。
皆様よりちょっとだけ多く古文書にふれてきただけです。
>>626 由 善鏡御物語承 爰元ニ而よろこび申候
田惣孫右(衛門)息 善歩と申候哉 孫右衛門殿ニ懸御用候
事ハ難成候 御出家ハ善鏡なども 爰元御越之御事ニ而
御方様ニ懸御用と存は懸御用度候
新蔵助左 息壱も出家ニて被罷居候通被仰越候 善
鏡ニ相尋申候へば 然ニは聞ニ不申候 便之節 具ニ被仰聞
と可請事
こ々に被罷居候 甚こ郎(?人名、甚五郎)と申ハ 御調谷神兵衛
孫ニて御座候哉 承度候
如清元(人名)わ安田ニ而被果候処ニ 御方様など御取たてニ而
吊共御執行由 其節承而候
無請(人名)大坂ニ而被相果候節も 吊御執行由 竹内五郎右衛門
物語具ニ承届候 内蔵丞殿 御存生之内ニ書状を
以も 御一礼可申達候処ニ 遠方ノ故 罷過省本意事
私し母ハ爰元ニ而相果申 当年廿八年ニ罷成申
元好(人名)は三郎左衛門と申ても四年跡八月十三日ニ遠行
とりあえず判読まで。解読は後日に。
630 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:12:43
浅右衛門先生お疲れ様です。
後日の解読ひそかに楽しみにしております。
早速の判読ありがとうございます
昨日の良く見ましたが、あれは素人では無理ですね
どう見ても分からない字だらけでした
しかも変体かなもあり一層難易度が高いですね
632 :
飛瀬:2007/01/25(木) 03:02:39
浅右衛門さんって大学で史学でもやってたんですか?
633 :
浅右衛門:2007/01/25(木) 07:54:24
>>632 史学専攻すればよかったと思っています。
当時はあまり興味が無く、経済学部にいき、
今は平凡なサラリーマンです。
古文書は独学独習です。
飛瀬様は「史学」専攻の学生さんだったですね、たしか?
お若いからすぐにマスターできると思います。
数多くの古文書にあたること。これしかないと思います。
では、仕事に行ってきます。
大学学部レベルで史学習ったくらいじゃ読めないでしょ
635 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 11:43:33
情熱さえあれば何でも独学で出来るよ。
636 :
浅右衛門:2007/01/25(木) 20:31:58
>>626 由 善鏡御物語承 爰元ニ而よろこび申候
「よし、善鏡おものがたり、うけたまわり、ここもとにて、よろこびもうしそうろう」
田惣孫右(衛門)息 善歩と申候哉 孫右衛門殿ニ懸御目候
「たそうまごう(えもん)そく(息子の意か?)善歩ともうしそうろうや
まごうえもんどのにお目にかかりそうろう」
事ハ難成候 御出家ハ善鏡なども 爰元御越之御事ニ而
「ことは、なりがたくそうろう。おんしゅっけは善鏡なども、ここもとおこしおんことにて」
御方様ニ懸御目と存は懸御目度候
「おかたさまにおめにかかるとぞんずるは、おめにかかりたくそうろう」
新蔵助左 息壱も出家ニて被罷居候通被仰越候 善
「新蔵助左 そく、いち?もしゅっけにて、まかりおられそうろうとおり、おおせこされそうろう 善」
鏡ニ相尋申候へば 然ニは聞ニ不申候 便之節 具ニ被仰聞
「鏡にあいたずねもうしそうらえば、しかるにはきくにもうさずそうろう、たよりのせつ、つぶさにおおせきこされ」
と可請事
「とうくるべくそうろうこと」
こ々に被罷居候 甚こ郎(?人名、甚五郎)と申ハ 御調谷神兵衛
「ここにまかりおられそうろう、甚五郎?ともうすは、御調谷神兵衛(人名、珍しい姓ですね)」
孫ニて御座候哉 承度候
「まごにてござそうろうや うけたまわりたくそうろう」
637 :
浅右衛門:2007/01/25(木) 20:55:32
>>626 如仰元里(人名)安田ニ而被果候処ニ 御方様など御取たてニ而
「おおせのごとく、元里、安田(地名?)にて、はてられ(死)そうろうところに、御方様など、おとりたてにて」
吊共御執行由 其節承而候
「とむらい(弔の異体字)とも、ごしっこうのよし、その節うけたまわりてそうろう」
元請(人名、請は勝のようにも見えます、元勝?)大坂ニ而被相果候節も 吊御執行由 竹内五郎右衛門
「元請、大阪にてあいはてられそうろう節も、とむらい、ご執行のよし、竹内五郎右衛門」
物語具ニ承届候 内蔵丞殿 御存生之内ニ書状を
「ものがたりにききとどきそうろう、内蔵丞(くらのじょう)殿、ごぞんしょう(存命)のうちに、書状を」
以も 御一礼可申達候処ニ 遠方ノ故 罷過省本意事
「もっても、御一礼、もうしたっすべくそうろうところに、遠方のゆえ、まかりすぎ、本意をはぶくこと」
私し母ハ爰元ニ而相果申 当年廿八年ニ罷成申
「わたくし母は、ここもと(こちら)にてあいはてもうし、当年二十八年にまかりなりもうし」
元好(人名)は三郎左衛門と申ても四年跡八月十六日ニ遠行
「元好は三郎左衛門ともうして、四年後の八月十六日にえんぎょう(死ぬこと)」
この文書の書かれた時代背景、地域のこと(郷土史、地名など)などが、よく分からないので、
とても難しいです。感覚、感性でしか、解読できません。
離れ離れになった方の間でのやりとりみたいですね。
戦国時代以降、たぶん関が原よりも後の、江戸時代前期のことだと思いますが、
よくは、わかりません。書体というか字体というか、江戸時代の前期のような
感じがします。
善鏡という、たぶん僧だと思いますが、キーマンですね。
「お目にかかりたく」とか「母が死んで二十八年」とか、心にしみますね。
昔ですから、一度離れ離れになると、再会はまず不可能だったのではないでしょうか。
有難うございます
この地域の歴史を探って見ます
人物も探って見ます
640 :
浅右衛門:2007/01/25(木) 21:54:13
>>638 全部を見てみたいです。そのほうが分かりやすいと思います。
私自身いまいち、状況把握とかができてないものですから。
さしつかえなければアップお願いします。
ご遠慮無用ですよ。
了解いたしました
今見たら15枚くらいありましたので順次upします
パスワードも今度から入れます
浅右衛門先生
出来れば現代文もお願い致します
書き下だし文でも理解が・・(>_<)
644 :
浅右衛門:2007/01/25(木) 22:37:09
645 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:39:49
>>643 ありがたいですが、「先生」はご勘弁ください。
全体を把握した後、取り組んで見たいと思います。
時間をくださいませ。
追加情報
昭和50年1月24日町史跡に指定
吉野朝より戦国時代に至る山城で、大江廣元の子孫長井氏が居城し15代元好に至り毛利氏に
従い移住した
標高360m、山麓300m、5段の平地と直系3mの井戸がある
城は南に面し、北側は空彫りで断ち切られている
川平城 別名平草山城、城主田総又次郎重廣は本名を「長井」といい
大江廣元の孫
廣元の二男時広は下野国「長井庄」に住し姓となす、重広は時広の子で備後国「田総の庄」を賜り
ここに下向して平草山に城を築いて住み「田総」を姓としたが、庶子や別家は長井氏を名乗った
この人物の家来の家来くらいに先祖がいたのではと思いましたが
結果はいませんでした。
少し地域も違いますしね
648 :
浅右衛門:2007/01/25(木) 23:40:12
>>642 >>646 >>647 少し見えてきました、全体が。
この文書は、日記ではなくて、手紙みたいですね。
こちらの消息を誰か(古くからの知人とか)に伝えているように思えます。
「毛利氏に従い移住」ということから、手紙の書き手は「萩」に住んでいて、
そこに「善鏡」という人(移住前の地にゆかりの人か?たぶん一枚目に
出てきた、龍興寺の住職でしょう。これは、福山にありますか?)が
たずねて来て、それをきっかけに、昔の居住地の誰かに手紙を書いている
みたいな文面ですね。
「善鏡御下り」とあったのが、つじつまが合います。「御くだり」と書いて
ありましたので、善鏡は京都の人と早合点してました。
福山の龍興寺ですね、善鏡は。福山から萩は西の方向になりますでしょ?
毛利氏は萩ですよね?
残り全部見た上で解読したいと思います。
幸い土日は仕事休みですから、アップお願いしときます。
649 :
飛瀬:2007/01/25(木) 23:48:10
<浅右衛門さん
そうだったんですか。
僕は今年、古文書を読む講義を受けるつもりです。
今のところあまり読める気がしませんね。
とにかく頑張りますが。
650 :
飛瀬:2007/01/25(木) 23:52:48
<634さん
やはり古文書に限らず史学のスキルアップをしたいなら大学院進学は必須ですか?
判読次第順次upします
幸い明日は私も休みです
652 :
浅右衛門:2007/01/25(木) 23:57:25
>>649 だれでも最初は読めませんよ。
でも一行のうちで、何文字かは読める字があるのではないでしょうか?
ひとマスに一字、わかる字だけ記入していく、原稿用紙作戦がいいです。
最初は空白ばかりでも、そのうちだんだん、空白が減っていきます。
やはり浅右衛門さんの推測が当たってました
657 :
日本@名無史さん:2007/01/26(金) 07:23:07
>>650 学部の先輩や、先生に聞いてみたらどう?(もう聞いてるかもしんないけど)
修士課程も必要かもしんないけど、要はそこでどれだけ頑張れるかだと思う
修士に行っても大学時代にしっかり基礎つけて無いと意味無いし
単に修士卒業したっていう人もいるしね(ハクを付ける為だけに、悪い事とは思わないが)
あ、俺は634じゃないよ
>>657 俺が
>>634だが修士も博士も結局その人次第だからね
就職に有利だから,という単純な理由で進学する連中も多い
ただ,いわゆる門前の小僧のような感じで幅広い知識を吸収する機会に恵まれるのも確か
その場合は教官や先輩に恵まれることが条件ですが
659 :
茨城北部人:2007/01/26(金) 18:32:54
先祖を調べる際に、地主とかの家系って調べやすいノデスカ?
なにか土地所有者名簿的なものがあるのですか?
660 :
日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:59:52
普通の人よりは調べやすいでしょ
ただずっとそこにいることが前提よ
>>659 地主ということはお墓とか位牌、過去帳などが残っている可能性がありますので
探してみたらどうでしょうか?
しかし多くの地主が
明治以降では都会に出て行って分家筋が管理していたり
戦後は農地改革でこれまた本家衰退して資料の散逸が激しかったりしますので
確実ということはありませんが、資料やお墓はどこかにあると思います
また土地所有者名簿的なものといえば旧土地台帳を思い浮かべますが
地主ならばあまり役に立たないかもしれませんね
664 :
日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:51:00
このスレ、マニーすぎる
ビビタ
学問板だからな
666 :
浅右衛門:2007/01/27(土) 08:22:57
>>662 スマソ、4枚目が見れません。
ファイルが無くなってます。
再度アップお願いします。
668 :
浅右衛門:2007/01/27(土) 09:57:20
>>667 はい、見ることができました。
先に見た五枚目によると、
寛永十三年の手紙を、写したものですね。
長井七郎右衛門「書判」となっております。
「書判」とは「花押」のことですから、他人が写したりする際は
「書判」と記すのが一般的です。
原本なら、「書判」とは記さず、そこに花押が押してあるはずですね。
そうなんですか
写しなんですね
今から仕事です 次は23時以降にアップ予定です
670 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 22:42:05
お寺の過去帳って見て見たいんですけど、本家と断絶してる場合は無理でしょうかね?
勝手に寺に出向いて「見せてください」って言うのは、分家の分際では失礼ですよね?
>>670 お寺とつきあいのない自称親戚には絶対見せてくれない
670さんの家はそのお寺の檀家ですか?
檀家なら可能性もありますが
違えば難しいかもしれません
檀家の人間の紹介があったほうが見せてもらえる可能性は高まります
675 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 01:10:01
不可能を可能にするのがこのスレ
まあなんでもやってみ
先祖マニアさんからの史料、
浅右衛門さんの解読、
楽しみにしております。
>>670 見せてほしいと申し出ることは、
分家であっても別に「失礼」ではないと思います。
ただ、見せてもらえるかどうかは別の次元の問題なのでしょうね。
個人的にも今後の課題と感じている点です。
678 :
飛瀬:2007/01/28(日) 03:43:44
僕の大学はどうなんでしょう?
まわりの先輩なんかに聞いても就職希望のかたが多く、よくわかりませんね。
先生は良い方ばっかりですが。
ちなみに産近甲龍レベルの大学からもっと上のレベルの大学院っていけますかね?
語学が自信ないので。
まぁ家庭の事情もありますので厳しいですが。
スレ違いもいいとこでスイマセン。
679 :
飛瀬:2007/01/28(日) 03:48:23
<670さん
本家の方に連絡をとり協力を仰いでみたらどうでしょう?
付き合いはないとはいえ、熱意が伝われば可能性がでてくるかも。
680 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 07:18:01
>>642 被申候 子共無之候ニ付而 少々弔以下も 我等仕候事
初は吉原三郎兵衛と申 神村豊後女も 八年跡ニ相
果申 男子三人 女子壱人御座候 惣領は神村五兵衛
と申 知行八百石 次男肥後守と申 知行五百石
三男勘介と申 是も五百石取申 聟(むこ)志道六左衛門と申
三百石取ニ而御座候 豊後女 孫十六人御座候 ひ孫
とも数多(あまた)御座候
>>671 6枚目のファイルが削除されてます。再アップお願いします。
見るのが遅くなって申し訳ありません。
681 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 07:28:31
>>642 後半
才福と申候ハ吉田孫右衛門と申仁(人)の女ニ而罷居候
歳六拾ニ罷成候 子共あまた御座候 息災ニ而
罷有候
小ニ郎と申たるは助兵衛と申 六拾四ニ罷成候 むこの
かくまひ?ニ而罷居候 則 善鏡ニ懸御目候
清十郎とは長井七郎右衛門と申 歳五拾八ニ罷成候
子ども弐人御座候 惣領(長男)は七兵衛と漸々(ようよう)百石の
知行ニ□□□□罷居 次男ハ三太夫と申 両人
ともに善鏡ニ懸御目候間 可有御物語候
682 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 07:47:08
>>667 4枚目前半
おさやと申ニ而 息災ニ而 歳五拾五ニ罷成候 神村
豊後初女(先妻)相果 後の女(後妻)ニ罷成 豊後も三年以前ニ
相果申候へ共 豊後子共より わけ分共取ニ而 一入(ひとしお)心安
仕合(しあわせ)ニ而 罷有候 其上 桂弥左衛門と申むこ御座候
是(これ)も三百石取仁(人)ニ而御座候 兄弟共内ニ而は一段
よき仕合ニ而御座候
何と一紋(一門)の者共 近年如形候仕合ニ而御座候処ニ
三年以前ニ 火事ニ相候て 尓今 小屋かけの仕合ニ而罷居候事
683 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 07:58:55
>>667 4枚目後半
阿そへ与右衛門 越智正忠 宇野久右衛門など様子 善鏡御
物語ニ而 定而いにしへの衆の子孫たるべきと存候
御対談の節 御物語之可給候
福間八郎兵衛 爰元ニ罷居候 法体仕(僧になり)意亭(名)と申
歳九十五ニ罷成候 殊外 五調ニ而御座候 節々 寄
相申候
龍興寺様より被□□御懇ニ被仰下 千万忝(かたじけなく)次第
ニ而 可然候様ニ(しかるべくそうろうように)御心得頼申候
浅右衛門さんカクイイぜ
685 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 08:32:23
>>663 5枚目前半
先年筋目無御忘却 其元の様子被掛御心ニ
具ニ被仰越候段 一々存などは不申 存候不入候儀候へ共
御懇ニ被仰越候条 爰元よりも如氏候? 善鏡一日御逗
留に候て 御戻り 山口の太雲寺へハ 間十里ほど
御座候故 節々申入候事も難成 善鏡ニも殊外
無沙汰の仕合候 以上 長井七郎右衛門 書判
寛永十三年
六月八日
田総孫右衛門様
687 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 09:48:32
今から仕事に行きます
今日も23時の予定です
690にメアド入れときました
何かありましたら
よろしくお願い致します
692 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 10:28:22
>>686 6枚目前半
当夏 善鏡御上りの節 尊書忝致拝上候
一清十郎様を長井七郎右衛門様と申 御息災の由
殊ニ御息様二人御座候由 被仰下候 御知行御望被
成 千万忝奉存候事
一小ニ郎様を助之丞様と申候由 被仰下 是又御無
事の由 大慶ニ奉存候事
693 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 10:38:09
>>686 6枚目後半
一お才福様 おさや様 御息災ニ而御座候通 是又
忝奉存候事
神村豊後様 御遠行の由 然共御息様数多
御座候而 皆々大分の御知行御望被成 そのうへ
おさや様 御仕合と一入能御座候由 千万忝奉
存候事
一三郎左衛門様 吉原の御上様 御遠行の由 依之
御残多奉存候事
福間八郎兵衛殿 法体被成 其元ニ御息災ニ而御座候
694 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 13:56:29
>>672 7枚目前半
由 依之 御五調の通 爰元の古郷の衆中へ申候へバ
御歳ニあやかり度由被申候間 乍恐御申届奉頼候事
一私子事 内蔵丞子 勘七と申たるにて候 兄弟共数多
御座候へ共 皆々相果 我等壱人ながらへ生年六
拾六ニ罷成 馬場新蔵屋敷ニ居申候 子共
三人持申 惣領女子にて三拾六ニ成申候 程近ニ居
申ニ付 朝夕出刀仕候 次男子三十ニ成申候 三男廿七ニ
罷成候 いづれも子共ニ近く□んらく仕候間 乍
恐可御安心事
695 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 14:09:28
>>672 7枚目後半
一仁右衛門 法雲□と寺ニ居申恵光と申候 御調谷甚介
子ニ源太郎と申者の子にて御座候事
一龍興寺ニ居申善寿と申ハ 蔵丞弟助左衛門と申者
の子にて御座候 われら一門の内 別ニ出家ニ成申て
ハ無御座候 此外 田総兵部子 出家仕 三谷郡
水原長門寺ニ居被申 其後帰渡□帰海寺ニ居申 八年
跡ニ果被申 彼は乗只とい々 龍興寺御かゝへにて居□
696 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 14:22:15
>>688 8枚目前半
しと申御手儀?居せ申候事
一故?知正右衛門と申ハ 市介と申医者の子にて御座候
たご松之丞むこにて□名さいまつと申たるにて
息災ニ子共数多御座候 いとや共仕心易居せ申事
一川添与右衛門ハ宗?右衛門と申者の子 善ニ郎と申たる
にて御座候事
一宇野久右衛門と申者 新入谷ニ居申たる太郎左衛門
子 久市と申たるにて 当年八月ニ相果申候事
697 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 14:40:01
>>688 8枚目後半
一田総御領分 何も皆々御国替 彼には仕合もあしく
其上御居の者 生れ替りに罷成候事
一亀ヶ谷 瀧口又左衛門と申ニ而 むこたち不被申者 中比
筑後守と申 拾九年跡ニ相果被申 其子児名万ふくと
申候ハ 又左衛門と申 水野日向守様御領分□□
方角 四五千石の代官被仰附 仕合よく御座候
年五拾弐ニ罷成て候 七郎右衛門様よりの御出立 尓今被申
児心ニすこし覚申由被申 三代の御重りにて御座候
698 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 14:50:28
>>689 9枚目前半
御息災にて被成御座候事 忝由被申 私子所より
亀谷へハ壱りの内御座候ゆへ 節々参一入如越
かけこれ候事
一筑後弟瀧口又右衛門と申 中頃法体仕 浄円
と申 三年跡ニ果被申候 其子児名鶴松と申たるを
此頃法体仕 浄春と申 歳五拾五ニ成申 爰元八年
ニ罷有仕合能御座候 是も七郎右衛門様の御事又左衛門
同前ニ悦候事
699 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 15:03:42
>>689 9枚目後半
一瀧口半右衛門と申ものの子 源七郎と申 元明様 西村
御□□ニ御座候節 通?衆奉公めし遣候 今ハ与右衛門
と申六拾四ニ罷成 子共数多御座候而 □□居被申
七郎右衛門様御事 是も同前ニ被申上候事
一龍興寺御寺 大風□□□□□□□□田総
様 御先祖御寺にて御座候と申 浄春 又左衛門両人
の建立にて 八年跡ニ新敷道里にて五間 はり
拾三間ニ而建被申 其上□□などハ 大坂より買下シ
700 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:04:15
>>678 飛瀬君、行けるかどうかではないぞ。
行く気があるかどうかだ。
俺は四流無名大学出身だが、同級生は猛勉強して九州大学大学院
へ行った。また夜はコンビニでバイトして生活費+学費を稼いで大学院
に通った友人も居た。
環境に流されるな。環境を支配するぐらいの気概を持て。
えらそうなコトを書いてしまったが、
学生のうちから自分を限定してしまってはもったいないぞ。
701 :
700:2007/01/28(日) 15:13:18
>>678 また、大学院によっては過去問を分けてくれる所もある。
行きたい所があるなら早めに取り寄せてみたらいいんじゃないか。
無名大学でも素晴しい業績を残されている方も沢山いらっしゃるが、
有名大学は研究環境、設備が整っているのは確かだ。
スレ違い申し訳なし>スレ主
702 :
浅右衛門:2007/01/28(日) 16:08:26
>>699 補足
2行目 御遣いニ御座候節
5行目 大風さんざんそこね候を 田総
7行目 新敷 道具にて
8行目 其上 たんぐ(仏壇の壇+道具の具か?)などハ
703 :
飛瀬:2007/01/28(日) 16:25:19
お二方ご意見有難うございます。
進学にしても就職にしても人生を左右することなので時間が許す限り考えてみます。
あと高校の時から今の学校とは別に気になっていた大学院のある大学がありまして。
よく調べてみます。
704 :
飛瀬:2007/01/28(日) 16:27:36
スイマセン両方とも700さんでしたね・・。
>>678 何を勉強したいのか,突き詰めて言えばどの先生の指導を受けたいのかが大事だと思うよ
その目標が具体的であればあるほど自分の進路はよく見えてくるはず
今はどこの大学も大学院重点化の煽りで定員に満たないケースも多いから,最低限の学力さえあれば面接点の大幅上積みなどの手段で入学できる可能性もある
俺は理系だけど,自分が進学するときもっと真面目に(偏差値とか大学のネームバリューだけでなく)考えていればよかったと思うこともたまにある
ありゃ一瞬遅かったですな
スレ汚しすみませんでした。
707 :
飛瀬:2007/01/28(日) 17:01:40
705さん
意見有難うございます。
やりたいことはある程度決まってるんで、それにあった学校さがしてみます。
708 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 00:31:55
飛瀬さんもまだ大学1年だから焦る必要ないよ
パソコンの調子がおかしいです
ずっと人大杉になります
710 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 00:37:54
>>709 おいらも同じ。ずっと「人大杉」で見れなかった。
どうしたら見れる?
携帯は大丈夫だったぞ
鯖の調子が悪いだけだよ。そのうち直してくれる
2ちゃん洗脳があるから一般人に専ブラはオススメしない
>>713 このブラウザで見れば、人大杉(規制中)でもスレが覗ける。
いや、鯖の調子変だったよ
専ブラでもカキコがなかなか反映されなかったから
716 :
*:2007/01/29(月) 11:41:46
、マ、ク、皃゙、キ、ニ
717 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:05:06
327 名前:先祖マニア 投稿日:2006/12/18(月) 02:31:34
パソコンから書き込み出来ません
なぜか規制がかかっています
どうすれば直るのでしょうか?
709 名前:先祖マニア 投稿日:2007/01/29(月) 00:35:51
パソコンの調子がおかしいです
ずっと人大杉になります
∧_∧ ウンコー ≡●
( ・∀・)つ ≡ ● ≡●
/ ⊃●ノ ≡● )`Д)←先祖マニア
718 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:57:55
スレ立てた自分がスレの決定権持ってると思ってるしなw
719 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 14:15:39
マアマア、そんな悪意の籠もった晒しageせんでも。
先祖マニアたんをいじめるのはお止めください。
高祖父母9〜12 以外、全て埋まったので嬉しい。残りもがんばろうっと。
高祖父1の養祖母・養母も判明しましたが、天保産まれの養母と私が、同じ名前だったのでビックリ。
GJ
お疲れさん
ハイカラな養母だったんだね
9 10 11 12も頑張るんだよ
>>723>>724 ありがとう。養母だし、血縁ではないんだけど、名前が同じだったので少し親近感が。 ^^ゞ
27祖父の系統は婿養子になったので、祖父実家は付き合いがなく、祖父が養子に入った家
(苗字は母の旧姓ですが)は絶えているのでお墓にいる人の関係がわからず…です。
正徳の頃からの月命日帳はあるんですが、誰が誰だか(´・ω・`)ショボーン
ちゃんと供養したり、まとめたりしておかないといけませんね。
お役所の係の方がとても親切に対応して下さいました。
ペラペラと追加の部分が貼ってあるのがあったりして面白いですね。昔の大人数の戸籍も
兄弟や家族関係が判って良いですね。
728 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 07:43:11
>>723 ハイカラなのかもしれないが
>>722がめちゃくちゃ古風な
名前ということも考えられるぞ。トラとかウメとかw
>>726 いいなぁ・・ 私も役所いってこっそり先祖調査したいけど
役所に行くと親戚一堂が働いてるし、うちは親戚の中で唯一
両親が離婚してて、出て行ったサイドのことを口に出すのは
タブーなんだよね・・。だから、調べるのは勇気が要る。
みんな役所なんて辞めちゃえばいいのにー!
731 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 10:00:45
733 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 10:19:42
>>727 このような状態になっている以上なにかいやな予感がするよね
2ちゃん閉鎖問題がからんでいるのか?
私は直接先祖マニアさんにメールしてみます
ブラウザで閲覧して要らない負荷をかける奴が迷惑だから、
運営側としては、専ブラ導入か、●または森を購入してもらうか、
ユーザーにも協力して欲しいんだろう。
移行も購入もしないなら、不便は飲み込んで我慢すべき。
>>735 でもさ、「〜〜さんの家の人がこんな請求をした」ってバレないかな。
先祖調査なんて趣味を持つ人はそうそう多くないから身バレしそうだし。
というか苗字が出た瞬間、「あの家の人か」ってバレるのが恥ずかしい。
大都会に生まれればよかった。
>>736 仏壇やお墓を作るのに必要で調べる人もいるだろうし気にするな
と思ったけど、世間の狭い地方は公務員でもつつぬけだったりするからなあ
>>729 トラ。・゚・(・∀・)・゚・。ウメ
リエなのですが、天保でそれだと、DQN名前だったのかしら?Σ(´Д`lll)
>>730 請求してみて思ったより、離婚再婚養子等繰り返していて、驚きました。
うちは、全国で100切るほどの難読苗字なのですが、発祥地だからか
役場ではすんなり読まれてました。w 多分、バレバレw
個人情報だから、親戚がバラしたとしたら、そっちの方が問題ですよ。
「親戚」といっても、週に1度は顔を見せ合うような
相当近い間柄の親戚なので、なんかちょっとだけ、
自分の趣味を見せるのが照れ臭いなと感じてたけど、
まあいっかw
普段私はどうせ東京だし(`・ω・´)
>>737さんとか
>>738さんのレスみてたら、ちょっと
勇気が出てきました。あとで調べたくても調べられなく
なって後悔するより、多少の恥や、気まずさは
耐えて、やってみよっと!
>>740 週に1回くらい会うような間柄でしたら先に親戚にの人に一言、言ってみておいては
どうでしょうか?
確かに照れくさいとは思いますが、親戚なので大丈夫だと思います
あとその親戚の方が戸籍係ではなかったらよほど小さな役場で無い限り
会うことがないのでは?
大丈夫ですって!!頑張ってやってみてください!
>>738 トラ。・゚・(・∀・)・゚・。ウメ
リエなのですが、天保でそれだと、DQN名前だったのかしら?Σ(´Д`lll)
リエって結構いますね
私の親戚もリエですし先祖もリエです
ただしリヱですけど
>>726 >27祖父の系統は婿養子になったので、祖父実家は付き合いがなく、祖父が養子に入った家
(苗字は母の旧姓ですが)は絶えているのでお墓にいる人の関係がわからず…です。
詳しく分からないのでなんともいえませんが戸籍から9〜12は判明できませんでしたか?
またお墓を管理している人とかわかりませんか?
断絶していても男子が断絶してても女子(娘)の方の方がなにか分かっている場合も
あるかもしれませんし まだ調べれそうですね!
>正徳の頃からの月命日帳はあるんですが、誰が誰だか(´・ω・`)ショボーン
ちゃんと供養したり、まとめたりしておかないといけませんね。
これまた古いですね その先祖が生まれたことは1600年半ば頃になりますので
先祖の方を尊ぶ家だったんですね
744 :
飛瀬:2007/01/30(火) 16:32:27
703さん
有難うございます。
もともとは学芸員志望だったのですが、大学にきてみるとみんな頭いいなぁって田舎出の僕は打ちのめされてまして。
多くの子が名門私立、名門国立大学を受けてたらしいけど僕は偏差値50代のせいぜい産近甲龍レベルの今の学校が第一志望。
最初はあるていど歴史学では定評もあったし環境もいいと思っててすごく入りたかったのに自信を失うとともに気持ちが萎え、おまけに納得のいくレポートもかけず将来どうしようかと考えています。
まだ揺れ動いてるので、分かりませんがじっくり調べてみます。
スレ違いスマン
>>742 私の姉もリエです。(多いなw)
ハイカラな名だと思ってたので、以前みた明治頃の
女性名にもリエがあってびっくりした記憶が。
748 :
浅右衛門:2007/01/30(火) 22:39:55
zipに固めてうpればいいのになw
マニアってパソコンも2ちゃんも初心者か
かなり高齢だな
752 :
浅右衛門:2007/01/31(水) 08:01:34
>>751 はい、わかりました。
早急に読んでみます。
>>739 本籍地まで取りにいきました。今度は郵送も挑戦してみるつもりでいます。
>>740 ガンバロウ(・∀・)人(・∀・)ネー
>>742>>745 リエって結構いるんですね。 ^^ゞ
>>743 ありがとうございます。不慣れですが、9〜12も頑張って探して行くつもりです。
どうやら、祖父の養母の家は供養を色々としていたようですが、養祖母、養母、婿養子の祖父の代で
廃れたようです。それにしても和紙って長持ちしますね。
今から20年前、19曽祖父の50回忌の際、子供だった私は集った親族の関係がわからず、
手帳を片手に図を書いて覚えていたのですが、その時の感覚が今も残ってたのかなぁ。
郵便請求…引き続きガンバリマス(`・ω・´)ゞ
皆で頑張りましょう
753さんに限らずHNあったらみんな判りやすくて助かるかもです。。。
最近スレッドが盛り上がってんな
早く鯖回復せんかい
756 :
日本@名無史さん:2007/01/31(水) 19:56:17
>>飛瀬君
大学全入時代間近と言われる昨今に、目的意識を持って入学する事は素晴らしい事だ。
焦らず頑張って欲しい。これからもスレを盛り上げてやってくれ。
>>753 また進展がありましたら報告お願いします
系図をExcelで書いていたら収拾つかなくなってしまったorz
紙媒体(手帳タイプ)に書く場合、韓国のような見開きページで4世代記入以外の
方法以外、良い方法をご存知の方いらっしゃいますでしょうか?
>>758 間違えましたorz
×4世代記入以外の方法以外
○4世代記入以外の方法で
韓国ってどんな感じ?
エクセルで書くなら見開きはちょっと無理じゃないの
これ系図でなくて族譜だよ
ためしに758さんが作った系図うPしたらどうかな?
>>758 家系図と族譜は違うんでないの?
見開きはかなり難しいと思うよ。。。
758さんは族譜が作成したいのでしょうか?
HP見ましたが初めて族譜をみて勉強になりました
族譜ってこんな感じなんですね
イメージでは日本の家系図と同じだと思っていましたが全然違いますね
エクセルでも作成は可能だと思います
しかし少々面倒くさいですね
まずはHPで載っておたフォームから作成してみてはどうでしょうか?
今から詳しくHP見てみます
これは難しい
原本見てみないと厳しいですね
今までにないケースです
しかしエクセルで作成することは可能ですね
766 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 06:09:39
>>746 10枚目前半
爰元方角にてハ かいのもくの御寺にて御座候 委細
可被仰上事
一神村豊後様御内ニ□久右衛門と申者居申 相果
申由承候 其子共ハ無御座候哉 彼久右衛門弟二人 亀ヶ谷
又左衛門下代共仕居申様子承度由申ニ付 乍恐申上候事
一清十郎様と申候時 こばやし半兵衛殿にて 御手□ら
い被成候節 めし被抱候者 こにしやの久太郎を又右衛門と
申 うげんさい松を彌右衛門と申 にしいを新右衛門と
申 三人共 七郎右衛門様御息災ニて御座被成候様子
忝由申上候事
767 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 06:28:42
>>746 10枚目後半から11枚目前半
一御もり仕候と言申 右谷之二郎四郎と申者 八十になり
申 息災にて居申候 是も七郎右衛門様御事 よろ
こび申候事
一何も御一門様 以別置 可申上候得共 乍恐御心得
被成候て 可被下候 神村豊後様御子息様へも
田総ニ古老之者御座候 大分御知行共御取
候事 悦申由 折ふしハ乍恐被仰上候而 可被下候
委細之由ハ 善鏡御物語被仰上候
寛永十三年 田総孫右衛門 書判
返上
長井七郎右衛門様
768 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 06:41:48
>>747 11枚目前半なかばから12枚目1行目まで
覚
一長井加賀守元勝事 拙者先祖ニ而御座候 信濃
守元里ハ元勝之二男ニ而御座候 尤 孫右衛門家筋
ニ而ハ無之候 元里子孫之由は 只今 因州松平
勝五郎様御家来ニ而 天野元好と申医師
ニ而御座候 元好父は昌孝と申 昌孝事 享保
拾七年当地罷越拙者方へも預尋回候 其後
寛延三 七月又 父子罷越 猶又宝暦四 二月
元好罷越候と以書中など 取遣仕候
一元勝嫡子掃部助廣代ニ 田総之在名
改申候
一拙者先祖 稲草村城主之時分 銀壱万千九百石
と相見申候
769 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 06:53:39
>>751 12枚目
一孫右衛門家筋之由 御別紙人数付ニ相見候通ニ
御座候
一野里と申候は 縫殿助重継之隠居名 豊里
と申候は 千寿丸と申候
一先祖七郎右衛門儀ハ 三郎左衛門元好之弟 三郎左衛門
嫡子無之由 七郎右衛門養子ニ仕 七郎右衛門元忠嫡
子七兵衛就里ニ而御座候
770 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 07:02:53
>>751 12枚目後半
一三郎左衛門元好儀 備後表罷越候之由 及承
候 七郎右衛門已後はいづれも備後表へハ参不申
由ニ候
一稲草村在城之内 士帳写及披見候
一被仰下候一御書ニ而見候へば 孫右衛門家筋之由候
改給と相見申 賞美差越候 拙者先祖より遣候
覚書之写 長井善右衛門より差越候哉 明々孫右衛門
子孫 今以有之候哉 乍御六ヶし御被仰知被下様奉願候
771 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 07:09:35
>>751 13枚目前半
一拙者家ニ所持仕候御判物 何ヶ一通御覧被成
度之由 猶又永井善右衛門よりも数々申被仰下候
ニ而 則
尊紙具ニ御打渡之写入御覧候
右之通御座候御覧可被成候 以上
十二月十五日 田総五郎右衛門
雪源和尚様
772 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 07:18:59
>>751 13枚目後半
家老
宮助子
田総 右衛門太夫 真辺 与三左衛門
右衛門太夫子
同 右近 真柴 新助
同 新兵衛 田辺 勘兵衛
新兵衛子
同 五郎右衛門 森戸 玄蕃
同 丹後 田辺 勘助
丹後子
同 和泉 森戸 三郎右衛門
□□□子
同 河内 同 与十郎
773 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 07:32:49
>>751 14枚目
河内子
同 又十郎 伊勢村孫右衛門
同 内蔵丞 藪木 新九郎
内蔵丞子
同 孫右衛門 石崎 弥助
同 甚兵衛 荒木 与八郎
甚兵衛子
同 治兵衛 足立 重郎右衛門
同 五郎左衛門 谷 七兵衛
同 孫二郎 河原田半右衛門
岡 伯耆 江原 弥十郎
同 左衛門尉 瀧口 七郎右衛門
同 孫八郎 同 助右衛門
福間 越前 同 平右衛門
越前子
同 八郎兵衛 山手 右衛門太夫
右衛門太夫子
田総 又四郎 同 和泉
河内子
同 弥十郎 木原 市郎左衛門
越前子
福間 弥右衛門 岡 藤左衛門
同人弟
同 利右衛門 三河内新十郎
774 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 08:09:16
>>751 15枚目
伯耆子
岡 六兵衛 能原 弥三郎
越前子
福間 久四郎 猪原 又二郎
熊谷 長門 藪木 助左衛門
被 官 瀧口 弥十郎
多田 杢之丞 加茂 惣兵衛
世良 新五右衛門 岡 平左衛門
同 甚兵衛 三戸 雅楽
同 二郎左衛門 一木 源助
田辺 助五郎 越知 市之介
賀弓 玄蕃 岡 久兵衛
同 惣四郎 小方 加藤左衛門
妹尾 甚右衛門 山縣 二郎左衛門
厩原 市之丞 大野 雅楽
田原 左衛門尉 瀧口 又左衛門
福間 三路右衛門 灰塚 二郎左衛門
同 左近 馬場 三郎左衛門
775 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 08:21:54
>>751 16枚目から17枚目
世良 甚左衛門 同 小兵衛
山田 弥左衛門 土井 豊兵衛
河副 惣右衛門 其辺 与三左衛門
豊原 三次兵衛 瀧口 源五郎
落合 新右衛門 太賀 源三郎
原田 与助
以上
此書状 寛永十三年 長州萩 永井七郎右衛門
殿より 田総孫右衛門殿へ参候状なり 其後
百三拾年余ニ 右孫右衛門遠孫雪源 防州
山口養雲寺へ転番相勤候節 右書状
之写持居候萩城下 七郎右衛門殿遠孫ニ候田
総五郎左衛門殿へ 懸御目候得ば 田総孫右衛門
殿より七郎右衛門殿へ参候右之書状之返事
在之 則 写し取帰候
776 :
浅右衛門:2007/02/03(土) 10:07:04
>>775 この一連の文書は大きく4部に分けられます。
1,長州萩の長井七郎右衛門より田総孫右衛門への書状 (1枚目から5枚目前半)
寛永13(1636)年6月8日付
2,尊志御年 (5枚目後半)
貞和元(1345)年12月17日付
3,田総孫右衛門より長井七郎右衛門への返書 (6枚目から11枚目前半)
寛永13年
4,覚 (11枚目から17枚目)
長井七郎右衛門の子孫である田総五郎右衛門より
田総孫右衛門の子孫である雪源和尚への書状
これは、明和から安永にかけての時期のものと思われます。
777 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 14:43:00
浅右衛門さんお疲れ様でした
778 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 19:43:13
家の菩提寺が分かったんですが、訪ねて過去帳拝見するのに特別なお布施や注意点等ありますか?
あと先祖の除籍集めとかして役場で妙な顔とかされないでしょうか?
>>浅右衛門さん大量解読お疲れ様でした。。。
>>778 >訪ねて過去帳拝見するのに特別なお布施や注意点等ありますか?
特別な注意点はないんじゃないかなあ。。。
お布施って言っても結局「誠意」を形に表したものだし、一般社会人としての
モラルを守ればいいんじゃないのか(事前に電話連絡しとく、親戚を介すなど)
>あと先祖の除籍集めとかして役場で妙な顔とかされないでしょうか
されない。ただ、請求理由には「墓所の整理」「遺産問題の発生」など
当たり障りの無い理由を書いておく事をおすすめする。
気になる事があるならもっと詳しく状況を説明してみれば?
猛者が沢山いるから教えてくれると思うよ
>>788 初めて行く菩提寺の場合は誰か親戚の方と行くほうが確率は上がります
自分の家の菩提寺の場合は誰か(父親や祖父)などは関係がありませんか?
直接一緒に行かなくてもせめて電話なりで紹介という形を取ったほうがいいかもしれません
お布施に関しては私も詳しくないので分かりませんが1〜3万くらいはもって言ったほうが無難でしょうね
しかしお布施はあくまでもお布施ですので お布施をあげたからといって必ず先祖の過去帳が見れるとは
限りませんし、また自分が思っていた程の先祖の事は分からないかもしれません
しかし、何かしらのパイプが出来たのならそこから発展する可能性もありますので準備だけはしっかりと市と来ましょう
行ったあとは必ず礼状を書来ましょう 好印象で別の機会に他の情報を得られることもあるかもしれません
役場関係ですが、請求は「先祖供養の為」や「墓所の整理」などがいいと思われます決して「家系図作成」はやめておきましょう
役場にとって「家系図作成」はNGワードです。
役場の人も直系卑属からの請求だと分かれば普通に請求に応じてくれると思います
(中にはおかしい担当者もいますが・・・)
浅右衛門さん解読有難うございました
17枚にも及びましたので苦労されたと思いますが
大変助かりました
783 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 15:30:25
本家に行った事がありません敷居が高いです
おじさんが生きていれば一緒に行けたのにな
784 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 19:28:05
>>779>>780 やはり除籍請求の理由が系図作成はやはりまずいんですね。先祖供養がベストでしょうか。
このスレには先祖以外に傍系親族も調査対象にしてる人がいるんでしょうか。そういう人がいたら、調査方法としては親族に直接聞く以外では興信所しかないのでしょうか。
親族に聞いても、うちは傍系親族の数がかなり膨大で、親族すら把握してる範囲に限界があるみたいなのですが。
785 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:10:50
傍系親族に委任状を書いてもらおう
サクサクわかるよ
>>784 役所としては、偽系図作りの片棒を担がされるおそれがあるものですから…
788 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:06:13
>>785 会ったこともなければ、名前はおろか存在すら知らない自称親戚のために
自分の家の戸籍の中を見せるなど真っ平だ。
>>764 MSエクセルではなく、データベースソフトのMSアクセスを使うべきではないかと。
牛の家系図などもこういったソフトを使うそうです。
790 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 22:24:36
ていうかみんな親族はどの範囲までと認識してる?
やっぱ傍系だと又従兄弟が限界だろうか。
791 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:35:40
家紋ってどれ程の価値がありますか?
792 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:39:59
>>790 やっぱり結婚式や法事に来てくれる範囲だろうな。
名前も知らない、交際も一切ないような遠縁じゃもう他人だよ。
巌 いわお?
796 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 09:04:52
やっぱ日本人板の人て家系は男系を重視するの?自分の家系が女系や非血縁養子の場合、男系や実系の方で見る人が多数派なんだろうか?
うちは面白い事に祖父が男系分家の五男、祖母が女系本家の長女で、この二人の縁組で一旦女系になった家系が男系に戻ってる。
自分は男系でも女系でも初代に辿り着くからつい男系で見ちゃうけど同じ様な人いる?
>>796 どこを重視するかは自分の好きにしろ
過去ログも読もうぜ
>>784 どこまでの傍系親族を調査されますか?
両親からの傍系なら親に聞けば分かります
祖父母からの傍系は祖父母が健在なら聞くことで分かりますし亡くなっているのなら
親に聞いてみましょう(親にとっては叔父、伯母や従兄弟関係になるので)
曽祖父母からの傍系になるとちょっと難しいですが高祖父の戸籍から子供の数を
確定してその子供一人一人の子孫を下っていくしかないですね
>>796 個人の考え方で様々ですよ
男系のみ(自分の家のみ)
女系も含めた直系尊属すべて
養子の場合は養子先だけにかかわらず実家も調査する
直系尊属だけでなく784さんみたいに傍系親族も調査する
などなど
800 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 14:15:04
801 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 18:27:51
傍系のつながり程度で他人同然の奴から戸籍を覗かれるのは、あまりいい気分はしない。
802 :
793:2007/02/07(水) 00:23:42
>>794-795 ありがとうございます。1文字の苗字なのか2文字なのか、
悩んでしまって混乱していたので助かりました。
803 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:46:46
>>13に破棄証明というのがあるんですが、これは何でしょうか?
市役所のページを見てものってないんですが…
804 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:24:58
>>803 「私どもの役場では、貴殿から請求のあった除籍謄本は、
○年○月○日に廃棄済です(交付できません)。」という証明書です。
805 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:01:51
806 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 17:20:46
何度もすみません…
破棄証明って有料なんでしょうか?
807 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 18:21:53
なぜ役所に聞かないのかその方が不思議だ
808 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 18:44:03
ここで聞くほうが楽なんじゃないのかな
俺なら正確に知りたかったらググって役所のページ探すか直接電話で聞くな
>>806 有料です。300円くらいでしょう。自治体によって料金違うかも。
廃棄しなかったら750円の除籍謄本の交付手数料収入が入るのに。
収入源を捨てている自治体は、アフォとしか言いようが無い。
自治体にもお利巧かそうでないかの差異があるということか。
廃棄したくてたまらない人たちもいるんだろ
813 :
日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:09:21
何故廃棄するんだろうほとんどの役場はマイクロ保存してデータで管理してるんだから廃棄する必要がない
しかもコンピューター化したらますます廃棄の必要なし
昔の紙で保管していた時代とは違う
814 :
日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:51:26
明治の除籍簿など、コンピュータ化する物好きな自治体はいないだろ。
時間と手間と経費の無駄。そんなことより現実世界の問題が山積してるだろ。
明治の戸籍、とくに門外不出の壬申戸籍なんてさっさと廃棄してほしい。
馬鹿な戸籍マニアが妙な期待を持たないようにな。
位牌って見たことないんですけど
家にあるんですか?
お寺とかにあるんですか?
>>815 位牌は、宗派によってなかったりするよ。
そうなんですか?
例えばどこの宗派ですか?
「
>>814,818
先祖を大切にしない愚民はこなくていいから。
820 :
飛瀬:2007/02/10(土) 17:15:03
みなさん先日はいろいろと有難うございました。
思うところがあり、旅をするために久しぶりにバイトをすることにしました。
位牌。
僕の遠縁が創価学会に改宗した時はそれまでの位牌は捨てたようです。
墓石も。
創価学会はそういう宗派なのか?
うちは浄土真宗本願寺派とかいうのだけど、位牌はない。
>>821 煎餅は葬儀の時、坊主呼ばずに仲間内で読経してるみたい。
しきみ?とか言う葉っぱを沢山用意するとかどこぞで見かけた。
墓も学会の墓所とかだと、遠くて高くて不便なところらしい。
浄土真宗は俗世にこだわらないからな
あっても記載も少ないし
私も母方は浄土真宗ですが
位牌も少ないですし、記載事項も少ないです
(法名と行年しかないものも多くあります)
しかも殆どが幕末くらいから
父方は曹洞宗が多いですが
俗名や享年もあります
古いものになると1750年代とかもありました
825 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 12:32:53
墓もなければもう探す手立てがないですよね
826 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 16:33:50
世の中、知らないほうが幸せなこともいっぱいあると思うよ。
墓がないと思い込んでないか
戦災以外なら意外とあるもんだ
層化以外ならあるんじゃないか
逆に創価はないのか?
層化は墓を捨てろっていうらしい
だから嫌われるんだと
>>830 墓は自分達の販売してるものは勧めるから、先祖代々の墓でも異教徒だから捨てろってことかな?
葬式乗っ取られるって話は聞くが、供養とかどうしてるんだろうね。あの人たち。
>>831 先祖代々のを捨てろっていうから嫌われるんだと思うよ
葬式も供養も坊さんはいなくて自分達でやるらしい
そんな事したら親族でトラブルになるのでは?
だから疎遠になるんだよw
煎餅家族同士なら仲良しだけどorz
先祖代々のものを捨てさせるなんて、とんでもないバチ当たりだね。
日本のものを粗末にするということは、元々日本の宗教では無いのでしょうね。
そんなことをさせる教祖は、腹も真っ黒になって....。
あの連中に限ったことではなかったけれど、
今ではあの連中だけが「革命の子」の意志を
受け継いでいるのだな。
837 :
日本@名無史さん:2007/02/13(火) 15:58:37
俺の叔母も草加だけどやっぱり浄土真宗のうちの先祖の法要は欠席するよ
うちは親族仲はいいけど本人は違和感とか感じないのかな
838 :
日本@名無史さん:2007/02/13(火) 16:00:14
池田が在日なんだから、日本文化の否定は当然だろ
池田大作って在日だったのか・・・
840 :
日本@名無史さん:2007/02/13(火) 18:17:02
成太作でググれ
>>825 墓を探すにはまずは両親や祖父母からの聞き込みですね
あと分家なら本家に訪ねる手段もあります
過去ログでは役場に墓の地図?見たいなものがあるみたいですが
やはり墓だけは当事者(子孫)でなければ分からないと思います
その事例として数点
1 私の高祖母(16)の実家は隣村の出です しかもその子孫もどこにすんでいるか分かっていました
(叔父が知っていましたし遺産相続で会ったこともある)
そこでこの先祖の墓を訪ねたら一緒に案内していただきました
なんとその場所が叔父の家の500mとなりではないですか!!!
結局墓がたくさんあってもその墓もリをしている子孫を探し出さないと隣にあっても分からないということを
実感しました
2 これまた私の高祖母(2)の実家ですが代々本家が墓守をしており草取りや墓参りをしていました(祖母も昭和30年代までは
墓参りをしていたらしい)
しかしあまりにも古い墓なので当然苗字が彫ってありませんこのような墓は本家が若しくは墓守している家がしっかりと
教えていただけないと永遠に分からないと思います
逆にいうとその墓守子孫を探しだすとほぼ確実に墓が発見できるのではないでしょうか?
諦めてはそこから先にはいけませんが、諦めなければ道が開くのではないでしょうか?
ネバーギブアップで!!
ちなみに高祖父母まではすんなり行く可能性が高いですが
もう1世代上になると難易度がかなりあがります(江戸時代に突入したら)
有名な士族や豪農などはあるかもしれませんがそのような人物はほぼ稀にしか
いないのではないでしょうか?
殆どは名も無い百姓です、そしてその先祖がいてこそ自分が存在しているのです
ただ先祖の墓を探して大興奮した記憶が何回もある私にとって墓を探すことは
ある種、宝探しと同じでは?思ったこともあることは事実です
843 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 14:43:14
つまり場所を知っている人を探さない限り無理なのね