1 :
世界の大室寅之スレ :
2 :
日本@名無史さん:03/09/04 22:02
955 :日本@名無史さん :03/08/19 08:34
俺の母方の先祖は村上天皇です。
家系図も本物かどうかはわかりませんが、僕の曽祖父がお寺の過去帳を
見て調べたそうです。家系図も寺に残っているそうです。家系図には村上天皇ー赤松ー農民
みたいな感じになっています。詳しくは覚えていません。
何も証拠みたいなものも残っていません。
信じたい半分疑い半分です。
ちなみに父方は平家の子孫らしい・・・
これは口伝のみで嘘っぽい。平(たいら)・清(きよ)・盛(もり)という親戚がいるのですが
父曰くそれは平清盛の一文字ずつを取って苗字にしたらしいです。
ちなみに父方の田舎は鹿児島の徳之島。
↑
こういうのって本気で言ってるの? W
3 :
日本@名無史さん:03/09/04 22:13
鹿児島には源平合戦に負けて落のびた落人の集落が散在している。
密かにそれなりの血筋を言い伝える家系もあるだろう。
ちなみに俺の母方も川辺群出身で落人の末裔。
歴史上の有名どころとの繋がりは無さそうだが、母方は結構金持ちや軍人の親戚が多い。
4 :
日本@名無史さん:03/09/05 02:09
>>1 >正直自分の血統祖先って5代前でわからないよねB
>正直自分の血統祖先って5代前でわからないよねC
文章が変だ。
5 :
日本@名無史さん:03/09/05 10:26
6 :
誤解をとくために:03/09/05 10:31
高祖父の父の名前までしかわからないよね。(明治19年式戸籍しか残っていないため)
みんなの家って由緒正しいんだね。うちなんかすごいドキュソだよ。
この前はじめて知ったんだけど昔のこととは言えショック。
女がよそ者の男の子供を孕んで家から勘当された。生まれたのが私の父方の祖父。
子連れで行くところもなく、道端の祠みたいなところで乞食みたいに暮らしている
ところを、哀れに思った村の人が後妻の口を紹介してくれて、この家に嫁いで
来たらしいが、相手は種無しだったらしく、縁もゆかりもない祖父が跡取に。
ドキュソに家を乗っ取られたと言う事ですな。
と、言う事を、父ともうずっと仲の悪い母から悪口として聞きました。
恋愛結婚するとき親から猛烈に反対されたって。こんな家だからさ。
(父方の)祖母は子守りとしてどこぞの土地から売られて来た娘だったらしいし。
道理で3代以前の親戚が全くいないはずたよ。祖母方も祖父方もドキュソ階級だもん。
>>7 意外にドキュソ階級が粘着精子、卵子で子孫が繁栄し、他家を蹴散らし良家になって
家系図飾るなんてことしょっちゅうあるよ。
具体的には美智子様の高祖父なんて参加で正田家のっとったし
小和田マサ子さんの曽祖父金吉も参加の成り上がりもの。
ハシリュウ閣下の曽祖父は士族の橋本順一郎と言う事になっているが
ほんとは得たの長吉。
紀子様の高祖父松浦平吉はB。
もちろん明治天皇の祖父は海賊。
渋沢栄一もBなら西武の堤も参加。
9 :
日本@名無史さん:03/09/05 10:33
>>8 >52
まあ、多少はドキュソの血も混じってることもあるだろ。
俺の曾祖母も曾祖父と結婚前に父の分からない子供を産んで実家に置いて結婚した。
どういうわけか曾祖母の実家とは絶縁状態になって、今はウチの親族は誰も
曾祖母の実家の系統の者とも結婚前に生まれた子供やその子孫とも面識が無い。
それで、曾祖母は結婚後3人の子を産んで、俺はそのうちの長子の孫。
最近、3人の子の末っ子が子供を儲けずに亡くなって、妻と兄弟の子
(兄弟は全員既に死亡、祖父の異父兄も除籍謄本で死亡を確認)に相続が発生した。
つまり、曾祖母が結婚前に儲けた異父兄の子供達にも相続が発生してるので、
近々連絡をとる必要がある。どんな展開になるかな。(義大叔母がどういう風に交渉するのか)
10 :
日本@名無史さん:03/09/05 12:23
兄弟に相続権ってあったっけ?
11 :
日本@名無史さん:03/09/05 14:58
曽祖父が84歳で死んで、祖父がそのとき56で父がそのとき28歳で、私が生れました。
私が80歳で死ぬ時、曽祖父の戸籍謄本は80年で処分されるから、処分される時点で祖父の
戸籍しか残らないわけで、祖父の戸籍の前戸主の欄に曽祖父の名前のみ記載されてる
わけですよねえ。
と言う事は雅子様が30で嫁がれた時点で高祖父までの戸籍謄本までしか宮内庁は調べる
ことが出来なかったわけでしょう。(高祖父の戸籍の前戸主の欄にその高祖父の父の名前のみ掲載)
やはり雅子様の小和田家といえども雅子様の5代前の名前までしかわからないと言う事
ですよねえ。やはり明治19年式戸籍からですよねえ。名前が判明するのは。
>>7 そういうのもさ、ある意味「たくまくしい」感じがするけどな。
うちなんかさ、父方は割合良い家系(といっても農民だよ)らしいけど、兄弟仲ひどく
悪いらしくて、全然付き合いがないよ。
家系辿れたとしても、仲がひどく悪いとかだとけっこう萎えるね。
13 :
日本@名無史さん:03/09/05 15:13
>7 >9
コピペご苦労。
>10
子供が無く、親も氏んでれば兄弟に相続権がある。
14 :
日本@名無史さん:03/09/05 15:14
寺に古文書を預けてある俺ン家でも7代前までが限界。
その前だと、江戸後期に流行った家系図買いの騒動で正確なところが不明になってしまう。
15 :
日本@名無史さん:03/09/05 15:16
>>14 へぇーそういう出来事があったんですなぁ。勉強になりますなぁ。
16 :
日本@名無史さん:03/09/05 15:21
>>14 ↑
問題はその「7代」が本当に「血統」でつながっているかどうかが疑問?
お寺の過去帳に仮に「田中」さんと書いてあってもいろんなもちろん血統
のつながらない赤の他人の「田中」さんもいれば自分の親族の田中さんだって
いる。養子に行って苗字が変わっても血統上祖先にあたる場合もある。
戸籍謄本を100%信じるわけにはいかないがまあ、明治19年式戸籍から祖先がはっきりしている
と言えるのでは?
17 :
日本@名無史さん:03/09/05 16:13
古い除籍見てると合併なんかで今は消滅した村から嫁入りした先祖が出てきて
嫁入り前の除籍をどこの市役所に請求したらいいか分からない。(郡名で大体は
検討つくけど)みなさんは、そんなときどうやって調べてますか?
>16
明治時代初期に整理された戸籍の話は同感。
僕の家にはそのご先祖様の写真が何枚かあるんだよ。
それ以前のものの信憑性は分からないねえ。
あとは、妙に長い戒名くらいかな?<証拠
19 :
日本@名無史さん:03/09/05 16:25
マジレスするが、俺は無名のドン百姓の名前なんか知りたいとは思わん。
歴史には興味あるが、無名の農民の名前など知っても仕方ない。
また、戸籍や墓石なんか調べられて迷惑な親族もいるんじゃないのか?
20 :
日本@名無史さん :03/09/05 16:31
うちの父方は明治になってから初めて先祖がわかる。
曽祖父までが限界。 爺さんが元気だったときに聞いても
その祖父の名前がむちゃくちゃあやふや。字のほとんど
読めない人だったし、仕方ないか。 食い詰めて北海道に
開拓行った人だし。
母方は逆に江戸時代中期までたどれる豪農系の家。
直系だけで12・3代前まで行く。 当時の藩の古文書
なんかにも出てくる。ただし2度ばかり養子(婿養子かも)
やってるが。
21 :
日本@名無史さん:03/09/05 16:39
話かわるけど結婚する時、彼女の家柄、調査した人います?この中に。
僕は特にこだわらなかった。
というのもうちの会社では毎年1000人応募があってリクルート社が
20人くらいに絞ってそこから社長自ら選別して男5人女2人を採用するから
社内恋愛結婚の場合、彼女の家柄にマユツバする必要がないから。
22 :
日本@名無史さん:03/09/05 16:40
俺だったら調査する。一応。
23 :
日本@名無史さん:03/09/05 18:20
>7 >9 >17 >19
このスレはPART1〜3のコピペ集ですか?
24 :
日本@名無史さん:03/09/05 19:14
>>23 自分が馬の骨だからって、他人まで貶めるな
この前仏壇の掃除をしていたら、戒名が書かれてる位牌の中に
たくさん板切れみたいのが入っているのを見つけた。
何気なく取り出してみたら、自分の祖先達の戒名が書かれたものだった。
日付をみると、「元禄」とか書かれてるのもあった・・・。
歴史なんて教科書くらいでしか学ばないと思ってたんだけど、身近にそんなものが
あると何だか感慨深かったな〜。
大昔から自分に繋がってるんだなって実感したよ。
お歴々はもちろん農民だったんだけどねぇ・・・。
神妙な気持ちで位牌を戻しました。
26 :
日本@名無史さん:03/09/05 19:26
>>22 そういえば結婚する時でもその他でも「家柄」をやけに強調しこだわるヤツに
限ってそいつこそBだったりするのはどうちてだ?
>>1 墓石に刻まれた情報なんてどこまでも信頼できないよ w
28 :
日本@名無史さん:03/09/05 19:46
家はオレで6代目、本家も近くだし、本家の本家も隣だからかなり前まで遡れるが
所詮は百姓なので・・・有名人の先祖が欲しい。
29 :
日本@名無史さん:03/09/06 00:49
除籍謄本使って現在最高で7代前までの名前が確認できてる。
母の母の母の父の父の母の父。
>>24 小林よしのりのゴーマニズム(人権特集号)以来、
その手の輩が増えてる気がするんだけど…。
31 :
日本@名無史さん:03/09/06 05:39
つーか本当にコピペ集だろ、このスレ。
新しい情報を書き込めよ。
32 :
日本@名無史さん:03/09/06 12:18
直前の先祖(両親)の影響は多少受けるかもしれんけども、
5代も10代も前の先祖が百姓であろうと武士であろうと○×天皇であろうと
実生活の上ではホトンド関係ないです。
皇室の皆さんを除けば、皆そうなんじゃないですか?
33 :
日本@名無史さん:03/09/06 12:55
age
34 :
日本@名無史さん:03/09/06 13:14
漏れの家系は戦国末期までは信用できそうだ。
それ以前は信用し難いな。
調べてみると、純粋に面白い。
会ったこともない先祖の残した文字を見ていると…涙が出そうになる。
35 :
日本@名無史さん:03/09/07 00:24
わかるわけない。間違いない。
36 :
日本@名無史さん:03/09/07 02:34
突き詰めていきゃ、人の先祖はみんなサルだって。
37 :
日本@名無史さん:03/09/07 21:27
わからないと思うぜ。そんな過去の話しは w
38 :
日本@名無史さん :03/09/07 21:38
39 :
日本@名無史さん:03/09/07 21:42
>>37 山口県田布施町の「大室天皇」が後醍醐天皇の子孫だと言っているのと同次元w
40 :
日本@名無史さん:03/09/08 20:37
40
いい加減、こんな後ろ向きのスレはやめろよ。
前向きと言うと、5代先の子孫に覚えてもらっていられるか、とか
5代先の血統的な子孫を残せるか、
5代先まで「家」を残せるかとかなのか?
>>41 そんなこと言って、わざわざ書きこみしてくれる あ・な・た
44 :
日本@名無史さん:03/09/09 13:20
影響とか家柄とか関係なく、自分の親の親の、そのまた先祖は…
なにをしていた人だろうと考えるのは、ごく自然だと思うが?
まして歴史に興味をもっている人ならば。
テメエの先祖なんざチンドン屋だろ
46 :
日本@名無史さん:03/09/09 16:57
よね!
47 :
日本@名無史さん:03/09/09 19:19
無名の農民ですが、何か?
ここには、とりあえず子孫を残した奴はいるのか?
49 :
日本@名無史さん:03/09/09 20:01
いるわけないだろ。
50 :
日本@名無史さん:03/09/09 21:10
50get!
51 :
日本@名無史さん:03/09/09 21:16
>>48 子孫より家系図残したい人いないよねえ。イマドキ。
52 :
日本@名無史さん:03/09/09 21:17
子孫も家系図もいらん。どうせ、いつかは死ぬんだし。
53 :
日本@名無史さん:03/09/10 22:45
先祖は5代前しか判らない(戸籍による) 代々の職業は農業(今はしがない
サラリーマン・・・資産はあったが、代々分割相続しているので俺の代になる
とちょっとしか受け継いでいない) 苗字は超平凡(日本全国に広く分布)
家紋も超平凡
本家の過去帳に先祖の名前が載っているが、誰が誰だかわからん
本家のそのまた本家は家系図を伝えているが(江戸時代に作ったバッタもんで
あろう)、もうほとんど何の縁もないので押し掛けていって見せてくれとは
言えない
54 :
にゃんちゅー:03/09/11 21:27
戸籍制度のない「自由」の国アメリカでは住民票しかないので
祖父の名前すら知らん人も多いそうですよ。
55 :
日本@名無史さん:03/09/12 12:23
自分の祖父さんに、そのまた祖父さんのことを聞いただけでも
4代前のことがわかるのにな。そんなに昔のことではない。
歴史は5代150年で作られるという法則知らないの?
57 :
日本@名無史さん:03/09/12 22:54
>48
今朝、初曾孫生まれますた。
今日、祖母が亡くなりました。
59 :
日本@名無史さん:03/09/13 21:52
今日オナりました
61 :
日本@名無史さん:03/09/13 22:03
みんな、前向きに生きようぜ。
62 :
日本@名無史さん:03/09/13 22:12
◎なんと弥生人は朝鮮半島を経由していないっ!
「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
前向きに子孫の残し方を語れ。
64 :
日本@名無史さん:03/09/14 13:26
ここの住人の独身諸君は、結婚することを真剣に考えれ。
私生児という形で子孫を残してもいいが、何代も後の子孫から
ドキュン呼ばわり(ry
65 :
日本@名無史さん:03/09/14 13:29
うちのひいじいちゃんは日露戦争の傷痍軍人で
タダでバスや国鉄乗れてウマーだったそうな。旅行しまくりだったそうな。
66 :
日本@名無史さん:03/09/14 14:06
>>64 田中角栄ぐらいになれば、そんなこともないじゃろ。
>>65 死ぬ思いと引き換えか・・・鉄オタなら実にお得となるのだろうが、どうもそんな気分になれません。
ちなみにうちの母方の祖父は輜重兵をしていて、食い物には恵まれたそうだ(子孫にも。ただしおいらを除く?!)。
68 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:39
角栄といえば嫡出子の真紀子のほかに庶出男子が二人いるな。
真紀子は異母弟を嫌っているようだが。
69 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:45
真紀子は異父兄弟もいるようだが。
70 :
短足同士、いいようにカモられて空しくはないのか?:03/09/20 20:04
71 :
日本@名無史さん:03/09/20 20:40
明治新姓について質問します。
古い戸籍を見ると、江戸時代の先祖の姓名が書かれています。
古いといっても明治19年式くらいと思いますが、もし、明治に新しく姓を創姓申請した
のならば、江戸時代の先祖の方々の姓は遡及されて書かれたのでしょうか?
72 :
日本@名無史さん:03/09/21 17:18
いい質問ですね。
誰か答えなさい。
73 :
日本@名無史さん:03/09/21 17:26
華士族・平民のという身分制度の時代に遡及するなんて気を使うとは考え難い。
明治期の部落民の戸籍(あれば)でも見せてもらえれば一目瞭然なんだがね。
あたりめーだろうが。
75 :
日本@名無史さん:03/09/21 19:17
外来種との混血は、将来先々まで在来種の子孫の形質に悪影響を及ぼし、
とどのつまり、奇形や難病奇病の元。
76 :
日本@名無史さん:03/09/21 19:29
>>71 江戸時代初めの兵農分離以前は、農民兼武士という身分の者も多く、
それらの者は苗字を名乗っていたが、江戸時代、分離を明確にせざるを
得なくなり、表面的には苗字を捨てたが、
一族や地域の内輪だけではその苗字が伝承され、明治期になってそれを
復活させた例が多いという話は聞いたことがある。
ちなみに我が一族もそのケースである。
除籍謄本取ったらこんなこんなのが出てきた
俺(1979-)
父(1944-)
祖父(1916-)
曾祖父(1890-1978)
高祖父(1867-1956)
5代前(1832-1905)
6代前(1799?-1852?)
7代前(17xx-1812?)
地域によるだろうけど、うちの田舎は70年代時点では
依然として身分の墨消しの戸籍が使われていた。
もちろん消し忘れなんてのもちょくちょくあった。
実家にはそのコピーがある。
80 :
日本@名無史さん:03/09/23 09:07
戦前までは戸籍に士族か平民かが書かれていたのに
先祖はヒラの武士でした、と称する人間は人口比に比べて少ない気がする。
81 :
日本@名無史さん:03/09/23 09:16
非人階級なんて、お家取り潰しで浪人→無宿者となった
名家の子孫が多そうだ。
82 :
日本@名無史さん:03/09/23 13:46
83 :
日本@名無史さん:03/09/23 15:10
三島の祖父は兵庫県の農民出身。祖母は幕臣永井家の人。母は加賀藩の儒家橋家の人
5代までわかってるだけスゴイ。
寺なんて明治あたりからやっと世襲。(できた宗派もあるらしいが)
それ以前は苗字すらバラバラ。
過去帳で先祖を調べようとしたんだが
誰が誰の子やら親やらさっぱりわからんかった。
俗名も係累も何も書いてないんだもん。
泣いたよ・・・。
85 :
日本@名無史さん:03/09/24 00:40
三島の父系は三島の4代前の先祖が禁猟の鶴を射撃して
被差別身分に落とされたのだろ。
86 :
日本@名無史さん:03/09/24 21:25
過去帳には三代目利兵衛に塩物屋なる屋号がかかれているという。
87 :
日本@名無史さん:03/09/25 01:29
うち御家人だけど幕臣なので由緒書が残ってる。
江戸時代初期からわかる。
88 :
日本@名無史さん:03/09/25 01:46
89 :
日本@名無史さん:03/09/25 03:35
やだ
ブッだっせーなお前ら
先祖、武士じゃねーの?
91 :
日本@名無史さん:03/09/25 08:55
はいはい
よかったね
92 :
日本@名無史さん:03/09/25 13:09
>>90 中世じゃあるまいし
いまどき、由緒を語るなんて。
そういえば、近所に先祖が○○藩士だって自慢してた
ヤツがいたな。
調べてみるとその先祖は 前科者だったよ。
歴史があると、変な事件に巻き込まれていることがある。
おれも、いちおう武家の子孫なので、
由緒を語るのは慎重にしたいものだと思っている。
93 :
日本@名無史さん:03/09/25 13:35
これからの時代は、宗派を語るのが主流になる。
94 :
日本@名無史さん:03/09/25 15:17
「僕の先祖は本当は武士だったんだけど、戦が嫌で、やーめたって言って農民になったんだ。本当は武士なんだよ。本当は武士なんだよ。もし今身分制度が続いてたらみんな僕の足元にひれ伏して…」と語る先生に社会科を習いました。
95 :
日本@名無史さん:03/09/26 00:39
かわいそうに…
先生も君も
96 :
日本@名無史さん:03/09/26 01:11
その先生の宗派はどこなんだろう?
97 :
日本@名無史さん:03/09/26 02:48
先祖を調べたいんだけど、金かかりそうだし…。
98 :
日本@名無史さん:03/09/26 16:34
>98
おじいちゃんは自分の親と祖父母くらいの名前は知ってそうだから
自分自身とあわせて5代、自分に孫ができる頃には7代の家系が判明するな。
>>1 ── =≡∧_∧ =!!
── =≡( ・∀・) ≡ ガッ ∧_∧
─ =≡○_ ⊂)_=_ \ 从/-=≡ r< >
── =≡ > __ ノ ))< > -= 〉# つ
─ =≡ ( / ≡ /VV\-=≡⊂ 、 ノ
── .=≡( ノ =≡ -= し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
. .│
. .│
. .│〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
. .│ 道 頓 堀
おじいちゃんもうとっくの昔に氏んどるよ・・・
漏れが生まれるずーっと前に。
ちなみに名前も知らん(両家とも)
>97
とりあえず墓石見ろ。
他にもカキコミしたんですが、原戸籍謄本に大正12年3月3日東京市京橋区越前堀1丁目4番地[数文字削除]に於いて死亡。とあります、おそらく施設名と思われるのですが。当時ここにどのような施設があったのか、東京の歴史に詳しいかた、教えて下さいませ。
104 :
日本@名無史さん:03/09/28 09:03
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
日韓結婚推進工作、日韓混血推進工作、在日帰化推進工作
105 :
日本@名無史さん:03/10/03 19:56
そうそう日本では「血統」より「家」の方が大事。
もし血統絶対なら天皇家も源氏も平家も殿様も3〜5代くらいしか
継続しなかったであろう。
しかし、養子と言うのは血統による相続があってこそ成立つものだからなあ。
107 :
日本@名無史さん:03/10/04 02:29
家の家、掛け軸に人物画が書いてある。
親父曰く、親父の曾爺さんだとの事。
明治維新の折に副知事に任官して今の地(某県庁所在地)に来たと言っている。
何でも大行列を仕立てて九州方面から任官してきたそうで、薩摩か肥前なんだろう
なと子供心に思ったことあり。
第二次大戦の折に親戚がまるごといなくなってしまったらしく親戚は親父の兄弟しかいない。
でも、お寺の和尚さんが、同じ市内の同姓の家が遠い親戚だと言っている。
彼らとは全く付き合いがない。
ちなみに、掛け軸の人物は俺とも親父とも全く似ても似つかない顔。
正直、全く信頼できないが、このまま嘘話で終わらせるもの悲しいので、一回調べて
みたいと思っている。どうやって調べたらいいんだろ。
108 :
日本@名無史さん:03/10/04 02:56
109 :
日本@名無史さん:03/10/04 05:31
>>1 島津久光の子孫が分家ではなく別家と言うのは意味深だ。
やっぱ久光の父は家老の調所広郷か島津将曹か???。
110 :
日本@名無史さん:03/10/04 07:51
>109
分家は本家から資産分けてもらって成立した家。
別家は本人自ら成功し、本家の助けを借りずに成立した家。
島津別家は久光自信の勲功で成立した家。
赤穂の浅野別家も浅野長政が隠居領として幕府から封ぜられた封地で
広島の本家から分知されたわけでないので「別家」。
111 :
日本@名無史さん:03/10/04 09:20
なるほど。
次男以下が親から土地を譲ってもらったり、家を建てる援助をしてもらったら
本家の統制を受ける「分家」で、
学校出た後、社宅やアパート住まいを経て自力でローン組んで一家を構えたら
本家の統制を受けない「別家」になるんだな。
112 :
I AM OK&YOU ARE OK:03/10/04 12:41
30年位前NHKで「ルーツ」というアメリカの番組が放送されました。
長い長い物語でしたが日本中にご先祖探しのブームが起きたほど、本能的に人は
自分はどこから来たのか知りたがる動物なのだと教えてくれました。
血統を証明する紙なんかなくても、ご先祖様が懸命に生きた証しとして私達は
存在しています。(血統を守る為に生まされた血統犬じゃない)
今から100年先には私も貴方もこの世にはいないし、名前を覚えていてくれ
る子孫もいないかもしれない。
長い長い物語の中のほんの5行位の私の人生だけど、次の行を子が引き継いで書
いてくれたら本能的に嬉しい気がする。
まじレスしてしまった・・・スマソ
113 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:45
よりめラップ
♪よりめ顔、よりめ顔、よりめ顔ったらよりめ顔、
よりめ顔、よりめ顔、よりめ顔ったらよりめ顔、
よーりよーりのよりめ顔、
よりめ顔、よりめ顔、よりめ顔ったらよりめ顔、
よりめ顔、よりめ顔、よりめ顔ったらよりめ顔、
よーりよーりのよりめ顔、
よりめ顔、よりめ顔、よりめ顔ったらよりめ顔、
よりめ顔、よりめ顔、よりめ顔ったらよりめ顔、
よーりよーりのよりめ顔、
よーりよーりのよりめ顔♪
114 :
日本@名無史さん:03/10/04 19:12
えーと、
母方が、徳川譜代の本多家の末裔と聞いたことがある、
分家なんでよく分からないが、
福島藩5万石を領すると決まった時に(実際は領していないが、そういう話があった。)
岩代国(今の福島県の東)に、本多家の分家の藩士が、現地入りしたが、
結局福島への転封自体が無くなり、その藩士は、そこに住み着いたそうです。
それで、母方の実家に、天保の年号が刻まれた墓がある。
たしか、飢饉の餓死者を弔う為に立てたとか聞いた覚えが・・・
115 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:01
116 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:12
昔、内田裕也が平凡パンチで「家の家系には墓がないので、たぶん大陸の方から
来たのだと思います」ってのを読んだことあるけど、
>>101みたいな人は、
案外そうかもね。五代前は外国から来たって人も実際は多いはずだよ。
先祖は昔から農民だけど、江戸時代の頃にはかなり寺格の高い寺(葵の紋付き)
の檀家だった事が判ってるから、たぶんそれより以前から寺と付き合いが
あって、元士族で帰農したのではないか・・・と勝手に妄想している。
118 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:36
119 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:42
>114
私の母の家は譜代大久保家の分家です。
本多家め400年前の恨みを今晴らしてやろう!
・・・ってまあ冗談ですけどね、でもいまだにあのときのことは、
語り告がれてますよ、どうしてこんな田舎に飛ばされたのかの理由としてね。
うちの、所では結構この話はあるんですけど。
江戸時代中に上手く復活できた、本家の本家なんかじゃあ、
あまり気にしないんでしょうね。
といっても、私は割りとどうでもいいんですけどね。
120 :
日本@名無史さん:03/10/05 23:10
>118 120
いや、別に徳川家の菩提寺とかそこまですごい寺じゃないです。
ただ、昔に将軍が立ち寄った事があるとかいう言伝えがあって、それで
寺が勝手に明冶くらいの時に再建した本堂に葵の紋を装飾で付けちゃってる
だけだと思う・・・
122 :
日本@名無史さん:03/10/15 21:39
123 :
日本@名無史さん:03/10/31 14:59
皆に触発されて俺も家系を調べたら、
曾祖父が金星人だということが判りますた。
124 :
日本@名無史さん:03/10/31 15:26
自分の家系についてくらい知っとけよw
もう大人なんだから。
うちの母方の家紋が「下がり藤」
父方が「橘」だけどこれってどうなの?
>125
どうなの?って、何を知りたいの?
両親のそれぞれの家がそういう家紋なんでしょう。それだけのことでは。
>>126 いや、家紋でルーツがわかるって聞いたので
どういう血統なのかなぁと思ったんですが、
詳しい方はいませんか?
128 :
日本@名無史さん:03/11/01 02:11
>127
家紋「だけ」ではルーツはわかりません。
たとえば秀吉は桐紋ですが、農民出身といわれています。
しかし桐は天皇家や足利将軍家でも使います。
129 :
日本@名無史さん:03/11/01 02:36
先祖の(戸籍・除籍じゃなくて)住民票って申請することできますか?
130 :
日本@名無史さん:03/11/01 14:53
>129
住民票は居住している市町村からいなくなって(つまり転居や死亡)
5年で廃棄されまつ。戸籍の附表も同様。
131 :
日本@名無史さん:03/11/01 17:50
吐き
レスありがとうございます。
そうなんですか。
じゃあ、過去の人物がどこに住んでいたかを追跡することは
不可能なんですね。
う〜ん、スペースの都合があるとは思うけど何とかならないものかなあ〜
あ、なぜ質問したかってゆうと、婚姻で入籍した女性って
「某村某長女」とかしか書かれてないことがよくあって、正確な番地が分からないまま
婚姻前の除籍とろうとすると文句言う役所がたまにあるんですよね。
133 :
日本@名無史さん:03/11/09 06:57
5代にひとりは女房の浮気で父親の種でない子どもが家を継いでいるという
統計的に解明されているのです。
難波悠人『血族遷移の統計的研究』という本を調べてみてください。
134 :
日本@名無史さん:03/11/09 10:25
5代前もわかってりゃいいじゃん。
わしなんて4代前までしかわからんな。
135 :
日本@名無史さん:03/11/09 11:20
わかっても恥ずかしい先祖なら、不明のままでいい。
私は1000年前からのルーツが判っています。
私は30代目です。
137 :
日本@名無史さん:03/11/09 11:21
つーか、水呑や小作の先祖なんて知りたくもないし、知る必要もない。
138 :
日本@名無史さん:03/11/09 11:37
武士でも郷士のたぐいなら知りたくないし、知る必要もない。
139 :
日本@名無史さん:03/11/09 11:40
由緒正しいBの家系なら知りたいし、おもしろそう。
どうしてそんなになったのか。
140 :
日本@名無史さん:03/11/09 11:44
土地の有力者の愛人に子ができてその子が苗字を有力者からもらったという
パターンはあるよな。
141 :
日本@名無史さん:03/11/09 11:59
今時、苗字だけの先祖探しなんか鰯の頭ほどのご利益もないだろ
明治以前は養子や借り腹で血のつながりなんか証明できる人は日本に殆んどないよね。
只自分の名乗ってる苗字のいわれなんかには興味が有るけどね
私の家には家系譜が電話帳の厚さで8巻あります。
初期は武将、後期は学校の教師が多い。
143 :
日本@名無史さん:03/11/09 12:43
>>142 >電話帳の厚さで8巻あります。
そんなわけねえだろうが。もし本当にそんなにあるんだったら捏造だな。
皇室の系図だって、そんなに分量ねえよ。
144 :
日本@名無史さん:03/11/09 12:48
系「譜」だから、歴代の事績を詳しく書いてるんだろう。
146 :
日本@名無史さん:03/11/09 12:50
あと、和紙は厚いからページ数が少なくても分厚くなるしな。
147 :
日本@名無史さん:03/11/09 13:13
大名家や公家の系「譜」を東大史料編纂所なんかでいくつも見てるが
電話帳8冊分もあるところはなかったな。
どこか僻地のうすーい電話帳と比較してるのかw
ヨバイは?
江戸以前から身分を買うということはあったみたいだね。
勝海舟の祖父(?)は座頭だったが、一代で財をなして旗本株を買ったとか。
そういえば、私の家も祖父から数代前に夫婦養子が入っていて、それまでの
血筋と入れ替わっている。親戚筋からの養子かと思っていたが本当のところは
分からないな。
うちは旧戸籍法では「旧士族」扱いでしたが、ご先祖が幕末ぎりぎりで元からあった隠し姓と同じ姓の株を買ったそうです。
俺の先祖は公爵だった。
だから平民のてめーらとは話が合わない。
152 :
日本@名無史さん:03/11/15 07:14
>138
郷士は、藩士のようなサラリーマン型武士ではなくて、農業で自活していた自営業型武士。
藩は、藩主の家臣ということで藩士を、独立していた郷士より上に見ていたが、
郷士そのものは必ずしも藩士より劣るということはない。
藩士といえど出自は様々なように郷士も同様。戦国時代に滅びた名家の子孫の郷士も少なくない。
父方の先祖が、口伝では有栖川って姓らしく(w
菊の御紋の各種ツールとか、謂れがある阿弥陀如来像とかが本家にある。
先日、小学生の息子から先祖の話聞かれたから、その話したら。。。
嫁さんが怒る怒る(wwwww
詐欺師と思われるから絶対友達に話すなって。その通りとオモタ。
因みに嫁さんの実家は田舎の豪農で、数百年前からのお墓もある。
素性が怪しい「有栖川」より、嫁さんの家系が100倍立派と思われ。
154 :
日本@名無史さん:03/11/22 17:08
>>152 現代のサラリーマンは昔で言えば商人。
現代は食料自給率が低く、食料は、ほとんど輸入に頼っているから、農家は少ない。
日本が農業国家だった江戸時代以前の食料自給率はほぼ100%。だから農民が90%くらいを占める。
幕府や藩に雇われていた者は、現代で言えば政治家・公務員。
>郷士そのものは必ずしも藩士より劣るということはない。
>藩士といえど出自は様々なように郷士も同様。戦国時代に滅びた名家の子孫の郷士も少なくない。
現代でも、源平の名門の末裔がサラリーマン、どん百姓の末裔が政治家や国家公務員って事はあるしね。出自・素性では前者の方が上。
それに徳川将軍家自体が、乞食坊主が祖先の成り上がり者だしね。源氏の末裔というのも疑わしい。
しかも、ラッキーで将軍になれた、ラッキー珍将軍。
1590年の時点では、どう見ても
豊臣>後北条>徳川
たまたま推定250万石の名門・後北条氏が豊臣に臣従しないで、領地没収になっちゃったから、
ラッキーで後々、将軍になれただけ。
後北条氏が残っていれば、徳川は幕府を開けなかっただろう。
155 :
日本@名無史さん:03/11/22 20:23
>154
商人を現在に例えたらオーナー社長。
リーマンは良くて手代。下手すりゃ丁稚。
156 :
日本@名無史さん:03/11/22 20:35
今日の朝日新聞の記事にあったが「アンコールワットに落書きした人」の
15代後の子孫がアンコールワットに来てたよ。わかるところはわかるん
だよ。
>現代のサラリーマンは昔で言えば商人。
経済学の基礎をお勉強したほうがよさそうですね。
158 :
日本@名無史さん:03/11/23 17:34
>>157 おまえもバカだな。
サラリーマンとは給料生活者だから、
政治家・公務員・アルバイトもサラリーマンになるが、
税金から給料をもらっている政治家・公務員と、
人に頭を下げて物を売って、その金から給料を得ている会社員とは別次元だから、
政治家・公務員をサラリーマンと言う人は少ないし、
アルバイトをサラリーマンとは普通、呼ばないだろ?
バカの為に訂正しとくよ
現代の会社員は、昔で言えば商人。
幕府や藩に雇われていた者は、現代で言えば政治家・公務員。
159 :
日本@名無史さん:03/11/23 17:38
確かに時代劇で「商人」という場合、番頭や手代も含まれるな。
160 :
日本@名無史さん:03/11/23 17:55
>現代の会社員は、昔で言えば商人。
比率の比較だと百姓になるな。
>幕府や藩に雇われていた者は、現代で言えば政治家・公務員。
公務員とはいささか武士が可哀相な気もするが・・・
地方公務員なんてバカと障害者の巣窟だからね
161 :
日本@名無史さん:03/11/23 17:57
昔の武士も勝小吉の自伝なんか読んでたら、バカ(ry
162 :
日本@名無史さん:03/11/23 18:07
勝なんて元々は読み書きも出来無い出自だからね。
家系的にはバカで当然。
163 :
日本@名無史さん:03/11/23 20:39
商人の定義は自分で土地・店を所有している店主だったような気が。
一般の町人からは「お商人様」と呼ばれる身分だったと。
>>158 天才さん、こんにちわ。
>おまえもバカだな。
ええ、経済学修士なもんで。博士とるにはもう少し時間がかかりそうです。
>政治家・公務員をサラリーマンと言う人は少ないし、
そうなんですか。少なくとも私は後者には全然違和感ないですけどね。
むしろサラリーマンの典型だと認識していました。
>幕府や藩に雇われていた者は、現代で言えば政治家・公務員。
後者(公務員)は条件付きで同意できますけど、
前者はかなりの留保が必要ですね、私にとっては。
>バカの為に訂正しとくよ 現代の会社員は、昔で言えば商人。
そうなんですか。私バカなもんで、ふつうの経済学辞典の類での定義しか
知らないもんで。是非頑張って新しい経済学辞典でもつくってください。
3代前すらわからない人は神!
166 :
日本@名無史さん:03/11/26 12:30
167 :
日本@名無史さん:03/11/26 12:59
168 :
日本@名無史さん:03/11/26 14:56
ウチは、400年前までは確実にはっきりしております。
さまざまな資料・文献も残っております。
某有名戦国武将直筆の書状もございます。もちろん花押入り。
数年前には郷土史研究家が調査にきました。
一応その地方きっての旧家ではございますが、数代前に没落。
ま、よくある話。
>>167 残念ですが5代前の32人全員、そして6代以前も判明した限り全員倭人でした。
いつか非倭人が出てこないかと楽しみにしていたんですが、やはり
一般庶民では難しいですね。殆どが同村・郡内、同階級の婚姻ですからね。
あ、そうそう
>>158 >アルバイトもサラリーマンになるが
これ、あまりお外で言わないほうがいいですよ。
おつむの程度疑われますから。
日本は苗字の種類の多い国である。「なかじま」と「なかしま」を別々に数えるか、
「中島」と「中嶋」の場合はどうかなど、数え方の基準を定める必要はあるが、
最低でも20万種はあるだろうと言われている。しかし、その膨大な種類の苗字が
同じような数ずつ分布するわけではない。東京と神奈川に限って178万人の名字を
調べ、多い順に約49000位まで順位を出した津山さんという人がいる。全国統計では
ないのですべてを網羅しているわけではないが、首都圏には日本中の人が集まる
ので、ここにない苗字は全国どこでも珍しがられる苗字だということはできる。
津山さんによると、178万人の25%はわずか48種の苗字のどれかを名乗っている。
268種で50%、1346種で75%を超える。しかも、苗字は限られた数の漢字の組み
合わせから成るので、われわれは初対面の人の苗字をたいていすぐに理解できる
のである。多い苗字の全国ランキングも数多く出ているが、同じ読み方の苗字を
一つと数えると、上位20はつぎのようになるということでは、どのランキングも
一致している。全国でもこれらの苗字を名乗る人の比率は15〜20%にのぼるであ
ろうし、500ほどの名字で人口の半数は超えるのではないかと思われる。
171 :
日本@名無史さん:03/12/01 23:46
俺はじいさんの親のことは知らない。何をやってたかも、
どこにすんでたかも。実はじいさんが何をやってた人かもしらない。
別居だし、物心ついたときは完全な隠居だったからな。
172 :
日本@名無史さん:03/12/01 23:58
部落美人説は本当か?
・
37 :ろくな家系じゃありません :03/11/10 05:37 ID:mXppkr8c
道子→ヒ祖父が参加 正子→ヒ祖父 金吉が参加 旗鼓→父川嶋は和歌山のB(平家の落人伝説の地)(本願寺派)松浦家もB
・・
189 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/30 13:47 ID:s/xZKuS0
・・
>>1 :血は混ざり合って美しくなる。 :03/11/07 04:00 ID:65aGL/0F
藤●紀香とか松嶋菜●子だとか部落には美人が多い。
川●紀子さまも和歌山の平家の落人伝説の地出身でBだしね。。。
>>
みなさんに質問です。平家の落人伝説の地ってB?
台帳に載ってなくてもB?集落という意味の部落にすんでたとはおもうけど、いったいどうなんだろ?
・
190 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/30 15:30 ID:Uy43/hO6
>>189 存在しない妄想まれに戦場なんかで死体からぱくってきた刀や鎧を納屋なんかに
隠して置いたりする。
何十年後に子孫が発見、この部落は平家の落武者部落だったんだと
いうわけよ。自分たちの先祖を武士と考えたい賎民たちの願望にすぎない。
だいたい時代的に考えても源頼朝死後は平氏の北条が天下を握ってるんだぜ。いつまで隠れる必要があるのかW
195 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/12/01 23:48 ID:EXUBj9xY
>>190 南朝伝説も似たような所ありますよねえ。
だいたい家柄のいい人は祖先の自慢話したりしない。現状に不満な人が500年前の
先祖なり600年前の先祖の話を妄想で語ったりする。
そんな昔の事わかるわけないだろ。
せいぜい壬申戸籍が残っている5代前が限度。
私の亡き祖父は小さいろから、私に常々うちの家は武士の家柄で、
親戚もみんないい血筋だといわれてきたのだが。
ここ1年ぐらい日本史板にくるようになってまじめに調べてみたら、
親戚の中でうちの家が一番出自が怪しいことに気づいた。
うちのおじいさんの話では、尾張の郷士と言っていたが、
正直証拠が何もない。
そもそも、苗字が維新の時に変わってるとか言ってたりする。
なんでも、話しによると、引越してからしばらくして役所に行くと、
既に戸籍が作ってあり、名前が引っ越してくる前の地名にされていたとか。
それで、苗字はちゃんとあるんだといっても、
もう作ってしまったから仕方がないとかいって言い通されたらしい。
この話しがそもそも信用にたるものか怪しいのだが、
それがほんととしてならばおそらく、
旧士族じゃないことになる。
確か、郷士が士族扱いを受けるにはそれなりの、
証明が必要なはずだ。
続き、
それで、怪しくなってこないだ今の実家の近くの区役所で取り寄せられるだけ、
古い除籍を取り寄せてみた。
大正13年のものまで手に入った。
すると、ますますよくわからなくなった。
まず、名前がそもそも武士らしくない。
安政22年生まれの私の4代前の名前が竹蔵、
その更に一代前が佐七という名前だった。
正直、いくらなんでも、これは武士の名前ではないだろう。
たとえ、郷士だとしても、ありえなさそうな名前である。
それと、話しにはきいていたがものすごい勢いで引越しをしている。
なんと本籍まで、一回変わっている
(そのために大正13年のものしか手に入らなかった。)
一応、4代前の奥さん(ひいひい・・・ばあさん)の家は地方の名家であると、
聞いていたが、確かにその父の名は「喜代治」となっていて、
ほんの少し武士らしい気がする。
なんとも、私としては、よくわからないのだが、
さらに調査を続けるべきでしょうか?
引っ越す前の奈良市には除籍は残っているのでしょうか?
正直わけ分かりません。
挙げ!
176 :
日本@名無史さん:03/12/05 01:43
>>174 とにかく取れるだけ取りましょう。
そしてお家のお墓があるお寺へ行って過去帳を見せてもらいましょう
>176
引越しが多いおかげで、
大正時代より昔の、寺と墓が全く分からないんですよ。
まあ、今よりも古い戸籍。
それこそ、壬申戸籍みたいなのが手に入れば分かりそうですけど。
しかも、江戸時代から、続いてる仏壇は、
学会に入った、大叔父の妻に捨てられたし・・・・。
更に、維新の時に何をしてたかを、
4代前は、誰にも何も言おうとしなかったという話を、
祖父から聞いていたりします。
正直、わけわからん。
178 :
日本@名無史さん:03/12/06 02:55
>>174 竹蔵、佐七ともに武士の名としてもおかしくないけど…
そもそも武士らしい名なんてあなたのイメージだけでしょ。
>学会に入った、大叔父の妻に捨てられたし・・・・。
うわぁ、うちも同様です。
本家の嫁が某T教で、明治以前の古文書も沢山あったはずなのに‥‥
>4代前は、誰にも何も言おうとしなかったという話を
うーん、面白そう(失礼)ですね
是非とも分かる限り調べて欲しいなあ
>1
>明治19年式戸籍の戸籍筆頭主の生年月日およびその筆頭主の父
>の名前(前戸主の欄に戸籍筆頭主の父の名前が掲載)までしかわからないはずだ。
それでも俺の場合、7代前が2人、6代前も9人わかったぞ。
俺より若い人ならもっと代数増えるだろう。
181 :
日本@名無史さん:03/12/14 21:28
age
182 :
日本@名無史さん:03/12/14 23:30
人種的には、朝鮮人はモンゴロイドのなかでも、長身、短頭、高頭である点で
かなり特異である。顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのが
ふつう。眼裂は狭く、つり上がっていることが多い。顔毛、体毛は概して非常に
少ない。皮膚は黄ばんだ淡かっ色で、毛髪や目の色は濃い。髪はかたく、直毛で
ある。朝鮮人は、中国人を代表する中モンゴロイドと、ツングースを代表とする
北モンゴロイドの中間的な様相を帯びる。朝鮮半島内ではかなり均一化されて
いるが、北部にいくにしたがって長身となる。日本列島を概観するとき、長身、
短頭、貧毛という点で、近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的
要素を有することは注目に値する。(国民百科事典/平凡社)
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
顔面は平面的で、頬骨が突出し、鼻はあまり高くないのがふつう
えーと、何代前か正確にはわからないけど、
世帯数が全国で数十しかなく、極めて珍しい上に、
姓氏の由来がはっきりしているので桓武天皇まで特定可能ですが、何か?
184 :
日本@名無史さん:03/12/19 14:08
>>183いいなぁそういうの
我が家は祖先が乞食坊主だったよ・・・
乞 食
どうでもいいが、俺の代でウチの家系は滅びそうだ・・・
187 :
日本@名無史さん:03/12/21 02:30
家系図をつくる伝統は朝鮮半島に根強くある。日本には家系図はもともとは無いだろう。
188 :
日本@名無史さん:03/12/21 06:00
うちも桓武天皇まで特定可能。うちにある系図とそこらの図書館にある桓武平氏の本の中に載ってる系図とが江戸初期でつながる。
まぁ江戸時代はずっと某藩の家老だったらしく、その事実以外には何も無いが。
自慢大会だな
190 :
日本@名無史さん:03/12/21 13:33
>>188 系図と系図を比較してあってるからという理由で信じるのは愚か。
そもそも誰かが書き写した可能性が高い。
191 :
日本@名無史さん:03/12/21 13:58
192 :
日本@名無史さん:03/12/23 11:21
http://www.maruden-net.co.jp/7/7_2001/7_0112/7_011225.htm 河内主任研究員は、生年月日が判明している日本人男性約9000人と
女性約3400人のデータを調査。
その結果、1910年から49年の間に生まれた男性の頭の横幅が急速に広くなるなど、
短頭化現象が進行。その変化は、過去数百年間の十倍以上の速さだったという。
ところが、50年以降に生まれた男性と60年以降の女性では変化のスピードが遅くなり、
70年代以降は短頭化がストップした。”(以上)
1910年から49年の間に生まれた男性の頭の横幅が急速に広くなるなど、短頭化現象が進行
1910年から49年の間に生まれた男性の頭の横幅が急速に広くなるなど、短頭化現象が進行
1910年から49年の間に生まれた男性の頭の横幅が急速に広くなるなど、短頭化現象が進行
1910年から49年の間に生まれた男性の頭の横幅が急速に広くなるなど、短頭化現象が進行
193 :
日本@名無史さん:03/12/24 06:52
>192
無駄なことは止めなよ。そういうスレじゃあないんだから
日本人と朝鮮人が一番似ているのは明白なんだから
194 :
日本@名無史さん:04/01/02 15:29
>188
家系図を書いた者が江戸時代初期のところで桓武平氏の某氏の系譜と繋いだのだと思うよ。
貴家の家系図で信憑性があるのは、江戸時代中期までだろう。
195 :
日本@名無史さん:04/01/02 15:31
>187
日本は古代から系譜を記す伝統があったよ。
朝鮮半島の場合は早くても中世後期でしょう。
196 :
日本@名無史さん:04/01/02 16:11
代々家老だったのなら家老となる直前の代ぐらいまでの系図は
信用に足るんじゃないの?
藩史のようなものが残されていれば、その記述と比較することも
ある程度可能だろうし・・・。
両家祖父知らないのは漏れだけでつか?
孤児
199 :
日本@名無史さん:04/01/10 17:29
うちの本家筋が以前家系調査をやったが、わからなかったらしい。
寺に預けてた過去帳が戦争で焼けてしまったから。
先祖伝来の田畑を持つ本百姓であることは確かなんだが・・・。
苗字が「松本」で家紋が「丸に左三階松」という、
極めてありふれたものなので、どの血統かも分からない。
その上、親戚間での養子縁組や従兄弟同士の結婚もあったり、
一度嫁に行った曾々祖母が出戻って婿養子を取った?とかいう話もあるので、
分かる範囲で家系図作ろうとしてもこんがらがってくる。
202 :
日本@名無史さん:04/01/14 00:27
安室奈美恵が好き
203 :
日本@名無史さん:04/01/21 22:10
小庄屋で藩御用の馬の飼育を命ぜられて・・・と
ひいじいさんに聞かされたこと思い出したけど、それって侍と思ってもいいのかな・・・。
204 :
日本@名無史さん:04/01/22 01:51
以前祖父が寺に調べに行ったら、火事で記録が焼けてこの地区の先祖の
名前は一切分からないんだと・・・。頼 む よ 坊 さ 〜 ん
205 :
日本@名無史さん:04/01/22 20:25
>>204 見せたくないので火事で焼けたことに
している寺も多いらしい。
206 :
日本@名無史さん:04/01/22 20:49
見せてもらっても全然読めん!
207 :
日本@名無史さん:04/01/22 21:33
俺12代目です
>>205 まじすか?見たいのに・・・。どうも庄屋らしいので武士じゃ無いですね
・・・。(xx
母親の実家は武士らしいのですが、6石貰ってたそうです、
なんか凄く少ないような気がするのですが、俗に言う食うのがやっとの
貧乏侍なんですかねえ?
名主は明治時代には平民に分類されるんですかね?
苗字帯刀は許されていたようですが
あ、苗字帯刀は自分の家系の場合です
>>209 気にすんな、家柄なんて。
お前が偉くなりゃいーんだよ。
213 :
日本@名無史さん:04/01/23 04:43
おれの家は二人扶持さ。上級だろ
>>209 6石では食べていくことはできません。
かなりの下級で、足軽くらいでは?
足軽はカッコワルイ。
いじめカッコワルイ
217 :
日本@名無史さん:04/01/28 15:56
>>210 名主は村役です。江戸時代の行政末端と言えるでしょう。村内の民政を行
いました。村での長であり、代表であった事は間違いありません。でも身
分は武士ではなく、百姓です。
郡代、代官等の支配を受け名誉的に苗字帯刀は許されていても、もちろん
太刀を帯びたりする事できませんでした。
218 :
日本@名無史さん:04/01/28 16:17
名主の次男三男はどうなったんでしょうか。
219 :
日本@名無史さん:04/01/29 13:39
>>218 名主は田畑を沢山持った大百姓が多かった。
だから次男、三男はその一部を貰って本百姓になった者も多い。
もちろん名主の本家が苗字帯刀を許されていても、分家である次
男、三男が姓を名乗れる訳ではない。
また、分けていけば田畑はどんどん少なくなってしまい最後は無
くなってしまうのが道理。
だから、養子、奉公に出される者も少なくはなかった。水呑みに
なる者もいただろう。
220 :
日本@名無史さん:04/01/29 13:51
>>219 >>また、分けていけば田畑はどんどん少なくなってしまい最後は無 くなってしまうのが道理。
そうでもないよ!うちなんかは江戸期を通じて開拓を繰り返してるから・・・明治期にはかなりの大地主
だったらしいけど、大恐慌、農地改革でパーだよ。
221 :
日本@名無史さん:04/01/29 14:15
>>220 220さんの家は特別。
大概の所では開拓なんか簡単には出来なかった。重機が
あるわけじゃない、人力でやるしかなかったんだから。
それに水の問題もある。田んぼやるには水を引かなきゃ
ならんが、何処にでも水源があるという訳じゃない。
水争いは激しかったと思われ。
>>221 そうなんだ!知らんかった。家の近辺は恵まれてるんだね、ずーと川沿いだし・・・
開拓に関しては江戸期に大掛かりなのが3回行われてるけど、近隣から人手を集めてやった
ようだよ、600人ぐらい・・・。
223 :
日本@名無史さん:04/01/29 20:13
>>217 >>郡代、代官等の支配を受け名誉的に苗字帯刀は許されていても、もちろん 太刀を帯びたりする事できませんでした。
どういうこと?脇差だけよということ?
224 :
日本@名無史さん:04/01/29 20:16
脇に差せばみんな脇差、ドスはどうなの?
225 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:43
道中ざし??
まぁ、苗字帯刀も献金額によって、藩外でも御免のものもあれば、祭式の時だけのもあるしね。
色々だよ。
226 :
日本@名無史さん:04/01/29 23:49
うちの先祖の墓は代々助右衛門が世襲名だった。
元々は北条氏の家来。帰農して豪農しながら旗本の現地の用人やってたけど、村の支配が藩に代わったから
藩に莫大な金を融資して、その代わりに藩士として取り立てられた。
結局借金は踏み倒されたげね。
でも、やっぱり5代前に養子が入っているんだよね。近所の富豪の家から。多分、子供居なくて株売りに出したんだろうね。
227 :
日本@名無史さん:04/01/30 15:46
>>223 >どういうこと?脇差だけよということ?
現代の人が天皇から勲章を貰っても、普段は付けて歩かないでしょ。
宮中晩餐会にでも招かれれば別だろうけど。
帯刀が許されたって事は刀を貰ったって事だけど、勲章と同じ、普段
は家に大事に飾ってあったのよ。もしくは蔵の中仕舞い込んだか。
特別な儀礼があった時には裃つけて脇差くらいは差せる身分、って事
なんでしょうね。
228 :
日本@名無史さん:04/01/30 16:41
スレ違いではありますが、
ドスってのは懐に隠す短刀や匕首の総称。
時代劇でよく見るのは匕首。刃渡り一尺(約30センチ)未満で
鞘と柄がぴったり合うようになっている。刃渡りから九寸五分な
どと呼ばれていた。
やくざ者が使った脇差、長ドスは刃渡り二尺未満。
旅行時に護身用として庶民が持った脇差、道中差しも刃渡りが二
尺未満。
刃渡り二尺未満なら庶民が護身用に持つ事が許されたらしい。
武士が太刀として腰に佩いたのは刃渡りが二尺以上、通常は二尺
2〜5寸くらい。
以上、何かで読みました。
229 :
日本@名無史さん:04/01/30 17:03
>>226 なにやら御先祖様が近かったかもしれませんね。
言い伝えでは、我が家の御先祖さまは小田原北条氏の家来だったとか。
秀吉による北条家滅亡の時に帰農したといいます。
文書に拠る裏づけはありません。
北条違いですかね?
世襲名は庄右衛門。墓地の墓石は寛政の頃までしかありません。が、
裏山の小さな社(御霊様と家では呼んでいる)の下に古い墓石が埋まっ
てると言い伝えられています。
江戸時代は旗本領で名主を務めていました。これは裏付けが有ります。
230 :
日本@名無史さん:04/02/08 19:11
231 :
日本@名無史さん:04/02/26 21:25
>>94 >「本当は武士なんだよ。本当は武士なんだよ。」と語る先生に社会科
きっしょい教師もいるもんだ。。。
ルーツに烈しく興味はあるけれど、あくまで好奇心だなー。
多分ドラマの主人公気分に浸りたいとか、そんなとこなんだろうと思う。
自分の胸に秘めるドラマとか、子供に語り継ぐドラマとかであって、
他人様に語るようなモンでもないな〜、と思う今日この頃。
5代以上前とか、もう、現実か虚構か、よくわからぬ。遠い目。
爺ちゃんの爺ちゃんが彰義隊にいた
上野の戦いを生き延びたとか。
上野の学校通ってるからなんか感慨深い。
ここでアームストロング砲ぶっ放されたのかと思うと。
うちは3代前しか分からん…
父方は平家の落人らしい(苗字が鹿児島の郡、町名と同じ)。
母方の祖父はその辺の地主の子供らしく、そこに行けば
色々分かるんだろうが子供は子供でも私生児…
まあ、戦前からリーマンやってたんで
生まれはあれでもDQNでは無かったハズ。
そういえばそこの家の子孫がその辺の農家代表、
みたいな感じでずっと前にN捨てに出てたな。
234 :
日本@名無史さん:04/03/06 00:45
age
じいちゃんに家系図みせてもらったけど
先祖の上の方に藤原秀郷とか言う人がいたんだけど
結構有名人かな?藤原ってついてるし。
236 :
日本@名無史さん:04/03/06 04:28
安室奈美恵とオマンコしたい。
237 :
日本@名無史さん:04/03/21 22:20
238 :
日本@名無史さん:04/03/22 00:29
>>235 俺の先祖は初代は「天皇」だったよ。
きっと俺の先祖のほうが偉いと思う。
藤原って紀香だったら凄いけどね。
239 :
日本@名無史さん:04/03/24 19:36
なんか俺の爺ちゃんの欄に田中角栄って書いてあるんだけど
誰か知ってる人いる?
家の家計図見たら
13代目が徳川秀忠 12代目が徳川家康 11代目が羽柴秀吉
ってなってるんだけど通報したほうがいいかな
241 :
日本@名無史さん:04/03/25 22:15
>239
おそらく誰も聞いたことがない名前だとおもうよ。
>240
家計図??通報しなくてイイよ
10代目に源頼朝、14代目に織田信長などと書き込むと
さらにおもしろいものができるかもw
242 :
日本@名無史さん:04/03/28 02:52
数年ぶりに墓参りに言ってきました。
明治期の先祖の墓に「伯父 士族 〇〇」と建立者の名が
在った。
俺の先祖は士族にはなれなかったようだ。
243 :
日本@名無史さん:04/03/28 05:51
俺の先祖の墓には「伯爵 ○○家」と記されている
うちは12代前までわかってる。
うちの先祖、郷土史の資料に載ってた。
米送ったよと書いてあった。
南北朝のころだけど、本当に届いたんだろうか。
246 :
日本@名無史さん:04/04/16 00:05
247 :
日本@名無史さん:04/04/16 18:50
俺の爺さんの曽祖父は元京都見回り組の隊士だったらしい。
先祖や系図に無知な奴の馬鹿書きばかりだなw
249 :
日本@名無史さん:04/05/03 02:12
250 :
武田太郎義信:04/05/03 05:14
>>248 うっせー馬鹿!氏ねや!!
逝ってよし!!!ドキュソ!オpマエモpナー!!
251 :
日本@名無史さん:04/05/03 05:32
江戸時代 人口の8割↑は農民じゃなかったの?
しかも、身分制度で農民と武士が結婚することなんて、ほとんどないんじゃなかったか?
まー家は、農民 父方も母方も
252 :
日本@名無史さん:04/05/03 09:15
家計図や墓は偽造できるから信用できないな。歴史書も偽造だらけで意味なし。自分に都合のいいようにウソ書きまくり。
要するにはっきりいえるのはみんなアフリカの猿出身で、その前は海の中で蛆虫みたいに泳いでいたということぐらいだな。
253 :
日本@名無史さん:04/05/18 15:19
結局壬申戸籍が無いから5代前までが限界。
(皇賊だって大室とかいうわけ
の分からん奇兵隊の足軽なりあがり者だからね)
陸軍少尉の3代前までしか分からん…
255 :
日本@名無史さん:04/05/23 15:34
寺のカコチョウ調べに行ったらその寺自体が廃寺になってた。という人いませんか?
>>1 漏れの墓石には【文政2年】の文字が刻まれてますが、何か
藻前の家柄がたいしたこと無いからだろ?w
257 :
日本@名無史さん:04/05/23 22:15
うちは元禄からあるが、その上に戦国期の墓らしい小さな祠みたいなのがある、何も書いてないが何体か入ってるという
伝承はある・・・らんとう墓というらしい。
258 :
日本@名無史さん:04/05/24 04:28
とりあえず、親父の実家の土地に先祖が代々住んでいたのは確実。
なぜならその田舎でめちゃくちゃ多い苗字だから。
そんな感じで、この土地の有力な一族だった者の子孫ってことぐらいしか分からん。
ま、分かりきっているがその一族の100%本家筋ではない。
家系図がそのまま血統図にあてはまらないから5代前までしかほんとの所
わからなくなるんだよね。
日本で名家といえるのは天皇家だけ。徳川だって松平以前はわからないし。
島津、佐竹はいちおう名家。
261 :
日本@名無史さん:04/06/09 17:32
>>260 地方旧家も割と古くから分かってるとこはあるが・・・信憑性を確かめる研究が行われることは無いだろうな。
そんなこと言ったら、
天皇家だって有史以前はウホウホ言ってた原始人の子孫だろーが
263 :
日本@名無史さん:04/06/09 18:23
今上天皇だって斎藤道三の子孫だろ
俺の母の母は京都の料理屋出身でその料理屋は勤王の志士の愛人だった母の母の母の母が
明治時代に競馬で勝って買った。
母の父は神戸出身だが、先祖は彦根出身だと言ってた。映画関係者でカタギっぽくない人だったが
出自はよくわからん。指が一本欠損していたが、家族の誰もその理由を知らない。
淡路島に母方系の親戚がいるらしい。あったことはない。母の兄弟が戦時中に
疎開していたということだ。
父の母と父の父はいとこ同士で、昭和6年ごろ、結婚を期に今の俺の名字の家に
夫婦セットで養子入りした。跡継ぎが居ない農家のばあさんだったみたいだ、
俺は11代目らしい。
父の父の父は割と裕福な農家出身で日露戦争で負傷した。その家は江戸時代も名字帯刀が許されていたそうな
しかしその家名も江戸時代に没落した尾張出身の武士から金で買ったそうな。
もともとは徳島県の南部のほうから出た家だったらしい。
俺が知っているのはここまでだ。
石田三成の子孫でもござんすが。
漏れは日本人と満州人とのクオーター。
母方が満族系です。祖母(母の母)は清朝の下級皇族で、なんたらかんたらとかいう(満州語なので忘れた)役職についていた家の5女らしい。
清朝がつぶれて満州国が建国されたあと祖母の一家は親戚を頼って新京に移住し、そこで外交官の祖父(もろに平民の出)と知り合ったそうな。
祖母は死ぬまで中国東北部の都市(長春だっけか)と地元の市との間の親善大使みたいなことやってたらしいし、そう言わればたしかに日本語になまりがあった。
ただし纏足とかはやってなかったな。
気の強いばあさんで正直あんまり好きじゃなかったし、先祖が中国人だなんて嫌だったけど、年をとった最近は自分の血筋をなんとなく誇りに思うようになってきたよ。
268 :
日本@名無史さん:04/06/09 23:11
sageてしまった・・・。
島津久光が「別家」というのも怪しいよねえ。なぜ「分家」じゃないわけ。
久光は多分家老の息子だろう。
で今の天皇家は奇兵隊の足軽。
271 :
日本@名無史さん:04/06/11 10:49
歴史的に有名な人や、英雄の末裔に生まれたかったよね。
沖田総司とかさ。
272 :
日本@名無史さん:04/06/11 12:59
松平健やNHKのアナは徳川家の末裔ですか?
273 :
日本@名無史さん:04/06/11 13:19
>>272 松平健は芸名のよって違う。松平アナはそう。
274 :
日本@名無史さん:04/06/13 16:26
何で259とか253とか(そして1とか)5代にこだわんの?
人によって(年齢、長幼その他)いろいろじゃん。
ちなみに俺の場合除籍でたどれるのは、5代前は9人、6代前が6人、7代前が3人
276 :
日本@名無史さん:04/06/23 14:07
お寺のカコチョウに年齢、長幼その他いろいろ書かれているの?
俺に質問してるの? 意味がわからん。
俺が言ってるのは、自分の年齢・長幼及び父母、祖父母…の長幼によって代数
は人それぞれだろってこと。例えば今30才の人間で、代々25才で長男を
設けたと仮定すると父親は55年前、祖父は80年前、曾祖父は105年前、
高祖父は130年前、その父(自分の5代前)は155年前生まれ、
つまり明治19年(1886)には満37才。その父(6代前)は62才、
7代前は87才。7代前が明治19年式戸籍に記載されていると、父親欄から
8代前が分かる。まあ、そんな事例はないだろうが。
逆に今80才の人で、代々末っ子で親との年齢差が大きいと3、4代前までし
か辿れない人もいるだろう。
ついでながら1のAについても、うちの菩提寺には江戸の年号の墓石が結構多いし
無縁仏化していない。もちろんこれから造り替えられて平成年号になっていく
のも多いのだろうが。
278 :
日本@名無史さん:04/06/25 16:18
>>260 宗家は?元寇で当主(?)が討ち死にしてたけど続いてるよね。
天皇家ですら大室から5代(イギリスの歴代王室も6代くらい)
280 :
日本@名無史さん:04/06/27 18:49
漏れの家は江戸時代中ごろから父の代まで医師
(但し江戸時代は、御典医とかじゃなくて町医者w。)
漏れの学力では私立でも医学部には行けない。
281 :
日本@名無史さん:04/07/03 06:27
父系と母系の除籍謄本までは入手したけど
これだけで1万円オーバー、本と住宅地図4冊買ったら、5万円オーバー
今年の現地視察は予算オーバーで無理ボ
282 :
日本@名無史さん:04/07/03 06:32
>>272 松平健は、本名鈴木末七といい、鈴木家は尾張の出で幕末まで
代々旗本職
283 :
日本@名無史さん:04/07/03 09:35
284 :
日本@名無史さん:04/07/03 09:59
俺の家の仏壇には相当前からの家系図というか、代々の死んだ人間の名前書いてあるものがある。
近くに寺が出来てから書き始めたらしい。
まあずっと農民だったんだけど。
先祖が武士と農民と商人の混血って今の時代結構いるんじゃない?
うちなんかまさにそれなんだけど。
286 :
日本@名無史さん:04/07/08 06:53
新平民の純血種ですが何か?
287 :
日本@名無史さん:04/07/15 08:25
うちのご先祖さま、子孫の繁殖力が強いはずなんだけど・・・
僕はダメみたい。何回射っても、嫁に命中しない・・・
つか、モノが小さいんだよね。その時点で不利。
爺さまも親父もでかいんだけどなーあ・・・
289 :
日本@名無史さん:04/07/15 09:55
ところでさあ。
江戸時代以前、苗字もってたのは人口の何%よ?
290 :
日本@名無史さん:04/07/28 12:17
>>289 一応、データあるんだけど、おたくの持ってる「江戸時代の人口」何人よ?
291 :
日本@名無史さん:04/08/05 14:02
292 :
日本@名無史さん:04/08/05 18:19
苗字が遠藤なんだけどどうなんだろう。
父に話を聞くと茨城出身らしい。
で、家宝が古い鉄の鏡と刀。
宗教は曹洞宗です。
293 :
日本@名無史さん:04/08/05 18:55
五代前?
俺自分のじいちゃんの名前知らんぞ。
294 :
日本@名無史さん:04/08/05 19:01
俺の先祖は
1865年から1970年まで生きた奴がいたらしい。
295 :
日本@名無史:04/08/07 21:57
僕の家は600年ぐらい前から在るらしけど、
昔から新潟県の北部で林業を営んでいたらしいです。
296 :
日本@名無史さん:04/08/15 14:40
盆休みだから、多少はスレが伸びてると思ったわけだが
みんな冷たいのね、
297 :
日本@名無史さん:04/08/15 14:46
みんな天皇陛下の赤子
298 :
日本@名無史さん:04/08/15 18:08
でもこうなると非差別部落の人の方が血筋がはっきりしていることになるね。
そういう意味で彼等は由緒正しいと言える。いわゆる普通の市民の方が血筋が
はっきりする/しないという意味では負け組なのかもw
299 :
日本@名無史さん:04/08/15 18:30
今現在の世界最高齢って誰?何歳?
300get!!!!!!
301 :
日本@名無史さん:04/08/15 19:14
>298
武家や農家、商家に名門があったのと同様にエタ身分にも「由緒」ある家系は多く存在する。
ただ、武家や農家、商家は子孫が先祖を誇りに思って積極的に史料を提供したり学者が
赴いて研究のため協力を求めたりするが、非差別部落の人は祖先のことを隠したがるし、
学者も彼らを訪問して「あなたのご先祖が代々牛殺しをどのように営んできたか教えてくらさい」
って聞きに行こうとしない。
エタ頭級になると下手な大名より裕福だった。そのことは岸和田の浅田の豪邸を見ても
窺うことができる。
302 :
日本@名無史さん:04/08/15 20:08
岸和田じゃないな。羽曳野だね。
303 :
日本@名無史さん:04/08/15 20:42
エタ頭級じゃ、例え金持ちでも、今で言う闇金やパチンコ屋としか思われない。
304 :
日本@名無史さん:04/08/15 20:52
皮革業で莫大な財を成し、配下のエタが一万数千人って代々のエタ頭もいたようだな。
確かに小藩主以上の財と配下がありそうだ。
305 :
日本@名無史さん:04/08/15 21:10
弾左衛門がいるじゃないか。
306 :
日本@名無史さん:04/08/15 21:18
エタ頭って税を一括して徴収をして領主に納めたり、不始末起こしたり、エタ同士のもめごとの裁判やったりと
(一般の武士はエタに関わりたくないから、その点現在の人と感覚は同じ)事実上エタ居住地区を治める「領主」だったようだな。
そのわりに研究はほとんど進んでいない。事実上の領主といっても被差別民であることに
変りはなく、エタ頭の子孫を探し出して聞き取り調査を行うような根性ある学者は全くいないのが実情。
全くと言っていいほど研究が進んでない分野で、基本的な研究で名をあげることができるフロンティアで
あることは明白なのだが。
307 :
日本@名無史さん:04/08/15 21:33
そういえば、昔のヤクザってエタ・非人出身なの?
308 :
日本@名無史さん:04/08/15 22:15
私は50代だが、自分を1代としてわずか3代(祖父)前までしか遡れない。
母親は自分を40歳で生み、母も末っ子でじいさんの40代後半にできた子。
じいさんは慶応元年の生まれで、19年戸籍の筆頭者、前戸主に養母の名がある。
じいさんの実家は近所にあるが、今はまったく付き合いはない。
実家は旧家なので、そこで聞けば詳しいことがわかるはずだが今更行けない。
309 :
日本@名無史さん:04/08/15 23:32
武田家没落後に駿河又は三河に移り、その後に紀州藩士となって俺で16代目
下級武士といってもいい家の過去帖を何百年も保存してる寺に関心した
310 :
日本@名無史さん:04/08/15 23:44
俺の家は島根県西部にある農家の分家。
初代は1830年生まれで1905年没。俺は今年21歳で6代目。
本家は戦国時代末期までさかのぼる。元々この地帯の大地主(豪農とまではいかないが)で、
江戸時代も大森銀山のおかげで天領となったため苗字・帯刀が許可され、生活も
それなりに安定していたらしい。
311 :
日本@名無史さん:04/08/16 00:06
うちの本家は某所の豪農。
祖父が当時の当主の三男坊だったらしいが、早々と縁が切れたので没交渉。
武田武士がご先祖で、ご近所の武田の御子孫の方が所有している家臣の名簿にも記載されている(らしい)。
これ以外のことはあまりわからない。
暇ができたら菩提寺(同じ地方に2,3百年も住んでたんだからあるだろう)を訪れようかな〜。
312 :
日本@名無史さん:04/08/16 06:37
>>307 >そういえば、昔のヤクザってエタ・非人出身なの?
江戸時代のヤクザはそういった身分制度ど枠から外れた人間の集まりだったから
さまざまな出自の者がいる。むしろエタ・非人はそういった無宿人にすらなれなかったんじゃないの?
戦後の混乱期に多くの朝鮮人がヤクザになったが戦前においてはヤクザにすら
なれなかったらしい。それと一緒では。
313 :
■■■■■■■■■■■■■■■■■■:04/08/16 08:53
おまえらみたいな差別的発言ではなく
ご先祖さまを尊敬した書き込みを頼むわ
314 :
日本@名無史さん:04/09/01 14:32
>>309 私の先祖も同じく武田家臣で、武田没落後に309さんとは逆に北の上杉景勝に仕えた
そうです。その先祖は1600年、二人の男子が幼少のうちに戦死しているので、それ
以前のことは、家紋、旗紋、小笠原源氏であること、「信州武士二十三騎」(ナンダヨソレ??)
の一つであることくらいしか判っていません。これらは恐らくその先祖の妻など周囲の者
が彼から聞いて記憶していたことなのだと思います。
というわけで、その先祖以前がまったく判らないのですが、どうやって調べたもんですか
ね?混乱の時代に一代でこんなに移動されるともうそれ以前は・・・
315 :
日本@名無史さん:04/09/03 00:11
>>314 上杉景勝に仕えた米沢藩士であれば、地元の図書館等に由緒書等が残っている可能性は高いです。
市史、県史の資料等にも出ている可能性は高いです。
大きな図書館に行って、姓氏家系大辞典、角川日本姓氏歴史人物大辞典20( 長野県) 等を見てみれば、載っている可能性があります。
角川日本姓氏歴史人物大辞典19( 山梨県)の中の武田家臣人名辞典に載っている可能性もあります。
もしどれにも載っていなければ、甲陽軍艦を端から端まで読むのも一つの方法です。
316 :
日本@名無史さん:04/09/03 11:21
先祖が、パッとした人物でなかったからから伝わっていないだけ。
10代前でも、天皇や将軍だったら、伝わっているはず。
>>315 ご指摘サンクスです!
米沢市の図書館は一軒しかない上に蔵書も少なく(恐らく大正六年と八年の大火
で全市が灰燼に帰したため)、行ってみましたが大した史料はありませんでした。
上杉家御年譜を読むしかないか…と嘆息しております。
角川日本姓氏歴史人物大辞典の長野版と山梨版は読みました。同姓の方々は帰農
された方が多いようで、恐らくそれらのうちのいずれかの家系につながり、例えば
武田滅亡後に、兄→帰農→後に姓氏歴史人物大辞典長野版の家系に 弟→帰農する土地もなく上杉に
→ウチの家系 というような感じでは、と妄想しています
甲陽軍艦か続峡中家歴史鑑(?)を通読するしかないんですかね、、、
>>316 >先祖が、パッとした人物でなかったからから伝わっていないだけ。
その通りでしょうw パッとした人物だったらこんな片田舎に(以下略
>>317 角川日本姓氏歴史人物大辞典の項目は不完全で、しかも省略が多く、カッコ内の引用文献を実際に読んでみると、もっと細かい事柄、人名等が載っています。
カッコ内の引用文献をいちいち全部調べる事を勧めます。
旧武田家臣の一族は帰農していても、もともと土地持ちであり名主、長百姓の村役人クラスが多く、何かの古文書、歴史書に出ている可能性は高いです。
ただし、角川日本姓氏歴史人物大辞典に載っている、その県の姓氏の調べ方は大変参考になります。
もし甲斐に同族が残っていたならば、甲斐国志の人名の索引に出ている可能性が高く、必見です。
また、もし甲斐の同族の家が明治まで続いていれば、峡中家歴史鑑、続峡中家歴史鑑、誠忠旧家録に出ている可能性もあります。
(以上の本は山梨県立図書館4階で全て閲覧できます。)
また、旧武田家臣は武田家滅亡後多くが徳川家康の家臣となり、旗本、大名になっています。
徳川家臣系図集である寛永諸家系図伝、寛政重修諸家譜の索引を見て、同じ苗字の清和源氏小笠原流の家があれば、同族である可能性があり、ヒントが得られるかもしれません。
319 :
日本@名無史さん:04/09/04 01:05
5代前って誰でもいいや。とりあえず今生きるだけで必死な自分だけで
精一杯なんだよな。
320 :
日本@名無史さん:04/09/04 05:48
子育てが大変だからねぇ
毎日墓石と文献漁りできるのはリタイア後ですなあ。
20代の若造の頃にやっておくべきだった。
321 :
日本@名無史さん:04/09/04 08:28
同意。1ヶ月程完全に常世離れして先祖調査の旅に出たい。
322 :
日本@名無史さん:04/09/04 11:33
然しケーズ買い(系図買)は徳川末期になるお相当はやったんでしょう?相場は
どのくらいかわかります。田沼だとか勝安房のオヤジだとか。檀家が寺への寄進
でてきとうに変改してるんじゃないかな。明治期になって壬申戸籍へ寺から
移管されたときも、袖の下でなんとかヤッタんじゃないかな?
323 :
日本@名無史さん:04/09/04 17:00
>322
系図買いで、旗本のケースについてだが、
旗本の家に原則として庶民や御家人身分からは
入れません。
御家人身分の者は、養子入りしようとする旗本家の当主の又従兄弟以上
の血統であれば例外的に可能。
庶民の場合は、御家人から昇格する以外に旗本になる方法は無い。
入った奴もいるかもしれんが、万一バレルと絶家になります。
バレナイように一生送るのって凄い精神力がいるしね。
もっとも、庶民が御家人になるのは可能。
平同心の場合200両が相場だったとか。
田沼意次は300石の旗本から立身した訳だが、
彼の場合、あれほど政敵が多かったのだから、もし系図買い
をしていたら、曲がりなりにも大名として子孫は存続しないのでは
無いかな。
勝家については、元々禄高50俵ながら歴とした旗本。
御家人ではない。
海舟の祖父男谷平蔵が御家人から旗本に昇格しており
海舟の父小吉は旗本の家の出。よって旗本同士で養子縁組
をしたのであって、検校の子がいきなり旗本勝家に入ったのでは
無い。
324 :
日本@名無史さん:04/09/04 17:02
おれわ、池田犬作だ!
朝鮮部落出身のれっきとした朝鮮人だ!
だが、今日本はウリのものニダーーーー
>勝家
柴田勝家かと思った・・・
326 :
日本@名無史さん:04/09/04 23:08
すみません、用語で「参加」てどういう意味ですか?
>>317 最も肝心な点を書き忘れていました。
旧武田家臣で上杉景勝家臣であれば、武田信玄四女で天正6年(1578)上杉景勝夫人となった菊姫の従者だった可能性があります。
また、天正10年(1582)武田勝頼滅亡時に紀州高野山に逃れ、後に姉の嫁いだ景勝を頼り越後に来て、上杉景勝の家臣(代々高家衆筆頭)となった武田信玄六男(七男の説もある)信清の従者だった可能性もあります。
その関係の資料は少なからず残っているはずなので、そこも調べてみてはいかかでしょうか。
>>318=327
まことに助かります。ありがたくレスを読ませていただきました。
やっぱり史料を自分で読み込まないとだめなんですね。上杉家御年譜あたり
から時間を見つけて取り掛かってみます。菊姫や信清の従者なら御年譜に載っ
てそうですね。
329 :
日本@名無史さん:04/09/06 01:30
すいません、地方の図書館って、誰の従者だったとか村人の記録をまとめていたととか
そういう古文書も置いてあるのでしょうか?
330 :
日本@名無史さん:04/09/06 03:39
蔵書目録を取り寄せて確認するべきでしょうな。
一概には言えません。
331 :
日本@名無史さん:04/09/06 19:37
一般的には、県庁所在地の大きな中央図書館、公文書館、博物館等に保存してあります。
インターネットで調べれば古文書があるかどうかは結構わかります。
それ以上の詳しい事は、当該施設に聞くか、その町の教育委員会に問い合わせればわかります。
>>328 いえいえ、どういたしまして。
私もここ数年ご先祖様の研究を行っていますが、研究というのは結局、
図書館で県史、市史等の郷土史の本、雑誌を片端から全部丁寧に読む、
墓の碑文を解読する、
親戚、本家に昔の話を聞きに行く、
系図、古文書があれば古文書教室に通って解読する、
本家の古文書の写真撮影をさせて頂く、
寺の住職に過去帳を見せて頂く、
という様な地味な作業の繰り返しです。
少しづつしか進みません。
しかし、新しい事実を発見したときの感動は何ものにも替えがたいものがあります。
また、研究が進んでいくと、信じられないような偶然の発見も時々経験するようになります。
ただし、家族持ちなら没頭しすぎて家族サービスがおろそかになる事にご注意を。
また、研究成果の公開も、プライバシーの問題(全部の親戚(多分ご先祖様も)が賛成するわけではない)があり、十分な慎重さが必要です。
私は、ここまで調べて、ここまで発表して宜しいですか、と心の中でご先祖様にお伺いをたてながらいつも墓参りをしています。
333 :
日本@名無史さん:04/09/07 13:38
先祖の墓を調べたら古いもので天保・文化まであって苗字も刻まれていたよ。
代々庄屋だったそうだけど、農民も苗字持ってることがあるって本当だったんだね。
334 :
日本@名無史さん:04/09/12 02:01:43
金に困った武士が売り、庄屋が買うこともあった。
335 :
日本@名無史さん:04/09/13 06:05:46
具体的に、いつ、なんと言う苗字を、どこの武士が売って、どこの庄屋が買ったのでしょうか?
文献等があればご教授ください。
336 :
日本@名無史さん:04/09/13 14:27:48
江戸時代の農民に苗字がなかったのでなく公称できなかったにすぎない
337 :
日本@名無史さん:04/09/13 14:29:33
>>336 それはあまりにも安直過ぎる意見だ。農民と言っても庄屋・大百姓と小作人では違いすぎる。
338 :
335:04/09/14 05:08:23
一般論はどうでもいいので、具体的な文献と併せて、論じていただけると幸いです。
小作人てさあ、今でいう身障者レベルの頭脳しかなかったわけで、
言うまでもなく、初歩的な読み書きすら出来なかったんだよね。
ひたすら機械の体となり農作業に没頭してただけ。喋りは猿レベル。
これが現実。名字などあるわけもなく、過去にあったとしても
末代に伝える能力もなかったろう。恐らく、一番達者に言えた言葉は
「南無阿弥陀仏」か「南無妙法蓮華経」。
百数十年前までは、こんな今の身障者レベルが、日本の8割を
占めていた事だろう。
だからと百姓末裔は臆することない。筆頭家老や上級旗本などの高級武士
でさえ、今の中卒レベルの頭脳しかなかったと私は考えている。
うちの先祖は小作農より下の水呑百姓でしたが
平成の世に入り身分も頭脳レベルも逆転したようですね。
341 :
日本@名無史さん:04/09/14 15:07:58
素晴らしい。
でも司法書士って江戸時代で考えると下級役人でしょ?
威張るほどじゃあねえよ。
武士になった努力は認めてやる。
まあ頭脳レベルが逆転した事実は変わらんだろうな(w
343 :
日本@名無史さん :04/09/18 00:11:56
唯一神三四三航空隊が新しいスレッドで華麗に343get! 皆のもの紫電改にひれ伏せい
うちは7代前迄先祖わかってるよ
345 :
日本@名無史さん:04/09/18 14:13:46
18世紀で最高の識字率の国はハングルを使用していたのか
知らなかった
346 :
日本@名無史さん:04/09/19 16:39:35
現在の苗字の数を考え、少数派の苗字が誰が伝えてきたのかを考えれば武家(含公家)と上級農層では足りないのは明らか。
しかも**スキ−や★★ビッチやマック××に当たる苗字は殆ど無い
また小字で7−8割の家が2・3の苗字で占める集落が相当数ある事実を説明するのは
日本では殆ど全ての住民が苗字を江戸期以前にも持っていたとしか考えられない。
後ろ向きのスレだな
348 :
日本@名無史さん:04/09/19 20:52:06
某スレに本多の末裔が現れたね。
349 :
日本@名無史さん:04/09/20 05:54:33
おれの先祖は、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)。
日本書紀と古事記に載ってる人物です。
神武天皇の東征に対し奈良の生駒で戦った豪族で、
現在奈良には「トミ」に関して似かよった名前が今に残っている。
鵄山(トビヤマ)、鳥見、富雄、登美ヶ丘、登弥神社、外山、鳥見山、等弥神社、、
まあ、それでも俺の先祖は家老で、曽祖父は大地主で、
祖父は戦前に大学を卒業してて卒業証書にも士族って書かれてるし、
先祖からの刀と江戸後期からの家系図もある。
大伴氏の後裔になるらしい。
俺のご先祖様は、紀元前600年の王だよ。
すごいでしょw
>大伴氏の後裔になるらしい。
大伴氏の後裔かどうかすらも確定していないのに、なんで日本書紀と古事記
に載っている人物の子孫だと断言できるのか小一時間考えてから出直して来い
ネタだと思うが一応釣られておく
>>349 登美能那賀須泥毘古、って物部氏の先祖ウマシマジ?(←ちがってるかも)
の臣じゃなっかった?
ウチは江戸時代に宿場をやってたらしく、墓場には寛延とか天保とか刻まれた墓石がある。
でも昔の家系によくあるお約束で、途中で養子が入っていると思う。
戸籍や墓標から血統を辿るのは無理ってもんだ(w
あくまでも家系を辿る作業と割り切るべきだろうな
354 :
@スレ壱:04/10/06 03:49:58
>ALL
なにか勘違いしてませんか?
このスレは「血統祖先」を語るスレで墓標や除籍簿から「家系先祖」を知るスレではありませーん。
別にいいけど。
355 :
日本@名無史さん:04/10/06 04:35:50
うるせーな。小姑かYO
私はこーいうときだけでてくるばかな355の先祖です
357 :
日本@名無史さん:04/10/06 06:42:36
百姓必死だな藁
359 :
日本@名無史さん:04/10/13 17:10:30
とりあえず自分の親とDNA鑑定
361 :
日本@名無史さん:04/10/13 19:24:49
1の戸籍うんぬんもおかしいってことだね。
戸籍の記載と血統祖先は必ずしも一致しない。
てことは、いったいここは何を論じるんだ。生物学か?
わからないよね
「うん、そうだね」と言ってもらいたいだけのアホ
>>1 遺伝子研究でもなんでも、よそで勝手にやれ、シッシッ
こんな過疎スレで@叩きが増殖中ですけど
やっぱこれって自作自演なんですかね?
うちの爺さんが暮らしている村は、住民の半分以上がうちとおんなじ苗字。ある日、大学がうちの先祖について研究させてほしいということで、調査にきた。
そしたらうちの先祖はなんと、村の総本家と判明。何でも近世初期の武士(弓の名手)だったとか!
ただし、身分詐称が原因で江戸時代に入ってから処刑されたと聞いた。ホントかどうか知らんけど。
>>1 ゴメソ うちの苗字1530年ぐらい前からあるw
かなりレアな苗字で、太平記とかにも出てるし
詳しく調べれば全部わかると思うよ。
どうせ嫡流じゃないんだから、その苗字を晒していただけませんか?
上記
>>1氏は、
「明治天皇=大室寅之祐」スレを立てた「鹿島狂信者」氏と同一人物ですが、
この人(以降はG氏と呼びます)は、
「大室寅之祐=明治天皇」を言い出した大室近祐氏の遠い親族であり、
自分は天皇家に連なる人間だとあちこちで発言して失笑を買っております。
(竹下義朗「帝国電網省掲示板」参照)
しかし上記掲示板にて、G氏はたびたび罵倒発言や掲示板荒らし行為を繰り返したため
上記掲示板への書きこみを禁止され、さらに2ちゃんねらーの巧妙な誘導に引っかかり、
氏名、家族構成、学歴などを自ら暴露しております(笑)
ちなみにG氏は日本史板や世界史板にて「大室寅之祐が明治天皇になったと言える」という
スレッドを10回以上立てていますが、どういう風の吹き回しか、
「邪馬台国はどこですか」スレッドにて、
邪馬台国は西都原にあった、畿内論者はバカ、などと
何度も何度も投稿(実際はコピペ荒らしですが)していたため、
「西都くん」「西都厨」「西都バカ」などと呼ばれております。
(最近は邪馬台国関連スレッドにも出没しなくなりましたが・・・)
気が向いたら、
>>1氏ことG氏をからかってやって下さい(笑)
>>367 うちは分家なんで、そういうのは本家に迷惑かかるかもなんで無理です…。
歴史の表舞台に立ったりとか、そういう派手な家柄じゃないんで
今も名乗ってる人 親戚ぐらいしかいないし(;つД`)
よく同じ読み方で一般的(そっちもレアだと思うけど)な方と間違って書かれる苗字です。。
370 :
日本@名無史さん:04/10/19 03:29:41
>>369 ズバリ言うわよ?
「本気軽」と書いて「マジカル」と読むあの一族ですね
371 :
日本@名無史さん:04/10/19 07:16:34
ワロタw
1は無視して、これまでどおり行きましょ。
家系でも苗字でも結構。
もし次スレたてるときは、スレ名と1の文面変えないとね.
あくまでも血系にこだわるなら、
「正直自分の血統祖先って1代前もわからないよね」
になっちゃうからw
2年後にもう一度オネガイしますw
>>372 はげどう
どっかの橋の下で拾われてきた
>>1 は実の親もわからんのだからw
376 :
日本@名無史さん:04/10/23 06:04:38
きっと奥の深い理由があると思います。
学生くんの帰宅時間か、お爺ちゃんの晩酌が終わる頃とかwww
つーかなんでパート2も埋まってないのにパート4なんだ?
379 :
日本@名無史さん:04/10/23 16:00:12
早稲田大学社学中退の地家君の話ですか?
380 :
日本@名無史さん:04/10/23 22:38:46
自分の直系尊属は、田中藩の家老で、もともとは藤枝にいたそうだが、
今の土地に来て、御殿医の孫と結婚しらしい。
向こうで結婚してこっちに来たかもしれないが、親戚周りはしてないので、
はっきりしない。んで、その次男が自分の祖父。
一度、聞いた話では、源氏九郎の子孫らしい。
家紋も揚羽蝶なのだが、本当だったら驚きだ。
んで、父方の祖母の母が、現在の静岡市で庄屋をやってた、
大塩という家の出だが、
地元では、大塩平八郎の子孫ではないかと言われていたらしい。
大塩平八郎の事を調べたら、乱の後に息子が、
駿河の知り合いを頼って逃げたという説を発見したので、俄かに信憑性が高まった。
それと、その地域のお寺には現在使われている墓以外に、もう一つ墓があって、
かなり大きいらしいが、苔がびっしりと付いてていつ頃のものかわからないそうだ。
ふと、疑問に思ったのだが、幕府に追われる側の人間が、
庄屋になれたのか疑問であるし、そんなに大きな墓を持てたのも不思議だ。
その大塩家の曾祖母のさらに祖父、大塩英一郎が、偉く男気のある人間で、
その地域に流れていた巴川(ちびまるこちゃんでおなじみ)が、度々氾濫したそうで、
大塩家の住んでる地域一帯の人はかなり困ってたそうなので、
下流の人間に、治水工事をしていいかと聞いたら、駄目だと言われ、
そいつを、そいつの家の近くの木に縛り付け、そいつが見てる前で
、家をダイナマイトで爆破したそうな。
もちろん、警察にしょっ引かれた訳だが、
地元住民の強い要望ですぐに釈放されたそうで一件落着。
現在でも、巴川沿いに、英一郎氏を称える記念碑が建っているそうだ。
おそらく、英一郎の庶民の側に立った武勇伝によって、
大塩の子孫説が定着したのではないかと思われる。
当時は実際に、大塩平八郎の生まれ変わりと言われていたそうだし、
子孫説は噂が元かなと。
381 :
日本@名無史さん:04/10/23 22:40:22
それと、大塩英一郎氏の更に上の代の人は、
徳川慶喜が駿府での鷹狩や清水で釣りをする際には、
葵の御紋章付きの刀を持って護衛したそうだ。
度々新しい刀を下賜(将軍家の場合はなんていう?)されたそうで、
二十本くらいはあったそうだが、強い台風が来たときに飛ばされたと言っていた。
それと、戦時中にも軍に提供したそうで、一本しかのこってないらしいが、
大塩家の人間が、小学校のときに友人と喧嘩したそうで、
それを持って乗り込んだらしく、危険だと判断して、半分に切って二本にしたそうだ。
それ以外にも、葵紋付の提灯や扇なども複数あったそうで、
曾祖母が、刀を腰に差して、提灯を持って、
「慶喜さんごっこ」をよくやったと言っていた。
そう言えば、曾祖母は慶喜を「けいき」と呼ぶのだが、当時はそう言ったのだろうか?
当時の子女の割には、中等学校も出ているし、文に暗い人ではないのだが。
それと、その曽祖父の旦那は、中国は湖南省の長沙で戦病死しているのだが、
元々は、彫刻等をする職人で、現在でも戦時中に作った大砲台が清水に残っていて、
終戦特集などでテレビにでるらしい。
382 :
日本@名無史さん:04/10/24 00:54:06
>一度、聞いた話では、源氏九郎の子孫らしい。
家紋も揚羽蝶なのだが、本当だったら驚きだ。
源氏九郎って義経のこと?
それで家紋が揚羽蝶?おやおやw
とんだご家老の子孫ですなw
やっぱ過労死は損ですなw
384 :
日本@名無史さん:04/10/24 10:06:30
素朴な質問よろしいでしょうか?
戸籍謄本と除籍謄本は郵送で入手したのですが
明治10年頃の除籍謄本に記載されている「地番」から
現住所を調査する方法をご存知ならご教授ください
385 :
日本@名無史さん:04/10/24 14:13:44
そこの役所に聞くしかないんじゃない?
386 :
日本@名無史さん:04/10/24 17:48:15
>>384 役所で教えてくれるかは場所によるかな。っていうかそれ以前に、明治十年頃
はモロに
>>1にある壬申戸籍の時代なので、現在では入手できません。(昔に写しを
入手したなら話は別)
で、現住所を知る方法としては、法務局に聞く方が確実かと思いますよ。
>>380-381 ツッコミどころ満載だが、10%ぐらい事実がありそうな感じがする
とにかくキーワードが沢山あるのだから、本気で調べれば面白いものが
出てきそう
382の突っ込みも380には意味不明なんだろうな。
389 :
日本@名無史さん:04/11/06 01:43:11
俺、壬申戸籍持っているよ。
390 :
上級武士末裔:04/11/07 17:42:20
おまえらのせんぞなんてカスどうぜん
よみかきもできない身障者どうぜん
そんな虫けら辿って何の得になるのかね
391 :
日本@名無史さん:04/11/07 17:48:54
確かに、武士とか豪農、豪商とか寺社とかなら調べても面白いが、
小作や自作ていどの一般農民じゃなあ・・・
392 :
日本@名無史さん:04/11/07 18:18:46
>>391 上級武士、庄屋、豪商なら調べずとも分かると思うが。もうあるだろ?家系図。
戦後にいたっても国民の多くは農業従事者のままだった
そして戦前の農業従事者の多くは小作農だった
だれだって嫌だよな。先祖が小作農とかなると。だから隠すか、系図捏造するんだよ
俺の周囲には先祖が武士とかいうのがやたらいるよ。不思議だな〜
394 :
日本@名無史さん:04/11/09 03:45:34
>>393 小作農も大方は庄屋の分家、庄屋は大方戦国期の武士・・・先祖は武士。。。
別に先祖が小作、水呑でも嫌じゃないよ。
いっぱい苦労して、爺さん、親父、自分への歴史を知りたいだけ。
身分云々は、先祖調査の醍醐味の、ほんの一端に過ぎない。
396 :
先祖:04/11/09 06:21:49
子孫がフリーターよりマシじゃろ?(w
>>394 そういう者「も」いるだろうが、圧倒的多数はただの田子作。
弥生時代以来、連綿として続く土百姓。
弥生時代の百姓の子孫ているのかな。いるのなら
それはそれとしてすごいが。代々百姓で支配階級にならないまま
飢え死にもせず続いたってのは。
検証方法を教えてくれば、調査してあげますよ?(大爆笑)
400 :
日本@名無史さん:04/11/20 20:37:18
本当?頼もうかなあ。
401 :
日本@名無史さん:04/11/20 20:57:40
>>401 そういうスレは普通ニュース系の板に立つと思うんだが最悪板か
まあ、他の板の可能性も無い事は無いだろうがね
403 :
日本@名無史さん:04/12/03 00:15:16
皮下脂肪率と体脂肪率と違うの?
404 :
日本@名無史さん:04/12/03 00:31:55
母方は武家。三河の頃から家康についてて、何代か後になって徳川から嫁もらった。だから、一応は家康のシソーンになる。父方はたぶん御百姓。時代は変わるモンですな。
徳川から嫁がれた場合「赤門」が建つと思うからそれで確認できるぞ。
あとは養子縁組が多いから血統子孫かどうかは調べないとわからないと思われ。
406 :
日本@名無史さん:04/12/03 01:47:31
もちろん将軍のお姫様をそのまま頂くなら門も建てるが(あったかも?)、たぶんそれほど地位は高くないと思う。
まあ、屋敷もとっくに手放したし、その屋敷も空襲で燃えちゃったかもしれんし、、、。
ただ血統は家系図をみるところ、確かにつながっているらしい。この前バチャーン(母方)が図書館で調べたんだ土佐。
407 :
日本@名無史さん:04/12/03 02:10:06
40何年間育てた息子が実子じゃなかったてニュースあったよな
5代前?2代前すら怪しいぞ。
そもそも人間じゃないからな
>>366-367 1500年前って名字ないとおもうんだけど。
>>407 昭和40年代(30年代?)あたりまではよくあったんじゃないかとか(中原?とかいう医師曰く)。
>>409 普通にあるよ。150年違うけど大化の改新思い出してくれればわかるっしょ?
小野妹子の子孫ていなかった?
小野小町でしょ?
413 :
日本@名無史さん:04/12/11 08:16:05
んじゃ小野妹町で頼むわ
俺の先祖は最後の切腹した人
>>410 例に1500年前の名字を23あげてみて。
418 :
日本@名無史さん:04/12/28 09:11:48
血統5代151年
あぁ確かに5代前はわからんなぁ〜。
ただ、郷土誌で名字がどうやら江戸末期の塾の先生らしい事がわかった。
420 :
日本@名無史さん:05/01/04 01:18:29
5代ぐらいならわかるだろ?
>>419 俺の5代前も寺小屋の先生やってたらしいぞ。
その前はもっと栄えた町で商売をやっていたらしい。
3代前から田舎で農民兼紡織関係工場。
父は職人。俺はデザイナー。
422 :
日本@名無史さん:05/01/08 17:44:18
ageage
423 :
日本@名無史さん:05/01/08 23:12:07
私は5代前は職業不明だけど4代前は作曲家やってた。
しかも、誰もが知ってる童謡を作曲してるし。ネットで検索したら出てくるし
死んだ時は小さいけど新聞の記事になってた(確か昭和初期ぐらいだけど)。
そんで家系図をたどり上のほうまで見ると死去した年月は不明だがとりあえず
ところで、自分みたいにネットで検索したら先祖の名前でヒットする人いる?
424 :
日本@名無史さん:05/01/08 23:37:17
おりんちも江戸初期から系図あるよ。
>>423 ヒットするよ。
最近しった。
依然から「君は名家の出なんだよ」とか言われたこともあったけど、
正直、家柄とか全然興味なかったから今まで知らなかッけど。。
自分は
>>1のAに該当しますよ。
一番古いのは延享年間の五輪塔でそれ以後は
現在まで15、6基あるかな?
ただ分家とかのと混ざってて実質はもう少しありそう。
現在調査中です。
426 :
日本@名無史さん:05/01/08 23:54:35
ご先祖様がずっと同じ土地にいたので、周りがみんな同じ姓。
それぞれに系図があるので、ひとつにまとめる作業してます。
むかしは養子が頻繁だったことが系図からわかるので、
姓がちがっていても、実は親戚っていうご近所さんが結構いる。。
427 :
日本@名無史さん:05/01/09 12:04:53
素人質問ですまん。
庄屋と豪商って何がちがうの?
428 :
日本@名無史さん:05/01/09 12:09:01
てか、ココにきてるやつらって、結構いい家系なのだね。
いい家系だったから歴史が好きになったやつばっかだろ?
てか俺がそうだったし。
5代前というと従兄弟婚がないとすると32人いることになるのかな。
うちはそれぞれ両親の父系の先祖どの地方で何をやってたかぐらいは
聞いていたけど、それ以上は何も、名前も知らなかった。
父方は地方の城下町の商人、母方は農家。
だけど5年ほど前に財産相続のことで裁判所経由で母方の先祖5代前まで
遡った系図が、いきなり見ず知らずの人から送られてきて、
「この系図に異論はありませんね、
あなたにはこの人(こっちは全然知らない人)の相続権はありません」
てなことが書かれていて、よく調べたなと感心したことがある。
結構調べると判るもののようだね。
つい先日、私の家の6代前は乞食坊主だったと判明しました
マジカヨ・・・
431 :
日本@名無史さん:05/01/09 18:45:13
>>428 私もそういう口だけど、
いい家柄だと
@複数の側室の子もいたりするので子沢山。
A子沢山を養える経済力。
B充分な栄養を摂れる経済力。
C病気になっても医療的処置を執れる経済力。
D家が絶えそうになると惜しまれて養子が入る。
があるので結果的に子孫が増えるのでは?
まあ、僭称もあるし、たくさんある先祖の家系で一番良い家柄を子孫が強調するってのもあるとは思うが…。
432 :
日本@名無史さん:05/01/09 18:58:51
>>430 そこまで調べれたんですか!?羨ましい…自分が何代目かもわかりません(泣
433 :
日本@名無史さん:05/01/09 23:35:12
>>431 確かにそうですよね
昔は5人とか子供いたみたいだし
個人的にはあまり細かいことは気にしないほうがいいと思う。
実際、自分の祖父までは知ってても4代前や5代前になると知らない人多いだろうし
ましてや、江戸時代にもなると知ってる人なんてそんな数はいないから
自分が江戸時代や戦国時代は良家だったて知らない人ってたくさんいると思うよ。
だから、自分は何々の子孫だって知ってるだけ幸福だと思う。
>>430 一時は乞食坊主だったってことで、
子孫を残した時はそうじゃなかったんでしょ?
一生乞食坊主で子孫がいるとは思えないですから。
誰か寺の過去帳みた事ある人いる?
今なかなか見せてもらえない。
自分は住職に言って書き出して思ってるけど。
437 :
日本@名無史さん:05/01/12 19:01:07
うちも、家系図みると、一代に5〜6人も子供いるよ。
どうりで、ご近所同じなまえばかりなわけだ。。
そのぶん、先祖調べが楽だったわけだが
438 :
日本@名無史さん:05/01/12 19:06:08
>>436 今度、見せてもらいます。住職に
先祖の法名とかわからないと、見せてもらっても膨大な数で
自分の先祖探すの大変だよ〜っていわれました。
なので、簡単には書出してもらえないような気がする…
439 :
日本@名無史さん:05/01/12 19:07:20
↑日本語がへんだ。スマソ
440 :
日本@名無史さん:05/01/12 19:14:06
過去帳って法名のみで書いてあるの?
441 :
日本@名無史さん:05/01/12 19:21:01
442 :
日本@名無史さん:05/01/12 19:22:10
>440
坊主じゃあるまいし法名なんて書いてない。戒名。
>>442 浄土真宗では戒名のことを法名と言います。
444 :
438:05/01/13 01:24:41
たしかに、その菩提寺は浄土真宗です。
445 :
日本@名無史さん:05/01/13 03:58:24
庄屋と豪商って何がちがうの?
446 :
日本@名無史さん:05/01/13 04:55:26
447 :
日本@名無史さん:05/01/16 06:59:44
うちの過去帳は俗名ぬけてる。
戸籍で確認できるのは6代前まで。
宗門人別のこってるかなぁ
448 :
日本@名無史さん:05/01/18 20:20:18
>>447 俗名や続柄がわからなくても
自分の菩提寺に聞けば教えてもらえるよ。
ただし、大きな寺の過去帳だと大変な数の戒名が
あるから戒名と没年月日をちゃんとまとめて行った
ほうが良い。
あと御布施をちゃんとわたすように!
449 :
日本@名無史さん:05/01/21 20:30:10
450 :
日本@名無史さん:05/01/22 01:00:18
>>448 菩提寺でも必ずしも俗名は残されてないんじゃないか
451 :
日本@名無史さん:05/01/22 08:22:46
>>450 残ってるだろう。
普通に住職がいる寺なら全部かいてあるんじゃない。
>>448 お布施ってどのくらい渡せばよいものなんですか?
菩提寺とアポがとれました。
453 :
日本@名無史さん:05/01/22 08:48:53
1戒名につき、1万円ぐらいが相場です。格式がある寺なら3万ぐらいでしょうか。
454 :
日本@名無史さん:05/01/22 08:56:36
旧士族以上あるいは百姓でも名字帯刀を許されるレベルの階級であれば、
かなえたさかのぼれるはず。
ちなみにうちのご先祖は多田行綱。
室町初期の記録が残っているので間違いなし。
真田信之が先祖と言うか血筋
家臣に養子ってパターンで別姓ですが
456 :
日本@名無史さん:05/01/22 15:00:23
>>453 3万は渡しすぎじゃない?
戒名(法名)の量にもよるけど
5千から1万程度が妥当かと。
457 :
日本@名無史さん:05/01/22 15:04:06
うちは父方と母方で
テスコボーイ2X3のインブリードがある。
458 :
日本@名無史さん:05/01/22 15:07:58
うちの場合、祖父が婿養子だし、その婿をもらった祖母の父は養子だし、
どこまでをご先祖様って言っていいのか分かんねえよ。
>>453 うへぇ!まじ?300年分あるんですけど
…30万くらいかかりそう!
なんで寺の過去帳確認するのに金がいるんだ??
461 :
日本@名無史さん:05/01/22 19:14:03
まあ、手間賃だよ。
463 :
日本@名無史さん:05/01/22 22:59:22
300年分なら、なんぼ最低でも10万は包まないと。手間も大変だしな。
464 :
日本@名無史さん:05/01/23 00:34:21
先祖確かめるのに障壁つくってどうするんだよw
坊主が暇な時期みはからって日にちの余裕を持たせてお願いすればいいよ。
それでも菓子折りぐらいは気持ちでな。
>寺院関係者各位
どこの馬の骨ともわからない奴に
他人の先祖まで掲載されてる
過去帳を丸ごと見せるのはやめてくださーい
そーいう私も馬の骨とした門前払いされたことがありました。
後日、祖父の紹介状を添えて、1万円を包んで、ようやく(w;
466 :
日本@名無史さん:05/01/24 20:43:45
過疎(檀家不足)で住職いないんですけど;;
>どこの馬の骨ともわからない奴に
代々菩提寺の住職なら、親族が毎年合ってるでしょ。お盆とかに。
馬の骨ともわからないなんこたぁないって。
468 :
日本@名無史さん:05/01/24 22:34:45
469 :
日本@名無史さん:05/01/31 00:58:00
ここにくる人はみんな系図調査をしているのだろうが
最終目標は何?
・有名氏族に関係があることをつきとめる
・そんなに遡れなくても歴史書みたくまとめる
・5、6代までわかればいいかな …などなど
漏れは遡れるだけ調べて家譜っぽくする予定。
470 :
日本@名無史さん:05/01/31 01:32:58
家は、祖父(故人)が勘当された人だから3代前で終了です。
親戚少ねえのなんの。
471 :
日本@名無史さん:05/01/31 18:22:24
とりあえず市区町村で郷土史料を活字化しておいてほしい
古文書の壁が大きすぎる
472 :
日本@名無史さん:05/01/31 20:17:26
明治時代の過去帳ですでに挫折しました、達筆すぎて読めません
>>472 ちょっと待て。過去帳に書かれてる事項なんてタカが知れてる筈だし
そんなに分量もあるまいに
474 :
日本@名無史さん:05/01/31 20:43:21
>>473 くずし字は字数少ないと逆に読めないけど
文章の方が文脈から文字の判別が出来るから楽。
くずし字は毎日見てれば段々わかるようになるよ。
逆にしばらく見ないとすぐわからなくなる…orz
俺は次男で家督を継ぐのは兄だから俺が初代。
父は末っ子で当然分家なわけだから父が初代で兄が2代。
調査終了だモルァ!!
476 :
日本@名無史さん:05/01/31 21:12:14
>>475 本家の歴史にまで探りを入れればいいじゃない!
直系に限らなくたっていいんだよ。
家督にとらわれず直系を探ればいいという意味だよね。
傍系までやるのは迷惑になるしw
478 :
日本@名無史さん:05/02/01 21:03:23
過去帳見てきたよ。口外すなって言われてるから地域とか宗派とかは言えないけど。
男子は俗名があったけど、女子はそのときそのときの当主にとっての続柄が書いてあり、例えば「○○○○(当主)の祖母」みたいなの
もあった。自分の直系の祖先は手持ちの資料と照らし合わせて分かったけど、同じ苗字の分家っぽい連中もいて、彼ら
の相関関係図は完成させられなかった。
せめて生まれた年乃至は没年齢が書いてあればよかったのに残念
傍系も、戸籍で調べられる限りは調べました。高祖父母全員の父親くらいまでは全員分かりました。
>>469 私は特に何か目的が
あってやってるわけじゃないけど、小さい町なので、「へ〜あの家と家って親戚なんだ」みたいなことが分かって面白いです。
勿論他人には濫りに口外しないようにしてますが
479 :
日本@名無史さん:05/02/03 23:34:35
高祖父母の両親(32名)が全員分かる方っていますか?
自分は高祖父母は全てわかりますが、その上は32分の28人しか分かりません
ん
480 :
日本@名無史さん:05/02/04 00:11:44
16人は全部わかったが32のうち22だな
32全部わかるやつなんているか?
481 :
日本@名無史さん:05/02/04 00:21:02
俺は地名じてんは平凡社を使っている
482 :
日本@名無史さん:05/02/04 02:56:10
>>479・
>>480 俺は、32人中21人。(名前がわかったのは19人。他の2人は「側室○○氏」とだけわかった人と、法名だけわかった人。)
生母じゃない「正室」ならもっとわかるんだけれど…。
>>479はすごいね。ちゃんと覚え書きをしててくれたの?それとも相当な名門?どちらにしろいい先祖を持ってよかったね。
483 :
日本@名無史さん:05/02/04 03:10:43
32人中32は天皇家でもむずい
そういや何か系図のサイトあったな
系図の小棚だっけ
関係ないか
484 :
日本@名無史さん:05/02/04 03:33:06
>>483 俺もそれ見た事あるかも。昭和天皇の高祖父32人のヤツだったような気がする。
俺の場合は、曾祖父の養父母2人も含めて、34人中30人。明治の最初の戸籍(明治十九年式)には書いてなくても、大正期に新しいフォーム
になった戸籍に記入されている人に関しては、「母の名が不詳だったので壬申戸籍を調べて記入した」という意味の記述と共に母の名が
埋められてる場合あるから調べてみるといいよ。
>>478 過去帳見せてもらう時ってどんな感じだったの?
住職が見てる前で一枚一枚捲って書き移していったのですか?
すご〜く時間かかるような気がするのですが、、、、
それとも「勝手に見てイイよ」って感じなのかな?(そりゃないか)
486 :
日本@名無史さん:05/02/04 11:24:09
484ありがと
見てみる
487 :
日本@名無史さん:05/02/04 21:24:16
墓石の調査は皆やった?
漏れはチョーク塗ったりして頑張ったけど読めないのも多かった。
でもかなり詳しい情報が得られるよ!
おいおいチョークしちゃ駄目でしょ
>>488 なんで?
チョークの粉をたたきつけて読むのはみんなやってるよ。
フーン。汚すのに抵抗があるな。普段はほったらかしだがw
491 :
日本@名無史さん:05/02/05 00:12:25
先祖の家系はみんな普通の農民だが墓は古いのがありました(祖母の祖母の実家)
まあ古いといっても1805年とかだったけど、あの風化して読めない墓石をなんとか
読もうとする時が少し楽しい・・・結構農民の家でも代々そこに住んでいる家系は
墓石かもしくは位牌があるよ、ないのは明治以降に別の土地から移住した家や
断絶した家ぐらいかな(ただし戒名は分かっても俗名は不明)
492 :
日本@名無史さん:05/02/05 00:13:57
先祖の家系はみんな普通の農民だが墓は古いのがありました(祖母の祖母の実家)
まあ古いといっても1805年とかだったけど、あの風化して読めない墓石をなんとか
読もうとする時が少し楽しい・・・結構農民の家でも代々そこに住んでいる家系は
墓石かもしくは位牌があるよ、ないのは明治以降に別の土地から移住した家や
断絶した家ぐらいかな(ただし戒名は分かっても俗名は不明)
493 :
478:05/02/05 00:29:58
>>485 江戸中期くらいからのしか現存してなかったけど、そんなに大きくはない寺だからフツーに住職の前で捲らしてもらったよ。家の仏壇にある過去帳(?)と対照させながらだから、全部書き写したわけではない。
494 :
日本@名無史さん:05/02/07 01:16:51
母方、祖母方・・・の先祖(女系祖先とでもいったらいいのかな)を調べる為には、戸籍で調べた
後、その方の嫡流の子孫の方のところに行けば確実。もちろん、戸籍から現在の子孫が分かれば
の話だが、特に地方では旧土地台帳とかも駆使して調べれば結構分かるもの。ただし莫大な時
間がかかるけど。
495 :
日本@名無史さん:05/02/07 18:49:21
ビジネス社の
「簡単便利 家系図作成マニュアル」
は良いな
496 :
日本@名無史さん:05/02/07 18:51:59
>>494 旧土地台帳俺もやったよ
ある村全部の台帳見せてくれっつったら
理由聞かれた
普通に先祖探してますと言ったらOKだった
497 :
日本@名無史さん:05/02/07 23:32:25
自分も旧土地台帳をみたことがあります、電話帳みたいのが50冊出てきた時にはシビレタが
その中に先祖の名前が出てきた時には感動しました
498 :
日本@名無史さん:05/02/08 00:09:18
正直、ストーカーと変わらんなw
俺なら何代も前に分かれた顔も名前も知らんヤツに戸籍をのぞかれたくない。
499 :
日本@名無史さん:05/02/08 01:04:14
>>498 そこなんだよな。
俺も親戚のじいちゃんばあちゃんお寺さんを廻って
証言や古い墓石から5代前と思われる家に辿り着いたんだけど
>何代も前に分かれた顔も名前も知らんヤツに戸籍をのぞかれたくない。
だろうなと思って尋ねられなかった。
しかも没落激しくて都会の広い土地持ちなのに物凄い古い木造が
雑草に囲まれてて、んでまたウチが同じく没落してるならいいけど
嫌みったらしいけど近所では知らない人がいないくらオヤジもじいちゃんも
派手に稼いでてやっと俺という馬鹿息子が現れてよかったね、って感じだから
尋ねようにも尋ねられない。
でも祖とされる鎌倉時代の人の名前の一文字が代々受け継がれててその没落家の表札の人にも
古い墓石の主にも俺にも付いてて見つけたときは凄い感激した。
何代も前に分かれた顔も名前も知らんヤツに戸籍は見れない。
見れる戸籍は基本的に直系先祖・子孫のものだけ。
501 :
日本@名無史さん:05/02/08 07:49:28
age
502 :
日本@名無史さん:05/02/08 08:28:48
分家だと、きついな。
>>498,500
日本史板に出入りしているくせに、そこまで排他的なのは理解できん。
自分の腹が痛むわけでもあるまいに
>日本史板に出入りしているくせに、そこまで排他的なのは理解できん
別に日本史板に出入りしていても関係ないと思うけど。
土地台帳って簡単にみれるんでしょうか
手数料とかはどうなんでしょう
506 :
日本@名無史さん:05/02/08 17:19:26
「旧土地台帳」は簡単に見れます。無料です。
>.506
ふにゃふにゃ〜って文字で書かれてたりするのかな?
崩し文字だと見てもわらんです・・
508 :
日本@名無史さん:05/02/09 00:43:58
旧土地台帳って明治20年頃以降でしょ?だったらそれ以前って分からないんじゃないの?
人にもよるけど明治20年頃って3代か4代前でしょ?
5代前は分からないよね
509 :
日本@名無史さん:05/02/09 01:17:15
>508
その通り
しかし旧土地台帳はサブだろ
メインは戸籍
戸籍なら5代ぐらいは分かる
510 :
日本@名無史さん:05/02/09 01:24:15
オレ最高7代前まで分かった、
戸主の大叔父の父親が記載されていた
ほとんど奇跡に近い
511 :
日本@名無史さん:05/02/09 01:31:49
旧土地台帳ってどこで見れるんですか?
うちの家紋は亀甲花菱。
江戸時代と思しき年号の刻まれた古い先祖の墓があるから
結構古い家柄なのは確か。
三百年前には既に今の場所に住んでいたらしい。
江戸時代の土地台帳みたいな物ってあるのでしょうか?
うちは死んだじいちゃんまでが神主さんだったらしい
親父が止めちゃいましたけどねw
墓を作る時に残ってる家紋が微妙にどれも違うという
なんともいえない自体になってなんか一番それらしいものにしたらしいw
基本的には剣片喰とかいうやつらしい どうせ大したことないだろうな
いいかげんな家だ・・・・ まあ俺もいいかげんだからいいか
515 :
日本@名無史さん:05/02/09 18:51:52
>>512 >江戸時代と思しき年号の刻まれた古い先祖の墓
すげえな 具体的に何という元号があったか覚えてる?
墓が朽ちていて読めない可能性が高そうだが
自分は父方の高祖父が従兄弟、母方の祖父が父方からの分家なので五代前まで全員分かる。
ちなみに自分も従兄弟同士で結婚した。
517 :
日本@名無史さん:05/02/09 23:43:48
俺んちの墓に延享5年辰5月20日って彫ってあった
当然戒名のみだが(何年なんだろうか?)
別に庄屋や武士でもない普通の農民だ
>>515 今度お墓参りする機会があったらきちんと見てきます。
不思議なことに先祖の墓の敷地の古い墓石に尼僧さんの戒名も彫られています。
出家者も先祖の墓で祀るなんてことあるんですね。
519 :
日本@名無史さん:05/02/09 23:59:29
520 :
日本@名無史さん:05/02/10 00:04:23
>>518 >尼僧さんの戒名も彫られています。
なぜ尼僧と分かったの?
立ち入ったこと訊いてスマヌ
521 :
日本@名無史さん:05/02/10 00:36:30
>>512 うちの墓で古かったのは
文政(1818-1829)の元号が書いてあった
522 :
日本@名無史さん:05/02/10 00:42:15
>>482 いや全員の先祖は全て普通の農民でした
自分が大学生の時に夏休みなどを利用してコツコツ調べました
まあ戸籍でほとんど分かりましたが5代前の妻(高祖父の母)を調べるのは
実際にお宅に行って墓や位牌を見せていただいて判明しました
ギリギリなくなっているのが江戸末期から明治初頭ですので墓や戒名がありました
不明の4人はお家断絶かその地域に同じ苗字が50軒あって分からないとか
です
別に生まれがよくなくても情熱と時間があれば探せます
>>496 俺は離れたところに住んでるから写しを送付してもらったよ
料金聞いたら、返信用封筒以外はタダだって。コピー代実費すら払ってない。この財政難の時代にみんなの税金でやってもらってスマソ 真面目に取り組むので許してください
>>508 その通りです。俺が勧めてる旧土地台帳の使い方というのは、一例を挙げると、
あなたの高祖父が戸主の戸籍まで手に入った→そこに載っている高祖母の両親(あなたの曾々々祖父母)を知りたいが、高祖母の欄には「○○郡○○村◎◎◎◎(父の氏名)三女」としか書いてないので、実家がどこかは不明確→そこで旧土地台帳で◎◎◎◎を探す→実家の地番判明
という感じを想定して言ってました。
525 :
494:05/02/10 02:24:15
>>510 俺も、明治時代に亡くなった(母方の)曾々々祖父が戸主の戸籍に、その人の祖母が載ってたのには驚いたよ。
しかも、その祖母は享和2(1802)年生まれだった。非常にシビレたが、その人の欄に明治元年死亡って書いてあった。明治元年って壬申戸籍より前じゃねーかこんなことあるのか と今は
不思議です。宗門帳とかから壬申戸籍に写すときに生きてると勘違いしてて、更に次の戸籍になってから
間違いが発覚して明治元年死亡と書き込んだ??
526 :
日本@名無史さん:05/02/10 03:37:45
俺の先祖は貧乏士族と貧乏農民だからあんまし意味ない。
明治期の武士なんて肩書き以上の得もねえ品。
527 :
日本@名無史さん:05/02/10 07:20:11
>>524 それは尼さんの意味じゃないんじゃないの?
亡くなった女性の戒名に「尼」をつけるのは一般的では?
528 :
日本@名無史さん:05/02/10 10:04:06
浄土真宗の戒名はよく○○尼となっていたりするよ
529 :
日本@名無史さん:05/02/10 10:40:05
戸籍の記載で一番古い人って誰?
私は最高で寛政9年(1797年)生まれの人のを見たことがあります
(戸主の祖母として)
あまりに長生きしたので(92歳)載っていました
理論的には明治19年の時に100歳で生きていたら安永5年生まれ(1776)
ってのもあるかもしれない
530 :
日本@名無史さん:05/02/10 15:27:57
>>529 俺は1796生まれ
確か92歳で死んでたな
生没年が判るのはそれが一番古い
>>510 俺も7代前(といっても俺を初代と考えればだが)
生没年は判らんが
4人いた
531 :
日本@名無史さん:05/02/10 15:40:28
>>514 すごいね。代々神主だったら色々残ってそうだね。
うちも家紋はいいかげんだった
祖父まではナントカ菱を使っていたらしいが
それ以前はよく判らん
まあ農民だからな
墓にも時代によって流行があったらしいよ。
元禄の頃の石塔は結構しっかりした石だから
書いてあることも読み取れる。(何も書いてないのが多いが…)
でも、享保から寶暦のころはもろい(風化し易い)石だから
全然読めない。
それ以降は明治まで似たような感じ(ry
533 :
日本@名無史さん:05/02/10 22:15:11
家紋てあてになるのかな、
自分の家は剣かたばみで高祖父の実家は桐でその家の本家は松皮菱
じいさんに聞いたら、分からなかったので適当につけたらしい
高祖父の実家にも聞いたがこれまた墓石屋に決めてもらったとさ
534 :
日本@名無史さん:05/02/11 02:52:24
>>533 うちもそんな感じ
「うちは古い」と本家のおじさんが言ってたが
(といっても一番古い墓は江戸後期)
家紋がその頃から使われていた証拠はなかった。
家紋って先祖探しの決め手になる可能性は
かなり低いかも
まあケースバイケースだろうが
535 :
日本@名無史さん:05/02/11 05:51:36
私は古い先祖より明治以降の傍系親族図を完成させたいのですが非常に難しいですね。
536 :
日本@名無史さん:05/02/11 11:04:27
>>535 1 まずは自分の直系尊属の戸籍を遡れるだけ遡る、そうしたら多分明治の初めに
生まれた先祖に行き当たります(多分曽祖父か高祖父)
2 その戸籍には兄弟姉妹が記載されておりどこに分家したかとか、嫁に行ったかが
記載されているはずなのでその方の子孫を訪ねてみる
(まあ電話帳とか旧土地台帳から調べるしかないけど)
3 祖父母以降なら、両親や祖父母に聞けば分かる
4 自分はこれで調べました(まあ本籍は田舎だったので可能でしたが)
ひとつだけ調べれなかったのは海外に移住した子孫です
537 :
日本@名無史さん:05/02/11 11:29:54
後ろ向きのスレだな。みんな、前向きに今を生きようよ。
538 :
日本@名無史さん:05/02/11 11:32:10
歴史板自体が後ろ向きの板だからなw
539 :
うずめ:05/02/11 23:40:36
>>523 >実家がどこかは不明確→そこで旧土地台帳で◎◎◎◎を探す→実家の地番判明
ということは、旧土地台帳ていうのは土地所有者を氏名で検索してから閲覧するの?
540 :
日本@名無史さん:05/02/11 23:45:51
旧土地台帳
一枚づつめくって捜すんですよ。一筆づつ、所有者の変遷が記されているからです。
541 :
日本@名無史さん:05/02/11 23:50:17
>>540 これで断絶した家の住所が分かって戸籍が請求できたことがある
(高祖母の実家)
542 :
うずめ:05/02/12 00:41:09
>>540 電話帳より厚いという話聞いたことあるんだけど、
電話帳なら50音順になってますよね?
旧土地台帳ちゅうのはどういう順になってるの?
地番順? 旧番地順? 大字名の50音順?
閲覧請求する時は「〜村大字●●の旧土地台帳を見せてください。」と言うんですか?
それとも「〜村大字●●字▲▲285番地の部分の旧土地台帳を見せてください。」
と言うんですか?
うちの母の実家は大庄屋
江戸時代の藩内に3つだけあった庄屋の総元締めみたいな大庄屋
殿様から下賜された刀とか提灯、かごとか今でもある
すっかり落ちぶれて今ではただの農家だが・・・
544 :
日本@名無史さん:05/02/12 08:42:08
旧土地台帳、1冊が10センチ程度はあるな。これが1村で平均10冊以上はあると思いますよ。
私のところは、14冊ぐらいありました。
地番順にならんでいます。番地がわかっているなら、それを明示すればその該当冊子をみせてくれます。
わからない場合は、全部調べるしかないでしょう。なお一遍に全部を見ることはできませんので順番に
出してもらうことになります。時間的に、場所的に考えて。ページがめくりにくいので、10数冊もあ
れば、丸1日以上はかかるのではないかと思います。また、メモをしたり、1筆を丁寧にみていたりす
るとかなりの時間が必要です。
545 :
日本@名無史さん:05/02/12 09:51:46
>>544 自分もかなり大変だった、1村60冊で母方全部で200冊弱あったが
友人と2人で調べまくった6時間かかったよ、指サックがあれば飛躍的に
ページをめくるのが早くなる必須だな
546 :
日本@名無史さん:05/02/12 10:31:31
>>525 戸籍の記載されている字がとても汚いという可能性は?
実際に俺の曾祖母の死亡年は戸籍上では大正元年と記載されていたが
実際には11年だった、とても11年とは読めない
墓と位牌で11年と分かった。
547 :
日本@名無史さん:05/02/12 10:59:02
キモイな。後ろ向きの作業にそこまでの労力を使うなんて・・・
>>547 無用の書き込みをするお前のほうがよほど(ry
549 :
うずめ:05/02/12 15:54:10
>>544>>545 貴重な体験談ありがとうございます。
今度指サックを持って法務局行ってみます。
明治19年式戸籍にある戸主の妻の母の名前を調べる場合、
妻の実家の本籍地が○○村までしか書かれてないので、当該村の旧土地台帳を
全部調べるしかないですね。
旧土地台帳の活用方法として一番威力を発揮するのは、明治20年代に実家の父がまだ健在で
土地を所有してて、旧土地台帳から本籍地と跡取りを推定し、跡取りの名でその除籍謄本を
請求し母の名前を知る。ということでしょうか。
しかし、明治20年以前に妻の実家の父が長男に家督を譲ってたら旧土地台帳に父の名前は
出てこないわけですから、もう調べようがないということになりますか?
それとも、他に調べる方法はありますか?
550 :
日本@名無史さん:05/02/12 17:22:37
家を特定したら、墓所調査でしょ。
わたしゃ、1日歩き回って探しましたよ。諦めて帰ろうとしたときに墓所があり
行って見るとそこでした。
捜せば、先祖が導いてくれます。
明治20年以前に妻の実家の父が長男に家督を譲ってたら旧土地台帳に父の名前は
出てこない > それはないでしょ。 19年式戸籍と旧土地台帳は別物です。
というか、明治20年代に生きていて名前がわかっていれば、取得できるでしょ。
地域にもよりますが、、、。
551 :
うずめ:05/02/12 18:46:13
>明治20年代に生きていて名前がわかっていれば、取得できるでしょ。
「取得できる」って、除籍謄本のこと?
それは取得できるとは限りませんよ。
例えば、当該妻の実家の父(戸主)が明治25年頃に死んだり、家督を譲ったりすればその戸籍は除籍になりますよね。もう110年も経ってるからいくらなんでも破棄されてますよ。
妻の実家の父が戸主の除籍謄本がまだ存在してるなら、苦労はしないわけですよ。
その父の名前で請求すればいいわけですからね。
しかし、その父の除籍謄本がもはや無いとなるとどうするかって話ですよ。
そこで旧土地台帳に当たればひょっとして、土地所有者の移動から父→長男を推察し、長男(跡取り)の名前で除籍謄本を請求すれば両親の名前が分かるのではないか・・・っちゅう話なのですよ。
>明治20年以前に妻の実家の父が長男に家督を譲ってたら旧土地台帳に父の名前は
>出てこない > それはないでしょ。 19年式戸籍と旧土地台帳は別物です。
当然、戸籍と旧土地台帳は別物です。
明治19年式戸籍に載ってる妻は父の名前が記載されてますから、一応その父名で除籍謄本を
請求しますが古すぎて無い場合、旧土地台帳に記録されてないかを探すわけです。
旧土地台帳はたしか明治20年頃からの土地所有者の変遷を記録してますよね?
ところが、その父が明治10年に土地を長男に譲ってたら、もはや旧土地台帳にも父名は記録されてないわけでしょ?
長男(跡取り)がその旧土地台帳の最初の所有主氏名となるわけですが、戸籍からは跡取さん
の名前を知ることができないでしょ? そうなればもうその妻の実家の母の名を調べることは
できないのでは?
・・・ということです。
(以上は父から長男へ土地を譲ったということを前提にしました)
552 :
日本@名無史さん:05/02/12 19:23:06
私のところは、明治19年式なら、私の地域なら確実に取得できますもんで、、、。これは、地域によりますね。
明治10年代初めに死亡の人が旧土地台帳の筆頭にでてきていたりします。
長男を推察し、長男(跡取り)の名前で除籍謄本を請求 > その長男の戸籍に父親が生存して入っていれば取得できます。
つまり、隠居とかして生存して相続者の戸籍に入っていれば、正当に取得できます。
死んでいれば、傍系になりますから跡取りの除籍は取得できません。
19年式が取得できないとなると、墓所でしょうね。
捜せば、きっと先祖が導いてくれます。
553 :
うずめ:05/02/12 22:57:41
>私のところは、明治19年式なら、私の地域なら確実に取得できますもんで、、、。これは、地域によりますね。
え〜っ、全部ですか?
除籍謄本の保存期間は一応80年ですよ。
去年、私の高祖父の除籍謄本を請求したら、大正元年除籍でした。
つまり92年経ってますね。
しかし、110年前のもあるとは驚いたな。。
>明治10年代初めに死亡の人が旧土地台帳の筆頭にでてきていたりします。
え〜っ、旧土地台帳というのは明治20年頃の地租改正の際に作ったものでしょ?
それ以前に死亡した所有者が記載されてるなんて初めて知りました。
それってよほど特殊なんじゃないですか?
>長男を推察し、長男(跡取り)の名前で除籍謄本を請求 > その長男の戸籍に父親が生存して入っていれば取得できます。
>死んでいれば、傍系になりますから跡取りの除籍は取得できません。
父親が生存してなくても、前戸主名に父親の記載があるので請求できないでしょうか?
但し、嫁いだ娘と跡取り(長男)と父親との関係をはっきりさせておかなければ交付されないでしょうね。
19年式なら嫁ぐ前の娘もその戸籍に載ってる可能性もありますから、その場合が一番確実ですね。
ただ、明治19年式の場合は母親が存命でなければ、母の名前は記載が無いので、一つ後の明治30年式を
請求しなければならないでしょう。
明治30年式なら両親の名前が記載されてる場合が多いですよね。
目的は明治前期の妻の実家の母親が判ればいいのですから。
>死んでいれば、傍系になりますから跡取りの除籍は取得できません。
その跡取りが載っている一番古い戸籍の中に嫁いだ娘と父親の名前が入ってたら取得できるのでは?
554 :
うずめ:05/02/12 22:58:36
>19年式が取得できないとなると、墓所でしょうね。
お墓が何処にあるのかよく分からない御先祖がいるんですよ。
しかも見つかっても、昔のお墓って戒名しか判らないんじゃ消化不良になりますよ。
お寺も過去帳見せてくれないみたいだし、見ても俗名書かれてないんじゃね。
>捜せば、きっと先祖が導いてくれます。
導いてくれますかねえ。。
555 :
日本@名無史さん:05/02/13 00:02:46
旧土地台帳で家を探し、その近辺のお墓を探すんです。
その近辺の同姓の人に聞いてみてください。
先祖が導いてくれます。これで、何代も前の姓すら知らなかった先祖の墓をみつけました。
>>553-554 突然横からお邪魔します。
552さんが明治19年式なら地域により確実に取得できますというのは
本当です。私の先祖は父母とも鹿児島県の薩摩地方ですが明治19年式
を含めて除籍謄本はすべて取得できました。しかも戸籍調査だけで
(1971年生れの自分を1代として)
8代前の先祖の名前も3人分かりました。
ただ鹿児島はね廃仏毀釈が徹底的に行われてお寺が明治初期に
すべて壊されたので江戸期の先祖を寺調査で調べられないんですよ。
しかし鹿児島でも明治10年過ぎならお寺の記録も残っている場合があり、
過去帳見せて呉れる場合もあり、俗名が書いてある場合もありますので
お寺に関しても、初めからあきらめることないです。
あとは555さんがおっしゃる土地台帳経由の墓地調査が有効かと。
557 :
うずめ:05/02/13 00:44:08
>旧土地台帳で家を探し、その近辺のお墓を探すんです。
>その近辺の同姓の人に聞いてみてください。
足で地道に探すってことですね。
実はまだ本格的に墓地調査やってないんです。
戸籍調査終えたらやってみます。
>明治19年式を含めて除籍謄本はすべて取得できました。
すべてというと、取得した除籍謄本の除籍日付の最も古いのは明治何年のものですか?
>8代前の先祖の名前も3人分かりました。
凄過ぎる!!
>ただ鹿児島はね廃仏毀釈が徹底的に行われて
それは聞いたことありますね。全くむちゃくちゃなことしたんですね。
過去帳なんですけど、実は伯父が寺に過去帳見せてもらいに行ったことあるらしく、
全く受け付けてもらえなかったとのこと。
558 :
日本@名無史さん:05/02/13 00:54:35
>>549 旧土地台帳に一番初めに土地を登記したときに保存と記載されます
ごくまれに2行目に保存と土地所有者が記載され1行目に名前が記載されて
いる場合がありますこの一行目に記載されている人物は2行目に記載されている
人物の父親の可能性が非常に高いです
本来なら明治20年頃に土地を所有していたものが一番初めに来るのですが
その前所有者(多分父親)を記載されている場合もありますのでチェック
してみてください
自分はこのような例を3件発見しました
559 :
日本@名無史さん:05/02/13 01:09:26
>>553 全戸主が自分の直系先祖が記載されている戸籍を入手しようとしましたが
ケースバイケースでしたね、役場によって臨機応変に対応してくれるところと
だめなところがあります、前者は前戸主名が先祖だと分かればOKでしたし
傍系の戸籍でもその傍系の方の父母が自分の直系の先祖であれば、まあいいかってな
感じでOKでした、後者は何を言ってもだめでした、この場合はその子孫に
委任状を書いてもらって発行してもらいましたが・・・
また明治19年戸籍も100%無理ではないですこればかりは実際請求してみないと
分かりませんが大体人口100万人以上の行政区では破棄されている可能性が高い
ですが30万人以下でしたら残っている可能性が大です
自分の田舎なんて今まで一度も破棄してないみたいです
法律では除籍謄本は80年経過したら破棄してもよいとありますが、逆に
破棄しなくてもよいらしいです
大体壬申戸籍だって法務局に保存されてるしね(法務局は破棄しているのが
公式の見解ですが・・・こればっかりはみれないけど)
560 :
日本@名無史さん:05/02/13 01:23:01
>>554 戸籍の入手も急いだほうがいいですが、墓所の場所の確認も早くしたほうが
いいですよ!地域によって一概に言えませんが地方の墓は明治の前半は家の
裏に作っているものが多いです(墓所ができだしたのは明治後半から)
となると、墓の場所を確定するのは地域の住民の方の協力がなくては不可能
です旧土地台帳で場所を確定しその地域の古老に聞くのが一番です、まあ
傍系卑属が分かっているのならその人に聞けばいいですが、大体経験上では
70歳以上の方は非常に家の歴史に興味があり色んなことを教えてくれましたが
50歳以下の方は興味ないらしく分からないという方がほとんどでした
早くしないと70歳以上の方が亡くなってしまいます
漏れの母方の先祖は享保年間までなら確実にわかる。
562 :
うずめ:05/02/13 01:45:25
>>558 一行目に前所有者が載ってる一筆に遭遇できればラッキーなわけですね。
実は旧土地台帳はまだ調べたことないんです。
田舎が遠隔地なんですが、こればかりは自分の目で虱潰しに当たってみるつもりです。
>>559 >傍系の戸籍でもその傍系の方の父母が自分の直系の先祖であれば、
ちょっとこの意味が分かりません。
直系の先祖なら直系なので、
『傍系の父母が自分の直系』というのはどういうことでしょうか?
自分の直系なら傍系ということはないし、傍系の中には直系はいないのでは?
>自分の田舎なんて今まで一度も破棄してないみたいです
それは凄いですね。僕なんか92年前除籍の戸籍が手に入っただけでも感動したのに。
一応、80年というのは最低限の義務ということらしいので、役所に保管スペースが
あれば上限無しということですかね。
563 :
うずめ:05/02/13 02:00:07
>>560 そうですか。今度田舎に帰った時は捜してみますが、かなり早くから都市化された所
(今はかなりの地方中核都市)なので、多分菩提寺の方にあるんではと思います。
>>557 >>明治19年式を含めて除籍謄本はすべて取得できました。
>すべてというと、取得した除籍謄本の除籍日付の最も古いのは
>明治何年のものですか?
「すべて」と書いたのは父母方両方の先祖で取得できる分の除籍・
戸籍謄本すべて取得したということで、そのうち最も古いのは
明治25年4月除籍分でした。つまり113年前ですね。
8代前の先祖の下の名は「甚左衛門」「三右衛門」「徳兵衛」
でした。
>過去帳なんですけど、実は伯父が寺に過去帳見せてもらいに
>行ったことあるらしく、全く受け付けてもらえなかったとのこと。
最近は人権問題とかでシビアになってるようですね。
でも簡単にあきらめなければ道が開ける場合もあるようです。
↓の「(3)寺や本家の過去帳を見せていただく」をご覧下さい。
http://www.geocities.jp/heartland3713/1.html あと、お宅が士族ということでしたら市町村の教育委員会が
当時の士族のリストなんか持ってる場合もありますのでご参考までに。
うちは父方は士族ですので市の教育委員会所有の明治5年の
士族リストに先祖の名が出ておりました。
あとは
>>560さんがおっしゃるようにお年寄りには一日も早く
お話を聞いておくことでしょうか。戸籍から私の高祖父母は
大正12年12月にたった5日違いで亡くなっていることが判明
しましたが、今ではその原因を知る人がおらず、しかし、
18年前に亡くなった祖父は大正12年で14歳だったので、
祖父の存命中に話を聞いていれば、その事情を知っていた
はずなのにと悔やまれます。
>>562 >>傍系の戸籍でもその傍系の方の父母が自分の直系の先祖であれば、
559さんがおっしゃりたいのは「請求者の傍系と確認できれば・・・」
ってことなのでは。その『傍系の父母』だけでなくその『傍系』さんの
兄弟姉妹のいずれかも自分の直系になります。
566 :
日本@名無史さん:05/02/13 10:44:04
直系尊属A→B→C→本人D
Bの兄弟姉妹をB2とする。
@Dは、基本的にB2(傍系先祖になるため)筆頭の戸籍は取得できないと思います。
この場合、A夫婦が共に亡くなっていて、B2の戸籍に前戸主としてAの名前が記
されていれば、直系先祖Aが前戸主として記されているので、DはB2筆頭の戸籍を
取得できるということですか?
AB2が家督相続して、Aが生きて隠居してB2の戸籍に入ると、DはB2筆頭の戸籍
を取得できるのは当然なんですが。
私の場合、@で傍系先祖筆頭の戸籍を入手したことがあります。これは、担当者の間違
いでたまたま取得できたと考えていましたが、、、。
傍系先祖(直系先祖の兄弟)が筆頭の戸籍でも、前戸主名とか父母名として名がでてく
れば取得可能ということでしょうか?
567 :
日本@名無史さん:05/02/13 10:46:25
>>562 >傍系の戸籍でもその傍系の方の父母が自分の直系の先祖であれば、
ちょっとこの意味が分かりません。
直系の先祖なら直系なので、
『傍系の父母が自分の直系』というのはどういうことでしょうか?
自分の直系なら傍系ということはないし、傍系の中には直系はいないのでは?
文章が分かりにくくてすみません565さんのおっしゃるとおりです。
A・・・・B・・・・C・・・・D
・
・
・・・E・・・・F・・・・G・・・・自分
たとえば基本的にはBの戸籍謄本は請求できません、しかしBの戸籍に自分の先祖である
Aが記載されておれば請求が可能ということです(隠居してBの戸籍に入っていたとか)
もしくは前戸主の欄にAの名前が記載されていたりBの父親名欄にAの名前が
記載されたりしておれば請求できる可能性があります
(ここではすでにAの戸籍が破棄されてると仮定して)
もっとすごいのはCの戸籍に祖父として入っていたものもありました。
568 :
日本@名無史さん:05/02/13 10:59:20
>>566 直系尊属A→B→C→本人D
Bの兄弟姉妹をB2とする。
@Dは、基本的にB2(傍系先祖になるため)筆頭の戸籍は取得できないと思います。
この場合、A夫婦が共に亡くなっていて、B2の戸籍に前戸主としてAの名前が記
されていれば、直系先祖Aが前戸主として記されているので、DはB2筆頭の戸籍を
取得できるということですか?
ケースバイケースです役場によってもまちまちですし同じ役場でも人によって
まちまちです、後は担当者の解釈によります、基本的には戸主が自分の直系尊属
だったら請求可能ですが、前戸主の欄などに自分の直系尊属が記載の場合は
拒否される可能性が高いです、でも100%拒否されるわけでもないし、もし
拒否されたら、日を改めて半年後にもう一回別の人に請求してみるとかしてみましょう
これでとれたこともあります。
あとは役場の人と仲良くなることです、笑顔で挨拶して、先祖供養をする旨を伝えて
誠意ある態度で望めば結構OKだったりします(でも自分からの証明できる戸籍は
携帯しておいてください)
自分の友人などこれで傍系先祖の戸籍をかなり取得しました
(まったくの傍系ではないですが、父親名もしくは母親名に自分の直系尊属が記載を1つでも
されている戸籍を全て入手していました)
569 :
日本@名無史さん:05/02/13 11:01:53
Bの戸籍の父の名か前戸主にAが入っていても取れないと思う。
というか取れなかった。
570 :
日本@名無史さん:05/02/13 11:08:15
それは凄いですね。僕なんか92年前除籍の戸籍が手に入っただけでも感動したのに。
一応、80年というのは最低限の義務ということらしいので、役所に保管スペースが
あれば上限無しということですかね。
スペースの問題でしょう、でも最近市町村合併がさかんで合併を機に破棄する
自治体も多いと聞きます、急いだほうがいいかも
571 :
うずめ:05/02/13 11:55:21
>そのうち最も古いのは 明治25年4月除籍分でした。つまり113年前ですね。
それは凄いですね。殆んど廃棄してないみたいですね。
羨ましいです。
http://www.geocities.jp/heartland3713/1.html ↑は私も見ました。
誠意と根気でお寺にお願いしてみようと思いますが、古文書の読み方に慣れておく必要
がありますね。
実は田舎の県立図書館で先祖の宗門人別帖を見たことがあります。
くずし字で実に分かり難いんですが、19年式戸籍の戸主の兄弟がそのまま幕末の年齢
で記載されてたので何とか解読できました。
しかし、過去帳だと戒名が分かってないと読むのは困難ですね。
もしかしたら俗名が書かれてるかもしれないので当たってみる価値はあると思います。
>祖父の存命中に話を聞いていれば、その事情を知っていたはずなのにと悔やまれます。
私も以前は先祖のことなんか全く興味無かったんですが、17年前に明治28年生まれの曾祖母
が亡くなって今となってはもっといろんな話を聞いておけばよかったと後悔してます。
572 :
うずめ:05/02/13 12:28:21
>>566 B2はDにとって傍系なのでB2筆頭の戸籍は通常取得できませんね。
しかしAは直系なので隠居してB2の戸籍に入っていれば当然B2筆頭戸籍を取得できますね。
ただ、問題はAが死亡してて19年式の前戸主の欄にしかAの記載が見えない場合に役人の
対応次第というとこですかね。
573 :
うずめ:05/02/13 12:35:32
>>567 なるほど、それだったら分かります。
A・・・・B・・・・C・・・・D
・
・
・・・E・・・・F・・・・G・・・・自分
↑
しかし、この図はちょっと分かり辛いです。
縦に読むんですか?横に読むんですか?
Gは私の兄弟?親?
”あれ〜、法務省の友達に確認したけど大丈夫だって言ってたぞ!”
どうなってるんだ!
などどハッタリこいたら態度が変わって、
”ちょっと待ってください・・・・じゃぁ、除籍謄本出しますね。”
って俺はほとんど取得したけどな。2,3年前だったから、気の弱わそうな
やつには使えるかもよ。
575 :
うずめ:05/02/13 12:48:12
>>567の説明は↓こういうことですか?
A
・
○・・・B
・ ・
E C
・ ・
F D
・
G
・
自分
>>575 A
・
E・・・B
・ ・
F C
・ ・
G D
・
自分
またもや横レス失礼。↑だと思いますよ。
Aの子がBとE。つまりBとEは兄弟姉妹の関係。
Gはご自分の親ということでしょう。
577 :
日本@名無史さん:05/02/13 21:38:16
うずめ3はうまくいってるのかな?
ある程度住所がわかったらそこの宗門帳とか
閲覧してみたらどうだろ?
うまくいけば江戸末期に入れるのではないかと。
まぁ難しいかW
578 :
日本@名無史さん:05/02/13 21:53:04
後ろ向きなスレだな。その労力をもっと建設的なことに使えよ。
579 :
日本@名無史さん:05/02/13 23:19:43
576さんフォローありがとうございます
うずめさんそういう事です
580 :
うずめ:05/02/13 23:29:13
576さん、579さん
了解しました。
ありがとうございます。
581 :
日本@名無史さん:05/02/13 23:32:34
うずめさんへ
戸籍の請求する時にある程度知識があったほうがよいですよ
請求するときの理由は記載事項確認の為と書くのが一番いいです
さらに突っ込まれたら、お墓を作るので先祖の生没年を調べている
先祖供養ですといってみましょう、家系図作るためでは受理されません
相続関係で必要といえばそちらのほうがいいかもしれませんが・・・
さらに法律の知識があればなお良いです
戸籍法
第十二条 一戸籍内の全員をその戸籍から除いたときは、
その戸籍は、これを戸籍簿から除いて別につづり
除籍簿として、これを保存する。
2 第九条、第十一条及び前条の規定は、除籍簿及び除かれた戸籍について準用する。
第十二条の二 除かれた戸籍に記載されている者又はその配偶者、
直系尊属若しくは直系卑属は、その除かれた戸籍の謄本若しくは
抄本又は除かれた戸籍に記載した事項に関する証明書の交付の
請求をすることができる。国又は地方公共団体の職員、弁護士
その他法務省令で定める者も、同様である。
2 前項に規定する者以外の者は、相続関係を証明する必要がある場合
その他法務省令で定める場合に限り、同項の請求をすることができる。
役場の方が受理してくれない場合は12条の2をいってみましょう
それで受理しない理由を聞いて見てください
でも偉そうにいったらいけませんよ、誠実にへりくだっていわないと
相手も意固地になります。
582 :
日本@名無史さん:05/02/13 23:43:25
横レス失礼
>でも偉そうにいったらいけませんよ、誠実にへりくだっていわないと
相手も意固地になります。
確かにそうだな
俺も直系尊属なのに出してもらえない戸籍があったが
やんわりと話をしていったら相手がちゃんと出してくれた
短気起こさないでよかった
583 :
日本@名無史さん:05/02/13 23:44:40
追加
直系尊属の戸籍を請求するときには
その人物の生から死までくださいといいましょう
例) 私の祖父母の生から死までの戸籍ください
私の曽祖父母の生から死までの戸籍ください
私の高祖父母の生から死までの戸籍ください
なぜかというとまれに高祖父などが隠居して子や孫の戸籍に入っている場合があります
そうなると高祖父が戸主の戸籍には母親が記載されていない場合でも
大正4年版の戸籍には記載されている場合があります(多分聞いて追記したのでしょう)
生から死までくださいはおそらく専門用語なのでしょう、色々な役場にいっても
担当者から生から死まで必要ですか?とたずねられましたので・・・
584 :
うずめ:05/02/13 23:50:59
>>577 宗門人別帖は 571 に書いた通り、6代前の先祖が家頭の家族の記載を見つけました。
19年式戸籍に戸主となってる曽々祖父と妻、戸主の弟妹、前戸主の名前が5人分一致
したので分かりました。
その時は戸籍を数冊しか集めてなかったので、1軒分しか解読一致できませんでした。
585 :
日本@名無史さん:05/02/13 23:57:06
自分は直系尊属戸籍で入手できるもの全て入手しました父方も母方も
祖母方も曾祖母方も養子だったら実父祖の先祖もすべてこれがまた漏れがあるもので、
度々役場に行って請求したのを覚えています、まあ2回目は役場の方もまた来たかって
な感じでフレンドリーに対応してくれました(こちらも満面の笑みで行きましたが)
予算は4万くらいかかりましたが
586 :
うずめ:05/02/14 00:12:27
>>581 本籍地が遠隔地なので郵送で請求したのですが、大部分が現在の同市内にある旧村
なのでわりと楽でした。
請求理由の欄には「私の直系なので」と書きました。
あれでいいんかな?なんて送った後不安だったんですが、戸籍法に則って私は疚しい
ことはしていないと自分に言い聞かせて送られてくるのを待ちました。
以前取得した4冊を除く19冊が送られてきて嬉しかったです。
現在それらをにらめっこしながら未だ未取得のものが無いか検討中です。
>>583 これは除籍謄本取得の際には結構重要なアドヴァイスかも。
私は現在実家から離れて暮らしているので、すべて郵送で取得したの
ですが、次のようなことがありました。
先祖の一人、藤右衛門=慶応3年5月生まれ、昭和29年9月没
藤右衛門は明治26年戸主になり、その時明治19年式フォーマットの
戸籍が作成され、それが昭和22年に新戸籍へと改製されてたのですが、
「生から死」と申請書に書かなかったため、昭和22年改製の戸籍は
送られて来ず、後からもう一度申請書を書く羽目になったことがあります。
> 大正4年版の戸籍には記載されている場合があります
(多分聞いて追記したのでしょう)
壬申戸籍を見て追記したという事もあったかも知れません。
それとも壬申戸籍は宗門人別帖みたいに既婚女性は「妻」
だの「女」だので済ましていたのかな?
見たことないから分からんけど。
>>585 > 予算は4万くらいかかりましたが
確かにふところには結構響きますね。全部を取得すると。
588 :
日本@名無史さん:05/02/14 00:32:59
>>586 よ〜くにらめっこして見て下さい結構漏れありますよ
一つ一つつぶしていきましょう
589 :
うずめ:05/02/14 00:39:45
>>583 >大正4年版の戸籍には記載されている場合があります(多分聞いて追記したのでしょう)
私が取り寄せたものの中にも何故か明治19年式には記載の無かった高祖父母の母の名前が
後に改製の戸籍に載ってました。
そういえば大正4年式ですかね。1枚目に3人記載されてるのは。
『母ノ名ハ転籍届出二因リ記載』とあるのは、転籍届出した時に役人が届出人に聞いたんでしょうか?
しかし、何処かの板で見たんですけど「壬申戸籍を引張り出してきて記載した」なんて書かれてある
のも見たことあります。
>生から死までくださいはおそらく専門用語なのでしょう
そうなんですか?
じゃあ今度そう書いて請求してみようかな・・
590 :
日本@名無史さん:05/02/14 00:51:58
1 戸籍で請求できるもの全て請求
2 曾祖母の実家などを調べる(祖父母や伯父伯母にきく、旧土地台帳から調べる)
親族からの紹介もしくは手紙を書く
3 実際にお宅へ訪問する(お墓や位牌、過去帳を見る)
家の伝承や口伝を聞く
4 図書館へ行きその時代背景の研究(ご先祖様はどのようにその時代を
生き抜いていったのか)
591 :
うずめ:05/02/14 00:53:54
>>585 >祖母方も曾祖母方も養子だったら実父祖の先祖もすべてこれがまた漏れがあるもので、
私は直系には養子はいなかったようなのですが、他の板にも書いたんですが、
一度養子に出て離縁復帰した曽祖父が居ます。
この場合には養子先の戸籍は請求できるんでしょうか?
>予算は4万くらいかかりましたが
え? 何十冊請求できたんですか?旅費込み?
592 :
日本@名無史さん:05/02/14 00:59:47
>>591 おそらくできるでしょう
>え? 何十冊請求できたんですか?旅費込み?
父方20冊母方30冊くらいです 母方は養子だらけだったので
旅費はなし
大学時代に夏休みに田舎に原付でいきました130Km5時間かけて
今ではいい思い出です。
実際に行ったら一日で全て取得できますしね
593 :
うずめ:05/02/14 01:07:00
>>587 >それとも壬申戸籍は宗門人別帖みたいに既婚女性は「妻」
>だの「女」だので済ましていたのかな?
壬申戸籍は女性名も全て記載されてます。
昭和30年代までは閲覧も出来たと聞きますから、戦前は壬申戸籍を見て後から母名を
記載したのかもしれませんね。
それと、宗門人別帖ですが「妻」も名前も年齢とともに記載されてました。
594 :
日本@名無史さん:05/02/14 07:48:57
age
595 :
日本@名無史さん:05/02/14 23:32:48
596 :
日本@名無史さん:05/02/14 23:36:30
壬申戸籍なんてさっさと処分すればいいのに。
どうせ、閲覧もコピーもできないような代物なら、保管しておく意味ないね。
ヤバイ情報も載ってるんなら、焼却でもして地上から消し去ったら?
597 :
日本@名無史さん:05/02/14 23:38:02
>>595 さあ…無理なんじゃないか?
「見た」という人に会った事ないな
ネットでは「見た」という話を目にするが
598 :
日本@名無史さん:05/02/14 23:40:12
599 :
日本@名無史さん:05/02/14 23:40:19
つーか、壬申戸籍に限らず大昔の戸籍なんか見たがるのは悪趣味。
傍系の全然知らんヤツから、自分の知らないうちに戸籍見られてるってのは怖い。
正直、他人同然の会ったこともない遠縁の人間から戸籍のぞかれたくないね。
600 :
日本@名無史さん:05/02/14 23:42:59
>>599 別に他人の戸籍を見るんじゃねえだろ
自分の家のだろ?
601 :
日本@名無史さん:05/02/15 00:43:19
法務大臣になったら
見れるかもw
私が壬申戸籍簿を閲覧したのは40年前です。
当時は役場の担当者に頼めば複写までして頂けました。
内容は身分から個人財産にまで至り、所有する牛馬の数まで記載されております。
603 :
日本@名無史さん:05/02/15 10:28:46
>>602 すごいですねどんなフォームだったんですか?
明治19年版と同じような感じですか?(罫線とかでしっかりともしくは宗門人別帳みたいなもの)
602さんではないですが、確か和紙に筆で、もちろん罫線などはなく。
たまに本に写真が載ってます。
うちは室町初期まではさかのぼれるらしい。
かといって今が幸せですか?−ノン・・・orz
じじばばはむかしから親戚で寄ると触るとそんなことばっかり言ってたけど、正直
うざ杉。水飲み百姓の出自の母はもの凄い嫌がってるw
庭ほじくり返したら小判の壺が出てくるはずとか、もう夢みてんじゃねえよって感じ。
606 :
日本@名無史さん:05/02/15 21:55:09
小判探してみたら?
戸籍オタは後ろ向きすぎ。4、5代前の先祖なんてどうでもいいだろ。
そんなの知らなくても、実生活に何の問題もない。
水呑み百姓や小作人の先祖なんて知りたくもないし、いくら先祖が偉くても
いま貧乏だったら何の意味もないだろ。
ボロッちい先祖は恥ずかしいし、立派すぎる先祖もいまと比べたら恥ずかしい。
もっとマトモな歴史を勉強しろよ。
直接の先祖が普通の庶民なのに、何代か前に女系で武家が混じっていたら、
そればっかり強調するヤツや、そういう先祖を探して自分の家でもない女系
の方の戸籍を必死に集めるのは、ものすごくみっともない。
609 :
うずめ:05/02/15 22:45:02
>>607 >そんなの知らなくても、実生活に何の問題もない。
そうですね。
>水呑み百姓や小作人の先祖なんて知りたくもないし
>ボロッちい先祖は恥ずかしいし、
私の先祖は知りうる限り全て百姓ですが、ちっとも恥ずかしいとは思いません。
『御先祖はどんな暮らしをしていたのか?』
『御先祖のいた村はどんな社会だったのか?』
等々、百年も2百年も前の庶民の営みに想いを巡らすだけでワクワクしませんか?
610 :
日本@名無史さん:05/02/16 00:12:20
いいよ、うずめさん!!
自分もそう思う
「うちの先祖はずーっと農民だ。サムライなんて関係ないよ」という家も多いと思いますが、そうでしょうか?
私たちの親は2名、祖父母は4名、曾祖父母は8名、高祖父母は16名、その上は32名、その上は64名です。
その上は128名(←ここら辺でだいたい1750年代、まだ250年ぐらい前)になります。
128名の祖先の中には武士もいれば、農民、商人もいると思われます。調査中に家の由来を聞くと元は武士だったという家も意外と多いです。
(元は武士だったが戦に破れて帰農したとか、武士だったが殿様の転封後祖先はそこに残り帰農したなど)
611 :
日本@名無史さん:05/02/16 00:13:21
又、逆に自分の家の祖先は武士だとか血筋がいいとか旧家とか自慢する方がいらっしゃいますが、あまり意味がありません。
だいたい27代さかのぼると800年前、鎌倉幕府成立ごろになり、自分と血のつながりのある先祖だけでも現在の日本の人口を超えます。
計算すると2=(27)134,217,728≒1億人強。(そのころは人口が少なく近親婚、いとこ同士などが多かったようです。)
ということは、究極的にはどなたの先祖も武士であり、公家であり、天皇であり、商人や農民、職人なのです。
また日本人全員が源氏、平家、藤原氏、橘氏を先祖に持つといわれています。(まとめて源平(げんぺい)藤(とう)橘(きつ)と言います)
家系調査をしていると「いい家柄でありたい」と思うのが人情で、それを否定するつもりはありません。ただ、あまり狭量になりすぎるのもどうかと思います。
名も無い庶民の家系は記録に残りませんし、不都合な事柄は削除されていきます。先祖へと繋がる糸は本来、幾筋も延びているはずなのですが、結果として、
支配者階級など特殊な系統だけが資料として残っている訳です。
612 :
日本@名無史さん:05/02/16 00:13:56
「わが家の先祖は皇族出身」というのは、たまたま系統の繋がりが証明できただけに過ぎません。
家系を調べていく上であなたの家系がいい家柄であっても、あるいは名も無い庶民であったとしても、
人は等しく幾億もの遺伝子を受け継いだ人類共通の子だという気持ちを忘れないでください。
613 :
日本@名無史さん:05/02/16 00:41:53
母方の祖父母に可愛がられた経験のある人も多いと思いますが、その人の事を子孫にまで語り継ぐことは、「自分の家でも無いのにみっともない」というような事なのでしょうか?
水呑み百姓だろうと小作人だろうと、先祖は、その人が早世してしまったら自分は生まれてこなかったという運命の人です。
歴史的に検索可能な人物が(武士に限らず)一人でもいるのなら、(その人物が早世してしまったら自分が生まれてこなかった運命の人として、)その人生に関心を持つのは必然であるといえると思います。
父方・母方総てに自分の先祖にエタ・非人がいようと皇族・公家・武家がいようと様々な人生を生きた人たちの子孫として誇りを持って生きて当然だと思います。
>>609 >>610 イイヨイイヨ〜〜
歳を重ねてくると、人生を生き抜くということはどれだけ大儀なことで、価値があることなのかということがわかってきます
そうした中で、自分と最も近い人間といえる先祖の人生に関心が向くのは当然のこと。
「ああ、ここでじいちゃんは踏ん張ったんだな」「このときは嬉しかったろうな」こうしたことを知ることは自分の人生にもプラスになるはず
615 :
日本@名無史さん:05/02/16 01:04:15
俺は自分に子供が生まれてから興味がわいた
子供を育てる喜びと厳しさを知ったときに両親や祖父母もおそらく
同じだったんだろうと、そうしたら更に先にご先祖様も同じ思いだったのだろうと
母方にたどっていくと、「母方の祖母の実家?知らない」で
行き詰まる。男系の系譜なんて先祖のほんの一部にすぎない。
617 :
日本@名無史さん:05/02/16 01:21:53
自分の家だけ調べたんじゃすぐに終わる
自分の先祖全て調べたらライフワークになる
618 :
日本@名無史さん:05/02/16 01:31:46
>>607 >>608 人の生き死に関わることをバカにするなんて
本当に痛い厨房だな…( ´_ゝ`)
奇麗事とばっかり言ってるね。所詮、興味本位だろうに。
正直、会ったこともない先祖のことなんぞ調べなくても実生活に何の支障もないし、
その人の人間性にも何の関係もない。
百姓の先祖を調べたい人間がいることを否定はしないが、そんなもの知りたくもないし、
わざわざ調べたいとも思わない人間もいっぱいいる。
あと、代を遡るにつれて先祖の数がネズミ算的に増えていくから、誰にも武家や公家の
先祖がいるとか書いてる意見をよく聞くが、そういう可能性も否定はしないけど、
人口の割合からいって圧倒的大多数は土民、水呑み百姓であるわけで、確証もないのに
可能性があるかもしれないというだけで幻想を抱くのは滑稽。
仮にどっかで混じってても、それは圧倒的な百姓の血の中のごくごくわずかな一滴であって、
そんな程度の者を強調するのは、やっぱり滑稽だ。
まして、遠縁のよその家の戸籍まで遡って武家の先祖がいたからって喜ぶのも同様。
奇麗事は大事ですよ?あなた子供ですか?
621 :
日本@名無史さん:05/02/16 20:34:25
相手にするなよ。
622 :
日本@名無史さん:05/02/16 20:34:40
>>619 奇麗事とばっかり言ってるね。所詮、興味本位だろうに。
正直、興味もないスレに書き込みなんぞしなくても実生活に何の支障もないし、
その人の人間性にも何の関係もない。
くだらない意見を書き込みしたい人間がいることを否定はしないが、そんな書き込み見たくもないし、
わざわざ書き込みたいとも思わない人間もいっぱいいる。
あと、書き込みしまくるにつれて主張の数がネズミ算的に増えていくから、誰でもちょっとはマシな
主張が書き込めるとか書いてる意見をよく聞くが、そういう可能性も否定はしないけど、
君の頭脳のの程度からいって圧倒的大多数は独り善がり、クソレスであるわけで、確証もないのに
可能性があるかもしれないというだけで書き込みをするのは滑稽。
仮にどっかでマシな意見が混じってても、それは圧倒的なクソな意見の中のごくごくわずかな一滴であって、
そんな程度の主張を強調するのは、やっぱり滑稽だ。
まして、他人の以前のレスにまで遡ってちょっと気に食わない点があるからって粗探しするのも同様。
別に先祖調べしたくない奴はしなけりゃいいし、動機はどうであれ、
したい奴はすればいい。ただ、それだけのこと。
自分は564で先祖が士族と書いた者だが、武士といってもピンからキリ。
うちの先祖は田園地帯で日頃は野良仕事してたような最下層士族で、
普通のお百姓さんと違うのは剣術の心得があったこと位で、
よって士族とはいっても単なる無名の庶民。
だが、自分の先祖が無名の庶民ではあっても、戸籍調査等の結果、
自分に至る家系図を作ってみると、なんとまあ多くの先祖のおかげで
自分が今生かされているかを実感したし、人間だけでなく、犬や猫など
動物に関してまで命の大切さを考えさせられたのは先祖調査の収穫だった。
これを奇麗事と見るかどうかは人それぞれ見解の相違なんだろうが、
でも現在では核家族化が進み、仏壇の前でご先祖に手を合わせるなんて
風習が廃れた結果、今の子供たちは命の大事さを実感として感じる機会
が減り、寝屋川の事件みたいなことを起こすやからも出てくる面は
あるんじゃないかと思う。
624 :
日本@名無史さん:05/02/16 20:51:13
ま、現実世界で充実してる人間は過去の世界に沈殿したりしないもんだ。
戸籍あさりなんて実生活がうまくいってたり、仕事が充実してたら普通やらないよ。
625 :
日本@名無史さん:05/02/16 20:56:34
本当に時間がある人はうらやましい。
戸籍を取ったり、先祖の研究をしたいんだけど、忙しくてできてない。
もっと時間の使い方を上手くすれば良いのだろうけれど。
もっとお金を貯めて、系図関係専門の行政書士さんに頼もうかなぁ。
626 :
日本@名無史さん:05/02/16 21:21:50
>>625 頼んでもいいけど高いよ
手数料が2000円だとして除籍謄本(750円)とあわせて2750円
それがまあ20冊あれば55000円、父方、母方で11万
しかも何ヶ月もかかるしね、自分は役場に行ったら丸一日かかったけど
全て取れて2万弱だった、本籍地は遠いかったが腹をくくればそんなに
苦痛ではない(ちょっとした旅行感覚だ)
627 :
日本@名無史さん:05/02/16 21:29:07
>>593 あそうそう、ひとつ書き忘れてましたが、うずめさんレスありがとう
ございました。
壬申戸籍は法務局で、現代では不適切な情報は除外して、自分の直系に
関して記載事項証明を数回お願いしましたがさすがにこれはだめでした。
宗門帖については薩摩藩では寺請制度が厳密に行われてなかったために、
私は疎かったのですが、うずめさんのご先祖さまのように既婚女性でも
名前が記載されている場合のほうが多かったみたいですね。
ただ、一部には「妻」や「母」で済ます場合もあったようです。
まあ若干の雑音もありますが、私は
>>623のような考えですので、
今後の調査でのご健闘をお祈りしております。
629 :
日本@名無史さん:05/02/16 22:12:29
>>628 >壬申戸籍は法務局で、現代では不適切な情報は除外して、自分の直系に
>関して記載事項証明を数回お願いしましたがさすがにこれはだめでした。
すごい行動力ですね。感服です。
私はそれとなく「壬申戸籍はどうなったの?」
と聞いたのがせいぜいですね
「前任者が処分したらしい」とかはっきりとは
教えてもらえませんでしたが。
630 :
日本@名無史さん:05/02/16 22:26:16
親戚のばあさんが言うには、うちの先祖は武士だったらしいのだが
戸籍謄本で調べてみると、ひい爺さんの名前が政吉(江戸時代に生まれた)
ひいひい爺さんは為吉と載っていた。どうみても武士らしくない名前なのが
本当に武士だったのだろうか?
631 :
日本@名無史さん:05/02/16 22:38:59
一概には言えないだろ
昔はミドルネームがあったからな
たとえば山田儀右衛門為吉とかで明治にミドルネーム廃止で
山田為吉になったのかもよ
というか為吉って武士っぽいじゃん
うちなんて仁兵衛とか熊五郎とかよ
632 :
日本@名無史さん:05/02/16 22:51:23
>>625 まあ高いのは高いけど
行政書士と話し合ったらどう?
分割とかあとでまとめて払うとか
対応してくれる場合もあるよ
どっちにしろ興味あるなら急いだほうがいいよ
除籍謄本は破棄されるから
633 :
日本@名無史さん:05/02/16 22:54:36
仁兵衛も熊五郎も武士の通称としての実例を
知ってるよ。
○吉(きち)の吉って通称系じゃないの?
635 :
日本@名無史さん:05/02/16 22:57:34
>>630〜
へえ。名前で色々判るんだ。
うちの7代前は「徳兵衛」で
武士だったと聞いたけど
どうなんだろ。
636 :
日本@名無史さん:05/02/16 22:58:01
私はたった2年の差で破棄された戸籍があります
曽祖父は大正2年に死亡、除籍
役場は大正4年以前を破棄していました、
(しかも去年)非常に残念です
高祖父名が分かりません(墓はありますが俗名が分かりません)
625さんも早く入手したほうがいいですよ
代金だって二度と手に入らないと思えば安いでしょう
>>630 「吉」という字自体は割と一般的に武士に使われてるはず
「ためよし」と読むのか「ためきち」と読むのかで変わるな
>>631 ミドルネームじゃなくて通称な
正式な名前、諱(忌み名)は文字通り不吉とされて普段呼ぶ時は官名や通称で呼ぶ
638 :
日本@名無史さん:05/02/16 23:13:12
先祖探し関係でどんなHP見てる?
俺は「ごさんべえ」と「播磨屋」をよく見てた
最近覗いてねえな
639 :
日本@名無史さん:05/02/16 23:16:10
>>623様やうずめ様
あなた達は何歳ですか?
ぶしつけな質問ご容赦ください
ちなみに私は25歳です
25歳くらいなら戸籍で5代前くらいは遡れますか?
640 :
日本@名無史さん:05/02/16 23:26:20
>>638 「ごさんべえ」は先祖探しのバイブル的なものだろう
詳しく説明している
>>624 ま、現実世界で充実してる人間は関心外のスレに拘泥したりしないもんだ。
他人の行為の粗探しなんて実生活がうまくいってたり、仕事が充実してたら普通やらないよ。
>>639 >>623ですが私は昭和46年真夏の生まれです。既婚の会社員ですので
時間もなかなか取れませんが、私の場合、
- 先祖の戸籍は鹿児島県某A市と隣町某B町だけですべて取得できた
- 鹿児島の実家の父が協力してくれている
などでわりと順調に調査できました。
私の父を1代としてその父、そのまた父とさかのぼった場合は5代前
まででしたが、その他の先祖は両親を1代として7代目の人も3人判明
してます。25歳の639さんならもっと多くの7代目が判明するかも
知れません。
ただ、うちは
>>556>>564で書いたように、110年以上前の除籍謄本も
すべて取得できたからそこまで分かったわけでして、639さんの
ご先祖の本籍地の自治体の保管状況によってどこまで遡れるかが
ある程度左右されてくると思われます。
>>636さんがおっしゃるように早いこと古い除籍謄本を取得された
ほうがいいでしょう。私に触発された名古屋市出身の友人が
先祖調査をしようと名古屋市某区役所に電話して問い合わせた
ところ、その区役所では1,2年内にどの程度の量か知りませんが
古い除籍謄本を廃棄する予定があるとのことだったそうです。
>>629 >すごい行動力ですね。感服です。
いやいや単に30になって面の皮が厚くなっただけかも・・・
あげ
645 :
日本@名無史さん:05/02/17 14:35:28
なんか苗字を生きがいにしてるやつってスゲーかっこ悪い。
だって祖先が何千万人もいて、そのうちのひとりの持ってた苗字が苗字にたまたま現れたってだけなのに。
そもそも昔は不縁ならすぐに養子もらったりしてたし、その苗字が何百代も養子と無縁で
継がれて来た確率は天文学的数字になる。つまり血統構成の何千万分の1すらも証明しないってこと。
ただでさえ苗字は明治以降の必称例が発布されてから、土地の地主や、近くの当時の地名、職業、その他から
決まったのが大部分だし(明治以前は8割の市民が苗字を持っていなかった!)、江戸時代なんかは
苗字の盗用が無法地帯で、勝手に書類や家紋を偽造したり盗用したりして、偽の名門を名乗るのが当たり前だったのに
どこをどう見たら苗字を自慢するスレに見えるのか教えていただきたい所だ
個々の事例によるでしょうが、20代の人なら8・9代までさかのぼれる人も
いるかも。私の場合最高で7代でした(母の父の母の母の父の父の父)。
次スレ立てるときは、564で紹介されてるページやごさんべえ氏のとこを
リンクに立てといたほうがいいと思われ。ついでにスレ名も5代云々てのは
変えた方がいいと思われ。
>>645 なんかスレの粗探しを生きがいにしてるやつってスゲーかっこ悪い。
中学生程度の国語力と日本史知識でage書き込みするのやめてね厨房
>ただでさえ苗字は明治以降の必称例が発布されてから、土地の地主や、近くの当時の地名、職業、その他から
>決まったのが大部分だし(明治以前は8割の市民が苗字を持っていなかった!)、江戸時代なんかは
>苗字の盗用が無法地帯で、勝手に書類や家紋を偽造したり盗用したりして、偽の名門を名乗るのが当たり前だったのに
だってさ。プークスクスゲラゲラ
>>647 ナルホド
確かに先祖探しを前面に
押し出したスレッド名がいいのかも
そういうスレッド他にあるのかな
俺は戸籍で6代前が最高(父を一代前として)
それをできると思うのは、この国の裏の姿を知らない東日本さんかな。
これが表に出ることで大変なことになる(と信じている)人たちは、多いらしいよ。
誰かが、純粋なルーツ探しをできなくしているわけ。
つーか閲覧は現行戸籍でもできないわけだが…
652 :
うずめ:05/02/17 22:57:40
うわっ、ちょっと見ない間に随分書き込みありますね。
>>610〜
>>613 普通は、自分の先祖が皇族や武家や著名人であって欲しいと思うのは自然な気持ちでしょうね。
ただ、私の場合は武家も著名人もいないからというわけじゃないんですが、全ての先祖を等しく
私の大切な御先祖です。
私の目標は、もう誰からも忘れられた無縁仏化した5〜6代前の御先祖の墓を雑草の中から発見し、
息子(現在2才)を連れてご対面することです。
653 :
うずめ:05/02/17 23:02:29
>>614 >「ああ、ここでじいちゃんは踏ん張ったんだな」「このときは嬉しかったろうな」こうしたことを知ることは自分の人生にもプラスになるはず
そうなんですよね。
祖父以前の時代の村の暮らしぶりは、地元の歴史民俗資料館の資料からおおよその見当はつきます。
白御飯はハレの日など年数回だけ、普段は麦・粟・野菜が混ざった菜飯で、おかずも味噌汁と漬物
くらいだったらしいです。
畑仕事や野良仕事、家に帰っても仕事があり、夕方5時夕食、夜8時に寝て翌朝4時に起きる。
そんな生活嫌だ!と現代人は思うでしょう。私も嫌です(w
でも貧しい中にも、楽しいこともあったでしょうし、色々な人間ドラマがあったに違いありません。
あの土地を一所懸命に耕して生き抜いた人達が居たからこそ、今の私があると思うと感謝の気持ち
でいっぱいになります。
654 :
うずめ:05/02/17 23:05:47
>>625 >本当に時間がある人はうらやましい。
>戸籍を取ったり、先祖の研究をしたいんだけど、忙しくてできてない。
あ、戸籍は郵送で送ってくれますよ。
>もっとお金を貯めて、系図関係専門の行政書士さんに頼もうかなぁ。
お金持ちですねえ。
最近の戸籍から自分でそれを読んで、遡って調査検討して自分で全ての除籍謄本
を集めて先祖を明らかにするということに、私は喜びを感じます。
655 :
うずめ:05/02/17 23:12:10
>>628 564さん、レスありがとうございます。
>壬申戸籍は法務局で、現代では不適切な情報は除外して、自分の直系に
関して記載事項証明を数回お願いしましたがさすがにこれはだめでした。
え!壬申戸籍の謄本請求に行ったんですか?
すごーい!しかも数回。
う〜ん、私にはそこまでの行動力がないですね。
でもダメでしたか、やっぱり。
>ただ、一部には「妻」や「母」で済ます場合もあったようです。
そうでしょうね。全国各地でフォームが一様ではなかったでしょうからね。
それと宗門人別帖と明治19年式戸籍で人名の漢字が違う場合がありますね。
それと、年齢も2〜3年は平気で食い違ってたりとか・・
>現在では核家族化が進み、仏壇の前でご先祖に手を合わせるなんて
>風習が廃れた結果、今の子供たちは命の大事さを実感として感じる機会
>が減り、寝屋川の事件みたいなことを・・・
同感ですよ。「生」とか「死」について考える時、御先祖とか出産とか身近に考える
機会が無いんでしょうね。
>今後の調査でのご健闘をお祈りしております。
ありがとうございます。また色々ご教示くださいませ。
656 :
うずめ:05/02/17 23:21:44
>>639 私は35歳です。
>25歳くらいなら戸籍で5代前くらいは遡れますか?
564さんが言われるとおり、今のうちに早く除籍謄本を集めておかねば
永久に分からなくなる先祖が出てきます。
お忙しいでしょうが、一刻も早く除籍謄本を取り寄せてください。1日でも早く
657 :
日本@名無史さん:05/02/17 23:38:31
古戸籍はとっとと焼却するなりシュレッダーにかけるなりして廃棄すべきだな。
658 :
日本@名無史さん:05/02/18 00:01:29
>>608 なんで女系だとダメなんだ?
今の近衛家、鷹司家、徳川宗家なんて女系だろう。
それに華族じゃなくても女系で相続してきた旧家なんてごまんとある。
659 :
日本@名無史さん:05/02/18 00:09:14
うずめさんへ
>>610〜
>>613 です
普通は、自分の先祖が皇族や武家や著名人であって欲しいと思うのは自然な気持ちでしょうね。
ただ、私の場合は武家も著名人もいないからというわけじゃないんですが、全ての先祖を等しく
私の大切な御先祖です。
私の目標は、もう誰からも忘れられた無縁仏化した5〜6代前の御先祖の墓を雑草の中から発見し、
息子(現在2才)を連れてご対面することです。
同感です私も同じ体験をしました
大学時代に父に聞いて私の高祖母の実家であろう場所を教えてもらったら
お墓が点在していました
その家は断絶しておりだれも参る人がいませんでした
(50年前くらいには祖母も墓掃除をしていたらしいのですが)
草は生い茂り竹薮に侵食されて無残なすがたに変わり果てていました
いつも田舎に帰ったら墓参りはするのですが草取りや墓掃除などは
していませんでした、しかし、心の中でもやもやしていてやっと去年
の盆に大掛かりに草を全て取り墓も泥を落として、竹も伐採してきれいにし
祖母、父、私、娘の4人で墓参りをしました。
その時にやっと心のもやもやが晴れたような気がします
私は現在30歳ですが親子四世代で墓参りをするのはなかなかない事だと
思いますので良い経験になりました。
660 :
610:05/02/18 00:17:50
田舎に帰った時に家から田んぼや景色を見たらおそらく150年くらい前の
ご先祖様も同じような景色を見ながら一生懸命生きていたんだな・・と思うと
感慨深いです
5代前さか上るって難しいのか。
役所で調べるのだったら大変なんだろうな・・・。
家系と血筋は、また別だものね。
663 :
日本@名無史さん:05/02/18 03:50:44
うちは分家で6代前から始まる。
初代は文政13年生まれ、二代目は文久元年生まれ。
うちも祖母の代からの分家だけど、
祖母の弟(本家)の代から12代前まで家系図に記録されてる。
寛永18年だと。ちなみにこのスレに多くあるような「代々の武士」とかでなく
今で言えば専門技術職なんだが。
665 :
日本@名無史さん:05/02/18 12:48:39
祖母が分家ってどういう意味?
弟がいるのに、あなたのおじいさんがそのおばあさんに
婿入りして分家を構えたの?
そうであればかなり珍しいケースだと思うが?
666 :
日本@名無史さん:05/02/18 13:04:07
うちは、ひいおじいちゃんの代で、大阪に移ってきました。
今は伊賀に住んでます。
岩国の下級藩士の家系だそうです。
しかし、文献で調べてみたら、岩国の下級藩士階級って
ほとんど農民と同じ暮らしぶりだったとか。
やはり粉飾してたのかと、・・・思いました。(笑)
なんか、モノはうまく言い様、っていうか。
じいちゃんの話は、結局信用できない。
真実を知りたければ、全部自分で調べるほかありませんね。
>>665 土地の相続対策で婿養子とったんだと思うよ。
当時農地改革とかで大変だったらしいし、詳しくはわからん。
珍しかろうが何だろうが、嘘書いたわけじゃないので
いじめないでください。
668 :
日本@名無史さん:05/02/18 19:06:23
娘に婿を迎えて分家というのはよくあるよ。
例えば、娘が体が弱くて嫁に出して苦労をさせたくないという親心で、、、。
裕福な家であれば婿を取って分家させるなどということです。
669 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:17:58
>>625 土日しか休めない仕事だと戸籍請求は難しいよね
俺の場合友人の影響で先祖に興味をもったが
「早く戸籍とれ」と何度も急かされたよ
「うるせーなこいつ」と思ったが
何とか休みを取って請求したよ
先祖探しの事が判るにつれ「あの時請求してよかった」
と思うようになったよ
とりあえず戸籍だけでもどうでしょう?
ま、無理は禁物だけどね
>>654 で言われてるように郵送請求も出来るよ
先祖の本籍地判る?
そこの管轄役所のHP見つけて
郵送請求の調べ方を見て
やってみるといいよ
判らなければ役場にメール送って聞いてみりゃいいし
ここで質問してみてもいいんじゃない
ここレベル高いみたいだし
>>636 >>642 各氏も同じようなことを言ってる
押し付けがましくてスマヌ
671 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:41:04
うちの本家は代々商売をやってきて、当主は必ず「源左衛門」と名乗る。
いまの当主(漏れの叔父)は一六代目源左衛門だよ。
お墓や過去帳から、江戸時代はじめまではさかのぼれる。
672 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:44:43
>>668 男児がいるのに、娘に婿を取るというのは珍しいんじゃないかな?
男の子がいなければ、ありふれた話なのはいうまでもない。
673 :
日本@名無史さん:05/02/18 22:41:25
>>665 664さんが言われているのは、おそらく「姉養子」のことだと思います。
「姉養子」とは家を継ぐべき男児がまだ小さい場合に、ピンチヒッターとして
姉と婿が一時的に家督を相続します。そして、数年後男児が家を継ぐべき年になったときに
姉と婿は家督を譲り、分家するというものだったようです。
民俗学でちらっと触れただけなので、間違っていたらごめんなさい。
674 :
日本@名無史さん:05/02/18 22:41:45
>>672 男子には家督を相続させる。
娘が体が弱くて、とかハンディーがあって、嫁に出して苦労をさせたくないという親心で、、、。
それで裕福な家であれば、婿を取って分家させるなどということです。
こういう例、少なくないですよ。それなりに裕福な家ではね。
675 :
610:05/02/19 00:24:55
戸籍も100%正しくはないです
97%くらいかな
私の父親は祖父母が婚姻届を出した日に生まれています
まあこれはよくあることで婚姻届と出産届をめんどくさいから
同じ日にだしたのですが
私の母方の祖父なんか曽祖父母が55歳のときの子で9男です、
まさかと思い母に聞いたら、実は戸籍上では長兄になっている人が父親です
(むかしハワイに出稼ぎに行くときに子供がいたら邪魔なのでわざと
父親の子供にしたらしい)
676 :
日本@名無史さん:05/02/19 00:32:15
>>666 地方の下級藩士なんてそんなもんじゃないの?
うちも18世紀に藩の返上まで考えたクソ貧乏藩だけど、下級藩士はとてもお給料だけじゃ暮らしていけないよ。
大体が城下の屋敷内で副業として農業とかやってたみたい。しかも、下級藩士の下に半農半士の「原方衆」って
のがいて、こっちは郊外に住んで大々的に農業やってたから、なまじ下級藩士よりも豊かだったらしい。
>>675 昔の戸籍はいい加減だったみたいね
司法書士に聞いたことあるけど
戦争に行かせたくないためにわざと遅く出生届けを
だしたり、未婚の母では不憫なので祖父の子供にしたりと
結構いい加減だったらしい
いい加減というか大らかかな
>>673-674 なるほど。確かに家督というか家業と家代々の山と畑は
現在も祖母の弟である大叔父のものだよ。兄弟の年齢が離れている上に
家業が大学に行って資格取ってからじゃないと継げないものだったから
そうしたのかも。(←江戸時代はそんなこと無いはずだろうけど)
戦争があったりでいろいろ大変な時代だったし。
だから分家といっても家の名前を分けるという雰囲気じゃなくて
生家の脇にあった畑に「離れ」を建て増した的な家なんだよね。
本当に家屋だけw
そんなことを民俗学でやるのか。折れはちっともしらなかった...orz
679 :
日本@名無史さん:05/02/19 03:29:37
>>671 今も家の通り名を引き継いでいるとはすごいです。
うちは代々「要右衛門」だったけれど明治になって使われなくなりました。
あと、江戸時代には「昌勝」とか「通昌」とか実名(?)があったのに
それもなくなりました…。
祖父は「うちはただの百姓だ」と言うのですが農民も実名を使えたのですか?
680 :
日本@名無史さん:05/02/19 03:34:58
>>675 たしかに97%くらいかも…。
過去帳や墓石だと「やよゑ」ってなってる人が戸籍では
「やゑ」と記載されてる。
この場合どちらが正しいんだ…orz
681 :
610:05/02/19 11:22:01
こんなこともありました
墓は此平で戸籍は小之平とか
戸籍は愛助ですが日常の呼び名は新平とか
>>675 墓では「トシヲ」
M19の戸籍では「トシヨ」
別の戸籍では「トシヲ」
親戚に聞いたら「トシヨ」
混乱したが戸籍取れたからええか
>>680 俺も全く同じ状況
迷った末「どちらも正しい」と判断して
家系図の中にメモ書きしておいた
681さんみたいに「戸籍名」と「通称」が違う場合も
あってそれも同様に処理しました
ホント混乱するね
普通は当時の墓碑にある文字を最優先させる。
686 :
日本@名無史さん:05/02/19 13:18:12
>>682 名前のいいかたなんてどっちでもいい
昔は読み(呼称)を重視していた
だから
同じ読みでも漢字は多岐にわたっていた
>>686 アリガト
だから書き文字の場合
色んなパターンが残ってるんだな
OK、納得
688 :
日本@名無史さん:05/02/19 23:47:08
みなさんはどういう手順で先祖を探しているのですか?
1戸籍謄本
2過去帳というもの
以上で終わりですか?
689 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:03:05
>>688 1、除籍謄本→6代前まで判明
2、過去帳→くずし字が難しいし続柄無し…orz
3、墓石→ほぼ読めるが全くわからないものも…
4、郷土史→あまり情報無し
5、聞き込み→年よりはかなり古いことまで知ってる
6、ネット→有名な家なら有効
このくらいかな?
1、2、3がよく調べられたW
690 :
日本@名無史さん:05/02/20 00:16:39
689さん
有難うございました
自分もやってみます
691 :
610:05/02/20 00:32:47
>>688 墓から得られる情報も多いです
私の先祖は過去帳がありませんでしたが(1軒しか)
しかし墓はかなり古いものまでありました1800年代とか
稀に1700年代後半のありました(ちなみに全て普通の農民です)
ただし続柄や俗名がないので絶対にこの人の親はこの人とは
断定できませんですが・・・
あと古老の聞き込みは必須ですかなり細かな家の伝承を聞けることがあります
ぜひチャレンジしてみてください
>>688-689 1、戸籍謄本→本家のおっさんが個人的な趣味で調べてくれた
2、過去帳→同上
3、墓石→同上
これだけで江戸時代の始めまで溯れた。
4、郷土史→断片的な情報だけど室町時代とかのネタがかなり拾えた。
5、聞き込み→幕末以降・戦前までの話がかなり集まるけど
いろんな話が矛盾しててかなり「創作」が混じってるような気がしたw
6、ネット→これは漏れの場合、あまり役に立たなかった。
室町以前の系図とか一部復元で役立ったけどもはや「うちの先祖」ってレベルじゃないし。
693 :
日本@名無史さん:05/02/20 18:24:48
やはり家系図調査のゴールは天皇なのだろうか?
694 :
日本@名無史さん:05/02/20 19:13:24
695 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:45:10
>>688 1、除籍謄本→とにかく急いで取って
2、過去帳→今すぐ破棄されることはないだろうけど
住職と繋がりがある親戚が元気なうちに行っておいた方が…
3、墓石→ゆっくりでOK
でも古いものは建て直しもあるので休日を利用して
4、郷土史→後で大丈夫。図書館、古文書館に資料はいつでもあります
地域振興課、教育委員会などもいいかも
また地域密着の古書店があれば話も聞けるかも
5、聞き込み→急いで。祖父母が存命なら早く話をききましょう
6、ネット→いますぐ
696 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:50:52
相変わらず後ろ向きのスレだな(ワラ
>>688 墓所は早めに聞いておいた方がいいぞ
祖父母の墓所は知ってるかも知れないが
それ以前は聞いておかないと誰も判らない可能性がある
698 :
日本@名無史さん:05/02/21 00:10:27
結構教育委員会を利用するはいいと思います
とてつもない資料を持っていたり、郷土史家を紹介して
くださる場合もありますし、この郷土史家がまた貴重な資料を
持っていたり、別の人物を紹介してくださることさえあります。
実際いけなくてもメールでのやり取りで、すくなからず情報が入ります。
>>698 俺は地元役場が作成した古地図を
買った
700 :
日本@名無史さん:05/02/21 00:17:19
>>697 曽祖父母までなら墓所にあると思うが高祖父母以前は
おそらく家の裏とか目立たないところにあります、
その家の持ち主しか分かりません
私も探すのに10年以上かかった墓がありました
実際に分かったらなんだこんな所かという場所ですが
知らないと分からないものです
(家を探してそこの方に教えてもらいました)
>>700 フォローアリガト
>高祖父母以前は
>おそらく家の裏とか目立たないところにあります
というのはどういった墓のことでしょう?
うちの場合は代々かたまってある墓が多かったので
702 :
日本@名無史さん:05/02/21 00:31:13
>>701 場所は家の裏です(距離はさまざまほんとに真裏から300m離れていたり)
1人ひとつの墓で夫婦の場合隣どうしで並んでいます
私の場合はそれが3〜4セットありました
そのほかにノズラ(河原石みたいなもので名前の彫っていないもの)が
5〜6個ありましたおそらくかなり昔の墓か幼くて亡くなった子供の
墓だと推測しています。
>>701 ありがとうございます
「家の裏」或いはごく近く、というのがポイントですか
うちの墓にも「ノズラ」っぽいのがありました
そこには高祖父母以前もあったから
代々墓所が受け継がれてたんでしょう
705 :
日本@名無史さん:05/02/22 07:48:15
age
戸籍は全部とった
親戚も大体話を聞きに行った
あとは古すぎて親戚も判らないような
先祖の住んでいた周辺地域の、俺の先祖と同姓の方
に手紙を書こうと思っている
何かいい文面ないだろうか?
もしくはこの本読め&サイトを見れというのがあれば…
707 :
日本@名無史さん:05/02/24 02:08:12
今の戸籍全部事項証明はほとんどの事項が省略されているんだね。
わざわざ本籍地から取り寄せたのに、既に死亡した親族は除外されているし、
自分の出生地の字名すらわからない。(w
以前はちゃんと載っていたのに・・・。
改製原戸籍を請求せねば・・・。
二度手間だ・・・。_| ̄|○
708 :
日本@名無史さん:05/02/24 07:46:21
age
709 :
日本@名無史さん:05/02/24 09:59:34
>>707 そうなのか知らなかった
おそらく平成6年版戸籍だな
俺のところは役場が田舎なので改製していない
710 :
日本@名無史さん:05/02/24 19:16:08
5代前って何年前なの
>>710 一代あたり30〜44年。三代で100年。
712 :
日本@名無史さん:05/02/25 11:12:38
自分の高祖父母と生きているうちに会ったことある人いる?
自分の田舎では隣のおばあちゃんが玄孫(孫の孫)をみたよ
105歳だったけどね
713 :
日本@名無史さん:05/02/25 20:49:49
>>710 12才で代々子を産めば、5代で60年。
60年前といえば、第二次大戦終戦の年。
46才で代々子を産めば、5代で230年。
230年前といえば、平氏が滅亡した年。
714 :
日本@名無史さん:05/02/25 23:57:08
>>712 20歳毎で子供ができたら
40歳で孫
60歳でひ孫
80歳で玄孫
まあ上手くいけば80〜100歳の間で玄孫は見れる
でも30歳毎なら
60歳で孫
90歳でひ孫だ
ちなみに俺の祖母は89歳でひ孫がいるが120歳までは生れないだろう。
715 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:04:47
?→高祖父→曽祖父→祖父→父→私→子→孫→曾孫→玄孫→来孫→昆孫→仍孫→雲孫→?
716 :
日本@名無史さん:05/02/26 02:35:04
除籍謄本を調べたんだけど、戸籍だけでも、弘化やら、安政やら、文久やら結構出てくるもんだね。
ちょっと意外だった。
古い場合だと、どの辺の元号まで出てくるんだろう?
>>711 随分、晩婚な家系のようですね。
ご先祖さまは高学歴、高収入で30代まで女遊びしてましたの?
うちは早婚の家系で私の直系オジオバだけでも22人
>>717 >>711で書いたのは昔から伝統的にいわれてること。
長男は16-18歳で生まれるかも知れないが末子は48-50歳くらいでも生まれる。
その後は富豪じゃないと老齢で子供養えない。(生まれても養子に出される)
各代の先祖は長男だったり末子だったりいろいろだからその平均。
まぁ現代に当てはまってるかどうかはアレだが。
719 :
日本@名無史さん:05/02/26 10:32:13
自分の祖父は曽祖父が43歳の時の子供(末子で9番目の子供)
自分の父は祖父が再婚相手の祖母との3番目の子供(35歳)
自分は父が33歳の時の子供
ちなみにこの三人結婚は20〜24歳くらいでしている
別に晩婚でもなければ高学歴でもない
720 :
日本@名無史さん:05/02/26 10:58:39
↓ おまえら
見た目はキモデブヲタそのもの。脂っぽい長髪にフレーム付きの
度の強い眼鏡を太った顔に食い込むようにかけている。
ゴジラが大きくプリントされたTシャツを着用。そのうえバンダナと
レーシング手袋、紙袋は必携してるw
↑
ってキモデブヲタのスタンダードなの?wwww
眼鏡:視力悪くないから持ってない
ゴジラが大きくプリントされたTシャツ:特撮趣味じゃないので持ってない
バンダナ:持ってない
レーシング手袋:何のレース用だろうか・・・とにかく持ってない
紙袋:なんでそんなの持ってるの?重いからイヤだぁ
と、暇だし答えてみたwwプ
723 :
日本@名無史さん:05/02/26 15:05:17
724 :
日本@名無史さん:05/02/26 15:12:55
>>722 ということは、「脂っぽい長髪」で「太った顔」なのは否定しないんだなw
うはwwおまえ暇なんだろww
私、女だから答えてもどうせ(ry だからその質問わざと答えてやんなかったww
はげしくスレ違いだから、おまえも失せろ、ハゲ
過去帳見せて欲しい場合どうしたらいい?
727 :
日本@名無史さん:05/02/26 23:54:40
>>723 それってすごいですね
明治19年ですでに87歳
おかしくはないけど何歳まで生きたんですか?
729 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:02:35
>>726 1 自分の家の菩提寺なら行って頼む
2 親戚の家の菩提寺(母とか祖母とか)は親戚に頼んでみる
自分がじかに行っても相手にさせません
当然お布施がいります、金額は1〜3万くらいではないでしょうか?
ひょっとしたらもう少しかかるかも
しかも、頼んですぐなんてことはありません早くても3ヶ月くらい
遅かったら1年くらい
和尚さんも忙しいしね片手間でするんだから、
昔見せてもらったけど、過去帳って家ごとでくくっているわけじゃないので
相当見つけるのが難しいです。(日ごとでくくっているので亡くなった年も
家もぐちゃぐちゃです、しかも、草書で読めなかった)
それを暇な時に和尚さんがするんだから相当時間がかかります
730 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:05:54
>>728 長生きしすぎ
明治で96歳ってまじすごい
今だったら130歳くらいじゃないの?
>>729 アリガト
本家のおじに菩提寺は教えてもらった
おじは先祖探しには興味はあるが
後はてめえでやれ
出来たら家系図見せろ
という感じだ
菩提寺に紹介の電話掛けてくれと
言ったがうやむやにされた
732 :
729:05/02/27 00:11:24
>>731 それってかなり厳しいね
多分相手にされないよ
まあ頑張ってその伯父の甥ってことを最大限アピールするかだけど
門徒でない人は無視されるのがおちです
>>730 フーンそんなにスゴイのか
そういや俺の先祖長生きが多かったな
>>729 ウツだな
アピールしてみるわ
とにかくアリガト3
735 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:27:50
>>734 734は今どこまでやっているの?
何代前まで分かっているのかな
あと全ての先祖調べているの?
>何代前まで分かっているのかな
戸籍で判ったので6代前だ
親戚にもらった伝来家系図では
15代位前もあるが信憑性は微妙だ
>あと全ての先祖調べているの?
調べている 戸籍は全部とった
>734は今どこまでやっているの?
あとは郷土史、古い先祖の卑属を探す、
菩提寺周りぐらいか
なかなか時間がとれん
737 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:42:08
>>736 では高祖父母位は全部判明?
15代前って江戸初期よまあうそ臭いね
親戚(母方や祖母も実家、曾祖母の実家など)の尊属は探したの?
738 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:57:52
除籍簿を取り寄せたら、戸籍上の親子と実際の親子が違っている事例を発見。
その子の祖父母に当たる人物が戸籍上の両親になっている。
自分は知っていたから良いけど、何も知らない後世の子孫が戸籍調べをしてこれを見つけたらどう思うんだろうか?
文久2年と3年生まれの夫婦が、大正8年に突如16年ぶりに子供を作るのは無理がありすぎるだろ・・・。
その子の実の父の名前はわかるけど、戸籍上の繋がりがないから戸籍を手に入れるのは至難の業だな。_| ̄|○
>では高祖父母位は全部判明?
した
>15代前って江戸初期よまあうそ臭いね
orz
>親戚(母方や祖母も実家、曾祖母の実家など)の尊属は探したの?
戸籍以前は何か探したという事?
3家だけ伝来家系図があった
その他の家は何もしてない
>>738 行政書士、司法書士に依頼するしかねえな
741 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:26:53
江戸時代や戦国時代だったら、これ幸いとばかりに適当に誰かの落とし胤ということにしてしまうんだろうな。
こうして偽系図が(ry
>>738 たとえ除籍簿であれ、ミスを発見したら修正してもらうことは可能です。
役所の戸籍係にミスを証明できる書類を提示してやれば無料で修正されます。
手続完了までに結構時間かかりますけどね。
でも本当の両親が犯罪を犯したり、勘当されたり、戸主に離縁された場合、
あるいは母方と父方の身分や家柄が違い、孫の結婚に支障がでそうな場合は
故意に(実際の)祖父母を両親として戸籍登録する小細工もあったそうです。
結婚相手の家柄調査に熱心な地方がありまして
直系親族に被差別層の出身者がいると、それだけで破談になるというケースも。
この辺の情報は、敢えて詳しく述べませんけど。
743 :
日本@名無史さん:05/02/27 04:05:56
だから古い戸籍なんて処分した方がいいのだ。
戸籍ヲタの好奇心を満たす必要などない!!
744 :
日本@名無史さん:05/02/27 07:11:12
745 :
日本@名無史さん:05/02/27 11:15:45
>>738 戦前の戸籍ならよくあることよ
自分の先祖も同じような事例が2〜3あった、
自分の場合は祖父母の戸籍に入っていて実際の父親は兄になっていた
ケースが2つと全くの他人が父親なケースが1つ
戸籍は直系尊属しか請求できないので、委任状を書いてもらった。
746 :
日本@名無史さん:05/02/27 14:04:16
委任状なんて簡単に書いてくれるものかな?
747 :
日本@名無史さん:05/02/27 14:08:34
よその家の戸籍をのぞくなんて悪趣味だな。下司のやることだ。
タシーロやウエクサ教授と変わらないw
げし 【下司】
どうでもいいが、
×下司 ○下衆
げし 【下司】
〔「げす」とも〕
(1)下級の官人。したづかさ。
「六波羅のはや使、―の次郎友方、鞭鐙を合せかけ来り/浄瑠璃・平家女護島」
(2)鎌倉・室町時代、荘園の現地にあって実務をつかさどる荘官の一。預所(あずかりどころ)以上の在地しない荘官などを上司・中司といったのに対する。
749 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:06:25
俺蜂須賀小六って人の子孫らしい。
いまいち有名な人かどうかわからない。
有名なの?
750 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:33:23
>>749 とても有名
蜂須賀正勝で検索すればいっぱいでてくる
よみ:はちすかまさかつ
時代:戦国時代
年代:1526年〜1586年5月22日
内容:戦国・織豊時代の武将。阿波蜂須賀家の祖。尾張海東郡蜂須賀村生れ。
幼名は小六、通称は彦右衛門。土豪から立身し、斎藤道三、織田信長、羽柴(豊臣)秀吉の
幕下で各地に転戦。軍略にすぐれ、天正9年播磨竜野5万3千石の城主。
のち丹波、河内等も加増された。同13年秀吉の四国征伐の軍功により阿波1国を与えられたが、
子の蜂須賀家政に譲り、隠退した。大坂で死去。
752 :
日本@名無史さん:05/02/28 16:08:06
尾張の盗賊でしょ。
秀吉の配下となったことで大名になれた。
明治天皇に先祖は盗賊のくせになどといわれたが、有名人であることは確か。
753 :
日本@名無史さん:05/02/28 16:28:12
蜂須賀小六といえば、子供向けの豊臣秀吉の伝記やマンガでは秀吉を拾った
盗賊とか野武士の親分として登場するが、実際はちゃんと土地を持って
先祖代々この地に住んでいる土豪である。しかし、実際に弟は盗賊みたいな
ことをやってたらしいし、部下も柄の悪い者が多かったようだ。
秀吉との出会いも、実際は秀吉があっちこっち奉公へ行っている時に
知り合ったらしく、蜂須賀邸で居候していたこともあった。
>>749 蜂須賀小六の直系子孫じゃないよね?蜂須賀家のほぼ直系の人って
名古屋在住でここ数代は医者やってる家だよ。現当主(?)は
医学部長だったか学長だったかまでされた方じゃなかったかな?
755 :
日本@名無史さん:05/02/28 19:55:29
蜂須賀家
1至鎮─2忠英┬3光隆─4綱通
├隆矩─5綱矩┬吉武=8宗鎮→9至央→10重喜─11治昭─12斉昌→13斉裕─14茂韶─15正韶─16正氏─17正子
└隆喜─7宗英└6宗員
赤:1〜14阿波徳島藩主家
8宗鎮は松平頼熙(讃岐高松藩主松平頼桓の父)の2男
9至央は松平頼熙(讃岐高松藩主松平頼桓の父)の子で8宗鎮の弟
10重喜は出羽久保田新田藩主佐竹義道の4男
13斉裕は征夷大将軍徳川家斉の22男
756 :
日本@名無史さん:05/02/28 21:26:09
>>754 たぶん母方とか祖母の実家が蜂須賀とかじゃないの?
もしくはかな〜り昔に分家したとか
757 :
日本@名無史さん:05/02/28 21:26:25
近親相姦で産まれた児は戸籍ではどうなるのpかなあ
絶対どこかに母と息子との間で過ちを犯す奴らがいるよ
どやって届けてるのかなあ
758 :
日本@名無史さん:05/02/28 21:30:36
759 :
日本@名無史さん:05/02/28 21:44:05
>>757 父親(夫)の子供にするんじゃないの?
もしも夫がいなかったら父親不明で届出すのでは?
続柄「拾子」ってのも居るよ
761 :
日本@名無史さん:05/03/01 17:15:16
うちの場合、草創期と近代がわかっているが、その間がわからない。
近代は戸籍によってどこの家でもわかると思う。
草創期というのは江戸時代初期だが、我が家の5代目のときに作成された宗門人別帳
が残っていた。
それによって初代から5代目まで、どんな人たちがいたかがわかった。
しかし、6代目から9代目までがわからない。
10代目以降になると、戸籍でわかる。
762 :
日本@名無史さん:05/03/01 21:41:15
>>761 宗門人別帳は村、町の名主、庄屋が作った、村、町単位の村人、町人の名前と旦那寺が全て載っている冊子です。
年度毎に作って役所に提出します。
ある家の初代から5代目まで載っているとは考えられません。
お宅で作った過去帳の事でしょうか?
763 :
日本@名無史さん:05/03/01 23:13:31
>>762 正確に言うと、「**村 名続帳」と表紙に書かれていました。
寺に保管してあったので宗門人別帳かと思ったのです。
編纂当時、我が家は五代目が家長をやっていた時代だったようですが
(五代目のことを『当代』と呼んでいるから)、
初代については少し詳しく書かれていました。
どこの生まれで、いつ、どういういきさつで、この村に住み着いたか、
述べられています。
うちだけでなく、村中の家々のことが書かれているので、我が家で私製
したものではありません。
764 :
日本@名無史さん:05/03/02 01:28:22
>>761 質問
1 五代目は何時の頃ですか?西暦何年?
2 あなたは何代目なのですか?
3 寺に保管した名続帳の五代目がなぜあなたの先祖だと分かったの
ですか?名字はないので屋号で分かったの?
>>761 俺も気になることが一つ
1〜5代は寺に保存されてある名続帳で判って
6〜9は判らなかったのはなぜ?
寺には6〜9の過去帳はなかったの?
あればわからないなんて書かないと思うよ。
767 :
日本@名無史さん:05/03/02 06:07:17
うちはややこしいよ。
父方が日本とイギリスで母方がジャパンとフランス。母の父がイギリスで母がドイツ、そのドイツの母の母はドイツとイタリアのハーフ
戦時中に父イギリスと母ドイツって非常に珍しい、
で、日本とジャパンの使い分け方を教えてください。
771 :
日本@名無史さん:05/03/02 12:22:11
>>764 761です。質問に答えます。
1 名続帳の表紙には、たしか「寛延*年」とか書いてあったと記憶しています。
2 15代目だそうです。
3 私の祖父がそう言っており、近所の村人もそう言っていました。
住んでいる場所も変わっていません。
この文献は私が発見したわけではなく、私が生まれる少し前に祖父が寺から入手したものです。
当時は電子コピーがなかったので、青写真です。
横レス失礼
寛延(かんえん)は、日本の元号の一つ。
延享の後、宝暦の前。1748年から1750年までの期間を指す。
この時代の天皇は桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家重。
773 :
764:05/03/02 19:18:28
1 寛延ということは1750年ですね
2 15代目ということは10代目は文化、文政の頃生まれていますね
3 祖父が持っていたということは実際に何か分かるものがあったのでしょう
以上のことを踏まえて
5代目は1750年で40〜50歳と推測されます
1代目は単純に1世代25〜30年と考えて1600年頃に生きていた方ですね
6代目〜9代目はおおむね1700年代生まれですね
お寺の宗門人別帳や過去帳は調べられたのでしょうか?
宗門人別帳はないかもしれませんが、過去帳はある可能性が大です
過去帳は1650年ころから記載されはじめ多くなるのは1700年代から
です、その過去帳のなかには6〜9代の人物の名前もあるのではないでしょうか?
ただし過去帳は家ごとではなく亡くなった日付順で記載されていますので
簡単には探せないかもしれませんが、和尚さんんに依頼する価値はあるとおもいます
その時には屋号がないと分からないです(名字では載っていない)
その時は729さんみたいにしたほうがいいと思います
実際には自分の家の屋号が書かれている人物を漏らさずピックアップして
もらってあとから自宅でおいおいに見た方がいいかもしれません。
頑張ってください
774 :
日本@名無史さん:05/03/02 22:50:23
>>272 えらく前のにレスw
うちの本家は尾張藩士で鈴木姓なんだけど
(菩提寺も名古屋にあり建立は200年以上前)マツケンと先祖一緒な可能性あり?
775 :
774:05/03/02 22:51:56
建立→うちの墓ね。200年以上前。
776 :
日本@名無史さん:05/03/02 22:56:42
>>774 可能性はあるんじゃない?そんだけ古い墓をもってるなら
信憑性あるね。
777 :
日本@名無史さん:05/03/02 23:09:20
778 :
日本@名無史さん:05/03/03 09:23:47
>>729 もし自分の家がその寺の檀家ならわざわざお布施はいらないのでは?
>>778 ケースバイケースだろうな
結構手間のかかる作業らしいから
お礼として渡すのもありだとおもうが
ごく親しくて気さくな方なら
お布施もいらないだろうな
780 :
日本@名無史さん:05/03/03 23:12:13
>>778 坊主がただでするわけ無いじゃん
檀家総代とかで毎年多額の寄付をしてるんだったら別だけど
>>778-780 俺の父方の本家の過去帳を
見せてもらった時
お布施は払わなかった
しかし後で聞いたら祖父が存命中に
寺院に多額の寄進を何度もしたらしい
780の事例に似てるな
庄屋って今で言うと何?
783 :
日本@名無史さん:05/03/03 23:58:16
村長
女性ロックバンド
削除依頼だそうか?
786 :
日本@名無史さん:05/03/04 12:10:15
>>782 村長・町長・・・郡長(今は無いが・・・)
俺の先祖の一人が
毛利の家臣
桂某と聞いた
有名なの?
789 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:59:23
無名
791 :
日本@名無史さん:05/03/05 14:13:58
毛利の家臣なら関ヶ原で萩にいったはず
山口のひと?
792 :
日本@名無史さん:05/03/05 14:17:39
793 :
日本@名無史さん:05/03/05 14:26:49
本家は23代目
うちは9代目
だったりします
>>791 広島です
それ以前はどこから来たのかは…??
>>792 有難うございます
播磨屋さんのHPですかね?
飛べなかったデス…
>>795 これだけの情報で何でそんなことが分かるんですか?w
やっぱり専門板はすごいですね。
ちなみに違います。
大した家ではありませんので、流して下さい。
797 :
日本@名無史さん:05/03/05 14:50:05
>>796 横レス
桂は確か1500年頃に名乗ったはず
23代なら 23代×30年=690年
1300年ころになり不自然
まあ代々20歳で子供作れば可能だけどね
>>797 突っ込んだつもり?
昔は早かったでしょうがw馬鹿ww
799 :
日本@名無史さん:05/03/05 14:52:25
桂氏は毛利氏の有力庶家で、宗家の執権職をつとめた坂氏の分かれである。
毛利弘元・興元の代に執権職にあった坂広明の子広澄は、
広明の嫡男でありながら家督を継がず桂村に住して姓を桂に改めた。
大永三年(1523)、毛利氏の家督にあった幸松丸が死去したことで、
毛利氏家中は協議して毛利元就に家督相続を請うた。
元就が毛利宗家を相続するにあたって、忠誠を誓った宿老十五人のうちの
一人に広澄の嫡子元澄も加わっている。
ところが、翌四年、一族の坂広秀、渡辺勝らが尼子氏の重臣亀井秀綱らと
謀って、元就を殺害し、元就の異母弟である相合元綱を当主に立てようとした。
しかし、反逆は露見し、相合元綱は討たれ坂広秀は切腹、渡辺勝は殺害された。
そして、坂広澄は一族の広秀らが誅殺されたことの責任を感じ、
元就の制止を振り切って自刃した。広澄が自害したことで、
すでに桂氏の家督を継いでいた元澄は、弟元忠ら一族郎党とともに居城桂中山城に立て籠った。
これに対して元就は、使者を派遣して籠城を解くように諭したが元澄はそれを拒否したため、
元就みずから説得にあたったため、ついに元澄は元就に心服した。
>>797 うちだって
慶応年間の当主は6代前だよ。
不思議じゃない。名家妬みは辞めたら(プゲラw
801 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:36:57
たまにいるよね800みたいな厨房が
あくまでも自分の家を一般論みたいに語るヤツ
803 :
◆ypURG809QA :05/03/05 18:30:40
ひょんなことから父方の祖先が徳川家康の外孫だったことが判明・・・・・・
いまだ信じられん。
804 :
日本@名無史さん:05/03/05 18:36:40
>>803 その『ひょんなこと』を是非とも伺いたい。
805 :
日本@名無史さん:05/03/05 20:24:11
ぬらりひょん
のむひょん
806 :
日本@名無史さん:05/03/05 21:26:54
>>800 これってどうなのかな?
6代前ー5代前ー4代前ー3代前ー2代前ー1代前ー私
20年毎で生まれたら(親が1950年生まれと仮定して)
1代前は1950年生まれ
2代前は1930年生まれ
3代前は1910年生まれ
4代目は1890年生まれ
5代前は1870年生まれ
6代前は1850年生まれ
慶応で18歳位か?
18歳で当主か?
30年毎なら
1代目は1950年
2代目は1920年
3代目は1890年
4代目は1860年
5代前は1830年
6代前は1800年
慶応で68歳位か?
これもおかしくないな
807 :
日本@名無史さん:05/03/05 21:44:59
>>807 有難う
結構ボリュームあるね
よく読んでみるわ
809 :
日本@名無史さん:05/03/05 22:06:41
どの系列?
広島在住なら直系ではないよね
坂広明・・・・・桂広澄・・・・・元澄・・・・・広繁
(自刃) ・ ・
・ ・・・元盛
・
・・・元忠・・・・・就宣
・
・・・就延
・
・・・保和
>>809 有難うございます
いやーどの系列かは判らないんですわ…
そういう話らしいよという程度で…
直系ではないんですね
子孫は広島以外の地に行ったのでしょうか?
家系図コピペさせてもらいます
811 :
日本@名無史さん:05/03/05 22:27:48
元澄や元忠系列ではないな
就延や保和の二男や三男の系列でしょ
系図や過去帳ないのか?
名字桂?ああ先祖の1人が桂ってことは母方か?
>>811 >系図や過去帳ないのか?
いや、伝来家系図はあるのかも
知れないがまだそこまで調査していない
>名字桂?ああ先祖の1人が桂ってことは母方か?
母方
毛利家重臣の桂家系と見せかけ、実は桂小五郎さんの子孫とかじゃないだろうな?
814 :
日本@名無史さん:05/03/05 23:54:33
>>813 桂小五郎は和田昌景の子供、桂九郎兵衛の養子になる
しかも広島在住ってあるのでちがうでしょ
>>814 ということはその桂九郎兵衛も元を遡れば桂広澄にいきつくのでは?
>>816 そうです
もとはここから始まりました
788 :日本@名無史さん :05/03/05 13:53:16
俺の先祖の一人が
毛利の家臣
桂某と聞いた
有名なの?
818 :
日本@名無史さん:05/03/06 12:09:59
うちは文政六年まで遡れた。
819 :
日本@名無史さん:05/03/06 18:32:34
>>816に関連するのかもしれないけど、昔の藩の分限帳とかって、男系のみしか書いてないから、「養子」とかって書いてあっても実は婿養子ってことがあるんじゃないのかな?
少なくともうちの藩の諸士系図には「婿養子」っていう表現は見られなかった
820 :
日本@名無史さん:05/03/06 22:52:40
>>806 >18歳で当主か?
あり得る。うちの祖父さんは17で家継いでるし。
>慶応で68歳位か?
これは普通におかしくないだろW
>>800は自分も入れて6代かもしれないし。
万延2年に、16歳で子供を産んで戸主になった先祖がいます。
嘉永4年に14歳で娘(高祖母)を生んだ先祖がいる
戸籍の記載で判明したが嘘っぽい
14歳で産むのって昔は多かったのかな?
13歳で結婚するのは江戸時代でも早すぎやしない!!
当時、13歳の女性がどれだけ生殖能力を持っていたのか
あるいは婚姻率がどれほどのものか、統計データを持っていませんが
私の先祖は戸主16歳、妻14歳で第一子を戸籍登録していますから
まったくありえない話ではないと思います。
824 :
日本@名無史さん:05/03/07 09:50:27
逆に高齢での子作りってのはどんなもんだったの?
(ずっと兄上の部屋住み、とかの事情で)五十代ではじめての子供、っていうのもそんなに珍しくはないのかな?山本五十六のオヤジは56で五十六を作って恥のかきついでに五十六とつけたというけど、、、
>>800は自分も入れて6代かもしれないし。
いまいち分からないのが
自分を1代目と数えるのが正しいの?
父親を1代目と数えるのが正しいの?
827 :
日本@名無史さん:05/03/08 13:51:55
親等数は自分を入れないけど、どうなのかな?
>822,823
13・14はむしろ普通。12だってある。もちろん数え年ね。
>>825 両方ともあるよ。だから混乱しないように言い方を注意するしかないね。
830 :
日本@名無史さん:05/03/08 20:04:54
>>828 なぜ分かったの?
何か証拠でもあるの?
なんとなく
15〜16歳まああるだろう
14歳稀にあるかも
13歳以下奇跡っぽい
こんな感じに思えてしまう
江戸時代は栄養状態も悪いので発達も遅く
初潮になるのは12〜14歳だった
>>831 十六女:いろつき(満15歳)
十八女:さかり(満17歳)
大坂本町 糸屋の娘
姉は十六(満15歳) 妹は十四(満13歳)
諸国大名 弓矢で殺す
糸屋の娘は 目で殺す
元禄時代ころまでは女性は14歳で結婚するのは当たり前。
遊女も14歳から客を取る。もちろん数え年。
江戸末期になると結婚は16〜19歳の間が普通で、14歳以下はほぼ政略結婚のみ。
遊女は18歳から一人前。
もっとも振袖新造という見習い遊女は15歳からこっそり客を取る。
数え才14歳(満13歳) なんて奇跡でもなんでもない。
>>832 そりゃ遊女でしょ
一般(農民)はどうなの?
しかも822、823は戸籍で判明なので江戸最末期でしょ
828っす。あ、江戸末期の話ね。スマソ
でも832氏にある通り、末期でも別にありえないことではないよ。
特に食い扶持減らす必要のある場合は。
当時、13歳の女性がどれだけ生殖能力を持っていたのか
あるいは婚姻率がどれほどのものか、統計データを持っていませんが
誰かデータ持ってないかな?
大坂本町 糸屋の娘
姉は十六(満15歳) 妹は十四(満13歳)
諸国大名 弓矢で殺す
糸屋の娘は 目で殺す
↑
これって頼山陽の詩ですよね
創作ではないでしょうか?
まあ本当にあったことを詩にしたのかも知れませんが
文面からだと別に嫁にいったというのではなく
この年ですでに魅力的ってな感じではないかと思います
前田利家の妻まつ
数え年
天文16年生まれ(1547)0歳 1歳
永禄元年嫁ぐ(1558)11歳 12歳
永禄2年長女産む(1559)12歳 13歳
837 :
日本@名無史さん:05/03/09 22:34:34
戸籍をみたら
鈴木タエ 明治8年6月10日大上村 吉田徳兵衛次女入籍スとある
嘉永4年(1851)生まれ(次女)
今度は吉田徳兵衛の戸籍を見ると
長女マチ安政3年(1856)生まれになっている
なぜ次女が長女より早く生まれているの?
ただの間違いかな
この謎といて〜〜〜
838 :
日本@名無史さん:05/03/09 23:27:04
>>837 戸籍係の単なるミス??
俺の持っている古い戸籍は
結構ミスある
839 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:30:17
ムズイ
840 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:37:30
>>837 明治19年当時の戸籍だと思うが
おそらくその戸籍ができた時点で家にいたものが
長男や二男に長女や次女になるのでは
鈴木タエは明治8年に婚姻して吉田家から離れているので
明治19年ではもう吉田家の人間ではない
長女マチはいつ結婚して他家の人間になったの?
別の例では
明治19年までに長男や二男が死亡や分家でいなかったら
三男が戸籍では長男ってのもあるよ
841 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:45:49
842 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:49:25
もう一回戸籍見直してみるかな。
似たような事例あったような気がする。
843 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:49:29
>>840 そうなのか
明治19年戸籍は確か明治5年戸籍の移し変えだろ?
だったら明治8年に婚姻だったら長女って記載しててもおかしくないだろ
844 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:53:24
>>840 長女マチは明治22年に婚姻して他家にいっています
843は意味が分かりません
845 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:55:05
壬申戸籍のことでは?
壬申キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
847 :
日本@名無史さん:05/03/10 19:52:07
先祖探し始めたが
どうしたらいい?
とりあえず直系尊属の戸籍は
今度の休みに請求するつもりだが
848 :
日本@名無史さん:05/03/10 20:46:29
1 戸籍全て入手
2 位牌、墓、過去帳
終わり
1、除籍謄本→5、6代前までならかなり有効。(処分されてたら(ry)
2、過去帳→くずし字が難しいし続柄が無いこと多し。
3、墓石→ほぼ正確な情報が結構古い時代までわかる。
4、郷土史→有名な家、人でないとあまり期待できない。
5、ネット→同上
6、聞き込み→年寄りはかなり昔のことも知ってる。(信憑性は…)
このくらいかな?
1、2、3がよく調べられたW
850 :
日本@名無史さん:05/03/10 21:59:43
851 :
日本@名無史さん:05/03/10 22:02:42
849さんはこれでどの位まえまでわかりましたか?
10代前くらい?
852 :
日本@名無史さん:05/03/10 22:34:03
宗門人別帳について。
私の父方は1600年代中頃から1900年頃まである町に町人として、代々住んでいました。(1600年代中頃の年の土地家屋の売買証文の写しが残っています。)
1694年から1870年までの数年から数十年毎のその町の宗門人別帳(数十冊になります)が図書館にある事を数年前に私は発見しました。
古文書教室に数年通って古文書が読めるようになってから、その町の宗門人別帳を全て読みました。
父方の家の家系図、古文書、ご先祖の代々の墓石(菩提寺に、1600年代中頃の墓から代々夫婦毎に全てそろっています)と照らし合わせて、数年毎の父方の家の家族構成を詳しく追う事ができました。
落ちぶれた今と違って、下男下女が常に数人づついた事、家主として店子もいた事がわかりました。
家系図にはあまり書かれていない妻の実名と、妻がどこの家から何年前に嫁に来た、という事も書いてあり、家系図に書いてある事がだいたい正しい事がわかりましたが、微妙に違っている所がある事も判明しました。
江戸時代の男性はしばしば名前を変えていた事もわかりました。
ご先祖様がたいへん身近に懐かしく感じられました。
除籍謄本も本来全て公文書館等に保存しておくべきもののような気がします。
853 :
日本@名無史さん:05/03/10 22:51:31
>>852 すごいですね!
あなたを一代目として何代前まで判明したのですか?
>江戸時代の男性はしばしば名前を変えていた事もわかりました
これはどういった理由で変えたのでしょうね?
854 :
日本@名無史さん:05/03/10 22:56:50
宗門人別帳って図書館にあるんですね、今度行ってみます
852さんは町の方ですか?
自分はかなり奥の寒村ですあるのかな〜
855 :
日本@名無史さん:05/03/10 23:00:15
宗門人別帳って
誰でも見れるの?
856 :
852:05/03/10 23:44:36
>>853 家系図上では私は第15世代目です。菩提寺には第3代目から代々の墓があります。
当主もしばしば名前を変えているのですが、子供の名前もしばしば変えています。
理由はよくわかりません。父の名を襲名している場合もあり、最初は私もかなり混乱しました。専門家の方に理由を伺いたいところです。
>>854 町は戦争で焼かれている場合が多いので、町よりもかえって村の宗門人別帳の方が残っている 可能性が高いと思います。
>>855 図書館にあれば。
みなさん系図を書くのは手書きですか?
それとも系図と作成ソフトをつかってますか?
858 :
日本@名無史さん:05/03/11 00:38:03
859 :
858:05/03/11 00:50:51
857は何か使ってる?
「親戚まっぷ」や「家康」(ググってくれ)
の購入も考えたことがあるが、俺はエクセル
慣れるととても便利だ
俺は字が汚いので手書きはNGだ
860 :
853:05/03/11 00:58:40
>>852 レス有難うございます
いやーすごいですね。残っている所には残ってるもんですね。
私は宗門人別帳を探した事はないですが
やってみます〜
色々お話が聞けそうですねー
ちなみにうちの先祖の一つは
15代前までの手書き家系図がありました
一応墓もあって裏は取れましたが
宗門人別帳はまだでした…
>>858 >>859 レスどうもです。
まだこれから作ろうとおもってるのですが
「親戚まっぷ」3,000円
「家康」17,000円
「先祖代々の記録 」630円
「源」死んだ?
どれがいいのかなと・・・
エクセルで系図、考えてもいなかった(汗
組織図が書けるのだからできそうだけど、自分には難しそう
もうちょい悩んでみますm(_ _)m
862 :
858:05/03/11 08:53:32
「先祖代々の記録 」「源」
は知らなかったなあ 結構あるんですね
何かしつこいようだけど
エクセルがPCに入っているならやってみたらいいよ
セルに名前入れて罫線で繋ぐだけだから・・・
エクセルなら操作面で判らなくてもネットに情報結構あるし
ひょっとして傍系卑属も網羅されたでかい家系図作ろうとしてる??
>>851 漏れは名前までわかっている先祖で14代。
それより前に法名のみがわかっている先祖が3代。
漏れの家は天正年間に今の土地に住み着いた事が
わかってて、その前の先祖は結構有名な大名家だったから
ネットで調べたよ。
江戸時代と昭和に火事があって古文書は過去帳除いて全部焼失…orz
>>857 漏れは少し書のたしなみがあるので毛筆で書いてます。
865 :
日本@名無史さん:05/03/11 10:46:27
オレもエクセル使って作ってみたよ
結構簡単だった
A・・・・
・・・・E・・・・
B・・・・ ・
・・・・G
C・・・・ ・
・・・・F・・・・
・
D・・・・
こんな感じでちなみに・・・・・は罫線よ
ひとつの辺ごとに罫線を引くのはめんどくさいが一つ作れば
コピペ出来るしね
867 :
862:05/03/11 17:32:30
>>864 カッコイイ…
>>865 俺も横書き
>>866 >今まで知った関係者全てをつなげたいと思ってます
いい感じですね、出来上がって印刷したら軽い感動を覚えますよ。
>エクセルでの系図の書き方検索してたら見つけた
土谷さんのHPですね、使った事はないけど…
868 :
852:05/03/11 23:00:06
852
>>860 私の場合は全く偶然に図書館に保存されていたので話は簡単でした。
そうでないと先祖の住んでいた村、町の宗門人別帳を探し出すのはかなり困難です。
県史、市史、町史、村史等の編さん室、或いは教育委員会に問い合わせれば、見れるかどうかは別として所在がわかる可能性があります。
又、古文書専門の古本屋でも売っている場合があります。
普通数万円しますが。
また、図書館にあっても、「乞食穢多非人に至るまで(原文から引用)」全ての住人が載っている為、被差別部落者が載っている年度の宗門人別帳は閲覧禁止となっています。
また、「宗門人別帳」は通称です。
正確には「何々町(村)宗旨改帳」、「何々町(村)人別宗旨改帳」という題名です。
また、「何々町(村)人別改帳」というものもあり、こちらは旦那寺は載っておらず、簡単に名前と続柄だけ羅列してあります。
ただし、古文書のくずし字が読めないと、ほとんど読めません。
私も数年勉強してやっと半分くらい読めるようになっただけで、細かいところはくずし字の辞書を引きながらでないと読めません。
運良く先祖の載っている宗門人別帳を探し出せたとしても、その先はまだまだ長いです。
頑張って下さい。
869 :
860:05/03/11 23:15:27
>>852 早速にも詳細なレス有難うございます。
なるほどー宗門人別帳はそうたやすいものでは
ないのですね。
私は先祖探しについてのHPや本でしか宗門人別帳を
知らなかったので、852さんの貴重な実地情報は嬉しいですね
色々なご経験がおありのようで、またよろしければ…
俺の数十代前の祖先は、聞いたところによると
父がアダムで、母がイブ だったらしい。
871 :
860:05/03/11 23:21:09
>>868 くずし字の辞書は何を使われておられるのでしょうか?
購入しようと思っているのですが
どれにしようか迷っていまして…
よろしければご教示ください
872 :
日本@名無史さん:05/03/11 23:42:06
くずし字ってどうやって勉強したのですか
独学?
学校に行ったの?
公民館などの公開講座?
873 :
日本@名無史さん:05/03/12 00:10:11
852さんの先祖は町人でもかなり身分の高い方だったのでしょうね
町人頭みたいなものかな
私の住んでいるところの古文書にも町人(家々)の詳細な伝承が網羅されている
ものがあります
>>872 図書館行ってその手の本をかりて読む。
あとは実際に崩し字を見たり書いたりする。
半年間これを毎日繰り返せばほぼ読めるようになる!
875 :
日本@名無史さん:05/03/12 04:00:25
家系図ソフト「源」はWindows2000以降で動作しない
という致命的なバグを残したまま開発者が逃亡したことで悪名高きソフトだよ。
うちの近所のパソコンショップで買ったんだけど返品にも応じてもらえなかった。
海外では多くの家系図ソフトが出てるらしいけど日本では少ないね
あまり売れないのかな
うちの実家へ、遠い親戚(それは本当らしい)が
ルーツ探しをしていて資料を見せて欲しいといってきた。
一応、刀やら島原の乱で着用した兜やら、寺へ紹介とかしたそうだ。
正直、趣味でいきなり尋ねられても迷惑だと、親父は困惑してたです。
ルーツ探しは迷惑にならんようにね。
878 :
日本@名無史さん:05/03/12 15:21:10
>>877 確かに。
俺の場合は
知り合い(親戚)を通じて紹介してもらう
手紙を出してみる
など事前に連絡を取ってやっていた
まあ確かに難しいところだよな
信頼関係が大事だな
879 :
852:05/03/12 22:59:10
>>871 最初に人に勧められた辞書を買いましたが、使っているうちに、載っている字が少なく不便な事に気付きました。
いろいろな辞書が売られていますので、まず大きな図書館に行って、そこにある辞書をいろいろ試して使って、実際に古文書を読んでみる事を勧めます。
一般的には、字の数が多く、その字を使った熟語例が多く載っている辞書が使い良いと思います。
>>872 月一回公民館で退職したご老人達に混じって古文書を読んでいます。
>>873 初代は戦国時代の武士でした。
3代目が浪人して町医者となり明治まで代々医者でした。
代々苗字帯刀は許されていました。
でも明治では平民でした。
住んでいた町はだいたい幕府領でしたが藩領の時代は御医師として藩士になっています。
藩士だった期間は先祖はその町の宗門人別帳には載っておらず、武家屋敷に引っ越していたのかもしれませんが、未調査です。
880 :
871:05/03/13 07:03:13
>>879 レスありがとうございます
なるほど、色々試して自分に合ったものを
探すのが良いようですね
図書館行ってみます〜
ありがとうございます
ご先祖の事がかなり詳しく判っておられるみたいですね
いやーいいですねー
881 :
日本@名無史さん:05/03/14 01:24:42
大学の授業では『くずし字用例辞典』(東京堂出版)を奨めることが多い。
882 :
871:05/03/14 08:07:06
883 :
日本@名無史さん:05/03/14 16:34:21
位牌見たら初代から歴代の名前がぜんぶのってた。
江戸中期頃からずっと農村のようだ。
位牌は役に立つものだと思った。
884 :
日本@名無史さん:05/03/15 09:48:23
885 :
日本@名無史さん:05/03/16 00:04:13
私の名字(仮にタナカとする)はある県のある地域と同じ(○○県●●市タナカみたいな)
で、その地域にはタナカさんがたくさんいるんですけど、この場合私はどういう家柄なんですか?
私の祖父・父はそこの出身です。
886 :
日本@名無史さん:05/03/16 00:20:03
あなたの苗字はその地名に由来する、としか言いようがないですが‥‥
887 :
日本@名無史さん:05/03/16 09:08:24
>>885 仮説その1 先祖がその地域を領有していてその苗字が地名になった。
でも>885はレス内容から言って本家筋じゃないっぽいから
本家の別家の別家の別家とかじゃない?
仮説その2 明治の初めに苗字をつけなくてはいけなくなって
地名から苗字をとった。
漏れは後者ではないかと…
888 :
日本@名無史さん:05/03/16 10:55:06
北海道や樺太で開拓や移民で有名な一族・人物に誰がいますか?
889 :
日本@名無史さん:05/03/16 23:19:49
>>885 >>887 名字よって変わるとおもうが
田中や山本、落合などだったら仮説2だし
そこにしかない地名だったら仮説1になると思う
たとえば九十九とか己斐とか
890 :
日本@名無史さん:05/03/16 23:27:14
>>885-889 その都道府県(あるいは地域)特有の姓ってあるからな
調べてみたら?
885は珍しい姓なの?
891 :
日本@名無史さん:05/03/16 23:33:01
>>885 祖父が存命なら由来を聞いてみるべし
何か判るだろう
892 :
日本@名無史さん:05/03/16 23:36:19
おそらく
わからん
893 :
日本@名無史さん:05/03/17 00:05:34
>>885 1 珍しい姓ならググってみる
2 都道府県別の地名事典を調べる
3 891で言われているように親族などに聞いてみる
あとは図書館で調べる
大きな図書館ならレファレンスにも対応してくれるだろう
私の姓について調べていますがどうしたらいいですか
と言えば教えてくれるだろう
家柄が知りたいならまず親兄弟親戚に聞くのが最初だと思うが
状況もよく判らんし何ともいえんな
894 :
日本@名無史さん:05/03/17 00:20:53
>>885 今までに一軒だけ地名からとった家名があったが
(地名といっても小字)
あとは全て明治の時に作った名字ではない
(昔からの言い伝え等で引き継がれていたもの)
895 :
日本@名無史さん:05/03/17 13:00:48
>>885 やや珍しい名字です。
ホント小さい地域の名前ですが
たくさんレスしてくれてありがとうございます。
896 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 10:30:52
地名、盗用、後家、婿、家紋捏造、家紋盗用、それが500年の間繰り返されて。
名乗ってる名字は何をも示さない。
897 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 22:17:29
ん?後家って苗字の生成となんか関係あんの?
詳しい人おせーて
>>896 苗字も自分の祖先を知る、ヒントの一つ。
苗字以外のいくつもの資料が必要なのは有ってるけど、
苗字が全く役にたたんことはない。
900 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:53:49
今日から古い過去帳の修理を始めた。
あまりにボロボロで苦戦中…。
ここの住人で古文書とか持ってる人いる?
901 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 08:37:16
902 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 11:05:33
分限帳に書いてある名前は通称だったりするから、戸籍に書いてある人物と同一人物なのか?或いは戸籍に書いてある人物とどう繋がるのか調べるのは結構大変だよね?
903 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 12:00:04
904 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 21:59:40
本家と分家って何が基準?
田舎を離れたほうが分家な気がするのだけど。
905 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:21:10
906 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:24:41
通称を使わずイミナを載せてある分限帳なんて
見たことないが?
数十の藩の分限帳を蒐集した経験から言って。
907 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:28:06
分限帳だったら、名字+通称(大石内蔵助、吉田寅次郎など)で載るでしょ。
戸籍は名字+名前(通称系またはイミナ系)だけど。
908 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:30:56
大抵はそうみたいね。ウチの藩のも苗字+通称。場合によっては年齢も。
ところで、明治になって戸籍に登録する名前を「通称系」にするか「イミナ系」にするか
っていうのは、各家(各人)の判断だったのかな??地域によってどっち、とかはないのかな?
909 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:31:19
幕末、明治初期の武士って、けっこう改名が多いから、戸籍の前戸主欄と
分限帳の人名がピッタリ一致するとは限らない。
イミナを戸籍名にしたり、隠居後の名前(通称、または号)を戸籍名にしたり、
通称自体を何度も変えてて、その最後の通称を戸籍名にしてたり・・・
910 :
908:2005/03/28(月) 22:32:37
地域によってどっち、とかはないのかな?
↓
地域によってどっち、とか傾向はないのかな?
911 :
905:2005/03/28(月) 23:24:08
スマン、勘違いしていた。
912 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 08:22:54
>>904そうなの?本家とは家督相続した家の直系で墓の所有者と思ってたが・・・
913 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 18:24:59
家の田舎の郡内ではほとんど本家筋は東京に出て行っちゃっるね。まだ家があるかどうかはいろいろだけど。
酒造家はまだ住んでるな。
914 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 18:43:03
>>912 田舎に残ってる家が墓の所有者かと思ったので。墓ごと田舎を出たのか。
家督相続は戦前の制度だから今はその辺どうなってるのだろう。
先祖墓を継ぐのが基準かな。
915 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 21:00:17
>>914 >家督相続は戦前の制度だから
仰られるとおり、今の一般的な感覚だと本家も糞もない。
家父長制と言うのは戦前の制度だからな。
遺産相続も特殊な遺言がなければ、嫡出子は皆平等。
無理やり本家と言う概念を作り出そうとするならば、祭祀を引き継いでいるかどうかが判断基準かも?
916 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 21:52:51
うちは本家と分家はもう生まれながらにして教育が違います。
基本的に長男が本家を継ぎます。
子どもの頃から将来、家を継ぐことを親戚や近所から言われて
育つので、子どもながらにそのように考えるようになります。
長男が生まれたときは村でお祝いをするなど、生まれながらに
して跡継ぎは決まっているという感じです。
自治に関することは早くから参加するようになって、親に代わって出
るようにもなります。
次男や三男は家を継ぐことは無いと決まっているので、早くから将来
は外に出ることを考えます。
分ける土地は無いし、農業で協業する必要も無いので、今は分家す
るという概念よりも独立になっています。
田舎にいるかどうかというものではなく、生まれながらにしてという感じ
です。そうやって何十代もやってきました。
917 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 06:26:11
本家/分家 論争は荒れるだけで結論がでませんよ?
もう何十年も学者レベルから家族レベルで議論されてるけど
血を分けた血族たちでさえ関係が拗れるほど泥沼に嵌る問題だもん。
家系調査が目的なら菩提寺や親戚の家では口にしないほうが得策。
918 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 07:35:09
寺にある位牌の所有権はどうなるんだろう?
祭祀財産のことは民法897条2項を読め。
920 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 11:48:28
>>919分かりにくすぎ。田舎から出た時点で祭祀継承者足り得ないということか?
921 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:10:30
>>908 俺もそれ疑問に思ったことある。
大名の家では何故かイミナ系統が多いみたいだね。例えば米沢上杉家なんかは確か江戸時代の当主の半分以上が上杉喜平次
だから、ややこしいとか思って戸籍登録はイミナにしたのかな。
922 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:35:09
age右衛門
923 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:15:34
age之丞
924 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:29:02
除籍謄本で父親が空欄になっている場合は、どうやって探したら良いんでしょう?
925 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:34:29
926 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:50:51
>>925 別々の家系でそれぞれ2件あって、
1つは明治8年生まれの人と、その弟の計2人。
もう一つは明治11年生まれの人と、その弟妹8人の計9人。
927 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:16:05
戸主から見て「娘」とか「兄」とか
続き柄が書いてない?
父親の欄なんてあったっけ?
ちょっと漏れの見てくる ノシ
928 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 13:50:25
>>924 それって私生児じゃないの?
自分のにもあったよ
氏不詳って記載されていた
もしくは明治19年戸籍に記載されていなかったとしても
次の明治31年や大正4年の戸籍には記載されている場合もあるよ
スレタイから離れて、ようやく良スレになりつつあるので
次スレではタイトル変更すべし
930 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:12:02
どんなタイトルに?
931 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:19:32
「祖先を訪ねて三千里」とか「先祖探し」とか
932 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:22:38
なるほど
いいね
そうしよう
933 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:55:22
まっとうなスレタイに変更、賛成!
なんかもう次スレ立ってない?
936 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 18:18:57
>>930 [先祖探しマニュアル]
[先祖探し指南書]
[誰でもできる先祖探し!!]
どう?
月並みかな
知能の思いっきり低そうな現タイトルは廃止きぼんぬ
938 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:14:17
法務局に行って旧土地台帳を確認したいのだが、
除籍謄本に記載されている住所が「○○番外地」なのが一抹の不安。
きちんと見る事が出来るのだろうか?
1000キロ以上はるばる出向いて無駄足になるのは激しく嫌なんだが・・・。
939 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:43:46
>>938 大丈夫、分からなければ
その地域全部見せてくださいと言えばOK
めちゃくちゃあるが、全部見せてくださいと言えば見せてくれる
ただ電話帳位の太さで100冊くらいあるかもしれないので
朝の9時にはいけるようにしよう
前のレスであったが指サックがあれば便利らしい
>>938 旧土地台帳って閲覧できるんだ
それは事前の申し込みとか料金とか
かかるの?
941 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 10:34:25
>>940 申し込み不要
料金無料
コピー代すら無料(何百枚でも)
942 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 12:46:20
うちの先祖は豪農で江戸の文化に死んだ6代前まで墓に入ってる。
江戸時代の先祖まで墓に入ってる家って何パーセントいるの?
943 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 13:34:11
>>942 6代前で文化年間没とすると、長命な家系ですね
945 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 15:06:36
両親が離婚して母方に引き取られたんだけど、
父方の除籍謄本を調べるのに支障はない?
離婚時に漏れの戸籍も変わったはずだが。
>>942 さほど珍しくないんじゃない。
でも豪農で文化年間までしか墓が無いなんて
なんか嘘くさいんだが…
その頃に別家したってことか?
でも本家から分けてもらった土地じゃ
豪農とまではいかなそう…
948 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 23:37:56
>>942 墓に入っているって一つの墓にお骨が入っているってこと?
今は○○家の墓みたいに一家に一つの墓だが
昔の墓は1人1人専用に作られていた(もしくは夫婦で1対)
>>948 普通は夫婦で一基だったけど
当主とか幼子の墓とかは一基づつだった。
江戸時代は浄土真宗以外(浄土宗もでっけ?)は土葬だったから
必然的に墓の数は増える。
950 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:44:32
951 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:50:47
>>949 自分の家、浄土真宗だが墓は一つずつあるよ
952 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:53:43
>>949 確かにうちもそうだ
ただ女性の墓が一基で作られていて
どういうことだろうと
親戚と首をかしげたことがあった
953 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:58:28
別に家々で違うのじゃないの?
954 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:00:07
確かにそうだ
経済状況とかもあるしな
955 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:01:10
根拠がほしいな
956 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:01:47
957 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:03:36
949〜954の
958 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:06:16
949に関しては
もう一度出てきてもらうしかねえな
あとは根拠というか
そういう事があったという話だからな
書き込んだ当人にも答えにくいだろう
959 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:11:03
ただ女性の墓が一基で作られていて
どういうことだろうと
親戚と首をかしげたことがあった
女性が当主だったのでは?
960 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:11:56
本家の墓所に
墓が何十基とあった
しっかりしたものから
気付かないと蹴飛ばしてしまいそうなものまで
色々あった
961 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:13:35
>>959 アリガton
単純に考えてそうだよね
そこはうちでは既に伝承の領域で(戸籍では遡れない)
誰も判らない
962 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:14:43
963 :
961:2005/04/06(水) 01:17:54
いや、何年ごろかもちょっと判らない
墓は割としっかりした石だった
戒名も読み取れたが
没年は書き込まれていなかった
いくら古くても江戸中期だと思うけど
あ、浄土真宗ね
964 :
949:2005/04/06(水) 01:26:10
出てきた
>>952 >ただ女性の墓が一基で作られていて
>どういうことだろうと
>親戚と首をかしげたことがあった
女性1人の墓って言うのはよくあるよ。
未婚成人女性とか老年未亡人とか。
多分当主ってことはないだろうけどね…
>>963 (浄土真宗は戒名のことを法名って言う)
法名がわかってるなら寺に聞いてみたら?
でもせめて日付くらいわかってないとむりかな…
965 :
958:2005/04/06(水) 01:34:37
>>964 いやあ嬉しいね
957さんも聞きたいことあれば?
966 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 08:43:37
967 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:50:04
>>966 行ってみればわかるでしょ
勘違いしてない?
一般常識として申し込みはしておくもんだ
いきなり行くと、ひっぱり出すだけだって、余計な時間待たされる
970 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 20:17:42
>>942 うちの墓は古いのは鎌倉後期の宝篋印塔型のものがあるよ。
こういう形の知ってる?
971 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 23:21:08
>>970 すごいね
先祖は一体なに?
有名武将?
972 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 23:59:02
>>970 確かにすごいな
鎌倉時代まで来ると
武将だろうな
973 :
952:2005/04/07(木) 00:04:37
>>949 arigato
>法名がわかってるなら寺に聞いてみたら?
なるほどそうだ
やってみる
>女性1人の墓って言うのはよくあるよ。
>未婚成人女性とか老年未亡人とか。
そうなんだ。
確かに時代的に女性の当主はちょっと珍しいか??
974 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:10:01
>>970 本当に鎌倉の墓なのか宝篋印塔型の墓なら江戸時代だってある
鎌倉時代っていう証拠はあるのか?
ちなみに鎌倉時代の宝篋印塔はかなりでかいぞ!
(江戸時代のは普通1〜2mくらい)
オレの田舎にある豪族の墓(戦国時代に活躍)は1mくらいの宝篋印塔だが
地味よ、しかも、戒名とかも彫ってないし
975 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:12:45
>>970 >>974 どうなんだろね
鎌倉時代というからには
元号が彫ってあったのかな?
鎌倉時代からずっと残っていたとしても朽ち果てずに残るのかな?
後世の者が立て直したのかな
976 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:16:42
分かったぞ
鎌倉時代に亡くなった人物を
江戸時代の子孫が墓をたてた
これで決まり!!
977 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:20:37
978 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:25:02
次のスレッドは何になるんだろう…
979 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:25:19
>>969 役所に申し込みするやついるのか?
大丈夫って実際には役場の人も簡単そうに出してくれたし
細かく色んな村のを出してもらう時は相手も時間がかかったが
一つの村だったらそんなに手間ではない(たとえ多くても一緒に保管されているので)
980 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:27:53
スレッド終了まであと20
誰か次のたててくれ
981 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:28:25
>>979 >>969 俺の場合は事前の申し込みとか予約とかしなかったよ
普通の平日に行って
閲覧申込書書いて提出して閲覧そして証明をもらうの繰り返し
あまりに大量だったので理由は聞かれたけど
特に問題なしだった
982 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:29:38
理由は聞かれるな
でも
先祖探しています
で一発OKだった
983 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:31:36
このスレッドはなかなか良かったよ
次スレは先祖探しに特化したスレタイにしたらいいのかな
984 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:00:16
>>970 宝篋印塔はすごいな。
何者かね。豪族だろうね。
鎌倉時代のは大きいの?段々小さくなるの?
985 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:01:57
パート4は1年半ぐらいもったのか。
俺のレスは30個ぐらいだったかな?
986 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:27:20
法務局で確認してきました。
何百枚コピーしても無料というのは嘘でした。
悪質ですね。
988 :
日本@名無史さん:
法務局のコピー機は協会が管理してるからコンビニと比べても割高だよん♪