【初心者】スレッド立てる前に質問をPart11【歓迎】

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1日本@名無史さん
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart10【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104767260/l50
2日本@名無史さん:2005/04/03(日) 12:10:04
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●初心者歓迎:スレッド立てる前に質問を● 
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart10【歓迎】
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3日本@名無史さん:2005/04/03(日) 13:26:23
>>1さん乙彼
4日本@名無史さん:2005/04/03(日) 20:33:16
純友の乱について研究したいのですが、何かいい本はないでしょうか?
兵数や、幹部家臣の名前なぞは分かっているのでありましょうか?
5日本@名無史さん:2005/04/03(日) 20:46:14
王と親王は何が違うんですか?
6日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:03:07
>>5
王は強けりゃ誰でもなれる。
親王は皇室のみ。
7日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:10:53
>>5
王は天皇から三親等以上はなれてる
8日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:11:36
続き
2000万人は死者で泣く死傷者、ちょっとしたけが人も入る。
まぁ、中国では実数はわからないから概数なんだろうけどね
9日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:28:35
源頼政は鎌倉幕府が成立したあとに、祭られたり、追位されたりしたのですか?
10日本@名無史さん:2005/04/04(月) 04:33:31
日本史入門したいのですが、
最初に全体の骨組みをつかむにはどういったものがいいでしょうか?
また、印象的な歴史映像やFlashなどありましたら
お勧めを教えてほしいです。
11日本@名無史さん:2005/04/04(月) 04:54:57
>4
大日本史料
12日本@名無史さん:2005/04/04(月) 05:15:51
話の腰を折ってスンマソン
ちょっと教えて。日本の神話、日本の神々の話、で古大日本から近代現代に掛けて
詳しいスレを教えてちょ。
若干のオカルトでも チョットぐらいなら。
13日本@名無史さん:2005/04/04(月) 08:06:07
>>11
それはどうやったら読めるのでしょうか?
『古事記』や『日本書紀』のように最近、出版とかされていますか?

>>12
★日本神話と朝鮮神話について語れ★
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1111140302/
神武天皇を無視した日本古代史研究に喝だぜ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1107078207/
*三種の神器*
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1045484370/
14日本@名無史さん:2005/04/04(月) 10:01:19
>>12
民俗・神話学板
15日本@名無史さん:2005/04/04(月) 10:16:38
○○の変、○○の乱、○○の改新、○○維新の違いを教えてください。
16日本@名無史さん:2005/04/04(月) 10:30:42
太平洋戦争時の連合艦隊司令長官、山本五十六の死について質問があります。
山本は前線飛行基地を視察する際、部下たちが「もっと護衛の戦闘機の数を増やしてくれ」
と進言していたにも関わらず、それを頑なに拒んだそうですが、まさか自分が狙われているとは思わず、
たかを括ってたんでしょうか?それとも死ぬつもりでわざと護衛を少なくしたんでしょうか?
17日本@名無史さん:2005/04/04(月) 10:55:36
>>5
親王は、天皇から親王宣下がなされて初めて親王になる。
親王宣下がなされない限り、皇族は皆王。
18日本@名無史さん:2005/04/04(月) 11:10:48
>>16
「たかをくくった」という表現は間違い。
大方、狙われることはないだろうし、狙われた場合、どんな警護でも無理だろうと思ったのでは?
19日本@名無史さん:2005/04/04(月) 12:34:48
20日本@名無史さん:2005/04/04(月) 14:40:18
質問です、
信長が、義昭を京から追放して、足利幕府が滅びた、とありますが、
足利義輝が京から追放されたり、足利義稙や足利義晴が京から追放されても、足利幕府滅亡と呼ばないのはなぜですか?
21日本@名無史さん:2005/04/04(月) 15:30:02
次があったから
22日本@名無史さん:2005/04/04(月) 19:29:26
>>20
義昭以外の時には将軍は不在でも幕府の機関そのものは存続していたから。
2316:2005/04/04(月) 19:40:54
>>18
なるほど・・・確かに上空で狙われたらそれを防ぐのはいくら守備隊が多くても
難しいですもんね。答えていただきどうもありがとうございました。
24日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:57:41
age
25日本@名無史さん:2005/04/08(金) 05:40:55
信長は、軍事的天才ではなかったというのが、現在の定説ですが、それでは信長はどうやって天下統一の一歩手前まで、勝ち続けることができたのでしょう?
ある本には、信長は常に敵よりも圧倒的な兵力で戦をしたから勝ちつづけることができたとありますが、その圧倒的な兵力を維持するお金はどうしたのでしょう?
26日本@名無史さん:2005/04/08(金) 07:27:17
 仮の話なんですが太平洋戦争末期(宮崎上陸の予定だったらしいですが)鹿児島で薩摩隼人と米軍が地上戦やったら
どうなってたでしょうか?想像できる範囲でかまわないのですが・・・。
27日本@名無史さん:2005/04/08(金) 11:10:23
>>25
桶狭間の合戦は、敵の今川勢よりも兵力が少なかったが?

>>26
沖縄と変わらん。
28日本@名無史さん:2005/04/08(金) 12:11:23
信長は桶狭間以降全部兵力上だよ。
29日本@名無史さん:2005/04/08(金) 13:16:02
手違いで今川本陣に突撃してしまったのがトラウマになったのかな
30日本@名無史さん:2005/04/08(金) 15:23:36
>>27何故沖縄と変わらんのですか?士気も地形も全然違うと思いますが。
31日本@名無史さん:2005/04/08(金) 15:39:12
>>28
天王寺合戦はどうした?
質問スレではデタラメ語るのはやめい。
信長は当然ながら優勢な兵力を集めてから戦をしたのが殆どだが、
当てはまらないケースも当然ある。
32日本@名無史さん:2005/04/08(金) 15:40:21
正規軍による戦闘を前提とするなら地形に意味のある差はない
圧倒的な物量差の前には士気なんて無関係
33日本@名無史さん:2005/04/08(金) 15:50:55
駄目だこりゃ・・・・
34日本@名無史さん:2005/04/08(金) 16:18:23
細川家嫡流を「京兆家」というのは何故なんですか?
35日本@名無史さん:2005/04/08(金) 16:58:17
右京太夫(唐名で京兆)だから
36日本@名無史さん:2005/04/08(金) 17:03:12
>>33
2ちゃんに何を期待してたんだ?(笑)
37日本@名無史さん:2005/04/08(金) 18:09:33
天王寺合戦の数字なんてうさんくせぇのを鵜呑みにしてるのかよ
38日本@名無史さん:2005/04/08(金) 18:57:33
>>37
そんなこと言い出せば、遺伝子調査をしない日本史なんて……
39日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:48:31
>>25
寄せ集めの傭兵・与力制度を積極的に取り入れたから
”人数だけは”集まっていた。
あと金っていうかバックには美濃尾張の肥沃な土地ね。
40日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:19:38
つかぬことを伺いますけど、源頼朝さんの姓は何ていうの?

41日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:32:41
>40
蛭ヶ小島頼朝です。
4240:2005/04/09(土) 00:36:50
え?
43日本@名無史さん:2005/04/09(土) 00:40:17
>>40
朝臣
44日本@名無史さん:2005/04/09(土) 02:37:50
>>41>>42
ハゲシクワロタ
45日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:35:51
日本人が桜を愛でるようになったのは最近と聞きましたが、それはなぜですか?
何がきっかけでここまで春と言えば桜になったのでしょうか?
そして、梅や桃が廃れていった理由はなんでしょうか?
46日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:28:45
>>45
最近と言っても、花見の歴史は300年ぐらいあるんだが?
47日本@名無史さん:2005/04/09(土) 18:36:04
>>32
沖縄にしろ宮崎にしろ上陸を敵軍に許している時点で深刻だとは思わないか?
48日本@名無史さん:2005/04/09(土) 20:37:03
沖縄県の子供も他県と同じような日本史の教育を受けるんですか?
49日本@名無史さん:2005/04/09(土) 21:11:11
ベトナムで戦った兵士とか、前線に送られる兵士とかによく何かを飲まさせていた
というのを聞きます。なにを飲ませていたんですか?
50日本@名無史さん:2005/04/09(土) 21:35:12
マルチでスマソ
鎌倉時代の地頭って、御家人でなくてもなれたの?
51日本@名無史さん:2005/04/09(土) 21:47:35
>>49
板違い
52日本@名無史さん:2005/04/09(土) 22:03:36
幕末社会全体の文化動向としては,このときにはすでに〈国学の勝利〉
のほうが決定的なものになっており,また尊王攘夷の勢いのほうが
日増しに強くなり,サクラに関する科学的真理になどだれも耳を貸さなく
なっていた。誤報=誤伝に端緒づけられた〈サクラ日本原産説〉
〈サクラ国民性論〉は,明治近代ナショナリズムに受け継がれることとなった。
53日本@名無史さん:2005/04/09(土) 22:14:27
後期倭寇(水軍)で大名家に臣従しなかったもの(国人)の末路はどうなったの?

天草の乱を小規模にしたような反乱はあったのかな
54日本@名無史さん:2005/04/09(土) 22:14:43
>>46
歴史があるのはわかるけど、じゃあ桃見や梅見が廃れて桜見だけがもてはされてるのはなぜ?
55日本@名無史さん:2005/04/09(土) 22:17:57
2chではよく朝鮮半島の捏造の歴史をネタにしています。
その一方で捏造の歴史を語ってきた半島がご先祖様を大切にしてきちんと父系を
守っているのに対して、日本は簡単に先祖を偽ったり系図を偽ったりしてきた
歴史があるのはなぜですか?
56日本@名無史さん:2005/04/09(土) 22:42:31
>>49
コカインをはじめとする麻薬。
新兵が人を殺すことに対して恐怖を覚えたため。
57日本@名無史さん:2005/04/10(日) 02:35:33
>52
私は安吾を読みました。って感じのレスだね。
文章を省略しすぎで何が言いたいのか読んでもワカラン(苦笑

“明治近代ナショナリズム”とやらを敷衍するために
日本中に植えられた染井吉野は日本産だよ。
58日本@名無史さん:2005/04/10(日) 02:42:41
電通の策略とかそういう明確な理由があるんでしょ、桜信仰は。
なんで世の中桜信者になったかは知らんけど。

このスレ、基本的に無知ばかりだから誰も明確な答えはしてくれないよ。
59日本@名無史さん:2005/04/10(日) 03:15:22
58が無知なのはその短い文章だけでもよく分かったw
60日本@名無史さん:2005/04/10(日) 11:42:23
59のような馬鹿が無知じゃないって言われたくなかったら、的確な回答がない過去のレスに
全部答えてやるんだな。何も答えられない癖に。
61日本@名無史さん:2005/04/10(日) 11:59:14
桜信仰が電通の策略なら、電通が江戸から存在していたということか。すげぇな。
62日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:15:34
>>61
読解力ねぇなあ。
電通の策略「とか」って例えだろう。
何かしらの大きな事情があって桜に傾倒したんだろうなってものの例えで
現在の電通の影響力を挙げているだけでしょ。
58の2行目をよく読め。
なんで桜がもてはやされるか知らないって明言してるだろう。
63日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:20:28
否、問題はそこじゃなくて、染井吉野という桜を日本中に植樹したのは
政府の国策だという話をしている最中に、時代背景を全く無視して
何処かから電波を受信した某が根拠も無しに妄想を語りはじめて
暴れだしているとこではないかと。。。
64日本@名無史さん:2005/04/10(日) 13:07:45
>>63
問題がそこじゃないなら、なんで61はわざわざ電通云々であげあし取ろうとしてるわけ?
自分の読解力の無さを露呈しているだけじゃん。

無知だって言われた事がそんなに悔しいのか、ここの住人は?
言われたくなかったら、ちゃんと全ての質問に律儀に答えてやるんだな。
放置されている質問はいくらでもあるぞ。
6563:2005/04/10(日) 13:15:25
漏れは61では無いのだが。。。
坊や、高校までの教養としての歴史には君の言う明確な解答が用意されているけど
学問としての歴史は蓋然性で語るものなんだよ。
つまり君がごねている理屈は正に君が言うところの「無知」の証左な訳。
ご理解いただけると嬉しいのだが。


ちなみに君が答えろと要求している質問は何?
66日本@名無史さん:2005/04/10(日) 14:04:37
邪馬台国が西都原(宮崎県西都市)である証拠。

1、地名の語末に『都』という文字を使うのは、実際に首都であった場合に限られる。
 類例、京『都』、東京『都』、神武建国の伊『都』国。宇『都』宮のような音借とは違う。
 西都の「西」、方位の事ではなく、西洲(九州)という固有名の地の都という意味。
 (日向地方は九州島の東海岸沿いにあり矛盾するから。)
2、日向地方は冬も温暖。真東に海がある。原文(倭人伝)に沿わせるとこうなる。
3、三角縁神獣鏡も出土。(半島や中国から1枚も出土しないので鏡は純国産。)
4、西都のオサホ塚はもともと九州で一番大きな円墳で卑弥呼の墓だから黒板勝美が
  尻尾をつけて墓を捏造。さらに柵で囲って現在宮内庁が管理。そのため発掘させてくれない。
  9割以上が手付かずらしい。発掘調査の実施を強く宮内庁に要求したい。
5、九州で一番規模のでかい古墳群遺跡は西都原である。規模のてんからいってもここが
  邪馬台国の跡としてふさわしい。さらにシャーマニズムの卑弥呼とも思わせる斎殿原跡が存在。
  これだけ大規模な遺跡であるから長岡京や藤原京の場所は特定できるのに、同じく古都であった
邪馬台国(大国)の所在が特定できないのは不可思議な話。政治的意図(半島からやってきた天皇
および天皇制)による政府の組織的隠蔽工作が行われたと思量する。これに加担する畿内説信者は
不快である。
6、神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。その日向地方の中心地は「西都原」。
7、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)日向地方は九州で一番人口密度が高かった。
  人間の生活痕跡である遺跡の数がその証拠である。

朝鮮総督府修史委員会の「黒板を中心とする焚書」は畿内説による歴史改竄でオサホ塚に
後方部をつける改修であり好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も同一の歴史改竄。
記紀による天皇家の出自も改竄で、現実は神武も卑弥呼も朝鮮半島からきた。
これらの隠蔽行為によって邪馬台国の所在は不明とされている。
西都原の発掘調査が行われれば一気に論争も解決するだろう。
67日本@名無史さん:2005/04/10(日) 15:00:43
なんで、室町時代に、徳政令を出したんですか?
今みたいにずっと借りつづけてればよかったと思うんだけど。
68日本@名無史さん:2005/04/10(日) 15:48:52
>好太王碑文の改竄
中国と北鮮の合同調査で改竄の形跡は無いと結論づけされたが、
それを否定する根拠は?
69日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:52:34
歴史研究者としての徳仁氏の経歴、実績について教えて下さい。
70日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:56:59
>>68
それは一番大きい、向こうとしては日本帝国主義者による改竄が証明できなかった事が残念なのだから…。
71日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:23:08
>>67
借金のカタを取り返す
72日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:31:44
>>71
取り返すために、
できるだけ穏便な方法を選んだらそれだったのかな?
別スレで、それに怒った金貸しが、その後利息を上げたから、
不況になった?というのがあったから、それでも、怒りや不信は相当買ったんでしょうか。
ていうことは、国家よりも、金貸しの方が強かったんですかね。
ばしばし、金を刷って、金貸しから買い上げたら、やっぱり、その後、不況なんだろうし。
73日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:35:34
利息を上げた対象は国家ではなく、他の民人に対してです。
74日本@名無史さん:2005/04/10(日) 22:09:07
>67
万葉集に「あきかえし(商返し)」という言葉がありこれは徳政令のことです。
このことから天平年間以前にも徳政令というのは実行されていたのであろうことが想像されます。
平成の世では外国人にも徳政令が適用されております(苦笑
7540:2005/04/11(月) 21:53:24
あのう、そろそろ源頼朝の姓を教えてもらえませんか・・・
76日本@名無史さん:2005/04/11(月) 21:55:14
>75
姓は源氏じゃん。
名字は知らないけど。
77日本@名無史さん:2005/04/11(月) 22:23:36
>>75
キミは藤原道長の姓も知りたいかい?
78日本@名無史さん:2005/04/11(月) 22:34:38
田沼意知が、家督もついでいないのに、なぜ高官の若年寄になれたのでしょうか?
父の権勢だけでしょうか?
過去にこのような事例はあるのでしょうか?
79日本@名無史さん:2005/04/12(火) 08:29:11
さっきtbsで柳条湖事件や盧溝橋事件も日本軍から仕掛けたのが明らかになったのに
日本の教科書はそこらへんを明記していないと言っていましたが、事実ですか?
2chは嘘ばかりの世界なんですね。
正直、前の大戦も日本は被害者だと思ってました。
80日本@名無史さん:2005/04/12(火) 09:53:11
>>78
 2CHの書き込みに誤りが多いのは事実だが、それを非難する前に
2CHであれTVであれ自分で情報の確度を確認する努力を身に着けたらどうかね。
81日本@名無史さん:2005/04/12(火) 10:04:07
>>79
柳条湖事件と第一次上海事変は日本が仕掛けた。
盧溝橋事件はまず違う。
82日本@名無史さん:2005/04/12(火) 12:25:51
殉死について質問したいのですが、なぜ家光が亡くなった時だけ、5人も殉死者がでたのでしょうか?
しかも堀田阿部といった幕府の高官の名前もあり、驚かされます。さらに殉死した彼らに殉死する者も
もでて、その数は合計二十数名に達したそうです。
まあこんだけ亡くなればその後保科正之が殉死を禁じたのもわかる気がします。
家光以前の将軍について調べてみると、秀忠には一人殉死者がいたそうですが、家康に至ってははゼ
ロ。(検索で「家康に殉死」、「秀忠に殉死」で調べただけなので、実際は違うかもしれません」)
なぜ家光の時だけ、こんなにも殉死者がでたのか理解できません。
殉死した彼らは、本当に忠誠心のみから殉死したのでしょうか?なにか他に理由はないのでしょうか?
83日本@名無史さん:2005/04/12(火) 12:57:43
>>81
同意見、但し日本側の一部に盧溝橋事件を内心歓迎している奴がいたのも間違いない。
(日中双方に不満のマグマは蓄積されていたから)
84日本@名無史さん:2005/04/12(火) 13:21:02
>>82
例に挙がっている徳川家光への殉死の場合
老中・堀田正盛は家光の愛人だった。そのため慣例的に殉死せざるを得なかった。
また、
戦国時代と異なり、戦争の無くなった江戸時代には、戦で生死をかけて奉公すると言った見せ場が無くなり、
そのために主君の死と共に後追い自殺をする殉死が流行ったと思われる。
戦国時代に生まれ育った家康、秀忠には殉死がなく、家光に殉死者が出たのはそれが原因と考えられる。

しかし、保科正之ら儒教的観点を強く出す施政の方向によって殉死は禁止の方向に進む。
が、江戸から離れた藩(特に九州の外様の大藩)では殉死をするものがそれでも多かったらしい。

殉死に関しては『切腹』『武士と世間』(山本博文著)の一読をとりあえずお薦めする
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334031994/250-3577860-7554666
85日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:38:42
>>79
2chは勉強するところではないよw
バカウヨの話を真に受けてたんじゃないのw?
86日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:58:26
堀田正盛は家光の愛人だった。

マジ????
87日本@名無史さん:2005/04/12(火) 18:16:10
すいませんが、石高について教えてください。
例えば、300.246815とあった場合、300石2斗4升6合8勺1才となるのはわかっているんですが、一番下の5の単位がわかりません。
一体、何でしょうか?
教えてください、ヨロシクお願いします。
88日本@名無史さん:2005/04/12(火) 18:49:26
>>86
大変残念ですが(w)マジネタです
史料に明言はされていませんが、諸般の状況証拠によりほぼ確定と考えて良いかと。

くわしくは『遊びをする将軍 踊る大名』(これも山本博文著)に書いてあります
89日本@名無史さん:2005/04/12(火) 19:09:50
そうかぁ。盧溝橋も柳条湖も日本から仕掛けたものだったのか。
もう、2chの右翼には騙されないぞ。
これで今回の中国の反日デモの味方が変わった。
90日本@名無史さん:2005/04/12(火) 19:19:32
>>89
盧溝橋は違うつってんだろうが
史ねカスが
91日本@名無史さん:2005/04/12(火) 19:22:49
盧溝橋事件が違うってのもどうせ捏造でしょ。
92日本@名無史さん:2005/04/12(火) 19:38:59
>>91
じゃあ、捏造だという証明をして呉れ給え。
93日本@名無史さん:2005/04/12(火) 19:42:19
もうほっとけ
89読んだらどういう人間かわかるだろう
94日本@名無史さん:2005/04/12(火) 19:51:18
>>89は恐らく支那人
95日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:05:44
>>92
盧溝橋が違って柳条湖が日本からの仕掛けって証拠は?
96日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:29:45
何時から此処は釣堀になったんだ?
97日本@名無史さん:2005/04/12(火) 21:13:37
むしろ、盧溝橋での問題の下痢ぴ〜兵士のその後の方が気にならないか?
98日本@名無史さん:2005/04/12(火) 21:31:13
>>95
柳条湖は関係者が証言してる
99日本@名無史さん:2005/04/12(火) 21:53:41
>>96
前々スレあたりから嫌に三国関係のコピペやら煽りやらおおくね?
そして釣られる奴も多くね?
100日本@名無史さん:2005/04/12(火) 21:53:54
>>96
2ちゃんなんて、昔っから釣り堀ですよ(笑)
101日本@名無史さん:2005/04/12(火) 22:03:44
盧溝橋での謎の銃声に演習中の現地日本軍は反応
政府は最大限に利用
102日本@名無史さん:2005/04/12(火) 22:18:05
つまり、入れ食いなのでは無くて全部自作自演だと?>99
103日本@名無史さん:2005/04/12(火) 22:24:11
>>98
じゃあ、盧溝橋は証言がないだけで、これも日本からの仕掛けだって可能性が高いわけだね。
104日本@名無史さん:2005/04/13(水) 16:18:30
「バンヤづとめ」ってどんなことする人ですか?
そもそもバンヤって何?
105日本@名無史さん:2005/04/13(水) 16:23:48
>>104
おそらく「番屋」ではないのか
後は図書館で調べたほうが
(実はぐぐったがカレー屋とか居酒屋がヒットするのでw)
106日本@名無史さん:2005/04/13(水) 16:24:56
>>79から、なんか荒れるようになった。

>>103 なんでそんな風な考え方になるの?
107日本@名無史さん:2005/04/13(水) 16:32:12
>>106
日本人はうまれついての犯罪者だから
108日本@名無史さん:2005/04/13(水) 16:41:20
と朝鮮人が申しております。
109日本@名無史さん:2005/04/13(水) 16:49:01
>>105 ありがとうございます、図書館を調べてみます
110日本@名無史さん:2005/04/13(水) 16:58:01
桶狭間の戦いは奇襲作戦ではなく、長篠の戦の3段撃ちは創作で圧倒的な兵力で勝ったというのが現在の定説みたいですが、
そうすると、信長は天才ではなく、あの時期に、圧倒的な兵力を維持できる豊かな美濃尾張地方を支配できれば誰でも、天下統一ができたという風に考えてしまったのですが、
信長という人はどういう人物だったのでしょう?
信長のすごかった点、他の人より優れていた点というのは何でしょう?
111蘆溝橋事件1:2005/04/13(水) 17:13:21
1937年7月7日夜、北京南西郊の蘆溝橋付近で、演習中の華北駐屯日本軍一木大隊の中隊に対して、十数発の射撃がなされたことを契機に、日本軍と冀察政権第29軍との衝突に発展した事件。
日華事変の発端となった事件として知られる。
最初の十数発の射撃が、日本軍の謀略か抗日勢力によるものかは不明とされている。
9日未明には一応現地で停戦が成立した。
しかし、当初不拡大方針を声明した第1次近衛内閣は11日3個師団の動員を決定、軍部内でも、拡大派と不拡大派が激しく対立するなど矛盾をはらみつつ戦線は次第に拡大、
112蘆溝橋事件2:2005/04/13(水) 17:15:50
28日の北京、天津総攻撃の開始をもって全面的な戦争に突入した。
中国側ではこれを契機に第2次国共合作がなり、抗日の機運が高まった。
113柳条溝事件1:2005/04/13(水) 17:28:06
1931年9月18日夜、奉天北部の柳条溝で南満州鉄道の線路が小爆破された事件で、これが満州事変の発端となった。
爆破したのは奉天独立守備隊の河本中尉らで、満州での兵力行使の口実をつくるための関東軍の謀略であった。
関東軍はこの爆破を当時北伐に呼応して抗日の色を濃くしていた奉天軍閥張学良軍によるものとして、「全線全関東軍出動、奉天軍攻撃」の命令を発し、張学良軍の宿営する北大営を砲撃した。
そのうえ、朝鮮軍が満州に越境進撃するなど、たちまち全満州に軍事行動が拡大した。
114柳条溝事件2:2005/04/13(水) 17:32:03
日本政府は当初不拡大方針を決めたが、のちに関東軍による既成事実を追認し、悪弊の因をつくった。
柳条溝事件の現場には、国際連盟からリットン調査団が派遣されて「リットン報告書」が作成され、日本は国際的にも孤立していった。
115日本@名無史さん:2005/04/13(水) 17:35:14
天才は戦場指揮官限定か?
116日本@名無史さん:2005/04/13(水) 19:51:43
「桶狭間の戦いは奇襲ではなく正面からの強襲」
運も味方したであろうとはいえ、
数的に不利な状況で強襲のほうがよっぽど難しいと思うが。
117日本@名無史さん:2005/04/13(水) 20:01:56
 最初の桶狭間以降常に優勢で戦い(条件が整わない戦いを避ける事を含め)。、
天下統一にあと一歩まで行ったのなら、それこそ軍略の天才かと。
118日本@名無史さん:2005/04/13(水) 20:39:04
台湾と朝鮮は内地?外地?植民地?
どれが最も相応しいでしょう?
119日本@名無史さん:2005/04/13(水) 20:41:23
江濃越一和
120日本@名無史さん:2005/04/14(木) 11:37:25
江戸時代、藩主の悪政に苦しんで江戸へ直訴する農民の話ってちらほら聞く
んだけど、「直訴は御法度、家族全員処罰」っていうのは何故なんだろう?
ぐぐってみても処罰される理由が見つからなかった。
悪い殿様に苦しんでいます、って訴え出るのはそんなに悪いこと?処罰対象者
が訴えた者とその妻、というならわかるけど、子供も全員っていうのはあまり
にも重いんじゃないかと。その直訴で領民が助かった、死んだ人を今でも祀って
いますっていう話も聞くけど、直訴通って民が助かったんなら、何故それをそ
こまで重く処罰するの?誰か詳しい方教えてくだされ。

子供の頃読んで凹んだ『ベロ出しチョンマ』をこの年になってもっぺん読み返し
てみて、3歳の子供を含めて家族全員磔の部分だけ、未だに納得いかないんですわ。
121日本@名無史さん:2005/04/14(木) 13:38:48
江戸時代は連帯責任が原則。
家族どころか、家主や町主なども処罰されることもある。

あと、百姓が殿へ声をかけるなどもってのほか。
122日本@名無史さん:2005/04/14(木) 14:08:48
>>121
d
小さい子供まで含めて全員処罰ってのは随分厳しいんだね。
でも他の領民が助かった、ってことは結局直訴は通ったってことでしょ?
殿様に声をかけることそのものは厳罰だけど、言った内容はそれでもきちんと
吟味されたってことなのかな?
123日本@名無史さん:2005/04/14(木) 16:53:07
>>118
植民地
124日本@名無史さん:2005/04/14(木) 16:54:10
直訴は罪にならない。
強訴が罪になるだけ。
嘘のような本当の話。
125日本@名無史さん:2005/04/14(木) 17:44:44

ほっとくと、アメリカみたいな濫訴社会になるからな
126日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:36:51
 旧宮家から養子云々という話がありますが宮家自体は男系が維持されてるんでしょうか?
127日本@名無史さん:2005/04/15(金) 04:01:13
戦国時代の合戦中、人を斬って使い物にならなくなった刀は、捨てるのでしょうか?
そして、死体から刀を奪って戦い続けるのでしょうか?
128日本@名無史さん:2005/04/15(金) 04:04:31
>>127使うだろ!鍬かなんかになってお宅の倉庫に眠ってるかもよ。釘かも!
129日本@名無史さん:2005/04/15(金) 07:47:46
ここの人たちは、今のハングル板は好きですか?
130日本@名無史さん:2005/04/15(金) 08:33:22
坂本竜馬を殺したのは誰ですか?
候補をいくつか教えてください。
131日本@名無史さん:2005/04/15(金) 08:50:22
手引きしたのは中岡慎太郎
殺したのは今井伸郎
中岡慎太郎は龍馬の身体を引っつかみ、自分ごと斬らせる道を選んだ
132日本@名無史さん:2005/04/15(金) 09:43:55
>>128
ありがとうございます。
ということは、使えなくなった刀は捨てていくということで認識してよろしいのでしょうか?
133日本@名無史さん:2005/04/15(金) 10:57:26
捨てて惜しくないなら捨てるし、もったいないと思うなら取っとくだろ。
つか刀よりまず槍を使う。
134日本@名無史さん:2005/04/15(金) 11:03:22
>>133
ありがとうございます。
135日本@名無史さん:2005/04/15(金) 16:11:38
>>124
正規の手続きに基づいたものは処罰されない。
だが、その手続きが実際にあるかどうかは別問題。
なければ違法手段と分かっていても取るしかない。
136日本@名無史さん:2005/04/15(金) 21:52:40
>>135
強訴でなければ、処罰されてないみたいよ
越訴でもOK
義人伝説は後世の創作らしい
137日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:21:54
神護寺に残されている『源頼朝像』が本当は足利直義のものである、
という話を毎日新聞で読みました。
「頼朝のものではないことは、動かしがたい事実となってきた」
と書かれていますが、この説は認められつつあるのでしょうか?
138日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:46:39
花形敬の実家の花形家について詳細ギボン
139日本@名無史さん:2005/04/17(日) 02:12:03
神護寺の『源頼朝像』を似絵と言ってきた時点で間違いだった。
似絵とは、顔や目鼻立ちなどの特徴を捉えて描いたものをいい、
頼朝像のような写実性の描写とは元々異なるもの。頂像の系譜を引くものと考えるべきもの。
140日本@名無史さん:2005/04/17(日) 03:24:31
藤原純友はなぜ、乱を起こしたのでしょうか?
141日本@名無史さん:2005/04/17(日) 04:09:49
>>127
残された屏風絵などをみると、鎌倉や室町の頃は二本以上の刀を
携帯している武士の姿が描かれている。槍の出現には諸説あるが、
九州の菊池氏による菊池槍が原型ともいわれている。
武器としての殺傷力が高いので、戦国時代は主武器になった。
刀はあくまでも補助的な武器であり、槍がダメになったら刀、
刀がダメになったら脇差しと、基本的には武器は消耗品だった。

大将や位の高いものは、象徴的な意味で銘刀を持っていたが、
ほとんどの兵にとってはあくまでも消耗品。
甲冑組み討ちの武芸が発達したのも、相手を組み伏せたり、武器がなくなった時の最終手段。
吉川英治の宮本武蔵の中で、戦場の鎧とかをはぐシーンがあるでしょ。
合戦が終わった後で、近隣の農民などが残った具足や武器など、
使えそうな物ははぎ取って転売したし、折れた刀や槍、鏃などは
村の小鍛治が打ち直して再利用した。
142日本@名無史さん:2005/04/17(日) 07:00:26
ところで宮本武蔵は巌流島に木刀以外の武器も携行していたのでしょうか?
もし仮に佐々木小次郎側が事前に情報をつかんで木刀対策も考慮に入れた
甲冑を装備していたら、相当 泥試合になっていたと思うのですが。
143日本@名無史さん:2005/04/17(日) 10:26:28
>>142
小次郎は70代のヨボヨボの爺だから問題ない。
144日本@名無史さん:2005/04/17(日) 12:31:07
敗北を抱きしめて を読んだんですが、終戦〜サンフランシスコ条約あたりまでの民衆文化に関してより理解を深められる本があれば教えてください。
145日本@名無史さん:2005/04/17(日) 20:38:18
本日4/17(日)は<<Leaf・Key>><<三国志・戦国>><<娘(鳩)>>の投票日です!

●投票の仕方(※コード取得に手間取ってるようです。早目に!)
1:コード発行所にてコード取得(コードは当日限り有効)
  http://tiger513.maido3.com/~bs6000/2ch/
2:現行投票スレに投下(一斉時はこのスレにて告知)
  http://etc3.2ch.net/vote/

投票例↓
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320 名前:清き一票@名無しさん :**/**/** 20:00:00 ID:********
  [[2ch**-********-**]](←最初の行に投票コードを貼る)
  <<三国志・戦国>>板に一票。
  (以下数行のコメント等記入を推奨)
--------------------------------------------------------------
・コードは一行目に正確に記入して下さい(コピーアンドペースト推奨)
・板名は正式名称での記入を強く推奨します。
・即無効とはなりませんがコメント等の記入を推奨します。
146日本@名無史さん:2005/04/18(月) 12:51:16
奥羽列藩同盟が担いだ東武皇帝の東武って国号?帝の名じゃないですよね。
147日本@名無史さん:2005/04/18(月) 17:07:53
6〜7世紀、日本にイスラム教が伝わってきたようですが、歴史書で確認できる日本人で一番最初のイスラム教徒は、一体いつの時代のなんという人なんでしょうか?
148日本@名無史さん:2005/04/18(月) 17:33:25
明治時代の山岡光太郎
149日本@名無史さん:2005/04/18(月) 18:25:09
日本は文化的に、朝鮮からどれくらい影響を
うけたのですか?
150日本@名無史さん:2005/04/18(月) 21:48:38
>>136
多くの藩法に影響を与えた明律では越訴は禁じられた筈だが…。
151日本@名無史さん:2005/04/19(火) 10:05:32
江戸の武家屋敷って板塀ですか土塀ですか?
152日本@名無史さん:2005/04/19(火) 18:09:21
平安時代とか鎌倉時代とか江戸時代という時代区分の名称は誰がいつ付けたの?
153日本@名無史さん:2005/04/19(火) 18:21:28
徳川家斉の子だくさん押し付け計画の犠牲になった大名家はどのくらいですか?
蜂須賀とか岡山池田も嫡流はそこで入れ替わったのですよね?

御三家は水戸が懸命に断って斉昭になったとききました(いいのかわるいのか・・)
154日本@名無史さん:2005/04/19(火) 20:03:55
>>153
全部はフォローできてないと思うが
参考になると思われ
ttp://nekhet.ddo.jp/people/japan/tokugawa01.html#ienari
155日本@名無史さん:2005/04/19(火) 21:33:57
156日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:26:07
>越訴
近世では,訴訟の法に定められた順序を乱す違法な直訴(じきそ)のさまざまな
方法を広く指す言葉となった。武士・公家から庶民に至るまで,一方では私的な
争論を禁じ,他方では順を踏まない越訴を禁じて,訴訟の制度にもとづき大小の
紛争を解決するというのが江戸幕府のたてまえであったが,実際には越訴は根絶
できず,それへの対処も変化した。
百姓一揆の多くは,単独か少数あるいは多数の農民の越訴行為であった。1603年
(慶長8)に徳川家康が定めた郷村掟(ごうそんおきて)では,直訴を原則として禁
じたが,代官が不当であるときは特別に認めた。実際には農民の領主に対する直訴
は止まず,また手続を踏んだ訴訟もふえた。
33年(寛永10)に幕府は訴訟手続を制度化したが,反面で直訴は全面的に禁止した。
しかし,村役人が村の利益を代表して越訴することは17世紀の百姓一揆の特徴
となり,18世紀にはいると惣百姓が直接に集団で越訴する強訴(ごうそ)が増加する。
157日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:34:13
>>149
特に鉄作りや、仏教・儒教、灌漑工事、ため池
158日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:53:17
東京の桜の開花を報じるテレビニュースを見ていたら、「靖国神社の標本木」という表現が繰り返されていました。
「靖国」と「桜」となると、引き上げ体験者のわたしはどうしても軍歌、軍国主義を連想してしまいます。
どうして、東京の桜の標本木が、靖国神社の桜でなければいけないのでしょう。
中国や朝鮮半島との間が現在のような状況にあるときに、テレビニュースで「靖国」と「桜」を繰り返す神経が理解できません。
何らかの意図があってのことじゃないかと、疑心が起こってきます。
159日本@名無史さん:2005/04/19(火) 23:02:08
日本の製鉄のはじまりは5世紀後半と推定される製錬滓(潤崎遺跡)が出土しているので、
6世紀とする考古学上の通説よりはもっと遡るものと思われる。
ともあれ日本へ最初に製鉄技術をもたらしたのは帯方郡の漢人遺民とみなすことができる。
製鉄炉の形式が当時の朝鮮半島では竪形炉が主流であったことにたいして、
日本へ伝播したのは各地域とも箱形炉であることからも朝鮮の影響はあまりなかったようである。

百済では384年の仏教伝来後、本格的な寺院文化の展開を見せるのは6世紀半ばからであり、
この150年間に建立された寺院は約50寺、対して日本は6世紀半ばに仏教を取り入れてから
数十年後に本格寺院や大型金銅仏を建立し、その後100年間で530ほどの寺院を建立した。
少なくともいえることは、朝鮮半島の三国に円熟した絢爛豪華な仏教文化が栄えていて、
その成果がどっと日本に押し寄せてきたのではない、ということである。
朝鮮は仏教を伝えたというが、寺院建立の数からみると単に仏教は朝鮮半島を通り過ぎただけ
とも言える。
160日本@名無史さん:2005/04/19(火) 23:04:23
>>158
ここは日本史板です。
板違い。
161日本@名無史さん:2005/04/19(火) 23:49:50
>どうして、東京の桜の標本木が、靖国神社の桜でなければいけないのでしょう。

天文・気象
http://science3.2ch.net/sky/

らへんだろ
162日本@名無史さん:2005/04/20(水) 01:02:55
日本・韓国・中国の参加国で作った歴史副教材の日本人執筆者を教えてください。
代表は大日方教授と笠原教授ですよね?
163日本@名無史さん:2005/04/20(水) 13:17:18
>どうして、東京の桜の標本木が、靖国神社の桜

単に中心で近いから、他意はないと気象庁は言っていた
164日本@名無史さん:2005/04/20(水) 14:10:50
広隆寺の国宝1号の半跏菩薩像は半島製?
165日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:07:32
近代で天皇をさす言葉は「御上」と「聖上」(せいじょう、でいいいですよね?)
のほかにありますか?
166日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:25:40
韓国大統領だった朴正熙は、どんな日本名を名乗っていたんでしょうか?
また、日本軍将校だったようですが、いったいどの階級で、どんなことをしていたのでしょうか?
167日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:30:34
168日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:33:25
>>165
せいじょう、でいいいですよ。
他にも「天子(様)」とか、「今上(きんじょう=当代の天皇)」とか。
婉曲に「畏こき(かしこき)あたり」なんてのも使いますね。
169日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:42:47
>>157 >>159
ありがとうございます
170日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:55:41
>>167
すいません。自分はケータイからで、そのサイトを見ることができませんでした。
もしよろしければ、コピペしていただけないでしょうか?
171日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:56:18
172日本@名無史さん:2005/04/20(水) 22:18:33
>>170
高木正雄(木村正雄説もあり)、のち改名して岡本実。
大邱師範学校卒業、教師をした後、満州・新京軍官学校を首席で卒業、日本へ留学。1944年に日本の陸軍士官学校を卒業。終戦時は満州国軍中尉
173日本@名無史さん:2005/04/20(水) 22:42:13
>>172
ありがとうございます。
174日本@名無史さん:2005/04/21(木) 18:01:33
朝日新聞で大学教授が、江戸時代、東北地方はやませや冷害で、人口が減少し、
逆に九州地方では、米麦の二毛作やサツマイモの栽培が始まり、人口が増加した。
そのため、現在の日本人は江戸時代以前よりも東北人の割合が減って九州人の割合が増えた、という話が書いてあったのですが、
本当ですか?

もし本当なら、幕末、薩長土肥など、西国の藩が力を持ったことと関係があるのでしょうか?
175日本@名無史さん:2005/04/22(金) 19:05:41
眼に青葉 山ホトトギス 初鰹
って誰が詠んだ句ですか?
176日本@名無史さん:2005/04/22(金) 21:24:49
江戸時代の刺青を入れられた犯罪を教えてください。
島送りだけでしょうか?
また、いくつほど刺青の種類はあったのでしょうか?
177日本@名無史さん:2005/04/22(金) 21:28:39
山口素堂
甲州白州教来石山口(現北杜市)の人と言われている。甲府魚町で酒造業を営んでいたが、
向学心に燃えて家督を弟にゆずり江戸に出て、漢学を林春斎に学ぶ。
芭蕉とは2歳ほど年上だが、相互に信頼しあって兄弟のような交わりをした。
儒学・書道・漢詩・能楽・和歌にも通じた教養人であった。名は信章<しんしょう>、通称は勘兵衛。
俳号素仙堂・其日庵・来雪・松子・蓮池翁など多数。子晋・公商は字。
趣味も多彩で、蓮を好んだことから「蓮池翁」などと呼ばれた。75歳で死去。
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/whoswho/sodoh.htm
178日本@名無史さん:2005/04/22(金) 21:29:27
>175
>177
179日本@名無史さん:2005/04/23(土) 10:29:45
>>176
額に「犬」とやる刺青もある。
180日本@名無史さん:2005/04/23(土) 14:19:05
日本と元(蒙古)が元寇の後に国交回復(貿易)したのはいつですか?
足利尊氏が元と貿易したのは知っています。
181日本@名無史さん:2005/04/23(土) 18:19:49
元寇後の日元貿易はあくまで民間レベルの交易(尊氏の天竜寺船も含めて)で、政府間関係は遣唐使の廃止以後義満の勘合貿易まで断絶している。
182日本@名無史さん:2005/04/24(日) 18:52:32
日本史では東条英機らはA級戦犯で死刑になったけど
実際のところ死刑になってもおかしくない人物だったんでしょうか?
183日本@名無史さん:2005/04/24(日) 19:40:28
明治維新前、薩摩の人間と会津の人間はお互いに訛りが酷くて
言葉が通じなかったと聞いたんですが、本当ですか?
そういった逸話がなにか史料に残っているんですか?
184日本@名無史さん:2005/04/24(日) 22:27:07
源平時代の戦闘とはどんなものだったのでしょうか?
教科書等には、たいてい、「一騎打ち」と書いてありますが、
戦乱の時代である以上、軍隊として何かしらの作戦・戦術が確立していたと思うのですが。

それについて記述のある著作あるいはウェブサイトも紹介してくれるとありがたいです。
185日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:23:16
>それについて記述のある著作

岩波文庫版『平治物語』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/9333/hei.html
186日本@名無史さん:2005/04/25(月) 00:01:18
>>182
敗軍の将は死ぬ運命にあるもんだ。

>>183
普通に(方言で)話をして通じると思うかい?
187日本@名無史さん:2005/04/25(月) 10:47:46
>>183
鹿児島のじいさんばあさんが方言フル稼働で話すと、
現代でも何言ってるか全然理解できない。
江戸時代は知らんけど、
それ以前では和歌やら謡曲やらの言い回しを使ってコミュニケーションを取ったケースを聞く。
188日本@名無史さん:2005/04/25(月) 11:43:19
伊達政宗の倅・秀宗が板島(現在の愛媛県宇和島市)十万石を授けられ、入国したのが元和元年(1615)3月15日――。
それ以来、半世紀ほどは城下町に幾人かの通詞を置いていたと、当地の歴史書は語る。
189日本@名無史さん:2005/04/26(火) 08:39:30 BE:52412827-
19世紀末、日本は日清戦争に勝利し、台湾の統治権を得ました。これ以後約50年間、
台湾は日本の植民地となりました。日本の統治に対して、当初は台湾住民の抵抗が強く、
約5年間続いた紛争では、1万人以上の台湾人が戦死したり虐殺されたりしました。
台湾人は、二等国民とされ、日本人などと差別されました

これは事実ですか?
なぜ日本の教科書には台湾人虐殺の事実が載ってないのですか?
190日本@名無史さん:2005/04/26(火) 09:28:00
>>189
おおよそ一万人死んだことは事実だよ。
だが戦闘行為で人が死ぬのは当然のことだろう。
日本政府に反抗した者を投獄などはしたようだがそれを理由に死刑に処されたものはいない。
民間人を殺す兵士はいたかもしれないぐらいの想像はできるが、
それをもって日本軍の虐殺と言うかね?
あるいは戦闘の渦中で民間人が死ぬことを虐殺と言うのかね?
書き方に恣意的なものが感じられるね。
教科書に虐殺などと書かないのは当然。

併合した朝鮮人は日本人として扱われたのに比して、
植民地である台湾人は二等国民として扱われたのも事実。
当時としては普通のこと。
色々書きたいがキリが無いのでこの辺で。
191日本@名無史さん:2005/04/26(火) 10:31:56
日本人が外国人を一人でも殺せば大虐殺。状況や数を問題にすることは許されない。
中国人が数万人殺すのは大義に基づく行為なので、これは絶対に問題にしてはいけない。
韓国人がベトナム戦争で虐殺したことを認めた韓国人は売国奴。謝罪も賠償も必要無いというのが韓国マスコミの見解。
192日本@名無史さん:2005/04/26(火) 10:50:45
>>190
189じゃないんだけど、
>植民地である台湾人は二等国民として扱われたのも事実。
これって本当?
日本の植民地支配は全部属地主義でやってるんだと思ってたよ。
193日本@名無史さん:2005/04/26(火) 11:41:25
>>190
地元民が歓迎してないのを無理矢理支配したようとしたんだから理由付けても殺しは殺しでしょ。
それに日本統治後の反抗に対する抑圧なんだから戦闘行為じゃないでしょ。
それに戦闘行為だとしてもその中で民間人が殺されたのを正当化しようとか教科書に載せないってのは解せないよな。
殺しは殺し、一般市民を虐殺したんだよ。
天安門事件の鎮圧のために罪もない自国の市民を殺した中国と同じだよ。
194日本@名無史さん:2005/04/26(火) 11:45:57
>>193
お前面白いな
195日本@名無史さん:2005/04/26(火) 11:50:59
>>191
何言ってるの?中国や韓国の事なんて関係ないんだよ。
日本が虐殺をしたかどうかでしょ。事実を事実と認めないで教科書にも載せないで
ひた隠して何が民主国家なわけ?虐殺って言葉が嫌なら使わなければいい。
でも、台湾人を1万人殺しましたって事実は事実でしょ。
殺すって表現も嫌なら、統治の過程で台湾人が1万人死んじゃいましたでいいじゃん。

中国や韓国が内政干渉で日本の教科書に口を出すのとは別の問題。
中国や韓国がやってないからうちも虚偽の教科書を作りますって問題じゃないんだよ。
世界中の教科書が史実を書かなければ日本も史実を教科書に載せませんよって言うわけ?
196日本@名無史さん:2005/04/26(火) 11:51:55
>>194
反論できないからってくだらないレスで茶化すなよ。
197日本@名無史さん:2005/04/26(火) 12:08:13
今日的な倫理で批判される過去の行為を教科書に記述して自国民に周知している国は日本だけ。
これはこれとして特に論評するつもりは漏れには無い。

スレを荒らすのが目的の馬鹿の相手をしてもしょうがないと思う。
198日本@名無史さん:2005/04/26(火) 12:12:30
デモとゲリラの区別もつかないのか?
199日本@名無史さん:2005/04/26(火) 12:24:57
初心者質問スレを個人の主義主張の場と勘違いしている香具師に
そんな高等な議論が可能だと思うか?>>198
200日本@名無史さん:2005/04/26(火) 13:28:40
>>192
ウソ、外地住民も含め帝国住民は全て日本臣民。
201日本@名無史さん:2005/04/26(火) 13:43:56
法律上の日本人=日本臣民は外地民を包括する概念で
「台湾人」が日本人に含まれなかったり、対立する概念であるかのように言うのは
明白な事実誤認。

ちなみに法令上は台湾に本籍を有する日本人は本島人と
称せられた。

202日本@名無史さん:2005/04/26(火) 14:19:42
反抗する島民を武力で鎮圧したぐらいの表現だったら教科書に書いてあるね。

その是非については>>195よ。ここは質問スレ。
議論がしたければ他にスレがあるだろうから行きなさい。
相手してくれる人はいくらでもいるだろう。

>>200
んー190の書き方は大雑把過ぎるが、
台湾人は権利、義務が限定されているんじゃないかな。
二等国民という言葉はそれを指して俗に使われていたのだろう。
例えば台湾人は朝鮮人と違って徴兵の義務が無い。
1942年から陸軍特別志願兵の募集があり、志願の形でのみ軍への入隊が許可された。
しかし日本人か、日本人ではないのかと言ったら日本人だな。
203日本@名無史さん:2005/04/26(火) 14:26:49
まあ質問スレが2つ立ってるのは、
次スレの時なんとかしたほうがよいと思うのだが。
204日本@名無史さん:2005/04/26(火) 14:43:49
>>202
44年9月に台湾にも徴兵制が施行されてるけど?
朝鮮に徴兵制が施行されたのも43年8月からなので一年違いでしかない。
205日本@名無史さん:2005/04/26(火) 15:05:12
ヒント:戦況
206日本@名無史さん:2005/04/26(火) 15:32:07
選挙権・被選挙権
朝鮮アリ
台湾ナシ
207日本@名無史さん:2005/04/26(火) 16:34:24
>>183
187に補足しておくと、昔から日本は琵琶法師や太平記語りが各地を巡回して、
角付けなんかをしていたから、方言の格差ははなはだしかったが、ある程度の
教養がある人間はそういった謡の節に合わせた言い回しを、標準語のかわりに
借用していた。明治維新では薩摩の人間は浪曲の言い回しを使ったとか。

竹本義太夫は元禄の頃にすでに名古屋の大須などで興行を打っていたりしていて、
わりと早い時期からそういった芸能は全国的な興行をやっていたのがわかる。
歌舞伎役者なども江戸・大坂以外に地方巡業をよくやっているしね。
言葉がまったくわからないと、そういうわけにもいかんでしょ。義太夫や
歌舞伎なんかの誇張された言い回しは、地方の人間にも理解できる言葉だったわけだ。

吉村昭の『島抜け』などを読むとわかるが、江戸時代後半だと義太夫や講釈師が
地方にドサ回りをしているし、地元の趣味陣がそういう芸人を呼んでの会とか、
わりと頻繁に開いている。「島抜け」は大坂の講釈師が島流しになった種子島から
島抜けした実話だが、脱走後の紆余曲折の後、九州で講釈をして路銀を稼いでいたようだし、
小説とはいえ吉村先生の考証や資料収集はしっかりしているので、実際にそうだったんだろうね。
208日本@名無史さん:2005/04/26(火) 17:44:31
>>206
間違い。朝鮮台湾の住民に選挙権が付与されたのはともに
1945年4月1日の衆院議員選挙法改正から。
209日本@名無史さん:2005/04/26(火) 20:40:31
今、東京書籍の日本史Bで復習してるんですが、
弥生人は「紀元前4世紀頃、おもに朝鮮半島南部から渡来してきた。」と断言されているのですが
これは正しい認識なんでしょうか?
210日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:28:17
追記
朝鮮で選挙が実施されたことは一度もなかった。
やったとしても、制限選挙で、在朝鮮日本人がうかる予定だったそうな
211日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:54:42
まぁ当選者はともかく、その時代は本来の日本人に対しても制限選挙だからな。
212日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:18:13
ひどいな、これじゃあ過去の侵略を美化している教科書ではないとか言えないよな。
213日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:35:40
>>211
1925年普選開始
214日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:57:07
内地在住の朝鮮人には参政権あったから、
東京の選挙区から当選した人がいたな。
215日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:59:11
戦前の在日には参政権があった
 朝鮮の歴史で意外と知られていないのが、戦前の内地(日本本国内)に住む朝鮮人には日本人と同じように参政権があったことです。
1920年の衆議院選挙では、所定の納税者(租税3円以上)の朝鮮人が選挙権を行使しています。
そして1925年には普通選挙法が成立し、納税とは関係なく選挙権・被選挙権が与えられることになりました。
朴春琴は1932年から42年までに実施された四回の衆議院議員選挙に東京4区で立候補し、うち32年と37年の二回当選しています。
在日では他に何名かが立候補していますが、落選となっています。なお地方議会議員選挙でも立候補した在日はかなりの数にのぼり、当選も少なくありません。

ハングル投票が認められていた
さらに選挙では有権者はハングルで投票することが認められていました。
1930(昭和5)年1月31日に内務省法令審議会はハングルの投票を有効としたのです。
ハングル投票が予想される選挙区の投票管理者には、諺文字(ハングルのこと)書が配布されました。
植民地の文字が宗主国の選挙で使用を認められたのは、世界植民地史上おそらく唯一ではないかと思います。

参政権では差別がなかった
朝鮮や台湾という植民地(当時は外地と呼ばれていました)に居住する者は、日本人でも参政権はありませんでした。
日本人も朝鮮・台湾人も内地に住む者だけに参政権があったということです。
つまり参政権において内外地の差別はありましたが、日本人と植民地人との間には同じ大日本帝国臣民として差別はなかったということです。
これはまた、在日も帝国臣民として運命を同じくした時代であったと言うことができます。
216日本@名無史さん:2005/04/27(水) 04:35:36
>>215
ええ?
ハングルって日韓併合後に日本が普及させたってよく右翼が言ってるじゃん。
わずか10数年でそこまでハングルが定着したの?
217日本@名無史さん:2005/04/27(水) 11:11:57
そりゃハングルは表音文字なんだから20年もあればそれくらいできるんじゃねーの?
「小泉純一郎」を「こいずみじゅんいちろう」と書いて投票しても有効だってのと同じことだろ
218日本@名無史さん:2005/04/27(水) 11:25:06
植民地朝鮮の学校体系においては教授用語は日本語であって
朝鮮語はあくまで非国語、外国語的な位置づけ。
つまり日本語が出来ず朝鮮語しかできない、諺文で投票するような人は
日本の学校体系とは無関係なところで諺文を習得したと思われる。
219日本@名無史さん:2005/04/27(水) 11:26:27
>>216
捏造とか言いたいわけ?w
李朝時代、ハングルは両班階級から「婦女子」の言葉と蔑まれ、普及しなかったが、
春香伝というラブロマンスや洪吉童伝など多くの小説がハングルで書かれており、
「ある程度は」普及していたことも確か。
そうした基盤があったからこそ、日韓併合(1910)以前の甲午改革(1894)以後普及させやすかった。
要するに、差別されてたハングルに日の目を見させたのは総督府だけども、
識字層にはある程度使える人がいた。文字の読めない大多数の教育に使ったということ。
それは良いことではあったけども、単なる善意ではない必要に迫られたからされた施策でもある。
単に美化しすぎな奴とやたら軽視する奴がいるだけでしょ。


220日本@名無史さん:2005/04/27(水) 11:32:44
秀吉の子孫って今もいるんでしょうか?

秀頼の娘が夏の陣の後も生きてたらしいですが
221日本@名無史さん:2005/04/27(水) 11:57:18
>>220
秀頼の娘は、徳川幕府の命により出家させられて尼になりました。
「天秀尼」と名乗っております。
その後鎌倉の東慶寺の住職となりますが37歳でなくなっています。
一生独身でした。
ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/sonota/s-tiyohime.html

天秀尼には異母兄の国松がいましたが、
大阪夏の陣の跡直ちに徳川幕府によって捜索の手が入り、見つかって処刑されました。
ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/sonota/s-kunimatu.html

で、公式にはこれをもって豊臣家の血統は断絶とされています
が、先に述べた処刑された秀頼の息子は実は替え玉で
本当の息子は北政所の一族・木下家(日出藩主)に匿われて生き延びたという説もあります。
ttp://www3.coara.or.jp/~primrose/tateisi01.html
222日本@名無史さん:2005/04/27(水) 13:19:39
>参政権では差別がなかった

とまでは言い切れんよ。単に属地主義なだけ。
朝鮮は憲法も通用しない天皇直轄の総督府の武力統治の土地
参政権がないのに徴兵はあった
223日本@名無史さん:2005/04/27(水) 13:39:23
植民地学校はあまりハングル普及に寄与しなかった
就学率が低いし、就学率が上がったころはハングル教育をやめて
日本語教育に専念していた

東亜日報主催の文盲追放運動などの方が効果は大きかった
224日本@名無史さん:2005/04/27(水) 14:21:22
ご時世のせいか韓国ネタに占拠され気味なので誘導

創氏改名で韓国朝鮮問題at河合塾
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1094893112/l50
225日本@名無史さん:2005/04/27(水) 14:24:43
>>1
専門的な質問は各分野のスレでより詳しい説明がもらえるかもしれません。
とあるが、必ずしも同板とは限らんよね。他の板のスレでもいい。
226日本@名無史さん:2005/04/27(水) 14:43:58
「朝鮮とその隣邦」著者:イギリスの女性旅行家 イザベラ・ルーシー・ビショップ  1897年
朝鮮人は、自分に固有のハングル文字を軽蔑して、中国文字である漢字のみをただひたすら尊重するおかしな国民である。
政府の公文書はもちろん、普通の手紙にも、会話の間にも努めて中国文を模倣して使用し国粋というべき語学上
もっとも発達したハングルは婦人と子供と、下層階級が使用するものときめ込んでいる。


日韓併合の翌年の1911(明治44)年から、総督府によって朝鮮教育令が施行され、初、中、高等1894学校で朝鮮人、日本人の生徒の区別なく、ハングルを必修科目とすることに決められた。
227日本@名無史さん:2005/04/27(水) 19:12:50
>>222
徴兵は属人主義で、参政権は属地主義だよ。
内地人は帝国内のどこに住もうが本籍地の連隊に徴兵されたが
外地人はどこに住もうが徴兵されなかった。

内地人でも外地人でも内地に住めば参政権を行使できたが
外地に住むとできなかった。
228日本@名無史さん:2005/04/27(水) 19:15:54
これを持って帝国には外地人への差別(不利益処分)は
無かったという向きもあるが
外地に住んでいる圧倒的多数の市民は外地人である以上
事実上外地人への差別と言ってよかろう。
229日本@名無史さん:2005/04/27(水) 19:44:42
意見開陳、議論は別スレでどうぞ。
スレッドレイプも大概にせいよ低脳ども。
230日本@名無史さん:2005/04/27(水) 19:46:30
>>226
ハングルを必修科目にして普及させようとした意図がわかんね。
日本語のみでいいじゃん。しかも日本人にまで。
単なる後付の美化じゃね?
231日本@名無史さん:2005/04/27(水) 21:00:35
>>230
ハングルは途中から選択制で実質停止され、
途中から日本語教育が始まってるヨン
232日本@名無史さん:2005/04/27(水) 21:32:56
選択制→実質停止
ソース韓国国定教科書つまり妄想
233日本@名無史さん:2005/04/27(水) 22:17:19
江戸時代、各藩の隠居は江戸にいる者、国許にいる者と両方いますが、
本人の意思が尊重されるのですか?
234日本@名無史さん:2005/04/27(水) 23:04:06
>>232
1938年 3月 4日 朝鮮教育令改正、朝鮮語の授業必須からはずす
1941年 3月31日 国民学校規定改正、朝鮮語の授業全廃
235日本@名無史さん:2005/04/27(水) 23:39:02
日本統治時代に朝鮮語は抹殺され、日本語が強制されたと批判する声が強い。
しかし実際は、そうすることを熱心に提唱した朝鮮人がいたのである。
玄永燮(日本名天野道夫)は、自分の著書『朝鮮人の進むべき道』(1938)の中に「朝鮮語僕滅論」を書いている。
その一節――
〈朝鮮人は、朝鮮語を忘れてしまわなければならない。朝鮮人が日本語でものを考えた時こそ、朝鮮人が最も
幸福になった時である。…われわれは頭のてっぺんから足の爪先まで日本人なのである。
…学校で朝鮮語を教える必要は毫もない。朝鮮人を不幸にしようとするならば、朝鮮語を永続させて、朝鮮的な
低級な文化を与え、それ以上の発展を阻止することである〉


玄永燮・朴煕道(「三・一独立運動」時の民族代表の一人)等が南次郎:第九代朝鮮総督に、
「朝鮮語使用の全廃」を提起した際に南総督はむしろ極力反対したことが記録に残っている。
236日本@名無史さん:2005/04/28(木) 01:42:25
>>231
途中で廃止されたのは理解できたけど、同化政策をすすめる日本が
わざわざ廃止されるまではハングルを普及させようとしていた意図は?
237日本@名無史さん:2005/04/28(木) 01:57:39
燕山君(在位1494〜1506)の時のことです。彼は李朝第十代の国王ですが、暴君として悪名高く、その横暴を誹謗した文書がハングルで書かれていたために、それを教えることも学ぶことも禁止したのです。
またハングル本およびハングルによる訳文も集めて焚書することを命じ、ハングルを使用した者も、それを告発しない者も、厳しく処罰しています。
1506年以前に書かれたハングル本がない所以です。

日清戦争のあと下関条約が結ばれて初めて朝鮮は独立国となり、1894年には公文書の漢文が廃止され、漢字とハングルをまぜた国漢文混用体が使われ雑誌や教科書もこれにならいます。
さらに、純ハングル体による言文一致の運動も起こっています。
238日本@名無史さん:2005/04/28(木) 12:13:26
>>236
普及させようとしたほど熱心だったわけではない
単なる国語の授業、他教科は日本語だからね
あと、同化政策は日中戦争期から本格化
239日本@名無史さん:2005/04/28(木) 12:44:57
英語版wikiを読んでて不思議に思ったこと。

三国干渉は日本への”友情のこもった忠告”となってるんですが
本当にそういう性質のものだったんでしょうか?
単に日本を押さえ込みたかっただけと思っていたんですが…
240日本@名無史さん:2005/04/28(木) 13:39:54
白人クラブへ入会するためのチップってとこかな
241日本@名無史さん:2005/04/28(木) 16:13:53
何で大正からは改元した日からがその元号になるのに
明治以前は改元した日からでなく、その年の元旦まで遡ってその元号になるんですか?
例えば明治なら1868年9月8日に明治に改元されるのに、その日から明治ではなく
1968年元旦から明治になるのは何でですか?
242日本@名無史さん:2005/04/28(木) 22:18:30
>>238
サンクス
243日本@名無史さん:2005/04/29(金) 08:35:40
 
244日本@名無史さん:2005/04/29(金) 11:31:51
>>241
は? 1868年9月8日以前は慶応4年だろう。
まあ、一般には旧年号と新年号が両方出てくるとややこしいから出版物とかでは新年号で統一するケースもあるが、それはあくまで便宜上のことであって現実の歴史の反映ではない。
245日本@名無史さん:2005/04/29(金) 14:55:19
大学受験板かどちらかに書こうか迷ったのですが、こちらで質問します。
大学に行って戦史を勉強したいです。どこの大学なら勉強できますか?
246日本@名無史さん:2005/04/29(金) 16:31:54
247日本@名無史さん:2005/04/29(金) 17:14:16
>>244
そうですよね・・・そうですよね・・・そうですよね・・・
ありがと
248日本@名無史さん:2005/04/29(金) 19:22:38
他の板でも質問したのですが、まだレスがないのでここでも質問させて頂きます。

叙和西堂語りていわく〜

から始まる史料名教えてください。
PCはないし、教科書・参考書が今手元になくて調べられません
249245:2005/04/29(金) 22:56:37
>>246
答えてくれてありがとうございます。でも、一般の大学で勉強するところはありませんか?
当方、体力に自信が無いので防衛大は少し無理っぽいです。
250日本@名無史さん:2005/04/29(金) 23:14:12
>>240
分かったような分からないような…とにかくありがとうございました。
251日本@名無史さん:2005/04/30(土) 20:26:48
 吉川英治の「新平家物語」では清盛が20前後のころはえらくビンボーだったように
描かれていますが、実際はどうだったのでしょう? 親父の忠盛は受領としていわゆる
温国を歴任してますから、それなりの生活をしていたのだと思うのですが。
252日本@名無史さん:2005/04/30(土) 22:34:42
「憲政の常道と新体制運動について論述せよ。」
この問題を解くのに役に立つHPなどがあったら教えてください。
ググったのですがいまいちわかりにくくて・・・
もしよろしければ答えを考えてくださいませ。ちなみに2000字以上です。
それでは、よろしくお願いしますm(_ _)m
253日本@名無史さん:2005/04/30(土) 22:45:30
>>251
それなりと、漏れも思うが・・・
254日本@名無史さん:2005/04/30(土) 23:02:45
>248
『傷寒論』?
255日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:03:03
東条英機って選挙で当選したのですか?もしそうだとしたら選挙区はどこ?
256日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:05:15
戦前の内閣総理大臣は議員である必要はないです。
257日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:07:24
>>256

なるほど。では所属政党はどこだったのですか?大政翼賛会ってのはなしね。
258日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:15:33
政党員である必要もないです。
259日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:28:29
>>258

では近衛内閣が総辞職した時、一体誰がどうやって首班指名→組閣を
したのですか?
260日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:51:33
>>259
重臣の推薦(このときは内大臣・木戸幸一が代行)によって天皇が任じた。
大日本帝国憲法では、総理大臣以下全国務大臣は天皇の直接任命だったので議員よりも官僚や軍の高官からの任命の方が普通だった。
国務大臣は総理大臣の推薦で天皇が任命する。現在の憲法と違って総理大臣には国務大臣の直接任免権がなかったため、総理大臣が国務大臣と対立した場合には国政がストップしてしまい最悪そのまま総辞職に追い込まれた。
261日本@名無史さん:2005/05/01(日) 17:52:56
では、って何だ?
誰が指名してると思ってたんだ?
262日本@名無史さん:2005/05/01(日) 18:08:34
>>260

なるほど。と、いうことは実質的に「重臣」が決めていた訳か。
「重臣」が馬鹿だとどうにもならないことになりますな。
226の青年将校の気持ちがちょっと理解できた。THX
263日本@名無史さん:2005/05/02(月) 08:00:11
戦国武将って、刀より槍を使う人の方が多かったですよねぇ。
それに実際『日本号』とか、名槍というのもありますよねぇ。
でも侍の象徴というのは、『槍』ではなくて『刀』になってる。
……なんででしょ?
264日本@名無史さん:2005/05/02(月) 08:38:22
>>263
 江戸時代の実際の合戦から離れた精神主義から。
265日本@名無史さん:2005/05/02(月) 10:56:19
刀は戦無くても常時携行できるし。
266日本@名無史さん:2005/05/02(月) 12:40:06
鎌倉時代の地頭についての質問なんですが、
地頭は、もともと別の荘官(もしくは在庁官人)がいたところにも置いたと聞いたんですが
その場合農民は別々に年貢を納めたのですか?
あと、承久の乱などで没収された土地はだれが領家となったのですか?
267日本@名無史さん:2005/05/02(月) 13:29:08
相楽総三の写真や肖像画をさがしているんですが
調べ方が悪いのか見当たりません
そういったものはどのように探せば効率的なのでしょうか
268日本@名無史さん:2005/05/02(月) 16:59:12
すいませんが、大砲を造ろうと思っているのですが、どうすればいいんでしょうか?
269日本@名無史さん:2005/05/02(月) 17:02:20
>>268 とりあえず警察に相談しな。
270日本@名無史さん:2005/05/02(月) 21:19:12
読んでいた本に「従父兄弟」「従祖父」という言葉があったのですが、
読み方も意味もさっぱりわかりません。誰か教えてください。
271日本@名無史さん:2005/05/02(月) 21:26:55
第六天魔王の第六天って、
何ですか?
272日本@名無史さん:2005/05/02(月) 21:38:41
神道では6番目の天神、榊の大神
仏法では他化自在天
あと、6番目の世界、欲界・現世を指すという説もあるらすぃ
273日本@名無史さん :2005/05/02(月) 21:48:28
貧窮問答歌の頃はなぜそんなに農民の生活が苦しくなっていたんでしょうか?
274日本@名無史さん:2005/05/02(月) 22:58:30
>>270
前者はいわゆる「いとこ」。Aさんから見て、Aさんの父親の兄弟姉妹の息子を指す。
後者はいわゆる「おおおじ」。Aさんから見て、Aさんの祖父母の兄弟を指す。
275日本@名無史さん:2005/05/02(月) 22:59:47
>>273
フィクションです
276日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:36:39
織田信忠ってあまり話題にならないんですが、武将としていかがなんでしょうか?
また、彼のことを描いた小説とかないでしょうか?
277日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:48:14
立花京子がかなり高く評価していたような・・・
只、この女史ちょっちアレだから言っていることが全て事実だとは思い込まないでね>276
278日本@名無史さん:2005/05/03(火) 10:34:10
279日本@名無史さん:2005/05/03(火) 12:17:03
>>273
公民の負担が多かった、というか中国のマネで日本の実態に合っていなかった
私有民のほうが楽だった
280日本@名無史さん:2005/05/03(火) 16:46:08
江戸時代の大名は隠居したら国許でも、江戸でも好きなほうに住んでいいの?
281日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:11:42
予想だが、普通は国許じゃないか?
282日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:48:05
基本的に江戸のはず。
確か吉宗が竹姫を島津に押し付けたときの条件のひとつに、隠居が国許に
もどることがあった。あと、島津重豪も隠居後ずっと江戸住まいだった。
283日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:48:43
柳沢信鴻は隠居後江戸住まいじゃなかったかな
284日本@名無史さん:2005/05/04(水) 23:39:58
宇和島伊達家は、国許だな。
285日本@名無史さん:2005/05/05(木) 08:28:13
日本史、世界史に共通するようなテーマのスレは
この板に立てるべきですか、世界史板ですか
286日本@名無史さん:2005/05/05(木) 08:30:45
285ですけど、たとえば水道史
江戸の神田上水や玉川上水、近代の東京水道、ローマ水道もありなら
287日本@名無史さん:2005/05/05(木) 12:26:51
応仁の乱以後、大半の貴族たちは貧窮した生活を送っていた
(平安期のようなきらびやかな生活はなかった)
と認識していいのでしょうか?

あるいは貴族に他に充足した生活を得られる手段があったのなら教えてください。
288日本@名無史さん:2005/05/05(木) 13:27:54
>>286
日本史板に日本水道史の、世界史板に世界水道史のスレを立てればよろしかろう。
289日本@名無史さん:2005/05/05(木) 13:40:40
>>287
授業料とか
290日本@名無史さん:2005/05/05(木) 16:46:57
>288
なるほどそれは名案というか世界水道史とまで大上段に構えた
スレもちょっとひいてしまうんですが、日本史板にちょこっと
世界史の事も書いたら怒られるかな
291日本@名無史さん:2005/05/05(木) 18:13:58
>>290
土木建築板に総合スレを立てれば?
292日本@名無史さん:2005/05/05(木) 18:31:48
>>280-284
島津氏でも2代藩主の光久は隠居後鹿児島在住、鹿児島でなくなっている

で、結局、基本的には隠居した藩主は江戸住まい?国元?
293日本@名無史さん:2005/05/05(木) 20:56:11
>>292
それは結局、隠居した人間が決めるのでは?
294日本@名無史さん:2005/05/05(木) 21:44:45
はじめまして。 
いきなりなんですが、学校の研究みたいなのでわからないのがあるんです。

なぜ城の防御のために付近に寺院があるのか。
海岸よりらしいんです。

どなたか分かる方いらっしゃいませんか?
とても困ってます(><)。。
295日本@名無史さん:2005/05/05(木) 23:21:36
>>294
まじめに答えよう。ぼくの回答はこうだ。






「君が何をききたいのかさっぱりわからん」
296日本@名無史さん:2005/05/06(金) 01:21:50
↑同感w

寺院が兵の駐屯所になったり、いざというときの支城・砦のような役割を与えられていたりする場合も
ままあることではあるけど…
どう答えたらいいか、とても困ってます(><)。。
297日本@名無史さん:2005/05/06(金) 15:09:52
面白い質問なのでアゲておこう(><)。。
298294:2005/05/06(金) 18:06:46
わかりにくくてすいません(><)
わたしもどう上手く言えばいいかわからないけど・・
昔、兵庫県明石市らへんの海岸よりに、城下町があったらしいんですけど、
その周辺に寺院がたくさんあるらしいんです。
それはなんででしょうか?
城の防御のほかに何かありますか??
299日本@名無史さん:2005/05/06(金) 18:08:43
>>298
やっぱりよくわからん。
城と寺に因果関係を求めすぎでは?
300294:2005/05/06(金) 18:09:31
付け加え。
なぜ防御するのに寺院なんでしょうか??
ほんとすいません
301日本@名無史さん:2005/05/06(金) 19:13:24
日本語がわからない・・・
302違うひと:2005/05/06(金) 19:30:52
弘前城の南西に寺町があるけど、あれは出城の役割も兼ねて寺を
一カ所に集めたものですね。どうして寺に出城の役割があるので
すか、ということでは?

オレも日本語いかんなあ。
303日本@名無史さん:2005/05/06(金) 20:21:50
隠居大名に人質の価値はあったのかねえ?
遊郭に通うご隠居もいたよね?
江戸のほうが居心地いいよなあ。
304日本@名無史さん:2005/05/06(金) 21:39:54
>>303
ゴバークハケーソ
305日本@名無史さん:2005/05/06(金) 21:40:22
誤爆じゃなかったスマソ
鬱出汁能
306294:2005/05/06(金) 21:54:38
302さん。
たぶん私もそんな感じのコトを言いたいのだと思います。
ほんとすいません↓↓
分かる方おられますか??
307日本@名無史さん:2005/05/06(金) 21:59:43
308日本@名無史さん:2005/05/06(金) 22:39:35
東京は江戸 高知は土佐 長崎は長州
奈良は何ですか
309日本@名無史さん:2005/05/06(金) 22:49:02
長崎は長州?
310日本@名無史さん:2005/05/06(金) 22:51:33
大和
はともかく高知は高知で長崎は長崎じゃないか?
「高知は土佐」に合わせるなら東京は武蔵で長崎は肥前だと思う
長州は長門で山口の一部
311日本@名無史さん:2005/05/06(金) 22:52:05
>>308
煽りにマジレスするのはなんだが、

東京は江戸(都市の旧名)
高知は土佐(都市が存在する土地の旧国名)
長崎は長州(都市と全く関係ない、別の土地の旧国名の一文字からくる通称)

共通点が全くないんだが。
312日本@名無史さん:2005/05/06(金) 23:13:24
大和は奈良になるんですか。
長州は長崎じゃなかったのか
皆様あほな質問にお答えありがとうございました
313日本@名無史さん:2005/05/06(金) 23:18:19
>>312
結局、>>308の趣旨は
「奈良県の旧国名が知りたかった」でよかったのか?
314日本@名無史さん:2005/05/06(金) 23:19:50
島津斉興は異常に斉彬を嫌っていたみたいですがこれにはどういう理由があるのでしょうか?
315日本@名無史さん:2005/05/06(金) 23:28:23
>>306
江戸時代の城を思い出してごらん?天守閣は除いて。
周囲に堀をめぐらして、壁でしきられたいくつもの郭によって
構成されているよね。

で、その明石の寺のつくりをみてごらん?
江戸時代のつくりなら、周りに白い立派な壁がめぐらしてあるでしょう?
場合によっては堀も周囲に存在するかもしれない。

つまり、寺のつくりは、城を構成するひとつの郭と同じつくりであって、
さらにそれが一箇所に集めてあるならば、相互にその郭が支援しあうことも
できる。ある意味、城そのものなんだ。
さらには、寺にはある程度の物資が集積され、厨房などの施設も整っている。
出城としてはぴったりの機能を持っているんだ。

あと、建築物の所在地をみるときには、地形も大切。
海岸に近いのなら、大型建築物に耐えるだけの硬い土地が
そこしかなかったのかもしれないし、河口が近くにあって
水害の惧れがない場所がそこしかなかったのかも知れない。

まぁ、こういった説明から、あてはまるものを探してくれい。
316日本@名無史さん:2005/05/07(土) 12:24:15
>>314
嫉妬
317日本@名無史さん:2005/05/07(土) 12:32:08
>>316
レスありがとうございます。
出来たら具体的に教えていただけないでしょうか?

藩のことを考えたら有能な息子に藩を譲り藩政を拡大維持させるのが親としても
喜ばしいこと。しかし、20年以上藩の統領にしがみつくなど尋常ではありません。

それが原因でお由羅騒動なども起きています。何か深い理由があると思うのですが、
ご存知ではないでしょうか?
318日本@名無史さん:2005/05/07(土) 12:45:27
48年(嘉永1)には世子斉彬は40歳の壮齢であったが、斉興は藩主の座を
譲らなかった。
斉興や家老調所広郷の考えでは「斉彬の世になれば曾祖父重豪にならって、
蘭癖のため藩庫をからにするであろう」と、藩の前途を危ぶんでいたから。
319317:2005/05/07(土) 13:19:05
>>318
本当にそれだけなのでしょうか?
調所氏はお由羅派の中核でしたよね。で、密貿易がばれて切腹の後はすぐに
斉興は引退しています。
何か深い理由があると思っているのですが・・・
320日本@名無史さん:2005/05/07(土) 13:23:41
安土桃山時代は
信長の安土城入城〜関ヶ原の戦い
であってますか?
321日本@名無史さん:2005/05/07(土) 13:28:47
側室お由羅が調所らと結んで自分の腹の久光を立てようとしてた
とも
322日本@名無史さん:2005/05/07(土) 13:29:19
>>318に補足すると
嫡子の斉彬は江戸で隠居していた曾祖父・重豪によって教育されていた。
この重豪というのが>>318でいわれていたように「蘭癖浪費大名」で
元々脆弱だった薩摩藩の財政は重豪の代で破綻寸前(事実上は破綻していたが)に追い込まれている。

これをハッタリと根回しでチャラにしたのが調所広郷。
調所自体は元々重豪の一声で重用された家老だが
借金返済の一点で斉興と一心同体となっていた。
この借金返済策は大坂商人への踏み倒し、家臣の領地召し上げ、領地からの更に厳しい年貢取り立て
(奄美などではこの政策のために領民にはまともな食料が無くなり餓死者が続出したという)など
かなりひどいもので、その怨嗟の声をもろに受ける立場の斉興には
「祖父・重豪の尻拭いをさせられた」
という恨みがあったと思われる。
よって、その重豪の薫陶を受けた斉彬にはいくら実子でも絶対跡を継がせたくなかったらしい。

後に斉彬は父に先立って急死するが
これにも父・斉興の手のものによって暗殺されたのではないかという説が根強くあるし
斉興が斉彬死後藩主となった忠義(斉彬の甥)の後見をしたときにはかなり古風な政策を復活させてる。
323日本@名無史さん:2005/05/07(土) 14:08:00
>>320
織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭を擁して入京した1568年(永禄11)
から、関ヶ原の戦によって徳川家康の覇権が確立した1600年(慶長5)まで
の約30年間
324日本@名無史さん:2005/05/07(土) 14:26:38
対支21ヶ条要求って日本の利益拡大だったの?
当時の情勢を鑑みるとただの権益の保障に見えるのですが・・・
325日本@名無史さん:2005/05/07(土) 14:43:31
内容は、第1号で中国山東省の旧ドイツ利権の継承に鉄道新線要求など
4ヵ条、第2号は旅順・大連の租借期限、満鉄安奉線の租借期限の99ヵ年
延長と満蒙における日本人商租権など7ヵ条、第3号は漢冶萍煤鉄公司
の日中合弁要求、第4号は中国沿岸港湾および島嶼の不割譲(以上を絶対
必要条項とした)。第5号は中国政府の政治・財政・軍事顧問に日本人を招
くこと、日中兵器の統一等7ヵ条で、中国主権侵害の政治的要求であり、
これを希望条件であるとした。
326日本@名無史さん:2005/05/07(土) 14:43:58
代官が赴任地に行くときには
大名行列みたいにズラズラと人を引き連れていたのですか?
327日本@名無史さん:2005/05/07(土) 17:04:18
何か日本の文化全部が中国、韓国よりしょぼく見えるのは僕だけでしょうか?
中国の城って日本の何倍もでかいし色も塗ってあって派手だしそれに比べて日本の
城って妙に新しくてただのコンクリートの固まりにしか見えないんですよね。
衣服にしたって中国のは龍とか縫い付けてあったり色もカラフルなのが多いけど
日本の服はなんかジトーとしてて地味だし何よりあの『ちょんまげ』って言う頭髪が
生理的にイヤ!!料理にしたって中国や韓国の料理の方が若者向きで日本の
年寄りが好きそうな甘ったるい料理よりはるかに美味しいし、音楽なんて中国とか韓国なんかは
雄壮で迫力があるのに日本なんて太鼓や三味線の「ハ〜ペンペン」とか「ぴ〜ひゃらぴ〜ひゃら」とか
コントにしか見えないんですよね(^^;)
まぁ隣の芝生は青いって言うし中国や韓国の文化や風俗が良く見えるだけなのかも
知れないけどどうしても日本の方がしょぼく見えちゃうんですよね。

雑談スレが見つからなかったのでここに書き込んじゃいました。独り言なんで
気分を害した方は無視してくださいです^^
328日本@名無史さん:2005/05/07(土) 17:26:40
>>327
大丈夫。
御所や安土城の中は中国文化でいっぱいですから〜w
329日本@名無史さん:2005/05/07(土) 17:29:12
そりゃ建て直された城はコンクリで出来てるしな
330日本@名無史さん:2005/05/07(土) 17:55:18
>>327
支那と朝鮮同列にしたら支那がかわいそうだ。
朝鮮は支那の真似事で独自文化なんてないのに。
331日本@名無史さん:2005/05/07(土) 18:04:49
>>327
釣りの文章としては-35点だが
釣られた香具師が3人いたから釣りそのものとしては10点か

>>328
釣りに対してはsageで対応しろ

では以下何もなかったように初心者さんの質問再開
332日本@名無史さん:2005/05/07(土) 18:05:36
つーか文化の評価なんて相対的なもんだ。
333日本@名無史さん:2005/05/07(土) 18:33:27
>>327















・・・中国語としてみても読める代物ではないな・・・
334日本@名無史さん:2005/05/07(土) 19:25:04
パリ万博で薩摩太守政府が出展できたのは何故?
335日本@名無史さん:2005/05/07(土) 21:02:59
図々しい薩摩人だから。
336日本@名無史さん:2005/05/07(土) 22:05:38
幕藩体制が緩んできていたからだろう。
337日本@名無史さん:2005/05/08(日) 00:59:18
近衛公、廣田首相、東郷外相が戦犯というのは?
和平に尽力したのに・・・
338日本@名無史さん:2005/05/08(日) 09:40:20
>>337
単独でスレ立てれば?
問題がデカ過ぎ。誰かが見解を述べれば反論が来る。
339日本@名無史さん:2005/05/08(日) 11:50:59
>>337
近衛は対中国戦争の指導者として、
東郷は開戦時の外務大臣として、
広田は2・26後の軍国主義への首相と開戦時の重臣として、
責任を取らされたのではないかな。
3人とも和平の道を探っていたのは確かだけど、
日中戦争・対英米戦争の開戦時の責任に絞ったのだと思う。

吉田ら親英米派を中心に持ってくるには、
上記の人に責任をとってもらう必要もあったのかなと勘繰りもするが
340日本@名無史さん:2005/05/08(日) 13:19:45
広田の罪状には外相時代の中国政策のことも含まれる。
341317:2005/05/08(日) 14:33:47
>>318様、>>322
よく分かりました。解説ありがとうございました。
342日本@名無史さん:2005/05/08(日) 17:00:32
六波羅二臈左衛門の編と伝えられる世俗説話集「□□□」って何??
343日本@名無史さん:2005/05/08(日) 17:12:27
>342
インターネット検索
Google  tp://www.google.co.jp/
344日本@名無史さん:2005/05/08(日) 18:08:11
>>339-340
特に東郷は真珠湾の件があるので狙い撃ちされたな。
吉田が東郷の弁護活動を間接的に妨害した話は両方の側近だった大野勝巳の回想録にある。
まあ、東郷と石橋湛山を貶めただけで吉田は俺的には大嫌い。

ちなみに東郷・広田・吉田は、
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1101477701/
スレがある。
345日本@名無史さん:2005/05/08(日) 21:07:29
質問よろしいでしょうか?課題が出たんですけど協力してくださいー。
宝治合戦に関する一般的な位置づけとの違いについてなんですけど、分りますか?
346日本@名無史さん:2005/05/08(日) 21:13:09
わかりません。
347日本@名無史さん:2005/05/08(日) 21:17:23
>>346
そこをなんとか
348日本@名無史さん:2005/05/08(日) 21:57:40
>宝治合戦に関する一般的な位置づけとの違いについて
意味不明。
349日本@名無史さん:2005/05/08(日) 22:00:00
自己に対抗しうる有力御家人を相次いで滅ぼし、
執権として幕府内部での権力を独占しつつあった北条氏は、
たまたま泰村に嫁した泰時の女が早世して両氏の姻戚関係
が消滅し、しだいに疎遠となりはじめたころに、
前将軍頼経を擁して時頼を打倒しようとする陰謀に三浦一族
が荷担していることにつけ入り、幕初以来の有力御家人中唯一
の生き残りである三浦氏を滅ぼした。

この合戦の結果、北条氏の得宗専制体制が確立された。
鎌倉幕府政治史の上で注目すべき事件。
350日本@名無史さん:2005/05/09(月) 00:56:51
>>349
あざーす!
351日本@名無史さん:2005/05/09(月) 01:19:35
平家って何で清盛一代で潰れたの??
逆に頼朝の鎌倉幕府はなんであんな続いたの??
そもそも幕府を作っれる事がそんな大きい差が生まれるものなのか??
幕府作ってない秀吉も一代でダメだったし・・・
長く続いた政権のそうじゃない政権の決定的な違いを教えてくれ
352日本@名無史さん:2005/05/09(月) 09:16:16
朝廷との距離、政治運営が個人手腕でなくシステム化してるかどうかなど・・・
353日本@名無史さん:2005/05/09(月) 09:46:44
>>351
平家は朝廷という政治システムに入り込むことに成功しただけ。
これ自身画期的なことだったけど、自前の政治システムを構築したわけじゃない。
一方、鎌倉幕府は政治システムそのもの。
「源氏の政権」はすぐつぶれたけど、幕府という政治システムは残った。

>>351氏の比較は、平家という政権と幕府という政治システムを比較してしまってるんではないかな?
354日本@名無史さん:2005/05/09(月) 10:02:18
だね。頼朝のは、組織としての朝廷権力への異議申し立てだからね。
355日本@名無史さん:2005/05/09(月) 10:54:06
久々に目からウロコの解説だ。
鎌倉幕府の政治の仕組みの智恵を出したのは誰になるんだろう。大江広元?
356日本@名無史さん:2005/05/09(月) 11:21:16
広元は大きいですね。
彼を重用した頼朝自身にも、ある程度ビジョンがあったのではないかと。
357日本@名無史さん:2005/05/09(月) 12:10:08
このあいだ、緒形直人主演の大河ドラマの「信長」を見てたんですがそのワンシーンで、
ソウケン寺という寺にこの信長をまつれと言う命令を受けた重臣が、信長に
「人間は神にはなれません。正気を失ったとみな悲しまれますぞ。うんぬ
ん」と苦言を呈す場面がありました。結局この重臣は、織田家から追放されました。

このエピソードを調べてみたいんですが、ソウケン寺というのは、漢字でどう書くんですか?
また、生きている人間を神としてまつるというのは、当時相当なタブーだったんでしょうか?
信長以外に、自分は神だと名乗った大名はいなかったのですか?
358日本@名無史さん:2005/05/09(月) 12:31:58
ハ見寺
神云々はフロイスが書いているだけです

フロイスと信長でググられては如何でしょうか
359日本@名無史さん:2005/05/09(月) 13:22:45
忠臣蔵について知りたくて書籍を買おうと思っているのですが

ネットで検索してたくさんの書籍がみつかりました。
出来れば史実に忠実な忠臣蔵を読みたいですが
お勧めの書籍はどれでしょうか?
360日本@名無史さん:2005/05/10(火) 07:17:53
>>337
近衛、廣田は支那事変に関しては主戦派。
上海〜南京戦における戦果に惑わされ、調子に乗って過大な要求を国民党にした所為で、
事変を泥沼に導いた。さらにそれを日独伊三国同盟や仏印進駐等で何とかしようとするが、
その全てが裏目に。そして、事態が自らの手に負えなくなると内閣を放り出して逃げた。
結局、東条も彼らの尻拭いで大役を押し付けられたに過ぎない。
361日本@名無史さん:2005/05/10(火) 08:36:40
平塚柾緒って人が日清戦争〜太平洋戦争までかなり沢山の本を出してますけど
どういった人なんでしょうか?知ってる人いますかー?
362日本@名無史さん:2005/05/10(火) 15:25:29
清盛の死因ってマラリアですか?
363日本@名無史さん:2005/05/10(火) 16:00:26
>>322
>借金返済策は大坂商人への踏み倒し

補足しておくと、500万両の借金の利子をナシにして貰い、
年2万両ずつの250年賦にしたことを以て「踏み倒し」という表現が多いが、
薩摩藩は廃藩置県で薩摩藩が消滅する明治の世まで、年2万両を律儀に返済している。
一銭も払わなかったような印象を与える「踏み倒し」という表現には、
鹿児島県民としては違和感を覚えるな。

踏み倒し同然ではあるのだが、もうちょっと田舎者の生真面目さも持ち合わせていたのだから。
それと江戸時代は利子が元本を超えたらそれ以上の利子は付けないという
暗黙のルールもあったのだから、利子をなしにして貰ったのもそれほど悪辣な行為ではない。
40年近く2万両ずつ返していて、廃藩置県で借金の借り主が消滅したのだから、
踏み倒したのは明治新政府w
364日本@名無史さん:2005/05/10(火) 16:03:13
結局薩摩じゃん
365日本@名無史さん:2005/05/10(火) 16:12:35
島津家が借りたのだよ
薩摩藩(ってのは幕末に藩が認められたので、あるにはあった)が借りた訳じゃない

ドサクサに紛れて借金踏み倒し、元金すら返済してない人非人
366日本@名無史さん:2005/05/10(火) 20:22:19
>>363
>それと江戸時代は利子が元本を超えたらそれ以上の利子は付けないという 
>暗黙のルールもあったのだから、利子をなしにして貰ったのもそれほど悪辣な行為ではない。
250年分の利子が500万両に含まれているのでは?
文化4(1807)年に76,128貫余(126万両)だったものが、
20年間で文政10(1827)年の320,000貫余(500万両)
まで膨らむことは考えられないから


367日本@名無史さん:2005/05/10(火) 20:57:02
亀レス>>363が、>>365に論破された件について
368日本@名無史さん:2005/05/10(火) 22:08:23
最初の質問から大きく脱線してきてるようにも思われ
これ以上の薩摩藩借金ネタ議論は別スレにてよろしく
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108452781/l50

369日本@名無史さん:2005/05/11(水) 00:13:01
大海人皇子が天皇家の人間じゃないって本当ですか?
370日本@名無史さん:2005/05/11(水) 02:32:23
ヴァカ天皇ワーストテ10を教えてください。
1位は冷泉で決まりかな?
371日本@名無史さん:2005/05/11(水) 02:36:46
スサノヲはおしかったな。もちろん馬鹿ではないであろうが。
372日本@名無史さん:2005/05/11(水) 16:12:53
>>369
一応、天智の弟と言うことで歴史学は成り立ってます。
しかし、実は半島・大陸系という話も根強いですが、
電波扱いされますのでやめたほうが無難でしょう。
373日本@名無史さん:2005/05/11(水) 16:39:08
>>362
その可能性が高いらしいが、他に脳溢血等の可能性もあるらしい。
800年以上前に病気で死んだ人間の死因を完全に特定するのは不可能。
374日本@名無史さん:2005/05/11(水) 19:02:26
一番古い天皇の墓は仁徳天皇陵なんですか?
375日本@名無史さん:2005/05/11(水) 20:26:35
>>374
「一番古い天皇」の陵なら神武天皇陵に決まっておろう。
376日本@名無史さん:2005/05/11(水) 21:03:50
道鏡ってチンポがでかかったから偉くなれたんですか?
377日本@名無史さん:2005/05/11(水) 21:29:26
そうですね、ミチヨをモノにしたからですね
378日本@名無史さん:2005/05/11(水) 21:52:23
>>377
惜しい賞だな
379日本@名無史さん:2005/05/12(木) 08:33:55
NHKで来週北条早雲をやるというので気になっていたことを思い出した。
江戸時代北条家から2軒大名にしたと見たように思い、1軒は大阪狭山で
分かったのですが、もう一軒はどこかだったか分かりません。
それとも1軒だったのかな。分かる方いらしゃいますか。
380日本@名無史さん:2005/05/12(木) 20:17:14
>>370
1位 昭和       戦争責任
2位 花山       即位式のとき命婦をレイプ
3位 陽成       池沼
4位 大正       池沼(遠眼鏡)
5位 天武       国家反逆罪
6位 後白河      無責任男
6位 後鳥羽      同 上
6位 後醍醐      同 上
9位 冷泉       池沼
10位 孝謙他多数  人格の欠けた下半身
 
381日本@名無史さん:2005/05/12(木) 20:24:12
>>373
プッ
382日本@名無史さん:2005/05/12(木) 23:09:36
陸士海大出と帝大出はどちらが優秀だったのですか?
383日本@名無史さん:2005/05/12(木) 23:57:30
>>379
氏綱の娘婿で養子に迎えられた福島(北条)綱成の子孫が遠江掛川3万石。
ただし1658年に断絶して取りつぶし。分家が旗本として存続。
384379:2005/05/13(金) 09:25:08
>>383
お教え頂きありがとうございます。
手元の資料の掛川の項に、「北条氏重(3万石)」とのみ出ていた。
ぐぐったら、いろいろ出てきたのでまた楽しみます。
385日本@名無史さん:2005/05/13(金) 13:59:43
>>380
よくできてますw!
386日本@名無史さん:2005/05/13(金) 15:20:47
>>382
陸士と海大の両方に入るなんて不可能。
387日本@名無史さん:2005/05/13(金) 15:27:13
現天皇家は北朝のはずなのに、どうして戦前の教科書では
足利尊氏=悪、楠木正成=善なんですか。
当時、誰も矛盾を感じずにすんでいたんでしょうか。
388日本@名無史さん:2005/05/13(金) 16:43:55
北朝の後小松天皇は南朝の後亀山天皇の禅譲をうけて偽帝から正式な天皇として即位した。
389日本@名無史さん:2005/05/13(金) 17:16:01
「後醍醐天皇にも政治のまずさがあったのでは」
とは南朝正当論にカチンと来た昭和天皇の学習中の一言
390日本@名無史さん:2005/05/13(金) 17:33:53
>386
読解力不足
391日本@名無史さん:2005/05/13(金) 21:43:37
おまえら、韓国に日本の原子炉が狙われています。
助けてください。
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1115825312/
392日本@名無史さん:2005/05/13(金) 23:11:45
韓国に原発ないのか?
393日本@名無史さん:2005/05/14(土) 01:51:28
ヤングマガジンで連載されている「センゴク」はどれくらい史実に基づいているのでしょうか?
394日本@名無史さん:2005/05/14(土) 02:26:04
終戦直後に
自殺した人、無罪を含めて日本国内でGHQに逮捕された人って
何人ぐらいいるのでしょうか?

またそれらの主な人物のリストってありますでしょうか?
395日本@名無史さん:2005/05/14(土) 08:54:41
396日本@名無史さん:2005/05/14(土) 09:48:46
>>392
自衛隊に韓国の原発を叩く戦力があるのか?
397日本@名無史さん:2005/05/14(土) 10:56:29
タパニー事件って何ですか?
398日本@名無史さん:2005/05/14(土) 13:06:30
399日本@名無史さん:2005/05/14(土) 21:51:28
廃藩置県で藩の借金が国のものになったらしいですが総額とかってわかりますか?
400日本@名無史さん:2005/05/14(土) 22:04:37
>>397
漢族系武装抗日運動は、ジェノサイド的大弾圧で結着をつけられた>西来庵事件(1915)
401日本@名無史さん:2005/05/14(土) 22:17:39
>>399
額の史料はあったと思うが私はもっていない。
うろ覚えだが、確か天保以後は数割カットで明治維新以後は全額返済。天保以前は全部切り捨て。
ついでに幕府に対する借金については責任を負わなかったはず。
402日本@名無史さん:2005/05/15(日) 00:36:50
将軍の代替わりに貢物持ってきてた朝鮮通信使って天皇の代替わりは無視?
403日本@名無史さん:2005/05/15(日) 11:20:02
無視、対外的に将軍を「日本国王」と呼んでいた事もあった時代だから…。
404日本@名無史さん:2005/05/15(日) 12:20:03
国王って呼ばせるとその上に天皇がいる日本は朝鮮より格上って事になるからな
405日本@名無史さん:2005/05/15(日) 13:01:22
>>401
>ついでに幕府に対する借金については責任を負わなかったはず。

借金踏み倒しの元祖、薩摩を中心とした政府はやることが違いますね。
406日本@名無史さん:2005/05/15(日) 13:58:50
琉球の官品は、従六品:勢頭座敷、正七品:里之子親雲上、従七品:筑登之親雲上、
正八品:下庫理里之子、従八品:若里之子、正九品:下庫理筑登之、従九品:筑登之座敷、
ってなってます。
それと確か門閥は別として、一般士族は里主筋目と筑登之筋目に分かれているって、何か
で読んだような気がします。
すると里主筋目は、従八品→正八品→正七品→従六品と進み、筑登之筋目は従九品→
正九品→従七品→従六品と進むのでしょうか?
407401:2005/05/15(日) 17:08:39
>>399
>>405
私が読んだのはこの本です。確か最初の章に新政府が取った諸藩の債務の処理方法について出てた筈です。
ttp://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=19704936
408日本@名無史さん:2005/05/15(日) 17:28:49
>>382
時代により異なりますが、無料の軍学校と学費の高い帝国大学では(戦前は私立も
官立も学費は同じぐらいでした。明治大学だけがダンピングだったはずです。)
比べることが難しいと思います。
しかし、帝国大学で入学が難しいのは法学、医学、工学などの学部で文学などは
全入に近い状態で二次、三次と繰り返しの募集がかかることもありました。(ちなみに
二次以上の募集がかかると高等学校出身者でなくとも入学が可能になります。戦後、文学系
の教授などは、師範系、専検、神宮皇學館などを卒業したあとに帝国大学に入学した人もいました)
409日本@名無史さん:2005/05/15(日) 17:29:49
そりゃ分母がな…
410日本@名無史さん:2005/05/15(日) 17:32:18
ただし興味深いのは、戦後軍学校の在学生たちを、旧制師範学校に入学させるために
試験をしたところ合格率が低かったはずです。
戦時下において、唯一まともな勉強ができ、かつかろうじて昭和18年に専門学校に昇格
した師範学校に編入が難しかったことを鑑みるとなんとも言いがたいです。
411日本@名無史さん:2005/05/15(日) 20:51:51
>>410
戦時中は陸士も海兵も大幅な定員増をしてたからねぇ。
昭和20年の在学生と、昭和5年の在学生のレベルは
おそらくは天と地ほどの違いがあったというのが、
当時を知る人の証言。(また聞きだけどね)
412日本@名無史さん:2005/05/16(月) 06:42:51
戦国期における地侍と正規の武士の違いというのはどの辺でしょうか?家の先祖は戦国期小さな城の城主だったんですが
調べてみると地侍ぽいというか兵農分離をして無いような印象を受けるのですが・・・江戸期になり庄屋になったわけですが
帰農した場合は地侍=庄屋、正規の武士=郷士みたいですが・・・。
413日本@名無史さん:2005/05/17(火) 00:19:32
壇ノ浦で建礼門院を犯したのは義経だけではなかったのですか?
414日本@名無史さん:2005/05/17(火) 03:53:21
http://cgi.2chan.net/i/src/1116267429028.jpg

これはコラですか?
415日本@名無史さん:2005/05/17(火) 09:29:59
>>412
そんだけわかってるんだったらもう良いんじゃないのか?
地侍と武士のハッキリした線引きなんてできるもんじゃないし。
416日本@名無史さん:2005/05/17(火) 13:37:20
くだらないことで申しわけないんだけど…
先週テストがあったんだけど

【京枡 宣旨枡 経済要録 国絵図 開放令 刀狩令 徳政令 人掃令】

〜(省略)〜土地ごとの生産力を米の生産量で表示した。
これにより、全国の生産力が(2)制により表示されるようになった
〜(略)〜1591年に秀吉は全国の大名に。領国の(国絵図)と検地帳の提出を命じた
これにより諸大名が領地の(2)に応じた軍役を奉仕する体制が確立された。

とあるんですが(2)に当てはまる答えは語群の中にありますか?
417日本@名無史さん:2005/05/17(火) 14:45:11
>>416
(2)に入るのは「乳首の数」だから語群中にはない。
418日本@名無史さん:2005/05/17(火) 15:26:39
>417
哺乳類で一度に生まれる子の数はおよそ乳首の数の半分といいますからね
419日本@名無史さん:2005/05/17(火) 16:05:49
卒論を書くときに、文字の斜め上に小さく(1)というような註をつけたいのですが、
どのようにすればよいのでしょう・・・パソコン苦手で・・・
教授も手書きの人で・・・使いたいのはワードです。
学術雑誌に投稿する際などに見かけるこの方法を教えてください。
420日本@名無史さん:2005/05/17(火) 16:09:52
>>419
質問する板を間違えている。
そういうのはここ↓
http://sakura02.bbspink.com/test/read.cgi/onatech/1093256551/l50
421日本@名無史さん:2005/05/17(火) 21:34:06
>>419
1.上付にしたい範囲を指定する(マウスで反転させる)
2.書式→フォント→上付

これでお終い。
422421:2005/05/17(火) 21:44:10
訂正
× 2.書式→フォント→上付
○ 2.書式→フォント→上付→OK
423日本@名無史さん:2005/05/18(水) 12:30:32
>>412
たまたま読んでいた本に出ていたんだが、
天正19年(1591年)8月21日秀吉がいわゆる身分法令を出している。
武家奉公人が町人・百姓になることや百姓が田畑をすてて賃仕事などに従事
することを禁止するとともに「侍(若党)」以下の武家奉公人が勤め先から
勝手に退散することを禁じた。退散した奉公人を雇うことも禁止し、元の主人
に返すように決めた。
侍という定義がわかりにくいので補足しておくと、武家の人間は
藩士、藩士の家来、若党(侍)、中間、小者と分類され、藩士から若党まで
が武士身分、若党から小者までが武家奉公人と(別のところで)説明されて
いる。また元藩士でも禄を離れると「牢人」と呼んでいる。

以下は想像も入るが、禄を食んでいれば藩士として登録されているし、百姓
町人なら人別帖に載っているし、田舎から出てきて人別がなけば身元引受人
を立てて人別に載せてもらうとか請書を作ってもらって勤めに出るとかして
いたみたいだ。口入屋が請書を作るとかもあるみたいで融通が効いたみたい
なところもある。
百姓武家奉公人は藩や雇い主の財産みたいな要素もあるので、結構管理されて
いたと見ている。(とはいえ、百姓は年貢を納めていれば普段はどこへ行くの
も勝手というのがあり、武家奉公人の一部は百姓から臨時調達というのもある)

ま、先の法令が出るまではぐずぐずだったと思われる。
424日本@名無史さん:2005/05/18(水) 15:04:21
江戸時代でも千人同心や牧士、興福寺の神人など周縁身分の人々は多数います。
425日本@名無史さん:2005/05/18(水) 15:33:13
大名行列は百姓の手を借りていた
426日本@名無史さん:2005/05/18(水) 15:44:47
江戸時代の能楽師の身分はどうだったでしょうか。
能楽は幕府の式楽として、シテ方観世、宝生、金春、金剛、喜多の宗家や
ワキ方、狂言方、囃子方は幕府に召抱えられ、また加賀前田家は宝生、
肥後細川家は金春、備後浅野家は喜多などの流派を召抱えていたようですが
そのようなお抱え能楽師の身分は武士なのでしょうか。
明治の十四世喜多六平太は旧幕臣の子として生まれていて、宗家なら
旗本クラスと通婚関係にあったようです。
http://www.kita-noh.com/history/enkaku_f.html
しかし江戸中期の金剛太夫は穢多頭弾左衛門から辱めを受けたようであり、
その点からは武士身分ではないようにも思えます。
427423:2005/05/18(水) 19:35:38
423の補足
続いて読んでいて出ていたのだが、さる藩の若党が浅草ですりを捕まえて傷を負った。
町奉行が聞くと○○藩の藩士だというので、その藩に問い合わせたら、若党だった。
両刀をたばさんで見た目は武士だが、その藩では若党に名字を名乗るとか藩士身分で
ないのに藩士を名乗るのを戒めたというのがあった。

勝手に会社名を名乗って電機器具やガス器具の点検に来たと言うのに似ている。
428日本@名無史さん:2005/05/19(木) 11:59:44
>>426
ただのネタだが、大久保長安なんてのがいたなあ。
429気になる木:2005/05/19(木) 20:21:37
気になって気になって気になって
木になりそうです
数年前なんかのテレビで
日本の歴史の黒船を取り上げた番組で
ペリーが出てきたんですけど
そのペリーがものすごく長い肩書き
しかも漢字だったんですけど誰か知りませんか
ペリーでぐぐっても東インドなんとかって短い
肩書きしか見つかりませんでした。どなたかお願いします
430日本@名無史さん:2005/05/19(木) 22:15:05
「NHK 堂々日本史 ペリー来航の60日間」

「亞美理駕合衆國特命欽差大臣專到日本國兼管本國師船現泊日本海提督被理」
「アメリカがっしゅうこくとくめいきんさだいじんせんとうにっぽんこくけんかんほんごくしせんげんぱくにほんていとくペリー」
431日本@名無史さん:2005/05/20(金) 08:54:36
特命欽差大臣専到日本国=日本への特命全権大使
本国帥船現泊日本海提督=日本領にいるアメリカ海軍の提督

ってとこか?
432日本@名無史さん:2005/05/20(金) 15:41:06
うれうべき教科書問題の石井一朝(日本民主党)の名前の読み方
わかりませんでしょうか? いっちょう? かずあさ?
433日本@名無史さん:2005/05/20(金) 21:23:35
大分記憶薄い質問で申し訳ないのですが、今から10年前位(その前後だと思いますが・・・)からある資料(月間雑誌みたいな本だったのかもしれません)で
社会の先生から聞いて大変印象的だったのですが、織田信長は本能寺で、男と交尾してたみたいなコラムが所々に乗ってる本の話をしていたのを記憶してるいのですが、どこの出版社の資料かわかりますか?
それか、そんな感じの珍プレーが乗ってる面白い本があったら教えていただきたいのですが。ぶしつけな質問でもうしわけありません。
434日本@名無史さん:2005/05/21(土) 04:20:07
明治〜の政治家が着ている、勲章やらメダルやらが沢山ついた
軍服のようなごつい服って、何と言うんですか。
435日本@名無史さん:2005/05/21(土) 09:17:27
>>434
大礼服。
ttp://www.setsunan.ac.jp/~tosho/daireifuku/daireifuku-main4.htm

ググッたら沢山写真・記事出てくるから、もっと詳しく分かる。
436日本@名無史さん:2005/05/21(土) 14:01:34
>>433
>男と交尾してた
人間の場合、交尾と言わずセックスと言います。
この当時、男同士のセックスは特別珍しいことではない。ごく一般的なこと。
437日本@名無史さん:2005/05/21(土) 14:06:43
>>431
まぁ、ペリーは厳密に言えば、特命全権大使ではないけどね。
438日本@名無史さん:2005/05/21(土) 18:54:34
磐井の乱が527年じゃなくて530年かもしれないという根拠は何ですか?
439日本@名無史さん:2005/05/21(土) 19:27:34
>>438
俺の勘
440日本@名無史さん:2005/05/21(土) 20:51:11
日本の委任統治領だった南洋は、連盟を脱退した後はどういう名目で支配したのですか。
441日本@名無史さん:2005/05/21(土) 21:31:11
何故日本は宋銭を輸入したんでしょうか?その当時の日本には鋳造技術があったとおもうんですが
442日本@名無史さん:2005/05/21(土) 21:48:12
>>441
室町、戦国期に作られた銭見るとひどいけど。
鋳造技術はどうなんだろうね、やればできただろうけど・・・

あと、貨幣の信用度の違いじゃない?
今でも発展途上国じゃドルが通用するように。
443日本@名無史さん:2005/05/21(土) 21:51:27
>>440
加盟国じゃなくても受任国になれるのでそのまんま。
受任を定めた条約にも直接には国連は関わってない。
444日本@名無史さん:2005/05/22(日) 00:45:49
日本軍の戦闘服は日露戦争からカーキ色になったそうですが
それ以前は何色だったのですか?
また、どの国の軍服を模倣したのですか?
445440:2005/05/22(日) 01:28:41
>>443
そうでしたか。ありがとうございました。
446日本@名無史さん:2005/05/22(日) 13:14:01
質問です。 古文漢文板から誘導されて来ました。

「貴人が死んだとき(またはその葬儀のとき)に、
空に紫色の天蓋の形をした雲が現れた」
という話が『日本書紀』や『藤氏家伝』に出てくるのですが
これに良く似た古事をどなたかご存知ないでしょうか?

重大な事件の前兆として奇妙な形の雲が現れた、
というような話でもかまいません。

よろしくお願いします。
447日本@名無史さん:2005/05/22(日) 13:38:27
>重大な事件の前兆として奇妙な形の雲が現れた、
>というような話でもかまいません。

オカルト板へどぞー
448日本@名無史さん:2005/05/22(日) 14:09:51
>>447
探しているのはちゃんとした古文書なので
オカルト板は違うのではないでしょうか。
449日本@名無史さん:2005/05/22(日) 15:04:20 BE:144310346-
>>447
そういう記事があるかどうか、と言う質問ならここでよかろう。
450日本@名無史さん:2005/05/22(日) 19:28:21
島津の敵中突破の様な事は世界史的にみて稀でしょうか?
451日本@名無史さん:2005/05/23(月) 10:06:25
>>450
日本史板です
452日本@名無史さん:2005/05/23(月) 12:48:38
>>441
皇朝12銭と言われた貨幣の発行が終了した10世紀初頭以後200年以上貨幣不要時代が続いたので貨幣製造のノウハウは消滅しました。
453日本@名無史さん:2005/05/23(月) 12:57:21
皇朝12銭が現実に流通したのかという論はさておき、
国産は直ぐに粗製乱造されるし宋から輸入すればすむので日本人は手をぬいた。















と、司馬遼が言っていました。
454日本@名無史さん:2005/05/23(月) 15:22:10
尊皇攘夷というのは結局なんなのか?

幕末期の歴史をおっても意義がコロコロ変わるようで実態がつかめない。
誰か簡潔にまとめて教えてくれ。
455日本@名無史さん:2005/05/23(月) 16:59:32
古代の職制に大臣と大連がありますが、大臣の方は判るんですが
大連とはどのようなものなんでしょうか?またどちらがエラい?んでしょうか
またその後、大連というのは聞かなくなりますがナゼ?
456日本@名無史さん:2005/05/23(月) 17:08:52
それはわかってないと言う
457日本@名無史さん:2005/05/23(月) 17:14:08
>>454
ググれ。
458日本@名無史さん:2005/05/23(月) 17:14:52
>>455
大臣が分かってなぜ大連が分からん。
どっちも分かってないんだろ?
459日本@名無史さん:2005/05/23(月) 18:05:10
>>454
尊王攘夷な
460日本@名無史さん:2005/05/23(月) 18:18:43
どっちでもいいみたいよ
461日本@名無史さん:2005/05/23(月) 19:28:04
大連は連の代表または管理者だったと言う説と、本当はただの連だったけど、大伴と物部
が先祖に箔をつけようとふかしをこいたという説があるみたいです。
462日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:29:06
神輿ってのは神社のものっぽいんですが、比叡山の僧兵も神輿をかかげていたような気がします。
神仏どっちでもいいんですか?
463日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:42:43
>>462
本地垂迹説により昔、神道は仏教の支配下にあった。
つまり神社の神様は仏の化身だとされていた。
今のような体制になったのはそう昔のことじゃないよ。
比叡山の延暦寺は日吉神社の神輿を先頭に担いで罰が当たるぞと言って強訴した。
奈良の興福寺は春日大社の神木を先頭の神人に担がせて強訴してる。
464日本@名無史さん:2005/05/23(月) 21:11:07
道鏡について質問です。
ぶっちゃけ、実際の所、称徳と道鏡は男女の関係だったんでしょうか?
465日本@名無史さん:2005/05/23(月) 21:13:32
>>463
なるほど。じゃ、神輿の発祥はもともと神社なんですか?
466日本@名無史さん:2005/05/23(月) 21:52:16
>>465
さぁそこまでは。
興福寺と春日大社は最初から一体だったわけじゃないけど
神輿が合体前からあったのかその後に出てきたのかは調べられなかったので、スマン。
他の神社も創立から寺の支配下ということはないだろうから神社発祥なのかもしれない。
467日本@名無史さん:2005/05/23(月) 22:00:30
奈良時代の749年(天平勝宝1)、東大寺大仏建立に際して上京した、宇佐八幡神
の紫色の輿が記録上の初見。神輿の原型は諸説あり確定していない。
468日本@名無史さん:2005/05/23(月) 23:03:13
そう言えば、神社が施設として建立されたのって・・・いつ?
寺の方が早かったの?
仏教が伝わって来て、それに対抗するように神社も建てられたとか?
469日本@名無史さん:2005/05/23(月) 23:05:39
>>464
ぶっちゃけ、タイムトリップで
その時代逝って盗撮でもしなきゃ分かりません(・∀・)ニヤニヤ
470日本@名無史さん:2005/05/24(火) 07:11:09
江戸時代、税を現金ではなく米で納めさせたのはなぜですか?
471日本@名無史さん:2005/05/24(火) 07:15:29
>>468
書いたものを探したが見つからないけど、
法隆寺のような寺院建築様式は仏教伝来以降のようだ。
それ以前掘立て柱での神殿はあったようだ。山内丸山とか吉野ヶ里で巨大建築が
あったと言われている。出雲大社も柱の遺跡からすごい高層とか言われている。
ま、もともとの神殿は清楚なもののよう。伊勢も20年ごとに作り変えている
のはその名残ではないか。
472日本@名無史さん:2005/05/24(火) 07:32:32
>>468
おおむねそれで正しい。
本来神社は山自体が神殿であり御神体だった。
473日本@名無史さん:2005/05/24(火) 07:44:04
>>464
469 のレスに言い尽くされているが、ちょいとぐぐったら結構書きこみがある。
道鏡の生年が不明だが、称徳45歳、道鏡62歳頃病気を治している。
当時の62歳がどの程度元気かが分らないが、今となっては更年期の女相手に
勝手にやってくれというところだろう。
474日本@名無史さん:2005/05/24(火) 12:57:10
天皇だから栄養がいいだろうから、45歳でもまだまだいけたんじゃないか?
熟女の深情け
475日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:01:44
義政の、うばがいいというのを思い起こす。
476日本@名無史さん:2005/05/24(火) 22:05:49
乳母がイイ!
477日本@名無史さん:2005/05/24(火) 22:22:08
>>470
天正年間に一時的に貨幣不足の時期があったから
徳川家康が重農主義者だったから
478日本@名無史さん:2005/05/24(火) 23:13:05
武家諸法度(寛永令)を起草した人って誰でしか?おしえてください
479日本@名無史さん:2005/05/25(水) 00:26:34
家康の部下で、たしか三方が原の戦(だったと思う)のときに敵方へ寝返って反乱を起こしたけど失敗して処刑された人って誰だか知りませんか。
その処刑方法が地中に首だけ出した状態で道端に埋められ、竹でつくったノコギリをその傍に置き、それをもって通行人に引かせるというむごい方法だったという人です。
480日本@名無史さん:2005/05/25(水) 01:12:42
築山殿事件に関して築山殿と淫行をかさねた家臣を岡崎の城下でノコギリ挽きの刑にしたという話?
481日本@名無史さん:2005/05/25(水) 02:47:40
チョトスレ違いかもしれない質問。

今までもそう思ってたけど、攻殻2ndGIGs見てて確信した。
五・一五の実行犯は世論の同情を計算して犯行に及んだとしか考えられない。

そこで、実行犯や彼らを無条件でマンセーしてた世論に対して痛烈な批判を浴びせた論客って当時存在したの?
最も、今以上に大衆迎合の酷かった日本のマスゴミにそんな度胸のある香具師なんて想像できないけどw
482日本@名無史さん:2005/05/25(水) 02:52:21
攻殻2ndGIGs見てというとこでレスに悩むが・・・
五・一五の実行犯は世論の同情を計算して犯行に及んだとしか考えられない理由は?
物凄く単純化した図式で歴史を捉えていないかい?
483日本@名無史さん:2005/05/25(水) 03:08:59
そう考えた理由は、犯行後大人しく逮捕され裁判で判決を待ってた事。

もし「本当は大罪だけど我々がその手を汚さなければいけない」と考えてたなら、
犯行後すぐにか動機などを全て吐き出した後にでも即座に自決するべきだったと考えてるから。
当時の日本軍の過剰なまでの武士道マンセー振り考えたらおかしくないと思う。
ま、漏れの考えも「本来の」武士道を過剰に美化してるけどな。
484日本@名無史さん:2005/05/25(水) 06:30:14
>>478
金地院崇伝

ググればすぐみつかるはずだが・・
485日本@名無史さん:2005/05/25(水) 09:53:35
江戸時代の税金も米ではなく、金納も結構多いよ
486日本@名無史さん:2005/05/25(水) 12:49:46
>484
ありがとうございます
携帯からなものでググるのが大変で・・・
487日本@名無史さん:2005/05/25(水) 20:00:08
>>472
山だけじゃなくて海とかあらゆるものが信仰対象だよね?
488日本@名無史さん:2005/05/25(水) 20:27:23
忠臣蔵 松の廊下刃傷事件について質問です。

赤穂藩は勅使応接役で、吉良はその指導係だったんですよね。
しかしながら勅使は幕府の客のはずです。なにゆえ赤穂藩が応接役なのでしょうか?
大事な勅使の相手を幕府が赤穂藩に丸投げ?
普通、幕府が直接応接すると思うのです。

489日本@名無史さん:2005/05/26(木) 11:04:39
よく時代劇で籠から降り草履を履き歩いて玄関に向かい草履を脱ぎ式台に上がりますが、式台というのは籠から土を踏まずに
玄関に上がるためにあると聞きますが実際はどうしてたのでしょうか?
490日本@名無史さん:2005/05/26(木) 16:24:54
>>483
実行犯の気持ちまではわからないけど、当時の世論は犯人にかなり怒っていた人が多いです。
491日本@名無史さん:2005/05/27(金) 22:32:36
時代小説なんかで、「酉の刻に来い」とか「もう四つか」とか「一刻ばかり待ってくれ」
と時間を表す言葉が出てくるが、時計なんかない時代、時間をどうやって知ってたの?
日が照ってればわかるかもしれないけど、曇りとか夜とか…。
492日本@名無史さん:2005/05/27(金) 22:50:42
各地に時間で鳴らす鐘があった
聞こえる範囲の住民たちの支出でまかなっていた
493日本@名無史さん:2005/05/27(金) 23:18:34
鐘を鳴らす人はどうやって時刻を知ったの?
494日本@名無史さん:2005/05/27(金) 23:32:41
>>493
時計
495日本@名無史さん:2005/05/28(土) 01:48:45
>>488
勅使応接役ではない。勅使饗応役だ。
赤穂藩は幕府の人間。何の問題もない。
496日本@名無史さん:2005/05/28(土) 01:56:57
いたずらで嘘の鐘を鳴らすような人はいなかったの?
497日本@名無史さん:2005/05/28(土) 02:09:08
卑弥呼=神功皇后=モモソ姫と言うのはOKなんででしょうか?
ボクの教授曰く、これが証明できればミッシングリンクは解けたも同然とのたまっているんですが。
ついでに邪馬台国の謎もいわずもがなとか。。。。。
498432:2005/05/28(土) 06:59:24
カズトモでした。
http://wine.wul.waseda.ac.jp/search*jpn/a?SEARCH=%90%CE%88%E4+%88%EA%92%A9+
別著者等 石井 一朝, 1918-
イシイ, カズトモ, 1918-
ishii, kazutomo, 1918-
499日本@名無史さん:2005/05/28(土) 09:04:16
質問です。

最近、橋業界の談合が問題になっていますが、
この談合っていつごろから日本に存在している
ものなんでしょうか?

江戸時代の頃にもにたようなものがあったんでしょうか?
500日本@名無史さん:2005/05/28(土) 09:16:08
>>499
奈良に、談山神社ってのはあるな。
八王子の向こうに談合坂だか談合峠がある。
もともとは、人が話をすれば談合だった。田舎で部落の「寄り合い」ってのもあったが、
合法不法は関係ないことだが、今やよからぬ話し合いのこととなった。
501日本@名無史さん:2005/05/28(土) 11:41:17
>>488
大名たちは、武臣として徳川幕府に仕えています。
ということは、幕府の指令に応じて、本人が従軍する義務があるわけです。
(参勤交代で、江戸に詰めるのも建前上はそういう理由からです。)

ところが、太平の世になると、従軍する・させる機会がありません。
つまり、「大名は幕府の家来だぞ」「幕府は大名の主人だぞ」と
確認・アピールする機会もないということです。

幕府はそうやって、再建大坂城、姫路城、駿府城、名古屋城をつくりました。
でも、そういった建築事業も一段落してしまうとどうするのか、
そこで考え付いたのが、勅使の接待とかそういった「政治向きでないお役目」に
大名たち本人を動員することです。
大名たちは、武臣であると同時に所領では行政官であり、「家」という単位での
外交官でもあるから、そういった能力も期待できたからです。

つまり、幕府に大名が奉仕することによって、幕府・大名間の主従関係を
再確認する、その手段として「勅使饗応役」は利用されている、ということです。


502日本@名無史さん:2005/05/28(土) 11:45:22
>>501
どわ。文章が抜けてた。

>確認・アピールする機会もないということです。

>幕府はそうやって、再建大坂城、姫路城、駿府城、名古屋城をつくりました。

この間に、次の文章を入れてください。

「そこで考え付いたのが、城の建築事業に大名を動員することです。
城の建築は、大名が多数の人員と物資を提供して、幕府のために軍事施設を
建設するという意味で、軍役と似通った性質をもっています。
これは「天下普請」とよばれました。」

503499:2005/05/28(土) 12:03:20
レスありがとうございます。

日本は今後も自由主義を信奉しながら裏で談合が続くいった
矛盾を抱え続けていくんでしょうかね。
504日本@名無史さん:2005/05/28(土) 12:35:47
>>503
ちくり裏事情や経済関係の板の方へどうぞ
505日本@名無史さん:2005/05/28(土) 12:45:50
>>499
そういえば中央高速に談合坂というのがあるから江戸時代には、
多分武田信玄の時代からあったのでは
506日本@名無史さん:2005/05/28(土) 13:44:47
>>496
死罪になるのに?

>>499>>503
日本は社会主義国だが?
507日本@名無史さん:2005/05/28(土) 19:10:56
>>506
今の人はそれだけでは分らないのではないか。

談合した会社が儲けた分、たとえば橋が10本で1本分丸儲けなら
これまで作った橋の本数から逆算して、その本数の橋を手弁当で
作らせるといいのだが。子々孫々でな。食い逃げはいかんぜよ。

最近ぼちぼち不正支給の金は関係者で返還とか出ているし....、
それに倣うようにしたがいい。
508日本@名無史さん:2005/05/28(土) 21:46:06
談合は業界の順風美俗。
509日本@名無史さん:2005/05/28(土) 23:17:31
ともいえるし、歴史を遡れば「間引き」の思想でもある。
510499:2005/05/28(土) 23:52:51
皆さん、色々とレスして頂き、ありがとうございます。

もっと日本史について勉強してみます。
511日本@名無史さん:2005/05/29(日) 16:18:47
明治天皇は実は政治に口出しをよくしていたというのは
本当でしょうか?
512日本@名無史さん:2005/05/29(日) 17:53:00
幕末あたりの小説はよく読んでいるのですが
太平洋戦争ものの小説世みたいです
どういうのがあるでしょうか
おすすめの本教えてください
513日本@名無史さん:2005/05/29(日) 18:58:18
『興亡と夢』三好徹の名著
514日本@名無史さん:2005/05/29(日) 19:38:48
飯盛り女って何するの?
515日本@名無史さん:2005/05/29(日) 19:44:21
井沢さんの逆説の日本史はギャグなんでしょうか?
それともマジなんでしょうか?
516日本@名無史さん:2005/05/29(日) 20:03:03
>>514
売春
517日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:50:50
>513
レスありがとうございます
結構ボリュームありますね
でもこれにしてみようかなあ
518日本@名無史さん:2005/05/29(日) 21:56:23
面白い際と見つけました
ttp://m-take-web.hp.infoseek.co.jp/sen1a.html
たくさんあるなあ
有名どころは何でしょうか
519日本@名無史さん:2005/05/30(月) 02:21:27
>>514
食事の世話と>>516
520日本@名無史さん:2005/05/30(月) 12:36:27
明治天皇は後半、政治に口出ししてたようです。
前半はガキでしたからw
521日本@名無史さん :2005/05/30(月) 20:09:09
大隈が足を悪くしたのは1889年に玄洋社の人に襲われたのが原因でしょうか?
その事件に〇〇事件みたいな名前はありますか?
襲った原因はなんでしょうか?

522日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:15:13
藤原京の「藤原」と藤原氏の「藤原」にはどのような関係があるのでしょうか?
523日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:34:38
城跡の隣は処刑場がデフォルトなのでしょうか?
524日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:43:55
>>521
1889年10月18日、外務大臣を務めていた大隅重信が条約改正を審議する
閣議を終えて、馬車に乗って外務省に戻ってきたところ、門の付近で待
ち伏せしていた男が爆弾を投げつけるという事件が発生した。

その爆弾により、御者は吹き飛ばされ、大隅重信も足に重症を負った。
犯人は玄洋社の来島恒喜31歳
来島はその場で皇居の方角に向かって正座をしたかと思うと、短剣を
抜いて自害した。
足に爆撃を受けた大隅重信は病院に運ばれ一命を取り留めたが、右脚を
切断するほどの重症だった。

その後、大隈は自分の足を吹っ飛ばしたテロリスト来島恒喜を手厚く葬り、
墓に墓碑を建てている。
525日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:51:20
条約改正案に不満だった
裁判官に外国人の登用
526日本@名無史さん:2005/05/30(月) 21:52:25
赤化ってどういう意味ですか?
527日本@名無史さん:2005/05/30(月) 22:27:30
>>526
共産主義化のこと。
赤=アカは、共産主義の隠語。
共産主義の使う旗が赤かったから。
ソ連や中国の旗赤かったでしょ?
528& ◆SqE9ztsq92 :2005/05/31(火) 00:17:43
>>527
>共産主義の使う旗が赤かったから
違う。赤は血の色。旗はそれを表現したに過ぎない。
529日本@名無史さん:2005/05/31(火) 00:34:01
何が違うのか分からない
530日本@名無史さん:2005/05/31(火) 00:39:52
>>529
お前、バカか?
>共産主義の使う旗が赤かったから
こんな書き方をすれば、共産主義=赤の由来があたかも旗にあるかのように誤解されるだろうが。
531日本@名無史さん:2005/05/31(火) 01:11:56
共産主義=赤の由来はフランス革命だがな・・・
もっともロシア語の「赤い」は「美しい」と同語源の単語らしいが・・・


旗に赤を用いる由来は、血だったり情熱だったり様様で国によって違ふらしい。
532日本@名無史さん:2005/05/31(火) 07:22:14
>524
高校のとき授業で習ったが大隈が失脚したというのは
ずっと忘れないです
533日本@名無史さん:2005/05/31(火) 07:49:37
>>532
早稲田大学の入試問題に大隈はどちらの脚を切断したかを問う問題があったよ。
534日本@名無史さん:2005/05/31(火) 07:55:29
>>524
>手厚く葬り
なんで???
535日本@名無史さん:2005/05/31(火) 09:06:38
与力は旗本じゃないそうですが、そうすると御家人なんですか?
同心は御家人ですか?
小十人(旗本)>与力
小十人>徒士(御家人)
与力>同心
徒士>同心
だとは思いますが、与力と徒士ってどっちが上なんですか?
黒鍬あたりは譜代だから同心より上でしょうか?
536日本@名無史さん:2005/05/31(火) 09:55:50
中の人は同じ
537日本@名無史さん:2005/05/31(火) 10:50:54
>>535
>与力は旗本じゃないそうですが、そうすると御家人なんですか?
与力は御家人だが、御家人も旗本である。

>与力と徒士ってどっちが上なんですか?
与力>徒士=同心
538日本@名無史さん:2005/05/31(火) 10:59:29
>>534

意気に感ず
539日本@名無史さん:2005/05/31(火) 12:54:45
極東国際軍事裁判のFLASHの最期に蒋介石が
南京で大虐殺などあるはずがない松井大将は冤罪で殺されたってあるけど
本当にそんなこといったんですか?
540日本@名無史さん:2005/05/31(火) 12:59:27
>>526
朱にまじまわることです
541日本@名無史さん:2005/05/31(火) 13:17:49
>>522
藤原は地名。藤原氏は地名を氏にもらった。
藤原の地の都だから藤原京。
542日本@名無史さん:2005/05/31(火) 13:18:43
>>539
言ってない
543日本@名無史さん:2005/05/31(火) 13:38:52
>>526
>>527は誤り。そもそも赤旗は共産主義の象徴ではなく、革命の象徴。
革命における流血の色だった。
のちに赤旗=革命=共産主義、という図式ができあがって、
それ以降共産主義以外の革命家は赤旗を避けるようになった。
544日本@名無史さん:2005/05/31(火) 13:46:44
足軽奉行ってどのような職で、どの程度の地位だったのでしょうか?
どなたかご存じでしたら教えて下さい。
545日本@名無史さん:2005/05/31(火) 15:06:18
>>544
いつの時代の何家で?
546522:2005/05/31(火) 17:47:57
>>541
ありがとう。よくわかりました。
547日本@名無史さん:2005/05/31(火) 18:37:15
東条英機って何か日本にプラスになることしたんですか?
ただ戦争始めただけですか?
548日本@名無史さん:2005/05/31(火) 19:24:15
>>547
戦争始めた時の総理は近衛じゃない?
549日本@名無史さん:2005/05/31(火) 21:05:30
>>547
大日本帝国の最期、真実はどこに・・・、極東国際軍事裁判というFLASHを見るコトを進める
東条英機(日本国民)は日本(アジア全体)の存亡をかけて戦ったんです
550日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:08:14
>>549
で、負けたわけだ。
551日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:35:08
釣りだろうが、
日本が招いた戦争だ。
あの状況でドイツと軍事同盟を結んで南進すればば当然の結末。
552日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:41:01
>>550
試合に負けて、勝負に勝った。
553日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:45:47
>>551
アメリカがそう仕向けたというのはご存知で?
554日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:47:33
>>550
戦争には負けたが目的は達成した
日本は負けて勝ったんですよ 詳しくは各サイトで調べてね
555日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:48:25
断ち切ってすまんな
質問なんだけどなんで維新後、
西南諸国の反乱が多かったんですか?
556日本@名無史さん:2005/05/31(火) 22:56:56
田舎だったから
557日本@名無史さん:2005/05/31(火) 23:00:54
>>555
幕府を打ち倒した自分達に対する扱いが軽いと彼らが考えたから。
皆が皆、維新政府で活躍できたわけじゃないしね。
そこへきて廃刀令や秩禄処分で士族の特権も消え去り、徴兵令で武士階級そのものが無意味になった。
558日本@名無史さん:2005/05/31(火) 23:05:36
>>555
ドミノ
559日本@名無史さん:2005/05/31(火) 23:11:57
>>557
ありがとうございます
その扱いがかるい ということは具体的にはなんでしょうか…??
たしか、選挙権とかは他の県に比べれば雄藩(佐賀とか薩摩)はダントツにいい
のですが、やっぱりそれでも不満だったんでしょうか…?

考えられる理由は
1士族の特権奪われた
2征韓論を新政府が却下したことによる不満
3東京遷都(的がずれてるか)
4指導者がいなくなったことによる県内の不安定
です
しかし1、は士族全体に当てはまるし…3は京都だし、で
色が濃いのは2,4ですが、なぜ西南諸国が?といわれたら之も
明確ではないと思うのです…。
農民に関しては全国的に同じだと思うのでなんともいえないのです。(農民一揆に関して)
やはり、県民性でしょうかね…。
薩摩藩などは特に…。
560日本@名無史さん:2005/05/31(火) 23:44:05
>>559
関ヶ原で負けて以来250年、その間西南諸国(その中の西軍側)はずーっと耐えてきたわけです。
領地を削られたのに人は減ってないから俸禄が削られて下士の生活は苦しいものでした。
西郷さんなんかも半分は農民の郷士で随分苦労してます。長州もです。
その間戦もなく領地を増やす機会も恩賞をもらう機会もありませんでした。
そこへ戊辰戦争が起こり、憎っくき徳川幕府を打ち倒した。
それまでの感覚なら勝ったほうが負けたほうの領地を分捕って、配下にも多大な恩賞があると考える
のは不自然ではなかったのです。
ところが最早そういう時代では無かった。
日本を近代国家にしようと志す維新政府の人達はそうした願望をコナゴナに打ち砕いてしまった。
だけど皆が皆、目が開けてるわけじゃなかったし、政治で活躍できるのも極一部だけ。
武士の生活の基盤としての俸禄を打ち切られ、精神的なよりどころである武装する権利と戦う権利を剥奪された。
自分達を蔑ろにしていると彼らは思ったわけです、事実そうでしたし。
端的に言うと自分達はもっと良い目が見られると思っていたのに当てがはずれたということです。
もちろん西郷の下野等引き金になった出来事はありますが根底にはそういう理由があります。
薩摩と他の雄藩は多少区別する必要があるかもしれませんけどね(西郷の人望は大変に篤かったので)。
561日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:01:35
そんな奇麗事じゃないと思うけど。
政府主流になれなかった面子が最初は武力蜂起した。
でも日本最強と思われた薩摩の士族が政府軍に負けたから、
自由民権という「大義」を掲げて議会での巻き返しを図った。
自由党・改進党が与党になった時の猟官運動の凄まじさと、
その後の選挙で議席を守るために凄まじい選挙妨害をしまくったことを見れば彼らが
いかに主流派になることに執着したかハッキリしている。
政治なんて主流派・多数派にいなければ具体的な政策実現もできんから仕方ないっちゃ仕方ないが。
562日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:08:55
ひどく初歩的な質問ですが、ご容赦ください。
江戸時代の藩は、いくつ位あったのでしょうか。
時期により増減があると思うので、大体の数を教えてください。
563日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:11:09
横レススマソ
560から561の流れで漏れはいいと思うんだけど
>561
>でも日本最強と思われた薩摩の士族が政府軍に負けたから

虚像としての西郷が斃れたから

で、いいんじゃないの?日本最強って何だよw
564日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:18:14
>>562
300
廃藩置県のとき1使3府302県
565日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:18:49
>>560
>>561
>>563
ありがとうございます!
薩長には根底にそのようなものが流れていたのですね
そのようなりゆうで明治政府に反抗したんですね。
でも、にっくき幕府 と言っても、薩摩は長州とはちがい
幕末当時幕府側だったのはなぜですか?
566日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:22:31
>>563
>と思われた
というのがミソでそれが全て。
567日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:26:13
>>565
薩摩と将軍家に婚姻関係があった事、
老中阿部正弘と薩摩藩主島津斉彬が親しかった事、
ペリーが浦賀に来る前に薩摩支配下の琉球に立ち寄っていたので
薩摩からの情報を幕府が必要としていた事。
その3つぐらいが主な要因。
あとは互いに利用し合ってた。
568日本@名無史さん:2005/06/01(水) 00:31:11
>>565
おお。ありがとうございます!!!
やっぱり薩摩は強いという印象をうけます
もし、薩摩が幕府側のままだったら維新はどうなっていたとおもいますか??
意見が聞きたいです!
長州の兵力では幕府は倒せなかったと私は思いますが…
569562:2005/06/01(水) 00:33:57
>>564
ありがとうございます
570544:2005/06/01(水) 01:37:00
>>545
具体的でなくてすみませんでした・・・。
知りたいのは、秋田に移封後の佐竹藩です。が、江戸時代に
おいての他の藩でも結構ですので、ご存知でしたら教えて下さい。
571日本@名無史さん:2005/06/01(水) 01:44:27
志賀島で見つかった金印の篆刻
   【漢委奴国王】
は、素直に漢文読みして
『漢の隷属(下僕)国の王に委ねる』
とかって意味だと思うのですがどうでしょうか?
572日本@名無史さん:2005/06/01(水) 02:01:32
朝鮮は支那語で貢物(朝)少なし(鮮)って意味。というぐらいの珍説
どこから拾ってきたのか潮騒を>>571
573日本@名無史さん:2005/06/01(水) 02:45:23
>>572
いえ単なる思い付きなんですが珍説ですかね?w
『親魏倭王』を読み下せば、『魏と親しい倭王』程度の意味に読んでよいと思うのですが、

伊都国だの奴国(字の成り立ちから調べなおしても「ナ」なんて読みは無い)だの匈奴と同じように倭奴だのって解釈の方が
委を倭と思い込む前提にしか考えてない定説と思ったもんですが?
574488:2005/06/01(水) 08:55:56
遅くなってしまいましたが、レスありがとうございました。
事情が良く分かりました。
575日本@名無史さん:2005/06/01(水) 11:02:45
>>571
漢文の文法どうりにすると
「漢委奴」を「漢の倭奴」と読むのも「漢の倭の奴」と読むのもNGかと
後はがっこのせんせにでも聞け
576日本@名無史さん:2005/06/01(水) 11:53:56
>>553
アメリカがどう日独同盟と南仏進軍を仕組んだとw?
577日本@名無史さん:2005/06/01(水) 12:45:20
六百石くらいの中級武官の印で候が侯になってたりしてるから、
どうでもいい程度の印は面倒くさいから画数の少ない字で置き
換えるとかはあったんじゃないの。
どうせ蛮族にやる印で貰った方が字なんか読めるわけないんだし。
578日本@名無史さん:2005/06/01(水) 13:58:33
関東大震災のとき、ものすごい熱と水蒸気で発生した
不気味な積乱雲の白黒写真を見たことがありますが、
ということはその日、東京の夕刻は雷雨だったのですか?
579日本@名無史さん:2005/06/01(水) 14:04:04
>>570
中級
580日本@名無史さん:2005/06/02(木) 17:36:28
581547:2005/06/02(木) 17:55:55
現在では、東京裁判は間違いだったという認識の人が多数なんでしょうか?
それとも右翼とかの人たちだけが言ってるんですか?
それと、この裁判で死刑になった人たちは靖国神社に祭られてるんですか?
582日本@名無史さん:2005/06/02(木) 19:51:35
>>581
>現在では、東京裁判は間違いだったという認識の人が多数なんでしょうか?
こんなの統計取ってると思いますか?
>それとも右翼とかの人たちだけが言ってるんですか?
違いますね。
>それと、この裁判で死刑になった人たちは靖国神社に祭られてるんですか?
はい。

つかまず自分で調べた上でわからなくて質問してるようには見えない。
お前何一つ検索してないだろ。
それとも質問スレで啓蒙活動してるつもりか?
583日本@名無史さん:2005/06/02(木) 19:58:54
馬鹿、怠慢にレスする奴もどうかな
584日本@名無史さん:2005/06/02(木) 20:26:51
>>580
585日本@名無史さん:2005/06/03(金) 06:02:45
旗本の領地ってのはたいていの場合、いろんな所に点在していますよね?
在地で政務を代行する人は、旗本の家臣なのでしょうか?
それとも誰かに任せて、収穫の何割かを手数料としてもらうのですか?
586日本@名無史さん:2005/06/03(金) 06:16:13
江戸時代に、池田家と永井家は江戸城内で顔をあわせないようにと
幕府から気をつかわれていたそうですが、なぜでしょうか?
荒木又右衛門の敵討ちが原因と聞いたことがあるのですが、一介の名もない藩士が
起こした事件がなぜ、藩同士を仇敵にしたんですか?
587日本@名無史さん:2005/06/03(金) 06:46:32
>>585主に庄屋。
588日本@名無史さん:2005/06/03(金) 07:21:59
>>586
池田輝政の父池田恒興が小牧長久手の戦いで永井直勝に討ち取られたから。
589日本@名無史さん:2005/06/03(金) 11:05:26
東条英機が天皇の前で泣いたってことを書いてあったサイトを張ってもらえませんか?
590日本@名無史さん:2005/06/03(金) 11:12:29
591日本@名無史さん:2005/06/03(金) 14:44:49
大日本電草地ってなんですか?
592日本@名無史さん:2005/06/03(金) 14:57:08
ところで皆さん何歳くらいなの?
593└|∵|┐:2005/06/03(金) 15:25:48
コテデビューです
よろしく
594日本@名無史さん:2005/06/03(金) 20:45:05
>>588
ここのサイトだと、荒木の仇討ちが原因と書いてあるね。
原因は知らんが
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/kakaku01.html
595日本@名無史さん:2005/06/03(金) 21:53:29
どうして「大岡越前守忠相」という表記になるのでしょうか?
律令制度が関係していると聞きましたが。
596日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:27:49
>>595
マルチ死ね
597日本@名無史さん:2005/06/04(土) 06:32:01
>>595
「大岡忠相」という人物が「越前守」の官職についたから。
呼び方としては、羽柴筑前や明智日向や根岸肥前と一緒だよ
598日本@名無史さん:2005/06/04(土) 08:50:11
>>597
それよか吉良上野介の方が有名
599日本@名無史さん:2005/06/04(土) 16:50:12
今初心者質問スレの過去ログを漁ってFAQを作っています。できるまであと二週間ぐらいかかりそうです。
600日本@名無史さん:2005/06/04(土) 18:44:05
601日本@名無史さん:2005/06/04(土) 18:57:22
そういやなんで吉良上野介って名で知られてるんだろうね。
確か少将まで官位を進めたんじゃなかったっけ?
仮名手本忠臣蔵の由来かと思って調べてみたら、高師直は武蔵守だし……
602595:2005/06/04(土) 19:04:34
>>600
ありがとうございます。参考になりました。
603日本@名無史さん:2005/06/05(日) 11:27:28
勅使の接待ってそんなに疲れるの?
勅使の接待関連で、大名同士の刃傷事件に発展したことが何度もあるけど。
604日本@名無史さん:2005/06/05(日) 11:59:44
何故明治新政府は、幕藩体制を変えて、中央集権国家を作ろうとしたのですか?
(廃藩置県・版籍奉還の政策など)
地方分権じゃ出来ない事がきっと中央集権だと出来ると思ったからでしょうけど、
具体的にどんなことが出来たんですか?
廃藩置県・版籍奉還を行なった意義はなんだったんですか?
605日本@名無史さん:2005/06/05(日) 13:56:50
国家総動員の富国強兵
606無知の推測なのでスルー可:2005/06/05(日) 14:11:39
>>603
実際に、自分で接待すればわかる。
現代でもかなり緊張する。当時は失敗すれば、良くてお家お取り潰し、下手すりゃ切腹の可能性もある。。
それに、あちらこちらに袖の下を配っていかなくてはならず、その物入りに頭を痛めるのだろう。

>>604
地方分権だと、また力を持った奴が現れて、自分たちの政府が潰されると思ったんだろう。
それも含めて、革命というのはそれまでの政府(政治)を否定するものだから、新しいものを取り入れようと思ったんじゃないのか?
607日本@名無史さん:2005/06/05(日) 14:17:25
>>604
薩長は藩単位で外国と戦って負けてる
国をまとめないと駄目だと考えるのは当然だろう
608日本@名無史さん:2005/06/05(日) 16:51:38
当時の世界情勢を考慮にいれればすぐに結果が見えると思うんだが?>中央集権
609日本@名無史さん:2005/06/05(日) 23:39:22
創価4代目会長の北条なんとかって人が、
後北条氏の末裔という噂は本当ですか?
610日本@名無史さん:2005/06/06(月) 09:11:54
噂は知らないが、
後北条氏の末裔なんて多いから別にたいしたことではない
611日本@名無史さん:2005/06/06(月) 09:16:30
江戸時代の花魁って、妊娠した時にどうしてたんでしょうか?
今のように避妊は出来なかったでしょうし、麻酔などが発達してなかったとすると
どうしていたのか不思議です。
花魁のことが載っているサイトを見てもその辺のところが記載されていません。
ご存知の方教えてください。
612611:2005/06/06(月) 09:17:03
すみません、間違ってsageちゃいました。
613日本@名無史さん:2005/06/06(月) 09:43:38
>>611
江戸時代にも、避妊具あるよ
614日本@名無史さん:2005/06/06(月) 10:20:46
あるけど使用率はそんなに高くないんじゃないかな。
ソースは示せないが・・・
妊娠してしまったら、堕胎。まあ生むこともあるだろうけど。
寒い夜に冷たい水に漬かって流産させるなんてのはソフトなやり方だが、
エグイやり方で処分することが多い。ちょっと書きたくないので検索してくれい。
615日本@名無史さん:2005/06/06(月) 10:29:04
>>613
あったんですか!ちょっと調べてみます。
>>614
麻酔もないのに堕胎してたんですか…。
職業柄、避妊しないと年がら年中堕胎することになりそうですね。

レスどうもありがとうございました。
616日本@名無史さん:2005/06/06(月) 14:51:23
これも書きたくない事だが、生まれた後に始末する事も多かった。
617日本@名無史さん:2005/06/06(月) 19:04:58
コンドームには魚の浮き袋を使ったなんていいますね。
堕胎術としては掻爬(そうは:体内のものを掻き出すこと)術を用いたり、
水銀を飲むなんてのも。上にある冷たい水に下半身を漬すのもポピュラー。
ちょっと時代が下ってからは、マッチの先を飲み込んだりもしたらしい。効果があったんでしょうかね?

※絶対に真似しないように!
618日本@名無史さん:2005/06/06(月) 21:44:36
油紙かなんかの紙を膣の中に入れてそれに吸い込ませてた。
お酢で膣内洗浄。
・・・とかは聞いたことあるな。
619日本@名無史さん:2005/06/07(火) 11:45:32
【江戸時代の避妊】
近世の避妊について,《日本産科叢書》などの専門の産科書からは情報を得ら
れないが,現実に避妊が行われていたことは,文芸作品などからうかがうこと
ができる。
おもなものは次のとおりである。
(1)朔日丸(ついたちがん) 毎月1日に飲めばその月は妊娠しないといわれた。
引札に〈代百文〉とある。
(2)灸(きゆう)《鍼灸重宝記》(1718)に〈合谷,陰交,石門〉等の灸穴が有効
だとある。雑俳では〈白毫(びやくごう)〉と呼ばれた。
(3)甲形(かぶとがた) 現在のコンドームに相当する。《女容婦美硯》(1770ころ)
に〈子のとまらぬくふう〉とある。
(4)詰め紙 紙を丸めて,外子宮口に当てがって使用する。遊女などが用いた。

以上いずれも,現在の知識からみるとその効果は疑わしい。  
620日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:50:44
江戸時代の旗本は、だいたい五千石クラスでどれくらいの陪臣を
養っていたのでしょうか?
また、旗本の陪臣はどのような仕事をしていたのでしょうか?
621日本@名無史さん:2005/06/08(水) 15:59:39
>>620
レスがないようなので参考に。
まず、「軍役令」でぐぐってみたらどうでしょう。軍役令は何回も出ていて段段
軽減されています。
旗本のではないのですが、長州藩の資料に寛永10年(1633)の軍役令での
藩の体制の説明があり、先ず5000石だと騎乗の武士5人とその他23人と
なっています。その他は鉄砲、槍、旗などの必要数からの換算です。
騎乗の武士(200石以上が該当)は禄高でまた供の数が決まっています。
200石なら、侍1人とその他7人です。騎乗の武士5人とも200石なら
5x9=45人になります。先の23人を加えると68人です。
(5000石貰って1000石しか陪臣に出していないのかオカシクはあり
 ますが)
1万石の大名は総勢235人とかの数もありますので、騎乗の武士5人が全部
200石ではないでしょうから、5000石なら100人は超えて大名の
数の半分に近い数になるんでしょう。
で、陪臣というと正規の武士ですから、騎乗の武士を含む禄高を食んでいる
人間になりますが、数十石の禄とかの話もよくありますので、5人以上どれ
位かは見当がつきません。知行地があちこちに分散していたりするとそうで
ない旗本に比べれば人数は必要だったかも知れません。
また陪臣の仕事ですが、江戸の町奉行の話などでは萩藩の用人が奉行に会う
前に奉行の用人にねまわして奉行に会ったり奉行の伝言を聞くくだりがあり
ますので、課長が部長の手足になり係長は課長の手足になるようなことと似
ていると思います。
尚、財政が苦しくなり禄の召し上げとかあるので時代が下るとこの人数も
あやしくなるようです。中間もパートですますとかね。いつの世も同じ。
622日本@名無史さん:2005/06/08(水) 21:54:27
山田浅右衛門の家は代々浪人の身分であったのにも関わらず、
職業柄相当、裕福な生活を送っていたようですが
金持ちの浪人という当時の社会常識から外れた振る舞いを幕府はどう見ていたのでしょうか
623日本@名無史さん:2005/06/08(水) 21:57:28
システムに組み込まれてるんだからどう見るも何もないと思うが…
624日本@名無史さん:2005/06/08(水) 23:01:16
625日本@名無史さん:2005/06/09(木) 13:20:05
皆さんは昔の新聞(明治〜昭和初期)を見るのに、どうしていますか?
近所の図書館には、戦後からの分しかなくて困っています。何か安く見る方法はないでしょうか?
比較的大きい図書館に行くのにも、数千円はかかってしまいます。よろしくお願いします。
626599:2005/06/09(木) 17:26:05
FAQサイト作りますた。↓

http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/

627日本@名無史さん:2005/06/09(木) 18:14:17
遙人と在庁官人の違いを教えてください
628日本@名無史さん:2005/06/09(木) 18:16:24
ごめん、却下
629日本@名無史さん:2005/06/09(木) 18:27:00
>>628
何が?626?
630日本@名無史さん:2005/06/09(木) 20:31:58
>>626
今ざっと読んできましたが、コピペする際の文章のカットがちょっと雑ですね。
ぶつ切れで意味が通らなくなってたりする箇所がいくつか。
サイト内に掲示板でもあればそこで指摘したいところですが…。
ともかく、熱意はステキ。ご苦労様。
631日本@名無史さん:2005/06/09(木) 20:35:10
>>626
ヘタクソ
632日本@名無史さん:2005/06/09(木) 20:59:50
>626
630も指摘しているけど>の使い方を再考した方がいいのでは。(色を変えるとか)

それと論争のあったところはレス主が明らかな場合、どの発言を誰が書いたのか区別しないと
当事者いがい区別できないような。。。

まぁ何はともあれ御苦労様。気長に少しづつ手をいれていってください。
漏れは基本的に書き捨てなんだけど、今読み返すと赤面するような回答をしているところが多々
見受けられたので、これを期にもう少し真面目に回答することにします。
633日本@名無史さん:2005/06/09(木) 21:57:01
三大史書って何ですか?
634日本@名無史さん:2005/06/10(金) 00:39:52
織田信安は信長に追われた後、あちこちを流浪して土佐山内家に
二百石を与えられ、客分として一生を終えたらしいのですが
その子孫はどうなったんですか?
635日本@名無史さん:2005/06/10(金) 02:04:45
636日本@名無史さん:2005/06/10(金) 10:50:04
>>633
扶桑略記・日本書紀・大日本史
637日本@名無史さん:2005/06/10(金) 11:02:57
三大史論なら
愚管抄(慈円)、神皇正統記(北畠親房)、読史余論(新井白石)

中国三大史書なら
史記、漢書、後漢書
638日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:01:08
着用中の義肢を生身を傷つけることなく破壊した場合、器物損壊か障害のどっちですか?
639日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:18:57
板違い
640日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:57:01
>>599

しかしネスケ7.1では正常に作動しない。
641日本@名無史さん:2005/06/10(金) 16:01:27
Firfonxでも作動しないな
642日本@名無史さん:2005/06/10(金) 16:02:24
firefox
643日本@名無史さん:2005/06/10(金) 17:47:03
637 ありがとうございました。四大土地改革は太閤、地租、農地 あと一つは何ですか?
644日本@名無史さん:2005/06/10(金) 18:00:15
FAQにある中岡慎太郎が竜馬暗殺を手引きしたという説は
誰が出してるんですか?
645日本@名無史さん:2005/06/10(金) 18:50:50
天智・天武帝のころの日本は
朝鮮半島+九州+近畿中国地方の連立王国のような
状況であったという認識でよろしいか?
だから天武は朝鮮人(新羅人)であってもおかしくないよね?
646誘導:2005/06/10(金) 22:30:14
>>645
【暗殺?】天智と天武【兄弟?】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1045471651/l50
647日本@名無史さん:2005/06/10(金) 23:19:27
七生報国の読み方は「しっしょう」でよいのでしょうか?
648日本@名無史さん:2005/06/10(金) 23:25:38
普通に読めよ…
649日本@名無史さん:2005/06/11(土) 00:43:10
>>647
しちしょうほうこく
650日本@名無史さん:2005/06/11(土) 13:53:03
槍よりナギナタが主流の時期が有りましたが、
どういう利点があったのでしょう。
生産コストで不利そうです
651日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:07:54
学校で教えられているここが嘘の歴史 みたいな感じのスレは
あるんですか?
652日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:47:50
>644
井沢
653日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:02:35
BSフォーラム
「世界を揺るがした日露戦争」
 
  ロンドンスクールエコノミックス名誉教授…イアン・ニッシュ
               ハーバード大学教授…入江  昭
          モスクワ大学教授…オレグ・アイラベートフ
                歴史学者…ブルース・メニング
                歴史学者…ドミニク・リーベン
                 東京大学助教授…加藤 陽子
                慶応義塾大学教授…横手 慎二
  〜東京・経団連会館ホールで録画〜

NHKBSのこの番組見てたら
「日露戦争は世界大戦なのか?」で出席者が意見を述べてた
日本国内で世界大戦と名づけようと言う運動でもあるの?
654日本@名無史さん:2005/06/11(土) 20:22:57
>653
その番組はみていないが岩波講座の『日本歴史』でも
日露戦争は世界中で同時進行していた抗争の代理戦争的
位置づけだったが?
655日本@名無史さん:2005/06/11(土) 23:11:07
>>643
班田収受
656日本@名無史さん:2005/06/12(日) 00:30:13
平将門の乱に関連した「興世王」っていますよね?
王って付いてるってことは天皇の孫だったと言うことですが、
どの天皇の孫なんでしょうか?
657日本@名無史さん:2005/06/12(日) 01:56:49
>>656
幸田露伴著 『平将門』より
「興世王とは如何なる人であるか、古より誰も余り言はぬが、既に王といはれて居り、又経基との地位の関係から考へて見ても、帝系
に出でゝ二代目位か三代目位の人であらう。高望王が上総介、六孫王が武蔵介、およそかゝる身分の人がかゝる官に任ぜられたのは
当時の習であるから、興世王も蓋し然様いふ人と考へて失当でもあるまい。其頃桓武天皇様の御子万多親王の御子の正躬王の御後に
は、住世、基世、助世、尚世、などいふ方々があり、又正躬王御弟には保世、継世、家世など皆世の字のついた方が沢山あり、又桓
武天皇様の御子仲野親王の御子にも茂世、輔世、季世など世のついた方々が沢山に御在であるところから推して考へると、興世王は
或は前掲二親王の中のいづれかの後であつたかとも思へるが、系譜で見出さぬ以上は妄測は力が無い。たゞ時代が丁度相応するので
或はと思ふのである。日本外史や日本史で見ると、いきなり「兇険にして乱を好む」とあつて、何となく熊坂長範か何ぞのやうに思
へるが、何様いふものであらうか」
658日本@名無史さん:2005/06/12(日) 04:59:09
スレ立て依頼してもいいっすか?
スレ名は「函館政府について」
本文は以下の文章をコピペしてください。

総裁榎本武揚率いる旧幕軍が蝦夷を目指し北上し、
五稜郭を占領、松前藩を倒し、1868年12月15日に新政府を樹立した。
しかし翌年1869年5月18日、明治政府の総攻撃に屈し、降伏して恭順。五稜郭開城。
5ヶ月の短命政権だったが、坂本竜馬が描いていた民主的な国家を始めて築いたこの独立国は素晴らしい。
この政府と、函館戦争について語ろうではないか。
659日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:26:09
旗本って八万騎(実際はそんなにないが)といわれたほど、ピンからキリまで何千家もあったんですよね?
大名の分家の出を除いたら、どういう出自の人間がそんなに旗本になったんですか?
それとも、大名の分家が大半を占めていたのでしょうか?
660日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:45:49
江戸城の中で大名がどこかの某に斬られるってことはよくあることなんですか?
江戸時代全体で、どれほどの刃傷事件が江戸城内であったのでしょうか?
661日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:48:30
>>659
大名になれなかった譜代がメイン
662621:2005/06/13(月) 06:03:11
>>659
661 の通り高額の禄を食む旗本は軍役令で自分が抱える家人でも200石を超える
禄を出しているとその家人は騎乗でなければならず、この人たちを合わせると8万
になるとの計算のようです。将軍の直接の旗本で馬に乗る人が8万いるということ
ではないようです。
歴史板で場違いですが、子母沢寛の小説・親子鷹に勝小吉が隣家の岡野家が2000
石ながら困窮して大阪の方の知行地に金を取りに行くのを小吉に依頼して小吉が
普段付き合っている町人を侍や中間に仕立てて出かける話があります。幕末になると
2000石でも家人がいなかったのだなと想像してしまいます。
663日本@名無史さん:2005/06/13(月) 07:13:09
そういや、奉行職の一覧とか見ると
明らかに譜代以外の出自の人間が町奉行とか独占してるよね。
なんか決まりとかあったの?
664日本@名無史さん:2005/06/13(月) 07:59:24
うちの田舎だと武田遺臣だった一族のひとつの家だけが幕臣になったが・・・懐柔策かな?なぜうちではなかったのか・・・Orz
665日本@名無史さん:2005/06/13(月) 08:14:47
まあ懐柔するのなら、最低でも郡の頭クラスからだよな>武田遺臣の仕官
666日本@名無史さん:2005/06/13(月) 10:49:38
>>663
綱吉の時に館林系
家宣の時に甲府系
吉宗の時に紀州系
の家臣が幕臣化してる
667ななし:2005/06/13(月) 14:20:23
スローガンで

××とるべし××奪う(屠る)べしって ありましたか?
教えてください。 
668オカ板より:2005/06/13(月) 14:38:44
マルチで質問して大変申し訳ありません。
以下のスレで同様の質問をしています。

[神社・仏閣] 素朴な疑問・質問に優しい人が答えてくれるスレ 十
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1110208395/
[神社・仏閣] ∵霊験あらたかなお祓い処(関西より西)∵
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/999962589/
[日本史]【初心者】 スレッド立てる前に質問をPart11【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1112497759/
[心と宗教] ☆ ○ 神道 @ 質問箱 ○ ☆
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1088081440/

他所の板でスレを立てて質問するのもルール違反になるかも、と思い
このような形を取っていることをお許し下さい。
669オカ板より:2005/06/13(月) 14:39:07
さて、オカ板以外ではいささか荒唐無稽に思われるかも知れませんが、
皆さんは「子取り箱(ことりばこ)」というものをご存知でしょうか?

幕末の山陰地方のとある集落で作られたもので、子供の身体の一部
を封入した組木の箱です。
その目的は相手を呪殺することで、曰く「その箱に近寄った『子供と子供を
生める女』は、たちまち内臓を引きちぎられて死ぬ」 と。
そして、その箱の起源には「隠岐騒動」が深く関わっているようです。

当スレでは、この「子取り箱」を先日たまたま発見してしまったという
小箱 ◆/7qG64DDfcさんを支援しています。

何かご存知なことはありませんか?
当スレにいらっしゃって頂いても、ここで答えていただいても結構です。
あるいはふさわしいスレに誘導していただいてもありがたいです。

どうぞよろしくお願いします (_ _)

小箱 ◆/7qG64DDfcさんのレス
http://61.115.120.230/2ch/kotori1.htm
http://61.115.120.230/2ch/kotori2.htm

◎本スレ◎[オカルト] ことりばこ 2箱目 
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1118369698/
[民俗・神話学] 【ことりばこ】子取り箱【コトリバコ】 (天プレはこちらを参考にして下さい)
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1118432098/
[オカルト] ことりばこ別館
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1118413475/
670日本@名無史さん:2005/06/13(月) 15:27:17
>>662

>幕末になると 2000石でも家人がいなかったのだなと想像してしまいます。

それはちょっと極論かも。遠隔の知行地まで行って確実に取り立てることができるだけの
有能な用人がいなかったので、勝に依頼したのでは?
家人を抱えていないと処罰の対象になるくらいですから
671日本@名無史さん:2005/06/13(月) 15:36:56
堀川辰吉郎とは何者なんですか?
生前から落胤伝説が付きまとっていたようですが…
672日本@名無史さん:2005/06/13(月) 18:07:29
age
673日本@名無史さん:2005/06/13(月) 18:15:57
前九年とは、何の9年前?
後三年とは、何の3年後?
674日本@名無史さん:2005/06/13(月) 18:22:32
>>673
ぐぐれ。一瞬で答えが出る
675日本@名無史さん:2005/06/13(月) 19:53:26
>>674
ググれと言うんだったら、何も書くなよ
教える気のないやつはすっこんでろ
676日本@名無史さん:2005/06/14(火) 00:11:30
私の家は、普請組百石取りの武士だったそうです。
百石取り、下級武士ということでしょうが、どれくらいの身分でどれくらいの
経済力だったんでしょう。
677日本@名無史さん:2005/06/14(火) 05:47:12
>>658にレスください。
678日本@名無史さん:2005/06/14(火) 08:53:30
>>677
ホストで弾かれてスレ立てできん

>>675
頭悪過ぎ…
679日本@名無史さん:2005/06/14(火) 09:01:58
>>676
>>659についてるレスを見れば分かるように、
名目2000石で実質収入1000石みたいな人もいれば
名目100石でも副業で実質収入1000石みたいな人もいた。
勝海舟の父親は知行地からの実質収入は少なかったけど、
副業でやっていた古物商売が繁盛したりして結構ウハウハだったらしい。

身分として「普請組百石取り」を見るなら市役所の土木課係長ぐらいじゃね?

680日本@名無史さん:2005/06/14(火) 10:17:10
>>676
調べててうまくまとまらないうちに 679 が出ていた。似た感じに思う。

旗本ではないが、高杉晋作の家が似た禄高だったような気がしたのでぐぐって
みたら、150石とも 200石とも出ている。大組士というのと小納戸役というの
がある。中級武士というのと上級武士というのがある。役料の算定の関係かと
も思うが、内情は裕福のようだった。地方と江戸では比較にならないが、以上
の感触から 679 の通りかなと。
家禄 100 石ならヒラではないが、役料とか副業がないと江戸では大変だった
と思われる。時代にもよるが。
681オカ板より:2005/06/14(火) 12:55:35
ことりばこ 3箱目
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1118675745/

新スレ立ちました。
引き続きなにか情報ありましたらお願いしますm(_ _)m
682日本@名無史さん:2005/06/14(火) 14:33:44
大和魂って何ですか。ぐぐると昔は盛んにいったみたいですが、今はいっては
いけないことなのでしょうか。韓国魂とか中国魂とかもあるのでしょうか。
例え話みたいなページはありますが、解説したものは見当たりませんでした。
よろしくお願いします。
683日本@名無史さん:2005/06/14(火) 15:13:34
紫式部が源氏物語で使用した言葉だから韓国魂や中国魂なんて言葉は存在しない
「紫式部 大和魂」「本居宣長 大和心」で検索すれば解説したとこ結構あると思うけど?
軍国主義的な意味での大和魂ならよくわからんが
684日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:11:32
>大和魂
文献のうえで〈やまとだましい〉が登場するのは《源氏物語》乙女の巻で、
光源氏は、12歳になった長男の夕霧に元服の式をあげさせ、周囲の反対を
押し切って大学へ入れる。
その際、〈才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂(やまとだましい)の世に
用ひらるゝ方(かた)も、強う侍らめ〉と述べている。ここでは(1)大和魂は
才(漢学の素養、漢才(からざえ))と反対の概念をなしていること、(2)本(もと)
が才であり、したがって、末に位置するものが大和魂であること、(3)大和魂
の属性として〈世に用ひらるゝ方〉すなわち処世的手腕・功利主義的判断能力
が考えられていたこと、この三つの特性が認められる。
従来の源氏注釈家たちは、〈大和魂〉について、世才、良識、先天的にそなわ
った気ばたらき、融通のきく常識的政治判断、世渡りの才能、交際上手、如才
なさ、実人生に対する理解力、などの解釈を与えている。
685日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:13:18
次に登場するのは《大鏡》巻二の左大臣時平の伝である。藤原時平は菅
原道真を讒訴(ざんそ)したとして後世悪名が高く、時平が短命であり、
その子孫らもすぐに絶えたのは道真の怨霊によるものとされた。
〈あさましき悪事を申しをこなひたまへりし罪により、このおとゞの御末
はおはせぬなり。さるは、やまとだましひなどはいみじくおはしましたるものを〉
と述べたあと、三つのエピソードを紹介している。
(1)奢侈(しやし)禁止令がすこしも実行されなかったとき、時平は醍醐帝と
しめしあわせ、わざと華美な服装をしてお叱りを受け、1ヵ月謹慎し、禁令の
徹底を図った。
(2)時平には度外れた笑い癖があり、政務の途中で下僚の放屁を聞いて笑
い出し、帰邸してしまった。
(3)道真が北野天神にまつられてのち、清涼殿に猛烈な落雷があったが、
時平は太刀を抜いて、〈あなたは存命中でもわたしの次席だったではないか。
たとえ神となっても、この世では遠慮すべきだ〉と、空を睨んだところ、
雷は静まった。――こうしてみると、《大鏡》成立当時、平安後期ころの
〈やまとだましい〉の属性には、
政治技術としてのトリック、明朗なる笑いの精神、咄嗟(とつさ)のさいの機知、
頭の回転の早さ、などが含まれていたと考えてよいだろう。
686日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:14:48
第3の例は《今昔物語集》巻第二十九に載る話で、貧乏学者清原善澄の
家に強盗が入ったとき、善澄はいったんは板敷(すのこ)の下へ逃げ隠れ
たが、あまりに口惜しかったので泥棒が門を出て行ったあとを追って行き、
〈耶(や)、己等(おのれら)、シャ顔共皆見ツ。夜明ケムマヽニ検非違使(けびいし)
ノ別当ニ申シテ片端ヨリ捕ヘサセテム〉と叫んだところ、盗人どもは引き返し、
とうとう殺されてしまった、とあり、末尾で〈善澄才(ざえ)(漢学)ハ微妙(いみじ)
カリケレドモ、露(つゆ)、和魂(やまとだましい)无(な)カリケル者ニテ、此(かか)
ル心幼キ事ヲ云テ死ヌル也トゾ〉と批評されている。
ここでは、〈やまとだましい〉の属性として、
(1)周囲状況を判断して臨機応変の思考や行動をとり得る能力、
(2)子どもっぽい幼稚未熟な精神とは正反対の世慣れた考え方、劫役(こうろう)
を経た人柄、思慮分別などが挙げられる。清原善澄は実在の人物で、
《御堂関白記》寛弘4年(1007)5月30日条によると、諸道論義の席上で
狂人の形相を呈してきたために〈追立事了〉(退場させられた)という。
そのことを併せ考えると、
(3)激しても理性や正気を失わない態度、奇行や非常識な発言を自制する
ことも、〈やまとだましい〉の属性に含めてよいかもしれない。
687日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:15:49
 一般常識的な回答をしようかとも思ったが、
既にさすが日本史板という解答が付いてるなあ。
688日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:16:46
第4の例は関白藤原忠実の談話を、中原師元が筆録した《中外抄》の久安1年
(1145)8月11日条で、父の師通(もろみち)が幼少年時代の忠実を、いい子だが
学問をしたがらないのが残念だ、といったとき、大江匡房が、摂政関白になる
には必ずしも漢学の才能がなくてもよろしい、〈やまとだましい〉さえすぐれていれば
天下を治めることは可能です、と答えたという記事である。
藤原忠実が藤原の氏長者(うじのちようじや)として、白河院を中心とする勢力に対抗し、
摂関家の威信を高めようとしてその結果、保元の乱が起こったことなどをも考えあわせると、
〈やまとだましい〉とは、皇室をも敵に回して対峙する摂関家の政治的
能力の属性でもあったともいえよう。
 
第5の例は《愚管抄》巻四で、著者慈円は摂関家の家筋でもない藤原公実が、
ただ鳥羽帝の外舅であるとの理由だけで摂政になりたがったことを非難し、
公実が和漢の才に富み、知足院殿(藤原忠実)よりも人柄や〈やまとだましい〉
がまさっていて、見識ある人からも賢者といわれた藤原実資などのよう
に思われることもあったのだろうか、と述べている。〈やまとだましい〉
が摂関家に固有の精神的属性という面のあったことがうかがわれる。
689日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:18:32
第6の例は、時代がずっとくだった南北朝ころかと思われる《詠百寮和歌
(えいひやくりようわか)》である。この百首和歌は、官職の名を題にして
詠まれたもので、その中に〈文章博士〉と題して〈新しき文を見るにも
くらからじ読開(よみひら)きぬる大和と玉しゐ〉の一首がある。作者は
不明であるがすでに実体も制度も空無に帰した中世の宮廷文化を眼前に
したある知識人が、かつての摂関政治文化の盛時に思慕と憧憬の思いを
はせての作と解し得るのではなかろうか。
 以上、古代・中世の文献にあらわれた〈やまとだましい〉の用例をみて
きたが、こののち、中世末から近世初頭にかけて、三つ四つの語釈書に
引かれたことを例外とすれば、表だって〈やまとだましい〉の語が問題
に据えられたことはなかった。なお、〈やまとだましい〉と同じ意味で、
〈やまとごころ〉という語もあり、〈漢意(からごころ)〉に対応するものであった。
690日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:21:17
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。

しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
691日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:26:10
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。

しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
692日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:27:25
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。

しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
693日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:27:40
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。

しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
694日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:30:16
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。

しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
695日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:54:35
最後の最後で壊れた?w
696日本@名無史さん:2005/06/14(火) 17:29:51
うぜぇ。死ねばいいのに
697日本@名無史さん:2005/06/14(火) 17:45:58
おそらく>>696みたいな奴が、騙り荒ししてるのではと。
698日本@名無史さん:2005/06/14(火) 18:25:50
質問者ではないが、為になった。
699日本@名無史さん:2005/06/14(火) 18:38:20
江戸時代の藩政改革について。

熊本・米沢・秋田で寛政前後に行われた改革と、
薩摩・長州・佐賀・土佐・水戸で天保以降に行われた改革の違いは何ですか?

700日本@名無史さん:2005/06/14(火) 19:44:32
>>697
アホか?
だらだらと書くんじゃねぇよ。まとめろよ、ボケ。
それが出来ないんなら、サイトでも作ってそこへのリンクを貼れよ。
701日本@名無史さん:2005/06/14(火) 20:01:52
>>700 このスレ的には君の方が要らない。
702日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:08:04
>>699
専売制に加え、薩長は、洋式軍隊と下級武士の採用
703699:2005/06/14(火) 22:25:53
>>702
ありがとうございます。
専売制は寛政前後の藩政改革でも行っていたようですが、
天保以降のそれはより重商主義的な色合いが濃いという意味でしょうか。
704日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:31:56
専売制は地元産業で設けている商家から商売を取り上げて藩経営にしたが
ほとんど失敗している。
705日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:35:51
>>701
             |
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   >( c´_ゝ`)  |
            |
>( c´_ゝ`)     J
     >( c´_ゝ`)



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〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
             |     >( c´,_ゝ`)プッ
             |
             J   >( c´,_ゝ`)プッ
                    >( c´,_ゝ`)バカジャネーノ
706日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:36:21
寛政前後でも行っていた専売制に加えて、〜
という意味
707日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:36:58
>>704
ありがとうございます。
薩摩は砂糖の専売、長州は越荷方で莫大な利益を得たと聞いております。
寛政は失敗、天保は成功という捉え方でよろしいでしょうか。
708699:2005/06/14(火) 22:38:32
>>706
失礼いたしました。ありがとうございます。
709日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:11:16
皇室関係のスレで聞いたのですがレスが付かなかったのでこちらで教えてください。

昔の皇族や華族は男だけでなく、女も性的に乱れていた、とちょっと前に皇室関係のスレッドで
読みました。

しかし、男は下半身に理性が無くても許されていましたが、女には厳しかったと思っています。
この辺のことを知れる書籍があったら教えてください。

男については淫の日本史などで読めるのですが、女性の方を紹介している書籍は
知らないもので。
710682:2005/06/14(火) 23:22:40
大和魂の解説をありがとうございました。
山桜花から意味が曲がってしまったというのはよく分かりました。
711日本@名無史さん:2005/06/15(水) 01:19:23
日本史の歴史区分の江戸時代とか平安時代とか安土桃山時代とかの名称は
誰がいつ名付けたものなのですか?
712日本@名無史さん:2005/06/15(水) 02:01:42
板垣退助は実戦経験ほとんどなかったと思いますが
幕末の戦いでは最強の軍だったんですか?
713日本@名無史さん:2005/06/15(水) 02:02:12
>>660
1784年に、当時権勢を振るっていた老中・田沼意次の子・若年寄の意知が江戸城中で
佐野政言(善左衛門)に斬られ殺されています。

ところで、質問ですが、1767年に明和事件を起こした山県大弐と山県有朋は、血縁関係とかあるんですか?
山県有朋の先祖?山県大弐という人も尊王論を唱えて私刑になっています。
だから、何かしら関係があるのでは?と思うのですが。
714日本@名無史さん:2005/06/15(水) 02:17:38
氏姓制度の氏ってのは例えばその一族が大きくなり過ぎて、今日からあなたは違う氏を名乗ってねって
事になっちゃう場合もあったんでしょうか?それとも新しい名乗りは全て名字扱いで、氏の数というのは
最初に決められた分(いくつあるかわかりませんが)で、それ以上は絶対増えないものなんですか?
715日本@名無史さん:2005/06/15(水) 06:49:10
氏のない皇族や農民が源、平、豊臣などを創氏する場合もあれば既存の中臣氏から藤原氏を創氏する場合もあるので増えることもあります。
716日本@名無史さん:2005/06/15(水) 08:07:20
>>713

ぜ〜んぜん関係ありません。数百年さかのぼれば何か出てくるかもしれません
それは人類みな兄弟というレベルです
717日本@名無史さん:2005/06/15(水) 10:01:51
>>713
両山県については 716 の通りだろうと思いますが、気になってぐぐったら
面白い話はありますねえ。山県の姓は美濃山県の出で、安芸守護の武田に同名の
家来がいたようで、甲斐の山県は流浪して甲斐に行ったようで山県昌影の縁者と
いうことで山県大弐家は山県を名乗っていて儒者だった。
一方安芸の山県は毛利元就に武田が滅ぼされて毛利に入ったのか、毛利藩では
中間でした。いまでも広島には山県の姓はありますので、毛利藩へ行った山県
は流れは大分支流のように思われます。高杉もかつては毛利に攻められた安芸
にいた一族のようです。貴種名家でも系図はいろいろなのに中間・儒者では
尚更検証はむつかしいように思いました。
718日本@名無史さん:2005/06/15(水) 12:33:33
>>712

戊辰戦争に東山道先鋒総督府参謀として従軍し、会津攻略を指揮
719日本@名無史さん:2005/06/15(水) 13:25:27
>>713
それって確か、田沼が名門・佐野氏の子孫ということにしてくれと
佐野政言に頼み込んで系図に加えてもらったのに、何の恩賞も出さなかったことが
原因だったよね確か
720日本@名無史さん:2005/06/15(水) 14:28:35
>>715
氏姓の考えっていつまで続いてたんですかね?
明治維新まで?
721日本@名無史さん:2005/06/15(水) 17:26:59
>>720

明治初年まで。当時の辞令は源平藤橘で書かれている
722日本@名無史さん:2005/06/15(水) 18:50:55
でも氏はともかく姓はかなり形骸化していたんじゃ?
723日本@名無史さん:2005/06/15(水) 20:32:02
>>716-717
ありがとうございます。関係ないのですね、そうですか。
尊王論と聞いて幕末の尊皇攘夷の先駆けとなった人物かと思っていましたが、そうでもないようですね。
>>719
そうだったのか。なるほど。だから墓には「世直し大明神」と書かれているのか。
724日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:09:43
足利尊氏はどういった目的で後醍醐天皇の勅許を得ずに
中先代の乱の鎮圧に向かったのでしょうか?
725コロ助:2005/06/15(水) 23:33:29
今晩は。知り合いの外国人が超が付くほどの日本ファンなのですが
その人が住んでいる国で、日本的な外観の家を建てたいので
本物の日本の家(時代劇や下町にあるような伝統的な家や、城のイメージを持ってるのでしょう)
が出ている画像やウエブサイト等があれば教えてほしい、との事です。
私はネットで他の優秀な日本人に相談してみますよ、と言っておきましたが^-^;
おすすめの写真や、サイトはありますでしょうか? 教えて下されば助かります。
もしいつか家が完成して写真を見せてくれたら、うpしますね。
 o
 ||
(^-^)
726日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:45:05
>>725
 その彼にはぜひとも桂離宮を作ってもらいたいね。
ttp://sankan.kunaicho.go.jp/guide/katsura.html
727日本@名無史さん:2005/06/15(水) 23:51:31
728コロ助:2005/06/16(木) 00:22:19
>>726-727 ありがとうごさいます!
 o
 ||     >ttp://sankan.kunaicho.go.jp/guide/katsura.html
(  ゜o゜) >ttp://www.mediawars.ne.jp/ ̄tanimura/a_map/form/kyoto/kyoto_garden/katura.html
これはすごいですね‥ 偶然だけど、その人はカツラ(頭にかぶる)に関わる仕事もしていますよ
色んな会社をいくつも持ってるので、桂離宮にミニ皇居まで建ててしまいそうな気が…
服や建物や映画にしても日本文化と中国文化などアジア文化をごっちゃにする欧米人が昔も今も多い中、
珍しく「僕は日本じゃなきゃ嫌だ!日本の建物!」と断言しておりますので
これは期待大かと‥ できた家の看板に2chなんて書いちゃったりして‥ モナー城とか?
‥冗談はさておき、お風呂に入ってから動画を最後までじっくり見てみます。
幸運にも英語のテロップや音声が入ってますね。
729日本@名無史さん:2005/06/16(木) 09:08:59
>>728

外人が喜びそうなのは東照宮ふうかなw
730日本@名無史さん:2005/06/16(木) 09:36:59
>>729
日本人は鼻を摘んで立ち去るがな
731日本@名無史さん:2005/06/16(木) 11:40:09
>>724
尊氏と関東武士の所領が多い関東を北条方に取られたら基盤がなくなるから。
基盤がなくなってしまえば朝廷に対する尊氏や関東武士の立場は弱くなってしまう。
反乱を鎮圧すれば基盤を維持できるし、反乱を鎮圧する過程で関東武士を掌握できる。
つまり武家の棟梁の地位を獲得できる。
732日本@名無史さん:2005/06/16(木) 19:33:31
上総守、常陸守がないのはなんででしょうか?
733日本@名無史さん:2005/06/16(木) 20:04:56
あるよ
その2国と上野は親王任国だから守は親王限定
734日本@名無史さん:2005/06/16(木) 21:42:49
っていうか、なんで親王任国ってのができたんだっけ?
735日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:16:50
奈良の大仏の台座にある花の模様ってどういう意味があるの?
736日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:22:26
>>734
そこのあがりで親王を食わせるため。
737日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:23:38
>>735
 蓮華座といいます、仏様は浄土で蓮の花の上に座っていると考えられてたのです。
738735:2005/06/16(木) 23:26:50
ありがとうございます。
とても助かりました。
739709:2005/06/17(金) 01:37:04
おバカな質問と思われるかもしれませんがどなたかよろしくお願いします。
740日本@名無史さん:2005/06/17(金) 02:46:12
忍者についての、おすすめの本や雑誌、ビデオやDVDはありますか?
741日本@名無史さん:2005/06/17(金) 02:52:24
戸部新十郎『忍者と忍術』
742日本@名無史さん:2005/06/17(金) 04:22:21
>>740
山田風太郎でも読んどけ
743日本@名無史さん:2005/06/17(金) 06:19:49
>>736
国司制は封建制ではないのでその解釈は間違っている。
744日本@名無史さん:2005/06/17(金) 07:20:11
>>743

国司制は徴税請負制
745日本@名無史さん:2005/06/17(金) 09:39:39
甲賀組について
お茶の水に甲賀坂というのがあり、以前は甲賀町もありましたが
幕末の資料 復元江戸情報地図 朝日新聞 原典 諸向地面取調書を
見ても甲賀組屋敷は神宮球場付近に見当たるのみです。
ネット検索してもヒットするのは歴史小説や忍者物、漫画などで
国会図書館の蔵書検索も「甲賀組」では歴史小説等しか出てきません。
ネットでヒットしたひとつは
1765(明和2) 12月 お茶の水甲賀組屋敷で大火<鳴門秘帖>
http://homepage2.nifty.com/mitamond/nenpyo/nenpyo_meiwa.htm
とあるのですが、そのころまでお茶の水に組屋敷があったと考える
べきでしょうか。よろしければ文献名もお教えください。
746日本@名無史さん:2005/06/17(金) 10:51:10
各県にある一宮ってなんですか?
747日本@名無史さん:2005/06/17(金) 11:02:29
>>745

「東京市史稿 市街篇 索引」にあたることをお薦めする
748日本@名無史さん:2005/06/17(金) 11:42:09
>>747
ありがとうございます、それなら区立図書館にあったはずです。
749日本@名無史さん:2005/06/17(金) 12:51:26
>>746
古代末期より中世初頭にかけてつけられたことに始まる社格の一種
750日本@名無史さん:2005/06/17(金) 13:12:01
>>734
正確にいえば、親王は在京しながら、任国の「公ガイ(まだれに解)稲」を得る。

「公ガイ稲」の定義は、時期的な変遷もあり、正確にいうとややこしいので、
実質的には国司の給与と考えてもらえばよろしい。

正税の一部を出挙(貸付)したその利息が財源なので
>>736の「国のあがり」という言い方は、ある意味正しいし、
親王を養う財源であることも間違いない。
751日本@名無史さん:2005/06/17(金) 13:27:31
>>745
角川書店の地名辞典も当たってみるといいよ。
郷土史を勉強中の俺にとって、一番のバイブルになっている。
752日本@名無史さん:2005/06/17(金) 16:23:28
質問させて下さい
大日本帝国憲法「発布」と日本国憲法「公布」という表現を見かけますが
「発布」と「公布」の意味は同じようですが使い分けの理由があるのでしょうか?
御教授宜しくお願いします。
753日本@名無史さん:2005/06/17(金) 16:34:25
>>752
一緒。文章の書き方として、あえて変えただけ。
754日本@名無史さん:2005/06/17(金) 16:45:30
>>752

同じだと思うが「発布」が古い

なにしろ「絹布の法被」だからな
755日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:43:47
義経が日本最初の英雄と言われる理由は何よ。

義経以前に英雄よ呼べる人物はたくさんいただろうに。
756日本@名無史さん:2005/06/17(金) 18:33:59
>>755

誰が決めた?NHKかい?
倭建命でも聖徳太子でも中大兄皇子でも平将門だっていいだろ?
757日本@名無史さん:2005/06/17(金) 21:34:34
普通に神武大帝だろ。
758日本@名無史さん:2005/06/17(金) 22:15:04
>>751
角川書店地名辞典も先日某図書館で見かけました。また行ってみます。
759日本@名無史さん:2005/06/17(金) 22:44:43
飛鳥寺は忌み嫌われていた蘇我氏の氏寺なのに
なんでわざわざ平城京に元興寺として移されたんですか?
760日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:09:45
足利が逆賊かどうかは判断が分かれるけど、
北条が朝廷に対し逆賊なのは昔から定説なのでしょうか?
761日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:19:46
1933年に大阪市の天六交叉点で起きた大日本帝国陸軍と日本警察の抗争を
ゴーストシップ事件と呼ぶのはなんででしょうか?
762日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:23:19
ゴーストップ事件
くぐれ
763日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:26:27
陸奥宗光の父親は伊達宗広という名の紀州藩士ですよね?
ひょっとして、仙台の伊達の親戚か子孫だったりするんですか?
764日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:28:20
>>760
北条は逆賊ではないよ
765日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:28:23

× Ghost Ship
○ Go Stop
766日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:30:10
>飛鳥寺
蘇我入鹿を殺害した中大兄皇子は当寺に立てこもり、
672年(天武1)の壬申の乱でも近江朝廷軍が営所とするなど、
7世紀の政治の舞台となった。
662年(天智1)には唐より帰国した道昭が当寺の南東隅に禅院を建てて
住んでいる。
藤原京の時代は四大寺の一つに数えられているが、平城京遷都にとも
ない、718年(養老2)金堂・塔など一部の建物を残して平城京へ移転した。
767日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:34:29
尊氏は近年は尊王家として見られるがな
義満とは違って、天皇家を守った
768752:2005/06/17(金) 23:40:35
>>753-754
お礼が遅くなり失礼しました。レス有難うございました。
769日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:43:28
質問なのであげさせてください

明治天皇を神格化しようと最初に考えた人は誰なんでしょうか
そして、その為に一番積極的な動きをした方などご存知でしたら教えてください。
770日本@名無史さん:2005/06/18(土) 02:44:54
伊藤は「天皇なぞ操り人形にすぎない」と言っていたらしいが
771日本@名無史さん:2005/06/18(土) 04:59:15
氏ってのは全部でいくつくらいあるんですか?
名字じゃなくて、氏。
現在の日本人でさかのぼっても当然氏に属していない人っていっぱい居るんですよね?
772日本@名無史さん:2005/06/18(土) 07:22:15
なんで紀元前あたりの自国の歴史を神話的に語るのは万国共通なんでしょうか?
773日本@名無史さん:2005/06/18(土) 08:07:45
日本最初の英雄って誰よ?

もちろん実在の人物で
774日本@名無史さん:2005/06/18(土) 09:23:04
>>771

とりあえず「新撰姓氏録の研究」という古典的名作がある罠
775日本@名無史さん:2005/06/18(土) 09:34:43
>>761
笑った

>>772
紀元前と言うかその時代の文物がハッキリ残ってなので空想で補った。
それと最初の政権が自己の正当性を主張するために神話を利用した。
この二つが大きな理由。

>>769
youの言う「神格化」っていうのがどういう事を指すのかもそっと詳しく。
776日本@名無史さん:2005/06/18(土) 10:41:28
>>772

× なんで紀元前あたりの自国の歴史を神話的に語るのは万国共通なんでしょうか?

○ なんで建国前あたりの自国の歴史を神話的に語るのは万国共通なんでしょうか?

どこの国でもそうしてるよ。アメリカでも北朝鮮でも
777日本@名無史さん:2005/06/18(土) 11:32:27
目安箱っていうのは吉宗のときだけなんでしょうか?それ以降の将軍は民の意見を汲み上げはしなかったのですか?
778日本@名無史さん:2005/06/18(土) 12:09:38
>>775
言葉足らずでゴメ
天皇という肩書きを利用するために国民にえらいよーすごいよーと刷り込みをしたってことかも
なんかよくわからなくなってきた
とりあえず山県有朋が積極的だったらしいというのしかググれなかったorz
779日本@名無史さん:2005/06/18(土) 12:13:08
まあ「万世一系黒毛和牛」みたいなもんだ、有難味が出るだろう?
780日本@名無史さん:2005/06/18(土) 14:12:09
>>778
昭和になってから
781日本@名無史さん:2005/06/18(土) 14:18:47
>>776
いや、そーいうことじゃなくて
エジプトだと太陽の神がなんたらを作ったとか、中国だと黄帝がどうしたとか
旧約聖書だの民族神話だの、必ず神が創ったことになってる。
782日本@名無史さん:2005/06/18(土) 14:36:34
話が簡単に作れるし
政権や民族に神の子孫だとかの正当性や優位性を付与出来るからじゃない?
783日本@名無史さん:2005/06/18(土) 16:37:22
>>781

なぜ、猿から進化したという話にしないのかと?
784日本@名無史さん:2005/06/18(土) 18:28:31
正当性が必須アイテムだったのだろう
785日本@名無史さん:2005/06/19(日) 07:59:05
うちの親父はどこでどうしてたとかの会話をするようになったのは
最低でも人類が言葉を持つ知能を有していた時だからそれ以前のことは
語られないわけだよね?
そこを神とか自然とか超越的なもので補ったわけ?
786日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:01:19
水戸黄門が、実は頼房の子ではなく
家臣の三木某と頼房の側室、久子との不義密通の子というのは本当ですか?
787日本@名無史さん:2005/06/19(日) 12:37:10
>>769
明治神宮を建てた時だから大正初期から。
戦後首相になった東洋経済新聞の石橋湛山が神社作るくらいなら「ノーベル賞みたいな賞でも設けろ」と叩いた文が岩波文庫に現在収められている石橋の評論集に載っている。
788日本@名無史さん:2005/06/19(日) 12:58:07
>>786

一生ひとりでやっててください。落書きはチラシの裏に
789日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:51:57
大鳥圭介っていう人は具体的に何をした人なんですか?
790日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:09:03
1889年特命全権公使として清国に駐在、93年朝鮮駐在公使を兼ねた。
日清戦争の始まる前、病気帰国中だった圭介は命を帯びて朝鮮に急行、
内政改革要求をつきつけて王宮に兵を入れ、開戦の口実をつくる役割
を果たした。
戦争が始まると任を解かれ帰国して枢密顧問官、1900年男爵となった。
791日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:12:20
あげとこ
792日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:44:35
武士と貴族の関係って一言で言うと?
793日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:27:15
金持ちとSP
794日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:06:17
>>789
幕府の歩兵奉行であり、戊辰戦争では東北各地を転戦したものの連敗。
維新後に京唄子と漫才コンビを結成、華麗なる転身を遂げた稀有の逸材。
795日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:05:17
>>794
面白いねぇ〜。
漫才を作ったのは、エンタツ&アチャコなのにねぇ〜
796日本@名無史さん:2005/06/19(日) 18:11:07
>>795
「しゃべくり漫才」を作ったのは・・だろ。
797日本@名無史さん:2005/06/19(日) 18:28:04
458 名前:マンセー名無しさん [sage] 投稿日:2005/06/19(日) 17:27:51 ID:mcGZY5Hb
斉明天皇時代に書かれた書物に、朝鮮半島はすぐ裏切り信用できないから
関わるなと記してあるとドッコで見た覚えがあるニダ。



ソースを探しているニダ
798日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:27:22
耳袋で有名な根岸肥前守って、農民の子ですよね?
いったいどうやって町奉行にまで上り詰めたんですか?
799日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:46:09
>>798

どこからそういうウソ八百を聞き込んだんですか?
自分で目で確認しようとはしなかったのですか?
800日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:53:08
>>798
普通なら「・・農民の子だって聞いたんですけど、本当でしょうか?」
という聞き方になる罠。
朝日新聞のプロパガンダ並だな

801日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:56:48

>>798 意図みえみえの恥ずべきカキコですね
802日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:20:07
いかにも>>798は大馬鹿まるだしだが、せっかくだから教えてやろう
寛政重修諸家譜、巻22の104頁と巻19の317頁を見ろと
803日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:29:17
鎌倉幕府最後の将軍、守邦親王は幕府滅亡後どういう人生を送ったのでしょうか?
804日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:34:35
レイテ戦でフィリピン人がアメリカ側に付きましたが何故でしょうか?基本的に中華系以外の東南アジアは表面的にはいろいろですが
内面は親日的ですが。
805日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:50:00
>>803
出家して送る間も無く死亡
806日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:56:32
>>804
フィリピン人もいろいろ。
807日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:58:41
>>804
マレー侵攻で日本軍銀輪部隊に協力したのは中華系。
808日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:00:06
>>804
新米では無いフィリピン人はそれ以前にパージされ
残存勢力は僻地に追いやられている。

809日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:01:59
>>805
やっぱり暗殺されたのでしょうか?
810日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:03:33
なんか>>798がエライ叩かれてるけどそんなに凄いことを言ってるの?
禁忌に触れたのか。
811日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:17:02
國史大事典(辞典だっけ)ってCDROM版出ないのかな?
吾妻鏡は出てるのに、頼むや吉川さん
812日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:24:26
>>810
神経質な方がいるだけだろ。
813日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:33:58
>>806
>>807
>>808なるほど、そういえば米軍はフィリピンで大虐殺を行っていましたね。

814日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:44:38
日中戦争時の中国陸軍の将校がドイツ軍装しているのはどうして?
815日本@名無史さん:2005/06/20(月) 00:42:42
>>814
軍板で聞いたほうが良い気もするが・・・。

当時ドイツは支那国民党と友好関係にあり、
多くの軍事顧問を送っていたから。

という回答でいいかなあ。
816日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:41:13
大日本帝国が米国に占領されて日本国との平和条約が発効するまでの期間には、
四大島上(北海道、本州、四国、九州)には独立国家が存在していたのでしょうか?
日本国との平和条約には独立と言う言葉が見えませんから、
占領されていても独立国家が存続していたと思いますけれども、
インターネット上に存在するサイトには日本国との平和条約が発効して
日本は独立をしたと記されているのが多くあります。
日本が日本国との平和条約が発効して独立したとならば、
大日本帝国が米国に占領されて同条約が発効するまでの期間は、
四大島上には植民地か日本民族の移住区域が存在していたかのどちらかになる訳でしょう?
日本国との平和条約には主権が回復したとありますが、
主権が奪われる事は独立を奪われている事にもなるのでしょうか?
私には解らないです。教えてください。よろしくお願い致します。
817日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:47:41
今現在は日本語を左から右に書いてますが、
日本が戦争に負けるまでは日本語を右から左に書いていたのですか?
戦時中や明治のポスターには右から左に読まないと読めないポスターが数多くありますよね。

それと現在ではひらがなが重視されていますけれども、
戦前の日本語ではカタカナの方が重視されているのですか?

戦前と戦後の日本語の違いを知りたいです。
ご回答をよろしくお願い致します。
818日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:50:34
>戦前の日本語ではカタカナの方が重視されているのですか?
この点についてですが、戦前の外交文書はカタカナと漢字で書かれていますよね。
一般庶民もこんな感じで文字を書いていたのでしょうか?

GHQは、どう日本語の書き方を変えたのでしょうか?
戦前と戦後では違いますよね。
ご回答をよろしくお願い致します。
819日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:54:47
>四大島上
何処の國の言葉でつか?
820日本@名無史さん:2005/06/20(月) 04:07:36
昨日の大河ドラマ義経の

木曽義仲が草刈正雄に対して言った「しってん」とは何の事なんでしょうか?
821日本@名無史さん:2005/06/20(月) 06:35:07
大日本帝国と日本国はおんなじ行政機構だよね?
帝国議会で新憲法を公布したんだから。
822日本@名無史さん:2005/06/20(月) 07:59:19
幕末の官軍の将がかぶっている、長い毛の名前は何ていうんですか?
また、あれはどこかの国の軍隊のまねなんでしょうか?
823日本@名無史さん:2005/06/20(月) 11:32:29
>>816
>四大島上には独立国家が存在していたのでしょうか?
何をもって独立国家とするかにもよる。

>四大島上には植民地か日本民族の移住区域が存在していたかのどちらかになる訳でしょう?
占領地と植民地は違います。

>日本国との平和条約には主権が回復したとありますが、主権が奪われる事は独立を奪われている事にもなるのでしょうか?
主権が独立の証なら、独立していなかったと言えよう。



>>817
>今現在は日本語を左から右に書いてますが、日本が戦争に負けるまでは日本語を右から左に書いていたのですか?
右から左、もしくは縦書き

>それと現在ではひらがなが重視されていますけれども、戦前の日本語ではカタカナの方が重視されているのですか?
カタカナは男文字、ひらがなは女文字だから

>戦前と戦後の日本語の違いを知りたいです。
色々とありすぎる。漢字を簡略化して、画数を減らしたとか。



>>818
>この点についてですが、戦前の外交文書はカタカナと漢字で書かれていますよね。一般庶民もこんな感じで文字を書いていたのでしょうか?
全員が全員どうかわからんが、大方そう。

>GHQは、どう日本語の書き方を変えたのでしょうか?
そもそも、日本語を廃止しようとした。
824日本@名無史さん:2005/06/20(月) 11:34:37
>>819
>何処の國の言葉でつか?
日本の言葉です。正確には「四大島(北海道、本州、四国、九州)上」と書くべきだが。



>>820
推測だが、鼓の擬音と京都弁の「知ってん?」と、失点を掛け合わせたのでは?



>>821
>大日本帝国と日本国はおんなじ行政機構だよね?
違う。



>>822
>幕末の官軍の将がかぶっている、長い毛の名前は何ていうんですか?
シャグマ

>あれはどこかの国の軍隊のまねなんでしょうか?
違う。武田信玄もかぶっている。
825日本@名無史さん:2005/06/20(月) 11:42:34
>>822 毎度毎度あきれるほど繰り返される質問です

 【質問】
 維新ものの映画やドラマで,官軍の指揮官が,歌舞伎みたいな赤いたてがみを付けてるのはなぜですか?

 【回答】
 指揮官の印。味方の兵士が、どこに指揮官がいるかすぐ見分けられるように。
 ちなみに赤をかぶるのは土佐藩。
 薩摩藩は黒.
 長州藩は白。
 それぞれ赤熊(しゃぐま)、黒熊(こぐま)、白熊(はぐま)という。

 元はチベットなどにいる、ヤクという牛の仲間の毛。
 江戸城に秘蔵されていた物を、無血開城後に戦利品として官軍が被るようになった。

 ゆえに、それ以前の戦いで官軍が被っているのは、厳密に言えばおかしい。
 会津や五稜郭はともかく、鳥羽伏見とかで被ってる時代劇とかね。

ttp://mltr.e-city.tv/faq04.html#02146
826日本@名無史さん:2005/06/20(月) 11:55:33
>>822
ttp://www.iz2.or.jp/fukusyoku/youfuu/1.htm

毛付陣笠というらしいがこの言葉でググってもほとんどヒットせん。
他の言い方があるのかも。
827日本@名無史さん:2005/06/20(月) 12:27:14
>>823

ご回答をありがとうございます。
>>823さんは戦前の事について詳しそうですね。

なんで平仮名が重視されるようになったとか、
なんで日本語を変えたのかお解りでしょうか?
宜しければ答えて頂きたいのですけれども。

それともう一つあります。
日本語を変える事などそんなに簡単にできるものなのでしょうか?
左から右に文字を書き読んでいる私が、
今から右から左に文字を書き読む事などそう簡単にはできないのですけれども。

戦後以前に教育を受けたお年寄りとかは文字を当時のままに書くのでしょうか?

宜しければご回答をお願いします。
828日本@名無史さん:2005/06/20(月) 13:38:22
戦前は縦書きが多かった。
右書きが不合理だと左書きに変えようとしたが、
陸軍の反対で変えられなかった。大和魂。
829日本@名無史さん:2005/06/20(月) 14:03:56
>>827
>戦前の事について詳しそうですね。
そんなことはない。ただ、私の大叔父と大叔母が90歳と95歳ながらも、元気で過ごしており、そういう話を聞く機会が多いからです。
あと、仕事で知り合った高齢者の方とかも、そういった話をしたもんですから。

>なんで平仮名が重視されるようになったとか、
>なんで日本語を変えたのかお解りでしょうか?
占領政策の一つで、よりアメリカ人がわかりやすいようにしたため。
カタカナよりも、ひらがなの方がわかりやすく、漢字も國より国の方が簡単であるように、とにかく簡略化させるため。

>日本語を変える事などそんなに簡単にできるものなのでしょうか?
アメリカ軍の苦労は知りませんが、実際に変わったのだから、それほど難しくはなかったのでは?

>左から右に文字を書き読んでいる私が、今から右から左に文字を書き読む事などそう簡単にはできないのですけれども
それはあなたのやる気しだい。

>戦後以前
戦前ですな?

>戦後以前に教育を受けたお年寄りとかは文字を当時のままに書くのでしょうか?
人それぞれであろう。作家・阿川弘之氏は、今でも昔の書き方をしている。
「〜であった」を「〜であつた」とか、こだわっているのか、そちらの方が書きやすいのかは存じないが、このように書いている。
830日本@名無史さん:2005/06/20(月) 17:32:27
画数の簡略化は、それが導入された後に発行された教科書を使って教育を受けた世代から
順次広まっていくものだろうから急に切り替わることはないだろうね。

書式については、公文書の書式の関係上性急に変わらざるを得なかっただろうけど。
831820:2005/06/20(月) 17:41:37
>>824
ありがとうございあます ̄/ ̄
832日本@名無史さん:2005/06/20(月) 18:17:52
あの官軍の帽子が鳥羽伏見以前に被られていなかったとは驚きだな。

なんで官軍のイメージ=三角帽を被ってライフルを持っている兵卒と色ついた
毛を被った将官なんだろ
833日本@名無史さん:2005/06/20(月) 18:24:31
メディアの演出
834日本@名無史さん:2005/06/20(月) 18:41:43
蝦夷討伐の司令官=征夷大将軍
時行討伐のために尊氏が任命した=征東将軍
有栖川宮親王が任命された=東征大総督

実際、官軍の司令官の肩書きって律令制に明記されていないんですかね?
835日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:40:12

使持節都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王
836日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:39:37
大江匡房は大江広元と血のつながりはあるんですか?
837日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:56:08
譲位して上皇になっても贈り名は与えられないんですか?
838日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:06:21
九州のことを鎮西とよぶのは、九州のどこかの豪族が
支那王朝に朝貢して「鎮西将軍」の位を与えられたことに由来しているって
友達が言っていたんですが本当ですか?
839日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:23:05
>>818
GHQは日本語の草書体が解読でいなかったので、国民生活から教育にいたるまで
全面的に草書を排斥、楷書と行書のみにした。
840日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:25:56
昔の言い方で、午前十一時ってなんていいますか?
841日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:44:40
>>840
午の刻(AM11:00〜PM1:00)
午前、午後の午で常識だろ!
842日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:48:04
ありがとうございました!
843日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:58:07
赤松氏って嘉吉の乱で完全に滅ぼされたんでしょ?
なんで応仁の乱後から戦国大名として播磨の辺りに勢力を持っていたんですか?
844日本@名無史さん:2005/06/21(火) 04:42:13
>>843
完全と言うわけではない。
禁闕の変の時に再興して再び力をつけていたはず。



南北朝時代の勢力図を載せているサイトってありますか?
845日本@名無史さん:2005/06/21(火) 09:11:08
>>836
直接血を引いていると言う説と家名だけ継いだという説があるらしい。
大江広元の出自に関しては3つぐらい説があるらしい。
↓の本はこの3つを紹介している。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4642052313/qid=1119312200/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0321283-9353941

この本では大江匡房-維順-維光-広元という繋がりだろうという説で書かれとる。
これ以上説明しようとすると2000字近い書き込みになるので、
この本の立ち読みを推奨。



846日本@名無史さん:2005/06/21(火) 09:23:36
>>818
>一般庶民もこんな感じで文字を書いていたのでしょうか?
普通にひらがな使ってる。
平仮名まじりか片仮名まじりかはケースバイケース
外交文書とかはカタカナだけど新聞はひらがなだし。
私見だが団体であれ個人であれ保存しようとする文書はカタカナが多いきがする。

>>817
戦前の日本語ではカタカナの方が重視されているのですか?
>>823で正解だと思う
個人的には印刷技術の関係やアルファベットに対するコンプレックスもあったと思う。

あのころは話し言葉書き言葉、文語体口語体、くっきりわけてたからなぁ。
戦前と戦後で日本語が変わったというより、文章において口語体が幅を利かせ
文語体になじみが少なくなったという面もあるのでは。
847日本@名無史さん:2005/06/21(火) 12:32:16
>>843
赤松の家臣が南朝の残党に奪われた三種の神器を取り戻して御家再興、その後応仁の乱のときに細川方について山名軍から播磨を解放した。
848日本@名無史さん:2005/06/21(火) 13:35:41
>>817
左書きは戦後に始まったものではない。時代の流れ。
省線の切符なんか大正時代から左書き。

ナショナルの広告も左書き
ttp://syasinsyuu.cool.ne.jp/radio/r63.jpg




849日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:47:09
そういえば、昔、日本に右横文字はなかったという?君がいたなぁ
850日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:47:42
>>829>>839>>846>>848

ご回答をありがとう御座います!!
851日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:57:14
>>849
いたいた。今でもいる悪寒ブルブル
852日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:15:00
せっかくFAQサイト作ってもらってうんざりな質問が減るかと思ったら>>8227みたいなのが相変わらず出てくるし・・
縦書き横書きの話も散々したからもう俺は言わないよ。
853日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:16:23
手がふるえた。>>822な。 
854日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:18:58
あんなの俺はFAQサイトとして認めねえ。


と言ってみるテスト。
855日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:23:21
だって見にくいんだもの
856日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:29:12
醜いfuckサイトw
857日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:32:21
>>855
激しく同意なのだ
858日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:32:54
おまえらひでえな。






誰か新しいfaqサイト作ってください。ちゃんとしたやつを。
859日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:35:55
まあ軍板のもみやすいとはいえないがな。相撲板は見やすいが情報量が少ない。
2ちゃんで一番イイFAQサイトってどこ?

漏れ的にはミンサガの攻略サイト。
860836:2005/06/21(火) 17:40:34
>>845
ありがとうございました。携帯にメモったんでまた立ち読みします(w
861859:2005/06/21(火) 17:40:40
あ、でも今逝ってみたら初めの頃より良くなってるな。
でもなんかイマイチ。
862日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:40:53
鎌倉公方の正式名称はなんでしょうか?
当初は関東管領という名前だったけど、室町中期から関東公方補佐の意味
になったし…
863日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:45:59
>>862
鎌倉総鎮撫。旧政所にあった。
864日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:47:58
>>863
ありがとうございます。
865日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:49:43
まああのFAQサイト作ったヤシは氏ねってこった。
866日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:51:39
荒れてきたなage
867日本@名無史さん:2005/06/21(火) 18:41:46
明日テストのリア厨です。
範囲は江戸時代全般です。
今までほとんど勉強していなくて正直あせっています。
効率のいい勉強方法と、要点みたいなのを教えてください。
お願いします。
868日本@名無史さん:2005/06/21(火) 18:50:24
>>867
あきらめるんだね。
869日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:10:12
「二日市」というようなところには毎月(このときは旧暦なのかな)2のつく日に市が開かれたっていうけど、
これは2、12、22日のことなの?20とかは含まれないよね?
十一日町というのもよくわからない。
870日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:43:12
>>838

鎮西は、
大宰府を鎮西府(743〜745)に改称した際に統括地域であった南海道(九州)
に対しても使われるようになった異称で、朝廷の官庁名からきています。
871日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:48:50
>>867
教科書の太字の言葉を10回ずつ書く。
その後時間があれば試験範囲部分を読む。
読めるだけ何度でも読む。
試験中ウンコ漏らさんように朝ちゃんとしていけ。
872日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:50:13
faqサイトなのに画面を横にスクロールさせるのが致命的。
それがなくなるだけでもかなり使いやすくなる。
873日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:56:01
吉田松陰は佐久間象山の門下にいた事がありますが
攘夷派の思想家松陰と開国派の佐久間、
何故この二人が師弟関係になりえたのか昔から疑問に思ってます。
松陰は海外にも目を向けた人物なので、そのあたりが佐久間との接点かなとも思うんですけど
実際はどうだったんでしょう?
874日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:06:25
>>873
佐久間象山も吉田松陰も「和魂洋才」という考え方。
西洋で生まれた優れた知識・技術・仕組みは取り入れるけど、
生活様式や文化といった土着的な要素は日本独自のものを大切にと。

尊皇攘夷ということをしようにも黒船に対抗する手段がなきゃどうしようもないしな。
手段を手に入れてもこれまでの文化の伝統捨てたんじゃ攘夷の意味もない。
妥協的だけど現実的。
875日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:03:57
大藩の藩主が一族に分地を賜るのはどういう理由からでしょうか?
家督相続に敗れた兄弟とかに捨扶持をあてがったりしたとかいう理由もあったのでしょうか?
876日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:17:41
『何故鎌倉に都をうつしたのですか?簡潔に答えよ』だって..わからん誰か教えて!
877日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:25:17
鎌倉に遷都なんて初耳だな
878日本@名無史さん:2005/06/22(水) 07:35:16
>>871
サンクスコ
ウンコいてきます
879日本@名無史さん:2005/06/22(水) 09:46:08
>>875
端的に言えば、本藩に後継ぎがない場合への保険ではないの。
分知してもらいたい本人が幕府に根回しして幕府から声がかかる場合もあるやに
も聞いたことがある。
分知させ本藩から分離させ改易できると幕府はウマーとなる。本藩は分離に必死
に抵抗する。支藩の家臣は陪臣の陪臣だが分離されると陪臣になり格が上がるので
分離を望むとかあるようだ。お家騒動の火種になりやすい。
880日本@名無史さん:2005/06/22(水) 13:51:05
>>876
鎌倉に幕府をだろう

・源氏にゆかりの深い要害の土地
・東国武士団と近い
・京都の朝廷に飲み込まれない距離
881日本@名無史さん:2005/06/22(水) 14:46:46
>>876 >>880
ということは、「簡潔に」答えると

・地元

で良いんでしょうか。
882日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:24:22
品位(ほんい)とは親王・内親王に与えられた位階と習ったのですが、
北条政子故を二品、高階栄子を丹後二品とか、日野宣子を岡松二品と言うのは、
当時二位と二品が混合して使われていたからなのでしょうか?
それとも准皇族みたいな特別待遇を表したかったからでしょうか?
883日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:25:29
【訂正】
北条政子故を二品→北条政子を二品禅尼
884日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:40:48
ホンイは臣下でも与えられる
885日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:41:28
>>882

筆者が教養をひけらかす為
886日本@名無史さん:2005/06/22(水) 17:17:46
>>875
・農業社会では分割相続がごく自然
・戦力が分断されれば幕府には好都合
・血を分けとけば、少なくともどっちかは生き残るかも
 (実際分家だけ生き残った例は多数あり)
・家臣も、大藩のその他大勢より小藩の重臣のほうが大概うれしい

そのほか諸々。
887日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:00:33
応永の外寇について。
朝鮮に領土的野心がなかったという説明が一般的ですが、これを示す史料はどこにあるのでしょうか?
888日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:27:42
日本史板住人(2ちゃんねら)で、明治以降のただしい見解の歴史
年表をつくるスレをつくりたいんですけど、長すぎなのでどんなタイ
トルにしたらタイトル枠内に埋まりますか?
889日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:57:52
>>888
年表スレは続いたためしがないので諦めなさい。
890日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:12:24
>>887
「老松堂日本行録」
891日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:16:24
>>887
スマン>>887は日本の紀行文だった
892日本@名無史さん:2005/06/23(木) 01:32:58
>>888
正しい見解というか、歴史観はそれぞれが持つべきもので、
事実の羅列ならともかく、「これが正しい、他は正しくない」と称する
ようなスレは作らないでほしい。

どんな学説も、先行研究の成果のうえに存在でき、
いずれは後進によって克服されていくのが、歴史学というもの。
他の批判を許さない「共通の」「正しい」歴史観など、
あってはならない。

ましてや、
「自分たちにとって都合の良い=正しい」という感覚で歴史を語ってほしくない。
893日本@名無史さん:2005/06/23(木) 02:07:37
ウヨ必死だなwwwwwwww
894日本@名無史さん:2005/06/23(木) 09:03:56
江戸時代の一両って現在のお金に換算するといくらくらいなんでしょう?
895日本@名無史さん:2005/06/23(木) 10:44:49

質問
教科書でよくある風刺画の作者の【ビゴー】て どんな人 なんですか
896日本@名無史さん:2005/06/23(木) 10:52:19
>>895
明治期に日本で活躍したフランスの画家。パリのエコール・デ・ボザール
卒業後、ゾラの小説《ナナ》の挿絵を描いたりしていたが、ゾラや美術
批評家L. ゴンスらとの交際を通じてジャポニスム(とくに浮世絵)の影響
を受け、日本に関心を抱いた。
1882年1月、日本美術研究のため来日、同年10月から2年間、陸軍士官学
校の画学教師を務める。85年《団々(まるまる)珍聞》に漫画を寄稿、また
日本をテーマにした3冊の銅版画集を出版した。とくに大版の《日本素描集
Croquis japonais》(1886)は練達な画技と細緻な観察眼をよく示している。
91年、芸者の生活を描いた石版画集《東京芸者の一日》を刊行。
一方、1887年から横浜居留地で漫画雑誌《トバエ T【baレ》をはじめと
する数々の風刺雑誌、風刺画集を刊行し、条約改正や日本をめぐる内外の
政局、日本人をしんらつに風刺した漫画を描き、官憲に注意人物と目された。
日清戦争にはイギリスの雑誌《ロンドン・グラフィック》の特派員として
朝鮮に従軍。95年、日本女性と結婚し一子をもうけたが、99年6月、条約
改正による居留地廃止や官憲の弾圧をおそれて帰国、晩年はパリ郊外に住んだ。  
897日本@名無史さん:2005/06/23(木) 10:53:01
898日本@名無史さん:2005/06/23(木) 18:24:33
>>894
上の方にFAQサイトへのリンク張られてるからそこに池。あったはず。
899日本@名無史さん:2005/06/23(木) 19:13:07
900日本@名無史さん:2005/06/23(木) 20:07:41
その国と戦争をまったくしないと言う考えを第一において、あとは
外交も貿易もまったく関係をもたないという国の間柄を
なんというんですか?
戦争をしないというのを第一において、あとはわざわざ
友好を積極的にしないで、適当に関係をもつ国の間柄の名称も
何というんですか?
日○友好の様な、知らない人がきくとやたら平和的ないい感じに
聞こえる熟語でお願いします。
901日本@名無史さん:2005/06/23(木) 21:24:41
○○天皇の部分って、おくり名ですよね。
じゃあ、昔も今みたいに生きている天皇は今上天皇とかただ天皇とかって呼ばれてたの?
上皇とか法皇は今上上皇とか?
902日本@名無史さん:2005/06/23(木) 21:47:04
>>900
外交関係を全く持たないってのは相手を国家として認めていないことになる。
903日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:52:28
後醍醐だけは自分で言わせてた
904日本@名無史さん:2005/06/24(金) 18:53:44
足利尊氏が主人公の小説はなぜほとんどの場合、尊氏がやったと思われるものまで
弟の直義のやったことになっているんでしょうか?
護良親王暗殺や、南朝皇族の毒殺シーンとか、ほとんど尊氏の意に反して
直義が内密に指示したような書き方をされていますよね?
905日本@名無史さん:2005/06/24(金) 19:46:20
>>904
小説だから
906日本@名無史さん:2005/06/25(土) 07:16:18
小説といっても殆どがそんな具合だが…
907日本@名無史さん:2005/06/25(土) 11:00:04
だから小説。
事実なんて都合の良いように変えちまう。

編集「暗殺?いやー主人公が陰湿な悪者になっちまう誰かに肩代わりさせましょう」
作者「そだね。おお、直義ハケーン!」
編集「それだっ!」
作者「盛り上がってまいりました」

こんなとこ。
908日本@名無史さん:2005/06/25(土) 12:06:15
>>907
実際はそこまで盛り上がってないだろうがなw
909日本@名無史さん:2005/06/25(土) 14:22:57
>>901
おかみ
910日本@名無史さん:2005/06/25(土) 15:08:17
実際のところ、護良親王暗殺の背後にいたのは誰?
鎌倉から退却する直義の独断なの?
それとも時行の軍勢が鎌倉を攻め落とすことを予想していた尊氏の指示なの?
911日本@名無史さん:2005/06/25(土) 15:11:18
>>901
しゅじょう
かしこきところ
912日本@名無史さん:2005/06/25(土) 15:49:36
>859
相撲板のFAQを初めて見たが
情報量が少ないから分かり易いように思えるだけだろ。
軍事板用語集(FAQじゃないほう)と同じレベル。
913日本@名無史さん:2005/06/25(土) 15:53:24
日本の古代の服装についてわかりやすく書いてあるサイトってありますか??
914日本@名無史さん:2005/06/25(土) 16:34:51
遅レスだが
>>804
>レイテ戦でフィリピン人がアメリカ側に付きましたが何故でしょうか?

ぶっちゃけ日本政府はフィリピン経済を破壊しただけだったから
ttp://mltr.e-city.tv/faq08d05.html#01058

>>814
>日中戦争時の中国陸軍の将校がドイツ軍装しているのはどうして?

第一次世界大戦前から独中関係は非常に良好だった、と。
ttp://mltr.e-city.tv/faq11u.html#02255
915日本@名無史さん:2005/06/25(土) 16:58:34
>>914
ここは初心者質問スレであって、
我田引水(一知半解)な者が無用のコピペを貼るスレではない。
916日本@名無史さん:2005/06/25(土) 16:59:38
>>914>>ぶっちゃけ日本政府はフィリピン経済を破壊しただけだったから
???それだけですか?もともと東南アジアは自給自足の原始社会ですから経済があったとは思えないのですが・・・
917日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:06:32
馬鹿を虐めて喜ぶ馬鹿・・・
918日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:10:11
>>915
無用と思えばスルーしたまえ。
俺はこのURLの記述が概ね正しいと判断したから回答代わりに流用したまで。
一知半解だというのなら
どの辺がそうなのか具体的に言いたまえ。

>>916
>もともと東南アジアは自給自足の原始社会ですから

それは植民地支配以前の社会。
例えばインドネシアではオランダがごむなどのプランテーションを強制し
結果、凄まじい餓死者を出している。
919日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:11:19
何百年も植民地だった社会が自給自足なわけないだろ
920日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:11:21
日本軍が侵攻したせいで宗主国との間で保持されていた経済システムが崩壊して生活が苦しくなったのは
他の地域でも同じでしょ。

フィリピンの場合、他の植民地と違ってかなり同化的な政策がとられてて
フィリピン人のアメリカ人化(英語を母語にする香具師もかなりいた)が進んでいたという事情も大きい。とおもわれ
921日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:26:39
>>920
同化政策が大きな要因とするならば
>それも,日本の戦果が赫々たる昭和17年時代は,日本に対して期待もかけられた.
とする日比慰霊会の言葉は嘘だということだろうか?



同化政策がとられた台湾において霧社事件
922日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:27:11
921の最後1行は消し忘れ
923日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:28:05
首狩禁止に怒った首狩族の反乱
924日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:43:52
>>918
初心者質問スレで議論をふっかけてくる(ry



ここは一応学問板なのだから↓レベルのサイトにしてね。かなり恥ずいよ君(苦笑
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/apwar/rk1993.html
925日本@名無史さん:2005/06/25(土) 18:14:05
上まあ煽り厨と化している924自身の姿は恥ずかしくないのかという疑問は残るが
それはさておき
>>920その他の諸賢に続けて伺いたいのだが
924に示されているサイトにおいても、
治安回復失敗と資源収奪が上げられているが
同化政策については言及がないようであるが、
その点いかがであろうか。
意見を拝聴したい訳だが。


それにしてもまあ
煽り厨でもたまには検索代わりの役に立つことがあるという訳だろうかw
926日本@名無史さん:2005/06/25(土) 18:29:09
上まあ煽り厨と化している925自身の姿は恥ずかしくないのかという疑問は残るが
それはさておき

それにしてもまあ
煽り厨では何の役にもたたないだけではなく荒れるだけであるということが
今回も又証明されたわけではあるなw
927日本@名無史さん:2005/06/25(土) 18:41:18
928日本@名無史さん:2005/06/25(土) 18:46:37
近代日本の植民地について語るスレ3
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1112214049/l50


お前ら続きはこっちのスレでやってくれませんか。
つーてもこんな厨が素直に聞く訳無いか・・・
929日本@名無史さん:2005/06/25(土) 19:01:59
>>928
了解した。
上スレにて先の質問への回答をぜひに希望したい。
930日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:50:27
FAQサイトだいぶマシになったな。
どうする?次スレの点プレにいれてやるか?
931日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:09:08
入れなくていいよ
fuckだから
932日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:15:24
>>929
逃げたか。

それにしてもまあ
煽り厨では何の役にもたたないだけではなく負け犬でもあることも証明したわけであるなw
933日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:37:26
>>817
遅レスですが、岩波新書「横書き登場」(屋名池誠)が詳しくてわかりやすい。
昔の看板、広告などの実例が豊富に取り上げられている。
「左→右」「右→左」はけっこう長い間混在していたようだ。
934日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:39:38
↑?
>>928
すまんがそこまで厨に付き合う気は無い。
ものを知らんくせにやたら態度が悪いしね・・・
935934:2005/06/25(土) 21:40:52
あ・・・ミスったw
936日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:55:56
>>934
はたから見ればお前も同類。


↓↓↓↓何事もなかったように質問どうぞ↓↓↓↓
937日本@名無史さん:2005/06/25(土) 21:59:40
なんで地方の国司を現す官職名(信濃守とか)が、名誉職の意味になったんですか?
領国支配の名分ならともかく、戦国時代だと国人レベルの人間が在地とまったく違う土地の守を
自称しているし…
なんか意味あったんですかね?
938日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:33:59
鎌倉時代になって国司が支配権を失った時点ですでに名誉職化していた。
北条家の執権が相模守と名乗るのも形式以外の何物でもないし。
939日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:34:53
朝廷中心の政治システムが実態を保てなくなったから名誉職になった
940日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:57:02
名前を売ることが金になったからというのもある。
今でも、ブランド名やキャプションは重要。会社名なんぞ随分カタカナになった。
941日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:53:18
質問であります。

江戸の明暦の大火では10万似もの死者が出たと申しますが、この数字は信憑性があるのですか?
当時の江戸は遥かに小さな町だったろうに、それに比して死者の数が多すぎませんか?
942日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:08:20
18世紀初頭、江戸の人口は140万人
943日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:34:32
ペリーの日本来航時の
階級を教えてください。
944日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:41:19
>942

しかし明暦の大火があった1650年ころには、人口は100万人には達していないんじゃなかった?
隅田川に橋が無く、浅草門が閉じられて開かなかった、などの悪条件考えても10万は死にすぎ。
明和年間の目黒行人坂の大火は死者14000人、文化年間の芝の大火で1200人。
文政年間の神田佐久間町の大火で2700人なのと比べると桁外れすぎる。

人口200万人を突破した大正時代の大震災で東京の死者は6万人、
焼夷弾が雨あられと降った東京大空襲で10万人だからね。
945日本@名無史さん:2005/06/26(日) 04:28:39
>>944
知ったか知識で回答者に議論を吹っかけるなと何度言えば(ry
946日本@名無史さん:2005/06/26(日) 04:39:23
>>945
激しく同意。
東京大空襲とかぬかしてるとこ見ると軍板から来たバカだろ。
>>1に軍ヨタお断りと書いといたほうがいいな。
無能なくせに態度が悪いからスレが荒れる。
947日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:16:54
死傷者が数千人単位で出た合戦では、どうやって死体の始末をしていたんでしょうか?
合戦場跡で人骨がたくさん出てきたというニュースは見たことないので、多分燃やして
砕いていると思うんですが…
948日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:39:15
>合戦場跡で人骨がたくさん出てきたというニュースは見たことないので、

お前がニュースを全然見てないだけ。
それに火葬にしたって人骨は残るだろうが。
ここは日本史についての初心者が聞くところで
社会常識ダメダメな無知が来るところじゃないよ。
949日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:42:51
合戦場跡から人骨が出てくるのは結構普通にあることですが。
あと1度焼却した人骨は案外持たない。酸性度が高い土中では特に。
950日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:46:33
>>863
鎌倉総鎮撫で検索しても何も出ないんですが…
951日本@名無史さん:2005/06/26(日) 07:01:20
>>950
だから何だ?専門書で調べろよ。
ここは一応学問板なんだぞ。
学問板で得られた専門用語がそう簡単にネットで見つかると思うな。
952日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:15:36
無能な>>951さらしage
953日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:26:57
歴史的にみて日本に諸兵科連合という思想が現れ、
実践されたのはいつごろになるのでしょうか。
また、戦国期はまだ単なる混成部隊にすぎなかった、
という仮説の信頼性は高いのでしょうか。
954日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:31:06
>>952
無能な軍オタは軍板に帰れよ。
お前みたいなレベル低いやつがいていい板じゃないよ。w
955日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:10:58
>>944
東京消防庁のHPには↓のように記載されています。『武江年表』にある死者十万人を積極的に否定する根拠は何でしょうか?
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_30.htm

>>947
日本の戦争で死傷者が数千人単位で出た合戦というのは数える程しかありません。
そういう合戦場ではたいてい塚が残されています。
野生生物によって死体を荒らされたりしないように、それなりの回向はきちんとしています。
近在の住民にしてみれば死体の放置によって疫病が流行る事は喫緊の問題ですから。

>>953
広義なら古代よりありますし、狭義なら『三兵答古知幾』辺りからでしょうか・・・
956日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:39:47
>>955
相手にするなよ。
こういう無能は次の重箱の隅を持ち出して来るだけだよ。
957日本@名無史さん:2005/06/26(日) 11:04:53
>>955
こういうリンクもあるんですがねぇ。
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/edo/meireki.html
958日本@名無史さん:2005/06/26(日) 11:17:08
>>954
頭の悪い馬鹿に構ってスレを荒らさないようにしよぜ。
悪いけど馬鹿な質問をす奴も馬鹿に腹を立ててレスす
る奴も無駄に書き込み
過ぎだよ。
ぎこちない文章の区切り方で読みにくくてスマン。
959日本@名無史さん:2005/06/26(日) 11:31:39
ほら、さっそく重箱の隅をつついてきたw>>957
960日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:08:23
なんか変な奴がまぎれこんでるな・・・
初心者質問スレであって、無知のものを叩き、煽るスレだと勘違いしないように
961日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:30:45
>960
単なる知的スノブと思われ
962日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:20:54
>>953
信長軍、秀吉軍から
963日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:35:47
>>960-961
無能は自作自演も下手だなw
964日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:36:02
ホストで弾かれた。スレ立てよろ。


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965日本@名無史さん:2005/06/26(日) 18:54:22
>野生生物によって死体を荒らされたりしないように、それなりの回向はきちんとしています。
詳細キボンヌ
966日本@名無史さん:2005/06/26(日) 19:10:50
次スレ

【初心者】スレッド立てる前に質問をPart12【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1119780508/
967日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:24:09
明暦の大火死者10万人説を簡単に信じる香具師は、
南京大虐殺死者30万人説をも無条件で信じるんだろーな。
968日本@名無史さん:2005/06/26(日) 23:38:41
>>967
支那人乙
969日本@名無史さん:2005/06/27(月) 03:42:52
>>967
無知無能は軍板に帰れよ。
また泣かされたいか?w
970日本@名無史さん:2005/06/27(月) 07:39:50
穴山梅雪、木曽義昌、小山田信茂はともに武田家を裏切ったのに
小山田信茂だけが信長に処刑されたのはなぜですか?
家康に引き取られた梅雪はともかく、義昌は信長に寝返ったのに…
971日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:18:16
あくどいから
972日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:21:54
アンド価値がないから
973日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:25:53
民度が低いな日本史板は
974日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:29:01
そういう自分が一番???
975日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:50:24
>>970

穴山梅雪が例外で、ほぼ皆殺しだろ
976日本@名無史さん:2005/06/27(月) 13:33:44
ネット右翼を告発するために 05/6/25
http://www.linkclub.or.jp/%7Esazan-tu/readers/0506/r0506_8.html

 ネット右翼の跳梁跋扈が著しい「2ちゃんねる」を告発する会を作ろうと考えています。
以下、当方のブログのアドレスです。
http://blog.goo.ne.jp/dabamyroad
 なお、いずれは法的措置を彼らに対して取ることも検討しながら、連中の犯罪行為
を収拾していくつもりです。

「2ちゃんねる」を告発する会(仮称)結成へ向けて
http://blog.goo.ne.jp/dabamyroad/e/d9cb37a13bdf8ac78816cf66503d74ea
977日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:40:03
>民度が低いな日本史板は

お前が一人で低くしようとしてるだけだろ?w
ここは学問板で日本史という学術に興味があるやつが集まる板なんで
お前みたいな無知は場違いなんだよ。
978900:2005/06/27(月) 15:57:07
>>902
なんでならないのかわからない。日本が鎖国していたとき、外国を国家として
みていなかったのか?
979日本@名無史さん:2005/06/27(月) 17:34:45
>>978
回答者に執拗にからむ前に自分で調べろ。
最近無知のくせに態度悪いのが多いな。
980日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:34:29
>>979
煽りやさんもさることながら、回答者も最近態度が悪いな。紳士的にいこうぜ。
981日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:36:40
>>978
日本は鎖国といっても「どの国とも外交関係を全く持たない」ということがあったでしょうか?
日本史としては常識に類すると思いますので、百科事典やwikipediaなどで鎖国・外交・貿易あたりをしらべてみましょう
俺はそんな状態の呼称はしらん。
982日本@名無史さん:2005/06/27(月) 20:17:52

決して煽りではないが、>>900 は何を問題とし、何を訊こうとしているのか
イマイチよくわからない
983日本@名無史さん:2005/06/27(月) 20:32:28
今、>>977を殺してきた。つまらない粘着を繰り返した罪を泣いて悔いていたが、後悔は地獄でしてもらうことにした。
柄の長さが90cmはある大きな斧を振りかざし、>>977を部屋の隅に追い詰める。
>>977の引き攣った醜い泣き顔から完全に血の気がうせたところを見計らって一挙に>>977
両手両足を切断。柄を通して斧の無骨な刃が肉を裂き骨を断ち切る感触がズンと伝わる。
切り口から噴出すコレステロール過剰の鮮血。すかさず焼き鏝で傷口を焼いて止血する。
慈悲からではない。>>977の苦しみを長引かせるために。
>>977の断末魔の苦しみだ。防音した小部屋に咆哮が殷々と響き渡る。>>977は自業自得だが、
さすがにこちらの鼓膜が辛い。
この間にシャワーで返り血を洗い流し、ついでに斧を研ぎなおした。
作業が終わっても>>977の叫びは続いたが、次第に途切れ、醜く肥えた腹が痙攣するのみ。
それでは仕上げ。>>977の首を刎ね飛ばす。絶叫が止み、転がる首を追って残った鮮血がひとしきり噴出する音が続いた。
その転がった首、おまけにザクリとぶち割ってみた。中はやはり予想通り生き腐れだ。

>>977よ。地獄で苦しめ。これはお前が自ら望んだ結末なんだ。

984日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:22:46
そもそも国交のない外交関係は近代国際法普及前ならいくらでもあったがな。
985日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:35:59
海は交通路
986日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:40:24
江戸時代の武家の結婚適齢期はいくつぐらいですか?
男女で違うでしょうが、何歳くらいから結婚しだして、何歳くらいからは行き遅れなの
か教えてください。
987日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:52:26
>>986
元服したら結婚OK、元服後2-3年も独身は行き遅れ。
基本的に結婚は親同士が決める事柄でした。
988日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:56:08
男の元服は11歳12歳から17歳18歳って所かな。
989日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:57:15
今時「鎖国」なんてなかったこと知らないなんて・・・
990日本@名無史さん:2005/06/27(月) 23:07:31
直接日本史と関係ないですが、各地の歴史博物館の図録ってどこかで
売買されてますか? 中古の取引です。
991日本@名無史さん:2005/06/27(月) 23:17:22
>>990

わが家には定期的に古本屋から目録が来ますが
ふつうに載ってますよ
992日本@名無史さん
>>983
半可通はネタ煽りすらつまらんな。w

>>980
お前何要ってんだよ。
ちゃんと過去ログ見て言ってんのか?
回答者に執拗に噛み付く無知な馬鹿がいるのが原因だろうが。
回答は義務じゃないんだぞ。
何を勘違いしてるんだ。