無調

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1名無しの笛の踊り
調性について
2名無しの笛の踊り:2001/03/07(水) 18:54
無いんだろ?
もう少し何か語ってくれよ。
3名無しの笛の踊り:2001/03/07(水) 21:10
私は、無調でもメロディーがあれば聴けます。
逆に調性音楽でもメロディーがなければ聴けません。
4名無しの歌が聞こえてくるよ♪:2001/03/07(水) 21:17
>>3
可哀想な奴だな。
世界にはリズムしかない音楽だってあるだろ?
旋律だけに拠り所を求めるその感覚はおかしいと思わないかい?

ヤマハやカワイで『中途半端に』音楽を学ぶと大概こうなる。
5名無しの笛の踊り:2001/03/07(水) 22:22
無調の調整、略して夢精
6名無しの笛の踊り:2001/03/07(水) 22:28
メロディーがある/ない、って、どーゆーこと?
音程があれば、それの連なりがメロディーじゃないの?
認識しやすい、しにくいは別として。
???ちがう???
7Hazumoerer:2001/03/07(水) 22:45
小さいときから、古典曲と現代曲の区別をしたことがないので、あんまり気になっていません。かつて子供の頃、現代物を手がける人たちをまるで宇宙人のように見てはいました。ぜんぜんそうではなかったのですが。
さて、4月辺りまで2ちゃんから新曲脱稿のため撤退です。メアド欄にかかれた単語がキーワードになっています。
それでは。
8:2001/03/12(月) 15:07
6は正しい。スペクトル楽派の音楽やらでない限り、
ケージもストックハウゼンも当然メロディだらけ。
>>8
二重定義で話を進めるのはやめよう。
>>3
で指摘されているのは明らかに調性音楽としての旋律だ。
このスレのレスで話が飛躍しているのは>>6と君だけだ。
10:2001/03/13(火) 00:45
>9
おっしゃるとおり。
でも、メロディのない調性音楽って…
貧弱ってことかしらん。
11名無しの笛の踊り:2001/03/31(土) 00:38
募集
無調の定義とは?
(独立して定義できるものじゃないけど)
12名無しの笛の踊り:2001/03/31(土) 01:00
何の知識もない女の子がいってた
「むちょーって調性がないってこっと?えーそんなことってあるのー?」
ある意味的を射た疑問だと思った
13名無しの笛の踊り:2001/03/31(土) 01:17
>6
そう そういうとこから人間の思案が始まるのだっ
14名無しの笛の踊り:2001/03/31(土) 01:39
飛躍ついでに
音波形の4分円部分に12音列を当てはめてP-R-I-RIで1サイクル
ってのはどう?
飛躍して須磨ソ
1514:2001/03/31(土) 01:59
その波形の音色でもって、その音列P-R-I-RIであっちぇりしていって、
そのうち低周波を経過し音型が音色に移行していく。
これは無限階段のように繰り返される。
勿論音色はスペクトル調整され音色のmod 12になっている。
それをエッシャーの「滝」を見ながら、もしくはマンでる風呂集合
の細部を徐々に拡大しながら鑑賞する。
ハメハズシスギタ。・・
16名無しの笛の踊り:2001/03/31(土) 02:50
調整されていない、自然のママの無調整。
17>16:2001/03/31(土) 16:56
自然は自然によってよく調整されてますよーだ
18名無しの笛の踊り:2001/03/31(土) 17:25
ちょっと考えたら分かるけど「無調」ってのは客観的に音響物理で定義できる
もんじゃないね。聞く側の問題ってことがある。
まあ認知学方面の定義としては、短期記憶、長期記憶とかって問題がある。
事象(音)−観測する側
調−無調
とかっていう演繹でしか語れないのでは?
19名無しの笛の踊り:2001/03/31(土) 18:06
無調音楽は夢精みたいでキライです。
20名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 00:01
>>17
うまい!座布団一枚!
21名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 01:02
無調音楽っていわれるものは
要するに「調性」ってものが表現手段として使われてないわけだから(アンチテーゼ的なものをのぞいて)
音楽中「調性」以外で表現するための要素があるわけだ。
それらの要素って何でしょう
22名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 04:10
「調性音楽」以外を全部「無調音楽」と一緒くたにする態度は、
「クラシック音楽」以外を全部「ポピュラー音楽」「娯楽音楽」
と一緒くたにするのと全く同じ態度で、実にくだらん。
23名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 10:16
「無調音楽」以外を全部「調性音楽」と一緒くたにする態度も、
「クラシック音楽」以外を全部「ポピュラー音楽」「娯楽音楽」
と一緒くたにするのと全く同じ態度で、実にくだらん。

24名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 10:23
このスレの「無調」は音楽のジャンルってことではないんじゃないの?
25名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 11:55
ジャイアンのリタイサルを聴くのです。


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26名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 19:40
ジャイアンの歌は無調かどうか
27名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 20:09
音大目指してます
12音技法を学ぶのによいテキストを、教えて頂けないでしょうか?
28名無しの笛の踊り:2001/04/01(日) 23:02
音と音の最大のエクスタシーを求めるならば、「How to sex]がおすすめ。
29パパラギ:2001/04/02(月) 00:33
グールドのシェーンベルクピアノ曲集が、私の12音音楽初体験でした。
「5つのピアノ曲」「ピアノ組曲」がよかった。前者はジャズの香りがして、後者
は12音なのにバロックな感じなのだ。12音技法というと自ずから対位法を駆使
するからなのだろうか。
30パパラギ:2001/04/02(月) 00:37
おっと「5つのピアノ曲」は最後の曲だけでしたね<12音技法
31名無しの笛の踊り:2001/04/04(水) 11:13
>おっと「5つのピアノ曲」は最後の曲だけでしたね<12音技法
後4曲は12音技法じゃないってこと?

32名無しの笛の踊り:2001/04/04(水) 14:00

 むちょ〜〜〜〜 って響きがいいよね、ひびき。


 むちょ〜〜〜〜
33名無しの笛の踊り:2001/04/04(水) 21:14
べサメむちょー♪
34名無しの笛の踊り:2001/04/05(木) 00:02
>>33
藁った
35パパラギ:2001/04/05(木) 02:37
>>31さま
「5つのピアノ曲」(作品番号忘れ:資料とってくるのがめんどいだけ)は、音列
技法が使われているものも、完全な12音列技法は第5曲「ワルツ」だけだそうです。
音源はグールドのCDでーす。
36名無しの笛の踊り:2001/04/07(土) 13:55
>29
そうそう
「5つのピアノ曲」
なんだジャズじゃないか と思った
かっちょえー
37パパラギ:2001/04/07(土) 17:21
>>36さん
「5つのピアノ曲」私も最初第1曲聴いたときはリッチ−・バイラーク(ジャズピアニスト)
の作品かと思っちゃったよ。
38名無しの笛の踊り:2001/04/07(土) 18:21
「5つのピアノ曲」は1923年か。
ジャズといってもエリントンがデビュー間もない頃
39名無しの笛の踊り:2001/04/08(日) 02:45
>38
と言うことは、「じゃず」がその時分この様な分野を内在的に追いかけていたって
ところがみえてくるようだ。
40名無しの笛の踊り:2001/04/08(日) 02:48
わしもシェーンベルク以前にバイラーク聴いてたタチですじゃ。
41名無しの笛の踊り:2001/04/08(日) 02:59
クラシックバッハから考えても400年の歴史を大衆芸能としてのジャズ
が20世紀この80〜90年になぞってる部分があるように思われる。
42名無しの笛の踊り:2001/04/08(日) 03:08
>35さま
「完全な十二音技法じゃない」曲が気になるにゃー
43パパラギ:2001/04/08(日) 03:53
>>42さん
手元に資料を持ってきました。
「名曲事典 ピアノ・オルガン編」千歳八郎/音楽之友社 p811〜
これによると「5つのピアノ曲 op.23」で音列が使われているのは
第1曲:B-A-C-Hによる音列の展開(これ聴き当てる人すごいと思う)
第2曲:10音による音列技法
第5曲:12音技法
となっています。
シェーンベルクは12音でない無調の曲でも美しい

44名無しの笛の踊り:2001/04/08(日) 15:25
>43
スバラシー!
45名無しの笛の踊り:2001/04/08(日) 15:29
>>43
確かにシェーンベルクの曲は、無調が美しいと思う。
SQの2番とか大好きだし、期待や心の茂みも好き。
逆に12音の方の曲になると縛られている感じがして
なんとなく窮屈。
だけど、セレナーデも好きだったりする。
46名無しの笛の踊り:2001/04/09(月) 15:32
無ちょーの曲なんてあんの?
47名無しの笛の踊:2001/04/09(月) 16:14
ベサメムーチョ(がいしゅつ?)
48名無しの笛の踊り:2001/04/09(月) 17:03
ジャイアンのリタイサルを聴くのです。

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49名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 03:23
じゃいあんの歌は無調かどうか
50あ’:2001/04/10(火) 08:43
だれだ、ダル・セーニョ、つけたやつ(ワラ
51名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 11:47
mucho gracias!
52>46:2001/04/10(火) 19:56
無ちょーの曲なんて論理的には存在しません。
後は聴取能力の問題です。
53名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 20:02
樽セーニョね
藁た
54シェーンベルク:2001/04/10(火) 20:59
無調なんて評論家どもが勝手に作った名前だよ
55あ’:2001/04/10(火) 21:43
>46
寧ろ”論理的に”だから存在できる。
”音楽的に”或いは”美学的に”存在しない、なら分かるが。

”考えうるすべての音楽”の集合から”すべてのいかなる定義のもの
であろうと調性的なシステムに基づく音楽の集合”を除いたもの、
つまり補集合が無調の音楽の集合、ということになる。

最悪でも、空集合がその様な集合として妥当する。
実際にケージにはその様な音楽の作例がある。
まあ、”調”の定義に依存するが空集合ということはないだろう。
あとはそんなものを音楽とみなすかという美学の問題。
56名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 22:27
最悪でもこの世には少なくとも一曲の無調曲があるってか
それが4’33だったりするのか
んなあーこたないか、ありゃ調も無調もへったくれもない
57名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 22:32
自分でつっこみ入れて自己完結している。
58名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 22:39
無調萌えー
59名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 22:48
>調性的なシステムに基づく音楽
恣意性がなけりゃ無調ってことか
60名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 22:55

>調性的システムに基づく
ってのがわからん
だれが判定すんだろう んなこと

61名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 23:01
>55
寧ろ”音楽的に”或いは”美学的に”存在するものじゃないの?

6261:2001/04/10(火) 23:09
物理やなんかで客観的・論理的にはなんの説明もできんってことで
んで「美学的」なんてのは特に多分に主観なのでは?
63 60、61、62:2001/04/10(火) 23:27
>55
危うく納得しそうになった
詭弁だ
>寧ろ”論理的に”だから存在できる。
寧ろ”観念的に”だから存在できる。
だったらわかるけど

>調性的なシステムに基づく音楽
ってのも主観的なことじゃないのかなあ
>「論理的に」だから存在できる
っていう理由にこういう非論理的な主観が入ってると矛盾してる
ってか説得力ない
64ほんだな:2001/04/10(火) 23:32
調性の定義をきちんとしないと、無調の定義もできないですね。
ちなみに、辞典には「調性」の説明として、

> 音楽の旋律や和声が、ひとつの中心音(主音)の下に秩序づけられ、
> 統一されているような音組織の体型。

とありました。この定義だと、核音で秩序づけられる日本の音組織は
「調性」ではないことになります。
6563:2001/04/10(火) 23:37
55さんって
かっこいい新興宗教の教祖様みたい
6663:2001/04/10(火) 23:50
因みに
65は
64読以前のカキコでした
67あ’:2001/04/10(火) 23:54
>60
まず、どんな人のどんな定義でも良い。
調性的なるものを定義する。
或いは、すべてのありうる調性的なものの集合のの和集合として、
それ自身を定義する。
その補集合と定義すればよい。
68名無しの笛の踊り:2001/04/10(火) 23:59
>67
>すべてのありうる調性的なものの集合の和集合
全体集合になりそうだ。
69あ’:2001/04/11(水) 00:18
>68
だから少なくとも空集合として存在できる。
すでに述べたようにケージ。

もちろん、オレの本意はこんな定義で無調を定義することではないし、
”無調の集合は空集合である”などと言われたら仰天する。
が、無調はありえない、って主張には賛成しかねるから、
形式論理的に存在を保証してみただけ。
一種のお遊びですな。
70パパラギ:2001/04/11(水) 00:20
音楽が調性的か否かって感覚は、耳の特性がもたらす避けられないモノ
なのか。それとも後天的に学習するモノなのか?
人間が調性を覚えるのは何歳ぐらいからだろう?
幼いときから「全音音階」の音楽にしか触れさせなかったら、人間は
それを妥当な音楽感覚として学ぶのだろうか?

ぎもんぬ。
71あ’:2001/04/11(水) 00:32
>71
それも恐らく調の定義次第。
いわゆる平均率的な長短音階だと後天的に身に付けるのだろうが、
2つの音の振動数の比が簡単な整数で表せる、
というぐらいにまで極端に調性の解釈を拡張すれば、
先天性のものだろう。
それを調性の定義に採用するのは難しいが。
64の定義を援用すれば後天的ってことだろう。

ちなみに、64の定義では日本の旋法は
調的ってことにはならないのか?
主音=核音と考えれば調的になる気もする。
日本の旋法を除外するには、さらに、
主音、属和音、下属和音を中心としたヒエラルキー構造をもつ、
ってことを入れねばならぬ気もするが…
72sあt:2001/04/11(水) 00:41
おいら辞典の説明なんか
>> 音楽の旋律や和声が、ひとつの中心音(主音)の下に秩序づけられ、
>> 統一されているような音組織の体型。
これでも納得できないっちゃ
客観物理で説明できないのは考えりゃわかる

おいらの理解の限りでは、いまひとつ深く言及してるぞ
いくぞー
調ってのはひとつの中心音(主音)に関連付けして音をきく人の能力
のことなんだにゃー
これは主観客観まじえてのことじゃ
だからダイアトニックや導音とかってあまり関係ないし
(まあ逆に関連付けやすい音の理論ってことだろうけど)
聴いてる人の記憶で関連性を維持できなくなった状態を無調
っていうことができる。
いいとか悪いとかの問題じゃないよー
むしろ無調音楽ってのは別のよりどころで聴く部分もあるとも思えるんだにゃ

別のよりどころってのは
耳の機能が(例えば12音なら5度の)指数対数パターンを音環境から
つくりあげ、記憶して
視覚との共感覚みたいなとこで音楽を聴く。見る。
カンディンスキーの「絵を聴き音楽を見る」
なんて言葉はこんなことかなーなんて勝手に思ってる。

だから
だんさぶるなリズムだって記憶の因果律がないと乗れにゃーい
ってことにもなるかも。
ノリノリってトニックを掴んでるーって感じ?
7370@パパラギ:2001/04/11(水) 00:55
>>71さん
迅速なレス感謝。
で、平均律上で定義されている伝統的長音階も、例えば振動数の比が3:2
である完全5度を積み重ねて得られるピタゴラス音階から「近似的に」
導き出せると考えれば(これが音律の起源だと考えれば)調性感覚は
「先天的」が優位にならないでしょうか。
(厳密にいうとCを根音とする完全5度の積み重ねはC-G-D-A-E-H-F#
なので最初にC-Lydianが導かれ、これをGから開始したモードがいわゆる
長音階となる)

74あ’:2001/04/11(水) 00:57
>72
強く反論はせぬが、
それじゃある個人が理解不能な音楽を
無調と定義することになるのでは?
”客観的にどちらともいえない音楽”はありうるが、
誰がどう見ても無調という音楽はある。と思う。
すべてのパラメータについてセリエルな技法を厳格に適用すれば、
ジャン・バラケが言うような特権的された音を排除できれば、
大域的には無調でしょ、中心音を決めかねる以上。
実作は知らんが
(近藤譲によるとブーレーズの”構造”のある曲がそれにあたりそうだ)。
75名無しの笛の踊り:2001/04/11(水) 01:08
>67の言葉
相対論者かい?
ピタゴラスの時代にこういった集合論のようなことを操り
議論していたやつは詭弁士といわれた
76名無しの笛の踊り:2001/04/11(水) 01:20
>70
認知学では
「長期記憶」ってのと「短期記憶」ってわけてるらしい
過去の経験的学習ってのは長期記憶に属するもので
短期記憶ってのはもっとその場限りの短いものっていう・・・
アプリオリってか先見性ってやつか
あとは一般性とか
んなこといったらユングの集合無意識との関係の問題になってくる
あと数の理念としての「整数比の単純性」とか
7776:2001/04/11(水) 01:29
全音音階が一般的なものとしてメインになていないっていう歴史がある
先験性ってことではそれ自体意味の在ることなんだろうな

76の「先見性」間違えた「先験性」です
78ほんだな:2001/04/11(水) 01:35
>>71
御存知でしょうが、核音は2つあります。
つまり「ひとつ」ではないわけで、この点で「調性」の定義からはずれます。
また、「主音=核音」と考えるためには、主音と核音の違いを検討する
必要があるでしょう。

♯次の「調性」定義は、『200クラシック用語事典』(立風書房)から。

> 調性とは、楽曲の流れが一つの中心音へと向かう動きによって
> 方向づけられている状態のこと。
(中略)
> 無調とは、こうした求心性を意図的に排除したスタイルを指す。
79sあt:2001/04/11(水) 02:22
>74
まず「無調音楽」と無調の概念は同一でありません。
>それじゃある個人が理解不能な音楽を
>無調と定義することになるのでは?
そのとうりです、いやなりません。いやそうです。
ってのは
客観的定義ではないし、できない
あくまで個々人の主観であり、またそうとしか言及(定義でなく)できないと思う
そもそも「定義」ってのは、真であろうと偽であろうと、ただある話をする前の仮定ってことでもある。
無調音楽を美しいと思うことと、無調の定義は別だし、
勿論大域的な問題・・・これとて一般性の問題であり「無調」の
定義にはなるまい。

>誰がどう見ても無調という音楽はある。と思う。
「無調の音楽」と「無調」の概念は同一ではありません。
またCD屋の棚にある音楽のジャンルとしてではなく
そういう意味で、
>すべてのパラメータについてセリエルな技法を厳格に適用
のような「無調音楽」の正式名称を、おいらは
人間の欲望としての
「どこまでも無調を目指した音楽」だと勝手に思っております
だからいいんだと思うにゃ
一部重複した
80sあt:2001/04/11(水) 02:34
おお シャーリプトラよ・・・
この世に無調音楽は無い
81sあt:2001/04/11(水) 03:15
>ジャン・バラケが言うような特権的された音を排除できれば、
>大域的には無調でしょ、中心音を決めかねる以上。
例えば、調的文脈を避けるように考え抜かれた音列で12の音が
もれなく出尽くした時点で、集合論的に見れば、無調になる。・・かな?
特権的なピッチなくすにはこれだけじゃだめだ
んじゃ、音程のみならずリズムポイント、強弱、ヂュレーション、アタック、派手な服、地味な服・・・
いろんな要素でやってみよう
これで無調になったかな・・・?  んー
くそっんじゃーもう音なんかださないっ!
でもそれを表現しなくちゃいけないし、この世には時間とか熱ってのがあるからなあ・・
そーだ、んじゃ「絶対0度」分だけそれをやろう・・・
いや、それとも限りなく自己言及の構造をめざそう・・・
>実作は知らんが
>(近藤譲によるとブーレーズの”構造”のある曲がそれにあたりそうだ)。
一般の思考を伴った音楽の聴取と「無調の概念」−
人の音楽的認知とつくる側の欲望としての「無調の概念」のギャップは「無調音楽」人気
として花ひらくのであった。

82深緑:2001/04/11(水) 03:59
無調をめざした1表現(洒落だかんねー、怒んないでねー)
黒     50点
字     80点
漢字    40点
ひらがな  30点
カタカナ  同じく30点
ポストモダンかぶれの構造主義ヒッピー
特権階級ぶっつぶせ
83マニフィックス:2001/04/11(水) 04:29
伊福部昭のあるインタビューによると、「無調無調とはいっても、
作品になると結局は調性があるのだ」といっていた。これはこれで
「なるほど」とおもったが、無調であろうと無調でなかろうと、
実際に聴いたうえで「面白い音楽か面白くない音楽のか」の方が私
には重要。クセナキスやシュットクハウゼンの考えている事は面白い
と思いますが、「好き」な曲は非常に少ない。シュトックハウゼンの
「カレ」や「グルッペン」は大好きなのだが・・・
84緑よ:2001/04/11(水) 05:43

>73
>で、平均律上で定義されている伝統的長音階も、例えば振動数の比が3:2
>である完全5度を積み重ねて得られるピタゴラス音階から「近似的に」
>導き出せると考えれば(これが音律の起源だと考えれば)調性感覚は
>「先天的」が優位にならないでしょうか。
違うわよ
敢えて反論するわね
まずあなたいってることラッセルっぽいわよ
お話にならないわ
そんなことに調性が先天的なものか後天的なものかなんて、関係ないわ。
まあ全くとはいわないわよ。
でもね、そういったことじゃないのよ。
「調性と無調」っていうコンテクストではね、まず「調性」っていうのは、限りなく「主音感覚」
って云う概念に移行(同化)していくと思うの。そうなると調性っていうのは後は
トーナルカラーとでも云うのかしら。着せ替え人形の服ようなものね。モードって感じかしら。
調の階層性っていいかたもあるわね。この階層性には時間軸の構造的問題もあるんだけどね。
時系列ってのはそのままひとの記憶に対応してると思うわ。
だから無調に言及するには、まずその服を脱がせてあげなきゃだめだと思うの。

だから以降「調性」と「主音感覚」って云うのをほぼ同義語として扱うわね。いい?
じゃあ例えばね、「f−g」って音が何の伴奏もなくあるとするでしょ?
まあ他の要素リズム云々抜きにかんがえてね。
あなたがどうしてもっていうならいいんだけど・・
さああなたはどんな調を感じる?
「e-f」でもいいわよ。さあどうかしら?
なんなら順番反対っこにしてもいいわよ。
どう反対もすき?
こんなのはどうかしら「f#−c」。
やだこれ反対っこにしてもいっしょね エヘッ
いずれにしても、そうしようと思えば主音は感じられるわよね?
でもいま挙げた音達をみても5度積み重ねの連鎖関係なんて「調性−無調性」の二元性を語る上で
なんの根拠にもならないのよ。

85sあt:2001/04/11(水) 05:56
おお シャーリプトラよ・・・
この世に無調音楽は無い
86sあt:2001/04/11(水) 06:09
>無調無調とはいっても、
>作品になると結局は調性があるのだ」といっていた。
作家の願望としての「無調」は作品として受肉化した
とたんに調性を帯びてしまうのだ。
作品として生命をもったとたんに、本意ない存在となる。
言葉やリアリティーもまたしかり。
87名無しの笛の踊り:2001/04/11(水) 07:41
永原さん、朝早くからご苦労様です。
88あ’:2001/04/11(水) 08:28
寝てる間に盛り上がりまくり…
書きたいけど仕事します…
89緑よ:2001/04/11(水) 09:36
なにいってるの?
ミドリ、今日は徹底的に飲むわよ いい? ヒック
>70
>音楽が調性的か否かって感覚は、耳の特性がもたらす避けられないモノ
>なのか。それとも後天的に学習するモノなのか?
まず「調性的か否かって感覚」ってのと「耳の特性」って直につなげてしまう姿勢が
が、どうかと思うわ。ヒック
だってまず「調性的か否か」ってことでもいっぱい議論があるわけでしょ?
まして「耳の特性」なんて生理学の領域に言及するってことは、それこそ
言葉と言葉の積(乗じゃないわよ)で指数対数的、いやもう爆発的に問に対する答えの必要量が増ちゃうわ。
全体性を欠いているともとれるかしら。そう私は全体主義者でもあるわ。
まあそんなことどうでもいいんだけど・・・
すくなくとも調性は「耳の特性がもたらす避けられないモノ」ではないと思うわ。
また「後天的に学習するモノ 」でもないわね。
っていうかその両方含むものね、きっと。ヒッ
だってでもこのことを時間軸を逆に辿っていくときっと極は「アプリオリ」ってことになっちゃう
のかしら?だって経験的学習ってのも、その環境が必要なわけでしょ?
またその環境ができるには、その為の歴史的必然性っていう時系列系ってものがあるわ。
「耳の機能」だって生物学的に変化していく時系列過程があるわ。
それと「整数比理念」ってのもあったわね。
私はどうしても「耳の機能」も「整数比理念」も「経験学習」も「その環境」も収束していく極点を
考えてしまうわ。それが「先験性」じゃないかしら?
あら、わたしってお花畑で電波ってるかしら?だってもう眠いんだもん。
今日は勘弁してちょうだ・・Zzzz..
90ウェーヴェルン:2001/04/11(水) 10:19
54バン シェーンベルク氏の
>無調なんて評論家どもが勝手に作った名前だよ
に一票
91名無しの笛の踊り:2001/04/11(水) 20:54
緑ちゃん飲み過ぎ!あいかわらず強いね。
92名無しの笛の踊り:2001/04/11(水) 23:51
>78
>主音と核音の違いを検討する
>必要があるでしょう。
詳しい方いませんか?
93あ’:2001/04/12(木) 01:05
sあtの論点は、あまりに形而上的で、率直言って完全には分からない。
”Aであるが、Aでないとも言える”などという表現は、
禅問答にはなっても、ちゃんとした議論ではありえない。
いずれにせよ、完備された形式で無調の不可能性を主張できない限り、
(俺が無調の存在を集合論的方法で証明できるように)
トータルセリエル音楽を”限りなく無調に近い音楽”と捉える耳こそが、
音楽の局所のみを捉えているように思われても仕方がない。
それは、たとえば、ハ長調のソナタ形式の音楽の展開部で嬰ニ短調(!?)が
出て来たからといって、その曲自体を嬰ニ短調であると主張しているに等しい。
さらに、無調と無調音楽は違うとの主張も、
同じものの手段と結果を表しているだけであって、
区別しても良いが、区別する意義は見当たらない。
これも比喩的に言えば、稲を麦から区別するのに、
稲と米を区別する必要がないのと同じことだ。
94あ’:2001/04/12(木) 01:22
というわけで、議論は調性とは何ぞや、そして、
調性の裏返しとしての無調性とは?って点に絞られると思うが、
そうなってくると、92の言ってることは、
それてるようで案外核心をついているのかもしれない。
そうすると、賢いオカマさん(違ってたらすまぬ。)が言ってるように、
先天性を議論することは無意味になるかもしれない
(ただし、それはこの文脈においてであって、
その議論自体は別の文脈で楽しいが)。
彼女/彼の言ってることも全部を理解できたわけではないが、
現在の文脈で言うと、調性に親和的な性質を人間の耳或いは大脳は
先天的(先験的でも良いが)備えているが、
それが発現するか否かはその人の歴史的(つまり後天的)な問題だ、
ってことになると思う。違うのだったら、求む説明!
でも、それって、調性(主音感覚でも良いが)に対して何らかの、
先天的なシンパシーを持っている、と、突き詰めれば、なるのでは?
95名無しの笛の踊り:2001/04/12(木) 01:28
どこかのホームページで見たんですが、(ブーレーズだったかな)
「この時代無調の音楽は、音楽を数学におとしめた云々・・」
のようなことがかいてあった。
みなさんどう思われます?
自分はこういった音楽はすきなんですが・・
96名無しの笛の踊り:2001/04/12(木) 01:29
>無調なんて評論家どもが勝手に作った名前だよ

「調性音楽」という名前も音楽学者が勝手に作ったのでは?
97あ’:2001/04/12(木) 01:53
>95
西洋音楽は歴史的に数学から派生してる。
Boulezがそんなことを言うとは信じ難い。
98sあt:2001/04/12(木) 02:59
>調性(主音感覚でも良いが)に対して何らかの、
>先天的なシンパシーを持っている、と、突き詰めれば、なる>のでは?
形而上的、観念的となり、議論ということでは客観的論理性を欠く、とのご指摘を受けそうですが、ここはひとつ単純な数の理念と云った文脈で話をさせて頂く場合、ここで云われた「主音感覚の先天的シンパシー」といったもの、またそれを前出の「単純な整数比」と言ったことと掛け合わせ考えた場合に、「1なるもの」もしくは「1なる感覚」そして2,3,5・・まあ素数比とでもいえるでしょうか?
パーチの世界になるのかな(詳しくはしらないが)
音が主音に還元される過程、音の因数分解とでもいうのでしょうか?
これなどは前出の5度圏的な循環を数理念的に捉えるにはよい。
勿論これがすべてでありませんし、これは垂直的には捉えやすいのですが、時系列の所謂水平性で調性を捉えるには不足に思われる。
コステールの「音の親和性」といわれるもの、(5、4度、短2度、7度)これなどは、調性を垂直的、水平的に捉えるにはヒントになりそう。
まあそれ以上の調性のもつ自明性を論理的に求めるならばの話ではあるが。
99名無しの笛の踊り:2001/04/12(木) 03:04
97<
失礼
確かにブーレーズの発言ではなかったです
その時代にそういった声があったということでした。
100ほんだな:2001/04/12(木) 05:22
核音も、「旋律の中心となる音」であり、
>>78の定義では、日本の旋法も「調性」の枠組みに入ると思います。

>>84さんは、「二音の旋律であっても、どちらかに主音を感じることが可能だと
いうこと」を主張しているのだと思いますが、日本のわらべうたの「凧凧あがれ」
(岩波文庫『わらべうた』参照)などはその実例です。

♯「調性」の定義を考える上で、重要な点に気がつきましたが、またのちほど。
101名無しの笛の踊り:2001/04/12(木) 17:53
核音と主音はただ文脈の違いであると思いますが。

敢えていうならピッチとインターバルの様なものか。
102名無しの笛の踊り:2001/04/12(木) 18:05
無調三軒両隣
103st:2001/04/12(木) 19:44

>それじゃある個人が理解不能な音楽を
>無調と定義することになるのでは?

>”Aであるが、Aでないとも言える”などという表現は、
>禅問答にはなっても、ちゃんとした議論ではありえない。

ここでは言語の「言及範囲」といった問題があります。

イエスのばあい−
あくまで認知論的な範疇の定義である、ということ。
但しこの場合、聴く側主体の立場の定義でしかなく、客観性のないものとなる。

ノーの場合−
客観性を考慮した場合、文脈の全体的定義(無調の定義は?)として、
「理解不能な音楽を 無調と定義する」は、その本質を捉えないものとなる。
また、客観的立場(音響物理のような)のみから無調を定義付けることは、
不可能とさえ思われる。
104s:2001/04/12(木) 19:46
103 st = sあt
105sあt:2001/04/12(木) 20:17
また
>「理解不能な音楽」
では語弊があり(この言葉では更に深く言及することが必要となるでしょう)
ここで云っているのは、あくまで(認知論的に)
「あるひとつの音との関連付けが不能」といったことです。
またその範疇で、その「関連付け」こそ調性感覚に他ならない、
ということもできると思います。
106sあt:2001/04/12(木) 21:19
正確には「優位性、またそれによる階層性を伴った関連付け」
ですかね。
107あ’:2001/04/13(金) 01:12
>107
主張してることは、今までのものを要約すると、
”調性感覚はあるし定義すら出来る。
だが、無調はありえないから定義できない”
ってことになると思うが、
この理解が正しければ歴然と矛盾してる。
108sあt:2001/04/13(金) 03:13
>93
>いずれにせよ、完備された形式で無調の不可能性を主張できない限り、
>(俺が無調の存在を集合論的方法で証明できるように)

まず「無調の存在」を仮定し、
現時点で、集合論・形式論的に−でなくいえることは、
(でないと、単なる一般性、多数決原理に依存したものとなる恐れがある)
逆説的なもの−
「無調の存在」は客観性(音響物理のような)に立脚した論点において、その根拠は見あたらない。
(その根拠はないし、「証明」は不可能であろう。なぜなら証明は主・客通して成立するものであるから。)
然からば、少なくとも聴取者主体の論点においてのみ、前述のようなこと(音関連付け)として
定義付けはできる。
であれば
音楽をおくる側と、受ける側、またはそれを論ずる側、聴く側といった主・客が在る限り、「無調の存在」は成立しない。

109sあt:2001/04/13(金) 03:45
>107
「無調」を「調性の不在」と形式論的に定義することは簡単である。
闇とは光の不在であると演繹的にのべているにすぎない。

人間は考える葦である
110あ’:2001/04/13(金) 08:55
>110
それでは、言ってしまえば、
私は無調が理解できません、
ということになると思う。
ソーシードを含む、セリーにハ長調を見るのは、
調性の幻を、もっと端的に言うと、
調性の記憶を再現して当て嵌めているのに過ぎない。

また、主観的に誰か理解できなくても、
客観的に論理矛盾を起こさなければ、
証明は完了するのです。
昨今の愚かな大学生が分数計算が出来ないからといって
分数の存在を否定する人間はいません。
111sあt:2001/04/14(土) 06:36
>”調性感覚はあるし定義すら出来る。
>だが、無調はありえないから定義できない”
>ってことになると思うが、
無調のできうる定義を「認知論的」定義として述べました。
また再三ですが、ここには客観性がなく、
(この部分については結局、「後は聴く主体である個々人の音に記憶能力に依る」となっているようですが)
これが群の定義のように「主・客」の対称性をもった、閉じたものとしての定義付け
でないことを云いたかったわけですが・・・ううこれじゃわからんかな・・
まあこれを定義としてしまえば、「無調はこのようにして、ある」ただそれを見ている観察者にそれはわからない。
また調性の「感覚」といったことを認知論的範疇で述べてみたにすぎず、
「調性」の定義をしたつもりではなかったのですが・・
またそれを議論する文脈でもあったのでは?
調性とは?また裏返しとしての「無調とは?」といったことで意見を述べてみたものです。

112sあt:2001/04/14(土) 06:45
だから
無調と調性は互いに演繹的に存在するっていうことで
調性のありよう、無調ありようってことで話をしたほうがいいのかなあ

無調の「在る無し」といったことだけを論ずることは局部的
(在る意味主要なことであるが)求心的に過ぎるところが在るように思われる。
視点を変え(拡げ)た時、(20世紀の)作曲家たちは、如何に「無調」を表現したか。
例えば前出の空集合として「無調」、構造による表現など。

なんちゃって
113名無しの笛の踊り:2001/04/14(土) 20:35
また、こうもいえるのでは
#無調の音楽が広く愛聴されている現在
#楽曲やセリーにおける「無調文脈」(といわれているもの)も、あるメロディー、フレーズ
#として、聴く人が自分に(自明として、記憶として)取り込めんでしまえば、
#その時点で、「無調文脈」として音の関連性を獲得していることになる。

#ただその関連性が優位性・階層性を伴った(調性的な)ものであるか否か、である。
(無調文脈の構造的な階層性とは別のものとして)
またこれは歴史の優位性(その根拠はさておき)、先験性に準じたものとして考えられる。

異論反論他募集
114名無しの笛の踊り:2001/04/15(日) 00:28
ブーレーズの「構造」のような
トータルセリアリズムは多分につっこまれる要素はあるにしても
形而上的な部分として感じれば十分楽しめるものだ
115パパラギ:2001/04/15(日) 01:20
お久しぶりです。
なんか集合論とかすごい話になってるなー。
>>98さん
エドモン・コステール著「和声の変貌」を紐解いて読んでますが、なんつうかこれ
「音楽解析学」だね。確かに知的好奇心を満足させてくれるけど、実際に音楽を
聴いたとき、例えば「・・・この楽節はB音に集中指向性を示している」という
ことがイマイチ感覚的に捉えられない。私の耳や音感覚がなまくらなせいなんだ
ろうけど・・・

>>84=89さん
上記の著書を読むきっかけになったのが、楽器屋で偶然見つけた 濱瀬元彦著
「ブルーノートと調性」(全音楽譜出版社)なんだけど(ここでもコステールの
親和性マトリックスでさまざまな「音階」が解析されている)
この本でジョージ・ラッセルの'Lydian Chromatic Concept of Tonal Organizasion'が
紹介されているね。
「完全5度の累積」というと、確かにラッセルの理論を想起させるけど、わたしゃ
ラッセルの理論は知らないし、信者でもありません(言い訳)
云いたかったことは自然倍音列のことで「完全5度」はその中で音律を生起させる
もっとも単純な仕組みとして例にあげたに過ぎません。

時系列であらわれる、ある音と次に鳴る音から想起される中心音ってのは、確かに
調性を論ずる上で重要ポイントであるということは、同感です。
116パパラギ:2001/04/15(日) 01:33
てなわけで無調の話にもどると、
現時点での私の考えはこんな感じです。
12音技法やセリー音楽など現代の技法が目指しているのは、結局の
ところ無調というよりは反調性(調のしばりから逃れる)であり、
調性の拡張・・・古代・民族的旋法の再発掘や新しい音律にもとづく
和声力学の開発などと方法は異なれど目指すところは同じである。
ちと乱暴かもしれんが・・・
117あ’:2001/04/15(日) 01:49
>116
それって,ワールドミュージック的な発想を感じるけど,
それも含めて新ロマン主義?
New Complexityとか
スペクトル学派はどう評価する?
例えば,後者とか,どんなに4分音6分音使っても,
倍音列に乗ってりゃ,Harmonicityがある
とか言っちゃうわけだし。
是非意見を聞きたい。
この文脈上で,113に
フレーズやらメロディの存在しない音楽への評価も聞きたい。
(”準じた”で引っかかったけど,そこを言い出すと
またかなり本人以外には不毛な議論になりそう・・・)
118純正律主義者:2001/04/15(日) 02:02
無調とは「平均律=13番目の調性」にすぎない
要するに単調
いろいろ実験が行われたが、結局全滅

小中学校で
「今日は和音の勉強をしましょう。一番良くハモるのは
3度を重ねたドミソ、レファラ、シレソですよ。
ピアノの音を良く聴いて覚えて下さい」

♪ドミソ〜

「先生、それ不協和音じゃないですか?うなってますけど」
119sあt:2001/04/15(日) 02:22
例えば低周波に基音設定した高次の倍音関係をピッチとしてシステム化した?そのシステム論も
気になるけど(どのように閉じているのかといったことで)
これは純正律・平均律の問題でもあるような。
また「音価と強度のセリー」のようなピッチの「mod12」は閉じていても、その他音価のパラメーターに当てはめる場合閉じていないと言うような。
倍音−素数の問題が関係してくるとほとんど宗教に近くなるような気が・・
120名無しの笛の踊り:2001/04/15(日) 02:48
118純正律主義者さま
諦観ですね
121ほんだな:2001/04/15(日) 02:59
数学、心理学、哲学、音響学さまざまな学問が登場し、
たいへん勉強になります。

あ’さんの立場は、「『調性』でもなく『無調』でもない音楽は存在しない」
というものだと思いますが、正しいですか?

ところで、最初から最後までずっと、同じ高さのE音を弾き続ける
ヴァイオリンソナタがありますが、あれは調性? 無調?
中心音(?)はE音ですが、音への求心性はありません。
122>121sあt:2001/04/15(日) 03:16
アイデンティティーですね
123sあt:2001/04/15(日) 03:22
これは無調の構造的自己言及につながるところだと思われます。
124緑よ:2001/04/15(日) 03:59
みなさんこないだは酔っぱらっちゃってゴメンね
>フレーズやらメロディの存在しない音楽への評価も聞きたい。
>(”準じた”で引っかかったけど,そこを言い出すと
>またかなり本人以外には不毛な議論になりそう・・・)
メロディーとかフレーズっていうフレーズは多分に主観的表現なのよ。
だから厳密にいうとこの文脈で使うべきじゃないわね。(マジか!?)
だってなにをメロディーとするかなんて引用文献が20冊は必要だわ。
それも哲学書ね。それとも詩集かしら。
それとも必要なのは大人の経験かしら
あらやだ私ったらまたとっても非論理的・抽象的なこと云っちゃったわ
ごめんなさい・・・地図読めないの・・・
最後に云いたいわ
無調って愛よ・・・
125名無しの笛の踊り:2001/04/15(日) 06:33
>115
同意あげ
126>121:2001/04/15(日) 06:51
あるとこで見ましたが
Grisey さんというのですか?
単位元としてのE音に、また音源と聴取者(聴くという体験)を含めて
還元されるところの。

127名無しの笛の踊り:2001/04/15(日) 07:27
>118
藁た 深い・・
うーん文脈が問題だ。
純正律文脈
平均律文脈
ただ一般性と言う意味では2つのインターセクションの部分で微妙だから
ピタゴラ巣・シンとニックコンマの問題に還元されちゃう。
円周率が「約3」になるって?
128あ’:2001/04/15(日) 11:36
>121
個人的には最大限広くとっても、
ドミナントートニカの関係は調整に最小限必要であると考えます。
したがって,それを有しない音楽は,旋法性をもっていても,
調性音楽と見なしません
(その関係が極端に延期されたケースも多いですが)。
したがってこの立場からは、
ラモンテ・ヤングの”夢の家”のような
一音のみの曲は明らかに無調です。
問題は,その様な関係を持っていないにもかかわらず,
調性音楽の枠組みで,近似的に取り込めてしまう場合でしょう。
雅楽の越天楽はここからは無調。
松平頼則の越天楽変奏曲の主題は調性。
では、近衛編曲の越天楽は?
調的って言葉を使いたいけど,曖昧な表現は話を混乱させる…

また、現在の文脈では,調律を論じるのは
不適切であると思われる(そっちのスレもあるし)。
誰しも純正調がいいのは知ってるけど,
耳の許容範囲内で便利なように近似したものが
平均率であるわけで,調性/無調性を論じるのであれば,
それは必要ないと思われる…
129あ’:2001/04/15(日) 11:48
>126
それがまさにスペクトル学派で最も理論的に整備された作曲家の
Gerard Griseyだ!惜しくも亡くなちゃったけど…
スペクトル音楽は,任意の基音を設定して,その倍音構造上の音を
楽器で再合成することで新たな興味深い音を作ることになる。
Trstan Murail,Michael LevinasやHoratiu Radulescuの
音楽も同じ立場だね。
倍音列から任意の音を選択することでさまざまな和音を得るし,
それを変形することで音楽はさらに豊かなものになる。
グリゼイの場合、そこから抽出した数列を時間構造にも適用する。
この立場は,Marc-Andre Dalbavieなんかにも受け継がれている・・・。
さらに,この学派は音響心理学も援用するが,これは恐らく,
聴取不可能といった批判に対するための理論武装。
最大の難点はこの学派から,傑作が最近生まれていないことだ。

でも、これは現在の論点からはかなり離れたなあ。失礼。
130<128:2001/04/15(日) 16:13
和音としてみるなら、倍音がある以上、単音にもドミナントートニカは含まれることにならないか。
ドローンのようなものを聴いていて、ドミナントートニカは聴く人がつくると思うし
論理的にこれを避けるために正弦波なんか使うこともあるようだが、耳の方が倍音をつくっちゃうらしい。
それとも調性音楽とは時系列上でのドミナントートニカのケーデンスが必要と言う意味でせうか。

131<128:2001/04/15(日) 17:20
>また、現在の文脈では,調律を論じるのは
>不適切であると思われる(そっちのスレもあるし)。
>誰しも純正調がいいのは知ってるけど,
>耳の許容範囲内で便利なように近似したものが
>平均率であるわけで,調性/無調性を論じるのであれば,
>それは必要ないと思われる…
というか
例えば無調の12音技法なんてまったくもって平均律的発想なわけだし
「平均律」が第一義的な公理ですらある
音律は無関係じゃないと思う。

>雅楽の越天楽はここからは無調。
>松平頼則の越天楽変奏曲の主題は調性。
>では、近衛編曲の越天楽は?
>調的って言葉を使いたいけど,曖昧な表現は話を混乱させる…
根拠とまでいわずとも、ある程度の理由がほしい
132ほんだな:2001/04/15(日) 22:43
あ’さんの考えだと、ギターでえんえんとCコードを奏でている場合、
「無調」になってしまうのですが。それとも「調的」?

「調性」にも「無調」にも分類できない音楽があると考えた方がよいのでは。
133パパラギ:2001/04/16(月) 00:42
>>117さん
スペクトル学派!すでに>>129で説明して頂いてますが、コトバとしては
初めて聞きました。
で、
>>117
>New Complexityとか
>スペクトル学派はどう評価する?
>例えば,後者とか,どんなに4分音6分音使っても,
>倍音列に乗ってりゃ,Harmonicityがある
>とか言っちゃうわけだし。

高次の自然倍音列は、あくまでも平均律からアプローチしていった場合
には、よりよい近似を得るために4分音、6分音などの援用が当然出て
くるでしょうね。
(算数とは逆に、有理数を無理数で近似するところが歯がゆく、これが
音律と共鳴の結びつきを困難にしているのでしょうが)
スペクトル学派・・・これは聴かねばなるまい・・・

平均律の枠組みの中でも、例えばスクリャービンが使った「神秘和音」や
その他属7、属9の変形、テンションコードなどは自然倍音列から派生
したものだという(本人は最初そうとは知らず使っていたというからスゴイ)
(しかし「自然倍音列」から構成した「和声」というと、ナチュラルで美しい
と思うのが自然だろうが、それを使ったスクリャービンの音楽がとても
「怪しく」感じるのは何故だろうか)

もしかしたら、平均律の洗礼を受けていない地域の民族音楽に「原始的
スペクトル音楽」が存在するのかもしれないと妄想してみたりします。
134名無しの笛の踊り:2001/04/16(月) 00:47
頼むから、スペクトル学派の宣伝をしてる君、そろそろ固定HN名乗ってくれ
135あ’:2001/04/16(月) 01:14
>132
例えば,C-E-Gといった単一の和音を連打するだけ,
なら、この和音はハ長調主和音以外の解釈も当然ありうるわけで,
私の立場からは,無調。調性をこれだけでは定めきれないというのが,
正確だが,もし調性があるか?と問われれば,ないと答えよう。
したがって,5度の音が同時になっても調性が定まらない以上、
ドミナントートニカの関係は130の言うカデンツに等しいことになる。
この意味で,話はそれるが、B.A.Zimmermannの”球形の時間”などという
概念は音の時間軸を垂直的な和声軸に置換可能なことを主張しているわけで,
同意しがたい。
>131
根拠は過去レスを振り返れば明らか。不親切だが面倒くさいので、ほっとく。
>132
話を戻すと,話を西洋音楽に限定すれば調性/無調性は載然と区別可能である,
という点では意見は一致していると思う。
それ以外の音楽はどうか、というところになると,一般的にはそもそも
調性システムを使っていない音楽の調性の有無を考えることの意味を
問う必要がある。その意味で”分類不能な音楽”に分類するのは現実的。
しかし,それらに調性があるかないかと問われると,やはり、
ないと答えざるを得ない。これは結局131への答えにもなってしまった…
136sあt:2001/04/16(月) 02:47
>例えば,C-E-Gといった単一の和音を連打するだけ,
>なら、この和音はハ長調主和音以外の解釈も当然ありうるわけで,
>私の立場からは,無調。調性をこれだけでは定めきれないというのが,
>正確だが,もし調性があるか?と問われれば,ないと答えよう。
なるほどあ’さんの云う
無調と調性のあいだにぽっかりあいたグレーゾーンが見えてきたようですが、
逆に、仮に「無調」を「主要な音をなくすように意図されたもの」だと考えた場合、
c-e-gのような和音は明らかに主要な音をつくるものと考えられる。
この立場からみると、c-e-gの連打は無調ではないことになる。

さて無調からも調性からもほされてしまったc-e-gはどこへいけばよいのでしょう?

>したがって,5度の音が同時になっても調性が定まらない以上、
>ドミナントートニカの関係は130の言うカデンツに等しいことになる。
あ’さんのいっていることを要約すれば(理解が正しければ)
調性=所謂「機能的調性」
無調=「それ以外」
となるがいかがなものか?
137あ’:2001/04/16(月) 03:35
>136
後段はそう。
だからこそ、前段で,c-e-gが主要音を持っていても
調性を有しているとは判断できない。
138sあt:2001/04/16(月) 04:10
ひとつの対称的な経緯(西洋音楽文脈で)を仮定してみました
機能的調性−主要音の存在−主要音の不在(を意図するもの)−機能的?無調
こう考えるとセリーの技法などは、無調の機能理論といえるような気がしてきた。
139sあt:2001/04/16(月) 04:13
138はあたりまえのことだった(ははっ
140sあt:2001/04/16(月) 04:43
例えばパーチの11−リミットの音律システムによる音楽などは
あ’さんの文脈では無調となるのでしょうか。
一見純正の比律(協和性)に主眼が置かれたものが無調ってことになると、
ある矛盾を感じるが。でも世間でもこれらは無調ってことになってるみたいだし。
もし調性=機能的調性であるならば
私のなかでは積極的に調の排除を意図するもの(機能的無調)を無調と云いたくなる。
もし
>話を西洋音楽に限定すれば調性/無調性は載然と区別可能である,
ならばのはなしだが。
141sあt:2001/04/16(月) 05:06
微分音でも
x音型平均律と純正リミット型に大別できると思うが。
シビアなこというとこの違いは大きい。
それとも話をきいたところでは、スペクトル学派とかっていうのはこのあたりはまぜこぜなのか。
まあ知りたきゃ自分で調べろってなもんだが。

142sあt:2001/04/16(月) 06:05
>平均律の枠組みの中でも、例えばスクリャービンが使った「神秘和音」や
>その他属7、属9の変形、テンションコードなどは自然倍音列から派生
>したものだという
自然倍音列から派生した言う話はあまり信用できない
別にロマンとしてはいいのだけど。
「旋律的短音階」ってこともそうだが
それならばフーゴー、リーマンの「二元論的和声理論」でいわれるような
「ある音を中心に上方下方に対称な倍音(音程)を考える」ってほうが論理的妥当性は感じる。
よく似てはいるが、平均律の枠組みならば
第七倍音とか11倍音とかの著しくはずれた音をこじつけて考えなくてもよくなるから。
話がそれました・・
143sあt:2001/04/16(月) 09:08
因みに前出のG・ラッセルの
「カデンツのように時系列的に目的意識を持ったものでなく
無目的の存在としてのリディアンモード」という思想は最高に
ヒップなものだと思う。
144sあt:2001/04/16(月) 09:59
ひまなので更に続けます・・(ほんとはそうでもないんだろうけど)とほほ・・
>エドモン・コステール著「和声の変貌」を紐解いて読んでますが、なんつうかこれ
>「音楽解析学」だね。確かに知的好奇心を満足させてくれるけど、実際に音楽を
>聴いたとき、例えば「・・・この楽節はB音に集中指向性を示している」という
>ことがイマイチ感覚的に捉えられない。私の耳や音感覚がなまくらなせいなんだ
>ろうけど・・・
自分だけじゃなく、同じ事感じてひとがいるんだなってことで、
勿論これを議論するときって十二音ってのが前提ですが、
コステールの云ってるインターバルクラス1と5の「親和性」ってものは、なにをかを
表していると思うんだけど、それをごっそりと音群に適用して(時系列潰して)縦軸感覚で親和性とかいって
マトリックス表を作っちゃうところが、どうも先走った西洋的感性を感じちゃうな。
145ああああぁ:2001/04/16(月) 10:24
C→E→Gの連打が何で無調性なの?
それは違うと思うんだけど。
146sあt:2001/04/16(月) 10:31
音楽集合論的にいうと、こういった問題って
リニア・ノンリニアって分別するようですね。
カデンツもリニアの問題といえるし、
だからリニア文脈では「順序」もりっぱな音楽のパラメータ要素であると。
>B.A.Zimmermannの”球形の時間”などという
>概念は音の時間軸を垂直的な和声軸に置換可能なことを主張しているわけで,
>同意しがたい。
も同じようなことを云っているのだと思うが ・・

147sあt:2001/04/16(月) 10:53
>145
現時点での要約を含め
ひまだから説明すると(そうでもないんだけど・・)
あ’さんの定義(仮説?)でいうと
調性=機能的調性
機能的調性=要諦として時系列に於けるカデンツを含むものである。
であればc-e-gの和音(の連打)は時系列に於けるカデンツを含まない。
よってc-e-gの和音(の連打)は「調性」の範疇に入らないから(やむを得ず)
補集合としての「無調」の要素とする。
しかしグレーゾーンはいぜんとしてあるわけです。それを議論しようとする文脈です。
(ほんまかいな)
148名無しの笛の踊り:2001/04/16(月) 11:24
ジョン・ゾーンは良いよね!
149sあt:2001/04/16(月) 11:33
それに対して
「無調」を「主要音をなくすよう意図されたもの」と仮定したとき
c-e-g(の連打)は主要音を形成するものであるから
c-e-g(の連打)は「調性」「無調性」そのどちらからもあぶれてしまう。
さて「c-e-g(の連打)」の就職先をみんなで考えようって文脈です
(ほんまかいな)
150名無しの笛の踊り:2001/04/16(月) 11:35
明太子どんぶりうまいよね!
151名無しの笛の踊り:2001/04/16(月) 11:38
キムチ牛丼でもいいや!(カエル抜きね!(笑))
152名無しの笛の踊り:2001/04/16(月) 12:01
カエル抜きのキムチ牛丼とは!
それはしらなかった
うーんぜひ聴いてみよう。
153ああああぁ:2001/04/16(月) 14:56
あの・・カデンツが無いから無調っていう論理は
一般的にはおかしいとおもうんだけど。
聴者が調性を感じたら有調で、調性を感じられなかったら無調、
だという定義が一般的だと思うけど。
心理学的な側面から見れば、
人が調性を強く感じる要素は2パターン存在することがわかっている。
(もちろんその他にもあったと思うけど忘れました。)
ひとつは、終止形(まあ一般的にはドミナントモーション)と、
もうひとつは、最初にあらわれるコードでも決定される。
調の認知というものはカデンツがあらわれてから初めて調性を感じるんじゃなくて、
音楽が流れているときにリアルタイムに感じられる。
つまり、カデンツがあらわれる前にもうすでに調性はほとんど成り立っています。
そう思います。
154あ’:2001/04/16(月) 21:33
その定義では人によって調性の定義が変わる。
そんな定義でもいいけど,説得的かどうか。
c-g-eにすでに調性を感じるのは,
耳が調性に慣れているからに過ぎず,
今までの論点を無にしてる。
例えばシューマンの有名な最後まで調性の確立が、延期される曲。
確立すべき調を予感させはするが,それは延期される。
その時点で,実際に多くの耳が最終的な調性を予感しはするが,
それは調性に耳がなじんでいることを前提にした作曲家の戦略。
まんまとやられてるんだよ。まさに、
>調性はほとんど成り立っています。
って言ってるとおり、ほとんどでしかないわけ。
第一,最初に現れるコードで決定ってのは,
古典派的な音楽がまず最初に調性を確立するからであって,
まさに調性がドミナントートニカで決定されることを
サポートする議論に等しい。
155ああああぁ:2001/04/16(月) 22:36
>>154
理論において「各人はそれぞれ定義する」という概念を出してきたら駄目です。これは絶対に。
理論は普遍性を求める必要があるからです。
普遍的な定義の上に普遍的な理論を積み上げるのが科学的な方法です。
このスレは一種の理論体系を求めているのではないですか?
自分勝手な定義は絶対に避けるべきです。
心理学でも、
人それぞれというのを自覚しながらも
多くの人に当てはまるように普遍的な定義を行おうとします。
そうすべきではないですか?

最初のコードが調性を決定するのは別にそういう慣れだけの問題じゃないですよ。
心理学的にみれば基本的には最初のものが基準として定められるという人間の根源的性質でもあります。
156あ’:2001/04/16(月) 23:21
っていうか、153の
>聴者が調性を感じたら有調で、調性を感じられなかったら無調、
>だという定義が一般的だと思うけど。
に対して、それぞれ各人それぞれの定義になってしまうのでは?
という懸念を表明したつもり。
何でそう読むの?まったく意図が逆。
”感じる”かどうかこそ,理論体系などにふさわしくない、
今まで多分誰もそんな議論はしてこなかったと思う。

157名無しの笛の踊り:2001/04/16(月) 23:51
ここって誰が話してるんだろう?
素人じゃないぞ
    ・・・・・みんな同窓生?
158名無しの笛の踊り:2001/04/16(月) 23:52
皆自作自演だったりして(爆)
159ほんだな:2001/04/17(火) 00:14
>>155
心理学的な「調性」感覚と、音楽学的な「調性」定義は
わけて考えるべきです。
160パパラギ:2001/04/17(火) 01:15
>>142
>それならばフーゴー、リーマンの「二元論的和声理論」でいわれるような
>「ある音を中心に上方下方に対称な倍音(音程)を考える」ってほうが論理的妥当性は感じる。
>よく似てはいるが、平均律の枠組みならば
>第七倍音とか11倍音とかの著しくはずれた音をこじつけて考えなくてもよくなるから。

おー。なるほど
下方倍音列ってのがあったんだった。
minor系列の生成を考えるとこちらの方が妥当的かな。
ピタゴラスや自然倍音列からはcを根音とする「短調系列」は現れないが
c音を対称としてC(三和音)を折り返すとFmが得られる。
ただしこの場合のFmの根音はあくまでもfではなくてcであるわけで
このへんに短音階を長音階と同様に処理できなくなってくる原因がある
ような気がする。

無調の話をしていると調性も強く意識するわけで、こうなると
両者はお互いに補集合というわけではないんじゃ?という気がしてきた。
コトバにするのはすごく難しいが。
161パパラギ:2001/04/17(火) 01:18
失礼。
>>160の下3行はちと分裂しすぎ(笑)
おやすみなさい。
162あ’:2001/04/17(火) 01:38
>160
議論が旧に復しましたな,感謝。
前段について
あくまで下方倍音列は,単調を理論的に導出するために
措定されたものであって,現実には存在しない。
だから、これを用いて議論を進めるのは,リーマン当時から
議論があった(はず)。
したがって、今これを用いるのはやや問題では?
後段について
それは、調性音楽の集合と無調音楽の集合の要素に共通要素がある
(もちろん空集合以外に)、
言い換えれば、共集合が非空であるということになるが、
それはsあtの主張に等しいと思う。
もしかしたら,両者の和集合の補集合が非空である、
と主張しているのかも知れぬが。
163ああああぁ:2001/04/17(火) 05:24
ああこっちミスです。心理学的な立場を説明していませんでした。

>”感じる”かどうかこそ,理論体系などにふさわしくない、
>今まで多分誰もそんな議論はしてこなかったと思う。

音楽の認知心理学の立場を説明しておきます。
ところで、例えば音の大きさの物理量が2倍になれば人間には2倍の音量に感じられるか、これは違います。
その他にも例を出したらキリがありません。
つまり言いたい事は現実で起こっている現象と人間に知覚される現象には大きなズレがあるということです。
そのようなことをふまえた上で、
音楽の認知心理学では「どのように人間に知覚されたか」というのを中心に論じます。
もっとも主な実際の実験では、たくさんの人の申告によるデータを集めてそれを統計的に処理します。

一言で言えば、芸術学は感性学なのです。

164ああああぁ:2001/04/17(火) 05:32
補足の説明です。
理論は
「普遍的に通用する情報、客観的に通用する情報、一般的な情報」であれば、
その情報を集めるためにはどのような方法でも構わないのです。(もちろん人道的方法の範囲で)
今の場合は感性について論じても何も問題はないのです。
165あ’:2001/04/17(火) 20:37
>164
統計的平均値で調性を定義できるか?
できても,論理的に意味があるか?
166名無しの笛の踊り:2001/04/17(火) 21:27
>>164,165
神学論争になるのかな、これじゃ

つまり、調性は人間(の認知)抜きで存在するべきかどうかということね
167ほんだな:2001/04/17(火) 21:41
>>164
繰り返しますが、「調性を感じること」と「調性があること」とは別です。

それを前提に、調性を心理学的立場から論じるなら、何か実際の実験データ
をもってきた方がよいと思います。
168>167:2001/04/17(火) 22:47
> 「調性を感じること」と「調性があること」とは別です。

理屈としてはごもっともだが、不毛。
例えば「調性を感じないが、調性はある」といったところで、何の意味があろうか。

#内閣法制局見解「(日本は)集団的自衛権を持っているが、それを行使することは認められない」を思わせる
169名無しの笛の踊り:2001/04/17(火) 22:54
>>168
不毛とは思わないけど。
調性はあるけど、ある調性に固有の調性格はない(特に平均律で
調律した場合)、ということはあるしな。
170名無しの笛の踊り:2001/04/17(火) 23:00
>>169
「調性を感じること」=「ある調性に固有の調性格」を感じることならば
そうだろうが、調性を感じることというのは、それだけじゃないだろ。
171sあt:2001/04/17(火) 23:06
162<前段
たしかに「二元論的〜」はやや特殊なところがある。
<措定されたものであって,現実には存在しない>
この意見はよく耳にするが、ものごと表面的に捉えてはいけない。
「下方倍音」と言う言葉を使うから誤謬があるものだとおもうが
これを「関係性」だと解すれば、現実に在る、無いは問題でなくなる。
その意味でまず「関係性」は「対称」だということ。
群でいうと逆元的なもの。
c-eは協和だからといってe-cは不協和とはならない。(またしてもここには順序の問題があるのだが・)
また例えば、無調文脈では「音列とその反転型は(群として)等価となる(とみなす)」が
一二音技法のこの根拠付けもその根幹は同じ部分であると思う。
上を疑問視したら、このことを疑問視する事にもなる。
172sあt:2001/04/18(水) 00:15
>166
>164と165
のような議論は
「シュレーディンガーの猫」的なものにもなると思うが、
現時点で論ずる時
これらは「主観定義−客観定義」に要約されよう。
またこの二元性の可能な限りの打破がここでの議論の趣旨でもあるのである。

173あ’:2001/04/18(水) 00:45
 ”ああああぁ”の挙げた例は
音楽の認知についてではなく,音響の認知についてのものだ。
音楽を構成する要素に対する認知特性を生かした作曲というのは,
クセナキス以来,リセやユレルらが活用しているが、彼らとて、
出来上がった曲について,いわゆる解釈の程度を超えた多義的な認知を
許容しているとは思えない。ましてや,調性音楽は言うに及ばない。
(リセの場合はあえて誤解を招く音響で遊んでいるわけだが。)
 というか、統計的手法を使う根拠としては,変数が確率的である,
あるいはほとんど同義だが不確定要因が強く確率変数とみなしうる,
この場合であろうが,調性は,システムが決定論的に構成されているため,
つまり音階に属する各音が固定されているため(主音と調律を与件として),
それこそ認知できぬ,つまり理解できぬ人間がおろうとも,
決定論的に構成される。
 たとえて言えば,ややこしい計算問題で,さまざまな誤答が出るからって,
正解をそれらの答えの平均値と為すようなことはせぬと同じこと。
彼の主張はそのようなものだ。
 つまり、ここで統計的手法を用いることが感性的で,問題だ。
174sあt:2001/04/18(水) 00:54
と言う意味で
>164
165的にいうと
「統計」は認知論では重要な要素であるが
単なる多数決と云ったらおしまいになる
抽出された定義付け範疇での確証を得るための検証にしか過ぎない
ともいえよう。論理的定義を抽出していくことも大事だと思われる。
175あ’:2001/04/18(水) 00:58
ああ、なんか誤字やら、
表現の不備やらが多くて恥ずかしい。
176書き屋:2001/04/18(水) 01:08
書き屋の立場から言いますと、曲を書くとき無調で書こう、とか
この調で書こう、とかいうのは学生時代の習作を除いて殆どありません。
おそらく、殆どの作曲家がそうだと思います(仕事としてのポップスなど
は除く)。
しかし、一見(一聞)調性が無いように見えても格音(民族音楽的意味ではなく)が
出てくることもありますし、旋法が感じられることもあります。また、書いた
本人が意識していなくとも、他人がアナリーゼした結果、何らかのエクリチュールに
包括されることもあります(まぁ、理論は後付が多いのですが)。

作曲家によっても違うでしょうが、曲を書く際には調性、無調云々よりも
もっと大切なことがあるということです。確かに数十年前には理論武装も
流行りましたが。
177あ’:2001/04/18(水) 01:10
>171
人為的なものとして下方対称な倍音列を構成し、
それを音楽構造の生成に有意義に使用できる、
という議論であれば同意。
178あ’:2001/04/18(水) 01:12
>176
聴く側も言ってしまえばそんなもの。
良い音楽であればいいのだ!みたいなことはある。
でもそれはそれとして,
ここでは込み入った議論を楽しんでるところもある
(楽しめないのもあるが)。
他の人はどう?
179sあt:2001/04/18(水) 01:13
また、統計と認知論的主観性はまた別。
反対の意味(相対概念)にさえなる。
180sあt:2001/04/18(水) 01:17
>177
わたくし生業として活用しております。(びんぼだけど・・とほほ)
181あ’:2001/04/18(水) 01:20
>180
そっか!!!
詳しいはずだ。
182名無しの笛の踊り:2001/04/18(水) 01:20
>>173

ある音系列に、調性を感じる人と感じない人がいる場合があり得るが、
どちらが健常者で、どちらが障害者かをどう決めるか。

@調性の有無は個々人が決めること。よって両者とも健常者。
A平均値で決める。よって多数派が健常者。
B物理量に還元できる定義をする。よって、その線引きによっては、全ての人間が「障害者」になる可能性もある。
 
183sあt:2001/04/18(水) 01:23
>175
指摘してほしい。
184ほんだな:2001/04/18(水) 01:27
>>176
関係ない話ですが、「楽譜をコピー」スレに書いていらっしゃった方ですか?
185sあt:2001/04/18(水) 01:30
>177
だから「関係性」においては
人為的とかそうじゃないかは無意味。
ちょっと唯物論者感じる・・
186sあt:2001/04/18(水) 01:43
>作曲家によっても違うでしょうが、曲を書く際には調性、無調云々よりも
>もっと大切なことがあるということです。確かに数十年前には理論武装も
>流行りましたが。
んなことわかってるよ
187名無しの笛の踊り:2001/04/18(水) 05:28
いまから重大な提言をおこなう
楽しめない議論はほっとくとして・・
あっ俺か?(藁
2chらーってお下フィンねー
す・て・き
188あ’:2001/04/18(水) 08:55
>183
オレが自分の書いたものについて言ってるんだよ…
189sあt:2001/04/18(水) 16:12
現時点で
「音楽の手法に於ける統計的なもの」ということと、「認知心理学立場に於ける統計というもの」は
無関係ではないにしろ(ある意味ではそのものだが)、現時点での論議では混乱を招くかもしれない。この二つを分けてみる必要があるかも。
これ書いてる本人が掴みきれないだけって話もあるが・・
 ”ああああぁ”の
>つまり言いたい事は現実で起こっている現象と人間に知覚される現象には大きなズレがあるということです。
的なことに関しても、前に述べたので今面倒なのでかかない。
190sあt:2001/04/18(水) 16:14
議論は多様な広がりをみせておりますが−
もどって−
範囲をすこし絞って「12音による音楽」文脈で−
「調性−機能的調性」 仮説の部分から云うと−
レンドヴァイの「12音を3つの機能に還元」的なことは
「調機能・汎調性」といったものを介して調−無調を考えるには
ひとつありかも。
191ああああぁ:2001/04/18(水) 19:04
こんばんは。
議論が横道にそれたから反論はしないよ。
どうしても、して欲しいのなら反論をいたしますけど。
こちらは他人を言い負かそうとすることに時間を使うほど馬鹿じゃないので。

「人間の認知」と「現実で起こっている物理現象」に分けないと正当な結論には辿り着けないので分ける必要はありますね。
また、無調性と作曲についてはいろいろな本で読んだ事があります。
どの本にも書かれていたことは、
作曲家の手によって作り出された音階(シェーンベルグの12音階の音階”半音ずつ音程があがって出来ている有名なアレ”とかドビュッシーの全音音階”全音ずつ音程があがって出来ている奴、つまりドレミの次はファの♯にソの♯にラの♯の6音の音階”)は、
どれも新しい音楽の世界を切り開くほどの表現は出来なかったということです。
アウトローでしかなかったわけです。
本流に調性音楽があって、それと違うからかっこいいみたいな。そんな感じです。
無調性は作曲にはあまり役には立ちません。残念ながら。
特殊な使い方しかできないものなのです。
192ああああぁ:2001/04/18(水) 19:06
補足の説明です。
全音音階を作ったドビュッシーですら、全音音階だけで構成される作品は1つも存在しないのです。
それまでの調性音楽と混ぜて使われたにすぎないのです。
193sあt:2001/04/18(水) 19:48
言い負かす意図はなかったのですが
大変失礼しまし・・(笑

194sあt:2001/04/18(水) 19:58
>191後段
は少し乱暴だと思うが・・
195ほんだな:2001/04/18(水) 20:42
>>190
汎調性……。
カデンツがあるかないかに関わらず、ある中心音へ向かう流れが
存在する状態を指すのでしょうか(わらべうたなど)。
だとすれば、>>78の「調性」定義は「汎調性」ですね。
196sあt:2001/04/18(水) 23:06
>191
遅くなりましたが
また種々の音階等は作曲者が作ったものと言うより、例えば数の理念と
いったことでもそうですが、人為それ以前のものとして捉える土俵もあるのでは。
(コンポジットスケール等といったものとは別文脈で)
それを作曲家なりがアイデア・マテリアルとして用いるといった捉え方。
また「音階」は無調の技法のたんなる一部分にすぎないともいえると思うが。
<特殊な使い方>はなにを基準にするかで変わるでしょうね
また無調の用法が作曲にあまり役に立たないとは思えません。
これは作曲者の方の問題でもあるのでは。
>新しい音楽の世界を〜
確かに大きな音楽の歴史的文脈で語られるときには、
このような表現をときに見かけますね。ただここでの文脈に適当かどうか
分かりません。
197sあt:2001/04/18(水) 23:49
未熟な2chらーで大変恐縮しておりま・・(ぼん!
各方面に多大な迷惑をおかけしておりま・・(ぼん!
198あ’:2001/04/19(木) 00:52
>191
>作曲家の手によって作り出された音階は、… (中略)
>どれも新しい音楽の世界を切り開くほどの表現は出来なかったということです。
>本流に調性音楽があって、それと違うからかっこいいみたいな。そんな感じです。

というのは、あくまであなたの主観。以前の
>芸術学は本来感性…
うんぬんというのと同じで,自分はこう思ってる,人はこう思ってる,
どっちもありよ,みたいなポストモダン的思考を感じるが、
そこに統計学を援用するのは,実際には無理。
例えば,大数の法則が成り立つほどの人を集めて,
調性を何らかの統計学的モデルで決めることができるか?
あるとすればどのような変数を用いるべきか?
前にも述べたが、決定論的なことを確率的事象として扱うのは,
誤りであるし,率直に言って,知的に怠惰だと思う。
 こういう立場を唯物論的というなら
それは喜んで感受せねばなるまい。
199あ’:2001/04/19(木) 00:53
また誤字あるよ,恥ずかしい。
って,今日は頭痛がひどい…もう寝よう。
200あ’:2001/04/19(木) 01:20
ああっ、頭痛で寝れん。
てなわけで,
>177
物理的に存在しない下方倍音列を定義づけたのが人間なら,
その関係はどれほど頑張っても人為性から逃れられない。
人為性は無関係とか、言うのは,掛けた梯子を自らはずしてる。
>198
”ある中心音へ向う動き”は概念としては理解できるが、
実際に定義できないのでは?
カデンツよりはるかに広い概念で調性の定義として,
興味深いがやや曖昧模糊としたところがある…
201ほんだな:2001/04/19(木) 03:00
定義はたしかに難しそうです。
ただ、無調(とりあえず、「中心音を意図的になくしたもの」と定義)
でもなく、機能的調性でもない音楽、つまり「旋法で書かれた音楽」を
区別する必要はあるでしょう。

♯Cf.無調でも、機能的調性でも、旋法でもない音楽の例
1.中心音はあっても、音の流れが存在しない
(例:E音のみのヴァイオリン・ソナタ、Cコードの単純な繰り返し)
2.何かの旋律の1音1音に、短2度(長7度でもよい)の音を重ねる
ドレミの歌から、歌の旋律だけとりだして重ねると、
ドーレミー ドミードーミー
〈ドレ♭〉ー〈レミ♭〉〈ミファ〉ー 〈ドレ♭〉〈ミファ〉ー〈ドレ♭〉ー〈ミファ〉ー

ここらで、「調性」を音楽辞典がどのように定義してきたか、
またその定義の妥当性を検討する必要性があると感じましたが、
私は辞典を1冊しか持ってません(苦笑)。
202jほんだな:2001/04/19(木) 08:31
出かける前に。
音楽心理学の立場から↓ このスレの読者にはものたりないかも。
ttp://www.kyushu-id.ac.jp/~ynhome/JPN/index.html
203sあt:2001/04/19(木) 17:24
>200
>物理的に存在しない下方倍音列を定義づけたのが人間なら,
>その関係はどれほど頑張っても人為性から逃れられない。
>人為性は無関係とか、言うのは,掛けた梯子を自らはずしてる。

結論からいうと、ここでは「倍音」を物理的な音響現象として扱うか、音程の概念として扱
うかといった違いがあるといえる。
そして「二元論的〜」においても、倍音はあくまで「音程の概念」として扱われているはず。

<物理的に存在しない下方倍音列を定義づけたのが人間なら〜>
これを現在の時分に考えるとき、
<人間が倍音程の「関係性」を抽出したもの>
と換言できないか、ということです。
またここでの人間とは、ほかでもないシェーンベルクということになるだろうし、
確かにこういった捉え方・表現は大きくシェーンベルク以降のものとなろうが、
確か「二元論的〜」も、実際はあくまで「倍音列」を(まして物理音響としてでなく)
「倍音程」として扱っているもののはず。
204sあt:2001/04/19(木) 17:24
更に12音による音楽文脈で続けると、「上方−下方」という垂直相対性を潰した結果として、
「順序・ベクトル」といった水平要素が押し出されるようにパラメーターとして顕れたもの、
という言い方もできるかもしれません。
垂直面と水平面のトポロジカルな移行と考えられるかも。
こういった考えは「絶対的な上も下も、左も右も、前も後も存在しない」や「そこにあるのは、
互いの音同士の音程関係だけ」といったシェーンベルクの言葉にも見ることが出来る。
また「関係性の音列」の発想などもこのことに根差したものだと思います。
調性〜セリアリズムの文脈では、
下方倍音の人為性も、上方倍音の物理的リアリティーも、このような考えによって「音の関係性」として抽象され、システム中で定義された結果、ひとつの「関係性」という存在として包含されることになった、ともいえるのではないか。
すこし乱暴にいうと、この文脈では、概念レベルの存在によって、物理レベルの存在−非存在の二元性を包含してしまったものとも考えられないか。
(あっ すこし羽目を外しました・・
その意味でも(少なくとも初期の)セリアリズムは実際の物理的音響よりも概念先行で(またはその方向から)表現されたものだといえるのかもしれない。
ただ、だからこそこういった方法論自体も「人為的である、音響物理に則してない、聴取に反映しきれてない」等、広い意味でこのような意見がある訳でもあろう。

また(高次)倍音組織やその音響による表現もすばらしいものであろうし、またこれらの表現の方法論といったものも興味が尽きないものである。(体によさそう?)
できればこの文脈で、倍音を物理的音響として扱うような音楽の方法論の詳細を切に望むものである。

この物理ナチュラリズムに対し12音音楽等はある意味概念還元論的なものだといえる
物理的存在の豊かな倍音は素数2によって(オクターブ等価性)「倍音程」に還元される。
「2元論的〜」でもその部分は共通。
まあセリアリズム自体が人為的だというのであれば、(少なくともセリー音楽では)上方下方関わらず、倍音程関係はともに人為性のものとなるだろう。
205sあt:2001/04/19(木) 17:31
ばたん キュー!
206あ’:2001/04/20(金) 00:13
時間軸の不可逆性も関係性だけに抽象化すれば,
相対的なものでしかない、ってことか…。
それはあまりに観念的じゃないか。
それは楽譜としてのみ音楽が存在するという
Babbittian的立場からは肯定できるが。
この立場は頭では共感すべきだと思うが,
ついていけるほど耳が良くない…
あっ、もしかして,この立場からは。
セリーの逆行形で時間を遡れるとか、ってことになるのか,
かなり馴染めんけど,そういうことになる気がする。

ところで常時接続?sあtは。
207sあt:2001/04/20(金) 05:36
206<
それは前後の群化であって(それはそれで面白いが・)
先に述べたはあくまで上下・縦横の群化の範囲。
実際の音は時間軸にそってある
ベクトルもせいぜい上下の範囲

>セリーの逆行形で時間を遡れるとか、ってことになるのか,
>かなり馴染めんけど,そういうことになる気がする。
ハハ なんかB級SF映画みたいでウケタ
まじめに考えてみようかな・・(笑

まあよくあるのが、次元を落として擬似的に時間を抽象してしまう方法。
「楽譜としての音楽」もそうなるのかな。

因みに常時接続ではない
音声自動入力だ
ウソ
208sあt:2001/04/20(金) 07:15
まあ少なくとも逆行形でもって時間を遡ることはナンセンスでしょう。
前−後の群化でも抽象される部分は最高でも上−下以下に還元されてしまうから。
いいかえると
二音間の音程関係では(=関係性においては)
逆行=反転となるから。
209名無しの笛の踊り:2001/04/20(金) 08:58
このスレおもしろいな。2ちゃんねるにも
こんな素敵なスレがあったんだ!!!!
210ああああぁ:2001/04/20(金) 19:53
>sあt
音楽辞書を数冊見ても載っていないような言葉を使うときは説明をしてくれませんか。
そんな言葉はもちろん聞いたことはないですし、調べようもないですし。
あとはお役所言葉は非常に意味が伝わりにくいので一般的な言葉で説明をお願いします。
211あ’:2001/04/20(金) 23:15
>207
自分でもんな訳ないだろって思ってたが、
ベルクの”ルル”の間奏曲や,
ヒンデミットの”行ったり来たり”を考えると,
大マジメに考えてる作曲家は結構いるかも。
作曲家のバカさ加減の証明ととっても良いが、
それじゃあんまりだ。
212Hazumoerer:2001/04/20(金) 23:47
このスレには、帰国後に書き込みます。すいません。
213パパラギ:2001/04/21(土) 00:38
難しい言葉が飛び交っていることについてであるが(確かに知恵熱が出そうな
コトバがチカチカしているわけだが)音楽の中でも最難問の一つを扱っている
だけに、ある程度しょうがないかな、とも思っている。
しかし、理論を開陳する側はリファレンスを明らかにする(インターネットで
引けるものならなおベスト)、理解する側はサーチエンジンをごりごり使って
ついていくと・・・お互いに努力が必要だと思ったりする。

掲示板が進歩して、ほいっこの譜例はどうだ?と、音や楽譜を容易にアップロード
できたりすると、今のここでの議論は敷居がかなり低くなるとおもいます。
テキストだけだとなんか口幅ったいね。
214パパラギ:2001/04/21(土) 01:14
話題の「二元論的和声理論」についていうと(遅いレス勘弁)
下方倍音列は「虚数」のようなものだとある本に書かれていた。
理論を助けるために人為的に導入されたという意味では似ているが、それよりは
よりリアルなものであると考える。
例えばCの1/3倍音である1オクターブ+完全5度下のFは、Cの自然倍音として
は当然聞き取れないが、Cそれ自身を3倍音として持つ音として、自然倍音列上で
で定義することはできる。以下「再帰的=入れ子式」に下の方に「倍音」を伸ばして
いける。今さら何をいうか、という感じですが。

そして、今は「倍音座標」と「時間座標」という平面を扱っているらしい。
時間座標の方も、負の方向への「逆行」は知覚されないものらしいという意味において
「下方倍音列」と性質が似ているっぽい。
確かに、古典フーガを聴いても、主題の「反行形=対称系」は知覚できても、
「逆行形」はなかなか分からないもんね。昔、TV番組で音楽の逆回しを聞かせて
曲目を当てさせるゲームを見たことがあるが、正解者は、その曲が最初から頭に
入っていて、テープ音を懸命に頭の中で逆行させていたのだろう。いやはやたいした
もんだ。
215sあt:2001/04/21(土) 01:31
>211
あっ自分も206でいわれるようなユニークな部分をテーマに
実は真面目に考えてのことでした。
音楽の観念的情景表現としてそのように使うことはアリですよね
216sあt:2001/04/21(土) 09:16
前後しますが
>210
どれについてのことか分からないので何ともいえないですが、
なるだけそのようにいたします。
217匿名希望役所勤務:2001/04/21(土) 20:11
固○’は論理的であり、時に専門の分野における言葉で語られ、全てを理解できるわけでないが、
時に相対において益となり、また刺激的でもある。「偉大なる」といった意味での唯物論的な見解は、
こういった議論において観念論に陥らないために、とても貴重なものであるといえる。
また鋭い問題定義をもそこに含まれることとなろう。
本質を追究しようとするとき、自己犠牲の精神は必要不可欠であるし、また他者のそれを理解出来ぬものは
本質にたどり着くことはないであろう。
アーメンソーメン
218匿名希望役所勤務:2001/04/21(土) 21:02
提議だった・・
219名無しの笛の踊り:2001/04/21(土) 21:25
あまの先生、毎晩お疲れさまです。
220名無しの笛の踊り:2001/04/22(日) 03:29
どうも
S-Spiralさん
おやすみなさい
221sage:2001/04/25(水) 09:30
>>219
ワシはここには書いていないぞよ。
222s構造主義t:2001/05/01(火) 01:05
>>214
認識素の解体そして、因果律の解体
ピッチの逆行型とテープの逆回転・・うーん
そして表面化される部分でないところの「構造」を思わず考えてしまうな・・
223s無調の定義ってt:2001/05/01(火) 01:54
時間軸を省きたいとか、倍音のイメージを排除したいとか・・
例えば
”点には部分がない”とか”直線は幅がなくて長さだけがある”
とかいったギリシャ人的な思い切った抽象化定義と似たところがないか?
ウェーベルンのセリー音楽が点描主義的だっていわれることって
これと関係あるかな?
224あ’:2001/05/01(火) 02:12
>222
>表面化される部分でないところの「構造」
って具体的には何を考えてる?
>時間軸を省きたいとか、倍音のイメージを排除したい
必ずしもそういう議論ではなかった気が…。
ウェーベルンに関しては本人が手段を節約してやろう
という気があったのかないのかよく分からぬところもある。
が、本人の意図とはかかわらず実際の聴覚的印象から,
絵画にける点描主義とはほとんど無関係に,
点描主義って言われてるが,確かにそんな面はある。
また,彼が音高以外のパラメータを組織化する気があったかも分からない。
ってか,知らない(誰かご教示を)。
シェーンベルク流の動機労作を
彼なりにやってたつもりかもしれないし…。
225sあt:2001/05/01(火) 02:39
>あ’
主張によると
「調性」の定義はある程度(過去に)システム化されたもの(機能的調性)、であるのに対し
無調の定義では「その補集合(それ以外)」といきなり集合論化してしまうのは、
おなじレベルで対応した定義付けでないと思われるが、いかがなものか。
集合論を逃げ口上に利用するパターンともとれるが。
それこそ、そちのいうところのポストモダニズム的な発想を感じるが。
しかしながら、そもそもポストモダニズム的思考とは「どっちもあり」でなく、
二項対立要素から見えざる構造(本質)を見いだそうとするものではないのか。
226sあt:2001/05/01(火) 03:30
>224
>>表面化される部分でないところの「構造」
>って具体的には何を考えてる?
音楽の分野ではここでの議論と無関係でないと思うが・
ピッチの逆行と音響的逆行の違いで考えられるもの、
やっぱりそれを言語化すると、どうしても「アタック、デュレーション」
とかってことになると思う。
つきつめて言語学的にいうと・・
意味論的不可逆性とでもいおうか。
音素、音韻論、意味論、統語論とかの話になるのだろうか・・
ソシュール言語の恣意性とか・・
恣意性の排除は無調文脈でいうとケージか。
227
228:2001/05/06(日) 18:15
そしてパンドラの箱は閉じられた・・・
229あ’:2001/05/07(月) 00:51
とりあえず,個人的には,
集合論的無調の定義づけは一種の遊戯で,
ホントにそれで無調が定義づけられるなどとは思っていない。
”無調は存在しない”という命題を形式的に否定して見せただけのこと。
 実際には,定義づけの非常に困難な”調性”というもの
が存在し,まあ結局集合論的といえなくもないが,
調整の定義づけができたとして(個人的な調整観はともかく),
その裏側に,あるいは補集合として無調性がある。
ということになる。
226の話はわからんのでパス。
ただ、デュレーションの構造化は明らかに表面的な要素では?
個人的には音響物理的に捉えられん部分の話をしてると思ったから,
それって何だ?と思ったわけだ。
アタックもその意味では表面的構造になると思うが,
意味のある構造化は,ほとんど困難だろう。
ちなみにこのあたりの話題はバビットのスレで”ガイシュツ”だ。
Babbittianのオレとしてはスレが消えて寂しい…  
230あーもー寝ないと・・:2001/05/07(月) 09:38
>224
その後いくつかのhp上で、ウェーベルンの点描的な表現はその後の総セリーを
示唆するものだとの文脈を見た。本人の意見まではわからなかったが・・
まあテーマからそれた話で失礼。
>>195
ここでは「汎調性」と「汎全音階」の混同があると思うが・・
「汎全音階」の意味で、
核音に関してよく知らないが、二度、三度、五度音程が中心音に
関連付けられてるようだ。さらに拡げて五音音階的になるようなものだと思えるが。
これは旋律的なもので、カデンツとは根本的に違えど「五度の親和性による関係」では括れそう。
竿だけ〜、などの売り声やわらべうたなどモード的な解釈はできると思う。
190の「汎調性」は、調の「機能」を焦点にしたもの。
>200最後段
これは汎全音階(モード手法)として定義できそうだが、
まあこれを調性とするか否かは意見が分かれるとこだろう。
(カデンツ集大成のようなゴリゴリバップとマイルスのモード曲ってとこか)
231sあt:2001/05/13(日) 07:22
中心音をつくらない為の技法がセリアリズムという歴史の要諦ならば、
ケーデンスがなければ無調っていうのは歴史に矛盾している。
音の階層性が否定されるところに「無調」の歴史的存在意義がある。
カデンツなくしても音の階層性はあり得る。
社会主義リアリズムとか資本論とか・
てか、あの時代の人たちってけっこうそういうこじつけかたしてたかも。
232あ’:2001/05/13(日) 13:05
うーん。
カデンツの意味は、俺の理解では,
中心音(とそれを中心にする音のヒエラルキー構造)を
確定するためのプロセスである、
と思うのだが…
したがって,この立場からは,
カデンツのない音の階層構造は,
調性システムでない諸音の階層構造ということになるのでは…
233sあt:2001/05/26(土) 03:10
一般的な意味での「カデンツ」もあくまで階層構造の為のひとつの形式、様式であり、
(カデンツは「常套句」といった意味合いも含む場合がある)
既存の音楽形態の理論よりむしろ構造認知的な部分。
その意味で「調性」という言葉をひとつの「音楽システム」としてでなく、知覚認知的なものとして、
システム中にあってもなくても
>諸音の階層構造
こそがトーナリティだと捉えられると思うが。
234ブルース・リー:2001/05/26(土) 11:17
ムチョオオーーーーーー!
235名無しの笛の踊り:2001/05/28(月) 01:44
-------------------------<第一部終了>---------------------------------------------------------
-------------------------------------------------------------------------------------------
236谷K:2001/05/28(月) 03:35
むちょーーーーん!!
237age:2001/06/09(土) 01:29
Sop : F#-F#-F#-F#-F#-F#-F#-F#-F#
Alt : D -C#-D -D#-C#-C#-D -C#-D
Ten : A -A#-H -H#-C#-A -A -Hb-A
Bas : D -F#-H -G#-G#-F#-A -A -D
238名無しの笛の踊り:2001/06/09(土) 01:45
理解不能
239名無しの笛の踊り:2001/06/09(土) 01:45
「無調」調性について?
240237<:2001/06/21(木) 01:54
解説希望
241>237
美しいー