正直自分の血統祖先って5代前でわからないよねB

このエントリーをはてなブックマークに追加
1ん甘え?
パート1
正直自分の祖先って5代前しかわからないよね
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/999982281/

パート2
★★私のルーツを尋ねて三千里 2〜ご先祖探し★★
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1038656451/l50

NAZEKA?(根拠)
 @2ちゃんねらーで壬申戸籍をみた奴いない。(そうでしょう)
だから明治19年式戸籍の戸籍筆頭主の生年月日およびその筆頭主の父
の名前(前戸主の欄に戸籍筆頭主の父の名前が掲載)までしかわからないはずだ。
 A2ちゃんねらーで自分の家の墓石で明治よりも前の年号が刻まれている
奴は、はたしてどのくらいいるの?ほとんどいないよな。
(みんな明治、大正、昭和の年号が刻まれているはず。正直な話。江戸時代の年号が
刻まれている墓石は、無縁仏化してるはず。
※だからといって責めたりしない。正直でいい。むしろ自分の家の家系図
偽造して10代も20代も続いているなんて誇らしげにウソつく奴を懲らしめてやりたい。)
2ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派:03/01/17 23:33
PART2がまだ158までしか進んでないのにPART3か・・・。
3日本@名無史さん:03/01/17 23:33
うちには間違いなく江戸時代の墓もありますが何か?
4日本@名無史さん:03/01/17 23:34
戸籍オタ、必死だな(w
5日本@名無史さん:03/01/17 23:41
>>1

自分が馬の骨だからって、他人まで貶めるな
6日本@名無史さん:03/01/17 23:46

>1は学問以前の人間だな

うちの菩提寺には元禄くらいのはザラにあり、ちゃんと子孫によって供養されてる
7日本@名無史さん:03/01/17 23:48

なにか強烈なコンプレックスの持ち主です>1
8日本@名無史さん:03/01/17 23:56

自分の望むようなレスが着かないと、すぐ新スレを建てる消防はここでつか?
9日本@名無史さん:03/01/18 00:11
パート以前のがあるのか?なぜ次に進める?
10ピアノの遊ぶ会会員:03/01/18 00:28
>>1こと西都くん

ほらほら大室スレに戻んなさい。
岡田克彦先生がお待ちですよ。
11日本@名無史さん:03/01/18 00:30
>>9
パート2がまだあるからこっちは沈めよう
12日本@名無史さん:03/01/18 00:57
正田作次郎って朝鮮白丁ですよねえ。
13日本@名無史さん:03/01/18 03:48
松方正義のように子供の数が多すぎて戸籍には孫として登録する場合もあるから戸籍
だって信頼できない。
14山崎渉:03/01/18 04:24
(^^)
15日本@名無史さん:03/01/19 00:33

小和田新九郎と小和田新六匡安と小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡)
が、兄弟であることには間違いない。新六の息子が小和田郡蔵。匡春(道助)の息子
が勝治であることも間違いない。勝治の弟が兵五郎であることも間違いなし。
小和田兵五郎の息子が小和田匡利(道蔵)であることも間違いないのである。
さて、問題はその先、小和田匡利(道蔵)・・・・


・・・・分家の小和田金吉は新潟の吏員になり、その後に高田税務署の税吏になっている。
そして息子の小和田毅夫が旧制高田中学の校長や高田市の教育委員を務めている。
そして毅夫の息子が小和田恒であり、その娘が雅子妃である。
また小和田毅夫の妻となった田村静(雅子妃の祖母)は、
元新潟県議で自由民権運動家として有名な田村寛一郎です。

このAとBがつながらないといってるわけね。それもそのはずで金吉が生まれたのは1867
年で小和田匡利(道蔵)が生まれた年と照合してぜんぜんあわないということ。

小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたら
つじつまが合う。
つまり1868年時点で(もし生きていたら)
小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡) 74歳
匡春(道助)の次男 勝治        48歳?
勝治の弟兵五郎(5男として)      42歳?
小和田兵五郎の息子(3男)が匡利(道蔵)15歳?
匡利(道蔵)の次男金吉         1才


16日本@名無史さん:03/01/19 00:40
明治以前の先祖が分からない人は百姓です。
いい悪いの問題ではない。別に先祖が百姓で結構。
日本人の9割はそうだからな。
17日本@名無史さん:03/01/19 21:03
武士階級でも系図を失った家も多いよ。
明治以降の戦乱その他で。
18日本@名無史さん:03/01/19 21:07
>>16
ならば、手間ひまかけて調べる必要などあるまい。
どっかの田吾作の名前など記録する価値もない。

下手に残してもらっても子孫が迷惑するだけ。
19日本@名無史さん:03/01/19 21:08
-----------------------------終了------------------------------
20日本@名無史さん:03/01/19 21:11
前スレ使えよ、バーカ。
21日本@名無史さん:03/01/19 22:44
うちの先祖は力士
22日本@名無史さん:03/01/19 23:48
橋本龍太郎の曽祖父も橋本順三郎とかいう、立派な士族とか言ってるけど
本当は小作農いやそれ以下のエ●の苗字ナシの長吉なんだよねえ。
23日本@名無史さん:03/01/20 00:58
なんか一番古いので、宝暦の年号が刻まれた戒名があったぞ。
武士ではなかったはずだが、苗字つき(商人)

24日本@名無史さん:03/01/20 02:46
で、壬申戸籍をみた奴いるの?
25日本@名無史さん:03/01/20 03:31
-----------------------------終了しません------------------------------
26日本@名無史さん:03/01/20 08:43

-----------------------------終了します------------------------------


27日本@名無史さん:03/01/20 10:13
つーか、家系に拘ってる奴てねずみ算てしってるのかな?
それとも父系だけよければそれでいいのだろうか?

20代遡れば、誰でもどっかで天皇と縁つながりになると思うのだが
28日本@名無史さん:03/01/21 23:25
鼠算とか言ってる人に聞くが、その方法で行くと1330年頃の日本の人口と
先祖の鼠算式の数が一致するがいとこ同士の近親結婚も含めるからやはり
平安時代か奈良時代に日本へ渡来してきた人たちが多数存在し
日本人の先祖になったと思うけど。
29日本@名無史さん :03/01/22 00:49
単細胞でおめでテーな。
30日本@名無史さん:03/01/22 01:07
うちは西暦1700年代前半からず〜っと同じ場所に住んでる
本百姓です。お墓にも江戸時代の年号が刻まれています。
本家もすぐ後ろの家です。しかし残念ながら本家も1700年代より前の
系図も墓もなくなってしまいました。
よくある話しでうちでも「遠祖は平家の落人だ。」と伝えられていますが
信用はまったくないです。
他に伝えられている昔話しは戊辰戦争時、敗れた会津藩や新撰組等の落ち武者達が
函館五稜郭に逃げ込むときうちの村にて略奪を働いていったそうです。
うちの家ではなにもなかったようですが村民に殺傷された人もいたらしい。
同盟藩の民衆だったのに・・・
戦争とは恐ろしいものですね。


31日本@名無史さん:03/01/22 01:42
直系ではないが、曽祖父が分家に養子にやられたので・・・
本家なら10代前までならさかのぼれます。

>>27
 どうだろうか?秀吉の例もあるしなあ。
32日本@名無史さん:03/01/22 02:08
うちの本家の方には明和○年と刻まれた墓があるので少なくともその時期にはそこに住んでたらしい。
名前が刻まれていれば(表面の字は判読困難)名前は判るはず。
家の建て替えの時に系図などは出てこなかったらしいので、系図はわからない。

その周辺の山は家の土地だったらしいが、他人の借金の保証人になったりして取られた
なんてありがちな(w)話を聞いたが真偽は不明。それ以前の話も不明。

曾祖父は祖父は半農・半猟だったらしいが、苗字は当時からあったらしい。
33日本@名無史さん:03/01/22 02:27
>>30
>>32

  正直でよろしい!
34日本@名無史さん:03/01/22 02:36
20代くらいじゃ無理だな、重複もあるし。
もちろん人によるけど。
大抵の一般庶民は、どうだろ。50代くらいで9割ってとこか。
35ブッチさん ◆tEKEISOJUo :03/01/22 03:09
我が家はお寺関係が多いので、さかのぼることができます。
親戚に15代目の方がいます。
ここの家のお宝は町の文化財などかなり貴重なものばかりです。
我が家の直系の直接のところではお墓が江戸時代の中期の人から彫ってあります。
3代前が県会議員です。
36日本@名無史さん:03/01/22 03:20
完全に中国朝鮮からの渡来民が日本に根を張ったのは
村上天皇の時代。(皇室家系図参照)

※白村江の戦で倭と百済が滅亡し、百済人が威徳王昌=聖徳太子
伝説を引っさげて(新羅占領化からの解放を願うため聖徳太子教
(伝説)を信じて)惨めに日本へ亡命してから
朱雀天皇の時代まで、渡来してきた人たちが日本人の祖先の過半数。
(日本人全員在日40〜50世)
37日本@名無史さん:03/01/22 03:23
K1武蔵のご先祖が、あの一休さんの「蜷川しんえもん」とはしらなんだ。
38日本@名無史さん:03/01/22 04:02
>>36
それはおまえ在日とは呼ばんぞ(笑)
半島に任那という直轄地があったということは(以下略)
39日本@名無史さん:03/01/22 04:32
大概の家は江戸時代前期くらいまでなら辿れる
40日本@名無史さん:03/01/22 04:35
帰化人と在日をからめて与太話を書き散らした金達寿の悪影響
41日本@名無史さん:03/01/22 05:37
平安時代から分る。僕のお父さんで33代だって。
42日本@名無史さん:03/01/22 05:43
君、面白いね。
43日本@名無史さん:03/01/22 18:30
歴史は150年で作られる。

聖徳太子の一万円札からいきなり福沢諭吉の一万円札へ〜
44日本@名無史さん:03/01/22 20:29
うちの親父が役所に勤めていた時(40年位前)、壬申戸籍を見たらしい。
確かに、うちの家は「士族」との記載があったそうだ(墨塗りしてたらしいけど)。
45日本@名無史さん:03/01/22 21:57
塗沫という。
46日本@名無史さん:03/01/22 22:00
 家は1300年からの家系図は残っている。
 そこから、お寺さんにも記載されている祖先も
 確認し、歴史書にも載っていたから、ほぼ
 確実だと思う。あと土地の登記簿からも確認できた。

 しかし、家を残すというのは大変なことである。
47くやじい〜:03/01/22 23:28
壬申戸籍さえ見れたら
48花田マサル:03/01/22 23:32
ニヤニヤ    ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
       ./.:::::::::;:;:;:;:;:;:;:;:;:
      ./::::::::/     ヽ      ニヤニヤ
 ニヤニヤ. |:::::_::::ゝ  ⌒ ⌒ |    _____________
      |::::|ξ|   ¬ ¬   / 
      ヽ ヽ     ) ;; ) < 俺は私生活でも横綱級だぜ♪
       /  └    ∀_ノ   \ 
     /    \__ニノ \.    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
49日本@名無史さん:03/01/23 00:09
西暦1300年代の土地の登記簿UPきぼーん(w
50日本@名無史さん:03/01/23 01:39
うちの地域の石田、石黒姓の家は石田三成の子孫だという話がある。
ちなみに愛知県。
51日本@名無史さん:03/01/23 15:24
みんなの家って由緒正しいんだね。うちなんかすごいドキュソだよ。
この前はじめて知ったんだけど昔のこととは言えショック。

女がよそ者の男の子供を孕んで家から勘当された。生まれたのが私の父方の祖父。
子連れで行くところもなく、道端の祠みたいなところで乞食みたいに暮らしている
ところを、哀れに思った村の人が後妻の口を紹介してくれて、この家に嫁いで
来たらしいが、相手は種無しだったらしく、縁もゆかりもない祖父が跡取に。
ドキュソに家を乗っ取られたと言う事ですな。

と、言う事を、父ともうずっと仲の悪い母から悪口として聞きました。
恋愛結婚するとき親から猛烈に反対されたって。こんな家だからさ。
(父方の)祖母は子守りとしてどこぞの土地から売られて来た娘だったらしいし。
道理で3代以前の親戚が全くいないはずたよ。祖母方も祖父方もドキュソ階級だもん。
52日本@名無史さん:03/01/23 21:08
意外にドキュソ階級が粘着精子、卵子で子孫が繁栄し、他家を蹴散らし良家になって
家系図飾るなんてことしょっちゅうあるよ。

具体的には美智子様の高祖父なんて参加で正田家のっとったし
小和田マサ子さんの曽祖父金吉も参加の成り上がりもの。
ハシリュウ閣下の曽祖父は士族の橋本順一郎と言う事になっているが
ほんとは得たの長吉。
紀子様の高祖父松浦平吉はB。
もちろん明治天皇の祖父は海賊。
渋沢栄一もBなら西武の堤も参加。

53日本@名無史さん:03/01/24 18:35
>52
まあ、多少はドキュソの血も混じってることもあるだろ。
俺の曾祖母も曾祖父と結婚前に父の分からない子供を産んで実家に置いて結婚した。
どういうわけか曾祖母の実家とは絶縁状態になって、今はウチの親族は誰も
曾祖母の実家の系統の者とも結婚前に生まれた子供やその子孫とも面識が無い。
それで、曾祖母は結婚後3人の子を産んで、俺はそのうちの長子の孫。
最近、3人の子の末っ子が子供を儲けずに亡くなって、妻と兄弟の子
(兄弟は全員既に死亡、祖父の異父兄も除籍謄本で死亡を確認)に相続が発生した。
つまり、曾祖母が結婚前に儲けた異父兄の子供達にも相続が発生してるので、
近々連絡をとる必要がある。どんな展開になるかな。(義大叔母がどういう風に交渉するのか)
54DQN@名無史さん:03/01/24 19:42
漏れの母方の実家は後醍醐天皇の子孫。
だけど後醍醐天皇自身があまりにもDQNなので、
甲斐武田氏の分家って事になってる。
55日本@名無史さん:03/01/24 19:57

代々武士だった家でも維新の際、平民になった家っていくらでもあるんだけど・・・

士族だったらそんなにうれしいのかな〜〜
56日本@名無史さん:03/01/24 19:57
>曾祖母の実家の系統の者とも結婚前に生まれた子供やその子孫とも面識が無い。

つーか、曾祖母の実家とつきあいのある家なんて、むしろ稀なんじゃない?
57日本@名無史さん:03/01/24 20:05
家計図が残っていれば、分かるかもしれんぜよ。
58日本@名無史さん:03/01/24 20:31
戦前まで士族の家なら、真偽は別として家系図が伝わっているはずだし、
あるいは、祖父や曽祖父の卒業証書などに「○○県士族」と書いてあるよ。
59日本@名無史さん:03/01/24 20:33
まあ、士族だからって、どうとってことないんだけれどね。
士族の先祖の大半は、江戸時代のなりあがりで、大抵は先祖が源氏になっている。
60日本@名無史さん:03/01/24 20:34
さすがぜよ。
6153:03/01/24 20:34
>56
いや・・・。曾祖母は4人いるわけだが、他の3人の実家とは面識くらいは
あるんだが。
62日本@名無史さん:03/01/25 12:06
良かれ悪かれ、先祖に何やら逸話があるヤシは羨ましいな。
漏れの五代前は調べてみたら普通の紺屋だった。
面白くもなんともねぇ。
63日本@名無史さん:03/01/26 01:47
曽祖父が84歳で死んで、祖父がそのとき56で父がそのとき28歳で、私が生れました。
私が80歳で死ぬ時、曽祖父の戸籍謄本は80年で処分されるから、処分される時点で祖父の
戸籍しか残らないわけで、祖父の戸籍の前戸主の欄に曽祖父の名前のみ記載されてる
わけですよねえ。
と言う事は雅子様が30で嫁がれた時点で高祖父までの戸籍謄本までしか宮内庁は調べる
ことが出来なかったわけでしょう。(高祖父の戸籍の前戸主の欄にその高祖父の父の名前のみ掲載)

やはり雅子様の小和田家といえども雅子様の5代前の名前までしかわからないと言う事
ですよねえ。やはり明治19年式戸籍からですよねえ。名前が判明するのは。

64日本@名無史さん:03/01/26 02:47
雅子様は新潟に先祖の墓がのこってるだろ。
65日本@名無しさん:03/01/26 03:10
私の父方祖母の親戚の人が「年寄りの引退後の道楽」みたいな感じで
かな〜〜り綿密なご先祖調査を行って、自己出版本(ハードカバー)まで出版して
きたので、そちらの代ならば、曽々祖父母(江戸末期生まれ〜明治40年代没)の
名前と写真があるw
その人の調査によると、1700年ごろのうちは武士ではなく新潟県の大工職にあった
らしいが、ちゃんと名字を名乗っていたそうな。
66  :03/01/26 03:22

藍問屋の渋沢栄一が、漢籍の勉強をしていたから幕臣になれたのか。
藍問屋とは、Bのことなのか???
67  :03/01/26 03:27

66>>52
68日本@名無史さん:03/01/26 03:55
5代前なら写真まで残ってるが・・・

うちは美濃の出だが、16世紀中盤までなら、きちんとたどれるよ。
前半でも、結構怪しいがたどれる。
それ以前はわからん。一応言い伝えはあるけど、藤原氏までさかのぼっちゃうので
とても信用できない(w。
全然たいした家系じゃないんだが。

俺は17世紀からの嫡流だけど、そうでもなかったら維新より前は分からなかったろうね。
69日本@名無史さん:03/01/26 04:13
>>66ことボケヤスマサ
幕府の役人に御用金五百両を請求されてすんなり五百両を出せる、
渋沢家のどこがBじゃい。

なにが佐伯祐三=スパイ説だよ。
佐伯祐三がマサセット=モームのような才覚あったか?
佐伯祐三は最後は精神を病んで狂死したんじゃねーか。

そのうち渋沢家や橋本家、佐伯祐三の遺族から名誉毀損で訴えられるぞ。
そうなったら落合莞爾も連座だ。おまえら覚悟しておけ。
70日本@名無史さん:03/01/26 06:41
平安時代から分ります。僕で34代です。系図も残ってます。
71  :03/01/26 11:01
>>69
藍関係は、Bではないのか。
Bで、スーパー金持ちがいても全く不思議ではない。
72日本@名無史さん:03/01/26 18:09
江戸時代に系図屋がいて、偽系図を作るのが普通に行われていた。
73日本@名無史さん:03/01/26 18:13
マサセット=モームってだれよ?
74日本@名無史さん:03/01/26 18:28
母方は橘諸兄の家系だということで、系図も敏達天皇からずっと残っていた。
どうせ系図を買ったのだろうと祖父に言ったら、絶対本当だと言い張っていた
が。どうなのだろう。ちなみに、京都府八幡市です。名前は途中で変わっています。
75日本@名無史さん:03/01/26 18:34
日本最初の偽系図が、日本書紀ともいえる。
(古事記は推古からあとは載ってない)
76日本@名無史さん:03/01/26 20:07
江戸時代の系図で本物は、千に一つも無いそうです。
77日本@名無史さん:03/01/26 20:12
>>76
akireta

w
78日本@名無史さん:03/01/26 20:15
>>76
 エッほんと
        内の家系図には神武天皇から乗ってるぞ?
79日本@名無史さん:03/01/26 20:27
漏れの先祖は20万年前までさかのぼれます。
初代の名前はミトコンドリア・イブさんです。
当時はアフリカに住んでいました。
漏れは1万4000代目ですが、何か?
80日本@名無史さん:03/01/26 20:39
万国の被差別民は団結せよ!!!!!
81日本@名無史さん:03/01/26 23:40
差別に反対しよう
82日本@名無史さん:03/01/26 23:57
今年先祖の100回忌。誰?と聞いても知らないという答え。
それでもやります子孫の努め。

小さい頃おばさんが祖父と一緒に住むことになった。
何も思わなかったけど10数年たち祖父が亡くなってから
おばさんは愛人だったと知った。
形見わけは祖父の財産をおばさんに 父(一人息子)に家を となりました。
父が中学の頃は祖母、祖父、おばさんと一緒に住んでた時期もあったって。
考えられません。よく離婚にならなかったなと。
8382:03/01/27 00:00
あ、祖母は私が3つの時に亡くなったんです。
神経質な人だったみたい。そりゃそうなるでしょう。
だんなに何十年も他に女の人いたら。
84日本@名無史さん:03/01/27 00:02
なかなか深みのある人間くさい日本史板でも珍しい良スレだ。
85日本@名無史さん:03/01/27 00:05
僕の家系は平安時代から34代わかります。
86日本@名無史さん:03/01/27 00:15
俺は、本家から別れて十一代目
当主は代々、長衛門という名前で七代目までそうだったらしい。
親父もしゃれで、俺の名前を長衛門にしようとしたらしい。

あぶなかった。
87日本@名無史さん:03/01/27 00:15
江戸中期までならさかのぼれます。
江戸時代の先祖の墓が6つほど(夫婦の)あります。
まあ、農民ですけどね。
88日本@名無史さん:03/01/27 01:51
日本人は奴隷の子孫だ
89日本@名無史さん:03/01/27 01:55
○○人は奴隷の子孫の奴隷になったことがある。
90日本@名無史さん:03/01/27 03:01
>86
漏れも侍の11代目。
初代の名前は兵太夫。以下銀八、伝六、重内、舛蔵、また伝六、
7代目の小文治までが侍。なんか名前だけ見ると侍っぽくないのもあるけどw
91日本@名無史さん:03/01/27 06:01
>>83
同居というのは珍しいかもしれんが、別に妾がいたからってどーこーないっしょ。
自分に子供が出来なかったから石女と気にしてた可能性はあるかもしれないが。
92日本@名無史さん:03/01/27 13:51
>>90
そんな侍の名前は無い、無い
9386:03/01/27 13:51
>>90
すまん、うちは農民で侍じゃない、いちよう帯刀は許されてたようだが。
関が原の前後に帰農したらしいが、それいぜんはよくわからない。
わかっているのは、甲斐武田氏家老板垣信方の家の姫を嫁にもらった事くらい。
うちの墓地にでかいお墓がある。
94日本@名無史さん:03/01/27 15:10
>92
下級武士ならいそうじゃん
95日本@名無史さん:03/01/27 16:43
>>94
新撰組は、農民だぞ。

奇兵隊に入って戦った者の子孫が、武家と言っているのだろう。
9690:03/01/27 18:55
新撰組じゃないけど下級武士ですわ。
一応卒族ではなくて士族です。
最下級のね。
97日本@名無史さん:03/01/27 19:04
>>96
最下級の士族でも、その様なチンケナ名前は付けないだろう。
98日本@名無史さん:03/01/27 20:35
名前じゃ確定できないんじゃない?
百姓みたいな名前の旗本も沢山いるよ。
江戸時代の住宅地図見てみ?
99日本@名無史さん:03/01/27 20:44
武士は、名前に気を使っていた。
100日本@名無史さん:03/01/27 21:17
名前だけでは判断しかねる
101日本@名無史さん:03/01/27 21:35
百姓の名前と、武士の名前は違う
10290:03/01/27 21:43
信じる信じないはご随意にどうそ。
実際にそういう名前だったんだからしょうがないよ
としか言えないw
103日本@名無史さん:03/01/27 21:44
一概には言えない。
104日本@名無史さん:03/01/27 21:46
>>101
知識不足も甚だしいな藁
105日本@名無史さん:03/01/27 22:20
>>101
テレビドラマの見すぎです
106日本@名無史さん:03/01/27 22:27
>>90
小文治ってのは、噺家さんみたいでグーだ。
107日本@名無史さん:03/01/27 22:31
>>106
その様な名前の武士はいない。
108日本@名無史さん:03/01/27 22:38
アホが1名混じってるな
109日本@名無史さん:03/01/28 01:05
江戸時代には、名前の身分差を厳しくしていた。
江戸後期になると、下級身分の者でも、比較的良い名前を付けることを許された。
当然、武士は、百姓の様な名前を付けていない。
封建社会は、身分社会だ。名前を聞けば、職業身分が分かる社会だ。
110日本@名無史さん:03/01/28 01:13
>江戸後期になると、下級身分の者でも、比較的良い名前を付けることを許された。

ソースは?
111日本@名無史さん:03/01/28 01:28
>>110
「名字と日本人」先祖からのメッセージ  武光誠 著  文春新書
112日本@名無史さん:03/01/28 01:38
名前で全てが分ると思ったら大間違いだよ。
極端な例を除き、その差は無い。
113日本@名無史さん:03/01/28 01:42
公家は公家の名前、武家は武家の名前、百姓は百姓の名前、
商家は商家の名前、大工は大工の名前、当然だろう。
114日本@名無史さん:03/01/28 01:43
>>109
そもそも良い名前って?
百姓のような名前とは?
115日本@名無史さん:03/01/28 01:47
「たそがれ清兵衛」  知ってる?
下級武士だよね。

しかし清兵衛・・・百姓でも旗本でもいる名前なんだな。

これをどう説明する?こんな例は無数にあるのだが。
116日本@名無史さん:03/01/28 01:53
>>115
作家が付けた名前だろう。
しかし、現実にあったと思われる。
封建体制が緩く(崩壊過程)なってから、その様になったのだろう。
117日本@名無史さん:03/01/28 01:59
「甚兵衛」というサムライもいれば百姓もいるよ〜ん
http://www.library.pref.ishikawa.jp/ipl/dglib/samurai/ doc/keityo10/keityo10Page12.htm
http://www.fjct.fit.ac.jp/yama-lab/kin-in/hakkutu.htm
118日本@名無史さん:03/01/28 01:59
>>115
公家で、精兵衛はいないだろう。
119日本@名無史さん:03/01/28 02:01
 >>117
 甚兵衛という公家はいないだろう
120日本@名無史さん:03/01/28 02:04
武家と百姓にいつから公家が混じったんだワラ
下級公家ならいるだろう
121日本@名無史さん:03/01/28 02:04
名前で身分が分かった社会なのだ。

清兵衛も甚兵衛も、百姓に近い武士だろう。
122日本@名無史さん:03/01/28 02:06
>>121
今の英国大使館そばの屋敷に木村甚兵衛なる旗本屋敷がある。
場所からしてかなりの大身旗本であろう。
名前じゃ判断できんよ。
123日本@名無史さん:03/01/28 02:09
>>120
公家にその様な名前は無い。たとえ、下級の公家でも。

兵衛も、助も、丞も、人名には意味がある言葉が使われている。
それは身分によって異なる傾向がある。
常識で考えろ、下級身分の者が、上級身分の者の名前より立派な名前が付けられるか。
虐められ、殺されるぞ、封建社会では。
124日本@名無史さん:03/01/28 02:11
>>122
幕末には、新撰組も旗本にした。
農民でも、Bでも、幕臣となった。
幕末は、その様な社会だ。
125日本@名無史さん:03/01/28 02:14
>>123
へー詳しいね。
ヒエラルキーで表してよ。
126日本@名無史さん:03/01/28 02:16
>>124
1854年て幕末かね?
そんな極端な例に意味は持たない。
127日本@名無史さん:03/01/28 02:19
そもそも立派な名前ってどんなだよ?藁
128日本@名無史さん:03/01/28 02:28
うちの先祖、上級武士なんだが「太郎」という人物いるよ。
名前じゃ区別は出来ないね。
129日本@名無史さん:03/01/28 02:28
「青を染めるには多くの虫を殺す」藍屋は賎しめられていた。
130日本@名無史さん:03/01/28 02:30
>>128
「太郎」は、長男のことです。
131日本@名無史さん:03/01/28 02:33
うちの先祖、上級武士なんだが「五郎」という人物いるよ。
名前じゃ区別は出来ないね。
132日本@名無史さん:03/01/28 02:34
>>131

江戸時代か?
133日本@名無史さん:03/01/28 02:34
>>130
俺のじーちゃん「小五郎」
これってどーゆう意味?
134日本@名無史さん:03/01/28 02:36
>>130
俺のじーちゃん「三郎左衛門」
これってどーゆう意味?
135日本@名無史さん:03/01/28 02:37
>>133
五男で、大五郎の反対、生まれた時に小さかったのでは?
136日本@名無史さん:03/01/28 02:39
じゃあ桂小五郎も産まれたとき小さかったんだね?>135
137日本@名無史さん:03/01/28 02:39
>>134
土左衛門の兄弟で、三男です。
138日本@名無史さん:03/01/28 02:40
じゃあ桂小金時も産まれたとき小さかったんだね?>135
139日本@名無史さん:03/01/28 02:41
じゃあ小川って名字の人も産まれたとき小さかったんだね?>135
140日本@名無史さん:03/01/28 02:43
>>136
芸名みたいなものだろう。
木戸孝允に変えている。
141日本@名無史さん:03/01/28 04:09
>>111
いつから名字の話しとんじゃボケ!
142日本@名無史さん:03/01/28 06:29
名前である程度の目星はついても断定は出来ないな。
143日本@名無史さん:03/01/28 08:44
除籍謄本
 家系調査の名目で、父方は名取市役所、母方は青葉区、若林区、宮城野区各区役所を巡
り、遡っての除籍謄本を探索した。除籍謄本は戸籍関係書類で1部750円と一番高く、
時間も掛かった。申請者本人から見て3親等以内に血族関係者が戸籍上にないと取れない
ようなので、戸籍筆頭者と申請者との関係を厳しく訊かれ、特に青葉区役所で時間がかな
り掛かった。昨年、若者たちによる戸籍捏造事件が起きたことが影響しているかもしれな
い。遡れるだけ遡って15冊とった現在、父方では文政元年(1818年)まで、母方で
は天保元年(1830年)まで遡れた。それ以上は法的戸籍保存期限80年に引掛ってと
れない。その先はお寺の過去帳とか、系図などの世界となる。

http://www.mni.ne.jp/~ytt/shumi.htm

謄本には、現戸籍謄本、除籍謄本、改正原戸籍謄本と3種類あるが、これを溯っていくと、色々なことが判ってくる。
しかし、戸籍謄本の取り寄せも東京・日本橋方面はちょっと難しい。
理由は太平洋戦争の空襲で区役所が燃えてしまい、戸籍原本も副本も存在しないからである。

http://homepage2.nifty.com/zatsugaku/zatugaku/000507.html
144日本@名無史さん:03/01/28 09:55
>>143
戸籍では遠からず、出自が分からなくなるのですね。
「社会全体の利益」から、その様なシステムを採用しているのですかね。
145日本@名無史さん:03/01/28 11:44
父方では文政元年(1818年)まで、母方で
は天保元年(1830年)まで遡れた。それ以上は法的戸籍保存期限80年に引掛ってと
れない。その先はお寺の過去帳とか、系図などの世界となる。

>>もちろん壬申戸籍見たことないですよねえ。
146日本@名無史さん:03/01/28 13:50
伊藤博文 初名 俊輔  キコリの息子
147日本@名無史さん:03/01/28 15:56
賎民のエネルギーが維新に注入され、
賎民層も、その際、上昇した。
148日本@名無史さん:03/01/28 16:12
おまいらいいな、先祖が立派で。
俺なんか爺さんが死んだ際に相続税の関係で戸籍帳みたいなの見たが、
記載されている先祖が全員土着の農民ダターヨ。
ちょっとガカーリした。
149日本@名無史さん:03/01/28 18:48
>>148
江戸時代も、明治も、学校で習った様な、単純な身分構成ではない。
上が下だったり、下が上だったりしている。
15086:03/01/28 22:31
>>148
先祖が立派でも、自身が立派でないと逆に馬鹿にされるという罠
151日本@名無史さん:03/01/28 23:10
元を辿ればみんな同じだよ。
間、間に名を残した人はそれなりに立派だと思うけど
それはその人自身に行動力があっただけ。
子孫がその人と同じように生きてきた家系なんかほとんどないでしょうに。
152日本@名無史さん:03/01/29 08:31
5代
153日本@名無史さん:03/01/29 08:48
ご先祖様は甲斐武田の足軽頭。
長篠の戦で逃げてきて関東の某所に屋敷を構えた、とうちの本家の古文書には書いてある。
天目山の後ならともかく、長篠の戦の時点で脱走することなんて出来たんでしょうか?
154日本@名無史さん:03/01/30 13:47
>153
卑怯者の子孫ハェーン
155日本@名無史さん:03/01/31 03:41
>>153
非常に先見の明があるご先祖ではありませんか
156日本@名無史さん:03/01/31 05:48
うちの先祖は盧泰愚。
んで私は在日。
これ本当。
1571:03/02/02 02:14
このスレは正直者が集うスレです。
158日本@名無史さん:03/02/02 03:20
誰だか解らないが墓に後藤図書守末孫と書いてある。
159日本@名無史さん:03/02/02 03:25
五代前ってさ、16人いるわけだよね。
全員の系統が分かったらすごいな。
160日本@名無史さん:03/02/02 03:30
あんまり家系の事知らないけど
父の実家の仏壇見たら、過去帳みたいなもので
一番古かった先祖が1500年代に
亡くなったって記録されてた。
農家で1500年代って妖しいと思うけど
あれだけ土地持ってるしなぁ・・・

母方は祖父の代で5代目の銭湯だから
一応そこまでは解る。
16186:03/02/03 00:01
>>160
うちも明治になるまでは農家だけど、1600年ごろまでなら分かっているから
怪しいと一概はに言えないと思われ
村方三役とかだったんじゃないかな

うちは土地ないけど
162上級武士末裔:03/02/03 00:17
お前らダセーな藁
農家ばっかじゃん嘲笑
163日本@名無史さん:03/02/03 00:19
うちも江戸時代は農家(庄屋)だったけど鎌倉時代まで分かるよ。
室町時代は小大名の宿老級の武将だったものが主家が滅んで帰農した。
164日本@名無史さん:03/02/03 00:30
俺(埼玉→大阪)→親父(北海道→京都→群馬→埼玉→大阪)
→じいちゃん(?)→ひぃじいちゃん(青森→北海道)

ってぐらいしかわかんね。ひとまず俺にはアイヌの血も屯田兵の血も混じってないってこった。
165日本@名無史さん:03/02/03 01:02
正直、ご先祖さんを調べるよりオヤジとおかんの生態を調べた方が将来役立つと思う
166日本@名無史さん:03/02/03 01:07
オレも先祖が知りたいんだけど、ネットじゃ調べれなかった。
一応、武士だったらしいが、、、みんなどうやって調べるの?
167日本@名無史さん:03/02/03 01:08
>>165
そんなもんは調べ尽くした.
168日本@名無史さん:03/02/03 01:25
10代前の先祖だと1024人か。
5代前だと32人。
全ての先祖を辿るのは無理だな。
16986:03/02/03 01:44
>>166
まず、とうちゃん爺ちゃんに聞く、
そして本家か本家に近い家(先祖伝来のお墓や位牌を守っている家)の、お年寄りに聞く、
大体の事を聞いたら菩提寺があればそこでお坊さんに聞いてみる。
史書と照らし合わせてみる。
という感じかな
170日本@名無史さん:03/02/03 01:55
166さんの先祖はどこの藩の侍?
藩によっては藩士の系図や先祖書・由緒書などが残っているケースもあるよ。
171日本@名無史さん:03/02/03 02:03
家計のことはよく解らなかったが、父父 母父 父が40歳に届かず
亡くなっていることは知っている、すでに30歳の俺。

なんか猛烈に鬱なんですけど。。。
172 :03/02/03 02:07
賤民ですが、何か
賤民を開放しよう
173日本@名無史さん:03/02/03 02:25
先祖捜しに現抜かすより
君達庶民は自分自身を磨く努力したほうが良いと思うよ。
174日本@名無史さん:03/02/03 02:57
祖父さんまでしかわかりゃしないよ。
祖父さんが住んでたのは四条烏丸の近くだから先祖は町人だろうけど
遠い先祖は田辺の方から出てきたとか言ってたから元は百姓かもね。
それで別に今は不自由なく暮らせてるから何も問題ない。
175日本@名無史さん:03/02/03 03:06
なんだサムライの血ひいてないの?
恥かしい日本史板住人だね。
176組頭:03/02/03 04:17
>>175
サムライの血をひく人間のほうが圧倒的に少ないと思うし
なぜサムライの血をひいていないと恥なのか詳しく教えてほしい。
177日本@名無史さん:03/02/03 08:32
>>175

安藤昌益、知らないわけじゃないよな?
サムライ以上ってのは、人をさんざん殺してきました
というに過ぎないのよ
178日本@名無史さん:03/02/03 09:14
爺さんと婆さんより上は知らん。
父方は親父が中学生の頃に福島の会津から埼玉の川口に越してきたらしい。
母方の先祖は庄屋だったらしい。
母親の実家の側に一族の名字のついた橋が掛かってる。
先祖が掛けたと言ってるがホントのところは知らない
179日本@名無史さん:03/02/03 12:16
おお川口ですか。俺は近所です。
俺の父方は、埼玉に店を持つ、江戸に大商業資本を出していた
「大和屋」の雇われ人でした。
この店は不景気の時に、必要のない倉を、江戸に大増築して、
職人に仕事を与えたりしてた。ケインズ政策だね。
で、年取って働けなくなったら、畑と屋敷を退職金代わりにもらい、
農民となった。

母方は地元のやや有力農民。
戦後、地方議員や土地整理事業の中心人物となり、
石碑や銅像が小学校や公民館にある。

ご先祖様に比べ、俺は劣化してる気がする。
と、ちょっと弱気な月曜の昼。トホホ・・・。
180日本@名無史さん:03/02/03 16:05
>>169-170  レスサンキュウです。
      本家には刀しか残ってないし、年寄りもみんな亡くなった。
      藩は会津藩らしいです。役場にいけば分かるかな?
181日本@名無史さん:03/02/03 16:52
>>180
刀はGHQの刀狩にあわなかったの?我が家も知り合いの旧武家も
あって刀は無く、槍や弓や馬具などだけが残っているのだが・・・
最近、手にしたか、それとも隠しとおしたのかな?
182日本@名無史さん:03/02/03 17:10
自分の苗字だけでは判断できないの?たとえば上杉って人がいたら
その人は上杉家の直系とまではいかないけど関係がある人だとかさ
183日本@名無史さん:03/02/03 17:33
>>182
一系一根とは限らないからね。
184日本@名無史さん:03/02/03 17:47
>>181  う〜んなんでだろう?でも、ココは青森のずっと奥だから助かったのかな?
    よくわからんです。
185日本@名無史さん:03/02/03 20:04
観修寺家末葉ってあるんだけど、何だろう不思議教えて、藤原秀郷系ではないんですよね?
だ、だれか右や左の旦那さま〜、教えて下さい。
186日本@名無史さん:03/02/03 20:21

「勧」修寺なら公家だよ。本支13家あり
187日本@名無史さん:03/02/03 20:23
お寺の過去帳である程度までならさかのぼれるよ
ただ一般的に明治10年代にになってから移動の束縛がなくなってからさかのぼれる家が激減したと考えられる。
188日本@名無史さん:03/02/03 20:58
移動って結構ポイントよ!
5代くらいで一族全員移動するから
わからなくなる。
189日本@名無史さん:03/02/04 08:01

>5代くらいで一族全員移動するから

なんの裏付けもない、思い付き。無価値。
「・・くらい」をつけりゃいいというもんじゃない。
科学的に立証しろ
190一族5代:03/02/04 10:18
>>189
総務省人口統計白書2003
191日本@名無史さん:03/02/04 10:56

>190

ネタでなければ、原文うpきぼんぬ
192日本@名無史さん:03/02/04 11:12
明治19年式戸籍でも残っている市町村って少ないらしい。
みんなの戸籍で一番古い生年月日の年号はいつですか?
193日本@名無史さん:03/02/04 23:20
人口統計白書というものはあるだろう

だからといって
>5代くらいで一族全員移動するから
というのは、いただけない

そも一族というのは、何親等までのこと?
全国でどれくらいのサンプリングをしているのか?十件や百件では話にもならない。
5代くらいとは何ぞや?統計ならもっと正確な数字がだせるだろう。
そもそも総務省に何の必要があって、個人の家々の移動を調査する?
県外へ出れば移動か?隣町は移動ではないのか?

ネタとしか思えん
194日本@名無史さん:03/02/05 00:42
>>181
斗南に移住したわけか。
会津の市立図書館に会津藩の藩士系図が保管されてるよ。
苗字・家紋その他わかっていることをできるだけ詳しく書き送って
調査してもらえば?同じ苗字の武士の系図のコピーを送ってもらえば
なにかわかるかも。
195日本@名無史さん:03/02/05 00:50
4代前の爺さんまでしかさかのぼれないや・・・大正3年没。ほぼ慶喜と
同じ時代を生きた人と思われる。ちなみにその爺さん、近所の神社の
神主やってたみたい。
196日本@名無史さん:03/02/05 00:50
死んだジー様が書いた家系図(ふつーの紙に鉛筆書きw)をみた。
図の一番上にあったゴンザブロウって名前はどうかと思った。
197日本@名無史さん:03/02/05 01:10
ゴンザブロウからジー様まで何代?
198日本@名無史さん:03/02/05 01:46
>>195
神主やっていればさかのぼれると思うよ。真剣にガンガレば。
199195:03/02/05 02:13
>>198
一応、土地っ子で近所に一族の墓があるから、昔の墓調べれば
なんか判るかも・・・・

ちなみに、その爺さんが神主やってたのは明治の潮流に便乗してた
というか、元々うちの家、真言宗徒なんだよね・・・(w
200日本@名無史さん:03/02/05 07:43
200
201日本@名無史さん:03/02/05 07:44
そも一族というのは、何親等までのこと

>>5代夏子
202日本@名無史さん:03/02/05 07:51
出生地と老後の生活地の異なる人の割合が自分1代で3割。2代で5割。3代で3家に2家。
4代で7割5分。5代(正確には5.33代=1世代28.33年(平均)X 5.33=150(151)年)で
一族全員引っ越すのでR。 藁
203日本@名無史さん:03/02/05 07:52
202訂正

出生地 誤
生育地 正
204日本@名無史さん:03/02/05 09:53
神主でなくても寺の過去帳を調べればわかる。
寺と付き合いの無いニュー・ファミリーでも、爺さんの実家へでも行って、
仏壇拝んでくれば、位牌の後ろに俗名がある。
静岡当たりの農民でも、裏の畑の古い墓には元禄15年位の没年者は
いるぜ。
問題は元禄から平成までの嫡流欄がすべて埋まるとは限らないことと、
だいたい何人かは養子が入ってること。
養子といっても、まったく血縁のない人間を入れた場合は、だいたい
娘か姪か姪の娘か、かならず血縁者が配偶者になってるものだから、
そこで血が途切れてるわけではない場合がほとんど。
205日本@名無史さん:03/02/05 11:16
寺に家系図が保管されてたけど、寺が火事にあってあぼーんしますた。

一応本家なんだが…
206日本@名無史さん:03/02/05 11:19
お寺に家系図なんて残っているものなの?
207日本@名無史さん:03/02/05 11:31
付き合いの深い菩提寺があるなら、あるいわどこかの時点で
家系図を作った先祖が寺に納めるという事はあるかも・・・

家系図より、過去帳の方が事務記録だし信頼性は高いんじゃない?
208日本@名無史さん:03/02/05 15:16

1世代平均30年として、5世代150年。
ちょっと田舎行きゃ、150年や200年の家はザラ。

>5代くらいで一族全員移動するから

DQNなのか?
それともおまえの村だけか
209日本@名無史さん:03/02/05 16:12
>>202

オウムばりの詐術だな(w

100軒あって3割転出すれば、70軒残る
70軒中3割転出すれば、49軒残る
49軒中3割転出すれば、34.3軒残る
34.3軒の3割で、24軒残る
24軒の3割で、16.8軒残る

数学的にはどこまでいっても、ゼロにはなりませんが?
とうぜん派生するであろう分家も無視してもこうなりますが?
分家や女系は「一族全員」からは無視ですか?
210日本@名無史さん:03/02/05 19:54
>>196
死んだジー様に感謝せんとな。

うちのジー様や親族なんかもそんな家系図を作るような
気の利いた事をしてくれれば苦労せずにすんだんだが・・・
211日本@名無史さん:03/02/05 21:11
家は家系図、大正時代に火事で燃えました。昔、旅の坊様が家系図見て、「これは
大した系図なので大切にとって置きなさい。」と言って帰って行ったそうです。
でも、燃えちゃった。江戸時代の墓に家の辺では有名な名前が彫ってあり、それで
遡ると、南北朝時代まで色々な書物で遡れました。また10数年前に家の家系図の写し
が寺の修理の時出てきたようですが、お寺の坊さん見せてくれません。将来我が家
に盗って替わるつもりか。
212日本@名無史さん:03/02/05 21:31
上司のお宅の床の間には二ふくの家系図がかかっています
上司の姓が在日が良く使う○元とよく似ているので
勘違いされやすい
で、家にお客を呼ぶときにその家系図を床の間に掛けて置くそうです

本家に家系図を借り、更に有名大学の教授に欠落部やあいまいなところを
補完してもらって、署名を入れてもらう
そして軸装してもらうまでに
謝礼など含めて100万円ほどかかったそうです
213日本@名無史さん:03/02/05 22:52
>>212

そこまでやって、100万なら
破格に安いと思う
214日本@名無史さん:03/02/05 23:08
やたら火事が多いなwそんなの嘘に決まってんだろバーカ。
215日本@名無史さん:03/02/06 06:24
数学的に0にはなりません

が、世の中平均値と言うものがあるでしょう。

偏差値曲線に当てはめるべきでしょう。そりぁ奈良の方に行けば室町時代から
継続している家はありますよ。でも世の中は平均値におさまるものなのです。
覚えておきましょう。さあ、言ってごらん。認めてごらん。

       平均  一族   5代で  消滅すると

                輪          羅
216日本@名無史さん:03/02/06 06:37
一般的には1代目ー2代目ー3代目と長男だけで続き、3代目に子供がいないので
2代目の弟(分家)の孫を養子にとって4代目にするんだよね。で4代目に子供が出来ないから
2代目の弟の次男(分家の分家)の孫を5代目の養子にする。
で5代目に子供が出来ないOR5代目の子が女子のみOR5代目の子がタネの違う他の
男の子OR子供はいても離婚して妻が引き取るOR5代か6代目が借金背負って行方不明に
なるなどの理由で(他に都会に出るや他家の養子に入る)などの理由で一族5代で消滅する。
ただ「家」としては10代300年続くわけだが5代目と6代目に血のつながりはなく
10代目と11代目に血のつながりはない。弟に家督を相続させたら300年15代(徳川家)
になるが世代で見たら10世代300年と見といたほうが良い。
性名が変わっているので鎌倉の時代まで家系図で遡れます。
もともとは千葉氏で、そこから、防人として九州に根付いた。
お寺さんでの碑を見たりすると、島原の乱で戦死した先祖の
名前があったり、面白いですね。
しかし、明治時代は俸禄を取り上げられたりしたそうで、
過去の先祖さんを眺めていると、非常に面白いが、過去ばかり
見てるのも前進がない・・・・。
218日本@名無史さん:03/02/06 07:58
>>215

上祐君。君の詭弁には飽きた
219日本@名無史さん:03/02/06 11:50
>>212
>有名大学の教授に欠落部やあいまいなところを
>補完してもらって、署名を入れてもらう
間抜けだな、意味ないのに。
220日本@名無史さん:03/02/06 16:46
>>217
>性名が変わっているので鎌倉の時代まで家系図で遡れます。
>もともとは千葉氏で、そこから、防人として九州に根付いた。
言ってることおかしいぞ。というか変。
知識が無いのにでたらめを言っているだけとしかおもえん。
221日本@名無史さん:03/02/06 21:38
鎌倉の時代まで
>>そういう人に限って自分の家の墓石に刻まれた年号が「昭和」だったりする。w
222日本@名無史さん:03/02/07 02:49
うち、墓が4つくらいある・・一番古いのはもうボロボロでコケとかこびり付いて
何が書いてあるか読めない・・
223日本@名無史さん:03/02/07 09:21

少なくともその墓は明治よりも前のものです。
224日本@名無史さん:03/02/07 10:08
コケを洗って落とし、乾いた墓石に半紙をはりつけ、えんぴつで。。。
浮き出てきた字を判別する。
寺だけでなく、家の仏壇に位牌でなく過去長をまつる宗派もあるから、
まづは爺さんの実家のそのまた実家と手弁当とお土産持って尋ね歩くんですな。
そのうち家系図命の一族の誰かに行き着く。そして自分の名前を書いてもらう。
その家系図に自分の親か伯父か爺さんかひいじいさんの名前がある可能性もある。
って、むかしそういう番組あったな。
225日本@名無史さん:03/02/07 12:30
曽祖父の名前知っている人大学生の4人に1人
226日本@名無史さん :03/02/08 01:10
知ろうと思えばわかるけどな。
227日本@名無史さん:03/02/08 09:51
平均  一族   5代で  消滅すると
228日本@名無史さん:03/02/08 09:54
天皇になろう

5代で誰でも天皇になれる。(結局、万世一系って5代で天皇に(頂点)にチャレンジする事なんだよねえ)

0代目1300華族(今でいう参議院議員(家老、 男爵 県会議員からようやく国会議員に転進。
1代目250諸侯(今でいう衆議院議員(小選挙区 子爵(今の県知事クラス)、伯爵(今の大臣クラス)
2代目侯爵以上(50名)(都知事派閥長クラス、幹事長、財務大臣 侯爵
3代目公爵以上(11名)総理大臣、旧11宮家に相当
4代目直宮家 (4人)三笠宮家、高松宮家、秩父宮家、秋篠宮家
(皇后、皇太后の実家)(2人)
5代目天皇 (1人)  あがり

今の天皇に当てはめると・・・
1代目水戸斉昭 2代目中川宮朝彦 3代目 東久邇宮稔彦 4代目三笠宮崇仁 5代目今上陛下
229日本@名無史さん:03/02/08 09:54

五代で消滅してたら、自分自身存在しないじゃん。馬鹿まるだし
230日本@名無史さん:03/02/08 10:00
て言うか、意味がよくわからんかった スマソ
 
231ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/02/08 10:33
>228
もひとつ書いてる意味が分からんが、女系を加味すれば自分の5代先の
子孫が天皇になってることは可能性としては考えられるな。
232日本@名無史さん:03/02/08 10:43
家の母方は、代々某藩の武術指南役。
5代前まではそこで指南役を務めていた。

その先もわかってる。最初に登場するのが
2代将軍秀忠の時代。やはり武術系の指南役。
歴史の本で名前を見たことがある。

で、5代将軍綱吉のとき、子孫が姫の嫁ぎ先(某藩)
についてきて、そのまま幕末まで某藩に奉公した。
233日本@名無史さん:03/02/08 12:15
要するにM−1グランプリじゃないけど
天皇になると言う事は天ー1グランプリの優勝者と言う意味なんじゃ?
234日本@名無史さん:03/02/08 14:19
女系男系って言っても、5代前で32人のの父母、6代前で64人の父母がいるわけで。
10代前で、1024人となると、一人ぐらいは当たりがいるでしょうよ・・・。
なにしろ、世継ぎといっても、一人しかなれないんだから、後の予備は、どうなるかを考えれば。
235日本@名無史さん:03/02/08 16:03
女系だとダサいの?
236ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/02/08 17:26
>235
そんなこたない。女系が認められんのは皇室と一部の宮司家くらいだろ。
237日本@名無史さん:03/02/08 17:35
熊○郎(大地主、郷士)→清(県会議員)→伸○(大手電力会社部長)→伸○(大手企業部長)→俺

お、5代わかっているな、名前。
ついでに熊○郎の母親はお浜さん、だんなも墓に名前が書いてあったが忘れてしまった。
清の妻はお寺の出(この妻の親が総理大臣といとこ)、熊○郎の母親(お浜さん)の出は
うちと同じ苗字の家だが清のいとこになる人が現在90歳以上で生きていて名家の18代目。
ここの家は指定文化財が多数ある。
238日本@名無史さん:03/02/08 19:18
>家系図より、過去帳の方が事務記録だし信頼性は高いんじゃない?
台東下谷根岸の某浄土宗の寺(戦災免れた地区)に  不許韮酒山門入内
(にらは許さず酒は山門内に入ると読むべきか)の横書きに、過去帳の調査などお断り。
デッカクかいてあった。 調査したい人が多いのかなぁ??
最近もうお寺で申し合わせてダメみたい。

239日本@名無史さん:03/02/08 21:00
それは、「くんしゅさんもんにいるをゆるさず」だろ。お寺の山門によく記されているよ。
240日本@名無史さん:03/02/08 21:23
>>238

そりゃ、おかしなヤシも来るからだろう

子孫が自分の先祖を調べるのに、何のはばかりがあろうか
241日本@名無史さん:03/02/08 22:00
36代程度遡り、自分と血の繋がっている人々の人数を数えると当時の人口の
約半分にのぼります。
ですので、誰にでもご先祖に有名人が一人はいるものです。
242日本@名無史さん:03/02/08 22:02
まったく移民なしと考えた場合そうでしょうけどねえ。

いとこ同士の結婚もあるから日本人全員在日40世くらい?
243日本@名無史さん:03/02/08 22:05
ですねえ。まあもともとは東アジア全体はひとつの人種なんですが、
それを理解しようとしない人々が多いのは悲しい事です。
244日本@名無史さん:03/02/08 22:37
それを言っちゃ、全人類が一人の母からの子供たちのわけで。
245日本@名無史さん:03/02/08 23:14
>>241
有名なところはズーーーット有名
そうでないところは・・・・・・・
246日本@名無史さん:03/02/08 23:31

人類は皆アフリカ発祥の兄弟ということで
247日本@名無史さん:03/02/08 23:56
安岡章太郎の「流離譚」ってまだ出てない?
248日本@名無史さん:03/02/09 02:44
>>241
説明は省くがそれは違う
249日本@名無史さん:03/02/09 03:33
>>248
うん、241氏以外はみんな分かってるから、省いていいよ。
250日本@名無史さん:03/02/09 09:32
>安岡章太郎の「流離譚」
だいぶ昔の本だよ。古書店に行きなさい。
251日本@名無史さん:03/02/09 11:42
>>238
結婚などの縁組の際の家柄調査に利用されるから
他人の閲覧を拒否してるんだと思います
その家の人が行けば見せてもらえるはず
というより過去帳はお寺のものじゃなく
檀家から預かっているという形式のはず
252日本@名無史さん:03/02/09 12:26
過去帳の公開拒否ってのは、ちっとも威張れる事じゃないんだが・・・
銀行が、利用明細の発行拒否してるようなもんだ。 
253日本@名無史さん:03/02/09 14:29
俺の家はある寺の500年来の檀家で、檀家の中でもかなり中心的な家筋に違いない
と思うのだけど、ウチの遠縁(同姓)の人とその寺の住職の奥さんの実家がともに某自治体の
選挙にうって出てライバル関係になってしまっていて、なんだかとても頼みごとを
しづらくなってしまっている。
過去帳を見せてほしいと10数年来思っているのだが、断られたときのショックを考えると
いまだに話を切り出せない。
254日本@名無史さん:03/02/09 16:21
檀家の中でも中心的な家筋って・・・・普通、中心的な檀家は檀信徒総代に
なってたり、何らかの役員やってるものだが・・・
255日本@名無史さん:03/02/09 18:24
曽祖父は檀家総代だった。祖父からこっちは菩提寺の場所から離れた場所に
引越したのでね。
ただ血統的には室町時代〜昭和まで寺の経済に多大な貢献をした家の直系なのは事実なので、
そう書いたのだけど、問題あるかね。
256日本@名無史さん:03/02/09 18:39
今日お墓参りしました。
江戸時代の年号が刻まれているお墓は隅の無縁仏コーナーにまとめて供養されてました。
300くらいお墓があって江戸時代の年号が刻まれた墓が3つ。
時代とともに消えて行くのでしょう。
ちなみに大阪府です。
257日本@名無史さん:03/02/10 18:07
いるたんべく
258日本@名無史さん:03/02/10 18:08
きむさん
259日本@名無史さん:03/02/10 20:16
何代とかじゃなく、江戸末期からしかわからないって事でしょ?
260日本@名無史さん:03/02/10 20:20
それが平均5代ということか?
うちは親が20前後で産んでるのが多いので
戸籍だけで江戸末期まで9代わかるぞ
一番若いのは12才で子供産んでるw
261日本@名無史さん:03/02/10 22:10
母の実家が江戸時代まで庄屋をやってた家だから、江戸時代初期までは遡れるぞ。
漏れが名前覚えてるのは4代か5代前までだけどね。
262日本@名無史さん:03/02/10 22:22
江戸末期まで9代わかるぞ

>>江戸末期で9代!
263日本@名無史さん:03/02/10 23:47
4代前までならすべての家に行った事あり、付き合いも微かにに有るが
5代前になると全部は無理だな・・・
264日本@名無史さん:03/02/11 00:13
>263
がんがれ
265日本@名無史さん:03/02/11 00:30
>>261
うちの母の実家も元庄屋(関東だから名主)だYO!
27代前までなら分かる。元は安土桃山までその地を治める代官だったラスイ。
なんでも関東管領だった上杉家に従って新潟から移住したそうな。
江戸時代あたりになってから帰農。村々を管轄する総代名主になったみたい。
漏れの親父の方は国人(地侍)でぱっとしないんだけど ^^

266日本@名無史さん:03/02/11 00:59
代官って安土桃山時代にあるの?
江戸時代じゃないの?
267日本@名無史さん:03/02/11 05:03
うちは3代(祖父、父、漏れ)しか分らないが、祖父は江戸時代(1866年)の人だ。
父は1925年生れなので、祖父59才の時の子だな。
そして漏れ(S48生れ)は父48才の時の子。ちなみに祖父は武士の出なので
29才と若輩者ながら漏れは武士の孫となる。趣味はキャバクラ通い。
漏れの息子の誕生も遅れそうだわ藁。
268日本@名無史さん:03/02/11 11:10
カネがねーなら娘はさらっていくぜ!
とか参勤交代の時殿様にたまたま目があって
強制的にお城に連れていかされ子供を
はらまされその子が藩主になったとかそんなエピソード持っている人いない?
269日本@名無史さん:03/02/11 14:51
そもそも、目が合うことなんてねーだろ。
270日本@名無史さん:03/02/11 22:20
>>269
綱吉のオカン
271日本@名無史さん:03/02/11 23:12
>>270
それって、殿様が強制的に連れてきたのか?
大奥の奴らが各地を物色して連れてきただけだろ。
272日本@名無史さん:03/02/11 23:21
殿様が強制的に連れてきたのか
>>
当時の徳川家光に誰も逆らえません!
273日本@名無史さん:03/02/12 15:35
みんなの家の墓石に刻まれた年号は明治時代が一番多いようですね。
274日本@名無史さん:03/02/12 16:24
母方の家はずっとお百姓だと思うのですが
畑の中に代々の墓場があります。
その中で一番年期の入った墓石には寛政と彫ってありました。
子供の頃、傾いてる墓石は直さないの?って聞いたら
「昔はみんな土葬だったからいいのよ」と言われた・・。
何も彫ってない大きめの石もいくつかあって、埋めた目印になってる
からふむな。といわれたな〜。

余談だけど、じいちゃんが近くの畑で石棺らしきものを掘り当ててしまって
(中はからっぽだったそう)その石もいちおう供養のつもりなのか(?)
墓場の横に重ねてあります・・。

275日本@名無史さん:03/02/12 16:37
そーいや俺は○○家23代目だとか言われてたなぁ・・俺の先祖は武士
なんか?はっきり言ってどーでもええがな。
276日本@名無史さん:03/02/12 19:41
曽祖父が84歳で死んで、祖父がそのとき56で父がそのとき28歳で、私が生れました。
私が80歳で死ぬ時、曽祖父の戸籍謄本は80年で処分されるから、処分される時点で祖父の
戸籍しか残らないわけで、祖父の戸籍の前戸主の欄に曽祖父の名前のみ記載されてる
わけですよねえ。
と言う事は雅子様が30で嫁がれた時点で高祖父までの戸籍謄本までしか宮内庁は調べる
ことが出来なかったわけでしょう。(高祖父の戸籍の前戸主の欄にその高祖父の父の名前のみ掲載)

やはり雅子様の小和田家といえども雅子様の5代前の名前までしかわからないと言う事
ですよねえ。やはり明治19年式戸籍からですよねえ。名前が判明するのは。


277日本@名無史さん:03/02/12 20:10
>276

コピペ厨うぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
278日本@名無史さん:03/02/13 13:25
結局古い家の墓も珍しい苗字も少子化によって消滅しますよねえ。
279日本@名無史さん:03/02/13 23:59
そうね
280日本@名無史さん:03/02/14 00:02
今日市町村合併になる前に取っとこうと思って除籍謄本とってみますた
見事に一番古いやつの前戸主の欄の人含めて5代前までしか分かりませんですた
281日本@名無史さん:03/02/14 00:03
ほとんど農民だろ
俺は違うけど
282日本@名無史さん:03/02/14 00:10
>>280
明治19年式戸籍の事?田布施町も周南市に
合併したら古い戸籍の運命はどうなっちゃうの?
283日本@名無史さん:03/02/14 03:09
俺は分家して4代目だから、5代前よりもっと前までわかるよ。
そんな日本人は多いんじゃない。
284日本@名無史さん:03/02/14 03:22
ウチは永禄3年まで遡れます。桶狭間の戦いの年だっけ?
日蓮宗のお曼荼羅が証拠として残り、お寺の過去帳にも記載されてた。
何代前かはウッカリ勘定しなかったけど、どうせ由緒正しい、
貧乏足軽だったにちがいない(w
285日本@名無史さん:03/02/14 03:46
だいたい5代で歴史は作られるけど、

0代前・・・現在
1代前・・・オヤジの代
2代前(祖父の代・・・国民の5割はこの代までエピソード語れる
3代前・・・国民の2割5分までエピソード語れる。ただし単純なエピソードで曽祖父の職や離婚など
4代前・・・もしかして先祖は坊主で京都から来たかも「しれない」とか海賊の子孫かも「しれない」
      という程度のエピソード
5代前・・・わかりません。
286日本@名無史さん:03/02/14 04:26
ウチは愛媛ですが、長宗我部の侵入と焼き討ち後までは遡れます。
江戸前期以降なら口伝、系図、藩史の全てで役職名が一致するなど
それなりに整合性がとれてます。
ただそれ以前は河野氏の下で海賊をやっていた、という話ですが裏は取りようがありません。
(ちなみに水軍とは呼ばず海賊と呼ぶ)

比較的人口の流入が少なかった農村部の場合、
江戸期の地侍、庄屋、富農の系図の信憑性は結構あるんじゃないでしょうか。
庄屋が何代目弥左衛門、とかいう名を代々名乗っていたのは一般的なことですし。
日本の大半の家は南北朝〜戦国期に今のベースとなる家系と家系図ができた、というのが私の持論です
287日本@名無史さん:03/02/14 06:36
俺の知り合いに「笠」っていう香具師がいるんだけど、85代続いてるとか言ってる。
ホントかな…。
288日本@名無史さん:03/02/14 07:41
八色の姓(684年制定)で作られた朝臣姓のうちのひとつ、笠臣の子孫?
少なくとも苗字として現存している八色の姓は他にもありますし、可能性はあるんじゃないでしょうか。

www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/tishiki/ks00097.htm
289日本@名無史さん:03/02/14 12:24
>>286
dakara

家系図が立派なのはワカル。
でも血のつながりはないでしょう。
長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ーでつながるわけないから。
290日本@名無史さん:03/02/14 13:23
亡きおじいちゃんが作らせた(と伝わる)偽物の家系図があるんですが、
こういうの作ってくれる業者っているの?

もう少し控えめなのにして欲しかった。
291286:03/02/14 13:49
>>289
養子=赤の他人というのはいくらなんでも短絡的ではないでしょうか。
そりゃま完璧に男系の相続なんぞできるわけありませんが、
まずは分家の一族、その次に男系、女系双方でゆるやかにつながる親族同士での
養子の行き来はごく自然なことです。
家系は父と母だけで作られたものじゃなく、
地縁、血縁のコミュニティーの中で作られたものではないでしょうか。
・・・正直なところ一族郎党の親族会議はしんどいだけですが。
292日本@名無史さん:03/02/14 16:55
確かに、血統と家系は分けて考えたほうがいいかもね。
緩やかにつながる親族なんてものは、他人だろうよ。
293日本@名無史さん:03/02/14 17:41
一族郎党=5代
294日本@名無史さん:03/02/14 19:53
>>292
システムで血統=家系を守ってるケースが多いですよ
例えば(我が家)徳川の御三家にあたるような分家があって
本家の血縁の危機には分家より養子を向かえ
分家の危機には本家より血を入れます
当然分家のほうも本家に準じる家格との血縁を求められます
地方(だけじゃないと思うけど)家格は確実にステータスですから
血統=家系を守ることによって家格を維持しています
(今でも・゜・(ノД`)・゜・ )
295日本@名無史さん:03/02/14 20:02
>>294
それも5代が限界
296日本@名無史さん:03/02/14 20:08
>294
>(今でも・゜・(ノД`)・゜・ )
何が(ノД`)なの?
297286:03/02/15 00:39
>296
294ではありませんが、進学、就職、そして結婚にプレッシャーを
かけてくださる親族の方々がいらっしゃる、ということです。
小学生の頃、うちと親戚一族の複数の系図を眺めつつ、この子には
Aがいい、いやBがいい、と議論されてるおばさま方を聞きました。
あの頃はいろんな人からお年玉もらえてラッキー、くらいにしか感じていませんでしたが(ノД`)
298日本@名無史さん:03/02/15 02:56
>>285
四代前にまだ海賊っているのかねえ?

うちは爺さんが自作(ワラ した家系図があって(もともとは寺の過去帳かなんかから調べたらしい)
それによると初代は○○備前守
この人はとある地頭の一族で、足利幕府の評定衆をつとめたと記録にもあるし、
本家の方も出自は宇都宮氏流なんでさかのぼれるんだが、
肝心の戦国時代以降がハゲしく怪しい
名字も違うし、本家は滅んでるし、いつ武士やめたのか知らないが江戸時代は宿屋だったらしいし…
宿屋といっても本陣だったらしいが、これって別に出自は関係ないよね?
ウチの親父は買ってきたんじゃないかって言ってるが…
299日本@名無史さん:03/02/15 02:59
愛媛県の人のほとんどは5代前というと必ず村上水軍の末裔というしね
300日本@名無史さん:03/02/15 08:03
>>299
愛媛、それも中予では戦国期までは海賊(水軍)=武士でしたから。
系図を土着の武士に繋げれば自然と水軍の末裔ということになるんです。
ところで何故にそこまで5代前にこだわるのでしょうか?
301日本@名無史さん:03/02/15 16:44
300おめでとうございます。
302日本@名無史さん:03/02/15 16:46
300年前のエピソードは実は75年前の話。
600年前のエピソードは実は150年前の話。
303日本@名無史さん:03/02/15 20:41
>299
5代前なんかへたすりゃ明治初期だよ。
村上水軍なんて明治になってもあったんですかねぇ
304日本@名無史さん:03/02/15 21:39
義経伝説も幕末〜明治時代に作られた話。
邪馬台国北九州説は戦前から戦後津田左右吉史観によって作られた。
明治初年の頃は聖徳太子よりアベノ比羅夫の方が重要視された。
305日本@名無史さん:03/02/15 22:31
>>302
>300年前のエピソードは実は75年前の話。
>600年前のエピソードは実は150年前の話。
そうすると辻褄があうエピソードをひとつくらい出そうよ。

>>304
>義経伝説も幕末〜明治時代に作られた話。
御伽草子・読本・浄瑠璃、歌舞伎脚本等多数の現存する古書は幕末以降に偽造されたと?
反論の物的証拠が多すぎて書きようがないんですけど。
306日本@名無史さん:03/02/15 22:48
どうせ写本だろ w
307日本@名無史さん:03/02/15 22:51

ついでに平家が壇ノ浦で滅亡した事になったのは
もちろん吉川英治の「平家物語(大正時代、朝日に連載)」から。藁
308日本@名無史さん:03/02/15 22:54
光秀が「敵は本能寺にあり!」と言い出したのは頼山陽の「日本外史」から。
今の龍馬のキャラのほとんどは、司馬史観。
309日本@名無史さん:03/02/15 22:56
つまり「全ての歴史は現代史」と言う事ですね。
310日本@名無史さん:03/02/16 00:05
>>307
室町時代からあるよ。
311日本@名無史さん:03/02/16 23:20
日本の人口割合1871年(明治四年)
華族・士族⇒7%
平民(元農工商)⇒90%
(百姓)⇒80%
(職人・商人)⇒10%
部落(エタ・非人)⇒3%
312日本@名無史さん:03/02/17 02:26
>>311
「百姓」の中での庄屋、富農、本百姓、水呑、それに地侍を含めた力関係とその起源についてはどうお考えですか?
農村の社会構造は現在ですらこれらに因るものが大きいのですが。
とりあえず「百姓」をひとくくりに考えたんじゃ見えるものも見えなくなりますよ。
313日本@名無史さん:03/02/17 03:14
神官や住職などはどこに含まれるの?
314日本@名無史さん:03/02/17 08:28
違っていたらごめんなさい。
このスレの1さんと江戸時代は暗黒時代スレの1さんは同一人物ですか?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1044519486/l50
文体や論理の組み方が似ておられるもので。
315日本@名無史さん:03/02/17 11:53
このスレの1はGK君です(w
316日本@名無史さん:03/02/17 22:28
うちは江戸時代から続く店をやっていたが曾祖父が店を潰して夜逃げして
今の所に来たらしい。その直系の先祖は商人だがそれ以外は農民らしい。
このスレの人は立派な先祖を持っててうらやましいです。
317日本@名無史さん:03/02/17 23:13
>>316
私の曽祖父も大恐慌の頃に店が潰れ、借金の肩に代々持っていた庄屋の株を取られたそうな。
明日からは平民になるのか、と一族郎党涙したとか。庄屋の株が昭和のはじめに金で売れたというのは驚きです・・・
ま、大恐慌の頃に破産した商家はかなり多いかと思われ。
318日本@名無史さん :03/02/17 23:24
>明日からは平民になるのか

庄屋ならもともと平民ジャン。
319日本@名無史さん:03/02/18 00:07
>>318
苗字、帯刀を許されてたものは断じて平民ではありません。(ソース:うちのばあさんの昔話)
百姓の中でのヒエラルキーって結構ややこしいんですよ。
現在でも水利組合の役員は旧庄屋、富農の家々で持ち回りしてますから。
逆に農協の役員は明治以後、とくに農地改正以降の地主が持ち回りしてたり。当然対立関係。
320日本@名無史さん:03/02/18 00:17
うちも苗字帯刀を許されていた名主だったけど、維新後は平民だよ。
というか当然だと思いまつが?
321319:03/02/18 00:34
>>320
はい、私も全く同感です。
明治の法律上は士禄、恩給を貰えなかった層=平民と解釈するのが自然ですね。
ただそれは大正生まれのばあさんにとっては絶対に認められないことなんですよ。
322日本@名無史さん:03/02/18 01:39
うちの祖先は農民と言う人もいるし足軽とか坊主・神主・郷士・炭焼き・
庄屋・山賊・落ち武者色々な説があるけど
先祖も沢山いるから多分みんないたんだろうね。
323日本@名無史さん:03/02/18 02:02
うちの家は
公家→南朝→地方下向→水軍の棟梁→豪商→大名金貸し
っていう経緯なんだけど
額に汗して、手に唾して働き始めたのは
私の父親の代からだと言うことで
祖母は、そんな父と私が可哀想だと時々泣いてくれる
324日本@名無史さん:03/02/18 02:08
元南朝公家で水軍の棟梁になった家なんてあるの?
四国あたりだろうけど。
325日本@名無史さん:03/02/18 02:27
明治以後穢多、非人、山窩などの人々は明治以後被差別部落の枠にまとめて入れられてしまいましたが、
日本社会の歴史を紐解くと士農工商のどれにも含まれぬ種々の職能民であったことが分かります。

たとえば関西一円にはもちろん古墳が多く存在し、その隣にいわゆる”部落”の集落が存在する割合は大きいです。
そして彼らの中には古墳の守部であるという伝承をもつ一族もまた多数存在します。
解放同盟、そして宮内庁が認めることはないでしょうが、
この間多数の埋葬品が出土した古墳の近隣にもまた守部を名乗る集落が存在したことも事実です。
中世以降誰の庇護も受けられぬ中、代々自らの義務を果たし続けた集団と考えるのは自然じゃないでしょうか。

起源については諸説があり、未だ解明されておらぬ部分も大きくはあります。しかし
職業活動家の言葉にだまされることなく、もっと自らの祖先に対し敬意を払ってもよいのではないでしょうか>>1
326日本@名無史さん:03/02/18 02:46
>>324
公家が水軍の棟梁になったという例は寡聞にして存じませんが、
瀬戸内、それも内陸部に平家や南朝の落ち武者、下向伝承が残っているケースは多々ありますね。
そして水軍というのは以外に中央、天皇家との繋がりを誇示したがる場合が多いですから、
(例:村上天皇→村上水軍。事実血縁関係があるのかは分かりませんが)
その両者が接触した可能性は考えられます。
327日本@名無史さん:03/02/18 03:52
>起源については諸説があり、

え? 守部ってことは守戸・陵戸なんでしょ。
もっとそれ以前の起源てこと?
328325:03/02/18 08:50
説明不足ですみません。
部落とよばれる方々の起源に対し、
江戸幕府の身分制によってつくられ明治維新で無くなった、という解放同盟公式見解から
南朝に連なるもの説、白拍子などの流民説、蝦夷の強制移住起源説、受け入れ拒否された渡来人説、
古代の奴婢起源説、さらには縄文人の末裔説などなど多種多様な説があることを言いたかったんです。

本人たちが自ら調べ上げれば一気に進展するはずですが、それは難しいのでしょうね・・・
3291:03/02/18 11:11
>>325

ヘンな話すると先祖が悪ほど子孫が繁栄したりするんだよね。海賊とか強盗だとか水軍だとかマグロ漁船に乗ってただとか。藁。。
毛並みが良くなるとバイオレンス度が低下して精子の動きが鈍くなり子供が女の子1人とか子ナシだとか病気がちで種が薄くなっただとかだったりする。
ぼくらが今ココに存在するのは先祖が断絶しなかった証拠。
しぶとい精子とずるがしこく計算高い卵子の生き残りといった所か?
今、大きな家に住んでいる人も初代は成り上がり者だったりする。普通のサラリーマン家庭なら5000万くらいの家が限度。
地方の大庄屋も初代は参加だったり童話だったりする。いやそのような連中にのっとられたり。。。
美智子さまの正田家も幕末正田作次郎という参加の成り上がり者にのっとられ今では遺産30億、天皇家の外戚として
隠然たる権力をもったりしている。ハシリュウの曽祖父も童話。森前総理も参加。

330日本@名無史さん:03/02/18 12:14
>>323>>324>>326
たんなる323氏の家の伝承ともかんがえられますが、
あえて言えば村上水軍のことでは?
たしか途中で、北畠氏だったかが継いでいる伝承があります。
331日本@名無史さん:03/02/18 22:32
>>330
村上とか北畠とかのメジャーじゃないですが
西日本にちらほら見られる姓です
そもそもは平氏追討の功で院からの賜姓とされています
本家は三位もしくは従三位、次男、三男あたりが○○の守で下向
このとき平氏に代わって大陸交易の権益を得たようです
鎌倉幕府追討の際には尊氏の東征(上洛)を助けたがその後対立
地方下向で南朝を助けるが直冬、もろ直あたりでごちゃごちゃしてるうちに
官位が無くなり、中規模水軍の親分になる(対明、朝鮮交易)
江戸時代は海運業、その他もろもろ小規模総合商社
明治御一新で藩の借用書がAbone
農地改革で土地がAbone
打ちこわしで酒蔵がAbone
終戦で残りもAbone
332日本@名無史さん:03/02/18 22:40
【ニュース速報板】
世界で反戦デモやってる奴って偽善者の糞だな2
http://live2.2ch.net/test/read.cgi/news/1045563023/
前スレ
世界で反戦デモやってる奴って偽善者の糞野郎だな
http://live2.2ch.net/test/read.cgi/news/1045542243/
賛否両論あるかもしれんが、意見を訊かせてくれ
333日本@名無史さん:03/02/19 00:57
>>331
資産を残すのも至難の業ですね。やはり5代で全部Abone!
334日本@名無史さん:03/02/19 17:40
うちは庄屋でもなく単なる大きな農家だったのですが、壬申戸籍には士族と書いてあり
ました。一族にまつわる伝説とかがあるわけでもないし、せいぜい7、8代先しかわか
らないのに不思議です。
335干菓子H:03/02/19 17:46
うちの先祖は毛利家が関が原で、防長に転封になった時、
広島に残って帰農した豪農です。

江戸時代には苗字を名乗らなかったようですが、
明治時代まで苗字が伝わっていて、
明治維新のときに安土桃山時代の時と同じ苗字を、
戸籍に登録したそうです。

だから、一応戦国時代位までは何とか名前が分かります。
336日本@名無史さん:03/02/19 18:29
>壬申戸籍には士族と書いてありました。

壬申戸籍なんてみれねーだろ。沈下す!
337日本@名無史さん:03/02/19 21:52
336> 昭和40年代ぐらい以前に取得していれば、それを見ることができるだろ。

学習しましょうね。がくしゅう。
338日本@名無史さん:03/02/19 21:59
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

http://www5b.biglobe.ne.jp/~ryo-kyo/osu.html

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
339日本@名無史さん:03/02/20 00:45
>337
明治31年に法改正で命令が出てから
基本的に壬申戸籍は取れないよ。
学習しましょうね。がくしゅう。
そもそも昭和43年包装封印令が出るまで
どこでも簡単に見れたと思ってんの?
族称記載の廃止自体、大正時代に出てる
んだけど。昭和40年くらいまで残ってい
たのは、ほんの数例だよ。全くシッタカしちゃってw
340日本@名無史さん:03/02/20 01:19
たしか壬申戸籍の保存期間ってさあ50年でしょう。明治19年式新戸籍が出る前の明治18年
壬申戸籍で明治18年に相続した戸籍筆頭主を仮に35でしたとして63くらいでその人が死んだら
1913年にプラス50年の1963年昭和38年に処分されてるはずだが80年でも1993年。
2003年に残っているとしたら壬申戸籍が90年以上残っている事になるがムリでしょう。
341日本@名無史さん:03/02/20 02:41
>334
何故壬申戸籍で士族て書いてた事が分かったの?
家にあったの?聞いたの?
342日本@名無史さん:03/02/20 03:02
晒し
343334:03/02/20 03:19
田舎の仏壇の引き出しにコピーがいくつかあってじいちゃんが見せてくれました。
明治5年とちゃんと書いてありましたよ。ちなみに九州の田舎です。
平民のだれだれと結婚したとか士族のだれだれと結婚したとかまでわかるのです。
344日本@名無史さん:03/02/20 03:32
>>343
壬申戸籍には戸主が3回結婚した場合、壬申戸籍以外だと2回まで記載されないから
本籍地移動して新しい戸籍を作れば×1(バツイチ)でも新しい戸籍には記載されない
から戸籍が穢れないとか言うけど、壬申戸籍の場合江戸時代に3度結婚したら全て記載されて
いるってホントですか?
345日本@名無史さん:03/02/20 05:17
壬申戸籍の特長は初めて作った戸籍だからってことで
説明書きが付いてるのよ。それがヤバイわけ。
例えばよく言われる新平民なんて言葉は実際は使われてない。
戸主平民誰それ、で戸籍は出来てる。
ところがその平民誰それの父は何とか村の穢多何兵衛、
その妻の父はどこそこの穢多何作なんて書いてあるんだ。
346日本@名無史さん:03/02/20 05:36
お寺の過去帳みると、元寇のチョイ後から。
系図みたいな書き方してないから、ちと繰りにくい。
みたところ、大正まで一貫してお百姓。
347日本@名無史さん:03/02/20 14:54
じゃあ、明治になって新平民になり天皇の元でみなが平等なんて大嘘。
明治になってからの士農工商というわけですね。
348日本@名無史さん:03/02/20 17:58
「成分」を判断される様な社会、北朝鮮のようになれば、
以前の身分を誤魔化す動きが出るだろう。
元士族なんて最低、華族皇族は最最低になるでしょう。

349日本@名無史さん:03/02/20 18:16
339> 壬申戸籍、昭和40年代ぐらいまでは、なんだかんだ言っても取れてたんだよ。

今でも保存されているぞ。法務局のどこかの部屋に。処分はされていない。明治19年式戸籍も残されているところが多いです。

学習しなさい。がくしゅう。学習とは、学び習うことです。以上。
350日本@名無史さん:03/02/20 20:32

壬申は50年で廃棄ですよ
351日本@名無史さん:03/02/20 20:58
廃棄はされてないって。現在も残されている。法務局のとある一室に厳重に保管封印されています。
352日本@名無史さん:03/02/20 21:09
誰も見れないのに保管されててもねぇ・・・
353日本@名無史さん:03/02/20 22:07
たぶん、天ちゃん一族の婚姻などの時には見てるだろ。
354日本@名無史さん :03/02/20 23:33
349は保管されてると取得できるの違いが理解できないようです。学習ができないようですw
355日本@名無史さん:03/02/20 23:37
>>349
明治19年式戸籍は残ってれば、今でも取得することはできるの。
壬申戸籍は保管されていても、取得することはできないの。決まってるの。
356日本@名無史さん:03/02/21 04:28


357日本@名無史さん:03/02/21 07:29
354は日本語を勉強しなおしなさい。よろしくおながいします。

壬申は保管されているが取得閲覧は不可能。
19年式は取得可能。(廃棄されている所は不可、書類上廃棄されている所も不可)

大都会などは知らないが、地方なら大抵取得できるのではと思います。
358日本@名無史さん:03/02/21 12:19
M19年式も、当該戸籍に記載されている人物のうちの最後の死亡者の死後
80年後までしか複写許可が降りないのではなかったかな?
まあ戸籍の扱いって田舎の町村役場なんかだと無知な公務員が結構適当に
取り扱っていたりして、微妙に制度運用に温度差があったりするようだが・・・。
おかげで俺も直系尊属ではない親戚の戸籍を何度か取れた経験がある。
本来はこれもいけないはずなのだけどね。
359日本@名無史さん:03/02/21 12:40
地方には349見たいな大馬鹿が多いって事。
360日本@名無史さん:03/02/21 13:38
うちの祖先は豪農だったんですが豪農ってご存知の方いらっしゃいます?
361日本@名無史さん:03/02/21 15:35
>>360
豪農というのはイメージです。
具体的に定義された言葉ではありません。
362日本@名無史さん:03/02/21 16:17
うちは9代前までさかのぼれるよ。
檀家の寺に記録がある。昔は寺院が事実上の戸籍関係事務を
していたから(宗門人別改帳など)。むろん今ほど正確では
なかったけど。
363日本@名無史さん:03/02/21 17:05
>>361
それでは豪農とは農民なんですか?それとも武士ですか?
うちは大名行列が通っても頭を下げなくて良かったそうです。
室町時代頃の墓もあるんですが。

364日本@名無史さん:03/02/21 17:18
>>363
豪農というのはその名の通り農家です。
ただし、豪農というのは抽象的なイメージを言葉にしたにすぎませんので、定義する必要があります。
>うちは大名行列が通っても頭を下げなくて良かったそうです。
真実かどうか検証されましたか?
古い家になると色々と伝承がありますが、検証する必要があります。

365日本@名無史さん:03/02/21 17:28
>>365
うちにある古文書や祖母からの話などからすると頭をさげなくてよかったのは事実のようです。
あと江戸時代にも苗字があったそうです。
366日本@名無史さん:03/02/21 17:42
>>365
>頭をさげなくてよかった
理由は何て書いてありましたか?
もしそうならば理由があるし、ある特定の大名行列のみとも考えられます。
江戸時代、苗字が無いほうが不思議です。
367日本@名無史さん:03/02/21 17:51
理由はもともと豪族だったらしく立場が上だったのでと書いてありました。

苗字があったというか苗字を公に名乗ることが許されたということです。
江戸時代は武士以外は苗字は名乗れなかったんでしょ
368日本@名無史さん:03/02/21 18:00
>>367
それは大名行列一般に対してではなく、特定の大名、おそらく土地の領主大名でしょう。
>立場が上だった
何の立場でしょうか。
少し抽象的なので、件の大名との関係をもうすこし詳しく教えてください。

それから武士以外名乗れなかったわけではありません。
「苗字帯刀」が許されることがありました。
その場合の身分は、はっきりと線引きできない面もありますが、あくまでも武士ではありません。
369日本@名無史さん:03/02/21 18:12
>>368
その地域に住んでいたものよりもということです。
370日本@名無史さん:03/02/21 18:16
>>369
それは「立場が上」とはいいません。
その領主の都合で許されているにすぎません。
371日本@名無史さん:03/02/21 18:24
名字帯刀の基準は曖昧。藩によっても複雑な違いがあるし。
「郷士」というのは藩によって様々な違いがあるものを総括していってるで、
ほとんど一般の武士同様なものから百姓に毛が生えた程度のものまである。
372日本@名無史さん:03/02/21 18:26
>>371
「郷士」ではなくて「豪農」です。

373日本@名無史さん:03/02/21 18:27
大名行列で頭を下げてさせられていたのは「御三家のみ」だが。
あとは「よれよれ」って道の真ん中にいるやつらを隅によらせただけだよ
こんな常識的なことをしらないとは。
374日本@名無史さん:03/02/21 18:28
八王子千人同心なんて役目のときは「苗字帯刀」許されているけど、
普段は苗字も名乗れない百姓だもんな。
375日本@名無史さん:03/02/21 18:30
>>375
おいおいそれは「頭を下げなくて良い」とは違うだろ。

376375:03/02/21 18:31
間違えた375は>>373に対してだった。
377日本@名無史さん:03/02/21 18:49
359>> 君は逝ってよし。ノータリンでし。
378日本@名無史さん:03/02/21 20:42
359のようなアフォは放置しておきましょう。
379日本@名無史さん:03/02/21 21:07
おまえが放置されてるよw
380日本@名無史さん:03/02/21 21:29
おまえもな。
381日本@名無史さん:03/02/21 22:41
matakitayo!w
382日本@名無史さん:03/02/21 22:53

        │\
        │  \≡(`Д´;))≡=    オオッ!また来るぞ
        │   \≡// ))≡=
        │    ≡」」」≡=
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
        │
383日本@名無史さん:03/02/21 23:01
     \  \          /  /
  \            _            /
\             _||_            /
   ⊂二二二二二二二二二二二二二二二⊃
         ||    \   、∞ ,  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ||     \(゚Д゚)< きたよぉ〜!
       ||       ,!ニニ!、 \______
      ○         |  |  |       ○
/             \||/            \
  /                        \
     /  /          \  \
384日本@名無史さん :03/02/21 23:06
うそこけ
385日本@名無史さん:03/02/22 11:51
家紋のある無しって関係ある?
あれって明治以降一般人が持ち始めたの多いのかな?
386日本@名無史さん:03/02/22 12:02
そういう香具師もいるだろうな。
387日本@名無史さん:03/02/22 22:38
6代前の墓だから拝ましてちょうだいと頼んだら証拠がないからダメと言われた人いますか。
つまり壬申戸籍が存在しない以上その墓が自分のせんぞのものなのか証明出来ない
と思うのだが?
388日本@名無史さん:03/02/22 23:11
>>363
は徳川郷住人子孫か?大名行列無視は、これくらいしか知らない。
389日本@名無史さん:03/02/22 23:35
>>387
ほとんどの所で明治19年式の戸籍は取れるだろ。
もちろん、身分なんて書かれてないけどな。
390日本@名無史さん:03/02/22 23:35
徳川郷住人ってなんだ?

387> 勝手に拝めるだろ。高い塀で門に鍵がかかってないかぎり。
391日本@名無史さん:03/02/22 23:39
>>387
なんで壬申戸籍にこだわるかね
お寺に行けば過去帳があるから判りますよ
392日本@名無史さん:03/02/22 23:55
>>390
>徳川郷住人ってなんだ?
まんま徳川発祥の地とされた新田庄徳川郷に住んでた者の事だが。



393日本@名無史さん:03/02/23 00:04
豪農というのはおそらく素封家に相当する言葉ではないか?
村民からは普通「旦那様」と呼ばれる家系。
庄屋を世襲したような家柄がこれに当たる。
「なんでも鑑定団」で島田伸助が「庄屋のお宝は間違いない」と
言ったように真の富裕層である。

江戸時代には藩主の直接支配は崩れ、村請制度が発達した。
年貢は村方の役人つまり素封家層が上納を請け負った。
言うなれば藩=武士は都市在住の徒食者集団となり、
村を支配したのは豪農というのが実態だった。
手工業や商業を兼業した者も多く、造り酒屋は特に多い。

田地は小作させ商工業も手代に任せるので、当主は教養を高めた。
次三男には御家人株や郷士株を買って武士身分を手に入れた者もある。
明治には自由民権運動の担い手となった。
高山彦九郎・相楽総三・中岡慎太郎などは豪農層の出身。

慶安御触書は一般に百姓は生かさぬように殺さぬように絞るという
イメージで解されているが、例えば茶を飲む女房は離縁せよという
条文にしても、当時はまだ煎茶が伝わっておらず、茶といえば茶道
で使う抹茶のことだった。とすればこれは茶の湯に興じる女房で
あって、しかも千家の侘び茶はまだ普及せず、安土桃山以来の豪壮
な茶会が催されていたのだから、村のイメージは今とは相当違う。
394日本@名無史さん:03/02/23 00:05
新田庄徳川郷に大名行列が通るんですか?
395日本@名無史さん:03/02/23 00:35
>>394
そんな伝承が堂々とあるのが、これ位しか知らないってだけなんだが。
家光の時、日光から移された世良田東照宮に参詣する大名も
居るから近くを全く通らなかったということは無い。
396甚左衛門義郎21代目:03/02/23 01:46
江戸時代に苗字を名乗る「農民」はいた
士農工商という厳しい身分制度があったため隠れて名乗っていたのだ
公の場では「某村の某」と名乗る事が多かった

一方で農民の中でも「大庄屋」に限り苗字・帯刀が許された
「大庄屋」とは「庄屋」のさらに上に立つ家を指すことが多い
また「大庄屋」は代々のものではなく「庄屋」中から選ばれた

いわゆる「豪農」とは「大庄屋」のことではあるが
「大庄屋」から区別するために明治以後に作られた言葉である
本当に「豪農」と呼べる家ならば家屋が重要文化財になっているはずだ

我が家は「大庄屋」ではあったが「豪農」とまではいかない
母屋は文化2年に作られたものであるが非常に質素な外装である
なぜなら表向きは質素にしなければならなかったからだ

しかし檜の梁や3畳の欄間などすばらしいものを使っている
5年前に母屋を改築したが梁や欄間などは当時の物を使った
もう200年以上経っているがあと100年はもつだろう。
397日本@名無史さん:03/02/23 02:01
>>396
豪農というのは明治政府の認定じゃなかったかな?
うちの母方の曽祖父(&その一代前)が
田を起こす鋤の改良に成功、次の代で
みかんの作付けに成功して
二代続けて豪農の表彰を受けていた
(表彰状が鴨居にかかっていた)
江戸時代は普通の自作農だったと聞いているし
家が重文に指定されるような立派なものではなかったらしい
確かに今でもかなり広大な田を持ってはいるけど
398日本@名無史さん:03/02/23 02:06
>>396
漏れのお袋の実家にあった表門が国の重要文化財になってまつ。
ただ正確には幕末にできた藩の陣屋に移転されられたものなん
だけどね。ちなみに千葉。なんでも諸藩の陣屋がその地に集まって
いたような。ところで陣屋って何?親戚の婆さんから聞いた話だ
からよく分からないのです。
 
399日本@名無史さん:03/02/23 02:35
陣屋
1.軍営
2.代官や地頭の役宅
3.無城大名や交代寄合の館

維新の際、徳川宗家が駿河70万石とされたことに伴い、
静岡県を中心に譜代大名の所領替が起こり、千葉には
小規模大名の所領が乱立した。
400日本@名無史さん:03/02/23 02:35
クボタの次期社長、幡掛常務は、北九州の神社の17代目だってさ。
401甚左衛門義郎21代目:03/02/23 02:38
>>397
豪農の表彰なんて初めて聞いた
それはネタですか?

俺が言った「豪農」とは
江戸時代における「大庄屋」の「豪農」であって
「豪農」なんてものはそうそうあるものではないと言いたいのだ

米の産地新潟に限ってみてもわずかだ
http://www.niigata-travelinfo.co.jp/gounou/gounou.html#1
402日本@名無史さん:03/02/23 02:51
松平清康が一時世良田姓を名乗ったってデンパじゃないの??
403ほらよっ:03/02/23 02:53
>>400
「クボタ次期社長幡掛大輔氏――苦境克服へ調整力生かす(けいざいじん)」

 実家は代々、北九州市にある戸明神社を守る社家。自身も神官の資格を持つ十七代目だ。
ぼくとつな語り口で「びびり屋で派手に大きく動かない慎重居士」と自己分析する人物を
土橋芳邦社長は後任に選んだ。
 管理企画部門が長い。工場や事業所で事業企画を担当し、若手時代のあだ名は「ミスター
中計(中期計画)」。間接部門出身の「能吏」がトップに就いてきたクボタの伝統が今回も
生きた形だが、「裏方に徹してきた自分が表舞台に立つとは思わなかった」と謙そんするように、
決して本流を歩いたわけではない。
 担当したのは建設機械や自動販売機などの不採算事業。「赤字続きのしんどい貧乏事業ばかりやった」。
土橋社長は「周辺事業が長いせいかバランス感覚や調整能力に優れる」と評する。
 社長になっても「しんどい」状況は続きそう。農機や水道管を主力にしてきたクボタだが、
ここ数年は工場閉鎖や事業売却に追われた。今の中期計画も昨年、官公需低迷の直撃を受け、
目標の下方修正を余儀なくされた。慎重さだけでは苦境を超えられない。買収や提携など
拡大路線をどう描くかが課題。「メーカーは最後は人」と人材育成の重要さも強調する。
 趣味の読書では「万葉集や新古今和歌集など日本に回帰している」。一男二女。昨年暮
れに生まれた初孫の写真を背広のポケットにいつも持ち歩いている。(久)
 はたかけ・だいすけ=64年(昭39年)横浜市大商卒、久保田鉄工(現クボタ)入社。
99年取締役、01年常務。福岡県出身。

404日本@名無史さん:03/02/23 03:02
どなたか私の本を買って下さい。貧乏なんです。
よろしくおながいします。
http://bsearch.rakuten.co.jp/Btitles?KEY=%B5%CE%C2%E7%C2%A2&rbx=1-1
405日本@名無史さん:03/02/23 18:26
>>397,401
その様に家業に熱心で、優れた農業技術を有する人は、
篤農家と言います。まあ、小型の二宮金次郎ですね。
もちろん他の農民の手本だから、表彰も本当でしょう。
406甚左衛門義郎21代目:03/02/23 19:50
>>405
篤農ですね
豪農の表彰ってあったからびっくりしました

407日本@名無史さん:03/02/23 20:58
寄生地主(戦前・戦中までの)も篤農ですか?
ちなみに戦前まで漏れの家は農業に従事してただけで、長者番付に毎年ランクインされていました。
408日本@名無史さん:03/02/23 22:47
>>402
流れからして俺へのレスだと思うが。
>松平清康が一時世良田姓を名乗ったってデンパじゃないの??
この手の話には全く触れてないぞ。
徳川の系図はは世良田氏後裔としてるだろ。
初代義李を徳川として。
徳川が新田氏であると言う伝承を構築するにあたって特別に扱った
のが、徳川郷であり関連としては満徳寺や正田隼人家。
単に徳川の正史として江戸時代優遇されてたのを挙げただけ。
本当に頭下げなかったかどうかは解ん無いから伝承としたん
だけどな。
409日本@名無史さん:03/02/23 23:18
>>405-406
そうだったかも
そういわれてみれば篤農のような気がしてきて
ごめんね
410日本@名無史さん:03/02/24 00:55
寄生地主ってなんだかサヨ的な用語で面白くないけど、
ほぼ不在地主と同義に扱っていいのかな。
歴史学的には江戸時代に発生し、地租改正で本格化、
松方財政下で発展したとされる。
主として商人が貸金の担保に集積した農地をそのまま
小作人に耕作させた形態を言う。
「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」の
山形県庄内地方の本間家が代表的な存在だが、
同家の場合は鶴岡藩の財政改革にも携わっているし、
内陸部の藍や紅花栽培の振興にも大いに寄与したから、
実態は寄生という言葉から受ける印象とはかなり違う。
411407:03/02/24 20:44
>>410
そうそう、不在地主でした。(実際は寄生なんだろうけど・・・)
 漏れの爺さんに「元はウチは寄生地主なんやろ?」って聞いたら
ぶん殴られました w 昭和恐慌の時には、小作争議に対処するために
地元のヤクザ駆り出して沈静させたぐらいだから、よっぽど酷いことし
たんやろな〜。戦後、東京に移ってきたのも、なんとなく訳が分かるよ
うな気がする。先祖代々の墓が壊されたぐらいやもん、当時のウチで働
かされてた人たちの怨念はいかばかりか・・・。考えるのも怖いわ w
412日本@名無史さん:03/02/25 00:52
「不在地主」を一言でまとめられるのには少し抵抗がありますね。
不在地主の定義がはっきり決められたのは
マッカーサーの土地改正の時点での都合上だと私は考えてます。

私の祖父の実家はもともと地主だったのですが、
私の祖父とその兄は終戦時点で兵役中、もちろん赤紙がくるまでは地元で耕作してました。
しかし過去数年間耕作せず、ということで「不在地主」とされ、
保有する田畑は不在地主の土地として処理されました。
極端なケースですが近所のAさんの場合、
満州で兵役中旧ソ連軍の捕虜となりシベリア抑留、
戦友たちが次々と倒れていくのを見とどけ命からがら数年後に帰国。
帰ってくると父は亡くなり母は年老い、「耕作者無し」として
田畑のほとんどは二束三文で売られていました。

感情的な話をするのはどうかとも思いますが、こういうケースもあったということで。
413日本@名無史さん:03/02/25 07:11
ageage
414日本@名無史さん:03/02/26 00:41
>>396
21代目っていつから続いてんの?
415日本@名無史さん:03/02/26 01:28
郵送で謄本をとる場合支払いとかはどうするんでしょうか
416日本@名無史さん:03/02/26 02:13

定額こまわせをかって一緒に送る。
417日本@名無史さん:03/02/26 02:21
レスありがとうございます。
料金を電話などで聞いてってことになりますか?
それから、もし目的の除籍謄本がない場合その分の料金返してもらえるのでしょうか?
クレクレくんですみません。
418日本@名無史さん:03/02/26 06:28
庄屋が全て名字帯刀を許されたわけではないよ。
名字すら無かった庄屋も数多い。
419日本@名無史さん:03/02/26 14:34
>>418
>一方で農民の中でも「大庄屋」に限り苗字・帯刀が許された
日本語わかりますか?
420日本@名無史さん:03/02/26 18:23
417> 返してくれるよ。取得できるだけ遡ってくださいと記して余分に小為替を入れておくと、なんども請求しなくてよい。
421日本@名無史さん:03/02/27 04:09
お前等庶民の家系が何代分ろうと意味ないですよ。
422日本@名無史さん:03/02/27 04:20
>>421
少なくとも数百万代前までがわかれば人類の進化の解明に大きく貢献するぞ
423日本@名無史さん:03/03/02 15:15
age
424:03/03/03 16:06
5
425日本@名無史さん:03/03/03 16:46
>>422
数百万代先じゃお猿さんにもなってるかどうか
426日本@名無史さん:03/03/03 16:57
>>421=3代目
427:03/03/03 22:50
いいや。奴は2代前父の名前すらわからない。W
428日本@名無史さん:03/03/03 23:39
僕の名前は何ですか?おすえてくだしゃい。
429 :03/03/04 00:17
>>153
母方の実家の先祖も似たような感じだよ。
武田家家臣伊予守と位牌に書かれている。
江戸時代は農民だったわけだから、
落武者として逃げのびて来たんだろうし、
もしかしたら、君の家と関係があったりして。
ちなみに一族の大明神なんかもあったりする。

父方は戦前に潰れた問屋で、曾祖母が庄屋の娘だから、
まあ、そこそこの家。
一応、代々名乗ってた屋号(苗字)と名前がある。
過去帳だと、江戸以前からあるみたい。

>>316&317
おおっ私のところと一緒だ。屋敷も蔵も神社も手放したそうだ。
曽祖父の代で潰れて、曾祖母の実家から米を分けてもらって、
米屋で食い繋いでたみたいだけどね。

>>319
今でも明治以前から苗字を持っていた家と持っていなかった家は、
田舎だと基本的に一線を引くんじゃないかな。
家格による区別って感じで。

>>385
家紋は、江戸時代には庶民にも普及してたと記憶してる。
元禄あたりで町人文化が隆盛を極めたときに、普及したとね。
430 :03/03/04 00:25
>>401
「豪農」って少ないのか?
一応、母方の実家は、農地改革前までは、
屋敷から駅まで辺り一帯、全部、一族の土地だったそうだが。
祖母の実家の一族は、古墳(山川出版の日本語用語集に掲載)
まで持ってるし。

>>412
「不在地主」に関して言えば、農地改革は、一寸汚い。
自分の家の者も農業に従事してて、それでも人手が足りないから、
小作を雇ってたというのも、駄目なんだよね。
431甚左衛門義郎21代目:03/03/04 04:20
>>414
古文書では南朝方についた武士のようです。
その後敗走してこの地に移り住んだとか。
432甚左衛門義郎21代目:03/03/04 04:30
>>430
江戸時代苗字・帯刀も許されていない庄屋が、
現代になって我が家は「豪農だった」と言う家が多い。
しかしそれでは笑われるでしょう。

江戸末期に書かれた「越後じまん」という越後の長者番付のようなものがある。
そこには約200軒の庄屋ならびに大庄屋が、相撲番付風に載っている。
我が家は十両である。十両といっても他県では三役以上であろう十両である。
ちなみに行司が渡辺三左衛門であり、市嶋徳次郎は大関だ。

なにを根拠に豪農とするかによるが、一般的な定義として、
江戸から明治初期にかけて繁栄した家。永代苗字・帯刀。
土地田畑は1000町歩以上。これくらいの家が豪農と呼べる。
つなわち豪農と呼べるのは極々僅かな家のこと。
そんなに有名なら屋号を出してくれ。
433甚左衛門義郎21代目:03/03/04 04:34
>屋敷から駅まで辺り一帯、全部、一族の土地だったそうだが

それを含めても20町歩もいかないでしょう。
 <1町歩=約9830u> 
434日本@名無史さん:03/03/04 04:59
うちの実家は島根の農家です。
となりの飯石郡にはかつて島根を支配した田部長右衛門が
おりました。「もののけ姫」で登場するたたら製鉄の元締めで、
江戸時代は日本一の生産量を誇ったんです。
なお、その下請けの酒屋がかの有名な竹下登元首相。
うちも代々天領の庄屋で、苗字・帯刀を認められていました
が、この田部・竹下両家には随分尽くしたそうです。
戦後の農地解放で田部家が放出した土地は445,984反。
およそ442km2。
もっとも島根は新潟よりはるかに山がちで米もほとんど
とれないから比較するほうが無理ですね。
435日本@名無史さん:03/03/04 05:05
>>434
まちがえました。約133km2ですね。
436日本@名無史さん:03/03/04 11:03
まあ田部長右衛門は家伝的には大国主命まで行っちゃうから別格じゃないの?
(ほかの出雲の名門はほとんど大和系のほうに行くらしい)
437相続税:03/03/04 21:09
30億の土地財産も60年から70年で全てなくなってしまうとは本当の事ですか?
438日本@名無史さん:03/03/04 21:36
>>437

3代でなくなるから三世一身の法
439日本@名無史さん:03/03/04 22:29
旧華族でお宝が分散されずに残っているのは、尾張徳川家と細川家のみで
他家は財産失ったというけどホント。細川家ではお宝守るための必要経費が
年3億6千万円かかるそうだよ。尾張徳川家で有名なのは源氏物語絵巻。
440日本@名無史さん:03/03/04 23:08
安政年間も先祖の苗字あるぞ。
441ココは:03/03/05 07:37
正直ものが集うスレです。
442日本@名無史さん:03/03/05 15:47
鍋島家あたりは今でも結構財産持ってるんじゃない?
鍋島ホウコウ会(ホウコウの文字は失念)ってのもあるし。
平戸の松浦家なんかもそこそこ伝来の家宝持ってたはず。
443日本@名無史さん:03/03/05 15:50
5
444日本@名無史さん:03/03/05 21:59





445日本@名無史さん:03/03/05 22:12
伊達家の横綱金魚はもう死んじゃったのかな?
446日本@名無史さん:03/03/05 22:20
>>439
資産を失ったといっても昔と比べたらってことでしょう。
財団法人や資産管理会社を運営しているような家はけっこう多いよ。
447日本@名無史さん:03/03/06 00:09
>>420
レスありがとうございました。
お礼遅くなってすみません。<(_ _)>
448 :03/03/06 01:46
>>432
>江戸から明治初期にかけて繁栄した家。永代苗字・帯刀。
>土地田畑は1000町歩以上。

なるほど。土地田畑の所で、一線が引かれてしまうわけですね。
>>433の<1町歩=約9830u>で納得です。
母方の実家は、今、手元にあるのは田畑が10〜15町歩程度で、後は山林がそこそこ。
これが、本家1・分家3で、単純計算だと4倍。
さすがに、1000町歩はなかったと思いますから。

屋号は、父方の方は昔聞いたことがあるのですが(商人なので当然ですが)、
豪農ということなので、母方の方ですよね?
農民が、屋号を持ってるとは思わなかったし、
尋ねようとも思わないので、わかりません。
聞いていない=ない、なんでしょうか?

で、ミスがあったので訂正。
古墳は、祖母の実家ではなくて、祖母の妹の嫁ぎ先。
って、全然家とは関係がないですね。
まあ、婿入り先・嫁ぎ先などの関係ない家は、
皆我が家より遥かに格上ですが。
449 :03/03/06 01:52
>>448の追記。
数字は、農地改革後のことで、本家・分家合わせても、
100町歩前後が精々ですし、改革前でも、多くて300町歩程度なので、
1000町歩は、ないってことです。
450甚左衛門義郎21代目:03/03/06 03:06
>>449
>本家1・分家3で、単純計算だと4倍。
>さすがに、1000町歩はなかったと思いますから。
本来、本家&分家の私有財産を併せて計算することはない。
本家は本家であり、たとえ分家でも分家のみの計算にしている。
例を挙げれば、渡辺三左衛門家も数多くの分家があったが、
それぞれが独立した財産としている。市嶋徳次郎もしかりである。
本家・分家をあわせ1000町歩を持つ家は多数あっただろう。
我が家もそうであった。

追伸:本家だけで1000町歩を超えた家は全国でも9軒しかなく、
    そのうち新潟には5軒あったようだ。
451甚左衛門義郎21代目:03/03/06 03:13
それなりの家ならば屋号は持っていると思われる。
しかし、それは江戸時代の話であって、明治以降は
戸籍などしっかりしたものになったので
屋号を持たない家もあるかもしれない。地域性にもよるだろう。
屋号は代々受け継ぐことが多く、
たとえば我が家は甚左衛門であり、代々の当主が襲名した。
幼名(実名?)もあったようだが、古文書などは甚左衛門ばかりである。
よって区別がつきにくい。戒名で区別をしているといった状況だ。
452日本@名無史さん:03/03/06 06:00
私は上級武士の末裔です。
高祖父より代々帝大(及び旧帝大)出身で官僚の職に就いております。
高祖父以前は500石旗本の家柄となっております。
今まで歴史や自分の出自には興味ありませんでしたので
巻物の家系図は未だ見ておりませんので、機会あったら近いうちに
見てみたいと思います。話によると何十代と記載されているそうです。
453日本@名無史さん:03/03/06 08:58
なんか先祖・財産自慢ばかりになってきたな・・・。
454日本@名無史さん:03/03/07 05:31
>>453
おまえもチョン出身か?
455独立自営農民の?代目:03/03/08 01:10
>>451
屋号ってどこの家でも持っていたものでないの?
 ちなみに江戸期まで漏れのうちは半士半農の富農?クラス→明治〜
太平洋戦争終結までは小地主、曾爺さん・爺さんはヒラ官僚でつ。
 うちの屋号は裕衛門といった。でも正確には分家の分家のその
また分家・・・(どこまで分家かわからん)。漏れの家の分家元の
屋号は誠衛門だとさ。
 名字もマイナーらしく全国で70世帯しかない(それも関東オンリー
)なんなんでしょうかね?
 漏れとしては武士よりも、独立自営農民の末裔だと自負しているが w
なんかそっちのほうがかっこえーし w 
456日本@名無史さん:03/03/08 01:14
家紋ってどうなの?
どこの家でも持っていたものなの?
457日本@名無史さん:03/03/08 02:56
富裕な家なら屋号は持ってただろ。
それに別の家名もあったかもしれん。
俺の住んでる地域の富豪(県会議員で名刹の檀家総代)は
原という苗字だが古くからの住民には石橋と呼ばれている。
別に市会議員の原というのもいる。
458 :03/03/08 11:11
150

5
459世直し一揆:03/03/08 11:17
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、同じA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎないのだが・・・)、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた
いてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)  
●後で自分の誤りに気づいても、強引に筋を通し素直に謝れない(切腹するしかない!)●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
460日本@名無史さん :03/03/08 11:59
>452
500石旗本で上級武士はないだろ。500石までの旗本なら全旗本の
80%くらい居るよ。
461日本@名無史さん:03/03/08 14:41
そんなに上級とか言ってるんだったら
戒名みれば一発ぢゃん!
院号は当然としてその下は何文字?
462日本@名無史さん:03/03/08 15:13
上級旗本ではないが上級武士というのは合ってるんじゃない?
武士といえば陪臣、つまり諸藩の武士も入るわけで、武士人口のうち500石
取ってた家ってせいぜい数%だと思う。
充分に上級の武士でしょ。
463日本@名無史さん:03/03/08 15:40
200石の堀部安兵衛が立派に上級武士扱いされてるんだぜ
たとえ数十石でも石取りなら上級武士と言っていいんじゃねえの
俵とか何人扶持とかなら下級武士だけどさ
464日本@名無史さん:03/03/08 18:56
1万石程度の小藩なら、10人扶持でも上級の下ぐらいにはなります。

2万石の家老でも、70石の家老でも、家老は家老。
465日本@名無史さん:03/03/08 19:07
>>461
おいおい(w
466日本@名無史さん:03/03/09 02:19
旗本は約5200人いて、500石くらいもらってる奴は3500人くらい
居るから、上級旗本ではないな。1万石程度の小藩を出して比べてもなぁ。
500石くらいまでのクラスなら御家人も入れたら、約22,500人中
20,500人くらい居る。
467日本@名無史さん:03/03/09 02:50
>>460
俺の認識では旗本ってだけで上級武士だが。
468日本@名無史さん:03/03/09 04:42
大名・高家・交代寄合は上級で確定
500石以上の旗本・諸藩の家老も上級でいいだろう
役料がついて500石に達する旗本・大藩の奉行職も上級に分類できそう

中小の藩だと郡奉行は上級でもその下の山奉行とか浜奉行とかはね
469日本@名無史さん:03/03/09 05:47
騎乗許可の武士なら上級でいいでしょう。
470日本@名無史さん:03/03/09 08:12
江戸末期の武士は


ビンボー!!


武士っていっても


生活は質素
471日本@名無史さん:03/03/09 08:49
俺の家には家訓があって20歳になる前に子供を作らなければならない。
だから俺の5代前は俺が消防の時は生きていた。
場所は書けないけど、大地主で明治時代に村長をしていた。

祖祖祖父89歳  祖祖祖母87歳
 祖祖父69歳   祖祖母67歳
  祖父49歳    祖母49歳
  親父33歳     母29歳

ちなみに今俺は、20代の母にハァハァの年頃です。(俺13歳)
472日本@名無史さん:03/03/09 18:44
バカだな〜お前等ほんと馬鹿だよ
上級武士も定義も知らないで歴史語ってんの?アホちゃうか
473日本@名無史さん:03/03/09 19:07
上士の定義か。
騎乗、高取りで主君にお目見え可能な身分ということでよろしいか?
474日本@名無史さん:03/03/09 20:19
>>471

すばらしい。君も18才になったら、せっせと種つけに励んでください
475日本@名無史さん:03/03/09 21:17
>>471
じゃあ、親父さんも爺さんも、そのまた先代も大学には
行ってないんだね。 w
 土地持ちなだけで名望家気取りなんだ〜(ださ!)。
君ぐらいはせめて最低限レベルの大学だけは出ましょうね♪
 明治・大正になると、せめて大学だけは出ていないと地方の
政財界では相手にされなかったみたいよ。
 当時の富裕層なら大学出ているのは普通なんだけどね。w
476日本@名無史さん:03/03/09 21:20
うちのひい婆さんは45歳のときに子供を産んだよ。
時は昭和7年7月10日。去年死んだ祖父の妹で今年71歳。
当時の平均寿命から計算して70年以上前の45歳は現代の
60歳前後にあたるからすごすぎ!
477日本@名無史さん:03/03/09 22:46
>>471
十六歳で出産なんて児童福祉法にニアミスじゃないか
露利じゃないと勤まらない家系と見た
今からでも遅くない露利に励め
478後関ごかん:03/03/09 22:58
非常にマイナーで悪いんですが後関とゆう侍の直系なんです俺、
いつも負け戦ばかりの一族だったらしい
だけど一応、群馬の安中に城を持ってたらしい
その跡地が今は気味悪い工場になってます
知ってる人いませんか?
479日本@名無史さん:03/03/09 23:10
>>478
後閑じゃないの。
確か岩松京兆家の子孫だよね。
信玄・勝頼が東上野支配に利用しようとして厚遇してたけど
その後どうなったの。
480日本@名無史さん:03/03/09 23:18
481後関ごかん:03/03/10 00:16
>>479
よくわからないんですけど三つに分離したみたいです。
自分は埼玉の利根川沿いに移住した家の子孫のようです
ちなみにひい爺さんは警察の署長でした、そのあと特高に入り
熊谷で赤狩りをしていたらしいです、詳しくはいずれ祖母さんに聞いてみる
482日本@名無史さん:03/03/10 00:26
>477
まあ明治ころまで16で出産なんて普通です。
483日本@名無史さん:03/03/10 00:29
>>481
じゃあ戦中に主義者だった漏れの爺さんをしょっぴいたのは
君の曾祖父だったのかもしれんね。w
484後関ごかん:03/03/10 00:53
>>483
まあその後、地元の議員を逮捕しちゃって問題になって左遷されて
吹上の地方公務員になっちゃたんですけどね。w
485日本@名無史さん:03/03/10 00:55
>479
特高っていつからできたん?
漏れのじいさん大正時代に熊谷の隣町で警察署長(警視正)してたのだが、
だいたい署長なんて年くってからなるもんけど、警察署長から
特高へ移動なんかあるのか?
486日本@名無史さん:03/03/10 00:56
>>482
明治じゃない
十三年前の話だぞ
487日本@名無史さん:03/03/10 00:59
国公T(戦前だと高文)なら20代で署長になるけど?
488日本@名無史さん:03/03/10 01:05
20代で署長か。そりゃエリートだな。
漏れのじいさん一応大学出てるけど、すでに40代だったみたいだしな。
移動前から署長だったけど、大宮署の署長を目前にして胃癌で逝った。
489日本@名無史さん:03/03/10 01:35
>>485
志願したんじゃないかな、
>>488
あれ、俺の曾爺さんも大宮かもよ、顔見知りかもしれない、
490日本@名無史さん:03/03/10 01:44
だんだん先祖の自慢オナニー大会になってるぞw
お前等キモいんだよバーカ氏ね。
491日本@名無史さん:03/03/10 01:53
お前等せいぜいいいとこ下級武士
俺の先祖は上級武士
聞いてらんねーよバカらしくて
492日本@名無史さん:03/03/10 02:28
>491
お主、武士の風上にも置けない奴じゃな。
493日本@名無史さん:03/03/10 02:55
ちゅか漏れの先祖・・・『京都所司代』

お前らじゃこの『京都所司代』がどんな凄い権力者だったかわかるまい。

頭がたけーんじゃボケ!
494日本@名無史さん:03/03/10 02:58
過去の栄光にすがりついてどーする!
おまいらの先祖は














もーいいや、ミトコンドリア
495日本@名無史さん:03/03/10 04:00
おまえら先祖自慢するやついるが
過去帳見れば一発だろ?
戸籍なんてのはたった150ほど前に出来たばかり
それにくらべりゃ過去帳は500年も遡れるぞ
496日本@名無史さん:03/03/10 04:53
人によっちゃ500年もあり得るかもしれんが
大体は江戸時代が限度。
慶長、元禄まで行けば上々。化政ごろまでの所も多い。
497日本@名無史さん:03/03/10 09:33
だから、家ではなくて血統が5代前まで
498日本@名無史さん:03/03/10 10:55
>>497

血統だって続いているから、ここに存在してるんじゃない
ヴァカですね
499日本@名無史さん:03/03/10 11:40
>>493
グォラーーー
金返せ
明治維新までに用立てた金
きっちり返してからでかい口きけ
それより薩長じゃーーー
山口、鹿児島両県は金返せーーー
お前ら明治時代にどれだけ持ってったと思ってんだ

と、日田商人の子孫が申しております
500500:03/03/10 18:47
お前らは所詮、百姓の家系。
俺は上級武士の家系。

どっちが偉いと思ってんじゃゴルルァボケ!!

道開けんかいクズの末裔ちゃんよ
501日本@名無史さん:03/03/10 19:32
>>500
上級武士たって大庄屋や豪農に比べればクソ!

願っても 本間様には なれないが 
 せめてなりたい 殿様くらいは

上の意味わかりますか?
当時を象徴する歌だが。
502日本@名無史さん:03/03/10 19:35
いずれにせよ、ただのドン百姓よりはマシです>武士、庄屋、豪農
503日本@名無史さん:03/03/10 19:39
血統しか自慢できないのも悲しい話
504日本@名無史さん:03/03/10 19:56
ひーじーさんまでしか知らんなー。
こんなわしは特別か?
おやじもひーじーさんまでの話しかしたことがない。
505日本@名無史さん:03/03/10 21:11
あのさあ、大学生の4人のうち3人は曽祖父の名前がわからないんだって。
506日本@名無史さん:03/03/10 21:19
>>505

そりゃ「わからない」の意味が違うだろ
暗記してるか?と言ったら出てくるわけがない
調べていないのと「わからない」は違う
いま現役の大学生なら曾祖父でも明治以降の没だろ
調べがつかない筈がない
507後閑:03/03/10 21:25
俺の曾爺さん小学校しかでてないや、でも29才で寄居の署長になった
>>503
先祖にエライ人がいると誇りに思えない?
508日本@名無史さん:03/03/10 21:34
ひいじいさんの名前など知らなくても、実生活に不都合ありませんが。
509日本@名無史さん:03/03/10 21:53
>>508
それをいっちゃうのは歴史などしらなくても・・・っていうのと一緒かと。
ミクロな範囲で歴史、というか郷土史をつついてくと自分の祖先が何してたか気になるじゃないですか。
華族や豪商や豪農だけが歴史をつくったわけじゃなし、
卑近で矮小なエピソードもまた好奇心をかきたてると思うのですよ。
510日本@名無史さん:03/03/10 21:54
でも水呑百姓の名前や戒名なんか知りたいとは思わない。マジで。
511日本@名無史さん:03/03/10 22:29
水のみ百姓の戒名ってどんな感じだ?

うちは江戸時代も
「○○院○○○○居士(大姉)」がほとんどだが?

信士や信女を貰うのも大変だったのか?
512日本@名無史さん:03/03/10 23:08
>>511

ちゃんと、神社・仏閣板というものがあります

そちらでお訊ね下さい
513日本@名無史さん:03/03/10 23:12
武士でも○○院を付けるのは稀だけどな。大名とか上級武士だったら
よく見かけるけど、中下級武士じゃあまり居ない。
514日本@名無史さん:03/03/10 23:16
戒名以前に水呑百姓の名前やエピソードって何気に分かりにくくないか?
おそらく墓の大半は無縁仏に、小さな寺だと結構無縁仏の過去帳はぞんざいに扱われてるし。
(数十年ぶりに墓参りにいくと墓がいつのまにか無縁仏に、って話は多いですよ)
煽りじゃなしに分かってることがあれば教えてほしくもあったり。
515日本@名無史さん:03/03/11 00:00
新宿の月桂寺にいくと柳澤家の墓が粗末に脇のほうに退けられていることがある。
伯爵柳沢家とか彫ってある新しい墓もあるから、一族が管理はしているんだろうけど
・・・・汚いよ。
516日本@名無史さん:03/03/11 00:43
>>501
バーカ お前は本間かっつーの!この百姓!!
517日本@名無史さん:03/03/11 01:08
おやじまんこじまん
518日本@名無史さん:03/03/11 02:43
>>516
敏感だなぁ
さてはブラクれすか?
519日本@名無史さん:03/03/11 02:48
わからんわからん言っていないで探してみな。
520日本@名無史さん:03/03/11 02:48
立場上は武士の方が上だが
実際はたとえ武士でも質素な生活してただろう。
中下級武士でも院号はつかない。
けっきょくは寺に貢献しなきゃダメ。
水のみ百姓は墓すら無いトコもある。
今では一家に一つが主流だけど昔は一代に一つだったからな。
521日本@名無史さん:03/03/11 02:49
>>515
合同墓にした時に、古い墓石を無縁墓塚に入れたのでは。
522日本@名無史さん:03/03/11 03:37
うちは上級武士の末裔だが、戦前までは刀や小判など沢山あったって。
写真見ると住んでる家も豪邸だし、着てる服もよさげ。
特権階級は戦前まで続いていたことが分る。
今は庶民らに混じって普通の暮しをしているよ。
523日本@名無史さん:03/03/11 03:40
>>501
悔しいのは分るが、所詮、百姓は百姓
524日本@名無史さん:03/03/11 07:39
武士の誇りは金とは関係ないんだな。
町民農民とは価値観が違う。
525日本@名無史さん:03/03/11 08:10
 先祖が坊主の俺には百姓も武士も関係ねえし・・・
526日本@名無史さん:03/03/11 08:55
>>525

代々真宗の坊さんですか
それ以外なら江戸期は士農工商のいずれかだと思いますが
527日本@名無史さん:03/03/11 14:45
>>498
だから血統は40億年続いても血統先祖がワカル範囲内が自分から5代前までで限界といってるだろ。アホ。
528日本@名無史さん:03/03/11 14:48
平均一族5代とは血族が150年で全て移動すると言う意味。
「家」でくくるなら10代300年前までわかるが
529日本@名無史さん:03/03/11 14:50
>>498
日本人なら全てアマテラスの子孫になりますね。藁
530日本@名無史さん:03/03/11 14:52
だからね、

長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー長男ー・・・・

こんな家系図誰も信用できないでしょう
531日本@名無史さん:03/03/11 15:35
>>524
そうだよなー。
武士は借金は刀で踏み倒し。
知的な人間じゃないもんな。
農民もアホだし、商人マンセー。
532日本@名無史さん:03/03/11 15:36
武士って実際は、刀を振りかざして脅す暴力団。
533日本@名無史さん:03/03/11 15:39
小作農・・・・・・・・高卒
農民・・・・・・・・・農学部
武士・・・・・・・・・体育学部
商人・・・・・・・・・商・経済学部
工人・・・・・・・・・工学部
534日本@名無史さん:03/03/11 15:54
ちょっと待って。
武士は役人をやってたんじゃなかったけ?
535日本@名無史さん:03/03/11 15:57
>>527

>自分から5代前までで限界

何の根拠もない数字ですね。日本語だいじょうぶですか?
そんなこと言い出したら、あなたが父親の種か
どうかもわからんでしょ(w
536日本@名無史さん:03/03/11 16:22
武士・・・・・・防衛大学(仕官〜兵隊まで)
537日本@名無史さん:03/03/11 16:59
>>535

君が5代前以上わかる根拠しめせるならね。 w
538日本@名無史さん:03/03/11 17:04
5代前以上になったらどうちてみんな源平藤橘におさまるの。鎌倉時代から
5代150年前の1853年頃までの間の先祖はどうちたの?
539日本@名無史さん:03/03/11 17:11
戸籍謄本がないならお寺の過去帳あさるしかないわけだが
お寺の過去帳に、親子関係、兄弟、親族関係がしるされていないから、
同じ苗字の人が自分の先祖のように錯覚する。2代から3代で苗字は
変わるから血統がつながっている保証はどこにもない。
女子のみで養子とか子供がなきため断絶なんて江戸時代に常にあったから。
大体江戸時代の家の4件に3件は子供が出来ても幼児で亡くなるから
1代で断絶する。
540つまり小和田家の家系図も朝鮮酸化による必死の捏造ですね(w:03/03/11 17:18
じゃあ、教えてやろうか。小和田金吉は村上の小和田家とはなんの関係もない。
村上の士族小和田家が村上はなれて戊辰戦争に負けてちりじりになったのは明治の初年。
だから士族小和田家は明治初年以前も調べがつくわけ。問題は小和田金吉が1867〜1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは
明治以後。だから宮内庁は小和田家が1868年以前は何をやってた人なのかわからないといったのは
事実隠蔽のためで本当に士族なら村上調べたらわかるのである。その証拠に佐藤朝泰の「閨閥」
という本に小和田金吉の代からしか載っていない。(川嶋家は高祖父の代までのっているのに皇太子のご生家がこれでは・・・)
朝鮮から密航してきた参加の成り上がり金吉は明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に
金吉氏の名前が初出となる。もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。
新潟の参加金吉はつまり新潟の吏員になるために(戸籍のない密航者だから)村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を
購入し士族に成りすまして朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすましたわけ。だからその後に高田税務署の税吏になっている。
その証拠に小和田家の世代の年齢があわないのはそう言う事で、(以下)
  日本@名無史さん :02/03/30 17:33
小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたら
つじつまが合うね(藁)
  ※1868年時点で(もし生きていたら)
小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡) 74歳
匡春(道助)の次男 勝治        48歳?
勝治の弟兵五郎(5男として)      42歳?
小和田兵五郎の息子(3男)が匡利(道蔵)15歳?
匡利(道蔵)の次男金吉         1才

つまり金吉の戸籍がないのは明治30年代に金吉が死亡し(若死)死亡から80年たって
雅子様が嫁いだ頃戸籍は処分されたからではなくて初めから存在しなかった。(明治19年式戸籍ならどんな役所でも取り寄せ可能だし、19年式戸籍を廃棄している自治体はほとんどない。)






541日本@名無史さん:03/03/11 17:22
>>539

今だって皇室の親子関係、兄弟、父、母、親族関係わからないジャン。
542日本@名無史さん:03/03/11 21:33
>>539
過去帳には○○の父とか○○の母のような
記述があるだろ
だから嫡系は比較的楽にたどれるよ
傍系でも享年順にソートされてるから
ほとんどの場合分かると思うよ
2代から3代で苗字が変わるって何?
543日本@名無史さん:03/03/11 21:54
>>1
お願いだからここまでスレが進んでも誰もあんたのいうことに
納得してないってことに気付いてくれ。

それと日本は男系が多いとはいえ、
婿養子のように一時的に女系となる場合も多数。
さらに夜這い、妻訪い婚のように女系の要素も多数あり、
長男>長男>長男>・・・というのだけを正統と考えてたわけじゃなし。

>>539、というか>>1さん。
江戸時代の乳幼児死亡率は75%もありませんし、一人っ子政策も採られてませんよ。
それに弟や妹の婿養子、もしくはその子供が家督相続するのも断絶とでもいうのですか?
せめて5代で断絶している家系図を多数集め、それが過半数であることを証明するくらいしてくださいな。
世の家系図のほとんどにケンカ売ろうってんならそのくらいの準備してからにしときなはれ。
544日本@名無史さん:03/03/11 23:24
>>530

そんなのは例外中の例外だろ

長男ー三男ー次男ー養子ー長男ー・・・てなのが普通だ
545日本@名無史さん:03/03/11 23:33
>>537

根拠もない偏狭な考えを「カルト」と言います

全国規模で調べて、
3代前まで判明するもの何%、
5代前まで判明するもの何%、
10代前まで判明するもの何%
というのでなければ、とても学問とは言えません
546日本@名無史さん:03/03/12 00:21
大学生(20歳)にアンケート実施したら曽祖父の名前を知ってる人は100人のうち25人だって。
547日本@名無史さん:03/03/12 00:38
いずれにせよ、みんな人類発生以来100代以上続いてるんだからいいじゃん。
その中間が誰か分かろうがわからなかろうがいいよ。
548日本@名無史さん:03/03/12 00:42
過去帳には○○の父とか○○の母のような 記述があるだろ
>>これは残念ながらないとの事。(詳しくはパート1読んでね。)
↓ゆえに
それに弟や妹の婿養子、もしくはその子供が家督相続するのも
断絶とでもいうのですか?

>>自分が今存在する限り断絶してるわけないのです。問題はお寺の過去帳に↑のような記載がもしあればわかりますが
残念ながら戸籍謄本ではないので過去帳だけで↑のような事情はわからない。実際娘1人で養子だとか子供が出来ないから
血のつながりのない人間が養子に入る場合もあるでしょう。まあ、一番多いのはお家のっとり。たいがい没落して成り上がりの人間が
家系図買ったり売ったりこんなことはしょっちゅう。(大体2代で家が没落するケースが多い)
しかしお寺の過去帳なら「佐藤」なら全部佐藤血統つながりになる。家のハードは10代わかってもソフトは一族5代というケースが多い。

549日本@名無史さん:03/03/12 00:47
3代で5割。4代で2割5分。5代で6%?
550日本@名無史さん:03/03/12 00:56
小学生の時、オール1だった人は親の名前もわからない家庭の人。
      オール2の人は親の名前はわかるが祖父の名前がわからない家庭の人。
      オール3の人は祖父の名前までわかっている人。
      オール4の人は曽祖父の名前を知っている人。
      オール5の人は高祖父の名前を知っている人。
551日本@名無史さん:03/03/12 01:06
私の先祖には武士も商人も農民もいます。
私の一族の内情が裕福だったのは、農>商>士です。
貧乏ザムライから婿や嫁を貰わなければ、財閥になれたという
のが、親戚が集まる時の笑い話に出ます。

貧乏ザムライというのが殿様家系なのが和ましい一家です。
552日本@名無史さん:03/03/12 01:09
>親戚が集まる時の笑い話

なんかすごい親戚ですね。
553日本@名無史さん:03/03/12 09:57
>>548

ぜんぜん論旨が通っていないな。ネタで遊んでいるのならイイけど
気づいていないなら、いちど病院に逝ったほうがいいよ
554日本@名無史さん:03/03/12 12:37

お寺の過去帳に書いてもない事を創造して話すのはなぜ?妄想が好きだから?
それとも現状に不満だから先祖の自慢ばかりするの?w
555日本@名無史さん:03/03/12 12:44
まったく300年間移動した事のない人ってやはりDQN部落民が多いですよねえ。
少なくとも上場企業以上のホワイトカラーなら3年くらいで引っ越すし
本籍だって50年〜60年くらいで移動しますよねえ。
556日本@名無史さん:03/03/12 12:50
>>554-555

まだやってる(ゲラゲラ
557日本@名無史さん:03/03/12 12:52
>>555

ウヨって鎖国とかよそもの差別とか知能のおくれた閉鎖的農耕社会とかがすきなんですよ。w
558日本@名無史さん:03/03/12 12:58
寺の過去帳?見たことあるって言ってんの?
〜の父や〜の母なんて書いてねーよ
書いてあるとすれば、

×年卒
戒名
(女、養子なら)○ヨリ嫁(養子)ニ来ル 享年$#

これが普通。それ以外は明治になってからの書き写しのセンが濃厚。
つまり偽造が多い。
559日本@名無史さん:03/03/12 13:08
悲しいねえ。家系しか自慢できないのも
560日本@名無史さん:03/03/12 13:09
>>237
>>432
過去ログ読む限りネタっぽくないのはこの2人だけ。
あとは目クソと鼻クソの戦い。
先祖もビンボーなら子孫もビンボーってことか。
そんな目クソと鼻クソなら祖先の名前ならわからんよ。
つまり目クソ鼻クソに限っては
あながち>>1の言ってることは正解かもしれん。
561日本@名無史さん:03/03/12 13:12
>>558

大変、いいこと言った。そうなんですよ。戸籍謄本と過去帳を一緒だと勘違い
してる厨房が実に多いんですよ。なぜかウヨほど多い。庶民は3代前で結構だが
先祖を捏造して自慢するのはやはりよくない。しょうださくじろうが酸化でも子孫は
硬質に嫁いでいけるからいい時代になったんだ。
562日本@名無史さん:03/03/12 13:13
>>560
禿同
563日本@名無史さん:03/03/12 13:15
>>560
土地1町でも資産家の部類でしょう。
564558:03/03/12 13:18
>>561
追伸だが、
過去帳には、〜父のとかも書いてないぞ。〜の子とは書いてあっても。
つまり父親の方が早く死ぬことが多いから当然だ。バカでもわかるだろ。
しかも名もないことが多い。つまり法名を貰うから必要なかったこととわかる。
当時は戒名がすべてだし、「墓に名がある」っていうのも
いつの話と小一時間問い詰めたい。戒名の間違いだろ。
565日本@名無史さん:03/03/12 13:30
>>563
今の時代の土地1町(約100m×100m)はまあまあだが
むかしの土地1町というのは問題外だろ?
566日本@名無史さん:03/03/12 13:39
>>564

あいにくだな。「〜父」というのをおれは見たぞ。それは祖父が当主
の時に息子が早死して、孫へ家督がいったケースだった

残念だったな
>バカでもわかるだろ。
567日本@名無史さん:03/03/12 13:42
>>1

いいかげんお前さんの「名論卓説」には
誰も服していないことに気づけよ
568564:03/03/12 14:06
>>566
祖父が当主の時に孫が家督を継ぐ?
江戸時代や明治時代初期では、当主が死ななければ
息子だろうが孫だろうが家督を継ぐことは非常に難しいが?
それをわかって言ってるの?わからなきゃはずかしいぞ(笑)

ちなみに百歩譲って「〜の父」が書いてあったとしよう
当時、孫の名前(つまり息子の名前)を過去帳に書ける時代だと思ってるの?
あんまり笑わせないでくれ(爆)
569564:03/03/12 14:13
>>566>>567
5代以上前の祖先の名前聞かせろよ。
あとは地域、職業も。
また、「〜の父」の捏造過去帳をもっと詳しく言ってみな。
何宗かも。

理由はどうあれ、書けなければでおまえはアポーンだがな。
570日本@名無史さん:03/03/12 14:16
>>568

あまり糞なことを書くなよ。恥ずかしいから

隠居することはいくらでもある。年をとったり病気になることもある。
そもそも「嫡孫承祖」も知らんのか?
571日本@名無史さん:03/03/12 14:24
>>558
我が家のは、全ての人の関係が
一族の頭首との関係で書かれてます
つまり現行頭首○(数字)、○○之父とか母、女(娘?)
男兄弟が分家した場合は
過去帳が分かれてそこから新たに始まります
分家しなかった場合か?戒名だけ書かれているものもあります
女性(入嫁した人)の場合の表記は
二種類あって○○之母と○○之室
○(数字)、○○室(頭首の時点で妻をなくした場合か)
出身は○○の娘とかじゃなくて
○○(出身地)○○(苗字)之女です
(出身を書いていないのもある)
苗字は書かれているけど親の名前は書かれていません
つまり○○家からもらったと言う判断かと思いす

ちなみに我が家の過去帳にはカタカナ表記はありません
何年か毎に書き換えはしているようで
今見られるのは江戸中〜末期(旦那寺を変えている)に
書き写したもの〜現在(爺さん)と伝えられています

他所様のを見たことが無いので
こちらが普通かと思っていました
572558:03/03/12 15:03
>>571
悪いが>>558>>564>>568も俺だが…
>息子だろうが孫だろうが家督を継ぐことは非常に難しいが?
>それをわかって言ってるの?わからなきゃはずかしいぞ(笑)
については、百姓を前提として話なのであしからず。

おれの家は曹洞宗でそれとは違う。
一代一代、名前ではなく戒名で書いてある。
それが明治以前では普通だと思う。
つまり○○院○○居士の子や室という風に。
遡れば、明暦3(1660頃)年から記入されているが、〜の父というのは無い。
しかも、家が焼け享和3(1803)年に寺の過去帳から写したとも書いてある。

たとえ子が家督を継ぎ、父が死んだとしても
祖父(オヤジの父)の子と書いてある。
もし、子供が早く死んだ場合は、死んだ当時は書くことは無い。
つまり、あとから付け加えたってことがわかる。

余談だが、俺の祖祖々父は慶応元年に23で死んでる。
当時は父親が家督を継いおり存命だったから、○○の子とは明記しなかったようだ。
つまり父親にはまだ戒名が無かったから。
その後、父親が死に祖祖父が追加明記したようだ。現在でもそれは続いている。
だから、もし俺が父より先に死んでも父の子とは書けない。
父が死んで戒名を授かり、はじめて○○の子と書ける。
573558:03/03/12 15:16
余談だが、戒名だけ書かれているのは、
当主の弟(←補欠)や嫁に行かなかった姉、妹だと思われる。
俺の家にも多く見える。あと禅童子や禅童女は早死に。
分家した場合、過去帳が新しくなるので初代の戒名は書かない場合が多いようだ。
その場合は、分家の過去帳に○○より分家、○○居士の子等が書いてあるはず。
俺の家の過去帳の場合は、一番後ろの方に分家初代の戒名だけはある。
574日本@名無史さん:03/03/12 17:10
>>571
>つまり現行頭首○(数字)、
の数字って何?何代目ってこと?
名前を書くなんてことある?はじめて聞いたけど
その家の家督をつぐわけだからもちろん襲名するんだよね?
そしたら名前なんか書きようがないんじゃない?

>>572
うちも戒名しか書いてないよ
あと○○の子(女)って書いてある
575日本@名無史さん:03/03/12 18:05
戦国時代は武士だったが、一向宗を信心していたのがバレて
百姓におとされた薩摩武士の子孫です。
576日本@名無史さん:03/03/12 18:44
学生時代は優等生だったが、エロ本を持ったいたのが親にバレて
大学も落ちたサツマイモ好きの息子です。
577日本@名無史さん:03/03/12 19:00
>>566
>祖父が当主
>の時に息子が早死して、孫へ家督がいったケースだった
>>570
>隠居することはいくらでもある。年をとったり病気になることもある。
>そもそも「嫡孫承祖」も知らんのか?

バカか?家督がいく?爺さんが死んでないのに(w
嫡孫承祖っていうくらいだからさぞかしいい家柄なのだろう
庶民には不可能な無理な話だな。
で、どこの藩?それとも妄想か?
578日本@名無史さん:03/03/12 19:01
調べるに値する先祖のいる人がうらやましい。
ま、自分一代で終りと思えばいいや。
579日本@名無史さん:03/03/12 19:35
いままで辛酸をなめつくした一族は来世で花開くようになるという
この世の仕掛けあり。
くじけるな。童話、そしてちょん。
おまえたちの時代がもうすぐ来るぞ!
だからあと少しの辛抱だ。犯罪に走るな。

580日本@名無史さん:03/03/12 19:58
北朝鮮の最下層の人ってのは、日本の植民地時代に他の人民を支配する上位に
いた人たちであるからして、日本もどうなるかわからんぞ!
 
581日本@名無史さん:03/03/12 19:59
>>579

ふふん、>>1 への暖かい励ましだな
582日本@名無史さん:03/03/12 21:02
で、お墓の墓石に刻まれた年号はほとんど明治以後ですよねえ。みなさん。たまに幕末の年号が
掘られたりしてるのも存在するけど、たいがい隅の無縁仏コーナーに寄せ集められ
まとめられて供養されてるケースが多い。
150基くらいお墓があるところで2基くらい慶応時代のものが存在した。秀吉時代にたてられた由緒あるお寺でね。
583日本@名無史さん:03/03/12 21:09
おれも1と同じく5代前くらいしかわからん。
一族の伝説はひーじーさんまでだ。
しかし、一向に気にしていない。先祖が武士だったいう奴が同級生に何人かいたが、
よくおれはガキのころそいつらを殴って泣かしたこともあった。
こういう問題は
 ひとえに集団形成力がその一族のDNAにあるのかどうかが勝敗の分かれ目だろう。
個人対個人では強くとも、集団を形成し、その数で強く出られれば結果は勝ちである。
 そういうのは遺伝すると思う。
おれには集団形成力がない。これをつけるためには、この力がある女を捜すしかない。
とおれは思っている。
子孫のためにな。
朝鮮民族が植民地にされた原因のひとつが集団形成力の欠如ともいっていいだろう。
日本人はこれは遺伝的に備えられたから優勢にたてた。

しかし、これからはわからんな。日本人の集団形成力は弱まっておるからして。


584日本@名無史さん:03/03/12 21:15
尾張、紀州、水戸、越前

どうして水戸だけ養子つながりではなくて実子だけでつながってるの?
まるで天皇家の万世一系みたいだね。子孫を捏造する奴の心理って自分がB
だったりKだったりする事実を抹消するためだよねえ。だから自分は源氏の末裔
だの藤原家の子孫だのふざけたいい加減な事しかいえないんだね。
平家の落ち武者伝説の地やら南朝伝説の地などたいがい同和地区だぜ!
585日本@名無史さん:03/03/12 21:24

おれは殺すのはいやだと考え、この世のはかなさを感じた奴は武士にはならなかったであろう
と考える。
 屋島の戦いで源氏のある武将が自分の息子と同じ年齢くらいの平家の若武者を
斬ったことを悔やみ、坊主になったという話があるがそれがいい例だ。
 この世で出世するとか階級が上に上がれる人間の大半は、確信犯的に悪いことでも
躊躇なくやれた人間である。またそれをやれる能力があった人間だと言ってもよい。
おれは先祖が5代前までしかわからなくとも、一向に気にしない。
ただ、ご先祖様は俺と似た人間だったんだなと考えるときはあるにはあるが。



 
586日本@名無史さん:03/03/12 21:37
そういえばうちの地域も地元民しか知らない平家落人伝説はあるな。
部落も存在したと聞いたことがあるが、現在ではまじにそんな差別は存在しない。
差別がなくなったのは、たぶんこの地域が都会のように貧富の差が激しくない土地だから
だろう。
 B以外の地区を見渡しても全員が貧乏だからな(藁
市全体がBってなぐらいさびれた町だから、おまえBのくせに!
という方が恥ずかしい。
 


587日本@名無史さん:03/03/12 21:45
しかし、最近同和たたきがはやってるみたいだが、
たたかれても仕方ないことをやってんじゃねーのか?
588日本@名無史さん:03/03/12 23:42
>>577

お前は自分の糞の山の上でふんぞりかえって、えらそうにトキを告げてる雄鶏に過ぎない

「嫡孫承祖」は当時の法制用語だ。百姓であれ武士であれ同じことだ
祖父が老衰などで隠居し、父が既に亡くなっていれば、孫が継承するのは当然だ
589日本@名無史さん:03/03/12 23:44
まあ自分が今生きているんだから、ターミネーターでも
ないかぎりなにがしかの先祖が子孫を残していることにはなる。
どんな奴が先祖かは分からんけど。
590日本@名無史さん:03/03/12 23:50

おい、>>1 さんや
一度でいいから、大学の日本史の教授あたりに御高説を話してごらん

きっといい先生を紹介してくれるから
591日本@名無史さん:03/03/12 23:57
>>1
2ちゃん世界に篭っていないで、リアルな人間も相手にすべきだな
・・どの程度理解されるか
(相手から)引かれるとは思うが・・
592日本@名無史さん:03/03/13 00:38
>>588はやっぱりバカだな。
>江戸時代や明治時代初期では、当主が死ななければ
>息子だろうが孫だろうが家督を継ぐことは非常に難しいが?
に対して、
 >隠居することはいくらでもある。年をとったり病気になることもある。
 >そもそも「嫡孫承祖」も知らんのか?
と答えてる。本当のバカだな。
家督を継ぐということの意味わかってんのか?
嫡孫承祖というのは、おまえの祖先のような
院号も付かないしょうもない先祖には当てはまらないこと。
もし当てはまるような立派な先祖なら言えよ。吠えるだけか?
つまりおまえは過去帳に「〜の父」なんて書くわけない、に対し敏感に反応し
テメーの主張を正当化しようとし、それが明治になってからの書き直し
あるいは捏造された過去帳だということも知らずに吠えている憐れな独身男。

過去帳には「〜之父」とは書くわけない。←バカでもわかる。
もし書いてあるならば、どこかで書き直し&偽造。
593日本@名無史さん:03/03/13 00:45
>>588
>お前は自分の糞の山の上でふんぞりかえって、えらそうにトキを告げてる雄鶏に過ぎない
なら
お前はおれにエサとしてツッつかれるミミズだな。
594日本@名無史さん:03/03/13 01:55
結局、どうして現状に満足できない奴ほど先祖を捏造しては誇らしげに自慢するの?
4代しか継続してない家系でも服部セイコー家やトヨタ家、いや2代しか継続してない西武の堤家
、3代目の小渕家ゆうこチャンなど10代も20代も継続してないといけないって事
ないでしょう???
595日本@名無史さん:03/03/13 02:02
今、生きている君がいるという事は、人類誕生からの血を
継いでいること。
596日本@名無史さん:03/03/13 08:30

正直自分の血統祖先って、2代前でもわからないよね

戸籍が事実である保証はないし、過去帳もまた同じ
597日本@名無史さん:03/03/13 09:07
5代厨さん江

ネタで遊んでいるのならイイけど
気づいていないなら、いちど病院に逝ったほうがいいよ
598日本@名無史さん:03/03/13 11:11
>>590-591

リアルで物が言えるくらいなら、2ちゃんねるでヒッキーをやってる筈がない(w
599史学科学生:03/03/13 11:36
>568

>江戸時代や明治時代初期では、当主が死ななければ
>息子だろうが孫だろうが家督を継ぐことは非常に難しいが?
>それをわかって言ってるの?わからなきゃはずかしいぞ

大変興味深く拝読させていただきました。恥ずかしながら
百姓の隠居に制限があったということは寡聞にして知りま
せんでした。大変重大な発見だと思います
御多忙のところ真に恐れ入りますが、その法令等、史料名
(または資料名)を御教示ください
何卒よろしくお願い申し上げます
600600000000000GET:03/03/13 12:22
600
やっぱり5代150年
601出会い系ビジネス他所とは違います:03/03/13 12:23
http://asamade.net/cgi-bin/kado_g/pc_i_j_ez-index.cgi
ミツクスジュ−チュ
コギャル〜わりきり恋愛
女性多数訪問してます!
女性の方も訪問してね△

特に女性の方におすすめ”

http://asamade.net/web/
出会い系ビジネスに参加しませんか
HP作成費¥0で製作いたします。
毎月の利用料金は下記です!
後は貴方の成功報酬です・・
602日本@名無史さん:03/03/13 13:21

我が家は、やっぱり10代300年
603経済学科中退:03/03/13 17:29
>>599
無嗣廃絶
嗣子がなく家が絶えること。江戸初期は末期養子が禁じられていたため、
無嗣により取り潰される大名が続出、主家を失った浪人が大量に発生し
社会情勢が悪化した。1651年(慶安4)に慶安事件(由比正雪が浪人を集
めて幕府転覆を謀った事件)が起ると幕府は末期養子の禁を緩和し、
養父の年齢が17歳以上50歳以下の場合これを許した。
604経済学科中退:03/03/13 17:31
末期養子
世継のいない大名や旗本が、重病危篤の際に急に願い出る養子のこと。
急養子ともいう。江戸初期には認められていなかったが、1651年(慶安4)
12月以降、17歳以上50歳以下の者に限り許されるようになった。
年齢制限が設けられたのは、50歳以上の者はすでに実子誕生の望みも薄く、
当時でいえば寿命も近いため、その身が健康なうちに相続人を選定して
おくことが武士として当然の義務であり、瀕死になってから養子を決めるのは
怠慢と考えられていたからである。但し、50歳を過ぎた者で重病中に実子が
死亡し、養子も選定していないという場合は、所定の手続きを踏むことで
例外的に末期養子が許可された。17歳以下の者は若年で、一人前の能力を
有しないと考えられたため、養子願い出が許されなかった。
なお、選定の際には幕府派遣の吏員が出願人の生存を見届け、出願が真実
本人の意思で行われたかどうかを確認する判物見届を必要とした。
これにより、親族や家中の者が本人の意思に反した養子を勝手に選定したり、
本人の死後も生存を装って出願したりするのを防いだのである。
末期養子は出願人の病気が回復した時には、これを取り下げることができた。
605経済学科中退:03/03/13 17:33
仮養子
世継のいない大名や旗本が、参勤交代で帰国する際、あるいは公用で
遠国へ赴任する場合などに、旅行中・国許・赴任先で死亡した時のた
めに選定しておく停止条件付きの養子のこと。この制度は遠国では判
物見届ができず末期養子の出願が不可能なことから必要とされ、出願者
が旅行中・国許・赴任先で死亡した場合、仮養子は末期養子同様、
跡式相続の本養子となった。仮養子は出願者に嫡子もしくは家督相続
人たる適当な実子がいないことが条件であり、出願中に実子が誕生した
場合は、先の出願を取り消さねばならなかった。また出願者が江戸に
戻った時にはその効力を失うため、仮養子願いは旅行の度に新たに
差し出す必要があった。
606経済学科中退:03/03/13 17:37
嫡孫承祖
嫡孫(嫡子の嫡子)が、直接祖父の家督を継承すること。

以上を読むことで、当主生存中に家督を継ぐことがいかに難しいかがわかる。
これは大名等に対するものであるが、百姓なども例外でない。どうもあの馬鹿
は家督を継ぐ意味さえ知らないアポーンだったようだ。水戸黄門などの時代劇
の見過ぎで誤った歴史認識を植えつけられたようだ。TBSの責任は重い。
607経済学科中退:03/03/13 17:41
おまえが史学科学生なら、ゼミの先生にでも聞けば?
または、農家の家々を回ればいい。ついでに過去帳も見させてもらえ。
「〜の父」なんて書いてあるのは、各宗問わず、おおよそ捏造だろう。
608日本@名無史さん:03/03/13 17:46
根拠もない偏狭な考えを「カルト」と言います


全国規模で調べて、
3代前まで判明するもの何%、
5代前まで判明するもの何%、
10代前まで判明するもの何%
というのでなければ、とても学問とは言えません
609日本@名無史さん:03/03/13 18:25
ひーじいちゃんがロシア人らしい。確かに母親も、その兄弟も変わった
顔してる。でも、この時代に外人と婚姻できたのか謎だw
確かに長崎に家はあるんだけど。最近怪しいと感じるようになった。
母親の家系は本当に駄目人間ばっかで(俺も含む)たぶんロシア人が
全部悪いんだと思う。
610武家末裔:03/03/13 18:50
バカかお前等
武家でもないのに武家面すんじゃねーよアホ
庶民のお前等が血だの家だろ関係ねーだろボケ
働け
611黒崎 歩:03/03/13 19:50
(´`)
612日本@名無史さん:03/03/13 20:44
610>> 現在のお前はなんなんだ? 中小企業のリーマンだろ。呆け。
613小岡越前守:03/03/13 21:32
過去帳には「〜之父」という記述はない。
よって誤った歴史認識のあった厨房は引き回しの刑に処す。

過去帳論争、これにて一件落着。
614近山の銀さん:03/03/13 21:48
墓石で、「○○之母」と刻まれているのは見たことがある。
615日本@名無史さん:03/03/13 21:55
>>614
墓石の主の子が建立したんだろ
父といっしょでないということはわからないとか
仲が悪かったとか
616日本@名無史さん:03/03/13 23:24
なぜ、ウヨは壬申戸籍を非常に大事にするか?
それは明治以後に作られたカースト制度つまり天皇制による部落制を強調したいから。
壬申戸籍は差別の制度化でしかない。
617日本@名無史さん:03/03/13 23:40
>>613

過去帳には「〜之父」という記述はあります。おあいにくさま
618日本@名無史さん:03/03/14 00:48
>>617よ。
>>542>>543>>553>>566>>570>>571>>588
と必死だな。
自分の主張が覆されて
>>過去帳には「〜之父」という記述はあります。おあいにくさま
としか言えないお前に同情するとともに
ウソの過去帳をデッチあげた祖先にも同情するよ。
そういう意味では、おまえは>>1に該当するな。俺はしないが。
619日本@名無史さん:03/03/14 01:20
壬申戸籍かどうか分からんが、
士族と書いてあるうちの戸籍謄本の古いコピーがあった。
620日本@名無史さん:03/03/14 02:32
うーん、寺の過去帳を十把一絡げに論じるのには賛成できませんが・・・
まず第一に過去帳の書式は宗派、地域、時代、etc.でいろいろとあり、
これが正当である、なんてのはありません。
最低限の共通項目は生前の名前だけです。戒名すらない場合もまた、あります。
もちろん事細かにいろいろと書かれている場合は多いですが。
例えば武家の檀家の多かったあるお寺では生前の役職名をいちいち細かく記していたりとか。
誰某の父、という表現も”当主”などの概念が一般化していたところではありますね。

問題の資料としての過去帳の信頼性ですが、ケースバイケースとしか言えませんね。
戦災、火災にあわず寂れることもなく、まじめな住職が代々続いた場合はかなり信用できますね。
最近だと保存のためコンピュータでデータベース化の作業をされてるような方もいらっしゃいます。
逆に虫食い、しみ、脱落だらけの過去帳もまたしかり。

最後にひとつだけ。位牌を守るのは100年、200年。位牌を燃やすのは1日。
621日本@名無史さん:03/03/14 03:12
>第一に過去帳の書式は宗派、地域、時代、etc
時代は江戸か明治以後しかないが?

>最低限の共通項目は生前の名前だけです
なにを言いたいのか意味がわからん。何がどう共通なの?
明治以後ははっきりとした「名前」になっただろうが、
江戸時代にはっきりとした「名前」を持つ人がいっぱいいたというのかね?

>誰某の父、という表現も”当主”などの概念が一般化していたところではありますね。
これもなにを言いたいのか意味がわからん。

最後にひとつだけ。sageをいい加減に変えたほうがよろしかろう。
「じっぱひとからげ」を漢字で書いたのでおまえには「信士」を生前戒名として与えよう。
622日本@名無史さん:03/03/14 03:27
>>542>>543>>553>>566>>570>>571>>588>>617
そして>>620
なんべん言ってもわからん厨房のお前に戒名を授けよう。
もちろん今流行りの院号も付けてやるから安心だ。
あとは「〜之父」も入れてやろう。

平成十五年三月十四日
馬鹿院猪豚名無大居士
部落デ在ル当家ニ於イテ出生 阿呆ノ父 享年四十二才ナリ
623620:03/03/14 04:11
説明不測でしたね、申し訳ありません。

>時代は江戸か明治以後しかないが?
過去帳の起源とそれ以後すべて、という意味ですよ、もちろん。
史学素人の私がいうのもなんですが、
寺が公的機関のような働きをしていた時期はそれ相応の情報を寺が管理してました。
そしてその情報からくる影響が過去帳にも現れてるんです。

>なにを言いたいのか意味がわからん。何がどう共通なの?
過去帳に書かれている中の共通項目です。一般的には没年、生前の名前、戒名あたりが書かれていますが、
種々の理由により没年も分からず、戒名もつけられてない方がいらっしゃることもあるんです。
単に過去帳によって書かれている情報量に大きな差があるということをいいたかっただけです。

>誰某の父、という表現も”当主”などの概念が一般化していたところではありますね。
これは話すと長くなりますね。簡単にいうと日本の葬儀は
・喪主(多くの場合嫡男、次期当主)。いいかえれば個人が行うという概念と
・親戚、近隣のもの。いいかえれば集団で行うという概念が共存しており、
比較的喪主の義務に比重が置かれているところでは誰某之父と過去帳に書く場合があるんです。
武家においてそういう表記がなされる場合が多いので”当主”という言葉を用いました。
つっこんでいくと葬儀の地域差にも関わってくる事柄ですが、スレ違いなのでここまで。

私が過去帳についていいたいのは
・寺の数だけ過去帳があり、一概に述べられるものではない。
・一度失うと復元は不可能。偽造するのも極めて困難。
このくらいですね。
624日本@名無史さん:03/03/14 06:40
>>623長くてウザイ。
>明治以後ははっきりとした「名前」になっただろうが、
>江戸時代にはっきりとした「名前」を持つ人がいっぱいいたというのかね?
にとりあえず答えてくれ。

「〜の父」と過去帳に書くってことは、つまり息子(養子)の名を書くことになる。
そんなことが許される時代だと思ってるのか?また、息子に立派な名前がなければ
ならないということでもある。江戸時代に独立した名を名乗れる人間がどれほど
いたか理解しているのか?
625日本@名無史さん:03/03/14 06:46
>過去帳に書かれている中の共通項目です。一般的には没年、生前の名前
その「生前の名前」とやらを教えてくれ。
もちろん江戸時代に死亡したヤツに限るがな。

いくらいい家柄でも、そいつの本名を調べるのに苦労するというのに、
おまえの家の過去帳には、名前が載っているのか(笑)
626日本@名無史さん:03/03/14 06:55
ちゃんと俗名として元服後の名前が載ってますが何か?
627日本@名無史さん:03/03/14 08:27
調べなきゃわかんねーなんて所詮君達は大した出じゃないって事。
歴史好きもここまでくると救いようないね。
628日本@名無史さん:03/03/14 08:30
>>607

>「〜の父」なんて書いてあるのは、各宗問わず、おおよそ捏造だろう。

先入観と予断・偏見を持って臨むものに、学問を語る資格なし

629日本@名無史さん:03/03/14 08:57
うちのは

日付 戒名 俗名(続柄) 年月 の順です

例えば

三日  ○○□□△△信士  ×左衛門(四代)  安政三年九月

というふうに書いてあります
630史学科学生:03/03/14 10:54
>>603-606

ありがとうございました。御礼申し上げます
631日本@名無史さん:03/03/14 11:16
>>624

あなたが何百件の過去帳を調べて「〜の父」という記載はありえない
という結論に達したのか知らないけれど、とりあえず2ちゃんねるには
神社・仏閣という板があり、現役の僧侶もかなりカキコしているようだから
聞けばいいじゃん

餅は餅屋
632経済学部中退:03/03/14 11:56
>>627
批判は誰にでもできる。しかしおまえのそれにはユーモアがない。ツマラン。
>>628>>629>>631同一。
>例えば 三日 ○○□□△△信士 ×左衛門(四代) 安政三年九月
もっと本当っぽい例えをしろ。すぐバレるぞ。
>神社・仏閣という板があり
その餅屋が厨房だらけなのれすが?
しかも一人5役ご苦労様。
633経済学部中退:03/03/14 12:08
明治以前に書かれた過去帳においての定義
一、生前に家督と継ぐことは容易ではない。
ニ、名は受け継ぐことが多い。太郎→太郎→太郎。
三、法名を授かるため、過去帳に名を記入する必要がない。
よってここでさんざん悪態をつく奴にいえること。
一、名があるというのは明治以後に偽造・捏造。
ニ、〜之父があるというのはその子による書き換え。
三、厨房の子孫。
文句があるなら
先祖の職業、地位、名前、屋号、宗教、地域等を証拠を示せ。
それ以外は厨房ならびにsageの仕業とし負け犬とする。
以上、元越後大庄屋甚左衛門義郎家21代目当主。(1000石)
634日本@名無史さん:03/03/14 12:28
>>632

いやはや、見たこともないくせに我が家の過去帳に文句をつける馬鹿がいるのか
635日本@名無史さん:03/03/14 13:30
>>634
厨房の子孫必死だな(w
636日本@名無史さん:03/03/14 13:33
>>634
先祖の職業、地位、名前、屋号、宗教、地域等を証拠を示してやれ
637出会い系ビジネス他所とは違います:03/03/14 13:34
http://asamade.net/web/

成功報酬型独立オ−ナ−
システム代理店募集です
資本金¥0一切不要です
HP作成費は無料、、
振込みは代理店様口座に
直接入金されます。
当サイト代理店システムは
他サイトとは比較になりません
1度HP訪問くださいませ。
解約も自由に出来ます
多数の代理店募集しております
起動中サイトは約10件です
638日本@名無史さん:03/03/14 14:15
>>634
過去帳って水をさすわけではないけどその人の生年月日はかいてないはずだよ。
639634:03/03/14 14:16
やれやれ、馬鹿馬鹿しいんで疲れてきたよ

>先祖の職業、地位、名前、屋号、宗教、地域等を証拠を示してやれ

農業、中農、名前はパス(あたりまえだ)、コウヤ(紺屋)、浄土宗、関東
640634:03/03/14 14:18
>>638

おいおい、だれが生年月日なんて言ってるんだ?
過去帳は没日に決まってる
641620:03/03/14 16:13
百歩譲って過去帳には俗名はのっていないとしましょう。
それでは宗門人別帳はどうですか。
性質上名前、続柄は確実に書かれていますよ。
ただ現存していないことも多く、保存状態の良いものは大抵文化財に指定されてますから、
個人がルーツ探しに用いるには少々やっかいですけどね。
642日本@名無史さん:03/03/14 19:02
>>638
もっとツッコんでやれ

>>640
中農ってなんれすか?そんな身分あるのれすか(笑)?
やっぱり偽造したのれすか?先祖も厨房ですね。
>>641
ごくろうさん。我が家にある。虫に食われてるがな。
ちなみに金持ちの人は屋号(つまり襲名した名)で書かれる。
今は過去帳の話をしているのであって、宗門人別帳の話をしているのではない。
やっぱりバカ?
643620:03/03/14 19:08
たまにはこっちの質問にも答えてくださいな。
門別帳と過去帳の記述が矛盾している例はどのくらいありますか?
矛盾しているケースの多寡はそのまま過去帳の信頼性と同義だと思いますが。
644日本@名無史さん:03/03/14 20:24
>門別帳と過去帳の記述が矛盾している例はどのくらいありますか?
今は過去帳の話をしているのであって、宗門人別帳の話をしているのではない。
やっぱりバカ?
>矛盾しているケースの多寡はそのまま過去帳の信頼性と同義だと思いますが
門別帳→藩および御上 過去帳→一族 おわかり?

その前に
>中農ってなんれすか?そんな身分あるのれすか(笑)?
に答えてやれ
645日本@名無史さん:03/03/14 20:42
どうもここは>>1のことを否定したい厨房の集会のようだな
それにしてもsage君カコワルイ
646620:03/03/14 20:50
はい、私の負けです。早くも力つきました・・
あとはたのんます、私以外のsageな方々。
647日本@名無史さん:03/03/14 21:13
だって明治19年式戸籍しかないわけだろう。
648日本@名無史さん:03/03/15 02:16
そういう意味では>>1のいうことも間違ってないよね?
だって>>633の通りじゃない?
うちは江戸時代から続いてるらしいんだけど
過去帳には戒名と死んだ年と月しかないよ
だから先祖の名前もわかんない…
649日本@名無史さん:03/03/15 08:59
>>633

ただの視野狭窄。何度でも sage させてもらうよ(w
650日本@名無史さん:03/03/15 13:50
具体的に自分の家の家系図と過去帳と戸籍謄本と宗門人別帳を
見比べて書いてある内容がバラバラというひとこのなかにどのくらいいます?
651日本@名無史さん:03/03/15 21:53
ミトコンドリアDNAによると、日本人の母は9人。
652日本@名無史さん:03/03/15 23:59
>>650
宗門人別帳なんて知らない人がイパイいる
見たことないヤツもイパイいる
家系図ってのはほとんどが江戸時代に作られた
一番信用できるのは戸籍謄本でしょ
次が過去帳
653日本@名無史さん:03/03/16 09:53
けっきょく>>1を否定できないってわけか…。
654日本@名無史さん:03/03/16 18:27
でも、ほとんどの武家の子孫は、証明できないんじゃないの?
昔みたいに、刀持ってるわけでもないし、武家だけ苗字持ってるわけじゃないし。
まして、家系図なんて残ってるほうが、珍しいって聞いたことがあるし。
でも、>>1は、武家をひがんでるだけでしょ。
655日本@名無史さん:03/03/16 18:28
もう>>1と関わる奇特な人はいません。よって
終                 了
656日本@名無史さん:03/03/16 19:41
ただ血のつながりがあるかどうか?
間違いなく自分の先祖を名家につなげようとする人が大半。いや、現状に不満な人間ほど
先祖を飾ろうとしますね。
657旧武家:03/03/16 20:03
士族授産の恩恵で現在も高級住宅地に住み高級車を乗り回す生活です。
658日本@名無史さん:03/03/16 20:08
>>654
武家といってもピンキリ。
ほとんどが極貧の武家。
659日本@名無史さん:03/03/16 23:07
うちは
太衛門→次郎吉→太郎左衛門→甚次郎→新一郎→竜太郎→オヤジ→俺

7代まえまでわかる!!!!!!!!!!!!!
660日本@名無史さん:03/03/17 01:12
過去帳とは寺院が檀信徒の死亡年月日・戒名・年齢などを記載した帳簿です。
実際上の必要性から俗名や続柄・出身・略歴を記すものも多くあります。
様式的には,命日ごとに記載した日割(日牌式)のものと、死亡順に記載したものとがあり、
前者は日めくり形式で日々の供養を目的としました。平安中期の「二十五三昧過去帳」が早い例です。
文永2年には叡尊が西大寺で光明真言会をおこなった際に、過去帳に名字を載せたとあります。
中世のものとしては松戸市の「本土寺過去帳」や遊行上人によって書き継がれた藤沢市の清浄光寺の
「時衆過去帳」が著名で、近世に入って寺檀制度が成立すると,過去帳は全寺院に
備えられるべきものとなり、檀家の仏壇の中にも直系の先祖を記した過去帳を置くようになりました。
661日本@名無史さん:03/03/17 03:00
いやいや年齢は過去帳に書いてない。あくまでも死亡した年だけ。
662日本@名無史さん:03/03/17 04:29
結局過去帳に俗名がのっている場合はある、でOK?
かなり遠回りした気がしますが。
663日本@名無史さん:03/03/17 04:52
15代前までいける。
664c:03/03/17 04:58
★ココで決まり★男の掲示板★大人のリンク集★
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
 http://www.pink-angel.jp/betu/index.html
665女流作家:03/03/17 05:25
>>659
身分低そうな名前ですね。
なにも恥晒さなくても。
666日本@名無史さん:03/03/17 06:13
うけねらいでしょ。今後が楽しみなウケ職人だ。
667日本@名無史さん:03/03/17 13:57
>実際上の必要性から俗名や続柄・出身・略歴を記すものも多くあります。
>結局過去帳に俗名がのっている場合はある、でOK?
>かなり遠回りした気がしますが。
だから、おまえらのようなしょーもない身分の先祖は載ってないってことで、OK?
668日本@名無史さん:03/03/17 14:05
>神社・仏閣板より素朴な疑問にやさしい人が答えてくれるスレ3より
>寛政重修諸家譜に載る家、すなわち旗本で、以下のようなケース
>父が家督しているうちに、子が部屋住みのまま死亡、やがて年をとった父が
>隠居(致仕)、家督は死亡した子の子、すなわち孫に継承されました(嫡孫承祖)
>私は上記の(その子某)にあたる人の供養碑を発見したところからその旗本家
>の子孫の方をつきとめ、お尋ねしたところ、過去帳の記載は「六代某の父」と
>なっているとの回答を得た。
まとめ:けっきょく「聞いた」だけ。「てめーの先祖ではない」ってこと。
また、「旗本というそこそこの身分だった」ってこと。
さんざんてめーの先祖っぽいことを言ってたわりにこんな結果。ショボ。
669日本@七誌さん:03/03/17 17:04
先日父親がぼそっとしゃべった。
田舎の菩提寺に行けば16代前まで残っていて、何でも奈良〜京都〜(現・加賀地方)
へと上がっていったらしい。
「都が移るとそれに伴って付いていくやろ」と言ったのだが、
16代前っていうとせいぜい、25年としても400年前(江戸初期)じゃん!

謎だ・・・。かくいううちの名前は天武13年(684年)に「宿禰」の姓を
もらってます。名字順位で4000位前後です。現在はド平民です。
670日本@名無史さん:03/03/17 19:12
なぞだ。
>天武13年(684年)に「宿禰」の姓を
>もらってます。
と言ってるが、1400年あまり姓を変えていないらしい。
それなりの家ならば、姓を変える場合が多いが?
671日本@名無史さん:03/03/17 19:38
699さんは「それなりの家」なんて言ってませんよ。マターリマターリ
672日本@名無史さん:03/03/17 20:12
>>671
>699さんは「それなりの家」なんて言ってませんよ。
で、「699」さんまでマターリ待てと?
一体699さんはどんな人なのか?マターリ進行!?
673ちわ:03/03/17 20:49
俺は自分の家の壬申戸籍見た事ありますよ。
ってか家の蔵の中に閉まってあります。
いきさつはよく解らないですけど「何かのため」という事で
高祖父が取得したらしいです。ちなみに「士族」と書いてあって
あまりよくわかりませんが色々細かく書いてありますよ。
674日本@名無史さん:03/03/17 22:04
>>673
パート1から1673レスめであなたがはじめての壬申戸籍所有者です。
675ちわ:03/03/17 22:14
ってか明治5年に作成された壬申戸籍は今は厳重保存されていて
見る事はできないので我が家にある「壬申戸籍」が本物なのかは
解りませんが祖父の話だと高祖父が取得したらしいです。
実際に昭和43年に包装封印されるまでは身分調査に悪用された
例もあるらしいので全く見た事がないって事もないと思いますよ。
676日本@名無史さん:03/03/17 22:26
うちの先祖は、父方伊予西条藩の足軽(卒族)っていうやつ
で、母方が、同県新居郡(今の新居浜市)多喜浜村の漁師網元だったらしい
です。
677日本@名無史さん:03/03/17 23:19
>673
その高祖父は偉いな。
俺のご先祖も取得してくれてればヨカタんだが。
678日本@名無史さん:03/03/18 00:10
おれも壬申戸籍見たことあるよ!
厳重に保管されてる。
たぶん父が若い頃に取得したとか襲名したとか言ってた。

で、ちなみに「暴走族」乱髪3代目って書いてあったような…。
679日本@名無史さん:03/03/18 04:44
壬申戸籍くらいどこのうちにもあるもんと思ってた。
無い家というのは出自を隠したいがために捨てたのかな?
ちないにうちは「士族」。
680日本@名無史さん:03/03/18 12:34
つーか普通は戸籍謄本を保管用にとってきたりしない罠。
戸籍が無くても、そのときそのときの現状の縁戚関係なんて把握してる罠。

一生のうちに戸籍謄本あげるなんて十回以内と思うし、
それも提出を求められてる機関に提出したら手元に
残らないし。
681日本@名無史さん:03/03/18 14:58
>>679
>ちないにうちは「士族」。
神に誓ってお前は士族じゃないといえる。
土族の間違いだろ?
682日本@名無史さん:03/03/18 15:08
↑土族ってなに?
683日本@名無史さん:03/03/18 15:14
先祖に不比等がいる
684日本@名無史さん:03/03/18 15:33
俺は曾祖父の名前もしらないよ。
685日本@名無史さん:03/03/18 18:00
>>1よ、金持ちになれ。
そうすればきっとどこからともなく立派な家系図つきで親戚が現れる。
686日本@名無史さん:03/03/18 18:18
13代前のご先祖様の300回忌を先日やったばかり
もちろん上げ法事だけどね(w

ちなみに半農半工の家系っす
687日本@名無史さん:03/03/18 19:19
うちも曽祖父の50回忌にあわせて150回忌と200回忌をまとめて去年やりました。
同じくちょいと年が違うのはご愛嬌。
200回忌で弔ったご先祖さまが普請奉行やってたとき、
大ボケやらかして石高減らされた事実を知りました。
今ならリストラなのでしょうが、何故だかご先祖さまに親近感が。

やっぱし遠い親戚とはこういう時でもないと顔合わせませんし、
最近は法事に意味を感じはじめてます。
遠い親戚=他人ってのはやっぱり寂しいですよ。
688日本@名無史さん:03/03/18 19:24
先祖はウマシマチだ。
689日本@名無史さん:03/03/18 19:39
ウマシマチといえばスサノオの孫でしたっけ?
何か伝承があるのなら、古代史系のスレにカキコすると喜ばれるかも。
690ちわ:03/03/18 21:38
自分の家にある壬申戸籍は「厳重」なんて風には別に保存されてませんよ。
蔵の昔の書類の中に封筒に入れてあるくらいです。
どうゆう経緯で高祖父も取得したのかは分かりませんが今となっては包装
保存してある「壬申戸籍」と同一のものであれば貴重なものと思ってます。
691日本@名無史さん:03/03/20 00:36
てゆーかパート2スレ落ちてるし
カンペキに1の意味不明なスレ立てのせいだな
692日本@名無史さん:03/03/20 02:32
パート2は>>1じゃないよ
693日本@名無史さん:03/03/20 02:36
>>685
いま、社内恋愛中だけど、特に彼女の家柄調べたりしてないよ。
ただ学歴は帝塚山学院だから、ああ、お嬢様なんだ。その程度。
皇太子さまだって雅子様の小和田家の4代くらい前までしか気にしてないし
もうそういう時代なんだ。
694日本@名無史さん:03/03/20 02:40
金持ちと言っても国民の大半はサラリーマンだからしれてるって。
家でも4000万から5000万円程度だし、電通、フジテレビの社員でも
1億円の家が建つかどうかくらいだし。
皇室以外はみな平民じゃないの??
695日本@名無史さん:03/03/20 03:39
私は特権階級(国立大学卒マスコミ28才)
都内高級住宅地の持ち家一戸建てに住み、高級車で通勤
身長180cmスリムマッチョ
オンナが途切れた事ない、セフレが4人いる
696日本@名無史さん:03/03/20 04:47
>>692
すまん。意味が分からないんだが・・
俺はまだ2がぜんぜん残ってるのに3を立てたこのスレの1を批判してるわけで・・
697日本@名無史さん:03/03/20 05:03
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1038656451/
一応まだPart2は残ってますね。
上げて再利用するかこのまま落ちるにまかせるか微妙なところだ。
698Part2よりコピペ:03/03/20 05:05
ご先祖探しをはじめよう
初級
@身近な親族に聞き取り調査
A戸籍・除籍・改正原戸籍謄本の入手
B本家の目処がついたらその地域の電話帳調査
中級
@本家とみられる家を発見できたら訪ねていって調査の協力を依頼
A本家のお墓に彫られてる事項の調査
B本家の菩提寺の過去帳・宗門人別帳の調査
上級
@本家所在地の郷土資料館等で自分の先祖の記録がないか調査
AHPを立ち上げて同姓の者に広く調査依頼のよびかけ

・・・常識的すぎたのが敗因か?
699日本@名無史さん:03/03/21 03:28
この違いは、ナンダカンダいっても>>1が「5代150年で歴史は作られる」という大変な法則を発見してしまったのが大きい。
700日本@名無史さん:03/03/21 03:48
壬申戸籍の手コピーを持ってます
大正4年にヒイ爺さんが手書きで写したもの。
仏壇の隙間に挟んでありました。

用紙サイズは、習字の半紙くらいの大きさで計7枚。
戸主を含め人数は19人ぶん。
父親が生きてたのに、息子が戸主だったりする。
水田の面積、牛の数まで書いてある。納税額も。

ちなみに新平民。
大変な苦労をして子孫を残したのでしょう。
一昨年の時点で、93人の直系子孫が生存してます。
おいらも結婚して戸主になりたい(w;
701日本@名無史さん:03/03/21 09:25
>700
>おいらも結婚して戸主になりたい

ケコーンしなくても親の籍から分籍して戸籍の筆頭者になれるが。
702日本@名無史さん:03/03/21 14:14
テーマが血統なら無意味だよね。藁
703日本@名無史さん:03/03/21 14:39
やはり戸籍はダイジ
704日本@名無史さん:03/03/21 15:15
正直、明治19年式戸籍に書かれた本籍地が現在の何処かわからん。
度重なる市町村合併と居住所番号の変更などで。

市役所の市民課でさえ大正元年までしか把握しておらん。
法務局で字限図を閲覧してもサッパリわからん。
705日本@名無史さん:03/03/21 17:37
>700
>ヒイ爺さんが手書きで写したもの

そういや、コピー機普及前の戸籍謄本(に限らず登記簿謄本とかも)って
どんな形で発行されてたのかな?
手書きで写してそれを役人にハンコ押してもらうとか?
706日本@名無史さん:03/03/22 00:14
.
707日本@名無史さん:03/03/22 17:12
役人が手コピーします
708日本@名無史さん:03/03/22 19:04
>707
そんな伝統があって、コピー機普及した今でも謄本請求手数料がやたら高いのか?
戸籍謄本:450円
除籍謄本・改製原戸籍謄本:750円
登記簿謄本:1,000円
709日本@名無史さん:03/03/23 03:20
トタールコストを考えれば高くないでしょ。

市民課窓口や書類保管庫の家賃相当額から
数千万円規模の戸籍データベースの減価償却まで。
当然、検索/複写する役人の時間給も加算されるわけで・・・
710日本@名無史さん:03/03/23 05:44
謄本請求するとき理由は何てすればいいんでしょう
711日本@名無史さん:03/03/23 06:21
   
712日本@名無史さん:03/03/23 07:04
>710
「記載事項の確認」
713日本@名無史さん:03/03/23 17:06
請求理由「先祖調査」は不受理の通達があるようですが
私は先祖調査/先祖供養と書いて断られた経験はありません。
(関東以北なので比較的寛容なのでしょう)
714日本@名無史さん:03/03/24 00:20
東京23区内の何箇所かで先祖調査・供養で請求したが(数年前)
簡単に受理されたよ。
715日本@名無史さん:03/03/24 03:10
お三人様、レスありがとうございます。
参考になりましたです。
716日本@名無史さん:03/03/24 04:14
東京23区内に複数のご先祖がいるなんて・・・

おまえ、江戸っ子だろ?
717                         :03/03/24 04:17
, '´  ̄ ̄ ` 、       / ̄ ̄ ̄ ̄\            好
               i r-ー-┬-‐、i     /         \       ホ  き
               | |,,_   _,{|    _/\.   ⌒   ⌒|       モ  な
               N| "゚'` {"゚`lリ,, - '"r' }|||||||   (・)  (・)|ヽ、     で  人
     やらないか >  .ト.i   ,__''_ /   /   {(6-------◯⌒つ|   l.    し  が
              /i/ l\ ー/-、   i    ||    _||||||||| | i !    た
         ,.、-  ̄/   /   ヽ  |_  \\ / \_/ / //
        /  ヽ. /  /"     !      ̄ .\\___/  //
        /    ∨ ノ ̄ ̄ '''    l       \__/-、 /  / /
       /    |/          |        "~   `´ / ' >    ムホッ!
       |   /  = 、         !               /_ -‐<-,    ムホッ!
       }/ {     ニ\  /、 ヽ-           //     {
         /f゙//ヽ_, -'" ̄   ` ´} _   _,-‐-=ゥ‐- イ >  r '  ̄ ト
      / : | |  <_     _,, ィコ   ̄    、 -ノ_, /  \/\    l,-、,,-、_
      / :  \ _ヽ_ ヶ、'~   \,_, -,‐_T`‐--イ/ 、   _,, - +‐ti;;;;,、 ヽ , `、
      l : : : : ̄: :`''t‐t\  r ' '  i  >;}~ )ニ-i─ t'", -─| |-'┴/_l_/ノ
      \ : ヽ: : _ : ||/::::::::`{;;;i  i i__i__/''ヽ |:: ̄:l ̄l~:::ヽ   |_ ===--、__
       \ : : : : :{|:、:::::::::::::::`イ‐i=-_‐, -ー!:::::::::| |:::::::::::ヽ        `
       / :ヽ : : / i|::::::::::::::::::,,-'T~ :_ -|_:::::::::::::i==i:::::::::::::ヽ

718714:03/03/27 13:21
>>716
いや、父系先祖は練馬のほうの名主なので江戸っ子とは
言わないでしょう。
719日本@名無史さん:03/03/27 17:35
練馬の名主って、全部わかるかも(w
最近、町会名簿に歴史とか書いてあるあるし(w
720日本@名無史さん :03/03/27 23:39
関東の名主なんてほとんどわかってるよ。
721日本@名無史さん:03/03/28 02:55
「ほとんど」と「全部」では雲泥の差である
722日本@名無史さん:03/03/30 03:23
名主と地主って別のものですか?
723日本@名無史さん:03/04/02 00:28
>>722
別物です。
名主、庄屋、肝煎は江戸時代の役職名。この3つの中身はほぼ一緒です。
名称の使い分けは地方により異なり、関東以東では名主、
中部地方内陸部では肝煎(その後名主に統一されたとこも多し)
西日本では庄屋が多く用いられてました。

地主は名前の通り単に田畑や山林を多数所有しているという意味。
これは江戸期よりもむしろ明治中期に発生。
松方財政で検索すれば分かります。
江戸以前は中規模程度の自作農であった場合多し。
一部の地主が土地を独占する形態は明治以降に進展しました。
724sage:03/04/02 09:03
.
725日本@名無史さん:03/04/02 12:58
なるほど〜♪
726日本@名無史さん:03/04/02 18:16
幕末頃は、武士じゃないのに名前に「武」を使うのは許されたの?
727日本@名無史さん:03/04/02 20:46
だいたいずっとさかのぼったら朝鮮に行き着くわけだが。
728日本@名無史さん:03/04/02 22:47
東北では肝入とも言うところがあるな。
729日本@名無史さん:03/04/03 11:34
>>726
私の先祖に武左衛門って人がいますけど平民(小売商人)だったので
おそらく禁止はされてないと思います。
730.:03/04/05 23:06
.
731日本@名無史さん:03/04/06 22:23
主体
732日本@名無史さん:03/04/06 22:58
板東武者は百済難民の子孫だってほんとう?
 漏れの先祖は藩のお馬番、専用馬場で馬の飼育もやってたらしい。
733日本@名無史さん:03/04/07 02:10
古代氏族の子孫だが百済難民とは限らない。
例えば鎌倉氏は鎌倉別(景行裔)、那須氏は那須国造(孝元裔)など皇別はもちろん
丹氏は武蔵国造、児玉は物部、等の神別
藩別でも、高麗氏は高句麗、金や広岡は新羅などなど。
734日本@名無史さん:03/04/07 18:19
そんな昔のことは他スレでどうぞ。
735日本@名無史さん:03/04/08 08:52
よね
736日本@名無史さん:03/04/08 17:39
>>729
「左衛門」「右衛門」って、考えてみれば高貴な名前だよね。
だって由来は、皇居の左右の門の番兵のことでしょ。
一般庶民が就ける仕事ではない。
なんでこれが一般庶民の名前になったんだろ?
737日本@名無史さん:03/04/08 17:47
>>736
そもそも昔の人の名前って、今みたいに深い意味を込めてつけられていた
(大きく羽ばたけ!というわけで"翔太"みたいに)のではないという気がする
んだなぁ…
なので、「"○○衛門"か。おお、(・∀・)イイ!!」的につけたのかなぁ…とw
738日本@名無史さん:03/04/08 17:57
門を衛る
739日本@名無史さん:03/04/10 03:56
それが由来ですか?
740あぼーん:03/04/10 03:58
あぼーん
741あぼーん:あぼーん
あぼーん
742あぼーん:あぼーん
あぼーん
743あぼーん:あぼーん
あぼーん
744日本@名無史さん:03/04/10 06:47
>1 A2ちゃんねらーで自分の家の墓石で明治よりも前の年号が刻まれている
奴は、はたしてどのくらいいるの?ほとんどいないよな

天正までしか無かった。
745日本@名無史さん:03/04/10 08:31
うちの寺は150くらい墓あるがそのなかで慶応時代のものがたしか1つか2つ。
後は全て明治以後

               大阪府
746日本@名無史さん:03/04/10 13:49
うちの墓は畳四畳半分あるぞ。
お前等んちの墓ってせいぜい畳半畳分だろ!ダサッ
747日本@名無史さん:03/04/10 14:13
オレ7歳

親父25歳

祖父44歳

ひいじい63歳

ひひじい84歳

ひひひじい102歳

ひひひひじい生きてたら119歳(オレが生まれてすぐ死んだ)

ひひひひひじい生きてたら137歳(享年109歳)

ひひひひひひじい生きてたら152歳(享年112歳)

ひひひひひひひじい生きてたら169歳(享年110歳)

ひひひひひひひひじい生きてたら184歳(享年121歳)
748日本@名無史さん:03/04/10 18:41

ウソ
749日本@名無史さん:03/04/11 03:46
>745
そうなんですよねー。
まとめて無縁仏像の前に積み上げられてたり>墓石。
750日本@名無史さん:03/04/11 07:43
墓石が無いのは明治期に改葬令が出て新たに作り直したからで、
檀家総代を務めるような旧家(うちがそう)は墓石自体は無くても
寺の過去帳にちゃんと先祖の事が記載されている。
武家の場合は御家人株の売買や養子による家督相続で
血統が有名無実化していたのと、
菩提寺である禅宗寺院の多くが佐幕派であったため
明治初期に破壊された事が原因である。
751日本@名無史さん:03/04/11 09:13
皇族の漏れ的にはビックリなスレだ
752日本@名無史さん:03/04/11 10:36
>>750
それらを裏付ける書籍等があれば紹介してください
753日本@名無史さん:03/04/11 13:04
>>748
ほんとだよw
754日本@名無史さん:03/04/12 05:59
ひひひひひひひひじい生きてたら184歳(享年121歳)

世界で120年以上生きた人は(公式には)二人しかいないわけだが。。。
そのうちの一人は日本人ではあるが、あの人はこんな昔の人ではないし。。。
755日本@名無史さん:03/04/12 06:18
ひひじじいってスケベジジイにことでは?
756日本@名無史さん:03/04/13 05:43
>>747の例は極端としても(さほど極端でもないが)
スレタイの「5代」ってゆうのはやはり違和感があるな。
パート4では「3〜8代」とか、まあ何とか書き方考えてほしいな。
757日本@名無史さん:03/04/14 10:41
?
758日本@名無史さん:03/04/14 12:44
戸籍謄本が残っていたらね
759山崎渉:03/04/17 13:44
(^^)
760日本@名無史さん:03/04/17 19:52
嘉永時代のお墓があってうれしかった。
761日本@名無史さん:03/04/17 23:13
漏れ自身は祖父の代までのことしか知らないんだが、父と母がはとこ婚なので
父と母に共通するひいじいさん(つまり漏れから見て5代前)までは父と母が
あやふやな記憶と共通のはとこからの聞きかじりをたどりながら補完すれば、
わざわざ戸籍や系図見なくてもたどれるっぽい。

田舎だとこんな感じで「血が濃いので5代くらいなら素で辿れる」椰子も珍しくないと
思われ。
762日本@名無史さん:03/04/18 11:11
調べたけど、血がつながっていると確実に分かるのは、5〜7代前までだった。
それより上は、没年と名前のみ。俗名すら分からない人がほとんど。
あと、このスレとは関係ないけど、調べていたら分かったこと。
・江戸時代、武家と農家との間に必ずしも明確な区切りがあったとは言えない。
・土地の有力者は、家柄のでっちあげをしていた。2家で発覚。
・関東大震災・東京大空襲は痛かった。
・セクス、いぱーいだった。認知や出来ちゃった婚、仕事発注先の娘(多分)へのお手つき、多かった。
・当時の人たちは、時代に翻弄されながら、苦難に耐え、そして生き抜いた。
 そんな先祖を誇りに思う。
763日本@名無史さん:03/04/18 15:00
>>762
ヨバイはどうだった?最初の子は誰の子かワカラナイと言うが。。。
764日本@名無史さん:03/04/18 17:27
>>761
わざわざ戸籍簿を確認することで
情報の信頼度を高めようと思わないの?

>>762
拾い子なんてのもあるぞ。
765山崎渉:03/04/20 01:56
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
766日本@名無史さん:03/04/21 19:01
元士族や旧家でないかぎり、先祖など調べても意味ないし徒労。
767日本@名無史さん:03/04/21 19:09

田舎の旧家出身だが、檀家になってるお寺に行けば、
先祖代々の系図と、亡くなったご先祖様の名前が全て彫られた位牌がある。
その起点は鎌倉時代らしい。
768日本@名無史さん:03/04/22 13:10
うちは戒名だけ。
名前は江戸中期以前は不明。
769日本@名無史さん:03/04/22 13:16
広島の旧家
農民だけど、大地主だったので士族と縁戚関係があって
士族の系図に名前が載ってる。
遡って、元禄まで。
770日本@名無史さん:03/04/22 13:29
>>766
そう思う人が多いけど、それなら静観してね(はあと)
逆に面白くて仕方ない少数派もいるんだから
771日本@名無史さん:03/04/22 17:11
>>766
は父母が先祖を敬わなかったクズの家系。
772日本@名無史さん:03/04/22 21:42
普通の人は今の生活で精一杯なんだから
特別な理由が無い限り、先祖調査は単なる趣味だよ。
クズ云々は低俗な煽り行為。むしろ771の先祖が可哀想(はあと)
773日本@名無史さん:03/04/22 22:47
曽祖父の名前知ってる人20歳の大学生4人に1人
774日本@名無史さん:03/04/23 04:34
父親(東北)+母親(関西)=私(東京産)
戸籍謄本を入手したのは良いが、時間の関係で現地調査が困難。
スキル不足で過去帳や古文書が読めない。
机の上で明治元年±30年の情報を読み返すだけの先祖調査。
775日本@名無史さん:03/04/23 05:42

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★


以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
776日本@名無史さん:03/04/24 09:16
>>773
曾祖父って4人の曾祖父のこと?
父親の父親の父親、父親の母親の父親、母親の父親の父親、母親の母親の父親、の4人?
777日本@名無史さん:03/04/24 11:49
曽祖父の名前?
先祖調査スタートするまで知らなかったょ?
778ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/04/24 12:41
俺は加えて母の父が養子なのでその養父を加えて5人の曾祖父がいる。
先祖調査スタートするまで曾祖父といえば父の父の父と母の父の養父
の2人の名前しか知らなかったな。(母は幼い頃「なんで私には3人も
おじいちゃんがいるんだ??」と不思議に思ってたそうだ。w)

>>773
20歳の大学生4人に1人が全ての曾祖父の名前を知っているとは大したものだ。
779日本@名無史さん:03/04/24 13:27
漏れは曾祖父どころか祖父の名前も知らん
両家とも、俺が生まれるだいぶ前に死んだ
780日本@名無史さん:03/04/25 03:34
短命族?
781日本@名無史さん:03/04/25 04:42
漏れも祖父知らんよ

漏れ 21才(学生)
乳 68才(年金生活)
これより故人
祖父 124才(横浜正金銀行勤務)
曾祖父 170才(下級武士)
高祖父 224才(下級武士)
782日本@名無史さん:03/04/25 16:57
先祖代々40歳以上で子を持つとは(w
783日本@名無史さん:03/04/27 05:20
死んだひい婆さんの話では、五代前の先祖は清左ェ門(これは後に除籍謄本で確認した)、その父が孫右ェ門といったらしい。
それより前は? と聞いたら知らないと言っていた。
784日本@名無史さん:03/04/27 09:01
普通に生活してれば、生まれる前に死んだ曽祖父の名前など知らなくて当然。
そんなもの知ってても知らなくても、市民生活に支障はない。
785日本@名無史さん:03/04/27 11:44
伯父の名前も知らん

漏れ 19(大学生)
親父 生きてたら73
親父の長兄 生きてたら101

生まれる前に死んだ(夭折は除く)おじの名前も知らないのって漏れだけか?
786日本@名無史さん:03/04/27 11:48
伯父さんの奥さん(伯母さんのダンナ)の名前を知らないのは結構ある。
787日本@名無史さん:03/04/27 11:50
>>786
義理は違うだろ。
7885年前に離婚:03/04/27 13:29
実の子の名すら知らない。

趣旨と違うからsage
789日本@名無史さん:03/04/28 06:55
>788
それこそ戸籍を請求すれば即分かる。
790日本@名無史さん:03/04/28 20:08
私の先祖はみのもんた
791日本@名無史さん:03/04/29 02:46
>>784
そうね
792日本@名無史さん:03/04/29 03:00
自分のルーツに関する予備知識と言うだけで
要/不要とか、損/得の問題じゃないですから。はい。
793日本@名無史さん:03/04/29 08:49
親父どころか産みの母親の名前も知らん
お産のときに母親あぼーん
親父は俺が生まれる前に事故死

施設ぐらしでつ…。施設のネットカフェで2chしてまつ。
794日本@名無史さん:03/04/29 09:04
>>793
い`


自分は先祖にちょっと有名な人がいるので一応江戸時代中頃まで遡れます。墓もあるし。
下級武士ですが。
自分の中での知識よりも朝日新聞の家系図の方が詳しいのは腹がたったりします。
今は落ちぶれてるので見る影もありませんが。
795日本@名無史さん:03/04/29 11:08
初代:安永5年没
2代目:文政7年没
3代目:明治14年没
4代目:明治39年没
5代目:昭和34年没
6代目:平成6年没
7代目:現在68歳
8代目:現在37歳
てな具合。故郷に墓がズラっと並んでいるよ。
796日本@名無史さん:03/04/29 19:56
戸籍謄本や除籍謄本を集めて調べたけど、明治の中頃の4代前までしか
遡れなかった。曾々祖父は文久年間の生まれでした。
位牌とか見るともう50年ぐらいは遡れるんだけど、調べてる暇がない。
797日本@名無史さん:03/04/29 21:21
>>795
うちも一族の墓が集まって並んでる。
一番古いのは尼さんになった人の墓かなんか
なんだけど、文字が擦り切れて読めない・・
798日本@名無史さん:03/04/29 21:24
       /:::::::::::::::::::::::人:::::::::::::::::::::::::\
      /:::::::::::::::::::::::::::/ ..ヽ:::::::::::::::::::::::::::ヽ
     /::::::::::::::::::::::::::::/   ヾ:::::::::::::::::::::::::::丶
    /::::::::::::::::::::::::::::/     ヽ::::::::::::::::::::::::::ヽ
    |::::::::::/::::::::::::ノ       ヽ.::::::::::::ヽ:::::::|
    |:::::::/ ̄ ̄           ̄ ̄ ̄|:::::::|
    |=ロ -====・       ・====- ロ=.|
    |:::::|                  .. |::::::|
     |::::::| `                 |::::::|
   (||:::::|        .(。。)       |::::::|)
  ..  |:::::| ∴∴     l l    ..∴∴ |::::::|     ___________
  ..  |:::::| ∴∴ _-- ̄`´ ̄--__ ∴∴ |::::::|   /
    |:::::| ∴∴  -二二二二- ∴∴ |:::::::|  < 朝鮮人は美しい
    |:::::|                  |:::::::|    \___________
    |:::::::ヽ      -_    _-     ノ::::::::|
    |:::::::::丶       . ̄ ̄    /::::::::::::|
    |::::::::::| \_______/ |::::::::::::::::|
799日本@名無史さん:03/04/30 13:52
鎌足の子孫ですが何か?
800日本@名無史さん:03/04/30 13:55
800げっとage
801日本@名無史さん:03/05/03 06:34
802日本@名無史さん:03/05/04 00:27
ウチの墓石で読み取れるレベルで1番古いのは本家の墓にある元禄ヤツ。
分家のウチでは嘉永の頃の墓石が1番古い。で、その墓石には名字つきで
施主(たぶん高祖父の父)の名前が刻んであるんだけど、ただの農民のはず
なのに名字帯刀だったのかな・・・? それとも詐称してたのかな?
803日本@名無史さん:03/05/04 10:07
>>802
なんか功績を上げた人は農民とかでも苗字もらってたりするよ。
そういう人かもー。
804日本@名無史さん:03/05/04 11:15
>>802
もともと苗字を持っている家は少なくない。
公称は厳禁だけれども、私称は黙認される。
寺が重んじなければならない程度の家であれば、
過去帳にも墓にも記載されるよ。
805日本@名無史さん:03/05/04 11:33
「公称」の範囲はどこまでですか?過去帳や墓も公称に入るのでは?
806老中末裔:03/05/04 16:57
くっだらねーナー

お前らの糞先祖が判明したところでなんだっつーの!

新でこいやボケ
807802:03/05/04 20:56
>>803-804
レスありがとう御座います。そうですね、功績があったとは思えないので
寺との付き合いが濃かったのかもしれません。本家は熱心な人ではない
ようですが今でも一応寺の檀家役員やってるみたいですし。

808日本@名無史さん:03/05/05 01:11
油断しない方がいい
死後80年たつと 戸籍は廃棄される
興味のある人は 今の内に取っておく方がよい

ここで5代前と言っているのは 
戸籍が一級史料として機能する と言うことだ
系図や家紋ほど当てにならない物はないからね

死後80年以内の人の戸籍を取ると その祖父まで分かる
したがって およそ19世紀半ばまでさかのぼれる
それから先は その人次第
809日本@名無史さん:03/05/05 01:38
さっさと廃棄してほしい人も多かろう。
810日本@名無史さん:03/05/05 14:14
永遠に保存してほしい人も多かろう。
811日本@名無史さん:03/05/05 14:34
先祖調査なんてヒマ人の道楽。
812日本@名無史さん:03/05/05 19:42
>811
そもそも教員など除いて歴史はヒマ人の道楽とちゃうの?
813日本@名無史さん:03/05/05 20:17
本読んでるだけなら普通の趣味。
わざわざカネと時間使って先祖調べなんかやるのは道楽。

土百姓の名前や戒名なんぞ調べるのは徒労か自己満足でしかない。
814日本@名無史さん:03/05/05 20:39
>813
そもそも趣味というのは自己満足。
趣味というのは余裕の範囲内でカネと時間をかけるもの。
815日本@名無史さん:03/05/05 20:40

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★歯が大きい、または出っ歯★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★


以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
816ある女子高生:03/05/05 20:42
ひゃ〜死んだ人を追っかけるなんて信じらんないよ、きしょい。
まだアイドル追っかけてるアキバ系みたいな方がマシだよ。
ここにいる男とはぜったいに付き合えないと思う。
817日本@名無史さん:03/05/05 23:32
>>808
げっ…。
だったらひいじいさんの戸籍はもう廃棄されてるな…。

オレ(1976-)
親父(1923-1995)
祖父(1875-1942)
曾祖父(?-1890)
高祖父(?)
818日本@名無史さん:03/05/06 00:31
>>817
君はずいぶん遅くに生まれた子なんだね・・・お父さんが53歳の時か。
俺も77年生まれで親父は帝国時代の生まれ。年が離れてるといろいろ
ギャップがあるよね・・・・
819日本@名無史さん:03/05/06 16:22
やっぱせいぜい5代前までくらいしかわかんねぇな〜
「○○衛門」と言う名前が多い。
820日本@名無史さん:03/05/08 00:56
戸籍謄本というものが欲しいのですが
両親が生まれたのはそれぞれ別な遠い地域で
でも自分を含む家族が住んでるのはさらに別な地域です
この場合でも戸籍謄本は取れるのでしょうか?
一通750円と書いてあるのですが、一通でどこまでわかるのでしょう?
役場って行ったことが無いので、祖先を調べたくても
何をどうしたら良いやら、何通取るのか 汗
821日本@名無史さん:03/05/08 07:19
>>820
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/3713/1.html
自分はここを参考にした。
822日本@名無史さん:03/05/08 09:47
漏れは親父のことを「じいちゃん」って呼んでたよ。
同居してた異母兄を父ちゃんって呼んでた。
母親が2人いるようなもんだった。実母と兄嫁。
甥と姪は兄弟みたいなもんだった
823あぼーん:あぼーん
あぼーん
824日本@名無史さん:03/05/08 20:11
東京うまれの東京そだちです。
和歌山の実家の戸籍を調べ、明治初期までのぼった後
平成までくだってきたら、ご近所の町会長が親戚だと判明。
825日本@名無史さん:03/05/09 20:39
>824
傍系の戸籍謄本、すんなり発行してもらえた?
826花菱アチャコ:03/05/15 02:41
壬申戸籍見たことある人いる?
827日本@名無史さん:03/05/15 05:17
このスレの過去ログを女家。
828花菱アチャコ:03/05/17 09:51





829日本@名無史さん:03/05/17 10:30
私は日本人ですが、自分を韓国人とp思います、そうおもてる同胞も多いことでしょう
もともと日本は韓国の植民地、渡来人が文化を全て伝え、そのうえに発展したm、
おのですね、これを否定したがる輩、日本は独自に発展したんだなどと強弁する輩
は右翼、頭が悪い人の象徴と思います。
大多数の人は自分の中にコリアへのルーツを自覚し、ごpく常識的な歴史感覚をもっ
ているのですが、中にはそういった劣等感の裏返しである愚劣な主張をする人が
いてそれが韓日友好の妨害となっているのはまことに残念ですえn
830日本@名無史さん:03/05/17 17:16
高祖父(〜1914年)64歳
曾祖父(1884〜1920年)36歳
祖父(1912〜1998年)85歳
父(1939〜)64歳
俺(1970〜)32歳
曾祖父は桑の買いつけに失敗して、精神を病んでしまい座敷牢に入って
いたそうです。あと4年で、俺も36か〜
831日本@名無史さん:03/05/17 18:51
http://www.maruden-net.co.jp/7/7_2001/7_0112/7_011225.htm
>河内主任研究員は、生年月日が判明している日本人男性約9000人と
>女性約3400人のデータを調査。
>その結果、1910年から49年の間に生まれた男性の頭の横幅が急速に広くなるなど、
>短頭化現象が進行。その変化は、過去数百年間の十倍以上の速さだったという。
>ところが、50年以降に生まれた男性と60年以降の女性では変化のスピードが遅くなり、
>70年代以降は短頭化がストップした。”(以上)


近年、日本人が急速に短頭化している原因が分からなかったが、短頭化が
始まるのが日韓併合の1910年と一致するところから、その悪因が
在日韓国朝鮮人の帰化や混血などに因るものだと分かってきた。
832日本@名無史さん:03/05/17 22:23
漏れ(1983〜) 大学生
父親(1941〜) 定年し現在無職
祖父(1911〜1967) 海軍
曾祖父(1876〜1968) 教員
高祖父(?〜1923) よくわからん 関東大震災で死亡
その前(〜安政?) 首切り

5代前しか知らんな…。
833日本@名無史さん:03/05/17 22:37
不思議なことに祖父は知らんが曾祖父は知っている。

高祖父(1877〜1974)薬剤師
曾祖父(1902〜)開業医 跡取りは大叔父(69歳)
祖父(1927〜1975)サラリーマン
父(1954〜)社長
俺(1980〜)会社員

祖父の名前を知ったのは小3のときですた。
高祖父の名前は幼稚園から知ってた。「捨雄(すてお)」マジおもろい(w
834日本@名無史さん:03/05/17 23:04

父親    会社員
祖父    農家と会社員(満州に行って一旗あげようとしたそうです)
曾祖父   剣道の先生
高祖父   武士
余談    母方のご先祖様はかなり悪で賄賂政治で大儲けしたそうです
      結構有名です
      他人には恥ずかしいから言うなといわれています^^

どうでもいいけど私ってよく中国人に間違えられるんですよねW
頭蓋骨の特徴が中国系渡来人らしい

835あぼーん:あぼーん
あぼーん
836日本@名無史さん:03/05/17 23:13
結局、先祖調べしようなんて人は、ある程度の家柄なんだよな。
それが証拠に終戦直後まで小作人だったようなヤツは誰も書いてない。
837日本@名無史さん:03/05/18 01:48
川嶋家は和歌山市本町8丁目で、その前は有田
郡清水町、ここは平家の落人ばかりの村です。
浄土真宗で和歌山市北ノ新地の宗
善寺に墓がある。
つまり川嶋が童話です。

838日本@名無史さん:03/05/18 02:39
5代までわかってるだけスゴイ。
寺なんて明治あたりからやっと世襲。(できた宗派もあるらしいが)
それ以前は苗字すらバラバラ。持ってただけいいのか?
839日本@名無史さん:03/05/18 08:22
俺(1982〜)
親父(1953〜)
祖母(1926〜)祖父は婿養子
曽祖父(1902〜1960)
高祖父(1868〜1940)
高祖父の父(1831〜1896)
高祖父の祖父(1813〜1893)
高祖父の曽祖父(名前だけ判明)

除籍謄本だけでここまで判った。
ついでに、地名姓と屋号のおかげで、一族の発祥地も判明した。
840日本@名無史さん:03/05/19 22:33
漏れは不思議なことに、女系先祖は知ってるが男系は知らん

漏れ(1979〜)会社員
母親(1941〜)看護婦
祖母(1900〜1945)助産婦
曾祖母(1864〜1924)?

男系

父親(1934〜1999)教師
祖父(〜1937?)軍?
841日本@名無史さん:03/05/19 23:06
>>836
うちは幕末〜戦後まで東北の小作農です
842日本@名無史さん:03/05/19 23:14
正直自分の血統祖先って5代前でわからないよねB
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1042813804/l50
●●●●●●津山30人殺し●●●●●●
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1038476094/l50
★★初夜権に関して教えれ★★
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1025968418/l50

なんかやになるね。
843日本@名無史さん:03/05/20 00:07
217 :日本@名無史さん :03/04/10 02:18
 地方の名望家になると所詮は「血」のつながりでなく「家」のつながり
にしかすぎないことが分かる。
 俺の家なんか家系=血筋でつながったのは高祖父の頃からで、それ
までは養子縁組(婿養子)が当たり前だったそうな。
 ちなみに家系は神奈川の郷士(経済的には富農以上豪農以下)、なんでも
江戸・天保期に下級旗本の四男を養子に迎えたそうな。
 それ以前・以降は文書が一揆・小作争議&太平洋戦争期の空襲で焼失
したため分からずじまい。
 一生ルーツなんてわからんわ。トホホ
844日本@名無史さん:03/05/20 01:11
五代くらい前なら探そうと思えばわかりますよ

俺の友達の家は、墓作るのに家紋が必要だからって、
いろいろなお寺や役所を回って
自分の家の職業とかいろいろ探し当てたそうですよ

自分の家のルーツを探すのは、結構楽しそうですよね


845!!!:03/05/21 01:20
5代にひとりは女房の浮気で父親の種でない子どもが家を継いでいるという
統計的に解明されているのです。
難波悠人『血族遷移の統計的研究』という本を調べてみてください。

846茨029:03/05/21 07:55
うちのじーちゃんちは人里はなれた集落の百姓です。
そこにある数軒はすべて苗字が同じ、しかし家紋が2つあります。謎ですが。

言い伝えによると400年程前に落ち武者として逃げ込みそこに代々住んでいる
と言われてきました。(直接聞いたのは祖父明治20年生)
近くに墓があり古い墓石になると文字も読めません。
昭和46年の葬儀は土葬でした。

父は3男で本家から離れ、本籍も移してしまったので
わたしゃ関係ないただのひとですが。^^;

847壬申戸籍:03/05/22 01:52
明治〜昭和初期の戸籍法では戸籍保存期間は五十年。
しかし、保存期間経過後の戸籍簿は、処分されることになっていたが、
処分方法については明記されておらず、昭和40年代まで処分されずに
残っていたケースもある。
また、新戸籍作成などの必要性から副本が作成されており、昭和51年(1976年)に
法務省の命令で回収されたのは、この副本の方が多かったと言われる。
848日本@名無史さん:03/05/22 01:57
役所に行けば分かるのかな?
849茨029:03/05/22 02:29
檀家でしたらお寺行けば家系図があるかもですよ。
うちは真言宗のとあるお寺にあると叔父が確認しました。
850山崎渉:03/05/22 02:36
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
851日本@名無史さん:03/05/22 10:04
http://www26.brinkster.com/archived/viewnews.asp?newsID=92312037945

韓国人に対する研究だが、父系遺伝する遺伝子を調べたところ、遺伝子の系統と
族譜との間に相関が見出せなかったらしい。族譜や家系図には生物的な意義は
少ないということなのかな。
852日本@名無史さん:03/05/22 12:56
族譜が正しくないということ?
853日本@名無史さん:03/05/22 13:16
>>845みたいな事が、どこの国でも当てはまるということなんじゃないかな
854日本史@名無しさん:03/05/23 03:52
ここのスレ読んでて、ついに本日祖父と曽祖父の除籍謄本をとるため
お役所に書類と定額小為替送ってしまった(理由:「先祖調査・先祖供養」で)。

でもうちの場合一箇所に定住している一族じゃないから、曽祖父の本籍地って
全く別都道府県かもしれないのだが・・・(高祖父になるともっと分からない)
855あぼーん:あぼーん
あぼーん
856日本@名無史さん:03/05/23 08:33
実際に先祖調査をはじめると
血族に拘ることが如何に無意味か思い知らされます
857あぼーん:あぼーん
あぼーん
858日本@名無史さん:03/05/23 12:30
実際に先祖調査をはじめると
世界人類皆兄弟という言葉が如何なる意味か思い知らされます
859あぼーん:あぼーん
あぼーん
860あほーん:03/05/24 05:15
あぽーん
861日本@名無史さん:03/05/24 05:26
在日がよく言ってる、混血が良いなんて大ウソ!

日本人の歯並びが悪いのは、在来種と渡来種が混血したせいである。
在来種は小さな歯と小さな顎、渡来種は大きな歯と大きな顎。

歯が在来系、顎が渡来系でも、歯が渡来系、顎が在来系でも、
歯の大きさとそれを受け止める顎の大きさが違うために、前歯の
がたつき、または八重歯が発生しやすくなり、日本人に歯並びの
悪い人が多いのである。

混血はむしろ肉体的に奇形が起こりやすいという良い具体例である。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwik1362/haisha/ha03.html
862にょむお:03/05/24 06:13
で、2行目の根拠を示した論文とかあります?
863にょむお:03/05/27 11:24
無いみたいですね。>>861-863の削除希望
864日本@名無史さん:03/05/28 00:53
【カリスマ】  大室寅之祐  【奇兵隊の足軽】

本当のカリスマについて語ろう!!

865山崎渉:03/05/28 10:42
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
866日本@名無史さん:03/05/28 18:13
867877:03/05/29 15:51
私は知人の司法書士に頼み、
俺36歳(1967〜
父66歳(1937〜
祖父(1908年〜1945年)
曾祖母(1875〜1945年)曾祖父は養子、代代網元
高祖父(1846〜1899年)
その上の母(?〜1887年)その上の父は養子
その上の名前のみまでわかった。
費用は印紙代と郵送料のみでした。

ここから上がわからず父が家系調査の本を購入した
(○○一族という本)
その名前はその町に多い。
明治藩迄家系図が書いてあった。
あとは、墓をみにいったり、本家にいって調べる。
檀家に聞きに行く。ここまでしなきゃつながんないんじゃないかなー。
つながらない時はあきらめるしかあーりません。
ちなみにその一族は一応山城の城主の弟で武士だった。
行き着くところまで行き着くよ。
868877:03/05/29 16:05
ちなみにうちのかみさんも7代前までわかってるよ。まあじいちゃんが90近く
で健在だし、また記録してたからねー。家系図を。また何百年まえの資料もあるそうな。
戦争で焼けなかったらしい
869日本@名無史さん:03/05/30 03:49
>>877?
そんなばななー
870_:03/05/30 03:59
871日本@名無史さん:03/05/30 04:30
goooooogleにて「山城」「城主」「弟」検索
872日本@名無史さん:03/05/30 06:29

朝鮮人は黒い。
黒くて長い。
黒くて長くてノッペラぼうで、まるでヤキイモのよう。
黒目の寄った細いヨリ目、薄いハの字眉。

そう、あれは土人。
ヒラメ土人。
ちょーキモキモ顔の朝鮮ヒラメ土人。

あの顔を見た瞬間に不快指数1000%になる。
そう、あれは人ではない。
差別されてあたりまえの奴隷人種だ。
873日本@名無史さん:03/05/30 15:55
男系は知らんが女系は知ってる

俺(1978〜)会社員  長兄(1964〜)2児の父 教授
母(1940〜)父親養子(父:1935〜)年金生活 会社員
祖母(1899〜1965)祖父養子(祖父1887〜1942)海軍
曾祖父(嘉永?〜1907)生きていればちょうど150歳 農民
高祖父(?〜1866)武士&農民
高祖父の父(生没年不明)名前=〜兵衛

母親、祖母の戸籍でわかった。
874日本@名無史さん:03/05/30 16:15
寺の檀家の過去帳、もしくは写しを見たことある人いますか?

特に本家の人は、さかのぼれると思うんですけど。
それぞれの家によってもちろん違うと思うけど
過去帳でどのくらい前までわかるのかな。
うちは真言宗なんだけど。
875 :03/05/30 22:02
>>874
うちは江戸初期頃まで。
でも、途中から血のつながりがない事が除籍謄本から判明している。
876日本@名無史さん:03/05/30 22:12
故酒井美意子さん(加賀前田家出身)は、
本物のお嬢様の条件として、
「最低10代さかのぼれなければいけない」
と言っていました。
877日本@名無史さん:03/05/30 22:51
>874
寺の過去帳よりも「本家」探して家で保管している過去帳見せてもらう方が早い。
戦争で焼けたとか、何もかも捨てて夜逃げしたとか特殊な事情が無いかぎりは
江戸時代中期くらいまで分かる。

で、「本家」探しはまず戸籍調査から。これで幕末まで遡れる。江戸時代はほとんど
分家できなかったから(大名クラスでも次男以下は部屋住みで一生を終える、一般庶民
は言わずもがな)幕末期の先祖の長男系が「本家」の確立が高い。
878日本@名無史さん:03/05/31 00:07
>>877
江戸時代の分家?
けっこうあるぞ、特に、農民と商人
武士だけだ難しいのは
879日本@名無史さん:03/05/31 00:26
うちも分家でちゃんと土地とかもらったみたいだよ。
豪農で働かないで一生暮らしていたみたいだが。
880廣瀬:03/05/31 03:55
うちは江戸時代当主の名前が初代から8代目まですべて太郎兵衛という名前だがなにか意味があるのだろうか。
881日本@名無史さん:03/05/31 04:00
うちの犬(チワワ)は4代連続で太郎兵衛です
882日本@名無史さん:03/05/31 06:07
>878
農民・商人はたわけ者というわけか。
883日本@名無史さん:03/05/31 06:54
1930、40年代だと
まだ江戸時代生まれの人かなり居たんだよね。
884日本@名無史さん:03/05/31 08:07
ん?
それがどうした?
885日本@名無史さん:03/05/31 12:51
こんな↓ニュースを見つけた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030530-00000156-kyodo-soci
886日本@名無史さん:03/05/31 18:05

★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★


今、チョンと混血すると、上記のくっさい形質がもれなくもらえる!!
887_:03/05/31 18:16
888日本@名無史さん:03/05/31 18:19
5代前は分からないが、みんな朝鮮半島から渡ってきました
百済帝國の尖兵たちです
889日本@名無史さん:03/05/31 19:15
>888
百済はいいんだよ。もし百済が半島統一してたら半島とはよき隣人でいられたんだよ。
新羅みたいなDQN国家が半島に君臨してから半島国家との関係がおかしくなったんだよ。
890日本@名無史さん:03/05/31 20:32
終わりそうで終わらないスレ
891日本@名無史さん:03/05/31 22:54
自慢じゃないけどDQNな家系でつ・・・。

オレ(1987-)通信制高校生(ファーストフードでバイト)
親父(1968-)土方
祖父(1950-)塗装工
曾祖父(1930-)大工 年金生活
高祖父(1909-2002)大工
高祖父の父(1887-1971)漁師
高祖父の祖父(1870-1923)猟師 関東大震災で犠牲
高祖父の曾祖父(1849-1925)下級武士 維新後没落
高祖父の高祖父(1831-1893)名主(ただしすぐに辞職)
高祖父の高祖父の父(1810-1904)?
以降不明

代々長男なので同じ墓。
892日本@名無史さん:03/05/31 23:04
いいな
親父とか祖父とか若い
俺1966生まれ、未だ独身
893日本@名無史さん:03/05/31 23:21
俺の先祖は清和天皇ですが。
894徳川家康:03/05/31 23:28
>>893おぬしもか
895日本@名無史さん:03/06/01 08:41
>>875>>877 レスどうも。
江戸初期から中期ですか。1600年代から1800年代ですか参考になりました。
実は本家に過去帳があることは、親父の葬式のときに親戚に聞いたことがあって
ご先祖様に興味はあるものの、まったく付き合いがないので見せてもらうことなど
は言えないんですよね・・・




896日本@名無史さん:03/06/01 09:38

在日がよく言ってる、混血が良いなんて大ウソ!

日本人の歯並びが悪いのは、在来種と渡来種が混血したせいである。
在来種は小さな歯と小さな顎、渡来種は大きな歯と大きな顎。

歯が在来系、顎が渡来系でも、歯が渡来系、顎が在来系でも、
歯の大きさとそれを受け止める顎の大きさが違うために、前歯の
がたつき、または八重歯が発生しやすくなり、日本人に歯並びの
悪い人が多いのである。

混血はむしろ肉体的に奇形が起こりやすいという良い具体例である。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwik1362/haisha/ha03.html
897日本@名無史さん:03/06/01 13:55
↑コピペにつき削除依頼
898日本@名無史さん:03/06/03 19:36
ゔ〲〰ゔ〲〰
乜勹〰スㄜㄝㄋ

899日本@名無史さん:03/06/03 19:50
獏藁 このスレに全然関係ない事やんか。ピンク版へ逝け。
900日本@名無史さん:03/06/03 20:04
我が家は伊予の国越智家の次男の犬丸虎伴、三男の安丸久光が熊野道から
山の尾根道を通り、京都へ行こうとする途中、高野山の山中に住み着き
代々高野山領を管理していた家です。1300年続き父で37代目です。
関西は旧家どうしで縁組することは今だにあり、奈良、京都には旧家は結構
ありますよ。
901日本@名無史さん:03/06/03 20:05
土井たか子

ああっ、もうダメッ!
ぁあ…ミサイル出るっ、ミサイル出ますうっ!!
ニッ、ニダッ、アンニョンハセヨーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!工作船見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ノドンッ!ジョンイルーーーーーーッッッ…半島ッ!
電波アアアアアアッッッッ!!!!
ハムニダああーーーーっっっ!!!テッ、テポッ、テポドォォォッッ!!!
金日成ッッ!!金正日ッッ、金正男ッッ!!!
おおっ!テポドッ!!マッ、マンッ、マンセッッ!!!テポドン見てぇっ ああっ、もうダメッ!!ハーングックーーーーっっっ!!!
忍耐イッ!限界ッ!忍耐限界忍耐ィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!金正日、こんなにいっぱいミサイル出してるゥゥッ!
謝罪ぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!賠償ォォッッ!!!


902日本@名無史さん:03/06/03 20:42
劇藁 うんこバージョン見たことあるな・・・
903日本@名無史さん:03/06/03 21:50
現在部落民と高貴な家柄の人との婚姻はあるのかな・
904日本@名無史さん:03/06/03 21:58


チョンが人種工作のときに使うネタは、いつも必ず遺伝子ネタ。
なぜなら、



形 質 だ と 異 人 種 で あ る 事 が バ レ バ レ だ か ら





905日本@名無史さん:03/06/03 21:59
恋愛ならあるかも・・
906日本@名無史さん:03/06/04 08:23
>>895
案ずるより生むが安し。付き合い無くても本家が分かってるなら
手紙→電話の手順でお願いしてみると快く見せてくれると思う。

こちらが本家を知ってるなら向こうもこちらを知ってる可能性が高い。
向こうが知らなくても、手紙で「お互いの曾祖父同士が兄弟で・・・」と
簡単な系図も同封すると確認してくれる可能性が高い。

寺の過去帳見せてもらうにしても寺と付き合いのある本家の紹介が必要だし、
それ以前に本家に聞かなければどの寺行ったらいいか分からない。

首尾よく本家に協力を得ることができたら礼状を。正月ごとには年賀状を出して
繋がりを維持しておく。新たな疑問点が出てきたら再び協力を仰ぐ必要も出てくるので。
907日本@名無史さん:03/06/04 12:55
部落問題で母の母の除籍謄本が取れませんでした。

そこで行政書士などに依頼しようと思うのですが

除籍謄本1通あたり800円〜1000円の手数料なのでしょうか?

例えば母の母から、遡れるだけまとめて請求すれば

手数料は1通分でOKなのでしょうか?
908907:03/06/04 13:28
書士への手数料ね。

除籍謄本は750円
909日本@名無史さん:03/06/04 13:39
部落問題で取れなかった?そんなことありえないだろ?
910:03/06/04 14:57
 >>901
 これをやつらにたたきつけたくなった。
911907:03/06/04 15:50
>>909
ありえます
912日本@名無史さん:03/06/04 18:46
部落問題が絡むと直系祖先の戸籍謄本を発行しない役所がある(直系親族の謄本を発行しないのは違法)
一方で、部落問題も無く、プライバシー云々うるさいこと言わない土地柄の所では、本籍さえ分かれば
滅茶苦茶遠縁の傍系親族の戸籍謄本でも発行してくれる役所もある(正当な理由無く(親族関係の確認は
正当な理由にならない)直系以外の謄本発行するのも違法)。
913日本@名無史さん:03/06/04 18:53
>直系祖先の戸籍謄本を発行しない役所がある(直系親族の謄本を発行しないのは違法)

そうだよねえ。違法だよねえ。役所が相手なんだからちゃんと説明して筋を
通したら?泣き寝入りするのは良くないと思う。
ちなみに何県のどこの役場?
914日本@名無史さん:03/06/05 14:40
そんなことより手数料の件。
915あああ:03/06/05 14:54

貼りまくってやっーと月40万円稼いぎましたwww。

参加は無料なので参加してみるだけ参加してください。

自分でリンクを貼るより紹介者を集めた方が効率が良いようです。
紹介者の10%が自分の利益になります。

http://www.adultshoping.com/addclickport.cgi?pid=1052229999

916日本@名無史さん:03/06/05 18:45
>914
「家系図 行政書士」で検索したら、こういう分野に強い
行政書士事務所がいくつも出てくるから自分で問い合わせろ。
917日本@名無史さん:03/06/05 19:11
あなたが探してるのってこれだよね?でも眠れなくなるよ!
http://endou.kir.jp/betu/linkvp/linkvp.html
http://angelers.free-city.net/page003.html
918日本@名無しさん:03/06/06 00:16
ここに来てからみなさまの影響で、いろいろ原戸籍やら除籍謄本やら
郵送で取り寄せました(自分の経験では3役場中3つとも「理由:先祖調査、先祖供養」で
問題なかったです)。以前は「若者が先祖調査なんてジジくさ〜」と恥ずかしくて
できなかったらしい。

で、気づいたのだが、(特に男女を問わず長子)流行病?なんかで未婚のまま
幼少や20代で亡くなってしまってる人が、戦後の除籍謄本では未記載なんて
ことがよくある。
例1)うちの婆ちゃんは戦後の除籍には「・・家三女」とあったが、実際は26で
 未婚で亡くなった長女がいて、厳密には「四女」だった。
例2)うちの父のきょうだいは、18歳で日本脳炎で亡くなった長女を含め、女二人・
 男二人だと思ってたら、古い原戸籍で初めてこの18歳で亡くなった長女のさらに上に
 やはり幼くして亡くなってる?「本当の長女」がいることが分かった。この本当の「長女」の
 戒名などはうちの仏壇や過去帳には記されてない。

・・で、何がいいたいかというと、ちょっとスレがオカルティックになるが、
よく霊能者とかが「あなたは母方の家系に未成仏な仏様が・・云々」なんていうのは
もしかして、こういう「忘れ去られ、若くして亡くなった子」のことじゃあないかな〜
なんて思ったんす。
昔は伝染病がほんとに多かったみたいで、小学生くらいで亡くなってるご先祖様ホント
多いよ〜〜。
919直リン:03/06/06 00:20
920日本@名無史さん:03/06/06 08:21
5代にひとりは女房の浮気で父親の種でない子どもが家を継いでいるという
統計的に解明されているのです。
難波悠人『血族遷移の統計的研究』という本を調べてみてください。
921日本@名無史さん:03/06/06 18:00
>920
母系の先祖をたどる人もいるな。
「家系」を遡る以上に困難だが、生みの母親を遡るので
父系よりは確実に血の繋がりはある。
922日本@名無史さん:03/06/06 21:44
僕のうちの仏壇に木のふだ?があってそれに死んだ年とか名前
とかかいてあるんだけど、一番ふるいのは江戸時代のがあります。
こういうのはあてにならないのでしょうか。
読めない字とかもありますが・・・かなりふるぼけてます。
923日本@名無史さん:03/06/06 21:48
>922
信用度の高い貴重な資料。位牌みたいなもの。
924922:03/06/06 21:58
>923さんどうも。
しかし僕には調べるノウハウもなし字もほとんど読めないのでした。
それになんか気持ちいいものじゃないんですよ。そのふだが。
925日本@名無史さん:03/06/06 22:09
>924
あなたにとって気持ちいいものでないにしても
共通の先祖を持つ親族やあなたの子孫にとっては重要な宝となる
可能性がかなり高い。決して粗末に扱ったり、ましてや捨ててしまったり
することのないように。
926922:03/06/06 22:18
>925さんありがとう。
ぼくの親父はそのふだに赤の色えんぴつで西暦を書いてます!!
なんてことしてくれたんでしょう。
927無料動画直リン:03/06/06 22:20
928日本@名無史さん:03/06/08 16:31
929日本@名無史さん:03/06/12 19:20
200年たったら多分日本史は100%書きかえられるだろう。
930日本@名無史さん:03/06/12 20:47
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
「韓国朝鮮人との混血は日本人の容貌を著しく下げる。」
931日本@名無史さん:03/06/15 11:50
設楽と言う苗字について
932日本@名無史さん:03/06/18 21:24
キユの五代前の先祖は
中島徳博(アストロ球団)
次原隆二(よろしくメカドック)
高橋よしひろ(流れ星銀牙)
他にも、小畑健・北条司・高橋陽一・原哲夫・本宮ひろし等々
系図をみると血統には有名人が腐るほどいるのにねぇ
933日本@名無史さん:03/06/26 03:31
age
934日本@名無史さん:03/06/26 03:33
ひさしぶりにこのすれあがったな。 藁
935日本@名無史さん:03/06/26 04:07
そんなことより俺の赤裸々な私生活を聞いてくれよ、>>1よ.
俺はまず朝は辻希美の舌をチョロチョロ使ったフェラで目覚める。
そして辻希美と小島奈津子に抱きかかえられて風呂へ入る。そしてその二人と
風呂に入り、そのまま激しいファック。ハァハァ。
当然ローションを使ったマットプレイ。バックと騎乗位でズコバコはめまくり。
メシは周富徳に作らせた中華。朝っぱらから油っこい中華。もうビンビン。
で、メシのあとは朝っぱらから酒飲みながら2ch。手は使わず後藤真希と仲間由紀恵に両脇からムギュッと抱えられて
加護亜依がポテトチップを口に運び、加藤あいが上目づかいのフェラ。
そして米倉涼子が口移しで俺にヘネシーと越の寒梅を飲ませる。
昼頃にいったん2chをやめ、「よし、今日はソープでも逝くか」と言うと
辻希美、小島奈津子、後藤真希、仲間由紀恵、加護亜依、加藤あい、米倉涼子が
泣きながら 「イヤイヤ、もっと私を抱いて!私の体を慰めて!」と引き止める。
「うっせーな、今日はソープな気分なんだよ!!」と家を出る。
高級リムジンが待っている。運転手は田代マーシー。
当然、朝からの性行為はすべて覗かせてやっている。それが給料。
車に備え付けのPCで最高級ソープを検索。 直行して5Pする。
帰りに焼き肉屋へ行ってタン塩とレバーと上カルビを死ぬほど食う。
そしてすし屋へ行ってトロとウニだけ食っている頃、女達が迎えに来る。
女達が泣いているので、今日のところは女体盛りは食わないで帰ることにする。
しかし女たちは朝のメンバーとは完全に入れ替わっている。
メンバーは鈴木杏、松浦あや、安部なつみ、石川梨華。
全裸で騎馬を組んで家まで帰る。ワショーイ!
帰ると焼酎で沸かした風呂に入る。入るメンバーは酒井若菜と広末涼子と
真鍋かをり。アナルまで綺麗に舐めさせる。騎乗位で4発発射。
いっさい手をつかわずにさっぱりとして、風呂を出る。
風呂を出ると優香と乙葉に抱きかかえられてPC前に座る。
小一時間ほど毒男を煽って遊ぶ。
遊んでいる最中は飯田香織のバキューームフェラ。顔射。 出たのは粉。
で、吉澤ひとみと井川遥と本上まなみと4Pして寝ると。

936日本@名無史さん:03/06/26 04:34
>>935
どっかのスレにも同じこと書いてあったな〜
関係ない話はヤメレ
937日本@名無史さん:03/06/28 20:48
高祖父の兄弟に、軍隊に行って病死した人がいて
その人のお墓に
君□□縣平民○○△△二男元治元年十二月生・・・と
あった。壬申戸籍を見なくても先祖の身分が「平民」と
わかってしまいました。
938日本@名無史さん:03/06/28 21:32
2代前もわからんわ。祖父知らん
939日本@名無史さん:03/06/29 01:33
>>938
除籍謄本取ってみなYO!
940日本@名無史さん:03/06/29 12:43
役所の営業担当員ですか?
お金払ってまで知りたいと思わんわ
941日本@名無史さん:03/06/29 13:29
>940
なら祖父母の墓参りくらい逝け!
942日本@名無史さん:03/06/29 15:07
墓地の営業担当員ですか?
知ってるなら毎年行っとるわ
943日本@名無史さん:03/06/29 16:13
>942
墓地に立ち入るのに入場料でもとるところがあるのか??
944日本@名無史さん:03/06/29 16:29
そんなことより943よ。
祖父を知らない香具師が墓参りに行けるのかを
先に考えたほうがいいぞ
945日本@名無史さん:03/06/29 17:41
あなたが探してるのってこれだよね?でも眠れなくなるよ!
http://nuts.free-city.net/index.html
946日本@名無史さん:03/07/04 19:50
牛基
947日本@名無史さん:03/07/04 20:43




毎年、約1万組の日韓結婚。
それに伴なう朝鮮化した混血児。
年間、日本の新生児約100万人のうち、
約1〜2万人の新生児に
容赦の無い朝鮮人の血が流し込まれている。




948 (゚◇゚)ノ:03/07/05 13:56
それだけ日本民族が弱いということだよ
949日本@名無史さん:03/07/08 04:00
>>940
だったら来るな!
950日本@名無史さん:03/07/08 15:04
スレタイが「〜わからないよね」なんだからいいじゃん(大爆笑)
951日本@名無史さん:03/07/08 16:36
釣れた!
952ひかる ◆bodgOoQOHA :03/07/08 18:34
うちは薩摩の士族だった、と正直な祖父が言っていました。
士族は明治になって武士階級がなくなった時一部の武士に与えられた階級。
だから僕みたいな人間が生まれたんだなあ。
953日本@名無史さん:03/07/08 18:56
戦前まで、お寺の過去帳があったが、大刀洗の飛行場ごと焼かれたそうな。
鎌倉時代からつづく由緒正しき、どん百姓。
元寇の直後から日蓮宗。水利を握ってたから、氏神さまは天神様だよ。
954ひかる ◆bodgOoQOHA :03/07/08 19:11
>>953

日本の百姓はいい人が多いよ。
955日本@名無史さん:03/07/08 19:33
母方は平安末期からの代々の墓石が残っている。
天皇暗殺計画に関わった人もいたらしい。
父方は関ヶ原直後にまで遡れて、郷土史にも載っているそうだ。
でも今は全くの普通の庶民。

こんな人というか家は多いのではないだろうか?

956日本@名無史さん:03/07/08 20:52
血統の証明なんて戸籍がないとホントわからないよ。正直。よって終了。

特に80になるじいさんが曽祖父の名前を捏造する手口がよくあります。
957日本@名無史さん:03/07/09 01:06
>>956
???
958日本@名無史さん:03/07/09 08:10
>955
結城秀康の嫡流子孫が今は普通の戸建住宅住まいの全くの庶民生活だったりする。
「松平」という名字でも近所の人は全然気にしてない。
明治期以降、資産が徐々に無くなり、戦争で代々の家宝と屋敷が焼けてしまったそうだ。
・・・といっても旧華族(太平洋戦争直後まで伯爵だったかな)には
間違いないので、そういう会合には呼ばれるそうだが。
959日本@名無史さん:03/07/09 15:06
親類が寺院ということもあって天正年間あたりまでなら辿れる。
960日本@名無史さん:03/07/09 15:17
除籍謄本わからんよ。

俺(1983-)大学生

これ以下故人↓
父(1939-2001)建築士
祖父(明治?-1964)銀行員?
曾祖父(江戸時代-?)不明
961日本@名無史さん:03/07/09 15:29
>>960
請求してみたの?
962日本@名無史さん:03/07/09 15:34
したけどどうやら廃棄されてるらしい・・・。
ま、どうでもいいけど。俺も親父も長男じゃないし。
963日本@名無史さん:03/07/09 15:46
祖父が1964年没だと、まだ39年前なのにね?
空襲とかで役所が焼けてしまった、とか
かな?
964日本@名無史さん:03/07/09 16:59
まともに請求してないと思われ(藁
965日本@名無史さん:03/07/09 21:37
そうだよね、普通は請求できるよね。
でも、本人がどうでもいいなら   まっいっか
966日本@名無史さん:03/07/10 04:46
750円あれば数日分の食費に相当するから勿体無いよ。
967日本@名無史さん:03/07/10 15:09
食費を取るか、謄本を取るか
価値観の問題やな。
968@お邪魔します:03/07/13 01:46
今回の大幅な市町村合併でかなりの戸籍が処分されると思う人は?
969日本@名無史さん:03/07/13 01:52
役所のスペースの問題とかで、やはり多少は影響あるでしょうね。
合併しても、出張所とか支所とかで建物が存続する場合は別だけど・・・
ん〜やはり各自治体の事情によるんじゃないかな。
どっちにしても請求するなら今のうちかも。
970日本@名無史さん:03/07/13 01:54
戸籍かよ。
971日本@名無史さん:03/07/13 01:55
>>970
明治以降ですがなにか。
972日本@名無史さん:03/07/13 07:17
戸籍簿は正副を作成し、正を市町村役場で、副を管轄法務局で
保管し、空襲、災害などで片方が毀損したら速やかに毀損した
戸籍を復元する。空襲で焼失してしまって謄本発行できないのは両方同時に
やられた場合なので、東京中心部など大都市中心部の場合が多いが、
三重県名張市など地方部でも両方同時に空襲にあって発行不可になった例もある。

80年経過しても除籍簿から取り除くのは大変面倒な作業なので保管スペースに
余裕が無いなどの場合に限り廃棄される傾向にあったが、最近戸籍簿の電子化が
進み、80年経過したらほぼ自動的に廃棄できるようになり、きっちり80年で廃棄される
傾向がある。電子化が進んで保管スペース問題が解消できるんだから廃棄しない方向に
進んでほしいものなんだが。
973日本@名無史さん:03/07/13 07:29
過去帳も家と寺で保管するから災害にあっても両方同時でないかぎり復元できる。
寺、檀家双方にやる気があれば。
974日本@名無史さん:03/07/13 08:09
◆毎年約1万人も韓国・朝鮮人が大量に帰化しているというのに、
在日の数がほとんど減っていない。(ニューカマー含む)

        1998年   1999年  2000年
在日人口   638,828   636,548  635,269 人

そのうち日韓・日朝結婚が年間約8500組。
年間約1万人のハーフ混血が産まれており、1910年以降から
朝鮮系混血者は既に数百万人に広がり、日本人汚染が続く。
1952年から累計約26万人が帰化。売国奴もどんどん増えていく。

また、不法滞在の韓国人は56000人で外国人で最も多い!

◎外国人帰化数
http://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_minj03.html
975日本@名無史さん:03/07/13 09:32
統計によれば女の20%は浮気して密かに夫以外の子供を生んでいる。
ゆえに、確率的に言って5代前に先祖は不明。
976日本@名無史さん:03/07/13 09:39
>>975
なるほど。説得力のある話だわい。
977日本@名無史さん:03/07/13 11:05
相続税引き下げ、って話がでてるそうですが、これでは実現不可能ッす。
3代前で財産はもうゼロと覚悟してください。政府も国家財政建て直し
のため是非これを押しすすめましょう。残りは貴方の単なる虚栄だけです。
978日本@名無史さん:03/07/13 14:59
地方の方々になると登記簿上の不動産変更手つづきをそのままにされてる人が
多いのです。ために何代にも渡って祖先名義になってる。遺産分割、売却の
際紛糾が生じます。不動産売却、買取などは一回かぎりなら商行為になりませんが
数回にも渡ると、ただ弁護士だけに頼るわけにもゆかない。宅地取引免許のある
人を必要がしょうじます。それこそ江戸時代までさからねば、判定できません。
相当の月数をいろいろの役所にかよwなければ、と宅建士がいってました。
979日本@名無史さん:03/07/13 19:14
>>972
その電子管理がねえ・・・
意外にあっけないんだよ。
例えばテレビ局の古いVTRなどでも大体20年で破棄するからねえ。
レンタルビデオ店の古いAVだって10年で廃棄。(桜樹ルイのビデオなんか今は昔)
CDからDVDに変わるサイクルが20年。ネットの世界で10年。
まあ、古い戸籍は80年電子管理なんてまずありえないと思ったほうがいい。
戸籍が住民票並になるだろう。
曽祖父の住民票(大正時代の)なんてもう存在しないでしょう。笑い
980日本@名無史さん:03/07/13 19:21
>>973
保管していても「紙」の寿命がまたポイント。
この間役所でとった明治20年式戸籍のコピーが実は平成2年に書かれたもの
だと聞いてさあ「えっ?」と思った。
聞いて見たら明治20年に書かれた戸籍は100年以上経過して紙がボロボロになっていた。
だから改めて平成2年に写本したからのこっていたそうだ。良心的な田舎の役場でこうだから、
都会の方の役所は紙がボロになった時点でそんな100年以上前の戸籍なんてすてっちまえとなりそうだね。
981日本@名無史さん:03/07/13 22:43
>>980
ただいま先祖(高祖父の父)の謄本請求中、明日あたり郵送予定だが
紙がボロボロだったら読めるかな〜。
982日本@名無史さん:03/07/13 23:07
現代の紙は経年変化でボロボロになるが
昔の紙は丈夫だ。
983日本@名無史さん:03/07/14 02:36
明治初期の謄本は
役人が達筆すぎて現代人には読めないよ
984日本@名無史さん:03/07/14 07:10
なか、ふみ、とく、かつ
の字が読めなくて、辞書で調べちゃったよ。
985日本@名無史さん:03/07/14 18:11
識字できないほど頭が悪いだけでは?
986日本@名無史さん:03/07/15 03:44
まるでうちのスキャナだな(w
987日本@名無史さん:03/07/15 03:56
じいさんが自分の曽祖父の名前を本当は名無しの小作農なのに「いいほう」
(つまり名家)に家系図を捏造しようとする確率は75%ってガイシュツ??
988日本@名無史さん:03/07/15 04:29
小作農ならまだマシでしょう
うちは水呑だったけど寺の過去帳には名前があるよ

確率に関しては統計取ってないからわからない。
どこのデータ?
989山崎 渉:03/07/15 11:34

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
990日本@名無史さん
age