無調

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173あ’
 ”ああああぁ”の挙げた例は
音楽の認知についてではなく,音響の認知についてのものだ。
音楽を構成する要素に対する認知特性を生かした作曲というのは,
クセナキス以来,リセやユレルらが活用しているが、彼らとて、
出来上がった曲について,いわゆる解釈の程度を超えた多義的な認知を
許容しているとは思えない。ましてや,調性音楽は言うに及ばない。
(リセの場合はあえて誤解を招く音響で遊んでいるわけだが。)
 というか、統計的手法を使う根拠としては,変数が確率的である,
あるいはほとんど同義だが不確定要因が強く確率変数とみなしうる,
この場合であろうが,調性は,システムが決定論的に構成されているため,
つまり音階に属する各音が固定されているため(主音と調律を与件として),
それこそ認知できぬ,つまり理解できぬ人間がおろうとも,
決定論的に構成される。
 たとえて言えば,ややこしい計算問題で,さまざまな誤答が出るからって,
正解をそれらの答えの平均値と為すようなことはせぬと同じこと。
彼の主張はそのようなものだ。
 つまり、ここで統計的手法を用いることが感性的で,問題だ。