仏教 議論スレッド 71

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1神も仏も名無しさん
仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。
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前スレ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1372288226/

ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html

Wikipedia ― Category:仏教
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99

論文検索
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大正蔵経検索
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php
2前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 19:24:33.85 ID:ijlgZEJN
前世スレ(70)では、しばらくスレを解脱しておりましたハンドルが次々に再生しました。

再生:セブン氏、ご隠居氏、承狂氏、カラス氏、一在家、他(ハンドル不明で済みません)
未再生:オイラ氏、宝珠氏

現世スレ(71)では、どうなるのか楽しみです。
多分、新しい方の参入が縁となって新しい議論、対話が起こることを予想しております。
3前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 19:25:25.95 ID:ijlgZEJN
>ちなみに業報輪廻転生にしろ、天界にしろ、ゴータマさんは形而上のことは
>全て無記を通したどころかけっこう話していたりする。

長部経典の34経の中で形而上のこと(輪廻、神、梵天、神通、地獄等)を7割近い
経典で釈尊は説かれております。
また形而上のことを無記だった経典は1割位でしょうか。
前者を後世の追加・改竄と言うならば、後者もまたその可能性はございます。

本スレでも輪廻する度に、後者の「無記」のみを釈尊の説法だったとクローズアップ
される方々に対しまして、幾度も紹介しております。

尚、同様にスッタニパータの各章(最古層含む)にも形而上のことが説かれております
ことは紹介済みです。
4前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 19:26:18.85 ID:ijlgZEJN
前スレ>>904 カラス氏 補足
>ちなみに業報輪廻転生にしろ、天界にしろ、ゴータマさんは形而上のことは
>全て無記を通したどころかけっこう話していたりする。

長部経典の34経の中で形而上のこと(輪廻、神、梵天、神通、地獄等)を7割近い
経典で釈尊は説かれております。
また形而上のことを無記だった経典は1割位でしょうか。
前者を後世の追加・改竄と言うならば、後者もまたその可能性はございます。

本スレでも輪廻する度に、後者の「無記」のみを釈尊の説法だったとクローズアップ
される方々に対しまして、幾度も紹介しております。

尚、同様にスッタニパータの各章(最古層含む)にも形而上のことが説かれております
ことは紹介済みです。
5神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 19:27:00.86 ID:r8m3f6iF
崇教真光(文明教団の分派)の教え・・・・

キリスト教では偽預言者を信じるなと聖書にも書いてあるし
魔女狩りとか異端には厳しいのは学校でも習ったはずなんだよな
にも関わらず真光はキリスト教の神父も入信OKとか
頭悪いこと言って利他愛とか言いながら
他宗教にも理解を示さないのが真光だからな
宗教じゃない崇教とか日本語も通じない
6承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/09(月) 20:02:31.71 ID:jNEXBjgx
前スレの最後に一切外とか書いてるが、

たしか、一切とは五蘊十二処十八界で、
その外は兎の角とかの有り得ない事だったと記憶しているが、……

しかし、転生肯定派って必死だな。(笑)

(^。^)ひょっとしてアレか?宗教詐欺を生業にしてんのか?(笑)
7前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 20:07:14.37 ID:ijlgZEJN
>>5
>にも関わらず真光はキリスト教の神父も入信OKとか
>頭悪いこと言って利他愛とか言いながら
>他宗教にも理解を示さないのが真光だからな
>宗教じゃない崇教とか日本語も通じない

おっしゃる通り、僧侶も神父も改宗はせずに、研修を受けて手をかざしておられます。
人は皆神の子、仏の子であり、手をかざせば癒し、霊動現象が起きるのも法の一つでしょう。

この法は古神道には昔から奥義としてあり、イエスもこの法を聖霊のバプテスマと説き、
釈尊は父王が臨終の時に額に手を置いて癒したと「浄飯王涅槃経」?に記載されております。

貴兄もここは仏教議論板ですのでマナーを守って荒らさないで下さい。
8前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 20:16:45.08 ID:ijlgZEJN
>>6
>前スレの最後に一切外とか書いてるが、
>たしか、一切とは五蘊十二処十八界で、

「一切皆苦」という場合、「一切」には仏は含まれません。
苦を滅した涅槃にいる仏も「皆苦」に含むのは論理矛盾だからです。

また「色界」は「一切」に含まれるかも知れませんが、輪廻することのない存在が
住するという「無色界」も「一切」に含むのは論理矛盾かも知れませんね。

また「一切智」という場合は、仏、涅槃、色界、無色界も含むかと思料します。

兎に角、「一切」という言葉は空にして、意味も変化しますので、あまりこだわると
混乱しますし、使用する場合はある程度定義しておく必要もあるかと存じます。

「一切」については、過去世で散々議論しましたので、本スレの阿頼耶識ともいう
べきセブン氏の訂正、補足を待つことに致したく。
9神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 20:18:21.57 ID:r8m3f6iF
真光は、EU3カ国にカルトと名指しされているから信用できないよ。
君こそ、仏教スレを荒らさないで、巣に帰りなさい。
真光道場で馬鹿になって手かざししてなざい。            >一在家殿
10神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 20:21:21.56 ID:r8m3f6iF
仏教でも釈迦は今後に間違った教えを広める者が現れるから
それらの言うことは聞かないようにと預言してたと思うぞ
キリスト教も仏教も真光とは相容れないよ
11承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/09(月) 20:25:26.87 ID:jNEXBjgx
「個人主体の本質としての魂が代々生まれ変わって転生し続ける」という意味での
現在の日本のカルトが語る「輪廻転生」と
仏教で言われる「輪廻」は、
意味が違う。

仏教の教えが「輪廻転生」を前提にしているという連中は、
カルトやテロリストの片棒を担ぐ傍法外道だと知れ。

(^。^)お?何だ、やんのか?潰すぞコラ。(笑)
12前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 20:25:29.58 ID:ijlgZEJN
>>1
本スレの過去世(ログ)では、常見派のかきこが縁で断見派の反論が起こり、
両者の言い争いが縁で中観派の調停が起こるという輪廻を繰り返しておりました。

輪廻を繰り返す度に常見派も智恵をつけて次第に中観派寄りのかきこになりつつあるように感じますが、
断見派の中で中観派寄りのかきこになりつつある方はどなたでしょうか。
13神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 20:59:12.86 ID:v/JaFaJx
一在家 さん
2ちゃんでの布教活動がんばってるね
あなたの前世はなんですか
私は武士でした
yahoo占いより
「元FBI捜査官“奇跡のヒーラー”ニキ あなたの魂を救う未来透視」
は有料コンテンツです。

あほらし  そんなもんだれにもわからんわ
14神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 21:00:18.65 ID:CezgDj1Z
仏教 議論スレッド 69
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1368776230/938
938 神も仏も名無しさん 2013/06/16(日) 10:24:18.34 ID:PQ63UgQ9
お釈迦様の本心(想像)
「魂だの輪廻転生だの無いとは思うが俺は死んだことないから無いとは言えない」
「だけど身体も朽ち果てて変わらない何か(魂?)が残るとは思えないだろ?」
「これを言いたいから何度も諸行無常と言ってるにわからない奴はわからないのな」
「死んだらそれまでなんだから,その悟りを抱いて今生きているこの一瞬を生きよ。そしてそのうえで悪いことをせず,良いことをせよ」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1368776230/947
947 神も仏も名無しさん sage 2013/06/16(日) 11:06:00.52 ID:ZysGAnU0
>> 938
同じく想像

「だけど身体も朽ち果てて変わらない何か(魂?)が残るとは思えないだろ?」
は、あくまで「諸行無常を理解してる人」向けの言い方じゃねえかな

悟りの境地にある無を知れば、
形而上を語っても仕方ないことを実感として理解するしかなくなるけど、
逆にいえば、修行により悟らなきゃここは実感できない
さらに逆に言えば、修行以外でも、最悪騙してでも、それを実感さえさせれば同じ理解に至る

>> 944
仏教では、それは扱わないのでは?
言葉「だけ」で扱えないとというのは一面正しいけれど、
それはもう言葉で説明できる能力が足りない人と、言葉を読み取る能力が足りない人がいるだけであって
15神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 21:01:25.73 ID:CezgDj1Z
仏教 議論スレッド 69
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1368776230/950
950 神も仏も名無しさん 2013/06/16(日) 11:17:35.62 ID:PRkmze8a
>> 947
いやいや明らかに扱ってる
上でも示したように果として宿命通というあらゆる過去世の記憶が蘇る知を扱ってるし、
なによりアナタのような常識でしか見ないものに「凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、 卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない」と嘆息されている
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

たしかにオカルトやニューエイジは仏教ではない
しかし常識も仏教ではない
現代日本の仏教書は常識に阿ったものが多すぎる




http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1368776230/939
939 神も仏も名無しさん 2013/06/16(日) 10:44:01.75 ID:PRkmze8a
なんかどうしようもなくなってるな

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1368776230/941
941 神も仏も名無しさん 2013/06/16(日) 10:48:48.43 ID:PRkmze8a
>> 940
言っても通じないと思うは
16神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 21:03:16.91 ID:CezgDj1Z
しかしまた、在家並に慇懃無礼な奴がやってきたな・・。(スレ的には面白いけどw)

が、醜悪なレスだ・・。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1372288226/898

けど、>>14-15からすると、少し前から居たのか・・・.
17神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 22:20:50.45 ID:r8m3f6iF
一在家殿の真光を調査させてもらったが、こんな幽霊話信じろという方がおかしい。
其れも、カルトの手かざし宗教なのでしょう?

崇教真光!初級研修の講談。
「やたら事故の多いところってには自縛霊がいて事故を引き起こさせている。
真光は霊界お清めをして事故が起きなくなったので警察から感謝状をもらった」
前半は確認のしようがないのでともかく、後半の警察のくだりは明らかに嘘だろう。
警察という公的機関の信頼性まで利用して嘘をつき、真光の業がさも本物かである
ように見せかけている。つまりこのようなつまらない嘘をつかなければ信頼させら
れないような代物でしかない。全く情け無い、真光が本物ならば嘘は必要ない。

「この話をした人も人から聞いたのを真に受けただけで嘘をつくつもりはなかったか
もしれない」と思うだろうか。警察から感謝状などという、ちょっと考えたらわかる。
ありえないことを真に受けてしまうような常識のないバカしか真光信者にはいないと
いうことになる。
18前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 22:26:02.52 ID:ijlgZEJN
>>13
>あなたの前世はなんですか

私自身と母の2つの霊動現象からは前世は「武家の娘」だったそうです。

・母は前世は武家(旗本)の親方様で私はその娘
・親方様に戦で殺された者たちは数百年後に再生した者(母)に憑依
・その娘を争った武士の一人は死んで数百年後に再生した娘(私)に憑依
・憎しみと執着の憑依霊達も数年で何体か離脱して成仏(まだ残っておられますが)

そう言われてみれば、母は男心女体で、私はその逆の性格にも思えます。
前世を見る法は神通以外にもあるということです。
19前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 22:35:26.85 ID:ijlgZEJN
>>16
>しかしまた、在家並に慇懃無礼な奴がやってきたな・・。(スレ的には面白いけどw)

彼は「仏教徒ではない」と最初に自己紹介しておりましたので、仏教を勉強している異教だと思います。
同じことを言っても自称「仏教徒」と自称「異教」では対応は違っても宜しいのではないでしょうか。
釈尊は四悉壇でしたし、異教徒には「無記」も多用されたようですし。。
20神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 22:48:57.85 ID:r8m3f6iF
手かざしだけで医師なんかにならなくても
事故で飛び出した脳みそがもとどおりとか真光では
教えてるからな
何の取り柄もない会社でも学校でも相手にされない奴が
人格を手かざしだけで肯定されるから
ここの末端信者の頭の悪さは半端じゃない
正面から話せとか言ってる奴は会ったことないのか?
ここの末端信者はガチでアトランティスとか真顔で話すからな
21神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 22:56:07.55 ID:r8m3f6iF
、個人情報を小出しにして
『真光隊員カードをチラつかせ、あなたの身元知ってますよと脅し
批判を封殺するセコイ作戦』。

嗚呼、なんちゃって神道のカルト教団のストーキングは恐ろしいですね。

http://kura2.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/186009645_org.v1377736133.jpg
22神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 23:02:51.98 ID:1ejNXzoW
13ですが
一在家さんは自分の信じる道を邁進してくださいな
それが宗教かなと思います
アフリカの土人の信じる宗教を批判できないと同じように
進む道は違いますが
健闘を祈る
反社会的なことはしないでね
23神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 23:09:16.21 ID:mvDSch61
>>8
>「一切皆苦」という場合、「一切」には仏は含まれません。

アホ
24神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 23:10:27.02 ID:CezgDj1Z
さて・・。

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1372288226/877
> >> http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1372288226/874
> だから・・・・  仏教学で言うところの、「輪廻の主体となる我は無い」  ってのは、
> 無我説から導き出したんだろ?  現・代・人 が。
それは、言い回しの形式がそうであるだけで、
内容は、現存仏典から導かれてるのさ。
 (http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1372288226/869
  >「輪廻前と輪廻後の存在との間に、継続性や連続性、或いは共通性が無い」
  >ということが、事例(エピソード)として描写され )

そして重要なことは、この言い回しが誤っていて否定すべきであるというなら、
それは対として輪廻には主体がある、ということしかないということだ。
極の中観派の如く、或いは貴方のように輪廻自体を問題視しない立場なれば、
主体の有無自体が徒労なわけだろ?
主体を想定した方が良い枠組みならそれでいけばいい。
(キ教やイ教には、輪廻に限らず絶対的に必要だろうし。つか、それらには輪廻思想自体が無いか・・w)
主体無しの方が良い枠組みなら、それでいけばいい。(それこそ、現代常識での信教の自由だろ?)
社会的に有害なことに繋がらなければ、どちらを採っても構わない。

> 「縁起を踏まえろ」 ってのは、輪廻の主体となる我を想定すれば、それは常住の我を認めることになる・・・・
> 常住のものがあるかどうか、縁起を踏まえて考えろ・・・ってことだろ?
 >輪廻の主体となる我を想定すれば  なんて新たな条件つけるなw
輪廻の主体となる我を想定するもなにも、
輪廻に限らず、縁起ベースで「あらゆる場面での主体不要論」となってるのが仏教なわけで。
輪廻に固執して主体の有無に躍起になってるわけではないのよw

> 死後に人の我を認める  =  常住の我を認める  っていう、浅はかな発想なんだよ。
死後だろうが存命中だろうが、「我」は見出せないってのが軸だから。
25神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 23:11:45.55 ID:mvDSch61
>>3
>前者を後世の追加・改竄と言うならば、後者もまたその可能性はございます。

アホ
26神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 23:12:00.57 ID:CezgDj1Z
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1372288226/877
> たとえ死後に我があったとして、なんでそれがいきなり常住と決め付けるんだよ?
「死」という五蘊の切れ目を経ながら(しかも「我」が)継続するなんてことを認め得ないだろ。
唯一、「識」(或いは心)のみがその役目を担ってゆき、阿頼耶識として鎮座してゆくことになるが、
それでも、諸法無我は変わらない。また、阿頼耶識もまた所縁のものであり、悟り及び入滅の際には、そこで切れるわけさ。
 *(唯識はテリトリー外なので、眉唾で読むようにw)

> こういう勘違いをしながら、勝手に仏教を、自分達の手で作り上げてるわけ。
現代的解釈こそが勘違いであるという可能性は考慮しないのなw
いや、勿論、蓋然性基準で順位付けすることを妨げはしないけれども。
けれども、すぐに忘れてしまってもいいから、
 >>15
 >たしかにオカルトやニューエイジは仏教ではない
 >しかし常識も仏教ではない
 >現代日本の仏教書は常識に阿ったものが多すぎる
この台詞の重さだけは、感じ取っておいてほしい。

> 「輪廻に主体があったら・・・  いや待てよ、お釈迦様は無常って言ってたな、常住である我があってはおかしい、
> そうだ!  輪廻に主体である我は無いんだ!」
> この部分はあきらかに「創作」だろ。
そういう論理構造、導出順序じゃないの・・・w (^^;

ドリフのもしもシリーズじゃないがw
>輪廻に主体があったら  じゃなくて、
諸法の在り様から、《輪廻に「主体」として「我」はない》という結論へ至るのさ。
先に結論を仮定して導出するのでなく、検証の積み重ねから、結果として無我が言われるのだよ。
27前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 23:13:20.51 ID:ijlgZEJN
>>3 一在家
>長部経典の34経の中で形而上のこと(輪廻、神、梵天、神通、地獄等)を7割近い
>経典で釈尊は説かれております。
>また形而上のことを無記だった経典は1割位でしょうか。

>>19 一在家
>釈尊は四悉壇でしたし、異教徒には「無記」も多用されたようですし。。

少なくとも長部経典では「無記」だった対話相手には共通点がございました。

6経「マハーリ経」一部族の主マハーリ
7経「ジャーリヤ経」遍歴行者ジャーリヤ
9経「ポッタパーダ経」異教の修行者ポッタパーダ
24経「パーティカ経」遊行者バッガヴァ

皆、「無記」の時点では釈尊の弟子ではなかったですね。

読み返しまして気付いたことですが、6経「マハーリ経」、7経「ジャーリヤ経」
では「霊魂と肉体とは同じか?」という形而上の問いには無記だった釈尊が、
読心通や前世を見る神通という形而上のことは具体的に説いているという点です。

「霊魂と肉体とは同じか?」という問いの答えは「正しく修行すれば分かりますよ」
ということだったのかと思料します。

前スレで、「無記を誤解している人が多い」と発言された方がおられましたね。
>>380 :神も仏も名無しさん:2013/09/01(日) 23:00:00.59 ID:4e1UsLKs
>横レスだが
> どうも無記について誤解が大きいようだ
> あの世のことや形而上のことについて無記の理由は
>瞑想によって実相を直接体験しろという意味だと思うが
28神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 23:13:54.78 ID:mvDSch61
>>8
>苦を滅した涅槃にいる仏も「皆苦」に含むのは論理矛盾だからです。

アホ
29神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 23:17:06.76 ID:mvDSch61
>>27
前スレで、「無記を誤解している人が多い」と発言された方がおられましたね。
>>380 :神も仏も名無しさん:2013/09/01(日) 23:00:00.59 ID:4e1UsLKs
>横レスだが
> どうも無記について誤解が大きいようだ
> あの世のことや形而上のことについて無記の理由は
>瞑想によって実相を直接体験しろという意味だと思うが

アホ
30神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 23:30:34.78 ID:o46cV4yQ
先生
アホ アホだけじゃ
説得できませぬ
31前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 23:37:15.80 ID:ijlgZEJN
>>8 一在家
>「一切皆苦」という場合、「一切」には仏は含まれません。
> 苦を滅した涅槃にいる仏も「皆苦」に含むのは論理矛盾だからです。

釈尊「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」
「感興のことば」26.21

龍樹「諸々の行は識とともに作られたものであるから無常である。
涅槃は作られたものではないので恒常である。」
「方便心論」2.2.1

以上、「一切皆苦」の一切には仏は含まれず、「諸行無常」の諸行に涅槃は含まれない
との根拠としました。
32前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/09(月) 23:40:19.82 ID:ijlgZEJN
>>30
>先生
>アホ アホだけじゃ
>説得できませぬ

もし「アホ」以外のかきこをすれば、本スレを解脱した筈の彼もまた再生してしまうので
無記の代わりに「アホ」でも宜しいかと存じます。
33神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 00:13:18.82 ID:ECQN6FrW
>>24
>輪廻前と輪廻後の存在との間に、継続性や連続性、或いは共通性が無い」

これがどういうことか、そのエピソードとやらを検証する必要があるね。
一般的に言われるリインカーネーション でも、全く同じ容姿で生まれ変わってくる、ってことはない。
記憶も、継承されてるわけではない。
「継続性や連続性、或いは共通性が無い」  ってのが、どこまでの共通性、継続性のことを言っているのか、
ここが重要なんだよ。

一般的なリインカーネーションって、肉体が衣で、その中に本体・・・・(霊や魂)が入ってるって考え方だよね。
そしてその本体が、輪廻して、また新たな肉体に宿る・・・  つまり、輪廻の主体である 霊・魂 というのを
想定しているわけ。
「主体」の使い方が違うかもしれないけど、これまでの意見を聞いてると、
「我」 は、「自性」 って意味で使ってるよね?

>死後だろうが存命中だろうが、「我」は見出せないってのが軸だから
>縁起ベースで「あらゆる場面での主体不要論」となってる

とすると・・・  「主体」 というのも 「自性」 として扱ってるフシがあるね。

とすると、話が難しくなってくるな・・・
34前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/10(火) 00:28:28.55 ID:hF4eUogW
>>24
>輪廻前と輪廻後の存在との間に、継続性や連続性、或いは共通性が無い

長部経典19経の「典尊経」では釈尊は前世マハーゴーヴィンダという名のバラモンで
弟子達に梵天界に生まれる道を教えたとのことです。
今世では涅槃に入る道を教えられたので、少なくとも釈尊の場合は継続性や共通性が
ありました。
35神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 00:35:45.40 ID:32zX/usE
>>33
やっとそこまで来てくれたか・・・(^^;

そ。
「主体」という言い方の多義性は問題視していい。
現に私も、多義のまま、識別票w付けずに使用している。
(もっとも、日本語としての言い方の上では致し方ない面もあるが・・。)
そここそが、(これまでも)本来ツッコまれて然るべき部分だったのさ。
主体と言ったり我と言ったり、いったい、何の有無が言われているのか?と。
 *(尤も、それは貴方も同じですがねw 貴方も、「我」と言ったり「主体」と言ったりしてたようですから。)

日常生活上の、世俗的(≒言表上の)「主体」は認めねばならない。
これないところに善悪の倫理道徳も、修道向上も功徳もない。
が、勝義に於いて(=仏の視座として)は、
日常生活上の主体もまた、解体され、縁起のドミノの中に沈んでゆく。
仏教で「無我(非我)」と言われる時、それは、伝統的アートマンの排斥であると同時に、
自己中な、我儘な、或いは甘え、或いは欲望の源泉としての、或いは利害対立の因としての「自我(意識)」と
固く結びついた日常主体もまた排斥対象となる。
だからこそ、(捨身飼虎や常不軽菩薩等を極として)全てを擲って慈悲に徹する大乗の精神が成立する。
今の時代、毛嫌いどころか全方向からフルボッコされそうなw「滅私奉公」という考え方は、実に大乗的だよ。
そして、そうした通仏教的な骨子が、縁起ベースの諸法無我(非我)なわけなのです。
36神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 00:40:31.77 ID:ECQN6FrW
>>26
wikiの輪廻に書いてあるけど・・・

「自我とはそこから生じる錯覚にすぎないため[5]、輪廻における、単立常住の主体(霊魂)は否定される。」

この部分。   この部分が問題なわけ。

「輪廻の主体」 という言い方を避け、「霊・魂」 という言い方を避けると、
リインカーネーションで言われる輪廻転生するものとは、「自我」 ってことになると思う。
それで・・・

>「死」という五蘊の切れ目を経ながら(しかも「我」が)継続するなんてことを認め得ないだろ。を経ながら(しかも「我」が)継続するなんてことを認め得ないだろ。を経ながら(しかも「我」が)継続するなんてことを認め得ないだろ。

ここにも誤った早とちりがあると思う。
「死」 がなぜ 「五蘊の切れ目」 といえるのか・・・? ってこと。
これって、五蘊が肉体の産物・・・・脳機能の産物だと思ってるってことだよね?
もしくわ、肉体の生命が終わると同時に、五蘊を発生させている何かが、終焉すると思ってる。
つまり、肉体の生命以外の生を、頭から否定しているってこと。
肉体が終わっても、五蘊が継続するということを認めていない。
ここが最大の問題点なわけ。
37神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 00:47:14.72 ID:32zX/usE
>>36
いや・・・あのさ・・・ (^^;

五蘊を列挙してみ?
38神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 00:48:00.36 ID:ECQN6FrW
>>35
この、 「世俗的(≒言表上の)「主体」」 というのは、「自我」 ということでもいいんですかね?

ちょっと話を反れるかもしれませんが、前のつづきを書いてるので、
それを投稿してみます。
39神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 00:51:25.79 ID:ECQN6FrW
>>37
五蘊・・・・ 色 受 想 行 識

う〜ん、「色」が 「肉体」だと言いたいわけですね?
40神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 00:56:50.28 ID:ECQN6FrW
>>26
前の続き

wikiの、

「自我とはそこから生じる錯覚にすぎないため[5]、輪廻における、単立常住の主体(霊魂)は否定される。」

ここが早とちりになってる。
自我は錯覚である・・・・(常住ではない)   ここまではいい。
その次、   「単立常住の主体(霊魂)」   ← これ。
なぜ 「霊魂」 を、 「単立常住の主体」 と決め付けるのか、ってこと。

「肉体が死んでも生き続けるものは、 『常住』 である・・・ 」   という、 先走った先入観がそこにはあるわけ。
これは無理もない。    肉体が死んだ後、 残るものは、 永遠と感じられるから。
この世の物質、寿命の影響を受けないもの・・・ =  永遠不滅     これは先入観そのものだよね。
ここには、「この世の物質世界の影響を受けないもの」  と、 「永遠不滅の存在」 という中間に、
「この世の物質世界の影響を受けないが、 常住ではないもの」 という観念が抜けている。

ちょっと話が反れたかな・・・

>>37についてはこの後で
41神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 02:32:21.88 ID:ECQN6FrW
>>37
ちょっと難しいんだけど、ようは、この世的な肉体の死後に、五蘊を認めるかどうか、ってこと。
あるいは、その可能性を想定するかどうか、ってこと。
今の仏教学者っていうか、wikiの説明者もそうだけど、この世的な肉体の死後に、
五蘊の継続を認めてないよね・・・?
「色」 というのを、この世の物質的な肉体と、限定してしまっている。
あの世の存在や、スピリチュアルな意味での(常住でない)霊の存在を認めてないわけ。
言葉を変えると、死後、別の世界の現象世界に移行することを、認めてないわけ。
で、ここで言いたいのは、今の仏教学が、そういう可能性を閉ざしてる、ってこと。
つまり、「色」とは 「この世的な物質」 である、と、限定してしまってるわけ。
「色」 っていうのは、言い方を変えれば、現象世界・・・・ そのすべてのもの、ってなるのかな。
肉体も含めて。
人間は肉体の死後、別の現象世界へ移行するとすれば、そこにもまた 「色」 があるわけで、
「五蘊が途切れた」 とは言えなくなる。
で、これを信じるか信じないか・・・、という話じゃなくて、こういう可能性を頭ごなしに否定しているってこと。
もし肉体の死によって五蘊が断絶するなら、それこそ解脱は必要ないってこと。
輪廻とは、「輪」 のように 「回る」 ってことかな・・・、
輪が途切れれば、回る必要はない。
死による五蘊の断絶っていうのは、仏教学最大のミスだと思うよ。
42神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 02:36:39.32 ID:ECQN6FrW
「五蘊は肉体の死後、離散する」 とか、「五蘊は肉体の死後、断絶する」 という経典があれば別だけど、
おそらくそのような経典は無いでしょ。
43承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/10(火) 05:36:15.94 ID:Xkxu82d5
五蘊とは、自身が如何なるものかを観ずる為に説かれた法であり、
色蘊とは自身の肉体としての在り様を示す。
受想行識とセットで記述される意義を知るべし。
為に般若心経は五蘊皆空の後に無眼耳鼻舌身意と続く。
また、五蘊を踏まえた上でこその四念と。
44神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 09:29:14.03 ID:PLyq2I5Q
>>36
>肉体が終わっても、五蘊が継続するということを認めていない。
>ここが最大の問題点なわけ。

そんなこというから、釈迦仏教がカルト、釈迦がカルトの元凶と断定されるのだよ。

五蘊がどこから発するのか考えてみるだけで、小学生にも自明。
45神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 10:54:16.94 ID:OzkVzO72
>>44
>五蘊がどこから発するのか

縁起だから不生不滅、仮設&仮説として即生即滅。
46神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 12:40:14.42 ID:tTCGsyQu
>>45
基地外だなw。

即生・即滅なら、修行など無意味なはず。

火葬場で拾う骨には、五蘊は有るや無しや?
47神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 13:57:49.36 ID:OzkVzO72
>>46
>基地外だなw。

・【第一義空経】『眼生時無有來處。滅時無有去處。
         如是眼不實而生。*←不生不滅
         生已盡滅。   *←即生即滅』

・【龍樹 中論24-18】
 『眾因緣生法  ・我說即是無(空) *←<(如)不生不滅>:空観(直接現実)
         ・亦為是假名    *←<生 ⇔ 滅>:仮観(間接現実)
         ・亦是中道義』    *←<即生即滅> :中観(還滅(間接)現実)

>即生・即滅なら、修行など無意味なはず。

修証一等

>火葬場で拾う骨には、五蘊は有るや無しや?

 『亦為是假名』  *←<生 ⇔ 滅>:<有⇔無>:仮観(間接現実)
48神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 18:06:36.56 ID:UE6Z+YXY
>>47
すべては貴殿の「生きた肉体」による思考と書き込み。君が死ねば、一瞬にして止む。

中論の言ってることは、「もろもろの存在は関係性の産物であり、生・滅とは、その
関係性の変化に過ぎないから、生滅はない」ということ。

修証一等とは、「一切の観念を廃した肉体の行為」。

五感で知覚できる現実以外の「直接現実」を認めることは、忌むべき観念論である。
4948隠居神・降臨すっ!!!:2013/09/10(火) 18:36:21.64 ID:dMh+q2vu
隠居神の思考から創造される説をしんじなさああああああいっ!!!!
信じない奴は宗教にマインドコントロールされているのであーーーーーる!
50前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/10(火) 18:40:54.14 ID:hF4eUogW
>>49
>信じない奴は宗教にマインドコントロールされているのであーーーーーる!

前世(過去ログ)ではご隠居神への信仰を「生命教」と呼んでおりました。
51神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 18:51:40.77 ID:WmDlcBDD
一在家氏は、真光関係スレで昼間からカキコは、引きこもりかニートだと
断言していましたね。

貴君も、過去スレッドで平日の昼間から書き込んでいましたけど、どうなんですか?
52承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/10(火) 18:55:11.32 ID:Xkxu82d5
>五感で知覚できる現実以外の「直接現実」を認めることは、忌むべき観念論である。


(^。^)ホント、バカというか無知というか、生命教は相変わらずだな。
53神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 21:21:34.80 ID:BKfsfejy
>>52
開祖の精神病の感染というこにも気付かないで、その初歩的論理矛盾、勘違い
にありがたがって従う宗教者が馬鹿。
54神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 22:13:47.83 ID:32zX/usE
>>38
> この、 「世俗的(≒言表上の)「主体」」 というのは、「自我」 ということでもいいんですかね?
まあ、概ね妥当かな。
勿論、パーリ、サンスクリット等原典では、アートマンも日常自己も「Skt:Atman、P:attan」だけど。
だから、

 「私・自分」(日常会話主体)
 「自己」(日常及び社会的主体)
 「自我」(哲学的・実存的主体)
 「我」(アートマン。超常的、本質的、根源的主体)

という使い分け程度なら、日本語語彙の中で可能かとは思っている。
ただ、(特にいきなりの会話中では)コンセンサスが取りにくいので、
流れの中で、互いにすり合わせていくことになるのが殆ど。
互いに、それなりの理解度があれば、(相撲の立会いの如くw)上手い具合に定まってきたり、
すぐに、どこを指してるか察することもできるけど、
そうでなければずれたママ進むことも多いし、平行線のまま物別れだなw

>>39
> う〜ん、「色」が 「肉体」だと言いたいわけですね?
その通りですよ。
辞書的語義で言えば「肉体及び(今で言う)物質的もの」ですが、
rUpa単体でなく、特に「五蘊」との絡みで言われる色なれば、
それは、まず《(『自身の』)肉体》でなければなりません。
なんとなれば、自身が所縁の存在(諸法)であることに気付くことが、縁起を見ることだからです。
死体の腐っていく様が視認されるだけでは意味がないからです。
自身(の色)もまた同様である、と見られねばなりません。
55神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 22:23:27.88 ID:ECQN6FrW
>>44
五蘊はどこから発生する?      たとえば十二縁起では、
「識」 の次に、 「名色」 になってるでしょ?
「識」 って、精神作用だよね・・・?
その 「識」 の後に、 「名色」 が来てる。
「精神作用」 が先で、「物質、肉体」 の形成が、後とも読み取れる。

ものごとは心にもとづき・・・・
56神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 22:37:38.32 ID:ECQN6FrW
>>54
「我」 = アートマン(常住不滅) ということですね。
で、輪廻の「主体」・・・ というのは、「常住の存在」 ということにしている。
それで仏教学では、輪廻の主体なるアートマンを認めないと・・・・
霊魂 = アートマン として捉えている。
では例えば、 仏教では 「四十九日」 というのあがあって、その間は中有にとどまるらしいですが、
それを仏教学では、どう捉えているのでしょう?
中有にとどまる存在・・・・ 輪廻の(世俗的な意味での)主体 = 自我(仮我) という風にしているのか、
それとも、そもそも仏教学では四十九日に中有にとどまる存在など、「無い」 としているのか・・・
57神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 22:53:13.53 ID:32zX/usE
>>56
ん?

霊魂=アートマン ではない筈だが?

霊魂、或いは霊、或いは鬼霊、(たとえばビルマで言う「ナッ」だとか「ピー」だとか)は、衆生の筈だけど?
で、霊魂の原語「jIva」は、命、生命、生命力、といった要素を含むもの、或いは生命、生命力そのもの
のことだから、そもそもアートマンと同一ではないし、同一ではない、と仏典中にも言われてたような気がするけど。

で、
なぜ「霊魂否定」の方向を取らねばならないかといえば、初期仏典等を無視して(或いは知らずに)、
新興宗教とかスピリチュアル系が「霊魂の継続」で教義を構築し、
よき来世の爲に喜捨させる(搾取する)基盤に用いているから。
だから、近代仏教、及び仏教学は、それらを否定しなければならなかった。
だから、『彼等は、「霊魂を」「アートマン的に扱い」、「来世へ繋がる自己」を作り上げている』という意味で、
貴方が指摘するような言い回しへ帰着しているのが現状なのさ。
58神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 23:04:33.57 ID:ECQN6FrW
>>54
五蘊仮和合というのがありますけど、これはそもそも、肉体と精神作用は不二の関係で、
切っても切り離すことが出来ない・・・  肉体が滅びれば、「受 想 行 識 」 も滅ぶと。
こういう認識でいいんですかね?

つまり、十二縁起の 「名色」 というのを 「肉体」 とすると、この肉体が滅ぶと、
それ以下の 「老死」 = 「苦」 も滅びるということに、なりますよね・・・?
もしこういう言い方が可能ならば、「死によって苦から解脱することが出来る」  ということになってしまう。

こういう考え方は間違ってますかね?   あんまり専門用語を知らないもので、「色」 = 「肉体」 でいいのか
自信がありませんが・・。

ようは、仏教は生きてる人間の苦を越えることを対象にした教えなのか(この世の生存苦を越える、ということを対象にした教えなのか)、
それとも、 輪廻によって、死後に関係なくつづく苦を越えることを対象にした教えなのか・・・ ってことなんですよね。
もし生きてる人間の苦・・ということであれば、輪廻という概念があるのは、おかしいですよね。
もし輪廻の苦・・・ということであれば、「死によって苦が断絶する」、というのは、おかしいですよね。
59神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 23:24:45.84 ID:MJ/YilvY
山川草木国土悉有仏性(さんせんそうもくこくどしつうぶっしょう)

問う、門前の痩せ狗にも仏性はございますか。 答える、無。

教え : 居ぬが赤狗なら、(胸倉をつかんで)さあ!喰え!喰え!喰え!。

理念、 : さとりとは揀.擇(けんじゃく、好き嫌い)しない、一如である。

仮きゅらむ : なすべき事をただちになせ。

1、門前のやせ狗を見たら、射殺(いころ)せ。(悟る為に必修)
2、その狗が赤犬なら、煮て喰え、焼いて喰え。(食中毒注意、サルモネラ菌、腸炎ビブリオ)
3、学ぶ事が無く、ひたすら太った犬は、撲殺(ぼくさつ)せよ。(僕さあボクサー)
4、主流派、多数派の権力に擦り寄る狗は、蹴殺(けころ)せ。(サッカーは物書きか)
5、狗も歩けば30俸を喰らわせ!聞き回り、訪ね周り、食い物にありつく者の舌を塩タンで喰う。(舌即是喰う)
6、物乞いの狗には薬石効無(やくせきこうな)く傷口に塩を塗り込み一夜漬けで喰え。(ふつかと置くな腐る)

時間(とき)を問わず、汝(なんじ・何時)妄想(もうぞう)する莫(なか)れ

妄想(もうぞう)のさとりのすがた申そう10ケ条リストアップ一覧表

1.あれれ、わたしが いない。輪になって肩を組み、歌い、踊ってるよ。
2.さとりとは、諸法無我(しょほうむが)。
3.悟前(ごぜん)の人はさとりを求めるのでさとりあり、悟後(ごご)の人にさとりなし。
4.さとれば、自他が無い。一味(いちみ)一色(いっしき、ひといろ)の世界である。
5.本来ひとはさとっている。如何(どう)して、修行するのか。
6.本来ほとけ、無駄な読経、座禅はしない。
7.さとりとは分別(ふんべつ)しない、一如である。
8.生まれたから死に、生まれなければ死はない、の真理さとり。
9.日常生活、行住坐臥、そこがほとけんの立処皆真(りっしょかいしん)。
10.悟前は自己のため、悟後は他人(ひと)のための修行30年。
60神も仏も名無しさん:2013/09/10(火) 23:29:06.20 ID:ECQN6FrW
>>57
あっ、 霊魂 = アートマン という記述があったように見えたけど、
今調べたんですけど、ありませんでしたね。
wikiの、
「輪廻に主体(我、アートマン)を想定しない」 っていうのと、
「単立常住の主体(霊魂)は否定される」 っていう文章から、勝手に錯覚してました。

>言い回しへ帰着しているのが現状なのさ。

この言い回しによって、仏教の真の教えが歪むとすれば、それは一大事だと思うんですよね・・・。
「解脱」 というのがこの世一生のものであれば、仏教修行者が一生をささげて修行を成し遂げようとしても、
今世で成功しないと意味が無い、ってことになる。

>なぜ「霊魂否定」の方向を取らねばならないかといえば、初期仏典等を無視して・・・・

「この世からあの世へと繰り返し繰り返し、生まれ死ぬ輪廻を受ける人々は、無
明こそによって行くのである。この無明とは大いなる愚痴であり、それによってこ
そ長い輪廻があるのである。しかし明知に達した生けるものたちは、再び迷いの生
存に赴かない。」(スッタ・ニパータ729,730)

これはどうなんですかね?
スッタ・ニパーダというのは、初期仏典になるんでしょうか。
ここでは 「あの世」 という言葉が使われていますが、あの世に行く 世俗的な意味での主体(霊魂か、それに類似するもの)を、
想定しないといけなくなります。
ここらへんを、霊魂否定の姿勢をとってる仏教学者は、どのように捉えてるんでしょうかね。
61前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/10(火) 23:54:13.42 ID:hF4eUogW
>>51
>一在家氏は、真光関係スレで昼間からカキコは、引きこもりかニートだと断言していましたね。

それは私の追っ掛けの誰かさんのかきこでしょう。 トリップ◆2o6x38TRbE は付いてましたか?

>貴君も、過去スレッドで平日の昼間から書き込んでいましたけど、どうなんですか?

モバイル端末でお昼休みや休憩時間にしばしば書いたことはありましたけど。
62前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 00:08:59.67 ID:43JWC6/a
>>60
>あっ、 霊魂 = アートマン という記述があったように見えたけど、
> 今調べたんですけど、ありませんでしたね。

多分、本スレの前世(過去ログ)で度々紹介した中村元先生の解説かと思いますので再掲します。

「仏教のこころ」中村元、P78
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)ということを主張したのです。
アートマンが実在するか否かということについては、まったく沈黙を守っていました。
このことから仏教を無霊魂説と解するのは誤りです。仏教はむしろ人間の行為の拠りどころ
としてのアートマンを承認していました。
釈尊の臨終の説法の一つは「自己(アートマン)に頼れ。法に頼れ。自己を燈明とせよ。
法を燈明とせよ。」でした。
63神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 00:16:35.69 ID:GTIidpLm
>>58
色々返答してもいいが、
まずは、基礎知識からしっかり押さえてからにしような。

>つまり、十二縁起の 「名色」 というのを 「肉体」 とすると
「名色:nAma-rUpa」ってのは、一番流布してる中村解釈でいけば「名称と形態」ってことだから。
特に十二縁起に於いてはね。 だから、五蘊の色と十二縁起の色は、完全一致はしないのさ。
 *(強いて別解釈を提示するなら「抽象概念と具体的事物」―
   ―「言語上・概念上のモノと五感に作用するモノ」といったところだろうか・・。)

これは、「行:saNkhAra」についても同じ。
五蘊に於ける「行」と十二縁起に於ける「行」及び三法印に於ける「行」とは、その指示対象範囲が違う。
そして、「我:Atman、attan」もまた、常住不変の根源的存在から、日常語義での自己までを一括して含む語だ。
日本語のように「自分、自我、自己、己、自身、等等」のようなバリエーションは無い。

逐一、語義説明から入ってもいいけど、文字数&レス数を消費し過ぎるw


「仏教要語の基礎知識」(水野弘元/春秋社)
「釈尊の生涯」(水野弘元/春秋社)
「ゴータマ・ブッダ」(中村元選集第11巻(決定版第11・12巻)/春秋社)

せめて、この辺は読んでから来て・・・(^^;


ノシ
64前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 00:19:19.04 ID:43JWC6/a
>>60
>スッタ・ニパーダというのは、初期仏典になるんでしょうか。
>ここでは 「あの世」 という言葉が使われていますが、あの世に行く 世俗的な意味での主体(霊魂か、それに類似するもの)を、
> 想定しないといけなくなります。

Sn.1051 Sn.=スッタ・ニパーダ、原始仏典の中でも最古層、古層を含む。
苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因を作ってはならない。
Sn.1053
伝承によるのではなく、いま眼のあたり体得されるこの理法を、私はそなたに説き明かすであろう。

つまり、釈尊には再生(輪廻)の法が眼のあたりに体得されていたということです。

次に釈尊はそんなこと(Sn.1051)は言ってはいないと主張すれば、どうやってSn.1053,1066を
説いたことを担保するのでしょうか?

同じく五章「彼岸に至る道の章」
Sn.1017,1030 釈尊の読心通
Sn.1048 輪廻からの解脱
65前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 00:35:47.55 ID:43JWC6/a
>>64 続き

>>34 一在家
>長部経典19経の「典尊経」では釈尊は前世マハーゴーヴィンダという名のバラモンで
>弟子達に梵天界に生まれる道を教えたとのことです。
> 今世では涅槃に入る道を教えられたので、少なくとも釈尊の場合は継続性や共通性が
> ありました。

原始仏典では「霊魂」という言葉は登場しませんが「意識」という言葉は出てきます。
肉体の死後も「意識」は残り、5つの趣く先(道)があり、4つの誕生の仕方があると
「等誦経」でも明記されてます。

釈尊は「自分(菩薩)は意識を持ったまま誕生したが、皆さんは意識を失って誕生した。」
という主旨の説法「4つの入胎の法」をされたとサーリプッタは解説し、釈尊から正しいと
保証されました。

現代でもすごいショックを受けた人は記憶喪失になりますが、同様に胎児は誕生する際の
ショックで記憶を失うのもあり得るかと思料します。
66神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 00:39:57.50 ID:GTIidpLm
ああ、余分なレスが入ったんで、一応レス入れとく。

>>60
Snのそれは、全く、輪廻の主体を指し示していないだろ?
そこには、「何が」「輪廻し」「存続していく」のか触れられていないぞ?
どの文言がそうなんだ?

仏教に於いては、(初期から現代に至るまで、世界各地に伝播し需要発展する中で)、
そこが明言されたことはないのさ。
(「(貴方の)○○が存続し、継続し、次の生活を歩む」と言われたことは、
少なくとも現存仏典にはない。

だから、今ある種々の要素(意識・価値観・記憶)を残したまま、次の生を迎える輪廻は、
インド的でもないし、仏教では、縁起&無我(非我)故に却下されるのです。


>あの世に行く 世俗的な意味での主体(霊魂か、それに類似するもの)を想定しないと
それが、西洋的(或いはデカルト的?)主体ありき思想なわけです。

この言い方も何度となくしましたが、西洋的思考は、
文法で言えば、主語なき文章はありえないのです。
しかし、仏教に於いては、述部(動詞形容詞)のみで事足りるのです。

仏教内部では、よく燈火の喩えが用いられますが、
蝋燭の炎が別の芯に移るとき、前のろうそくの芯や臘やその他諸々の何一つ「継承」されはしません。
しかし、炎は「継続」しています。
そういう形の継続だから、一旦(五蘊の)断絶ある連続なわけです。
67前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 00:42:32.11 ID:43JWC6/a
>>65
>現代でもすごいショックを受けた人は記憶喪失になりますが、同様に胎児は誕生する際の
> ショックで記憶を失うのもあり得るかと思料します。

そして現代でも記憶喪失した人がなにかのきっかけで記憶を取り戻すことがあります。
正しい修行と禅定を実践すると前世記憶を取り戻せることが長部経典(長阿含)の至るところで
説かれております。

面白いですね、同じ経典で「霊魂と肉体とは同じか否か?」には無記ですのに。
68神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 00:45:22.88 ID:GTIidpLm
>>65>>34
んとに、馬鹿なのに姑息だな・・。

>少なくとも釈尊の場合は継続性や共通性がありました。

ハァ?(゚д゚)??????

何が継続してるんだ? 何が共通してるんだ?

「何かを教えた」ことか?

だったら、世界中の教師が皆釈尊の生まれ変わりになるぞ?w


お前は、ほんっっっっっとに、したたかだよな・・・。 ┐(´ー`;)┌
69神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 00:53:15.14 ID:aiBaiVWJ
>>55
>「精神作用」 が先で、「物質、肉体」 の形成が、後とも読み取れる。

12縁起の最初は「無明」。これは「生活作用を生じるもの」だから、「生命
現象を表わす肉体(即ち、生命)」以外にはない。

「生命」を「無明」としたのは、釈迦の鬱病の症状としての無力感、苦悩感の
結果である。彼は、その心の病故に、生命こそ、無明どころか「全知・全能」
であることに思い至れなかったのである。
70前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 00:55:36.86 ID:43JWC6/a
>>66
>仏教に於いては、(初期から現代に至るまで、世界各地に伝播し需要発展する中で)、
>そこが明言されたことはないのさ。
> (「(貴方の)○○が存続し、継続し、次の生活を歩む」と言われたことは、
> 少なくとも現存仏典にはない。
>だから、今ある種々の要素(意識・価値観・記憶)を残したまま、次の生を迎える輪廻は、
>インド的でもないし、仏教では、縁起&無我(非我)故に却下されるのです。

余分な横レスで恐縮ですが、菩薩は要素(意識・価値観・記憶)を残したまま、次の生を迎えると
「自歓喜経」、「等誦経」で明記されておりますし、その証拠を「大善見王経」、「典尊経」でも
具体的に説かれております。

少なくとも現存仏典の中の「長部経典にはある」、ということでしょう。

また法華経の方便品「人は仏子にて仏になり得る」を鑑みますと、人は仏の前の菩薩になり得るので
皆さんもいつか要素(意識・価値観・記憶)を残したまま、次の生を迎える可能性があるということ
でしょう。
71前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 01:00:30.46 ID:43JWC6/a
>>70
>少なくとも現存仏典の中の「長部経典にはある」、ということでしょう。

前世のセブン氏は長部経典に詳しい方でしたので、もう一度ご確認願います。

>んとに、馬鹿なのに姑息だな・・。

因みに前世のセブン氏には頭が良くて姑息だな・・と言われた記憶がございます。ノシ
72神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:01:41.87 ID:0ec1ckCM
>>63
WikiDharmaによると・・・、
>「名」は心的・精神的なものであり
>「色」は物質的なものであるから、
>「名色」はそれらの集まり、もしくは複合体のことである    ・・・とありますね。

また、もともとこの言葉は 「ウパニシャッド哲学」 から来ていて、
「現象世界の名称(naaman)と形態(ruupa」 と、なってます。

つまり、中村元は 「ウパニシャッド哲学」 の意味の方をとってるってことですかね・・・?
調べたところによると、  「仏教のごく初期に、「nama-rupa」という術語の意味の転換がされた」  とありました。
この言葉は  「個人存在」 と、全く別の意味を与えられた、 とあります。
ちなみに、この意味の転換を中村元は 「教義学者のこじつけ」 と言っているそうです。
私は、 「個人存在」(精神的側面 + 肉体的側面) と思いたいです。
なぜこの 「色」 を中村元が 「形態」 という風にしたか・・・ 個人的な意見ですが、
霊魂のときと同様、「先入観による、解釈の辻褄あわせ」  があったからじゃないかな〜  と、そんな気がしないでもありません。
おっしゃるとおり、もし十二縁起の 「色」 が 「肉体」 ということであれば、
肉体より先に精神作用が生まれたことになります。
これだと、この世だけの、五蘊仮和合の仕組みが壊れる。
仏教学者の推測による辻褄あわせが、本来の教えを崩しているような感じを受けますが、
言語学的に証明されてれば、それはその通りなのかもしれません。
73神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:13:46.68 ID:mIUtbigj
>んとに、馬鹿なのに姑息だな・・。

奇妙な日本語だ。。
74神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:14:33.68 ID:aiBaiVWJ
>>72
12縁起は、無明(即ち生活作用を現すもの、肉体)から始まるのだから、順序として、
「名色」とは、生活作用の一つである「識別」の対象ではないの?
75前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 01:19:10.50 ID:43JWC6/a
(一休さん)言葉は空
馬鹿なのに姑息だ。 馬鹿なのにしたたかだ。
利口なのに姑息だ。 利口なのでしたたかだ。
76神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:23:37.13 ID:0ec1ckCM
>>66
>Snのそれは、全く、輪廻の主体を指し示していないだろ?
>そこには、「何が」「輪廻し」「存続していく」のか触れられていないぞ?

「輪廻を受ける人々は」  「人々」 と、ありますよね・・・?
「人々」 の何が輪廻するかは、書いてありませんが、少なくとも、「人々の存続性をもったもの」 が、
輪廻するってことでしょう。
また、「人々」 という時には、もうすでにそこに 「人々がこの世からあの世に存続する・・・」 という意味をもっているので、
人々の主もなるもの・・・・  体とか、形骸化したものではなく、より人々の主体性のあるものが、
輪廻する・・・  という風に受け取れるんじゃないですかね・・・?

つまり、ろうそくの本体を 「人間の体」 とするならば、ろうそくの炎は、「人間の主たるもの」 と、とることが出来ます。
ですから、形骸化したもの(死体)は継承しなくても、その人の本質(常住という意味ではなくて、世俗的な意味での本質) を、継承する、ということも
あながち言えないとは言えないと思います。
77神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:27:49.92 ID:0ec1ckCM
>>62
ここのところの 「アートマン」 とは、「霊魂」 というニュアンスみたいですね・・。
あらゆるものは、「非我」 であるが、輪廻の(世俗でいうところの)主体、アートマン(霊魂)は否定していないと・・・
ん?  こういうことになるんですかね・・・  それとも、「永遠常住の真のアートマン」 ということでしょうか・・・
78前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 01:30:09.71 ID:43JWC6/a
>>74
>12縁起は、無明(即ち生活作用を現すもの、肉体)から始まるのだから、

私見ですが、12縁起の11番目が「生」なので1番目の「無明」は入胎するまえの「無明智」のことかも知れません。
前世で肉体を去った後の存在が「無明」の場合ならば、ロジック的にもすっきりしているかと存じます。

もし前世で肉体を去った後の存在が「無明」で無いならば、再び「生」を受けることもないので「老死」もございません。
79神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:35:30.83 ID:0ec1ckCM
>>62
>釈尊の臨終の説法の一つは「自己(アートマン)に頼れ。法に頼れ。自己を燈明とせよ

勝鬘経にこういう言葉があります。

「如来の法身こそは、 究極完全なアートマン、 究極完全な常住性、 
究極完全な安楽性、 究極完全な清浄性でございます。」
80前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 01:39:42.59 ID:43JWC6/a
>>77
>ん?  こういうことになるんですかね・・・  それとも、「永遠常住の真のアートマン」 ということでしょうか・・・

貴兄は前世スレ(過去ログ)をご存じでないようなので再度コメントします。

前世スレで常見派と揶揄された宝珠氏と私も、「常住不変のアートマン」という説は既に担いでおりませんでした。
その代わりに水野先生の仏教要語P164を参考にして「カルマと経験を蓄積しながら変化する有為法=アートマン、世俗の霊魂」
という私見を述べておりました。
法相宗、唯識派がいう「阿頼耶識」のようなものです。
81神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:43:02.90 ID:0ec1ckCM
>>65
>釈尊は「自分(菩薩)は意識を持ったまま誕生したが、皆さんは意識を失って誕生した。」
>という主旨の説法「4つの入胎の法」をされたとサーリプッタは解説し、釈尊から正しいと
>保証されました。

この部分は興味深いですね・・・
意識をもったまま誕生した・・ ということであれば、あの世からこの世への、自己の継続性が
あったということになります。
「意識を失って」 というのも、同様ですね。
82前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 01:44:13.48 ID:43JWC6/a
>>79
>勝鬘経にこういう言葉があります。
> 「如来の法身こそは、 究極完全なアートマン、 究極完全な常住性、 
> 究極完全な安楽性、 究極完全な清浄性でございます。」

如来の元の「仏性」故に人は仏になり得るのであれば、「仏性=アートマン」という議論も
前世スレで結構展開した記憶がございます。

ご紹介いただきました「勝鬘経」も阿頼耶識に蓄積しておきましょうぞ。
83神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:47:25.18 ID:GTIidpLm
こうして、無我(非我)だった仏教が有我(是我)になってゆくんだな・・・。


プドガラ導入の経緯は、こんな感じだったのかもしれないなwwwww



ノシ
84神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:48:41.49 ID:0ec1ckCM
>>80
ああ、じゃあ、>>79で言う 「アートマン」 じゃなくて、
「霊・魂」 としての 「アートマン」 ってことですね。
それは 「常住のアートマン」 とは区別をつけて、世俗でいうところの 「霊魂」 と言ったほうがいいでしょうね。
そしてそれは、世俗で言うところの 「輪廻の主体」 という風に思いますね。 
85神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:51:39.64 ID:0ec1ckCM
>>57  (>>83)
>貴方が指摘するような言い回しへ帰着しているのが現状なのさ。

仏教を学問的に研究するっていうのは、各宗派の思想を越えて、公平に仏教の真髄に迫る・・・っていう可能性があるのに、
残念ですね。
たとえ宗教の教えを金儲けに利用している輩がいても、それによってある特定の可能性を避けるようなことをしては、
本当の教えに迫れない。    スピリチュアル的な要素にも踏み込まないと、仏教の教えは解明できないと思いますね。
これはスピリチュアルに染まるってことじゃなくて、あくまでスピリチュアルを客観的に見ながら・・・ あらゆる可能性を公平にみながら・・ってことで。

もし、あの世でもこの世でも苦はつづき、人が霊的な存在になっても、それもまた五蘊であり、無自性空の現象界であり、
そういう心の執着で起きたすべのものを、越えていかなければならないんだ、っていう結論に帰着したとしたら、
カルトやスピリチュアルを利用した金儲けなど、一蹴できるような気がするんですけどね。
単にこの世の捉われからの解脱だけじゃなくて、オカルト的な、スピリチュアル的な霊魂も、現象世界として肯定すれば、
無自性空として一蹴できますからね。
86神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 01:54:16.93 ID:aiBaiVWJ
>>78
出生とは、生活作用の一つとしての生殖作用による子の出生のこと。自分の
出生前のことなど、釈迦に分るわけがない。
87神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 02:01:12.54 ID:GTIidpLm
>>85
とりあえず、(和訳でいいんで(英語や独語が得意ならそれでもよいから))
仏典を直に読んでくれよ・・・ orz

君がやってるのは、全て、≪他者の意訳を基にした≫考察でしかない。
だから、Aという解説者とBという解説者の相違が相違として見えてこない。
自分が参照したA基準で全てを量る。

が、所詮Aも数多ある解釈のひとつに過ぎない。
それを参考に自ら読んでみて、「ああ、確かにその通りだ」と思えたときに初めて自分の意見となる。

貴方はあまりにも知らなさ過ぎる。
100冊の解説書よりも一巻の経だよ。
88神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 02:15:19.01 ID:0ec1ckCM
>>69
>これは「生活作用を生じるもの」だから、「生命
> 現象を表わす肉体(即ち、生命)」以外にはない。

無明というのは、「明るくない」  「無知」 という風になってますね。
「生活作用を生じるもの」 というのは、どういう意味でしょうか?
縁起の11番目に 「生」 というのがありますが、もしこれが、「生命の誕生」 を
意味するなら、十二縁起の中で二度、生命が誕生することになります。
あっ、ということは・・・  名色の色を「(体が作られる前の)形態(概念・モデル)」 という風に受け取って、
9番目くらいまでは、肉体以外の、精神性のもの・・・ 物質的なものではないもの・・・ としてみることが出来ますね。
で、9番目か10番目に始めて物質的なものが出てくる・・・・   こういう解釈は違いますかね・・?
もし一番目に肉体が出てくるとしたら、肉体には種々の感覚器官がすでに備わってるから、9番目くらいまでは、すでにあるってことじゃないですかね?
それとも、なんの感覚器官もない肉体(生命)が、一番最初に生まれるってことですかね・・・?
そういうのって、生命って言うんですかね?  
89神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 02:20:25.62 ID:aiBaiVWJ
>>88
感覚器官も、思考器官も、運動器官も、呼吸器官も、消化器官も、すべて
「受精卵(生命の始まり)」から発生する。宗教やる前に、産科学を勉強
されたし。
90神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 02:21:39.23 ID:0ec1ckCM
>>74
肉体が一番最初に出てくるとは思えないんですよね・・・
感覚器官とか、触覚が後から生まれるってことになると、
なんの感覚器官もない、肉体が、最初にあるってことになる。
それは生命とは言えないでしょ?
91神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 02:43:28.56 ID:0ec1ckCM
>>89
なるほど・・・  母体の中で・・・ ということですね。
これはやっかいですね・・・。
92神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 03:23:19.57 ID:0ec1ckCM
>>87
>この世からあの世へと繰り返し繰り返し、生まれ死ぬ輪廻を受ける人々は、無
>明こそによって行くのである

これをどうとれって言うんですかね?
「人々が輪廻する」 と書いてある。
これを 「主語」 が書いてないとか、そういう理由で 「継続が分断する」 というのは、
理屈がおかしいでしょ。
「人々が輪廻」 するわけです。   長い輪廻 = 迷いの生存   と書いてある。
「輪廻する人々の生存」  ってことでしょ?
どうみても、継続性があると、読み取れるでしょ。
それを、  「何が輪廻するか具体的に書いてないから・・・〜だ、」 っていうのは、それこそ決め付け以外の
何者でもないんじゃないんですかね?
具体的も何も、「人々が」 って書いてある。
「人々の 〜が」 という具体的なものが書いてないからといって、 「継続性がない」  と決め付けるのは、
教えの言いたいことを見抜こうとするより、 言質をとってるような感じですよね。
教えの言いたいことより、言質が優先してる。
でも、あきらかに人々って書いてあるのに、それ以上の言質を求めるってのは、仏教の「無我説」と、
どうしても辻褄を合わせるような、力が入ってるようにしか、見えませんね。
「無我説」 により、「輪廻する主体があってはならない」 という結論を導き出し(ここまではいい)、
「輪廻する(常住ではない)人(仮我)」 を考察することもなく、 いきなり 「輪廻は無我ゆえに継続しない」 という
誤った結論を導き出す(ここが大問題)・・・・・
これではいくら経典を読もうと、ABCを比べてみようと、過程でするべき考察が抜けていたら、
なんにもなりませんよ。
93神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 03:31:21.46 ID:0ec1ckCM
>>89
スッタ・ニパーダに、「無明こそによって行く」 と、書いてありますよ
体(生命)があったら、 「この世からあの世へと繰り返し繰り返し」  輪廻するってのは、
矛盾してますよね。
94前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 07:08:54.20 ID:43JWC6/a
>>88
>縁起の11番目に 「生」 というのがありますが、もしこれが、「生命の誕生」 を
>意味するなら、十二縁起の中で二度、生命が誕生することになります。

私も同じような疑問を持ち、下記の解釈の可能性を考察しました。

>>78
>私見ですが、12縁起の11番目が「生」なので1番目の「無明」は入胎するまえの「無明智」のことかも知れません。
> 前世で肉体を去った後の存在が「無明」の場合ならば、ロジック的にもすっきりしているかと存じます。

12縁起のスタート時点「無明」を輪廻の中のどこに設定すれば一番論理矛盾が起きないかということです。
大体、菩薩や阿羅漢でなければ、輪廻のどの時点でも「無明」であり、出発点に設定できるかと思料します。
95神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 07:22:29.64 ID:YWJ5W5IT
たいへんな不幸に襲われたときでさえ、「すべて自分の過去のカルマによる」
ということを理解できるかどうかは、修行の大きなポイントでもある。
「カルマの法則」を完全に理解しきらない限り、苦からの解放、すなわち
解脱はあり得ない。 
                  オウム心理教 麻原彰晃 滅亡の日
96前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 07:25:39.00 ID:43JWC6/a
>>83
>こうして、無我(非我)だった仏教が有我(是我)になってゆくんだな・・・。

私も前世で「如来蔵」に縁が深かったのかも知れません。

でも、長部経典の同じ経典内で同じ相手に、「霊魂と肉体」には無記で、前世や輪廻には
具体的に説かれた釈尊にとっては自己矛盾は無かったはずです。 一切智者ですから。

>>27
>読み返しまして気付いたことですが、6経「マハーリ経」、7経「ジャーリヤ経」
>では「霊魂と肉体とは同じか?」という形而上の問いには無記だった釈尊が、
> 読心通や前世を見る神通という形而上のことは具体的に説いているという点です。

この視点、ネタは前世スレには無かった筈なので、今世では如何でしょうか?>セブン氏
また、片山訳ではどうだったのでしょうか。

本日はこれから出掛けます。
9747:2013/09/11(水) 10:03:27.22 ID:Zj+WFal5
>>48
>君が死ねば、一瞬にして止む。
>生・滅とは、その関係性の変化に過ぎないから、生滅はない」ということ。

『生滅はない」』ならば、『君が死ねば』は成立しない。矛盾する。
『五感で知覚できる現実』(間接現実)のみでは、『生滅はない」』は四句第二の意(有⇔無の相対)を脱しえず、
「生滅は(如)非有非無=不生不滅(四句第四形式の比喩)≒空」に到達できない。
到達できぬ者にニルヴァーナはない。

>修証一等とは、「一切の観念を廃した肉体の行為」

「修証一等」(道元)は中論24-18や25-19で闡明にされた二相の相即的実践=仏道(八正道)を意味する。
仏道は菩提心自己の凡夫のためにある。
菩提心なき凡夫には「修」も「証」も、龍樹も道元も、縁なき衆生である。

>五感で知覚できる現実以外の「直接現実」を認めることは、忌むべき観念論である。

五感で知覚できる現実(縁起の間接現実)のみでは、たとえば
@数学上の「点」や「直線」は把握できない。
 無限遠点(ポイント・オブ・インフィニティ)は間接現実が仮設&仮説=縁起だからこそ観念できるのである。
A『若是微塵衆実有者 佛則不説是微塵衆 所以者何 佛説微塵衆則非微塵衆』(金剛般若経30)
 微塵衆=素粒子×素粒子×αが実有=自性実在であるか否かも@と同様である。
 五感知覚は実在の証明にはならない。
B二項相対言語思考のままでは、たとえばゼノンのパラドックスや中論の言語批判への反批判は解決できない。

ゆえに五感で知覚できる現実(縁起の間接現実)は、実は常に、
【『亦為是假名』(中論24-18)*←<生 ⇔ 滅>:<有⇔無>:仮観>】であることが(隠れた)前提になっているのである。
                                                                 以上
98神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 10:49:09.65 ID:/Q+FvdVz
>>97
中論は、「世間の一切の慣習」を無条件の前提とし、それにに反することを、
何度も戒めている。また、「世俗的なことにもとずかなければ、第一義は説示
され得ない」と説く。従って「世俗諦=第一義」となる。この自覚が涅槃で
ある。

仏教者は、この戒めに反していないか、常に自省が必要である。
99神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 11:35:53.30 ID:E6CvWj8l
釈迦はこの世の無我を説いただけであって、
死んだら別の我が存在してそれが輪廻すると考えたほうが自然。
むしろ、そうでないと仏教の説く輪廻からの解脱は成り立たない。
輪廻の主体って何だ?って話になるから。
おそらく釈迦は「この肉体に根差した我」を否定したのであり、
輪廻の主体という意味での我を否定してはいない。
ただ、これを確認するためにはやはり瞑想修行が必要だろう。
だが、瞑想で見た物は証明不可能なため、結局、輪廻は存在するのかという
問いの答えにはならないだろう。
100神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 13:26:26.94 ID:0ec1ckCM
>>94
スッタ・ニパーダの 「無明こそによって行く」  という 「無明」 と、
十二縁起の 「無明」 は、同じと解釈していいんですかね・・・?
もし同じならば、「無明によって、あの世とこの世を輪廻」 するわけですから、
そこには常に 「無明」 が付きまとっているということになりますから、当然、あの世にも無明付き従ってるわけです。
あの世に 「無明」 ということは、肉体以前ものであることは確かですよね。
縁起の一番目では、まだ物質的肉体は、誕生してないわけです。
とすると・・・・  4番目の 「名色」 か、11番目の 「生」 が、肉体の誕生って
思えますよね。
で、直感的に、肉体の誕生って、最後の方だと思うんですよね・・・・。
「無明」 と 「肉体」 の間に、「肉体」 を形成する何かがないといけない・・・
そう考えると、まず人間の設計プランというか、「名称」 と 「形態」 があって、
そこに感覚が発展していく・・・・   肉体としての器官が出来上がって、その過程で感覚機能が芽生えるんじゃなくて、
先に感覚機能(精神的作用)があって、その後、肉体が形成されていく・・・・
そう考えると、9番目くらいまでは、精神(もしくわ霊のようなもの)の作用で、
10番目か11番目に始めて物質的な誕生になる・・・・って、解釈が自然に出来るような気がします。
ってことは、「名色」 は、「名称と形態」 としたほうが、自然かもしれませんね。
101神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 13:49:59.29 ID:0ec1ckCM
>>99
この世のあらゆるものは 「無我(自性がない)」 ってところは、いいと思うんですよね。
問題は・・・・

>死んだら別の我が存在してそれが輪廻すると考えたほうが自然。

この 「我」 が、常住であるかどうか・・・ってことですねよ。
仏教学では、輪廻(継続)する何かがあれば、「常住」 ってことになるらしいです。
ここがポイントなんですよね。
「輪廻する何者かがあれば、 それは絶対常住だ、」 って、決め付けてかかってる。
だから輪廻・継続する何者かを、認められない。
そして、そういう考えの下、 「死によって五蘊は一時的に断絶する」 っていう、誤った結論を導き出す・・・・
これって完全に、「断見」 ですよね。
一時的にでも、「五蘊」 が断絶するなら、たとえばAという人の 「五蘊」 が断絶するなら、
Aという人の 「苦」 も、そこで終わりです。
だからことさら、解脱を求める必要もなくなる。  死ねばすべては終わりです。
その後にろうそくの炎のように、継続性のない何者かが移ったとしても、そこにはAの苦しみはない。
なぜなら、Aの苦しみは、死によって 「五蘊」 が断絶した瞬間になくなるからです。
一旦なくなった 「苦」が、再び再生するって、おかしいですよね。
で、仏教学では 「五蘊の断絶」 という 仏教でもっともやってはいけない 「断見」 をして、
そすると 「輪廻」 を否定することになるので、 「継続性がないが、同じようなものが再生する」 という、
なんとも珍妙な説を考え出したということです。
「無我説」 に拘るあまり、「断見」 になってしまったいい例ですよね。
102神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 13:54:09.75 ID:0ec1ckCM
般若心経でも 「五蘊皆空」 と言ってますよね。
「五蘊」 は 「皆空」 ですよ。
「五蘊断絶」 じゃない。
103承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/11(水) 16:19:09.42 ID:dCnJUMlv
オウムなどのカルトが宗教詐欺の道具として使う「輪廻転生」という妄想と、
仏教で言う「輪廻」は全く意味が違う。
ここで「輪廻」という言葉を曖昧に使い、
さも「個人の本質としての魂が輪廻転生する」かの如き書き方をしている連中は、
腐れカルトのオウムに手を貸す外道だと知れ。
104神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 17:02:33.11 ID:E6CvWj8l
>>103
相当なカルトアレルギーだな。
じゃあ君の主張する仏教の輪廻とはどういうもの?
105神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 17:12:03.20 ID:f7gb6veZ
禅の世界に於いては昔から一切衆生に一切万物は網状に一つに繋がっており、
それを阿弥陀というと云われて来た。

そして今の最先端科学のハッブル天体望遠鏡で宇宙を観測すると、どこを見ても宇宙銀河は網状に
繋がっており、それは人間の脳神経細胞ニューロンの網状の繋がりにソックリだというのである。

これは何を意味するのか?それは大乗非仏説と言われた大乗経典の華厳の一即一切一切即一や
阿弥陀経の宇宙観が科学的に本当であった事を証明したのである。
106神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 17:12:39.24 ID:i1QZxpms
>>103
釈迦が聊かでも前世や来世の実在を認めたとしたら、何でもありだ。すべてのカルトは
そのバリエーション。原理的には、何の相違もない。釈迦がカルトの元凶である所以。
107承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/11(水) 17:24:50.26 ID:dCnJUMlv
>106
だから、仏教以前から「ブッダ」という概念も「生まれ変わり」って概念もあったんだって何度も説明しただろ?

(^。^)因みに、カルトの元凶はキリスト教だぜ。(笑)
108神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 17:26:33.94 ID:U0ySDzyN
 
ここも ↓ ご利用下さいませ 屮(_ ._)屮

仏教 議論 33
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1331725479/
109神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 18:00:01.09 ID:YWJ5W5IT
世界文明真光教団 岡田光玉 

ムーとアトランティスの水爆戦争でたくさんの人が死に、負けたアトランティス人
の恨みを持った霊たちが、輪廻、転生して現代人に恨みをもちそれにより集団霊障
が起きます、また、不幸現象の80%が、霊障、因縁、神への御無礼等が原因である。
前世の罪(カルマ)が、今世であがないをさせられている。                  
                      
                    
110承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/11(水) 18:28:50.39 ID:dCnJUMlv
この麻痺カリの手かざし基地外も、多くのカルトを派生させた大罪人だが、
オウムの松本死刑囚はホントに多くの人を殺傷した極悪人であり、
一層タチが悪い。
111106隠居神創造すっ!:2013/09/11(水) 19:19:58.85 ID:e0PEoXgS
隠居神が判決を下せば、それが真実であり、
世界の法則であーーーるw
隠居神を信じなっさあああああああああいっ!

承狂よ、隠居神の裁決に崇めよ!
隠居神は全知全能の神であるぞっ!
ひかえおろおおおおっろう!!
112神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 21:12:48.51 ID:YWJ5W5IT
978 :なるみん:2011/01/11(火) 00:16:13 ID:n7YEmppq
前世は一在家さんはそんなに悪魔を評価するなら悪魔崇拝すればいいです。

986 :グレン☆KoE :2011/01/11(火) 00:21:12 ID:qSXm12HN
>970 なるみん
真光は蛇信仰でサタンだから在家はもう洗脳されてしまってるのよ。
蛇系つまりサタンは生贄を要求するのよ。

だから教祖はナチスのホロコーストを肯定的にとらえるし
より多くの生贄を差し出したヒトラーを崇拝してるの。
真光自身も多くの死人をだしてる宗教だしね。
113前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 22:39:12.86 ID:43JWC6/a
>>119 >>112 ID:YWJ5W5IT

ここは仏教議論板でスレ違いです。
114前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 22:40:21.87 ID:43JWC6/a
訂正>>109 >>112 ID:YWJ5W5IT

ここは仏教議論板でスレ違いです。
115前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 22:50:52.17 ID:43JWC6/a
>>100
>「無明」 と 「肉体」 の間に、「肉体」 を形成する何かがないといけない・・・
> そう考えると、まず人間の設計プランというか、「名称」 と 「形態」 があって、
>そこに感覚が発展していく・・・・   肉体としての器官が出来上がって、その過程で感覚機能が芽生えるんじゃなくて、
> 先に感覚機能(精神的作用)があって、その後、肉体が形成されていく・・・・

「無明」の何者かが「母胎に宿り」次第に感覚が発展して11番目の「生(誕生)」を迎えるという解釈だと
しっくりきて、一応は腑に落ちるロジックになるとも思います。

兎に角、貴兄や私のような十二縁起の考え方は伝統的な解釈とは異なるでしょうが、「自燈明」であれば
他人に強制しなければそれでも宜しいかと存じます。
116神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 23:00:28.22 ID:GTIidpLm
少し間空けるとレスが増えるし、昔みたいに逐行返レスする元気も無いし、
モチベーションが上がらんね・・・(^^;)

けどまあ、何点か。
>>101>>92
五蘊断絶は言い過ぎたかもしれないがw、(せめて「滅」と言うべきだった。これは完全に私のミスだ。)
しかし、「継続している」とは、決して言えないわけ。
蝋燭の火の喩えも(>>***)、そこには継承している何ものもない。
そこでは、「炎」として括れる現象(存在)が生じ続けているだけで、炎Aが炎Aとしてそのまま継続しているわけではない。
炎Bとなってしまってるわけさ。
 >>92で、>具体的も何も、「人々が」 って書いてある
と言うけれども、それは、継続してると言えるの?継承してると言えるの?
ってこと。 たとえば、
織田信長の次の生の人物は織田信長なのか?と。
織田信長時代の何を継承しているのか?
単に、『同じ人間と言う種族である』ことしか共通性はないわけ。
少なくとも、そこで五蘊の何が継承されているのか?継続しているのか?
たとえば火葬されて灰となって、尚、前生Aさんの色が継承されるのか?
同様に受想行は継承されているのか?継続しているのか?
何も継続していないし、何も継承されていない。(唯一、識蘊だけが、特別扱いされている。が、他四蘊は滅するんだよ。)
次の生で猿に生まれてた場合、魚に生まれた場合、鳥に生まれた場合、何を継承しているのか?
前生の五蘊が継承されているか? と。 (だから、識のみがその役目を負ったのじゃないかw)

> 「継続性がないが、同じようなものが再生する」 という
珍妙でも何でもないw 縁起という世界観に於いては、そうしかありえないんですよ。

君が言ってるのは、一在家と同じ「タンポポ常住論」なのさ。


ちなみに、>>100
十二縁起を胎生学的に見る考え方は、あまり評判良くないんだな・・(^^;)
117神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 23:13:33.98 ID:GTIidpLm
ああ、そうそう。
>>76
>つまり、ろうそくの本体を 「人間の体」 とするならば
これが、おかしいのです。
もともとの喩えが、蝋燭本体を視野に入れていないというのはともかくとしても、
蝋燭の本体が色A(肉体A)ならば、次の蝋燭で本体は別物(色B・肉体B)じゃないですかw
どこが継続してるんですか?何が継承されているんですか?

よしんば、>ろうそくの炎は、「人間の主たるもの」 と  >その人の本質   と、
仮に、オカルトチックに、魂なるものを想定したとしても、
それは、五蘊が継承されているわけではないのです。上で指摘したように、
色も受も想も行も、一旦は滅しているのです。
だあkら、五蘊は、次の生存までに、一旦切れるのです。

そして、実に、  >その人の本質   というところが、そもそもの顛倒妄想なのです。
そして、 >世俗的な意味での本質  と言うならば、尚更、「『所謂』死」というもので、一旦リセットなのです。
118前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 23:28:46.32 ID:43JWC6/a
>>116
>君が言ってるのは、一在家と同じ「タンポポ常住論」なのさ。

「タンポポ常住論」とは懐かしい言葉ですね。

確か「Windows常住論」も展開しましたよ。

Windowsは開発エラー(カルマ)も蓄積しながら、XP→VISTA→7→8と変化する有為法。
ハードウェア(パソコン体)を次々に乗り換えても、Windowsの本質は失わずMacOSやLinuxとは呼ばれない。
勿論、Windowsの質量は零(空)ですね。
119神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 23:31:23.78 ID:WIeO7NVy
【仏教】悟りを開いた人のスレ154【天空寺】
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1378908671/
120神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 23:37:22.46 ID:GTIidpLm
>>101
>輪廻(継続)する何かがあれば、「常住」 ってことになるらしい
あったりまえでしょうwww
本来滅すべきところで滅が見られず継続するものを他に何と言えばいい?
そういうのを「不滅」と言うんだよ。

>一時的にでも、「五蘊」 が断絶するなら、たとえばAという人の 「五蘊」 が断絶するなら、
>Aという人の 「苦」 も、そこで終わりです。
その通りです。
だが、輪廻して、次の生を受けることになりますよ。
そのときには、その自殺を選んだということの果報を受けることになりますよ、
と言われるわけです。(真偽のほどは知りませんが・・・。)
田中一郎さんの苦はそこで一旦終わりです。
(それらは、具体的・個別的な苦ですから、例えば、日陰に入れば暑さの苦がなくなる、和らぐようなものです。)
ただ、次の生での―鈴木卓也さんか、南米のメガネザルかはしりませんがw―苦は生じますよ、と。

それが、インド的輪廻なのです。そして仏教は、この世界観の上に構築されているのです。
121前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 23:51:40.15 ID:43JWC6/a
>>101
>一時的にでも、「五蘊」 が断絶するなら、たとえばAという人の 「五蘊」 が断絶するなら、
> Aという人の 「苦」 も、そこで終わりです。
>だからことさら、解脱を求める必要もなくなる。  死ねばすべては終わりです。

さてさて「死ねばすべては終わり」と釈尊は説かれたでしょうか。
スッタニパータの「第三 大いなる章 10.コーカーリヤ」の苦しみは肉体の死後も数百年とも
幾十万年とも説かれております。
122神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 23:52:12.94 ID:0ec1ckCM
>>115
強制というか、あくまで自説の主張ということで・・・  自説同士のすり合わせということで、
議論が出来ればいいんですが、あくまで自説なので、聞きたくないといわれれば、そこで終わりですね。

で、最後になんですが、(あくまで自説なので、これで最後にします)
十二縁起って、その場に起立しているものだと、思うんですよね。
今、ここにある苦を、成立せしめているもの。
つまり、今ここにいるあなたや私に、十二縁起のすべてが内包されている。
十二縁起が起立している。
炎で例えるとすれば、
wikiに炎の形成のことが書いてあるのですが・・・・

「炎はその熱によって周囲の空気の密度を小さくし、自身の周囲に上昇気流を発生させる。この上昇気流によって炎を形成する気体が吹き流されて、
炎の穂のような形が作られている」

これは、今そこにある炎を形成している 「もの」 ですよね。
今そこにある炎を分解している。  形成の順序を立てて。

1,熱がある 2.空気の密度が低くなる 3, 上昇気流が発生する 4. 吹流しが出来る 5. 炎の形が出来る

これらは順序だてられていますが、時間的差異はなく、いまここで、すべて起こっている・・・・
これでいえば、5縁起が、今ここに起立してるわけです。
今ここにすべてが存在してるから、可逆性によって、
「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」 が、
証明できるわけです。
5, 炎の形が無ければ、4. 吹流しもない 吹流しがなければ 5. 上昇気流もない・・・・
123前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/11(水) 23:57:22.21 ID:43JWC6/a
>>121
Sn.657 人が生まれた時には、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬りさくのである。
124神も仏も名無しさん:2013/09/11(水) 23:59:17.81 ID:0ec1ckCM
>>115
たとえばこれが、時間的な差異のあるもので、今ここに起立していなかったとします。
たとえば・・・・
「ボールを投げたら、ガラスに当たり、窓ガラスが割れた」  という時、窓ガラスが割れたという結果には、
「ボールを投げる」 という行為も存在しませんし、「ガラスに当たる」 という状況も存在しません。
ゆえに、「此があれば彼があり」・・・・ 「割れた窓ガラス」 がある時、「ガラスに当たる」 という状況は同時に存在できません。
そこには可逆性がありません。   なぜなら、今ここに起立しているものではなく、「原因」 を過去のものに、「結果」 を未来のものにしているからです。
12縁起というのは、今ここの人間に、すべて備わっている・・・・  12縁起が今ここに起立して、その人が存在していると、
私は考えます。
125神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 00:02:40.67 ID:0ec1ckCM
>>115
「無明(迷い)」 があるから、「行(業)」がある、という時、 「無明」 から 「行」 になるからといって、
「無明」 が消えるわけではないですよね・・・?
「無明」 も 「行」 も、「生」 も 「老死」 も、そこにあると考えるのが、自然だと思います。
一人の人間の中に、「迷い」 も、「識別作用」 も、「生」 も、「老死」 も、すべてを包含している。
今ここに 「老死」 の要素をもっていない人間なんて、いませんよね。
そうすれば、不死身の人間ってことになっちゃう。
で、すべてを今ここ現在に起立している、と考えると、「受胎」 → 「器官の形成」  っていう物質的な、時間的な形成の流れになってしまうと、
「受胎」 は過去のものになってしまうし、「生」 の時には 「受胎」 はありません。
十二縁起のすべてが縁起によって起立していない・・・・ 「生」 の時に 「受胎」 が無いなら、
「無明」 もそこには無い・・・ ということになります。
「無明」 が無ければ、「行」 もなく、「苦」 は発生しないとことになります。
スピリチュアルでは、あの世に行っても 「ボディ(幽体、霊体)」 などが存在しているといわれてますが、
そうした、「自己がある(体ある)」 という思いは、あの世もこの世も続くかもしれません。
それを断ち切るのが 「解脱」 だと思いますね。
それが、
「この世からあの世へと繰り返し繰り返し、生まれ死ぬ輪廻を受ける人々は、無
明こそによって行くのである」 ということじゃないかな〜 と、思います。
126神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 00:04:07.43 ID:GTIidpLm
>>122
試みに読んで味噌。
何かしら得るものがあると思うよ。

ttp://ja.scribd.com/doc/32972938/Essence-of-Phantom
127前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/12(木) 00:06:00.15 ID:43JWC6/a
>>124
>12縁起というのは、今ここの人間に、すべて備わっている・・・・  12縁起が今ここに起立して、その人が存在していると、
私は考えます。

少なくとも11番目の「生」と12番目の「老死」とは同時に起立しておりませんのではないでしょうか。
12縁起についての対話もこの辺りで一休さんに致したく。
128神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 00:25:32.30 ID:mX96vmLF
>>124
近代仏教学には、
「時間的縁起」「空間的(≒相対的)縁起」「相対的縁起」ってのがあって・・・・以下(ry
ただ、十二縁起は、完全に記述しきった「(仏教的)存在論」だ、と一代は絶賛してたなw
12支でこの世の全ての存在形式が網羅された(…人間存在の在り様が的確に描写された)もの、と。

印象を今言葉にしてるんで、正確に評せているかどうかは判らんが・・。
ただ、単純に時系列で無明から死へ連鎖するものではない(そのようには見ない)んだろうとは思うけど。


また、十二支縁起は後代(或いは晩年)の成立・確立で、
初期は渇愛縁起(六支縁起)、或いは十支縁起だったという説もあるのよねん。


>たとえば・・・・ 「ボールを投げたら、  ・・・・・・  未来のものにしているからです。
その視線のとり方は健全と思う。
ちなみに、縁起の時間性については、以下もどうぞ。
仏教 議論スレッド 10
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/805
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/806
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/807
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/808
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/809
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/811

※みみずん変換は、URLの 「 /psy/0000000000 」を残し、
それより前を「 ttp://mimizun.com/log/2ch/ 」へ。
129神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 00:49:26.55 ID:Ak50i8VC
>>116
>炎Aが炎Aとしてそのまま継続しているわけではない。
>炎Bとなってしまってるわけさ。

継続するものが無い、ということは、Aの「苦」も、Bには継続しない・・・ ってことになりますよね?
つまり、死によってAの 「苦」 は、滅したことになりますよね?

>唯一、識蘊だけが、特別扱いされている。が、他四蘊は滅するんだよ。

これは経典にそう書いてあるんですか?  それとも、ただ死によって肉体が滅びるから、
他の四蘊は滅びる・・・と、結論づけたのですか?
経典に、「死によって四蘊が滅びる」 と、書いてあればいいんですが、
「死んだら肉体が滅ぶのは、当然だろ」 という、経典によらない推測ではないでしょうね・・・?

>縁起という世界観に於いては、そうしかありえないんですよ。

この部分も似たようなもんで、ABCという三つの結論から、Dという四つ目の結論を、
現代人自ら引き出してるように思うんですよね・・・・・
Dが経典に書いてあればいいです。
しかし、ABCがあるから、Dがあるのは当然だ、というなら、それは正確に教えを伝えているんじゃなくて、
他者の分析によって導き出された結論ですよね・・・?
ここが非常に問題だと思います。

「四蘊が死とともに滅びる」 という経典はありますか?  ありませんか?

私は無いと思います。
130神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 01:01:05.99 ID:/MchXjqa
カルトが輪廻転生擁護に必死になっているのは、それが無くなると、己の
商売道具が無くなるから。

釈迦の犯した罪と誤りは、限りなく大きい。
131神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 01:25:43.63 ID:mX96vmLF
>>129
>「死んだら肉体が滅ぶのは、当然だろ」 という、経典によらない推測
経典云々でなく、事象としてあり得ない、ということさ。
湖の底に沈んだ石を浮かび上がらせることはできない、油を水に沈めることはできない(当時の技術)
ってのは、どっかの経典にあったと思うが?

また、当時流行の瞑想法に「死体置き場で坐禅をする」ってのがあり、(日本にもそういう図があったと思うが・・)
死体の腐乱してゆく様を観察し、自らの色もこのようである、という感性を養う、と。
で、以前挙げた長老偈長老尼偈等でも、自身の肉体がそのようであることを観て、
無常なることを悟り、執着なく安心を得たというものは沢山ある。(身体的無常からというのは、特に女性に顕著だけれど。)
仏教ってのは、意外と常識的なのよ?w
あり得ないことは、きちんとあり得ないこととして見るの。

>「四蘊が死とともに滅びる」 という経典はありますか?  ありませんか?
>私は無いと思います。
私も無いと思いますよw 【そのままの文言は】ね。
なぜなら、当然過ぎる前提だからです。わざわざ提示する必要がないからです。
が、たとえば、死後「受が、想が、行が、存続し、次の生へ引き継がれるのか?」という問いはあったような気がします。
そして、答えはNOだったと思いますよ。これらは、まとまって、どこかに説かれているのでなく、
それぞれ個別に問われ、それに逐一釈尊が答えていくという形が圧倒的に多いから、すぐさまパッと出てこないけど。
この辺は、(長部なら在家あたりが知ってそうだがw)、中部や相応部あたりが・・・


つか、とにかく>>126を読んでみろw
あれは、極ではあるけれど、骨子は釈尊以来連綿と続く縁起の根幹を別角度から解説すたものだから。
たぶん、中論・中観派の考え方なぞ、君にとっては胡散臭い詭弁にしか見えないかも知らんけど・・・w

貴方は、あまりにも西洋的実在論を基準にし過ぎているのです。
「(そこに)何かがなければならない」というのが、幻想としての先入観なのです。
132神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 01:49:03.84 ID:Ak50i8VC
>>117
>蝋燭の本体が色A(肉体A)ならば、次の蝋燭で本体は別物(色B・肉体B)じゃないですかw
>仮に、オカルトチックに、魂なるものを想定したとしても、
>それは、五蘊が継承されているわけではないのです

例えば、オカルチックに想定すると、人間の死後、その中にあった精妙体が、
抜け出す・・・っていう考え方ですね。
俗に言う 「幽体離脱」 の、「幽体」 です。
で、この抜け出すものも、オカルチックな考え方では、「ボディ」 と言える訳です。
スピリチュアルの高度な理論になってくると、人間は 個我・物質・肉体 への執着から、
あの世でも肉体(この世と違う)が存在し、現象世界が存在する・・・・  
そして、それらはみな捉われの世界で、この世と同じ、無自性空なる世界 という風になります。
そんで、あの世もこの世も含めて、個我、物質、肉体 という観念から離脱しないと、
いつまでたっても解脱できない・・・ ということになってます。
それでこれは・・・・  スッタニパーダの、
「この世からあの世へと繰り返し繰り返し、生まれ死ぬ輪廻を受ける人々・・・・」 ていうのと、なんとなく似ていますよね。
つまり、これを信じるか信じないかじゃなくて、オカルチックに考えると、「五蘊が継続する」 という想定も、
あながち出来ないわけでは、ないのです。
スッタニパーダにも (この世とあの世 = )「迷いの生存」 と書いてありますが、あの世においても 「生存」 があると、
想定できます。
133神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 02:19:02.43 ID:Ak50i8VC
>>120
オカルチックな考えで申し訳ないですが、 >>132で書いてあるとおり、
物質的な肉体Aに、精妙な肉体Bが重なっていれば、しかも、Bが内側(より本体)で、
Aが外側(殻)だとすれば、殻Aは継承されないが、色蘊Bは継承される・・・ということになります。
134神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 02:29:00.01 ID:Ak50i8VC
>>121
いえ、そういうことが言いたいんじゃなくて、それは反語で、
私が言いたいのは、 「死によって五蘊は断絶しない、苦も断絶しない」 ということが
言いたいのです。
ですから、コーカリヤの苦しみと、同じことですよね。
そういう仏典があると助かりますね。
死後の世界を肯定していることになる。
135神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 02:40:26.93 ID:Ak50i8VC
>>127
はい。  最後に・・・
>>125でもいっての通り、 「老死」 というのを 「備えている」 という風に解釈したらどうでしょう。
老死 = 備える  ってことじゃなくて、 「老死のある人間」 「老死を備えてる人間」
これを別の言い方をすると、「老死を備えない(内包していない)」 人間なんて、いませんよね。
人は誰でも 「老死」 の性質を持ってます。
「性質」 っていうとおかしいかもしれませんが、もし、「老死の性質を持っていない人」 がいたとしたら、
それは 「不死身」 の人間・・・ってことになりますよね?
だから、「老死の性質」 をもっていない人なんて、この世にいません。
人はすべて 「老死」 を内包していると、言えると思います。
「生」 も 「老死」 も 「無明」 も、今この瞬間の人間に起立していて、
すべての人が十二縁起によって、今この瞬間に成り立っている・・・・ 炎のように、と私は考えます。
136神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 02:51:59.90 ID:Ak50i8VC
>>128
時間が無いので、また後で返答しますね。
失礼します。
137神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 02:55:39.60 ID:Ak50i8VC
>>126
それ見ながら書いたんですよ;
138神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 03:35:36.25 ID:y+suYqqi
Documentary World War 2 II in Colour The Second World War color - 2:27:59
http://www.youtube.com/watch?v=U4gLURNf_h4
.Japan's War in Colour (Complete Documentary) - 1:34:47
http://www.youtube.com/watch?v=-EsW_uvnSao
139神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 07:34:50.43 ID:WFFJ8LSG
「宗教は理屈ではない」その通りです、でも、そも神様と1対1の関係
にあるので「神向き」は個々の形があって良いと思います、私は「科
学ファン」なので「理屈っぽい」といった趣向の解釈になるのでしょ
うか、では、宗教への「思い」とは何でしょうか?  
真理は単純でしょうし、あれこれと小難しい事を並べて説明する事で
もなさそうです、でもその単純な真理を我等人は真理が単純が故に日
々忘れて、知らず知らず悪事を重ねているのではないですか、故に色
んな人が自分の宗教への、カミへの「思い」を迷いつつ表明している
のです、日々の生活の中での発見やカミとの出会いを誰かに知らせよ
うとしているのです、あなたはどうでしょうか?
14097:2013/09/12(木) 08:32:14.87 ID:X8ZTAwgt
>>98
なんらの直応答になっていません。

>中論は、「世間の一切の慣習」を無条件の前提とし、それにに反することを、何度も戒めている。

 具体的に中論を引用して論証してください。24-8・9・10は論拠になりません。
 『汝今實不能  知空空因緣 及知於空義  是故自生惱』(中論24-7)
 # 汝は、空そのもの、空を説く理由と効用、空の意義を知らない。ゆえに勝手に悩(無益な論争)を生んでいるのである。

 『無条件』の前提ではなく、『仮設&仮設』であることは>>97で指摘しました。

>「世俗諦=第一義」

間違いです。上記のように世俗諦≠第一義です。
存在(方便:≠実在)は<縁起の現実>のみで、その様相の違いが世俗と勝義です。
仏は、矛盾なき(勝義相)を矛盾のうち(世俗相)に説きます。

<縁起の現実>を@知覚、相対分別する間接現実と 
        A無分別般若智直覚する直接現実の 二様相に「区別」する(中論24-9)。
仏法の本懐が四諦であり、「苦」が相対分別相@での一方への我執が原因である以上、処方箋は無分別Aの直覚自得が必然です。
『彼岸』です。不二一元論は『此岸の一切外』で、執着が残る謬論です。

二様相はあくまで様相であって、ともに<縁起の現実>であることは同じ→不一不異(不一不二)です(中論25-19)。

で、「世間(生死の世界)の究極w」(中論25-20)の具体例のひとつとして<無限遠点(point at infinity)>の問題をあげておきました。
あなたの「世俗諦=第一義」論とやらwで、“仮設&仮説なしで”説いていただきたい。
有限の思考では、無限は思惟できません。
龍樹によれば『ニルヴァーナの究極』(? 同上 中村元 龍樹p387)でもあるらしいw 

もはや老人の同じ繰言への応答は無駄です。
ただ、あなたのカルト化傾向の「信仰」宗教糾弾には同意するし、
「仏教」のおそらく80%以上を占める<間接現実一切外のガラクタ妄想>の廃棄には同意いたします。
141前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/12(木) 09:24:35.72 ID:byivmbRl
(中論18.6)
自己であると教えられていることもあれば、自己ならざるものであると示されていることもある。
いかなるものも自己でなく、自己ならざるものでもない。

自己:自己を洲、自燈明
自己ならざるもの:無我
142神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 11:45:00.30 ID:zL7iJLU0
>>140
道元の「現成公案」も味読されたし。
143140:2013/09/12(木) 12:23:19.38 ID:X8ZTAwgt
>>142
>道元の「現成公案」も味読されたし。

道元は、『正法眼蔵』冒頭でいきなり仏道の極意を開示している。
 
『・諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修業あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。  
      *分別・間接現実 :生⇔死。

 ・万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく“さとりなく”、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。 
        *無分別・直接現実 :非生非死

 ★仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。           
        *無分別の分別・還滅現実 :即生即死

・しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。
        *修証一等=二相の相即的実践が仏道。悟りは迷妄である。
          心不可得(金剛般若経18)なのに悟りそれ自体など有り得べくもない。 相対化・対象化=分別は不能である。』
                                                  (以上「現成公案」冒頭)

ゆえに『しかあれば、参学の雲水、かならず勤学なるべし、容易にせしは不是なり、勤学なりしは仏祖なり。
       おほよそ心不可得とは、画餅一枚を買弄して、一口に咬著嚼尽するをいふ。』
                                   (道元 正法眼蔵 心不可得より)
   
144:2013/09/12(木) 12:44:52.40 ID:tq65Laqm
 
ID:X8ZTAwgt さんへ

お久しぶりでございます、そして

世俗の人にも、わかるような文言で

お願い致します 屮(_ ._)屮
145神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 12:58:25.50 ID:tq65Laqm
 
> 龍樹によれば 『 ニルヴァーナの究極 』 …

ニルヴァーナ 涅槃(ねはん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83
146神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 13:29:44.90 ID:Zsx0xi8s
ところでこれはAはBに転生したのか?
AもBも同時に生存するからである。
AとBの五蘊は別々になのは明らかである。
さらに同時生存で同じ肉体から幾らでも増える。
       ↓
プラナリアのように切断しても2匹になったりする生物は他にいますか?


分裂は自分で行うもので、他力により切断されて再生し、別個体になるものには、
ヒトデ類、セイタカイソギンチャク、ミミズ、ナマコ、などがあります。

イモリなどの水生生物で、発生しはじめた卵を切断ではありませんが、
糸で縛る様に圧迫すると強制的に双子になります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312514308
________________________________

さらに地球の人口は現在は60億人超である。
釈尊の時代の地球の人口は数百万人でしかない。
この60億人はどこから転生してきたんだ?
仏教では性欲・結婚を戒めるね。
五蘊相続は受精。
147神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 14:21:33.97 ID:zL7iJLU0
>>143
仏法も、また分別。直接現実・間接現実の分別も然り。

しかし、生存のための分別は、分別ではない。生命の維持のための、生命の
声による生存努力だからである。人間の真理は、生存努力のみに宿る。

一切の観念を去った、肉体の行為である座禅は、この生存努力を擬制して、
生命の声を直接聴こうとする営みであると解する。
148いえすっ!いんきょきゃんっ!!:2013/09/12(木) 15:44:28.92 ID:LiT3lkZj
隠居神の創造した生命の声は世界を動かす。
隠居神の生命をしんじなさあああああっいっ!!!
隠居神は全知全能故に何でもできる。
隠居神の生命による創造に不可能の文字はないっ!!!
149143:2013/09/12(木) 15:49:22.45 ID:X8ZTAwgt
>>147
また、はぐらかしていますねw 
>生命の声

あなたは結局自縄自縛に陥っていることに気づいていない。
ミイラ取りが結局ミイラになってしまっている。

『生命の声』とやらは結局、六処(≒五感)による検証不能の間接現実「一切外(相応部35-23 一切)の分別妄想でしかないのです⇒無記。
キリスト教徒が聴こうとする「神の声」、業報輪廻転生論や如来蔵思想などと同じ、分別形而上学であり物語でしかありません。
インド自立論証派の雄であるシャーンタラクシタ(『中観荘厳論』>>126参照)のいわゆる《邪世俗》です。
仏法では、《邪世俗》はガラクタです。

間接現実での縁起=正確な因果関係を「如理作意」(中部15)できない“非”「現生的なる法」(相応部35-70 ウパヴァーナ)です。

>仏法も、また分別。直接現実・間接現実の分別も然り。

師は答えた、「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、
最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」 (Sn.1072)

この【最上の<想いからの解脱>において解脱】ここにおいては、分別仏教などありもしないし、無分別仏法さえありもしません。
★最上の<想いからの解脱>が仏法のゲシュタルトであり、
その<仏法のゲシュタルト崩壊>が涅槃であることを示唆しています。
苦しみの終りです(ウダーナ8-1)。

これが<筏の喩えの法門>です(金剛般若経6 中部(マッジマ・ニカーヤ)22)。
150神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 18:35:15.05 ID:y+suYqqi
テストで書いた珍解答 - 7:29
http://www.youtube.com/watch?v=UfsOE80CqGU
テスト&授業中にあった珍解答 - 7:44
http://www.youtube.com/watch?v=awFvIZKhhWk
珍解答 - 50本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=awFvIZKhhWk&list=RD02awFvIZKhhWk
151神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 18:57:03.64 ID:tq65Laqm
 
> 苦しみの終りです (ウダーナ …

ウダーナヴァルガのギルギット写本
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf

比丘たちよ、私はその場所を知っている。そこには
支えとなる地面もなく、水もなく、火もなく、風もなく
空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく
この世もなく、あの世もなく、太陽も月もなく、まさにそこは
〔何かに〕支えられているところではなく、寄りかかられているところでもない
ここで比丘たちよ、私は
〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない
それこそが苦しみの終わりである
152神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 20:17:23.45 ID:F17gr9vX
>>149
君は、そんなことばかり考えて、座禅しているのかね?w

開祖も、生命から見れば、その下位次元、奴隷・奴婢に過ぎない。従うなら、
最高位次元を求め、従うべし。

すべての人間、すべての生物は、生まれながらに「生存本能(生命)」の信者
ののだから。生命を以っていくら生命を否定してみても、それは生命の肯定で
しかない。
153神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 21:59:05.70 ID:Ak50i8VC
>>128
>近代仏教学には、
> 「時間的縁起」「空間的(≒相対的)縁起」「相対的縁起」ってのがあって・・・・

この、「時間的縁起」 ・・・っていうのは間違ってると思います。
「縁起」 というのは、「今ここに生起しているものが、何によって支えられてるか?」 ってことを現してたものだと思います。
「縁」 というのは継続的なもので、「時間的な因果関係」 の 「因」 は、その場限りのもの・・・
「縁りて・・」 というのは、「支えてる状態」  あるいは、「そのものに触れていることによって、〜が起こっている」  その 「触れている」 ということだと思います。
だから、そのものに触れるのを止めた途端、果は消えるわけです。
そういう意味で、「縁」 とは継続的なもので、 例えば、
A → B → C  という順番で、因果関係になっている場合、
時間的因果関係では、 「B」 のときに、「A」 はありません。
「C」 のときに、「A,B」 はありません。
だけど、「縁起」 という時には、A → B(A) → C(AB) という風に、
ABが継続的に続いている・・・・ そのことに縁って、「C」 が成立している・・・
これが、「縁りて」 ってことだと思います。
だから縁起とは、「今ここにあるものが、どうやってそれを保っているか・・・」 ということを示しているものだと思います。
バス → 電車 → タクシー → 目的地 という時間的因果関係のときに、
目的地にいる自分が存在するために、もうバスや電車やタクシーは必要ありません。
これは 「縁起」 ではなくて、一般的に広い意味で使われる、「因果関係」 に過ぎないと思います。
「縁起」 = 「因果関係」 ってことじゃなくて、 
縁起は因果関係の特殊な形態であって、因果関係が重要なんじゃなくって、縁起が重要なんだと思いますね
154神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 22:07:50.98 ID:Ak50i8VC
>>128
縁起は継続的な 「縁」 が、結果を存続させてると思いますから、今この瞬間にも、「縁」によりて生起していて、
原因は過去のものではなく、結果は未来のものじゃないと思います。
今起きていることを、分解、説明したものだから、そこに時間的な推移はない・・・
だから、「時間的縁起」 という言い方は、矛盾してると思います。(時間的因果関係は矛盾していない)

「十二縁起」 は、「どうやって成り立っているか」 ということを示した、「縦の縁起」で、
「龍樹の縁起」 は、「どうやってつながっているか」 ということを示した、「横の縁起」 だと思います。
155神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 22:14:03.67 ID:mX96vmLF
あーあ・・
ここにも相対縁起・相互依存に幻惑されとる輩がおるwww  >>153


中村君や三枝君の罪は重いな・・・w
156神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 23:22:32.23 ID:r7OCneLs
>>101
思うんだが、アートマンを五蘊の集積と考えるとして
そのうち一つしか継承しないとしたら、それはもうアートマンじゃないんじゃないか?
アートマンの本質とは何かを考えなければ、その継承ということもありえないはず
つまるところ、アートマンは存在しないということになるわけだが。

輪廻されるところのナニカについて話されているが
それがたとえ識蘊であるとしても、他の四蘊が滅するというのは
その構成している何かがなくなるというわけではないと思う
縁起にしたがって、何かを生じさせることになる
輪廻されるところのものはなぜ存在するかというと
背景にはインドの業報思想があるためだと思われる
まず、なんらかの行為は報われなければならない、いや縁起の流れであるという考えがあり
その影響をもったものが業とよばれるものだ、
好いことをすれば好い結果をうるのはだからだ
阿頼耶識縁起も、識に目がいくが、そもそも阿頼耶識は業識とも言われる。
業のつまった識なのだ。よって、人間がその流れから脱するためには
業の影響を受けないようにするしかないわけだが、十二支縁起から見れば
煩悩である無明を抑えれば、影響から逃れられるのは明らか。
また、菩薩は衆生済度のために、わざと業の流れにのる
これは無明=無知ゆえの行いではなく、願いゆえのものである
157神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 23:32:01.90 ID:r7OCneLs
そこで問題なのだが
無明とは業ではなく、無明が来世に継承されないのならば
無明とは、現世かぎりのものであろうか?
おそらくそうではあるまい。それでは多生の間の修行に一貫性がなくなる
しかし、多くの者にとって、前世の記憶などないわけで
業をひきうけるとしても、智慧のあるなしまで継承するなどありえないと思うだろう。常識的な範囲では。
(まあ、あくまで人間に生まれることを前提とした話であるが。)
とすれば、無明=煩悩のあるなしも業報によって影響をうけると見るのが妥当ではなかろうか。
悪業は無明多き子にやどり、善業は無明すくなき子にやどる。
158前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/12(木) 23:39:47.02 ID:8C7A8+Cw
>>155
>ここにも相対縁起・相互依存に幻惑されとる輩がおるwww  >>153

前世スレでも、縁起は相依相関関係でないことは議論されましたね。

× 渇愛⇔苦しみ
○ 渇愛→苦しみ
159神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 00:27:20.97 ID:/aV2SjMt
ニート在家
160神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 00:48:18.98 ID:ICME1TZR
>>155
>中村君や三枝君の罪は重いな・・・w

田川訳も、考え抜かれた名訳。

釈迦による洗脳ゆえに、何時までも釈迦の初歩的論理矛盾と誤りに執着して
いるほうがおかしい。中論まで、釈迦の誤りに合致させるようにしか、解釈
できないw。洗脳患者の実態である。
161神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 00:52:38.84 ID:IchPVaUK
>>160
洗脳されてるのは隠居の方だろw


文字化が遅れ、音声言語に依っていたことの影響を想像できれば、
時間性排除なんて愚の骨頂だと判りそうなもんだがな・・・。 ┐(´ー`)┌
162神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 00:57:46.01 ID:ICME1TZR
>>161
時間とは「物の変化」のこと。時間性を排除しなければ、存在の構成は把握
できない。動いている機械から、その構成が分るか?
163神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 01:00:26.23 ID:IchPVaUK
>>162
ハァ?(゚∀゚)

>時間とは「物の変化」のこと

>時間性を排除しなければ


変化を排除するってことかいなw

事象は変化しないのかw 物は変化しないのかw  恐れ入った世界観だなwww
164神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 01:07:15.52 ID:IchPVaUK
>>162
そうそう、
SFの話をするつもりはないがw、
仮に、時間の停止が可能だとして、
(→>動いている機械から、その構成が分るか?
 →動きが(≒時間が)停止して、初めて当該機械の構造・組成・材料原料がわかる、として)、
その時は、その観察者の時間も止まってしまうわけだが?
機会が止まるのは、動きが止まるだけで、劣化してゆく時間はとまっていないわけだが・・・。

いったい、何が停止して、何が観察できるというのだろうか・・・。  ┐(´ー`)┌

>>162は、「動き」が止まっただけで、時間は排除されていないわけだが・・・w ┐(´ー`)┌
165神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 01:22:40.47 ID:ICME1TZR
>>164
観察は、観察者の刹那の生命の繰り返しによる。
166神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 01:28:48.94 ID:ICME1TZR
>>163
>変化を排除するってことかいなw

常に変化している存在の「構成」は、その変化(時間)を停止しないかぎり
分らないということ。

中村博士は、「諸行無常」の概念も批判している。それは無常でない状態を
前提とするからである。
167神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 02:01:05.08 ID:/aV2SjMt
崇教真光のニコニコ陽光死が2CHで身障者の替え歌UPした行為と変わらんな。
民度が低いよニコニコ陽光死。在日か?

病身舞(ピョンシンチム)
http://www.youtube.com/watch?v=i86fiRjvafk
168神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 02:02:28.79 ID:/aV2SjMt
うんちが好きな、手かざしするニコニコ陽光死。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

602神も仏も名無しさん []2009/04/08(水) 22:23:37ID:BXVXYOWL
全結○型ヒルシ○っ子で軽度○的障害を併せ持つ○子との日常の記録・・・

↑記録つけてる?wババアは息子のウンコ積み上げてんの?w

646神も仏も名無しさん []2009/04/11(土) 22:28:39ID:arzHnLkA
夢がMORIMORIからね!

♪うんこもりもり! うんこMORIMORI〜
 ひるーちゅ漏らしてる〜w

 おけつベタベタ! うんこBETABETA〜
 もーったいなーいから〜舐めてるぅ〜w ウマウマ!
169神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 02:57:40.94 ID:nMZEbQVm
>>122
不可逆な流れってのはありますね
積み木のように土台からつんでも、上からとりのぞいていけば元に戻るものもありますけど
自然が好む、エネルギー上もっとも安定的でかつバラつきのある状態というのがそれにあたるものでしょう
言うなれば科学で言うエントロピー増大の傾向ですね
しかし、十二支縁起はその部類に含まれないものと思います。
なぜなら、還滅門と言って、逆の流れが可能であると仏教では言われるからです。
できたからこそ書かれたと見る方が自然ではないでしょうか?

あと、十二支縁起は三世両重で見るのが伝統的なのではないでしょうか?
170神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 03:12:21.64 ID:T9xL+ur2
Discovery Wings Great Planes - A-4 Skyhawk - 49:12
http://www.youtube.com/watch?v=BLMM_jf6Lwc
Discovery Wings - 24本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Hn7zP6iABhA&list=PLC187903E3A7CD1FE
171神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 03:15:04.28 ID:nMZEbQVm
>>125
たとえば、
煙があるとき、火がある。煙がないとき、火がない。だっけ
煙があるからと言って、かならずしも火があるとはかぎらないが
一応、上の二つが成立すれば、火は煙がなければおこりえないということは言えると思うよ

あと、人間には生まれたときに、生も老死も内在しているということですが
まず、生まれるということがなければ、老いたり死んだりすることがないことは分かると思います。
ところで、この生ですが、縁起によれば有がなければ生がないとなるはずですよね
三世両重で解釈すれば問題ないのですが
わたしは現在世のみで理解しますので一応自分の理解を書いておきます。
ここで生まれるとは、すでに生まれていると私たちが理解している世界観におけるそれではありません
まさに、人間が生まれていると認識したときにおける、生です。
仏教は五蘊のカテゴリーを見ても分かるように、唯物論的な見方をしません
生とは、朝起きたときのまどろみの中や酩酊時において認識されうるものではありません
あとからそうだったとは認識しなおすことはできますが、まさにその朦朧とした状態においては
老いてゆくとかそういった人がしたてあげた時間軸の中で生きているわけではなく
ただ「今」しかありません。わからなければ実時と仮時の概念についてぐぐってみてください
つまり、仏教における生とは、自分が時間的な存在として認識せらることを意味していて
その世界観では当然、存在=有は前提として必要であるということを言っている。
そう解しています。
172神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 03:39:05.97 ID:nMZEbQVm
分かりにくい書き込みですみません。急いで書いたので
173前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 07:03:51.75 ID:FuqiUVr+
>>169
>不可逆な流れってのはありますね

まったく同感です。
龍樹菩薩も「大智度論」にて、土と粘土と瓶とではそれぞれ相が違い、
未来の相が過去の相となることはないと解説されてましたが。。

まあ、前世のご隠居氏は「大智度論」は龍樹作ではないとの個人見解でした。

でも、「龍樹伝」を書いた当時の龍樹研究の第一人者のクマラージュは
「大智度論」は龍樹作と記載しておりますので信頼性はあるかと思料します。
174神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 10:28:28.75 ID:MZ4/AH0+
>>173
竜樹の作と確定しているのは中論だけでだから(中村)、中論に限定してね。
中論は、それだけで完結した思想体系。釈迦正当化のためにさまざまな他の
作品を漁られたら、竜樹も迷惑だろう。石飛氏は、専ら中論以外の作品を
漁っている。彼女が釈迦カルトである所以。
175前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 10:39:22.94 ID:FuqiUVr+
>>174
>石飛氏は、専ら中論以外の作品を漁っている。彼女が釈迦カルトである所以。

スッタニパータで舎利弗と目連を冒涜したコーカーリヤがどうなったのかご存じないようですね。
お気の毒に。。
176神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 12:19:38.86 ID:MZ4/AH0+
>>175
スッタニパータは、典型的なカルト書だから、初めから問題にならない。
聖書と同様、読んではならない、読ませてはならない悪書No.1。
177神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 12:46:08.86 ID:z2MgEkpH
死後の世界はあるのか?ないのか?
輪廻転生はあるのか?ないのか?
仏典の真意をどう読むべきか? あると言っているに違いないだろ、無記であるともないとも言っていないだろ。

人それぞれで良いんじゃないですか?
コレこそは真理って固執するのが最も真理から遠い、というのは真理だと思いますw
178神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 13:35:08.84 ID:IchPVaUK
>>177
そうはいかんでしょw

仏教の世界観に、アッラーやThe GODを持ち込むわけにはいきませんし、
逆もまた然りでしょう。
イ教やキ教が、
第一原因なく、諸存在が連関しているだけ、
という世界観を受け入れられる(→その教義の中に組み入れられる)でしょうか?
179神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 13:45:57.40 ID:z2MgEkpH
>>178
だれもそんな事言ってませんが?
180神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 14:07:34.03 ID:/aV2SjMt
輪廻転生を信じている、崇教真光= 一在家の属している カルト教団

「真光誌274」(崇教)昭和60年7月号6月、月始祭救い主様み教え、P20〜21

結局、原因は恐るべき「集団霊障」である。アトランティス大陸文明とムー大陸文明
とは、嘗て、原水爆を使ってさえやったほどのものすごい大戦争をしたのですが、
さらには、金星や他の遊星にいた霊と現界に肉体を持った人間界との闘争もあったのです。
 それで、負けた方の霊統は、現在地上で幸福を味わっております現人種に対して霊的に
非常な憎しみを持ってしまった。実を言いますと、それが随分憑依している。

 神の力でもなかなか霊が脱けないことがありますが、その理由をある程度申しますと、
実際の人類史としては非常な興亡に関係した霊統の争いが、実は今日も存続をしている
からです。そこで、現在の人類が幸福な世界をつくり上げていくことを非常に憎んでいる
方の霊が一体化する。いわゆる組織化して活動するのです。

 それから、もう一つは、その霊が、他の星からでさえ、人間に転生をして現代人の中に
混じってきている。例えて言えば、ムー大陸に滅ぼされたときのアトランティス文明人は、
こんにち憑依しているばかりではなく、実を言いますと、現界人に再生をしてきている。
 これらに怨みの集団霊が憑かるのですから、ますますひどい憎しみの世界をつくっていく
という関係があります。
181神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 15:12:26.90 ID:G0HJFtKi
輪廻転生はあるとは言い切らないが、
経典にも書いてあるし、現代の修行者達もそろって輪廻やその他の形而上学的な事柄を
瞑想修行の中で見ていると語っていることも事実。
おそらく釈迦自身も輪廻を見ていただろう。

そういう事実を無視して、「輪廻転生を認める人間=カルトだから気をつけろ」
みたいな論調で語るような「断見」を増やしてしまったオウム真理教の罪は重い。
と思います。
182承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/13(金) 16:15:28.10 ID:Ch8kG/5g
「輪廻」=「輪廻転生」として、
現代諸カルトやスピリチュアルな連中が
バカげた妄想の根拠としている訳だが、
仏教関係者の一部にも、「輪廻転生」=「輪廻」としてミスリードするカスがいる。
プトガラは論理的に否定されたにも関わらず、だ。
こういう連中を見るたびに、私は実に美味そうなエサだと思う。
183神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 17:23:41.28 ID:xkKUZJfL
輪廻というと、人を中心に考えて、それが生まれ変わるという捉え方がなされやすいけど、
仏教では基本的に、縁起という因果を大事にする。
行為には結果があり、認識されたものには原因がある、という。
そして、原因を断つことで、苦といった結果を滅するという道を行く。

って考えると、「なぜ、生まれたのか(それ故に苦しむのか)」って考えたとき、
過去の行為ってものを原因にするしかないんだわな…。
創造神は原因がないから縁起の理論に隙(例外的に因果とは無関係なもの)ができるし、
両親の性行為に原因を求めても、自分が生まれてくる必然性が分からないからね。
184前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 18:04:48.53 ID:FuqiUVr+
>>181
>そういう事実を無視して、「輪廻転生を認める人間=カルトだから気をつけろ」
>みたいな論調で語るような「断見」を増やしてしまったオウム真理教の罪は重い。
>と思います。

私は「断見」を増やしてしまった一大原因は中論の誤解にあると仮設しております。

「八不」にて龍樹は時間、運動を滅したと誤解した人達が、釈尊の「因果の法」を
否定してしまったことが一つの原因だと考えております。

「輪廻の法」の前提条件が「因果の法」ですので、前提条件を認めなければ当然
否定になるでしょう。
現象世界は不可逆が大半で「因果の法」に従うことは21世紀の科学的常識からも
明白なのですが。。ただし論理世界では不可逆は可能ですがそれでは「机上空論」
ということです。
185前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 18:06:32.32 ID:FuqiUVr+
>>184
誤 ただし論理世界では不可逆は可能ですが
正 ただし論理世界では可逆は可能ですが
186神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 18:16:49.76 ID:BIeynKBj
>>177
>人それぞれで良いんじゃないですか?

良くはない。明確な<検証基準>が示されている。

仏法は宗教として<四諦の実践>に資さなければ、ガラクタだ。
8:2法則からいえば、80%はガラクタ仏典・テキストであり、ガラクタ議論だろう。

<ガラクタであるかどうかの検証基準>は「現生的なる法」として明確化されている(相応部35-70 ウパヴァーナ)。
仏典、テキスト、議論は以下の基準による<検証性>を満たさなければ『邪世俗』=間接現実の一切外の妄想・戯論・物語として相手にすべきではない⇒無記。

 1 明証性:.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)であり、 *Sn.1053・1066
 2. 即時果報認証性:時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)であり、 *同上
 3. 客観的再現性:来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)であり、 *同上
 4. 涅槃合目的性:よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)であり、 *Sn.737
 5. 自力検証性:知者がそれぞれに自ら知るべきもの(仏法は信仰ではない) *Sn.908

なぜなら、「それは、ありもしないもの(妄想・物語)を語っている一切外の『邪世俗』(シャーンタラクシタ)でしかないからである(相応部 35-23 一切)。
因果撥無の邪説である。
『実世俗』(シャーンタラクシタ)が間接現実「一切」であり、
★縁起の(間接)現実=<因果(時空)関係>を正確に如理作意(中部15)によって徹見することで、
遂に、般若智直覚 による縁起の(直接)現実=<如(時空際断)関係>を現観するに至るのである。

絶対神、ブラフマン、アートマン、仏性、如来蔵、本覚思想、業報輪廻転生論、回向論、唯物論、観念論などは上記検証基準に耐えられない一切外の『邪世俗』(シャーンタラクシタ)であり<無記=無視事項>である。
187前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 18:24:12.04 ID:FuqiUVr+
>>184
>「八不」にて龍樹は時間、運動を滅したと誤解した人達が、釈尊の「因果の法」を
>否定してしまったことが一つの原因だと考えております。

有名な「八不」の中の「去る者は去らず」ですが、常識的に考えれば
「去る者は去るか去らないか分からない」ということです。

よって「去る者は去らず」にて偉大な龍樹菩薩は運動を否定したというのは軽率な
見解かと思料します。

同様に「八不」の中の「不生」も、産婦人科で「不生」などと言ったら、間違いなく
危ない人だと警戒されるでしょう。

「大智度論」にて龍樹は時間や運動を否定したは言えませんが、「中論」以外は
龍樹作ではないと固執される方々には東風でしょう。
188神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 18:48:58.77 ID:UG3+zEAv
胎児が「不生不滅」というとき、たとえば胎児Aが要素Bを伴って生まれたとする。
そうすると、生まれてきた胎児は、A+要素Bとなるわけです。
胎児と生まれた赤ちゃんは、まったく同一のものとはいえない。
また、違うともいえない。   
不一不異です。
胎児には胎児の関係性がある。 周囲の環境と胎児を分断せず、一つのものとして扱えば、
そのときの環境は、そのときしかない。
だから胎児という個別のものは、生まれたわけでもなく、関係性が変わったからといって、
滅するものでもない。
全体の中に溶け込んでいる胎児が生まれるとしたら、その全体の関係も一緒にくっついていかないといけないが、
そういうことはない。
胎児だけを取り出して、胎児をとりまくそのときの関係性を分断することは出来ない。
もしも関係性を取り除いてその胎児が生まれた・・・というならば、その胎児はあらゆる関係性から独立して存在することになる。
つまり、自性があることになる。
実際の胎児が生まれない・・といってるわけじゃない。
生まれるときには生まれるときの関係性が、次の瞬間には次の関係性が、関係性から分断して胎児が独立しているように見える凡夫の見え方は
錯覚だと言っている。
189神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 18:51:08.45 ID:BIeynKBj
>>187
もういい加減にしたら?
龍樹は二諦説を前提として、勝義を否定論証しようとしたのであって、
世俗諦の因果関係(時空関係)は仮設&仮説としても否定できるわけがないではないかw

⇒『実世俗』(シャーンタラクシタ)が間接現実「一切」であり、
  ★縁起の(間接)現実「一切」=<因果(時空)関係>を正確に如理作意(中部15)によって徹見することで、
  遂に、般若智直覚 による縁起の(直接)現実=<如(時空際断)関係>を現観するに至るのである。』(>>187)

現に、中論24-40で世俗諦の(間接)縁起=因果関係(時空関係)を前提として四諦を説き、
   (直接)縁起≒如(時空際断)関係は般若心経で<無四諦>と還滅されているのだ。
190神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 19:16:32.46 ID:UG3+zEAv
>>171
たとえば、赤ちゃんが育って大人になったとします。
赤ちゃんが大人になるということはあるが、大人が赤ちゃんに戻るということはない。
常識的に、時間的に、赤ちゃんと大人を分断するとですね。
時間的に分断されてるから、赤ちゃんに戻ろうと思っても、戻れません。
大人の苦しみを消そうと、赤ちゃんを消そうとしても、赤ちゃんは過去のものですから、
すでにそこにないんですよね。  戻れないし、起こった事実も消せない。
人間が苦しんでるときは、「無明」 はもう過去のものですから、もうどこにもないわけです。
苦しみに姿を変えてしまっている。
だから、無明にもどって消そうと思っても、そこには 「無明」 はないです。
「時間的縁起」 ということであれば、こうなる。
だけど、実在だと思ってる縁起の各支が、実は幻なんだ、実在ではないんだということになれば、
「幻の老死」 がなければ、原因である 「生」 も、また幻・・・ ということになります。
無明を滅ぼせば、すべての幻は順次消える・・・ということになります。
もし生が実在のものなれば、そこには無明もなく、もし無明を消せても、そこには実在の生があるので、
生は消えません。  生が消えなければ、「苦」 も消えません。
来世に消えるというんであれば、お釈迦様は生きてるうちに悟りは開けなかったということになります。
191前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 19:22:44.77 ID:FuqiUVr+
>>189
>世俗諦の因果関係(時空関係)は仮設&仮説としても否定できるわけがないではないかw

貴兄のような見解であればまったく問題にしておりません。

世俗諦の因果関係(時空関係)は仮設&仮説としても否定できるという一部「縁起」論者に
対してのかきこですので、あしからず。
192神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 19:48:50.24 ID:IchPVaUK
>>190
トラックを一周して来た選手は(或いは景色は)、未走の選手と(或いは景色と)同じではない。
また、
一周経過してしまった以上・経験してしまった以上・業が積まれてしまった以上、
それが「戻る」ということはない。
功徳ということでいえば、積んだ功徳が無に帰することは無い。そこに可逆性はない。業でも同じ。
この考え方が仏教の骨子である以上、時間性無視の相対的縁起なぞ愚の骨頂なわけです。
可逆性は、この考え方と相容れないのです。

釈尊が、当時外道から「業論者(カンマヴァーディン kamma-vAdin)」と呼ばれていたことを重く受け止めねばならない。
193前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 20:09:30.55 ID:FuqiUVr+
>>192
>功徳ということでいえば、積んだ功徳が無に帰することは無い。そこに可逆性はない。業でも同じ。
>この考え方が仏教の骨子である以上、時間性無視の相対的縁起なぞ愚の骨頂なわけです。
> 可逆性は、この考え方と相容れないのです。

おー、まったく同感です。
言語論理世界でのみ可逆性は成り立ち、「机上空論」です。

言語論理世界(机上)では「PならばQ」と「QならばP」は形式的にはどちらも承認されるが、
現実の世界では一方しか承認されないということです。

このシンプルな論理を無視して中論を読むとかえって危険です。
194神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 21:04:47.18 ID:+8z9+O9s
>>187
>よって「去る者は去らず」にて偉大な龍樹菩薩は運動を否定したというのは軽率な
>見解かと思料します。

まだ理解できないのか。それでは中論を論じる資格はない。国家試験に合格し
た君の頭なら、理解できないはずはないのだが、真光の営業政策上、理解した
くないだけだろw。

去る、去らずという言葉を使っている以上、運動を「否定している」などとは
いえないだろ。「去る」という概念は、あくまで「去らない」という概念との
相対において生じるということ。「去っていない人々」から見れば、去る者は
去っているのである。しかし、去っている本人は、去るという動作を同時に
二度行なうことはできないから、去るという概念は生じ得ないということ。
子供にでも分るよう、中論本文で懇切に説明しているではないか。
195神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 21:09:26.11 ID:+8z9+O9s
中論が、相対性原理や量子力学を先取りしていることは周知であるが、言語学
を勉強すると、現代最高の言語学者と自他ともに許すソシュールの理論さえ
先取りしていることが分る。驚くべきことである。竜樹は釈迦とは、頭の出来
が格段に違う、ということ。
196前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 21:44:18.46 ID:FuqiUVr+
>>195
>竜樹は釈迦とは、頭の出来が格段に違う、ということ。

龍樹は「私には主張はない」 といい、偉大な釈尊に敬意を表した方ですよ。
あまり龍樹に恥ずかしい思いをさせないように。。。
197前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/13(金) 21:48:00.71 ID:FuqiUVr+
>>194
>去る、去らずという言葉を使っている以上、運動を「否定している」などとは
> いえないだろ。

少なくとも貴兄は前世のご隠居氏ではないようですね。
偉大な龍樹は時間・運動を否定し、時間は刹那(瞬間)の集合に過ぎないという論を
彼は展開していたと記憶しておりますので。
198神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 22:30:40.31 ID:BIeynKBj
>>191
>貴兄のような見解であればまったく問題にしておりません

貴兄のような見解であれば非常に問題にしております。

⇒なぜなら、「在家はは、ありもしないもの(妄想・物語)を語っている一切外の『邪世俗』(シャーンタラクシタ)でしかないからである(相応部 35-23 一切)。
 因果撥無の邪説である。(>>186)

まあ、不都合は直答せずに済まそうとする“カエルの面に小便”の賤しい根性には所詮無駄だなw

>>186の「現生的なる法」基準を満たさない宗教を「カルト」という。
    マヒカリはカルトである。
   
199神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 23:17:44.92 ID:2uyLqnyC
>>190
レスあざす
まず、基本的なところから整理しておきたいのですが
有余涅槃と無余涅槃という言葉があります。
生きているうちに無よねはんはありません。
釈迦が生きているうちに達成したのはウヨ涅槃であるとされます。
これは智慧をえて、つまり無明を克服して来世生まれないという果を得られた境地です。
ではなぜ無明が消えたのに、釈迦はこの世からすぐ消えなかったか?
ここらは非常に重要なところですね。上座部と大乗で見解が異なります。
上座部ではつまるところこうなります。来世に生まれない智慧は得たが、今世に存在しつづける分の
煩悩(無明)はまだ残っていると。残りカス程度の煩悩ということですね。これは仏身有漏説です。
大乗は上座部の考えである独覚・声聞乗を忌み嫌い、菩薩乗を立てます。
なぜならば、衆生済度をしようとしない僧伽(サンガ)=出家集団ですね、彼らを嫌った在家の声をとりいれて
起こってきたのが大乗運動だからです。悟った後も釈迦は独りですぐむよ涅槃に行かず
衆生済度のためにこの世に残ったじゃないか!?なぜ今のサンガはこの志を受け継がないのか?というわけです。
よって、大乗の見解では、僧は菩薩たれ!という考えの下、釈迦をスーパーマンに飾り立てます。
具体的に言うと、菩薩は上座部で言うところの悟りを得ていつでも涅槃に到れるのですが
衆生済度のための願い(四弘誓願)を起こして、わざと輪廻の流れに乗り、功徳を積み続けるのです。
200神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 23:18:28.95 ID:2uyLqnyC
よって、釈迦も生まれた瞬間からすべてを把握しすぐに悟りを得られるのですが
衆生に救いというものを分からせるためにわざと壮大なドラマを演じてみせたのだというわけです。
この場合、釈迦が今世にとどまりつづけた原因は無明ではなく、願い、あるいは智慧か慈悲ということが言えます。
要は仏身無漏説ですね。チベット仏教の一般的な教説もこの説によっているはずです。
ダライラマの「智慧の眼をひらく」という本にも同様の見解に基づいた話が載っていました。
つまり、大乗においては専ら仏身無漏説をとるということになりますね。
遠回りな答えになったかもしれませんがこういうことです。
もし無明がなくなったとしたら、大乗においては悟りに至ります。十二支縁起は時間的縁起ではない
ということです。
あと、私個人の見解ですが、上座部の見解の方が現実的だと思いますが
やはり、菩薩の慈悲というものを私も重視していますので、慈悲の心のない悟り(智慧)はありえないと考えます。
よって、十二支縁起において、無明がなくなったとしても、生がなくなることはないと形式上答えることになるでしょうね。
あと、私は十二支縁起は一瞬一瞬のうちに起こっていることだと認識しています。
201神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 23:28:07.97 ID:+8z9+O9s
>>197
運動を否定したら、「世間の一切の慣習」に反するよ。中論は、何度も、
それを固く戒めている。

中論においては、「世間の一切の慣習」は「無条件の前提」である。これが
中論の凄さである。
202神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 23:42:39.40 ID:2uyLqnyC
あと、蛇足かもしれませんが
大乗が慈悲の概念をもちだしたことは実は逆に問題をややこしくすることになったと思います。
なぜなら、今助けて欲しいと嘆いている弱者がすくわれるには、その苦境にかかわらず
他人を救おうと思わなければ救われないという話になるからです。
ふつうまず自分が救われないと他人も救えないという考えをするのが常識的ではないでしょうか?
大乗の初期においては、上座部の悟りを得た僧たちが、さらに慈悲というものをブレンドした延長線上の
悟りというものを思い描いたのでしょうが、後の時代の人たちは、上座部を排斥するあまり
いきなり慈悲というものを説いたために、弱者は悟り=救いって何?と思うことになったことでしょう
そのために、密教の金剛乗といった解決法へとシフトしていくのですが
日本においては、浄土教がうまく風呂敷をたためたのだと私は思っています。
私にとって、仏教とは基本の三法印を抑えて悟りとは何かを押さえていればよいと思っています。
とりわけ無我という智慧が根本なのではないでしょうか?
そのためか、よくもわるくも自分にはどこかヘーゲルのような大らかさがあるなあと思う次第
203神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 23:55:34.46 ID:/aV2SjMt
<ユダヤ教パリサイ派的な曽野綾子さん>
曽野綾子さんの冷たい言葉には、イエスさまの教える愛
や謙虚さがないように感じられます。彼女はキリスト教徒と
として、著書も数多く出版され、人気作家であります。
けれども、その心にはユダヤ教の律法学者やパリサイ派
的な考えがあり、ご自分を正しい者であると考えておられ
て、イエスさまの教えとは違うようです。
204神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 00:12:45.83 ID:decn7eq/
今回の消費税3%上げは去年の民主党政権時代に国会決議されたものであり、決議に従って実施されるべきもの。
あべちゃん!いまさら、なにをかっこつけてんの!?と言うしか無い。
消費税は、主に福祉に使われる。
とくに毎年1兆円ずつ増えていく医療費に使われる。
病人が多い、そして税制優遇の医者はますます肥え太る。
わが国の「国民皆保険」制度は低所得者には生死の分かれ目になる。
医療保護が手厚い、と言える3割負担。
おとなり中華人民共和国に於いては、バブル経済の破綻の足音が聞こえ始めた。
一切国民の選挙で選ばれないシステムの中華人民共和国政府は躍起になって、火消し中。
リーマンショック、ギリシャの破綻から始まり、スペインの破綻、そして中華人民共和国バブル崩壊となれば、大混乱は免れない。
危ない橋をみんなでソォーット渡ってる状態である。
温暖化問題も100億の人間と牛がゲップとおならで輩出するメタンガスが主要因である。
このことすら、報道は意図的に報道せず。
人間が原因の諸問題は、人間が解決するしかないのだ。
205神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 08:12:19.08 ID:cuOtWP5e
>>193 一在家さん
ひさしぶり!

>言語論理世界(机上)では「PならばQ」と「QならばP」は形式的にはどちらも承認されるが、
>現実の世界では一方しか承認されないということです。

下手すると、どちらも承認されないよ。
「質問するならば(とき)、答えがある」といった因果にまつわる不可逆の現象を、
この命題論理の「ならば」は扱わないからね。PとQの時間的前後関係については沈黙してる。
おっしゃる通り、現実を無視した概念同士の包含関係しか使えない。
206神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 08:22:09.72 ID:cuOtWP5e
>>184 一在家さん
>「八不」にて龍樹は時間、運動を滅したと誤解した人達が、釈尊の「因果の法」を
>否定してしまったことが一つの原因だと考えております。

うーん、八不は涅槃の境地を表してるから、そこには運動も時間もないと思うよ。
ただし、法を説くときは、無明のある人に向けて、時間をとき、運動を説くのよ。諸行無常って。
もっと言うと、時間ってものも無明の産物ってことだと思う。

>「輪廻の法」の前提条件が「因果の法」ですので、前提条件を認めなければ当然 否定になるでしょう。

その言い方を借りるなら、こうなる。
輪廻があるとき、因果が生じ、苦がある。
輪廻がないとき、因果は滅し、苦がない。(輪廻がないのだから、そこは涅槃)
207前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 08:57:48.80 ID:Pbs01vH6
>>205

また再生されたのはどなたですか? ハンドルか決めセリフを提示下さい。
208神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 09:23:16.35 ID:cuOtWP5e
>>207 一在家さん
親切僧と呼ばれていた者でごわす…。
あと、「一在家さん」っていう呼びかけるの自分くらいかな。
209前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 09:31:14.04 ID:Pbs01vH6
>>208
>親切僧と呼ばれていた者でごわす…。

オイラ氏(縁起一代氏)のお知り合い?の貴僧の再生は大変忝く存じます。

あえて涅槃に入らずに衆生の為に輪廻されるすべての方々の慈悲に感謝致します。
210神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 10:18:19.64 ID:cuOtWP5e
>>209 一在家さん
あんがと!在家さんも元気そうでなにより。
一代さんはしばらくこないっぽいね〜。

なんというか、ここんところ、縁(レスつけようと思えるレス)がなくて、
掲示板を離れてました。
211神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 10:20:42.96 ID:82DUUNVN
なんでここまで慇懃無礼になれるのか。

カルト体質の尻尾が丸見えだなw
212前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 11:35:17.15 ID:Pbs01vH6
>>210
>なんというか、ここんところ、縁(レスつけようと思えるレス)がなくて、
>掲示板を離れてました。

>>31
>釈尊「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」
「感興のことば」26.21

>龍樹「諸々の行は識とともに作られたものであるから無常である。
涅槃は作られたものではないので恒常である。」
「方便心論」2.2.1

早速ですが、上の2つの教えに補足いただけますでしょうか。

尚、法華経の如来寿量品にも「現象面だけ見て、常住するものがないと考えるのも
浅い見方です。」という訳もあります。
213神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 11:38:41.96 ID:DuCL9LGF
>>192
釈迦の十二縁起というからには、「逆観」が成立しないとダメですよね。
「逆観」が成立しないと、釈迦の縁起とはいえない。
時間的に、物理的に、各時間の事項を常住として分断してしまったら、
いつまでたっても消えないです。
「過去起きた」 という現実は、消えない。
現実的には、過去に戻れないと同時に、原因としては、「過去に起きたこと」 として、
永久に残り続ける。
その時間において、常住です。
これが消えるには、「空」のときのみです。
たとえば、寝ることによって、夢を見るとする・・・・
この夢を消すには、一番最初の 「寝る」 ということを滅せれば、すべての夢は消えます。
最後の光景が「夢」ならば、最初から最後まで 「夢」 ということが分かります。
夢の内容をいくら時間的に説明しようが、すべてが夢なら、その各時間における常住の存在は、
消えます。
縁起の順観は、現象世界という夢を、時間的因果関係において説明しているだけで、これは真に釈迦が教えたいことじゃありません。
釈迦が教えたいのは、縁起の逆観です。
すべては空なるもの、ということです。
現実の連なりに時間はあるが、空なるもののつながりに、時間はありません。
空、空、といいながら、各時間の事項を、その時間における常住の存在として扱っているんです。
いわく、「過去に戻れないが、過去は消せない」 と。
214前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 11:40:23.28 ID:Pbs01vH6
>>209
>あえて涅槃に入らずに衆生の為に輪廻されるすべての方々の慈悲に感謝致します。

>>211
>なんでここまで慇懃無礼になれるのか。

再生された貴僧も感謝対象のお一人ですよ。
215前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 11:48:24.33 ID:Pbs01vH6
>>213
>「過去起きた」 という現実は、消えない。
> 現実的には、過去に戻れないと同時に、原因としては、「過去に起きたこと」 として、
> 永久に残り続ける。

「過去に起きたこと」は消せなくても「過去のカルマ」は消せるのではないでしょうか。

悪いカルマを1つ積んでも、善いカルマを2つ積めば、プラスマイナスで善いカルマを1つ
積んだことにならないでしょうか。

釈尊の弟子の中にも盗人や人殺しがおられたでしょうが、阿羅漢になられた方々も多いかと
存じます。
216:2013/09/14(土) 11:53:05.44 ID:cbP5LSqj
 
>>208 親切僧さんへ
> 親切僧と呼ばれていた者でごわす
> あと、「 一在家さん 」 っていう呼びかけるの自分くらいかな

私【?】も

机先生
隠居先生
一在家さん
親切僧さん

と、お呼びさせて頂きます 屮(_ ._)屮
217神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 11:56:46.86 ID:8kz83DuJ
>>213
あのね・・w (^^;)

そういうことじゃなくて、

たとえば・・うーん・・・
ペンキを塗り直すようなものなの。
年月が経って、新たに壁画を塗り直すとする。
そのとき、「何気ない一般の台詞」は「あ、また絵が【元に戻った、復活した】」というものです。
が、違います、たとえ超絶技巧の画家が、寸分の違いもなく再現したとしても、
それは《【新たに描かれた】絵》なのです。仮に下絵を削って、地肌を出したとしても、
その地肌は【以前の、前回の】地肌ではないのです。
(少なくとも仏教に於いては)、事象は積算しかされません。
だからこそ、善を為し悪を為さないようにする動機付けに繋がるのです。

そして、そこのレスにある『逆観』ですが、
事象が積算しかされないことと逆観は全く無関係です。
「考察に於いて辿る」ことと「事象が逆転してゆく」ことは、全く別もの別次元の話でしょう?

私には、貴方が何を言いたいのか、さっぱり判りません。
ただ一つ言えるのは、貴方の考え方は、誠にもって仏教的ではない(お釈迦さん的ではない)、ということです。
218神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 11:58:27.73 ID:DuCL9LGF
>>192
「可逆性」 というのは、「空であるか、否か (存在が現実<常住>のものか、否か)」 ということを問題にしたときのことです。
もし、十二縁起を現実(各時間において常住)として捉えていると、空ではない、ということになります。
マラソンランナーがスタート地点を「スタート」して、3000m地点で「苦」を感じたとします。
このとき、「苦」を無くそうとして、「スタートする」 ということを消そうとしても、
もうその「スタートする」 ということは、過去のことになっていって、どこにも存在しません。
だから3000m地点の「苦」は、絶対に消えません。
こういう現実的な、時間的な、物理的な、因果関係というのは、可逆性は絶対にありません。
「新鮮なパンが腐る」 ということがあっても、「腐ったパンが新鮮なパンになる」 ということはありません。
それぞれを時間的に常住とするとです。
しかしこれが 「空」 ならば、「存在するものが空であるか、どうか」 ということを確認する、という点において、
「腐ったパンが幻ならば、新鮮なパンもまた幻」 ということがいえるのです。
可逆性とは物理的な可逆性じゃなくて、「存在の連なりの最後の部分を空と確認すれば、可逆的に前のものも空と確認できる」 ということです。
219神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 12:07:07.01 ID:DuCL9LGF
>>217
「逆観」 というのは単なる観想じゃなくて、釈迦が自分の悟りについて、悟っていく過程を観想していくものですよね?
「考察において辿る」 ということじゃなくて、実際に、「無明を滅し、行を滅し、」 最終的には 「苦」 を滅した・・・・
それを後で考察しただけです。
もし、「事象が前から滅していって、最終的に苦が滅せられた」 ということを、単なる考察とするならば、
それこそ釈迦の仏教じゃないです。
220神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 12:19:06.67 ID:cuOtWP5e
>>212 一在家さん
またそこかよw いやー、前に散々、話した通りだよ。
言葉にすると、輪廻と涅槃、有為と無為、無常と常、苦と楽って2つで表されるけど、
決して、前者と別のところに後者があるんじゃなくて、
前者を滅ぼしたところを、後者のように呼んでるんだよ。

だって、「すべては無常!無常なるものは苦!」で止まったらどうなるの?
「おわた!つんだ!苦しかないなんて!」しか言えないでしょw
だから、苦諦と集諦のあとに、「滅諦」が説かれるのさ〜。寂滅為楽、です。
221神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 12:25:08.69 ID:cbP5LSqj
 
> 実際に、「無明を滅し、行を滅し、」 最終的には 「苦」 を滅した

『 受、想、行を滅させる為の方法が必要である 』 と思います

第一義空經
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html

…此の陰滅し已らば異陰相續す
俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは
謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す
比丘、是を第一義空法經と名づく
222神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 12:33:08.11 ID:cuOtWP5e
>>212 一在家さん
ちなみに、正しくは「一切行苦」ね。
行(現象)に仏が含まれるかについて、教えを聞く人目線からいうと、
その仏の体や言葉を、執著を持って聞く段階では、それは行だし、苦しみだろうね。
(執著をもって聞かない人は、すでに教えが必要なくなってるから、そもそも教えを聞かないけど。)
実際、釈尊が入滅する時に弟子は泣いてるわけだから。

一方、仏目線からいうと、仏は自分の体を「我がもの」とも実体とも思ってないから、
たとえ他の人から見て病気になっているように見えても、無常も苦もない。
だから、凡夫の体とは違って色身なんて呼ばれるんだと思う。
使ってる言葉も、執著をもって語ることがないから、業ではなくて法と呼ばれる。
223神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 12:35:16.22 ID:cuOtWP5e
>>216 ?さん
おひさし〜。了解です。
224:2013/09/14(土) 12:56:44.00 ID:cbP5LSqj
 
>>212 前世は一在家さんへ
> 法華経の如来寿量品にも
> 「現象面だけ見て、常住するものがないと考えるのも浅い見方です」
> という訳もあります

例えば、私【?】の場合は

睡眠中でも(末那識が)深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けているので

我愛によって → 受 → 想 → 行 → 識、が動かされているので

因と縁によって、現れ滅するもの、を見ても 『 それを正しく認識する事が出来てない 』

と言う事だと思います
225神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 12:59:21.04 ID:DuCL9LGF
私は、こういう風には思えません。
「無明滅した」 というからには、当然、「煩悩や苦」も、滅せられているはずです。
もし、「無明」がわずかにでも残っていたら、それは 「無明を滅した」 とはいえないです。
ろうそくの火を消そうとするとき、もし、わずかにでも火が残っていたら、「ろうそくの火を消した」 ・・・とはいえません。
「無明」 がわずかにでも残っているかぎり、煩悩や苦はつづくと思います。
『来世生まれないという果を得られた』 というのは、時間的因果においては私はそう思いますが、
釈迦は12支の各滅により、悟られたわけですから、当然、その中に 「体」 や 「生存・生活・感覚器官」も滅せられたことになります。
言葉どおりに受け取ればですね・・。
「無明」を滅すれば、 死のような状態になる・・・・  だけど 「死」もまた滅せられていますから、
死ではないわけです。
感覚器官や生存・体が滅せられても、死なない状態・・・・・  それが釈迦の悟りってことになります。
ところが釈迦は、悟りを開いたのにもかかわらず、これらを滅したのにもかかわらず、体が残っていて、生存があるわけです。
私はこれを、こう捉えます。
「体がある、という思いに捉われない」 「自己がある、という思いに捉われない。」
たとえ感覚器官を通して、感覚があったとしても、その感覚に捉われない。
だから、おなかを壊して腹痛に見舞われて、苦しんでるように見えても、それは煩悩が残っているからじゃなくて、
苦が残っているからじゃなくて、「苦」 がそこにあっても、まったくそれに捉われていない状態・・・・
「苦しみの姿」 が、「空」 となってる状態・・・
苦を滅したからといって、「苦しみの姿」が、無くなるわけじゃない、体が無くなるわけじゃない、
何が出てこようと、それらはみな空で、「常住の存在」として滅せられた状態・・・・
それがお釈迦様の悟りってことだと思います。
226神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 13:02:27.08 ID:DuCL9LGF
>>225

>>199
>煩悩(無明)はまだ残っていると。残りカス程度の煩悩ということですね

に対して・・・
227神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 13:09:40.67 ID:DuCL9LGF
>>199
だから、「有余涅槃」 「無余涅槃」 というのは、単に、「現象的に体が有るか、無いか」 の問題だけで、
涅槃であることには、違いはないと思います。
体があっても、それに捉われない。
来世に体があろうと、無かろうと、それはもうお釈迦さまにとって関係のないことで、
涅槃にとっても関係ないことだと思います。
228:2013/09/14(土) 13:24:00.96 ID:cbP5LSqj
 
>>223 親切僧さんへ
> おひさし〜。了解です

私【?】は、落武者の霊を見た事があるので

『 幽霊は存在するのだっ! 』 と言う妄執の念に取り憑かれている者です

( ↑ 自性としてではなくて、因と縁の依存によって、と言う意味で … )

これからも御教示、宜しくお願い致します 屮(_ ._)屮
229記憶喪失した男!ninja:2013/09/14(土) 13:28:05.78 ID:Bj3YOyHI BE:273742122-2BP(427)
あうあうあうあうあうああー

::::::::: へ( ^q^')ノ        日本人のほとんどが朝鮮半島から来た弥生人の子孫であることは、
:::::::::   (┐ノ          日本の古代王朝が、朝鮮半島に最も近い島根県の出雲にあること、
:::::::::: /            また、出雲族を征服した天孫族の天孫降臨の地が宮城県という朝鮮半島に近い位置にあることが、
::::::::::::::::::::::::::::::::: みごとに、裏付けていると思う。
我々、日本人は朝鮮半島から来たのである。古人類学がこれを証明しつつある。
230神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 13:28:59.48 ID:SH+FG/6n
お前ら、例えば虫歯で歯が激しく痛むとき、釈迦も、悟りも、無我もへちまも
ないぞ。消炎鎮痛剤1錠がすべてだ。

生老病死が、すべて「身体」に関する苦であることには、大きな意味がある。
釈迦の鬱病も、現代では、脳内神経伝達物質の異常という「身体の病気」だ。
身体の苦を滅するのは、現代では専ら医学の仕事。

医学がなかった当時、釈迦は己の鬱病の苦悩感を自分の素人療法で何とか治そ
うとした。その意味で偉い。釈迦は、宗教家というより8、医師だったという感じ。

例えば、仏典に出てくる妊娠期間の計算は、現代の産科学のそれと全く同じ。

医学が如何なる宗教の奇跡も及ばない驚異的な発達を遂げた現在、釈迦の
「医学」はもはやどこにも通用しないのである。
231神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 14:00:42.35 ID:cuOtWP5e
>>228 ?さん
落ち武者のことは前にも聞いたよ〜
餓鬼とか地獄の類じゃないだろうか…よく供養してくださいね〜
232神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 14:23:24.98 ID:DuCL9LGF
>>217
仏教の真の教えは 業報の教えじゃないです。
業報の教えは、現象世界をより良く生きるための教えです。
たとえて言うなら、今沈み行く舟の中で、人々が脱出(解脱)できない・・・・
そこで、沈み行く船の中で、どうやって危険を回避するか・・・って教えです。
それは脱出(解脱)できない人への、一時的な助け舟です。
真の教えは脱出です。
ラトナーヴァリー(原始仏典 瓜生津隆 真訳)にこうあります。

「あらゆる不善を止息すること、意・口・(身)の(三)業によって常に善を行うこと、これが二種の法といわれる。
この法によって、・・・・広大な安穏と栄光と尊貴を得るであろう。 ・・・繁栄の法とその果報である」

これは一時的な助け船です。

「これに対して至福の法は微妙であり、その洞察は深く、諸仏によって、未だ聞くに価する耳を持たない愚者には怖畏が生じる、と説かれている。」

これが本当の教えです。

「要約すれば、(善悪の)業には果が存在しないというのが、無見(=虚無論)である。
これ(=無見)は不善であり、堕地獄であり、邪見である、といわれる。
・・・・
233神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 14:26:13.14 ID:DuCL9LGF
「要約すれば、(善悪の)業には果が存在するというのが、有見(=実有論)である。
これは善であり、善趣に生ぜしめるものであり、正見である、といわれる。

知にもとづいて、無と有(との二見)を寂滅し、それによって罪福を超える。
これがかの悪趣と善趣からの解脱である。  と諸聖者によって説かれる。」

沈没しゆく船の中で、いくらいい環境を作っても、苦はなくなりません。
夢の中でいくら居心地が良くても、夢から目が覚めなければ、意味はありません。
234前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 14:39:16.90 ID:Pbs01vH6
>>220 親切僧さん
>言葉にすると、輪廻と涅槃、有為と無為、無常と常、苦と楽って2つで表されるけど、
> 決して、前者と別のところに後者があるんじゃなくて、
> 前者を滅ぼしたところを、後者のように呼んでるんだよ。

>>212 一在家
>尚、法華経の如来寿量品にも「現象面だけ見て、常住するものがないと考えるのも
>浅い見方です。」という訳もあります。

貴僧の説明ですとnot有為=無為、not無常=常住、ということでしょうか?
でもnotガソリン車=電気自動車とは言えません。ハイブリッド車があるからです。

うまく言えませんが、有為と無為は同時に存在するのではないかということです。
無常の存在と常住の存在も同様です。
視点を変えると有為で無常、また視点を変えると無為で常住、仏は両方の視点を
等しく、バランス良く(中道)持つのではないでしょうか。

>またそこかよw いやー、前に散々、話した通りだよ

前世でも腑に落ちていないネタは輪廻するようで申し訳ないです。
235神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 14:45:45.72 ID:Pq+ECTnj
釈迦はまず、「善・悪」とは何かを、キッチリと定義せよ。定義もできない、自分でも
意味の分らない「言葉」に「自己陶酔」していてはならない。

私は、「善・悪」を次のとおり定義する。

「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。

要するに、「善悪」とは、「共生のための行為の技術概念」である。自分独りで生きて
いる、生きられるのなら、「善・悪」の概念は、不必要で不存在。
236神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 14:50:30.41 ID:UCyzzU/6
>>218
アンカーつけてもらえるとありがたいです。
上にあなた自身同様のことを書かれているように、
視力→光→色(景色)→模様→視覚文字
このような縁起もありうるでしょう
各支は別に物理的な肉体を我が物として所有してないのです。
上のような原理が働いているとき、視力がなくなれば視覚文字もなくなります。
視力があった事実は消せないでしょうが、(それは業なのですから)
視力がある事実は消せます。
マラソンのスタート時点で受けた苦しみの事実は消せないでしょうが
現在もスタート時点で受けた苦しみが続いているかと言えば、それは消せます。
大学受験で10浪してしまって、周りから馬鹿にされる苦しみはたった一回合格すれば消えます。
10浪の事実によって周りからバカにされつづける苦しみはあるかもしれませんが
それは10浪の苦しみとは異なります。もし、現役合格者よりも高い業績を残したとすれば
10浪の事実も、彼を荘厳する過去にもなりましょう。まあ、それはほぼありえないし
そんな夢を頼みとして生きるのもくだらないですがね。

>>225
生=苦という前提で話をされているから、そういう結論になっているように感じます。
もちろん、その生の定義が、無明によっているならそうでしょう。
仮に十二支縁起を現在させようとしている(衆生済度のために)なら、その生はあってなきがごとしです。

わずかでも残っていたとすれば、たしかに一分の苦しみを受けることはあるでしょうね。
しかし、釈迦は生きつづけるという選択をしたので上座部的には仕方ないとなるのではないでしょうか。
しかもその苦しみを、私という本質が苦しんでいるのだと囚われることになればますます苦しむでしょうね
まあ、そういう人はうよ涅槃ですらないと思いますが。
237神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 15:02:51.33 ID:wvL7asOi
巨視的に見れば善悪なんて無い。
宇宙規模で見て、人間個々の善とか悪とか意味なし。
人間が絶滅しても、地球上の生物が絶滅しても、宇宙規模では何の問題も無い。
地球1個、太陽系1個無くなっても宇宙全体に及ぼす影響はゼロに等しい。

善悪などの概念は人間世界の中での話し。
人間がより発展する方向に働く行為=善
人間が発展するのを妨げる行為=悪

原発は取り出された電力を人間が使えるという意味では善だが、燃料廃棄物は10万年〜100万年保存する必要があり
その他、事故での汚染のリスクがあると言う意味では悪。本質的に悪なので一過性の善に惑わされない事が大事。
このように善悪共に含むモノも多く、善悪共に含まないものも多いので何が本質なのか常に捉える事が大事になる。
本質を捉える能力を磨くのは善である。

意義のない議論に夢中になるのは善悪共に含まない。
238神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 15:08:30.70 ID:UCyzzU/6
>>230
心頭滅却すれば・・・。
常人には無理ですよね
脳内物質まで制御できるとか神かよってことですから。
薬という補助輪を用いることは大切ですが
最終的にはただ己自身の力で現状を維持できないと依存となって苦しみをうみますよ
社会の中で問題を起こさず生きていくことがその人のすべてだと前提した上での話ですが。
239前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 15:12:14.38 ID:Pbs01vH6
>>229
>日本人のほとんどが朝鮮半島から来た弥生人の子孫であることは

弥生時代は今から3千年ほど前のことですね。
縄文時代は更に1万3千年ほど遡ります。この縄文人がオリジナルの日本人でアイヌと沖縄の人とは
お顔が似ているように思いませんか。

スレ違いですが、少しだけコメントしました。
240神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 15:12:38.27 ID:UCyzzU/6
>>237
中国は露天掘りをしないので炭鉱で毎年数千人規模の死人が出てますがね
一方、原発はほとんど一人も死人を出していない。
善悪は結果のみに左右されるものではないと思います。
制御できないという不安も、人に不幸を感じさせる原因ですので。
241神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 15:22:56.60 ID:UCyzzU/6
>>232
仏教の教えの最重要の部分ではないでしょうが
根幹と言えるのではないでしょうか
業は生物と無生物を分ける重要な要素です。
これを認めなれば決定論にもなりましょう。
242神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 15:40:07.97 ID:wvL7asOi
火力発電と原発で比較すると、死者が出ようが出まいが本質的に原発の方が悪。
石炭掘り出すのに死者が出るのは、掘り出す方法が悪なので発電方式とは無関係。
10万年〜100万年もの間放射性廃棄物の保管が必要な発電方式が人間の発展にとってプラスになる事は無い。
原発を続ければ続ける程、悪を累積していく事になる。即刻地球上の全原発を廃炉するのが最も望ましい。
心理的要素も確かに大きい。人間の発展で、不幸だけど発展している〜というのは虚しい。経済発展などその象徴。
経済が発展して楽な生活が出来るようになり、外から見れば幸せなはずだが、格差に不満を持つ人間が増え
将来に対する希望が少なく幸せを感じる人間が少ない〜なんてのは虚しいだけ。
人間の発展と経済の発展は同義ではないという事のあらわれだね。
243神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 15:42:58.72 ID:T9e6Uaux
安倍首相「完全にブロック」は嘘 小出裕章さん断言

◇「もちろん外海へ出ている。責任取るべき」

2020年のオリンピック開催地が東京に決まった8日の国際オリンピック委員会(IOC)の総会で、
安倍晋三首相が「汚染水による影響が福島第1原発の港湾内0.3平方キロメートルの範囲内で完全に
ブロックされている」と述べたことについて、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は科学的に見て
「嘘である」と断言。五輪招致のプレゼンテーションの場で安倍首相の「虚言」は国際社会から
批判を浴びそうだ。(ラジオフォーラム)
http://www.asiapress.org/apn/archives/2013/09/10110739.php#.Ui6YBYqSjFI.twitter
244神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 15:43:26.15 ID:HEq5r5y4
>>240
>中国は露天掘りをしないので炭鉱で毎年数千人規模の死人が出てますがね
>一方、原発はほとんど一人も死人を出していない。

え?
ウラン鉱山で被爆しまくってボコスカ死にまくってるのしらないの?
245神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:10:01.43 ID:UCyzzU/6
>>244
死んでないですよ。ウラン鉱山は茫漠とした土地にありますので
すべて露天掘りです。爆発もないし、酸欠もないです。原理的に起こらないのです。

>>242
放射性物質というのは半減期というものがあります。
半減期が長ければ長いほど危険は少ないのです。
放射線は放射性元素の崩壊によっておこります。
100個の放射性元素があった場合、半減期までに50個の元素が崩壊し
放射線を出します。この放射線によって、細胞の核が傷つけられ
細胞が死んで壊疽したり、癌といったできそこないの細胞による病気が起こるのですが
自然界には普通に放射線を出されていますし、細胞は自己防衛のために
長い歴史の中で自己治癒能力をもっているために
放射線で被害が起こるには、ある閾値を超えなければ心配はないのです。
つまり、ある時間内に、一定以上の放射線を出すことがなければ問題ないのです。
放射能とは、放射線を出す能力のことであり、どんな半減期をもつ物質も
同じ数の放射性元素があれば同じです。
半減期が長い放射性物質が危険だとすれば、濃縮された状態で
一定以上の放射線を一度に出すようなものだけなのです。
半減期が一億年といったものはほぼ考慮する必要性はなくて
5年とか100年といったものだけに対策を講じれば問題ありません。
放射性廃棄物についてはその廃棄場所の問題がありますが、地中深くにおいておけば
問題は起こりません。一番の問題は住民の不安なのです。
また、原発事故時の一時的な放射性物質の拡散と放射線被害も問題ですが
それも半減期がごく短いものにだけ注意を払えば問題ないです。
246神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:22:06.35 ID:HEq5r5y4
>>245
え?
ウランは鉱石の段階でも放射線出してるのしらないの?
露天掘りだろうと、被曝は避けられないんだが。
むしろ、露天掘りだからこそ、放射性物質が飛散して大問題なんだが?
247神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:23:53.37 ID:UCyzzU/6
>>246
出していますよ。
それどころか、ウラン高山がない土地でも
放射性同位体元素はありますので、我々はその影響をうけています。
ウラン高山のある土地の住人は我々と同じように生活しています。
248神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:24:37.52 ID:wvL7asOi
>>245
数の問題でしょうが、福島などの現実の状況を十分踏まえれば机上の空論です。
机上計算の10個〜100個の場合と現実の10Bq、100Bq、1.9×10の10乗Bqとか
同様には考えられません。
http://green.ap.teacup.com/nakayama/616.html
「『半減期が長いほど安全』?−気楽で悲惨な安全論」
249神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:27:40.36 ID:HEq5r5y4
>>245
>半減期が長い放射性物質が危険だとすれば、濃縮された状態で
>一定以上の放射線を一度に出すようなものだけなのです。

まさしく放射性廃棄物がそれなんだがw
半減期がものすごく長いのに、それでも問題になるレベルの放射線を出すぐらいに濃縮された状態で保管されることになるから。
まさか、「薄めてしまえば問題ない!」とかいいだすのか?w

>放射性廃棄物についてはその廃棄場所の問題がありますが、地中深くにおいておけば
>問題は起こりません。

そう「ずっと地中にあれば」問題無いんだ。
問題は、そんなに長期間安定的に保管できる地層なんて、存在しない事なんだなw
地上に出ないまでも、漏れ出して地下水系にでもしみ出したら、今の福島のような事になる。
250神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:29:34.44 ID:UCyzzU/6
>>248
福島で突然変異の生物が生まれたとか言って
巨大なナメクジの写真や異様な姿の植物の映像が出されましたが
すべてガセネタでした。
半減期の短い物質がもっとも多かった期間においてその影響が明らかに
見られることがなく、癌患者も平常時のそれと比べても大差はないとされています。
国際基準が安全のために高く設定されていたということでしょう。
そもそも、なんの事故も起こっていない場所でも
その値より高い放射線量の場所はあります。
251神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:32:13.78 ID:Pq+ECTnj
原発問題は、ニュース速報板でやれ。

一言すれば、今回の原発事故で、放射線障害による死者は唯の一人も出ていない。
津波で亡くなった2万人の犠牲者のことがすっかり忘れ去られてしまている。
「反原発運動」には、ありもしない神や霊に怯える宗教と似通った要素がある。
252神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:35:06.17 ID:wvL7asOi
チェルノブイリでは明らかに子供の甲状腺癌が増えた事実があり、福島は現在
調査中です。甲状腺癌は被爆してすぐ発症するというものでは有りませんから
事故後10年とかの経過を見て判断する事になります。
いずれにせよ、処理できない廃棄物を先送りで子供に任せる〜というのは無責任このうえない
姿勢で、悪そのものです。
253神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:35:46.80 ID:UCyzzU/6
>>249
だから、それは最低でも100年程度すぎれば問題なくなるということです。
一億年も人類が宇宙を汚染するといったものではありません。
そもそも宇宙空間では、放射線量はその比ではありませんし
長い地球の歴史の中で、むき出しの宇宙線にさらされた時期はいくつもあります。
生物はその危機をのりこえて今まで来たのです。
ある程度の対抗力があって当たり前です。
今、一部の人類が問題としているのは、自然愛や地球愛、動物愛でもなく
人間愛の問題であり、人権思想、ヒューマニズム(人間中心主義)の問題なのです。
我々の共同体がこれから生きていく上で、どこまで個人の人権を尊重するか
の問題です。しかし、人類は電力を必要としており、人類の間での闘争もあります。
電力を失って、個人どころか国が滅ぶ可能性すらあるのです。
当然何千人もの困窮が起こるでしょう。そのための究極の選択が今の電力問題です。
254神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:37:59.15 ID:HEq5r5y4
>>250-251
問題にしているのは、将来的な影響なんだが?
死なないと言うなら、福島第一原発で生活してくれよw

まあ、キチンと検証しないで、「安全だ」というお上のお達しを信じてる人は好きにしてくれ。
それこそ「宗教と似通った要素」だと思うがね。
255神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:42:00.60 ID:UCyzzU/6
>>254
事実として、明確な証拠をあげることができないあなたは
不安を過度に煽っているにすぎませんね。
256神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:45:06.31 ID:/Cb2uaz3
>>254
ビキニで死の灰をもろに被った第五福竜丸の船員たちの多くは、天寿を全う
している。船長の久保山さんだけは早世したが、その症状は放射線障害では
なく、肝障害であった。

広島・長崎の被爆者には、天寿を全うした人がいなかった、とでも。
257神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:46:03.05 ID:HEq5r5y4
>>255
よしわかった

じゃあ、さっそく原発作業員として、福島第一原発に行ってくれよ。
防護服も何もなくても、君は平気なんだろ?w
死なないんだから問題ないじゃないか!
数年後に白血病で死んでも、良いんだろ?
そんな人材を東電は求めてる!

ああ、あとは君の家はどこだい?
是非、君の住んでいる横に原発を建てるように、誘致運動をしてくれw
258神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:48:41.05 ID:HEq5r5y4
>>256
よし、ここに10%の確率で死ぬ毒薬があるとしよう。
昨日、3人に飲ませたら、誰も死ななかった。
じゃあ、きみ、これを飲んでくれよw
259神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:49:54.33 ID:/Cb2uaz3
仏教板スレからニュー速スレに早変わりかw。いい傾向だ。現実に無関係な
宗教などいくら論じてみても、クソの役にも立たんw。
260神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:57:30.40 ID:wvL7asOi
>>252
×いずれにせよ、処理できない廃棄物を先送りで子供に任せる〜というのは無責任このうえない
姿勢で、悪そのものです。

○いずれにせよ、親の世代で電気だけは使って、処理できない廃棄物を先送りで電気使っていない子供に任せる〜
というのは無責任このうえない姿勢で、悪そのものです。

福島や新潟の原発の電気は関東エリア(東京中心)で殆どが使われる〜
               ↓
東京の国会議事堂横に原発作ってやれ、東京電力本社の敷地内に原発作ってやれ〜って事です。

自分等が使う電気を自分等とは無関係の場所で作るな。無責任この上ない。こういう姿勢がまさに悪の枢軸。
261神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 16:59:23.30 ID:wvL7asOi
廃棄物も国会議事堂地下に埋めれ、東京電力本社地下に埋めれ〜って事だよw
262神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:00:02.68 ID:UCyzzU/6
>>257
私の家が代々原発職人であったならそういう選択もありましょうが
不安を煽ることを批判するには、不安を取り除かなければならないというなら
誰も批判をすることができなくなるでしょう。
そういう批判は健全な議論をできなくさせます。
その不安な気持ちを察してあげるということはできますが、
居直られるのは議論のマナーとして卑怯というものです。

そもそも私は、福島に引っ越すどころか、隣の県に引っ越すのでさえ
億劫ですよ。それだけの労力と時間、財産をかけなければならないのですから。
衣食住が保障されているならともかく。

福島で生活して後、癌になったのなら、私の発言による自己責任でよいですが、
それ以外も自己責任なんですよね?
あなたは、私が福島で生活したことで職を失っても自己責任だからといって
どうせ何もしてくれないんでしょ?
263神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:02:41.82 ID:b4utsWvn
>>260
罪や苦と同じく、「原子力恐怖」を教義とする新宗教かw。

電力が不足したほうが、より多くの死者が出るぞ。
264神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:04:03.24 ID:wvL7asOi
今現在、というか今年の夏は暑かった〜けど原発は殆ど停止で何の問題も起きていません。

原発利権の腐れた姿勢には反吐が出ます。
265神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:05:40.56 ID:UCyzzU/6
>>260
その意見は一考の余地がありますね。
東京の住人が反発するでしょうがwww
266神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:06:42.36 ID:UCyzzU/6
>>264
日本の貿易収支は赤字ですが、その半分は原油やガス価格の高騰が原因だそうですよ
確実に日本に影響しています。
267神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:07:08.25 ID:b4utsWvn
「反原発教」という新興宗教誕生。教祖は管元総理w。
268神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:10:01.83 ID:wvL7asOi
日本の貿易収支は赤字でも日本経済は順調というのは良いんじゃありませんか。
原発稼動で貿易収支が黒字でも日本経済はド低調でデフレまっしぐら〜というのより
希望がもてますよね。
269承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/14(土) 17:10:52.29 ID:VFG/8xe4
空き缶が不起訴ってのは正直ムカついた。
270神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:12:41.13 ID:0ps+N7py
原発教の教祖は安倍総理

管元総理Vs安倍総理
271神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:16:26.23 ID:UCyzzU/6
管ですか。正直殴りたくなるような不遜な顔をしてますよね
しかし、思えば不憫ですよ。そういう顔をもってしまったということは。
出来の悪い子も最低限の保護はするべきでしょう。同じ共同体の構成員として。
そうしなければ、共同体は崩壊するも必定です。
272神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:17:28.60 ID:HEq5r5y4
めんどくさくなったw
ぶっちゃけ、俺は「反原発」なんじゃなくて、「なんであんなアホなもの使ってるんだ?」と笑ってるだけだからな
一々反論しても良いんだが、科学の基礎知識レベルの事から始めないといけないらしい
一言に反論するだけで、数レスみっちり書かなきゃならん。
めんどくせえw
273神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:18:24.33 ID:UCyzzU/6
はい
274神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:18:31.18 ID:8kz83DuJ
>>260
食肉産業、葬祭業、ゴミ処理場にも同じことが言える。

犠牲をしいている事実は厳然としてある。
問題は、その犠牲をゼロにする、或いは緩和する、ということが可能かどうか、だなw

食肉や皮革産業については、かつて存在した犠牲が緩和されてきたのも事実だろう。
(ゼロになったかどうかは知らないが・・・www)
さて、原発はどうだろうね。
どういう手段をとれば、原発ゼロと、産業や日常へのエネルギー供給及び価格安定を両立できるか・・。
275神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:19:54.67 ID:UCyzzU/6
正直、絡んでくれて楽しかったですわ
でも、スレの流れを乱すのはいけませんね
そろそろこの話題やめましょうよ
276神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:21:59.59 ID:decn7eq/
277神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:31:22.93 ID:8kz83DuJ
>>275
けど、まったく無関係でもないぞw

畢竟、極の部分で、「エゴ」「我、我見」「我中心の利害感、損得勘定」
「我を中心とした関係性(情の及ぶ範囲)の密度」「どこまでが“私と関係ある範囲”か」
など、仏教(特に大乗的考え方)の根幹と密接に関わってるぜ?w

上のゴミ処理場で言えば、
『必要なのは判る。無いと困る。でも、我が家の近くは嫌』
ってねw
278神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:35:20.94 ID:HEq5r5y4
>>274
結局は、「少欲知足」と「科学万能主義」のしかないだろうね。
つまり、エネルギーの使用量を減らすか、新しい夢のエネルギー源を開発するかだ。

仏教的には前者で、日本仏教的には後者なのかな?w


結局、原発を使い続けるのも、経済の問題(原発が低コストだと言う意味ではない)だからね〜
原発以上に(電力会社だけではなく、諸々の関係者一同が)儲かる供給源が開発されないと、原発は無くならんと思うよ。
もっとも、夢のエネルギー源が開発されても、経済構造もかえないと、経済的には採用されないだろうがw

現実に、ガスタービンのコンバインドサイクル発電なんて原発の数倍高効率なものがあるのに、全然流行ってないしなw
279神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:38:38.47 ID:cbP5LSqj
 
> 「反原発運動」には、ありもしない神や霊に怯える宗教と似通った要素がある

http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2013/0824rondan.html

被災地の 「 心霊現象 」 ― 「 自然な 」 経験と思われる

2013年8月24日付 中外日報
280神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:38:53.89 ID:UCyzzU/6
個人的には、藻で石油をつくるってやつに期待しています。
あとは、宇宙空間に核融合炉をつくるか、宇宙空観に太陽電池をつくるのは
どうもコスパが悪いように思うのですよ
281神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:42:13.59 ID:HEq5r5y4
>>280
>宇宙空間に核融合炉をつくるか

だれだ、そんなアホな事を言っているのはwwww
是非、紹介してくれwww
宇宙空間に創るメリットが一つも思い浮かばない
なんで態々燃料供給すら難しく、送電も困難、建造する事すら莫大なエネルギーを必要とする所に作ろうと考えたんだろう?www
282神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:42:36.79 ID:8kz83DuJ
或いはまた、
『お肉は大好き!(* ‘∀‘) 美味しく食べたい!沢山食べたい!o(>_<*)o
でも、屠畜作業は嫌!(‘ε‘;) 殺されてるのは可哀想(´;ω;`)』
とかなw
283神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:46:30.93 ID:UCyzzU/6
>>281
月につくったほうがいいかな、デブリ的に
中性子が外殻を傷つけるためにどうしても放射性物質ができる可能性があるらしいですよ
もしものためにはオゾンの外でつくるほうが安全でしょ。
宇宙から地球への送電には有線でなくとも無線で可能だそうです
容量がやっぱ問題でしょうけどねぇ
284神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:52:12.03 ID:UCyzzU/6
>>278
>少欲知足
自分的には吾唯足知が好きですかね
四文字とも口の部分があるでしょ?
そこを穴にして五円玉みたいにしたものがどっかの寺にあるそうですよ
285神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:54:05.42 ID:HEq5r5y4
>>283
>月につくったほうがいいかな、デブリ的に
オイw
月がどんだけ遠いと思ってるんだよw
月面基地を作って、そこでの電力供給に使うならまだしも、地球の電力源として使うとか、アニメの見すぎだw

>中性子が外殻を傷つけるためにどうしても放射性物質ができる可能性があるらしいですよ

おいおいw
やっぱりそのレベルの耳学問で原発問題を語ってたのかよw
そりゃ、放射化されることは間違いないが、原発で出る低レベル放射性廃棄物より安全なレベルだぞ?w
その程度の事で安全性を求めて大気圏外に放り出すのに、原発は安全だから地上で大丈夫だと?w
286前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 17:55:18.93 ID:Pbs01vH6
横レスですが、太陽光発電や地熱発電のような自然エネルギーを推進し、
その分上がった電気代の分だけ国民が節電に心掛ける。

そうすれば家計を圧迫せずに、年々クリーンなエネルギーに移行できます。

あと科学技術視点では、通常のGPS付きミサイルで原発に当てることが多分できますので、
あまり大陸や半島の国との間で争って悪いカルマを積むのは危ういということです。
287神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:56:39.45 ID:82DUUNVN
ヒロシマ原爆で直接被爆して生き残った方々の

ヤケドの点はべつにして、放射能の影響はどうなの?

天寿を全う(たとえば75歳以上)された方はどうなんですか?
288神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 17:57:21.23 ID:UCyzzU/6
そう言えば遠いな・・・月。
しかし、地球上では放射線問題は解決しそうにないでしょ
289神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:02:34.11 ID:HEq5r5y4
>>288
おいw
さっきと言ってることが違うぞw
君は、掘ってうめときゃ安全だと言ってなかったか?w
290神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:03:03.87 ID:wvL7asOi
地球上の全ての原発を廃炉にして、現在ある放射性廃棄物を全て、理想的な密閉状態にして
南極の可能な限り地下深くに埋める〜
前提として、原発には以後手を付けない〜という事でやるしかないかも。

これでOKならまた〜というのは無しで。
291神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:03:25.83 ID:UCyzzU/6
あくまで将来的な夢ですから
292前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 18:08:40.34 ID:Pbs01vH6
>>290
>前提として、原発には以後手を付けない〜という事でやるしかないかも。

まったく同感です。
広島、長崎、福島と3度も放射能を浴びた国のトップが原発を他国にセールスしている
カルマを私は気掛かりです。
293神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:10:38.27 ID:b4utsWvn
文明の利器の恩恵を受ければ、必ず犠牲も生じる。満員のジェット機が墜落
すれば、一度に数百人が即死する。馬車の時代にも、交通事故死はあった。

その危険を、更なる努力によって克服してきたのが、人間の生存の歴史。
人間の生命とは、本当に素晴らしいものだ。
294神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:11:29.62 ID:HEq5r5y4
>>287
短期的な影響としては、6シーベルト以上の放射線を浴びた被爆者は、1ヶ月以内に大半が死亡してるな。
長期的には白血病などがあり、被爆者の白血病の発症のピークは1951年頃だ。
それを乗り切った人たちは天寿を全うできた人もいるだろうな。

で、十万人前後死んだ中で、運よく発病せずに生き延びた人が居る事に何か問題でもあるのか?
295神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:14:30.73 ID:HEq5r5y4
>>290
南極は国際的な共有地だぞw
日本が勝手にアブナイもんを埋めるわけにはいかんw

処理するなら、日本国内のどこかに埋めるしかないだろう。
もっとも、断層だらけの日本じゃ、どこに埋めても危険だろうが。
ID:UCyzzU/6の家の下あたりがいいんじゃないか?w
296神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:14:38.38 ID:cbP5LSqj
 
> 宇宙から地球への送電には有線でなくとも無線で可能だそうです

例えば、仮に、無線で電磁波(電磁場)で地球に送電する事が出来たとしても

「 ある程度の電磁波(電磁場)に曝露すると、身体にさまざまな不調が現れる 」 と言う事であるらしい

電磁波過敏症(でんじはかびんしょう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%A3%81%E6%B3%A2%E9%81%8E%E6%95%8F%E7%97%87

電磁場に起因する特発性環境不耐症(でんじばにきいんするとくはつせいかんきょうふたいしょう )
「 ある程度の電磁波(電磁場)に曝露すると、身体にさまざまな不調が現れる 」 とする疾病概念。
電磁場にさらされることによって引き起こされると称されている症状を記述する用語である。
「特発性」とは原因不明であることを意味する。現状、明確に疾病概念は定まっていない。
297神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:16:09.36 ID:wvL7asOi
>>295
だから「地球上の」と言っている。「日本」のではない。
298神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:16:22.20 ID:82DUUNVN
【汚染水問題】 米紙ウォールストリートジャーナル 「汚染地下水を45リットル飲んだとしても、CTスキャン1回分の被ばく線量だ」

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1379142984/
299記憶喪失した男!ninja:2013/09/14(土) 18:17:24.90 ID:Bj3YOyHI BE:821224962-2BP(427)
72 名前:記憶喪失した男忍法帖【Lv.30,T】 投稿日:2013/09/14(土) 15:06:39 ID:df0o8cg0あうあうあうあうあうああー

::::::::: へ( ^q^')ノ        考古学板で怒られちゃった。宮城県じゃなくて、宮崎県だ。
:::::::::   (┐ノ          大和民族のウィキも見たけど、まだ全然、証明できないみたい。
:::::::::: /            一冊の本、読んだだけで、先走り過ぎた。
:::::::::::::::::::::::::::::::::

73 名前:記憶喪失した男忍法帖【Lv.30,T】 投稿日:2013/09/14(土) 17:51:59 ID:df0o8cg0すいません、誤報のお詫びに続報です。
2012年に古代人のDNAを鮮明に判別する方法が発見されたらしく、
それにより、縄文人のDNAが現在、調査中です。
縄文人と現代日本人のつながり、弥生人との関係もそれにより解明されると思われます。
研究を待ってください。2ちゃんねる考古学板でした。
300神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:18:16.81 ID:HEq5r5y4
>>293
>文明の利器の恩恵を受ければ、必ず犠牲も生じる。満員のジェット機が墜落
>すれば、一度に数百人が即死する。馬車の時代にも、交通事故死はあった。

結局は、利便性を取るか、リスクを取るかと言う、比較の問題なんだよな。
原発は、リスクが利便性をはるかに上回っていると個人的には思うが。

>その危険を、更なる努力によって克服してきたのが、人間の生存の歴史。

科学(技術)万能主義者めw
まあ、俺もその一人だがw
301神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:19:30.64 ID:UCyzzU/6
そういうのあるらしいね
臨床データが不明だけど
302神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:23:16.82 ID:UCyzzU/6
そろそろ、仏教の議論にもどそうや、俺も参加しといてなんだけどさ
303神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:28:05.56 ID:HEq5r5y4
>>298
あれは俺も騒ぎすぎだと思ったが、問題なのは、「放射性物質が今も垂れ流されてる」ってところなんであってだなw

>>302
じゃあ、仏教的には原発問題はどう考えると思う?
304神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:29:40.89 ID:b4utsWvn
>>300
昔、宗教。今、科学。いずれも「人間の生存のための手段」。しかし「ご利益」
は、科学のほうが数万倍大きい。

古代人は、ご利益のない神は、片っ端から棄て、また憎悪した。現代の創唱
宗教のように、「宗教を生存の目的とする」という「倒錯」には陥っていなかった。

宗教の起源とは「生存のための手段」である。生存のための、古代人なりの
精一杯の「現実性・合理性・科学性」の表れだったのである。
305前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 18:29:42.74 ID:Pbs01vH6
>>300
>科学(技術)万能主義者めw

私も元々科学者の一人です。

アインシュタイン、湯川秀樹博士、他、優れた科学者ほど科学では
解明できないことが多いことを認めており実に謙虚です。

かのエジソンの最期の発明が「霊界ラジオ」であったことは有名です。
306神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:36:35.40 ID:UCyzzU/6
>>303
あくまで、それは世俗の問題だから
上座部的には問題にならないが、大乗的には問題になるだろうね
しかし、大乗においても、世俗に積極的に参加することはしないはずだよ
社会の中で暮らす上で、利他行を実践し、相互に悟りをめざそうということに
問題はとどまるよ
今の日本の寺はそうじゃないけどさ。
たしかにチベットのように、日本の仏寺が祭政一致の政治と密接に関わっているのなら、
社会的に責任は発生すると思うよ
だから、対外的に、パワーバランスを考えて自国民の保護だとかを考えなきゃいけない
でも、日本の寺はそうではないのだから、直接政党をつくるべきじゃないと思うし
原発問題にしても世俗が決めたことを受け入れるという姿勢を保つべきじゃないかな
俺個人僧ではないので、在家が口を挟む問題でもあるまいが。
307神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 18:56:59.46 ID:HEq5r5y4
>>306
「おら関係ぇねぇからコメントしねぇ」ってか?w

他人事のようだが、坊さんだって電気使ってるだろ?
その電気が他者に害悪をもたらしているんだが、そこんとこはどうなのよ?

あるいは、経済と言う自己の利益、欲望を優先させたが為に、現在の状況があるわけだが、それについてのコメントも無し?
煩悩の滅を目指す人が、説法の一つも垂れないのか?w
「当事者の一人」として、仏教的な立場からの理想論をぶち上げとくべきじゃないかな。
308神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:01:15.81 ID:cuOtWP5e
>>234 一在家さん
>貴僧の説明ですとnot有為=無為、not無常=常住、ということでしょうか?
>でもnotガソリン車=電気自動車とは言えません。ハイブリッド車があるからです。

ん?となると、有為でもなく、無為でもないものがあるって?僕はそんなことは言ってないよ〜。

>うまく言えませんが、有為と無為は同時に存在するのではないかということです。
>無常の存在と常住の存在も同様です。

そうだよね、一在家さんがそう考えているのは、よく伝わってくるよ。
ただそれだと、有為の存在の中にアートマンを説く外道と変わらなくなっちゃうよね。
そして、涅槃を積極的に「有」と表現せず、「滅」と表現することの説明もつかなくなるね。
309神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:02:37.23 ID:cbP5LSqj
 
トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%82%BD%E3%83%B3

高齢となって会社経営からは身を引くが、研究所に篭り死者との交信の実験を続ける。

エジソンにはオカルト・超自然的なものに魅せられていたという一面もあった。
ブラヴァツキー夫人やバート・リーズの降霊術を信じていて、ブラヴァツキー夫人の開く神智学会に出席したこともある。
また、来世を信じ、後半生は死者と交信する電信装置 (Spirit Phone) を研究していた。
ただし、あくまでエジソンは合理主義者を自負しており、1920年代を通じて常に自由思想家協会を支持していた。

エジソンは、人間の魂もエネルギーであり宇宙のエネルギーの一部であると考えていた。
エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだと考えていた。
エジソンの言によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、
「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録することで発明としていた」に過ぎないのだという。


大槻義彦(おおつきよしひこ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A7%BB%E7%BE%A9%E5%BD%A6

非合理・非科学・非論理的な事象や主張、例えば
超自然現象や超能力などを
科学者として徹底的に批判する学者としても知られるが、
「月の石はアメリカの砂漠の石」発言のように、発言や著作では科学界の通説とは違う独自の説を唱えて、
オカルト肯定派からだけではなく懐疑論者から批判や疑問を受けることも多い。
反オカルト、月の石捏造説など、彼の専門外の話題発言が多い。
310神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:12:18.01 ID:UCyzzU/6
>>307
俺は坊さんじゃねえから。
それはともかく俺も電気つかってるから恩恵うけてるね
これ仏教関係なくて、俺個人の個人主義的な意見だが
電気の恩恵ウマウマだが、放射線被害怖いから、
俺に被害が及ばねえかぎり、そんなの関係ねえだな
俺個人の社会主義的な意見は、個人の人権が脅かされないように
努力すべきだから、それが証明されれば原発撤廃へと動くべきだな
俺個人の共同体主義的な意見では、人権が脅かされるとしても
国家が崩壊すれば、人権どころじゃねえから、国家が維持される範囲内で
手を打つように配慮すべきだろうな
俺個人の在家的な意見では、他人と共にうまく仏教的な目的へ前進するために
最低限の他人との縁というものは必要だと思うので、
そのために文化的な生活というものは求められると思う
そういうわけで電気は必要最低限利用する分だけ利用させていただく。
しかしあとは禁欲的であるべきだと思うので
それが許される範囲外の電力であれば必要ないことになる。
しかし、世の中には電力を業務上必要とする集団もあるわけで
彼らが職を失って途方に暮れることを勧めてはならないだろう。
同じ目的をめざす仲間として。
もし彼らの生存が可能であると証明できたときに、果断はさけなければならないが
むしろ反原発であるべきだろう
総じるところ、消極的な判断をするしかないというところだな
そもそも仏教は、社会運動を起こして政治を変えれば個人が幸せになるという考え方はしない
311神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:16:56.97 ID:UCyzzU/6
しかし、俺個人在家原理主義をつらぬいているわけじゃない
実際のところ、個人主義と社会主義と共同体主義の間を揺れ動いているというところだろう
312神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:17:59.22 ID:cuOtWP5e
>>306 >>307
原発問題と仏教か、難しいね。306さんの言うところも一理あって、
世俗が原発を使うことに積極的になってるとき、菩薩はそれを止めることはしないだろうね。
なぜかというと、無理に止めようとすると、それは争いになってしまうから。
じゃあどうするかというと、慈悲ある利他の実践をひたすらに続けて、
少しずつ、多くの人の心に仏法を宿していくという長い道を歩むことになる。
それがやがて、原発がなくても満足できる人々を増やして行くことになり、やがて、原発は絶たれていく。

もちろん、307さんの言うとおり、今の日本のお坊さんでは、難しいけど…。
313神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:21:23.57 ID:8kz83DuJ
>>307
仏教が抱える、一番の問題はそこさ。
Snダニヤの章の如くあることができないなら、
世俗や政治に対して、働きかけろ、とw
聖なる存在・聖なる領域、俗なる考え方とは一線を画すことをあきらめます。
世俗の価値観での順位付けを求め、或いは、その要求に従い、
世俗の価値基準で諸々を判断します、としなければならないのが、21世紀以降の仏教さ。

つまり、釈尊の命脈はとっくの昔に途切れてるのさw
上座部もチベットも例外じゃない。所詮世俗の政治的社会集団さ。
今現在、この世に、あなたが批判するような仏教は存在しませんよwww
どっぷり世俗的政治的仏教ですから。
314神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:25:29.62 ID:+q50yTZj
>>305

>私も元々科学者の一人です。

また言ってやがるわwww
おまえむかし真光の掲示板では「マーケティングのプロ」だとか
「宗教のプロ」だとかいろんなHN使っておんなじ語り口調で
聞かれもしねーのにその場その場でじぶんはナニナニだみたいに
「職業」語ってたよな(笑)
くせ治ってねーなwwwこの法螺吹きカルトがよwwwwwww
315:2013/09/14(土) 19:27:24.74 ID:cbP5LSqj
 
> 一在家さんがそう考えているのは、よく伝わってくるよ。
> ただそれだと、有為の存在の中にアートマンを説く外道と変わらなくなっちゃうよね。
> そして、涅槃を積極的に「有」と表現せず、「滅」と表現することの説明もつかなくなるね。

一在家さんの場合は

『 世俗の人にも仏性がある 』 という事を言いたいのかもしれもせん

( ↑ 間違ってたら スマソ 屮(_ ._)屮 )

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%80%A7

衆生に仏性があるという考え(如来蔵思想)が生まれた。

三因仏性

『大般涅槃経』獅子吼菩薩品に説かれるものを智が整合し確立した、成仏のための3つの要素を三因(さんいん)仏性という。

正因仏性(しょういん) - 本性としてもとから具わっている仏性のこと
了因仏性(りょういん) - 仏性を照らし出す智慧や、その智慧によって発露(ほつろ)した仏性のこと
縁因仏性(えんいん) - 智慧として発露するための縁となる善なる行いのこと

三因仏性は通常は智の説を指す場合が多いが、世親の『摂大乗論』や『仏性論』には次の3つを説き、これを三因仏性という場合もある。

自性住仏性(じしょうじゅう) - 本性としてもとから具わっている仏性のこと
引出仏性(いんしゅつ) - 修行により引き出されて露見する仏性のこと
至得果仏性(しとくか) - 上記の2つが仏果として完成し成仏して実った仏性のこと
316神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:28:02.70 ID:UCyzzU/6
市中の虎を求めたいところだな
317神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:28:34.21 ID:HEq5r5y4
>>310
君の個人的意見はスレ違いとしてバッサリ切ると、

>そもそも仏教は、社会運動を起こして政治を変えれば個人が幸せになるという考え方はしない

つまり、仏教は何も言わないっってことかw


>>312
>世俗が原発を使うことに積極的になってるとき、菩薩はそれを止めることはしないだろうね。
>なぜかというと、無理に止めようとすると、それは争いになってしまうから。
ほう、つまり、「世間が戦争やるぜ!」とか言ったら、止めないと?w
原発推進が間違った方向かどうかは置いといて、
間違った方向に進もうとしてても、争いになるからと、止めないのが、菩薩の立場なの?w

>じゃあどうするかというと、慈悲ある利他の実践をひたすらに続けて、
>少しずつ、多くの人の心に仏法を宿していくという長い道を歩むことになる。
>それがやがて、原発がなくても満足できる人々を増やして行くことになり、やがて、原発は絶たれていく。
抽象的すぎて、具体的になにをどうしてどうなるのか、さっぱりわからんなw
318神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:30:53.97 ID:8kz83DuJ
>>317
瑠璃王が釈迦族攻め滅ぼした時のエピも知らんのか・・・。
319神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:31:52.12 ID:HEq5r5y4
>>313
世俗的政治的仏教ならばこそ、仏教的な立場からの見解を表明せんと!

なんか、世俗的政治的仏教として、新しい教義をひねり出せんもんかね?w
320神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:32:43.29 ID:HEq5r5y4
>>318
釈迦は3度は止めたんじゃね?w
321神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:34:26.37 ID:8kz83DuJ
>>320
(よくある左巻きさんたちの如くw)
反対運動をしたか?
ってことだよw
322神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:36:24.45 ID:UCyzzU/6
>>318
おお!ぶっちゃけあれ悲惨だよねw
救いがねえわ
仏教信じて、無抵抗主義つらぬいたら殺されちゃった
でも、来世はいいとこ行ったんだぜ
瑠璃王は悲惨な末路をうけた、イエぇーってかんじだよね、現代人から見ると。

実際は、無抵抗主義つらぬいたとは思えないけど
つらぬいたとしてもさほど結果は変わらなかっただろうね。
この世は無常だよ。HDに溜め込んだエロ動画もクラッシュして消えるもんだ
ただそれを受け入れるしかあるまい。
323神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:36:54.96 ID:cuOtWP5e
>>315 ?さん
仏性を「仏のなるための種」のような意味でとると、
それはどんなに悪業を重ねても滅びることはないけど、
悟ったらなくなるもの、という意味では、アートマンとはちょっと違うよ〜。
無常でもなく、常住でもない…ただ、経典には常住と「説かれる」かな。仮設ってやつよ。
324神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:38:04.76 ID:HEq5r5y4
>>321
一応、仏教の立場から「争いってよくないよね〜」と止めたんじゃないの?
それと同程度の事はしてもいいんじゃないかって事さ
別に、原発の前でデモをしろとは言ってないよw

それに、表明しないまでも、仏教としての考え方ぐらいは明らかにしといた方が良いんじゃないかと思うんだが。
325神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:40:00.56 ID:b4utsWvn
>>312
原発の危険も克服できるとは、何故考えないのかね。文明の利器の発明、その
危険や弊害の克服が、人類の生存努力の歴史なのだが。

釈迦が現代に生きていれば、真っ先に最新医学や文明の利器を使うだろうw。
無我だの無だの悟りなど、用無しだw。2chに嵌って、宗教板で、宗教批判、
仏教批判をやってたことには間違いない。当時ですら、鬱病の苦悩感の最新の
治療法の開発者なのだから。

仏教とは、徹頭徹尾現実主義の宗教だ、という評価もあるよ。
326神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:41:21.06 ID:UCyzzU/6
原発は、悪そのものじゃないでしょ
そこが判断の難しいところだ
327神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:46:00.25 ID:cuOtWP5e
>>317
>間違った方向に進もうとしてても、争いになるからと、止めないのが、菩薩の立場なの?w

えーと、もちろん、「争いが終わりますように」って願いはあるよ?
ただ、武器を持って「 武器を捨てろ」っていう自己矛盾を犯さないのよ。

>抽象的すぎて、具体的になにをどうしてどうなるのか、さっぱりわからんなw

そう思ったなら、あなたは僕のレスをよく読んでいる証拠でしょう!
争わずに争いが終わるよう、武器を使わずに皆が武器を下ろす世の中にしていくのが菩薩だよ。
これ、日常生活で、周りの人に試してみると分かるけど、マジで難しい!
おっしゃるとおり、何をしていいかわからない。

それをやってのけるのが菩薩ですよ。般若・空性の智慧を使うんだね。
意味わからんかったら、レスくれれば追って説明します…。
328神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:50:08.17 ID:UCyzzU/6
守るものをどう立てるかってのが問題だよな、判断てのは。
守るものとは頼るものとも言えるから依存してしまうとダメなんだが。
329神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:52:34.16 ID:HEq5r5y4
>>327
>えーと、もちろん、「争いが終わりますように」って願いはあるよ?
願ってるだけかよw

>ただ、武器を持って「 武器を捨てろ」っていう自己矛盾を犯さないのよ。
なんで、止める方法が武器を持っての強迫になるんだw
普通に、説法して相手を説得するとかの道はないの?


>おっしゃるとおり、何をしていいかわからない。
なるほど、言ってる本人が解ってないんじゃ、分かるわけないわなwww
330神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 19:56:09.61 ID:UCyzzU/6
まあ、あまり過度な期待はしないでください、ってことだな
331神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:02:56.03 ID:cuOtWP5e
>>329
>なんで、止める方法が武器を持っての強迫になるんだw
>普通に、説法して相手を説得するとかの道はないの?

ああ、ごめんごめん、武器は、相手を傷つけるような言葉って意味も含めて、ね。
たとえば、「傷つけるなよ」と言っても、この言葉自体が相手を害する縁(場合)ならば、
この言葉は菩薩によっては使われない。

>なるほど、言ってる本人が解ってないんじゃ、分かるわけないわなwww

いや、わかるよ。
http://www2.odn.ne.jp/~chr58670/zen_short.html
この妊娠のお話しとか、いい例だと思う。
武器を使ってないのに、相手は武器を降ろして、懺悔して、心が清まってる…ハンパない。
332神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:09:45.26 ID:HEq5r5y4
>>331
ほう、例えば、呼吸は酸素を吸って二酸化炭素を吐きだすと言う相手に対して害を与える行為なんだが、菩薩さんは呼吸しないのかい?w
冗談はさておき

ベランダから植木鉢が落ちるのが見えたとしよう。
その真下には人が居る。
飛びついて押しのければ助けられるだろうが、その時に擦り傷を負わせてしまうかもしれない。
よって、放っておいたら、その人は死んだ

どっちにしろ傷がつくなら、より傷が少ない方を選択するもんだと思うんだが、仏教では違うのかい?

>いや、わかるよ。
わかんねえw
それを原発の問題に落として、具体的にしてくれよ
333神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:13:00.39 ID:8kz83DuJ
>>324
個々人は明らかにしてるよ。
日常での会話でもね。(だって、ほとんどの人はメディアとは関係ないものw)
つまり、
積極的な行動
(省庁へ趣意書を持ち込む・ブログを作成し且つそこで発言する
 ・周囲の同趣旨グループの(幽霊)メンバーとなる・周囲の運動者へ応援メッセージを送る、等)をしない限り、
君の要求は満たされない。

個々人の見解と宗門の見解は別物さ。
たとえ上座部でもね。

そうそう、スリランカでは僧侶の議員も居るとか居ないとか・・。
ま、あっちは王権とセットの歴史だから別物だけどw
334神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:13:14.76 ID:cuOtWP5e
>>329
もちろん、説法も手段の1つだよ。
ただ、害さずに相手を導くってのは、たぶん血の滲むようような努力がないと無理。
言葉を発しながら、瞑想状態が続いてるようなもんだから…。
相手を変えようと思うと、まず言葉の中にエゴが出てくるから、それだと「法」じゃなくて「業」になっちゃう。

で、法を示す手段は、言葉に限らず、行いによることもできるってことね。
友人に酷いことをしてしまった、もうきっと彼は僕に失望しただろう、
そう思っていたのに、友人はそのことがなかったかのように、
今まで通り接してくれたとしたらどうだろう、人によっては、一気に清まりそうだね…。
自分の為した悪業を見つめ、反省したり…。
335神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:17:26.61 ID:8kz83DuJ
この話題も何度かあったな・・・w いつ頃だったかね・・・・。
336神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:20:14.27 ID:wvL7asOi
>>326
悪そのものです。

なぜかと言えば、>>260
悪とは、>>237
337神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:21:48.86 ID:HEq5r5y4
>>333
>個々人は明らかにしてるよ。

うん、その「個人的見解」を知りたいんだw
知っているなら、ぜひ教えて下さい m(_ _)m
特にその見解が、「仏教のどういう教義から、どう判断したのか。あるいは、仏教を離れた一般人としての意見なのか。」という部分を。


>積極的な行動をしない限り、 君の要求は満たされない。
いやべつに、仏教が積極的に行動しろと要求してる訳じゃないんだよw
>>324 でも言ったが、その坊さんが積極的に行動するかどうかは二次的な問題だw
ただ、世間一般のイメージとしては、坊さんってのはより平和な世界を求めているんじゃないかと思っているだけで。

>個々人の見解と宗門の見解は別物さ。

ついでに、「宗門としての見解」も知りたいな。
それこそ、どの宗派がどう考えてるかなんて、部外者にゃ全然わからんw
338神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:23:57.00 ID:cuOtWP5e
>>332
>ほう、例えば、呼吸は酸素を吸って二酸化炭素を吐きだすと言う相手に対して害を与える行為なんだが、菩薩さんは呼吸しないのかい?w

呼吸でさえ、他者のためなんだろうね。
一切衆生のために、この体をつき動かしてくれる原動力として酸素を頂戴します、的な。

>どっちにしろ傷がつくなら、より傷が少ない方を選択するもんだと思うんだが、仏教では違うのかい?

もちろん、仏教でも、傷つけるのが避け難いときは、より少ない方を選択するよ。
指を毒蛇に噛まれたら、毒が回るより指を切り落とした方が良い、っていう喩えもあるしね。
別の観点からいうと、仏法は人々に「気づき」を備えさせるから、
落ちるところに植木鉢を置く行為や、危険な場所にいく行為を防ぐことには繋がるかな。

>それを原発の問題に落として、具体的にしてくれよ

基本的に、日常の身の回りの、縁のある人を利益して、
それが良い縁起を生み出して行くっていう流れを作るから、
一足飛び脱原発にまではどうかなぁ…。
ただ、分かるところでいえば、「原発は100%安全です」といった嘘をつく人は、
世の中で減っていくだろうね。まあ、そういう人は政治的な仕事につかないのかもしれないけど…。
339神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:24:01.11 ID:HEq5r5y4
>>334
つまり、「めんどくせえから動かねぇ」って事かい?w
340神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:28:26.03 ID:HEq5r5y4
>>338
>もちろん、仏教でも、傷つけるのが避け難いときは、より少ない方を選択するよ。
なら、なんで原発に対しては何もしないんだい?
何も言わずに黙っている方がより少ないと判断したから?

>基本的に、日常の身の回りの、縁のある人を利益して、
>それが良い縁起を生み出して行くっていう流れを作るから、
>一足飛び脱原発にまではどうかなぁ…。
まだ抽象的すぎて何言ってるのかわかんねw

>ただ、分かるところでいえば、「原発は100%安全です」といった嘘をつく人は、
>世の中で減っていくだろうね。まあ、そういう人は政治的な仕事につかないのかもしれないけど…。
減らねえだろw
何しろ汚染水ダダ漏れの状態なのに、「完全にコントロールしてます!」とか言っちゃう人が首相なんだからw
341神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:28:25.78 ID:UCyzzU/6
>>336
悪ってなんなんだろうな
仏教では十悪を置いている
それ以外に悪を定義することを恐れたのではないかな
342神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:29:10.21 ID:wvL7asOi
悪とは、人間が発展するのを妨げる行為=悪です。
343神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:29:29.42 ID:8kz83DuJ
>>337
頭悪いなw

100人居たら100通りの見解、ってことさ。

で、宗門のスタンス(距離感)は、チベットの件のときの声明通りだよ。あれ以上でもあれ以下でもない。

それを、「個人的推測で」「仮定してみれば」
《原発が、環境や将来に対して良くないのは事実ですね。無くなってゆく方向で努力しましょう。
 ただ、いきなり全廃だと、種々生活に困る人、今現在のエネルギー事情からも不可能でしょうから、
 依存を少なくする方向を目指しましょう》
しかないだろうよ。 (それこそ四弘誓願の如くwwwww)
344神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:30:12.53 ID:UCyzzU/6
>>340
なんか愚痴なってるぜ?
仏教的な判断の外の話題は自重してくれよ?
345神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:31:46.01 ID:UCyzzU/6
>>343
うーん、四弘誓願を勘違いしているわ
自己の欲求をみたすために仏教を利用するのはやめてくれ
見てて耐えられんわ
346神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:39:10.59 ID:HEq5r5y4
>>343
頭悪いのは認めるww

>100人居たら100通りの見解、ってことさ。
そんなのはわかってるさw
「個人の見解」なんだからw
いやだからさ、その100通りの見解が、僧侶として仏教の立場から導かれたものなのか、仏教を離れた一般人としてのものなのかを聞いているんだがw
そのうえで、仏教の立場からの見解をいう人が居るなら、どうしてその見解になったのかを聞きたかったのさ。

>それを、「個人的推測で」「仮定してみれば」
>《原発が、環境や将来に対して良くないのは事実ですね。無くなってゆく方向で努力しましょう。
> ただ、いきなり全廃だと、種々生活に困る人、今現在のエネルギー事情からも不可能でしょうから、
> 依存を少なくする方向を目指しましょう》
>しかないだろうよ。 (それこそ四弘誓願の如くwwwww)

で、それはどっからどのようにして出てくる意見なの?
347神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:40:31.22 ID:UCyzzU/6
>>343
ごめん、相手勘違いしてた、よく読んでなかったわ
かやの外にされたさびしさのせいだと思って許して
348神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:41:27.31 ID:cuOtWP5e
>>339
>つまり、「めんどくせえから動かねぇ」って事かい?w

慈悲があっても、智慧がなくて、動きたくても動けないってことなんだろうね。
たとえば、100種類の言葉があったとしよう、目の前の複雑すぎる状況を利する言葉は、
その中からたった1つだけだとしよう…
この状況で、いつもベストな言葉を出していくのが、釈尊とか観音さんなんだろうね…。

で、それができないときは、沈黙という道を行った方が、マシってこともあるのよ。
もちろん、それで諦めるのではなく、日夜たゆまず、六波羅蜜の修行で智慧を獲得していくの。
349神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:47:31.72 ID:cuOtWP5e
>>340
>なら、なんで原発に対しては何もしないんだい?
>何も言わずに黙っている方がより少ないと判断したから?

これについては、>>348で言ったとおりだけど、
たとえば菩薩が首相とかと話す機会があり、法を説く機会があれば、
そして、首相に仏法を受け取る器があれば、首相が法に目覚めて、
原発に対して最善の手を打つ、ということもあり得るかな。
すると、支持率は下がり、辞任するという結果もあり得ると思うけど…。


>減らねえだろw
>何しろ汚染水ダダ漏れの状態なのに、「完全にコントロールしてます!」とか言っちゃう人が首相なんだからw

ああ、ごめん、菩薩によって仏法が広まって行けば、って話だよ。
350神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:48:11.86 ID:HEq5r5y4
>>348
完璧主義者で失敗するのが怖くて何もできない人かよw
それが仏教なのか
誤解される危険を冒してでもより大きな危険を招かないようにしようと考える一般人とは、違う感性なんだな
351神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:51:49.75 ID:UCyzzU/6
関係ないんだが、裁判官は科学的なことについての判断は専門家じゃないので避けるみたいだな
結局は専門家の判断を尊重するわけだが、その専門家に意見の異同がある場合
判断を留保して、最終的な社会的な相当性で判断するのだろうね
352神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:55:13.28 ID:HEq5r5y4
>>348-349
つまり、スーパーマンが解決してくれるのを期待してて、
スーパーマンじゃない君は、何もしない方がマシだと思って黙っていると?
で、スーパーマンになろうとして努力はしていると。

どこか他人事で、気の長い話だなw
353神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 20:57:57.11 ID:UCyzzU/6
それは逆恨みってもんですぜ
354神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:00:24.94 ID:cuOtWP5e
>>358
>完璧主義者で失敗するのが怖くて何もできない人かよw
>それが仏教なのか

説明するって難しいなぁ…こういう風にとられちゃうのか…

>誤解される危険を冒してでもより大きな危険を招かないようにしようと考える一般人とは、違う感性なんだな

うーん、いや、菩薩が必ずしもそのような行為をしない、ということをいう気はなかったんだが…。
355神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:04:28.29 ID:HEq5r5y4
>>354
いや、菩薩さんと言うスーパーマンが存在したとしたら、人々の救済を行う事は理解したよ?


ただ、現実にそんなスーパーマンが現存するのかどうかは気になったがw
356神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:04:29.16 ID:8kz83DuJ
>>352
>他人事で、気の長い話

その通りだよ。
そこにこそ、仏教の仏教たる所以があるw


>>345
マジで頭悪いなw

四弘誓願の内容、誰が実現できるんだ?
どのくらいのスパンで実現できるんだ?
予備校一年通って志望校合格!みたいに考えてんじゃねーだろうな?w
357神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:04:32.06 ID:wvL7asOi
仏陀生存時は宇宙観が今とは違ったものだったでしょう。
死後の世界とか輪廻転生を肯定している人達も現代に生きている以上、今の宇宙観と
いうのは共有していると思います。
仏陀の説く神秘主義的思考も宇宙規模の中では米粒程度の大きさもありません。

しかし、その仏陀の教えが今もって人々の関心を受けているのは、仏陀の生き方、考え方
に共感する人間が多いからだと思います。
人間の発展に寄与するのは善であるので、彼の教えはまさに善です。

神秘主義に傾いて、その立場こそ仏陀の真の教え〜と説くのは悪でしょう。
なぜなら、人間の発展にブレーキをかけるか、よくてもプラスマイナスゼロで意味無しだからです。
358神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:06:09.84 ID:cuOtWP5e
>>352
沈黙について話を掘り下げてるなら、結構、沈黙も難しいものだよ。
揉め事があると、すぐに意見したくなったりとか、誰しもあるでしょ。
あんがい、押し付けがましかったり、余計なお世話だったり。

>どこか他人事で、気の長い話だなw

いや、菩薩はひたすら自分事だよ。
なんせ、「お前のせいだ」的な言葉をすべて封印してるんだから…。
気の長い話ってのは間違いないw
逆にいうと、多くの人は気の短い話に期待しすぎて、争いが絶えないという言い方もできるかな。
359神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:07:48.31 ID:UCyzzU/6
なんつーか、絶対的正義を信じる人たちは手に負えないよな
その調子でがんばってくれとしか言えないわ
360神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:08:48.59 ID:HEq5r5y4
>>356
>その通りだよ。
>そこにこそ、仏教の仏教たる所以があるw

なるほど。それが仏教か。
361神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:10:36.27 ID:UCyzzU/6
言葉には文脈がある以上、悪意をもって受け取ろうと思えば受け取れる
だがそこに真の対話はないよ、不毛だ
362神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:12:00.41 ID:HEq5r5y4
>>358
>いや、菩薩はひたすら自分事だよ。

いやいやw
「菩薩さんが他人事だと思っている」とは言ってない。
「他人ごと」なのは、「君のスタンスが」だよw
363神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:12:19.02 ID:8kz83DuJ
>>346
>どっからどのようにして

明言されていない以上、仏典の各種記述から類推することになるわけだが、
釈尊自身、及び各弟子達の言動を集約し俯瞰し、関連要素を抽出すれば、
最大公約数的にそうならざるを得ない、ということ。
&現在の社会情勢、世論、世間の目に対する組織としての公式発表が、
伝統的教義の範囲内でどこまで踏み込めるか、
を考えれば、それしかない、ってことさ。
364神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:12:27.45 ID:cuOtWP5e
>>355
>ただ、現実にそんなスーパーマンが現存するのかどうかは気になったがw

それは…。

ただ言えることは、本当に危機的な状況になると、現れる、かもしれない。
十住ビバシャ論に、仏法が滅びそうになる危機で菩薩に目覚めることがあるって書いてあった。
泳ぎ方を知らない人が嵐の海に投げ出されて、「泳がないと死ぬ!」って状況になったら、
普段、引き出せなかった力を出して泳ぐ人もいるかもしれない、みたいな感じ。
365神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:15:53.61 ID:HEq5r5y4
>>356

>>345は俺じゃないぞw

で、
「環境や将来に対して良くない物は、無くなってゆく方向で努力しましょう。」
ってのは、仏教的教義からでる見解なの?

ちなみに、「良くない」ってのの判断基準は、「自分にとって良くない」なの?
366神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:16:01.20 ID:cuOtWP5e
>>359
だよね。それを手放せるようにしてくるのが、仏教なんだけど、
仏教もとらえかたを間違えると、その絶対正義みたいになるから。
いつも、自らが握りしめた武器をへし折って行く弛まぬ努力が必要なんですな…。

>>362
>「他人ごと」なのは、「君のスタンスが」だよw

それは、壮大にさーせんwww 否定しないw

だって、菩提心おこすってムズイっすよ先輩…先輩も一緒に頑張りましょうよ…w
367神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:18:04.65 ID:UCyzzU/6
>>365
ですよね・・・。すまぬ
368神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:22:20.80 ID:UCyzzU/6
>>365
後段読んでなかったわ
そもそも問題意識がちがうんだよ
教義にあるないという話ではなくて、そもそも環境悪についての考慮がない。
守備範囲外なんだよ、レフトあたりにとってもらう打球なんよ

そもそも一個人として、原発は環境にとっての悪とは絶対とは言えないと思うし
369神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:22:28.90 ID:HEq5r5y4
>>363
そりゃ、釈尊在世中には原発なんか存在しなかったから、類推するしかないわなw
ただ、最大公約数的にはそうなるだろうな〜とは俺も思うんだが、
具体的に「〜〜〜という記述があるから〜〜」みたいな類推の根拠となりうるものは無いもんかね?
370神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:24:41.33 ID:HEq5r5y4
>>364
夢のある希望的観測だなw
371神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:25:11.57 ID:UCyzzU/6
お釈迦様、俺痔なんですけど、お医者さんにぬりぐすりもらったんですが
これつけていっすかね?

お釈迦様「いんじゃね?」

こんな感じだろ
372神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:27:50.56 ID:8kz83DuJ
>>365
>仏教的教義からでる見解
そりゃそうだろw
七仏通戒偈の通りだwww

>「良くない」ってのの判断基準は
「この場合」生態系全体(或いは人類の未来・子孫の負担で)、だろうよ。

で、(ここが重要なところだがw)
なぜ、仏教が世俗と一線を引くか。
今君がしたような問いに、具体的答えが無いからだよ。
ケースバイケースで、場合によっては180度違う答えがありうるからだよ。
つまり、≪【誰にとって】良いことなのか?≫が問われるということだ。
この 【誰にとって】が、世俗的な価値観、基準、事情情状に依存するわけさ。
だから、他人事でなければならないのさ。

ちょっと難しいかな?w


>>369
>具体的に「〜〜〜という記述があるから〜〜」みたいな類推の根拠と
瑠璃王の件じゃ不足か?w

つか、
隠居は真逆の受け止め方をしてるがw、(&日本仏教でマイナーどころか無名なのが実に惜しいがw)
Snダニヤの章に尽きてるんだけどな・・。仏教のスタンスは・・・。
373神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:29:46.20 ID:wvL7asOi
>環境にとっての悪
よく、この「環境」という言葉を使った意見を見ますが、所詮人間中心思考の産物ですよ。
人間が、今現在持っている核兵器全部ぶっ放して、地球をぶっ壊しても、宇宙規模でみれば
何も起こっていないに等しい。

結果、人間が居なくなるだけです。
「環境」という言葉を正確に言えば「人間が快適に生き続けられる環境」で狭い意味しかない。
「地球に優しく」なんて馬鹿な言葉も散見しますが、まさに人間の立ち居地を念頭に置かない馬鹿発言です。
374神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:31:59.80 ID:8kz83DuJ
ああ、一番直近のこの話題は、
サロメが来てたときの、「上座部僧侶によるデモ扇動」の件だったなw
375神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:33:30.84 ID:UCyzzU/6
あれは、僧の個人による運動か、為政者としての運動ということだったはずだが
376神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:34:38.10 ID:HEq5r5y4
>>372
なるほどねー
仏教のスタンスは大体わかった
ありがとう
377神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:38:48.64 ID:8kz83DuJ
>>375
サロメは、それは
「サンガに歯止めがない」か、
「サンガ自体が、当該運動を支持している(→政治的見解を有し・その実現へ向けて活動する)」か
どちらかでしか、あのような事象は起きないのでは?
と言ってたぞ。

つまり、現行上座部は政治に干渉している、と。
それは、(律はともかくw)戒に抵触しないのか? と。
378神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:41:15.26 ID:UCyzzU/6
>>377
俺個人の意見として言わせてもらえば、いただけないなと思わざるをえんよね
なんで僧やってすか?ってかんじですよ
379神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:44:20.33 ID:UCyzzU/6
ちょっと言葉がすぎたかな

ところで、すみませんでした。
俺が書き込みしたせいで、熱が入ったと思われるから。

でも、それなりによかったのではと。
380神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:45:56.87 ID:T9e6Uaux
改ざん場所教えてね、うんちが好きな、崇教真光陽光子の
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

602神も仏も名無しさん []2009/04/08(水) 22:23:37ID:BXVXYOWL
全結○型ヒルシ○っ子で軽度○的障害を併せ持つ○子との日常の記録・・・

↑記録つけてる?wババアは息子のウンコ積み上げてんの?w

646神も仏も名無しさん []2009/04/11(土) 22:28:39ID:arzHnLkA
夢がMORIMORIからね!

♪うんこもりもり! うんこMORIMORI〜
 ひるーちゅ漏らしてる〜w

 おけつベタベタ! うんこBETABETA〜
 もーったいなーいから〜舐めてるぅ〜w ウマウマ!
381神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:46:45.05 ID:8kz83DuJ
>>378
で、今度はチベット(やウィグル)の問題になるわけさ。
(で、この話題になると、じゃあアイヌの問題はどうなんだ?って野次もセットで沸いて来るけどw)

究極で言えば、勿論(因果なのであろうから)滅びてもやむなし、なんだろうけどwwwww
382神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:47:54.15 ID:T9e6Uaux
2CHで身障者の替え歌UPした行為と変わらんな。
民度が低いよニコニコ陽光子。

病身舞(ピョンシンチム)
http://www.youtube.com/watch?v=i86fiRjvafk
383神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:54:17.48 ID:T9e6Uaux
崇教信者による「障害者も中傷替え歌」の書き込みを写したもの。
(原文のままで、過去ログから抜粋したもの)

身障者の息子さんを数年にわたって中傷替え歌を晒した、
朝鮮人みたいな卑劣な行為。
とても、宗教者や日本人にはできない魂の曇りを積む行為ですからね。

http://art47.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/104622079_org.v1319108072.jpg
http://art29.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/104619668_org.v1319106960.jpg
http://art59.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/92604410_org.v1315723270.jpg
http://art54.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/98163885_org.v1317892235.jpg
384神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 21:59:52.09 ID:T9e6Uaux
36神も仏も名無しさん []2008/12/16(火) 21:35:53ID:6Xs/KXIr
ポッキーCM、おしゃれ番長よりw

♪ひるしゅむ〜すこ〜  た・だ・の・あほ〜
 からすの腐れまマーン お・け・つ・がパイナポ〜w

 ひるしゅむ〜すこ〜  ち・え・お・くれ〜
 からすのざいえでー  ア・ナ・ル・がパイナポ〜w
385神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 22:02:50.01 ID:T9e6Uaux
その中の竹内古文献には「鵜葺不合皇朝[うがやふきあえず(神倭朝以前の皇朝)]
第三十八代神足別豊鋤天皇(かんたるわけとよすき)の御宇(みよ)、
イスラエルの王モーゼ来る。天皇親しくこれを教う。帰るに臨み天皇モーゼに勅して曰く
『汝モーゼ、汝一人より他に神なしと知れ』と……」
386神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 22:41:07.77 ID:ySUrIhiw
まだこのスレ続いているんか…ビックリやな!
387神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 22:51:06.29 ID:8kz83DuJ
ここが一番懐深いからなw
敷居の低さが売りのスレ。 (誰?そこで、寧ろ高いだろとか言ってる奴!表出ろw)
388前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 22:54:11.78 ID:Pbs01vH6
>>234 一在家
> 視点を変えると有為で無常、また視点を変えると無為で常住、仏は両方の視点を
等しく、バランス良く(中道)持つのではないでしょうか。

>>308 親切僧氏
>ただそれだと、有為の存在の中にアートマンを説く外道と変わらなくなっちゃうよね。
>そして、涅槃を積極的に「有」と表現せず、「滅」と表現することの説明もつかなくなるね。

>>315 ?氏
>『 世俗の人にも仏性がある 』 という事を言いたいのかもしれもせん

涅槃を「滅」という表現するか「不生不滅」と表現するかという点がポイントです。

有為、作られたもの、「現象界」は無常に見えますが、同時に無為、作られざるものは常住不変
で、仏はその両方を見ているという感覚ですね、譬えますと。

「感興のことば」26.21
「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
 作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」

法華経の如来寿量品
訳1「仏の目から見た本当の世界は、このように不滅常住であるにもかかわらず、
  衆生の目にはこの世界は大火に焼き尽くされているように見える。」
訳2「私の住んでいる仏土は、このように壊れることはないのですが、人々は、
  この仏土が焼け尽きて見える。」
389神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 22:57:45.52 ID:8kz83DuJ
ところで・・

 >>378
 >なんで僧やってんすか

それ、日本仏教界への台詞?w
390神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 23:10:29.52 ID:wvL7asOi
「地球に優しく」=「人間に優しく」
「環境」=「人間が快適に生存できる環境」
と言い換えるべきですねw
391前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 23:12:18.77 ID:Pbs01vH6
>>386
>まだこのスレ続いているんか…ビックリやな!

他称「輪廻スレ」ですので、同じような議論を繰り返しているようです。
でも解脱した住人も何人かおられます。

>>387
>ここが一番懐深いからなw

「深い泥の中のドジョウ救い」に譬えますと、現代の菩薩達も無視できないのかも。
住人の誰かの迷いはその何倍ものROM者の迷い。。適切なかきこで迷いが晴れれば
このスレを解脱する住人達を生むでしょう。

「再びこのスレに戻ることはない」ってね。
392神も仏も名無しさん:2013/09/14(土) 23:15:07.07 ID:wvL7asOi
そういう意味では、地球は母なのです。
人間の母は地球です。

人間が死ぬのは母に戻るだけ。
母に戻って、母から生まれる〜
私の言っているのは輪廻転生じゃないですよw

人間が核兵器で地球をぶっ壊すのは母を殺す〜って事で
人間の自分自身も無くなります。
393前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/14(土) 23:45:40.35 ID:Pbs01vH6
>>390
>「地球に優しく」=「人間に優しく」
> 「環境」=「人間が快適に生存できる環境」

地球温暖化→異常気象→飢餓のサイクルが年々科学的にも明確になり欧米各国はグリーン・エネルギーへと大きく舵を切りました。
21世紀は石油会社やガス会社まで太陽光発電事業を開始しております。

そのような時代の潮流の中で、広島・長崎・福島と3度も放射能をかぶった国のトップが他国に原発をトップセールスしております。
このカルマは日本国民が刈り取らねばならないのが因果の法でしょう。

因みに因果の法は異教のイエスも「悪い実には悪い果」、「自分で蒔いた種は自ら刈り取る」と説いております。
394財務省解体論:2013/09/15(日) 00:40:27.59 ID:OCQ4/qjY
因果関係は縁起の現実であって、
現実そのものにイイもワルイもない。

イイ・ワルイは人間の勝手な共同幻想または個別的相対分別評価でしかない。

『安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
      ──このような人がまさにその故に<道の人>と呼ばれる。』(Sn.520)
395:2013/09/15(日) 01:11:18.65 ID:6tU9Cy5y
 
>>388 前世は一在家さんへ
>> 『 世俗の人にも仏性がある 』 という事を言いたいのかもしれもせん
> 涅槃を「滅」という表現するか「不生不滅」と表現するかという点がポイントです

我愛を滅させる方法によって
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に

無我、無我所を得て、智慧を決定することができたのなら
因と縁の依存から解脱して 『 不生不滅に至る 』

ということかもしれません


涅槃(ねはん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83
漢訳では、滅、滅度、寂滅、寂静、不生不滅などと訳した。
サンスクリットでは「廻って」という意味の接頭辞 pari- を冠してパリニルヴァーナ、
更に「偉大な」という意味を付してマハーパリニルヴァーナともいわれるところから円寂、大円寂などと訳された。
396神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 01:17:29.39 ID:7GHuQXkF
トリチウム濃度上昇5日間で36倍 東電「15万ベクレル検出」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130914-00000536-san-soci

これで、原発大丈夫〜なんて言えないな。
397神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 02:07:28.86 ID:sUvsl9T7
オヤジ涅槃で待っている

           沖 雅也
398神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 07:25:31.81 ID:e/JeApUo
>>388 一在家さん
そちらの感興の言葉と法華経を見ても、「出離」とか「有為から解脱」とか、
「仏の目から見た本当の世界」とか書いてるある通りだよ。
どちらも同じ世界を見てるんだけど、無明の凡夫は一切が燃えている(諸行無常)と見て、
無明を滅した仏は一切は燃えていない(涅槃寂静)として見てるってこと。どちらも同じ「一切」の話。
無明あるとき行あり、無明ないとき行なし、です。

> 視点を変えると有為で無常、また視点を変えると無為で常住、仏は両方の視点を
等しく、バランス良く(中道)持つのではないでしょうか。

まあ、この言い方なら、合ってるかな。有為の見方を世俗諦で明かし、無為の見方を第一義諦であらわすんだね。
399前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/15(日) 07:56:37.21 ID:fgqSTBpv
>>395 ?氏
>因と縁の依存から解脱して 『 不生不滅に至る 』

因と縁の依存から解脱して『 不生不滅に気付く 』と私は言いたかったようですね。

>>398 親切僧氏
>どちらも同じ世界を見てるんだけど、無明の凡夫は一切が燃えている(諸行無常)と見て、
> 無明を滅した仏は一切は燃えていない(涅槃寂静)として見てるってこと。どちらも同じ「一切」の話。

言いたかったことを上手く表現していただいてサンクスです。
400邪世俗解体論:2013/09/15(日) 09:34:33.50 ID:OCQ4/qjY
>>126で紹介された論文<幻の本質−中観荘厳論63偈>にはかなり問題があるのだが、
誰も触れようとしないんだね。

ま、いいかw
401神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 12:44:44.50 ID:tC9AHzIz
>>394
死ねば、苦しみも喜びも「感じない」。生者が死後を語るのは無意味。
402神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 14:30:13.01 ID:BpunAlEd
>>236
>視力がある事実は消せます。

これが消せるのは、現に今、視力の働きがそこにあるからですよね?
つまり、視力の働きが継続してる・・・・  時間的に、視力の働きが分断してるわけじゃないです。
視力の働きが過去のものじゃない。  今、ここに、視覚文字を認識するのに、現に視力の働きがある。
だから消せる。
一方、マラソンのスタートは、3000m地点には存在しません。
3000m地点の苦しみを、今ここに、スタート地点が継続させている・・・、ということはありません。
スタート地点がなくても、3000m地点の苦しみは存在出来ます。
また、起きた苦しみを次の未来で消せるというなら、12縁起にも同等に設定しないと いけません。
つまり、「老死」 の苦しみを、医療、科学で克服できる・・・ ということになります。
「老死」 とは限らず、すべての苦しみを、科学で克服できることになります。
でもそんなことはありません。
人間として生まれている以上、苦しみがあるのはサガです。
だから、12縁起と同等の設定をするなら、受験に失敗して苦しみを受けるのはその人のサガということになり、
マラソンの苦痛も克服できないサガとなります。
で、それらを元に戻って消そうとする場合、時間的に分断されていて、継続性のないものだったら、
その 「元」 は今ここにないわけですから、消せません。
マラソンによる苦しみは、スタート地点に依存しません。
受験失敗による苦しみは、一番 最初の 「試験を受ける」 という原因に依存しません。
ここでいう 「依存」 とは、「それがなくても存在できる」 ということです。
継続性があるからこそ、今ここにその 「元」 があるわけで、その 「元」 があるからこそ、
立つことができるのです。
403神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 14:33:02.43 ID:BpunAlEd
>>236
たとえば、「水車で麦をひいていてる」 とします。
川の流れを堰き止める板を外す →  水が流れる → 車輪が回る → 麦をひく   という構図があるとします。
「板を外している」 という原因がつづかなければ、その後のすべての動きは止まります。
「板が外れている」 という原因は、麦を引く現在にも継続しています。
水の流れも、車輪の回転も、麦をひく現在に継続しています。
ようは、「板を外れ ている」 「水が流れている」 「車輪が回っている」 「麦をひいている」 ということが、
縁りて生起している・・・ ってことです。
もし、過去のカルマによって、今の苦しみがある、というなら、今の苦しみは過去のカルマに触れている・・・ 縁っている・・・ 
触れていることで、苦しみが継続している・・・ ということになります。
「板を外す」 という行為が、「麦を引く」 場所にあるわけじゃない。
「水の流れ」 というものが、「麦を引く」 場所にあるわけじゃない。
「板を外しつづける」 ということが、 「水が流れ続ける」 ということが、「麦をひく」 という動きを支えているんです。
だから、「板を外す」 ことをやめれば、他の支の動きも、止めることが出来る。
逆観が成立するわけです。
「板を外した」 という過去の行為、「水が流れた」 という過去の流れ、「車輪が回った」 という過去の動き
こういう風に捉えると、時間によって各々の動きを分断することになり、逆観が不可能になります。
すなわち、「麦を引くところに、水の流れや板の開門は見当たらない」 ・・・と。
404神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 15:04:55.75 ID:sUvsl9T7
崇教真光組手の書き込み、身障者を嘲笑うなんて朝鮮人みたいに非人道的!

169神も仏も名無しさん []2009/01/11(日) 23:25:55ID:1HYMUwyZ
北斗の拳の愛をとりもどせからねw

♪YOUはSHOCK! ひるちゅーうんこ漏らしてる〜
 からすショック! 知能ー指数ーななじゅうーに〜

 あーついうんこースートマで塞いでも〜今は無ー駄だっよー!
 邪魔するやーつは指先ひーとつで〜ダウンさーーー!!

 機ー械のアナル護るためー ババアは旅立つ〜〜
 アーーーナルッ取り戻せ〜〜w
405神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 15:07:42.94 ID:C1M1moD/
道元は、
薪は薪、灰は灰。前後際断せり。
と言ったとか言わないとか・・。
406神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:07:56.88 ID:KvEBlbNF
>>405
道元は、中論の直系。道元読めば、釈迦カルトなど吹っ飛ぶ。だからカルトは、
中論と道元には近寄らない。
407神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:17:37.86 ID:sUvsl9T7
664 :神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:06:36.32 ID:fgqSTBpv
>>661
>キリスト者なら、マザーテレサを目指そうよ!

本当のクリスチャンならば、真のイエスの教えを探そうよ!

近年、二ケーヤ公会議以降に焚書された原始キリスト教関連文献が続々と「復活」しております。
死海文書、ナグハマディ文書、マリアの福音書、ユダの福音書、等々。。神の意思でしょう。


665 :神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:16:34.42 ID:sUvsl9T7
>>664 ID:fgqSTBpv、名無しで出てくなくていいよ、文面で分かるから!

399 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/15(日) 07:56:37.21 ID:fgqSTBpv

イエスは、人生の信仰の対象ですよ。
ナースを目指すならマザーテレサだと思うよ!
ナースコールを考案したり、現代の看護システムの基盤を作った方ですから!
408神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:24:37.58 ID:KvEBlbNF
>>407
他の宗教でも、イエスの影響を受けると例外なくカルト化しているのが実情。
日本のカルトの源泉である大本がその典型。真光も大本系。
409408隠居神降臨すっ!:2013/09/15(日) 16:28:52.94 ID:8wNT01on
隠居神の脳に反する者は全てカルトであーーーーる。
410神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:31:57.53 ID:XYq0XfTo
犯罪行為を推奨する宗教なんて信じる人間にも欠陥があるね。
411神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:34:17.21 ID:fgqSTBpv
>>404 名前:神も仏も名無しさん :2013/09/15(日) 15:04:55.75 ID:sUvsl9T7
>崇教真光組手の書き込み、身障者を嘲笑うなんて朝鮮人みたいに非人道的!

キリスト教板では真面目な書き込みをしている貴兄が仏教板に真光板を貼り付けないように。。
412神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:43:06.01 ID:6tU9Cy5y
 
> オヤジ涅槃で待っている
> 沖 雅也

華厳の滝(けごんのたき)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E6%BB%9D

明治36年(1903年)5月22日
一高生の藤村操がこの滝の近くにある樫の木を削り
「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残して投身自殺した

藤村操の遺書

悠々たる哉天壤
遼々たる哉古今
五尺の小躯を以て比大をはからむとす
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ
萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る
既に巌頭に立つに及んで
胸中何等の不安あるなし
始めて知る
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを
413神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:59:53.76 ID:6tU9Cy5y
 
>>399 前世は一在家さんへ
>> 因と縁の依存から解脱して 『 不生不滅に至る 』
> 因と縁の依存から解脱して 『 不生不滅に気付く 』 と私は言いたかったようですね

輪廻から解脱して 『 不生不滅 』 に気づく為の方法は?

    ↓

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html

輪廻を土台として
輪廻を前提として
この輪廻から解脱する為に

無我・縁起・空・を観察する為の練習が必要です

禅定に入ろうとする人は
吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます

一切の有情には仏性があるといわれる、解脱すれば仏だという

しかし 『 解脱すれば仏だ 』 と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しい

悩み怒り悲しむことのできるもの、迷うものだけが、気づくことができる
悩み怒り悲しむ心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを理解することができる

悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、慈悲の心を持つことができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを解脱に導くことができる
414神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 17:14:14.90 ID:6tU9Cy5y
 
> アルボムッレ・スマナサーラさんの「般若心経は間違い?」という著書をお読みください

カスタマーレビュー  般若心経は間違い?
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4796672230/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
415神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 17:18:11.55 ID:8JgiWxnU
>>402
その通りです。
十二支縁起もまさに現在起こっていることではないですか?
私はそう解していますが。
無明は今存在しないのではなくて、今もあなたの考え方を支配し、苦をまさに今生じさせている
そういうことだと思いますが。
思うに、現在の苦しみを遠い過去に求めるという動機があなたにはあるように思えます。
3000m地点の苦しみはマラソンをやめれば止まります。止まるのがいやなら歩けばいいのです。
なるべく早く一番にゴールしたいという下心が自らを苦しめているのでしょう
たしかにスタート地点で決断しなければ、3000m地点の苦しみを味わうことはなかったでしょうが
その人は苦しむためにマラソンをしたわけじゃないでしょう?それなりの達成感が目的だったのでは
ないですか?自己責任じゃないですか?
それとも親が無理やり参加させたのですか?それでも自分が楽しめる程度で参加すればいい。
いっしょに走ってる似たような境遇の人に話しかけて気をまぎらわせればいい。
歩いたらバカにされるからそれも苦しみだ、理不尽だ、ということなら
物事には完全な楽はありませんよ。苦楽一如です。有無同然です。
金持ちも金持ちの苦しみがあるのですよ。才能ある人にも。
じゃあやっぱり苦から抜け出せないのかといえば、仏教でいう涅槃とはそこの苦しみからの
完全な解脱ではないです。朝起きるのは苦しいですが、そんなこと苦しい部類には入らないでしょう?
仏教の言うところの苦は苦楽一如でいうところの苦ではないです。楽も苦しみなんですよ。
いや、そう認識するからこそ、涅槃というものが逆説的に浮き上がってくるのです。
マラソンだって、ゴールで笑っている人はいるでしょう?苦しかったけど楽しかったって。
思うに、マラソンの苦しみは、息が苦しくてつらいことではなくて、マラソンの意味が分からない人じゃないですか?
なぜ自分がマラソンをしているか分かってない人じゃないですか?
だから、マラソンをする理由がほしいのでしょう。それこそ無明のなせるわざです。
416前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/15(日) 17:19:20.28 ID:fgqSTBpv
>>413
>しかし 『 解脱すれば仏だ 』 と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しい

うーん、親切僧さんと違って、私は頭の中のイメージをうまく言葉に表せないようです。

一切=有為+無為=作られたもの+作られざるもの

人=有為+無為=作られたもの+仏

正しい禅定にて「作られたもの」を次々に滅していけば、仏=作られざるもの=無為
に気付く(悟る)のかなというようなイメージが近いですね。

同様に、世界=有為+無為=無常+常住
417神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 17:34:03.93 ID:KvEBlbNF
要するに、大乗と小乗とは全く別の宗教ということでOK。海外の宗教学者も、
世界宗教史上稀有の例と言っている。両者を遮二無二合致させようとするから、
無理やひずみが生じる。

開祖を神格化する小乗(釈迦仏教)はカルトである。
418神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 17:34:04.05 ID:6tU9Cy5y
 
>>414 の続き

ちなみに私の場合は ↓ こちらを、おすすめ致します

カスタマーレビュー  ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

チベット ゲルク派
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B

自立論証派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します
419神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 17:42:47.33 ID:KvEBlbNF
>>418
>帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します

「世間の一切の慣習」や「圧倒的大部分の人間」は、そんな否定はしない。
そこで帰謬派は既に根本的に誤っている。
420神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 17:43:51.60 ID:8JgiWxnU
>>403
ちょっと要旨がうまく掴み取れなかったように思うのですが
現に「麦を引いている」現実があるのだから、「板をはずした」ことは動かしようがない
ということでしょうか?生きているかぎり、無明ははずせないと。
以前にも、書いたと思いますが、十二支縁起の無明と生の解釈が私とあなたで異なることから
起こる認識の相違だと思います。
生とは、肉体的な生命活動、物理的な意味でのそれを表現しているのではなく
あくまで、人間の認識する中のそれです。つまり、時間軸の設定やら社会的な地位の中での自己の位置づけ
もろもろそういったものの中における生です。
大乗ではそういった世俗の価値観をまったく否定するものではありません。そうした価値観を
自分も受け入れて、世間人との縁としなければ、衆生済度が不可能だからです。
一人で山奥にこもっていても、誰も救えないでしょう?
だから、生を仮設するのです。しかし、その生は苦しみの一分なりとも受けるかもしれませんが
それはあくまで他人のために受けるもので自分のためではありません。
たとえば、夢と分かった中でおこる悲劇で本気で苦しむことはないでしょう?
ただ、同じ夢の中で周りの人を助けるためにいろいろと本気で演じてみせることはあるかもしれない、そういうことです。
ちなみに、これはたとえで、悟りは夢のような気分で生きることであるわけじゃないので注意してください。
421:2013/09/15(日) 17:53:34.48 ID:6tU9Cy5y
 
>>416 前世は一在家さんへ

>> しかし 『 解脱すれば仏だ 』 と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しい

> うーん、親切僧さんと違って、私は頭の中のイメージをうまく言葉に表せないようです

解脱すれば仏だ、と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しい

うまく言葉に表せない ↓ その理由は

睡眠中でも深層において(末那識が)働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている

この深層的な自我心(末那識)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩
422神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 18:00:57.67 ID:sUvsl9T7
>>416  キリストスレにアラシに来ないでね 一在家(カルトの崇教真光)さん

674 :神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 16:47:33.56 ID:fgqSTBpv
>670
>>イエスの父が「エジプト人の幼子達を皆殺しにした」
>何か勘違いしていないか?

天の父が「過ぎ越し」にて「エジプト人の長男を皆殺しにした」という話ですが
勘違いですか。
その息子のイエスは「汝の敵を愛せよ」と説かれました。

ゲッセマネでもイエスは「この盃を取り除いて下さい。」と父に懇願しましたが
意志疎通は無かったようです。
423:2013/09/15(日) 18:09:16.30 ID:6tU9Cy5y
 
ID:KvEBlbNF さんへ

> 開祖を神格化する小乗(釈迦仏教)はカルトである

>> 帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します
> 「世間の一切の慣習」や「圧倒的大部分の人間」は、そんな否定はしない
> そこで帰謬派は既に根本的に誤っている

隠居先生の文言に似てるけど ↑ 隠居先生本人かしら?

これからも隠居先生の事を応援して逝くので頑張って下さい

( ちなみに私は宗教肯定派です スマソ 屮(_ ._)屮 )
424神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 19:10:30.40 ID:KvEBlbNF
>>423
帰謬派が、釈迦盲信の余り、釈迦の勘違いに過ぎない「無我」「無」に
何が何でも合致させるために中論を解釈したから、このような無理と誤りが
生じたのだね。

帰謬派は、自分達が「人間」であることを忘れて、神になった積りなのだね。
それは中論の精神に根本的に反する誤りである。

「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である」。中論は、この
最も肝腎なところを、しっかりと押さえている。
425神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 19:17:14.14 ID:KvEBlbNF
生類の本性、即ち生命が、さまざまな関係性の産物であり、従って無自性空で
あることは、ちょっと考えただけで分ることだね。

逆に言えば、「如来の本性」も無自性空であり、執着すべきいかなる絶対性も
ない、ということだ。

中論は、「釈迦はいかなる教えも説かなかった」と喝破している。
426:2013/09/15(日) 19:19:18.27 ID:6tU9Cy5y
 
> 如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である

前世は一在家さんも ↑ これを言いたいのかも 屮(_ ._)屮
427神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 19:30:20.99 ID:C1M1moD/
>>424
帰謬論証派ってのは、そもそもどんな考え方、どんな立場の事だと考えてレスしてるの?
私みたいに知らない人に対して、それを教えてよ。


誰か他の人に聞いてくれ、とか、専門書・辞書を見ろ、
は無しね。
貴方は、理解している筈だから。
理解しているからこそ、「“それ”は誤り」ということができる筈だから。
あなたは、帰謬論証派の“それ”を、知っている筈だ。
428神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 19:36:28.02 ID:KvEBlbNF
>>426
>前世は一在家さんも ↑ これを言いたいのかも 屮(_ ._)屮

真光のように、一旦キリスト教の影響を受けると、それは絶対にいえなくなる。
キリスト教では、神とは、人間から全く隔絶した絶対的存在でなければならない
からだ。さもなければ、「神の独り子」であるイエスの面目が丸潰れになって
しまうからだ。

法華経の「久遠実成の仏」は、「種属としての人間の生命」のこと。釈迦本人は
もはや象徴化され、飾り物の地位に追いやられている。
429神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 19:41:48.04 ID:KvEBlbNF
>>427

帰謬論証派とは、釈迦盲信故に、中論を、何が何でも釈迦の「無我」「無」と
合致するように解釈したい人々。
430神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 19:42:55.61 ID:BpunAlEd
>>415
>3000m地点の苦しみはマラソンをやめれば止まります。

そうです。 その通り。
マラソン苦の原因は、「現に今走っている」 という継続的な縁によって起こってます。

>思うに、現在の苦しみを遠い過去に求めるという動機があなたにはあるように思えます。

まさにこれが、縁起を 「時間的なもの」 と見る人たちの、考え方なのです。

>たしかにスタート地点で決断しなければ、3000m地点の苦しみを味わうことはなかったでしょうが

縁起を時間的に見る人は、これを原因とします。

>楽も苦しみなんですよ。
>マラソンの意味が分からない人じゃないですか?

仏教で言うところの 「苦」 とは、まさに 「人間が現象界に存在している」 ということ自体だと思います。
自分がある・・・  「我がある」  「(我から見た)現象世界全体がある」  という思いを超えることが、仏教の本義だと思います。
「苦楽」 も含む、分別の世界を超える・・・  ということですよね。

スタート地点を原因として、3000m地点の苦を結果とするならば、逆観は成立しません。
なぜなら、「原因」 は過去として、「結果」 は現在として、時間的に分断されているからです。
スタート地点から走り続ける・・・ その 「走り続ける」 というのを 「結果」 とするならば、
逆観が成立します。
なぜならその原因は継続的で、現在もつづいているからです。
スタート地点を 「原因」 とみて、3000m地点の苦を 「結果」 とするのに、
更にまた、「3000m地点の苦の滅」 という結果を想定すると、
一つの原因に結果が二つとなって、話がこんがらがります。
3000m地点の苦の原因を、 「走り続けること」 という風にすれば、筋が通ります。
431神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 19:49:46.29 ID:C1M1moD/
>>429
いやいやwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


そうじゃなくてw

彼らの主張内容が【具体的に】どういうものなのか?
を聞きたいのw
彼らの《それ》が、どうして釈尊と直結するのかが、まったく見えないから。
アメさんの「大量破壊兵器あるぞー!」になってないかどうかが問題なのさw
432神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 20:00:14.82 ID:BpunAlEd
>>420
>現に「麦を引いている」現実があるのだから、「板をはずした」ことは動かしようがない
>ということでしょうか?

これは縁起を時間的に分断している人のことを言ったのです。
「板を外し続けている」  継続しつづけている 「縁」 を、「板を外した」 という過去形にして、
継続しない・・・・・ つまり、「縁の切れた状態」 にしている、ということです。

夢の話はなかなかいい喩えですね。
夢の中にいるのは煩悩からじゃなく、「愛」 ゆえに・・・ ということですね。
で、仏教の本義とは、「夢の中でよりよく生きる」 ということではなくて、(もちろん、それも大切ですが)
「夢から目を覚ます」 ということだと思います。
「夢から目を覚ます」 ということで、自我的欲望を出すなとか、正しい行いをしろとか、言う教えがあると思うんですが、
夢(現象世界)に対する捉われを放つための教えであったのに、あまりにも戒律的に捉えすぎて、
夢の中の規則、規範という風にして、ますます夢の中に捉われる・・・ ということがあったんじゃないかな〜、と、個人的には思います。
だから、大乗仏教の生まれる必要があったんだと、個人的には思います。
433神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 20:18:17.68 ID:8JgiWxnU
>>430
じゃっかんちがうように思います。
縁起を時間的に見ることに問題はありません。
それは分別作用であり、分析の所作です。
ただ、それに囚われることに問題があるのです。
あたかもそれしかないと、私はあるという考えに囚われることがいけないのです。
分析していけば、そんなものが存在するとはいえないことは明らかなのにもかかわらず囚われるのです。
それは人間が社会的な生き物で、人間がつくった常識のなかで生きていかなければ
極度に不安だからでしょう。あるいは他人に認められたいという欲求をもっているのかもしれません。
十二支縁起にかぎらず、何か論を立てるとき、それは一つのモデルです。
物事を見るときに役立ちます。ですが、モデルは一つの近似にすぎないのですよ。
正確ではありませんし、もしかしたら間違っているかもしれない可能性もある。
社会学や経済学の正しさを証明することが難しいのと同じようなものです。

例をつかえば、3000m地点の苦しみに、スタート地点が寄与していることは確かなことです。
惑業苦というモデルがありますが、この負のスパイラルを止めるには
惑と業の間で切るしかないと言われています。なぜなら、業と苦の間は業力不思議といって、
それは誰にも御釈迦さんでも止めようがないと言われるほどの力をもっているからです。
惑という煩悩を抑えて、悪業を起こさないということが何より仏教の問題意識があるところです。
しかし、業は部屋で何もせずうずくまっていても作られるものです。
根本的に言えば、惑を抑えて、行動することが求められていると言えましょう。
434神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 20:39:36.87 ID:8JgiWxnU
運命を決めるものに業因がありますが、これが諸縁と合して果をもたらすという考え方が
仏教にあります。善業をつめば、楽果をうけるし、悪業をつめば、苦果をうける。
マラソンで苦果をうけているのだとすれば、スタート地点の業が原因と言うことができるのは確かです。
3000m地点までに受けた苦果は取り消せませんが、これからの苦しみは歩くという業を積めば
楽果をうけることになります。これが仏教でいうところの業感縁起ですね。
十二支縁起とは見方が異なります。十二支縁起は人間が我を認識することから起こる
もっとも深い意味での苦しみを言及したものです。
しかし、たとえば、仏教に関心をもった人が十二支縁起を見つめる努力をしていったとします。
これは仏教的に言えば善業です。その結果、悟りという善果をえた。
一応、こういうモデルも描けるのですよ。ただ、そういうモデルから直接悟りへ導かれる筋道が
得られるわけではないのも明らかでしょう。
435神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 22:21:39.51 ID:PzGN4Bkd
>>431
釈尊と言えば「無我」だね。しかし、「無我」なら、すべてが「無」でなければ
整合性がない。彼等の中論解釈は、ひたすら、この「すべては無」という結論に
向けられているように思う。「大乗仏教シリーズ」の該当箇所を読んだだけだが。

一代氏が訳した「入中論」が特に宗教的であると説明されている。つまり、釈迦の
「無」に忠実ということだ。だから一代氏が訳したのだと思うがw。
436神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 22:36:45.17 ID:PzGN4Bkd
>>431
中論では、批判する場合以外は「無我」や「無」など一言も言っていないから、
彼等は困るのだね。中論では、むしろ逆のことを言っている。何が何でも「す
べては無」としなければ、釈尊に申し訳ないw。我が「無」なのだから、その
他いかなるものも「有」であっては困るのだw。
437神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 22:42:03.57 ID:XYq0XfTo
実体としての我は無いが、生きている間の主体は我としか言いようが無い。
死後の事は無記で何も言えない。
生きている間の我こそ人生の主体。
実体がないから、なにもかも無い〜というのは大間違い。
438前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/15(日) 22:46:26.25 ID:fgqSTBpv
>>428
>真光のように、一旦キリスト教の影響を受けると、それは絶対にいえなくなる。
>キリスト教では、神とは、人間から全く隔絶した絶対的存在でなければならない
> からだ。さもなければ、「神の独り子」であるイエスの面目が丸潰れになって
> しまうからだ。

それは貴兄の思い込み、大きな誤解ですね。
むしろ「人は皆神の子であり、神に近づき得る」と師から伺っておりますので。
法華経の「人は仏子であり、やがて仏となり得る」に近い法です。

因みに二ケーヤ公会議以前の原始キリスト教ではそういう教えがありました。
例えば、ナグハマディ文書の「トマスの福音書」では、「貴方がたは生ける父の子らである」、
「私達は光から来た。そこで光が自ら生じたのである、と言いなさい。」とイエスが言われたと。

今から40年以上前に万福寺の岡崎大僧正と師は対談し、「本当の釈迦やイエスの教えを知るには
原始仏教や原始キリスト教を調べる必要がある。」と意気投合されたと伺っております。
439神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 22:54:18.80 ID:8JgiWxnU
>>437
いいところまで来てると思いますよ
無我とは我を認めないというわけじゃないです。
我を認めても良いがそれに固執するあり方を否定するのですよ
極めてニュートラルなわけです。
我を前提にした社会では、我を否定すれば生きていけません。
しかし、それは当たり前のことじゃないのですよ。
その前提に付き合うのは生きていけるかぎりにおいてでいいのです。
勝義として無我、世俗として我を立ててもよい、というのが大乗的あり方です。
440神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 22:56:49.43 ID:PzGN4Bkd
>>437
中論は「実体が無い」などとアホなことは言っていない。厳然たる実体だが、「関係性
により構成されている」が故に、執着すべき自性はない、ということ。「幻の如き」と
「幻」とは異なる。前者は、説明のための喩。竜樹の説明の苦心が、手に取るように
分るよw。

量子力学的には、若い女の体も、光速に近い速度で運動している量子の集合体(雲)に
過ぎないが、人間の男が見ると豊満な肉体。つまりそういうことw。竜樹は、宮廷の女
たちを「空」だと思って抱いたわけではあるまいw。
441神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 23:09:15.65 ID:PzGN4Bkd
>>438
トマスやその他のグノーシス福音書は、「キリスト教の聖書」には含まれていないよ。
それらはキリスト教とは本質的に異なる。

そのことを言ってるのだよ。
442神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 23:25:26.08 ID:PzGN4Bkd
>>438
所謂「キリスト教的グノーシス」の人々も、現行聖書を通じてイエスに対する
愛着、執着を持つに至っている。グノーシスを自称するヨハンネス氏も、トマスの
例の感動的な「イエスは木片に宿る」を引用できなかった。そんな罰当たりな章句は、
口が裂けても引用できなかったのだろぅ。
443前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/15(日) 23:25:57.46 ID:fgqSTBpv
>>441
>トマスやその他のグノーシス福音書は、「キリスト教の聖書」には含まれていないよ。

「伝統的な正統とされるキリスト教の聖書」には含まれていないということです。
因みに「異端反駁」で有名な初期教父のエイレナイオスが反駁していない原始文献も
焚書されてますよ。

4福音書をケルビムの四つの獣にて正統化した論理に現代の宗教学者達が賛同すると本当に
信じておられるのでしょうか。
21世紀に次々に復活してきた文献群をもう一度検証しても宜しいのではないでしょうか。
444神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 23:29:50.88 ID:C1M1moD/
>>435-436

あのぉ・・・ (^^;)

 「帰謬論証派が、どういうことを述べているか?」

が、そのレスにはまったく書かれてないんですけど、どうなんですか?
445前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/15(日) 23:32:55.72 ID:fgqSTBpv
>>442
>例の感動的な「イエスは木片に宿る」を引用できなかった。そんな罰当たりな章句は、
口が裂けても引用できなかったのだろぅ。

イエスは木にも石にも何処にでもいるという教えですね。
如来もまた入滅後にどこにでもおられます、神通にて見えないだけです(法華経)。←罰当たり??
446神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 23:38:49.89 ID:PzGN4Bkd
>>443
現在のクリスチャン達が信じて止まないのは、4福音書だけだよ。トマスやユダや
マリアを持ち込んだら、キリスト教は大変な騒ぎになり、恐らくは崩壊する。

私は、歳若い狂信者であったエイレナイオスによる福音書選択が、現在のキリスト
教の諸問題の原因だと思う。特に、ヨハネ福音書と黙示録。パウロは言うまでもない。
これらでクリスチャンたちが狂わされている。
447神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 23:47:22.58 ID:PzGN4Bkd
>>444
>「帰謬論証派が、どういうことを述べているか?」

このスレの前レスにもあったんじゃない?一代氏のサイトにも、分りやすい
説明がある。帰謬論証派について一応の勉強をしてから来て下さい。あんな
長ったらしく無意味な文章を、レスで一々引用するのは時間と労力の無駄。
448神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 23:48:13.92 ID:OCQ4/qjY
チャンドラキールティの帰謬論証では<縁って起る>が説明できない。
起るから起るのだという<アホ悟り>、結局神秘主義に脱してしまっている。

たとえば、「父」と「子」の関係概念なども「相依性」を構成できない。
父でない母や叔父も「子」なのか。アホですかw
空間概念も同様。
「非右」が「左」でなくても、「前」や「後」もありうるし、「上」と「下」などもある。
アタマから帰謬論証を信仰するアホしか誤魔化せない。
「排中律」の核心になる「A」と「非A」のような補完関係さえ構成していない。

空を単純に「相依性」と捉え、世俗を虚妄と捉えることは、結局「縁って、起る」という縁起を説明できないばかりか、
現実の事象のように具体的に顕れようのない根拠でしかにのだ。

結局、その成立由縁とする名称のみで説明したがる「相依性という名称の縁起=空」は欺瞞でしかないのだ。

『空なる事物から空なる事物が生じる』(龍樹:因縁心論)? はあ?
これはまさにアホ相手のインチキ空見(中論13-7・8)としか言いようがない。
『もしもなにか不空(非空)というもの(実体)が有るならば、(その否定としての)空というものが有るであろう。
 しかるに不空(非空)というものは何も存在しない。どうして空なるものが存在するだろうか。』
   空という言語で指示された様相は相対論理では把握できない。無限遠点のようなものである。
   そこには比較相対も、縁って起るもありえない。
⇒これは『もしもなにか実有というものが有るならば、(その否定としての)虚妄というものが有るであろう。
    しかるに実有というものは何も存在しない。どうして虚妄なるものが存在するだろうか。』(13-7改)に変換できる。
    虚妄論、幻論(>> 126)は謬論である。

<空なるものの存在>とはまさしく空見(中論13-8)に他ならない。
449神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 23:50:45.50 ID:C1M1moD/
>>447

 >>427
 >誰か他の人に聞いてくれ、とか、専門書・辞書を見ろ、
 >は無しね。
 >貴方は、理解している筈だから。
 >理解しているからこそ、「“それ”は誤り」ということができる筈だから。
 >あなたは、帰謬論証派の“それ”を、知っている筈だ。
450神も仏も名無しさん:2013/09/15(日) 23:53:32.57 ID:PzGN4Bkd
>>443
>21世紀に次々に復活してきた文献群をもう一度検証しても宜しいのでは
>ないでしょうか。

それやると、キリスト教は大混乱の陥り、間違いなく崩壊する。サロメも
駆けつけるぞw。
451神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:01:59.76 ID:N66dGlt5
>>448
釈迦盲信の余り、釈迦の「無我」「無」を正当化したい一心だよw。彼等に
とって、「実有」が微塵でもあると、お釈迦様に申し訳ないのだw。
452神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:13:07.06 ID:xhXDx+JO
>>451
いや、そうじゃなくてw
具体的内容を聞いてるの。
453神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:15:45.67 ID:HmGrtBD4
>>451
アホ
454神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:33:25.92 ID:N66dGlt5
>>448
チャンドラキールテイも、二真理説を提示する理由として、それぞれ世間に
よる排撃の回避、聖典による排撃の回避を挙げている。要するに、二真理説
が「世間の一切の慣習」に照らして無理だということ。二真理説は「神秘主義的
逃げ口上」に過ぎないのである。
455神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:39:17.82 ID:N66dGlt5
私は前レスで、「中論は、実質的に、二真理説を否定している」と述べた。
どうやら、当たっていたようだ。
456神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:39:48.64 ID:6raJcfAB
>>448
そうかな
純粋に分からないのだが、現実があるのは、単にそれが現実だからとしか
言えないんじゃないのか?宇宙がそう作られているからだろ?
なぜ宇宙がそう作られたか?そんなもん分からんよ
神という言葉を出してごまかすしかない
もし、私たちが住む宇宙の横に別の物理定数に支配される宇宙があって
それがビッグバンにおける宇宙の固有性に原因があるとしても
なぜその固有の条件でその宇宙が生まれたのか、その宇宙に住む生物がそこで生まれなければならなかったのか
そんなもの、偶然だろ。業以外の現実は肯定するしかない。
457神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:44:17.34 ID:6raJcfAB
なんか言葉足らずかなぁ
要するに、なんらかの縁起、つまりこの世の現実は肯定するわけだよ
しかし、その縁起に自性をさがして分析しようとすることは
モデルとしては可能だが、真実ではない。そんなものをよりどころとしても仕方ない。
ということだよ。相手の言わんとしていることを理解しようと努めなければ
どんな理論も空虚なものになるよ。上でも指摘した通りだが。
458神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:47:46.23 ID:N66dGlt5
>>456
同じく自然として作られた人間のちっぽけな脳味噌で、作った者や作られた
理由が分るわけが無い。作られたままをすべてとして、只管生きるだけ。
459前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 00:49:35.32 ID:p86Lf4fV
>>451
>釈迦盲信の余り、釈迦の「無我」「無」を正当化したい一心だよw。彼等に
> とって、「実有」が微塵でもあると、お釈迦様に申し訳ないのだw。

「感興のことば」26.21
「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
 作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」

法華経の如来寿量品
訳1「仏の目から見た本当の世界は、このように不滅常住であるにもかかわらず、
  衆生の目にはこの世界は大火に焼き尽くされているように見える。」

お釈迦様は、作られざるもの(無為)=不生を観じると説かれております。
「実有」とは言わなくても「虚無」では観じるとは言われなかったでしょう。

世界は世俗諦では無常で、勝義諦では常住。。←親切僧氏のコメントを参照
460神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 00:57:04.78 ID:N66dGlt5
>>459
釈迦やイエスの頭では、到底無理。

彼等の上位次元である「生命」に基づいて思考しよう。生命から見れば、釈迦も
イエスもその下位次元、奴隷、奴婢に過ぎないのである。
461神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 01:00:48.71 ID:xhXDx+JO
もういいわw
結局、わけわからず、なんとなく名前を使ってみただけだったわけだ。

ま、隠居らしいっちゃぁ隠居らしいわけだが・・・w
462前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 01:04:00.96 ID:p86Lf4fV
>>446
>私は、歳若い狂信者であったエイレナイオスによる福音書選択が、現在のキリスト
>教の諸問題の原因だと思う。特に、ヨハネ福音書と黙示録。パウロは言うまでもない。
>これらでクリスチャンたちが狂わされている。

ヨハネ福音書→イエスのみが神の独り子
パウロ神学→原罪
エイレナイオス→ケルビムの四獣だから四福音書

少なくともこれらの検証だけで宜しいのではないでしょうか。
最後にイエスが説かれた「隣人愛」が残り、クリスチャン達の救われは変わりませんでしょう。

私が検証しなくても、ハーバード大学やプリンストン大学の神学者らが多数論文を書いております。
これもまた神の経綸からでしょう。

以上、スレ違いですので止論とします。 尚、基教板での復活も辞めておきます。
463神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 01:07:13.20 ID:N66dGlt5
>>461
「一を聴いて10を知る」という言葉があるよ。最初の数行を読めば、言いたいことは
大体分る。教科書の隅から隅まで読むのは、三流学生だけw。
464神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 01:18:16.69 ID:N66dGlt5
>>462
イエスの「愛」や「隣人愛」については、すでに何度も最上位次元の人間の
生命を基盤として、徹底的に批判済み。

史上そして現在のすべての大殺戮、大紛争は、イエスが、口にすべきでない
「愛」を軽薄にも口にしたことが原因。
465神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 01:18:18.25 ID:xhXDx+JO
>>463
一すら書かれていない、と言っとろうがwwwww
466前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 01:30:16.38 ID:p86Lf4fV
>>464
>史上そして現在のすべての大殺戮、大紛争は、イエスが、口にすべきでない
>「愛」を軽薄にも口にしたことが原因。

イエスが誕生するずっと以前から大殺戮はありましたよ。一度、旧約聖書を読んで下さい。

ユダヤ教の神は生贄を求めましたようですね。
でもユダヤ教の中でもエッセネ派は動物の生贄の代わりに言葉の生贄(祈り)を捧げました。

かの洗礼者ヨハネはエッセネ派だったという論文も多く、その洗礼者ヨハネが絶賛した
イエスもエッセネ派または親派だったのではないでしょうか。
以上は最近の死海文書の研究論文を引用しました。
467神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 01:32:34.70 ID:hnyKqGHx
眼には眼を 歯には歯を
468前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 01:36:54.14 ID:p86Lf4fV
>>467
旧約聖書の神とコーランの神とは似ておりますね。

隣人愛を説いたイエスと慈悲を説いた釈尊、仁の孔子も似ております。
469神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 01:46:07.58 ID:hnyKqGHx
>>468 キリストスレに来て荒らさないでね。

983 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 01:43:45.52 ID:p86Lf4fV
>>980 サロメ氏
>日本の歴史教科書はいい加減にして欲しい (中略)
>そのあと仏教渡来と飛鳥文化に飛ぶので半島移民のおかげで
>日本が文明開化したように刷り込んでいる
>自国の古代史をまともに教えないなんてありえない

まったく同感です。
大陸か半島か米国の圧力で情けない「日本の古代史」ですね。
470前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 01:51:26.48 ID:p86Lf4fV
>キリストスレに来て荒らさないでね。

キリスト板は議論板でなく質問板なので完全な再生(復活)はしないつもりです。
471神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 02:01:04.47 ID:hnyKqGHx
日本語になってない、キリスト関係スレに来るなっていう事
472神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 02:22:02.21 ID:hnyKqGHx
真光信者なら真光スレに帰って、
岡田光玉教え主の「御聖言=真光の聖典」の解釈でもしていればいいんじゃない?
473神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 03:16:21.84 ID:Qrf1k+5y
>>391

「仏教 議論スレッド」と言う名の飛行機は離陸しても着陸は出来そうにも無いね!

「良心を育てるはずの宗教」や「智恵を磨くはずの哲学」が絡んでいるだけに、なんだかなぁ…

仕方がないのかな?
474前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 08:44:30.96 ID:p86Lf4fV
>>473
>「仏教 議論スレッド」と言う名の飛行機は離陸しても着陸は出来そうにも無いね!

そうですね。
「議論スレの寿命は全ての住人が解脱するまで存する」ということでしょう。
475神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 09:10:09.47 ID:3prauNYM
 
ID:OCQ4/qjY さんへ

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bungaku88/B088R001.pdf

異教徒の主張するアートマンなどの〈 常住な自性 〉 ← 絶対不滅・常住不変のアートマン

経量部や瑜伽行派などが主張する〈 無常な自性 〉 ← 変化する自性のような 「 何かがある 」 と仮説する

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bungaku90/B090L031.pdf

実在論へのカマラシーラの対応は直接知覚に関しては
修所成慧としてのヨーガ行者の直接知覚により無我が悟られ

また実在が直観されることはないと論じ
実在論を論破し無自性論証へと導く
476神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 11:10:08.13 ID:KuYpG2GJ
>>468
>隣人愛を説いたイエスと慈悲を説いた釈尊、仁の孔子も似ております。

「違う所」があることを見抜くことが必要。イエスの教えは、すべて「自分の
気に入らない者に対する憎悪・非難・排斥」とセットになっている。その誇大
妄想ゆえに、自分が創造主になりたかった、なった積りのイエスには、前任者
による創造である「あるがままの人間」が目障りで、憎くて仕方がなかった
からである。

小乗は「自利」というが、釈迦は城門の外に出て人々の悲惨な姿に心を痛め
たのであり、原点は大乗のいう「利他」だったのではあるまいか。

孔子は、「いまだよく人に仕えず。いずくんぞ鬼神に仕えん」である。

旧約は、原罪、十戒、神の自己定義(全実在)で基本がしっかりしているから、
大殺戮は反面教師と成り得るが、新約は、イエスの浅薄さ、偽善、創造に対する
畏敬の欠如から、反面教師にも成り得ない。
477前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 11:26:14.20 ID:p86Lf4fV
>>476
>イエスの教えは、すべて「自分の気に入らない者に対する憎悪・非難・排斥」と
>セットになっている。その誇大妄想ゆえに、自分が創造主になりたかった、

貴兄は新約聖書を読まれてますか、それとも貴兄の誇大妄想ですか。

イエスは「人の子」と自称しております。(参照:マルコ伝1:10)
その「人の子」を神にまで持ち上げたのが、ヨハネ伝筆記者、エイレナイオス、アラナシウスの3人組ですね。

釈尊を神格化した方々とも似ております。
478前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 11:29:48.58 ID:p86Lf4fV
>>477
誤 参照:マルコ伝1:10
正 参照:マルコ伝2:10
479神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 11:30:33.47 ID:C0Fe4ypW
老子と釈迦は同時代の人物だと思うが、老子が落伍者のための読み物という
点と仏典が人生苦にある人のための読み物という点では似ているね。

落伍していても苦にせず、人生苦であっても苦にしない人達には不要のものなんだね。
両者とも苦しんでいる人達が読むもの。
480神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 11:33:45.59 ID:KuYpG2GJ
>>466
キリスト教の発生後、「生存に無関係な大殺戮」が圧倒的に増加したのは
歴史的事実。

中国最大の内乱であり、犠牲者が推定5000万人といわれる太平天国の
乱も、首謀者洪秀全がふと手にした一冊の聖書からだった。
481前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 11:38:29.43 ID:p86Lf4fV
>>477
>イエスは「人の子」と自称しております。(参照:マルコ伝2:10)

因みにトマス伝では、イエスを含めて人は皆「神の子」です。

現代でもギリシャ正教では「神成(テオシス)、神化」と説いております。
482神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 12:15:56.01 ID:KuYpG2GJ
>>477
「隣人愛の喩」と言われる「善きサマリア人に話」におけるイエスの真意は、
サマリア人にかこつけて、自分の気に入らない祭司とレビ人とを非難する
ことであった。さもなければ、わざわざ彼等の名を挙げて、彼等を「悪人」に
する必要はなく、単に「他の通行人たちは」とだけ言えばよかったはず
である。

君がイエスと釈迦(小乗)に嵌ったことが、カルトの原因であることに気付け。
483御言葉に気付け:2013/09/16(月) 12:24:49.16 ID:MDOyrhoJ
隠居神の脳から生まれるお言葉は真理を創造するのであーーる。
隠居神の御言葉を信じない奴は、カルトであーーーると
言われております。
484神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 12:25:31.84 ID:KuYpG2GJ
>>479
老子は「無為自然」だろ。釈迦はそうではない。両者は大違い。
485神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 12:30:54.45 ID:MDOyrhoJ
隠居神の釈迦認識も大違いなんだけどね、
大違いの隠居神の大違い、どんな大違いなんだろう?

疑問を持つと隠居神にカルト認定されてしまうかなあw
486神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 12:40:44.50 ID:C0Fe4ypW
老子の「道」と釈迦の「法」って同じものじゃないの?
487神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 12:47:37.39 ID:MDOyrhoJ
隠居神の空想激しく認識不可出ない話をすれば、
「法」世界、人間の思考の普通の意味での「原因→結果」
「道」にはこの分析は無い。

なお、隠居神は隠居神の思考によれる創造が「道・真理」らしいですw
488神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 13:04:07.43 ID:C0Fe4ypW
仏典にも「道の人」とか表現が出てくるけど、この「道」と
老子の「道」って違うの?
489神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 13:13:35.43 ID:xhXDx+JO
>>488
老子の「道」が、
「理性的抑制・制御を含んだ“あるがまま”」なら、近似はしてると思う。
が、
もし、「赤子的、生物的、理性的計らい無き“あるがまま”」であるなら、かなり異なる。
490神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 14:55:16.23 ID:0q/BVcFr
>>433
十二縁起とは空なるものの証明です。
無明を滅すれば、「自分がある」 という世界は消滅します。
どんなに腹痛で苦しんでいても、転げまわっていても、その 「苦しむという姿」 ですら、自分がある という思いがなければ、
通り過ぎていきます。
苦しみを感じないってことじゃない。  苦しみを感じるそのことですら、自分がないので透過していきます。
これが本当の意味での 「苦しみを感じない」 ってことだと思います。
で、「縁起」 っていうのは、
たとえば 自分という我がなければ、そうやってぶつかってくるものも何もない・・・・
自分がある」 という思いも、そのことによって、「ぶつかってくる」 と感じるものも、
すべては空なんだ、っていうのを説明したのが、縁起・・12縁起だと思うんですよね。
だから、空なる縁起を、物質的に時間的に見るのは、間違いだと思うんです。
3000m地点の苦の原因が、スタート地点にあるとするのは、現象世界の、時間的断絶的な、因果関係です。
これは、空なることの証明にはなりません。
人間が現象世界を感じている・・  というのは、現在進行形です。
継続しています。
その継続させる何かがないといけない。
原因を過去のものとしてしまっては、「人間に現象世界を感じさせている何か」 は、無いということになります。
もしあったとしても、過去のものだから消せない。
491神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 14:58:00.80 ID:0q/BVcFr
>>433
例えば、テレビのスイッチを入れて、ドラマを見ているうちに、そのドラマの主人になりきって、
苦しみを受けたとします。
この時、このドラマの世界(現象世界)では、原因と結果は時間的因果関係によって、分断されているので、
原因を過去に戻って消すことは出来ません。
しかし、テレビのスイッチを切る(無明を滅する)、という行為によって、「自分がドラマの中にある」 という錯覚を消すことが出来ます。
「我がある、我によって受ける現象世界がある」 という思いを映し出している形を現したものが、12縁起、縁起だと思いますから、
その原因は、「今、ここに、厳然とある(便宜的に)、 継続的」 でなければいけないと思います。
テレビを消せば過去も未来もない、ドラマの中にいる自己が感じる過去も未来も、すべて消えます。
「業報」 とは、テレビの中の時間的因果関係にすぎません。
それと12縁起はまったく別物です。
12縁起とは、時間的因果関係などの、現象世界を超えるものです。
テレビの例は分かりするため、スイッチを切る(映像を切る)、ということを言っていますが、
正確に言えば、ドラマの中に自己はないと気づく・・・ ドラマの影響をまったく受けない・・・ ということですね。 
「惑業苦」 の話も、そうじゃないですか?
業と苦の間・・・ テレビの筋書きを変える・・・ というのは、テレビの中にいては不可能に見えます。
テレビの中から目を覚ます・・・ 錯覚を消す(惑)を滅する・・ ということが必要だと思います。
この「惑」を、行為のように受け取るんなら、話は別です。
492前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 15:22:51.82 ID:p86Lf4fV
>>490
>十二縁起とは空なるものの証明です。
> 無明を滅すれば、「自分がある」 という世界は消滅します。

>>398 親切僧氏
>どちらも同じ世界を見てるんだけど、無明の凡夫は一切が燃えている(諸行無常)と見て、
> 無明を滅した仏は一切は燃えていない(涅槃寂静)として見てるってこと。どちらも同じ「一切」の話。
> 無明あるとき行あり、無明ないとき行なし、です。

「自分がある」とか「ない」とかよりも、無明や智慧の有無で自身や世界の観じ方が異なり、
その結果の「苦」や「安寧」も異なっているのではないでしょうか。

ある意味「救われない衆生がいる限り」何度も輪廻する菩薩や、完全な涅槃に入らずに衆生済度を
展開する如来にも強烈な「我(意志、念)」を感じる次第です。

尚、如来や菩薩には意思があっても錯覚は無いでしょうね。
493神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 16:18:06.03 ID:Xnw/ISOB
>>490
つまり、「第二の矢」は受けないってことかな?
494神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 16:57:27.83 ID:hEiEGnMb
山川草木国土悉有仏性(さんせんそうもくこくどしつうぶっしょう)

問う、門前の痩せ狗にも仏性はございますか。 答える、無。

教え : 居ぬが赤狗なら、(胸倉をつかんで)さあ!喰え!喰え!喰え!。

理念、 : さとりとは揀.擇(けんじゃく、好き嫌い)しない、一如である。

仮きゅらむ : なすべき事をただちになせ。

1、門前のやせ狗を見たら、射殺(いころ)せ。(悟る為に必修)
2、その狗が赤犬なら、煮て喰え、焼いて喰え。(食中毒注意、サルモネラ菌、腸炎ビブリオ)
3、狗がエロ狗なら、内臓を抜き(無い臓)、詰め物をし吊るし、木片チップで燻(いぶ)し喰え。(殺菌狗ベーコン)
4、学ぶ事が無く、ひたすら太った犬は、撲殺(ぼくさつ)せよ。(僕さあボクサー)
5、主流派、多数派の権力に擦り寄る狗は、蹴殺(けころ)せ。(サッカーは物書きか)
6、狗も歩けば30俸を喰らわせ!聞き回り、訪ね周り、食い物にありつく狗の舌を塩タンで喰う。(舌即是喰う)
7、物乞いの狗には薬石効無(やくせきこうな)く傷口に塩を塗り込み一夜漬けで喰え。(ふつかと置くな腐る)

時間(とき)を問わず、汝(なんじ・何時)妄想(もうぞう)する莫(なか)れ

妄想(もうぞう)のさとりのすがた申そう10ケ条リストアップ一覧表

1.あれれ、わたしが いない。輪になって肩を組み、歌い、踊ってるよ。
2.さとりとは、諸法無我(しょほうむが)。
3.悟前(ごぜん)の人はさとりを求めるのでさとりあり、悟後(ごご)の人にさとりなし。
4.さとれば、自他が無い。一味(いちみ)一色(いっしき、ひといろ)の世界である。
5.本来ひとはさとっている。如何(どう)して、修行するのか。
6.本来ほとけ、無駄な読経、座禅はしない。
7.さとりとは分別(ふんべつ)しない、一如である。
8.生まれたから死に、生まれなければ死はない、の真理さとり。
9.日常生活、行住坐臥、そこがほとけの立処皆真(りっしょかいしん)。
10.悟前は自己のため、悟後は他人(ひと)のための修行30年。
495神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 16:57:34.08 ID:0q/BVcFr
>>493
そうですね。
「第二の矢をかわす」 とは、「その場でよける」 ってことじゃないです。
そもそも、「よけたり、当たったりする世界」 から、離脱するってことです。
テレビの中でいくら矢が飛ぼうと、映像を客観的に見ている人には当たらない。
その場で一生懸命矢をよけようとしている人は、まだドラマの中にいます。
496前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 17:32:51.35 ID:p86Lf4fV
>>495
>テレビの中でいくら矢が飛ぼうと、映像を客観的に見ている人には当たらない。
>その場で一生懸命矢をよけようとしている人は、まだドラマの中にいます。

法華経の如来寿量品
訳1「仏の目から見た本当の世界は、このように不滅常住であるにもかかわらず、
  衆生の目にはこの世界は大火に焼き尽くされているように見える。」
訳2「私の住んでいる仏土は、このように壊れることはないのですが、人々は、
  この仏土が焼け尽きて見える。」

世界は大火に焼き尽くされているように見ている人=衆生、
一切は燃えていない(涅槃寂静)として見ている人=仏、という譬えもできそうです。
497神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 17:56:40.82 ID:0q/BVcFr
>>492
>無明や智慧の有無で自身や世界の観じ方が異なり、
>その結果の「苦」や「安寧」も異なっているのではないでしょうか。

そもそもその「苦」や「安寧」は、現象世界における「苦」や「安寧」ではないでしょうね。
「苦」というのは、この現象世界・・・ テレビの中にいる、という錯覚をしていること自体で、
「安寧」というのは、テレビの中の人生の「安寧」ではなく、テレビの中にいるという錯覚から出た世界のことを言うのでしょう。
如来がたとえテレビの中に入ったとしても、自分をテレビの主人公と思ったりしないでしょ。
これがドラマだということを知っている。
だからドラマの我は無いわけです。
498神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 18:05:29.11 ID:0q/BVcFr
>>496
>世界は大火に焼き尽くされているように見ている人=衆生、
> 一切は燃えていない(涅槃寂静)として見ている人=仏、という譬えもできそうです。

これは私もそう思うんですが、ただ、ドラマの中の人間が、ドラマの外を想定することは出来ないと思うんです。
ドラマの主人公達は、完全にそのドラマにハマってる。
外がある、ということは、絶対に気づかないです。
もしドラマの中で外を想定したら、それもやっぱりドラマの中の思考にすぎません。
そうすると、「ドラマの外に何かいる物語」 ・・・というドラマを作り出してしまうのです。
だからドラマの中にいる限りは、常住の存在(ドラマの外の人)を説く、ということが出来ないのでしょう。
ただ、この意味が分かる人だったら別です。
分からない人は、ドラマの中に、より深く、ハマっていくでしょう。
499神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 18:25:21.10 ID:xhXDx+JO
>>490-491
その理屈で、
釈尊の、(死に直結した事象とも言われる)赤痢の説明をしてみ?w
500神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 18:27:54.83 ID:xhXDx+JO
補:

「第二の矢を受けない」は、その通りでしょう。現にそういう言い方で説かれている場面もあるのだから。

大切なのは、五蘊は、単なる要素の列挙でなく、そこに順序が内包されてる、ってとこかなw
501神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 19:35:50.07 ID:0q/BVcFr
>>499
(>>490 )の、
>どんなに腹痛で苦しんでいても、転げまわっていても、その 「苦しむという姿」 ですら、自分がある という思いがなければ、
> 通り過ぎていきます。
>苦しみを感じないってことじゃない。  苦しみを感じるそのことですら、自分がないので透過していきます。
>これが本当の意味での 「苦しみを感じない」 ってことだと思います。

ここですね。

テレビドラマの業報の世界から、目が覚めるわけですから、テレビドラマ内の苦しみは受けません。
テレビドラマ内の、「自分がある」と思ってた存在が、いくら苦しもうが、転げまわろうが、
それを我がものとする我は、そこにありません。
502神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 19:41:46.51 ID:xhXDx+JO
>>501
ふむw

ポイントは、
禅坊主のように(室内のように)、「アイタタタタタ!」と転げまわっていたかどうか?
「苦しみを感じることを透過してゆく(>苦しみを感じるそのことですら、自分がないので透過していき)」ようなものだったか?
ということです。
503神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 20:06:09.07 ID:8hubCbqR
流れブッタ義理ですいません

こんなことを言っている人がいるのですが
皆さんどう思いますか?

241 自分:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 12:34:51.75 ID:Qr6nQlPp [1/2]
>>240
はよ阿羅漢非仏教徒説の証拠出せよ

242 返信:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ [] 投稿日:2013/09/14(土) 12:50:55.31 ID:VFG/8xe4 [2/7]
>241
阿羅漢果って言葉を知らないのか?(笑)
仏教徒とは、仏教の信者の事で、
阿羅漢位は応供だって前に教えてやった筈だが。(笑)


246 名前:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ [] 投稿日:2013/09/14(土) 14:22:11.63 ID:VFG/8xe4 [5/7]
バカにも判る様に説明してやるとだな。
いわゆる「阿羅漢果」を得た方々に対しては、
仏教徒なら「○○尊者」と敬称を付けるんだよ。
間違っても呼び捨てにはしない。(笑)
学者か非仏教徒なら呼び捨てだろうがよ。(笑)
何故なら、仏法は彼岸に至る教えであり、
阿羅漢位に至るとは彼岸に至ったという意味であり、
従って、仏教徒が応供として礼拝する側だからだ。
礼儀も判らん寄生虫ならいざ知らず、(笑)

阿羅漢が仏教徒?(笑)
504神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 20:47:55.45 ID:xhXDx+JO
「仏教徒」を、
「東大生」(仏教という教えを信じ、学ぶ在俗信者)という括りと同じと見るか、
「東大関係者」(仏教という教えを信じ、学び、実践し、説く立場の者)という括りで見るかの違いかなw

前者なら、阿羅漢は仏教徒ではない。
後者なら、紛れも無く仏教徒だ。
505神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 21:12:04.54 ID:0q/BVcFr
>>502
> 禅坊主のように(室内のように)、「アイタタタタタ!」と転げまわっていたかどうか?

この意味がどういうニュアンスで言ってるのか、正確に読み取りづらいんですが、
「苦しみを感じるそのことですら」   ←というのは、「生理的な反応」 のようなものだと思います。
「悪いものを食べて気分が悪くなる」 →  「吐き気を催す」 「下痢が出る」  →  「その痛みで反射的に転げまわる」
こういう生理的な反応ということで。

たとえば、病気に対して、「不安を感じる」  「恐怖を感じる」  生理的な苦痛に対して、「さらなる苦痛を感じる」  ということは、
無かったと思います。
506神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 22:11:46.47 ID:hnyKqGHx
飢餓でもないのに、「犬を苛め抜いて虐殺すると肉が美味くなる」
と言って喜んで残虐に殺して食べる。
中華(清)に支配された恨みを晴らすために犬を虐めているんだね、
悲しい朝鮮民族。

犬を食べる 毎日新聞女性記者  在日か?
http://homepage2.nifty.com/kamitsuki/11B/inuwotaberumainichi-kisha.htm
507前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 22:37:43.79 ID:p86Lf4fV
ヒンズー教徒「日本人は牛を食う」
ムスリム「日本人は豚を食う」
欧米人「日本人は鯨を食う」

そして日本人「朝鮮人は犬を食う」

肉食はあまり善いカルマではないように思います。
かく言う私も最近は魚や豆腐ハンバーグが多くなりました。
508神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 22:42:17.39 ID:xhXDx+JO
>>507
魚と牛豚はどこが違うの?
509神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 22:44:10.54 ID:C0Fe4ypW
仏教では自ら進んで肉を食うのは禁じられているだろうけど、托鉢で出された
物の中に肉が入っているのは食べても良いという事らしいね。

NHKでやってたけど、現代の日本人が長寿になったのは、牛、豚、鶏、魚、牛乳、卵〜
等の良質のタンパク質の日常の摂取量が増えたのが大きい理由らしい。
年取ると肉を食べなくなる傾向があるけど老人も肉を食べなさい〜って結論だった。
ベジタリアンは短命だそうだ。
510前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 22:49:11.94 ID:p86Lf4fV
>>508
>魚と牛豚はどこが違うの?

人間と同じ哺乳類ではないということです。
遺伝子が近いほど「共食い」観があるように思います。あくまで私見ですが。

あと釈尊の輪廻物語で「魚」や「虫」に転生した話がございましたら、教えて下さい。
511神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 22:55:28.28 ID:xhXDx+JO
>>510
最後の一行がなければ普通のレスなのに・・w


輪廻の輪の外のモノだから食べても良い、と。
こういうことかw
512神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 23:01:42.75 ID:hnyKqGHx
>>510  キリスト教スレに来るなと何回も言わせるな、真光のオタンコナス。

306 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 22:39:45.22 ID:p86Lf4fV
ヒンズー教徒「日本人は牛を食う」
ムスリム「日本人は豚を食う」
欧米人「日本人は鯨を食う」

そして日本人「朝鮮人は犬を食う」

肉食はあまり善いカルマではないように思います。
かく言う私も最近は魚や豆腐ハンバーグが多くなりました。
513神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 23:03:49.38 ID:aIW7MYQs
o( ̄ ^  ̄ o)
514神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 23:14:41.07 ID:fviFKttw
一在家さん

あんたは人を食う
515神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 23:16:02.47 ID:xhXDx+JO
山田君、>>514に座布団二枚上げて
516神も仏も名無しさん:2013/09/16(月) 23:40:43.88 ID:HmGrtBD4
一在家さん

あんたは犬を食い、トンスルを飲む
517前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 23:47:07.33 ID:p86Lf4fV
スッタニパータの「コーカーリヤ」のお話を知らない方々がおられるようですね。

私は「黙して答えません」。
518神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 00:12:27.83 ID:WhLZpMUK
>>490
十二支縁起にかぎらず、縁起が示す自明なことがらが空だと思うよ
なんらかのものに媒介されないと規定できないということが縁起であるのだから
有限のものはどこまで行っても部分であって全体であることはない。
十二支縁起は私という存在も縁起されるところのものだと示すものじゃないかな
だから、私が見るすべての見方も私という存在を立てない限り存在しないことになる
さながら人類がいなくなったあとの宇宙の無味乾燥さ、永遠の混沌に帰るような。

たしかに、スタート時点に原因をもとめなくても、筋肉の中の乳酸をぬきとることができたら
疲れることはないね。現在進行形で自分を苦しめている乳酸に原因をもとめるやり方もある。
だが、乳酸をぬきとることは事実上不可能なのだから、転ばぬ先の杖で
なるべく乳酸を生まないように努力することが求められる。
で、なぜ乳酸を生んでしまったかというと、筋肉をつかうとそういう物質が貯まるからだよ
筋肉をつかわないようにすればよかった。つまり、スタート地点から現在地点までの筋肉の使用頻度を
下げなければならないという結論がでてくる。
これは、時間的な縁起から導かれるところの解決方法だよ
十二支縁起はそういうスタンスではない、というだけ。
十二支縁起を読み取るとき、そこに時間とか空間といった見方をとってはならないということであって
時間や空間をもちいたらいけないとかではない。
519神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 00:12:56.64 ID:L/0OWow9
韓国の人糞酒「トンスル」 - KOREAN POO WINE
http://www.youtube.com/watch?v=YYc1XqfU-Jo
520神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 00:36:47.00 ID:6WNJ1P/B
 
阿羅漢(あらかん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%BE%85%E6%BC%A2

仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。
漢訳には応供(おうぐ)という意訳もある。
もとは釈迦の尊称の一つであった。

arhat(arhan) の原意は「(応供の)資格を有する(者)」という意味で、
仏教成立以前から存在した述語であることはほぼ間違いない。

しかし、
仏教成立以前からインドの諸教で用いられていたかどうかについては、
未だ定説と呼べるものはない。

阿羅漢はそれ自体が修行過程の果得を示す用語であるとともに、
応供の資格を表す尊称でもあるため、
経典には「偉大なる阿羅漢にして仏(如来)」などと言った表現が出現する。

声聞や縁覚(独覚/辟支)や菩薩も阿羅漢であることに変わりはない。
521神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 00:46:08.28 ID:WhLZpMUK
>>491
ほぼ同意しますね。
四聖諦は、略せば戒定慧(この反対が惑業苦です)、広せば三十七道品と言われますから
独覚の教えである十二支縁起
声聞の教えである四聖諦
という伝統的枠組みから言えば、独りで悟ることを目指すものが実践する十二支縁起は
かなり難易度が高いものだと思われます。
だから、これを実際に禅定によって実践している人はかなり徳の高いお方というイメージですね。
まあ、のちに菩薩乗の六波羅蜜が加わって三乗になりますけど、そのころには兼学と言って
すべて実践していたそうですけどね。
522神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 02:08:02.47 ID:cKNGXbgI
>>521
独り言ではなく他人に語るときは、日常用語を使ってもっと分りやすく語ってくれ。

坊さんがそんな話し方をしていたら、檀家は皆逃げるぞw。
523神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 02:38:53.51 ID:kaqx8shJ
私は逃げないがねw
524神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 03:30:05.28 ID:cKNGXbgI
>>523
君一人だけでは、坊さんは食ってゆけないw。
525神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 07:48:14.98 ID:SMLW4rOf
あ、隠居
526神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:02:24.37 ID:BLmAI7lw
>>523
2chは公共の場。多くのROM者がいることを忘れるな。

他の人にはわからない「ひそひそ話」なら、他の場所で二人きりでやってくれ。

それから、書き込むときは、大乗、小乗の区別の表示を忘れないように。

日本は大乗仏教の国だから、小乗を語るとROM者を誤導する。
527神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:12:48.33 ID:BLmAI7lw
>>491
>例えば、テレビのスイッチを入れて、ドラマを見ているうちに、そのドラマの主人になりきって、
>苦しみを受けたとします。

見て、自分が苦しむようなテレビドラマなどないよ。すべて自分が「楽しむ」
ために見る。苦しむドラマなど、初めから見ない。
528神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:22:26.69 ID:BLmAI7lw
12縁起はおかしい。始まりが「無明」なら、仏性や本覚はどこにあるの?

釈迦は、己の無明で教えを説いたということか。
529神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:25:28.17 ID:BLmAI7lw
それに、12縁起は、単なる因果関係のパターンの一つ。空の対極にあるもの。
530神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:27:31.64 ID:UafbL3dE
無明が苦の根本原因で無明から他の様々な苦が派生する。
無明の原因を遡る事が出来ないから根本的なんだけど、
だから無明(煩悩)を滅ぼせば、大元がなくなるので全ての苦から
開放される〜という理屈らしいね。

まあ、俺は死ぬまで煩悩は無くならないから苦にまみれた人生で構わないけどw
531神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:34:23.68 ID:BLmAI7lw
>>530
人生は、苦ばかりでなく、楽もある。そして、楽の比率のほうが大きいから
こそ、人類は現在まで存続し、ますます発展している。

苦、苦と鳩のように鳴く釈迦の鬱病は、かなりの重症だね。鬱病も伝染する
から、要注意。
532神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:42:04.01 ID:BLmAI7lw
>>530
煩悩(分別)とは、状況に応じて君が生存するための不可欠の機能、生きている
ことの証(あかし)。「排除すべき異物」などでは決してない。

苦と真正面から対決し、それを克服した時の喜びは、限りなく大きい。

人類の歴史は、苦との対決とその克服の歴史であることを、忘れてはならない。
533神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:43:07.23 ID:UafbL3dE
苦と楽の比率は人によって色々じゃないの?
苦が圧倒的に多い人もいるだろうし、人生楽勝で死ぬ人もいるでしょう。
ただ人生楽勝とはいっても、本人にしか分からない苦があったりするのも事実でしょう。
生まれてすぐ死ぬ子供がいたり、青年真っ只中で意気揚々としている時に死ぬ人もいれば
70、80、90〜と老齢まで生きる人もいる。
若くして死ぬのは気の毒としか言いようが無いが、日本は高齢化社会で何はともあれ老齢まで
生きる人が多くなっているのも事実。これは確かに幸せな事だね。若死にせずに済んだのだから。
534神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:45:29.28 ID:6WNJ1P/B
 
十二因縁
無明 - 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること
行 - 志向作用。物事がそのようになる力=業
識 - 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元
名色 - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形と、その名前
六処 - 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意
触 - 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触
受 - 感受作用。六処、触による感受
愛 - 渇愛
取 - 執着
有 - 存在。生存
生 - 生まれること
老死 - 老いと死
  _  _  _

有愛 - 存在欲。生きることを渇望する心
非有愛 - 非存在欲。有愛がはばまれる時に起こる、死を求める心
欲愛 - 刺激欲。感覚器官からの刺激を求める心。思考やイメージなど、自分の心(意根)で生み出す刺激も含む
535神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:52:14.96 ID:BLmAI7lw
>>533
釈迦は苦を説くことに己の人生の喜びを見出し、何と80歳まで生きたw。

高齢化は、「最大の苦」である死と対決し、それを克服しようとした、人類の
努力の成果である。
536神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 10:58:33.23 ID:N6LxnNus
(>_<)ク〜
537神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 11:03:23.70 ID:BLmAI7lw
>>534
>過去世の無始の煩悩

煩悩(分別)は、いま、ここの生命の機能。生まれるまでは、煩悩の発生源
などない。母の胎内にいた時のことを覚えている人間などいない。記憶に残る
のは、せいぜい、4、5歳後。全くの誤り。少なくとも義務教育を受けた現代人
が口にすべきことではない。
538神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 11:08:04.10 ID:6WNJ1P/B
 
> 12縁起はおかしい。始まりが「無明」なら、仏性や本覚はどこにあるの?

八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する

一切の有情には仏性があるといわれる 『 解脱すれば仏だ 』 ということに気づくことができるらしい
  _  _  _

煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)の
二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、(世間的な)思考を超越し
それを得たものは解脱身であり
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
539神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 11:09:36.09 ID:BLmAI7lw
>>536
釈迦のは、「クー」ではなく、「クッ」「クッ」「クッ」w。まるで鳩の
鳴き声。
540神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 11:15:22.98 ID:BLmAI7lw
>>538
大乗では「常・楽・我・浄」。中論に始まる大乗によって、釈迦の「鬱病」はとっくに
克服された。
541神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 11:28:29.42 ID:6WNJ1P/B
 
常楽我浄
http://kotobank.jp/word/%E5%B8%B8%E6%A5%BD%E6%88%91%E6%B5%84

デジタル大辞泉の解説

涅槃(ねはん)の四徳
常住不変の常、安楽で苦を離れた楽、自在で障りとなるもののない我、迷いがなく無垢(むく)清浄である浄
転じて、極楽浄土にいるように何の心配もなく、のどかな生活にいう

凡夫が万物の真相に反して、無常を常、苦を楽、無我を我、不浄を浄と思うこと
四顛倒(してんどう)

大辞林 第三版の解説
@
涅槃(ねはん)の世界の四つの徳
常は恒常的であること,楽は静かな楽しみ,我は自在無碍,浄は浄(きよ)らか
涅槃の四徳
A
四つのまちがった考え
四顚倒(してんどう)
無常・苦・無我・不浄であるこの世界を,誤まって常・楽・我・浄と思うこと
542神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 11:47:31.17 ID:6WNJ1P/B
 
> 中論に始まる大乗によって

我、我所を滅させる為の方法によって、無我、無我所を得る

という段階を踏んで 『 解脱すれば仏だ 』

涅槃の四徳 『 常楽我浄 』

ということに気づくことが出来る

ということかも
543神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 12:30:42.19 ID:BLmAI7lw
>>542
中論は、「無我」「無」などアホなことは、一言も言っていない。

「無我」「無」は、釈迦の小学生にでも分る初歩的論理矛盾、勘違いと、
人類史における「最大の法」の洞察の欠如から生じた大きな誤り。
544神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 12:52:11.95 ID:BLmAI7lw
>>542
>涅槃の四徳 『 常楽我浄 』ということに気づくことが出来る

すべての生活者(衆生)は、とっくに気付いていて、その基盤の上で生活に
励んでいるw。
545神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 13:20:45.38 ID:L/0OWow9
5年後・・・「ねえ・・おかあたまぁ〜?僕、修学旅行行きたくない・・
       おけつみせるの恥ずかしいよ・・・」

10年後・・「おら!!くそばばあ!てめえが層化やめたせいでこんななんだぞ?あ?
       どう責任とるんだ?セックスできねえじゃねえか?」

20年後・・「おらおらぁ!!やい!がいこつめがね!てめえガリガリなんじゃあ!
       仕方なく男に走ったら菊門の締まりが悪いってふられたじゃねえか!おう?」

30年後・・「おかあちゃま!僕ちゃん機械の体をもらいにスリーナインに乗ります!
       だから、おかあちゃまの年金を全額よこせよw」

〜エピローグ〜
40年後・・がいこつ祖母がなくなり、やっと層化呪縛から解放されたネカマおじさん・・
      すでに機械の体になり人口菊門になり施設にも行けず路上生活・・・・そこに一筋の光が・・
  
      そこには哀れな親のカルマを背負いしおじさんに元青年部長のお孫さんが手をかざす・・・
546神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 16:11:30.57 ID:VNrwF9ob
やっぱり此処は、
御隠居がいないと画竜天晴を欠くなw
547神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 18:17:22.79 ID:3GQoJku4
>>534
「無明」は、それ以下のすべての生活作用の始まりだから、「人間の生命」と
すべき。但し、「生命」は「無明」などではなく、「全知全能」である。

「生」とは、生活作用の一つとしての生殖(子供を作ること)。

「六処」の発見は、生理解剖学的には特筆すべきもの。すべての存在を有らしめる
ものだからである。聖書には、これほど「科学的」は発見はどこにもない。
釈迦が、宗教者というより、優れた科学者であった所以。
548神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 18:22:34.83 ID:ENdnrRKY
完全なる飼育2:愛の四十日 - 1:28:47
http://www.youtube.com/watch?v=XC-RtzQWffM
.完全なる飼育 3:愛の液 - 1:43:11
http://www.youtube.com/watch?v=1gT3jA6cc8w
.完全なる飼育4:秘密地下室 - 1:50:29
http://www.youtube.com/watch?v=iKQobu-Edyw
.完全なる飼育5:女理髮師の戀 - 1:43:42
http://www.youtube.com/watch?v=aBuFthYH3aU
.完全なる飼育7:束縛の終結 - 1:38:07
http://www.youtube.com/watch?v=ZswjJS-4g70
549神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 19:02:27.96 ID:6WNJ1P/B
 
> 中論は、「無我」「無」などアホなことは、一言も言っていない

ナーガルジュナ/龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama23.pdf

■第二十三章 誤ち(顛倒)の考察

21.
もし自己(我)と、純粋なもの(浄)、永遠性(常)、そして幸福(楽)が
実在するなら
自己、純粋なもの、永遠性、そして至福は
見せかけのもの(顛倒)ではないだろう

22.
もし自己(我)と、純粋なもの(浄)、永遠性(常)、そして幸福(楽)が
存在しないなら自己の
非実在性(無我)、汚れたもの(不浄)、非永続性(無常)、そして苦しみ(苦)は
存在しないだろう

23.
このように
過ち(顛倒)の消滅によって無知(無明)が消滅する
無知が消滅するとき部分と原因で構築されたもの(有為/諸行)などもまた消滅する
550神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 19:15:49.30 ID:6WNJ1P/B
 
>>549 の続き

渇愛(タンハー)
http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html

無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛がうまく絡み合って
無始なる過去から終わりなく(輪廻して)苦しみをつくり出しています
そこから脱出しましょう
客観的に自分を観ることによって
無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
  _  _  _

ナーガルジュナ/龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama23.pdf

■第二十三章 誤ち(顛倒)の考察

23.
このように
過ち(顛倒)の消滅によって無知(無明)が消滅する
無知が消滅するとき部分と原因で構築されたもの(有為/諸行)などもまた消滅する
551神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 20:44:03.50 ID:PQFULShs
>>549
我・無我、浄・不浄、常・無常、苦・楽は、すべて相対的存在である。しかし、それらを
相対的存在として認識するのは、他ならぬ我である。
552神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 20:54:08.16 ID:PQFULShs
>>551の続き
つまり、死者(無我)には、その認識が一切不可能、ということ。
553神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 21:41:36.12 ID:ENdnrRKY
>>548
apanese Film Twenty-Four 24 Eyes - 2:36:08
http://www.youtube.com/watch?v=NkQfHGZNWWg
日本?影 - 楢山?考 (中字) - 2:10:06
http://www.youtube.com/watch?v=lFujgGXRIjE
Hachiko Monogatari_ハチ公物語 1987. - 1:47:24
http://www.youtube.com/watch?v=q1pTCMjhpYQ
554神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 22:49:55.48 ID:Kz24OPlx
論争好きのインドで勝義締と世俗締の矛盾についてつっこんだ資料って残ってないの?
だれでも感じるこの問題を書き残してないってことはたぶん論破されたんだろうね
555神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 23:35:38.89 ID:loRRI2ax
>>538
>煩悩障(自己に対する執着)
> 所知障(外界のものに対する執着)の
>二種の障害を根絶することによって
>阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)

八識が変化を起こすとは分かり易い。 出典はどこですか?
556神も仏も名無しさん:2013/09/17(火) 23:38:08.13 ID:LhhF0xMJ
>>554
中論では、「勝義諦=世俗諦」であると解する。それから、大乗における「煩悩
即菩提」「生死即涅槃」「大乗起信論」などの思想が生じた。誰か偉い人、中論
における2真理説について、大論考を展開してくれ。
557神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 00:48:12.11 ID:1ajaLp28
>>553
格闘技 - 71件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=V3l_HWIdi-c&list=PLAwAexGI6t7qlCfmPME6GHxO5OYbMm6Bl
君は木村政彦を知っているか - 8件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=JzitL_UOd6M&list=PLC159545D7258403C
貴乃花 vs 朝青龍 「ガチ」 - 5:20
http://www.youtube.com/watch?v=tbtd5iUpu34
558龍樹:2013/09/18(水) 00:54:13.69 ID:mn2dAgp5
ちゃんと嫁
559神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 00:57:50.47 ID:VF2ySO8A
 
>> 所知障(外界のものに対する執着)の
>> 二種の障害を根絶することによって
>> 阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)

> 八識が変化を起こすとは分かり易い。 出典はどこですか?

唯識(ゆいしき) ↓ 三性のところを参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
560神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 01:05:19.97 ID:VF2ySO8A
 
>>559 の続き

煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)の
二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
561神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 01:26:51.02 ID:VF2ySO8A
 
> 中論では、「勝義諦=世俗諦」であると解する

諸の因縁を、受ける人の場合は、生死を往来する

諸の因縁を、受けることがなければ、生死を往来しない

『 勝義諦 = 世俗諦 』 ではないと思います

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm

中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯

觀如來品第二十二

諸法の、実相は、性空であるが故に、如来の滅後を、こう思惟してはならない
有るか?、無いか?、有であり、無であるのか?、と
如来は本より、畢竟じて、空なのだ
況して、滅後は言うまでもない

如来は、戯論を過ぎるが、而し、
人は、戯論を生ずる、戯論は、慧眼を破る
562神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 01:31:03.50 ID:VF2ySO8A
 
>>561 の続き

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04b.htm

中論觀涅槃品第二十五

諸の因縁を、受けるが故に、生死の中を輪転する
如実に、顛倒を知らないが故に、五受陰に因って、生死を往来する

諸の因縁を、受けなければ、是を、涅槃と名づける
如実に、顛倒を知るが故に、則ち、復た、五受陰に因っては、生死を往来しない
無性の、五陰は、復た、相続しないが故に、説いて、涅槃と名づける
563神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 02:06:40.94 ID:VF2ySO8A
 
>>549>>550 の続き

ナーガルジュナ/龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf

■第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察

6.
感覚感情(感受/受)によって条件づけられた(感覚を原因とした)ものが
渇望/欲求(渇愛/愛)である
渇望/欲求は感覚感情のせいで生じる
それが生じるとき、固執/掴むこと(取)も生じる四つの種類の固執/掴むことである

11.
無知(無明)が止まると
行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は
瞑想と知恵(智)を通して生じるのである
564神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 03:41:12.36 ID:1ajaLp28
Nichiren to moko daishurai 日蓮蒙古大襲来 - 2:17:04
http://www.youtube.com/watch?v=9rUuMQ2ucSU
565神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 07:02:25.36 ID:qzVfHsy5
>>561
>『 勝義諦 = 世俗諦 』 ではないと思います

方便である世俗諦、方便から生じる勝義諦。
この二つの区別を知らない者は倒錯した分別により悪い道に入るそうです。

尚、凡夫でも仏智の種がある者には勝義諦を聞く器があります。
566神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 07:06:24.98 ID:qzVfHsy5
>>565
勝義諦「仏の寿命に限りはない。不生不滅、無始無終なのである」
世俗諦「仏に遇うことはことはまことに難しい。幸いにもその機会に遭遇したのだから、怠らず励むがよい」
567龍樹:2013/09/18(水) 08:05:27.53 ID:1kUCISZS
ちみたちのやっていることを戯論と言うことに早く気付けっちゃ
568神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 08:47:30.30 ID:qzVfHsy5
>>566
有為の見方を世俗諦で明かし、無為の見方を第一義諦であらわす。
569龍樹:2013/09/18(水) 08:56:44.30 ID:ddM3LuJh
よめるところだけでかいしゃくすんなって
570神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 09:00:36.30 ID:qzVfHsy5
「八不」は無為の見方やさかい、器の整ってない衆生に説くべきでない。
571神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 09:01:04.69 ID:VF2ySO8A
 
戯論(パパンチャ)
http://budda.at.webry.info/201009/article_2.html

第四 八つの章句の章
874
ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない
このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである

ひろがりの意識、と訳されている言葉も、パパンチャです

第五 彼岸に至る道の章
1037
識別作用が止滅することによって、名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態とが滅びる
1112
内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである

戯論が苦の原因であるなら、非戯論(ニッパパンチャ)が、苦の滅への道、涅槃への道ということになります
非戯論の世界とは、妄想をのり超えた世界、識別作用の止滅した世界、名称と形態の消滅した世界です
572神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 09:31:12.97 ID:VF2ySO8A
 
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章 89〜94ページ参照

因と縁に依存して、滅しているものは

それ自体の自性で、滅しているのではない

因と縁に依存して、生じているものは

それ自体の自性で、生じているのではない
573龍樹:2013/09/18(水) 09:36:23.38 ID:xm3SmU79
苦の原因は無明
無明であるがゆえに戯論となる
苦の原因が戯論と言うのはチョッと(ヾ(´・ω・`)違う

そんなことより
なんでぱぱんちゃをぱぱんちゃ言うのかかんがえてみ
そーすりゃ広がり云々もわかるっーてーもんよ

いやいやほんなことより
仏教の原点に早く早くもどるべきだべよ
そーすりゃくだらねーことかんがえずにすむべっちゃ
574神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 09:49:24.98 ID:VF2ySO8A
 
サーンキヤの原点と、仏教の原点は、間接的に関係があるかも

サーンキヤ学派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE

サーンキヤでは精神原理であるプルシャは永遠に変化することのない実体である、とし、
それに対し物質原理であるプラクリティを第1原因とも呼び、
サットヴァ(純質)・ラジャス(激質)・タマス(翳質)という、相互に関わる3つの構成要素からなるとし、
これら構成要素が平衡状態にあるときプラクリティは変化しない、とする。

しかしプルシャの観察を契機に平衡が破れると、プラクリティから様々な原理が展開してゆくことになる。
プラクリティ→理性→自我意識という順序で原理が現れ、自我意識からは思考器官・知覚器官・行為器官が生まれる。
知覚器官には耳・皮膚・眼・舌・鼻があり、行為器官には発声器官・手・足・排泄器官・生殖器官がある。
また、自我意識は他方では元素としての(音・触感・色・味・香)を生み、元素は五大の要素(虚空・風・火・水・地)を生む。
これらの対象は知覚器官に対応している。

プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない、とする。
人はプラクリティから展開した理性、自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが、
本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされるとしている。

サーンキヤ学派はヨーガ学派と対になり、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている。
575龍樹:2013/09/18(水) 10:06:52.74 ID:abHMrSAP
こう言うくだらないことを言うやからが昔たくさんいたんだわ
んでしかたねーから空をといてやったんだけどコマッタことに
空に溺れるばかたれがたくさんいてだな
んでもっていまもいっぱいいるわけだ( ´-`) ばかたれが
576神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 10:27:26.33 ID:nCqlHL4G
宗教の教典が戯論の典型。具象物に還元できない意味不明な観念語・抽象語を
すべて削除したら、内容は「ゼロ」。

言語とは、生存に関係ある具象物を区別・指示・特定するための記号として
発生した。

「美しい花がある。花の美しさなど、ない」(小林 秀雄)。
577龍樹:2013/09/18(水) 10:40:46.64 ID:DP/FwsMd
>>576
> 宗教の教典が戯論の典型。具象物に還元できない意味不明な観念語・抽象語を
> すべて削除したら、内容は「ゼロ」。

言いたいことはよくわかるし、基本的に同意だが、それを越える状況もあるのだよ。



> 言語とは、生存に関係ある具象物を区別・指示・特定するための記号として
> 発生した。

講釈師見てきたような嘘を言い


> 「美しい花がある。花の美しさなど、ない」(小林 秀雄)。

「ベッキーはかわいい(*´-`)」
「モモチもかわいい(*´-`)」
「文句あっか(* ̄ー ̄)」(龍樹)
578神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 10:53:33.75 ID:VF2ySO8A
 
ナーガルジュナ/龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf

■第二十五章 ニルヴァーナ(涅槃)の考察

19.
輪廻にある存在と涅槃との間には
わずかな違いすら存在しない
涅槃と輪廻にある存在との間には
わずかな違いすら存在しない

20.
涅槃の終わりがどこまでであるにせよ
それは輪廻にある存在の終わりである
両者の間にはわずかな違いも
最も微細な違いすらも存在しない
579神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 10:53:52.53 ID:nCqlHL4G
>>577
>講釈師見てきたような嘘を言い

文明の利器など何一つ無い古代人たちにとっては、過酷な自然と闘いながら只管「生きる」
ことが、唯一の営みだった。寝そべって、空想に耽っているような余裕はなかった。
想像力が少しでもあれば判ること。
580龍樹:2013/09/18(水) 11:02:19.50 ID:mDN3FRO3
>>579
講釈師見てきた←これ何について言っとるか理解してるかい?
581神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 11:07:28.24 ID:nCqlHL4G
言語とは、単なる記号であり、その意味とは、共同体における共通の合意に
過ぎない。

宗教者は、その言語自体に、なんらかの価値があると勘違いしているようだ。
宗教は、言葉が多すぎ。つまり、無意味なおしゃべりw。観念語・抽象語の
意味は百人百様。意味の伝達の機能も果たしていない。

言葉で言葉を論じるのもおかしい。ある著名な言語学者は、「木のストーブで木を
燃やすようなもの」と言っている。
582神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 11:13:12.92 ID:VF2ySO8A
 
現代のような文明の利器がない古代の人たちの中には

過酷な自然と闘いながら

サマタ瞑想(止行)と、ヴィパッサナー瞑想(観行)をしてた人もいるらしい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A

禅定(ぜんじょう)
心を統一して瞑想し、真理を観察すること
またそれによって心身ともに動揺することがなくなった、安定した状態を指す
坐禅や止観の止行であるサマタ瞑想で禅定を得ようとする
仏教においては、涅槃に至るために禅定に勤しむ教派が多く
禅定を得る止行に対して、観行も重視される
583龍樹:2013/09/18(水) 11:21:28.05 ID:rn6FIt+C
>>581


あまり言いたくもないが

虫には分からんことがあるし
犬にも分からんことがある
とうぜん人間にも分からんことはある

分からんことに対して無いと言うのはおかしい
虫には分からん言葉と言うものが有るが、人間なら言語の存在を知っている

不明な言葉が有ったとしても、それを無い!とするのはオカシイ
もちろん同時に有る!とするのもオカシイ

宗教ってのはこれ等を越えたところからはじまるんだよ!!
584神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 11:22:17.63 ID:nCqlHL4G
>>582
そんなことしてると、忽ち野獣に食われて死ぬw。
585神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 11:34:10.08 ID:VF2ySO8A
 
>> 現代のような文明の利器がない古代の人たちの中には
>> 過酷な自然と闘いながら
>> サマタ瞑想(止行)と、ヴィパッサナー瞑想(観行)をしてた人もいるらしい

> そんなことしてると、忽ち野獣に食われて死ぬ

サマタ瞑想(止行)・ヴィパッサナー瞑想(観行)をしてる時に

野獣に食われて死に至った、という人もいたと思います
586龍樹:2013/09/18(水) 11:36:31.04 ID:QZPFbZqc
人間が虫を助けることがある
人間が犬を助けることもある

虫や犬は、人間の行動が理解できぬので、逃げたりする。
たぶん神仏からみれば学者頭の馬鹿人間ってのは、この虫や犬のように見えるんじゃないかね。

もちろん神仏がいればだけど…
587神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 11:51:13.24 ID:VF2ySO8A
 
前世は一在家さんの場合は
「 神仏はいます 」

私(ID:VF2ySO8A)の場合は
「 因と縁の依存によって神仏のようなものが
 現れる場合も、あるかもしれない
 現れない場合も、あるかもしれない 」
588龍樹:2013/09/18(水) 12:00:17.48 ID:DP/FwsMd
>>587
そのような見方は仏教のほんの入り口なのですよ。
みんなその入り口で止まってしまう。
残念なことです。
589神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 12:52:02.87 ID:nCqlHL4G
宗教者は、無意味なおしゃべりが多すぎるw。黙って生きよ。それが「只管打座」
のはず。
590神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 12:57:51.65 ID:qzVfHsy5
>>588
竜樹が宮廷の美女達に夜ばいしたカルマ(子供たち)はどうなった?
591龍樹:2013/09/18(水) 13:07:07.59 ID:epKai3wz
>>590
転生して乃木坂のメンバーになってまふ
592神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 13:23:38.28 ID:qzVfHsy5
さすが神通ですね。

それで現世では乃木坂47の追っかけですか。。
593龍樹:2013/09/18(水) 13:35:46.38 ID:OhhNpTNo
いや〜_(^^;)ゞ真面目な話し
画像検索するだけで心臓バクバクするよね
バクバクさせても実体はないので罪にはなりませんよ一応。
594神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 13:43:41.32 ID:nCqlHL4G
>>590
竜樹は、人口増加という善業を積んだことになるね。現代でも、竜樹の子孫が
沢山いる訳だ。
595龍樹すげえw隠居退治:2013/09/18(水) 16:33:30.26 ID:9RpwWrZ8
隠居神退治能力を評価しよう。
596神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 19:27:18.28 ID:4BzmAJ30
知ってる?
阿部龍樹て名乗る坊さんがいるの
まぁ偉大な名前だこと
真言宗らしいが
597神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 20:08:12.94 ID:1WqYOoMW
306 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/09/16(月) 22:39:45.22 ID:p86Lf4fV
ヒンズー教徒「日本人は牛を食う」
ムスリム「日本人は豚を食う」
欧米人「日本人は鯨を食う」
そして日本人「朝鮮人は犬を食う」

肉食はあまり善いカルマではないように思います。
598神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 21:25:04.55 ID:3HDlUakP
>>597
人を食ったような野郎だな
599神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 21:28:22.31 ID:4PfWi1+P
山田君、>>597の座布団、一枚持っていきなさい
600神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 21:40:55.75 ID:qzVfHsy5
>>593 龍樹
>画像検索するだけで心臓バクバクするよね
>バクバクさせても実体はないので罪にはなりませんよ一応。

クリスチャンだと心でも罪になるそうな。。

仏教徒は罪も「空」やさかい、良かったな。
601神も仏も名無しさん:2013/09/18(水) 22:49:05.35 ID:1WqYOoMW
能登に旧Y村の山小屋に住んで早八年になります。今は林業が不振なので
養鶏場で働いております。
今日は、川が氾濫しそうになりびっくりしました。
今台風の後、とってもとっても涼しいですはい。

E460+B&W805さんは、今日も元気に、讃美歌、演歌、能、狂言、歌声喫茶、
山小屋讃歌、クラッシックをきれいに奏でてくれます。はい。
エージングの効果も出てきたようです。
お釈迦様、仏様、地球さんのおかげで生きていられるので、ありがとうございました。
602神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 00:37:46.94 ID:bhgZ0zc5
縁起と業の関係がよくわからんな

業がいったい縁起にどこまで影響を与えているのかってのが仏教では詳細に説かれない
アラヤ識縁起では、業が環境すべてを作ると言っている
地獄の獄卒も業によって生じることとなる
たしかに、業、人間の能動的行為によってに自由を謳歌したと実感するようなことは起こる。
だが、現代人のそれと、仏教のそれは必ずしも一致していないんじゃないかな。
例えば、火を起こしても、それが人間の頭が考えたものだから、ないと思えば
その業の力によって影響をうけないという考え方も仏教ではありえそう。
仏教は唯心論的ではなるけど、のちの自立論証派のように、世間とのやりとりに歩み寄ったのか
それともやや唯物的な方へ歩み寄ったのか、スタンスに幅がある。
業の考えにしても、初期においては、心的なものか、物質的なものか、諸説あるし
実際のところ、釈迦の考えをどう演繹していくか試行錯誤だったろうね
603神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 00:46:48.63 ID:2l3cFCNm
若い男の14・4%は絶食系男子でその中の半分は女性と交際もHもしたことなく
7割は将来結婚もしたくない〜ホンマでっかTV

このように欲を捨てて悟りの境地の若い男が増えているとの事らしいです。
604神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 00:50:48.35 ID:ac8lu4Yd
 
熏習(くんじゅう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AB%E7%BF%92

無明薫習

衆生は無始からの(輪廻によって)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずるのである
605神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 03:44:36.51 ID:RMSaILuo
六祖壇経

第一章 自序
http://space.geocities.jp/tammashart/enou/dankyou1.html

第二章・般若について  第三章・質疑応答
http://space.geocities.jp/tammashart/enou/dankyou23.html

第四章 定と智慧について  第五章 禅について 第六章 懺悔について
http://space.geocities.jp/tammashart/enou/dankyou456.html

第七章 機縁
http://space.geocities.jp/tammashart/enou/dankyou7.html

第八章 頓悟と漸悟について 第九章 護法について
http://space.geocities.jp/tammashart/enou/dankyou89.html

第十章・最後の教え
http://space.geocities.jp/tammashart/enou/dankyou10.html
606神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 08:35:47.50 ID:2KntSVRP
ウソ⇒アホ朝鮮人の憎しみ⇒日本バッシング

これが継続すると最初のウソがウソになり、ホントウと「信仰」するようになる。
(自己)洗脳「信仰」だから、事実かどうかは関係がなくなり、ひたすらバッシング・ロボットになっています。
事実を突きつけても、論破しても「信仰」にしがみつきます。

これが朝鮮狂です。カルト宗教です。

洗脳を解くには、激しいショックや洗脳の浅い段階での「教育」しかありません。
戦前、日本人が洗脳された<天皇教>を解かれたのは、敗戦と180度変った教育でした。
天皇絶対主義⇒民主主義教育です。

したがって、カルト<朝鮮教>を解くには、徹底的な「敗戦」に等しい破壊と再教育しかありません。
607神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 18:24:01.96 ID:lr5lwyfm
サロメが創価学会員である証拠


@soukaホストが暴露され、狼狽しながら運営に削除依頼

A創価学会の題目を茶化すと憤激

Bキリスト教スレッドで暴れ回り内紛を工作

C仏教スレに常駐

D主流の仏教については浅識
608神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 22:19:41.13 ID:BZN7uBN1
>>416 一在家さん
>うーん、親切僧さんと違って、私は頭の中のイメージをうまく言葉に表せないようです。

まあ確かに、滅し尽くすっていうことだけ聞くと、虚無っぽく聞こえるよね。
えーと、無明・煩悩があると、ああしよう、こうしようっていう意志(行)が働くんだけど、
悟るとそれらも滅するから、もう、他者の問いや願いに応えるって形になるのよ、
そこに慈悲がある。って、慈悲についても前スレでもめたよねw

>正しい禅定にて「作られたもの」を次々に滅していけば、仏=作られざるもの=無為

そうそう。そのとき、無為=ゼロ、だね。なぜなら、そこに何かしらの実体があるならば、
それは失われるものであり、壊れるものであり、無常ということになってしまう。
実体がなく空っぽならば、得るところもなく、壊れることもないから、常住となる…。
609神も仏も名無しさん:2013/09/19(木) 22:39:33.85 ID:BZN7uBN1
>>492 一在家さん
>ある意味「救われない衆生がいる限り」何度も輪廻する菩薩や、完全な涅槃に入らずに衆生済度を
展開する如来にも強烈な「我(意志、念)」を感じる次第です。

衆生済度という誓願はあるし、石飛先生によると菩薩は煩悩を残してるみたいだね。
ただ、「我」はかなり抑制されてるはずだよ。なぜなら、「我」が出てるとすると、
「ねえ、きみ、苦しいよねぇ?仏法を聞きなよ、そうすれば救われるよ」みたいに、
縁を破って(その人が行こうとする道を遮って)業を積み、邪な思いで布教することになったり。

紙を切りたい、って思ってないのに、ハサミくんが、「俺を使え!」って言ってきたら、迷惑なように。
610神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 00:14:12.08 ID:3F4COpTv
 山川草木国土悉有仏性(さんせんそうもくこくど しつうぶっしょう)
問う、門前の痩せ狗にも仏性はございますか。 答える、無。

教え : 居ぬが赤狗なら、(胸倉をつかんで)さあ!喰え!喰え!喰え!。

理念、 : さとりとは揀.擇(けんじゃく、好き嫌い)しない、一如である。

仮きゅらむ : なすべき事をただちになせ。

1、門前のやせ狗を見たら、射殺(いころ)せ。(悟る為に必修)
2、その狗が赤犬なら、煮て喰え、焼いて喰え。(食中毒注意、サルモネラ菌、腸炎ビブリオ)
3、狗がエロ狗なら、内臓を抜き(無い臓)、詰め物をし吊るし、木片チップで燻(いぶ)し喰え。(殺菌狗ベーコン)
4、学ぶ事が無く、ひたすら太った犬は、撲殺(ぼくさつ)せよ。(僕さあボクサー)
5、主流派、多数派の権力に擦り寄る狗は、蹴殺(けころ)せ。(サッカーは物書きか)
6、狗も歩けば30俸を喰らわせ!聞き回り、訪ね周り、食い物にありつく狗の舌を塩タンで喰う。(舌即是喰う)
7、物乞いの狗には薬石効無(やくせきこうな)く傷口に塩を塗り込み一夜漬けで喰え。(ふつかと置くな腐る)
8、朝霧の出会いは、かはたれ(彼はは誰)、 夕霧の出会いは、たそがれ(誰ぞ彼)、逢えば分かれるの一期一会。

時間(とき)を問わず、汝(なんじ・何時)妄想(もうぞう)する莫(なか)れ

妄想(もうぞう)のさとりのすがた申そう10ケ条リストアップ一覧表

1.あれれ、わたしが いない。輪になって肩を組み、歌い、踊ってるよ。
2.さとりとは、諸法無我(しょほうむが)。
3.悟前(ごぜん)の人はさとりを求めるのでさとりあり、悟後(ごご)の人にさとりなし。
4.さとれば、自他が無い。一味(いちみ)一色(いっしき、ひといろ)の世界である。
5.本来ひとはさとっている。如何(どう)して、修行するのか。
6.本来ほとけ、無駄な読経、座禅はしない。
7.さとりとは分別(ふんべつ)しない、一如である。
8.生まれたから死に、生まれなければ死はない、の真理さとり。
9.日常生活、行住坐臥、そこがほとけの立処皆真(りっしょかいしん)。
10.悟前は自己のため、悟後は他人(ひと)のための修行、聖胎長養(せいたいちょうよう)30年。
611神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 00:22:41.39 ID:5pyhsFIX
>>609 親切僧さん
>衆生済度という誓願はあるし、石飛先生によると菩薩は煩悩を残してるみたいだね。
>ただ、「我」はかなり抑制されてるはずだよ。

仏教要語にあるか分かりませんが、「我」にも「小我」と「大我」があると聞きます。

「小我」は通常の利己的、自分中心の「オレ俺」的な意識。
「大我」は利他愛、人類愛、慈悲のような意識で自分中心の「オレ俺」は皆無。

菩薩や如来は「大我」の完成度が高いとも言えるでしょうか。

PS
私のハンドルに執着して各スレを荒らす方々が散見されますので、ハンドル(名称)を
しばらくの間は空にしてみます。
612承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/20(金) 01:13:20.96 ID:pAF7HarH
名無しに戻るのか。
つまり呆呪にとっての真痴学とは、その程度って事だな?
613神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 01:20:36.57 ID:5pyhsFIX
>名無しに戻るのか。

住人の大半は名無しですけど。。。
614神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 01:25:34.54 ID:J04+J6gB
 
それ自体の自性で成立しているのではなく

因だけではなく
縁だけでもなく

因と縁の依存によって
現れ滅するので

それ故に

> ハンドル(名称)をしばらくの間は 『 空 』 にしてみます

と言う事ですね?
615神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 01:30:44.43 ID:SpWTXAMK
新地学の教義は、パクりの付け足しで出来たものだと思われ。
616神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 02:38:33.04 ID:J04+J6gB
 
>>614 の続き

> 『 名称 』 をしばらくの間は空にして …

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章 120ページ参照

眼と色(物質的存在)と作意に依存して
〔眼の意識が〕生じる

名色(名称と形態)に依存して
〔感覚器官を通して機能する〕意識が生じるのである
  _  _  _

龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
4.
それは目(眼)と形(色)と理解力(作意)に依存している
そうであれば、名前と形(名色)に依存しており
そしてそれらが(総合的な)意識(識)を生み出すのであり …
617神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 07:25:31.37 ID:5pyhsFIX
>>612
>つまり呆呪にとっての真痴学とは、その程度って事だな?

>>615
>新地学の教義は、パクりの付け足しで出来たものだと思われ。

名称(ハンドル)を 空にしたなら 住人に 神智学徒と 間違えられし
618神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 07:32:11.43 ID:5pyhsFIX
>>608
>そうそう。そのとき、無為=ゼロ、だね。なぜなら、そこに何かしらの実体があるならば、
>それは失われるものであり、壊れるものであり、無常ということになってしまう。

無為=作られざるもの、は必ずしもゼロではないでしょう。
常住不変=不生不滅=失われるものでなく、壊れるものでない

もし無量寿の如来に実体があっても、失われるものであり、壊れるものであるとは
仏教テキストのどこに確認できますか?
619承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/20(金) 07:33:12.24 ID:pAF7HarH
あ〜、すまんすまん。マヒカリの方か。
(^。^)どっちも似たようなカルトなんで見分けつかんわ。(笑)
620神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 07:45:43.06 ID:/TzIYtmJ
>>619
本来の仏教とカルトとの違いを教えて。
どういうところが違うのか。
621神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 08:02:55.98 ID:fxGmsRF0
>>618 一在家さん
えーと、基本的に、仏教で存在論的に「ある」と認められるものは、
?さんが強調してるように、因縁によるもの、縁起したもの、だよね。
別の言い方をすると、実際に認識されるものであり、「生ずるもの」と言われる。
で、これらは作られたもの(有為)であるから、原因を持つものであり、
原因を絶つこと壊れるものであり、「滅するもの」であり、無常と言われる。
そして、無常なるものは、苦であるとも言われる。

ってことは、常住なる実体があるんだとすれば、それは「縁起していないもの」ってことになるよね。
それは、決して認識できない。眼耳鼻舌身意など、いかなるものも原因に持たないから。
認識できないものを、どうして「実体がある」なんて言うことができようか、ということ。
622神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 09:00:35.60 ID:0UZhN2Am
>>621
無駄

⇒『(自己)洗脳「信仰」だから、事実かどうかは関係がなくなり、ひたすらバッシング・ロボットになっています。
  事実を突きつけても、論破しても「信仰」にしがみつきます。

  これが朝鮮狂です。カルト宗教です。』(>>606)
623神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 09:49:53.98 ID:0UZhN2Am
>>620
>本来の仏教とカルトとの違い

カルトとは反社会的宗教集団のことです。

仏教は『四諦』の教えに尽きます。
即ち、菩提心のある凡夫のための仏道=八正道(実存苦の根本的超克の修証)です。
ですから菩提心のある凡夫の六処で経験的に検証できる「一切」(相応部35-23・70)を
徹底的に如理作意(中部15)することが根本になります。

ですから「一切外」は菩提心凡夫にとって検証できない妄想・形而上的論議・物語・フィクションとして無視=無記します。
これが「覚醒(悟りを支える七つの要因」つまり「七覚支」の最初にくる修行方法である「択法(ちゃくほう)覚支」です。
『「厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。』(中部72)ので無視します。

ほとんどの仏教系カルトは「一切外」とくに業報輪廻転生論を説くのがメルクマールになります。
624神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 09:59:56.46 ID:YSweaKU5
輪廻転生肯定論者は全てカルト(反社会的宗教集団)である〜という事ですね。
625神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 10:05:17.55 ID:5K8wggaT
大乗や密教には、基本戒律にさえ反する殺生正当化理論さえ当たり前にあるからな
戦時中の日本の仏教の、戦争殺人肯定なんて酷いものだけどあれが本性

元々、欲望を統制するのが仏教の出発点なのに
むしろ人々や権力者の欲望に迎合する方向に発展しちゃったからな
626神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 10:25:01.86 ID:0UZhN2Am
>>624
>輪廻転生肯定論者は全てカルト(反社会的宗教集団)である

業報輪廻転生肯定論は、菩提心凡夫にとって経験的に検証不能の
「生れ」による差別=人種差別(レイシズム)を認める反仏法です(Sn.136・142)。
現代世俗社会でも「法の下の平等」(日本国憲法14条)に反する反社会的宗教集団といわざるを得ません。
627神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 10:34:19.54 ID:5K8wggaT
日本の基本戒律さえ守らない僧侶が、朝鮮や満州やベトナムあたりまででかけていって、戦争に協力しない現地の僧侶達を罵倒した記録はいくつもある
当然、仏教的に間違っているのは日本側だった

中には、自分がいかに平常心で殺人できたかを自慢する坊主さえいた
628神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 10:35:57.98 ID:9uNnIFFW
いやあ、根拠の無い妄想とはオタク達じゃないのw
現在、過去、未来の三世観は仏教の基本だけどねい。

それを前提としてこの娑婆世界が何故差別世間なのか、
それを解き明かしているのが仏教
629神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 10:42:22.94 ID:5K8wggaT
仏陀の権威にあやかろうとした連中が後世かってに付け加えた妄想の産物は、仏教といえるのか?
普通に自分の宗教立ち上げていれば(世間には相手にされなかっただろうが)おかしい話にはならんかったのに
630神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 10:51:16.52 ID:JElOFvEC
>>628
>現在、過去、未来の三世観は仏教の基本だけどねい。

それ自体が、現代の科学では到底容認できない輪廻転生の基盤。

よって、やはり釈迦自身がカルトの根源。
631神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 10:56:15.07 ID:9uNnIFFW
>>626
> 「生れ」による差別=人種差別(レイシズム)を認める反仏法です(Sn.136・142)。

釈迦さんも否定してますよ。
生まれに依ってバラモンになるのではなく、行いに依ってバラモンになるのだと、
632神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:02:55.90 ID:9uNnIFFW
>>629
あのね、釈迦の権威云々していけど、
釈迦さんは、自らも「ジャータカ(過去世物語)」で三世の継続を現しているんでないの?
633神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:10:34.93 ID:JElOFvEC
>>631
いくら釈迦を正当化しようとしても無駄。その開祖個人のあくなき絶対化・正
当化自体が、カルトの最大の特徴。彼自身が、バラモンの洗脳から離脱しては
いなかっただけの話。
634神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:23:01.75 ID:9uNnIFFW
仏教でいふ、所謂「差別」とは自らの所業に依って起こるものとしている。
例えば、生まれとか容姿や性格など、、、

それを「業報」と称している訳ね。
オタクの言うような人為的差別をしろなどとどこにもないから。

不軽菩薩思想にみるように「あなた達は仏様です」敬い続けたのが、
仏教の真意じゃないのかな。
635悟りは要領です、先ずガラクタを排除しませう:2013/09/20(金) 11:25:08.05 ID:0UZhN2Am
>>630
>よって、やはり釈迦自身がカルトの根源。

相変わらず、最後の一言が余計。

もう<経験的に検証不能の一切外無視(無記)>は基本中の基本・初歩中の初歩だよ。

「マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。
 また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。
 ★マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないいう考え方があろうと、*←一切外論議
 ★まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。*←一切内
 ★現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである…。*←仏教は一切内についての四諦の教えである。

マールンキャプッタよ、ゆえに、わたしが説かないことは説かないと了解せよ。
  わたしが説くことは説くと了解せよ。』(中部6)

>>632
>釈迦さんは、自らも「ジャータカ(過去世物語)」で三世の継続を現しているんでないの?

仏典・教典自体も<「現生的なる法」の基準(相応部35-70)>で検証する必要がある。
で、「ジャータカ(過去世物語)」はこの基準でアウト。
一切外迷妄想を語っている。

こういった「仏教上のガラクタの大掃除・排除」が「択法(ちゃくほう)覚支」。
『厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。』(中部72)ので無視します。

一切外のナンセンスに入り込むことででどれだけ多くの修行僧が迷妄の淵に沈んだことか。
636神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:31:21.46 ID:9uNnIFFW
>>633
釈迦さんの絶対化など誰も言ってないがなー
誰もが釈迦さん程度の仏に成れると言うのが、本来の仏教の言い分ですよ。
637神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:37:55.85 ID:JElOFvEC
Snは、読んではならない、読ませてはならないカルト書No.1。これで
「人間」が狂わされる。

釈迦が「業報」「因果」を説いた以上、輪廻転生に結びつくのは必然的。

石飛氏のような釈迦カルトは、中論の「空」さえ、「因果関係」と解釈している。 
638神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:41:01.16 ID:5pyhsFIX
>>621 親切僧氏
>ってことは、常住なる実体があるんだとすれば、それは「縁起していないもの」ってことになるよね。
>それは、決して認識できない。眼耳鼻舌身意など、いかなるものも原因に持たないから。
> 認識できないものを、どうして「実体がある」なんて言うことができようか、ということ。

「感興のことば」26.21
「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
 作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」

法華経の如来寿量品
訳1「仏の目から見た本当の世界は、このように不滅常住であるにもかかわらず、
  衆生の目にはこの世界は大火に焼き尽くされているように見える。」

仏は無為を観じることができるとあります。
衆生には認識できない「無為」ですが、如来には観じることができ、形而下ということではないですか?

長部経典でも、読心通や前世やカルマを見る神通については具体的に説かれたいたのも、如来や阿羅漢には
形而下であれば説明がつきますでしょう。

(参考例)
人間も細胞も活発に活動しており所謂「無常」ですが、電子顕微鏡で見た素粒子レベルでは「静寂・寂滅」かも知れません。
639神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:41:02.17 ID:JElOFvEC
>>636
「仏になれる」のではなく、「すべての人間がすでに仏」なのである。
両者は大違い。釈迦はそのことに思い至れなかった。
640悟りは要領です、先ずガラクタを排除しませう:2013/09/20(金) 11:41:20.20 ID:0UZhN2Am
>>634
>不軽菩薩思想にみるように「あなた達は仏様です」敬い続けたのが

不軽菩薩とやらにとっての修証一等の仏道なのであって、無分別の分別<煩悩即菩提><即心即仏>、
菩提心のない凡夫にとっては、凡夫⇔仏(覚者)でなんら仏(覚者)ではない分別のままだ。
641神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:41:24.11 ID:YSweaKU5
今世に望むもの無く、来世に望むもの無し〜と言うのが理想で、
今世に未練たらたらで、来世を今世より良い充実した人生を送りたいとか執着している
から輪廻転生する〜と仏教は戒めの方便として言っているだけだよ。

輪廻転生はしないのが理想で、あたかも輪廻してより良い転生を〜とかなると妄想以外の何者でもない。
そんな執着、妄想を断ち切る事を教えているのが仏教。
642神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:45:07.14 ID:/TzIYtmJ
>>623
なるほど。

>>624
>輪廻転生肯定論者は全てカルト(反社会的宗教集団)である〜という事ですね。

この理論でいくと、自分は上座部で修業した僧侶の方々の法話をネットでよく読むけど、
その法話の中によく、「釈迦の前世は○○でした。」とか「自分の前世は○○で〜」みたいな話や、
「瞑想修行の進み具合には前世のカルマが影響してます」みたいな事が良く書かれてるから、
仏道修行の本場である上座部もカルトってことになってしまうが・・。
643神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:47:31.76 ID:9uNnIFFW
>>630
いや、現代の科学で証明出来ない事象など腐るほどある。
科学絶対視ほどあやふやなものは無いね。
餅屋は餅屋に任すべきだと思うよw

科学そのものに善悪はないが、それを用いる心を育むのが
正しき生命観を持つ仏教に委ねるべきじゃないのかい。
644神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:47:33.45 ID:5pyhsFIX
>>637 ご隠居氏
>石飛氏のような釈迦カルトは、中論の「空」さえ、「因果関係」と解釈している。 

なにも石飛先生でなくても、「AならばB、BならばA」の相依関係は論理学の世界でのみ
成り立つ、「机上空論」だと分かる筈ですが。

もし反論があれば、私のこのかきこの前にレスを下さい。 さあさあ、どうぞ〜。
645悟りは要領です、先ずガラクタを排除しませう:2013/09/20(金) 11:54:50.60 ID:0UZhN2Am
>>638
横槍だが、それらはすでに論破済みだ。
なんらキチンと如理作意せず、ほとぼりが冷めればまた同じ繰言を繰り返す。
>>622
じつに姑息な奴だ。

龍樹 中論13-7・8、Sn.908、相応部35-23・70
646神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:55:52.13 ID:5pyhsFIX
>>643
>いや、現代の科学で証明出来ない事象など腐るほどある。

まったく同感です。
因みに一流の科学者ほど貴兄と同じ意見かと思料します。

かのアインシュタインも「神があるとすれば分かり易い。宇宙の法の立法者。」という主旨のことを言っておられました。
彼から見た宇宙の幾多の法則は美しく、どうしてそのような法則ができたのかは科学で証明出来ない事象でしょう。
647神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 11:59:44.93 ID:5pyhsFIX
>>645
>横槍だが、それらはすでに論破済みだ。

私は同じ問いを親切僧氏にしております。 
貴兄と同じ回答になるかは分からないでしょう。
648神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 12:03:53.06 ID:5pyhsFIX
>>645
>横槍だが、それらはすでに論破済みだ。

因みに「感興のことば」26.21 は現世スレで始めて引用した筈ですが、論破された記憶は無いです。
もしかしたら私も痴ほう症が進みつつあるのかも知れません。
649神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 12:32:10.30 ID:JElOFvEC
>>646
宗教とは違って、科学は、初めから「すべてが判る」などというアホナことは
言わない。「判らない」ということが「判っている」からこそ、観察と実験を
重ねて一つ一つを検証する。だからこそ進歩がある。

それをやらないで、初めから「すべて判ったつもりの」宗教は、数千年間、
進歩はゼロ。常に争いの原因となっているだけ。
650神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 13:04:46.24 ID:rp9WmLV3
>>638 一在家さん(別のPCのため、ID変わってます。)
>仏は無為を観じることができるとあります。
>衆生には認識できない「無為」ですが、如来には観じることができ、形而下ということではないですか?
>長部経典でも、読心通や前世やカルマを見る神通については具体的に説かれたいたのも、如来や阿羅漢には
>形而下であれば説明がつきますでしょう。

うん、おっしゃるとおり、形而下だと思うよ。輪廻も形而下だね。
えーと、ごめん、それは僕の>>621の話と矛盾しないと思うんだけど…。

>>622
まあまあ、そう言わずに…。
あまり、そのように主張すると、自分自身がカルトっぽくなってきちゃうよ〜。
651神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 13:05:54.64 ID:J04+J6gB
 
> (参考例)
> 人間も細胞も活発に活動しており所謂「無常」ですが、電子顕微鏡で見た素粒子レベルでは「静寂・寂滅」かも知れません

因と縁の依存によって

「 確定した位置と速度を持つ点ではなく、確率的に現れる 」

と、とりあえず仮の説明をしてる、と言う事であるらしい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90
電子の大きさについては、標準模型では 0 とされるが
大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%9B%B2
電子はもはや 「 確定した位置と速度を持つ点 」 ではなく
波動関数であらわされる存在であり
たとえば電子が存在するために起きる干渉などの相互作用は
それに従い確率的に起きる
空間におけるこの確率は
雲のようにぼんやりと分布するものになり …
6521/2悟りは要領です、先ずガラクタを排除しませう:2013/09/20(金) 13:39:36.07 ID:0UZhN2Am
>>648
>「感興のことば」26.21 「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
             作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」

これはウダーナ8-3と同趣旨。
宝珠に懇切丁寧に説明したのを読んでいるハズ。
信仰固執カルトに言っても無駄・徒労だから前提証明を省き結論のみ書く。

26-21の趣旨は 、
『世俗の【生じたもの⇔不生なるもの】(分別)という戯論の寂滅(戯論からの「出離」)によって、
<不生なるもの>(無分別示唆←これも戯論)⇒縁起の直接現実の無分別智による直覚=悟り=大覚成就がある』と言っているのだ。(中論25-15⇒同25-16)

そもそも『不生なるものが有る』というのは空見だ(中論13-8)ということが掴めなければオハナシにならない。
おそらく、ついてこれないだろうな・・・
・『もしもなにか不空(非空)というもの(実体)が有るならば、(その否定としての)空というものが有るであろう。
  しかるに不空(非空)というものは何も存在しない。どうして空なるものが存在するだろうか。』 (中論13-7)
  空なるもの=「空性』に自性・実体を見てしまう「自性空」(プラクリティ)批判だ。

これを生⇔不生に転換すると『もしもなにか生というもの(実体)が有るならば、(その否定としての)不生というものが有るであろう。
     しかるに生というものは何も存在しない。どうして不生なるものが存在するだろうか。』
不生なるものは<非有非無の如く>なのだ。勝義を示唆するのは否定論証によるしかない(中論 帰敬序 25-3参照)
空であることに比較相対などありえない。
6532/2悟りは要領です、先ずガラクタを排除しませう:2013/09/20(金) 13:42:01.73 ID:0UZhN2Am
故に、『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。
    しかるに人がもしも空見をいだくならば、勝者はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』 (中論13-8)
一切外(=シャーンタラクシタのいわゆる「邪世俗」)の妄想・形而上的論議批判だ。
空海の果分可説の批判でもある。

おまけで、『以上のように、生と住と滅とが成立しないが故に、有為(作られたもの)は成立しない。
      また有為が成立しないが故に、どうして無為が成立するであろうか(成立しない。)』(中論7−33)

 上記と同じで、<有為⇔無為>そのものがありえない立論=空見だということが・・・、アカンやろなw
 この論理が現象幻そのもの(中論13-1・2)論という空見の脱してしまうのだが、ヤメトク。
654神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:00:24.75 ID:J04+J6gB
 
>>651 の続き

仮説上の推測の対象のものも、あるらしいので

電子顕微鏡で見た素粒子レベルで 「 静寂・寂滅 」

なのか? どうか? は、わからないと言う事かも

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E9%BB%92%E7%89%A9%E8%B3%AA
暗黒物質(あんこくぶっしつ)
宇宙にある星間物質のうち電磁相互作用をせずかつ色電荷を持たない
光学的には観測できないとされる仮説上の物質である
「ダークマター」とも呼ばれる
"人間が見知ることが出来る物質とはほとんど反応しない"などともされており、そもそも本当に存在するのか
もし存在するとしたらどのような正体なのか、何で出来ているか、未だに確認されておらず、不明のままである

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC
ダークエネルギー(暗黒エネルギー)
現代宇宙論および天文学において、宇宙全体に浸透し
宇宙の拡張を加速していると考えられる仮説上のエネルギーである
このダークエネルギーの真の正体は現状ではほぼ推測の対象にすぎない
655神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:05:44.22 ID:5pyhsFIX
>>650 親切僧さん
> >>638 一在家さん(別のPCのため、ID変わってます。)
> >仏は無為を観じることができるとあります。
> >衆生には認識できない「無為」ですが、如来には観じることができ、形而下ということではないですか?
>うん、おっしゃるとおり、形而下だと思うよ。輪廻も形而下だね。

貴僧には「仏は無為を観じる」と「形而下」を賛同いただいたと認識しました。

でも >>652,>>653 氏は、同じ「感興のことば」26.21 から別の結論を導いておられるようですが、文章が難解で前世スレと同様に理解ができません。

真に申し訳ないですが、私と >>652氏との相違点を異教の凡夫にも分かる言葉で翻訳願えないでしょうか。
宜しくお願い申し上げます。 m(_ _)m
656神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:11:24.16 ID:J04+J6gB
 
ID:0UZhN2Am さんへ

お疲れさまです、そして

世俗の人にも、わかるような文言で

宜しく、お願い致します 屮(_ ._)屮
657神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:12:21.39 ID:5pyhsFIX
>>650 親切僧さん
>うん、おっしゃるとおり、形而下だと思うよ。輪廻も形而下だね。

実際に過去世を見ていけるならそれは形而上ではない。
あえて言えば、形而下(?)であるとなるのかな、ってご意見を別の方からも
頂戴しております。
658神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:21:48.39 ID:5pyhsFIX
>>652
>宝珠に懇切丁寧に説明したのを読んでいるハズ。(中略)
>おそらく、ついてこれないだろうな・・・

ついてこれないほど懇切丁寧に説明した、という文章になります。

>>656 ?氏
>世俗の人にも、わかるような文言で宜しく、お願い致します 屮(_ ._)屮

流石に仏教徒の貴兄には分かるのですね。
659神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:32:48.72 ID:jkggV6O0
>>649
原爆は科学のあだ花、
そんなサタンがほくそ笑むような大量破壊兵器を、
善悪の基準もない非仏教者にも似非仏教者にも任せる訳にはいかないんだよ。
660悟りは要領です、先ずガラクタを排除しませう:2013/09/20(金) 14:34:59.18 ID:0UZhN2Am
SN.908改
『如来は知る。菩薩は見る。仏は無為を観じることができる」という空見によって清浄になることができる、と一在家は理解している。
 たとい如来が無為を見たとしても、それが一在家にとって、何の用があるだろう。
 一在家は、正しい道を踏みはずして、他人によって清浄となると説く。』
661神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:37:43.57 ID:5pyhsFIX
>>660
>たとい如来が無為を見たとしても、それが一在家にとって、何の用があるだろう。

今回は実に分かりやすいです。
もし人は仏に成り得るのでしたら、私も皆さんも無為を見る可能性はありますので。
662神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:40:54.52 ID:J04+J6gB
 
> 『 不生なるものが有る 』 というのは空見だということが掴めなければオハナシにならない

ウダーナヴァルガのギルギット写本
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf

比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの
形成されたのではないもの、生起したのではないものがある
〔さらに一方〕生じたもの、現れたもの、作られたもの
形成されたもの、起こったもの、縁起したものがある

( − これに対して − )

ところが比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの
形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから
だから
『 生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの
  起こったもの、縁起したものを離れることがある 』
と私は説く
663神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 14:55:42.54 ID:J04+J6gB
 
>>658 さんへ
> 流石に仏教徒の貴兄には分かるのですね

ID:0UZhN2Am さんの場合は ↓ これを言いたいのかも?

ウダーナヴァルガのギルギット写本
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf

生じたもの、現れたもの、生起したもの、作られたもの、常住ではないもの
老いと死が積み重なったもの、迷妄を性質として壊滅するもの、食物を原因として生じるもの
その〔ようなもの〕は楽しむに適さない

( − これに対して − )

その〔ようなもの〕を離れることは
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり、安楽である
664神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 15:18:59.22 ID:J04+J6gB
 
> 『 不生なるものが有る 』 というのは空見だ(中論13-8)ということが掴めなければオハナシにならない

龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf

第十三章 部分と原因で構築されたもの(有為)の考察

6.
もし事物それ自体が変化するなら
牛乳自体が凝乳であり得ることだろう
そうでなければ
凝乳が牛乳とは別の実体となり得たことだろう

8.
勝者たちはこう語ってきた
空性とはすべての見解を放棄することである
誰であれ空性が一つの見解であるような者には
何もなし遂げることはできないであろう
665悟りは要領です、先ずガラクタを排除しませう:2013/09/20(金) 15:33:29.81 ID:0UZhN2Am
>>655
>「仏は無為を観じる」と「形而下」を賛同いただいたと認識しました。

爆笑、
あ〜あ、 
もう、龍樹が中論・帰敬序で言うように『アホにつける薬はない』そのものやな。
処置なしやw
666神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 15:42:09.11 ID:J04+J6gB
 
> SN.908改( ← ID:0UZhN2Am氏による改ざんもの)
> 「如来は知る。菩薩は見る。仏は無為を観じることができる」という空見によって清浄になることができる、と一在家は理解している

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm

908
「われは知る。われは見る。これはそのとうりである」
という見解によって清浄になることができる、と或る人々は理解している
たといかれが見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう
かれらは、正しい道を踏みはずして、他人によって清浄となると説く

1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
667神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 15:49:53.86 ID:J04+J6gB
 
>>666 の続き

> SN.908改( ← ID:0UZhN2Am氏による改ざんもの)
> 「如来は知る。菩薩は見る。仏は無為を観じることができる」という空見によって …

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html

輪廻を土台として
輪廻を前提として
この輪廻から解脱する為に

無我・縁起・空・を観察する為の練習が必要です

禅定に入ろうとする人は
吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます

一切の有情には仏性があるといわれる、解脱すれば仏だという

しかし 『 解脱すれば仏だ 』 と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しい
668神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 16:02:21.58 ID:rp9WmLV3
>>655 一在家さん
>貴僧には「仏は無為を観じる」と「形而下」を賛同いただいたと認識しました。

ということですね。

>でも >>652,>>653 氏は、同じ「感興のことば」26.21 から別の結論を導いておられるようですが、文章が難解で前世スレと同様に理解ができません。
>真に申し訳ないですが、私と >>652氏との相違点を異教の凡夫にも分かる言葉で翻訳願えないでしょうか。
> 宜しくお願い申し上げます。 m(_ _)m

了解です。いや〜、こういうクリアな質問は答えやすいので、助かります。
仕事終わったら、返信します。
669神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 16:50:08.44 ID:rp9WmLV3
>>668 一在家さん
 652と653を読んだけど、うーん…、一在家さんは、読まなくていいかも。
なんというか、一在家さんに対して述べているというより、独り言に近い。

それより、ウダーナを読んでいたところ、26.24が参考になると思うよ〜。
「そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、
太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている。」

「そこ」というのは、おそらく涅槃のことを指している。
670神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 16:52:35.65 ID:rp9WmLV3
>>669
訂正。
ウダーナ   ×
感興のことば ○
671神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 16:56:58.67 ID:J04+J6gB
 
> 仕事終わったら、返信します

仕事終わって時間に余裕がある時に

私(ID:J04+J6gB)の、ところも確認して

そして御教示お願い致します 屮(_ ._)屮
672神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 17:18:58.52 ID:5pyhsFIX
>>638 一在家 
>「感興のことば」26.21
「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
 作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」

>>662 ?氏 無為の紹介
>比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの
形成されたのではないもの、生起したのではないものがある

有為から解脱した仏ならば無為を観じる、ということの逆であることがポイントの
ように直感しますが、それ以上は分かりませんね。
また文言通りだと、無為などないと信じて疑わない人達は解脱できないかも知れません。
673神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 17:28:27.19 ID:71PwEgH3
上座部が世界で流行る理由がわかる気がするなあ
余計なもん付け加えた結果、理論遊び大好きになってるのばかり

で、肝心の戒律実践や修行は適当と
大乗のことだよ
674神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 17:36:02.20 ID:5pyhsFIX
>>673
>大乗のことだよ

大乗は龍樹が縁で起こったと認識しております。

でも龍樹は「空性(中論)は功徳の備わった人にのみ説かれなければならない。」と言い残したとか。
(入中論,P17)
675神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 18:03:24.73 ID:J04+J6gB
 
>>672 ID:5pyhsFIX さんへ
> 有為から解脱した仏ならば無為を観じる、ということの逆であることがポイントの
> ように直感しますが、それ以上は分かりませんね。
> また文言通りだと、無為などないと信じて疑わない人達は解脱できないかも知れません。

生じ、現れ、生起し、作られ、常住ではなく
老いと死が積み重なり、迷妄を性質として壊滅し、食物を原因として生じているもの

 − これに対して − 

『 解脱すれば仏だ 』 と言う事に、気づくまでは、気づくことは難しいので
無我・縁起・空・を観察して、そして
最終的には阿羅耶識もまた空なので(境識倶泯)

因と縁の依存によって現れ滅するものから離れることは
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり、安楽である
676神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 18:08:22.50 ID:fxGmsRF0
>>671 ?さん
IDかわりました〜。
>>662>>663の引用を見たところ、バッチリだと思います。
>>664の中論13.6は難しいね…。
青目注辺りを読んでみても何となくつかめそうな気はするけど、
そんなにうまく説明できるわけでもないので、ノーコメントで!
13.8は大事なところだね。見解をすべて捨てて法を説くところに、
空が活きてくる感じだね。
677神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 18:24:12.78 ID:+hyNI+jh
>>644
>なにも石飛先生でなくても、「AならばB、BならばA」の相依関係は論理学の世界でのみ
>成り立つ、「机上空論」だと分かる筈ですが。

まだ「去る者は去らず」も理解できていないね。

中論第一章は「もろもろの存在」で始まる。そして「相対的ならざる存在」は
ない。例外があれば挙げてみ。

石飛氏が「因果関係」としたのは、そうしなければ、「釈迦」の「業報論」が
維持できないから。彼女の「釈迦盲信」の結果に過ぎない。
678神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 18:29:00.60 ID:J04+J6gB
 
> IDかわりました

ID:VF2ySO8A → ID:ac8lu4Yd → ID:J04+J6gB

>>662>>663の引用を見たところ、バッチリだと思います
>>664の中論13.6は難しいね…
> 青目注辺りを読んでみても何となくつかめそうな気はするけど
> そんなにうまく説明できるわけでもないので、ノーコメントで
> 13.8は大事なところだね。見解をすべて捨てて法を説くところに
> 空が活きてくる感じだね

私の場合は
『 余計なもんを付け加えて、理論遊び大好きになってる 』 けど

これからも御教示宜しくお願い致します スマソ 屮(_ ._)屮
679神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 18:40:52.89 ID:5pyhsFIX
>>677
>中論第一章は「もろもろの存在」で始まる。そして「相対的ならざる存在」は
ない。例外があれば挙げてみ。

因果関係「渇愛→苦しみ」
相依関係「苦しみ→渇愛」も含まれる

因果関係「私のかきこ→貴兄のレス」
相依関係「貴兄のレス→私のかきこ」も含まれる

例外が大杉ですね。
680神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 18:55:01.19 ID:98h1+DJF
あれだよ、あれ
仏教で因果関係認めなければ修行もクソもなくなるというもの。
法華経の中に「常不軽菩薩品」という経典があるのだが、
それは釈迦の過去世に於ける修行時代を顕したもの。
人々から大変厳しい迫害を受けながらその人々を敬い続けたという内容になっている。
何故敬ったのか、ここが大事な所だがそれは、それぞれの人々には仏性が内在している
という事を確信していたからに他ならない。
仏教の核心的最重要課題は、このそれぞれに内在する仏性を顕現化する事にあるといえる。
681神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 19:24:10.35 ID:98h1+DJF
因果関係といってもぶつ切り状態で起こるモノではなく、
個々の持つ性質、または傾向性が大きく作用するものでそれが個々にとっての
オリジナルな姿となる。

言葉を変えれば、これが過去からの業報に当たるといえるだろう。
因みに「転重軽受」や「宿命転換」も参考にしたい。
682神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 19:38:18.66 ID:ukbeMNAT
>>679
まず、「もろもろの存在(実在)」について語っているのだから、そのような
「感情」は二次的。存在(実在)(例えば人体の諸器官)について考えて
見られたし。厳密に相依関係である。

渇愛からは、苦しみも楽しみも生じるのだから、その因果関係の命題自体が
釈迦の誤り。相依関係にない命題を、「誤り」と呼ぶ。それとも「生・誤」の
相依関係かw。

君のカキコが無ければ、それに対する私のレスもない。まさに相依関係。
ここの議論に関係がなければ、私も書き込まない。
683神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 19:43:16.69 ID:b7ZCU278
>>682
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww


>君のカキコが無ければ、それに対する私のレスもない。まさに相依関係。
>ここの議論に関係がなければ、私も書き込まない。

バリバリ時間性そのものじゃんかwww
時間的先後が覆せていない証左じゃんw
時間性排除とか、どの口で言ってんのか?とw
684神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 19:48:04.43 ID:ukbeMNAT
>>683
カキコ同士の相依性の判断には、時間を排除しなければならない。私の見解も、
次の瞬間には変わっているのかも知れないのだからw。
685神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 19:51:05.07 ID:5pyhsFIX
>>682
>君のカキコが無ければ、それに対する私のレスもない。まさに相依関係。
>ここの議論に関係がなければ、私も書き込まない。

じぇじぇじぇじぇ。
686神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 20:01:53.83 ID:5pyhsFIX
>>684
>私の見解も、 次の瞬間には変わっているのかも知れないのだからw。

じぇじぇじぇじぇ。
687神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 20:03:29.55 ID:ukbeMNAT
そもそも、時間とは、物の構成の変化のことだから、時間性を認めたたら、
物の構成が判る訳がない。「諸行無常」なんでしょw。
688神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 21:14:28.75 ID:b7ZCU278
>>684

>私の見解も、次の瞬間には変わって

時間的先後以外の何だと言うのか?とw
つか、
それが、時間的先後を前提とした考え方(…人間という生物の思考の癖)なんだがなw
689神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 21:24:44.26 ID:ukbeMNAT
>>688
あくまで、カキコ同士の相依性の話をしている。なされたカキコは、一時点で静止している。

なお、因果関係なら、原始人でも現代人の幼児にでも判ることだね。「火に手を近づければ
熱い」。わざわざ、御釈迦さんに教えて貰う必要はないw。
690神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 21:32:33.26 ID:ukbeMNAT
>>688
動いている機械の構成図がかける?つか、構成自体が常時変化しているのだが。
一旦機械を止めて、その時点における構成でなければ無理だねw。
691神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 22:36:45.20 ID:b7ZCU278
>>689-690
あほかw

源氏物語と、それについての高校生の感想文、
高校生の叙述は源氏物語に依っている。確かに相依かもしれん。
が、源氏物語が創出されているその瞬間(貴方の大好きな静止画としての一瞬w)に、
高校生の感想文が存在してるのかね?

竜樹の中論に関する君の見解、
君の見解は中論に依っている。確かに相依かもしれん。
が、中論が記されたとき、
その一瞬を静止画の如く切り出した時、動いている機械を止めるが如く静止画として切り出した時、
君の見解もそのとき存在していたのかい?
692神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 00:46:30.94 ID:RcaXCA/V
あのさあ、時間の判断枠組みを度外視することと、そこに縁起の流れを見るのとはちがうと思うよ
たとえば、目の前にあるのが、家なのか、窓なのか、アルミとガラスなのか、ケイ素化合物なのか、
原子なのか、クオークなのか・・・・、といったように俺は今まったく同じもんについて異なる方法で言及しただけだが
それはつまり、どう表現するかで縁起されるものの見え方も変わってくる。
そういう自分の見え方はとりさったとしても、そこにはなんらかの縁起はあるのか?
あったとしてそれをどこまで認めるのか?
仏教は明言しないが、時間の問題もそこに答えがあると思うよ
俺は、一応<時間>と表現されるところの縁起は存在するとした方が現代にあっていると思う。
その縁起は俺がつくった妄想以上の迫力があると思うからね
いや、これでは単なる独断にすぎない。我々は共有していると言ったほうがいいかもしれない、仏教的にはね。
693神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 00:53:19.88 ID:T9hSdyTv
>>692
大事なことを忘れている。

時間性を無視して縁起を見ることができるのは、悟った人間だけなのさw
悟ってない者が無時間的なことを云々するのは愚昧だということ。
694神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 00:55:07.63 ID:RcaXCA/V
>時間性を無視して縁起を見ることができるのは、悟った人間だけなのさw

そりゃそうだ
695神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 01:37:20.47 ID:e08lGv5U
>>691
静止画としての源氏物語に、静止画としての感想文が相依する。

静止画説は、生命の本質から論証できる。存在を認識して存在たらしめるのは
生命の機能であり、生命は、刹那の生命の積み重なりである。即死者にとって
の最後の世界は、一枚の静止画である。これがニーチェの永劫回帰(正しくは、
永遠の反復)の意味である。

過去・未来を思考するのも、今ここの生命。従って、すべて今ここであり、
過去・未来は存在しないのである。

>>693
「悟り」とは何か?日常用語で定義してくれ。中論は「世俗的なことにもとづかなければ、
第一義は説示し得ない」と言っている。従って、勝義は、世俗的なことから一
歩も踏み出すことは出来ないのである。これが中論の「勝義=世俗諦」の意味
である。
696神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 01:39:06.23 ID:RcaXCA/V
見解が分かれるところだろうけど、仏教の覚りをどこらへんにおくかだよね
単に時間性を無視するほど、こりゃ滅尽定だろうが、ここに至ることを至上とするか
それとも無我、我なしと悟って、それを日常に生かすことを至上とするか、じゃないかね
俺は後者だと思う
滅尽定を体験したとして、それに囚われてしまえば、東京行って東京タワー見ずに帰ってくるようなもんだろうし
たとえが古いな・・・
697神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 01:50:06.73 ID:T9hSdyTv
>>696
そうじゃなくてw

>すべて今ここであ  ってもいいけどw、
その「源氏物語が書き上がった“今ここ”」に、高校生の感想文が絡んでるのか?と。
2013年の高校生の感想文に依存して、戦時物語が書き上がっっているのか?
と問うているのだよ。

>静止画としての源氏物語に、静止画としての感想文が相依する
の逆、
 静止画としての感想文に、静止画としての源氏物語が相依する
のか?と。
698神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 01:50:57.77 ID:T9hSdyTv
あ、ごめんw
アンカー修正し忘れた。 m(_ _)m
699神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 01:55:58.37 ID:RcaXCA/V
>>695
過去を省みることも評価したほうがいいよ
一瞬ごとに自分が滅しては生じるリフレッシュを繰り返すことはそうであるかもしれないが
現在は無から生じているわけじゃない、それだけで完全であるわけではないのだから
700神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:00:56.62 ID:e08lGv5U
>>696
「無我」「我なし」と「覚る」のは、他ならぬ「我」である。「我」でなければ、
「誰」が覚るのか。
また、人類は、五感の知覚により物の実在・非実在を区別することによってのみ
生存して来た。人類は、実在(現実)に100%依存しない限り、一瞬たりとも
生存できないからである。例えば、目に見える大地が非実在なら、一瞬にして奈落の底
である。これは、人類にとって「法の中の法」である。
よって、釈迦の「無我」「無」は、いずれも初歩的な論理矛盾と人類史的洞察の
欠如による勘違い、誤りである。この誤りを是正したのが、竜樹の類い稀な頭脳である。
701神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:03:33.08 ID:T9hSdyTv
もし、漸時の修習、時間的積算で業(行為)を見ることなく、
無時間的縁起に一足飛びに行ってしまうと、(→理論的相依縁起の理解のみでいると)
(現代禅に顕著だが)、刹那主義の現状肯定仏教になっちゃうのよねw



>>700
そんなことより、
平安時代に平成25年の感想文があったのかどうか、答えてくれよw
702神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:07:05.65 ID:e08lGv5U
>>699
過去を顧みているのも、無から生じてはいないと考えているのも、今ここの
生命である。
703神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:07:50.44 ID:RcaXCA/V
>>697
こういうことでは?
@源氏物語をよんだとき、それは現代の常識と当時のそれが異なると感じる
A過去のそれを学ぶことによって、現代のそれを学び、相対的に意識される
B現在との関係の中で過去は多様に解釈される
C現在のそれは、そのような歴史的な影響をうけて成立したものである
我々の理解はこうした循環の中で成立する

そもそも、永遠に今しかないのだとしたら、源氏物語が存在したであろう過去も想定されない
時間を前提して、もしあったとしたらどうなんだで進めて、ほらやっぱりあったというのは循環論法でしょ
704神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:08:57.49 ID:T9hSdyTv
>>703
つ刹那主義の現状肯定仏教
705神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:12:58.63 ID:RcaXCA/V
>>700
誰が何をという枠組みをとればしからしむる
生命があるとは、ちょうど電流が流れているようなもの
流れていると思ったときに、私があるのではなく
私がなくとも、電流は流れている
ただ滔々と流れているだけ、それで足る
706神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:15:31.20 ID:e08lGv5U
>>704
現状以外に何を肯定するのか?過去は既に過ぎ去ったもの、未来は、まだ生じて
いないもの。肯定・否定の対象にはなりえない。肯定・否定も、今ここの生命の
機能である。
707神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:20:15.25 ID:RcaXCA/V
過去を知らんと欲せば、現在の果を見よ、未来を知らんと欲せば、現在の因を見よだな
分からないということは不安を生じる。未来が分からないことは人間にとってはこの上もなく苦痛なのさ
現在を肯定的にとらえたいものは未来を知りたがる。
逆に未来に何も期待しないものは、現在のみを肯定する。それは不動の覚悟があってこそできることだ
708神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:23:25.23 ID:T9hSdyTv
>>706
いやいやw

過去は、「そのときは、まさに“今ここ”だった」筈だが?

そして、今そこで貴方が述べた「現状」という括り(→今ここ)も、
切り捨てられる過去になるわけだが?


>>707
福一から放射能汚染水が流出していることも、
酒かっくらって、キャバ嬢のお尻を撫でまくるのも、
全部、仏の姿だから、そういう坊さんが現代では理想とされるわけさwwwww
酒や女に溺れる坊さんほど、現状肯定仕切っている優れた高僧ということさ。
709神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:24:54.90 ID:e08lGv5U
>>707
その「不動の覚悟」が、「悟り」である。
710神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:28:53.67 ID:RcaXCA/V
>>708
つまり、記憶を働かせないのさ、竹を割ったような性格というか
リアルタイムのインプットのみでアウトプットを決めてるっつうことかね、
およそ人間らしい生活ができるとは思わないが。
イエスの今日の心配だけして生きろを徹底して突き詰めた感じだよなw天晴れじゃないか
俺はオススメしないけどな

ははは。僧になりたい子供が増えるな
711神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:31:34.90 ID:T9hSdyTv
>>710
古尊宿の“それ”は、長年の習い性に依存している、ってことを忘れてるだろw

孔子でさえ、欲するままにして則を越えずに済むのは、云十年生きてからだと言ってるのにw
712神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 02:34:20.71 ID:RcaXCA/V
>>709
蛮勇というか、捨て鉢というか。
人生7割はハッタリだけどな
713神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 03:18:12.06 ID:+FjWEQE+
>>692
>それはつまり、どう表現するかで縁起されるものの見え方も変わってくる。
>そういう自分の見え方はとりさったとしても、そこにはなんらかの縁起はあるのか?

涅槃、じゃないかなぁ。ありのままにみる。諸法実相かな。
714神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 03:48:40.50 ID:7Y4w+Z4t
畜生根性を仏と称する錯乱振り
なーんも分かっちゃいない香具師がしたり顔ってw
715神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 07:28:44.38 ID:P/YkGbuJ
>>710
>リアルタイムのインプットのみでアウトプットを決めてるっつうことかね、

刹那快楽主義の凡夫が仏ですか?
716カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/09/21(土) 07:48:40.00 ID:ZCefMNGT
>>699
は?滅しては生じているのだから現在は無から生じているんだろうが。これを遡っていくとビックバン以前に行き着く。
そこには何も無い。全てはそこから生じた。この現象世界の本質は言葉で表現するなら無。それは基点のゼロ。
勿論それを完全な無と言い切るのは間違いだが、なんで言い切ると間違いになるかは何度も説明してるし、
また説明するのも面倒臭いのでやめておく。どうせ豚に真珠だし。しかし君らは、
龍樹の中論の、言語識別相対世界の縁起、空の思想も理解出来ないんだな。
717カラスの唄:2013/09/21(土) 08:19:32.51 ID:ZCefMNGT
もっと正確に言うと、現在というのはこの現象世界には無い。なぜなら縁起で繋がっているこの現象世界は、
常に時間が流れているからだ。では時間の止まっている、「今ここ」はどこにあるのでしょう?
全ての根源であり、今でも全てはそこから生じているそれを、昔の人は自性と呼んだが、
それの本質を知った仏教を広めた人達は、それを無いと教えた。君らを騙し惑わす為にね。
君らはまんまとその罠に嵌まっている。仏教は見込みの無い業=魂の為に残された滅びの教えだよ。
718神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 08:23:45.70 ID:gid5/g28
>>715
大昔の精神病の1個人に過ぎない釈迦の勘違いに執着しまくり、くどく
どと観念まみれの分別と無意味なおしゃべりに耽り、聖者と凡夫など
と人間を差別する釈迦カルトたちは、畜生にも劣る。人間とは、本来、畜生
(動物)であることを自覚して、畜生から学ぶことが先決。

一切のガラクタ宗教観念を廃して黙って座り、己の生命の声のみに耳を傾けよ。
生活者(衆生)は、ひたむきな生存努力という「大修行」の中で、既に悟って
いる。座禅とは、観念を廃した身体の行為としてのこの生存努力の擬制のはず。
719神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 08:30:42.65 ID:UKBL80G/
この膨張している宇宙の外では、縮小している宇宙や新しく誕生した宇宙の
ドラマが繰り広げられている、というのが最新の宇宙学ですな。
720カラスの唄:2013/09/21(土) 08:38:07.01 ID:ZCefMNGT
>>718
言葉を持たないただの獣はエゴの奴隷。エゴに逆らって生きることはできない。
利己心に逆らう自由意志を与えられているのは我々人間だけだ。それはエゴを殺す道。それは沈黙の知恵。
識別知の言葉は人を殺したが、この言葉による知恵こそが死んでいる我々を再び生かす。
屁理屈ばかり垂れて聞く耳のない君には関係のない話だろうけど。
721神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 08:38:39.24 ID:+FjWEQE+
>>718
そう確信してるんでしょ?じゃあなんでこのスレに来るの?
そういう真理を悟ったならはやくこのスレを卒業しなよ。
ここの釈迦カルトの人には何を言っても無駄だから諦めた方がいい。

それでも、あなたがここに来ざるを得ない理由を考えてみるといいよ。
どうして、そうカルトみたいに何度も同じことを繰り返してしまうのか。
722神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 08:42:31.10 ID:gid5/g28
>>710
イエスが「明日のことを思いわずらうな」と言ったのは、彼の多くの誤りの
うちの一つ。生存のために思い煩うのは、生存努力の一部。明日のことに
思い煩わなかったら、人類はとっくに消滅している。心とは、肉体(生命)を維持する
ためにあるのであり、その逆ではない。

空の鳥も野の花も、一瞬の休みも無く生存努力を続けていることに、イエスは
思い至らなかったのである。
723神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 08:45:31.21 ID:P/YkGbuJ
>>721
>それでも、あなたがここに来ざるを得ない理由を考えてみるといいよ。
>どうして、そうカルトみたいに何度も同じことを繰り返してしまうのか。

理由は「生命教」の布教でしょう。。
724神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 08:55:01.12 ID:gid5/g28
>>723
人類、そして恐らくは他のすべての生物も、その発生以来「生命教」の信者。
「布教」は必要ない。下位次元の既成の宗教をすべて撲滅して、生命という
最上位次元、根源に立ち帰ることで足りる。
725神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 09:20:19.49 ID:vZmhRtVw
生命教=ジャータカでオッケー?
726ノスタルジア:2013/09/21(土) 10:18:37.04 ID:U2qsgEFf
>>716 すみませんが、お答えしていただけないでしょうか?
僕は、昨日の段階で、無が分かりました。しかし、キミのレスは見ていません。
僕は共時性を狙って投稿するほど賢くないし、悪魔的でもないので、
そのようなことをしないからです。しかし共時性を狙って投稿される場合もあります。
僕が昨日の時点で分かっていたことに対する、キミの共時性に対して、
できすぎていると考えています。うまく行きすぎていると。もし、その
投稿内容が嘘偽りがないならば、どうして、それを投稿する気になったのでしょうか?
キミを貶めたいわけじゃないが、言葉尻だけとらえられても、僕と同質の
境地が把握しがたいのです。

ところでキミは僕を騙すために、わざとビックバンなどと言う単語を
使ったのですか? 僕は騙されませんよ。なにせ、この外の空(そら)の
奥にある宇宙など、その宇宙初期のビックバンなど他愛もないものであると
思っているのだから。そんなもんは無いが、それと無とは違う!!!!

なんで戻らなきゃいけないんだ?
727神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 10:41:18.15 ID:+FjWEQE+
>>724
>人類、そして恐らくは他のすべての生物も、その発生以来「生命教」の信者。

なるほど、それなら、あなたが改めて生命教の教えを説く必要がないでしょ。
このスレの住民はもうすでにみんな生命教なんだから、釈迦に説法だよ。
すでに生命教であるものが、さらに生命教に改宗することなどできないから。
728神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 10:50:00.98 ID:bvCshpoW
仏教の根本であり、そんな理解が難しい話でもない(体感するのは難しいが)「無我」さえどっちらけなのはなぜ?
こうやってる一瞬一瞬にも、自分の心や体は生滅を繰り返している

「これは私のものではない」「これは私ではない」「これは私の我ではない」
729神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 11:36:58.72 ID:T9hSdyTv
また隠居に餌をやる・・・w
730神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 12:49:26.62 ID:SVvZse9S
>>716氏の説に同意します。まさに色即是空、空即是色ですね。
世の中の全てのモノには実体が無く(永遠に存在不可能)、何も無い世界(空)から全てのモノが生まれる。
まさにビッグバンです。この経典作者はビッグバンを知っていたかのような感じさえしますね。

形而上の存在論に対するひとつの仮説です。この仮説は個人的に信憑性が高いと思っています。
731神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 12:59:21.28 ID:P/YkGbuJ
>>716
>は?滅しては生じているのだから現在は無から生じているんだろうが。これを遡っていくとビックバン以前に行き着く。
>そこには何も無い。全てはそこから生じた。この現象世界の本質は言葉で表現するなら無。それは基点のゼロ。
> 勿論それを完全な無と言い切るのは間違いだが、なんで言い切ると間違いになるかは何度も説明してるし、

物質はゼロ、エネルギーは非零、エネルギーが物質に変換された、という理屈でも一応説明できるのでは。

そしてエネルギーは波、智情意も波、お後は宜しいようで。。
732神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 13:07:21.63 ID:4FXAkQVE
>>730
>>716氏の説に同意します。まさに色即是空、空即是色ですね。

>>716氏の説に同意しません。まさに色即是空、空即是色ではありません。

>>716氏の説は二項相対思考の範疇でしかありません。
混ぜるな!危険を冒した空見でしかありません。

                       以上、帰謬論破終わり
733732:2013/09/21(土) 13:09:21.73 ID:4FXAkQVE
訂正
△ >>716氏の説は二項相対思考の範疇でしかありません。
〇 >>716氏の説は二項相対思考の一切外範疇でしかありません。  
734神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 14:21:20.15 ID:Vne7P1B1
上座部系からは「他宗からの批判に答えたいやりこめてやりたい、とか欲望や願望を正当化したいという思いに負けて、どんどん経典を捏造した」と批判されるのが大乗
すくなくとも、この指摘にもろ当てはまってるのがいるなぁ
735神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 15:29:05.07 ID:0YIxvTCm
という上座部系からのやりこめてやりたいという欲望や願望を正当化した書き込みでした
736神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 17:11:33.16 ID:S9Ljfs1A
真面目に戒律守ったり、地道に修行したりするよりも。
経典でっちあげて戒律破りや金集めを正当化したほうが楽だからねぶっちゃけ。
肉食妻帯、飲酒しまくりの日本仏教のていたらくなんてその行き着く典型のひとつ。
737神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 17:18:28.54 ID:T9hSdyTv
>>736
不正確な記述でミスリードすんなよw

大乗経典作者達は、>戒律破りや金集めを正当化した わけでは無かった筈だが?
それらを正当化するために大乗諸経を編んだわけでもあるまいに・・。
738神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 17:21:29.01 ID:QEl1jC0X
今流行してるっていう上座部は在家にどこまで戒律守らせてるの?
739神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 19:00:09.57 ID:T57Qc33K
740神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 20:31:22.49 ID:CQPTcWTb
そもそも我我自体
は光速で変化移動してるんじゃないの
今と思うこの瞬間ももう過ぎ去ってしまってる
細胞も常に生成消滅してるし
朝起きたときが始まり
昨日は忘却の彼方にすぎっさた
スマさんがいってる
未来明日は観念にしか過ぎんと
たしかにそんなもんくるかどうかわからん
741神も仏も名無しさん:2013/09/21(土) 20:32:31.97 ID:QEl1jC0X
戒壇で、みんなの前で「俺、これから僧になるけど、戒絶対破らないからー!」って誓う儀式はやっぱ必要だよな
日本の戒壇は、鑑真がくるまで、見よう見まねでつくってて所詮真似事にすぎなかったが
それでも戒を守ろうという意識があったことは誉めてあげたいところだよ
いかに戒壇が伝統ある格式を継承してようが、誓うやつの心が腐ってたら飾りにすぎんからな
戒壇拝めば功徳があるのかもしれんが、そりゃ作った人たちの心が形はどうあれ今まで連綿と続いてきていることは
すごいことだが、だからと言って私度僧でも、利養のこころがなければ立派だと思うわ
742神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 09:06:52.95 ID:ZhtZX6R7
>>739
中村先生は、「熱心な釈迦信者である」ということが、学者としての限界だね。

信者に、自分の宗教や開祖が、「客観的に」評価できる訳が無い。「客観性」は、
学問の生命である。

中村先生の場合、恐らくは非信者である欧米の学者の見解が、その欠点を補って
いるのだろう。しかし、時々違和感を感じることもある。
743神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 14:04:42.10 ID:tbsYOJKL
やっぱり仏教で因縁生起とか考えると、人間の自由意志なんて無いという結論になっていくんだな
すべてはビッグバンなり無始なりからの、決定論的なものとして理解できるのか
744神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 14:12:48.53 ID:wJq/zXjo
んなこたないだろw

バタフライ効果だって、理念上の話で、
実際には、微細な(ほんとはもっと大きくても、だがw)ブレは、全体の動き・流れに掻き消えるわけだし。


決定論的考え方は後出しジャンケンだから。
「既に決まっていた」という言明は、あとから過去を振り返って初めて発せられる感慨だから。
745神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 14:25:06.61 ID:muDLNFIH
>>743
>やっぱり仏教で因縁生起とか考えると、人間の自由意志なんて無いという結論になっていくんだな

「因果の法」は変えられないけれど、「因」は替えられるということでしょう。
「果」がそのまま次の「因」ともならないということ。

「原発」を因とすれば「放射能汚染水」は果となりますが、
自然エネルギーを因とすれば「放射能汚染水」は果とはならないと思料します。
746神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 14:37:21.30 ID:VOvBG0ur
>>744
一応、複雑系では、ほんのわずかなちがいで結果が大きく左右されるよ
簡単に言えば、サイコロだよ
あんなのすべてを力学的に解析できれば、どんな目が出るか決定できるはずだが
実際はどの目も1/6の確率で出るだろ
それは、結局何ナノニュートンレベルの誤差で結果が左右されるから制御できないってことじゃないかね
玄人は出したい目が出せるって話だからどのレベルのもんかは俺には断言できねーけど
747神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 16:19:51.60 ID:wJq/zXjo
>>746
問題は、
その >わずかなちがい (による結果の行方・連鎖)が、
宇宙開闢以来決められた展開の上でのことかどうか?でしょ。

或いはまた、
高円寺の雀荘でのサイコロの目の出方が、北海道の女性の尻餅で変わったと言えるか?でしょ。

そして、その結果への作用は、
決められたレールの通りなのか、意図的なものと見做せるのか、でしょ。

彼女に告白する決断、その意思決定も、
《主体的に選んだのではなく、流されて為されたもの》なのかどうか?
748神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 16:54:24.30 ID:VOvBG0ur
>>747
何を聞きたいのかよくわからんのだが、俺に決定論者として回答してほしいってことか?
だが、俺が書いたのはあくまで物理法則内でのことであって、そこからすぐに決定論という話にはならないぞ
たとえば、信号のやりとりは物理を媒介とするが、相手に伝えているのは情報であって
物理法則内にとどまる現象ではない。相手の思考を決定する脳の評価関数は文章や会話などから特定の情報を得て
その情報をフィードバックさせてから、行動を決定し、物理法則に介入する。
だから、もし思考回路をもつ物のすべてを予測しつくそうとするなら、完全に閉じた系を作らなければ無理だ。
観測する側の意図をもし観測対象者が知ったとしたら、彼の評価関数が書き換えられる可能性があるからな。
また、彼の中にインプットされているすべての情報、記憶されているすべての情報、思考の評価関数のすべての回路も
把握しなければ予測できない。決定論であるかどうかなど、所詮考える意味がないんだよ。
たとえ、未来のすべてが決定されていたとしても、その情報を知れば彼の評価関数は書き換えられ未来は変わるのだから。
とすれば、決定論である世界があるならば、彼は絶対決定論であることを知りえないという話なのさ
人間は、人間と一切コミュニケーションをもてない無生物との間でだけ、決定論というものを仮定できる。それだけ。
749神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 17:47:27.30 ID:muDLNFIH
ウダーナヴァルガ26章「涅槃の章」
(26.21)
ところが比丘達よ、生じたものではないもの、現れたのではないもの、作られたものではないもの、
形成されたものではないもの、生起したのではないものがあるから、「生じたもの、現れたもの、作られたもの、
形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れることがある」と私は説く。

(26.24)
比丘達よ、私はその場所を知っている。そこには支えとなる地面もなく、水もなく、火もなく、風もなく、
空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、この世もなく、あの世もなく、
太陽も月もなく、まさにそこは支えられているところではなく、寄りかかられているところでもない。
ここで比丘達よ、私は来ることも説かず、行くことも、留まることも、死ぬことも、生まれることも説かない。
それこそが苦しみの終わり(anta)である。

>>662 ?氏  >>669 親切僧氏
御紹介いただきましたウダーナヴァルガ26章「涅槃の章」の訳を読みました。

実際に仏が過去世や涅槃(無為)を観じるならばそれは形而上ではない。
あえて言えば、形而下であるとなるのかなということでしょう。

>>660
>たとい如来が無為を見たとしても、それが一在家にとって、何の用があるだろう。

もし人は仏に成り得るのでしたら、私も皆さんも無為を見る可能性はありますので。
750神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 18:16:18.49 ID:wJq/zXjo
>>748
仏教的には>>743のようには考えないわけで、
地球の裏側の僅かな違いが影響しない場合すらある如く、
なんでもかんでもが軌道敷上の話にはならない、ってことが言いたかっただけ。

まあ、結局最後は、(後出しジャンケンと評するが如く)、
「それしかないコースをなぞっている」と見るか「意図的選択」と見るか
という見做しの問題になるんだろうけど。
751神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 19:12:30.40 ID:inXTP4bN
 
形而上学(けいじじょうがく)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%A6

形而上学では、存在論の他に
神、精神、自由の概念等が伝統的な主題とされ
精神や物質もしくは数や神のような抽象的な事柄が存在するか
また人間という存在は複雑に組み立てられた
物質的な体系として定義できるかどうか
などが問われてきた

形而上学の研究には
心理学的、宇宙論的、存在論的、神学的な関心に基づいた研究もあるにもかかわらず
形而上学は哲学的方法に基づいた研究であり
物理学や心理学や生物学といった科学的方法に基づいた自然諸科学や
特定の聖典や教義に基づいた神学と区別される

形而下学は
実体のない原理を研究の対象とする形而上学の反対であって
実体のあるものを対象とする応用科学の学問
752神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 19:46:35.13 ID:muDLNFIH
形而上学では、見たり確かめたりできないものについて考える。

輪廻も涅槃も仏は観じることができるので如来にとっては「形而上」とは言えないし、
世俗の言葉ではっきりと説いているので「形而下」とも言えないわけではない。
ただし、仏の説法を信じるか否かは信仰によるものである。

以上、私見です。
753神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 20:00:29.54 ID:RyVkO2Qb
ならあえて私は
仏を信じて信仰の道を進みます
それが宗教かな
南無阿弥陀仏
754神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 20:09:01.89 ID:FnpGgPzI
悟った偉い人だけ形而上の事が分かり、凡夫には分からない。
だから、修行を積んで形而上の事が分かるように頑張ろう〜
なんて本気で思う人間が居るとしたら、余程暇人だとしか思えない。

形而上の事については考えるな〜と言うのが仏陀の真意だろう。
それを、やれ輪廻転生はあるに違いない〜とかなんか踏み外れているとしか言いようが無い。
755神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 20:11:17.09 ID:o8dFme0c
形而上学、宗教、妄想、皆同じ。「現実上の根拠」が皆無。
756神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 20:40:11.83 ID:JpccJZ6O
現実ねえ…アージーヴィカ、エレア派、スピノザ主義が至上とかかな
757神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 21:44:12.69 ID:FnpGgPzI
宇宙は何故生まれたのか? NHK放送中。

これは下手な宗教より真実味を持って我々に迫ってくる。
758神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 21:45:53.39 ID:7W4cPzF9
朝鮮半島には『病身舞』という身体障害者の仕草を忠実に真似た踊りで、
笑いをとる身体障害者差別の伝統芸能があり、朝鮮併合時に、日本政府に、
非人道的だとして禁止された悪習慣。1950年代に再開された。
病身舞(ピョンシンチム)
http://www.youtube.com/watch?v=i86fiRjvafk

在日真光信者による、元信者のヒルシュという障害を持つ息子さんへの中傷替え歌。
宗教者としてあるまじき行為、病身舞と変わらない悪行、民度が低いよ。

http://art45.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/99325749_org.v1316349619.jpg
http://art39.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/99335524_org.v1316351478.jpg
http://art58.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/99325557_org.v1316349711.jpg
http://art59.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/92604410_org.v1315723270.jpg
http://art57.photozou.jp/pub/17/1915017/photo/92604403.v1317773415.jpg
759神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 22:15:09.22 ID:eXqt08Ys
>宇宙は何故生まれたのか?

神の御意志 イエス
神なんいねーよ 仏教徒 no 
だれが証明すんの
不毛の議論


  
760神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 22:36:04.63 ID:muDLNFIH
>>754
>形而上の事については考えるな〜と言うのが仏陀の真意だろう。

形而上の事については考えなくても〜正しく修行すれば分かるからと言うのが仏陀の説法でしょう。
761神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 22:37:45.31 ID:FnpGgPzI
で、分かった人は居るの?
762神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 22:47:21.61 ID:muDLNFIH
>>759
>>宇宙は何故生まれたのか?

釈尊がなぜ生まれたのか?を説かれた経典は知りませんが、この世界が生成する前のことは長部経典「起源経」で説かれております。

・前の世界は消滅した。そして月も太陽も星もなかった。
・前の世界の大部分の生ける者たちは光音天に転生して「心からなる存在」でした。
・やがて今の世界が生成され、「心からなる存在」も順番に生まれてきました。
763神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 22:51:30.50 ID:FnpGgPzI
まずはNHKを見る、下手な解釈は屁のツッパリにもならん。
764神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 23:02:08.95 ID:ykS5MYQa
この宇宙をつかさどる原理原則を作った何者かは存在するだろう
それを創造主や神と呼ぶのだろうが
アインシュタインの言葉の神はサイコロをふらないは有名だが
本当に乱数的な要素がこの宇宙の仕組みに組み込まれてないと
証明することはできない
人間にできるのは神の仕組みを表面的なところから議論することだけだ
765神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 23:08:21.98 ID:lpDN4SoW
>>762
>この世界が生成する前のことは長部経典「起源経」で説かれております。

『この世界が生成する前のこと』は時空際断だから相対言語論理そのものが不立ゆえ、観念不能。
長部経典「起源経」は馬鹿坊主のゴミクズテキストだ。
相応部35-23・70の基準で検証せよ。


仏法は縁起だから理由・目的
仏法の本懐は実存苦の超克→四聖諦にある。

★『人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないという考え方があろうと、*←一切外(邪世間)
  まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。*←一切内
  “現実に”それらを征服することをわたしは教えるのである。』 (中部63) *←仏法は一切内の四諦に尽きる。

まさに馬鹿につける薬はない。
766神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 23:13:47.11 ID:+praxCLo
>この宇宙をつかさどる原理原則を作った何者かは存在するだろう

いいえ全く存在しません
あなた宗教にだまされやすい
767神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 23:18:57.85 ID:ykS5MYQa
昔は宗教と科学は一体であった
しかし科学が重要視されるようになって、宗教が切り離されて考えられるようになった
それは神の存在が証明不可能な問題だからだろう
1+1=2のような確実に証明が可能な理論だけが科学に組み込まれていった
その結果として、神の存在を信じる者を馬鹿にする者たちが現れているなら
それは科学者たちの罪だと思う
だけど、科学的な追及も神の仕組みに対する追及であり宗教の一つであると思う
768神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 23:27:04.92 ID:ykS5MYQa
科学的に言えば、神がいるとは言えないが、いないとも言えない
なぜなら存在するかしないかを証明できれば
それを科学の理論に組み込むことができるからだ
科学の理論に組み込めないのは存在の証明ができないからだ
769神も仏も名無しさん:2013/09/22(日) 23:27:56.84 ID:FnpGgPzI
>>767
私はあなたの最後の1行のまさにそういう立ち位置で仏陀を見ています。
形而上の輪廻転生があるとか〜まさに馬鹿げた方向ではなく、実生活に
生かした読み方こそベストだと思います。

宗教仏教はイラン。
宗教仏教を離れて、個々に人生に取り組む仏陀の教えこそ重い、大事なもの。
770神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 00:05:39.09 ID:mTmlVpSa
>>759
>だれが証明すんの
>不毛の議論

それが縁起の現実から外れた検証不能の「一切外」(邪世俗:相応部35-23・70)←<無記(無視)>事項

仏教テキストの80%以上が一切外のガラクタ類です。
ガラクタ類を捨てると明晰な仏道が浮かび上がってくる。

神・菩薩概念・業報輪廻転生論・回向論・天国地獄・六道輪廻・・・・
これらはすべて経験的検証可能な「現生的なる法=仏法」ではない。
771神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 00:10:56.72 ID:5aLRjDgn
ガラクタこそ仏陀の教え〜というので頑張っている人がいるのが、可哀想です。

ガラクタと実際に説いたであろうものを区別して読む事こそ仏典を読むのに重要なポイント。
772神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 00:17:52.48 ID:kmV/k+gI
>>764
>この宇宙をつかさどる原理原則を作った何者かは存在するだろう
> それを創造主や神と呼ぶのだろうが
> アインシュタインの言葉の神はサイコロをふらないは有名だが

アインシュタイン(1930年、昭和5年) New York Times article
主旨:宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。

アインシュタイン(1954年、昭和29年)"cosmic religion(宇宙宗教)"
主旨:神は謎だが、分かり易い謎である。私は自然の法則を観察した時に畏敬のみを持つ。法則には立法者がいるはずだ。
773神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 00:20:05.16 ID:kmV/k+gI
>>772
The belief system recognized a "miraculous order(奇跡の秩序) which manifests itself in all of nature(自然) as well as in the world of ideas,"
devoid of a personal God who rewards(報償) and punishes(罰) individuals based on their behavior.
It rejected a conflict between science and religion(科学と宗教の間の対立を拒否), and held that cosmic religion was necessary for science.
He told William Hermanns in an interview that "God is a mystery(神は謎). But a comprehensible mystery(分かる謎).
774神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 00:22:52.51 ID:kmV/k+gI
>>773
He told William Hermanns in an interview that "God is a mystery(神は謎). But a comprehensible mystery(分かる謎).
I have nothing but awe(畏敬のみ持つ) when I observe the laws of nature(自然の法則). There are not laws without a lawgiver(立法者), but how does this lawgiver look(どう見える)?
775神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 00:39:16.97 ID:kmV/k+gI
>>772
Einstein saw science as an antagonist(敵) of the first two styles of religious belief, but as a partner(仲間) in the third.
He maintained, "even though the realms of religion and science in themselves are clearly marked off from each other
" there are "strong reciprocal relationships(相互関係) and dependencies(依存関係)" as aspirations for truth derive from the religious sphere.
For Einstein, "science without religion is lame(不完全), religion without science is blind(盲目)."
776神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 05:17:24.55 ID:sxVFXArR
 
 卍 仏教 質問箱 卍 パート33
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1379880304/
777神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 06:02:15.36 ID:4P/io17v
>>754
>形而上の事については考えるな〜と言うのが仏陀の真意だろう。
>それを、やれ輪廻転生はあるに違いない〜とかなんか踏み外れているとしか言いようが無い。

っていうけど、ちゃんと修行した人ほど、いわゆる形而上学的な事について言及しているし肯定もしている。
むしろ論理だけで語ろうとする人ほど、形而上学的なことを無視して
仏教を理解しようとするから、それこそ踏み外れてるといえるんじゃないかな?
ただユングが言うように神秘体験は神秘現象の存在を意味するどころか世界体験の1フェイズ
に過ぎないという見方もあるから、
やはり実践以外に仏教を本当に理解する方法はないんじゃないかな?
778神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 06:46:00.88 ID:kmV/k+gI
>>777
>ちゃんと修行した人ほど、いわゆる形而上学的な事について言及しているし肯定もしている。
>むしろ論理だけで語ろうとする人ほど、形而上学的なことを無視して
>仏教を理解しようとするから、それこそ踏み外れてるといえるんじゃないかな? (中略)
>やはり実践以外に仏教を本当に理解する方法はないんじゃないかな?

まったく同感です。
実践する前から自身の理屈だけで多くの仏説を「釈尊の教えだ」、「否だ」と選別している人達は
仏教徒と言えるかはなはだ疑問です。

同様に自身で確認せずに多くの理論を「これは正しい」、「間違っている」と選別している人達は
科学者と言えないでしょう。
779神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 06:57:41.57 ID:kmV/k+gI
>>778
>実践する前から自身の理屈だけで多くの仏説を「釈尊の教えだ」、「否だ」と選別している人達は
>仏教徒と言えるかはなはだ疑問です。

私事で恐縮ですが、研修を受けても「手かざし」をせずに「教えは間違っている」と言って退会される方々も多いです。
一方、「手かざし」をしていくつかの「霊動現象」を体験した人達は何十年も実践を積んでおります。

宗教は本来はプラグマチズムだからです。

【プラグマチズム】実際主義、行為主義
物事の真理を実際の経験の結果により判断し、効果のあるものは真理であるとするもので、神学や哲学上の諸問題を非哲学的な手法で探求する思想。
780承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/23(月) 07:45:57.49 ID:Zf/GtT/q
「手かざし」とは、マヒカリ系統で行われる呪いであり、
仏教とは何の関係もありません。
戦争中に大陸に行った某が、仙道の道士の真似をして広がったものだが、
本来の術式系統から大きく外れ、「呪い」になっている儀式です。
従って、普通なら何の意味も無い行為ですが、稀に呪詛となりますので関わらない方が賢明ですね。
781神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 10:15:08.17 ID:GqkReUyS
>>779 名無し 源伸(一在家)=カルト教団崇教真光信者
真光スレでも道場でもシテにされないKY爺。
真光の業は救世教の浄霊のパクリ。
手から光が出て病気治療ができると信仰している信者。

額に手をかざして天津祈事(呪文)を奏上すると、発狂者が続出した
ので、救世教では禁止になっているのを、真光で行っている邪教。
782神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 10:15:47.17 ID:kmV/k+gI
>>780
>戦争中に大陸に行った某が、仙道の道士の真似をして広がったものだが、
> 本来の術式系統から大きく外れ、「呪い」になっている儀式です。

何か別のものと混同されているようですが。。

釈尊も父王の臨終の際に額に手を置いて、癒されました。浄飯王涅槃経?
783神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 10:20:58.89 ID:Qqtl88SF
>>769
なるほど。
一昔前の爺ちゃんばあちゃんのことを馬鹿にする生き方ってことか。
随分と偉い人間なんだな・・あんたは・・・。  ( ゚听)、



宗教を捨てるというのはそういうことだ。
784神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 10:29:09.70 ID:kmV/k+gI
>>782
>釈尊も父王の臨終の際に額に手を置いて、癒されました。浄飯王涅槃経?

(仏説浄飯王般涅槃経)
王、仏の到るを見て、「唯願わくは如来よ。手我が身に触れ、我をして安きを得しめよ。」
仏、袈裟の裏より金色の臂を出す。掌は蓮華の如し。即ち手を以て父王の額上に著く。
785神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 10:33:12.55 ID:Qqtl88SF
>>784
で、その効験は?

もし、安心した(安堵した・満足した)ということであれば、
恋人同士が抱き合うのと、子供の頭を褒めてなでるのと何も変わらない。
その程度の心理的効果は実に日常的だし特殊な能力でも何でもない。
強いて言えば、両者の間に、一方ならぬ関係が構築されている、というくらいだろう。

手かざしとは、行為の形式が似ているだけで、共通点は何もない。
786神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 10:43:39.54 ID:GqkReUyS
>>779
>「手かざし」をしていくつかの「霊動現象」を体験した人達は何十年も実践を積んでおります。

霊動は、真光隊のサクラが演出しているそうですね。
道場に参拝者がいると、必ずドッタンバッタンと動く信者が普段より多くなるのですから(笑
787神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 11:03:36.25 ID:QOzMZj9n
>>782
>釈尊も父王の臨終の際に額に手を置いて、癒されました。

イエスも手かざしやっている。釈迦とイエスとが、カルトの元凶であることは
明らか。

医学について無知蒙昧だった古代人が、病気治療の方法を知らなかっただけの
話。

まず医学史を勉強されたし。病気の苦を除くための人間の努力の歴史は感動的。

手かざしによて多くの病人を悪化させ、殺しているのは明白な事実。
788神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 11:25:33.84 ID:Qqtl88SF
>>787
バカジャネ?w

ブッダは、病気を治そうと思って手を置いたわけじゃねーよ。
789神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 11:45:08.78 ID:kmV/k+gI
>>787
>医学について無知蒙昧だった古代人が、病気治療の方法を知らなかっただけの
話。

Wiki
手当て療法は世界各地で見られる療法で、手のひらや指先を患部などに当てるだけで身体の不調を治そうとする方法。
触手療法(しょくしゅりょうほう)、手のひら療法(てのひらりょうほう)とも呼ばれる。
国や地方、創始者により各種の方法があり、大別すると直接に患部に手のひらや指を触れて行なう方法と、
身体から少し離して手のひらや指先を当てる方法とがある。
790神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 11:50:47.79 ID:QOzMZj9n
>>789
その医学的根拠を説明されたし。
791神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 11:55:55.73 ID:iBhIrtMJ
手かざしって真光か?

新宿駅などでよく見かけるな。
792神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 11:59:04.64 ID:kmV/k+gI
>>788
>ブッダは、病気を治そうと思って手を置いたわけじゃねーよ。

父王の病気ではなく心を癒しましたよ。
バカじゃないでしょう。
7931/2:2013/09/23(月) 12:00:35.03 ID:mTmlVpSa
>>778
>まったく同感です。
>実践する前から自身の理屈だけで多くの仏説を「釈尊の教えだ」、「否だ」と選別している人達は

『自身の理屈』ではなく、仏道における明晰な基準が示されている。

仏法のメルクマールは【四法印】
< “一切”行無常 = “一切”法無我 = “一切”皆苦(=煩悩即菩提) > ⇒ 涅槃寂静
 
   一切のみを扱う、妄想を排除する。 これ、入口です。一切外をうろうろしているお方は、そもそも仏法の法門に入っておられないのです。
こういうアカン奴ねw→『ちゃんと修行した人ほど、いわゆる形而上学的な事について言及しているし肯定もしている。』(>>777)

★仏道は菩提心凡夫のためのものである(悟達者は既に仏法を捨てている:金剛般若経6・中部22)。
だから仏道は菩提心凡夫にとって明晰でなければならない。明晰とは菩提心凡夫が経験的に検証・納得できること=一切だ。

一切とは<縁起の現実>そのものであり、 存在一般であり、菩提心凡夫にとっての世界(方便)である。
経験主義的検証が可能な内と外の六処をあげて、そのほかの「一切」は考えられないとする(相応部35-23)。
一切外は検証不能の妄想であり問題にしない⇒<無記:>。問題にすれば迷妄のままで、悟達不能だ(中部63)。
一切外は『ありもしないものを語っているからである』(相応部35-23 一切)

この一切を徹見(如理作為:中部15)してゆき、
遂に<関>を突破したときが、縁起のあるがままの直覚=<縁起の現観>である。

仏法は、機能的には縁起であり、内容的には空=中道=時空際断である。
7942/2:2013/09/23(月) 12:04:14.66 ID:mTmlVpSa
>>778
従って、仏道で筏とすべき宗教全経典・テキスト・論議は下記基準を満たす<現生的なる法>でなければならない(相応部35-70)。
仏道は『信仰』宗教ではない(信仰を捨てよ! 相応部6)。

1.明証性  Sn.1066、1053参照:現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)
2.即時果報認証性 同:時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)
3.客観的再現性 同上:来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)
4.涅槃合目的性  Sn.737:よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)  
5.自力検証性 Sn.908:知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)
                             (相応部35-70 ウパヴァーナ)

 なぜなら、上記基準を満たさないテキスト・論議は『なんの利益もなく、清浄の行のはじめにもならず、
 厭離・離貪・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃にも役立たないからである。
 その故にわたしはそれらのことを説かなかったのである。』 (中部63)

形而上的論議・物語・フィクション・妄想・神・菩薩概念・業報輪廻転生論・回向論・天国地獄・六道輪廻・・・・
これらはすべて上記基準から脱落した、菩提心凡夫による経験的検証可能な「現生的なる法=仏法」ではない。

エセ仏道で迷妄の徒を輩出させる<テキスト批判>の必要性がここにある。

                       以上
795神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 12:07:08.37 ID:kmV/k+gI
>>786
>霊動は、真光隊のサクラが演出しているそうですね。
>道場に参拝者がいると、必ずドッタンバッタンと動く信者が普段より多くなるのですから(笑

もしサクラであれば世界中で数百万人の人達が毎日手をかざしているでしょうか?
私もすぐに退会しておりますよ。

>>791
>手かざしって真光か?
>新宿駅などでよく見かけるな。

真光も数グループあって、私は飛騨高山に参拝している方です。
多分、駅で手をかざしているのは救世教の一グループだと思います。
もし、駅で霊動現象が起きればネットでも話題になっていることでしょう。

以上、スレ違いですので、簡単なコメントまで。
796神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 12:15:22.36 ID:Qqtl88SF
797神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 12:19:08.02 ID:mTmlVpSa
>>795
>もしサクラであれば世界中で数百万人の人達が毎日手をかざしているでしょうか?

それが鰯の頭も信心からの信仰の実体で、宗教リテラシーのない人たちが多いのだ。
だから世にカルトがはびこる。

そのようなものは仏道(>>794)ではなく、おまえがここに居つく必要はない。
798神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 12:40:55.42 ID:iBhIrtMJ
無我の解釈が違うじゃないか?
現実に、昼がくれば腹を空かす自分が存在する訳だし。

無常というのは常に同じ状態にいないことを云うのであって、
それを無我(非我)だと解釈しているが。
799神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 13:00:00.46 ID:l6Fc5ZMv
>>749 一在家さん
>実際に仏が過去世や涅槃(無為)を観じるならばそれは形而上ではない。
>あえて言えば、形而下であるとなるのかなということでしょう。

26.24は滅諦、あるいは梵編経に説かれる外道の六十二見よりも、
仏の悟りの方が優れていることを示している偈だと思うよ。
外道は真理をつかみに行こうとするけど、仏教は捨てたところを真理とするからね。
800神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 13:06:38.08 ID:l6Fc5ZMv
>>754
>形而上の事については考えるな〜と言うのが仏陀の真意だろう。

そうそう。

>それを、やれ輪廻転生はあるに違いない〜とかなんか踏み外れているとしか言いようが無い。

ここは、ちょっと違うよ。輪廻の世界も形而下として考えられる。
どういうことかというと、形而下と言われる大きなポイントは、
それらの世界が、縁起したものかどうか、原因を持つ(それ故に解決できる)ものかどうかってことになる。

逆にいうと、形而上のもの、アートマンとか想像神は原因を持たないし、結果も生じさせないから、
形而上と言われるのよ。
801神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 13:13:10.94 ID:l6Fc5ZMv
>>770
>仏教テキストの80%以上が一切外のガラクタ類です。

そこまで言うなら、いっそ100%ガラクタといった方が筋が通るなぁ。

>ガラクタ類を捨てると明晰な仏道が浮かび上がってくる。

そして、そのガラクタを捨てるためには、ガラクタをホウキや掃除機として使うしかないんだよ。
つまり、言葉を使って言葉を捨てていくことになる。

わかるかなぁ…。
802神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 13:30:21.12 ID:iBhIrtMJ
小乗経で悟りを得た香具師は皆無と云わざるを得ない。
803神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 14:23:57.17 ID:dU+buogI
>輪廻の世界も形而下として考えられる。
これは形而上とか形而下とかの定義を間違って使っているんじゃないの?
形而下というのは100%科学的に説明がつく状態だよ。
輪廻は科学的に説明可とは言えない、ゆえに形而上だよ。
804神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 14:32:49.74 ID:dU+buogI
>>783
日本人のご先祖崇拝と仏教は本来無関係ですよ。
そもそも先祖崇拝と輪廻思想は相反するものではありませんか?
それに現在日本の葬式仏教は宗教ではありません。

〜宗と名乗っている仏教宗派の仏教は似非仏教。
そんなものとは無関係に自分の頭で仏典を読むほうが100倍まし。
805神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 14:35:40.43 ID:Qqtl88SF
>>804
そういう問題じゃねーよw
祖霊信仰に限ったことじゃねーし。
六方礼経も読んだことないのか?


お前さんには血が通ってない、と言ってんの。
806神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 14:36:05.63 ID:4P/io17v
>>793
>一切のみを扱う、妄想を排除する。これ、入口です。一切外をうろうろしているお方は、そもそも仏法の法門に入っておられないのです。
>こういうアカン奴ねw→『ちゃんと修行した人ほど、いわゆる形而上学的な事について言及しているし肯定もしている。』

じゃあ、禅定を得る事が(上座部での)仏教修行で必須になっているのは何でだと思う?
807神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 14:39:14.82 ID:l6Fc5ZMv
>>804
確かに科学が扱うのは形而下だけど、形而下のすべてを扱えているわけではないでしょ
で、科学が扱わない形而下のことについてまで、仏教は踏み込んでるって話だよ

なぜ、人として生まれ、生まれ持って色んな気質を持っているのか、
もちろん、遺伝も1つの答えだけど、じゃあ、遺伝によって成り立つその体にどうして、
他人の意識ではなく、自分の意識が宿ったのか、
あるいは、そもそも意識を宿さないことは不可避だったのか、
これについての科学の回答は、「分からない」とか「偶然」とか、でしょ。
808神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 14:48:03.58 ID:dU+buogI
私は盆や彼岸にはご先祖様を祭ってますし、家の仏壇にも線香上げてご挨拶してますよ。
しかし、そういうのと仏教は関係ないということ。

仏教徒以外は人にあらず〜という偏見の方がおかしいでしょう。
キリスト教徒には血が通ってない〜という事になりますよ。
仏陀は諸々の宗教を拒絶しなかった。良いものをどんどん取り入れていった。
偏見のないこういう姿勢こそ大事。
809神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 14:48:39.72 ID:l6Fc5ZMv
>>804
先祖供養も、善行と功徳を積むことになるから、供養自体は仏法に叶ってると思うよ。
次の生を受けた先祖に対して追善供養するという形をとるから輪廻とも矛盾しないよ〜

究極的には、自分の母ではなかった生きものは1つもないと説かれるしね
810神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 14:54:13.85 ID:dU+buogI
>>807
まさにその科学の回答「分からない」という事こそ「形而上」です。
これをこの世の論理と言葉で表せばオカルトです。
形而上が形而下になったのではありません。形而上はいつまでも形而上のままです。

>>809
インド人に根付いている輪廻思想とは全然違うものでしょう。
だから、インド人は墓を持たない。死んだら、ガンジス川に流す〜というのは今でもやってます。
虫や動物も、父母の生まれ変わりかもしれないといって殺さない。
墓を持つ日本人は根本的に非輪廻思想なんですよ。
811神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:08:40.46 ID:Ay+LDWYa
逆縁の衆生vs順縁の衆生
812神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:12:05.10 ID:mTmlVpSa
>>806
上座部も大乗もなにも、ただ仏道があるだけですよ。

>禅定を得る事が(上座部での)仏教修行で必須になっているのは何でだと思う?

⇒『この一切を@徹見(如理作為:中部15)してゆき、
 遂に<関>を突破したときが、A縁起のあるがままの直覚=<縁起の現観>である。
仏法は、機能的には縁起であり、内容的には空=中道=時空際断である。』(>>793

「比丘たちよ、しかるに、@一切を知り、一切を了解し、A一切の貪りを離れ、よく一切を放棄するならば、
            →★苦を滅しつくすことができるであろう。」
813神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:12:46.96 ID:Qqtl88SF
>>808
そうじゃなくてw

祈りや誓願、祈願等、
貴方が仏教内部から切り捨てようとしている「数式外のこと」も、
釈尊時代から仏教の骨格のひとつだと言ってんの。
814神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:17:58.93 ID:mTmlVpSa
>>801
>いっそ100%ガラクタといった方が筋が通るなぁ。

   そうです。広い意味での戯論=分別=想い、です。

>言葉を使って言葉を捨てていくことになる。

その使った言葉も言葉=想い、です。


『想いからの解脱』(仏法のゲシュタルト)からの解脱<仏法のゲシュタルト崩壊>(Sn.1072)が涅槃です。
   これが筏の喩えの法門です(金剛般若経6、中部22)。
815神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:25:08.77 ID:4P/io17v
>>812
>「比丘たちよ、しかるに、@一切を知り、一切を了解し、A一切の貪りを離れ、よく一切を放棄するならば、
>            →★苦を滅しつくすことができるであろう。」

それはつまり、禅定によって一切を知り、了承し、貪りを離れて苦を滅しつくすことができる
ってことでいいのかな?
だとしたら、具体的に禅定によってどうやって一切を知ることができると思う?
816神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:28:21.85 ID:dU+buogI
>>813
私は○○を仏教から切り捨てようとしている〜のではありませんよ。
既に、みなしていないのですよ。

祈りや誓願、祈願とかいうものは仏教とは無関係。
そんなのは神社にでも行ってやる事で、観音菩薩ですら
祈りの対象ではない。観音様は黙って救って下さるのだよ。

そんなのを「骨格」だなんて大きな勘違い以外のなにものでもない。
817神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:46:36.85 ID:l6Fc5ZMv
>>810
>まさにその科学の回答「分からない」という事こそ「形而上」です。

いやいや、「原因はあるはずだが、その原因が分からない」って回答でしょ。
もし原因もなく生まれたと言うなら、創造神と変わらないよ?それこそ非科学的な態度でしょう?
何もない虚無から生じるなんて、ね。
818神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:47:33.85 ID:dU+buogI
それが、空即是色です
819神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:51:26.09 ID:dU+buogI
論理的に科学的アプローチの限界を超えた世界を「空即是色」は言っているのです。
ひとつの仮説ではありますが、これ以上の仮説はないと思います。
何も無い世界から全てのものが生まれる。ビッグバン以前の世界です。
820神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 15:53:04.97 ID:Qqtl88SF
ここ数日前から、
なんか一代臭いのが一人居るがw、

こんなこと(>>816>祈りや誓願、祈願とかいうものは仏教とは無関係)言ってるのがいるぞw
821神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:00:03.20 ID:l6Fc5ZMv
>>816
>祈りや誓願、祈願とかいうものは仏教とは無関係。

いやいや、縁起の際たるものでしょ。花を咲かせようと思って種をまくのと同じだよ。

>>820 セブンさん
一代さん来てないと思うよ…。知恵袋がいなくなって、このスレもかなりきついっすね。
822神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:08:12.64 ID:mTmlVpSa
>>815
>具体的に禅定によってどうやって一切を知ることができると思う?

とても言葉では説明しにくいのですが、『物に向かう時移るばかりは直心なり』(至道無難禅師)

一切とは縁起の現実です。
正確に縁起の現実を見る=如理作意(中部15)です。
禅定で心を平常心にしますが、平常になりにくい日常生活でも同じです。
困難ですが、既成概念を捨てて、★『物に向かう時移るばかりは直心なり』★
何かする、見るにつけ、物に向かう時、心を移るばかりにしている。
ただ、見る、ただ聞く、ただ、行うという直の心でいることだと思います。
823神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:13:15.85 ID:l6Fc5ZMv
>>815
こういう質問がくると、一代さんがいないとつらいね…。
おそらく、煩悩が減ることで、一切をありのままに見えるようになるのだと思う。

>>819
最後は形而上学に頼っちゃうのね。
824神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:17:38.96 ID:l6Fc5ZMv
>>794
>仏道は『信仰』宗教ではない(信仰を捨てよ! 相応部6)。

って言っちゃうと、この言葉自体が信仰じみてくる自己矛盾に陥るし、
お釈迦さんの言葉を神の言葉のごとく扱うことになってきてしまうから、
自身は信仰を持たずに、かつ周りの人が信仰を捨てられるように、一切を回して行くことが求められるんだよ。
825神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:22:06.23 ID:dU+buogI
私は科学オンリーの唯物論者ではありません。
しかし、死後の世界や輪廻転生の積極肯定とか、仏像崇拝〜等の間違った仏教は仏教とみなさない立場です。
ましてや、こういうのを仏教の骨格〜だなんて勘違いしている人とは正反対の立場です。
立場は異なれど目指しているものは同じと言う事でしょうか?
山登りの道筋は1本じゃありませんから、東西南北どのルートで登ろうが人それぞれでしょう。
わが道以外は邪道〜なんて偏見は持っていませんよ。皆さんも偏見、邪見は持たない方が良いと思います。
826神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:31:57.52 ID:l6Fc5ZMv
>>825
了解です。おっしゃるとおりで、輪廻の否定を出発点にする道もあると思います。
827神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:33:56.84 ID:Qqtl88SF


「祈り」と聞くと仏像しか思い浮かばないイメージ貧困者がおるwww
「祈願」と聞くと現世利益しか思い浮かばない強欲者がおるw
「誓願」と聞くと超能力獲得や超常現象の期待としか考えない盲がおるw   >>825


鞘のない刀、外装のない乗用車なんて危なくて使えねーんだよ。
828神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:37:30.18 ID:dU+buogI
>>826
ちなみに、「否定」の立場でもないのですよ。
非肯定、非否定の立場です。

つまり、問題にしない。という立場です。
829神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:41:39.15 ID:dU+buogI
>>827
では、富に富み、欲を滅ぼし、目の開いた賢いあなたが、貧困者で強欲者で盲の凡夫の我々に、
「祈り、祈願、誓願」を貧困者で強欲者で盲の凡夫の我々に分かるようにご説明願います。
830神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:42:52.46 ID:Qqtl88SF
>>829
四弘誓願も知らんのかwww
恐れ入ったわw
831神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:43:53.52 ID:dU+buogI
貧困者で強欲者で盲の凡夫の我々に分かるようにご説明願います。
832神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:47:49.61 ID:dU+buogI
十人十色、人それぞれお釈迦様の教えを理解する方法が異なります。
そこで色々な仏様や宗派があるのです。自分の理解の仕方を絶対として、他を非難することは良くありません。
他宗の教えを知ることで、自分の理解もより深まるのです。

http://tobifudo.jp/newmon/okyo/siguseigan.html
四弘誓願 しぐせいがん

なるほど、他者を貧困者で強欲者で盲などと、非難する事は仏教への入り口 "法門"にすら至っていないという事が良く分かりました。
833神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 17:19:09.55 ID:4P/io17v
>>822
真直ぐな心で過ごせば真理を悟れるということなら、
それは違うかもしれない。

じゃあ、具体的に禅定によってどう一切を知ることができるのかというと、
上座部の修業僧の話では、
禅定状態で表れるニミッタという心の光を通して、
・自分の内臓を見る瞑想。
・自分の骨を見る瞑想。
・物質の中にある地水火風の要素を見る瞑想。
・心の因縁を見て前世や六道の世界を見る瞑想。
等々、40種類の瞑想があり、カラーの映像を見るように見ていくらしい。
それが禅定により一切を知るということ。そして、
悟りとはそうやって自分の目で全てを見ることで、
最終的にはニルヴァーナ、空も実際に自分の目で見て悟るということだとか。
834神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 17:20:23.77 ID:Qqtl88SF
わかれば宜しいw




(ってか、たぶん、何にも“解”ってねーだろうがな・・)
835神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 17:25:20.80 ID:dU+buogI
すばらしい上から目線で感服いたしますw
836神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 17:35:01.77 ID:l6Fc5ZMv
>>829
誓願は特に、菩薩道を歩むものが、生きとし生けるもののために菩提心を起こして、
一切智を求めるときに立てる誓いのようなものだよ。
ただ、実際は、菩提心を起こすこと自体もそんな簡単なことじゃないから、
菩提心を得ようとする心(世俗の菩提心)を得るために、四弘誓願などを唱えるんだと思う。

といっても、そのようなことをしようと思うためのは、
自分の常識に捉われない仏教に対する強い関心や、
菩薩に対する憧れのようなものがないと難しいと思うけど。
837神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 17:36:08.72 ID:l6Fc5ZMv
>>836
訂正
得るため ×
育てるため ○
838神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 17:45:49.03 ID:dU+buogI
四弘誓願を“解”っているであろう>>834の、>>827の様な他者批判を見ると、
そんな誓願とは無縁でいたいですねえ。
839神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 18:15:50.47 ID:dU+buogI
>六方礼経も読んだことないのか?
>四弘誓願も知らんのかwww

このように、読んだことないのか?知らんのか?の言いっぱなしで終わるのは
いかがなものでしょうか?自分の言いたい事は〜であると、書かないで、尻切れ
の言いっぱなしは何が言いたいのか書かないで、暗に「あなたとは違うが、あなたの
上から見下ろしているよ〜」という姿勢を表明しているだけで全く意味の無い書き込みです。
840神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 18:20:29.05 ID:Qqtl88SF
>>839


2500年の間、多くの弟子や祖師方が護持してきたものを、
一瞥もせずに廃棄する奴に言われたくはないねw
841神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 18:23:28.92 ID:dU+buogI
祖師も80歳で亡くなったただの人間ですよ。
まあ、上から目線でものを言わない人は私にはどーでも良いんですけど。
(心のNGで見ない事にしますw)
842神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 18:26:44.31 ID:Qqtl88SF
>>840

一言、老婆心で付言すれば、
君のこれまで一連の発言は、
伝承してきた者たちは誤っており(或いは意図的に真の教えを隠し?w)、
世人を“たばかって”来た、そして、自分だけが釈尊真の教えに気付いた、(・・・宝珠の大乗批判みたいだなw)
と言わんばかりの傲慢さに溢れているものだってことだ。
古代人の感性や価値観は劣っており(低レベルであり)、(・・・隠居みたいだなw)
現代人の感性や価値観が完璧だというのは思いあがりだよ。
843神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 18:36:16.09 ID:dU+buogI
形而上を論外する立場であり、輪廻転生や死後の世界について形而上だから当然論外(非肯定、非否定)とする立場が
あなたに「思いあがり」に映っていても、私はそんな世界(形而上を形而下に無理やり変化させた世界)を仏教とは思わないだけ。
レベルが低いとか高いとかの話ではない。
あなたが言う仏教の骨格〜なんていう方が余程私には「思いあがり」に見えますけどねえ。

何度も言いますが人それぞれです。
輪廻肯定、死後の極楽浄土肯定、仏像崇拝肯定〜の人達がコレこそ仏教の骨格〜と言っても、耳を貸さない人間もいて
一人仏典を読んで人生にいかすのもアリと言うことを主張しているだけ。
私には、がコレこそ仏教の骨格という方が余程傲慢さに溢れているものに思えます。
844承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/09/23(月) 18:53:04.55 ID:Zf/GtT/q
他人が見下そうが見上げようが関係ないだろ。(笑)

(^。^)世評を気にして何の仏道か。(笑)
845神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 19:11:21.39 ID:Qqtl88SF
>>843
何か勘違いしているようだが、
私は一言も「輪廻や死後世界」についてのことだとは言ってないが?
まさか、四弘誓願は輪廻や死後世界のことについて述べたものだとでも思ってんのか?w
「祈り」とは、死後世界へ向かったものしか存在しないとでも思ってんのか?
「誓願」とは輪廻や死後世界を前提にしたものだとでも思ってんのか?
日常世界に、日々の(仏道の)歩みに、向上に、それらが無い(不要だ)とでも思ってんのか?

だから、視野狭窄の愚か者だと揶揄してるんだよ。
846神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 19:28:26.75 ID:dU+buogI
宗教仏教はイラン、という私の主張に、↓コレでしょ。
>祈りや誓願、祈願等、
>貴方が仏教内部から切り捨てようとしている「数式外のこと」も、
>釈尊時代から仏教の骨格のひとつだと言ってんの。

まあ、どんな祈願か誓願か知りませんが、禅定に勤しみ瞑想に浸り
祈願、誓願たてて、上から目線で語ってください。

私は宗教仏教不要論者で、仏典の80%ガラクタ論を肯定するもので、
100%ガラクタだと、仏典を読む意味がなくなりますので、8割の枝葉を
削いで2割の幹は何かに注意して仏典を読みたいと思います。


私は、捨てる8割を主に仏教を考える人もいて良いと思います。
人それぞれと何回も言っています。
仏教の骨格はこうこうで、これ以外は邪道〜なんて偏見は捨てよと申し上げるだけ。
847神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 19:40:16.68 ID:LS2YH3Ft
お前らにネタバレ
この世界は大日如来の心の中にあるんだぞ
848神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 19:45:02.98 ID:LS2YH3Ft
夜見る夢に出てくる登場人物を、他人だと思ってしまうが、
目覚めてしまえば自分の脳味噌が創りだしたもの=自分の一部であったように
この世のありとあらゆるものは大日如来で出来ている。全ては大日の権現なのだ
849神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 19:49:26.21 ID:Puvpv5nz
大量虐殺も菩薩行になる、とかいっちゃう大乗特に密教系ってなんで仏教名乗ってるのか本当にわからん
(ただし自分達が被害側にいる行為については、そう正当化しないダブスタ)
850神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 20:04:54.12 ID:kmV/k+gI
>>821 親切僧さん
>>>820 セブンさん
>一代さん来てないと思うよ…。知恵袋がいなくなって、このスレもかなりきついっすね。

その一代氏(オイラ氏)の最後の言葉が「私よりよく勉強している人が来たから任せた」だったと記憶しております。
かなりのプレッシャーだとは思いますが、越えられる試練ということで、衆生済度の為に菩提心を発動下さい。
851神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 20:12:05.49 ID:kmV/k+gI
>>850
>かなりのプレッシャーだとは思いますが、越えられる試練ということで、衆生済度の為に菩提心を発動下さい。

2chの仏教議論板は、菩薩行の七法の中でも「戒、忍、精進、禅定、智慧、慈悲」にとって実践のやり甲斐があるかと存じます。
852神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 20:19:54.24 ID:kmV/k+gI
>>850
>その一代氏(オイラ氏)の最後の言葉が「私よりよく勉強している人が来たから任せた」だったと記憶しております。

その一代氏の最後の言葉が「オイラよりよく勉強している人が来たから任せた」だったと記憶しております。

私がそれは「?」がコテに付く人ですか?と質問したら、「今は名無し」とのことでした。
853神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 20:25:48.14 ID:kmV/k+gI
>>852
>その一代氏の最後の言葉が「オイラよりよく勉強している人が来たから任せた」だったと記憶しております。

前世の記憶で恐縮ですが、「オイラはエロ坊主だが、その者はずっと純粋だ。」とも。。
854神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 21:38:44.00 ID:l6Fc5ZMv
>>846
>私は宗教仏教不要論者で、仏典の80%ガラクタ論を肯定するもので、

おお、よく仏教議論スレに来てくれましたね、なにかのご縁ですね。

>仏教の骨格はこうこうで、これ以外は邪道〜なんて偏見は捨てよと申し上げるだけ

これは、おっしゃるとおりかも。
仏典も、偏見があると意味がわからないように出来てるしね〜
855神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 21:46:31.07 ID:l6Fc5ZMv
>>847
>お前らにネタバレ
>この世界は大日如来の心の中にあるんだぞ

ですよね!どこまでいっても、仏さんの掌の上ってことだね〜

>>850->>853 一在家さん
ええ、一代さんそんなこと言ってたんだ…。

あ、応援のメッセージ、ほんとに助かります。
856神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 21:52:53.70 ID:l6Fc5ZMv
>>842 セブンさん
>古代人の感性や価値観は劣っており(低レベルであり)、(・・・隠居みたいだなw)
>現代人の感性や価値観が完璧だというのは思いあがりだよ。

これは、本当にそう思う。これだけでも、仏教の旨みの大半が失われるからね。
自分たちの小さな器で切り取ることになるから。
857神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 22:05:12.37 ID:dU+buogI
物理学の世界では宇宙の統一理論を表す数式を目指しているそうだ。
超弦理論〜
その最先端の物理学では宇宙は11次元で、10の500乗個の宇宙が存在するらしい。
人間はその究極の理論を知らずに死ぬのは悲しい事だが、知ってしまえばそれも悲しい事だろう〜
という物理学者の感想には全く同意する。
人間はいつまでも究極の謎に挑戦し続けるんだろう。

しかし、分かった様な見てきた様な口で形而上の事を無理やり形而下にして妄想するのは、
この真摯な人間の探求の姿勢を冒涜するものでしかない。

そんな妄想を仏陀が進めたわけが無い。
858神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 22:38:40.27 ID:dU+buogI
我々は縦横高さ×時間の4次元世界に住んでいて、5〜11次元は認識不可能。
そのような認識不可能な高次元の世界は超ミクロの世界にあるとの事です。
原子の1兆分の1のさらにその1兆分の1の超ミクロの世界に異次元のごく一部が
ありうる〜というのが超弦理論との事です。

とても凡人が見てきたように分かった様に語れる領域ではありませんw
859神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 22:51:00.64 ID:N5w90fdB
仏教とは諦めることと見つけたり
860神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 22:58:08.68 ID:Qqtl88SF
或る部屋の本棚の一列に漫画が納めれれていた。
新たに住人となった者が、「漫画?くだらんw」と、本棚ごと捨てた。
他の列に、どんな本があるかも見ずに。
そして、「前住人は漫画しか読んでなかった」「教養が足りない人物だった」と評する。


これが愚かでなくて何か? ってことなんだが、まったく判らんらしいw
861神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 22:58:41.82 ID:Qqtl88SF
あw
862神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 22:59:50.63 ID:a8yA+vjo
>我々は縦横高さ×時間の4次元世界に住んでいて、5〜11次元は
認識不可能

アホそんなもん誰が証明したんや
頭で考えただけだろ
863神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:01:46.42 ID:l6Fc5ZMv
>>857
>しかし、分かった様な見てきた様な口で形而上の事を無理やり形而下にして妄想するのは、
>この真摯な人間の探求の姿勢を冒涜するものでしかない。

すごい教祖っぽいね。
我が道以外は邪道って思わないんじゃなかったっけ…。

>>858
スレチだよ〜
864神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:12:58.02 ID:dU+buogI
>>863
一人妄想に耽るだけならOKで問題なしですが、それを骨格〜なんていうのには反論します。
邪道とは言いませんよ。一人妄想に耽って貴重な悟りの世界に浸って上から目線で語るのもアリです。
しかし「反論」はします。私は教祖じゃありませんよ。第一、宗教仏教否定論者ですから。
妄想仏教に反論を積極的に唱える人間でそれ以上でも以下でもありませんw
865神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:15:54.79 ID:Qqtl88SF
>>864
だからw

お前は、何で《相手の意見を全て「輪廻や死後世界について述べている」と決め付ける》んだ?w

つーの ┐(´ー`)┌
866神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:24:45.93 ID:dU+buogI
>>865
私が相手にしているのは、まさに形而上の事を形而下にして語る妄想仏教に対してだけです。
あなたは、祈願、誓願の人ですね。
祈願、誓願すれば良いんじゃありませんか。
そんなのは仏教とは無関係だと思います。と言っているだけなんですが。
私が思っているだけで、「コレこそは骨格〜」というののはアナタの世界で、私の世界ではありません。
私は私の意見を言うだけ。
枝葉をさも幹のように言われれば、自分の反対論を述べます。
〜を読んだ事ないの?〜を知らないの?と上から目線で尻切れの言いっぱなしという姿勢はとりませんし、
貧困で強欲で盲〜等と他者の非難もしませんw
867無限遠点:2013/09/23(月) 23:33:08.47 ID:mTmlVpSa
>>857>>858
>超弦理論

時空の究極を<超弦>と仮説した場合に1/0=∞(無限大)は出現しないというだけであって、
ヤバイ結論回避のための結論先取りのトートロジーでしかないともいえる。
仏教的には、分別で把握できる(把握できないと科学たりえない)から、そこから理論的に推測される
5〜11次の高次元は仮設でしかないし、如理作意のいまだ思考実験でしかない。

「神の方程式」のタイトルではなく『存在の方程式』のタイトルが相応しい。
現代素粒子物理学の方程式を突き詰めれば、どう計算しても質量がゼロになる!と天才たちが苦悩する、いうところでは笑った。
仏教的には不思議ではないし、分別数字のカウント可能なゼロでしか表せないのは、ブレイク不足だろうw
ブラックホールの最深部が質量無限大の<点>になるということにも矛盾がある。
所詮、無限遠点は分別思考では解決不能だ。
「関」のブレイクスルーが必要なのだ。

「一切」不可得かつ戯論の生滅なるが故に、
いかなる教えも、どこにおいても、誰のためにも、説かれなかったブッダに敬礼いたします。
868神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:41:13.18 ID:dU+buogI
>>867
ですねw
最小限の単位を点ではなく輪ゴムの様な弦であるとすれば、輪ゴムの直径という距離があるわけですから
∞(無限大)を解消できる〜というのはまさに如理作意のいまだ思考実験で、11次元も超弦理論前提の世界ですからねえ。

私も人間が宇宙の統一理論を導き出せるのか?というのは甚だ疑問です。
仏陀の無記の姿勢には、頭が下がる思いがします。
869神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:49:06.09 ID:Qqtl88SF
>>866


>私は私の意見を言うだけ >「コレこそは骨格〜」というのはアナタの世界で
ほうw

それが、こういう台詞を言うわけだw
>>804>〜宗と名乗っている仏教宗派の仏教は似非仏教
>>808>そういうのと仏教は関係ない
>>816>そんなのを「骨格」だなんて大きな勘違い以外のなにものでも


>枝葉をさも幹のように言われれば
ほうw
君には、なぜ、コレコレは枝葉でコレコレは幹、と判断ができたんだい?
その判断が、過去数多の伝承者達より正確であることは、どう担保されるんだ?


>>804>自分の頭で仏典を読むほうが
>>843>一人仏典を読んで人生にいかすのもアリと言うことを
それは大いに結構なことだよ。
が、それこそが「ブッダの言いたかった事だ」「仏教の真髄だ」なんてのは外し過ぎだと言ってるの。
そう、ちょうど貴方が
 >>843>コレこそが仏教の骨格という方が余程傲慢さに溢れているものに・・・
と評していることの鏡像になっていることに気付いていない。


>>804>自分の頭で仏典を読むほうが
それが独りよがりな妄想に陥ってしまわないようなブレーキを、君は持っているのかい?
どうやって、それがブッダの言葉と連絡していることを証するつもりだ?
870神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:52:35.79 ID:kmV/k+gI
>>857
>しかし、分かった様な見てきた様な口で形而上の事を無理やり形而下にして妄想するのは、
>この真摯な人間の探求の姿勢を冒涜するものでしかない。

・「釈尊は誰に何を説いたのか?」という真摯な人間の探求の姿勢がある。
・長部経典のいくつかの経典で形而上の事を無記で答えた事例1がある。
・また長部経典のいくつかの経典で形而上の事を具体的に説いた事例2がある。
・更に長部経典の別の経典で形而上の事を無記で答えた事例3と具体的に説いた事例4がある。
・私は主に事例2と事例3,4を真摯に見つけて紹介したに過ぎない。
・同じ長部経典内で上記の事例全てが確認されるので、80%がガラクタ論の代わりに対機説法論を提示。
・相手に応じて法を説き分ける釈尊の対機説法論を龍樹は「四悉壇」と解説した。

以上が本スレでの姿勢、スタンスです。
871神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:53:25.15 ID:QOzMZj9n
>>869
その仏陀個人盲信を、カルトというのだよ。
872神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:56:55.83 ID:2WP+v2/R
「事実に即したものは正しい」という理念は形而上?
それとも、検証可能なものだけを扱えばいいのかい?じゃあ、すべてのカラスは黒いってどう検証すんの?
873神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 23:58:34.33 ID:dU+buogI
>>869
>それこそが「ブッダの言いたかった事だ」「仏教の真髄だ」なんてのは外し過ぎだと言ってるの。
私は、〜なんて仏教ではないとか〜と仏教は関係ないとか〜は似非仏教とか良いましたが、
私の言う事こそ「ブッダの言いたかった事だ」「仏教の真髄だ」なんて一言も言っていませんが?
むしろ、瞑想したけりゃすれば良い、祈願・誓願したけりゃすれば良い、禅定おおいに結構〜と
賛同していますが?ただ私の世界じゃないと言っているだけで、私を見習え〜なんて一言も言ってません。

むしろ、このような世界を積極的に肯定する人達が、やらなければ悟れない〜否定論者は伝統仏教を壊すものだ〜とか
騒いでいるだけでしょう。

伝統仏教なんて壊れてしまった方が良いとは思いますが。
874神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:09:45.60 ID:iVtL7X7y
なんでもかんでも代替可能だと思っている人は設計主義的だよね
なんでもかんでも合理的に理解できて本質を抜き出せると思い込んでいる
茫漠とした世界に触れてみればいいと思うのは俺だけかな
抽象すると、かならず捨象をともなうと分かるのに。まあ自分に自信があるのだろうね
875神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:11:56.82 ID:8Tk8sVgZ
>伝統仏教なんて壊れてしまった方が良いとは思いますが

私はこまりますね
それに変わるのは最近はやりの宗教ですか
宗教なんていらないとは思わないです
弱い人間ですし
876神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:14:41.68 ID:wMDXOP3Z
>>870
>・相手に応じて法を説き分ける釈尊の対機説法論を龍樹は「四悉壇」と解説した。

この対機説法「四悉壇」が因となって、各宗派が起こったとも言えます。
そして仏説「我是如聞」の「我」が異なることに注目した人が意外と少ないように感じております。

「我」は異教徒か?、バラモンか?、入門したての弟子か?、高弟か?、という分類が寛容です。
877神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:14:51.64 ID:dAbnDyTY
Sn146-147(paritta47)

 いかなる生物(いきもの)生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、
長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは幸いであれ。  (中村訳)

 生きとし生けるものは、怯えているものも、強剛なものも、
長いもも、大きいものも、中位のものも、短いものも、微細なものも、平たいもの(貝・亀など)も、
見たことのあるものも、見たことのないものも、遠くに住むものも、近くに住むものも、
すでに生まれたものも、これから生まれようとするものも、
一切の生き物は安楽であれ。          (ウ・ウェープッラ長老訳/水野弘元監修)

 いかなる生物生類たりとも、怖動者(凡夫)も定立者(阿羅漢)も、
長身者も又はいかなる大身者も、中身者も短躯者も微細者も粗大者も、
 [目に]見ゆるも又は見えざる者も、遠くに住するも遠からざる者も、
已生者(漏尽者)も又は求生者も、
[此等]一切有情に福祉あれ。          (水野訳)
878神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:15:21.71 ID:75t/eP0q
>>875
自灯明法灯明ですよ。
宗教に頼っては駄目って事です。

自=法にだけ頼るべきでそれ以外には頼るなと仏陀は教えてくれました。
伝統仏教なんてのは最も頼ってはいけない代物です。
879神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:18:11.30 ID:iVtL7X7y
自分流の解釈にたよるなら、もう仏教もいらないんじゃないですか?
880神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:20:20.46 ID:75t/eP0q
仏教、仏教〜言う仏教はいらないですね。
最初からそんなのに興味ありませんでしたし。
人間仏陀に関心があるだけです。

>>877
まさに、慈悲ですねえ。
一切の生きとし生けるものは幸いであれ。と祈願して寝ますw
881神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:22:41.99 ID:iVtL7X7y
結局、そういうのは鏡をみるだけになるんですけどねえ
愚者は経験に学ぶですね、わかります
882神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:22:48.85 ID:dAbnDyTY
>>880
祈願は不要だったんじゃねーのか?w

豆腐の角に頭ぶつけてから寝ろ (;´ー`)y━~~
883神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:25:11.73 ID:55q+W4Pe
>>875
>弱い人間ですし

「弱さ」を売り物にする人間は、最も醜悪であることを自覚せよ。
884神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:28:43.48 ID:iVtL7X7y
科学の最先端にいる人は自分の限界を知っているから返って謙虚なんだけど
科学を笠に着た人文主義系の人はなぜか科学万能主義だから困るんだよ・・・
885神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:28:49.16 ID:pW1o44jg
仏教を真光流に解釈したがる

名無し一在家は、カルトの真光版へお帰りください。
886神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:29:41.00 ID:75t/eP0q
>>882
祈願は仏教と無関係と言ったので、祈願しない〜なんて言ってませんが?
「豆腐の角に頭ぶつけてから寝ろ」
八正道に正語というものがあります。
正語(しょうご、samyag-vaac, sammaa-vaacaa)とは、妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、
両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである。

粗暴な言葉は慎んだ方がよろしいかと思いますよ。
それと人の言葉は正確に読みましょう。
仏教と無関係=不要、無用と拡大理解する癖があなたにはあるようですねえ。
併せてご忠告いたします。
887ウパヴァーナ基準:2013/09/24(火) 00:31:04.10 ID:q2p08Yuv
>>870
>同じ長部経典内で上記の事例全てが確認されるので、80%がガラクタ論の代わりに対機説法論を提示。

あんたが確認したとかいう「事例」が、一切についての四法印・四聖諦(一切苦の超克)に相応しいかどうか、
「現生的なる法」であるかどうか、>>793>>794の各基準で検証してみてください。

オカルトが<書いてある>だけでは「検証」にはならんよw
888神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:34:59.56 ID:iVtL7X7y
本よんでるだけじゃなくて、寺とか行ってみたら?別館とかふつうの家みたいなところで
研究会みたいな講座開いてるとこもあるだろうし。何かの縁になるかもよ?
俺は行ったことねえけど
889神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:40:38.46 ID:qoYyIYaw
なんだ
在家さんが隠れてたのか
なんで伝統仏教を否定するのかわかったわ
光に栄光を
真無阿弥陀仏
890神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:44:58.51 ID:q2p08Yuv
>>884
>はなぜか科学万能主義だから困るんだよ・・・

>>867を読めば判るように、逆でしょうw
科学の最先端にいる人は、科学万能主義というよりも、
相対分別方程式→存在の統一理論で捉えなければ物理科学ではなくなるから、苦闘しているんでしょw
891神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:53:56.02 ID:dAbnDyTY
>>886

拡大理解はお前さんだろw >>860が見えなかったか?

また、菩提樹下から立ち上がる時、貴方の主張のように無機質だったかどうか?
なぜ、菩提樹の下から立ち上がらなければならなかったか、
なぜ、五比丘を探さねばならなかったか、
なぜ、舎利弗目連の死が惜しまれねばならなかったか、
アノーマー河を渡る決意が、苦行の後の禅定選択が誓願以外の何であるか、
故郷での親族出家推奨はなぜか、
(少ない資料・事例とはいえ)在家者に、何が、どのように説かれていたのか、
チュンダへの言葉(伝言)が取り繕われたのはなぜか?
儀礼或いは形式無き内容が存在し得るのか、
その他、様々な伝承が、(貴方が嫌う側面のものも含めて)なぜ、そのような形で伝えられる必要があったのか、
一度じっくり考えてみるといい。
片輪では車は走らんのだよ。


それと、ワシは修行ができてないんもんで相手と内容によって言葉遣いが変わるみたいでな。
下衆な相手には、その縁に誘われて下衆な言葉になっちまうのさw

ノシ
892神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 00:55:01.58 ID:hCrFqiE4
 
 卍 仏教 質問箱 卍 パート33
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1379880304/4

4 :神も仏も名無しさん:2013/09/23(月) 16:31:08.69 ID:njDKjJaD
仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己を忘るるなり。
自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむなり。

について、分かりやすく言うとどういうことなのでしょうか。専門用語など使わず小中学生に説明くらい噛み砕いてくれるとありがたいです。
また、本やサイトなどありましたら教えて下さい(この場合は分かりやすさより正当性を重視してくれるとありがたいです)。

特に「自己をならふ」や「自己を忘るる」の部分に焦点を当ててくれると助かります。注文が多くてすいませんがお願いします。
893神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 01:00:53.24 ID:iVtL7X7y
>>890
そうかね?
背中がかゆいのを掻けるなら、孫の手でも猫の手でもいいけどな、俺は。
統一理論なんざなくても日常生活に困らんし、工学的にもまったく関係ねえだろ
あと、理論を確かめるのって宇宙観測でだろ?それで確かめたからって理論の正しさが証明されたことに
どこまで信ぴょう性があるのかもわからんのにようやるわ
仮説の段階なら、数学的な演算処理すりゃ、数説ぐらいまでにはしぼれるだろうけど
それって形而下でもなんでもねえよな。単なるある数学上のルール内での真理にすぎんのだから
894神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 01:05:22.26 ID:hCrFqiE4
 
仏道をならふといふは、自己をならふなり
http://www2.synapse.ne.jp/syouhukuji/bukkyou/051.htm
895神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 01:10:50.32 ID:iVtL7X7y
>>890
あれ、ひも理論て4つの力の統一理論で微弱すぎる重力子との関連付けが問題なんだっけ?
今Wiki見るのもめんどくせえし、今度改めて返事するわ
896神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 05:20:07.15 ID:wMDXOP3Z
>>887 ウパヴァーナ基準
>あんたが確認したとかいう「事例」が、一切についての四法印・四聖諦(一切苦の超克)に相応しいかどうか、
> 「現生的なる法」であるかどうか、>>793>>794の各基準で検証してみてください。
>オカルトが<書いてある>だけでは「検証」にはならんよw

(事例)長部経典第六経「マハーリ経」
・説法相手:部族の長のマハーリ
・まず、3つの束縛を滅することと、八正道を説かれた
・「霊魂と身体は同じか?」という問いには「答えません」と無記
・禅定が進むと天耳通、他心通、過去世を思い出す宿住通に心を向けることを説かれた

(事例)長部経典第二十八経「自歓喜経」
・説法相手:舎利弗が理解した教えを繰り返し、釈尊が正しいと保証
・まず、四聖勤、十二処、八正道を語る
・次に四種の入胎の法、読心通、七聖、七覚支、解脱知を語る
・釈尊の(世間の)常住論への解説を語る
・過去世を思い出す宿住通、生死を知る天眼、四瞑想を語る

以上、説法相手が異教の場合と高弟の場合との事例ですが、四聖諦・八正道などを説きつつ、
修行完成に伴う神通(形而上)も説かれたということです。

以上、四聖諦に相応しい「法」との「検証」は了。
897神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 05:28:20.72 ID:wMDXOP3Z
>>896
因みに本スレで、仏教を所属グループ流に解釈した場合は、セブン氏からすぐツッコミが入ります。
そういう意味では長部経典の紹介の内容は担保されております。
898神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 06:03:44.80 ID:75t/eP0q
>>891
見えてますが、比喩自体意味不明です。
他の列の本=2割の非ガラクタの仏典を指しているのなら、全く逆で
私はそういうものこそ読むに値すると思っているのですから。
漫画がくだらないとは思いませんが、比喩の設定上くだらないとすれば、
漫画と漫画以外を分けて漫画だけ捨てる立場です。

>貴方の主張のように無機質だったかどうか?
無機質というのはアナタの受け取った世界で私が主張したり発した覚えはありません。
>立ち上がらなければならなかったか、
自分のたどり着いた悟りの境地を広める為。
>五比丘を探さねばならなかったか、
自分のたどり着いた悟りの境地を広める為。
>舎利弗目連の死が惜しまれねばならなかったか、
智慧第一、神通力第一と言われる位優秀な弟子だったから?
しかし、惜しむ=嘆き悲しむという事ではなかったでしょう。
無常の世に生きる者は、愛するものと別れ、別々に至るものである〜と
仏陀自らの臨終際に嘆き悲しむアーナンダに説いています。
>苦行の後の禅定選択が誓願以外の何であるか、
誓願でも構いませんが、単に私はこの道で行く〜という信念ともとれます。
>故郷での親族出家推奨はなぜか、
推奨したのか、親族から買って出たのか不明です。いずれにせよ、仏陀の
境地に賛同して教えを請うたのだと思います。
>チュンダへの言葉(伝言)が取り繕われたのはなぜか?
まさに人間仏陀の思いやりです。
899神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 06:06:44.36 ID:75t/eP0q
>>891
>儀礼或いは形式無き内容が存在し得るのか、
師に対する右回りの礼拝などインド特有の儀礼はあったでしょう。
禅宗の臨済録には形式無視の内容が散見されます。
仏陀自身、バラモンの形式を拒否していますし、形式や権威に縛られる事こそ
愚かな事と思います。存在し得るか?と問われれば存在するという事でしょう。
むしろ仏教と言う権威、形式から解放されるべきと思います。
>必要があったのか、一度じっくり考えてみるといい。
伝承全て阿呆らしい〜なんて言っていません。形而上を形而下に変えて、さもコレが
核心〜のように伝えるものこそ阿呆らしいと言っているだけ。
片輪の比喩も意味不明です。どうも比喩表現があまり上手ではない様でw

私は形而上の事について仏陀の無記を信じる立場です。
また、無記は対機説法で修行未熟者に対してのもので、修行完成者には無記ではなく
語った〜という説はとりません。(>>896
仏陀死後100年〜200年経った後にそれまで口伝で伝えられていたものを書き残し
始めたのが仏典の始まりで、その解釈にも色々とあるのは承知しています。
私は私の信じている立場から、〜仏教じゃないとか似非仏教だとか申し上げ、
相対する人は、その人の信じている立場から、〜仏教の骨格だとか伝統仏教を壊すのかとか
言うのであってそれはそれで良いのではないでしょうか?所詮、そこを分けるのは個人が何を
信用するかと言う点だけで、それぞれの信じている立場からモノを言うのはもっともだと思います。
しかし、私はモノは言いますが、他者を非難したり、見下したりはしません。
900神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 07:03:24.68 ID:75t/eP0q
最後の説法を請うアーナンダに対する最後の説法。
「アーナンダよ、修行僧らは私に何を期待するのであろうか。私は内外の区別
なしにことごとく法を説いた。まったき人の教えには何ものかを弟子に隠すような
教師の握りこぶしは存在しない。私は修行僧の仲間を導くであろうとか、
修行僧の仲間は私に頼っているとか、このように思う者こそ修行僧の集いに関して
何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は、私は修行僧の仲間を導くで
あろうとか、あるいは修行僧の仲間は私に頼っているとか思うことがない。
向上につとめた人は修行僧の集いに関して何を語るであろうか」
そしてこの後、自灯明法灯明を説いている。
つまり、仏陀の活躍時に創始者の仏陀自身に自分の教えが宗教との認識がなく、
自分を自分たらしめる理法=ダルマ(法)=(自)に頼る事が最も大事と説いた
訳でしょう。だから最後の説法でも修行僧の集いで何かを語る立場ではない、
既に説いてあるではないか、と言っている。人間仏陀を頼る弟子はいない〜
そんな弟子に育てた覚えはない〜という事でしょうか。
まさに目が覚める最後の説法です。
901神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 07:27:48.32 ID:wMDXOP3Z
>>900
>私は内外の区別なしにことごとく法を説いた。

>そしてこの後、自灯明法灯明を説いている。
つまり、仏陀の活躍時に創始者の仏陀自身に自分の教えが宗教との認識がなく、
自分を自分たらしめる理法=ダルマ(法)=(自)に頼る事が最も大事と説いた

(法)を聞いた人達は(自)に頼れ、という意味かと思料します。
つまり(法)を知らない衆生は(自)に頼れという意味ではないでしょう。

仏の(法)を聞いた人達は(自)に頼れ、という意味ならば(仏法)宗教でしょう。
902神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 07:39:34.80 ID:wMDXOP3Z
>>899
>私は形而上の事について仏陀の無記を信じる立場です。
>また、無記は対機説法で修行未熟者に対してのもので、修行完成者には無記ではなく
>語った〜という説はとりません。(>>896

私も前世スレ(過去ログ)では、修行完成者には無記ではなく、と紹介しました。

しかし、最近もう一度長部経典をよく読み返しますと、間違いであることを確認しました。
対機説法で異教や修行未熟者に対して無記だった同じ経典内で、形而上のことも具体的に
説かれている複数の経典を見つけたからです。

よって修行完成者には形而上も直接観じられるので彼らにとっては形而上ではないのかと
現スレでは提示しております。
やはり仏教は実践主義(プラグマチズム)なんだと思います。

貴兄のスタンスを他の住人達もよく分かったかと思いますので、止論にされては如何でしょうか。
903神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 07:41:22.90 ID:75t/eP0q
>>901
ディーパ=洲、灯明で同音異義語で本来は洲だが、漢訳時に灯明を取ったので日本では灯明になったと解説があります(中村元)
同音異義とはいえ、灯明でも同じ趣旨で分かりやすく感じられるので問題ないだろうとの事です。

つまり、自らを洲とする、ダルマ(法)を洲とする、であって、法を聞いた人は〜なんて表現は出てきません。
法知らない衆生は〜という表現も出てきません。
あなたは簡潔な「自らを頼り、法を頼る」という表現を曲げて解釈しています。
904原始仏教さながら:2013/09/24(火) 07:43:38.78 ID:wMDXOP3Z
>よって修行完成者には形而上も直接観じられるので彼らにとっては形而上ではないのかと
>現スレでは提示しております。
>やはり仏教は実践主義(プラグマチズム)なんだと思います。
905原始仏教さながら:2013/09/24(火) 07:46:37.28 ID:wMDXOP3Z
簡潔な「自らを頼り、法を頼る」という表現こそ仏説と申しております。
906神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 07:49:43.73 ID:75t/eP0q
>(法)を聞いた人達は(自)に頼れ、という意味かと思料します。
>つまり(法)を知らない衆生は(自)に頼れという意味ではないでしょう。

>仏の(法)を聞いた人達は(自)に頼れ、という意味ならば(仏法)宗教でしょう。

私には↑これが捻じ曲げられた解釈にしか読めませんが?
907原始仏教さながら:2013/09/24(火) 07:53:10.77 ID:wMDXOP3Z
>私には↑これが捻じ曲げられた解釈にしか読めませんが?

貴兄が(自)に頼り、そう認識されるならば、それで宜しいでしょう。
908神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 07:57:22.20 ID:VkIr+rI9
>>866
>>899

いやいや、輪廻が形而上だと思うなら>>800>>807にも論理的に答えられるはずでしょ。
「冒涜だ」とかそういう無内容のカルトくさい神秘主義的な言い回しではなく、論理的にね〜。
そして、輪廻(過去世の業)が違うなら、自分がどうして生まれてきたのか、代わりの回答がまさかあるんでしょ?
909神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 08:16:59.02 ID:q2p08Yuv
>>896
>四聖諦・八正道などを説きつつ、修行完成に伴う神通(形而上)も説かれたということです。

アホ! 
却下。⇒『オカルトが<書いてある>だけでは「検証」にはならん』(>>887)

・「4 教本に引用されていたとて信じることなかれ」(アングッタラ・ニカーヤ カーラーマ・スッタ)
・「われは知る。われは見る。これはそのとうりである」という見解によって清浄になることができる、と或る人々は理解している。
   たといかれが見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう。
   かれらは、“正しい道を踏みはずして”、他人によって清浄となると説く。」(Sn.908)

未達者には『神通』はなく、
悟達者には勝義で神通と分別するものはなく<不實而生(滅):第一義空経>、
        還滅で『神通』なる分別は相殺されている<生已盡滅:同上>。
神通なるシロモノは仏法上(仏教上ではない)認めがたい。

こんなことぐらい、修証一等で如意作意がすすんでいれば、誰でも掴め却下できる。
仏教上、『神通』はつり餌でしかない。その他オカルト能力も同様の一切外であり「現生的なる法」(相応部35-70)ではない。

そもそも、ウパヴァーナ検証基準、一切経、カーラーマ経で自帰依=如理作意上の筏に乗らないのは、仏道=八正道ではない。
所詮、おまえはマヒカリであって、仏道の第二の関門である「一切門」さえ入っていないのだ。
910神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 08:18:31.16 ID:75t/eP0q
>>908
輪廻転生は形而上です。
>>806のあなたの形而上か形而下かの判断基準は間違いだと思います。
原因を持つものは形而下とする(例え非科学的で論理的説明が不可能でも)〜という出発点がそもそもおかしいです。
>>807であなたが形而下といっているものは全て形而上です。そもそも存在論は形而上の象徴的問題だったと思いますが?

宇宙の始まりだとかの形而上の事を大真面目に宇宙の統一理論を目指して研究している物理学者には頭が下がります。
胡散臭い仏教徒より遥かにましです。
ましてや、見てきた様な妄想で浅薄に、これらの世界を語るのは、物理学者に対する冒涜としか言えないでしょう。

そもそも論理的に説明できないから形而上なのですよ。それを私が論理的に語れば、それは私が妄想を語っている事になるでしょう。
私が信じる唯一の仏典の形而上の表現は「空即是色」だけです。仏陀の言葉ではありませんが、これは信じられます。
その他の、輪廻転生とか死後の極楽浄土とかまるっきり子供だましにしか聞こえません。
911神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 08:30:56.33 ID:75t/eP0q
×>>806のあなたの形而上か形而下かの判断基準は間違いだと思います。
>>800のあなたの形而上か形而下かの判断基準は間違いだと思います。
912神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 08:31:52.82 ID:q2p08Yuv
>>909
>(形而上)も説かれたということです。

<一切門>の基準は、ウパヴァーナ検証基準、一切経、カーラーマ経という筏で、
菩提心のある凡夫の六処による検証に耐え得るか、にある。
形而上か否かの分別など筏のごく一部でしかない。

『修行完成に伴う神通(形而上←一切外)も説かれた』はまったくなにも掴めていない外道というしかない。
913912:2013/09/24(火) 08:34:03.15 ID:q2p08Yuv
× >>909
〇 >>896>>908
914912:2013/09/24(火) 08:37:10.72 ID:q2p08Yuv
仏道は「一切」門=縁起の現実の法門である。

縁起撥無(一切外)は外道だ!
915神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 08:38:25.75 ID:bL2IqNz/
物理学も大したことなくて、ダーク・マター、ダーク・エネルギーについては、
正体の手がかりすら掴めていないのに、「超ひも理論は万物の理論」とか、
「ヒッグス粒子は神の粒子」とか、「宇宙のことは、すでにかなり解っている」とか言う

自分の無知に目隠しをし、物語を創作するという点では、
物理学者も仏教僧も似たようなものだ
916神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 08:49:13.59 ID:75t/eP0q
>>915
超弦理論は完成された宇宙の統一理論じゃありませんよ。
そんな事言っている物理学者はいないと思いますけど。
物理学者は自分の無知に目隠しはしません。
目隠ししたら、無知を前提で理論展開する事になり、砂上に城を築くようなものになるから。
無知を知に変える作業が先端物理でしょう。
似非仏教徒は無知を妄想に置き換える人達です。
両者は全然似ていません。
917神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 08:51:30.30 ID:wMDXOP3Z
>>909
>神通なるシロモノは仏法上(仏教上ではない)認めがたい。

貴兄が修行完成された際にも認めがたいか検証下さい。
なお八正道の先の涅槃も形而上でしょう。
918912:2013/09/24(火) 08:53:47.10 ID:q2p08Yuv
>>910
>私が信じる唯一の仏典の形而上の表現は「空即是色」だけです。

横槍だが、「空即是色」は無分別中道=時空際断=空(方便)を透過している以上、
形而上云々からは離れている。
919神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 08:59:16.29 ID:bL2IqNz/
>916
それはその両方をよく知らないからでしょう
920912:2013/09/24(火) 08:59:30.66 ID:q2p08Yuv
>>917
>修行完成された際にも認めがたいか検証下さい。

⇒『悟達者には勝義で神通と分別するものはなく<不實而生(滅):第一義空経>、
        還滅で『神通』なる分別は相殺されている<生已盡滅:同上>。

★こんなことぐらい、修証一等で如意作意がすすんでいれば誰でも掴め却下できる。』(>>909)

所詮、マヒカリ在家は一切門を透過できていない。
921909・920:2013/09/24(火) 09:01:47.68 ID:q2p08Yuv
× 如意作意
〇 如理作意 
922神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 09:03:44.50 ID:75t/eP0q
>>918
なるほど、私はコレまで空即是色はてっきり形而上の事だと思っていましたが、
形而上、形而下の分別すら越えた世界の事で、想像もつかない世界なのですね。
なにもない世界から全てのものが生まれる〜なんて確かに想像もつきません。
元を正してもビッグバン近くまでという限界があるけど、その限界を超えた世界というのは・・
923神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 09:08:26.47 ID:bL2IqNz/
そもそもビッグバンって一部の人が確かだと信じている想像に過ぎない
924神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 09:08:54.65 ID:pWpcf3B7
とりあえず皆、一度涅槃静寂に入れば?
話はそれからだ。
925神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 09:26:41.96 ID:q2p08Yuv
>>922
>形而上、形而下の分別すら越えた世界の事で、想像もつかない世界

仏道の本懐は実存苦(方便)の根本的超克です。
実存苦の原因は、相対一方(対象化)への我執にあります。我執そのものが相対です。
ですから相対(対象化)=矛盾そのものを不立(空である)にする必然性があります。
思考=想い=は言語・論理・情緒という分別相対です。

ですから<「想いからの解脱」(=仏法のゲシュタルト)からの解脱=仏法ゲシュタルト崩壊>(Sn.1072)が涅槃です。
苦しみの終わりです(ウダーナ8-1)。

いわゆるビッグバンによって時空が誕生したというのなら、
ビッグバン以前を問うことは、時空際断ですから「想い」そのものがありえず、矛盾です。
926パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/24(火) 09:26:46.81 ID:SQ18sXvL
>自分の無知に目隠しをし、物語を創作するという点では、
>物理学者も仏教僧も似たようなものだ


wwwwwwwwwwwwwwww
少なくとも、現状世界の構造、システムの解明には現在、科学以上のツールを
人類は持ち合わせていないw

敵国に勝利するのに、ミサイルぶっぱなすのと、怨敵退散の祈祷をするのを
同列に扱うようなことはするなよw
927神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 09:29:51.27 ID:bL2IqNz/
バカは引っ込んでろ
928パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/24(火) 09:31:29.78 ID:SQ18sXvL
>バカは引っ込んでろ


wwwwwwwwwwwwwwwwww
あれ〜〜〜〜〜〜ww
キチガイに、バカって言われちゃったwwwww
929パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/09/24(火) 09:46:15.26 ID:SQ18sXvL
>ID:75t/eP0q  

ちょっと前から、セブンに絡んでる貴方w
貴方はこのスレのニューフェースさんかな?

貴方の言うところの、「・・・・・は、仏教ではない。」は、
以前から繰り返し出されているお題なんだが、  貴方はいわゆる
(上座部も含めて)『伝統仏教』 否定派なのかな?
930神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 09:47:19.39 ID:hCrFqiE4
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3

ビッグバン理論(ビッグバン仮説)に基づいたビッグバン・モデルでは

宇宙は時間と空間の区別がつかない一種の 「 (なにもない) 無 」 の状態から忽然と誕生し

爆発的に膨張してきた、とされる
  _  _  _

 ↑ 「 (なにもない) 無 」 の状態から忽然と(何かが)誕生するのかしら?
931神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 10:32:52.73 ID:hCrFqiE4
 
878 ID:75t/eP0q
> 自灯明法灯明ですよ
> 宗教に頼っては駄目って事です

↓この場合は四念処とかを実践する為の信仰と言う意味もあるかも

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm

1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
932神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 11:04:17.82 ID:aY9ceTVo
京都府警は22日、銀閣寺にスプレーで落書きした韓国人旅行客を、器物損壊、文化財保護法違反で逮捕した。

http://2chradio.net/jidou/a/?a=news1379941655

靖国神社に放火目的?で侵入 容疑の韓国人を逮捕
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130923/crm13092316160005-n1.htm
933神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:05:45.96 ID:75t/eP0q
>>929
私が言う〜は仏教ではない、というのは形而上の事を仏陀が積極的に肯定して説いたとするものを主に、
仏像崇拝や祈願、誓願や念仏読経や瞑想等を仏教の骨格と主張するものに対してです。
私が勝手に思っているだけで、相対する人はコレこそ仏教と思って信じているのでしょうから、人それぞれでしょう。
ただ、妄想話に花が咲くと、そんなのは仏教じゃない〜って言いたくなりますw
ま、どーでも良い事なんですがね。人は人、自分は自分だから。賢者は(形而上の)論争にはおもむかない、って
言葉がありましたねえ。反省します。

上座部で、伝統に則り修行しているお坊さんは否定しませんよ。妄想の主張や、根幹でないものを骨格〜なんて主張する
ものに対してだけ否定しています。「仏教の骨格〜」「伝統を壊すのか〜」等言ってますが、壊した方が良いと言っています。
宗教に頼るなかれ、権威に頼るなかれ、形式に頼るなかれ、他人に頼るなかれ、ただ自らと法にだけ頼れ〜
という教えはありがたいものだと思います。
934神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:20:49.00 ID:wMDXOP3Z
>>920
>⇒『悟達者には勝義で神通と分別するものはなく<不實而生(滅):第一義空経>、
>         還滅で『神通』なる分別は相殺されている<生已盡滅:同上>。

「何をか第一義空経となすや、諸比丘よ、眼の生ずる時に来処有ること無く、滅する時に去処有ること無し。
是の如く、眼は不実にして生じ、生じ已りて盡く滅す。『業報有りて、而も作者無し』この陰滅し已わって、異陰相続す。」

神通に関する説法ではないようですが。。誰か意味の分かる方は解説して下さい。
935神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:27:17.04 ID:Xkl3CeEH
「自灯明・法灯明」については、「灯明ではなく白州」「悟った人向けの教え」
などと、このシリーズの初めから主張する人々がいて大論争になったが、要するに
「自」という言葉が気に入らないのだろ。「自」は「我」だから、「自」という
言葉を使うと、釈迦の「無我」「無」が吹っ飛んでしまう。

「無我」「無」を、釈迦の初歩的論理ミス、勘違いとして無視すれば、一発で
解決する問題だ。釈迦盲信故に、この釈迦の誤りに執着する余り、仏教に大きな
無理と歪が生じている。

まず、大昔の1個人に過ぎない釈迦に対する執着を棄てることが、悟りへの
第一歩であろう。
936神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:42:32.88 ID:Xkl3CeEH
仏教とは、釈迦1個人の思想ではなく、釈迦を契機として無数の人々が参加し、
結果的に釈迦を超えた一大思想体系と解すべきである。釈迦は、ヒントのその
またヒントに過ぎなかったのである。

釈迦へのあくなき個人崇拝は見苦しい。仏典には、釈迦の言葉であると証明された
言葉は、唯の一語もないのだから。
937神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:43:20.53 ID:Vt8BF+K/
>>933
仏像崇拝や祈願や念仏読経はともかく、
瞑想は、八正道の正定(正しいサマーディを得る)にもある通り、
仏教において重要な位置を占めていることは確かですよね。
そして、上座部の瞑想修行において、修行者が禅定状態で形而上学的なものを
いろいろと見ることが悟るための必須項目であることも確か。
ということは、当然、瞑想の達人であった釈迦が、そういう形而上学的な
事を見ていないということは考えにくく、むしろ、十二支縁起などは
そういうものを瞑想修行で実際に観察し、
得た真理であると思うのですが、どうでしょうか?
それに六神通というものも経典に載ってますからね。
938神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:47:34.07 ID:75t/eP0q
>>935
人間の人生は短いもので70〜80年もすれば死んでいなくなります。
生きている間は人生の主人公は我であることは間違いのない事です。
輪廻転生肯定論者は、この我の業なり何か主体のようなものが死後も
永遠と業が消滅するまで生死を繰り返す〜と説きます。
輪廻肯定論者にとっては我は有るのであり、無我と輪廻は相容れない
性質のものでしょう。
でも、死後の世界を問題としない立場では、論外なのですから無我でOK
なのです。70〜80年の間だけ存在する我を常住と言うわけにはいかないでしょう。
長い目で見れば無我です。この人生においては有我です。死ねば無我です。
生きている間の有るように思える我も本質的には無〜と教える事は論理的に正しく、
生きている間に頼るべきは自(我)と法だけ〜というのも理路整然としています。
939神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:50:33.80 ID:Vt8BF+K/
>>938
そもそも仏陀自体が輪廻転生肯定論者なわけだから、
輪廻転生否定論者は仏教否定論者ってことになりますよね。
940神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:56:24.47 ID:75t/eP0q
>>937
だから瞑想や念仏読経や祈願・誓願や仏像崇拝など、やりたい人はやれば良いだけです。
一口に瞑想と言いますが、これは具体的にどのような方法を瞑想と言うのか甚だ疑問です。
ただ、座って、息を整え、呼吸に気を配り、目をつむり、長時間じっと微動だにせず居ることが瞑想か?
八正道の正定の瞑想=心を落ち着けよ〜程度の解釈でもOKでしょう。

特殊な瞑想が形而上の世界を見る為に必須でそれは悟りにつながる有り難いものである〜
なんてのを頭から信用していません。
941神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 12:57:30.94 ID:Xkl3CeEH
「仏教」と「釈迦個人崇拝」とは違うよw。
942神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 13:00:05.65 ID:75t/eP0q
>>939
>そもそも仏陀自体が輪廻転生肯定論者なわけだから、
この前提を信じる人が肯定論者で、この前提を信じず輪廻転生を問題にしないのが無記論者です。

私は輪廻転生無記論者です。
943神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 13:06:00.45 ID:Vt8BF+K/
>>940
>特殊な瞑想が形而上の世界を見る為に必須でそれは悟りにつながる有り難いものである〜
>なんてのを頭から信用していません。

特殊な瞑想というわけではなく、アーナパーナサティという釈迦も説いている
基本的な瞑想で禅定状態を作ってから、40くらいある瞑想法で
色々なものを見ていくという、
釈迦の方法に最も忠実と言われているやり方で修業をする上座部の僧院の
修行法です。
944神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 13:09:53.24 ID:Vt8BF+K/
>>942
無記でしたね。
ただ仏教は輪廻転生からの解脱を土台とする宗教でもありますよね。
945神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 13:18:09.30 ID:75t/eP0q
幽霊がいる、幽霊が見える、怖い怖い〜と怖がる人が幽霊を見るように、
輪廻転生はあるに違いない、絶対に輪廻転生はある〜と頭から信じて疑わない人が輪廻転生するのです。

問題にしない人がどうして輪廻転生しますか?だから、問題にするな〜という教えが無記なのです。
人間の生存の根本は形而上で語れない領域ですが、正しく想像を働かせる事は出来るはずです。
正しく働かせれば輪廻転生しない〜と言う事です。この人間生存の根本に対する無知、無明が輪廻転生させているのです。
そんな無知、無明を滅ぼして、輪廻から解脱せよ〜というのが仏陀の教えでしょう。
946神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 13:20:01.16 ID:q2p08Yuv
>>937
>上座部の瞑想修行において、修行者が禅定状態で形而上学的なものを
>いろいろと見ることが悟るための必須項目であることも確か。

これ完全なアウトですw
『形而上学的なもの』とは分別相対思考そのもの=想い(Sn.1072)であり、
しかも菩提心凡夫の六処で検証不能の一切外妄想です、夢想・物語、フィクションの類です。

その機能は分別相対一方への我執を強める(検証できないから何でもありになる)。
実存苦の根本的超克にまったく正反対の我執を強化する反仏法修業です。
『それは、他でもない、なんの利益もなく、清浄の行のはじめにもならず、
 厭離・離貪・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃にも役立たないからである。
 その故にわたしはそれらのことを説かなかったのである。』
             (中部 63 )

寺和田はカルトだよw
947神も仏も名無しさん:2013/09/24(火) 13:23:36.83 ID:Vt8BF+K/
>>945
>幽霊がいる、幽霊が見える、怖い怖い〜と怖がる人が幽霊を見るように、
>輪廻転生はあるに違いない、絶対に輪廻転生はある〜と頭から信じて疑わない人が輪廻転生するのです。

輪廻転生は無いと思ってるだけで輪廻転生しないなら、
釈迦は最初から「輪廻転生は無い!」と言い切ってしまえばいいだけの話では?
948神も仏も名無しさん
>>944
>ただ仏教は輪廻転生からの解脱を土台とする宗教でもありますよね。

『輪廻転生からの解脱』なるものは仏道の第二法門である<一切門>において既に放逐されている。

 業報輪廻転生論は、なんらの<現生的なる法>ではない一切外の妄想物語の無記事項←無視・相手にしない・肯定否定判断さえしない。