952 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 15:44:15
薩摩藩英国留学生15名について。
953 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 19:38:32
篤姫の腹違いの妹、於才は
どこに嫁いだかわかりますか?
954 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 19:58:12
写真で見る幕末の島津図書ってかっこいいよな
>>953 『平成新修旧華族家系大成』男爵・今和泉島津家の項には記載無し
>>954 久光の次男だ罠
最期はあまりにもかわいそう
956 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 22:14:41
島津家臣の禄高見てると、川上とか新納とかの家老クラスでも100石とか200石とかが結構いるね。
なんでこんなに少ないの?
おそらく江戸初期から藩主命による上納が多かったことは一因だと思うが。。。
あと初期の藩主(家久・光久)が子沢山で、そっちに領地を分け与えなければいけないために
家老家クラスにしわ寄せが来た可能性もあるか。
・・・誰かもっと詳しい人来ないかなw
958 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 01:09:42
単純に藩士の数が多すぎるからじゃないの?
本郷とか種子島とか肝付とか数万石〜数千石のもそれなりにいるのに・・・。
北郷(ほんごう)だろ。江戸時代以前の分家や種子島、肝付など古い土着の家は私領を相続していたから石高はかなりある。新しい分家は本宗家との近い血縁から家老にもなるが功績がないと石高は上がらない。島津家と血縁関係なく家老になって実権握ったのは調所広郷のみ。
ちなみに調所は天保期で千五百石、弘化年間に加増され自害時で三千七百五十石。門閥以外では、きわめて例外的である。よほど有能で藩主からも評価されていたのだろう。
これのことかな?(ウィキペディアより)
川上氏本家は各地の地頭職を歴任し、600石の家禄を得ていた。
また昌久の孫にあたる久利の家も本家とは別に403石を拝領している。
庶流である久朗の家は237石を得て代々家老・目付の要職にあった。
新納本家は大隅桑原郡三躰堂村で350石を領している。
忠元の家は薩摩伊佐郡大口木氏村にて150石を領し、大目付・家老などの要職にあった。
また旅庵の家は薩摩川辺郡川辺神殿村にて240石を領し、旅庵から数代家老の職にあった。
川上とか新納とが山田もだけど初代は古いけど妾腹だかは島津姓もらえなかったんだよ。山田なんか長男だったけど。だから正妻の子供からの島津姓の他の分家とは扱いが違う。ただ江戸時代中期以降は妾腹でも当主が気に入ったかなんかで島津姓のままのもある。
・・・中世でも妾腹出身で島津姓の分家あるんだが・・・
しかも島津通なら知っているはずの超有名どころで。
966 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 17:20:28
川上新納山田
こいつら九州征服戦で功績上げた連中だよな。
それでも数百石ってまじ?なんか悪いことやって石高減らされたとかか?
秀吉の九州征伐の煽りを食って減収などのリストラされたんだと思われ
>>966のあげた人たち
大藩の家老が100石では体面が保てんのじゃあないかw
ま、家老は複数いるからね
格式とかうるさそうな場面では
宮之城島津家とか日置島津家みたいな
歴代家老職・○千石レベルの人を表にたてとけば無問題!
・・・と思っていたかどうかはしらないが。
970 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 20:13:43
本当に百石の家老なんかいたの?
百石って言ったらほんの数人しか家来いないんじゃないか?
葉武者に毛が生えたレベルじゃないか。
>>970 与力とかいっぱい付いてたんじゃねーの?
知らないけど。
972 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 20:31:15
てゆーかさあ、たった100石とか言うけどそもそも100石っていうのが実はそれほど貧相な禄高レベルじゃねんじゃねーの。
俺たち現代人は大河とかの影響でまず万石以上の大名にばかり目がいくけど、武士階級全体で見れば100石なんてはるかに届かない連中のが多かったんじゃまいか?
ただの武士ならね。
薩摩藩の家老としては少ないのではないのか、という話。
百石は間違いだろ。天保期の薩陽武鑑みたら川上は450石だったぞ。
>>963 川上分家(久朗系)237石
新納分家(忠元系)150石
新納分家(旅庵系)240石
976 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 20:50:27
200石って軍役何人?
家老就任時には加増されるはず。
島津家は日本で唯一、鎌倉時代から連綿と脈打つ由緒ある武家の家柄。
979 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 21:48:55
いいえ、三州守護家としての島津家は戦国時代に滅びました。
その後の島津家は「一応」庶流とされる伊作家が新しくおこした新興のお家です。
>>979 その言い方も違う
伊作家が鍋島氏張りに乗っ取ったというのが うわ何を(ry
どこも正妻の長男を嫡流とすると三代くらいしか続かないから、傍流が本家乗っ取ったり、本家の娘婿と先代の弟の男系が跡継ぎ争いしたり妾腹の末っ子が優秀で父親がそちらを跡継ぎにしたがったり、今でも旧家では起こってることで、けっこう面白い。
>>978 つ 相良、伊東、秋月、松浦、宗、小笠原、佐々木(京極)、諏訪、伊達、佐竹、相馬、岩城、安藤(秋田)etc…
結論:結論ある
ただ、相良は途中で中の人が全く無縁の人に変わってしまったよね(´・ω・`)
佐竹も代わってしまったが、こっちは血縁関係はあったかな。
結論:結論ある(×)
結論:結構ある(○)
>>983 まあ本当に男子直系だけで言ったら、上にあげた中にも居ないかもしれないしね。
養子等でも正当な手続きを経た上でなら、家としては続いてるとみなして良いんじゃないかと。
985 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 04:49:34
小笠原は勝山千束以外は男系絶えてないはず。唐津も結局戻ってるし。
986 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 05:19:18
薩摩の島津義久は79歳まで生きながら無嗣のまま没したというから
定めし男色好きだったのでありましょう。
されど、実際に彼の衆道相手となった小姓や稚児の名前は
何かの文献・文書類に伝わっているのでしょうか?
誰ぞ詳しい御仁は居られませぬかのう。
987 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 06:43:33
その甥の島津豊久は妻子さえ全く居なかったのかゑ?
製作所
京都
990
次スレたてられんかった
誰か宜しく
まあ伊作家が本宗家になったから当たり前の話なんだけど
賊徒扱いの実久はかなりの悪玉として書かれてるよね
実久が実権握って実行支配を強めたあたりの詳細やら知りたいんだけど
そこらへんどの資料に当たればいいのだろう?
>>987 旧かなをいい加減に使うのやめてください。お願い。
胸が悪くなるんです。
>>991 俺とこも規制にかかっている。誰かお願い。
1 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/02/15 16:33:01
語ろうと思ったけど、やめた。
2 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/02/15 16:44:43 ID:KnVXTvxe ?
削除依頼しとけよ
4 名前:1 投稿日:05/02/15 16:53:34
このスレ島津(始末)しておけよ!ウヒャヒャヒャヒャヒャ
5 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/02/16 14:34:15
そんな駄洒落いうやつは島津におえない
6 名前:日本@名無史さん 投稿日:05/03/03 09:40:52
島津(しまっ)た。
ノーベル賞
西南の雄?
998
999 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 12:06:07
1000
1000 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 12:07:21
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。